灰色雀士は夢を視る (金木桂)
しおりを挟む

京椛:1

昔書いたものを試しに上げてみる試み(n回目)


 

 須賀京太郎の今日は昨日と変わらず、欠伸が出そうになるほどいつも通りだった。

 

「ロン! 立直一発ドラ5で親ッパネ!」

 

 背後で優希が和了する声が聞こえる。チラッと見てみれば振り込んだのは和のようで、淡々と点棒を麻雀卓のポケットから取り出した。

 横目に俺は再び読書に戻る。読書つっても、麻雀の教本だけど。

 

 清澄高校麻雀部はインターハイ初出場で初優勝して一躍世間の注目を集めた。数々たる強豪からもぎ取った優勝という結果に俺も嬉しかった。何たって一緒にやってきた部員が日本で一番のメンバーと証明されたのだ。そんなの嬉しくないはずがない。

 それから三週間ほど経ち、部長が染谷先輩となっても部室はインハイ前と変わらずゆるりとした空間で麻雀が行われている。まあ麻雀卓の様子は全然ゆるりとした雰囲気じゃないんだけどな。相変わらず咲の嶺上開花はバンバン飛ぶし東場は優希が手を付けられない強さになってるし和は俺の手牌を凄い当てて来るし染谷先輩は……良く分からないけど流れが悪いなとか言って副露して俺から直撃取ってくるし。まあ勝てないのは今に始まった話じゃないから良いんだ。男のプライド的には良くないけど、相手は全国トップのチームだし地方予選一日目で敗退した俺がどうにかできるはずが無い。その辺は割り切って納得してると同時に尊敬もしてる。

 

 でも、だ。

 何となくだけど、インハイを期に俺と皆には溝が出来た気がする。目には見えない、でも確かに目の前に横たわる溝。俺と他の皆じゃ性別も違うし、実力も違うし、溝が出来るのは仕方ない。理解は出来る。でも納得は別だ。

 最近じゃあまり麻雀の勉強もしなくなった。雑用が忙しいというのもあるけど何よりあまりやる気が湧かないのだ。実力だけじゃない、才能の差。それが俺と皆の間に大いに屹立している。何時しか並び立つのを諦めてしまったのかもしれない。

 

「京ちゃん。今日も片付けお願い……」

「サボったら許さんじょ犬!」

「ああ、任せとけ! 麻雀牌をピッカピカにしてやるよ!」

 

 心配を掛けないように俺は部員を見送って、雑用に勤しむ。他のメンバーは主力だから俺が一挙に雑用を引き受けるのは合理的なハズだ。

 なのに何故か、俺の心は軋んでいた。

 

/★/

 

 アラームの音で目が覚めた。布団を雑に除けて「ふわぁー」と自分でも気の抜けた可愛い声が出る。

 

 平日の朝だ。今日も朝練があるから早く部室に行かないと……。

 眠い眼を削るように擦って「んん?」と間抜けな疑問が浮かぶ。

 

 アレ。俺、こんなピンク色の布団なんて使ってなかったハズなんだけど……それに何だこの部屋。知らない家具とかグッズばっかだ。クマの人形とか化粧台、カピバラさんはいつも通りらしいけど、どう見ても現状は異常だ。まるで女子の部屋みたいだ、いや女子の部屋とか上がったことないけど。何かあんな女子部員しかいない部活に入ってるのにそういう事は一切無いし悲しくなるな俺の高校生活。俺だって欲しいよお餅大きめの彼女とかッ!!

 

 気を取り戻して、化粧台を覗いてみる。完全に俺の部屋ではないのは確定なんだけど、ならここは何処だという話になる訳で。

 紛れもない男である俺にはどう使うのか分からない化粧品に眩暈がしながら鏡を見てみる。

 普通の鏡のはずだ。なのに、どうしてだろう。全然知らない顔がある。

 

「───はえっ!?」

 

 具体的に、鏡には金髪の女の子が映っていた。あべしっ。俺の精神は折れた。

 

/★/

 

 親曰く「あらあら? まるで突然女の子になっちゃったみたいなこと言うわね? 京椛は昔から女の子だったわよ?」らしい。昔から女の子だった? 冗談じゃないって、俺は男だったって。

 とすれば、俺は別の世界の自分に憑依してしまったのか? それも『須賀京太郎(すがきょうたろう)』が『須賀京椛(すがきょうか)』である、そんな世界に。

 いや、どうなんだそれは。夢という線も全然ある、けど全然覚める様子は無いし頬を抓っても痛い。何というか、夢みたいだけど現実みたいな感覚なんだ。ふわふわとした浮遊感も無ければ意識もハッキリしてるし、明晰夢かもしれないけどそれでもこの感覚がとんでもなく現実みたいだ。

 

「にしてもこればっかりは慣れないなぁ……一体どうしちまったんだか」

 

 女子の制服に身を包んだ自分の姿を見て溜息を吐いた。俺の姿は何と言うか、自分でも言うのもナルシストみたいで嫌だけど、控え目に美少女そのものだった。龍門渕高校の大将だった天江衣……よりは流石に大人びているし身長も大きいけど、例えるならそれが一番似ているかもしれない。しかも胸もある。流石にこんな道の真ん中で触る気は無いけど、てかそうじゃなくても敢えて触る気は無いけど。今まで中学の部活で出来た胸筋がちょっと残るくらいだった胸が富士山並みの山脈を築き上げている。K2クラスのお餅ホルダーの和には全然及ばないけどな。

 

「あ、京ちゃん~」

 

 振り返れば咲が後ろから小走りでこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。良かった、咲はここでも何も変わっていないらしい。

 

「おう咲。おはよう」

「おはよう。……なんか今日の京ちゃん、いつもと違うね」

「えっ!? そ、そうか?」

「うん。なんか普段より若干言葉遣いが男の子っぽいかな」

 

 そりゃそうだろ。男だし。と、素面で返せたらどれだけ楽なんだかな。にしてもこの世界の俺は見た目通り、女の子の言葉遣いで喋るんだろうか。でも若干って言ってるしなぁ。

 咲はその辺疑問に思ったのか首を傾げると「でもまあ、京ちゃんだからしょうがないか」と何でか納得した。何その納得の仕方、嫌すぎる。

 

「べ、別にいつも通りだろ? そ、それよりどうなんだ最近?」

「どうしたのそんな親戚の不器用なおじさんみたいな聞き方して……。ただインハイ予選まであと三週間なんだよね……何だろう。今から緊張してきた」

「三週間? ……ああ、咲なら大丈夫だ。心配ないさ」

 

 少し青い顔をした咲の頭をポンポンと叩く。大丈夫だろ。なんせお前ってインハイ全国大会制覇チームの大将なんだからな。

 それよか気になることを聞いた。インハイまで後三週間? ってことはつまり、今はまだ五月の初旬ってことか? 勝手に今は九月と思ってたけどどうにも違うっぽいな。

 

「……むう。京ちゃんがいつもよりイケメンなこと言ってる」

「イケメンって……。別に事実だろ、咲はこの清澄高校でトップクラスの打ち手なんだから怖気づく必要ないさ。気軽に行こうぜ気軽に」

「そんな他人事みたいに……。そもそも京ちゃん私より強いじゃん」

「へ? いやいや無いって! 俺が咲より強いとかありえないって!」

 

 ボソリと呟く咲に反論する。俺が咲に勝つ? 無いだろ常識的に考えて。こちとら天下無勝の初心者だぞ? 部内の対局で一位なんて取ったことが無い。勝てる要素が一ミリも無ければドベが俺の定位置なまである。実力では部内でも底を突き抜ける勢いで最下位、悲しきかな俺の雀力。

 でも何故か頬を膨らませて咲は俺の頬を抓んできた。地味に痛いからなそれ!

 

「ほへ……!? コノヤロ咲、やったなこのー!」

「ちょっ、ひょおいじらひゃいでぇ……!?」

 

 正当防衛だから法律的にもセーフ。だけど顔を赤くして少し涙目になるのは止めてくれ! 俺が虐めてるみたいになるから……!

 

「……京ちゃんの意地悪」

「先に仕掛けてきたのは咲が最初だろ? 目には目を、歯には歯を、頬には頬を。これは正当な権利だぜ?」

「ううっ。そんなこと言うならこっちだってこの件は麻雀に持ち越すから……覚悟してて?」

「ごめんなさい。本当に謝るのでまた焼き鳥にするのは勘弁してください……!!」

 

 ヤバい、完全に捕捉された。魔王も斯くやといった腕前の咲によるボコボコ宣言に、清澄面子と打ち慣れたさしもの俺も直ぐに謝罪してしまう。そこに男のプライドなんてない。プライドじゃ点棒は守れないんだ。まあ今の俺男じゃないけど。

 謝る俺に「やっぱり京ちゃん、なんかいつもと違うな……」とポツリと咲は呟いた。

 

/★/

 

 

 特に何もなく放課後になった。

 この姿の俺はやはり男とではなく女の子と仲が良くて、そこに戸惑うことはあれど何とか話題に付いていけたのは女としての記憶が体に染みついているからだろうか。思えば着替えとかでも戸惑わなかったし、そういうことなのかもしれない。

 

「何ボーっとしてるんだじぇ! 次は京椛が座る番だじょ!」

「あ、ああ。すまん」

 

 促されて俺は麻雀卓に着く。いつもと違い、俺が女であるということもあるのか優希は俺を犬扱いしない。その事実に些か違和感を覚えながらも卓を見る。

 

 部内での関係性は女となっても大して変わらないらしい。ただ、卓に着いた3人から剣呑と睨まれるのを除けば。ちょっと? 俺、そんな強くないッスからね?

 

 何せこの豪華な清澄の面子。上家に部長、下家に和、そして対面に咲。いや~全く勝てる気がしない。微塵もしない。いつも通りながら宝くじで一等当てる方が簡単に思えてしまうほどだ。

 

 既に引退した部長が座ってるのには違和感があるけど、今が5月なら当然だろう。全くもつて理解は追いつかないけど、それはそれてして。

 

 咲は、珍しくニヤリと口を開いた。

 

「京ちゃん、朝のこと覚えてるよね?」

「俺謝ったよな!? 謝罪だけじゃ駄目なのか!?」

「そこはほら、点棒で語らないと」

 

 点棒で語るってなに? もしかしなくとも俺からむしり取るって意味か? そんなのいつものことだろ!

 反発していると部長が視線を此方に向けた。

 

「なになに~? 二人だけで面白そうな話してないで部長にも聞かせてくれないかしら?」

「そんな面白い話じゃないですって! ただ朝咲が頬を抓ってきたんでやり返したら咲が拗ねてるんですよ」

「あら。それで咲はあんなやる気なのね」

 

 ふ~ん、と興味を失ったみたいに視線が外れる。助けてくれるわけじゃなかったんですかね!?

