荒野のコトブキ飛行隊 ~ 蒼翼の軌跡 ~ (魚鷹0822)
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第1章 略奪のウミワシ
第1話 空賊 ウミワシ通商


「はあ、はあ……」

 振動が増す輸送機の中、妙齢の女性は胴体側面に作られた窓から暗闇が支配する外界を見下ろす。翼や胴体後部から次々火の手があがり、機体の揺れが次第に大きくなってくる。

 機内の女性をはじめ、男性、そして子供たちは互いに身を寄せあい、あるいは隅でうずくまり、必死に体の震えを抑えている。

「そろそろだ」

「始めるぞ」

 操縦席に座っていた男たちは、燃料のバルブをあけ、残っている燃料を空中で放出する。そして背中に落下傘を背負うと、震える彼らを銃で脅し、機内のドアをあけた。

「うっ……」

 高度1キロクーリルの冷たい大気が機内に流れ込み、一気に真冬のように寒くなる。

 男性2人は開け放ったドアから身を乗り出す。

「じゃあな!」

 操縦席にいたパイロット2名は、暗闇の中へと飛び下りていった。

「ま、まって!」

 彼女の眼下では、開く落下傘と、どこまでも広がる荒野だけが目に入った。

「ど、どうすれば……」

 幼い子供たちや皆が震える中、彼女は操縦席へ走った。

「ケホ、ケホ。えっと、確か……」

 彼女は数年ぶりに操縦席へ腰かけ、父や夫から教わった操縦方法を脳から急いで引っ張り出す。

「計器類は……」

 まず、高度や速度計を確認。今は高度1キロクーリル。25クーリル下がった。降下しつつあるが、まだ余裕がある。

「速度、問題無し。燃料……」

 燃料の残量計を確認した彼女は、血の気が引いた。

 燃料の残量を示すメーターの針がどんどん0に近づき、そして、残量無しを示すランプが点灯する。

 直後、左右の主翼にそれぞれ取り付けられた各1基、計2機のエンジンのプロペラの回転が徐々に遅くなり、遂には完全に停止した。

「……そんな!」

 次第に機首は下を向き始め、機体は速度を増して降下を始める。

 すぐに墜落するわけではないが、何もしなければ待ち受けるのはその結末。背後では最悪の事態を悟り、年の近い女性や子供たちが震え、泣き叫んでいる。

「どこか、着陸できる場所は……」

 操縦席から周囲を見渡す。彼らの住む世界、イジツは荒野が広がる場所。不時着する場所にはことかかない。彼女もそう思っていた。だが眼下に広がる風景を見て、彼女は目を見開いた。

「町が……」

 進路上には荒野の中に点在する、築かれた町が見える。夜の暗闇の中、人々が生活を営む光が、うっすらと灯っている。

 機体は、その町へ向かって高度を下げている。

「このままじゃ……」

 女性は操縦桿を握る。エンジンが停止した今、短い半径で旋回すれば速度を失い、失速して墜落を招く。機体をゆっくりと左へ傾け、フットペダルを少しずつ踏み、徐々に進路を左へ変えつつ町から離れる進路をとる。

 町中に墜落できない。今彼らが乗っているのは輸送機なので、機体の規模が大きい。街中に落ちれば、多数の住人が犠牲になることは避けられない。そんなことはさせられない。

 その一心で彼女は機体の進路を変える。

 

 徐々に機体は進路上の町、ラハマからそれていく。町が進路から外れれば、周囲に広がるのは荒野だけ。不時着できる。

 このとき彼女は、そう考えていた。

 機体が、町の外れの上空を通過した。

「……よし。このまま、少しずつ高度をさげ……」

 暗い中、先に広がる風景が彼女の目にうつる。そして彼女は、言葉を失った。

 抜けた先にあったのは、荒野ではなかった。

 いくつもの頂上のある、切り立った山だった。

「そ、そんな……」

 これでは不時着できない。このまま進めば、山に激突して全員たすからない。

 だからといって、燃料は空。速度は上げられず、上昇して回避もできない。もうこれ以上、進路変更はできない。

「こんなのって……」

 このまま進めば山に衝突。戻ればラハマの住人を巻き込んで不時着。後者ならまだ生き残れる可能性はあるが、犠牲者が出る。彼女はわずかな間思案する。

 

「……ダメ、関係ない人たちを巻き込めない」

 

 彼女は一か八か、機首をあげ、回避を試みる。

 だが、機首がわずかに上がった直後、空気抵抗が増したことで速度が急激に落ち、機首は下を向いた。

 速度を増して地上に向かっていく機内で、皆が泣き叫んだ。

 運命は、回避できなかった。

「……ごめんなさい」

 高度は、残り250クーリルもなくなっていた。重力にひかれて地上に向かっていく機内の操縦席で、女性は大事な思い出を収めた胸ポケットに両手をあてる。

 

「……ごめんなさい。ハルカ」

 

 直後、地響きのような衝撃が機内を襲う。彼らを乗せた機体は山の中腹に激突し、機首や翼がちぎれとんだ。

 燃料が殆ど残っていなかったため大きな火災は怒らなかったが、夜の闇の中でわずかに上がった炎と、大地を揺らす衝撃と音が、ラハマの住民たち全員を眠りからたたき起こした。

 

 

 

 

 どこまでも土色の荒野の広がる世界、イジツ。70年以上前に突如世界に開いた穴から、様々なものが降ってきた。

 その中の1つ、飛行機は、荒野に住む人々の生活を一変させた。開拓の進まなかった陸路に変わり、飛行船や輸送機で、町と町を結ぶ航路ができ、交易がおこなえるようになった。

 だが同時に、積み荷を狙う集団、空賊が現れ、何隻もの飛行船や輸送機が狙われることになった。

 そんな状況から、積み荷を守る用心棒たる飛行隊が、急速に増えることになった。

 これは、そんな空戦が当たり前になったイジツの片隅で紡がれた、ある少女の物語。

 

 

 

 船体を大きな振動が襲う。飛行船の傾きは次第に大きくなり、艦橋内の乗員たちは舵輪や手近なものへとしがみつく。

 積み荷を届ける町への航路の半ばで、突如空賊の襲撃に会い、雇った用心棒を急いで出撃させるも、全て叩き落され、飛行船が襲撃された。

 乗組員たちの視線の先には、どこまでも広がる大地が近づくのが窓から見える。

「高度を上げられるか!?」

「ダメです!エンジンの半数以上が被弾しています!」

「ガス嚢内のヘリウムの流出も止まりません!」

「またエンジン被弾!」

 空賊機の攻撃は的確で、飛行船に大穴があいて墜落しないよう、破壊箇所はエンジンとプロペラ、船体上面だけに限定され、脚を止めながら徐々に内部のヘリウムが抜けて軟着陸させるつもりだとすぐわかった。

 目的は言わずもがな、積み荷だ。

 

「もう高度が100クーリルもない。全エンジン緊急停止!不時着する!」

 

 騒がしいブリッジの乗組員をよそに、飛行船は徐々に高度を下げていく。また1つ爆発音が鳴り、船体が揺さぶられる。

 艦橋の窓から見える地面はもう、間近に迫っていた。

 

「総員!衝撃に備え!」

 

 船長の声で、飛行船内全員が手近なものにしがみつく。

「来るぞ!」

 直後、船体に衝撃が走る。右に傾斜した状態で船体は高度を落とし、地面と接触した。地面と船体との摩擦でエンジンやプロペラがちぎれ飛び、頭や体に響く音や衝撃が船員たちを襲う。

 間もなく飛行船は完全に停止し、地面へと不時着した。

 

 

「全員無事か?」

 床でうずくまっていた船員たちが、ゆっくりと体を起こした。

「はあ~」

「とりあえず、生きているようですね」

 乗組員たちは船から脱出し、目の前一面に広がる荒野へと脚を下ろした。

「ここ、どこだ?」

「……正確にはわかりませんが、ラハマから北西へ飛び、目的地までもう少しだったはずです」

「目的地までは?」

「約40キロクーリルくらいかと……」

 徒歩でいくには遠い場所であることに、息を吐き出す船長のそばで、他の乗員たちもため息を吐き出す。

 その彼らの耳に、火薬の炸裂する音が響いた。

 彼らは音のした方向に同時に振り向く。そこにはいつの間にか、銃を持った男性が立っていた。

 黒い帽子に、黒いサングラス、黒い上着、ズボンも靴も黒に染められ、染まっていないのは白いシャツと金色のネクタイだけという一目で怪しいといういで立ちの男性だった。

 

「こんにちは、飛行船祥雲丸(なぐもまる)の皆さん」

 

 銃口を向けたまま、その男性は近づいてくる。

 船長は船員たちより前にでる。

「さあ、あなたたちの積み荷を引き渡してもらいましょうか?」

「嫌だといったら?」

 笑みを浮かべる男性の持つ銃の先が、船長に向けられる。

「おわかりでしょう?」

 船長は思案する。周囲には、用心棒に雇った零戦21型9機が転がっている。

 用心棒は全滅。おまけに飛行船の乗員たちは、通常武器を携帯していない。

 選択の余地はなかった。

「……わかった。積み荷は引き渡す。その代わり、乗員全員の安全の保障を……」

「いいでしょう。用があるのは積み荷だけ」

 間もなく、目の前の男の仲間と思しき輸送機や戦闘機が多数到着し、積み荷であるラハマの岩塩を輸送船から運び出す。

 積み荷が運び込まれていく機体には、いずれも首から上が白く、首から下が茶色い鳥の姿が描かれている。

 積み荷を載せたそばから輸送機は離陸していく。そして最後の輸送機が荷物を載せ終え、飛び立っていった。

「ご協力感謝します」

 男は笑顔でそういうと背中を向け、無線機を取り出した。

 

「ハルカ、用事は済んだ。引き上げるぞ」

 

『……了解』

 

 要件を伝えた男は、そばに着陸していた艦上爆撃機、彗星の後席に乗りこむと、仲間を追って離陸していった。

 その風景を見ているしかなかった飛行船の乗員たちは、一斉に空をにらむ。

 蒼い空の中を悠然と飛ぶ、一機の飛行機。機体の大部分が灰色で塗られている一方、翼の半分近くが蒼色で塗装された1機の零戦52型を、彼らは見つめる。

 雇った用心棒をすべて撃墜し、飛行船が軟着陸できるよう限られた箇所を破壊したのも、全てはあの1機の零戦によるものだった。

 零戦は上空を周回するのをやめ、仲間のあとを追って去って行った。そんな光景を見つめながら、船長はつぶやいた。

 

「……悪魔が」

 

 

 

 

 

 飛ぶことしばらく。とある山のふもとにある大きな洞窟のそばに作られた滑走路に零戦は着陸する。

 先に飛び立った百式輸送機や彗星、零戦21型などはすでにエンジンを停止させ、戦闘機は洞窟内へ。輸送機からは積み荷の運び出し作業が行われ、ウミワシ通商、と書かれた別の輸送機へ積み込みが行われている。

 

「よう、ハルカ。ご苦労だったな」

 

 彗星の後席から下りた男性、ウミワシ通商代表取締役社長ナカイは、着陸した零戦に向かって歩いていく。

 零戦52型のエンジンが止まると、風防があいた。中から出てきたのは、見た目は大人になる手前くらいの少女だった。

 肩より少し下あたりまで伸びた黒髪は白いリボンで後ろにまとめられ、黒色のシャツの上に防寒用の茶色いジャケットを着ている。

 ナカイからハルカ、と呼ばれた少女は操縦席から出ると、翼の付け根を歩き、地面に脚を下ろした。

「……積み荷は?」

「残らず頂いた。中身はラハマの岩塩だ!高く売れるぞ!」

「買い手は?」

「もうついている。これから客に届けてくる。今回の報酬も弾んでやれるぞ!」

「……そう。ナカイ、私の報酬はいつも通り」

「いつもの割合で病院と学校へ、だな」

「……お願い」

 ハルカは裾の方に青い線の入った白色のスカートを翻らせ、洞窟内の自室へと向かって歩いて行った。

 

 

「……彼女、強いですね」

 ナカイのそばに控えていた、彗星のパイロットがつぶやいた。

「ああ、おかげで積み荷を毎度確実に奪えて、商売も順調にいっている。儲かりすぎて、笑いが止まらないくらいだ!ハハハ!」

 彼女にナカイは、一人で用心棒の撃墜と輸送船の襲撃を行わせている。少ない出費で積み荷を奪え、高い値段でも買い手がつけば利益は莫大なものになるため、笑いが止まらない状況なのだという。

 

蒼翼(そうよく)の悪魔、でしたか」

 

「ああ、巷ではそんな風に言われているらしいな」

 それは、1人で役割を完遂する彼女に着けられた通り名。

「で、病院へ、というのは……」

「ああ。あいつの母親だ」

 彼女は孤児ではなく、少ないながらも家族がいる。ここに所属するかわりに、母親を病院へ、弟と妹を学校へという条件だったからだ。

 それを聞いて、彗星のパイロットは息をのんだ。

「すると、あの(・・)件で……」

 パイロットは小声でナカイに耳打ちした。

「ああ」

 2人は周囲に聞こえない小声でやり取りをする。

「いいのですか?」

「今はそう思わせておけばいい。その方が好都合。彼女は金を手にできるし、俺たちは彼女を使って積み荷を奪い売って儲けられる。誰も損をしない」

「なるほど…」

「さあ、買い手にさっさと届けにいくぞ。取引が終わったら、次の襲撃を行う」

 ナカイたちも洞窟内を目指して、滑走路から歩き出した。

 

 

 暗い洞窟内に作られた廊下を歩き、ハルカは自室にたどり着いた。

 自室のドアを開けると中に入って、彼女は鍵を閉める。自室は、あらゆる面倒から解放されるただ1つの空間。せめて襲撃がないときくらい静かに過ごしたいものと彼女は考える。

 彼女は飛行眼鏡を壁に作ったフックに吊るし、ブーツとジャケットを脱ぐとベッドに倒れこんだ。

「……疲れた」

 彼女は髪の毛を縛っていたリボンをほどき、枕に頭を沈める。

いくら組織の中で腕がたつとはいえ、1人に用心棒の駆除から飛行船の襲撃までやらせるナカイに思うところがないわけではなかった。

 だが、一応報酬は弾んでもらっているため、彼女は黙って付き従っていた。

実体は空賊とはいえ、彼女は表向きウミワシ通商という物資を買っては売りさばく会社の事務方の社員ということになっている。

 体を回転させ、仰向けからうつぶせになると、枕元に置いてある写真立てを手に取った。

「……お母さん」

 写真には、彼女を大人にしたような女性、それに年下の男の子、女の子が1人ずつ写っている。彼女にとって残された、わずかな家族だった。

 昔は祖父母や父親、兄に姉もいたが、皆死ぬか行方知れずになった。

 彼らが皆いなくなったとき、まだ幼かったハルカ。残された遺族が簡単に生きていけるほど、この荒野や空はやさしくない。

 奪うか、奪われるか、どちらかしか存在しないこの荒野や空で、彼女はこれ以上奪われる側になりたくないと、幼い心で思った。

 そんなある日、家を訪れたナカイの誘いをうけた。

 祖父と父が残した零戦と共に、空へ上がることを決めた。

 他人のものを盗むことに抵抗がなかったわけではないが、残されたものを守るためには多額のお金や敵を排除する力がいる。

 残されたものをこれ以上奪われたくないという一心で、彼女はいままでやってきた。

「……寝よ」

 自然と瞼が下がってきて、彼女は眠りの世界へと、落ちていった。

 

 

 

 

「以上が、今回の被害になります……」

 沈痛な面持ちで報告を終えたのは、輸送船祥雲丸の船長。ラハマで岩塩を積み、出航したのが一昨日のこと。

 積み荷を略奪された後、彼らは近くの都市まで自力で歩き、飛行船の回収と修理を依頼すると、今回の被害を報告しにラハマまで百式輸送機でやってきたのだった。

 

「空賊の襲撃に会い、用心棒の9機の零戦は全滅。そして軟着陸させられたのち、積み荷を奪われた、と」

 

 ラハマ自警団の団長は、今回の事件の流れをまとめる。その場には、ラハマ自警団長、飛行船祥雲丸の船長以外に、ラハマ町長、町の上役、ラハマを拠点にしているオウニ商会のマダム・ルゥルゥの姿もあった。

「はい、お恥ずかしながら、その通りです……」

 場の面々が早々たる面子ということもあってか、船長は委縮してしまっている。

「町長、今回のような件は、これに限った話ではありません」

 ラハマ自警団長は、書類の束を手に話し始める。

「最近、ラハマや、ハリマ等都市の間を結ぶ輸送船が度々襲撃され、積み荷を奪われるという事件が、後を絶ちません。今月にはいってもう10件です」

 皆が顔をしかめた。

 月が替わり、10件。これは、決して少ない数字ではない。

「事態は深刻なようね。ところで……」

 真紅のドレスに身を包んだ女性、マダム・ルゥルゥはキセルを吸い、煙を吐き出しながら向かいに座る人物を見つめる。

 

「なぜ政治家先生たちもこの場に?」

 

 その場には、別件でラハマを訪れていた他都市の議員の姿もあった。

「あら?私たちがいたらおかしいかしら?ガドール行の輸送船も、数隻被害にあっているの。情報共有は大事でしょ?」

 緑色で統一された服装に同じ色のつばの広い帽子をかぶり、眼光の少々鋭い女性、ガドールのユーリア議員。

 

「申し訳ありません。町長と交易の件で話し合いに来たのですが、それどころではないようでしたので……」

 栗色の髪に、灰色で統一されたスーツを着る穏やかな表情を浮かべる女性、ハリマのホナミ議員。彼女は頭を軽く下げる。

 

「お気を悪くしないでください。別に邪魔といっているわけではありません。交易をおこなう上で、空賊は無視できない存在。情報共有は大事なことです」

「なら、いいわよね?」

 口角を吊り上げ、勝気な笑みを浮かべるユーリアの言葉を無視し、マダムは団長に先を促す。

「他都市の自警団にも問い合わせましたが、輸送船の襲撃だけでなく、最近は都市に直接攻め込んできたケースもあります」

 通常、輸送船には用心棒の戦闘機隊が同伴するケースが殆どになる。そして輸送船の積み荷を狙う空賊は、性能のよい機体の維持が難しいため、数は少なく、旧式な場合が多い。

 これまでは、用心棒を雇えば問題はなかったし、まして都市に直接攻め入ることができる戦力もなかった。

 これまでの常識が、今では崩れつつあった。

「なぜ、そんなことが可能に?」

 小太りで、首元に蝶ネクタイをつけたラハマの町長が問う。一度は町長を退くといった彼だったが、選挙はまだ先であり、以前の優柔不断だったときと違い、決断ができるようになったという点で、ラハマの守り神といわれた戦闘機雷電は下りたが、皆に推され今でも町長を続けている。

「空賊の機体が高性能になり、数も増えたんです」

 最近では空賊の機体が高性能化している。かつては九六式艦戦や九七式戦闘機、あるいはそれ以前の機体が多かったが、今は零戦や隼、挙句は飛燕や疾風を持っている空賊さえあるという。

「なぜ、そんなことに……」

 

「イケスカ動乱……」

 

 マダムが煙を静かに吐き出した。

「イケスカが空賊に流したもの、イケスカに残されたものが、そのまま空賊に流れたのね」

 忌々しそうに、マダムの向かいに腰かけているユーリア議員はいう。

「……ええ」

 皆うつむいた。イケスカ動乱。そのときのことを、彼らは憶えている。

 1人の男が、かつてイジツに色んなものをもたらした、空に開いた穴を独占するために行った業の数々を。

「……ですが、今回の件は、それを加味しても、一方的なものでした」

「……というと」

 苦々しく口を開いた船長を、自警団長は促す。

 

「今回雇った用心棒を撃墜したのも、飛行船に被害を与えたのもすべて、たった1機の零戦52型によるものでした」

 

 皆の顔が、驚きの色に染まる。

「たった、1機……」

 町長の言葉に、船長は重々しくうなずいた。

「そんな、何かの間違いでは?」

 自警団長の問いに、彼は首を横に振る。

「はじめは、9機もいれば問題ない。そう思いました。しかし、フタを開けてみれば、こちらは全滅」

「その零戦は、どんな塗装だったのかしら?」

 相打ちを避けたり、所属を明確にする目的で、飛行機には塗装が施されている。空賊も例外ではなく、相手を威圧するための過度な塗装や、独自の塗装やマークが描かれている場合がある。

「マークはよく見えませんでしたが、はっきり覚えていることはあります」

 全員が静かに続きをまつ。

 

「その零戦は、翼の一部が、青色に塗られていました」

 

 

 



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第2話 いけ好かない依頼人は笑う

眠りから覚めた彼女は、工具を手に愛機の整備を始める。
ふと彼女は、祖父が愛機のことを「死神」と言った記憶を思い出す。
整備を終え、思い出に浸る彼女の前に、代表取締役社長と、いけ好かない笑みを浮かべる依頼人が現れる。


 

「……あれ」

 瞼を上げ、ハルカは重さの増した体を動かしてベッドから起き上がり、大口をあけてあくびをする。

「……昼寝が睡眠になっちゃった」

 眠い目をこすりながら、彼女はスカートを直す。プリーツに皺がついていないことを確認すると、枕元の時計をみやる。

「まだ午後の6時か……」

 本格的に眠るには早いと察し、彼女はジャケットを手に部屋を出る。

 彼女が向かった先は、石油ランプが灯る薄暗い廊下を進んだ先にある、細い通路に比べて格段に広い空間が広がっている場所。そこには、何機もの飛行機が並べられていた。

 百式輸送機、零戦21型、飛燕1型、隼2型等々。洞窟内に作られた根城であるため、内部で最も広く出口に近い場所を格納庫と称して使っている。その中から、彼女は迷うことなく愛機を見つける。

 

「待たせてごめんね、レイ」

 

 愛機、零戦52型丙。レイ、というのは、彼女が勝手につけた愛機のあだ名だ。

 かつて祖父がこの機体を レイセン(・・・・)、と呼んでいたことから彼女は略して、レイ、と呼んでいる。

 この機体はもともと、祖父の乗っていた機体を、飛行機の製造工場に勤務していたハルカの父親が、祖父と一緒にイジツで製造した中の1機だった。

 彼女は工具箱を手に、相棒を整備していく。燃料や弾薬の補充、油をさしたり、部品の摩耗具合を見たり、これまで幾度も繰り返してきた作業一つ一つを手慣れた手つきで進めていき、結果を用紙に記録していく。

 

「よし、完了」

 

 全ての点検と整備を終え、彼女は零戦の主翼付け根の前縁に腰を下ろし、労わるようにカウリングに右手をおく。

 この機体は、祖父と父が残してくれた大事な形見で、思い出。

 機体に触れると、彼女は祖父と幼い頃話した時のことを思い出す。

 

 

 

 幼い頃、家のそばの格納庫にこの零戦はしまわれていた。まだ、ハルカのものになる前。

『ねえお爺ちゃん、この飛行機カッコいいね!』

 特定の目的に特化し、余計なものをそぎ落としたものの姿は、傍目に見ても美しいものだった。

『そうか。この飛行機は、昔お爺ちゃんが乗っていたものと同じなんだ』

『そうなんだ。ねえ、この飛行機って、強いの?』

『ああ、強いとも』

『そっか。じゃあ、この飛行機は鬼なんだね』

 ハルカが無邪気に鬼といったことに、祖父は首をかしげる。

『何で、鬼なんだ?』

『だって、お爺ちゃんのいたユーハングでは、鬼に金棒、っていうんでしょ?』

 すると祖父は、ははは、と笑った。

『確かに、この機体は、昔は鬼だった』

 零戦を見上げながら、祖父は言う。懐かしさ、寂しさ、感傷。色んな感情が入り混じった表情で。

『だが、この飛行機は鬼というよりは……』

『鬼というより?』

 祖父の眉間に皺がより、表情がわずかに険しくなる。

『鬼というより、この飛行機は……』

 祖父はしばし黙り込む。そして零戦を見上げながら、彼は絞り出すように言った。

 

『敵だけでなく、味方の命も吸い取る……、死神だ』

 

 

 

 

「……死神、か」

 祖父が、なぜこの飛行機を死神といったのか。なんでもそれは、祖父がユーハングで飛んでいたとき、沢山の仲間が散っていくのを横目に、自分たちは帰れたからだ、みたいなことを言っていた。

 もっとも、ハルカに意味は分からなかったし、理解しようにも、祖父はいなくなってしまった。

「お~い、ハルカ」

 格納庫に聞き覚えのある声が響き、彼女は顔を向ける。

「……ナカイ」

 ウミワシ通商の代表取締役社長のナカイが近づいてくる。石油ランプしかない暗い穴倉の中だというのに、彼はいつもサングラスを手放さない。

「取引が済んだ。これ、お前の今回の取り分だ」

 ナカイは薄い封筒をハルカに差し出す。

「残りは病院と学校へ後日持っていく」

「……ありがとう」

 彼女は主翼から下り、封筒を受け取るとスカートのポケットに押し込んだ。

「ねえ、そろそろ、母に会いに行きたいんだけど……」

 重病で遠くの都市に入院している母。これまで、せいぜい年に1、2回しか会える機会がなかった。

「次の襲撃作戦が始まる、それが終わったらな」

 いつもこの調子である。終わったそばから次の襲撃計画が始まる。

「……で、次の襲撃先は?」

「次の作戦は報酬がいい。なんとしても成功させるぞ」

 ナカイのサングラスの奥の目が、一瞬鋭く光ったように彼女には見えた。

 

「ええ、なんとしてでも、成功させてください」

 

 聞きなれない声に、彼女は振り向く。

「あなたは?」

 そこには記憶にない、少なくともウミワシ通商の関係者ではない男性が立っていた。

 

「今回の依頼人です。あなたたちに、ある都市の施設や輸送船を破壊してもらいたいのです」

 

 依頼人は口角を軽く上げ、ムフッ、と笑う。

 その依頼人は男性で、レンズの部分が丸い眼鏡をかけていて、髪型をおかっぱ頭にしている。加えて、男は相手をあざ笑うかのような気味の悪い笑いを浮かべている。

 なんというか、いけ好かない男、という印象を彼女は抱く。

 そんな男性を頭のてっぺんからつま先まで眺めると、ある個所で視線を止めた。

 男性の服装の左胸には、徽章(きしょう)がつけられていた。

 

 花びらのような、赤い文様の徽章だ。

 

「それで作戦会議を行う。会議室に集合だ」

「……了解」

 彼女は道具を手早く片付けると、手についた油をぬぐい、ナカイの後を追っていった。

 

 

 

 

 

 食事時というのは、誰もが笑顔になりやすい。調理された食べ物の放つ香り、舌で感じる味、口の中で転がる触感。

 それら全ての要素が絡み合い、食べた者全てに、ひと時の幸福を与えてくれる。

 いつ落とされるかわからない飛行機乗りたちにとっては、戦いの緊張から解放されるわずかな憩いの時間でもある。

 

 

「いっただっきまーす!」

 

 

 満面の笑みで目の前に置かれた3枚重ねの、こんがりきつね色に焼けた大きなパンケーキを、暴力的なまでに盛られたホイップクリームの山をものともせず綺麗に切り分け、大きな口を開けて彼女は口に運ぶ。

 

「う~ん。やっぱパンケーキが一番!」

 

 満面の笑みでパンケーキをほおばるのは、短い黒髪の女性。ラハマを拠点に活動するオウニ商会が雇っている用心棒。コトブキ飛行隊の一人、疾風迅雷こと、名をキリエという。

 幸せそうな顔を彼女がする一方、同席している仲間たちはそのパンケーキの見た目に少し、いや、かなり引いているのか、頬が若干引きつっている。

 おまけに、彼女のパンケーキの横にはカレーが置かれている。それを交互に食べているため、これではどちらが主菜で副菜なのかわからない。

 

 

「よくそれだけホイップクリームを盛ったパンケーキを食事どきに食べられるわね……」

 そんな彼女に苦笑するのは、優美な体格に恵まれた女性、副隊長のザラ。

 

 

「パンケーキはデザートであって、おかずではないのではないか?」

 冷静な突っ込みを入れるのは、特徴的な赤髪を後ろで縛った、凛々しい顔つきの女性、コトブキ飛行隊の隊長のレオナ。

 

 

「キリエは脂肪分の摂取が多すぎる。健康によいとされる食べ方は、まず野菜から」

 知的なしゃべり方で助言を行う、表情の変化が乏しいケイト。

 

 

「あらあら、キリエのパンケーキ好きは、もう誰にも止められませんことよ」

 貴族を思わせる優雅さと皮肉を込めた口調の女性、あきらめているエンマ。

 

「キリエ~、また太るぞ~」

 そんな彼女を冷やかす、中では最も幼い見た目の隊員、チカ。

 

 それぞれ皆の反応は異なっている。

 女性ばかり、半数は子供に見えかねない外見のものもいるが、いずれもオウニ商会の雇った凄腕の戦闘機乗りたちである。

「それでさ、マダムが急に町長たちに用だって、行ってから時間たつけど、どうしたんだろ?」

「キリエ、パンケーキを口に含みながらしゃべるんじゃありません。お行儀が悪いですわ」

 キリエはパンケーキを飲み込み、話を続ける。

「しかも、マダムが入っていった場所には、自警団長や町の上役、それに偶然訪れていた議員だっていたって」

「凄い面子ね~。何があったのやら」

 ザラはビールがあふれる寸前まで注がれたジョッキを片手に、昼間から酒を何杯も飲む。

「マダムが町長から呼ばれたらしい」

「何か仕事の依頼でしょうか?」

「ケイトは違うと思う。そうなら、マダム自らが脚を運ぶとは思えない」

「では、なにかしら?」

「……重要な話だと推測。例えば、情報共有」

「でもさ、だったらなんの情報かな?」

 パンケーキに舌鼓をうつキリエを横目に、コトブキのメンバーはマダムが呼ばれた理由を想像する。

「……輸送船が襲われ、積み荷を奪われるケースが増えている。特に、今月に入ってもう10件にもなる。そのことと、多分無関係ではないだろう」

「ケイトも同意。先日、ラハマの岩塩を積んで出航した輸送船祥雲丸が、空賊の襲撃に会い、積み荷を奪われている」

「用心棒いなかったの?」

「……噂だが、雇っていた9機の零戦21型が、たった1機の零戦52型にやられたらしい」

「なんだ~、その用心棒の腕がわるかっただけじゃないの~?」

「たとえそうでも、1対9なんて、無謀極まりない」

「一心不乱のレオナなら、できるかもしれないけど~」

「ザラ!」

 過去をほじくり返されそうな気配を感じたのか、声を少し大きくしたレオナにザラは苦笑を浮かべる。

 かつてアレシマでの戦闘のおり、恩人だと思っていたブユウ商事、のちのイケスカ市長、自由博愛連合のイサオに、彼女は駆け出しのころに参加したリノウチ大空戦で助けられた借りを返そうと、一心不乱に敵を撃墜したことがあった。

 一心不乱のレオナ、そう呼ばれる姿を皆が垣間見た瞬間であった。

「ねえ、そんな無謀なことができるなんて、どんなパイロットなんだろう?」

 キリエの何気ない疑問に、皆は考え込む。

 

「きっと、体を鍛えまくって、凄い筋肉質になっているんだよ!」

 

「筋肉量と空戦の技量の関係は立証されていない。きっと、切れ目でメガネをかけている、どこぞの人事部長のような人」

 

「空賊なのですから、ダニのようにひどい見た目をしているに違いありませんわ」

 

「ある程度年をとった男性、あるいは大人の女性か……」

 

「案外、私たちと変わらなかったりして」

 

 チカ、ケイト、エンマ、レオナ、ザラは順に考えを口にするが、だれ一人被ることはなかった。

 そんなとき。

「隊長さん、マダムから電話ですよ~」

 店の店員がレオナをよぶ。

「マダムから……」

 不穏な空気を感じながら、彼女は電話に出る。

 少し言葉を交わしたのち、レオナはザラをつれて店を出ていった。

 

 



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第3話 同志現る?

ラハマ襲撃のため事前偵察へ向かった彼女。ある程度町に関する情報を集めたところでふと空腹を感じ、食事のために入った店内で、彼女は思わぬ事態に巻き込まれる。


 

「はあ~」

 ため息を吐きながら、ハルカはラハマの街を歩いていた。

「襲撃のための事前偵察、か……」

 彼女は所属する組織、ウミワシ通商の根城で元自由博愛連合の参謀と自称する眼鏡をかけた、いけ好かない男性との作戦会議を思い出す。

 

 

「あなたたちに依頼したいのは、この町、ラハマへの襲撃。そして、この町を拠点に活動しているオウニ商会の所有する輸送船、羽衣丸の破壊。この2つをお願いしたいのです」

「襲撃?」

 その依頼内容に、ハルカは疑問を呈した。

「正気ですか?」

「ええ、勿論ですとも」

 相手をあざ笑う気味の悪い笑みを浮かべる男性に、彼女はどこか寒気を覚えた。

「今回の依頼は、町の襲撃及び輸送船の破壊。この2つになります。優先すべきは、輸送船の破壊」

 彼女は違和感を覚えた。依頼はいくつもあったが、いずれも輸送船の襲撃と積み荷の強奪だった。

 襲撃はあくまで積み荷を奪うための手段であり、最終的には積み荷を売って儲けを出すことが目的だからだ。

 今回は積み荷が目的ではなく。ただの破壊。初めての依頼だった。

「ナカイさん、依頼、うけるんですか?」

「ああ」

 部下からの質問に、ナカイは間髪入れずに答えた。

「襲撃だから、攻撃して離脱すればいい。単純だ」

「ですが、この町は一筋縄ではいきません」

「なぜだ?」

 意気込んだナカイは、依頼人へ問いかける。

「このラハマという町には、腕利きの飛行隊がいます。襲撃を行えば、彼らも間違いなく出てくることでしょう。町も空賊の襲撃を何度も受け、戦力が増強されています」

「……その飛行隊と、それから目標の位置、敵戦力の情報は?」

「破壊目標はこちらです」

 男性は、破壊目標の輸送船の写った写真をよこした。

「ラハマの戦力は、自警団の戦闘機に、町の至る所に設置された対空機銃です」

「……数や配置についての情報は?」

 

「ありません」

 

「……は?」

 ハルカは目を見開いた。

「なので、誰かを町へ派遣して事前偵察を行い、情報を集める必要があるでしょう」

「……依頼しておいて、情報は自分達で集めてこいっていうの?」

 彼女はいら立ち、眉間に皺がよる。

「まあハルカ、そういうな。これからラハマへ行って、情報を集めてきてくれ」

「……私が行くんですか?」

「いかつくて、飛行服を着たいかにも空賊ですって姿の俺たちに比べれば、警戒されないだろ?」

 彼女はため息をはく。

「……了解」

 ラハマへ向かうべく、彼女は部屋の出口へ向かう。

「そういえば……」

 彼女は、丸眼鏡をかけた男性の方をむく。

「その凄腕飛行隊っていうのは?」

「……ムフ。その飛行隊の名はですね」

 

 

 

「……コトブキ飛行隊、か」

 彼女は凄腕と聞かされた飛行隊の名を口にする。彼女はラハマの地図を挟んだ手帳片手に街中をくまなく観察する。

 道中、コトブキ飛行隊のことは耳にしていた。

「女性ばかりの飛行隊。人数は6人、機体は隼1型。所属はオウニ商会。輸送船の用心棒か」

 隼1型といえば、現在各地で使われている飛行機の中では旧式の部類だが、それでも名が知れわたっているということは、よほどの凄腕に違いない。

 彼女は自警団の詰め所付近や飛行場の周囲、山や対空機銃の位置などを観察しては地図に書き込んでいった。

「一度休憩にしようかな」

 空腹を感じたので左手首にはめた時計を見ると、ちょうど正午。彼女は出入口から出てくる赤毛が目をひく凛々しい女性と優美な体格の女性と入れ違いに手近な店に入った。

 

「いらっしゃい、何にします」

 早速注文を取りにきた店員に、アホウドリのから揚げ、コーヒー、そして。

「あと、パンケーキを1つお願いします」

「はい、少々お待ちを」

 店員が厨房に入っていくのを横目に、コーヒーを一口飲んで落ち着く。

「はあ~」

 空賊として根城にいると、食料事情は当然厳しい。パンケーキなど甘いものは無論ないし、生き物を育てる場所もないから肉もない。

 日々生きていくための、貯蔵のできる堅いパンや水、粉の多いコーヒー、時折出る少し豪華な缶詰やお酒が日々の食事である。出張酒場も時折やってきたが、ハルカは興味がなかった。

 彼女にとっては、愛機零戦52型丙こと、レイの部品を買いに町へ出たとき、貯めたお金を使って少し豪勢な食事をとるのが数少ない楽しみであった。

 彼女はこれまで見た情報をまとめる。

 

 丸眼鏡をかけたいけ好かない男性が写真で示した標的、第二羽衣丸は確かに係留されていた。だが、輸送船である以上いつ出航するか検討がつかない。

 周囲に車両や機材が置かれていたが、それが積み込み作業なのか、修理中なのか、建造中なのか外からでは確認できない。

 攻撃するなら、この機会を逃すべきではないだろう。

 ラハマ自警団の戦力は、九七式戦闘機15機と、雷電が1機。そして町を守るように周囲に配置された対空機銃。

 双眼鏡で確認できた範囲でしかないが、これだけの防衛網がしかれている。

 

―――イケスカ動乱の影響か。

 

 かつて、あの男性も参戦していたという、半年ほど前にあったイケスカ動乱。その際、この町ラハマは自由博愛連合の超大型爆撃機、富嶽の攻撃目標にされたということが、調べた結果わかった。

 以後も度々空賊の襲撃をうけ、そのたび防衛網の強化が行われていることも。

 

―――正面から行くのは得策じゃないか。

 

 ラハマの戦力は自警団16機。そしてコトブキ飛行隊6機の、計22機。

 一方、ハルカたちウミワシ通商は根城の戦力を総動員して、戦力は約30機前後。内容も、零戦21型や隼2型が主体で、数機の飛燕を含む。数と質では上だが、最近出撃しているのは彼女一人ということが多いので、現在の練度は疑わしい上に、相手には凄腕飛行隊がいる。

 

―――誰かが注意を引いてくれないと、羽衣丸襲撃は難しいか。

 

 あのいけ好かない男性は、町の襲撃よりも羽衣丸の破壊を優先するように言っていた。

 かつて、自由博愛連合の目的、統一連合国家樹立という名のイケスカによる独裁体制の構築。

 その目的を打ち砕いたコトブキ飛行隊やその協力者たちの集った町、船への今回の攻撃依頼。

 

―――ただの怨念返しか……。

 

「お待たせしました、パンケーキでございます」

 目の前に運ばれてきた丸くこんがりときつね色に焼けた生地に、適度に乗せられたホイップクリームの山。

 鼻をくすぐる甘味の誘惑には勝てず、ハルカは思考を打ち切って手帳を開いたままそばに置く。

 両手を合わせた後、パンケーキをナイフで切り分ける。そしてホイップクリームの山を崩さないよう生地にフォークを刺してナイフで慎重に切り分け、口へ運ぶ。ゆっくりと味わいながら一口一口をかみしめ、飲み込む。

 柔らかく素朴な味わいのする生地にホイップクリームの甘さや舌ざわり。それらが舌の上で合わさって……。

 

「あ~、おいしい~」

 

 数か月ぶりの甘味に、彼女は頬を緩め、天にも昇るような表情を浮かべる。彼女はパンケーキが好物である。

 上に乗せるもの次第で、デザートにも主食にもなる幅の広さや、広がる味の楽しみ。そこに無限の可能性を感じると常々思っている。

 こんな素晴らしいものをもたらしてくれたユーハングには、感謝しかない、と。

 

「ははは、いい顔だね、嬢ちゃん」

 

 気が付けば、目の前で調理担当であろう店員が満面の笑みを浮かべていた。

「そんなにうまいか、うちのパンケーキ?」

「え、ええ。とっても!」

「そうかい、うれしいこと言ってくれるね」

 彼女は内心しまった、と思う。

 今は襲撃任務のための偵察中。下手に住民の印象にのこることをすれば、足がつく可能性がある。

 

「だが、そこにいる嬢ちゃんの方が、パンケーキ愛はすごいぞ!」

 

 店員の指さす先を見ると。パンケーキを3枚重ね、その上にパンケーキ全体を覆うほど異常に高く盛られたホイップクリームの山。それを大口で食べる赤い服を着た黒髪の女性の姿があった。

「……胸焼けしそう」

「だろう。だが、あの嬢ちゃんはあれが好きでな。愛のなせる技だ」

 愛というか、冒涜ともとれるそのパンケーキの有様を、彼女は茫然と見つめる。

 

―――愛?それとも冒涜?

―――でも私も、一度食べてみたいかも。

 

 口ではそういいつつも、彼女も自分の好き、には正直になるのであった。

 

 

 

「キリエ、それ2皿目でしょう?あなたよくそんなにパンケーキばかりで飽きませんわね?」

「だって~、好きなものは飽きないじゃん?」

 彼女たちの様子を遠巻きに眺めると、同席している仲間らしき女性たちもそのパンケーキの有様にすっかり引いてしまっている。

「脂肪のとりすぎはよくない。体重が増える」

「私まだ軽いもん!」

「おなかのお肉は防弾板にならないよ~」

 仲間からの疑問や助言、冷やかしなどどこ吹く風。それでも彼女のパンケーキ好きは止まらない。きっと仲がいいのだろう。その光景が、ハルカにはどこか羨ましかった。

 ウミワシ通商にいるのは、皆年上の男性、まして荒くれ者。年の近い女性との交流など、彼女にはない。

 

「嬢ちゃん、ここにパンケーキ好きの同志がいるぞ~」

 

 唐突に肩をたたかれたハルカは驚く。

 

「え!同志!」

 

 パンケーキに舌鼓を打っていた女性は立ち上がり、ハルカに駆け寄ってくる。

「ねえ、あなたもパンケーキ好きなの!?」

「え!?ええ、まあ……」

 女性は彼女の前に立つと、鼻先が触れかねないほど顔を近づけてくる。

「あなたもあいつらに言ってやってよ!パンケーキは最高だって!いくつ食べても飽きないし、これだけで3食済むし、一週間続いても飽きないんだぞ~って」

「え、ええ……」

 想定しない事態に陥ってしまい、彼女は戸惑う。襲撃作戦を控え、住民の印象に残りやすいことをするのは危険だ。うまくやり過ごさなければならない。

 

―――こういう場合の最適な答えは……。

 

 彼女は小さく呼吸をして思考を落ち着け、言い放った。

 

「お、おいしいことは事実ですよね……」

「だよね!」

 

 女性はハルカの両手をとり、握り締める。

「パンケーキには何だって合うよね?」

「ええ、ジャムとかあんことか、色々あいますよね~」

 嗜好が合ったのか、目の前の女性の目が輝き始める。

「そうだよね~。何とも合う懐の広さ~」

「そこに無限の可能性を感じますよね~」

 印象に残らないどころか、目の前の女性のペースに乗せられつつあった。

「だよね~。それに体重なんて気にしたら負けだよね~」

 

 

「……重いと燃費が悪くなるとケイトは思う」

 

 

「燃費気にしてパンケーキは食べられません!」

「そうだそうだ!」

「戦闘時における集中力を極限にまで高めるためにも……」

「日常でいかに好きなものを食べて、リラックスできるかが大事!」

 

 

「……850キロカロリーは夢ではない。キリエは太ってもいいのか?」

 

 

「太ることより、好きなものを食べるのが、一番幸せだと思います!」

「そのためなら、食べる順番なんて知ったことかー!」

「おいしいが、正義です!」

「だよね!パンケーキの誘惑には勝てないよね!」

 ハルカは常々思っている。毎日固いパンや粉の多いコーヒーばかりの生活では、死んでも死にきれない。

 せめてもっと、おいしいものを食べてから死にたい、と。

 そのためなら、摂取カロリーや食べる順番など知ったことか、と。

 

「勝てません!」

「そうだよね!」

 

 ぐいぐいくる女性に、彼女はペースを合わせる。住民の印象には間違いなく残る行為。しかし誰しも譲れないもの、というものが存在する。

 それがこの2人なら、パンケーキに関することだった。それだけである。

 そんな2人を見ていた彼女たちは口をあんぐりと開けたまま固まっている。

 

「キリエほどのパンケーキ好きは、なかなかいないと思っていましたが?」

「ケイトも想定外」

「まさか、いたなんて……」

「ふふん、どうだ!私には遂に、同志ができたのだ!」

 と、キリエと呼ばれた女性が手を握り、余程嬉しいのか上下に何度も振り回す。

「私の好きをわかってくれてありがとう!」

「いいえ!わたしこそ!ありがとうございます!」

 理解したことになるのかは怪しいが、目を輝かせるキリエという女性に対し、ハルカも満面の笑みで返す。

 

「そういえば嬢ちゃん、見ない顔だが、どこからおいでなすった?」

 ラハマは岩塩で収入を得ている町だが、規模は大きくない。なので住民同士の距離が近く、外からきた人間に気付きやすい。

「ラハマからは、大分遠い場所です」

 ハルカはあえてぼかして言った。

「そうか。じゃあ、嬢ちゃんも飛行機乗りか?」

 荒野が広がるここイジツでは、陸路を切り開くことは難しく、飛行機が普及するにつれ、陸路は活用されなくなった。

 遠い場所から来たのなら、当然飛行機に乗ってきた、そう考えるのが自然になっている。

「……いえ、会社の同僚とやってきまして」

「嬢ちゃん、もう働いているのかい?」

 もう、といわれるほど幼くはないのだが、彼女は実年齢に比べ若く見られがちなのがときに嫌だった。今回偵察に派遣されたのも、その外見が理由だった。

「ええ、色んな町から物資を買って、必要としている人々に販売や運送を行う会社に……」

「ほう、なんて会社だい?」

「……ウミワシ通商です」

 その物資というのは、無論輸送船から強奪したもので、それを売る相手はカタギじゃないことも多い。実態は空賊でも、表向きは普通の会社ということになっている。

 ぼったくる会社だが。

「ウミワシ……、聞いたことないな」

「まあ、まだ小さな会社ですから」

「そうかい。まあ、がんばんな」

 店員は笑顔を浮かべ、厨房へと去っていった。

 

「ねえ、あなたも運び屋?」

 先ほどから手を握り締めている女性が、また顔を近づけてくる。

「わ、私は事務方だけどね」

「じむ、かた?」

「書類の作成とか、契約とか、そっちの仕事」

「キリエにはできない仕事だね~」

「むぅ~」

 キリエと呼ばれた女性は頬を膨らませ、仲間の一人をねめつける。

「そういえば、名乗ってなかったね。私、キリエ。飛行機乗り」

「……私は、ハルカ。よろしく」

 もう手を握り締められているので名乗るだけにする。あまり自身のことを話してはいけないのだが、情報収集の一環としてやむなく、問題ない部分だけを話すことにする。

「もし、空賊に襲われそうになったら、お金はとるけど呼んでね。私、用心棒をやっているんだ!」

「用心棒?」

「悪い空賊から、羽衣丸を守る仕事」

 羽衣丸。その名前を聞き、ハルカは脳内で情報の整理を開始させる。

「飛行機乗りって、いったよね?」

「うん!私はコトブキ。コトブキ飛行隊ってところにいるの!」

 彼女はわずかに目を細めた。

 

―――この人が、コトブキの……。

 

 イケスカ動乱の際、その渦中の只中にいた凄腕飛行隊。なら、同席している3人は、きっとその仲間だろう。情報だと6人らしいので、あと2人いないが。

「お金はとるけど、それ相応の、いや、それ以上の働きはするから!」

「キリエなら、パンケーキだけで引き受けそうですけど」

「……ちがいない」

 ふと、無線の呼び出し音がなった。キリエの仲間らしき金髪で、貴族のような姿をした女性は、失礼、というと店の外で無線をとり、少し受け答えをすると戻ってきた。

「レオナから呼び出しですわ」

「え~まだパンケーキ残っているのに~」

「召集。それが優先」

「急がないとまたレオナに怒られるじゃん!」

「むぅ~。あ、またね~」

 引きずられていくキリエに、ハルカは手を振った。その背中を見送ると、彼女は急いで食事を終えて会計を済ませ、店を後にした。

 

 その背中を、ケイトだけが遠目で見つめていたことに、彼女は気づかなかった。

 



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第4話 潜入者を拘束せよ

情報を集め終え、ラハマ襲撃を決めたウミワシ通商。
作戦のため愛機のもとへ向かおうとする彼女だが、うかつに
口を開いたことで尻尾を掴まれてしまう。
ラハマ自警団は彼女の目的を聞き出すため、拘束へ向かう。


『町の様子はどうだ?』

 ハルカは隠し持っていた無線で、ナカイへと連絡を入れる。

「羽衣丸は係留中なのを確認した」

『すぐ攻撃にうつるか?』

「でも簡単にはいかない。自警団も、コトブキもおそらく全機がいる」

『どうする?』

 彼女は手帳を眺めしばし思案する。収集した町の情報を総合。一つの方法を思いついた。

「……あなたたちは、飛行場とは反対のルートで進入して町を襲撃。高度はレーダーにうつる高さで。そして自警団やコトブキが出撃したのを見計らい、私が低空飛行で飛行場側から進入して、羽衣丸へ攻撃をしかける」

『時間稼ぎってわけか。敵戦力は?』

「自警団が九七戦15機、雷電1機。コトブキが隼6機。数ではこちらが有利。無理な戦闘はしないで。目的はあくまで、羽衣丸の破壊」

『了解した。逃げるのは空賊の十八番(おはこ)だ、任せろ。積み荷が手に入らない分、無駄な出費は抑えたい』

「了解」

『作戦開始時刻は、1330。それまでに出撃準備を整えておけよ』

「了解、終わり」

 無線を切ると、彼女は左手首にはめた時計を見やる。

「開始まで、残り50分」

 彼女は最終確認をしに、再び町へ繰り出した。

 

 

 

 

 

「蒼い翼の零戦?」

 

 コトブキ飛行隊隊長のレオナは、キリエたちにマダムが呼ばれた要件を伝えた。

「最近頻発している、輸送船から積み荷が強奪される事件。いずれの場所にも、その零戦が現れたらしい」

「きっと、かなりの凄腕ね」

 いつも余裕ありげな副隊長のザラが、真剣な表情で言う。

「でもいくら凄腕っていっても、零戦1機でしょう?」

「その1機が用心棒を全て叩き落し、輸送船を軟着陸させている。油断は禁物だ」

 まだ建造途中とはいえ、羽衣丸も輸送船であり、コトブキ飛行隊が用心棒を行っている以上無縁ではいられない。情報共有の意味で、レオナは全員に伝えた。

「ところでキリエ」

「何?」

 レオナはキリエの口の右端を指さした。

「クリームがついたままだ……」

 キリエが指摘された場所を指でぬぐうと、確かにホイップクリームがついた。

 彼女はそれを舌でペロリとなめとった。

「嗜好や食生活に口出しするつもりはないが、胸焼けしそうなほどホイップクリームの山を乗せたパンケーキを、よくぞカレーと交互に食べられるものだな」

「好きなものは好き!それだけ!」

「ケイトの助言も、馬の耳になんとやら、ですわ」

 

「いいじゃん別に!それに今日は、同志ができたんだから!」

 

「同志?」

 レオナは首を傾げ、頭に疑問符を浮かべる。

「キリエのパンケーキ好きに理解を示してくれた方ですわ」

「初めは引いていたように見えた。でも、最終的にはキリエと波長があった」

「キリエの冒涜ともとれるパンケーキのトッピングに理解を示すなんて、どんな変人さんかしらね~」

 どうも周囲はその存在が信じがたいようで、レオナもザラも怪訝な顔つきか、苦笑を浮かべている。

 

「それで、なんでエリート興業の親分がここに?」

 

 キリエの視線の先、部屋に並べられた長机の一角には、もみあげが目立つ男性が腰かけている。

 かつてラハマを襲撃して雷電を奪った元空賊。

 エリート興業の代表取締役親分、トリヘイの姿があった。

「空賊のことは、元空賊に聞くのが一番だからよ」

 黙ってキセルを吸っていたコトブキ飛行隊の雇い主、オウニ商会社長のマダム・ルゥルゥが口を開いた。

「今日は偶然絵の行商で、ラハマを訪れていたんだ」

 かつては空賊だったが、今は心を入れ替え、絵の行商や輸送を請け負い、株式会社としてやっているようだ。

「それでトリヘイさん。その零戦のいる空賊について心当たりは?」

「しっかし、蒼い翼の零戦な~」

 トリヘイは顎に手をあて、天井を見ながら時折頭を指でかき、思い出そうとする仕草をする。

 

「……ある」

 

 トリヘイの隣に腰かけている桃色の髪の小柄な人物。どう見ても幼い少女にしか見えない、姐さんは答えた。

 見た目は少女でも、肝は相当据わっているようで、女帝、などと噂されるほどだった。

「本当に?」

「あんた、ほら。以前食料を売ってくれたときに……」

「あ!思い出したぞ!」

 両手を、パン、とならし、トリヘイは合点がいったようだ。

「たしかあれは、食料危機になったときに……」

 なんでも、エリート興業の拠点エリート砦は、その天然の要塞であるがゆえに広い場所がなく、食料を自給するには厳しい場所だった。

 おまけに農業に詳しい社員がいないことも手伝い、一時食料の備蓄が底をつきそうになったことがあった。

「あのとき、高額だが食料を買わないかって吹っ掛けてきた連中の中にいたな、蒼い翼の零戦」

「その組織の名は?」

 

「ウミワシ通商、って名乗っていたな」

 

「マダム、ご存じですか?」

「……聞いたことないわ。カタギではなさそうね」

 それなりに顔の広いオウニ商会のルゥルゥでさえ知らないのであるなら、よほど新しいか、あるいは裏の世界の組織である可能性が高い。

「その組織は、普通の会社なのかしら?」

 トリヘイは右手で、何かを払うような仕草をした。

「いや、いっちゃあなんだが、中身は空賊だ。後でわかったことなんだが、輸送船を襲って積み荷をかっさらう、よくある手口だ」

「でも成功率は高い。その零戦のおかげ。確か、通り名があった」

「通り名?」

 通り名がつくということは、それほどに数多くの修羅場をかいくぐり、敵を落とし、生き残った証左でもある。

 

 

「……蒼翼(そうよく)の、悪魔」

 

 

「そう……よく?」

「蒼い翼の悪魔ってこと」

「疾風迅雷のキリエとか、一心不乱のレオナ、とは趣が違うわね」

「そもそも、パイロットが男性か女性か、大人か子供かさえわからない。だから機体の特徴とその強さから、そう呼ばれているみたい」

「ウミワシ通商は、そうやって手に入れた物資を高値で売りさばき、儲けている空賊だ」

 

 

「ウミワシ通商?ハルカの勤め先と同じ名前だ」

 

 

 何気なくつぶやいたキリエに、皆の視線が集まる。

「え、何?」

「キリエ、今何といった?」

 レオナの視線が少し険しくなった。その表情に、キリエの防衛本能が反応し、思わず体を縮こまらせる。

「えっと、その……。さっき食事中に出会ったパンケーキ好きの女の子と、勤め先が同じ名前だって……」

「その人物の名前は?」

「えっと、ハルカって名乗っていたよ……」

 

「なんですって!」

 

 突如立ち上がったのは、被害にあった輸送船祥雲丸の船長。

「どうか、されたのですか?」

 その慌てぶりに、レオナは落ち着くよう手をかざすも船長は興奮気味。

「確か積み荷を強奪された後、我々に銃口を向けていた男性が無線に言ったんです!」

 全員が固唾をのんで言葉を待つ。

 

 

ハルカ(・・・)、用事は済んだ。引き上げるぞ、っと……」

 

 

 全員が顔を見合わせた。

「その直後、上空を周回していた零戦が、去って行ったんです」

「でもそれって、ただの偶然じゃ……」

 ただの偶然だと普通は思うだろう。だがこのとき、その場のだれもが、それを偶然で処理できなかった。

「そのハルカって女の子が、その零戦のパイロットであるとしたら……」

 マダムは視線を細めながら、煙を吐き出す。

「で、でもでも、ハルカは飛行機乗りじゃないって……」

「ケイトは違うと思う」

 キリエの隣に腰かけていたケイトが、いつもの口調で淡々と言った。

「彼女の目の周囲、飛行眼鏡をかけていた跡が、まだわずかに残っていた。それに、服から出ていた腕や脚に、レオナほどでないにせよ、鍛えられた様子がうかがえた。ただの事務方とは考えにくい」

「でもそれだけじゃ……」

 

「それに、彼女が持っていた手帳の中身が見えた。ラハマの地図に、書き込みが沢山されていた。こちらの戦力や対空機銃の位置等が詳細に……」

 

「……それって」

 皆が顔を見合わせる。町の地図に戦力の情報を書き加える行為に、蒼い翼の零戦のパイロットである可能性。それが指し示すことなど、一つしかない。

 

「……状況証拠は揃ってきたわね」

 

 沈黙を守っていたユーリア議員は笑みを浮かべながらルゥルゥを見つめる。

「町長、いかがいたします?」

 ラハマ町長は、自警団長に言った。

「団長、町の周囲の封鎖を……」

「は!」

 自警団長は無線で詰め所に連絡する。

「コトブキの中で、彼女の顔を覚えている者は?」

 キリエ、チカ、エンマ、ケイトが挙手をする。

 

「捜索に参加してくれ!彼女を拘束する!」

 

「え!捕まえるの!」

 キリエが驚きの声を上げる。

「この町に何の用もなく来るとは考えにくい!以前謎の輸送機が山に墜落した件や、最近空賊による襲撃も増える一方だ。町の中を探り、襲撃を計画している可能性がある。すぐに拘束しなければ、町が危ない!」

「狙いは何かしら?私の命?それとも羽衣丸?あるいは、ラハマへの復讐?」

 そんな状況を楽しむかのように、ユーリア議員は笑みを浮かべる。

「議員は万一を考え飛行船に避難を!自警団を総動員し、彼女をとらえます!」

「コトブキのメンバーは、自警団に協力して、標的の確保を」

「了解しました」

 ルゥルゥの命令に、レオナは応える。

「いくぞ!」

 自警団長に続き、コトブキのメンバーは部屋を出る。不安げなキリエも、皆のあとを追っていった。

 

 

 

「さて、議員のお二人も早く避難を……」

「いかないわ」

 案内に来た自警団員が呆気にとられる。

「ここで下手に避難したら、評議会のクソ野郎どもに、逃げたって、腰抜けって言われるのがオチよ。絶対避難しないから!」

「で、ですが、議員に万一のことがあったら……」

 自警団員は困り果てるが、それでもユーリアは動こうとしない。

「……あなたはいいの?」

 ユーリアは隣に腰かけている同い年位の女性議員、ホナミに問いかける。長い栗色の髪、上下ともに灰色のスーツで、スカートのユーリアに対しズボンをはいている。

 事務方、という印象だが彼女も議員。優しそうな瞳の奥には、鋭い眼光が光っている。

「私は避難しない。でも、あなたはしてもいいんじゃないかしら?」

 先ほどまで沈黙を貫いていた彼女が口を開く。

「私もここにいるわ」

 自警団員に避難は不要だと二人はいい、詰め所の会議室の椅子に座りなおす。

 ふと見やれば、ホナミは俯き、何かを考え込んでいた。

「どうかしたかしら?気分でも悪い?」

「あ、いえ、大丈夫よ」

 そんな彼女をユーリア議員は見つめるが、その後窓の外へ視線を移した。

 

―――名前、ハルカって、いったわよね。でも、そんなこと……。

 

 ホナミ議員の頭の中を、ある疑問が渦巻いていたことなど、だれも知る由もなかった。

 

 

 

 

 必要な情報収集を終えたハルカは町を出ようと、目的地点へ向かっていた。人目につきにくい裏道を使いながら、彼女は町の端へ向かう。

「ん……」

 通りを見ていて、彼女はふと違和感を抱いた。

「自警団の人が増えている」

 自警団らしき服装を着た男性たちが街中をきょろきょろ見渡しながら歩いていく。

 彼女は壁に身を隠し、やり過ごす。

「……感づかれたかな」

 最近空賊の襲撃が多く、外から来た人間には敏感なラハマだ。おまけに、さっきの店でうかつに口を開きすぎた。

 ウミワシ通商は表向き会社でも、実態は空賊ということは一部では知られている。自警団が情報を持っていたのかもしれない。

「作戦開始まで、のこり25分……。急がないと」

 早くしないと襲撃に巻き込まれる。彼女は愛機のもとへ向かうべく、表に出た。

 

「あ!」

 

 額に衝撃が走り、一瞬視界に星が舞った。彼女はバランスを崩し、地面に尻餅をつく。誰かとぶつかったようだ。

「いたた……」

 痛む額や腰をさすりながら、彼女は太もものあたりが妙に涼しいことに気づく。わずかに目を開けば、膝より上のあたりまでしか丈がない彼女の白色のスカートが盛大にめくれあがっていた。

「……あっ!」

 慌てて脚を閉じて裾を抑える。

「いてて……」

「あ、ごめんなさい!」

 ぶつかった人の方へ思わず手を伸ばそうとしたとき、彼女は体が硬直した。

 ぶつかった相手は、同じく腰のあたりをさすりながら立ち上がった。

 見覚えのある赤い服に、短めの黒髪の女性。

 

「……キリエ、さん」

「あ、ハルカじゃん!」

 

 笑みを浮かべ、手を差し出してくれるキリエだが、ハルカは立ち上がりながら内心冷や汗を流し、周囲を警戒する。

「ねえ、ハルカ……」

 するとキリエは、表情を曇らせる。

 

 

「あなた、空賊じゃ、ないよね?」

 

 

 心臓を鷲掴みされた感覚に彼女は陥り、顔の表情筋が引きつる。

「みんなひどいんだよ!最近輸送船の積み荷を奪っている空賊に、あなたと同じ名前の人がいるからって、みんなあなたが空賊だって。それで捕まえようって……」

 その当人などとは思いもせず、彼女は内情をぺらぺらとしゃべる。

 やはり、名前や所属をうかつに言ったことで、その手の情報に詳しい人間にはわかってしまったようだ。

 尻尾を掴まれた以上、ここに長居は危険だ。でも、ここで彼女を拒絶すると騒ぎが大きくなる。

「そ、そんなの、違うよ。大体、私は飛行機自体乗れな」

 

 

「キリエ!居たのか!?」

 

 

 キリエの背後を見れば、仲間らしき5人が走ってくるのが目に入る。内3人はさっき食事時に見た顔。残り2人は見覚えがないが、間違いなくコトブキのメンバーだろう。

 そしてその後ろには、自警団の服装を着た男性が3人追従する。

 

「あ、レオナ!あいつですわ!」

「キリエ、何している!捕まえろ!」

 

 もう相手は彼女を拘束対象と定めている。こうなった以上、するべきことは1つ。

 速やかにこの場から逃げ出すことだ。

「え?みんな待って!彼女だって決まったわけじゃ……」

 突如、街中に銃声が鳴り響いた。

 

「……え?」

 

 自警団長が拳銃を手に、キリエの背後のハルカへ銃口を向けていた。

 先ほどの銃声は、彼が発砲したものだろう。銃口から硝煙がのぼり、放たれた銃弾はこの場から離れようとしていたハルカの足のそばの地面を僅かに抉っていた。

 自警団である以上、町を守るために飛行機だけでなく銃も場合によっては扱う。ただ、あくまで拘束が目的なので、制圧用のゴム弾が主体だが、火薬を使うので銃声は実弾と変わらない。

 銃声を聞いた町民たちが建物へ避難する。

 

「動くな!両手を頭の後ろに組み、地面に跪け!」

 

「え、ちょ、本気で捕まえるの!?」

「そうだ!そこにいると君も危ない!離れるんだ!?」

 町を守った英雄のコトブキ飛行隊のメンバーに傷でもつけたらことだ。仲間に促され、キリエはやむなくその場を離れる。

「いう通りにしろ!次は当てるぞ!」

 自警団員3人とも拳銃を構え、全ての銃口が彼女へ向けられる。

「……仕方がない」

 ハルカはやむなく、両腕を組んで頭の後ろに回す。

「貴様は1人か?仲間はいるのか?」

「……私1人よ」

 

 

「お前は空賊なのか?最近輸送船を襲っている蒼い翼の零戦のパイロットが、君と同じ名前のようだが?」

 

 

 いきなり核心をつく質問が来た。せっかちな人と思いつつ、キリエに目をやれば、何かおびえたような視線で状況を見つめている。

「……だったら?どうだっていうの?」

「何が目的だ!何をしにラハマに来た!?」

「……答えると思う?」

 自警団員たちの視線が険しくなる。ハルカは頭の後ろで右手の指を僅かに動かし、ジャケットの左袖内に隠し持っているものをつかむ。

「そうか……。なら拘束してじっくり聞き出すまでだ!」

 自警団員たちが駆け寄ってくる。彼女はとっさに右手に握ったものを放り投げた。

 

「下がれ!」

 

 レオナは危険を感じ取り、とっさに叫んだ。

 彼女が投げたものが地面に転がると、勢いよく煙を噴き出した。

「な、なんだこれは!」

 自警団員たちは足を止めるも、瞬く間に煙が周囲を覆い隠し、昼間にも関わらず視界をふさいでいく。

「煙幕弾。対象の視界を塞ぎ、足止めするもの」

「ケイト今は冷静な解説をしている場合ではありませんわ!」

「少々催涙成分が含まれていると思われる。ぐすっ……目が痛い」

「それを先に言ってくださいませ、ゴホ、ゲホ……」

 煙を吸い込んだものたちはせき込み、痛む目から涙を流す。

 その隙に彼女は駆けだした。

 

「待て!」

 

 煙から抜け出し、ハルカが逃げる姿を認めたレオナはザラを伴い、後を追った。

 

 

 



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第5話 真昼間の逃走劇

自警団員たちが足を止めている隙に目的地へ向かって逃走する彼女。
逃走者を追うレオナたち。
町を守るため必死に逃走者を追う彼女たちだが、そんな中ウミワシ通商の
襲撃部隊は町へ着実に近づきつつあった。




 

「逃がさない!」

 

 レオナは逃げたハルカのあとを追って走り出す。

 空賊かどうかは置いておくにしても、先ほど放った煙幕弾を用意していたあたり、こういう事態になることを想定してのはず。

 ただ者ではない。ラハマの内情や戦力などを調べていたのだとしたら、ここで逃がすわけにはいかない。

 

 ラハマには彼女の出身の孤児院、ホームがある。

 

 何年も前に駆けだしだった彼女が参加した、リノウチ大空戦。

 あの空戦によって多く飛行機乗りたちが命を落とし、結果ホームにいるような孤児が大量に生まれた。

 そんな子供たちの行き先として、孤児院は今も各都市にある。ラハマも例外ではない。

 だが、町が爆撃や襲撃を受け復興できないほどの被害が出れば、孤児たちはこの荒野に放り出され、生きる糧もない中行き倒れるしかない。

 そんなことはさせられない。もしその可能性があるなら、大きくなる前に摘み取らなければならない。

 レオナは鍛えた2本の脚に力を込めて地面を蹴り、獲物を定めた猟犬のごとく対象を追う。

 

「にしても、相手も脚が速いわね」

 

 後ろを追走するザラの言う通り、日頃から体を鍛えている彼女でさえ、ハルカという少女に追いつけず、距離は開くばかり。

 キリエの話では、ウミワシ通商という会社の事務方、ということになっている。

 ケイトの言う通り、明らかにただの事務員ではない。パイロットだといわれた方がしっくりくる。

 

「2人とも速いって~!」

 

 後ろから、お気に入りのアノマロカリスのぬいぐるみを背負ったチカが追いすがってくる。

 コトブキの一番槍で、喧嘩っ早いが相応に体は鍛えており、走る速度は速い。

「チカ!回り込んで頭を押さえてくれ!」

「了解~!」

 チカは道を外れ、彼女の進路上に回り込むべくスピードを上げる。

「この先は荒野だ。出る前に捕まえるぞ!」

 建物の間の狭い裏道を走る彼らは、ごみ箱や段ボールに木箱を蹴飛ばしつつ駆け抜ける。

 一向に距離が縮まらない中、変化が訪れた。

 前を走るハルカの進路上に、突如拳が左真横から現れた。回り込んだチカの一撃だ。

 

「いただき~!」

 

 だがそれを視界の端にとらえたハルカは、とっさに姿勢を低くし、左足でチカの足を払った。

「あ!」

 足を払われた彼女はバランスを崩し、拳は当たることなく宙を舞い、地面に顔を打ち付けた。

「チカ、無事か!?」

 進路上に倒れる彼女を、レオナとザラは飛び越える。

 

「き~、悔しい!」

 

 元気そうなので心配無用と判断。2人は追跡を続行する。先をいくハルカが、また裏道に入ったのが見えた。

「よし!あそこは行き止まりだ!」

「袋の鼠ね」

 追って裏道に入ると、壁と建物に行く手を挟まれ、立ち往生している彼女が目に入った。

 

「そこまでだ!」

 

 通路は1人通るのがやっとの広さ。もう逃げ場はない。

 

「おとなしくしてくれないかしら?」

 

 2人は用心しつつ、距離を詰めていく。

 

―――観念したか。

 

 そうレオナは確信する。だが……。

 突如ハルカは助走をつけ、壁に向かって走り出した。

「え?」

 壁を蹴って飛び上がり、建物の上の階の窓に手をかけ、そこを足場にさらに上へと飛び上がり、遂には屋根の上へと昇りきった。

「そんなのありか!」

「あらあら、だめよ~短いスカートでそんなに動いたら~。中の白いの丸見えよ~」

「言っている場合じゃない!」

 レオナは自警団から借りた無線を取り出す。

「こちらレオナ。目標は屋根を伝って逃走。町の外へ出た。緊急配備を!」

 

 

 

 屋根を伝い、壁から慎重に降りれば、広がるのは一面の荒野。その中にあるオアシスのようなものである町から彼女は抜け出し、荒野へと降り立った。

 

「はあ~。やっとまいた……」

 

 額の汗をぬぐい、手首の時計を見れば、作戦開始時刻まで残り10分をきっていた。

「急がないと!」

 彼女はまた走り出す。そして、町からは見えない方向にできた洞窟へと入る。洞窟に入った彼女は、かぶせてあった黒色のカバーを急いで外す。

 カバーの下からは、灰色と翼の一部が青色で塗られた零戦52型丙が姿をあらわす。

 彼女は翼の付け根に上って風防をあけると、中からイナーシャハンドルを取り出す。

 ハンドルを持って機体下部に回り込み始動準備を始める。ハンドルをある程度まわした後、急いで操縦席に入りエンジンを始動させる。

 3枚羽のプロペラが回りだすと、間もなく推力式単排気管が排気を噴き出し、そばにいた彼女のジャケットやスカートの裾が舞い上がる。

 操縦席へ滑り込み、暖気をまつ間に動翼や計器類を確認。異常がないか確かめる。

 

『こちらナカイ。ハルカ、まだなのか!?』

 

 彼女は無線に出る。

「こちらハルカ。追手をまくのにてこずった」

『大丈夫か?』

「なんとかまいた。間もなく出る」

『了解、作戦は予定通り』

「了解」

 暖気を終えると、彼女はブレーキから脚を離し、零戦を洞窟から出す。

 そして荒野を滑走し、上空へと飛び立っていった。

 

 

 

 

「……申し訳ない、取り逃がした」

「いえ、こちらこそ足止めされてしまい、申し訳ない……」

 詰め所に戻ったレオナと自警団長は、お互いに頭を下げ合う。

 煙が目に染みたのか、自警団長はまだまぶたから涙がこぼれている。

「現在、町の外周を捜索しています。顔もわかっていますので時間の問題かと……」

 そしてレオナは、キリエへと険しい表情を向ける。

「キリエ、なぜ彼女を庇った!」

 キリエはおびえた表情になる。

「あのとき捕まえていれば、彼女の目的を問い詰めることができたのに!」

「だって……、彼女、空賊に見えないじゃん……」

 キリエの言う通り、ハルカは見た目はごく普通の少女だった。日頃彼女たちが相手にしている、荒くれ者の空賊とは印象が大きく異なる。

「見た目で判断するのは危険だ!」

 キリエはおびえた表情を引っ込ませ、頬を膨らませる。

 先ほどの怯えた表情はどこへやら、むすっとした表情から一転、彼女もレオナに負けない声で言い放った。

 

 

「レオナだって、イサオのこと最後まで信じていたじゃん!そして結果落とされた!」

 

 

「そ!それは……」

 

 キリエの反撃にレオナがたじろいだ。

 目の前で何が起ころうとも、かつて助けてくれた恩人だからと、ラハマを爆撃しようとした自由博愛連合の会長だったイサオを信じ続け、イケスカでの戦闘中に無線で言葉も伝えた。

 だが彼女の想いもむなしく、恩人のイサオによって落とされている。

 そこを突かれると、日頃厳しい隊長の彼女とて言い返せない。

 

「それに、パンケーキ好きに悪い奴はいないよ!」

 

 皆は呆気にとられた。

「……キリエ、もう少しまともな根拠はないのか?」

「だって、いつもみんな私の好きをからかったりするじゃん!」

「それはキリエの味覚がおかしいからだって!」

「気持ち悪いぬいぐるみ背負っているチカに言われたくないよ!だれだって、自分の好きを理解してくれる人は肯定したいじゃん!」

「まあ、わからなくはないけど……」

 ザラが苦笑する。日頃からキリエのパンケーキ好きをからかった結果が、思わぬ事態を招いてしまった。

 レオナ同様、キリエも孤児だった。今友人と呼べる人物は特におらず、コトブキのメンバーくらいしか交流がない。

 それに飛行機乗りは明日の身の安全も保証されない。

 必然的に他者との交流は少なくなる。そんな中自分の好きを理解してくれる人間が現れれば、大事にしたくなるというもの。

 確かに彼女の言うことも一理あるが、だからといって今回は事が事だ。

 

「というわけで、レオナはイサオを信じた!私は彼女を信じた!これでお互い様じゃん!お互い様ルール!」

 

「……これはお互い様というのか?」

 

「言い争っている場合かしら?」

 

 ここがルゥルゥの前だと彼女たちは思い出し、背筋をのばした。ルゥルゥは、争いごとや野蛮を嫌う。

「状況を整理すると、ハルカという少女は逃走した。恐らく、空賊なのは間違いないわね」

 キリエは表情を曇らせる。

「顔が知られた以上、もうラハマには入れない。時間がたてば警備も強化される。もし襲撃を企てているとしたら……」

「今動く、ということですか!?」

 自警団長の言葉に、彼女は頷く。

 そのとき、自警団詰め所内に警報が鳴り響いた。

「どうした!?」

 詰め所内がにわかに騒がしくなる。部屋の扉が勢いよく開け放たれ、団員が駆け足で入ってきた。

 

「団長!レーダーが接近中の機影を捕捉!数は約30機。ラハマを目指しています!」

 

「早速来たわね」

「迎撃用意!九七戦と雷電の発進準備を急げ!対空機銃も用意を!」

「はい!」

 団長は団員をつれ、滑走路へ走って行った。

「マダム……」

「あなたたちも行きなさい。今度は取り逃がすんじゃないわよ」

「はい!」

 コトブキ飛行隊も自分達の機体を目指し、駆け足で移動していった。

 

 

 

「ナカイさん、ラハマが見えました」

「よし、作戦通り町を軽く襲撃し、自警団やコトブキをおびき出したら逃げる。その隙に、ハルカが搭載したロケットを輸送船に撃ちこむ」

 ラハマに接近する彗星の後席に座るナカイは、作戦内容を確認する。

「全機、くれぐれも無茶な戦闘はするな。目的はあくまで輸送船の破壊だ。戦闘は最小限に。いいか!?」

『『『アイアイサー!』』』

 ウミワシ通商の社員たちは速度をあげ、ラハマへ向かう。

 その前方に、黒い小さな点が滑走路から上がってくるのが見える。

「ラハマより機体が上がってきました。数は16。九七戦15、雷電1」

「コトブキは?」

「まだ見えません」

「よし、時間をかせぐぞ!」

 ウミワシ通商の社員たちは、自警団の九七式戦闘機たちの群れへと飛び込んでいった。

 

 

 

 ラハマの格納庫から、銀色に輝く機体に各々の塗装を施した隼1型6機が姿をあらわした。

『総員、これより自警団の援護に向かう。すでにラハマを襲撃している以上、手加減の必要はない。先ほどは標的を取り逃がしたが、今度はそうはいかない』

 

『ええ、空賊を……。いえ、忌々しい社会のダニどもを叩き落してやりますわ』

 

『さっきの一撃は外したけど、今度は外さない!』

 

『みんな熱くなりすぎよ~』

 

『自警団から報告。敵は約30機。編成の中心は、零戦21型。他に隼2型が6機、飛燕4機を含む』

 

『飛燕……。奪った積み荷を売った金で手に入れたのか』

 

 確認を行いながら、コトブキ飛行隊は滑走路へ向かう。

『キリエ』

 レオナの声に、キリエは体をこわばらせる。

『彼女に思うところはあるだろうが、空賊であり、ラハマを襲撃してきた以上、敵だ』

「……わかっている」

『なら、することはわかっているな?』

「……了解」

『全機、行くぞ!』

 レオナはスロットルレバーを開き、速度をあげ機体を滑走させる。そしてコトブキ飛行隊の隼1型6機は、空へと飛び立っていった。

 

 

 

 

「……くそ!」

 自警団長は1機の零戦21型の後ろに回り込む。横方向の旋回戦では九七戦の旋回半径は零戦より小さい。

 零戦より早く旋回を終え、機銃を見舞う。

「くそ!何で反撃してこない!」

 おかしいのは、彼らはラハマを襲撃しにきたにも関わらず、地上を機銃で少し銃撃しただけで、以降はどの機も一発も撃っていない、ということだった。

「何が目的だ!襲撃にきたんじゃないのか!」

 敵機は、九七戦の背後を取っても、銃撃しないでなぜか離脱していってしまう。

 

「何を考えている……。遊んでいるつもりか!?」

 

 前方を飛ぶ零戦に、別の方向から飛来した機銃の曳光弾が向かっていく。だがそれも回避される。

『くそ!おれの銃撃をかわすとはやるな!』

「トキワギ!近づいてから撃て!敵はかわすのが上手い!そんな離れていては当たらない!」

『了解した!』

 元町長専用機だった雷電が、また別の零戦を追いかけてく。だが雷電の20mm機銃の弾を、軽々と敵はかわしていく。

 後方から、新たなエンジン音が木霊する。

「到着したか。コトブキ!」

 上方から飛来したコトブキ飛行隊の隼1型は、空賊たちにまっしぐらに向かっていく。

 

 

 

 

 

『コトブキ飛行隊、一機入魂!』

 

『『『はい!!』』』

 

 隼1型6機は2機ごとのチームに分かれ、敵機目指して速度を上げる。

「零戦や隼相手なら負けない!」

『でも数が多いですわ。注意を』

 コトブキ飛行隊の一番槍たるチカの隼が速度をあげ、ウミワシ通商の機体へと向かっていく。

 彼女は照準眼鏡を覗き、敵の零戦に照準線を合わせる。

「まず1機!」

 隼の機首の12.7mm機銃が火を噴いた。だが、零戦は上昇してそれを回避した。

「次は当てる!」

 再び敵機を視界に収め、スロットルレバーについている機銃の発射スイッチを押す。だがまたもかわされ、敵機は離脱していく。

「く~!なんだ勝負しろ!」

『チカ!後ろ!』

 エンマの声に、彼女は後ろを振り返る。いつの間にか敵の21型が回り込んでいた。

「まず!」

 機体を左へ傾け、左へ旋回する。だが敵機は発砲することなく反対の右へ旋回していった。

「も~なんなのこの相手は~」

『どういうつもりでしょう?襲撃に来たのに機銃を全く撃たないなんて』

 エンマが隼2型の後ろにつき機銃を撃つも、同じく回避される。戦う気は、そこには見えない。

『何が狙いだ……。これだけの数を率いて、回避しつづけるなんて』

 そこまで言ってレオナははっとした。

『……まさか』

 このラハマで空賊が狙いそうなもの。

 

 雷電?

 違う。エリート興業が雷電を狙ったのは、ヒデアキという人物にそそのかされたからだ。

 

 取引に使えそうなラハマの物資?

 それも違う。なら輸送船を狙えばいい。

 

 そこまで考えて、彼女は1つの結論に達した。そしてその可能性が間違ってなかったことが、間もなく証明された。

『こちらラハマ管制塔!レーダーに微弱な反応を確認。超低空で接近と思われる』

『方角は?』

『反対側、羽衣丸の係留されている場所へ向かっています!』

『そうか!』

 レオナは羽衣丸の方向へ機首を向け、速度を上げた。

『こいつらは囮だ。だから応戦してこなかったんだ!』

 この空賊たちの狙いは普通の空賊たちとは違う。町の襲撃はついでくらいのもの。

 おそらく本命は、羽衣丸の破壊。

 そのために、ラハマの全戦力を飛行場とは反対側におびき寄せた。

 爆装した機体が攻撃する時間を、かせぐために。

『間に合え!』

 コトブキ飛行隊の隼は全機速度をあげ、母艦たる羽衣丸へと向かった。

 



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第6話 蒼い翼の零戦


ウミワシ通商の本当の狙いに気付き、母艦羽衣丸を目指して急ぐ
コトブキ飛行隊のメンバー。煙がのぼる羽衣丸の上空を見ると、
そこには悪魔と噂された蒼い翼の零戦がいた。





 自警団とコトブキがウミワシ通商と空戦を繰り広げる中、建造中の第二羽衣丸の艦橋内。

「なんか騒がしいな」

 羽衣丸の艦橋で、くたびれた風格の男性、副船長のサネアツは窓から騒がしい音のする町の方を眺める。

 

「グワアアアーーーー!」

 

 すると、それを叱責するように羽衣丸船長をつとめる鳥、ドードー船長が咆哮を上げた。

「あ、はいはい。やります、やりますって」

 サネアツは何かを感じ取ったものの、ブラシを手にドードー船長の毛の手入れ作業に戻る。だが、彼は近くで響く音が気になり作業に集中できない。

「うるさいのは別としても、何か音が近づいてくるような……」

 ふと彼は窓から外を確認する。すると、地面を這うように高速で飛ぶ飛行機が迫りつつあるのを視界にとらえた。進路はまっすぐ、羽衣丸を目指していた。

「ちょっと!なんで?なんでこっちに向かってくるの!?」

 サネアツは作業を止め、ドードー船長を抱え上げた。

 

「に、逃げましょう!船長!」

 

 サネアツはドードー船長を抱え上げたまま、艦橋から急いで走り去った。

 

 

 

 ハルカは零戦を地面すれすれに飛行させる。ここまで高度を下げれば、レーダーに捕捉される可能性は低くなる。

 ただし気を付けないと地面と接触して墜落してしまうので、少々緊張状態のまま彼女は愛機を飛ばす。

 主翼下に30kgロケット弾を2発ずつ、計4発搭載。ウミワシ通商の30機前後の囮部隊が、自警団やコトブキの注意を引いている隙に、彼女の零戦52型丙が羽衣丸を攻撃することになっている。

 このまま低空飛行し、目標が近づいたらロケットを放ち、撃ったらすぐ離脱、またはナカイたちが離脱するまで時間を稼ぐ、ということになっている。

「目標確認」

 飛行場に係留されている、第2羽衣丸、と書かれた標的の輸送船を確認。彼女は念のため周囲を確認するが、九七戦も雷電も、隼もいない。

「今のところは順調……」

 標的は、係留されていて動かない飛行船。敵機さえいなければ問題ない。

 目標が近づくにつれ、次第に大きさを増していく。ふと、彼女の頭にある人物の顔がよぎった。

 

『あなた、空賊じゃ、ないよね?』

『みんなひどいんだよ!最近輸送船の積み荷を奪っている空賊に、あなたと同じ名前の人がいるからって、みんなあなたが空賊だって。それで捕まえようって……』

『え?みんな待って!彼女だってきまったわけじゃ……』

 仲間たちが戸惑うことない中、顔を会わせて間もないハルカのことを庇ってくれた、コトブキ飛行隊のキリエのこと。

 

 

『私の好きをわかってくれてありがとう!』

 初めて年の近そうな女性と、共通の好きなものという話題で意気投合できた。

 

『私はコトブキ。コトブキ飛行隊ってところにいるの!』

『悪い空賊から、羽衣丸を守る仕事』

 だが、キリエは標的である第2羽衣丸を守る用心棒。

 ハルカは、それを破壊するのが目的の空賊。

 

 この主翼にぶら下げたロケットを羽衣丸に放ってしまえば、用心棒である彼女と敵対することは避けられない。

 意気投合できた、かばってくれた彼女に対して何たる仕打ち。

 ユーハングではこういうことを、恩を仇で返す、というらしい。

 彼女の、操縦桿やスロットルレバーを握る手に力がこめられる。

 

―――だめ、依頼を完遂しないと。

 

 彼女は頭を振って、感傷を頭の隅に追いやる。

 

 対極ともいえる立ち位置にいる2人は、決して分かり合うことはできない。

 敵対という形以外、決して交わることはない。

 

 それに飛行機乗りは、敵の飛行機や輸送船に誰が乗っているのかを意識したり、顔を知ってはいけない。

 敵の顔を知らないからこそ、ただ飛行機を1機落としただけ。

 ただ輸送船を1隻落としただけ。

 そうやって思い込むことができ、それによってパイロットは自身の心を守ることができる。

 ひとたび誰が乗っているのかを意識してしまえば、自身の行為の意味を知ってしまえば、敵を撃つことが二度とできなくなる。

 

―――家族のため、もう奪われないために。

 

 彼女は雑念を頭から追い出そうと奥歯をかみしめ、目を見開く。

「……あ!」

 気が付けば、ロケットを放つには距離が近すぎることに気が付く。

 彼女は機首を上げて上昇に転じる。

 そして高度をあげ空中で反転。機首を下げて降下する。

 照準器を覗きこみ、進路を確認。レティクルの中央に羽衣丸が来るよう機体をコントロールする。

「……ロケット、発射!」

 零戦の主翼下のレールから、4発のロケットが同時に放たれる。ロケットの尾部に火がつき、飛翔。推進剤を消費しつつ直進する。

 その後炸裂し、羽衣丸の上空で内部に収められた弾子を撒きちらす。放たれた弾子は広範囲に散らばり、羽衣丸の周囲でいくつもの小さな炎があがった。

 彼女は機体を水平飛行に戻し、眼下の様子を確認する。

「目標……、命中」

『ハルカ、そっちに行った。例の隼が6機だ』

「了解、今度はこちらで時間を稼ぐから、急いで離脱を」

『了解』

 ナカイと簡易なやり取りを終えた頃、接近する6機の機影が確認できた。

「……来た」

 

 

 

 詰め所の近くで爆発が起こり、地面が揺れる。ユーリア議員は腰かけたまま紅茶片手に窓に視線を向け、揺れに驚いたホナミ議員は窓へと走り外を見渡す。

「第2羽衣丸が攻撃されている?」

 自警団詰め所の窓からわかる範囲でも、羽衣丸の周囲で煙が立ち上っているのが確認できる。

「あれは?」

 羽衣丸の上空には、翼を蒼く塗った零戦が1機、周回しているのが目に入る。

「……蒼い翼の零戦」

「ユーリア、ここも安全とは言えない。場所を移動しましょう」

 さすがに危険と判断したホナミ議員が避難を促す。だが……。

 

「移動?冗談じゃないわ!空賊から逃げたって、また議会の薄汚い連中に突っ込まれるだけよ!絶対にここにとどまるわ!」

 

「あなたって人は……」

 

 ホナミ議員はため息を吐き出す。議員とは妙な商売である。評議会議員である以上、求められるのは譲らない覚悟、決断力や時には剛腕、裏道をいく手段など多岐にわたる。

 正々堂々ばかりでなく、裏の手段など使えるものは何でも使うのが議員という人間である。

 そんな彼らがもっとも嫌うことは、背中を見せること。

 それを一度でもしてしまえば、腰抜けと思われ、議会で嫌味や追求されるきっかけを作ることになってしまう。

 特に、空賊に対して譲らない、でも足を洗えば生活や仕事を保証する、という条例を議会に何度も提出している上、過激な発言故に敵が多いユーリアには、腰抜けと突っ込まれることが我慢ならないようだ。

 そんな彼女に、ハリマの評議員ホナミは苦笑を返しつつ、椅子に腰かける。

「まあ、あなたがそういうなら」

 そして窓から見える空には、銀色に輝く機体が6機迫ってくるのが確認できた。

「あれは……」

「……やっと来たのね」

 

 

 

 

「やはり、狙いは羽衣丸か!」

『大丈夫かしら?周囲の地面えぐれているし、煙が上がっているけど……』

「そちらは消防団や整備員たちに任せるしかない」

 かつてイケスカ動乱の渦中にいたコトブキ飛行隊。あれ以降、この飛行隊の名声は否が応でも広まった。

 その結果がもたらすのはいい事ばかりではない。空賊からすれば、自分達を支援してくれていたイケスカを失墜させたことで、やっかみの対象になっている。

 もしくは、コトブキを落として、名を上げようと考えているものもいる。

 その対象はコトブキ飛行隊だけでなく、母艦羽衣丸にも向けられている。

 その母艦の上空を飛ぶ機影を、彼女たちは視界にとらえた。

 

「あれは!」

 

 全体は灰色で塗られているが、主翼、尾翼の一部が青色に塗装されている。

「……蒼い翼の、零戦」

『祥雲丸の船長が言っていた機体ね……』

『蒼翼の悪魔……』

 皆に緊張が走る。

『つっても、零戦1機だけじゃん!さっさと叩き落してやる!』

 チカが増速し、零戦へ向かっていく。

「まてチカ!」

 レオナの制止を聞かず、彼女は増速していく。

 

 

 一人飛び出したチカの隼は、すんなり零戦の真後ろをとった。

「いただき!」

 スロットルレバーに取り付けられた機銃の発射スイッチを押し、機首の機銃が火を噴いた。だがそれはいずれも、零戦の胴体の左側面を通り過ぎていく。

「な、なんで当たらないの!」

 機体も機銃の弾も直進している。なのに、機銃の弾だけがそれて当たらない。

 零戦のパイロットは、わずかにフットペダルを踏みこみ、悟られにくい程度に機体を横に滑らせていた。

 機銃弾が直進するものである以上、わずかにでもそれれば当たる心配はない。

「もう!当たれ!」

 機銃の射撃をやめ、機首を右へ修正。照準眼鏡をのぞくと、零戦が機首を左へわずかに向けるのが見えた。

「逃がさない!」

 彼女もそれに続くべく、隼の機首を左へ向け、鼻先の機銃を零戦の進路上に向けつつ、旋回に入る。

「いただき!」

 再び機銃を放つ、だが機銃弾は何もない空を切った。その先に零戦の姿はなかった。

 零戦は機首を上げ減速し左へロール。チカの隼の真上を通過し、背後へ回り込んだ。

「やば!」

 零戦の機首の13.2mm機銃が火を噴いた。

 1本の機銃弾の描く射線が、チカの隼へと吸い込まれていき、左主翼の付け根に命中。火の手があがった。

 チカの隼は地面に向かって降下していき、そして着陸脚を出す間もなく荒野に胴体着陸した。

『チカ!無事か!』

 レオナの無線の声に応えるように、隼の風防を開け、彼女は機体から下り、握りこぶしを作り叫んだ。

 

「きぃ~、今日はなんなのもう!」

 

 

 

 零戦は水平に左へ旋回し、レオナたちへ向かってくる。機首の機銃が一斉に放たれるが、高度をあげて回避。180度ロールし背面飛行のまま交差する。

「あ!」

 すれ違う際に敵が機銃を放っていたことに、キリエは被弾してから気づいた。撃ち抜かれた右主翼から出火。バランスが崩れ、地面へ降下していく。

 地震で地面が揺さぶられるときのような衝撃が機体に走り、キリエも地面に胴体着陸した。

 交差したわずかな瞬間、キリエは見た。

 

「ハルカ……」

 

 零戦の操縦席に、彼女が乗っていたことを。

 

 

 

「空賊ごときが……、よくも2人を」

 エンマの隼はフラップを展開しながら旋回。スロットルレバーを開くと、隼は瞬く間に加速、零戦の背後につく。

「落ちなさい!」

 機銃弾がむなしく宙を切る。命中する寸での所で、零戦は上昇に転じていた。

「逃がしません!」

 エンマも負けじと速度を上げて追う。

 高度を上げながら、彼女は時折機銃を撃つ。それも外れる。そして突如、零戦が急降下に入った。

「逃げられると思って!」

 エンマの隼もあとを追う。

 急降下で、体を固定するベルトが食い込み、速度を増すにつれ操縦桿が重さを増す。

「……く」

 歯を食いしばりながら耐える。が、零戦に追いつけない。次第にラハマの町が、地表が迫ってくる。

 

「……え!」

 

 突如、機体の振動が激しさを増す。風防から見えるジュラルミン製の主翼の表面には、しわがよりはじめている。

 

『エンマ!機首を起こせ!』

 

 速度計の針を見ると、制限速度に迫っていた。1型はその軽量さ故に機体強度が高い方ではなく、急降下時には速度制限が設けられている。

 これ以上速度が増せばどうなるかは明らかだった。

「了解!」

 彼女はフラップを開き、機首をあげ降下から上昇に転じた。

「はあ……」

 とりあえず空中分解は避けられたことに安堵する。が、直後機体を振動が襲った。

 背後に、先に急降下に入った零戦が陣取っていた。

 

「ダニの分際で……」

 

 その言葉が聞こえたのかは不明だが、零戦の主翼に装備された20mm機銃から放たれた銃弾がエンマの隼の主翼を撃ち抜き、出火。彼女もまた地面に胴体着陸した。

 

「社会のダニごときにー!」

 

 

 

 エンマの隼が落とされるのを見て、レオナは叫んだ。

「……ザラ、ケイト、集まれ!」

 レオナの指示で、2人の隼は彼女の左右に集まる。

「単独で戦うのは危険だ!ケイト、何か手はないか?」

『……それは』

 ふと、視界に接近してくる機影が写る。

『敵機は去っていった!コトブキ、援護に来た!』

『チカ姐さんの仇、絶対とってやる!』

 自警団の九七戦と雷電だ。エリート興業の彗星の姿もある。

『蒼い翼の零戦。落としてやる!』

 雷電が増速し、零戦へ向かっていく。零戦も、自警団の方へ機首を向け加速していく。レオナは無線へ叫んだ。

「よせ!そいつに近づくな!」

 零戦は増速し雷電へ向かっていく。お互い直進コース。どちらかが進路を変えなければ衝突する。

『くらえ!』

 雷電の20mm機銃4丁が咆哮を上げる。それを見た零戦は、上昇して回避する。

『おお!守り神雷電の前におじけづいたか?』

 零戦の進路を見て、レオナは目を見開いた。その進路上には、九七戦がいる。

『こ、こっちに来た!』

 雷電に向かうと思われていた零戦は、銃弾を回避する際上昇し、後方の九七戦へ向かっていった。

 零戦が機首の機銃を撃つ。銃弾はたやすく九七戦1機を撃ち抜き、落ちていく。そのまま零戦は上昇し旋回。上方から速度を増しつつ逃げる九七戦の後方へつき、発砲。2機目を撃墜。

 さらに、降下によって速度が増した状態で前方をいく九七戦2機を追い越す際に発砲。撃墜した。

 

「あんたくるよ!」

 零戦は次の獲物を手近にいた彗星に定める。彗星の後部席に座る姐さんは、旋回機銃で応戦するが、零戦はそれを軽々とかわす。

「掴まれ!」

 トリヘイは彗星の機首を下げ、急降下に入った。

「彗星は急降下爆撃機。零戦がついてこれるわけ……」

 トリヘイは言葉を失った。後ろには、零戦が食らいついていた。

「な、なん……」

「あんた、高度が!」

 地表が迫っていた。トリヘイは急いで主翼のフラップを展開して減速。水平飛行に移った。零戦は、なおもついてくる。

 だが突如追跡をやめ離脱。コトブキの隼3機が機銃を撃ちつつ追いかけてく。だが零戦は隼の機銃をよけつつ、他の九七戦へ向かっていった。

「……何なんだあいつは?」

「あんたぼけっとしてる暇ない!」

 彗星は零戦を追って加速する。

 

 

 零戦の前に、次々九七戦が餌食になっていく。1機にこだわることなく、足を止めずすれ違い様に手近にいる敵を落としていく通り魔のような戦い方だ。

 九七戦は、のこり8機にまで数を減らした。

『いい加減にしやがれー!』

 雷電に乗る自警団パイロット、トキワギは機体を増速させ、零戦へ向かっていく。

『これ以上やられたら、鍛えてくれたチカ姐さんに、申し訳がたたねえ!』

 雷電は零戦に簡単においつく。速度、上昇力、火力では雷電が上だ。

『落ちろ!』

 雷電の機銃が火をふく。

 だがその直前、零戦は機首を上げて減速した状態でロール。雷電の背後に回った。

『あ!』

 零戦の主翼の20mm機銃から放たれた弾は、雷電にめり込み、火の手が上がった。

『すまねえ!着陸する!』

 雷電も、地面に胴体着陸した。

「自警団は撤退しろ!」

 九七戦たちは機首を翻し、零戦から距離を取るべく遠ざかっていった。

 

 

 

「さて、どうしたものか……」

 レオナは考える。コトブキ6機の内の3機、九七戦7機に雷電を屠ったこの猛獣に、どう対抗すればいいか。

『……レオナ、わかったことがある』

 ケイトから無線が入る。そのすきにも零戦から機銃弾が飛び、彼女はそれを回避する。

『その機体は、零戦や隼の弱点だった急降下に対応できる』

 レオナはふと思った。目の前の零戦は、思えば零戦がもっとも得意とする巴線、格闘戦をほとんど仕掛けていない。

 やったのは、通り魔的に相手を撃ち落して離脱する一撃離脱や、急降下で引き離すという手段だ。

「つまり、隼の弱点をついていた、と?」

『そう。だから、あちらに一撃離脱を取らせないようにすればいい』

『簡単にいうけど、どうやって?』

 ザラの言う通り、それが簡単にできれば苦労はない。52型はエンジンが換装され、馬力、高空性能、速度は隼1型を上回る。

『1対1で、まして高い空では勝ち目が薄い。でも、まだコトブキは3機残っている。それに、ラハマの対空機銃も』

 ケイトは、レオナに考えを伝える。

「よし、やってみる価値はある」

 彼女は操縦桿を握りなおし、九七戦を追いかける零戦に視線をもどす。

 

「ザラは私の援護を頼む。ケイトは高度をあげ、ついてきてくれ」

『……了解』

『了解ね』

「よし、いくぞ!」

 3機の隼は速度を上げ、九七戦を目指す零戦に向かっていった。

 





72分の1スケールの模型を手に持ってイメージを膨らませつつ、
初めて空戦を文章で書いたのですが、表現が難しく大苦戦。
迫力のあったアニメのようにはいかないです……。


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第7話 私の同志は空賊でした

残ったコトブキ飛行隊のメンバーは協力して蒼い翼の零戦を追い込み、
パイロットの拘束に成功する。
ラハマや第二羽衣丸の襲撃目的、情報を聞き出すため、自警団による
取り調べが始まる。



 

 ハルカは目の前の九七戦を追いかけつつ、時間を稼ぐ。

 装備の追加で重くなっても、52型丙の速度は九七戦や隼1型を上回る。

 九七戦は必至に上に下に回避行動をとる。タイミングを見計らい、彼女は機銃を撃ちこむ。

「ナカイ、まだ撤収は完了しないの!?」

『もう少しで安全圏だ。あと5分頼む』

「無茶いってくれて……」

『そういうな。今回の報酬弾んでやるよ。これで家族に、もっとマシな暮らしさせられるだろう?』

「……わかった」

 彼女は深追いをやめ、標的を別の九七戦に変える。敵の数が多い場合は、深追いや足を止める戦い方はご法度。

 周囲を観察しながら、彼女は標的を変えては追いかけていく。

「とはいったものの……」

 彼女は計器盤を見つめる。もう、先ほど敵機を落とすのに機銃の弾を大量に使ったし、なにより、根城からここまで増槽無しで飛んで来た上に空戦をこんな長時間しているせいで、燃料の残りが心配になってきた。

「5分以内になんとかしないと、帰れなくなる……」

 そのとき、背後から機銃を撃つ発砲音が耳に入った。

「……また」

 彼女は風防の後ろを振り返りつつ、フットペダルを蹴りこんだ。

 

 

 

 

「よし、いくぞ!」

 背後に陣取ったレオナは零戦に機首の機銃を撃つ。零戦は左へ機体を滑らせ、回避する。

「行かせるな!」

 ザラの隼が零戦の左後ろから発砲する。それを回避するため、右へ進路を変えた。

「よし、そのままだ」

 レオナたちは零戦を追い込むように、後ろからの発砲を繰り返す。零戦は左右に機体を振り、機銃を回避する。レオナはその進路上に目をむける。

 零戦の進路上には、ラハマの町がある。町の上での戦闘は、住民に被害を出さないために、極力戦闘は控えるべきと、大都市なら考えることだろう。

 間もなく、町の上空にさしかかった。レオナは無線に向かって叫んだ。

 

「今だ!」

 

『了解!各銃座、撃て!』

 

 ラハマ各所に設置された対空機銃が火を噴いた。

 この町は、町民が一体となり、空賊に譲らないと誓った町だ。

 

 来た空賊は迎え撃つ。大事なものは、自分達の手で守り抜く。

 

 下からの銃座の弾幕を回避しようと、零戦は上昇に転じようとする。

「ケイト!」

『……了解』

 上空から零戦に向けて機銃弾が駆け抜けていく。機首をあげようとした零戦は機体を水平に戻す。上空にはケイトが陣取っている。下手に上昇しようとして速度を失えば、その瞬間を狙い撃たれる。

 上昇を断念した零戦は、右へ旋回する。

 それをレオナがけん制。

 左へ機首を向けたところでザラが発砲。

 下からは対空機銃が睨みをきかせている。

 上昇しようとすれば、ケイトが頭をおさえる。

 上にも、左にも右にも、下にもいけない。零戦はなんとかこの状況から抜け出そうともがくが、銃弾をかわすのに精一杯の状況だ。

 そんな中、焦れた零戦が動いた。右へ機体を傾け、大きく右へ旋回しようとする。

 レオナはフラップで旋回半径を小さくし、零戦の進路上に機首を向ける。

 装備が増して重くなった上に、主翼が短くなった52型は翼面荷重が高い。低空での旋回性能なら、隼が上。

 レオナは照準眼鏡を覗く。照準線に零戦の主翼が重なる。

 隼の機銃弾が放たれた。

 真っすぐとんだ機銃弾は零戦の右主翼にめり込み、出火した。

 

 

 

 

「くそ!」

 撃たれた右主翼から火の手が上がる。

「……消火装置!」

 彼女は手動で消火装置を作動させる。主翼内に取り付けられた、炭酸ガス噴射装置が作動し、炎を鎮火させる。

 だが一息ついている暇はない。上空にも、後方にもコトブキの機体。

 旋回しようとすればまた撃たれるし、対空機銃が地上からにらみを利かせている以上低空にも逃げられない。

「目に見えない鳥かごか……」

 火災は消えたが燃料の放出が止まらない。52型丙には、防弾板はあっても防漏タンクはない。

 このままではいずれ燃料が尽きてエンジンが止まり、不時着しなければならなくなる。

 無線から声が聞こえる。

『ハルカ、こちらは撤収が終わった。もう離脱してくれ』

「……ごめん、帰るのが遅れる」

『落とされたのか?』

「……軽く撃たれた。おまけに燃料もない」

『そっか。まあ、お前なら逃げてこれるだろう。待っているぞ』

「……ええ」

 軽く言う上司を憎らしく思いつつ、彼女は周囲を見る。

「……この機体は落とせない、いくしかない」

 彼女は着陸脚を下ろし、高度を下げて着陸準備にはいる。彼女の進路上には、舗装された平地が広がっている。

 そこは彼女が最初に襲撃した場所、第二羽衣丸のそばだった。

 

 

 

『着陸する気なの?』

『……レオナどうする?撃墜するなら、絶好の機会』

「いや、このまま着陸させよう。自警団へ連絡を」

『……了解』

 ケイトが無線で自警団に連絡を入れる。

『いいの?蒼翼の悪魔を落とす、せっかくの機会よ?』

 レオナは町を見渡す。地上には、落とされた九七戦やキリエたちの隼が見える。

 それ以前に、あの零戦は輸送船を何隻も襲っている。

 単機でこれだけの被害をもたらせる敵機を落とせば、確かにこれ以上被害がでることはない。

「……なぜ羽衣丸を狙ってきたのか、色んな事情を聞き出す機会でもある。仲間が逃げた今、貴重な情報源だ」

『レオナがそういうなら、私は従うわ』

「ありがとう」

 レオナは高度を落とし、離れた地点に降りる準備をする。

「私は彼女の拘束に立ち会う。2人は、万一に備え上空警戒を」

『『了解』』

 脚を下ろし、彼女は離れた場所に降りる準備にはいった。

 

 

 

「はあ~」

 着陸に成功しエンジンを切ったが、一息ついている場合ではない。

「来ているか……」

 遠目に、自警団員たちが近づいてきているのが見える。捕まるのは間もなくだ。

彼女は計器盤の下に手を入れ、操作を行った。

 この機体を作った祖父と父が盗難防止に、いくつかの操作を行えば燃料供給が遮断され、エンジンの始動もできなくなるように細工がしている。

 これで、この零戦を動かすことはできない。 

 彼女は風防を開けて翼の付け根に脚を下ろすと風防を閉めて地面に降り、尾翼の影に隠れた。

 直後、銃声とともに近くの地面がえぐれた。

 

「もう逃げ場はないぞ!両手を頭の後ろに組んで、おとなしく出てこい!」

 

 彼女はゆっくりとした足取りで、尾翼の影から出た。

 目の前には、一斉に銃口を向けている自警団員たちがいる。そしてコトブキの赤髪の人も。

「お、おい……」

「あの嬢ちゃん、本当に空賊なのか…」

「なんかの間違いなんじゃないか?」

「見た目に騙されるな!この機体から出てきた以上、間違いない!」

 戸惑った彼らだが、すぐ表情を引き締めた。

「で、これでいいですか?」

 ハルカは言われた通り、両手を頭の後ろに組んでいた。

「ジャケットの左胸。銃を持っているだろ?」

 衣服のふくらみで気づかれたのだろう。彼女はホルスターから銃を抜き、自警団員たちの方へけってよこした。

 

「よし、拘束しろ!」

 

 途端、彼女は顔を地面に打ち付けた。いつの間にか後ろに回り込んでいたレオナに頭を掴まれ、万力のような強い力でつかまれたまま地面に押し倒された。

「抵抗するな」

 彼女は淡々と手錠を両手首にかける。それが終わると、彼女をたたせる。

「やっと捕まえたぞ。君には色々聞きたいことがある。ゆっくり話そうか」

「詰め所まで行くぞ」

 自警団に包囲され、レオナに誘導され、彼女は自警団の詰め所へと連行されていった。

 

 

 

「うき~!!なんか納得いかない!レオナなんでそんなにやさしいの!私たちには鬼なのに!」

 

「機銃弾全部撃ちこんでやりたい!10回叩き落したい!」

 

「チカ、野蛮すぎですわよ?キリエはレオナに聞かれたら大変ですわ」

 ハルカに撃墜された3人は、地上でその風景を遠目に眺めていた。

 

「どうせなら簀巻きにして、彗星の爆弾倉に入れて、高い空から放り出してやりたいですわ」

 

 空恐ろしいことを、上品な笑顔でさらっというエンマにキリエは震える。

「……エンマも野蛮だと思う」

「安心してくださいまし、半分冗談ですから」

「……でも、半分なんだ」

「ところで、キリエ」

 エンマの表情が険しくなり、キリエは縮こまる。

 

「あなたの同志、空賊でしたわね」

 

「……うん」

 折角できた同志、ということでキリエは彼女を信じたかったが、フタを開ければ、彼女はラハマと羽衣丸襲撃を企てた空賊の一員だった。

「見た目にごまかされてはいけませんわ。そういう人間こそ、気を付けなければならない。いい勉強になったでしょう?」

 エンマの家は、いい人間のふりをして近寄ってきた空賊や悪党に、家の財産の多くを吸い取られ、没落した貴族。

 彼女の実体験が含まれているだけに、キリエは言い返せなかった。

 キリエは黙ったまま、連行されていくハルカを、遠目に見つめるしかなかった。

 

 

 

 

「いい加減、白状したらどうだ!?」

 狭い取り調べ室内に、怒号が響き渡る。

「仲間はどこだ?一体何が目的だ?だれに雇われてきた!?」

 ハルカは涼しい顔で聞き流す。狭い取り調べ室内には、ハルカと1つの長机と2つのパイプ椅子、自警団員1人だけ。

 他にはなにもない、寂しい風景だった。

 そんな取り調べ室に変化が訪れる。扉が開き、入ってきた人物を見て、自警団員は目を剥いた。

 

「ユ、ユーリア議員に、ホナミ議員?」

 

 評議員の登場に、彼は戸惑う。

「面白そうなことしているわね」

 ユーリアはいつもの笑みで、部屋を見回す。

「ユーリア議員、危険です!退出してください!」

 ハルカの両手首は後ろ手に手錠をかけたままなので暴れられる心配はないが、それでも議員に何かあったら、ラハマにとって致命傷になりかねない。

「あら、ラハマ自警団は手錠をかけた少女が一人暴れただけで、返り討ちに会うというのかしら?」

「いえ、そういうわけでは……」

「あなたも物好きね、ユーリア」

 後ろに立つ、ホナミはあきれ顔で言う。

 

「だって、空賊っていうのがどんな人間か、この目で確かめるいい機会よ。これで、私の発言にも説得力が増すわ」

 

「相変わらずね……」

 ホナミの後ろからは、レオナが現れる。

「私も立ち会います」

 3人は各々椅子を用意し、腰かける。自警団員は気を取り直し、尋問を続ける。

「いい加減口を開いたらどうだ!」

「口を開けばいいことでもあるの?」

 イジツには自警団等防衛、警察機構に近い組織は存在しても、司法取引はおろか、裁判制度、というものがほとんどない。

 ただし、空賊行為で略奪などを働けば、決まった罰則が適用されるルールは存在する。

 何を言っても結果が変わらない以上、供述の意味がないのだ。

「いいことのあるなしじゃない!こっちには知りたいことがある!」

「捕まっただけで、あなたがたの知りたいことをペラペラしゃべるとでも?罰則が変わりない以上、話しても利益がない。鼻先に餌をぶら下げるくらい考えたらどうですか?」

「こやつ……」

 自警団員は拳を握りしめ、必死に怒りを抑えている。

「……1ついいか?」

 状況を黙ってみていたレオナが口を開いた。

「……君、ハルカ、といったな?その年で、なぜ空賊になった?」

 彼女の見た目から、チカより年上、キリエぐらいだろうと推測できる。そんな若い内から、なぜ空賊になったのか。

「……あなたは?」

「コトブキ飛行隊隊長のレオナ。先ほど、君の零戦の主翼に弾を当てたのは私だ」

 彼女は目を細め、レオナを観察するように瞳が動く。

「……聞いてどうするの?」

「別に、個人的興味だ」

 レオナは本心では、なぜ彼女がラハマを、羽衣丸を襲ったのか知りたい。

 だが自警団員がいくら問いただしても言わない以上、少しずつ近づくように聞き出していくしかない。

 焦る気持ちを抑えつつ、彼女はハルカの言葉を待つ。

「私も知りたいわね~。空賊の実情はどうなのか」

 ホナミ議員は、黙って状況を見つめる。だがその表情は、どこか辛そうである。

「……はあ」

 彼女はしばらく黙り込んだのち、言った。

 

「……家族を養うため」

 

 その内容は、ごくありふれたものだった。だがそれはあくまで、働くための理由としてだ。

「家族を養うためなら、他にいくらでも仕事があるだろう?」

「……病人や、幼い親類。みんな抱えて生きていけるほど、この荒野はやさしくない」

「あなた、家族がいるの?」

 ユーリアが口をはさんだ。

「……今は母と妹、それと弟」

「そう。今はってことは、昔は違ったの?」

「……祖父母と父、兄と姉がいた。祖母は死に、祖父は私が幼い頃に、イケスカに行ったきり行方不明」

 ユーリアとレオナは目を細めた。

 イケスカ市長のイサオが行方不明になって以降、イケスカは内乱がおこり、今後町をどうするか決まっておらず、治安は悪化の一途をたどっているという。

 彼女が幼い頃、ということはイサオの元で何かしていた可能性がある。

 いずれにしても、イケスカは内乱状態。生存の望みは限りなく低いだろう。

「……そして、父と姉と、兄は、奪われた」

「奪われた?」

 その言葉にひっかかりを覚える。

 

「3人は戦死した。……リノウチ大空戦で」

 

 レオナは息をのみ、ユーリアは目を細めた。

「彼らが用心棒などの仕事をこなすことで、私の家は生活ができていた。そして戦いに参戦するよう依頼されて、……帰ってこなかった」

 

 リノウチ大空戦。

 

 イジツ史上最大の空戦と言われ、穴の向こうから来たユーハングの遺産を巡って起こった戦いの一つ。

 そしてユーハングがもたらした航空技術で、最も荒れた出来事。

 駆け出しだったころのレオナはそれを痛感しており、ユーリアはその出来事から復興や法整備に奔走する年長者たちの背中を見ていたに違いない。

「……そして母親は家族を失った悲しみから体を壊して、お金を稼げるのは私だけになった」

「……だからって、空賊にならなくても真っ当な仕事があっただろう?」

 

「幼い子供を雇ってくれるところなんてなかった。母を病院へ行かせるためにも、幼い家族を抱えて生きていくには沢山のお金がいる。それを稼ぐための手段なんて、選んでいられなかった!」

 

 突如声を荒げた彼女に、レオナは一瞬たじろいだ。

 

「……この世界には、奪う人間と奪われる人間しかいない。奪われるばかりの弱い人間には、何も選べない!選べる選択肢だって初めからない!生き残るには、残った家族を守るためには、奪えるぐらいの大きな力がいる!奪う側にいなければ、自分の命だっていつもっていかれるか!」

 

 鬼気迫る表情を浮かべるハルカ。

 彼女の空戦における技量は、きっと生きるために、奪われないために、その状況下で得たものなのだと、レオナは察した。

「そんなおびえて生きていくなんて、私はごめんだよ……」

「だから零戦を手に入れ、空賊に参加したのか?」

「……あの零戦は、父と祖父が残してくれた形見。最初から私のもの……」

 幼い頃から乗っているから、あれだけ動き回れたのだろう。

「奪われる側の人間のことは、考えなかったのか?」

「……考えてくれる人がいたら、私は家族と今も暮らしていて、無法者たちがのさばることも、なかったでしょうね」

 自分が色んなものを奪われた以上、被害者のことを考えることはない。被害者に自分がならないためには、外敵を駆除するために、結局は加害者の側になる他ない。

 

「……あなたの言っていることは、ある程度は理解できるわ」

 

 ユーリアが口を開いた。

「でも、どんなに正しいことであっても、空賊である以上、誰も耳を貸さないわよ?」

「理解してもらおうなんて思っていません。お金が稼げるからやる、それだけです」

 空賊は金になるからやる、というものは珍しくない。

 もとをただせば、空賊になる理由の大部分は経済的困窮だといわれる。

 空賊の方が報酬がいいからと、用心棒から空賊に鞍替えする者もいる。

 真面目に用心棒をやっていても、いつ空賊の襲撃に会い撃ち落されるか、命を持っていかれるかわからない。

 商売をしていても、イサオがいた当時に比べれば価格が変動している場合が多く、収入が確実とも言えない。

 お金がなければものが買えない。買えないなら死ぬしかない。だからこそ少しでも人々は儲けようとする。

 生活を豊かなものにするために。そこに間違いはない。

 

「それが、略奪行為の結果であっても?」

 

「……はい」

「家族はあなたのしていることを知って、悲しんだりしなかったの?」

「……母は遠くの病院、妹と弟は学校。だれも知りませんよ。表向き、ウミワシ通商はれっきとした会社ですからね」

 ユーリア議員は目を細め、彼女を見つめる。

 

「……そのれっきとした会社であるウミワシ通商は、なぜ今回、羽衣丸を襲撃したんだ?」

 

 レオナが、最も聞きたかった話題に切り込む。

 

「……仕事だから」

 

「仕事?」

 レオナたちは顔を見合わせた。

 空賊は、襲撃というのはあくまで手段であり、その後物資の略奪を行う。物資の売買で利益を出すためだ。

 それが今回は襲撃のみ。空賊が好んでやる方法とは思えず、彼女たちは違和感を抱いていた。

 

「……依頼された。ある男に」

 

「誰だ?」

「……名前は知らない」

 自警団員が立ち上がり、机にこぶしをたたきつけた。

 

「貴様この期に及んで!」

 

 彼女は自警団員に負けない声で叫んだ。

 

「本当に知らない!名乗ってもなかった!私はただ相手を撃つ銃と同じだ!詳しいことは何も聞かされていない!」

 

 おそらく、彼女は本当に知らないのだろう。もし用心棒が落とされ、捕まった場合に余計な情報をしゃべらないように。

 この場合は、依頼主の意向だろうか。

 

「……ただ1つ、覚えていることがある」

 

「些細なことでもいい。話してくれ」

 レオナが先を促す。

 

「……左胸に、徽章をつけていた」

 

 それを聞いて、レオナは嫌な予感がした。

 ラハマ、羽衣丸を襲撃する理由があり、それを裏で空賊にさせる集団。

 恨みには不自由しなくても、その中で徽章をつけるような集団は、心当たりは一つしかなかった。

 

「花びらのような、赤と白の徽章だった」

 

 ユーリアも表情を険しくし、自警団員も戸惑いの表情を見せた。

 

 花びらのような、赤と白の徽章。

 

 それはかつて、この町を空爆しようとした爆撃機にも描かれていた。

 

 かつてのイケスカ市長、イサオの率いた、自由博愛連合の徽章だった。

 



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第8話 任務終了するも目標未達成

捕まえた彼女からラハマ襲撃の目的を聞き出したレオナたち。
羽衣丸が健在である以上、ウミワシ通商が再び襲撃にくること
が予想される中、捕まえた空賊少女をどうするか、色んな声
があがる。


「襲撃は成功した。さあ、約束の報酬を払ってもらおうか?」

 

 ウミワシ通商社長のナカイは、根城の奥の部屋で、丸眼鏡をかけ不適に笑う男性に依頼を完遂した報酬を請求していた。

「ムフ、勿論ですよ」

 男性が指で合図すると、背後に控えていた部下が金属製のケースを4つもってきて、ナカイの前であけた。

 中にはポンドの札束が隙間なく敷き詰められていて、その場にいる者たちは息をのんだ。

 だが、男性はその4つの内の2つのフタをとじさせた。

「……どういうつもりだ?」

 ナカイは一変、表情を険しくした。半額しか渡すつもりはない、そういう意味だ。

「まだ依頼は完遂していませんよ?今のままでは、半額しかお支払いできません」

「ラハマは襲撃したし、標的の羽衣丸にはロケットを当てた。依頼通りだ」

「……私は羽衣丸を、破壊してほしい(・・・・・・・)、と依頼したのですよ?」

「ロケットを当てたんだ。硬式飛行船でも、今頃燃えている」

「確認なされたのですか?」

 ナカイは黙った。羽衣丸周辺にいたのはハルカ1人で、ナカイやその部下たちは、その周辺には近づいていないからだ。

 

「依頼は続行。今度は、必ず破壊してくださいよ?」

 

「……わかった」

 ナカイは背後に控えている部下を見やる。

「明日、もう一度襲撃を行う。彗星に250kg爆弾を搭載。それと、俺の機体の準備を」

 命令を受けた部下は部屋を出ていった。

「ところで、ラハマ自警団につかまったあなたの部下、どうするおつもりですか?」

「……気にすることはない。自力で帰ってこればよし。帰ってこないなら捕まったまま。放っておけばいい」

 男性は少しばかり驚いた表情になるが、すぐに元の笑みを浮かべる。

「よろしいのですか?あれほどの凄腕を手放すと?」

「十分組織に貢献してくれた。ラハマが彼女を処分してくれることを願いたいね」

 空賊に対して譲らない。そういう姿勢のラハマなら、住民たちが彼女をただで済ますはずない。彼はそう考えていた。

「なぜ処分されることをお望みなのですか?」

「……事情を知れば、あいつは間違いなく反旗を翻す。我々にとって脅威になる前に、もっと言えば、他の組織にわたる前に処分してくれた方が、何かと都合がいいんだ」

 ナカイはケースを2つ受け取り、準備のため部屋を出ていった。

「……やれやれ、部下の使い方に問題があるようですね」

 ナカイの去った部屋で男性は一人、つぶやいた。

 

 

 

 

 

「班長、何かわかりましたか?」

 詰め所を出たレオナや議員たちは、飛行場へ向かった。

「お、レオナか?それにお歴々も雁首そろえて」

 向かった格納庫の内部に収められた1機の飛行機の操縦席から、少女にしか見えない整った顔に帽子のツバを後ろにしてかぶり、整備員の使うツナギを着た整備班長のナツオが顔を出した。

 ナツオは、見た目は幼いがしっかり成人している大人で、羽衣丸やコトブキ飛行隊の隼を整備する整備班の長を務めており、口は悪いが面倒見はいい。

 ただし、機体をあまり損壊させたり、無茶をしたり、その見た目をからかうと拳やイナーシャハンドルやスパナが飛んでくる。

 ナツオは、ハルカが乗っていた零戦から下り、レオナたちの方を向く。

「まず、羽衣丸の損傷は大したことはない。放たれたロケット4発のうち、幸い3発が不発、起爆した1発も、羽衣丸から離れた位置に着弾。むしろ大変だったのは後始末だ」

 空賊の使う機銃の弾や爆弾は粗悪なものが多く、爆弾なのに爆発しなかった、なんて場合も多い。

 銃弾も何度も再装填したジャンク品が多く、安いが命中精度に難があったりする。

 だが今回羽衣丸は、それに助けられた形になる。

「それはよかった。それで……」

「ああ、こいつか」

 ナツオは背後の、蒼い翼の零戦に視線を向ける。

 全体が灰色で塗装されているため一見すると21型に見えるが、エンジンカウリングから延びた推力式単排気管を見るに、これは52型だとわかる。

 主翼の半分近くが暗い青色で塗られ、真ん中より翼端側には白色を縁取った水色の丸が描かれている。

 水平尾翼も半分近くが暗い青に塗られ、垂直尾翼は青色を背景に、白色で模様が描かれている。

 その模様は、空を貫く、斜めに走る稲妻のように見える。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「こいつは確かに52型だ」

「でも急降下に対応できていたわよ。零戦は隼同様、急降下には速度制限があったはずじゃないの?」

「……それに、零戦の機首の機銃は2丁。この機体は1丁しかない」

「ああ、普通の(・・・)52型ならそうだ」

 班長の言葉に引っ掛かりを覚えたレオナとケイト、ザラは首をかしげる。

「こいつは52型だが、その最終生産型。52型丙って呼ばれる型だ」

「……52型、丙?」

「零戦はその機体強度の脆弱さから、急降下に速度制限があることは、知っての通りだ」

 皆は黙って、班長の話を聞く。

「だがユーハングの敵は次第に、零戦や隼相手に格闘戦をしない、後ろにつかれたら急降下で引き離せって戦法が用いられたらしい」

「……彼女が使っていた、一撃離脱戦法」

「その通り。だが、急降下速度制限のせいで敵機に追いつくことができない。ユーハングもこの状況を放置するわけにはいかない。そのために、隼は3型、零戦は52型から対策が行われた」

「どんな対策を?」

「機体の強度の見直し、外板を厚くして、急降下速度を上げた。零戦は52型から、甲型、乙型、そしてこの丙型へと改修が行われ、急降下速度が向上。特にこの丙型は、防弾装備や火力の向上が行われたんだな」

「どおりで急降下時、エンマが追いつけなかったわけだ……」

「だが、悪い面もある。装備が色々増えたことで重量が増し、52型の中では運動性が悪い。だから零戦乗りに好まれるのは21型や通常の52型で、52型丙に乗る奴はめったにいない」

「そんなに運動性が悪いようには見えなかったけどねえ~」

 運動性が悪いという割には、ハルカの52型の動きに鈍さはなかった。

「それは彼女の腕だろうな。だが、丙型にしてはおかしな箇所もある」

「どういうこと?」

 ナツオは主翼に取り付けられた20mm機銃の隣を指さした。

「金属板でふさがれてはいるが、丙型には本来、ここに13.2mm機銃が左右1丁ずつあるはずなんだ。だが、この機体では取り外されている。だから武装は機首の13.2mm1丁と、主翼に20mmが2丁だ」

「意図的に外したのか?」

「おそらくな。なんでかは知らないが」

 レオナは、さきほどの詰め所での彼女の話を思い出す。

「そいえば、彼女はこの零戦は、祖父と父の形見、だと」

「なら、その2人の考えが反映されているのかもしれないな」

 今となっては、うかがい知ることもできないが。

 

 

「……それで、あの子はどうなさるおつもりですの?」

 

 

 飛行場の格納庫に、先ほどの空戦で撃墜された3人、エンマとキリエにチカがやってきた。

「もし処刑されるおつもりなら、喜んで協力いたしますわ」

 貴族らしい上品な笑顔を浮かべるエンマの額には、その表情に似つかわしくない青筋がたっていた。

「……エンマ、物騒なことを言うんじゃない。まだ取り調べ中だ」

「何をいっても罰則は変わりませんわ!空賊は許すまじ!ダニは全てぶちのめす!」

 撃墜されたことで彼女の怒りが増したのか、空賊憎し、のエンマは通常運転だった。

 

 

 

「……こういうことになるから、法整備はやっぱり必要ね」

「違いないわ。でもユーリア、あなたの進める空賊離脱者支援法が、未だ議会を通らない理由でもあるわ」

 コトブキのメンバーが言い合う光景を、少し離れた位置から見つめるユーリア議員とホナミ議員はつぶやく。

「空賊や悪党に色んなものを奪われ、被害者は生きていくのに必死。なのに加害者たる空賊には、足を洗えば生活と仕事の面倒を見る。被害者にとっては、不公平以外なにものでもない。そう見えても無理ないわ」

 ユーリアは、都市と都市の横のつながりを強化して全員で生き抜くための活動を以前から行っている。

 空賊離脱者支援法も、彼女が提案したものである。議会の理解が得られず、可決には至っていない。

「そうね。でも、生活の保障がないから、空賊は増える一方。あのハルカって子も、経済的困窮が理由だった」

「奪われるものには、選択肢がない……」

 弱者には選べる選択肢がなく、奪えるくらいの強者や無法者たちは自由にできる。空賊行為は容認できないが、彼女が言ったことは間違ってはいない。

「なら、まずは生活の保障があれば、足を洗ってくれる可能性があるわ。銃弾も燃料も消費せず、お金は少しかかるけど、安全に敵を減らせる。そして元空賊だったという点で情報は得られるし、彼女ほど腕がたつなら、用心棒に良さそうね」

 ホナミは目を細めた。

 ユーリアの属するガドール評議会は、裏では賄賂や汚職がはびこっている。中には空賊とつながり、見逃す代わりに袖の下を要求する議員もいるとささやかれている。

「あなた、彼女を使いたいの?」

「あの強さは魅力的じゃないかしら?それに政治家という生き物は?」

「……使えるものは何でも使う」

「たとえそれが、元空賊であってもね」

「……言っていることはわかるわ。でも、被害者や普通の人々は、やはり嫌悪感を抱く」

「でしょうね。でも、心情ばかりに配慮していては、結局何も決められない。100人いれば、100通りの考えがあるわ。こうしている間にも、小さな町からは人がいなくなり、空賊たちの拠点になる。私たちは、選り好みできる状況ではない」

 イケスカ動乱以降、また治安は悪化し、空賊は増加。輸送船はそれに対応するため、用心棒の飛行隊を独自に設けたり、対応に追われている。

 限られた資源の獲得競争が起こり、裏ではマフィアが暗躍しているともいう。

「できるのは、いい面も悪い面も飲み込み、協力し合うこと。そこに心情を挟んでいい顔していたら、結局何も決められない。全員共倒れの未来しかないわ」

 

「全員があなたみたいになれるわけじゃない」

 

「でしょうね。だからこそ、あなたみたいに理解者を少しずつでも増やす努力をしていくしかないの」

 ユーリアは、隣の女性議員ホナミを見やった。

「ハリマ評議会の様子はどう?」

「……年寄り連中に苦労しているわ」

 彼女は、ハリマというラハマから飛行機で十数時間とんだ先にある都市の議員で、開けた土地、貴重な湧き水、ユーハングの人々が持ち込んだ木々を植えたことで、イジツでは珍しい緑の豊かな場所。

 そして開拓した土地では作物の栽培や家畜の放牧がおこなわれ、あらゆる都市への一大食料供給都市として栄えている。

 以前より空賊からは標的にされやすく、自警団は対応に苦慮している。

「ハリマの人口だけでは、イジツ中の都市の人々の腹を満たすことはできない。労働力が欲しいけど、空賊がよく襲撃にくるから、外から来たいって人は及び腰になってしまう」

「先日も空賊が、畑を機銃掃射していったらしいわね」

「ええ。いうことを聞かないとこうなるぞ、ってね。いざとなれば自給できるから孤立してもやっていけるけど、ハリマの自警団だけで全ての空賊に対処はできないし、作物を売らなければ農家にお金は入らない。売るには輸送船がいるし、用心棒だっている」

 

「ユーハングではこういうんですっけ。猫の手も借りたい、と?」

 

「そうね。年寄りたちはハリマだけでやればいい、といっているけど、自警団の機体や部品は他都市から買ったものだし、燃料だって他都市のもの。畑にまく肥料も同様。完全自立なんてできないの。だったら、あなたの言うようにみんなで役割分担をして、全員で一つの国家みたいになる。それが一番でしょ?」

 

「でも、あくまで住民たちの自由意志は大事にしたい?」

 

「……イサオみたいに人々を支配できれば、確かに平和でしょうね。誰かが全てを取り仕切る。簡単で、楽で、確実な方法。でも、人を支配なんて本質的にはできない。人々を抑圧し従わないものたちを排除し続ければ、いずれ大きな反発が生じる。それが爆発したときは、先のイケスカ動乱の再来でしょうね。自分達で決めるというのは確かに難しいし責任も伴うけど、そのために私たち議員がいる」

 

「さすが、政治家先生たちの考えることは違うわね」

 

 背後を振り返れば、そこには真紅のドレスに身を包んだルゥルゥがキセル片手に立っていた。

「暇つぶしに聞いていたんだけど、よくわからなかったわ」

「……わかっているくせに」

 ユーリアの眉間に少し皺がよった。

「……それで、あの子はどうなるの?」

 歩み寄ってくるルゥルゥにユーリアは問いかける。

「それは自警団次第ね。空賊行為を働いたのだから、軽い罪じゃないことは確か」

 ホナミが、なぜか表情を曇らせた。

 

「今すぐ処刑すべきですわ!空賊は許さない!当たり前ですわ!」

 

「そうだそうだ!」

 

「……でも、あれだけのパイロットをみすみす手放すとは考えにくい。彼女を閉じ込めておけば、襲撃は免れるかも」

 

「みんな色々いいすぎよ~」

 

 鼻息が荒いエンマとチカ、利用価値を考えるケイトをザラはなだめる。

「マダム、なぜここへ?」

 ルゥルゥの存在に気付いたレオナが振り向く。

「次に備えなくちゃいけないでしょ?今回の襲撃で、羽衣丸の損害は幸い軽微。完成が数日遅れるだけよ」

「ですが、彼女は羽衣丸の破壊が目的だったと、言っていました」

 ルゥルゥは表情を引き締める。

「なら、羽衣丸が健在である以上、また襲撃にくる可能性があるわね」

「……でも、仲間が捕まっている。巻き込む可能性がある以上、慎重になるはず」

「空賊に仲間意識があれば、ですけど」

「レオナ、彼女は誰に依頼されてきたか、白状した?」

「名前は知らない男だと。ですが、胸に赤と白の、花びらの徽章をつけていたと」

 皆が表情を険しくした。

 

「……自由博愛連合の残党、過激派と呼ばれる連中ね」

 

「間違いありません。彼女の言葉を信じるならば、ですが」

 自由博愛連合の残党。イケスカから追い出され、空賊となったものが多いというが、かつてのイサオの意志を受け継ぐのは自分達だと、派閥抗争のようなものが起きているという噂がある。

「なら、放置するのは危険ね。確実にくるわ」

「……ですが」

 レオナは俯いた。さきの戦闘で、自警団は15機の内7機を失い、コトブキも半数の3機を失った。ウミワシ通商の戦力は約30機。

 エリート興業の力を借りても、今の状況で来られたら、今度は追い返すこともできない。

「……そういえば、キリエはどこかしら?」

「あら?一体どこにいったのかしら?」

「あいつ……。探してくる。場所は察しがつく」

 レオナは詰め所に向かって、ザラを伴って走って行った。

 



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第9話 翼をくれた人たち

取り調べが終わり牢屋へ閉じ込められた彼女。
何もすることがなく無為に時間が過ぎていく中、
現れたキリエと何気ない話をする。2人は互いに、
空を飛ぶきっかけをくれた人たちのことを話す。



 

「はあ……」

 取り調べが終わったハルカは、取り調べ室から隔離室へ移された。

 いわゆる鉄格子、牢屋の中だ。といっても外が見える格子の部分は壁の半分もない。

 手錠は外してもらえたが、ベッドと簡易トイレに洗面台以外ないこの部屋で、いつまでこうして時間を浪費していればいいか先が見えない。

 ハッキリしていることは、少なくともここからすぐ出られる可能性が低いということだけだった。

 空賊行為を働いた以上、ラハマが彼女を簡単に解放するとは考えにくいし、罰則として何かしらの制裁が下されるか、高額な賠償金を払わされるか、荒野に放り出されるか、最悪殺されるか、いずれにしてもろくな末路ではない。

「……母さん」

 ナカイの仕事をこなし続けなければ、母の治療は中断され、弟に妹も学校を追い出され、彼らの平穏な暮らしが終わってしまう。

「なんとかして、ここからでないと……」

 だが問題がある。

 ラハマの周囲に広がるのは荒野。徒歩で別の都市へいこうにも距離が遠すぎて、途中で野垂れ死ぬことは想像に難くない。

 かといって零戦を使おうにも、修理をして燃料を補充しなければ飛ぶことができない。

「どうしたものか……」

 鉄格子の中で頭を抱えていると、廊下の突き当りにある扉が開き、見覚えのある赤いコートを着た人物が歩いてきた。

「……あなた」

 

「あはは、昼間ぶり、だね……」

 

 コトブキ飛行隊の1人、昼どきにある店で同志といった、ハルカのことを庇ってくれた少女、キリエだった。

 キリエは鉄格子の前にやってくると、彼女と向き合う形で床に座った。

 

「……空賊、だったんだね」

 

 ハルカは視線をそらし、軽く頷いた。

「……いや~、ハルカって強いんだね。あっという間に私のこと落として。あんなに腕いいのに、なんで空賊に?」

 どうせやることもないからと、ハルカはキリエとのおしゃべりに付き合うことにした。

「……家族と生きていくためにはお金がいる。でも、幼かった私を雇ってくれるところなんてなくて。そのとき誘いをくれたのが、ウミワシ通商だった」

「……空賊だって気づいて、抜けようとは思わなかったの?」

「他に行くあてがなかった。母親を病院へ、弟に妹を学校へ入れるには、普通の稼ぎではだめだった」

 一時は用心棒といったまともな仕事をしていた時期もあったが、病気で日々体調が悪化していく母親を見て、時間がないことを彼女は悟り、ナカイの誘いにのるしか選択肢がなかった。

「家族のために飛ぶ、か……」

「……キリエさんは、なんで飛ぶの?」

 自分が空賊とわかったにも関わらず、なおも話しかけてくるキリエに興味がわいたのか、質問をしてみる。

「私?う~んと……」

 彼女は両腕を胸の前で組み、あーでもない、こうでもないと唸っている。

 間もなく、彼女は口から言葉を絞り出すように言った。

 

 

「パンケーキを食べるため!」

 

 

 その人並というか、慎ましい目的に、ハルカは首を傾げた。

「……食費稼ぎ?」

「それもある、かな。でも、もっと遠くの世界を見に行ってみたい、ていうのはあるかな」

「遠くの世界?」

「昔、空を飛ぶ楽しさを、世界の広さを教えてくれた人がいたの」

 キリエは、自分に初めて広いイジツの空を見せてくれた老人、サブジーのことを思い出す。

「周りからは変人って言われていたけど、その人の零戦に乗せてもらって、そのとき初めて、この世界が広いっていうことを知ったの」

 初めてサブジーに空を飛ぶこと、この世界の広さを、どこまでも続く蒼天を見せてもらった。

「だから、あの先にはどんな世界が広がっているのかなって。いつか、見たことない場所を、見に行ってみたいって」

「……見たことない、場所」

「ハルカは、そういう思い出、ないの?」

 すると彼女は膝に顔をうずめ、黙り込んだ。キリエは何か言ってはまずいことを口にしたのかと心配したが、間もなく彼女は顔を上げた。

 

「……私も、空を飛ぶ楽しさを、教えてくれた人がいた」

 

 キリエは静かに話を聞く。

「私の祖父。飛行機の操縦が上手くて、私の家族は、みんな教わった」

「おじいさんは、どんな機体に乗っていたの?」

「……私と同じ52型丙。あれは、祖父が乗っていたものを、飛行機の製造をしていたお父さんが時間をかけて、祖父に教わりながら作ったものなの……」

「じゃあ、あなたの零戦は、おじいさんとお父さんが一緒に作ったものなんだ」

「……でも、なんでか祖父は、あの機体のことを死神だっていっていた」

「……死、神?」

「守った味方が死ぬのを横目に、あの機体に乗った自分たちは帰ることができたからだ、って言っていた。それがどういう意味だったのか、詳しいことは聞けなかった。数年前にイケスカに行ったきり、行方不明になった……」

 ハルカは、少々祖父のことをぼかして言う。

「……そっか」

 キリエはハルカの寂しさが理解できた。

 サブジーとの思い出は数えるほどしかない。

 でも、今の彼女を形作る上で、空を飛ぶきっかけを作ってくれた。

 のちにイケスカでイサオと戦ったとき、彼の口からサブジーを落としたことを軽い調子で告げられたとき、キリエは腹の底から湧き上がる激しい怒りにかられた。

 最終的にイサオを落とすことは叶わなかったが、彼の思惑を頓挫させることには成功した。

 最後に、例え幻であっても、サブジーと、言葉を交わすことができた。

 

 それでもやっぱり、生きていてほしかった。

 

 また、会いたかった。

 

 私達は、色んなものを失いながら生きている。

 

 キリエはサブジーを失った。

 

 彼を失った寂しさを埋めてくれるものは、存在しない。

 

「リノウチでお父さんに、兄、姉が依頼で参戦したけど、みんな、帰ってこなかった……」

「……それで、空賊の誘いに」

「生きていくにはお金がいる。それにこれ以上、家族を奪われないようにするには、奪う側になるしかなかった」

 キリエは黙っていた。これまであった空賊は、改心したエリート興業を除けば、他はあくどいことや違法なことを平然とでき、威圧的な態度をとるゴロツキと呼ばれる者たちが大半だったし、だから空賊行為ができるのだろうと、そう思っていた。

 だが、やむにやまれず、生きるためにそうなる人間もいる。

 

 たとえ、許されない行為だと、わかっていても。

 

「……そして空を飛ぶことを、いつしか楽しいなんて、思えなくなった」

「……大事な人のために、無我夢中で翔けたんだね」

 

 かつて知った、空を飛ぶ楽しささえ、いつしか忘れてしまうほどに。

 

「その、残った大事な人たち、今はどうしているの?」

「母親は体を壊して病院。弟に妹は遠くの学校へ……」

「そっか……。私にはそういった人がいないからよくわからないんだけど、その人たち、今も元気なの?」

 キリエの何気ない質問に、彼女は一瞬つまった。

「最後に会ったのは、1年少し前かな……」

「会えなくて寂しくないの?」

「……寂しいよ。でも、依頼が多くて、そんな間が、なかなかできなくて。お金だっているし」

 ナカイは依頼が終わったそばから、また次の襲撃計画をたてる。実行するのはハルカなために、なかなか休みがもらえない。

 なので、手紙でのやり取りが主になってしまう。

 

「そっか……。でも、ハルカには折角家族が残っているんだから、まめに会いに行かないとだめだよ」

 

 キリエの言葉が胸に突き刺さる。

 思えば、切れ目なく依頼がやってくるせいで、いつしか失念していた。お金を稼ぐことは大事だが、それはあくまで家族の生活のためという手段のはず。

 大事な人々を蔑ろにしていて、いいわけない。

 キリエはその場から立った。

「言いたかったのはそれだけ……。じゃあね!」

 彼女は廊下を足早に歩いていく。

 

 これ以上彼女の話を聞いていたら、空賊や悪党からみんなを守る用心棒、そう自分を思いこませてきたものが、揺らぎそうになってしまうから。

 

 

 

 キリエが廊下を速足でさっていくのを見届けた顔が2つ、廊下の角に潜んでいた。

「盗み聞きなんて、あんまり趣味のいいことじゃないわよ?」

「……わかっている」

 レオナは踵を返し、詰め所の出口へと向かう進路をとった。

「家族を養うために空賊になった、ね」

「……わからないわけではないが」

 無論、空賊行為は許されないことである。だが、ことの発端は、ユーハングからもたらされた航空技術をはじめとした遺産を、どう使うかまともに考えなかった者たち。

 その結果、数年前にリノウチ大空戦がおき、彼女は肉親を失った。

 その悲しみや絶望の中、それ以上奪われたくはないと、飛行機に乗り、生きる糧を得るため空賊となった。

 

「大事な人のために、無我夢中で翔けた、か……」

 

 レオナ自身、あのリノウチ大空戦に参加し、何度も命を落としそうな状況になったが、当時はイケスカ航空隊だったイサオに助けられた。

 何も守れず、助けられるだけだった、未熟なレオナ。

 

 己の抱く理想に手が届かずもがく日々。そんな暗闇の中、偶然立ち寄った空の駅で、その後隣を歩いてくれる相棒、ザラと出会うことができた。

 彼女に何度も支えられながら、オウニ商会のもとでコトブキ飛行隊を創設し、用心棒稼業を営み、今日に至っている。

 

 ザラに出会えたから、レオナは今ここにいる。

 

 だが、ハルカにはそんな人物がいなかった。

 

 彼女を拾ってくれたのは、不運にも空賊しかいなかった。

 

 レオナはふと隣を歩く相棒を見た。

「……どうかした?」

 いつもと同じく、彼女は包み込むような温かい微笑みを向けてくれる。

 

「いや、ザラに出会えてよかったと、改めて思っただけだ」

 

「……もう!急に言うなんて卑怯じゃない」

 ザラが急に頬を赤らめてそっぽを向いたことに、レオナは首をかしげる。

 何か、彼女が恥ずかしがることを言っただろうか、と。

 彼女に出会えてなければ、ボタンが1つでも掛け違えていれば、もしかしたら、隔離室にいる彼女と同じ道を、たどっていたのかもしれない。

「……ザラ、次はどうすればいいと思う?」

 当面の問題は、羽衣丸が健在である以上、ウミワシ通商がまた襲撃をしかけてくる可能性があるということだった。

「せめて、根城か、やってくる方角だけでもわかれば……」

「だったら、いい方法があるわよ」

 片目をウインクしながら、ザラはレオナにある提案をした。

 

「なら、まずキリエを捕まえないとな」

 

 2人は目的の人物を捕獲しに、足をはやめた。

 

 

 

 

 

「……おなか、すいた」

 鉄格子の向こうで、彼女は本日何度目かわからないため息をはいた。

 もう月明りしかない時刻。しかしこの部屋の中では水が飲めるだけ。あとは片隅で膝を抱えてじっとしているか、ベッドに寝転がるしかない。

 ふと、廊下の先にある鉄扉があく音がした。

 足音が、次第に近づいてくる。同時に、大好きな香ばしい匂いと、甘い香りが鼻をつき、腹の虫が悲鳴を上げる。

「はい、食事だよ」

「キリエ、さん?」

 さきほど去っていったはずのキリエが、お盆に食事を乗せてやってきた。

 お盆の上では、ホイップを乗せたパンケーキが湯気をたてている。

「おなかすいたでしょ?」

 鉄格子の下の隙間から、彼女はお盆を入れてくれる。

「ごめんね、ホイップクリーム盛りすぎちゃうと格子についちゃうから少なめで」

「……ありがとう」

 彼女はお盆に乗せられたコップを手に水で喉を潤すと、パンケーキをフォークで切り分け、口へ運ぶ。

 数時間に及ぶ監禁ですっかり空腹になった彼女にとっては、今のパンケーキはどんな高級料理よりもおいしく感じられ、体の隅々まで染みわたるように感じられた。

「それじゃあ私、いくね」

 キリエはその場を静かに去っていった。

 彼女はパンケーキを食べながら思い返す。

 年に数回しか、彼女は家族に会っていない。今どうしているだろうか、気になり始めた。キリエの言う通り、まめに会いに行くべきだろう。そもそも病気で入院している母親を放置するのはよくない。

「ナカイなら、知っているかも」

 病院へお金を持って行ってくれているのは、ウミワシ通商の社長ナカイだ。彼は仕事の関係でイジツの色んな所を飛び回るため、そのついでにお金を持って行ってもらっている。

 そこまで考え彼女は俯く。

 この鉄格子の中にとらわれている状況では、どう考えても確認などできない。まずはここから脱出しなければならないが、道具の類は一切ないし、フォークで鍵を開けるなどできるはずもない。

「どうすれば……、ん?」

 彼女は口の中で、ガリ、と固いものを噛んだときの音がしたのを感じた。

 口の中に指を突っ込み、その源を引っ張り出してみる。

 

「これは、カギ?」

 

 コップの水で咀嚼したパンケーキを取り除くと、中から出てきたのは古びた鍵だった。まさかと思い、彼女は誰もいないのを確認し、鉄格子の扉の鍵穴に鍵を差し込みまわした。

 あっけなく、扉はあいた。

「……どうして」

 キリエはラハマの人間。羽衣丸を守る用心棒。

 ハルカは彼女の所属するコトブキ飛行隊の隼を落とし、オウニ商会の羽衣丸を攻撃し、町を襲撃した空賊。

 こんな手引きをするなど、何か裏があるに違いない。

「……でも」

 これはチャンスだ。今彼女は、ナカイに聞かなければならないことがある。

 彼女はパンケーキの残りを急いで胃に押し込むと、静かに鉄格子の扉をあけ、足音を小さくするため忍び足で廊下を進んでいった。

 

 

 静かに詰め所を脱出した彼女は、建物の影に隠れながら飛行場へ向かう。

「……あった、レイ」

 彼女はレイこと、愛機の零戦52型丙を飛行場の一角で見つける。素早く機体のチェックを行う。コトブキ飛行隊隊長、レオナの隼に右主翼を撃たれ、燃料が漏れた箇所は、修理が行われた跡が見られた。

 加えて、燃料タンクや機銃の弾倉のフタを開けると、弾薬はそのままだったが、燃料は満載にされていた。

 不審に思いつつも、彼女はいつもの手順でエンジンを始動させる。操縦席に滑り込むといくつかの手順を省き、急いで滑走路へ向かう。

 そして目的のウミワシ通商の根城へ向かって迂回しつつ、飛び立っていった。

 

 

 

 

「……うまく逃がしてくれたみたいだな」

 ハルカの零戦の飛び立つ様を、建物の影からレオナ、ザラ、キリエ、ナツオは見ていた。

「班長」

「ああ、発信機はばっちり取り付けた。今詰め所で追跡を行っているはずだ」

「これで根城の場所がつかめる。時間稼ぎくらいにはなるだろう」

 自警団の九七戦の大半がやられ、コトブキも半数がやられた今、実行できる策は多くない。敵が今日と同じく30機近くの編隊でやってきたら、いくらコトブキでも敵わない。

 そこでレオナは、相手の根城をつかみ、敵が出撃する前に叩くしかない、と考えた。そのためにキリエを捕まえ、彼女にカギの入ったパンケーキを運ばせ、脱獄できるようにしたのだった。

「班長、修理の状況は?」

「……明日の朝までに完了するのは。キリエの機体だけだ。エンマとチカの機体はまだかかるし、自警団の機体も間に合って、2機がやっとだ」

「……それが使える戦力か。エリート興業の準備は?」

「いつでもいけるぞ」

 歩み寄ってきたエリート興業親分のトリヘイが、親指を立て合図する。

「よし。作戦の最終確認をしよう」

 彼らは、自警団の詰め所へ向かって歩いていく。そんな中キリエは立ち止まり、ハルカの飛び去った方向を、見上げていた。

 



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第10話 翔け抜けた果てに…… 

自警団の詰め所から脱獄し、根城へ帰還した彼女は社長を問い詰める。
依頼を完遂するため、翌日彼女たちは再びラハマへ襲撃をしかける。
その最中に告げられた事実に、彼女は耳を疑った。



 

 最短コースを外れて大きく迂回して飛び、ハルカはウミワシ通商の根城へと帰還した。

「お、ハルカじゃねえか?帰ってこられたのか」

 つくなり彼女はナカイのいる部屋へ直行した。

「帰って早々だが、明日の朝、ラハマに襲撃をかける。準備しておけ」

 ナカイはそれだけ言うと、部下に指示を出す作業に戻った。

「……ナカイ」

 彼女は彼を見据え、静かに言う。

「なんだ?」

 振り向くことなく、彼は声だけで言った。

 

「……家族に、会いにいかせて」

 

「……聞こえなかったのか?明日の朝、ラハマへ攻撃をしかけるから、準備に移れ」

 軽くあしらわれるが、彼女はその場を動かなかった。

 

「それじゃあ、今の母の容態を教えて。お金を運んでいるあなたなら、わかるでしょう?」

 

「……やけに聞き分けがないな」

 彼は、鬱陶しそうにハルカへ振り向いた。

「……どうなの?」

 しばし2人の間に沈黙が満ちる。彼女はキリエに言われたことが、頭に引っかかったままだった。

 家族は今、どういう状況なのか。

 ナカイは、大きなため息をはきだす。

 

「わかった。この依頼が終わったら、会いにいっていい」

 

「……本当に?」

「ああ、約束する」

 2人はそのまま見つめ合う。石油ランプしか明かりのないうす暗い部屋では、サングラスの向こうに隠れた表情をうかがい知ることはできなかった。

「……わかった」

 ハルカはそれだけ言い、愛機のレイの元へ向かった。

 ナカイはその背中を見送ると、無線で部下たちを集めた。

 

「お前たちにいっておくことがある」

 

 ハルカを除き、出撃する部下たちに、彼は作戦の一部を伝えた。

 

 

 

 翌朝、出発を前に滑走路脇に参加機体が並べられ、作戦確認が行われる。

「さて、ウミワシ通商の社員諸君。これより、ラハマに2度目の襲撃をかける。目的は、第二羽衣丸の破壊。今回は、彗星に250kg爆弾を搭載して行う」

 ウミワシ通商の総数30機の内、彗星は合計4機。止まっている目標相手なら、十分すぎる数だ。

「前回の襲撃で、敵の戦力は大幅に減っている。今度は正面から爆撃に向かう。いいな」

「「「はい」」」

「ムフッ、今度こそ、成功させてくださいね、皆さん」

 依頼人の丸眼鏡をかけた男性がいけ好かない笑みを浮かべながら、出撃する皆を見渡す。

「では早速……」

 そのとき、迫る爆音に全員が気づく。それもかなり近い。その音は、彼らのいる滑走路の上空から発せられていた。

「社長!あれを!」

 社員が指さした方向、雲を突き破って1機の赤い機体が急降下してくる。

 丸眼鏡をかけた依頼人の男性は、降下してくる機体に目をこらす。

「あれは、エリート興業の彗星?」

 赤く塗られた機体の主翼に白文字でエリート、と書かれた彗星艦上爆撃機はダイブブレーキ代わりのフラップを展開したまま進入、上空で何かを切り離した。

 それが何であるのか、皆が即座に理解した。

 

 

「「「逃げろおおおおお!」」」

 

 

 全員がその場から駆け出した。

 直後、彗星が切り離した250kg爆弾がさく裂。滑走路そばに並べられていた戦闘機たちを爆炎が包み込んだ。

「消火を!火を消すんだ!」

 消火ホースを手に火を消そうとする社員たちだが、炎は戦闘機の燃料に引火して誘爆を起こし、火の海は広がっていく。

 その上空を、悠々と彗星は引き返していく。

「くっそお!」

 上空をにらみつけるナカイに、依頼人は迫る。

「どうしたのですか?出撃しないのですか?」

 起こっている光景を前に出撃をせかす依頼人に、ナカイは怒鳴った。

「この状況が見えないのか!こんなので襲撃などできるわけが」

「半数近くは無事のようです。十分な数ではないでしょうか?」

 男性は眼鏡のブリッジを指で持ち上げ、

「それとも、怖気づいたのですか?」

 と言い放った。

「……消火作業と並行して、無事な機体を出せ!作戦は続行するぞ!」

 

 

 

 

『爆撃成功だ!帰還する』

「エリート興業のトリヘイさんから連絡です!爆撃に成功!」

 成功の報告を聞き、ラハマ自警団詰め所内で連絡を待っていたものたちは、ほっと一息ついた。

「……これで、戦力は少しでも減ったはずだ」

 ハルカの零戦に取り付けた発信機の電波を辿り、ウミワシ通商の根城を特定。出発の瞬間を攻撃する作戦は成功した。

「少し卑怯な気もするけど……」

「キリエ、相手は空賊です。手加減は無用ですわ」

 表情を曇らせるキリエにエンマは言い放つ。キリエは、ハルカが被害にあっていないか、内心気になっていた。

 用心棒が空賊の心配をするなど、キリエは妙な気分だった。

「続いて連絡。無事な機体約15機が出撃体制に入ったと。例の零戦もいるようです」

「……流石は悪魔。悪運が強いですわね」

 エンマが皮肉めいた言葉を漏らす。

「これでなんとか、勝機はあるかしら?」

 ザラの言葉に、レオナは浮かない顔をしている。

「確かに、30機とやり合うことを思えば、まだ勝ち目はあるが……」

 彼女の言葉の先が、皆にはわかった。

 ラハマの今の戦力は、コトブキの隼4機、エリート興業の彗星、ラハマ自警団の九七戦10機の計15機。

 数の上では近くなったが、それでも相手には悪魔がいる。

 1機でラハマの戦力に大きな損害を与えた蒼翼の悪魔、ハルカが無事である以上、ラハマ側が不利という可能性がある。

「続報がトリヘイさんから。ウミワシ通商が根城を発ちました」

「出撃準備だ。いくぞ!」

 いずれにしても、空賊がラハマを襲撃してくる以上、用心棒として彼女たちには、選択肢はなかった。

 

 

 

 

 どこまでも続く荒野を飛ぶ、ウミワシ通商の戦闘機たち。

 その先頭を、ハルカの零戦は行く。後続には爆弾を積んだ彗星が2機、護衛の零戦21型9機、飛燕4機が続く。先ほどの爆撃の被害を逃れた機体全てが参加。

 ナカイは遅れてくるらしい。

『間もなくラハマ上空だ。彗星はまっすぐ羽衣丸へ向かえ。戦力は分散せず、全員で向かう。ハルカ、わかっているか?』

「……了解」

 彼女は進路を、羽衣丸の係留されている場所へ向ける。

 あの輸送船、ラハマという町。この2つを前にすると、彼女はどうしてもキリエのことを思い出してしまう。

 

 外見からして、年はおそらく近い。初めてそんな人と口をきいた。

 そのときの彼女の、好きなものを前にしたときの輝く瞳、意気投合したときのまぶしい笑顔が頭から離れない。

 

 空賊になって以来ずっと、誰かから憎まれ、恨まれ、警戒される視線しか知らなかった彼女にとって、それは数少ない、自身に向けられたお日様のような、温かい視線だった。

 鉄格子の中にいたとき、ハルカはキリエから罵声を浴びせられると思っていた。だが、彼女は恩を仇で返したハルカに対し、それをしなかった。

 だからか口がすべり、自分の身の上話をした。

 そんな人間に出会ったのは、初めてだったから。

 

 でも、キリエは羽衣丸を守る用心棒。

 ハルカはそれを破壊する空賊。

 

 2人の見る視線の先は違う。

 

 彼女は頭を振って雑念を追い払おうとする。

 それより、お金がいる。弟に妹の生活費、病気の母親の治療代が。

 そのためには、依頼を完遂しなければならない。もう、奪われないために。

 金と力があれば、奪われる側にならなくて済む。

 

 ウミワシ通商でやっていくと決めたとき、初めて輸送船を襲撃したそのときから、もう、後戻りできないとわかっていた。

 彼女は飛行眼鏡をかけ、操縦桿を握りなおし、視線を羽衣丸へ向けた。滑走路から、コトブキの隼や自警団の九七戦が上がってくる。

 数はこちらと同程度。十分やれると、彼女は思った。

 

 

 そのときだった。

 

 

 ハルカは背後から何か不穏なものを感じ取り、とっさに操縦桿を引いて上昇した。先ほどまでいた位置を、機銃弾に混ざった曳航弾の閃光が駆け抜けていく。

「……何!」

 途端に、後続の味方が彼女を一斉に撃ち始めた。

「何するの!止めて!標的は私じゃない!」

 無線で彼女は味方に抗議する。

 

『どうするも何も、ナカイさんからの命令だ』

 

 彼女は、彼らが何を言っているのか理解できなかった。

 後ろから飛来する飛燕や零戦の機銃弾を回避しつつ、彼女は前方に視線を向ける。

「……あ!」

 急いで回避する。前方からコトブキの隼が迫り、放たれた機銃弾を寸での所で避けた。

「命令って。味方を落とすなんて、何考えているの!?」

 

『いずれはこうするつもりだったんだ』

 

 無線から聞き覚えのある声が響く。ナカイだと、彼女は察した。

『貴様は十分組織に貢献してくれた。用済みになれば処分して当然だ。他の組織の手に渡ると面倒だからな」

 後ろからは味方と思っていたウミワシ通商の機体から、違う方向からはラハマの機体から発砲され、彼女は頭を前後左右に動かして周囲を見つつ、回避に徹する。

「落ちるわけにはいかない……」

 彼女は操縦席でつぶやく。

「私には、家族が、まだ……。だから……」

 彼女は周囲が敵ばかりの状況でもあきらめず、自分の原点を心に刻む。

 守らなければならない、奪われるわけにはいかない。大事な人々がいる。

 だから、生きなければならない、帰らなければならない、と。

 

「だから、こんなところで。落とされるわけにはいかない!」

 

『……ふふ。ははは、はっはははは!』

 

 だがそんな彼女を、ナカイは笑う。

 

「何がおかしい!」

 

『ははは。おかしいに決まっているだろ?だってよ……』

 ナカイは言い放った。

 

 

 

『お前の家族はもう、この世にいなんだからよ!』

 

 

 

 ハルカは、一瞬周囲の時が止まったような錯覚に陥った。

 ナカイが何を言っているのか、すぐには理解できなかったのだ。

 

『冥土の土産に教えてやる。半年前、ラハマのそばで所属不明の輸送機が墜落しただろ?あれはわが社の輸送機で、不要な社員や人員を、墜落に見せかけて処分したんだよ!お前の家族も一緒にな!』

 

「なっ!」

 

『お前が輸送船を襲ってくれるようになってから、商売で儲かってしょうがないんだ!笑いが止まらない!積み荷はどれだけ高くても金を積むやつがいる!儲けが沢山出れば、それを少しでも多く受け取りたいのが人間ってもんだろ?どうすれば多く受け取れるか?単純なことだ。食い扶持を減らせばいい』

 

「だからって……、だからってそんな!」

『お前は人が良すぎるんだ。仲間でも、俺たちは空賊だ。法を破る人間が、口約束程度忠実に守ると思うか?』

 そうだ。ウミワシ通商は無法者たちの集まり。彼女は、長く組織にいたことでそれを失念していた。

『お前を雇ったのは、戦闘能力が目的だった。俺はお前の戦果に対して報酬を払っていた。等価交換だろ?』

「じゃあ、私が渡していたお金は!?」

 

『ああ、あの金か?お前が病院へと言った金は、ありがたく装備の更新に当てさせてもらった!だから俺の機体も新しくできたし、飛燕など高級な機体を揃えることができたんだ!』

 

 言葉がでなかった。家族のため。そう思って空賊行為にまで手を出した。

 そうやって必死になって翔け抜けた果てに、家族はいつの間にか殺され、お金は組織を太らせるために使われた。

 

 自分は何のために戦っていたのか。

 何のために空賊行為に加担したのか。

 

 足場が崩れゆく幻聴が聞こえたような気がした。

 とんだピエロになり果てたものだと、彼女は思った。

『だがどんなに強くてもお前1機じゃあリスクが高い。だから、新しい機体を沢山買って、代わりにすることにした』

「……じゃあ、家族に会いに行っていいっていったのは」

 

 

『ああ。約束通り会わせてやるよ!あの世でな(・・・・・)!』

 

 

 ハルカの後方の飛燕や零戦たちが銃撃を続ける。別の方向からは、コトブキやラハマ自警団の機銃弾が彼女に殺到する。ここに味方は、もはやいない。

 彼女は操縦桿とスロットルレバーを握る手に力をこめる。頭の中を、色んな考えや疑問等が交錯する。

 

 自分は今まで一体、何をしていたのか?

 なぜキリエに言われたように、まめに会いに行かなかったのか?

 

 後悔がよぎる。その一方、考えないようにしていたことが頭をよぎる。

 

 輸送船を襲うたび、どれだけの人々の生活を狂わせた?

 どれだけの人々を傷つけた?

 どれだけの人々を殺した?

 

 その結果、自分と同じ境遇の人間(・・・・・・・・・・)を、どれだけ生み出した?

 

 

 色んな疑問や考えが頭の中を渦巻く。

 そんな中、彼女の頭の中を特定の心情と言葉が埋め尽くすようになり、一つの行動を導き出した。

 

 

―――許さない。

 

 

『落ちろ!』

 後方から飛燕が機首の機銃を撃つ。だが、その銃弾は空を切った。標的だったハルカの零戦は機首を上げ減速し、飛燕の後方へ回り込んだ。

 後ろを取った零戦の機首の機銃が火を噴き、銃弾は飛燕の急所、胴体下のラジエーターに命中した。

 冷却機構に被弾した飛燕は、煙を吹きながら墜落していく。

『てめえ、裏切りやがったな!』

「……先に裏切ったのはそっちでしょう?」

 冷気のように冷たい声で、彼女は言う。

 彼女は速度をあげ、別の飛燕の後ろにつく。撃たれると思ったのか、飛燕は急降下を始めようと機首を下に向けた。

 その瞬間を狙い、ラジエーターを同じく撃つ。

「……とりあえず、何をしなければならないか、それはわかるわ」

 彼女は目を大きく見開き、眉間に皺をよせ、操縦席内で叫んだ。

 

 

「全員、叩き落してやる!」

 

 

 ハルカの零戦は速度をあげ、ウミワシ通商の機体へと向かっていった。

 

 

 

 

 

「総員戦闘中止、上空へ退避しろ!」

 レオナが無線に向かって叫ぶ。コトブキ飛行隊の隼、自警団の九七式、エリート興業の彗星は上空に退避した。彼らは、眼下で繰り広げられる空戦を見つめる。

「なにが起こっているの?」

 眼下には、仲間であるはずの機体を次々落としていく蒼い翼の零戦の姿がみられる。爆弾を抱いた彗星を2機素早く落とし、速度差や急降下を使って零戦は通り魔のように仲間を落としていく。

「内乱?仲間割れ?」

 ザラやキリエも戸惑いを隠せない。ウミワシ通商が再び現れたと思ったら、蒼い翼の零戦目掛けて攻撃を始めた。その後、零戦は味方だったはずの彗星や飛燕を落とし始めた。

 零戦は血に飢え、首輪が外れた狂犬のように次々手近な機体に襲い掛かっては撃ち落していく。

「レオナ、私たちどうすればいいの!?」

「……状況がわからない。様子を見る」

「いいの?加勢しなくて」

 ザラの問いに、レオナは黙る。以前彼女たちはラハマから奪われた雷電を取り戻すため、エリート興業の拠点、エリート砦を襲撃したことがあった。あの時社長のトリヘイは部下に裏切られ、撃墜されそうになった。

 その際は、ザラが姐さんと約束をしてきたから攻撃対象がわかった。

 だが今回は違う。

 どちらが自分達の敵かわからない以上、うかつに手は出せない。

 それに、もしこの場であの零戦がウミワシ通商の機体を片付けてくれるのなら、ラハマ側は残った零戦1機だけを撃墜すればいいことになる。

 今ラハマ側の戦力が限られる以上、状況を利用するしかない。

 だが、なぜ味方であるはずのウミワシ通商の機体が、一斉に彼女に攻撃を始めたのか疑問はある。

 レオナは状況を静観しつつ、無線機をいじりはじめた。

 

 



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第11話 略奪者と悪魔の零

味方だったウミワシ通商へ反旗を翻した彼女は、手あたり次第に敵を落としていく。その中に、もっとも落としたい男がいない。
間もなく、彼女から得たお金で買った高級機と共に姿を表したウミワシ通商社長のナカイ。
他の組織に渡る前に彼女を処分したいナカイと、許せない男を殺したい彼女。

2人の一騎打ちが、始まる。


 

 照準器のサークルの中心に前を飛ぶ敵機、ウミワシ通商の零戦21型をとらえる。その進路上に照準を合わせ、スロットルレバーに取り付けられた引き金を引く。

 機首の13.2mm機銃から放たれた銃弾が右主翼の根元に命中。21型は瞬く間に火をふき、荒野へ落ちていった。

 周囲を見渡し、敵機を探す。背後に隼2型が迫る。機首を下げて降下。隼もあとを追って急降下に入る。

 制限速度に迫った隼が上昇へ転じる。そのタイミングでハルカは機首を上げ、隼を背後から撃つ。

 隼が落ちていくのを確認しつつ周囲を見渡すと、ウミワシ通商の機体15機は荒野に消えていた。

 だが、最も落とさなければならない人物が見当たらない。

 

『……やるな。さすがは悪魔』

 

 最後の標的、ナカイの声が無線機から聞こえてくる一方、機影が見えない。ハルカは風防から周囲を注意深く見渡し、彼を探す。

 

 

『だが、それも今日までだ!』

 

 

 エンジンの発する爆音を察知した彼女は後ろ上方を見上げる。するとそこには、雲を突き破って降下してくる機影が見えた。

 零戦に比べ太い胴体、主翼から突き出す20mm機銃の4本の銃身、そして小型高出力の誉エンジンの奏でる金属が高速で回る甲高い爆音。

 

「紫電改!?」

 

 機体の下面は灰色一色である一方、上面は緑色に塗られ、その上に鳥の翼の羽模様が黒と茶色で描かれている。

 他の鳥の採った餌を奪い取る習性をもつウミワシ(略奪者)と、同じ模様だ。

 

『そうだ!お前が稼いでくれた金で買えた高級機だ!』

 

 紫電改は零戦の後方につく。直後、主翼に装備された4丁の20mm機銃が、一斉に咆哮をあげた。彼女はフットペダルを蹴りこみ、機体を横滑りさせて回避する。

 そのまま機体を左へ垂直に傾け、紫電改の背後を目指して旋回する。

 紫電改もそれに続く。紫電改は速度が速く、翼面荷重が高い分旋回半径は大きくなる。

 速度で敵わない以上、小回りの良さを生かし、早々に決着をつけなければならない。

「ぐっ……」

 操縦席に押さえつけられる激しいGに耐えながら、ハルカは紫電改の背後へ回り込もうと旋回を続ける。

 だが、一向に敵の姿が見えてこない。

 彼女は風防から後方を確認する。

「くそ……」

 紫電改も、彼女の背後に回り込もうと旋回を続けていた。両者の距離は、縮まる気配をみせない。

 零戦52型丙は、21型に比べ主翼が短く、翼面荷重が高くなった分、旋回性能が犠牲になっている。また速度があがるほど、零戦は舵の効きが悪くなる。

 一方紫電改は、翼面荷重が高くても、フラップ角度が速度によって最適に調整される自動空戦フラップを装備している上に、零戦の栄エンジンの倍近い馬力の誉エンジンを装備したことで速度がでる分、早く旋回を終えることができる。

 

 旋回戦なら勝ち目がある、とはいかなくなっていた。

 

 次いで機首を下げ、降下を始める。

 

『急降下程度で逃げ切れると思うのか!?』

 

 ナカイの紫電改もハルカの零戦を追う。2機の距離は徐々に縮まる。

 地表が迫り、彼女はフラップを下ろして操縦桿を引き、機首を引き起こす。上昇に転じた途端、再び紫電改の機銃弾が後方から殺到する。

 

『無駄だ!零戦で紫電改に勝てると思うのか!』

 

 ハルカは回避しながらも、ナカイを倒すための方法を模索するべく思考を巡らせる。

 

 最高速度は、零戦52型丙にくらべ、紫電改は50~80km近く上回る。

 急降下速度も、機体が頑丈な相手が上。

 火力も20mm機銃を4丁装備しており、被弾すれば52型丙の防弾装備では防げない。

 旋回性能にしても、先ほどの旋回戦で遜色なかった。

 

 まともにやり合って勝てる相手ではない。

 いかに彼女の腕が良くても、性能差を埋めることは容易ではない。

 金属同士がぶつかる音が響き、機体が振動した。

 右主翼の翼端が吹き飛ぶ。さらに機銃弾を受け、撃ち抜かれた右主翼の燃料タンクから炎が上がる。

 燃料タンク内の温度センサーが温度上昇を検知、消火装置が自動で作動。出火は収まったが、燃料が霧状に漏れ続ける。

 

『さっさとあきらめろ!ここはお前の家族の落ちた場所だ!同じ場所で死ねるなら本望だろう?さっさとあの世へ会いにいったらどうだ!?』

 

 彼女は燃料の供給ルートを右主翼に切り替える。流出は止まらないが、少しでも使わなければ先に燃料が尽きて墜落は免れない。

「……許さない」

 彼女は無線機へ叫んだ。

 

 

「許さない!お前だけは!絶対に落とす!」

 

 

『やれるもんならやってみろ!』

 

 紫電改の機銃弾が零戦に殺到する。数発が胴体を貫通。真後ろで防弾板を叩く金属音が響く。

 だが20mm機銃を何度も受けられるほど、丙型の防弾は頑丈ではない。防弾板が割れる嫌な音がした。

 直後、被弾によって損傷した防弾板や部品の金属片が、操縦席内を跳ねまわった。

「っぐ!」

 飛行眼鏡の左側の視界に赤いシミがついた。跳ね回った破片が、額のどこかをひっかいたらしい。おまけに、別の金属片は跳ねまわった挙句、彼女の右わき腹へ刺さった。

 痛みが増していく中、背後の紫電改の追撃はやまない。

 自分が死ぬのは構わない。

 散々重ねた過ちを、自分1人の命で償えるなら、安いもの。

 

―――でも、その前に。

―――家族を奪ったこの組織、この男だけは……。

―――絶対許せない!

 

 20mm機銃の弾が左主翼を撃ち抜き、後縁下部の補助翼やフラップの一部が脱落した。

 機体を右へ、左へ滑らせ、回避行動を続けようとも、速度差はいかんともしがたく、ハルカの零戦は徐々に損傷していく。

 おまけに燃料の流出が止まらず、残量を示す針はどんどん0へ近づいていく。早く勝負を決めなければ。

 彼女はスロットルレバーを開き、操縦桿を手前に引いた。機首を上げた零戦は上昇に転じ、紫電改もそれを追う。

 

『ははは、どこにいこうっていうんだ?』

 

 

 

 2機は高度を上げていく。装備を増したことで重くなった52型丙に、紫電改はたやすく追いついた。

 

『終わりだ!』

 

 無線を通じて、ナカイの声が操縦席内に響く。ハルカはひそかに微笑んだ。

 

 攻撃の瞬間を声に出してくれたことに。

 

 直後に機銃の発砲音が後方から聞こえる。零戦の主翼付け根付近を撃ち抜き、火の手が上がる。

 彼女は即座にスロットルレバーを絞り、両手で操縦桿を手前に目一杯引く。

 零戦は機首を90度あげた。抵抗が急激に増して失速。わずかな間、空中に制止した。

 

『な!』

 

 急なことにナカイは減速も回避もできず、紫電改の機首と零戦の胴体後部が激突した。

 2機が空中で接触したことで生じた、大きな金属音が空に響く。

 零戦は胴体後部に大きな亀裂が走り、紫電改は機首の4枚羽のプロペラの内2枚がちぎれ飛んだ。

 プロペラを損傷したことでバランスが狂った紫電改は、きりもみ状態に入った。

 

 

 

 ナカイはエンジンを緊急停止させ、機体の制御を取り戻すべく奮戦する。まもなく、きりもみから抜け出すことに成功する。

「……はあ」

 彼は大きく息を吐き出す。

 エンジンが止まっているせいで滑空しかできず速度は出ないが、平地には不自由しない荒野の広がったイジツ。不時着できる場所などいくらでもある。

 この後どうするか、ナカイは算段を始める。

 

「このままゆっくり降下して、なんとか不時着する。そして金を全てもってしばらく雲隠れして……。なに、金があれば組織も飛行機もいくらでも……」

 

 そのときだった。

 

 彼は自身に向けられた、針のような鋭い殺気を背中に感じ、体を震わせた。

 ゆっくりと、彼は後ろを振り返った。

 

「う、うそ、だろ……」

 

 背後には、先ほどまで追い回していた蒼い翼の零戦がいた。胴体後部に大きな亀裂を作りながらも、かろうじて飛んでいる。

 サングラス越しでも遠目に、刃のように細めた目で照準器を覗きこみ、こちらに狙いを定めているハルカの顔が見える。

 

 悪魔は、狙った者の命を摘み取るまで、追いかけ続ける。

 

 ナカイの目には機銃の銃口が、殺人鬼の手にするナイフのごとく、妙に鈍く輝いて見えた。

 

「ちょ、ま!す、すまねえ!お、俺が、俺が悪かった!か、金なら」

 

 零戦の機首と主翼に装備された計3丁の機銃が、一斉に咆哮を上げた。

 

 

 

 

 

 機首の13.2mm機銃と主翼の20mm機銃の弾が一斉に放たれ、紫電改に突き刺さる。いくら防弾装備があっても、20mm機銃の銃撃を受け続けては限界がすぐやってくる。

 ナカイの紫電改の主翼から、瞬く間に火の手があがる。操縦席付近にも容赦なく撃ちこまれた銃弾は風防のガラスを飛散させ、操縦席内を赤く染めた。

 

 それでも彼女は、撃つのをやめない。

 

 遂に主翼や尾翼がちぎれ飛び、制御を失い急角度で降下しはじめた紫電改は炎に包まれ、空中で爆散した。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 ようやく全機片付けたことを確認したハルカは、操縦席内で荒い呼吸を繰り返す。

「……13.2mm、20mm、ともに残弾無し。燃料、間もなく無し。機体の損傷、……大」

 各所の動翼や胴体後部を損傷したことで操縦系に異常が起こったのか、いつもに比べ機体がいうことをきかない。

 零戦は水平を保てず、次第に傾きながら機首を下げていた。

「……ここまでか」

 家族を支えるために、空賊行為にまで加担したのに、いつの間にかその空賊に家族は殺されていた。それを知らず、彼女は組織を太らせるために日々戦っていた。

 

 とんだ空回りの行動。

 

 回し車の中で、意味もなく必死に手足を動かして走るハツカネズミのように。

 

 いや、被害を及ぼさないだけ、ハツカネズミの方がマシかもしれない。

 

 こんな滑稽な話があるだろうか。

 

 ウミワシ通商のものたちを落とした上、家族も残っていない彼女に、もはや帰る場所はない。

 

 生き残っても空賊行為をはたらいた罪で、自警団に捕まるだけ。

 逃げてもお尋ね者として、一生追われる身になる。

 

―――もう、いいよね。

 

 彼女は操縦桿から手を離した。祖父と父が残してくれた愛機、レイと共に逝けるのなら悪くない。彼女は、そう思った。

 巷では悪魔といわれ、祖父はこの機体を死神だといった。誰かの命を摘み取る存在でも、最後の運命は避けられないらしい。

 傷の痛みで意識がもうろうとし始めた彼女は、静かに目を閉じた。

―――ナカイの言う通り、だった。

―――あの世なら、家族に会えるよね。

―――きっと。

 

 

『聞こえるか!零戦のパイロット!』

『ハルカなんでしょ!?応えて!』

『聞こえているなら返事をして!』

 

 無線から聞こえた声にわずかに目を開ければ、周囲をコトブキの隼が取り囲んでいた。

 いっそこのまま撃ち落してくれればと思うが、彼らにその気はないらしい。

 

『機体を水平に戻せ!不時着できる場所まで誘導する!』

『あきらめちゃだめ!守りたいものがあるんでしょ!』

 

 隊長さんに次いで、今のはキリエの言葉だろう。彼女には身の上話を少ししたためだ。こんなとき、そういうものがあれば、最後まで頑張れるのだろう。

 でも、今の彼女にはそんなものはない。とっくに無くしていた。

 彼女の視界を、暗闇が支配していく。

 

 意識が遠のく中、彼女の脳裏に、昔の光景がよみがえってきた。

 

 

 

 

『ねえ、なんでこの飛行機は死神なの?』

 後に愛機になる零戦52型丙、レイを見上げながら、ハルカは祖父に話しかけた。

『私が乗っていた頃、この機体は、敵へ向かっていく味方を守る役目を任されたんだ』

『それって、すごいことなんじゃないの?』

 だが、祖父の表情は晴れない。

『……私には、何も守れなかった。どんなに頑張っても、いつも見るのは、敵に落とされる味方の姿だけ。そんな光景を見ながら、この機体に乗った私は帰った。どれだけ味方が命を落とす中でも、どんな戦場でも生き残る。それが死神。この機体も、乗っていた私も……』

 祖父は表情を曇らせる。一方、両手に握りこぶしを作っている。

『だが……』

 祖父は座っていた椅子から立ち上がり、レイの主翼の前縁に右手を伸ばし、撫でるように触れる。

『だか、例え周りから何と言われようとも、私は絶対に落とされるわけにはいかなかった。どんなに過酷な戦場でも、生き残らなければいけなかった』

 ハルカは、少し言葉に力をこめる祖父の話に耳を傾ける。

 

『生き残った者は、死んだ者たちがどんな最後を迎えたか、その瞬間を目にすることになる。だからこそ、帰らなければならない。亡くなった者たちの、彼らの最期を、生きた証明を伝える責任があったからだ』

 

『せきにん?』

『ハルカは、私が知らないところで死ぬのは、嫌か?』

『嫌だよ!』

 彼女は即座に答えた。

 

『そう思う者たちは沢山いる。だが大事な人の最期に、必ず立ち会えるとは限らない。遺された家族が心の整理をつけるためにも、結末を伝えなければならない。生き残る者がいなければ、最後が伝わることはない。だからこそ、帰らなければならなかった。結果として、死神と呼ばれることになろうとも』

 

 祖父は彼女を見つめながら言った。

『最期を看取った証人として、己の命ある限り、行きつく所まで歩き続ける。死んだ者たちの想いや物語、全てを連れて。彼らの存在を、消させないためにも』

 祖父はレイを見つめながら言った。その瞳に、色んな記憶や感情をにじませて。

 

 

『それが残された、敵も味方の死も看取った、この機体に乗った私が、果たさなければならない、責務だった』

 

 

―――そうか。

 

 ハルカは記憶の奥底から、忘れかけていた記憶を見た。

 どんな戦場でも生きのこった祖父だから、仲間たちの最期を何度も看取ったから、自分自身を、乗っていた機体を、死神だと、そう表したのだ。

 

『ハルカは、私のこと、ずっと覚えていてくれるか?』

『うん!』

『そうか。私はもうこの年だ。この世界の知らないところへいくのは、難しそうだ』

『そうなの?』

 表情がかげるハルカに、祖父は笑いかける。

『もし君が、私の知らない世界を見に行くとき、私のことを思い出してくれると嬉しい。君が覚えていてくれる限り、私はいつも、君と共にある』

 祖父は腰をさげ、ハルカと視線を合わせる。

 

『私を、忘れないでいてくれるか?一緒に連れて行ってくれるか?』

 

『うん!絶対覚えているよ!いつかレイに乗って、色んな空を一緒に見に行くんだ!』

 祖父はハルカの頭へ右手をやさしく乗せる。

 

『ありがとう。きっと君は、名前の通りの子になる』

 

『私の、名前?』

『お爺ちゃんの居た場所、ユーハングでは、ハルカという言葉は、とても遠くのことを言うんだ』

 祖父は微笑みながら、やさしく言った。

 

 

『いつか、知らない世界を見に行ってくれる。自分の手で道を切り開いてくれる。君のお父さんは、その願いを名前に込めた。私は、君がそんな子になってくれると、信じているよ』

 

 

 今の今まで忘れていた。

 

 祖父が言った、生き残り続けた者の責任を。

 彼と交わした約束を。

 自身の名前にこめられた、父の想いを。

 

『私を、忘れないでくれ』

『私を一緒に、連れて行ってくれ!』

 

 大好きだった、この機体をくれた大事な祖父の声が、脳に直接響いたように聞こえた。その声が、彼女を動かした。

 

 

「……痛っ」

 彼女は痛みの走る手を動かし、操縦桿とスロットルレバーを握る。燃料残量はゼロに近い。でもまだエンジンは動いているし、かろうじて機体も制御できる。

 操縦系統に異常がある上に動翼をいくつも損傷しているせいで苦労はしたものの、彼女は機体を横転させ、上昇と下降を僅かにして機体を水平に戻す。

 着陸脚は出ない。このまま胴体着陸しかない。

『そのまま機首を少しずつ下へ。緩やかに高度を下げるんだ』

 そして眼下の風景を見たとき、彼女は目を見開いた。

 今彼女が飛んでいるのは、ラハマの町の真上だ。中央の通りならなんとか着陸できなくもないだろう。

 だが道幅は、零戦1機がギリギリ下りられる程度しかない。もし残った燃料に引火して機体が爆発したら、道幅からわずかにでもはみ出たら、住民に被害が出る。

 

 

―――それは、できない!

