少年は『ラスボス』になりたい。 (泥人形)
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恋愛クソ雑魚女陥落編
少年は『ラスボス』になりたい。


多分十話くらいで終わります。


 

 央都セントリアの中心に聳え立つセントラル・カセドラル内で暮らすアルフォンスは、自らが凡庸とはかけ離れた異常性の塊であり、だからこそ『特別な人間』であることを覚醒したその瞬間から理解できていた。

 彼をそうたらしめる要因は大まかに分けて三つある。

 まずは『生い立ち』だ。

 今年で十一になるアルフォンスは、しかし生まれてからつい最近までの記憶が一切存在しない。

 己が何処で生まれ、誰に育てられ、どのように生きてきたのか。

 通常誰しもが忘れることの無い成長の記憶が、彼の脳内には存在しなかった。

 そんな彼を、人々は《ベクタの迷子》と呼び、それが彼が自分自身が『特別』であるのだ、という自我を芽生えさせた。

 自分は『特別』であるからして、もう生まれから凡百の者とは大きく異なるのだと、幼いながらにそう考えた。

 

 次は『記憶』だ。

 《ベクタの迷子》である彼には自分自身が生まれ育ってきた記憶はないが、しかしそれとはまったく異なる、別の記憶が存在していた。

 それは前世の記憶とも、先祖の記憶ともまた違う、別種のもの。

 あるいは、特殊と言い換えても良いかもしれない。

 彼には、自らとは全く縁も所縁もなければ、この人界で暮らす者ではない人間の生まれてから死ぬまでの短い人生の記憶を保持していた。

 一からそれを読み始めれば、それが地球という星の、日本と言う国で生まれた一人の少年の、短い人生であるということが分かるだろう。

 一般階級の家に生まれ、平凡な学生生活を送り、とある事件に巻き込まれて死んでしまった、何処にでもいるような一人の少年。

 決して、華々しい人生では無かったと言えるだろう。かといって、惨めな人生であったかと言えばそういう訳でもない。

 極々平凡、極めて一般的。

 それ自体は、アルフォンス本人も自覚していることだ。

 しかし、しかしである。

 アルフォンスにとって、()()()()()()()()()()()

 何しろ彼にとって彼以外の者の人生が平凡であることなど当然であるからである。

 自分だけが特別! 己のみが選ばれし者! それ以外は凡夫!

 そういった思考回路が構築されているアルフォンスだったが、しかしその記憶自体は酷く重宝していた。

 平凡的な人生の記憶とは言ったものの、しかしそれはその少年が過ごした世界における平凡だ。

 人界で暮らす彼にとっては全てが未知、全てが異常、全てが劇的、全てが面白い。

 その上、アルフォンスにとってもかなり有用性の高いものが、その記憶の中にはあった。

 《ソードアート・オンライン》という、小説を読んだ記憶である。

 その中でも九巻から始まる《アリシゼーション編》と銘打たれたそれは、人界で暮らす彼にとってはいわば未来の知識でもあった。

 完結までの知識は存在しなかったが、しかし最高司祭:アドミニストレータが討たれたという部分までは分かっている。

 これはこの人界で生きる上でも最も大きなアドバンテージである。

 神はこのアルフォンスをとことん愛している、そういうことなのだと彼は認識した。

 

 そして最後に『才能』である。

 とはいえ、決して、万能の天才だったという訳ではない。

 確かに、物覚えは良かったし、何事にもセンスがあった。

 一を聞けば百を知るように、基礎さえ学べば応用すらも掴んでしまう程で、教会史上最高の天才とさえ謳われるほどだ。

 だが、そうではない。

 そも、このアンダーワールドという世界は他の生命体を殺せば自動的に、システム的に人として強くなるようにできている。

 であればその程度のことを才能として語るのは間違っているだろう。

 彼を天才たらしめる所以はたった一つ。

 ──アルフォンスは、自我を持ったその瞬間から、何を成す為に生まれ、何を果たして死ぬ存在なのかを、これ以上なく明確に理解していたことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人界の頂点、人の身でありながら神の領域へと踏み込んだ現人神、最高司祭:アドミニストレータは、アルフォンスを手のかかるクソガキといったように評価していた。

 このカセドラル内では多くの少年少女が、神聖術と剣の修練の為に在籍しており、日夜研鑽に励んでおり、その全てが最高司祭である自分自身へと忠誠を誓っている。

 また、警備に当たらせている複数の整合騎士たちも同様だ。

 この人界において、最高司祭である己に逆らうものなどいるはずもない──いないように、世界を整えてきたのだから当然だと、そう思っていた。

 否、事実そうだったのだ。

 腹の内という、関りが無ければ読み解けるはずもないものは置いておくとして、取り敢えずは自分に反抗するような者はこの人界には存在しなかった。

 このクソガキを、一年前自らの手で偶然拾い上げるその日までは。

 

「今日こそ決着だ、三百歳ばあさん!」

 

 セントラル・カセドラル最上階に、少年らしい、少し高めの、それでいてどこか威厳を感じさせる大声が響き渡る。

 超高層、超巨大建築物であるそれの中でも最も小さな部屋である最上階は、基本的に最高司祭であるアドミニストレータしか入れない、彼女個人の部屋だ。

 ちょうど百階に当たるそこに行きつくまでには、多くの整合騎士が見張っている階を通り抜けてこなければいけないという、念には念を入れられている程の警備具合だ。

 しかし、しかしだ。

 今現在、アドミニストレータの眼前には他ならぬアルフォンスが立っていた。

 真っ直ぐと伸ばした右腕でビシィッと指を指している。

 アドミニストレータは痛みを訴えかけてきた頭をそっと抑えた。

 

「いやあのね、お前ね、もう来るなって言ったわよね……?」

「オレがルールだからな、アドの言うことなぞ聞く必要はない」

「自由過ぎる……ていうかアドって呼ぶなって言ったわよね? アドミニストレータ様か最高司祭様とお呼びなさい!」

「断る!」

 

 ふふん、と胸を張るアルフォンスを前に、アドミニストレータは大きくため息を吐いた。

 つい昨日もコテンパンにしてやって「二度と来るな」と蹴り出してやったにも関わらずこの始末である。

 この人界では珍しい方に分類される黒い髪を一つに纏めた彼は、同じく黒い瞳を輝かせながらドヤ顔をしていた。

 どうにも自信満々なようである。

 昨日は黒焦げで気絶したくせに。

 

「そもそも、どうやってここまで来たというの。今日はファナティオとベルクーリに警備させていたはずよ」

「ああ、その通りだ。お陰でここまで来るのにも一苦労だった」

「なっ……倒したとでも言うつもり!?」

 

 それは、アドミニストレータにとっては小さくない衝撃だった。

 なにせベルクーリとファナティオは整合騎士のトップとトップツー──つまり、この人界の中でも一番、二番の実力者だ。

 その二人が、このクソガキに敗北した……?

 信じられるような話ではない、しかし、事実アルフォンスにはそれだけのポテンシャルがあるということも彼女は重々承知していた。

 何せ、歴代最強の整合騎士になるでしょう、と誰よりも先に言ったのは他ならぬアドミニストレータなのだから。

 今すぐにでも整合騎士として仕立ててしまっても良いかもしれない、と彼女は一瞬だけ思考をそう回した。

 

「ベルクーリはチョコレートで懐柔して、ファナティオには土下座して見逃してもらった! 二人ともにこやかに通してくれたぞ!」

「あいつら……!」

 

 アドミニストレータは激怒した。

 かの脳内花畑ゴリマッチョ野郎とそれに惚れ込んでいる二番女だけは絶対に許さないと固く誓った。

 

「ベルクーリなんかはファナティオの説得まで手伝ってくれた、あいつは良いやつだ。オレが頂点に立った時も引き続き整合騎士の騎士長をやってもらおうと思う」

「何故お前はいつも私に勝てる想定しているのかしら……?」

「今日こそは勝つからだ、オレは昨日の敗北を糧に更に強くなったぞばあさん」

「そのばあさんという呼び方もやめろと昨日言ったはずなのだけれど……?」

「オレは事実は偽れない男でな」

「なるほどね──説教は後だ、ぶち殺してやる!」

 

 小さな室内に雷雲が、一瞬にして渦巻いた。

 アドミニストレータは三百年という、通常考えられないほどの年月を生きてはいるが、非常に短気であった。

 いや、あるいは長年生きているからこそ、短気なのかもしれないが……。

 兎にも角にもアドミニストレータはキレた。もうマジギレである、大人げない程に彼女はキレ散らかした。

 しかしアルフォンスは狼狽えない、動じない!