 

「あの、早く始めませんか? 染谷先輩はまだ今日一回も打ってませんし、まずは早く一周しましょう」

「ええ。和の言う通りね、じゃあ始めましょ」

 

 部長のその言葉で場に熱が滾る。無機質な麻雀卓がさながら地獄の窯みたいにマグマで煮えて沸騰しているように見える。相変わらず恐ろしい熱量だ……!

 だけど、不思議な事にいつもより俺の中では立ち向かう意思が高まっていた。ゴジラに襲来された都心みたいに蹂躙されるのに、倒産間近の銀行みたいに点棒を吐き続けるのに、俺の中で戦意が溢れる。加熱する卓とシンクロするように。

 

 

 

 ───あ、アレ?

 

 

 

 東場一局、10巡目で俺は異変に気付く。いつもより思考が透き通ってて、何だかまるで牌が意識を持った一つの生物みたいに見えてきた。ツモ牌も不規則のはずなのにまるでその牌が手元に来る理由が存在するみたいにぬるぬると有効牌をツモる。おかしい。こんなの俺のいつもの対局じゃありえない。何だろうこれは。まるで強者相手に牌が獰猛な牙を剥いて呻っているようだ。

 

 

 ───そして、咆哮した

 

 

「……ロン!! 三色同刻三暗刻ドラ2、12000!」

「……初っ端からやるわね須賀さん」

 

 あり得ないくらい珍しい役まで含めて軽快に和了してしまった。こんなの普段ならあり得ない。あり得ないけど……反面今の俺なら“当然”と思ってしまう自分もいる。なるほど、咲が朝俺の方が強いとか言ってた理由が何となく分かった。

 これが須賀京椛としての、俺の実力……!

 

/★/

 

 結果から言えば俺は負けた。一位は咲で、二位に俺。トップとの差は須賀京太郎なら考えられない、たったの2600点だけだ。三位に和、そして最下位に部長だった。

 

「うーん……」

「どうしたんですか宮永さん?」

 

 咲は勝ったというのに、何故か不満げに河を見ていた。見兼ねて和が声を掛ける。

 

「は、原村さん……ううん。何でもないよ。ね、京ちゃん」

「あ、ああ。そうだな」

 

 俺は微かに震えながら頷く。可憐に微笑む幼馴染だけどその目は語っていた。『次はツブス』と。……帰って良いですか?

 

「ええけぇ、次はワシじゃ」

「ええ、私はまこと交代ね」

 

 部長と染谷先輩が変わるとそのままいつも通り、ローテーションで打ち続ける。いや、俺がいつも通りというのはちょっとおかしいかもな。俺はいつもこの輪には入ってなかった。入っても最初の一回二回で、実力不足で南場途中で飛んでしまう俺は次第に麻雀の基礎本を読みふけるようになったのだ。だからこの場で打てるのが少し楽しい、肩を並べられているという事実がこの上なく嬉しい。

 

「須賀さんはどうして今日はリーチをしないんですか?」

 

 ローテで余った者同士観戦していると、さっきから気になっていたんですけど、と前置きをした上で和が俺に聞いてきた。どうして、と言われると困るけど……。

 

「何て言うんだろうな……、言葉にし辛いんだけど、リーチしたら折れる気がするんだよな」

「折れる、ですか?」

「オカルト的に言うと流れってやつなんだろうけど……それが俺の意図的なリーチで崩れる気がしたんだ」

「そんなオカルトあり得ません。宮永さんと違って須賀さんは初心者なんですから先ずは基本的な立ち回りをした方が良いと思います」

 

 って言われても、その結果が個人の県予選敗退だからなぁ。それにこの打ち方は須賀京太郎、つまり俺のそれより圧倒的に強い。それは先程の対局で証明されてる。でも何なんだろうなコレ、まさか性別が変わったくらいで才能が芽生えるはずも無いし。

 

 

 打っている内に下校時間となった。全員で片付けを行い、その中で牌譜を整理する。数えてみたら俺は今日の総合では二位、ありえない数字だ。一回の半荘なら偶然三位や二位を拾うことはあっても、総合だと絶対にドベだ。それは絶対に覆らない。実力的にも妥当なものだと思う、俺と違って皆は強いのだから。

 

「今日は須賀さん、振るわなかったわね」

「ぶ、部長……!?」

 

 いつの間にか横から覗いていた部長がふんふんと俺の手元にある牌譜を読んでいた。必然的に俺と部長の身体が当たる、長い髪の毛が鼻孔に流れ込む。良い香りがする……けど、それだけだった。いつもなら絶対に動揺すること請け合いなのに、全く動揺することがない自分が少し気持ち悪い気もする。もしかして今の身体が女の子のそれだからなのか……?

 

「須賀さんいつもはもっと圧倒的じゃない。なのに今日はリーチすらしないし……もしかして何かあった?」

 

 相談になるわよ、とサラリと言ってしまう部長にやっぱり学生議会長なんだよなぁと感慨すら覚えてしまう。無茶苦茶頼りになるんだよなこの人、ただ人使い馬鹿荒いけど……!

 でも話すわけにはいかないだろう。まさか『今朝起きたら女の子になっててしかも時間も数か月戻ってましたどうしましょう部長!』なんて言う訳にもいかないよな。

 

「い、いやー、何にもないですよ。呆れるくらいに何にもないです、ハハハ」

「ふーーーーん、そう。ならいいけど……」

 

 怪訝そうな表情をしながらも部長は麻雀牌を磨いている咲の方へ行った。誤魔化したか? ……うーん、部長勘が鋭いからな。

 

 それから完全下校時刻になって途中まで同じ方向だった咲と帰路に着き、良く分からない内に一日が終わる。ベッドに潜りながら俺は暗い部屋であの感覚を思い出す。

 麻雀の才能なんて俺は人並みにしかなかったはずなのに、感覚的に打っていた俺の指。知らない感覚なのにスルリと俺の心の中に染みていた。

 正直打たされてる感もあったけど楽しかったのも事実。こんな能力が俺にもあればきっと県予選で敗退することもなかったんだろうな、とか流石にそれは無いものねだりでしかないか。

 

 明日起きたら俺はどうなっているんだろう。またこの姿で一日が続くのか、それとも須賀京太郎に戻っているのか。

 

 不安とも似た情動を抑えつけている内に俺は眠ってしまっていた。

 





麻雀はクソ雑魚物書きですので描写はナシ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

京太郎:2

 

 アラームで目が覚めると真っ先に部屋を見回した。あんまり寝付けなかったんだけど何時の間にか眠っていたらしいな。

 部屋は俺の慣れしたんだ空間で、念入りに確認してホッとした。はっとして自分の身体を確認する。お餅が無い、つまり男だ。いや何言ってるんだ俺、とツッコミたくなるけどもそれ以上に安堵感が強い。

 

 

 ───アレは夢だったんだろうか?

 

 

 思い返すのは昨日、じゃなくて夢の中の自分の姿。我ながら可愛かったな……ってこの思考マズくないか? 女装癖のあるナルシストみたいになっちゃってる。確かに可愛いかったけども、俺好みの美少女だったけども、って自画自賛してんじゃねえよ俺……!!

 

「……そういや今日も朝練あるっけか」

 

 取り敢えず落ち着こう。朝飯を食べて、顔を洗って、考えるのはそれからだ。それから考えよう。

 

/☆/

 

 九月上旬。激闘を制した(のは俺ではないが)夏休みが終わり、二学期。

 

 周囲の麻雀部への評価とかは無茶苦茶鰻上りだったり入部志願者も数人来たりはしたけど、俺の生活には特に変化はなかった。全員新部長である染谷先輩が行った入部テストに落ちたからだ。その内容は、前部長を除いた女子部員4人と打って生き残るというもので志望者の誰もが焼き鳥&箱割れに終わった。後に聞いた話では染谷先輩は一回和了しても合格とする気だったらしいけどまあ無理だろうなと思った。

 

 生き残る、という条件を最初に聞いてしまえば端っからオリ前提の打ち方をしてしまう。そもそも相手は全国優勝チームで、普通に打って和了するのだって難しいのに。

 

 そんなこんなあって、朝練をして、授業を受けて、放課後にまた打ったり本を読んだりして、片付けをして終える。そんな変わらないルーティンが続いてるわけだ。

 

 ただ、あの夏以来俺の中で麻雀への向上心というか、『強くなりたい』という気持ちがどこか薄れていたのは事実だった。俺は弱い。とんでもなく弱い。どうやったって皆とは対等の舞台に立つことは叶わない。枯れ葉が吹き込んで冷たくなった心は身体を包んで、部活動で強くなるため行っている練習もどうしようもなく作業的になってしまった。俺はただの機械だ、牌をツモって捨てるだけの存在。

 

 ───クソッ。

 

 そう諦めていたのに、俺は皆のサポートに徹しようとしていたのに、あの夢はなんなんだ? まるで火薬の湿気った俺を嘲笑うみたいにあんな夢を見せられて今更なにをしろと?

 

 十分に努力したとは確かに言えないのかもしれない。牌効率はまだ完全ではないし、相手の待ち牌を読むのだって俺は上手く行くことの方が少ない。だけどアマチュアならそれが普通だろ? そんなの出来たらプロレベル、咲たちと同じ舞台の登場人物だ。

 

 けど、そんな不完全な俺でも一つ分かることがある。

 仮に牌効率が上手くなってデジタル打ちを極めたとして、俺は絶対に皆に勝てない。勝てるビジョンが視えない。俺が年単位で努力したって皆は更に先へ行く。一生掛かっても追い付けない。北斗星は遠すぎてこの小さな右手じゃ掴めないんだ。

 

 分かってる、努力の差だけじゃない。才能の差があるから余計に霞んで見えないほど遠いんだ。

 

 なのに今更、皆と肩を並べて対等に打っている夢を見せられてもどうしろと? へこたれずに努力をしろと? 

 

 冗談じゃない。冗談じゃねえよそんなの。

 

「京ちゃん? どうかしたの?」

「……いや、悪い咲。何でもない」

 

 休み時間だと言うのにわざわざ他クラスから来ていた咲に笑顔で返す。そんなに顔に出ちゃってたか……本当にしっかりしなきゃな。夢は夢だ。シャキリとしねえと……!