 

 

 彼女は左へ旋回し、荒野へ向かった。

『ハルカ、どこにいくの!?』

「町の中に機体は落とせない!荒野まで行く!」

『機体のダメージが深刻だ!引き返せ!』

「ダメ!」

 だが彼女は、かたくなに拒んだ。

 

「これ以上……、これ以上、私の過ちで、誰かを傷つけられない」

 

 奪われたくないと、残った家族だけでも守りたいと、奪う側になったはずだった。それができるだけの力が、お金があれば守れると、幼い心はそう思った。

 

 

 思えばそれが、過ちの始まりだった。

 

 

 金に目がくらんで空賊の誘いに乗り、遂には略奪行為に加担した。

 キリエの言うように、抜けようと考えもした。

 

 だが、家族を支えられた。その結果を自分に言い聞かせて心にフタをし、自身の行いを正当化し、略奪を行うナカイに黙って従い続けた。

 

 そして気が付けば、残された家族は彼らに処分されていた。

 

 結局、奪われる側から抜けることができなかった。

 気が付いたときには、全てが手の平から零れ落ちていた。

 

 ナカイたちと同じ穴のムジナとなり、他人を傷つけ続け、自分と同じ立場の人間を作り続けた。

 

 祖父との約束や、父の願いに背き続けた。

 

 これ以上、過ちは繰り返せない。

 

「っぐ!」

 

 主翼から炎が昇る。消火装置は作動しない。主翼内部の温度センサーが壊れているのか、それとも炭酸ガスがもうないのか。

 なんとか機体を横滑りさせ、火を消す。

 機体の振動やふらつきが、次第に大きくなる。

 前方を見れば、もう少しで荒野に出る。そのとき、目の前のプロペラの回転が止まった。

「あっ……」

 速度が落ちた機体は降下角度を増し、荒野へ向かって高度を下げていく。

 彼女は機体を操ろうと奮闘するも、みるみる地面が迫る。

 地面に接触する寸前、一瞬だけ機首を上にあげた零戦は、直後地面にたたきつけられるように落ち、全身を激しく揺さぶるほどの衝撃が彼女を襲う。

 地面との摩擦で、機体がようやく止まる。彼女は地面に降りられたことを確認した直後、意識を手放した。

 

 

 

「急げ!」

 ハルカの零戦のそばに着陸したレオナたちは、隼から下りると急いで彼女のもとへ向かう。

 彼女が出てくる様子はない。

 零戦に駆け寄り、風防へ手をかける。着地の衝撃でゆがんだのか、レオナが歯を食いしばり、渾身の力を込めてもなかなか動かない。

 ザラとキリエも加わり、3人がかりでようやく風防を後ろへずらした。

「ハルカ!生きてる!」

 狭い操縦席の中で項垂れている彼女は、キリエの声に反応を示さない。見れば、額の左側に切った跡があり、わき腹にも金属片が刺さって血が流れだし、履いている白色のスカートに赤いシミが広がっていく。

「急いで病院へ!」

 腰のベルトを外すと、レオナは彼女のわきの下に手を入れ、操縦席から引っ張り上げる。キリエは足を支えて彼女を機体から下ろし、そばに駐機しているケイトの隼の胴体後部に押し込む。

 ケイトは直ぐに飛び立ち、ラハマの病院へと向かった。

 



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第12話 最後を迎えた、この場所で

ラハマ上空での空戦の末、胴体着陸した彼女は病院に運ばれ、
数日後に目を覚ました。
目的や色んなものを失い、これから先の不安に襲われる。
そんな彼女をレオナは、ある場所へ連れていく。


 最初に見えたのは白い天井に壁、次いで鼻をつく薬品の匂い。

 わずかに持ち上げた、重いまぶたの隙間から差し込んでくる太陽の光に、目がくらむ。

「……ここは」

 首だけを回して横を向くと、室内にいた看護師らしき女性と目が合う。すると彼女は慌てた様子で扉を開け、どこかへ走って行ってしまった。

 

 しばらくして、部屋に人がやってきた。

 

「目が覚めたか?」

 

 赤い髪を後ろで縛った凛々しい女性。コトブキ飛行隊の隊長、レオナ。他には、自警団の団長、ラハマの町長もいる。

「……何日たっています?」

 ハルカは上体を起こそうとしたところ、わき腹に痛みが走り、顔をしかめる。

「無理はしない方がいい。浅かったとはいえ、機体の金属片が刺さっていたんだ」

 レオナや看護師が制止するも、彼女は上体を起こし、ベッドのヘッドボードに背中を預けた。

「……さきの件から4日経っている。ケガの治療のため、ずっと眠っていたんだ」

 彼女は病院着の中を見る。左わき腹を覆うように包帯がまかれ、額の左側には大きなガーゼが貼られていた。

 

「……なんで助けたんですか?」

 

 彼女は窓の外を見ながら、虚ろな瞳で、弱々しい声で言った。レオナの目が、わずかに細められる。

 

「……助けられたことを、後悔しているような言い方だな」

 

 ハルカは緩慢な動きで、窓の外から、レオナへ視線を向ける。でもその瞳には、生気がない。

「なんで、あそこで私を落とさなかったんですか?折角の機会だったのに」

 ラハマにとって彼女は、町を襲撃し、自警団やコトブキ飛行隊に損害を与えた敵。恨まれて落とされる理由はあるが、助けられる理由が彼女には思い浮かばなかった。

 まして、ウミワシ通商の機体を全機落とし、弾薬を使い切り、燃料も底をつく寸前で、機体の損傷も激しかった。

 敵を落とすのに、これ以上の機会はなかったはず。

「……君がなぜ、組んでいた空賊たちを落としたのか、なぜラハマを守ったのか気になったからだ。どういう理由であれ、この町を守ってくれた恩人を落とすのは恩知らずのやることだ」

 レオナの言った理由に、彼女は俯く。

「……町を守った、ですか」

 彼女は、口元に乾いた、気味の悪い笑みを浮かべながら言う。

「それは、ただの結果です。私は、ラハマを守るために動いたわけじゃない」

 彼女は内情を話した。

 

 組織を太らせるために自分の金が使われていたこと、病院や学校へ送られていたはずの家族がこのラハマ近くで墜落した輸送機に乗せられ、すでに全員死んでいたこと。

 十分貢献したために、もう用済みと判断され処分されそうになったことなどを。

 

 

「滑稽な話でしょう?こんな笑える話がありますか?」

 

 

 笑うどころか、誰も言葉を発さなかった。彼女の瞳は生気が宿っておらず、虚構を見つめているように焦点が合っておらず、濁っていた。

「私は、ただあいつらが許せなかった。一緒にあの世に送ってやりたい。そう思ったから、落としただけ……。ただの、敵討ちみたいなものです」

「それで、仇はとれたのか?」

 彼女は静かに頷いた。

「輸送機に不要な者たちを乗せて処分するよう命じたのは、ウミワシ通商社長、ナカイ。紫電改に乗っていました。私が落としましたが……」

 なら満足いっただろうと、皆は思う。

「でも、仇をとったはずなのに、何も得るものがなかった」

 彼女のシーツをつかむ手が震える。

「これでもう、ウミワシ通商による略奪は起こらない。君は、みんなを守ったんだ」

「……私は、家族がいてくれればそれでよかった。仇をとっても、皆は帰ってこなかった……」

 あの場では仇をうつんだと、そうやって思い、ウミワシ通商の機体を撃墜した。

 だが、結果得た満足感や達成感は、失った家族の21gの魂の、数グラム分の価値もなかった。

 

 お金を稼ぐのも、空を飛ぶのも、あくまで家族を守る、という目的のための手段だった。

 

 でも、その目的がなくなった今、彼女はどうしていいか、これからどうすればいいか、わからなった。

 

 目指すものも、守るものもない。

 

 自分が空っぽになったような空虚さ、不安を、彼女は感じていた。

 

「こんなことなら、あの時、あなたたちが落としてくれた方が、よかった……」

 

―――そうすればあの世で、今頃会えていたかもしれないのに……。

 

 祖父の言葉を思い出し、生き残ろうとおもった。

 だが生き残ってみれば、目的を失った今、頭の片隅に追いやっていたことが彼女をむしばんでいた。

 これまで自分がおこなった罪や、過去の記憶に押しつぶされそうになる。

 自分のしたことで、どれだけの人々を不幸にしたか。

 そんなことを、彼女は思うようになっていた。

 

 

「そんな……、腑抜けていてどうする!」

 

 

 黙って聞いていたレオナが、突如大声をあげた。町長や自警団長たちは皆、呆気に取られている。

「落とされた方がよかった?死にたくないのに、大事なのに、理不尽に突然奪われることがどれだけ悲しいか!君は身に染みているはずだ!折角助かった命を、何だと思っている!?」

「……私1人の命で誰かが生きられるなら、あげますよ」

 空賊行為を働いた以上、生きてもろくな未来はない。彼女は、そのことがわかっていた。レオナは彼女の病院着の胸倉をつかんだ。

 あまりの剣幕に、自警団長たちは戸惑う。

「そうやって逃げるのか!自分の過去や罪から!このラハマの空で死闘を演じた君は、どこに行った!?」

「私がいなくなった方が、みんなのためでしょう?これ以上被害がでることも、なくなるんですよ?」

 レオナは右手を握り締め、拳を振り上げる。だがそれで彼女を殴ることはなく、奥歯をかみしめて耐えている。

「あいにくだが、死にたがっている人間を、そのまま死なせてやるほど、私は優しくないんだ」

 レオナは両手で彼女の胸倉をつかみ、鼻先が触れそうなほど彼女の顔を引き寄せる。彼女の瞳には、レオナの姿が朧気にうつる。

 

「君が、今こんな状態だということを知ったら、君の母親は、家族は、さぞ悲しむだろうな!」

 

 ハルカの瞳に生気が戻り、瞬く間に殺気が宿る。彼女はレオナの胸倉をつかんだ。

「私の家族の気持ちを代弁しないで!」

 レオナは眉一つ動かさない。

「君の母親は、最後まであきらめなかった!その娘の君が腐っていたら、死んでも死にきれないだろうな!」

 彼女の煽るような言葉は、火に油を注いだ。

 レオナの首を両手でつかみ、額が触れる寸前まで彼女は引き寄せた。

「あなたに何がわかるっていうの!死んだ人間がしゃべるわけ……」

 ハルカの表情は次第に曇り、顔が俯いていく。

「わけ……、ない、から……」

 首をつかんでいた彼女の手が、レオナの胸の上を力なく滑った。

「……わかるさ」

 ハルカは少しずつ顔を上げ、彼女の顔を見上げる。

 

「君の母親が、最後にどんな思いだったか。全てではないがわかる。……飛行機乗りならな」

 

 ハルカは頭の中に疑問符を感じた。

「……どういうこと」

「……すいません。車いすを1台用意してください」

 レオナは看護師に言った。そしてハルカをベッドから抱え上げると、車いすに座らせる。

「ちょ、何す」

「いっしょに来い。君を連れていきたい場所がある」

「……また鉄格子の中ですか?」

 その言葉を無視し、車いすで押されるまま、彼らはある場所へ向かった。

 

 

 

 

 

「ここは……」

 連れてこられたのは、ラハマの外れにある山のふもとだった。そこには、輸送機らしき飛行機の残骸が、今も散らばっている。

 そして彼らの視線の先には、小さな石碑が立てられている。

「半年前、ここに所属不明の輸送機が墜落してね」

 町長が話を始めた。

「深夜のことだった。ラハマの中央に、燃える輸送機が向かってくるのが見えてね。すぐに避難命令を出した。だけど、その輸送機はラハマへ向かって降下していたのに、突如進路を変え、町の外へと出た。結果、この町は救われたけど、輸送機は山へ墜落した」

 それが、この目の前の場所だった。

「すぐに医療班や自警団を向かわせたんだけど、生存者は1人もいなかった……」

 ハルカは、ナカイが言っていた話を思い出す。

 

 

 半年前、ラハマ近郊に墜落した輸送機。あれはウミワシ通商所有の輸送機で、その中に彼女の家族を含む、不要とされた者たちを乗せ、事故に見せかけて処分したと。

 自分達の取り分を、少しでも増やすために。

 

 

「遺体の回収だけでもと作業は行ったんだが、どれも損傷がひどくて……」

 自警団長は当時を思い出しているのか、沈痛な面持ちで言う。

 飛行機、とりわけ輸送機などの大型機の事故は、大きな惨事となる。

「だが、そんな中幸運にも、燃えずに残った遺留品があった」

 レオナがそれを差し出してくる。

 それを見て、ハルカは目を見開いた。

「これは……」

 差し出されたのは、2枚の、フチが少し焦げた写真だった。

 1枚には、9人ほどの老若男女が収まっている。

 そしてもう1枚には、今と変わらない姿のハルカが写っていた。

 彼女が真ん中で、その左には、彼女を大人にしたような女性。右には幼い少女と少年の姿があった。

 裏面には見慣れた文字で、こう書かれていた。

 

「私の、大事な、宝物……」

 

 ハルカは、この2枚の写真に見覚えがあった。

 1枚目は、リノウチ空戦前、まだ祖母が健在で、父や兄姉が参戦する前に、家族全員で撮った最後の写真。

 そして2枚目は、1年ほど前、母親たちに最後に会いに行ったときに撮った、最後の家族写真。

 2枚目には、続きに、簡素な言葉が書かれていた。

 

「ごめんなさい……」

 

 この写真は、母親が最後まで持っていたものなのだと、彼女は悟った。

 リノウチ空戦以降、最愛の夫や家族の一部を亡くしたショックで病気がちになり、普通に働くことが母親はできなかった。

 その変わりを、幼いハルカが担うことになった。

 通っていた学校をやめ、当時家にあった九七式戦闘機に乗り、危険な空へと上がる日々。まだ幼かった娘に子供らしい生活を送らせることができず、全ての負担を押し付けてしまったことに母親はいつも、ごめんね、と言っていた。

 

 実はレオナは、上空から彼女とウミワシ通商の社員たちが戦っていたのを見下ろす中、無線で彼らの会話を聞いていた。

 ナカイという人物が話していた内容は、全てラハマ側にも聞こえていたのだ。

 あのときレオナが上空に退避を命じたのも、無線から聞こえた、聞きなれない男の声に惑わされたからだ。

 最初はかく乱を意図したものかと思われたが、その後ハルカが味方を落としにいったことや、声の主ナカイが彼女を落とそうとしていた様子を見て、今にして思えば、ただ回線を間違えただけだろう。

 その中で、ラハマ近郊に墜落した所属不明の輸送機がウミワシ通商のものであったことや、彼女の家族が乗っていたことを知り、キリエたちと一緒に自警団が保管していた遺留品等を探った。

 

 レオナはかつて自身の未熟さを思い知らされ、彷徨った中、ザラに出会い幾度となく助けられた。

 でも、ハルカには空賊しか手を差し伸べてくれなかった。その同胞だった空賊を、彼女は撃った。

 手を差し伸べてくれたものたちに裏切られ、彼らを撃ち、空を翔けた理由の根本を失った結果、彼女は暗闇の中にいる。

 

 己の未熟さを思い知らされながらも、理想に向かって一心不乱にもがいたレオナ。

 

 家族のため、がむしゃらに空を翔け、空賊行為にまで加担したハルカ。

 

 キリエと彼女の会話を盗み聞き、ナカイとの通信を聞いた。

 大事なものを守るため、無我夢中だった彼女を見て、危なっかしくて放っておけなかった。

 でも、レオナはザラのような優しさは持ち合わせていない。この場にキリエも来る予定だったのだが、なにを言えばいいかわからない、といって彼女は来なかった。

 

 ハルカにできることをと考えた。思いついたのは、荒療治ではあるが、結末を認識させることだった。

 彼女に区切りをつけさせ、再び歩きださせるために。

 そのためには、家族の最期の声を、届けなければならない。

 

 

 彼らが最期を迎えた、この場所で。

 

 

「操縦席にあった遺体は損傷がひどく、一部しか回収できなかったが、それだけは残っていた」

「その人物は機体がラハマを目指す中、町へ落とさないよう、最後まで奮闘した。それが誰だったのかはわからなかった。でも、君の行動を見てわかった」

 レオナは温和な笑みを浮かべ、告げる。

 

 

「親子は、似るものだからな」

 

 

 自分が命を落とすかもしれない中、関係ない人々を巻き込めない、町に墜落できないと、最後まで機体を操作したハルカと彼女の母親。

 親子とは、妙な部分で似るものだった。

「お母さん……」

 彼女は車いすから立ち上がった。だが傷が痛むせいですぐ前のめりに倒れる。レオナたちは手を伸ばそうとするが、彼女はわき腹を抑えたまま石碑に向かって地面をはっていく。

 そして石碑の前につくと地面に跪き、物言わぬ石碑に向かってつぶやくように言う。

 

「ごめんなさい……、ごめんなさい」

 

 彼女の瞳から零れ落ちた雫が、地面や石碑を濡らした。

 自分と一緒に乗る者たちに迫る死という運命を回避し、町の人々を守るため、最後まであきらめなかった彼女の母親。

 最終的には、自分や同乗者たちの命と町の住民の命。その2つを天秤にかけ、母親は、自分を選べなかった。

 迫りくる最悪の結末を前に、どれだけ怖かったか、辛かったか、彼女はわかった。飛行機乗りなら、想像できることだ。

 

 母親は生前、彼女に事あるごとに謝っていた。娘に対し、申し訳ない気持ちで一杯だったのだろう。

 だが今は、彼女は母親に対して申し訳ない気持ちで一杯だった。

 

 理由はどうあれ、母親にそんな状況を強いるきっかけを作ったのは、ほかならぬ自分だったのだから。

 

 母親にとっては宝物だと、遺留品である写真の裏には書かれていた。年に数回しか会えなくても、最後まで、そう思ってくれていた。

 そんな家族に、彼女ができることは、もうない。みんな、彼女を遺して行ってしまった。

 親孝行することも、注いでくれた愛情に報いることも、言葉を交わすことも、もうできない。

 

『最期を看取った証人として、己の命ある限り、行きつく所まで歩き続ける。死んだ者たちの想いや物語、全てを連れて。彼らの存在を、消させないためにも』

『それが残された、敵も味方の死も看取った、この機体に乗った私が、果たさなければならない、責務だった』

 

 祖父の言葉がよぎる。

 

『もし君が、私の知らない世界を見に行くとき、私のことを思い出してくれると嬉しい。君が覚えていてくれる限り、私はいつも、君と共にある』

 

 皆は、もういない、でも、彼女の中にはまだ、思い出という形で、家族は生きている。

 墜落していればよかった、死んで楽になりたいなど、許されない。

 彼らと紡いだ物語を、記憶を抱いて、行きつくところまで、生きなければならない。

 

 みんなの存在を、消させないために。

 

 祖父との約束を、果たすために。

 

 犯した過ちを、償うためにも。

 

 それが、生き残った彼女にできる、ただ1つのことになった。

 

「こんな時でなんだが、病院に戻ろう」

 

 自警団長が、彼女のそばに立っていた。

「君には、色々聞かなければならないことがある」

 彼女は涙をぬぐう。

「……わかりました」

 彼女はわき腹を抑えながら言った。

「私の知っていることを、全てお話します」

 彼らは病院に戻るべく、来た道を引き返していった。

 

 

 その後、彼女の供述でウミワシ通商の実態が明らかになり、根城や支部への調査が入り、組織は事実上の崩壊を迎えることになった。

 



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最終話 はるか彼方の空へ

ケガが治り退院を迎えた彼女は、レオナから飛行場へ来
るように言われる。
指定された場所へとたどり着いた彼女は、今後のことを
聞かれるも答えに困ってしまう。
そんな彼女は、ある話を持ち掛けられる。


 目を覚ましてから一週間後、きれいに洗濯された、着慣れた私服に袖を通したハルカは、病院に治療代を払うと、窓口で伝言を受け取り、その足で指定された場所に向かった。

「レオナさんから、飛行場に来いって……。なんだろう?」

 道中に要件を想像するが、彼女には思い浮かばなかった。

 少なくとも、今回の件でハルカはレオナの部下、コトブキのメンバーを落としているのだからいい想像は浮かばない。

 

 飛行場でお縄にするべく待ち構えているのか?

 

 それとも今回部下を落としたことに対する報復の準備?

 

 お返しに隼に吊るされ恐怖の空中散歩?

 

 彼女の頭の中には、そんな妙な方向の考えしか浮かんでこなかった。

 そうこうしている間に、彼女は飛行場についた。

「ここ、だよね?」

 彼女は受け取った伝言で指定された飛行場の、目的の格納庫にやってきた。 シャッターが開いている正面に回り込むと、彼女は目を見開いた。

「レイ……」

 そこには、彼女の愛機、零戦52型丙が修理された状態で駐機していた。不時着の際ちぎれ飛んだプロペラも、ナカイの紫電改と衝突したときできた胴体の亀裂も、撃ち抜かれた翼の穴も、全て完璧に修理されていた。

 彼女は、愛機の主翼を愛おしそうに撫でる。

 

 

「どうだ、羽衣丸整備班の腕は?」

 

 

 彼女は後ろから聞こえた声に振り向く。そこには、どう見ても成人に達していない、少女にしか見えない容姿の、ツナギを着た人物がイナーシャハンドル片手に立っていた。

「あの……、あなたは?」

「初めまして、だな。整備班長のナツオだ。羽衣丸や、コトブキの隼の整備が、私の仕事だ」

「ええ、……そうなん、ですか」

 明らかに年下の少女にしか見えない容姿の整備班長に、彼女は戸惑いながらも頷く。すると、ナツオの瞳が細められ、彼女をジトっとみつめる。

「てめえ、今思っただろ?」

 突如低めの、若干ドスのきいた声で、笑みを浮かべながらも全身から殺気をにじみ出させているナツオに、彼女は戸惑う。

 

「こんな小さな女が……、整備班長なんて信じられるか、ってな」

 

 図星だったことやナツオの迫力に押され、彼女は黙り込んだ。それを肯定と受け取ったのか、ナツオの目がさらに鋭くなる。

「みんなそういうんだよ~。そして、そいつらには毎度、こうしているんだ」

「何を、しているんですか?」

 ナツオは目をカっと見開き、イナーシャハンドルの先端を突きつけていった。

 

 

「私をガキ扱いする奴は、ケツにイナーシャハンドルぶっさしてかき回してやる!」

 

 

「ひっ!」

 ハルカはとっさに、両手でスカートの上からお尻を押さえた。

「班長、聞きなれない人を脅さないでください」

「そうよ~。彼女、すっかりおびえちゃっているじゃない?」

 格納庫の扉を開けて入ってきたのは、コトブキ飛行隊のメンバーだった。

「さっきのは気にしないで。班長なりの冗談みたいなものだから」

 コトブキ飛行隊副隊長のザラは、温和な笑みを浮かべながらハルカに安心するように言うが、さきほどのナツオの迫力に押されてか、冗談と信じていないようだ。

「冗談なんですか?」

「他にも、37mmや30mm撃ちこんでやるとか、吹き流しにしてやるとか、色々あるけどな」

「は、はあ……」

 こんなことを日常的に言われているのかと、彼女は班長に少しばかり恐怖心を抱く。

 レオナがハルカの正面にたつと、彼女は無意識に背筋を伸ばした。

「体はもう大丈夫か?」

「はい、おかげ様で」

「そうか」

「……それで、私をここに呼んだのは?」

 レオナは後ろにある零戦を振り返る。

「1つは、君の零戦の修理が完了した」

「まったく、あんなに機体をボロボロにして。胴体の亀裂とか直すの大変だったんだぞ」 

 ため息を吐きながらナツオは言う。

「コトブキの人間だったら……、間違いなくケツに37mmぶち込むか、船首から吹き流しにしているレベルだ」

「は、はあ……」

 冗談に聞こえず、彼女はおびえる。

「それともう1つは、彼らから話があるそうだ」

彼ら(・・)?」

 ハルカは首をかしげる。

 

「私たちよ」

 

 声の方向に振り向くと、大人の女性が3人、並んで歩いてくる。

「あなたたちは?」

 3人は彼女の前で立ち止まった。

「初めまして。オウニ商会の社長、ルゥルゥよ」

 金色の髪に、真紅のドレスに身を包んだ女性。穏やかそうで、余裕のある雰囲気。

「私たち、コトブキ飛行隊の雇い主だ」

「この方が……」

 ハルカはマダムの頭からつま先まで、流すように眺める。そして、ある個所を少し見つめたのち、自分の部位と比較して、思わずため息を吐き出した。

「それで、話というのは……」

「あなた、これからどうするつもり?」

 ルゥルゥの直球な質問に彼女は一瞬戸惑うも、次第に表情が曇っていく。

「どうって……」

 少し思案したのち、彼女は少しぎこちない笑みを浮かべて言う。

「とりあえず、ラハマを離れて、どこかの町で仕事を探そうと……」

「どんな仕事?」

 ルゥルゥは間を開けず彼女に問いかける。

「贅沢はいえませんから、色々……。でもせめて、レイを維持できるだけの収入を得ないと……」

「飛ぶ仕事はやらないの?」

「だって、元空賊じゃ信用されませんし……」

「それだけの腕があるのに、勿体ない話ね」

 本来ならレイに乗ってできる仕事がいいが、元空賊は毛嫌いされる。

 これまで輸送船やその用心棒、町を襲撃した加害者を信用できるのかと聞かれたら、できない、というのが人間の自然な心情だからだ。

 でも、祖父と父が残してくれたレイを維持できるだけの収入は、絶対に必要だ。

「なら、1つ提案があるのだけれど」

「……提案?」

 ルゥルゥは微笑みながら言った。

 

 

「あなた、私たち(・・)に雇われる気はない?」

 

 

 彼女の言葉に、ハルカは引っ掛かりを覚えた。

「私、たち?」

「正確には、私と隣にいる2人を合わせた、計3人で、あなたを雇って共有する、という感じかしら」

「……3人で1人を雇うんですか?」

「ええ。因みに仕事内容は用心棒。コトブキみたいな感じね。零戦とも飛び続けられるし、悪くない話じゃないかしら?」

 ハルカは、ルゥルゥの隣にいる2人を見やった。

「名のってなかったわね」

 3人の内の1人、緑色の服装に同じ色の帽子をかぶった、目つきが少々きつい、肌が白めの女性が言った。

 

「ガドール評議会の評議員、ユーリア。よろしく」

 ハルカも名のり、お辞儀で返した。

 

「ハリマ評議会の評議員、ホナミ。よろしくね、ハルカさん」

 ホナミ議員は温和な笑みで言った。

 

「……なぜ政治家の方々が?都市に護衛隊があるはずでは?」

 大なり小なり、政治家には護衛の戦闘機隊がいることが多い。ガドールのような大きな都市や、ハリマのように潤っている都市ならあるのが普通だ。

「私は対談で他都市にいくことが多いの。あと、私は発言のせいか、いまだに反乱分子みたいに思われていて、恨みには事欠かない。だから、あなたみたいな強い用心棒が必要なの」

 ガドールの高飛車女、急進派、積極的融和派等、ユーリア議員を語るレッテルは多いが、いずれにしても発言が過激で、敵を作りやすいという噂である。

 

 本人曰く、その方が楽しいから、らしい。

 

 いずれにせよ、明確な力関係がある縦のつながりを目指す、旧自由博愛連合派と、横のつながりを目指すユーリア派。

 イジツを二分する派閥の一派なのだから、恨みを買う機会や暗殺されそうな理由はいくらでもありそうなものだ。

「私も、あなたの手を貸してほしいの。自警団や護衛隊だけだと、手が回らないことが多くて」

 イジツ屈指の食糧生産都市として栄えている緑の大地、ハリマのホナミ評議員。金属よりも場合によっては食料の方が高値で取引されることさえあるイジツでは、ハリマの生産する農畜産物は宝の山になる。

 当然それを狙う空賊も多い。

「……議員の方々はわかりました。でも、なぜマダムまで?コトブキがいるじゃありませんか?」

 イケスカ動乱で、その名を広く馳せた凄腕の用心棒が、オウニ商会のルゥルゥにはもういる。

「今回、そのコトブキの半数を撃墜したのはだれかしら?」

 マダムが微笑む一方、チカとエンマからはジトっと見つめられる。

「それにね。私はあなたに請求(・・)したいものがあるの」

「請求?」

 すると、マダムは持っていた紙をハルカの眼前で広げた。

 

 

「あなたが壊した羽衣丸やコトブキの隼、自警団の九七式に雷電の修理費用、それにラハマや輸送船祥雲丸への賠償金等々。総額にして、これだけ」

 

 

 マダムが提示した請求書に記載された金額を見て、ハルカの顔が瞬く間に蒼白に染まった。

「あの、その、今の私に、一括でこんなお金払うなんて……」

 その金額が正規のものかは分からない。マダムが少し、いやかなり盛った金額かもしれない。

「大丈夫よ。私のもとで働いてくれたときの報酬から、少しずつ分割で返してくれればいいわ」

 マダムが提示した金額は、ハルカが見たこともないような桁の金額だった。飛行船を損傷させたり、墜落させたりした賠償金なのだから、安い額ではないのは当然ともいえるが。

「まさか、踏み倒そうなんて考えてないわよね?」

 顔は笑っているが、目が笑っていないほの暗い笑みに、彼女は背筋を震わせた。

「何はともあれ、そういうわけだから、3人であなたを雇うわ」

「……1つ教えてください」

「何かしら?」

 

 

「あなたたちは、自分たちに銃口を向けた相手を、信用できるんですか?」

 

 

 理由はどうあれ、彼女はラハマを襲撃し、羽衣丸を攻撃し、コトブキや自警団員たちを撃墜。ロケットを撃ちこんだ傍には、偶然にせよ議員たちがいた。

 自分達を撃った人間をどうして雇えるのか。彼女は不思議に思う。

「信用できるかできないかで言えば、そうね」

 ユーリア議員が口を開いた。

 

 

「わからないわ」

 

 

「……へ?」

 ハルカは呆気にとられる。

「……信用できるかできないか。わからない人間を雇うんですか?」

「とりあえず、今はいいんじゃないかしら?」

 彼女はよくわからず首をかしげる。

「私たちは、あなたの戦闘能力を買いたい。あなたは今後のために信用を得たい。これはお互いにとって、利害の一致っていうわけ」

 一度でも空賊行為に加担した以上、次に何をするのであれ信用を得ることが難しくなってしまう。

 失った信用を回復させることは容易ではなく、次の仕事につくことを難しくさせてしまう。

 だが、ここで議員や有名な商会の用心棒をやったらどうだろうか。真面目に遂行していけば、少なくとも悪い印象を与えることはない。

 時間はかかるだろうが、結果を出していけば信用は獲得できる。これは、その大きな機会だ。

「あなたを信用できるかは、これからのあなたの行動次第ね」

「……あなたたちを撃った人間でも、ですか?」

「使えるものは、何でも使うのが政治家という生き物なの」

「元空賊でも、ですか?」

「口で言い合うよりも、行動で示すほうがハッキリするでしょう?ガドールには、キレイな言葉を並びたてても、やっていることがアッパラパーなクソ野郎どもが議会にいることだしね」

 彼女は一歩前に出た。

「でも、私は好きも嫌いも飲み込んで、一緒に生存努力をしようっていうのが方針なの。共倒れなんていやだもの」

 彼女は右手を差し出した。

 

「あなたは確かに許されないことをした元空賊。でも共倒れしなくて済むなら、嫌いな相手でも手をとるわ。あなたは信用を得て、機体を維持できる収入が欲しい。私たちは、強い用心棒が欲しい。なら私たちが、今ここで、そのチャンスをあげる。活かすも殺すも、あなた次第よ」

 

 彼女は数巡したのち、ユーリア議員の右手をとった。

 

「……わかりました。やらせてください」

 

 それを聞くと、彼女は口端を上げながらいった。

「いい返事ね」

「……ユーリア」

 すると、ユーリア議員の隣にいるホナミ議員が言う。

「言っておくけど、あなたが独り占めするのは無しよ」

「そうね。私は第二羽衣丸の費用も含めて請求したいのだから、適度に貸して頂戴ね」

「……わかったわよ」

 ハルカは、3人の新たな雇い主にむかって頭を下げた。

「よろしく、お願いします」

 ルゥルゥにユーリア、ホナミの3人は笑みをうかべ彼女を見つめる。

「それじゃあ、まずはガドールに向かいましょうか。2時間後に発つから、それまでに準備をしてらっしゃい」

 ユーリア議員は自身が乗ってきた飛行船に向かって、護衛隊の制服を着た男性2人を引き連れて向かっていった。

 その背中が離れるのを見ると、ハルカはコトブキのメンバーに向きなおった。

「今回の件、本当に申し訳ありませんでした」

 そういって頭を下げた。

「頭を上げてくれ」

 レオナの言葉に従い、彼女はゆっくりと顔を上げた。

「君がラハマを襲撃したのは確かだ」

 彼女は表情を曇らせる。

「だが、たとえ結果的であれ何であれ、君はこの町を守ってくれた」

 彼女はハルカへ手を差し出す。

「なら、これで手打ちだ」

 彼女はレオナの手をとり、握り返した。

「……それに」

 ふと、彼女が笑みを浮かべる。

 

「もし足りないようなら、これからマダムが君を呼んだ時、働いて返してもらうことにする」

 

「は、はい……」

 ハルカは苦笑する。

 マダムの請求の返済にいつまでかかるかはわからないが、彼女は再び、歩き出す機会を得ることができた。

 

「……ハルカ、あのさ」

 

 ふと振り返れば、いつのまにかキリエがそばにいた。

「キリエさん……」

 2人の間に、気まずい空気が流れる。

「……ごめんなさい。あなたをだまして」

「そのことなんだけど……」

 彼女はキリエの言葉を待つ。

 

 

「パンケーキが好きっていうのも、ウソなの?」

 

 

 その場にいた誰もが呆気にとられる。

「……いや、それはウソじゃないですよ」

「そっか。よかった~」

 キリエはほっと胸をなでおろすが、レオナやザラたちはあきれ顔。

「……キリエ、それは大事なことなのか?」

「だ、大事だよ!だって、私のパンケーキ好きを理解してくれる子が現れたんだもん!大事だよ!」

 周囲はあきれるも、キリエにとっては優先順位が高いことのようだ。彼女はハルカの手をとって向き合う。

「今度羽衣丸に来たら、私の大好きな、リリコさんのパンケーキを一緒に食べよ!」

 満面の笑みを浮かべるキリエにハルカも微笑む。

「楽しみにしているね」

「うん。だからさ……」

 ふとキリエの表情がかげる。

 

「……絶対に、落とされないでね」

 

 飛行機乗りはあまり知り合いを多く作りたがらない。彼らは積み荷を守るために戦う用心棒。明日の無事も確かでない身の上。

 だからこそ、約束や夢、色んなものを胸に抱いて、その日その日を大事にして生きていく。

「ハルカの心配より~、キリエは自分の心配した方がいいんじゃない?」

「な!このバカチ!いい雰囲気だったのに!」

「だって~、最近キリエ撃墜されたばっかじゃ~ん」

 そのキリエを最近落としたのが、まさに今手を握っている目の前の彼女なのだが。

「まあバカチは放っておいて……。また、会えるよね?」

「勿論だよ」

 ハルカはキリエの手を握り返す。

 彼女の雇い主の中に、マダムも含まれている。頻度はどうであれ、呼ばれて彼女と仕事をすることもこれからあるだろう。そう寂しがる必要はない。

 撃墜されない限りは。

「キリエさんも、落とされないで下さいね」

 年の近い人物とかわした初めての約束に、彼女は胸が温かくなるのを感じる。

 

 

 そして2時間後、ハルカは愛機に乗り、見送るキリエたちに手を振りながら、ユーリアの飛行船を追いかけ、彼方の空へと向かって、飛び立っていった。

 

 

 

 

 

「ところでホナミ、1つ聞いてもいいかしら?」

 飛行船の一室で、ユーリアとホナミ議員はハリマ産の紅茶の香りを楽しみながら話を始める。

「なに?」

「今回の、あの子を3人で雇う件だけど、あなたが加わるとは意外だったわ」

「そんなに意外かしら?」

 ホナミ議員は紅茶を楽しみながら、わずかにまぶたをあげ、ユーリアを見つめる。

 その瞳の奥に、鋭い眼光が見え隠れしている。彼女も政治家。何かしらの損得勘定をしたのだろう。

 賠償金の請求のため等を理由に、ハルカをルゥルゥ、ユーリア、ホナミの3人で雇って共有しよう、と最終的にはなったが、もとを正せば彼女を雇いたいと最初に言ったのはホナミだった。

 そこに強い用心棒が欲しいとユーリアが加わり、賠償金の請求のためルゥルゥが加わり、最終的にこの形が落としどころとなった。

 だがこれは、あくまで表向きの理由だった。

「私だけか、私とルゥルゥだけで彼女を雇えば済む話よ。だって……」

 ユーリアは今回の件の真意を、口にした。

 

 

「この件は、彼女を今後、私たちの敵にしないための措置(・・・・・・・・・・・・・・)というのが、真意だもの」

 

 

 今回のラハマ上空で繰り広げられた空戦。それによりラハマ自警団は戦力の半数近くを落とされ、守り神の雷電もやられ、挙句あのコトブキ飛行隊も半数がやられるという大損害を受けた。

 また技量は定かではないが、ウミワシ通商の紫電改を含む10機以上の敵を単機で撃墜したのを、彼らは目の当たりにしている。

 それ以前にも、彼女はナカイの命令で輸送船を何十隻も襲っては用心棒を叩き落し、積み荷を奪う手伝いをしている。

 

 彼女が再び空賊の手に落ちたら、大きな脅威に他ならない。

 マフィアの手に渡れば、対立する組織間の力関係を変えてしまう可能性さえある。

 もし自由博愛連合の残党の一員になれば、考えるまでもない。

 だからあの紫電改に乗ったウミワシ通商社長のナカイは、用済みになった彼女を消そうとしたのだろう。

 

 そんな彼女を放置するのは危険だと、今後敵にしないために、ハルカに首輪をつける意味で、ルゥルゥたちは彼女を用心棒として雇おうと考えたのだった。

 もっともユーリアの場合は、空賊離脱者支援法を推し進める上で、足を洗った彼女を用心棒として使い、活躍してくれれば世論の後押しが受けられる。そういう考えもあってのことだ。

 なので、ユーリアとルゥルゥで彼女を共有すれば済む話。そこにハリマのホナミが加わる理由は一見無いように見える。

「私は強い用心棒が欲しい、ルゥルゥは修理費用を請求したい。じゃあ、あなたは?」

 ホナミは紅茶のカップをテーブルに置くと、静かに話し始めた。

 

 

「……私の姉の、忘れ形見なの。あの子」

 

 

 ユーリアは目を見開いた。思えば、ハルカが取り調べを受けていたときや、処罰をどうするか話していたとき、ホナミは毎度表情を曇らせていた。

「私の年の離れた姉、名前はアスカっていうんだけど、結婚を期に夫の住む町へ移り、ハリマを離れた。後日、子供が生まれたという手紙が届いたんだけど、その子供の1人が、ハルカって名前なの」

「名前が同じだけって可能性は?」

「それも考えた。でも、あの子の容姿を見て、それはないって思った。幼い頃の姉そっくり。髪の毛を伸ばせば、姉そのものってくらい似ている別人が、そうそういるかしら?」

「まあ、そうね……」

「それに、私あの子に以前あったことがあるの。あの子が覚えているかはわからないけど」

 ホナミは窓から広がる荒野を見渡し、頭の奥底にしまっていた記憶を呼び起こす。

 

 

『ホナミ、久しぶり』

『アスカ姉さんこそ、久しぶり』

『みてみて、この子が私の2人目の娘よ』

 姉は後ろに隠れていた女の子を前に出した。少しおびえているのか、何度も視線を合わし、そらしてを繰り返している。

 姉の血を色濃く受け継いだのだろう。長い黒髪や顔つきに目元が、姉そっくりだった。

『はじめまして、私はホナミ。あなたのお母さんの妹よ』

『はじめ、まして。ハルカ、と、もうします』

 その少女は、頭を下げてお辞儀をした。

 

 

「今回、あの子の口から、姉が亡くなったと聞かされたのは、流石にショックだったわね……」

 時折手紙のやり取りをしていたものの、いつか返事が来なくなり不審に思ってはいた。

 そして、まさに最悪の想定が、的中してしまった。

「あの子のこと、憎んでいるの?」

「まさか……。ハルカは、方法はどうであれ、姉や家族のために動いた。それを非難することはできないわ」

 ホナミは椅子に戻り、紅茶を飲み切る。

「あの子の中には、私の知らない姉の記憶が生きている。それに、姉はあの子のことをよく手紙に書いていた」

 彼女は思い出す。時折写真を交え、可愛がる様子がよくわかる姉の手紙を。

「今となっては、彼女は姉が残してくれた、ただ1つの遺産。なら私は、彼女の成長を見届けたいの」

 それが、彼女が亡くなった姉にできる、ただ1つのことだった。

「いいの?彼女は用心棒。ある日突然死ぬかもしれないわよ?」

「誰もがいずれかは死ぬ。でも、それまでの間でも、時々でもいいから、そばにいてほしい」

「それが、今回の話にあなたが加わった理由?」

 彼女は頷いた。

「今の話は彼女には内緒にしておいて。時が来たら、私から説明する」

 数回顔を合わせた際に、ハルカはホナミに気付く素振りもなかった。幼い頃の記憶だから、はっきり覚えていないのかもしれない。

 あるいは、荒れ狂う空を無我夢中でかける中で塗りつぶされてしまったのか。

 いずれにしても、彼女は家族を亡くしたことを知ったばかり。今の状態で話しても、彼女を混乱させるだけだ。

「……わかったわ。余計なことをべらべら言うおしゃべりと思われたくないもの」

「ありがとう」

 

 戦闘機乗りの家族などやってられない。パイロットは、最後は孤独だ。突然どこかにいってしまうし、ある日知らない場所で死ぬこともある。

 イケスカ動乱以降、空賊は増えるばかり。彼女のように、ある日突然大事なものを奪われるものも少なくない。

 だからこそ、一緒にいることができる時間を、大事にしたい。

 

―――姉さん、私はもう、あなたには何もできない。

―――でも、あなたの残してくれたものを、今度は私が守っていく。

―――だから、見守っていて。

―――あの子が空を飛ぶとき、その上の、はるか彼方の世界から。

 

 ホナミは蒼い空を見上げながら一人、心の中でそう願った。

 

 

 

 

 

 

 

 かつて世界の中心といわれ、栄華を誇った大都市、イケスカ。そこから少し離れたある山の中を通る洞窟の中、丸眼鏡をかけた男性は手にした新聞に視線を落とす。

 

「作戦は失敗、ウミワシ通商は壊滅ですか」

 

 丸眼鏡をかけたいけ好かない男は、手に握る新聞を忌々し気に見つめる。

「空賊を使った自由博愛連合の依頼によるラハマとコトブキ飛行隊への復讐のはずが、たった1人の少女によって全滅させられるとは……。やはり、部下を上手く使えない上司ではだめということでしょうかね。ナカイさん」

 男性は新聞を机に投げ、端に置いた書類を手に取る。

「折角飛燕や紫電改等をイケスカから融通してあげたというのに、たった1機の零戦にやられるとは……、狂犬に首輪をつけておかないからですね」

 男性の見つめる書類には、翼が蒼く塗られた零戦と、その操縦者が写った写真が添付されている。

 

「……すべては、あの悪魔のせいで。折角の復讐の機会がご破算です」

 

 男性は椅子の背もたれに体重を乗せる。

「こやつ、放っておけば今回のようにまた邪魔を。コトブキと同程度の脅威にはなるかもしれません。さすが、あの方が注意しろ、といっただけはある」

 男性は今回の命令を下した、あの方、のことを思い出す。

「まあ、それならそれで、いずれ始末すればいい。ウミワシ通商以外にも、手駒はいくらでもありますからね」

 男性は部屋で1人、いけ好かない、不気味な笑みを浮かべる。

「イサオ様が行方不明になって以来、その地位に就くのにふさわしいのは私しかいない。そう考えておりましたが、新たな後継者であるあの方が現れた今、自由博愛連合は再び立つとき。そのために、邪魔者は消します。首を洗って待っていてくださいね、皆さん」

 男性は部屋で1人、ムフッと、笑った。

 




ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。

初めてコトブキ飛行隊をネタにし、空戦を文章で書いたりしまし
たので、読みづらい所が多々あったと思いますが、ここまで付き
合って下さった方々、ありがとうございました。

最終話となっていますが、とりあえず一区切りとなります。
しばらく間はあきますし不定期更新になりますが、続く予定です。





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後日談 第1話 亡霊からの贈り物

ある日の朝、ラハマの孤児院に不審な荷物が届けられる。
その中身を見て驚いた孤児院の関係者たちは、管理者の
1人であるコトブキ飛行隊のレオナに相談を持ち掛ける。


「略奪するウミワシ」の後日談になります。




 どこまでも広がる土色の荒野。その中に点在するオアシスのような存在である町。

 その町の一角で、子供たちのはしゃぐ声が、敷地の至る所から響く。ボールを投げ合ったり、追いかけっこしたり、何気ないいつもの日常風景がそこにはあった。

 ここは、ラハマの外れにある孤児院。ホームと呼ばれる場所。親が死んだり、経済的理由から捨てられたりした子供たちの行きつく場所。

 心に傷を負ったり、悲しみに暮れる子供たちも多いが、皆楽しそうに過ごしている。

 建物は所々古くなり、御世辞でも環境はいいとは言えない。それでも、みんな不満をいうことなく、日々を過ごしている。

 

「院長先生、おはようございます!」

 

「おはようございます」

 

「あら、おはよう、2人とも」

 院長先生は、2人の訪問者へにこやかに挨拶をする。

 目の前にいるのは、少し前まで孤児院にいた子供たち。中では年長だった2人。  

 きれいな長い黒髪に、子供にしては凛々しい表情を浮かべるエリカと、短い金色の髪を揺らす年相応の明るい笑顔を浮かべるユーカ。

「朝から元気がいいわね」

「だってだって!今日はレオナさんが来るんだよ!」

「ユーカ、気持ちはわかるけど時間はあるんだから落ち着きなさい」

「は~い」

 どこまでも真っすぐで、底抜けに明るく、先へ先へ進むユーカと、それをたしなめるエリカ。そんな2人を、院長先生は微笑ましい視線で見つめる。

 そして、ラハマの空を見つめながら、ユーカが言った人物の名を思い起こす。

 

 レオナ。

 

 この町、ラハマを拠点に活動する運び屋、オウニ商会の用心棒、コトブキ飛行隊という凄腕の飛行機乗りを束ねる隊長。彼女も、この孤児院の出身だった。

 用心棒稼業を始めてからは、時折旅先で買ったお土産を抱えて孤児院へ顔を見せにやってきてくれるし、運営のために稼いだお金を寄付してくれている。

 以前あった地上げ屋の件以降は、この土地と孤児院の管理者になってくれている。

 強くて、かっこいい自慢の子。そんなレオナに、憧れる子供たちは多い。

 目の前のエリカとユーカは、レオナにあこがれてメンバーを集め、ハルカゼという飛行隊を結成。

 近隣のカイチという町のガデン商会のもとで働いている。

 たくましく成長した子供たちを見て、院長先生は嬉しくも、どこか寂しい気持ちにかられる。

「院長先生」

 ふと、孤児院の女性職員が足早に歩いてくる。

「おはよう、どうかした?」

 女性職員の顔には、不安や戸惑いが滲んでいる。そしてその手には、白く分厚い封筒が握られている。

「その、先ほど郵便受けを確認しましたら、これが……」

 女性職員の差し出した封筒を受け取る。宛名も差出人も記載がない。院長先生は封を開け、中身を確認する。

「な!」

 想像だにしなかったその中身に、その場にいた全員が言葉を失った。

 

 

 

 

「今朝この孤児院に、不審な郵便物が届けられた、と?」

「宛名も差出人も記載がないから、正確には郵便じゃなくて誰かが直接届けにきたんじゃないかしら?」

 その後、時間になってやってきたコトブキ飛行隊のレオナとザラに、院長先生は今朝の出来事を告げた。

「ええ、それでどうしたものか、こまっていて……」

 自警団に相談していないので、少なくとも不審ではあっても危険ではないのだろう。そうレオナは察する。

「それで、中身はなんだったのですか?」

 院長先生はテーブルの上に、件の封筒を置く。

「……開けてみて」

「拝見します」

 レオナは封筒を手に取る。何の変哲もない、白色の封筒。表も裏も、差出人の名も宛名も何も書かれていない。

 外見を確認し、そして肝心の中身を確認するため、封筒の口をあけた。

 そこから見えるのは、紙の束。中身をつかみ、引っ張り出した。

 

「……え!」

 

 レオナは思わず声を上げ、ザラは口を開けて固まった。

 封筒の中から出てきたのは、100ポンド紙幣の札束。しかも分厚い。軽く見ても、3万ポンド分はあるのではないかという厚さだ。

「……大金だ」

「……凄いお金ね」

 チカがいれば、アノマロカリスのぬいぐるみ、マロちゃんが何匹買えるか。キリエがいれば、パンケーキ何枚分か計算を始めることだろう。

「凄いですよね!誰でしょう孤児院にこんな大金をくれた心ある人は!」

 ユーカは目を輝かせている。一方、レオナとザラは怪訝な顔つきになる。

「ユーカ。残念だが、そんないいことじゃないかもしれない」

「ええ~。なんでですか~?せっかくのお金ですし、孤児院のために使えばいいんじゃないですか?」

「それが最近、悪質な連中がいてな……」

 レオナはある噂を耳にしていた。

 最近、お金に困窮している組織や個人にお金を、善意を装って貸付け、その後高い利息をつけて返せ、という商売だ。

「ユーカの言う通り、善意でくれた可能性もある。だが、もし悪質な連中であれば、このお金を使うのは危険だ」

「え~」

 ユーカは残念そうに項垂れる。彼女のころころ変わる表情に、院長先生やレオナ、皆が苦笑する。

「それで、私に相談を?」

「ええ。使っていいものかどうか、考えあぐねていて……」

 孤児院は今、オウニ商会が土地を買い上げ、管理しているとはいえ、決して裕福とはいいがたい。今でもレオナはお金を寄付している。

 これだけの大金があれば、色んなことができる。建物の部分的な改築、子供たちの食事の充実等々。

 だが後のことを考えると、安易に使うことはためらわれた。

「でも、すくなくとも差出人はわかるみたいね」

 レオナはザラの方をむく。彼女は、一辺4cmほどの、小さな正方形の紙切れを見ていた。

「封筒の中に入っていたの」

 札束に気をとられ、誰も気づいていなかったようだ。

 レオナはザラから紙を受け取り、目を通す。背後から、ユーカとエリカは内容を覗き込む。

 

 

 

『これまでお支払いされたみかじめ料をお返しします。

 申し訳ありませんでした

                         ウミワシ通商』

 

 

「これだけ?」

「……だけみたいね」

 ユーカとエリカは内容の単純さに拍子抜けする一方、レオナとザラは顔を見合わせる。

「エリカ、みかじめ料ってなに?」

 ユーカは意味が分からないのか、エリカに聞く。

「え、みかじめ料……。その……、ごめんなさい」

 わからないようで彼女は口ごもった。

「簡単に言うと、住民が自分達を守ってもらうために支払う、用心棒代みたいなものだ」

「そうなんですか。流石レオナさん、詳しいんですね」

 ユーカは嬉しそうに言うが、レオナは目の前の院長先生に視線を向ける。

 彼女はばつが悪そうに俯き、視線をそらしていた。

「院長先生……、どういうことですか?」

 彼女は何か言いにくそうに口を開けては閉じるを繰り返す。

「みかじめ料を支払っていたんですか?ウミワシ通商に」

「レオナさん、これはその、院長先生は孤児院のために仕方なく……」

 院長先生は、女性職員の話を手で遮った。

「いいの。全部話すわ」

 院長先生は観念したように、話し始めた。

 

 

 なんでも3年ほど前、このあたり一帯の用心棒を買ってでるといった集団がいた。

 その集団の名は、ウミワシ通商。

 彼らは、30機にも及ぶ戦力をもって、ラハマを守るといった。

 だがその代わり、毎月決まった額のお金、みかじめ料を払うことを求めてきた。

 当時、オウニ商会のコトブキ飛行隊はまだ6人揃う前で、航路を広げるためにラハマを留守にすることが多かった。

 自警団はいたものの、威張り散らすだけの町のお荷物などと言われ、訓練もろくに行われていない状態。

 当時町長は、今と違って事なかれ主義。

 そんな中空賊から町を守ってくれるという申し出は、ラハマの住民にとってありがたい申し出だった。そして何人もの住民たちがお金を払った。

 そしてこういうものはみんなで協力するものだと、孤児院も出資を迫られ、払わざるをえなかった。

 

 

「実際、空賊は来たんですか?」

「ええ。そして彼らは、実際に追い払った」

「でも、エリート興業が来たときは来なかったわよね?」

「あのときは皆みかじめ料の支払いに疲れ、解約していたんです。空賊が来たのも、2~3回だけでしたし……」

 すると院長先生は、頭を下げた。

「ごめんなさい。あなたが働いて寄付してくれたお金を、支払いにあててしまって……」

 その様子を見て、レオナはため息を吐き出した。

「……頭を上げてください」

 院長先生は、ゆっくり頭を上げる。

「そのことに怒ってはいません。ラハマを留守にすることが当時は多かった私にも責任はあります。そのことで、院長先生に文句をいうことはできません」

「……レオナ」

 怒ると予想していたのであろう院長先生はレオナを見つめる。

「でも、今は私も管理者の1人です。今後は何かあれば、必ず一言相談してください」

「約束するわ」

 とりあえず、その場が収まったことに周囲は安堵する。

「ただ、差出人がわかったなら、一言お礼を言いたいわね」

「どうしてですか?」

 エリカが、頭に疑問符を浮かべる。

「だって、みかじめ料を返すなんて、普通はあり得ないことよ」

 みかじめ料は、毎月決まった額をおさめる必要がある。空賊の襲撃があっても、なくてもだ。

 その費用は用心棒たる飛行隊の維持費や装備の更新に当てられ、手元に残らない。

「そして、安心して使うためにも、ね」

「ならこの、ウミワシ、通商ってところに行ってみれば、誰かわかるかもしれませんね」

「それはやめた方がいいな」

 ユーカの提案を、レオナは遮った。

「なんで、ですか?」

「みかじめ料をとるような集団は、ろくでもない場合が多い。無理に探りを入れて藪をつつくと、何が飛び出してくるかわからない」

「要するに、あぶないということですか?」

「そういうことね~」

 話はそこで行き詰った。差出人がわかれば使って問題ないお金かわかると思ったが、その組織はろくでもないことをレオナとザラは知っていた。

「なら、孤児院の郵便受けにだれがこれを入れていったのか、聞き込みでもしてみましょうか?」

 ユーカは手を上げ、元気よく言った。

「え、でも、大事な休日に……」

「いいんですよ。大事なホームのためですし」

「……私の方でも動いてみます。マダムは知り合いが多いですから、つながりを使えば何かわかるかもしれません」

「そう……。悪いけど、お願いできるかしら?」

「は~い!では早速行動開始!」

 ユーカはエリカの手をとってどこかへ走って行く。それをレオナたちは追いかけていった。

 

 

 

 

「ああいったが、聞き込みって住民全員に聞くのか?ユーカ」

「まさか、さすがに全員には聞けませんよ」

 レオナは、ユーカに先ほど院長先生の前で言った提案を聞いてみる。

「でも、こういった噂にとても強い人がホームの近所にいまして。その人に聞いてみれば、何かわかるかもしれません!」

 自信満々に進んでいくユーカ。その背後を、ため息を吐きながらついていくエリカ。止めないあたり、こうなった彼女は止められないと悟っているのだろう。

 先を歩く2人の後ろで、ザラはレオナに耳打ちする。

「ねえ、あのみかじめ料、ウミワシ通商だって……」

「ああ。あんな連中がみかじめ料をわざわざ返すなんて……」

「……考えにくいわね」

  

 ウミワシ通商。

 

 何隻もの輸送船を襲って積み荷を奪い、奪った積み荷を売ることで荒稼ぎしていた空賊。そして先日、このラハマを襲い、羽衣丸を破壊しようとした。

 そんな略奪者であり襲撃もやる集団がみかじめ料を返すなど、考えにくい。

「それに、ウミワシ通商はもう崩壊を迎えた組織のはずだ」

 それなら金など残っていない可能性が高い。

「でも、わざわざそう名乗っていたってことは……」

「関係者であった可能性はあるが……」

 いずれにしても、崩壊した組織を調べることはできない。それとも、しぶとく亡霊のように生き残っているとでもいうのか。

 院長先生の手前、レオナはああいったが、実際はユーカのように地味な聞き込みでしかわからないだろうとわかっている。

 ユーカは一軒の家の前で足を止めた。

 

「お~い、ベル~」

 

 ユーカの元気いっぱいの呼び声に応え、中から桃色の髪の毛を束ねた、少しユーカたちより年上の女性が出てきた。

「あら、ユーカにエリカ。何か用?って、レオナさんに、ザラさんまで!」

 女性はレオナたちの前に足早にやってくると、丁寧にお辞儀をした。

「こんにちは、レオナさん、ザラさん」

 出てきたのは、ユーカやエリカと同じハルカゼ飛行隊の一員、名をベルという。

「こんにちは。ごめんなさいね、突然」

「いえ、尊敬する偉大な先輩たちなら、いつでも歓迎です」

 ベルはザラに似た温和な笑みを浮かべる。

「それで、ユーカ。彼女が噂に詳しい人、なのか?」

「ベルは、ご近所さんやいろんな噂話を聞くのが大好きで、情報通なんですよ!」

 笑顔で仲間を紹介するユーカだが、ベルは恥ずかしそうに否定する。

「情報通なんて、そんな。ただ近所の人々とお話をよくするってだけです」

「でも、ベルは私たちより大人って感じの話題、私たちが聞くことのない色んなことを知っているんですよ。近所の人々の人間関係とか色恋沙汰とか他にも色々。どんなことも地獄耳のように」

 

「……ユーカ」

 

 突如放たれた、少々ドスの効いた冷たい声に、その場が凍り付く。

 

 

「……悪気がなければ、何をいってもいいわけではないのよ」

 

 

 穏やかな声で、目が笑っていない満面の笑みを浮かべながら放たれた言葉の迫力にユーカは、

 

「はい!ごめんなさい!」

 

と即座に頭を下げた。

 

 

 

「ラハマの孤児院に不審な人物が来なかったか、ですか?」

 ザラが事のあらましを話した。

 今朝、ラハマの孤児院に大金の入った封筒が送られてきたこと。差出人をはっきりさせ使って問題ないお金か知りたいので、目撃者がいないかどうか。

「そうですね~。でも、みかじめ料が返ってきたって話は何件か聞きましたよ?」

「そうなの?いつ頃から?」

「たしか、つい2日くらい前からだと思います」

 2日前。ウミワシ通商はとっくに崩壊している。

「このあたりで払っていた人々は、みんな返って来たって喜んでいましたよ。数回の対処のために大金を払わされて、返金を求めようにも根城がわからないし、敵は武器をもっているから、結局泣き寝入りしかないって皆思っていたそうで」

「どこから返ってきたかって、言ってなかった?」

 ベルは上をむき、何かを思い出そうとする仕草をする。

「確か、ハゲタカ……。あれ、ハゲワシ?ウミドリ?」

「ウミワシ通商?」

「ああ、それです!」

 孤児院の院長先生が言っていた、みかじめ料を付近一帯が払っていた、という話は本当だったらしい。

 

「そういえば、早朝にポストに何かを入れていった人を見たって話がありますよ?」

 

「どんな人だった?」

「すぐ走り去ったそうなので一瞬だけだったらしいですが、女性だったみたいです。白いスカートが翻るのを見たって聞きましたから」

「……白いスカート」

 全員の視線が、1人の人物に集まった。

 

「え?わ、私じゃないですよ!?」

 

 ユーカは両手を振って否定する。彼女の服装は、上は茶色の防寒ジャケット、下は白に近い色のスカートだ。今わかっている情報には最も近い。

「ユーカ……、いつの間に、あんなお金持ちに?」

「ちょっと待ってエリカ!私たちまだそんなに仕事なくて、ひもじい生活しているってわかっているよね!?」

 言っていてユーカは若干悲しくなる。ハルカゼ飛行隊は、ラハマから少し離れたカイチを拠点に活動するガデン商会所属の、ユーカがコトブキ飛行隊のレオナに憧れて作った飛行隊である。

 だがまだ新米故に知名度がなく、仕事も少ない。

 アロワナモドキの展示会の入場料、1人5ポンドを支出するのにも戸惑う有様。あんな札束が出せるだけの収入など、夢のまた夢の状態。

「それも、そうね」

「よかった。もし大金を隊長1人で独占しているっていうなら、締め上げて絞り出させないといけない所だったわ~」

 ベルが両手の指の関節をぽきぽき鳴らす。

 ベルの仕草に、ユーカは小さな悲鳴を漏らす。空賊曰く、怪力メスゴリラのベルに力では太刀打ちできない。

「あ、でも髪の毛が黒くて肩の下あたりまであったとも聞きましたよ?」

「それ先にいってよ!」

 3人のやり取りを見ていて、レオナとザラは微笑ましい視線を向ける。

 まだ年下ということもあってか、やり取りがコトブキのキリエやチカに比べて可愛い。あの2人は最悪拳が飛び交い取っ組み合いの乱闘の末、周囲に被害を与えることがある。

 どこまでが本気で冗談なのかわからないが、孤児院の後輩は楽しくやっているようで何よりだ。

 

「レオナ~!」

 

 ふと自分を呼ぶ声に彼女は振り返る。

「ミユリ?どうした?」

 孤児院にいる子供の1人、ミユリが慌てて走ってくるのが見える。

「孤児院に、変な人が!急いで帰ってきて!」

 レオナは表情を引き締め、急いで孤児院へと走った。

 



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後日談 第2話 再びやってきた男

孤児院に急いで戻るレオナたち。孤児院へと戻ると、見覚え
のある男性が院長先生と言い合いをしていた。




「ですから、ここの管理者はオウニ商会で」

 孤児院に引き返したレオナたちは、院長先生が誰かと言い合っている様子を目にする。

 相手を見て、彼女たちは目を見開いた。

「あいつは……」

「なら、オウニ商会に連絡をとってもらえませんか?今が売り時だと」

 院長先生の前にいたのは、いつだったかこの土地から立ち退き迫ってきた地上げ屋の男。名前をクマギリというが、どうでもいいからとレオナたちは名前を覚えていない。

 彼の後ろには、銃をもった用心棒らしき男たちが見える。

「院長先生!」

 戻ってきた彼女たちを見て、院長先生は胸をなでおろす。

「おやおや、久しぶりですな」

 男性は、余裕の笑みを浮かべながら視線を向ける。

「以前来た地上げ屋だな。もう来るなと言ったはずだが?」

「こちらも仕事なんですよ。それに私はあくまで、譲ってください、と言っているのです。無論タダとは言いませんよ」

「この土地はオウニ商会が買い取った。交渉ならマダムに頼むことだな。応じるわけないが」

 ふと男性は笑みを浮かべつつ、右手をあげた。

 すると、背後に控えていた男性2人が拳銃を抜き、構えた。

「きゃあああああああ!」

 子供たちが一斉に悲鳴をあげる。レオナは、そばにいたミユリを後ろへ隠した。

「何の真似だ!」

「……負けたままで引き下がるのはしゃくでしてね」

 上空に聞きなれた爆音が響く。

 孤児院の上空に、銀色の機体に同じ塗装を施された四式戦闘機疾風が現れた。全部で、6機確認できる。

「さあ、穏便に交渉をしようじゃありませんか?」

 地上げ屋は、遂に手段を選ばなくなっていた。

「だから、交渉はマダムに……」

「ええ。ですから、あなた方からマダムへ、土地を譲るよう説得してください」

 地上げ屋の男性は口端を吊り上げる。

「でないと、わかりますね?」

 マダムと正面からの交渉では勝ち目がないとふんでか、地上げ屋の男性は孤児院の人間を脅すことで、マダムを動かそうと考えたようだ。

 

 

―――どうする?

 

 

 レオナは周囲を見る。地上げ屋の男だけなら問題ないが、武装した用心棒らしき男たちが2人一緒にいる。上空には疾風が6機。

 まずは上空の疾風をなんとかする必要があるが、ここから羽衣丸のところまで無事にたどり着ける可能性は低い。

 それにもし、下手に動いて疾風が地上を機銃掃射してきたら、子供たちが危ない。

 この事態を察知して自警団が発進してきても、97戦で疾風の相手は無理だ。

 こんな時に運悪く、コトブキのキリエたち残り4人は別件で出払っている。

 

 

―――打つ手なし、か……。

 

 

「レオナさん……」

 ユーカは、レオナに目配せをする。

「な、なんとか、隼の所まで……」

 以前地上げ屋が来たとき、ユーカは孤児院にあった97戦で、エリカは赤とんぼで空賊に戦いを挑んだ。今度も同じことをやろうとしているのだろう。

 当時は無許可で危険なことをやったからと、ユーカと手を貸したエリカの2人に対し、院長先生と2人で説教をした後、反省するまでトレーニングをかした。

「……ダメだ。時間がかかる」

 今彼女たちは、ハルカゼ飛行隊の隼3型に乗っている。97戦や赤とんぼとは比べるべくもない強力な機体。しかし、それでも彼女たちの腕で疾風6機の相手は無謀だ。

「じゃあ、ベルなら……」

「……相手は武装している」

 いくら怪力のベルでも、武装した男性を相手にするのは危険が大きい。

「でも……」

 レオナは首を左右に振る。

「今君たちは、ガデン商会のパイロットだろう?社長の許可なしに事を起こせば、どうなる?」

 雇われ飛行隊が、雇い主である社長に無断で事を起こせば、ただでは済まない。

 レオナは地上げ屋に向きなおった。

 今とれる選択肢は、これしかない。

「……わかった。マダムに連絡をとる。少し時間をもらえるか?」

「ええ、勿論」

 地上げ屋の口端が吊り上がる。

「……院長先生、電話をお借りします」

 レオナはその場を離れ、建物へ向かう。

 

 

 部屋に入ると彼女は電話をとり、マダムのいるオウニ商会の社長室の番号にダイヤルを回す。

『もしもし』

 間もなく、マダムが電話口に出た。

「マダム、レオナです。その……」

 レオナはそれまでの成り行きをかいつまんで話す。

『ふうん、あの地上げ屋もしつこいわね』

「ですが、キリエたちは出払っていて……。それに自警団の戦力では……」

 キリエたちがおらず、自警団の戦力では勝ち目が薄い。

 そんな状況でも、マダムなら何か手を考えてくれるのではないか。

 すがるような思いで電話をかけたが、マダムはしばし沈黙する。

 彼女が何を考えているのか、レオナはわからなかった。

『わかったわ』

「何を、ですか?」

 彼女は胸騒ぎがした。

 

『交渉に応じるわ』

 

 レオナは言葉を失った。彼女の予想に反し、マダムは交渉に応じるといった。それは、孤児院の土地を渡す、ミユリたちの居場所が無くなることを意味する。

「ま、まってください!」

『すぐに向かうわ』

 レオナは電話に向かって叫ぶ。

「マダム!待ってください!交渉に応じたら、みんなの居場所が!」

『レオナ』

 妙に弾んだ声で、マダムは言った。

『みんなを、危ない連中から遠ざけておいてちょうだいね』

 それだけを言って、一方的に電話は切られた。

 レオナは静かに受話器を戻すと、弱々しい足取りでもどっていく。

「で、連絡はつきましたか?」

「……ああ、もうすぐ来る。交渉に応じるそうだ」

 地上げ屋は笑みを浮かべ、院長先生や子供たちは表情が引きつった。

 

 

 

 それからほどなく、いつもの真紅のドレスに身を包んだマダムが、キセル片手に現れた。

「お待たせしたわね」

 いつもの、余裕たっぷりの表情で。

「お待ちしておりましたよ、マダム・ルゥルゥ」

 地上げ屋の男はマダムに向きなおり、勝ち誇った笑みを浮かべる。

「それで、この土地を譲っていただけると?」

 マダムの言葉を、皆は固唾をのんで見守る。彼女が口を開いた。

「あら?誰が譲るといったのかしら?」

 地上げ屋は拍子抜けした表情に変わる。

「何をおっしゃるんですか?交渉に応じてくださるということは、譲るという意味では?」

 マダムの顔には、いつもの余裕の笑みが浮かべられている。

 何か策があるのだろう。

「誤解してらっしゃるようですね。あくまで私は、交渉に応じる、といっただけで、譲るとは一言も言っておりませんわ」

 地上げ屋は歯をかみしめ、叫んだ。

「この状況が見えないのですか!コトブキが出払っているのはわかっている!自警団の機体で、疾風に勝てるわけもない!なんなら、あの子たちに説得してもらいましょうか?」

 男はそばにいるものに合図し、銃口を子供たちに向けさせた。

 レオナは悲鳴を上げる子供たちの手を引き、建物まで下げさせた。

「あなた、見落としているわ」

「……何をですか?」

 ルゥルゥは笑みを崩さない。

 

 

「私の手札が、コトブキだけ(・・)だと、思っている所」

 

 

「……何を言って」

 その時だった。

 突如爆発音が上空で響き、1機の疾風が火を噴きながら荒野へ墜落していく。

「なっ!なんだ!」

 次いで上空で機銃が奏でる銃撃音が木霊する。突如現れた1機の灰色の戦闘機が、疾風に襲い掛かっていく。

 想定外の奇襲に、疾風のパイロットたちは混乱し対応が遅れ、次々落とされていく。

「あれは……、零戦ですか?」

 ユーカの視線の先には、疾風を追い回している1機の零戦が見える。零戦は小回りの良さをいかし、疾風の後方や側面に回り込み、3丁の機銃を一斉に放って落としていく。

 その動きと強さに、ハルカゼのメンバーは目を奪われている。

「……あれは!?」

 上空を見上げたレオナは目を見開いた。

 その零戦は、全体が灰色で塗装されている中、翼は青色で塗られ、尾翼には空を翔ける稲妻のような模様が描かれている。

 その上、多勢に無勢の状況下でも引くことなく挑んでいく姿勢。

 レオナの知る限り、そんなパイロットは1人しかいない。

「ええい!零戦1機に何をてこずっている!さっさと落とせ!」

 逆に、疾風たちが落とされていく一方だった。わざわざ零戦の背後をとろうと旋回戦を挑むが、結局勝てずに落とされていく。

 最後の1機が零戦を引き離そうと機首を下げ急降下に入る。零戦もあとを追って急降下。みるみる地表が迫るにつれ、2機は速度を増していく。

 速度計の針が、次第に零戦の制限速度に近づく。並みの零戦乗りならもう機首を上げるが、その零戦は上昇するどころか疾風の後ろから離れない。

 零戦を相手にするなら、この対処法で間違いではない。零戦の急降下の制限速度では、疾風に追いつくことはできない。だが、このとき疾風は孤児院の関係者を脅すために、低空を飛行していた。

 そんな高度から降下したところで、下げられる高度も、得られる速度もしれている。

 加えて、相手はよく見かける零戦21型や52型ではなく、急降下速度を上げた52型丙。

 降下する疾風に、ある程度までなら食らいついていける。

 地表が迫り、先に水平飛行に戻ったのは疾風だった。疾風と、そのあとを追う零戦が孤児院の建物の真上を猛スピードで通過していき、一瞬砂が舞い上がった。

 町の上空を抜けた瞬間、零戦の機銃が咆哮を上げ、疾風の主翼や胴体を撃ち抜いた。

 瞬く間に、6機いた疾風全機が荒野へと消えていった。

 

 

 

「騒がしくして申し訳なかったわね。空を舞うハエがやかましいから、掃除させたの」

「くそ、なんでこんな」

 地上げ屋が上空を見ると、彼は目を見開いた。

「蒼い翼の零戦……、なぜ悪魔がここにいる!?」

「あら、ご存知ありませんでした?」

 ルゥルゥは余裕の笑みを浮かべながら、少し楽しそうに言う。

「あの子、今は、私の用心棒もしてくれているの」

「なん、だと!?」

 間もなく、ルゥルゥの背後に武装した自警団がやってきた。

「さて地上げ屋さん、交渉を始めましょうか?」

 余裕の笑みを浮かべるルゥルゥに対し、地上げ屋の男性は顔が引きつり始めていた。

「要件は、この土地を譲るかどうか、でしたね?」

 地上げ屋は僅かに頭を縦に振って頷く。

 

 

「お断りしますわ」

 

 

 彼女は表情を引き締め、言い放った。

「そして、もう来ないでくださいませんか?」

「ですが、こちらも仕事で……」

 土地を買い、工場を誘致する。イケスカ動乱以降、民間で飛行機需要が高まっている現在、土地を買う際の金額が高くても、少し時間をかければ十分な利益を出すことができる。そう地上げ屋はふんでいた。

 ルゥルゥは上空を見上げる。

「素直に引いて下さらないかしら?それとも、あの用心棒がお相手しましょうか?」

「ぐぬぬ……」

 上空を飛んでいた6機の疾風は荒野に消え、1機の零戦が優雅に周回飛行を行っている。

 彼もあの零戦の噂は耳にしていた。また部下をよんでも、結果は明白だった。

 そこに人込みをかき分け、ラハマの町長が現れた。

「町長さん!ここら一帯の土地を譲ってくだされば、工場を誘致できます。そうすれば飛行機需要が高まる中、確実に町にうるおいをもたらします!」

 ついには町長を説得しようとする。

 土地に不自由しないイジツでも、工場を作るにはどの土地でもいいわけではなかった。工場で働くのは無論人間。彼らの生活の場が必要になるため、荒野のど真ん中には作れず、町の一角、多くは外れに建設されることが多い。

 そしてこの孤児院は、まさにラハマの外れにある。管理しているのはオウニ商会。有名なコトブキ飛行隊を有する商会だが、コトブキが留守のとき、力で脅せば手放すだろうと踏んでいたが、あてが外れた。

 小太りの町長は表情を引き締めていった。

「2度と来るんじゃない!この土地を、譲るつもりはない!」

「で、ですけど町長さん!」

「確かに、工場が誘致できれば、町は潤うかもしれない」

「そうですよ!お約束します!だから……」

「だが、そのうるおいが、行き場のない子供たちの犠牲の上に得るものなら、私は容認できない!」

「利益に犠牲はつきものです。なに、利益はこの子たちよりも……」

「子供たちは、町の将来そのものだ!彼らを守れない町に、未来はない!私は町長として、皆を守る義務がある!」

 かつての事なかれ主義が欠片もない口調で、町長は言い放った。額に少々汗が浮かんでいるが。

 子供たちの最期の居場所を犠牲に、まして地上げ屋の力に負けたとなれば、周辺の都市からは冷たい視線を向けられ、弱腰と知られればその噂を聞きつけ、空賊たちが来る可能性がある。

 ラハマは、自分の町は自分で守る、そう以前住民たちが決めた。その姿勢を、彼は今回も崩さなかった。

 地上げ屋は周囲を見る。以前と違い自警団がいる。かつて平和ボケしていたラハマとは、もう違っていた。

 手下より自警団の方が人数が多く、上空に展開させた疾風6機が落とされた今、もう彼に手札は残ってなかった。

「……帰るぞ」

 地上げ屋は部下に静かにそう言い放ち、去っていった。

 

 

 

「は、はああ~~~~~」

 地上げ屋の背中を見送った町長は緊張から解放されたせいか、その場に膝をついてしまった。

 町民たちは、悪質な地上げ屋に引かなかった町長に賞賛の声を送っているが、彼はそれどころではない様子だった。

「マダム」

 レオナはルゥルゥに駆け寄る。

「電話ではごめんなさいね。急ぐ必要があると思ったから……」

 聞けば、ルゥルゥはレオナとの電話の後、急いで自警団に状況を伝え人員の派遣を要請。そして偶然ラハマを訪れていた彼女に、疾風の撃墜を依頼したとのことだった。

「そういうことだったんですか」

「管理者である以上、見捨てるつもりはないわ」

「……そうですよね」

 思えば、マダムが簡単に屈するはずがない。ようやく頭が冷静になったレオナは、安堵のためか大きく息を吐き出した。

「でも、彼女がラハマを訪れていたのは運がよかったわ」

 上空を見上げれば、周回している零戦が時折主翼を振っている。孤児院の子供たちも、空に向かって手を振っている。

 ルゥルゥは無線機を取り出す。

「ありがとう。約束通り特別ボーナスを支給するから、着陸してちょうだい」

『え……。でも、ガドールにすぐ帰らないと……』

「ユーリアには私から言っておくから」

『いえ、その……。あの人約束の時間には厳しくて』

 折角敵機を落とした特別ボーナスが支給されるというのに、彼女はなぜかすぐにこの場を去りたがっている。

「そう?なら私の懐に直行?それとも、キリエの食費?あるいは、ザラの酒代にしようかしら?」

『そ、それは……』

「それに、さっき機銃の弾に燃料だって使ったでしょ?補給しないで帰り道は危ないわよ?」

『……わかりました』

 上空を周回していた零戦は、滑走路に向かって進路を変えた。

 そのとき、レオナは頭の中で、パズルのピースがハマったような気がした。

 

 

 ウミワシ通商に払ったみかじめ料

 その組織の名を語って返された大金

 目撃情報にあった、黒髪と白色のスカート

 

「ちょっと、レオナどこ行くの!?」

 ザラの声を無視し、彼女は走り出した。その後を、ザラにユーカたちは走って追いかけていった。

 

 

 

 ラハマの滑走路の脇にある格納庫を目指し、レオナは走る。

 間もなく目的地へ到着したとき、先ほど孤児院上空で空戦を繰り広げた零戦は整備員たちに押され、格納庫へ入る所だった。

 間もなく、後を追って走ってきザラが到着し、息を切らせながらユーカにエリカ、ベルも追いついた。

 マダムだけは車でやってきた。

「レオナ、どうしたの?」

 だがレオナは目的の人物が下りてくるのを待つことに頭が一杯らしく、反応しなかった。

「……一心不乱なんだから」

 ザラは苦笑をうかべる。

「……来た」

 格納庫へ収納が終わると、風防が開き、操縦者が下りてきた。

 

「ご苦労様、急な話で申し訳なかったわね」

 

「いえ、偶然用があって訪れていたので。それに、雇い主の意向なら従います」

 

 蒼い翼の零戦のパイロット、ハルカが下りてきた。

 

「はい、これ」

 ルゥルゥは彼女に少し厚めの、今回の報酬の入っている封筒を手渡した。

「ありがとうございます」

 封筒を受け取ると、彼女はすぐスカートのポケットにしまった。

 

「あの、ザラさん、あの方は?」

「さっき、疾風を落とした零戦のパイロットよ」

「滅茶苦茶強いじゃありませんか。ザラさんやレオナさんより年下みたいなのに……」

「蒼翼の悪魔って、聞いたことない?」

「確かタコ……、ウッズ社長が口にしていたような……」

「彼女の通り名よ。運び屋の間では、恐怖の対象だったの」

 

 ユーカとエリカ、ベルが唖然としているのを背後に、レオナは彼女に歩み寄っていく。

「ラハマに来ているなら、顔くらい出せばいいのに」

「いえ、すぐ終わる用事だったので……。それにコトブキの皆さんは忙しいだろうな、と」

「そんなに気兼ねするな。これからマダムが君を呼んで仕事をすることもあるのに」

「ま、まあ、そうですけど……」

「……それで」

 レオナはまぶたを半分ほど下げ、彼女をジトっと見つめる。

「何の用事で、ラハマに来ていたんだ?」

「えっと……」

 ハルカの目が一瞬、左右に揺れたのを、レオナは見逃さなかった。

 

「ちょっと、レイの部品を買いに……」

「ガドールの方が手に入りやすいんじゃないか?」

 とレオナが反論。

 

「ユーリア議員からの頼まれごとで……」

「あら?私なにも聞いてないけど?」

 マダムが即答。

 

「ちょっと、補給のために寄り道……」

「にしては、さっきとっとと帰ろうとしていたわよね?」

 ザラに否定される。

 

 彼女は嘘が余程下手なのか、言うことがことごとく疑われる。

 そんなに隠したい事情でもあるのか、3人は疑惑に満ち溢れた眼差しを向ける。

「……家族の最期の場所に、花を供えに……」

 途端に、レオナたちは表情を曇らせた。

 約半年前に、ラハマ近郊に輸送機が墜落した。その機体は彼女がかつて属していた空賊、ウミワシ通商の輸送機で、不要な人物を事故に見せかけて処分するために起こされた出来事。

 ハルカの残された家族も、一緒に。

 家族が最後を迎えた場所に花を手向ける。その自然な行動には、流石に誰も口を挟まなかった。

「……というわけで。花は供えてきましたので」

 彼女は、零戦の主翼付け根に足をかける。

「用事は終わりましたので、帰りますね~」

 レオナは咄嗟に地面を蹴って駆け出す。

「ちょ!」

 ハルカは突如後ろに引っ張られ、主翼から落ちないよう風防の枠を咄嗟につかんだ。

「い、いきなり何するんですか!」

 彼女は少し顔を赤くしながら叫んだ。見れば、レオナはハルカのスカートの裾を鷲掴みにしていた。

「レオナさん!離してください!」

 同性同士とはいえ、流石に羞恥を感じないわけではないのか、彼女は顔を僅かに赤く染めながらも、レオナの手をはがそうとする。

「ちょっと話がある。下りてきてくれないか」

 このときレオナの頭の中には、ある疑惑が浮かんでいた。それを確かめるためにも、彼女を逃がすわけにはいかない。

「いえ、でも私、帰らないと……」

 レオナは無言で手に力を込めた。離す気はない、そういう意味だ。

「ユーリアに連絡したけど、問題ないそうよ」

 いつの間にかマダムは電話片手に確認を取っていた。

「だ、そうだぞ」

 ここで無視できるわけもなく、彼女は地面に足を下ろした。

 

 

 



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後日談 第3話 時計の針は巻き戻せない

孤児院に届けられた札束入りの差出人不明の封筒、
目撃された女性の見た目の情報、封筒内の手紙。
これらの情報から、レオナは遂に差出人が誰かを
突き止める。
そして彼女は差出人に、なぜこのようなことをしたのか、
その真意を問いただす。


「それで、話って何ですか?」

 格納庫の一角に置かれたテーブルに、レオナたち6人がそれぞれ腰かける。

 レオナの左側にザラとマダム、右側にユーカにエリカ、ベルが並び、レオナの正面にハルカが座っているので、はたから見れば問い詰められているようにも見える。

「実は……」

 レオナは、孤児院の院長先生から預かってきた封筒をテーブルに置いた。

「最近ラハマで、大金の入った封筒が送られてくる、という不思議な出来事がおこっていてな」

「へえ……」

 レオナは、目の前の彼女を見つめながら淡々と続ける。

「だが、果たして本当に使っていいお金かどうか、皆悩んでいて、な……」

「使えばいいんじゃないですか?」

 彼女は即答した。

「でも~、もし空賊や危険な組織から送られたものだったらどうするの?強引にかしつけてその後高い利息で返済迫られる可能性もあるのよ?それを考えたら、おいそれと使えないじゃない?」

 ザラがその危険性を問う。

「孤児院に貸し付けても回収できないことぐらい、空賊にだってわかります。そういうのは、商売をやっている人が対象になるもの。そういう可能性はないでしょう」

 言い切る彼女の言動に、レオナやザラは違和感を覚えた。

「大体、ラハマのこのあたり一帯に貸し付けられるほど資金が潤沢な空賊やマフィアなんて、そういますかね?」

「なら、誰がこういうことを?」

「……お金が余っている人じゃありませんか?富豪かもしれませんね。徴収したお金を返す行為なんて、略奪をしないとやっていけない空賊じゃできませんから」

 レオナは目を細め、ザラは表情を引き締めた。

「なので、使っても問題ないのではないか、と……」

 

「……そういうことか」

 

 何か納得した様子のレオナに、ザラは頷く。そして彼女はレオナの隣からハルカの隣へと移動した。

「何が、ですか?」

 

「この大金を送った人物がわかった」

 

「えええ!流石レオナさん!もうわかったんですか!」

「ちょっとユーカ」

 興奮で立ち上がったユーカを、エリカは首根っこをつかんで座らせる。

「その人物は、目の前にいる」

 ユーカとエリカ、ベルは、レオナの視線の先を見る。

「……君だったんだな」

 レオナは目の前に座る彼女を見つめる。

 

 

「……ハルカ」

 

 

 一瞬、場が静まり返った。

「あの……、話が見えないんですけど」

 首をかしげる彼女に、レオナは封筒を手に取る。

「この大金の入った封筒を郵便受けに入れたのは、君だな?」

「な、なんのことでしょうか……」

 彼女は視線をそらし、上の方を見つめる。

「あくまで白を切るつもりか?」

「白を切るもなにも、私はしがない飛行機乗りですよ。そんな大金を孤児院に送るわけ」

「なぜ君は、この大金が孤児院に(・・・・)送られたものと分かった?私は、ラハマで大金の入った封筒が送られてくる、という不思議な出来事が起こっていてな、としか言ってない」

 彼女は視線をそらした。

 その彼女の耳元に、ザラが唇を近づける。

「それとあなたは、お金を返す行為なんて空賊じゃできない、と言ったわよね?なんで返されたお金(・・・・・・)だってわかったのかしら?」

 隣に座るザラから問いかけられる。

 ハルカの瞳が揺れ、何か言葉を探すように上下左右に彷徨う。

 レオナたちはあくまで、かまをかけただけだ。

 

 

 孤児院に、大金が入れられた封筒が届けられたことがわかったのは今朝のこと。

 このことを知っているのは、孤児院の院長先生に他の職員、レオナ、ザラ、エリカ、ユーカ、ベルだけだ。

 用事で訪れていたとはいえ、孤児院を訪れていないハルカは知るはずがない。後知っているのは、この封筒を郵便受けに入れた実行者だけ。

 思えば、もっと早くから気づくべきだった。

 

 

 目撃された、肩の下あたりまで伸びた黒髪、白色のスカートを身に着けた女性。

 その特徴に彼女は一致している。

 

 それ以外にも、彼女だと示す証拠はある。

 封筒に入っていた手紙には、ウミワシ通商と記載されていた。

 だが、レオナもザラも、ウミワシ通商がこんなことをする組織ではないことを知っている。

 そんな組織がみかじめ料を返すなど、考えにくい。

 それでもあえてその組織名を名乗ってきた、ということは関係のあった人間で間違いない。

 そしてお金をわざわざ返したということは、きっとラハマに対して負い目を感じている。

 加えて、人目に極力つかないようお金を返していたあたり、姿を見られたくなかったのかもしれない。

 それはきっと、先日の襲撃に参加しており、住民たちに顔を見られた可能性があるから。

 

 ウミワシ通商に関係があり、外見上の特徴が一致、先日の襲撃に参加していて住民に顔を見られており、ラハマに対して負い目を感じていて、こんなことをやりそうな人物。

 レオナとザラが知る限り、そんな人間は1人しか思い当たらなかった。

 

 

 目の前の彼女、ただ1人しか。

 

 

 だがその目の前の彼女は、まだ何か言葉を探して視線をさまよわせている。

「あ、ああ~。そういえば用事を思い出したので……」

 言い訳が思いつかなかったのか、遂には逃げようとするが、両肩をザラが抑えて椅子に座らせる。彼女は嘘やごまかしがことごとく苦手らしい。

 すると、彼女はレオナと並んで座るユーカたちを時折見る。

 マダムはすぐ察した。

「ハルカゼの子たち。悪いけど、ホームの様子を見てきてくれないかしら?」

「え?ホームの?」

「ええ。子供たちがまだ怖がってないか。被害がなかったか。確認せずに来ちゃったから、お願いできないかしら?」

「はい!わかりました!」

 ユーカはマダムに言われた通り、孤児院へと向かって走りだし、それをエリカとベルは追いかけていった。

 マダムは、明らかに人払いとしてそれらしい理由をつけただけだ。完全なウソではないが。

 それを見届けた彼女はため息を吐き出し、少しうつむき加減で口を開いた。

 

「……そうです。みかじめ料を返したのは、私です」

 

 ようやく実行者だと判明したことで、レオナは表情を緩める。

「なぜ直接ではなく、ひそかに返していたんだ?」

「……直接会って返せば、拒絶される可能性があります。私は、このラハマを襲撃した空賊の一員だったんですよ」

 少し前、彼女はウミワシ通商の一員として、この町、ラハマを襲撃する依頼を受けた。街中でキリエとパンケーキの話題で意気投合したものの、それがきっかけで尻尾をつかまれてレオナたちと街中で追いかけっこを演じ、上空で空戦をやり、自警団とコトブキ飛行隊相手にたった1機で立ち向かい、損失を負わせた。

 その後彼女は、これからはマダムを含め新たな雇い主たちのもとで働くことになり、あれで手打ちだと、レオナは言った。

「君は、もう空賊からは足を洗ったんだろ?」

「だからといって、私の過去がなくなったわけじゃありません」

 手打ち、そういったものの、彼女はそれで流せるほど器用ではなかった。

「なんでみかじめ料を返したんだ?」

 レオナは、もっとも知りたかった話題を切りだす。

 

「……騙されてお金を盗られた彼らの生活の、少しでも足しになれば、と思って……」

 

「騙された?」

 レオナは疑問符を浮かべた。ウミワシ通商はみかじめ料を徴収し、そのかわり実際に空賊を追い払ったと、院長先生はそう言っていた。

「ウミワシ通商は、他の空賊と組んで、襲撃者と守り手に分かれて、みかじめ料を徴収する正当性を示すための演技をやっただけなんです」

 彼女によれば、善意を装って住民たちに近づき、みかじめ料をできるだけ長期間徴収し続けるために、定期的に空賊同士で空戦ごっこを行っていたのだという。

「みかじめ料を徴収し始めた頃、本当に空賊がやってきて、それを当時ウミワシ通商が追い払ったと、このあたりの住民は言っていました。実際は、他の空賊と組んでそのような芝居を行っただけです。みかじめ料の山分けを条件にね」

 住民に信じ込ませるための芝居。そんなことも行うのかと、レオナたちは唖然とした。

 

「内情はわかった……。ところで、この金の出どころはどこだ?ウミワシ通商は崩壊した組織のはずだぞ?」

 

 レオナには、その出どころの検討はついていた。彼女が口を開かないのも、それを裏付けている。

「……まさと思うが、君の私費か?」

 彼女は数巡してから頷いた。

「なんで、君はそこまでする?」

 レオナは問いかけるが、彼女は口をつぐむ。

「君の供述や空戦のおかげで、組織は崩壊を迎えた。これでもう略奪が起こることもない。この件は、ここで終わりだ。なのになぜ?」

 

「崩壊を迎えてめでたしめでたし、なんていうのは物語の中だけの話です。全てが元に戻ることはありません。組織が崩壊を迎えたことで、みかじめ料をだまし取られた人々は、取り返す先、怒りのぶつけ先を失ってしまった。そうなれば、泣き寝入りするしかありません」

 

 そういえばベルが噂で聞いたと言っていた。空賊と知らずみかじめ料を徴収された人々は、組織の崩壊によって取り戻す先、騙された怒りの矛先を失ってしまったと。

 組織が残っていれば、まだ賠償金などをぶんどることもできなくはない。現に今ハルカは報酬の一部を、マダムを通じてラハマや襲撃した輸送船への賠償金にあてている。

 だが、組織そのものがなくなってしまっては、それももうできない。

「それに、ウミワシ通商のお金は社長のナカイが管理していましたので、私が彼を殺した以上、もう保管場所は誰にもわかりません」

 ラハマ上空で彼女は自身の愛機の零戦で、紫電改をかるナカイと戦い、最終的に甚大な被害を受けながらも残弾全てを撃ちこんで彼を撃墜した。

 ハルカが彼を殺した今、金の保管場所を聞き出すことは永遠にできなくなった。

 

 住民たちにお金は戻らない。泣き寝入りしかない。しかもその原因の一端は、自分にある。

 だから彼女は、今回の行動を起こしたのだろう。

「だからって、私費を投じてまでなんて……」

「どうせなら、意味のある使い方をしたかった」

 彼女の表情が曇る。

「私にはお金を使う先が、もう、自分以外にないですから」

 レオナは察した。このお金は、もともと家族のためにと、彼女が稼いだものだったのだと。だが、ウミワシ通商によって彼女は残された家族を殺されている。

「君は、苦しくないのか……」

「なんで、私が苦しむんですか?」

 彼女は首を傾げ、苦笑をうかべる。わずかに、悲しみをにじませて。

「こんなことをしても、何の見返りもないんだぞ!命を危険にさらして稼いだお金を、なんで……」

「レオナさんだって、ホーム存続のためにお金を入れているじゃありませんか?」

「私は、あそこが自分の家だったからだ。君はこんなことを、ずっと続けるのか?」

 

 誰にも知られず、なんの見返りもないことを、この先も。

 

「悪いですが、……ほかに償いの仕方を知らないんです」

「……償いって。なんの見返りもない、でも命はいつもっていかれるかわかない。それじゃあ何のために……、君の幸せは、どこにある?」

 彼女の表情が曇っていく。

 

「過去は無かったことにはならない。時計の針は巻き戻せない。人の幸せを奪った私に、そんなもの望むことなんて、許されません」

 

 手打ちだといっても、彼女の言う通り、過去はなかったことにはならない。彼女の犯した罪も、消えることはない。

 でも、どこかで区切りはつけなければならない。

 でなければ……。

「……そんな気持ちでいたら、いつか死ぬぞ」

 彼女は視線をそらした。それでもいいと、暗に肯定するように。

「君の償いは、どうすれば終わるんだ?」

「……さあ」

 彼女はぎこちない笑みを浮かべながら言った。

「どうすれば、いつ終わるかも、私にはわからないですね」

 彼女が襲った輸送船の乗員、撃墜した用心棒、積み荷の作り手、受け取り人、商いをする人々等々、交易には多くの人々がかかわる。彼女は、正常な交易を妨げる大きな存在だった。

 それだけに、足を洗うまでに彼女がもたらした損害は計り知れない。

 そんなものに対する償いなど、いつ終わるのか。

「聞きたいことは以上ですか?」

 彼女は椅子を引いて立ち上がる。

「なら……、帰りますね」

 彼女は、愛機の主翼付け根付近に足を載せる。

 

 幸せになってはいけない。

 

 過去の罪に押しつぶされそうになっている彼女は、そう口にした。でも、彼女はラハマの近くで輸送機が墜落した地点に建てられた慰霊碑のそばで、家族の最期の言葉を聞いた。

 あのとき、家族の分まで、生き抜くと心に決めた。彼女にその決心をさせ、今こちら側にかろうじて引き留めているのは、家族の最期の言葉だ。

 実態のない、でも想いの込められた、確かに力を持つもの。

 家族は、彼女の幸せを願うはず。それを否定してしまっては、死んだ彼らは浮かばれない。

 彼女だって、今の償いの仕方は、光のない、暗いトンネルの中を進むようなもの。こんなことを、この先も続けるのか。

 このまま、彼女を行かせられない。

 どうすればいいか、レオナは悩む間もなく駆け出した。

 

「待て!」

 

「だから何でそこ掴むんですか!」

 

 またもやスカートの裾をレオナにつかまれ、ハルカはたたらを踏む。一心不乱な彼女の様子に、ザラとマダムは苦笑する。

 レオナはそのままハルカのスカートを引っ張り、引きずり下ろすように少し強引に地面に下ろさせると、彼女の右手首をつかんで引く。

「いっしょに来い」

「どこへ、ですか?」

「来ればわかる」

 だが、彼女は足を踏ん張って抵抗する。

「ザラ!」

「はいは~い」

「ちょ!ちょっと2人とも~!」

 レオナに手を引かれ、ザラには背中を押され、彼女は目的地へ向かって引きずられていった。

 



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後日談 最終話 償いの報酬と相棒の不満

みかじめ料が入った封筒の差出人が彼女であることを突き止めた
レオナは彼女の手を引き、ラハマの孤児院へと引きずっていく。

そこでレオナは、院長先生に差出人が見つかったことを告げる。



「……ここは」

 手を引かれて連れてこられた場所は、ラハマの町の外れ。そこにある孤児院、ホームだった。

「まさか!」

 ハルカは嫌な予感を感じ、その場で足を突っ張ろうとするも、鍛え抜かれた肉体を持つレオナに手を引かれ、経験豊富なザラに押されれば彼女の抵抗など可愛いもの。

 

「レオナさん、なんのつもりですか!」

 

「君は自分の行動の結果を見届けるべきだ」

 

 進行速度が緩むことなく、彼女は孤児院の敷地内へと引きずられていく。

 

 

「あら、レオナ?」

 人を引きずってきたレオナに違和感を抱いたのか、院長先生は首をかしげる。

「院長先生、みつかりました」

「何が、かしら?」

 ハルカはレオナの手をほどこうとするが、手首をつかむ彼女の手は万力のようにびくともしない。

「あのみかじめ料を、取り返してくれた人物です」

 すると手首を掴まれたまま、レオナの前に引っ張りだされる。そして、今度は腰回りに腕が回され、後ろから抱きしめられるような形になった。

 

「この子が、そうです」

 

 院長先生や職員たちは、口を開けて驚いている。

「……この子が?」

「それだけじゃありません」

 腰に回された腕に力がこめられる。

 

「先ほど上空を飛んでいた、地上げ屋の仲間の戦闘機を落とした、蒼い翼の零戦。そのパイロットでもあります」

 

 院長先生たちの表情が、驚愕の色に染まる。レオナやザラよりも年下にしか見えない彼女と、見た目に反するその行動に。

 皆が固まる中、院長先生が歩み出る。

「ありがとうございます。なんと、お礼を言っていいか」

「そんな……、大したことなんて、何も」

「いえ、レオナが寄付してくれた、みんなのお金を取り戻してくれた上に、守ってくれて、ありがとうございます」

「……ですけど、私は」

 彼女は院長先生の言葉を、素直に受け取ろうとはしない。

 

 自分はあなたたちを騙し、この町を襲った空賊、ウミワシ通商の1人だった。そう素直に告げようと、彼女は口を開こうとする。

 

 

「彼女はかつて、このラハマからみかじめ料を皆さんから集め、先日はこの町を襲ったウミワシ通商の一員でした」

 

 

 レオナが先んじて口を開いていた。

「ですが、先日の襲撃の際には、仲間の空賊を全機落とし、町を守ってくれました。そして現在は、私たちコトブキ飛行隊に協力してくれています」

 

「そう。空賊から足を洗って、真っ当な道に……」

 それでも、彼女は首を縦に振らない。

「そんな立派なことじゃ、ないです……」

 彼女は俯きながら言う。

「私は、あなたたちからみかじめ料を徴収する演技に加担して、この町の襲撃までして……、あなたたちの仲間を撃ち落して、そんな私、全然立派でも、なんでも……」

 輸送船を襲撃して用心棒を撃ち落し、積み荷を強奪、関係する人々全ての生活を壊した空賊の片棒を担いだ彼女。

 彼女は内心戸惑っていた。

 長く空賊にいたせいで、恨みを沢山買い、周囲を警戒し、疑い、騙し合いの世界に長くいたせいで、彼女は善意の言葉を、素直に受けとることができなくなっていた。

 

「確かに、かつてはそうだったんだろうな」

 

 頭の後ろからレオナの声がする。

 

「輸送船を襲って用心棒を落とし、積み荷を奪った。再起できなかったものたちも、中には居たことだろうな」

 

 彼女の言葉が、胸に刺さる。

 

「だが、君は今、もう空賊じゃないんだろう?」

 

 耳元で、彼女はいった。

「今は、オウニ商会、ガドール評議会、ハリマ評議会に雇われている用心棒だ。ウミワシ通商の事務方でも、一員でもない」

「……ですけど」

 存外頑なな彼女に、レオナはため息をはく。そんなレオナを見て、ザラは苦笑する。

 

「確かに君の言う通り、空賊から足を洗っても、君の過去はなかったことにはならない。時計の針を巻き戻す方法はない。だが今日、地上げ屋たちを追い払ってくれたことや、君のお金のおかげで、救われた者たちがいることは事実だ」

 

「……私は、ただ自分の重ねた罪に耐えられなかった。だから、あくまで、自分のために……。こんなの善意でも何でも……」

「偽善でも、積み重ねれば善行だ。何が悪い?」

「……細かいことは聞きませんが」

 院長先生は彼女の頭に手を載せた。子供たちの頭を撫でるときと、同じように。

 

「あなたの行いで、傷つけられた人がいるようですが、あなたのおかげで、救われた人たちが、ここにいるんですよ」

 

 ふとハルカは、スカートの裾がレオナに比べ弱めの力で引っ張られるのを感じた。

「お姉ちゃんが、さっきの飛行機を飛ばしていたの?」

 そこには、孤児院の子供がいた。髪は短めだが、彼女と同じ黒色をしている。

「え……」

 彼女は無言でうなずいた。

「そっか」

 すると、その子は笑顔を浮かべた。

「かっこよかったよ」

「……え?」

 

「お姉ちゃん!かっこよかった!」

 

 満面の笑みを浮かべ、そう言い放った。

「ありがとう!」

 子供たちの表情に、彼女は戸惑う。かつて彼女も浮かべていたのであろう純粋な表情。それが今は、とてもまぶしく見えたのかもしれない。

 彼女は、子供たちから視線をそらした。

「子供は真っすぐですから。この子たちの言葉は、信じてもいいと思いますよ」

 そして、また背後からレオナの声がする。

 

「人の好意は、受け取るものだぞ」

 

 ハルカは目の前の子供に手を伸ばす。そして、頭をやさしくなでた。

「どう、いたしまして……」

 ハルカは照れ臭そうに言う。

 子供は撫でられる感触が嬉しかったのか、彼女のお腹に腕を回して抱き着いた。

 そのタイミングで、レオナは彼女を腕の中から解放する。

「これが、君の行動の結果だ」

 ハルカは、私費を投じて孤児院等、みかじめ料を徴収された人々へお金を返した。それにより、徴収された人々は、経済的に困窮していた状態から、わずかでも余裕が生まれ、その結果、この先をいい方向に考えることができる。

 自身の行った結果向けられる彼らからの好意くらい、受け取っても罰は当たらない。

 確かに、彼女が犯した罪は決して小さくはない。いつ償いが終わるか、それもわからない。だからこそ、自分の行動の結果を知ってほしい。そうレオナは考えていた。

 この先を生きていく理由を、飛び続ける理由を、償いという漠然としたものでなく、その先にある結果に、見出してほしかった。

 最後に自分を支えるのは、大儀や理想ではなく、身近なものである。それを、かつて家族のために空を翔けた彼女に、思い出して欲しかった。

 

 そうでなければ、彼女は簡単に向こう側へ、行ってしまいそうに感じたから。

 

 ふと見れば、ハルカはほかの子供たちにも囲まれていた。

「ねえ、飛行機に乗るってどういう感じなの?」

「えっと……。そう、だね~。見れる世界が広がる感じかな~」

「どういう世界が見えるの?」

「遠くだよ。雲の上から見える、どこまでも続く大地や、青い空」

 いつの間にか質問攻めにあっている。それに彼女は律儀に1つ1つちゃんと答えている。

「ねえ、お姉ちゃんとレオナ、どっちが強いの?」

「レオナさんと、私?それなら、レオ」

「彼女は、私と同じくらい強いぞ」

 レオナの発言により、子供たちは彼女に視線を向ける。尊敬や憧れといった、感情をにじませて。

「お姉ちゃんそんなに強いの!」

 子供たちの眩いばかりの視線を浴び、彼女は両手で顔を隠して頬を赤く染める。

 さすがに見かねたレオナや院長先生は、ユーカたちに子供たちの相手を頼むことにした。

 

 

 

 

 

「ああいう目で見られるのは久しぶりか?」

「ええ……、何年ぶりかです」

 レオナとハルカ、ザラは子供たちと戯れるユーカやエリカ、腕に何人も捕まらせるベルを遠目に眺める。

「レオナさんって結構強引ですね」

 レオナはクスクスと笑った。

「そうだな。でも、慎重かつ大胆に行くのは、空でだって同じことだろう?」

「レオナの場合、大胆というか一心不乱にいくだけだと思うけどね~」

 苦笑をうかべるザラに、ハルカは首をかしげる。

 レオナは表情を引き締める。

「いつになれば償いが終わるかなんて、誰にもわからない」

 それは、これから彼女が歩んでいく険しい道。

「でもできることは、進むことだけだ。進まなければ、何も始まらない」

 かつてレオナ自身、リノウチ空戦で助けられてばかりだった。借りを作るのがいやなのは、飛行機乗りである以上、それが必ず返せるものとは限らないからだ。

 あの空戦で自身を助けてくれた者の殆どを失った彼女は、ずっとそのことを気にかけていた。

 そして、自分自身の理想を追い求めた。でも、それは当時の彼女にはとても届かず、もどかしい思いをする日々。

 そんな中だった。隣を歩いてくれるザラに出会えたのは。

「過去はどうあっても消せない。消すべきじゃない。間違いであっても、過去の自分だって、今を作る自分の一部だ」

 過去の失敗の末に、彼女はザラに出会い、その後も失敗を続けたが、その結果今のコトブキ飛行隊が生まれた。

 歩き続ける先に何が待ち受けているかなど、誰にも、本人にさえわからない。

「事実は事実として受け止める。悪いことも、良いことも、な。歩くのをやめなければ、悪いことにも会うが、良いことにだって必ず巡り合える」

 それを彼女に教えたくて、少々強引ではあったが、孤児院まで引きずってきたのだ。

 空賊から足を洗ったからって、過去がなくなるわけではない。その過去によって苦しい思いをすることも、心無い言葉を投げかけられることだって、これからいくらでもあるだろう。

 ウミワシ通商の生き残りだからと、辛い目にあうこともあるだろう。

 でも、歩み続ければ、さっきのように、感謝を述べてくれる人だっている。

 微笑んでくれる人だっている。

 

「空賊にいたことを忘れろとは言わないが、自分と向き合って、折り合いをつけるんだ。そうでないと、記憶や過去が毒になって、自分自身を蝕んで、いつか自分を殺すことになる」

 

 かつてレオナの心には、自身を助けてくれた恩人、イサオの名が楔のようにうちこまれていた。

 自身を救ってくれた恩人だからと、彼とアレシマで再会できたときは借りを返そうと仲間を置き去りに戦った。

 町を焼き払う等の悪行の限りを尽くしても、彼がそんなことするはずないと事実を受け止められず、戦闘中なのに言葉での説得を試みた。

 イサオという毒は、彼女をゆっくり蝕み、最後には銃弾をもって彼女を撃墜という結果に導いた。

 幸いにして彼女は生還し、自身の心に区切りをつけ、その後イサオとの戦いに臨んだ。

 でも、いつもそうとは限らない。まして、レオナの目の前の彼女は特に。

 空を飛ぶ、生きる目的を一気に失った彼女は、今とても不安定な状態だ。

 償いのために飛ぶ。それ自体は間違ったことじゃない。

 ただ、わずかな判断の遅れが勝敗を分ける空の上では、そういった負の感情は時に判断を鈍らせる。

 まして、病院で目を覚ました直後彼女は、自分が死ねばもう被害が出ることもない、と言ったのだ。

 そんな考えをまだわずかにでも抱いているなら危険だと、彼女は考えていた。

 

「それは、年長者の助言ですか?」

 

「そうだ」

 レオナはハルカの両肩に手を置いた。

「時を巻き戻すことはできない。でも、君の生き方でこれからは変えていける。君は生きているし、飛ぶための翼があるんだからな」

 本当はコトブキのメンバーのように仲間がいればよかったのだが、元空賊である上に元同族に牙をむいた彼女にそれは望めない。

 だったらせめて、一緒にいるときだけでも、支えてくれる人の存在というものを教えたかった。

「ほ~ら、さっきレオナから言われたでしょ?」

 いつの間にかハルカの後ろにはザラが立っていた。

「好意は、素直に受け取りなさいって」

「……わかりました」

 彼女はレオナにペコリと頭を下げた。

 

 そして孤児院の院長先生や子供たちに別れを告げた彼女は、愛機でガドールへ向かって飛び立っていった。

 

 

 

「ところでレオナ」

 オウニ商会の宿舎への帰り道、隣を歩くザラは話を切り出した。

「今回は、ずいぶん世話焼きだったんじゃない?」

「そうか?」

「ええ、いつもに比べて、ね~」

 コトブキ飛行隊の中では、一番付き合いの長い相棒。彼女と2人で、コトブキ飛行隊は始まった。

 それだけに、ザラは色んなレオナをだれよりも知っている。

「だって、私はあの孤児院の出身で、管理者の1人でもある。それは世話焼きにもなるさ」

 すると、ザラは口先をとがらせ、半目で見つめてくる。

「そうじゃないの」

 話が見えず、ため息を吐くザラをレオナは首をかしげながら見つめる。

「じゃあ、何なんだ?」

 

「……ハルカさん」

 

 ザラはつぶやくように言った。

「あの子に対して、ずいぶん世話焼きじゃない?」

「そう、なのか?」

 ザラはまたため息をはく。コトブキ飛行隊の隊長は機微に疎い。

「だって、あの子が病院で目を覚ましたときすぐ駆け付けたし、あの子のために色々調べものしたり、彼女が死に急がないそう一杯助言したり、コトブキに引き入れるためにマダムに交渉しようとしたり……、ちょっと過保護じゃないかしら?」

 思えば、ハルカが目を覚ました時、訪れたコトブキのメンバーはレオナだった。 

 他に、彼女に気持ちの区切りをつけさせるために、自警団の保管していた遺留品を調べたり、今回は助言を沢山した。

 ちなみに、ウミワシ通商から足を洗った彼女がもし行くところがなければ、合議の結果ではあるが。ハルカを引き入れるつもりだった。

 キリエにチカ、エンマの3人を1人で落としただけに、レオナもザラも彼女の空戦での実力は評価していた。そんなパイロットは滅多にいないし、放置して敵になったら怖いからと、だったら仲間にしてしまえと考えたのだ。

 もっとも、レオナが動く前にマダムやユーリア議員、ホナミ議員が動いていたので完全に出遅れてしまった。

 結果としては共有という形ではあっても、彼女を使うことができるようになったので、それはそれでよかったのだが。

「そうしないと、彼女が向こう側へ行ってしまいそうに見えたからな……」

 そんな彼女の姿が、ザラと出会う前、目的もなく彷徨っていた自身の姿に、少し似ていたように見えたから。

 

「ふ~ん」

 

「なんだ?」

 ザラは頬を膨らませる。

 

「遺留品を調べるのは私も手伝ったし、どうすればいいか悩むレオナの相談相手にもなった。なのに、私の誘いを断り続けたことに対して、何かないの~?」

 

 レオナは苦笑する。ちょっと膨れている相棒の可愛さに。

 

「お礼は今からビールでいいか?」

 

 するとザラはレオナの右手をつかみ、歩く速度を増していく。

 

「ええ、覚悟しておいてね」

 

 彼女はもう頭の中で決めているのだろう、目的の居酒屋へ向かって歩いていく。幸い、明日は休みの予定だから飲みすぎても問題ないだろうと、レオナは思う。

 

 

 時計の針は巻き戻せない。誰であっても。

 でも、例え可能であっても、レオナはしたくはない。今はそう思っている。

 握ってくれている手から伝わる彼女のぬくもり。いつも隣を歩いてくれている頼れる相棒。針を巻き戻して、再び彼女に出会える保証はどこにもない。

 これまでの全ての出来事、過去があって、今がある。皮肉な話だが、過去の自分の失敗の結果故に、彼女に会えた。

 たとえ過去の失敗を無くせるとしても、過去を正すより、今自分の手を引いてくれている相棒と出会えたことを大事にしたい。

 それが、今のレオナの偽らざる気持ちだった。

「そんなに急がなくても、ビールは逃げないと思うぞ」

「レオナと飲む時間が減るの。時間は有限なんだから」

 ザラもこの時間を大事にしたい、という考えは同じようだ。

「そうか。なら、少し急ぐか」

 レオナは足を早め、ザラの隣に並んで歩く。

 

 今やるべきことは、ただ1つ。

 このときが少しでも長く続くよう、これからも頑張っていくこと。

 そんなことを思いながら、隣を歩く相棒の手を、彼女は握り返した。

 

 

 その後、居酒屋でザラは容赦なく何樽分にもなるビールを注文し、その支払いによって、レオナの財布の風通しがよくなったのは、言うまでもない。

 

 




後日談は今回で最終話になります。
ここまで読んで下さった方々、ありがとうございました。

この後も続いていきますが、不定期更新で間が空きます。
またお付き合い頂けたら幸いです。


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第2章 蒼い翼の用心棒
第1話 ガドールの地で


不定期更新ですが、第2章始まります。


空賊から足を洗った彼女は、ガドールのユーリア議員のもとにいた。
評議会議員の用心棒という新しい環境で、彼女は日々仕事をこなして
いく。



 

「はあ……はあ」

 

 自らに迫りくる危機に、手や足が震え、呼吸が荒さを増す。狭い操縦席の中、座席に座る男性は己のかる零戦52型を必死に操り、右へ左へ、上に下に逃げ回る。

「ひっ!」

 視界のいい零戦の風防の後方を見つめると、そこにはあいも変わらず敵が張り付いている。敵機の機銃が火を噴き、機体に当たり衝撃が走る。

「くそ……。なんで、なんで逃げきれない!速度はこちらが上のはずだ!」

 また衝撃が走る。どう逃げようと、背後についた悪魔か死神かはわからないが、敵はくっついたまま。

「くそ!いい加減離れろ!」

 操縦桿を引き、フットペダルを蹴りこんだ。零戦の機首が持ち上がり減速。その状態のまま左へ回転。

 バレルロール。後方についた敵を追い越させ、背後にまわりこむ。これで位置関係は変わる、はずだった。

「あれ?」

 だが、水平飛行に戻った彼の前に、追い越したと思った敵機がいない。

「どこにいった……」

 あたりを見回すと間もなく、機体にまた衝撃が走った。背後を振り返ると、またしても敵機が陣取っている。

「くそおおおおおおおおおお!」

 敵機の機首と主翼に取り付けられた計3丁の機銃が一斉に火をふき、彼の乗る零戦52型をハチの巣にした。

 

 

 

 

「う~ん……」

 窓から差し込むまぶしい日の光。心地よい鳥のさえずり、草木の葉のかすれる音。

 そんないつも通りの朝のはずなのに、遠くでも聞こえる戦闘機の高出力エンジンの奏でる爆音で目が覚めてしまう。

「朝から元気なんだから……」

 ベッドで寝ていた女性は体を起こすと、抱き枕にしていたキャラクターのぬいぐるみをベッドの端に置き、寝間着を脱いで身支度を整え始める。

 緑色を基調としたいつもの服装に着替え、同じ緑色の幅の広い帽子をかぶると、彼女は姿見で身なりを確認し、部屋を出た。

 まだ多くの者が寝静まっていて静寂の満ちる廊下を、ガドール評議会の評議員、ユーリアは静かに歩いていく。

 ここはどこまでも荒野が広がる世界、イジツにある都市の1つ、ガドール。そこでユーリアが仕事場兼宿舎として使っている建物の中。

 建物にはわずかな職員たちがいる程度に加え、まだ寝ているのか静かなものである。

 彼女は建物を出ると、ある場所へ足を向けた。

 

 

 彼女が向かった先は、飛行場。その一角に、彼女の護衛を担当するガドール評議会護衛隊の1つ、通称ユーリア護衛隊の隊長と彼の弟である副隊長が空を見上げていた。

「おはよう、2人とも」

 朝の挨拶をすると、隊長と弟、兄弟なので見た目がそっくりだが頭の髪が少ない兄、まだ多い弟の2人はユーリアに振り向いた。

「おはようございます」

「ユーリア議員」

 そして彼女は、2人が見上げていた場所を同じく見つめる。

 そこには、尾翼にガドールの頭文字のガ、を模した模様の描かれたガドール評議会所属の零戦52型が、対戦相手の零戦に追い回されている光景があった。

 52型は背後をとろうと右へ左へ上へ下へ旋回を繰り返すが、対戦相手は動きを読んで同じタイミングで同じ動きをしたり、急降下で引き離したり52型に背後をとることを許さない。

 52型は、訓練用のペイント弾の赤い染料で機体上面が血にまみれたように真っ赤に染まっていて、元が緑色であった面影が全くない。

 かろうじて風防の枠とガラスだけは元の色のままだ。恐らく、対戦相手が気遣って飛行や着陸の障害にならないよう、そこだけは意図して外して撃ったらしい。

「彼女はどう?」

「見ての通りです」

 2人は笑みを浮かべ、それ以上は不要だと簡潔に応える。

 ガドール評議会の零戦52型に比べれば、対戦相手の機体、蒼い翼の零戦は機体のどこにも、1発たりとも染料が付着していない。

 

 

 蒼い翼の零戦。

 

 

 運び屋たちの間では蒼翼の悪魔と呼ばれ、恐怖の対象だった機体。そのパイロットは今、ガドール評議会護衛隊の一員、といっても契約社員のような形だが、ユーリア議員の用心棒をしている。

「下りてくるようですね」

 演習は終了したようで、2機は着陸脚を下ろし滑走路へ降りていく。そして着陸しエンジンを切ったのち、整備員たちの手によって格納庫まで押されていく。

「彼女の所へいってくるわ」

 ユーリアは格納庫を目指し、歩き出した。

 

 

 

 ガドールの飛行場は広い。自警団、評議会護衛隊、母艦の飛行船全てが集まっている。

 なので格納庫の数も、滑走路の本数も多い。特に、評議会護衛隊は議員1人につき1つの護衛隊があてがわれている。

 その中の格納庫の1つに、先ほどの零戦52型が戻されていく。

 ペイント弾の染料がほぼ機体上面を覆ってしまっている有様を見て、これから染料を落とさなければならないのだろう整備員たちは項垂れている。

 ユーリアは、自分の護衛隊の格納庫へ足を向ける。

 向かった格納庫内には、ユーリア議員の護衛隊の機体、二式単戦鍾馗が8機駐機されている。イジツの大地の色に紛れる色に塗られた機体が整然と並ぶ中、灰色と青色で塗られた機体は否が応でも目立つ。 

 その零戦の風防が開き、中から1人の女性、というには少し幼く見えるパイロットが下りてきた。

 

「よう嬢ちゃん!今日も快調だな!」

 

 彼女の手をとり、降りる手伝いをするのは、整備員の着る作業着を着た年老いた男性。ユーリア護衛隊の整備班長だ。

「相棒の調子はどうだ?」

「快調そのものですよ」

 班長の手をとり、地面に足を下ろすパイロット。つい一週間ほど前、護衛隊に新たに加わった、元空賊の少女。名をハルカという。

 今はユーリアの元で、護衛隊の一員として仕事をしている。

 もっとも、実際は特定の人間との共有なので、要請があればハリマのホナミ議員やラハマのオウニ商会のルゥルゥのもとへと派遣しなければならない。

「にしても、嬢ちゃんいい腕してんな!これで14連勝!おかげで賭けになりゃしねえ」

 そういいながら、班長はハルカの頭をわしゃわしゃと撫でる。傍目に、孫を可愛がる老人、といった微笑ましい風景である。

 だがその周囲を見れば、他の整備員たちから班長へ殺気を込めた視線が送られている。

 ガドール評議会護衛隊は、男所帯の組織である。

 ルゥルゥのコトブキ飛行隊のようにパイロットが全員女性という飛行隊は、実はかなり例外的な存在で、パイロットは男性の方が多い。ガドール評議会護衛隊も例にもれず、パイロットは全員男性である。

 整備員や事務員には女性がいるが、全体で見れば男性が多数。なので正式な隊員と認められていないが、彼女がここでは現状唯一の女性パイロットということになっている。

 

 

 出会いがない、異性との交流がない、むさくるしい。

 

 

 そう噂される職場に、まだ子供に見えかねない彼女を放り込んで大丈夫だろうか。ユーリアは当初は心配だった。

 だがそれは間もなく杞憂に終わった。

 幸いにして、彼女は周囲から可愛がられている。もっとも、整備員やパイロットたちからすれば、孫もしくは娘に見えるほど年齢は離れているが。

 そんな彼女と交流を持つためか、彼女の機体の整備担当を決める際、ユーリアの護衛隊の整備員全員が、整備を買って出るという事態になり、ちょっとしたもめごとが起こった。

 誰か担当するかを決めるにあたって、ハルカの自分でやるという主張は全員から即座に却下され、ユーハングから伝わった決め方、あみだくじ、じゃんけん、等が行われた。

 最後は長年の整備の腕を買われ、整備班長と彼の選んだ部下が行うことになった。

「班長、使用記録簿ありますか?」

 整備班長はハルカに紙を本のように束ねたものを渡した。彼女はそれを受け取ると、主翼に上がり何やら記入を始めた。

 使用記録簿といって、部品を交換してから何時間飛行したかを記録しているのだ。戦闘機である以上、激しい戦闘機動に部品は常にさらされ、次第に摩耗していく。

 目視でパーツの痛みを確認してはいるが、ものによっては何時間使用したら交換など目安が存在している。

 パイロットの多くは整備班に任せているが、彼女は昔からの習慣だと、大事な愛機のこととあってか自分で記録をつけている。

 

「えっと、これくらい飛行したから、あ!」

 

 彼女の手から、記入に使っていた万年筆が滑って操縦席内に落ちた。

 操縦席に上半身を突っ込み、落としたペンを拾おうと手を伸ばす。

「うんしょ、こらしょ……」

 操縦席内しか見えない彼女は気づいていないが、その光景に周囲の整備員たちは整備の手を止めてさりげなく視線を向けている。

 今の彼女の服装は、ユーリアが出会ったときと変わりない、黒のシャツに短い青色のネクタイ、防寒用の茶色いジャケット、茶色のブーツ、裾の方に青い線の入った膝より上の丈が短めの白色のスカート、という姿である。

 正式な隊員と認められてないのに加え、女性隊員がいなかったために、現在護衛隊の制服は男性用のものしかない。

 なので、彼女は以前と変わりない服装に、護衛隊所属を示す翼の徽章を左胸につけている。

「よいしょ、もう少し……」

 手を伸ばす彼女。ユーリアは、整備員たちの視線の先を辿る。

 コトブキ飛行隊の副隊長ザラほどではないにせよ、ハルカのスカートも丈は短め。その裾から伸びているのは、健康的かつ丸みを帯びつつある程よい肉付きの太もも。

 同性のユーリアから見ても、彼女は足が綺麗だと思うことがある。

 同性から見てもそうなのだから、異性の目にはどううつるか。結果は周囲の反応から容易にわかる。

 コトブキ飛行隊最年少のチカほど細いわけでも、隊長のレオナのように筋肉質なわけでもない。

 それがケイトやザラのように隠しているわけでもなく、キリエやエンマのように見放題なのだから、視線が行ってしまうのはある意味仕方がない。

 加えて、彼女が手を伸ばすたびに腰が上がり、スカートの裾が危険な持ち上がり方をしている。

 おまけに飛行機の主翼の上というのは、そこそこ高さがある。

 それを知ってか、整備員たちの視線は目の前の機体ではなく、彼女に向けられている。

 

「……はあ~」

 

 そんな光景を見てユーリアはため息をはく。

 当初は彼女に男性用の制服の一番小さなサイズを支給しようと思ったのだが、元空賊という経歴のために、まだ正式な隊員と認められなかったのに加え、整備班や同じ護衛隊のパイロットから抗議の声が上がったので止めたのだった。

 その抗議の内容というのが、「自分達からうるおいを奪わないでくれ」、というものであった。

 そのうるおいの1つというのが、目の前で惜しげもなくさらされているものである。

 そんな声が議員に直接届いたことで、仕事はちゃんとやるという条件でハルカに制服の支給をやめることにしたのだった。

 男って欲望に忠実ねえ、とあきれる一方、むさくるしいという職場では貴重な清涼剤であるのは確かだし、彼女も警戒心が少々足りないと思う。指摘するのはたやすいが、整備班たちがやる気に満ちるなら安いもの。

 

 

 政治家たるもの、使えるものは何でも使う。

 

 

 ただ、そういう条件だったのだから、仕事はしっかりしなければ契約違反である。

 そろそろ中が見えそうになり危ないと思った彼女は、わざとらしく咳払いをした。

「オホン!」

 それによって、格納庫に議員が訪れていたことをようやく悟った彼らの表情は驚愕の色に染まる。

 そして、仕事をしろ、と言わんばかりに鋭い視線を送ると、皆は迅速に作業に戻った。

 仕事に戻ったのを確認すると、ユーリアは蒼い翼の零戦に向かって歩いてく。

「ハルカ~」

 ようやく万年筆に手が届いたのか、声に反応し彼女は振り向いた。

「あ、ユーリア議員」

 彼女は主翼から下り、ユーリアに向かってお辞儀をする。

「おはようございます」

「おはよう。朝からご苦労様。また演習を挑まれていたの?」

 すると彼女は苦笑をうかべ、はい、と答える。

「……演習もいいけど、ほどほどにしておきなさい」

 ユーリアはハルカの頭に右手をのせる。

「あなたの仕事は、私の用心棒なんだから」

 彼女の仕事に、余計な対戦演習は含まれてない。

「……はい、気を付けます」

 そのとき、彼女のお腹のあたりから腹の虫がなった。

 顔を赤くしながらお腹を押さえるが、一度放たれた音は戻らない。覆水は盆に汲みなおせばいいが、音や声はそうはいかない。

「あなた、朝食食べてなかったの?」

 彼女はこくり、とうなずいた。またもため息を吐き出す。

「私もまだなの。行きましょう」

「……はい」

 ハルカは愛機の整備を班長にまかせ、ユーリアのあとを追って歩いていく。

 

 

 

 宿舎兼仕事場に戻るまでの道中、ハルカはユーリアのすぐ隣を歩く。

「ところで、これで挑まれたのは何回目?」

「えっと、14回目です」

 彼女が来てから1週間ほど。その間、彼女は対戦演習を挑まれることが多い。勝敗数は、14戦14勝0敗という結果だ。

 

 元空賊だった人物を評議会護衛隊に迎え入れる、ということでユーリアは評議会で非難の声を浴びることになった。

 

 ハルカが襲撃した輸送船の中には、ガドール船籍のものも含まれていた。

 その場の評議員たちは、新聞や飲み物のカップ等そこらにあるものを手あたり次第にユーリアに向かって投げつけつつ、そんな人物を雇うなど論外、今すぐ自警団に突き出して余罪を明らかにするべき、即刻処刑すべき、などという極論まで言い出す始末だった。

 そのときのハルカは、両手を膝の上で握り、小刻みに震えていたのをユーリアは憶えている。

 確かに空賊行為は許されることではないが、だからといって足を洗った人物に再起の機会さえ与えないのは問題ではないか、と反論。

 そして、ユーリアの提唱する空賊離脱者支援法を適用した場合の事例として、有用性を示す、と主張。

 それでも彼らは納得しなかったので、やむなく汚職や空賊、マフィアとのつながり等の裏事情の一部を暴露することをにおわせた途端、皆手の平を返して、しぶしぶではあったが彼女を護衛隊に入れることを承諾した。

 あくまで正式な隊員ではなく、経過観察を行いながらの契約社員のような感じだが。

 元空賊など大したことないだろうと、他の議員の護衛隊が彼女の実力を確かめるためと憂さ晴らしや退屈しのぎに、対戦演習を挑んできた。

 そして、その誰もが返り討ちにあう結果となった。

 その実力を披露した途端、今度は評議員たちは彼女を引き抜こうと隙あらば勧誘を行うようになった。

 

―――節操のない奴らね~。

 

「あまり鬱陶しかったら、言いなさい。やめさせるから」

「……ですけど、こんな些細なことで議員にご迷惑をかけるわけには」

 するとユーリアは足をとめ、ハルカに振り返った。

「あのね。あなたは私の用心棒。こんなくだらないことに時間を割いて、肝心な本業が疎かになる方が、余程困るの!」

「は、はい……」

 ウミワシ通商で染みついた癖か、彼女はあまり周囲を頼ろうとしない。

 それは、輸送船の用心棒の排除から、軟着陸、積み荷の強奪が終わるまでの上空警戒を、全て彼女1人にナカイとかいう社長がやらせていたことによる弊害だった。

 だから、ユーリアはそのあたりの考えを改めさせるべく、人を頼れ、と教え込んでいる。

「……まあ、今はとにかく空腹をなんとかすることを考えましょう」

 2人は、再び宿舎に向かって歩き出した。

 

 

 

 朝食を済ませ、時刻は午前8時30分。ユーリアの事務室でその日の仕事が始まる。

「ハルカ、今日の予定は?」

「本日は、午前9時30分より開かれる議会に出席。他は特に来客の予定等はありません」

 彼女は仕事用の手帳を見ながら答える。用心棒となっているが。ハルカの仕事はユーリアの所にいる場合、秘書のような役割と荒事と空戦だそうだ。

 そしてこの部屋には彼女以外に、護衛隊の隊長とその弟の姿があった。

 彼らは皆、事務机に高く積み上げられた書類の山を崩すべく、今日も仕事に取り掛かる。

「えっと、この書類はここが間違い。これは事務局へ突き返して、これは宛先が違う……」

 ハルカは積まれた書類の仕分けを始める。

「えっと、先日の外遊の際のルートは……」

「弟、ルートはこの赤い線の通りだ。あと使った燃料の量は船員たちが記録していたはずだ」

「わかった。ちょっと確認してくる」 

 弟は書類片手に部屋を出た。

 護衛隊は、住民から徴収した税金によって成り立つ評議会の所属組織。飛行船の燃料や戦闘機にかかった費用は、定期的に書類にまとめて提出する必要がある。

 いくつもの書類に、彼らは悪戦苦闘する毎日だった。

「いつも思いますけど、凄い書類の量ですね……」

「これでも君が来てくれたから、大分捗っているんだ。私と弟だけでは、な……」

 隊長の顔にほの暗い闇が滲んだ。

「事務員とか、秘書とか雇わないんですか?」

 すると隊長は、

 

「まあ、色々あって、な……」

 

 と言葉を濁した。何かあるのだろうとそれ以上追求しなかった。

 評議会護衛隊は、言うまでもなく上空警備や議員の乗った飛行船の護衛が本業であり、書類仕事は本来雇った秘書官や事務局の事務員の仕事である。

 だが、今ユーリアには秘書官が1人もいない。

 それは、彼女があまりに敵を作りすぎる点にあった。

 過激な発言故敵が多く、議会では反乱分子のような扱いを受けている。今でこそユーリア派という、旧自由博愛連合派と対立する潮流を作り出すに至っているが、かつては敵が多すぎたことで、彼女がいつ議会から追放されるか。

 つまり、いつ自分達が失業するか、秘書官たちは皆不安に駆られていた。

 以前、ユーリアはガドールの自由博愛連合加盟に反対票を投じた直後、命を狙われ、護衛隊の兄弟の手引きでガドールを脱出したことがある。

 そんな議員の様子を見て、自分たちの将来を心配した秘書官たちは別の議員へ転職していってしまい、長続きしないことが多かった。

 中には、彼女は変態だ、という噂をうのみにし、自身の身の危険を察して辞職したというよくわからない例まであった。

 

 ユーリアの幼馴染、ラハマのマダム・ルゥルゥ曰く、それは敵が多い方が楽しいというユーリアの一風かわった面のことらしいが、真偽のほどは定かではない。

 

 秘書官がいないため、ユーリアは書類仕事を護衛隊の一部の人員、特に兄弟にやらせていた。

 最近は元空賊などにここの仕事が務まるわけない、という事務局のいやがらせにより、関係ない書類まで含まれることが多い。

 だが、ハルカはそんなこと気にせず、もくもくと手早くこなしてく。

 ウミワシ通商の事務方だった、というのは完全なウソではなく、襲撃のない日は本当に事務方の仕事をこなしていたようで、書類の作成、費用の計算など彼女は空だけでなく、陸でも活躍してくれている。

 彼女曰く、一応初等教育の途中までは学校に通っていたが、あとは自分で勉強したり、祖父に教わって覚えたらしい。

 他に、空賊と悟られないよう身なりや礼儀などが重要だったとは彼女の経験談。  空賊の中には、そうやってうまく一般人に紛れるものもいるから侮れない。

「ちょっと書類を突き返してきます」

 誤配の書類の山をダンボールに詰め、彼女は部屋を出た。

 

 

 

 

「……そろそろ行くわ」

「わかりました、お送りいたします」

 9時になり、ユーリアは議会に向かうべく席をたつ。議会までは遠いため、隊長にいつも車で送ってもらっている。

 その道中、通路上に見慣れた風景が見え、ユーリアは眉をひそめた。

 

「で、ですから、私にそんな気はありません!」

「君はユーリアにはもったいない。私の所へこれば、給料弾むし、色々利益もあるよ~」

「ですから、私はユーリア議員に雇われていて……」

 

 ハルカは壁際に追い詰められ、他の議員からの勧誘にあっていた。

 彼女は断っているものの、政治家というのはしつこい生き物でもある。相手も引く気配がない。

「またですな……」

 ユーリアは隊長を追い越し、速足で歩いていく。

「そうか。でも私についておいた方が、後々きっといいことが……」

 ユーリアはわざとらしくヒールのかかとを鳴らした。

 その音にハルカと、目の前の初老の男性が振り向いた。

 

 

「おやおや、朝からお盛んですね。議長……」

 

 

 彼女に迫っていたのは、ガドール評議会の議長だった。ユーリアは温かみや感情といったものを一切感じさせない、氷のように冷たい無表情を顔にはりつけ議長を見つめると、彼は苦々しい表情をする。

「……ユーリア」

「議長。はたから見れば、子供に迫る怪しい老人にしか見えませんが?」

 ユーリアは議長を無視し、ハルカの左手首をつかんで引き離した。

「何が目的であれ、私の用心棒に手を出さないでもらえますか?彼女は、あなたの護衛隊のようにただの演習に明け暮れる環境で腐らせるにはもったいないですから」

「……ふん」

 議長は踵を返し、去っていった。

「……ハルカ」

「は、はい!」

 大きな声ではないが、妙にドスの効いた声に、彼女は背筋を伸ばした。

「ダメならダメと、きっぱり言いなさい。政治家はしつこい生き物だから、逃げるなり大声上げるなりしないとだめよ」

「は、はい……。わかりました」

 縮こまる彼女の頭に、ユーリアは右手を載せる。

「じゃあ、仕事に戻りなさい」

 彼女は少し頬を赤らめた後、笑みを浮かべ、事務室へと帰っていった。

 その背中を見送ると、ユーリアは車に乗り、隊長の運転のもと評議会へ向かった。

 



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第2話 ガドール評議会、通常運転

評議会へ向かったユーリア議員。彼女には、雇った
用心棒の女性についての報告義務が課されていた。
日々何気ない日常を送りながらも監視を行っていた
ユーリアたち。その内容を議会に報告するユーリア
議員だが、次第にいら立ちがつのってくる。



 

 評議会へ向かう道中、隊長が口を開いた。

「彼女のこと、気に入っているようですね」

 誰が、とは聞き返さなかった。

「そうね」

 ハルカがユーリアのもとに来てから、およそ一週間がたつ。

 彼女を雇うことに決めた原因は先日、彼女がかつて所属していた空賊、ウミワシ通商の飛行隊をラハマ上空で殲滅したことや、それ以前に幼馴染のルゥルゥが雇った凄腕飛行隊コトブキ飛行隊と、ラハマ自警団の総数の半数近くを単機で落とす様を見てからだった。

 あのとき、ユーリアは彼女の強さに魅了されると同時に、底知れぬ恐怖にかられた。

 単機で10機以上の敵に挑み、自身も甚大な被害を受けるも相手を殲滅。

 あろうことか、ルゥルゥ自慢のコトブキ飛行隊の半数を撃墜した、蒼翼の悪魔と呼ばれるパイロット。

 

 彼女を敵にしてはいけない。そう直観した。

 

 敵にするぐらいなら、お金を払ってでも味方に引き入れたほうがいい。そう、あの場にいた誰もが考えた。

 そうやって、ハリマのホナミ議員、オウニ商会のルゥルゥと一種の協定を結び、彼女を共有することになった。

 

 生活の拠点をガドールにおくことになったものの、空戦での腕前はよくても彼女は他に何ができるのか、ユーリアは当然ながら知らなかった。

 そこで、飛行機の整備や事務仕事、秘書等色んな仕事を試しにしてもらったら、どれも普通にこなしてくれた。

 また、イジツの飛行機乗りというのは、喧嘩っ早かったり、頭に血がのぼりやすい、気性が荒い等ゴロツキのようなパイロットが多い。

 そんな中彼女は元来温和な性格なのか、議会のクソ連中と接した後ここに帰ってくると温かく出迎えてくれるし、時折浮かべる笑みが微笑ましい。

 悪魔などというおどろおどろしいあだ名がついていても、彼女も年相応なのだな、とある意味でユーリアは安心した。

 

 護衛隊や整備員たちに彼女を紹介したとき、ユーリア議員のお子さんですか、と言われたのは甚だ遺憾であるが。

 

「あの子が空賊やっていたなんて、いまだに信じがたいわね」

「議員のお言葉を疑うわけではありませんが、正直、私も信じられません」

 コトブキ飛行隊のキリエが、ハルカを自警団から庇ったと聞いた。確かに、空賊と言われると荒くれ者たちを連想するから、そのイメージとは一致しない彼女を空賊だとすぐ認識できるのは、元空賊か空賊嫌いくらいなものだろう。

 なので、キリエがそういう行動に出たのも、仕方ないと思えなくもない。

「でも、残念ながら事実なのよね」

 ユーリアはハルカから、空賊行為に加担したいきさつを聞いている。褒められたことではないが、身内を無くし生きるためと言われてしまえば全否定はできない。

 

 野垂れ死ぬか、略奪してでも生きるかと問われれば、どちらを選ぶかは明らかだ。

 それに彼女が身内をなくした原因の一端は、今を生きる大人たちにもある。

 

 彼女が身内の多くを無くした、リノウチ大空戦。

 

 ユーハングの残した遺産をどう使うか考えず、奪い合った結果起こったイジツ史上最大の空戦。

 多大な犠牲を払ったあの戦いが、彼女の運命の歯車を狂わせてしまった。

 彼女に限らず、多くの者たちの運命も。

「……そうですか」

「そして、彼女のような例が、今後生まれないとも限らない」

「そのために、議会で法整備を急ぐのですね」

「年寄り連中が理解してくれれば、ね」

 かつて自由博愛連合の会長イサオは、ユーハングの遺産をもたらした穴を独占しようとした。その目論見は阻止できたが、だからといって事態が好転したわけでもない。

 ユーハングの遺産をどう活用していくか、結局結論は出ないままなのだから。

 でもせめて、奪い合わなくて済むように、皆の利益になるように、横のつながりを強化し、皆で生き抜ける体制を作る必要がある。

 

 まずは、生きなければならない。

 その上で、改めて皆で決めればいい。 

 

 それには、最初にガドール評議会を説得できなければならない。

 かつて自由博愛連合に加盟したことで、ガドールはイケスカの味方だったと、加盟していなかった都市からの視線は冷ややかなものになっている。

 それでも、議会には未だ自由博愛連合の再興を望むものが多い。ユーリア派も増えたが、まだ少数にとどまっている。

「でも、どんなに難しくても、頑張らないと」

「彼女のため、ですか?」

 隊長は笑みを浮かべる。

「……それもあるわ」

 空賊離脱者支援法。その法案の意義を示すための実例として、彼女を経過観察の対象にしたために、処刑など過激なことを言う連中もなんとか黙り、過去の行いに対する処分は一時保留となった。

 だが結果が芳しくなければ、彼女は勿論ユーリアもただで済むわけはない。

 他にも、彼女が議会に提案している法案はいくつもある。

 でも、いずれも可決には至っていない。空賊離脱者支援法1つとっても、理解が得られておらず、提案したとき反乱分子みたいに彼女は扱われた。

 ハルカが足を洗った空賊として今後活躍してくれれば、風向きが変わるかもしれないが、かつてイサオの仲良しクラブに入って自治独立を放棄しようとした連中の多いガドール評議会。風向きを変えることは容易ではない。

 

 でも、やらなくてはいけない。

 

 共倒れの、滅亡の未来を迎えないために。

 

 彼女のような人々を、これ以上生まないためにも。

 

 間もなく評議会に到着し、ユーリアは車を降りた。

 

 

 

 

「ではユーリア議員、定期報告をたのむ」

 壇上にたつ、先ほど別れたばかりの評議会議長の指示に従い、彼女も壇上にあがる。

「では、一週間前に私の用心棒となった女性のことで、定期報告を始めます」

 正式な隊員と認められていないが、一応評議会護衛隊の一員であり、元空賊という経歴を持つハルカ。

 ユーリアは彼女について定期的に、議会に報告をすることが義務付けられることになった。

「まず皆さんが心配していた情報漏洩の件ですが、心配ありません」

 対面に並んで座る、年寄り議員たちが一斉に怪訝な顔をする。

「それは本当かね?彼女は以前ラハマに潜入し、町の戦力や建物の配置、対空機銃の位置まで把握し、それを空賊に伝えて襲撃したと聞いたが?」

 本当に空賊から足を洗ったのか、最初に議長は問う。

 彼女は以前、ラハマに潜入し内部の戦力などの情報を集め、襲撃作戦を行ったことがある。

「見落としていた、では済まされないのだぞ!」

 彼女よりも評議員の中に空賊やマフィアとつながっているものがいる方が、余程問題だがそれはとりあえず脇に置く。

「彼女には常に誰かがついています。事務所にいるときは私が、私が議会にいるときは護衛隊のものが必ず。いずれも、彼女は空賊に通じている様子はありませんでした」

 彼女には仕事を手伝わせる、という体でユーリアと護衛隊隊長たちによる監視が行われていた。

 評議会は町の方針の決定や法整備を行う場。知られてはいけない情報は多い。同時に汚職等外部に知られたくないことが山盛りである。

「持ち物検査はしたのか?ひそかに無線を隠し持っているとか、そんなことはないのか?」

「無線機を持ち歩いていれば、衣服の上からでもわかります。そもそも、どこに伝えるというのですか?」

 携帯用の無線機ですら、服の中に隠せる大きさではない。そんなものを持っていればすぐわかるし、そもそも同胞を撃った彼女に伝える先もない。

 

 先日彼女は、ラハマ上空で同胞だった空賊を、自身の手で殲滅したのだ。

 むしろ彼女は裏切り者として、空賊たちからは要注意人物、同胞殺しとしてお尋ね者になっている。つながる理由はもうない。

「彼女が外出しているときはどうする?」

「彼女が外出する先は図書館と決まっています。その際には、護衛隊の者か、あるいは図書館の職員に依頼しています」

 コトブキのキリエ達同様、年頃の女の子であるハルカだが、外出先はザラのような酒場でも、キリエがパンケーキを食べるように食べ歩きに出るわけでも、アンナやマリアが鞄や靴を買うように好きなものを買いにくわけでもなかった。

 彼女は仕事のないときは、町の図書館で調べものをしているらしい。

 閲覧していたものは、いずれもイジツの歴史や、空戦の教本、法律に関するものばかりだった。

 それがむしろ気がかりであるが、少なくとも空賊につながっていないのは間違いないだろう。

「そうか」

「議長、私から1つ、よろしいでしょうか?」

 議長に発言許可を求める。

「なにかね?」

 ユーリアは言った。

 

 

「彼女のことを疑う一方で、引き抜こうと勧誘を続けたり、結果の見えている対戦演習を申し込むのは、やめてもらえませんか?」

 

 

 議会内がざわついた。

「彼女が1人のときを狙って、正式な隊員とは認めないといったあなた方が、自分の護衛隊に引き抜こうと勧誘を続けるのはやめてください。節操のないことですね」

「評議会議員が、自分の隊の人員を、自分で探すのはおかしいことではない」

 ガドール評議会護衛隊は、議員1人につき戦闘機と人員の定数が設けられおり、それで不安な場合は個人的に用心棒を雇う議員だっている。

 また撃墜された場合や体調不良の際を考え、ある程度余剰人員を抱えるし、同じ職場でマンネリにならないよう、定期的に希望を調査してそれに基づいて配置換えを行う。

 だが、ユーリアの護衛隊はずっと人員が同じ状態が続いており、護衛隊の希望調査によると、ユーリア護衛隊だけは配属されたくない、という結果が出ている。

 その理由は意外なもので、彼女がよく対談で他都市にいくためだ。

 

 コトブキ飛行隊のような輸送船の用心棒と異なり、護衛隊は敵機を撃墜すれば手当がついて収入は増えるが、大きくは変わらない。むしろ、訓練に明け暮れる日々であっても、実戦ばかりの日であっても給料に劇的な変化はない。

 なので、護衛隊員は他都市へあまり行かない議員に集まる傾向にあった。ガドールにとどまる議員の護衛隊ならば、日々は訓練ばかり。

 町の防衛は自警団に任せればいいので、訓練飛行だけで給料がもらえる。

 そんな環境なのだから、すすんで空賊と戦いたいとでも思わない限りユーリアの護衛隊への配属は望まないのが普通になっている。

 そんな隊員が多いため、多くの議員は外遊の際には用心棒を独自に雇うことが多い。

 

「彼女はまだ正式な隊員と認めない、そういったのは議会のあなた方です。それに、彼女は私が見つけてきた用心棒です。加えて私だけでなく、ハリマ評議会、ラハマのオウニ商会との共有です」

 

 もとは、脅威になりかねない彼女に首輪をつける目的で始まった協定である。

 商会だけならまだしも、ハリマまで介入しているとなると、そこに他の者が介入する余地はない。

 各都市の胃袋を文字通りつかんでいるハリマの機嫌を損ねては、自分達の明日にかかわってしまう。

「それはわかったが、結果がわかりきっているとはどういうことかね。対戦演習を行うのは悪いことではない」

「そうだ、皆が互いに腕を競い、高め合うのはいいことだ」

「最初はそうでしょう。ですが週も変わらない内に、10回以上もの対戦を挑んでくるのは、流石に業務に支障が生じます。本業に支障をきたすほどの演習は控えてもらいたい。それに彼女が来て間もなく行われた演習を見ていれば、やらなくても結果はわかりきっています」

「君は、他の隊員を侮辱するのか!」

「対戦演習自体、互いの技量向上が目的ではなく、日々訓練しかない隊員や整備員たちにとって賭けの対象にしかなっていないのは、ご存じでしょう」

 自警団と違い、評議会護衛隊は議員を守ることが仕事。対談で他都市にでも行かない限り、護衛隊は訓練しかやることがないのだ。

 唯一ユーリア護衛隊だけは例外で、先のイケスカ動乱にも隊長たちは参加した。

 ただ他の護衛隊は、他都市にいくことは少ない。

 日々同じ景色を見続ける中でのささやかな娯楽として、対戦演習と称して賭けが行われることは珍しくない。

 ただその中で、唯一賭けが成立しない演習がある。

 それが、ハルカを相手にした演習だ。

 彼女が来て間もなくおこなわれた対戦演習では、あまりに一方的な展開に皆驚き、彼女との対戦演習に限っては賭けが成立しないことをすぐ悟ることになった。

 いずれにせよ、空賊との戦闘経験も碌にない護衛隊の隊員たちが、修羅場をいくつも潜り抜け、戦場で生き残ってきた獣にかなう道理はない。

 

「彼女の技量を確かめるためにもなる」

「彼女の技量については、報告書にて提出した通り、信頼できるものと思いますが?」

「その報告書は読んだ。コトブキ飛行隊、ラハマ自警団の半数を、たった1機で落としたそうだな」

「加えて、彼女が所属していたウミワシ通商の機体、それを10機以上撃墜するのを、私は目撃しています」

 彼女を雇うきっかけになった戦果だが、議員たちは皆首をひねっている。

 

 

「その技量については、皆懐疑的だ」

 

 

 ユーリアは眉をひそめる。

「なぜですか?」

 議長はため息を吐きながら言う。

「コトブキ飛行隊にせよ、ラハマ自警団にせよ、いずれも使用している機体は彼女のものより性能で劣る。負けるほうがおかしいのだ」

「……なら、あなたたちの護衛隊の隊員で、彼女と同じ芸当ができる者がいますか?」

 ハルカが乗っているのは、彼女の祖父と父の残した零戦52型丙。

 彼女の機体を調べたオウニ商会のナツオ整備班長が言うには、生存性は従来の零戦より高いが、運動性や速度ではガドール評議会の52型に劣るらしい。

 本当は火力がもう少し高いらしいのだが、彼女の機体はなぜか主翼の13.2mm機銃が2丁外されており、丙型本来の火力ではないという。

「隼や九七戦より性能で勝るとはいえ、護衛隊の52型より速度や運動性は劣ります。にも関わらず、対戦で一方的な敗北をしていて、彼女の技量に疑問を抱くのはなぜですか?」

「実際に君の外遊に同伴し、その結果を見ないことには判断しかねる」

 ユーリアはイライラしてきた。

 要するに、今の段階では彼女は信じるに値しない、と言っているのだ。日々演習を嫌な顔せず引き受けて結果を示しても、ユーリアの業務を手伝っても、監視の目を受け入れていても。

 

 

「頭の固いことですね、皆さん」

 

 

 議会内が喧噪で埋め尽くされた。

 

「目の前で結果を示しているのに、それを認めようとしない。あなたたちは、彼女が元空賊だからという一点で、その気がないだけではないでしょうか?」

 

「空賊行為という許されない行為に加担した人間を、簡単に信用できるとでも!?」

 

「彼女が襲った輸送船には、ガドール船籍のものもあったのだ!本来なら処刑すべき彼女を、生かしているだけでも大目に見ているのだぞ!」

 

「空賊を連れてくるなど、議員としてあるまじきこと!」

 

 皆が野次を飛ばし、ユーリアに色んなものが投げつけられる。そんな中で、彼女は冷ややかにいった。

 

「汚職や賄賂という、議員にあるまじき行為を行っているものたちが、この中にいることは周知の事実でしょう」

 

「ユーリア議員!」

 

 議長が彼女の言葉を遮った。

「それに、彼女が空賊行為に加担しなければならなくなったのは、誰も手を差し伸べてくれなかったから。そして、私やあなたたち大人が、ユーハングの遺産をどうするか決めず、奪い合った結果でもあります。リノウチ空戦で多大な犠牲を払っておきながら、何も学ばなかったのですか?」

「だから、法整備を今行って……」

「私の提唱する、空賊を減らすための法案に反対なさっているのはなぜですか?彼女が空賊となったのも、なる者たちが未だ絶えないのも、多くは経済的困窮が原因。空賊離脱者支援法が可決されれば、そういった者たちを少しずつでも減らせると思いますが?」

「市民の心情を考えたまえ!イケスカ動乱以降、皆生活が苦しくなっている。その中で空賊だけ足を洗ったら面倒を見るというのでは、不公平ではないか!」

「ですから、収入が一定の額以下の住民たちを支援する法も一緒に出しているはずですが?」

「それは検討中だ」

 結局、空賊を容認することによって利益を得ている人間が、イジツの至るところにいる。

 ガドール評議会も例外ではない。

 

 

「イケスカ動乱の際、このガドールは、自由博愛連合の側でした」

 

 

「何が言いたい……」

「自由博愛連合は、ショウト、ポロッカ等、いくつもの町を焼野原にしました。その行為に加担した罪を、この町は清算する必要があると考えます」

「ガドールはその行為に加担しておらん!」

「ですが加盟し、動乱が終わるまで資金や資源を提供していたのは事実。周囲の都市から、悪評が未だ絶えないのはそういうことです」

「口を慎みたまえ!」

 それでも、彼女は引かない。

 

 

「自由博愛連合は瓦解しましたが、今だ残党は残り、多くは空賊に鞍替えしています。かつて加盟していたガドールだからこそ、自由博愛連合の残党や空賊に対し、どんな姿勢をとるか明確に打ち出す必要がある。私は、そう考えます」

 

 

「だから、今……」

 

「少なくとも、今は姿勢を明確にしておりませんし、まだ自由博愛連合の再興を望む方もいるようです。あのいけすかない男、イサオは穴に消えました。再興を望んでいないで、本来の自治独立に戻るべきでしょう!それとも、イサオにおんぶにだっこされないと、歩けもしないのですか?」

 

「君は議会を侮辱するのか!」

 

「高飛車女が!」

 

「静粛に!」

 

 議長の声で議会は静まり返った。

「話がそれてしまったが、とにかく彼女については引き続き監視を続けること。対戦演習については、業務に支障の出ない範囲で行うこと」

「勧誘については?」

「……嫌なら断ればよかろう」

「わかりました。彼女に伝えます」

 その後いくつもの議題が上がったが、どれも進展はないまま、その日の議会は終わった。

 

 

 

「はあ~……」

 議会の廊下を歩きながら、ユーリアは頭を抱え大きなため息を吐く。

 問題は山積み、議会の理解は得られないまま。現状に変化はない。

 全くもって通常運転の議会だった。

「どうしたものかしら……」

 だが、夢や理想を実現するために政治家になった彼女に、あきらめの文字はない。

「とりあえず、帰ろうかしら」

 ふと空を見上げると、イジツでは貴重な雨が降っていた。

「議会にも雨にもふられるとはね……」

 とりあえず隊長を呼ぼうと議会内に設置されている電話を探すが、そこには同じく秘書を呼ぶべく電話に群がる議員たちでごった返していた。

「はあ……」

 その列に並ぼうと憂鬱そうにしていると、議会の正面の通りに1台の車が止まった。

 車の運転席のドアが開くと、中から傘をさした人物がかけてくる。

 傘で顔が見えなくても、パイロットたちがよくはいているブーツに、裾の方に青いラインの入った白色のスカートで誰なのかユーリアはすぐにわかった。

 

「お迎えにあがりました、ユーリア議員」

 

 微笑む彼女を見て、少し表情を和らげる。

「ありがとう、ハルカ」

 彼女はユーリアに傘を差しだし、自分はもう一本持ってきた傘を開く。

「さ、帰りましょう」

 ハルカは後ろの席をすすめるが、ユーリアは助手席のドアをあけた。

「いいんですか?」

「そういう気分なの」

 2人は運転席と助手席に腰かけると、ハルカは車のエンジンをかけ、人が周囲にいないことを確認するとゆっくりアクセルと踏み、車を発進させる。

 車は町中でも広い通りを進んでいく。

「あなた、運転ができたのね?」

「はい、空賊時代に、ちょっと……」

 きっと怪しまれないために色々仕込まれたのだろう。

「あの……」

 彼女に視線を向けると、前方を注視しながらも、どこかそわそわしている。

「どうでした、議会は……」

 ユーリアは前に向きなおった。

 

「別に、平常運転よ」

 

 無論、決していい意味ではない。

「そうですか……」

「あなたは気にしなくていいの。クソ野郎どもの相手は私に任せて、あなたは空を舞うハエを追い払ってくれれば」

「……はい」

 そのまま何事もなく、2人はユーリアの事務所へとたどり着いた。

 



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第3話 物好き議員への対談依頼

評議会を終え通常業務に戻る彼女たち。
議会で追求されることがわかっていながら元空賊を
雇ったユーリアを、彼女は物好きだなと思う。
そんな物好き議員にある都市の市長たちから対談の
依頼がやってくるが……。


「まったく!」

 事務室のドアをユーリアは勢いよく開け放つ。

「頭の固い老人ども!あのいけ好かないイサオはもういないっていうのに、まだ望みを捨てないわけ!」

 車中では静かだったユーリアが、事務所に帰ってきて部屋に入りながら悪態をつくのはいつものこと。

 先ほど2人で昼食を済ませたのだが、腹の虫は収まっても、虫の居所は悪いらしい。

 ハルカは来て間もない頃は少々驚いたが、護衛隊の隊長曰く、これがユーリア議員の平常運転らしい。

「イサオの聞こえの良い言葉は見習うところがあるけど、それに騙され自由を餌に全てを檻にぶち込むつもりだったことにまだ気づかないの!目の前のことさえ見えないアッパラパーどもが!」

 ユーリアは、両手の指先を震わせながら言う。

 イジツ最大の都市、イケスカの元市長だったイサオ氏。

 彼が会長をつとめた、自由博愛連合。

 イケスカ動乱に参加していないハルカでも、その噂は耳にしていた。

 

 統一連合国家樹立を目的に、イサオ氏が立ち上げた組織。

 でもその実態は、イサオ氏の帝国ともいうべきもの。彼に反発する人間は容赦なく排除され、誰も逆らえなくする。

 1人の人間が全てを取り仕切る、単純で、確実な方法で世界を統治することを目的としていた。

 最終的に、目の前のユーリア議員を含め、ラハマやポロッカ、ショウト等を含めいくつかの都市で反イケスカ連合を組織。あのコトブキ飛行隊も、イサオ氏と戦いを繰り広げたという。

 そして彼が穴の向こうへ消えたことで目論見は阻止できたが、それでも自由博愛連合の残党は残っているし、イケスカは空賊を支援してきた実態が明らかになり周囲から糾弾され、責任の擦り付けあいで内戦状態。

 残された遺産は、結局混沌をもたらした。

 このガドールも、自由博愛連合に加盟していた。

 目の前のユーリア議員のみが、反対票を投じた。

 それによって命を狙われ、隊長たちの手引きでガドールを脱出。

 動乱が収まったのちまた評議員に返り咲いているあたり、この人は本当にタフなのだなと内心彼女は思う。

「ユーリア議員」

「……何?」

「興奮してばかりだとお体に悪いです。少し休まれた方がよろしいかと」

「……そうね」

 予定では、今日の議会は終了。来客の予定も外遊にいく予定もないので、少し休んでも問題ないと判断。

 ユーリアは手近にあったソファーに腰かけ、背もたれにもたれかかった。

 少し間をとり、隣に彼女も腰かけた。よく室内のブランコに座ることの多いユーリアだが、今は疲れているのかソファーに沈むように座り込んだ。

 そして、その疲労がたまる原因の一端が自分にあることを、彼女は悟っていた。

「……あの、ユーリア議員」

 2人しかいない静かな部屋の中で、彼女は口を開いた。

「その……、やっぱり今からでも、私を雇うのは」

 その先の言葉が続かなかった。

 ユーリアの右手が素早く彼女の口を塞ぎ、言葉を発せなくした。

 そのまま体重を乗せ、上から覆いかぶさるように彼女をソファーの上に押し倒した。

「ぎ、ぎいん!」

 はたから見れば、スキャンダル間違いなしの光景だが、当人にそんなことを気にする余裕はない。

「ハルカ……」

 ユーリアの眼光が鋭さを増し、鼻先が触れそうなほど顔が近くまで迫る。

 

 

「その先のことは言わないって、約束したわよね?」

 

 

 有無を言わせない眼光に気おされ顔をそらそうとするも、口を押さえられ、さらに左手で顔をそらせないよう固定される。

「あなた、そんなに私の言葉が信じられない?」

 僅かに首を左右にふって意思表示をする。

「そう……。なら、さっきの言葉はもう口にしないことね。わかった?」

 彼女はコクコク、と少し首を縦にふる。ユーリアは彼女の口から手を放し、体を起こした。

 ハルカも体を起こしてソファーに腰かけると、乱れたスカートの裾を直した。

「ふあ~」

 ユーリアが口を大きくあけてあくびをする。

「少し、仮眠をとられては?」

「……そうね。眠くてしょうがないわ」

 ハルカも昼食後のためか眠気でまぶたが重さを増してくる。少し昼寝するくらいならいいだろうと、彼女も目を閉じようとした。

 そのとき、肌の上を何かが這う感触に眠気が飛んだ。

「ひゃっ!」

 彼女が小さく悲鳴を上げる。感触のした場所に目を向ければ、ユーリアが伸ばした手が彼女のスカートから伸びる太ももに置かれている。

「……ちょっと借りるわね」

 戸惑う彼女をよそに、ユーリアはソファーに横向きに倒れこんだ。

 ハルカの太ももを枕にして……。

「あ、あの!議員!」

「何よ?」

「何じゃないですよ!こんなところ誰かに見られたら!」

「問題ないわ。中には愛人連れ込んでいる奴がいるくらいだもの。あなたは私の用心棒。ならそばにいても問題ないでしょ?」

「大有りですよ!用心棒に膝枕させる雇い主なんて聞いたことないですよ!」

「じゃあ特別手当払うから、30分後に起こして頂戴」

「そういう問題じゃ!」

 いうやいなや、下から気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。

「……もう」

 観念した彼女は、左手首にはめている時計を見やる。30分後の時間を確認すると、彼女は太ももの上のユーリアを見下ろす。

「……本当に良かったんですか、私なんか雇って」

 彼女は小声でつぶやく。

 

 

『やっぱり今からでも、私を雇うのは、やめたほうがいいですよ』

 

 

 先ほど、彼女はそういうつもりだった。

 ガドールに来て間もなく、彼女は議会に呼ばれることになった。

 評議会護衛隊に迎えるにあたって身辺調査が行われた結果、元空賊であったことは瞬く間に評議会の知る所となった。

 そんな人間を雇うなど論外、自警団に突き出せ、処刑しろ、そんなことを言うものさえいた。

 彼女はそのときになって、自分の犯した罪の重さに押しつぶされそうになった。

 そんなときでさえ、ユーリアは気丈に振る舞い、野次に対して言い返した。

『あなたたちがそれを言える?叩けばいくらでもホコリが出るあなたたちが』

 手近にあったコップや紙くず、果てはイナーシャハンドルまで飛び交う中、散々野次や押し問答が行われた結果、ユーリア議員の進める空賊離脱者支援法の実例として、有用性を確かめるために経過観察ということになった。

 その後、彼女は事務所にもどってユーリアに先ほどの言葉を言った。すると、彼女は鬼の形相になってハルカを壁際に追い詰め、烈火のごとく怒った。

 

『こうなることくらい想定していたわ!それでもあなたが必要だから雇った。何か文句でもあるのかしら!?』

『でも、私を連れていると、またさっきみたいに……』

『あんな野次で引き下がるくらいなら、政治家やってられないし、何も実現できないわよ!』

『でも、彼らの言っていることは……』

『間違ってないっていうの!そうやってこの先も生きていくつもり?負い目を感じて、それをダシに一生誰かにゆすられるような生活を送りたいの!?あなたは足を洗ったんでしょう?だったら、胸を張って歩きなさい!それとも、その脂肪の集まりが重いから胸が張れないとかいうんじゃないでしょうね!?』

『そういうわけでは……』

『とにかく、あなたはもう空賊じゃないし、ルゥルゥを通じて賠償金を払っていく。贖罪はしているんだから、もう気にする必要はない!』

『でも、議会は……』

『議会のことは私にまかせておけばいいの!』

『手を煩わせるわけには……』

『……手が届く範囲の人さえ救えない人間に、大きなことができると思う?』

 ハルカはそれ以上なにも言い返せず、先ほどの言葉をもう口にしないよう約束させられたのだった。

 でも自分のせいで、人が責めを負う姿を黙ってみていられるほど、彼女は神経が図太くない。

 

 

「面倒事をわざわざ抱え込んで……。物好きですね、あなた」

 

 

 だが目下の問題は、この状態をだれにも見られず30分間どう過ごすかである。

 運悪く、ドアの鍵はかけてない。かけようにも動けば、ユーリアを起こしてしまう。

「ま、……大丈夫だよね、30分くらい」

 彼女はそう信じ込んだ。

 だがそういう時に限って来客は来るものである。

 ドアがノックされる音に、彼女は凍り付いた。

 

「ユーリア議員、失礼致します」

 

―――早速かあああああああ!

 

 彼女の頭の中の悲鳴もむなしく、ドアが開けられた。

 入ってきたのは、彼女の所属するユーリア護衛隊の隊長と弟さん。2人はハルカと彼女の太ももの上で寝ているユーリアを見ると、微笑ましいものを見るような表情を浮かべる。

「あ、あの、隊長!これは、その……」

 2人は笑みを浮かべたまま、よくわかっていると言わんばかりに数回頷く。

「議員をもう篭絡させるとは、やるね」

「失礼した。ちょっと格納庫まで1時間ほど行ってくる」

「ちょ、ちょっとまって下さい!これは!」

「議員を頼むぞ」

 2人は素早く事務室を出ていく。ドアが閉められた直後、外から鍵がかけられる音がする。

「だ、だからこれは、誤解なんですうううううう!」

 ハルカの叫びもむなしく、兄弟の足音が部屋を離れるにつれ小さくなっていく。 彼女は遠ざかっていく足音を、黙って聞いているより他なかった。

「うう……早速かぁ……」

 とりあえず、これ以上この状況を目撃する人間が増えることはないが、この瞬間をどう言い訳したものか、彼女は頭を悩ませる。

 彼女が頭を悩ませるのをよそに、眼下からは気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。

 結局、指定された30分後に、彼女はユーリアを約束通り起こしたのだった。

 

 

 

 休憩時間が終わり、午後の業務が始まる。

 雨が降っていては飛行訓練ができないので、ハルカに護衛隊の隊長に弟さんは引き続き書類の山を崩していた。

「ユーリア議員、すっきりしたお顔をされておりますが、何かあったのですか?」

 微笑みながら、隊長は言う。

 そしてユーリアは応える。その表情に、少しイタズラ心をにじませて。

「ええ、とっても寝心地の良い枕のおかげで、よく眠れたの」

「おお~」

「そうですか、それはいいことで」

 少し驚く仕草をする弟さん、温かい笑みを浮かべる隊長、イタズラ心が混ざっているユーリア。

 寝心地の良い枕。それが何なのかこの3人はわかっている。ハルカは恥ずかしさに頬を赤く染めてうつむく。

 ふと、部屋に置かれている電話がなった。

「……でます」

 彼女は逃げるように電話の受話器を手に取った。

「はい、ユーリア議員の事務室です」

 彼女は少し言葉を交わす。

「議員」

「誰から?」

「事務局から連絡です。議員に、対談を希望だそうです」

 ユーリア議員の眉が少し吊り上がる。

「……かわるわ」

 彼女はユーリアに受話器を渡す。

「もしもし……」

『ユーリア議員。ナハタ、アレシマの市長から対談を希望する連絡がきております』

 事務局の女性職員が淡々という。

「……日程は?」

『5日後、アレシマにて。会場はオーシャン・サンフィッシュホテルです』

「今日中に回答するわ。5時までまって頂戴」

『かしこまりました』

 電話が切れるのを確認すると、ユーリアは受話器を置いた。

「どこからですか?」

「アレシマとナハタの市長が対談を希望しているそうよ。場所はアレシマ」

「行かれるのですか?」

 ユーリアは事務机の椅子に腰かける。

「どうしようか考えているの。もっとも、逃げるつもりはないけど」

 それでは答えは決まっているようなものだと察し、3人は苦笑する。ユーリアの辞書に、逃げるの文字はない。

 なにせその会場となっているアレシマで、かつて後のイケスカ市長、自由博愛連合の会長イサオと嫌々対談し、空賊がやってきても避難せず、オーシャン・サンフィッシュホテル目掛けて爆撃機飛龍が突っ込んできても紅茶を飲んでいたくらいだった。

 彼女にとっては、逃げれば評議会で舐められるだけ。背中を見せること、それが最も許されない行為らしい。

「アレシマは別として、あなたたち、ナハタという町について何か知らないかしら?」

 隊長と弟さんは顔を見合わせる。

「いえ、私たちはなにも……。議員は?」

「あいにくだけど、まだ私は行ったことがないの」

 対談で各都市に行くユーリアさえ知らないのでは、護衛隊も知るわけがない。

 それほどに田舎なのか、あるいは重要ではないのか。

「ハルカ、あなたは?」

「ナハタについて、ですか?」

「空賊時代、あるいはそれ以前でもいいわ。何か知らない?」

 ふと、彼女の瞳が左右に揺れるのを、ユーリアは見逃さない。

「何か知っていそうね」

「……最新の情報、ってわけじゃ、ないですけど……」

「構わないわ、話して頂戴」

 彼女は表情を引き締める。すると、部屋にある高価な紅茶の茶葉が保管してある棚から缶を1つ取り出し、ユーリアの机に置いた。

 彼女の行動に、皆首をかしげる。

「産地を見てください」

 ユーリアは、缶に書かれている文字を読む。

「産地は……、ナハタってかいてあるわ」

「ナハタは、お茶の栽培で有名な町です。規模は、ラハマより少し大きい程度だったと思いますが」

「なぜそんな町の市長が、アレシマ市長と一緒にユーリア議員に?」

 隊長の素朴な疑問に、ハルカはすぐに可能性を頭に浮かべる。

「……ナハタは、かつて高級な品種のお茶の専売で潤っていた町なんです。半年ほど前までは」

「半年ほど前まで?」

 その言葉が、ユーリアの頭に引っかかる。

 同時に、特産品を専売制にするというエサで、自分たちの仲良しクラブのメンバーを増やしていた組織が、半年前に崩壊したことを思い出す。

 わすれもしない。あのいけ好かない男の作った組織だ。

 

 

「ナハタは、アレシマ同様、自由博愛連合に加盟していた町です」

 

 

 隊長に弟さんが目を見開き、ユーリアは眉をひくつかせる。

「自由博愛連合、自博連に加盟したことで、ナハタは高級品種の専売で潤いました。富裕層から一般市民まで、そのお茶が飲みたければ、ナハタのものを買うしかなかった。競争相手を、自博連の飛行隊がつぶしましたから」

「それって……」

「ハリマです」

 ハルカの新たな雇い主の1人、ホナミ議員のいるイジツ屈指の食糧生産都市。

「ナハタが専売制で特産品の価格と収入が安定する一方、競合相手だったハリマは爆撃で畑を焼かれました。これで競合相手はおらず、収入の心配をする必要はなくなるはずだった」

「だが、それを妨害した者がいた」

「……ええ」

 3人はユーリアに視線を向ける。

「ユーリア議員を含む、反イケスカ連合によって、自由博愛連合は瓦解。連合の後ろ盾を失ったナハタは、経済的に困窮していくことになった。イケスカ動乱によって、どこも復興に忙しく、空賊は増える一方。結果特産品の高級品種の売れ行きは落ち込み、収入は減少。今は、ハリマに食料支援を求めていたはずです」

 

 イケスカ派だったアレシマ。

 同じく自由博愛連合に加盟し潤ったナハタ。

 連合を瓦解させたユーリア議員。

 

 そんな者たちが会する対談がどうなるかなど、誰もいいようには考えない。

「ユーリア議員、この対談は危険です。断りましょう!」

 即座に隊長はユーリア議員に進言する。

 彼女の情報が本当とすれば、対談の相手は明確な敵だ。

 罠をはっている可能性もある。

 

「……いくわ」

 

 部屋の中の時が、一瞬止まったような錯覚がした。

「あの、ユーリア議員……」

「今、なんと?」

 弟さんと隊長が聞き返す。ユーリアは淡々と答えた。

「その対談、受けることにするわ」

「正気ですか!彼女の話を整理すると、今回の対談相手は明確な敵です!」

「弟の言う通りです!そんな所に、議員を行かせられません。御身が危ぶまれます!」

「受けてたとうじゃないの」

 隊長と弟さんは固まってしまっている。

「彼らが信仰していたイサオは、もういない。それをわからせるいい機会よ。それに、私はイサオと違って、好きも嫌いも飲み込んで、あくまで全員で手を組んで生き残るための努力をするのが目標。敵の1人も説得できないなら、この先もうまくいくはずないわ」

「かつてアレシマで受けたような襲撃に、また会うかもしれませんよ?」

「恨みには不自由しないから、確実にあるわね。でも……」

 ユーリアはハルカに視線を向ける。

 

「今の私には、悪魔がついているもの。問題ないわ」

 

「……私、悪魔って呼ばれるの、あまり好きじゃないんですけど」

 何はともあれ、彼女を外遊へ同伴させ、結果を議会へ示せる機会が早速訪れた。

 ユーリアは対談に応じることを決め、事務局へ伝えた。

 



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第4話 選ぶのは縦か、横か

対談の依頼を受け、アレシマへ向かうユーリア議員たち。
道中、ユーリア議員は彼女に話し相手兼警護を命じていた。
そしてユーリアは彼女に、自身の目指す横のつながりか、
自由博愛連合の縦のつながりのどちらの考えに共感する
のか問いかける。


 受けることに決めた対談の日は5日後。ガドールからアレシマまで、飛行船で片道約2日の距離になる。

 ユーリア議員のアレシマ行が決まると、関係者はにわかに慌ただしくなった。

 飛行船、食料、整備部品に燃料、弾薬など必要な資材の手配。護衛隊のパイロット、整備班の召集、機体の積載作業が急いで行われ、翌日の出航に備えることになった。

「ガドールを離陸し、高度250クーリルまで上昇。そして……」

 ハルカは隊長たちと航路の選定を行っていた。

 イケスカ動乱以降、空賊は増えるばかり。その空賊たちの狙いの多くは輸送船の積み荷だが、中には議員を殺そうとしてくるものたちまでいる。

 今回はユーリア議員が乗船するので、狙われる理由はいくらでもある。

 綿密に航路を選定し、空賊の少ない航路を通る必要がある。

「その航路上には確か、空賊の拠点があったはずです。名前は、シロクモ団」

「戦力は?」

「飛燕が12機ほどだったかと。もっと増えているかもしれませんが」

 元空賊ということで、ハルカは航路上の空賊に関する情報を教えてほしいと隊長に頼まれ、協力している。

「飛燕か。ずいぶん余裕のある空賊だな」

 従来、資金のない空賊たちが使える機体というのは旧式のものに限られていた。

 空冷エンジンより複雑な液冷エンジンを搭載する飛燕など、まず維持できない。

「おそらく、イケスカから流出した飛燕がわたったと思われます。最近では、疾風を持っている空賊もいるくらいです」

 彼女が属していたウミワシ通商にも、飛燕やナカイが買った紫電改があった。

 イケスカ動乱以降、流出した飛行機は空賊たちの手にわたっているし、自由博愛連合のパイロットから空賊に鞍替えした者たちは疾風や五式戦闘機、紫電改を持っている。

「……厄介なことになったね、お兄ちゃん」

 隊長と副隊長は、あのイケスカ動乱に参加した数少ないパイロット。その結果が今の有様では、内心複雑だろう。

 ユーリア護衛隊は、隊長たちの鍾馗が8機、ハルカの零戦52型丙1機の計9機が戦力。

 数の上では、開始前からすでに劣勢である。

「ところで、隊長……」

 ハルカは神妙な顔で隊長を見つめる。

「何かね?」

 

「……私のいうこと、すんなり信じて、いいんですか?」

 

 議会では処刑しろとまで極論が出た。

そして、ユーリア議員の報告書でも信じるに値しないといわれる始末。

 でも隊長たちはそんな様子もない。

 

「ユーリア議員が連れてきたんだ、疑う必要はない。あの人は、人を見る目は確かだ」

 

「はあ……」

 隊長は笑みを浮かべる。

「それに、日頃共に仕事をし、議員と接している姿を見て、君が信じるに値する人物であることはわかっている。だから、知っていることは話してほしい」

「……はい!」

 元空賊という過去のために、護衛隊でどう扱われるか彼女は不安を抱いていた。だが、皆温かく接してくれていることに、彼女は安堵した。

 ただ今は、ユーリア議員が背後にいるから信頼を得られているに過ぎない。

 いつか、それが無くても大丈夫なようにしなければならない。今回の仕事は、その第1歩だ。

「だが、相手は12機いることが予想される中、9機か……」

「戦力は増やせないんですか?」

「護衛隊は定数が決まっているから、これ以上増やせない。それに、空賊と戦闘経験が他の隊は我々に比べ少ない。そんな隊を連れて行っても、どうしようもない」

 自身の理解者を増やすため、敵と向き合うために外遊によく行くユーリア議員に同伴し、隊長たちは空賊とよく戦闘になったという。

自分達も撃墜された経験があるらしいが、護衛隊の中では経験を一番積んでいるという。

「他に空賊の拠点と戦力は知っているか?」

 3人はその後も情報交換を行い、航路の選定を行った。

 そして護衛隊の他のメンバー、飛行船の船長や航海士、操舵士たちなども交え、最終決定が行われた。

「以上がアレシマまでの旅路になる。空賊の襲撃が予想される。各員、油断のないように」

 隊長が説明を終え、全員を見渡す。

「ちなみに、皆知っていると思うが、先日ユーリア議員が新たな用心棒を1人連れてきた」

 皆の視線が、隊長の左隣に立つハルカへ向けられる。

 護衛隊の隊員たちは微笑んだり、笑いかけてくれる。

 一方、船長や操舵士、航海士たちは怪訝な表情をしている。

「彼女に対し色々思うところがあるかもしれないが、今は味方だし、腕は確かだ。戦力として、十分期待できる」

 日頃交流のある護衛隊パイロットたちに比べ、飛行船クルーは関わり合いが少ないので関係の構築が進んでない。

 それも含めて、今回の仕事で少しでも進めれば、彼女はそう考える。

「では明日、午前9時に出航だ。それまで各員、準備と休息を忘れないように」

 クルーたちはそれぞれ持ち場へ戻っていく。

「では、我々はユーリア議員に説明に行こう」

 隊長に続き、弟さんとハルカは議員の元へ向かった。

 

 そして翌日、時間通りに飛行船はガドールを出航した。

 

 

 

 

 

 ガドールを出航。飛行船は250クーリルまで高度を上げ、アレシマへ向かって打ち合わせしたルートをなぞるようにゆっくりとした速度で進んでいく。

 その飛行船の部屋から窓を通じ、ハルカは眼下の風景を見渡す。

 出航準備までは皆忙しかったものの、ひとたびガドールを離れれば、飛行船の船橋や機関室、食堂などのクルーや整備員等以外、つまり護衛隊はやることがない。

 護衛隊はあくまで、空賊が襲ってきた場合の対処が仕事なので、それまではひたすら待機という緊張をある程度保った退屈な時間を過ごすことになる。

 緊急出動に備えて飲酒は厳禁。船内にサイレンが鳴り、戦闘機隊の出撃許可が下りたら格納庫まで走り、即座に出撃しなければならない。

 それまでは各々の方法で時間を過ごすことになる。

 

「ハルカ、眼下を見下ろしてみなさい」

 

 彼女は視界に広がる荒野を見下ろす。そこには、かつては町だったのだろう、人々の営みの跡があった。

「あれは、かつては都市だったのでしょうか?」

 ハルカは、ユーリア議員の相手をしていた。

 

 

 出航して間もなく、ユーリアに呼び出された彼女は、この航海の間、空き時間は相手をするように頼まれた。

「信じられる?つい3年ほど前までは人が住んでいたのに、放棄されてあっという間にこんなにさびれてしまうのよ」

「……ガドールやラハマ、アレシマもいつかこうなってしまうのでしょうか?」

「あり得ない話じゃないわ。ラハマは岩塩、ハリマは農産物があるし、アレシマは物流の要所だから今はいいけど。今となっては、あのイケスカでさえ無縁ではいられないわ」

 イサオ氏がイケスカ市長だった当時は、イケスカだけはこういった可能性からは無縁だと言われていた。

 それは方法はどうであれ、彼のカリスマ性や大会社の資本や人脈によるところが大きい。

 そのイサオ氏がいなくなった今、イケスカは混乱の中にあった。

「こういった廃墟を、空賊が根城に使うことはありますね。誰も近づこうとしませんから、隠れ家にはうってつけです」

「頭の痛い問題ね。でもガドールだけじゃない。他の都市もこうしないために、私は政治家をしているの」

「横のつながりの強化、ですか?」

 ユーリアが進めている、自由博愛連合の縦のつながりの思想に対して、イジツを二分する横のつながりの強化。好きも嫌いも飲み込んで、共に生き抜く生存努力をする方針。

「ええ。でも残念なことに、今でも自由博愛連合の再興を望むものたちがいることも、事実なの」

 自由博愛連合の会長が穴に消えてなお、再興を望む声はなくならない。

 かつて、自分達がいい思いをしたときのことが忘れられないのかもしれない。

「ところで、ハルカ」

「なんでしょう?」

 彼女は、少し表情を引き締めたユーリアの方を向く。

 

 

「あなたは、私の側なの?それとも、自由博愛連合の思想に共感するの?」

 

 

 唐突な質問に、彼女は目をしばたかせる。

「……私はあなたの用心棒です。そんなこと聞くまでも」

「そうじゃなくて、あなたの考えを聞きたいの」

 議員の真剣な顔を見て、彼女はしばし考え込む。理想や欲望、金にまみれた政治などに興味がなかった彼女なので、しばし時間がかかる。

「……ユーリア議員の側です」

「なんで?」

 即座に問われたことで、彼女は少しの間黙った。

「……変なこと、いうかもしれませんよ?」

 ユーリアは黙ってうなずき、先を促してくる。

「……まず1つに、イサオ氏のように仲良しクラブに入らなければ排除する、というやり方では問題が残ります。そんなことをし続ければ、反発が起こらなくなるまで、リノウチ空戦やイケスカ動乱のような戦いが、何度も勃発する未来しか見えません。それでは、イサオ帝国ができるのが先か、人類が滅ぶのが先か、そんな問題が出てきます。多様な意見がありながらも、なるべく多数の人間が納得できる政策を打ち出すのが、政治家の役割だと思います」

「なるほど。つまりあなたは、イサオは政治家としての役割をある意味では放棄している、と考えているのね?」

「1つの手だとは思います。嫌いな手ですけど。2つ目ですが……」

 彼女は少し間をおいてから話始めた。

 

 

「ユーリア議員の考えが、面白いと感じたからです」

 

 

「……へ?」

 ユーリアにしては珍しく、鳩が豆鉄砲を食ったように口を開けて呆然としている。

「普通の人は、誰と付き合い、誰と接したくないか選択をします。個人的な時間は勿論、仕事であっても」

 彼女の話を、ユーリアは黙って聞く。

「イサオ氏は、自分の配下に入らないなら排除する。これを徹底していました。それなら、犠牲は沢山でますが、その後の統治はしやすくなります。いうことを聞く人間だけを選別したわけですから」

 彼が創設した自由博愛連合。ユーリア曰くイサオ帝国、イサオの仲良しクラブ。その中に加盟していない町は、ポロッカやショウトのように容赦なく超大型爆撃機、富嶽によって焼野原にされた。

「ですが、そんな世界ろくなものじゃありません。祖父がよく言っていたんです。自分の育った場所は、限られた人間が全てを取り仕切り、反発すれば容赦なく捕まえられ、目的のためなら見返りもなく命まで差し出させられた、と」

 1人の人間が取り仕切り、それを崇拝し全てを肯定する人間が周囲を囲んだ先に待ち受けるものど、果てのない搾取や暴走に他ならない。

「でも、ユーリア議員は私を雇う際に言いましたよね。生き残るためなら、嫌いな人間でも手を取り、共に生存努力をすると。普通なら利害が一致していても、嫌いな人間とは手を結ばないものなのに、排除するわけでも、無視するわけでもなく、この人はそれでも手を取りに行く。たとえ相手が元空賊であっても。物好きな人だな、面白い人だなと、当時思いました」

 これまで聞きもしなかった言葉に、ユーリアは面食らう。

 

「そして思ったんです。こんな物好きな人の目指す理想が実現したとき、その時世界は、イジツは、どうなっているんだろうな、と」

 

 彼女は、飛行船の窓から果てなく広がる荒野を見渡す。

 

「あなたの理想が実現できるなら、そうなった世界を、ちょっと見てみたいって、興味がわいたんです」

 

 彼女はユーリアを見上げる。

「これがあなたの側につく理由ですが、どうですか?」

 彼女の話が終わったところで、ユーリアはようやく現実に意識が引き戻されたように目を瞬かせる。

 

「……ふふ。ははは」

 

 すると、彼女の口から笑いがこぼれる。

 

「ハハハ、フハハハハハ、あーははははは!」

 

 笑い続けるユーリアを前に、ハルカは戸惑い始める。

「あ、あの、ユーリア議員?何か気でも触れましたか?」

 心配する彼女をよそに、ユーリアは笑い声をあげる。羽衣丸の副船長は、自身のことを日和見派とか、正統的中道主義と言っていて、つまらないと思ったユーリア。でも、目の前の彼女は違う。

「あー、ごめんなさい」

 すると、彼女はハルカのあごに右手を伸ばし、顔を少し上げさせて視線を合わせた。

「あなた、面白いこと言うわね」

「そう、ですか?」

「ええ、とっても」

 ユーリアをガドールの高飛車女、変態などと悪く評することはあっても、面白いなどと評した人間に、彼女は出会ったことがなかった。

 

「……気に入ったわ」

 ユーリアは彼女に顔を近づける。

 

「なら、あなたは私の用心棒をこの先も続けなさい。私の目指す世界が実現されていく様を、私のそばという特等席で、しかとごらんなさい!」

 

「は、はい」

 あごが持ち上げられているので、彼女は口で応えた。

「だから……」

 途端に表情を引き締め、ハルカの両肩に手を置く。

「死ぬんじゃ、ないわよ。」

 ユーリアは、内心ガラでもないことを言ったものだと思う。だが、これだけ強い用心棒は滅多にいないので手放したくはないし、彼女と過ごす時間を、最近気に入りつつあった。

 それに、ハルカはユーリア議員の思想の数少ない理解者、ハリマ評議会のホナミ議員の血縁の人間。

 もし彼女をむざむざ失おうものなら、ホナミから一生恨まれ続けるのは想像に難くない。

「……はい」

 彼女はユーリアと目を合わせながら、静かに頷いた。

 

 

 一方そのころ、部屋の前では。

「聞いたか、弟」

「うん、お兄ちゃん」

ユーリア護衛隊の隊長と副隊長は、驚愕の表情を浮かべていた。 

「ユーリア議員が、あんなに笑われるなど……」

「これまでなかった」

 付き合いの長いユーリア護衛隊の2人でも、彼女があんなに笑う声を聴いたことはない。ユーリアが口にすることの多くは、政治的な話や議会に対する不満だったからだ。

 そんな彼女が笑い声を漏らしたり、ハルカの太ももを枕にしたり、最近は目に見える変化が訪れている。

きっと、理解者が少しずつでも増えて、自信が持てるようになり、心に少しずつでも余裕が生まれてきたのかもしれない。

「悪いことではないな、弟」

「ちがいないね、お兄ちゃん」

「それでも、我々のやることは」

「変わらないね」

 ユーリア護衛隊であるなら、彼女の理想が実現できるその日まで、彼女を守り続ける。それは変わらない。

 2人はそのまま静かに、部屋の前から去っていった。

 

 

 

 

 ガドールを出航してしばらく、次第に太陽が落ち、あたりを闇が支配する時刻になってくる。

 ユーリアたちは夕食を済ませ、食後のお茶を楽しんでいる。

「どうだった、食事は?」

「おいしかったです」

「そう、口に会ってよかったわ」

 ハルカと話してわかったことだが、空賊の食糧事情というのは決してよくない。競合する集団やあるいは自警団などから逃げ回る上で、食料というのは大事だが荷物にもなる。

 荒稼ぎしていたウミワシ通商でさえ、日々の食事は保存のきく堅いパンや粉の多いコーヒーとろくなものではなかったらしい。

 なので彼女は、食事はあくまで空腹を紛らわせる手段だと割り切っていたようだ。

 その割に、出るとこ出て、引っ込むところは引っ込むいいスタイルをしているが。

 空賊と悟られないよう食事のマナーはしっかりしているが、日々の食事がそんなものではあんまりだ。

 パイロットたちにとって、食事は戦闘の緊張から解放してくれる数少ない楽しみでもある。特に飛行船での長い船旅ならなおさら。

 飛行船での旅で一番大事なのは、腕の良いコックをのせているかどうかだ、と言われるほどであった。

 ユーリアは目を細め、向かいに座るハルカを見つめる。

彼女は家族を亡くしたことで、不安定な状態にあるのはユーリアも悟っていた。だから、日々の楽しみを少しでも作ることで、なんとかつなぎとめようと色々ひそかに策を講じていた。

 彼女の好みがわかれば用意もしやすいのだが、それがまだはっきりしない。というより、好みがあるのかどうかも定かではない。

 今度パンケーキ好きやカレー好きのコトブキ飛行隊隊員たちの協力を得て、食べ歩きにでも彼女を連れ出してもらおうかとユーリアは内心考える。

「隊長、アレシマへの到着予定は?」

「今の速度で行けば、明日の昼過ぎころの予定です」

 今のところ空賊に遭遇してはいないが、警戒は続けている。

 もっとも、議員の外遊の目的地や日程は議会や事務局に伝えてあるが、航路は秘密にしている。情報漏れがない限り、空賊の少ないルートを行けば遭遇は回避できるはず。

「そう。彼女の言う、空賊の根城のある場所を通るのは?」

「明日の明け方です」

 今回選んだ航路上には、空賊の根城が1か所存在している。

 アレシマは、物流の要所の町で、多くの輸送船が日々ひっきりなしにやってくる。

 アレシマ方面へ向かう輸送船を襲えば、高い確率で積み荷を積んでいる場合が多い。なので、周辺には空賊の出没が多数確認されている。

「わかったわ。それまで各員、十分休息をとっておくようにね」

「「「はい」」」

 ユーリアはお茶のカップをおくと、憂鬱そうな顔で言う。

「にしても、またアレシマなのね……」

 その言葉に、隊長と副隊長は苦笑し、ハルカは首を傾げた。

「何か、あったんですか?」

「自由博愛連合の会長イサオの策略で、空賊を使って私を殺しにきたのよ」

 こともなげにユーリアは言う。

「最後はイサオ氏の撃墜した飛龍が、ユーリア議員のいた対談会場、オーシャン・サンフィッシュホテルへと突っ込んできた。幸い、地面との摩擦で止まってくれたがね」

「……そんな場所が今回の対談会場なんですか?」

「言っておくけど、私は空賊どもがまた来ても避難しないわよ」

「議員の身の安全が最優先じゃ、ないんですか?」

「そうだけど、逃げたら議会のクソ野郎どもに散々突っ込まれるのがわかりきっているの!腰抜けって思われるのが一番癪なの!」

 隊長と副隊長は苦笑するしかなかった。ハルカも、これがユーリア議員の通常運転なのだなとあきらめる。

「それに、今回は悪魔の加護もあるもの。空賊が大人数で来ようとも問題ないわ」

「……悪魔は加護をくれるものではないと思いますよ」

 彼女は、それだけ自分があてにされていると感じる一方、悪魔と呼ばれることはやはり好きになれない。

 船員たちが食事の食器を片付け終えたところで、隊長たちは席をたった。

「では、持ち場に戻ります」

 ハルカも席を立つ。

「私も」

「待ちなさい」

 歩き出そうとしたところで、彼女はユーリアに首根っこを掴まれたたらを踏んだ。

「あなたはこの部屋にいなさい。私の話し相手兼護衛。いいでしょ?」

「でも、あとは寝るだけですよ?」

 彼女にも個室が割り当てられているので、シャワーを浴びて戦闘に備えて睡眠をとっておかなければいけない。

「なら私の隣で寝なさい。護衛なんだからそばにいるのが自然でしょ?」

 正論のようでとんでもないことを言ってくる議員に、彼女は唖然とする。

「大丈夫だ、ハルカくん」

 隊長が微笑ましい表情でいった。

 

「襲撃があれば、この部屋でもちゃんとサイレンがなる。聞き逃す心配はないから安心しなさい」

 

「いえ、そういう問題じゃ……」

「なら隊長、この子借りるわね」

「はい、構いません」

 本人の意向を無視し、話がまとまった彼女は、その場で項垂れるしかなかった。

 

 

 

 

 

「はあ……」

 議員の個室には、その部屋でしたいことが完結できるよう、トイレやシャワールーム、寝室等が全て一部屋にまとめられている。

 そのシャワールームの脱衣場で、彼女は服を脱いでいた。

「なんでこうなるかな……」

 彼女は小声で愚痴をこぼす。

 思い返せば昼間のやり取り、ユーリア議員のことを物好き、面白いと言って以降、距離を詰めようとしている。

 そのやり取りによって、ユーリアはハルカへ興味を持ったようだ。

「恥ずかしがらず、さっさと脱いじゃいなさい」

 せかす彼女に、ハルカは少々恥ずかし気に頬を染めながら服に手をかける。

 防寒用の茶色のジャケット、そして黒いシャツと上から順に脱いでいく。

 上半身が下着だけになったとき、ユーリアは彼女のある個所に視線が釘付けになった。

「ハルカ、それは……」

「……ああ。これですか」

 彼女は気にした様子もなく、淡々と言った。

 ユーリアの視線の先、ハルカの左腕の上腕には、腕を切り裂いたような大きな傷跡が走っていた。

 彼女の綺麗な肌の中でも肉がわずかに盛り上がっており、目立って見える。

「昔、九七式戦闘機に乗っていたとき、空賊が撃ってきた機銃弾が操縦席を貫通しまして。なんとか落としたんですが、気が付けば左腕から血が流れだしていて。傷跡が残ってしまったんです」

 わき腹にある傷跡は、先日のラハマ上空で行われた空戦の際、紫電改と戦ったときのものだという。

「後遺症は残らなかったの?」

「幸いにして。でも、あまり見られたいものじゃないですね」

「……いつから?」

「正確には憶えていませんが、大体8年くらい前ですね」

 そんな時期から彼女は危険な空をかけていたと思うと、ユーリアは表情を曇らせる。

 スカートも脱いだ彼女の体を見ると、日頃服に隠れて見えない部分には、切り傷や銃創といった傷がいくつか見られた。

「気にしないでください。戦闘機乗りは、人に見せたくない傷の1つや2つ、珍しくありません」

 そういうものの、ユーリアは気にならないわけではなかった。

 これまで彼女は、一体どんな修羅場を潜り抜けてきたのか。気になる一方で、知りたくない恐怖のようなものがあった。

 そして2人は、上から降り注ぐ温かいお湯の雫でその日の疲れを洗い流す。

 その間、2人は無言だった。

 

 

 

 

「そろそろ、出発時刻ですよ」

 ムフっと口端を上げて笑うおかっぱ頭に丸眼鏡をかけた男性に向かって、飛行服を着た白髪が目立つ男性は嫌そうな顔を向ける。

「目的は、例のガドールの高飛車女が乗った飛行船の撃墜、だったな」

 依頼の内容を確認する白髪の男性は、空賊シロクモ団の団長。

「ええ、そうですとも」

「戦力は、鍾馗が8機で間違いないんだな」

「勿論。私の情報が信じられないと?」

 丸眼鏡をかけた男性は、根城の中に並ぶ戦闘機を見つめる。

 白色の塗料で、機体全体を覆うように描かれた蜘蛛の巣の模様が特徴の、シロクモ団所属の12機の飛燕。

「こちらは、飛燕が12機。加えてアレシマから助っ人を2人呼んでおります。助っ人は、疾風が2機。十分な戦力でしょう?」

「金の約束は?」

 丸眼鏡をかけた男性が指を鳴らすと、部下と思しき人物が大きなトランク3つを開けた。

 中には、札束が敷き詰められていた。シロクモ団の団員たちは息をのむ。

「……わかった。行くぞ!野郎ども!」

 団員たちは団長に続き、乗機の操縦席へと滑り込んだ。

「ムフッ、ガドールの高飛車女。私たちの野望を邪魔してくれたお礼に、今夜伺いますよ」

 男性は1人口角を上げ、ムフッと笑っていた。

 

 



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第5話 出撃 ユーリア護衛隊

順調にアレシマへ向かう道中、ユーリア議員の行動に戸惑う彼女。
だが彼女の情報通り、襲撃者の手が忍び寄っていた。


「あの、ユーリア議員……」

「何かしら?」

 背後から聞こえる声に、ハルカは問いかける。

 

「なんで、こうなっているんですか?」

 

 ハルカはベッドの上で、ユーリアに後ろから抱きしめられている。

 因みに、ユーリアは寝間着に着替えているが、ハルカは防寒用のジャケットとブーツを身に着けていないだけで、寝るときも昼間と格好は変わらない。

 護衛隊はいつ出撃になるかわからないため、昼夜問わず着替えはするが同じ格好でいることが多い。

 この部屋にいろとユーリアに止められ、ならソファーで寝ようかとも思ったが、あろうことか隣で寝ろというお達しが出た。

 なんでこうなる。彼女はそう思わずにはいられなかった。

「こうして接している方が、お互い存在を確認できて安心できるでしょ?」

「……どんな安心ですか?」

「お互いが体温を感じている間は、2人とも無事ってわけ」

「……冷たくなれば死亡と判定ですか?せめて腕を離してください。襲撃があった場合、動きにくいんですけど」

「大丈夫よ。もし誰かがこの部屋のドアを開けて私を殺そうとしてきたら、このままあなたを抱えて盾にするから」

「……肉の壁ですか?銃弾に撃ち抜かれそうですよ」

「でもあなたに死なれるのは困るわね。なら、背中を向けてあなたを守るわ」

「それでは用心棒の意味がないんですけど……」

「枕としての意味はあるんじゃないかしら?昨日してもらった膝枕は、とっても気持ちよかったもの」

 その時の場面や隊長たちとのやり取りを思い出し、彼女はユーリアからは見えないが頬を赤く染めた。

「あれは議員が突然してきたんじゃないですか。それだけじゃ飽き足らず、今度は抱き枕ですか?」

 

 彼女は、このユーリアという人物がわからなかった。

 

 ガドールの高飛車女、積極的融和派、反乱分子。彼女を語るレッテルは多いが、こうして生活を共にしていると、そのどれもが彼女のごく一面しかとらえていないことがわかる。

 さきほどのレッテルは、あくまで彼女の議員としての顔であって、議員じゃないときの顔をとらえてはいない。

 ただ1つ、毒舌というか率直な物言いは議員でも私人でも変わらないことがわかった。

 他に頼れる情報源といえば、彼女とキンダーのときからの付き合いだという、幼馴染のマダム・ルゥルゥしかない。

 マダム・ルゥルゥ曰く、彼女は……。

 

 

―――変態……。

 

 

「痛っ!」

 突如襲ってきた鋭い痛みによって、脳内会議から現実に引き戻された。

「な、なにす、いだだだだだだ!」

 いつの間にかユーリアは、ハルカのスカート上から、彼女のお尻を抓っていた。

「……なんだか、とっても失礼なことを考えていそうだったからよ」

「人の心を読まないでくださ、いだだだだだだ!」

 図星だったことを素直に応えてしまった結果、しばし彼女は痛い思いをすることになってしまった。

 

「あなたがわかりやすすぎるのよ。正面から見えてなくてもわかるわ」

「そんなにですか?」

「ええ」

 悲しきかな否定できない。

 先日、ラハマへみかじめ料を返しに行った際、コトブキ飛行隊隊長のレオナに、なぜ立ち寄ったのか問い詰められ、咄嗟に言った誤魔化しの言い分が全て疑われる程度には彼女はわかりやすいのかもいれない。

 ふと、再びハルカに腕が回される。

「どうせルゥルゥが、私のこと変態だ、とでも吹き込んだのでしょう?安心しなさい、変なことはしないから」

 なら今、年下の女性を腕の中に抱いているのは変なことではないのか、と疑問がわく。

「時々ね、人肌が恋しくなるの」

 そういわれると、彼女はまわされた腕をほどくことができなかった。

 こんなこと、護衛隊の隊長たちや飛行船の船員たちには頼めない。

 用心棒としてそばにいて、同性の彼女くらいしか。

 ハルカは回されている腕に手の平を重ねた。

「議員がそう思うこと、あるんですね」

「……私だって人間よ。寂しかったり、悲しかったり、イライラしたり、人肌が恋しくなることだってあるわよ」

「……マダム・ルゥルゥとは、旧知の仲、なんですよね?」

「そうよ。キンダーの時からの縁。彼女はガッチガチの現実主義者だったから商人に。夢見人の私は政治家の道へ」

「でも、仲悪そうに見えますけど……」

「長い付き合いだもの。そんなときもあるわよ」

 ユーリアの遠慮のない物言いに対し、ルゥルゥは文句ひとつ言わない。

 恐らく、ユーリアはそれでも受け止めてくれることがわかっているし、マダムもユーリアの物言いが昔から変わらないからあきらめているのかもしれない。

 

 切れない縁。

 

  結局は、それが答えなのかもしれない。

 隊長たちが言うには、愛しているわ、と衆人環視の前でいったのだとか。

「だったら、こういうことはマダムにお願いしては」

「できるわけないでしょ」

 即答される。それなりの大人の女性同士が抱き合う。それはそれで一定の需要があるのかもしれないが、絵面を想像するとスキャンダルのもとになりかねない。

「気を付けなさい。彼女は人を踊らせるのが得意だし、朱に交われば赤くなる」

「赤いドレスを着ているだけに、ですか?」

「そうね。でも、あなたは染まる必要はないわよ」

 彼女は耳元でいう。

「コトブキと仕事するときは、気を付けなさい」

「……はい」

 間もなく、後ろから寝息が聞こえてくるのを確認すると、ハルカも目を閉じた。

 ユーリアは距離を詰めてきている。

 すくなくとも、邪険にされるよりは余程ましだが、彼女との接し方を考える必要があると、思わずにはいられない。

 

 

―――誰かのぬくもりを感じながら寝るのって、何年ぶりだろ。

 

 

 ユーリアの体温を背中に感じながら、ハルカは思う。

 昔は、隣で誰かが寝ているのが当たり前だった。

 幼い頃は母親や父親、姉に兄。そして、祖父母。

 

 でも、みんな1人、また1人といなくなった。

 

 みんな、彼女を置いて、向こう側へ行ってしまった。

 

 ウミワシ通商に居た頃は、部屋で1人過ごしていた。でも、まだ家族が遠くの地で生きていた。

 この同じ空の下に、みんないるんだと。そう思って寂しさを紛らわせていた。

 その彼らも、もういない。

 ガドールに来てすぐ自室で寝るとき、彼女は本当に今の自分は1人なのだと痛感した。自室は不気味なくらい静かで、寒かった。

 電話をかける先も、手紙を送る先も、もうない。

 部屋ではあまり寝られず、班長たちが寝静まるころを見て、彼女は愛機の零戦、レイの操縦席へと潜り込んで、そこで寝ていた。

 そこなら少なくとも、祖父との思い出が、彼女を温めてくれたから。

 

―――温かい。

 

 少し変態という噂が気になったが、誰かが一緒に居てくれるということに、彼女は安心感を覚えていた。

 そして、次第に彼女も眠気にまけ、意識が沈んでいった。

 

 

 

 腕の中の彼女の寝息が聞こえてきたのを確認し、ユーリアは目を開ける。そして、ハルカをひっくり返して自分と向かい合わせる。

 安らかな寝顔に寝息。安心して眠っているようだ。

 彼女は、柄にもないことをしていると思っている。

 でも、彼女を1人にできない理由があった。

 それは数日前、護衛隊の整備班長からある報告を受けてからだった。

 

 

『ハルカが零戦の操縦席で寝ていた?』

『ああ、整備始めようと1人格納庫に早朝に行ったらな。何かあったのか?泣いたあとがあったぞ』

 

 

 そんな報告を受けては、居ても立っても居られない。

 その理由も、察しがついた。

 身内の殆どを失った今、彼女にとって家族とのつながり、思い出になるようなものはあの零戦くらいしかない。

 話を聞けば、なんでも大好きだった祖父と父が一緒に作ったものの1機らしい。

 まだ慣れない環境で1人、適応しようと必死になるも、彼女に投げかけられる言葉は護衛隊から出ればひどいものが多い。

 とくに、議会で非難を浴びたとき彼女は小刻みに震え、怯えていたのを覚えている。

 よりどころとして、家族との思い出に浸りたくて、それしか支えがないから、愛機の操縦席に居たのだろう。そうユーリアは考えた。

 同時に、危ない状態であるとも察した。

 折角彼女はユーリアの考えが、面白い、そう言ってくれた。

 そんな理解者を失いたくない。手の届くところにいる人間1人救えないものに、大きなことがなせるわけない。

 その言葉をユーリアは破らないため、こういう行動に出たのだった。

「……まったく」

 ユーリアは彼女に回した腕に力をこめる。

「周りを頼りなさい、そう教えたはずでしょ」

 たとえ、血縁の人間ほどではなくても。

 ユーリアも眠気にまけ、瞼をさげた。

 

 

 

 

 周囲を闇が包む世界。

 イジツの夜は、月明りで空戦ができる程度には明るいが、夜目に慣れるため船橋内は暗く、最低限の明かりのみにおとされている。

 その暗い中、レーダーのモニター上に、点滅する光点が表示される。

 

「船長、2時の方角に機影です」

 

 座っていた飛行船の船長は、帽子をかぶりなおし、表情を引き締める。

「呼びかけに応答は?」

 通信士が不明機に交信を試みる。

「ありません」

 彼は時計を見る。今回から参加した、あのユーリア議員が連れてきた用心棒。

 彼女の情報によると、明け方、この船は空賊の拠点の1つの近くを通ると言っていた。

 時計の針は、朝6時を示していた。

「……流石は元同族、情報は正確だったということか」

「機影の数、12。高速で接近中。戦闘機と思われます」

「やり過ごすことは?」

「無理です。明るくなってきましたし、それに戦闘機ならともかく、飛行船が隠れられる雲が少なく、難しいかと」

「……わかった」

 彼は無線のマイクをとり。船内全体に送信するよう設定する。

「総員、戦闘配置!戦闘機隊は、直ちに出撃!」

 

 

 

 

 サイレンの音が耳の鼓膜を激しく揺さぶり、脳を一瞬で覚醒させる。

 眠っていたハルカは、正面にユーリアの顔があるのに一瞬戸惑ったものの、ベッドから抜け出ると、ハンガーにかけてあった防寒用のジャケットに袖を通し、次いでブーツに足を通し、ジャケットの横にかけておいた飛行眼鏡を手に取る。

「……ハルカ、どうしたの?」

 目をこすりながら、寝間着姿のユーリア議員が体を起こす。

「敵襲です!ユーリア議員は早く船橋へ!」

 ドアがノックされる。

「失礼します!」

 返事を待たず、ドアが開け放たれる。護衛隊の隊長と弟さんだ。

「隊長!」

「準備は!?」

「いけます!」

 隊長は頷くと、ユーリアに視線を向ける。

「出撃します。議員は早く船橋へ!」

「わかったわ」

 彼女は寝間着の上に防寒用の上着をきる。

「格納庫へ走るぞ!」

 隊長たちを追って、彼女は駆けだそうとする。

「ハルカ」

 ユーリアの声に、彼女は足を止める。

「気を付けて」

 彼女は議員に向きなおり、礼をすると隊長たちの後を追って走り去った。

 

 

 

 飛行船の下層の方にある格納庫を目指し、ユーリア護衛隊の隊員たちは走る。緊張に表情を引き締める者、眠気がまださめず眼をこする者、目覚めない同僚を引きずって走る者など色々いるが、それでも向かう場所は同じ。

 廊下をかけ抜け、先頭を走る隊長がドアを開け放った先は、護衛隊所属の戦闘機の並ぶ格納庫。

「各員、すぐ始動準備にかかれ!」

「「「はい!」」」

 各員が乗機の操縦席へと滑り込む。

「班長!」

「おう嬢ちゃん!いつでも出られるぞ!」

 イナーシャハンドル片手に準備万端を伝える整備班長に笑みを返しつつ、ハルカも主翼の付け根から上り、操縦席へと滑り込む。

 各計器類を確認、異常なし。

 レバーを回して、カウリングの左右側面のカウルフラップを展開。

 いつもの手順を進め、彼女は叫んだ。

 

「始動準備!」

 

 翼の下で待っていた整備班長がエンジンの右側からイナーシャハンドルを差し込み、回し始める。

「点火!」

 班長の合図でハルカはエンジンを始動させる。

 栄エンジンが唸りを上げ、目の前の3枚羽のプロペラが回りはじめ、間もなくカウリングの左右から伸びた推力式単排気管から排気が勢いよく噴き出され、プロペラが回転速度を増していく。

 暖気運転を行う間に、動翼やプロペラピッチの確認を行う。

『全機、相手はおそらく飛燕が12機ほどと思われる。数の上では相手が上だ。用心していくように』

 隊長からの言葉を聞きつつ、確認を終える。暖気が終わり、全機の車輪止めが外される。

「総員注意!制動開始!」

 班長の声に整備員たちは危険個所より退避。隊長と副隊長の鍾馗が動き出し発艦位置へ向かう。それに続き、ハルカはブレーキから足を離し、零戦を滑走路へ向かわせる。

 腰のベルトを締め、副隊長機の後方位置で停止する。

 これまで飛行船を襲撃した経験は数多あれど、護衛した記憶は数えるほど。

 飛行船を護衛するうえでの注意事項を思い出しつつ、発艦の番を待つ。

 副隊長機の鍾馗が飛行船から飛び立つのを確認すると、進路脇の信号に目を向ける。

 点滅していた緑色のランプが常時点灯に変わる。指示に従い、彼女はスロットルレバーを徐々に開く。

 零戦が加速を始め、速度を増していく。操縦桿を軽く前に倒し、尾部を持ち上げる。

 そしてさらに速度を増し、揚力を得た翼が空をつかんだ瞬間、飛行船から飛び出した。

 一瞬機体と体が空に沈み込む奇妙な感覚の後、着陸脚と尾輪をしまってカウルフラップを閉じると、隊長機のそばに機体を誘導する。

 後方から次々発艦してくる味方を背に、彼女は2時方向に視線を向ける。

 月の光のおかげで、イジツの空は言うほど暗くはないが、それでも昼間に比べれば視界は悪い。

 誘導灯や排気管の炎の光を頼りに、味方と衝突しないよう注意を払う。

『全機、無事に発艦したな』

 護衛隊の8機の鍾馗と1機の零戦が、前後2列に並んで飛ぶ。

『前方に機影を確認。情報通り、飛燕が12機ほどだ』

 前方に、月明りに照らされ鈍く銀色に輝く機体が見える。

『各機、2機編隊でいく。敵を追いすぎて飛行船から離れないよう注意』

「隊長」

『なんだ?』

「私は、隊長の指揮下に入りますか?」

『いや、君は好きに動いてくれていい』

「……いいんですか?」

『頼りにしている』

 ハルカはため息を吐き出す。

「……了解」

『よし。ユーリア護衛隊、いくぞ!』

「「「了解!」」」

 彼女はスロットルレバーを開き、雲の中へと飛び込んでいった。

 

 

「お、来たな」

 機体全体を覆うように描かれた蜘蛛の巣模様が特徴の、空賊シロクモ団の飛燕。その先頭を飛ぶ団長は、狭い操縦席の風防から前方を見る。

「飛行船から飛び立ったのは、鍾馗が8機か」

『団長、依頼人の情報通りっすね』

 団長は、飛行船の襲撃を依頼してきた、丸眼鏡をかけたいけ好かない男のことを思い出す。態度が気に入らない男だったが、報酬は破格。

 内容は、用心棒の鍾馗8機を落として飛行船を落とすだけ。

 こんなうまい話はない。

 シロクモ団は飛燕12機に依頼人が用意した助っ人が2機。標的の用心棒は8機。普通に戦えば負ける戦闘ではない。

「よし、シロクモ団。全機、いく」

 突如、先頭を飛ぶ団長の機体を振動が襲った。

「な、なん」

 エンジンを積んだ機首から煙が上がり、瞬く間に火を噴き出した。

「い、いったい何」

『だ、団長!』

 団長の乗った飛燕は制御を失い、地面に向け高度を下げていった。

 その直後、彼は雲から飛び出してきた1機の飛行機が、すれ違い様に副団長の飛燕を撃墜していくのを、視界の端に見た。

 

 

「まず2機」

 雲に隠れながら距離を詰めたハルカは、シロクモ団の側面から仕掛けた。空賊は、飛燕10機が後方2列に分かれて飛び、先頭に1機、そのすぐ後ろの斜め後方に1機いるという、誰が団長なのかあからさまな布陣だった。

 先頭を飛ぶのが団長、そのすぐ後ろにいるのが副団長と悟った彼女は、その2機の撃墜を最優先にした。

 右側面の、少し上方から降下しつつ、すれ違い様に団長機と副団長機を撃墜。

 水平に右に旋回し、シロクモ団の後方につき、13.2mm機銃を撃ちこむ。

 機銃弾は飛燕の急所、胴体下のラジエーターに命中。冷却機構をやられた飛燕が1機落ちていく。

 敵が二手に分かれた。片方はそのまま直進、別れた方は左へ旋回。恐らく後方を取るつもりだろう。

 彼女は周囲を気にしながら前方を飛ぶ飛燕をまた1機落とす。

『ハルカ君!後ろについたぞ!』 

 隊長の声に後ろを振り向く。

 さきほど別れた飛燕が、案の定後方についた。

 機首の機銃が火を噴いた。彼女はフットペダルを踏んで機体を滑らせて回避。スロットルレバーを開き、前方を飛ぶ飛燕との距離を詰める。

 すると、後方を飛ぶ飛燕の銃撃がやんだ。

 彼女の進路上に味方がいる。撃てば彼女に当たるかもしれないが、味方を落とす可能性がある。

 その心理のせいで発砲できないでいる。

 そんな状況に焦れた数機が発砲。機首を下げて降下。彼女に当たるはずだった機銃弾は味方を誤射し、3機が落ちていく。

味方を誤射したことで隙ができた後方の飛燕の下へ回り込み、下方から機首をあげ、飛燕のラジエーターを撃ち抜く。また2機、煙を拭きながら落ちていく。

 

 

「……いい腕ですね」

「悪魔の名は伊達ではない、……ということか」

 飛行船の船橋の乗組員たちは、前方で繰り広げられている光景に唖然としていた。船橋内の雰囲気を見て、ユーリアは思惑が上手くいったことを実感した。

 彼女は護衛隊の隊長と隊員たちに、襲撃があったらスピードを落として進み、ハルカの零戦を先行させるように指示をしていた。

 

―――空戦があったら、彼女に極力敵を落とさせなさい。

―――彼女の実力を、披露するためにね。

 

 日々ともに過ごす時間の多いユーリア護衛隊のパイロットや整備班と違い、飛行船の乗組員たちは彼女の経歴は聞かされても人となりや技量は知らない。

 それに、彼女の元空賊という経歴故に疑っているものも多い。その状態を一刻も早く解消するために、ユーリアは護衛隊と結託して彼女の実力を披露する機会を作ったのだ。

 

―――お披露目はもう十分かしら。

 

 接敵した護衛隊の8機の鍾馗が、2機ずつに分かれ飛燕へと挑みかかっていく。といっても、すでにハルカが半数近くを落としている。

 もう、勝敗は決した。

「レーダーより敵機の反応、消失しました……」

 数の上では空賊が上だったにも関わらず、あっという間に決着がついたことに乗員たちは唖然としている。

「船長、護衛隊に帰還命令を出してちょうだい」

「は、はい……」

 戸惑いながらも、船長はマイク片手に言う。

「護衛隊全機へ。空賊がレーダー上より反応消失。全機」

「待ってください!」

 船橋内に、電探担当の声が響いた、

「2時方向より、高速で接近する機影あり。数2。戦闘機と思われます」

 そのとき、雲を突き破り、全体を黒と灰色の迷彩模様で塗られた、シロクモ団の飛燕とは明らかに異なる機体が現れた。

 2機並んで現れた機影は、護衛隊9機の機体の中で、迷うこともなく彼女の零戦の後方につくと機銃を一斉に放った。

 

 

「っち!」

 ハルカはフットペダルを蹴りこみ、直後に機体を急旋回させて銃弾を回避する。

 後ろを振り返ると、追いかけてきているのは、機体が黒と灰色で塗られて視認しにくいものの、鍾馗の姿に隼を合わせたような特徴的な姿で察した。

「疾風か!」

 彼女は機体を左右に滑らせて銃撃を回避する。そして機首を下げて雲の中へ逃げ込む。

 疾風は雲の中には入らず、彼女が上昇してくるのを待っている。

 雲の中は気流が悪いし、雲で視界が遮られ上方の状況がわからない。

 彼らは無理に深追いせず、彼女が上がってくるのを待つ。

 次の瞬間、変化が訪れた。雲を突き破り飛来したのは機銃弾だった。下方からエンジン付近を撃ち抜かれた疾風が、1機落ちていく。

 その機銃弾の弾幕の後ろから、彼女の零戦が現れた。

 だが、残りのもう1機の疾風はさきの機銃弾を回避するため上昇しており、空中で反転し零戦の背後へ回り込んだ。

 すると、零戦は機首を下げて急降下に転じ、疾風もあとを追う。

 疾風のパイロットは、一瞬笑みを浮かべた。零戦52型丙が、急降下速度が引き上げられているとはいっても、疾風には及ばない。

 先に制限速度になって機首を上げるのは相手だ、そう確信を抱く。

 間もなく訪れる上昇に転じた瞬間を狙えばいい。そう考えた。

 速度計の針が、次第に52型丙の制限速度に近づいていく。

 疾風が近づき、彼女の真後ろについた。

 

―――今!