 天才である彼は煽った以上こうなることは予測済みだった、事前に術句を唱えておいた神聖術突き出し叫ぶ。

 

「ディスチャージ!」

 

 両手の指、全てに一つずつ灯った熱の素因(サーマル・エレメント)が混ざり合って唸りを上げた。

 十の火が象るは竜。

 大きく口を開き、咆哮を放つ灼熱の竜はその全身から火を散らして雷雲へと飛び込んだ。

 火の粉が、アドミニストレータのベッドへと飛び散り大きく燃え上がる。

 

「あっ、あぁぁぁぁぁ! 私のベッドぉ!」

「そんなことを気にしている場合かっ」

「そんなことって、お前ねぇ……」

 

 二人の神聖術がぶつかり合って激しく爆散する。

 アドミニストレータが咄嗟に出したそれと、入念に準備してきたアルフォンスのそれはほぼ互角だった。

 つまり、アルフォンスは神聖術ではアドミニストレータには勝てない。

 そのことを、しかしアルフォンスはしっかりと理解している。

 故に、彼の腰には一本の木剣が帯びられていた。

 その剣の名称は《白金樫の剣》──人界で製造されている木剣の中でも最も優先度(プライオリティ)が高い剣。

 量産されている木剣の中では最強の木剣だ。

 アドミニストレータが神聖術より剣術の方を苦手としていることを、アルフォンスは肌で感じ取っていた。

 だから、あの神聖術は囮であり時間稼ぎ、本命はこれによる剣術──!

 

「あら、少しは学習してきたのね」

「オレは日々成長している、今日こそ倒させてもらうぞ……!」

「そのセリフ、もう聞き飽きたわよ」

 

 虚空から取り出した剣を以て、アドミニストレータは彼と対峙した。

 両者の剣に宿るのは色とりどりの光──これを、人界では《秘奥義》と呼び、また別の世界では《ソード・スキル》と呼ぶ。

 元々の剣の強度に差があるものの、そこは天才の名を戴くアルフォンスだ。

 整合騎士達との試合から盗み学んだ体捌きと剣捌きで彼女の剣劇を逸らして、逸らして、逸らす。

 力をそのまま受け止めないよう受け流し、隙を作ってから剣を突き出す──が、届かない。

 アルフォンスが天才だとすれば、アドミニストレータはそれを超える天才かつ超人である。

 それに、そもそもの話、剣捌きにしたって彼女はアルフォンスを上回っていた。

 ガキィィ……ン、という甲高い音と共に木剣は弾かれ宙を舞う。

 アドミニストレータの足元にまである長く美しい銀の髪がふわりと舞って、剣はアルフォンスの首元へと向けられた。

 

「はい、これで終わりよ」

「ぐぬぬ……やはり年季の差が分厚いか──ぐばぁ!」

「年齢の話はするなつってんでしょ」

 

 剣の腹で殴られアルフォンスは吹っ飛んだ。

 これは彼が悪い。

 片頬を抑えながら突っ伏した彼の前へと、アドミニストレータが歩み寄る。

 

「色々と──本ッ当に色々と、言いたいことはあるのだけれども取り敢えず、ごめんなさいは?」

「…………ごめんなさい……」

「素直でよろしい、お前は本当にそうやって、しおらしくしていれば可愛いのにねぇ」

 

 げしげし、と彼女はアルフォンスの頭を足で弄ぶ。

 敗者は文句を言う資格もない。

 アルフォンスは黙ってそれを──滅茶苦茶眉間に皺をよせながら、甘んじてそれを受け入れていた。

 その目元には若干雫が浮いている、彼は毎日アドミニストレータに敗北しているが、それはそれと悔しさはあった。

 というかもう滅茶苦茶悔しい、ここが私室だったら号泣している。

 アドミニストレータはそれが分かっているからこそ浮かべている笑みを深めた。

 彼女は性格がクソだった。

 

「ほーらほらほらほら、感想は? ねぇ、負けた時の感想は無いのかしら?」

「ぐぅぅぅぅぅ……!」

 

 半泣きで唸る少年を楽しそうに(なじ)る成人女性がいた。

 残念ながら見てる人間が他にはいないので事案にはならない。

 アドミニストレータは暫しその状況を楽しんだが、やがて飽きたのかパチンッと指を鳴らして半焼したベッドを元の姿に戻した。

 天蓋付きのフカフカベッドだ。

 彼女は基本、毎日それに横たわって暮らしている。

 それが変わったのはアルフォンスがカセドラルに来てからだ。

 こうして毎日あの手この手で最上階まで辿り着いてくるのである。

 最近では整合騎士達まで全力で協力している節まであった。

 

「お前ねぇ、いい加減身の程というものが分からないのかしら?」

「身の程はわきまえているさ、だから今日も給食係のお姉さんと昇降係のお姉さんには感謝を伝えてきた!」

「いや私、私最高司祭だから。その二人よりもずっと私の方が上なの、わかる? ねぇ……」

「分かってはいるがアドはまた別のカテゴリだし……ほら、言うなればライバル枠的な」

「この私をお前如きと同じステージに上げるな──全く、ほら、来なさい」

「あい……」

 

 アドミニストレータに手を引かれてアルフォンスは立ち上がる。

 そのまま復元されたばかりのベッドへと二人並んで座った。

 アドミニストレータがそっと優しく、アルフォンスの頬を撫でる。

 先程自らが作り出してやった傷のある方である。

 

「ほら、痛みは?」

「うん、もう大丈夫だ、流石だなアドは」

「だからアドと──はぁ、今はもう良いか……」

 

 アルフォンスの怪我を治し、本日何度目かのため息を吐いた彼女は呼び方の訂正を諦める。

 どうせ何度言ってもこいつは聞かないのだ──それはそれとして、明日も来たら訂正はするのだが。

 来るなと言っても来るし、警備を厳重にしてもすり抜けてくるのだろう、悔しいことに。

 

「……今日の、火の神聖術は見事だったわ。手抜きだったとは言え私の神聖術を相殺するとは思わなかった」

「そうか!? そうだろうそうだろう、アレは結構自信作だった!」

「えぇ、でもアレを用意するのに、どれくらいの時間をかけたか教えてもらえるかしら」

「むぅ……五分以上はかかった。術句自体も長かったが、形にする時のイメージを固めるのに苦労した」

「ふふっ、それじゃあまともな戦闘になった時は使えないわね」

「そうなんだよなぁ~、そこが欠点だ、何かいい方法はないか?」

「あら、ライバルにそれを聞くの?」

「…………アドは師匠兼ライバルだからセーフだ!」

「それ今思いついたでしょ、お前……」

 

 アドミニストレータは微笑みを──彼女自身はそのことを全く意識せず──浮かべ、アルフォンスの頭へと手を置く。

 それから短い黒の髪を梳くように撫でながら、アルフォンスの話へと耳を傾けた。

 昼過ぎにアルフォンスが授業を抜け出しアドミニストレータを襲撃し。

 それをものの数秒~数分で撃退し、反省を促した後の話し合い。

 これが──ここまでが、彼と彼女の"いつも通り"である。

 彼──アルフォンスが拾われてきた一年前からできた習慣だ。

 『そのラスボスの座はオレのものだ!』と叫びながら最上階へと突貫してきた日から、毎日絶えることなく続いている日課だ。

 今日も今日とて有意義な話をして、それから「そろそろ夕食でしょう」と最上階から追い出されたアルフォンスはグッと背伸びをしてから帳面を取り出した。

 パラパラと新しいページを開いてペンを動かす。

 七の月の二十二日目、敗北。

 そう記した彼は帳面をしまい、次こそは勝つ、と意気込むのであった。

 

 

 ──通算戦績、三百二十七戦中、零勝、三百二十七敗、零分け。

 アルフォンス少年十一歳。

 将来の夢は『アリシゼーション編におけるラスボスになること』である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




オリ主:神様転生者に憑依転生されそうになったが、持ち前の自我の強さで逆に神様転生者の人格を食った。
そのせいで人格が7(オリ主):3(転生者)くらいの割合で混ざったが、そのお陰で記憶が手に入った。

アドミニストレータ:約一年かけてオリ主にめちゃくちゃ絆された。


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剣のお師匠様は『ナンバーツー』。

ストックがもう無い、終わりだ、助けてくれ。


 《霊光の大回廊》。

 そう呼ばれる五十階層は、セントラル・カセドラル内に存在する百ある階層の中でも最も広く、最も高く、最も精巧に造られた階層だ。

 真っ白な大理石で造られる天蓋にはかつて人界に降り立ったとされる三柱の神──創世神ステイシア、陽神ソルス、地神テラリアと、それに付き従う人々の似姿が色彩豊かに描かれている。