 

「それより何か用か? 違うクラスだろ咲は」

「う、うん。数学の教科書忘れちゃって……」

「数学? まああるけどさ……うーん、しょうがねえな……。俺も六限に数学あるから次の休み時間に返せよ?」

「ありがと京ちゃん」

 

 ロッカーから数学の教科書を取り出すと咲は大事そうに受け取って、ひょこひょこと小動物みたいに人目を避けて教室から出て行ってしまった。何だ、ホントに教科書無かっただけか。

 その小さな背中なウサギみたいな後ろ姿を彷彿とさせるけど咲の麻雀の実力は本物だ。俺の幼馴染の宮永咲は普段読書をしていて大人しめの女子高生なんだけど、一度麻雀卓に着けば全国トップの打ち手と変貌する。それこそ団体全国優勝の立役者であり個人戦でもベスト4入りしたその実力は誰しもが疑いようがないくらい圧倒的だ。我が幼馴染ながらその見た目とのギャップが凄い。中学時代は普通の文学少女だったんだけどな……。

 当然というかあり得ないと言うべきか、俺は咲と同じ卓を囲んで咲より上の順位になった記憶が無い。麻雀、運要素大きいはずなんですけどねえ……。そんな彼女の得意役は嶺上開花。その和了確率は0.28%。それを1回の半荘で3回も4回も上がって来ちゃうのが咲だ。たま~に打ってると「アレ? 俺って咲とおんなじゲーム今やってんのか?」と疑問に覚えちゃうくらい咲の背中は遠大だったりする。

 

 さておき。

 

 これと言って何もなく時間は流れて、五限と六限が過ぎ放課後。

 当番の教室掃除を終えると俺は普段と同じく部室棟に足を運ぶ。……おっ。アレは優希だな、よし。

 

「よ、優希。これから部室か?」

「ぎょわ!? 京太郎!? 背後から驚かすなんて犬畜生のくせに卑怯だじぇ!」

「俺は犬じゃねえよ!」

 

 タコスを買ってご機嫌そうに前を歩いていた優希に声を掛けると意識外だったのか凄いビビったみたいで肩を大きく一度震わせた。

 

「あれれ~優希さん。今日もタコスって……先月はインハイ中に東京観光したりタコス食べすぎたりして金が無いから九月こそ間食はタコス禁するとか言ってなかったか~?」

「い、言ってないじょ! 言ってない言ってない! そんなことを言うなんて京太郎の脳味噌は70歳並みに老化しちゃってるな! そんな哀れな京太郎にはアルツハイマー対策にこの麻雀ドリルをオススメするじぇ! ほらやるじぇ!」

「何だと~! てかそれお前が染谷先輩から宿題で渡されてたやつだろ! 自分で解け!」

「げ、バレたじぇ。残念な京太郎なら嬉々として解いてくれると思ったのに」

「バレてなくても解かねえよ!!」

 

 と、開き直る優希の頭頂部に軽くチョップを叩きこむ。「何するじぇ犬! 飼い主に逆らうなんて躾がなってないんだじょ」とか宣わってきたのを「飼い主云々以前に俺はペットじゃねえって何度言えばいいんだ俺!」とツッコミつつ、優希のことをザっと眺めてみる。

 

 その身体は咲よりも小さく小柄だけど咲とは違って活発的で、そして麻雀に関しては清澄高校のポイントゲッターの一人を担っていた。特に東場の爆発力は全国一レベルで、それこそ全国レベルの相手でないと東場で箱割れさせられて他の追随を許さず勝ってしまうことも多い。俺はと言えばこの数か月打って優希の打ち筋に慣れたからか、聴牌気配を感じたらベタ下りをすれば何とか飛ばないくらいで相手することが出来る……勿論それでも4回に1回は飛ぶけど。というか全国以後はもっと頻繁に飛んでるし。タコスヤバい。ちなみに更に咲がその卓に入った場合4回に3回飛ぶ。大気圏とかそろそろ突破して宇宙に行っちゃうレベル。身内ながらパネェよ全国一位チーム……!

 

 優希は叩かれた頭を軽く撫でて、取り出した麻雀ドリルを仕舞いながら口を開いた。

 

「まあ真面目な話、私は良いんだじぇ。この秋冬は京太郎の番だ」

「え? 俺? それ何の話だ?」

「勿論麻雀の話だじぇ。ほら、私たちは夏忙しくて京太郎のことを置いてけぼりにして練習してたから、京太郎は全然麻雀強くなれなかっただろ? だからこれからはこの天才雀士である優希様が京太郎を育ててやるんだじぇ。秋季大会は部長……じゃなくて、竹井先輩が引退しちゃったから団体は出場資格が無いしいい機会だじょ」

「あー。今女子部員四人だもんな。男子部員はもっと少ない一人だけど」

 

 インハイだって一人でも欠けてたら団体では出れなかったんだよな。優希、染谷先輩、和、部長、咲というたった五人のメンバーで名立たる強豪相手に勝ち上がって行ったんだ。でも部長が公式に引退して四人。先鋒は不戦敗で次鋒から出場、なんてスポーツの団体戦みたいな小細工が麻雀で出来る訳もなく欠場が確定している。『この面子なら四人でも秋の中部大会で十分戦える思うたんじゃけど残念じゃのぉ』と新部長も嘆いていた。俺もそう思う。

 

「でも団体は出れないっつっても個人戦はあるだろ? 俺のことなんか次で良いって、いやー全国トップの選手から教えられるだけで俺は幸運だって」

「……京太郎は強くなりたくないのか?」

 

 優希は立ち止まって俺の双眸をジッと見つめた。自然と身長差から優希は俺を見上げる形になる。

 

 強くなりたくないか?

 そんなのなりたいに決まってる。男女共同参画のこのご時世に古いかもしれないけど、やっぱり可愛い女の子に負けるのは応えるし、それに俺も皆と肩を揃えて並び立ちたいと思ってしまうのはきっと普遍的な願望だ。

 

 でもそれをするには高すぎるハードルが間に挟まっている。それこそ努力では決して補えないような才能の差。天才と凡才。俺は間違いなく後者だ。だがそんな言葉を今この場で優希に吐き出すのは、なんか情けないとか思ってしまった。

 

「んなの決まってんだろ? 俺だって次こそは優勝して清澄唯一の雑魚野郎扱いから脱却してやるんだよ!」

「そう来なくっちゃ! だじょ! 今日から私がみっちりしごき倒してやるから覚悟するじぇ!」

 

 快活に言い放つ優希に俺は笑みを浮かべる。優希は俺のことを思って言ってるんだろうな……心がもう折れているなんて知らずに。

 果たして、今、俺は上手く笑えているだろうか。

 

/☆/

 

 夢は所詮夢だった。

 無意識に少し期待してたのかもしれない。もしかしたらあの夢は正夢で、あの感覚は本物で、俺には麻雀の才能が宿ったのだと。まあ現実は全然そんなことが無かった訳だけど。

 

 本日の対局も呆れるくらいにはいつも通りだった。優希にはボコられ、染谷先輩にはバカスカと鳴かれ、和には両面待ちだった俺の待ち牌を全部ホールドされて、咲からは大明槓&嶺上開花からの責任払いでジ・エンド。飛びました。はい。勝てないだろこんなの。

 その後も有言実行した優希が付きっ切りで教えてくれた……のは良いけど、言ってることが少し感覚的過ぎてちょっと俺には分からなかった。90%くらい分からなかった。見兼ねた和が優希の補足、というか通訳をしてくれたおかげで80%は理解出来たからもう一戦したんだけど今度は咲に嶺上抜き数え役満の直撃を喰らって普通に箱を割った。本人は優しいからそんなことは無いと思うけど、何だか嶺上開花すら俺には必要無いって言われてるみたいで凹む。いや実際必要ないんだろうけどさ。てか嶺上開花抜きの方が手加減ってなんかおかしくね? 今更だけどさ。

 

 そんな経緯もあって俺は凹みながら下校の帰路に就いていた。午後七時、長野の田園風景は既に影に沈んでいた。

 

 チャラけながら考えてみたけど、正直かなり心にくる。電動ドリルで岩窟を掘削しているみたいに心の表面にある外部装甲が壊れているのだ。自分で自覚できちゃうレベルって相当ヤバいところまで来てるんだろうな、これ。

 麻雀は好きだ。といっても初めて数か月程度しか経ってないけど。しかし、ここのとこ毎日牌を見ると自分でも驚くくらい嫌な気分になる。体内に沈殿したヘドロが汗腺を通して皮膚から滲んでくる感覚。辞めればいいのにとも思うけど、それは一生懸命春から忙しい合間を縫って俺に基礎を教えてくれた皆に申し訳なくて、それに俺自身も未だ麻雀が好きで。二重三重に雁字搦めになった強剛な鎖は俺を縛っていた。

 

 ……はあ。どうすりゃいいんだろうな。

 吐いた溜息は闇に溶けた。

 

 

 

 

/#/

 

 宮永咲は文学少女である。麻雀では相手をフルボッコにしながらも「麻雀って楽しいよね!」「一緒に楽しもうよ!」「誰だよテメーは。いきなり現れて好き勝手言ってんじゃねーぞ」と精神的にもフルボッコにしたりしなかったりするただの女子高生だが、麻雀卓を離れればどこにでもいる気弱な女の子である。クラスでも陰にいることが多く、それ故に友達と呼べる存在は少ない。

 

 そんな咲には無二無三の幼馴染がいる。それが須賀京太郎だ。咲の唯一の家族以外の異性の知り合いと言える彼は、何と言うか、まあ、咲からしてみても極一般的な男子高生だった。人並みに色恋に興味があって(といっても原村和のお餅にばかり着目してる気もするが)、人並みより少し優しくて(優希からの命令に怒ったりすることはせず毎回タコスを学食までお使いに行ってるし……)、人並みよりかなり容姿が良くて(テレビをあまり見ない咲にはそれがモデル並みとか俳優並みとか俗的な評価は下せなかったが)、そして人並み以上に咲の理解者だった。最近は原村家の和さんとも仲が良いが同性なのでそれはここでは置いておく。IPS細胞? そんなオカルトありえません!

 

 だが最近京太郎の元気が無いのに咲は気付いていた。部活中は何だか意識が上の空で、卓を囲んでるときなんかそれが顕著だ。明らかに無為に打ってるなぁ、と後ろからチラリと様子を伺いながら。

 

(京ちゃんなんだろ……今年は暑かったし夏バテかな?)