 

 零戦は降下をやめ、機首を持ち上げた。上昇、ではない。

 ハルカは零戦を、機首を上げた状態で固定。その姿は、首をもたげた蛇のようだった。

 機体全体を降下方向に対して垂直に持ち上げたことで、空気抵抗が増し零戦は大きく減速。後方の疾風は衝突を避けるため右へ舵を切り追い越した。

 ハルカは即座に機首を下げて機体を降下させ、疾風の後ろをとる。

 13.2mm、20mm機銃計3丁を一斉に放つ。命中した主翼付け根から火の手が上がるも、間もなく消火装置が作動したのか鎮火される。

 だがさらに撃ちこまれた機銃弾は、疾風の垂直尾翼に右側の水平尾翼、左主翼の翼端を損傷させた。バランスを崩した疾風は煙をふきながら、荒野へ落ちていった。

「……はぁ~」

『ハルカ君、無事か!?』

 隊長の焦った声が聞こえる。

「無事です。疾風は2機とも落としました」

『そうか……』

 遅れて、安堵の息をはく音が無線から聞こえる。

『レーダー上に空賊の機影なし。全機、帰還してください』

「……了解」

 護衛隊全機が、飛行船へ機首を向ける。彼女も愛機の機首を向ける。

「はあ~」

 安堵した彼女も、操縦席内で大きく息を吐き出す。

「フフ……」

 操縦席内で彼女は、不敵な笑みを浮かべた。楽しそうでありながら、不気味な笑みを。

 体を刺すような寒さ、一瞬の気のゆるみも許されない高速での空戦、火薬の燃える硝煙の匂い、体を押しつぶさんばかりのG。そのどれもが、今の彼女には愛おしかった。

 生と死の交錯する空。迫る死の気配、得られる生の実感。

「……ハハハ」

 飛行船に戻るまで、彼女はどこか楽しそうに、小さく笑い声を漏らしていた。

 

 

 

 

「どういうことだ!話が違うじゃねえか!」

 ボロボロになった服装で、着の身着のまま根城に帰ってきたシロクモ団の団長と団員たちは、待っていたいけ好かない態度の、丸眼鏡をかけた依頼主に怒鳴った。

「何が違うというのでしょうか?」

「とぼけるな!相手は鍾馗8機という話だった!零戦が1機いるなんて聞いてないぞ!」

「零戦1機増えたところで、何か問題でも?飛燕12機に疾風2機。十分でしょうに」

 それだけそろえて全滅したのか、おまえたちは。とでも言いたげに依頼人は団員たちを冷めた目で見つめる。

「ただの零戦じゃない!あの噂の機体だ!」

「……噂」

 依頼人、ヒデアキは目を僅かに細める。

 噂になっている零戦。

 数で優勢だった状況でも立ち向かい、状況をひっくり返した技量。

 彼の頭に、1つの可能性がよぎった。彼は先日、その現場を遠くから見ていたのだから。

「噂の、というと、もしや……」

「蒼い翼の零戦だ!あいつがいるなんて聞いてない!知っていたら、初めからこの話をうけるなんてしなかった!」

 ヒデアキは団員たちのことなど目に入らないようで、1人何かをつぶやいている。

「あやつが、ユーリアに……。なぜ」

「とにかく!おれたちを騙したんだ!報酬は払ってもらうぞ!」

 ヒデアキの手振りで、部下であろう男たちは全員銃を抜いた。

「おっと動かないでくださいね」

「……貴様」

「依頼が失敗したのですから、報酬は当然なしです。それとも、命と引き換えに金を奪いますか?」

「……こいつ」

 そのまま動けないシロクモ団の団員たちを背に、依頼人、ヒデアキは根城をあとにした。

 

 

「どうなさいます?」

「……彼らの話が本当か、確かめる必要があります。彼らの目的地はアレシマでしたね?」

「はい。ガドールの協力者によると、ですが」

 ヒデアキは顎に手をあて、何か考えるしぐさをする。

 ウミワシ通商の崩壊以降、行方がわからなかった蒼い翼の零戦。敵になったとすれば、かなり厄介な相手になる。

 自由博愛連合は、今はまだ表立って動くときではない。

 ならば、使える手駒を使うまで。

「アレシマ警備保障に連絡を。対談の日に、襲撃を行いましょう」

 彼は日の登り始めた空を見上げながら、ムフッと笑った。

 



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第6話 裏の世界の住人と心配性の議員

無事に目的地アレシマに到着したユーリア議員たち。
対談までの時間を利用し、地形や襲撃ルート等を探る
ため町の散策に出る彼女。そして馴染みの情報屋から、
気になる情報を聞かされる。


「飛行場からオーシャン・サンフィッシュホテルまで大通りが1本。直進できる。脇道は……、結構ある。戦力は市立飛行警備隊の飛燕に自警団、っと」

 太陽が傾きつつあるころ、ハルカはアレシマの街中をメモ帳片手に歩いていた。

『無事に到着できて、何よりね』

 そうやって、ユーリア議員を載せた飛行船がアレシマの飛行場に到着したのは、昼過ぎの頃。あの襲撃を退いて以降、幸い空賊に襲われることなくアレシマへと到着することができた。

 ホテルに今日は移動しないで飛行船に議員は残るということなので、ハルカは議員と隊長に了承を得て、アレシマの散策にでることにした。

 といっても、目的は観光やまして買い物や食べ歩きでもない。アレシマの地形や、襲撃が予想される場所、襲撃にあった際の脱出経路などを歩いて把握するためである。

 彼女はアレシマに何度か来たことはあるものの、あくまでウミワシ通商の人間だったとき。用心棒としてはまた役割が違ってくる。

 イケスカ動乱以降、イジツは依然混乱の中にある。特にユーリア議員の取り組みは、旧自由博愛連合とイジツを二分する派閥の一派なのだから狙われる理由はいくらでもある。

 空から空賊が襲ってくるケースは勿論、地上から殺し屋等が襲ってくる場合も想定しなくてはいけない。

 存在するルートを把握するためには、自分で歩いて確認するのが一番早い。

「さて、ちょっと用事を済ませますか」

 彼女は大きな通りから脇道へ入り、細い路地裏を進んでいく。

 

 

 細い路地裏を進んだ先にあったのは、小さな露店の集まり。ヤミ市と呼ばれる場所。

 アレシマは、広い通りに面している場所は一見秩序があり、にぎわっているように見える。

 だがイケスカ動乱以降、この町も復興に忙しい町の1つ。

 脇道へ入ってしまえば、マフィアが暗躍する治安の悪い町へと表情を変える。

 彼女は周囲を警戒しながら目的の市。正確には人を探す。

 

 

「そこのおネエさ~ん」

 

 

 聞き覚えのある声に振り向く。その声の主は、紫色の髪をまとめ、黒のジャケットに珍しいストライプの模様の入った服装を着ている。

 そしてシャツの一部はボタンが外され、服の上からでもわかる豊かな胸の一部を拝むことができる。

「どうっすか?寄って行かないっすか?色々取り扱っているっすよ~」

 そしてこの独特の口調。彼女は呼ばれた露店へ向かっていく。

「何をお探しでしょうか?」

 ハルカは店主に向かって言った。

 

「そうですね。……じゃあ、ウォッカで」

 

「ハハハ、いいっすよねウォッカ。無論、薄めてあるものっすよね?」

 彼女は、店先に並べてある市販のウォッカをすすめてくる。

 あいにく、求めているものはそれじゃない。

「いえ、ストレートで」

 店主は微笑む。

「お客さん、キッツいのが好きなんすねえ。喉がやけるっすよ」

「……ええ」

 ハルカも店主と同じく微笑む。

 

「喉が焼けるほど体を温めてくれる、きつい刺激が好きなんですよ」

 

 それを聞いた店主は、そばにいる部下らしき人を手招きする。

「店番頼むっす」

 そういって、彼女は店の裏にある通りへ歩いていく。彼女もあとを追う。

 少し歩いたころ、目の前の紫の髪の女性が振り返った。

 

「久しぶりっすね、ハルカさん」

 

 彼女は微笑みながら応える。

「お久しぶりです、レミさん」

 

 この人こそ、彼女が探していた目的の人物。

 名を、レミという。

 

 

 

 レミはタネガシを拠点にするマフィア、ゲキテツ一家の幹部の1人。

 何者にも縛られない気ままな自由人。

 故に、流れ雲と呼ばれる。

 彼女とのなれそめの始まりは、ハルカが空賊時代、敵対勢力の情報を手に入れるため情報屋を当たっていた中で出会った。

「聞いたっすよ。ウミワシ通商が崩壊したって」

「……相変わらず耳が早いですね」

「それが私の役割っすから」

 口角を上げながら、彼女は言った。

 情報伝達の手段が、新聞や口コミ、数少ないラジオ、飛行機便による手紙が主体のイジツでは、情報が1週間遅れで他都市に伝わることは珍しくない。

 それでもレミは、世間ではあまり騒がれなかったウミワシ通商の崩壊を知っていた。

 彼女は、ゲキテツ一家の中では裏方として動いていて、情報収集や諜報戦、工作活動を得意とする。

 なので、彼女は些細な噂も最新の情報も詳しい。

「で、今回は何をお求めで」

「……1つは、イケスカにいった人物」

「残念すけど、進展がないっす」

 ハルカは表情を曇らせる。

 イケスカに行ったきり消息不明になった、彼女の祖父。

 彼女は何度もイケスカに足を運んだが、祖父の足取りはつかめなかった。

 なら裏の世界の住人ならと、レミに情報収集を頼んでいた。

「そう……」

「まあ、引き続き調べるっすから、進展があったらすぐ伝えるっす」

「お願いします」

 でも相変わらず進展がない。それでもあきらめきれず彼女は依頼を頼み続ける。

「で、他には?」

 

「アレシマの現状について」

 

 途端、レミの瞳が鋭く細められる。

 先ほどまでのにこやかな笑みはどこへやら、親の仇でも見るような瞳だ。

 

「それは、何で知りたいんすか?」

 

 彼女は周囲を見回した。恐らく、周囲にはレミの部下が配置されているはず。

 情報屋として彼女を使ってはいるものの、実のところ彼女はどんな情報もくれるというわけではない。

 レミが提供してくれるのは、あくまでゲキテツ一家に被害が及ばない情報だけだ。

 空賊時代、レミはハルカへの情報の提供に慎重だった。

 

 空賊とマフィア。

 

 はたから見れば同じものと目に映るかもしれないが、マフィアは荒れくれ者たちに行き場を与え、形はどうあれ町を統治する組織。

 それに対し空賊は、知っての通り荒れくれ者たちの集まりで、略奪者。

 マフィアと空賊は、場合によって手を組みもすれば、敵対もする。

 ゲキテツ一家は、少なくとも空賊と手は組まない。

 あくまで、ハルカのいたウミワシ通商の敵対勢力の殲滅が、ゲキテツ一家にとって利益になる場合のみ彼女は協力してくれた。

 

「もう一度聞くっす。なんで知りたいんすか?」

 

 鼻先が触れそうなほど顔が近づき、その視線に射抜かれる。

 彼女は落ち着いた口調で言う。

 

「……警護対象の、安全確保に必要だから。あなたたちの、アレシマのマフィア統一の邪魔をする気はない」

 

 レミは品定めする視線で見つめる。

 まもなく、にこやかな笑みを浮かべるレミに戻った。

 

「まあ、そうっすよね。ガドール評議会護衛隊の、ハルカさん」

 

 彼女はハルカが左胸に着けている、翼にガドールのマークをあしらった徽章を指でつつく。

「議員の用心棒である以上、こちらが手を出さない限り、敵対することはないっすよね~。商売がやりやすくなったっす」

 今彼女は、ユーリア議員に雇われている用心棒。

 少なくとも、ゲキテツ一家が議員に手だしをしない限りは戦う必要はないし、そもそもゲキテツ一家がそうする理由もない。

「現状、アレシマ議会は割れているっす」

「ユーリア派と、自博連派?」

「そうっす。もともとイケスカ派の町だったせいか、今でも自博連派はいるっす。そしてその政情不安の隙に、アレシマのマフィアを統一しようと、色んな勢力が動いているっす」

「ゲキテツ一家も?」

「無論っす」

 この政情不安を利用し、あわよくば裏の世界を牛耳る。この物流の要所のアレシマの裏を支配できれば、それは大きな利益を生み出す。

「ただ最近、空賊なのか会社なのか、よく分からない組織が増えて、困っているんすよ」

「よく分からない組織?」

「アレシマ警備保障っていうっす」

 聞きなれない名前に、彼女は首をかしげる。

「名前の通り警備会社じゃないの?」

 レミは首を振る。

「傍目にはそう見えますけど、どうも怪しいんすよ」

「何が?」

「アレシマ市長が、町の警備強化のためにイケスカのある会社と共同で設立したらしいんすけど、おかしくないっすか?」

「……アレシマには、市立飛行警備隊と自警団がいる」

 アレシマは栄えている町ということもあり、市立飛行警備隊と自警団には高価な機体が配備されている。

 特に市立飛行警備隊には、液冷エンジンを搭載する飛燕が配備されているほどだ。

 それほど予算に恵まれているアレシマであるものの、イケスカ動乱以降航空機需要が高まり、同時に部品の需要も高まり、値段が高騰。整備もままならない飛行隊があるという。

 アレシマも例外ではなく、かつては綺麗な銀色の機体だった市立飛行警備隊の飛燕は、所々サビ、手入れがあまりされていないのが見えた。

 会社を立ち上げる費用があるなら、まず既存の飛行隊に予算を投じるべきだろう。

 あるいは、そうせざるをえない事情があったか。

「その、共同でアレシマ警備保障を設立した際の、イケスカの会社っていうのは?」

 レミは静かに言った。

 

「ブユウ警備保障」

 

 ハルカは目を細めた。

 

 ブユウ警備保障。

 

 かつてイケスカ動乱の際、ユーリア議員たち反イケスカ連合が戦った、自由博愛連合の会長、イサオ氏が会長を務めるブユウ商事の警備部門。

「今は真っ当な会社?」

「それがあやしいんすよね~」

「どういうこと?」

「アレシマ警備保障が設立されてから、空賊がアレシマ周辺に現れることが増えたっす。その空賊を追い払いにアレシマ警備保障の機体がいつも飛んでいくっす。市立飛行警備隊や自警団が出る前に」

 妙な話だ。

 地上設置型のレーダーで常に警戒を行っている市立飛行警備隊や自警団と違い、アレシマ警備保障はあくまで会社。その会社が、市立飛行警備隊よりも空賊の接近を先に探知することができるのだろうか。

 それに、通常会社は依頼があった場合のみ動くはず。

 仮に町と共同体制を敷いても、先に敵の接近に気付くなどあり得るのだろうか。

 それとも、あらかじめ知っていたのか。

「市長からアレシマを守るように常時依頼を受けているようで、すぐ動けるんだといっていますが、実際はわからないっす。市長が依頼主らしいので、市長の私兵、なんて皮肉があるぐらいっすよ」

「でも依頼料は、議会の予算。結局は住民たちから徴収したお金でしょ?」

「おかげで、市民にはアレシマ警備保障を雇うために税金は値上げ。警備隊や自警団より働いているように見えますから、市民たちは仕方ないといっているっすけど、不満はあるようで」

 

 設立から増える空賊の襲撃。

 

 市立飛行警備隊よりも先に空賊の接近を探知する会社。

 

 設立にかかわったイケスカ派の市長とブユウ商事。

 

 ハルカは嫌な予感がした。個人の会社であるなら、利益を度返しすれば自由に動くことができる。

 アレシマ警備保障の戦力はわからないが、充実しているのは間違いない。

 なにより、イケスカ派の市長に、イサオ氏に従ったブユウ商事の警備部門。

 彼らの思惑を頓挫させたユーリア議員。

 何も起こらないほうが、むしろ不自然という感じだ。

「気を付けた方がいいっすよ~。ブユウ商事の人間と言えば、ユーリア議員を恨んでいてもおかしくないっす」

「忠告、ありがとう」

 ハルカは持っていた包を手渡した。

「おお~ユーハング酒じゃないっすか~!」

 レミへの報酬は、多くの場合は酒、ユーハング酒が多い。彼女はゲキテツ一家でも屈指の吞兵衛らしく、とにかく酒を飲んでいることが多い。

 ただ貴重なユーハング酒なので、財布に受ける打撃は少々大きいが。

「ありがとうっす!」

 いうなりレミは酒の口をあけて飲み始めた。日が傾きかけている時間とはいえ、まだ少し早いだろうに。

「じゃあ、またお願い」

「毎度ありがとうっす。……ところで、ハルカさん?」

 彼女はレミに振り返る。

 

「今、何時っすか?」

 

「何時って……」

 彼女は左手首にはめた腕時計を見る。文字盤を見て、彼女は凍り付いた。

 時計の針は、8時20分を指している。

 日はとっくに登り切り、傾いてあと数時間で完全に沈む。そんな時間であるはずがない。

 なにより秒針が動いていない。イジツにある時計は手巻き式。日々ゼンマイをまかないと止まってしまう。

 そういえば、昨日はゼンマイを巻いていなかったことを彼女は思い出す。

「レミ、さん……」

「なんすか~」

 彼女は震える口で、同じ言葉で質問をする。

「今、何時ですか?」

 レミは時計を指さす。

「5時30分す~」

 ハルカの顔が蒼白に染まる。町に出る前に言われた、ユーリアの言葉が頭をよぎる、

 

 

『5時までには、飛行船に帰ってきなさいね』

 

 

「あ、ああ……」

 すでに約束の時間を30分もすぎている。その上。ここから飛行船まで戻るのにさらに時間がかかる。

 だが選択の余地はない。

 今彼女にできることは、可及的速やかに飛行船に戻ることだ。

「レ、レミさん……」

「またのご利用、お待ちしているっすよ~!」

「……はあ」

 彼女は表情を引き締める。

「そ、それじゃあまた!」

 ハルカはレミに手を振り、飛行船にむかって駆けだした。

 

 

 

 

「ようこそいらっしゃいました、アレシマ市長、ナハタ市長」

 オーシャン・サンフィッシュホテルの一室で、丸眼鏡をかけたおかっぱ頭の男性、元人事部長こと自由博愛連合の幹部、ヒデアキは2人の市長を出迎える。

 2人の初老の男性、高級なスーツに身を包んだアレシマ市長、顎ヒゲを伸ばしたナハタ市長は少し顔がこわばっている。

「どうでしょう?今回の計画にお力添えいただけないでしょうか?」

「だが、上手くいくのか?」

 アレシマ市長は不安げに問う。

「勿論。自由博愛連合の参謀の計画に、隙はございません」

「だが、今回の計画が失敗したら……。私は失脚することになる」

「大丈夫です。あやつは以前、この町で空賊の襲撃を受けたことがあります。不自然ではないでしょう?」

「都合よく空賊がくるとでも?」

「そのために、あなたのコマ、私兵ともいえる会社の設立に協力したのですが?」

 薄笑いを浮かべながら、ヒデアキはアレシマ市長を見つめる。

 

「それに、イケスカ動乱以降、低迷を続けるあなたの支持率回復のために、協力したのは誰でしょうか?警備隊や自警団より仕事のできる会社の設立に尽力し、市民の理解が得られるよう空戦ごっこの脚本を考えたのは?」

 

 アレシマ市長は黙り込んだ。

 次いで、顎ヒゲを伸ばしたナハタ市長が口を開いた。

「ナハタはあくまで、無償支援を引き出したいだけだ。ここまでしなくても……」

 

「あのガドールの高飛車女を仲介に呼んだくらいで、頭の固いハリマが首を縦にふるとでも?どうせ、両者の主張は平行線、時間の無駄に終わるのが関の山!この世は力が全て!言葉を尽くすのではなく、武力!頭脳!金!これらの力を使ってこそ相手は動く」

 

 ヒデアキはムフッと笑う。

「イサオ氏や、私がそうであったように」

「だが、もうイサオ氏は……」

 ヒデアキは眼鏡のブリッジを人差し指で押し、眼鏡の位置を直す。

「ご安心ください。今、自由博愛連合は表舞台にはたっておりませんが、それはあくまで今だけ」

 ヒデアキは、またムフッと笑う。

「まだ発表しておりませんが、自由博愛連合の次期党首、イサオ氏の後継者が現れました」

 2人の市長は驚愕する。

「執事も認めております。再び、自由博愛連合は立つとき!そのために障害になるものは、今のうちに始末しておくのが得策!成功すれば、かつてと同じ待遇を約束しましょう」

 市長たちは息をのむ。自由博愛連合の重要ポストへの登用、特産品の専売制の復活。

 市長たちは、黙って首を縦にふった。

 

 

 

 

 

 

 

「ハルカ~、心配したのよ~!」

 結論からいうと、ハルカはユーリア議員に怒られていた。

 ユーリア議員はハルカの頬をしっかり掴んでつねりつつ、身長差を利用して引っ張り上げる。

「いひゃい、いひゃいえすよ、ぎいん(痛い、痛いですよ、議員)」

「仕事熱心なのはいいけど、あなたは私の用心棒なんだから時間になったら帰ってきなさい!もしくは電話の1本でも入れなさい。あなたの頭はアッパラパーじゃないでしょ!」

 約束の時間に1時間も遅刻した結果、ユーリア議員はカンカン。

 部屋につくなり、彼女はドアの影に隠れていたユーリアに捕まり、問答無用でお仕置きと称して頬をつねられ、引っ張られる。

「それで、私との約束の時間に1時間も遅れたことについて、何かいうことはあるかしら?」

「ご、ごめんなひゃい!ふひからは、まもりはふはら(ご、ごめんなさい!次からは守りますから)」

「本当ね……」

 彼女は痛みに耐えつつも頷く。すると、ようやく頬から手が離れた。

「イタ~」

 引っ張られたことで少し赤くなり、痛む頬を彼女はさする。

「……それで」

 鋭く細められた視線に、無意識の背筋を伸ばす。

「約束の時間に遅れた理由は、何なのかしら?」

 彼女はやむなく事情を説明する。

 アレシマの調査に時間がかかったこと、時計のゼンマイを巻き忘れて止まっていたことなど。無論、レミと接触していたことは伏せた。

「そう、仕事に関することなら、仕方ないわね」

 内心、彼女はほっと胸をなでおろす。

「けど!遅くなるなら電話の1本でも入れなさい!心配するでしょ!」

 言い放つユーリアを、ハルカはきょとんとした目で見つめる。

 

「……用心棒の心配なんて、するんですか?」

 

 今度はユーリアが呆気にとられ、口を開けたまま固まる。

「私の役目は、議員の業務の補助と荒事と空戦。流石に心配されるほど弱くは」

 瞬間、頭を左右から挟む圧力を感じたかと思うと、そのまま持ち上げられ、足が地面から浮き上がった。

「ちょちょ、ちょ!議員!」

 ユーリアの細腕からは想像もできない力で、彼女は頭を左右から挟み込まれ、万力のように固定されたまま持ち上げられていた。

「今、なんか言ったしら?」

 ユーリアの血走った目がハルカの眼前に迫るが、彼女は頭の左右から圧迫される痛みでそれどころではない。

「いだ、いだだ!で、ですから、私は議員に心配されるほど弱いわけじゃ」

 

「まずあなたは時計のゼンマイじゃなくて、頭のゼンマイを巻きなおす必要がありそうね~」

 

 力は緩めてもらえず、かといって議員を突き飛ばすこともできず、部屋には痛い痛いという彼女の悲鳴が木霊することになった。

 痛みに耐えることしばし、彼女はユーリアの手からようやく解放された。

「あう~」

 頭を抱え、彼女は部屋の床にペタンと座り込んだ。

 そして議員を見上げようとした、瞬間、背中に腕が回されるのを感じた。

「例えあなたが強くても、遅くなれば心配ぐらいするわよ」

 彼女は、議員の腕の中にいた。

「心配して、くれるんですか」

 背中に回された手がハルカのお尻を力強く抓り、彼女は悲鳴をあげた。

「当たり前よ。私は不要になった部下を平気で処分する、あなたの元上司とは違うんだから」

 ハルカは現状、彼女の言う通りユーリアの用心棒。彼女にとって、依頼主が用心棒の心配などするわけない、そう思っていたのかもしれない。

 先日、不要になった彼女を処分しようとした、ウミワシ通商の元社長のせいか。

「私はそんな血も涙もない人間じゃないわ。人並に心配くらいするんだから、覚えておきなさい」

「……はい」

 最後にギュッと腕がしまった後、彼女は腕の中から解放された。

「とりあえず、あなたに客人が来ているから、一緒に来て頂戴」

「……客人?」

 いうなり、ユーリアは部屋のドアを開け、廊下へと脚を踏み出した。彼女は急いであとを追った。

 



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第7話 見守る者の胸の内

ユーリアについていき、訪れた客人と話をする彼女。
あくまで雇い主、という認識しかない彼女。
そんな彼女を見守る者の、胸の内に秘めた気持ちとは……。


「こんにちは」

 部屋に通されると、迎えてくれたのは温和な笑みを浮かべる眼鏡をかけたスーツ姿の女性。

「待たせて悪かったわね、ホナミ」

「申し訳ありません、遅くなりまして」

「気にしないで、突然お邪魔したのはこちらだから」

 ハリマ評議会評議員、ユーリア議員の考えの理解者、ホナミ議員が紅茶を飲みながら待っていた。

 ユーリア議員が斜め向かいに座り、最後にハルカが一礼してホナミ議員の正面に座った。

「久しぶりね、ハルカさん(・・)。新しい生活には慣れた?」

「は、はい。おかげさまで……」

 初めはユーリアの起伏の激しさに戸惑ったものの、隊長たちの助言もあり短期間で慣れた。

「そう、よかった。議会や周囲がうるさいかもしれないけど、気にしちゃだめよ」

「は、はい……」

 政治家ということもあってか、彼女はホナミに少し物怖じしてしまっている。

 そんな彼女を、ホナミは少し寂しさを含んだ表情で見つめる。

「まあ、とはいってもすぐには無理よね。少しずつでいいから、胸を張って、しっかりあるいてね」

 彼女はハルカの頭に右手を伸ばし、軽くポンポン、と撫でた。

「あ、……はい。わかりました」

 頬を赤らめはにかみながらも笑みを浮かべるハルカに、少し満足げなホナミ。

 そんな光景を見てユーリアは少しむっとする。

 

「ところで、あなたも呼ばれていたとは意外だったわ」

 

 わざとらしく咳払いをし、話題を変える。

「ええ、ナハタの件で呼ばれてね。多分、あなたに仲介役を頼みたい、というところじゃないかしら?」

 表情を引き締め政治家の顔に戻るホナミ議員。気のせいか、ハルカの頭から手をひっこめるとき一瞬残念そうな顔をしたが。

「仲介?」

「ナハタは今、食料と経済の危機に陥っていてね。今、うちに食料支援を求めてきているの」

 そういえば、ガドールを出発する前にハルカがそんなことを言っていたな、とユーリアは朧気に思い出す。

「もっとも、ハリマはその要請を断っているけど」

「それは、やっぱり評議会の方針?」

 彼女は頷く。

「ハリマ評議会は、ナハタの支援要請には応じないんですか?」

 ハルカが首をかしげながら聞く。

「あ、誤解しないでねハルカさん。あくまで、無償での支援はやらないのが、うちの評議会の一致した見解なの」

「なんで無償ではしないんですか?」

「過去に無償で支援した結果、住民たちに食料がいきわたらず、支援物資を売って儲けていた都市があったの。以降は敷居を上げて、無償での支援は行わず、あくまで後払いか前払いで請求。つまり有償でのみになったの」

 イケスカ動乱以降、イジツは依然混乱の中。増え続ける空賊に対処するため独自に飛行隊を設ける会社や都市が増えたため、飛行機需要が高まり、部品の価格は上昇した。

 食料も例外ではなく、いくつもの都市が焼野原にされた結果、供給が滞るものが出始め、価格が次第に上昇している。

 イジツに流通する食料の半分近くを生産している一大食料生産都市、ハリマ。ここで作られる農産物はどれも評判がよく、欲しがる人々はいくらでもいる。

 食料生産都市の責務として支援を求められれば行いたい一方、支援物資を売って儲けられてはたまったものではないし、他都市も似た行為を行うかもしれない。

 そんなことをされては通常の交易が行えなくなるし、住民を救うこともできない。なので、敷居を上げるために有償にし、物資を住民に配布しているか監視も行うことにしているという。

「今回の対談相手のナハタは自由博愛連合に加盟していた当時、紅茶の高級品種の専売で潤ったけど、先の動乱以降、収入源だった紅茶の売り上げは激減。それにより潤沢だった予算も減った。食料を買えるだけのお金も無くなり、遂には支援を求めるまでになった」

「確か、ハリマが競争相手だった、と……」

「ええ。おかげで自由博愛連合の飛行隊に畑の一部を爆撃された」

 自由博愛連合に加盟することで、田舎は特産品が専売制になり価格は安定した。だが同時に、自由博愛連合は加盟しない競争相手を消していた。

「今その紅茶畑の再建に取り組んでいるけど、出荷できるほどに回復するのは、まだ先になるわね」

「で、ナハタはなんて?」

「返済の見通しが立たないから、無償での支援を頼みたい、と言ってきている。うちは無償支援はしないっていう堂々巡り。押し問答の結果、遂にはアレシマ市長とユーリアを巻き込み、要求を飲ませようっていう魂胆かもしれないわね」

 同じく自由博愛連合に加盟していたアレシマ。ホナミ議員に接触ができるユーリア議員。もうなりふり構っていられない状態らしい。

「返済の条件はそんなに厳しいものなんですか?」

 食料危機ならなりふり構っていられないはず。それでも有償支援を選ばないあたり、条件が厳しいのだろうか。

「いえ、期限や返済額は両者の合意に基づいて決めるし、利息も付けない。今あなたが、マダム・ルゥルゥを通じて賠償金を払っているような形ね。とくに厳しいものじゃないんだけど……」

 ハルカは今、空賊時代に損害を与えたラハマ及び輸送船に対して、賠償金を払っている。請求額を示されたときは血の気が引いたが、月々の支払額は厳しい額ではなく、そんな少なくていいのか、と思わず聞き返したほどだった。

 支払い額はマダムと合意の上で決め、期限は定められていない。支払いが終わるまで、お金はオウニ商会が肩代わりするという形になっている。

 もっとも、マダムにとっては借金の返済という理由で彼女を用心棒として呼べるので、長く使いたいという思惑もあってのことだが。

「それでも無償を誇示するあたり、何を考えているのかしらね」

 町が経済的に困窮し、食料支援がすぐにでも必要なら1回の支払額を低くし、返済期間を長めにとればいいはず。その条件をハリマは飲むはずなのに、それでも嫌がるのはもはやわがままのレベルだ。

 あるいは、何か別の意図があるのか。

「ところで、ユーリア議員」

「何かしら?」

「私への客人っていうのは?」

 ユーリアは何かを思い出したようにホナミを見た。

「そういえば、あなた彼女に用があったのよね?」

 ホナミ議員は笑みを浮かべる。

「ええ。明日、対談にアレシマ市長とナハタ市長に会うでしょ?私とユーリアは同じ場所にいるわけだから、警護対象に私も含めてもらえないかなって」

 昨今、政治家は常に色んな危険にさらされる。恨みをもったもの、殺し屋、空賊。なんでもありだ。 

 ユーリア議員はガドールの政治家の中で最も外遊に行く人物なので、その近辺には常に護衛隊がいる。

 ユーリア護衛隊は、戦闘機で空賊を追い払うことは勿論、書類仕事や時には警護として襲撃者と戦うこともある。

 最近では空賊時代修羅場を潜り抜け続けた経験を買われ、ハルカもその1人になっている。

「別にいいけど、報酬はちゃんと払ってね」

「ええ、勿論よ」

 ホナミ議員は笑みを浮かべる。

 自身が連れてきたハリマ自警団の技量に不安があるのか、それとも単にハルカをそばに置きたいのか、そんな所だろうとユーリアはあたりをつけた。

「それじゃ、そろそろお暇するわ」

 ホナミ議員は紅茶のカップを静かに置き、椅子から立ち上がった。

「それじゃあ、明日からよろしくねユーリア」

「こちらこそ」

 2人は握手を交わし、彼女は部屋をでようとする。

「……ハルカ」

 ユーリアに呼ばれ、彼女は振り向く。

「道中なにかあっては困るから、ホナミを飛行船まで送って行ってくれる?」

「はい、わかりました」

 ハルカは椅子から立ち上がり、ホナミの隣に並んだ。

「お願いね、ハルカさん」

 そして2人は飛行船の搭乗口へ向かった。

 

 

 

 

 乗ってきたハリマ船籍の飛行船まで、ホナミは来た道を、ハルカは周囲を警戒しながら歩く。

 同じ飛行場内のことであっても、アレシマは物流の活発な町。多くの飛行船や輸送機が常時行き来するため、飛行場はかなり広い。人の足の速さでは、目的地までそこそこ時間がかかる。

「悪いわね、急にお願いしちゃって」

「いいえ、雇い主(・・・)の意向には従います」

「雇い主、ね……」

 ホナミは、ふと寂しそうな表情を浮かべる。

 ハルカはその意味が分からず、首をかしげる。

「どうか、されましたか?」

「いいえ、なんでもないわ」

 ホナミは笑みを作る。

 ハルカが幼い頃、ホナミは何度か会った記憶がある。だが、何度顔を突き合わせても、彼女は思い出す素振りがない。

 やはり、忘れてしまったのだろうか。

「ユーリアの印象は、どう?」

「そうですね……。議会に行くときと私たちの前での態度の違いに、少々驚きましたけど、物言いが率直で、引くことを知らない人だと思います」

「ガドール評議会は、色んな議員がいるから、彼女の機嫌は少なくともよくはないわね。一度、反乱分子として追い出されたわけだし。うちのハリマ評議会も、他都市のこといえないけど……」

「議会は、どこも似たようなものなのですか?」

 彼女は肩をすくめて言い放った。

 

「金と権力と欲望。それが集まる場所はろくなことにならないわ」

 

「……現役の議員がそんなこと言っていいんですか?」

「事実だもの、今更よ」

 微笑みながら、ホナミ議員はさらっととんでもないことをいう。

「ガドール評議会は、ユーリア議員の思想の理解者もいなくはないですが……」

「まだ自博連派が生き残っている?」

「……はい。それに、私の扱いも」

 彼女は、あくまで経過観察ということになっている。場合によっては、どんな処分が下されるかまだ分からない。

「大丈夫よ。あなたが実績を積み重ねれば、誰も何も言えなくなるわ」

「でも、それでユーリア議員は周囲から色々と……」

 元空賊を雇ったということで、ユーリアは周囲の議員から嫌味を言われることが多くなった。その原因が自分にあるのを、彼女は平気な顔してみていられない。

「あなたは気にしなくていいの。それを承知で彼女を含め、私たちはあなたを雇ったのだし、どうせユーリアは虫の鳴き声くらいにしか思ってないわ」

「そう、ですか」

「そうよ。だから、私の元で仕事するときも、胸を張ってね」

 ホナミが微笑みかけると、ハルカは僅かに頷いた。

「まあ、ハリマもガドールに劣らず、問題は山積みだけど」

「ハリマも、ユーリア派と自博連派に分かれているんですか?」

「……いえ」

 ホナミは眉間にしわをよせている。

 

「ハリマは、交易推進派と孤立派でもめているの」

 

 どういうことか、ハルカは首をかしげる。

「要するに、周辺の都市との交易を積極的に進め、町を潤し、関係構築を進めていこう、っていうのが交易推進派。孤立派っていうのは、自給自足で最低限の都市との関係しか持たず、ハリマだけで生き抜こうっていう考え」

 緑の大地、ハリマは何を置いても、生きるのに必要な食料と水を他都市に頼らなくていいのが最大の強みである。

 この2つの供給に不安がないなら、極端な話他都市と交流を持つ必要はない。

 他都市と交流を持ち交易を行えば、自身の都市にないものが入ってきたり、移り住む人々だっているだろう。

 一方、不利益もある。さきのイケスカ動乱のきっかけにもなった自由博愛連合。そこに加盟するなら味方とみなし、加盟しないなら敵として爆撃された。

 加盟するかどうかは都市の決定次第であったものの、イケスカと関係が深かった都市の多くは加盟。そして内政干渉めいた要求が来て、それを突っぱねると敵とみなされた。

 他都市と関係を持つということは、相手の意向も尊重しなければならない。

「今のハリマ評議会は、議長が積極的に他都市と交易の機会を持つべきって考えだから、私もこうして色んな都市へ出張しているのだけれど」

「ホナミ議員は、議長の考えの理解者なんですね」

 

「そうね。父でもあるし」

 

 ハルカは首を回して彼女を見た。

「父親が、議長をしているんですか?」

「ええ」

 こともなげにホナミは言う。

「親子そろって政治家。幸い政策で対立することはなかったから、親子の仲は良好よ」

 対立したら仲は悪くなるのだろうか、と素朴に思う。

「まだ議会には孤立派が一定数いてね。それに手を焼いているの」

「孤立してもやっていける都市なら、それも1つの道なのでは?」

「私も一時はそう思った。でも、孤立は本質的に無理なの」

 ハルカは首をかしげる。

「自給自足できるのは大きいけど、それでは農家にお金は入らない。趣味ならいいけど、産業としての農業を続けていくのは、やっぱりそれなりの収入がいる。収入を得るには、交易をする必要がある。運ぶには輸送船がいるし、道中空賊が現れるから飛行隊もいる。それだけのものを、ハリマだけで全て賄うことはできない」

「そう、ですか」

「どことも関係を持たないということは、他都市の都合に巻き込まれないということでもあるけど、同時に全て自分達の手でやらなければならないという意味でもある。都市の防衛だけとっても、空賊程度なら自警団だけでなんとかできても、自由博愛連合のような大規模なものになると、流石に無理ね。自分の町は自分たちで守るという心意気は大事だけど、対応できないなら手を借りることも、当然考えないといけない」

「孤立って難しいんですね」

「そういうこと。でも孤立派はそれをわかってくれない。だから困りものなの」

 どこの議会でも一枚岩ではないのだなと、素朴に思う。

 そうこう話している間に、ホナミ議員の乗ってきたハリマ船籍の飛行船にたどり着いた。

 搭乗口から機内に入り、そこで彼女は足を止めた。

「ここまでありがとう。明日からお願いね」

「承知しました」

 ハルカは一礼して、飛行船に戻ろうとする。

 

「……ハルカ(・・・)

 

 呼ばれた気がして、彼女は振り返った。

「何か……」

 そこから先が言えなかった。

「……へ」

 彼女が感じたのは、体を包み込むぬくもり。

 いつの間にか、彼女はホナミ議員の腕の中にいた。

「……議員?」

 顔を見ようにも、議員の顔はすぐ左側の肩越しにあるので、その表情を伺うことはできない。

「あの、どうかしたんですか……」

 彼女は何も答えず、ただハルカの背中に回した腕に力を込めた。

 そのまましばらくされるがまま、時間が過ぎる。

 幸い、誰にも見られることなく、腕の中から解放された。

「ごめんなさい……。私は、その、可愛い子が好きで、つい……」

 何やら顔を赤くし、気まずそうに議員は言う。

「そう、なんですか?」

 なんと答えていいものかわからず、沈黙が場を支配する。

「……では、私はこれで」

 一礼をし、彼女はその場をあとにした。

 

 

 

「ふう……」

 飛行船内の自室に戻ったホナミは椅子に深く腰掛け、背もたれにもたれかかる。

 

 

「……あああああああああああああああ!」

 

 

 そして今度は頭を抱え、机の上でもだえる。

 その理由は無論、先ほどの行為を思い出してのこと。

「やっちゃった……」

 顔を上げ、彼女は机の上に置いた2つの写真立てを見る。

 1つは、8人近くの男女が並ぶ写真。もう1枚は、自身の姉と、その子供3人が並ぶ。

 その中には、先ほど思わず抱きしめてしまった彼女の姿もある。

「ハルカ……」

 ホナミは、姉が送ってくれた手紙と写真を今でも大事に残している。

 この2枚の写真は、特に大事なもの。自身の姉、アスカが嫁いだ先の家族がまだ全員そろっていた、リノウチ空戦前の写真。

 そしてもう1枚は、姉が写っている最後のもの。

 こうしてみると、ハルカはつくづく母親、姉の血を色濃く受け継いだのだとわかる。でも全く同じというわけではなく、目元はどこか母親の夫、父親を連想させた。

 姉曰く、姉後肌の長女、そんな姉と日々張り合いをした負けず嫌いな長男に比べ、次女のハルカは皆から可愛がられ、真っすぐ育ってくれたと。

 彼女と一緒にいた道中、ホナミは幼い頃の姉と一緒にいるような妙な錯覚にとらわれた。自分が傷つくことより、周りを気にするその様子が、姉と同じだった。

 何気ない仕草や言葉遣いも。

 でも彼女は姉じゃない。似ていても、当然別人なのだ。

 そして去り際、姉が大事にしていたもの、残してくれた遺産に触れたくなった。

 結果あんな行動に及んだわけだが……。

「咄嗟にああいったけど、変な風に思われてないかな~。もう少しまともな言い訳があったでしょうに~。嫌われたりしたらどうしよう~!生きていけない!」

 でも不思議と後悔はない。

「大きくなったのね……。あったかかったし、柔らかかった。でも鍛えているのでそれも……」

 彼女はおでこを机に打ち付けた。

 

―――これじゃ変態じゃないのおおおおおおおおおお!

 

 彼女は心の中で叫んだ。

 しかも場所は飛行船の搭乗口近くの通路。誰かに見られていたら、危うくスキャンダル必死の内容だ。

「……今後は室内だけにするべきね」

 そういう問題でない気もするが、彼女は心に誓う。だが、気がかりなこともある。

 この写真に写っている8人近くの男女は、もうこの世にいない。

 残っているのは、ハルカただ1人。

 のこされた家族も、先日空賊によって処分されたことを聞かされた。

 ハルカがなついていた祖父も、行方知れず。

 彼女が家族の死をある程度受け入れ処理できるようになるまで、混乱させないようにと思っていたが、本当は直ぐにでも、自分はあなたの血縁の人間なのだと打ち明けたかった。

 そうすれば彼女を抱きしめても問題はな、おっと違う。彼女にはまだ、帰る所があるのだと、安心させることができる。

 でも、何度も顔を突き合わせても、ハルカはホナミを覚えている素振りはなかった。

 そんな人物からいきなりそんなことを言われても困るだけだ。

 だから、もう少し関係を進めてから、せめて、普通に世間話ができるようになるまでは待とう、と彼女はこらえる。

 だが、いつまでも悠長に待っていることはできない。

 ハルカの心は今、とても不安定だ。なにせ、空を翔ける理由、お金を稼ぐ理由。もっといえば、生きる理由の根本を失ったのだ。

 先日、ラハマでウミワシ通商からみかじめ料をとられた人々に、私費を投じてお金を返したという報告をオウニ商会のマダム・ルゥルゥから聞いた。

 姉と同じで優しい子だなと思う一方、不安もあった。

 その行動が、もう使い道がないから、いついなくなってもいいように、そんな風に聞こえた。

 彼女を見守るために、雇い主の1人になってよかったと思う。

 ハルカは、亡くなった家族に、死者に引きずられている。

 ホナミは机の上の写真に向かって、静かに言った。

 

「姉さん、お願い。まだあの子を、ハルカをそっち側に連れて行かないで……」

 



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第8話 白昼の襲撃者

ようやく始まった対談だが、すでにされた押し問答
の繰り返しにげんなりするユーリア議員たち。
対談を終え、会場を去ろうとした彼らに、巨大な
鳥が迫る。


「ただいま戻りました」

「おかえりなさい、ハルカ」

 飛行船に戻ると、彼女はユーリア議員に帰った報告をする。

「明日は10時に飛行船を離れて対談場所、オーシャン・サンフィッシュホテルに向かうわ」

「車での移動ですか?」

「ええ、アレシマの会社から車を1台借りたから、それで向かうわ」

 さすがに道中何かあっては困るので、車で手早く向かうらしい。

「運転は隊長に任せて、あなたは私の隣に座っていなさい」

「わかりました」

 そう言って部屋に戻ろうとする。

「待ちなさい」

 と思ったら首根っこを掴まれてたたらを踏んだ。

「何か?」

 振り返ると、ユーリアはなぜか彼女の一点を見つめていた。

「ハルカ……」

「はい……」

 ユーリアが手を伸ばし、それに触れた。

「これ、どうしたの?」

 彼女が触れたのはハルカの首の左側。流石に見えないので室内にある姿見でその場所を確認する。

 そこには、虫に刺されたような赤い点ができていた。

「あれ?虫にでも刺されたのかな?いつの間に」

 高い空では関係ないが、地上で蚊に刺されることは珍しくない。

「虫刺されの薬は自室にあるはず。ちょっと取りに……」

 振り返ると、そこには引きつった笑みを浮かべるユーリア議員がいた。

「あの、議員?どうかされました?」

「ハルカ……。ホナミから何かされなかった?」

「へ?」

 なぜそこでホナミ議員が出てくるのか、彼女は首をかしげる。

「何かって……」

 しばし考え、彼女は思い至る。

「何かって、議員を飛行船まで送って……。そういえば」

「そういえば?」

 

「最後、少し抱きしめられました」

 

 ユーリアの眉間の皺が深くなった。

「へえ~、そうなの……」

「でも、なんだか不思議な感じでした」

「どういうこと?」

「なんだか、懐かしい感じがしまして。ぬくもりとか、声とか」

 それがなぜなのかユーリアは察するが、とりあえず今は脇に置く。

「そうなの。それで、抱きしめられたとき、彼女の顔はどこにあったかしら?」

「確か、左側です」

「……そう」

 ユーリアはそれで何かを察したらしいが、ハルカは頭に疑問符を浮かべる。

「ホナミ議員って、可愛い女性が好きなんですか?」

「なんで?」

「いえ、離れた直後、そんなことを言っていましたので……」

「逆に嫌いな人はいないと思うわよ」

 ユーリアはため息を吐き出した。コトブキの隊長さんが機微に疎いとは経験豊富な副隊長の愚痴。でも、目の前の彼女だってこの手の話題には疎いらしい。

 あの跡をつけたのは、十中八九ホナミで間違いない。ハルカの話によると、別れ際に抱きしめられたらしいので、おそらくそのときだ。

 そして首という目立つ場所につけたのも、ユーリアに対して、独り占めは許さない、という意思表示だろう。

「そろそろ寝る支度をしましょうか」

「では、私は部屋に帰ります」

「着替えをもって帰ってきなさい」

「それって……」

「警護を含めて、隣で寝なさい」

 なぜか妙な迫力から、彼女は首をたてに振るしかなかった。

 

 

 

 

「お待ちしておりました、ユーリア議員、ホナミ議員」

 翌日、オーシャン・サンフィッシュホテルを訪れたユーリアたちは、大きな部屋に通された。そこには、初老の男性2人、高級そうなスーツに身を包んだアレシマ市長、アゴヒゲを伸ばしたナハタ市長が待っていた。

「今回は対談に応じてくださり、ありがとうございます」

「お初にお目にかかります、ナハタ市長」

 社交辞令でしかない笑みを顔に張り付け、ユーリア議員とホナミ議員は応じる。

 長いテーブルをはさんで、向かい合って彼らは座る。

 ユーリア議員とホナミ議員の後ろには、ユーリア護衛隊隊長、副隊長、ハルカの3人が立っている。

 彼らは議員2人の護衛としてついており、有事の際を考えて銃も携帯し、残りの護衛隊は空賊の出現を考え空港で待機している。

「それで、今回の対談というのは?」

 挨拶もそこそこに、ユーリアが切り出した。

「……私が市長をつとめております町、ナハタは現在経済危機に陥っておりまして」

 ナハタ市長が話し始めた。

「食料を買うお金さえない有様なのです。どうかホナミ議員、無償での支援をお願いできないでしょうか……」

 あまりに予想通りの問いに、ホナミ議員は場に不似合いな笑みを浮かべながらも、毅然とした口調で言い放った。

「何度も申しましたが、無償での支援はできない。これが、ハリマ評議会の統一した見解である。そうお伝えしたはずですが」

 口元に微笑をうかべながらも、眼鏡の奥からの鋭い視線を向けつついう。

「事情は理解しております。ですが、お支払いするための予算が、もう……」

「ですから、返済時期と額につきましては相談に応じる、ともいいましたが」

「とはいえ、経済危機故、返済できる見通しが……」

 ホナミ議員はもう何度もやった押し問答なのだろう、ため息をはかずともつかれた顔を一瞬浮かべた。

「何度も申しておりますが、あくまで有償支援だけです。かつて無償で支援を行った結果、ハリマの善意を踏みにじった人々がいたことは、ご存じでしょう?」

 彼女の笑みが、どこか不気味に感じられたのは、気のせいではない。

「ホナミ議員、そうおっしゃらず」

 隣に座っているアレシマ市長が口を出した。

「評議会の姿勢は理解しますが、彼らも他に頼れる所がないのです。助けを、手を伸ばしているものを救うのも、食料生産都市、ハリマの役目ではないでしょうか?」

 ホナミ議員が一瞬目を細めた。

「……そうおっしゃるなら、アレシマが支援をしてはどうですか?」

「それは無理です……。アレシマも政治が安定せず、物資もギリギリで行っているのはご存じかと」

「ハリマだって余裕があるわけではありません。ですが、完全に手を差し伸べないわけではありません。いつか返済するという約束さえ守ってもらえるなら、今すぐにでも支援をおこなう用意があります」

「ですから、その返済するための予算が……」

 ホナミ議員の視線が鋭さを増した。

「民の命が危機にさらされている中、長のやるべきことなど、1つしかないのでは?」

「ですが民を救いたくても、予算が……」

「ホナミ議員、ここはご一考を……」

 問答を聞いていて、ハルカはどうも不審に思ってきた。

 なぜここまで無償にこだわるのか。それに、返済の見通しが立たないとはどういうことか。

 ナハタは、特産品の売り上げが激減したとはいっても、競合相手のハリマは再建に取り組んでいる最中。敵がいないならある程度の収入はあるはず。

 

「……おかしいですね。ナハタは、紅茶の高級品種で潤い莫大な富を得た。そのときの利益が、もう底をついたとでもいうのですか?」

 

 不気味なほど満面の笑みを浮かべながら、ホナミ議員は言い放った。

「ば、莫大だなんてそんな……」

 

「……競合相手だった、何年もかけた末にできあがったハリマの紅茶畑を、あなた方が加盟していた自由博愛連合の飛行隊が焼き払ってくれました。そのおかげで、ナハタは紅茶の市場の大半を独占。利益は相当なものだったでしょうに」

 

 顔から出る憎悪を必死に抑え込もうとする反面、口から出ようとする感情はさほど抑えられないようで、鉄の笑顔を顔に張り付け、皮肉交じりに言う。

「まだ復興に何年もかかるハリマの紅茶産業と違い、あなた方の産業は無事。なら、自分達で利益を出すこともできるはず。返済額の見通しも、立つはずですよね?」

「イケスカ動乱以降、売れ行きは落ち込んでいるし、皆が復興に尽力している中、高級品種は売れにくい。見通しは立てにくい……」

 

「要するに、イサオにおんぶにだっこされないと死んでしまう。そう言いたいのかしら?」

 それまで傍観していたユーリアが口をはさんだ。

 

「あなた方は自由博愛連合に加盟することで、特産品の専売を許され、競合相手のハリマもつぶしてもらった。それで利益を沢山得たはずなのに、何に使ったかしらないけど、予算がないからと無償での支援を、まして自分達が傷つけたハリマに頼み込むなんて何を考えているのかしら?」

「そ、それほどに事態は急を要するので……」

「なら、有償無償問わずハリマに支援をしてもらえばいいじゃない?」

「ですから返済の見通しが……」

 ユーリア議員の眉間に皺がよった。

「あなた、本当に市長なの?」

 場に沈黙が訪れる。

「民衆が大事なら、長はなりふり構っていられない。でもあくまで金は払いたくない。民衆の命を盾に、ハリマに要求をのませようとでも考えていたのかしら?」

「ユーリア議員、それは言い過ぎでは?」

「アレシマ市長。ナハタ市長の言っていることは、もはやただのわがまま。あなたは、それを擁護するというのかしら?」

「そういう意味では……」

「民衆は、もしもの時に自分達を守ってくれると信じて、市長に権力を付与しているはず。ハリマが無償支援できないと言っているなら、有償で頼むか、あるいは自分達でなんとかするか、現実的な解決策を模索するべきではないですか?でなければ、彼の言う住民が飢え死ぬことになりますが?」

「あなたの進めるのは横のつながりでしょう?なら、どの町も同格のはず。手を差し伸べ合うのはあなたの目指す思想では?」

「誤解されては困ります。私は確かに横のつながりを目指していますが、あくまで協力するべきと考えているだけです。相手から差し伸べられた手は取りますが、自分からは何も差し出さないのは協力とはいいません」

 ユーリアは目の前の2人の市長をにらみつける。

「あくまで、自治独立の気概は失ってはいけない、そうも考えています。自身の足で立つ気のないものを救っても、それは無駄に終わってしまう」

「手厳しいですな……」

「あら?あなたたちが信奉していたイサオ氏がやったように、檻にぶち込まれながらも、その中でぬるま湯につかっていた方がよかったかしら?」

 2人の市長は、歯をかみしめる。

「イサオ氏はもう穴に消えました。彼の帰還を待っていないで、自分達の足で歩くことを考えたらどうかしら?」

 室内が静まり返った。2人の市長は、苦々しい顔をしている。

「これ以上は無駄ですね」

 眼鏡のブリッジを人差し指で上げつつ、ホナミ議員は席を立った。

「明日、もう一度対談を行いましょう。そのときはもう少し建設的な話し合いを、同じ押し問答の繰り返しにならないことを祈っております。アレシマ市長、ナハタ市長」

 彼女に続いて、ユーリアも席を立ち、警護の3人も続いて退出した。

 

 

 

「時間の無駄だったわね」

 ホテルの廊下を歩きながら、ユーリアは言う。全く同意だったホナミは大きなため息を吐き出す。

「わかってはいたけど、アレシマまで呼びつけられた挙句、同じ押し問答とはね。徒労に終わったわ」

 対談をというから来たものの、すでに交わされた押し問答の再現。両者とも主張は平行線。それでは無駄というのも仕方がないと言える。

「私の考えが曲解されていたのはなんとも癪ね。ようするに、イサオがいた時代が忘れられない。自分の足では立たず、楽していい思いがしたい。ただ、それだけ」

「彼らに、それを言っても無駄よ」

 足を進め、ホテル正面に止めた車に近づく。警護の3人は周囲に移動し、不審者に目を光らせる。

 ふと、ハルカは聞きなれた爆音が近づいてくるのを感じ、空を見上げた。

「……あれは」

 近づいてくるのは、左右に伸びる長い主翼に、それぞれに取り付けられた発動機が特徴の機体。だが爆撃機ほどの大きさはない。双発戦闘機だろうか。

「お兄ちゃん、何か近づいてくる」

 護衛隊の兄弟も空を見上げる。

 ハルカは腰にぶら下げた双眼鏡を持ち、近づいてくる機体を見上げる。

「あれは、屠龍?」

 機体を見て、彼女は訝しげな表情をした。

 機体のどこにも、所属を示すマークがない。ただ、アレシマへ来る道中に襲撃してきた疾風と同じ、黒と灰色の2色で迷彩模様が描かれているのみ。

 所属が知られてはいけない背景がある。そんな機体が向かってくる理由など、1つしかない。

 そして屠龍は、機首を下げこちらに向ける。

 その機首に取り付けられた、37mm砲の砲口を。

 屠龍の砲口が、火を噴いた。

 

 

「逃げろおおおおおお!」

 

 

 隊長が叫んだ。同時に、弟さんとハルカは車内から2人の議員を引きずり出し、上に覆いかぶさった。

 車に砲弾が命中、直後に爆風と爆炎が周囲に拡散。舞い上がった砂と煙が、瞬く間に視界を遮った。

 砲弾が命中したことで車は跡形もなく消し飛び、地面は抉れ、砂煙があたりに立ちこめる。

「けほ、けほ……」

 付近から耳をふさぎたくなるような住民たちの悲鳴が上がるが、優先すべきは議員の保護。

 ハルカはせき込みながらも立ち上がり、議員2人の首根っこをつかんで立たせようとする。

「2人とも敵襲です!立ってください!」

 駆け寄ってきた隊長と、起き上がった弟さんの手を借り、3人は議員をホテル屋内に避難させる。

「隊長、護衛隊は?」

「それが、無線がつながらない」

 何度も隊長が呼びかけているが、一向に応答する気配はない。有事を考え、対談の最中に護衛隊はいつでも出撃できる体制をとっているはず。

「……ハルカ」

 体や服についた砂埃を払いながら、ユーリアは言った。

「今すぐ飛行場に行って、あの目障りなハエを叩き落してきなさい!」

「ですが……」

 それでは議員の護衛が1人減る。かといって、明確に殺意を持っている鳥が上空をうろついている中、飛行場まで議員を連れて無事にたどり着ける保証もない。

 オーシャン・サンフィッシュホテルから直進できる一本道の表通りを通れば、屠龍に絶対捕捉される。かといって、狭くて治安の悪い裏道を使えば、移動速度は落ちるし別の危険が生じる。

「ここは任せて、君は早く飛行場へ!」

 隊長に促され、彼女は頷いた。

「わかりました。すぐに戻ります!」

 彼女は上空を警戒しながら、飛行場への道を走った。

 

 

 

「この状況じゃ、出られないわね」

「大丈夫よ。どこのだれか知らないけど、すぐ彼女が戻ってきて、上空を掃除してくれるから」

「にしても、屠龍で直接狙いにくるとは……」

「初めから殺す気だね、お兄ちゃん」

 ここまで明確な殺意を向けられたのは初めてらしいが。

 そんな敵でも、さすがにホテルには撃ちこまないだろうと考え、4人はホテルの正面入り口から内部へと戻る。

 ふと、彼らは足を止めた。

 

「……なんの真似かしら?」

 

 正面、右、左には覆面で顔を隠し、銃を構えた男たちが取り囲んでいた。

「……あなたたち、アレシマの自警団?それとも市立飛行警備隊の関係者?」

 男たちは黙ったまま応えない。

「ただの自警団や警備隊じゃなさそうね」

 隊長と副隊長は前後に議員たちを守るように立つが、相手は少なくとも8人ほどで全員武装している。

「……来い」

 正面に立つ男は、短くそういった。だがユーリアたちは動かない。

 男は銃口を天井に向け、引きがねをひいた。

 発射された銃弾が、天井の電灯を撃ち抜き、ガラスが飛散した。あたりにいた宿泊客たちが蜘蛛の子を散らすように、手近な部屋へと避難する。

「……来い」

 短くそうくりかえした。

「……議員」

「わかったわ」

 ユーリアたちは男たちに従い、階段を上り始めた。

 

 



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第9話 引かない意志と鉄の脅迫

武装集団に促され、ホテル屋上に誘導されたユーリア議員たち。
そこで待っていたものたちは……。
一方、飛行場へ走る彼女。しかし、空港の様子がどうもおかしい。
人目を避けるように、彼女は愛機のもとへと急ぐ。


 階段を上らされ、到着したのはアレシマの街並みが一望できるオーシャン・サンフィッシュホテルの屋上。

 そこには、先ほどまで対談をしていた2人の男性が居た。

 

「やあやあ、お待ちしておりました」

「ユーリア議員、ホナミ議員」

 

 その顔を見て、2人は苦々しい顔をした。

 

「私は、全く待ってませんが」

「ぬけぬけと、よくそんなことが言えるものね」

 

 先ほど対談した、ナハタ市長、アレシマ市長がそこに居た。

「それで、どこまでも続く長い階段を散々上らせて、何の用かしら?」

 アレシマ市長が空を見上げた。

「何者かはわかりませんが、あなたを排除したい者たちがいるようですな」

 それが嘘であると誰もが察した。

 街中に攻撃されていながら、自警団も市立飛行警備隊も飛んでくる様子がない。

 ここまであからさまな行動をとられて気づかないほど、彼らは鈍くない。

「自由博愛連合。イサオ様の、我々の夢を打ち砕いたあなたが、ノコノコやってくるからですな」

「何が言いたいのかしら?」

 2人の市長は振り返った。

「私たちは自由博愛連合に加盟することで、あの方の夢を応援していた。あの方の夢が叶えば、必ずやイジツに安泰が訪れると」

「そして私たちの生活も保障してくれていた。この先も、ずっと」

「ですが、あなたはその夢を打ち砕いてくれた」

 ユーリアは不機嫌そうに、2人を見つめ返す。

「都合よく、あなたを襲撃したいものたちが来たようなので、今日はかつてのお返しをさせていただきます」

「私たちの幸福を壊してくれたことの、ね」

 ユーリアはため息を吐き出した。

「幸福を壊したですって?あなたたちも、ガドール評議会のクソ野郎どもと同じね。響きの良い言葉に乗せられ、全て檻にぶち込むつもりだったイサオの思惑に気付けていない」

「あの方はそんなことを考えてはいない!」

 激昂するアレシマ市長に、ユーリアは淡々と返す。

「焼野原にされたポロッカやショウトに同じことが言える?まあ、檻の中でも、何も考えなくていいというぬるま湯につかっていられるのは、ある意味幸福かもしれないわね」

「そ、そうでしょう!」

「でも、それは為政者には許されない!住民のために政策を考え、実現していくのが長や政治家の役割。その役割を放棄しているあなたたちに、今の地位にいる資格はないわ!」

 アレシマ市長が片手を上げた。すると、上空を旋回していた屠龍が、機首の37mm砲を撃った。

 砲弾はホテル後ろの山の中腹に着弾した。

「さてユーリア議員。本題に入りましょう」

「……なによ」

「ホナミ議員を説得してください。ハリマが、ナハタに無償支援を行うように」

「お断りよ!」

「いつまでそんなことが言えますかな?」

 アレシマ市長が不気味な笑みを浮かべる。断り続ければどうなるか、暗にいうように。

 できないなら、いつ屠龍の37mm砲が向けられるかわからない。

 

 

「1つ、聞かせてもらってもよろしいですか?」

 

 

 ホナミ議員はユーリアより一歩前に出て、市長たちに向き合った。

「ナハタ市長、なぜそこまで無償にこだわるのですか?」

「何度も申し上げているでしょう?返済の見通しが立たないと」

「私が聞いているのは、本音の話です」

 ホナミ議員は眼鏡の奥に秘めた鋭い眼光で、彼らを見つめる。

 

「応えられませんか?大方、そうでなければ、利益が減ってしまうからなのでしょうけど」

 

「どういうこと?」

 ユーリアが首をかしげる一方、市長たちは笑みを浮かべる。

「そうですとも」

 ホナミは確信した。推測が、間違っていないことを。

 

 

「ハリマからの無償の支援物資を売りさばき、利益を出すため、ですね?」

 

 

 ナハタ市長は何も応えない。ホナミ議員はそれを肯定と受け取った。

「ナハタは、ハリマから紅茶の市場の大部分を自由博愛連合の手を借りて奪い取った。それによって得た独占市場は、ナハタに莫大な富をもたらした。人々の暮らしは安定し、裕福になった家も多かった」

 ホナミは横目でユーリアを一瞬見る。

「でも、長くは続かなかった。反イケスカ連合によって自由博愛連合は瓦解。各地が復興を急ぐ中、高級品種の紅茶の売れ行きは伸び悩み、収入は減って町は困窮。このままでは民衆が飢えてしまう。いえ。それ以上に、潤っていた時期が忘れられない。税収で予算も潤沢にあった。1度味わったそのときのことが忘れられない。でも特産品では利益が出せない。かつての裕福な暮らしを取り戻すには、手っ取り早く収入を得るには、誰もが欲しがるものを無償で手に入れ、売りさばくのが一番早い」

「それが、ハリマの農産物っていうこと?」

「そういうこと」

 市長たちは否定しない。

「ユーリアを呼び出したのは、私を説得させるためと、それを口実に呼び出して自博連を瓦解させた復讐。ユーリア派の排除、といったところですか?」

「ええ、そうですとも」

 あっさりとアレシマ市長は認める。

「あの屠龍が空賊かは知りませんが、あなた方の息のかかった者ですね。ユーリアに私を説得させようと考えたものの、それは難しいと判断。なら復讐だけでも果たそう。そう思ったのですか?」

「……空を飛んでいる鳥が見えませんか?」

 彼らの上空を、屠龍が飛び続けている。選択の余地など、最初からないのだ、と。

「アレシマ市長、ナハタ市長。まさかこんな手に出るとは、残念です」

「本当に、イサオにおんぶにだっこされないと生きていけないとはね」

「何とでも仰ればいい。もし要求をのまないなら、あの鳥がどうするかおわかりでしょう?」

 ユーリアは言い放った。

「やっていることや考えが空賊と同じじゃない!」

「お互い譲れないものがあれば、最後は力ではっきりさせる。かつて自由博愛連合と、反イケスカ同盟が戦ったように」

「さあ、ユーリア議員、ホナミ議員。あまり長話の時間はありません。よりよい答えを、期待しております」

 2人は苦々しい顔を浮かべる。

「ところで、護衛隊が来ることを期待しても無駄ですよ?」

「どういうこと?」

「今事故で、空港は閉鎖されております」

 なら、飛行場に向かわせたハルカが来る可能性は低い。

 それでも護衛隊と連絡がとれない以上、彼らは彼女が助けに来てくれることを期待するしかなかった。

 

 

 

 

「……どういうこと?」

 飛行場に走ったハルカは、その様子に戸惑っていた。

 昨日頭に入れたルートを辿ると、銃を持って武装した謎の集団が道を閉鎖していた。

 運び屋らしき人々が通せと言っているものの、通せないの押し問答が繰り返されるのを彼女は建物の影からうかがっている。

 顔を隠し、住民相手に武装して銃口を向けるなど、自警団や警備隊にしては様子がおかしい。

「いそがないと……」

 彼女はルートを変更。頭の中に道順を描きながら町の中を走り抜ける。

 建物の影に隠れると、マンホールに手をかけてあける。アレシマは、水道が街中に張り巡らされており、その水路は空港近くに通じていることを確認している。

 彼女は鼻が曲がりそうな異臭に耐えながら、暗い水路をライターの明かりを頼りに進んでいく。

 そして、空港近くと思われる場所のマンホールにたどり着く。

 マンホールを開けるときというのは、一種の賭けだ。

 上に誰もいないとは限らない。だが下から確かめる術はない。なにより時間がない。

 彼女は、意を決してマンホールをあける。

 少し持ち上げて周囲を伺うと、そこには幸いだれもいなかった。マンホールを横にどけて地上に上がり、再びしめると、彼女は双眼鏡を取り出す。

 飛行場内を見渡すと、飛行船の周囲は銃をもった集団が同じように配置されている。

「計画的ね。ただの空賊じゃない……」

 そのとき、彼女の後ろから土を踏みしめる音がした。

 

 

「おい、ここで何をしている!」

 

 

 顔を覆面で隠したことで曇った声が聞こえた直後、背中に冷たい金属の銃口が押し当てられるのを感じる。

「手をあげろ!」

 体が素早く反応した。

 彼女は咄嗟に右足を軸にして左足を上げ、後ろ回し蹴りを繰り出し、相手が持っている銃を蹴って銃口をそらした。

 ついで、左ワキで銃身を挟みこみ、姿勢を低くし左足で地面を踏みしめ、右足に力をこめ、死なない程度の力で顎を下から蹴り上げた。

「ぐお!」

 男が一瞬ひるんだすきに腕をつかんでねじりあげ、さらに膝裏を蹴りつけて地面に膝をつかせた。

 最後に、左腕を首に回す。

「答えて。あなたたちは何者?何をしようとしているの?」

 だが男は応えない。

「そう……」

 彼女はゆっくり首を締め上げ、男を気絶させた。

 男が大人しくなると、彼女は男性を引きづって建物の影に隠れ、男性の衣服のベルトの類で両手足を手早く縛り上げる。

 身に着けている荷物を調べると、身分証が出てきた。

 

「アレシマ、警備保障……」

 

 レミさんから聞いた、元ブユウ商事の警備部門が前身の組織。ユーリア議員に恨みをもつ集団。

 だが、民間会社が自主的にこのようなことを起こすとは考えにくい。それに、先ほど発砲してきた屠龍がいるにも関わらず、自警団も市立飛行警備隊も離陸する気配がない。

 こんな状況が作れる人物となると、可能性は限られる。

 裏で、市長が関係している可能性が高い。

「とにかく急がないと」

 今は一刻も早く愛機のもとへ向かう必要がある。

 彼女は、縛った男性の衣服をはぎ取り始めた。

 

 

 

 

 

「あ~あ、暇でしゃあねえや」

「しゃべるな!」

「へいへい」

 格納庫の一角、ユーリア護衛隊の整備班たちは武装した謎の集団に囲まれていた。

 とりあえず大人しくしているが、正直暇を持て余しており、あくびさえしている始末だった。

 整備班長も例外ではなく、することはあくびと座って暇を持て余すことだけ。

 こんなことがいつまで続くのか、疑問に思うも彼らはこんなことが起こる理由を察していた。

 でも、非武装の整備員が完全武装の兵士に勝つことは難しい。

 あいにく、スパナもイナーシャハンドルもバールも手元にはない。

 すると、突如扉が開き、謎の集団と同じ格好をしている少し小柄な人物が1人入ってきた。

「どうした?」

 隊長らしき男性が銃口を下げ話しかける。

 

 その瞬間だった。

 

 入ってきた人物は機関銃の銃床で目の前の隊長らしき男性の額を殴りつけて昏倒させ、次いで胸倉をつかんで盾にする。

 発砲するか戸惑っている仲間たちに銃口を向け発砲。放たれた対人制圧用のゴム弾が額に命中し、全員が瞬く間に床に倒れこんだ。

 発砲した人物は銃口を構えたまま近づき、床で伸びている者たちが気絶していることを確認する。

 

「今だ!」

 

 班長の号令で、整備員たちは武装集団の装備を拾い上げ、味方に発砲した人物に一斉に銃口を向ける。

 

「ちょ!ちょっと待って!待って!」

 

 するとその人物は両手を前にかざし、女性のような高めの声で呼びかけた。

 班長たちは、その声に聞き覚えがあった。

「その声……」

「私、私です!」

 相手は急いで覆面を外す。下から現れた顔を見て、皆が驚く。

「嬢ちゃんじゃねえか!」

 現れたのが同じ護衛隊の一員、ハルカだとわかり全員が銃口を下げた。

「すいません、潜入するのに装備を拝借して」

 言いながらハルカは気絶させた人物から拝借した上着やらズボンやらを脱ぎ棄て、いつもの恰好に戻る。その様子を、整備班たちは食い入るように見ていた。

 緊急時とあってか、彼女は警戒心をどこかに置き忘れたらしい。

「何があったんだ?」

「それが……」

 時間がないからと、彼女はことの経緯をかいつまんで話す。

「なるほど、議員たちが危ないわけか……」

「急いで上空の屠龍を撃ち落さないと……。私を、空に上げてください!」

 班長は考え込んだ。 

「護衛隊の機体は隣の格納庫なんだが……」

 護衛隊は緊急時すぐ出動できるよう、飛行船から全機下ろし、借りたアレシマの格納庫に駐機している。

「中に連中の仲間がいる。当然武装している」

 一方、整備班たちは当然だが非武装。攻め入ったところで、返り討ちにあう可能性が高い。

「だが、もしユーリア議員が殺されたら、我々ユーリア護衛隊の沽券にかかわる。なんとかしてえんだが……」

 ハルカは倉庫内を見渡す。そして彼女の目に、あるものがとまった。

「あの、考えがあるんですが……」

「なんだ?」

 ハルカは整備班たちに考えを話す。

「かーかかか!おもしれぇ!やってやるぞ野郎ども!準備にかかれ!」

 班長は作戦に同意し、すぐに彼らは準備に取り掛かった。

 

 

 

 

 護衛隊の戦闘機の置かれている格納庫内で、武装集団は手持無沙汰だった。

「もう終わりますかね」

「間もなくのはずだ。どんなに気が強くても人間。37mmには耐えられん」

 彼らの仕事は、護衛隊をユーリアのもとに向かわせないこと。護衛隊の操縦士たちは格納庫の一角に押し込めている。

 整備班たちも隣の格納庫で押し込めているので問題ない。

「もう少しで終わる。そうすれば大金が手に入る」

 すると、格納庫の滑走路とは反対の扉に何かがぶつかるような音が響く。

 全員が一斉に銃を構える。

「念のためだ。いくぞ」

 全員が慎重に扉に近づき、部下の1人に命じて扉を開けさせる。

 格納庫の大きなスライド式のドアが、重い金属音を立てて開いていく。

 すると、そこにあったのは見慣れたもの。燃料を入れたり、風呂の湯舟に使う等多用途な使い方をするそれは……。

 

「……ドラム缶?」

 

 何本ものドラム缶が倒れ、前後に揺れていた。

「なんだ驚かせて……」

 男たちは銃口を下げドラム缶に背を向け格納庫へもどる。その背後で、ドラム缶たちは一斉に起き上がり、底から2本の足がはえた。

 それに気づく様子もない武装集団にむかって、足のはえたドラム缶たちは地面を蹴って走り出した。

 

「「「うおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」

 

 背後から聞こえた雄たけびに彼らは一斉に振り向く。

 

「な、なんだこいつらは!」

 

「ドラム缶が走る、だと!」

 

 ドラム缶が走るという珍妙な光景に戸惑った彼らは、銃を構え引き金を引く。

 だが、彼らが使用しているのはあくまでゴム弾、ドラム缶を貫通することはできない。もし実弾であったとしても、このドラム缶の内側にはユーリア護衛隊整備班が突貫工事で施した防弾板が貼られており機関銃程度では貫通できない防御力を誇る。

 加えて、若干姿勢を前かがみにすることでドラム缶が斜面装甲の役割を果たし、銃弾をそらす。彼らはゴム弾の嵐をものともせず突進していく。

 ドラム缶の集団は武装集団に突撃。何度も体当たりを繰り出し、殴りつけて気絶させる。その様子を、格納庫の2階、キャットウォークにいる仲間たちは見下ろしている。

「な!格納庫に侵入されたぞ!本部に連絡を!」

 言った直後、銃声が鳴り響く。密かに2階によじ登ったハルカは6連発のリボルバー式拳銃を抜き、ゴム弾を武装集団の頭部に見舞い、キャットウォークにいた5人全員を沈黙させる。

「嬢ちゃんいいぞ!」

 下の制圧が完了し、ドラム缶を脱ぎ捨てた班長が叫ぶ。

「了解!」

 ハルカはキャットウォークから飛び降り、愛機のレイに駆け寄ると燃料、弾薬が満載なのを確認。操縦席に滑り込む。

「始動準備!」

 整備班長はカウリング右下にまわりこみ、イナーシャハンドル差し込んで回す。

「点火!」

 合図でエンジンを始動。推力式単排気管が排気を噴き出し、3枚羽のプロペラが回り始める。

 急いで各部のチェックを済ませる。暖気が終わると、彼女は車輪止めを外させ、フットブレーキから足を離して零戦を前進させる。

 整備班たちが格納庫の扉をあける。

「嬢ちゃん、気いつけてな!」

 ハルカはそれに手を振ると滑走路へ零戦を誘導。管制室からのやかましい警告を無視し機体を加速させ、空へと飛び立っていった。

 



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最終話 蒼い翼の用心棒

屠龍に脅されながらも、最後通告をつきつけられてもあくまで
自身の姿勢を崩さない議員たち。
ついに最後のときが訪れる。だがそのとき、上空から1機の
戦闘機が飛来した。


「ホナミ議員。今、なんとおっしゃいました?」

 

 首を傾げ、よく聞こえるよう耳に手を当て、ナハタ市長は問いかえる。

「……何度も言わせないでくれますか?」

 命の危機にさらされているにもかかわらず、場違いなほどすがすがしい笑顔を浮かべ、彼女は何度も繰り返した言葉を言い放った。

 

「無償支援はしません。ハリマは、空賊に屈しません」

 

「命が惜しくないのですか?」

「命が惜しくないわけじゃありませんが、私をどれだけ脅したところで、評議会の決定は覆りません。無駄なことはやめてください」

 評議会の決定は合議によって行われる。ホナミ議員1人が泣きついたところで、その決定が覆ることはない。

 2人の市長はため息を吐き出した。

「これが最後です。ユーリア議員、ホナミ議員を説得してください」

「お断りよ」

「……そうですか」

 アレシマ市長は無線で何かを言うと、上空を周回していた屠龍が距離をとり、こちらへ進路をとった。

「いいのかしら?現役の市長が空賊を使って、評議員を殺したと世間に知られたら」

「証拠はございませんし、死人に口なし。心配はありません」

「ハリマは、もうナハタの頼みを聞き入れることはないわよ」

「聞き入れなければどうなるか、今回の件を利用させてもらいます」

 武装集団はユーリアたちを屋上の端へと追い込み、市長たちと距離をとらせる。

「何事にも動じない、譲らない巨石のような姿勢には感服いたしますが、それで命を落とすことになろうとは、全く笑えませんね」

「空賊と手を組むほど落ちぶれるよりマシよ」

「何はともあれ、これでユーリア派は消滅。イサオ氏の望んだ自由博愛連合が再興。イジツを支配する障害は、これでなくなる」

アレシマ市長は無線に向かっていった。

 

「やれ」

 

 屠龍が一直線に向かってくる。

 ホナミはため息をはいた。

 ハルカはもう間に合わない。

 あの子に言いたかったことが、話したかったことが、まだ沢山あったのに。

 

―――ここまでか。

 

 屠龍が進路の修正を終え、37mm砲のある機首を下げ始めた。

 アレシマは広い町だが、飛行機にとっては一瞬の距離。機首の戦車砲が皆を吹き飛ばすのは、間もなくのこと。彼らは目を閉じた。

 屠龍のいる方角から、火薬が炸裂するような音が空に広がった。

 

 

 

 いつまでたっても砲弾がこない。恐る恐る目をあける。

「……え?」

 目を開けると、こちらに向かっていた屠龍が機首をあげ、アレシマからでようとしている。右側のエンジンと主翼からは燃料が漏れ出し、煙が上がっている。

「な、なんだ!」

 アレシマ市長たちが驚きの声を上げる中、上空から何かが急降下してきた。

 それは空から地面に落ちる稲妻のように高速で屠龍と交差し、アレシマ市街地から出た直後、屠龍の残った左側のエンジンを正確に撃ち抜いた。

 両方のエンジンをやられた屠龍はアレシマ郊外に墜落。燃料に引火したのか炎が上がっている。

「……あ」

 屠龍を撃ち落したそれは高度を上げ、ユーリアたちのいるオーシャン・サンフィッシュホテル上空を通過した。

 主翼が暗い青色で塗られた、1機の零戦。

「ハルカ!」

「来てくれた……」

 安堵したのか、議員2人は膝をついた。

 

『遅れてすいません。無事ですか?』

 

 隊長は腰にぶら下げた無線から聞こえた声に、急いで応える。

「ハルカ君。全員無事だ」

 隊長も大きく息を吐き出す。

 ふと飛行場の方を見ると、黒い機影が上がってくるのが見える。

 それらの機影は、全体を先ほどの屠龍やアレシマに向かう道中に襲撃してきた疾風と同じく、黒と灰色に塗られ、所属を示すマークもない零戦52型と隼2型、合計10機ほどが彼女の零戦目掛けて集まってくる。

 彼女の後方につくと、機首の機銃を撃ち始めた。

 彼女は機体を横滑りさせて回避。速度を増して高度をあげる。

「ええい、零戦1機に何を手こずっている!さっさと落とせ!」

 ユーリアは隊長から無線を借りていう。

「ハルカ、遠慮することはないわ」

 彼女にとって、背中を見せること、逃げ出すことは癪にさわる。襲撃者に対しても、空賊であれ何者であれ、撃たれたままで終わらせることはない。

 

「全員落しなさい!」

 

『了解』

 

 

 

 

 ハルカは後ろを振り向き、風防の後方を見やる。

 敵の機体は、道中襲撃してきた疾風と同じ模様だ。

 それに、市立飛行警備隊も自警団も上がってこない中、議員を殺しにきた自由に動ける戦力。恐らく、あの疾風もこの隼や零戦たちも、アレシマ警備保障所属のもの。

 ユーリア議員襲撃を、初めから画策していたのだろう。

 誰が情報を漏らしたのか、誰の差し金かはしらないが、彼女はそれらのことを脇に置く。

 こちらに向けられる銃口、そこから放たれる相手の生命を奪おうとする殺意。

 それを背中で受け、ちくちくと背中を刺すような痛みを感じる。

 だが彼女の顔に恐怖や怯えはない。むしろ、逆だ。

 

「……ハハハ」

 

 彼女は操縦席で1人、楽しそうに、愛おしそうに、笑みを浮かべる。

 

―――10機ほど、か。

 

 ウミワシ通商にいたときは、これ以上の相手もよくした。問題ない。

 

「……ふふっ」

 

 彼女は高度を上げた後、操縦桿を前に倒し、機首を下げた。

 黒い零戦や隼もあとを追ってくるが、制限速度のせいで機首をあげる。そこを背後から狙い、撃墜。

 

―――次は?

 

 後ろに零戦たちがついた。スロットルレバーを開き、操縦桿を引いて急上昇。ある程度距離を離しつつ上ったところで、フットペダルを蹴りこんだ。

 空中で失速し、ハルカの零戦に衝突することを恐れた後続が舵をきって追い越す。彼女は即座にスロットルレバーを開き、後ろから撃ち落とす。

 

―――次はだ~れ?

 

 下方に隼の姿が見える。

 機首を下げて高度をさげつつ、速度を失わないよう少し大きめの半径で旋回し、隼2型の背後にまわる。

 スロットルレバーの引き金を引き、機首の13.2mm機銃を隼の主翼付け根付近に撃ちこむ。

 撃墜を確認するまでもなく、彼女は機首の向きを変え、次の獲物へと向かっていく。

 

―――ハハ、ハハハハ。

 

 自身に襲い掛かる敵機を、殺意を放っている敵を、彼女は逃がさない。

 敵機を1機落とすたびに体内に流れる血をたぎらせ、笑みは歪にゆがんでいった。

 

 

 

 

 

 上空で繰り広げられる空戦を、アレシマ市長とナハタ市長は呆然と眺めている。

「そんな、馬鹿な……。なぜこんな」

「市長、空賊と手を組んだのか。それとも私兵でも設けたのかは存じ上げませんが」

 ユーリアは市長に向かって歩み出る。

 

「現役の評議員を殺そうとして、ただで済むと思ってないでしょうね?」

 

 アレシマ市長はユーリアを見返す。

「そういうあなたはどうなんだ!あの零戦は、噂の空賊の機体だ!あなたこそ、空賊と手を組んだんじゃないのかね!」

 ユーリアは笑みを浮かべつつ、市長に言った。

 

「残念。あの子はもう空賊から足を洗った。そして今は護衛隊の一員、私の用心棒なの」

 

 アレシマ市長たちは額から汗を流している。傍目に見れば空賊がやってきて町への攻撃を許したにも関わらず、市立飛行警備隊も自警団も使わず、対談で訪れていた議員の用心棒が対処したとなれば、職務怠慢の上、面目は丸つぶれ。

 そしてユーリアたちがこのまま生存してしまえば、市長たちは空賊と手を組んで現役の議員を殺そうとしたとして、失脚は免れない。

 そうなれば、自由博愛連合再興の障害は残り、自分達の約束された地位や取り組みも、不可能になる。

 なんとしても、この証人たちをこの場で処分しなければならない。

 だが、あの零戦が評議会護衛隊の機体というなら、市立飛行警備隊も自警団も使えない。

 護衛機を攻撃することは、ガドール評議会に喧嘩を売ることと同義だ。

 だがさきほどの空賊、もといアレシマ警備保障の戦力は全て撃ち落された。

「おまえたち!こいつらを!」

 武装しているアレシマ警備保障の者へ命令しようとした瞬間、ユーリア護衛隊の隊長、副隊長は議員の前に立ちふさがると同時に銃を抜いた。

 迷うことなく引き金をひき、彼らを無力化した。

「あ、ああ……」

 そして、階段を駆け上がってくる足音が耳に入る。

 

「ユーリア議員!」

 

「ご無事ですか!」

 

 ユーリア護衛隊の整備班たちが、なぜかドラム缶片手に奪った銃で武装していた。

 整備班たちは、ドラム缶で議員たちの周囲を囲い、銃口を市長たちに向けた。

「班長、覆面集団は?」

「下の階で全員おねんねしてるぞ」

「飛行船や格納庫の集団もです。パイロットやクルーに協力してもらいましてね」

 市長たちに手札は、もうなかった。

「……くぞ」

 市長たちはその場に膝をついた。

 ユーリアは言い放った。

「アレシマ市長、ナハタ市長。対談は明日も予定されていましたよね?」

 市長たちは彼女へゆっくり視線を向ける。

「今回の件も含めて、伺いたいことが沢山あります。明日の対談を、楽しみにしております」

 それでは、と言い残し、彼らはホテルをあとにした。

 

 

 

 

「相変わらず、良い腕してるっすね~」

 

 アレシマ上空でくりひろげられた空戦を、街角から双眼鏡片手に眺める人影が1人。

 昨日ハルカが接触していた情報屋、ゲキテツ一家のレミだ。

「蒼翼の悪魔の名は、伊達じゃないっすね~」

「いい腕どころか、あそこまでいけば立派な脅威だ」

 声のした方へ振り向くと、顔の大半を覆面で覆った男性が立っていた。

「お疲れっす、クロ。で、あの屠龍の目的はわかったっすか?」

 レミ組副長、幼馴染のクロは静かに話し始める。

「ガドール評議会のユーリア議員と、ハリマ評議会のホナミ議員への脅迫、あるいは抹殺だろう。アレシマ市長の手振りと無線で、指示を出していた」

「アレシマ市長も思い切った行動に出たっすね。イケスカ派とはいえ、ユーリア派排除のため議員本人を殺そうなんて」

「戦力は空賊に見せかけてはいるが、アレシマ警備保障の格納庫が、屠龍を含め全て出払っていた」

「市長の私兵の本領発揮っすね」

「事故という名目で空港を閉鎖した上、地上戦力まで投入する念の入れようだ」

「よくそんな中をハルカさんは潜り抜けて、飛び上がれたっすね」

「敵のいない裏路地や地下の水路を使って潜入。彼女は格闘術の心得もあったんだな。武装した敵相手に立ち回って、最後は締め上げて気絶させていた」

「お~怖。誰に教わったんすかね~」

「付け焼刃でもないし、その辺の適当な自称師範でもないだろうな。動きが綺麗だったし、急所であるアゴを最初から狙って蹴り上げた」

「スカートで蹴り技繰り出すのは、どうかと思うっすけどね~」

 状況が状況なだけに仕方ないとはいえ、彼女はもう少し自分の格好を気にした方がいいのでは、とレミは思う。

「何はともあれ、これでアレシマ警備保障は終わりっすね」

 アレシマ警備保障は、レミたちにとっては目障りだった。

 市長と繋がりをもち、金にものを言わせ他のマフィアや空賊を配下に加え、支配力を拡大させていた。

 今回使われた地上戦力も、配下に置いたそういったものたちだったに違いない。

 だが、ユーリア議員やホナミ議員を、空賊にみせかけたアレシマ警備保障を使い抹殺することに失敗。証人が生きている以上、市長は議会で追求されるだろう。

 市長による根拠のない空港の閉鎖命令や、襲撃を受けているにもかかわらず自警団、市立飛行警備隊に出撃命令を出さなかった件などいくらでも追及材料はある。

 落とされたものたちや機体が空賊ではなく、アレシマ警備保障所属とわかるのは時間の問題だろう。

 市長の後ろ盾を失ったアレシマ警備保障や配下の空賊やマフィアは弱体化。他勢力へ吸収されることになるだろう。

「これでまた、アレシマのマフィア統一が一歩進んだっすね」

 嬉しそうにレミは言うが、クロは静かに言う。

 

「こうなることがわかっていて、彼女に情報を渡したのか?……今回も」

 

「何がっすか~?」

 クロはため息をはく。

「……以前からそうだったろ?ゲキテツ一家が手を焼いている敵に対して、彼女に情報を渡して排除させたのは」

「クロも人聞きが悪いっすね~。それじゃあ私が黒幕みたいじゃないっすか?」

 レミがハルカに情報を渡したのは、今回が初めてではない。

 彼女がウミワシ通商に居た当時から、何度もあった。

 ゲキテツ一家の不利益にならない、あるいは利益になる場合に限って、レミは空賊であったハルカに、秘密裡に情報を渡していた。

 ゲキテツ一家は、空賊とは手を組まない方針だったから。

 情報を渡して数日後、決まって一家は皆驚いた。

 敵対勢力が、狙ったように次々滅ぼされていく様が新聞に載ったのを見て。

 事情を知っているレミだけが微笑んでいた。

 その敵対勢力が居た場所は、どこもあの蒼い翼が舞った。

「あんな存在、放っておいたらただの脅威だ。ウミワシ通商が崩壊したとき、なぜ引き入れようとしなかった?」

「彼女は、裏の世界でやっていくには有名になりすぎましたからね~」

 蒼い翼の零戦は、運び屋たちの間だけでなく、裏の世界、空賊やマフィアたちの間でも有名だ。それだけ、大きな被害をもたらしたという意味であるが。

「目に見える脅威が有効なのは、表の世界。ルール無用の裏の世界では、それ以外、交渉や取引等、他の手段もないとやってけないのは、クロも知っているっすよね?」

 だから、ゲキテツ一家にはレミのような工作、諜報戦を担当する者がいるわけだ。

「敵になったときは、どうする?」

「その心配はないっすよ。ゲキテツ一家が議員たちに喧嘩を売ることはないですし、ユーリア議員たちが、ちゃんと首輪をつけてくれているっすから」

「ならいいが、この先も彼女と関係は続けるのか?」

「何か問題でもあるっすか?」

「……空賊に情報を渡していたことは、首領やローラ、イサカたちは知っている。フィオやニコはどうか知らんが。シアラは興味無しだろうな」

「あちゃ~、バレてたっすか?」

「敵対勢力を排除してくれているから、黙認されていただけだ」

「大丈夫っすよ、彼女はもう空賊じゃないっすから」

「……続けるのか?」

「勿論す!だって」

 レミは、満面の笑みを浮かべて言い放った。

 

「ハルカさんに情報を渡すと、いつもユーハング酒をくれるっすから!」

 

 クロはその場でこけそうになった。

 

「……結局、最後は酒か。この吞兵衛」

 

 クロは、そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 議員2人の安全が確保できたことで、隊長から帰還命令が出た。レイの着陸脚とフラップを下げて滑走路へ進入。機体を着陸させた。

 格納庫のそばまで機体を誘導。エンジンを切ると、彼女は風防を開けて操縦席から下りた。

「……はあ」

 ようやく一息ついた彼女に、声がかけられた。

「ハルカ君」

 護衛隊の隊長、副隊長兄弟が見えた。

「2人とも!」

 彼女は隊長たちにかけよる。

「無事だったんですね!」

 

「なあに、ユーリア議員の護衛をしていれば、これくらいのこと日常茶飯事だ」

 

 それはそれでどうなのだろうと、彼女は苦笑する。

「あ、議員たちは?」

「このとおり無事よ」

 隊長たちに少し遅れて、ユーリアとホナミが歩いてきた。

「あ、遅くなって申し訳ありません」

 いきなり頭を下げた彼女に、2人は苦笑いする。

「いいのよ。私たちは生きている。その結果が全てよ」

「ありがとう、ハルカさん」

 それを聞いて彼女は頭を上げる。

 

「あの~、ちょっとよろしいでしょうか?」

 

 振り返れば、そこにはカメラを手にした、新聞記者であろう男性が立っていた。

「アレシマ新聞の記者です。先ほどの件でお話を聞きたく……」

 すると、記者は何やらユーリアたちの背後を覗き込もうとしている。その視線の先には、ハルカの零戦が駐機されている。

 

「あ、あの零戦!あの、パイロットの方はどこに!?」

 

 彼女は即座にユーリアの背後に隠れようとする。が、首根っこを掴まれ、正面に立たされた。

 

「この子よ」

 

 ハルカの顔は驚愕の色に染まり、記者の男性は口を開けて唖然としている。

「あの……、冗談ですよね?」

「冗談じゃないわ」

「あの蒼翼の悪魔と呼ばれる零戦のパイロットが、こんな若い子?」

「でも事実よ。そして……」

 ユーリアは、ホナミの隣まで彼女を引きずりながら移動する。

「今は、私たちの用心棒よ」

 瞬間、記者はカメラのシャッターを押した。

「これはいいネタを頂きました。ありがとうございます!」

 いうなり記者は走り去った。

「ちょ、ちょっと!」

 記者を追いかけようと走りだそうとするも、またも首根っこを掴まれ、たたらをふむ。

「いいじゃない」

 彼女はユーリアを見上げる。

「あなたはもう空賊じゃない。名前が知られたって、問題ないでしょ?」

「そう、ですけど」

「それに、あなたが用心棒だってわかれば、へたな空賊はよってこないだろうしね~」

 運び屋たちの間では畏怖と恐怖の対象だった、蒼い翼の零戦。

 それが用心棒についているとわかれば、議員たちに手だしができない。

 一方で、その翼の舞った場所では、幾人もの運命が狂わされた。そのパイロットがわかった以上、賠償を求めるものたちや狙ってくるものたちも沢山でてくるだろうと、彼女は頭を抱える。

 だが、これは避けては通れない運命。

 頭の中で、そう割り切るしかなかった。

 

 

 

 後日、ガドールに戻ったユーリアの部屋では、段ボールに詰められた大量の郵便物の処理が行われていた。

「これも破棄、これも、これも……」

 護衛隊の隊長、副隊長は開封して中身を簡単に確認して処分用の段ボールに放り込んでいく。ハルカは今、別件で席を外している。

「凄い量ね」

「まったくです……」

 大量の郵便物の中身は、全てユーリアの用心棒、ハルカへの勧誘の手紙だった。

 もっとも、彼女を手放すつもりはないので、全て処分する。

 アレシマでの一件の記事はほかの都市でも発行され、あの日の出来事は多くの人々の知る所となった。

 加えて、これまで謎に包まれていた蒼い翼の零戦のパイロットの顔がわかったということもあり、新聞はよく売れたとのことで、あの記者からは感謝の電話があった。

 会社と偽装して空賊を市民から徴収した金で雇った上、空賊と結託して現役の議員を殺そうとしたということで、アレシマ、ナハタの市長は失脚。新市長を決める選挙が行われることになった。

 なお、アレシマ市長は他にも黒い噂があるようで、議会で追求されるという。

 ユーリアは件の新聞を眺める。

「よく撮れているわね」

 新聞には、

 

「ユーリア議員に強力な用心棒現る!蒼翼の悪魔の素顔は若い女性パイロット!?」

 

などと書かれ、写真にはユーリアとホナミ、2人にハルカが挟まれる形で、彼女の零戦を背景に写っている。

 その記事は一面を飾っており、他の騒ぎは二面に下がっている。

 ちなみに二面には、

 

「アレシマにドラム缶をかぶった謎の集団現る?」

 

という珍事が一緒に書かれている。

 

 そんなとき、部屋の電話が鳴った。

「もしもし……」

 

『無事だったようね、ユーリア』

 

 聞きなれた声に、名乗らなくてもだれか瞬時に察した。

「ルゥルゥ。ええ無事よ、あの子のおかげでね」

『活躍は聞いたわ、私たちの新しい小鳥ちゃんの、ね』

 アレシマでの一件は、ラハマにも伝わっているらしい。だが、ただの世間話のた めにルゥルゥが電話をしてきたとは考えにくい。

 あえて、私たち、というあたり要件を察した。

『じゃあ、今度は私が使ってもいいわよね?』

 やっぱり、とユーリアは思う。

「コトブキがいるのに?」

『賠償金の件もあるし。それに、あなたの独り占めはダメっていったわよね?』

 彼女はガドールに拠点を置いているが、あくまで共有である。なので求められたら断ることはできない。そういう約束である。

「……わかったわ」

『じゃあお願いね。また連絡するわ』

「……ええ」

 受話器を戻すと、いつの間にか隊長が目の前に立っていた。

「何かあったかしら?」

 すると、隊長は1通の手紙を差し出してきた。

 

「差出人が差出人なので、中身を先に見るのは、まずいと思いまして」

 

 差し出された手紙を裏返し、差出人を見る。ユーリアは目を見開いた。

 

「ハリマ評議会、議長……」

 

 ハリマ評議会の重鎮にして議長、ホナミの父親のカスガ氏からだった。

 ユーリアは、横のつながりを強化していく取り組みの過程で、彼に出会っている。

 もう老人という年なので髪に白髪が目立つが、年齢の割に力は衰えず、農家と議員を今でも両方している。

 

 ハリマは食料生産都市として、あらゆる都市と交易を行い、関係を構築すべき。

 

 その理念のもと、孤立派に手を焼きながらも今でも議会の方針となっている。自分は遠方への長旅はできないから、変わりに娘を紹介しよう。

 後に理解者になるホナミとであったのは、そんなことがきっかけだった。

 議長からの手紙となれば重要な要件だろうと、ユーリアは封を開いた。

 

 

 

「ユーリア議員、報告書できあがりました」

 部屋に入ると、ハルカはユーリアに書類の束を渡す。

 だが、ユーリアは彼女を見つめたまま動かない。彼女は首をかしげる。

「あの、議員?」

 ユーリアは意識が現実に引き戻されたように、目が瞬いた。

「あ、ごめんなさい」

 急いで書類を受けとる。

「それはそうと、さっきルゥルゥから連絡があったわ」

「ルゥルゥ……、オウニ商会の?」

「ええ。近いうち、あなたを呼びたいって。詳しいことはまた連絡するそうよ」

「わかりました」

 彼女は部屋を出ようとする。

「ところで、ハルカ」

 彼女は足を止めて振り向く。

 

「あなたの身内って、もう誰も生きてないの?」

 

 一瞬、彼女の表情に悲しみが滲み、瞳が揺らいだ。

「……以前申し上げた通り、誰も生きていません。祖母は老衰、父と兄姉はリノウチで戦死。母と妹、弟はウミワシ通商によって殺された。祖父は行方不明ですけど、イケスカが内戦状態では……」

「そう……。今回のことが大々的に報じられているから、彼らの目に留まって、連絡でもくれればと思ったんだけど」

「……そう、ですね」

 彼女は話を打ち切るように、部屋から出ていった。

 1人になった室内で、ユーリアは息を吐き出す。

 彼女が一瞬悲しそうな顔をしたのは胸が痛かったが、あの様子ではやはりまだ自分の中で処理できていないのだろう。

 でも、聞かなければならなかった。

 ユーリアは引き出しをあけ、中からハリマ評議会議長から届いた手紙を取り出し、文面を見返す。

 

 

『 新聞でアレシマの件を知りました。ご無事で何よりです。

  今回手紙を出したのは、あなたの雇っている用心棒のことです。

  記事の写真に、あなたとホナミと写っている女性、ハルカは、

  私の長子の子に間違いありません。

 

  お願いです。どうか彼女に、会わせてはもらえないでしょうか   』

 

 

 それが、議長がユーリアに手紙を送ってきた理由。ハルカへの面会の申し入れだった。

 カスガ氏にしてみれば、寝耳に水のような話だったのだろう。

 ホナミ曰く、彼女の姉、アスカというらしいが、姉からは定期的に手紙が届いていた。だがいつしか途絶え、返事が全くこなくなった。

 姉の手紙から、姉と娘のハルカ、そして弟に妹、4人が残っている所までは把握していたようだ。

 最後の手紙が来て以降音信不通になったとき、ホナミたちは最悪のケースを考えた。

 そんなとき、生きている望みは薄いと思っていた娘の子供、孫のハルカの生存が、先日の新聞によってわかったのだ。

 孫に会いたいという祖父の心情は理解できる。

 だから娘のホナミを通り越して、いきなりユーリアの所に手紙を送ってきたのだろう。

 だが、この話をすんなり承諾することはできない。

 

 その最大の障害が、ハルカ本人だ。

 

 さっきの質問からも、彼女は身内が生きているとは思っていない。ホナミと何度顔を突き合わせても、初対面の人間に会うときの仕草しかしなかった。

 ホナミは幼い頃何度か会っているといっていたが、おそらく本当に覚えていないのだろう。

 幼い頃から運び屋ではなく、少しでも多くのお金を得るために戦いの空を翔けねばならなかった彼女は、強くあらねばならなかった。

 父親、姉、兄という支えを失いながらも、幼い心で恐怖に耐えながら空を翔け、日々家族のもとへと帰らなければならなかった。

 その中で余分なものとしてそぎ落としたか、あるいは塗りつぶされてしまったのか。

 新しい環境に慣れようと必死な彼女に、混乱の種を増やしたくない、というのが理由ではある。

 だが身内が生きているなら、彼女にはまだ帰る場所があるのだと、死者に引きずられている彼女をつなぎとめることもできる。

 もっとも、彼女は元空賊。その経歴が周囲に及ぼす影響は小さくない。特に、議員となればなおさら。

「……まずはホナミから、一度話をしてもらう必要があるわね」

 ユーリアは電話をとり、彼女に電話をかけるべく、ダイヤルを回した。

 

 

 

 イケスカのそばにある洞窟の中で、丸眼鏡をかけたおかっぱ頭の男性、ヒデアキは電話でだれかと話していた。

『本当なのか?彼女がユーリアについたというのは?』

「ええ、残念ですが。アレシマの一件から、間違いないかと」

 アレシマ新聞の一面を見ながら、彼は答える。

 今回彼は、ユーリア議員への報復を本来行う手筈だった。だがそのために雇ったシロクモ団の証言から、作戦を変更せざるを得なかった。

 蒼い翼の零戦に遭遇した、という報告は無視できなかった。

 本当に彼女がユーリアの側についたのか確認するため、アレシマ市長とナハタ市長に協力するフリをして、アレシマ警備保障を使い、彼女が出てこざるをえない状況を作り出した。

 そして上空で手配した戦力を殲滅したのは、見紛うことなき、あの悪魔の零戦だった。

 電話の向こうの主は、沈黙する。

「彼女を放置すれば、いずれ大きな脅威になります。その前に、摘み取るのが得策かと」

『無理だ』

 電話の相手は即答した。

『彼女には気を付けろ、そういったはずだ。アレシマでも、単機でアレシマ警備保障の戦力を殲滅した。並みの空賊では歯が立たない。だからといって、われら自由博愛連合は今、表立って動くわけにもいかない。戦力の損失は、極力避けたい』

「では、どうされるおつもりで?」

『今は様子見するしかない』

「ですが、放置すれば……」

 彼女を放置すれば、間違いなく自由博愛連合にとっては不利益しかもたらさない。

 電話の向こうの主は言った。静かに、でも確かな意志を込めて。

 

 

「時が来たら、私が始末する』

 

 

 ヒデアキは目を見開いた。

 

「あなたが自ら、手を下すですと!?」

 

『時が来たら、だ。今は放っておけ。報告だけは継続して頼む』

「かしこまりました」

 電話が切れた。

 ヒデアキは新聞をテーブルに放り出し、ソファーにもたれる。

「はあ~。ウミワシ通商が崩壊して以降、行方知れずだった彼女が、よりにもよってユーリアの側につくとは……。運命とは、残酷なものですな」

 男性は、電話をかけてきた主人のことを思う。

 主人にとっては、運命のいたずらだろう。

 でも、イサオ氏の意志を継ぐというなら、主人はそれもいずれは排除するだろうと、彼は信じる。

 そのために、彼は立ち上がった。イサオ氏の理想を実現するという大義のために。

「ですが、あなたが手を汚したくないというなら、私が動くまで。精々、それまで生を謳歌してくださいね、蒼翼の悪魔。ムフッ」

 薄暗い室内で、彼は1人不気味に微笑んだ。

 




ここまで読んで下さった方々、ありがとうございます。
第2章はここまでとなります。

いつ更新できるかはわかりませんが、第3章が始まった
とき、またお付き合い頂けたら、幸いです。

ありがとうございました。


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おまけ短編:ナツオ整備班長の戦闘機解説「零戦52型丙」

ある日、コトブキ飛行隊のキリエとチカは、ナツオ整備班長に
格納庫へ呼び出される。班長が2人を呼んだ理由とは……。

「蒼翼の軌跡」に登場する零戦52型丙の簡単な解説になります。
あまり面白みはないかもしれませんが、かいてみました。


 照明の落とされた羽衣丸の船内を、コトブキ飛行隊のキリエ、チカは静かに歩き、目的地である格納庫へと足を踏み入れる。

「えっと、ここだよね?」

 キリエは暗い中、あたりを見回す。

「ナツオ班長が来いっていったのに、姿見えないね」

 この場に彼らを呼び出した張本人、ナツオ整備班長を探して彼らはあたりを見渡す。

 そのとき、格納庫内の明かりが一斉に点灯し、一角を明るく照らした。

 そこにいたのは……。

 

 

「おう、てめえら!さぼらずよく来たな!」

 

 

 呼び出した張本人、ナツオ整備班長はそばに置いた黒板を拳で殴りながら言い放った。

 

「いい心がけだ!」

 

「だって逃げたら……」

「あとが怖いもんね……」

「ケツにイナーシャハンドル……」

「本当に突っ込まれるかもしれないもんね」

「やかましい!人を鬼みたいにいうんじゃない!」

 イナーシャハンドルを振り回しつつ、ナツオ班長は抗議するも、説得力は皆無である。

 そしてわざとらしく咳払いをすると、2人にむきなおる。

 

「じゃあ、飛行機乗りのくせに、飛行機のことをなんにも知らないお前たちのために、この私が特別に教育してやる!ありがたく思え!」

 

「「は~い」」

 気だるそうな返事を返すキリエとチカ。

 

 

「じゃあ、ナツオ整備班長の戦闘機解説講座、開講だああああ!」

 

 

 ナツオ整備班長の戦闘機解説講座。その名の通り、ナツオ整備班長が戦闘機、もとい飛行機について懇切丁寧に解説してくれる講座である。

 現在、受講者はキリエとチカの2人のみとなっている。他のコトブキのメンバーがなぜいないか、それは彼ら自身に理由がある。

 

 飛行機乗りは、いくつかの種類がいる。

 例えば……。

 

 その1 裏打ちされた経験で飛ぶタイプ。

 レオナにザラ、エンマはこのタイプ。

 

 その2 理論を頭の中で組み立てながら飛ばしているタイプ。

 おもにケイトがこのタイプ。

 

 そしてその3 感覚で飛ばしているタイプ。

 キリエとチカがこのタイプ。

 

 感覚でも飛行機は飛ばせるので問題はない。だが、敵がどんな機体で、どんな長所と短所があるか。また、自身の機体はどうか。

 敵機をどうやって自身の得意な土俵に引きずり込めばいいか。

 敵を知り、己を知れば百戦危うからず、とユーハングではいうという。

 

 

「つまり、自分のことと、遭遇する敵の事をしれば、負けない。機体が傷まない。それはつまるところ、整備班の負担軽減につながるんだあああああああ!」

 

 

 結構切実な問題を叫ぶ班長に、2人は苦笑する。

 

「班長って、結構……」

「うん、悩んでいたんだね」

 

 そんな2人へ、班長はイナーシャハンドルを突きつける。

 

「うるせえ!コトブキの中で一番機体を壊すわ痛めつけるてめえらに、いつも整備班は頭抱えてんだよ!てめえらが帰ってくるたび、機体の心配をしなけりゃならん、整備班の気持ちがわかるかああああ!」

 

「「ごめんなさ~い!」」

 

「謝れっつってんじゃねえ!改善しろっていってんだよ!申し訳ない気持ちが、オイル1滴分でもあるなら、謝るんじゃなく行動で示してみろ!」

 

「「はい!」」

 手を上げて2人は応える。

「よし!じゃあ前置きが長くなったが、今回も解説していくぞ!」

 楽しそうに準備を始める班長を見て、キリエは遠い目をする。

「あのさあ、班長」

「なんだ、キリエ?」

「本筋で散々解説したのに、まだしたりないの?」

「あたりめえだ!あれで終わりだと、誰が言った!あと、本筋とかいうな!まあ、今回の講座が続くかどうかは、しのぎや筆者のやる気次第だがな」

「うわあ、言っちゃいけない言葉が出たよ」

「聞くんじゃなかった」

 班長は気にした様子もなく、黒板にある飛行機の写真を張り付けた。

 その飛行機は、全体が白めの灰色で塗られている一方、翼は半分近くが暗い青色で塗装され、主翼には白色を縁取った水色の丸が描かれている。

 

「じゃあ、今回はこの物語の中心的な存在、蒼い翼の零戦こと、零戦52型丙について解説する」

 

「ハルカが乗っている零戦だよね」

「確か、彼女はレイって呼んでいるよね」

 作中では、ハルカは愛機のことをしばし愛称で呼んでいる。

「ああ、レイっていうのは彼女が勝手につけた愛称だ。それだけ、長年ともにある愛機なんだろうな。愛着がわいて、愛称つけて呼ぶなんて、かわいい所あるじゃねえか」

「なんでレイなんだろう?」

「彼女の祖父がこの機体のことを、レイセンって呼んでいたからだそうだ。略して、レイ」

「でもさ、みんなはこの機体のこと、ゼロ戦って呼ぶよね」

「ゼロ戦の正式名称は、零式艦上戦闘機。略して零戦(レイセン)だから、間違ってないぞ」

「レイ?ゼロ?」

「ユーハングの世界では、零のことを、レイ。又はゼロって発音するらしいから、レイセンでもゼロセンでも正解なんだ」

「なんかややこしい……」

「というか、また零戦だよ~。本筋で何回やったんだか……」

「うるせえ、山ほど派生があるんだし、それにこの物語で初めて登場したんだから、やらないわけにはいかないだろう!それとメタい発言は禁止だ!」

 うんざりするキリエとチカを横目に、班長は解説を続ける。

「まず52型丙なんだが、52型の派生の1つで、最後の52型になる」

「派生っていうと、甲、乙、丙の武装バリエーション?」

「お、チカはちゃんと覚えていたな」

 班長は嬉しそうに笑みを浮かべる。

「零戦の総生産数の半数を占めるのは、52型だ。だがその52型も、武装は21型や32型、22型と変わらず、7.7mm機銃2丁に、20mm機銃2丁のままだった。弾数は増えたけどな」

「変わらないままで大丈夫だったの?」

「大丈夫なわけないだろう?敵さんは防弾装備が充実して、7.7mm機銃をいくら撃ちこんでも簡単には落ちなくなったし、零戦相手に次第に格闘戦をしなくなり、急降下で引き離す戦法に切り替えた。一方、零戦は少し弾を受ければ撃墜。敵さんを落とそうにも、20mm機銃は当てにくいし、弾数も少ない。それに制限速度のせいで、急降下に入られたら追いつけなかった」

「新型機はできなかったの?」

 班長はため息をはく。

「残念ながら、後継機の十七試艦戦、後の烈風は、迷走の末間に合わなかった」

「紫電改とかは?」

「紫電改が登場したのは、もう戦局がどうしようもない時期。それに生産機数が少なかった。配備されない新型機より、その場にあって使える兵器のほうが、役に立つだろう?」

「まあ、そうだよね~」

 どれだけ高性能でも、配備されなければ意味がない。

「雷電じゃだめなの?」

「雷電は、爆撃機の迎撃を目的とした機体。戦闘機相手もできるが、航続距離が短いし、機体特性が違う。だから結局、零戦をいじくるしかなかったんだよ」

「なるほど」

「で、まず作られたのが52型甲。それまでドラム弾倉だった20mm機銃の給弾方式を、ベルト給弾式に改めた。おかげで弾数がわずかに増えた。それに外板を厚くして、弱点だった急降下速度が少し上がった」

「でもそれだけなんだね……」

「まあ、敵さんが新型機どんどん作っている中、マイナーチェンジに近い内容だが、仕方がない」

「で、次は?」

 チカが先を促す。

「次は乙型。機首の7.7mm機銃2丁の片方を13.2mm機銃に換装して火力を上げた。さらに風防前面に防弾ガラス、操縦席後部に防弾鋼板が装備された」

「やっと防弾装備が登場だね」

「まあ遅ればせながら、ようやくな。で、最後になるのが、今回のメイン、丙型だ」

「やっと話が戻ってきたよ~」

 キリエは少し遠い目をする。

「機首は乙型では7.7mmと13.2mmだったんだが、弾道特性が異なって当てにくいから13.2mm機銃1丁のみにした。さらに主翼の20mm機銃の隣に13.2mm機銃を左右の主翼に1丁ずつ追加。武装は13.2mm機銃3丁に20mm機銃2丁の計5丁だ!」

「機銃5丁!凄い重武装!」

「隼なんて2丁しかないのにね~」

 チカはため息をはく。

「さらに、操縦席後部には頭部保護用の防弾ガラスが追加。そして主翼下部にはロケットを装備できるレールが常設されることになった」

「そういえば、羽衣丸にロケット撃ちこんでたよね」

「さしずめ、制空戦闘機というより、戦闘爆撃機の性格が少し強くなったな」

「ほえ~、強そうな見た目だね~」

 機銃を5丁も装備し、主翼から機銃の長い銃身が突き出ている様は、勇ましさを感じさせる。

「ところが、その勇ましい見た目に反して、いいことばかりでもなかったんだよ。元はその軽さで軽快な運動性を誇っていた零戦だが、丙型は装備が色々増えたせいで、全備重量は21型に比べ500kg近く増えた」

「500kg!太ったね~」

「おまけに、エンジンは32型と同じ、栄21型のまま。主翼が少し短くなったせいで、翼面荷重が増加。追加装備の重さも相まって、52型の中では急降下速度はいいんだが、運動性や旋回性は最も悪く、速度も遅い。最高時速は540km前後だ」

「……それでも隼より速いじゃん」

「火力の上では敵さんと渡り合えるようになったが、飛行性能や速度はどうしようもなくてな。防弾装備だって、疾風や紫電改に比べると劣る。隼のような防漏タンクも装備していない。まあ、もともと芸術品のような絶妙なバランスで成り立っていた零戦の設計では、それが限界だったんだ」

 本来なら、後継機にバトンタッチしていなければならない零戦を、いじくりまわした果てが丙型なのだ。

「ラハマ上空の空戦で、レオナの隼に主翼撃たれて、燃料漏れが止まらなかったんだっけ?」

「その後、ウミワシ通商社長の乗る紫電改に撃たれたときも燃料漏れが止まらず、供給ルートを切り替えて少しでも使おうとするあたり、苦心しているねえ」

 うんうんと頷く班長に。キリエはふと浮かんだ疑問をぶつけてみる。

 

「そういえばさ、ハルカの52型丙って、機銃3丁しかないよね?」

 

「主翼の13.2mm機銃が外されているんだっけ?」

「ああ、彼女の機体を調べて分かったんだ」

「なんでないの?」

 

 

「ハルカに聞いてこ~い!」

 

 

「「ええ~……」」

 キリエとチカは、答えを丸投げする班長に唖然とする。

「なんでかわからないんだよ。レオナ曰く、ハルカの52型丙は、彼女の祖父と父親が作った形見らしいから、機銃が2丁ないのも、2人の考えが反映されているのかもな。まあ、作者がいうには、それが物語にかかわっているらしいが」

「メタい発言禁止じゃなかったの?」

「大人の事情だ」

「わあ、聞くんじゃなかった~」

 大人はなんでもありである。

「まあ、いつか2人の疑問は明かされるときがくるだろう」

「そこまで作者が書いてくれればいいんだけど」

「そこは、気長に待つしかないだろ。よし、今日の所はここまでにしてやる」

 班長は満面の笑みを浮かべる。

 

「次回があったらよろしくな」

 

「「うえ~い」」

 

 キリエとチカは、気だるそうに返事を返したのだった。

 



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第3章 元空賊と空賊嫌い
第1話 ラハマへのお使い


ユーリア議員にオウニ商会のマダム・ルゥルゥへ届け物を頼まれ、
ガドールを飛び立った彼女。
しかし、ラハマが見えてきたと思ったら、空賊が町を襲撃していた。


 ラハマの飛行場を滑走し、速度を上げて離陸していく1機の蒼い翼の零戦。

 そのパイロットは、滑走路脇に並んで立つコトブキ飛行隊の面々に手を振っている。

 

 赤い髪を縛り、凛々しい顔つきの隊長レオナ。

 母性溢れる、優しい笑みを浮かべる副隊長ザラ。

 赤いコートを羽織る、パンケーキ好きの隊員キリエ。

 アノマロカリスのぬいぐるみ片手に、元気よく手をふるチカ。

 淡々と手を左右に、同じ角度の範囲で動かしているケイト。

 

 皆、それぞれ彼ららしく手を振り返している。

 そんな中、手を振り返していない人物が1人。

「いっちゃったね」

 零戦の姿が見えなくなると、名残惜しそうにキリエは言う。

「ああ。でも、またじきに会えるさ」

 レオナの言葉に、その人物は眉間に皺をよせる。

「マダムとユーリア議員、それとホナミとかいう議員の共有だっけ?」

「3人で1人を雇うなんて、随分引っ張りだこね彼女」

「でも、あれほどの腕前なら、それも納得」

 

 

―――納得できませんわ!

 

「じゃあ、マダムが呼んだら、ハルカ来るわけ?」

「そうだ」

「コトブキ飛行隊に、7人目かしら?」

「いずれはそうなってほしいな~。レオナ、彼女引き抜けないの?」

「無茶いうな。マダムだけならともかく、あと2人は気の強い政治家だ」

「マダムでさえ無理だったんだもの。レオナの交渉力じゃ、ちょっと難しいわよね~」

 レオナは少し残念そうに顔を曇らせる。

 実直な彼女にとって、騙し合いや駆け引きが必要な交渉は、苦手なものの1つだ。

「彼女がいれば、戦闘時に選べる選択肢が増える。こちらとしても、使えるものは使いたい」

 

 

―――不要ですわ!

 

 

「そっか~」

 キリエは少し残念そうにため息をつく。

 そんな彼女の肩に、レオナは腕を回す。

 

「それじゃあ、彼女が来たとき恥をかかなくて済むよう、これから訓練に入ろうか?キリエ」

 

「げっ!藪蛇だった!でも、私これから食べ歩きを~」

「食べ歩き?空戦訓練で腹をすかせてからの方が、パンケーキもおいしいと思うぞ」

「そ、それは……」

「では、皆行こうか?」

 レオナはキリエを引きずっていく。

「いやああ!先にパンケーキを、パンケーキを食べさせて!」

 皆がレオナについて歩いていく中、ハルカが飛び去った方向を見続ける女性が1人。

 親の仇でも見るかのように、憎しみや敵意を込めた視線で、彼女は空をにらみつける。

 

「認めませんわ。コトブキ飛行隊に、空賊を迎え入れるなんて……」

 

 綺麗にセットされた金色の髪に、貴族を思わせる優美な服装。コトブキ飛行隊の1人、エンマは叫んだ。

 

 

「絶対……、認めませんわああああああああああああ!」

 

 

 今となっては、彼女の家は没落貴族。

 ちなみに、家の財産を奪っていった悪党や空賊が、大嫌いである。

 

 

 

 

 

 

「マダムへお届け物?」

 ガドール評議会の議員の1人、ユーリアに呼び出された用心棒の女性、ハルカは要件を聞かされる。

 内容はラハマのオウニ商会、マダム・ルゥルゥへの届け物。

 要するにお使いである。

 イジツには飛行機を使った郵便配達員が存在しているものの、政治家は急用であったり、あるいは機密性の高いものを運ぶ際は身近なパイロットを使う場合が多い。

 ユーリアが彼女に直接頼むというからには、機密性の高いものなのかもしれない。

「わかりました、すぐに向かいます」

「お願いね。あ、念のために3~4日分の着替えを入れて荷造りしなさい」

 彼女は首を傾げた。

「なんで、ですか?」

 ガドールからラハマまで飛行船で片道約2日。戦闘機を飛ばせば1日で往復できる。

 どう考えても、そんなに荷物はいらない。

「念のため、よ。悪天候で飛べなかったり、撃墜された場合でも死なないように、ね」

「は、はあ……。わかりました」

「それと、私に定期的に連絡はすること!」

 最近、彼女はユーリアから直通の無線機を渡され、携帯するよう命じられている。

 少々心配しすぎなのではと思うも、口でユーリアにかなうはずもないし、先日の1時間も約束の時間に遅れたことが尾を引いているのだろう。

 やむなく彼女は黙る。

 ユーリアは事務机の引き出しを開けると、茶色い封筒を1つ取り出した。

「じゃあ、お願いね」

「承知しました」

 封筒を受け取った彼女は、さっそく出発の準備を始めるべく自室へ向かおうとする。

「ちょっと待ちなさい」

 と思ったら、首根っこを掴まれたたらを踏む。

「あの、ユーリア議員?いい加減首根っこをつかむのはやめてもらえませんか?結構首が苦しくて」

 次の瞬間、首の付け根左側に痛みが走った。

「痛っ!」

 首と目を動かせば、ユーリア議員の顔がそこにあった。物語上の存在、ユーハングでいうところの吸血鬼が血を吸うように、首筋を噛まれていた。

「あの、議員?ちょっと、なにを……」

 次第に歯が食い込んで来て……。

 

「みゃあああああああああああああああああああ!」

 

 ユーリアの部屋に、彼女の悲鳴が響き渡った。

 

 

 

「これでよし」

 

「何がよし、ですか……」

 

 乱れたシャツを直しつつ、彼女は恨み言を言う。濡らしたハンカチで口紅は落としたものの、おかげで首筋には歯型がぱっちりとついている。

「それと、コトブキと仕事する際は気を付けなさい」

 ユーリアは鼻先が触れそうなほど顔を近づけてくる。

「ルゥルゥの色に染まる必要はないからね」

「わ、わかりました。気を付けますから……」

 心配性の議員の視線を背中に感じながら、彼女は封筒を手に、半ば荷物置き場と化している自室に向かった。

 

 

 

「班長~」

 準備を終え、護衛隊の隊長と副隊長兄弟にお使いの件を伝えた彼女は、格納庫へやってきた。

「よう、嬢ちゃん!準備できてるぞ!」

 整備班長の張りのある声が、格納庫に木霊する。

「にしても、増槽なんてつけてどこまで行くんだ?」

 彼女の愛機、零戦52型丙の機体下面には、いつもはつけていない増槽が取り付けられている。

「ちょっとラハマまで。議員のお使いです」

 彼女は主翼に上がり、風防をあけると操縦席の後ろに荷物をのせる。

「じゃあ、数日帰らねえのか?寂しくなるねえ……」

 本当に寂しそうに表情を曇らせる整備班長に、ハルカはクスクスと笑う。

「そんなに寂しがらなくても、数日のことですから」

「……嬢ちゃんがいなくなると、またこの格納庫がむさくるしくなっちまう……」

 班長は顔を上げて、主翼の上にいる彼女に視線を向ける。

「大げさですね、班長」

 彼女は操縦席付近の胴体左側にある足掛けを引っ張り出し、足をのせて操縦席左側の壁をまたいで座席へと入った。

 

 そのとき、整備班長は見た。

 

 彼女のスカートの中の、白いものを。

 

 足掛けをひっこめると、彼女は計器を確認する。

「班長、イナーシャお願いできますか?」

 班長は頭を左右に振って邪念を即座に追い出す。

「あ、ああ!まかせろ!」

 いつもの手順でエンジン右側からイナーシャを回し、慣性始動を始める。

「点火!」

 ハルカがエンジンを始動させる。推力式単排気管が排気を順に吹き出し、プロペラが回転速度を増していく。

「おお、今日も快調だな!」

 動翼の作動を確認。エンジンの回転数、プロペラピッチの切り替え、問題なし。

 彼女は手をふって車輪止めを外させる。

 そして整備班の誘導に従い、機体を格納庫の外へ出す。

 滑走路に到着すると機体を加速させ、目的地に向かって飛び立っていった。

 

 

 

「ああ、寂しくなるな……」

 ハルカの零戦が飛び立っていくのを見送った整備班長は、項垂れている。

「しばらくの辛抱ですよ、班長」

 彼の部下が慰めてくれる。

「といっても、無理でしょうが。班長あの子のこと、可愛がってますもんね。孫みたいに」

 からかうように笑う部下を、班長はジト目で見つめ返す。

「なにいってんだ。てめえらこそユーリア議員に掛け合って、嬢ちゃんに護衛隊の制服を支給する話を撤回させたくせに」

 すると部下たちは口角を上げ、笑みを浮かべる。

 

「だって、きれいなものは眺めたいでしょ?」

 

 この整備班、大丈夫だろうか。

「ところで、班長」

 部下の1人が、班長に顔を寄せる。

 

「見たんですよね?」

 

「……何をだ?」

「嬢ちゃんの、ねえ」

 それがなんであるか、皆わかっている。

 始動準備をする前の彼女と班長との位置関係を見れば。

「仮に見ていても、いうものかよ」

 班長はスパナ片手に他の機体の整備に向かう。

「あ、班長!教えてくれてもいいじゃないっすか!」

「独り占めはずるいっす!」

「アレシマのときも見ておいて!」

 部下の整備員たちが口々に言う。

 さきのアレシマの一件で、制圧されていた格納庫から武装集団を排除した際、彼女はスカートを履いていることなどお構いなしに、格納庫の2階、キャットウォークから飛び降りていた。

 緊急時とはいえ、ついつい目が行ってしまうのはやむを得ない。

 だが、当人がいない間にこんな話をしていることが彼女に知られれば、どんな冷たい視線を向けられるか……。

 彼女を可愛がっている整備班長にとっては、それは耐えられない。

「やかましい!さっさと仕事にもどるぞ!」

 知らぬは、本人ばかりなり。

 部下の不平不満を流しつつ、班長は仕事に戻っていった。

 

 

 

 

 

「航路はそのまま、昼過ぎにはつけそうかな」

 操縦桿を太ももに挟み、コンパスを手に地図とにらめっこしながら、ハルカはラハマへ向かう。

 空賊に見つかりにくいよう雲の間を抜けるように飛んでいるが、周囲の風景が確認しにくい。

 もっとも、高度を下げても、見えるのはどこまでも果てしなく続く荒野しかないが。

 保存のきくパイロット用の戦闘糧食をかじりながら、彼女は視界のいい風防から周囲を見渡す。

 そのまま操縦桿を太ももで倒し、機体を180度ロールさせて下方を警戒。機影が見えないことを確認して水平飛行に戻る。

 飛行船と違い、戦闘機にはレーダーがない。信じられるのは、自身の目と危機を察知する感覚だけ。

 緊張の糸を張ったままの飛行というのは結構疲れるもので、彼女は本日何度目か数えきれないあくびをする。

「……さっさと終えて帰ろう」

 そして飛ぶことしばし、荒野の中に建物の集まりが見えてきた。そして町に隣接する、岩塩が採掘される山も。

「ラハマに到着っと……、ん?」

 ラハマの管制塔に連絡しようと思ったとき、その近くでなにか鳥が飛びまわっているのが目に入る。

 彼女は双眼鏡を取り出し、風防から身を少し乗り出してみる。

「……あれは!?」

 ラハマ自警団の九七式戦闘機。それが戦っているのは、派手な塗装の雷電2機と零戦21型4機。

「空賊……。こんなところにまで」

 九七式が1機、また1機落ちていく。21型はまだしも、速度で上回る雷電を九七戦で相手にするのは難しい。

 彼女は双眼鏡をしまうと座席に座り、ベルトをして風防を閉める。

「増槽投棄!」

 レバーを操作し、増槽を切り離す。

「エンジン出力増、プロペラピッチ低に固定……。戦闘速度!」

 彼女は空戦地帯へと、速度を上げ突き進んでいった。

 

 

「くそっ!」

 ラハマ自警団長は背後を振り返る。

 背後には、赤く塗られた雷電がずっとくっついたままだ。

「対空機銃、支援を!」

 地上から機銃弾が飛来する。だが、雷電は高度をあげて回避してしまう。

 さっきからこの繰り返し。速度で追いつけない以上接近してきたときに格闘戦に持ち込むしかないが、相手はそれをわかっているのか、少し銃撃したら高度を上げて離脱していってしまう。

 高度を上げられては、対空機銃も届かない。

「このままでは……」

 じわり、じわりと味方が落とされていく。

 また雷電が高度を下げ、自警団長の機体の背後を目指してくる。

 そのとき、雷電の背後から飛来した機銃弾があたり、火を噴きながら落ちていく。

 そして自警団長の九七戦の真横を、青色と灰色で塗られた飛行機が高速で駆け抜けていった。

「……あれは」

 

 奇襲で雷電を1機撃墜。降下の速度を殺さず、赤く塗られた零戦21型の背後につき、13.2mm機銃を発砲。主翼付け根に命中して出火。撃墜。

 背後についた21型3機が、一斉に機銃を放ってくる。機首を下げて急降下。

 背後の21型が機首を上げた瞬間上昇に転じ、背後から銃撃を浴びせ撃墜。

 下方から、雷電1機が上昇してくる。彼女もスロットルレバーを開き、高度を上げる。

 そしてタイミングを見計らい、フットペダルを蹴りこんで失速。

 雷電に追い越させ、後方から3丁の機銃を一斉に放ち、2機目を撃墜。

 空賊の機体は、荒野へと落ちていった。

 

 

 

「いや~助かった。ありがとう」

 地面に降りたハルカは、先に着陸していた自警団長に手をしっかりつかまれ、握手をされていた。

「先日の、罪滅ぼしみたいなものです」

「……あのとき、君はラハマを守ってくれた。それでチャラだ。もう気にする必要はないんだぞ」

「……はい」

 自警団長の優しい言葉が心にしみる。

 でも、それに甘えていてはいけない。自身の犯した罪を、少しでも清算しなければ。

「ところで、今日はラハマへ何の用で来たんだ?」

 彼女は当初の目的を言う。

「マダム・ルゥルゥに、お届け物を持って来たんです」

「マダムへ?」

 自警団長は口に手をあて、何か考えるしぐさをする。

 そして、驚きの言葉を言い放った。

 

「マダムなら今朝、羽衣丸に乗ってラハマを出発してしまったぞ?」

 

 数秒ほど、彼女は沈黙した。

「……へ?」

 

 

 ラハマのオウニ商会の事務所に言ったが、鍵がかかっていて人がいる気配がない。

 ご丁寧に貼り紙までしてあり、マダム・ルゥルゥは不在だという旨が記されていた。

 

「そんな~」

 

 思わぬ事態に、彼女は頭を抱える。ガドールからやってきたというのに、無駄足だったとでもいうのか。

 ここにユーリア議員がいたら、間違いなく詰め寄っていたことだろう。

 でもユーリア議員からの届け物。それも郵便の飛行隊を使わず、自身が雇ったパイロットに頼んだのだから大事なものに違いない。

 こうなったら、空賊時代に磨いた勘を頼りに羽衣丸を見つけるしかない。

「自警団長、マダム・ルゥルゥがどこにむかったか、ご存知ありませんか?」

「ちょっと待っていてくれ」

 通常、輸送船は行き先と積み荷を所属する町に必ず伝えていく。

 もっとも、空賊に狙われる危険性や情報保護の観点から、あくまで最低限のことしかわからない。

「行き先はショウト。積み荷は、医薬品。悪い、これ以上のことは教えられないんだ」

「分かりました。ありがとうございます」

 彼女は自警団長一礼すると愛機に向かった。

 自警団長の厚意で燃料を分けてもらい、さらに弾薬と増槽を調達した彼女は、手慣れた手つきで補給と点検を終えると、地図を広げた。

「目的地はショウト、物資は医薬品……」

 その2つの言葉をヒントに、彼女はルートを推察する。

 まず、目的地がショウトであるというだけでは、航路はいくらでもある。

 だが、2つめの言葉である程度絞ることができる。

「医薬品が調達できる町は……」

 ラハマには、医薬品の製造を行っている会社はない。ならば、ラハマを出航した時点では積み荷はないはず。恐らくどこかで積み込みを行い、その上でショウトへ向かうのだろう。

 通常、輸送船は出発時に荷物を積んでいくのが普通だが、オウニ商会のようにご指名での依頼は積み荷を途中で積むことも珍しくない。

 空賊時代、彼女は何隻もの輸送船を襲撃しては積み荷を奪う手伝いをしていた。

 その際、場所は慎重に選び、必ず積み荷を積載しているに違いない場所で待ち構えていた。

「となると……、ここを経由するはず」

 彼女は、ショウトとラハマを結ぶ線より、少し外れた場所にある町をさした。

 町の名は、ヤクシ。

 イジツで屈指の、医薬品の生産拠点になっている町で、輸送船の行き来が活発な場所だ。

 だが、医薬品を奪いに空賊がくることも多く、周辺には根城がいくつもある。

「その中でラハマと最短距離で結びつつも、比較的安全な航路は……」

 最短ルートには空賊の根城がいくつかある。だがオウニ商会には、イケスカ動乱で名をはせた凄腕飛行隊、コトブキ飛行隊がいる。

 ならば、大回りする安全なルートよりも、多少危険でも距離が近い航路を選ぶはず。

「大体検討はついたかな」

 彼女は地図に捜索ルートを書き込むと、愛機の最終点検を急いですませ、ラハマを飛び立った。

 

 

 

「リリコさーん!パンケーキおかわり!」

 元気な声で本日何度目かのパンケーキのおかわりを要求するのは、赤いコートを着た女性。コトブキ飛行隊の疾風迅雷こと、キリエである。

彼女は大好物のパンケーキが乗っていた皿を、ウエイトレスのリリコへとテーブルの上を滑らせて渡す。

彼女たちがいるのは、羽衣丸内にある酒場兼食事処、ジョニーズ・サルーン。

戦闘の緊張から解放され、好きなものを食べることで幸福な時を過ごせる憩いの場。

「毎日そんなに食べて、よく飽きませんことね」

 キリエの食欲に驚き半分、あきれ半分の反応を示すのは、貴族風の格好をしたお嬢様風の女性。コトブキ飛行隊のエンマ。

「だって、ヤクシの町まで積み荷ないんでしょ?だったら空賊に狙われる心配ないんだし、今のうちに食べておくのが一番だって!」

「空賊は、そんなことお構いなしにやってくるんだぞ」

「まあ、社会のダニどもは見境のないこと」

「パンケーキでございます」

「リリコさん、パンケーキ焼くのはやーい!」

 謎の多いウエイトレス、リリコによって運ばれてきたパンケーキに、キリエは素早くナイフとフォークを入れる。

「うんまーい!」

 パンケーキでこの上なく幸福な顔をするキリエを、コトブキのメンバーはあきれ顔で見つめる。

「よくそれだけパンケーキを食べられるものね」

「全くだ」

 驚きの表情を浮かべる副隊長のザラ、同意を示す赤髪の女性、隊長のレオナ。

「キリエはパンケーキばかり、カロリー摂取量が多すぎる。野菜を間に挟むべき」

 冷静に助言をくれるのは、同じくメンバーのケイト。

「キリエ~、太るぞ~」

 冷やかすのは、最年少のチカである。

 

 

「うっさいバカチ!好きなものを、好きな時に、好きなだけ食べられることこそが、一番幸せな時なんだよ!」

 

 

「そうやって欲望のままパンケーキばっかり食べているから、最近お尻が大きくなってきているんじゃないの?」

 

 

 キリエは、思わずお尻を両手で押さえた。

「な、なんでそのことを……」

「そんな高カロリーなパンケーキ食べていれば当然だって」

「ぐぬぬ……。カロリーを気にして、パンケーキが食べられるか!」

「あ、キリエってば開き直った!」

 チカと言い合いをしながら、ふとキリエは思う。パンケーキ好きの同志の彼女なら、きっと理解してくれるのではないか、と。

 そのときだった。

 ジョニーズ・サルーンに、襲撃を知らせる警報が鳴り響き、彼らの憩いの時間の終わりを知らせた。

 

 

 




不定期更新になりますが、第3章始まります。



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第2話 襲撃 怒りのドードー船長

空賊で磨いた勘を頼りに航路に検討をつけ、ラハマを飛び立った彼女は
羽衣丸を探す。飛び続けることしばし、ようやく目当ての第二羽衣丸を
探し当てたが……。



 風防から周囲を見渡しながら、ハルカは零戦を飛ばす。

「この航路は違うのかな……」

 彼女は少ない条件から羽衣丸が選びそうな航路を推定し捜索を行っているものの、流石に情報の少なさは否めない。一向に姿が見えてこない。

 燃料残量を確認する。捜索のため増槽を取り付けてきたが、増槽内の燃料がもうそろそろなくなりそうだ。

 

「ん?あれは……」

 

 彼女の進路上に、巨大な白い気球のようなものが浮かんでいるのが見える。少し進路を右に変え、気球の右後方から確認する。

 間違いなく輸送船だ。

 双眼鏡で書かれている文字を見ると、側面には第二羽衣丸と書かれており、ラハマ船籍を示す塗装もある。

「見つけた!……あれ?」

 羽衣丸の航路上で、小さな火花が散った。それは、飛行機が落ちていくときのものだ。

「空賊に襲われているの!?」

 

『接近中の零戦、所属と目的を応えてください』

 

 突如、機上電話から声が聞こえた。

 

『繰り返します。こちらはラハマ船籍の輸送船羽衣丸。接近中の所属不明の零戦、所属と目的を応えてください』

 

 彼女は機上電話で応える。

「こちら、ガドール評議会護衛隊所属、ハルカと申します。ユーリア議員の使いとして、オウニ商会のマダム・ルゥルゥへ届け物を預かってまいりました」

 無線の向こうの人物が沈黙する。

 少しの間を置いて、声が聞こえてきた。

『オウニ商会社長、ルゥルゥよ。ユーリアの使いさん』

「お久しぶりです、マダム・ルゥルゥ……。ところで、応援に行った方がいいですか?」

『そうしてくれると助かるわ』

「敵は空賊、アオツル団ですね。青い飛燕の」

『ご名答。じゃあ、お願いね』

「了解」

 彼女は無線を切り、増槽投下レバーに手をかける。

「はあ~、また増槽捨てるのか」

 彼女はマダムに増槽代を請求することを心に決めてレバーを引き、燃料が空になった増槽を切り離す。

 そして戦闘速度へ加速し、戦闘空域へと向かっていった。

 

 

 

 

「もお~!逃げないで勝負しろ!」

『キリエ!後ろだ!』

 彼女は後ろを振り返る。2機の飛燕が機銃を放ってくる。

「ヤバ!」

 キリエは機銃弾を回避。直後、フットペダルを蹴りこみ、操縦桿を引きバレルロール。飛燕に追い越させ、後ろをとった。

「よし!」

 機銃の発射スイッチを押そうとした、瞬間飛燕が機首を下げた。

「こら逃げるな!」

 今回の空賊は、コトブキ相手で格闘戦では勝ち目がないと悟ってか、飛燕の突っ込みの良さを生かした一撃離脱に徹している。

 隼が苦手とする戦いだ。

『単機で挑もうとするな!ペアで挟んで、敵機が降下に入る前に叩くんだ』

「そうはいっても!」

 キリエのペアのチカは、彼女を置き去りに飛燕に食らいついている。

 

『もう少し!もう少しで星1つ~』

 

 飛燕を落とすことに必死でキリエに意識が向いていない。

 その背後に、別の飛燕がついた。

「チカ!回避!」

 キリエはスロットルレバーを開いて加速。チカの背後の飛燕に照準線を合わせる。

「いただき!」

『キリエ、よけろ』

 淡々としたケイトの声に振り返る。視界に入ったのは、キリエに向かって降下してくる飛燕。

 咄嗟に、彼女は操縦桿を前に倒した。

 だが、ただでさえ急降下速度で飛燕は隼を上回る。加えて、速度がのっている飛燕相手に、同じ降下で逃げるのは悪い選択肢だ。

 キリエも気づいたが、ときはすでに遅い。

 飛燕の機銃が咆哮を上げる。

 

 直後、突如火を噴いて落ちていく。

 

「……え?」

 キリエの隼のすぐ真横を、1機の零戦が横切っていく。

「……あれ!」

 その零戦は降下した後上昇。下方からチカに迫っていた飛燕の下方にあるラジエーターを正確に狙い、撃墜。

 チカが追っていた飛燕は急いで機首を下げ、零戦も追って降下に入った。

 降下中に機首の機銃を放ち、被弾した飛燕は勢いをそのままに地面へと突き進んでいった。

 降下を止め上昇に転じると、2機の飛燕が零戦の後ろにつく。

 2機が同時に機銃を放つが、零戦はそれを軽くよけると機首を下げようとする。飛燕もそれを悟り降下に転じる。

 零戦は突如機首を上げ、機体全体を使って減速。飛燕2機を追い越させ、後ろから3丁の機銃を放って2機をまとめて撃墜した。

 獲物を追い求める猟犬のように、次々飛燕に襲い掛かっていった。

 

 

 

『こちら羽衣丸。空賊の殲滅を確認しました。帰還してください』

 襲来した空賊の殲滅を確認した羽衣丸からの連絡を受け、6機の隼が母船へと向かっていく。

「こちらガドール評議会護衛隊、ハルカ。羽衣丸、着船許可を頂きたい」

『こちらオウニ商会、ルゥルゥよ。着船を許可します。コトブキのあとに着船してちょうだい』

「了解」

 6機の隼が降り立ったのを確認すると、彼女はレイの着陸脚を下ろし、着船するため進路を調整する。

 ユーリア議員の飛行船で何度もやっているが、この瞬間は油断できない。

 フラップを下ろし、速度を調整しつつ、慎重に後部ハッチから進入。

 尾輪と着陸脚が接地したところで、ブレーキを徐々に踏み込み減速。

 そして、コトブキの隼の最後尾の後ろで止めると、エンジンを切った。

「はあ……」

 ようやく一息ついた彼女は風防を開ける。すると、羽衣丸整備班のナツオ整備班長が、胴体左側の足掛けを引き出してくれていた。

 

「よう!久しぶりだな!」

 

「……お久しぶりです、班長」

 彼女は足掛けに足をのせながら、羽衣丸格納庫の床に降り立った。

 そこには、班長以外にコトブキの面々がいた。

 赤髪を結った、凛々しい顔の女性が歩み出る。

 

「コトブキ飛行隊、隊長のレオナだ。君の応援に、感謝する」

 

 彼女は差し出された手をとった。

 

「ガドール評議会護衛隊、ハルカです。お久しぶりです、レオナさん」

 

 すると、レオナは表情を緩め、笑みを浮かべる。

「君の活躍は聞いている。アレシマではひと暴れしたそうじゃないか?」

 先日の一件は、彼女たちの耳にも入っているらしい。

「ひと暴れって、そんな荒っぽいことはしていませんよ?」

 武装した謎の人物のアゴを蹴り上げたり、首を少し締めたりはしたが。

「それで、マダムに用があるんだって?」

「ええ、ユーリア議員から届け物を預かってきまして」

「そうか。なら早速マダムのところまで、ひいぃぃぃぃぃぃぃ!」

 突如レオナが悲鳴をあげ、そばにいた副隊長のザラの後ろに隠れた。

 彼女の視線の先を見ると、そこにいたのは人ではなかった。

 

「……鳥?」

 

 彼女の視線の先にいたのは、1匹の鳥。その鳥は頭に帽子をかぶり、こちらへゆっくり歩いてくる。

 

「グワア!」

 

「ひぃっ!」

 

 なぜかレオナが小さな悲鳴を上げ、そんな彼女を見てザラは苦笑する。

「なんですか、この鳥?」

 ハルカは近づいてきた鳥をまじまじと見つめる。

「あ~、あなたは見るのは初めてね。この鳥は……」

 この鳥こそ、羽衣丸を預かる船乗り、ドードー船長である。

 そう言おうとしたら……。

 

「……食べ応えありそうな鳥」

 

 

 彼女の言い放った言葉に、ザラは首をかしげる。

 

「……へ?」

 

「結構肉ついていそうですね。太っているわけじゃなくて引き締まっていそうだから、脂は少なめかな。胸肉に、ササミ、モモ……。手羽先も多めに取れそう。でも、捌くには結構大きな包丁が必要そうだな~」

 なぜか妙に楽し気に、でも空恐ろしい言葉を言い放つ。このとき、皆彼女の言葉が冗談だとは思えなかった。

 ハルカの目が、段々据わってきたからだ。

「何人分とれるかな~。何日生きられるかな~」

 言いながら彼女はドードー船長に近寄ると、空賊に銃を突きつけられても引かなかった船長が後ずさっていく。

「どうするのが一番いいかな~。鶏肉は痛みやすいから、素早く捌いてさっさと消費するのが一番だよね~」

 ドードー船長の頭から汗が流れる。

 空賊時代、ハルカはまともな食事にありつけたことは少ない。食事など、町へ出たときを除けば日持ちする堅いパンに粉の多いコーヒーだけ。

 貴重なタンパク源であり高カロリーの肉を食べるなんて、夢のまた夢だった時代。でもそんな状況でも生きなければならなかった。

 荒野で生き延びるため、まずくて硬くても食べるしかなかった。

 そのためか、肉が目の前にあると、何としてもとらえたくなる欲求にかられてしまう。

 そして彼女は、満面の笑みを浮かべながら言った。

 

「まあいいや。とりあえず捌いて、血を抜いて」

 

「ギャアアアアアアアアアア!」

 

 悲鳴をあげ、ドードー船長は激しく羽をばたつかせながら逃げ出した。

 猟犬のごとく彼女は船長を見定め、捕獲するべく足に力をこめて……。

 

「あの~、ハルカさ~ん」

 

「なんですか?ザラさん」

 彼女はザラの方へ振り向く。

 

「その鳥ね~」

「あの鳥は?」

 ザラの言い放った言葉に、彼女は驚愕した。

 

 

「……船長なの」

 

 

 一瞬、時が止まったような錯覚に陥ったのは、気のせいではないだろう。

「……船長?」

「ええ」

「……あの鳥が?」

「ええ」

 彼女は戸惑いながら、ザラに問いかける。

「あの鳥が、羽衣丸の、船長?」

 ザラは、苦笑しながらも、力強く頷いた。

 

「……ええ」

 

 事態が飲み込めない彼女は、その場に足を止めてしまう。

 その隙を、ドードー船長は見逃さなかった。

 

 

「グワアアア!」

 

 

 羽ばたいて飛び上がり、クチバシを下に向けて急降下。ハルカの頭の頭頂部に一撃を見舞った。

「痛っ!」

 鋭いクチバシによる一撃に、彼女は頭を押さえる。ドードー船長の攻撃はそれだけでは終わらない。

 空中で羽ばたきながら彼女の頭に、2撃目、3撃目を加える。

 

「痛い、痛い、痛いですって!」

 

 彼女はその場から逃げ出す。

 だが船長も逃がすものかと後を追う。

 追いかけながらドードー船長は、彼女の頭やら背中やら腰やら、お尻やら足をクチバシで何度もつつく。

 

「ご、ごめんなさい!食べ応えありそうなんていってごめんなさい!捌くつもりなんてないですってば!痛い痛い痛い痛い痛い!痛いですって!イタタタタタタタタタ!」

 

 必死に逃げ回るが、彼女の足でも空を飛びながら追いかけてくるドードー船長を振り切ることはできないようで、痛い痛いと悲鳴を上げながら格納庫内を駆け回る。

 

 

 

 そんな光景を見ているコトブキの面々と言えば……。

 

「ドードー船長を見て、食べ応えありそうなんていう人、初めてみたわ」

 苦笑するザラ。

 

「でも、ドードー船長がどんな味がするかは、興味がある」

 冷静なようでそうでない感想を述べるケイト。

 

「ケイト、今船長に聞かれたらああなるわよ~」

「ムグっ……」

 ケイトは口を両手で抑える。

 

「ハルカ~がんばれ!船長に負けるな~!」

 なぜか応援するチカ。

 

「ちょ、可哀想だよ!船長を止めないと!」

 心配そうにいうキリエ。

 

「あら、自身の発言のせいでこうなったのですから、反省の意味も込めて放っておくのが一番ですわ」

 辛辣なエンマ。

 

「そんな~、それは可哀想だって!」

「ユーハングではこういうそうでしてよ。口は災いのもと、と」

「エンマひどい!」

「それに、誰があの船長を止められるのでして?」

 エンマの視線の先を見ると、ザラの背後に隠れるレオナがいた。

 

「……船長、怖い」

 頼りになりそうもなかった。

 

 遂にはハルカが涙目になってきたので、ザラがやむなく仲裁に入り、この追いかけっこは幕を下ろしたのだった。

 

 

 

 

「申し訳ありませんでした!まさか船長とは知らず!」

 格納庫の床に土下座をして、ハルカは船長に頭を下げる。

 

「グワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 それでも怒りが収まらないのか、羽を大きく広げながら船長が咆哮する。

「ひぃ!」

 すっかりドードー船長に彼女はおびえる。

「あはははは、船長。ドードードー」

 船長をザラはなだめる。その後何度も謝ったことでようやく船長は機嫌を直したのか、どこかへ去っていった。

 

「行った?もういない?」

 

 ザラの背後でおびえるレオナは、船長が居なくなったか問いかける。

「もう大丈夫よ、レオナ。ハルカさんも災難だったわね」

「うう~、まだあっちこっち痛いです」

 そうとうつつきまわされたのか、彼女は頭や背中、お尻をさする。太ももの裏側には、何か所も赤い点のようなものがついている。

「あはは……、ところでマダムに用があったのよね?」

「え……、あ、はい」

 当初の目的を思い出し、彼女は頷く。

「ユーリア議員からお届け物を預かってきまして」

「オホン、なら、マダムの所へ案内しよう」

 気を取り直したレオナは、彼女をマダムの部屋へ案内するべく歩き出した。

 

 

 

 

「……ふん」

 エンマはつまらなそうに、どこかへ歩き出す。

「あれ、エンマどこ行くの?」

「自室ですわ。あの方が帰ったら教えてくださいませ」

 眉間に皺をよせながら、彼女は去っていった。

「……どうしたんだろう?糖分の不足?それとも紅茶不足?」

「キリエじゃあるまいし~」

 キリエはムッとチカを見つめると、ふと立ったまま動かないケイトに目がいった。

「ケイト?」

 反応がないので、キリエは彼女のそばへ移動する。

「どうかしたの?」

 ケイトの視線の先を追うと、そこにはハルカの愛機、零戦52型丙ことレイが駐機されている。

 正確には、その主翼に目がむけられている。

 

「……似ている」

 

「何に?」

 

「……ユーハングの飛行機に描かれていたマークに」

 

「……え?」

「彼女の機体の場合は水色で、ユーハングは赤だったけど、同じもの」

 ハルカの零戦の主翼は、半分近くを暗い青色が覆い、主翼両面と胴体中央より少し後ろの位置には、白色を縁取った水色の丸が描かれている。

 空賊でも用心棒でも、同じ飛行隊に属するもの同士、同じマークを描くことが普通である。

 キリエたちコトブキ飛行隊の隼には、2枚羽のプロペラをかたどったマークが描かれている。

 でも、ハルカは特定の飛行隊に属しているわけではない。

 ウミワシ通商のマークは、名前の由来になっているウミワシが描かれていたはず。

 では、このマークは何なのだろうか。

 ケイトがユーハングのマークと似ている、といったのは偶然なのか。

 それとも……。

「後で、彼女に聞いてみる」

「それがいいと思うよ」

 疑問は脇に置き、キリエたちも自室へと向かって歩き出した。

 



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第3話 元空賊と空賊嫌い

マダム・ルゥルゥのもとへ案内された彼女は、ユーリアから渡された届け物の
中身を知ることになる。
そして、マダムから新たな依頼がされるが、空賊が大嫌いな人物の介入により
暗雲が漂う。


 レオナに案内された先は個室。その部屋には、船内火気厳禁であるにも関わらず、キセルを吸い、赤いドレスに身を包んだ余裕の笑みを浮かべる女性が座っている。

 オウニ商会の社長、コトブキ飛行隊の雇い主。

 彼女は一礼すると、目の前の女性を見つめる。

「お久しぶりです、マダム・ルゥルゥ」

「久しぶりね、ハルカさん。アレシマでの活躍は聞いているわ」

 先日、ユーリア議員とホナミ議員を対談の最中に、アレシマ市長とナハタ市長が彼らを抹殺することを画策。

 空賊に偽装した勢力に襲わせたものの、ハルカやユーリア護衛隊の面々に邪魔され、失敗に終わったことは新聞にのり、ラハマにも伝わっていたようだ。

「それで、今日は何の用かしら?」

「ユーリア議員から、お届け物を預かってきました」

 彼女は腰にぶら下げた小物入れから、預かってきた小さめの茶色い封筒を取り出し、マダムに手渡した。

「ありがとう」

 マダムは封筒の封を切り、中の便箋を取り出して目を通していく。

「それでは、私はこれで」

「え、もう帰るのか!?」

 レオナが驚いた声を上げる。

「ええ……、用事は済みましたので」

 そう言って彼女はマダムに背を向けようとする。

 

「待ちなさい」

 

 振り返ると、マダムはニコニコと、楽しそうに微笑んでいる。

「ハルカさん」

「……はい」

 

「あなた、この封筒の中身は見た?」

 

「いえ……、見るわけないですよ」

 議員が出す封書は、中身が機密文書であったりする場合が多い。そもそも、飛行機での郵便配達がある中、護衛隊員に任せたのだから外部に知られたくない類のものである可能性が高い。

 いくら秘書のような役割をしている護衛隊員でも、中身を見ることは許されない。

「そう。なら私が許可するから、文面を見てみなさい」

「え!ですが……」

 マダムは、中身の便箋を差し出してくる。

「面白いことが書いてあるわよ」

 ニコニコするマダムから彼女は便箋を受け取り、レオナとザラが背後から見る中、文面に目を通す。

 そこにはきれいな手書きの文字で、短い文章がしたためられていた。

 

 

『 約束通り彼女を派遣するけど、引き抜こうなんて考えないことね 』

 

 

 端正なイジツの文字は、日頃目にしているユーリア議員の文字で間違いない。だが、それより彼女は思ったことを口に出した。

 

 

「……これだけ?」

 

 

 機密文書どころか、ただのメッセージが書かれているだけ。

「こんなもの届けるために、ガドールから遠路はるばる……」

「無駄足じゃないわよ」

 彼女は湧き上がってくる怒りを抑えつつ、マダムへ視線を向ける。

「だって、ユーリアにあなたを寄越してっていったのは、私だもの」

「……どういうことですか?」

 すると、マダムは楽しそうに首をかしげる。

「あなた、ユーリアになんて言われてきたの?」

「……マダムへ、届け物をもっていってほしい、と」

「そう。じゃあ、何も聞かされてないのね?」

 今度は彼女が首をかしげる。どうも要領を得ない彼女に、マダムは説明を始めた。

 

 

 今回、ハルカの派遣を依頼したのは、マダムだったということ。

 届け物というのは、ユーリアのマダムへの一種のいやがらせで、彼女の到着を遅らせる手段だった。

 だが、マダムとしても彼女の実力を見る上でいい機会だったので、そのまま放置して到着をまった。

 つまり、届け物など最初からなく、マダムのもとで仕事をしてきなさい、という単純な内容だったということだ。

 

 

「そんな~」

 彼女は頭を抱えて、その場にペタン、と座り込んだ。

「ラハマまで直行して自警団手伝って空賊撃退して、そして羽衣丸を見つけたと思ったら、また戦闘になって……。増槽2個も捨てる羽目になったのに~」

 加えて道中の燃料に弾薬も、無駄だったわけだ。

 道中色々あったのだなあと、レオナにザラ、マダムは苦笑している。

「まあ、そういわずに。増槽代と燃料弾薬代は別で払ってあげるわ」

「……ありがとうございます」

 彼女はとりあえず立ち上がる。

「それで、私を呼んだ理由。もとい、依頼はなんですか?」

 マダムはキセルを吸い、煙をゆっくりと吐き出した。

「ラハマからショウトへ物資を輸送する羽衣丸の、往路、復路での護衛よ」

 予想通りの答えに、特に驚きはなかった。

「ところで、私から1つ聞いてもいいかしら?」

「なんですか?」

 すると、マダムの表情が引きしめられる。

 

 

「あなた、どうやって羽衣丸の居場所を突き止めたの?」

 

 

 マダムは視線を外さない。

「……ラハマ自警団長から、聞きまして」

「自警団長に伝えていったのは、最終目的地と積み荷だけ。それだけの情報から、どうやって探し出したの?」

 マダムの真剣な表情に、はぐらかすことはできないと彼女は思った。

「……積み荷が医薬品ならば、ラハマとショウトの間にあるヤクシの町を経由するはずと思いまして」

「でも、それでもまだ航路はいくつもあるわよね」

「……マダムには、凄腕のコトブキ飛行隊がいます。大回りする安全な航路より、少し危険があっても近い航路を選択するだろうと。他に天候等も考慮した結果、この航路の可能性が高いと考えました」

「それは、空賊時代の勘?」

「まあ、そんなものです」

 すると真剣な顔はどこへやら、顔をほころばせる。

「なるほど、輸送船の航路を読むのはお手の物ってわけね」

「……外すときもありましたけどね」

「空賊時代のあなたに、輸送中遭遇しなくてよかったわ。何隻くらい襲撃したのかしら?」

 レオナとザラは一瞬慌てるが、ハルカは気にした素振りもなく応える。

 どうせ、いずれはわかることだろうから。

 

 

「……正確には憶えていませんが、100隻はあったかと」

 

 

 室内の空気が一瞬固まった。

「……じゃあ、落とした用心棒は?」

 レオナが震える声で言う。

「最低でも5機、多いと12機くらい護衛にいました」

「じゃあ、星の数は……」

 ザラがざっと計算する。

「毎回5機としても、500機。それより多いことになるわね」

 震えの混じる声でザラは言った。

 レオナはその場に膝をついた。

 

「私たちでも、全員で200から300の間なのに……。1人で500以上だと……」

 

 何か小声でつぶやいている。

「で、でもほら……。あくまで、1人で戦わされたからこうなったわけですし。それに、用心棒は何もなければ平穏に終わりますが、空賊は襲撃をするわけですから毎回戦闘になるという条件の違いもありますし……」

 空賊の少ない航路を基本的に輸送船は通る。なので、襲撃さえなければ用心棒は出番がない。しかし、空賊は違う。

 空賊は襲いに行く側なのだから、標的が見つかれば間違いなく戦闘になる。

 ちなみに、ハルカは空賊になる以前は故郷の町にある知り合いの飛行機工場の部品輸送や輸送機の護衛も行っていた。

 その時の撃墜数は入っていないので、実際はもっと多いのだが、今いう必要はないと口をつぐむ。

「本当に、あなたに輸送中遭遇しなくてよかったわ」

 マダムは、改めて言った。

「それならこの依頼の期間中、君はコトブキ飛行隊の一員として動いてもらう」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 彼女は隊長のレオナ、副隊長のザラに向かってお辞儀をした。

「じゃあ2人共、彼女を部屋に案内してあげて。あなたたちの部屋、まだ空きあったでしょ?」

「そうですね。キリエたちの部屋は一杯ですし、慣れない中なので1人はまずいですし」

「それと、船員たちへの紹介もお願いね」

「わかりました」

 彼女はレオナとザラに手を引かれ、マダムの部屋とあとにした。

 

 

 

 

 部屋に荷物を置いた後、彼女は羽衣丸の船内を案内される。

 ユーリア議員の外遊に同伴し、飛行船には乗ったが、評議会の飛行船とは少し異なる。

 ユーリア議員曰く、陳家な船という羽衣丸だが、それはユーリア議員もとい、評議会の飛行船が内装を豪華にしているからで、これが普通なのだろうと思う。

「評議会の飛行船に比べれば、色々足りないかもしれないが」

「いえ、別にそんなことはありませんから」

 まず、船橋に案内される。

「君がマダムの呼んだ用心棒だね。私は羽衣丸を預かる副船長のサネアツ。よろしく」

 少し緊張気味にいった副船長が手を差し出してくれたので、彼女はよろしくとそれに応える。

「副船長?じゃあ、船長は」

 

 

「グワアアアア!」

 

 

「「ひぃ!」」

 レオナにハルカは2人してザラの後ろに隠れる。

 そんな2人を見て、ザラは頬をかきながら苦笑する。

 そこに居たのは、さきほど格納庫で散々追いかけまわしてきた鳥。

「ああ、こちらが船長のドードー船長だ」

「本当に……、船長だったんですね」

「グワアアアアアア!」

「「ひぃ!」」

 少し威嚇したかと思うと、ドードー船長は船橋内の端へと移動すると静かになった。

 

「まあ、鳥が船長なんて、最初は信じられないわよね?」

 

 最初どころか、どこをどう考えれば鳥を船長に据えるのか、疑問しかないが。

 言いながら歩み寄ってきたのは、炎のように赤い長い髪を結った女性。

「初めまして、羽衣丸主操舵士のアンナよ」

「……初めまして」

 おびえながら応える彼女に、アンナはクスクスと笑う。

「まあ、じき慣れるわよ」

 すぐ横に慣れていないコトブキ飛行隊隊長がおりますが、とはいわなかった。

「初めまして、副操舵士のマリア。よろしくね、ハルカさん」

「よろしく、お願いします」

 今度は短い青い髪に、少し気が弱そうな女性。スタイルは、アンナより良さそうだが。

「ふふ……。悪魔なんて通り名がついていても、やっぱり女の子なんですね」

「そりゃあ、そうですよ」

「安心したわ。ところで、ハルカさん」

 すると、マリアは彼女のある個所を指さした。

 

「それ、どうしたんですか?」

 