 また、その天蓋を支える幾本もの柱でさえも全てが精巧な彫像であり、その全てを囲う壁には巨大な窓が取り付けられていた。

 セントラル・カセドラル五十階層、想像を絶するほどの高さであるそこには異常なまでのソルスの光が雨のように降り注いでいて、回廊は常に光で満たされていた。

 だが、それだけで手のかけられた、荘厳な景色を持つ場所だというのに、ここへと足を運ぶ人というのは酷く少なかった。

 というのも、セントラル・カセドラル内で過ごす人間というのは大まかに分けて四種類いる。

 一つ、最高司祭。

 一つ、元老院の司祭。

 一つ、整合騎士。

 一つ、修道士、修道女、だ。

 その内、最高司祭は自分の部屋から出ることがそもそも稀であり、元老院の司祭共も同様。

 整合騎士は基本的に任務に出ているか、カセドラル内にいても警備に当たっている為、自分の意志でどこかに留まるということはほとんどない。

 そして修道士と修道女は、五十階層まで上がる権限が無かった。

 《霊光の大回廊》に人がいないというのは、そういう訳であった──のだが。

 例外というのはどこにでもあるもので、アルフォンスは当たり前のような顔でこの階層を訪れていた。

 腰には白金樫の剣が帯びられており、その表情は珍しく、どこか固い。

 コツ、コツ、と足音を立てながら《霊光の大回廊》を踏み進めれば、奥から一人の騎士が姿を現した。

 

「何者だ──とは言ったけれども、まぁ坊やよね」

「あっ、ファナティオ。今日はここの警備か?」

「いいえ、今日は坊やと同じ安息日。かと言って私たちが下界に降りる訳にもいかないし、こうしてここを占有させてもらっていたの。

ここはこの子とも相性が良い場所だから」

 

 ファナティオは紫紺の鞘へと納められた己の剣をそっと撫でる。

 その剣の銘は《天穿剣(てんせんけん)》。

 優先度(プライオリティ)は50オーバーで、相当な実力者でなければその手で持ち上げるのも困難なほどの名剣である。

 その昔──今から百年ほど前にアドミニストレータが一千枚の鏡を束ね、凝縮し、その手で作り上げた至高の一振りだ。

 正しく整合騎士、副騎士長──ファナティオ・シンセシス・ツーに似合いの剣である。

 

「今日もまた、最高司祭猊下の元に?」

「いいや、それはもう済ませた。日の出とともに奇襲すればいけると思ったのだがな……神聖術で力負けした。

朝方、爆発するような音が聞こえなかったか?」

「やっぱりアレ、坊やだったのね……お陰で最高の目覚めだったわ」

「失敬な、七割強くらいの割合であれはアドが悪い」

 

 明朝──具体的には午前四時を回ったばかりの頃に凍素による神聖術を用いて仕掛けたアルフォンスはものの見事に撃退されていた。

 単純な熱素による──しかしあまりにも巨大なそれに一瞬で溶かされ爆破されたという流れだった。

 それは最上階が粉微塵になるほどの威力で、セントラル・カセドラル内の住民に向けた痛快な目覚ましとなったわけである。

 因みにアルフォンスは普通に死にかけてアドミニストレータはめちゃめちゃ冷や汗を流した。

 

「それは十割で坊やが悪いと思うけど……良く、最高司祭猊下の部屋にたどり着けたわね。その時間は《四旋剣(しせんけん)》が警備していたはずだけれども」

「ああ、見つかったが見逃してもらった!」

 

 《四旋剣》というのは、ファナティオ直属の部下であり、新参である四人の整合騎士だ。

 それぞれの実力は飛びぬけたものではない──無論、整合騎士である時点で一級の剣士ではあるのだが──が、その連携は古参の整合騎士でさえ打ち倒すほどのポテンシャルを秘めている。

 整合騎士騎士団長であるベルクーリにさえ「これは厄介だ」と言わしめたのだから、その力量は推して知るべしだろう。

 男女比率一対一──つまり、男女二名ずつで編成される《四旋剣》は、しかしあまりアルフォンスのことを好いてはいなかったはずだが……。

 自分の知らない内にこの少年に絆されたのだろうか、とファナティオは思う。

 それこそ、かつての自分のように。

 

「あいつらはファナティオのことが大好きだからな、ファナティオの写し絵で手を打ってくれた」

「ちょっと待って?」

 

 聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。

 ファナティオは思わず言葉を被せるように問いかけたがアルフォンスはどこ吹く風と言った様子だ。

 

「ファナティオは美人だし、そうでなくとも兜をつけてる姿は凛々しいからなぁ。

写し絵の箱、手に入れといて本当に良かったよ」

「写し絵の箱ねぇ──今も持ってるの?」

「ああ、これだ……って、ぎゃー! やめろやめろ壊すな──あぁぁぁぁ……」

 

 赤と黄色でカラーリングされた、一見玩具にも見える写し絵の箱はファナティオの手によって一刀両断された。

 慟哭を上げるアルフォンスを、これ以上なく冷たい目でファナティオは見るのであった。

 盗撮は犯罪だ、これはアルフォンスが悪い。

 

「まだ現像していない写し絵もあったんだぞ……!」

「ふぅん、それじゃあそれも燃やさないとね」

「ま、待て! 話を聞いてくれ!」

「命乞いのつもり? 今更遅いけど──」

 

 高速で抜刀した剣を鞘に戻しながらも、ファナティオの冷ややかな視線は揺るがない。

 それでもアルフォンスは片手で「待った!」をしながら言った。

 

「ベルクーリの写し絵もあるぞ!」

「!」

 

 ファナティオは動きを止めた。

 アルフォンスがにやりと笑みを浮かべる。

 

「この前一緒に雑魚寝した時の写し絵だ、彼奴、結構まつげ長いよな」

「……聞かなかったことにしてあげましょう、ただし私の写し絵は消すこと。そしてもう二度と勝手に売ったりしないこと」

「くっ……うぅ、承知した」

 

 互いに妥協を重ねた結構グレーな取引が成立した瞬間だった。

 ファナティオはここ百年ほどベルクーリに懸想していた。

 百年オーバーの片思いである、その感情は彼女が自覚しているよりも、アルフォンスが思っているよりも馬鹿でかい。

 サラサラと消滅していく写し絵の箱を名残惜し気に一瞥をくれてから、彼はファナティオへと向き直った。

 

「まぁ、でもちょうど良かった、オレはファナティオを探していたんだ」

「私を?」

「うん、教えてほしいことがあって」

 

 珍しい、とファナティオは素直にそう思った。

 セントラル・カセドラルで暮らす者であれば誰しもが知っていることではあるが、アルフォンスは異常だ。

 異常な才覚、異常な才能を合わせ持っていて、それでなお向上を怠らない努力家。

 たかだか十一歳にして整合騎士へと並ぶ実力を誇り、元老院にすら手が届くほどの神聖術を扱う少年。

 基礎を学べば応用まで完璧にこなす天才。

 今度は何を吸収する気だろうか。

 

「剣を、教えてほしい」

「剣──剣術? 私に?」

「ああ、教えを請うのであればファナティオ以外には考えられないと思っている」

「どうして……」

 

 声になりきらない言葉を漏らして、ファナティオは目を逸らした。

 ファナティオは──ファナティオ・シンセシス・ツーはある意味、()()()()()だ。

 それを理解しているからこそ、この目の前の幼い少年が理解できない。

 何故なら、彼がそのことを理解できていないとは思えないからだ。

 アルフォンスの真っすぐな目線を疑ってしまう自分がいるという事実が酷く不快で、一度小さく深呼吸をする。

 

「理由を聞いてもいいかしら」

「そんなもの、ファナティオが強いからに決まっているだろう」

 

 ノータイムで返された言葉に、ファナティオは目を細める。

 アルフォンスは、目を逸らさない。

 

「であれば、私より適任がいるわ──それこそ、騎士長に頼めば良いでしょう、彼は人界一の剣士よ」

「ああいや……すまない、これはオレの返答が雑すぎたな。オレがファナティオに指導を願いたいのは、お前が極まった剣士だからだ」

「極まった……?」

「ああ」

 

 アルフォンスは一度大きく頷き、それから口角を上げた。

 