 

 例年より平均気温が0.2度高いらしい。この長野の盆地の夏はサウナみたいな暑さが地域一帯を包む。インハイで行った都心も暑かったが、やっぱり地元はその比ではないし幾ら体育会系出身の高校男子と言えどバテても無理はない気がする。

 うん、後でスポーツドリンクでも差し入れようかな。

 少し心配げな視線はそのままで咲がそう結論付けていると。

 

「咲さん、どうかしましたか?」

「和ちゃん……ううん、何でもないよ」

 

 咲と同じく観戦側だった和は咲が一点、京太郎の方を見つめているのに気づいて少し不思議そうに声を掛けた。咲には幸いと言うべきか、和は咲が京太郎の手牌を見ていると思って自身もそれに倣う形で観察してみる。現在卓を囲むのは須賀京太郎、染谷まこ、片岡優希、ついでの受験の息抜きに遊びに来ていた竹井久の4人。言うまでもなく最下位は京太郎。一位は前部長の久だが二位の現部長であるまこと僅差で、奇しくも新旧部長対決となっていた。少し離れて三位の優希は既に自身の東場の親番がまこの軽めの和了(喰いタン)で流されたので失速気味である。

 

「須賀くん、しっかり練習の効果が出てますね。今のは当たり牌を絞り込んで意識的にまこさんの待ち牌を回避してました」

 

 まこが久から満貫手を出上がりすると、和は対局者の集中を妨げないように小声で咲に言った。だが咲が気になっていたのは京太郎の闘牌ではなく体調だったので一瞬思考が固まる。しかしそこから直ぐに和の言ってることを理解するあたりは流石全国覇者チームのエースだろう。

 

「え、うん、そうだね。五月のときはフリテン罰符とかしちゃってたけど京ちゃんも成長してるんだよね……」

 

 フリテンでしかも役無しなのにロン上がりしちゃって「え、俺またなんかやっちゃいました?」と困惑しながら言っていた彼の面影は最早無い。……いや、今でも結構複雑な形になると見逃して向聴数を下げちゃうこともあるから無いことはないかー、と雛鳥を見守る親鳥みたいな気分で咲はじゃらじゃらと手牌を真ん中へ押し寄せる京太郎の様を見つめる。

 

 可愛げのあるミスは今でも残るが、確かに京太郎の成長は見てて楽しくなる。呑み込みが早いとか物覚えが良いとかそんなことはないし牌に愛されている訳でもないのだが、それでも順当に成長していく様子に咲は言葉にはしないが感心していた。言葉にはしないが。それを言ったが最後絶対に調子に乗って秋季大会も失敗する、なんて確信を咲は長年付き合ってきた幼馴染として持っていたのである。幼馴染の少女からイマイチ信用されていない京太郎である。

 一方で京太郎には全国を一緒に戦ったメンバーとか、或いはそこで戦った相手みたいに稀なる麻雀の才能が無いことも分かっていた。これはなにも嶺上開花を連発しまくるみたいな不思議な力だけの話じゃない。例えば全国の二回戦と準決勝で戦った姫松高校の大将、末原恭子はそういう力を持っていなかった。しかし彼女の攻守において全国レベルの麻雀力に加えて忍耐力、優れた頭脳から引き出される分析力、判断力に対応力は咲でさえももう一度戦うのは厳しいと言わしめるほどの人傑だ。比較対象が悪いかもしれないが、それにしても京太郎はそんな明確な強者といえる彼女より五段も六段も劣っている。頭は悪い方ではないが物凄い良いわけでもなく、役満が出来そうなら状況関係なく狙うから忍耐力はお察し。麻雀力? 初心者ですけど何か?

 

 厳しいことを言えば京太郎は麻雀では大成しないだろうと咲は思っている。残酷ながら、麻雀とは実力の世界。努力とセンスと才能が幅を利かせる競技で、スポーツと同じ。初心者がジャイアントキリングを起こせるようには作られていないのだ。

 

「……和ちゃん、私ちょっと購買行ってくるね」

「何か買うんですか?」

「うん。冷たい飲み物が欲しいかなって」

「そうですか、確かにまだ暑いですからね。気を付けて行ってきてください」

「うん、ありがと和ちゃん」

 

 咲は部室から出ると九月の熱気が溢れんばかりに襲い掛かる。とても熱い。そういえば今日も最高気温が35度とか言っていた気がする。

 

(───京ちゃん、なんか、可哀想だな)

 

 セミが騒々しく鳴き乱れる誰も居ない廊下で一人。牌に愛された少女は、牌を愛しても愛されない京太郎のことを思って悲しくなった。 

 




京太郎強化SSが恋しいですね…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

京椛:3

 朝起きたら美少女になってた。

 

「………………………………あ、夢か」

 

 一分くらいたっぷり時間を使って覚醒すると、漸く俺の中で受け入れの体制が形成される。何か、この変な夢とかもう何回か見てるってのにこの瞬間だけは全然慣れないな。

 

 具体的に、この夢はもう9回目になる。9回というべきか9日というべきか。ここずっと、寝るたびに須賀京椛となって夢の中で一日を過ごすようになっていた。

 

 須賀京太郎として清澄高校に通って、帰って寝て、起きたら今度は須賀京椛として清澄高校に通う。こうしてシンプルに整理してみるとちょっと自分でも訳分からなくなりそうだ。実際現実では九月なのに夢の中は五月だから本当にこんがらがるんだよなぁ。春なのに夏服で行きかけたり、逆に夏なのに春服で行きかけたり。そもそも性別が違うってどういうことなんですかね……。

 

 自分で言うのも何だけど、この9日間(合わせれば18日間)で俺はどうにも徐々に夢と現実が曖昧模糊になりつつあるようだった。この二つの世界を交互に繰り返すたびに境界線が希薄になって行くのを感じる。考えてみりゃ当たり前だ、周囲の環境は同じで違うのは俺の性別と麻雀の腕くらいだし。性別だって何故かは謎だけど夢の中だと自分が女であるという違和感が殆どない。意味分からん。現実に戻ると激辛カレーの如く違和感の波が後から立ってくるんだけど……こればっかりは考えても分からん。数学の公式と一緒で、理解はできないけどこの公式を覚えれば問題は解けるから取り敢えず記憶したみたいな感じ。ん、それはちょっと違うか。

 

「さて、着替えて朝練か!」

 

 気を取り直した俺は、早速制服の袖を通した。

 

/★/

 

 

 京太郎ではなく京椛のここ3日の戦績を語ろうと思う。

 京椛としての俺は日に20局前後打つのだが、驚くべきことにトップ率4割。2位率は3割をマークする化け物級の雀士になっていた。かもしたらインハイ決勝で天和を見せた優希とも互角で渡り合える可能性すらある、我ながら頭おかしいほどの実力を秘めた女子高生になっちゃったのだ。

 

 当然そんな俺は部長にも主戦力どころか裏エースみたいに思っていたらしく団体戦では大将に据える予定だと話をされた。代わりに染谷先輩が外れて、優希が先鋒。次鋒が現実でのオーダーとは一つズレて和、中堅が部長。そして大魔王である咲が副将というから驚きだ。どういう意図があるのかと問えば、部長曰く「優希にはポイントゲッターになってもらって開幕からチームを勢いづけさせてほしいのよ。それで和と私がそのリードを守りつつ堅実に上乗せする。それで咲と京椛、貴方たちには存分に暴れちゃいなさい! それでゲームセットよ! 行ける、行けるわよ全国!」と若干興奮しながら言っていた。うん、まあ行けると思うよ全国、須賀さんもそう思う。

 

 ただ部長はメンバー表を公表する前に染谷先輩をメンバーから外してしまったのを少し気にしていたようで、少し言いづらそうにしていた。そんな部長の心が分かっていたのか染谷先輩はまだ来年があるからと気高く言い放ち、この夏はサポートに専念すると宣言したのだ。何といいますか、非常に申し訳ない。本来俺はいないはずだったんだし……でもこれ夢だし良いよな? 夢でくらい少しは良い思いがしたいって、現実なんて俺ホント何もしてなかったし。許してくれ染谷先輩……!

 

 他にもいろいろあったが割愛して、現在。夢の中ではインハイ予選を二週間弱後に控え、ひたすらに実践あるのみの毎日。俺も他の面子の表情も何時になく真剣だ。

 

「それロン! タンヤオ平和三色ドラ2で跳満18000!」

「ありゃー、引っかかるんかそれ……」

 

 染谷先輩の捨て牌を直撃させて終局。一位から順に俺、部長、染谷先輩、優希だった。

 

「クッ……! 焼き鳥だじぇ……!」

 

 優希の東場での怖さを俺は無茶苦茶知っている。だから東場はサラッと屑手と差し込みで流したんだよな。コイツ、一回和了するとあの咲でも中々止めらんないし。まさに東場の点棒ハリケーンだ。

 

「やっぱり強いわね京椛は。逃げ切れると思ったんだけど追いつかれるなんてね」

「いやー偶然ですよ偶然。俺だって感覚で打ってますし」

「それよそれ。京椛の言う感覚っていうのは四月から目にしてるけど相変わらず出鱈目ね。本当に初心者だったの? 実はネットでは名の知れたプレイヤーだったりしないわよね?」

「違いますって。ホントに初心者ですよ俺」

 

 と言っても初めてもう六ヶ月くらいは経ってるけどな。ただ皆と比べたら圧倒的に経験が少ないのは言うまでもない。

 

「須賀さん。この打ち方は何ですか? 特に今のオーラスは意味が分かりません。一巡目から染め手狙いでもないのに浮いた五筒(ウーピン)を打って、それからもその巡目では面子になる可能性のある牌を手出しで切ってましたよね。どう考えても非効率です」

「えっと、うん。俺も分からない」

「ふざけてるんですか? それに立直をすればその手、裏ドラの期待値が発生して倍満になる可能性がありましたよね? 何でやらないんです?」

「立直したら流れが崩れて負ける気がしたんだ」

「そんなのありえません!」

 

 和は俺のことがどうやら気に入らないみたいで、度々こうして俺へと突っかかってくる。それもそれで可愛いんだけど……ってまあ恋愛意識がある訳じゃないけどな。現状女であるからか、そういった邪な思考は先っちょも出てこない。……俺って男だよな? なんか凄い不安になってきたぞ。

 

 俺へと詰め寄る和にその横で苦笑いする咲。見兼ねた部長がパンパンと手を打ち鳴らした。

 

「はいはい時間が勿体ないから交代する! 京椛と和は入れ替わりね!」

 

 助かった……俺ああやって和に詰められた経験が夢以外で無いからどうすれば良いか分からないんだよな。

 席を和に譲って立ち上がって伸びを一回。これが一番効率良く数をこなす方法とは言え四連戦もすると流石に頭が疲れるな……!

 

「お疲れ京ちゃん。はい水」

「お、サンキュ咲。くぅ~! やっぱ頭脳労働の後の冷たい飲み物はシャキッとして別格だな!」

「そんな大袈裟な……。でも京ちゃん今日も絶好調だもんね」

 

 少し凱風に当たりたいと思ってテラスに出ると、咲もちょこちょこと後ろから付いてきた。

 絶好調も絶好調だ。放課後始まってから半荘4回打った内1位が3回、2位が1回。ここだけならトップ率75%だ。もうプロでも蹂躙できちゃうんじゃないか? と勘違いするレベルの数字が出てしまっているのだ。

 これが現実なら恐らく、半荘4回中4回4位だろう。一日でそんなに打ったことは無いけど経験からなる確信すらある。悲しいけどな!