 指をさされた場所を見るが、そこは首の左側なので見えない。

 マリアが手鏡を取り出してくれたので、指摘された場所を見る。

「あ、これは……」

 思い出されるのは、ガドールを出発する前、ユーリア議員との一件だ。

「あら~どうしたの?これ」

「歯形、だよな?」

 ザラとレオナも見る。ハルカの首の左側、シャツに隠れてはいるが、そこには歯形がくっきりついている。

 だが、なんでこんなところについているのか、2人は首をひねる。

「ああ、これですか……。ガドールを出発する前に、ユーリア議員につけられまして……」

「ユーリア議員に?」

「はい。出発しようと思ったら、なぜか背後から噛まれまして……。私、嫌われているのでしょうかね?」

 なぜ歯形をつけたのか、その理由は未だにわからない。

「ああ……」

 レオナは首をひねるが、ザラは何かを察したらしい。

「心配しなくても、嫌われてないわよ」

「本当ですか?」

「ええ。多分、その逆の意味だから、それ」

「それって……」

 途端、マリアは首を傾げるハルカに、鼻先が触れんばかりに詰め寄った。

 

 

「変態!?変態な話題ですか!?」

 

 

 口にしていて羞恥を感じないのだろうか、という疑問はさておき、マリアは変態な話題なのか、問い詰めてくる。

 目をキラキラ輝かせ、とても楽しそうに。

 一方アンナは、頬を赤く染めている。

「変態……?まあ、ユーリア議員は確かに変態という噂、そう思うような行動はありますが……」

 人の太ももを突然枕にしたり、寝る際人を抱き枕にしたり、胸という脂肪の塊が重いから胸が張れないのか、という発言とか。

 

 

「じゃあ、変態なんですね!」

 

 

 妙に鼻息が荒さを増す彼女に戸惑う。

「マリア!」

 頬を赤く染めた状態で固まっていたアンナがようやく動き、叫んだ。

「そういうことは、人前ではあまり聞かないの!?」

「は~い」

 アンナに指摘されると、あっさりマリアは引き下がった。

 だが、舵輪を握った直後、ゆっくり振り返っていった。

「ハルカさん、また羽衣丸が停泊したとき、ゆっくりお話ししましょうね」

 話題は、間違いなく議員に関することだ。

「……しないという選択肢は?」

「無理」

 そう彼女は笑顔で言い放った。

 獲物を前にした蛇のように、彼女は目を光らせ、舌で口の端を軽くなめた。

「……わかりました」

「約束ね」

 議員に関する話題を少し話そうか、とハルカは思った。

 無論、口外禁止という条件で。

 

 

 

 

 最後に、会議室へと案内された。

「ここで出発の際、航路の選択や情報共有をするんだ」

 中には、大きな地図が置かれており、航路が書き加えられている。

「にしても、少ない情報からよく羽衣丸を見つけ出したものだな」

「勘と、あとは運まかせみたいなところもありますね」

「そうか」

 レオナは、航路が記入されている地図に向きなおった。

「それじゃあ、今記入してあるのが、今回羽衣丸が通る航路なんだが、道中に空賊の拠点があるか、しらないか?」

 ハルカは護衛隊隊長に聞かれたときと同様、知っていることを答えていく。

「一番近いのは、マキグモ団。戦力は21型が8機くらいですね」

 そして他にも拠点を応えていく。

 次第に、レオナとザラの表情が真剣なものに変わっていく。

「知っている範囲はこれくらいです」

「ヤクシまで拠点が、残り2か所」

「そこからショウトまでの間に3か所。ずいぶんあるわね」

 彼らが掴んでいた拠点の数は、ヤクシまでの間で2か所、ショウトまで2か所だったようで、想定をこえる数に戸惑いの色を隠せない。

「医薬品は空賊も欲しがります。なので、周囲は出現箇所が多いんです」

「拠点を避けられる航路はあるか?」

 彼女は頷く。

「これは……、航路の変更をマダムに打診したほうがいいかもしれないな」

 いくら凄腕飛行隊がいても、自ら危険を冒す必要はない。

「じゃあ、マダムに早速説明を」

 

 

「ちょっと待って下さいませ!」

 

 

 突如扉を開けて入ってきたのは、貴族風の格好をした女性。

 

「……エンマ?どういうことだ?」

 

「言った通りですわ!航路の変更など必要ありません!」

 

「だが、彼女の情報では、空賊の拠点が複数ある。回避できるなら、それにこしたことはない」

 エンマは、ハルカを一瞥して、言い放った。

 

 

「彼女の情報が確かだと、なぜ言い切れるのかしら!?」

 

 

 会議室の中が、一瞬にして沈黙に包まれた。

 

「彼女は元空賊。私たちの敵でしたのよ!彼女が空賊と組んで、私たちをハメようとしているかもしれませんわ!」

 

 本人を前にして信じられないことを、彼女は言い放った。

「……エンマ、なぜ彼女をそんなに疑う必要がある?彼女はマダムが呼んだんだぞ」

 

 

「それは、マダムやユーリア議員の威光がなければ、信じるに値しないということではなくて?」

 

 

「何を言うのエンマ!?彼女は……」

 

「むしろ私から見れば、あなた方はなぜ彼女をすんなり信用できますの?反省したから、心を入れ替えたから。そういっていい寄ってきた悪党や空賊を、私は腐るほどみてきましたわ。悪党に改心を期待するなど、天地がひっくり返っても無理なことですわ」

 

 そう言い放つエンマを、ハルカは醒めた目で見つめている。

 レオナはエンマに近づき、怒りの表情で見下ろす。

「エンマ、さっきまで言ったこと、全て撤回しろ」

「嫌ですわ。私の実体験ですもの」

「彼女は、その同族を撃ってラハマを守ってくれた。なぜそんな恩人を信じられない!?」

「彼女も言ったじゃありませんの?ラハマを守ったのは、あくまで結果だと」

 あくまでエンマは引かない。レオナは、握った両手の拳が震えている。

「エンマ、いい加減に」

「レオナさん」

 レオナは振り返った。

「……やめて下さい。あなたが、そんなに怒る必要はありません」

「だが、エンマは君を」

「いいんです。これが、普通の反応でしょうから」

「ふん……。じゃあ、あなたはどうしますの?今すぐ羽衣丸を去ってくれますか?」

 彼女はエンマを醒めた目で見据える。

「いえ、仕事ですから」

 想定はしていた。これが普通の反応だ。

 

「あなたが、私のことが気に入らないのはよくわかりました」

 

「当たり前ですわ。許されない空賊行為を働いた人間を、信用できるとでも?」

 

 ハルカは、ガドール評議会に呼ばれたときのことを思い出した。

 言っていることが、全く同じだった。

「じゃあ、どうすれば少しは受け入れてくれますか?」

 静かに、彼女は言った。

「そうですわね……」

 エンマは、航路が記された地図を見下ろす。

 彼女が、不釣り合いな笑みを浮かべた。

 

 

「ここから最初に遭遇した空賊を、殲滅してくださらないかしら?あなた1人で(・・・・・・)

 

 

「「なっ!」」

 レオナとザラは驚く。

「エンマ!何を言うんだ!?」

「彼女が、もう空賊と関わりがない、ということを確かめるいい機会ですわ。空賊じゃないなら、同族じゃないなら、全て撃ち落せますわよね~」

 三日月のように細めた、明らかに敵意を含んだ瞳で、エンマはハルカを見つめる。

 一方ハルカは、醒めた茶色がかった瞳で、エンマを眺める。

 

 

「……わかりました。いいでしょう」

 

 

「ふふ。なら、せいぜい信用が得られるよう、頑張ることですわね」

 

 

「2人とも待て!」

 

 レオナが叫ぶように言った。

「勝手に決めるんじゃない!エンマ、そんな危険なこと、彼女にやらせるのか!」

「新聞によると、彼女はアレシマで10機もの敵機を落としています。ラハマで戦ったとき、私たちコトブキ飛行隊の半数を落とした上に、ラハマ自警団にも損害を与えた。空賊の21型8機くらい、軽いものですわよね~」

「だとしても……」

「レオナさん、やらせてください」

 ハルカが、なおも抗弁しようとするレオナを手で制した。

「この問題は、長引かせてもろくなことないです。やらせてください」

 ハルカもエンマも、引く気はないようだ。

「……まて、私の一存では決められない」

 レオナは内圧を下げるよう息を吐き出し、額を右手で抑えた。

「マダムに報告する。それと、他のコトブキのメンバーも集めて、合議をする」

 

 



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第4話 隊長は気苦労が絶えない

足を洗ったとはいえ、元空賊で敵だった彼女に敵意や警戒心を
露わにするエンマ。
受け入れてもらうため、エンマの出した要求を完遂しようとする彼女。
マダムは彼女に一人で戦うことを許可するが、コトブキの面々
の反応は様々で……。



 会議室にマダムを呼び、他のコトブキのメンバーも集めたうえで、合議が行われた。

「合議の結果、反対3、賛成が1、保留が2」

「保留がある以上、この合議では決められないが……」

 ハルカの身の潔白を証明するために、彼女を1人で戦わせることに賛成か反対か合議を行った結果、レオナ、ザラ、キリエの3人は反対。

 エンマは無論賛成。

 チカとケイトは、なんでこんなことになっているの、と保留にした。

 コトブキの合議では、賛成か反対を明確にしなければいけないとして、保留がある場合、結論は見送られる。

 だがこの問題は、長引きすぎてもいいことはない。

 レオナは、最終決定をマダムへゆだねるべく彼女へ顔を向ける。

 キセルの煙を吐き出しながら、彼女は言った。

 

「……わかったわ。やりなさい、ハルカさん」

 

「わかりました」

「ただし、コトブキは出動待機。危ないと思ったら、すぐ援護に行かせるわよ」

「はい」

「それじゃあ……、解散」

 会議室のドアを開け、皆が部屋を出る。

 皆が船内の食事処、ジョニーズ・サルーンへ向かう中、ハルカだけが別の方向へと向かっていく。

「あれ、ハルカどこ行くの?」

 キリエが気づいて、問いかける。

「もうそろそろだと思うから、機体の確認をしておきたいの」

「あとじゃダメ?折角、おいしいリリコさんのパンケーキ、一緒に食べようって思ったのに~」

「ごめん、またあとでね」

 静かに、悲しみをにじませた笑みを浮かべてそういうと、彼女は格納庫へ向かっていった。

 頬を膨らませるキリエを残して。

「む~」

 さきほどかなり険悪な空気になっていたのに、キリエのパンケーキ好きは通常運転。

 そのことに、レオナとザラは少しほっとしていた。

 

 

「放っておきなさい、キリエ」

 

 

 キリエは頬を膨らませたまま、エンマに視線を向ける。

「エンマひどい!」

「何がひどいといいますの?」

「だって!ハルカが信用できないから1人で戦って証明しろ、なんて!」

「むしろ、少し前にお互い撃ち合った彼女をすんなり信用するあなたたちの方が、頭がおめでたいのではなくて?」

「頭がおめでたいとは、どういうことか?」

 ケイトは首をかしげる。

「楽観的すぎるというのです。足を洗ったからといって、元空賊を即信用するなど、考えが甘すぎますわ」

 

「そんなこといったら、私はどうなのさ?」

 

 手をあげたのはチカだった。

 コトブキ最年少のチカ。彼女はラハマではなく、今は廃墟になっている町、キマノで育った。

 廃墟になった町は、ハルカが言うように空賊等のアジトになっている場合もあるが、身よりのない子供たちの大事な生活の場にもなっている。

 それでも、生産活動が止まった町で満足な物資が得られるはずもなく、爪に火をともすような生活で、生き抜くために略奪行為、空賊行為に加担することもある。

 チカはキマノで自身と同じストリートチルドレンたちと集まり、皆を束ねるチト兄と一緒に日々を生き抜いた。

 みんなを飢え死にさせないために、放棄されていた鍾馗を使って、空賊行為に及んだ。

 その最中、オウニ商会の、まだ4人だった当時のコトブキ飛行隊に出会い、4人だけでも引かずに挑みかかってきた心意気を気に入り、羽衣丸まで追いかけ、仲間になると宣言。

 以降、一員として行動を共にしている。

 

 もっとも、レオナたちにとっては弾を撃ち尽くした鍾馗など、勝手に離れていくと思ったが、羽衣丸に乗り込んでくるなど想定外で、チカが仲間になりにきたからよかったが、自爆覚悟で来たのなら今頃自分達はどうなっていたことだろうと、思い出すと肝を冷やす経験だったらしい。

 

「あなたと彼女は違いますわ」

 

「何が違うのさ」

「チカは、身よりのないみんなを守るために空賊行為に加担していたのでしょう」

「彼女だって、残された家族を守るために空賊行為に加担した。そこはチカと同じだ」

 

「彼女は空賊にならない道も選べた。選択肢のなかったチカは違いますわ」

 

 チカは廃墟になる寸前だった当時、治安が悪化して住民が日々いなくなっていったキマノで育ったため、他に選べる道がなかった。

 

 一方ハルカは、もともと普通の家庭に育った。

 

 だが、リノウチ空戦で身内がなくなり、彼女が稼がなければ家族を守れなかった。

 とはいえ、10歳前半の子供の用心棒の稼ぎなど知れていて、母親の容態が悪化していくのを見て時間がないことを悟り、やむなく空賊になった。

「彼女は他の道だって選べたのに、自分から空賊に身を落とした。そこは違いますわ」

 空賊で略奪をしても生き残るか、荒野で野垂れ死ぬか。

 

 彼女は選択肢を突きつけられ、前者を選んだ。

 

 それは、生きるか死ぬかの究極の選択だった。

 

「……じゃあ、彼女が黙って野垂れ死にを選べばよかった、とでもいうのか?」

 

「結果としてみれば、そうだったかもしれませんわね」

 

 レオナにザラ、キリエたちは目を見開く。

 確かに彼女が幼い頃に死んでいれば、後に蒼翼の悪魔と呼ばれるほどのパイロットは生まれず、交易に大きな被害も出なかっただろう。

 ただしそれは、あくまで結果。

 彼女は望んで悪魔と呼ばれることになったわけではない。

 

「要するに、エンマってさ……」

 

 キリエが、いつも見せない真剣な顔で言い放った。

 

「意地でも、ハルカのこと受け入れたくない。そうだよね」

 

 エンマが言葉に詰まった。

 

 

「……空賊行為に加担したのに、何の罰も受けず、議員たちの威光をかさに、自分はもう反省した善人です。そんな顔をしている彼女が、気に食わないことは認めますわ」 

 

 

 レオナの表情が鋭さを増す。

「彼女は何の罰も受けていないわけじゃない。マダムを通じて賠償金を払っている」

「過ちを犯したら償いをする、それは当然のことですわ!」

「議員たちの威光をかさにきていないわけじゃないが、それは言い過ぎだ」

「エリート興業のように、一から自分でやり直そうって気があるように見えませんわ」

「もしその過程で、彼女がまた空賊、まして自由博愛連合の手に落ちたらどうする?」

 今ハルカは、オウニ商会のマダム、ガドール評議会のユーリア議員、ハリマ評議会のホナミ議員の3人による共有となっている。

 ラハマ上空で繰り広げられた空戦を見て、彼女たちが、ハルカが有用であると感じたと同時に、敵にしてはいけないと悟り、彼女に首輪をつける意味でこの形をとることになった。

 かつて彼女と戦ったとき、コトブキ飛行隊も少なくない被害を受けている。

 彼女がもし敵になったらなど、想像もしたくない。

 

「要するに彼女を信じているわけではなくて、彼女の力を恐れているだけじゃありませんの」

 

「……エンマ、1度彼女に落とされているとはいえ、いい加減にするべき」

 

 ケイトがいつもの静かな口調で、加減しない内容で言い放った。

「彼女の実力が確かなのは、身を持って理解できるはず。仕事中の今、これ以上彼女と軋轢をうむような発言は慎むべき」

「いいえ、慎みませんわ」

「エンマ、1ついいか……」

 レオナが真剣な口調で問いかける。

 

「どうすれば、彼女を受け入れる」

 

 エンマは、満面の笑みを浮かべ、加減することなく言った。

 

 

「そうですわね。空賊どもを、何回も何回も落とし続ければ、社会のダニから、少しずつ人間に近づいて、受け入れてもいいって思うかもしれませんわね」

 

 

「1回じゃないのか!?」

「私は、1回、など一言も口にしておりませんわ」

 思い返せば、エンマは1度、とか回数制限を設けていない。

 それは、彼女を疑い続ける、と言っているに等しかった。

「まあ、せいぜい、行動で示してもらいますわ」

 彼女はそういいながら去っていった。

 

 

 エンマの背中を見送ると、レオナはため息を吐き出す。

 ハルカの共有者はマダム以外に、ユーリア議員とホナミ議員がいる。2人とも政治家。住民の代表者たる彼らに、やられっぱなしの文字はない。

 やられたら、必ずやり返してくることは想像に難くない。

 もしハルカを万一意味もなく、理不尽な条件で戦わせて失おうものなら、彼らはどんな手を使ってでもオウニ商会をつぶしにかかる可能性が高い。

 特に、問題なのはホナミ議員の方だ。

 彼女は食料生産都市、ハリマの評議員。

 彼女の機嫌を損ねることは、今後ハリマと交易を行いたいラハマにとっても、マダムにとっても望むところではない。

 ハルカの実力なら心配ないと思う一方、万一という不安はぬぐえない。

 だがエンマの条件をクリアしなければ、今後も軋轢は消えない。

 結局、エンマが折れてくれることを期待したいが、実体験がある空賊嫌いがそう簡単に折れるわけもない。

 どうすればいいか、レオナは頭が重くなるのを感じる。

 ふと、額がつつかれる感触に彼女は顔を上げる。

 

「こ~ら、考え事しているでしょ?」

 

 顔を上げれば、付き合いの長い相棒の顔があった。

「ザラ……。そう、だな」

「どうしたの?」

「……隊長は、気苦労が絶えないなって思っただけだ」

「あら、機微に疎い隊長さんも、気苦労があるのね」

「……ああ、そうだ」

「じゃあ、心労を減らすために、一緒に飲みましょう!」

 彼女にとってはただ飲む口実が欲しいだけなのだろうが、そうやって気遣ってくれる、いつも支えてくれるザラの心遣いが、レオナには嬉しかった。

「少しなら、な」

 そういって、皆はジョニーズ・サルーンへ向かっていった。

 

 

 

 静かな格納庫にたどり着くと、ハルカは愛機、レイに歩み寄る。

 身内がなくなった今、彼女と家族をつなぐ唯一の思い出で、幾度となく共に死地を潜り抜け、いつも共にいてくれる相棒。

 彼女はレイの着陸脚に近寄ると、少しうつむく。

「レイ、わかってはいたけど……」

 彼女は、先ほどのレオナやエンマたちのやり取りを全て聞いていた。

 

「エンマさん、私を信じる気は、ないみたい」

 

 だからといって、彼女を責めることはできない。

 ユーリア護衛隊にいたせいで気づかなかったが、彼女のような反応が普通なのだ。

 だから、ユーリア議員の唱える空賊離脱者支援法は、議会をいつまでも通らない。

 一度でも悪行に手を染めた人間は信用できない。

 それが、人間の自然な感情だ。

「でも、少し、きついよ……」

 こんなことになるなら、ラハマで不時着なんかしないで、あの時レイと共に地面に垂直に落下していればよかった。

 そんな考えが頭をよぎるが、さきほどいつもの調子で誘ってくれたキリエを思う。

 ああいう人もいるのだと、信じたくなる。

 

『疑われて当然だ!』

 

「……うるさい」

 

『あれだけのことをしておいて、足は洗ったから許されるなんてこと、あると思うのか!』

 

 彼女は頭を振って、聞こえた幻聴を振り払う。

 

「どうした、1人項垂れて」

 

 振り返ると、そこにはツナギを着た子供のような外観の女性、ナツオ整備班長がいた。

「ナツオ、班長……」

「何かあったのか?便秘が治らず、途方に暮れているみたいな感じだったぞ」

 相変わらずの口ぶりだが、イジツにはデリカシーなどという言葉は入ってきていない。

 それに、エンマとは別の意味の遠慮のなさが、今のハルカにはありがたかった。

 班長は腰に手を当てた状態で、彼女のもとにやってくる。

「聞いたぞ、エンマが無理難題な要求をしてきたんだと?」

「無理難題、というほどじゃありませんけどね……」

「十分な無理難題だ。1人で戦え、なんて」

 狭い飛行船の中だ。噂の広まりは早いらしい。

「……でも、やらないと」

 彼女は表情を曇らせる。

「私のせいで、皆さんとの空間に、変な空気を作りたくないですしね」

 ナツオ班長が目を細め、ジト目で見つめる。

 

「……おまえが、一体何をやったっていうんだ?」

 

 彼女は口ごもる。

 

「何もないだろ?気に入らないやつが、勝手に拒絶して、条件つけてきただけだ。気にすることはない」

 

「……でも」

「だから、エンマがああいっているのはお前のせいじゃない。あいつの個人的な好みの問題だ」

 今こうなった原因は、ハルカは自分にあるように思っているが、彼女は何もしていない。

 彼女の空賊だった、という過去は消せないものであるのは確かで、ほめられた過去ではないが、それをきっかけに受け入れられない、受け入れてほしければ条件を満たせ、という要求を突き付けてきたのはエンマだけだ。

 あくまで、個人的な要求でしかない。

 それに、ラハマでの一件は手打ちしたことになっている。

 それでも……。

 

「それでも、許されない行為を働いたのは、事実ですから……」

 

 ナツオ班長はため息を吐き出す。

 

「かてぇー奴だな」

 

 頭をぼりぼりとかきながら、彼女は言う。

「まあ、てめえがいいっていうなら、やるのは構わん。けどな……」

 ナツオ班長の表情が引き締まる。

 

「ある程度にしておけ。引け目を感じるのは仕方ないにしても、そこにつけ込み続けるのはろくなことじゃないし、おまえが引き続ける必要もない。でないと……」

 

「でないと?」

 

「でないと、いつか自分を殺すぞ」

 

 班長の声が、いつもの威勢のいいものからうってかわり、静かな、でも意志を込めた声だった。

 そのとき、船内に警報が鳴り響いた。

「なんだ!?」

「……来た」

 

 

 

 

 警報が鳴ったことで、船内に緊張がはしる。

「アディ、敵機?」

 船橋内でマダムは索敵担当へ問う。

「2時の方角より、機影が高速で接近中。恐らく戦闘機です」

「数は?」

「計8機です」

「ベティ、現在位置と、彼女からもらった情報を比べて」

「……彼女の予想会敵位置と近いです。機数も同じなので、恐らく空賊かと」

「情報は正確だったわけですか」

「呼びかけを行って」

 不明機とやり取りが行われるが、相手は応じる気配がない。

「相手からの応答、ありません」

 確定した。接近中の機影は空賊だと。

「シンディ、ヤクシまで燃料は?」

「十分ですが、空賊をよける航路に変えた場合、ギリギリになります」

「……そう」

 マダムは、副船長のサネアツへ視線を向ける。

「副船」

「かしこまり!」

 サネアツはマイクを持ち、艦内放送で言った。

 

「総員戦闘配置!戦闘機隊はただちに出撃!」

 

 マダムは副船長からマイクを借り、付け加えた。

「ただし、コトブキ飛行隊は出動待機」

 マイクを切り、副船に返す。

「だ、大丈夫でしょうか、マダム。彼女1人で……。相手は8機ですよ?」

「大丈夫よ」

マダムは船長席に座り、静かにつぶやいた。

 

「さあ、あなたの実力、見せてもらうわよ。ハルカさん」

 

 

 

 

 

「始動準備!」

 エンジンの右下に潜り込んだナツオ班長が、愛用のイナーシャハンドルで始動準備を始める。

「点火!」

 合図でハルカはエンジンを始動させる。

 推力式単排気管が排気を次々吹き出し、3枚羽のプロペラが回りはじめ、勢いを増していく。

 暖気が完了するまでの間に、彼女は補助翼や方向舵、プロペラピッチ等の確認を消化。

 各計器にも異常はない。

 手を振って車輪止めを外させると、彼女は滑走路にレイを誘導する。

 滑走位置で一度止まり、腰のベルトを締める。

 そして、点灯していた緑色のランプが常時点灯に変わったのを確認すると、スロットルレバーを開く。

 徐々に速度を増し、尾輪が浮きかけたのを感じ取ると操縦桿を少し前に倒し、尾部を持ち上げる。

 そして翼が揚力を得た瞬間、羽衣丸から飛び立った。

 何度経験しても慣れない、空に一瞬沈み込む感覚を味わった後、着陸脚と尾輪をしまい、カウルフラップを閉じる。

『こちら羽衣丸。ハルカさん、2時方向から敵機が迫っています。数は8』

「了解しました」

『くれぐれも気を付けてください。無理と思ったら、すぐコトブキを援護に向かわせます』

「彼らの手を煩わせないよう、なんとかします」

『深追いの必要はないわ。彼らを追い払ってくれればいいから』

「そうはいきません。エンマさんとの約束は、あくまで殲滅ですから」

『……気を付けて』

「了解」

 目視で敵が見えてきた。

 機体や羽に、巻き付くように空に浮かぶ雲の模様が、水色の機体に描かれている。

 零戦21型、8機。マキグモ団に間違いない。

 彼女は息を大きく吐き出す。

「……行くよ、レイ」

 彼女はプロペラピッチを低ピッチに固定し、エンジンの出力を上げて戦闘速度へ加速。

 マキグモ団へと、襲い掛かっていった。

 

 

 

「むぅ~」

 羽衣丸の格納庫で1人、キリエは頬を膨らませ足踏みをしている。

「どうした、キリエ?」

「だって!」

 そうこう言っている間も、彼女は足踏みを続ける。

「なんで出動待機なわけ!空賊やってきたら、追い払うのが用心棒の仕事のはずじゃん!」

「わかっているが……」

 レオナはキリエに目配せする。

 その視線の先にいるのは、ハルカに今の状況を要求した本人。

 エンマは自分の隼によりかかり、静かにしている。

「むぅ~。でも、なんでレオナもマダムも承諾しちゃったわけ!?隊長として、彼女を受け入れろっていえばいいじゃん!?」

「そうやって無理やり聞かせても、反発はなくならない。むしろ大きくなるだけだ。なら彼女の言う通り、早めに解消しておく方がいいんだ」

「だからって……」

「折角星が稼げるチャンスなのに!」

 チカも納得できないようで、焦れている。理由は異なるが。

「もう少しの辛抱ですわ」

 いつの間にか、キリエのそばにエンマが来ていた。

「どうせ、手が回らなくなって、救援を求めてきますわ。そしたら、思う存分飛べますわ」

「この状況を要求しておいて、その言い方はないんじゃないか、エンマ」

「彼女も受け入れたことですわ」

 そのとき、船内放送が聞こえた。

 その内容に、彼らは耳を疑った一方、胸をなでおろした。

『空賊の殲滅を確認。繰り返します、空賊の殲滅を確認』

 

 

 

 目の前の状況に、船橋内の乗組員は言葉を失った。

 ハルカの零戦はそばにある雲に隠れたと思ったら、姿を隠して空賊の上方から仕掛け、2機を撃墜。その速度を殺さぬまま背後をとり、21型を1機撃墜。

 残り5機になったところで、マキグモ団が3機と2機に分かれた。

 前方の3機を彼女は追い、1機を撃墜。

 その直後、わかれた2機が彼女の後ろについた。

 発砲しようとした瞬間、彼女は前を飛ぶ零戦と距離をつめ、射線上に味方がくるように位置を変えた。

 発砲できないでいる背後のマキグモ団をしり目に、前を行く1機を落とすとフットペダルを蹴りこみ、操縦桿を引きバレルロール。

 背後に回り込み、3丁の機銃を一斉に放って後ろをとっていたはずの2機を撃墜。

 最後の1機が彼女を引き離そうと機首を下げ降下。

 彼女もあとを追う。

 制限速度に近づき、21型が機首を上げた瞬間、ハルカの零戦は機銃を3丁放ち、最後の1機も荒野へと落ちていった。

 

「ああ……」

 サネアツ含め、皆が言葉を失う中、マダムはキセルの煙を吐き出す。

 

 

―――悪魔の名は、伊達じゃないってことね。

 

 

「アディ」

「え……、は、はい。レーダー上より、空賊の機影の消失を確認」

「副船長、彼女に帰還命令を」

「は、はいただいま!」

 副船長は無線のマイクをとり、帰還の命令を出そうとする。

 

 

『……フフフ』

 

 

 無線から、声が船橋内に聞こえる。

『ハハ……、ハハハ』

 

 そのうすら寒い、どこか楽しそうなのだが、狂気を含んでいるような声に、サネアツは寒そうに両腕で体を抱くようにまわす。

「な、なんでしょう、この声……」

「ハルカさんの、零戦からですが……」

 先ほど出会った彼女からは、おおよそ想像しにくい声に、マダムは表情を引き締める。

「……副船長、彼女に帰還命令を」

 同時に、マダムは席を立った。

「マダム、どちらへ?」

「……格納庫へ行くわ」

 

 



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第5話 逃れられない悪夢の中で

無事エンマから課された要求をクリアした彼女だが、
それでもエンマは納得しなかった。
そして襲撃の合間に休息をとる彼女だが、休みの時間
でさえ彼女は安らげなかった。過去が悪夢となって、
彼女を蝕む。



 開かれた羽衣丸の後部ハッチへ進路をあわせ、着陸脚と尾輪を下ろす。

 フラップを下ろし、速度と進路を調整しながら、ハルカは零戦を進入させる。

 後部ハッチから入り、着陸脚と尾輪が接地したのを確認すると、エンジンの出力を絞り、ブレーキを踏み込んで減速。

 無事、羽衣丸へと降り立った。

「ふう……」

 彼女は愛機を停止させると、風防のロックを外して後ろへ下げ、機体から下りた。

「よう、お疲れ」

 ナツオ班長が、イナーシャハンドル片手に歩いてきた。

「無事で何よりだ」

「ええ、よくあったことなので」

 ナツオ班長は苦笑する。

「見ているこっちはヒヤヒヤもんだ」

「空賊機を8機撃墜、君は被害なし。大したものだ」

 隊長のレオナ含め、コトブキの面々が歩いてきた。

「だが、ナツオ班長同様、私たちも内心肝を冷やしたぞ」

「あははは……」

「さて……」

 レオナは、エンマへゆっくりと振り返る。

「約束は果たしたぞ、エンマ。もう彼女との間に軋轢を生むようなことは」

 

 

「1度だけではわかりませんわ」

 

 

 レオナの視線が鋭さを増し、他のメンバーは戸惑う。

「エンマ、約束が違うじゃないか!」

「私は、1度だけ、なんて言っておりませんわ!」

「エンマ、いい加減に!」

「なんの騒ぎ?」

 格納庫にマダムが入ってきたと知り、皆が押し黙った。

 彼女はハルカの前に立つと、彼女をじっと見つめる。

「マダム、何か?」

 ふと、マダムは手を伸ばし、彼女の顔をつかむと、鼻先が触れそうなほど顔を近づける。

「あ、あの!マダム!?何を!?」

「じっとして」

 マダムは、彼女の目を覗き込むように険しい視線を向ける。

「……そう」

 突如手が離れ、自由になった彼女は圧迫された場所をさする。

「お疲れ様。次の襲撃に備えて、休みなさい。ナツオ、整備お願いね」

「へ~い」

「あの、マダム?」

 戸惑う彼女に、マダムは言った。

「休みなさいといったでしょ?部屋で寝なさい」

「……わかりました」

 彼女は格納庫からあてがわれた部屋へと向かっていき、キリエたちも自室へと向かっていった。

「あの、マダム。何か?」

 残っていたレオナとザラに、マダムは視線を向ける。

「ちょっと、気になることがあってね」

「気になること?」

 首をかしげるレオナにザラ。先ほどの戦いを見ていた2人は、何が気になるのかわからなかった。

「笑い声が聞こえたのよ」

「笑い声、ですか?」

「ええ。戦っている最中にも関わらず、ハルカさんの、敵を落とすことを楽しんでいるような、聞いていて寒気がするような声が、ね」

 先ほど彼女の目を覗き込んでみたものの、この羽衣丸についたときと変わらなかった。

 生気が抜けているわけでも、死んだ魚のように濁っているわけでもない。

「そんなこと……」

 信じがたいようで、レオナもザラも顔を見合わせる。

「2人とも……」

 そういえば、ユーリアから彼女を使う上で注意することを聞かされていたのだった。

 彼女は身内の殆どを失い、ある意味ではお金を稼ぐ理由もなくなった今、精神的に不安定で、亡くなった家族に引きずられるようなことがある、と。

 さきほどの声がその片鱗とすれば、彼女は今まずい状態にある。

「ハルカさんの行動に、少し注意を払っていて頂戴」

 守るはずだった家族。ブレーキを失った今の彼女なら、自分を削りすぎることも、恐らくはできてしまう。

 そこに、果ての見えないエンマの要求。

 この2つが組み合わされば、ろくなことにならないことは誰の目にも明らかだった。

 

 

 

 

 

 最近、ハルカはよく夢を見る。

 暗い中で1人、ポツンと立っている。

 そして今日も、その夢を見る。

 

『疑われて当然だ!』

 

 彼女は頭を振って、先ほど聞こえた幻聴を振り払う。

 

『あれだけのことをしておいて、足は洗ったから許されるなんてこと、あると思うのか!』

 

 彼女は両手で耳を塞ぎ、声から逃れようとする。

 その声は、かつて彼女がいたウミワシ通商の社長、ナカイの声と同じだ。

 

『お前はどれだけのことをやった?100隻近くの輸送船、それを守る用心棒。全てお前は落とした。どれだけの人間の歯車を狂わせた!?』

 

「違う、それは、あなたが……」

 

『実行したのはお前だ!家族のためだ、もう奪われないために。そんな言葉で着飾ったって、やったことは略奪行為だ!』

 

「それは……」

 

『哀れなものだな。リノウチで父や兄に姉を失い、祖父はお前を置いて行方不明。遺された母と妹、弟を守るために空賊行為に加担したのに、残った最後の家族さえついには無くし、何もお前には残っていない。帰る場所も、守るべき人も!何もお前には残ってない!あるのは空賊行為を働いたという、罪の烙印だけだ!』

 

 彼女はきつく両耳をふさぐが、聞こえてくる声は小さくはならない。

 

『コトブキの人間が言っただろう?お前は簡単に信用するべきじゃない』

 

 

『彼女は元空賊。私たちの敵でしたのよ!彼女が空賊と組んで、私たちをハメようとしているかもしれませんわ!』

 エンマの声で、聞いた言葉が繰り返される。

 疑われるのはわかっている。

 もう大丈夫だと言い切れる根拠はない。それこそ、行動でしか示せない。

 

 

『むしろ、私から見れば、あなた方はなぜ彼女をすんなり信用できますの?反省したから、心を入れ替えたから。そういっていい寄ってきた悪党や空賊を、私は腐るほどみてきましたわ。悪党に改心を期待するなど、天地がひっくり返っても無理なことですわ』

 ハルカも元空賊。そういう連中が、掃いて捨てるほどいることは知っている。

 

 

『それは、マダムやユーリア議員の威光がなければ、信じるに値しないということではなくて?』

 悲しきかな、それが現実。

 議員やマダムの威光がなければ信用など得られないことは、彼女自身が一番よくわかっている。

 

 

『……空賊行為に加担したのに、何の罰も受けず、議員たちの威光をかさに、自分はもう反省した善人です。そんな顔をしている彼女が、気に食わないことは認めますわ』

 そうだ。

 人の運命を散々狂わせた人間が、罰を受けないことが本来はおかしい。

 

 

『要するに彼女を信じているわけではなくて、彼女の力を恐れているだけじゃありませんの』

 聞いたとき、少しショックだった。

 ユーリア議員は利害の一致だと言っていた。

 当時はそれで納得したが、結局は自分を敵にすることが怖いだけ。

 これでは、力や財力を背景に周囲を屈服させ、イジツを支配しようとしたイサオ氏と、今の自分は何が違うというのか。

 

 

『彼女は空賊にならない道も選べた。選択肢のなかったチカは違いますわ』

 そう。

 こうなった原因は、全て彼女の選択の結末。

 母親に時間がなかったという言い訳を口にして、金につられただけ。

 

 

『……じゃあ、彼女が黙って野垂れ死にを選べばよかった、とでもいうのか?』

『結果としてみれば、そうだったかもしれませんわね』

 ガラスが割れるような音が、夢の中に響きわたった。

―――そうだよね。

―――間違ってないよ。

 略奪行為に手を染めても生き残る。

 でも、その選択の結果、多くの人々の幸福を奪ったことは想像に難くない。

 いっそ家族で、荒野で野垂れ死にしていれば、後に多くの人々に迷惑をかけることも、こうやっていさかいの火種になることも、1人遺されて寂しい思いをすることもなかった。

 

 

『そうだ。お前はラハマで、あるいはもっと以前に、落とされるべき人間だったんだ!』

 

 

「はっ!」

 耳元で聞こえた声に、彼女は飛び起きた。

「はあ、はあ……」

 呼吸を整えつつ額を右手で拭うと、手の甲が少し湿った。

「……また、この夢」

 周囲を見ると、そこは羽衣丸内の寝室。同室のレオナさんにザラさんは、寝息を立て続けている。

 彼女は静かに部屋を出た。

 

 羽衣丸の上層にある展望デッキにつくと、彼女は窓から外を眺める。

 眼下には、どこまでも広がる、どんな人間にも平等に非情な荒野が見える。

 適当な椅子に腰かけると、彼女は俯いた。

「どうすれば……」

 暗い周囲にのまれ、彼女の思考も悪い方向へ向く。

 エンマのような人間は、この先幾度となく出会うことだろう。

 そのたびに引け目を感じて、突きつけられた条件をこなすのだろうか。

 

 

『そうやってこの先も生きていくつもり?負い目を感じて、それをダシに一生誰かにゆすられるような生活を送りたいの!?あなたは足を洗ったんでしょう?だったら、胸を張って歩きなさい!それとも、その脂肪の集まりが重いから胸が張れないとかいうんじゃないでしょうね?』

 

 

 ガドールに行って間もない頃、ユーリア議員に言われた言葉が脳裏をよぎる。

「どうやって、胸を張れっていうんですか。議員……」

 

 

『お前は生きてどうなる?何も残っていないお前に、生きる意味があるのか!?』

 

 

「ひっ!」

 夢から覚めてなお聞こえる幻聴に、彼女は縮こまる。

 彼女は腰にぶら下げた小物入れからボトルを取り出すと、口を開け、中身をあおった。

 喉が焼けるような熱さが来たと思うと、遅れて頭が少しふらつく。

 中身は、度数の高い酒。悪夢から逃れるには、これが一番だった。

 そして空で戦っているときも、悪夢から逃げられる。

 でもレイから下りると、酒が切れると、自分の犯した罪の重さ、辛い現実に押しつぶされそうになる。

「……はあ」

 ふと、呼び出し音のような音がなった。

 ユーリア議員から渡された携帯式無線機、とっても大きいが、それを受信に切り替える。

「はい……、ハルカです」

『まだ起きていたのね』

 声の主は、ユーリア議員だった。

『こんな遅くまで起きているとは、あまり感心しないわね』

「眠れなくて……」

『そう……。それはそうと、どうやら羽衣丸を見つけられたみたいね』

「……ひどいですよ。わざわざ大回りさせるなんて」

 初めから合流地点を指定してくれればいいのに、マダムへの嫌がらせのためにラハマを経由した挙句、増槽2つに、燃料や弾薬も余計に使う羽目になったのだ。

 文句の1つくらい言いたくもなる。

『あなたなら、到着できるって考えたうえでの選択よ』

「そうですか……」

 無線の向こうの議員が、しばし沈黙する。

『どうしたの?随分しおらしいじゃない?』

「そうですか?」

『あなたはごまかしやウソが下手なんだから、わかるわよ』

 無線越しでも気づかれるあたり、よほどわかりやすいのだろうか、と彼女はへこむ。

『コトブキと上手くいってないの?』

「いえ、そんなことは……」

 上手くいってないのは、主に1人だけだ。

 

『大方、あの空賊嫌いと上手くいってないだけでしょ?』

 

「人の心を読まないでください」

『心当たりは1つしかないもの。誰でもわかるわ』

 誰でも、ではないとおもうが。言葉を飲み込む。

『言ったはずよ。あなたはもう引け目を感じる必要はないって』

「そうはいっても、事実は事実ですし……」

 

『あなた、それを弱みに変な要求突きつけられてないでしょうね?』

 

 もうすでに突きつけられました、とは言えない。

『ハルカ。あなたが空賊で略奪行為を働いたのは事実でも、過去の罪は無くならなくても、そろそろ区切りをつけなさい。でないと、引きずられて、いつか自分を殺すわよ』

 ナツオ班長と同じことを言った。

「でも、これも償い、ですから」

『あなたの償いは、用心棒と、賠償金でしょ?それ以外にまで手を広げないの。人間、できることは限られているんだから』

「でも、反省していないとみられるかも、しれませんし……」

『そんな連中放っておけばいいの。評議会のクソ連中と同じで、何をしても認める気なんて最初からないんだから』

 あのアレシマの一件でハルカはユーリア議員の外遊に同伴し、用心棒としての実力を示したものの、それでも議会は未だ彼女を信じるに値しないと言っている。

『それより、あなたを必要としてくれる人を大事にしなさい』

「……はい」

 そこまで話して、ふと疑問がわいた。

「ところで、議員もこんな時間まで起きていたんですか?」

 

『……眠れなくて』

 

「何かあったんですか?」

 しばらく沈黙が続くが、彼女は議員の言葉をじっと待つ。そして聞こえてきたのは、弱々しい声だった。

 

『……あなたがいないからよ』

 

「……へ?」

 聞き違いかと思い、彼女は呆けた声を出した。

 

『あなたの膝枕も、抱き枕もないから寝つきが悪くて!』

 

 後半になるに従い、少し怒っている口調で議員は言った。

「あの~、そんなことで?」

 

『そんなこととは何よ!一度いい思いをしたが最後、ない時寂しくなるのは当然でしょ!』

 

「開き直りましたね」

 

「政治家は開き直る生き物なの!」

 

 政治家というのはなんでもありなのだなあ、と彼女は思う。

『コトブキとの仕事をさっさと終わらせて、帰ってきてちょうだい』

「……はい」

『それと、連絡を忘れないこと。到着したって連絡がなくて、心配したんだから』

 到着してそうそう、ドードー船長に追いかけ回されたり、エンマと言い合いになったせいで、彼女は議員に連絡を入れるのを忘れていたと、今更ながらに思い出す。

「申し訳ありません……」

『1日1回は、必ず連絡すること。いい?』

「わかりました」

『おやすみなさい』

「おやすみなさい、ユーリア議員」

 無線が切れた。

「さて……」

 彼女は、もう一度酒をあおった。

 酔いが少し回っていたせいで、彼女は気づかなかった。

 扉の影に隠れて、この光景を見ていたものがいたことに……。

 

 

 

 

「おはよう~!」

 朝になり、元気な声でキリエが挨拶をする。

「おはよう……」

 ハルカは眠そうに応える。

「ハルカどうしたの?眠そうだけど?」

「寝つきが悪くて……」

 

「ふ~ん。あんな遅くまで起きていれば、そりゃあ眠くもなりますわね」

 

 目の前には、両腕を組んで仁王立ちしているエンマの姿があった。

「ちょっと、来ていただけませんこと」

 返答する間もなく、ハルカはエンマに引きずられていく。

「で、何の用ですか?」

 引きずられた先は、談話室。

「あなた、昨夜だれと話していましたの!?」

 昨夜。それは、ユーリア議員と無線で話していたことだろう。

 気づかなかったが、その現場を目撃されていたのだろう。

「ユーリア議員ですけど」

「本当ですの?空賊に、羽衣丸の座標を伝えていたんじゃありませんの!?」

「……違います。議員に確認してもらえればわかります」

「ですけど、ユーリア議員だけと連絡していたとは限りませんわ」

「……何が言いたいんですか?」

「こそこそしているあなたが悪いんですのよ。羽衣丸に無線機を持ち込んでいるなど、言ってなかったではありませんか」

「……いう必要がありましたか?」

 そもそも、持っていけと言ったのはユーリア議員だし、あくまで公務ではなく個人的な連絡だけだ。

 羽衣丸の設備を借りて私的な通信を行うなど、議員は嫌がるし、昨夜のような内容を聞かれるなど、公開処刑にも等しい。

 

「私たちに、隠し事ですの?」

 

 エンマの目が、三日月のように細められる。

 

「さきの戦闘で少しは見直しましたが、やっぱり疑うしかありませんわね」

 

「何をしている、2人とも」

 

 ザラを伴ったレオナが、朝から険しい表情で2人を見つめる。

「別に、ただ彼女が、私たちに隠れて誰かとお話していたようなので、誰なのかと問いただしていただけですわ」

「ハルカ、本当なのか?」

「……ユーリア議員と話していただけです。定期連絡をするように、と」

「本当かしら?議員と話した後、空賊やマフィアとでも話していたのではなくて」

「そんなことしません」

「それを、誰か証明できますの?」

 彼女は言葉につまった。

 そして、エンマは彼女に右手を出す。

「疑われたくないなら、出しなさい」

「ですけど、議員が連絡を入れるように、と」

「どうしても隠れてしなければならない理由でも、やましいことでもあるのかしら?」

「……わかりました」

 彼女は部屋に戻り、無線をエンマに渡した。

「使うときはマダムの前で、いいですわね」

「……はい」

 これ以上疑いの目を向けられないよう、彼女は条件をのむしかなかった。

 



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第6話 牙をむく猛獣

エンマとのいさかいを起こさないよう、羽衣丸で静かに過ごす
彼女。そんな彼女をレオナとザラは町へ連れ出そうとする。
しかし、彼女たちに空賊の戦闘機が迫る。
迎撃のため飛び立つレオナたちだが……。


 羽衣丸は荷物を積み込むため、ラハマとショウトの中間に位置する町、ヤクシの町へと降り立った。

「ふあ~」

 眠気がまだあったせいで、ハルカは羽衣丸の後部ハッチ付近で大きなあくびをした。

 コトブキのメンバー、キリエ、エンマ、チカ、ケイトの4人は町へと繰り出していった。

 ハルカも誘われたのだが、エンマがいる中、一緒に居ると間違いなくまたいさかいを起こす可能性が高いので、羽衣丸でのんびりすることにした。

 それに、どうせ町に出てもみたいものも、やりたいこともないのだから。

「……はあ~」

 ふと、彼女は眼下を見下ろす。

 すると、そこには頭を抱えるナツオ班長に整備班のメンバーが目に入る。

「どうしたんだろう?」

 彼女は階段を下りてナツオ班長たちのもとへ向かう。

「班長~」

「お、ハルカじゃねえか」

「どうかしたんですか、頭抱えて」

「ああ……。すぐに積み荷を搬入したいんだが、依頼してきた会社がいうには、積み込み作業員が食あたりで来られないっていうんだ。他にできる奴を寄越せっていったんだが、手が空いてないそうでな。おかげで、積み荷があっても積み込み作業ができねえんだ」

 班長が指さす方向を見ると、輸送車に乗せられた積み荷の山が見える。

 イジツでは、飛行機に乗れる人間は珍しくない。

 飛行機の普及と空路の発達により、逆に陸路は放棄されたため、車を運転できる人間のほうが希少な存在だ。

 積み荷は、輸送船の貨物室まで輸送車両で持ち込み、その先が手で積み込むというのが普通の作業になる。よほど大きなものの場合のみ、直接貨物室へと船外から搬入される。

「仕方ない。ちと面倒だが、一個ずつ地上から手作業で羽衣丸まで運ぶか」

「手伝いましょうか?」

 班長が振り返る。

「私、輸送車両の運転できますし」

「……気持ちはありがてえし、手も借りたいが、いいのか?」

「いいですよ。どうせすることもないですし」

 ナツオ班長が、一瞬真剣なまなざしになる。

「……わかった。手伝ってくれ」

 そして積み込み作業が始まった。

 

 後部ハッチから羽衣丸内部へ、輸送車両で積み荷を運び、そこから下層にある貨物区画へと人海戦術で積み荷を運ぶ。

 ハルカは積み荷を崩さないよう、輸送車両を慎重に乗り入れる。

「よし、そこで停車!さあ、ちゃっちゃと済ませるぞ!」

 彼女も手伝い、積み込み作業は順調に進む。

「えっと、これは奥へ。あ、これは二段積み禁止ですから、上に乗せないでください」

 品目の一覧と、段ボールや木箱に書かれた注意事項に注意しながら、ハルカは指示を出す。

 ウミワシ通商時代、空賊と知る前は運び屋としての仕事が主体だったので、彼女はこの手のことに慣れていた。

「あとは、この箱も二段積み禁止か」

 そう言って手近に置かれた箱を持ち上げようと、彼女は前かがみになる。

 その瞬間、整備班たちの視線がさりげなく彼女に集まる。

 前かがみになったことでスカートの後ろが持ち上がり、その中が見えそうになって……。

 

「こら、てめえらあ!手止めてんじゃねえぞ!何ならてめえらのケツにイナーシャハンドルぶち込んで、動きの悪い頭再始動してやろうか!?」

 

「「「ひい!班長、申し訳ございません!」」」

 整備班たちは急いで作業に戻っていった。

「どうかしたんですか?」

 小包を抱えながら、彼女は班長に問いかける。

「……おまえ、もう少し警戒心というものを持てよ」

「……はい?」

 意味の伝わらない彼女に、ナツオはため息を吐き出し、彼女が抱える小包を奪い取る。

「まあいい。で、積み荷は残りどれだけだ?」

「あと輸送車1台分ですね。取りに行ってきます」

 彼女は輸送車を羽衣丸からだし、最後の輸送車に乗り換え、再び搬入作業に戻った。

 

 

「確認完了、積み荷はこれで全てです」

 一覧とにらめっこし、依頼されたものの積み込みが全て終わったことを確認した。

「ありがとなー、助かった」

 すると、ナツオ班長はお盆に煎餅とお茶を2人分のせてきた。

「休憩だ。茶につきあってくれ」

 彼女も班長のそばに腰を下ろし、お茶に口をつけ、お煎餅をかじる。

「はあ~、落ち着きますね」

「だろう。これが好きなんだ、あたしは」

 2人でお煎餅をバリバリかみ砕きながら、お茶をすする。

「にしても、お前は町へ行かなくてよかったのか?」

「……はい。さっき言った通り、行きたい場所も、したいこともありませんから」

「嘘だな」

 ナツオ班長は、彼女をジト目で見つめる。

「大方、エンマといざこざを起こしたくないから、身を引いているだけだろ?」

「それも、ありますけど……」

「むしろそれしかないだろ?キリエが残念そうに歩いていくのを見たぞ」

 粗暴に見えて、結構周囲を見ているんだなと、彼女は思う。

「私からエンマに言うか?いい加減にしろって」

「……いえ。エンマさんの要求をこなしていけば、いつか」

「受け入れてくれるってか?それは難しいと思うぞ」

 ハルカはナツオ班長に視線を向ける。

「あいつの家は、空賊や悪党に財産をむしり取られ没落した。実体験に基づいて空賊を嫌っている奴に、足を洗ったとはいえ、受け入れてもらうのは難しい」

「そうかもしれません。ですけど……」

「エンマが折れるのが先か、お前が使いつぶされるのが先か。いずれにしてもろくなことにならない。エンマとは、あくまで仕事上の付き合いだと割り切って、キリエたちを大事にしたらどうだ?」

「……でも、自分の選択の結果ですし。それに、エンマさんのような方とは、これから先幾度となく出会うと思います。こんなことで躓いていたら、先はやっていけません」

 ナツオは、思いのほか頑な彼女にため息を吐き出す。

「ハルカ、同じコトブキの面々だって、キリエみたいに積極的に迫ってくる奴もいれば、チカやケイトみたいに様子見をしている奴、レオナやザラみたいに受け入れてくれる奴、エンマのように嫌っている奴と、たった6人だが反応が異なる。全ての人間に好かれようなんざ無理だ」

「その、コトブキに不協和音をもたらしているのは、私です。責任はとらないと……」

「いつまでそうやって自分を責め続けるつもりだ?コトブキは、元々はぐれ者たちの集まり。てめえがいてもいなくても、常にキリエとチカの言い合いは無くならないし、空賊を目の前にするとエンマは暴走するし、機体を荒っぽく扱って手間かけさせるわ、気をつけろっていったのに機体に大穴開けて帰ってきやがったり、命令無視してスタンドプレイをして行方不明になるわ、心配かけるわ整備の手間かけさせるわ、ほんと整備班の苦労というものを……」

「あの班長、後半は何か違いますよ」

 すると、ナツオ班長は目をカッと見開き、鼻先が触れそうなほど彼女に迫った。

 

「とにかく!お前が必要以上に引いて、まして依頼でもない要求を呑む必要はないんだ!わかったか!」

 

「班長の言う通りだぞ」

 

 振り返れば、レオナとザラが、こちらに向かって歩いてくる。

「君が負い目を感じるのは仕方がないにしても、それをダシにつけ込んでいい理由にはならない。依頼でもないエンマの要求を、何度も受け入れる必要はないんだ」

「そういうこと。次々疑っては要求してくるエンマが問題なのは当然だけど、それを受け入れ続けているあなたも問題よ」

「……はい」

「まあ、折角ヤクシの町に来たし、出航は明日だ。少し町に出よう」

 レオナは右手を差し出してくる。

「少し呑みに行きましょう。気晴らしに」

 気にかけてくれる2人の誘いを断るわけにもいかず、ハルカは手をとった。

「それじゃあ、いいですか?」

「勿論だ」

 羽衣丸から階段を歩いて地面に降りる。

「さて、どこに行こうかしら。お酒がおいしいお店がいいな~」

「早速飲むことか」

「だって~、暗い雰囲気のときはお酒が一番よ~」

「ザラさん、お酒が大好きなんですか?」

「ザラは、ビールを飲みだすと何樽になるかわからないほど飲むんだ」

「……本当に?」

「本当だ」

 レオナは、実体験があるように自信を込めて言い切った。

 ふと、ハルカは聞きなれた音に振り向いた。

「どうした?」

「あれは……」

 見上げれば、3機の飛行機が3角形に編隊を組み、こちらへ向かってきている。

「先頭は、エンジンが2つ、屠龍か?後ろの2機は、短い主翼に、膨れた胴体。雷電だな」

「みんな緑色ね。描かれているのは、花?」

「でも、滑走路に侵入するには進路がおかしいです」

 羽衣丸が係留されているのは、滑走路とは反対側。おまけに、屠龍たちが来る方角へ上昇することになっている。

 ハルカは腰にぶら下げた双眼鏡を取り出し、向かってくる飛行機を見る。

「あれは!?」

 双眼鏡を覗くと、主翼に描かれた模様が確認できた。描かれているのは、白いバラ。

「あれは空賊です。たしか、シロバラ団」

 ウミワシ通商時代、死んでもバラは離さない、とかわけのわからないことをほざいていたのが耳障りで撃墜した記憶のある空賊。しぶとく生き残っていたらしい。

 花を描いているが、彼らのやり口は花のようにきれいな人間のフリをして近づいて略奪行為を働くという空賊行為そのもの。

「空賊!?って、なんかこちらに向かってきてないか?」

 先頭を行く屠龍が機首を下げる。

 その先には、レオナたちがいる。

 屠龍の37mm砲が、火を噴いた。

 

 

「逃げろおおおお!」

 

 

 3人は急いで羽衣丸の影に飛びのいた。

 直後、先ほどまでいた場所の付近に37mm砲弾が着弾。飛行場の地面をえぐり、あたりの粉塵を巻き上げ、コンクリートが飛び散った。

「げほ、げほ……」

 レオナは口の中が少し埃っぽいのを無視し、あたりを見る。

「2人とも、無事か?」

 一緒に飛びのいたザラ、ハルカはコンクリの破片やホコリをかぶっていたものの動いた。

「もう、何よいきなり」

「随分手厚い歓迎ですね……」

 2人とも負傷している様子はない。レオナは羽衣丸の影から出て、上空を見る。

 そこには、同じく白いバラの描かれた雷電2機が降下してきていて、左右の主翼に装備された20mm機銃の銃口を、レオナに向けていた。

「危ない!」

 ザラが彼女の襟首をつかみ、急いで引きよせて射線上から離れる。

 直後、雷電の20mm機銃が咆哮をあげ、地面をえぐり、一部の銃弾が羽衣丸の後部に着弾した。

 羽衣丸から伸びる階段を、誰かが駆け足で駆け下りてくる。

 

「てめえら!誰がそれを直すと思ってんだ!下りてこいこの野郎!」

 

 スパナを振り回し叫ぶ班長。そこに、旋回を終えた屠龍が機首を向ける。

「班長さがって!」

 ハルカが後ろからナツオ班長を捕まえ、後ろに飛びのく。

 直後、地面に再び37mm砲が撃ちこまれた。

 再び粉塵が舞い、地面が大きくえぐられた。

「みんな、羽衣丸へ避難だ!」

 4人は搭乗口から伸びる階段を急いで駆け上がっていった。

 

 

 

 

「なんなんだあいつら。くそ、まだ口の中がじゃりじゃりしやがる」

「ただの空賊にしては、やることが直接的すぎないかしら?」

「色々思うところはありますけど、とりあえず羽衣丸かコトブキが狙われているのは確かですね」

 格納庫に設置された電話が、突如けたたましい音を響かせる。

 レオナは受話器を急いでとる。

「こちらレオナ」

『状況はわかっているわね』

 マダムの声だった。

『誰かしらないけど、私の羽衣丸に傷をつけた不貞な輩がいるみたいね』

「ハルカの話ですと、シロバラ団という空賊だと」

『なら話が早いわ。レオナ、あなた以外に誰がいるの?』

「ザラとハルカ。2人だけです」

『キリエたちを呼び戻すわ。それまで3人で時間を稼いで頂戴』

「了解」

 受話器を置いたレオナは振り返る。

「2人とも、緊急発進だ!」

「「はい!」」

「よし!てめえら、急いで準備だ!」

「「うっす!」」

 整備班にパイロット。彼らはそれぞれの機体へ向け走った。

 

 

 

 

「始動準備!」

 ハルカの合図で、ナツオ班長はイナーシャハンドルを回す。

「点火!」

 合図でエンジンを始動。目の前の3枚羽のプロペラが回りだし、左右の推力式単排気管が勢いよく排気を噴き出す。

 レオナとザラの隼もエンジンを始動させ、各部の確認を急いでこなしていく。

『ハルカ、シロバラ団の戦力は?』

「確か、屠龍1機、雷電2機。あとは21型が10機、96式艦戦が8機ほどだったかと」

『数が多いな……』

『多勢に無勢もいいところね』

 普通なら、戦う前に回避が模索されるレベルだ。

 だが用心棒の彼らに、逃げることは許されない。

 暖気が終わったのを確認。手を振って車輪止めを外させる。

 レオナが隼を前進させる。今、羽衣丸は係留されており、いつも発艦している前方ハッチの前には係留塔があるため飛び立つことができない。

 そこで、反対の後部ハッチから飛び立つ。

 レオナを先頭に、ザラの隼、ハルカの零戦が滑走路で停止する。

 合図を示す信号が逆向きはないので、整備班の手旗信号が合図になる。

 

「総員注意!制動開始!」

 

 班長の合図で危険個所から退避。

『発進する』

 合図でレオナは滑走を始め、羽衣丸を飛び立つ。

 次いでザラ、ハルカの3人が発艦する。

 急いで着陸脚と尾輪をしまう。周囲を見渡すと、前方に21型と96艦戦の群れ、9時方向にさきほどの屠龍と雷電が見える。

『来たな』

『より取り見取りね』

「……人気者ですね、皆さん」

『よし。ザラは私の援護を頼む』

『は~い』

『ハルカは独自に動いてくれ』

「いいんですか?背後から撃たれるかもしれませんよ?」

『信じている』

 一言だけだが、それで彼女の意志は伝わった。

『よし、いくぞ!』

「「はい!」」

 3人は、前方からくる21型と96艦戦の群れへと、飛び込んでいった。

 

 

 

「も~、食事中に緊急の呼び出しなんて、ついてないじゃん!」

 ヤクシの町の中央通りを、不平不満を言いながら走るチカにキリエたち。

「パンケーキまだ残っていたのに!」

「仕事優先」

「2人とも、不平不満はあとですわ」

 飛行場へ伸びる中央通り、その進路上に1機の機影が見える。

「あれって、雷電?」

 緑の塗装に、翼に描かれるのは白色のバラ。

 雷電は機首を下げて高度を下げる。

「あのさ、なんで雷電が高度さげるわけ?」

 直後、それに応えるように雷電の主翼に装備された20mm機銃が火を噴いた。

「こういうことですわ!」

 すぐ脇道に4人は逃げ込む。

 住民たちは悲鳴をあげ、キリエ達同様脇道へ逃げ込む。

「流石は社会のダニ。やることが非道そのものですわ」

 再び中央通りに戻り、飛行場へ向けて走る。その背後から、今度は屠龍が迫る。

「うわっ!来た!」

「あの屠龍は、機首の下に37mm砲を装備している。当たればひとたまりもない」

 屠龍が機首をさげた。37mm砲を撃つつもりだ。

「全員、もう一度脇道へ」

 直後、突如屠龍が機首を上げて反転した。そしてキリエたちの上空を、何かが高速で駆け抜けていった。

 キリエが空を見上げた瞬間視界に入ったのは、蒼い主翼とそこに描かれた水色の丸。

「あれ、ハルカの零戦!?」

 零戦は反転した屠龍に追いすがり、上方から降下しながら3丁の機銃を一斉射。瞬く間に屠龍を片付けると、今度は雷電に標的をかえる。

 急降下で引き離そうとするも、あいにく相手は急降下速度を上げた丙型。引き離すことはできず、機首を上げた瞬間を撃たれ墜落していく。

 流れ作業のように2機を撃墜した彼女は、今度は21型の群れへと向かっていく。

 その先には見覚えのある機体があった。

「あれ、レオナとザラの隼じゃん!」

「羽衣丸が襲われている。急がないと!」

 だが、キリエとチカは走ろうとする一方、ケイトとエンマは根を生やしたように動かない。

「ちょっと2人とも!」

 ぎこちない動きで、ケイトは指さした。

「……あれを」

 その指の先が示すものを、キリエは見た。

 彼女は、言葉を失った。

 

 

 

『撃墜。もう一杯いすぎよ!』

「空賊にしては、戦力が多すぎる。裕福な空賊か、あるいは自由博愛連合の支援を受けていたか」

『まったく、後始末しなきゃならないこっちの身にもなってほしいわ!』

 レオナは後ろにいるザラを見やる。

「ザラ!後ろだ!」

 後ろについた21型が、機首の7.7mm機銃を撃ち始めた。

 2人はそれを回避する。

「くそ、時間稼ぎとはいえ、この数じゃ」

 突如前方から飛来した機銃弾が、2人を追い回していた21型を撃ち抜いた。ハルカの零戦が、後ろの21型を次々片付けていく。

「ハルカ、すまない」

 だが、彼女から応答はない。

 戦闘中だから当然だ、と思いつつ、次の敵機へ彼女たちは向かおうとする。

 

『……フフフ』

 

「……え」

 レオナは、一瞬戦闘中という過度のストレス下で聞こえた幻聴かと思った。

 

『フフフ、ハハハ、ハハハハハ』

 

 だが、そのうすら寒い声は幻聴ではなかった。

 

『なに、この笑い声』

 

 ザラにも聞こえているようだ。この楽しそうなのに、どこか狂気をはらんでいるような声が。

 直後、21型が1機落ちていく。撃ち落したのは、蒼い翼の零戦。

 

『ハハ、ハハハ』

 

「……まさか」

 零戦は旋回し、レオナとザラへ追いすがる。一瞬の間に、すぐ近くを交差した。

 その際、レオナは、ザラは、操縦席に座っている彼女の表情を見た。

 笑っているはずなのに、歪にゆがんだ笑みを浮かべる口元。

 そして、泥沼のように濁った瞳が。

 先ほどまでとは、明らかに異なる様子の彼女を。

「ハルカ……」

 空賊たちが、町の外側の方向へと逃げ出し始めた。

『空賊の機影が、離れていきます。退却をはじめたようです』

「深追い無用。ハルカ、もういい!」

 だが彼女はレオナの声を聴かず、逃げるシロバラ団たちを追っていく。

 

 

 

 空賊を効率よく落とすための、零戦の中央処理装置となったハルカは、ただひたすら敵を追い回す。

 彼女の頭の中では、あの言葉が繰り返し再生されていた。

 

『あれだけのことをしておいて、足は洗ったから許されるなんてこと、あると思うのか!』

―――思ってないよ、そんなこと。

―――そもそも私は、許されちゃいけないから。

 

 

『……空賊行為に加担したのに、何の罰も受けず、議員たちの威光をかさに、自分はもう反省した善人です。そんな顔をしている彼女が、気に食わないことは認めますわ』

―――そう、おかしいよね。

―――悪人は、罰を受けなくちゃいけない。

 

 

『要するに彼女を信じているわけではなくて、彼女の力を恐れているだけじゃありませんの』

―――そう。私は存在するだけで脅威だし、火種になる。

―――そんなもの、処分するべきだよね。 

 

 

『彼女は空賊にならない道も選べた。選択肢のなかったチカは違いますわ』

―――うん。私は、自分で選んで空賊の道に落ちた。

―――どんな理由であれ、結果的であってもね。

 

 

 向かってきた21型の7.7mm機銃の弾が風防をかすめ、ガラスが飛散。

 飛行眼鏡をかけていたが、おおわれていない頬をガラスがかすめ、彼女の頬を軽く切り裂いた。

 でも、彼女は気にも留めない。

 

 

『……じゃあ、彼女が黙って野垂れ死にを選べばよかった、とでもいうのか?』

『結果としてみれば、そうだったかもしれませんわね』

―――そうだよね。

―――いつか、私は死ななきゃいけない。

―――でもその前に、犯した過ちの償いだけは、しないといけない。

 

―――だから……。

 

「……絶対逃がさない。全員、落としてあげるね」

 

 彼女は歪にゆがんだ笑みを浮かべ、操縦席で1人、静かにつぶやいた。

 

 

 逃げる21型や96艦戦を、彼女は逃がさない。シロバラ団の進行方向の、左後ろからすれ違い様に敵機を2機撃墜。

 追って来ようとする3機の21型を急降下で引き離し、相手が機首を上げた瞬間にこちらも機首を起こし、3機を撃墜。

 また後ろにつかれたら、左に機首をふって旋回するとみせかけ、スナップロールで相手をおいこさせ背後に回り込む。

 96艦戦が右へ旋回するそぶりを見せると、その予想進路に13.2mm機銃の弾を短時間撃つと、相手の方からあたりにきた。

 彼女は旋回戦に一撃離脱、急降下等、使える機動を使い分け、相手を自身の得意な土俵に引きずりこんでは落としていく。

 血に飢えた猛獣のように、彼女は敵を逃がさない。

 

 最後の1機が、彼女に向かってくる。

 機銃の銃口を向け、相手と正面で向かい合う。

 

 そのとき、彼女は目を見開いた。

 

 目の前にいるのは、カウリングの形状が21型とは異なる、零戦22型。

 その機体に描かれている模様は、血のような赤色で描かれた、雷を模した、赤い稲妻。

 その模様に、記憶の奥底から、何かがこみ上げてくる。

 途端、機体に衝撃が走った。

「ぐっ!」

 すれ違う前に、22型の撃った7.7mm機銃が52型丙の右主翼端に命中。

 彼女はフラップを開いて旋回。

 22型の右主翼と尾翼に、機首の13.2mm機銃弾を撃ち込んだ。

 22型は火を噴いて地面に墜落。

 パイロットは無事だったらしく、機体から下りると、走って遠ざかっていく。

 そのパイロットの顔に、見覚えはなかった。

 そのときになって、いつの間にか呼吸を忘れていたようで、肺が酸素を求め、彼女は荒い呼吸を繰り返す。

 

『こちら羽衣丸。出撃中のコトブキ飛行隊へ。空賊の殲滅を確認。帰還してください』

 

「……了解」

 彼女は短く応えると、羽衣丸への進路をとった。

 

 



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第7話 譲れないものと新たな提案

羽衣丸を襲った空賊の殲滅に成功した彼女だが、スタンドプレイを
行ったことでナツオ班長やレオナ隊長から叱責を受ける羽目になる。
これだけの成果を示しても納得しないエンマに対し、彼女はある提案
を持ちかけるが……。



 係留されている羽衣丸に着船するため、数回旋回して速度を落とした後、フラップを下ろして後部ハッチより進入。

 着陸脚が羽衣丸に接地した後、ブレーキを踏んで減速。停止すると、エンジンを切った。

「……はあ」

 一息ついた直後、目の前に星が飛びそうな衝撃が頭頂部に落ちた。

 

「このいかれぽんちが!」

 

「いたぁ!」

 振り返ると、ナツオ班長が主翼付け根にのって操縦席を覗き込んでいた。右手を握り締め、拳をわなわな震わせながら。

 左手に持っているスパナで殴られなかっただけマシと一瞬思ったが、興奮しているのか少し息が荒い。

「は、班長?」

「てめえ!ちょっと降りろ!」

 首根っこを掴まれ、半ば引きずり降ろされる形で彼女はレイから下りる。

「そこに正座しろ!」

 といって、レイのそばの床をスパナでさす。

「あの、班長……。一体」

「いいから、正座だ!」

 あまりの剣幕に、彼女はおずおずと床に正座する。

 ナツオ班長は両腕を組んで仁王立ちしており、刺すような視線で見つめてくる。

 

「ちょっと、ここを見ろ」

 

 班長がさした先は、レイの右主翼の端。7.7mm機銃を受けたので外板が損傷していた。

「あとは、ここだ」

 今になって気づいたが、風防の一部が割れている。

 52型丙は、一部防弾ガラスが使用されているが、側面にはない。

 風防に機銃弾をうけたのだろう箇所が割れていた。

 その場所は、彼女が座っていた座席のそばだった。

「おまえ、レオナが追わなくていいっていったのに、敵を追いかけたよな~?」

「え、そうなん、ですか?」

 ハルカは撤退命令を受けた記憶はなかった。

 正確には、無我夢中で気づかなかった、だが。

「そうやって命令無視して敵陣に突っ込んでいって、生きて帰ってこられたからよかったものの、機銃を風防に受けていた。もう少しずれていたら、間違いなくあの世行きだったろうな~」

「へ、へえ~。そうなんですか~。いや~、運が良かったです……」

 途端、ナツオ班長が目をかっと開いた。

 

 

「こんのばか野郎があああああああああ!!」

 

 

「ひぃ!」

 格納庫内の空気が激しく振動するほどの大声に、ハルカは縮こまる。

 そんなとき、彼女は誰かが肩をつかむ感触を感じる。

 

「結果として、空賊を殲滅したことはすごいが……」

 

 彼女は、錆びた旋回機銃の銃座のように、ゆっくりと声の方向を振り向く。

 

「私の命令を無視したことは、見過ごせないな~」

 

 そこにいたのは、場違いなほど満面の笑みを浮かべるコトブキ飛行隊隊長。

「レ、レオナ、さん……」

「……ハルカ。私は、深追い無用、そういったはずだが?」

 説教の時に浮かべる笑みほど、恐怖だと思うものはない。

「あ~、無線の調子が悪かったのか、聞こえなくて~」

「そうか。なら無線の整備はきっちりしておいてやるから、次は大丈夫だ」

 ナツオ班長が、スパナを手の平にパンパンとたたきつけながら言う。

 そしてレオナの表情が一瞬で引き締まり、次の瞬間、脳を揺さぶるような声が発せられた。

 

 

「このばかああああああああああああ!」

 

 

「ぎゃう!」

 同時に、レオナの渾身の力を込めた拳が彼女の頭頂部に叩き落される。

 落雷のような痛みを感じる間もなく、今度は頬が掴まれる。

 

「今君は、コトブキの一員として動いている!つまり、私の命令に従う義務がある!それを無視して、敵の群れに飛び込んでいくとは何事だ!」

 

「いひゃい、いひゃいですよ」

 両頬を掴まれ、引っ張られているため、上手くしゃべることができない。

 部下に対して、暴力はそうそう振るわない、せいぜい脅しくらいにとどめることが多いレオナだが、今回のことは流石に見過ごせないようで肉体によるボディーランゲージを試みている。

「く、空賊は、殲滅したんですから、べつにいいじゃ」

「目的は殲滅じゃない、あくまで羽衣丸を守ることだ!」

「け、結果的に、無事だったんですから」

「偶然と幸運と根性に頼るやつは、パイロットとして下の下だ!」

「ご、ごめんなさい、もうしませんから~」

「ごめんなさいで済む問題か!君が1人突っ走る姿を見て、被弾する様子を見て、私たちがどれだけ肝を冷やしたと思っている!」

 

「べ、別にいいじゃないですか、私に何かあったら、変わりを雇えば」

 

 一瞬、格納庫内の空気が冷え込んだ。

 

 

「……ハルカ、君は今、なんと言った?」

 

 

 転じて、また満面の笑みを浮かべるレオナに、彼女は身震いする。

「よく聞こえなかったんだが、何か言ったか?」

「私に何かあっても、変わりを雇えば、と」

 途端、レオナは彼女の頭を両手で左右から挟んだ。

「ちょ、ちょっとレオナさん!?」

 左右から頭を圧迫される痛みに、彼女は顔をゆがめる。

 両腕をはがそうとするも、鍛え上げられた肉体を持つレオナが渾身の力を込めているため容易ではない。

 彼女は痛い、痛いと悲鳴をあげる。

 しばらくたって、彼女はようやく解放される。

「いた~」

 頭を抱え圧迫された場所をさする。痛みが遠のき、目を開けると間近に迫ったレオナの顔が飛び込んできた。

 

「ハルカ、さっきの発言は取り消せ」

 

「……へ?」

 

「マダムは、変わりがいくらでもきくような人間を雇ったりしない。自分の目で見て、納得した人間しか雇わない」

「でも、用心棒なんていつ死ぬかわかりませんし、本質的に使い捨ての人材なのは否定できないですし」

 途端、目が据わり鼻先が触れそうなほど顔が近づく。

 

 

「と、り、け、せ」

 

 

「……はい」

 

 やむなくうなずくと、表情を和らげる。

「私はすくなくとも、コトブキから死者を出すなんて御免だし、君にそんなことを望んでなんかいない」

「そうなんですか?」

 レオナだけでなく、その場にいるザラにナツオ班長もため息を吐き出す。

「当たり前だ。それに、用心棒は空賊を殲滅することが目的じゃない。追い払って、船を守ることが仕事だ」

 レオナは彼女の頭に右手を載せる。

「空賊にいたときは、敵を殲滅すること、人を使い捨てにすること、それが当たり前だったのかもしれないが、今は護衛隊やコトブキ飛行隊のもとにいるんだ。いつまでもウミワシ通商にいたときの気分でいるんじゃない」

 頭に乗せられた手は、やさしく髪を撫でる。

 思い返せば、彼女はラハマ上空で、ウミワシ通商社長や仲間に危うく落とされかけたことがある。

「気持ちを切り替えるんだ」

「わたしも、折角整備した機体が落とされる姿を見るなんざ、まっぴらごめんだ」

「私も、副隊長として、部下が死ぬのをみるのはごめんよ」

「……わかりました」

「ならいい」

 すると、今度は優しく顔を両側から挟まれ、目を合わせられる。

「あの、レオナさん?」

 彼女は、なぜかハルカの瞳を覗き込むように顔を近づけてくる。

「風防が割れて、ガラスが飛んだせいだな」

 彼女が頬を指先でなぞると、僅かだが血がついた。

 飛散した風防ガラスの破片が、顔のどこかをひっかいたらしい。

「戦闘中、飛行眼鏡はかけていたか?」

「はい、いつも」

「でも、念のため診てもらったほうがいい。幸い、ヤクシの町には病院が沢山あるからな」

 

 

「なら、知り合いがいるから行ってきなさい。連絡は入れておくから」

 

 

 いつの間にか、マダムがキセル片手に立っていた。

「ハルカさん」

 マダムは、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。

「ここは空賊じゃないんだし、私が選んだ人間しかいないわ。レオナの言う通り、気持ちを切り替えなさい」

「……はい」

 マダムは微笑む。

「じゃあ、3人には特別ボーナスを出すわ」

 そう言って、マダムは3人に少し厚めの封筒を差し出す。

「さっき空賊は追い払ったし、羽衣丸の修理で出航が遅れるから、医者へ行くついでに町へ出てきなさい。これが、知り合いの病院の位置よ」

「わかりました。じゃあ、2人とも行こう」

「は、はい。わ!」

 ハルカが、立ち上がった途端ふらついた。ザラが、慌てて支えた。

「大丈夫~?正座から突然立てば、ふらつきもするわよ」

「う~、足がまだしびれてます」

「じゃあ、ゆっくり行こうか」

 彼女たちは、羽衣丸を降りていった。

 

 

 

「ナツオ班長、彼女の零戦の修理は?」

「翼端の軽い損傷に、風防が一部割れただけだから、すぐ直る」

「お願いね」

「了解」

 そしてマダムは自室に戻ろうとする。

「おせえぞ、てめえら。空賊ならもう全員叩き落したぞ」

 入れ替わりに格納庫に入ってきたのは、呼び戻したキリエたち。

「呼び戻して悪かったわね。空賊はもう追い払ったから、しばらくは暇よ」

「見ていた」

 ケイトが静かに応える。

 そして、彼女の視線はハルカの零戦に向けられる。

「彼女が大部分を落としていた」

「そうね。その通り名に偽りのない、怖い戦いぶりだったわ」

 ケイトたちは帰還中、レオナたちが上空で戦っている様子を見ていた。

 空賊が後退を始めたのに、それを執拗に追っていく零戦の姿も。

「エンマ、これで証明にはなったでしょ?」

 ハルカが空賊の殲滅にこだわる理由の一端を作った本人、エンマにマダムは問いかける。

 

 

「……まだ、わかりませんわ」

 

 

「エンマ、もういいでしょ!?」

 キリエは叫ぶも、エンマに気にした様子はない。

 

 

「大体、今いるのは目的地ショウトへの中間地点。ここで心を許して、残りの航路でハメられたりでもしたらどうしますの?積み荷がある状態。空賊にとっては理想的な獲物ではなくて?」

 

 

「彼女は私が呼んだのよ?私の目に狂いがあるというの?」

「そうやって、マダムの威光をかさに、自分で努力をしていない人間を、信用しろというのですか?」

「あなたの要求を受け入れて、それを満たしている。努力は十分しているんじゃないかしら?」

「マダムたちの庇護のもとにあるうちは、努力をしているとは見なせませんわ。エリート興業のように、自分達の足だけであるけば、すぐにでも信用できますがね」

 そういってエンマは皆の視線など意に介さず、自室へと帰っていった。

「……困ったものね」

 マダムは頭を抱える。

 結局、どれだけ要求を満たそうとも、エンマにその気はないらしい。

 だが、本当にハルカが疑わしいだけなのだろうか?実体験を伴っているとはいえ、ここまで彼女を拒絶する理由はどこにあるのだろうか。

 もっとも、この事態を放置することはできない。

 エンマが折れない限り、ハルカは彼女の要求に応え続けるだろう。

 さっきの戦闘ではかすり傷で済んだが、ナツオの言う通り、もう少しで彼女は死んでいた可能性があったのだ。

 それに、ハルカは心の奥底では、用心棒は変わりのきく使い捨て。自分がいなくなれば、変わりを雇えばいい、そう思っている。

 

 際限のない要求を出すエンマ。

 

 どこまでも自分を削るハルカ。

 

 その末路など、わかりきったことだ。

「どこかで、エンマを止めないといけないわ」

 そうしなければ、それこそ、ユーリア議員、マダム、ホナミ議員の努力(・・)。全てが水泡に帰してしまう。

 それだけは、避けなければならない。

 マダムはとりあえず自室へ戻ろうと、足を向けた。

 

 

 

 

「よかったわね、どこも傷ついてなくて」

「はい」

 少し薄暗くなったヤクシの町をレオナにザラ、ハルカの3人は歩く。

 マダムの知り合いの医者にハルカは両目を見てもらった結果、幸い傷はなく、頬についた切り傷だけだと言われた。

 左頬に大きめの絆創膏をはられた彼女は、違和感に少し頬を撫でる。

「じゃあ、今度はサルーンで呑みましょう!」

「……まだ飲むのか?」

 あきれるレオナ。

 先ほど3人は酒場で夕食を済ませ、羽衣丸へ帰る道中なのだが、ザラは帰ったらまた飲むつもりらしい。

「いいじゃない?にぎやかな酒場もいいけど、静かなサルーンも好きなの」

「本当にビールを樽で行けるんですね?」

「冗談じゃなかっただろう」

 そして搭乗口から羽衣丸へと入る。

 

 

「あらあら、英雄のご帰還ですの?」

 

 

 出迎えたのは、敵意を隠そうともしないエンマだった。

「エンマ、もういいだろう?」

「まだショウトまでの中間地点。この後で何かあっては目も当てられませんわ」

「いい加減にしろ!」

 すると、エンマの前にハルカが躍り出た。

「なんですの?」

「あなたが、私のことが本当に気に入らないのはわかりました」

「じゃあ、どうしてくれますの?」

「仕事なので羽衣丸を去ることはできません。ですから……」

 彼女は言い放った。

 真剣な表情で、信じられない内容を。

 

 

「そんなに私のことが気に入らないなら、空戦のいざこざに紛れて、私を背後から撃てばいい(・・・・・)

 

 

「「なっ!!」」

 思わずザラとレオナは目をむく。

 

 

「どうせ空戦の最中、誰が誰を撃ったかなんて、わかりにくいものです。私は1度、あなたをラハマ上空で落としている。なら、1度だけ(・・・・)報復することを許します。それで、終わりにしてください」

 

 

 一瞬驚いたようでキョトンとした表情で固まっていたエンマだったが、彼女の言葉の内容を理解すると、微笑みながら言った。

 

 

「あらまあ、いいお話ですわね」

 

 

「待て!」

 

 

 レオナは、思わずハルカの胸倉をつかんだ。

「軽々しくいうんじゃない!その結果、君がどうなるかなんて、わかりきったことだろう!」

 いくら52型丙に防弾装備があるとはいえ、隼の12.7mm機銃を完全に防ぎきることはできない。その結果、彼女がどうなるかなど、誰の目にも明らかだ。

「でも、もうこれくらいしか」

「そんなこと私やマダムが許すと思うのか!この話は無しだ!いいな!?」

「でも……」

 レオナは彼女を手近な壁に押さえつけ、鼻先が触れるほど顔を近づけていう。

 

「い、い、な?」

 

 彼女の迫力に気押され、頷くしかなかった。

 その後、彼女はレオナとザラに引きずられ、強制的にサルーンで呑むことになったのだった。

 

 

 

 

「受け入れませんわ、絶対に」

 エンマは自室で1人、親の仇でも見るような表情を浮かべ、つぶやく。

 このコトブキ飛行隊に、元とはいえ空賊を受け入れるなど。

 エンマは、この依頼が始まってから、ずっとそのことを思っていた。

 元空賊といえばチカのことがあるが、チカはそうするしか選択肢がなかった、ストリートチルドレン。

 一方、ハルカは普通の家庭に育ちながら、空賊に身を落とし、そこから抜け出ることもしなかった。

 その結果、100隻近い輸送船、500機を超える用心棒を手にかけた。

 それだけの大罪がありながら、ラハマ自警団は町を守ってくれたからと、彼女の罪を問わず、あろうことかマダムやユーリア議員、ホナミ議員は彼女を雇うことにした。

 彼女を敵にするのが嫌だから、が理由らしいが、どんなに言葉を飾ってもそれでは力をふるって好き勝手している空賊に屈服したことと同じではないか。

 それだけは、エンマは何より我慢ならない。

 

「絶対、そんなこと認めません。あってはなりませんわ」

 

 自分から空賊に落ちておきながら、足を洗ったからという理由でその力で相手に半ば恐怖を抱かせ、行動の自由を得て、善人の顔をしている彼女のことが。

 元空賊でも、エリート興業のように、自分達の足で立ち、自分達の足で歩き、信頼を勝ち取ろうとしていれば、まだエンマの印象も違ったかもしれない。

 でも、議員たちの威光で罪を問われないどころか、反省したと善人の顔をし、挙句エンマの数少ない居場所、コトブキ飛行隊にさえ足を踏み入れてくるなど、絶対容認できることではなかった。

 

 社会のダニだった、いや、社会のダニと肩を並べて戦うなど。

 

 一緒の空間で過ごすなど。

 

 空賊や悪党に家の財産を根こそぎ持っていかれた、反省の色など全く見られなかった悪党たちを腐るほど見てきたエンマにとっては、我慢ならなかった。

 

「一度だけなら、報復してもいいのですわよね」

 

 暗い自室の中、エンマは微笑む。

 

「なら、お望み通り報復して差し上げますわ」

 

 静かな部屋に、不気味な笑い声が響く。

「首を洗ってまっていなさい。悪党を憎むものの報復が、どのようなものなのかを。フフフ、ハハハハハハ」

 レオナにはダメと言われたが、ハルカは自分からその条件を出したし、エンマは一度その条件をのんだ。

 なら、お望み通りそうしようと考える。

 

 社会のダニを、駆逐するために。

 

 自分の居場所を、守るために。

 



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第8話 記憶の中の亡霊を追いかけて

目的地への道中、再び空賊の襲撃を受ける羽衣丸から彼女は単機で飛び立つ。
そして最後の1機を落とそうとしたとき、彼女はその機体と塗装に見覚えが
あるようで、レオナからの帰還命令を無視して追いかけてしまう。


 ヤクシで羽衣丸の修理を終え、オウニ商会は最終目的地、ショウトへの航路に乗る。

 そして、事前情報の通り空賊が現れた。

「始動準備!」

 ナツオ班長がイナーシャハンドルを回す。

「点火!」

 合図でハルカはエンジンを始動させる。

 暖気運転の間にチェック項目を消化。

 問題ないことを確認すると、彼女は羽衣丸を飛び立っていった。

「空賊は、恐らくアリの巣団。97式戦闘機が12機」

『……気を付けて』

「了解」

 彼女は速度を上げ、97式戦闘機の群れへと突っ込んでいった。

 

 

 

「むぅ~」

 頬を膨らませながら、キリエは足踏みをする。

「キリエ、落ちつけ」

「落ち着いていられる!?なんでまだ彼女1人に戦わせるのさ!もう勘弁してあげてよ!」

「レオナが彼女の提案した条件を突っぱねたからですわ」

 レオナが、きっとエンマをにらむ。

「あんな条件、認められるわけないだろう!」

「じゃあ、こうするしかありませんわよね」

 怒りをにじませるレオナを、エンマは涼しい顔で流す。

 そんな何度目かのやり取りを見て、ザラもため息を漏らす。

 ふと、ケイトがハッチから空を見ているのに気づく。

「どうかした?」

 ケイトは静かに言った。

「嵐が、来る」

 

 

 

 

 空賊は、97式戦闘機12機が戦力のアリの巣団。速度で上回る彼女は、極力旋回戦には乗らず、速度と火力を生かした一撃離脱に徹し、すれ違い様に敵を落としていく。

 レオナは空賊を追い払うことが用心棒の仕事だと言っていたが、敵を残してしまうと輸送船の位置を根城の仲間に伝えられてまた襲撃される可能性があるし、何より同族を撃てないのか、とエンマに疑われる隙を作ってしまう。

「……フフ」

 彼女はそんな考えを脇へ押しやり、敵を落とすことに専念する。

 少なくとも空戦の間は、何も考えずにすむ。

 あらゆるしがらみから解放され、ただ落とすか、落とされるかの2つの選択肢に集約される単純な世界。そんな世界が、彼女には愛おしかった。

 残り2機となった97式戦闘機の後方につき、彼女は機銃の引き金を引く。

 13.2mm機銃と20mm機銃に耐えられるわけもなく、97式戦闘機は火を噴きながら落ちていく。

「……もう、おしまいか」

 残念そうに彼女は言うと、妙な悪寒が体を震わせる。

 咄嗟に操縦桿を倒し、左へ舵を切った。その直後、下方から小さな7.7mm機関銃の火線が駆け抜けていく。

 機銃を放っている機体を見て、彼女は目を見開いた。

 赤い稲妻のような模様が描かれた、零戦22型。

 22型は彼女から逃走するように遠ざかっていく。

「あ!」

 彼女はスロットルレバーを開き速度を上げ、22型を追いかける。

 

 

 

「副船長、低気圧が迫っています。羽衣丸を退避させたほうがよろしいかと」

「え?でもまだ戦闘は」

「ベティ、今すぐ退避しないと危険?」

「はい」

「わかったわ。今すぐ彼女に帰還命令を出して」

「了解」

 ベティは無線のチャンネルをハルカの零戦に合わせる。

「ハルカさん、至急帰還してください。繰り返します」

 彼女に帰還命令を出すが、零戦は遠ざかっていく。

 

 

 

「ハルカ、聞こえないのか!もういい、戻るんだ!」

『それは、できません』

 隼の無線でレオナは呼びかけるが、ハルカの答えは拒否だった。

『エンマさんとの条件は、殲滅でしたよね。まだ残っています』

「いいか、嵐が迫っている。このままじゃ君を収容できなくなる。だからもういい。今すぐ戻るんだ!」

『空賊を逃がすと、羽衣丸の現在位置を知られることになります。さらなる襲撃を呼ぶことにもなりかねません。その可能性は、摘まなくちゃいけない』

「その可能性よりも、君の安全が大事だ!今すぐ戻れ!」

 無線の向こうの彼女が、しばし沈黙する。

 

『申し訳ありません、レオナさん。叱責なら帰ってから受けます』

 

「ハルカ!」

『殲滅という条件は、満たさないと。もう、この問題を引きずり続けたくは、ないんです』

 無線が切れた。レオナは何度も呼びかけるが、彼女が応えることはなかった。

「くそ!」

 レオナは無線を船橋につなぐ。

「こちらレオナ、マダムは!?」

『ルゥルゥよ』

「出撃を許可してください!彼女を連れ戻します!」

『できないわ』

「マダム!」

『……ここで出たら、あなたも帰還できなくなる。大丈夫、あの子はこれくらいのことは何度も経験しているはずだし、羽衣丸の航路も頭に入れている。天候が落ち着いたら、合流できるはずよ』

「……しかし」

 抗弁しようとしたレオナだったが、無線の向こうのマダムの無言の圧力に負け、つぶやくように言った。

「……わかりました」

 彼女は無線を切り。隼から下りた。

 

「全く、命令違反の上に行方不明など、困ったものですわね」

 

 レオナはその声に反応し、地面を蹴った。

 彼女はエンマの胸倉をつかみ、彼女の隼の胴体側面に荒っぽく押さえつけた。

「な、なんですの?」

「誰の……」

 つぶやくような、小さなレオナの声。

 だが顔を上げると、エンマを、殺意を込めた瞳で見つめる。

 

 

「誰のせいでこうなったと思っている!?」

 

 

 エンマは毅然とレオナを見返す。

「殲滅という条件をつけ、それを完遂するために彼女は帰還したくなかった。それでこんなことになった!いい加減、その要求を下げろ!」

「お断りしますわ」

「なぜ彼女をそこまで拒む!?彼女が空賊と繋がっていないことも、私たちをハメようとしていないことも十分わかるだろう!」

「そうやって警戒を緩めた瞬間が危ないのですわ」

 エンマに譲る気はなかった。

 どれだけ証拠を突きつけようとも、実体験に基づいている彼女に引くという文字はない。

 引いた瞬間、空賊や悪党がどんな行動にでるか、よくわかっているからだ。

「お前がこれまであってきた空賊や悪党と、彼女は同じ人種だと?」

「以前はまさにそうでした。何年もそんなことを続けた人間が、少し改心したからと信用するのは危ないですわ」

「だから、君のかした無理難題を完遂しただろう!?」

「まだ終わりじゃありませんわ。ショウトに到着し、ラハマに帰還する。それまでは、警戒を緩めるべきではありませんわ」

「エンマ!」

 エンマは、レオナをキッとにらむ。

「用心棒の仕事は、空賊を追い払うこと。あなたは彼女にそういいましたわよね?」

 それは、レオナがハルカに気構えを変えるよう言った言葉だった。

 

「敵として戦っていた空賊に、足を洗ったからと肩を並べて戦えなど……。そんなことを要求するあなた方の方が、無理難題を突き付けているのではなくて!」

 

 レオナが押し黙った。

 エンマの家のことを考えれば、その言い分は間違っていない。

 

「まだ自身の足で歩いていれば違ったかもしれませんが、マダムや議員の威光をかさに着ている。そんな自分で歩こうという気のない人間を、信じろというのかしら!?」

 

「それは……」

 

 レオナが押され始めた。

「元空賊を雇うなど、マダムにも困ったものですわ。彼女を敵にする恐怖に屈して、お金を払って雇うなど」

「エンマ、マダムへの侮辱はやめなさい」

「あら、ザラまで彼女の肩をもつというのですか?あなた方は、長年ともにあった仲間より、かつて自分たちを撃った敵を庇うというの?」

「そんなわけないじゃん!」

「そうそう」

「なら、なぜ彼女に警戒の1つもしないのかしら?皆がしないから、私がしているのですわ」

 コトブキ全員が押し黙った。

「とにかく、私は彼女をまだ受け入れる気はありませんわ。まあ、マダムや議員の威光もなく、自分の足で歩けば、気も変わるかもしれませんが」

 レオナの腕をはらって衣服の乱れを直し、エンマは去っていった。

 

 

 

「ザラ、私のしていることは、間違っているのだろうか……」

 レオナは、長年の相棒のザラにつぶやくようにいった。

「エンマのように、ハルカに、私が何かを課すべきだったのだろうか?」

「そんなこと、できるわけないじゃない?彼女が空賊と繋がってないことを証明するために、空賊全員連れてきて証言でもさせるの?」

 ザラはレオナに近寄り、彼女の肩に手を置く。

「それに、彼女に何かを課していいのは、雇い主のマダムだけ。そのマダムが大丈夫って言っているんだから、大丈夫でしょ?彼女を疑い続けることは、結局マダムを疑うことになるし」

「それは、そうだが……」

「……彼女が空賊につながっているというなら、なぜアレシマで多勢に無勢の中、ユーリア派の発起人である議員たちを守る必要があった?」

 ケイトが静かに言った。

 空賊と未だつながりがあるなら、ハメようとしているなら、さきのイケスカ動乱で空賊たちを支援していたイケスカを失墜させた存在、最大の障害で排除対象のユーリア議員を殺す機会であったアレシマでの対談の際、なぜ彼女は議員たちを守ったのか。

 まして、彼女をユーリア議員はいつも秘書としてそばにおいているという。

 彼女が空賊と繋がり、もし命を狙っている可能性があるなら、そんなことはできないはず。

 そのとき、レオナの頭に1つの疑問がわいた。

 マダムは、なぜハルカを共有するメンバーの1人になったのか。

 賠償金が目的なら、彼女にいつも決まった額の送金を頼めばいい話。直接雇う必要性はないように感じられる。

 あとの2人だってそうだ。いくら強い用心棒が欲しいとはいえ、元空賊。

 世間でのイメージや印象が大きな影響を与える議員が、なぜ彼女を雇うことにしたのか。

 何か、マダムは自分達に伝えていない理由があるように思えてならなかった。

「どうかした?」

「……いや」

 首をかしげるザラに、レオナは首を横にふる。

「何か考えてた?」

 相手を包み込むような、母性溢れる笑みに、レオナはほっとする。

「いや、何も」

「ほんと~?」

 彼女は思考を打ち切った。

 さっきザラが言ったように、ハルカを疑い続けるということは、結局その雇い主であるマダムを疑うことになる。

 何年も信じてついてきた雇い主。世間のはみ出し者の集まりである、コトブキ飛行隊を雇ってくれている、マイペースな雇い主。

 そんな彼女を、今更疑いたくはない。

「……ハルカ」

 彼女は閉まり行くハッチを見つつ、つぶやいた。

「きっと大丈夫よ」

「……そうだな」

 ザラの言葉に頷き、彼女たちは格納庫をあとにした。

 

 

 

 渓谷の間を必死に逃げる赤い稲妻が描かれた零戦22型を、彼女は余裕の様子で追いかける。

 無線のチャンネルを切りかえ、彼女は交信を試みる。

「目の前を飛ぶ22型パイロット、聞こえる?」

『な、なんだ突然!?誰だ貴様!』

 声を聴いて、彼女は期待を裏切られたような落胆と、ほっと安心する気持ちが入り混じった感じがしたが、気持ちを抑え込んで言う。

「あんたの背後にいる零戦のパイロットだけど?」

『蒼い翼の零戦の!?くそ、ついてねえ。あの悪魔に遭遇するなんて聞いてねえぞ』

「聞きたいのだけど、あなた、誰に頼まれてその機体に乗っているの?」

『な、なんでそんなことを聞きたがる?』

「興味があるだけなの。それとその塗装、誰に教わったの?あと、応えないなら……」

 彼女は、応えてもこたえなくても、最後は落とすつもりだ。

 

『ひぃ!し、知らねえよ!俺はただ、誰か知らねえ奴に、金が欲しけりゃこの機体に乗って羽衣丸を襲えっていわれて。そ、それだけだ!』

 

「あ、そうなの」

 彼女は冷たい声で言い放ち、スロットルレバーについている機銃の引き金に手をかける。

 

「……さようなら」

 

 機首の13.2mm機銃が火を噴き、前方を飛ぶ22型の主翼に命中。そのまま谷底へと落ちていった。

「……はぁ」

 彼女は息をはくと、周囲を見渡す。

 そして、風と雨をしのげる丁度良い場所を見つけ、着陸する。

 ちょうど岩が突き出ていて、レイを覆い隠すのに都合がいい。機体を誘導すると、彼女はエンジンを切った。

 風防を開けて下りると、彼女は機体の各部をチェックする。

「各部、異常なし、と」

 彼女は点検を終えると、レイの着陸脚のそばに腰を下ろした。

 愛機の翼の下から、彼女は荒れる空を見やる。

「レオナさんに、班長、怒っているよね……」

 ヤクシの町の上空で彼女の命令を無視して敵を追いかけ、帰ったらナツオ班長とレオナさんから拳骨を受けた上に、正座させられて説教。

 以降、彼女の命令は聞くと約束したのに、またもや命令無視して敵を追いかけた。

「叱責は帰ってから受けるっていったもんね。……絶対怒られる」

 おそらくナツオ班長からも怒られるだろう。

 

 赤い稲妻模様の零戦を追いかけてこの有様だ。

 

「何やっているんだろう、私」

 もういない人を、未練がましく。亡霊でも追いかけているのだろうか。

 彼女が知っているあの機体に乗っていた、あの人は、もう生きているはずがない。

 

 

 あの機体は、リノウチ空戦で撃墜されたはずなのだから。

 

 

 でも、彼女にはそれより気が重いことがあった。

 彼女は体育据わりしている状態から、膝へ顔を押し付けた。

「いつまで続ければ、いんだろう」

 エンマは、いつになればこの要求を取り下げてくれるのか。

 終わりの見えない要求に、彼女は段々気がめいってきた。

 

―――そもそも、こんな要求を満たして、どうなるの?

 

 こちらのことを疑い、信じる気のない者は、ガドール評議会でも沢山いた。そんな人間の要求を満たしたところで、意味がないのは百も承知。

 でも、エンマが彼女を受け入れなければ、今のようなぎすぎすした空気を羽衣丸の、コトブキ飛行隊の中に作ってしまう。

 生死をかける空戦をするのに、それはマイナスにしかならない。

 だからその状況を一刻も早く終わらせるために。

 

―――終わらせてどうなるの?

 

 彼女は、それまで考えないようにしていた事を、頭の中に浮かべた。

 

―――これから先、生きて、どうなるの?

 

 一人しかいない環境で、彼女は思考がドンドン悪い方向へ向かっていく。

 彼女は手帳を取り出すと、最後のページを開いた。

 そこには、かつていた家族の写真が挟んである。

「……みんな」

 彼女の表情が曇る。

 

―――何で、みんな、向こう側へ行ってしまったの?

 

―――私を、残して。

 

 彼女が多くのお金を稼ぐために戦いの空をかけることにしたのも、空賊に身を落としたのも、全ては家族を守るため。

 でも、今となっては守るべき人は、誰もいない。

 帰るべき場所もない。

 それどころか、行きたい場所、やりたいこと。そんなちょっとしたことさえ、彼女は思い浮かばなかった。

 

『私を、忘れないでいてくれるか?一緒に連れて行ってくれるか?』

『うん!絶対覚えているよ!いつかレイに乗って、色んな空を一緒に見に行くんだ!』

 

 祖父の質問に、無邪気に応えたかつての自分。

 

「おじいちゃん……、みんな」

 

 愛機と共に、色んな世界を見に行くと誓った、かつての自分。

 でも、自分がどこへ行きつこうとも、その先に待っていてくれる人は、もういない。

 

「私は、みんながいてくれるなら、それでよかった……。ないなら、これから先なんて、もういらないよ……」

 

 あったものが、突如失われた。

 残っていた母親に、妹に弟も、向こう側へ行ってしまった。

 家族が、大事な人々が、守りたい人たちがいたから、これから先も生きたいと思えた。

 でも、それももうない。

 何もない者にとって、生き続けることは、呪いや苦痛のようなものだ。

 

『最期を看取った証人として、己の命ある限り、行きつく所まで歩き続ける。死んだ者たちの想いや物語、全てを連れて。彼らの存在を、消させないためにも』

『それが残された、敵も味方の死も看取った、この機体に乗った私が、果たさなければならない、責務だった』

 

 祖父の言葉が頭をよぎる。

 わかっている。死者は過去だ。覚えている者たちの過去になった以上、記憶の中でしか生きられない。

 でも、その責務を果たしたところで、何になる?

 待っていてくれる人はいない。

 彼らが生き返るわけでもない。

 

―――じゃあ、何のために。

 

『そんなに私のことが気に入らないなら、空戦のいざこざに紛れて、私を背後から撃てばいい』

『どうせ空戦の最中、誰が誰を撃ったかなんて、わかりにくいものです。私は1度、あなたをラハマ上空で落としている。なら、1度だけ報復することを許します。それで、終わりにしてください』

 

 エンマに、自身が提案した条件。

 今にして思えば、なぜあのような条件を提示したのか。

 いくら防弾装備のある52型丙でも、どうなるかは明らかだ。

 

―――そっか……。

 

 彼女は、その答えをすぐ察した。

 

―――自分で死ぬ勇気も、ないから。

 

―――誰かに、殺して欲しかったんだ。

 

 そうすれば、家族のもとへ行けるから。

 

『今回のことが大々的に報じられているから、彼らの目に留まって、連絡でもくれればと思ったんだけど』

 

 ユーリア議員は、まだ身内が生きている可能性を考えていた。

 でも、例え生きていても、ハルカは会いたくないと考えていた。

 理由はどうあれ、ハルカは彼らの大事な人たちを、守れなかったのだから。

 顔を合わせたら、きっと罪を追求されたり、断罪される。

 また守りたい人ができたところで、帰る場所ができたところで、無くす可能性だってある。

 

 それが、こわかった。

 

 だったら、もう身内などいない。そう自身に思い込ませるしかなかった。

 

 

『ごめんなさい……。私は、その、可愛い子が好きで、つい……』

 

 

 ふと、頭の中をホナミ議員のことがよぎった。

 先日、アレシマで彼女を乗ってきた飛行船まで護衛したとき、最後に抱きしめられた。

 でも、不思議と嫌ではなかった。そのぬくもりに、彼女の声に、どこか安心している自分がいるのを感じていた。

 いや、どこか、懐かしいような感じがした。

 ふと、昔の記憶がよみがえってくる。

 

『〇〇〇、久しぶり』

『アスカ姉さんこそ、久しぶり』

『みてみて、この子が私の2人目の娘よ』

 お母さんに引かれ、前に立たされた。目の前にいるのは、母親と似た顔をした人。姉妹だと言っていた。

 慣れない大人との接触に、少し緊張した。何度も視線を合わそうとしたけど、そらしてを繰り返す。

 目の前の女性は、やさしく微笑みかけてくれる。

 でも、なぜか顔は思い出せない。

『はじめまして、私は〇〇〇。あなたのお母さんの妹よ』

『はじめ、まして。ハルカ、と、もうします』

『まだ小さいのに、丁寧な子ね』

 

 

 

「……なんで、思い出すんだろう」

 それはまだ物心ついて間もない頃、母親の実家に遊びに行った時の記憶だった。

 母親の実家の人々は、まだ元気だろうか。

 とはいえ、最後に会いにいったのはリノウチ空戦の直前のこと。どんな人々であったのか、もう覚えていない。顔も思い出せない。彼らがどこに住んでいたのかも。

 いや、例え存命でも、自分にはもう関係ないと、彼女は思考を止める。

 生きていたところで、自分が元空賊で、彼らの大事な家族だった人々を守れなかった。

 彼らが亡くなった原因の一端が自分にあるときけば、悲しみ、怒りの矛先を彼女に向けるはず。

「いまさら、合わせる顔もないよね」

 どんな顔をして会えばいいのか、そんなこともわからない。

 もう、ただ血がつながっているというだけの、他人だ。

 何の感傷もない。

 

―――少し、寂しいよ……。

 

 このまま、天候が回復したら、どこかへ去ってしまおうかと、そんな考えが頭をよぎるも、それでも厄介者の自分を雇ってくれている人々に、戦闘中に死ぬのはまだしも、そんな真似はできないと思いなおす。

 でも、帰ればまた無茶な要求をこなす日々がくるのは、想像にかたくない。

「く……、ひっく」

 瞳から、雫があふれ、彼女の頬を伝って流れ落ちる。

 嵐の風の音、降り付ける雨音。

 それらが、彼女の声を隠してくれる。

 傍らに寄り添うように駐機されている、長年ともにある愛機だけが、その声を、黙って聞き届けた。

 

 

 

「天候が回復するのは、いつ頃?」

「ベティの予報ですと、あと数時間ほどらしいです」

「そう」

 椅子に腰かけ、キセルを吸うマダムは、じっとレオナを見つめる。

「天候が回復次第、ハルカの捜索を始めます」

「……できるの?」

 今羽衣丸には、コトブキ飛行隊6機全機が出撃可能状態にある。

「今は輸送の依頼中。この航路には、空賊が出ることが彼女の情報からわかっている。そんな中、全機で捜索に当たることは危険よ」

「じゃあ、2機で」

「少ないわね。そんな数で探す以上、彼女が避難している先の検討はついているのかしら?」

 レオナは、机の上に広げられた地図を指さす。

「……彼女が追っていた零戦は、渓谷の中を逃げていきました。この渓谷は左右に入れる脇道がない、一本道です。この渓谷の上を羽衣丸は飛ぶ予定です。なら、渓谷に沿って探せば」

「それは、彼女も承知のことでしょう?なら、天候が収まれば合流できるわ」

 積み荷がなければ停泊することもできるが、今は輸送依頼の最中。そんな中では彼女の捜索に長い時間をかけることはできない。

 ハルカも航路は頭に入れているだろうし、逃げる零戦1機にやられたとも考えにくい。

 何より、まもなく彼女の情報によると、隼1型10機の空賊が現れる予想地点に近い。

 ここで、下手に羽衣丸の防備を薄くすることはできない。

「彼女のことが心配と思うけど、今は船を守ることを優先して」

「……わかりました」

 レオナは、静かにいった。

 ふと、静寂が支配した部屋に、機械の呼び出し音がなる。

 音の発信源を見れば、ハルカが持ち込み、疑わしいからとエンマに預けた無線だった。

 マダムは無線に近づくと、受信を押した。

「……誰?」

 

『……そっちこそ、誰よ?』

 

 その声には聞き覚えがあった。

「ユーリア?」

『ルゥルゥ!?待って、その無線は定期連絡用にって、ハルカに持たせたものよ。なんでルゥルゥが出るの?』 

 今になって、マダムは迂闊に出たことを後悔した。

 ユーリアは敵ではない。しかし、今彼女がいない状況で出たのは失敗だった。

「うちの子が疑り深くて。私の前で定期連絡をするようにって」

『……それで、あなたの部屋に置いてあるってわけ』

 しばし、両者の間に沈黙が満ちる。

『まあいいわ。なら、ハルカに変わってくれないかしら?』

 マダムは黙った。

『どうしたの?彼女を呼んできて変わってくれればいいだけでしょ?何で黙るのよ?』

「今、彼女は出られないの」

『あら?今回、あなたは羽衣丸に乗船しているはずよね?今戦闘中だというなら、船橋にいないで、なんで自室で私と会話ができるのかしら?』

 レオナが変わった。

「失礼します、ユーリア議員」

『その声、コトブキ飛行隊の隊長さんね。彼女に変わってくれないかしら?』

「……実は」

 ユーリア相手にごまかしはできないと悟ったのだろう。

 レオナは、それまでのいきさつを話した。

 

 

『ふ~ん。つまり、空賊嫌いの要求で、あの子を無茶な条件で戦わせた挙句、その条件を満たすためにあの子は命令を無視して、今行方不明ってわけね』

「はい……、申し訳ございません」

 無線の向こうのユーリア議員が黙った。その沈黙に、レオナとザラは恐怖のようなものを覚えた。

『あなたたち、行き先は?』

 レオナはマダムに目配せする。彼女は頷いた。

「……ショウト、です」

『そう……』

 それっきり、無線は切れた。

「……はあ~」

 緊張がほぐれたのか、レオナは息を大きく吐き出した。

「申し訳ありません、マダム」

「いいのよ。私こそごめんなさい。彼女にごまかしはきかない。遅かれ早かれ、こうするしかなかったのよ」

「……エンマの要求については、どうします?」

「……これ以上、その要求はさせないで」

 マダムは言った。

「これ以上続ければ、遠くない先、彼女を本当に失うことになりかねない。それに、エンマだって仕事でやっているんだから、私やレオナのいうことに従う義務があるわ」

「……はい」

「義務や責任で押さえつけるのは好きじゃないけど、このままじゃ、先にハルカさんがつぶれかねない。そうなったとき、あの2人は容赦しないわ」

 権力に行動力のある政治家2人。どんな行動に出るかは、想像に難くない。

「ところで、マダム」

 マダムはレオナに振り向き、先を促す。

 

「なぜマダムは、彼女を雇い、このような形で使うことにしたのですか?」

 

「私たち、コトブキがいるのに」

 

 ザラが続いて、抱いていた疑問をぶつける。

「前にも言った通り、賠償金の取り立てが目的よ。あなたたちの腕を疑ってのことじゃない」

「では、送金という形をとらなかったのは?」

「……手札は多い方がいい。彼女の腕が確かなのは事実だし」

「そう、ですか」

「それに……」

 マダムはつぶやくように言った。

 

「……彼女のためでも、あるの」

 

「彼女の?」

 レオナとザラの疑問に、マダムは応えない。

 今は応えるつもりはない、ということかもしれないと、2人はそれ以上追求しなかった。

 それから約1時間後、羽衣丸はショウトへ向け、予定の航路を進んでいった。

 

 

 

 

 



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第9話 目的地到着、意外な待ち人

行方不明になっていた彼女と合流し、目的地ショウトへと
たどり着いたオウニ商会のメンバーたち。
出迎えにまっていたのは市長に自警団長。そしてもう一人
意外な人物の姿が……。


 予定の航路を順調に進んでいく羽衣丸。

「レーダーに機影なし」

「了解」

「ハルカさん、どこまで行ったんでしょうね?」

 レーダーに機影がないのは空賊の接近がないことなのでいいが、同時にハルカがまだ近づいてきていないという意味でもある。

「まさか、彼女はもう……」

「副船」

 ルゥルゥは、サネアツの言葉を遮った。

「これくらいでやられる軟な人物じゃないわ」

「そ、そうですよね~」

 そういって、サネアツは副船長業務に戻る。

 そのとき、船内にサイレンが鳴り響いた。

「レーダーに機影、数7。高速で接近中。ハルカさんからの情報のあった空賊かもしれません」

「彼女の情報では10だったはずだけど」

「確かに。ですが、会敵予定場所はあいます」

「そう。副船長」

「ハッ!」

 サネアツは船内放送のマイクをとる。

「戦闘機隊の出撃許可する。総員戦闘配置!」

 直後、船体に振動が走った。

「な、なに!なんなの!?」

 副船が慌てる中、上方から降下していく隼1型が3機船橋の窓から見えた。

「シンディ!状況は?」

「船体、及び上部機密バルブに被弾。ヘリウムが少しずつ流出しています」

「この状況でショウトまでは?」

「いけますが、これ以上被害が増えると、無理です」

「レーダーに機影3増えました。全部で10機です」

「コトブキに急いで出撃を」

 直後、羽衣丸を横切っていく隼が火を噴きながら落ちていった。

 まだコトブキは出撃していないはず。

 そして、船橋に向かってきた2機も途中で機銃弾を受け落ちていく。

 直後、船橋を横切るようにして、蒼い翼の零戦が戦闘速度で横切っていく。

「ハルカさん!」

 彼女の零戦は速度を上げ、残り7機の空賊に襲い掛かっていく。

 彼女は速度をなるべく殺さないよう大きな旋回半径を描きながら、速度を生かして戦い3、4、5機目と落としていく。

 残り2機になったところで、空賊は撤退していった。

 彼女は、今回は大人しく逃げていく空賊を見送った。

 きっと、燃料に弾薬が残り少なかったのだろう。

『こちら、ハルカ。帰還が遅くなり、申し訳ございません』

「こちらルゥルゥよ、お帰りなさい」

「後部ハッチを解放します。着船してください」

『了解』

 彼女の零戦は後部ハッチへと向かい、無事に帰還した。

 

 

 

「このアホンダラが!」

「いたあ!」

 愛機レイの風防を開けた彼女を出迎えたのは、またもナツオ班長の拳骨だった。

 再び引きずり降ろされるように機体から下りた彼女は、前回同様正座を命じられる。

「てめえ!一体あたしたちがどれだけ心配したと思ってんだ!レオナがいいっつってんのに、また敵を追いかけやがって!」

「……申し訳、ございません」

 やけにしおらしい彼女に怒りをそがれてしまったのか、ナツオ班長は怒りの表情をひっこめた。

「まあ、無事でよかったけどよ」

「……でもな」

 ハルカは、また肩を掴まれる感触を感じ、錆びた旋回機銃のようにゆっくり振り返る。

 

「私の命令を、またも無視してくれたことは見過ごせないな~」

 

「レ、レオナさん……」

 レオナは彼女に顔を近づける。

「叱責は帰ったら受けるって、君はいったな?」

 彼女は無言でうなずく。

「じゃあ、行こうか」

 彼女はハルカの手首をつかんで引きずっていく。

 その道中、レオナはエンマを見やった。

「エンマ、マダムが言ったが、もうおまえの無茶な要求は彼女にはさせない。いいな?」

「……ふん」

 エンマはその場を去っていった。

「じゃあ、行こうか?」

 レオナは満面の笑みで彼女を引きずっていく。

「い、いやあああ、誰か助けて~」

 後に、ハルカはレオナとマダム、ザラの前で正座の上、説教の嵐を浴び、そして心配をかけた罰として頬やお尻を抓られるなど、少し痛い思いをすることになった。

 その際、もうエンマの要求に従う必要はないが、レオナとザラの指示には従うことなどを約束させられたのだった。

 

 

 

 見えてきたのは、荒野の中に整然と並んだ建物とガレキの山。

 昼過ぎ頃、羽衣丸は目的地の復興途中の町の1つ、ショウトへとたどり着いた。

「やったー、町へ出られる~」

「パンケーキ何があるかな~」

 うきうき気分のチカとキリエは搭乗口から下り、町へ繰り出そうとする。

「まて2人とも。ショウトから出迎えの人が来ているそうだから、先に降りるのはマダムだ」

 マダムは服装を整え、搭乗口からゆっくりとした足取りで下りていく。

 階段の先には3人の人影が見えた。

 

「初めまして、マダム・ルゥルゥ」

 

 白髪が目立つが、誠実そうな初老の男性、ショウト市長が手を差し出した。

「初めまして、ショウト市長」

 マダムは、市長の手をとった。

「今回の依頼を引き受けて下さり、ありがとうございます」

「いえいえ、ショウトのご指名とあらば、お断りする理由はありませんわ」

 2人は握手をしつついくつか言葉を交わすと、市長は庁舎の方へと車で向かっていった。

 マダムに続いて、後ろからはレオナを先頭にキリエたちが下りてくる。

「みなさ~ん、お久しぶりです~」

 出迎えたのは金髪の、胸のあたりの露出の多い、艶めかしい体の女性。

「あ、カミラさんじゃん!」

 かつて、イケスカ動乱の際ともに戦ったショウト自警団の団長。

「ご無事で何よりです~」

 いつものごとく、彼女は腕を伸ばし左右にゆらゆらとゆらしている。

「あはははは、まあ、ねえ……」

 道中の戦闘には殆ど参加せず、1人だけに押し付けていたことを思い出し、キリエたちはうしろめたさを感じつつ、苦笑いを浮かべる。

 そして3人目は……。

 

「あれ、ユーリア議員?」

 

 地面に足を下ろしたハルカが見たのは、険しい表情をしているユーリア議員だった。

「どうしたんですか、こんなところで?ショウトに外遊の予定は、なかったはずですけど」

 彼女の疑問を無視し、ユーリア議員は彼女の右手首をつかむと、強引に引きずっていこうとする。

「ちょ、ちょっと議員!?」

 ユーリアの手をはがそうとするも、その細腕のどこにそんな力があるのかびくともしない。

「ど、どうしたんですか、いきなり。って、どこに行くんですか!?」

 その様子を見て、慌ててレオナがハルカの後ろから抱き着くようにしがみついて引き留めた。

「コトブキの隊長さん、放してくれないかしら?」

「彼女をどこへ連れていくつもりですか!?」

「決まっているでしょ?ガドールへよ。彼女は連れて帰らせてもらうわ」

「まだ依頼は終わっていません!」

 ユーリアは、レオナを、皆をねめつけるように見る。

 

「これ以上、彼女はあなたたちに預けておけないわ!」

 

「なら、今すぐ連れて帰って下さると、嬉しいですわ」

 

 ユーリアは鋭い視線で声の主を見つめる。

「こうしなければならない原因が、あなたにあることはわかっているのかしら?空賊嫌い」

 名前では呼ばなかった。

「そういうユーリア議員こそ、元とはいえ空賊を雇うなど、どうかされたんじゃありませんこと?」

 2人の間に、見えない火花が散る。

「どうかしているのは、あなたの方じゃないかしら?彼女に無理難題を課していたこと、全部隊長さんから聞いたわよ」

 ユーリアは、様々な感情を押し込めた鉄面を顔に張り付ける。

 このときのユーリアは、相手を人間としてみていないことを、ハルカは知っている。

「少し前まで本当に敵だったのですもの。彼女が本当に空賊と繋がりがないか、私たちをハメようとしているのではないか、警戒するのは当然のこと。そのための試験と解釈してください」

「それを何度もさせたのはなぜ?ルゥルゥや、私が雇い主なのよ」

「そうやって議員たちの威光を笠に着て、もう自分は反省した善人ですという顔をして、信用を勝ち取ろうという努力をしていない彼女の事など、どう信用しろというのかしら?」

「あなたの要求を完遂したのでしょう?」

「元空賊でも、やり直したエリート興業のように、自分自身の足で歩こうとしていない人間など、議員たちの庇護のもとにいて罪を問われない人間など、信じるに値しませんわ」

 エンマはものおじせず、議員に向かって言い返す。

「改心したといっても、本当にした悪党や空賊がどれだけいましたの?悪党に改心を期待するなど、天地がひっくりかえることぐらい無理なこと。そうやって、わたくしの家は財産を持っていかれましたのよ」

 彼女はユーリア議員の手前数メートルで足を止める。

 

 

「そんな人間を雇ってそばに置いているなど、あなたこそどうかされたのではなくて?彼女の力に屈した政治家さん」

 

 

 相手が評議員だというのに、エンマの物言いは遠慮がなかった。

 レオナは、内心冷や汗をかき、心臓が破裂せんばかりに脈打っていた。

「……自分の足で歩くと言えば聞こえはいいけど、あなた、彼女にそれができると思っているの?」

「できなければ、信じるにたる人間ではありませんわ」

 一方、ユーリアはため息をはき、ルゥルゥに視線を向けた。

 

 

「ルゥルゥ、あなた、彼らに何も伝えてないの?」

 

 

 コトブキのメンバーはマダムを見つめる。

「……その必要がないと思ったからよ。彼女以外は、皆ハルカさんを受け入れているから」

「その1人が受け入れていないせいで、こうなっているんじゃないかしら?」

 2人の間に沈黙が満ちる。

「あの~、ユーリア議員」

 ユーリアは手をつかんだままのハルカに視線を移す。

「とにかく、一度受けた仕事を投げ出したくはないです。だから、続けさせてください」

 ユーリアは黙る。

「私からも、お願いします!」

 後ろからレオナが言った。

「……隊長さん。あの空賊嫌いのことは」

「私と副隊長が何とかしますから!」

 ユーリアは、レオナとザラを交互に見る。

「……次はないわよ」

 ハルカから手を離し、ユーリアは護衛隊隊長と副隊長を伴って去っていった。

 

 

 

 

「レオナさん、よかったんですか?」

「まだ依頼の最中だ。連れていかれてはこまる」

「でも、エンマさんの件は……」

「もう気にする必要はない」

 羽衣丸の後部ハッチから荷下ろしがされている様を見ながら、レオナは言う。

「思えば、もっと早くに止めるべきだったんだ。こんなこと……」

「……申し訳、ありませんでした」

「……そうだ」

 レオナは右手人差し指を伸ばすと、彼女のおでこに突きつけた。

「君が受け入れ続けるから、エンマの要求は止まらなかった。君にも、責任の一端はあるんだぞ」

「……返す言葉もありません」

 しおらしい彼女に、レオナは表情を緩める。

「まあ、言い分も聞かずに無理に押さえつけるのを好まず、隊長としてエンマを説得しなかった私にも責任はあるけどな」

 もっとも、レオナが言い聞かせたところで、エンマが折れるわけもないが。

「ところで、町へ繰り出さなくてよかったのか?」

 荷下ろしをするということで、パイロットたちには休暇が言い渡されたのだが、ハルカは羽衣丸を離れることはなかった。

「いいんです。……どうせ、したいこともないですから」

 レオナは表情を曇らせる。

「本当に、何もないのか?キリエみたいに、パンケーキが食べたいとか。チカみたいにぬいぐるみを買いたい、とか。ケイトみたいに本が買いたい、とか。ザラだったら、飲みたい、だな」

 隊員たちの行動を把握しているあたり、隊長らしいな、と彼女は苦笑する。

「レオナさんは?」

「私か?孤児院の子供たちへのお土産を買ったり、ザラの酒に付き合ったり、あと筋トレだな。おへやではしるくん。あれが実に良くてな~」

 名前はあれだが、部屋においてあった筋トレグッズだと思い出す。

 ザラは呆れていたが、レオナは大事な宝物を自慢するように楽しそうに話していたのを思い出す。

 そのおへやではしるくんを売ったのが、アレシマの露店、レオナの情報からしてゲキテツ一家のレミだと察したが、つながりを話す必要はないと黙っている。

「……いいですね。皆さんはしたいことがあって」

 彼女は少しうつむきながら言う。

「私は、そんな少ししたいことでさえ、何も浮かんでこなくて。それは結局、何も望むものがないから……」

 家族がいたころは、溢れんばかりにしたいことがあった。

 

 家族で綺麗な風景が見たい。

 

 一緒に空を飛びたい。

 

 一緒においしいものが食べたい。

 

 これから先も、一緒に居たい。

 

 そんなありふれた願いであったが、以前は確かにあった。

 でも、そんな簡単な願いさえ、今の彼女には浮かんでこなかった。

 

「でも、それでも……」

 

「なんか、ハルカが色々考えているのはわかるんだけど……」

 

 ふと、2人の背後から声がいて、同時に振り向いた。

 

「考え込んでこまったときは、お腹を一杯にすればいいんだよ!」

 

 そこにいたのは、赤いコートに身を包んだ女性。

「……キリエさん?」

「もう!さんはいらないよ!よそよそしくてや!」

 いきなり現れたキリエは、ハルカの右手をとる。

「パンケーキ好きの同志なんだから、呼び捨てでいいよ!」

 目の前にあるのは、かつてラハマで敵対する前、好きなパンケーキについて波長があったとき浮かべていた、まばゆい笑顔。

「キリエ……、さん」

「もう!さん付けしなくていいって!」

 すると、彼女は頬をかいた。

「なんだか、照れくさくて」

 家族を守るためにひたすら空を翔けた彼女にとって、友達と呼べる存在はいない。

 接してきたのは、皆年上の大人ばかり。

 ハルカにとっては、さん付けしないでなれなれしく呼ぶことは経験が殆どなかった。

「むぅ~。まあいいや」

 すると、キリエは彼女の右手を握る手に力をこめる。

「一人で色々考えたって、どうせ答えはでないんだからさ!」

 すると、キリエは彼女の手を引いて歩き出す。

「サルーンに、リリコさんのパンケーキ食べに行こう!」

「でも、お昼はさっき」

「甘いパンケーキは別腹!甘い物たべれば、まともな考えが浮かぶって」

 そうやってハルカを引きずっていくキリエを見て、レオナは苦笑する。

「そうかもな」

 レオナも彼女たちを追って歩き出した。

「一人でくよくよ考えても、良くない方向の考えしかでない」

「そうそう」

「それより、おいしいものを食べて、ささやかな幸せを感じながらの方が、よほどいい考えがでそうじゃないか?」

「めずらしい。レオナと意見が合うなんて」

 レオナはクスクスと笑う。

「そうかもな」

「というより、レオナってあまり私たちを頼ろうとしないよね?レオナの考えとか、殆どきいたことないし」

「そうだな。隊長としてしっかりしなければ、そんなことばかり考えているせいだな。ザラに何度も注意されたよ」

 ふと、レオナは思う。

 マダムが、ハルカを直接雇うことにしたのは、彼女のためでもあると。

 彼女を引きずっていくキリエを見て思う。

 一人で色々考えていても、ろくな考えは浮かばない。

 それなら、甘い物に舌鼓をうったり、あるいは親しい人と時間を過ごすほうが、有意義だし、人と話すことで人は何かしらのヒントを得るものだ。

 かつてレオナも、理想に手が届かず彷徨った。

 その末にザラと出会い、彼女を頼り、頼られながら今に至っている。

 きっと、ハルカを一人にしないために、同い年のキリエたちや、少し年長者のレオナやザラたちと接点をつくり、悪い方向へ彼女を向かわせないために、支え合える人間のいる場を作るために、このような形をとったのかもしれない。

「なら、私もサルーンへ行こうかな」

「レオナも?」

「ああ。キリエの愛してやまないパンケーキが、食べたくなったんだ」

「おお!じゃあ、サルーンへ向けて急げ~!」

 そんな掛け合いを見て、ハルカは少し頬を緩めた。

 この場にいるときだけは、心が、胸が、少し暖かくなった。

 

 その後、3人でサルーンへ行き、そろってパンケーキを食べた。

 ただし、ホイップクリームを暴力的なまでに盛ったキリエ専用パンケーキを注文してしまったため、レオナだけは少々胃もたれに苦しむことになったという。

 

 

 

 おやつの時刻に荷下ろしの作業が完了。

 各々、明日の出航に備えることになった。

 自室のベッドで寝転がるレオナは、胃もたれでスッキリしない腹部を押さえながら、考えを巡らせる。

 依然、エンマとハルカの不仲は解決しないままだ。

 とはいえ、その原因はエンマの側にある。

 現状、彼女以外はハルカを受け入れてくれているが、エンマに折れる気配はない。このまま不仲を引きずり続けるのは、間違いなく良くない。

「とはいえ……」

 だからといって、解決策が思い浮かばない。

 今は仕事だから、マダムがやとったから、という理由で強引に押さえつけているだけで、根本的な解決はできていない。

 せめて拒絶さえなければ、いいのだが。

「どうしたものか……」

 だからといって、エンマの無理難題をまたこなすことはできない。エンマが折れるより先に、ハルカがすりつぶされる可能性が高い。

 無論、ハルカの提案も駄目だ。背後から撃たれれば、間違いなく撃墜される。そんなことはさせられない。

「手詰まりだな……」

 あとは、時間が解決してくれることを期待するしかないのか。

 

 そう思った時だった。

 

 町全体に、警報が鳴り響いた。

 レオナはベッドから飛び起きた。

「襲撃!?」

 彼女はブーツを急いではいて、船橋へ走った。

 

 

 



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第10話 終わらぬ戦いを続ける者たち

ショウト自警団から、町へ空賊らしき機影が迫っていることを知ら
されるレオナたち。ユーリア議員を通じて市長と自警団から依頼を
受け、急いで羽衣丸を飛び立つ。
町へ迫っていたのは、イケスカしか使っていない五式戦闘機と、空賊
は持たない爆撃機。旧自由博愛連合の残党と思しき者たちだった。




 船橋に到着すると、マダムやキリエたちがすでにいた。

「レオナ、来たのね」

「襲撃ですか?」

「そのようね」

 滑走路脇の格納庫から、茶色、緑、砂色の3色の迷彩模様に塗られたショウト自警団の飛燕が姿を表す。

 機数は、合計12機。

「やけに数が少ないな」

「カミラさんも飛ぶのかな」

 レオナとキリエは窓から様子を眺める。

 イジツの都市の中では大きな規模を誇る都市、ショウト。

 予算も潤沢な方であるため、液冷エンジンを搭載している飛燕が自警団には配備されている。

 だが、イケスカ動乱直前に穴が開く場所の有力候補であったため、イケスカから難癖をつけられて爆撃された。

 今は復興に取り組んでいるものの、まだ志半ば。

 限られる予算から復興費用を捻出しており、自警団に回せる予算は以前ほど多くはない。

 おまけに、イケスカ動乱後の混乱で空賊が増加し、飛行機需要が高まったことで機体や部品の価格が高騰。

 復興に多大な予算を割かなければならない現在、かつての規模の飛燕を維持することは難しく、これが限度なのだろう。

 迷彩模様に塗られたショウト自警団所属の飛燕が、滑走路から飛び立っていく。

「ショウト自警団より入電。町に迫る所属不明の機影あり。数は約30」

「30だって!」

 サネアツ副船長が驚きの声をあげる。

「追加情報。大型の機影が3機含まれるそうです」

「大型の機影?」

 

「おそらく、爆撃機です」

 

 ハルカが船橋に来た。

「……ただの空賊じゃありませんね」

 空賊は略奪行為が目的であり、経済的にも厳しい場合が多いため、維持費がかさむ上に護衛がなければ的にしかならない爆撃機はまず持たない。

「そんなものが維持できて、このショウトに使う理由がある連中といえば……」

 レオナは目を細めた。

 

「旧自由博愛連合の連中か」

 

「おまけに、今ショウトにはイケスカを失墜させたオウニ商会の羽衣丸にコトブキ飛行隊、ユーリア議員もいます」

 どこでその情報をつかんだのかは気になるが、そう考えれば彼らが報復としてこの機会を逃す手はないように見える。

「マダム、どうします?」

「私たちの仕事は、あくまで物資の輸送よ」

 マダムはキセルの煙を吐き出す。

「ショウトを防衛しろって依頼がない以上、動く必要はないわ」

「でも!」

「キリエ」

 抗弁しようとしたキリエを、レオナが制する。

 たった12機の飛燕で、爆撃機を含むとはいえ、30機の敵に挑めばどうなるか、それは目に見えている。

 かつてともに戦った戦友たちを見捨てるようで心苦しいか、これは仕方がない。

 コトブキ飛行隊は羽衣丸を守ることが仕事。依頼があれば別だが、それがないうちは動くことはできない。

 飛ぶかどうかを決めるのは、あくまで雇い主であるマダムだ。

 ふと、船橋内に呼び出し音が鳴り、ベティが出る。

 

「ハルカさん、ユーリア議員からです」

 

「議員から?」

 通信用のマイクを受け取り、応える。

「はい、ハルカです」

『状況はわかっているわね』

 聞きなれた、ユーリア議員の声だった。

『自警団だけでは苦戦しそうだから、今すぐ飛びなさい』

「ですけど、今は……」

 今はオウニ商会のもとにいる、と言おうとすると。

『出航は明日でしょ?それまでには返すから、一時的に私の命令で動きなさい。報酬はショウト市長と自警団が払うように話をつけたから』

 相変わらず決めたら行動が早いユーリアである。

『それに、あなたは護衛隊の一員。このまま私が黙って爆撃されるのを、見過ごすの?』

「それはできません」

『でしょ』

「それで、議員の避難は?」

『空賊相手に、逃げろっていうの?』

 平常運転のユーリアだった。

「わかりました」

『お願いね。それから、ルゥルゥに変わってちょうだい』

 彼女はマイクをマダムに渡す。

 マダムは少し会話を交わした後、口端に笑みを浮かべた。

「ありがと、ユーリア」

 話が終わったらしく、マダムはマイクを返した。

「レオナ、ユーリアを通じて、ショウト市長と自警団長から依頼よ。ショウトに向かってくる敵爆撃機の迎撃。すぐに出て」

「はい!」

「ザラたちは直ぐに呼び戻すから、3人で急いで向かってちょうだい」

「わかりました。2人とも、行くぞ!」

 レオナはキリエとハルカを率いて、すぐ羽衣丸から飛び立っていった。

 

 

 

 

 レオナの隼を先頭に、右後方にキリエの隼、左後方にハルカの零戦が続き、三角形の編隊を組んで飛ぶ。

「そろそろ、ショウト自警団の情報では接敵するはすだが」

 進路上を見つめると、蒼い空に火花が散っていくのが見えた。

「あれは」

 進路上には、巨大な機体の爆撃機3機に、護衛戦闘機の五式戦闘機27機が、ショウト自警団の飛燕と交戦しているのが目に入る。

 

「こちら、コトブキ飛行隊隊長レオナ。依頼を受け、応援に来た」

 

『レオナさん!ありがとうございます~。って……』

 突如、カミラの声が途切れ、沈黙が訪れる。

 

『レオナさん、その零戦……』

 

 きっと、ショウト船籍の輸送船が襲撃を受けたことがあるのだろう。レオナは即座に言った。

 

「コトブキの7人目です」

 

『7人目、ですか?』

「はい。それで」

『……爆撃機は飛龍が3機。でも、護衛に阻まれて』

「わかりました。2人とも、まず護衛の数を減らす。キリエは私の援護。ハルカは独自に動いてくれ」

『『了解』』

 五式戦闘機を使っているということは、かつてイケスカにいたイケスカ航空隊か、自由博愛連合のものたちだったのだろう。

 自分達のいたイケスカの権威を失墜させた、ショウトへ報復する理由のある連中。

 

 もうイサオはいない。イケスカ動乱は終わった。

 

 それを彼らにわからせるためにも、ここで止めなければならない。

 

「よし、いくぞ!」

 

 レオナは増速し、五式戦闘機の群れへと向かっていく。

 

 

 

 

 飛龍の周囲に展開する五式戦闘機の1機へ狙いを定め、すれ違い様にレオナは機銃を撃つ。

 主翼付け根に機銃弾は命中。護衛の五式戦が落ちていく。すると、落とした機体の数の何倍もの機体がレオナに向かってくる。

 舵を切って旋回。その後ろに追随してくる。

 追ってきた5機の内の1機が落ちていく。キリエが、レオナに迫る五式を落としてく。

『もう!数多すぎだって!』

 キリエの背後に、3機の五式戦が迫る。

「キリエ!後ろだ!」

『え?わきゃ!』

 キリエは、背後についた五式の機銃を慌てて回避する。

 相手は五式戦闘機27機。こちらはショウト自警団にコトブキの計15機。数の上では最初から劣勢だ。

 それに、レオナたちは五式を落としているものの、同時に自警団の飛燕も落とされており、戦力差がなかなか縮まらない。

 別の方向から機銃の銃撃音が響く。

 ハルカの零戦が、五式戦を次々落としていく。

 彼女の後ろに五式戦が4機つく。機銃の弾を回避すべく、彼女は旋回やロールを繰り返す。今のままでは、爆撃機に取りつくことができない。

「流石に好きにはさせてくれないか……」

 敵爆撃機は確実にショウトに近づいている。だが、レオナたちは一向に爆撃機に迫ることができない。

『レオナ、このままじゃ』

「……カミラ、なんとか爆撃機にせまれないか?」

『頑張ってますけど、無理です~。もう5機も落とされちゃって~』

 泣きそうな声でショウト自警団長はいう。

「とにかく、護衛を減らさないと」

 機銃の発射スイッチを押し、目の前の五式を1機落とす。

 すると、背後に降下してきた五式が割り込む。即座にキリエが撃ち落す。

 それでもまだ五式戦闘機の護衛はいなくならない。

 

『こちらショウト管制塔。敵爆撃機が上空にくるまで、残り10分!』

 

「時間がない!こうなったら……」

 無理をしてでも爆撃機に迫るしかない。

『レオナ後ろ!回避!』

 後ろに五式が3機ついていた。

 急いで機体を横滑りさせ、機銃を回避する。

 その3機が、上空から飛来した機銃弾に落とされた。

 

『レオナ、無事!?』

 

 無線で聞きなれた声が聞こえた。聞き間違えるはずのない。

 ザラを先頭に、残り4人のコトブキ飛行隊の隼が参戦した。

『……レオナ、状況は?』

「敵は飛龍が3機、護衛の五式が残り20機前後。ショウト上空まで、残り9分ほどだ」

 ショウト到達までに、飛龍を止めなければならない。

「私たち6人で、護衛の五式戦を引き離す。その隙にハルカは、飛龍を撃ち落せ!」

『『『了解!!!』』』

 

「よし。コトブキ飛行隊、一機入魂!」

 

『『『はい!』』』

 6機の隼は戦闘速度へ加速し、手近な飛龍へ向かっていった。

 

 

 

 

 レオナたち6機の隼が2機ずつの編隊を組み、手近な飛龍へと迫る。

 槍の切っ先のように先頭を進むチカと援護のケイトが、機銃を撃ちながら護衛を突き破り飛龍に迫るが、離脱。他の4機も飛龍を離れていく。

 彼らを追って、護衛の五式戦闘機が離れた。

『今だ!』

「了解!」

 ハルカはスロットルレバーを開いて増速。飛龍の正面に躍り出る。

 飛龍の機首の機銃が火をふく。それを回避しつつ、彼女は高度をとる。そして飛龍の上空で宙返りすると、機首を下に向け降下する。

「……ぐっ」

 かかるGに耐えながら、彼女は照準器の中心に飛龍の左主翼の付け根をとらえる。

 スロットルレバーにつけられた機銃の引き金を引いた。

 機首の13.2mm機銃と主翼の20mm機銃が一斉に咆哮を上げ、銃弾を飛龍に叩き込む。

 衝突を回避するためコースを変え飛龍と交差。

 直後、何発もの銃弾が撃ち込まれ、主翼に開いた穴から炎があがった。

 炎は大きさを増し、瞬く間に機体を飲み込み、1機の飛龍が落ちていった。

「まず1機」

 次の機体に向かおうとすると、前方から五式戦闘機が機銃を撃ちながら向かってくる。それを回避すると、今度は後ろに2機ついてきた。

「必死なのね、彼らも」

 後ろについた五式に機銃弾が飛来し、彼らはその場を離れた。

『護衛機はまかせろ!君は残り2機へ!』

「はい!」

 レオナに促され、彼女は速度が落ちないよう大きく旋回半径をとり、2機目の飛龍の正面に回り込んだ。

 機首から機銃が放たれるが、回避。

 そして彼女は、飛龍の片側のエンジンに向けて機銃を3丁一斉に撃ちこむ。

 お互いが向かい合って進むために、正面からの攻撃可能時間は短いが、エンジンの正面は防弾が施せない。13.2mmと20mm機銃を一斉に撃ちこめば、短時間で落とせるはず。

 機首をあげ、飛龍と交差する。片側のエンジンから、火と燃料を噴きながら落ちていく機体を確認した。

「もう1機は……」

 最後の1機を見つけたとき、彼女は凍り付いた。

 最後の飛龍は高度を下げつつ、ショウトに迫っていた。

 

『敵爆撃機接近中!爆弾倉を開けた!ショウト上空まで、残り5分!』

 

 彼女は操縦桿を前に押し、機首を下げ降下に入る。

 そしてスロットルレバーを開き、降下も加えて加速しつつ飛龍を追う。

 通常の52型なら660km前後が制限速度だが、丙型なら700kmを越えても耐えられる。

 彼女はある程度降下すると、操縦桿を引いて機首を上げる。

 低速での旋回性能を重視している零戦は、その速度域では操縦桿が軽いが、600kmを越える高速では操縦桿が突如重くなる。

「くっ!」

 スロットルレバーから手を離し、両手で操縦桿を力一杯引いて機首を上げる。

 進路上には、飛龍の機体がある。

 もう上昇して、上や正面に回り込んでいる時間はない。

 

―――だったら、下から!

 

 照準器を覗いて狙いを定め、左手でスロットルレバーを握りなおし、引きがねを引いた。

 機首の機銃弾は胴体下に命中し、左右の主翼の20mm機銃は飛龍の左右のエンジンに命中する。

 ある程度撃ちこむと、左右のエンジンから炎があがった。

 直後。

 

『ハルカ!回避して!』

 

 キリエの声だ。視界には、飛龍の機体が間近に迫っていた。

 急いでスロットルレバーを絞る。フラップを下げ、機体を180度ロールさせる。

 それでも衝突コースは変わらない。

 

『ぶつかるぞ!』

 

 レオナの焦る声が無線から響く。

 操縦桿を手前に目一杯引く。

 

 彼女曰く、このときは流石に危なかったと、後に回想する。

 

 天地が反転した零戦と、高度を下げつつある飛龍は、機体下面同士の距離を縮めることなく、零戦が追い越し地上に向かって降下していく。

 衝突は、免れた。

「……はあ~」

 機体を水平に戻した彼女は、大きく息を吐き出す。後ろを振り返れば、最後の飛龍が荒野へと落ちていくのが確認できた。

 あたりを見回せば、護衛の五式戦闘機たちが撤退を始めている。

「危なかった……」

 今になって、両手が震えていることに気づく。

『ハルカ、無事!?』

 キリエの声だ。

「はい。無事です。……少し危なかったですけど」

『肝を冷やしたぞ、こっちは』

 少し怒り気味のレオナの声。

『爆撃機を3機とも落としたことは大きい。だが、引き換えに君を失っては洒落にもならない。以後、気を付けること』

「……はい」

『コトブキのみなさ~ん』

 カミラさんの嬉しそうな声が操縦席内に響く。

『ショウトを守って下さって、ありがとうございます~!』

『別に、我々は依頼をこなしただけだ』

『それに、ラハマ防衛戦やイケスカ動乱でも一緒に戦った仲じゃん』

『それでも、お礼を言わずにはいられないのです~。報酬、楽しみにしていてくださいね~』

『え、期待していいの!』

『マロちゃんもう1匹買えるかな』

『……全員、着陸するまでが任務なんだぞ』

 浮足立つキリエやチカを、レオナ隊長がなだめる。

 皆、ショウト自警団と並び、空港の滑走路を目指した。

 

 

 

 

 ショウト自警団の飛燕が全機着陸した後、コトブキ飛行隊もレオナから順に着陸していく。

 残りが、エンマ、ハルカになったときだった。

 エンマの隼が突如進路を変え、空港から離れていく。

「エンマ、どこに行くんだ?」

 

『何か光るものが見えましたの。敵影だったら大変ですから、確認してきますわ』

 

「敵影?」

 だが、コトブキはエンマを除く全員がすでに着陸し、エンジンを停止させている。

「ハルカ、万一の用心だ。エンマを追ってくれるか」

『了解』

 ハルカの零戦がエンマの方向へと向かっていく。

「どうかしたの?」

 ザラにレオナは応える。

「何か光るものを見つけた。敵影だったら困るから、確認してくると」

 すると、ザラは怪訝な顔をする。

 

「敵影が近づけば、ショウトのレーダーに引っかかるんじゃない?」

 

 いくら復興途中とはいえ、空賊が増えている現在、監視体制をおろそかにすることはない。まして、ショウトほどの大都市なら、なおのこと。

「じゃあ、なんでだ?」

「他に何か思い当たること、ない?」

 ザラに指摘され、ゆっくり思い出す。

 敵影が嘘だとすれば、彼女は一人になる必要があったのか。

 いや、ハルカを向かわせた時点で、それは達成できない。

 なら、ショウトから少し離れる必要があったのだろうか。

 なぜ?

 

 誰かに見られたくない秘密の用事……。

 

 でも、ハルカももう追いついているころだろう。なのに、帰ってくる気配がない。

 

 彼女がついていっても問題ない、レオナたちに見られなくない用事……。

 

 そのとき、レオナはあのことを思い出し、緊張が走った。

 

「まさか……」

 

「どうしたの?何かわかった?」

 ザラの優しい笑みを無視し、レオナは隼の操縦席に滑り込んだ。

 今にして思えば、ハルカを共にいかせたのは失敗だったと思い返す。

 

「班長!イナーシャを頼みます!」

 

「どうしたんだ?帰ったばかりじゃ」

「エンマを追います!急がないと」

「敵影を見に行ったんじゃないの?」

 キリエの疑問に、レオナは叫ぶように言った。

 

 

「急がないと!ハルカが危ない!」

 

 

「「「……へ?」」」

 

 焦るレオナをよそに、他のコトブキのメンバーは、首をかしげるのだった。

 

 

 



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第11話 1度限りの報復

敵影を確認するためといってショウトを離れるエンマ。
万一の用心にと、レオナの命令でエンマを追いかける彼女。
町から見えなくなる場所まで来たとき、彼女はエンマの目的
を知る。彼女へのエンマの報復が、始まる。


「エンマさん、どこまでいくんですか?」

 レオナに言われ、ハルカはエンマの隼を追う。

 ショウトから離れ、もう町が見えない距離まで来た。

「敵影なんて見えませんが……、どういうつもりですか?」

 

『……やっと、2人だけになれましたわね』

 

 無線から聞こえたのは、どこか楽し気な声。

『このときを待っていましたわ』

「このとき……」

『あなた、言いましたわよね?』

 彼女は黙って言葉の続きを待つ。

 

 

1度だけ(・・・・)なら、報復してもいいと』

 

 

 それは、ハルカがエンマに自分を受け入れる代わりに提示した条件だった。

 彼女は、特に驚きもしない。

 

「ええ……。確かに言いましたね」

 

 彼女は、操縦桿とスロットルレバーを握り直す。

『ですから、お望みどおり……』

 エンマの隼が左へ舵を切った。フラップで旋回半径を小さくし、彼女の零戦の背後へ回り込んだ。

 ハルカはプロペラピッチを低ピッチに固定し、エンジン出力を上げる。

 

 

『報復して差し上げますわ!』

 

 

 ハルカの零戦は右へ旋回する。その後ろをエンマの隼が追う。

 

 

 

 

「……くっ」

 ハルカの零戦を追うエンマの隼。2機は先ほどから高度を下げつつ、右へ向かって旋回を繰り返す。

 だが、2人の差が縮まらない。

「なぜですの……。旋回戦ならこちらが有利のはず!」

 エンマの考えは間違いではない。

 主翼が短縮され、追加装備で重くなった零戦52型丙は、翼面荷重が増加しており、低速の旋回戦ではエンマの隼1型に劣る。

 だが、追加装備で重くなっても、エンジンが換装された52型丙は速度で隼1型を上回る。

 旋回性能では上回っても、速度が劣る以上追いつくことは容易ではない。

 零戦が旋回戦をやめ、急降下に入った。

「逃がしませんわ!」

 エンマもあとを追う。まもなく、機体の振動が大きくなった。

「……っち!」

 隼の制限速度が迫り、彼女は機首を上げる。

 それを見た零戦も上昇に転じ、エンマの背後をとった。

「あ!」

 銃口が、彼女に向けられる。

 でも、弾が撃たれることはなかった。

「……何のつもりですの?」

 ハルカの零戦は背後に陣取っただけで、機銃を撃つ様子はない。

「……なめた真似を!」

 速度を上げ、零戦を振り切ろうとする。

「先ほど私を撃ち落さなかったことを、後悔させてさしあげますわ!」

 

 

 

 急いでショウトを離陸したレオナたちは、エンマの飛び去った方向へと飛ぶ。

『あ、あそこ!』

『あらあら……』

 進路上には、空戦中のエンマの隼、ハルカの零戦の姿があった。

「あいつら……」

『あれ、なんで2人とも戦ってんの?』

『あれが理解のための早道か?』

 レオナは、自分の予想が間違っていなかったことを確認する。

 ハルカがエンマに言った、1度だけなら報復してもいい。その条件をエンマは受け入れ、今彼女を撃墜しようとしているのだろう。

「やめさせないと……」

『レオナ、まって』

「ザラ、なんで止める!?このことがマダムやユーリア議員に知れたら」

『もう遅いんじゃないかしら?』

 確かに、エンマとハルカが帰ってこず、コトブキの残り全員がまた飛び立ったと聞けば、あとで説明は必ず要求される。ユーリア議員相手にごまかしは通用しない。

『それに、見てごらんなさい』

 レオナはザラに促され、先を見た。

 

 

「いい加減、離れなさい!さっきから後ろから離れず!しつこくねちねちと、空賊らしい行動ですわね!」

 先ほどから速度を上げ、右へ左へ、上に下へエンマは飛ぶが、ハルカの零戦が一向に離れない。

「それに、撃つ機会が何度もありながら……。馬鹿にしていますの!?」

 エンマは機首を左に振った。零戦も、機首が左を僅かに向く。

 

―――今ですわ!

 

 フットペダルを蹴りこみ、操縦桿を引く。

 片翼が失速したことでロールしながら、後方の彼女を追い越させ、背後をとる。

「な!?」

 エンマはあたりを見回した。背後に回り込んだはずなのに、零戦の姿がない。

「どこにいきましたの……」

『ここですが?』

 背後を振り返ると、そこには変わらず彼女の機体の姿があった。

「この……」

 エンマはなんとかハルカを振り切ろうと奮闘する。

 だが、どうやっても彼女の背後に回り込めない。

 隼得意の旋回戦に持ち込んでも、先にエンマがGに耐えられず根を上げてしまう。

 

 

 エンマは、ハルカのことを知らな過ぎた。

 そして、彼女が元空賊ということで感情的になりすぎた。

 それが、彼女から判断力を奪っていた。

 

 エンマは凄腕飛行隊、コトブキ飛行隊の1人。腕は十分いい。

 彼女が用心棒稼業を行うようになって、おおよそ3年は経っている。悪党や空賊に財産を搾り取られた両親を養うために、学校をやめてラハマに帰り、戦闘機乗りを募集していると聞き、コトブキ飛行隊に加入した。

 イケスカ動乱を戦い抜いただけに、彼女の腕は一流だし、経験を重ねた洞察力で相手の動きを読んで先回りすることを得意とする。

 

 だが、ハルカも負けてはいない。

 

 彼女が戦闘機に乗り始めたのは、リノウチ空戦が終わった直後。いまから8年近く前になる。

 通っていた学校をやめ、お金を稼ぐために知り合いの飛行機工場の部品を輸送する輸送機の用心棒や運び屋をやった。

 リノウチ空戦以前に、祖父から操縦方法を習い、父や姉、兄の飛び方をよく見ていた彼女が単身で飛べるようになるまで、そう時間はかからなかった。

 当時から腕がいいと、故郷では評判だった。

 そして、空賊ウミワシ通商に所属してからは襲撃を行うため毎度必ず空戦になり、そのたび彼女は単身で用心棒たちを全員叩き落してきた。

 彼女のパイロットとしての経験の年数は、実はレオナとあまり変わらない。

 幼い頃から空をかけ続けてきた結果、体が飛行機の高速戦闘に適応する形で成長し、そして多勢に無勢の状況下で戦い、戦場で爪や牙を研ぎ澄まし、生き残ってきた獣。

 長く乗っているだけあり、色んな戦闘を経験して得た戦闘パターンが、彼女の中には蓄積されている。

 経験年数で上回り、機体性能で上回っているのでは、エンマがハルカに勝つことは容易ではない。

 

「いい加減、離れなさい!」

 エンマは雲に飛び込んだ。

 ハルカは彼女を追わず、雲から出てくるのを待つ。

 そしてタイミングを見計らい、エンマは雲から出た。

 すかさず、零戦の背後に陣取る。

「後ろを取りましたわ」

 エンマは照準眼鏡を覗きこみ、レティクルに零戦を収める。

「いただき……」

 一瞬、機銃の発射スイッチを押す指が、石のように固くなった。

 

―――何で、戸惑うのです?

―――私は、この瞬間を待っていましたのよ。

 

「はあ、はあ……」

 無意識に呼吸が荒さを増し、緊張で体が硬さを増す。

 彼女は進路を変える様子も、回避する様子もない。無防備な背中。

 目の前の照準眼鏡の中心は、彼女にしっかり合わさっている。

 直進しているので、このまま撃てば確実に当たる。

 でも、それは許されない。

 

―――許されない?なんでですの?

―――これは、そう。社会のダニの駆除。

―――そう、いつもしている空賊退治と同じですわ。

 

 彼女は左手の親指を、機銃の発射スイッチにのせる。

「はあ、はあ……」

 呼吸を落ち着けようと、彼女は息を吸って、吐いてを繰り返す。

 

―――空賊は許すまじ。

―――他人を陥れようとする社会のダニは、駆除してしかるべき。

―――そう、これは当然の行い。

 

「人に不幸をもたらしたものは、罰を受けるべき。ダニは……、駆除しませんと」

 

 空賊は叩き落す。

 

 自身の大事なものを、居場所を守るために。

 

 彼女は奥歯をかみしめる。そして……。

 

 

「う、うわああああああああああああああ!」

 

 

 彼女が絶叫を上げるのと同時に彼女の乗機、隼1型の機首の12.7mm機銃が咆哮を上げた。

 放たれた12.7mm機銃の弾が零戦に殺到する。

 だが、そのどれもが零戦の胴体左側側面を通り過ぎていく。

「なんで、なんで当たりませんの!?」

 ハルカは悟られない程度にフットペダルを踏み、機体を微妙に右に滑らせていた。だが、絶好の機会を得たと思い冷静さを失ったエンマは気づかない。

 

 

『エンマ、やめるんだ!』

『機銃を撃つのを止めて!』

『エンマ、何やっているのさ!』

『今すぐ発砲を止めるべき』

『エンマやめて!彼女は敵じゃない!』

 

 

 コトブキのメンバーから悲鳴にも似た通信が入るが、エンマの耳には届かない。

「この!」

 進路を右に修正。

「今度は外しませんわ!」

 機銃の発射スイッチを押し込んだ。

「……え」

 だが、ボタンを押しても、カチ、カチという音がなるだけ。

「た、弾切れ……」

 隼には機首の2丁の機銃しかない。

「この!折角のチャンスが……。あ!」

 目の前を飛ぶ零戦がバレルロール。エンマの隼の後ろに回り込んだ。

「……あ、ああ」

 背後には、照準器を右目で覗き込み、こちらに狙いを定めているハルカの顔が目視できる。

 あとは引き金を数センチ引けば、機銃から弾が放たれエンマは落ちる。

 命を握られているような感覚に、彼女は身震いする。

 

「……撃ちなさいよ」

 

 彼女はつぶやくようにいった。

「ええ……、撃ちなさい!私は報復したのです!今度は、あなたが報復する番ですわ!」

 彼女は叫ぶように言った。

 

 

「撃ちたいなら、お撃ちになればいいわ!ええ、撃ちなさい!撃たれて差し上げますわ!撃て!撃ちなさあああああああい!」

 

 

 遠目に、彼女が照準器から目を外すのが見えた。

 

『なんで、ですか?』

 

 無線から声が聞こえた。

『かつては、確かに敵でした。ですが、少なくとも今は、あなたは私の敵じゃない。あなたを撃つ理由が、私にはありません』

 エンマは奥歯をかみしめ、太ももの上で拳を握り締めた。

 たった一度の報復のチャンスを使い果たした今、これ以上彼女と軋轢をうむ行動は許されない。

 でも、感情は納得してくれない。

 

 

『……聞こえるか?』

 

 

 レオナの声に、エンマは青ざめる。

 

『エンマ、おまえ……。自分が何をしたか、わかっているのか!』

 

「そ、それは……」

 口が震え、言葉が発せない。

 はたから見れば、彼女がやったのは味方を撃墜しようとしたのだ。

 到底、許されることではない。

『レオナさん、彼女を責めないでください』

 エンマを庇う言葉に、彼女は驚く。

 しかも、先ほど撃墜しようとした彼女が。

『1度だけ報復してもいいと、そう言ったのは私ですし、彼女の思惑に気付きつつ、付き合ったのも私です。責めるなら、私に』

『……帰ったら、覚悟するように』

『……はい』

 そして彼らは、母艦羽衣丸へと進路をとった。

 道中口を開くものは、だれ一人いなかった。

 

 



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第12話 空賊で、賞金首だった用心棒

報復に失敗したエンマと、それに付き合った彼女は羽衣丸へ帰還すると
ナツオ班長から拳骨を受け、怒り心頭のレオナが迫る。
そのとき、現れたユーリア議員は人払いをすると、レオナ、ザラ、エンマ
に話があるという。
議員にひたすら平謝りするレオナとザラ。しかしエンマは尚納得しない。
そこでユーリア議員は、彼女を雇い3人で共有することにした本当の理由
を明かす。



「このアホンダラが!」

「いた!」

 帰ってきたエンマを迎えたのは、ナツオ班長の拳骨だった。

 先ほどの一件は、隊長のレオナと副隊長のザラから、全員に伝わっていた。

 班長はエンマの隼から下りると、今度はハルカの零戦に向かっていき、彼女の頭に拳骨を落とした。

「ハルカ、てめえもだ!」

「ぎゃん!」

 そして隊長のレオナは、降りたエンマの首根っこをつかみ、般若のような表情を浮かべて彼女を引きずっていく。

 そしてハルカの前で足を止めたレオナの憤怒に満ち溢れた表情に、皆が足をすくませる。

「エンマ……、ハルカ……。お前たち!」

 

「何事かしら?」

 

 雇い主の声に、皆が動きを止めた。

「あら?今回は随分感情豊かなのね、隊長さん」

「ユーリア議員……」

 マダムとユーリア議員が並んで歩いてきた。

「ハルカ……」

 ユーリア議員の鋭い視線に、彼女は震える。

「……あとで事情は事細かに説明してもらうわ」

 すると、キリエとチカに視線を向ける。

「パンケーキ好きとカレー好き、そして読書家のパイロットさんたち、悪いけど、彼女を連れて町へ行ってきてくれるかしら?」

「へ?町へ?」

 するとユーリアは、拍子抜けするキリエに札束を押し付けた。

「ケガしていないか、病院で見てもらいなさい。残ったら、食べ歩きでも買い物でも、好きに使っていいから」

「え!本当に!」

 キリエとチカ、ケイトはハルカを連れ、ショウトの町へと繰り出していった。

「さて……。じゃあ隊長さんに、副隊長さん、それに空賊嫌い。3人は一緒に来て頂戴。……話があるわ」

 ユーリア議員は、あらゆる感情を押し殺した冷たい笑顔を、顔に張り付けていた。

 

 

 

 ユーリアとマダムについて3人は歩く。向かった先は、羽衣丸内にある会議室。

5人は、机を挟んで向かい合う。

 ユーリアとマダムが並んで座り、向かいにレオナ、左右にザラ、エンマが腰かける。

「さて、レオナ隊長」

 レオナは背筋を伸ばす。

 

「今回の件、そこの空賊嫌いが、私たちの用心棒を撃った件。それに、無茶な要求を突きつけた件や軋轢を生むような言動に行動を行った件。……何か申し開きはあるかしら?」

 

 レオナとザラは即座に頭を下げた。

 

「今回の件、本当に!」

「申し訳ありません!」

 

「謝って済む問題かしら?それに、次はない(・・・・)。私はそういったはずよね……」

 ユーリアの刺すような視線は緩まない。

 

 

「あまり権力をふるうのは好きじゃないんだけど、警告したわよね。なら、あなたたちをつぶしにかかろうかしら。まず手始めに、アレシマ空運局に働きかけて……」

 

 

「申し訳ございません!ですから、ですから今回の件は!」

 レオナにザラは、完全に平謝りだった。

 

「戦闘で撃墜されたのなら彼女自身の責任だけど、無茶な条件を課し続けるは、挙句味方を撃つ。……一体、何を考えているのかしら?」

 

 

「……彼女が受け入れたこと。それに、1度だけなら報復してもいいと言ったのも、彼女ですわ」

 

 

 レオナはエンマに頭を下げさせようと後頭部をつかんで押すが、彼女は抵抗する。

「随分、彼女のことを嫌っているじゃないの、空賊嫌い」

「当たり前ですわ!少し前に敵だったのに、疑わずに受け入れて一緒に戦えなど、無理な要求をしているのはあなた方ですわ!」

「彼女は足を洗ったのよ」

 

 

「悪党や空賊に改心など期待できないのは、よくわかっております!これまで散々な行いをしたのに、罪を問われず議員やマダムの庇護のもと、反省した善人ですと。そんな顔をしている彼女が気に食わない!信じられない!それが人として自然な感情なのではなくて!?」

 

 

「私たちがおかしい、そういいたいの?」

 

 

「結局、あなた方は彼女を敵にするのがこわいだけ。彼女の力に屈した敗者(・・)ではありませんこと?」

 

 

 ユーリアの眉がぴくっと吊り上がる。

 レオナとザラは額から汗を流しながらそわそわしている。

 

 

「エリート興業のように、自分達の足で歩こうと、自分達で一からやり直そうとしている元空賊もいるのに。議員たちの名声で守られ、努力しなくても信用される、信頼を勝ち取ろうとしていない彼女を信じろなど、もとより無理な話ですわ!」

 

 

 ユーリアもマダムも、醒めた目でエンマを見つめる。

「そんな彼女を雇うなど、何を考えているのかしら?」

 勝ち誇ったような笑みを浮かべるエンマ。しかし、マダムとユーリアはため息を吐き出す。

「あなたには、そう見えるの?」

「ええ」

「じゃあ、彼女が1人で努力をすれば、信用に足る、と?」

「勿論ですわ」

 ユーリアは大きなため息を吐き出した。

 

 

「それは、無理(・・)な話なのよ」

 

 

「あらあら、彼女は議員たちにおんぶにだっこされないと歩けもしないのかしら?なんてことでしょう」

 ユーリアは、内圧を下げるようにまた息を吐き出した。

「……そうじゃないの」

「では、どういう意味だとおっしゃるのかしら?」

 ユーリア議員はマダムを一瞥する。

 

 

「……ルゥルゥ。あなた本当に何も説明してないのね」

 

 

「その必要がなかったからよ。それに……」

 マダムは、目を細めユーリアを横目で見る。

 

「彼女の過去を、本人の居ないところでしゃべるのは、気が引けたからよ」

 

「そうやって彼女たちに甘い顔をしすぎるから、こんなことになったんじゃないの?」

 マダムは何も答えなかった。

 室内に険悪な空気が満ちる。

「まあ、いいわ。この際だから話すことにするわ」

 ユーリアは向かいに座る3人を見つめる。

「まず彼女をなぜ雇ったかについてだけど、これは私とホナミは強い用心棒が欲しい。ルゥルゥは賠償金の請求がしたい。それ以外に、彼女を敵にしないため、これはわかるわね」

 レオナは頷く。

「そして、もう1つあるの。それは……」

 ユーリアは言い放った。

 

 

「……ハルカを、守るため(・・・・)よ」

 

 

「「「……え?」」」

 

 3人はそろって呆然とした。

「どういうことですか?」

「守るもなにも、彼女そこまで弱くないんじゃ……」

 レオナにザラの疑問はもっともである。そもそも、ユーリアのもとにいるときのハルカの仕事は、秘書と荒事(・・)空戦(・・)である。

 守られるほど弱いはずはない。

「別の意味よ」

 どうも要領を得られず、3人は首をかしげる。

 

 

「あなたたち、賞金首って知っているわよね?」

 

 

 繋がりが見えず、レオナとザラは首をかしげる。

「そりゃあ……」

「知っていますけど……」

 賞金首というのは、捕まえて自警団に引き渡すとお金が支払われることが約束されている、その首に賞金がかけられた人々。

 

 要するにお尋ね者のことである。

 

 主に空賊やマフィア等の悪党がなる場合が殆どであり、賞金首を捕まえることを生業にしている賞金稼ぎたちが対になって存在している。

 得られる報酬はかなりの額になるが、それ相応に難易度は高い。

 報酬が高く、手配されているということは、自警団が取り逃がした、あるいは返り討ちに会い手に負えない相手であるため、報酬が高い賞金首ほど腕が良く捕まえることは容易ではない。

 伝説のムラクモ空賊団をはじめ、賞金首は凄腕が多い。

「ですけど、それが何の関係が……」

 言いながらレオナは察した。

「もしかして……」

「ええ……」

 ユーリアは静かに言った。

 

 

「ハルカはね、賞金首だったの」

 

 

 その場が静まり返った。

「そんな……、でも」

 レオナは妙に納得できてしまう自分を感じる。

 マダムがハルカに空賊時代にあげた戦果を聞いたとき、彼女は輸送船100隻以上、用心棒の機体を500機以上落としていると推定できた。

 それだけの被害をもたらしているなら、むしろ賞金首になっていないほうがおかしい。

「でも、彼女からはそんな話……」

「聞いたことないのも無理ないわ。だって……」

 ユーリアは手配書らしきものを取り出し、レオナたちにみせる。

 それを見て、彼女たちは首を傾げた。

「これが、手配書?」

 手配書には、彼女の機体、蒼い翼の零戦が描かれ、賞金の額が記載されているだけだった。

 その賞金の額にレオナたちは声を上げそうになるが、それより疑問がある。

「手配書は、普通似顔絵を描くか写真のはず。なぜ……」

「エリート興業の姐さんがいっていたでしょ?蒼い翼の零戦のパイロットは、性別も大人か子供かさえもわからなかったって」

 先日のアレシマで襲撃された件が記事になり、その記事にはユーリア、ホナミ、そしてハルカの3人が写真に写った。

 その新聞が話題を呼んだ理由が、悪魔と呼ばれた零戦のパイロットの顔が、初めてわかったからだというのが理由の1つだった。

「被害を受けた都市の自警団は手配書を作成したけど、どこもパイロットの顔がわからず、機体を描くしかなかったそうなの。でも、そのことで撃墜された零戦の残骸を使って偽装する事例が多発。結果被害は減らず、増えたのは賞金の額と被害だけ」

 似顔絵が描かれなかったために、ハルカは自分が手配されているなど、知らなかったのだろう。

「今も、賞金首なんですか?」

「今は違うわ」

 レオナはほっと胸をなでおろす。だが直後、疑問が湧き上がる。

「なぜ、今は賞金首ではないのですか?」

「……手配書を取り下げるよう働きかけたからよ」

 ユーリアはマダムをちらりと横目で見る。

「私とルゥルゥ、ホナミの3人で、手配書を作成した都市の自警団を説得したの」

「よく相手が納得しましたね……」

「札束で相手の頬を張り飛ばしたの」

 ユーリアの言ったことが、比喩でないことは皆が悟った。

「なぜ、そこまでしたのかしら?」

 エンマは訝し気な視線で見つめる。

「彼女が更生して活躍してくれれば、私の進める法案の有用性を示すのに都合がいい。ホナミは強い用心棒が得られる。ルゥルゥは賠償金が請求できる。死なれたら、それ以上なにもできないもの」

 あくまで表向きの理由だ。

 実際それぞれの思惑があり、足を洗った彼女を使えれば、費やした費用を超える利益が見込めるとユーリアたちは判断し、手に入れるべく動いたのだ。

 レオナは悟った。ハルカを3人で雇用することにした理由も、彼女が病院を退院した時点でその話を切り出したわけも。

 

 

「あの子がラハマの病院を退院した時点で、雇うという理由で保護(・・)できていなければ、もし彼女をあのまま荒野に放り出せば、賞金稼ぎたちに追われて逃亡生活を送るか、自警団につかまって刑務所に収容の上で処刑されるか、同じ空賊たちに報復に会うか。いずれにしても、ろくなことにならなかったでしょうね」

 

 

 ウミワシ通商にいた頃は根城に隠れていることが多く、遭遇した賞金稼ぎたちや敵対勢力は殲滅させられ、顔が知られてないから町に出ても問題はなかったし、彼女も印象に残りにくいよう努力はしていたようだ。

「でも、もう賞金首でないなら、関係ないのではないかしら?」

「賞金首から外すことができても、彼女の過去はなかったことにならない。彼女の顔を隠し続けるわけにもいかない以上、いつか恨む人々からの報復が予想される。そうなったとき、彼女を守るには著名な商会や、それこそ政治家のそばに置く必要があった」

 著名な人々のそばに置けば、彼らの威光で彼女を守ることができる。もし手出しなどすればどうなるか。容易に想像ができる。

 

 

「だから、彼女は私たちの威光をかさに好き勝手しているわけじゃない。私たちの威光がなければ、保護がなければ、普通の生活を送ることもできない。空賊嫌いのいうような、一から自分の足で歩くなんてことやろうにも、そんなことしたら彼女は逃げ続けるか、殺される末路しかなくなる」

 

 

 こうやって、議員たちの保護があったからこそ、ハルカはある程度の日常生活を送ることが許され、贖罪の機会を得ることができた。

 

「空賊嫌いさん、わかるかしら?あなたのしてくれたことは、私やホナミ、ルゥルゥがした努力に、費やした時間、あなたがどれだけ苦労しても稼げない莫大なお金。それら全てを無駄にするところだったのよ」

 

「彼女は用心棒。いつ死ぬかもわからない身の上ですわ」

「戦闘で撃墜されたのなら仕方がない。でも、あなたがやらせたように、わざと不利な条件下で戦わせるのは、仕方がないとはいわないわ」

 2人の間に、見えない火花が散る。

 

「もし彼女が不穏な動きを見せたら、私たちを裏切った場合は、どうされるおつもりですの?」

 

 すると、ユーリアは上着の下から何かを取り出した。

 黒光りするそれを見て、レオナたちは顔をひきつらせた。

「もし彼女が不穏な動きを見せた、その時は……」

 鋭く目を細め、彼女は言った。

 

「その場で始末せよ(・・・・)。そう評議会からは言われているわ」

 

 ユーリアが取り出したものは、黒光りする拳銃だった。恐らく、実弾が込められている。

「ルゥルゥ、あなたはなぜ止めなかったの?」

「エンマが、2,3回で納得してくれると思っていたからよ」

「そうやって部下を信頼した結果が、さっきの発砲?彼女にもしものことがあったら、どう責任を取るつもりだったの!?」

 エンマの体が、一瞬びくっと跳ねる。

「彼女は1発も撃ってないのに、あなたの部下は残り全てを彼女に向かって撃った。幸い撃墜には至らなかったけど、機体側面にかすった跡があったそうね」

 エンマは震え始める。無我夢中で気が付かなかったが、かすった弾はあったのだ。

「いくらハルカが言った条件とはいえ、空賊嫌いさん。あなたは彼女を本気で殺すつもりだったの?」

「そ、それは……」

 思えば、報復するということは、彼女を殺すことを意味する。

「ただの撃墜で済ますなら、翼を撃てばいい。でもあなたは、胴体を狙ったそうね」

 エンマの顔が青ざめる。

「……いずれにしても、ハルカが提示した条件は、1度だけ。これでお互い様、なんて言いたくないけど、軋轢を生むようなことはやめなさい」

「で、ですけど……」

 エンマはそれでも納得できない。

 元とはいえ、空賊を自分の数少ない居場所に居させるのが、何があっても受けいれられるものではない。

 

「……1つ言わせてもらっていい?」

 

 皆が黙り、先を促す。

 

 

「空賊嫌いさん。あなた、やっていることが空賊と同じ(・・)じゃない?」

 

 

「なっ!」

 エンマはその場に立ち上がった。彼女にとって、最も受け入れられない言葉。

 それは、嫌いなものと同じだということ。

「違いますわ!」

「違わないわ」

「私が社会のダニの空賊どもと、なぜ同じなのですか!彼らは略奪者、私は用心棒!」

「……同じよ。あなたが、ハルカにしたことを思い出しなさい」

「ですから、何が……」

 ユーリアはため息を吐き出した。

 

 

「自覚がないのね。引け目を感じる彼女に付け込み、自身の要求を無理にのませ、それを1度ならず2度、3度と繰り返し続けた。これ、空賊の手口と同じじゃない?」

 

 

 エンマは目を見開いた。

 

「そして最後は彼女に向け発砲し、命も持っていこうとした。弱みに付け込んで小さめの要求を何度も繰り返し、最後には全てを持っていく。これが、あなたの嫌いな空賊のやり方じゃなくて、一体なにというの?」

 

 

 彼女は何も言えなかった。

 そのまま、しおれた植物のように椅子に座りこみ、項垂れる。

「さ、話は終わりよ。これでもなお、彼女に無理難題をつきつけて試すのか、考えなさい」

 エンマはピクリとも動かず、レオナとザラに連れられ、部屋を出ていった。

 

 



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最終話 秘めた思惑と怒りの隊長

話を終え、レオナたちがいなくなった会議室で2人、マダムはユーリアに
疑問に思っていたことを問いただす。

そのころ、羽衣丸に帰ったキリエたちは搭乗口で何やら神妙な顔をして
待っていたエンマに戸惑う。
エンマは、元空賊の彼女に何やら話があると2人になるが……。

第3章最終話になります!



 コトブキの3人が去った会議室で、マダムが口を開いた。

「流石政治家、あなたを話術で打ち負かすのは難しいわね」

「あなたが言う?それに、ウソは言ってないでしょう?」

「そうね。彼女が活躍してくれれば、費やしたお金以上の利益が得られると見込んだ。だから彼女を賞金首から外すのに協力した」

「それでも少し財布には痛かったけど、まあ構わないわ」

 ハルカが賞金首だったのは事実で、手配書を取り下げるよう働きかけたことも、相手の頬を札束で張り飛ばしたのも本当のことだ。

 もっとも、自警団に支払った額は相当なもので、実に羽衣丸が3隻建造できてしまうほどの額になり、流石の政治家や有名な商会の社長でも財布に響くものだった。

「ルゥルゥ。本当は雇い主から外れて欲しいところだけど、私じゃコトブキのような環境は用意できない。だからって、胡坐をかかないでちょうだいよ」

「勿論。こちとら商人よ。報酬の分は働いてもらうけど、働いてくれた分はしっかり払うし、環境だって用意するわ」

「それより今回は、できれば、もっと早くに空賊嫌いを止めて欲しかったわ」

「それについては申し開きのしようがないわ。あそこまで頑なだなんて、私も思わなかったもの」

「そう。まあ、そういうことにしておいてあげるわ」

 ユーリアはそれ以上追求しなかった。

 

「ところで、1つ聞いてもいいかしら?」

 

 ユーリアはルゥルゥを見つめる。

「あなたは空賊離脱者支援法の有用性を証明するための手段、私は賠償金の請求がしたい。これはわかっているわね?」

 彼女は黙ってうなずく。

 

「それじゃあ、ホナミ議員の真意は何かしら?」

 

「……なぜ?」

「だって、ハルカさんを雇いたいって真っ先に名乗りを上げたのは彼女だった。そこに続いたのが、あなたと私。それに、ただの強い用心棒が欲しいにしては高額な費用の支払いにも応じたし」

 ルゥルゥは少し怪訝な視線で、ユーリアを見つめる。

 

「ただ自警団より強い用心棒が欲しいにしては、見ず知らずのお尋ね者だった彼女を雇うっていうし、行動が過剰に見えるのよ。それに、ホナミ議員はあなたと協力関係にある。敵になる心配がない以上、彼女の行動には少し疑問が残るのよ」

 

「……妙なところで疑り深いんだから」

「この荒野で商売をするには、これくらいでないとやっていけないの」

 微笑みながら返答を期待して待つルゥルゥに、ユーリアはため息を吐き出した。

「……他言無用で頼むわよ」

「ええ、勿論」

 そしてユーリアは、ホナミ議員の真意と、彼女とハルカの関係、最近分かったことをルゥルゥに話した。

 

 

「なるほど、それはそれは」

 

 

 相変わらず笑みを浮かべるルゥルゥ。

 

「まさか、ハルカさんがホナミ議員の血縁者だったとはね」

 

「ハルカの母親が、ホナミの姉だった。姉が残した最後の遺産。守りたくもなるわよ」

「それに加えて、ホナミさんの父親、ハリマ評議会の現議長、カスガ氏の孫」

「ついでにいうと、彼女の母親、現職のハリマ市長、シズネ氏にとってもね」

 ホナミ議員の家は政治家の一家。彼女は評議会の議員、父親は評議会の議長、母親は現職の市長をつとめている。

「随分な身内がいたものね」

 ハルカがいた父方の家系は、もう誰も残っていない。しかし、母方はまだ存命な方がいて、それがホナミ議員であり、カスガ議長、シズネ市長になる。

「最近、カスガ議長から手紙が来たの」

「なんて?」

 

「あの子に、ハルカに会いたい。会わせて欲しいって。アレシマの件が新聞にのって、ハリマで孫の生存を知ったのでしょうね」

 

「彼女は元とはいえ、空賊よ」

 

「……そんなこと関係ない。彼女がそうなってしまったのは、大変だった時期に手を差し伸べられなかった私たちの責任。生きていてくれただけで嬉しい。ホナミから説明をしてもらったけど、そういったそうよ」

 

「でも、彼女はホナミ議員を知っているような素振りはなかったように見えたけど……」

「……覚えていないのでしょうね。色々ありすぎて」

 彼女が幼かったのもあるかもしれないが、小さい頃から空戦の日々で、余分なものをそぎ落とさなければ生き残れなかったせいもあるだろう。

「……随分な子を拾ったのもね、ユーリア」

「何が?」

 

 

「だって、ハルカさんを味方につけている間は、少なくともハリマはあなたの敵になれないもの」

 

 

 彼らは少なくとも、孫を、姉の遺産を敵にしたくはないだろう。

「そういうあなたは、ルゥルゥ」

 マダムは表情を引きしめる。

「これから、ハリマとの交易を行いたいあなたにとって、彼女が味方にいるというのは交渉の上で大きな材料になるんじゃないかしら?」

 

「……今更ね。商人は、使えるものは何でも使うものなの」

 

「政治家も同じよ」

 

「そうね。それにしても、あの子が無理な条件で戦わされているのを知ってすぐ飛んでくるなんて、随分入れ込んでいるみたいね」

 

「……仕方がないじゃない。可愛いんだから」

 

 ルゥルゥは笑い出した。

「な、何がおかしいのよ!?」

「あなたの口から、可愛いなんて言葉を聞くとは、長生きはするものね」

「そんなに年老いたつもりはないけど」

 笑いこけるルゥルゥを放置して、ユーリアは表情を引き締める。

「ルゥルゥ、わかっているわね。もしこれ以上」

「ええ、勿論。もうエンマの無理難題はさせないから、安心して頂戴」

「できればもう少し早くそういってほしかったわよ」

「悪かったわ。でも、もう心配ないと思うわ」

「……そうだといいけど」

 

 

 

 

 町で時間を過ごしたキリエたちが、格納庫への階段を上っていく。

「あ……」

 登り切った搭乗口で、皆固まった。

 そこには、神妙な顔をしたエンマが立っていた。

「え、エンマ、あのさ……」

「ハルカさん……」

 キリエたちを無視し、彼女は話しかける。

 

「少し、お時間をいただけないかしら?」

 

 キリエたちが目配せする中、彼女は頷いた。

「ええ、いいですよ」

 2人が向かった先は、格納庫後部ハッチのそば。

「それで、なんですか?」

 すると、エンマは振り返った。

 

 

「ごめんなさい!」

 

 

 彼女は勢いよく頭を下げた。

「その、あなたのことを疑って、無理な要求を何度もさせて……。あなたに向かって、発砲して……。私の働いた無礼の数々、本当に、申し訳ございません!」

 エンマは身を固くした。

 ユーリア議員に言われて、今更ながらに気付いた。

 嫌いなものと同じになる。それは、もっともあってはいけないこと。

 かつて自分の家にされたことを、彼女に形はどうあれ、エンマはしてしまった。

 例えゴロツキ飛行隊と言われようとも、彼女は自身の数少ない居場所を守りたかった。

 そこに、自分の嫌いなものが来ることがいやだった。

 思い返せば、ハルカは自分が知っている悪党や空賊とは少し違っていた。

 でも空賊だと、自分が見てきたものと同じだと。そうレッテルと貼って彼女を見ようとしていなくて。

 そうしなければ、空で空賊と対峙したとき、機銃の引き金を引くのをためらってしまう。

 でもその結果、自分が嫌いな、社会のダニといってはばからない空賊と、同じ手口を使っていた。ひどい言葉もなげかけた。

 遂には、実弾を彼女に撃ちこもうとした。

 散々な目に会わせておいて、謝って済む問題ではない。

 どんな言葉が来るか、沈黙が重く背中にのしかかる。

 

 

「なんで、謝るんですか?」

 

 

「……は?」

 罵倒されると思っていたのに、出てきたのは意外な言葉で。

「私は、あなたに謝られる理由はありません」

 笑みを浮かべるハルカに、エンマは呆然とする。

「な、なんで謝るのか?謝られる理由が、思い当たる節がないというのかしら!?」

「ええ」

 エンマは、別の意味で驚きを隠せなかった。

 思わず、彼女の胸倉をつかみ、格納庫の壁に押し付けた。

 

「なんでですの!私があなたに何をしたのか!あなたはわかっているでしょう!」

 

「ええ、まあ……」

「ええ?まあ?なんで恨み言の1つも言わないのですの?なんで私を罵ろうとしないのですか?」

「なんでって、罵る趣味なんて、ありませんから……」

「そんな趣味あるとは思っておりませんわ!なんで……」

 エンマは俯き、震える。

 

「なんで!あの時私を撃たなかったのですの!?」

 

 味方にむけて発砲する。それは、もっともしてはいけない行為。あれだけのことをすれば、普通は逆に落とされるか、最低でも罵倒は避けられない。

「あれだけのことをされて、なんで恨み言の1つも言わないのですの!なんで謝る事実がないのですの!なんで……」

「……私は、言いましたよね」

 少し低めの声に、エンマは顔をあげる。

 

「私はあなたを落とした。だから、1度だけなら報復してもいい、と。これで恨みっこなし。そこで私があなたを罵倒したり、まして落としたりしたら、この仕返し合戦はどこでおわるんですか?」

 

 いわれてみればそうだが、だからといって心は納得してくれない。

「……でも」

「それに、エンマさんの反応が普通なわけですし、自分を落とした相手を受け入れにくいのも事実。なので、恨みなんて初めからありませんよ」

 エンマは口をつぐんだ。

 自分のしたことを簡単に許してもらえるとは思わなかったが、まさか謝る事実がないなどといわれるなど、誰が予想できたか。

「でも、あくまで私は仕事で来ているんです。私と仲良くしてなんて言いませんが、仕事に支障が出るほどの拒絶はしないでもらえると、助かります」

 苦笑しながら、彼女は言った。

「はあ……」

 エンマはため息を吐き出した。

「わかりましたわ」

「ありがとうございまず」

 エンマはため息を吐き出した。これまで彼女が見てきた、どの空賊とも一致しない彼女の様子に。

 

「……調子狂いますわね」

 

「何か?」

「なんでもありませんわ」

「そうですか……」

「ええ。お時間をとらせて申し訳ありません。話はこれで終わりですわ」

 直後、格納庫の床を壊さんばかりの力で踏みしめる音がした。

 

 

「なら……、今度は私からだ」

 

 

 聞き覚えのある声に、2人は一斉に振り返り、青ざめた。

「あれだけのことをして、何もなく終わると思ったか?」

 額に青筋を浮かべ、背後に炎が幻覚で見えるほどの怒りをあらわにしたレオナだった。

「今回の件で悪いのはエンマだが、それを受け入れ続けたハルカにも問題はある。それに」

 レオナに視線を向けられ、ハルカは身を縮こまらせる。

「君はさきほど、責めるなら私に、そう言ったな?」

「は、はい……」

「自分が口にしたことの責任は、きっちり取ってもらう。2人とも、これから私から説教だ!」

「「ひぃ!」」

「残念だけど、今回は私も怒っているからね~」

 隣には、柔らかな口調とは裏腹に怒りの表情を浮かべるザラがいた。

「じゃあ、まずは2人とも正座して頂戴。今すぐ!」

 即座に2人は格納庫の床に正座した。

 

 その後2人は、レオナとザラに数時間以上にわたって説教の嵐を浴びたのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

 かつて世界の中心と言われたイジツ最大の都市、イケスカ。

 その中央にそびえたつのは、ユーハングの文化の産物らしきものを歪に組み合わせた建築物、イサオタワー。

 その頂上にある城の主の過ごす部屋で、一人の男性が電話で誰かと話をしている。

「そうか。ショウト攻略戦は失敗。またしても件の零戦か。いや、ヒデアキ、君のせいじゃない。それに目的は完遂した。次の命令まで待機していてくれ」

 男性は電話を切った。

 そして広々とした机に置いた、1つの写真立てを見つめる。

 

「まさか、君がユーリアやコトブキ飛行隊の側につくとは、残念だ」

 

 男性はため息を吐き出す。

 ショウトの攻略を、彼はヒデアキに命じた。

 自警団の飛燕の稼働機数が減った今なら、落とすことはたやすいと。

 おまけに、ガドール評議会の内通者によって排除対象のユーリア議員がショウトに向かったという情報がもたらされた上に、ヒデアキが空賊からコトブキ飛行に羽衣丸までいるという情報を持ってきた。

 非常の都合のいい状況。このときを、逃す手はないと。

 だが、フタを開ければ攻略は失敗。

 その原因は、先のイケスカ動乱でイサオ様の野望を邪魔したコトブキ飛行隊と、悪魔と呼ばれる零戦。

 ただでさえ厄介なものが組み合わさった。

「これほど面倒なこともないな」

 ただ、男性の興味は別の所にあった。ショウトを襲撃する前に、彼はヒデアキに空賊にある機体を提供し、それで羽衣丸を襲うよう頼んだ。

 機体上面を暗い青色で、下面を白色、そして赤い稲妻を描いた零戦22型で。

 その機体を見て、あの蒼い翼の零戦のパイロットは反応し、加減して撃墜したり、追いかけたりした。

 

「どうやら、覚えてくれていたようだな」

 

 写真立てを見つめながら、男性は満足げに笑う。

「だが、敵になるなら君は脅威なだけだ。味方になってくれるなら喜んで迎え入れるが、どうしてもたてつくというなら……」

 男性は目を鋭く細める。

 

「そのときは、私が君を始末する。もっとも、たてつこうなどという気を、起こさせるつもりはないがな……」

 

 静かに、彼は言った。

「俺の理想を、大義を知ればな。せいぜい、それまで生き延びるんだな」

 口角を上げ、写真を見ながら。

 

 

「なあ……、ハルカ」

 

 

 1人しかいない部屋で、彼のつぶやきを聞いたものは、誰もいなかった。

 




ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました!
第3章「元空賊と空賊嫌い」はここまでとなります。


第3章は、エンマのファンの方々には嫌な内容となってしまい
申し訳ございません。
私はエンマが嫌いではありません。が、元空賊を主人公に据えて
いるので、エンマと同じ空間にいたらこうなることは避けられ
ないだろうと思い、3章は書きました。


後日短編を投稿する予定です。
4章開始までまたしばらく間が空くと思いますが、お付き合い
頂けたら幸いです。


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おまけ短編:敵機領空侵入、警告を実施

イジツの各都市には領空が設定されており、これを理由もなく
侵犯すると自警団などの武力をもって排除される。

侵してはいけない一線があるのは、人間関係も同じこと。
そしてその一線を侵したものは、どうなるのか……。

第3章のその後の話の短編になります。


*R-15と思われる内容になっております。

*この話に出てくるザラさんは少し嫉妬深いです。
 キャラ崩壊気味なので注意してください。



 イジツの各都市には領空というものが設定されており、近づくと所属や目的を、空港を管理している管制塔や自警団より聞かれる。これに応えられるなら問題はない。

 ただし、空賊はこれに応えることができない。故に、自警団がすぐさま発進し武力をもって排除される。

 領空は各都市が決めた、侵されてはいけない一線のようなもの。

 このように踏み越えてはいけない一線があるというのは、人間関係においても同様である。

 

 

 静寂が満ちる室内、時を刻む時計の針の音が妙に大きく聞こえる。

「あ、あの~」

 彼女は今、自身の身に起こっている状況に戸惑う。

 背中にはベッドの柔らかい感触、両手首には押さえつける強い力、そして目の前には仕事仲間の顔。

「ど、どうしたんですか?」

 彼女は自分を押し倒した、目の前にいる人物の名を呼んだ。

 

「ザラ、さん……」

 

「何かしら、ハルカさん?」

 

 ベッドに押し倒されている、黒髪を肩の下まで伸ばした女性をハルカ。彼女を上から見下ろしている、優美な体つきの大人の雰囲気の女性をザラという。

 ザラは凄腕飛行隊、コトブキ飛行隊の隊長レオナを支える副隊長で、レオナ曰く何度彼女に助けられたかわからないと言っていた。

 ハルカはそんなコトブキ飛行隊の雇い主、オウニ商会のマダム・ルゥルゥに仕事を依頼され、今回はコトブキの指揮下で行動を共にした。

 そして目的の都市に到着し荷下ろしを行って間もなく、空賊の襲撃があったもののこれを退け、明日出航するまでの間、パイロットは全員休暇を言い渡された。

 はずなのだが……。

 

 

―――なんで?どうしてこうなるの?