「確かに、ベルクーリは人界最強の剣士だ。彼奴の剣は王道かつ強者の剣で、この人界に最も適合した、完璧な見本であり究極形だ。それは間違いのない事実だと言って良いだろう」

「そうね、その通りだと私も思う」

 

 目を伏せたまま、ファナティオは同意する──同意せざるを得ない。

 ファナティオは女だ。

 人界において、女性は男性よりも弱い立場にある。

 騎士と言えば大体の場合が男性であり、強者とされるものもまた同じ。

 それは、整合騎士であっても変わることのない事実だ。

 戦場に立つものは基本的に男性だけ、という常識が人界には──暗黒界でさえも──蔓延している。

 それが、ファナティオは気に入らない。

 だからこそ、彼女はありとあらゆる手を尽くして、№2にまで登り詰めた。

 ──そこまでしても、所詮は№2だったのだ。

 

「だがそれではダメなのだ。なぜなら彼奴は足り得た者なのだから。オレが必要としているのは、足り得なかった者の剣なのだ」

「……続けて」

「それに反してファナティオ、ファナティオ・シンセシス・ツー。

百五十年以上の間、整合騎士を束ねる副騎士長として務めているお前の振るう剣は、しかし人界における弱者の剣だ。

連続して放つ斬撃、相対するものを惑わす足捌き、《天穿剣》による不意を突いた光線、距離を取るような立ち振る舞い。

一撃必殺を美しいとし、どのような局面であっても一撃同士をぶつけ合わせることこそが王道であるこの世界では、お前の剣は邪道の剣だ」

「──分かってるわよ、言われなくても、ちゃんと分かってる。だから聞いているんでしょう、なぜそんな私に、と」

()()()()()だ」

「は……?」

 

 ダンッ! とアルフォンスは床を踏み鳴らす。

 ファナティオの零した疑問の吐息をかき消すように、己の言葉をよく聞けと、そう言わんばかりに。

 幼い──ファナティオからすれば己の十分の一も生きていない少年が、しかし今この時だけは《霊光の大回廊》を支配していた。

 

「その剣が最も強いと、そう信じているからだ。一撃必殺が美しい? 王道? ハッ、くだらないな。

美しいのはいつだって勝利のみだ、その過程が王道であろうが、邪道であろうが関係あるものか。

であればファナティオが──弱者が、負けを知る者が、足り得なかった者が、持ち得なかった者が、土に塗れ、泥をすするような思いでそれでも、と勝利へと手を伸ばした、その剣こそが最も強いに決まっている」

「──はぁ、随分と煽てるのね。私は騎士長に勝ったことすらないのよ」

「それは当然だ、戦いは剣だけではないのだから、総合力という点で見てもベルクーリは最強だ──と言っても、これからの時代はむしろ、ファナティオのような剣の時代になるとも思っているが」

 

 飽くまで最強の剣士はベルクーリである、と言った口で、彼は今後ベルクーリのような剣士は落ちぶれていくだけだろう、とも言った。

 ──いや、正確には「現在のベルクーリのようなスタイルに固執する剣士は」だろうか。

 成長を、進化を怠った者はただ衰えるだけだ。

 

「……どうして?」

「いや、普通に考えて連続技の方が厄介だろう……まぁ、王道と邪道というのはしばしば入れ替わる、ということだ。

どちらも同じ『道』であることに変わりはない、その『道』を選ぶ人が多いか、少ないかの違いでしかないのだから」

 

 問答は終わりだ、とアルフォンスは《白金樫の剣》を抜いた。

 両手で握り、ファナティオと相対する。

 

「そういう訳だ、受けてくれるだろうか」

「臨戦態勢に入りながら言うことじゃないわよ、それ……」

 

 でも、まぁ良いか、とファナティオは思った。

 ここまで全面的に、何もかもを肯定されると恥ずかしさや不快さを通り超えてもういっそ清々しい。

 子供特有の分かりやすい嘘でもなければ、大人特有の小狡い嘘も感じ取れなかった。

 元より、目の前のこの──小さな少年が嘘を吐くとは思ってもいなかったというのはあるが。

 何だか日に日にこの少年に絆されている気もしたが、しかしそれがどこか気持ち良いと、ファナティオは思う。

 少しだけ笑みを浮かべて、彼女は兜を被った。

 

「──我が剣は数十年かけて編み出し、研鑽した修練の剣。半端な覚悟で覚えられるとは思うな!」 

「ああ、望むところだ!」

 

 一人の騎士に、一人の少年が詰め寄り襲い掛かる。

 それを見ながら、剣以外にも教えることは山ほどありそうだな、とファナティオ・シンセシス・ツーは思った。

 無論、それは百余年という長い間を騎士として、戦う者として生きてきたファナティオだから持ち得る感想であって、他の者であれば相当に優秀だと思うだろうが。

 事実、優秀であるということ自体は彼女自身も認めている。

 ただそれはそれとして滅茶苦茶ボコボコにはしたし、半泣きになるまで追い詰めはした。

 ファナティオは時代が時代ならニュースで取り上げられて辞職待ったなしなくらいクッソスパルタだった。

 

 

 

 

 

 

 

「本当に、恐ろしい坊やよね……」

 

 ──その夜。

 セントラル・カセドラル九十階層:大浴場にて一人、ファナティオは湯浴みをしながら、先ほどまで相手をしていた少年のことを思い返していた。

 拙い足捌き、雑な剣筋、思いのほか無かった痛みへの耐性、色々と課題はあるが、しかしそれは、人界№2から見た場合にすぎない。

 彼は──アルフォンスは既に、《四旋剣》程度であればまともに相手取れる程の実力だ。

 《四旋剣》は四人同時に整合騎士として召喚された異例の騎士達である。

 それをファナティオが直々に──それこそ、今アルフォンスにしてやっているように、自らの手で長年鍛え上げた騎士達だ。

 そんな彼らと同等──いや、あるいはそれ以上。

 まだ十一歳の少年が──それも、剣を握ったのはここ一年の話だ。

 更に言えば並行して神聖術まで修めているのである──それこそ、並みの整合騎士よりも既にその練度は上。

 最高司祭であるアドミニストレータに直接を教えを賜っていることを加味しても、それは異常だ。

 ファナティオは、アルフォンスという少年を好ましく思っている。

 ──だが、それとは別として彼女は、彼に対して恐ろしいという言葉では言い表せないほどの、得体の知れなさを感じていた。

 

「それに、もう連続技自体は習得しつつある」

 

 連続技は──恐らくではあるが──この人界においてファナティオしか使用者がいない。

 それも当然だと、ファナティオはそう思う。

 なぜならばこれは、彼女自身が自らの手で生み出したものだからだ。

 今より百五十年以上前に、ファナティオはアドミニストレータの手によって人界へと召喚された。

 そこからの日々は、戦いの日々、殺し合いの日々だった。

 幾度もの強力な暗黒騎士達との戦いの中で、一撃の重みでは到底勝てない、そう思い至った彼女は当時からの常識である「剣技は単発のみ」というものを裏切り、連続技の研鑽を始めた。

 十年、二十年、三十年と時間をかけ、そして彼女は整合騎士副騎士長という位置を得た。

 ──それを、教えてほんの数時間であの少年は習得しつつある!

 異常なまでの学習力、異質なまでの模倣力。

 あと数年、この調子で成長すれば──彼は、どれほどの傑物になってしまうのだろうか。

 ファナティオはそう思いを巡らせて、足音を聞こえさせてくる期待と不安に薄く微笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 




ファナティオ・シンセシス・ツー:約一年かけてめちゃくちゃ絆された。ベルクーリが好き。


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『人界最強』のおっさん。

次話の進捗0です、対戦よろしくお願いします。


 その昔、人界には時計が存在した。

 今でこそ、《時告げの鐘》と呼ばれる、三十分ごとに音を高らかに鳴らす《神器》があるが、それより以前──この世界が誕生したばかりの頃は、《時刻みの神器》が人々に時間を教えてくれていた。