 ……そう言えば、一回だけ。一位になったことがある。まだ咲が入部する前のことだけど、なんとラスに四暗刻をツモって逆転したのだ。毎回それが出来れば現実でもウハウハなのにな〜、とか理想を感じなくもない。無理だけど。

 

 ごくごくと渡された水を飲んでると、咲は小さく口を開いた。

 

「この前から気になってたんだけど」

「ん? なんだ?」

「京ちゃんって最近立直もしないし自摸和了りもしないし……何かあったの? 私が入った頃は普通にしてたよね?」

 

 本気で心配するような瞳に俺は思わず目を逸らしてしまう。咲にまで聞かれちゃうとは……参ったな。

 きっと須賀京太郎が中に入る前の『須賀京椛』は普通に立直も自摸も自由に使えていたのだろう。つまり、この感覚(能力)を使いこなせていたということだ。俺が京椛として初めて過ごした日にも部長に「いつもはもっと圧倒的じゃない」みたいなことを言われた記憶がある。精神的には二週間以上前の出来事だ。それを鑑みるに今の俺より『須賀京椛』はもっと強いのだろう。だが今の俺にはこの感覚が上手く使えない。ということは即ち、俺は『須賀京椛』の力を間借りしているから完全なる形で力が使えないということになって。

 

 …………俺は、夢の中の自分自身の力すら使いこなせないのか。

 

「……なあ咲、俺ってやっぱ弱いのかな」

「えっ?」

「いや! スマン、聞かなかったことにしてくれ!」

 

 一瞬出た弱音。こんなの、他ならぬ自分自身の問題なのに咲に頼っちゃうのはこう、恥ずかしいし情けない。

 

「それで自摸と立直だったな。出来なくなったんだ」

「……出来なく?」

「ああ。9日前にな、気付いたら出来なくなってた。理由は俺も分からん、寧ろご意見随意募集中だ!」

「何か、前向きだね……流石京ちゃん。強いね。ちょっと羨ましいかも」

 

 俺は強くなんかないよ咲。

 そんな言葉は胸中に虚しく響いた。

 

/★/

 

「それじゃあ帰りましょうか……の、前に注目! 発表があります!」

 

 片付けも終わってじゃあ帰るかとなったカバンを整理していると、部長がそんなことを言い出した。

 

「なんだじぇ部長。もう完全下校時間だから早くしないと先生に怒られるじょ?」

「ちょっとくらいはノー問題よ。いざとなったら学生議会長の権限を使うわ」

「うわっ。職権乱用だじぇ」

「いやね~違うわよ優希。ただそうなったら先生方とお話しさせてもらうだけよ。ま、それはともかくこれを見てみんな!」

 

 部長は正面にある、何時もは部室の端にあるホワイトボードをバンと叩いて引っ繰り返した。くるりと一回転すると、裏面はびっしりと大きく文字が書かれていた。

 ……あー。インハイ予選の強化合宿ね。ここでもやるんだなー。

 

「強化合宿、ですか?」

「その通りよ和! インハイ予選直前にやるわよ合宿!」

 

 ホワイトボードに一番デカく書かれた文字を見たまま読んだ和に部長はビシっ! と指を差した。

 ───強化合宿、かぁ……。強化合宿、ねぇ……。

 

「どうしたんじゃ京椛。そがいな遠い目をして」

「い、いえ。何でもないです染谷先輩」

「そうか?」

 

 奇怪なものを見る様な目つきで声を掛けてきた染谷先輩に俺は首を横に振る。本当に何でも無いんです……デスクトップPCを運んだり、大きな部屋で寂しく一人っきりだったり、そんな逆境に俺、負けませんから……!!

 

「合宿って……、場所はどこでやるんですか? ホテルとか旅館ですか?」

「あ、お金の問題なら安心していいわよ。高校の合宿所があるのよ、だからそこを借りて行うわ。っても借りれるのが決定したのは今日のことなんだけどね」

「そうなんですか。えっ今日なんですか!」

「そうなの。皆には直前になってホントーに申し訳ないと思ってるわ! 今日になってようやっく、取れたのよ許可が! で、ここからは事務的な話。合宿は来週の土日を使って二泊三日特打するわ。だから着替えとかはそのつもりで持ってきて。合宿所にはアメニティーは無いから気を付けてね、ただバスタオルくらいはあると思うわ。無いと大変だしね。あとは……そうね、お金については部費でどうにかするから心配なくて良いわ。そのくらいかしら、何か質問ある?」

 

 俺の記憶にある強化合宿とはほとんど変わらないみたいだ。変わらない、ってことは俺がまたあの大荷物を運搬する羽目になるんだろうか……?

 部長の言葉を聞いて「はいはい! じゃあ質問だじぇ!」と優希は元気溌溂と手を挙げた。

 

「はい優希、何かしら」

「合宿所だとタコスは出るのか? 無いと私の身体がポリゴンみたいに崩壊しちゃうんだじょ」

「え、ええ……? ど、どうかしらね。それは旅館の人に聞いてみないと……でも聞いて喜びなさい! 温泉はあるわ!」

「温泉!? ホントに学校の合宿所なのかその施設!?」

「れっきとしたウチの高校の所有物よ」

 

 あ、困って勢いで誤魔化した。絶対タコスなんて無いから誤魔化したよ部長。

 にしても温泉がある合宿所を持ってるなんて、相変わらず不思議だよなウチの高校。公立高校のくせにそういうのは充実してるんだからなぁ。実は何処かの金持ちの資本が入ってるとか言われても納得しちゃうよ俺。

 

「なんか凄いね京ちゃん……合宿なんて私初めてだよ」

「そうだな、咲は中学は帰宅部だもんな」

「京ちゃんだって私と同じ帰宅部だったでしょ」

 

 拗ねるように言った咲に俺は内心俺は首を傾げる。アレ、この世界の俺……というか『須賀京椛』はハンドボール部に入ってなかったのか……? た、確かにこんな華奢な身体じゃ結構フィジカルで競う場面も多いハンドはキツいだろうし、それ以前に競技人口の少ないマイナースポーツだから男子部しか無いし、当然かもな。

 

「……他には質問は無いかしら? てか時間も無いし無しで良いわね? もし聞きたいことがあったら明日聞いてちょうだい、ってことで帰るわよ!」

 

 早くいかないと本当に怒られるわよ! と急かしながら部長はホワイトボードの文字を消してカバンをバックを持った。それに倣って他の皆もバックを持った。

 

 ……合宿かぁ。前回は戦力外な上に性別的に隔離されてアレだったから今回は少し楽しみかもしれない。

 

 ───あれ、ちょっと待て。温泉ってことは俺、みんなと一緒にお風呂に入るのか?

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

京太郎:4

 

 夢ではインハイ予選がどんどん秒読み状態になって行く一方、現実でも一応秋季大会が近づいていた。

 前部長である竹井先輩の言葉によれば、秋季大会は春季選抜に出る高校を選別するために行われるらしい。全国大会は行われず、関東地方にある高校は関東大会、近畿地方にある高校は近畿大会と言った風にその地で完結する大会だ。そんな訳で長野県に位置する我が清澄高校は中部大会に出場することが出来る。

 

「ほい、秋季大会の対戦表が遂に出たから各自確認しといてくれ」

 

 放課後、そんな秋季大会の個人戦対戦表が判明したようで部活前に染谷先輩が人数分紙をテーブルにパラリと置いた。置かれた対戦表を「無謀にもこのインハイ王者に挑む愚か者は誰だじぇ!」と早速優希は手に取ると見始める。一応出ることになってるし、俺も取るか。

 

「うーん、あんまり知ってる奴がいないじぇ。咲のお姉ちゃんとまた戦いたかったんだが出場してないのか?」

「それはそうですよゆーき。宮永照さんは白糸台、東京の高校ですから中部大会ではなく関東大会の方に出るはずです」

 

 続いて既に部室で寛いでいた和と咲も手に取って対戦相手を確認し始める。何か気になったことがあったようで咲は冊子を開く前に口を開いた。

 

「そもそもお姉ちゃん、今年で三年だからもう引退してるけどね」

「え、そうだったっけ。じゃあもう公式大会では会えないんだな」

「そう言えばお姉ちゃんこの前プロチームのスカウトを受けたとか言ってたから、優希ちゃんもプロに行けば戦えると思うよ」

「マジか! なるほど、再戦はプロの世界でか! これは燃え滾ってきたじょ!!」

 

 咲に姉がいたことなんて最近まで知らなかったけど、何だか仲が良さそうで何よりだ。

 と、和は呆れたように目を細めながら。

 

「……なんでもうゆーきはプロ行く気満々なんですか」

「優希なら行けるんじゃないか?」

「甘いですよ須賀くん。プロは一回の勝利で完結するような世界じゃありませんし、その世代のインターハイで毎回三位以内に入ってくるような選手が何十人も争ってますから私たちが戦っている場所よりよっぽどシビアなんです」

「へえー……中々難しいんだな」

 

 テレビでプロの麻雀は見たことはあるけどそんな厳しい世界だとは思わなかったなぁ。照さんがプロ入りしたなら咲とか和とか優希もその道に行けると思ってたけどそう簡単な話でもないみたいだ。

 まあともかく、俺も自分の対戦相手見てみないとな。捲ってみると男子の部にもずらりと名前が並んでいる。そりゃそうだよな、中部地方だけでも九県もあるわけだしそれだけ選手の数も膨大になるのは自明の理だ。

 

 秋季大会の個人戦は予選と本選リーグの二部構成となっている。まずブロックごとに振られた予選では総当たりで勝ち点を競うらしい。俺の所属するブロックEにも50人ほどの選手が割り振られていて、その中から上位4人が本選リーグに進める。それから本選リーグに進んだ選手でトーナメント方式で優勝を争うというのが秋季大会の個人戦らしい。夏の予選は大会二日目も総当たりだったけど、秋季大会は九県の選手が参加して膨大な人数になるからトーナメントなんだろうな。まあまずブロックでの総当たりも勝ち残れる自信はサッパリ無いけどさ。

 

 咲は冊子を見て「良かったぁ……」と安堵の息を漏らした。

 

「ブロック、全員分かれてる……」

「あ、ほんとだじぇ。私がAブロックで……のどちゃんがKブロック、咲ちゃんがBブロックで染谷先輩がCブロックだじょ!」

 

 確かに、何かまるで作為すら感じる別れ方だな。

 優希の言葉を聞いて染谷先輩は眼鏡を光らせた。

 

「恐らく出来る限り同じ学校の選手が被らんように運営が調整したんじゃろうな。同じ学校の選手同士だとぶつかったとき談合のリスクもあるけぇそれを避けようとした結果じゃろう」

 

 なるほどーだじぇ! とポンと手のひらを叩く優希に申し訳ない気持ちが湧いてくる。何かさ、うん、俺もそういうのを考えるのはダメだと思うんだけどさ。ただ何といいますか、お餅のサイズと皆が割り振られたブロックが完全に対応しているような気がするといいますか、うん、この話はやめておこう。女子ばかりのこの環境でバレたら間違いなく村八分にされるって!