 

 

「ハルカさん?」

 いつの間にか、鼻先が触れそうなほどにザラの顔が迫っていたことに彼女は驚く。

「なんでこういうことになっているか、わかるかしら?」

「いえ、まったく……」

 ザラの瞳が細められ、鋭さを増した視線に射抜かれる。

「本当に?」

 いつも年下のキリエやチカたちを、母性溢れる視線で見守る母親、もしくは姉という立ち位置の彼女からはおおよそ考えられない表情を、目の前の彼女はしている。

「本当に、わからない?」

「……はい。痛っ!」

 瞬間、太ももの内側に鋭い痛みを感じ、顔をしかめた。

 

「あらごめんなさい、そんなに痛かった?」

 

 痛む箇所を見れば、ザラの右手の人差し指と親指がハルカの右足太ももの内側を抓っていた。

「ここって敏感な場所だから、少し抓っただけでも痛いのよね~」

 目の前の獲物をどう料理しようか、考えるのが楽しくて仕方がない。そんな口調で彼女は言い放つ。

「あの……」

「何かしら?」

「……何か、ザラさんに失礼なことをしてしまったのなら謝ります。ですから……」

「離してほしい?」

 彼女は頷く。するとザラは満面の笑みを浮かべる。

 

 

「だ~め」

 

 

 妙に楽しそうな口調で言い放った。

「だって、私はあなたに謝ってほしいわけじゃないもの」

「謝罪でダメなら、なんですか?」

 

「私はね、ただあなたに、警告(・・)をしたいだけなの」

 

 警告という言葉に、ハルカは首をかしげる。

「話を戻すけど、本当に何があったか覚えていない?……昨夜(・・)

 昨夜、というキーワードに彼女は脳内の記憶を必死に引っ張り出す。

「でも、昨夜って私、ザラさんに何もしていませんよね?」

 瞬間、再び視線が鋭くなる。少しばかりの殺気を含んで。

 

 

「本当に、何も、なかった、というのね?」

 

 

 若干震えながらも、彼女は頷く。

「そう。なら仕方がないわね」

 大きなため息を吐き出すと、彼女はまた顔を近づけてくる。

「じゃあ、思い出させてあげる。こうなった理由を……」

 そしてザラは、昨夜の出来事を離し始めた。

 

 

 

 

「みんな~、お疲れ~!」

 

 コトブキ飛行隊の隊員、赤いコートをまとった黒色の短い髪の女性、キリエが樽ジョッキを片手に、並々と注がれたビールを煽る。

 オウニ商会所有のラハマ船籍の輸送船、第2羽衣丸船内にある酒場兼食事処、ジョニーズ・サルーンにて、無事荷物を送り届けた打ち上げ会が行われたのは昨夜のこと。

 なお、今回は一時的ではあるものの、レオナの指揮下で動いたハルカの歓迎会も含めてだった。

「……キリエの声がいつもに比べ大きい。恐らく、あまり飲まないビールに含まれるアルコールの過剰摂取によるものと思われる」

「キリエ、飲みすぎは禁物ですわよ」

 テーブルで彼女のそばに腰かけているケイトが冷静に分析し、貴族風の格好をしているエンマが注意を促す。

「大丈夫、大丈夫~。苦い水みたいなものなんだから、すぐ酔っぱらうわけないって~」

 といいながらも、キリエの顔はもう着ているコートのように赤くなっており、陽気さが増し、呂律も怪しくなってきている。

「キリエさんて、いつもこうなんですか?」

 見たことのないキリエの様子に、今回参加した用心棒のハルカは戸惑う。

「……いつもはパンケーキにしか興味がない。パンケーキを差し置いてビールを飲むなど、キリエにはあり得ない」

「つまり、それほどに酔っている、ということですわ」

 それでも周囲は止めないあたり、もう慣れ切った光景なのだろうと彼女は察する。

 

 

「キリエ、まだジョッキ2杯目なのにもう顔真っ赤じゃん。弱いな~」

 

 

 そんな煽るような言葉に、即座にキリエは反応する。

「はぁ~?私が弱い?んなわけないじゃん!少なくとも、バカチよりは強いって!」

「そんなわけない!私がキリエに負けるわけないじゃん!」

 煽ったせいで火がついた挙句、その火に純度の高いアルコールでも注いだのか、炎は大きくなる様子しかない。

 そして2人はしばらくにらみ合うと、揃って店主のジョニーのいるカウンターへと座り込んだ。

「ど、どうしたんだい2人とも?」

 店主のジョニーがあたふたする中、キリエとチカはカウンターへ身を乗り出しながら言い放った。

 

「ジョニー!お酒出して!同じものを私とチカに!」

 

「どちらかが飲めなくなるまで!」

 

「だ、ダメだよ!まだラハマに帰るまでの仕事が……」

 

「いいから!」

 

「私たち、お酒に強いから!」

 

 そういう人物に限って強いためしはない。オドオドするジョニーに対し、ウエイトレスのリリコはため息を吐き出し、ビールのジョッキを2人の前に置いた。

 ジョッキを即座につかんだ2人は、にらみ合いながら中身のビールを体に流し込み、空になったらおかわりを、ビール以外の酒も要求し、ひたすらアルコールの沼へと脚を踏み入れていった。

 

 

 それから間もなく、2人は揃っていびきをかきながらカウンターに突っ伏した。

「やっと収まったか」

 そんな2人を横目に、隊長のレオナはビールのジョッキをあおる。

「いいんですか、放っておいて」

「いいんだ。その方が静かに飲める」

 先ほどまでのキリエとチカの飲み比べは、結局引き分けに終わった。大抵一緒に飛んでいるチカとキリエだが、ふとしたきっかけでよくケンカになるらしい。

 雇い主のマダムが乱暴や野蛮を嫌うことや、船で喧嘩したら高度何クーリルあろうと即刻叩き出すと言ったレオナの前では、見え透いた仲良しを演出しているらしい。

「でもレオナ、あなたも少しペースが早くない?大丈夫?」

「心配ない。そういう気分なんだ」

 心配するザラをよそに、レオナも次々ビールの注がれた樽ジョッキを空にしていく。

「……レオナ、ザラの言う通りペースが早い。少し水を挟むべき」

「明日は休み。それにたまには私も、酒におぼれたい、気分、なん……」

 言わんこっちゃない。

 いうが否や、レオナの呂律が怪しくなり、次第にふらついてきた。

 そして……。

 

「ひゃっ!」

 

 レオナは倒れこんだ。右隣に座っていた、ハルカの太ももへと。

「あらまあ、これじゃあキリエとチカのこと言えませんわ」

「……レオナの言う通り、酒におぼれた」

 ハルカは、太ももの上に倒れこんだレオナの頭をゆする。

「あの、レオナさん起きてください」

 だが飲みすぎたのか、彼女に起きる気配はない。

 それどころか枕と勘違いしているのか、両手で位置を調整すると、気持ちよさそうな寝息まで聞こえてきた。

「レオナさん、せめて寝るなら自室のベッドに」

 

 

「ゆすってはいけない」

 

 

 正面に座るケイトの言葉に、彼女は顔を上げる。

「ですけど、起こさないと……」

「……しばらく、そのまま寝かせておくべき」

 ケイトの言い放った言葉に、彼女は首をかしげる。

「……今回の依頼の最中、レオナはハルカとエンマの不仲に頭を悩ませていた」

 淡々と容赦なく言い放たれた事実は、2人の胸に深く突き刺さった。

 

 

「……お酒をいつもに比べて沢山早く飲んでいたのも、それによる心労がたまっていたためだと推測。だから膝枕くらい許して、レオナの心労の回復に協力するべき」

 

 

 ケイトから言い放たれたとは想像しにくい台詞に、ハルカは聞き返さずにはいられない。

「あの、ケイトさん?」

 

「……協力するべき」

 

 幻聴ではなかった。

「その、ですから……」

 

「……協力するべき」

 

 先ほどより、少し圧を込めていう。

「……その」

 

「……しなければならない」

 

 ケイトの淡々とした、静かであっても明確に圧を込めた言葉はハルカに抗弁を許さない。

 というより、今回の依頼の最中、レオナに気苦労をかけたのは彼女もわかっていた。

 

 

 元空賊のハルカと、空賊や悪党に家の財産を搾り取られたエンマ。

 

 

 こんな2人が同じ空間にいて、何も起こらないはずない。

 結果、ハルカはエンマに空賊ともうつながりがない、身の潔白を証明するために襲い来る空賊を単身で殲滅しなくてはいけなくなった。

 時に、被弾しているにもかかわらずレオナの命令を無視して空賊を追撃。殲滅に成功したものの、帰還直後に怒られた。

 途中空賊を取り逃がしそうになって、またも命令を無視して空賊を追い、一時行方不明になったりもした。

 そのことがユーリア議員に知れ、依頼の途中にも関わらずショウトにやってきたユーリア議員に連れていかれそうになったり、敵影を追うといって2人になる状況を作り出し、味方であるエンマから撃たれたり等。

 それらの事態に、レオナがどれだけ頭を悩ませていたか。

 彼女の心労がたまった理由の一端が自分にあるなら、反論などできない。

 

「……わかりました」

 

 やむなく、レオナに膝枕をしながら食事をする、という珍妙な行動をしなければならなくなった。

 だが間もなく、ハルカは何かただならぬ気配を感じ、防衛本能からかその方向をむいた。

 

「どうかした?」

 

「……いえ」

 その先にいたのは、副隊長のザラ。一瞬彼女の背後に禍々しい殺気のようなものが見えた気がしたが、彼女は気のせいだろうと流す。

 

「ひっ!」

 

 ふと、太ももに何か柔らかいものが触れる感触に悲鳴をあげる。見てみれば、枕に顔を埋めるように、レオナの顔が下を向きつつある。

 恐らく、彼女の唇が触れたのだろう。

 おまけに口が少し開いているようで、呼吸のたびに吸っては吐かれる吐息が肌の表面を撫でるように流れるせいでこそばゆいし、同時によだれが垂れてくる。

「あ、あの」

「起こしてはいけない」

 ケイトに制されてしまう。

 そんな状況で食が進むわけもなく、彼女は樽ジョッキにつがれたビールをちびちび飲むしかなかった。

 

 

 

「それで、結局こうなるんですか……」

 打ち上げが終わった後、キリエとチカはエンマとケイトに担がれ、自室へと戻っていった。

 そしてレオナも同じく目を覚まさず、ハルカが担いでいる。

 理由は言うまでもなく、ケイトの無言の圧力があったためだ。

 確かに、今回の騒動の原因は無論、彼女やエンマにある。レオナがどれほど頭を悩ませていたのか、想像するに余りある、

 そして、周囲はそんな騒動が憂鬱だったに違いない。なら少しばかり罪滅ぼしをするのは、仕方あるまいと自分を納得させる。

 そして、ハルカが間借りしているコトブキ飛行隊の隊長と副隊長の城たる部屋へ帰ってきた。

「よっこいせ……」

 背中に担いでいたレオナを静かにベッドに下ろすと、ザラが彼女の位置を調整して布団をかける。

 相変わらず寝息は安らかで、起きる気配はない。

 ハルカはスカートを少しめくりあげ、右足太ももの内側を見る。

「うう~、べとべと……」

 膝枕をしていた時、レオナの口から垂れたよだれが付いたままだった。

 とりあえず拭き取ろうと、ポケットからハンカチを取り出そうとする。

「ひゃっ!」

 直後、何かが太ももに押し付けられた。

 

「拭いてあげるから、動かないでね~」

 

「は、はあ……」

 労わるような、どこか撫でまわすような妙な手つきでザラは拭き取りを進めていく。

 その後酔いが回ってきたのか、拭く作業を終えると二人してベッドに転がった。

 因みに、ザラが太ももを拭いてくれたハンカチを、大事そうにポケットに仕舞うのを見たが、それをどうするのかは聞いてはいけない気がして、さっさと眠気におぼれることにした。

 

 

 そして翌朝、目がさめると彼女はシャワーを浴び、朝食を済ませ、出航まで何をしようか頭の中で考える。

「私はマダムと話があるから行くが、出航するまではまだ時間がある。羽を休ませておくようにな」

「羽を伸ばす、じゃないんですね?」

「ふふ、ほどほどにならいいぞ」

 一晩寝て二日酔いの様子もないレオナは、マダムの部屋へ向かっていった。

 とりあえず格納庫の愛機のもとへ行こうと思い、ハルカはドアへ向かって歩き出した。

 ドアノブをつかみ、扉を開けるべくノブをひねる。そしてドアを引いて開けようとした。

 瞬間、ドアが何者かによって閉められた。

 その原因、ドアを押さえている手を見ると、そこには、行動に反して笑みを浮かべているザラがいる。

「あ、あの……、ザラ、さん?」

 彼女は戸惑うハルカをよそに、ドアに鍵をかけた。

「ハルカさん……」

 不気味なほど満面な笑みを浮かべるザラが一歩近づくと、彼女は一歩後退る。

 明らかに好意的な状態ではないと悟るも、言っても飛行船内の狭い部屋の中。すぐ壁につきあたった。

 もう下がれないと脚を止めた彼女の首の左右に、逃がすものかと両手を壁についたザラは言った。

 

「ねえ、ちょっと、お話しない?」

 

 獲物を前にした蛇のような瞳で、彼女を見つめながら。

 

 

 

 

「ていうことがあったわよね?」

 回想とザラからの説明で、ハルカは昨夜から現在まで、何があったかを思い出した。

「1ついいですか?」

「何かしら?」

「今の話だけだと、ザラさんが私に何を警告したいのか、わからないんですけど?それに、なんで警告?」

 一瞬、彼女の額に青筋がたち、ハルカは縮こまった。

「えっとね~。あなたが朝起きてシャワーを浴びにいった直後、レオナが起きたの」

 思い返せば、二日酔いほどひどくは無かったが、彼女が部屋を出たときレオナはまだベッドの中だったはず。

「そのときね、彼女は言ったの……」

 

 

 

 ハルカが部屋を出た直後、レオナが起きた。

「う~ん……」

「おはよう、大丈夫?」

 アルコールが残っているのか痛む頭を押さえつつ、レオナは上半身を起こす。

「ああ……。ここは部屋のベッドか?」

「ええ。昨夜は随分飲んでいたわね。食事中に酔いつぶれちゃうなんて」

 ザラは、水を注いだコップをレオナに差し出す。

「ありがとう。その後の記憶がないんだが、何かしたか?」

「えっとね。隣の子の太ももに倒れこんじゃって、膝枕でしばらく寝ていたわよ?」

「そうだったのか。悪いことをしたな」

「ところで、寝心地はどうだった?」

 深い意味はなく、ただのイタズラ心だった。

「そうだな……」

 だが、この後のレオナの答えが、ザラの想定外のものだった。

 

 

「これまで膝枕してくれた人は何人かいるが、一番良かったな」

 

 

 一瞬、室内の空気が凍り付き、割れる音がザラには聞こえた。

「もしかして、ザラか?」

 ザラは思考回路が硬直していたが、機微に疎いコトブキ飛行隊隊長が気づく様子はない。間もなく、レオナの声に反応し即座に復旧する。

「え?私じゃ、ないわよ?」

「そうか。じゃあ、一体……。チカとキリエは、ないな。じゃあケイトかエンマか、それともハ」

「ハハハ……。そういえばシャワー浴びてないから、いきましょ。それに朝食も」

「え?ああ、そうだな」

 

 

 

「ていうことが、あったのよ!」

 

 ザラの手に力が込められる。

 

「これまでで!一番!よかった!そうなのよ!」

 

「は、はあ……」

 すると、ザラは目をかっと見開き、血走った瞳でハルカを見下ろす。

 

「許せない!これまでレオナに膝枕したり、2人で呑んだり、彼女の隣は、いつも私の居場所だった!レオナは、私を穴倉から救い出してくれた王子様。私は一生そばにいると誓った騎士。その間に、誰かが入る余地なんてないの!彼女の1番は、常に私だった!」

 

 最もレオナとの付き合いの長い、コトブキ飛行隊の副隊長。

「コトブキのメンバーが増えていくにつれ、レオナは私を見てくれなくなるんじゃないかって思った。でも、幸いになかった。レオナにとって、キリエやエンマたちは、あくまで年下の仲間や部下でしかないもの。なのに、それが少し崩れたの……」

 今度は、体温を感じさせない冷たい瞳で、ザラは彼女を見下ろす。

 

「あなたのせいで、ね……」

 

「私が、何をしたと?」

 

 またも殺気を含んだ冷たい視線で見つめられる。

 

「レオナに膝枕をした件以外にいくらでもあるわよ。レオナはね、あなたが病院で目を覚ましたとき、真っ先に駆け付けたでしょ?あなたがまた歩き出せるよう、家族の遺品を調べたり、行く先がないならコトブキに引き入れようと考えもした」

 

 それは、大事なもののために無我夢中で空をかけるハルカの姿が、かつて理想のために空を一心不乱に翔けた自身に少し似ていたからだ。

 それにより、どうもレオナはハルカを放っておけない節がある。

 その様子は、妹を放置できない姉のようで。

 

「少し、過保護なほどにね」

 

「レオナさんが、そんな……」

 知らなかった事実に彼女は驚きを隠せない。一方、ザラにとってはレオナの気持ちが自分以外に向けられているのが、どうも面白くない。

「まあ、そのことはいいわ。でも、レオナに膝枕したり、彼女の唇が体に触れたり、背中に負ぶったり、頭を撫でてもらったり……。あなたは、一時的とはいっても、私の専売特許を奪った上に、羨ましいことをされていたわよね~」

 レオナの唇が体に触れるなど、ザラでも経験がない。

 それに頭を撫でてもらえるのは、ある意味年下の特権である。

 

 

「だからね、私思ったの。私とレオナの間に突然食い込んできた泥棒猫(・・・)に、ちょっと警告しないといけないなって」

 

 

「いえ、でもあれは意図したわけじゃ、ただの偶然で」

「偶然であそこまで私たちの間に入ってこられるなら、なおの事放置できないわ」

 すると、ザラは紐を取り出し、それで彼女の両手首を素早くまとめた。

「え!ちょっと!」

 必死に逃れようとするが、ザラの両手は彼女の右足をつかんで離さない。 

 

 

「確か、レオナの唇が触れたのは、このあたりだったわよね~」

 

 

「ひゃっ!」

 右足太ももの内側を、ザラの舌が、レオナの唇が触れた跡を全て消すつもりかのように這いまわる。

 くすぐったいような、不快な、そんな感触が合わさった、味わったことのない未知の感覚に彼女は戸惑い、少しでも気を紛らわせたくてもがくが、両手は縛られ、足は押さえつけられ、できることは声を上げるだけ。

「可愛い声で鳴くのね。こういうのは初めて?」

「あ、当たり前で、あっ!」

 でも、声を上げればザラを喜ばせるだけで、やめてくれなくて。

 そのまましばらく、彼女はザラがあきらめてくれるまで耐えるしかなかった。

 

 

「はあ……、はあ……」

 ようやくザラが止まってくれたことに安堵した彼女は、肩で呼吸を繰り返す。

「さて、私とレオナの間に深入りするとどうなるか、わかったかしら?」

 声を出す気力もないのか、ハルカはゆっくり頷いた。

「そう。理解が早くてたすかるわ」

「ザ、ザラさん……。ですから、もう……」

「やめてほしい?」

 少し力をこめて、彼女は頷く。

「まだダメ、最後の仕上げをしないと」

 彼女は耳を疑った。

「け、警告ならもう十分わかりました。ですから……」

 

 

「ダ~メ。レオナといちゃつく様を見せつけられて、私の心を傷つけた責任はとってもらうわ」

 

 

 ザラは、彼女の右足をしっかりつかみ直す。

 

「ちょっと、恥ずかしい思いをしてもらおうと、思ってね~」

 またもザラがやめてくれるまで、彼女は声を上げ続けた。

 

 

 

 

「あ、ハルカにザラじゃん」

 昼時になり、コトブキ飛行隊の隊員たちがジョニーズ・サルーンに集まる。

「こっちこっち、パンケーキがおいしいよ~」

 元気よく手を振るキリエだが、少し怪訝な顔つきになる。

「あれ?ハルカ?」

「な、なんですか?」

 少し頬を赤らめ、彼女は次の言葉をまつ。

 

 

「右足のそれ、どうしたの?」

 

 

 キリエが疑問の思ったのは、ハルカの太ももにある虫に刺されたような赤い点の跡だ。

「あ、これですか?これは、いっ!」

 声を押し殺し、痛みに耐える。背後では、彼女のお尻をスカートの上から、ザラが力を込めて抓っている。

「蚊に刺されただけ。そうよね~」

 目を三日月のように細め、気味の悪い笑みを浮かべるザラを前に、彼女はただ頷く。

「え、ええ。そうです……」

「そうなの?」

「……にしては、随分数が多い」

「かゆくないの?」

「あはは、虫刺されの薬を付けましたから、大丈夫です」

 無論ウソだ。

 何度もザラに太ももを吸われ続け、つけられた跡だ。

 しかも、スカートの裾を引っ張っても隠せない絶妙な位置につけられたので、消えるまで少しばかり恥ずかしい思いをするしかない。

「……ハルカ」

 レオナ隊長が立ち上がり、彼女の前で足を止めた。

「な、なんですか?」

 そして顔を近づけると、おでこ同士をくっつけた。

 予想だにしない事態に、ハルカは硬直する。だが機微に疎い隊長さんはそんなことを知る由もない。

 目の前には、レオナの凛々しい瞳や、形のいい鼻や口が良く見えて。

「少し熱いかな……」

 間もなく、彼女は離れた。

「体調管理も、飛行機乗りの大事な仕事。疲れがたまっているなら、休むようにな」

「は、はい……」

 レオナが席に戻る一方、彼女は骨が折れんばかりの怪力で左肩を掴まれる。

 少しずつ顔を向けると、殺気のオーラを隠す気もないザラがいた。

「ハルカさん……」

 彼女は、ザラの言いたいことがわかった。

 

「あとで、じっくりお話しましょうね~」

 

 拒否権はなかった。

 

 その後、ハルカはザラとレオナの領空を絶対侵犯しないことを誓ったのだった。

 




侵してはいけない一線というものはどこにでもある、と思ったこと
から書いた話です。

コトブキ飛行隊の中で、最も付き合いが長くともに過ごしてきた
時間の長いレオナとザラ。

穴倉から救い出してくれた王子様と、共にいると誓った騎士。
頼り、頼られ、支え合ってきた2人の関係に下手に割り込んで
しまえばどうなるか。きっと母性溢れる副隊長さんでも容赦しない
に違いない。などと妄想した話となりました。




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おまけ短編:居眠り用心棒とイタズラ議員

停泊中の羽衣丸の一室で彼女は副操舵士のマリアに、ユーリア議員は変態なのか問われる。マリアを誤魔化すことは難しいと察した彼女は、思い当たる節のある、とある日の出来事を話し始める。
彼女が話始めたのは、マダムにとっては予想外、アンナにとっては恥ずかしい、マリアにとってはおいしい話だった。

*少々キャラ崩壊気味です。注意してください!



 羽衣丸の中には、簡単な遊戯に興じることができる部屋がある。

 もっとも、実際は船員同士のおしゃべりの場になっている。

 

「ねえ、ハルカさん」

 

 テーブルをはさんで向かい合うように座る、青い髪の気の弱そうな女性。羽衣丸副操舵士のマリアは、向かいに座る今回参加した用心棒、肩の下あたりまで黒い髪をのばした女性、ハルカに詰め寄る。

 

「聞きたいことがあるんだけど……」

 

 マリアの聞きたいことは、察しがついている。

 そして、予想通りの言葉が彼女の口からはなたれた。

 

 

「ユーリア議員って、変態なの!?」

 

 

 目をキラキラ輝かせながら聞いてくる彼女に、ハルカは両手を使って落ち着くよう促すも効果はない。

 この手の話題に飢えているのか、マリアは獲物を逃がすものかと詰め寄ったまま離れない。

「ま、まあ……。そう思う節が、ないわけじゃないですが……」

「……聞かせて」

 今度は両手をつかんでいう。

 

 

「あなたが知る、変態な話を!」

 

 

「わかりましたから、座ってもらえませんか?」

 いうとマリアはソファーに丁寧に腰かける。

 ちなみに、彼女の隣には顔を赤くするアンナ、そして苦笑するマダム・ルゥルゥがいる。

「アンナさん、恥ずかしいなら聞かなくても……」

「興味あるの。いいでしょ」

 おそらくマリアが先ほどのように暴走した場合の保険なのだろう、彼女には退出する気はないらしい。

「マダムは?」

「私も興味あるの。私の知らないユーリアは、どんな感じか、ね」

 キンダーの頃から付き合いのあるユーリアとマダム。知らないことの方が少ないのではないかと思うも、興味があるなら止める理由はない。

「ええ……。では、まず話を始める前に1つ、約束してほしいことがあるんですけど」

 水を差されたようでむすっと頬を膨らませるマリアの刺すような視線に耐えつつ、大事なことは言う。

 

「これから話すことは、他言無用でお願いしますね」

 

 なにせ、これから話すことは、ユーリアとハルカしかいない場面の話だ。情報が漏洩しようものなら、誰が話したのかはすぐ特定されてしまう。

 それに議員の名誉のためにも、釘は刺しておかねばならない。

 3人とも頷く。

 それを確認すると、彼女は呼吸を整えるように大きく息を吐き出す。

 あまり話したい内容ではないが、これもオウニ商会の人々と人間関係を構築するうえで必要なこと。そう自身に言い聞かせる。

「あれは、ある昼休みのことでした」

 ハルカはゆっくり話始める。

 思わず眠気を誘う、あるぽかぽか陽気だった日のことを……。

 

 

 

 

 

「くぅ~、かぁ~」

 ある日の昼休みのこと、ハルカはガドール評議会の評議員であり、雇い主であるユーリア議員の膝枕の役をこなしていた。

 といっても、したくてしているわけではない。

 ことの始まりは、ある日議員に仮眠をとられてはと言った際、突如太ももを触られ、枕にされたことがきっかけだった。

 しかもその様子を護衛隊の隊長と弟さんに目撃され、温かい笑みを向けられたときは恥ずかしかった。

 その後、この膝枕を気に入ってしまったユーリア議員にねだられ、昼休みの仮眠をとる際にはこうしていつも太ももを貸している。

 ちなみに、特別手当を払う、とユーリア議員は言った。

 それは嘘ではなく、後日本当に結構高額な手当が払われたときは驚いたものだった。

「くぅ、すぅ……」

 彼女が考え事をしている間も、議員の気持ちよさそうな寝息が一定のリズムで聞こえてくる。

「ふあ~」

 彼女もあくびをしながら、部屋の時計を見る。

 一応、午後の仕事を始める5分前に起こすことになっている。

 まだ、20分近く時間がある。

「それにしても、今日はいいぽかぽか陽気だな」

 ちょうどいい明るさに気温。まさに、昼寝をするにはうってつけの気候だった。

 それは同時に、眠気を誘発する。

「あれ……」

 ハルカは、まぶたが重さを増していくのに気づく。必死になって抗おうとするが、眠気は晴れるどころか強くなる一方だった。

「くぅ~、すぅ~」

 遂には、彼女も眠りの世界へと、意識が沈んでいったのだった。

 

 

 

 

「うん……」

 ユーリアは、両目をうっすらと開ける。

 そばにある時計を見れば、もう午後の仕事開始時刻を20分すぎている。

 彼女は体を回し、目覚まし時計の役も兼ねているハルカを見上げる。

「くぅ~、すぅ~」

 目覚まし時計兼枕役の彼女も、心地よさそうに寝息を立てていた。

「あらまあ……」

 部屋に鍵はかけてあるので、護衛隊の隊長たちが介入する心配はないが、指定した時間に起こすように言っておいたのに、この有様である。

 もっとも、この眠気を誘う日和では無理もないが。

「それにしても……」

 ユーリアはハルカの顔を見る。安心しきった、安らかな顔をしている。

 日頃議員の用心棒は緊張の糸を張っていることが多いので、そばにいるユーリアも彼女のこんな顔を見るのは初めてだった。

 

「ふむ……」

 

 ユーリアは口端を少し吊り上げ、微笑を浮かべる。

 ここまで無防備な彼女を見ることなど、恐らくそうない。

 となれば、わいてくるのはいたずら心(・・・・・)

 彼女は仕事机からカメラを取り出し、ハルカの寝顔や寝姿を写真に収めていく。

 あとで整備班たちに売りつければ、結構な額になるだろうと頭の中で勘定をしながら。

 ハルカは知らないだろうが、現状護衛隊唯一の女性パイロットであり、注目を浴びている。

 その上、体つきはいいし、見た目だっていい方だ。

 なので、ユーリア護衛隊整備班たちは彼女に見つからないよう、ひそかに写真を撮っては裏で取引をしているのは耳にしている。

 寝顔の写真など格納庫では撮れるはずもないので、さぞかし高値がつくに違いない。

 一通り写真を撮り終えると、ユーリアはカメラをおく。

 そして床にしゃがみ込むと、彼女のスカートの裾をつまみ、軽くめくってみる。

 

―――白いわね。

 

 シャワーを浴びるときや、何気ない日常の中でも何度か見ているが、こうやってみると少し雰囲気が違うし、どこか背徳的な感じがする。

 にしても、折角いい体つきをしているのだから、おしゃれに気をつかえばいいのに、と内心思う。

 そしてユーリアは考える。

 こんな機会滅多にないのだから、ハルカが驚くようなどっきりを仕掛けてみたい、と。

 頭の中であれこれ悩むが、どれもいまいちピンとこない。

 唸るユーリア。

 すると突然、彼女は楽しそうな、いたずら心のにじむ笑みを浮かべる。

 

「そうね、これはよさそうね……」

 

 彼女はいたずらをしかけるべく、さっそく行動に移った。

 

 

 

 

 

「ふあ~」

 あくびをしながら、ハルカは書類片手に廊下を歩く。

 気が付けば午後の仕事の開始時刻を過ぎてしまっていたが、ユーリア議員は特に咎めることはなかった。

 可愛い寝顔が見られたからそれでいいわよ、とか言っていたが。

「変態って噂もあることだし、気を付けないと」

 それにしても、気のせいか先ほどから周囲の視線が彼女は気になっていた。

 どうも彼女のことを横目でチラッと見ている。

 そんな周囲の行動に疑問を抱きつつも、彼女は目的地へ向かって歩いていく。

「おはよう、ハルカ君」

 ユーリア護衛隊の隊長と弟さんが前から歩いてきた。

「あ、隊長に弟さん」

「今日は2人して寝過ごしたのかな?鍵がかかったままだったぞ」

「アハハ、ええ。そうなんです……」

「まあ、この陽気なら仕方がないが……」

 ふと、隊長と弟さんが硬直した。

「あの、どうかされました?」

 隊長はわざとらしく咳払いをする。

「ハルカ君……」

 彼女は黙って言葉を待つ。

 

「鏡を見たか?」

 

「鏡?」

 身だしなみを気にしなければならない議員の護衛にいたからか、隊長は手鏡を取り出し、彼女に向ける。

 

 

「なっ!」

 

 

 反射して写し出された光景に、彼女は驚いた。

 鏡に写し出されたのは、彼女のおでこ。そこには、唇の形に口紅がハッキリとついていた。

「い、いつの間に!」

 こんな目につく所にこんなものがついていれば、そりゃあ通行人は気になりもする。

「……もう1つある」

 すると、隊長が指さしたのは彼女の左足太ももの外側。丁度スカートの裾の下あたり。

 そこを見てみると、おでこと同様唇の形に口紅がついていた。

 こんなことをしそうな人物。いや、できる人物など、1人しかいない。

 

 

「……あの変態議員!!」

 

 

 彼女は怒りをあらわにし、即座に回れ右をすると、ユーリア議員の仕事部屋へと走って行った。

 

 

 

 

 怒りの表情を浮かべ、走り去っていくハルカの背中を見送った護衛隊の隊長と弟さんは、笑みを浮かべる。

「ハハハ。ユーリア議員がイタズラを仕掛けるとは、余程気に入っているようだ」

「楽しそうで何よりだね、お兄ちゃん」

「全くだ、弟。退屈しないな。それに、彼女の色んな表情も見られたことだし」

 アレシマへの外遊に同行した際、ハルカはユーリアの考えに賛同し、その上議員の目指す先を見てみたいと期待を込めていった。

 それが議員は余程嬉しかったのか、彼女をそばに置くことが多くなっている。

 昼休みに昼寝の際膝枕を頼むのも、こういったイタズラを仕掛けるのも、彼女との仲を深めるためだろう。

 やり方はあれだが。

「何はともあれ、議員が楽しそうで何より」

「彼女も馴染んできたようだしな」

 護衛隊に来た当時のハルカは、どちらかというと表情が硬く、周囲と距離を取ろうとする方だった。

 過去の経歴故仕方がない部分もあるが、いつまでもそれでは寂しいと、ユーリア議員や整備班長たちは言った。

 でも、最近はコロコロ表情を変えたり、段々彼女は自分を出せるようになっている。

 先ほど議員のイタズラで、滅多に見ない怒りの表情を浮かべたあたり、少し荒療治ではあるが効果はあったのだろう。

「さて、我々も仕事に戻るとするか、弟」

「はいよ、お兄ちゃん」

 護衛隊の兄弟は、ハルカのあとをゆっくり追って、仕事場へと向かった。

 

 

 

 

「ユーリア議員!!」

 ハルカは、ユーリアの仕事部屋の扉を勢いよく開け放った。

「あら~、どうしたのそんなにあわてて」

 怒りの表情を浮かべるハルカを、ユーリア議員は余裕の笑みで、いたずら心をにじませた顔で見つめる。

 彼女は確信した。

 間違いない。ユーリア議員は、この場に彼女がなぜこんな様子で現れたのかを理解している。

 

「ひどいじゃないですか!?おでこや太ももに口紅つけるなんて!道中の人々に見られて、気づいたとき恥ずかしかったんですよ!」

 

「あらそう?でも、もとを正せば、起こすようにって頼んだのに、無防備に眠りこけちゃったあなたが悪いんじゃないかしら?」

 

「うぐっ……」

「これは、それに対する、ちょっとしたお仕置きよ」

「ぐぬぬ……」

 楽しそうに言うユーリア議員に対し、ハルカは言葉に詰まる。

 確かに、議員の言っていることは間違いではない。

 時間になったら起こすよう頼まれていたのに、それを守らなかった制裁、と言われてしまえばそれまでだ。

「私は楽しかったから、隙あらばまたしちゃうかもしれないわね~」

「……今後は寝ないようにします」

 彼女はそう心に誓う。

「ところで、口紅をつけたのは2か所だけですか?」

 濡らしたハンカチで口紅を落としながら彼女は問う。

「ええ、その2か所だけよ。折角だから、落とさなくてもいいんじゃない?」

 微笑みながらユーリア議員は言う。

「こんなのつけて、外を歩けるわけないでしょう!」

 間違いなくあらぬ疑いを招くことになるというのに、議員は楽しそうに微笑む。

 そして、口紅を落とした彼女はいつも通り仕事を始めるのだった。

 

 ちなみに、口紅をつけられたのはもう1か所あった。

 その日の夜。シャワーを浴びるため服を脱いだハルカは、右足の付け根あたりに唇の形に口紅がついているのを見つけ、悲鳴を上げることになったのだった。

 

 

 

 

「ということが、ありまして……」

 マダムは笑みをひきつらせ、アンナは頬を赤く染める。一方のマリアは、目をきらきら輝かせている。

 

「やっぱり、変態なんですね!」

 嬉しそうに言うマリア。

 

「変、態……」

 羞恥に頬を赤く染めるアンナ。

 

「他に、他にはないんですか!?」

 次をせがむマリア。そんな彼女を、ようやく硬直から体がとけたアンナが引き離した。

「はいはい。続きはまた今度」

「ぶ~」

 口を尖らせるマリア。

 折角楽しくなってきたのに、それを邪魔され不満そうだ。

「ハルカさん」

 引きつった笑みを浮かべながら、マダムが口を開いた。

 

「念のために言っておくけど、自分の身が危ないと思ったら、私の所でもホナミ議員の所でもいいから、逃げてきなさいね」

 

 マダムも想像できない内容だったようで、身を案じてくれているようだ。

「……逃げられると思いますか?」

 彼女は苦笑しながら応える。

 なにせ、相手は比喩ではなく、本当に相手の頬を札束で張り飛ばすことさえ辞さない人だ。

 仮に逃げ出しても、あらゆる方法を使って見つけ出そうとするのは想像に難くない。

「そうね……。まあ悪い人じゃないから、どうしても嫌なら、きちんと話し合いなさい。話は通じる相手だから」

「そうします。あとはまあ、ほどほどになるように、気を付けます」

 少なくとも、ハルカもユーリア議員との日常を嫌ってはいない。

 ラハマで同胞だったウミワシ通商の飛行隊を殲滅し、家族が誰も生きていないことを聞かされた直後、これからどうなるのか不安しかなかったときのことを思えば、こんな日々が送れるとは彼女は想像もできなかった。

 今は生活に不自由はしてないし、内容はアレだが、時々イタズラがある程度で済んでいる。

 それに、彼らの保護がなければ、こんな日々を送ることはできなかったのだから。

 

 平穏な日々、時々荒事に空戦。そしてイタズラ。

 

 そんな日々がこれからも続くことを、彼女はひそかに願うのだった。

「ハルカさん」

 いつの間にか、マリアが目の前に迫っていた。

「また今度、別の話を聞かせてくださいね」

「……ダメという選択肢は?」

「無理」

 折角見つけた話のネタを手放すつもりはないのか、彼女はぐいぐい迫ってくる。

「まあ、そんな過激なものでなくていいなら……」

「ええ、勿論」

 期待に目を輝かせるマリアを見ると、少し恥ずかしいが、また別の話を用意しておこうと彼女は思うのだった。

 無論、口外禁止という条件で。

 

 同時に彼女は、いつか彼らの口からユーリア議員の耳に入らないか、一抹の不安を抱くのだった。

 




ユーリア議員が変態というのは、無論このような意味でないのはアニメで語られていますが、アニメや小説で変態という言葉に反応し、目を輝かせ、興味ありげに微笑むマリアが印象に残っていたので、このような話を書いてみました。

公式小説で「変態な話題ですか」とナツオ班長の話に食いついていたあたり、
マリアは変態な話題に飢えているのでしょうかね……。



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おまけ短編:ナツオ整備班長の戦闘機解説「零戦22型」

「元空賊と空賊嫌い」に少し登場した零戦22型の解説になります。
あまり面白みはないかもしれませんが、続きました。



 照明の落とされた羽衣丸の船内を、コトブキ飛行隊のキリエ、チカは静かに歩き、目的地である格納庫へと足を踏み入れる。

 そのとき、格納庫内の明かりが一斉に点灯し、一角を明るく照らした。

 そこにいたのは……。

 

 

「おう、てめえら!さぼらずよく来たな!」

 

 

 この場に2人を呼び出した張本人、ナツオ整備班長はそばに置いた黒板を拳で殴りながら言い放った。

 

 

「それじゃあ、ナツオ整備班長の戦闘機解説講座、開講だああああ!」

 

 

 ナツオ整備班長の戦闘機解説講座。その名の通り、ナツオ整備班長が戦闘機、もとい飛行機について懇切丁寧に解説してくれる講座である。

 

 

「じゃあ、飛行機乗りのくせに、飛行機のことをなんにも知らないお前たちのために、この私が特別に教育してやる!ありがたく思え!」

「「は~い」」

 気だるそうな返事を返すキリエとチカ。

「おうおう、どうしたお前たち、気だるそうな返事して。飛行機でくるくる回りすぎて、乗り物酔いでもしたのか?」

「だってねえ……」

「まさかこの講座が続くなんてね……」

「予想外だったというか……」

「色々疲れるというか……」

「だまらっしゃい!この講座が続くかどうかは、筆者のやる気としのぎ次第だっつったろ?」

「また大人の事情ってやつ?」

「メタい発言は禁止だ!黙って素直に講座をきけえええええ!そして、整備班への負担軽減に貢献しろおおおおお!」

「「は~い」」

 それでもなお、気だるい返事をする2人。

 

「オホン。さて、今回のテーマは、零戦22型だ」

 

「作中で少し登場した、赤い稲妻が描かれた零戦だよね?」

「空賊に紛れて登場してきたね」

「ハルカが手心加えて落としたり、なぜかレオナの命令無視して追いかけていったよね」

「なんでだろう?」

 

「いずれわかる」

 

「……ここでは言わないの?」

「キリエ、これはあくまで戦闘機解説講座であって、ネタバレを含むレビューではないんだ」

「あ~、はいはい」

 キリエはそれ以上追求しなかった。

 

「それでは、22型について解説していく」

「というか、また零戦なの~」

「仕方ないだろう。今回登場した機体だ。解説しないわけにはいかないだろう」

 口を尖らせるキリエを無視し、ナツオは進めていく。

「で、零戦については以前にも解説したな。先行量産機の11型。艦上機の装備を取り付けた21型。翼端の折り畳み機構を無くし、切り詰めて、エンジンを換装した32型。そして次に作られたのが、この22型なんだ」

「22型ってことは、機体改修は21型と同じで、エンジンを換装したってことだよね?」

「うむ、チカの言う通りだ」

「でもさ、これってさっきの流れを見ると、順当に行けば42型とかになるんじゃないの?」

「32型を作ったのに、なんで22型って機体改修の番号が戻っているの?」

「ああ、まあそれには事情があってな」

 キリエとチカは首を傾げる。

「22型が作られたのは、32型のあとだ。作ったのは、32型の問題点と、当時ユーハングが直面していた問題がかかわっているんだ」

 2人は黙って言葉を待つ。

「21型はいい機体だったんだが、それに胡坐をかいていると、敵さんはもっといい機体を作って対抗してくる。だから零戦も後継が現れるまで、改修を続けていくことになる。手始めにエンジンを新型の栄二一型に換装、それと翼端の折り畳み機構を無くして生産性を上げ、零戦の弱点だった横転性能の悪さを改善、翼面積を減らすことで空気抵抗を軽減させ速度向上を狙った改修機として、32型が作られた」

「「うんうん」」

「新型機ってのは、多くが戦闘の激しい最前線に送られる。32型も例にもれず、そういった場所へ送られた」

「そこで活躍したの?」

 新型機なら、登場して早々活躍するというのが期待される。

 だが、ナツオ班長はため息を吐き出す。

「……残念ながら、機体性能自体はよかったんだが、時期が悪かった」

「どういうこと?」

「当時のユーハング戦闘機の戦場は、広大な海を島から島へ飛ぶことが多かったんだ。32型が配備され始めて間もなく、敵さんがユーハングがとある島に作った基地を奪った。それを奪い返すために空襲を連日行うことになり、零戦隊も行くことになったんだが……」

「だけど……」

「目的の基地までは、往復2000km以上もあった。21型の航続距離が約3300kmとはいえ、戦闘時になれば巡航時の倍以上もの燃料を消費する。基地の上空にとどまれるのは、15分が限界だった」

「ええ、たったそれだけ……」

 チカが驚きの表情を浮かべる。

「おまけに片道3時間半も飛び続けた上に、空戦を行い、また3時間半かけて戻らなきゃならん。過酷な旅路だ」

 

「3時間半!お尻が死んじゃう!」

 

「トイレどうするのさ!」

 

 ナツオ班長は、どこか遠い目をする。

 

「……どうにもならん」

 

「「無理いいいいいいい!」」

 

 女性の2人には切実な問題だった。

「まあ、21型でさえそんな有様だ。エンジン換装によって燃費が悪化した上に、燃料タンクが圧迫されて容量が21型に比べ60リットルほども減った32型では、目的地に到着することができず、戦力になれなかった。現地の人間から、32型はいいから21型を送ってくれ、なんて連絡があったくらいだ」

「そりゃあ、現場にいけないんじゃ……」

「意味ないよね……」

「その通り。32型自体悪い機体ではなかったし、後に近い位置に基地が作られて短い航続距離の32型でも参戦できるようになったんだが、配備された時期と場所が悪かったせいで、32型はどうも人気と印象が、なあ……。結局、32型は300機少々で生産が打ち切られた」

 活躍の場を与えられなかった不遇な兵器とは、どの時代にもあるものだ。

「そこで急いで開発されたのが、今回のテーマ、零戦22型だ」

「やっと話が戻ってきた~」

 キリエが遠い目をする。

「前線部隊からの要求はいくつかあった。まあ、32型のことがあったから、まずは航続距離の回復の要望が強かった」

「そうなるよね」

「次いで強かったのが、旋回性能を21型と同等に戻すことだった」

「へ?旋回性能が下がっていたの?」

「32型は、翼端を切り詰めたことで翼面積が減ったうえに、機銃の弾を増やしたことで主翼の桁を強化したり、エンジンが大きくなったことで圧迫された燃料タンクを翼内に増設したりで、重量が増加。翼面荷重が増えた分、21型に比べると旋回性能は下がっていたんだ」

「そうなんだ」

「この2つの要求を満たすために、32型の角ばった翼端の主翼から、21型の主翼に改造を施した上で戻した。このことで折り畳み機構が復活している。見た目は21型のものと変わらない」

「それで番号が戻っていたんだね」

「ああ。そして換装したエンジン、栄21型は燃費が悪化していたから、使用する燃料が増大することを見込んだ上で、翼内に燃料タンクがさらに増設された。21型の3300kmには及ばないまでも2700kmくらいには戻った。また翼面積が増えたことで、旋回性能も同程度に戻っている。改造に伴い32型に比べ100kg近く重量が増えたが、それでも速度は540kmを維持。20mm機銃も32型と同じで、弾は100発だ」

「なんか、正当な21型の強化型みたいだね」

「まあ21型に比べ、速度は若干向上。航続距離に旋回性能を極力低下させずエンジン換装の恩恵を受けた。中ではバランスが最も取れた零戦ともいわれている。見た目は、21型の胴体に32型のエンジンを取り付けただけだがな」

「じゃあ、これで活躍したの!?」

 チカが問うが、ナツオ班長の表情は晴れない。

「残念だが、22型が配備され始めたころには、その場所でユーハングの敗北が濃厚になってしまってな。折角回復させた航続距離に旋回性能を生かす機会がほぼないまま、生産が500機少しで終わってしまった」

「「ええ~……」」

「その後は、敵さんの機体の速度向上が目覚ましくてな。敵さんは零戦を分析し、21型や22型が得意とするような格闘戦は避けるようになった。結果、ユーハングも速度を上げるため22型のような広い翼面積は求められなくなり、32型で試された翼端を切り詰める方針が引き継がれ、結果作られたのがハルカも乗っている52型だ」

「じゃあ、21型の意向を引きついだ零戦は22型で終わったわけ?」

「そういうことになるな。以降の零戦は、いずれも旋回性能が下がっている」

「くるくる回る能力を落とした零戦ってどうなの?」

「それって零戦じゃないんじゃ……」

「やっぱ戦闘機は、くるくる回ってなんぼだよね」

「ちがいない」

 ナツオは遠い目で2人を見つめる。

 

「ああ~、ここにも格闘戦至上主義がいたよ~」

 

 彼女はため息を吐き出した。

「敵に追いつけないんじゃ、格闘戦をどこで演じるっていうんだ。この方針は、決して間違いじゃない。問題だったのは、後継機が一向に現れなかったことだ」

「まあ、そうだよね」

「どんな機体も、性能が良くても、時期や使い方で活躍もすれば、不遇に終わりもする。そういう意味で、32型に22型は、時期の悪かった機体なんだよ」

「そっか~」

「よし、今日の解説はここまでだ。次回があったら、よろしくな!」

「「は~い」」

 

 




アニメでは零戦21型、32型、52型が登場したのに、なぜ22型が登場しないの
かと思い、作中で登場してもらいました。

なぜ主人公が22型を追いかけていったのか、それを明かすのは
しばらく先になると思います。
気になる方は、どうかそれまでお付き合い頂けたら幸いです。

ありがとうございました。


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第4章 全ての始まりの地で……
第1話 追加依頼の道中で


ショウトへの輸送任務を終え、空賊からの襲撃も退けた
オウニ商会とコトブキ飛行隊のメンバーたち。
本来ならラハマへ帰還する予定だった彼女たちに、
ショウト市長より追加の依頼が入った。


「よし、点火だ!」

 

 整備員の着るツナギを着た幼く見える女性、ナツオ班長の合図で、零戦の操縦席に座る黒髪の女性、ハルカは愛機のエンジンを始動させる。

「エンジン始動よし。次、動翼のチェック」

 指示通り、ハルカは愛機の零戦52型丙、レイの補助翼やフラップ等の動翼を作動させる。

「次、プロペラピッチ変更。ピッチ角を大へ」

 スロットルレバー近くのプロペラピッチ変更レバーを手前に引き、ピッチ角を大きくする。

 エンジンの回転数が落ちるのを確認。

「次、低ピッチ」

 レバーを操作し、ピッチ角を変える。

「よし、動作確認終了。いいぞ」

 確認作業を終え、ハルカはエンジンを切った。

「すまなかったな、整備につき合わせちまって」

「いえ、自分の相棒のことですから」

 彼女は操縦席から下りる。

 次の目的地へ着くまでの間、パイロットたちは空賊の襲来に備えて待機が命じられている。

 その間に、整備班は機体の整備を行う。

 そんな中、ナツオ班長は機体のパイロットであるハルカに整備を一部手伝ってほしいと頼んだ。

「にしても、てめえ中々整備の腕がいいな」

 ナツオ班長は、手慣れた様子で愛機の整備を行っていく彼女の様子に驚いた。

 エンジンの整備や主翼の機銃の角度の確認など、どれもちゃんとこなしていた。

 整備班の助けがいらないほどだと、ナツオは思った。

「コトブキのキリエやチカに見習わせたいくらいだ」

「ハハハ、自分で整備しないといけない環境でしたし、大事な相棒のことですから」

 ガドール評議会護衛隊や、コトブキ飛行隊のもとにいる今はいいが、空賊であったウミワシ通商にいたころは、専属の整備士などいなかったため、自分で機体の整備はやらなければならない。

 自警団から逃げ回ることもあり、中々整備を他人任せにしにくいというのもあった。

「整備の仕方は誰から教わったんだ?」

「……この機体をくれた、祖父からです」

 彼女は愛機に近寄り、右手でやさしくカウリングを撫でる。

「機体の整備に、操縦方法、航法、修理。他に護身術や計算。なにより……」

 彼女は、どこか遠い目をしながら言った。

「空を飛ぶ楽しさを、教えてくれた人でした」

 彼女の瞳には、懐かしさに、少しばかりの悲しみが滲んでいる。

「そうか……。今はどうしているんだ、その爺さん」

「リノウチ空戦から間もなく、……私にこの機体を渡して、イケスカに行ったきり行方不明になってしまって」

「……悪い」

 ナツオ班長は、ばつが悪そうに言った。

「いえ、気にしないでください。……何年も前の話ですから」

「そうか……。ところで、何でこの機体には主翼にあるはずの13.2mm機銃がないんだ?」

 話題を変えるつもりのナツオ班長だったが、彼女は整備一本で生きてきた人間。若者の話題などしらず、結局機体の話になってしまう。

 整備員たちからは、見た目は少女、中身はおっさんともっぱらの噂である。

「この機体は、もともと祖父が乗っていた機体を手本にして、父が祖父と一緒に部品から作ったんです。古くなった祖父の機体を新造するついでにって」

「じゃあ、爺さんも52型丙に乗っていたのか?」

「はい。なぜか祖父の機体も、主翼の機銃が20mmしかなくて。それを参考に作ったから、レイも同じなんです」

「何機作ったんだ?」

「3機です。1機は祖父の機体の新造。2機目は父に。3機目が私の相棒に」

「なるほど」

 

 

「……聞きたいことがある」

 

 

 突如割り込んできた声に、ナツオ班長とハルカは驚き、同時に声のした方向へ振り向く。

 そこに居たのは、髪を左右で分けてしばった、いつも限りなく同じ表情を浮かべている人物。

「ケイトか、驚かせるな」

「……驚かせる意図はない。5分前からここにいた」

 にしては2人とも気づけなかったあたり、気配を消すのが上手いのかもしれない。

「だったら声くらいかけてくれ、心臓に悪い」

「2人が楽しそうに話している邪魔をしたくなかった」

「そうか……。で、聞きたいことって?」

 すると、ケイトはハルカへ視線を向ける。

「ハルカの零戦に描かれている、マークについて」

「レイの?」

 ケイトは視線を彼女の愛機の主翼へ向ける。

「あの主翼や胴体に描かれている、フチが白色で、水色の丸のマーク」

「ああ、そういやあ、何か意味があるのか?」

 ナツオ班長も興味を持ったらしい。

 

 

「……あれは、ユーハングの機体に描かれていたマークと酷似している」

 

 

 ナツオ班長は目を見開き、ケイトは瞳を細め、ハルカをじっと見つめる。

 

 

「ハルカは、ユーハングの関係者(・・・・・・・・・)なのか?」

 

 

 じっと見据えて視線がぶれないケイト。驚きの表情の班長に見つめられる。

 そんな2人に彼女は、首を横に振った。

「残念ですけど、ご期待には沿えません。私はイジツ生まれの人間です」

 大きく息を吐き出すナツオ班長。でも、ケイトの視線はブレない。

「第一、穴を通ってユーハングが帰っていったのは、70年以上も前の話でしょう?」

「……アレンは、その後も穴が定期的に開いていると言っている。イケスカ動乱の際にも、ラハマ、イケスカで穴が開いた。その後でも来た可能性はある」

「……アレン?」

「アレンはケイトの……、甲斐性無し(・・・・・)の兄」

「お兄さんがいたんですか?というか、兄のことを甲斐性なしって……」

「事実だから問題ない」

 珍しく感情をこめているなあと思う一方、容赦がないなあ、とハルカは苦笑する。

「お兄さんは大事にしないといけませんよ。……いなくなったら、どんな兄であれ悲しいですから」

「……ハルカにも兄がいるのか?」

「正確には、いた、です。負けず嫌いで、いつもお姉ちゃんと張り合っていて。喧嘩することが多くて、最後は空戦に発展して、実弾で撃ち合って。そしてお爺ちゃんやお父さんから叱られて……」

 想い出の懐かしさに浸りそうになる中、さも当然のように実弾で撃ち合うといった彼女に、ナツオ班長は顔を引くつかせた。

「でも、私のことは可愛がってくれました。仕事から帰ってくるたび、小さかった私のこといつも抱き上げてくれて……。出発するときには、頭を撫でてくれて……。でも……」

 彼女の表情が曇る。

「お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、お父さんも……。リノウチ空戦に行って、帰ってきませんでした」

 ハルカの瞳に闇が滲む。

 その後、彼女は色んな仕事をやった果てに空賊に身を落とし、残された家族さえなくし、1人残された。

 彼女はまだ、彼らに引きずられている。

「そういえば、イケスカに行く直前。この機体を渡されたとき、祖父はこんなことを言っていました」

 彼女は愛機を眺めながらいった。

 

 

「この模様は、イジツとユーハングが、確かにつながっていたんだ、ということを示す模様だと」

 

 

「……どういう意味だ?」

「わかりません。この模様を選んだ祖父は行方不明で、当時もそれ以上のことは話してくれませんでしたから」

「おめえの爺さん、ユーハングに憧れでもあったのか?」

「かもしれません」

 ハルカはそれ以上、何も言わなかった。

 

「ケイト~、ハルカ~」

 

 ふと、元気よく右腕を左右に大きく振りながら歩いてくる、赤いコートを着た人影が1人と、赤髪を縛った凛々しい顔つきの女性が1人歩いてくる。

「キリエさんに、レオナさん?」

「2人とも、そろそろおひるごはんの時間だよ。サルーンに行こう」

「もうそんな時間ですか?」

「空腹を感じる。早く行くべき」

 ハルカはナツオ班長に振り返る。

「整備は済んだ。行ってこい」

「行こうよ、早く~」

 

「なあ、これやべえんじゃねえか?」

 

「でもよ、エンジンの予備なんてねえぞ」

 

「けど、班長にばれたら……」

 

 整備員たちのひそひそ話が耳に入る。

 班長に知られたくないから音量を下げているのだろうが、そんな小声でもナツオ班長は聞き逃さない。

 イナーシャハンドル片手に、ひそひそ話をしている羽衣丸整備員たちにむかって歩いていく。

「おいてめえら、なにひそひそ話なんかしてんだ?」

 班長の声が耳に入り、2人の若い男性整備員の顔が青ざめる。

「確か、レオナの機体の整備を頼んでいたが、終わったのか~?」

 満面の笑みを浮かべる班長が、このときばかりは恐ろしく見えたに違いない。

 整備員の顔が震え始める。

「いえ、それは……」

「どうしたそんなに怯えて。終わったのか?終わってないのか?」

「えっと、その……」

 ナツオ班長が一歩踏み出した。

「終わったのか?まだなのか?」

 途端、2人の整備員は格納庫の床に土下座した。

「せ、整備は終わりました!」

「た、ただ……」

「ただ……、なんだ?」

 班長は、イナーシャハンドルの先端を手の平にパンパンと軽くたたきつけ始める。

 

「「エンジンがかからなくて困っているんす!!」」

 

 格納庫内が静まり返った。

 班長は、かっと目を見開く。

 

 

「ばっかもおおおおおおおおおおおおおおおおおん!」

 

 

「「ひぃ!」」

「なにが、エンジンがかかりませんだ!そんな重大なことを放置する気か!今すぐ修理にかかれ!」

「うっす!」

「班長!質問よろしいですか!?」

「……なんだ?」

「故障個所がわかりません!」

 

 

「ばっかもおおおおおおおおおおおおおおおおおん!」

 

 

 格納庫内の空気を振動させるほどのナツオ班長の声が響く。

「それを見つけて直すのが、整備班の仕事だ!」

「で、ですけど色々ためしましたが……」

「直らなくて……」

 それでエンジンを交換しようかとひそひそ話をしていたのか、と皆が思う。

「エンジンの予備なんざ、羽衣丸には積んでない。とにかく、もう一度各部の確認からだ」

「ですけど、もう4回も確認しましたが……」

「直す以外に何がある?」

「「……へい」」

 班長の圧を込めた言葉に何も言えず、整備員たちはレオナの隼に向かっていく。

「たく……」

 だが悪戦苦闘する整備員たちを見て、班長はため息を吐き出す。

 今羽衣丸は目的地へ向かって飛んでいる最中。いつ空賊が襲ってくるかもわからない。

 その際、隊長が出られないというのは大きなマイナスになる。

 

「……ちょっと見てきます」

 

「え?」

 いうが早いか、ハルカが整備員たちのもとへ小走りで行く。

「ちょ、ちょっと……」

 ナツオは彼女に、パイロットは休んでいるようにと言うつもりだった。

 だがレオナに制されていうのをとどまり、ナツオはハルカの作業の風景を眺める。

 彼女はカウリングを外した状態の隼のエンジンの各部を確認すると、そばにあった工具箱から工具を拝借していじり始めた。

 彼女にどれほどの整備の知識や腕があるのか、先ほど零戦の整備を手伝ってもらったから少しはわかったものの、今いじっているのは長年ともにある零戦ではなく隼。

 班長は内心落ち着かない。

「班長、プラグと配線の新品、ありますか?」

「あ……、ああ。後ろの棚だ」

 彼女は棚から目的のものを見つけると、再びエンジンをいじり始める。

 そんな風景を見ていて、彼女は物事に集中し始めると周囲が見えなくなるようだ、ということをナツオは察した。

 エンジンをいじる際、彼女は姿勢を色々変えつつ作業をすすめる。その際に、彼女の白色のスカートの裾が何度か持ち上がり、中がちらちら見えている。

 

「……白いね」

 キリエが小声で言う。

 

「何が?」

 ケイトは首を傾げる。

 

「アハハハ……」

 レオナは苦笑する。

 

 他の整備員たちは、そんな光景を遠巻きに眺めている。

「イナーシャお願いします」

 彼女は整備員に指示を出すと、道具を遠くへと片付け操縦席へと入る。

 そして、いつものエンジンの始動手順を行う。整備員がイナーシャハンドルを回して間もなく、隼の栄エンジンが大きく排気を噴き出し、プロペラが回り始めた。

「おお……」

 見事にエンジンが直った。

 彼女はいくつか確認を終えると、エンジンを切った。

「これで大丈夫ですね」

 隼の操縦席から下りると、キリエたちのもとに戻ってくる。

「班長、念のため確認お願いします」

「あ、ああ、わかった……」

「じゃあ、早くサルーンに行こうよ!」

 キリエはハルカの腕にしがみつき、彼女を引きずっていこうとする。

「キリエさん!そんな急がなくても!」

「ほらほら、いつ襲撃があるかわからないんだから、急げ急げ~」

 キリエを先頭に、4人はサルーンへと向かう。

 その背後で、「てめえら!パイロットに仕事取られてんじゃねー!」というナツオ班長の声と、男性整備員2人の謝罪の声が格納庫内に木霊していた。

 

 

 

 

「じゃあ、いっただっきまーす!」

 キリエは、大きめに切り分けたパンケーキにフォークを突き刺し、大きくひらいた口でほおばる。

「う~んま~。やっぱパンケーキが一番」

「あ~、美味しい」

 満面の笑みを浮かべるキリエ、表情が朗らかになるハルカ。パンケーキ好きの2人にとっては至福のときなのだろう。

「パンケーキ好きが2人に増えましたわね」

「でもキリエみたいに騒がしくないじゃん!」

「それに食欲が減退するような食べ方もしないし……」

「みんなひどい!」

 コトブキのメンバーから言われつつも、パンケーキを食べる手は止めないキリエ。

「リリコさん!おかわり~」

 そういってキリエが皿を、ウエイトレスのリリコに向かって投げるのはいつものこと。

「キリエ、そんなに慌てなくてもパンケーキは逃げないぞ」

 あきれ顔でいうのは、コトブキ飛行隊隊長のレオナ。

「だって、いつ襲撃があってもいいように、食べられるときに食べておかないと~」

「食事時くらい、ゆっくりされてはどうですか?」

 彼女の隣でゆったりとした、優美な所作で紅茶を口に運ぶのは、コトブキのメンバーのエンマ。

「ゆっくり咀嚼することで、消化がよくなる上に、満腹中枢が刺激され少量で満腹を感じ、太ることを防げる。もう少しゆっくり食べるべき」

「え~、好きなものは沢山食べたいじゃん」

 ケイトの助言もどこ吹く風。

 パンケーキを前にしたキリエは止められない。

「にしても、今回の旅路で襲撃なんて、あるのかしら?」

 昼間からビールのジョッキをあおった副隊長のザラが今回の依頼の疑問を口にした。

「可能性としては低いが、警戒は必要だ」

「でも今回の依頼って妙だよね」

 キリエがパンケーキを口に含みながら話す。

「キリエ、お行儀が悪いですわ」

 彼女は口の中のパンケーキを飲み込む。

「だってだって、ショウトの市長からなんでしょ?」

 先日羽衣丸は、ショウトへの医薬品の輸送という依頼を終え、本来ならラハマへと帰還するはずだった。

 だが、その場でショウト市長から追加の依頼が入り、次の目的地へと向かうことになった。

「市長からは、ショウト自警団への飛燕の補充機と予備部品を受け取ってきてほしいという内容だ。ショウト船籍の輸送船は復興資材輸送のため全て出払っていて、頼めそうな人が他にいないから、というのが理由らしい」

 次の依頼は、ショウト自警団が使用する飛燕の補充機と部品を、発注した町へ取りに行ってほしいというものだった。

 先日、元自由博愛連合と思われるものたちの襲撃を受け、ショウト自警団はなけなしの稼働機12機の半数以上を撃墜されるという結果になり、残った稼働機数では町の防衛さえままならないと、市長が急いで発注してある機体と部品を運んできてほしいと泣きついてきたのだ。

「その市長相手に仕事を受けたんだから、高い手当や報酬に関する交渉を、マダムはしたでしょうね」

「流石マダム、容赦ないね~」

 チカがいつものことのように言うが、マダムはときに容赦がない。

 ハルカが払わなければならない賠償金の額は、間違いなく盛った金額だろうと思えるほどには。

「でもまさか、ユーリア議員の飛行船まで使うというのは、予想外でしたけど」

 そう。この輸送任務は羽衣丸だけでなく、ユーリア議員の護衛隊の飛行船も動員されることになった。

 エンマに信用を得るために、ハルカが無茶な条件で戦わされていることを知ったユーリア議員は、彼女を連れ戻すべくガドールからはるばるやってきた。

 結局は彼女が仕事を投げ出したくないと、レオナの説得でその場はおさめることができたが。

 飛行船に乗り、護衛隊も連れてやってきたユーリア議員に、ショウト市長は恥もかなぐり捨ててこの輸送を頼んだ。

 輸送するのは、現在完成している飛燕18機と、大量の予備部品。

 部品は運べても、飛燕を羽衣丸で1度に全て運ぶことは難しいとマダムは判断。すると市長は、ユーリア議員の飛行船も使わせて欲しいと頼んできたのだ。

「ユーリア議員は、何か言っていたか?」

「あの市長、評議会議員を運び屋に使うとはいい度胸しているじゃない、とは言っていましたが……」

 苦笑するハルカを見て、レオナたちはその様子がありありと想像できた。

「でも依頼を受けたあたり、何かしら約束や協力を取り付けたと思いますよ」

 商人同様、政治家も土産なしに動くことはない。

 あのユーリア議員が仕事を受けたのだから、何かしら約束が交わされたのだろうことは想像に難くない。

「それで、目的地は何て町だっけ?」

 

「……ナガヤ、だそうだ」

 

「しらな~い。レオナ知っている?」

 チカは手を上げて質問をする。

「いや、私も行ったことがなくて、な……」

「ナガヤはね、ユーハングの人々が昔は一杯いて、工場も一杯つくって、今でも飛行機を作り続けている工業都市なの」

 口ごもるレオナに変わり、ザラが応えた。

「ザラはいったことあるの?」

「昔、ちょっとね」

 チカの質問に、ザラはいつものはぐらかす言葉で応えた。

 

 

 ナガヤ。

 

 

 ショウトから離れた場所に位置する都市で、ザラが言うように今でも飛行機工場が多く存在し、生産数ではかつてのイケスカに劣らぬ勢いを持っていた。

 70年近く前に穴の向こうに去っていくまで、ユーハングの人々が多くいた都市の1つでもあり、彼らが伝えた文化の一部が今も残っているという。

「そこの飛行機工場の1つ、ナガヤ飛行機製作所が、受け取りに行く先らしい」

「はいは~い。飛行船2隻で飛燕と部品を積んでショウトまで輸送って、なら自警団の人々が出向いて受領してこればいいんじゃないの?」

 チカが疑問を抱いた。

「操縦して持ち帰ろうにも、パイロットを空輸する必要がある。出向くにも輸送機も出払っているそうだし、なら輸送船で一気に運んだ方がいい」

「それもそうか」

「いずれにしても、飛燕と予備の部品を受け取ってショウトまで届けることが、今回の依頼だ」

 通常なら、コトブキ飛行隊が依頼を受けるかどうかは合議で決めるのだが、あまりに急だったことやマダムの意向もあるため、合議ができなかった。

「特別手当弾んでもらえることになったし、いい話だね」

「……無事に済めばな」

 レオナは用心深く、あくまで慎重に行く姿勢を崩さない。

 

「……ナガヤ、か」

 

 ふと、ハルカがポツリとつぶやいた。

「ハルカ、どうかしたか?」

「え?いえ、なんでもないです」

 レオナは何か引っかかるものを感じたが、それ以上は何も追求しなかった。

 その時だった。サルーン内に、警報が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 荒野が広がる中、いくつもの工場や格納庫が立ち並ぶ町、ナガヤ。

 その一角、滑走路そばの格納庫の前で、飛行服を着て左頬にひっかいたような傷のある男性が空を眺めている。

「団長、落ち着かないかね?」

 飛行服を着ているのは、ナガヤの自警団長。団長は声の主へと振り向く。

 声の主は、スーツに身を包んだ、少し白髪交じりの男性。

「これは、市長」

 姿勢を正し、敬礼しようとした団長を市長は制した。

「はい……。どうも、落ち着かなくて……」

「こうも空賊からの襲撃が連日あると、落ち着く暇もないね」

 市長は自警団長の隣にくると、格納庫の壁にもたれる。

 最近、ほぼ毎日のように空賊の襲撃が1日1回のペースで続いている。

 原因は、ナガヤが空賊の要求を突っぱねたからだから、どちらかがあきらめるまでこの襲撃は続くだろう。

「ですが、空賊にしては戦力が潤沢だったり、爆撃機を持っていたり、妙な集団です」

「まあ、このナガヤを従わせたい、つぶしたいという都市や集団はいくらでもあるからね」

 ナガヤは飛行機の生産を行っている工業都市の中では、現在最大の規模を誇っている。

 ここを従わせることができれば、イケスカ動乱以降、部品や機体の価格が高騰している現在、損失や修理面を気にする必要がなくなる。

 そんな規模を持つ都市が味方になるかどうかで、今後のイジツの勢力図が変わるかもしれない。特に、旧自由博愛連合と、ユーリア派にとっては。

「嬢ちゃんがいてくれたら……。時折、そんなふうに、思ってしまうんです」

 市長は、少し表情を曇らせる。

 団長の言った嬢ちゃん。それが誰であるか、即座に察した。

「当時でも、腕は誰よりもよかったからね。でも、だからこそ、我々は頼りすぎた……」

「ええ。いつまでも子供にぶら下がろうとする、情けない大人で申し訳ないですが」

 襲撃が始まって1週間ほど。日に日に自警団の機体の損失は増えている。

 苦難の中、人々の折れそうになる心を支えるのは、今も昔も突出した技量を誇り、圧倒的な戦果を挙げる撃墜王や英雄の存在。

 このナガヤにも、それがかつてはあった。でも、今はもうない。

 彼女は昔、このナガヤを出て行ってしまったのだから。

「……でも、屈するわけにはいかない」

 市長は静かに、でも確かに意志を込めていう。

「確かに僕らは、かつてまだ幼った彼女に何度も頼るしかなかった。でも、いつまでもそんな情けない状態のままでは、彼女にも、彼女のおじいさんやお父さんにも、顔向けができない」

「……そうですね」

 自警団長は空を見上げる。

 直後、町中にサイレンが鳴り響いた。

「来たね」

「市長は避難を!」

 自警団長は格納庫にある乗機、紫電のもとへと走る。

「敵襲だ!出るぞ!」

 格納庫の中があわただしくなる。

 市長は手近にあった電話をとる。

「市長より、全市民へ。空賊と思われる集団が接近中。総員、戦闘準備!」

 

 

 



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第2話 待ち望まれた帰還

もう少しで到着するというときに、目的地上空で空戦が行われていることを
知ったマダムは、彼女に出撃を命じる。
自警団と協力し空賊の撃退に成功。目的地に着陸した彼女を出迎えたのは、
懐かしい顔ぶれだった。



「状況は?」

 羽衣丸の船橋で、オウニ商会社長のマダム・ルゥルゥは船員に問う。

「……先ほどの警報は、レーダー波の照射による自動警報です。羽衣丸に接近する機影ではなく、進路上の機影をとらえたものです」

「進路上を確認。ナガヤ上空で戦闘が行われているもよう」

「戦闘だって!」

 驚くサネアツ副船長。マダム・ルゥルゥは冷静に問う。

「一時退避するべきかしら?」

「ええ、恐らく……」

「護衛隊の飛行船より入電。マダム、ユーリア議員からです」

 マダムは無線のマイクを受け取り、ユーリアからの要件を素早く聞き取る。

「……副船」

「は、はい!」

「……コトブキ飛行隊は出動待機。ハルカさんには出撃命令を」

「え?ですが、彼女は……」

 サネアツは戸惑った。

 ユーリア、マダム、ホナミの共有する用心棒を、1人で出撃させていいのか。

「今度はユーリアからの指示。先日のエンマのようなことはないわ」

「そう、ですか……。かしこまり!」

 副船長は、すぐさま格納庫に指示を飛ばした。

 

 

 

 

「始動準備!」

 ハルカの合図で、ナツオ班長がイナーシャハンドルを回す。

「点火!」

 班長の合図で、彼女は愛機のエンジンを始動させる。

 推力式単排気管が排気を噴き出し、3枚羽のプロペラが回り始める。

 確認項目を急いで消化すると、機体を滑走位置まで誘導する。

『ユーリアからの指示を伝えるわ。あなたはナガヤ自警団と協力し、上空で戦っている空賊を撃退して頂戴』

「了解」

 スロットルレバーを開き、機体を滑走させる。速度を増し、操縦桿を軽く前に倒して尾部を持ち上げて間もなく、彼女は空へと飛び出した。

 着陸脚と尾輪をしまうと戦闘速度へ加速し、ナガヤ上空へと彼女は急いだ。

 

 

 

 羽衣丸を離れる彼女を見送ったコトブキ飛行隊の面々。

 彼らは目を細め、一様に1名の女性に目を向ける。

 その人物、貴族風の服装をまとった金髪の女性、エンマは体をびくっとさせる。

「な、なんですの?」

「エンマ、まさかとは思うが……」

 レオナを含め、エンマ以外の全員が一様にジト目で見つめる。

「ち、違いますわ!私は彼女に1人で戦えなど、もう言っておりませんわ!」

「……本当か?」

「ほ、本当ですわ!」

 先日、エンマはハルカに身の潔白を証明するために、1人で戦えという無理難題を課した上に、彼女を撃ったという前科がある。

 だが、今回の彼女の単独出撃にエンマは関与していないようだ。

「……そうか」

 いつもの視線に戻ったことで、エンマは胸をなでおろす。

「それにしても、間もなく到着だっていうのに、戦闘中とはね」

「雲行きが怪しくなってきたな」

「雲行き?いい天気じゃないの?」

「……キリエの言う通り。本日の天候は晴天、きわめて良好」

「……そういう言い回しだ」

 

 

 

 

 

 町の上空が迫ると、空戦が行われている様が見える。

 上空に上がっているのは、主翼の翼端が白く塗られ、所属を示す楔型のマークの半分が赤、もう半分が黒に塗られた、見慣れたマークが描かれたナガヤ自警団の零戦32型と紫電乙型。

 一方、敵機は銀色に黒の線が何本も引かれた五式戦闘機と零戦52型。

 いずれもマークが描かれていない。

 描けないほど後ろ暗い事情をもつ集団。ただの空賊とは思えないが、とりあえずそれは脇におく。

 ふと、機上電話から声がした。

『こちらナガヤ管制塔。接近中の零戦、所属と目的は?』

「こちらガドール評議会護衛隊所属のものです。ユーリア議員の命令で、あなた方の援護に来ました」

『そうか、ありがたい』

「敵機は、五式戦闘機と52型ですね」

『ああ、撃墜できなくても、追い払ってくれればいい』

「了解」

『……ところで、その声。君は、もしや』

「……戦闘に入ります、交信終了」

 ハルカは一方的に無線を切り、戦闘空域へと入った。

 

 

 

 自警団が上空で空戦を繰り広げる中、空港や町の至るところに設置された対空機銃も火を噴き続ける。

「くそ。あんた、弾切れだよ!」

「弾倉交換する!」

 作業着姿の厳つい顔の男性が、対空機銃の弾倉を抱えて走ってくる。

 このナガヤも、空賊や敵対勢力に対して譲らない。

 自分達の町は、自分達で守ると誓った。住民たちも訓練に参加し、今日まで町を守り抜いてきた。

 だが、連日の襲撃に皆がつかれていた。

 男性は途中で足がもつれ、重い弾倉を抱えたまま地面に倒れこんだ。

「あんた!」

 機銃を操作していた女性は、男性に向かって駆けだした。

 駆け寄ってくる女性の背後を見て、男性は目を見開いた。こちらに向かってくる、1機の五式戦闘機の姿が視界に入る。

 五式の機首の20mm機銃が、地上へ向けて火を噴いた。

 男性は咄嗟に女性を抱え、建物の影に隠れる。

 直後、五式の主翼に機銃弾が飛来。機銃弾は主翼を撃ち抜き火災が発生。五式はバランスを崩し、地面にきりもみしながら落ちていく。

 

「……な!」

 

 機銃弾が来た方向を男性は見た。

 

 そこにいたのは、主翼が蒼く塗られた、1機の零戦52型丙。

 

 零戦は背後に五式戦闘機が2機付くと、即座に機首を下げて急降下に入る。五式もあとを追って降下にはいる。

 零戦は地表近くで機首を上げ、水平飛行にうつる。

 相手は機体が頑丈な飛燕を使って作った五式戦闘機。いくら強度が見直された52型丙でも、急降下で振り切ることはできない。

 すると、零戦は突如舵を切って左へ旋回する。

 先ほどまでいた進路上には、対空機銃が設置されている。

 零戦が射線上から外れたタイミングを逃さず、対空機銃が一斉に咆哮を上げ、五式戦闘機を撃ち抜いていく。

 高度をあげてやり過ごそうとする敵機は、すかさず零戦がしとめる。

 五式戦闘機を落とすと、零戦は次の獲物を求めて飛び去っていく。

「蒼い翼の、零戦……」

 男性は、昔の記憶が頭をよぎった。

 飛ぶ姿は綺麗なのに、戦闘になれば血に飢えた猟犬のように敵機を貪欲なまでに落としていくその戦い方を。

 このナガヤの空を飛び立った2機の、翼が蒼く塗られた零戦を。

「あんた……。もしかして、あの機体……」

 彼は思い起こした。あの機体に乗っていた、パイロットの顔を。

『こちらナガヤ自警団。ガドール評議会護衛隊のおかげで、空賊の殲滅が完了した。警報解除』

「……はあ」

 無線機からの連絡を受け、胸をなでおろす。

「あんた、降りていくよ」

 男性が見上げると、件の零戦は着陸脚を下ろし、滑走路へ降りる進路をとった。

 男性は、その場から走り出した。

 

 

 

 

「こちらハルカ、空賊と思われる戦力を殲滅。戦闘終了」

『お疲れ様』

 彼女は、出撃命令を出したユーリア議員へ報告をする。

「それでは、羽衣丸に帰還します」

『あなたは滑走路に降りなさい』

 理由がわからず、彼女は首を傾げる。

『ナガヤの市長が、あなたにお礼を言いたいそうなの。今後を考えて、ナガヤを味方につけておいて損はないから、応じて頂戴』

 彼女はますます首を傾げる。

 ユーリア議員やマダム・ルゥルゥならともかく、ただの用心棒に過ぎない自分に言いたいとは何事か。

 いや、彼女には思い当たる節があった。

「……了解」

 彼女は着陸脚を下ろし、滑走路へ進路を向けた。

 

 

 

 

 滑走路に降りると、彼女は格納庫の前まで機体を誘導し、エンジンを切った。

 風防のロックを外し、機体から下りる。

 まだ市長らしき人物は来ていないようだが、周囲の自警団員と思われる人々は彼女を見ながらひそひそ話をしている。

 

 

「ハルカちゃん、なのかい?」

 

 

 自分を呼ぶ聞きなれた声に、彼女は思わず振り返った。

 そこにいたのは、作業着姿の整備士らしき少し厳しめの顔をした男性と、少し年を召した優しそうな顔の婦人。

 なぜ彼らは、自分の名前をしっているのか。しかもちゃん付で。

 ハルカはその理由を察した。

 知っていて当然だ。だって、彼らは……。

 婦人の目が潤みだす。

「ハルカちゃん!」

 彼女は、その婦人の腕の中に抱きしめられた。

「よかった、生きていたんだね!」

「え、ええ……」

「全くよお!生きているなら手紙くらい寄越せってんだ!心配するじゃねえか!」

 近寄ってきたのは、先ほどの厳しめの顔をした男性。

 男性は人目もはばからず泣きながら、ハルカの頭をわしゃわしゃと撫でる。

 

 

「カガミさん、ナオトさん、いい大人が人前であまり泣くものではありませんよ」

 

 

「うるせえ!これが泣かずにいられるか!」

 ハルカは、唯一自由に動く首をまわし、声のした方向に顔を向ける。

「まあ、ナオトさんの気持ちはわかりますがね」

 やってきたのは、灰色のスーツに身を包み、頭に白髪がまじりはじめている、少し年を召した、眼鏡をかけた男性。

 彼女は、この男性に見覚えがあった。

「クラマ、さん?」

 そう呼ばれた男性は表情をやわらげ、微笑む。

「覚えていてくれたか。久しぶりだね、ハルカくん」

 そして、彼女の頭に右手を乗せると、やさしくなでる。

「あの機体を見て、まさかと思ってね」

 彼の視線の先には、彼女の愛機が駐機されている。

「それでユーリア議員に、君は滑走路に降りてって頼んだんだ」

「それじゃあ、ナガヤの市長って」

「僕だよ。昔はただの評議会の議員だったけど、今は市長をやらせてもらっているよ」

 クラマという男性、ナガヤの市長は彼女をじっと見つめる。

 すると、次第に瞳が潤んできた。

「大きくなったね。それに、きれいにもなった」

「本当だよ、こんなべっぴんさんになって」

「全くだ。父さんたちがどれだけ残念がっているか」

 周囲の人間はどうやら彼女に面識があるらしく、みんな嬉しそうにしている。

「久しぶりだな、嬢ちゃん!」

 そこに飛行服を着た男性、自警団長が紫電から下りて駆け寄ってきた。

「カサイさん?」

「いや~、さっきは助かった。相変わらず、良い腕しているな!」

 自警団長も彼女の頭をわしゃわしゃと撫でる。

 髪が乱れるものの、それでも拒絶しないあたり、彼女も嫌ではないようだ。

 そこに新たな来客が現れ、さらに人が増えていく。

 

 

 

 

「これ、どういう状況なの?」

「随分親しそうね」

 そんな状況を遠巻きに眺めているユーリアたちは、目の前で起こっていることに少し戸惑っていた。

「おまけに周囲は偉いさんばかり。ナガヤの市長に、自警団長、ナガヤ飛行機製作所の社長に工場長……」

「随分な人々が知り合いにいるのね」

 ふと市長がユーリア議員たちに気付き、笑みを浮かべながら歩いてくる。

「これは失礼。ナガヤの市長を務めております、クラマと申します」

 市長は、ユーリアやマダムたちに丁寧にお辞儀をする。

「お初にお目にかかります、ユーリア議員、マダム・ルゥルゥ」

「初めまして、ナガヤ市長。ガドール評議会のユーリアと申します。以後、お見知りおきを」

 ユーリア議員は手を差し出し、市長は彼女の手をとった。

「オウニ商会社長、マダム・ルゥルゥです。私のことをご存じでしたか」

「そりゃあ、オウニ商会とコトブキ飛行隊といえば、今や知らぬ人はいない有名人。この辺境にあるナガヤにも、その名は知れ渡っていますよ」

 市長が差し出した手を、マダムは握り返す。

「ところで、私の用心棒と随分親しいようですけど……」

「あなたの?」

 ユーリアは視線で示した。

「ああ。ハルカ君、今はあなたの用心棒なのですか?」

「ええ」

「正確には私の用心棒でもあるのだけど」

 マダムはすかさず補足する。あくまで、彼女は共有だと暗に主張する。

「そうでしたか。彼女が、お世話になっております」

 微笑みながら、市長は頭を下げる。

「それで、彼女とはどういう」

 ユーリアの問いに、市長は首を傾げた。

「あれ、ご存じないのですか?」

 今度は、マダムとユーリアが首を傾げた。

 そして市長は、衝撃の事実を言い放った。

 

「ハルカ君はここ、ナガヤの生まれなんです。それこそここにいる全員、彼女が生まれたときから知っていますよ」

 

 マダムとユーリアは、しばらく石のように固まっていた。

 

 

 

 

 

「先日のアレシマの件は、私も聞き及んでおります。この町でも、新聞が発行されましたので」

「あの一件は、本当に彼女を雇って正解だったと思ったわ。1人で敵の障害を乗り越え、私たちを守ってくれた。でなければ、あれほど危ないと思った経験もないわ」

「先日のショウト防衛戦でも、その道中でも彼女は大活躍だったわ。空賊は離脱していくのが普通なのに、彼女がいるときはいつも殲滅だもの」

「そうですか。彼女を認めてくれている人がいて、何よりです」

 ナガヤ市長は、ハルカに関する話題でユーリアやマダムと盛り上がる。

 立ち話もなんだと、市長はマダムたちを車に乗せ、市長の仕事場がある庁舎まで連れてきた。

 ユーリアたちは、昔のハルカを知る人物から色々聞き出していた。

 ちなみに、恥ずかしいからと本人はここにいない。

「本当に、生きていてくれてよかった……」

 市長は紅茶を飲みながら、懐かしむように瞳を細める。

「あ、そういえばここに来た目的は、ショウトが発注した飛燕と予備部品の受け取りでしたね」

 今更ながらに本題に触れたことで、マダムたちは苦笑する。

「ナオトさん」

 市長は、隣に座っているナガヤ飛行機製作所の工場長、先ほど大泣きしていた男性に振り向く。

「発注を受けた飛燕と予備部品は確保できている。空襲の跡片付けが終わったら、積み込み作業に入れる」

 さきほどの空賊と思しき集団の襲撃により、工場が被害を受けたようで、現在ガレキの撤去作業が行われている。

「飛燕を作れるとは、珍しい会社だな」

 口を開いたのは、見た目は少女、中身はおやじの羽衣丸整備班長、ナツオ。

 

 飛燕は、知っての通り液冷エンジンを使用している。隼や零戦等が使用している栄のような空冷星形エンジンより工数が多く、整備も大変な代物。

 そのようなエンジンや使用している機体を製造できるのだから、ナガヤ飛行機製作所の技術力は高いのだろう。

 

「ああ、隼に零戦から、液冷の飛燕、大型輸送機まで作っている、っていうのがうちの会社だ」

「大したもんだ。昔からさぞ儲かっていたんだろうな」

 

「……そうでもねえよ」

 

 途端、ナオト工場長は表情を曇らせた。

「昔は、イケスカの会社の方が強くてな。ナガヤは距離が離れている辺境にあるということもあって、なかなか売り上げが伸びなくてな」

 かつては、飛行機の生産数ではイケスカが常にトップであり、イサオが市長になってからはなおさらそれが顕著になった。

 おまけにブユウ商事という企業の支援があるイケスカに対し、ナガヤは用心棒を独自に雇う必要があった。次第にその資金にも苦慮することになり、販売数で苦戦を強いられていた。

「だが、嬢ちゃんのおかげで、少しずつ売り上げが伸びていってな」

「ハルカが?」

 彼女がどう関係するのか、ナツオ班長たちは首を傾げる。

「正確にいえば、ハルカ君と彼女の祖父が、このナガヤの発展に大きく貢献してくれましてね」

 市長のいうことに、ナツオ班長たちは頭に疑問符を浮かべる。

「この町ナガヤは、私の父から聞いた話ですが、70年以上前はユーハングの人々が多く住んでいた場所でした」

 

 

 ユーハング。

 

 

 このイジツに空を飛ぶ技術を始め、多くの遺産をもたらした人々。

「工場を沢山つくり、今でもその全てが残っています。同時に、ユーハングの文化も伝わりました」

「でもそのユーハングも、約70年前に帰っていったのよね?」

「はい。それからしばらくして、ナガヤは危機に陥りました」

「ユーハングが残していった工場の機械が壊れはじめ、修理もできず、飛行機の製造が滞るようになったんだ」

 ユーハングはある日突然、着の身着のまま穴を通って帰ってしまった。

 彼らが残した遺産は、イジツに発展をもたらした一方で混沌をもたらした。

 残された遺産を巡って、数多の空戦が起こることになった。

 ハルカが身内を亡くしたリノウチ大空戦も、その1つ。

「結果、ナガヤの飛行機会社は、全て工場が止まるという事態にまで陥ることになりました。そんなとき、この町をある若い青年が訪れたんです。その青年は、我々が製造機械の修理ができず困っているところにくると、たちどころに直してみせたんです」

「その青年に技術指導を受け、ナガヤは飛行機の製造を再開することができた」

「その、青年っていうのは?」

「タカヒト。彼はそう名乗ったそうです」

 聞いたことがないのか、マダムたちは顔を見合わせる。

 

 

「そのタカヒトさんこそ、ハルカ君の祖父です」

 

 

「「「へ?」」」

「彼の指導のおかげで、ナガヤは再び飛行機の製造をすることができ、以前より品質も良くなっていったんです」

「技術屋だが操縦もうまかった。嬢ちゃんに飛行機の整備や修理、飛び方を教えたのも、全て彼だ」

 ナツオは、羽衣丸で彼女が隼の修理をやってのけたのを思い出した。

 きっと、幼いころから祖父に色々教わったのだろう。

「タカヒトさんは、このナガヤである女性と恋に落ち、息子さんが生まれた。その息子さん、ミタカさんは、ある都市の議長の娘さんと結婚し、5人の子供をもうけました。その1人が、ハルカ君なのです」

「嬢ちゃんは、リノウチ空戦で父親と兄さん、姉さんが亡くなると、うちの部品を運ぶ輸送機の用心棒や、工場で整備や製造の手伝い、自警団への参加をしてくれるようになった」

「まだ10代初めなのに、操縦の腕は抜群によかった。恥ずかしながら、当時の自警団の誰一人、彼女には勝てませんでした」

 飛行服を着ている、30代後半くらいの細身だが鍛えられた体格の男性、ナガヤ自警団長が言う。

「1機の九七戦で、5機の零戦や五式戦を返り討ちにしたこともあった。祖父のタカヒトさんや、父親のミタカさんの飛び方を学んだことや、彼女の才能もあるでしょう」

「おかげで、各社が空賊被害に苦しむ中、うちは確実に部品や機体を届けられ、売上も利益もあがっていった。だが、当時のうちの利益じゃあ、嬢ちゃんにいい給料払ってやることができなかった……」

「そして、夫や子供を亡くしたショックで、母親のアスカさんが体を悪くして。母親を病院に入れるお金を稼ぐために、彼女はナガヤを出て行ってしまったんです」

「それっきり、嬢ちゃんは帰ってこなくてな……」

 ユーリアたちは表情を曇らせる。

 ナガヤに利益をもたらし、母親や家族を守るために彼女は飛び回った。

 その結果が、みんな失ってしまったでは、あまりに救いがなさすぎる。

 

「それから、少し後のことでした。蒼い翼の零戦の噂を耳にしたのは……」

 

「嬢ちゃんの機体は、うちの工場で祖父のタカヒトさんと父親のミタカさんが作ったものだ。どんな塗装をしたのかも覚えている。おまけに、悪魔と呼ばれるほどの腕の持ち主ときた」

「私たちは確信しました。ハルカ君に間違いない、と」

 蒼い翼の零戦のパイロットの顔がわかったのがつい最近だという中、彼女を知る人間は早い時期から察していた。

「彼女が空賊に身を落とさざるをえなかった原因は、私たちにもあります。彼女や彼女の祖父、家族に多大な恩がありながら、彼女に十分な報酬を払うことができなかった」

 当時はまだいち評議員であったり、ようやく軌道に乗り始めた工場の人間では、自分達が生活していくだけで精一杯だった。

「そういえば、彼女の残った家族は、元気でしょうか?」

 市長の質問に、ユーリアたちは言いづらそうに、事実を口にした。

 

「……そうですか、空賊に」

 

 ユーリアたちは、やむなく事実を話した。

「彼女は、自分のせいだと。今でもそう思っているわ」

「そうですか……。でも、彼女だけでも生きていてくれてよかった」

「ようやく、嬢ちゃんに少し恩を返せるようになったわけだしな」

「彼女が日ごろお世話になっているんです。われわれでできることでしたら、力になりますので、どうぞ仰ってください」

 市長たちから出てきた言葉に、ユーリアたちは驚いた。

「ありがとうございます、市長。そのときは、頼らせてもらうわ」

 一方、マダムはナツオに目配せする。

「ナガヤ飛行機製作所は、隼1型と零戦52型丙のパーツは製造しているか?」

「ああ、勿論だ!」

 すると、ナツオは整備班が着ているツナギから紙の束を取り出した。

「今これだけの部品が必要なんだが、用意できるか?」

 工場長のナオトは、必要な部品の種類や個数が書かれた一覧に目を通していく。

「ああ、全部すぐ用意できる」

「いくらだ?」

 イケスカ動乱以降、とどまる所をしらない空賊被害に対処するため、飛行隊が増加。飛行機や部品の需要の高まりから値段が高騰しており、いかに業界で名の通った存在のオウニ商会でも部品の備蓄や価格の高騰には頭を抱えていた。

 おまけに、キリエとチカが機体を傷めつけるわ、穴開けて帰ってくることが多いのも拍車をかけていた。

「そうだね」

 社長のカガミがそろばんをはじいて、その場で計算する。

「こんなもんだね」

 ナツオは示された額を見ると、怪訝な顔つきになった。

 

「1つ聞いていいか?」

 

「なんなりと」

「……こんな安くていいのか?」

「何かおかしいかい?正当な額だよ?」

「それはそうなんだが……」

 部品価格が高騰している中、提示された金額は、本来の適正価格のままだった。これが本来普通なのだが、値上がりが珍しくない中、ナツオは少し驚いていた。

「じゃあ、少し値引きして……。これでどうだい?」

 さらに値引きがされた額が提示された。

「あら、嬉しい価格じゃないの、ナツオ班長」

「そりゃあ、そうだが……。いいのか?」

「気にすることはない。嬢ちゃんが世話になっているところから、高い金取ろうなんて考えてねえよ」

「ただ、今後も懇意にしてくれると、嬉しいね」

「ええ、ぜひともお願いするわ」

「じゃあ、それで頼む」

 マダムも気に入ったらしく、その場で素早く契約書を取り出し、サインしている。

 その手の速さにユーリアはため息を吐き出す。

「それにしても、さきほど襲ってきた連中は、どこの空賊?」

「トビウオ団、というところです。なんでも、団員の飛行機の修理や整備を無料でやれ。さらに部品や新品の機体の提供、空賊行為の拠点の提供までしろと言ってきているんです」

「それで断り続けて、攻撃を何度も受けていると?」

 市長は頷いた。

「空賊の要求に簡単に折れるようじゃ、タカヒトさんに顔向けができねえ」

「あの人は、飛行機が人々の幸福に役立つ、そう信じていました。空賊行為に加担することは、それに反します。ですから、要求はのめません」

 行方不明のハルカの祖父の言葉を今も守り続けているあたり、相当信頼を得ていた人物なのだろうと、皆は思う。

「そういやあ、ハルカのやつ、どこ行ったんだ?」

「嬢ちゃんなら、家に行っている」

「……家?」

 市長が何かを懐かしむような表情を浮かべる。

「自分の生まれた家を、久しぶりに見に行っていますよ」

 

 



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第3話 空っぽになった宝箱

久しぶりに故郷へ帰ってきた彼女は、かつて自分が
住んでいた家を訪れる。大事な家族が住んでいた、
帰ってくるべき自分の居場所だった家。
久しぶりに訪れた家で、彼女が感じたものとは……。


 ナガヤの滑走路からほど近い場所にある一軒家で、ハルカは家の戸を前に立ち尽くす。

 数巡した後、彼女は鍵を扉に差し込み、開錠して引き戸を開ける。かつて、何度も開けたはずの扉なのに、妙に重く彼女は感じた。

 ここは、彼女の実家だった場所。

 彼女は意を決して、玄関に足を踏み入れる。

 

 

『お帰り、お姉ちゃん!』

 幻聴に、彼女は顔をあげた。

 仕事を終えて家に帰るたびに笑顔で出迎えてくれた、まだ小さかった妹の声。

 でも、そこには誰もいない。静寂の満ちる、暗い廊下が続くだけ。

 

 

『へへへ。姉ちゃん、隙あり!』

 続いて聞こえた幻聴に、反射的に後ろを振りかえった。

 小さい頃、いたずら好きで手を焼かされた弟。

 近所の子供に教わったカンチョーとかいう技で、よくお尻を狙われたものだった。

 殆どは弟の手首をつかんで防いでいたが、疲労のせいで危機察知が鈍り、数回ほど阻止に失敗し、玄関で悲鳴をあげたことがある。

 あのときの激痛は、今も忘れられない。

 振り向いた先は、誰もいなかった。

「そう、だよね……」

 彼らがいるはずがない。

 自分の、ウミワシ通商で働くという選択のせいで、彼らは処分されてしまったのだから。

 ハルカはブーツを脱ぎ、素足で廊下を進んでいく。

 ナオトさんかカガミさんあたりが、定期的に掃除をしてくれていたのだろう。

 彼女が歩いた廊下には、足跡が残ることはなかった。

 

 

『ハルカ、おかえり』

 落ち着いた口調の男性の声。父の幻聴が聞こえた。

 

 

『どうしたんだい?浮かない顔して』

『かわいそうに、きっとお兄ちゃんにいじわるされたのね。かわいそうなわが妹』

『俺は何もしてねえよ!可愛いハルにいじわるなんかしたら、皆からハチの巣にされるっての!』

『あら、わかっているじゃない。私の鍾馗でハチの巣にしてあげるわ』

『俺の零戦の動きについてこれるのかよ!』

『こらこら、妹の前で喧嘩しない』

 幻聴が聞こえたのは、居間。

 父親がお茶を飲みながらくつろいでいて、お兄ちゃんとお姉ちゃんはいつも喧嘩を始めて。

 さらに奥へと行く。

 

 

『ハルちゃん、今日もいい天気だね』

 縁側のある部屋に来ると、リノウチ空戦から間もなく、老衰で亡くなった祖母の声が聞こえた。

 縁側で、祖母とゆったりとした時間を過ごすのが、彼女はすきだった。

 

 

『ハルカ、おかえりなさい。今日もお疲れ様』

 台所にくると、亡くなった母の声が聞こえた。

 自分は働けないから、せめて家事は任せてと、台所にたっていつも食事を作ってくれた。

 彼女を送り出すときの母の顔は、いつも悲しそうだった。

 

 彼女は家を出て、隣に建てられている大きな格納庫にやってきた。

 中は何もないせいか、妙に広く見える。

 かつてここには、3機の零戦52型丙が並んでいた。

 祖父の機体、父親の機体。そして、後に彼女の愛機になるレイの3機。

 

 

『ハルカ』

 自分に空を飛ぶ楽しさを、操縦や整備など、色んなことを教えてくれた、大好きな祖父、タカヒトの幻聴が聞こえた。

『おいで』

 彼女はよく格納庫に入り浸って、祖父から色んなことを教わった。

 飛行機の修理や整備方法だけでなく、本を読んでもらったり、果ては護身術や銃の扱い方まで。

 彼女は、祖父が大好きだった。

 祖父の52型丙に乗せてもらい、このナガヤの周りを、初めて空を飛んだ日のこと。

 あのときの晴れ渡った青い空と、流れる白い雲は、今でも記憶に鮮明に残っている。

 

 

『私を、忘れないでいてくれるか?一緒に連れて行ってくれるか?』

『うん!絶対覚えているよ!いつかレイに乗って、色んな空を一緒に見に行くんだ!』

 

 

 祖父の問いに、かつて自分は無邪気にそういったと、思い返す。

「おじいちゃん……」

 そうつぶやいた。

 でも、言葉が返ってくることはない。

 そこには、何もない。かつて人の営みがあったのだろうということを伝える、わずかな家財道具や遺品が残る、人のぬくもりを感じない、冷たい空間が広がるだけ。

 彼女はあたりを見回した。

 自分が帰ってくるべき場所は、こんなに空っぽな場所だったのだろうか、と。

 かつては人がいて、温かい空間がそこにはあった。

 祖父母がいて、両親がいて、兄と姉がいて、妹に弟がいて……。

 でも、今そこに居るのは、彼女1人だけ……。

 

「もう、いないんだね……」

 

 かつて彼女にとって、この家は宝箱のようなものだった。

 帰ってこれば、家族がいて、皆で食卓を囲んで、一緒に寝て。

 そんなささやかな幸せが詰まった、彼女の宝箱。

 でも、みんながいない今、この家はもはや、空っぽも同然だった。

 

「……なんで」

 

 彼女は俯く。

 目の前には、皆が飛び立った滑走路が見える。

 

 

『すぐ帰ってくるから、母さんたちのこと、頼むぞ』

『必ず帰ってくる。兄さんとの約束だ!』

『いい子にしているんだよ』

 そういって飛び立った父親と兄と姉は、二度とこのナガヤに帰ってこなかった。

 

 

『また会いに来る。それまで相棒と、みんなを頼むぞ』

 会いに来るといった祖父さえも、帰ってこなかった。

 そしていつの間にか、母親たちさえも……。

 

「なんで、私を、連れて行って、くれなかったの……」

 

 彼女の瞳から、雫がこぼれた。

「なんで……、なんで……」

 彼女は静かにそう繰り返す。

 必ず帰ってくると約束してくれた、父親に兄と姉。

 イケスカに行ったまま、結局一度もかえって来てくれなかった祖父。

 せめて、残された母親、妹、弟だけでも、守りたいと必死になった。

 でも、結局誰も守れず、気が付けばみんな、この手の平から零れ落ちていた。

 彼らのあとを追いたかった。ラハマで墜落していれば、こんな悲しみを感じることもなかった。

 でも、そんな度胸はなくて。エンマに報復を許した時でさえ、結局はよけて。

 生きる理由がないくせに、死ぬ度胸もない、中途半端な状態を飛び続けている。

 その場に膝をついて、彼女は1人悲しみにくれた。

 同時に実感した。

 この家には、自分を待ってくれている人も、包み込んでくれるぬくもりも、もう何もないのだと、いうことを。

 

 

 

 

 

 

 

「また失敗したですと!?」

 町から離れた山のふもとにある狭い穴倉の一角で、眼鏡をかけたオカッパ頭の男性、元人事部長ことヒデアキはため息を吐き出した。

「ナガヤに要求をのませるために、イケスカからどれだけ応援を呼んだと思っているのですか?」

「……応援については感謝している」

 鍛えられた肉体に飛行服を着た男性、トビウオ団の団長はあきれ顔のヒデアキを見て腹の底からこみあげてくるものを感じるが、必死に押さえる。

「なら結果で示してもらいたいものですね」

 部下が殴り掛かろうとしたのを、後ろから羽交い絞めにして止める。

「それに、今日で襲撃は5回目。ナガヤ自警団も、もう戦力は少ないはずでしょう」

 ヒデアキたちには1つの懸念があった。

 

 かつて彼らが仕えていたイサオ氏が会長を務めた、自由博愛連合を復活させる上で、敵対関係にあるユーリア派が少しずつだが増えてきているということ。

 イケスカは、後継が現れたことで内戦状態から少しずつだが脱却しつつあるものの、いずれユーリア派と戦うために戦力の再編を図る必要がある。

 そのための時間稼ぎとして、ユーリア派になりそうな各都市に空賊を支援して襲撃を行わせていた。

 今回のナガヤ襲撃も、その一環。イケスカが立て直しに時間がかかる以上、現在飛行機の生産拠点で最大の都市はナガヤだ。

 ここにユーリア派につかれてしまうと、表立って動けないイケスカとの戦力差を大きくあけられてしまう。

 せめて、一時的でも生産能力を低下させなければならない。

 もし飛行機の生産拠点のナガヤがユーリア派につき、食料生産都市のハリマ、コトブキ飛行隊のいるラハマまで加われば、権威の失墜したイケスカを離れユーリア派になびく都市が増えることは想像に難くない。

 このままでは、自由博愛連合の敗北は必至だ。

「おまけに、先ほどの襲撃で護衛機に爆撃機、全てを失うことになったと」

 ヒデアキは眼鏡のブリッジを持ち上げ、度重なる襲撃に失敗している空賊を見つめる。

「あなた方ができると言ったから、我々は手をかしたのですよ?」

「さっきの件は仕方がない、相手が悪すぎる」

「どんな相手だったというのでしょう?」

「……例の零戦だ。主翼が蒼かったからな」

 ヒデアキは眉を吊り上げた。

 

「……また件の零戦ですか。なんでこう、何度も邪魔を」

 

 ふと彼は察した。

「ということは、ユーリアかコトブキが一緒にいるということ」

 ナガヤを攻撃すれば、自動的に彼らも攻撃できる。

 邪魔なものが、一か所に集まってくれた。

「この機を逃す手はありませんねえ……」

 彼は口角をニタリ、と吊り上げる。

「ムフフフフフフ……」

「どうしたんだ、独り言をぶつぶつ……」

「おっと失礼」

 ヒデアキは眼鏡のブリッジを持ち上げ、トビウオ団へと顔を向ける。

「もう一度イケスカから応援を呼び寄せます。それから、次の襲撃は私の立てた作戦で実施してもらいます。いいですね……」

「……依頼主はあんただ、あんたが決めろ」

 ぶっきらぼうにいうトビウオ団団長に、ヒデアキはムフッと微笑む。

「では早速準備にかかりましょう。今度こそ、ナガヤに痛手を負わせ、お礼参りをさせてもらいますよ」

 ヒデアキは部下をつれ、部屋を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 ふと目を開け、ハルカは周囲を見渡す。

 実家にある格納庫にいたはずなのに、周囲は深夜のように闇夜に包まれていた。

 背後に気配を感じ、彼女は振り返り、そこにいたものに息をのんだ。

 

 

『哀れなものだな』

 

 

 そこにいたのは、血まみれになり体の所々が欠損している、彼女がかつて属していた空賊、ウミワシ通商の社長ナカイ。

 

 

『リノウチで父や兄に姉を失い、祖父はお前を置いて行方不明。遺された母と妹、弟を守るために空賊行為に加担したのに、残った最後の家族さえついには無くし、何もお前には残っていない!帰るべき場所だったここも、彼らがいないなら空っぽも同然!』

 

 

「そ、それは……」

 

 

『帰るべき場所も!守るべき人も!何もお前には残ってない!あるのは空賊行為を働いたという、罪の烙印だけだ!』

 

 

「だ、だから私は、その償いに」

 

 

『あれだけのことをしておいて、足は洗ったから許されるなんてこと、あると思うのか!』

 彼女は胸の動悸が激しくなるのを感じ、両手で胸を押さえる。

 

 

『……空賊行為に加担したのに、何の罰も受けず、議員たちの威光をかさに、自分はもう反省した善人です。そんな顔をしている彼女が、気に食わないことは認めますわ』

 エンマの声が聞こえ、彼女は背後を振り返る。

 彼女は、醒めた目でハルカを見下ろしていた。

 

 

『そうか、守れなかったのか……』

 声の方向に振り返る。

 そこには、血まみれになった父親に姉、兄の姿があった。

 

 

『君だから、母さんたちのことを託すことができたのに……』

 

 

 父は、心の底から失望しているような顔で、娘を見つめる。

「だ、だって……」

 

 

『ハルなら、約束守ってくれると思ったのに、な』

『わが妹が、空賊行為にまで加担するなんて……』

 

 

「私だって……」

 彼女は、叫ぶようにいった。

「私だって守りたかった!失いたくなんてなかった!空賊行為なんてしたくなかった!一緒にいたかった!約束だって守りたかった!」

 リノウチ空戦前、町を飛び立つ父親たちに、彼女は母親たちを頼むと言われた。

「私のこと置いてきぼりにして、失望なんてしないでよ!みんな……、みんな私のこと1人にしたくせに!」

 残された母親に幼い妹に弟だけでも守りたくて、九七式戦闘機に乗って、無法者たちののさばる空を必死に生き残った。

 でも、どれだけ飛んでもお金は足りなくて。

 

 

『なんで、守ってくれなかったの?』

 

 

 ハルカは顔がこわばった。

 振り返った先にいたのは、死んだ母親に妹と弟……。

 

 

『何で、もう少し会いに来てくれなかったの?』

『お姉ちゃん、なんで一緒に居てくれなかったの?』

『なんで、守ってくれなかったの?』

 

 

 言葉の1つ1つが鋭い刃になって、彼女の胸に突き刺さる。

 お金を稼ぐことにかまけて、家族との時間を蔑ろにして……。

 楽しい思い出1つ、彼らに残してあげられなかった。

「ごめん……。ごめん、なさい」

 謝っても取り返しのつくことじゃない。でも、彼らにはそういうしかなかった。

 

 

『残念だよ……』

 その声は、市長のクラマさんだった。

『私たちは空賊に屈しないという姿勢を守り抜いている。タカヒトさんたちの遺産の君が、その空賊に加担するとはね』

 ナガヤのみんなには、自分の口から空賊だったとは言えなかった。

 

 

『爺さん、さぞ悲しんでいるだろうな……』

『あなたが、タカヒトさんが残してくれた機体で、多くの人々を不幸にした。なんてしったら、ね』

 ナガヤ飛行機製作所の、ナオトさんとカガミさんの声だった。

 子供がいなかった2人は、ハルカのことをよく可愛がってくれた。

 

 

『俺たちにとって、君は頼れる用心棒だった。それが、まさか空賊に加担するなんて……』

 ナガヤの自警団長、カサイさんが言う。

 故郷のみんなの視線は、氷のように冷たかった。

 

 

 ふと気配を背後に感じた。

 彼女がふりむいた先には、もっともこの場にいてほしくない人物がいた。

「お爺……、ちゃん」

 大好きな祖父の姿。

 彼は、静かに口を動かした。

 唇の動きで、彼女は言葉を察した。

 

 

『残念だよ、ハルカ……』

 

 

 瞬間、ガラスが割れるような音が格納庫内に響いた。

 

 

 

「うわあああああああああ!」

 悲鳴を上げながら、彼女は跳ね起きた。

 あたりを見回すと、そこは変わらず格納庫の中だった。

 疲れが出たのか、いつの間にか手近な椅子に座って眠りこけてしまったらしい。

「……また、この夢」

 彼女は上着の袖で荒っぽく涙をぬぐうと、その場に大の字に寝転がった。

 

―――そうだよね。

 

―――償うなんて、なんて都合のいい夢を見ていたんだろう。

 

―――自分の過去は、罪は消せない。

 

―――当然のことを、なんで忘れていたんだろう。

 

―――みんなが失望するのは、当たり前だよ。

 

―――それだけのことを、私はしたんだから……。

 

 

「ハハハ……、ハハハハ」

 彼女の乾いた笑いが、不気味な音をたてる。

 夜眠るたびに、この悪夢からは逃れられなくて。

 彼女の心は、徐々にすり減っていた。

 みんなが、こんなこときっと口にしないと信じている。

 

 これは、自分の心が見せている幻だ。

 

 それでも、罪悪感は消えなくて。

 ナカイの言う通りだった。

 結局、彼女には何も残ってない。

「もう、疲れた」

 

―――この悪夢も、消せない罪の烙印も……。

 

―――誰か、全部、終わりにして……。

 



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第4話 帰らぬ親友、残った約束

さかのぼること、およそ20年前。

イジツでも指折りの工業都市ナガヤ。その町の自警団に、
日々互いの腕を競い合う2人の仲のいいパイロットがいた。
空賊の襲撃にあいながらも、それなりに充実した日々を
送る2人。

だが、ある空戦がきかっけで、この都市は危機的状況に追い
込まれることになる。




 20年ほど前の、ナガヤ上空。

 

 今日の空賊の襲撃を退けた、零戦32型と52型丙が滑走路に進入してくる。

 32型のパイロットは、機体を格納庫の前まで誘導すると、エンジンを切った。

「ふう……」

 操縦席から下りてきたのは、若かった当時の、後のナガヤ市長のクラマ氏。

 彼は地面に足を下ろすと、一緒に着陸した52型丙へ向かっていく。

 風防が開くと、操縦席からは黒い髪を短く切った、優しい顔つきの男性が下りてきた。

「今日も、君の星が多かったな」

 彼は、パイロットの名を呼んだ。

 

「ミタカ」

 

 その男性は、後に悪魔の零戦として名を知られる、ハルカの父親になる男性だった。

「今日は、な。昨日は君の方が多かったから、これでようやく並んだな」

 52型丙のパイロット、ミタカはクラマに微笑みながら返す。

「そうだな。もっとも、町を守る自警団員が、星を競っているってきいたら、住民はどう思うだろうね」

「そうかもな。雇われ飛行隊に比べて安い給料でも文句を言わず、率先して町を守る犠牲になる自警団員が、星を競うのを楽しむとは何事か、って言われるかも」

「ハハハ、そうだね」

 2人は、20年ほど前はナガヤ自警団に所属し、日々切磋琢磨し、常に撃墜数でトップを競い合うほどの腕を誇っていた。

 出会ったのはもっと幼い頃で、同い年でもあったので、子供の頃から二人の付き合いは続いていた。

 

「お~い、ミタカ」

 

 格納庫の奥から声がする。

 声の主は、白髪交じりの年をとった男性。

「あ、タカヒトさん。こんにちは」

「こんにちは、クラマくん。いつも息子が世話になっているな」

「世話だなんて……。もう、長い付き合いですから」

 2人の間柄は、親友ともいえるほど良好だった。

「ハハハ、それもそうか」

 声の主はこの町、ナガヤを救ってくれた救世主、ミタカの父親のタカヒトさん。

 彼が工場の工作機械を直し、技術指導してくれたおかげで今のナガヤがある。

「ところで、今日はどういった用事で?」

「おっといかん。ミタカ」

 タカヒトさんは自身の息子に視線を向ける。

「アスカさんから伝言だ。……生まれたそうだ」

 それを聞いた途端、彼はタカヒトさんにとびかかった。

「と、父さん!本当なのか!?」

 年老いた父親を前後に揺らすという彼らしからぬ行動を、タカヒトさんは冷静に止める。

「嘘ついてどうする?車で来た、病院へ行くぞ」

 後日、親友に3人目の子供が生まれたことを聞かされた。

 

 

 

「3人目だな。おめでとう」

「ありがとう……」

 クラマの祝福を、ミタカは照れ臭そうに顔をそらす。

「それで、写真を肌身離さず持ち歩いているなんて、親ばかだな君も」

「なんで知っているんだ!?」

「格納庫の一角で突然にやついたら、気づきもする。傍目には怪しいおやじにしかみえないけどね」

「子供や妻には黙っていてくれ!恥ずかしくて死にたくなる!」

 両手を合わせて真剣に頼み込む友人に、クラマは少し引いた。

「いいじゃないか、親ばかで?」

「子供や妻には、かっこいい父親でありたいんだ!」

 そこは譲れない一線なのだろうか。

「それで、なんて名前にしたんだ?」

「……笑わないでくれるか?」

 クラマは頷く。

 

「……ハルカ、だ」

 

「はるか……?何か意味でも?」

「父さんがいうには、ユーハングの言葉で、とても遠く、という意味らしい」

「なんで、そんな言葉を名前に?」

 

「……どこまでも続く、この広い空をかけ、私や、皆が見たことのない景色を、私達にかわって見に行ってくれる。伝えてくれる。そのために、自身で道を切り開いていってくれる子であってほしい。そんな願いからだ」

 

「なるほど……。相変わらず、ロマンを忘れないね」

「……悪いか?」

「いや、純粋で、真っすぐでいいと思う」

 そうやって微笑むクラマを、ミタカは笑っていると解釈したようでジト目で返すが、全く効果はなかった。

 

 その後、ハルカが成長するにつれ、愛しの妻に似てきただの、目元は自分に似てくれただの、クラマは惚気話を散々聞かされることになった。

 家族が増えるにつれ、ミタカは自警団の収入では苦しいからと、ナガヤで有志を募って飛行隊を結成し用心棒稼業を始めた。

 ほぼ同時期に、クラマは評議会議員への道を歩み始めることになった。

 

 

 そんな、ある日のことだった。

 

 

「ミタカ、大丈夫なのか?」

 クラマは、飛行場で不安そうな表情を浮かべていた。

「大丈夫だ。私の腕は、君が一番よく知っているはずだ」

「そうだが……」

 彼とミタカは、共に自警団で切磋琢磨してきた間柄。それでも、不安は尽きない。

 

「だが、今回の依頼は断った方がいい」

 

 今回の依頼は、空戦への参戦だった。ミタカと、彼の息子に娘、それに報奨金につられた有志や自警団員たちも出発準備を進めていた。

 

「今回は空賊が襲ってくるとか、そんな問題じゃない!参戦する勢力が勝つか負けるまで終わらない!生きて帰ってこられるか、そんなことさえわからないんだぞ!」

 

「戦闘機に乗ったそのときから、その可能性とはいつも隣り合わせ。今更だ」

「君には愛する奥さんや、まだ幼いハルカ君、生まれて間もない彼女の弟や妹だっている!君が死んだら、彼らはどうなる!」

「娘のアカネ、息子のカズヒラがどうしても参戦するといって聞かなくてな。私は、彼らを無事に家に帰すために行くんだ」

 ミタカの子供で、ハルカの姉と兄にあたる2人は、当時戦闘機にのり、腕もよく血気盛んな年ごろだった。

「だからって……」

 クラマは、なんとかあきらめてほしくて言葉を探す。

 運び屋の用心棒と違い、今回の依頼は空戦。

 生きるか死ぬかの二択しかない。まして、彼には家で待つ家族がいる。

 でも、彼は親友が一度決めたことを簡単にあきらめはしないこともわかっていた。

「ただ、まあ、そうだな……」

 ミタカは、彼に振り返った。

「クラマ、1つ頼まれてくれないか?」

「……何だ?」

 

 

「もし、私たちが帰ってこなかったら、妻やハルカのことを、助けてやって欲しい」

 

 

 彼は目を見開いた。

 だが、間もなく落ち着いた声で返した。

「ああ……、約束する。だから……」

 クラマはミタカの手を握り、彼の目を見つめていった。

 

 

「心置きなく、戦ってこい。そして生きのこって、かならず帰ってこい!」

 

 

「……ああ、約束する!」

 2人は、力を込めて手を握り合った。

 間もなく、参戦すべく彼らはナガヤの飛行場を飛び立った。

 親友の、ミタカの零戦52型丙も共に。

 この空戦こそが、後にリノウチ大空戦と呼ばれる空戦となった。

 ナガヤより参加した者たちは、誰一人かえってくることはなかった。

 ハルカの父親で、クラマの親友だったミタカも空戦の最中、撃墜されたのだった。

 

 

 

 

「……ミタカ」

 親友の名の刻まれた墓石の前で、クラマは手を合わせる。

 空戦が終結してから2週間以上たつが、参戦者は誰一人帰ってこなかった。

 彼の親友も、帰ってこない。

 クラマは墓地をあとにし、帰路についた。

 そのとき、町にサイレンが鳴り響いた。

「空襲警報!空賊か!」

 クラマは手近な対空機銃へと走る。地上で住民たちが戦闘準備を進める一方で、滑走路からは自警団の機体が離陸していく。

 対空機銃の銃座についたクラマは、機銃の残弾や各部の確認を手早く終えると、薬室に初弾を装填し、銃口を上空へ向ける。

 間もなく、上空に全体が黒く塗られた零戦21型が飛来した。

『ナガヤ管制塔より各員。敵は空賊と思われる、21型が12機だ』

 機銃の引き金に指をかけ、発射準備を完了。

 照準器越しに、敵機が近づいてくるのを待つ。

 そして、21型が町の上空にやってきた。

 自警団の紫電と零戦32型が空賊機と交戦する。

 2つの陣営がヘッドオンで交差する。すれ違い様機銃を放った空賊の21型の前に、紫電と32型が4機落ちていく。

 敵は12機、自警団は16機が上がっているが、さっそう戦力が拮抗してしまった。

 自警団の機体の動きは、空賊機に比べぎこちないものだった。

 リノウチ空戦で凄腕や中堅が参戦したために、今残っているパイロットの練度は著しく低い。

 彼らは今、飛んでいるだけでやっとやっとの子供のようなものだ。

 自警団の機体は数を減らしていく。

 彼の対空機銃の上空に、空賊の21型が向かってくる。

 照準器を覗き、予想進路上に銃口を向け、引き金に指をかける。

 

 

 そのときだった。

 

 

 突如、21型1機が主翼付け根から火を噴いて落ちていく。

「え……」

 間もなく、落ちた21型のすぐ前方を飛んでいた2機が撃墜される。

 見れば上空を飛んでいる機体の中に、1機だけ97式戦闘機が混じっている。

 その機体は、灰色に塗られた機体に、主翼には蒼い線が斜めに引かれ、胴体と主翼には白を縁取った水色の丸が描かれていた。

 その機体は、かつて親友のミタカが若い頃に乗っていたものだと、クラマは思い出す。

 その97式戦闘機は旋回性能の良さを生かし、零戦の後方に回り込んでは主翼付け根や操縦席付近を狙いすましたように撃ち抜いていく。

 たった1機ではあるものの、空賊は放っておけないと判断したのか、97戦の後方に集まる。

 一斉に機銃が放たれた瞬間、97戦はスナップロールを繰り出し、零戦の後方に回り込んだ。

 すかさず発砲し、また2機が落とされていく。

 零戦が右へ舵を切った。だが97戦の方はそれがわかっていたように、予想進路上に機銃を放った。

 零戦はよけることもできず被弾して落ちていく。

 残り全機が97戦の後ろに集まった。

 すると97戦は機首を下げて降下、空賊機もあとを追う。

 97戦は地面すれすれまで高度を下げると、機銃を回避しながら飛ぶ。

 そして空賊を対空機銃の設置場所まで誘導すると、旋回して進路上から離れた。

 対空機銃が一斉に放たれた。

 零戦はよける間もなく、瞬く間にハチの巣にされ、地面へと落ちていった。

 

 

 結局、襲来した空賊機は殲滅された。

 だが、クラマは上空を舞う97戦から目が離せなかった。

 戦闘が終わったため、97式戦闘機は緩やかに旋回しつつ滑走路へ進入していく。

 飛ぶ姿は綺麗なのに、先ほどの戦闘では獰猛な猟犬のようで。

 でもその様を、彼は以前目撃していた。

 あの機体の持ち主だった、リノウチ空戦で戦死した親友と、彼の父親のタカヒトさん。

 でも、親友はもういないし、タカヒトさんは52型丙に乗るはず。

「まさか……」

 彼は胸の内に生じた疑念を確認するため、飛行場へ走った。

 

 

 

 飛行場へ到着した彼が見たのは、信じられない光景だった。

 97式戦闘機の風防が開き、操縦席からパイロットが下りてきた。

「よいしょ」

 下りてきたのは、まだ幼い少女だった。

 茶色い防寒用の上着に、裾に青いラインの入った白色のスカートを身に着け、母親と同じ黒色で肩の少し下まで伸ばした髪が風に揺れる。

 そして親友の面影を宿す目元が、振り向いた先にいたクラマを視界にとらえる。

 

「あ、クラマさん」

 

 彼女は笑みを浮かべて彼のもとに駆け寄る。

 

「ハルカ、くん……」

 

 亡き親友の忘れ形見、次女のハルカだった。

 まだ、10歳を過ぎたばかりの、子供。

「何を、しているんだい……」

「自警団の、お手伝いをさせてもらっているんです」

「ハルカ君……、なんで」

 彼女は一瞬表情を曇らせるも、すぐに笑みを浮かべた。

「お父さんたちが帰ってこないから、私とお爺ちゃんが、お母さんたちを、守らないといけないんです」

「だからって……」

 

「クラマくん」

 

 背後から聞こえた声に、彼は振り返った。

 背後にいたのは、白髪にヒゲを生やした老人。

 親友の父親のタカヒトさんだ。

「ハルカ、機体の点検をしてきなさい。いつ襲撃があるかわからない」

「は~い」

 彼女は97式戦闘機の方へ向かっていった。

「クラマ評議員、ここにいては襲撃があった際危険です。車で自宅までお送りいたします」

 タカヒトが、暗に背中でついてくるようにいっていることを悟った彼は後をおった。

 

 

 

 

「どういうことですか?」

 車の座席に座って早々、クラマは問いかけた。

「他に……、手がないんだ」

 タカヒトさんは、少し苦しそうに、言葉を絞り出すように告げた。

「だからって、まだハルカ君は10歳を過ぎたばかりの子供ですよ!彼女にもしものことがあれば、ミタカになんていえばいいんですか!?」

 

「私だって、できればしたくない。もう少し年を取ってから、学校を卒業してからにしてほしかった。でも、ミタカたちが帰らない上、私の収入だけで皆を養うことは難しい。アスカさんは、夫や子供を亡くしたせいで、体調を崩して病院に通わなければならなくなってしまった。働けるのは、私とハルカの2人だけ……」

 

 タカヒトさんの顔は、苦しそうだった。

 彼は、ハルカ君に空を飛ぶことを教えた人物で、孫の彼女を溺愛しているのは知っている。

 まだ10歳を過ぎたばかりの子供が戦いの空を翔けることは、彼も望む所ではなかったのだろう。

「10歳すぎでは用心棒どころか、運び屋でも普通はどこも雇わん。それでも彼女は家を支えたいと聞かないから、市長やナガヤ飛行機に頼んで仕事をもらうことができた。私にできることは、あの子が無事に帰ってくることができて、この先も生きていけるように、私の知る全てを教えることだけだ」

 そういう彼に、クラマは何も返す言葉がなかった。

「タカヒトさん、行き先を変更してください」

「構わんが、どこへ?」

「……市庁舎へ向かってください」

 

 

 

 

「父さん!一体どういうことだ!」

 市庁舎についたクラマは、当時のナガヤ市長、自身の父親のもとへとやってきた。

「何がだ?」

「タカヒトさんのお孫さん、ハルカ君に自警団の手伝いをやらせるなんて、何を考えているんだ!」

「……何か問題でも?」

 市長である父親は淡々と返す。

「問題だ!彼女はまだ10歳を過ぎたばかり!そんな子供を空賊と戦わせるなんて!」

 イジツでは、飛行機は幼い頃から乗り始める人間が多い。

 だがそれは、あくまで赤とんぼなどの練習機に限った話。

 速い速度で飛ぶことを求められ、機銃で敵を撃ち落す戦闘機に乗るのは、どんなに幼くても15歳を過ぎたあたりからというのが普通になっている。

 最低でもその年齢に達してからでなければ、命の奪い合いをする空戦には精神が耐えられないということからである。

「……仕方あるまい。彼女が望んだことだ。家族を支えるために働きたいと」

「だからって!」

 食い下がる息子に、市長は目を細めた。

「確かに、ハルカ君はミタカ君たちが大事にしていた子だ。ミタカ君は自警団に所属して町を守ってくれて、独自に飛行隊を作ってからは、ナガヤの製造した飛行機や部品の輸送の護衛など、大きく貢献してくれた。彼には、返しきれない恩がある」

「わかっているなら、なんでその子供の彼女をわざわざ危険な仕事に!」

 

「勘違いするな。それはあくまで、私人としてだ。今のナガヤの現状をお前は理解しているのか?」

 

「現状だって……」

 

「そうだ。リノウチ空戦に参戦を求められ、ミタカ君たち独自の飛行隊だけでなく、自警団の凄腕パイロットまで参戦し、全員が帰ってこなかった。確かに向こうが提示した報酬は高額だったが、それは生還できたらの話。全員撃墜された以上、ナガヤには損失しかもたらさなかった」

 

 リノウチ空戦には自身の腕試しや、高い報奨金目当てで参戦したものたちが多くいた。

 だが、結局勝敗が決したとはいいがたかった上に、あくまで報酬は勝利者側の生還できたパイロットのみが対象だった。

 生還できなかったパイロットに、この空戦を起こした勢力が報酬など払うはずない。

 おまけにナガヤから参戦したのは、凄腕と言われたパイロットたちばかりに加え、中堅までも。

 

「腕利きは皆リノウチ空戦にとられ、全員死亡。自警団以外に複数あった独自の飛行隊は全滅し、今このナガヤを守れる戦力は、残った自警団のみ。だがその自警団にいるパイロットは中堅ですらない。素人に毛が生えた程度の練度しかない。練成に時間がかかる以上、何か手を打たねば、ナガヤは自身の身を守ることもできない」

 

「だから、ハルカ君を使うのか」

 

「ああ、少なくとも今の自警団員が束になってかかっても、彼女に勝てないことは先日行った演習で私も目にしている」

 クラマも道中それは目にしていた。空賊機相手に引かず、殲滅した彼女の戦いを。

 

「あんな子供に頼らなければならないほど、今のナガヤは落ちぶれているのか!」

 

 

「……ああそうだ!あんな子供、本来なら戦わせるなど、大人として私は避けたかった!情けない大人だと、お前や皆は蔑むだろう。だが、どれだけ情けなくても、私はこの町の住民の安全や生活に責任を持たねばならない市長で、お前は評議員の1人だ!選択肢を選べるほど、今は余裕のある状況ではない!なら使えるものは、何でも使わねばならない!そのために、住民は我々を代表に選んだのだぞ!」

 

 

 親子そろって、今は政治家。

 町の今を守り、未来へつないでいかねばならない。

 そのために、彼らは存在している。

「クラマ。お前も評議員だというのなら、町の今と未来に責任を持たねばならない。理想や夢は大事だが、今を生き延びねば未来はない。夢を捨てろとは言わないが、現実を受け入れて、どうすればいいかを考えろ。タカヒトさんによって救われたこの町を、我々の代で廃墟にしてしまってもいいのか?」

「それは、できない……」

「なら、わかるな」

 クラマは、それ以上何も言えなかった。

 でも、このままでは親友の遺言を果たせない。彼に、顔向けができなくなる。

 

「わかった。でも、1つだけ頼みがある」

 

「……なんだ?」

 

「……僕の議員報酬の一部を、彼女の報酬にまわしてほしい」

 

「わかった。それくらいならいいだろう。だがいいのか?自警団の再編に町の発展を優先するために、議員報酬は減らすことが決定しているのは、知っているだろう?」

「……生活ができる分だけあればいい」

 そうやって、彼は親友の忘れ形見をなんとか守ろうとした。

 

 

 あれから数年がたち、自警団の戦力はある程度まともになったものの、ハルカは自警団の手伝いに、ナガヤ飛行機製作所の製造の手伝いや部品輸送の用心棒にと忙しく、結局彼女に頼り切っているというままだった。

 それでも収入は決していいとは言えず、母親を病院へ入院させることができなかった。

 その後、母親の体調の悪化と収入の増加が見込める仕事先を見つけたことで、タカヒトさんはイケスカへ向かい、ハルカは残った家族と共にナガヤを出て行ってしまった。

 彼女やタカヒトさんと関係のあったクラマ評議員やナガヤ飛行機製作所のナオト工場長にカガミ社長、指導を受けた自警団のカサイ等、ナガヤの多くの人々は彼らの力に、結局はあまりなれなかったことを嘆いた。

 町を救い、守ってくれた多大な恩がありながら、それを返す機会を失ってしまったと、皆が思った。

 

 だから彼らは驚いた。

 

 このナガヤの上空に、再び彼女が戻ってきたことに。

 

 彼らは、やっと彼女に恩が返せると、ほっとしたのだった。

 

 



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第5話 拭えない違和感

自分の住んでいた家をあとにした彼女は、いつの間にか格納庫の
傍を歩いていた。心配する仲間に疑いのまなざしを向けられる
も、空襲警報がなり、急いで彼らは飛び立つ。
町に、再び空賊が迫っていた。


「お~い、ハルカ~」

 ふと顔を上げると、キリエの姿が目に入った。ハルカはいつの間にか、滑走路の脇を歩いていたことに今更ながらに気付いた。

「出航は早くても明日になるから、休んでおけって~」

「……わかった」

 彼女は静かに応えると、滑走路に沿ってひたすら歩いていく。

 彼女の家は滑走路に近い位置に建てられたので、ここまで歩いてきたのだが、その間の記憶はなかった。

「何か、あったの?」

 ふと顔を上げると、いつのまにかキリエの顔が目の前にあった。

 何か心配そうな顔で瞳を、その奥の頭の中を覗こうとしている。

「別に、何もなかったから……」

「本当か?」

 声の方向を振り返れば、腰に両腕を当てているナツオ班長と隊長のレオナがいた。

「本当に何もなかったのか?」

 怪訝な、ジト目でナツオ班長が見つめてくる。

「ええ、何も」

「ほんとにか?」

「そんな疑わなくても……」

「君の何もないは、疑わしいんだ」

 度重なる命令違反故か、どうも素直に信じてもらえないと、ハルカは頭を抱える。

 ナツオたちは、彼女は無理という言葉を口にしないのが気がかりだった。

 つい先日、疑わしいからと身の潔白を証明するため、エンマの要求を受け入れ続けた彼女だ。

 彼女にブレーキが存在しているか怪しい今、言うことを素直に信じるのは危ういと彼らは考えている。

 そしてレオナの顔が眼前に迫る。

 ハルカは、目を僅かに動かして周囲にザラがいないかを確認する。

 あまりレオナに近づきすぎるとどうなるか、先日のことが頭をよぎる。

「どうした、目が少し腫れているようだが」

 つい先ほどまで泣いていました、とはいえず、別の言い訳を必死に考える。

 

「泣いてでもいたのか?」

 

 機微に疎いわりに的確に正解を言い当ててきた彼女に驚きつつ、言い訳を口にする。

「いえ、その……。夜まで本を読んでいたので」

「ベッドに入ったあともか?」

 途端、レオナの瞳が鋭く細められる。

「……早く寝るようにいったはずだが」

 咄嗟に思いついた言い訳が、かえって藪をつついてしまったことに後悔するも、もう遅い。

「私の言いつけを無視して……、パイロットにとって目は大事だと、知らないわけではないな?」

「は、はい……」

「それに睡眠不足では、戦闘時に集中力が鈍るからしっかり寝るように。そうもいったはずだが」

 鼻先が触れそうなほど顔が近づく。

「今日からは、君が寝るまで見張る必要がありそうだな」

「いえ、別にそんな必要は……」

 レオナが視線をそらさず、射抜くように見つめてくる。

 彼女は瞳を左右上下に泳がせるも、レオナの視線はブレない。

「……申し訳ありませんでした」

 素直に頭を下げる彼女。

 レオナはため息を吐き出し、彼女の頭に右手を乗せる。

「無理しすぎてもいいことはない。自分を、もう少し大事に、な」

「……はい」

 一応彼女は受け入れたように答える。

 自分を大事にして生き残ったところで、あの家で待ってくれていた人々はいないし、この先何がしたいわけでも、ないのだから。

 

「む~」

 

 すると、その様子を見ていたキリエが頬を膨らませ、あきらかに不満を主張している。

 

「レオナ、なんか彼女に甘くない!?」

 

「そうか?」

 

「だって!私やチカにはいつも鬼のようなのに!」

 

 本人を目の前にして、キリエは包み隠さず自分の印象をぶつけた。

「それは、おまえたちが命令違反やいさかいを度々起こすからだ」

「む~」

 キリエは思い当たる節があるようで、それ以上何も言えなくなった。

「私の頭を悩ませるのは、2人だけにしてくれないか?」

「……はい」

 困った笑みを浮かべるレオナに、彼女は静かに頷いた。

 

 その時だった。

 

 町全体に響く、大きな警報が鳴った。

 

「な、何なに?」

「襲撃?」

 直後、ハルカは腰につけている無線機から呼び出し音が鳴るのを聞いた。

「はい」

『今どこ?』

 ユーリア議員だと声でわかった。

「滑走路そばの、格納庫の前です」

『ちょうどいいわ。どうやらまた空賊が接近しているみたいだから、ナガヤ自警団と護衛隊と協力して撃退して頂戴』

「わかりました。コトブキは?」

『それはルゥルゥが決めること。あなたは、今は私の指示で動きなさい』

「……わかりました」

 彼女は無線を切る。

「敵襲か?」

「はい。ユーリア議員から、私は飛ぶように、と」

「マダムは、なんと?」

「……まだ何も。先に行きます」

 ハルカは愛機が駐機してある格納庫前まで走る。

「レオナ、どうするの!?」

「マダムからの連絡を待つしかないが……。羽衣丸へ走るぞ!」

 2人は羽衣丸を目指し、駆け出した。

 

 

 

 

「護衛隊に出撃命令を出したわ。あと、彼女にも」

「わかりました。約束通り特別手当は、3倍払います」

「ありがとうございます、市長」 

 無線機で必要なやり取りを終えたユーリアは、市長の前に座り直す。

 襲撃警報が鳴り、接近中の戦力がすぐに市長のもとへ伝えられた。

 敵は、爆撃機と思われる巨大な機影が2機と護衛戦闘機が約30機。

 ただの空賊にしては随分充実した戦力だが、いずれにせよ放置することはできない。

 無論、ナガヤにも自警団はあるし規模もそれなりに大きいのだが、度重なる襲撃を受け、ナガヤ自警団の戦力は紫電8機、零戦32型6機にまで減少していた。

 そこでユーリアは、自身の護衛隊8機とハルカを応援に出す、と申し出た。

 

「あのね、ユーリア。ハルカさんは今、私のもとにいるのだけど?」

 

 非難がましい目で、マダムはユーリアを見つめる。

「こういうときこそ、最強のカードをきらないでどうするの?それに、彼女は護衛隊の一員でもあるのよ。私が殺されるのを、黙ってみていろっていうの?」

 こういう時、どこの組織に帰属するのか、というのは問題になる。

 ハルカは一応共有という形をとっており、現在はオウニ商会の依頼の途中であり、本来ならマダムの指示で動く。

 だが今ここにユーリアがおり、護衛隊の一員という立場がある以上、彼女が殺されるのを黙ってみているなどできるはずもない。

 それに、ナガヤが彼女の故郷であり、今後協力関係を築くにあたって恩を売っておかない手はない、という打算もある。

「ですが、ナガヤ自警団14機に、議員の護衛隊8機に彼女を含めても23機。相手は護衛だけで30機。果たして、それで撃退できるかどうか……」

「なら、うちの小鳥ちゃんたち6機をお貸ししましょうか?それなら、互角に戦えるでしょう」

「ありがとうございます!」

「じゃあ特別手当ては……」

「3倍払います!全員使わせてください!」

「わかりました」

 笑顔を浮かべ、無線で羽衣丸に連絡を入れるマダムを、ユーリアはジト目で見つめる。

 市長が不安を口にしたら素早く取り入った。その即決の速さは、流石商人といったところか。

 あとで訪れる高額請求に市長が泣きを見ないか不安がよぎるが、決めたことなのでもう遅い。

 彼女は部屋の窓から、空へ飛び立っていく護衛隊の姿を、静かに眺めていた。

 

 

 

 

 

 ナガヤを飛び立った自警団14機が先頭を飛び、その後ろにガドール評議会護衛隊が続く。護衛隊は前方5機、後方4機の2列に分かれて飛行する。

 護衛隊の鍾馗の中、前方の右端に1機だけ零戦が混じって飛ぶ。

『敵は護衛戦闘機が30機、爆撃機らしい機影が2機。こちらは合計で23機。数の上では劣勢だ』

 護衛隊隊長のカサイから、情報が各員に伝えられる。

『ナガヤ自警団と我々護衛隊で敵戦闘機を引き付ける。その隙にハルカ君は、敵爆撃機の撃墜を頼む』

「了解」

 

『頼むぞ、嬢ちゃん』

 

 ナガヤ自警団団長から通信が入る。

『また、一緒に飛べて嬉しいよ』

「……そうですか」

『昔は、嬢ちゃんに守られてばかりだったからな』

「そうでしたね。空賊の撃退に、輸送機の用心棒。自警団は何をしているんだって。いつも思っていましたよ」

『くくく、いうようになったな。だが、俺たちだって守られてばかりじゃねえ。護衛は引き受ける。嬢ちゃんは本命を頼むぞ!』

「……はい」

 すると進路上に、太い葉巻に翼をつけたような大きな影が2つ、そのまわりを囲むように飛ぶ小鳥たちの姿が目に入った。

『目標を確認。一式陸上攻撃機2機、護衛戦闘機は五式戦闘機が30機』

『護衛隊了解。よし、では作戦開始。いくぞ!』

「「「はい!」」」

 全機速度を上げ、敵編隊へと向かっていった。

 

 

 

 

 空賊は一式陸攻の護衛を最小限のこし、残りが向かってきた。

 ナガヤ自警団は、隊長機の紫電を先頭に楔型に編隊を組み、空賊の編隊を突き破るように進んだ。

 お互いが交差すると、楔型の陣形が左右にわかれ、23機対30機の空戦が始まった。

 ナガヤ自警団の紫電と零戦は即座に水平に旋回し、交差した五式戦の背後を目指す。すると、五式は上昇して高度を取ろうとする。

 そこへ高度をとっていた護衛隊の鍾馗8機が飛来。高位からすれ違い様に機首の7.7mm、主翼の12.7mm機銃が放たれ、被弾した五式戦闘機2機が落ちていく。

 高度を上げるのをやめた五式戦闘機たちは旋回し、鍾馗の背後を狙おうとする。 

 すると、旋回を終えたナガヤ自警団の紫電や32型に旋回途中の速度が落ちている瞬間を狙われ、また2機が落ちていく。

 味方の劣勢を悟り、一式陸攻の護衛機が増援のため離れていく。

 

 その瞬間を、彼女を待っていた。

 

 ハルカは雲から飛び出すと、機首を真下に向けて降下。一式陸攻へ上空から襲い掛かった。

 彼女は、一式陸攻の左主翼に照準器のサークルを合わせる。

 一式陸攻は防弾装備が施されているものの、航続距離を伸ばすために翼の構造自体を燃料タンクとするインテグラルタンクを採用している。

 下面や部分的に防弾ゴムが施されているが、上面には施されていない。

 彼女はスロットルレバーについている20mm機銃の安全装置を外し、機首の13.2mm機銃と主翼の20mm機銃を同時に発砲。

 放たれた機銃弾は陸攻の主翼を貫通。瞬く間に火の手があがり、機体を覆っていく。

「まず1機!」

 操縦桿を両手で引き、彼女は機首を上げる。

『いいぞ嬢ちゃん!あと1機頼むぞ!』

 自警団長に言われ、残り1機の一式陸攻に機首を向ける。

 瞬間、彼女は首筋に何かを感じ、慌ててフットペダルを蹴りこんだ。

 機体を左へ横滑りさせた直後、先ほどいた位置を20mm機銃弾が駆け抜けていく。

 残り1機を落とさせるものかと、護衛の五式戦闘機6機が後方に集まっている。

 彼女は機体を横滑りさせたり、旋回を繰り返して機銃弾を回避する。

「この……」

 このままでは一式陸攻に迫れない。

 もとより、数の上で不利な状態から始まっているためか、ナガヤ自警団に護衛隊も他の五式戦に手一杯で、こちらの援護にこられそうもない。

 しつこくまとわりつく五式戦が1機、後ろから飛来した機銃弾によって落とされた。

 

『ここは引き受ける!行け!』

 

 五式の後方に、綺麗に楔型の編隊を組んで現れた隼6機が視界に入る。

「……はい!」

 隊長のレオナの声とすぐに認識した彼女は舵をきった。スロットルレバーを押し込み、速度を上げて先を飛ぶ一式陸攻を追う。

 一式陸攻の後方に迫ると、尾部の20mm機銃が咆哮をあげる。

 彼女は機首を下げ陸攻の下に回り込む。そして機首を上げ、下方から襲い掛かった。

 主翼の20mm機銃を発砲。一式陸攻の左右のエンジンを撃ち抜く。

 プロペラが停止した機体は、そのまま地面に向かって高度を下げていった。

「ナガヤ自警団長へ。一式陸攻2機を撃墜」

『流石だな、嬢ちゃん!』

 陸攻を失ったためか、護衛の五式戦闘機たちは町とは逆の方向へと飛び去って行った。

 

『こちらナガヤ管制塔。空賊の撤退を確認しました。全機帰還してください』

『よし、帰るぞ!』

 

 団長の指示で、全員がナガヤへと進路をとる。

 キリエやチカたちの、暴れたりない、という声を聞き流しながら……。

 だが、ハルカは何か胸騒ぎがしていた。

 これまで幾度となく要求をのませるべく襲撃を繰り返していた空賊にしては、陸攻が落とされたとはいえここまであっさり引くものだろうか。

 いや、恐らく空賊ではない。空賊が陸攻を持つ理由も余裕もないことを、彼女は知っている。恐らく、自由博愛連合の関係者であった可能性がある。

 おまけに、今ナガヤにはユーリア議員にオウニ商会、コトブキ飛行隊がいる。

 最近、情報がどこから漏れているのか気になるが、これくらいであきらめるはずがない。

 戦闘が終わったものの、彼女はどこかぬぐえない不安を抱えながらナガヤへの進路をとった。

 

 

 

 

 ナガヤ自警団、ユーリア護衛隊、コトブキ飛行隊に続いて、ハルカは最後に滑走路に着陸し、機体を格納庫前まで誘導するとエンジンを切って操縦席から下りた。

「あ~、疲れた」

 足や腕を伸ばして体のコリを和らげようとするキリエを横目に、ハルカは機銃弾を台車で運んで補充し、ついで燃料の補充を行う。

「ハルカ、どうしたの?」

 そんな彼女を、キリエは怪訝な顔つきで見つめる。

「なんだか、胸騒ぎがして」

「胸騒ぎって、空賊はもう追い払ったんだよ?」

「陸攻だって撃墜した。町を襲撃するには戦力が不足している」

 ケイトが淡々と事実を述べる。それは彼女もわかっている。

「それはわかっているんです。でも……」

 それでもぬぐえない違和感が彼女にはあった。

 

 考えてみればおかしな話だ。

 

 空賊が、町や飛行船に襲撃をしかけるのは、略奪行為を行わなければその日を生きることさえできないからだ。

 今回の襲撃者、今回はトビウオ団という空賊らしいが、それが戦力的に恵まれていたとしても、陸攻を何機も保有できるはずがない。

 ならば、当然支援者の存在を疑うべきだ。

 ナガヤに被害を受けてもらわなければ困る町はいくらでもあるが、これだけの戦力を用意でき、空賊を支援する支援者となれば、恐らく自由博愛連合やイケスカの関係者である可能性が高い。

 その上、今はユーリア議員にオウニ商会関係者もいる。ショウト襲撃のときと同じだ。

 

 間もなく、彼女の疑念が確信に変わった。

 

 敵の接近を知らせる警報がなった。

 

「襲撃だ!またくるぞ!」

「各員!補給と発進を急げ!」

 飛行場がハチの巣をつついたようにあわただしくなった。

 自警団も護衛隊も、コトブキ飛行隊も着陸から間もない今、弾薬や燃料の補給が終わっていない。

 

 空で戦って勝ち目が薄いなら、敵の最も弱い時を狙う。

 

 着陸直後で補給が終わっておらず、飛び上がれない状態。このときをおいてほかにない。

 自警団や護衛隊は慌てて補給作業を始める。

 ハルカは弾薬と燃料の補給を終えると、急いで各部の確認を終え、操縦席に滑り込む。

「先に出ます」

 エンジンを始動させ、急いで滑走路から飛び上がった。

『こちらナガヤ管制塔。北東から敵の編隊が接近している。数は11。内1機が大きい』

「了解」

『補給の終わった機体から上げる。時間を稼いでくれるだけでいい。無理はしないでくれ』

「……善処します」

 彼女は指定された方向へと機首を向ける。

 すると、彼女は視界の端に高速で動くものをとらえた。

 下方に視線を向けると、イジツの大地に紛れる土色に塗装された飛龍が低空を飛行しているのが目に入る。

 その飛龍の目指す先には、ナガヤの滑走路や、補給作業中の飛行機がひしめく格納庫がある。

 

「……まさか!」

 

 彼女は急いで機首を下げ急降下に入り、飛龍を追う。

 飛行ルートを予測し、20mm機銃弾を飛龍の左右のエンジンに撃ちこんだ。

 

 だが、気づくのが遅かった。

 

 飛龍はすでに爆弾倉を開いており、銃撃を受ける直前に爆弾を投下。

 地面をはねた3発の250kg爆弾は滑走路に近い位置で破裂し、地面をえぐり、建物を吹き飛ばした。

 まして、今は燃料や弾薬の補給を行っている戦闘機が付近に密集している。

 爆弾の炎が燃料に引火し、いくつもの戦闘機が爆発の炎を上げた。

 

『こちらナガヤ管制塔。滑走路が被弾!飛行隊離陸不能!』

 

 



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第6話 最後の場所だと覚悟して

滑走路が破壊されたことで味方が離陸できなくなった中、
彼女は一人接近してくる機影に向かっていく。
そこで目にした機影に、彼女は言葉を無くす。
それでも彼女は故郷を守るため、単身敵戦力へと
向かっていく。


『こちらナガヤ管制塔。滑走路が被弾!飛行隊離陸不能!』

『滑走路の修復を急げ!並行して消火作業とけが人の搬送を!』

『手のあいているものは対空機銃の準備だ!』

 

 無線からは、自警団の焦ったやり取りが耳に入る。

 

『嬢ちゃん』

 

 自警団長の声だ。

『すまねえ。滑走路がやられて、飛びあがることができねえ』

 団長の申し訳なさそうな声に、ハルカは黙る。

『ハルカ、聞こえるか』

 急にレオナの声が聞こえ、彼女は顔を上げる。

『状況は、自警団長の言った通りだ。流石に君でも分が悪い。対空機銃で援護するから、敵を機銃の射線上に誘い込んでくれ。無茶はするんじゃないぞ』

『隊長の言う通りだ。嬢ちゃん、無茶するんじゃねえぞ』

「……はい」

 彼女は敵の来る北東に機首を向ける。

 迫ってくる機影を見て、彼女は目を見開いた。

 護衛機は、先ほどと同じ五式戦闘機が10機。管制塔が言っていた大きな機影の正体に、彼女は言葉をなくす。

 

 離れていても、その巨体は容易に視認することができた。

 

 かつてショウトやポロッカ等のいくつもの都市を焼野原にし、自由博愛連合の力を示した超大型爆撃機が、そこにいた。

 

「これが……、富嶽」

 

 一式陸攻や飛龍が子供に見えるほどの巨体に、その巨体を飛ばす片側3つの大馬力エンジン。

 彼女は状況を即座に分析する。

 

―――敵は五式戦が10機、爆撃機は富嶽1機。

―――こちらは対空機銃の援護があっても、私1人……。

 

「ハハハ……、ハハハハ」

 

 彼女の口から、思わず乾いた笑いが漏れる。

 10機の護衛の五式戦を相手にしながら攻撃を回避しつつ、富嶽をナガヤ到着前に落とす。

 

「これは、流石にキツイな……」

 

 せめて富嶽がおらず五式戦だけならば、対空機銃の射線上に誘い込むことを繰り返せば殲滅もできただろう。

 だが、富嶽がいる以上時間はかけられない。一刻も早く落とさなければ、ナガヤが焼野原にされてしまう。

 この集団は、本気でナガヤをつぶすつもりだ。

 時間がかけられない以上、被弾覚悟で富嶽を攻撃するしかない。

 いくら防弾装備があるとはいえ、52型丙の装備では何度も耐えることはできない。

 当たり所が悪ければ、瞬く間に落とされてしまう。

 飛び上がれたのが自分だけである今、彼女に逃げるという道はない。

 そんなキツイ状況とは裏腹に、ハルカは笑みを浮かべている。

 辛いことや悪夢を忘れられ、生と死の交錯する空での戦いが愛おしいというだけではない。

 

―――ここが最後の場所というのも、悪くないかも。

 

 せめて、最後に故郷を守って落とされる。

 そんな幕引きも悪くないと、彼女は思い始める。

 操縦桿とスロットルレバーを握りなおすと、静かにつぶやく。

 

「行こうか、レイ」

 

 彼女は戦闘速度に加速し、富嶽を目指して突き進んでいった。

 

 

 

 

「富嶽だって!」

 管制塔で、自警団長は叫びに近い声を上げていた。

「はい……。ハルカさんの報告では、富嶽だと」

 管制塔の女性団員は震える声で応えている。

「しかも護衛が、五式が10機……」

「いくら彼女でも、これ全てを相手にするのは……」

「無理、だよね……」

 自警団長、レオナ、キリエは表情がこわばる。

 レオナは管制塔の自警団員からマイクを借り、ハルカにつなぐ。

「ハルカ、聞こえるか?」

『はい』

「流石に君でも、その敵戦力を相手にするのは分が悪い。対空機銃の場所はわかっているだろう?そこに誘導を頼む」

 飛び上がれない以上、地上からできるだけのことをしようと、彼女は言う。

 

『それはできません。ナガヤから離れた位置で迎撃します』

 

「わかっているのか!そんなことしたら、君でも恐らく無事では済まない!」

『……ナガヤ上空で戦えば、その隙に富嶽がナガヤを焼け野原に変えます。ここは私の故郷。この町を、焦土にするわけにはいかないんです』

「ならせめて、滑走路の修復が終わるまでまて!全員で迎え撃てば」

『敵はそんな時間を与えてはくれません。……やるしかないんです』

 レオナは押し黙った。

『それでは、戦闘に入ります』

 一方的にハルカは無線を切った。

「……滑走路の修復状況は?」

「……まだ、時間がかかる、と」

 皆が表情を曇らせる。

 こうしている間にも、町を爆撃しようと富嶽が向かってきているというのに、自分達にはできることがない。

「結局、嬢ちゃんにまた、守られるのか……」

 自警団長が拳を握り締める。

 レオナにキリエも、苦々しい顔をするしかなかった。

 

 

 

 

 ハルカはスロットルレバーを押し込み増速。

 彼女は護衛機の五式戦の銃撃を回避すると、富嶽に真っすぐに向かっていく。

 反転した五式戦が、彼女の零戦の背後をとった。折角つかんだ攻撃の機会。

だが五式戦は発砲できなかった。

「フフフ……。どうしたの?撃たないの?」

 零戦の進路上には、富嶽がいる。

 数の上で不利なのはわかり切っている。

 まして、標的は撃墜に時間のかかる爆撃機。

 少し護衛機の数を減らさなければ攻撃できない。

 そこで、彼女は空賊時代の経験から得た戦訓をこの場で試していた。

 

 護衛や用心棒は、敵弾であれ誤射であれ、護衛対象が被弾することを恐れる。

 

 空賊や自由博愛連合の関係者とはいえ、富嶽という護衛対象がいるなら、射線上に巻き込みつつ移動すれば護衛機の動きや攻撃機会を制限することができる。

 彼女は富嶽の上方を通過すると、銃座の銃撃を回避しつつ180度機体をロールさせ、下面に回り込む。

 富嶽の上面や下面、周りを這うように飛び、銃座や五式戦の銃撃を回避。それを繰り返している間についていけなくなり、離脱して様子を伺う五式戦が出始める。

 彼女はその機体を見逃さず、即座に撃墜。

 

「フフフ、ハハハ……」

 

 すぐに富嶽のまわりをまわりはじめ、それを護衛機は追いかける。

 いかに富嶽が巨大とはいえ、残り8機もの機体が追随できるわけもなく、様子を伺うように離れる2機を見つけては、彼女はまたあとを追いかけ、撃墜。

 また富嶽のまわりをまわるのを繰り返す。

 そうやって、徐々に護衛機が数を減らしていく。

 

 残りが4機になったとき、彼女が動いた。

 

 富嶽の下面から抜け出ると機首を上げ、高度をとる。そして宙返りをすると、機首を下へ向けた。

 急降下しつつ、彼女は照準器のサークル内に富嶽をとらえる。

 機体がわずかに振動した。

 焦れた五式戦が、射線上に富嶽がいるにもかかわらず発砲してきた。

 それに構わず、彼女は降下を続ける。

 五式戦の放った銃弾が翼端や主翼を撃ち抜くも、胴体には被弾しないよう彼女は機体を操作する。20mm機銃の安全装置を外し、引き金を引いた。

 3丁の機銃が一斉に咆哮を上げ、放たれた銃弾は富嶽の主翼付け根と近くのエンジンに殺到する。

 機体に次々穴が穿たれる。それでも、防弾装備の充実している富嶽は簡単に落ちない。

 機首を上げて水平飛行にうつり、一度距離をとる。そして旋回し、富嶽の正面から2撃目を仕掛ける。

 機銃の弾が胴体近くのエンジン2基に殺到する。

 間もなく20mm機銃の弾がなくなる。そう感じ取ったとき、機銃を撃ちこんだ翼の根元に近いエンジンから大きく出火。

 その炎はたちまち出火箇所を中心に富嶽を飲み込もうと広がっていき、主翼付け根から大きな爆炎が上がった。

 主翼の片方がちぎれ飛んだ巨体はバランスを崩し、炎に包まれながらナガヤの近くの荒野へと墜落していった。

「……はあ」

 彼女は大きく息を吐き出す。

 これで最大の危機はさった。機体は多少被弾しているものの、なんとか飛べる。

「あとは、残りの敵機を追い払えば」

 直後、機体に振動が走り、座席後ろの防弾鋼板を叩く音がした。

「……なっ!」

 

 振り返れば、残り4機ほどだったはずの五式戦闘機がどこに隠れていたのか、12機にまで増えていた。

 

 富嶽を落としたお礼参りか、全機が彼女目掛けて機銃を撃ってくる。

 主翼の燃料タンクに被弾。消火装置が作動して鎮火されるが、燃料の漏洩が止まらない。

 再び主翼が撃ち抜かれる。なんとか胴体への被弾は回避しようとするが、動翼に被弾していきフラップ等が脱落。次第に動きが鈍っていく。

「……このままじゃ」

 今のままではいずれ落とされる。かといって、富嶽と護衛戦闘機を落とすのに機銃の弾は殆ど使い切ってしまった。

 どれだけ節約しようとも、これだけの数を一人で落とすのは無理だ。

「でも、まだ……」

 せめてできることはしようと、彼女は舵を切って敵機の後方に回り込む。

 背後に回り込み、機銃を撃とうと引き金を引こうとした。

 瞬間、また被弾した。

 雲に隠れていたのか、五式戦闘機がまた増えていた。およそ、16機。

 五式戦の機首の20mm機銃が主翼や尾翼を撃ち抜き、右主翼の3分の1がちぎれ飛び、機体がバランスを崩した。

 彼女は必死に操縦桿を操り、ナガヤの滑走路そばへとかろうじて不時着した。

 

 

 

 

「ハルカが落とされた!」

 彼女の零戦が不時着する瞬間を目撃したキリエは叫んだ。

 不時着した零戦から、ハルカが下りてくる様子はない。

 衝撃で気を失ったのか、ケガをしているのかもしれない。

 キリエは対空機銃から離れ、彼女の元へ走り出した。後を追って、コトブキ飛行隊のメンバーも走る。

 空いた銃座に、護衛隊の隊長や弟さんたちはとりつき、上空に弾幕を張る。

 ふと、上空から五式戦が1機低空で進入してくる。

 機首の機銃が地面に向けて火を噴いた瞬間、キリエたちは横に飛んで地面に伏せた。

 だが、機銃の着弾した場所はキリエたちのそばではなかった。

 着弾した場所のそばには、ハルカの零戦があった。

 幸い尾翼付近に命中しただけだが、五式戦は旋回すると、再び同じコースで進入を試みる。

「まさか!」

 キリエは彼らの考えを悟り、全力で彼女のもとへ走る。

 

 この空賊たちは、ハルカを直接殺すつもりだ。

 

 五式戦が彼女に銃弾を撃ち込む前に、操縦席から下ろさなければ。

 両足を必死になって動かし、全力でキリエは走る。

 でも、人間の足の速さは飛行機にかなわない。

 旋回を終えた五式戦が、キリエを追い越した。

 低空で地面を這うように進み、機首の機銃の銃口を、彼女に向ける。

 必死に手を伸ばすも、届かない。

 

 五式戦の機首の機銃が、咆哮を上げた。

 

 皆の顔が蒼白に染まる中、彼女は叫んだ。

 

 

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 



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第7話 彼女が望んだ結末

空賊に撃たれ、地面に不時着した彼女は、待ち望んだ結末が
遂に訪れることを察すると、静かに目を閉じる。
悪夢にうなされ、埋められなかった寂しさを感じ続けた彼女
は、このときを待っていたのだが……。




「うう……」

 ハルカは、割れた風防から外を見る。

 不時着時に衝撃はあったが、まだ生きているようだ。

 視界はハッキリしているし、手足も動くが、ケガをしているのか動くと鋭い痛みが走った。

 敵の撃った機銃によって損傷した部品が操縦席内を跳ね回り、彼女の左腕に突き刺さっていた。

 空を見上げると、こちらへ向かって進入してくる五式戦が目に入る。

 きっと、直接自分を殺すつもりだろうと、彼女は冷静に察した。

 

 

―――ここまでか。

 

 

 でも、不思議と彼女の心は落ち着いていた。

 

 これで、もう寂しい思いをしなくて済む。

 

 悪夢からも、逃れることができる。

 

 自分も向こう側へ行けば、みんな待っていてくれるだろうか。

 

 自分を置いていったことに、文句の1つでもいってやろうか。そんなことを考える。

 

 

 彼女は、この瞬間を待っていたのだ。

 

 

 ユーリア議員たちに雇われることを選んだが、あれは結局不安や寂しさから逃れたかっただけ。

 その後も、失ったものの変わりなんてなくて、心の隙間は埋められなかった。

 自身の犯した罪の重さに押しつぶされそうになり、眠るたびに悪夢を何度も見た。

 エンマに自身を撃つようにいったのも、自分で死ぬ勇気がなかったから。

 

 結局、ただ死に場所を探してさまよっていただけ。

 

 だから、かつて自身が生まれた、全てが始まったこの場所で、故郷を守って終わる。

 これなら幕引きとしてはいいと、彼女は思った。

 

 彼女の望んだ結末が、訪れようとしていた。

 

 彼女は、場違いな笑みを浮かべる。

 ふと、必死の形相でこちらにかけてくる、キリエやレオナたちの姿が見えた。

 

 

―――みんな……。

―――ごめん。

―――ありがとう。

 

 

 彼女は、静かに目を閉じた。

 

 機銃の弾が飛来し、機体と彼女を撃ち抜く。その未来が、間もなく訪れる。

 機銃が連続して銃弾を打ち出す、火薬の破裂音が空に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 ガドール評議会護衛隊の隊長に弟さん、そして整備班長は弾切れで役に立たない対空機銃から、ハルカの零戦のもとへ駆け出した。

 班長がそばにあった車のエンジンを始動させ、隊長と弟さんは飛び乗った。

 早く彼女を救助しなければ。

 彼らは、その一心だった。

 でも、車のアクセルを踏み込んでも、飛行機の速度には追いつけない。

 彼らの頭上を、五式戦が追い越していく。

 隊長たちの顔に、焦りの色が浮かぶ。

 間もなく、五式が機首の機銃で地上を撃ち始めた。

 直後、斜め後ろから飛来した機銃弾を回避しようと、五式戦は銃撃をやめて機首を上げ急上昇。

 その瞬間、再び飛来した機銃弾が、五式戦の胴体や主翼、エンジンを撃ち抜いた。

「な!」

 あっけにとられる隊長たち。滑走路の修復は、まだ終わっていなかったはず。

 ハチの巣にされた機体は、そのまま地面に向かって落ちていった。

「あれは、鍾馗じゃねえか?」

 五式を落とした機体が、隊長たちの上空を駆けぬけていく。上面が緑色、下面が灰色に塗られた、二式単戦鍾馗。

 ただガドール評議会のものと違い、光像式照準器を装備し、機銃が全て12.7mm機銃に乗せ換えられた、鍾馗2型丙。

 その緑色の翼には、黄色で所属を示すマークが描かれていた。

「お兄ちゃん、あれ!」

 隊長は目を見開いた。ユーリア議員と一緒に各都市を回っている中で、彼はそのマークを見たことがあった。

 

 緑の豊富な大地を示す緑色と、人々に恵をもたらす黄金色の稲穂をあしらった黄色のマークの組み合わせ。

 イジツ最大の食料生産都市の展望を決める評議会と議員たちを守る、凄腕揃いの飛行隊。

 

「ハリマ評議会、護衛隊……」

 

 ユーリア議員の理解者、ホナミ議員のいるハリマ評議会護衛隊の機体だった。

 

 

 

 突如現れた鍾馗に味方が落とされたことを知った空賊たちは混乱するも、たった1機だと悟った彼らは、とりあえずその鍾馗の後ろに集結する。

 その側面から銃弾が飛来し、五式戦が3機ほど落とされる。

 銃弾の飛来した方向には、同じハリマ評議会護衛隊所属を示すマークが描かれた鍾馗2型丙5機、隼2型6機の計11機が向かってきていた。

 

『ナガヤ管制塔。こちらハリマ評議会護衛隊。ホナミ議員の命を受け、応援に来た』

 

『こちらナガヤ管制塔。応援に感謝します!』

『上空の空賊はこちらで片付ける!不時着した零戦のパイロットの収容を急いで下さい!』

「了解した!」

 護衛隊の隊長が無線で応える。

 間もなく、不時着したハルカの零戦のところまでようやく到着した。

 すでに到着していたコトブキ飛行隊を手伝って風防を開けると、レオナがベルトを外し、腕や額から血を流しているハルカを操縦席から抱え上げる。

 彼女を抱え上げてその場から走り、乗ってきた車の荷台に全員が飛び込んだ。

「班長!」

「おうよ!」

 整備班長はアクセルを踏み込み、車を急発進させる。

 彼らは急いでその場をあとにした。

 

 

 

 ナガヤ上空では、新たな空戦が繰り広げられていた。

「くそ、こんな話、聞いてねえぞ」

 トビウオ団団長は、あの眼鏡をかけたいけ好かない依頼人に文句の一つも言いたい気分だったが、それは脇に置く。

『団長!どうすれば!?』

『こいつら、良い腕してやがりますぜ!』

「慌てるな!とにかく逃げる。だがその前に、邪魔な敵だけ落とす!」

 空賊の五式戦闘機13機は、まず護衛隊の隼2型6機の後方につく。機首の機銃を撃とうとした瞬間、背後をとった鍾馗に撃たれ、2機が被弾して落ちていく。

 すぐに舵をきって五式戦は旋回する。彼らを追って隼2型も旋回する。

 旋回性能の良さをいかし、五式戦の背後に回り込み、2機撃墜。

 それを見た五式戦は旋回を止めて速度を上げ、隼を振り切ろうとする。

 すると、今度は速度を上げた鍾馗が後ろについた。鍾馗の機銃弾を受け、五式戦がまた2機落とされる。

 右へ旋回するも、すかさず隼が食いついてくる。

 スピードで振り切ろうにも鍾馗に追いつかれ、旋回戦で対処するにも隼に追いつかれてしまう。

 異なる2機種は連携し、どちらに転んでも相手を逃がさない。

「くそ、なんて連携がとれた連中だ。……どうすれば」

『団長おおお!』

 近くと飛んでいた団員の機体が、煙を吹きながら落ちていくのが目に入った。

 空賊トビウオ団の団長は、焦りを感じ始めていた。

『おい!誰か残っている奴はいないのか!?』

 無線は、誰もこたえなかった。彼の額を、冷や汗が流れる。

 富嶽は落とされたものの、それによって悪魔の零戦を一時は始末できるチャンスが来たというのに、突如どこぞの飛行隊が現れ、気が付けば仲間の数はついに敵を割り、自分だけになっていた。

「こんなところで、落とされてたまるか!」

 彼は逃げ出すべくスロットルレバーを押し込んで速度を上げ、町の外へ進路を向ける。

 目的を察した鍾馗が、すかさず後ろに陣取った。

『逃げるのか!そうはいくか!?』

 機首と主翼に装備された、4丁の12.7mm機銃が一斉に放たれ銃弾が五式戦を撃ち抜く。

 団長の機体もまた、火を噴きながら地面へと落ちていった。

 

 

 

 

『こちら護衛隊隊長、ナガヤ上空の敵勢戦力の排除を完了』

「了解」

 飛行船の船橋で灰色のスーツを着た、短い茶髪の女性、ホナミ議員は銀縁の眼鏡の奥に秘めた殺気をひっこめ、護衛隊の隊長に指示を出す。

「隼は、引き続きナガヤ上空での哨戒飛行を実施。鍾馗は帰還して補給を行って。補給終了後、隼と交代を」

『了解!』

 指示を出すと、ホナミ議員は無線のチャンネルを切り替える。

「ナガヤ市長」

『久しぶりですね、ホナミ議員』

「お久しぶりです。ナガヤの被害状況は?」

『滑走路や周辺施設、自警団の機体が被害を受けている。あとは、ハルカ君と彼女の愛機だね』

「わかりました……。評議会護衛隊は、このまま哨戒飛行を継続します。消火救護活動、滑走路の修復を急いでください」

『助かります』

「……ところで、彼女は?」

 

『病院へ直行よ』

 

 突如、ナガヤ市長のクラマ氏ではなく、聞き覚えのある女性の声に変わった。

 

「あら、あなたがいたとは意外ね。ユーリア」

 

『彼女がいた時点で察してほしいものね。それと、到着が遅すぎよ。危うく彼女が殺されるところだったのよ!』

「それは申し訳なかったわね。輸送の依頼で急遽やってきて、まさかこんなことになっているとはね」

 ホナミ議員がやってきたのは、全くの偶然だった。

 ナガヤは、ハリマと関係を持っている都市の1つで、交易が日常的に行われている。ナガヤが飛行機や部品を、ハリマは農作物を取引につかっている。

 ナガヤへ輸送に行くと聞いたとき、ホナミ議員は久しぶりに市長に会いに行こうと思い、護衛隊を連れてハリマを出発。

 そしてナガヤが近づいたとき、上空で戦闘が行われていることを偵察に行かせた護衛隊の隊長の鍾馗が確認。

 まして上空で戦っているのは、ハルカの零戦1機だとしると、彼女は護衛隊全機に出撃命令を出し、応援に向かわせたのだ。

『まあ、間一髪彼女が無事だったから、今回はあなたに助けられたわね』

「それはどうも」

 間に合ったからよかったものの、ハルカが殺されるところだったということを聞くと、背筋が震える思いだった。

 

―――そろそろ、かしらね。

―――場所もいいし。

 

 ナガヤへ向かう飛行船の船橋で彼女は1人、頭の中で何かを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、ん……」

 目を開けると、視界に写りこんだのは白色の天井に壁。

 また病室かと思いながら、ハルカは鉛のように重い体を起こす。

 腕とわき腹をケガしているようで、走った痛みに顔をしかめる。

 上半身を起こすと、彼女は包帯の巻かれている左腕や右わき腹を見る。

 痛みを感じるあたり、ここはあの世ではないようだ。

 

―――結局、また……。

 

 生き残ってしまった。つくづく死神に嫌われていると、彼女は思う。

 ふと、お腹のあたりに重さを感じ、顔をあげる。

 そこに居たのは、赤いコートを着た、短いふわりとした黒髪の人物。

「キリエ、さん……」

「う~ん、パン、ケーキを……」

 寝言でもパンケーキから離れない彼女に、ハルカはうっすらと笑みを浮かべる。

 でも、間もなく彼女の表情が曇った。

「……結局、未練がましく……、また生き残って」

 故郷を守って終わる。

 そうして、向こう側へ行った彼らのもとへと、自分も。

 そう考えていたのに、結局、またこうして生き残った。

「……いつまで、こんなこと」

 

 いつまで、遺される寂しさを感じればいいのか。

 

 いつまで、悪夢にうなされ続ければいいのか。

 

 彼女は頭が重くなった。

 

 

「まるで、助かりたくなかった。みたいな顔しているな」

 

 

 突如聞こえた声に、彼女は顔を跳ね上げる。

 視線の先には、両腕を組んで険しい表情で仁王立ちしているレオナの姿があった。

 彼女はハルカをにらみつけたまま、向かって歩いてくる。

 レオナには、今の彼女の顔に見覚えがあった。

 彼女がラハマの病院で目を覚ました時の、自暴自棄になっていたときの表情だ。

「あのまま、空賊に打ち殺されていればよかった、とでもいうのか?」

「そ、そんなこと……」

 そこから先が言えなかった。

 

「そんなこと、なんだ?」

 

 明確に否定しなかったためか、レオナの両目が吊り上がる。

 彼女はハルカの胸倉をつかみ上げた。

 

「君が一人で戦っていた間、みんながどれだけ心配していたか!君が撃たれたとき、みんなどれだけ血の気の引く思いだったか!こうして目を覚ますまでの間、キリエやみんながどれだけ心配していたと思っている!?折角助かった命を、何だと思っている!?」

 

 レオナが右手を握り締め、殴り掛かろうとしたとき、誰かが後ろから羽交い絞めにしてきた。

「レオナだめだよ!」

 いつの間にかキリエが目を覚まし、レオナと止めようとしていた。

「キリエ離せ!私は今、彼女が許せないんだ!」

「ダメだよ!ハルカはハルカで、思うところがあるんだよ」

「それでも、折角命が助かったのに、生き残ったことを後悔するなんてこと、私は許せない!コトブキや羽衣丸、護衛隊やナガヤの皆が、どれだけ悲しい思いをしたか!」

 

「ちょっといいかしら?」

 

 背後から聞こえた声に、皆が振り返った。

 そこには花束をもった、ハリマ評議会のホナミ議員が立っていた。

 レオナとキリエは慌てて離れて背筋を伸ばした。

「ハルカさん……」

 彼女は、静かにいった。

 

「ちょっと行きたいところがあるから、護衛として来てくれるかしら?」

 



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第8話 彼らが眠るこの場所で

議員に連れられ、彼女は故郷の町の一角のある場所へと向かう。
そこで目にしたものに、彼女は衝撃を受ける。
議員は、なぜこの場所を訪れたのか。
そして、議員の口から告げられたのは……。


 

 ホナミ議員に連れられ、ハルカはナガヤの町の中を歩く。

 ひどくないとはいえ、ケガをしている人間を護衛として連れていくなど、あり得ないこと。

 なので、何か別の意図があると彼女は察する。

「……どこへ行くんですか?」

 

「私の、大事な人の墓参りよ」

 

 ナガヤは、かつてはユーハングの人々が多く住んでいた場所。

 飛行機の技術や生産施設以外に、いくつもの文化がもたらされた。

 お墓や墓参りが入ってきたのも、そのときだ。

「大事な人って、誰なんですか?」

 沈黙していてもなんなので、彼女は素朴な話題を振る。

「私の姉さんよ。……空賊によって、命を奪われたの」

 ハルカは胸が痛んだ。

 かつて自分が感じた痛みを、この人も味わったのだろうか。

「そうですか……。それは……」

 彼女はその先が言えなかった。

 元空賊だった彼女は、何機もの用心棒を落としてきた。

 被害者の中に、今の議員のような人間だっていたはずだ。

 そう思うと、かける言葉がなかった。

「そういうとき……、こう思うこと、ありませんでしたか」

 彼女は言った。

 

「彼らのあとを、追いたい、と……」

 

 しばし沈黙が2人の間に満ちる。

 1人残されて以降、ハルカの心からこの感情は消えなかった。

 

 1人残されたくなかった。

 

 一緒に居たかった。

 

 おいて行かれたくなかった。

 

 でも、さすがに墓参りにいく道中で聞くことではなかった、失礼だったと思い、彼女は先ほどの発言を撤回しようと口を開こうとする。

「確かに、姉さんの死を知ったときは悲しかった。あとを追いたいとも思ったわ」

 応えてくれたことを意外に思いつつ、彼女は問う。

「じゃあ、なぜ追わなかったのですか?」

 自分は追いたかったが、死ぬ勇気がなかった。誰かに撃たれそうになったときでさえ、未練がましく生にしがみついた。

 先ほどの襲撃のときは悪運でも強かったのか、今もこうして生きている。

 でも、だからといって生きる目的もない。

 議員を引き留めたものは何だったのか、彼女は知りたくなった。

 

「親族の殆どは亡くなってしまったんだけど、姉さんの生んだ、可愛がっていた子供が、1人だけ生きていることがわかったの。姉さんの代わりに、その子の成長を見届けるまでは生きなければいけない。そう思ったの」

 

 姉の残した、最後の忘れ形見を見届けたい。

 

 それが、彼女を引き留めたものだった。

「……よほど、大事なんですね。そのお子さん」

「ええ、とっても、大事なの」

 議員は即答した。

 それほど大事に思われているなら、きっと子供も嬉しいことだろうと、彼女は思う。

「その子、名前はなんていうんですか?」

 ホナミ議員は直ぐには応えず、しばし沈黙が訪れる。

「……その子の名前に、家族のみんなは願いを込めたの」

「願い?」

 

「彼方を目指し、自分達の知らない、見たことのない空を、世界を見にいってくれる。そのための道を、自身で切り開いていってくれる。見てきたものを伝えるために、必ず帰ってきてくれる。何かを探し求めて歩き続ける、旅人のように。姉さんたちは、その子の名前に、そんな願いを込めた。そうあってほしいと望み、そうあってくれると、みんなはその子を信じた」

 

「……随分、大きな願いですね」

「そうね、皆に愛され、大事にされていた子だった。その願いを込め、彼らはある言葉をその子の名前につかった」

 ホナミ議員は立ち止まった。

 

 

「ユーハングで、とても遠くを意味する言葉を」

 

 

 ハルカも足を止めた。

 同時に、心臓の鼓動が激しさを増す。

 

 

『ユーハングでは、ハルカという言葉は、とても遠くのことを言うんだ』

『いつか、知らない世界を見に行ってくれる。自分の手で道を切り開いてくれる。君のお父さんは、その願いを名前に込めた。私は、君がそんな子になってくれると、信じているよ』

 

 

 かつて自身の名前の由来について、祖父が語った言葉を思い出した。

 

 

―――なんで、同じことを言うの……。

 

 

 戸惑う彼女をよそに、ホナミ議員は目的のものらしい墓石へと向かっていく。

 そこに刻まれている名前を見て、彼女は目を見開いた。

 

 ミコト

 ミタカ

 アカネ

 カズヒラ

 

 老衰でなくなった祖母の名に、リノウチ空戦で亡くなった、父親に姉、兄の名。

そしてよく見ると、新たな名前が刻まれていた。

 

 アスカ

 シブキ

 スズカ

 

 ウミワシ通商によって処分された、自身の母と弟に、妹の名。

 刻まれていないのは、行方不明の祖父と、自分の名前。

 この目の前にある墓石は……。

「どうして、このお墓を……」

 彼女は議員に問う。

 この墓石は、間違いなくハルカの、彼女の家のものだ。

 なぜ、そこに議員が来たのか。

「どうして?」

 ホナミ議員は花を供え、両手をしばし合わせた後、振り返った。

 

「……わからないの?」

 

 議員は、少し寂しそうな顔をすると、左手を伸ばし、いつもしている銀縁の眼鏡を外した。

 初めて見る彼女の素顔を見て、ハルカは驚いた。

 

―――似ている……。

 

 眼鏡を外したホナミ議員は、髪の色は違うが、顔つきはそっくりだった。

 生前の、彼女の母親に。

 もっと言えば、ハルカにも似ている。

 

「これでも、わからない?」

 

 彼女の声が、耳に届く。

 以前アレシマで彼女を飛行船まで護衛したとき、ハルカは妙な懐かしさや、母親と話しているような錯覚に陥った。

 ただの偶然だと思っていたが、ホナミ議員のイジツ語の発音が、なぜか母親にそっくりだったからだ。

 そういえば、議員はこの墓のお参りに来たのは、自身の姉のためだと言っていた。

 

 

『〇〇〇、久しぶり』

『アスカ姉さんこそ、久しぶり』

『みてみて、この子が私の2人目の娘よ』

 

 母の実家に遊びにいったとき、母は自分の妹という女性に娘の自分のことを紹介したことがあった。

 もしかして、議員のいう姉というのは、ハルカの母親のことなのではないか。

 そう察した瞬間、頭の底から記憶が浮上してくる。

 リノウチ空戦でお父さんたちが亡くなって以降、生きるために戦いの空を翔ける中でいつしか思い出せなくなった、昔の記憶。

 このときの相手の顔や、名前が鮮明に思い出せるようになる……。

 そのとき、相手は顔に銀縁の眼鏡をかけていた。その、母親の妹の名前は……。

 

「ホナミ、さん(・・)……?」

 ホナミ議員は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに何かを懐かしむような表情になる。

 次第に瞳が潤い始め、その視線の先がハルカをとらえる。

 

「やっと、思い出してくれたのね……」

 

 ホナミはハルカに歩み寄ると、左右から手を伸ばし、彼女の頬を両手で包み込む。

 

久しぶりね(・・・・・)、ハルカ」

 

 頬から、彼女の手の平のぬくもりが伝わる。

「少し見ない間に、大きくなったのね」

 彼女の視線は、何かを懐かしむような、目の前の彼女を見ながらも、どこか遠くを見ているようだった。

 彼女と最後に出会ったのは、リノウチ空戦の直前だった。それからもう、9年もの歳月が流れている。

「髪の色や顔つき、体つきはアスカ姉さんに似たのね。本当に、昔の姉さんそっくり。でも、目元は、むしろミタカさんに似たのね。優しい顔をしているもの」

 自身の姉とその夫の面影を彼女に見て、感傷に浸るホナミ議員。

 一方、ハルカは胸の動悸が収まらない。

 ホナミ議員にとって、ハルカの母親は血のつながった姉妹で、家族だった人物。

 その大事な家族を失った原因が彼女にあるとわかれば、どういう感情を抱くのかは明らかだ。

 

 

 この人は、ハルカを糾弾できる正当な理由がある。

 

 

「本当に、あなたと偶然再会できたとき、気づいてくれなくて、結構寂しかったのよ」

 彼女は議員から離れる。すると、地面に手をついて頭を下げた。

「申し訳ありません!」

 何のことか、ホナミ議員は驚く。

「あなたの、大事なお姉さんを、家族を、守れなくて……」

 議員の表情に影がさした。

「本当に……、ごめんなさい……。私が憎いなら……、殺してくれても、構いませんから」

 この人には、自分を糾弾、いや、報復する正当な理由がある。

 これまで、未練たらしく生にしがみつき、生きたい理由も、死ぬ度胸もない。

 そんな状況に、この人なら区切りをつけてくれるのではないか。彼女はそう思った。

 少し顔を上げると、議員の履いている黒い靴のつま先が見える。

 彼女は額が地面につくほど頭を下げた。

 でも、いつまでたっても、何も起こらなかった。

 恨み言も罵倒も聞こえてこず、自分に何かする様子もない。

 恐る恐る、彼女は少し顔を上げた。

 すると、そこには悲しそうな表情を浮かべる議員の姿があった。

「そんなこと、できるわけ、ないじゃない」

 議員が彼女の背中に両腕を回し、気が付いたら腕の中に抱きしめられていた。

「あなたは、姉さんの残してくれた、最後の宝物。それを手にかけるなんて、私にはできないわ」

「なんで……」

 ハルカは、叫ぶように言った。

 

「なんで、恨み言の1つも言わないんですか!?」

 

 議員は、肩越しに聞こえる彼女の声を、黙って聞く。

 

「私は、あなたのお姉さんを、家族の命を、奪うきっかけを作った。私の選択が、あなたの家族が死ぬ原因になった。なのに、なんで恨み言の1つも言わないんですか!私が憎くないんですか!殺したいと思わないんですか!?」

 

 初めて、彼女は他人に感情を吐露した。

 偶然にも、エンマと言っていることが同じだった。

 先日、彼女は自身を撃ってきたエンマに、謝る理由がないと言い放った。

 そういわれたときの、彼女の気持ちが少し理解できた。

 償いたくても、自分の罪を裁いてくれる人がいないというのは、存外苦しいことだった。

 でなければ、自分の罪の重さに押しつぶされてしまいそうになる。

「憎いわけ、ないじゃない。あなたは、方法はどうあれ、姉さんを、残された家族を守ろうと必死になってくれた」

「でも、結局誰も守れなくて……。みんな、手から零れ落ちて……」

 彼女の声に、次第に涙声が混ざり始めた。

 

「みんな、みんなひどいよ!お父さんも、お姉ちゃんも、お兄ちゃんも、帰ってくるって約束したのに、誰も帰ってこなくて……。お爺ちゃんは、結局見つからなくて。お母さんに弟に、妹も……。みんな、みんな私を置いて……、向こう側へ行って……」

 

 ホナミ議員は、初めて彼女の思いを聞いた。

 1人おいて行かれたことに対する寂しさと、誰も守れなかった罪悪感に押しつぶされそうになっている、彼女の心の内を。

「みんなに、会いに行きたい……、残されたくなんて、なかった。この先なんて、いりませんから……」

 ホナミ議員は彼女を抱いたまま、墓石に向かい合うように振り返った。

 そして腕を緩め、彼女の顔を見据える。

 

「私は、あなたが生きていてくれてよかったと思っている」

 

「……え?」

 ハルカは、キョトンとした表情を浮かべる。

「あなたが生きていてくれたおかげで、姉さんの最期を知ることができた。みんながどういう最後を迎えたのか、知ることができた」

「でも、それだけしか……」

「おかげで、私は心の整理をつけることができた。このお墓に、姉さんたちの名前を刻む決心がついた」

 

『大事な人の最期に、必ず立ち会えるとは限らない。遺された家族が心の整理をつけるためにも、結末を伝えなければならない。生き残る者がいなければ、最後が伝わることはない。だからこそ、帰らなければならなかった。結果として、死神と呼ばれることになろうとも』

 

 かつての祖父の言葉が、頭をよぎる。仲間の最後を看取り、それを伝える責任を負った祖父。

 孫のハルカも、母親の最期を、母親の妹であるホナミ議員へと伝えることができた。

 

 

『最期を看取った証人として、己の命ある限り、行きつく所まで歩き続ける。死んだ者たちの想いや物語、全てを連れて。彼らの存在を、消させないためにも』

 