 短針が時間を示し、長針が分を示す、いわばアナログ式の時計だ。

 《時告げの鐘》より段違いで便利なそれは、しかし今は存在しない。

 最高司祭たるアドミニストレータが、ある時それを基に一本の剣を創造したからである。

 表向きは『人々が時計ばかりを気にして、仕事を疎かにしたため』とされているが、事実は当然異なる。

 当時彼女──アドミニストレータは人界の防衛機構として、『整合騎士』というシステムを考えついた頃であった。

 整合騎士、それはいわば人界の平和を守るための人柱だ。

 当然、強くなければ話にならない。 

 半端な強さではなく、それこそ人界で最も強いとされるくらいでなくてはならないだろう。

 その、栄えある一人目に選ばれた騎士の名は、ベルクーリと言った。

 北の果てに存在する、ルーリッドという小さな村を立ち上げた数人の開拓者の内の一人であった彼は、当時セントリアでも高名な剣士でもあった。

 曰く、百人の剣士を相手に勝利を収めた。

 曰く、獅子の首を一刀で落とした。

 曰く、竜すらも従えた。

 そんな噂──そのほとんどが多少の尾ヒレが付いただけで、真実ではあったが──が流れる、恐らく当時最も強い剣士であったベルクーリは、アドミニストレータにとっては渡りに船でさえあった。

 何としてでも手に入れる、そう意気込んだ彼女はほんの数年で、彼をその手中に収めた。

 ベルクーリの最も大切とする記憶を抜き取り、代わりに己へと忠誠を誓う《敬神(パイエティ)モジュール》と呼ばれる結晶を頭に埋め込み、初の整合騎士を創り上げた。

 それが、最古にして最強の整合騎士、ベルクーリ・シンセシス・ワンである。

 人界を守護し、最高司祭へと忠誠を誓う騎士と成り果てた彼には、しかしその実力、投入される戦場の苛烈さ、彼自身の剛力に見合う剣が存在しなかった。

 一流の鍛冶師が、丹念に打った鋼の剣でさえ数か月で使い潰してしまうほどで、これでは折角の人材を無駄にしてしまう。

 頭を悩ませたアドミニストレータ、であれば優先度(プライオリティ)が元々高い《神器》をそのまま武器にしてしまえば良い、という考えに至った。

 そうしてたまたま、一番最初に彼女の視界に入った《神器》が《時刻みの神器》だったという訳だ。

 

「あぁ、これならば代用品も直ぐに用意できる」

 

 そう独り言ちた彼女はすぐさま《時刻みの神器》を取り外し、分解し──その長針と短針を基に超高優先度を保持する一本の剣を創造したのであった。

 それが、今なおベルクーリの背へと帯びられる《時穿剣(じせんけん)》である。

 アドミニストレータの狙い通り、この人界でも有数の優先度を有したそれは、正しく最強の一振りであった。

 最強の剣士に、最強の剣。

 文字通り『人界最強』となり、数百年が経過してもなおそれを維持し続けるベルクーリ・シンセシス・ワンは現在、暗黒領域(ダークテリトリー)の空にいた。

 整合騎士以外の人間は、誰一人として外に超えることを許されない、果ての山脈のその外側だ。

 整合騎士は、ここから人界へと侵入してくる暗黒領域(ダークテリトリー)の戦士、暗黒騎士達との戦闘の日々に明け暮れていた。

 それは勿論、ベルクーリとて例外ではない。

 彼の相棒である飛竜──星咬(ほしがみ)の背に乗った彼は《時穿剣》の柄へと手をかけながら、真っ直ぐ遠くを見つめていた。

 否、遠くを見ているのではない。

 見ていたのは、そこから飛んでくる、十を超えるミニオン──粘土と暗黒術(暗黒界に住む者からした神聖術)によって象られた仮初の命を持った竜──と、それに騎乗する十人の暗黒騎士。

 ──いや、うち二名は暗黒術師か。

 人界へと攻め込もうと隊列を組んでくるほどだ、その実力は相当なものであるだろう。

 二百年という長い時を経て、拡張に拡張を重ねたベルクーリの知覚は冷静にそれを察知していた。

 

「そろそろ交代の時間だ、ちゃっちゃと片付けるか」

 

 その上で、やはりベルクーリは余裕を崩さない。

 どころか、神聖術を用いて現在の時間を確認しているところであった。

 元から剣のみを極めんとした剣士であり、今なお整合騎士である彼は神聖術をそこまで得意とはしていないが、これだけは特別だった。

 というよりは、整合騎士であれば誰でもこの神聖術だけは会得せねばならないのだ。

 総勢三十人にも満たない整合騎士達は時間を正確に決めて交代することで人界を守護していた。

 鞘からスルリと、ベルクーリは《時穿剣》を引き抜く。

 その刃は酷く分厚く、巨大。

 二メルはあるかという彼と同等のサイズを誇るそれを、しかしベルクーリは片手で扱う。

 

「これが終われば暫くはカセドラルでゆっくりできる、気合入れろよ、星咬」

 

 その言葉に、星咬は大きく咆えることで返事とした。

 飛竜というのは、人間には及ばぬものの、人界においてはトップの知能を持つ生命体だ。

 更に付け加えるならば、整合騎士達が駆る飛竜は幼体の頃から共に過ごし、成長してきた飛竜である。

 そのスペックは野生で育った飛竜とは比較にならないほどずば抜けて高い。

 ゆえに星咬は、ベルクーリの言うことをのほとんどを理解できていた。

 ついでに言えば、もう一か月以上も暗黒領域(こんなところ)で生活させられていて、うんざりしていたところでもある。

 この一戦で終わりなのだと考えれば、やる気も出てくるというものだった。

 バサリと、青緑の両翼が空を打ち羽ばたき、加速する。

 

「──────ッ!」

 

 《時穿剣》を構えたベルクーリは無言だった。

 されどもその圧は十人分──いや、それ以上。

 急激に加速し、十人編成の小隊へと襲い掛かったベルクーリは、その圧──剣気や、覇気とも呼べるそれだけで、彼らの思考を絡めとった。

 暗黒術の詠唱をしていた二人の暗黒術師も。

 剣を構えていた暗黒騎士も。

 矢を番えていた暗黒騎士も。

 自我も何もない、使用者の道具でしかないミニオンでさえも。

 全員が、数秒の間動きを止める。

 その数秒が──暗黒領域の精鋭たちにとっては致命傷に過ぎた。

 先頭を飛んでいた──恐らく、この小隊の隊長と思われる暗黒騎士をミニオンごと、すれ違いざまに両断したベルクーリを乗せた星咬は更に上空へと飛翔した。

 バサリ、と風を叩きながら広げ、ソルスを背にした彼はその大口を開く。

 そこから放たれたのは、蒼白い一直線の極炎。

 一撃で百の兵士の天命すら焼き尽くしてしまうとされるそれは、纏まって動いていた暗黒騎士達を容易に飲み込んだ。

 悲鳴すらも焼き尽くし、長い鍛錬によって上昇を重ねた彼らの天命は、一瞬でからとなり塵と消える。

 しかし、その中から九つの影が飛び出した。

 ミニオンである。

 暗黒術師たちにより生成され、たった今己たちの使用者を失ったばかりのミニオンは、最後に遺された敵を撃退せよという命令のもとその両翼をはためかせていた。

 彼らの原材料は粘土と暗黒力だ。

 物理的な斬撃には弱くなったが、しかしそれ以外のほとんどが通用しないように作成された人造の兵器。

 痛覚も、意思すらも存在しない彼らは、ひたすらに飛翔を続け──ある一点、ベルクーリ達の元まで後三メルというところで動きを止めた。

 ──否、止めたのではないし、止まったのでもない。

 九つのミニオンは、()()()()のである。

 ベルクーリの手にある剣──《時刻みの神器》から生成された《時穿剣》は、その名前通り()()穿()()

 時間という、決して戻ることも出来なければ、誰かより先んじて進むことも出来ない、いわば平等の概念に《時穿剣》は干渉する。

 《時穿剣・空斬(からぎり)》と呼ばれる、その武装完全支配術は、()()()()()

 とどのつまり、《時穿剣》によって作られた斬撃はその場に()()のだ。

 その様はまるで局所的に陽炎が出来上がったようで、ベルクーリの任意のタイミングで姿を現す。

 星咬が飛翔した際、ベルクーリは数重にも及ぶ斬撃を空中に残していた。

 それを、九匹のミニオンが全て斬り刻まれる、言わば斬撃圏内に入った瞬間に発動させたのだ。

 無数の斬撃に刻まれ元の粘土へと戻ったミニオンは呆気なく、地上へと落下していった。

 

「──うん?」

 

 ふと、ベルクーリが疑問に満ちた声を零した。

 それは、今討ち取った騎士でも、ミニオンに関することでもない。

 彼の、最早人を逸脱していると言っても良いほどの視力を誇る目が、人影を捉えた気がしたからであった。

 いや、気がした、ではない。

 ──い、いる! いやがる! 間違いねぇ!