 

「知ってる学校名も殆どないじぇ。私たち以外にも夏の全国行った学校はあるはずなのに」

「そりゃそうじゃろ。中部地方で準決以上に進出した学校はわたしたちしかおらんけぇな」

「だじぇ。龍門渕の奴らは今回も個人戦出ないっぽいしマジのガチで優希ちゃん無双タイムが始まっちゃうじぇ!」

「まあええけど足元掬われんようにな」

 

 見事に調子に乗ってるなー優希は。でもそれが許される実力があるから厄介なんだよな。

 優希と染谷先輩の会話を聞いていると、咲は冊子を開いたままこちらに視線を向けた。

 

「京ちゃんのブロックはどう?」

「俺? いや、うーん、どうだろうな」

 

 聞かれても正直何も分からない。俺は咲たちみたいにエリートプレイヤーでもなく、他校との練習試合もしてないから男子選手なんて知りようが無いしなぁ。男子の部は精々インハイ優勝者の名前くらいは知ってる、ってレベルだ。

 

「まあでも勝ち残るのは滅茶苦茶厳しいだろうな。そうだ! 咲からみたら俺どのくらいまで行けそうだと思う? お世辞とか抜きで」

「ええ!? う、うーん。……多分京ちゃん落ち込むと思うよ?」

「全然構わねえぜ。ドンと来い!」

「じゃ、じゃあ。予選で20位以内に入れたら大健闘……かな?」

「マジかよ!? 本選リーグの決勝戦くらいまでは進むつもりだったのに!?」

 

 口ではそう言ったけど、うん、俺知ってた。実力でも清澄の紅一点だって。

 

「そこまで行ったら次の日は雨の代わりに槍が降るかもね」

「あのあのですね咲さん、そこまで言います? 幼馴染としてもっと期待を込めて予想してくれても良いと俺は思う訳ですよ」

「ごめん。京ちゃんが麻雀で勝つとこ、ちょっと想像が出来ないかも……」

「クソおおおお!」

 

 勝つ想像が出来ないって何? 俺の負け犬イメージってそんな濃いのかよ。確かに部活の麻雀で一位になったこと、現実じゃ一度も無いけどさ。

 すると、真横にひょこりと現れた優希がぺしぺしと俺の身体を叩きながら口を開く。

 

「ドべ太郎に変な期待を持つ方が難しいじぇ! 悔しかったら部内麻雀で一位を取れじょ!」

「そこまで言われたら男として引き下がれねえなぁ優希!? やるぞ! スマンが咲と和も付き合ってくれ!」

「ふはは! 犬が飼い主に逆らうとどうなるか、叩き潰してやるじぇ!」

 

 どうせ負けるけど、プライド的にやるしかない。

 

 ───それにここで挑まにゃいつもの須賀京太郎じゃないんだよ。

 卓に着くと、サイコロを振った。

 

/☆/

 

「最近須賀くんの打ち方、変ですよ」

 

 半荘を二回ほど終え、感想戦をしましょうと持ち掛けてきた和は最初にそんなことを言った。

 

 ……変、か。確かに打ち方が歪んできてるのは自覚してる。だってこれは須賀京椛の打ち方であって、須賀京太郎の打ち方じゃない。本来の俺は竹井先輩や和に教えてもらったデジタル打ちが基本スタイルだ。当然初心者だからミスとかしまくって裏目に出ることは沢山あるけど、軸は極一般的な確率論に基づかれた牌整理を据えている。

 でも夢の中の俺、須賀京椛は違う。どちらかと言うと、牌効率なんて考えず流れに導かれるまま打つ勘スタイルだ。だから理論やら何やらを知らない俺でも咲や和に勝つことが出来るのだろう。……自分の夢だから、というのもあるとは思うけど。

 

「まあそうだよな……」

「どうして変えたんですか? 明らかにその打ち方は勝ちを求めに行くそれじゃありません」

 

 夢ではこれでも部内ランキング一位なんですよー、とかふざけて言い返せそうもない雰囲気だ。いや、俺も意識して打ってるわけじゃないんだけどな。夢ん中じゃこれで勝てちゃってるから知らない内にそちら側に寄っちゃってるのかもしれない。寧ろ、今の俺は取り繕うために京太郎としての打ち方を真似てるから、余計に訳わからなくなってるのかもしれない。

 まあそんなことをいう訳にもいかないから誤魔化すしかないんだけどな。

 

「いや、さ。和には理解されないかもしれないけど、今の俺じゃ強くなるのは難しいと思うんだ。理論を学んで、実践で応用するのが強いのは和のことを見てるから分かる。確かにそれを極めるのも一つの強さだ。でも今から俺がを突き詰めても、一定以上の実力は身に着かないと思う」

 

 強くなる、なんて言葉を使うと惨めな気分になる。夢なら、夢だったら。なんてたらればが心を支配して、自分が凄い情けない。

 和は俺のその発言に皺一つない新雪のように綺麗な顔を険しく屹立させながら口を尖らせた。

 

「じゃあ何ですか、須賀くん。貴方はあんなデタラメな打ち方を突き詰めて本当に強くなれるというんですか? とても私にはそう思えません。まるで初心者みたいな打ち方じゃないですかアレ、敢えて大きな役を崩したり有効牌を自摸切りしたり、理解に苦しみます」

「全部必要なことなんだ。雑魚で初心者で麻雀では誰にも見向きされない俺でも俺なりに、ちっぽけなアイデンティティーがある。それは和の理論とは程遠いかもしれないけど理解して欲しい」

「……嫌です。須賀くんはこの部活で唯一の男子部員ですけど、仲間です。須賀くんが変に迷ってるときに手を差し伸べるのもまた、同じ部活に所属する私の役割じゃないですか!」

 

 和はそう、感情的に言った。牌譜を確認していたらしい咲に優希、染谷先輩も何があったのかとこちらの方を覗き見てくる。

 和がそんな風に思ってくれていたなんてな。あまりこういう話をしたことが無かったから、純粋に嬉しい。でもな。こればかりは譲れない。

 

「迷ってる? 違うぜ和。模索してるのは本当だけど、これも俺の個性……打ち方の一つなんだ」

「面前で聴牌しても殆ど立直しない打ち方がですか? ロンをせずにツモばかり和了(ほーら)する打ち方がですか? そんなの普通じゃありえません! 私は須賀くんのそのスタイルを否定します!!」

「ちょっとのどちゃん! 落ち付くじぇ!!」

 

 語気が強まってきた和を優希が宥めようとして、持ってきた水を和に飲ませた。和も自覚はしていたのかコップに口を付けて傾けると、飲み干すことはせずに静かにテーブルに置いた。

 

「ありがとうございます、ゆーきちゃん。おかげで落ち着きました。……でも、これとそれとは話が別です。私は今の須賀くんの打ち方を認めませんから」

「……ああ」

 

 暗澹たる空気が漂う。強くなりたい、そう願う俺の真意は多分間違ってない。だけど心にネイルガンを撃ち込まれたように胸が痛むのはきっと、俺自身が自分を偽っているからだろう。

 

 早く、明日になってほしいな。

 

 居心地が悪くなった俺は、少し場を冷やそうとテラスの風に当たりに行った。夏の余韻が残る雁渡しは暖かく、温かった。

 

 

 

 

/#/

 

「の、和ちゃんどうしたの? 京ちゃんがなんか変な事でも言った?」

 

 京太郎が風に当たりに行って、咲は迷わず和に話しかけた。和は未だ熱が冷めないようで、それを自覚してか水をちびちび飲みながら窓の外を眺めていた。

 

「さ、咲さん……すみません。皆さんに見苦しいところを見せちゃいましたね……」

 

 比較的冷静になったからか和は申し訳なさそうに呟いた。

 

「う、ううん。そんなことないよ」

「お気遣いありがとうございます。でも放って置けなかったんです」

「それって京ちゃんのこと?」

「はい。咲さんも知ってますよね、先週くらいから須賀くんの打ち筋が変なこと」

「……うん」

 

 否定する理由も無いので頷く。だが、咲が変だと思っているのは京太郎の打ち筋だけじゃない。変かどうかといえば夏休みから何処か様子がおかしかったのだ。

 全国大会が終わった時期くらいからだったと思う。京太郎はどこか無気力で、気が付くとぼーっと虚空を数秒見つめたり無意味に牌を凝視したりしていたのだ。夏バテかと思ったがそれも違う。まるで何か、大事なものが欠損したみたいな、そんな風に咲は感じた。

 

 打ち方に関しても夏から違和感はあった。それまでは咲たちにどれだけ点棒を取られても逆転を諦めずに打つ姿勢があった。不屈の心……というと仰々しいかもしれないが、その粘り強さについては咲も認めるところだった。でも今はそれが無い。最初からまるで修行僧のように、全てを諦めたみたいな空気すらある。本人に言っても絶対はぐらかされるから咲は問い詰めていなかった。

 

 和は言葉を選ぶように慎重に時間を使うと唇を戦慄かせる。

 

「どうしたんでしょう……強くなる、という意思を否定したい訳じゃないんですけど。あんな無茶苦茶な打ち方で上手くなるとはとても思えません」

「うん……それはそうかも。私はあんまり言える立場じゃないけど、今の京ちゃんの打ち方で強くなるのは無理だと思う」

 

 カン材の流れを完璧に把握して嶺上開花を和了するのが主な戦略になる咲には当然普通に強くなる方法なんて分からない。生まれてからそういう戦い方しかしていなかった訳で、和のように超精密なデジタル打ちなんてできない。だからネット麻雀とかだと全国優勝した実力は一切発揮されず、連戦連敗。酷いときは5連続で4位に沈むことすらある。

 

 そんな咲でも京太郎が奇怪な打ち方をしているのは目に見えて分かったし、何だか物凄い違和感も同時に感じていた。まるで毛糸と鉄線が煩雑に絡まり合ったみたいに、一貫性の無い打ち筋。

 ……何かがあるのは間違いない。それだけは確信していた。

 

 それ以上の考察は出来ないからか、窮した話題を作るように和は「そういえば気になってたんですけど……」と続けた。

 

「咲さんは須賀くんと幼馴染なんですよね?」

「うん。中学からだけどね」

「当時はどうだったんです? 須賀くんからはその時はハンドボール部に入っていたと聞いたんですけど」

 