 

「あなたは、姉さんやみんなが生きていた、存在していた当時の事を知り、今も彼らが記憶の中に生きている。あなたは、みんなが存在したことの、たった1つの証明。あなたがいなくなったら、姉さんたちはこの世界から消えてしまう。お願い、彼らを消させないためにも、この先へ連れていくためにも、あなたは生きて」

 

 

『私を、忘れないでいてくれるか?一緒に連れて行ってくれるか?』

『うん!絶対覚えているよ!いつかレイに乗って、色んな空を一緒に見に行くんだ!』

 自分が覚えている限り、皆は自分と共にいてくれる。

 祖父は、タカヒトお爺ちゃんは、かつてそういった。

 

 

「みんなが、あなたを確かに愛していた。彼らはいなくってしまって、注いでくれた愛情に応えることはもうできないけど、あなたの名前にこめた願いは今も残っている。あなたはそうあってほしいとみんなは願って、あなたならそうあってくれると信じた」

 ハルカという名に込められた、家族の願い。

 自分達にはできなかったことを、きっとやってくれる。

 そういう願いを込め、彼らは彼女ならそうあってくれると信じた。

「私に、そんな大きな願いは、重くて……」

「大丈夫、あなたは、1人じゃない」

 ふと、ホナミ議員はため息を吐き出した。

「あなたには、あなたを必要としてくれる人や、一緒に飛んでくれる人、長年ともにある相棒が、あなたにはいるじゃない」

 

 元空賊で、大きな被害をもたらしたことで賞金首に指定されていた自分を必要としてくれた、変わり者の3人の雇い主。

 

 一緒に飛んでくれる、護衛隊やコトブキ飛行隊のみんな。

 

 自分を送り出してくれる、整備班の人々。

 

 自分の帰りを待ってくれていた、ナガヤの人々。

 

 いつも一緒に飛んでくれる、父と祖父の残してくれた愛機。

 

「あなたのしたことは、確かに許されないことだったと思う」

 空賊行為を働き、大きな被害を彼女はもたらした。

「でも、あなたは大事な人のために動いた。どんな状況下であっても、あなたは生き残ってきた。生きて、私のもとへ来てくれた」

 ホナミ議員は、やさしい声で言った。

 

 

「そういう自分を、少しは認めてあげても、誇ってあげても、良いんじゃないかしら」

 

 

 ハルカは言葉が出なかった。

 自分の過去。消したいが、消し去ることのできないことを、誇ってもいいと言われたことに。

「ごめんなさいね。あなたたちが苦しかったときに、手を差し伸べることができなくて。これからは、私が姉さんの代わりに、あなたの未来を見届けていく。それに、あなたに会いたいって言っている人がいるの」

「……私、に?」

 議員は頷いた。

「姉さんたちの願いにこたえるためにも、あなたに会いたいって言ってくれている人々のためにも。あなたを想ってくれている人々を悲しませないためにも……」

 議員は、彼女を腕の中に抱いた。

 離さないように、腕に力を込めて。

 

「これからを、一緒に生きて欲しいの」

 

 ハルカの瞳から雫が零れ落ち、頬を伝り、滝のように次々あふれだす。彼女は議員の胸に顔をうずめ、大泣きした。

 嬉しかった。生きて欲しいと、望まれたことが。

 周囲に聞こえていようが関係なく、彼女は泣いた。

 胸の中に押し込めていた感情、全てを吐き出すように。

 議員は、そんな彼女の頭を撫でながら、泣き止むのを待った。

 そして、物言わぬ墓石へと視線を向けると、彼女は頭の中で誓った。

 腕の中で泣いている、彼らの残してくれた最後の遺産は、自分がこれからを見届けていくことを。

 

 

 

 

「まったく、世話がやけるんだから」

 見たことないほど大泣きしているハルカ、彼女を抱きしめるホナミ議員。

 そんな2人を少し離れた位置から隠れてみている、ユーリア議員とマダム・ルゥルゥ。

「こんなことなら、時間を置くことなくすぐ明かせばよかったじゃない……」

 そのために、ハルカが自身を殺しかねない行動を平然ととる様を見てきて、いつも肝を冷やしてきた。

「でも、良かったじゃない?これで彼女の死にたがりの行動もなくなるでしょう」

「それはそうだけど……」

 どこか不満そうなユーリアを、マダムは微笑みながら見つめる。

「どうかした?」

「どうもしないわよ」

「大方、自分が彼女と一番時間を過ごしているのに、ハルカさんの力になれなかったことが悔しいの?」

「……悪い?」

 ユーリアは、彼女がガドールに来て間もなく、胸を張って歩くようにと言った。

 彼女が寂しくないよう色々考えてきたつもりだったが、結局彼女が死んだ家族に引かれるのを止めることはできなかった。

 今回ことで、ハルカはようやく肩の荷が少し下りた。

 生きることを望まれ、消し去りたい過去を、少しは誇ってもいいと言われた。

 ユーリアやマダムが同じことをいって、果たして彼女は同じようになっただろうか。

 おそらく、悔しくてもそれはない。

 ハルカは、家族を守れなかったことがずっと引っかかっていた。

 おいて行かれたことが寂しくて、その寂しさを、ユーリアやマダムたちは、埋めることができなかった。

 母親を守れなかったことを、全て許すことはできなくても、受け入れ、彼女を前に進ませることができるのは、ハルカの母親の妹であるホナミだけだ。

 血がつながった、他人でない存在だからこそ、いえることがある。

 それはわかっている。

 でも、どこかユーリアは納得できなかった。

「なんにしても、これでとりあえず、ひと段落よ。彼女が生きてくれているし、もう今までのようなことはない。それで、いいじゃない?」

 ユーリアはため息を吐き出した。

「……そうね」

 二人は気づかれないよう、静かにその場を後にした。

 彼女が生きていてくれるなら、賠償金の請求はできるし、また膝枕やら添い寝も請求できる。

 心配かけた分、とりあえず割増で請求しようか。そんなことをユーリアは考えていた。

 

 

 

 



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最終話 みんなの込めた願いと共に

自身の名に込められた家族の願いを知った彼女。
彼女はこれからも飛び続ける。彼らの込めた、
託してくれた願いと共に。

最終話になります。


 ナガヤの一角に設けられた、亡くなった者たちの眠る墓地。

 70年以上前、ここはかつてユーハングの人々が多くいて、工場や飛行場がつくられた。

 そのとき向こうの文化も一部が伝わり、現在まで残っている。

 お墓を作ることも、その1つ。

 ユーハングでは、死者の遺体を火葬し、骨を壺に入れ、墓石の中に収め、供養する。

 その風習に習って作られた墓地の一角に、ハルカは歩いていく。

「ごめん、くるのが遅くなって」

 昨日も訪れた、彼女の家族の眠る場所。

 もっとも、父と姉と兄はリノウチ空戦で撃墜。母と弟、妹はウミワシ通商によって殺され、祖父は行方不明。

 骨壺に遺骨が納められているのは、祖母のものだけ。他は全て、空の骨壺に名前の書かれた白い紙1枚だけが収められている。

 ハルカは、手に持ってきた薄紫色の小さな花の束を墓前に供えた。

 その花は、かつてユーハングが伝えた花。その名を、ミヤコワスレという。

 なんでも、ミヤコという場所を忘れてしまうほど美しい花だったという意味らしいが、彼女はその意味がよくわからなかった。

 でも、この花は祖父に祖母、母が好きだった。

 なんでも、花言葉というものがあって、花に込められた意味があるらしい。

 この花の言葉は、しばしの憩い、しばしの別れ。

 ハルカが向こう側にいくまでの、しばしの家族との別れ。

 

「ごめんね。空賊行為にまで加担して。それでも、お母さんたちのこと、守れなくて……」

 

 彼女の口から出たのは、謝罪の言葉。

 

「でも、謝るのは、これで最後にしようと思う」

 

 彼女は墓石に、もってきたジュラルミン製の水筒の口をあけ、水をかける。

「いつまでも謝ってばかりじゃ、みんな、安心して眠れないもんね」

 水を注ぎ終わると、彼女は手を合わせる。

 

「それに、これ以上あやまるような、胸をはれない歩き方をするのは、この名前をくれたみんなに、申し訳ないから」

 

 彼女は手を合わせるのを止め、物言わぬ墓石を見つめる。

 

―――みんながいない先を想像するのは、難しいし、正直怖い。

 

 彼女の望みは、家族で平穏にくらすことだった。

 彼女の望みの根本には、常に家族の誰かがいた。

 

―――でも、もうみんなはこっち側にはいない。それは、受け入れないといけない。

―――今を歩くことは、今を生きる私にしか、できないから。

―――死んだ者は、過去。でも、覚えている人の過去の一部になって、確かに、そこに生きている。

 

 彼女は両目を閉じる。

 

―――こうして目を閉じれば、まぶたの裏に、みんながいる。

―――私の記憶の、過去の一部になって、確かにそこにいる。こうすれば、いつでも会うことができる。

 

 両目をあけ、彼女は墓石に向き合う。

 

―――みんなはもういない。今まで注いでくれた愛情に報いることは、もうできない。

―――でも、皆が込めてくれた願いに、そうあれると信じてくれた想いに、応え続けることはできる。

 

「彼方を目指し、自身で道を切り開き、何かを求めて歩き続ける、旅人のような子で、あってほしい、か……」

 

 自分達ができなかった、どこまでも続く広い空をかけ、皆が見たことのない景色を、自分達にかわって見に行ってくれる。伝えてくれる。

 そのために、自身で道を切り開いていってくれる子であってほしい。

 

 彼女の、ハルカという名に込められた、みんなの願い。

 

「正直、私は何がしたいのか、何のために生きるのか、わからない」

 確かにあったはずなのに、それはもう無くしてしまった。

「みんなの生きた証明を伝えるためっていうのは、どうも私にはまだわからない。でも、私の名前に込めてくれた、自分達の知らない世界、風景を伝えてくれるって願いはわかるよ」

 ホナミ議員から聞いて、知らなかった部分もあった、自分の名前の意味。

「じゃあ、それをこうやって伝えにくるよ」

 彼女は、少し顔を上げ、青空を見上げる。

「どんな風景を伝えたいのか、はっきりとはわからない。でも、私が歩き続ける、飛び続ける理由は、まずはそれでいいと思う」

 彼女は墓石に向かっていった。

「だって、約束したもんね。連れていくって」

 

『私を、忘れないでいてくれるか?一緒に連れて行ってくれるか?』

『うん!絶対覚えているよ!いつかレイに乗って、色んな空を一緒に見に行くんだ!』

 

 彼女は、かつて祖父に言った約束を思い出す。

 自分の、空を飛びたいと思った、始まりの言葉を。

 

 ハルカの過去に、記憶の中に生きる彼らは、いつも彼女とともにある。

 行きつく果てには、だれもいない。

 待っている人はいない。

 でも、家族は彼女の中に、彼女が覚え続けている限り、歩き続ける限り、共にいてくれる。彼らを、連れていくことができる。

 

「一人になった。そう思ったけど、多分、もう大丈夫だよ」

 家族の、みんなのもとへ行きたくて、色々無茶や無理、自暴自棄なことをした。

 

―――でも、こんな私でも、必要としてくれる人がいる。

 

―――こんな私でいいと、受け入れてくれる人がいる。

 

―――肩を並べて、共に飛んでくれる人がいる。

 

―――ともに生きてと、望んでくれる人がいる。

 

―――私の帰りを、ずっと待っていてくれる人がいる。

 

―――お爺ちゃんが託してくれた、大事な相棒がいる。

 

「いっしょにいてくれる、歩んでくれる人ができた。だから、きっと大丈夫」

 彼女は最後にもう一度、手を合わせた。

「また、くるからね」

 彼女の見た景色を、歩んだ軌跡を、伝えるために。

 彼女は墓石に背を向け、墓地の出口へと歩いていった。

 

 

 

 

「ハ~ルカ~」

 元気よく手をふる、コトブキ飛行隊のキリエの姿が見える。

 隣には、隊長のレオナもいる。

「もう、いいのか?」

 心配そうな顔をするレオナに、ハルカは屈託のない笑みで応えた。

「ええ、もう大丈夫です」

 すると、キリエとレオナは目を丸くする。

「……あの、どうかしました?」

「いや~……」

 気まずそうに、キリエは言う。

「ハルカも、そんな顔で笑うんだなって……」

「そんなに珍しい顔してましたか、わたし?」

「そうだな……」

 レオナは口元に手をあて、何か言葉を探している。

「何か吹っ切れたような、憑き物が落ちたような顔、とでもいえばいいのか。まあ、何にしても」

 レオナは彼女の頭に右手をのせ、ぐしゃぐしゃと撫でる。

「君がこうして生きていて、よかったということだ」

「……そうですね」

「そういえば、あのときのキリエの顔も初めてみたな。血の気の引いた真っ青な顔で、やめろおおおおおって叫んだの」

「ちょ!レオナ!」

「いいじゃないか?みんな知っていることだし」

「そういうレオナだって顔真っ青だったじゃん。ザラにお酒おごらされて、お金が足りなくてどうしようって時みたいな!」

「どんな例えだ?いや、あり得ないと否定できないのが、怖いな」

 すると、ハルカは頭を下げた。

「申し訳、ありませんでした。……今までのこと」

 一瞬レオナは険しい表情になった。だが、すぐ表情を緩めた。

「もういい、とは言えないな。君の危なっかしい行動のおかげで、私たちがどれだけ心配していたと思っている?」

 彼女は、返す言葉がなかった。

「でもまあ、気持ちはわかる。私も似たような経験があるからな」

「そうなんですか?」

「言っておくが、君ほど危ないことはやってないぞ?」

「アレシマでの一心不乱ぶりはハルカといい勝負だったんじゃない?」

「キリエ!」

「へ~い」

 わざとらしく咳払いをすると、レオナは向きなおった。

「……そういうなら、今後はもう無謀な行動はとらないことだ。次やったら……、本気で怒るからな」

「……はい」

「じゃあ、行こうか」

 3人はその場を後にした。

 

 

 

 3人は墓地をあとにすると、ナガヤの滑走路のそば、ナガヤ飛行機製作所の工場へとやってきた。

「おう嬢ちゃん、もういいのか?」

 工場長のナオトは、ハルカの姿を見ると笑みを浮かべて迎える。

「ええ、おかげさまで」

「そうか、そりゃあよかった」

「それで、ナオトさん……」

 彼は顔を向けた。

「ばっちり直してあるぞ。早速、試験飛行に行ってくるか?」

 彼の視線の先には、彼女の愛機が駐機されている。

「レイ……」

 今回、散々被弾した挙句不時着した彼女の愛機の損傷はひどかった。

「修理は大変だったが、爺さんと父さんとの、替えられない大事な思い出だもんな」

 ハルカは、愛おしそうに愛機のカウリングを撫でる。

 損傷がひどかった彼女の零戦だったが、ナガヤ飛行機製作所が彼女の大事な形見だからと、大変でも修理したのだ。

「ありがとう、ございます」

 屈託のない笑みを浮かべると、ナオトは少し照れ臭そうにする。

「全く……。あぶなっかしい行動はもうやめてくれ。……みんな、心配してたんだぞ」

「そうなんですか?」

「あたりめえだ。みんな、やっと嬢ちゃんに恩を返せるって思ったのに、いきなり死なれちゃ、みんな泣くぞ。爺さんに合わせる顔もねえし」

「……申し訳ありません」

「悲しそうな顔するな。爺さんに知れたら、どんな大目玉くらうか。ミタカさんに、あの世で怒られちまうだろうしな」

「そうだよ」

 社長のカガミさんは、後ろからハルカを腕の中に抱いた。

「ミタカさんや、アスカさんたちがいなくなったのは、悲しかったと思う。でも、私たちはいつだって、離れていたって、あなたの無事を祈っている」

「それだけは、忘れないでくれよ」

「……はい」

 彼女は、故郷にまだ自分のことを思ってくれる人がいるということが、うれしかった。

「それから、あなたは人を頼らない癖があるから、気を付けなさい」

「俺たちだって、もう嬢ちゃんに守られてばかりじゃねえ。これまでの恩だってあるんだ。これからは、遠慮なくたよってくれ」

「2人の言う通り、君はもう少し周囲を頼るべきだ」

「レオナさんまで……」

 皆に言われてしまうと、流石の彼女も言い返せなった。

「それで、ナオト、さん……」

 彼女はナオトやカガミへと、自身が空賊であったことを告げる。

「……知っていた」

 彼女は目を見開き、顔を上げる。

「大体、嬢ちゃんの機体の塗装をしたのはうちだし、腕前だってわかっている。蒼い翼の零戦、悪魔のようさ強さ。すぐ嬢ちゃんに違いないってわかった。市長のクラマも、自警団長のカサイも、この町の誰もがすぐ察したよ」

 彼女は表情を曇らせる。

 そんな彼女の頭に、ナオトは右手をやさしく乗せた。

「悪かったな。俺たちが貧しいばかりに、嬢ちゃんにろくな給料払えなくて。……空賊になるしかない。そんな所まで追い込んじまって」

「いえ、それは……」

「だから、昔嬢ちゃんを頼りすぎただけ、これからは遠慮なく頼ってほしい。機体が壊れたら何をしても直すし、寂しかったらかえってこればいい」

 彼は、ハルカの頭をくしゃくしゃと撫でる。

「君の故郷は、こうしてある。待っている人々だっている。それを、わすれないでくれ」

 元空賊という過去があっても、彼らはこうして彼女を昔と変わらず受け入れてくれる。

 それが、彼女には嬉しかった。

「さて、それじゃあ相棒の試験飛行に行くか?」

「……はい!」

 ハルカは愛機の発進準備を終え、修理を終えた滑走路から飛び立っていった。

 

 

 

 上空に上がったハルカと相棒は、ナガヤの上空を周回したり、旋回やロール、上昇に下降を繰り返す。

「なんだか、いつもに比べて身軽そうだね」

 そんな彼女の様子を、滑走路そばからキリエたちは眺めている。

「実際、身軽になったんだろう。いろんな意味で」

「ちげえねえや」

「本当にね」

 声のした方向を見れば、ナガヤの市長が立って空を見上げていた。

「いいのか、市長がこんなところにいて」

「いいんだよ。それより、ハルカ君が無事だったことの方が重要だ」

 市長は、青空を舞う蒼い翼の零戦を眺める。

「本当に、タカヒトさんやミタカに飛び方が似ているね」

「そりゃあそうだ。嬢ちゃんは、タカヒトさんが自身の全てを教えた、唯一の子だ」

「それもそうだね」

 

 

 ハルカの零戦を見上げながら、市長のクラマは思う。

 この町のために尽力してくれた、帰ってこない親友や、彼女の家族のこと。

 

―――ミタカ、どうかあの子を、これからも見守っていて欲しい。

―――この、青い空の彼方から……。

 

 市長がそう祈る一方、ナオトは、タカヒトさんの言葉を思い出す。

 

 彼が、イケスカへ行く数日前のことだった。

『もし、あの機体の性能がハルカの足かせになるときがきたら』

『手を、貸してやってほしい』

 そういって彼は、ナオトに十数枚の紙を渡してきた。

 描かれていたのは、ハルカの52型丙の改修案。

 その設計図には、仮称零戦53型と書かれていた。

 

―――爺さん、嬢ちゃんが、ようやく帰ってきてくれた。

―――どこにいるか知らねえが、安心してくれ。

―――約束は、必ず守る。

 

 

「もう飛んで大丈夫なの、彼女」

「ああ、ホナミさん。お久しぶりです」

 ナガヤ市長は、やってきたホナミ議員に手を差し出した。

「お久しぶりです、クラマ市長」

「ナガヤを訪れるのは久しぶりですな。ご両親は元気ですか?」

「ええ、すごく元気よ。ハルカに早く会いたいって、父さんが日々うるさくて」

「ハハハ……。まあ、気持ちはわからなくはないですが」

「今となっちゃ、嬢ちゃんが唯一の孫だもんな」

「それに、9年近く会ってないんでしたっけ?」

「リノウチ空戦でミタカさんたちが亡くなって、ハルカは悲しみに暮れる間もなく、用心棒や運び屋を始めなくちゃいけなくなった。……結果、私の記憶は埋もれてしまったみたいだけど」

 偶然ラハマで再会したときでさえ、ハルカはホナミのことを覚えている素振りがなかった。

 昨日、墓石の前でのやり取りでようやく思い出したようだが、内心ホナミは結構なショックを受けていた。

 それは彼女の両親も同様で、ハルカはおそらく祖父母にあたるホナミ議員の両親のことを覚えていないと言ったら、父親のカスガは愕然としていた。

 ホナミにとっては、姉の面影を色濃く受け継いだハルカとラハマで再会したとき、衝撃を受けた。

 姉が、最も美しかったときの姿が、そこにあったのだから。

「でも、あの子だけでも、生きていてくれてよかった」

 空を舞う零戦を見ながら、ホナミ議員はつぶやいた。

 

「もう、離さない。絶対に」

 

 これからは、姉の変わりに、いや。姉の分まで、彼女のことを守っていく。

 彼女は、墓前で姉や彼らに、そう誓った。

「そうですか。なら、首に縄でもつけておきますか?」

「そうね。首輪でもつけておこうかしら」

「やめとけ、無駄だ」

 ナオトは片手を振って否定するそぶりを見せる。

「嬢ちゃんの名前に込められた願い、あんたも知っているだろ?なら、首輪をはめようが鳥かごに閉じ込めようが、それらを全部壊して、嬢ちゃんは飛んで行っちまうぞ」

 色んな空を、遠くにある見果てぬ景色を、自身の手で進み、見に行く。

 そう願いを込められた彼女は、おとなしくしている方では間違いなくないだろう。

 ようやく、帰ってくる場所はここにある。そう告げることができたのに、遠くない先、やはり自分のもとを去って行ってしまうのだろうか。

 そう考えると、ホナミは少し寂しさを感じた。

 

「ですけど、心配することはないでしょう」

 

 彼女は市長を見つめる。

「ハルカくんは、あのタカヒトさんが全てを教え込んだんです。そして、どれだけ過酷な状況に陥ろうとも、生き残ってきた。このナガヤに再び来てくれた」

 市長は、いつくしむような視線で、空を見上げる。

 

「彼女の家族、ミタカや、アスカさんたちは、このナガヤに帰ってくることはもうありません。でも、彼女は帰ってきてくれた。……だからきっと、大丈夫ですよ」

 

「……そうですね」

 ホナミは視線を上空に戻す。

 

「それにしても、タカヒトさんはあの子に別の願いも託していったようですね」

 

「別の願い?」

「……彼女の愛機、タカヒトさんと同じ52型丙。そして、ミタカとよく似た、その翼の塗装を見ると、ねえ」

 ハルカの零戦の、暗い青色に塗られた主翼。その中に描かれた、空色の丸。縁取っているのは、白色の円。

 ハルカ曰く、イジツとユーハングは確かにつながっていたんだという意味の模様。

 でもその真意を、この3人は知っている。

 

「タカヒトさんは、ユーハングの遺産が、イジツに幸福をもたらしてくれると信じていました。そしてその願いを息子のミタカ、孫のハルカくんへと託した」

「でも、ユーハングの遺産の奪い合いや、遺産を使って悪さをする人々の存在で、実際は逆のような状況にありますね」

「だから、彼女に自身の知る全てを教え、願いを託した」

 市長は、ホナミとナオトにだけ聞こえるような小声で言った。

 

 

イジツの民であり(・・・・・・・・)ユーハングの遺産(・・・・・・・・)でもある彼女だからこそ、タカヒトさんは彼女の機体に、ミタカの機体によく似た模様を描いたのかもしれませんね」

 

 

「ユーハングの遺産というのは、周りを振り回してばかりですね」

「その通りです」

「ちげえねえ」

「……でもまあ」

 ホナミは笑みを浮かべながら言った。

「あんな可愛い遺産なら、振り回されてあげても、良いと思うわ」

 市長とナオトは、ハハハと楽し気に笑う。

「まあ、悪い気はしませんね」

「全くだ」

 3人は視線を再び上空に戻す。

 ハルカの零戦は速度を上げ、空を駆け上がっていった。

 

 

 

 

 

 

「またしても失敗とは、あの悪魔、ことごとく私の邪魔を……」

 イケスカからほど近い位置にある山の洞窟の奥で、元エリート興業の人事部長、元自由博愛連合の頭脳のヒデアキは苦々しい表情をしていた。

 ナガヤを空賊に何度も襲撃させ、生産能力を一時的にでも低下させる。

 そうすることでイケスカが立ち直るまでの時間を捻出しようとしたが、そのナガヤにオウニ商会、ユーリア護衛隊までもがやってきた。

 その中には、あの悪魔も含まれていた。

「もう少しで、あと一歩であの悪魔を排除できたというのに……」

 折角の機会だからと、かれらをつぶそうと富嶽まで投入したというのに、ハリマがしゃしゃり出てきて、結果ナガヤに手傷を負わせるという目標は達成できたが、こちらの被害も大きかった。

「なんでこう、私の目論見通りにいかないのか……」

 ふと、室内に設置された黒電話がなった。

 彼は、その電話を不機嫌そうな顔でとった。

「……もしもし」

 

『……ヒデアキ』

 

 電話の向こうの声が、今の主だと悟った彼は、無意識のうちに背筋を伸ばした。

「は、はい!私がヒデアキでございます!何の御用でしょう!?」

『ヒデアキ、彼女は放っておけと言ったはずだが……』

 今回の件が早速彼に伝わっていることに、ヒデアキは背筋が震える。

「いえ、今回の目的であるナガヤの生産能力を一時的に低下させるという作戦の過程で、どうしてもあの悪魔が邪魔になりまして……」

『彼らが到着した時点で目的は達成できていた。その時点でやめておけば、こちらの被害も少なくて済んだ。……なぜ続けた?』

「オウニ商会にユーリア議員。このものたちを排除しておかねば、必ずや自由博愛連合にとって、邪魔になると考えたからです!」

『その結果が利用した空賊やイケスカから派遣した応援の全滅。そして富嶽1機の損失か?』

 怒っているわけではないが、その淡々とした口調に、彼の額には冷や汗がにじむ。

『戦力の損失は極力避けたいといったはずだ』

「で、ですが……」

『まあ、お前の懸念もわかる。だが、彼らを片付けるには、しかるべき準備が必要になる。それまでは、周囲を我々になびかせることに注力してほしい』

「は、はい!わかりました!」

 それを言うと、電話が切れた。

 彼は大きく息を吐き出し、受話器を置いた。

「まあ確かに、あのお方の言う通りかもしれません」

 今までの空賊を利用しての消耗戦では、結局返り討ちにあってしまう。

 なら戦力を立て直し、一撃をもって崩すほうが、まだましと言えるかもしれない。

「これは私の得意な頭脳労働。なら、今から上申にでも行くとしますか」

 彼は眼鏡の位置を直し、椅子から立ち上がって部屋のドアを開ける。

「しばらくは静かかもしれませんが、必ず首をもらいに伺います。それまで精々生き延びてくださいね。皆さん」

 彼はムフッと笑いながら、ランプのみの明かりしかない暗い穴倉の中を、進んでいった。

 

 




ここまで読んで下さった方々、ありがとうございました。

少し話数が少ないですが、4章最終話となります。

話の流れをどうしようか悩む日々ですが、また投稿しましたら
よろしくお願い致します。


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おまけ短編:隊長の寝不足と不安のタネ

最近、寝不足や不安に悩まされるコトブキ飛行隊隊長のレオナ。
彼女は寝不足を解消すべく、その不安の原因になっている
彼女にその責任をとるよう協力を求めることに……。


 視線の先で、煙を吹きながら地面に落ちていく、蒼い翼の零戦。

 地面に機体をたたきつけながらかろうじて不時着するも、風防が開いてパイロットが下りてくる様子はない。

 そこへ向かって、キリエが駆け出した。彼女を追って皆が駆け出す。

 すると、彼らの後方から空賊の五式戦闘機が機銃を撃った。

 横へ飛びのき地面に伏せる。五式の撃った場所を見ると、その考えを即座に察した。

 急いで地面を蹴って、零戦へと走る。

 でも飛行機の方が速い。瞬く間に追い抜かれ、再び五式戦が機銃を撃ち始めた。

 

「やめろおおおおおおおおおおお!」

 

 キリエの悲痛な叫びもむなしく、五式戦の機銃弾は不時着した零戦を穿った。

 放たれた銃弾は零戦の操縦席付近に命中。主翼の付け根にもあたり、燃料に引火。瞬く間に火の手が上がり、機体を飲み込んだ。

 その光景を前に、キリエはその場に膝をつき、皆が足を止めた。

「そ、そんな……」

 機銃によって開いた穴からは、赤黒い液体が流れ出ている。

 彼らは、間に合わなかった。その事実が、全員の胸へと、深く突き刺さった瞬間だった。

 

 

 

「はっ!」

 一瞬にして眠気が吹き飛んだ彼女は布団を跳ね除け、上半身を起こして飛び起きた。

 飛び起きた赤い髪の、凛々しい表情の女性。コトブキ飛行隊の隊長レオナは、荒い呼吸を繰り返しながら周囲を眺める。

「……夢か」

 彼女がいるのは、彼女が率いるコトブキ飛行隊を雇っているオウニ商会の所有する輸送船、羽衣丸の寝室。

「……なんて夢を見たんだ」

 いいながら彼女はベッドから立ち上がり、額にかいた汗を適当なタオルで拭き取った。

 汗を拭き終わると、彼女は自分が寝ているベッドの向かい側に視線を向ける。

「くぅ~」

 そこには、先ほどの夢の中では撃ち殺された零戦のパイロット。マダムが雇った用心棒、ハルカが静かな寝息を立てながら眠っている。

 ほぼ下着姿で寝ているコトブキのメンバーに対し、彼女は上着とブーツを身に着けていないだけで、黒色のシャツと裾に青いラインの入った白色のスカートは昼間と変わらず身に着けている。

 いつ何時、命を狙われ、出動要請がかかるかわからない議員の用心棒をしているためだろうと彼女は察する。

 安らかに寝息をたてている姿を見て、レオナはとりあえず胸をなでおろす。

 寝返りをうったらしく、布団がずれてしまっている。

 レオナはため息を吐き出すと、彼女のふとんを直した。

 

「全く、人の気も知らないで」

 

 さきほど見た光景は夢であったものの、あと少しで彼女は夢で見た光景が現実になっていた可能性があったことを知っている。

 先日、ナガヤ上空で繰り広げられた空戦の中で、ハルカの乗る零戦は撃墜され地面に不時着。

 空賊が彼女を直接殺そうとしたとき、あの場にいた誰もが、顔が青ざめ、キリエのように叫び出したい気持ちだった。

 幸い、ハリマ評議会護衛隊の戦闘機隊が来てくれたことで事なきを得たが、それでもその場にいた彼らにとっては忘れられない場面となった。

 あと少し応援が遅ければ、彼女はここにいない。

 レオナは体を震わせた。

「……寝るか」

 再び布団に入る彼女。だが妙に目がさえてしまい、寝付けなくなってしまった。

 彼女はなんとか寝ようと、布団を頭までかぶってユーハングから伝わったおまじない、羊の数を頭の中で数えたのだった。

 

 

 

 

「あ、あの……」

 背中には壁の固い感触、顔の左右には行く手を阻む壁につかれた両腕、そして前には、三日月のように細められた瞳があった。

 彼女は、相手の名を呼んだ。

「あの……、どうかしたんですか……。レオナさん」

 見つめてくるのは凛々しい表情、今は欠片もないが、赤い髪を後ろで縛ったコトブキ飛行隊の隊長をつとめる女性、レオナ。

「ちょっと、君に用事があってな……」

 彼女の細められた瞳はハルカを射抜くほどに鋭く、声は低めですごみが増している。

 日頃、余程の事がなければ彼女がここまで行動で示すことはない。

 拳を手の平にぶつけたり、それらしい素振りはあっても、あくまでそこまでだ。

 やりすぎたキリエやチカに対してでさえ、精々説教するくらいだ。

 とはいうものの、コトブキと初めて仕事を一緒にしたとき、命令違反で拳骨を落とされたりお尻を抓られたり、エンマ共々正座の上で説教を浴びたこともあった。

 なので、彼女がここまで行動に出るということは、間違いなくこのあと良くないことが待っている、そう彼女は結論を出した。

「それで、用事って……」

 彼女は恐る恐る聞く。

 すると、レオナは片手の人差し指を伸ばし、自身が日ごろ寝ているベッドの方角を指さした。

「そこに座ってくれ」

「……はい」

 彼女はトボトボと、小さい歩幅で歩く。彼女のベッドの前にたどり着くと、両足のブーツを脱いで床に膝を下ろし、正座をした。

 すると、レオナは表情をきつくした。

 

「ハルカ、何をしている?」

 

「え、その……」

 いつもに比べ、少々とげのある言葉に、ハルカはびくつく。

 

「私は何も、正座をしろと言った覚えはないが?」

 

「いえ、てっきりこれからお説教でもされるのかと……」

「君は私に説教される心当たりがあるというのか?」

「……結構あるように思いますけど」

 命令違反や危険行為、周囲に心配をかけた等、わりと沢山あると彼女は思う。

 キリエやチカほどではないはず。……多分。

「……自覚があるようでよかった。キリエやチカは自覚がないからな。もしないと言ったら、拳骨くらいお見舞いしていたかもな」

 とりあえず選択肢が間違っていなかったことに安堵する一方、外れていた場合のことを聞かされ背筋が震えた。

「確かに、説教したいことは山のようにあるが、それは脇に置く。とりあえず、これからするのは説教じゃない。いいから、私のベッドの枕の側に腰かけてくれればいいんだ」

「は、はあ……」

 おずおずと、彼女はレオナのベッドの枕側に腰かけ、スカートの裾を直し、レオナの方に直る。

「あの、何をするんですか?」

 何をするのか予想がつかないので、彼女は目的を問う。

 すると、レオナは顔を近づけてきた。

 

「何に見える?」

 

 彼女が指さすのは、瞳の下のまぶたのあたり。

 見ると、よくわかるほど黒くなっている。

「クマ……、ですね」

「ああ、そうだな……。それで、クマはなぜできる?」

「……睡眠不足、ですね」

「そうだな。睡眠不足は、戦闘時における集中力の低下を招く。だからちゃんと寝るように、そう言ったのは憶えているか?」

「……はい」

「じゃあ、私の睡眠不足の原因は、なんだと思う?」

「……隊長としての気疲れや戦闘における疲労、ですか?」

「……それがないとは言わない。だが……、今の原因は、なんだと思う?」

 ハルカは察した。ここに呼ばれた時点で、答えは出ているようなものだ。

「私……ですか?」

「……そうだ」

 残念ながら正解だったようだ。

 

「エンマに自分を撃たせた件、私の命令を無視して空賊を追いかけた件や行方不明になった件、1人で戦った上に空賊に殺されようとした件、目を覚ますまでみんなに心配をかけた件など、上げればきりがない」

 

 後から知った話だが、先日のエンマと不仲の件でユーリア議員が介入してきた際、危うくオウニ商会は運び屋を止めねばならない所まで話が及んだそうで、レオナ隊長やザラ副隊長はひたすら平謝りしたとのことだった。

「エンマを説得できなかったことや、君の手綱を握り切れなかった私にも責任はあるが、君の無茶や自暴自棄にどれだけ私が頭を悩ませていたか、わかるか?」

「……申し訳ありません」

 つまり、この険しい表情は、単に寝不足で睡魔に襲われ、機嫌がわるいことの現れだろうと彼女は察した。

「というわけで、その責任はとってもらう」

「どうやって、ですか?」

 彼女の体がこわばる。

「大丈夫、簡単なことだ……」

 レオナが隣に座り、思わず体がこわばる。

 そして彼女は、そのままハルカに向かって倒れる。

「……へ?」

 そして、彼女の太ももへと頭を乗せた。

 いわゆる、膝枕であった。

「あの、レオナさん?」

「……私が寝ている間、枕になっていてくれ」

 彼女はしばし硬直した。

「君の膝枕は、寝心地がいいと聞いたからな」

「……誰から聞いたんですか?」

「マダムからだ。ユーリア議員も、日々ねだる寝心地だそうだな」

 彼女は頭の中で悲鳴を上げた。

 先日、羽衣丸操舵士の1人、マリアにユーリア議員は変態なのかと問われ、それにまつわる話をした。

 その場にはマダムも同席していた。

 他言無用とお願いしたのに、さっそくの情報漏洩に彼女は頭を抱えた。

 一方レオナは、ハルカの太ももを触ったり、頬ずりしながら感触を確かめている。

「ひゃっ!」

「あ、悪い……。その……、私とは、違うんだな、と……」

 特に他意はないのだろうが、ハルカは頬を赤く染める。

 レオナは筋トレを欠かさない。そのために彼女の太ももは少し筋肉質というか逞しく、鍛えているのがわかる見た目になっている。

 空戦にはその方がいいのだが、ハルカの少し丸みを帯びた綺麗な線を描く太ももと比べると、見た目は大分違う。

 位置を調整し、レオナは寝る準備に入る。

 見下ろすと、横向きに寝転がっているためにレオナの整った横顔に、綺麗なうなじ、胸の大きさ、耳のあたりが良く見える。

「どうですか、寝心地は?」

「確かに、寝心地は、いいな……」

 見た目がいいだけでなく、程よい肉付きに柔らかさ、鍛えた弾力も持ち合わせている。

 ふと、レオナは思い出したことがあった。

「なあ、ハルカ」

「なんですか?」

「先日、君の歓迎会を兼ねてサルーンで食事をしたときのことだが……」

 一瞬、ハルカの体がびくっと震えた。

「どうかしたか?」

「いえ、なんでもないです。で、なんですか?」

 一瞬ハルカの顔が引きつったが、流してレオナは続ける。

「ザラから聞いて知ったんだが、なんでもあの場で私は酔って眠ってしまい、隣に座っていた人の膝を枕にしたそうだな」

「ええ……」

「もしかして、君か?」

 数巡した後、彼女は応えた。

「……ええ。そうです」

「やっぱりか。酒に酔っていても、この感触は何となく覚えていた」

「わかるものなんですか?」

「私に膝枕してくれる人など、今はザラだけだ。彼女と違えば、流石にわかる」

 それでもわかるものなのだろうかと、ハルカは疑問符を浮かべる。

「すまなかったな。酒に酔っていたから、吐いたりしてなかったか?」

「いえ、そんなことはなかったです。……よだれは少しこぼれていましたけど」

「すまなかった。服を汚してしまって」

「スカートは汚れませんでしたし、幸い拭けばとれるものでしたから、気にしないでください」

「そうか。ありがとう」

 レオナは静かに目を閉じた。

 ふと、ハルカはレオナの頭に右手を置いた。

「……どうかしたか?」

「いえ、こうするとよく眠れると、昔お姉ちゃんたちが、いっていましたので……」

「……少し、恥ずかしいんだが」

 レオナの耳が赤く染まっているのが、彼女にはよく見える。

「誰も見ていませんし、それに今更だと思いますよ」

「いや、こういうときでも、隊長や年上の威厳というものが……」

 

「人の太ももにお酒の混じったよだれを垂らしながら寝顔をさらしておいて、今更じゃないですか?」

 

「ごふっ!」

 ハルカには一瞬、レオナが吐血する幻が見えた。

 よほどダメージが大きかったのか、体がぴくぴくと震えている。

「ぐっ!でも、それでも、私には隊長の威厳というものが……」

「今は休んでいるんですし、適度に息抜きしないと長く飛べませんよ」

「……そういうものか?」

「そういうものです」

 レオナは黙って、ハルカにされるがままになる。

「……私にこんなことするのは、ザラ以外だと君が初めてだ」

「日頃はザラさんに、こういうことしてもらっているんですね」

「……ああ」

「ザラさんとは、長い付き合いなんですか?」

「……コトブキの中では、一番長い。私がリノウチ空戦から生還して、行く当てもなく彷徨っている中で出会ったんだ」

「レオナさん、リノウチ空戦に参加したんですか?」

 レオナは咄嗟に両手で口をふさいだ。

 だが、言葉は一度口に出してしまえば戻ることはない。

「いいですよ、気にしなくて」

「……すまない。私は帰ってこれたのに、君の身内がみんな帰ってこられなかったというのを聞いたら、口にすることができなかった」

「いいんですよ。それは、飛行機乗りにはつきものですから」

 飛行機乗りにとって、墜落や撃墜による死はいつもとなりにある。

 帰ることを望まれていたのに、生還できなかった者。

 悪運が強かったのか、生き残ったもの。

「そうか……」

 レオナは、ただハルカに頭を撫でられる。

「あの、レオナさんは」

「なんだ?」

 

「……リノウチで、蒼い翼の零戦(・・・・・・)を、見ませんでしたか?」

 

「君も参戦していたのか?」

 真っ先に思い浮かべたのは、彼女の零戦だった。

「いえ、私じゃないんです……」

 思えば、リノウチ空戦はもう9年も前。彼女がまだ九七式戦闘機に乗り始めた時期だから、彼女があの激戦地にいたはずはない。

 なら、蒼い翼の零戦は彼女以外にいたということだろうか。

 それが誰だったのかレオナは少し興味がわくが、見上げると少し曇った表情を浮かべるハルカを見て、それ以上詮索することははばかられた。

「いや。私が見た零戦は、殆どが敵の黒く塗られた機体ばかりだった」

「じゃあ、青い零戦22型と、赤い鍾馗は?」

「……すまない」

「そう、ですか」

 彼女は無理に微笑むと、言った。

「変なこと聞いてすみません。寝てください」

 少し後ろ髪を引かれる思いをしながら、レオナは目を閉じた。

 

 

 

 

 間もなく、規則正しい寝息が聞こえてきた。

 心地よさそうに眠るレオナを、ハルカは慈愛を込めた表情で見下ろす。

 以前、ジョニーズ・サルーンでレオナが酔って自分の膝に倒れこんできたとき、ケイトから彼女の心労の回復に協力するべきと圧を込めた言葉で言われた。

 睡眠不足の原因が自分にあるなら、それは協力するべきなのだろう。

「うん……」

 ふと、レオナが寝返りをうち、ハルカのお腹の側をむいた。

「ふふ……」

 彼女は、よく膝枕をねだってきた兄や姉、弟や妹のことを思い出す。

 あのときは膝枕しながらおしゃべりしたり、時折耳かきをしたものだった。

  はじめて間近に見る、彼女の寝顔。日頃の凛々しい、隊長としての表情とは裏腹に、気持ちよさそうな寝顔。

 これは、思わぬ収穫だったなと、彼女は微笑む。

 だが同時に、ハルカはふと思った。

 この部屋に帰ってくるのは、今寝ているレオナ隊長に自分、それにレオナ隊長の長年の相棒のザラ副隊長。

 それが思い浮かんだことで、彼女の額に冷や汗が滲む。

 

 

―――もしかして、今って見られたらまずい状況なのでは?

―――もし、こんな瞬間をザラさんに目撃されたら……。

―――まずい、非常にまずい。

 

 

 思い起こされるのは、先日この部屋でおこった、ザラとの一件。

 レオナとザラの間に入り込もうとしたと解釈され、警告という名のもと行われたおぞましい行為を思い出し、彼女は背筋をふるわせる。

 先日は警告で済んだが、これ以上2人の領空を侵犯すると、威嚇射撃くらい、場合によっては撃ち落されるだろうか。

 そんな悪い想像ばかりが浮かぶ。

「まあ、でもこれくらいなら……」

「うん……」

 ふと、レオナがハルカの腰に腕をまわし、お腹に顔をくっつけてきた。

「ひゃっ!」

 レオナが顔を近づけるときに、一緒にスカートの裾が少しずり上がってしまい、彼女は小さな悲鳴をあげた。

 はたから見れば、顔を突っ込んでいるようにも見える。

 

 

―――アウト……。

―――これは完全にアウト!

 

 

 こんな現場を目撃されたらまずいし、恥ずかしい。

 安眠を邪魔して申し訳ないが、とりあえず起きてもらい、姿勢を直す必要がある。

「レ、レオナさん!起きてください!」

 彼女はレオナの体をゆする。

 すると、彼女は仰向けになり、両目を薄くあける。

「レオナさん……、ちょっと姿勢を」

 

「……いるんだな(・・・・・)

 

「……へ?」

 聞こえたのは、いつもの逞しい声に反して弱々しい声。

 

「ここに、いるんだな(・・・・・)……、ハルカ」

 

「は……、はい」

 応えるも、レオナの表情は不安そうで。

 また腰に腕を回してお腹のあたりに密着してきた。

「だ、だから!……ちょっと!」

「……時々、不安になるんだ」

 彼女は顔だけ動かして、ハルカを見上げる。

「……君が、そこにいるのか、どうか」

 その弱々しい声に、彼女は言葉を飲み込んだ。

「そりゃあ、私たち飛行機乗りに、常に危険はつきものだ」

 飛行機に乗って空に上がれば、そこは生と死の交錯する戦場がある。

 無論戦闘機乗りには、常に危険が隣にいる。

「隊長として、隊の仲間には死んでほしくない。でも、いつそうなるかわからない。それはわかっている。それでときどき、君が幻ではないかと、思ってしまうことがあって……」

 腰に回された腕に、力が込められる。

 レオナは、彼女のお腹や太ももに頬ずりをする。

「おかしな話と思うかもしれない。こうやって、今君に触れることができて、ぬくもりだって感じるのに、君のことが幻じゃないかって考えてしまったり、次の瞬間消えるんじゃないか。そんな不安に駆られて、寝つきが悪くなって……」

 どうやら、それがこの睡眠不足の原因だったようだ。

「だ、大丈夫ですよ。そんな不安がらなくても……」

 すると、レオナは体を起こし、彼女の両肩をつかむとベッドに押さえつけた。

「え、……え!」

 戸惑う彼女をよそに、レオナの瞳が鋭い刃のように細められた。

 

「どんな無茶なものでも、エンマの要求を受け入れ続けたのは誰だ?」

「うっ!」

 

「もういいといったのに、空賊機の群れを追いかけていったのは誰だ?」

「ぬっ!」

 

「戻れといったのに、空賊の機体を追いかけて、一時行方不明になったのは誰だ?」

「いえ、その……」

 

「エンマに条件を提示して、自分を撃たせたのは誰だ?」

 

 レオナはハルカのやった命令違反などの、いわば彼女の罪状を述べていく。

 

「不時着した際に、降りてこなくて敵に撃たれようとしていたのは誰だ?目が覚めたとき、生きていることを後悔しているような発言をしたのは誰だ?自分の命はいらないからあげるという発言をしたのは誰だ?」

 

「ひいいいいいいいい!ごめんなさいいいいいいい!」

 

「……これだけのことをしておいて、君は大丈夫などと誰が思える?」

「……思えない、ですね」

「私が君を心配している理由が少しでも理解できたか?」

「……はい」

 思い返せばわが身を顧みない、自暴自棄な行動で散々心配をかけていたのだと理解せざるを得ない。

 これでは、確かに幻とか、いなくなりそう、などと思われても否定はできない。

「1つ教えてほしい。ナガヤで敵に落とされたとき、あのとき君は、本当に殺されようとおもったのか?」

「……はい」

 レオナの視線が険しくなるも、すぎたことだと彼女は口を開く。

「寝るたびに見る悪夢から逃げたくて、向こう側へ行った家族に会いたくて……。故郷を守って終わるなら、これが幕引きとしてはいいかもしれない……。そう思いまして」

 それが、偽りのない彼女のその時の考えだった。

「……そうか」

 そして、突如からだが密着した。

「ちょ、ちょっと!」

 気が付けば、レオナの腕の中に抱きしめられていた。

「やっぱり、君を1人にしすぎるのは不安だ」

 もがこうとするも、レオナの両腕がしっかり背中に回され、両足が絡みついて抵抗を許さない。

 何より、レオナの不安げな顔が、彼女を突き飛ばすという選択肢を選ばせない。

「私の不安の種を少しでも減らすため、睡眠不足解消のため、しばらく抱き枕になっていてくれ」

「え!な!」

 

「恥ずかしがることないだろう?ユーリア議員相手によくしていると聞いたからな」

 

―――マダム・ルゥルゥ!!!!

 

 またも情報漏洩がわかり、彼女は頭の中で悲鳴を上げる。

 まもなく、心地よさそうな寝息が聞こえてきた。

 

―――どうしたものか……。

 

 目の前には、レオナの安らかな寝顔が鼻先数センチの間をおいてある。

 そこには、少し前までの機嫌の悪さはなかった。

「ま、いっか……」

 眠りを妨げることはよくないし、動くこともできないので、彼女も目を閉じることにした。

 

 思えばこの行動が、間違いだったのかもしれない。

 ハルカは、後にそう思い返している。

 

 

 

 

 

「あらあら、随分気持ちよさそうに寝ているのね~」

 

 耳に入った声で眠気が一瞬で吹き飛び、脳が覚醒した。

 ハルカは額に冷や汗が滲むのを感じる。

 恐る恐る視線を上げると、そこには口元は母性を感じさせる柔らかい笑みを浮かべているものの、視線は冷たいという器用な微笑み方をしているコトブキ飛行隊副隊長、ザラがいた。

「しかも、随分と密着しているわね~」

 レオナの両腕が背中に回され、両足も絡んでおり、2人は密着している。

 言い訳できないほどに。

 

「ハルカさん……、警告はしたはずよね?」

 

 彼女は無言で首を縦にふる。

「でもまあ……」

 ザラは熟睡しているレオナの頬を、人差し指でツン、ツンと軽くつつく。

「レオナがよく眠れているみたいだから、邪魔しちゃいけないわね。この場は見逃してあげる」

 ほっと、動けないがハルカは胸をなでおろす。

「最近寝不足だったみたいだから、しばらく寝かせてあげてね」

 そう言いながら、ザラは唇に人差し指をあて、静かにねと仕草で示す。

 ドアに向かい、彼女がドアノブに手をかけた。

「ああ、そうそう。ハルカさん」

 ふと、ザラが振り返った。

 全身からあふれ出そうな殺気を、強引に押し隠しているような引きつった笑みを浮かべながら。

 

 

「この場は見逃すけど、あとで……、ゆっくりお話ししましょうね」

 

 

 ああ、この場ではなくても、やっぱり見逃してはもらえないのだなあと、彼女はあきらめる。

 その後、レオナとザラの間に割り込んだ警告として、レオナと触れていた場所をザラによって散々嘗め回されたのは、別の話である。

 

 




「全ての始まりの地で」の後日談になります。

主人公はなにかと無茶や自暴自棄なことをやってしましたので、
きっと隊長さんは色々気苦労を抱えていただろうと思い、書いた
話です。

今後は不安のタネにならないと思いますが……。


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おまけ短編:あったものの面影を感じて

ある日、ラハマの孤児院を訪れていた彼女は、
孤児院の子供から飛行機に乗せて欲しいとせ
がまれる。
なんとか断ろうとする彼女だが、それを聞いた
マダムはあることを思いついた。マダムのとった
行動とは……。


 どこまでも広がる青い空、流れる白い雲、そして荒野。

 そんな世界の一角にあるオアシスのような存在である町の片隅で、子供たちの楽しそうな声が響く。

 

「はい、できたよ~」

 

 肩の下あたりまで伸ばした黒い髪を白いリボンで縛り、防寒用の茶色い上着、裾の方に青いラインの入った白色のスカートを身に着けた女性。ハルカは膝の上に座らせた幼い女の子の両脇に手を入れて浮かせると、地面に足を下ろさせる。

 そして手鏡を取り出すと、彼女は地面に下ろした女の子へと向ける。

 鏡に映し出された自分の顔を見て、女の子は驚きの表情を浮かべる。

「お~~!」

 女の子は、髪を頭の左右で縛った、いわゆるツインテールの髪型に目を丸くしている。

 そして気に入ったのか、目を輝かせる。

「可愛くなったね」

 

「お姉ちゃん、ありがとう!」

 

 そういって、女の子は他の子たちのもとへと髪を自慢すべく駆けていく。

 腰かけていた椅子から立ち上がり、そんな微笑ましい風景を眺めるハルカ。

 そんな彼女の背後に、男の子が一人忍び足で近づいていく。

 

「わっ!」

 

 男の子は背後から忍び寄り、ハルカのスカートの後ろ側を盛大にめくりあげた。

「きゃっ!」

 彼女は慌ててスカートの裾を押さえた。

「う~ん、白か。しかも特に色気ないやつ」

 悠長に感想を述べる男の子を、彼女は即座に頭をつかんで捕まえる。

 そのときハルカがどんな表情を浮かべていたのはわからないが、少なくとも男の子は引きつった表情を浮かべていた。

「こ~ら。だめでしょ、女の子のスカートめくったりしちゃ」

「で、でも気になるんだもん!ヒラヒラしているものって!」

「気になってもだめなものはだめ、された子は恥ずかしい思いするんだから」

「でも~」

「ダメだよ~。こんなことしていたら、女の子みんなから嫌われちゃうよ~」

 男の子は、上目遣いで彼女を見つめる。

「めっ!」

「……ごめんなさい」

 男の子が謝ると、彼女は笑みを浮かべ、彼の頭をやさしくなでる。

「ちゃんと謝れたね、よしよし」

 そんな彼女の背後に、またしても別の男の子が忍び寄る。

 彼は両手を合わせて指を絡ませる中、人差し指だけを真っすぐ伸ばす。そして両手を腰だめに構え、両足を曲げて……。

 

「隙あり!」

 

 両足で地面を踏みしめつつ、同時に腰だめに構えていた両手を伸ばし、突き出した人差し指をハルカのお尻へと突き刺した。

 

「いだっ!」

 

 少年の指が彼女のスカートごと標的にめり込む。

「ヘヘヘ、作戦成功!」

 と彼が思ったのもつかの間。

 彼女は、即座に自身に刺さる少年の両手をつかみ上げた。

「ひっ!」

 彼女は、口元は微笑んでいるものの、目は笑っていない暗い笑みを浮かべていた。

 その表情に、少年の顔が成功した達成感を伴った楽しそうなものから、一瞬でおびえに変わった。

 だが、すぐにハルカは表情を和らげる。

「こ~ら、人が痛がることやっちゃだめでしょ?」

 そういって、彼女は少年のおでこを指でピン、とはじいた。

「それに、この技は相手にケガさせることもあるんだから、もうしないこと」

「え~」

「え~、じゃないでしょ?それに、もし君がこの技で指をけがしたらこの先、したいことができなくなるかもしれないんだよ」

「したいこと?」

「そう、文字を書いたり、食事したり、飛行機を操縦したりね」

「え!できなくなるの!?」

「指は大事なものなんだよ。いいの?できることが減っちゃうよ?」

「わかった、もうしない!」

 

「うんうん、……それで、何か言うことは?」

 

「いうこと?」

 すると、彼女は少年の両頬をつかみ、軽く引っ張った。

「い、いたたた!」

「人が痛がることをしたんだから、いうことがあるでしょ?」

 暗い笑みで、彼女は圧を加える。

「い、いま、ね、ねえひゃんも、人が痛がること、やっへいるぞ!」

「これはさっきのお返し。……すんごくびっくりしたし、何より痛かったんだからね~」

 だが、少年はいうことが浮かばないのか、ただ彼女に頬を軽く引っ張られ続けている。

 本当はこれくらいの痛みではなかったのだが、相手が幼いから加減をしている。

 

「悪いことしたら、いうことが、あ、る、で、しょ?」

 

「だ、だから、何をいえば……」

 

「……ごめんなさいは?」

 

「へ?」

 頬を引っ張る手に、彼女は少し力を加える。

「……ごめんなさいは?」

「いててて!ご、ごめんなひゃい!もうしまひぇん!」

 少年が謝ったところで、ようやく彼女は手を離した。

「じゃあ、もうさっきの技はしないこと。約束だよ」

「は~い……」

 

 ハルカが子供たちと戯れる、そんな様子を遠巻きに眺める人影が4人。

 

「あははは……」

「これはこれは……」

「なんというか」

「お姉ちゃん、ね……」

 子供たちと戯れ、悪さをすれば一瞬怖くも、優しさを含ませて注意する。その様子は、幼い妹や弟を可愛がる姉のような姿だった。

 ここは、ラハマの一角にある身よりのない子供たちの居場所、ラハマの孤児院である。

 そして遠巻きに様子を眺めるのは、孤児院の院長先生、土地の管理者のオウニ商会のマダム・ルゥルゥ、この孤児院出身のコトブキ飛行隊隊長のレオナ、長い付き合いの副隊長のザラである。

 レオナたちは先日、ショウト市長が工業都市ナガヤへ発注した飛燕と部品の輸送を終え、ようやくラハマへと帰還することができた。

 なので、依頼は終了。ハルカは本来ならガドールへと帰るはずだった。

 だが、帰ろうと準備を始めようとしたとき、レオナとマダムから追加の依頼が入った。

 どんな内容かと身構えた彼女に言い渡されたのは、ラハマの孤児院に来て欲しい、というものだった。

「ねえお姉ちゃん、私も髪結んで~」

「いいよ、おいで」

 また椅子に腰かけ、膝の上に座らせた女の子の髪を結い始める。

 

 この孤児院は、2度の危機に陥った。

 地上げ屋が立ち退き要求をのませるため、空賊を使って騒音で圧力をかけた。

 その際、レオナが先んじて帰ってきて、上空を旋回していた疾風2機を撃墜。

 危機は去ったはずだった。

 後日、また地上げ屋が戦力を増強してやってきた。

 そのときはレオナたちもこの孤児院におり、キリエたち他のメンバーは出払っていた。

 要求をのむしかないかと思ったとき、マダムが偶然ラハマを訪れていたハルカに依頼をして、上空に現れた疾風6機を撃墜させた。

 そのときの印象が強く残っているのか、孤児院の子供たちから、あの零戦のパイロットに会いたい、という声を度々レオナたちは受けていた。

 彼女がラハマに来ているし、ちょうどいいと考え、彼女を連れてきたのだった。

「はい、できたよ~」

「ありがとう、お姉ちゃん!」

 どうやら長い黒髪を三つ編みにしてもらえたようで、その子は喜んでいる。

「まさにお姉ちゃん、ね」

「私には、ああいったことはできないからな」

「あらあら、お姉ちゃんの株を取られて、悔しいの?」

 ザラがレオナの頬を指で軽くつつく。

「そ、そういうわけじゃ……。それに、私は姉という存在がわからない。妹でもあり、姉でもあった彼女を相手取るのは、初めから無理なんだ」

 レオナは、このラハマの孤児院出身である。そのため、幼い頃から仲間と育った記憶はあるが、両親や姉妹というものがわからなかった。

 人間は、自身がされたようにしか他人にはできない。そんなことを言う人がいるが、そういった意味では、ハルカは両親がかつており、兄や姉、妹に弟もいた。

 今は全て無くしてしまったが、自身がしてもらったことを覚えていて、こうやって他人にもしている。

 妹であり、姉でもあった彼女。

 少々痛い思いはしたものの、皆彼女になついている。

 髪を結い終えたハルカは、レオナたちのもとに歩いてきた。

 スカートの、お尻のあたりをさすりながら……。

「大丈夫か?」

 苦笑しながらレオナは問う。

「ははは、ちょっと痛かったですけどね……。でも昔、弟に毎日のように同じことされていましたから、大丈夫です」

「ごめんなさいね、うちの子が……」

「あはは、まあ子供の内は、覚えたことを色々ためしたくなるものですから……」

 口ではそういうものの、さする手を止めないあたり、相当痛かったのだろう。

「院長先生~」

 ふと、さきほど髪をみつあみに結ってもらった女の子が駆け寄ってきた。

「どう?可愛い?」

 その場でくるっと一回転すると、結んでもらった髪も一緒に回る。

「あらミキちゃん可愛い、よかったじゃない」

 この子はミキといって、ハルカに会いたいと言ってきかなかった子だ。

 先日、この孤児院に差出人不明の大金を送った人物がハルカだとわかった際、レオナとザラはここまで彼女を引きずってきた。

 そのとき、彼女のことをカッコイイ、と言ったのはこの子だった。

 髪の色が同じということもあってか、ハルカとミキが並ぶと、少し年の離れた姉妹のようだとレオナは微笑む。

 ふと、ミキのお腹から虫の鳴き声がした。

 彼女は顔を赤く染め、ハルカのスカートをつかんで彼女の後ろに隠れ、顔をうずめて赤くなった顔を隠した。

 そんな様子に皆が笑みを浮かべる。

「そういえば、そろそろお昼時ね」

「そうだわ、早く準備しないと」

「院長~」

 孤児院の女性職員が、何やら段ボールを抱えてきた。

「農家の方からお裾分けです」

 フタを開けると、中には白い楕円形のものが沢山入っている。

「卵、こんなに沢山」

 ハリマのような農業都市でもない限り、鶏の卵や乳製品にありつくことはいがいに難しい。飛行船で運ぶにも、卵は衝撃に気を付けなければならないし、牛乳は手早く運ばないと日持ちしないからだ。

 コトブキ飛行隊のキリエがパンケーキを毎日のようにたべることができるのは、オウニ商会が別途手配しているためであって、普通はあんなに一日に何枚も食べることはできない。

「どうしようかしら?でも長い間放ってはおけないわよね」

 折角のご厚意なのでありがたく頂戴したいものの、数が多い。院長先生はこれを短い間に使いきる料理を思いつけないようだ。

「あの、よければ手伝いましょうか?」

「ハルカさん、料理できるの?」

「母親の体調が悪くなってから、時々家事もやっていましたから」

 彼女は材料を確認すると、作るものを考える。

「卵にお米に野菜に鶏肉。ケチャップは、ありますね」

 彼女は院長先生とメニューを相談すると、調理にかかった。

 

 手際よく野菜を刻み、ごはんとともに炒めると、ケチャップを加える。

 炒めたケチャップの香りが鼻の奥をくすぐり、食欲を掻き立てる中、彼女は薄く焼いた卵の中に炒めたケチャップライスを入れ、慣れた手つきでフライパンを揺らして包んだ。

 皿に盛りつけ、薄く焼いた卵にもケチャップをかける。

「はい、オムライスの完成!」

 彼女の料理の腕を知らないレオナたちは、恐る恐るスプーンですくう。

 口の中で、ケチャップで炒めたごはんと薄く焼いた卵の味が合わさる。

「……うまい」

 レオナが意外そうに感想をもらした。

「あら、良い腕じゃない」

 ザラは笑顔で箸を進める。

 子供たちも気に入ったようで、嬉しそうに食べている。

「君は料理ができたんだな」

「昔、弟や妹がこれが食べたい、あれが食べたいって、色々せがまれて。それで覚えたんです」

「そうだったのか」

「あと、祖父から色々教わったんです」

 そういう彼女の表情は冴えない。

 この料理を作ってとせがんできた子たちはもうこの世におらず、教えてくれた人物も行方不明。

「でもよかったじゃないか、喜んでくれる人がいて」

「いい味付けね。羽衣丸のサルーンで出せるんじゃないかしら?」

「いえ、流石にリリコさんには敵わないでしょう……」

「でも、色々作れるならサルーンの手伝いにはいいかもしれないわね。あの子、時々単発の仕事でいないときがあるから」

 マダムも気に入ったようで、順調に量が減っている。

 幸いにして人に初めて作ったオムライスは、好評をえることができたのだった。

 

 

 

「ねえ、お姉ちゃん」

 髪をみつあみに結った女の子、ミキはハルカの太ももに座ったまま振り向く。

 ちなみにこの子は、以前は飛行機乗りのお姉ちゃんがいたらしいのだが、空戦で撃ち落されて亡くなったという。

 そして、お姉ちゃんがいない寂しさからか、同じ髪の色をしているためか、ハルカのことをお姉ちゃんと呼んでいる。

 彼女もそれを訂正する気はないようで、呼びたいように呼ばせている。

「空を飛ぶと、どんな景色が見えるの?」

「そうだね」

 彼女が思い出すのは、祖父に乗せられ、初めてナガヤの空を飛んだ日の事。

「町の向こうが見えるよ。どこまでもつづく荒野や、広がる空をね」

「町の、向こう?」

 彼女はこのラハマから出たことがないのか、首を傾げる。

 子供で行動範囲が限られる間は、目に見える町が世界の全てだ。

「ねえ、お姉ちゃん」

「何?」

 

「私、その景色見てみたい。お姉ちゃんの飛行機に、乗せてくれない!?」

 

「……へ?」

 一瞬唖然とした彼女だったが、すぐに脳が言葉の処理を開始する。

「いやあ、それは、ちょっと……」

「ダメなの?」

 瞳を潤ませ、上目遣いで見上げてくるミキに、ハルカは言葉を詰まらせる。

 彼女こと蒼い翼の零戦は、よくも悪くも有名である。

 そこらへんを単機で飛んでいたら、どんなお礼参りに会うかわかったものではない。

 そんな機体に、彼女を乗せることはできない。

 ここは、きっぱり断らなければならない。

「えっと、ね……」

「あ!ミキだけずるい!私も乗りたい!」

「私も!」

「僕も!」

 話を聞いていたのか、他の子たちも手を上げ始める。

「あの、みんな、その……」

 

「いいじゃない?」

 

 ふと背後から声がしたので、彼女は咄嗟に振り向く。

「いいじゃない?乗せてあげれば」

「で、ですけど、こんなにたくさんは……」

「そうねえ」

 マダムは口に手を当てて考える。

「なら、コトブキのメンバーにも頼みましょう」

「でも、それでも人数が……」

「なら自警団にもお願いしましょう。でも、それならいっそ……」

 マダムは笑みを浮かべて、言い放った。

「いっそのこと、航空祭をやりましょう!」

「……航空祭?」

 ミキが首を傾げる。

「住民の人々に、私たちのことを知ってもらういい機会にもなるわね」

 するとマダムは無線を取り出す。

「さっそく市長に連絡を入れてやることにするわ」

 マダムは、無線で何やら話始める。

「航空祭って?」

「要するに、飛行機をそばで見たり、飛んでいるところをみんなに披露して、楽しんでもらうお祭りのことだよ」

「普段なかなか見れないコトブキ飛行隊が、身近に見れるわね」

 レオナとザラが補足する。

 すると、子供たちは目をキラキラ輝かせ始める。

 その後、マダムの行動力により、ラハマ航空祭の開催が決定したのだった。

 

 

 

 決定からわずか2日後、航空祭がひらかれ、ラハマの飛行場のそばには人だかりができていた。

 ラハマ名物ケチャップ丼や、アホウドリのから揚げ等色んなものを売る屋台が並び、滑走路のそばにはオウニ商会の輸送船、羽衣丸が係留されており、船長のドードー船長と副船長のサネアツが出迎え、操舵士のアンナやマリアたちが見学客を船内へ案内している。

 一方、滑走路から少し離れた場所には、コトブキ飛行隊の6機の隼が並んでおり、少し間をあけて自警団の97式戦闘機や百式輸送機、赤とんぼ、町の守り神の雷電が並べられている。

 そこにはレオナたちコトブキ飛行隊のメンバーや、ナツオ班長などの整備班、自警団員がいて機体の解説をしている。

 尾翼に描かれているのがイジツでは人気の絵本のキャラクター、海のうーみであることや本人の人当たりの良さからか、チカと彼女の隼は子供たちに人気のようだ。

 隊長のレオナや副隊長のザラの隼は、大人たちに人気を博している。

 自警団の九七式戦闘機は、操縦席に座ることもできるようで、さきほどから子供をはじめ列ができている。

 

 そんな中……。

 

「へ~、本当に蒼いんだ」

「こんな間近で見る機会があるなんて……」

 ハルカの零戦はコトブキ飛行隊の隼のそばで展示されることになり、滅多にない機会だからと、零戦がこれ1機だけということもあってか人々が集まっていた。

「お姉ちゃんの飛行機強そうだね!」

 孤児院の子供、ミキもこの場にいた。孤児院の院長先生から、お願いね、と頼まれてしまったのだった。

「そう?」

「うん!それに模様もかっこいいね!」

 そう素直に感想を言われると、ハルカも少し照れ臭かった。

 祖父のタカヒトお爺ちゃんが、イジツとユーハングがかつてつながっていたんだ、という意味を込めた青色の主翼や水色の丸の模様。

 見慣れたハルカは特に何も思わなかったが、物珍しいようで人が次々やってくる。

 彼女はミキの面倒を見ながら、来客の質問に丁寧に応えていく。

「ハ~ルカ~」

「キリエさん?」

 赤いコートを着た、短くても豊かな黒髪を揺らす女性、キリエがやってきた。

 その手には、いつものごとくパンケーキが握られていた。

「こういうときもパンケーキなんですか?」

「私の心から、パンケーキが消えることはないんだよ、ハルカ君」

 胸を張りながら、彼女は自慢げに言う。

「出店で買ったんだけど、なかなかかな~。もう少しホイップがかかっていればいいんだけど……」

 言いながらもパンケーキを胃に収める作業は止まらない。

「ね~、折角だからハルカの零戦よく見せてよ~」

「……自分の機体の解説はいいんですか?」

「いいのいいの、ケイトがいるから」

 確かに、色んなことに詳しいケイトがいれば、解説など一人でこなしてしまいそうだ。

「なら、いいですけど……。あとで怒られてもしりませんよ?」

「大丈夫、大丈夫」

 キリエは、パンケーキを全て口に収め、ごみをくず入れに捨てると、彼女の零戦の周りをまわって、全体を見る。

「そういえばさ、ハルカの機体の模様って、お爺ちゃんが考えたんだっけ?」

「ええ、イジツとユーハングが、確かにつながっていたんだって、そういう意味だそうで」

「そっか~。じゃあ、尾翼の模様も?」

 彼女の零戦の垂直尾翼には、蒼を背景に、白い線が2本引かれ、それを貫くように斜めに雷を模したような模様が描かれていた。

「いえ……これは特には。でも、お爺ちゃんとお父さん、2人の機体の模様を合わせると、こんな模様になるんです」

「2人から受け継いだんだね」

「そういうキリエさんの隼の尾翼マーク。あれは?」

「ああ、あれはサブジーのマークが印象に残っていて、それをうろ覚えで書いたの」

「サブジー……、キリエさんに空を教えてくれた人でしたね」

 以前ラハマで自警団につかまり、牢屋に収監されていたとき、鉄格子の前でキリエを話したときのことを彼女は思い出していた。

「そうそう。もう、いないんだけどね……」

 キリエは口にしなかったが、あの自由博愛連合の会長、イサオに落とされてサブジーは亡くなった。協力を拒んだために。

「でも、キリエさんの中には、まだ生きています。忘れない限りは」

「そうだね」

 キリエは、少し無理して笑顔を浮かべる。

「にしても、今日は随分重装備なんだね」

「ナツオ班長が、展示ならこれくらいしないとだめって……」

 ハルカは苦笑を浮かべる。

 彼女の機体は今、胴体下には250kg爆弾、主翼下にはロケットを装備した、いわばフル装備の状態で展示されている。

 無論、火薬の類は抜いてある。

 実際この状態で飛ぶことはできるし、地上攻撃の際にはこの姿だ。

 だが今回に限っては、ナツオ班長の趣味でこの状態での展示となったのだった。

「いいね、強そうで」

「……そういう感想を抱くように、この状態で展示したんでしょうけどね」

 

『え~、来場の皆さま。ただいまより、飛行展示を行いま~す』

 

 放送で、ザラの声が飛行場に響き渡る。

 遠目に、ケイトの隼が飛び上がっていくのが目に入る。

「見に行こうか?」

「まあ見飽きてはいるけど、いこうか」

 キリエと並んで、ミキの手を引きながら、彼らは滑走路近くへ移動する。

 

 

 コトブキの中で、空戦機動が最もうまいケイト。

 飛び立ったら、上空でのロール、旋回、宙返りなど基本的な動きを披露したのち、急降下からの上昇に水平飛行。

 あくまでお祭りなので、安全を配慮した動きに限られているようだ。

 どれもお手本のように綺麗で、観客皆が空を見上げている。

 そしてケイトはある程度高度を取ると、機首を下げた。

「あ、始まった」

 キリエはその内容を察したようだ。

 ケイトは機首を下げ続け、上下が反転した状態での宙返り、逆G旋回を始めた。

 初めは興味深々で見つめていた観客らも、その異常ともいえる行動に驚きの色が表情に滲み、遂には顔が引きつって口をあけて固まる始末だった。

 

『え~。これは、逆回転宙返りといいまして……、通常とは反対の向きで行う宙返りです……。頭に血がのぼり、苦しい状態が持続しますので、ケイト以外の人々は決して真似しないでくださいね~』

 

 ザラは放送で、あくまで真似をしないようにという。

 心配しなくても誰も真似できないと、コトブキ飛行隊とオウニ商会の人々は知っている。

 

 

 飛行展示を終え、ケイトの隼が滑走路に降りてきた。

「それじゃあ、最後の項目ね」

「じゃあみんな、準備にかかってくれ」

 レオナの指示でザラたちは自分の機体へと向かっていく。

「最後は何ですか?」

「体験搭乗だ。孤児院のこどもや希望者を機体に乗せ、ラハマの周りを周回するんだ」

 滑走路脇では、ザラたち以外に、自警団の九七戦、百式輸送機数機が発進準備と搭乗を始めている。

「もともとこれをするだけだったのに、航空祭ってお祭りにしちゃうんですから、マダムは加減がないですね」

「まあ、オウニ商会や自警団のことを知ってもらういい機会でもある。まして自警団はかつて、町のお荷物なんていわれていたんだからな」

 それほどにラハマが空賊被害からは無縁だった証拠でもあるが、決していいことではない。

 お荷物と言われた自警団であったが、最近はそのイメージも大分払拭されたようだ。だが、維持するのは大変。

 こういう機会を活用することも必要だと、団長たちは判断したのだろう。

「レオナ!」

 レオナに子供が抱き着いた。孤児院にいた、ミユリという子供だった。

「それじゃあ、行こうか」

 彼女はミユリの手を引いて隼へと足を向ける。

「がんばってくださいね~」

 ハルカは手を振る。そんな彼女にレオナは、笑みを浮かべたまま振り向いた。

 

「何を言っているんだ?君もするんだぞ」

 

「……へ?」

 数秒ほど沈黙がその場に満ちた。

「あの、私への依頼は地上展示だけだって……」

 蒼い翼の零戦。それがどれほど多くの恨みをかっているか。

 いつお礼参りに会うかもわからない機体に、人を乗せることはできない。

「その予定だったが、どうしても君の零戦がいいと聞かない子供がいてな。マダムも断り切れなかったから、話を受けることにしたんだ」

「ちょ、聞いてませんよ!」

「安心してくれ。今君の機体はナツオ班長たちが展示の状態から不要なものを外して、間もなく準備が完了する」

「随分手際がいいですね!」

「……こうすれば君も断れないだろう?」

 事前に言えば何かしら理由をつけて断ることを想定したから、直前で明かしたのだろう。

 

「お姉ちゃん!」

 

 ふとお腹に衝撃を感じた。

 ぐえっというハルカに対し、抱き着いてきた子供、ミキは笑みを浮かべている。

「お姉ちゃん、お願い聞いてくれてありがとう!」

「ごめんなさいね、どうしてもあなたがいいって聞かなくて……」

 そういえば、先日孤児院でこの子に、飛行機に乗せて欲しいと言われたのだった。あの時はこの子の真っすぐな瞳を前に断れなかった。

 かといって、今この場でダメなんて言いにくい。

 ミキの期待に満ち溢れた瞳や微笑みを前に、彼女は口が開けない。

 

「さあ、ここまで喜んでいる子を前に、断る度胸が君にあるのかな?」

 

 ありません、彼女は内心そう思ったに違いない。

 

 

 

 愛機のレイのエンジンを始動させ、動作確認を済ませると、彼女は一度機体から下りる。

「お願いね」

「はい!」

 ミキを抱きかかえながら、彼女は零戦の操縦席へと入る。

 座席の位置を調整し、彼女を膝の上に乗せる。

「ほお~」

 彼女は操縦席の中が物珍しいようで、きょろきょろとみている。

「しっかり捕まっていて。それから、周りのものには触らないでね」

「うん!」

 彼女はハルカの防寒用の上着をぎゅっと握り締める。

 そして発進準備が整っていることを確認し、手を振って班長に車輪止めを外してもらう。

 動き出したコトブキ飛行隊の6機の隼の最後尾に続き、彼女も機体を滑走路へ誘導する。

「動いた!」

 彼女は楽しそうに風防から周囲を見回す。

 

『全機、確認するが今回はラハマの周りを周回飛行するだけだ。危険な機動を取らないように。卵を乗せているんだ。殻を割らないように』

 

 万一の場合は、雷電や一部九七式戦闘機が同伴するため、彼らが対処することになっているらしい。

 滑走路へ到達した彼らは、順番に空へと飛び立っていった。

 

 

 上空に到着すると、百式輸送機を中心に回りを戦闘機が囲むように飛ぶ。

 皆、外を見ようと窓に張り付いている。

「ほお~」

 ハルカの目の前にいる孤児院の子供、ミキも零戦の風防から周りを眺めている。

「お姉ちゃん、ラハマの周りってこうなっているんだね!」

「うん」

「空ってこんなに広いんだね!」

「まだまだこんなものじゃないよ。どこまでも、この空は広がっているんだよ」

 彼女は緩やかに、周囲と同じタイミングで旋回する。

 笑顔を浮かべながら、遠くを見つめる彼女を見て、ハルカはかつての自分を思い出していた。

 祖父のタカヒトお爺ちゃんに、52型丙に乗せてもらって、初めてナガヤの周りを飛んだとき。

 自分も、こんな反応を示していたのだろうか。

 そして、次に浮かんだのは……。

 

「お姉ちゃん……」

 

 彼女の声が聞こえ、ハルカは視線を向けた。

「ごめん、何?」

 途端、彼女は表情を曇らせた。

 

「お姉ちゃん、泣いているの?」

 

「え……」

 いわれて初めてハルカは気が付いた。自身の頬を伝う雫に。

「私、何かした?」

「そ、そんなことないよ!ただまつ毛が目に入って痛かっただけだから」

「そう、なの?」

「そうだよ、だから気にしないで。ね」

 彼女は慌てて否定した。

「……うん!」

 ミキに笑顔が戻った。

 幸い襲撃もなく、航空祭の体験搭乗は、無事に終えることができたのだった。

 

 

 

「お姉ちゃん、ありがとう!」

 元気よく手を振りながら、ミキや孤児院の子供たちは先生たちと共に帰っていった。

 ハルカも、彼女に手を振り返した。

「はあ~疲れた」

「自由に飛べないっていうのも、結構窮屈だった~」

「子供を乗せながらの空戦機動は危険。今回の周回飛行は適切な行動」

「わかっているけどさ~」

 キリエにチカはどこか不満そうにしている。

「みんなお疲れ様。帰って休んでちょうだい」

 マダムの言葉で、この日は解散となった。

 キリエたちが羽衣丸へ向かっていく一方、ハルカは愛機へ向かっていく。

 すると、突如肩を掴まれた。

 

「少しいいか?」

 

 振り向いた先には、有無を言わせない、真剣な表情をしたレオナがいた。

 ハルカは、黙ってうなずくしかなかった。

 

 

 格納庫の椅子に座ると、レオナが口を開いた。

「ミキから聞いたぞ。周回飛行中に泣いたそうだな」

「泣いたというか……、涙が流れただけというか」

「それを泣いたというんだ。彼女が心配していたぞ」

 幼い子供に心配されるとは、彼女は頭を抱えた。

「何かあったのか?」

「いえ、あくまで個人的な問題で」

 すると、レオナは目を細め、顔を近づけてきた。

「個人的な問題、そういえば問い詰められないとでも思ったか?」

「それ以上踏み込まないでという意味ですが……」

 さらに顔が近づいてくる。

「君の場合、踏み込まないと危険なんだ。君の大丈夫が信用できないようにな」

 その個人的な悩みを放置した結果、彼女はエンマに自分を撃たせたり、一人で多勢の中戦い、最後は敵に撃ち殺される、などという行動をとった。

 隊長が慎重になるのも無理からぬことである。

「……それで?」

 どんな悩みなのか言え、と暗に視線で問いかけてくる。

 視線をそらそうとも、レオナの瞳は微動だにしない。

 ついにはハルカが根負けし、大きく息を吐き出した。

 

「私は、……ひどい姉だったな、と」

 

「……どういう意味だ?」

「言葉通りの意味です」

 ハルカの表情が曇る。

「今日の体験搭乗で、喜んでくれたミキを見ていて、祖父といっしょに初めて空を飛んだ日のことを思い出したんです。でも……」

 彼女は少し沈黙する。

「同時に思ったんです。私は、自分の弟や妹に、楽しい思い出の1つさえ、残してあげられなかったこと」

 病気だった母親だけではない。幼かった弟や妹を守るために、彼女は空を飛び始めた。

 彼女が家にいる時間は少なく、せいぜい夕食のときと寝る時間くらいのもの。

 甘えたかったであろう弟や妹の相手をできた時間は少なかった。

 そしてナガヤを出てウミワシ通商に入ってからは、弟と妹は寮のある学校に通うことになったので、会いにいったのは年に1度くらいのもの。

 一緒に遊んだり、何かをしたり、自分が祖父にしてもらったような空の広さや飛ぶ楽しさといった思い出1つさえ、彼らには残せなかった。

 ついにはウミワシ通商によって、母親と一緒に処分されてしまった。

「でも、ミキは喜んでいたぞ」

「ただの……、代償行為です。亡くなった弟と妹の身代わりに、彼らをしようとして……」

 ハルカだってわかっている。ミキや孤児院の子供たちは、死んだ弟や妹じゃない。

 彼らの変わりなど、この世界のどこにも存在しない。

 でも、それでも、人は清算を求める。どこかで、区切りをつけるためにも。

「それの何が問題だ?ミキや子供たちは喜んでいた。それが答えだ。純粋の善意じゃなく偽善であっても、彼らが笑顔を浮かべてくれるなら、それでいいじゃないか」

「それは……」

「それから、これは失礼な推測になるんだが……」

 レオナは一度考えるように黙り、しばらくして口を開いた。

「君は本当に、弟や妹に思い出の1つも残せなかったのか?」

「……はい」

 

「私はそうは思わないぞ。孤児院で作ってくれた料理、あれは弟たちにせがまれて作り方を覚えたんだろう?」

 

「……ええ」

「弟や妹のお願いを叶える。いいお姉さんしているんじゃないか?」

「でも、一緒に居られた時間は、短くて」

「時間の長い短いは問題じゃない。例えば、キリエのサブジーの話は聞いたか?」

「はい」

「キリエは、その爺さんと少しの間しか一緒にいなかった。それでも、時々思い出しているようだし、キリエが空を飛ぶきっかけになった。尾翼のマークも真似するほどだ」

「あのマークはそういう意味だったんですか」

「ああ。たとえ過ごせた時間が短くても、キリエは彼のことをずっと覚えている。大事な思い出としてな」

 初めて広い空を見せてもらった、大事な思い出を、今も持ち続けているのだろう。

「君と過ごした限られた時間は、きっと大事なものだったと思う。君にとっては、違うのか?」

「そんなわけないです」

「なら、それが答えなんじゃないか?」

 短い間ではあったが、一緒に居た時の弟や妹は、いつも笑顔を浮かべていた。

「過去は変えられない。君が以前いったように、時計の針は巻き戻せない。でも、これからは変えていける」

 レオナは、ハルカの頭に右手を乗せる。

「もう、亡くなった彼らに謝り続けるような、そんな生き方はしない。そう誓ったんだろう、この間」

 ナガヤにあるお墓の前で、彼女はそう言葉にした。

「はい……」

「なら、もう必要以上に考え込まないことだ。それじゃあ、先にいった彼らは、いつまでも安心できないぞ」

「……そうですね」

 先に逝った彼らに、謝るような生き方は、もうしたくない。

「それと、孤児院の院長先生からお願いなんだが」

 彼女は顔を上げる。

「時々でいいから、来てほしいそうだ。会いたがっている子もいる」

「はい、……勿論です」

 彼女は微笑んだ。

 たとえ代償行為であれ、それで笑ってくれる人がいる。

 レオナの言う通り、それでいいのかもしれない。

 それに、暗い姉など、かつての弟や妹は見たくもないだろう。

 彼らの好きだった姉で居続けたい。それが、今できることだ。

「ところで、レオナさん」

 ハルカはふと、頭に置かれた彼女の右手を指さした。

「嫌だったか?」

「嫌というか……、子供扱いですよね、これ」

 レオナはくすっと笑った。

「実際、私より年下だろう?」

「そりゃあ、そうですけど」

 彼女は頬を赤く染め、視線を逸らす。初めて見る彼女の反応に、レオナはまた笑った。

「こういうこと、あんまりしすぎない方がいいんじゃないですか?してほしい人が見ているかもしれませんよ」

「例えば?」

「ザラさん、とか?」

 先日、レオナとザラの領空を侵犯したせいで、ザラから色々されたが、その際彼女は頭をよくなでられるハルカのことを羨ましいといっていた。

「ザラにはできないな」

「なぜですか?」

「ザラと歳は同じだし、彼女は相棒っていう感じだからな。こういうことはできない」

 少しのことで彼女は満足してくれるというのに、やはり機微に疎い隊長さんにはそのあたりは期待できないのだろうか、と彼女はがっくりする。

 

「じゃあ、私にはなんでするんですか?」

 

 すると、レオナは目を丸くした。

 

「なんでだろうな」

 

「はぐらかさないでくださいよ~」

「いいだろう、嫌じゃないなら」

 レオナは、彼女を見ていて時々思うことがあった。

 かつて、一心不乱と呼ばれるほどに、空を翔けた自分。

 家族を守るため、幼いころから空を翔けたハルカ。

 彼女を見ていると、時折かつての自分を見ているような、そんな感覚にとらわれた。

 レオナはザラに出会えたが、彼女が拾われたのは空賊。

 かつて自身がザラにされたように、自分も彼女にしたかった。そうやって、かつての自分と似た彼女を少しでも救いたかった。

 ただ、それだけだ。

 確かに、やっていることは彼女が言った通り、代償や身代わりなのだろう。

 それでも、レオナは教えたかった。

 かつての自分に、目の前の彼女に。

 暗い穴倉の中でもがくことになっても、いつか自分を想ってくれる人に、いつか会える。

 確かに、いるんだよ。

 それだけの、単純だけど彼女が見落としていることを。

「まあ何はともあれ、これで死ねない理由が1つ増えたな」

「そうですね」

 自分のことを慕ってくれる人を、悲しませたくはない。

 かつて自分が味わった悲しみを、経験してほしくない。

 そのために、必ず帰ってくる。

「なら、これまでの自分の行動を省みて、今後は、いいな?」

「はい!」

 もう自暴自棄な行動はしない。ハルカは、そう思いなおした。

 そして彼女はガドールへと向け、飛び立っていった。

 

 

 なお、このやり取りをみていたザラは不機嫌となり、レオナは機嫌を直してもらうべく彼女を酒場に誘い、財布がハチの巣にされてしまったのは、この日の夜のことであった。

 

 



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おまけ短編:蒼い翼の足跡をたどって

 ある日、彼女はマダム・ルゥルゥを通じ、カイチのガデン商会のウッズ社長に
手紙を持っていく。
 手紙を受け取ったウッズは、彼女が乗っている零戦の模様に見覚えがある
ようで、以前見た機体のことを話し始める。

 彼が見たという蒼い翼の零戦とは……。


「な……」

 

 目の前で炎に包まれ、落ちていく雷電。それは紛れもなく、共にこのリノウチ空戦に参加した親友の機体だった。

 飛行機をいじくりまわすのが大好きだった親友。そんな彼が作った最高傑作という雷電が、パイロットもろとも炎に包まれ、荒野へ落ちていく。

「うそ、だろ……」

 だが、戦いの空は感傷に浸る時間を与えてはくれない。

 彼の乗る隼3型の後方に、黒い零戦52型が6機ついた。

「くそっ!」

 彼は慌てて舵を切った。

 そのあとを、零戦も追随する。

「だめだ、俺は、まだ……」

 まだ死ねない。

 偶然にも、彼は親友の最期を目の前で目撃することになってしまった。

 このことを親友の妻に、イオリに伝えなければならない。

 このことを知れば、彼女はきっと悲しむだろう。

 それでも伝えねばならない。

 もういない夫の帰りを、いつまでも待ち続けるイオリ。そんなことをさせるわけにはいかない。

 それに、夫を失った今、彼女は一人。

 親友をこの空戦につき合わせたのは、他でもない自分だ。

 なのに、ここで自分まで落ちてしまったら、イオリを一人にしてしまう。

 それだけはさせられない。

 親友をつき合せた挙句、守れなかった自分は、彼女をこの先支えていかなければならない。

 だが、そんな考えをあざ笑うかのように、彼に死神がせまる。

 後ろについた52型から放たれる機銃弾が雨のように、彼の隼を襲う。

「このままじゃ……」

 彼もあきらめかけた、そのときだった。

 後ろで金属音が響く。直後、52型が1機落ちていく。

「ん?」

 また52型が落ちていく。

 後ろから飛来した機銃弾は彼の隼を撃たず、彼を落とそうとする52型を狙いすましたように次々落としていく。

 最後の1機が落ちていくのを確認した直後、彼の隼の横を1機の零戦が横切っていく。

 

 暗い青色に塗られた主翼を上下に軽く振りながら去っていく零戦52型丙を、彼は見送ったのだった。

 

 

 

 

「……長。ウッズ社長!」

 

 カイチのガデン商会社長、ウッズは自分を呼ぶ少し高い声にイライラを感じながらも、重くなったまぶたをあげる。

「もう、いつ襲撃があるのかわからないのに、社長自らが寝ないでください!」

「ユーカか。いつから寝ていた?」

「もう1時間前ですよ!」

 ウッズはあくびをかみ殺しながら、重い体を動かす。

 

―――今更、思い出すとはな。

 

 彼はかつて、イジツ最大規模と言われた空戦、リノウチ大空戦に参加した。自分を放っておけないと参戦を決めた、親友と共に。

 でも、フタを開ければ自分は生き残り、親友は目の前で撃墜された。

 髪は彼の頭から消えても、当時見た光景が、ウッズの頭から消えることはなかった。

 

 今彼らは、飛行船の用心棒としての依頼を遂行していた。

 運び屋の業界では、ラハマのオウニ商会と名を連ねるほどに有名な、カイチのガデン商会。一応飛行船も保有しており、今回も飛行船での輸送を行っている。

 ただし、資金が潤沢で商売人として交渉力にたけているオウニ商会に比べれば、使用回数は限られ、どちらかと言えば飛行機や輸送機による配達が多い。

 それでも、ユーカたちハルカゼ飛行隊に経験を積ませる意味で、今回彼女たちを連れてきたのだ。

「飛行船の襲撃はいつあるかわからないが、接近があれば警報がなる。休めるときに休むのも仕事のうちだ」

「あー!そうやって自分の居眠りは間違ってないんだって言い訳する気ですね!」

「言い訳じゃねえ。社長としての助言だ」

「職権乱用だあ!」

「ユーカ……、そんな言葉をどこで覚えてきた」

 ウッズに食って掛かるのは、金色の短い髪を揺らす。まだ幼さの残る子供。

 ハルカゼ飛行隊隊長のユーカ。

 あのラハマの孤児院出身で、先輩にあたるコトブキ飛行隊隊長のレオナに憧れ、こうやって飛行隊を作った。

 彼女は、どこまでも前向きで勢いがある。例え相手が社長であろうとも、彼女は引かない。

「どこでもいいじゃないですか?この居眠り社長」

「はあ~。わるかった、お手本の社長が居眠りして」

「いえ!社長はきっと疲れていたんですよ!少しなら、しょうがないですよ~」

「……全く、お前と話しているとどうも調子狂うな」

 

「……ハゲ社長」

 

「あ!今なんか言ったかユーカ!」

 ハゲという言葉に敏感に反応、もとい本当に頭が綺麗にはげているウッズは咆哮を上げる。

「申し訳ありません社長、ユーカもほら、なにもいってないわよね?」

 そう言いつつ、ユーカの首に腕をかけてじわじわ締め上げるのは、桃色の髪の少し年上のお姉さんのベル。

 見た目に反しその怪力ぶりはすさまじく、手加減しているはずなのに、ユーカの顔が次第に青くなってきた。

「ちょ!ちょっとベル!そこまでそこまで!ユーカが死にそうよ!」

 ハルカゼの副隊長、長い黒髪にその歳にしては凛々しい表情のエリカが慌てて止めに入る。

 ようやく解放されたユーカはその場に膝をついた。

「……はあ、雲の上に登っていきそうだった」

「帰ってこれてよかったわね」

 そんな一幕が繰り広げられる一方、他のハルカゼのメンバーのアカリ、ガーベラ、ダリアの3人は窓から眼下の風景を眺め続けている。

 平穏なのか、騒がしいのかよくわからない。ウッズは頭をかく。

 

―――つっても、まだまだ子供か……。

 

 でも、子供であれ老人であれ、空や荒野は手加減をしてくれない。

 空を飛ぶことが彼女たちの望みならば、本人たちのしたいようにさせるのが一番だ。

 少しじゃじゃ馬だとは思うが。

 

 先日の、ウッズの甥のサカキの一件で、それまで多くの仕事をこなしてきたヤマカゼ飛行隊は、現在活動できない状況にある。

 甥のサカキは飛行隊を抜け、他にもやめたものがいるため、欠員が多く飛行隊として成立しない。

 他に予備隊はあるが、彼らもまだ飛行隊とするには早い。

 結局、ハルカゼ飛行隊に経験を積ませるのが一番確実な方法だった。

 

―――しっかし、大丈夫だろうか。

 

 ウッズは、内心は不安だった。

 彼女たちは飛行船の用心棒を、途中帰還した政治家の護衛をのぞき経験したことがない。

「まあ、どうせカイチまでもう少しで」

 突如、室内に警報が鳴り響いた。

「ちっ、来たか。いくぞ!てめえら!」

「はい、社長!」

 彼らは格納庫を目指し、走り出した。

 

 

 

 

 

「もう少しでカイチか」

 青空の中を目的地へ向かって飛ぶ、主翼が蒼く塗られた零戦52型丙のパイロット、ハルカは操縦席でコンパス片手に地図を広げながら目的地へ向かっていた。

 依頼を終えてラハマまで羽衣丸の護送を終え、ガドールへと帰還しようとしたら追加の依頼が入り、ラハマにしばし留め置かれた。

 その間、ユーリア議員から連絡が毎日入り、ときにはマダムに直接、いい加減彼女を返しなさい、と苦情がいくこともあった。

 もっとも、ハルカはあくまで共有という形をとっているので、ユーリア議員が一方的に返却要求をすることはできない、報酬は払っているし賠償金の請求もある、とマダムは返しどこ吹く風だったが。

 そしてようやく依頼が終わり、ガドールへと帰還しようとしたら、またもマダムから依頼が入った。

 マダムから渡されたのは、1通の手紙だった。

『ハリマ評議会、ホナミ議員からの依頼よ。この手紙を届けてほしいの』

『はい。それで、誰に?』

 マダムは微笑みを浮かべながら言った。

『カイチにある運び屋、ガデン商会の社長、ウッズという人物よ』

 ガデン商会といえば、運び屋の業界ではオウニ商会と並ぶ有名な商会の1つ。

 特に食品の輸送が多く、飛行機で運べる少量の配達から、飛行船を使った大量輸送まで請け負うという。

『どんな人物なんですか?外見の特徴を教えてほしいんですが』

 マダムは、ガデン商会のマークを教えてくれたが、ウッズの写真はないといった。

『心配しなくても、特徴的な見た目をしているから大丈夫よ』

『そんなにですか?』

 

『ええ。でも、そうね。あえていうなら、マフィアみたいな見た目しているから、わかると思うわ。あと頭がハゲている』

 

『運び屋じゃなくて、マフィアの間違いじゃないんですか?』

『それはないわよ。見た目はあれだけど、れっきとした同業者だから』

 マダムがこういうからには、恐らく個人的に面識があるのだろう。

『それに、ホナミ議員がマフィアと繋がっていて、あなたに依頼するなんてこと、考えられる?』

『それを言われると……』

 先日、身内だとわかったハリマ評議会のホナミ議員。

 ハルカの母親の妹で、彼女からすれば叔母にあたる人物。

 ラハマで自分を雇うと言った際にはどうしてかと思ったが、彼女からすれば姉の忘れ形見が生きていたわけだ。

 雇い主になったのも、きっとハルカのことを守るためだろう。

 そんな叔母がマフィアと繋がっているとは考えたくない。個人的にはそう感情的に考えてしまう。

『わかりました。では、さっそくカイチへ向かいます』

『お願いね』

『ただ……、ユーリア議員の説得はお願いします』

 1日1回連絡が入り、そのたびにいつ帰ってくるのか、と問い詰められているのだ。

 その原因であるマダムに、説得くらいお願いしても罰は当たらないだろう。

『お安い御用よ』

 部屋を後にしたとき、扉越しでもユーリア議員の声が受話器から響くのを、彼女は耳にした。

 

 

「もうすぐ、カイチのはずだけど」

 すると、前方の風防の先に町の建物の群れが見えてきた。

「あれかな」

 彼女は双眼鏡で滑走路の位置や周囲を見る。

「あれが滑走路だな。……ん?」

 双眼鏡の先では、戦闘機の機銃の曳光弾の光が見えた。

 視線の先では、羽衣丸のように大きな飛行船の周りで空戦が行われている。

「空賊!こんな町の近くに」

 彼女は双眼鏡で飛行船のマークを確認した。

 少し目を吊り上げたような、青色のクマのマーク。

 それは、マダムに教えてもらったガデン商会のマークだった。

「受け取り人が危ない!」

 彼女は操縦席に座りなおし、ベルトをして風防を閉めると、レバーを引いて増槽を落とす。

 そして戦闘速度へ加速し、戦闘空域へと急いだ。

 

 

 

 

「くそ、なんなんだこいつら」

 戦闘機動をしながら、ウッズは愚痴をこぼした。

 ただの空賊と思ったが、相手は戦闘機12機もの戦力で来た。

「空賊にしちゃあ、随分充実した戦力じゃねえか……」

 操縦桿を引き、左へ旋回する。

 空賊の、黄色い零戦52型もウッズのあとを追う。後方に5機。

「ユーカたちの方には7機か……」

 まだ子供で、ひな鳥ともいえるハルカゼ飛行隊だが、これでも途中で帰還したが議員の護送や、マフィアのルワイ組との戦いを切り抜けてきている。

 1機おおいだけなら問題ない。

『社長!援護に行きます!もう少し耐えてください!』

 心配したユーカの、叫ぶような声が無線から聞こえた。

「心配するな。おめえたちは、目の前の敵に集中しろ」

 ウッズは再び戦闘に集中する。悪運が強かったためか、彼はリノウチ空戦から生還できた。

 そこいらの空賊にやられるようでは、末代までの恥だ。

「いつまでも追われてばかりだと」

 機体に衝撃が走った。

 左主翼に7.7mm機銃弾が命中。燃料が漏れ、霧状に尾を引く。

 まもなく、防漏タンクのゴムが開いた穴を塞ぎ、燃料の漏洩が止まる。

「っくそ!」

 後ろには相変わらず、5機の零戦が張り付いたままだ。

 機首の7.7mm機銃が放たれ、主翼に命中しフラップが脱落する。

 さすがに焦りの色が浮かぶ。

『社長!』

 その様子が、リノウチ空戦のとき、親友が撃墜された直後のことを思い起こさせた。

 52型の機銃の銃口が、鈍く輝く。

「俺の悪運もここまでか」

 ウッズは覚悟した。

 直後、金属を機銃が撃ち抜く音が耳に入った。

「……ん」

 来るはずの衝撃が、いつまでもこない。後ろを見ると、真後ろをとっていた52型が落ちていくのが目に入った。

 ユーカたちが落としたのだろうか。

 すると、同じく後ろにいた4機のうちの2機が落とされる。

 それを見た残り2機は、その場を離脱しようと加速する。

 ウッズの隼の真横に並んだ瞬間、52型が2機とも落とされた。

「……誰だ?」

 後ろを振り返った瞬間、ウッズの隼を1機の零戦が追い抜いた。

「……なに!?」

 ウッズは驚いた。

 空賊を排除したのは、1機の零戦52型丙。

 何より驚いたのは、その機体の塗装。

 主翼が暗い青色で塗られ、その中に白色を縁取った水色の丸が描かれている。

 彼は、その機体を以前見たことがあった。

「どういうことだ……」

 驚きが彼の中で湧き上がってきた。

 かつてリノウチ空戦で、危うく撃墜されそうになった自分に迫る敵機を排除した、蒼い翼の零戦。

 

―――だが、あの機体は……。

 

 彼は知っている。その機体の迎えた結末を。

 

 そんなウッズをしり目に、零戦は空賊機へと襲い掛かっていく。

「な、なに!なんなの、この零戦!」

「敵?味方?どっちなのさ、ユーカ!社長!」

「でも、すっごく強いよ!」

「お前たち、すぐその場を離れろ!」

 ウッズは無線に向かって叫んだ。

「……死にたくなかったら、な」

 ハルカゼ飛行隊の隼はその場を離れ、ウッズの周りに集まる。

 一方、蒼い翼の零戦は空賊機を次々落としていく。

 逃げようとする空賊の背後につき。機銃で主翼付け根まわりを確実に撃ち抜いていく。

 最後の2機になると、空賊は急降下して離脱しようとする。

 それを52型丙は追う。

 急降下速度で敵わない52型が機首を上げた瞬間、遅れて上昇に転じ、下方から3丁の機銃をまとめて発砲。2機まとめて撃墜した。

 空賊機を全て排除し終わると、零戦がウッズたち目指して向かってくる。

「ひょえ~、こっちに来る!」

 悲鳴を上げるハルカゼ飛行隊のダリア。全員が身構えた。

 すると、零戦は着陸脚を下ろして主翼を上下に振った。

「交戦の意志なし、か……」

 間もなく、無線からノイズと声が聞こえてきた。

『こちら、ガドール評議会護衛隊のものです。ガデン商会の方、ですよね?』

「こちらガデン商会社長、ウッズだ。先ほどの援護には感謝するが、貴様の目的を知りたい」

『ハリマ評議会のホナミ議員の使いとしてきました。ウッズ社長に届け物があります』

 

―――ハリマ評議会?何で俺に……。

 

「……わかった。要件は着陸してから聞く。ことのついでといっちゃあなんだが、カイチまで護衛を頼む」

『承知しました』

 零戦が旋回し、ウッズの隣に並ぶ。

 

―――こいつが噂の……。

 

 ウッズも噂は耳にしていた。

 運び屋たちの間で噂された、悪魔と呼ばれた零戦。

 主翼が蒼く塗られているのが特徴で、悪魔のように強い。だから、その機体に襲われたらあきらめろ。

 業界内ではそう噂されていた。

 

―――そんな機体に護衛されるたあ、妙な気分だ。

 

 その後彼らは襲撃をうけることもなく、無事カイチへと降り立った。

 

 

 

 カイチの飛行場にユーカたちの隼がおり、次にウッズ社長がおり、最後に零戦が降り立った。

 ウッズは機体を格納庫前まで誘導するとエンジンを切り、機体から下りる。

 そして、同じく機体を格納庫近くまで移動させている零戦を眺める。

 間もなく零戦のプロペラが止まる。風防が開くと、中から1人の女性が下りてきた。

 彼女の姿を見て、ウッズは怪訝な表情を浮かべ、ハルカゼの隊員たちは唖然とした表情になる。

 肩の下あたりまで伸ばした黒髪に、裾に青いラインの入ったスカート、防寒用の茶色い上着の左胸には、ガドール評議会所属を示す翼のバッチをつけている。

 年齢は、ハルカゼのユーカたちより年上、コトブキ飛行隊くらいだろうか、とウッズはあたりをつける。

 

―――噂に聞いちゃいたが、随分若いパイロットだな……。

 

 彼女はウッズ社長の前にくると、かかとを揃えて背筋を伸ばし、右手を顔の右側まであげて敬礼をする。

「初めまして、ガドール評議会護衛隊所属、ハルカと申します」

「ガデン商会社長、ウッズだ」

 ウッズが名乗ると、彼女は目を丸くした。

「あなたがウッズ社長ですか。マダムの言った通り……」

 ウッズは問いかけた。

「マダムっていうと、マダム・ルゥルゥか?あいつは俺のこと、なんて言っていたんだ?」

 こういう時は、せめてオブラートに包んだものの言い方をするのが得策なのだろう。

 しかし、ハルカはレオナ曰くウゾやごまかしが下手である。

 なので彼女は……。

 

 

「マダムは、マフィアみたいな見た目をしている、と」

 

 

 素直に言ってしまった。

「……ほう」

 ウッズの背後でユーカたちが笑いをかみ殺すのに必死になっている中、彼は口端を上げ、額に青筋を浮かび上がらせながら、両手を組んで関節を鳴らし始めた。

 

「そうか、そうか。そういったのかルゥルゥは……。そんで、お前もその通りだと納得したわけか」

 

「いや、その、そういうわけでは……。まあ、言われてみれば、そうかな、と」

 墓穴を掘っていることに彼女は気づかない。

 

「納得したわけか。つまり、マフィアのような対応をお望みというわけか?」

 不自然な笑みを浮かべるウッズに、ハルカは両手を前に出して落ち着くよう仕草で示す。

「丁重にお断りさせていただきます!マフィアみたいとか思って申し訳ございません!」

 彼女が頭を下げたことで、ウッズはいつもの不愛想な表情に戻った。

「にしても、あの悪魔と言われた零戦のパイロットが、こんな若い嬢ちゃんとは驚きだ」

「よく言われます……」

「社長、この方、そんなに有名なんですか?」

 おどおどしながら、ハルカゼ飛行隊の一人、ダリアは質問する。

「逆に、お前ら知らないのか?」

「私は知っていますよ!この間、ラハマで孤児院を守ってくれた人です!」

「あ、あなたラハマの孤児院で」

「ユーカです!この社長のもとでハルカゼ飛行隊を作って、隊長してます!」

 隊長のユーカはいつもの調子で元気そうにいう。

 一方、副隊長のエリカは丁寧な物腰でお辞儀をする。

「あの時はありがとうございました。今度は、社長を守っていただいて」

「気にしないでください。恩に着せるつもりはありませんから」

「噂は聞いている……。何やら、あちこちでまたやっているみたいだな」

「あはは……。まあ色々と」

「それで社長、この方は?」

 するとウッズは表情を引き締める。

「……彼女は、蒼翼の悪魔と異名がある凄腕パイロットだ。かつては空賊にいて、俺たち運び屋の間では有名だった。蒼い翼の零戦に出会ったら……、あきらめろってな」

「ひょえええ~」

 ハルカゼ飛行隊、全員の顔が引きつった。

「つっても、今は足を洗ってガドール評議会護衛隊にいるようだな」

「ご存じでしたか……」

「運び屋連中でてめえのこと知らねえ奴などいない。まあ、こんな若い姉ちゃんとは、思わなかったがな……」

「もしかして、空賊時代の私に襲撃された経験が?」

「あったら今頃、ガデン商会はねえよ。幸い、出会わずに済んだようだ」

 ハルカはほっと胸をなでおろす。

「そんで、評議会護衛隊のエリートさんが、俺に何の用だ?」

 彼女は上着の内ポケットから封筒を取り出した。

「ハリマ評議会、ホナミ議員からです。ウッズ社長にお渡しするように、と」

「ハリマ評議会?おまえはガドール評議会護衛隊じゃないのか?」

「まあ、一応そうなんですけど……。オウニ商会のマダムや、ハリマ評議会のホナミ議員に呼ばれることもありまして……」

「ずいぶん引っ張りだこだな……。俺も一枚かませてほしいもんだ」

 言いながら、ウッズは封筒を受け取り、中身の封書に目を通した。

「これは……」

 中身を見た後、ウッズは封書を戻した。

「社長?」

 ユーカが首を傾げる。

「いい話だ。近いうちに、ハリマが交易ルートの拡大を求めて、大きな商談会を行うらしい。その招待状だ」

 彼は珍しく笑みを浮かべる。

「こんなうまい話、行かないわけにはいかねえな」

 イジツの食糧の半分を賄っているという都市、ハリマ。

 ここで作られた農産物は評判がよく、欲しがる人間は多い。

 長らく空賊被害や、自由博愛連合に加盟しなかったことで、爆撃で畑を焼かれたりなどの被害にあっていたが、ようやく航路拡大へ向けて動き出せるようになったようだ。

 これは間違いなく儲かる。商会としては、何としてもものにしたい話だった。

「では、私はこれで」

 手紙を確認したのを見ると、ハルカは回れ右をする。

「待て」

 素早くウッズは彼女の首根っこをつかみ、彼女はぐぇっと声を漏らした。

「なんですか?」

「さっきの援護の件の礼もしたい。茶の一杯くらい付き合ってくれ」

「そんな気にしなくても……」

「俺が気にするんだ」

 結局、彼女は首をたてに振るしかなかった。

 

 

 

 

「おいしい」

「だろう」

 格納庫の近くで、2人は紅茶に舌鼓をうっていた。

「今は販売休止になっているハリマ産の紅茶だ。貴重な残りでな」

「いいんですか、飲んでしまって」

「さっさと飲んじまわねえと勿体ないし、ユーカたちは味がわかる歳じゃないからな」

 ふと、ウッズはキャッキャと機体の整備をしているハルカゼのみんなから、ハルカの零戦に視線を向ける。

「ところで、1つ聞いてもいいか?」

「はい」

 ウッズは、紅茶のカップをテーブルに置く。

 

「お前の零戦、あの模様は誰かから引き継いだのか?それも真似したのか?」

 

 ふと、ハルカは口をつけようとしていた紅茶のカップから顔をあげる。

「なんで、そう思うんですか?」

 

「……俺は、あれによく似た零戦を、以前見たことがあるんだ。翼端が白かったがな」

 

「どこで、ですか?」

「……今から9年前にあった、リノウチ大空戦。あの激戦の中でだ」

 彼女は目を見開いた。

「リノウチに、参加したんですか!?」

「ああ、悪運が強かったせいか、生き残っちまってな。それと、その零戦に助けられた」

「その零戦のパイロットには、会いましたか?」

「一度だけな。俺と違って、見た目から優しそうな男だったな。髪は黒色で、細身だが鍛えられた体つきをしていた。なんでも、参加すると言ってきかなかった娘と息子を無事に家に帰すために、自分も来たんだ。そう言っていた」

 ハルカは、心臓が大きくはねた気がした。

「家には残してきた妻や幼い娘がいる。だから死ぬわけにはいかない。そう意気込んでいた。イサオの影に隠れてしまっていたが、実際それができそうと思えるほどに腕はよかったな」

 彼女は胸の動悸が収まらない。ふと、彼女は問いかけたい言葉が喉元までこみあげてくる。

 でも、その先を知りたくないという気持ちの間でせめぎ合う。

「どうかしたか?」

「あ、……いえ」

 意を決して、彼女は言った。

 

「そのパイロットと零戦は、どうなりましたか?」

 

「……翌日の空戦で、敵から集中攻撃を受けて、火だるまになって墜落した。その際に、敵機を巻き込んでな」

「そう、ですか……」

 ハルカは、見るからに表情が曇る。

 ウッズは問いかけた。

「なんで知りたがるんだ?おまえ、そのパイロットのこと知っているのか?」

「ええ……、すごく知っていますよ」

 彼女は無理に微笑みながら言った。

「だって、その零戦のパイロットは……」

 彼女が言い放った言葉に、ウッズは固まった。

 

 

「私の……、父親です」

 

 

 

 

 

 

 

『さっきは助かった』

 ウッズはその日の空戦が終わると、偶然にも助けてくれた蒼い翼の零戦のパイロットを見つけることができた。

『あ、あなたは。危なかった隼の』

 ウッズは驚いた。いい腕のパイロットとは思っていたが、おおよそ戦闘狂や腕試しで参戦したとは思えない温和そうな見た目の、やさしそうな顔をした男性だった。

『無事で何よりです』

『あ、ああ……』

『あなたは、腕試しで?それとも報奨金?あるいは、空戦好き?』

『まあ、どれも……一応当てはまるな。そういうてめえは、どれも当てはまりそうにないな』

 男性は、クスクスと笑う。

『おっしゃる通り、私はそのどれにも該当しない理由で参戦してまいますから』

『どれにも?じゃあ、なんでこんな危険な場所に?』

『私の娘と息子たちが、参戦するって聞かなくて。私は、彼らを無事に家に帰すために、参戦を決めたんです』

『……戦場に保護者かよ。変わったやつだ』

『よく言われます』

『そんなんで、大丈夫か?』

 自分で自分を守るだけでも必死なリノウチ空戦の中、自分を守りながら他人を守るというのは、並大抵のことではない。

 特にウッズは今日、親友が落とされるのを見て、自身も危うかった。

『それでも、やってみせます。家には帰りを待っている妻や、まだ幼い娘もいるんです。帰りを待ってくれている人を、悲しませたくはない』

 それが、きっと親や夫としての意地なのかもしれない。そうウッズは思った。

『まあ、確かに報奨金は魅力ですね。なんとしても、獲得したいものです』

『そうか。まあ、お互い最後まで無事だったら、またな』

 ウッズは手をふりながら、その場を後にする。

『ええ、あなたもご無事で!』

 去り際、男性はそう言った。

 

 それが、ウッズとその男性との最初で最後の出会いだった。

 

 そう意気込んだ彼も、翌日の空戦で撃墜されることになってしまったのだった。

 

 

 

 

「お前の、父親、だと……」

「はい」

 ハルカは、寂しそうな笑顔を浮かべ、頷いた。

 蒼い翼の零戦といえば、悪魔と呼ばれるハルカの機体が有名になっているが、彼女の前に似た塗装の機体が存在した。

 それこそが、彼女の父親、ミタカの零戦だった。

「そうですか……。いつまで待っても帰ってこないと思っていましたが、やっぱり、リノウチで落とされていたんですね」

 彼女は表情を曇らせる。

「ことのついでですけど、もしかして青い零戦22型や、赤い鍾馗は見ませんでしたか?」

「ああ……、見た。同じく、撃ち落されていた」

「……そうですか。お兄ちゃんと、お姉ちゃんも」

 彼女は、悲しそうな笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。私の家族の最期を教えてくれて」

 ウッズは思い起こす。

 

『私の娘と息子たちが、参戦するって聞かなくて。私は、彼らを無事に家に帰すために、参戦を決めたんです』

『それでも、やってみせます。家には、帰りを待っている妻や、まだ幼い娘もいるんです。帰りを待ってくれている人を、悲しませたくはない』

 

 彼は、そう言っていたのをハッキリ覚えている。

 変わったやつだと、当時ウッズは思った。

 ウッズは、ハルカの頭からつま先までを見る。

 彼女が、あの優男の言っていた、家に残してきた件の娘だろう。目元あたりは、確かにあの男の面影があった。今は、20歳くらいだろうか。

 9年前と言えば、彼女は本当に子供だっただろう。

 

―――こんな綺麗になった娘の姿、見られないなんてな……。

 

 それが父親にとって、どれ程残念なことであったか。察するに余りあった。

「ありがとうございます。父の、家族の最期を教えてくれて。おかげで、区切りがつけられました」

 無理に笑みを浮かべる彼女に、ウッズは手を伸ばした。

「え……」

 彼女が驚きの声を上げた。

 ウッズの伸ばした右手は、彼女の頭を撫でていた。

「……どうしたんですか?」

「いや……」

 ウッズは自身の行動に、自分でも驚いていた。

 視線をそらし、少しばかり鼻のあたりをかきながら言う。

「なんだか、こうしなきゃならんような気がしてな」

「ふふ、なんですか、それ」

 彼女はくすっと笑う。

 

 

「ああ!社長が昼間からいやらしいことしている!」

 

 

 ウッズは背後からしたユーカの大声に振り向いた。

「いやらしいくねえ!その言い方はやめろ、誤解を招くだろう!」

「社長!私たちという可愛い娘がいながら、他の女に浮気するなんて!社長、そういう趣味があったんですね!」

「どこでそんな言葉覚えてきた!そういう趣味なんてねえし、第一お前たちのことを可愛いとも、娘とも思ったことなど一度もねえよ!」

「うっそだあ!その黒眼鏡で隠していたって、目を細めて鼻の下伸ばしていること、私はしっている!」

「大声でなんてこと言いやがる!今すぐその口を縫い付けてやろうか!?」

 そんな様子をハルカは微笑みながら見つめる。

「楽しそうですね」

「……まあ、退屈はしないがな」

 ユーカの頬をつかんで左右に引っ張りながらウッズは言う。

「マダムの言う通り、見た目はマフィアみたいですけど、やさしいんですね」

「……ほめているのか、けなしているのか、どっちだ?」

「ほめているんですよ」

 ウッズはため息をはいた。ユーカもそうだが、彼女と話していると別の意味で調子がくるってきた。

 彼女には他意はないのだろう。恐らく、ウソやごまかしが苦手で、真っすぐで思ったことを口に出してしまう類の人物だとウッズはあたりをつけた。

「にしても、親子二代にわたって助けられるとは、な」

「ただの偶然ですよ。気にしないでください」

「つってもな……」

 親子二代にわたって助けられるなど、偶然とはいえ、ウッズはどうもそのまま流せなかった。

「おまえ、今誰に雇われてんだ?」

「ガドール評議会のユーリア議員、オウニ商会のマダム・ルゥルゥ、ハリマ評議会のホナミ議員の3人です」

「……本当に引っ張りだこだな」

 ウッズが驚く一方、彼女は苦笑した。

「何かの縁だ。困ったことがあったら、頼ってくれ。もし、ルゥルゥたちの所を首になったら、俺のところへ来い。いい給料で雇ってやる」

「ありがとうございます」

 ハルカは微笑んだ。

 彼女を手放すことなどないと思うが、でもこのまま流せるほど、ウッズも人でなしではなかった。

「ところでハルカさん!折角ですから、ハルカゼ飛行隊と対戦演習をしませんか!?」

 ウッズに引っ張られた頬をさすりながら、ユーカは言った。

「対戦演習?」

「ええ!先輩の噂は、かねがね伺っております!その先輩の腕を、ぜひぜひ拝見したいと思いまして!」

「いいよ。全員でかかっておいで」

「本当に!いいんですか!?」

「ちょっと、ユーカ。流石に全員では」

「ちょっと、卑怯な気が……」

 喜ぶユーカに対し、エリカとダリアは少し気が進まない様子。全員でこいということは、1機対6機の対戦になり、普通に考えればハルカに勝ち目はない。

「気にしない気にしない。先輩の胸を借りるつもりで、全員で来ていいよ」

 だが彼女には気にした様子がない。

「随分な自信だな……」

「勝つ気満々ね」

「ガーベラは何でもいいよ~」

 一方、アカリ、ベル、ガーベラに気にした様子はない。

「やめとけ、一方的に負けるのが関の山だぞ?」

 いくらマフィアのルワイ組を退け、スズロカの議員の護衛を途中までやったとはいえ、まだ飛行隊としても、戦闘機乗りとしてもハルカゼ飛行隊は日が浅い。

 一方、ハルカはあちこちでその名が知られている凄腕。

 ウッズは、演習の結果を容易に察することができた。

「じゃあ、さっそく始めましょう!みんな~、行くよ~」

 ウッズの声を無視し、ユーカたちは自身の隼へ向かっていく。

「悪いな、あいつらのわがままにつき合わせて」

「気にしないでください。後輩みたいで、少し嬉しいんです」

 ハルカも愛機へ足を向ける。

「ウッズ社長」

「なんだ?」

 彼女は振り向き、言った。

「話ができて、よかったです。これで私は、迷わず飛ぶことができます」

 彼女は丁寧にお辞儀をすると、小走りで零戦に向かっていった。

 

 

 機銃の弾を染料の入った演習弾に交換し、ハルカゼ飛行隊の6機の隼とハルカの零戦1機が滑走路から離陸する。

 そして両者が向かいあって進み、交差した瞬間演習開始。猟犬のような、激しい後ろの取り合いが始まった。

 ハルカの零戦の飛び方を見て、ウッズは彼女の父親と飛び方が似ているな、と頭の中で思った。

 

 帰りを待ってくれいる人がいる。だから帰らないといけない。

 

 彼女の父親はそう言っていたが、彼は結局その目標を達成することはできなかった。

 家族や、大事な人のため。そう意気込んでいた人間に限って、あの空では落とされた。

 自分を放っておけないからと参戦し、イオリを残して撃墜された、彼の親友も……。

 

 ウッズは、なぜ自分が生き残れたのか、いや、生き残ってしまったのか、ずっと問いかけてきた。

 でも、その理由の一部が、わかった気がした。

 

 イオリに、夫であった親友の最期を伝え、彼女を支えるために。

 

 ハルカに、父親たちの最期を伝え、区切りをつけさせるために。

 

 そのために、自分は残されたのかもしれない、と。

 

「まったく、ガラにもねえ。面倒な役回りだ」

 

 でも、自分が伝えた物語で、気持ちの整理をつけることができた人がいることは事実。

 そしてやり遂げなくてはいけない。親友の代わりに、イオリを支え続けること。

 もしハルカが行く当てを無くしたら、彼女の父親と彼女に救われたこの命で、せめて少しでも借りを返すこと。

 

「にしても、あんな綺麗になった娘残してくたばっちまいやがって……」

 

 彼はリノウチで自身を助けてくれたパイロット、ハルカの父親のミタカのことを思い出す。

 彼がどれほど残念がっているか、今となっては知るすべはない。

 撃墜された親友が、自分のことをどう思っているのかも。

「まあいいさ。俺がくたばってあいつらの所に行ったら、いくらでも知ることができるし、文句だっていくらでも聞いてやれる」

 ウッズは葉巻をくわえ、マッチの炎でゆっくりとあぶった。

「それまで精々、俺や、お前たちの残したものがどう生きているか、見守っていてくれ。……どこまでも広がる、この青空の上から、な」

 彼は地上で一人、静かにそういった。

 

 

 ちなみに、ハルカとハルカゼ飛行隊の対戦演習の結果は、ウッズの予想通りハルカの一方的な勝利となり、ペイント弾の一発も命中させられなかったハルカゼ飛行隊の面々は、ユーカでさえしばらく自信喪失で、数日部屋に引きこもる日々を送ったとのことだった。

 




読んで頂き、ありがとうございます。

今回の短編は、主人公がリノウチ空戦に参戦した父親の足跡、もとい結末
を聞かされる物語です。

あの空戦の生還者のキャラクターは、ウッズもしくはレオナなのですが、
劇場版を見て、レオナにそんな余裕はなさそうだし、イサオ氏のことしか
覚えていなさそうだったので、ハルカゼ飛行隊との物語を少し書いてみた
かったこともあり、ウッズ社長から伝えてもらいました。
完全なる妄想ですが……。

また不定期更新になりますが、次回もお付き合い頂ければ幸いです。


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おまけ短編:ナツオ整備班長の戦闘機解説「一式陸上攻撃機」

「全ての始まりの地で」に登場した一式陸上攻撃機の解説になります。
あまり面白みはないと思いますが、続きました。




 照明の落とされた羽衣丸の船内を、コトブキ飛行隊のキリエ、チカは静かに歩き、目的地である格納庫へと足を踏み入れる。

 そのとき、格納庫内の明かりが一斉に点灯し、一角を明るく照らした。

 そこにいたのは……。

 

 

「おう、てめえら!さぼらずよく来たな!」

 

 

 この場に2人を呼び出した張本人、ナツオ整備班長はそばに置いた黒板を拳で殴りながら言い放った。

 

 

「それじゃあ、ナツオ整備班長の戦闘機解説講座、開講だああああ!」

 

 

 ナツオ整備班長の戦闘機解説講座。その名の通り、ナツオ整備班長が戦闘機、もとい飛行機について懇切丁寧に解説してくれる講座である。

 

 

「じゃあ、飛行機乗りのくせに、飛行機のことをなんにも知らないお前たちのために、この私が特別に教育してやる!ありがたく思え!」

 

「「へ~い」」

 

「なんだあ、その気の抜けた返事は?」

「だってねえ……」

「今回私たち、本編で殆ど空戦できなかったじゃん?」

 キリエとチカは、明らかに不満そうだった。

「仕方ねえだろう?話の流れから、そうならざるをえないこともある!」

「出番は殆どレオナやキリエにナツオ班長だし!」

 チカは尚の事不満そうに言う。

「まあ、出番が増えるよう、作者に祈るこった」

「祈ってなんとかなるのかな……」

「ウオホン」

 ナツオ班長はわざとらしく咳払いする。

 

「今回解説するのは、ナガヤを爆撃しにきた機体、一式陸上攻撃機だ」

 

「あの葉巻みたいに、太い胴体の機体だよね」

「というか、これって飛龍や富嶽と同じ爆撃機じゃないの?」

「これは一式、陸上、攻撃機、であって爆、撃、機、じゃない」

「見た目飛龍とかとそっくりじゃん~」

 チカはどうも腑に落ちないらしい。

「以前彗星の解説を本筋でしたとき、ユーハング海軍の船で使う飛行機で、攻撃機と爆撃機の違いは何だった?」

「確か、攻撃機は魚雷っていう装備が使える機体、って班長言っていたような……」

 ナツオはチカの答えに微笑む。

「おおう、チカはちゃんと覚えていたな。偉いぞ」

「えっへん」

 薄い胸をはるチカ。そんな彼女を見て、キリエは口を尖らせる。

「攻撃機っていうのは、水の中を進んで、船の横っ腹に大穴あける魚雷を使える機体だ。そして爆撃機は、爆弾を運用し、急降下爆撃ができる機体。一式陸攻は、見た目は爆撃機だが、魚雷を抱えて敵の船を沈めることを主目的に開発された。だから、攻撃機なんだ」

「何それ紛らわしい……」

 ふと、キリエが右手をあげた。

「班長、ハルカの乗っている零戦や、エリート興業の彗星とか、艦上っていうのは船の上で使うから艦上なんだよね」

「ああ、その通りだ。まあ、ハルカの52型丙は艦上機と名はついているが、実際は艦上での使用はあまり考慮されていない」

「そうなの?まあ、海軍っていうからには、海が戦う場所なんだよね?」

「ああ。海軍の戦場は海で、主な仕事は大砲をのっけた船で敵の船と撃ち合うことが、一番連想しやすいだろうな」

「なのにさ、なんで一式、陸上、攻撃機なんて陸上基地の、まして双発機が必要だったわけ?」

 

「それは、当時のユーハングの海軍の作戦が関係しているんだ」

 

「「作戦?」」

 

「当時の海軍の作戦は、漸減邀撃作戦を実施することを想定して、戦力を整えていたんだ」

 

「漸減……」

「邀撃、作戦……?」

「簡単に言うと、敵さんの船が沢山やってきたら、潜水艦や陸上基地の航空機でまず攻撃して数を減らし、そして最終決戦で海軍の主力の船をぶつける、という作戦だ」

「なんでそんな面倒なことするわけ?敵さんと同じ数の船をぶつければいいじゃん?」

「それができれば苦労はしねえ。当時は戦争が終わって、世界が軍備拡張競争に走らないよう、持っていい船の数を世界で話し合って決めたんだ。その結果、ユーハングは想定する敵さんより、少ない船しか持てないことが決められた」

「何それ!それならみんな同じ数にすればいいじゃん!?」

「国同士の力関係っていうのもあるんだ。まあ何はともあれ、こんな不平等な約束のせいで、ユーハングは敵さんと同じような数の船はもてなくなった。でも戦争になればなんとか勝つための手を考えなければならない。その苦肉の策として考え出されたのが、漸減邀撃作戦。船の持てる数が制限されたから、足りない戦力を飛行機や潜水艦などで補おうとした。そのために海軍は、魚雷を運用でき、長い航続距離と、敵戦闘機を振り切れる早い速度をもった飛行機が必要になった。それが、陸上攻撃機誕生の理由だ」

「ほう~」

「そんでいくつか試作機や失敗を経てつくられたのが、一式陸攻の前任、九六式陸上攻撃機だ」

 ナツオ班長は黒板に写真をはりつける。

「なんか丸くてかわいいね」

「尾翼が変わった形しているね」

「双垂直尾翼っていうんだ。見た目は少し丸っこいが、九六式は優秀だった。長い航続距離に早い速度。実際、当時行われた防空演習で、ユーハング戦闘機が追いつけなかったほどだ」

「え!こんな大きい攻撃機なのに!」

「まあ、三菱の技師が頑張ったかいあって、なんとか海軍の要求をクリアできたわけだ。この結果を受けた海軍は、この九六式があれば、護衛戦闘機も防御装備も必要ない、という認識が広まり、戦闘機なんていらない、という考えまで出る始末だった」

「えええ!」

「戦闘機乗りの人々、失職しちゃったの!?」

「失職はしなかったが、人数が減らされた。そして九六式陸攻は、ユーハングから海を渡り、約1800km先の敵さんを爆撃する任務が初陣だった」

「それで活躍したの!?」

 目を輝かせるチカにキリエ。

 だがナツオ班長は言った。

 

「残念ながら、海軍の期待を背負って出撃したんだが、初陣で大損害をだした」

 

「なんで!?」

「どうして!?」

「理由は簡単だ。自国の戦闘機は振り切れても、それを超える速度を出せる敵さんの戦闘機相手に、護衛をろくにつけなかった。結果、追いつかれてハチの巣にされた。それに、防弾装備や防御火器が少なかったことが災いし、空中で敵機を追い払うことができず、撃たれて火災が多発した」

「なんか零戦でも聞いたような……」

「期待とは裏腹に大損害を出した九六式。これにショックを受けた海軍は、すぐさま後継機の開発を命じたんだ。これが、後の一式陸攻だ」

「やっと話が戻ってきた!」

 キリエは大きく息を吐き出す。

「要求は、さきの九六式をこえる速度と航続距離、そして防御の強化が主軸だった」

「まあ、そうなるよね」

「無理難題じゃなくて、順当な要求じゃないの?」

 

「ただし、ある1つの要求が大きな難題だった」

 

「どんな……」

 キリエとチカは班長の言葉を待つ。

「九六式と同じ、金星エンジンを使用することだった」

「それがそんなに問題なの?」

 キリエは首を傾げる。

「あたりまえだ!飛行機の性能は、エンジンで決まるといっていい。いくら機体を改造しようが、エンジンが変わっていないんじゃ性能の向上は見込めない。九六式より欲張った性能を求めておきながら、エンジンが変わっていないんじゃ速度を上げることはほぼ無理といっていい」

「なんでこんな要求したの?」

「一刻も早く、九六式の欠陥を改善した機体を配備するためだ。まあ、新しいエンジンが存在していなかった、というやむを得ない事情もあるんだけどな……」

「でもさ、これじゃあ九六式と同じ機体しか作れないんじゃないの?」

「三菱もこれに対し、エンジンを4つにして機体を大型化するなどの提案をしたが、当時の海軍の意見は絶対だった。後にエンジンは、出力が向上した火星が間に合ってくれたから、速度はなんとかなりそうだったが、それでも要求をクリアするのは並大抵じゃなかった」

「どうやったの?」

「九六式では機外に吊るしていた魚雷や爆弾を、彗星みたいに胴体下に設けた爆弾倉に収納できるようにした。この方が空力的に有利なんだ」

「うんうん」

 

「次に、重量がかさむ防弾装備を削った」

 

「……ん?」

 

 キリエたちは頭に疑問符を浮かべる。

「ちょっと待って!」

「なんだ?」

「九六式って、防弾装備の不備が欠陥だったんだよね?」

「そうだぞ」

「その後継機で、なんでまた防弾を削るの!?」

「それには、ちょっと事情があってな。まず、火星の実用化にめどがつくまでは、エンジンの出力向上が望めない。なら、何かを犠牲にするしかない。速度と航続距離を優先する以上、他を削るしかなかった。なけなしの防弾を施すより、機銃を尾部や機首につけるなど、この当時は速度や機銃などの防御火器の充実の方が有効と考えられたんだ」

「そりゃあ機銃が沢山あったら……」

「近づけないよね」

「そういうこと。だがそれらをクリアできても、もう一つ問題があった」

「何?」

「航続距離だ。なんせ、一式陸攻には、400km/hをこえる速度、4800kmもの航続距離が求められた」

「4800km!そんなに!」

「お尻が死んじゃう!」

「まあ、陸攻には副操縦士がいるから、交代ができる。でもこの航続距離は、本来は小型の双発ではなく、他の国ではエンジン4つの機体に求められる距離だった。長い距離と飛ぶために必要な燃料は膨大で、前任の九六式陸攻では、3700リットルもの燃料を搭載していた。実にドラム缶18本分にもなる」

「そんなに!」

「それを上回ることを求められた一式陸攻では、なお増える。だが、胴体は操縦席やら機銃やら、下部は爆弾倉があって、燃料を搭載できるスペースが小さい」

「じゃあ、どこに収めたの?」

 

「主翼の中だ」

 

「……そんなに入るの」

「九六式から使われていたインテグラルタンクで、この課題を解消したんだ」

「インテグラル?」

「タンク?」

「お前たちの乗っている隼の場合、燃料タンクは主翼の中に別途作ったタンクを入れているだろう?」

「うん」

「そうだね」

「インテグラルタンクっていうのは、主翼自体が燃料タンクだと思えばいい。主翼のスペースを有効活用できるし、外板を強く作るから主翼の強度もあがる」

「おお、いいじゃん!」

「こうやって三菱の技師が苦労して、なんとか一式陸攻は完成したんだが、大きな弱点も抱えちまった」

「……どんな?」

「さっき言ったインテグラルタンクなんだが、実は被弾に弱くてな。7.7mm機銃の弾を数発食らっただけで火災が起こるほどだった。一応防弾ゴムが側面に施されたが、効果は薄かった。後に主翼に防弾ゴムをはるということも行われているが、重量はかさむは、空気抵抗が増して速度が落ちるわ、被弾に弱いわ、散々だ」

「それは……」

「散々だね」

「緒戦では、魚雷で敵艦を沈めることができたが、敵さんの機体の性能向上が目覚ましくてな。自慢の速度で敵機を振り切ったり、機銃で敵機を追い払うという構想も、敵さんの方が戦闘機が多かったり、速度が上だったりしたせいで、陸攻は出撃のたびに損害が大きいことが珍しくなかった」

「うわ~」

「かといって、変わりの機体も用意できなかった。海軍はエンジンを4発搭載した大型機を発注していたが、いずれも失敗続き。結局、一式や九六式を使い続けるしかなかった。一式陸攻は後に二二型に改造され、インテグラルタンクへの防弾も初期の一一型よりマシになったが、それでもタンクの上面下面には防弾ができなかった。後に下面は、一応主翼に防弾ゴムを貼った。あとは消火装置も装備された」

「なんか、涙ぐましいね」

「そして、航続距離が求められなくなってきた三四型では、インテグラルタンクを廃止して、防弾タンクへ変わっている」

「結局やめたんだね……」

「まあ、無茶な要求を苦労の末クリアできたことは凄いが、敵さんの性能向上に追い抜かれ、機銃で敵を寄せ付けないという当初の目論見が破綻し、防弾をどうするかごたついている間に損害は膨らむばかり。いい機体ではあったんだがな……」

 

「そういえばさ、作中でハルカは上方から攻撃をしかけていたよね?」

 

「ああ、インテグラルタンクはさっきもいったように、上面にまでは防弾が施されなかったんだ。だから、上方から狙ったんだろうな」

 

「彼女さ、なんでそんなこと知っているの?」

 

「ハルカは、祖父が全てを教え込んだ子らしいからな。きっと、爺さんから教わったんじゃないか?」

「ハルカのお爺さんて、何者?」

「ま、後に明かされるだろう」

「教えてくれないの?」

「キリエ、これは飛行機を解説する講座であって、ネタバレを含む解説ではないんだ。ようし、今日はここまでにしてやる!またな~。歯みがけよ~」

「「へ~い」」

 




アニメで登場した爆撃機といえば、彗星、飛龍、富嶽ですね。
できれば連山とかも見たかった……。

イジツは海がない荒野が広がる世界。そう考えると、本来魚雷で敵を沈めるのが主目的の陸上攻撃機の登場は厳しかったのかもしれません。

ここまで読んで下さった方々、ありがとうございました。
また不定期更新になりますが、次の章もお付き合い頂けたら幸いです。


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おまけ短編:再び言えたこの言葉を

緑や水に恵まれ、イジツ最大の食糧生産都市となったハリマ。
その中にあるとある家の中で老人が頭を抱えて唸っている。

彼が頭を抱えているその内容とは……。

名前だけ登場しているキャラのストーリーを書いてみました。


 どこまでもつづく、土色の荒野が広がる世界、イジツ。

 そんな世界に異変が起きたのは、70年以上前のこと。

 この世界に突如として開いた穴を通ってやってきた、ユーハングという異邦人たちがもたらした、空を飛ぶ技術。

 それにより空の航路が発達し、飛ぶことが珍しくなくなった世界。航路を使って人々に恵を届ける人々もいれば、それを奪おうとする無法ものたちもいる。

 今日も少ない資源の奪い合いが世界のどこかで起きているが、それでも日々を人々はなんとか生きている。

 荒野の中には、鳥が羽を休めるために、人々の生存を拒む荒野から身を守るために、オアシスのように町が多数点在している。

 そんな町の中で、豊富な緑、広大な畑、水の都ドルハに並ぶ水源に恵まれた、イジツ最大の食料生産都市ハリマ。

 人々の住む居住区よりも、畑や放牧地の方が圧倒的に広い面積を誇るため、最低でも自転車、日常的には車やトラックでの移動が珍しくない変わった都市。

 秩序のとれたアレシマのような都市とは対照的に、畑の中に家々が点在する、田舎の田園風景が広がる。

 そんな風景の広がる都市の一角にあるとある家の中で、なにやら老人が頭を抱え、あれでもない、これでもないと、両手で頭を抱えて唸っている。

 老人という年のためか、頭を覆う黒髪には白髪が混じっているが、その男性は年齢の割に肌の皺が少なく、体の所々には鍛えられた様子がうかがえる。

 また顎や鼻の下のヒゲは綺麗に剃られ、着ているのは皺のないシャツや高級そうなスーツなど、身だしなみはしっかりしているのがうかがえる。

 高級そうな服装などにくらべ、彼のいる部屋は広いが、高そうな調度品などはとくになく、本棚や机、いすはありふれた簡素なものだった。

 この部屋の主の男性こそ、このハリマの方針を決める評議会の議長をつとめる、名をカスガという。

 

「はあ~」

 

 カスガは、余程大きな難題を抱えているのか、先ほどから頭を抱えて唸ったり、ため息を吐き出したりを繰り返している。

 

「あなた、お茶が入ったわよ~」

 

 ノックもなしに入ってきたのは、同じく老齢の女性。

 白髪交じりの年齢だが、浮かべる微笑みは優美さや温かさを感じさせる。

 カスガの妻で、現職のハリマの市長。名をシズネという。

 ハリマのトップとその次の人間が同じ場所にいるという、ある意味凄い光景ではあるが、私生活でのことなので本人たちは普通にしている。

 シズネはお茶を入れた湯飲みをのせたお盆をもってカスガに歩み寄り、お茶の湯飲みを静かに置いた。

 だが、彼が気づいた様子はない。

 相も変わらず、頭を抱えて唸っている。

 シズネは周りを見る。

 ふと目についたのは、彼の部屋の壁にかけられた暦を示すカレンダー。

 今は4月になったばかりだが、11日を示す日付に赤い丸印がつけられている。

 ついで、どんな議会の難題に頭を抱えているのかと思いきや、カスガの机に広げられているのは、各都市で売られているものの広告や雑誌の類が殆どだ。

 しかも、女性向けの。

 そして、机の片隅に置かれているのは、アレシマで発行された新聞。

 ガドール評議会評議員のユーリア議員と、彼らの娘、ハリマ評議会のホナミ議員が襲撃にあった件が一面をかざっている。

 それらを見て、シズネは彼が何に頭を抱えているのかを察した。

 ここ数週間にわたって、ずっと彼は同じことに頭を抱えている。

「ん?ああ、シズネか。どうかしたのか?」

 ようやく妻の存在に気付いた夫に、彼女は苦笑する。

「いえ、まだ悩んでいるの?」

 カスガは、ばつが悪そうに視線をそらした。

「ああ……」

 この問題は、今のカスガにとっては、議会のどんな議題よりも困難なものだった。

 彼が数週間にわたって悩み続けるほどの議題。それは……。

 

「孫に……、ハルカに贈り物をしたいが、何がいいのか、決められなくて」

 

 

 

 

 カスガの机に置かれている新聞は、アレシマでおこった現職の議員の襲撃事件について書かれている。

 無論、カスガもシズネも、自身の娘のホナミ議員が無事だったことに安堵したが、一緒に写っている人物を見て、2人は当時悲鳴を上げそうになったという。

 ユーリア議員とホナミ議員の間に写る女性。

 防寒用の茶色いジャケットに、黒色のシャツ、裾の方に青いラインの入った白色のスカートを身に着けた、肩の下あたりまで黒髪を伸ばした女性。

 背後に駐機されている、蒼い翼の零戦のパイロット。名をハルカという。

 彼女はホナミ議員の姉、アスカという人物の生んだ子供の一人で、ホナミ議員にとっては姪、カスガとシズネにとっては、現在まで生き残っている、ただ一人孫と呼べる女性。

 最後にあったのは10年近く前の、リノウチ空戦の少し前。

 あの空戦で父と姉と兄を失った彼女は、用心棒などの飛ぶ仕事で家族を支えていたが、母親が病気になったことでもっと稼げる仕事を探して、故郷のナガヤを出て行ってしまった。

 以降消息がつかめず、母親であるアスカに手紙を出しても返事が来なくなり、音信不通となった。

 もう生きてないのではないか。そう考え、彼らはあきらめていた。

 そんな中、アレシマで発行された新聞を読んだとき、カスガは驚きのあまり飲んでいたお茶を噴き出し、椅子から転げ落ちた。

 新聞の一面に、生きている可能性は低いと考えていた孫の姿がのっていたのだから。

 まあ、最後に会ってから10年近く経過しているので、体の色々なところが成長していて同一人物だとにわかに信じがたかったが、それでも自分たちの孫だと彼らにはわかった。

 彼らの娘が、それくらいの年齢のときの姿そのままだったのだから。

 以降、カスガはハルカに会いたいと、面会の申し入れを彼女の雇い主たちにおこなっている。

 ガドール評議会のユーリア議員、ユーリア護衛隊の隊長、オウニ商会社長のマダム・ルゥルゥ、コトブキ飛行隊隊長のレオナのもとにまで手紙を送っていた。

 もっとも、いずれもいい返事はもらえていない。

 それもそのはず。

 

 彼女にあったホナミが言うには、ハルカは叔母のホナミ議員のことを覚えていなかったという。

 

 家族を守るために空を翔ける中で塗りつぶされてしまった、カスガたちとの思い出。

 

 それに加え、彼女は少し前まで空賊で、挙句その空賊によって残っていた母親、妹、弟までも処分されてしまった。

 どんな理由であれ、彼女はカスガとシズネの娘、ホナミの姉であった自分の母親を守れなかった。

 きっとその後ろめたさから、返事をくれないのだろうとカスガは考えた。

 彼女が心の整理をつける時間が必要だろうと、彼らは自分達から出向くことはせず、彼女が自分からきてくれる日を待つことにした。

 だが、カスガはやはり会いたいという気持ちが大きくなることが耐えられなかった。

 

 生きていてくれた、最後の孫。

 

 一目でもいい。会いたい、会わせて欲しい。そう祈るのは、無理からぬことだった。

 

 そして近づいてきた、4月11日。

 

 この日は、ハルカの誕生日だ。

 

 心の整理がつかなくて会いにきてくれなくても、せめて贈り物くらいはしたい。

 彼はそう考え、何がいいかを考えた。

 

 そして3週間がすぎ、未だ答えはでていない。

 

 残り、約9日である。

 

 

「そこで相談なんだが、シズネ」

 カスガ議長は表情を引き締める。

 

「君は、何がいいと思う?」

 

「そうですね……」

 神妙な面持ちになるシズネ市長。すると、笑みを浮かべ、彼女は言い放った。

 

 

「いっそ、トランクに札束を詰めておくったらどうかしら?」

 

 

 カスガ議長は机に顔を打ち付けた。

 あまりに勢いよく打ち付けたのか少し震えているが、そんな彼をシズネは楽しそうに笑みを浮かべながら眺める。

 そして彼は勢いよく顔をあげた。

 

 

「祖父が孫に送る贈り物が、そんな味もそっけもないものであっていいはずがなかろうがあああ!」

 

 

「でも誰もかれもが欲しくてしかたがないものかつ、得するものなんだから受け取らないことはないでしょう?」

 

「間違っていないが、そうじゃない!だいたい、あの子がそんな現金な子だと思うのか!?」

 

「現金だけに。……っくす」

 

「やかましい!」

 必死なカスガに対し、シズネは楽しそうに笑いこける。

「なら、服とかどうですか?」

「服の好みや大きさがわからない……」

「食べ物は?」

「食の好みがわからない……」

「じゃあ、いっそ飛行機とかは?」

「彼女にはタカヒト君の残した相棒がいる。送られても困るだけだろう?」

「なら、やっぱり現金で」

「金から離れんか!?」

 

 

「ただいま~」

 

 

 玄関の方から声がしたかと思えば、部屋に入ってきたのは銀縁の眼鏡をかけ、短い茶色の髪を揺らす女性。

「あらホナミ、お帰りなさい」

 彼らの娘、ホナミ議員だった。

 

「ホナミーーー!」

 

 カスガは椅子から立ち上がると、娘に抱き着いた。

「ちょ!お父さん、どうしたの!?」

 カスガは娘に抱き着き、涙を流しながらお腹に頬ずりをするという奇行に及んでいる。

 これが評議会の重鎮と言われる人物の姿なのだから、私人と仕事人の顔が一致するかどうかはわからないものである。

 幸いだったのは、ここが自宅ということ。この瞬間を見られたら、支持者はさぞ蔑んだ目線を向けることだろう。

「実は、ちょ~っと難しい問題に頭を抱えていてね~」

「難しい問題?」

 シズネは、カスガの机に置かれた新聞と、カレンダーを指さした。

「ああ……」

 それでホナミは察したようで、とりあえず父親を引きはがした。

 

 

 

 

「孫のハルカに贈り物ね~」

 ハリマ産のお茶に舌鼓を打ちながら、親子3人は一息つく。

「そうだ。ホナミはもう彼女にあっているんだろう?なら何かヒントになるものを知らないか?」

 偶然とはいえ、ホナミはハルカにもう会っている。

 何か知っているかもと望みを抱くも、娘は首を左右に振った。

「残念だけど、そういった話をまだ彼女とはできていないの。そもそも物欲が存在しているかすら怪しいと思うわ」

 ユーリア曰く、ハルカに個室は与えているが、半ば寝に帰るだけだの、物置としての役割しか果たしていない状態で、特に私物が置かれているわけでもなく、殺風景だという。

 それは、部屋の主であるハルカが、死に場所を求めて彷徨っていたことが原因だろう。

 死に場所を探すのに、余分なものは少ないほうがいい。

 もっとも、この間姉の墓前で一緒に生きて欲しいとホナミが告げ、彼女もそれを受け入れたので今後は変わってほしいものだが。

 

「そうか……。ならホナミ、君は何がいいと思う?」

 

「そうね~」

 彼女はしばし神妙な面持ちで思考する。そして、言い放った。

 

 

「なら、小遣いとして札束をケースに入れて送ったら?」

 

 

 カスガはまたもやテーブルに顔を打ち付けた。

「お前たちは金の亡者か!母娘そろって同じことを言ってからに!」

「だって、みんなが欲しがるものだし、受け取りを拒む人なんていないでしょう?」

「理由まで同じか!母娘だからって、そこまで似るものなのか!?」

「だって、あなたたちの娘ですから」

「やかましい!」

 ホナミはため息を吐き出し、また笑みを浮かべながら言った。

「あの子に最後にあったのはもう10年近く前でしょう?それだけ経過していれば、色々変わるわよ。そんな中、彼女が好きなものを送りたいなんて、議会の議題より難解じゃない?」

「……だからこうして頭をひねっておる」

 カスガは、テーブルの片隅に置かれたアレシマの新聞を見つめる。

 最後にあったときはまだ小さく、小柄で抱き上げることもできる女の子だった彼女。

 それから時が流れ、背は伸びて、母親に似てきて、色んな所が丸みを帯びて、すっかり女の子から女性の体になりつつある。

「私たちが知っているのは、まだ幼かったときのハルカよ。今の彼女を、私たちは何もしらない。だから、一緒に生きて欲しい。生きて、お互いを知っていきたいんでしょう?」

「それはそうだが……」

 それでも可愛い孫に何かしたい、そう譲らない父親に苦笑する。

「そもそも、お父さんはなんで彼女に贈り物を?」

 

 

「アスカたちがいなくなってしまったのは残念だが、それでもあの子だけは生きていてくれた。あの子が苦しかったとき、私たちは手を差し伸べることができなかった。それでも、ハルカは私たちの娘で、そなたの姉を守ろうと必死になってくれた。この世に生まれ、今日まで生きていてくれた。私たちの家族を守ろうと、必死になってくれた。そんな孫のことを、祝わない祖父がどこにいる」

 

 

 本当に、孫のことが気になって仕方がないのだと、2人は思う。

 だが実際、今の彼女のことは何も知らない。そんな中彼女の好きなものを選ぶのは、夜に月明りもない中で、敵機を撃ち落とすのと同じくらい難しい。

「あ、そうだ」

 ホナミは何かを思いついた。

「それじゃあ、良い贈り物があるじゃない?」

「なんだ!?」

 身を乗り出すカスガに、ホナミは言った。

「これからを共に歩んでいってほしい彼女に、良い贈り物が、ね」

 

 

 

 

 

 

 

「これは誤配、これは議員あて」

 今日この日も、ハルカはユーリアのもとで職務に励む。

 まずは、部屋に届けられた書類や荷物の仕分けを始める。

「ハルカ」

 ふと、ユーリアが小包を差し出してくる。

「今からあなたの部屋にいって、これを開けてきなさい」

「なんで、ですか?」

 すると、ユーリアは小声で言った。

「差出人が差出人だからよ」

 彼女は首を傾げながらも小包を受け取り、自室へと向かった。

 荷ほどきもしていない荷物が部屋のすみに積まれている、半ば物置と化している自室へ入ってドアを閉めると、彼女は部屋の片隅に置かれている机から椅子を引き出して座る。

 机に小包を置いて、差出人の名前を確認すると、彼女は目を見開いた。

 

「カスガ、さん……」

 

 そこには、彼女の母方の祖父の名が書かれていた。

 先日、ナガヤの墓地で明かされた、ホナミ議員と自分との関係。その際、彼女はハルカに、会いたがっている人がいると言っていた。

 後に聞いたところ、それはホナミ議員の両親だという。つまり、ハルカの母方の祖父母にあたる。

 聞くところによると、2人ともハリマで要職についているという。母方にはまだ存命な人がいたのだと、彼女はこのとき知った。

 

 以前は、ハルカは会いたくないと思っていた。正確には、会うべきではない、と。

 

 どんな理由であれ、彼女は母親を、彼らの大事な家族を守ることができなかった。おまけに、空賊になって悪事を働いていた孫などに会いたくはないだろうと。

 だが、ホナミ議員が説明したところ、大変な時期に手を差し伸べられなかった自分達にも責任があると、彼らは言ったそうだ。

 自分の過去をしってなお、会いたがってくれている。でも、それでも心の整理はまだついていなくて、ハルカは行くと言えなかった。

 そんな祖父からの届け物とはなんだろうか。

 彼女は疑問符を頭に浮かべながら、包装をといていく。

 すると中から、1冊のファイルのようなものが出てきた。

 

「アルバム?」

 

 中には、写真を入れるページが入った、いわゆるアルバムが出てきた。

 開けてみると、最初のページには4枚の写真が入っていた。

 リノウチ空戦前に家族全員で撮ったものと、母親と撮った最後の写真。

 あと2枚は、ハルカが持っていないものだった。

 1枚は、年を取った男性が2人一緒に写っていて、幼き日のハルカが肩車されているもの。

 1人は細身の体型で、白髪交じりの髪にアゴヒゲを少し生やして、照れ臭そうに笑みを浮かべている。

 照れ臭そうに写っている男性は、彼女の父方の祖父、タカヒトお爺ちゃん。

 そして自身を肩車してくれている、嬉しそうに笑顔を浮かべている男性は、高そうな服装を着こなし、ヒゲもそって身綺麗にしている。こちらがカスガさんだと、彼女にはわかった。

 これは、ハリマに行ったときに撮ったものだと彼女は思い出した。

 そして次の1枚は、カスガさんともう一人女性が写っている。同じように白髪が混じってはいるが、温和そうな笑みを浮かべている女性。

 この方がシズネさんだろうか。

 彼女は日々を翔ける中で、いつしか彼らの顔が思い出せなくなった。

 ページをめくると、先日のアレシマの件で一面に載った、ユーリア議員、ホナミ議員と一緒に写る写真が入っていた。

 だが、以降には何も入っていない。

 彼女は、箱の底に封筒が入っているのに気づき、封をあけた。

 中に入っていた便箋には、達筆な字でこう書かれている。

 

 

『4月11日。10年ぶりぐらいになるが、この日に再びこの言葉を言えることを、私は嬉しく思う』

 

 

『誕生日おめでとう、ハルカ』

 

 

「カスガさん……」

 

 

『心の整理がついたらでいいから、顔を見せに来て欲しい。

 私たちは君を、いつまでも待っている。

 そしてこれからを、私たちと共に、歩んでほしい』

 

 

 便箋にはそう書かれていた。

 自分でも忘れていた、カスガさんやシズネさんとの思い出。

 もう全て無くしてしまった、自分は空っぽだと、かつては思った。

 でも、なくしてなどなかった。

 今もこうして、自分のことを覚えていて、会いたがってくれている人がいる。

 

 そしてこれからを、共に歩き、残りのページを埋めていこうと。

 

 その願いを込めて、このアルバムを誕生日に送ってくれたのだろう。

 自分でももう誕生日など忘れてしまっていたが、久しぶりに受け取った贈り物に、彼女は胸の中が温かくなるのを感じる。

 

 何を戸惑う必要がある。

 

 こんなに会いたがってくれている人がいる。

 

 なら、会いにいけばいいじゃないか、と。

 

 彼女はそう思った。

「確か、近いうちにハリマで商談会があるっていっていたな……」

 ウッズ社長に持っていった手紙は、中身はハリマが行うという商談会への招待状だった。恐らくオウニ商会にも同じものが行っているはずだし、ユーリア議員も久しぶりに議長たちに会いに行くと言っていた。

 その時に、会いに行こうと彼女は決めた。

 その日の仕事が終わると、彼女は便箋と封筒を取り出し、贈り物のお礼を兼ねた手紙を書き始めた。

 自分に歩み寄ってくれた彼らに、今度は自分から、歩み寄るために。

 だが久しぶりに送る祖父への手紙に、お礼以外にどんな内容を書こうか。彼女は頭を抱え、カスガと同じように唸り始めたのだった。

 

 後日、結局お礼の内容だけを書いた手紙を送ったところ、受け取ったカスガが喜びのあまり、奇声を放つ様が目撃されたとかなんとか……。

 




読んでいただき、ありがとうございました。


次の章の執筆が中々進まず、いつの間にか短編を書いていました。

不定期更新になりますので、気長に待っていただけると幸いです。


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おまけ短編:口は災いの……

ある日、コトブキ飛行隊のキリエは大好きなパンケーキを
前にため息を吐いていた。
彼女がため息を吐いていた理由とは……。


今回はギャグ要素が大部分を占めておりますので、
気楽に読んで頂ければと思います。



 どこまでも広がる青い空、流れる白い雲、頬を撫でるそよ風。

 それらを感じながら、照り付ける灼熱の太陽に焼かれる荒野に寝っ転がる赤いコートを着た短い黒髪の女性、コトブキ飛行隊の隊員の1人、キリエは空を見上げる。

「ああ……」

 ようやく発したのは、言葉になっていないうめき声。

 彼女は頭を憂鬱そうに動かし、左右を見る。

 彼女の周囲に転がっているのは何かの残骸と、同じコトブキ飛行隊の隊員、チカだ。

 奇妙なのは、キリエもチカもなぜか服が所々破れていたり、焦げていたりする点。

 そして周囲に転がる残骸は、角ばった骨組みや4つのタイヤから自動車であった可能性がある。

「ああ、なんでこんなことに、なっちゃったのかな……」

 彼女はつぶやく。なんでこんな状況になっているのか。彼女はその理由や原因をしっている。

 

 あの時あんなこと(・・・・・)さえ口にしなければ、そう後悔しても遅い。

 

 後悔が先に立つことはない。

 なぜキリエとチカがこんなことになっているのか、ことの始まりは数十分ほど前にさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

「……はぁ~」

 羽衣丸の一角にある食事処、ジョニーズ・サルーンでキリエは大好きなパンケーキを前にしてため息を吐いていた。

「どうしたの?」

 ジョニーズ・サルーンのウエイトレス、リリコが訝し気な視線を送る。

 するとキリエはリリコを見て、自分のある部分を見ると再びため息を吐きだした。

「……人を見てため息を吐かないでくれる?」

「あたし、思ったんだ」

「……何を?」

 

 

「……私が食べたパンケーキは、どこの栄養になっているのかなって」

 

 

「……は?」

 リリコは僅かに首を傾げる。

「だって、パンケーキってカロリー高いでしょ?」

「そうね……」

 パンケーキ(キリエ仕様)は約850キロものカロリーがある。

 女性が1日に必要とする摂取カロリーが約2000キロと言われているため、単純にパンケーキ1皿(キリエ仕様)で1日に必要なカロリーの半分近くを摂取できてしまう。

 こんなものを1日に何皿も食べるキリエが太らないのはなぜだろうとリリコや周囲は時として疑問に思うことがある。

 いくらカロリー消費が多いパイロットとはいえ。

「でもさ、いくら食べても……その」

 キリエは、自身の胸のあたりに両手を当てながら言う。

「ああ……」

 リリコはそれで察した。

 

 

「要するに、胸が大きくならないから食べたパンケーキはどこの栄養になっているんだろうってこと?」

 

 

「リリコさん口に出して言わないで~!」

 リリコは本日何度目かのため息を吐き出す。

「別にいいじゃない、着やせするんでしょう?」

「そうだけど……、でもなんか悔しくて」

「悔しい?」

「だって、空賊のアジトに潜入したときとか、あの空賊どもはザラのスタイルには目の色変えるのに、私には特に興味示さないし……」

 以前アナモグラ団のアジトに潜入した際には、ザラは勿論、一緒に潜入したハルカゼ飛行隊のベルという子にまで空賊どもは色目を使ったというのに、キリエには興味を示さなかった。

 そのことが気に入らなくて、その場で同じく興味を示されなかったハルカゼ飛行隊のアカリと口論を繰り広げることになった。

 それで空賊の注意を引くことには成功したが、キリエは納得いかなかった。

「仕方ないじゃない?ザラの方が年上だし、大人の色香ってあるもの」

「わかってはいるけど、でもなんか悔しい!」

「その体格がわかりにくくなるコートが原因なんじゃないの?服装変えてみたら?」

「でもザラみたいな格好は、ちょっと……」

 キリエには、ザラの服装を真似ることには抵抗があるらしい。

「まだ成長が完全に止まったわけじゃないでしょ?これからに期待したら?」

「これからか~……」

 彼女はため息を吐き出す。

 

 

「心配ないって」

 

 

 ふと、聞きなれた声がキリエの耳に届く。

 振り返ると、そこにはいつもの元気そうな笑みを浮かべる少女。

 背中には、少し不気味な生物のぬいぐるみを背負っている。

「バカチ?」

「いきなりバカチってなに?人が折角励ましているのに!?」

 そこにいたのは、同じくコトブキ飛行隊の隊員、最年少のチカだった。

 2人が一緒の空間にいると、馬が合うときもあれば口論や喧嘩に発展することも珍しくなく、そのたびにレオナに説教をされる羽目になる。

 キリエは気だるそうにチカに先を促した。

「……で、何が心配ないの?」

「キリエは心配しなくても、色々大きくなるって」

「なんでわかるの?」

「だってさ」

 チカは一瞬視線をキリエのある場所へ向け、言い放った。

 

 

「キリエ、最近お尻が大きくなってきたじゃんか!」

 

 

 キリエは咄嗟に両手でお尻を押さえた。

「な、なんでそのことを……」

「だってお風呂とかシャワーのとき見えるし」

「見てたの!?」

「そうでなくても、服の上からだってわかるよ。第一、パンケーキを毎日沢山食べているし」

「なるほど、食べたパンケーキは胸ではなくお尻に行っていた、と」

「む~」

 少し涙目になってキリエはチカをにらむ。

「まあ、チカにはこの悩みはわからないよね~。まだ子供だし、何より小さいしね~」

 チカはかっとなり、薄い胸を精一杯はる。

「何をいうか!キリエと違って、私の胸にはまだ可能性があるんだからね!」

「人の胸を夢も希望もないみたいにいうな!」

 いつもの有様に、リリコは黙ってことの成り行きを眺めている。

「ふふん、私はまだ成長途中だもんね。いつか、ザラやレオナみたいに」

「あ~はいはい。それはないから、ないって」

「ムカっ!ないとはなんだ!」

「だって、あの2人はコトブキの中じゃ規格外じゃん?」

「まあ、それは……」

 ふと、チカも自分の胸のあたりを眺め、ため息を吐きだした。

「ついでにいうと、マダムはもっと」

「キリエやめよう、悲しくなる……」

 上を見ればきりがない。2人はそう思ったことだろう。

「マダムはともかく、なんであの2人はあんなにスタイルいんだろう?」

「ザラは間違いなくね。でも、レオナは胸はあってもザラと違って色気ないよね」

「まあ筋トレが趣味だもん、そのようになるよ」

 鍛え上げられた筋肉質な肉体美。それはそれで需要が存在するのだろうが、キリエとチカはどうも魅力を感じないようだ。

「ふ~ん」

 ふと、キリエは考え事をする。

「エンマはさ、人並にあるよね?」

「まあ、人並くらいにはあるんじゃない?それよか、没落しても貴族らしく気品さがあるよね」

 もはや何をさしているのか、2人は聞かなかった。

「ケイトはそれより少し劣る、かな」

「服に隠れている部分が多いよね。それに、ケイトはそういったことに興味なさそうだよね」

 キリエとチカは仲間のスタイルについて分析していく。

 そういえば、身近にスタイルのいい人物がザラ以外にいた。

「ハルカはどうだろう?」

 思い浮かんだのは、時折一緒に仕事をすることがある蒼い翼の零戦のパイロット。

 なんでも、ガドール評議会護衛隊唯一の女性パイロットということもあり、見た目のよさも相まって注目を浴びているらしい。

 キリエは一緒に仕事をしたり、入浴をしたときの彼女の体型を思い出す。

「ハルカも、人並にはあるよね~」

 防寒用のジャケットに隠れているが、彼女の胸の大きさは人並か少し大きめくらいだったはず。

 だが、彼女の場合注目すべき場所はそこではない。

「ハルカはどちらかというとお尻や太ももじゃない?」

 彼女の場合は胸ではなく、むしろ肉付きのいいお尻や、短めのスカートから伸びる綺麗なラインを描く太ももが注目すべき場所である。

 その太ももの良さは評判らしく、なんでも議員の枕役を昼休みのたびにしていると聞いたし、心労がたまって睡眠不足になったレオナに膝枕をした際、彼女曰く今までで一番よかったと感想を述べていた。

 その話を聞いた際、なぜかザラの額には青筋がたっていたが。

 他にも、スカートの上からでもお尻の肉が豊かなことをキリエは彼女を見て知っている。

 本人にそれを指摘したら、「言わないでくださいよ、気にしているんですから!」とか抗議してきたのを覚えている。

「く~、ハルカめ。胸が人並以上あるのにお尻までとは贅沢な奴め~。少し分けてくれ~」

 ここにいない彼女に、キリエは少し悔しがる。

「あとは……、タミルとか?」

「タミルは疑いの余地なく大きいでしょう?」

 2人の頭に浮かんだのは、エンマの学友で古生物を研究しているタミルのこと。

 警備の仕事で一緒になることも多い彼女だが、格好は無頓着で胸元が良く見えるシャツに半ズボン。

 なので彼女のスタイルがよくわかるが、本人に気にした様子はない。

 こういうのをユーハングでは、はしたないというのだろうか。

「ザラもレオナもタミルも胸は大きい。おまけにザラはスタイルがいい!」

「羨ましいよね~」

 2人とも大きくため息を吐き出しながらカウンターに突っ伏した。

「私たちも、いつかあんなふうに……」

「なりたいよね~」

「せめて、リリコさんやマダムほどは望まなくても、もう少し……」

「これからの成長に期待するしかないっしょ?」

 またも2人はため息を吐いた。

 そんなキリエとチカにリリコは言った。

 

「これからの成長に期待できるだけマシでしょう?もう成長がとまっている人もいるもの」

 

 すると2人は顔を上げ、笑みを浮かべる。

「そうだよね~。私たちにはこれからがあるもんね」

「そうそう。これからがあるよ」

 2人はうんうんと頷く。

 そんな2人に、ある人物の顔が浮かぶ。

 

 

「成長が止まっているといえば、ナツオ班長だよね!」

 

 

「そうそう。あの外見で幼く見られがちだけど、もう大人で成長止まっているもんね」

「そうそう、あの絶壁でね」

「レオナに色気ないとかいっていたけど、班長も色気ないよね」

 2人は極力下を見ることで自分達を励まそうとした。

 そんな話題で盛り上がる2人をよそに、リリコはカウンターの奥へ引っ込んだ。

 そしてユーハングにはこんなことわざがある。

 

 噂をすれば影、と。

 

 

「へえ~、誰が絶壁だって?」

 

 

 キリエとチカは一瞬、体が凍ったように動かなかった。

 そして恐る恐る、さびた旋回機銃のようにぎこちない動きで声の方向を振り返る。

 2人は、顔面が蒼白になった。

 

 

「誰が成長が止まっているって~」

 

 

 その人物は手に愛用のイナーシャハンドルをパンパンたたきつけながら、場違いなほどの笑みを浮かべながら2人を見る。

 

 

「誰が色気がないって~」

 

 

 その人物こそ先ほどネタにしていた人物。羽衣丸の整備クルーをまとめる見た目は幼女、中身はおやじと整備クルーに噂される人物。ナツオ整備班長。

 先ほどまでの会話を、最も聞かれてはいけない人物だ。

 

「何やら楽しそうな声が聞こえると思って聞き耳を立ててみれば、あたしのことネタにしてくれやがって~」

 班長の額に青筋がたっている。間違いなく怒っている。ものすんごく怒っている。

 

「2人とも、世の中には話題にしてはいけないことがあるって、知っているか?」

 

「あ、あの班長……」

「これは、班長を悪くいったわけじゃ……」

「2人とも……」

 班長は両目とかっと見開き言った。

 

「2人とも!ケツをこっちに向けやがれ!」

 

「な、なんで!?」

 

 

「私をネタにする奴は!ケツにイナーシャハンドルぶっさしてかき回してやる!」

 

 

「「ひぃ!!」

 咄嗟にお尻を押さえる2人。

 そんな2人に、班長はにじり寄ってくる。しかも班長の背後には整備クルーが数人いて、彼らは横並びになって次第に包囲の輪を狭めてくる。

 本気だ。本気で班長は……。

 2人は状況を整理する。

 背後にはカウンターと壁。正面には班長と整備クルーたち。

 逃げ場はなかった。

「さあ、おとなしく」

「捕まってたまるか!」

 キリエは立ち上がると、カウンターに上り、上に向かって飛び上がった。

「な!」

 キリエは飛び上がった先にある手すりをつかむと体を持ち上げ、キャットウォークによじ登った。

 第2羽衣丸も、羽衣丸同様ジョニーズ・サルーンの上にはキャットウォークが存在する。かつて、羽衣丸に空賊が押し入った際、キリエはレオナと共に潜入しジョニーズ・サルーンに閉じ込められた船員たちを解放、空賊を撃退した。

 そのときの逆のことを行い、脱出経路に活用したのだ。

 高所に上ると、赤いコートの中が見えるが、チカと違いキリエはインナーを着ているため問題はない。

「じゃあね~」

 キリエは爽快に逃げていった。

「ちょ!キリエ待て~!」

 

 

 チカを見捨てて……。

 

 

「こうなったら……」

 

 班長の視線は、残されたチカに向けられる。

 チカは逃走経路を探す。彼女は小柄で、スカートの中は下着のため、先ほどのキリエの使った手は使えない。

 どうすればいい。その間にも、班長たちは迫ってくる。

「さあ、観念して」

 チカが動いた。

 彼女は小柄な体を咄嗟にかがめ、班長の股の間を潜り抜ける。そして背後にいる整備クルーの額に頭突きを食らわせてひるませると、クルーを抱え上げ飛行機投げで班長に向かって投げつけた。

「ぐえっ!」

 体格が上回るクルーを投げつけられ、班長は押しつぶされ身動きが取れなくなった。

「今のうち!」

 チカも班長から逃げるべく駆け出した。

「逃がすな!」

 班長の声に、整備クルーたちは2人を捕獲すべく駆け出した。

 

 

 

 

 

「……よし」

 進路上に班長や整備クルーがいないことを確認し、キリエは駆け出す。

 そして曲がり角で人をぶつかり、額の前に星が舞った。

「いた~」

 おでこを押さえつつまぶたを上げると、そこには見慣れた姿が。

「チカ?」

「あ、キリエ!」

 チカはキリエを見つけるなり、鼻先が触れそうなほど顔を近づけてきた。

「よくも私を見捨てて逃げたな!」

「ふん、鈍いチカが悪いんじゃん」

「なんだと!」

 口論に発展しそうな空気が、2人の間に満ちる。

 

「てめえら!まだ遠くへは行ってない。船内を探せ!」

「「「うっす!」」」

 

 ナツオ班長と整備クルーたちの声をきき、彼女たちは同じ方向を向いた。

「やば!もう追ってきた!」

「どうすんのさ!!」

「とにかく逃げる!」

 2人は同時に地面を蹴って駆け出す。

 狭い羽衣丸内部の通路を船員たちとぶつかりそうになりながら、彼女たちは逃げる。

 そしてやってきたのは。

「あ、格納庫に出た」

 そこには、いつも彼らが乗っている隼1型6機が駐機されている。

「ねえ、いっそ隼で逃げるっていうのは?」

「無理だよ。ハッチ閉まっているし、エンジン始動まで時間かかるし」

 逃走手段としては理想だが、なにぶん時間がかかる。

「お前たち見つけたぞ!そこになおれ!」

 班長たちがイナーシャハンドル片手に鬼の形相を浮かべながら走ってくる。

「ひぃ!もう来た!」

 2人は羽衣丸の昇降口へと走る。

「逃がすか!」

 班長はツナギから取り出したスパナを投げつけた。

「ひぃ!」

 2人はすんでのところで姿勢を低くして回避。頭上を過ぎ去ったスパナは壁に激突し、大きなへこみを作った。

 そんな威力の投擲に呆然とする暇もなく、2人は階段を急ぎ足で降りていく。

「ど、どうする?」

 あたりを見渡すキリエ。彼女の視界に、あるものが飛び込んできた。

「これに乗って!」

 2人が乗ったのは、ラハマ自警団の備品である小型の自動車だった。

「でも、キリエ運転したことは?」

「大丈夫、隼より簡単だから」

 キリエはキーを回してエンジンをかけると、即座にアクセルを踏み込んだ。

 タイヤが地面と勢いよくこすれる甲高い音を立てながら、車が急発進した。

 周りの風景が、後ろへと勢いよく過ぎ去っていく。

「よし!これなら班長も追いつけないでしょう!?」

「あたいから逃げられると思ってんのか!?」

 2人は振り返った。

 背後には、整備クルーにハンドルを握らせ、迫りくる班長の姿があった。

「ど、どうすんのさ!」

 キリエはハンドルをきった。

 車体が傾き、落ちそうになるのをチカは必死に耐える。

 進路上には、町があった。

「町にいって振り切るよ!」

「え!でもそんなことしたら!?」

「今は班長から逃げるのが先決!イナーシャハンドル突っ込まれたいの!?」

「……嫌だ」

「じゃあ、いっくよー!」

 キリエはアクセルを踏み込み、車を加速させた。

 

 

 

 

「はあ~、お酒がおいしいわね」

「昼間からよく飲めるな」

 ラハマの町のとある道に面した酒場で、コトブキ飛行隊の副隊長ザラは昼間から酒を飲み、隊長のレオナは彼女に付き合っていた。

「いいじゃない?今日は休みなんだし」

「それはそうだが……」

 ふと、レオナは騒音が迫るのを聞きつけた。

「なんだ?」

 彼女が振り返ると、そこには道端にある木箱をなぎ倒し、家の壁に車体をこすりつけながらも爆走する車があった。

「キリエ、真っすぐ走ってって!」

「仕方ないじゃん!普段乗らないんだから!」

 言いながら、車はレオナとザラの前を過ぎ去っていった。

 運転手と助手席の人物には見覚えがあった

「今のは……」

「あら、今のってキリエとチカじゃない?」

「……まさか。いくら2人が向こう見ずでも、街中を車で爆走するわけ……」

「待ちやがれ!キリエ!チカ!」

 その2人のそばを、整備クルーが運転する車が過ぎ去っていく。

「今のって、ナツオ班長よね?それにキリエにチカって……」

 レオナは右手で額を押さえ、テーブルに肘をついた。

「……何が起こっているんだ、一体」

 決してろくなことではない。それだけは、彼女は確信していた。

 

 

 

 

 街中を逃げるキリエとチカ。しかしナツオ班長たちの車両と距離が一向に離れない。

 2台の車両は街中を抜け、滑走路のそばへやってきた。

「まだついてくるよ!?」

「こうなったら……」

 キリエはポケットから何かを取り出し、それを後ろを走る班長たちへ放り投げた。

「な!キリエなんてことを!」

 間もなく、その上を通りかかった班長たちの車両のタイヤから破裂する音がし、車体が傾き、班長たちを放り出して横転した。

「よっし!」

「何やったのさ?」

「格納庫にあったネジとか金属部品をくすねておいたの」

「お~、よく頭がまわったね」

「やるときはやるのがあたし!」

 即興のトラップで班長たちをまいたキリエとチカは滑走路に沿って進み、ラハマを離れていく。

「それで、これからどうするの?」

 とっさのことで班長から逃げたものの、これからどうしようかチカは疑問を抱く。

「とりあえず、班長の頭が落ち着いてほとぼりがさめるまでラハマから少し離れようか」

 今のナツオ班長に遭遇すれば、間違いなくケツにイナーシャハンドルをさし込まれるのは目に見えている。

 それでも班長も成人している大人なのだから、落ち着けば話が通じるはず。そのときに謝ればいいとキリエは考える。

「そうだね」

 チカも同意し、助手席に腰かける。

 

 少なくとも、キリエの考えは間違ってはいない。

 

 誤算があるとすれば、ナツオ班長の追撃が止むと思っていたことだろう。

 

 

「待てええええええ!」

 

 

「……へ?」

 キリエは思わず声の方向へ振り返った。

 その方向には1機の隼1型が確認できた。

 迷彩が施されていないので、コトブキ飛行隊の予備機だろう。

 

 

「逃がすかあああああ!?」

 

 

「ナツオ……班長?」

 

 そんな隼からナツオ班長の声がしてくる。キリエは誤解していた。

 ナツオ班長が、あの程度のトラップであきらめるはずがなかったのだ。

 

「どこへ逃げようとも、私の胸をネタにした落とし前はきっちりつけさせてやるからな!?」

 班長の乗る隼の12.7mm機銃が咆哮を上げる。放たれた機銃弾はキリエたちの乗る車両のそばに着弾。弾丸が地面に着弾し地面がえぐれ、砂埃がいくつもたつ。

 やる気だ、班長はやる気だ。このままではケツにイナーシャハンドルをさされるどころか、自分達の身が危ない。

 2人は叫んだ。

「ちょ、班長ちょっとまって!」

「そうだよ班長、落ち着いて!」

「そうそう、班長。落ち着いて話せばきっと分かり合えるから」

 そう2人は言う。ナツオは鬼の形相を浮かべながら言い放った。

 

 

「問答……無用だ!」

 

 

 班長はロケットの発射スイッチを押した。

 主翼下に吊り下げた6発のロケットが放たれ、間もなく小弾がばらまかれる。それは、キリエたちの乗る車両の周囲に降り注いだ。

 

「「ぎゃあああああああああああああああ!!」」

 

 逃げ場などなく、キリエたちは爆発に巻き込まれた。

「よっし!仕留めてやったぞ!」

 目的を達成した班長の乗る隼はラハマへと戻っていく。

 そんな班長の隼を見送りながら、服の所々が破れ焼け焦げた状態で地面に横たわっているキリエとチカは、二度と班長の前で胸の話題を口にしてはいけない。

 そう誓ったという。

 

 

 

 

「うう~、結構遠かった」

「やっとついた~」

 ボロボロの姿になりながらキリエとチカは羽衣丸まで歩いて帰還した。

 キリエが意外と速度を出してラハマから離れたため、2人が羽衣丸にたどり着いたころにはすっかり日が落ちていた。

 ふらつきながらも羽衣丸に帰還した2人は階段を上り搭乗口へとたどり着く。

 同時に、床板を踏みぬかんばかりの大きな音が響き渡った。

 

 

「おかえり2人とも。まっていたぞ。キリエ、チカ」

 

 

 その声を聴いて、2人は顔面が蒼白に染まる。

 顔を上げた先にいたのは、場違いなほど満面な笑みを浮かべる彼らコトブキ飛行隊の隊長、レオナだった。

 そして、その背後にはあきれ顔のマダム・ルゥルゥ。

 正座させられているナツオ班長や整備クルーたち。

 

「ことの経緯はナツオ班長たちから聞いたぞ。自警団の車両を無断で使用した挙句街中を爆走し、物を壊すとは何を考えている?」

「いや、これはその……」

「だって、本気でナツオ班長がイナーシャハンドルをさすっていうから!」

「本人がいないからって、気にしている話題で盛り上がったからだろう?失礼だとは思わないのか?」

「だからって整備クルーつかって私たちを包囲してきたり、車で追いかけてくるわ、隼で攻撃してくるのはやりすぎじゃない!?」

「すまねえ、どうしても許せなくて……」

 ナツオ班長はいつもの元気はどこへやら、しおれた花のように項垂れている。

「とにかくだ。今回の件は、ここにいる全員でしっかり弁償しておくように。ラハマから請求書も届いているしな」

 そしてマダムが、請求額が書かれた紙を広げる。

 中には、壊した自警団の車両の修理費用に町で壊した建物の修理費用、ダメにした製品の弁償代等々が記載されている。

 その額を見て、全員が唖然とした。それは、用心棒の仕事を数回しただけでは払えない額だった。

「ええええ!そんな額払えないって!」

「無理だって!」

「無理じゃない!自業自得だ!」

「残念だけど、しばらくただ働きね」

「マダム助けてええ!」

「残念だけど、自分達の不始末は自分達の手でなんとかしなさい」

 マダムは残酷な事実を告げると、請求書を残して去っていった。

 愕然とするキリエやチカをよそに、レオナは彼らの前に仁王立ちする。

「さて2人とも、コトブキ飛行隊の名を貶めるような真似はするな。そう言っているよな?」

「あの~、レオナ」

「そもそも、今回の件は班長が」

「何か言ったか?」

「「いえ、何も……」」

「では2人とも、私から説教といこうか?まずは正座してくれ、今すぐ!」

 2人はナツオ班長たちのそばに正座する。

 その後、彼らは数時間にわたって説教の嵐を浴びることになったのは、いうまでもない。

 この一件によって、触れてはいけない話題の存在、口は災いのもとなど、キリエとチカは身をもって学んだのだった。

 




読んでいただき、ありがとうございました。


次の章の執筆に時間がかかりつなぎに書いた短編です。
ギャグ要素を書くのは難しいですね……。


不定期更新になりますので、気長に待っていただけると幸いです。


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第5章 イヅルマにサクラは舞う
第1話 お尋ね者ではあったけど……


ある日、対談と飛行船の武装強化のためにイヅルマを訪れることに
なったユーリア議員たち。
空賊を追い払うため出撃していた彼女は、イヅルマから自警団の
紫電が上がってくるのを見る。
だがその進路は、真っすぐ用心棒である彼女へ向かってきて……。


 前方を右へ左へ飛ぶ零戦21型を追いつつ、目の前の光像式照準器のサークルに目標をとらえる。

 タイミングを見計らい、彼女は引き金を引いた。

 機首の13.2mm機銃が咆哮をあげ、連続で機銃の弾を吐き出す。機銃の火線が21型に吸い込まれていく。

 主翼の付け根に命中し瞬く間に出火。炎に包まれながら、空賊の21型は荒野へと落ちていった。

「こちらハルカ。空賊の機体を撃墜。周囲に機影なし」

『了解。残りの空賊の離脱を確認した』

 隊長からの通信の通り、残りの21型は別の方向へと逃げていった。

『みんなご苦労様。帰還して頂戴』

 飛行船から無線を通じて聞こえたユーリア議員の声に応えるように、飛行船の後部ハッチが開いていく。

 ユーリア護衛隊の鍾馗が飛行船へ帰還していく中、1人零戦に乗る女性パイロット、ハルカは進路上を見渡す。

 眼下に広がるのは、どこまでも広がる土色の荒野。そしてその中に点在するオアシスの都市。

 進路上には、比較的大きな都市が見える。その町の一角には、何隻もの飛行船が係留されているのが確認できる。

「あれが今回の目的地か」

 

『ええ。対談相手のいる場所、イヅルマよ」

 

 ガドール評議会のユーリア議員、ラハマのオウニ商会のマダム・ルゥルゥ、ハリマ評議会のホナミ議員。この3人に共有という形で雇われている、蒼い翼の零戦に乗る女性。

 名をハルカという。

 先日の工業都市ナガヤ防空戦で撃墜され不時着。危うく殺されそうになるも、こうして今も用心棒を続けている。

 オウニ商会のマダム・ルゥルゥからの依頼が次々入る中、いい加減彼女を返せ、というユーリア議員の苦情が入ったことも手伝ってか、ようやく彼女は生活の拠点を置いているガドールへと帰還できた。

 そして間もなく、ユーリア議員からイヅルマへ向かうことを告げられ、護衛隊の一員として同行することになった。

 目的は、イヅルマ市長との対談と、ユーリア議員の飛行船の武装強化であった。

 イヅルマは飛行船産業で発展した都市で、オウニ商会の羽衣丸を始め、各地で使われている飛行船の建造に深く関係する企業、パロット社を有する。

 昨今、旧自由博愛連合の残党が裏で暗躍する中、それに相対する思想を広めようと外遊を繰り返すユーリア議員の身の安全を考え、飛行船の武装強化が決まった。

 とはいえ、ガドールではそれを行える会社がないため、イヅルマへ向かう必要があった。

 議員はそんなものいらない、といったが万一ということもあるため、護衛隊全員で説得して納得してもらえた。

 現に、ここまでの道中でもどこから情報が漏れたのか、空賊の襲撃にすでに3回あっている。

「ん?」

 ハルカは双眼鏡を取り出し、進路上を見つめる。滑走路から飛び立ってきたのは、機体が白く塗られ、翼に黄色い鳥のようなマークが描かれた、紫電11型が5機。

 個人の専用機なのだろうか、塗装パターンが5機とも少々異なっている。

『進路上にレーダー反応あり。模様からして、イヅルマのカナリア自警団の機体と思われます』

『一時期お飾り自警団なんていわれていた、女性だけで構成されたイメージアップの飛行隊ね。お出迎えかしら』

 空賊による襲撃が増加の一途をたどっている現在、どこの町も自警団の団員を増やすためにイメージアップに余念がない。

 自警団というと、固い、厳しい、きついというイメージもあれば、偉そう、威張り散らす、給料泥棒などいいイメージがないことも多い。

 それらを払拭するために、女性だけで構成した飛行隊というのは、確かに悪くない選択だろう。

「イヅルマは飛行船を上げて客人を出迎えるらしいですが……」

 町によって客人をもてなす方法は異なる。もっとも、議員や大手の商会、資産家に限られた話だが。

 イヅルマの場合は、飛行船で出迎えるのが通例らしい。

『町が目前だけど、護衛してくれるのかしら』

「にしても、なんだか真っすぐこちらにくるような……」

 5機の紫電は、編隊を組んだままこちらに向かってくる。

 彼女は何か漠然とした危険を察知し、急いでフットペダルを蹴りこんで機体を横滑りさせる。

 直後、紫電の主翼とガンポッドに装備された20mm機銃が咆哮を上げた。

 先頭を飛んでいた、プロペラスピナーが赤く塗られた機体の機銃が放った弾が、直前までハルカの零戦のいた場所を駆け抜けた。

 交差した紫電は旋回し、彼女の背後を取ろうとする。

「くそっ!」

 急いで戦闘速度へ加速し、彼女は後方を警戒しながら紫電の機銃を回避する。

 

『こちらカナリア自警団です!蒼い翼の零戦。あなたには、多数の飛行船を撃墜し、積み荷を奪った容疑がかけられています!今すぐ着陸してください!従わない場合は、撃墜します!』

 

「え!いえ、私は議員の用心棒で今は空賊じゃ……」

 

『そんなウソが通じると思いますか!今もこうして、議員の乗る飛行船を襲撃しようとしていたじゃありませんか!イヅルマの間近でやるとは、良い度胸ですね!』

 

 紫電から放たれた機銃弾を、ハルカの零戦は回避する。

 周りを見れば、護衛隊の鍾馗は全機飛行船に帰還しており、飛んでいるのは彼女1人。はたから見れば、飛行船を襲おうとしていたように見えなくはない。

「ですから、私は議員の用心棒で!確認してもらえば」

『確認するまでもありません!空賊のいうことは信用できませんし、あなたが賞金首に指定されていることは調べがついています!大人しくお縄を頂戴してください!』

 イジツでは、情報が古いことは珍しくない。町と町を結ぶ情報が基本的に新聞に頼らざるを得ない上に、飛行機で数日飛ぶほど距離が離れていることも多いため、情報が数週間遅れで伝わることも珍しくない。

 それでも、ハルカが賞金首であり、空賊ウミワシ通商の一員だったのは昔の話で、ユーリア議員たちにより賞金首からは外されているし、ウミワシ通商は崩壊を迎えている。

 いくら何でも情報が古すぎる。

『ハルカ君!』

「隊長、どういうことですか!?」

『とにかく、反撃しないで回避を続けてくれ!』

「了解」

 空賊相手なら反撃すればいい話だが、相手はならず者やルールを破ったもの、町を脅かす相手を捕まえる自警団。

 反撃して撃墜でもしようものなら、自分がお縄につくことになる。

 20mm機銃の放つ爆音から逃れながら、彼女は右へ左へ回避を続けた。

 

 

 

『ユーリア議員!イヅルマはなんと!?』

「今確認中よ。こちらガドール評議会評議員、ユーリア。イヅルマの自警団、イヅルマ市長。今すぐ私の用心棒への攻撃を止めなさい。応じない場合は、こちらにも考えがあるわ」