 

「おいおい、嘘だろ?」

 

 百戦錬磨、最強かつ最古の男であるベルクーリは、しかし頬を引き攣らせて星咬の背を二度叩いた。

 その背には先の戦闘でさえ一つも流さなかった汗が滝のように流れている。

 星咬が、ベルクーリの内心を推し量ったように、曖昧な声を上げて高度を落とした。

 やがて、地上へと到着した彼は、ようやくその姿をはっきりと認知した──認知してしまった。

 その少年は見慣れた──セントラル・カセドラルに住む修道士が着ることを義務付けられている制服を少しだけ改造したものを着ている。

 肩まで伸ばした黒の髪に、快活な黒の瞳。

 肌の色は真っ白でもなく、されども焼けているという訳でもない。

 身長は、150センに満たないくらいで、腰には《白金樫の剣》を帯びている。

 その柄巻きは何度も張り替えられたあとが見受けられ、それなり以上に使い込まれているのが分かった。

 そこまで観察して、ベルクーリは嫌な予感が当たった、と大きくため息を吐いた。

 

「あ、アルフォンス?」

 

 それでも、最初に出てきた言葉が疑問形だったのは、ベルクーリ自身が目の前の現実を受け止められなかった──受け止めたくなかったからであろう。

 そんなことは露知らず、少年は元気良く言葉を返したが。

 

「おっ、やはりアレはベルクーリだったか、見事な勝利だったな!」

「あぁ、そいつはどうも……ってそうじゃねぇ──あぁクソ、聞きたいことが多すぎる! 取り敢えずお前何でこんなところにいやがるんだ!?」

 

 耐え切れずにベルクーリは叫ぶように聞いた。

 ここは暗黒領域、整合騎士以外は踏み込むことすら許されていない人界の外側だ。

 更に言えばこのクソガキが過ごしているセントラル・カセドラルは人界のど真ん中であり、暗黒領域まではおよそ700キロル以上もある。

 子供の足で来れるような場所ではない。

 

「うむ、その質問は尤もだが、しかし一言で答えるには難しい質問だ」

 

 暗黒領域はほとんどの人間にとっては未知の世界だ。

 それは、アルフォンスであっても変わることはない。

 だと言うのにこの少年は特に驚く様子も、怖がる様子もなく、平然とした様子でそう言った。

 ただでさえ、戦闘を終えたばかりのベルクーリは纏っていた覇気の残滓とでも呼ぶべきものを残しているというのにも、だ。

 相変わらず肝の据わった坊主である。

 

「順を追って説明しよう、今朝、イーディスとレンリ、それから《四旋剣》の四人が人界警護の交代の為セントラル・カセドラルを発った」

「ああ、そうだろうな。ちょうど今日が交代の日だ」

「その際、大量の物資を持って行くだろう? 端的に言えば、オレはそれに忍びこんだ」

「く、クソガキ……!」

 

 思わず反射的に言った言葉をそのままに、ベルクーリはそっと空を見上げた。

 アルフォンスの隠密は正直言って相当高レベルなものだ。

 精鋭集いの整合騎士であっても気付けないのは仕方がない、と整合騎士長たるベルクーリでさえ、そう言わざるを得ないほどに。

 だからこそ彼は空を仰ぎため息を漏らすのだ。

 騎士長という立場上、彼は整合騎士達を叱らなければならない……。

 普通に憂鬱になってきた、と彼は思った。

 

「で、どうしてそんなことまでして暗黒領域まで来たってんだ? 暇つぶしか何かか?」

「失礼なやつめ、オレを何だと思っているんだ? 当然、理由くらいはあったとも」

「ほほう?」

 

 ベルクーリは、この少年が嫌いではない──どころか、相当気に入っていた。

 一年前に拾われてきてから始まった、セントラル・カセドラルを蹂躙するかのような少年の言動を、ベルクーリは微笑ましいどころか、有難いものだとすら思っていた。

 堅苦しく、どこか厳かさが充満していた時も嫌いではなかったが、今の随分と弛緩した雰囲気の方が彼好みだったのである。

 ──それに、何よりも。

 あの、本当に神なのだと言われたら信じてしまいそうなくらいの神聖さを秘める最高司祭が、酷く人間らしくなったのが、彼は嬉しかった。

 ふとした時に消えてしまいそうだった彼女が、時折、酷く空虚な瞳をしていた彼女が、しかし今では元気にクソガキに振り回されているのである。

 これが愉快以外の何と言えるだろうか!

 まぁ、そのせいで元老長との不仲が増したのだが、それはまた別の話だ。

 

「オレは一度、ここを見ておかなければならなかったのだ。いずれ、ここに立つ時が来るのでな」

「へぇ、お前さん、整合騎士にはならないと言ってなかったか?」

「もちろん、整合騎士になる気はない。オレがなるのはその上、最高司祭のポジションだ、それは今も変わってはいない」

「その上で、か……」

 

 真っ直ぐ、翳りの一つもない眼差しに、ベルクーリは笑みを浮かべた。

 アルフォンスという少年は、こうして二人で話している時、こちらが驚いてしまうくらい、酷く遠い眼をすることがある。

 それが、遠い、遠い未来へと思いを馳せている──いいや。

 遠い未来を予見している、ということに気付いたのはつい最近のことだ。

 この天才少年は、自分が考えつかないほどの『先』を見ている。

 それを共に見ることはできなくとも、察することはできていた。

 ──まぁ、それはそれとして。

 

「それなら用は済んだな、ほら、乗せてやるから帰るぞ」

「えぇ!? ちょっと待ってくれ。確かに用は済んだが個人的にもうちょっと楽しんでいきたい!」

「それがダメだっつってんだよ! つーか禁忌目録を余裕で破ってるからさっさと戻んねぇと大目玉だぞ」

「ぐっ……それは困るな、アドのガチ説教はかなり長い」

 

 もう手遅れだろうがな、とは言わないのはベルクーリなりの優しさだろうか。

 暗黒領域に出ることは《禁忌目録》で禁止されている。

 それを破った時点で、元老院の連中はそれを察しているだろう。

 ──この少年が、《禁忌目録》に縛られているかと言われれば、それは分からないが。

 

「そういう訳だ、大人しくしとけ」

「ぐぬぬ……しかし、くっ……分かった……」

 

 彼なりにかなりの葛藤があったらしい。

 それでも素直に返事したことにベルクーリは笑いながらアルフォンスを持ち上げた。

 恐ろしい程の異常性を秘めている少年だが、その体重は年相応に軽い。

 いつもは反抗精神でいっぱいな彼が、ぐでーっと腕にぶら下がる形になっているさまは少しだけ愉快だ。

 

「よぅし、準備はできたな、こっから拠点までひとっ飛びして、引き継ぎしたら帰還だ。いいな?」

「おーけーだ、しかし待ってくれ、もしかしてこの態勢で飛ぶつもりか?」

「大丈夫だ、星咬を信じろ」

「安心できる要素がない!」

 

 少年のささやかな抵抗と共に、星咬は元気良く飛翔した。

 その日、少年の元気な絶叫が暗黒領域には響き渡ったという。

 




ベルクーリ:絆されるまでもなく初対面時から主人公のことを気に入ってた。アルフォンスの遊び相手に良くなっている。


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金髪幼女は『妹分』。

明日の更新、絶望的です。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんない。

 どうか、どうかお赦しください。

 もう二度と、こんな真似はしませんから。

 反省します、反省し続けます。

 心に刻み、忘れぬようにこれから生きるようにします。

 だから、どうか赦してください、助けてください。

 お目こぼしを、どうか……。

 

 