 言われて思い返してみる。中学時代は咲は部活には入らずに授業の合間に本を読んでいたのだが、そんなインドアな女子中学生に話しかけてきたのが京太郎だ。中学生というのは単純で、スポーツが出来てカッコいい人はすぐにクラスの人気者になる。元来コミュニケーション能力が高くて人当りも良く、スポーツもクラスではトップクラスに上手でダメ押しとばかりに顔立ちも整っていた京太郎も例に漏れずすぐにクラスの中核メンバーに入っていた。だから当時の咲はその時点で疎遠になると思って自分から関わるのを止めた。何せ咲は自他認めるコミュ障で、どこのグループにも属さずに暇があれば読書している文学少女。クラス内カーストで言えば底辺の存在である……自分ではあまり考えないようにしていたが。

 だが二か月が経って、一年が過ぎても京太郎は全く関係なしに咲へと歩み寄った。「なあ咲、今日の数学の先生何か不機嫌だったよな?」とか、何気ない話題を持ち込んでは咲へと話しかけた。

 一度、同年代と比べればあまり多くは無い勇気を振り絞って京太郎にその事を聞いたことがある。したら「いや友達だし当然だろ? え、もしかしてそう思ってたの俺だけ? 違うよな、えっ、違うよな咲?」と逆に迫られたのは困ったけど、まあそれもいい思い出で。環境が変わってもなお不変の関係性を続けてくれる唯一無二の大事な存在だ。

 

 ───つまり。咲にとって京太郎は面倒見が良すぎる、本当に人格的に完璧超人だった。麻雀は弱いし勉強も危ういけど。

 

「……今もだけど。京ちゃんは、私には出来ないことが出来る凄い人かな。すぐ人と仲良くなれるし、人当たりも良くて優しいし、困ったら見捨てておけない性格だから」

「そうですか……。確かに、私も経験あります。須賀くんとは初めて会って、それからあまり時間の経たない内に名前呼びを受け入れてたんですよね……須賀くんじゃなきゃ多分、そうはならなかったと思います」

「でも今考えてみると、今の京ちゃんとは違うかも」

「……え?」

 

 和は疑問の声を上げた。

 最近の京太郎の異変。それはその京太郎の普段の行動にも変化を齎しているような……、と咲は考える。

 

「思ったんだけど、今の京ちゃんの優しさって何だか無理をしているような気がする……。ぼんやりとしか分かんないけど、何となく」

「何となく、ですか」

「そう……だけど。ごめん、確かなことは言えないかも」

「いえ、咲さんを疑ってるわけじゃないんです! ただ咲さんのいう事が本当なら須賀くんは今何か悩んでいて、でも私たちに心配を掛けないように無理をしているってことになると思いまして……」

 

 そういうことになる、のかもしれない。咲は少し顔を俯かせる。

 コミュ障な咲は気恥ずかしくて面と面を向って言えないが、何だかんだ京太郎のことは友達……どころか親友くらいには感じている。異性的な好意があるかといえばそれは咲にも分からないが、ともかく。

 

(京ちゃん、何で相談してくれないんだろ……やっぱり私じゃ頼りないのかな……)

 

 ついついネガティブな思考が脳裏を過ってしまう。友達という関係を疑うわけではないけど、ちょっとは相談してくれてもいいんじゃないかな……? とか考えてしまう。

 

「……須賀くんが話してくれないなら私たちに出来るのは待つことだけじゃないでしょうか。あの感じだと聞いてもはぐらかされそうですし……」

「そう、だね。和ちゃん」

「はい。その時まで見守りましょう」

 

 テラスの方に視線を走らせた和につられて咲もそちらを向いてみる。

 テラスの落下防止用の鉄柵に凭れ掛かった京太郎の背中は年端も行かぬ童女のように小さく、儚く見えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

京椛:5

 

「おー、思っていたより綺麗ね! これは質の高い練習が出来そうね」

「ここが合宿所か……! 期待が持てる外装だじょ!」

 

 数日が流れ、合宿当日。俺たちは高校の所有する合宿所に各自荷物を持ってきていた。そう、大荷物を持って。

 

「京ちゃん、大丈夫……?」

「あ、ああ……このくらいなら、大丈夫だ……!」

 

 無理矢理笑ってみせると、咲は心配する素振りをみせながら俺の隣に並んだ。あー、何かあったけえ……! 前のときは誰も心配してくれなかったからなぁ、男として信頼されてるのは嬉しいがちょっと辛かった。いやホントに。

 

 しかし、今は女の体力になってるからか本当にキツイ。かなりキツイ。下手したら中学時代の部活の走り込みよりキツイ。男であるという矜持だけで歩いている状況。部室のパソコン、重すぎなんだよ……!

 咲が俺に声を掛けたからか、部長もこちらへと振り向いた。

 

「ごめんなさいね京椛、そんな荷物任せちゃって」

「い、いえ良いんです! こういうのは俺の役目なんで!」

「役目……?」

 

 首を傾げる部長にしまったと思ったけど、まあ大丈夫か。まさか中身が男だとは思わないだろうしな。そもそもこの口調でも通っちゃうあたり『須賀京椛』という少女もかなり男勝りのようだ。どうでも良いけど、なんか龍門渕にもそんな女の子いたよな。先鋒の子。なんか宝塚みたいだと思ったのをめっちゃ覚えてる。

 

「ま、まあ良いわ。ともかく泊りでガンガン打って打って打ちまくるわよ!!」

 

 そんな感じで夢の中二度目の強化合宿は幕を開けた。

 

/★/

 

 打って打って打ちまくれ!

 そんな時間は前回とは違って主力の俺にも訪れた。交代で打ち回して昼休憩を挟みながら合計30局、既に時間は夕方に差し掛かっていた。

 ノンストップで打ちまくり過ぎても集中が切れるというわけで、一旦休憩。

 手を挙げて「疲れたじょー……!」と優希は背後にぶっ倒れた。

 

「またギリギリでマイナスだじぇ……」

「優希はやっぱり、そうね。点数計算が課題ね。分かってたけど。ってことでこれを持ってきたわ」

「け、計算ドリル……! いやだじぇ! 合宿でまで勉強したくないじょ! それなら私5翻以下の役は上がらないじょ!」

「はいはい無理言わない。優希、点数計算は正確に把握していればしているほど戦略の幅が広がるわ。これをやらないと強くなれないわよ?」

「うう……しかたないじぇ」

 

 渋々と優希は部長から計算ドリルを受け取ると、ジッと嫌そうに見つめた。数学、苦手だもんなぁ優希。中間試験も期末試験も赤点すれすれで、現実ではまあからかったりしたもんなあ懐かしい。……まあ俺も人のこと笑える点数じゃないけどさ。

 

 部長は優希の件はその方針で進めるみたいで、次に咲の方に向くと咲はビクッと肩を震わせた。

 

「咲はこれよ。パソコンで麻雀を打ってもらうわ」

「ぱ、ぱそこん……?」

「ええ」

「……これで麻雀が出来るんですか?」

「え、ええ?」

 

 純粋に疑問符を頭に浮かべる咲に部長は困惑した。機械音痴の咲は持ってる携帯もそうだし、パソコンだってほとんど触ったことが無い。

 はーしょうがねえな。前回同様、俺がパソコンの操作を付きっ切りで教えるか。

 

「部長、心配しないでください! 俺が咲に教えるますよ」

「あーうん。じゃあ京椛、あとでお願いね」

 

 許可も取れたので早速何もわかって無さそうな咲を伴って部屋の隅に移動して、安置していたパソコンの電源を入れてみる。

 

「うう……京ちゃん、なにこれ……」

 

 涙ぐみながらマウスとキーボードを見て、毒蛇にでも挑むみたいに恐る恐る触る咲を「簡単だから大丈夫だって、任せろ」と励ましながら指示する。ここでも変わらないんだな咲って。

 

 咲がマウスを持っている上から手を掴んで「え、えんたーきー? わっなんか出てきた!? ここをくりっく? すればいいんだよね……な、なに!? 全然この、矢印みたいなの動かなくなった! どうしよう京ちゃん壊れちゃった……!? 私壊しちゃったパソコン……!!」とパ二クって泣きそうになってるのを宥めながら一通りレクチャーする。現実なら優希あたりにからかわれそうだけど、優希の方を見てみれば今は女だからかこっちに興味を示すことは無く計算ドリルの中身をパラパラ捲ってゴーヤを丸齧りしたような苦い表情を浮かべた。

 

 十分くらいそんな風に悪戦苦闘していると部長が手を打った。

 

「じゃあ、行くわよ!」

「行くって何処にじゃ?」

「決まってるわ。温泉よ!」

 

 うーわ。どうしよう俺。

 

/★/

 

 俺の今の身体は女だ。誰がどう見ても女だ。それはもう美少女だ。金色の髪は本来の俺のそれより綺麗に輝いているし、スタイルもモデルみたいに整っている。口調はともかく百人が百人俺を女と答えるだろう。

 でも、さ。俺の心は紛れもなく男だ。自分の身体を見るのはまあ、自分自身のことだからか変な気持ちが過ることは無い。一人で風呂に入るなら冷静沈着でいられる。だがしかし、他の皆がいたら話が違うじゃん。違うよな、なあ?

 

 咲を始めにした部活メンバーは全員、現実の容姿と同じだ。夢とはいえ、瓜二つどころか寸分の違いもない容姿に性格。そんな彼女たちの裸を見るのはちょっと、いやかなり、気が引ける。これが完全なる明晰夢ならこんなに悩んだりしないんだろうな……。役得だと思ってそのまま入るまである。けど残念なことにこの夢、妙にリアルで全くそういう気分になれない。痛覚はあるし味覚もある、人と話しても現実と一切遜色はない。例えば前日見た夢で話した内容はその次の日の夢でも引きつがれる。まるでもう一つの現実を過ごしているみたいな、不思議な夢だ。……んなことは今良いんだよ!