 無線で呼びかけるも、応答がない。

「繰り返すわ。イヅルマの自警団、並びにイヅルマ市長。いますぐ私の用心棒への攻撃を止めなさい。従わない場合は」

 

『う~ん、エルく~ん。怖いおばさんの声がするよ~』

『大丈夫ですよ。どんな怖いおばさんからでも、私が、守ってあげますからね~』

『う~ん、エルママ、ありがとう~』

『ですから、市長は、ゆ~っくり、お、や、す、み、な、さ、い』

 

 無線が通じたと思えば、聞こえてきたのは甘えた男性の声と甘やかす女性の声。

 瞬間、ユーリアから何かが切れる音がしたのは、気のせいではないだろう。

「通信士……」

「……はい」

 飛行船の通信士は察した。無線を切り、回線をハルカへ切り替える。

「……どうぞ」

 途端、戦闘機のエンジンが高速で回転する音や銃撃の爆音が船室にとどろく。

「ハルカ、聞こえる?」

『ユーリア議員!これはどういうことで、イヅルマはなんと?』

「指示を出すわ、よく聞きなさい」

 議員の放った言葉を聞いて、全員が硬直した。

 

 

「撃墜しなさい」

 

 

『……は?』

 

 全員が耳を疑った。

 

『あの、それって……』

 

「聞こえなかった?イヅルマの自警団を撃墜しなさい、そういったの」

 

『ちょ!待ってください!相手は自警団ですよ!?』

「関係ないわ。後のことは私に任せて、あなたは自分の身を守ることを優先しなさい!」

『……どうなっても知りませんよ!?』

 ハルカは、後方についてくるカナリア自警団の紫電に視線を向けた。

 

 

 

 照準器を覗き、タイミングを見て引き金を引く。

 カナリア自警団団長をつとめる赤い髪の女性、アコは目の前を飛ぶ零戦を狙い撃つ。

「蒼い翼の零戦、繰り返します!今すぐ着陸して、投降してください」

 機銃を撃ちながら、彼女は投降を呼びかけ続ける。零戦のパイロットからの返答はない。

 ふと、機上電話から声がする。

『アコ、本当にいいの?』

 同じカナリア自警団で、僚機のシノの声だ。

『確かに、目の前の零戦が賞金首で空賊なのは事実だけど。もしさっきの話が本当だったら……』

「シノさん、人々が必死に手に入れたものをさらっていく空賊のいうことなんて、信じるに値しません!空賊のいうことに耳を貸していたら、自警団はやっていけません」

『そうだけど、でもせめて本部に照会くらいはしたほうが』

「そんな時間はありません!目の前には、客人の飛行船が飛んでいます!」

 ここまで空賊が飛行船に近づいており、周囲にはカナリア自警団しかいない。

 なら、自分たちがなんとかするしかない。彼女はそう考える。

 その考えは間違っていない。……普通なら。

『わ、わかったわ』

「ではシノさん。援護を」

 アコが言いかけたとき、零戦が動いた。

「な!」

 零戦は突如機首を持ち上げフラップを下げて失速し、アコとシノの紫電との距離が急速に縮まる。

「ぶ、ぶつかる!」

 2人は舵を切って零戦との衝突コースを回避する。

 そして、零戦は2機の背後に来るとフラップを閉じて加速。機首の機銃が咆哮を上げ、前方の紫電2機の主翼付け根付近に銃弾を叩き込んだ。

「「きゃあ!」」

 操縦席付近に炎があがる。自動消火装置がすぐさま作動し、噴き出す炭酸ガスが火災の延焼を消し止めるも、機体のバランスが保てない。

 アコとシノの乗る紫電は煙を吹きながら、地面に向かって降下していった。

 

 

「団長!」

『お姉さま!』

 団長のアコと僚機のシノの紫電が撃墜されたのを見た、同じカナリア自警団のリッタとミント。

 特にアコが落とされるのを見た紫の髪の女性、ミントは奥歯をかみしめ、心の中で闘志を燃え上がらせる。

『空賊無勢がお姉さまを……。許しません!』

 ミントの紫電は加速し、蒼い翼の零戦へと向かっていく。

「ちょ、ちょっとミントさん!1人じゃ危険ですよ!」

 大きめの自警団の帽子をかぶった赤みを帯びた短髪の女性、リッタは慌てて後を追う。

 怒りの炎を燃え上がらせたミントは零戦に迫り、紫電の20mm機銃を放つ。

 それを零戦は簡単に回避し、スナップロールでミント、リッタの紫電を追い越させ、後ろから3丁の機銃を放ち、2機をまとめて落とした。

『お姉さま~』

「師匠~」

 

 

 

「くう……、すう……。ん?」

 操縦席で眠りこけていた緑の髪の、眠そうな顔をしている女性、ヘレンはあくびをかみ殺しながら周囲を見る。

「あれ、みんなは?」

 空賊機がイヅルマを訪問する議員の飛行船を狙っている、というアコや部長の指示で発進したまでは覚えている。のだが……。

「みんな、どこいったのさ~」

 飛んでいるのは、ヘレンの紫電だけ。

 それもそのはず。後の4人は落とされて地面にはいつくばっている。 

 だが、居眠り運転でその瞬間を見ていないヘレンにはわからない。

「まあいいや。あそこに見えるのが空賊機だよね~」

 彼女は零戦の背後についた。

「そおい」

 ヘレンの紫電の20mm機銃が火を噴いた。直後、寸でのところで零戦は機首を下げて急降下に入った。

「まて~」

 ヘレンも後を追う。

 そして、再び零戦をサークル内に収める。

 すると、零戦は機首を上げて機体全体で減速し、ヘレンの紫電を追い越させた。

 背後につかれるのを感じたヘレンは機首をあげて上昇に転じるも、直後零戦の放った機銃弾が機体に命中。

 彼女も地面に向かって降下していった。

「あ~れ~」

 

 

 

 

「……いいのかな、これで」

 落ちていく自警団の紫電を見ながら、今更ながらにハルカは不安を口にする。

 空賊行為を取り締まる、都市の正義たる自警団の機体を撃墜してしまったのだから、普通ならただで済むはずがない。

 ユーリアがまかせろ、というからには期待したいが。

 背後から聞こえた銃撃音に彼女は機体を旋回させる。

 背後には、よく似た塗装を施された紫電が追随してくる。

『……それも自警団機ね。落としなさい』

「……了解」

 不安を抱きながらも、彼女は発砲してくる敵機を全機撃墜していったのだった。

 




お久しぶりです。

お待たせしました。第5章開始です。

最後までお付き合い頂ければ幸いです


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第2話 古い情報と勘違いの結果

イヅルマの自警団の機体を撃墜した零戦を庇うことに怒る
イヅルマ市長。だが、ユーリア議員の指摘でイヅルマの
勘違いであったことを知る。
自警団の機体がほぼ撃墜された今、町の防衛さえままならない中、
イヅルマ市長はユーリア議員に頼み事をするが……。


「ユーリア議員!」

 

 飛行船から下りたユーリアを出迎えたのは、怒りの表情を浮かべる眼鏡をかけた白髪の少し小太りの老人、イヅルマの市長だった。

「自警団を撃墜した空賊を庇うとは、一体どういうつもりですか!?」

 ハルカは戦闘が終わったのち、ユーリアの飛行船へと帰還している。当然といえば当然なのだが、市長にはそれが空賊機を庇ったように見えたのだろう。

 その様子を見て、ユーリアはため息を吐き出す。

「……市長。お言葉ですが、あの機体は空賊機ではありません」

「じゃあ、一体なんなのだね?」

 

「私の護衛隊の一員です」

 

「……は?」

 

 市長は、数秒の間静止した。

「イヅルマを訪れるにあたって、同伴する人間の書類は事前に送付したはずですが?」

 議員の訪問にあたっては、警備にとにかく気を遣う。

 イヅルマはどの程度の警備を手配すればいいのか考える必要があるため、ユーリアがどの程度の護衛や関係者を連れてくるのかを事前に書類を交わして把握している。

 無論、制式な隊員と認められてないとはいえ、ハルカの事も機体と共に記載されている。

「そんな書類、あったかな?」

 見覚えがないという市長の反応に、ユーリアの眉間にしわが寄る。

「え~っと、エルくん。書類を探してきてくれるかな?」

「は~い、承知しました~」

 金髪の、おしとやかそうな自警団員が建物に消えていく。

 間もなく彼女は、書類の束を抱えて帰ってきた。

「これですね」

 市長は目を通す。

 そして、見る見るうちに顔面が蒼白になっていく。

「確認できたかしら?」

 市長が手にしている書類には、先ほど襲撃した蒼い翼の零戦とそのパイロットのことが書かれていた。

 ユーリア護衛隊の一員であることも、もう空賊でも賞金首でもないことも……。

 

「イヅルマ市長……。現役の政治家の護衛隊員を襲撃しておいて、ただで済むとおもってないでしょうね?」

 

 温かさを微塵も感じさせない、絶対零度の視線で相手を見下ろすユーリア。

 

「あれは私への、敵対行為とみなしていいのかしら?」

 

 イヅルマ市長は即座に頭を下げた。

「申し訳なかった!」

「謝って済む問題かしら?」

 冷凍庫から漏れ出る冷気のごとく表情も視線も声も冷たいユーリアを前に、イヅルマ市長は震えあがる。

 そんな市長を見かねてか、自警団員たちも頭を下げ始めた。

「まったく、情報が古いにもほどがあるわね。自警団や市長が最新の情報に疎くて大丈夫なのかしら?」

「おっしゃる通りです……」

「いっておくけど、撃墜した自警団の機体の修理費用諸々は無論そっち持ちよね?」

「え……」

「何か不服かしら?」

「その、お願いが」

「何かしら?」

 ユーリア議員の圧を込めた笑顔を前に、イヅルマ市長は震える口で言葉を紡いだ。

「……その、自警団の機体がほぼすべて修理に入るので、完了するまでの間、町の防空をお願いしたいと……」

 ユーリアの視線がきつくなった。

「あなたたち、私の隊員を襲っておきながら、襲った相手に町の防衛を頼むとは、どういうつもりかしら?」

「その、他に手がなくて……。それに、飛行船の改修が終わるまで、議員の安全確保も必要でしょう?」

 先の件で、本当は今すぐにでも帰りたい気分になったユーリアだったが、だからと言ってこのままイヅルマを見捨てるような行動をとればガドール評議会のクソ連中に追求されかねない。

「わかったわ……」

「ありがとうございます!」

「ただし、その費用は全て請求させてもらうわよ」

「な!」

「何かご不満かしら?」

「いえ、不満など、ありません……」

 ユーリアの圧力に屈し、イヅルマ市長は条件をのむしかなかった。

 

 

 

 

「いいんですかね、これで……」

「まあ、全てはイヅルマが書類確認を怠った結果。落ち度は向こうにある。気にする必要はない」

 ユーリア議員が冷たく対処するのを、護衛隊の隊長やハルカたちは少し離れてみている。

 格納庫に視線を逸らせば、撃墜した紫電が運び込まれていくのが見える。

 ハルカは気になり、その格納庫へ足を踏み入れた。

 

 

「ばっかもおおおおおおおおおおおおおおおおおん!」

 

 

 入って早々、怒号が響き渡る。墜落した紫電のそばで、声を上げる老人を前に白い服装をきた自警団員と思われる人々が頭を下げている。

「紫電をほぼ全機壊すとは何を考えている!ええい、すぐ修理だ!リッタ!ハヤト!手伝え!」

「「はい、師匠!」」

 古株の整備員らしき老人と自警団の服装をきた赤みがかった短髪の女性、まだ少年くらいの子供が工具片手に故障した紫電に向かっていく。

「あの~……」

 ハルカは思わず呼びかけていた。

 すると、眼鏡をかけた老人が振り返った。

「なんじゃ?……見ない顔じゃな」

 眼鏡をかけた老人が近づいてきた。

「あの~、変な話ですが……。紫電全機おとしてしまって、申し訳ないです」

「全機落として……」

 老人は怪訝な顔をする。

「おぬし、もしかしてあの零戦のパイロットか?」

「……はい」

 すると、顔を近づけて値踏みするかのように見つめてくる。

「ほう。あの悪魔と言われた零戦のパイロットが、こんな姉ちゃんとは驚きだ」

「よく言われます……」

「じゃが、腕は確かなようだな。一機で自警団の機体をほぼ全機落とすとは」

「……申し訳ありません」

「気にすることはない。全てはこちらの不手際だ」

「あはは……」

「あ、あの!」

 老人の隣に、1人の女性が立った。

 紫電と同じ白色の服装からして、自警団員だろう。短髪の赤髪に帽子をかぶった若い女性が頭を下げた。

「さきほどは、申し訳ありませんでした!」

 しばし、その場を沈黙が支配した。

「あの~、あなたは?」

「アコ、名乗らないと相手もこまるだけじゃぞ」

「あ、そうでした!」

 女性は顔を上げると、背筋を伸ばした。

「初めまして。イヅルマのカナリア自警団団長、アコと申します!」

「カナリア自警団?じゃあ、先ほど落とした紫電の?」

「パイロットの1人、です……」

 最初は元気そうに言ったものの、次第に気まずそうにカナリア自警団団長のアコは言う。同時に、落とした相手の顔を見たことで、ハルカもどこか気まずそうになる。

「あらためまして、申し訳ありませんでした!もう空賊でも賞金首でもない人をいきなり襲ってしまって!」

「は、はあ……。まあ、もういいですよ。過去実際そうだったのは事実ですから……」

 過去の過ちによってできた烙印は一生消えることはない。

 それを彼女は知っている。

「まあ、あなたたちを撃墜したのは私なので、それでお相子ということで……」

「はい!以後最新の情報には気を付けます!」

 

 

「……本当に気を付けて欲しいものね」

 

 

 聞きなれた声が聞こえたと思った直後、ハルカは襟首をつかみ上げられ、首が少ししまる。

 振り返ると、そこには自身の雇い主の少し不機嫌そうな顔があった。

「ゆ、ユーリア、議員……」

 

「カナリア自警団の団長さん、今回はたまたまこの子が凄腕だったからあなたたちに落とされずに済んだ。……でも、もしこの子に何かあったら、私は本気であなたたちをつぶしにかかるつもりだったわ」

 

 以前、ショウトでエンマがハルカに一度きりの報復として発砲した際、ユーリア議員は本気でオウニ商会をつぶしにかかるつもりだった。

 彼女の言葉に嘘はない。言ったことはやる。それがユーリア議員だ。

「ひぃ!も、申し訳ありませんでした!」

 ユーリア議員がどんな表情を浮かべているのか、ハルカからうかがい知ることはできないが、団長のアコが怯えているあたり、その表情を察した。

「あの~ユーリア議員。もうそれくらいで」

 途端、ユーリアの目が鋭く細められ、ハルカはびくっと体を震わせる。

「ハルカ、あなたは甘すぎるのよ。あなた、彼らの勘違いで落とされそうになったってわかっている?」

「わ、わかっていますよ……。ですけど、私は無事で落とされたのは彼らなんですから」

「ぐふっ!」

 アコが何やら胸のあたりを押さえてうめいた。

「まあ、あなたがそういうなら……。さて、イヅルマが部屋を用意してくれたから、そこまで移動するわよ」

 いうなり、ユーリアはハルカの襟首をつかんだまま引きずっていく。

「ちょ、ちょっとユーリア議員!歩きます!自分で歩きますから、離してくださあい!」

 彼女の叫びもむなしく、彼女はユーリアに引きずられていった。

 

 

 

 

 

「アコ君、みんな。今回の件は私の早とちりでわるかった」

 自警団の部屋に戻ってくれば、そこには鼻の下に立派な黒いヒゲを生やした少し小太りの男性。カナリア自警団の部長、アルバート部長の姿があった。

 部長はアコ達を見かけるなり、頭を下げた。

「部長、お気になさらないでください」

 長い金髪のおしとやかそうな女性団員、エルは部長を包み込むように腕を絡ませる。

「今朝会議で賞金首のリストを見ていたんですもの。仕方がないですわ」

「うう~、ありがとう、エルくん」

 彼らは自警団であるため、基本は町の防衛が主務となるが、時折遠方へ出ることもある。

 そうなったとき、賞金首に出くわさないとも限らないので、彼らのわかっている情報を頭に入れておく。

 なので、今回ハルカを間違って襲ったのはこの賞金首リストの情報が古いままだったというのが原因となっている。

「アルちゃんは頑張っています。少し、癒してあげますね」

「ああ~、エルくん~」

「うぉほん!」

 アコがわざとらしく咳払いをする。

 エルは、人を甘やかして駄目にすることが得意で、彼女の毒牙にかかれば部長どころか市長さえも骨抜きにされてしまうまで時間はかからない。

 ここで止めなければ永遠に続くことになりかねない。

 

「それで、部長。我々は、何をすればいいでしょうか?」

 

 先ほどの一件で、カナリア自警団とシラサギ自警団の機体は出撃していなかったエルの紫電を除いて全て修理中。

 リッタは修理にかりだされ、ここにいるのは残り5人だけだ。

「まあ、紫電が修理中である以上、空賊対処はできない。修理が完了するまで、一時的に評議会護衛隊の手を借りることになった」

 アルバート部長は少し苦々しい表情になる。

 仕方がないとはいえ、自警団が町の防衛をお客さんの護衛隊に移管するというのはいい気分ではない。

「その間は、ユーリア議員の身辺警護を頼む。アコくんとシノくん、ミントくんとヘレンくんで交代制。エルくんは私の手伝いを」

「「「はい!」」」

「特に、市長と議員との対談の日は注意すること。議員にもしものことがあったら、我々全員の首が飛びかねない。くれぐれも気を付けて」

 各々解散し、それぞれの持ち場に向かった。

「シノさん」

 ユーリア議員の部屋に向かう道中、アコはとなりを歩く長い銀髪を揺らすきりっとした女性、シノに声をかける。

「……なによ?」

 彼女は、むすっとした表情で答えた。

 

「何かあったんですか?不機嫌ですって顔していますよ」

 

 シノはため息を吐き出しながら言った。

「だって、悔しいじゃない」

「悔しい?」

 アコは首を傾げる。

「あなたは悔しくないの!?」

 シノは右手人差し指を伸ばし、アコの鼻先に突きつけた。

「だって、あの零戦1機に私たちカナリア自警団だけでなくシラサギ自警団も全滅したのよ?悔しくないの?」

「エルだけは落とされてませんけど……」

「出撃してないんだから当然よ!いくら凄腕で元賞金首でも、1機にやられたのよ?」

「まあ、私たちとは経験が……」

 シノにしてみれば、それなりに腕には自信があったのにあっさり落とされて面白くないのだろう。

 孤児の彼女は、自分の腕だけを頼りにかつてシラサギ自警団を率いていた。

 その後カナリア自警団の6人目となったが、その技量はアコも見習う所が多い。

 そんな彼女が瞬く間に落とされたのだから、この感情は自然なものだろう。

 だが、元賞金首のあの零戦のパイロットはいくつもの空戦を生き残ってきた獣だ。

 まだ経験の少ないアコたちではかなわないのも無理はない。

 そんな考えがアコの頭をよぎる。

 

「団長にそんな言い訳が許されると思っているの!?」

 

 シノの言葉に、アコは言い返せなかった。

「自警団は町を守るためにある。その自警団が、敵の方が経験豊富だから負けました。そんな言い訳通用する?」

「……しません」

 経験不足であれ、凄腕であれ自警団員である以上、町を守る義務がある。

 経験不足だから負けた、なんて言い訳通用するはずはない。

 今回はあの零戦がユーリア議員の用心棒だったからよかったが、もし本当に空賊や敵勢勢力だったら、今頃イヅルマはどうなっていたか。

 アコはそれを考えると身震いがした。

「今は紫電が修理中だから仕方がないけど、この件が落ち着いたら演習に付き合いなさいよね」

「……はい!勿論」

「2人だけずるい~、私も~」

「お姉さま、ミントもお付き合いします」

 眠そうに返事をするヘレン、アコ大好きなミントもつづく。

「皆さん、頑張りましょう。まあ演習のことは紫電が直ってから考えるとして、今は目の前の仕事をこなしましょう」

 団長に続き、彼女たちはユーリア議員の部屋へ向かったのだった。

 

 

 

 

 

「飛行船の改修作業が完了するのは2日後になります。また、自警団の機体の修理が終わるのも、そのころだろうということです」

「わかったわ」

 護衛隊隊長の報告を聞いたユーリアは憂鬱そうな顔をする。

「自警団の機体の修理が完了するまで、この町の防空は一時的に私たちガドール評議会護衛隊に移管されます。各自、待機していてちょうだい」

「「「は!」」」

「あの、ユーリア議員」

「なにかしら?」

「確か明日は、議員はイヅルマ市長との対談の予定ですよね?」

「そうね、面倒だけど」

 今回の訪問は飛行船の改修に加え、イヅルマの視察、市長との対談が目的だった。

「でも、これを断るとまた議会のクソ野郎どもに嫌味を言われるし、イヅルマの今の姿勢を知っておきたいからね」

 イヅルマは、現状ユーリア派でも旧自由博愛連合の側でもなかった。

 さきのイケスカ動乱の際、多くが自由博愛連合側、あるいはユーリア派に分かれたが、イヅルマは関心がないように、どちらでもなかった。

 今後を考え、今の町の姿勢を知っておきたいというのは一理ある。

「ですが、私たちが防空任務につくと、議員の護衛は……」

「……対談の間は、カナリア自警団が警護についてくれるわ。戦闘機が修理中で、やることがないのでしょうね」

「あはは……」

「それ以外のときは、ハルカ、あなたがいなさい」

「……わかりました」

 そして、にやつく隊長と弟さんは、部屋を出ていった。

 

 

 隊長たちが部屋を出たのを確認すると、ユーリアはベッドに腰かける。

「ハルカ」

 彼女は振り向く。

 すると、ユーリアは自身の太ももを右手でポンポンと叩いている。

 その意味を察した彼女はユーリアに近づき、彼女の太ももの上に腰かけた。

 その後、ユーリアの腕がハルカのお腹に回され、抱き寄せられる。

 そして、彼女はハルカに頬ずりをしたり、首を軽く噛んで歯形をつけたり、胸やお尻、太ももに触れる。

「っくっ、ひゃっ!」

 彼女が思わず声を漏らすも、ユーリアは構うことなく撫でまわす。

「あの、ユーリア議員」

「何かしら?」

「これ……、まだ続けるんですか?」

 ユーリアの動きが止まり、口を彼女の耳元に近づける。

「当たり前でしょ。この間のナガヤの件を忘れたのかしら」

 先日、ハルカの故郷であるナガヤにショウトが発注した飛燕を受け取りに行った際、空賊の襲撃を受けた。

 その最中、彼女は多勢に無勢の中奮闘するも撃墜されて地面に不時着。空賊たちは、地面に機銃を撃ち彼女を殺そうとした。

 そんなことを聞かされたユーリアは、それから不安に駆られるようになった。

 ハルカはユーリアにとって、自身の目指す、横のつながりの実現したイジツ。その先を見てみたい。そう期待を込めていってくれた初めての人物だった。

 だから彼女には、自身の目指す未来が実現されていく様を見ていて欲しかった。

 ユーリアのそばという、特等席で。

 それに、彼女との日常を気に入っている。

 先のナガヤの件で不安に駆られたユーリアは、ハルカの存在を時折確認するように、彼女を極力そばに置き、撫でまわすようになった。

 だからといって、書類の提出に行くのも引き留めるのは流石に考えものだとハルカは内心窮屈さを感じている。

 でも議員の不安の原因が自分にある手前、言う通りにするしかなかった。

「あの、議員……、そろそろ」

「まだだめ。今日自警団に撃たれて、どこかケガしてないか確認しないと」

 議員の撫でまわす手は止まらない。

「だ、大丈夫ですから……」

 20mm機銃で撃たれれば、普通ただでは済まない。

「あなたは重症でも隠すから、確認が大事なの」

 全く聞き入れてもらえない。

 そしてしばらく、ハルカはユーリアにされるがままになるしかなかった。

 

 

 

 

 

 イヅルマには、飛行船や関連事業で財をなした資産家が数多くいる。

 もともと資源が乏しく、小さな町にすぎなかったイヅルマは、あるものを偶然手に入れたことで急速な発展を遂げた。

 そして今も、それらの多くは世間に存在を公表されず、隠されたままだ。

 あるものを偶然手に入れた資産家、古い権力者は自警団上層部と繋がり、今日まで情報操作、隠蔽を怠らなかったはずだった。

 

 

「いいかげん、首を縦に振ってもらえないでしょうかね?」

 

 

 高級な家具や調度品が置かれ、汚れなく掃除のされた室内は、部屋の主が裕福であることを物語っている。

 その室内に座るのは、皺なく高級そうなスーツに袖を通した、年老いた老人。

 その向かいに座るのは、オカッパ頭に丸眼鏡をかけ、ムフッと笑うパイロットの服装を来た男性。

「何度もいうが、そんなもの私は持っていない」

 オカッパ頭の男性は眼鏡のブリッジを人差し指で持ち上げる。

「いい加減白を切るのはやめたらどうですか?数十年前、イヅルマの急成長に大いに貢献した落し物。その多くを手に入れたのはあなた。そして、我々が欲しているものを、あなたが持っているのはわかっております。無論タダで譲ってほしいとは思っておりません。それ相応のお支払いは約束します」

「仮にあったとして、何に使うつもりだ!」

「知れたことでしょう?あなたが隠し持ち続けて、わけのわからないガラクタで終わらせるのではなく、我々が有効活用したほうがよほどいい」

 すると年老いた男性は肩を怒らせ、ソファーから勢いよく立ち上がった。

「とにかく、そんなものここにはない!」

 交渉に応じる様子のない男性に、オカッパ頭の男性は大きくため息を吐き出す。

「そうですか……」

 彼はソファーから立ち上がると、扉へ向かう。

 

 

「いや~残念、実に残念です。今応じて下されば、怖い思いをしなくて済んだのに」

 

 

 わざとらしい彼の仕草を、老人は鼻で笑う。

「ふん。イサオの亡霊に何ができる。精々楽しみにさせてもらう」

「いいましたね。では明日、精々楽しみにしていてくださいね」

 ムフッと笑うと、彼は部屋を去った。

「いかがなさいますか?」

「予定通り、明日イヅルマを襲撃します。評議会の内通者から、ユーリアめがいることもわかっています。例のもののテストにちょうどいい機会です」

「ですが、その内通者によると」

「わかっています。例の零戦のことでしょう?ですが、あやつでも例のものの相手は難しいはず。気にすることはありません。計画を実行しましょう」

「はい!」

 丸眼鏡をかけたオカッパ頭の男性、元人事部長のヒデアキは資産家の家を振り返る。

「明日が、楽しみですね。……ムフッ」

 



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第3話 イヅルマにサクラは舞う

始まったユーリア議員とイヅルマ市長との対談。
今のイヅルマの姿勢を知るためと始まった対談の最中、
警報が鳴り響く。
ユーリア議員の命令で、護衛隊は空賊排除のために発進する。
上空でイヅルマへ向かってくる一式陸攻を確認するが、
一式陸攻は見慣れないものを装備していた。


「では改めまして。初めましてユーリア議員」

「初めまして、イヅルマ市長」

 2人は、テーブルに向かい合って座る。

「今回は、飛行船の武装強化でイヅルマへ来たそうだね」

「ええ。最近物騒なもので。私は恨みには不自由しないから、念のためにって部下に説得されたの」

「ユーリア議員は横のつながり。縦のつながりを目指す旧自由博愛連合の思想と反する活動を行ってみえる。先のイケスカ動乱で勝利したとはいえ、残党が残っているうちはいつ狙われるかわかったものじゃないですな」

「そうね。でも、私はそんなに不安を感じてはいないわ。凄腕の用心棒をやとったもの」

「凄腕?」

「そう。あなたの町の自警団をたった1機で殲滅した、蒼い翼の零戦。彼女がいてくれるなら、特に不安は感じないわ」

 一瞬、イヅルマ市長の眉間に皺がよった。

「余程信頼しているようですな」

「ええ、勿論。アレシマの件をご存じかしら」

「それはもう。新聞に載りましたからね」

「イケスカ動乱で活躍した、あのコトブキ飛行隊が数人がかりで挑んでも返り討ちにし、ヤクシでは空賊機数十機を、ナガヤではあの爆撃機富嶽も単機で落とした、まさに悪魔。それ以外でも、彼女はその技量を遺憾なく発揮して私を守ってくれている。空でも、陸でもね。敵になれば脅威だけど、味方になればこれほど頼もしいものもないわ」

「それは羨ましいですな」

「言っておくけど、あげないわよ」

「それは残念」

 

 

 

 格納庫の一角に置かれたラジオから聞こえてくる声を聴いて、ハルカは顔を赤くして両手で顔を覆い、その場にしゃがんでいた。

「うう~、ユーリア議員……」

「ははは。対談のはずが、君の自慢話になっているな、ハルカ君」

 隊長たちは微笑ましい笑みを浮かべているが、彼女は内心恥ずかしくて顔から火が出そうだった。

 このラジオは、イヅルマ中の住民が聞いている。公共の電波を使って、対談の場で部下の自慢話をしないで欲しい。

 彼女はできれば、今すぐにでもユーリア議員のもとへ向かってこの対談を止めさせたい気分だった。

 

 

 

「ところで、今イヅルマはどういう姿勢かしら?」

「と、おっしゃいますと?」

「……私の思想に共感を覚えるのかしら?それともイサオの残党?」

 イヅルマ市長の表情が一瞬真剣なものに変わるのを、ユーリア議員は見逃さなかった。

「いや~、イヅルマはどちらにも加担しません。イヅルマの飛行船産業は、イジツの人々全ての生活を豊かにするためにある」

「つまり、分け隔てなく皆平等に扱う、と?」

「そういうことです」

「たとえ、自分たちに牙を向けるものたちであっても?」

「そうなったときのために、自警団がいるんです」

「そう。ところで、その自慢の飛行船産業の中核を担う会社が、先日イヅルマで反乱を起こしたようですけど、大丈夫かしら?」

 イヅルマ市長は視線をそらした。

「飛行船産業の中核を担う企業、パロット社。その前社長は、何か特定の目的のために動いていたと聞きましたが?」

「あれはパロット社の意向であって、イヅルマの意志とは関係ありません」

 

 

「関係ないというなら、なぜことを起こしたパロット社を未だに存続させているのかしら?」

 

 

 イヅルマ市長は押し黙った。いくらイヅルマがパロット社の恩恵を多分に受けているとはいえ、町を封鎖し、市民を危機にさらした会社を存続させる理由はない。

「いくら産業の中心であっても、町に反旗を翻した存在に処分を下さず放置しているのは、なぜかしら?今もパロット社は存続しているでしょう?」

「自警団の活躍で、パロット社の野望は阻止できた。前社長ウタカ氏は解任し、パロット社は雇用対策の意味もこめ、イヅルマの市営企業となった。処分していないわけではありません」

「……かつて、資源もなく小さな町に過ぎなかったイヅルマが、なぜ飛行船産業の都市として発展できたのか。その理由は私も存じ上げませんが、イヅルマはパロット社にいいように手なずけられているようですね」

 明らかに市長の顔にいら立ちの感情がにじむ。

「あなたたちは、私やイサオのとちらの思想にも加担しないんじゃない。パロット社の意向には逆らえない。でなければ自分たちの明日はない。違いますか?」

「それはいささか失礼なものいいではないかな、ユーリア議員」

 イヅルマ市長の顔が険しくなった。

 

 

「それを言うなら、未だイサオ氏の再興を望む派閥がおり、汚職にまみれているガドール評議会も人のことは言えないでしょう?」

 

 

 ユーリア議員は眉間に皺をよせる。

「それに、どちらかに加担すれば、イケスカ動乱のような争いにこの町が巻き込まれることになる。それは願い下げだ」

「そうね。でも、いくら無関係でいようと思っても、向こうがイヅルマを放っておくとは限らないわよ」

「何かあれば、自警団が守ってくれます」

「私の用心棒1人に撃墜される自警団のようですが、大丈夫かしら?」

 イヅルマ市長の両手が握られ、わずかに震える。

「無関係でいれば、確かに傷つくことはないかもしれない。でも、つながりなくして、皆で協力する生存努力なくして、イジツに明日はありません。イヅルマ一都市で、この先もやっていけると思っているなら、危機感がないわ。未来を生きるために、手を取り合う。そして、どこかの都市が危機に陥っているときに、他の都市が手を差し伸べる。その逆もしかり。それが、私の思想です」

「例え協力できたとしても、ユーハングの新たな遺産が見つかったり、利害で裏切る都市もでるでしょう。そのことを思えば、イサオ氏の誰かが全てを取り仕切るやり方のほうが、現実的だと思うがね」

「イヅルマ市長は檻にぶち込まれるほうがいいというのかしら?」

「現実的と言っているんです。それに、どの都市にも明かせないものというのはある。全ての都市が横の同格なつながりで協力しあうなど、夢物語のようだ。イヅルマは、どちらにも加担しません。我々は、我々のみで生き抜いてみせます」

 ユーリア議員は疑問に思った。イヅルマだけでも生き抜く。

 食料生産都市のハリマですら、一都市で生き抜くことは難しいと考えているというのに、この市長の自信はどこからくるのか。

 

 そのときだった。

 

 イヅルマ全域に、襲撃を知らせるサイレンが、鳴り響いた。

「なんだ?」

「イヅルマ市長、町へ接近する機影を確認。こちらの呼びかけに応答はないとのことです」

「な、なぜイヅルマを襲う!一体どこの連中だね?」

 すると、そばに控えていたカナリア自警団員、エルは市長の優しく触れる。

「大丈夫ですよ。私たちが守りますから、市長はゆっくり避難してくださいね~」

「う~ん、エルく~ん。いつもありがとう~」

 そんな光景を見せられてユーリアは内心腹が立ってきた。

 無線で聞かされたやり取りは、この自警団員が原因なのは間違いない。

 ふと、ユーリアのそばには同じくカナリア自警団員のシノが立っていた。

「ユーリア議員、ここは危険です。避難を」

「必要ないわ」

 ユーリアの言葉を聞いて、自警団員は目を見開いた。

「で、ですが、もしものことがあったら……」

「避難なんて必要ないわ」

 ここでもし逃げ出せば、帰ってから評議会のクソ野郎どもに腰抜けだ、臆病ものだと責められるだけだ。

「それに、自慢の用心棒がいるもの」

 彼女がいれば、並み以上の空賊も追い払ってくれる。

 ユーリアは、携帯用の無線機を取り出す。

「隊長、出撃してちょうだい」

 カナリア自警団に促され、イヅルマ市長が避難する一方、ユーリアは部屋に1人残り紅茶の入ったカップに手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

「始動準備!」

 ハルカの合図で、整備班長がイナーシャハンドルを回す。

「点火!」

 班長の合図で彼女はエンジンを始動させる。

 推力式単排気管は排気を勢いよく噴き出し、目の前の3枚羽のプロペラが高速で回り始める。

 いつもの発進準備を終え、機体に問題がないことを確認すると、彼女は手を振って車輪止めを班長に外してもらい、機体の滑走を始める。

『全機、敵勢力は小型の機影が12機、大型の機影が6機だそうだ』

「大きいのは、爆撃機でしょうか?」

『おそらくはそうだ。ユーリア議員はいつも通り、避難する気はないとのことだ』

 無線で笑い声が響いた。

『今、一時的にイヅルマの防空を肩代わりしているが、議員がいる今、我々の仕事はいつもと変わらない』

「「「はい!」」」

 滑走路に到着し、隊長を先頭に次々と地面を離れていく。

 そしてイヅルマを離れると、町へ向かってくる機影が確認できた。

『敵は零戦52型が12。それに大きいのは……』

「一式陸攻ですね」

 遠目に見える、葉巻型の胴体で彼女は機体を特定した。

『よし。全機、まず52型を遠ざける。ハルカ君は敵を落としつつ、陸攻を頼む』

「了解」

『全機交戦開始。行くぞ!』

「「「はい!」」」

 鍾馗と零戦が増速し、高出力のエンジンが爆音を上げ、イヅルマを目指す敵影に向かっていった。

 

 

 

 上空に陣取ったハルカの零戦は、機首を下げて降下。

 すれ違い様に機首の13.2mm機銃を撃ち、先頭を飛ぶ52型を叩き落した。

 即座に操縦桿を引いて水平飛行へ移り、一式陸攻の下部を通って後方へ回る。

 そのとき、彼女は陸攻が胴体下に妙なものを抱えているのを見た。

「なんだろう、あれ?」

『どうした?』

「隊長、陸攻が胴体下部に何かを抱えています。通常の爆弾よりも大きなものです」

『爆弾なら、都市へ近づけなければいい。早く終わらせるぞ』

「はい」

 だが、彼女は何かが引っかかっていた。

 陸攻が抱えているものは全体が白く塗られ、主翼や尾翼があり、飛行機のような形状をしている物体だった。

 記憶の奥底から何かが湧き上がってくるのを感じたが、彼女は頭を振ってわきに追いやる。

 背後を追ってくる零戦52型の銃撃を回避しつつ、彼女は高度を上げる。

 そしてある程度上昇したところでフットペダルを蹴りこみ、失速。

 追ってきた52型2機は衝突を避けるために回避する。

 彼女は即座に加速し、旋回中の2機の進路上に銃撃を見舞う。タイミングが合ったことで、2機に機銃弾がめり込み、火を噴きながら落ちていく。

 周囲を見渡せば、1機の陸攻の周囲の52型がいなくなっている。

「今の内!」

 彼女は、護衛のいなくなった一式陸攻へ進路を向ける。

 一度高度を上げた後に再び降下。

 防弾装備のない上方から進入し、主翼のインテグラルタンクを狙い撃つ。

 数発命中しただけで火災が発生。炎がどんどん大きくなっていく。

 彼女は陸攻との衝突コースから外れ、後方に回り込み、下方から主翼を撃つ。

 陸攻を追い越し、彼女は上空から振り返る。

 また出火し、みるみるうちに炎が大きくなっていく。

 主翼の付け根あたりが大きな爆炎を上げ、陸攻が急速に高度を下げていく。

 その最中。

 

 陸攻は、胴体下に抱えていた白いものを切り離した。

 

 重量を軽くするため、爆弾を切り離したものと誰もが思った。

 だが、それは地面に向かって高度を下げていくと、突如後ろから炎を噴き出す。

 それは推力となって白い物体を前へ進め、瞬く間に離れていく。

『な、なんだ!?』

 隊長の焦る声をよそに、白い物体はイヅルマの町へ向かっていく。

 そして建物に激突し大きな爆炎を、爆発音をあげた。

 

 

 

 

 

 大きな爆発が地面を揺らし、同時に発生した爆風が窓のガラスや建物の壁を激しく揺さぶる。

「……何事!」

 激しく波打つ紅茶のカップをテーブルに置き、ユーリアは窓から外の様子を見る。

「何があったの?」

 町の一角から炎が上がり、人々が逃げ惑っている。

 爆撃でも受けたのかと思ったが、付近に投下したと思しき機体はない。

 かといって、ハルカがいるのに爆撃機をむざむざ見逃すとも思えない。

 周囲には残骸らしき白色の破片が転がっている。

 ユーリアが見たこともないものだった。

「何か新しい手を思いついたのかしら?」

 彼女の胸に、新たな疑念が宿った。

 

 

 

 

「な……」

 皆が言葉を失った。

「なんだ、あれは……」

 イヅルマの町の一角から上がる煙を見ながら、ユーリア護衛隊の隊長はうめくように言葉を絞り出した。

 爆弾かと思っていたら、自力で飛行して建物に激突。町で爆発をおこした。

 幸いにしてユーリア議員が対談を行っている場所ではないが、次も無事とは限らない。

 これまで、見たこともないものだった。

 どうすればいいのか、隊長の頭の中が疑問で溢れそうになる。

 その隊長の横を、蒼い翼が追い抜いていった。

 

 

 

 ハルカは零戦を加速させると、一式陸攻の上方から襲い掛かった。

 スロットルレバーについている20mm機銃の安全装置を外して引き金を引き、機首の13.2mm機銃と主翼の20mm機銃が咆哮を上げた。

 機銃弾は一式陸攻の主翼付け根とエンジンに命中。瞬く間に火災が発生しエンジンも停止。空中で爆発を起こした。

「残り4機」

 降下から上昇に転じ、手近な一式陸攻に下方から襲い掛かる。

 彼女は胴体下に吊り下げられた白い飛行機のような物体を陸攻の胴体ごと撃ち抜いた。

 残り3機。

 上昇から旋回し、陸攻のエンジンを正面から撃ち抜く。

 他の陸攻に狙いをかえ、下方から機銃を放ち、2基のエンジンと胴体下の爆弾を破壊。

「残り1機」

 急いで速度を増して、彼女は最後の陸攻を追いかける。

 胴体後端の機銃を回避しつつ、彼女は片方の主翼の付け根に機銃弾を叩き込む。

 燃料に引火して火災が発生。消火装置が作動するもこれで撃墜、のはずだった。

 

 機体が炎に包まれる直前、胴体下の白い物体を切り離した。

 

「しまった!」

 白い物体は、イヅルマの町へ向けて高度を下げていく。

 ハルカも機首を下げて急いで白い物体のあとを追う。

 降下角度が次第に急になり、速度が増し、同時に機体の振動が増してくる。

 いくら急降下速度が増している52型丙でも、次第に限界速度に近づいてくる。

「も、もう少し……」

 機体の振動で照準器がぶれ、小さな標的に定めることが難しくなる。

 できるだけ距離を詰めて照準器のサークルを合わせ、彼女は引き金を引いた。

 3丁の機銃が一斉に放たれ、白い標的に殺到する。

 銃弾が白い物体の後部から中央にかけて命中し、穴が開く。

 その中の数発が機首の中央付近に命中。炎が上がった。

 

―――まずい!

 

 反射的に危険を察した彼女はスロットルレバーを絞って操縦桿を引き、機首をあげた。直後、白い物体が爆発を起こした。

 強烈な爆風が、彼女の愛機を襲い、爆炎が彼女を包み込んだ。

 

 



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第4話 存在してはいけなかったもの

空賊らしき襲撃者をなんとか撃退できたユーリア護衛隊。
ユーリアは護衛隊とカナリア自警団を連れ、敵の新兵器と
思われるものの調査を行う。
その物体を見た彼女は、記憶の奥底から忘れていた、
祖父の言葉を思い出す。



「ハルカ君!」

 隊長は叫んでいた。

 白い物体の破壊には成功したものの、大きな爆発が起こり、煙が彼女の機体を包み込んだ。

 今すぐにでも彼女の安否を確認したいところだが、彼女が無事に出てきた直後に衝突しかねないため、距離を保ったまま状況を見る。

『お兄ちゃん、空賊が引いていく』

 弟の言う通り風防から見渡すと、空賊と思われる護衛機が撤退していくのが目に入る。

 直後、煙から彼女の零戦が姿を表した。

 隊長はすぐさま彼女の零戦に自身の鍾馗を近づける。

 彼女は耳を指さして、両腕を交差させてバツ印を作っている。無線が故障して聞こえないのだろう。

 隊長は手招きする仕草をして、滑走路を指さし、ついてくるよう指示する。

 彼女は了承したのか、翼を上下に振って合図をした。

 そして、彼らは滑走路へと進路を向けた。

 

 

 

 

 滑走路に無事降り立つと、ハルカは風防を開け大きく息を吐き出した。

「嬢ちゃん!」

 顔を跳ね上げると、操縦席を覗き込む整備班長の姿があった。

 額に汗が滲み、焦った顔をしている。

「あ、班長。レイのチェックを」

「嬢ちゃんは無事なのか!?」

「ええ……、無事ですけど」

 彼女は淡々と、それがどうかしたの、みたいな口調で言い放った。

「本当なのか!?」

「心配しすぎですよ、班長。それより」

「てめえら!機体の整備は任せる!嬢ちゃんは飛行船にいる医者のところへいくぞ!」

 いうなり、班長は彼女の手を引っ張ってひきずっていこうとする。

「ちょ、心配しすぎですよ!班長!」

 いっても班長は聞いてくれない。

 議員の乗る飛行船には、体調を崩したときや護衛隊員が負傷した場合を考えて医者が乗っている。

「私は大丈夫ですから、そんな大げさに考えなくても」

「嬢ちゃんの大丈夫は信用ならねえ!ナガヤの件で、わしらがどれだけ心配したと思っている!」

 ナガヤで1人無茶な戦いをして不時着。殺されそうになった件は、コトブキ飛行隊だけでなく、ユーリア議員、護衛隊、整備員にまである種のトラウマを植え付けることになってしまった。

 その影響か、彼女が大丈夫と必死に主張してもまず聞き入れてもらえない。

 自業自得なのであるが。

 その後、業を煮やした班長はハルカを米俵を担ぐように肩に抱え上げ、飛行船に向かって全力疾走していったのだった。

 

 

 

 

「班長、心配していたのだな」

「そりゃあそうっすよ。班長、あの子のこと可愛がってますから」

 そんな様子を見送る護衛隊と整備員たち。

「そんじゃ、機体の整備を始めるぞ!」

 整備員たちは工具片手に零戦や鍾馗の整備に取り掛かっていく。

「みんな、お疲れ様」

 護衛隊員たちは声に振り返った。

 声の方向には、アコとシノに護衛されたユーリア議員が立っていた。

「ユーリア議員、ご無事でしたか」

「あの程度でくたばってなるものですか」

 平常運転のユーリア議員に皆は苦笑すると同時にほっとする。

 彼女はふと周囲を見渡した。

「ハルカの姿が見えないけど?」

「あ~。彼女は爆発に巻き込まれたので、念のためと整備班長に飛行船の医務室に連れていかれました」

「そう……」

 すると、護衛隊員たちは背筋を震わせた。

 ユーリア議員の背後から、何か禍々しい殺意のオーラのようなものを感じたからだ。

「あの子、また1人危険なことに足を突っ込んで……」

 額に青筋が立っているユーリア議員を見て、その場の誰もが悟った。

 間違いなく議員は怒っている、と。

「まあそのことはあとでいいわ。それより……」

 表情を引き締めたユーリアは隊長に問いかけた。

「隊長、何やら今回の相手は見たことないものを使ってきたみたいだけど?」

「はい。白い爆弾のようなものを、一式陸攻が抱えていたのを全員が見ています。陸攻から切り離されたそれは、自身で飛行しイヅルマの建物にぶつかり爆発したんです」

「爆弾が自分で飛行を?確かなの?」

「間違いありません」

 ユーリアは顎に手をあて、何やら考え事をしている。

「アコ団長」

「はい、なんでしょう!?」

「……車を用意できる?現場を見てみたいわ」

 全員が目を見開いた。

「で、ですが議員。もし議員の身に何かあったら……」

「あなたたちも同行して頂戴。それとも、この状況を放置するつもり?」

 本来なら、危険な現場に議員を連れていくなど論外だが、この人は一度行ったら引かない。

「……わかりました」

 アコは無線で要件を伝える。

「よろしいのですか?」

「この状況は放っておけないわ。もし連中がただの空賊じゃないなら、もし自由博愛連合の残党というなら、早く手を撃たないと大変なことになる。今は少しでも多くの情報がいる。安全な場所で待っている場合じゃないわ」

「……わかりました」

 その後、アコの手配したトラックなどに乗り、ユーリアは隊長と副隊長を連れ、陸攻の墜落地点や被害にあった場所へと向かった。

 

 

 

 

「よかったな、何もなくて」

「だから、大丈夫って」

 飛行船のタラップから下りつつ、整備班長はハルカの頭をわしゃわしゃと撫でる。

 飛行船に同乗してきた医師に診てもらった結果、ハルカは外傷はないと診断された。

「何言ってやがる。ナガヤの件で嬢ちゃんが殺されそうになったとき、目を覚ますまでの間、みんながどれだけ心配したと思ってやがんだ」

「……ごめんなさい」

  あの一件は、本当に周囲を心配させたのだと、彼女は痛感する。

「そう思うなら、わが身を省みない行動は慎むことだ。誰もそんなこと望んでねえんだから」

「……はい」

 心当たりが多いだけに、彼女は言い返せない。

「嬢ちゃんが眠っていた間、護衛隊の空間がどれだけ息苦しくてぎすぎすしていたか、わかるか?」

「そんな大げさな……」

「大げさなんかじゃねえ。中には一日中項垂れていたやつもいるくらいだ。嬢ちゃんが俺たちにとってどれだけ大事か、わかるか?」

 人によっては、大事な清涼剤、という文言が入りそうだが。

「申し訳、ありませんでした」

「じゃあ、もう少し周りを頼るこったな」

「ひゃっ!」

 ふと、班長の右手が、ハルカのお尻をポンと軽くたたいた。不意を突かれた彼女は小さな悲鳴をあげる。

「今回の陸攻は全て嬢ちゃんが落としたみたいだが、護衛隊の奴らが良くぼやいているぞ。嬢ちゃんが自分達をたよってくれないって」

 それは悪い癖だとユーリア議員からも散々言われているのだが、なかなか長年空賊生活で染みついた癖は抜けるものではなかった。

「嬢ちゃんに助けられてばかりじゃ、俺たちも納得がいかない。ちょっとしたことでもいい。少しは甘えたらどうだ?」

「甘えるって……」

 こういう遠慮のない接し方は、オウニ商会のナツオ班長と同じく、ハルカにはありがたかったが、彼女には甘え方がわからなかった。

「そうだな、たとえば……」

 瞬間、班長はその場から飛びのいた。

 目を丸くするハルカの前、さきほど班長がいた場所に大きめのスパナが飛んできて、地面のコンクリートをえぐった。

「……は?」

 班長は工具の飛んできた方向に視線を向ける。

「申し訳ありません、班長。手が滑ってしまいまして~」

「おう、そうかそうか。手が滑ったか~」

 明らかに棒読みでいうのは、ユーリア護衛隊の整備員たちだった。

 全員が、明らかに口元は笑っていても、視線だけは殺気を班長に送っていた。

「手が滑ったんじゃ、しゃ~ね~な~」

 首を傾げるハルカをよそに、班長は悟っていた。さっき嬢ちゃんもとい、ハルカのデリケートな部分を触った瞬間を目撃されたのであろうことを。

 その報復でスパナを投げつけてきたのであろうと。

「あ、班長。ユーリア議員から伝言です!」

 班長の部下が、小さな紙切れを渡してきた。

「ユーリア議員が嬢ちゃんをつれて、急いで爆発のあった場所に来て欲しい、と」

「わかった。嬢ちゃん、いくぞ」

 そばにあった車のエンジンをかけ、助手席に彼女を乗せ、2人は目的地に急いだ。

 

 

 

 

 

「何かしら、これ」

 イヅルマで被害を受けた場所を含め、ユーリアたちは一式陸攻が落ちた場所を順番に回っていた。

 目的はイヅルマに被害を与えた、敵の新兵器と思われるあの白色の物体。

 だが、無事な現物は見つからなかった。

 イヅルマに向かって放たれた1個は、原型をとどめることなくバラバラになってしまった。なので、他の一式陸攻が吊り下げていたものが無事じゃないかと皆は考えた。

 だがその結果も芳しくなかった。

その白い物体は、一式陸攻の胴体下に吊り下げられていた。

 その陸攻をハルカが攻撃した際、その白い物体ごと機体を貫通したものや、切り離した後に彼女が破壊したものは原型をとどめていない。

 そんな中で幸い、比較的破損が少ないものが1個だけあった。

 その1個をユーリアと護衛隊、カナリア自警団の面々が眺めている。

 イヅルマの一角に大きな爆発を起こした件から、無論先端の炸薬と思われる部分は外してある。

 だが、その特異な姿に皆が首を傾げている。

「見たことない飛行機ですね」

「これ、飛行機なんでしょうか?」

「初めて見る形ね」

 彼らの前にあるのは、飛行機のような細長い胴体、人が1人入れるかどうかの狭い座席、そして飛行機というにはいささか短い主翼に、双垂直尾翼。

 何より、その飛行機にはプロペラがなく、機首は爆弾のように丸い形状をしている。

「どうやって飛んでいたのかしら?」

「確か、後部から何か炎のようなものを噴射していましたので、ロケットエンジンかもしれません」

 イジツで使われている飛行機は、殆どがプロペラがある。

 かつてイケスカ動乱で目撃された、イサオが乗っていた震電にもプロペラがなかったとされているが、あの震電のエンジンについては動乱後におこなわれた調査でも結局わからず、それを除けばほとんどない。

 護衛隊隊長のいうように、レシプロエンジン以外にロケットエンジンもないわけではないが、燃焼時間が短いゆえに長い距離を飛ぶには不向きで、都市間の移動が不可能とされているため、かつて富嶽迎撃戦においてコトブキ飛行隊が使用した、又は穴に羽衣丸を突っ込ませたときのように短時間の加速に用いられるのが精々だ。

 なので、ロケットエンジンのみを搭載した飛行機など、都市間の距離が長いイジツではそもそも存在する意味がない。

 それに、この機体の操縦席より前は殆どが炸薬で占められていた。

 これでは、飛行機というより爆弾だ。

 だが、爆弾なら目標上空で投下するはず。何より、座席のある飛行機自体を爆弾にするとは、パイロットはどうなる。

 どうも要領を得ない物体に彼らは頭を悩ませている。

 ふと、現場に1台の車が到着した。

 

 

 

 

 班長がブレーキを踏み、目的の場所へ到着するとエンジンを切り、車から降りた。

 それに続いて、ハルカも車から下りる。

 イヅルマから離れた荒野で撃墜した一式陸攻の残骸が転がる中、ユーリア議員たちが注目しているのは、陸攻が抱えていた謎の白い物体。

 間近で見ると、それは飛行機というにはあまりに小さな胴体に翼。

「班長、これが何かわかるかしら?」

 班長は、首をひねって唸る。

「さあな……。わしも見るのは初めてだ」

「長生きの班長でもしらないとは……」

「なら、相手の新兵器かしら?」

「相手?」

「……イサオのお友達の生き残りよ。ただの空賊が、こんなものや陸攻を持っているわけないでしょう?」

 ユーリア議員のいうことは、恐らく当たっている。

 ただの空賊が陸攻など保有することはできないし、ましてこんな見たことないものを持っているはずもない。

 空賊の目的は、あくまで略奪。

 そう考えれば、飛行船産業という空賊にとってはうまみが少ない町を襲う理由など、普通の空賊にはない。

 だが、自由博愛連合にもうまみは少ない。戦闘機技術ならまだしも、飛行船は彼らにもうまみは少ないように見える。

 そう考えると、これが新兵器だというならば彼らがこのイヅルマを襲った理由はなにか。

 ユーリア議員の抹殺が目的なのか。

 どこから議員の所在についての情報が漏れたのかは気になるが。

 だが、本当にそれだけだろうか?

 ユーリア議員1人を殺すのに、陸攻を6機、それも新兵器まで投入となると、ちょっと過剰にも思える。

 それとも、彼らが欲する何かがこのイヅルマにある、ということだろうか。

「ハ~ルカ~」

 ふと意識が現実に引き戻され、彼女は顔を上げる。

「何しているの?あなたも来なさい」

「……はい!」

 ハルカは呼ばれ、議員のもとへと歩き出す。

 そして、あの白い物体の残骸が視界に入った。

 

 

 白く塗られ飛行機にしては細い胴体、短い主翼に双垂直尾翼、機首内部に詰め込まれた大量の炸薬、狭い操縦席。

 そして、それに推力を与えるロケットエンジン。

 

 

 そのときだった。

 

 

 その物体の詳細が良く見えて、少し心臓の鼓動が激しさを増す。

 さっき撃墜したときは無我夢中で気づかなかった。

 彼女は胸のあたりを押さえた。

思い出した。

 これが何であるか、何の目的で作られたのかを。

 脳の奥底から、昔の記憶が浮上してくる。

 

 

 

 

『お爺ちゃん』

 あれは、祖父のタカヒトお爺ちゃんの部屋で、本を読んでいたときのこと。

 本棚の一角に、古びた紙の束を見つけた。

好奇心で中を覗いて、彼女は首をひねった。

『どうした?』

『この飛行機、プロペラがないよ?』

 そこには細い胴体に、小さな翼が取り付けられた飛行機のようなものが描かれていた。

 だが違和感を抱いたのは、飛行機ならあるはずのプロペラがなかったからだ。

 それを見た祖父は、表情を曇らせた。

『それはな、飛行機じゃないんだ』

『え、でも翼があるよ?』

『それは、飛ぶための翼じゃないんだ』

 どうも要領を得ず、ハルカは首をひねる。

『じゃあ、これはなんなの?』

 すると、祖父は悲しそうな顔で言った。

 

 

 

『これはな、存在してはいけなかったもの(・・・・・・・・・・・・・)なんだ』

 

 

 

 彼女は再び紙に視線を落とす。設計図のようなものには、沢山の線が引かれている。

 他の紙を見ると、文字が一杯書かれている。

 イジツで使われているものとは、少し違う文字。

 でも、彼女はその文字を読むことができた。

 その場でそのページに書かれていた文字を解読し、内容を知った。

 そして、彼女は戦慄した。

 この紙に描かれていたものの、その悪魔的ともいえる使用方法に。

 祖父が、存在してはいけないものだったといった、その意味を。

『ハルカ』

 顔を上げると、そこには悲しさをにじませた祖父の顔があった。

『これのことは忘れなさい。それより、もっと面白い本があるぞ』

 祖父がすすめてくれる他の本に、彼女は夢中になった。

 でも、先ほど見たあれが頭のどこかに引っかかったまま、彼女から離れなかった。

 

 

 

 

「……ちゃん、嬢ちゃん!」

「……へ?」

 ふと意識が現実に戻されると、目の前には心配そうな顔をしたユーリア議員や隊長たちがいた。

「大丈夫か?」

「あれ……」

 見下ろせば、彼女は膝をおっていて、班長に後ろから支えられる形で立っていた。

「すいません……。急にめまいがし」

 体が宙に浮きあがるのを感じた。

 いつの間にか、整備班長が彼女の太ももの裏と背中に腕を回して抱え上げた。

 さすが整備班長。長年重い部品を扱い続けた腕っぷしは伊達じゃない、などと感心している場合ではない。

「ちょ、ちょっと!」

「議員、悪いが嬢ちゃんは飛行船につれてかえるぞ~」

「……そうね。次に備えて休んでいなさい」

「隊長、カメラおいていくから写真頼む。あとで見るわ」

「頼まれました、班長」

 彼女の意向を無視して流れ作業のように決まると、班長は車の助手席に彼女を押し込み、運転席に座り車を発進させ、飛行船へと急ぎむかった。

 

 

 

 

 

「大丈夫でしょうか、彼女……」

 去り行く車を見ながら、隊長はつぶやく。

「さっきあれだけの空戦のあとだから、仕方がないよ、お兄ちゃん」

 その背後で、ユーリアは鋭い視線を車へ向けていた。

 正確には、その車に乗る彼女に……。

 この残骸を見てもらおうと彼女を呼んで間もなく、彼女は残骸を見ると目を見開き、呼吸が少し荒くなり、胸のあたりをつかんだのをユーリアは見た。

 思えば、先ほどの空戦であの白い物体の威力を見て皆が呆然とする中、彼女は即座に行動を起こし、そして陸攻の撃墜に動いた。

 素早く行動に移せたことや、この白い物体の破壊ではなく、陸攻への攻撃を優先して行ったこと。

 もしかしたら、彼女はこれがどういうものか知っているのではないか。

 そうユーリアは考えた。

 だとすると気になる点がある。

 長生きしている整備班長さえ見たことがない代物であり、相手の新兵器の可能性があるものの情報を、彼女がどこで手に入れたか。 

 だが、先ほどの様子を見ると、無理に問いただすことはためらわれる。

 まずは、彼女が落ち着くのを待つことにしよう。

「あの、ユーリア議員」

 カナリア自警団団長のアコが無線機片手に近づいてくる。

 その表情は気のせいか、少し曇っている。

「連絡です。市長が来て欲しい、と」

「……わかったわ」

 ユーリアは隊長たちを連れ、アコたちに誘導されイヅルマ市街へと向かった。

 

 

 

 

 

 

「そんじゃ嬢ちゃん、ちゃんと休んでいるんだぞ」

「はい、班長」

 ベッドに半ば強引に連れられてきたハルカは、班長に寝るよう言われる。

 そして、頭をわしゃわしゃと撫でられる。

 傍目に孫を可愛がる祖父、そんな感じに見えることだろう。

「でも、班長。今ユーリア議員は……」

「隊長たちがついている。それにまた空賊が来たとき、嬢ちゃんが飛べないほうが問題だ」

 班長はドアを開ける。

「嬢ちゃんの相棒は、しっかりみておく。嬢ちゃんも休んでおくんだぞ」

「……はい」

 班長は笑みを浮かべ、格納庫へと向かっていった。

 ハルカは、少し申し訳なく思った。

 あの時気を失いかけたのは、疲労のせいじゃない。とは言い切れないが、主な原因は別にある。

 

 かつて祖父から聞かされた、あの兵器のことを思い出した。

 

 もう忘れていたのに。

 

 それが形を得て、このイヅルマに現れた。

 

「誰が、あれを……」

 

 あの白い物体が何であるのか、彼女は知っていた。

 

 それを思い出したとき、彼女は行動が乱れた。

 ユーリア議員は、もしかしたら感づいているかもしれない。

 あとで問い詰められるかもしれない。

「まあ、そのときは……」

 突如、部屋のドアがノックされる。

「ハルカ君、いるか?」

「隊長?」

 ドアを開けて入ってきたのは、護衛隊の隊長だった。

「休んでいるところすまない。緊急事態だ、来て欲しい」

 穏やかじゃないことを悟った彼女は上着をつかんで、隊長のあとを追った。

 



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第5話 死をよぶサクラ

イヅルマ市長に呼び出されたユーリア議員は、市長の口から
とんでもないことを告げられる。
先ほどの空賊たちの次の襲撃に備える護衛隊だが、新兵器の情報
が全くない。皆が困る中、ユーリア議員は彼女を問いただす。
彼女の口から告げられた、新兵器の正体とは……。


「一体どういうつもりなのかしら?」

 ユーリア議員が敵意を隠そうともせず、目の前の老人をにらみつける。

 

「……イヅルマ市長」

 

 向かい合って座るイヅルマの市長は、ため息を吐き出す。

「さきほど申し上げた通りです」

 イヅルマ市長は言い放った。

 

 

「さきほど、このイヅルマを襲った空賊から、これ以上の襲撃を受けたくなければ、あなたを引き渡すよう要求がありました。私はこのイヅルマを守るため、あらゆる選択肢を排除しない考えでいる、と」

 

 

「それはつまり、私を空賊に引き渡すということ?」

「あらゆる選択肢を排除しない。……そう言っているだけです」

 ユーリアは表情を険しくする。明言はさけていても、そう言っていることに等しい。

「彼らは、明後日にまた襲撃をすると。それ以後も返答がない場合は、イヅルマを襲撃し続ける。そういっていました」

「それに対して、あなたは町を守るために、他都市の議員を引き渡すというの?」

「私にはこの町を守る義務があります。そのため、あらゆる選択肢を模索するのは、当然のことでしょう?」

「そのために他都市の議員を引き渡すなんて話、聞いたことないけど」

 空賊が政治家の引き渡しを求めること自体が、今は珍しい例だ。

 誘拐して身代金を、などと想像するかもしれないが、政治家相手にそれができる空賊などいないし、身代金を要求するなら、護衛がついていて手間のかかる政治家よりも、金持ちの子供を誘拐したほうがまだ安全策だ。

 何より、他都市からの来客にこんなことをしてしまえば、周囲の都市からの視線は冷たいものになり、そんな都市と関係は持ちたくないと、交流が次第に乏しくなっていく。

 身の安全の保障されない都市に行きたがる政治家など、どこにもいない。

 そう考えるのだが、今のイヅルマ市長はその選択肢を排除しないといっている。

 そんなことをすればどうなるか、わからないわけではあるまい。

「そうでしょう。しかし、町を守るためにあらゆる可能性を模索するのが、我々政治家の役目です」

「でも、それを行うのはうてる手をうってからのこと。自警団は使わないの?」

「あなたの用心棒が全て落としました。修理には、まだしばし時間がかかります」

「……だから私を引き渡して幕を早々に引こうっていうの?」

「早々にとは考えておりません。いずれにしても、自警団が動けない以上、私にとれる手はこれくらいのものです。あなたが自前の護衛隊でやるのは構いません。しかし、それで次の襲撃を防げなければ、この町に被害が出るようなら、私は最後の手段に訴えるつもりです」

「その最後の手段を使えばどうなるか、わからないわけじゃないでしょう?」

 

 

「問題ありません。それでも我々は、それによって立つであろう悪評をはねのけられるだけのものがあります」

 

 

 ユーリアは訝し気な顔をする。

 この市長の自信の源はなにか。

 いくら飛行船産業で栄えている町とはいえ、それで空賊に屈した、他都市の議員を引き渡した悪評をはねのけ、周辺都市の信頼を損なわないほど強力かは疑問符がつく。

 いずれにしても、こんな市長と話しているだけ時間の無駄だ。

「失礼するわ、市長」

 ユーリアは静かに、市長の部屋を出た。

 

 

 

 

 

「そんなことが……」

 隊長からことのいきさつを聞いたハルカは、言葉を失った。

「まさか、イヅルマの市長がこんな判断をするとは……」

 隊長は頭を抱えている。日頃、空賊に対して譲らない、屈服しないを旨としているユーリアのそばにいるから考えなかった。

 このような判断をする人物がいるなど、蚊帳の外だった。

「とりあえずわかっていることは、今日ここを襲撃に来た連中は、私の引き渡しを求めていること。次に、明後日襲撃を行う予定であること。その際にイヅルマに被害が出た場合、イヅルマ市長は私を引き渡すつもりでいること……」

 隊長に副隊長、ハルカたちは俯く。

 また襲撃があるということは、あの白い物体がまた使われる可能性がある。

 いや、間違いなく使われる。

 ならば、明後日の襲撃時になんとしてでもイヅルマに被害を与えてはいけない。

 それには、この町に到着する前に迎え撃つしかない。

 それを、護衛隊9機の戦力のみで。

 ふと、部屋のドアがノックされる。

「ユーリア議員、いらっしゃいますか?」

「……入って」

「失礼します」

 ドアを開けて入ってきたのは、カナリア自警団団長のアコと、団員のシノだった。

「何の用かしら?私を引き渡す準備に来たのかしら?」

 ユーリアの視線が、敵意を含んだように鋭くなり、アコとシノが一瞬怯えた。

「いえ、その……」

「私たちにも、協力させてください」

 おびえるアコをよそに、シノが答えた。

「……協力?」

「はい!このまま議員を空賊に引き渡すのを、黙ってみていることはできません!私たちも手伝います。いえ、手伝わせてください!」

「……でも、あなたたちの紫電は修理中なのでしょう?」

「明日には修理が完了する目途が立ちました」

「でも、イヅルマ市長はあなたたちを使う気はないように見えたけど?」

 先ほどユーリアは市長と話した際、自警団の機体の修理が完了すると思っていないようだったし、使う気があるのかもわからない口ぶりだった。

 それに、自警団はイヅルマという町の持ち物。勝手な行動は許されない。

 

「でも、私たちは自警団です!イヅルマを守るためとはいえ、お客さんを引き渡すなんて、そんなことしたら私たち自警団の名折れ。私たちの存在する理由を奪うことに他なりません。それだけは、何があってもやってはいけません!」

 

 町を守るための自警団。市長の意向で動くとしても、やってはいけない一線というものがある。

 自警団が空賊の要求をのんであっさり応じるようでは、彼らは自分達の存在意義を失ってしまう。

「……わかったわ」

 ため息を吐き出したユーリアは、アコとシノに座るよう促す。

 2人は礼をしてからユーリアの正面に座った。

「ではまず、今わかっている空賊の戦力について、情報を共有したいのですが……」

「戦力は、護衛の52型はまた来るだろう。そして一式陸攻と、あの白い物体が使われるだろうな」

「あの白い物体について、何かわかりましたか?」

 すると隊長は、整備班長が依頼した写真を机の上に並べた。

「それが、さっぱり。古参の整備班長でも、こんなもの見たことないそうだ」

「そうですか……」

「整備班長のジノリさんも、見たことないっていっていたわね」

 アコが、カナリア自警団の整備班長ですと補足する。

「結局、あの物体が何なのか情報がまるでない、ということね……」

 部屋に沈黙が訪れる。

 ふと、ユーリアは左のソファーに視線を向ける。

「……ハルカ」

「……はい」

 彼女はゆっくりとした動作で視線を向けてきた。

「あなた、あれについて何かしらない?」

「え……。その、知らない、です」

 ユーリアは視線を細めた。

 さきほど、彼女が視線を逸らすのを見逃さなかった。

 確信を得た。彼女は何かを知っている。

 でも、問いただしたところで、彼女は口を開かないだろう。

 

 

「そうなの……。にしては、あの白い物体が使われたあと、随分的確に攻撃をしていたようだけど?陸攻を撃墜するとか」

 

 

 ハルカの目が一瞬見開かれた。

「そういえば……。君はあの爆発に我々が驚いている中、すぐ行動に移せていたな」

 隊長が思い出したように言う。

「ねえ、どうして?」

 優しくユーリアは問いかけるが、それがかえって恐ろしいのかハルカの顔がこわばる。

「やっぱり、何か知っているんじゃないの?」

 否定できない事実を並べ、ユーリアは彼女の逃げ道をふさいでいく。

「え、その……。ただ、記憶が朧気なので……」

 咄嗟の言い訳なのだろうが、これで彼女は認めたようなものだ。

「そう。じゃあ、朧気でもいいから話してくれないかしら?」

 彼女はハッとした表情になるが、もう遅い。

「そうですよ、それが突破口になるかもしれません。朧気でもいいから、今は情報が必要なんです!」

 アコの力説も加わり、彼女は遂に言い逃れができなくなった。

 ユーリアは内心でアコに感謝しつつ、ハルカに視線を戻す。

「ハルカ、返事は?」

「……わかりました」

 彼女は遂に観念した。

「ですけど、ユーハングの残した資料を読んだだけで、私も実物を見るのは初めてです。記憶も朧気ですが、それでも?」

「ええ、勿論」

 ユーリアは先を促す。ハルカは大きく息を吐き出した後、口を開いた。

「この白い物体ですが、先も言ったように、ユーハングの残していった資料の中に記載がありました」

「これは、ユーハングの遺産なのか?」

「おそらく……。この白い物体はユーハングが生み出した、特殊攻撃に用いるための決戦兵器」

 彼女は一度言葉を切り、絞り出すようにその名を口にした。

 

 

「名前は確か、桜花といいます」

 

 

「桜花?」

 初めて聞く名前に、皆が首を傾げる。

「桜花は、爆薬を機首の内部に搭載し、その後ろに操縦席があります。主翼は短く、安定性を高めるために双垂直尾翼を装備。最大の特徴は、この機体は従来のプロペラではなく、ロケットエンジンで推力を得るんです」

「でも、ロケットエンジンじゃ長い距離は飛べないんじゃ?」

「はい。ですから、一式陸攻が運んでいたんです」

「そもそも、これは何に使うの?機銃の1つも装備していないようだけど?」

「炸薬を積んでいるから爆弾かと思いきや、操縦席があるとか、よくわからないんだが……」

 ふと、ハルカの表情が曇った。

 アコにシノ、隊長の抱いた違和感は間違っていない。

 あんな使い方をするなど、普通は思わない。

「桜花は……、特殊な攻撃を行うために作られたんです」

 皆が首を傾げる。

「この兵器は、ロケットエンジンで推力を得ながら、パイロットが操縦して機体を誘導。そして、目標目掛けて直進し、機首の炸薬で損傷を与える」

「ちょっと待てハルカ君!それじゃあまるで体当たりだ!パイロットはどうなる?」

 慌てる隊長に、彼女は静かに言った。

 

 

「パイロットは、機体もろとも死にます。この桜花は、パイロットの命を弾のように打ち出し、引き換えに、敵に多大な損害を与えるものなんです」

 

 

 皆が目を見開いた。

 その、悪魔ともいえる使い方に。

 このイジツに空を飛ぶ技術をもたらし、反映に大きく貢献したユーハングが、そんな兵器を生み出していたことに、少なからずショックを受けている様子だ。

 

 

「でも、今回使われた桜花に人は乗っていませんでした。代わりに操縦席にあったのは、機械の箱のようなものですけど……」

 

 

 ハルカは、机の上に置かれた写真を手に取る。

 残骸から察するに、今回使われた桜花には人が乗っていない。

 最後に投下された桜花を追った際にも、操縦席に人がいたようには見えなかった。

 操縦席にあったのは、何か機械が収められているのであろう金属製の箱のようなものだけだった。

「これ、何だと思う?」

 ユーリア議員の言葉に、彼女は首を横に振った。

「人の変わりを、この機械が担っている可能性はあります。旧自由博愛連合の残党が、人的資源を使い捨てにできるほど、余裕のある状態とは思えません」

 イケスカ動乱以降、会長であったイサオ氏が穴に消えたあと、自由博愛連合は瓦解。

 後継を自任するものたちで半ば争っている状態だった。

 かつては連合に参加していた都市も多くが離れ、飛行隊だった人間たちも空賊に流れた今、人的資源には限りがあるはず。

 にも関わらず、いくら与える損失は大きいとはいえ、人的資源を弾として打ち出す桜花をユーハングが使用した通りに運用できるとは思えない。

「きっと、今回使われた桜花は、何かしら改造が施されている可能性があります」

「例えば?」

「そうですね……。流星や天山、銀河のようなオートパイロットが搭載されている、とか」

「なるほど、なら無人であっても不思議じゃないな」

「……ですが、流星などに使われているオートパイロットは、あくまで方位や高度を固定するものです。桜花は、一定高度まで下がると自動でエンジンが始動していました。そこまではできないはず……」

「できるかも、しれません」

 それまで静観していたアコが、突如口をはさんだ。

「私たちはそれができる機械、自動操縦装置を見たことがあります。それを作れる会社にも、心当たりがあります」

 彼女は立ち上がり、言った。

 

 

「聞きに行きましょう。元パロット社の社長、ウタカさんに」

 

 



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第6話 イヅルマの思惑

桜花から発見された自動操縦装置に見覚えが
あると言ったカナリア自警団のアコは、かつて
イヅルマで反乱を起こした元パロット社の社長
ウタカのもとを訪れる。
ウタカは、妙に強気なイヅルマ市長の決断に
違和感を覚えるようで……。


 暗い階段を下りた先に広がるのは、いくつもの鉄格子の部屋が並ぶ風景。小さな電球が明滅する暗い廊下を進み、鉄格子が並ぶ中で唯一、厚い鉄扉が設置されている部屋に通される。

 そこは、机と椅子が置かれただけの簡素な部屋だった。

 ここはイヅルマの地下にある、囚人の収容施設。

 アコたちは、机と椅子が置かれた簡素な部屋、面会室に入る。

 アコにシノに続いて、ユーリアが入る。彼女は隊長に副隊長、ハルカを連れて入る。

 間もなく面会室の扉が開き、目的の人物が看守に連れられてきた。

「久しぶりだね、カナリア自警団のアコ君、シノ君」

「お久しぶりです、ウタカさん」

 連れられてきたのは、灰色の髪の男性。一見すると地味だが、その視線の奥には油断できない、腹の底が読めない怪しさがあった。

 この人こそ目的の人物。イヅルマを支える飛行船産業の中核企業、パロット社の元社長のウタカである。

「自警団の君が、私に面会に来るとは何かな?現状が知りたい、というわけではなかろう」

 ウタカは、アコや周囲の人間を見渡した。

「見ない顔ぶれもいるね、婦人は、ガドール評議会のユーリア議員だな」

「そうよ。元パロット社の社長、ウタカさん」

「噂はかねがね。ガドールでは何かと暴れていたと。そんな議員がこんな囚人に、何の用かな?」

 ウタカはユーリアのそばの隊長たちを見る。

「護衛にしては随分若いね、お嬢さん」

 ハルカのことだと、ユーリアは察した。

「若くても腕は相当よ。悪魔と呼ばれるほどにはね」

「悪魔……」

 それでウタカは何かを察したようだ。

「そうか。蒼翼の悪魔……。蒼い翼の零戦のパイロットは、君か?」

「……私のことをご存じでしたか?」

「飛行船にかかわっていたものなら、その異名を知らぬものはいない。それに、一応この収容施設に閉じ込められていても、新聞は見られるからね。ユーリア議員と写っている記事を読んだことがある。君には感謝しなければならないね。君が飛行船を沢山落としてくれたおかげで、パロット社には依頼が沢山舞い込み、多大な利益を得ることができた」

 ハルカは表情を曇らせる。

「……嬉しくないです」

「正しい行いのみが、人の利益になるとは限らないさ」

「かつてこのイヅルマの膿を出し、腐敗を一掃しようと計画を進めたあなたがいうと、説得力が違うわね」

 ユーリアが言った。

 ウタカの行ったことは、アコやシノから聞いていた。穴に消えた友人を取り戻すために、その友人の最期を隠蔽したこのイヅルマという町の腐敗を一掃するため、裏で暗躍し、アコたちと敵対したこと。

「ウタカさんに、お聞きしたいことがあってきました」

「何かな?」

 

「パロット社は、自由博愛連合に協力していたんですか?」

 

 アコが、ここに来た本題を切り出した。

「なぜそう思う?」

 アコが、ここに来た理由をウタカにかいつまんで話した。

 

「なるほど、あの市長も思い切ったことを考える」

「このままでは、本当に議員を引き渡さないといけなくなります。次の襲撃での被害を防ぐためにも、敵が使った新兵器の情報が必要なんです」

「なぜ敵が自由博愛連合の残党だとわかった?」

「えっと……、ユーリア議員がイヅルマに来たのを見計らって襲撃に現れたので……」

「それだけでは断定できないのではないか?空賊という可能性も除外できないのではないかな?」

 アコが頭を働かせようと唸る。

 

「空賊とは考えにくいです。一式陸攻数機にそれを守る護衛機数十機、初めて見る兵器。そんなものを空賊が用意できるとは思えませんし、何よりイヅルマは空賊にとってうまみがない町です」

 

 ユーリアの後ろに控えていたハルカが口をはさんだ。

「というと?」

 ウタカが先を促すので彼女は続ける。

 

「イヅルマは、飛行船産業で栄えている町です。飛行船技術を手に入れても、空賊にはうまみはないです。それなら、医薬品や食料の生産都市や輸送船を直接襲ったほうが、利益が大きいです」

 

「流石元空賊。その通りだ」

 

 ユーリアの眉間に皺が寄る。

「このイヅルマを空賊が襲うなど、考えにくい。彼女が言った通り、得るものが少ないからだ。ユーリア議員がいたときを狙っての襲撃、先の理由から、敵は自由博愛連合の残党と考えるのが妥当だろう」

 アコはウタカの考えに頷く。

 彼は並べられた写真の1枚を持ち上げる。

「ところでこの新兵器についてだが、残念だが私はこれが何であるか知らない。なぜ私の所へ?」

「かつて、あなたがイヅルマで反乱を起こしたとき、飛行船をいくつも操るのに使っていた機械、自動操縦装置。あれと思われるものが、その新兵器で発見されたんです」

 アコは桜花の操縦席の写真を見せた。

「なるほど、これは確かにそのようだな。だが、パロット社は自由博愛連合には協力していない。私にとっては、自由博愛連合も反イケスカ連合も興味がなかったからね」

 ウタカにとって大事だったのは、あくまでこのイヅルマの膿を出し切ること。

そして、穴の向こうに消えた友人を取り戻すことだった。

「自動操縦装置は、目的の高度に達した瞬間にエンジンを始動させたり、方位や高度を固定することはできるんですか?」

「ああ、それらのことはできる。事前に設定が必要だがね」

「じゃあ、途中での変更は?」

「できない。自動とはいうが、そこまで器用な真似はできない」

 やはり、桜花には人が乗らなくていいよう改造がされているらしい。

 

「ところでアコ君、市長は本当に議員を引き渡すと言ったのかね?」

 

「ええ……」

 すると、ウタカは何かを考えるような仕草をする。

 

「信じがたいな……」

 

「なぜ、ですか?」

「そのままの意味だ。あの一件から、市長は変わったか?」

「いえ、ウタカさんが社長だった当時とかわっていません」

「あの市長は、我々にとって好都合だった。篭絡させやすかったし、自身で物事を決めることができない、日和見の市長だったからね」

 なんでも、イヅルマの市長や上役は代々世襲で、なりたいという意思を持ってなった人間がいないそうだ。

 そのせいか、カナリア自警団のエルやウタカの部下のカモメに篭絡されて都合よく操られていた時期があったとのこと。

 そんな市長では、裏で画策していたウタカに利用されるのもやむなしと言えるかもしれない。

「そんな市長が、他都市の議員を引き渡す決断を下すなど、違和感しかない。議会の決定にせよ、そんなことをすればガドールとの関係は悪化するし、周辺都市に噂が広まれば、どうなるかは容易に想像がつく」

「ですが、市長は関係が悪化したり、悪評が広まる心配はない、と……」

「そういえば、対談の際も市長は随分強気だったわね」

 ユーリアは、対談の際や先ほど話した時、市長が妙に強気だったのを覚えている。

「考えられるのは、脅されてそう言わなければならない状況に追い込まれている、ということだ」

「市長を追い込める人間が、どこにいるっていうのよ」

 シノが疑問を口にする。通常なら、都市の長である市長を脅したり追い詰められる存在などいないはずだ。

 

「町の古い権力者や資産家たちから、脅されている可能性がある」

 

「古い権力者たちが市長を脅すの?」

「通常なら考えられないだろう。だが、イヅルマではそれがあり得る。だからこそ、私はこのイヅルマを正すべく、事を起こした」

「……イヅルマの古い権力者や資産家たちは、どうやって市長を脅しているの?」

「アコ君、襲撃者たちの目的は何だと思う?」

 彼女は悩む。

「ユーリア議員の殺害、でしょうか?」

「それだけなら、引き渡しを求める必要はないし、猶予を与える意味もない。何か他に別の目的もあると考えるべきだろう」

 そこまで聞いて、アコたちは何かを察した。

 他都市の議員を引き渡してでも守らなければならない、イヅルマの宝と言えるもの。

「もしかして……」

 

「ああ。恐らく、穴からの落とし物だろう」

 

「穴……」

 皆が表情を険しくした。

 かつてこのイジツに大きな発展をもたらし、争いの火種にもなったユーハングの遺産。

 それは、このイジツに突如開いた穴を通ってきたものだ。

「このイヅルマは、かつては資源も何もない小さな町だった。だが、偶然開いた穴からの落し物によって発展した。落し物を手にしたものたちは、古い権力者や資産家だ。彼らは市長や議会、自警団の上層部につながり、落し物のことを秘匿し、莫大な富を得た。パロット社の飛行船技術の最重要の部分も、未だ秘匿されたままだ」

「もしかして、市長が議員を引き渡しても信頼を損ねることがない自信を持っていたのは」

「落とし物の存在のためだろうな。あれを餌にされれば、どこも食いついてくる」

 どこでも欲しがる穴からの落とし物。それをぶら下げられれば、恩恵があるなら、どの都市も必要以上に関係を悪化させることは避けたいはずだ。

 同時に、それはイヅルマの生命線。やすやすと引き渡しに応じることはないだろう。

「それを、今回の襲撃者たちは狙ってきた可能性がある、と?」

「おそらくは。先の襲撃も、イヅルマやユーリア議員を狙ってきたというより、落とし物を隠し持つ者たちに対する脅しかもしれないな」

 だから桜花という新兵器を、試験も兼ねて使ったのだろう。

 実際、あれはあらゆる意味で衝撃的であったし、脅しには十分な効果を持つだろう。

「それほどに彼らが欲しがる穴からの落とし物とは、なんでしょうか?」

「流石にそれはわからない。もっともどんな落とし物であれ、それを解釈して再現できるものがいなければガラクタ同然だ」

 確かに、どんな凄いものであろうとも、その価値を理解し、利用できる術を知るものがいなければ意味がない。

「だが、襲撃者たちは我々も知らないものを使ってきた。つまり、我々の先を行っている可能性が高い。解釈でき価値を知るものがいるということだろう」

「資産家や権力者たちはそれらを奪われたくないから、市長を脅してユーリア議員を引き渡し、幕を引こうと?」

「そう考えられる。遺産より議員1人引き渡すほうが、イヅルマにとっては損害が少ない」

「なんか複雑ね……」

 いくら穴からの落とし物の価値が凄いとはいえ、比較対象にされているユーリアにとっていい気はしない。

「いずれにしても、はっきりしていることは、今日の襲撃者たちが、また来るということ。襲撃を防げなければ、市長は議員を引き渡すつもりがあるということ。それだけだ」

「ところで、ウタカさん」

 ハルカが口をはさんだ。

「何かね?」

「……イヅルマは、穴からの落とし物で発展した。それは飛行船産業の中核、パロット社もそうなんですよね?」

「ああ」

 

「なら、パロット社にも遺産の解釈ができる人間が、いたということですよね?」

 

「その通りだ。自動操縦装置の技術も、権力者たちが隠していたものを引き取り、解析し、実用化したものだ」

「その自動操縦装置の実用化に関わった人物は、今どこに?」

 

 桜花を使ってきた勢力が自由博愛連合の残党なら、自動操縦装置がイヅルマに開いた穴からの落とし物であるなら、桜花にそれが使われているというなら、何らかの形でイケスカにその技術が流入する機会があったはず。

 

「アコ君、パロット社はどうなっている?」

「えっと、産業の保護を目的として、パロット社はイヅルマの市営企業になっています」

 前社長が失脚した際、パロット社をつぶそうという声も一部あったらしいが、あの会社を失うことはイヅルマの産業がなくなるということを意味する。

 それはイヅルマが少しずつ自滅の道を歩むことを意味するため、市が保有する企業として存続させることになったのだった。

 

 

「そうか。その遺産の解釈ができた人物は、この地下牢にかつてはいた」

 

 

 皆が目を見開いた。

「この、地下牢に?」

「彼は元々、イケスカから来た技術者でね。ユーハングの残した資料や、遺産の現物の解析ができた。一時期イケスカに帰ったが、その後何があったのかは知らないが、彼は再び協力する代わりに保護を求めてきた。そんな彼が希望した仕事場が、この地下牢だった。彼なら、もしかしたら何か知っているかもしれない」

「今もいるんですか?」

「ここから出されていなければね」

 アコは看守に確認をとる。

「幸いまだいるようです」

 看守がウタカの後ろに立った。

「そろそろ、戻ろうか」

「ウタカさん、ありがとうございました」

 アコは頭を下げて礼をする。

「何、大したことはしていない。それより、アコ君」

 彼女は顔を上げる。

「連中の狙いが落とし物なら、君たちが戦うことは、権力者や資産家を守ることを意味する。かつて、空の英雄と言われた君の父の最期を隠蔽した連中だ。それでも、君は戦うか?」

「はい。勿論です」

 間髪入れず、アコは答えた。

「私は自警団です。この町を守ることが、私の仕事です。……それに」

「それに?」

「お父さんも、きっとそうすると思いますから」

 アコは苦笑しながら言った。

「……そうか」

 ウタカは笑みを浮かべながら、看守に付き添われ鉄格子の向こうへと消えていった。

 

 

 

 

 アコたちに案内され、たどり着いたのは鉄格子の部屋。

 中には、老人という年齢の白髪の男性が静かに、片隅に置かれたベッドに寝っ転がっていた。

「あの、カナリア自警団のアコというものです。イケスカから来た、パロット社の技術者の方ですね」

 男性は何も応えず、体を起こすと値踏みするような視線でアコを見つめる。

「あの、あなたに聞きたいことがあるんです」

 アコは、桜花が写った写真を鉄格子へ向かってかざす。

「すみません、これに見覚えはありませんか?」

 男性は写真に目を向けるも、黙ったまま何も言葉を発さない。

「あの、何かご存じありませんか?」

 だが、男性は口を開かない。

「あなた、イケスカから来た技術者なんでしょう!?イヅルマが、今新しい兵器に襲われているの。何か知らない!?」

 シノが叫ぶように問いかけるも、男性は何も応えない。

「……urusai」

 ようやく口を開いたかと思えば、その言葉は聞きなれたイジツの言葉とは少し違っていた。

「あの、なんと言ったんですか?」

 男性はまた黙り込んでしまった。

「なんていったのよ!答えなさい!」

 2人やユーリアたちが必死に問いかえるも、男性が口を開くことはなく、やむなく一度引き上げることになった。

 



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第7話 失われた言葉

イケスカからやってきたパロット社の技術者だったという男性から
情報を聞き出そうとしたカナリア自警団であったが、男性の口は
堅く聞きなれない言葉で誤魔化されてしまう。
そんな中、皆が寝静まったころに、彼女は部屋を抜け出す。
彼女が向かった先は……。


「こまったことになりました……」

 自警団の事務所に帰ってきたアコはつぶやく。

「手がかりが目の前にあるかもしれないのに……」

「ああもう!口が堅いなんて……。こうなったら、拷問してでも」

「シノさん、自警団で拷問はダメですよ」

「そんなこと言っている場合!?明後日には襲撃が行われるっていうのに!」

「なら技をかけて締め上げれば」

「ミントさん落ち着いて!おじいさんが死んじゃいますよ!」

「なら、いっそ篭絡させるとか?」

「いくらエルでも、あの堅物無言ジジイを篭絡させるのは無理よ」

「くかぁ~」

 カナリア自警団の部屋には、紫電の修理にいっているリッタを除いて全員が集まっていた。

 地下牢に引きこもっているパロット社の技術者だという老人に口を割らせようと、ああでもないこうでもないと言い合っている。

 そんな騒音が凄い環境下、ヘレン1人だけが豪快に寝ている。議員の前で爆睡するとはいい度胸をしているが、それが日常風景なのか皆注意しない。

「ユーリア議員、もう8時になります。もう、お休みになられた方が……」

「……そうね」

 護衛隊隊長に言われ、ユーリア議員は今になって疲れが押し寄せてきたことに気づいた。

 結局手がかりが得られず、明日再びあの老人のもとにいくとのことで解散となった。

 

 

 

 

 日が沈んだ夜。荒野の広がるイジツの夜は冷える。

 イヅルマの町の一角にある、資産家や裕福な人々が暮らす住宅地。

 その中で広い敷地を長い塀で囲った屋敷の主は、部屋で震えていた。

「なんだ、今日の襲撃は……。もしかして、あれがあいつらの言っていた」

 突如部屋に設置されている電話がベルを鳴らし、主は心臓が跳ね上がるような錯覚に陥った。

 彼は震えながら電話の受話器をとった。

「……誰だ」

 

 

『我々の力、思い知りましたかな?』

 

 

 あの眼鏡をかけたいけ好かない男だと、主は察した。

『あれが複数使われれば、どうなるかお判りでしょう?我々の要求を呑んで下されば、明後日の襲撃を最後にしますが?』

「そんな脅し程度」

 

『脅し?我々は本気ですよ?どうしても断るというのなら、あなたの住む場所に撃ちこんだ後、回収するという強硬策を取りますが?』

 

「イヅルマにも自警団はいる」

『あの程度の自警団で防げるとでも?何れにしても、ユーリアを引き渡したくらいで我々があきらめると思ったら間違いですよ』

「約束が違うじゃないか!?」

『約束?この世は奪うか奪われるか。ユーリアめを引き渡したとしても、我々は襲撃は行わないだけで、あなたがお持ちのブツをあきらめるとは一言もいっておりません』

 主は奥歯をかみしめる。

 

『さて、我々の提示する金額で引き渡すか、襲撃によって根こそぎ奪われるか、決めるのはあなたですよ。では……、ムフッ』

 

 電話が切れた。

「くそ……」

 かつて、穴からの落とし物を手にしたときは、これで未来永劫裕福に過ごせると彼は考えていた。

 だが、それが今は危機を引き寄せている。

 主は高級そうなソファーに座りこみ、頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 深夜0時を回ったころ、ハルカは目を覚ました。

 背後にユーリア議員のぬくもりを感じつつも、彼女は回されている腕から慎重に抜け出す。

 同じ部屋に寝ている隊長、副隊長が目覚めていないことを確認すると、彼女は防寒用のジャケットを羽織り、部屋のドアを静かに開けた。

 

「どこかに行かれるんですか?」

 

 ドアの脇で警護のために立っていたアコ団長が声をかけてくる。

 ハルカは咄嗟に彼女の口を右手で塞ぎ、ドアを静かに閉める。

「すいません、ですが議員が起きてしまうので静かにお願いします」

 小声で言うと、アコは首を縦に振った。

「お願いがあります」

 

 

 

 

 

 静かな牢屋の中、男性は部屋の隅に置かれたベッドで寝ていた。

 ふと、足音が聞こえてきた。

「nanikakotaetekuremasenka……」

 イジツ語の発音だ。何を言っているのかはわかるが、彼は無視した。

 どうせ技術的なことを欲しているだけだ。どの町も、ユーハングの遺産を巡って目に見えない小競り合いを続けている。

 それを独占しようとしたイサオ氏は、疾風や紫電改の量産だけでなく、あの富嶽の量産までもやってのけた。

 その結果がなにをもたらしたのかは、語るまでもない。

 パロット社ならそういったことと無縁だと思っていたが、社長が失脚した今、結局はこの争いごとからは逃げられないのかもしれない。

 もう、そんなことにかかわるのはごめんだった。

 

 

『あの~、何か言ってもらえませんか?』

 

 

 彼は飛び起きた。

 

『い、いまのは……』

 

『ああ、こっちの言葉(・・・・・・)は通じるんですね』

 

 彼は驚いた。久方ぶりに聞く言語に。

 彼はベッドから体を起こすと、声の主の姿を確認した。

 黒くて長い髪に、白色のスカート。防寒用の茶色のジャケット。

 あのユーリアとかいう議員のそばにいた若い女性だろうと、彼は思い出した。

『嬢ちゃん、何者だ?』

『私はイジツ生まれのイジツの人間ですよ』

『だが、今嬢ちゃんが話している言葉は……』

 今2人が話している言語は、もう部分的にしかイジツには残っていない。

 もし理解できても、文章が解釈できるのがやっとで、話せる人間は殆どいない。

 この言葉を話していた人々は、70年以上前にこのイジツを去ってしまったのだから。

『それより、教えて欲しいことがあるんです』

『あいにくだが、私は何も応えんぞ』

 老人はそっぽを向いた。

『さっき、私はあなたの質問に答えました。それであなたは嫌では、不公平ではありませんか?』

 老人は一瞬眉を引くつかせたが、黙ったままだ。

『これは私の勝手な想像なのですが……』

 彼女は勝手に続けた。

 

 

『あなたが無言なのは、情報を与えていい人間かを確かめているんじゃないですか?』

 

 

『なぜ、そんな面倒なことをしなければならない?』

『あなたはかつて、パロット社で働いていた。ですが、一度イケスカに戻っている。それは、恐らくイケスカがあなたの技術を求めてきたから。ですが、その後再びパロット社に保護を求めて帰ってきた』

『それが、どうした?』

 

『……あなたは、何かイケスカでとんでもないことにかかわっていた。それが嫌で、自由博愛連合側でも、反イケスカ同盟側でもない、ある種の中立であるイヅルマに戻り、飛行船を作ることに集中した。その際、この牢屋を仕事場にしたのは、あなたの知っている知識や技術が、むやみに外部で流出しないようにするためだったんじゃないですか?』

 

『なぜそう思う?』

『イケスカは、ユーハングでさえ実現できなかった爆撃機、富嶽を実現させた。あれの実現には、膨大な資金が必要であると同時に、高度な知識も要求される。その知識の一部を、ユーハングは資料を置きっぱなしにして帰っていったことで残してしまった。ですが、どんな高度な技術も解釈して活用できる人間がいなければ意味がない。あなたは、その解釈や活用ができた』

 老人が黙っているのを肯定ととらえ、彼女は続ける。

 

『技術者をかき集め、イケスカはどの都市よりも飛行機の研究で先を行った。それによって肥大化したイケスカが、もっといえばイサオ氏が何をしたのかは、周知の事実。従わない都市を焼き払い、リノウチ空戦ほどではないにせよ、イケスカ動乱を引き起こし、ユーハングの遺産でこのイジツが荒れることになった。あなたは、イケスカを肥大させるのに加担した。結果として、そのことを後悔している。違いますか?』

 

 彼女は鉄格子に近寄り、床に膝をついた。

『……後悔しているのは、そのことだけじゃないが。自分の技術で多くの人々の人生を狂わせた。そんな老人には、こんな牢屋がお似合いだろう?』

 ようやく老人は口を開いた。

『あなたは、桜花の写真を見たとき、わずかに反応していましたよね?』

『ほう、嬢ちゃんは桜花のことも知っているのか?』

『……残された資料を読んだだけですけどね』

 

『なら、あれがどれほど倫理や人道的な考えを排した結果生まれたものか、わからないわけではないだろう?悪魔の研究とは、ああいうもののことを言うんだ』

 

『じゃあ、あれはあなたが……』

 

『そうだ。イサオ氏がいたとき、イケスカに帰った際、残された資料をもとに再現した。自由博愛連合に協力したときの成果物だ。ロケットエンジンを搭載した小型の飛行機が作れないかと、模索するためのな。もっとも作りはしたが、イサオ氏は興味なさそうだったから使われなかったし、イケスカ動乱でイサオ氏がいなくなってはただのガラクタ。歴史の徒花として消えるはずだった』

 

『でも消えなかった。それどころか、ある程度の数が作られこのイヅルマで使われた。おまけに、自動操縦装置で操作するという改良まで施して』

 老人は黙り込む。

『なんで量産が可能だったんですか?イケスカは、今は内戦状態のはず』

 

『……後継者が現れた』

 

『後継者って、イサオ氏の?』

『……ああ。その後継者が現れたことで、イケスカは内戦状態から徐々に脱しつつある。イサオ氏が残した地盤を引き継ぎ、再びイジツの覇権を狙って戦力の再編を行っている』

『それで、ショウトやナガヤを攻撃したわけですか……』

『内戦状態から脱しつつあるものの、それでも規模はかつてほどではない。だからこそ、人的資源を極力消費しない戦力が必要になった』

『それが、改造された桜花ですか』

『自動操縦装置で操作できれば、自力で飛行する爆弾だ。規模が小さくなった自由博愛連合にとっては、魅力的なものだ。……設計図をイケスカに残してきたのがあだになったな』

『……あなたは、なぜイサオ氏に協力を?』

 老人は黙り込んだ。

 

 

『……可能性が高い方にかけた。それだけだ』

 

 

『可能性?』

 

『……私は、君たちの言うところの、ユーハング(・・・・・)だ』

 

 彼女は目を見開いた。

『私は、元は飛行機の技術者だった。ユーハングで色んな飛行機の設計に携わった。戦いに勝つためにな』

『戦い?』

『ユーハングに攻め込んでくる外敵から国を守るために、私は飛行機や、桜花を生み出した』

 老人は何かを絞り出すように、苦しそうに言う。

 

 

『だが、生み出したものは守るどころか、乗った仲間を確実に殺すものになってしまった。こんな話があるか!私は、仲間を殺すために飛行機を作ったんじゃない!あんな場所に帰るのは、もうごめんだ』

 

 

『だから、ユーハングに帰ろうとしないんですね』

『そうだ。そこでイジツに残ることにした。だが、この世界は荒れている。資源やユーハングの遺産を奪い合い、航空技術でこの世界は何度も荒れた』

『だから、この世界をまとめようとする人間に味方した』

 当時はまだ、ユーリア議員の思想を信じていたのはごく少数の都市の関係者だけであった。

 確かに議員の理想が叶えばいいが、そのときに実現可能だったのは、ブユウ商事という巨大企業の力をもったイサオ氏の自由博愛連合しかなかった。

『そうだ。それでパロット社である程度働いた後、イサオ氏に手を貸した。今にして思えば過ちだったが、気付くのが遅すぎた』

 過ち。それがなんであるか、彼女は察した。

『力を貸した結果、生み出された富嶽で多くの都市が焼かれた。彼が、あんなに徹底的にやる男だと気づけなかった……』

 ユーリア議員は気づいていたようだが、ガドール評議会は未だにイサオ氏が帰ってくると信じているものがいるし、実際にイケスカに多くの都市が味方した事実がある以上、彼のカリスマ性や人に夢や希望を持たせる話術は本物だったのだろう。

『自分の作ったもので仲間たちが命を落とし、ここで協力した結果多くの人々を傷つけた。私は決めたんだ。この牢屋の中ならば、一番平穏に暮らせる』

 自分のしたことに対して負い目を感じ、そこから離れたくて、この技術者はこんな地下にこもったのだ。

『少しおしゃべりが過ぎたな……』

 老人は部屋のすみのベッドに戻ろうとする。

『そういえば、嬢ちゃんは飛行機乗りなのか?』

『……はい』

『なぜ、飛行機に乗る?』

 しばし考え、彼女は応えた。

 

『亡き家族の願いに、応えるため』

 

 老人は足を止めた。ハルカはまだ聞きたいことを聞き出せていない。それを聞き出すまでは寝られては困る。

『私の名前は、ハルカと言います。ユーハングの言葉で、とても遠くを示す言葉だと』

『……そうだな』

『それは、自分達ができなかったことを成し遂げてくれる。自分達が見なかった風景を見に行ってくれる。そのために自身で道を切りひらいっていってくれる。そうあってほしいと望まれ、そうあってくれると家族が信じてつけてくれた名です』

『随分大きな願いだな。ところで、君の家族は』

『……リノウチ空戦に参戦したり、空賊によって殆どは亡くなりました』

『そうか……。なのに君は家族の願いのために飛ぶのか?死人を相手に、なんの義理がある?』

 

『……連れて行く。そう応えましたから』

 

 老人は首を傾げた。

 

『生き残ったものは、看取った人間の最期や、歩んだ物語全てをもって、歩き続けなければならない。それが、生きのこったものの責務だと、そう教えてくれた人がいました』

 

『……生真面目な奴だな』

『それに、私は一時期家族を養うために、空賊行為に手を染めていた時期がありました』

 老人は目を見開いた。

『その結果、その空賊に家族は処分されてしまったんですけどね。滑稽な話ですよね。私も、ユーハングの遺産でこのイジツを荒らした人間の1人です』

『そんな罪を犯しても、それでも君は、飛び続けるのか?』

『はい』

 彼女は、はっきりと言い放った。

『私は確かに許されないことをした。だから、償いをしなければなりません』

『簡単に償える罪なのか?』

 

『償えるかじゃありません。むしろ、一生かけても償えるかわかりません。それでも、やるしかない。進むしかないんです』

 

 それが、今の彼女の現状だった。

『できてもできなくても、進むしかない、か……』

 老人は表情を引き締める。

『イヅルマで桜花を使った連中は、間違いなく自由博愛連合の残党だ。私が残した設計図をもとに作ったんだろう』

『その桜花を使って、明後日襲撃を行うと予告されています。……どうすれば』

『あの桜花はロケットエンジンを使っている。飛べる距離は、せいぜい50km。イヅルマに到達する前に、母機を落とす方が効果的だ』

『桜花を直接落とすことは?』

『無理だと考えた方がいい。落下中なら可能性はあるが、一度エンジンに火が入ると通常の飛行機では追いつけない。それなら、吊り下げている陸攻を落としたほうがいい』

『その陸攻は、イケスカから来たと思いますか?』

『それはないだろうな。イヅルマから少し離れた場所に、今は使われていない空の駅がある。恐らく、そこだ』

『わかりました』

 ハルカは一度深呼吸をする。

 ここからは、個人的に聞きたいことだ。

『あと1つ、聞きたいことがあるんですけど』

『なんだ?』

 

『イケスカで、タカヒトという名を聞きませんでしたか?』

 

『タカヒト?……一緒にイケスカで技術者として働いていた』

『本当に!?』

 彼女は鉄格子に張り付くように顔を近づける。

『ああ。彼の協力があって、震電や富嶽が実現できたんだ』

『彼は、今どこに?』

『なぜ知りたがる?』

『……私の、祖父なんです』

『あいつの、孫か……』

 老人は、鉄格子を通して彼女をまじまじと見る。

『すまない。途中でわしと同様、イケスカから逃げ出した。その後のことはわからないんだ』

『そう、ですか……』

 行方はハッキリしなかったものの、少なくとももうイケスカにはいる可能性は低いことはわかった。

 なら、生きている可能性がある。まだ、希望がある。

 彼女は頭をさげ、その場をあとにした。

 そして待ってもらっていたアコに礼をいうと、彼女は議員の部屋に向かった。

 

 

 その際、彼女は気が付かなかった。

 

 

「……ハルカ」

 その背中を、脇道に隠れていたユーリア議員が見つめていたことに。

 そばには、カナリア自警団のシノがいる。

 議員は、ハルカが部屋を抜け出すのに気づいていた。

 そこで、護衛だから一緒にくるようにと、シノを連れてあとをつけた。そしてやってきたのは、訪れたはずの地下牢。

 様子を見守るユーリアは驚いた。最初はイジツの言葉で呼びかけていた彼女だったが、突如聞いたことのない言語で老人と話をはじめた。

 何を言っているのかは理解できなかったが、単語は部分的に聞き取ることができた。

 そこから、ユーリアは彼女が話していた言葉が何であるか推測できた。

 

――――あなた……、何者なの……。

 

 ユーリアは今すぐにでも問い詰めたい衝動を抑え、シノを連れて部屋に向かった。

 




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更新頑張っていきます。


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第8話 敵拠点攻撃

技術者から襲撃者たちが使っていると思われる拠点の位置を
聞き出したユーリア護衛隊は、拠点を爆撃するべく準備を始める。
しかし、彼らはこれまでの襲撃を振り返って何か気になることが
あるようで……。


「地下牢の技術者から情報が得られました。桜花を搭載してきた陸攻がいると思われる場所です」

 アコは机の上に地図を広げ、場所をさす。その場所は、イヅルマから離れた場所にある空の駅で、この町に寄港するほとんどが飛行船になった今では使われていない。

 周囲を切り立った崖が囲っているものの、間は陸攻が数機離着陸するのは十分な広さがあった。

 

「流石お姉さま!あの堅物そうな老人の口を割らせるなんて、どんな手を使ったんですか?」

 団員のミントは、アコに憧れや尊敬を込めた純粋な視線を送る。

 

「別に……、ただ聞き続けただけで」

 

「そうなの?今後、どうしても口を割らない人がいたら、今度は私に頼ってね、アコ」

 得意分野がいかせず、少し残念そうなエル。

 

「ともかく、情報が得られたのは大きいわね。それで、どうするのが一番有効なの?」

「あの人が言うには、桜花そのものを撃ち落すのは難しいから、吊り下げている陸攻を落とすのが一番だと」

 

「おお、紫電にはおあつらえ向きのお仕事じゃないですか!ガンポッドがうずきますよ!」

 戦闘機大好きのリッタは期待を込めた視線を送る。

 

 カナリア自警団の駆る紫電は、火力や上昇力を優先した局地戦闘機。

 搭載されている20mm機銃に撃たれれば、一式陸攻はひとたまりもない。

 そんな団員たちに対し、アコは少し後ろめたさを感じていた。

 これらの情報は、すべてユーリア議員の用心棒のハルカが聞き出したものだ。

 なぜか彼女は、この情報を聞き出したのは全てアコだということにしてほしいと頼んできた。

 当初は彼女が聞きだしたのだからと拒んだアコだったが、あまりに頑なに譲らないハルカに根負けし、彼女はやむなくその要求を受け入れることにした。

 だが、アコはなぜ彼女が自分が聞き出したと言わないのか疑問が残る。

 それはやはり、あの話していた言語によるものかもしれない。

「それで、これからどう動くの?」

 拠点がわかればすることは1つ。

 イヅルマが襲われる前に叩くことだ。

 飛行機が最も弱い時。それは地上にいるとき。

 その状態では、どんなに強い戦闘機や頑丈な爆撃機でも上空からの攻撃には耐えられない。

「なら、イヅルマに到着する前に叩くか、出発前に地上で破壊できればいうことはないわね」

 ユーリアは早速行動を起こす提案をする。

「ですが、カナリア自警団はイヅルマに被害がない限りは動けないんです……」

 それが自警団というものの在り方だから仕方がない。

「なら、うちでやるわ」

「どのみち、イヅルマを留守にするわけにはいきません。カナリア自警団には待機してもらって、私たちは空の駅を爆撃しますか」

 隊長の提案にユーリア議員は頷く。しかし、問題がある。

「でも、誰が爆撃をやるの?」

「……あ」

 イジツでは空戦は日常的に起こっているが、爆撃は日常ではない。

 まして、ユーリア護衛隊は議員を迫りくる空賊や敵対勢力から守ることが仕事。

 爆撃の経験のあるパイロットなどいない。

 

「なら、私がやります」

 

 ふと、ハルカが手を上げた。

「空賊時代に経験があります。私はできます」

 そういえば、彼女はかつてロケット弾を装備し、ラハマを攻撃したことがあった。

「でも、1人じゃ……」

 彼女ができるとはいっても、相手の陸攻が1機だけとは限らない。

 手数は多いほうがいい。

「飛行船に、彗星は何機のっているの?」

「2機です」

「なら、彼女の零戦と彗星2機は爆装させて。残りは護衛よ」

 幸い、ガドール評議会護衛隊には彗星が少数ながら配備されている。

 もっとも、殆どはその高速を生かした偵察や対空戦闘が主で、爆撃機なのにほとんどは爆撃機として使われることはないが。

「了解。早速準備にかかります」

 その後作戦が話し合われ、明日の襲撃の日の早朝。夜明けと同時に空の駅へ向かうことが決まり、ユーリア護衛隊は準備に追われることになった。

 

 

 

 

 深夜、カナリア自警団の団長アコは格納庫を訪れていた。

 格納庫の中には、紫電6機が整然と並んでいた。

 カナリア自警団の服装を模した白と黒を基調とした塗装は、この荒野の広がるイジツでは相当に目立つ。

 それは元々、カナリア自警団自体が自警団のイメージ向上を目指して作られたお飾り自警団と揶揄されたことに由来している。

 彼らは認識されることが重要で、戦うことを当初は想定してなかったためだ。

 その中の1機、アコの紫電のそばで作業をしている眼鏡をかけた老人に、彼女は声をかけた。

「ジノリさん」

 カナリア自警団の整備班長、ジノリに声をかける。

「なんじゃアコか?明日は襲撃が来る日じゃろう?早く寝たらどうだ」

「なんだか、眠れなくて……」

「体を休めるのもパイロットの仕事のうちだ。紫電ならもう万全じゃから、心配するでない」

 紫電のそばには必死になって整備してくれた整備員たちや見習いの少年ハヤト、そしてジノリさんの弟子を自称するリッタが工具片手に眠りこけていた。

「それは心配していません。それに、明日はおそらく私たちの出る幕はありません」

「そうなのか?」

「ユーリア議員の護衛隊が、夜明けと同時に出撃して地上で敵を叩くそうです」

「そうか。だが、物事に絶対はない。もし彼らが失敗した場合、おまえたちが対応しなくちゃならん」

「今動けるのは、カナリアの6機だけですか?」

「ああ。悪いがシラサギの機体までは手が回らなかった」

「十分です。それに、万一を考えて応援を頼んでありますから」

「応援?」

 アコはジノリさんに笑みを向けた。

「またあいつらを引っ張り出したのか?」

「子の心配をしない親はいないそうです」

「まあ、間違ってはおらんからなあ」

 ジノリさんは工具を置き、立ち上がるとアコに向きなおった。

「今回の件、市長は積極的におまえたちを使う気はないようじゃな」

 今回の襲撃で、もしイヅルマに甚大な被害を出した場合、市長はユーリア議員を襲撃者たちに引き渡すつもりでいる。

 

「市長が客人を引き渡すことを排除しないなど、信じられん。恐らく、市長や自警団の上層部、それに古い権力者たちの間で、何か忖度があったのかもしれん。ユーリア議員を渡してでも、守りたい何かのために」

 

「それは、このイヅルマという町や住民では?」

 

「それを守るためなら、なぜ自警団を使うという選択肢をとらん?自警団を使わず他の都市の護衛隊に町の防衛を任せるなど、長たちにとっては最も避けたい事態のはず。他の都市の護衛隊をけしかけたのはなぜか。勝手な推測じゃが、市長たちはあの襲撃者たちと取引をしているかもしれん」

 

 地下牢でのことはジノリさんには話していないが、流石年の功。

 その推測は外れてはいない。

 だが、穴からの落とし物がどんなものであれ、住民や客人よりも優先するべきものなのか、アコは疑問を抱く。

 襲撃者たちにイヅルマを襲わせ、町に被害を出させて護衛隊の面子をつぶし、議員を渡すしかない状況を作り出すほどの価値があるのか。

「このイヅルマのあらゆるものの被害を最小限に抑えるために、な……」

 だからユーリア護衛隊は、イヅルマに彼らが到達する前に倒すことに躍起になっている。

 一方、市長からは特に何も命令が来ていない。

「1つ聞くが、アコ。そんなものたちのために、お前たちは戦えるのか?」

「そんなもの?」

 

「自分たちの利益を守るためなら、住民を危険にさらし客人をも取引に使う連中。もっと言えば、トキオの存在を闇に葬ろうとしたような連中を、な」

 

 アコは表情を曇らせた。

 

 トキオ。

 

 彼女の父親で、このイヅルマの伝説の自警団と呼ばれたイカルガ自警団の団長だった、空の英雄。

 

 事故で亡くなったと彼女は聞かされていたが、実際は違った。

 父親は、空で偶然開いた穴に飛び込んだのだと。

 その瞬間を、元パロット社社長のウタカ氏は自警団時代に目撃していた。

 イヅルマは、そのことを隠していた。

「それでも……」

 アコは言った。

 

「それでも私は、このイヅルマを守る、カナリア自警団の団長ですから」

 

 そんな彼女を見て、ジノリさんはため息を吐き出した。

「全く、トキオと同じで仕事に真っすぐになりすぎる奴じゃ」

「アハハ……」

「確認じゃが、もし町が本当に襲撃された場合はどうするんじゃ?」

「アルバート部長が、町の防衛のために出撃しろって」

「あの弱気な部長が?市長の命令なしに動けば、ただじゃすまんぞ?」

「でも、そのために私たちは存在していますから」

「そうか……。なら、やることは決まっているな。そこに毛布があるから、紫電のそばでもいいから少し寝るように」

「はい」

 アコは自分の紫電の着陸脚にもたれかかり、毛布をかぶって目を閉じた。

 

 

 

 

 地平線の彼方から、日が昇り始める。

 朝日が目に染みる中、あくびをかみ殺している黒髪の女性、ハルカはいつもに比べて荷物を多くぶら下げている愛機を眺める。

「250kg爆弾に、主翼下にはロケットが3発ずつ」

「いつもに比べて重くなっているからな、気を付けてな嬢ちゃん」

「わかりました、班長」

 整備班長は他の機体の確認に向かっていった。

「いつもに比べて重そうだな」

 近寄ってきた隊長と弟さんに彼女は振り向く。

「ええ、今回は爆撃が仕事ですから」

 イヅルマの地下牢に収容されている技術者がいうには、このイヅルマから少し離れた位置にある、今は使われていない空の駅に桜花を使ってきた集団の根城がある可能性が高いという。

 ユーリア議員を引き渡すという市長の行動が起こされる前に襲撃者を殲滅し、この事態を収拾させる。

 間もなく出発し、襲撃者が地上にいる段階で破壊できればよし。そうでなくとも、イヅルマに到着する前に殲滅する。それが目的だ。

「彗星の準備もできている。間もなく出発だ」

 ふと、ハルカは気になっていることを口にした。

「……隊長、弟さん」

 2人が彼女に視線を向ける。

 

「今回の件、あの襲撃者たちは、この町にユーリア議員がいることを知っていたのでしょうか?」

 

「……君も、思うか?」

 隊長に弟さんが表情を引き締めた。

「情報が洩れているね、お兄ちゃん」

 考えてみれば、おかしな話だ。

 このイヅルマへ到着するまでの道中に、3回も襲撃にあっている。

 その上、イヅルマ市長とユーリア議員との対談の日を知っていたかのように、一式陸攻が襲撃にやってきた。

 イヅルマにユーリア議員が訪れることを知っているのは、このイヅルマの市長や自警団の関係者、そしてガドール評議会の人間だけだ。

 町をいきなり襲ってきた襲撃者たちが知るすべはない。

 なら、どこからか情報が漏れていた、と考えるのが自然だろう。

「あの市長はないでしょう。書類の存在さえ知らなかったんですから……」

 この町を訪れた際、ハルカは問答無用でカナリア自警団に襲われた。

 つまり、市長は誰が来るかをよく知らなかった可能性が高い。

 市長がわかっていないなら、自警団も把握していないだろう。

「そもそも、襲撃者たちの目的がこのイヅルマが隠し持つ穴からの落としものとすれば、ユーリア議員を引き渡したくらいで襲撃は終わらない」

「なら、連中の目的はあくまで穴からの落とし物。ユーリア議員に関しては、ついでくらいだろう。誰に頼まれたのやら……」

「ユーリア議員をうっとうしく感じている人々であり、なおかつ行き先を知っている。そして空賊やそういった人々とのつながりがある人々、となると……」

 3人は眉をひそめた。

 

「……ガドール評議会か」

 

 隊長は苦々しい表情で言い放った。

 ユーリア議員を邪魔に感じており、かつて反逆者という烙印を押して排除しようとしたガドール評議会。

 彼らならユーリア議員の行き先を知ることは容易だ。

 そして、評議会の中には汚職がはびこり、空賊やマフィアと繋がりがある人間もいる。

 桜花を使ってきた点からして、恐らくイケスカの、旧自由博愛連合の関係者が襲撃者であるという可能性が高い。

 かつて自由博愛連合に加盟することが決まっていたガドール評議会なら、今もつながりを維持している人間がいるはず。

「厄介だな……」

 だが、同時に身内に敵が紛れ込んでいるというのは厄介この上ない。

 情報は筒ぬけで隠れようがない。

 何より、今は証拠が何もない。議会でこのことを話しても、流されるが関の山だ。

「……気になることはあるが、とりあえず今は目の前のことに集中しよう」

「わかったよ、お兄ちゃん」

「わかりました」

「時間だ、行こう」

 護衛隊は機体のエンジンを始動させ、空へと飛び立っていった。

 

 

 

 

 イヅルマを飛び立った護衛隊は、中心にハルカの零戦、その後ろに彗星2機が並んで飛ぶ。

 そしてその周囲を、鍾馗が取り囲むように飛ぶ。

 ハルカは、いつもに比べて重さを増して動きが鈍くなった愛機の操縦桿を握る。

 爆撃をやるのは久方ぶりだが、難しくはない。

 祖父に教わった技術は、全て体が覚えている。

『総員、前方に目的の場所が見えてきた』

 進路上には、大きな陸攻が4機と陸攻を隠すための大きな格納庫が2つほど見える。表に出ている4機の陸攻は、まさにエンジンを始動させ、離陸準備に入っているのが目に入る。

『護衛戦闘機は周囲に見えない。今の内だ!』

「了解」

 ハルカはスロットルレバーを開き増速する。彗星2機もそのあとにつづく。

「こちらハルカ。これより、爆撃準備に入ります」

『了解』

 彼女は操縦桿を少し前に倒し、緩降下に入る。彗星も胴体下の爆弾倉を解放しつつ、高度を下げる。

 目標の一式陸攻が近づいてくる。彼女は照準器を覗き、目標をとらえる。

「ロケット……、発射!」

 主翼下に装備されたロケット弾が一斉に放たれる。

 放たれたロケットは少しの間飛翔すると弾頭がわかれ、小弾が放たれ地上に降り注いだ。

 陸攻に向けて放たれた小弾が降り注ぎ爆発が起きている中、彼女は一度上空を通過し左へ旋回。再び拠点の上空へ差しかかる。

「安全装置解除。投下……、今!」

 少し高度を下げ、胴体下の爆弾を切り離した。

 重力に引かれて落下していく250kg爆弾は、格納庫の入り口から内部へ侵入。

爆発が格納庫内の陸攻を吹き飛ばした。

 ついで、彗星が爆弾を投下。破裂した爆弾の炎が周囲のドラム缶内の燃料に引火したのか、爆発の規模は大きさを増し、陸攻を吹き飛ばした。

『よし、爆撃成功だ!』

 一時的に歓声に沸く評議会護衛隊。

『陸攻を全て破壊。目標達成だ』

 だが、ハルカは違和感を抱いていた。

 彼女は高度を下げる。

『ハルカ君、どうした?』

 彼女は陸攻のあった場所や周囲をくまなく観察する。

 

「……誰もいない」

 

 彼女は、ロケットを放ったときから違和感をいだいていた。

 地上に小弾が降り注いだというのに、人っ子一人逃げ惑う様子がなかった。

『誰もいない?』

 おまけに、離陸準備をしていたと思われる陸攻からはあの白い物体、桜花と思われる残骸が見当たらない。

 ふと、機上電話から雑音がした。

『こちら、イヅルマ管制塔。イヅルマに接近中の大型の機影4つと小型の機影を確認。評議会護衛隊、至急帰還してください!』

『やられた!』

 敵はこちらの動きを察知していたのか、もうここを発っていた。

 イヅルマに向かっている陸攻には、恐らく桜花が積まれているはずだ。

『情報が漏れていたのか!』

「わかりません。急いでイヅルマへ戻りましょう!」

 護衛隊は舵を切って速度を上げ、イヅルマへ向かった。

 

 



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第9話 カナリア自警団 全機出撃

ユーリア護衛隊が敵拠点の破壊に成功するが、標的である
護衛機と陸攻はすでに拠点を離れイヅルマへ向かっていた。
カナリア自警団団長アコは、イヅルマへ向かう敵戦力
の情報から不利な状況であることを悟るものの、町を
守るため、カナリア自警団全機の出撃を命じる。


 

「皆さん、緊急です」

 駆け足で、カナリア自警団団長のアコが事務所に入ってきた。

 エルたち団員は、日頃居眠りが多いヘレンさえも表情を引き締めて整列する。

「管制塔から連絡です。イヅルマに接近する大型の機影4、小型の機影20機が確認されたそうです」

「お姉さま、それは……」

「ええ。宣言通り、今日この町を襲撃するつもりです」

 ついに来た。全員の表情がこわばる。

「評議会護衛隊は、敵の拠点の破壊には成功したそうですが、全てをしとめたわけではなかったようです」

 アコは表情を引き締めた。

 

 

「団長として命令です!カナリア自警団は全機出撃。イヅルマへ迫る、敵勢勢力を排除します!」

 

 

「「「はい!」」」

「なお、この出撃は市長の命令ではありません。もし町に被害が出れば、部長ともども、私たちもただではすみません」

「今更よ。先日の一件で、私たちは一から始めたばかり。また一からやり直しになるだけ。些末な問題よ」

 パロット社の策謀にはまり、カナリア自警団は徐々に得ていた市民たちからの信頼を失ってしまった。彼女たちは今、信頼回復のために走り始めたばかり。

 失うものは少ない。

「いざとなれば、全員でカナリア君の着ぐるみを着て、町のマスコットにでもなりましょう!」

 

「些末で済むかな……」

 

 頭を抱えた様子の男性が1人、事務所に入ってきた。

「アルバート部長!」

 鼻の下に黒ひげ、自警団の白を基調とした制服。そして市長の面影が垣間見える風貌。

 現在のイヅルマ市長の身内、カナリア自警団とシラサギ自警団を統括する部長、アルバートだった。

「アコ君、市長からは今回の件については護衛隊に任せるようにと言われている。それを無視するわけだから、私たちもただではすまないぞ」

 自警団は町を守る戦力。いわば町のもつ凶器だ。

 その使用をどうするかは、市長の判断が必要になる。

 凶器が自身の判断で勝手なことをしてしまっては、それこそ危険な存在にほかならない。

 

「ですけど、私たちは自警団です。市長の要請で動くのは当然ですが、それ以前に住民を守ることが、私たちの役割です。それを人任せにして、放棄することはできません」

 

 アルバート部長はアコ団長をじっと見つめる。

 やがて、ため息を吐き出す。

「なら、私からいうことはない。私も君たちと同意見だからね」

 部長はニコッと笑みを浮かべた。

「もしものときは、私が全責任を負う。君たちは、私の誇る最強の自警団だ。君たちが残れば、それでいい」

「部長……」

 かつての事なかれ主義の部長の影は、もうない。

「それで、敵の戦力についてだが」

 アルバート部長は自警団本部から持ってきたのだろう、わかっている敵戦力の情報を伝えた。

 現在、イヅルマへ接近している機影は大型のものが4つ、小型のものが20機。

 先日この町を襲った一式陸攻と零戦52型。

 また陸攻の胴体下部には、あの白い物体、桜花が確認されている。

「技術者の話ですと、桜花の飛行距離はおよそ50km。桜花の射程距離に陸攻が迫る前に、迎え撃ちます」

「でも、こちらの戦力は6機。相手は陸攻は4機でも護衛が20機。いくらなんでも……」

「ユーリア護衛隊が今、イヅルマへ引き返しています」

「でも、間に合うかどうか……」

「あと、応援を頼んであります」

「応援?」

「ええ、強力な応援です」

 アコが微笑むのを見た部長は表情を引き締める。

 

「ではカナリア自警団は全機出撃。イヅルマに迫る敵勢力を迎え撃つ!」

 

「「「はい!」」」

 彼女たちは一斉に格納庫の紫電へ向かって走り出した。

 

 

 

 

 

「おう、来たか」

 彼女たちを出迎えたのは、整備顧問のジノリだった。

「ジノリさん」

「お前さんのことじゃ、そろそろ来るだろうと思ってな」

 彼は視線で合図する。

「紫電のエンジンはあったまっておる、あとはお前さんたち待ちだ」

「……ありがとうございます、師匠!」

「整備班ができることはここまでじゃ、あとはお前さんたち次第。このイヅルマを廃墟にかえるかどうかもな」

「安心してください」

 紫電の操縦席に滑り込みながら、アコは言う。

「どんな相手が来ても、ジノリさんたちが整備してくれた紫電が、最高ですから」

「……日頃言わんことを、こういうときに限っていいおってからに……。なら、機体ともども無事でな。もし機体を穴だらけにしたら、スパナのサビにしてくれるわ」

「はい!」

 そしてアコたちは滑走路から、空へ飛び立っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 イヅルマの市庁舎の中にある部屋の1つで、髪が白くなった老人、イヅルマ市長が頭を抱えて悩んでいる。

 ため息を吐いたり頭を抱える中、彼の広い仕事机に置かれた高価そうな電話が受信を知らせるベルをけたたましく鳴らした。

 彼は震える手で、受話器をとった。

「……もしもし」

『答えはでましたかな?』

 電話の主は、余裕を見せる口調でいった。その口調で、相手が誰か市長は察した。

「……わかった。例のものを引き渡す」

『ありがとうございます。では引き渡しは後程』

「それで、今日の襲撃は?」

『無論実施します』

 市長は思わず立ち上がった。

「なぜだね!?例のものは引き渡すと言っている!」

 

『当然でしょう?我々の敵であるユーリアめがいるのです。この機会を逃すわけにはいかない』

 

「話がちがうじゃないか!?そちらが要求するものを渡せば」

『我々は、次の襲撃を最後にする、としか申しておりませんが?』

「そんな……」

『ご安心ください。市長や資産家の方々のいる区画は狙いません。ですが、我々に歯向かえばどんな仕打ちを受けるか。しっかり教えて差し上げます』

 電話が切れた。

 市長は受話器をもったまま、椅子に沈むように座り込んだ。

「……落とし物がもたらすのは、面倒ばかりだ」

 市長は部屋で1人、静かにつぶやいた。

 

 

 

 

 

「見えてきました」

 イヅルマを飛び立ったカナリア自警団は、報告のあった方向に6機が並んで飛ぶ。

 彼女たちの進路上には、大きな陸攻の機影と、その周囲を固めるように護衛の機体の機影が確認できる。

『来たわね……』

 皆が息をのむ。

『敵は情報通り陸攻4機、護衛が20機ってところかしら?』

『あらあら、この圧倒的不利の状況、燃えるわ』

 カナリア自警団6機で挑むのは、あまりに不利な状況。

 それでも、自警団である彼女たちに逃げる選択肢はない。

 アコは表情を引き締め、深呼吸をする。

「シノさん、ヘレンさんは私と護衛戦闘機を落とします。リッタさん、ミントさん、エルはその隙に、陸攻を頼みます」

『『『了解!』』』

 

 

「交戦を許可します。カナリア自警団、全機散開!」

 

 

 3機ずつにわかれ、回転数を増した誉エンジンの甲高い音を響かせながら、空戦が始まった。

 アコの紫電を先頭に、シノ、ヘレンの3機は矢尻の隊形に並び、手近な陸攻へ向かう。

 気づいた52型が向かってくる。

 アコの紫電の20mm機銃が火をふいた。

 それをみた52型4機が左右に分かれて銃弾を回避する。アコはシノと、ヘレンは単身で護衛の52型をおう。

 

 

 その隙に、ミントとリッタ、エルの紫電が陸攻へ一直線に向かっていく。

 先頭をいくリッタはスロットルレバーを開き、増速する。

「2人とも行きますよ!目標は主翼付け根かエンジンです!」

『劣勢な中で味方の切り開いた道を進む。燃える展開ね』

『お姉さまの犠牲、無駄にしません!』

「エルさんは相変わらず……。ってミントさん!団長はまだ死んでいませんからね!」

 こんな状況でも通常運転の団員に安堵しながら、リッタは速度を上げる。

 巨大な陸攻の姿が風防一杯に広がる中、照準器のサークルを陸攻のエンジンに定める。

 エンジンの正面にはどうやっても防弾が施せない。

 劣勢な中、攻撃回数が限られる。確実に落とせる場所を狙う。

 射程距離に迫り、リッタはトリガーに指をかける。

『リッタさん、右へ!』

 ミントの無線で彼女は舵をきって右へ旋回する。

 直後、機体の左側を機銃弾の閃光が駆け抜けていった。

「そうやすやすとはいかせてくれませんか」

 相手が6機だけと悟った敵は護衛機を最低限にして残りをカナリア自警団へと差し向けてきた。

 その数、12機。

 アコたちは囲まれてしまい、残りがリッタたちへと向かってきた。

 このままでは、陸攻を落とすどころではない。

「このままじゃ……」

『あら人気ものね私たち。この状況からの逆転。カッコイイわね』

 エルの余裕のある態度に、少し震えが混じり始めた。

 創作作品等では、この状況からの逆転が話を大いに盛り上げる。

 しかし、実際の戦闘では数的劣勢を覆すことはどんな凄腕でも簡単なことではない。

 このまま陸攻を逃がせば、イヅルマが被害にあい、犠牲者が出るかもしれない。

同時に、守れなかったカナリア自警団もここまでかもしれない。

「この、しつこいのは嫌いです!」

 気持ちが焦り始める。心では何とかしたいと思っても、相手はそれを許してはくれない。

 そのとき、ふとリッタの頭を実家の弟、フッチの記憶がよぎった。

 隙あらば背後から近づき、ユーハングから伝わったイタズラでお尻をよく狙ってきた可愛くも憎らしい弟。

 

「背後……、そうです!」

 

 リッタは増速すると、手近な陸攻へ向かっていく。

『リッタさん!』

 団長の声を無視し、彼女は操縦桿を引いて高度を上げ、陸攻の上空を過ぎる。

 そして操縦桿を右へ倒し、機体を180度逆転させると、急降下を始めた。

 急降下速度についていけない零戦が離れる中、彼女は操縦桿を引く。

 機首を上げ、彼女は照準器のサークルに陸攻を収める。

 そう、陸攻は極力隙を無くすように機銃はついていても、それでも死角はある。

 後方の下部はとくに機銃が少ない。

 リッタは引き金を引いた。

 紫電の20mm機銃4丁が咆哮を上げ、上方にいる陸攻に機銃弾が殺到。

 防弾装備が少ない陸攻を苦も無く射抜き、出火。

 陸攻が1機、荒野へと墜落していく。

「やりました!」

『リッタさん、後ろ!』

 彼女は後ろを振り返る。

 52型2機が一斉に機首の7.7mm機銃を撃ち始めた。

「おっと!」

 急いで高度を上げてやり過ごす。

 彼女の後ろを、52型は離れない。

 右へ左へ、彼女は機体を振るが軽快な動きができる零戦を振り切ることは簡単ではない。

「ダメです、陸攻に近づけません!」

 

 

 

 

 落ちゆく陸攻を見ながら、アコは周囲を確認する。

 リッタにエル、ミントの3人は52型に追いかけられて、とても攻撃どころではない。

 見れば、敵は陸攻の護衛を最小限にして全力でこちらの排除に当たろうとしている。

 陸攻の護衛機は8機。こちらに向かってきているのは12機。

『団長!一式陸攻に近づけません!』

 リッタから悲鳴にも似た通信が入る。

『アコ!このままじゃ!』

 すぐ後ろを飛ぶシノも声が震えている。陸攻は、確実にイヅルマとの距離を縮めている。

 いまのカナリアの数では、とても陸攻を落とすどころではない。

 それは最初からわかっていたことだ。

 だから、彼女は応援を頼んでおいた。

 ふと、自分達を追いかけていた52型が1機、火を噴きながら落ちていく。

「……来た」

 アコの視線の先を、2機の紫電が高速で駆け抜けていく。

 

『アコ、呼んでくれてありがと』

 

 無線の声の主は、妙に楽し気だ。

 

『全く……。ヘレン、必要なら頼れっていってあったろう?』

 

『あ~、お父さん来てくれたんだ』

「お母さんとジョージさん、2人は52型の排除をお願いします!」

『まかせて』

『……わかった』

 

 

 

 

 かつて、イヅルマにはその名を聞くだけで震えあがったと言われる、伝説の自警団があった。

 

 その名を、イカルガ自警団。

 

 とくにその中でも恐れられたのが、団長と2人の団員だった。

 1人は女性で、もう1人は口数の少ない男性だったという。

 2人には、それぞれ二つ名がついており、女性の方を赤い悪魔。

 男性の方を空の貴公子と呼んだという。

 その実力は折り紙つきで、赤い悪魔は鼻歌まじりで敵機を落としたというある種狂人的な側面があった。

 空の貴公子も相当なもので、赤い悪魔に劣らぬ存在だった。

 団長の失踪を期に団員たちが引退し、なくなってしまったイカルガ自警団だが、引退しても彼らの腕は錆びついていなかった。

 その赤い悪魔こそ、アコの母親ミヤコ。

 空の貴公子は、ヘレンの父親のジョージである。

 アコは初めから数の上では劣勢であることを予想し、自分達の手に余るとさとって2人に応援を頼んでいた。

 引退した2人だが、快く引き受けてくれた。

 というより、断る理由がない。

 危険なことに積極的に首を突っ込む生粋のじゃじゃ馬娘のミヤコに、娘を気にかけているジョージなら、断るはずがないというアコの打算によるものだった。

 自警団が引退した人間の手を借りるのはどうなのかと思う人間もいるだろうが、あの新兵器桜花がある以上、使えるものは使わなければイヅルマが危ない。

 町に被害を出さないこと。それが何よりも優先されることだ。

『それじゃあアコ、お母さんちょっと遊んでくるわ。ジョージ、雑魚を蹴散らすから手伝って』

『……お前との遊びは危険なことばかりだな』

 2機の紫電は護衛の52型に向かっていく。

 交差する瞬間、2機は20mm機銃を放ち2機を撃墜。それをみた他の52型が3機あとを追いかけてくる。

 すると2機は機首を上げて上昇に転じる。

 そのあとを52型が追いかける。

 紫電を照準器のサークル内に収めた瞬間、紫電が突如失速。

 慌てて零戦は舵をきって衝突を回避。

 そして零戦の後ろをとった2機の紫電は機銃を放ち、3機をまとめて落とした。

「今の内です。シノさん、ヘレンさんは援護してください。一式陸攻を落とします!」

 アコは増速し、先頭を飛ぶ一式陸攻へ向かう。

 敵機に近づくと、尾部の機銃が銃弾を放ってきた。

 アコは操縦桿を引いて機首を上げ、上昇に転じる。

 そして宙返りをし、機首を真下に向けた。

 アコに続き、シノ、ヘレンも降下に転じる。

 3機の紫電が上方から襲い掛かる。

 3機の紫電の放った20mm機銃の弾は苦も無く陸攻を撃ち抜き、2機目も火を噴いて落ちていく。

「残り2機」

 彼女は次の陸攻へ視線を向ける。

 3機目に狙いを定める。そのとき、一式陸攻が胴体下の桜花を切り離した。

「あ!」

 桜花は重力に引かれて高度を下げていく。ひとたびロケットエンジンに火が入れば、もう撃墜することは困難を極める。

 桜花を追うべく、アコは高度を下げようとする。

 途端、彼女たちの紫電のそばを、陸攻の機銃の閃光が駆け抜けていく。

 彼女たちは被弾をさけるために高度を上げてやり過ごす。

 でもその間も、桜花は降下を続けている。

 リッタたちは52型に囲まれて手一杯だ。

 突如、降下中だった桜花を銃弾が撃ち抜き爆発。爆炎が一式陸攻の下面を焦がした。

 そして、また飛来した機銃弾が一式陸攻の両側のエンジンを撃ち抜いた。

 高度を下げていく陸攻のそばを、なにかが駆け抜けていった。

 それは高度を上げると、リッタたちが相手をしている52型に襲い掛かり、瞬く間に落とした。

 その機体は、主翼が蒼く塗られた零戦。

「ハルカさん!」

『遅くなりました。護衛機は引き受けます、陸攻を!』

「……はい!」

 アコたちは最後の1機へ向かっていく。

 同時に、護衛機も最後の一式陸攻へ向かっていく。

『あの零戦……』

『蒼翼の悪魔。噂には聞いていたが、良い腕しているな』

『あら、同じ悪魔として負けてられないわね』

 ミヤコも護衛の52型へと突き進んでいく。

 どちらの悪魔も、護衛の52型を次々落としていく。

『赤い悪魔に、蒼翼の悪魔といい、女ってやつは、どうしておっかねえのか』

 ジョージも増速し、ミヤコの援護に向かう。

 これで護衛機の心配はない。

 

『シノさん、行きますよ!』

 

『ええ!』

 

 アコのすぐ後ろに、シノの紫電が続く。

 一式陸攻に近づくと、彼女たちは一斉に高度を下げた。

 陸攻より高度を上げると、機銃に狙われてしまうし、何より桜花を投下された際に対応できない。

 2人は陸攻より高度を一度下げると、再び上昇に転じる。

 そして照準器の中央に陸攻のエンジンの片方をとらえる。

 引き金を引くと、紫電の20mm機銃4門が重い銃撃音と轟かせ、20mmの大口径弾をエンジンに撃ちこんだ。

 アコが右側、シノが左側を撃ち抜き、陸攻が高度を下げ始めた。

「よし!」

 直後、陸攻が桜花を切り離した。

 だがそれは僅かに落下したのち、銃弾の雨に撃ち抜かれ、陸攻を巻き込んで爆発した。

 

『隊長~、詰めが甘いよ~』

 

「ヘレンさん!助かりました」

 ヘレンの紫電が桜花を破壊。

 全ての陸攻と桜花を失った空賊たちは戦闘を中止。撤退を始め、イヅルマから遠ざかっていく。

 

『こちらアルバート。空賊の撤退を確認した』

 

 無線から、管制塔で確認したのだろうアルバート部長の声が耳に入る。

『カナリア自警団のみんな、よく頑張った。全機帰還してくれ』

「「「はい!!」」」

 アコは操縦席内で、大きく深呼吸をした。

 カナリア自警団の紫電は全機、イヅルマへ向けて進路をとった。

 

 



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最終話 疑惑の増えた用心棒

イヅルマで飛行船の武装強化を終え、無事にガドールへと帰還した
ユーリア議員。
ユーリア議員は彼女を使いに出すと、隊長と弟さんを連れラハマへ
向かった。
ユーリア議員がラハマを目指した理由とは……。


 遠ざかる52型を遠目に、ハルカは疑念を抱いていた。

 いくら陸攻が全機落とされたとはいえ、あっさり引き下がった。

 ユーリア議員を狙うにしては、桜花の数が少なかった。

 ただ、一応襲撃しておくか、くらい軽いものに彼女は見えた。

 あの技術者が言っていた通り、自由博愛連合の残党であろうことは確定だろう。

 そんな連中が、かつて自分達が属していた自由博愛連合を瓦解させた1人であるユーリア議員を前にしながらみすみす引き上げるなど、どうも違和感がある。

 もしくは、もう目的を達成したのか。

 もっとも、彼らが引いた今となってはそれを知るすべはもうないが。

 これでイヅルマに被害を出さずに済んだし、拠点を破壊した今、彼らはもう襲撃を仕掛けてくることはない。

 ユーリア議員を引き渡す必要もない。

 とりあえず、今はそのことに安堵しよう。

 ハルカは隊長たちを追いかけ、イヅルマへ進路をとった。

 

 

 

 

 

 後日、飛行船の武装強化が無事終わり、イヅルマからガドールへユーリア議員は帰還した。そして、自室でユーリアは、ハルカに1通の封筒を渡した。

「これを、ナガヤの市長に渡して欲しいの」

「数日かかりますけど……」

「構わないわ。あなたの故郷なんだから、少しはゆっくりしてから帰ってきなさい」

 そういって、彼女はハルカを送り出した。

 彼女の零戦が、ナガヤへ向かって飛び立っていくのを見送ったユーリアは、隊長と弟さんへ振り向く。

「……隊長、一〇〇式輸送機の準備を。ラハマへ向かうわ」

「え?ですが、彼女はさっき」

 ユーリアは、隊長に視線を送る。

「……彼女に聞かれてはまずい内容、ですか」

 その後、ユーリアは電話でどこかに連絡をし、護衛隊を引き連れてガドールを出発。ラハマへと急ぎ向かった。

 今の彼女には、何より確認しなければならないことがあった。

 

 

 

 

 ラハマに到着すると、ユーリアは隊長に弟さんをつれ、滑走路近くに係留されている羽衣丸へ向かった。

 羽衣丸の中にある一室、社長室の扉を彼女は3回ノックする。

「どうぞ」

 優美で、余裕のありそうな聞きなれた声を確認。彼女はドアを開けた。

「いらっしゃい、ユーリア」

 愛用のキセルを吸いながら、この羽衣丸の所有者、マダム・ルゥルゥが社長用の椅子に腰かけて待っていた。

「突然悪かったわね、ルゥルゥ」

「あなたが悪かった、なんていうのは珍しいわね」

 ユーリアは室内を見渡す。

 室内にはルゥルゥ以外に、3人の人間がいた。

 コトブキ飛行隊の1人、銀色の髪を二つに分けている、滅多に変化しない表情から感情が読み取りにくい女性、ケイト。

 彼女の兄で、同じ髪の色をしている車椅子に座っている男性、アレン。

 そして、すごくラフな格好をしていて、おっとりした表情をしている女性、タミル。

「みんな、急に呼び出して悪かったわね」

「ケイトは問題ない。今日は休み」

「僕も問題ないよ」

「私もですわ。もっとも、ユーリア議員からの呼び出しというのは、少々驚きましたけど」

 ガドールを出発する前に、ユーリアはルゥルゥに連絡し、必要な人間に連絡をとってもらっていた。

「……周囲に人は?」

「人払いはしてあるわ。随分厳重なのね」

「今回の用事は、……ちょっとね」

「そう。……ところで」

 ルゥルゥはユーリアの背後を眺める。

「いつも連れているあの子はどうしたの?今はあなたのもとにいるはずでしょう?」

「ナガヤへ使いに出したわ」

「……彼女に聞かれてはまずい内容、ということ?」

 ユーリアは黙った。それをマダム・ルゥルゥは肯定と受け取った。

「それで、彼女に知られてはまずい、今回の用事っていうのは?」

「……隊長」

 ユーリアの背後に立っていた隊長は、大きなトランクを取り出す。それをルゥルゥの机の上におくと、トランクを開ける。

 中から出てきたのは、大きなレコード盤と機械。

「おお、これは録音用のレコードだね」

 アレンが驚きの声をあげる。

 ユーハングが過去に持ち込んだもので、一部の都市で製造がおこなわれている。だが、非常に高価で手が出るのは富裕層に限られている。

 

「先に断っておくけど、これから聞く音声の内容は、他言無用でお願いね」

 

「……わかったわ」

 全員が頷くのを確認すると、彼女は隊長に視線をおくった。

 隊長が機械を操作すると、レコード盤が回り始めた。

 少し雑音交じりの音が流れ始め、間もなく人の声らしきものが流れ始めた。

 

『あの~、何か言ってもらえませんか?』

 

 一同は首を傾げた。

 

『ああ、こっちの言葉は通じるんですね』

 

「……聞いたことない言葉ね、何て言っているのかしら?」

 ルゥルゥは首を傾げる。

「でも、声はハルカで間違いない」

「ハルカ、さん?」

「マダムたちが雇った新しい用心棒の名前」

 ケイトが簡潔に応えると、彼らは音声記録の続きに耳を傾ける。

 

『嬢ちゃん、何者だ?』

 

「男性の声よ?」

「今回行ったイヅルマで、ちょっとね」

 

『私はイジツ生まれのイジツの人間ですよ』

 

 マダムは会話の内容が理解できないのか、首をひねっている。

 

『あなたはかつて、パロット社で働いていた。ですが、一度イケスカに戻っている。それは、恐らくイケスカがあなたの技術を求めてきたから。ですが、その後再びパロット社に保護を求めて帰ってきた』

 

「……イケスカ、パロット社という単語が出てきましたわね」

 

『技術者をかき集め、イケスカはどの都市よりも飛行機の研究で先を行った。それによって肥大化したイケスカが、もっといえばイサオ氏が何をしたのかは、周知の事実。従わない都市を焼き払い、リノウチ空戦ほどではないにせよ、イケスカ動乱を引き起こし、ユーハングの遺産でこのイジツがあれることになった。あなたは、イケスカを肥大させるのに加担した。結果として、そのことを後悔している。違いますか?』

 

「イケスカ、イサオ……、ユーハング」

 

 

『……ああ。その後継者が現れたことで、イケスカは内戦状態から徐々に脱しつつある。イサオ氏が残した地盤を引き継ぎ、再びイジツの覇権を狙って戦力の再編を行っている』

『それで、ショウトやナガヤを攻撃したわけですか……』

 

「ショウト、ナガヤ……」

 

『イケスカで、タカヒトという名を聞きませんでしたか?』

『タカヒト?……一緒にイケスカで技術者として働いていた』

 

「タカヒト?」

「彼女の祖父の名前ね」

 その後会話が少し続き、音声記録は終わった。

「……どう?」

「……普通のイジツの言葉とは、違いますわね」

 タミルは、口元に手を当て、何かを思い出そうとしている。

「ケイトも聞いたことない」

「僕もないね」

「……そう」

「もしかして、この言葉が何なのかを知るために?」

 ルゥルゥの問いにユーリアは頷く。

「そんなの、彼女に直接聞けばいいじゃない?」

「それができたら苦労しないわよ……」

 そもそも、今回のイヅルマでの一件。あの技術者から情報を聞き出したのは、カナリア自警団のアコ団長ということになっていたが、実際は録音の通りハルカが全て聞き出していたのだ。

 それを団長の功績にしてまで知られたくなかったのには、何か理由があるはず。

 そもそも、この件についてハルカは何もユーリアに言わなかった。

 それは、雇い主にも知られたくないという彼女の意向。

 迂闊に踏み込むことはためらわれた。

「どうやら、知りたいけど知ってはいけないものを聞いてしまった、みたいな感じね」

「……そうね」

「何を言っているかはわからないけど、思い当たる可能性はあるよ」

 ユーリアはアレンに視線を向ける。

 車いすに座りながら、彼は腕組をしている。

「会話の内容はわからないけど、聞き覚えのある単語はいくつかある。このイジツには方言はいくつかあっても、言語は共通なのは知っているね」

 イジツの言語は、基本共通だ。

 広い荒野にいくつか都市があり、成り立ちも文化も違うが、交易や交流を行っていて言語は皆同じだ。

 

「そんなイジツに、他の言語が入ってくる機会なんて、1度しかなかった」

 

 皆が顔をひきつらせた。

 このイジツに、異なる文化や技術、そして言語を持ち込んだ異邦人がかつていた。

 この閉ざされた世界で他の言語が入ってくる機会など、その1度切りだ。

「……もしかして」

 タミルもその可能性に行きついたのか、口元が少し震えている。

「ああ」

 アレンは、笑みを浮かべながらいつもの調子で言った。

 

 

「ユーハングの言葉だね」

 

 

 室内が静まり返った。

 かつて、このイジツに空を飛ぶ技術をもたらした異邦人たち、ユーハング。

 そして、70年以上前に穴の向こうに去っていった。

「いやあ、こんなに流暢なユーハング語を聞くのは初めてだね」

「私も初めてですわ」

 ユーハングの言葉は、今でもイジツに残っている。ただし、あくまで短い単語が残っているだけで、会話ができるほどの人間はもういない。

 ユーハングと交流があり、かつてその言葉を話せた人々も、もうこの世界には残っていないだろう。

「ユーハングの言葉……。そんな……」

 ユーリアは、驚きを隠せない。

「そのハルカ、さん、でしたか?年はおいくつなのですか?」

「ケイトたちと変わらない」

「あら、お若いのですね。でもそうなら、彼女はこの言葉をどこで覚えたのでしょう?」

 ユーハングが去って70年以上。ハルカはせいぜい20歳。

 明らかに彼女が彼らの言葉を知っているのはおかしい。

「なんにしても、凄いですわね。私、ユーハングの文献や資料を読むことはできても、話すことはできませんもの」

 タミルは古生物学者として、イジツの過去やユーハングの痕跡を調べている。

 なので、ユーハングの言葉を理解し、文献もある程度読むことができる。

 アレンも個人的にユーハングや彼らが通ってきた穴を研究しており、ケイトも手伝いをしている。

 そんな彼らでさえ、ユーハングの言葉を話すことはできない。

 

 だが、ハルカはできた。

 

 それが何を意味するのか、明白だった。

 

 

「やはり、ハルカはユーハングの関係者である可能性が高い」

 

 

 全員が目を見開く。

「彼女の零戦に描かれているマーク。あれはユーハングのものと酷似している。それに彼らの言語を理解している。これで関係ないなんて言う方が不自然。今すぐ呼んで、問いただすべき」

「個人的に研究を手伝ってもらいたいなあ。まだ解読できていないユーハングの資料が紐解ければ、大きく前進するよ」

「そうですわね。そのお方に会ってみたいですわ」

 

 

「ダメよ!!」

 

 

 突如叫ぶように言ったユーリアに、皆が驚いた。

 

「そんな目的で、彼女を使わせる気はないわ。それに言ったでしょ?この部屋でのことは内密にって……」

「ですがユーリア議員、彼女がユーハングに詳しいのなら、遺産の解析が進みます。そうすれば、今をよりよくする物が手に入ります」

「いい物ばかりとは限らない。ユーハングの遺産を巡って、遺産を悪用して、このイジツがどれほど荒れたか、知らないわけじゃないでしょう」

 ユーハングの遺産を巡って、リノウチ空戦がおき、今でも遺産の奪い合いで争いがおき、その遺産を悪用していくつもの町が焼野原に替えられた。

 ユーリア議員もマダム・ルゥルゥも、そんな出来事があって法整備を急ぐ大人たちの背中を見てきた。

 ユーハングの遺産を巡っては、確かにいい物も手に入ることだろう。

 だが、その力を悪用する人々の手に渡ったら?

 イヅルマで元パロット社の社長ウタカ氏は、どんな遺産も解釈して活かせる人間がいなければガラクタだと言っていた。

 今イジツには、多くのユーハングが残した遺産や資料がある。だがそれらの多くは眠ったままだ。

 もし彼女がそれらを解析できるとわかれば、彼女を手に入れようと動く勢力が出るのは想像に難くない。

 用心棒としてそばにいつもおいているハルカが面倒ごとに巻き込まれるのは、ユーリアも望むところではない。

「わかったわ。あなたの要求通り、この部屋でのことは内密にするし、用心棒の用事以外で彼女を使わないと約束するわ」

「……ありがとう」

「でもね、ユーリア。このことが未来永劫ばれないとも限らないわ。どうしても隠し通せなくなったら、その時は仕方がないと思ってちょうだいね」

「そうね……。でも、そうなっても彼女を守れるように、私たちが雇い主になっているんでしょう?」

「ええ。でも、私たちもできないことがある。それだけは覚えておいて」

「そうね……。集まってもらって悪かったわ」

 ユーリアは弟さんが持っていたトランクを開け、口止め料を含めた報酬を渡し、羽衣丸をあとにした。

 

 

 

 

 帰りの輸送機の中、ユーリアは窓から見える風景をぼうっと眺める。

 ふと、上着の内ポケットから手帳を取り出す。

 表紙をめくると、1枚の写真が挟んである。

 ハルカがガドールに来てすぐ、事務所のある建物のそばで撮った彼女との写真だった。

 最初は、ただ腕のいい用心棒が欲しいだけだった。おまけに彼女は可愛いから、つい傍に置きたくなってしまった。

 だが彼女のことを知るたびに、少しずつだが印象が変化してきた。

 ラハマで彼女を雇うと決めた後に、彼女はハリマ評議会ホナミ議員の姪に当たるとわかり、アレシマでの件の後はハリマ評議会議長カスガ氏、市長のシズネ氏の孫とわかり、ハリマを味方にする上では、この上ない交渉材料になると感じた。

 おまけに、ナガヤに行った際は彼女の故郷と知り、今の住人は誰もが彼女を知っていてナガヤを味方にする上で都合がよかった。

 だがイヅルマの件で、彼女はユーハングの言葉を話した。

 そばにいるユーリアも知らなかった彼女のことが、次々明らかになってくる。

 いつも浮かべる笑みの裏に、一体何を秘めているのか。ユーリアは一瞬、彼女のことが怖くなった。

 

「ハルカ……、あなた、一体何者なの?」

 

 ユーリアはつぶやく。

 だが、思い当たる節がないわけではない。

 それは、ナガヤでクラマ市長が言っていた言葉だ。

 

 

 ハルカは、祖父から全てを教えられた子だと。

 

 

 彼女の祖父のタカヒト氏は、ナガヤの危機を救った技術者だったと、市長は言っていた。

 ハルカに飛行機の飛び方や修理、色んなことを教えたと。

 もしかすると、彼女の祖父も、ユーハングとかかわりがあったのではないか。

 その祖父から教わったことの中に、ユーハングの言葉があったのではないか。

 ハルカがユーハングの言葉を話せたのがその証拠だ。

 

 だとすると、今回イヅルマの地下牢にいた技術者同様、そんな技術者はどこも手に入れようとするに違いない。

 ユーハングの言葉を知っていて、遺産の解析ができる。なら特にイケスカ、イサオたちは是が非でも彼を手に入れようと動いたに違いない。

 

 それが、彼女の祖父であるタカヒト氏の行方不明の原因になっているのではないか……。

 

 推測でしかないが、その可能性は高い。

 そして、ハルカが何者であるか、それを知る人間は、意外に身近にいるかもしれない。

 

 クラマ市長は言っていた。

 ナガヤの人間は、ハルカを生まれた時から知っていると。

 

 それが本当なら、ナガヤのクラマ市長やナガヤ飛行機製作所の社長に工場長たちは、何かを知っている可能性が高い。

 何より、彼女の血縁者であるホナミにカスガ氏、シズネ氏が知らないはずがない。

 彼らは、ユーリアが知らないハルカの情報を知っている可能性が高い。

 同時に、それをユーリアに話していないということは、まだ話せない、という彼らなりの意志表示と言えなくもない。

 

 ユーハングの言葉を話せ、ユーハングの言葉を名前に与えられ、祖父がイジツとユーハングはつながっていたんだという意味を込めた塗装を施した機体を持つ、幼い頃から腕が良かったパイロット。

 

 そしてコトブキ飛行隊のケイトが言っていた、彼女の機体に描かれたユーハングのものと酷似したマーク。

 

 彼女の素性を黙っているホナミや市長たち。

 

 これらの状況証拠から導き出される答えなど、1つしかない。

 

「……とりあえず、慎重に探る必要があるわね」

 

 ハルカにばれないように。

 ユーリアはそんなことを考えると、重くなったまぶたを閉じる。

 こういう時、ハルカが隣にいれば膝枕でゆっくり眠れるのに。そんなことを思いながら、彼女の乗る輸送機は護衛隊に守られ、ガドールへの進路をとった。

 

 

 

 

 

 

 

「はい。例のものは手に入りました。桜花の試験も上々。傍目にはイヅルマの自警団が町を守り切ったように見えますが、目標を達成したのはこちら側。いい気なものです」

 イケスカに向かう輸送機の中、丸眼鏡をかけたオカッパ頭の男性、ヒデアキは主人と連絡をしている。

「はい。次はこれの試験を行います。お任せください」

 ヒデアキは通信を切った。

「あの、ヒデアキ様」

 部下の1人が問いかける。

「なんでしょう?」

「あのイヅルマの資産家から譲り受けたもの、なんなのですか?」

「ああ、あれですか」

 彼は輸送機の客室内後方に固定されているものに視線を向ける。円筒形の筒状のものだが、入り口付近には扇風機の羽のようなものが見える。

 

「ネ式エンジン。この状況を打開する力になってくれるものです。今度こそ、このイジツの覇権を握るのは、我々ですよ。……ムフッ」

 

 ふと、機内に設置されている電話が呼び出しのベルを鳴らした。

「もしもし?」

『ユーリアは仕留めたのか?』

 電話の主に、ヒデアキは淡々と答えた。

「いえ、しとめ損ねました」

『何がしとめ損ねた、だ!こちらから情報を提供したのに、失敗しましたとは何事だ!』

 めんどくさそうにヒデアキは言う。

「報酬もなしに情報だけ渡されて、そんなことができるとお思いで?」

『桜花開発に資金提供をしただろう?』

「あんな雀の涙の額で、強力な護衛隊の護衛を突破して議員を殺せと申すのですか?」

『私は議員だ。まして、自由博愛連合への風当たりの強い今、提供できる資金にも限界がある。あまりに巨額を渡せば、ガドール評議会でつるし上げられるのは目に見えている』

「それはあなたの事情でしょう?あなたが評議会でつるし上げをくらっても、我々に協力できるかどうかの問題です」

『無茶をいう……』

「それはお互い様でしょう?それに、ユーリアにはあの番犬がいる。彼女がいるうちは、迂闊に手出しができないのが現状です」

『あんな小娘1人になに手を焼いている!?』

「地上では小娘でも、空では悪魔の名に恥じない強さ。我々の仲間を、数多葬り去ってきた難敵です。あのお方が、放っておけというほどにね」

『彼女を何とかできれば、まだ確率はあがるということか?』

「ええ。ですが、あなた方が手を下すまでもなく、あのお方がいずれは手を下します。その方が確実でしょう」

『わかった。それまでユーリアの件はまつ。ただし、確実にな』

「勿論です。それと資金提供の件、お忘れなく」

『……ああ』

 電話が切れると、受話器を戻した。

 今ユーリア議員を殺してもいいが、ヒデアキはそれでは満足できない。

 かつて、自由博愛連合の権威を叩き落してくれたユーリア議員。

 そのお礼参りには、もっと屈辱を与えるときでなければならない。

「今は精々生を謳歌してください、ユーリア。いずれは、お礼参りに行きますからね。ムフッ」

 

 目に見えない水面下で、この世界の今後を決める駆け引きはもうこのとき、すでに始まっていた。

 




ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
第5章はここまでとなります。

カナリア自警団の登場や新兵器の登場等色々変化が生じた
話でしたが、カナリア自警団の描写が難しいです……。

次の章がいつになるかはわかりませんが、次章が始まり
ましたらよろしくお願いいたします。


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おまけ短編:ナツオ整備班長の戦闘機解説「特別攻撃機 桜花」

「イヅルマにサクラは舞う」に登場した桜花の解説になります。
班長が気乗りしないようなので、軽めの内容になります。


 照明の落とされた羽衣丸の船内を、コトブキ飛行隊のキリエ、チカは静かに歩き、目的地である格納庫へと足を踏み入れる。

 そのとき、格納庫内の明かりが一斉に点灯し、一角を明るく照らした。

 そこにいたのは……。

 

「おう、てめえら!さぼらずよく来たな!」

 

 この場に2人を呼び出した張本人、ナツオ整備班長はそばに置いた黒板を拳で殴りながら言い放った。

 

「それじゃあ、ナツオ整備班長の戦闘機解説講座、開講だああああ!」

 

 ナツオ整備班長の戦闘機解説講座。その名の通り、ナツオ整備班長が戦闘機、もとい飛行機について懇切丁寧に解説してくれる講座である。

 

「じゃあ、飛行機乗りのくせに、飛行機のことをなんにも知らないお前たちのために、この私が特別に教育してやる!ありがたく思え!」

 

「「へ~い」」

 

「はあ~……」

 

 開始早々、ナツオ班長は深いため息を吐きだした。

「どうしたの班長?」

「元気ないね?」

 キリエとチカは、心配そうにナツオ班長を見つめる。

 

「だってよ、今回解説する戦闘機がさ、解説したくない機体なんだわ」

 

「どんな機体も愛してやまない班長が……」

「解説したくないなんて……」

 飛行機愛が深い班長さえ、今回の解説講座はできればしたくないものらしい。

「くっそおおおおお!こんな機体の解説を頼みやがった筆者に、イナーシャハンドルぶっさしたい気分だ!」

「でも班長、これも仕事でしょう?」

「わかってらあ!お前ら、仕事である以上仕方ねえ。腹あくくれえ!」

「どっちかといえばくくるのは班長じゃん?」

「やかましい!」

 ナツオ班長は咳払いをする。

 

「今回解説するのは、作中でイヅルマを攻撃しに来た一式陸攻に搭載されていた特別攻撃機、桜花だ」

 

 班長は、黒板に全体が白く塗られ、小さな胴体に翼がつけられた桜花の写真を貼り付ける。

「何、この飛行機?」

「プロペラないし、変な形だよね」

「そりゃあそうだ。正確には、桜花は飛行機じゃない」

「え?飛行機じゃないの?それっぽい形しているじゃん?」

「桜花はロケットエンジンで推力を得るんだが、そもそもこの機体は自力で離陸も飛行もできない。だから車輪なんてものはついていない。できたのは、滑空だけだ」

「ああ、だから一式陸攻が吊り下げていたんだね」

「そういうことだ。それと、この桜花はその悪魔的というか、ある種の狂気が生み出したものだったんだ」

「狂気?」

 キリエが首を傾げる。

「作中でハルカが言ったように、この桜花は機首に炸薬を装備していて、陸攻で敵の近くまで運び、桜花の飛行距離圏内で切り離し、あとはロケットで加速しパイロットが誘導。敵に体当たりするという、まあ、ある種常軌を逸した使い方をする代物なんだ」

「それじゃあ、パイロットは?」

「桜花は、パイロットの生還を考えない代物だ」

「ユーハングが……」

「こんなものを……」

 キリエとチカは言葉を失っている。彼女たちが乗っている隼をはじめ、空を飛ぶ技術をもたらしたユーハングが、そんなものを作っていたという事実に。

「班長さ、52型の回でパイロットは飛行機の中で一番お高くて大事な部品だっていっていたじゃん!」

「まあ、あのときはな……。ユーハングは、ついにそうも言ってられなくなったんだよ」

「でもさ、なんでこんなものユーハングは生み出したわけ?」

「それには、ユーハングが追い詰められていたことが原因だったんだ」

「追い詰められた?」

 キリエにチカは首をかしげる。

「当時、ユーハングは敵さんとの戦いで負けていた。この負け続きの状況をなんとか打開するために、例え命を犠牲にしてでも敵さんをより多く倒せる強力な兵器が必要だ。そんな考えのもと、桜花は作られたものの1つなんだ」

「ならさ、何で無人にしなかったわけ?本筋でイ号一型乙無線誘導弾とか紹介していたじゃん?」

「確かに無人化できればよかったんだが、そもそもこれを考えた人間は、無線誘導はまだ実用に耐えられるものじゃない。だったら人間が誘導すれば効果が高いはずだと考えたからなんだ」

「そんなの思いつくなんて、よっぽど追い詰められていたんだね……」

「まあな。この桜花、材料の殆どは木材が使われていてな。翼はベニヤ板で、とにかく金属の消費を抑え、短期間で沢山作れるよう設計されていたんだ」

「そんな材料で大丈夫なの?」

「まあ、一度出撃すれば帰ってこない使い捨ての兵器だからな。そんなものに贅沢な材料は使えない。こんな、ある種狂気的ともいえる使い方をするから、敵さんからは自殺をする愚か者の機体という意味を込めて、Baka Bombなんて言われていたんだ」

「そりゃあ……」

「バカだよね……」

「だが、敵さんはそう呼んで蔑む一方、人間を誘導装置として使うことは効果的で、速度が当時の戦闘機より速く迎撃困難な兵器として、桜花の有効性は高いことは認めていたようだ」

「認めたくないね」

「……そうだね」

「まあ、そうだよな。で、この桜花なんだが、確かに当たれば効果は大きかった。だが、最初の11型に搭載されていたエンジンは、固体燃料ロケットで、飛べるのは50kmが精々」

「結構、短いんだね」

「ああ。敵さんにこの距離まで近づこうにも、桜花を抱いた一式陸攻は機動性が著しく低下し、鈍重になった。結果、桜花を投下する前に敵戦闘機隊に落とされることが多かった。実際に、初めて使用された任務では、鈍重な一式陸攻に数が足りない護衛隊のために、桜花を切り離す前に一式陸攻隊が全滅。数少ない戦果はあるが、厚い敵さんの防空網を前に、陸攻隊が全滅することが殆どだった」

「うわ~」

「出撃すれば乗っている人間はまず助からない。敵さんにとっては、これに人が乗っていると知って恐怖を抱いた。つまり、使ったユーハングも使われた敵さん、どちらにとっても不幸しかもたらさない。ハルカの爺さんが言っていたように、ある意味存在してはいけないものだっていうのは、なんとなくわかるだろう?」

「ああ……」

「そうだね……」

「ユーハングがこんなもの」

「作っていたなんて……」

「まあ、穴を通ってこの世界には色んなものが入って来たってわけだ。いい物も、悪い物も。だが我々は受け入れなければならない」

「いい物も……」

「悪い物も……」

「そういうこった」

「ところでさ、作中では人間が乗ってなかったよね?」

 

 

「そりゃあそうだ。コトブキ飛行隊の世界に、人の乗った桜花なんて出せると思うか?ただでさえシリアスな部分が多めなのに、これ以上世界を暗くしたら物語としての面白さは失われる。だから自動操縦装置という都合のいい設定を使って無人化を果たした。自由博愛連合の残党は、人手不足に違いないという設定も追加してな。自動化された桜花は、いわば飛翔する爆弾だ。人的資源の少ない組織には、ありがたい兵器だ。一応、それなりに説得力を筆者は持たせたつもりらしい」

 

 

「班長、そんなこと言っちゃっていいの?」

「大人の事情ってやつだ」

「わー、聞くんじゃなかった……」

「さて、今回の解説はここまでだ」

「やけに短いね今回は」

「当たり前だ!これから私は、こんな解説を頼みやがった筆者を血祭に上げにいってくるからな!」

 雄たけびを上げつつ、ナツオ班長はイナーシャハンドル片手に走り去っていった。

「皆さん、班長が行っちゃったから今回はここで閉めますね」

「では皆さん、また次回の講座で」

 

 

「「お会いしましょう!」」

 




ナツオ班長の言う通り、有人の桜花などこの世界の中で出せるわけなく、
そんな事情で無人で登場しました。
それでも、桜花が登場した話では沢山の感想を頂きましたので、
読者の方々には結構衝撃的だったのですね。

ここまで読んで下さった方々、ありがとうございました。
また不定期更新になりますが、次の章もお付き合い頂けたら幸いです。


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おまけ短編:懐かしい賑わいを感じて

ユーリア議員からの手紙をもって故郷へ里帰りする彼女。
彼女が来たことを知って温かく迎えてくれる賑やかな人々に、
彼女は家族がいたときの懐かしさを感じる。

一方、市長はユーリア議員からの手紙の中に、気になる
文章が書かれていたようで……。



 床には畳が敷かれ、部屋はふすまで仕切られ、中心にはちゃぶ台がおかれた、いわゆる和室という空間。

 そのちゃぶ台の上では、置かれた鉄製の鍋の中で色んな具材が煮えている。

 表面が軽く焼かれた豆腐、白く細長い糸のような白滝、彩を添えるネギなどの野菜、そしてメインの牛肉。

 それらが醤油味をベースにした汁で煮えていて、室内に充満する匂いが食欲をそそる。

 鍋に伸ばされた箸が肉をつかむと、といた卵につけて口へ運ぶ。

 卵のまろやかな味わいと、コクのあるしょうゆの味、食材の食感が口の中で混ざり合う。

「う~ん。やっぱりハリマの食材は一級品ですね」

「それほどでも。でも、料理人の腕が良くなければ食材が良くても意味ないです」

「それに雰囲気もな。こうやって集まるのは、何年ぶりだろうな」

「でも、私たちは時折集まっていたじゃないかね」

「それはそうですけど」

「でも今回は……」

 全員の視線が、同じ先を見つめる。

 

「久しぶりに、彼女がいてくれますから」

 

 皆が一様に笑みを浮かべる。

 それらの視線が恥ずかしくなり、見つめられる黒髪の女性、ハルカは頬を赤く染める。

「そんなに、見ないでくださいよ」

 

「ええ、そんなこと言わないで。なかなか会えないんだから、こうやって見つめてもいいでしょう?」

 全く意に介さないのは、ハルカの右隣に座る栗色の短い髪に、眼鏡をかけた女性。

 ハリマ評議会のホナミ議員。ハルカの母親の妹、叔母に当たる人物である。

 

「そうそう。こうやって君と一緒に過ごせる時間は、何物にも代えがたい幸せな時間なんだよ。そんな時間の中で君を見つめないでなんて、酷なことだよ」

 にこやかにそういってくるのは、このナガヤの市長をつとめるクラマ氏。

 彼女の亡くなった父親の親友といえる人物。

 

「久しぶりにこうやって一緒に時間過ごせるんだ。寂しいこと言わないでくれよ、嬢ちゃん!」

「そうだよ。みんなこの日という日を楽しみに待っていたんだよ」

 市長に続くのは、彼女の昔の仕事先の1つであったナガヤ飛行機製作所のナオト工場長にカガミ社長。

 皆、ハルカと昔から交流のある人々ばかりだ。

 

「……少しであれば、いいですよ」

 彼女は肉を口に運ぶ。

 ちなみに、彼女が今いるこの和室は、彼女が幼い頃住んでいたナガヤにある実家。

 なぜそこで彼らと食事をとっているのか。事の始まりは数時間前にさかのぼる。

 

 

 

 

 ユーリア議員に手紙を渡され、故郷であるナガヤの市長をつとめているクラマ氏へ渡して欲しいと言われ、ガドールを出発したのが今日の午前のこと。

 そしてナガヤに到着し、手紙を渡して帰ろうとしたら。

「今日はもう日も暮れるし、明日帰ることにして今日は泊まったらどうだい?」

 そうやって市長に引き留められてしまった。

 それを断ろうとしたら。

「ハルカ~、お願い~」

 などと、偶然訪れていた叔母であるホナミ議員に腕に縋りつかれる始末。

 実際、夜間飛行は危険を伴うし、ユーリア議員からゆっくりしてこい、と言われているので一晩くらいいいかと思って彼女は承諾した。

 そして一泊する場所を探そうと思ったら。

「君には家があるじゃないか」

 と言われ再び実家に帰ってきた。

 家の中は、カガミさんたちが時折掃除してくれているのか綺麗であった。

 布団も問題なくあり、水道も止められていない。

 だが食料があるはずもないので、それだけは外食で済ませようと考え、彼女は町へ繰り出そうとした。

 すると、玄関が開く音がした。

「よお、嬢ちゃん!ゆっくりできるんだって!?」

「おいしい物作ってあげるから、待っていなさいね。台所借りるよ~」

 突如玄関を開けて現れたのは、ナガヤ飛行機製作所のナオト工場長とカガミ社長。

 2人とも、何やら段ボールや袋片手に家に入ってきた。

「ハルカ君~」

「お邪魔するわね~」

 そういってナガヤ市長とホナミ議員も上がりこんだ。

「……皆さん、お仕事は?」

「もう終えてきたわよ」

「同じく」

 なんでも、彼女が一泊することを聞いた彼らは、仕事を早く済ませてきたのだという。

 そうやって、台所で何か準備が進むことしばらく。

 大部屋のちゃぶ台の上に置かれたのは、ユーハングから伝わったもの、牛鍋だった。

 ユーハングが伝えたものと言われているが、使われている食材が牛肉をはじめとした高価な代物ばかりであるため、富裕層を除けば人々の口に入る機会は少ない。

 牛の飼育がおこなわれているのは、ギュウギュウランドやハリマ等一部の都市に限られているためだ。

 今回、これらの食材は全てホナミ議員が用意してくれたものらしい。

 なんでも、乗ってきた飛行船の料理人を説得して持ってきたものとのこと。

 こんな食材を飛行船に乗せているとは、流石は食料生産都市ハリマの議員である。

「ハルカちゃん、おいしいかい?」

「あ、はい。とっても」

 作ってくれたカガミさんに笑みを返す。

 食材はハリマ産のいいものを使っているし、カガミさんは料理が得意だから、おいしくないはずがない。

 彼女は、よく工場で手料理を昼食時、社員たちにふるまっている。

 無論味は好評で、ハルカも幼い頃にナガヤ飛行機製作所で手伝いをしていたから、何度も口にしている。

 今となっては、この味が凄く懐かしく感じる。

「遠慮なんてしなくていいんだよ?」

「そうそう。パイロットは、食べることも仕事の内だぞ」

 そういって、ナオトさんに肉をお皿に沢山入れられる。

 上下左右に高速で動き回る激しい戦闘機動をとることが多い戦闘機に乗るパイロットにとって、体を作ることは最も重要視される。

 ある程度筋肉をつけないと、重くなった操縦桿を引くのに苦労するし、激しいGのかかる旋回戦で耐えられなくて根を上げてしまう。

 コトブキ飛行隊のレオナのようになるまで鍛えられなくても、ある程度は体を作らないと命に係わる。

 ただ、ハルカはユーリア議員から必要以上に太ももを鍛えるなと厳命されている。

 昼寝の際によく太ももを議員にかしており、今の固さが丁度いいからというのが理由らしい。

 ハルカの場合、成長期であった十代前半から九七式戦闘機にのって戦いの空をかけているため、戦闘機動に体が適応するように成長した。

 なので、必要な体はおおよそできているが、チカほどではないにしてもキリエにくらべ少し背が低めなのが彼女の気にするところとなってしまっている。

「あ、そうだ」

 ナガヤ市長のクラマさんは、何やら紙袋を引っ張った。

「彼女が折角いるんだから、皆で呑もうと思いまして」

 市長が取り出したのは、透明な液体の入った大きな瓶。ラベルにはユーハングの文字が書かれている。

「クラマさん、それって」

「ええ、秘蔵のユーハング酒です」

「市長太っ腹!」

「一人でじっくり楽しんでもいいんですが、彼女が折角お酒が飲める年になったんですから、ね」

 イジツではお酒が飲める年は10代後半であり、ハルカも時折飲んでいる。

 用心棒なのだが、ユーリア議員のお酒の相手を隊長さんや弟さんと一緒にしていることもある。

 クラマ市長はコップにお酒をついでいく。

「はい、どうぞ」

 コップを受け取り、彼女は匂いを嗅いだ。

 豊かな香りが鼻の中に広まり、最後にアルコールの香りが鼻をつく。

 口に含むと、甘口の飲みやすい味わいが口いっぱいに広がる。

「おいしい」

「そうかい。よかった」

 みんなもコップの中身をあおる。

「く~、体に染みわたる!」

「年代ものですね。高かったでしょう?」

「家にのまずに置いてあったものです。いつまで置いてあっても勿体ない。お酒は飲んでこそ、価値があるものです」

「またユーハング酒が飲めるなんてねえ」

 コップのお酒を飲みつつ、鍋をたべ、酔いが回って来たのかみんなが次第に陽気になっていく。

 夜の闇が深くなる中、彼女の実家の一角は賑やかになっていく。

 そんな風景を見ながら、ハルカは昔のことを思い出していた。

 まだ自分が幼かった頃、この部屋は両親に祖父母、兄と姉、小さな弟に妹がいた。

 みんなでにぎやかに夕食を食べるのが、日々の日課だった。

 祖母に父親と兄姉が亡くなり、祖父は行方不明。母親と弟に妹もいなくなった今では、こんな風景はもう見られないと思っていた。

 でも、今はこの部屋ににぎやかさがあふれている。

 それが懐かしくも、嬉しくもあった。

「ふふ……」

 コップの中身を少しずつ飲む。ふと、彼女の視界が揺らいだ。

「あれ……」

 彼女はそのまま、ちゃぶ台に伏せるように倒れた。

 

 

 

 

 

「ハルカ?」

 ホナミはちゃぶ台に突っ伏した姪っ子に視線を向ける。

 耳を澄ませると、規則正しい寝息が聞こえてきた。

「寝ちゃったのね」

「飲みすぎたのかもしれないね」

 ホナミとクラマは胸をなでおろす。いつの間にか彼女の頬が赤くなり、涎をたらしながら可愛い寝息を立てていた。

 その様子を、皆は眺める。皆は一様に、慈愛を込めた優しい顔をしている。

「にしても、こういう寝顔は大きくなっても変わらないね」

「そうだな。小さかった頃のままだ」

「可愛いものは、いくつになっても可愛いものね」

「はは、あんまり可愛い可愛い言いすぎると、ハルカ君が怒りますよ」

 ホナミは彼女に近寄ると、手を彼女の頭に置き、起こさないよう静かに頭を撫でる。

 4人は、微笑ましい笑みを浮かべる。

「本当に、この子だけでも生きていてくれてよかった」

「ええ、全くです」

 この4人にとって、彼女は死んだ姉の娘であり、死んだ親友の忘れ形見であり、わが子のようにかわいがった子。

 立ち位置は少し違うが、大事という点では同じである。

 4人全員が、彼女が生まれたときから、その成長を見守ってきた。

 ナガヤを出て行ってしまってからしばらく行方がつかめなかったが、今こうして生きていてくれて、先日はここ故郷であるナガヤを守ってくれた。

 こうして、また自分達のもとに来てくれた。

 それが、何より彼らにとっては嬉しかった。

 共に時間を過ごすことも、彼女を支えることもできる。

 かつて町を救ってくれた、彼女に頼っていた時の恩を、ようやく返すことができる。

「さて、片付けをしたら、今日はここで寝ましょうかね」

「ええ、布団も人数分ありますし」

「休暇にはちょうどいいんじゃねえか」

 彼らは彼女を起こさないように静かに片付けを終えると、寝室に彼女の布団を囲むようにして皆が布団を敷いた。

 クラマ市長は、目を覚まさないハルカを抱え上げて布団に静かに寝かせる。

そしてホナミ議員は彼女の布団に潜り込み、腕の中に抱いて一緒に寝たとか……。

 翌朝、目を覚ましたハルカが驚いたのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 翌朝、帰ろうとしたハルカだったが、自警団長のカサイさんに呼び止められ、ナガヤ自警団の訓練に付き合うことになった。

 滑走路からは、まるで相手になっていないナガヤ自警団の紫電と、余裕があるように軽やかに飛ぶハルカの零戦の姿が見えた。

「相変わらず、良い腕していますね」

「本当にね」

 そんな風景を、クラマ市長やホナミ議員たちは見上げる。

「そういえば、ユーリア議員からの手紙に、気になることが書いてありましたよ」

「どんな?」

 クラマ市長は、ハルカがユーリア議員から預かったという手紙を広げる。

 その終わりのところには、こう書いてあった。

 

 

『ハルカとユーハングの関係について、いつか教えてもらえないでしょうか?』

 

 

 その文面を見て、皆が表情を引き締めた。

「ユーリア議員は、何か気づいたみたいだね」

「確かに、勘が鋭い人だとは思ってはいましたけど……」

 自由博愛連合が、皆の共通の利益のための組織という皮をかぶったイサオ帝国だということを、ユーリア議員は早い段階から見抜いていた。

 少なくとも、鈍い方ではないだろう。

「あるいは、ハルカ君が何かボロを出したか」

「その可能性の方が大きいんじゃないか?」

「きっとそうだね。ハルカちゃんは母親のアスカさん同様、ウソや誤魔化しが苦手だからね」

 それを聞いて皆が苦笑する。

「それで市長、どうします?」

 クラマ市長は、少し考える。

 

 

「……今はまだ、その時じゃないね」

 

 

 クラマ市長は、上空を飛ぶハルカの零戦を眺める。

「それに、彼女自身も自覚がないでしょう。まずは、彼女が自身のルーツを知ることが先だね」

 ハルカは、自分はイジツ生まれのイジツの人間だと言っていた。

 それは間違っていない。でも、少し間違ってもいる。

「本当は、祖父のタカヒトさんが話してくれていればよかったのでしょうけど、伝える前に行方不明になってしまったからね」

「それに、当時伝えるには彼女は幼すぎました。何より……」

「当時伝えていたら、彼女もどうなっていたかわからなかった」

「そうだね。大事なことを伝えるには、適切な機会というのがあるからね」

「あと、適切な人間が伝えねえとな」

「となると、誰が適任でしょうか……」

 クラマ市長は少し悩んだ後、静かに言った。

 

「ホナミさん。あなたの父親の、カスガ氏から伝えてもらうのが一番いいでしょう」

 

「まあ、そうですね」

 ホナミ議員も、上空の零戦を眺める。

「近いうちに、彼女をハリマに呼ぶつもりです。その時がいいでしょう」

「でも、本当に伝えるのか?」

 ナオト工場長が言う。

「自分のルーツなんて、このまま知らずに過ごすのも、ありなんじゃねえか?」

「そうだよ。その方がむしろ厄介ごとに巻き込まれる心配もないし」

 クラマ市長とホナミ議員は表情を曇らせる。

「ナオトさん、カガミさん。確かに、お二人のいうことも一理あります」

「なら……」

「ですが、ユーリア議員のように、すでに可能性に気付いている人間もいます。隠したところで、いずれはわかること。なら、知らずに過ごすのではなく、向き合って、受け入れるのが一番いいでしょう」

「誰のために?」

「彼女のためと、タカヒトさんのためです」

「タカヒトさんの?」

 

「ユーハングの遺産は、イジツを荒らすためのものじゃない。イジツとユーハングの双方を知る彼女なら、きっと使い方を間違えないでいてくれる。それが、あの蒼い翼に込められた、タカヒトさんの願いです。彼女ならそうあってくれると、彼は彼女を信じたからこそ、願いを、自身の知る全てを託した。その願いを絶やすことは、できません」

 

「でも、厄介ごとに巻き込まれるかもしれねえぞ?……タカヒトさんがそうであったように」

「そのために、彼女を支えるために、私たちは今の地位にいるのでしょう?」

「まあ、そうか」

 昔はその他大勢の議員の一人だったり、ただの従業員だった彼らも、今はそれなりの社会的地位を手にしている。

「ユーハングの遺産で、このイジツは何度も荒れました。しかし、遺産で人々の生活が豊かになったのも、また事実」

「この混沌としているイジツで、タカヒトさんは遺産が人々を豊かにしてくれると信じた。だが、実際は荒れている様をどうすることもできなかった」

「自分が果たせなかった目的を、彼女はいつか成し遂げてくれる。その願いをなぜタカヒトさんが抱いたかを知るためにも、ハルカくんには自分のルーツを知ってもらう必要がある」

「きっと、大丈夫ですよ」

 ホナミ議員は微笑む。

「少し回り道をしてしまいましたが、彼女は自身の過ちに気付き、受け入れ、前に進もうとしている。知ったからって、彼女が変な方向に向いたりすることはないですよ。だって……」

 彼女は言った。

 

「ハルカは、私の姉の、自慢の娘ですから」

 

 皆はきょとんとした表情をするが、すぐに笑い声が出た。

「あなたはつくづく、お姉さんが大好きですね」

「悪いですか?」

「開き直ってやがる。まあ、らしいっちゃらしいか」

「そうだね」

 全員で空を見上げる。

 遺産は、厄介ごとをもたらしてばかりだ。

 いくつもの空戦や動乱で、イジツは荒れた。

 でも、空路の開拓で人々の生活が豊かになったのも、また事実。

 いい面も、悪い面も受け入れなければならない。

 そしていつか、争いが収まることを、平穏が訪れることを信じて、タカヒトさんは彼女に願いを託した。

 それが、遥か遠い未来にしか訪れないとしても、彼女はあきらめず、歩んでくれると信じて。

 

 

 

 

「ユーリア議員、ただいまもどりました」

 

 後日、ガドールに戻ったハルカはクラマ市長から受け取った手紙の返事を、ユーリア議員に渡した。

「お疲れ様、ありがとう」

 手紙を受け取ると、ユーリアは早速封を開け、文章に目を走らせる。

 便箋には、今はまだ話せないが、時が来たらお話しするという旨が書かれていた。

 明言していないが、それで十分だった。

「少しは休養できたかしら?」

「はい、おかげさまで」

 なら良かったとユーリアは思う。ふと、封筒にもう一枚何か紙が入っているのに気が付く。

 彼女はそれを取り出した。

 

「ふ~ん、本当に休養できたみたいね」

 

「どうかしたんですか?」

 ユーリアは手にしている紙を裏返した。

「なっ!」

 彼女は驚きの声を上げ、その紙をひったくろうと手を伸ばしたが、寸でのところでユーリアはひっこめ手帳にしまった。

「ちょっと議員!」

「別にいいじゃない?」

「恥ずかしいですから!?」

 抗議するハルカの声を無視し、ユーリアは手帳を覗く。

 封筒に入っていたもう一枚の紙。それは、酒に酔ってちゃぶ台で突っ伏して寝ているハルカの姿を撮影したものだった。

 きっと、食事の場にいた誰かがカメラで撮影したものだろう。

 写真には、安心しきった寝顔、口から垂れたヨダレ、酒で赤く染まった頬、正座から足を崩したせいで少しめくれたスカートやそこから見える白いものなど、彼女の無防備な姿がしっかり写っていた。

「恥ずかしいから、捨てて下さいよ!」

「お断りよ。こんなに可愛く撮れているもの。それを捨てるなんてとんでもないわ!」

 抗議の声を上げるハルカを無視し、ユーリアはその写真を手帳にいれて大事に持ち歩くことにしたという。

 その件以降、ユーリアが彼女を酒に誘う回数が増えたり、飲むお酒の量が増えた結果いつの間にか寝落ちしてしまうことが増えたのは、別の話である。

 



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おまけ短編:雲に消えた軌跡

幾度もの空戦で生き残り、その度に仲間の最期を見届け、
まとめた手記を残し、雲の中へと消えていったある戦闘
機パイロットの物語。
雲の中へ消えた彼の軌跡は、どこへ行ってしまったのか。


*この話はフィクションです。



 ここに、1冊の手記がある。

 これは、とある人物が日々のことを書きまとめていたものだった。

 中に書かれている内容で多くを占める話題は、仲間の最期についての記載だった。

 戦死者の名前、戦死した日、そして、どのような最期を迎えたのかが、克明に書かれている。

 彼は幾度も戦場へ赴き、仲間の最期を見届け、帰ってきた。

 いつしか、死神と呼ばれるほど生き残ったパイロットになった。

 そう呼ばれた彼にも、最後は訪れた。

 

 1945年4月11日

 

 基地を飛び立った彼もまた、仲間たちのもとへと行った。

 彼は最後、敵艦へと向かい、その最中に発生した雲の中へと、消えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 爆音を上げる高出力エンジン。鼓膜を破きかねないほど鳴り響く機銃の発砲音。それらの騒音の中、彼は左右に首を振って後方を確認しながら操縦桿を操る。

 彼の後方についた敵機が、後ろから離れない。

「速度は向こうが上、このままでは……」

 配備間もない時期に、零戦が作り上げた無敵神話。敵より早い脚、小回りのよさ、強力な火器をもって、敵を落とす。

 だがその優位も、長く続かなかった。今となっては、敵機の性能は零戦を上回る。

 彼は機体を操り、紙一重で敵の機銃の射線から逃れる。一か八か、彼は機首を左へわずかに振った。それにつられ、後方の敵機の機首が進路上をむいた。

 

―――今だ!