 アリス・ツーベルクは一人、牢屋の隅で懺悔を重ねていた。

 北の果て、ルーリッドという小さな村で生まれ育った彼女は、つい今朝方、整合騎士:デュソルバート・シンセシス・セブンの手によってここに連行されてきた。

 かといって、それが誘拐等の犯罪的行為という訳ではなく、むしろ罪を犯したのはほかならぬアリスの方であった。

 人界には、決して破ってはならない法律というものがある。

 名を、《禁忌目録》。

 数百ページに及ぶ分厚いそれの、第一章三節十一項。

 『何人たりとも、人界を囲む果ての山脈を超えてはならない』──即ち、暗黒領域への侵入を禁ずる項目。

 これにアリスは抵触した。

 無論、彼女とて破ろうと思って破ったわけではない。

 偶然起こってしまった、いうなれば事故。

 村の近くの洞窟がそのまま暗黒領域へと繋がる洞窟だったのだ。

 そこにアリスを含めた三人の子供が入り、そしてアリスだけが、暗黒領域へと侵入した──いいや。

 侵入した、というのはあまり正しくないだろう。

 これは事故だったのである。

 人界と暗黒領域を区切るラインの手前でアリスは転んでしまったのだ。

 前に伸ばされた手の片方。

 指先が、少しだけそこを超えてしまった。

 言ってしまえば、それだけだ。

 だが、それだけで十分すぎた。

 たったそれだけのことですら問題視されるから、《 ()()目録 》なのである。

 事情を話したからと言って、赦されることは無いだろう。

 アリスは十一歳の子供に過ぎないが、聡明な少女でもあった。

 だからこそ、それが分かる──分かってしまう。

 これまで、《禁忌目録》に触れて赦された人がいないということも、知っている。

 無知は罪だ、しかし知っているからと言って罰せられないなんてことはあり得ない。

 アリス・ツーベルクは己が大罪人であるという自覚がある。

 それでも、そうだとしても。

 許しを、助けを求めてしまうのは、やはり彼女が子供だからなのだろうか。

 少女は一人、助けを求めるように手を伸ばしながらも、しかし絶望へと緩やかに落ちていく。

 その手を取るものは、誰一人として──

 

「新入りというのはお前か? ふぅん、随分と死人のような顔をしているのだな」

 

 ──少年が、それを掴む。

 

 

 

 

 

「あ、貴方は……? 誰、ですか?」

 

 震えた声で聞く囚われの少女──アリスを、アルフォンスは値踏みするように眺めていた。

 長く伸ばされた金の髪に白のリボン。

 青のドレスに純白のエプロンはどこか童話の主人公を思わせる。

 涙で潤んだ青の瞳はなるほど、確かに美しい。

 歳相応の活発さと、幼さが良くわかる。

 アリス……ツーベルクと言ったか。

 いずれ、三十番目の整合騎士になるのだったか、と、アルフォンスは自分の記憶を振り返った。

 アリス・シンセシス・サーティ。

 遠い──というほどでもない、もう少し先の未来にて活躍する女剣士。

 剣術、神聖術、共に相当な実力者であり、彼の知っている通りであれば、それはベルクーリにすら迫るほどだったはずだ。

 ──こんな風に震えて泣いているような少女が、な。

 それも、おかしな話ではないのだが、とアルフォンスは思う。

 整合騎士は元より、《禁忌目録》に触れた者、あるいは『人界最強』の称号が手に入る四帝国統一大会の優勝者のみで構成されている。

 アドミニストレータに記憶を抜き取られることにより、彼らは人間性を著しく失う。

 正しく人界を守るための《盾》となり、敵を打ち破る《剣》となるわけだ。

 そう考えれば、歳も性別も、出身も関係はない。

 あとは才能次第、あるいは努力次第なのだから。

 ──とはいえ、アルフォンスとてもちろん、偶然こんなところに来たという訳ではない。

 ここはセントラル・カセドラル地下一階、滅多に出ない《禁忌目録》違反者のみが収容される牢獄である。

 たった一人の獄吏のみが配置され、囚人自体、数十年に一度出るか出ないかだ。

 《霊光の大回廊》とは別の意味で、近寄りたがる者はいないだろう。

 それはもちろん、アルフォンスにも当てはまる。

 だから、彼が此処に来たのは意図的なものであった。

 この場所に今日、アリスがいることを半ば確信していたからこそ、足を運んだのである。

 無論、アルフォンスの脳内にある穴だらけの知識では正確な日付等は分からなかったが、デュソルバートが《禁忌目録》抵触者を連行してきた、という話を耳に挟み、あたりをつけたという訳だった。

 現在、整合騎士は二十九人までいる。

 次が三十番であることからも、予測は容易だ。

 そういう訳で、一回くらいは顔を拝んでおくかという、単なる興味本位で見に来たのだが──。

 

(流石に、情が湧いてくるか……)

 

 物語として、知識としては知っていたし、わかっていた──分かっていたつもりだった。

 アリス・ツーベルクという少女がほとんど理不尽な理由で連れこられ、記憶を抜き去られ、騎士として仕立て上げられる。

 文面としての知識はあったからこそ、どこか他人事以上の、それこそ物語の中のものとしてしか捉えることが出来ていなかったのだと、アルフォンスは遅まきながら気づいた。

 知識から得たふわりとした感覚に、地に足のついた輪郭が浮かび上がる。

 記憶の中の少女、物語の中の騎士ではなく、彼女はアルフォンスと同じ、人間なのだ。

 追い詰められ、隅で震え、恐れながらもジッと自分を見つめてくる少女に、彼は内心、ため息を吐いた。

 よもや、こんなところで、しかもこんな小さな少女に気付かされるとは。

 未熟にもほどがある。

 

「オレの名前はアルフォンス、ここに住んでいる修道士だ」

「私を、迎えに来られたという、ことでしょうか……」

「いいや、断言するがオレはお前が考えているような人間ではない」

 

 一旦伏せた目を、アリスは再度開いた。

 彼女からすれば、目の前の少年は得体の知れない存在だ。

 歳は同じくらいに見えるが、どことなく気品を感じさせるし、それでいてその瞳には無邪気さが見える。

 その上、教会の使いではないと言うのだ。

 困惑するしかないアリスを見ながら、アルフォンスは薄く笑った。

 

「かといってオレは別にお前を助けに来たとか、そういう訳でもない。いわば野次馬根性というやつだ」

「や、野次馬?」

「ああ、だがそれはそれとしてお前には一つ恩ができた、ゆえに選択肢をくれてやろう」

「はぁ……?」

 

 正体不明の少年が意味不明なことを言い出した、とアリスは思った。

 いや、自己紹介はしている以上、正確には正体不明ではないのだが。

 何となく鵜呑みにするのは良くない、と彼女の本能が言っていたのである。

 それは花丸満点を上げたいところだが、残念ながら半分正解で半分間違いといったところだ。

 名目上、未だにアルフォンスは修道士だ、その実体は完全に修道士のそれを逸脱しているが。

 何ならその無法っぷりは整合騎士を上回る。

 立派なアドミニストレータの頭痛の種だ。

 

「今ここに二本の鍵がある。片方がこの牢を開き、もう片方がその手錠を外す鍵だ」

 

 ジャラリ、と出した鍵束のうち、二本を外してアルフォンスは言った。

 どちらもハッタリではなく本物だ。

 ここの獄吏はもう、百年以上の単位で勤めを果たしている優秀な人材ではあるが、しかし一度眠りに就いたら中々起きないという特徴を持っていた。

 そこにアルフォンス特有の忍び足に手癖の悪さが付随することにより、音もなく鍵束を盗ってこれたという訳だ。

 それをゆらゆら見せつけるように、手の中でもてあそぶ。

 

「お前を此処から出してやってもいい、今ならば誰にも気付かれずに敷地を出ることくらいは可能だろう」

「えっ」

「ただ、そこから先は知らん。少なくとも、それ以上のことはオレにはできないし──そも、今ここで逃げ出したところで、指名手配されるだけだろうがな」

「そ、れは……そうだと、私も思うけれど……」

 

 一瞬だけ、胸の内から湧き出てきた興奮と期待が、冷や水をかけられたように落ち込んでいく。

 人の気分を上げたり下げたりして、何がしたいんだこいつは。

 それとも、なんの意図もなくただ揶揄われているだけなのだろうか。

 可能性としては、その方が高いとアリスは思う。

 しかし、それと同時に、やはり期待したいという気持ちがあるのもまた事実だった。

 

「だから、選択肢だ、アリス・ツーベルク。そこで大人しく刑を待つか、あるいは今すぐ逃げ出すか」

 

 アリスは考える。

 幼い子供であろうとも、それでも彼女は村でも指折りの優等生だった。

 リスクとリターンを秤にかけて、素早く、落ち着いて頭を回す。

 本来であれば、刑が執行されるのを待つべきなのだろう、自分はそれだけの罪を犯した──それが、事故によるものだったとしても──のだから。

 だが、それとは別に逃げ出したい自分がいるのも事実だ。

 文句だって言いたい、抵抗だってしたい、自由になりたい、妹に会いたい、幼馴染に会いたい、親に会いたい。

 昨日まではずっと続くものだと思っていた、日常に戻りたい。

 ……だから、私は。

 私は、私は、私は──!

 

「こ、ここから──」

「──そして三つ目、オレと共に来るか、だ。今ならアド……最高司祭に直談判を、ほかならぬこのオレがしてやろう」

「へ?」

 

 三つ目???