 

 合宿所の温泉までの廊下。百面相に気付いた咲は少し疲れたように俺の表情を伺う。

 

「京ちゃん、どうしたの?」

「い……いやー、咲。ちょっと腹が痛くなってきな、先行っててくんね?」

「えー。私京ちゃんと入りたい」

「ハハハ……すぐ行くからさ」

 

 もちろん嘘だ。行く気ゼロ。てか無理だ無理、無理過ぎるってそれは。

 

「えー……すぐ来てよ?」

「ああ、うん、冥土に突っ込む覚悟が出来たらな」

「ん……? なにそれ?」

 

 咲の言葉に背を向けて返答する。人生経験の浅い俺にはまだ無理な所業である。じゃなくても無理だけど。

 

 咲たちから離れて俺は言葉通りトイレの個室に駆け込んだ。無論便意なんてないけど放った言葉を嘘にしたくない、なんて僅かばかりの抵抗もあって女子トイレに駆け込んだ。駆け込んでから気づく。……ここ、女子トイレじゃん。

 

 ヤバい、完全に無意識で駆け込んでいた。この数日間の間で随分俺もこの京椛の姿に慣れてしまったみたいだ、自分ながら環境適応能力に驚嘆しちゃうな。

 これが現実でもナチュナルに女子トイレに入ったりしてたらガチのヤバい人だったかもしれないけど、実際そんな危惧をする必要は多分無いと思う。現実と夢との性差によって生じるアレコレの境界線は全部きっかり自分の中で整理されているようで、現実で女子トイレに駆け込んだことも無ければ夢の中で男子トイレに駆け込んだことも一応まだない。一瞬危ういことも最初はあったけど、まあ慣れた。慣れちゃったんだなこれが。

 

 俺はそれから携帯を弄りながら50分間個室に籠った。完全にトレイの花子だった。部屋に戻っても部室で一室借りているから部長たちが帰ってきてしまうと言い訳がキツいし、それならトイレにいるしかないと便器に座ってひたすら暇を持て余した。悪いな咲、俺にはまだそこまでの覚悟が無いんだ。

 

 まあ。そろそろ咲たちも出てるくらいの時間帯だし、出ても大丈夫だろ。うん。

 意味も無く水を流して外に出て、俺は温泉に向かう。もしこれが一般客もいる旅館だったら俺はどうしようもなかったのだが、ここは学校の宿泊所。本日ここに俺たち以外の部活動がいないのも確認済みだ。

 

 道中は既に風呂から出ているのか咲たちとすれ違うことは無かった。静寂な空間を俺の足音が塗りつぶす。

 暖簾をくぐると、やはり合宿所というのを感じさせないような雰囲気を脱衣所は放っている。木で作られたロッカーにカゴが入っていて、全体的に温かみのある空間は本当に旅館みたいだ。これが貸し切りとか信じらんないな。

 脱衣所の先は風呂場みたいで、曇りガラスのドアから見る限りだと中々に広そうだ。一応、念入りに風呂場の方に耳を傾けてみる。お湯が石を打つ音と、脱衣所で回る扇風機の音だ。会話音は聞こえない……流石にもう部屋に帰ったか。

 

 脱いだ服をカゴに突っ込んで、早速風呂場に行こうと───ガラリと音が響いた。脱衣所と風呂場を遮る、一枚の半透明のドアが。

 

「……京ちゃん!? 遅いよ!!」

「あ、え、さ、咲!?」

 

 突然現れた咲から逃げるように慌てて俺は視線を斜め上に逸らした。見えたのはシンプルなアナログ時計。どうやら今は午後6時前らしい、なーんて現実逃避してないとやってられないこの状況。つかコレは夢だから現実逃避ではなく……夢逃避? 現実からも夢からも逃避してるみたいで何か悲しくなってくる。

 

「ど、どうしてまだここに?」

「決まってるじゃん……京ちゃん待ってたのに!」

 

 拗ねた声がずんずんと近づいてくる。でも絶対裸だから俺はそっちを見れない。それどころか更に5度くらい視線を上に調整する。幼馴染の裸とか見ちゃった日には現実で無茶苦茶気まずくなるって……!

 

「トイレ行ってたら思ったより時間掛かってな……?」

「京ちゃん、すぐ来るって言った」

「う……! でもな、腹痛かったし」

「すぐ来るって言った」

 

 録音した言葉を繰り返すだけのロボットみたいに咲は俺の目の前で言った。こ、これ凄い近いぞ。今視線を戻したら咲の顔が産毛までくっきり見えるくらい近いはずだ。

 

「ああ、うん。悪かった、悪かったよ。ごめんな咲」

「…………ねえ。どこ見てるの?」

「気にしないでくれ」

 

 明らかに上を向く俺に訝しむ咲の声。はあ……照明が眩しいぜ。

 

「そんな謝り方あるかな……京ちゃん、こっち見て?」

「え、ええと」

「誠意を示してほしいな」

 

 冷たい声音で咲は俺の手を掴んだ。温泉で温かく濡れた手がじんわりと握らえている俺の右手に沁み込む。

 なにこの幼馴染、凄いヤクザみたいなことを宣ってきて怖い。でも勘弁してくれ、マジで勘弁してくれ。俺の矜持とかプライドとかその他諸々とか含めていま目を合わせるとか、出来る訳ないだろ……!

 

 誤魔化すのは俺の脳味噌じゃ不可能。だから隙を突いて逃げ出したいけどタイミングの悪い事に俺も布一つ身に纏っていない。……いや、でも一つ手はある!

 

「……サヨナラッ!」

「え?」

 

 俺は視界に咲を入れないようにしながら咲がやって来た方向、風呂場へと走り出す。

 風呂から出たら絶対に問い詰められるだろう、だけどこの一瞬だけは譲れねえ……! 重要なのは俺が裸を見てしまうかどうかだ。それを避けるためなら後で幾らでも怒られてやるよ!

 

 走り出した俺に、握られた手がグイっと引っ張られる。

 

「ちょっと京ちゃん無視して……!?」

「うおっ……!?」

 

 ここで突然だけど問題です。咲や部長たちに足によって濡れた床の上走って、更に後ろに手を引っ張れてバランスが崩れてしまったらどのような事が起きるでしょうか。制限時間一秒、ハイ終わり。

 答えは見るも無残な転倒だ。手を引かれて体勢が不安定になったところで足を滑らせて、素っ頓狂な声を上げながらバタン! と前倒れになる。受け身は取れたから痛くは無いけど、更に背中に当たる物体に血の気が引いた。

 

「うう……大丈夫京ちゃん?」

「あ、あれ……!?」

 

 そこそこの衝撃が走って、床に倒れた俺の身体はピクリと震える。

 大型犬みたいなものが背中にくっつく感覚に反射的に頭を動かそうとして、それが何なのか確認し終える前にすぐに床に向き直った。マジか。マジなのか。マジで言っちゃってるのか。

 まだ冷めていない水滴を纏ったほんのり暖かい感触、もしかしてこれ、咲を巻き込んで倒れてちゃったりしてますかね!?

 それに、この、肩甲骨あたりに当たる柔らかい感じ。圧迫感は無いが、しっとりとしていて、俺の身体に当たってぷにゅりと変形してそうなこの気配。もしかして、もしかしちゃうのでは……!?

 

 体は女になれど、異性の他人の身体に対しては俺の思想が適応されるようだ。つまり何が言いたいかと言えば、俺は今とても動揺している。男子たる心がカクテルみたいにシェイクされて思考がショート寸前。

 思わず突き出た言葉は自己弁護だった。

 

「あ、あのですね咲さん? これはその、やんごとなき偶発的な事故でして、つまりわたくしめの意図するところでは決して無くてですね……!?」

 

 顔は見えないけど咲は状況を飲み込めなかったのだろう。数秒間身体が密着した状態になる。柔らかくて暖かくて、ふんわりとした異性の良い香りが鼻孔で漂う。いやいや俺! 思考をジャックされるな! 今はそうじゃないだろう!

 バクバクと下手なドラマーが奏でるビートのように波打つ心臓をどうか収めようとしていると咲は言った。

 

「……ん? あ……! ごめん京ちゃん! 重かったよね、大丈夫?」

「えっと、ああ……小柄だから別に重くねえって。咲こそ怪我無いか?」

「うん、私は大丈夫」

 

 思った以上にドライな返事。それもそうだった。今の俺、女だし咲も特に何も感じないのだろう……何だか正体不明な敗北感がある。

 

 ただ一つ、場違いながら俺は確信した。こんなジョークみたいな状況下で気付いてしまった。

 俺の自己認識が現実と夢でちぐはぐに重なり合って、ミルフィーユみたいに何層ものフィルターから投影した上で今の俺は理性的な判断を下している。それが果たして本当に理性的か、という疑問が突出するがそれは今は関係ない。重要なのは、俺という存在がどこを基点に構成されているのかどんどん分からなくなっていることだ。

 

 麻雀が強くなりたい、だが手を届かず諦めたのは(京太郎)だ。

 仲間と並び立って、団体戦を見据えて練習しているのは(京椛)だ。

 

 夢は夢でしかない。そんなのは分かっている。でもこんなリアルな夢が幻想に過ぎないなんて信じられないのも俺の内なる感情で。

 

「よいしょっと……本当にごめんね京ちゃん。私が手を引いたばかりに……」

 

 ふと温もりが離れる感覚。影法師からして咲が立ち上がったことに俺は気付く。

 ……今は置いておこう。まだ、それを考える時じゃない、と思う。多分。

 

「気にすんなって。じゃあ俺は風呂入るから先に部屋戻っててくれ」

「うん。じゃあ、また後で」

 

 俺は後ろを振り返らずにそのまま浴場のドアを開ける。モワモワとした白い湯気が身体にぶつかる。

 洗い場で身体を流そうと視線を下げると、少しだけ膝が赤くなっていた。切れた訳でも鬱血した訳でもない。なのにお湯を当てるとやけに傷跡は染みた。

 

/★/

 

 葛藤こそあったものの、無事咲を誤魔化せた俺は部屋に戻り、更に練習をしたり晩飯を食ったり咲のPCの様子を見たり優希(タコス娘)の計算ドリルを見たりしつつ床に就いた。

 前と違い、部屋は女子高生雑魚寝6人。そこには当然俺も含まれている。鰹節みたいに理性が削れそうになる未来が簡単に予期できたので精神の安寧を保つために一番右端の布団で寝転がって、消灯程無くして就寝。知らぬうちに疲れが溜まっていたみたいだ。

 

 そうして朝一番に俺は呆然と起床した。

 

 就寝時間が過ぎてからの記憶は無い。完全に熟睡したんだろう、一度も起きた覚えが無い。そのまま翌朝となったのだ。

 ルーチン的に、今の俺は京太郎、つまり現実の世界にいるはずだ。夢では梅雨になり始めて徐々に梅雨前線がにじり寄ってジメジメとした空気に覆われる時期だけど、現実は九月下旬。夏の残暑も鳴りを潜めてそろそろ秋へと転回していく頃合いだった。

 

「…………え」

 

 ───しかし、俺の姿は京太郎ではなかった。長い髪、膨らんだ胸、滑らかな太腿。それは全て京椛の構成要素で。

 周りを確認してみればやはり、部活の面々が薄明に差し込む朝の陽ざしに照らされながら横になっている。

 

 京椛の一日を終えれば夢から覚めて、本来の京太郎の一日が始まる。今まで続いて確信していた経験則がバラバラと支柱を失って崩れ去る。俺の甘えた思考回路を嘲笑うかの如く。

 

 俺は、現実に帰れなかった。

 




ここまでしか書いてなかった…(短編で投稿してる理由)


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。