 

 彼はフットペダルを左へけりこみ、操縦桿を手前に引いた。

 機首が上がったことでわずかな時間減速、片翼が失速し空中でロール。後方の敵を前にオーバーシュートさせる。

 前後の位置関係が瞬く間に逆転、彼はスロットルレバーについている機銃の引き金を引いた。

 機首と主翼の13.2mm機銃、主翼の20mm機銃計5丁が一斉に咆哮を上げた。

 目の前の敵機の主翼を撃ち抜き、バランスを崩した機体は海面に向かって降下していった。

 だが、このとき彼は気づいた。今回の任務の最重要目的を、失念していたことを。

 彼は首を振って目的のものを見つける。

 彼の視線の先にあったのは、胴体下に小型の飛行機のようなものをぶら下げた一式陸上攻撃機が、敵機に群がられている姿だった。

「間に合え!」

 彼はスロットルレバーを押し込み加速。一式陸攻へ向かう。

 だが、一式陸攻はその前に火を噴き、次々落とされていく。

 そして最後の陸攻は翼が折れ、空中で爆散した。

 

『一式陸攻が全滅した。護衛隊は帰還せよ』

 

 隊長からの命令で、全機戦闘をやめ、基地へ進路をとった。

 彼は敵機を振り切った後、一式陸攻の落ちた海を振り返る。

 

―――今日もまた、敵艦を見つけることさえ、できなかったのか……。

 

 今日も、多くの命が失われた。

 散った命の最期を、今日も彼は見届けたのだった。

 

 

 

 

 基地へ帰ってきたのは、出撃した時の半数にまで減った、護衛隊の零戦52型丙。

 一式陸攻は、一機も帰ることができなかった。

 

『全滅か……』

『でも、あいつはまた無事だぞ』

『味方に死神がいるなら、せめて敵を落としてくれっての』

 そんな周囲の声を無視し、彼は愛機から下りると、隊長から部屋に戻るように言われ、自室へ向かった。

 自室へ戻った彼は、机に向かう。

 引き出しから手帳を取り出し、ペンにインクをつけ、白紙のページに文字を刻んでいく。

 今日戦死した人々の名前を、その最後を、できるだけ克明に。

 毎日のように刻んだ名前や最後は、間もなく手帳を埋め尽くそうとしている。

 これがいつまで続くか、彼にはわからない。

 だが彼には、その責任があると思っていた。幾度となく生き残り、そして最後を見届けた者、証人としての責任が。

 ただ1つ、このページの中に彼の名前が書かれることはない。

 それだけが、はっきりしていることだった。

 

『俺の最期の戦果を、必ず見届けて欲しい』

 

 出撃の前、彼にそう願いを託した隊員の言葉がよぎり、手帳に文字を書いていたペンの先が止まる。

「……くっ」

 彼は左手を握り締める。

 彼にそう頼んだ人物は、先ほど一式陸攻と、彼が乗るはずだった胴体下の小型の飛行機のようなものと共に、海の藻屑となってしまった。

 死ぬことを前提とした作戦に送られ、ろくな戦果さえあげることができなかった。

 彼のまぶたの裏には、落とされる味方の光景が、やきついて離れなかった。

 

 

 

 

「ついに、か……」

 ほどなく、彼の番がやってきた。爆弾を吊り下げた機体による、敵への体当たり作戦。これまでその護衛だったが、遂に彼も行くことになった。

 彼は出撃が決まると、整備員に依頼をした。

 彼の乗る零戦52型丙の主翼に装備されている、13.2mm機銃2丁を外すこと。少しでも重量を軽くし、成功率を上げるために。

 装備は万一の、自衛用の機首の13.2mm機銃と主翼の20mm機銃だけにした。

 そして手記を、彼は整備班長に託した。数少ない、彼が信頼していた人物へと。

 出撃当日、彼はとくに後悔も何もなかった。

 空襲で両親や親族、実家を無くし、帰る場所がない。帰りを待っていてくれる人もいない。彼にとっては、ある意味家族にもうすぐ会えるかもしれない、というわずかな期待さえあった。

 ただ、社会を知ることなく、自分は何のために生まれてきたのかも知ることなく、最後を迎える。

 それだけが、彼にとって後悔と呼べるものだったのかもしれない。

 彼は愛機と共に、空へ上がった。

 

 

 

 

 海の上を飛ぶことしばらく、海の上に何隻もの船が確認できた。

 何発もの機銃弾が空を舞い、彼の仲間たちを次々撃ち落していった。

 彼は雲に飛び込み、時折雲間から顔を出し、様子を伺う。間もなく、最も大きな標的である戦艦が、舵をきって方向を変え、彼に背後を見せた。

「……いくぞ」

 彼は機首を下げ降下。海面ギリギリまで高度を下げ、進路上に標的をとらえる。

標的に装備された対空砲が一斉にこちらを向き、咆哮を上げ始めた。

 彼はフットペダルと速度を調整し、機体を横滑りさせる。

 敵艦が撃った機銃弾全てが、彼の機体に当たることはなかった。

 次第に距離が縮まる。周囲になぜか雲のようなものが立ち込め始めるが、相手は巨大な戦艦だ。失敗することはない。胴体下に吊り下げた爆弾の安全装置を解除。進路を固定。

 目を閉じた。

 いつ敵艦に当たって爆弾が爆発し衝撃が来るのか、彼はまった。

 

 

 そして、体に何かが降ってきたような衝撃が走った。

 

 

 彼は、恐る恐る目を開けた。

 

 目を開けると、視界に入ったのはひまわりのようににこやかで、明るい笑顔を浮かべる、まだ10歳を過ぎたばかりくらいの幼い女の子。

 

 

「おはよう、タカヒトおじいちゃん」

 

 

 彼は、自身のきる布団の上に寝そべり、顔を見て嬉しそうに笑みを浮かべる女の子を見つめる。

「……もう少し、寝かせてくれないか」

 彼は目の前の子供の、自身にできた可愛い孫の名を呼んだ。

 

 

「……ハルカ」

 

 

 ハルカと呼ばれた女の子は、彼の顔を覗き込んだ。

「お母さんが、朝ごはんできたからおじいちゃんを起こしておいでって」

「もう少し寝たいんだが」

「ご飯さめちゃうよ?」

 すると彼は布団を少しめくりあげ、ハルカを手招きした。

 彼女は嬉しそうに布団に潜り込む。

 そんな彼女を、彼は両腕で抱きしめる。

 温かい孫のぬくもりを、彼は感じる。

 間もなく、部屋のふすまが勢いよく開けられた。

「こら、ハルカ。おじいちゃん起こして来てって頼んだのに、寝ちゃだめでしょ?」

 入ってきたのは、ハルカを大人にしたような女性。

「お爺ちゃん、まだ寝たいって」

「朝ごはんさめちゃうでしょ?それに、今日はナガヤ飛行機の輸送機の護衛があるんでしょ?」

 それを聞いたハルカは飛び起きた。

「あ、そうだ!」

 彼女は布団から出ると、白いスカートをひらめかせ、食事の用意されている台所へとかけていった。

 それを見た彼は、ゆっくり体を起こした。

「すまんね、アスカさん。もう起きる」

「急いでくださいね、タカヒトさん。ハルカが待っていますよ」

 微笑んだ前掛けをしている女性、ハルカの母親のアスカは台所へと戻っていった。

 身支度もそこそこに、タカヒトは台所の椅子に座る。目の前には、白米をたいたご飯、みそ汁、目玉焼きにお漬物という朝食が用意されていた。

 皆で手を合わせ、箸でつつき始める。

 幼い弟や妹が口回りを汚すのを見て、姉のハルカは布で口回りについた汚れを優しくとる。そんないつもの光景を、彼は微笑ましく見つめている。

「ハルカ、今回の護衛は長いの?」

「アレシマあたりまで行くらしいから、帰りは明日になると思う」

 ハルカはまだ10歳を過ぎたあたりだが、彼女が行くのは学校ではない。

 彼女は戦闘機に乗り、輸送機を守ることを日々の仕事にしていた。

「最近、また空賊が多いから、気を付けるのよ」

「は~い」

 アスカさんは、娘の頭を右手でやさしくなでる。

「タカヒトさんは?」

「わしは、ナガヤ飛行機と他の工場へ技術指導にいってくる」

「はい、お夕飯までには帰ってきてくださいね」

「ああ」

 静かな朝食の時間が終わると、ハルカは防寒用の上着を着て、飛行中の食事の入った鞄を肩に背負い、子供用の小さめの飛行眼鏡を頭にかける。

「いってきま~す!」

 ハルカは玄関を開けると、家の前にある滑走路沿いの格納庫へと向かっていった。

 それから間もなく、百式輸送機を囲むようにして、翼端が白く塗られ、所属を示す楔型のマークが描かれたナガヤ自警団の紫電3機に、灰色の機体に白で縁取られた水色の丸が描かれたハルカの九七式戦闘機が離陸していくのが見えた。

「無事に帰ってきますように……」

 母親のアスカさんは、ハルカの飛び去った方向へ両手を合わせて祈っている。

 タカヒトも、両手を合わせて彼女が無事に帰ってくるように願う。

 なぜ、10歳を過ぎたばかりの彼女が働いているのか。

 彼は自室に戻ると、本棚に置いてある写真たてを持ち上げた。

 

「……ミタカ」

 

 写真には、9人ほどの男女が写っていた。

 彼の家族が、全員そろっていたときの写真だった。

 でも、何人かはもういない。向こう側へ、行ってしまった。

 老衰でなくなった彼の妻。

先日起こったリノウチ空戦に参加し亡くなった、彼の息子のミタカ、その息子のカズヒラに娘のアカネ。

 今残っているのは、彼タカヒトと、息子の妻のアスカ、娘のハルカに、幼い弟と妹だけだ。

「タカヒトさん」

 声の方向に振り向くと、息子の妻のアスカがいた。

「その……」

 彼女は言葉を詰まらせる。

「……ハルカのことが、心配か?」

 彼女は黙ってうなずいた。

「大丈夫だ。彼女はわしの知る全てを教えた。並みの空賊にやられる子ではない」

「ええ……。でも、彼女に申し訳、なくて」

 なぜまだ子供のハルカが働かなければならないのか。

 それは、先日起こったリノウチ空戦。

 参戦した彼女の父親に兄と姉の3人。いずれも帰ってこなかった。

 家計を支えていた3人が亡くなったことで、誰かが働かなければならなくなった。

 タカヒトは元々技術指導で収入を得ていたが、それだけでは足りなかった。

「私が、働かなければいけないのに……」

「それはハルカに反対されただろう?病人が無理をしたら、取り返しがつかないことになる」

「だからって、彼女はまだ子供です」

「彼女の意志だ。それに、幼い弟や妹のこともある。君が家庭を守り、家で待っていてくれるから、彼女は帰ってこようと必死になるんだ」

 夫や子供たちが亡くなったことが原因で、アスカさんは体調を崩しがちになり、飛行機に乗って働くことができなくなった。

 弟や妹が幼い今、働けるのはタカヒトさんとハルカの2人だけ。

 ハルカは通っていた学校をやめ、かつて父親が乗っていた九七式戦闘機で、空へ上がることを決めた。

 そして必ず生きのこれるようにと、タカヒトは彼女に操縦技術や空戦の戦法、修理に整備、座学に格闘術や銃の扱い方まで、知る限りの全てを教え込んだ。

 タカヒトはアスカの肩に手を置いた。

「母親が娘を信じなくて、誰が彼女を信じてやれるんだ」

「……そうですね」

「それより、今日は診察の日だろう?気をつけてな」

「はい」

 彼女は病院へ向かうため、部屋を出ていった。

「……はあ」

 一人になった部屋で、彼はため息を吐きだした。

 ああは言ったものの、彼も孫のことが心配で仕方がなかった。

 確かに、彼女には自身の知る全てを教え込んだ。

 彼女は憶えが良かったし、教えたことはどんどん吸収していった。

 でも、物事に絶対はない。

 彼は、それをよく知っていた。

 だからといって、年を取った彼が彼女と一緒にいくことはできない。

 できるのは、信じることだけだった。

 もっと収入の多い仕事があれば、彼女を働かせる必要もなかった。

 彼もまた、アスカと同じことを考えていた。

「……わしも行くか」

 彼は荷物を手にすると、技術指導のため工場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

「周囲に機影なし」

 操縦席から双眼鏡片手に、彼女は周囲を見渡す。

『アレシマまでもう少し。今回も無事につけそうだな』

「油断しないでくださいよ。空賊はどこから来るかわかりません」

『了解』

 百式輸送機の少し前を飛ぶ九七式戦闘機に乗る少女、ハルカは周囲を見渡しながら、時折180度ロールをして、死角である下方を警戒する。

 ナガヤ飛行機所属の百式輸送機には、アレシマ市立飛行警備隊に自警団等へ納入する飛行機の部品が積まれている。

 空賊だって飛行機を使って襲ってくる。

 しかし、金がない彼らは部品や燃料を襲撃で手に入れることが珍しくない。

 なので、部品を積んでいる輸送機も油断はできない。

 ふと、9時方向で何かが光ったのが目に入る。

 双眼鏡を取りだし確認する。見えたのは、こちらを目指してくる戦闘機。

 零戦21型が6機。いずれも黒色に塗られている。

「9時方向、21型6機確認」

『了解。回避する』

 衝突を回避するため、百式輸送機が高度を上げる。

 それに呼応するように、21型の編隊も高度を上げた。

「……やる気だ」

 彼らがこちらを狙ってきていることを悟った彼女は、飛行眼鏡をかけ、巡行速度から戦闘速度へ加速する。

「百式輸送機と護衛機は速度を上げてアレシマへ。空賊は私が引き受けます。急いで安全圏へ」

『すまねえ嬢ちゃん!』

 輸送機は速度を上げ、アレシマへ向かっていく。

 ハルカは舵を切り、21型の編隊へむかっていく。

 進路上の黒い21型が見えると、間もなく7.7mm機銃の弾が飛来。彼女は高度を上げて回避する。

「交戦の意志を確認」

 21型と交差すると、彼女は舵を切って左へ旋回。エンジン馬力で劣る九七戦でも、旋回半径は21型より小さい。

 得意な水平面の旋回戦に持ち込み、短時間で戦闘を終える。

 小さな半径で素早く旋回を終え、21型の後方に回り込む。

スロットルレバーの引き金を引き、彼女は機銃を放った。

 機首に装備された7.7mm機銃が咆哮を上げ、目の前の21型に機銃弾を打ち込む。

 主翼付け根に命中した弾丸は燃料タンクを撃ち抜き、瞬く間に火災が発生。

 1機が落ちていく。

 次いで彼女は後ろに敵機がついたのを見ると、フットペダルを蹴りこみ、直後操縦桿を引きロール。

 後方の敵機を追い越させ、再び機銃で21型を撃ち抜く。

「残り4機」

 直後、後方から機銃弾が殺到する。高度を上げて回避。そして急降下に入る。21型が追って降下し始めた直後、彼女はスロットルレバーを引き、操縦桿を手前に引いた。

 九七式が機首を持ち上げた状態で減速。

 後方の21型は彼女を追い越してしまう。

 機首を下げて後を追い、2機撃墜。

 右へ旋回しようとした1機の進路上に機銃弾をうち主翼に命中、1機撃墜。

 残り1機は離脱していく。

 空賊の離脱を確認した彼女は、輸送機と合流すべく進路をアレシマへ向ける。

 

『流石だな、嬢ちゃん』

 

「……それほどでも」

 彼女にとっては、事務処理のような淡々とした作業だった。

 リノウチ空戦に参戦した、彼女の父親や兄と姉。

 皆、帰ってこなかった。

 他にナガヤから参戦したものもいたが、皆が帰ってこなかった。

 今ナガヤを守れるのは、素人に毛が生えた程度の練度の自警団と、ハルカだけ。

 そして家族を支えられるのも、ハルカと祖父のタカヒトだけ。

 この程度できなければ、大事な家族を守ることも、支えることもできない。

 彼女以上の腕だった父親たちでさえ、誰もかえってこなかったのだから。

『お、見えてきた』

 進路上に町らしきものが見えてくる。

『よし、全機着陸態勢にはいれ』

「了解」

 彼らは目的地であるアレシマの飛行場へ機首を向けた。

 

 

 

 

 

 アレシマで積み荷を降ろしたナガヤの輸送機は、帰りの積み荷をのせ帰路につく。

『今回の売り上げはなかなかだったな』

『こらこら、家に帰るまでが運び屋の仕事だぞ』

『そうだ、嬢ちゃんの護衛があるからって、油断しすぎだ』

『俺たち自警団もいるんだが……』

 帰りの道中、輸送機の中でにぎやかな声が聞こえる中、ハルカは周囲を警戒する。

 アレシマは物流が活発な都市の1つ。

 そこを出発した輸送機や飛行船を狙う空賊は多いという。

 ナガヤまでもう少しとはいえ、油断できない。

「ん?」

 9時方向で何かが光ったのが一瞬見えた。

 彼女は双眼鏡を取り出し確認する。

「輸送機、9時方向機影らしきもの確認」

『空賊か?』

 彼女は機影を確認する。

 

「五式戦闘機が3機。まっすぐこちらへ向かってくる」

 

 確認のため高度を上げたり進路を変えてみるが、いずれもそれに呼応するように動いている。明らかに輸送機が狙いだろう。

 だが、奇妙だ。

 五式戦闘機。空賊がもつにしてはいささか高価な機体だ。

 昨今、空賊が維持できるのは多くは九六式艦戦や九七式戦闘機やそれ以前の戦闘機。良くて零戦21型がせいぜい、

 なのに、五式戦闘機をつかってくるとは妙な連中だ。

『また空賊か』

「空賊はこちらで対処します。至急安全圏へ」

『了解』

 ハルカは戦闘速度へ加速し、五式戦の方向へ向かっていく。

 五式戦と正面で相対するように飛ぶと、彼女は衝突しないように高度を上げ、ロールしながら交差。

 直後、左へ小さい半径で旋回し五式戦の背後をとる。

 照準眼鏡を覗き、即座に機銃を発射。

 放った弾は五式の主翼に命中。燃料タンクに命中し引火。主翼から炎があがる。

 だが間もなく、その炎は消え、霧状に漏れ出していた燃料の漏洩も止まった。

「……ダメか」

 彼女は奥歯をかみしめる。

 五式戦には、銃弾からパイロットを守る防弾板、燃料タンクが撃たれても穴をすぐに塞いで燃料漏れを防ぐセルフシーリグタンクや火災を消す消火装置がある。

九七戦の7.7mm機銃くらいでは撃墜は容易ではない。

 おまけに五式戦は火力、速度で九七戦を上回る。

 前の機体に気を取られていると、背後から重くも低い機銃の発射音がとどろく。

 機首の20mm機銃が九七戦を狙う。

 一発でも受ければ墜落は免れない。

 彼女は機銃の射線を読みながら回避する。

 そして舵を切って左へ旋回しようとする。と五式が機首を左へ向けようとする。

 その瞬間、彼女はフットペダルを蹴りこみ、操縦桿を手前にひいた。

 片翼が失速した状態でロール。

 後方の五式に自分を追い越させた。

 背後をとった彼女は、五式の水平・垂直尾翼に機銃を叩き込んだ。

 瞬く間に尾翼が穴だらけになり、動翼が脱落。

 バランスを崩した五式が1機落ちていく。

「まず1機」

 あと2機いる敵機を彼女は探す。

 すると、機体下から衝撃が響く。

 急いで舵をきって旋回。しかし銃弾が数発命中し、左主翼を撃ち抜いた。

 幸い燃料タンクへの被弾は免れたが、動翼の動きが鈍い。

 背後から加速した五式が迫ってくる。

 彼女はスロットルレバーを引き、直後に操縦桿を引いた。

 機首を起こした九七戦が増した空気抵抗で一時的に大きく減速。空中に静止したかに見えた。

 2機は衝突を回避しようと左右へわかれる。

 彼女は加速し、右へ逃れた機体の進路上に機銃を放った。

 はなった機銃弾が五式の機首のエンジンに命中。

 プロペラの回転が次第に遅くなり、地上へ降下していく。

「あと1機は……」

 直後、左主翼の翼端がちぎれ飛ぶ。

 五式の20mm機銃が命中したのだ。

 彼女は右へ左へ機体を振るが、五式が離れる気配がない。

 主翼に被弾。燃料タンクから燃料が霧状に漏れ出した。

「この!」

 彼女は高度を一瞬だけ下げ、機首をあげて減速。

 背後の五式戦が鼻先を通過する直前から機銃を放った。

 わずかな間ではあったが、五式は機体下部から銃弾で撃ち抜かれる。

そして五式の進路上に機体の角度を変え、引き金をひく。

 銃弾は胴体側面から尾翼にかけて命中。少ない機会を逃す者かと、彼女はひたすら銃弾を叩き込む。

 ついには動翼が脱落、地面に墜落していった。

「はあ……、はあ」

 彼女は周囲を警戒し、敵影がないことを確認すると大きく息を吐き出した。

「あぶなかった……」

 機体各部を確認。目視できる範囲では、主翼の左翼端がちぎれ飛んだり、主翼に開いた穴から燃料が霧状にもれでている。

 燃料の残量計を見ても、針の進みが止まらない。

「ナガヤまでギリギリ……」

 彼女は燃料消費を抑えるため、戦闘速度から巡行速度へ速度を落とす。

 危機が去ったことで、彼女は頭が冷静になってくる。

 さきほどの空賊は、ただの空賊とは考えにくい。

 そもそも略奪を日々しなければならない空賊が、中では高価な五式戦闘機を維持できるものだろうか。

 なにより、3機でかかってきて輸送機を追う仕草もなかった。

 彼女は頭をふってそれらを脇に追いやる。

「……早く帰らないと」

 彼女はナガヤへの進路をとった。

 

 

 



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おまけ短編:蒼い翼に込められたもの

彼には、とてもかわいがっていた女の子がいた。
自身の全てを教え込んだ、たった一人の孫。
そんな大事な彼女を置いて、なぜ彼はイケスカに
行ってしまったのか。


*「雲に消えた軌跡」の続きになります。
*この物語はフィクションです。


 そろそろハルカが護衛から帰ってくるころだろうと、タカヒトは滑走路脇を歩く。

 視線の先に、一人の見慣れた姿をとらえる。

「ナオト君じゃないか」

「あ、爺さん。嬢ちゃんの出迎えか?」

 整備員がきていることの多い作業服を着た、少し強面の男性。彼女が働いている仕事先の1つ、ナガヤ飛行機製作所のナオト工場長。

 今もタカヒトが技術指導に行っていて、彼の弟子のひとりともいえる。

「ああ。そろそろ、ハルカと百式輸送機が帰ってくる頃だろうと思ってな」

 ふと、空から大馬力のエンジンの聞きなれた音が聞こえてくる。

「噂をすれば、だな」

 2人は空を見上げる。

 すると、彼らは怪訝な顔になる。

「ん?百式輸送機1機に、紫電が3機?」

「嬢ちゃんの九七戦はどこだ?」

 二人は双眼鏡を取り出し、あたりを見回す。だが、彼女の乗った九七戦が見当たらない。

 彼らの頭の中を、最悪のケースがよぎる。

 着陸した輸送機と紫電のもとへ、彼らは走った。

「おい!嬢ちゃんはどうした!?」

 ナオト工場長は輸送機のパイロットに駆け寄る。

 すると、彼らは表情を曇らせる。

「嬢ちゃんは、ここに来る道中、空賊に会って……」

「まさか、嬢ちゃん一人に任せて、てめえらは逃げてきたのか!?」

 怒りを顔ににじませるナオト工場長を、タカヒトは制した。

「ナオト、落ち着け」

「けどよ!?」

「彼女は並みの空賊にやられる子ではない」

「……そうだったな」

 ふと、また聞きなれたエンジン音が木霊する。

 空を見上げると、そこにはかえりを待っていた飛行機、ハルカの乗った九七戦の姿があった。

 だが、主翼から開いた穴から燃料が霧状に漏れて尾を引き、翼端がちぎれていて、動翼の調子が悪いのか少しふらついている。

「被弾しているのか!」

「消防団待機!被弾した機体が下りてくるぞ!」

 ナオト工場長の掛け声で消防団が滑走路横に待機。

 間もなく、彼女の九七戦が滑走路に進入を始める。

 みんなが見守る中、彼女の九七戦の着陸脚が滑走路をつかむ。

 幸い、九七戦は固定脚を採用しているため、被弾して脚が出ないという心配がない。

 あとは減速した瞬間に消火を行えば心配いらない。皆はそう思った。

 突如、大きな音を立てて九七戦が機体を傾けた。

「なっ!」

 九七戦の右の固定脚が、被弾していたのだろう、機体の重量に耐えきれず破断。機首と主翼を滑走路にたたきつけ、プロペラの羽がちぎれ飛び、増した摩擦で火花を散らしながら甲高い音をたて、停止した。

「ハルカ!」

「嬢ちゃん!」

 彼らはハルカのもとへ駆け出した。

 間もなく、風防をこじ開けて操縦席から彼女が身を乗り出し、はい出てきた。

 タカヒトは老いた体に似合わない足の速さで駆け寄ると、ハルカを抱きかかえ、急いで九七戦から離れる。

 間もなく、漏れていた燃料に着陸の際に機体がこすれたことで生じた火花が引火。爆発こそしなかったものの、機体を炎が包んだ。

「はあ……」

「危なかったな、嬢ちゃん」

 タカヒトの腕の中に抱えられたハルカが無事だったことに、二人は胸をなでおろす。

「お爺ちゃん……」

 命が助かったというのに、ハルカは浮かない顔をしている。

「ごめんなさい。お父さんの九七戦、壊しちゃって……」

 悲しそうな顔で彼女はいう。

 それを聞いたタカヒトは、腕に力を込めて彼女を抱き寄せた。

「苦しいよ……」

「そんなことは気にしなくていい。君が、無事なら、それでいいんだ」

 彼女の苦しいという声を無視し、彼は孫を力いっぱい抱きしめる。

「そうだぞ、嬢ちゃん。それに、戦闘機の1機くらい何とかしてやるから」

「いいんですか?」

「あたりめえだ。嬢ちゃんにはそれ以上世話になっている。気にすんな」

 その後、消防団によって火災は消し止められ、ハルカはタカヒトに連れられ、病院へ直行したのだった。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、次はこの問題をといてごらん」

 タカヒトの出した問題を、ハルカはすらすらといていく。

 昨日の一件は大事ではあったが、ハルカは幸いかすり傷程度で済んだ。

 だが、輸送機の用心棒は機体がなければできない。

 今ナガヤ飛行機製作所の工場長が、新しい機体を手配してくれているらしい。

 新しい飛行機が用意できるまで、ハルカはタカヒトお爺ちゃんと勉強や、ナガヤ飛行機製作所の手伝いをしていた。

 用心棒をやるために学校をやめた彼女だが、タカヒトは少しでも彼女が生き残れる確率が高くなるならと今でも座学を教えている。

 ふと玄関の呼び鈴がなった。

「出てくるね」

 彼女は玄関へと向かっていった。

 しばらくすると、廊下をパタパタと小走りで帰ってくる彼女の足音が耳に入った。

 

 

「お爺ちゃん、お爺ちゃんにお客さんだよ」

 

 

「私に?」

 彼は怪訝な顔をする。

 ハルカに呼ばれ玄関にいくと、そこに立っていたのはイジツでは珍しい執事風の服装を身にまとった白髪交じりの男性だった。

「タカヒト様でございますね」

 執事風の男性は、老人に近い年だが、丁寧な所作でお辞儀をする。

 彼を見て、タカヒトの視線が鋭くなる。

 

 

「ブユウ商事のものです。お話があってきました」

 

 

「……ハルカ」

 タカヒトは彼女に振り向く。

「奥へ行ってなさい」

「……うん」

 彼女はいつもと違う祖父に何かを悟ったのか、家の奥へと消えていった。

「可愛いですな。娘さんですか?それとも、お孫さんですか?」

「……外へ出よう」

 問いには答えず、タカヒトは家から出た。

 そして格納庫の裏あたりまでくると、彼は立ち止まる。

「……何の用だ」

 少しばかり敵意を含んだ声色で、彼は言う。

「要件については、すでに手紙にて承知と思われますが」

「あの手紙の差出人はあなたか」

 最近、彼はブユウ商事から手紙を受け取っていた。

 その内容は、技術者としてブユウ商事に来て欲しいというものだった。

「返答を頂けていないので直接出向きました。報酬や待遇にご不満でも?」

 彼は、執事をじっと見つめながら言う。

 

「……何が目的だ」

 

「あなたの技術者としての腕を貸して欲しいのです」

「そうじゃない。私が手を貸したとして、その先にあるものはなんだ?」

 執事の顔が一瞬引き締められる。

 

 

「このイジツを平定する。それが、我々の目的です」

 

 

「……何のためだ」

「皆さまの、平和な空のためであります」

 それが文字通りでないことは彼には即座にわかった。

 

「……断らせてもらう」

 

「なぜでしょう?」

「……平定する、平和な空のため。聞こえはいいが、それは結局、全てを自分達の手中に収めるという意味にほかならない。まして私の手を借りたいというなら、どんな手段を用いるかは知れたことだ」

「何か問題でも?」

「……遺産は、このイジツを荒らすためのものじゃない。これまでイジツがどれほど荒れたか、知らぬわけではあるまいに」

「だからこそ、我々が平定する必要があるのです」

「なぜだ?」

「あなたがおっしゃったように、遺産を巡ってイジツは何度も、今も荒れている。だからこそ、誰かが管理する必要がある。遺産も、町も、人々も。全てを統制し、利益を平等に分配し、導くものが今のイジツには必要なのです」

「それが貴様らとでもいうのか?」

「正確には、私がお仕えする主人です」

「傲慢なことだ。全てを平定するために武力で反発するものたちを排除し、遺産を独占して分け与えるかを貴様の主人が考えるだと?」

 

「共通の利益であります」

 

「聞こえはいいが、それでは家畜と変わらん。聞こえや威勢のいい言葉で人々の目を曇らせ、本質に目を向けさせない手法。まさに奇術師といったところか」

 タカヒトは視線を細めた。

 

「貴様らもユーハングと変わらん。そうやって言葉遊びで本質をごまかし、人々を利用し、最終的には命までも差し出させられ、使い捨てられるだけだ」

 

「安心してほしい、相応の礼はする」

「断る。貴様らの野望の片棒を担ぐのはごめんだ」

「このイジツを平定することは、あなたにとっても悪い話ではないでしょう?」

 執事が話し始める。

 

 

「数年前におこった、リノウチ大空戦。それであなたは自身の息子と、その子供2人を亡くしている。イジツが平定できれば、こういった空戦で犠牲になる人々をなくせる。平穏はあなただって望んでいるでしょう?おまけにわれわれに協力すれば報酬は払う。お孫さんを学校に通わせることもできる」

 

 

「貴様らに隷属する人間しか生きることを許されん社会など、願い下げだ」

「……そうか」

 執事は背を向けると、歩き出した。

「また来る。気が変わったら連絡をくれ」

「もう来ないでくれ」

 ふと、執事が足を止めた。

 

「そういえば、先ほどの女の子。お孫さんですかな。あの年で、なかなかいい腕をしておられる」

 

 タカヒトは執事に視線を向ける。

 

「九七式戦闘機1機で、五式戦闘機3機を返り討ちにするとは、大した腕だ。将来が楽しみですな。……もっとも」

 

 執事はゆっくり振り返った。

 

「この先も、生き残ることができれば、の話ですがな」

 

 タカヒトは、冷や汗が流れるのを感じた。

「まさか、彼女を襲った空賊というのは……」

 執事は何も応えない。代わりに、不敵な笑みを浮かべた。

「いい返事を期待している」

 それだけ言い残し、執事は去っていった。

 

 

 

 

 

 

 日が落ちた頃。タカヒトは自室で考えていた。

 あの執事の口ぶりから察するに、先日ハルカを襲ったのは空賊などではなく、彼の配下の人間である可能性が高い。

 輸送機のパイロットたちが、五式戦は彼女に向かっていって輸送機には興味を示さなかったという。

 五式戦闘機を使っている点からして、ただの空賊ではないと思っていたが、大企業であるブユウ商事の配下なら不可能ではない。

 

「話を受けなければ、孫が死ぬ……か」

 

 それ以外考えられない。これはもはや脅しだ。

「……お爺ちゃん」

 声の方向を見れば、部屋のドアの隙間からハルカが室内の様子を伺っていた。

 その表情は、心配そうな色をにじませていた。

「どうした?」

「お爺ちゃん……、すごく深刻そうな顔しているよ?」

 知らず知らず顔に出てしまっていたらしい。

 彼は、彼女を手招きした。

 ハルカはタカヒトの前にやってくる。すると彼は彼女の背中に腕を回し、抱き寄せた。

「大丈夫だ、心配しなくていい」

「本当に?」

「ああ」

 腕の中にいる可愛い孫の頭を撫でながら、彼は思った。

 この子には、タカヒトは自身の知る全てを教えた。

 この子だけは、自身の血だけでなく、技能や知識も、全て受け継いでくれた。

 簡単にやられる子ではない。彼はそう信じる。

「あたたかいな、ハルカ」

「お爺ちゃんもだよ」

 彼女もタカヒトに身をよせ、頬ずりをする。

 孫に甘えられる時間が、彼は好きだ。

「そういえば、ナオト君が新しい戦闘機を手配してくれたよ。明日ナガヤ飛行機へ行きなさい」

「何だろう?」

「隼1型だそうだよ」

「ほんと、よかった」

 彼女は嬉しそうに笑う。

 きっと大丈夫だ。この子の腕と、それにあう機体があれば負けない。

 彼は、そう信じた。

 

 

 

 

 

 

 それからも、護衛依頼の中で空賊のような集団による襲撃は続いた。

 隼1型に乗り換えた彼女は奮闘したが、彼女の僚機はまだ中堅ともいえないナガヤ自警団。相手は手練れの五式戦や飛燕、零戦52型。時には疾風や紫電改が混ざることもあった。

 そのどれをも彼女は退けたが、依頼に出る度彼女の機体はどこかに必ず損傷が出るようになった。

 彼女は父親や姉兄ほど腕が良くないと自分を責めたが、彼はそうじゃないと言い続けた。

 彼は、タカヒトは次第に考え込むようになった。

 

 自身の全てを教え込んだ彼女だから、大丈夫だとおもった。

 

 でも、相手は容赦がない。このままでは、彼女はいつか落とされる。

 

 思い返せば、それは可能性としていつもそこにある。

 

 どんなに技量があっても、圧倒的な物量の前に意味をなさないことは、彼は故郷の件で痛感していたはずだった。

 

 息子が生まれ、可愛い孫ができる年まで生きたことで忘れてしまっていたが。

 

 ここは故郷じゃなくてイジツだ。でも、飛行機があり、空戦がある以上その理から外れることはない。

 

 彼は頭を抱えた。

 

 このままでは、自身の全てを受け継いでくれたハルカを、間もなく失うことになりかねない。

 

 それだけは、彼は耐えられない。

 

 もし彼女を失うことになれば、母親のアスカさんは立ち直れなくなる。

 先が見えている彼では、残された者たちを養うことはできない。

 まだ幼い、彼女の弟や妹たちはどうなる。

 彼は、底知れぬ不安に駆られるようになっていった。

 

 

 

 ある日、彼はある場所へ電話をかけた。

『……はい』

「……例の件だが」

『受けてくれる気になりましたか?』

「……ああ」

 白々しかったが、ここで言い合いをする気にもなれなかった。

『感謝する。約束通り、それ相応の礼はしよう』

「……イケスカに行くまでに少し時間をもらえないか。やり残したことがある」

『ああ、構わない』

 それだけかわして、彼は電話を切った。

 彼は自室に戻ると、写真を手に取る。

 孫のハルカと、彼が写っている写真。

 年を重ねるごとに、母親に似て、綺麗になってきている。でも、目元には彼の若い頃、息子の面影を感じる。

 そして、彼の知る全てを受け継いでくれた、たった一人の孫。

 この先の成長を中々見られなくなるのは残念だが、元々この命は二十歳すぎで捨てていたはずだった。 

それがこの年まで生き、息子が生まれ、慕ってくれる可愛い孫ができた。

 あの時は考えられなかったことだ。

 ふと彼は思う。

 

 ハルカの誕生日が、自分が死ぬはずだった日、4月11日というのも、何かの運命だろうか。

 

 あの日に一度捨てたはずだった命。今度は故郷のためではない。自身の大事なもののために使おう。

 

 彼はそう決心した。

 彼女のそばにいられないのは残念だし、彼女もきっと悲しむだろう。

 彼は、家に隣接している格納庫へと脚を踏み入れる。

 格納庫の中には、2機の飛行機が駐機されていた。

 1機は機体上面が濃緑色に、翼端が白く塗られ、かつて属していた飛行隊の面影を残す彼の愛機、零戦52型丙。

 もう一機は、ジュラルミンの肌がむき出しの、塗装の施されてない52型丙。

 かつて息子と一緒に作った3機の52型丙。いずれも主翼の13.2mm機銃は外されている。

 1機は息子とともにリノウチ大空戦で撃墜されてしまった。

 残りは1機。

 

 

――――私はそばにいられないが、その代わりに……。

――――私の相棒の、分身を置いていこう。

 

 

 タカヒトは数枚の紙の束を手に、ナガヤ飛行機製作所を訪れた。

「お、爺さん」

「ナオト君、急にすまない。頼みたいことがある」

 彼は紙の束を渡す。

 それを広げ、ナオト工場長は目を通す。

「これは、あの52型丙の塗装図か?」

「ああ、最後の1機のな」

「嬢ちゃんに渡すのか?」

「そうだ。それから……」

 彼は紙の束をめくっていく。塗装図の中に、少し違う図面。

 零戦が描かれた図面が現れる。

 

「もし、あの機体の性能が彼女の足かせになるときが来たら、手を貸してやってほしい」

 

 書かれているのは、零戦の改良案だ。タカヒトさんによるものだろう。

「わかった。約束する」

「ありがとう」

「早速準備にかかるが、急にどうしたんだ?」

 彼は表情を曇らせる。

「……イケスカに行くことになってな」

「イケスカ?最近ブユウ商事が技術者を集めているとは聞いたが」

「わしにも声がかかった。報酬がよくてな、ハルカの負担を少しでも減らせるなら」

「そうか……。だが、時々は帰ってきて、嬢ちゃんに顔見せてやれよ」

「ああ……、もちろんだ」

 

 

 

 

 

 

「お爺ちゃん、まだ~?」

「もう少しだよ」

 タカヒトは両手でハルカの目隠しをしつつ、格納庫へ彼女を連れてきた。

「さあ、目をあけてごらん」

 両手を外すと、彼女は目をあけて目の前の光景を眺める。

「あ……」

 彼女の前に現れたのは、彼女の祖父タカヒトと、亡くなった父親の愛機と同じ、零戦52型丙。

 タカヒトと息子のミタカが作った3機の内の、最後の1機。

「レイ……、お化粧したんだね!」

「ああ」

 機体全体は灰色を基調としているが、特に目を引くのは尾翼や主翼の半分近くが暗い青色で塗られていること。

 主翼には白色が縁取られた水色の丸が描かれ、垂直尾翼には二本の横線を斜めに貫くような、斜めにはしる雷のような模様が描かれている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 その塗装パターンは、彼女の父親のものと似ている。

 タカヒトは零戦の主翼の前縁をやさしくなでる。

「この模様は、イジツとユーハングは、確かにつながっていた。そう願いを込めた模様だ」

「イジツと、ユーハングが?」

 彼は頷く。

 実際は、それだけの意味ではない。

 暗い青色で塗られた主翼の中に描かれた、白色に縁取られた水色の丸。

 これは彼や、彼女のルーツ(・・・)を、彼の願いを描いたものだった。

 でも、今は話すことはできない。

 彼は、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 彼は孫のハルカに振り返り、笑みを浮かべる。

「ハルカ、今日からレイは、君の相棒だよ」

「ホント!?ありがとう、お爺ちゃん!」

 嬉しそうに彼女は祖父に抱き着いた。

 そんな彼女を、彼は抱きしめ、やさしく頭を撫でる。

「ところで、ハルカ……」

 彼はできるだけ笑顔を浮かべたまま、彼女に告げた。

 

「お爺ちゃんは、お仕事でイケスカに行くことになってな」

 

「……え」

 彼女の表情から笑みが消えた。

 戸惑い、驚き、寂しさ。色んな感情が彼女の顔ににじむ。

「ごめんな、お給料のいい仕事なんだが、イケスカに行かないといけないんだ」

「もう、帰って、こないの?」

 彼女が縋りつくように彼の両手を握る。

「いや、時々は帰ってくる。だから……」

 彼は彼女を安心させるように、意志を込めていった。

「待っていて欲しい。必ず、帰ってくる」

「ほんと?」

「お爺ちゃんのいうことが、信じられないか?」

 彼女は首を左右に何度も振った。

 彼は両手を上げ、彼女の頬をやさしく包み込むように触れる。

「これまでのように一緒にはいられないが、時々は必ず帰ってくる。お爺ちゃんがいない間、みんなのことを頼むぞ」

「……うん!」

 彼女は精一杯頷いた。

 そして彼は小指を伸ばして差し出す。彼女も小指を差し出し、からませる。

 指切りをし、約束を交わした。

 それがハルカを安心させることができる、タカヒトの精一杯のことだった。

 

 

 数日後、ハルカや家族に見送られ、タカヒトは愛機と共にナガヤを離れ、イケスカへと飛び立っていった。

 




短編として、幼少期の主人公と彼女の祖父の物語を書きました。

彼女の祖父はどこから来たのか、なぜイケスカに行ってしまったのか。

その一部を書きました。



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おまけ短編:先細りの世界の中で見たもの

ある日、彼女はコトブキ飛行隊の隊長レオナと何気ない会話をする。
その会話の中で、レオナはなぜあれだけ悪事を働いたイサオ氏に
人々がなびいたのか、疑問を口にする。


*主人公とレオナがしゃべっているだけの物語になります。


「静かな場所ですね」

「ああ、仲間と賑やかなのもいいが、たまには静かな時間もいいだろう」

 言いながら2人の女性は目の前の町、ラハマを見下ろす小高い丘の上で腰を下ろし、水筒片手に静かな時間を過ごしている。

 2人の女性の内の1人、黒髪を肩の下あたりまで伸ばした女性、ハルカは水筒の口を開け、中身を口に含む。

「いいんですか?ザラさん放っておいて」

「心配ない、今頃サルーンで酔いつぶれている」

 隣に座るのは、赤い髪を縛った凛々しい顔つきの女性。

 ラハマを拠点に活動するオウニ商会の用心棒、コトブキ飛行隊の隊長レオナ。

 2人は仕事場である飛行船羽衣丸を抜け出し、ここにやってきた。

 ハルカはユーリア議員からのお使いでやってきて、用事が終わったから帰ろうとしたのだが、コトブキ飛行隊のメンバーに呼び止められ、サルーンでの食事に誘われた。

 そうしたら、キリエとチカがいつもの如く喧嘩を始め、飲み比べに発展し、そこにザラも加わり、遂には3人とも酔いつぶれることになってしまった。

「ザラには適量という概念がない。酔いつぶれた彼女はいつも私が部屋に運ぶんだが、今日は放っておく。いい薬になるだろう」

 それを聞いてハルカは苦笑する。

 同時に、この時間が早く終わることを願った。

 ザラさんを置き去りに、レオナさんと一緒にいたということが彼女の耳に入れば、その後どんな警告が待っているか……。

 ふとそよ風が吹き、レオナの髪やハルカのスカートを揺らす。

「穏やかな日だな」

「ですね」

 天候は極めて良好。空賊による襲撃もなく、久しぶりに彼女らが感じる、穏やかな日だった。

「これまで、ラハマは何度も危機的状況に陥ったが、こんな穏やかな日が訪れたなら、あの時の苦労の甲斐もあったということか」

「そんなに危機的状況だったんですか?」

「ああ。色々あったが、一番の危機は、富嶽による爆撃だったな」

 彼女は、故郷のナガヤを爆撃しに来た大型機のことを思い出す。

 自由博愛連合の力の象徴。

 圧倒的な暴力。

 自由博愛連合へのラハマの加盟を拒否したことで、ラハマは富嶽と戦わざるをえなくなった。

「よく無事でしたね」

「そうだな。思い返しても、そう思うよ。コトブキ飛行隊6機にラハマ自警団、数機の応援で戦って、最後の1機は落とせなかった。幸い、被弾した富嶽がラハマ上空に開いた穴に入った瞬間、投下された爆弾も吸い込んでくれたから、この町は無事で済んだ」

 レオナは空を見上げ、どこか遠くを見るような目をする。

「思い返せば、なんでだろうな」

「何がですか?」

 

「いくつもの町を、爆撃で焼け野原にした。自分達に従わない者たちは排除する。そんなことをしたにも関わらず、自由博愛連合には賛同者がいるのだろうな」

 

「抜けたらどうなるか、わかっているからじゃないですか?」

「当時はそうだろうな。あんな力を見せられれば。私も、彼が、イサオ氏があそこまでするわけない。自由博愛連合は、素晴らしい取り組みだと思っていた」

 以前ハルカはレオナから聞かされたが、なんでも彼女はあのリノウチ大空戦でイサオ氏から窮地を救われたのだという。いわば命の恩人。信じたくもなる。

「でも、今は違う。君がいるガドールでも、未だに再興を望む人たちがいないわけじゃないんだろう?」

「そうですね。ユーリア議員曰く、イサオの亡霊だって」

 ガドール評議会でも、未だにイサオ氏が帰ってくること、自由博愛連合の再興を望むものたちが多い。ユーリア派も増えたが、未だに数は多くない。

 ポロッカやショウト等、いくつもの町が富嶽によって焼野原にされた。

 あれだけのことをしたにも関わらず、未だに再興を望む人々がいる。

「あれだけ悪事を働いたのに、どうしてだろうな……」

 ハルカは、つぶやくように言った。

「確かに、レオナさんの言っていることは間違っていません」

 彼女はハルカへ視線を向ける。

 彼女の表情は、どこか悲し気であった。

「あれだけの悪事を働いたのに、なぜ賛同する人々がいるのか。疑問に思うのも当然でしょう。ですが……」

 彼女は言葉を切る。そして、静かに言った。

 

 

「正しい行いのみが、人々のためになるとは限らない」

 

 

「……どういうことだ?」

 彼女は、訪れたイヅルマの地下牢で元パロット社の社長ウタカに言われた言葉を思い出す。

「空賊時代、私は何隻もの飛行船を襲っては損害を与えていました。その一方で、飛行船産業の会社は、そのことで多大な利益を得ることができた」

 どんなことであれ、損害を被る人間がいる一方で、利益を得る人間というのは存在する。

「自由博愛連合もそうでしょう。損害を被る人々がいた一方で、加盟や協力によって大きな利益を得た人々もいた」

 かつてアレシマで、ユーリア議員が紅茶の名産地ナハタの市長と対談をした。

 ナハタは自博連に加盟し、紅茶の専売を許された一方、商売敵のハリマは自博連の飛行隊に爆撃され、畑を焼かれる被害にあっている。

「それに、イサオ氏は今イジツが直面している課題を解決するとも言っていました。……このイジツは、荒廃していく日々を生きることしかできません。海は枯れ、磁気嵐や地上生物で陸路は使えず、ユーハングがもたらしてくれた飛ぶ技術によって開拓できた、空路によってなんとか命をつなぎとめている」

 ユーハングがもたらした飛行機技術は、人々の生活を一変させたが、それでもイジツの抱える根本的な問題の解決には至らず、ただ余命を引き延ばしたにすぎなかった。

 いずれ枯渇が予想される資源の奪い合いで争いがおき、ユーハングの遺産を巡って争いがおき、今も諍いはなくならない。

 資源がなくなれば、栄えていた町でもあっという間に廃墟になってしまう。

「ある意味、この世界は先細りの未来しか見えません」

「……そうだな」

 レオナは同意する。彼女の言っていることは間違っていない。

 日々をなんとか必死に生きようとも、そんな絶望のような未来しか見えないのが今のイジツの現状だ。

 

「そんな今のイジツを生きる人々にとっては、イサオ氏はある意味、希望だったのかもしれません」

 

「希望?」

 

「ヒーロー、救世主と言い換えてもいいかもしれません。この絶望的な状況下で、人々が希望という光を見いだせたとしたら、どうでしょうか。このイジツを平定し、抱える問題を一気に解決してくれる救世主が現れたとしたら?」

 

「彼に、皆がなびく、と」

 彼女は頷く。

「苦しい状況下にあればあるほど、人々は苦しさから逃れるために、希望や救世主。光になるような存在を望む。そんな人々にとって、イサオ氏の唱える耳障りのいい言葉。共通の利益や国家統一連合構想などは、さぞ魅力的な言葉に聞こえたことでしょうね」

 レオナは胸が一瞬痛くなった。

 

「でも、それを一概に悪いとも言えません。やったことはどうであれ、人々にはそれが必要だった。日々生きるのに必死で、無法者たちがのさばり、争いはなくならず、荒廃が進む絶望的な未来しか見えないこの世界で生き抜くために、明日を、未来を信じさせてくれる、希望の光が……。そんなものに縋るなんてばからしいという人もいるかもしれませんが、人は何かに縋らなければ生きていけない。それが何であれ」

 

 かつて自身もその言葉を信じていただけに、少し心が痛んだ。

「でも、あの人が推進していた国家統一連合構想は、全ての人々や町を共通の思想で染めてしまおうというもの。それは、反する思想を認めず排除するということ。そのための過程として、彼は富嶽でいくつもの町を焼き払った」

 ショウトのように屁理屈で爆撃された町もあったが、おおよそ被害にあったのは反イサオともいえる勢力だけだ。

「ですが、ユーリア議員の思想が中々浸透せず、イサオ氏の取り組みが賛同を得たのは、ひとえにその実行力と基盤でしょうね。ブユウ商事というイジツトップの会社の資本力や、反発する者たちを敵と認定して容赦なくつぶす実行力。傍目に見れば、やり方はどうあれこのイジツを平定してくれる、そう信じさせてくれた。自分達がついていくのに、ふさわしい主人という見方もできるでしょう」

 ガドール評議会の評議員のユーリアに比べ、イサオ氏は己の思想を実現できるだけの色んな力があった。

 イヅルマの地下牢で会った技術者が、かつてイサオ氏に協力したのは、可能性の高い方に賭けただけと言っていた。

 両者を見比べれば、どちらがあの時点で実現性が高かったかは比べるべくもないだろう。

「田舎では特産品を専売にして利益を確保させ、空賊による治安悪化をブユウ商事の警備部門で解決させようとし、他のイジツの抱える課題も解決すると言い切った。人によっては、自博連の要職に起用すると餌をぶら下げた。ユーリア議員が大事と考える自由意志を否定して、一人の人間が取り仕切る社会という実態に、希望の光の奥にある絶望に目がいかないようにした。ある意味、奇術師ともいえますね」

 目の前に餌をぶら下げ、その真意に気付かせないようにした。

 あるいは気づいても利益が上回るように見えるようにした。

 自由という名前に反し、選択の自由をなくそうとした。

 

 

「餌をぶら下げられた人々や、このイジツの平定をどんな形であれ望む人々には、あの時点で実現可能な力があったのは、イサオ氏だけ。それに、状況が悪いほど、人は目の前のことを過大評価するようになります。それしかない、とね。そう考えれば、彼が一筋の希望に見えたのも、無理ないかもしれません」

 

 

 レオナは黙ったまま話に耳を傾ける。

「今でも自博連派がなくならないのは、その当時の夢のようなことが忘れられないか、今でも代案になるような思想が弱いのか、どちらかでしょうね」

「なるほど……。にしても、やけに詳しいんだな」

「ユーリア議員と話していると、嫌でもこのような話をしなければなりませんからね」

「議員の用心棒も大変だな。だが、もう自博連の思想が広まることはないだろうな」

 レオナは口を開いた。

「もうイサオはいない。会長がなくなった自博連は瓦解。イケスカは内戦状態。あとは自滅の道を歩むだけだ」

 

 

「……後継者が現れたという話もありますよ」

 

 

「……え?」

 レオナは頭から冷水を浴びせられたような、驚愕の表情を浮かべ、彼女を見る。

「イサオ氏の地盤を引き継ぐ後継者があらわれ、イケスカは内戦から脱しつつある。という話もありますよ」

 レオナは彼女の両肩をつかみ、鼻先が触れそうな位置まで引き寄せた。

「レ、レオナさん!?」

「今の話、本当なのか!?」

 彼女の目が見開かれ、瞳が揺れている。

「本当なのか!?」

「え、ええ。噂、ですけど」

 本当はイヅルマの地下牢にいた技術者から聞き出したのだが、それを話す必要はないと彼女はぼかした。

「そうか……」

 レオナは彼女から手を離し、隣に腰かける。

「それじゃあ、また彼らは……」

「ありえなくはないでしょうね」

 ユーリア議員は行く先々で残党と思われる集団に襲撃を受けているし、先日イヅルマ襲撃の際に使われた桜花の件もある。

 またイジツの覇権を狙って、準備を進めているのは想像に難くない。

 そんな有様では、先のイケスカ動乱を生き残ったコトブキ飛行隊にとっては心中複雑だろう。

 

「でも、まあ……。なんとかなるだろう」

 

「……随分楽観的ですね」

 いつも慎重にいく隊長らしくないと彼女は苦笑する。

「見えない敵のことを考えても仕方がない。それに、そういう事態に備えて、今ユーリア議員が協力体制を作るべく都市を回っているんだろう」

 ユーリア議員は、以前にもまして外遊にいくことが多い。

 それは、横のつながり、都市間のつながりを求めるためでもあるが、いつか自由博愛連合が本当に再興したときの備えでもある。

「それまでは、日々自分達にできることをしよう」

「そうですね」

「それに……」

 レオナはハルカの肩に腕を回し、彼女を寄せた。

 

「今度は、君もいることだしな」

 

「……へ?」

「へ?じゃないだろう?君はユーリア議員やホナミ議員の用心棒であり、私たちコトブキ飛行隊の一員でもある。私たちが自由博愛連合と敵対する以上、その時には一緒に戦わなければならないだろう?」

「……ああ」

 ようやく彼女は実感が伴ってきたようで、うめくような声をもらした。

「それに、君はもう残党と思われる集団と何度も戦っている。今更じゃないか?」

「言われてみれば……」

 レオナは彼女の頭に右手をポンと置く。

「君はもう状況の一部になっているんだ。そのことは自覚しておくように。頼りにしているぞ、蒼い悪魔」

「私、そういわれるのあまり好きじゃないんですけど……」

「そうか?似合っていると思うぞ、小悪魔」

 悪魔などというおどろおどろしい異名がついていて、実際それにふさわしい腕前である一方、こんな可愛い見た目の悪魔などいるものか、とレオナは思う。

「……はい。ところで、レオナさん」

 彼女はレオナに問うた。

 

「レオナさんにとっての希望は、イサオ氏だったんですか?」

 

 彼女はしばし考え込む。

「一時期はそうだったかもしれない。でも、今は違うな」

「今は?」

 

「そうだな。今は、コトブキ飛行隊や私の身の回りの人々が希望だ。日々私を支えてくれて、共に歩んでくれる人々。そもそも、ザラと出会わなければ、私はここまでこれなかった。彼女は君の言う通り、救世主だったのかもしれない」

 

「なるほど……」

「言っておくが、君も含まれるんだぞ?」

「なぜ?」

 レオナはため息を吐き出す。これが彼女が、空賊に長い間いた弊害か。仲間というものがわかっていない。

「一緒に仕事をしていて、なぜはないだろう?空賊相手の戦闘のとき、君がいることでどれだけ私が精神的に助かっていると思っているんだ、撃墜王」

「大げさな……」

「大げさじゃない。君がいればなんとかなる。いつも、私はそう思っているぞ」

 同時に敵になった場合はこの上ない脅威となるが、まあユーリア議員たちが首輪をつけてくれているうちはその心配はない。

 彼女はハルカの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

 

「ところで、そんな君の希望はなんだったんだ?」

 

 ハルカもしばし考える。

 

「そうですね……。金でしょうか」

 

 レオナはその場でずっこけそうになった。

「……随分現金な答えだな」

「現金だけに」

 スパーンと爽快な音が鳴り響くと同時に、レオナは彼女の頭をはたいた。

 

 

「だって、お金があれば略奪からは逃れられますし、用心棒を雇ったり装備を整えて身を守ることもできますし、札束で頬を張り飛ばせば大概の人は心を動かすでしょう?」

 

 

「……妙に実感のこもった言葉だな。否定はできないが、この雰囲気でそれはないだろう?というか、君の口からできれば聞きたくなかった」

 

 

 レオナが身の回りの人が希望と言った直後に金と来た。

 雰囲気がぶち壊しである。

「実際、空賊時代の私はそうでした」

「今はどうなんだ?」

 彼女はしばし考え込む。

「何、でしょうね……」

 かつては、お金があれば、家族がいれば、そう思っていた。

 家族が残っていたからこそ、彼女は生きようと思えた。

 今はもういないが、まだ生き残っている身内もいる。

 ホナミ議員や、カスガさん、シズネさんのように。

 

「この名前を、ハルカという名前をくれた。願いを込めてくれた人々、でしょうかね」

 

 かつて、自分にそうあってほしいと望み、あってくれると信じてくれた人々。

 この名前に込められた願い、そして願いを込めてくれた人々、彼らこそが今彼女を支えてくれているものだった。

「そこでできれば、私たちのことが出てくれると嬉しかったんだが」

「み、皆さんには感謝していますよ」

「真っ先に出てこなかったことが残念だ」

 ふと、レオナは彼女の手をとる。

「じゃあ、親睦を深めるためにも、町へ繰り出そうか?」

「いいんですか、ザラさんたちを放っておいて」

「私とは嫌か?」

「そういうわけじゃ……」

「じゃあ、いいじゃないか」

「レオナさんて、時々強引ですよね?」

「少しくらい強引じゃないと、個性豊かなコトブキをまとめるなんてできないだろ?」

「それには私も含まれているんですか?」

「当然だ」

 笑顔でいうレオナに、彼女は何も言えなかった。

 少し強引だけど、手を引っ張ってくれる存在、兄や姉が、昔の彼女にはいた。

 でも、今はもういない。そう思っていたけど、ユーリア議員とはまた違った形で、自分の手を引いてくれる。

 そんな存在が、彼女には少しうれしかった。

 

―――なんだか、昔のお姉ちゃんやお兄ちゃんみたい……。

 

 彼女の少し前を歩いてくれる、身近な光とは、こういうもののことなのだろうか。

 どうもレオナは自分のことを年下扱い、実際レオナが年上なので間違ってないが、もとい妹扱いしているような節がある。

 よく頭を撫でてくるのはそういうことだろうか。

 でも、自分のことを心配してくれる年の近い存在のありがたさを、彼女はかつての姉や兄の存在で知っていた。

 彼女はレオナの手を握り返した。

 この先細りの未来しか待ち受けていない世界の中で、再び手に入れた居場所を、身近な希望を、もう無くしたくないと、離したくないと、そう示すように。

 2人は丘を下り、ラハマの町へと繰り出していった。

 

 

 

 なお、羽衣丸に帰った直後、2人で呑みに行ったことがコトブキの面々にばれ、抜け駆けはずるいと2人で5人分の飲食代を負担させられ、財布の風通しが良くなったのは、その日の夜のことであった。

 あまりの額の大きさに、2人は絶望に打ちひしがれているようだったと、後にケイトは証言している。

 ちなみにザラが店中の酒を飲みほしたせいで、その店からしばらく出禁を言い渡されたのは、仕方ないことかもしれない。

 

 




アニメではラスボスとして終わったイサオ氏ですが、
いくつもの町を焼野原にかえた容赦のなさの一方で、
なぜそんな彼のもとに人々は集まったのか。
そんなことから思いついた話になります。

思いつきと勢いで書いた話なので面白みはあまり
ないかもしれませんが、お付き合い頂けたら幸いです。


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おまけ短編:居眠り用心棒とイタズラ議員と隊長さん

*この話は大部分が変態成分とギャグ成分で構成されています。またキャラ崩壊気味です。苦手な方はバックしてください。

 以前投降した「居眠り用心棒とイタズラ議員」の第2弾のような内容になります。


 羽衣丸副操舵士のマリアにせがまれ、少し変態な話題を話始める彼女。それは最近あった出来事。とある日にユーリア議員がとった、意外な行動の話だった。



 ラハマを拠点に活動するオウニ商会が所有する輸送船、羽衣丸の中には、簡単な遊戯に興じることができる部屋があり、日頃は船員同士のおしゃべりの場になっている。

 

 

「ねえ、ハルカさん」

 

 

 その部屋の一角に置かれたテーブルをはさんで向かい合うように座る、青い髪の気の弱そうな女性。羽衣丸副操舵士のマリアは、向かいに座る肩の下あたりまで黒い髪をのばした女性、ハルカに詰め寄る。

 

「……聞かせて」

 彼女は両手を握り合いながらいう。

 

 

「あなたが知る、変態な話を!」

 

 

 自身の口にしている言葉について何か感じないのかはさておき、期待に目を輝かせるマリア。そんな彼女を目の前にしては、ダメということははばかられる。

 だが、あえてハルカは聞く。

「あの……、話さないという選択肢は?」

「無理」

 笑顔で一蹴されてしまった。

 そんなやり取りを見て苦笑するのは、羽衣丸主操舵士のアンナ、羽衣丸の用心棒コトブキ飛行隊隊長のレオナ、羽衣丸のオーナーであるオウニ商会社長マダム・ルゥルゥ。

 事の始まりは少し前。ハルカがラハマへユーリア議員のお使いで来てみれば、道中マリアにつかまってしまい、以前話したような変態な(?)話をまた聞かせて欲しいとせがまれてしまった。

 しかも彼女はこの手の話題に飢えているのか、先ほどから握られたままの両手を放そうとする気配がまるでない。

 話をするまで逃がさない、暗にそう言っているとハルカには感じられる。

「わかりましたから、座ってもらえませんか?」

 いうとマリアはソファーに丁寧に腰かける。

 ちなみに、彼女の隣には前回と同じく顔を赤くするアンナがおり、隣のソファーには苦笑するマダム・ルゥルゥ、そしてハルカの隣には今回はレオナがいる。

「アンナさん、恥ずかしいなら……」

「興味あるの。いいでしょ」

 前回同様、マリアが暴走した場合の保険なのだろう。実際、彼女に止めてもらわなければ際限なく話を要求されそうではある。

「マダムは?」

「私も興味あるの。いいでしょ?」

「はあ……。それで、レオナさんは?」

今回初参加のレオナに彼女は視線を向ける。

「仲間のことだからな。こういう何気ない話をするのは大事だし、私の知らない君に興味がある」

 興味があるなら止める理由はないが、できればこういう話をするときは聞かないで欲しかったと彼女は思う。

「えっと……。では、まず話を始める前に1つ、約束してほしいことがあるんですけど」

 水を差されたようで、またもむすっと頬を膨らませるマリアの刺すような視線に耐えつつ、大事なことは言う。

 

 

「前回同様、これから話すことは、他言無用でお願いしますね」

 

 

 一応念を押しておく。何せ、ユーリア議員の昼休みにハルカが枕役になっていることをレオナは知っていた。

 彼女にそういった類の話をしていないはずなのに知っていた以上、情報漏れがあったとみるべきだ。

 どこから漏れたのかは察しが付くか、ここでは追求しないでおこう。

 それにユーリア議員の名誉のためにも、釘は刺しておかねばならない。

 皆が頷くのを確認すると、彼女は呼吸を整えるように大きく息を吐き出す。

 今回の話題は、ある意味前回以上に話したくない内容だが、これもオウニ商会の人々と人間関係を円滑にするうえで必要なこと。そう自身に言い聞かせる。

「あれは、つい最近の出来事でした……」

 ハルカはゆっくり話始める。

 マダムがユーリア議員のことを変態と評したのは、文字通りではないかと感じた、あの日のことを……。

 

 

 

 

 

 窓から入るまぶしい日差しと、温かい陽気。

 ふとすれば居眠りでもしてしまいそうな天候であるが、それは気持ちいい環境の証拠でもある。

「はあ~」

 そんな環境にも関わらず、書類と向き合っていた黒髪を肩の下あたりまで伸ばした女性、ハルカは仕事机に突っ伏してため息を吐き出した。

「どうかしたのか、ハルカ君」

 心配そうに話しかけるのは、同じガドール評議会護衛隊の中の1つ、ユーリア護衛隊の隊長さん。

だが心配の言葉とは裏腹に、その顔には笑みが浮かんでいる。

 隊長さんは、彼女がため息を吐き出す理由をしっている。

「だって、もうすぐユーリア議員が評議会から戻ってくるでしょう?」

「そうだな」

「それはつまり……、ねえ」

「まあ、そうなるな」

 直後、部屋のドアが勢いよく開かれ彼らの雇い主たる緑の衣服に身を包んだ細い目の女性、ユーリア議員が入ってきた。

「ただいま、2人とも」

「おかえりなさいませ、ユーリア議員」

 彼女も椅子から立ち上がり、議員に振り向く。

「お帰りなさい、ユーリアぎ」

 彼女が言い終わる前に、ユーリアは距離を詰めてきた。

 背中に腕が回され、あっという間に彼女はユーリア議員の腕の中に抱きしめられる格好になった。

「ただいま、ハルカ」

 そうやって密着するほど抱きしめられることしばらく、ユーリア議員は離れない……。

「あの、議員……。そろそろ」

「嫌よ」

 言いたいことを察したユーリアは拒絶した。

 そんな風景を、護衛隊隊長と弟さんは微笑ましい笑顔で眺めている。

 ふと、彼女はユーリアの右腕をつかんだ。

「こら、変なとこ触ろうとしないでください」

「スキンシップよ。いいじゃない、少しくらい」

「ダメです」

 彼女はユーリアの右手が背中からお尻の方へ少しずつ移動しているのを察し、とっさに右腕をつかんでとめた。

 傍目に微笑ましい風景でも、もし窓から誰かに見られていようものならスキャンダル必死の光景である。

 なぜユーリアがここまでスキンシップをするようになったのか。

 それは、ハルカのこれまでの行いに原因があった。

 

 

 

 先日、ハルカの故郷ナガヤでの一件。富嶽を撃墜するために単機で富嶽とその護衛機に挑んだ彼女は目標を撃墜するも、護衛機に囲まれ撃墜され地面に不時着。

 その後、護衛機から機銃掃射を受け、危うく殺されそうになった。

 これだけでも十分ユーリアや皆を心配させる出来事なのだが、先日訪れたイヅルマに謎の敵勢勢力が襲来。

 新兵器桜花を迎え撃った際、周りを頼らず単機で一式陸攻や桜花の迎撃に向かった彼女は爆発に巻き込まれた。

 幸い無事だったのでこうして今もいるが、これらの出来事はユーリアを含め、雇い主たちを心配させるのに十分すぎた。

 こうした出来事により、彼女がまた死に場所を探しているのではないか、すぐまたいなくなってしまうのではないかと不安にかられたユーリアは、日々彼女がいることを確認するようになった。

 以前は昼休みの仮眠の際に太ももを貸すくらいだったものが、帰ってくるたびに抱きつかれるようになり、夜は同じベッドの中で抱き枕にされ、日中は単独でどこかへ行かないよう隊長さん、または弟さんによる監視が行われることになった。

 こうして監視の目とスキンシップが激しさを増していく。

 彼女は日々のスキンシップに言いたいことがあったものの、その原因が自分にある手前何も言えなかった。

「ありがとう」

 ようやくユーリア議員が離れた。

 その後昼食を済ませた彼らは、各々の昼休みを過ごすことになった。

「はあ~」

 お手洗いに行ったついでに自室に来たハルカは、大きなため息を吐きだしていた。

 いかに自分に原因があるとはいえ、日々のスキンシップがこれでは息が詰まるし身が持たない。

 こうして、すっかり荷物置き場とかしていた自室にいるわずかなときだけが、彼女がほっとできる時間となった。

 だが、昼食後の昼休みはユーリア議員の仮眠の時間なので枕役として戻らなければならない。

「ふあ~」

 お腹が膨れたことも手伝って、彼女は眠気に襲われる。おまけに、今日のほどよいぽかぽか陽気はなお眠気をさそう。

 結局彼女は眠気に負け、ベッドに倒れこんだ。

 

 

 

 

「まったく、もう……」

 肩を怒らせながら廊下を速足で歩くのは、すっかりお冠になったユーリア議員。

 理由は、待ってもハルカが帰ってこないことだ。

 この時間は、いつも仮眠をとるのに彼女の膝を借りているのだが、その彼女がいつまで待っても来ない。

「まったく、こっちの気も知らないで……」

 昨今、ユーリアは内心不安を抱えていた。

 用心棒であるハルカが、どこかに消えてしまうのではないか、ということに。

 大げさに聞こえるかもしれないが、大げさとも言い切れない。

 彼女は残されていた家族を失い、お金を稼ぐ、飛ぶ理由を一時失いかけたときがあった。

 その時期は、コトブキ飛行隊の空賊嫌いに自分を撃たせたり、大人数の空賊に一人向かっていったり、依頼の最中に行方不明になったり、ナガヤ防衛戦では単身で富嶽と護衛隊に挑み、富嶽を撃墜するも彼女も撃墜され、地上への機銃掃射で殺されかけた。

 おまけに先日のイヅルマ訪問の際には、やってきた敵勢勢力が使用してきた桜花や母機の一式陸攻の迎撃に単身向かい、爆発に巻き込まれた。

 用心棒である以上、仕事に危険が伴うのは理解できる。

 しかし、彼女の場合は常に死が隣にあった。

 そのことが原因で、彼女が次の瞬間にいなくなってしまうのではないか、幻ではないか等不安に思うようになり、結局スキンシップで確認することにしたのだった。

 ユーリアにとって、彼女は頼れる可愛い用心棒であると同時に、自身の目指す横のつながりの実現した世界を見てみたいと期待を込めて言ってくれた身近な理解者だ。

 だからこそ、彼女にはその世界が実現するのを、ユーリアのそばという特等席で見ていて欲しい。

 なのに、彼女はいつも危なっかしい行動をとる。

 そりゃあ、かつては死んだ家族に引きずられ、死に場所を探していたから当然だが、ナガヤでホナミ議員から色んなことを告げられ、生きると思いなおしてくれたのだから変わってほしいものだ。

 それでも不安は尽きない。

 彼女はハルカの自室へとやってきた。

 ノックをするが反応はない。ドアノブを回すと、鍵がかかっていなかった。

「……入るわよ」

 一応断ってから、ユーリアはハルカの自室の部屋のドアを開けた。

「あら、まあ……」

 目の前に広がる光景を見て、ユーリアはため息を吐きだした。

 探していた彼女は確かに見つかった。自室のベッドでうつ伏せの状態で、静かな寝息を立てながら。要するに寝ている。

「まったく……」

 ユーリアはドアの鍵をかけ、彼女が眠るベッドに近寄る。

 間近で見ると、ハルカは口を少し開けた状態でヨダレを垂らしながら、規則正しい寝息をたてている。

 きっと疲れていたのだろうか、それとも今日の陽気のせいだろうか、起きる気配はない。

「ふふ……」

 するとユーリアは口端を吊り上げ、何かを企んでいるような笑みを浮かべる。

 

 ここまで無防備な彼女を前にしたユーリアは、心の中にイタズラ心がわいてくるのを感じる。

 

 すかさず、ユーリアは持っていたカメラを構え、ハルカの寝姿を色んな角度から撮影していく。

 安らかな寝顔、少しあいた口の周り、胸やお尻に太ももなど、色んな場所の様子をフィルムに焼き付けていく。

 あとで整備班に売りつければ、高値で取引されること間違いなしである。

因みに、これは犯罪ではない。時間になっても役目をこなさなかった、部下に対する制裁である。

 彼女は自身にそう言い聞かせる。

「ふあ~……」

 そろそろ眠気が増してきた彼女は目をこする。

「さてと……」

 いい加減少し眠りたい。

どこで仮眠を取ろうか、彼女は部屋を見渡しながら思案する。

 ハルカの部屋は殺風景で、調度品の類が少ないので、妙に寒い気がする。

あるのは姿見を備えた簡易の机と椅子、収容棚にベッド。

ソファーがなく、眠れそうな場所は目の前のベッドだけ。

 でも、そのベッドには部屋主がすでにいるし、枕も1つしかない。

 ふと、ユーリアは口端を上げた。

 

 いや、あるではないか。

 

 目の前にちょうど良さそうな枕が、あるではないか。

 

「そうね……、試すにはちょうどいい機会ね」

 ユーリアは、部屋に1つしかないベッドの端に静かに腰かけ、ゆっくりと後ろへ体を倒し、寝っ転がった。

 頭を、ハルカの白色のスカートに包まれた、肉付きの豊かなお尻へと乗せながら。

 丁度上から見ると、2人は丁の字のように重なる。

 以前より、太ももの感触はいいのは何度も経験してわかっているので、ならその延長線上にあるお尻はどうなのかとユーリアは気になっていた。

 だが確かめたくても、正直に頼んでもハルカはきっと恥ずかしいから嫌だと拒否するだろうとわかっていた。

 なので、彼女が眠っている今はまさに絶好の機会。

「……ああ」

 後頭部に感じる感触やぬくもりに、彼女は感想を漏らす。

「悪くないわね」

 程よい柔らかさだが、鍛えられた彼女の肉体故に弾力があるし、温かみもある。

 寝心地はなかなかだった。

「くぅ~」

 間もなくユーリアも、寝息を立て始めた。

 このとき、ハルカは自分の体にかかる圧力の変化を感じ取り、目を覚ましていた。

 だがユーリアの安眠を妨げるのも気が引けたため、恥ずかしさを我慢しながらユーリアが目を覚ますまでの1時間近くの間、寝返りさえ打つことができず、じっとしているほかなかったという。

 

 

 

 

 

「ということが、ありまして……」

 話を聞き終えた皆の反応は様々だった。

 話をせがんだマリアは満足しているのか目を輝かせており、隣に座るアンナは恥ずかしさで顔を真っ赤にしていて、マダムとレオナは引きつった苦笑をうかべている。

「おお~、凄い!そんな発想が生まれるなんて!」

 マリアは少し興奮気味だ。

「変、態……」

 アンナは絶句している。

「ハルカさん、あなた、身の安全は大丈夫?」

 マダムは身を案じている。

「まあ、これくらいなら、なんとか……」

 あの出来事はハルカにとっても想定外で、まさかあんな場所を枕にしようなどと思いもしなかった。

 その後、時折ユーリアからの視線を感じることがあるが、彼女は気にしないことにしている。

 もっとも、これ以上のことがあるなら、本気でユーリアのもとから逃げることを考えなければならない。ハリマあたりがいいだろうか……。

「そう、ならいいけど……」

「議員の用心棒も大変だな……」

 苦笑しながらレオナは言う。

「用心棒を枕にする議員っているのかしら?」

 いないだろう。多分……。

「あはは……、まあ元をただせば原因は私にあるわけですから……」

「それでも限度があるわよ。ハルカさん、本当に身の危険を感じたら逃げてきなさいね」

「……はい」

 ふと、マリアが身を乗り出してきた。

「ほ、他にはないんですか!?」

「はいはい、また今度ね」

 次を要求したマリアを、アンナが制止した。

「また今度にしますね」

「ぶ~」

 マリアは不満そうに頬を膨らませるが、気にしないでおこう。

 

 

 

 ハルカの話を聞き終えたレオナは唖然としていた。

 議員の用心棒として雇われていて、そんなことまで要求されるのかと。

 コトブキ飛行隊は羽衣丸の用心棒なので、飛行船を空賊から守ることが仕事になる。

 マダムにスキンシップまで要求されることは無論ないし、マダムは去る者追わずの方針だから、そういう意味ではユーリア議員よりドライなのかもしれない。

 いや、これが普通なのだろう。

 もっとも、元をただせばユーリア議員に心配をかけまくったハルカにも原因はあるが。

「さて、話も終わったことですし、ガドールへ帰りますね」

「夜間飛行は危険だから、今日はいつもの部屋に泊まっていきなさい」

 外を見れば、もう日が沈もうとしている。

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

「そうしなさい」

 部屋へ移動しようと、ソファーからハルカが立ち上がったときだった。

 ふと、レオナは彼女のスカートの裾から何かが見えた気がした。

 それは、本来そこにはあるはずのないものだった。

「なんだ、これ?」

 気になったレオナは、迷うことなく彼女のスカートの裾を少しめくりあげていた。

「ひゃあ!」

 思わず、彼女は可愛い悲鳴を上げていた。

 その様子を見たマリアは目を輝かせ、アンナとマダムは口を少しあけてポカンと呆けている。

「な、何するんですか!?」

 スカートを押さえながら抗議するハルカに、レオナは頭が一気に冷え込んだ。

 女性同士とはいえ。はたから見れば、先ほどの行動がどうであったか。

「あ、いや!これは、違うんだ!」

「何が違うっていうんですか?」

「いや、その……。何か、赤い唇のような模様が、見えて」

「赤い唇?」

「ああ、これかしら」

 いつの間にか、アンナが少し姿勢を低くしてスカートの中を覗き込んでいた。

 彼女の指のさす先、左足の付け根の少し下のあたりに、確かに赤い唇の模様があった。

「入れ墨とかいれた?」

「口紅じゃないかしら、これ?」

 すると、ハルカは何やら怒りの炎を背後でメラメラと燃やしているかのように、顔には憤怒の感情が滲んでいた。

「あの……、変態議員!」

 拳を握り締めてそういう彼女の言葉で、皆が察した。

 きっとこの唇の模様は、ユーリア議員が隙を見てつけたものなのだろうと。

「とりあえず、落として来たら?」

「……そうします」

 彼女は、荷物が置いてある部屋へむかって駆け足で向かっていった。

「議員の用心棒って、大変ですね……」

「あれは特殊な例ね」

 皆が一様に頷いたのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

 静かな廊下を、レオナは自室に向かって歩く。

 今日は仕事はないので、自室でのんびりしようと考えた。

 ザラは飲みに出ているし、キリエや他のメンバーも町へ繰り出している。

 自室には、先ほど口紅を落としに向かったハルカがいるだけだろう。

 自室はザラと共用だが、彼女が来た際には空いているベッドを貸している。

 キリエたちの部屋はもう満室だし、彼女を部屋で一人にするのも心配だったので、目の届く位置にとレオナが提案したためだった。

「そういえば、謝らないといけないな……」

 先ほどの行為、いくら唇の模様が気になったとはいえ、人のスカートをめくるとは失礼な行為に他ならない。

 だから、タイミングを見て謝ろうと彼女は思っていた。

 そしてたどり着いた自室。彼女は念のためノックをする。

 だが、内部からの返答はない。

 もう一度ノックする。

「ハルカ、いないのか?」

 レオナはノブを回しドアを開ける。

 室内を見渡し、すぐにその理由を察した。

 ハルカが、ベッドで寝息を立てていた。

 ガドールからの飛行で疲れていたのだろう、着の身着のまま、ベッドでうつ伏せの状態で眠っていた。

 そばには口紅を落としたのだろう、赤くなったふきんが置かれていた。

 レオナは彼女に近づくと、しゃがんでその寝顔を観察した。

 ヨダレを垂らしながら可愛い寝顔を無防備にさらしているのは、まだ子供だなと思う。

「ふふ……」

 そんな彼女を見て、レオナは微笑む。同時に少し安心した。

 彼女と仕事を始めた当初、言葉は悪いが彼女は何かにとりつかれているような部分があった。

 戦場だけが自身の居場所だと言わんばかりに敵を執拗においかけ、相手の殲滅に拘り、時には戦闘中に薄気味悪い笑い声が聞こえてきた。

 今にして思えば、それが家族を亡くした彼女にとって、唯一の存在理由だったのだろう。

 悪魔と呼ばれた零戦のパイロット。

 相手を落とすことだけが、彼女が生きる、飛ぶ理由だった。

 だが、最近は折り合いをつけて鳴りを潜めてきたようで、こうやって安らかな寝顔を見ると、彼女も年相応なのだと、変な意味だが安心する。

 レオナはベッドの端に腰かけ、彼女の頭をやさしくなでた。

 きっと、ユーリア議員は多少荒療治とわかっているが、彼女に心配している人は周りにいるんだぞ、ということを教え込むために少し強めのスキンシップをしているのかもしれない。

 まあ、先ほどの口紅の跡を見るに、やり方は少しあれだが……。

 視線を下げると、彼女が枕にされた場所、白いスカートに包まれたお尻が目に入る。

 ユーリア議員は、なんでここを枕にしようなどと考えたのか。

 先日、寝不足の責任をとってという理由でハルカに膝枕をしてもらったときの感触は確かによかったのを思い出す。

 その話をしたとき、なぜかザラは少し怒ったような顔をしていたが。

 ザラの膝枕もよかったが、鍛えながらも綺麗な線を描くハルカの太ももの感触はそれよりよかった。

 そのとき、レオナの頭に疑問が浮かぶ。

 なら、お尻はどうだろうか。

 そう考えたとき、彼女は顔を左右にふった。

「いや、流石にそれはダメだろう……」

 それをやっては、先ほどハルカが言った通り変態だろう。

 でも、一度浮かんだ疑問はなかなか消えてくれないし、一度してもらった膝枕のいい寝心地が忘れられず、興味が消えない。

「少しだけ、なら……」

 きっと彼女なら、笑って許してくれるだろう。多分……。

 それに、これはハルカがレオナに散々心配をかけて気苦労で寝不足になったから、それに対して責任をとってもらっているだけだ、と言い訳を作り自身に言い聞かせる。

 直後、レオナはポニーテールにまとめていた髪の毛をほどく。

 ハラリと、縛られていた髪が静かに宙を舞い、一転してレオナは活発そうな女性から長髪の美人へと変貌する。

 そして静かに、ハルカのお尻へ頭を置いた。

 2人は丁の字のように重なり合う。

 レオナの頭が、彼女のお尻に沈み込む。

「ああ……」

 後頭部に感じる感触に、彼女は感想を漏らした。

「悪くないな、これ」

 肉付きな豊かなお尻から来る柔らかさと、鍛えられた肉体からくる弾力が合わさり、未知の感触を生み出す。

 だが不快なものではなく、むしろいい物であり、なおかつ普通の枕と違いぬくもりが温かい。

 ユーリア議員がしてみようと思ったのも納得、……していいのだろうか?

 ふとハルカの足の方にレオナは体を90度回した。

 綺麗な彼女の足の裏側が目に入り、スカートの生地が頬に触れる。頬に触れる柔らかい感触に、彼女は頬擦りをしてみる。

 感触を確かめたのち、再び90度体を回し真上を向く。そして目を閉じたレオナは間もなく寝息を立て初め、眠りの世界へと意識を沈めていったのだった。

 

 

 

 

 レオナが寝息を立て始めた少し後、枕にされているハルカは目を開けた。

 そして心の中で、思わず叫んだ。

 

―――なんで……、なんでこうなるの!?

 

 ユーリア議員といい、レオナといい、人を枕としか思っていないのだろうか。

 しかも頬ずりして感触を確かめたあたり、感触が気に入ったのかもしれない。

 それとも、こういった人を枕にすることが最近のはやりなのだろうか。

「……どうしよう」

 彼女には、大きな懸念があった。

 

―――この状態を、ザラさんにもし見られたら……。

 

 そう、レオナの長年の相方のザラ。

 レオナと近づきすぎたために、警告の名で行われたおぞましい行為を思い出し、彼女は震える。

 そんな彼女に、今の状態を目撃されたら、確実にアウトだ。

 警告ではなく、間違いなく今度こそ撃墜される。

 というより、レオナもレオナだ。ハルカの寝込みを狙わなくても、ザラに頼めば何でもいつでもいくらでもしてくれそうなものなのに。

 それはひとえに、彼女がレオナにとって、相棒だからだろうか。

 ユーハングでは親しき中にも礼儀ありというが、頼むならせめて親しい相方が適切だろうに。

 それはともかく、この状況は非常にまずい。

 気持ちよく寝ている所申し訳ないが、今すぐにでも起きてもらうしかない。

「とにかく、ザラさんに見られる前に……」

 

 

「私がどうかしたかしら?」

 

 

 聞こえた声に、ハルカは顔を引きつらせる。

 そしてゆっくりと声のした方向に顔を向けると、そこにはにこやかな笑みで禍々しい殺気を必死に隠しているコトブキ飛行隊副隊長、レオナの相方のザラがいた。

 すでに、手遅れだ。

 今の状況を察し、ハルカの顔は蒼白に染まった。

「あ、その……」

「ハルカさん……」

 ザラがゆっくりとした足取りで近づいてくる。

 それがハルカには、鎌を持った死神が近づいてくる姿に見えた。

「これは、どういう状況なのかしら?」

 首を傾げながら、母性を感じさせる微笑みを浮かべながら問いかけてくる。

 その仮面の下には、禍々しい殺気を秘めているのがわかる。

「こ、これは、その……」

 もはや言い逃れはできない。

「これは?」

「これは、ち、違うんです!」

「何が違うというのかしら?」

 思わず頓珍漢な答えを返すハルカ。彼女が嘘やごまかしが苦手なのが、こういう時に大きく響いてしまう。

 ザラは歩いて近づき、ハルカを枕に眠るレオナを見下ろす。

「もう、レオナってこういう枕も好きなのね。言ってくれれば、いつでもしてあげるのに」

 じゃあ今すぐこの役を交代してくれと彼女は心の中で叫ぶが、交代したところで事態は好転しない。

「まあ、今はいいわ」

 ザラは部屋の入口に向かって歩いていく。

「レオナ最近睡眠不足みたいだし、しばらく寝かせてあげて。あなたに原因があるなら、なおの事よ」

「……わかりました」

 とりあえず危機が去ったことに、ハルカは安堵する。

「あ、でも……」

 禍々しい、どす黒いオーラを全身から解き放ちつつ、ザラは振り返った。

「ハルカさん……」

 彼女は小刻みに震える。

 

 

「あとで、ゆっくりお話ししましょうね」

 

 

 そういって彼女は部屋から去っていった。

「はああ~」

 結局こうなってしまうのかと、ハルカは頭を抱えながらベッドに顔を埋める。

 一方、そんな事態があったというのに、彼女を枕に眠るレオナの寝息に変わりはなかった。

「良く寝れますね……、まったく」

 彼女も枕に顔をうずめる。

 レオナの寝不足の原因の一端が自分にあるのなら、この状況は受け入れるしかない。

 どうせ、いつレオナが目を覚ますかはわからないし、その間は動くことも寝返りさえできない。

 なら、自分も寝てしまえと、彼女も目を閉じる。

 ガドールからの連続飛行で疲れていたのか、瞬く間に彼女も眠りの世界へと誘われていった。

 

 

 

 

 

「……うん」

 どれくらい眠っていたのだろう。

 ハルカは、睡眠で重たくなったまぶたを上げる。

 いつの間にか、お尻にかかっていた重量感がなくなっていた。

 寝ている間に、レオナが起きたのだろう。

 室内は暗いままだが、彼女の姿はないから、きっと部屋からでたのだろう。

「はあ、よかった」

 これでとりあえず動ける。そう思った彼女は両腕で体を起こそうと思った。

 そのとき、彼女は違和感を抱いた。

 両腕は背中にあるが、なぜか動かせない。

 なら足を動かそうと思っても、両足も動かせない。

 なぜか両腕、両足が縛られている。

 一体だれが。そんな疑問が頭に浮かぶ。

「あら、起きた?」

 首をひねって声の方向を向くと、そこには笑顔で見下ろすザラの姿があった。

 いつの間にか、ハルカはザラの膝の上にうつ伏せにされていた。

「よほど疲れていたのね、ぐっすり眠っていたわ」

「……レオナさんは?」

「さっき眠気をさっぱりさせてくるって、シャワーを浴びにいったわ」

「そうですか……」

 わずかな間、2人の間に静寂が満ちる。

「あ、あの……」

「まず、ごめんなさいね」

「何がですか?」

「暴れられると面倒だから、縛らせてもらったの」

 これをやったのは彼女らしい。というか、清々しい顔でとんでもないことを言わないで欲しい。いや、暴れられると面倒とはどういう……。

 

 

「ハルカさん、警告はしたわよね?」

 

 

「で、でも、今回は寝ていたらレオナさんが勝手に……」

 今回は、あくまでレオナが勝手にハルカを枕にしただけだ。

「まあ、今回は、そうよねえ」

 わかってくれたのだろうか、彼女は安堵しかける。

 ふと、ザラは右手をスカートに包まれた彼女のお尻の上に置いた。

「悪いのはあなたじゃなくて、レオナを誘惑したこのお尻よね~?」

「……え?」

 ハルカの顔がこわばる。

「それじゃあ、警告したのに、レオナを誘惑するなんていけな~いことをしたこのお尻に、ちょ~っと痛い目にあってもらおうかしらね~」

「あ、あの……」

「ハルカさん」

 ザラの右手が、高く振り上げられる。

 

―――こ、これって……。

 

 これから何をされるのか、彼女は察するも両手足が縛られていてはなにもできない。

 ふとザラの表情が見えた。

 捕まえた獲物をじっくり調理する。その様を見るのが楽しくて仕方がない。そんな表情をしていた。

「……覚悟してね」

「い、いやああああああああ!」

 その後、ハルカはザラにお尻を数十回にわたってバシバシ叩かれることになったのは、言うまでもない。

 

 




「居眠り用心棒とイタズラ議員」の第2弾でした。

レオナがドードー船長が苦手な理由のように、
アニメで明かされなかった部分は色々ありますが、
アニメや小説でマリアが変態な話題に過敏に反応
していたのはなぜなのか……。

たまにははっちゃけた話を挟んでみようと思い、書いた話でした。


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おまけ短編:愛しくも質の悪い人たち

ある日、コトブキ飛行隊のキリエは、羽衣丸乗組員の言っていた
「戦闘機乗りの家族なんてやってられない」というのは本当か
問いかける。
その問いを聞いた隊長のレオナは、適切な人間を思いつき、
彼女にその問いの答えを求めるが……。



 

「戦闘機乗りの家族なんてやってられないって、本当かな?」

 

 そんなことを突如口にしたのは。赤いコートを着た、短くも豊かな黒髪の女性。

 コトブキ飛行隊の隊員の一人で、名をキリエという。

 

「……藪から棒だな」

 

 突然の疑問にあきれた顔をするのは、彼女の向かいの席に座る赤髪を縛った凛々しい表情の女性。

 コトブキ飛行隊の隊長、名をレオナという。

 

「いやさ、この間シンディたちが言っていたのを聞いたんだって」

「なんて?」

「戦闘機乗りの家族なんてやってられないって」

「……なぜ?」

「調子が良くて身勝手で、スリルが好きでふわふわしていて、命知らずですぐにいなくなってしまう、馬鹿な人たちだからって」

「……」

 レオナは沈黙し、右手で額を押さえた。

「まあ、わからないでもないが……」

「え~、レオナわかるの!」

「逆に、キリエはわからないのか?」

「うん!」

 自信満々に頷く彼女に、レオナはため息を吐きだす。

「……胸に手を当てて、考えてみたらどうだ?思い当たる所があるかもしれないぞ」

「う~ん」

 レオナに言われたとおり、彼女は目をつむって、両手を胸の2つのふくらみにあてて頭をひねる。

「う~ん……、ふ~ん」

 その際、両手が当たっているふくらみが微妙に形を変えたり、大げさに頭を振ったり上半身をひねっている。

 そのどこか滑稽にも思えるが、背徳的な風景をレオナは眺める。

 胸というのはそこではなく、心臓のあたりのことを言ったつもりだったのだが。

「いや、胸に手をあててというのは、そういう意味じゃ……」

 そのとき、ふと視線を感じた。

 彼女が振り向いた先にいたのは、銀髪を二つにわけた、いつもの見慣れた変わらぬ表情。

 コトブキ飛行隊のケイトの姿だった。

「レオナ……」

「なんだ?」

 ケイトは、変わらぬ表情で言った。

 温かさを感じさせない、絶対零度の視線を向けながら。

 

「……キリエに変なことでも教えたのか?」

 

「断じて違う!」

 

 間髪入れず彼女は叫ぶように言う。

「では、目の前のキリエはなんだ?胸に手をあてがって体をくねらせている。キリエのとる行動としては不可解。なので、レオナが何か教えた可能性を考えた」

「だからケイト、これは、違うんだ!」

「何が違うというのか?」

「そうね~」

 ケイトの背後から現れた人物に、レオナは顔が引きつった。

 

「レオナ~、キリエに一体何教えたのかしら?」

 

「ザ、ザラ……」

 スタイル抜群で大人の色香を感じさせ、同時に母性を醸しだすコトブキ飛行隊の副隊長、レオナと一番付き合いの長いザラが入ってきた。

「レオナ~、レオナってそういう仕草を眺めるのが好きなのかしら?」

「そんなわけないだろう!?こ、これはキリエが勘違いして」

 

「何が勘違いなのかしら?」

 

 妙に圧が込められたザラの言葉に、レオナは背筋が震える。

「あれ?ザラにケイト?」

 ようやく二人の存在に気付いたようで、キリエは二人のいる方向をむいた。

「キリエ、何しているのか、説明してもらえるかしら?」

 

「へ?何って。レオナが胸に手を当てて(考えて)みろっていうから」

 

「肝心なところを省くんじゃない!」

 

「レオナ~?」

「……レオナ」

 

 圧が強まるザラの視線、冷たさを増すケイトの視線に耐え兼ね、彼女は叫んだ。

 

「二人とも頼むから、私の話を聞いてくれえええええええええ!」

 

 その後、レオナは事の成り行きを事細かく説明するはめになった。

 

 

 

 

「戦闘機乗りの家族なんてやってられない、ねえ」

「そうだ。キリエが藪から棒にそんなことを言ったものでな」

「それで、シンディたちが言った言葉に思うところがないか、キリエに考えさせていた、と?」

「ああ……」

「あの不可解な行動はその産物か?」

「そうだ。断じて私が妙なことを教えたわけじゃない」

 ザラとケイトは顔を見合わせる。

「……理解した」

「本当にわかってくれたのか?」

 少々不安を感じながらも、とりあえずわかってくれたことにレオナは安堵する。

「でもそうね。キリエの疑問だけど……」

 キリエはザラの言葉の続きを待った。

「私にはよくわからないわね。シンディたちが言っていることは何となく理解できるけど」

「ケイトはわかる」

「え、ケイトには?」

 彼女は力強く頷く。

 

「身近に、調子が良くて身勝手で、スリルが好きでふわふわしていて、命知らずですぐにいなくなってしまう、馬鹿な上に甲斐性無しな人物がいる」

 

「そ、そんな人が?」

 珍しく感情をこめて言うケイトに皆が息をのむ。

「ん?ケイト、もしかしてその人物って……」

「何か?」

 レオナが苦笑しながら言う。

「……アレン、の、ことか?」

「そうだが」

 さも当然だと、ケイトは言う。

「……今は違うが、かつてはそうだった。穴の研究のためによくふらふら出て行ってしまって、誰も近寄らないゼロポイントまで一人でいって、酒瓶片手に自身の興味の赴くままに風来坊のようにいってしまうあの甲斐性無し……」

「あはは……」

「……やってられない。今は静かにしてくれているからいいが」

 彼女の言葉に妙に感情がこもっているあたり、きっとそれがケイトのストレスだったのだろう。

 キリエたちは苦笑するしかなかった。

 だが、それは戦闘機乗りだからというより、アレンだからというのが大きいだろう。

「他にわかりそうな人っているかな?」

「そうだな……」

 レオナは悩む。

 エンマは家族はいるが、飛行機乗りは彼女だけだし、彼女の場合心配すべきところは別の所であるので望むような答えは聞けないだろう。

 チカとレオナは孤児だからそもそも、家族というものがわからない。

「……あ」

「どうしたの?」

 レオナはその答えが聞けそうな、うってつけの人物が頭に浮かんだ。

「ハルカなら、わかるんじゃないか?」

 

 

 

 

「……はあ」

 羽衣丸の会議室兼娯楽室に3人の雇い主共有の用心棒、ハルカの姿はあった。

 といっても、疲れているのかソファーの肘置きにもたれて眠りこけている。

「くか~」

 特にやることもない彼女は、睡魔に身を任せていた。

 休めるときに休むことも、パイロットの大事な仕事。

 今の彼女の意識は空ではなく、睡魔という大海に沈んでいた。

 規則正しい呼吸によって、少し大きめの胸のあたりが膨らみ、縮むを繰り返す。

 彼女の長めの黒髪は、重力に引かれて垂れ下がっている。

 そんな隙だらけの彼女を見れば、イタズラ心がわいてくる人間もいるというもの。

 

「ふむふむ、今日も白か……」

 

 ふと、まどろんでいる中、聞きなれた声が耳に入る。

 同時に、太もものあたりが妙に涼しいのに気づく。

 彼女は意識が次第に覚醒してくる中、太もものあたりをみた。

 そこには、スカートの裾をつまんで持ち上げ、中を覗き込んでいるキリエの姿があった。

 彼女は目を細めて標的を見据えると、キリエの頭頂部に手刀を勢いよく振り降ろした。

「痛っ!」

「……何やっているんですか?」

「ハルカ、起きていたの?起きているなら起きているっていってよ~」

 頭を押さえながらキリエは言う。

「……寝ているときならばれないとでも思ったんですか?」

「だってさ~、ヒラヒラしたものって、めくりたくなるじゃん?」

 少しイラっとしたハルカは、お返しと言わんばかりにキリエのコートの裾をつかんでめくりあげた。

 しかし、キリエは恥ずかしがるどころか高笑いをあげる。

 

「ははは、ざ~んねん。私は下にインナーを履いているから平気なのだよ、ハルカ君」

 

「っち……」

 

 いきなりスカートの中を覗かれるという最悪の目覚めをした彼女は、大きなあくびをするとキリエたちに向きなおった。

「それで、何か用ですか?」

「聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいこと?」

 

「戦闘機乗りの家族なんて、やってられないものなの?」

 

「……藪から棒ですね」

「シンディたちが言っていたんだ。で、ハルカはどう思う?」

 彼女は少し考える様子を見せる。

 

「……そうですね、やってられませんね」

 

 彼女は言葉を飾ることなく簡潔に答えた。

「お父さんたちが生きていた当時は、いつも心配や不安を抱えていました。……無事に帰ってくるか、いつも気がかりでした」

 珍しく口数が多い彼女だが、次第に表情が曇っていく。

「でも、そんな心配をよそに、彼らはいつも私を置いて飛び立っていった。調子が良くて身勝手で、スリルが好きでふわふわしていて、命知らずで、いつの間にかいなくなってしまう」

「……へ、へえ。シンディたちが言ってこと、間違ってなかったんだ」

「……そうですね。彼らが出発する前は、いつも私の頭を撫でてくれました。そして、帰ってきたら抱きしめてくれた」

「優しい人たちだったんだな」

「……ええ。特にお姉ちゃんは血の気が多くて、お兄ちゃんは意地っ張りで。そんな2人のお守にお父さんがいつもついて。みんな、私より余程腕が立つパイロットでした。……そんな彼らが、腕試しといって参加したのが、あのリノウチ空戦でした」

 皆が息をのんだ。

「いつもなら、不安があっても、彼らは絶対帰ってくる。そう信じることができました。それだけ頼もしくて、自分もああなりたい。そんな憧れの人々でした。でも、あのときだけは胸騒ぎがして。もう、お父さんたちに会えないんじゃないか。そんな、確信めいたものがありました」

 皆が表情を曇らせる。

 そして、彼女の胸騒ぎは現実のものとなってしまったのだから。

「本当は、縋りついて行かないでって言いたかった。でも、家族を支えるために仕方がないんだって自分を納得させて、彼らを見送った。その結果、誰一人帰ってきませんでした」

 彼女はソファーから立ち上がり、窓から眼下を見下ろす。

 

「戦闘機乗りの家族なんて、やってられません。自分が傷つくのは勝手ですが、他人に傷を残して幕を引いてしまうんですから……」

 

「傷?」

 

「……後悔や寂しさ、悲しみ、喪失感といった傷を残して」

 

 実際彼女は感じたのだろう、彼女の言葉は淡々としていても、どこか感情がこもっていた。

 

「本当に勝手なものです。遺されたものの気も知らないで。……いえ、恐らくは察しがついていたはず。それをわかっていて、なお自分の在り方を貫くんですから余計に質が悪い。……でも」

 

 彼女は一度言葉を切った。

 

「……彼らは、家族のために行った。守りたいもののために。その在り方は尊い。そう思います」

 

「……そうだな」

「……ですけど」

 彼女は、つぶやくように言った。

 

「……できれば、行かないで欲しかった。一緒に居て、欲しかった」

 

 彼女の言葉には、震えが混じっていた。

 

「とはいっても、結局私も、彼らと同じ生き方を選んだ。そんな私が、彼らを非難することはできません。私は、遂には母や弟、妹に傷を残すどころか、彼らが私に残して先に行った」

 彼女は眼下を見つめながら静かに言った。

 

「本当に、やってられません……」

 

 おそらく、彼女の中で色んな気持ちがごちゃ混ぜになっているのだろう。

 彼女は理解を示しながらも、尊いと思いながらも、傷がいえていないのだろう。複雑な表情をしている。

「まあ、私が誰かに傷を残すことがないのが、幸いでしょうかね」

 ふと、レオナが動いた。

 彼女は背を向けるハルカのそばで立ち止まると、おもむろに右手を伸ばす。

 そして……。

 

「イダダダダダダダダダ!」

 

 彼女の白いスカート越しに、お尻を指でつまむと力いっぱい抓り始めた。

「な、なにすイダダダダダダダダダ!」

 感覚が鈍い部位であそこまで痛がるのだから、余程レオナは力を込めているのだろう。

 ハルカは彼女の手をはがそうとするが、手が緩む気配はない。

 しばらくして、彼女が痛い痛いと叫ぶ中、ようやく手が離れた。

「な、何するんですか!」

 抓られた場所を両手でさすりながら、彼女は非難がましい視線を向ける。

 すると、今度は彼女の頬を両手でつかむと身長差を利用して上に引っ張り始めた。

「イダダダダダダダダダ!」

 今度は頬が伸びる彼女。痛みが続いたせいか、次第に目に涙が浮かんでくる。

 すると、レオナは彼女の目を覗き込むように顔を近づけた。

「……痛いか?」

「あ、あひゃりまへふぇす!」

「そうだよな。でも、体の痛みはしばらくすれば収まる」

「……?」

「体の痛みはなおる。でも……」

 彼女は右手を離すとハルカの胸、心臓のあたりを人差し指でさす。

 

「心の傷は、一生直らない。それは、君が一番わかっているだろう?」

 

「……はひ」

「君は、色んな人に傷を残されてきたんだろう。だが、もし君が、今の自分に家族はいない。だから傷を残す人はいない。そう考えているなら、とんだ勘違いだぞ」

「勘違い?」

 レオナは頬から手を離すと、両手で彼女の顔を左右から挟んで固定。顔を近づける。

「今の君には一緒に飛ぶ仲間がいる。もし君に何かあったら、彼らに君は傷を残すことになるんだぞ」

「……そんなこと」

「ないといえるか?君がエンマの要求を受け入れたとき、一人で空賊の大群に向かっていったとき、一人行方不明になったとき、ナガヤで殺されそうになったとき、皆がどんな気持ちだったと思う?」

 彼女は応えられなかった。

 家族でなくとも、自分も先に逝ったかれらと、同じことをしていたと、ハルカは思う。

「だから……」

 レオナは彼女の背中に腕を回し、だきよせた。

 レオナの行動に、キリエたちは目を見開く。

「もうわが身を省みない、危険な戦い方はするんじゃない。いいか?」

「……はい」

 

「本当かな~」

 

 眺めていたキリエの視線が、疑いのまなざしに変わる。

 

「本当にわかったのかな~、ハルカ君」

 

「キリエさんに言われたくないですが……。わかっています、本当ですよ」

「だがキリエの言うこともわかる。そういって危険なことを繰り返してきたのは君だろう?」

「そうそう。胸に手を当てて考えてみれば?」

 自身のことを棚に上げるキリエはさておき、そういわれてしまうと、返す言葉がない。

「ねえねえ、レオナ。どうすればハルカが危険な行動するのを止められると思う?」

「常に目を光らせておくしかないだろう?」

「でも、それだけじゃ不安だよね~」

 キリエはおでこに手を当てて悩む。

 

「あ、そうだ。いいこと思いついた!」

 

 キリエが何かを閃いたようだ。

 そして、何か楽しそうに、明らかに何かを企んでいる怪しい表情を浮かべる。

 そんな様子の彼女に、ハルカの直観が身の危険を知らせている。

「レオナ、彼女そのまま捕まえていて」

「ああ、それはいいが」

 背中に回されたレオナの腕に力が込められ、ハルカはレオナと密着して身動きが取れなくなる。

 そんな2人をよそに、キリエは背後に回り込んだ。

「あ、あの、キリエさん?」

「ハルカ、動かないでね」

 そういいつつ、キリエは彼女の両肩に手をおき、顔を近づける。

 そして……。

 

「あむっ」

 

「痛っ!」

 キリエはハルカの首の左側に歯をたてた。

 彼女の奇怪な行動に、レオナにザラ、ケイトは呆気にとられる。

「ええっと、キリエ……」

「キリエ、何しているのかしら?」

「ユーハングの書物にあったという、吸血鬼のようだ」

 しばらくして、キリエは彼女から離れた。

「これでよし!」

「何するんですか!?」

 キリエが口を離した場所には、無論彼女の歯形がばっちり残っていた。

「これで思い出せるでしょう!自分を心配してくれている人が、いるんだってこと!」

「どういう……」

「ハルカはさ、何で居なくなったみんなのことハッキリ覚えているの?」

「そりゃあ、家族ですし」

「それだけじゃないよね?」

 皆が首を傾げる。

「きっと、皆がハルカの傷になっているから、痛みになっているから、残っているんだよね?」

「……それは」

 キリエの言っていることは、間違っていない。

 空戦で亡くなった者、空賊に殺されたもの等いずれも皆、彼女に後悔や喪失感等を残し、先に逝ってしまった。

 彼女の中に、傷を残して。

 心にできた傷は一生癒えることはない。

 それは同時に、一生忘れられないという意味でもある。

「ハルカの死んだ家族が、みんな傷を残していったのはさ、きっと、あなたとのつながりを、無くしたくなかったからだよ」

「……そうだな。きっと、大事な君の中には残りたかったから、忘れて欲しくなかったから、傷にはなってしまうけど、そうやってつながりを死後も残したかったから。きっとそうだろう」

「残りたかった……」

 それが、先に逝った彼らの望みだったのだろう。

 そしてハルカは悟った。キリエの行動の意味を。

「まさか、私を噛んだのって……」

 自慢げに笑みを浮かべるキリエを見て、ハルカは悟った。

 

「だからさ、痛みで覚えていられるなら、こうやっておけば、無茶しようとしたとき思い出せるでしょう?」

 

 つまり、言葉で彼女が聞かないなら、具体的な痛みと共に覚えさせれば忘れないだろう。

 そういう意味なのだろう。

「そうだな、痛みであれば君も覚えるだろうしな」

「でも、レオナの理屈だと、体の傷は消えるから、今キリエがつけた歯形も消える。つまり、いずれは忘れるのでは?」

 至極当然のことを言うケイトに、キリエは笑みを浮かべて言い放った。

 

「大丈夫大丈夫、そのたびに着け直せばいいんだから!」

 

 彼女の言葉に、ハルカは顔が引きつった。

「それって、ずっと噛まれ続けるってことですか!?」

 この先のことを想像し、彼女は唖然とする。

「だが一理あるな」

 おもむろに、レオナはハルカの首の右側にかみついた。

「痛い!」

「じゃあ私も」

「ケイトも」

「ちょ、ちょっと!」

 ケイトが左耳を甘噛みし、ザラは右足太もも、スカートの裾のすぐ下を力を込めて噛んだ。レオナの腕が離れるまで、彼女はただ耐えるしかなかった。

 

 

 

 

「もう、どうするんですか、これ!」

 ようやく解放されたハルカは抗議の声をあげる。彼女の首と耳、太ももには歯形がばっちりついている。

 誰かに見られれば、いらぬ誤解を招くのは想像に難くない。

「じゃあ、これで隠せばいい」

 ケイトは大き目の絆創膏4枚を取り出し、歯形を隠すように張り付けた。

「これで、思い出せるよね」

 キリエが、後ろから腕を回して彼女に抱き着いた。

「私たちが、あなたに無茶してほしくないってこと」

 ここまで行動で示されては、彼女も頷くしかなかった。

「……そうですね」

「なら、出撃前にはキリエか誰かにかみついてもらうことにするか」

「本当に続けるんですか?……いつか食べられそうで怖いんですけど」

「お尻にかみついたらおいしいかな?」

「おぞましいこと言わないでくださいよ!」

「なら、すぐにでも死にたがりのような行動はやめることだな。ユーリア議員から聞いたぞ。イヅルマでまた仲間を頼らなくて、挙句爆発に巻き込まれ周りを心配させた、と」

「……あのおしゃべり議員!」

 怒りの表情を浮かべるハルカのお腹から、空腹を知らせる音が響いた。

 彼女は頬を赤らめ、お腹を両手で押さえるも、音は皆に聞こえていた。

「もうそんな時間か」

「なら、町へ繰り出しましょうか。おいしいお酒が飲みたいわ」

「……程々にな」

「ケイトも行く。早く空腹を満たしたい」

「なら、チカとエンマも誘っていくか」

「「「は~い」」」

「いくよ」

 キリエに手を引かれ、ハルカも歩き出した。

「さあ、パンケーキを食べにいくよ!今日はホイップクリーム増し増しでいくよ!」

「キリエ、太る」

「好きなものを、好きなだけ食べるのが正義なんだよケイト君」

「折角のケイトの助言も、馬の耳になんとやら、ね」

「ザラは人のこと言えないぞ。たまには禁酒でもしたらどうだ?」

「え~。それはひどいわ、レオナ~!お酒がないと私死んじゃう~!」

 目の前で繰り広げられるやり取りを見ながら、ハルカは首に貼られた絆創膏に手をあてる。

 

 

 戦闘機乗りの家族なんて、やってられない。

 

 調子が良くて身勝手で、スリルが好きでふわふわしていて、命知らずですぐにいなくなってしまう、馬鹿な人たち。

 

 遺される者の気持ちを知ってなお、自身の在り方を貫く、質の悪い人たち。

 

 そして目の届かない遠くで、ある日突然、いつの間にかくたばってしまう、孤独な人たち。

 

 最後には、遺された人々に、傷を残していなくなってしまう。

 

 

―――だから、やってられない。

 

 

 でも、だからこそ、明日も保証されない彼らは、今あるつながりを大事にしようとする。

 

 彼らが遺して行ったこの傷が、彼らと遺された者とをつなぐ、最後のつながり。

 

 心の傷はいえないけど、受け入れ、共に歩んでいくことはできる。

 

 彼らが残した、最後のつながり。彼らと紡いだ物語と共に。

 

 そして今、自分の手を引いてくれる、体につけられた、新しいつながりと共に。

 

 この先を、歩んでいこう。

 

 彼女は、心の中でそう誓った。

 

 

―――全く、質が悪いんだか、愛おしいんだか、わからない人たち……。

 

 

 心中複雑な感情が渦巻く中、彼女はキリエの手を握り返し、一緒に町へ繰り出していった。

 

 

 

 ちなみに、ハルカに貼られた絆創膏の位置を見て、羽衣丸操舵士のアンナは頬を赤らめ、目を輝かせるマリアに問い詰められたのは、羽衣丸に帰ったときの話である。

 




読んで頂き、ありがとうございました。

アニメ第1話の最後で聞いたセリフをテーマにした話となります。

思いつきと勢いで書いた話なので面白みはあまり
ないかもしれませんが、お付き合い頂けたら幸いです。


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第6章 舞い踊る亡霊
第1話 消せない烙印


ある日、彼女はオウニ商会のマダム・ルゥルゥに呼ばれ、
コトブキ飛行隊と共に羽衣丸の護衛についていた。
羽衣丸が向かった町で市長に出迎えられるマダムだが、
突如市長の表情が険しくなり……。


 どこまでも広がる土色の荒野、切り立った崖や深い渓谷。

 荒廃が進む世界、イジツ。

 地上生物や磁気嵐等で陸路が使えなくなった世界で、70年以上前にとある異邦人たちが伝えた空を飛ぶ技術により、空路での交易が発展した世界。

 今渓谷の上を飛んでいる飛行船も、ある町へ物資を運ぶ旅路の途中。

 穏やかな空の中を、優雅に飛ぶ飛行船。

 しかし、そんな飛行船を狙う略奪者、空賊による襲撃が日々絶えない。

 なので、この輸送船には用心棒として雇った、零戦21型6機の飛行隊が乗っている。

 ふと、飛行船の船橋で外を眺めていた船長の顔が引き締められた。

 異常を知らせる警報が、船内にけたたましく響く。

「空賊か?」

「本船に向かってくる機影を確認。レーダー上の反応の数は1」

「たった1機?用心棒に対処させろ」

「了解」

 船内に、戦闘機隊発進許可、戦闘配置の命令が発せられる。

 襲撃に少々驚きながらも、相手が1機と知った船長は少し安堵する。

 1機だけなら、相手が紫電改や疾風でも零戦6機で十分対処できる。

「機影、なおも接近中。もの凄い速さです!」

「会敵までは?」

「間もなくです!」

 突如、間近で爆発する音が響き、船を振動が駆け抜ける。

「右弦、発動機被弾。機影、本船を追い越しました」

「ばかな、とらえたときはまだ距離があったんだぞ!」

「敵機、旋回します。本船に向かってきます!」

「戦闘機隊は!?」

「今発艦しました!」

 船首のハッチから、赤色に塗られた21型が発艦していく。

 これで一安心、と思ったときだった。

 何かが高速で横切ったのが見えた瞬間、21型が2機火を噴いて落ちていく。

 そして、また何かが高速で横切ったとき、2機が落とされる。

「残り2機です!」

 残った用心棒も、状況を理解する間もなく、瞬く間に落とされる。

「な、なにが起こって……」

 また船が振動で揺れる。

「左舷発動機、及び上部気密バルブ被弾!ヘリウムが漏れ出しています!」

「高度維持できません!渓谷へ落下します!」

「総員掴まれ!」

 船長が叫んだ瞬間、船橋の右側を何かが駆け抜けていった。

 交差した一瞬、船長の瞳はその機体に描かれていた模様をとらえた。

 黄色いクチバシ、首から上は白く、下は茶色の鳥のマークが描かれていた。

 彼はそれに見覚えがあった。

 一時、略奪者、空賊として名をはせた集団。

 直後、船内を凄まじい衝撃が襲い、周囲を土埃が覆いつくした。

 

 

 

 

 

 目の前を逃げる1機の飛燕を追う隼が1機。

 主翼に、山吹色を背景に赤いプロペラが描かれたマークの隼1型は、逃げる飛燕の機体下部にあるラジエーターを、機首に備え付けられた12.7mm機銃で撃ち抜く。

発動機を冷却する冷却機構に弾を受けた飛燕は加圧した冷却水が漏れだすと、各部があっという間に加熱し、高度を下げていく。

「よっし。1機もらい!」

 心の中で拳を握り締めるのは、赤いコートを着込んだ短い黒髪を揺らす女性。

 女性のみで構成された凄腕ぞろいのコトブキ飛行隊の隊員、名をキリエという。

「これで2機目!」

 撃墜数が増えたことで、雇い主から払われるであろう特別ボーナスが楽しみになり、つかの間喜ぶキリエ。

『へっへ~ん、まだ2機?私はもう3機落としたもんね!』

 そんな彼女の耳に入ったのは、挑発的な口調の言葉。その台詞は、低い沸点のキリエに火をつけるには十分すぎた。

「うっさいバカチ!これからなんだよ!」

 先ほどの声は、同じコトブキ飛行隊の隊員、最年少のチカの声だ。

 元気一杯なのはいいが、まだ幼いせいもあってか感情が先走りしやすい。

『そう?のろまなキリエじゃ無理なんじゃない?』

 キリエの真横に、好きな絵本のキャラを尾翼に書いたチカの隼が並ぶ。

「こんにゃろ~いわせておけば!」

 直後、銃撃音が下からなる。

 2人は慌てて舵をきって回避。

 すれ違い様に、飛燕が2人を追い越していく。

「こんにゃろ~」

 キリエは飛燕のあとを追う。

『ちょ、キリエまて~』

 相棒のチカもキリエを追う。

 キリエは照準眼鏡を覗きこみ、飛燕を中心線にとらえる。

「これで3機目」

 直後、彼女は無意識のうちに左へ舵をきっていた。

 先ほどまでいた位置を、機銃弾の閃光が駆け抜けていく。

 いつの間にか、背後に回り込まれていた。

「いつの間に背後を!それも2機。チカ何やってんのさ!?」

『相棒はケツ持ちじゃないんだよ!相棒のこと考えて飛べよ!』

「うっさいバカチ!隼は前にしか飛べないの!」

『言い分けになるか!だいたい、キリエはいつも!』

 空戦の最中にも関わらず言い合いをする2人をよそに、彼女らの背後をとった2機の飛燕のパイロットは、機銃の引き金に指をかける。

 そして2機を撃ち落そうとした、瞬間彼らの機体のエンジンが撃ち抜かれ、操縦席の前の風防が煙に包まれて視界が塞がれる。

 一寸先も殆ど見通せない視界の中で、彼らは刹那、蒼く塗られた主翼を見た。

「あれ、落ちていく」

 キリエは、背後にいた飛燕が2機とも落ちていくのを見る。

 次いで、彼女らが追っていた飛燕が落ちていく。

「あ、私の」

『私の獲物!』

「それはこっちのセリフ!」

『戦闘中に口論とは、感心しませんね』

 その声の主が乗る蒼い翼の零戦は、キリエやチカの前を飛び、血に飢えた狂犬のように進路上の獲物を次々屠っていく。

『こちら羽衣丸、空賊が撤退していきます』

『了解。全機、深追いは無用だ。帰還してくれ』

 落ち着き払った口調で言うのは、コトブキ飛行隊の隊長、レオナだ。

『え~、まだ暴れたりないよ!星稼げてないし!』

 だがチカは明らかに不満そうだ。

「私も!」

 キリエもチカと同じ気持ちだった。

 あれだけ空戦の最中に喧嘩していたというのに、こういうときは協調できるのだから不思議なものである。

『戦闘中に口論なんてするからだろう?助けてくれた彼女に、感謝することだ』

『ちぇ~』

 キリエは風防の横を見やった。

 いつの間にか、背後の飛燕を落とした蒼い翼の零戦が並んでいた。

『ご無事ですか?』

「うん……、ありがと」

 キリエは、風防に見える長い黒髪を揺らす女性、ハルカに一応お礼を言った。

『仲がいいのも撃墜数を競うのも結構ですけど、隙を見せるのは感心しませんよ』

『彼女の言う通りだ。喧嘩するなとは言わないが、戦闘中とマダムの前では控えてくれ』

「……はい」

 以前は飛行船で喧嘩したら高度何クーリルあろうと即刻叩き出すと言っていたレオナだったが、控えろというあたり少し理解を示したのかもしれない、とキリエは考えた。

 実際には、レオナは半ばあきらめているのだった。

 この2人の喧嘩は、こぼした水が下に落ちるくらい自然なものなのだと。

 そして彼女らは母艦である羽衣丸へと機首を向けた。

 

 

 

 コトブキの隼が全て羽衣丸に着艦したのを見たハルカは、自身も着艦するべく進路をとる。

 進路上で旋回したりして速度を調整。着陸脚を出し、羽衣丸の後部ハッチから進入。

 脚が羽衣丸のデッキに接地したのを確認するとブレーキをかけて速度を落とし、機体を停止させてエンジンを切った。

「お疲れ」

 風防を開けると、羽衣丸の整備クルーの、見た目は子供、中身はおやじと噂のナツオ班長が迎えてくれる。

「機体の整備、お願いしますね」

「任せとけ」

 彼女は足掛けに足をかけて歩き、愛機の零戦から下りる。

 格納庫内を見渡すと、床に正座をしたキリエとチカがレオナに説教されているいつもの光景が目に入る。

「またですか……」

「ああ、まただ」

 彼女は突如背後に現れた声に思わず振り返る。

「ケイトさん、脅かさないでくださいよ」

 そこにいたのは、銀髪を左右で分けて結んだ、表情を滅多に変えない人物、ケイト。

「脅かす意図はない」

「は、はあ……」

「まあ、あの光景をまた、いつもの、で片付けられるということは、あなたもコトブキになじんできたということですわね」

 ケイトの横に立っているのは、貴族風の少し上品なお嬢様の雰囲気を感じさせる女性、エンマ。

 悪党や空賊に家の資産を盗まれたとかで、没落した貴族の家の人。

 故に、一時は元空賊のハルカと折り合いが悪く喧嘩や口論をしたものだが、今は認めてくれている様子だった。

「でも、毎度説教するレオナも大変よ」

 そして、大人の色香を匂わせる副隊長のザラもいる。

 一時期、レオナに接近しすぎたことが原因で警告をしてきたザラ。

 ハルカにとっては、内心穏やかではいられない人物。

「お疲れ様」

 現れたのは、赤いドレスを着た余裕の笑みを浮かべる女性。

 雇い主のマダム・ルゥルゥ。

 マダムはコートのポケットから封筒を取り出し、ハルカに差し出してきた。

「はいこれ、臨時ボーナスよ」

「……ありがとう、ございます」

 彼女はそれを受けとるとスカートのポケットにしまう。

 他の隊員たちも厚みに違いはあれど封筒を受け取る。

「ハルカ、今回も封筒が厚めだった」

「そりゃあそうよ、撃墜数が一番多かったもの」

「何機でしたの?」

「……8機です」

「相変わらず、いい腕しているじゃない」

 ハルカはイヅルマからガドールへ帰還したのち、今度はオウニ商会に呼ばれ羽衣丸の護衛についていた。

 今回は、ある町へ生活物資を届ける依頼のため、道中の護衛が仕事である。

「さて、そろそろ見えてきたようね」

 マダムが格納庫にある窓から眼下の光景を眺める。

 眼下に広がるのは、切り立った渓谷の間にあるオアシスと言える場所。

 物資を積み込む町として立ち寄る場所、ヤマセという町だ。

 係留所には、物資の積み込みや荷下ろしをするため、何隻もの輸送船が停泊しているのが見える。

「ここで目的地、イタミに運ぶ物資を積み込むわ。出航は明日だから、各自ハメを外しすぎない程度に、羽を休めなさい」

 全員が「は~い」と答える。

 今回の仕事は、渓谷の奥にある鉱山の町、イタミに生活物資を届けること。

 なんでも、敷地内で育てている作物が天候不順で壊滅に近い被害を受け飢饉に陥り、備蓄していた食料も間もなく底をつくらしい。

 物資の緊急輸送の依頼が、近隣の町ヤマセを通じて色んな町へされているという状況からよほど切羽詰まっているのだろう。

 眼下に係留されている飛行船たちも、同じ目的かもしれない。

 他の飛行船と少し間をあけて、羽衣丸は高度を下げ係留塔に固定される。

「いっちば~ん!」

「あ、待てキリエ~」

 搭乗口から地面へ通路がつながると、我先にとキリエとチカが駆け下りていった。

「元気ですこと」

「さっき説教されたばかりですよね?」

「……いつものことだ」

 レオナは、頭を抱えながら言う。

 そしてマダムを先頭に、コトブキのメンバーは羽衣丸を下りていく。

 下りた先には、一人の男性と秘書らしき女性が立っていた。

「初めまして、マダム・ルゥルゥ。ヤマセの市長をつとめております。このたびは依頼を受けて下さり、ありがとうございます」

「お初にお目にかかります、市長」

 市長とルゥルゥが握手を交わす。

「イタミへ向かう輸送船は、他に何隻もおります。説明をまとめて行いますので、午後2時に市庁舎へ来てください」

「わかりました」

「では……」

 市長は、ある一点で視線を止めた。

 途端、彼の表情が険しくなった。

「市長?」

 ルゥルゥの声を無視し、彼は視線の先へ歩を進めていく。

 そして視線の先、ハルカの前で足を止めた。

「君、名前は?」

「……ハルカ、ですが」

 内なる感情を押し殺しているような市長の表情に、戸惑う彼女。

「……蒼い翼の零戦のパイロットだね」

「……ええ」

 ハルカは手短に市長の質問に答える。

 市長の目は、彼女に対し怒りと同時に、明らかに敵意を含んでいる。

「雪雲丸、という名前に心当たりは?」

 瞬間、彼女の目が見開かれた。

「そうか……」

 

 突如、何かを殴りつける音が聞こえた。直後、彼女が地面に倒れた。

 

「え?」

 キリエやレオナたちは、何が起こったのか一瞬わからなかった。

 そこには、拳を振り下ろした市長と、地面に倒れ、痛む箇所、左頬を押さえるハルカの姿があった。

「よくも……」

「ぐっ!」

 市長の右足が、地面に倒れた彼女の腹部にめり込んだ。

 

「よくも……、よくも、このヤマセの地を踏めたものだな!この恥知らず!」

 一度では終わらず、二度、三度と続く。

 

「貴様の、貴様のせいで!どれだけの民が苦しんだと思っている!貴様の、貴様のせいで!」

 

 何度も何度も彼女を蹴り踏みつける市長の姿に、誰もが呆然とし、秘書らしき女性は止めるどころか、冷たい視線を彼女に送っているだけだ。

 ハルカも、抵抗するどころかその状況を受け入れ、されるがまま。

 そんな状況にキリエが動いた。

 

「やめて!」

 

 キリエが、2人の間に割って入った。

「やめて!彼女が何したっていうのさ!」

「どいてくれないか?これは当然の報いだ」

「何が当然なのさ!」

 キリエはどかない。

「市長……」

 マダムは、いつもの余裕の態度とは打って変わり、明らかに怒りを含んだ視線を市長に向ける。

「何があったかは存じ上げませんが、その子は今、私のオウニ商会の社員の一人です。部下を痛めつけてくれた以上、それなりの対応を取らせてもらいますが?」

「そうですか。今は空賊ではなく、あなたの部下なのですか?」

「ええ」

 市長は、マダムにゆっくりと振り返る。

 

「だからといって、過去の罪がなくなるとでも?そんな話はないでしょう!」

 

 マダムと市長はお互い譲らずにらみ合う。

「レオナ」

 マダムに呼ばれ、彼女はようやく体の硬直が解けたようだ。

「ハルカさんを船内へ」

「……はい!」

 レオナは彼女を米俵を抱えるように肩に担ぐと、急ぎ足で羽衣丸の船内へと向かった。

 

 

 

 

 

「イタタ……」

 羽衣丸の会議室で、ハルカはキリエから傷に処置をしてもらっていた。

 打撲や擦り傷が殆どだったので、湿布薬を貼ったり、傷を消毒して最後にガーゼを張り付けていく。

 消毒薬が傷に染みるのか、彼女は時折うめき声をあげる。

「はい、おわったよ」

「……ありがとう、ございます」

 キリエは救急箱に道具をしまうと、ハルカの隣に腰かける。

「にしても、さっきの市長ひどいよね!いきなり暴力ふるうなんてさ!」

 ご立腹のキリエに対し、ハルカの表情は冴えない。

「なんで抵抗しなかったわけ!?」

「いえ……、これは、その。……当然の、報いですから」

「当然の?」

「市長も言っていたな。……どういうことなんだ?」

 市長ともあろう人物が、いきなり衆人環視の中暴力に訴えるなど余程のことだ。

 すると、彼女は表情を曇らせる。

「かつてこの町には、大きな商会があって、雪雲丸という飛行船を持っていたんです」

 先ほどの会話に出てきた名前だと、皆が思い出す。

「でも、その飛行船とハルカがどう関係してくるのさ?」

「……かつて、このヤマセの町は、飢饉に瀕したことがあったんです」

 イジツにも、時折異常気象や空賊に農業に必要な資材を盗まれたとかで、食料生産が上手くいかないときがある。

 それ以上に多いのが、空賊による略奪の被害である。

「そのとき、ようやく食料を調達できた雪雲丸は、ヤマセの町へ急いで帰ろうとした」

「その道中で、何か?」

「……空賊の襲撃に会い、物資を全て盗まれたんです」

「でもさ、そのこととハルカがなんで……」

 キリエは途中で言葉を切った。

 気づいたのだ。市長の怒りが、彼女に向けられた理由に……。周囲も皆、同じ考えに行きついていた。

 

「ええ……。その雪雲丸を襲撃した空賊は、ウミワシ通商。そして、飛行船を撃墜したのは、この私。雪雲丸は、私が撃墜した、初めての飛行船だったんです」

 

 それからハルカは、当時のことを話し始めた。

 

 

 ナガヤを去り、実入りのいいウミワシ通商へと移った彼女は、運び屋の用心棒を生業としていた。

 母親を入院させることができ、弟と妹を学校に入れることができた。

 そんなある日、ウミワシ通商社長のナカイに、空賊に物資を盗まれたから取り返すのに協力してほしいと頼まれた。

 彼女は疑いなく承諾し、物資の奪回へ向かった。

 向かった先にいたのは、1隻の飛行船。

 空賊に奪われた物資を積載しているから、軟着陸させて欲しいと頼まれた。

 彼女は機銃でエンジンや機体上部の機密バルブを撃ち抜き、飛行船を難なく不時着させることに成功した。

 そして仲間が物資を積み込み、飛び立つのを確認した彼女は、成功を知って安堵した。

 

 

 思えば、これが過ちの始まりだった。

 

 

 その後も、社長のナカイから似たような依頼が続いた。

 回数が積み重なるにつれ、次第に彼女は不信感を募らせていく。

 そんなある日、彼女は飛行船から奪い返したという荷物を確認した。

 ウミワシ通商の荷物には、全て鳥のマークが入っている。

 本当に奪い返した荷物なら、どこかにウミワシ通商を示すマークが描かれているはず。

 荷物があるという倉庫で彼女が見たのは、奪った荷物にマークを入れていく作業員たちの姿だった。

 彼女はさとった。このウミワシ通商は、奪った荷物を売ることで儲けている空賊だと。

 ナカイを問い詰めた彼女だったが、彼は気にした様子もなかった。

「それがどうした?むしろ、今更気づいたのか?」

「飛行船を襲撃して物資を奪うなんて、やっていることが空賊そのものじゃない!?」

「ああ、だってウミワシ通商は空賊だからな」

「空賊って聞いていたら入らなかった……」

「なら止めるか?誰が貴様を雇ってくれる?すでに飛行船を何隻も襲っている貴様を?」

 彼は楽しそうな笑みを浮かべながら言った。

「蒼い翼の零戦、巷じゃ有名だ。そんな貴様を雇うやつがどこにいる?仮にいたとして、今ほどの報酬を払ってくれる人がいるのか?報酬が減れば、お前の家族はどうなる?」

 彼女は言い返せなかった。

 結局、彼女は家族を養い続けるために、ナカイの、ウミワシ通商の悪行に加担し続けた。

 だがその甲斐もなく、家族は皆失ってしまった。

 思えば、当然だったのだろう。

 色んな人々の人生の歯車を狂わせて置きながら、自分の大事なものだけは守りたいなんてこと。

 ユーハングでは、因果応報という言葉がある。

 悪行を働けば、必ず報いを受けることになる。

 

 

 

 

「後に知ったんですが、雪雲丸が使えず、他の町が物資を融通してくれるまでの間、住民は水も満足になく、飢えや渇きに苦しんだと、聞いています」

 過去のことを、苦しそうにハルカは話し終えた。

「当然、なんです。あのようなことをされるのも……」

「でもさ、悪いのはウミワシ通商じゃん?ハルカ一人が何で責められないといけないの!?」

「仕方がないよ。生き残っていることがハッキリしているのは、私だけだから」

 アレシマの新聞で脚光を浴びた彼女だが、彼女がまだ存命であると血縁者に伝わったと同時に、恨みを持つ人々にも生存が知られてしまった。

 生きていることがハッキリしている彼女に、ウミワシ通商の被害者たちは怒りの矛先を向けた。

 こうなるのは、時間の問題だったのかもしれない。

 

「……許しちゃ、くれませんよね」

 

 彼女は、ぽつぽつつぶやくように言う。

「私が、馬鹿な夢みたから……」

「ハルカ?」

「償いを続ければ、いつかわかってもらえる。罪が許される日が、くるって……。その日までは、生きなきゃいけない。でもそんなこと、本当は幻想でしかない。……これが、現実だというのに」

「ハルカ」

「こんなことなら、ナカイを始末した後、ラハマで不時着なんてしないで」

「ハルカ!」

 レオナが人差し指を、彼女のおでこに突きつける。

「それ以上言ったら怒るぞ」

「でも……」

「怒るぞ」

 圧を込めたレオナの言葉に押され、彼女は押し黙った。

 レオナはそれ以上彼女の言葉を聞きたくなかった。

 彼女の瞳が、段々虚ろになっていくのが見えたのだから。

「とりあえず、皆は船内にいてちょうだい。私はこれから市庁舎で、依頼の説明を聞いてくるから」

「おひとりでいいんですか?」

「ヤマセが迎えを寄越してくれているみたいなの。もしもの時は無線で連絡するから」

「わかりました。お気をつけて」

 羽衣丸を下りたマダムは、市長からの迎えらしきスーツを着た職員に案内され、他の商会の人々とともに、バスで目的地へ向かっていった。

 



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第2話 変わらないものたちと変わった飛行機

市長がマダムら運び屋たちに開いた説明会で、目的地との間の
航路に未知の戦闘機を使う空賊が出現したことを知らされる。
一方、彼女は情報屋から、その空賊がかつて彼女が属していた
あの集団である可能性を知らされる。


 渓谷の間にある町、イタミとヤマセ。

 その中間地点に、大きな洞窟がある。洞窟の内部には、十数機の飛行機や沢山の物資の入った木箱等が収容され、何十人もの人々が生活していた。

 洞窟に1機の輸送機がやってきた。首から上が白、下が茶色の鳥のマークが描かれた輸送機がエンジンを切ると、周囲の人々が集まって積み荷を下ろし、奥へ運んでいく。

「今回の輸送船も、積み荷は食料か?」

「ああ、イタミへ送るものだろう」

「ここに網を張ったのは正解だったな。確実に輸送船が現れる」

 彼らがおろしている積み荷は、正規のルートで手に入れたものではない。

 道中を通る輸送船を襲い、奪ったものだ。

「ナカイ社長、買い手はついているんですか?」

「ああ」

 顔を斜めに切り裂いたような傷跡が残る、サングラスをかけた細身の、目つきの鋭い男性、ナカイという男性が応える。

 

「これで、ウミワシ通商が復活できる」

 

 全員がこれから得られる収入を想像し、無意識に顔がにやける。

 ここにいるのは、かつて蒼い翼の零戦のパイロット、ハルカによって壊滅に追い込まれた空賊、ウミワシ通商の残党たちだ。

「誰が輸送船を襲うか悩みましたが、その問題はすぐ解決できましたね」

「ああ、あのいけすかない依頼人、すげえもんをくれたからな」

 全員が同じ方向を見やる。

 かつてはハルカがいたことで確実に積み荷が奪えていたが、彼女がいない今はそうはいかない。

 あれほどの腕前のパイロットなどそうはいない。

 だが、新しい戦闘機によってその問題は解決できた。

 全員の見る方向には、プロペラのない奇妙な飛行機が駐機されていた。

 細い胴体に、後退角をもつ主翼、主翼の下に吊るされた筒状のもの。

 イジツでは馴染みのない飛行機だ。

「こいつがあれば、今までの飛行機なんぞ雑魚だ。整備に手間がかかるのが難点だがな」

 

「どうですかな、ウミワシ通商の皆さん」

 

 ふと、眼鏡をかけたオカッパ頭の髪の男性が現れた。

「なんだ、依頼人」

「依頼人は確かに私ですが、わたくしにはヒデアキという名前がありますよ、ナカイ社長」

 皆、このいけ好かない男が苦手だった。

「依頼の内容はこの新型機のテスト。輸送船の襲撃はあくまでついでということをお忘れなく」

「忘れてねえ。用心棒を落としているだろう?」

「そうですね。では、そろそろ拠点の場所を変えた方がよろしいかと」

「なぜだ?」

「イタミへ物資輸送を行うため、ヤマセに多くの運び屋の飛行船が集結しているそうです。その中には、あのコトブキ飛行隊が属するオウニ商会もいるそうです」

「隼6機だろ?この飛行機なら問題ない」

「そして、あなたと因縁浅からぬあの飛行機乗りもいるそうですよ」

「……誰だ?」

 ヒデアキは心中楽しそうに言い放った。

 

「……蒼い翼の零戦」

 

 ナカイの視線が細められ、周囲の目が見開かれた。

「ハルカ……、生きてやがったのか」

「今は空賊から足を洗い、用心棒稼業をしているようですよ」

「……ほう。そうか」

「私からすれば、あなたが生きているほうが驚きですがね。どうです?あの悪魔相手でも、大丈夫ですか?」

「この機体なら問題ねえ。むしろいい機会だ。あのラハマ上空でのお礼参りをさせてもらう」

「そうですか……。ま、テストさえしてもらえれば、我々に文句はありませんがね」

 そういうとヒデアキたちは去っていく。

「……まったく、折角忠告して差し上げたのに。空賊とは、つくづく欲の皮が張った連中ですね」

「ヒデアキ様、いかがいたします?」

「……この場所がばれるのも時間の問題。我々は、おさらばする準備を始めましょう」

 

 

 

 

 

「皆さん、お集まりいただき、ありがとうございます」

 市庁舎の一室に集められたマダムをはじめとした運び屋の代表者たちは、市長の説明に耳を傾ける。

「改めて依頼内容についてですが、皆さんへの依頼は、ご存じの通りこの渓谷の先にある町、イタミへの物資の輸送になります」

「じゃあ、なぜこんな沢山の相手に依頼をしたんだ?」

 呼ばれた人数は、広くない会議室を埋め尽くすほどで、全員が商会や運び屋を生業とするものたちばかりだ。

 数十人にもわたる同業者たちに、市長が依頼をしたのはなぜか。

「実は、このヤマセとイタミの間に、空賊が出現するようになりまして」

「空賊?」

「はい。ここ1週間前です。その空賊の出現以来、イタミへ向かった輸送船は全滅。いずれも到着できていないんです。それによってイタミは半ば孤立状態となり、そしてついに食料の備蓄が僅かになった」

「それでイタミへの緊急輸送が必要になったってか?相手は空賊なんだろ?」

「ですがただの空賊ではないそうです。帰ってきたパイロットや飛行船船員の話ですと、奇妙な飛行機1機の前に全滅したそうです」

「たった1機に?」

 全員が市長の話を飲み込めていなかった。

「なんでも、プロペラがない妙な飛行機だったと」

「きっと、新米用心棒しかいなかったんだろう?」

「それで、依頼の内容はイタミへの輸送だったな?」

「それに加えて、道中の空賊の排除もです。無論、どちらか片方でも構いませんが、両方達成できれば報酬は上乗せさせていただきます」

「ほう、気前のいい話だ」

「ただし、これだけの数が一度に出航すれば、道中は険しい渓谷ですから航行に支障がでます。一度に、一隻のみでお願いします」

「なら、私の商会が行かせてもらおう!」

 あごひげを生やした、年を召した男性が名乗りを上げた。

「私のタケノ商会の用心棒は腕利きばかりで、戦闘機も紫電改6機。うちに任せてもらおう!」

「ちょっと待て!うちが行く!」

「いや、わが社が行こう!」

「わかりました。では、最初に名乗りをあげたタケノ商会に行ってもらいましょう」

「まかせてもらおう!」

 皆が席を離れる中、ルゥルゥはため息を吐きながら席を立とうとする。

「マダム・ルゥルゥ」

 目の前に、いつの間にか市長が立っていた。

「……なにかしら?」

「オウニ商会に対する報酬ですが」

 マダムは黙って言葉を待つ。

 

「ハルカさんに対する報酬は、無しとさせてください」

 

 マダムは目を細める。

「市長、さきほど彼女を散々痛めつけてくれましたが……」

 彼女は市長をにらむ。

「なぜですか?彼女が何をしたと?」

 市長は一瞬表情を険しくするが、すぐに感情を抑え込んだような表情で話し始める。

「……私は、かつてこのヤマセにあった商会の飛行船の船長でした。その船の名前は雪雲丸。飢饉続きで食料がなく、ひもじい思いをしていたヤマセに食料を運ぶ際中、彼女の零戦が私の船を落とし、物資を全て奪っていった」

 マダムは、さきほどハルカが話していた内容と相違ないか注意しながら聞く。

「そのおかげで、住民たちは飢えに苦しみ、ひとかけらのパンにありつくことさえできず、次の船が来るまで耐え忍ぶしかなかった。栄養失調や、脱水で死ぬ寸前まで至った人もいた。彼女がしたことがどれだけ罪深いか、お判りいただけましたか?」

「彼女1人のせいじゃないわ」

「でも加担したことは事実。そんな罪人にお金を払うつもりなど、私たちにはありません」

「そう……」

「マダム。むしろ、彼女を説得してもらえませんか?」

「なんと?」

 

「罪の清算のために、今回の依頼を1人で遂行するように、と」

 

「お断りするわ」

 

 マダムは即答する。

「あなたたちにとっては、それが理想なのでしょう?お金は払わないですむ、罪の清算と言えば彼女は断れない」

「よくお分かりで」

「だからこそ断るわ」

「あなたも、ラハマも被害者なのでしょう?なぜ清算を求めないのですか?」

 市長は、心底不思議そうに尋ねる。

「彼女はもう空賊じゃない。罪の清算は賠償金でしている。確かに彼女はラハマに被害を与えたけど、だからと言って無尽蔵に要求をしていい理由にはならない。それじゃあ……」

 マダムは市長に背を向ける。

 

「無尽蔵に要求を繰り返し、全てを持っていく空賊や悪党と、同じ穴の狢ですから」

 

 マダムは静かに、部屋を去っていった。

 

 

 

 

 

「市長、よろしいのですか?」

 女性秘書官の声に、ヤマセ市長は振り向く。

「このままですと、あの悪魔に罪の清算を求める機会を、失ってしまう可能性があります。いいのですか?」

「……清算は求めるが、今専念すべきはイタミの救援に向かうことだ。彼女が道中の空賊を1人で排除してくれることが理想なのは、確かだが」

 先ほど市長がマダムに言ったことは、市長のみの個人的意見ではない。

 このヤマセという町に住む人々の、総意とも呼べるものだった。

 かつてこのヤマセの町の危機に、食料を奪っていった空賊。

 その際飛行船を襲撃してきた、蒼い翼の零戦。

 どんなパイロットか長年不明だったが、あのアレシマで発行された新聞でパイロットの顔がわかった。

 おまけに、今は議員の用心棒をしているという。

 この事実に、怒りを覚えた住民は多かった。

 自分達を絶望に突き落としておいて、罪の清算もせず、のうのうと生きている彼女に。

 だから今回、彼女が運び屋の中に含まれていたのは彼らにとっては幸いだった。

 ようやく償いを求めることができるし、それによって無報酬で依頼をさせることができる機会だ。

 だからこそ、オウニ商会を指名せず、名乗りを上げた商会に行かせたことに、この秘書官は憤っているのだ。

 自分達を苦しめたあの悪魔を、許せないから。

「とにかく、今は様子を見よう。これまで多くの商会が失敗してきた。今回のタケノ商会が上手くいくかもわからない。だから、今は機会を待とう」

「……わかりました」

 納得しかねる、そういう表情の秘書官をつれ、市長は自室へ足を進めた。

 

 

 

 

「あ、輸送船が1隻出航していくよ」

 キリエのさす方向を見ると、飛行船が1隻、戦闘機に囲まれてヤマセを出航していく。

 そして、眼下ではブレーキ音がなる。

「マダムが帰ってきた」

「どうやら、説明が終わったみたいだ」

 憂鬱そうな顔でマダムは羽衣丸に戻り、会議室で市長が説明した今回の依頼の内容を皆に話した。

「プロペラのない奇妙な飛行機?」

「それを使った空賊の被害にあって、イタミへ物資を届けられない、と?」

「それで、これだけの輸送船と用心棒に依頼をしたのですね」

「そういうこと。市長の依頼は、道中の空賊の排除と、イタミへの物資の輸送。片方だけでもいいけど、両方できれば報酬は上乗せするとのことよ」

「そんじゃあさあ、私たちも今すぐ出航してうりゃーって空賊倒して荷物を運ぼうよ」

 やる気に満ち溢れるチカに対し、マダムは首を横に振った。

「残念だけど、道中は渓谷が続くから何隻も同時にいくことはできないの」

「じゃあ、さっき出航したのが」

「ええ。彼らが帰ってくるまでは、待ちぼうけね」

「ええ~!それじゃあ私たちの番は~?報酬半分なの?」

 動けないことを悟り、チカは不満そうだ。

「慌てるな、チカ。勇んでいくのはいいが、そもそも空賊の情報がまるでない」

「相手は1機だけなんでしょ?だったら問題ないじゃん!」

「……1機を相手にラハマ上空で返り討ちに会ったのは誰だ?」

「ぐっ!」

 レオナの指摘にチカは言葉に詰まる。そしてチカはハルカをジト目で見つめる。

 ハルカはばつが悪そうに視線をそらした。

「今のところ、空賊はプロペラのない奇妙な飛行機を使ってくるという情報しかない。それだけで、機種を断定することはできない」

「ケイト、君の知っているユーハング戦闘機の中に、該当するものはないか?」

「ない。ありそうなのは、イケスカ動乱でイサオが乗っていたあの震電だけ」

「あ~、確かにプロペラなかったね」

 キリエが思い出したように言う。

 イケスカ動乱の際、自由博愛連合の会長イサオは、ユーハングがかつて実用化しようとした局地戦闘機震電に乗って現れた。

 隙をついてケイトが機体後部のエンジンに機銃弾を撃ち込んだが、イケスカ上空での戦闘ではプロペラがない見たこともないエンジンに換装して現れた。

「でも、震電なら震電だってわかるんじゃない?あんな形の機体他にないし」

 震電の異形の姿は、他の戦闘機とは明らかに異なる。

 イケスカ動乱後の調査によって部品や設計図がイケスカで発見されており、今では少数ながら性能の劣るレプリカが作られてもいる。

 震電なら、そうだとわかるだろう。

「なら、その空賊はまだ目撃されたことがない、未知の飛行機を使っているということか?」

「なくはないと思われる。どこから手に入れたかは気になるが」

 レオナは頭をかいた。

「厄介だな……、対策をどうすればいいか」

 未知の敵が相手では、有効な戦法が立てにくい。

「市長が言っていたのは、その情報だけなんですか?」

「そうね」

 仮にそれ以上の情報があったとして、あの市長の態度からするに、ハルカがいる中では明かしてはもらえないだろう。

「情報が少なすぎる……」

 

「まあ、とりあえず今はいいんじゃないかしら?」

 

「ザラ?」

「さっき輸送船が出航していったんだし、彼らが片付けてくれればそれでおしまい。考えるのは、彼らの結果がわかってからでもいいんじゃないかしら?」

「それは……、そうだな」

 一度に1隻しか出航できないなら、今悩んでも仕方がない。

「それじゃあ、各自休息として、町へ行きましょう!」

「ちょ、ザラ!」

 レオナはザラに手を引かれ、町へ繰り出していった。

「私も行く!」

 キリエたちもつづいていく。

 そんな中、ハルカだけは羽衣丸のそばに置かれた積み荷の山に背を預けている。

「いいのか、行かなくて」

 ナツオ班長が彼女の様子を見て問いかける。

 

「……行けると思いますか?私は、この町の住民にとっては大悪人ですよ」

 

 先ほどの件があったため、彼女は町へは行かない。

 もし行けば、さきほど市長が行ったようなことをされる可能性が否定できないからだ。

「そうか……。なら、部屋で静かにしている方が、いいと思うぞ」

 班長はそれだけ言って去っていく。

 彼女はため息を吐きだした。

 いつかこうなることは予想していたとはいえ、明確な悪意を向けられると、少しこたえる。

 

「随分絆創膏だらけですけど、大丈夫っすか?ハルカさん」

 

 聞き覚えのある声に、彼女は姿勢を変えることなく応える。

「何やっているんですか?……レミさん」

 声からして、時折情報屋として使っているゲキテツ一家のレミだと彼女は悟った。

 2人は視線を合わせることなく、荷物の山を影に話を続ける。

「ちょっと商売に来ていましてね」

「でも、件の空賊によってイタミへ行けずに困っている、と?」

「まあ、そんな所っす」

「……その空賊について何か情報は?」

「プロペラがない、妙な飛行機を使っているらしいっすよ」

 それはマダムが伝えた情報と一致する。だが、それだけでは機種を絞り込むことはできない。

「大きさは?」

「そんなに大きな機体じゃないらしいっす。でも速度が出ると」

「他に特徴は?」

「翼の下に、筒のようなものがあったと。そういえば、鳥のマークが書いてあったらしいっすよ」

「鳥?」

「そう。……なんでも、首から上が白色で、下が茶色の鳥だったと」

 彼女は心臓を鷲掴みにされたような錯覚に陥った。それはかつて、いやというほど見たマークだった。

「でも、ウミワシ通商は……」

 そのマークを使っていた空賊、彼女がかつて属していたウミワシ通商は崩壊した組織のはず。

 彼女が根城の居場所を吐いたため、調査が入り、ナカイを殺したので金もなく、崩壊を迎えるしかなかったはず。

「でも、ハルカさんもわかっているんじゃないっすか?ウミワシ通商が崩壊しようとも、金を牛耳っていたナカイ社長なら、人をまた集めることも、組織を立ち上げることも可能かもしれない、と」

「……ナカイは、生きているの?」

「生きていれば、金はいくらでもある。崩壊した組織を立て直すことくらい、わけないっすよね?」

 ハルカは心臓の鼓動が激しさを増すのを感じ、胸のあたりの服を右手で鷲掴みにする。

「……依頼は?」

「……ヤマセとイタミの間に出る空賊の排除。そんな強力な戦力のもとに、他のマフィアが集まったら大変すからね~」

 ハルカは財布から札を数十枚ほど取り出す。

「……酒代にでもして」

「ありがとうっす!」

 レミは見つからないように去っていった。

「……ナカイ」

 ラハマ上空で撃墜したはずのナカイが生きていた。

 散々機銃弾を撃ち込んだはずだが、それでも生きているとは、つくづく悪運が強い。

 正直、あれだけ銃弾を撃ち込まれて生きているなど信じがたいが、レミの言うように金が潤沢にあるナカイなら、人を集めることも組織を立ち上げることも可能だろう。

「今度は……、今度こそ」

 あいつをしとめ損ねたせいで、また被害者が出た。

 でも、今度は失敗しない。あいつが死ぬまで、弾を撃ちこめばいい。

 そして今度こそ、息の根を止めてみせる。

 

「終わらせないと……、全部」

 

 ふと、飛行場の方が騒がしい。

 振り向くと、1機の紫電改が煙を吹きながら滑走路に進入してくるところだった。

 描かれているマークからして、先ほど出航していった商会所属の機体だろうか。

 だが様子がおかしい。

「脚が片方出てない!」

 間もなく、紫電改がそのまま滑走路へ着陸を決行。胴体が滑走路にこすれ、火花を散らせながら停止した。

 彼女は駆け出した。

 紫電改に駆け寄り、風防を開けるとナイフを腰から抜き、操縦席のベルトを切断。

 パイロットの両脇に手を入れ、操縦席から引っ張り出した。

 そして機体から離れた直後、機体が炎に包まれた。

 彼女は腰につけている小物入れから救急道具を取り出し、出血している場所を縛って応急処置を行う。

「いで!」

 紫電改のパイロットが悲鳴を上げるのを無視し、ハルカは作業を進めていく。

「痛いでしょうけど我慢して!」

「くそ、空賊のやろう……。あんな機体を、どこで」

「あんな機体?」

「プロペラがない奇妙な飛行機だ。主翼の下に、筒のようなものぶら下げていたがな。それに、鳥のマークが書いてあった……」

「鳥……」

 彼女は作業の手を止めず、でも頭の中には風が吹き荒れる。

「機体の大きさは?」

「……そんな大きい機体じゃなかった」

「……そうですか」

 彼女は町の救急隊にパイロットを引き渡した。

 それから間もなく、発動機から煙を吹きながら、出航した飛行船が帰ってきた。

 消防団により火はすぐ消し止められたが、貨物区画はひどく損傷しており、乗せていた荷物は、全てなくなっていた。

 



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第3話 奇妙な飛行機、その名は……

命からがら帰還した商会の飛行船。その損傷から彼女は
空賊が使っている飛行機が何であるか推測する。
そんなものをなぜ空賊が持っているのか。
彼女は、ある可能性に気付く。


「誰もいかないね」

 

 昨日、意気揚々と出航したタケノ商会の飛行船が命からがら帰還した。その被害状況を見てから、どの商会も出航しようとはしなかった。

「仕方がない。帰ってきたタケノ商会の飛行船と用心棒が、あの有様ではな」

 飛行船の被害は相当なもので、機体下部の貨物区画が破壊され、積み荷は落としてしまい、発動機もいくつかやられており、なんとかヤマセへ帰還したものの、大規模修理が必要なレベルの損傷を受けていた。

 そんな状況を見てか、どの飛行船もイタミへは向かっていない。

 紫電改6機を有する腕利き飛行隊が用心棒にいたにも関わらず、たった1機の未知の戦闘機にあそこまで被害を出されては、自分達も危ないと感じたのだろう。

「市長は、報酬を引き上げるから向かってほしいと、言っているのだけれど……」

「どこも、二の足を踏んでしまっている、と」

 マダムは頷く。コトブキ飛行隊とマダムは、羽衣丸の会議室に集まり、今後の対応を検討していた。

 

「ねえ、どこも行かないんだったら、私たちが行こうよ~」

 

 チカはやる気のようだが、レオナは難色を示す。

「といっても、依然として空賊の情報がまるでない。そんな中いっても、タケノ商会の二の舞になるだけだ」

「でも~」

 チカは不満そうに頬を膨らませるが、隊長であるレオナも迂闊な行動はできない。

 

「じゃあさ、チカが1人で行けばいいじゃん?」

 

 少し挑発の意味を込めて、キリエが言った。

「はあ!なんで私1人なわけ!?」

「だって、1人だけ行きたそうじゃん?じゃあ空賊と遭遇して情報持って帰ってきてよ」

「キリエは来ないの?」

「私もレオナと同じ、むざむざ落とされに行きたくないもんね~」

 

「はあ!それって私が落とされるって決まっているみたいな言い方じゃん!?この臆病者!」

 

「はあ!誰が臆病だって!私は慎重なだけ。無鉄砲なチカに言われたくないよ!」

 

「誰が無鉄砲だ!いいよ、キリエは格納庫の隅で、ぶるぶる震えていればいいよ!」

 

「なんだと、このバカチ!」

 

「……2人とも」

 

 レオナの圧を込めた言葉に、2人は震えあがる。

「ですが、チカの言うように、誰かが情報を取りにいかないと、対策しようがありませんわ」

「エンマの言う通り、今の段階では情報が少なすぎる。いっそ、誰かが危険を冒してでも、偵察に行くべき」

「ダメだ」

 エンマとケイトの言葉を理解しつつも、レオナはあくまで慎重に行く姿勢を崩さない。

「でも、それならこの町に何日いるの?」

 ザラが口を開いた。

「どこも行かない状況が何日もつづけば、それだけイタミは苦しむ状況が続く。それに、滞在しているだけでも、私たちは経費が生じているわけだし」

「確かにそうだが……。だからといって、無茶をさせることは隊長としてできない」

「とにかく、あと少しだけ、この町にとどまりましょう。それでも事態が動かないなら、その時考えましょう」

 結局結論が出ないまま、会議はお開きになった。

 

 

 

 深夜、ハルカは目を開くと、同室のザラとレオナが眠っているのを確認し、防寒用の茶色い上着を着て、忍び足で音を立てないように部屋を出る。

 彼女は羽衣丸から下りると、損傷したまま係留されているタケノ商会の飛行船目掛けて歩いていく。

 そして目的の飛行船にたどり着くと、携帯電灯を取り出し、スイッチを入れる。

 彼女は、破壊された発動機や損傷個所をくまなく照らす。

 発動機には、大口径の銃弾が撃ち込まれた大きな穴があった。

「これは、20mm機銃に撃たれた跡……」

 日頃乗っている零戦に装備している20mm機銃を使うことがあるから、見慣れた傷だった。

 そして、昼間に帰ってきたパイロットから聞いた情報を重ね合わせていく。

「プロペラのない奇妙な姿。機体規模は大きくなく、主翼の下に筒のようなもの。速度が出て、20mm機銃を装備……」

 彼女は自身の知る飛行機の情報から、該当機種を絞り込んでいく。

「機銃の大きさは違うけど……」

 彼女は、空賊がどんな機体を使っているのか察した。

 彼女は自身の知る中で、1機だけ思い当たる飛行機の名前を口にした。

 

「まさか……、橘花」

 

 自身が導き出した答えに、彼女はどこか引っかかりを感じる。ウミワシ通商の残党が、なぜそんなものを持っている。

 一体、どこで手に入れてきたのか。

「エンジンはどこで……」

 彼女は、先日のイヅルマ襲撃の件を思い出す。あの時、襲撃者たちは新兵器、桜花を使ってイヅルマを脅してきた。

 あの時は新兵器のテストが目的と思っていたが、なぜ彼らは桜花という新兵器をあのとき使ってきたのか。

 それは、桜花を使ってまでも手に入れたかったものが、イヅルマにあったと考えれる。

「もし、あのときイヅルマから持ち出されたものが、ネ式だとすれば……」

 そのとき、彼女の肩に何かが置かれた。

「ひぃ!」

 考え事に夢中になっていた彼女は、思わず体をこわばらせる。

 その方向に電灯の明かりを向けると、闇夜の中に突如無表情の顔が浮かび上がった。

 

「きゃああああああああああああああああ!」

 

 彼女は思わず悲鳴をあげ、その拍子にバランスを崩し、その場に尻餅をついた。

「いたた……」

 目に涙を浮かべつつ、彼女は痛みを和らげるため、ぶつけたお尻を右手でさする。

「大丈夫か?」

 顔を上げると、そこには銀色の髪を二つに分けた、いつもと変わらぬ表情を浮かべる女性が1人。

「ケイトさん……、脅かさないでくださいよ」

「脅かすつもりはなかった。……それより」

 ケイトはある一点を見つめる。

「それより?」

 

「……足を閉じた方がいい」

 

 ハルカはケイトの視線の先を見る。

「……あ!」

 彼女はスカートがめくれあがって中が見えているのに気づき、足を閉じて裾を押さえた。

「うう~」

 彼女の頬が瞬時に赤く染まる。そしてお尻のあたりについたホコリをはたきながら、ゆっくり立ち上がる。

「それで、何でこんなところにいるんですか?」

「あなたが深夜なのにどこかへ出かけていくのを見て、あとをつけてきた」

「……物好きですね」

「興味があった。ハルカのことを、ケイトはあまり知らない。だから何が目的なのか、興味があった」

「……面白いですか?」

「うん、とても。……それで、聞きたいことがある」

 ケイトは、彼女に顔を近づけ言った。

 

きっか(・・・)、とはなんだ?」

 

 彼女は一瞬心臓が大きくはねた。

「いえ、その……」

 彼女は明後日の方向を見ながら言う。

 

「この事態を打開できる、きっかけ(・・・・)、でもないかな……と」

 

 そういうと、ケイトの視線が細められる。

「……なぜ誤魔化す?」

「誤魔化してなんか……」

「言いつくろっても無駄。あなたは嘘やごまかしが下手」

「そんなに?」

「うん、バレバレ」

 ハッキリ言われてしまうと、ハルカも少しショックだった。

「もう一度聞く。きっかとはなんだ?」

 ケイトがまた顔を近づけながら言う。

「さ、さあ、なんでしょう……」

 ハルカは一歩引いて距離をとった。

「なぜ下がる?」

 ケイトが一歩進む。

「べ、別に下がってなんか……」

 彼女は一歩さがった。

「なぜ誤魔化す?なぜ下がる?やましいことでもあるのか?」

「そ……そんなもの、あるわけないじゃないですか」

「今の間は何だ?」

 珍しく情熱的、もといあきらめが悪いケイト。

 ケイトが一歩距離を詰めるごとに、ハルカは一歩下がる。

「そ、その……、皆さんにいい加減な情報を与えたくはないです。うろ覚えですし……」

「うろ覚えでも、何か知っているのだな?」

 彼女は内心しまったと思う。

「きっかとは何だ?空賊の使っている飛行機のことか?どこでその情報を知った?」

「え、ええ……。そんなに一度に聞かれても」

「そうか」

 ふと、ケイトが足を止めた。

 あきらめてくれたのかと一瞬安堵する。

 

「では、時間をかけてゆっくり話してもらう」

 

「わっ!」

 直後、ハルカはわきの下に何かが通され、体が持ち上げられ、地面から足が離れた。

「おとなしくするんだ」

 背後から聞こえた声に、彼女は振り向く。

 視界の端に見えたのは、赤い髪と凛々しい表情。

「レオナさん!?いつの間に!?」

 レオナは、両腕をハルカの脇の下に入れ、地面から持ち上げて羽交い絞めにしている。

「君が部屋から抜け出すのに、気づかなかったとでも思うのか?」

「気づいていたんですか?」

「ああ、気になってあとをつけさせてもらった。そしたら君が、損傷している飛行船の方へ向かったからな」

 レオナは、場違いな笑みを浮かべる。

「じゃあ、羽衣丸でゆっくり話そうか」

「ちょ、ちょっと!」

 レオナは彼女を羽交い絞めにしたまま歩いていく。

 鍛え上げられた肉体を持つレオナの腕をはがすことはできず、かといって地面から足が浮いているので何もできず、彼女はただ羽衣丸へ連行されていくしかなかった。

 

 

 

 

 

 深夜であるため、必要最低限の明かり以外落とされている羽衣丸船内。その中で、明るい光がドアの隙間から漏れている部屋、会議室の中でハルカは床に正座させられ、その前にレオナが腕を組んで仁王立ちし、周囲をザラ、ケイト、マダム、エンマ、ナツオ班長が囲う。

 キリエとチカは、夜にたたき起こされたせいか、ソファーで船をこいでいる。

 

「さて、ハルカ。何やら、私たちに話していない隠し事があるようだが?」

 

「別に、隠しているわけでは……」

「なら、なぜ私たちに隠れて動いている?」

「……それは」

 彼女が単独で動いていたのは、今回の件にウミワシ通商が絡んでいるかもしれないということがあるためだ。

 もし本当に残党が今も動いているなら、できるだけ自分の手で終わらせたい。

 それはレミから得た情報なのだが、マフィアである彼女と接触していたことは伏せる必要がある。

「思い当たることはあるんですが、確証が持てなくて。だから調べていたんです。うろ覚えのいい加減なことを、皆さんに伝えるわけにはいかなくて」

「それならそれで、一言くらい言ってくれてもいいんじゃないか?私たちは、君がまだ空賊と繋がっているんじゃないか。そんな疑念を持ちたくはない」

「申し訳ありません……」

 レオナはため息を吐きだす。

「それで、確証は得られたのか?」

 ハルカは視線をそらした。

 こういうときの彼女の憶測は、ほぼ確証に近いことをレオナは知っている。

「うろ覚えでもいい。今はとにかく情報がほしい。話してくれないか」

「……あくまで、可能性の話ですよ」

「それでもいい」

 レオナの押しに彼女は観念したのか、ようやく重い口を開いた。

「……問題の空賊が使っているという飛行機ですが、昔見たユーハングの資料に書かれていたものに、似ていると思いまして」

「なんて言うんだ?」

 ナツオの問いかけに、彼女は応えた。

 

「橘花。その資料には、そう書かれていました」

 

 レオナは首を傾げる。ザラも、エンマもだ。

「聞いたことない名前だな……。ケイト、知っているか?」

「いや、知らない」

「そうか……。ナツオ班長」

 ナツオは首を横に振った。

「残念だが、私もない」

 ナツオにケイトさえ知らない未知の飛行機。

「どんな飛行機なんだ?」

「……立っても、いいですか?」

「……ちゃんと説明するか?」

「はい」

「……わかった」

 しびれる足をさすりながら、彼女は会議室に置かれている黒板の前にたつとチョークを手にする。

 彼女が黒板に書いたのは、飛行機の絵だった。飛燕のように、機首から細く絞られた胴体、前進翼の隼とは対照的に後退角を持つ主翼、大きな特徴はプロペラがないこと、そして主翼の下に筒のようなものを持っていること。

「これが、橘花の大まかな図です」

 ナツオ班長は簡単な図を観察する。

「本当にプロペラがないな。こいつはどうやって飛ぶんだ?」

「橘花は……、ジェットエンジンで飛翔する機体です」

「ジェット、エンジン?」

 ナツオ班長や皆が首を傾げる。

 続いて、ハルカはまた絵を描いた。それは、何かの簡単な構造図のようだ。

「ジェットエンジンは、レシプロエンジンとは全く異なるエンジンです。この主翼の下にある筒のようなものがそうです。前方から吸い込んだ空気を、圧縮機、高速で回るプロペラを何枚か重ねたものと思って下さい。それで吸い込んで圧縮。燃焼室で燃料と空気を混合して燃焼させ、それによって生じるエネルギーを後方へ噴き出すことで、推進力を得るんです」

「なんか、構造自体は単純なんだな」

「はい、構造は単純ですし、オクタン価が低い質の悪い燃料でも問題なく性能を発揮できます。ただし、各部品に求められる工作精度はとても高く、高い技術力がないと作れません。他に、燃焼室は高温高圧に耐えられる必要があるので、それに応じた材質があることも絶対です」

「これが、プロペラのない奇妙な飛行機の正体か……」

「搭載機銃は、恐らく20mmです。ユーハングでは30mmの計画だったらしいですが」

「でも、こんなもの、空賊が何で持っているのかしら?」

 いかに構造が簡単とはいえ、高い工作精度や整備能力が求められるものを空賊が持てるはずがない。

 何より、こんな聞き覚えのない未知の飛行機を、どこで手に入れてきたのかも気になる。

「キリエさんから聞いたんですけど、あなたたちはすでに、ジェットエンジンを使った飛行機に遭遇しているはずです」

「すでに?」

「はい。イケスカ上空で」

「……イサオの震電か」

「それから、先日議員に同伴してイヅルマへ行った際、なぞの襲撃者たちが市長たちを脅して、イヅルマが隠し持つものを差し出すよう迫ってきたことがありました。それが、この橘花に使われているエンジンであった可能性があります」

「ということは……」

「自由博愛連合の残党が、戦力の再編をはかるため、空賊を使って新兵器の試験を行っている可能性はあります」

 皆が目を見開いた。

「確かに、イケスカならこのようなエンジンを作れる可能性はあるわね。まして、イヅルマから持ち出したオリジナルがあればなおのこと」

「じゃあ、今回の件は飛行船が多く行き来する場所で、用心棒相手に実戦での試験結果を得るために?」

「……おそらく」

 コトブキの面々は苦々しい顔をする。

「にしても……」

 レオナはハルカをジト目で見つめる。

「可能性の話という割には、随分詳しいようだが……」

 彼女はジト目に耐えられず視線をそらした。

「ここまでわかっていたなら、少しくらい話してくれてもよかったんじゃないか?」

「いや、もう少し確証を得てから話そうかな、と……」

「ケイトの追求から逃げていたようだが……」

「ぐっ!」

 先ほどのケイトとのやり取りの一部始終を見られていたらしい。

 ふと、レオナは彼女の頭に右手をポンと置いた。

「ここにいるときは、君はコトブキの一員だ。知っていることは、些細なことでもいいから話して欲しい。仲間と情報を共有すれば、何か打開策が思いつくかもしれない。いいな?」

「……はい」

 彼女は笑顔でハルカの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

「それで、この飛行機、速度はどれくらいでるのかしら?」

「計画ですけど、少なくとも、疾風や紫電改より速いと考えられます」

「そうか……。さて、そんな相手に一体、どうやれば勝てる?」

 ハルカは黙り込んだ。

「……わかりません。まともにやって、勝てる相手じゃありません」

「何かないのか?このままじゃ……」

 だが、ハルカは首を横に振った。

「速度は相手が上です。この速度を制限する方法があれば、対抗できなくはないですが……」

 だが、そんな方法をだれも思いつけない。

 火力も速力も相手が上。速力で勝っている相手を倒すのは容易ではない。旋回性能で勝っていても、追いつけなければ話にならないし、速度が出れば攻撃する機会はいくらでも作れるからだ。

「みんな、部屋に戻って寝ましょう。こんな時間じゃ、いい方法が思いつけるわけもないわ」

 時計の針はすでに、翌日の早朝と言える時間だった。

「わかりました。みんな、部屋に戻って眠ろう」

 大きなあくびをかみ殺しながら、皆は部屋に戻った。

 

 そんな中、ケイトだけはハルカの背中を、じっと見つめていた。

 

 



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第4話 亡霊にとりつかれた彼女

出航した飛行船の被害を目の当たりにし、どの商会も出航せず
事態は硬直する。そんな中、市長はオウニ商会に依頼をするも、
マダムは依頼を拒絶する。
このままでは何も変化が訪れない中、彼女がある提案をするが……。


 どの商会もヤマセを出航することなく事態が硬直してから3日が経過。そんな折、ヤマセ市長が羽衣丸にやってきた。

「マダム、依頼があってきました」

「……何かしら?」

 羽衣丸船内の会議室で向かいに座る市長を、険しい表情でマダムは見つめる。

 事態が硬直している今、ろくな内容でないことは察しがついている。それは、あまりに予想通りの答えだった。

 

「あなたの部下、ハルカさんに、この先の空賊の排除を依頼します」

 

 マダムの視線が鋭くなる。

「ご存じの通り、今事態は硬直しております。先日のタケノ商会の被害から、どの商会も二の足を踏んでいます。ですが、これ以上長引けばイタミは干上がる」

「だから、彼女に依頼を?」

「悪魔と呼ばれるほどの腕前の彼女なら、問題ないでしょう?」

 同席しているレオナは奥歯をかみしめた。

 先日、ハルカは飛行船の被害や集めた情報から、空賊が使っている飛行機を推測したが、その彼女でさえ対抗策が思いついていない。

 彼女の腕は確かにいいが、それだけで倒せるほど甘い相手でないことは確かだ。

「……報酬は?」

 

「以前お伝えしたように、これは彼女にとっては罪を清算する機会。それを、報酬とさせてください」

 

「ふざけないでください!」

 

 マダムの隣に座っていたレオナが言う。

「それは報酬がないのと同じです!情報が碌にない、とても危険な依頼にも関わらず!普通じゃありません!」

「……成功すれば、ヤマセは金輪際、彼女の罪を問わないと約束します」

「そういえば、彼女が断れないと思っているのですか!」

「じゃあ、罪を償わないことが、許されるとでも?」

 レオナは黙った。

「それじゃあ、彼女の収入から一定の額を賠償金として払うわ。それでいいかしら?」

 マダムの提示した案に、市長は首を横に振った。

「賠償金ではなく、彼女に目に見える行動をもって償ってほしい。それが、ヤマセの総意です」

 

「それが総意とは、御笑い種ですわね」

 

 それまで黙っていたエンマが口を開いた。

「あなたたちは、確かに彼女の被害者なのでしょう。ですが、加害者は彼女だけでなくウミワシ通商という組織によるもの。組織に対する鬱憤を、生存がハッキリしている彼女に全てぶつけているだけ。情報もない、時間もない、報酬もない。そんな中、よくわからない相手を、命がけで排除しろなど、それほどひどい話はありません!それじゃあ、空賊や悪党と同じではありませんの!」

 かつてハルカに同じようなことをしたエンマだけに、彼女のセリフに同席していたものたちは一瞬目を開いた。

 

「……被害者が加害者に償いを求めるのは、当然のことでしょう。それに、他の商会や運び屋の用心棒が足踏みをする中、この依頼を完遂できそうなのは、イケスカ動乱で名をはせたコトブキ飛行隊と、蒼き悪魔と呼ばれる零戦。これ以外、考えられないのも事実」

 

 マダムは押し黙った。

 市長はあくまで要求を伝えながら、事実を並べている。

 彼の言っていることの、事実の部分は間違いではない。

 だからと言って、マダムはこのまま要求をのむつもりはない。

 ハルカに危険なことはさせられないというオウニ商会。

 彼女に今回の依頼をこなして、罪の清算を求めるヤマセ。

 どちらの主張も譲らず平行線だ。

「仮にですが、もし彼女が、犠牲になった場合は?」

 市長に同伴してきた女性の秘書官が口をはさんだ。

 

「それもやむを得ない話でしょう?彼女1人でイタミの住民が救える。少数の犠牲を容認し、多数の者を救う。これが町を守る者の、基本的な姿勢です」

 

 レオナは席を立ち、叫ぶように言った。

 

「勝手なことを言うな!彼女はあなた方の部下じゃない!私たちの仲間だ!彼女を、そんなことを前提にした依頼に行かせるなどできない!」

 

「ではあなた方は、イタミの住民を見捨てるというのですか?」

 

「そんなに言うなら、あなた方がいったどうかしら?」

 ザラが笑顔を浮かべながら言う。

 

「私たちはあなたたちみたいに、義務や慈善事業でやっているんじゃない。結果と引き換えの報酬があるから引き受ける商会、運び屋です。報酬のない仕事など、もとより受ける気はありません。そこまでイタミの住民を助けたいなら、隣町であるあなた方ヤマセがやればいいのではないかしら?この町にも、飛行隊はあるのでしょう?」

 

「……それは」

「我々の戦力では、それができないから依頼をしているんです」

「じゃあ、頼み方を間違えているわ」

「彼女の言う通り、報酬のない仕事など受ける気はないわ」

 マダムは鋭い視線で市長と秘書官に言い放った。

「お引き取り下さい」

 結局、市長の依頼は受けないことになった。

 

 

 

 

 羽衣丸から市庁舎への道すがら、市長は秘書へ言った。

「彼らの言葉を借りることになるが、流石に言い方や頼み方がまずかったよ」

「お言葉ですが、私は市長のように殴る蹴るの暴行を働いてはおりませんので」

「言葉も言い方を誤まれば、暴行以上の刃物になる」

「そうですか。にしてもあのオウニ商会でしたか。悪人を庇うなど、どういうつもりなのか……」

「それは、彼女が償いに動いているからだろうね」

「なら、私たちが清算を求めるのも、当然のことですよね。なのにあの女社長、私たちが悪党や空賊と同じだと……」

 秘書官は、先日マダムが言ったセリフを根に持っているらしい。

「おまけに子供にまで同じことを……」

 エンマのセリフも気に入らなかったらしい。

 因みに、子供という年齢ではないが。

「それに、彼女への依頼は議会で決まったこと。そしてこのヤマセの総意のはず。それを市長は、なぜ引いたのですか?」

「……思うところがあった、からかな」

「……何がですか?」

「……かつて雪雲丸の船長をしていたとき、人が苦労して得たものを全てかっさらっていってしまう空賊が憎かった」

「空賊が憎くない人なんていないでしょう?」

「そうだ。だが、今一度考えてみると、私たちが今していることは、俯瞰的に見て、どうだ?」

 秘書官は言いにくそうに言う。

「……空賊と同じだと?」

「いくら議会で決まった総意とはいえ、……私たちは無報酬で危険な依頼に行け、命を差し出せと迫っているのだから、そう言えるかもしれないね。だからラハマは、賠償金の請求にとどめているのかもしれない」

「罪を問わないことが、報酬でいいじゃありませんか!」

「そうは言っても、彼女とて商会の一員だ。無報酬でというわけにはいかない。それに調べてみたら、彼女の雇い主はオウニ商会だけじゃない。ガドール評議会のユーリア議員、ハリマ評議会のホナミ議員も名を連ねているらしい」

「……このことが知られれば、ガドールやハリマが敵になる可能性があると?」

「なくはない。特に、ハリマとことを構えたくはない。そうでなくても、もし、彼女が本当に空賊を1人で排除した場合、報酬が出なかったことが知れ渡れば、ヤマセの信用にかかわる。我々からの依頼は報酬がでないから受けない、となられても困る」

「……そこまで考える必要、あるんですか?」

「私は他都市との交流も行う市長だからね」

「ですが、この機会を逃せば……」

「我々は、彼女の清算に拘り過ぎて、大事なイタミへの救援という目的を果たせずにいる。彼らが今受けている苦しみは、かつて我々も味わったことだ」

「わかります。……わかりますが」

 でもこの機会を逃したくはない、そう言っているようだ。

 だが、このままでは本当にイタミの住民が危ない。

 この状況をどうすべきか。市長は頭を悩ませ始めた。

 

 

 

 

 

 

「あの市長にも、困ったものね」

「いくら彼女が空賊時代に被害を与えたとはいえ、あんな要求は……」

 市長の言う通り、被害者が加害者に贖罪を求めるのは当然だが、だからといってなんでも要求していいわけではない。

 それでは、それこそ悪党や空賊と同じだ。

 だからこそ、マダムやラハマはハルカに賠償金を求めるのみにとどめている。

「でも、今の状況が続くのはよくないわ」

「ザラの言う通り。このままでは、何も事態は動かない」

「だからといって、市長の依頼を受けてハルカ1人を行かせるなんて、できるわけない」

「では、他に何か手が?」

 ケイトの質問に、レオナは応えられなかった。

 今の状況が続けば、目的地イタミの住民は苦しみ続ける。

 この状況に、他の運び屋が動き出す様子もない。

 でも、市長の依頼を受けて、ハルカ1人を行かせるなんてできない。

 彼女の口から空賊の使用している機体は推定できたものの、彼女でさえ対抗策が思い浮かばないのでは戦えない。

 会議室にいるマダム、レオナ、ザラ、ケイトは頭を悩ませる。

「……最悪、依頼を断ることも検討する必要があるわね」

 依頼を途中で放棄すれば、無論報酬はでない。

 それでも、これ以上傷を広げるよりマシとマダムは考えたのだろう。

 ふと、会議室のドアがノックされる。

「どうぞ」

「……失礼します」

 入ってきたのは渦中の人物、ハルカだった。

「あら、ハルカさんどうかした?」

 彼女は神妙な面持ちでマダムに向き合う。

「……お願いがあってきました」

「お願い?」

 ここにいる4人は、嫌な予感がした。そして間もなく、その予感が間違っていなかったと知ることになる。

 

 

「市長の依頼を受けてください。道中の空賊は、私が何とかします」

 

 

 ここに来て早々彼女は市長に痛めつけられたこともあるので、市長が来ている間は自室にいてもらったのだが、聞かれてしまっていたのだろう。

「今の状況が続けば、誰にとっても良くない結果になるだけです。私が空賊を排除しますから、依頼を受けてください」

「ハルカさん……」

「ダメだ」

 口をはさんだのはレオナだった。

「マダムと話していたんだが、いくら相手が1機でも君1人で行かせることはできない。危険が大きすぎる」

「相手の機体は推定できました」

「それでもだ。大体、勝てる見込みはあるのか?」

「……なくはない、です」

「どんな方法だ?」

「それは……」

 レオナが問うも、彼女は黙り込んだ。

 レオナの視線が鋭くなる。

「……何も考えがないのか?いや、君に限ってそれはない。つまり……」

 レオナは彼女の目の前に立った。

 

「私たちには言えない方法、ということか?」

 

 ハルカの視線が左へそれる。それは、彼女が図星のときのサインだ。

「ダメだ。隊長として、君を1人で行かせることも、危険な方法をとらせることもできない」

「空戦は、いつも危険と隣り合わせです。なら……」

「危険があることと、危険に会いに行くことは違う」

「……なら」

 彼女は、静かに言った。

 

「私は、一時的にオウニ商会の依頼から外れます」

 

「……え」

 皆が唖然とし、マダムの視線が鋭くなる。

「それは、この依頼はあなた個人で受けるということ?」

「……はい」

 マダムは立ち上がり、彼女に近づく。

「それなら問題ないでしょう?何か被害があっても、あなたたちには関係ない。……私個人の問題になります。損するも得をするのも」

 マダムは彼女を見下ろしながら、静かに言った。

 

「ハルカさん、あなた、なんでこの依頼にそこまで執着するの?」

 

 マダムは顔を近づけ、彼女の瞳を覗き込む。

「ただ罪の清算が目的、というわけじゃないわよね?」

 彼女の瞳が細かく揺れる。

 思えば、疑問がある。

 罪の清算が目的ということもあるかもしれないが、なぜ彼女は依頼を完遂するためにコトブキ飛行隊に助けを求めず、自分一人で完遂させようとするのか。

 自分の罪に仲間を巻き込みたくない、ということかもしれない。

 だが、そもそも彼女は依頼を途中で投げ出す方ではない。

 そんな彼女がオウニ商会の依頼を外れてまで、このヤマセの市長の依頼に執着するのはなぜか。

 それは恐らく、そこまでしてでも自身の手で完遂させなければならない理由があるからだ。

 マダムは、慎重に言葉を選んで話す。

 

「あなた、まだ私たちに隠していることがあるんじゃない?」

 

 彼女の瞳が左へ揺れる。

 本当に、彼女はわかりやすい。

 

「噂で聞いたのだけれど、なんでも空賊の機体には、特徴的なマーク(・・・・・・・)が描かれていたそうね」

 

 彼女が目を見開く。

 マダムは確信した。自身の推測が間違っていないことを。

「また出てくるなんて、しつこいのね」

 

「いや、まだウミワシ通商(・・・・・・)と決まったわけじゃ」

 

「ウミワシ通商?」

「……あ」

 ハルカは、内心しまったと思う。

 マダムはただ、カマをかけただけだ。

 昨今、彼女が行く先々でユーリアを襲撃しているのは旧自由博愛連合の残党だという。

 彼らの特徴的なマークは嫌でも目に焼き付けられているが、残党となった今では行動を悟られなくないのか、殆どの場合そのマークを目撃することは少ない。

 

 ならなぜ彼女はここまで執着するのか。

 

 それは、彼女の過去に密接に絡んでいる存在であった可能性。おそらくは空賊。

 彼女に関係の深い空賊で、特徴的なマークを描く。そんな組織は1つしかない。

 

 ラハマ上空に現れ、特徴的な鳥のマークを描いていた、あの組織しかない。

 

「へえ、あの空賊、ウミワシ通商の残党なの?」

 

 彼女は俯いたまま小刻みに震える。

「……ハルカ」

 レオナが催促すると、彼女は僅かに頷いた。

「なるほど、それなら私からの依頼を外れても、自分の手で片付けたいわよね」

「……仕方がないでしょう」

 彼女は絞り出すように言った。

 

「……私のせいで、この事態を招いたんですから」

 

 彼女はそのまま、つぶやくように言い始めた。

「元社長のナカイなら、多額のお金を独り占めして隠した彼なら、崩壊した組織にまた人を集めることも可能です。略奪行為に慣れた彼が、生きているなら、また空賊をやるのも自然です。逆に、彼でなければ、組織は再興できません」

「でも、社長さんはあなたがラハマ上空で倒したんじゃなかったの?」

 彼女の零戦とナカイの紫電改の死闘をレオナたちは目撃している。

「正確には、彼の乗る紫電改を撃墜しただけです。弾がなくなった上に、意識が朦朧としていたので、彼が死んだことを、はっきり確認できなかったんです……」

 機銃弾を散々撃ちこんで、いくら防弾装備があっても無事で歯すまないだろうに。

「帰還したタケノ商会のパイロットに聞いたんですが、彼らが目撃した戦闘機に描かれていたマークは、間違いなくウミワシ通商のものです。なおかつ人を集められる資金力があるのは、元社長のナカイだけ」

 彼女は会議室の扉へ向かおうとする。レオナが、彼女の左腕をつかんで止めた。

「どこへ行く?」

「……準備を始めます」

「まだマダムは、いいとも何ともいっていない!」

 

「……私はオウニ商会の依頼から一時的に外れます。……関係ないでしょう?」

 

 突き放すようにいう彼女に、レオナは少し苛立ち、叫ぶように言った。

 

「なんで私たちを頼らない!そんなに頼りないか、私たちは!?」

 

「……そんなことはないです。でも、これだけは、誰にも任せられない」

「またそうやって1人で抱え込むのか!君にもしものことがあったらどうする!君の生死は、もう君1人で決めていい物ではなくなっている!君がいなくなったら、悲しむ人はいるんだぞ!」

「これは私のせいなんです。……責任はとらないと」

 彼女はレオナに向きなおった。

「道中の空賊機は、何をしてでも絶対に排除します。だから……」

 彼女はそれ以上言えなかった。

 レオナの渾身の力を込めた右こぶしが、彼女の腹部にめり込んだ。

「ぐっ!」

 ハルカの体から力が抜け、レオナにもたれかかる。

「レ、レオナ……さん」

「悪いな」

 彼女は気を失ったように、レオナに身を任せた。

「……君を1人で行かせるなんて、できないんだ」

 珍しく力に訴えかける彼女に、ザラたちは唖然としている。

「マダム、私たちが偵察に出ます」

「……いいの?」

「私を含めて3人。まずは敵機の情報を得ます。行くのは、私とケイト、それから……、キリエ。この3人で」

「……わかったわ。でも、珍しく強引なのね」

「……こうでもしないと、彼女を止めるなんてできませんから」

「彼女はどうするの?」

「羽衣丸の一室に監禁しておきます」

「……過保護ね」

「彼女は、どんな手を使ってでも、そういいました。……このままいけばどうなるか、わかるでしょう」

 マダムはため息を吐きだした。

 

「彼女はもう、亡霊に取りつかれているべきじゃない」

 

「……そうね」

「彼女が逃げださないよう、見張りをつけてください」

「わかったわ。……気を付けて」

「はい。ケイト、出発の準備を」

「了解した」

 レオナは2人を引き連れ、羽衣丸から飛び立っていった。

 



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