 この十一年生きてきた中で最も素早く、最も考えに考えて出した結論を一蹴するような三つ目が出てきてアリスは思考が停止した。

 前提をひっくり返すな。

 三択なら最初からそう言え。

 普段であればそう言ったであろうアリスも、流石にそれを飲み込むのには数秒の時間が必要だった。

 何せ、この人界の頂点。人でありながら女神灯される()()最高司祭様に直談判などと宣ったのだ、この少年は。

 嘘ではないように見える──いいや、そう信じたい。

 というより、信じるほかがない。

 

「そんなことが、可能なの……?」

「ああ、何せオレだからな──と言っても、無罪放免良かったな、ということにはならないだろう、とは先に言っておこう。

オレは無謀かつ過度な期待を持たせるのは好きじゃない、精々が刑を軽くするくらいと……後は、まぁ色々だ」

「…………」

 

 色々ってなに?

 アリスはそう思ったが口にすることは無かった。

 黙っていればよかったものを、言葉を敢えて濁して伝えた──それはつまり、『それについては聞くな』と言われたのに等しい。

 聞いたところで、教えることもできない。

 そういう意味だと捉え、アリスは再度思考を回す──。

 

「ちなみにオレは待つのが好きじゃない、あと二秒で決めろ」

「!?」

「ほら、いーち」

「!!?」

 

 ちょっと待って!?

 叫びそうになるのを必死でこらえ、アリスは考え……られない!

 無理決まってんだろ、ばーか。

 アリスは思考もできずにショートした。

 

「にーぃ、ハイ終わり。答えは?」

「うぅ、うぅぅぅぅ……あなたに、ついていきます……」

 

 もうほとんど直感に従った答えを、アリスは口にした。

 それが正しいのか、あるいはよかったのか、彼女には分からない。

 ただ一番間違っていなさそう、と思ったのが三番目の選択肢だった。

 それを相変わらず保ったままの笑みで、アルフォンスはうなずいた。

 それで良い、と言わんばかりだ。

 ガチャり、と重々しい扉をゆっくりとアルフォンスは開く。

 それから随分と手慣れた手つきで手錠を外した。

 少々傷のついた手首に光素(ルミナス・エレメント)による回復神聖術をかけてから、彼はアリスを引っ張り上げる。

 

「そうと決まれば手早く行くぞ、はぐれるなよ」

「きゃぁ!」

 

 アリスを背負い、ほとんど音を立てずに走り出したアルフォンスはヌルヌルとセントラル・カセドラルを昇り、あっさりと最上階へたどり着いた。

 もちろん、道中で誰かに見つかるどころか、影すら掴ませないという徹底ぶりだ。

 しかも、ここまで来るのに一時間もかかっていない。

 こいつ、あまりにも手馴れている……。

 明日の朝、警備にあたっていた整合騎士が叱られることが決定した瞬間である。

 ベルクーリは朝から胃が痛くなることだろう。

 

「さて、アドはここだ。準備は良いな?」

「え、えっと……」

「よし行くぞ」

 

 ちょっと待って!? と今日でもう何度目だろうか、とふと思ってしまうほど繰り返し、無視された制止の言葉をやはり無視されて、アルフォンスは扉を開けた。

 飛び込んできたのは、彼女が想像していたよりずっと小さな寝室で──

  

「女神様……?」

 

 ──女神様が寝ている、とアリスは思った。

 それくらい、奥のベッドで眠りに就く最高司祭:アドミニストレータは美しかった。

 この世のものではない、と一目でそう思ってしまうくらいに。

 アリスは、目を奪われ──ガンガンガンガンガン!

 

「わひゃぁあああ!?」

「きゃぁあぁああ!?」

 

 突然の爆音にアリスは叫び、アドミニストレータは跳ね起きた。

 ガチ絶叫だった。ただ、それだというのにノイズの少ない、美しい、と表現しても良いほどの声だったのは称賛に値するだろう。

 因みに音を鳴らしたのは当然アルフォンスだ。

 彼の手には今、鋼素(メタリック・エレメント)で作られたフライパンとお玉が握られている。

 

「おはようだ、アド」

「おはようだ、じゃないわよ! 一日に二度も来るなって約束してたでしょう!? ゆっくり寝させて!」

「いやぁすまない、しかし事情が事情でな──ほら」

「ひゃっ」

 

 手を引かれ、アルフォンスの後ろにいたアリスは前に出る。

 アドミニストレータの、神秘的な銀の瞳に射抜かれ、アリスは思わず見入ってしまった。

 

「その子──今朝の子かしら」

「ああ、そうだ。アリス・ツーベルク、《禁忌目録》違反者。こいつについて、お願いをしに来た」

「ふぅん……良いわよ、聞くだけ聞いてあげる」

 

 面白そうに、アドミニストレータは目を細めた。

 もちろん、こんな時間に、しかも罪人を連れて来たということに若干以上のストレスはあったが、それ以上に愉快さが勝った。

 

「許してやってくれ、と言うつもりはない。だから一つだけ、こいつはオレの傍付きにしろ」

「あら、珍しいわね。そういう子がタイプなのかしら?」

「は? オレのタイプはアドだが……まぁ良い。オレとて思い付きだけで話してるわけじゃない、これは必要なことで──」

「待って待って待ってちょうだい? ねぇ待って今なんて言ったのかしら?」

 

 超早口だった。

 もうビックリするくらい早口でアドミニストレータは聞き直した。

 え? 今なんて? もっかいもっかい。

 

「だから、これは必要なことなのだ。人界の未来に関わる、大きなことだ」

「いやそこじゃなくてその前……はぁ、もう良いわ」

 

 全然言い直さなかったアルフォンスに、アドミニストレータはため息と共に諦めた。

 この少年と相対するときは諦めやスルー力を身につけなければならない、というのはこのセントラル・カセドラルでは常識である。

 ただ、アドミニストレータが早々に諦めたのは、それだけではない。

 ──彼女は、アルフォンスの言わんとしていることを、理解していたからである。

 アドミニストレータは、この人界で唯一、アルフォンスに別人の記憶があるということを、彼自身の口から聞かされた人間だ。

 だからこそ、好き勝手やっても許している、というのが背景にある。

 なお記憶は読み取ろうとしたが、エラーが発生しまくって見えなかった。

 これも含めて、アルフォンスはアドミニストレータにとって最も大きな悩みの種なのだ。

 

「……良いわよ、どちらにせよ似たような扱いにはするつもりだったから。ただ──」

「分かっている、後で何でも一つだけ、質問に答えよう」

「それなら良いわ、ほら、そこの──アリスちゃんも、さっさと戻りなさい」

「ああ! ありがとうアド!」

「声でっかいのよ、頭に響く……」

 

 もう眠らせてちょうだい、と半ば追い出される形で二人は部屋の外へと出た。

 バタン、ガチャガチャ! と鍵までかけられる音がしてから、アルフォンスはアリスを見た。

 

「何がどうなったのか、分からなかっただろうから、取りあえず一言で教えてやろう」

「あっ、は、はい」

 

 すっかりポカンとしてしまっていたアリスは、その言葉で現実へと引き戻される。

 それから、ドッと疲労が全身を襲ってきたのを自覚した。

 ポツポツと汗が流れ、知らない内に未知ともいえる緊張を味わっていたといことを理解する。

 何度か深呼吸をして、息を整えてから見れば、アルフォンスは光素による回復を行いながら、口を開いた。

 

「お前はオレの妹分になった、これ以上ないほどの栄誉だ、喜べ」

「は、はい! ……はい?」

「そういう訳だ、明日、審問が終わったころに迎えに行く。期待に胸を膨らませておけ」

「はい???」

 

 疑問たっぷりに言ったがアルフォンスは無視してアリスを担ぐ。

 未だに「?」でいっぱいのアリスは、行きよりも急速で駆け降りていく少年に問いかけ直す体力も残っておらず、途中で眠りに落ちてしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──オレのタイプはアドだが……。

 

 少年の、なんでもない風に放った言葉が、頭の中でぐるぐると回っている。

 

「なんっなのよ、あの子は……」

 

 アドミニストレータは一人、窓から零れ落ちてくる月光に身を浸しながら純白の枕を抱きしめる。

 言葉とは裏腹に、その頬は、ほんのりと赤く染まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アリス:翌朝起きた時に「変な夢みたなぁ」とか思ってる。

アドミニストレータ:多分三百年間恋したこと無い。恋愛クソ雑魚女。可愛い。


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彼らの『相棒』。

既に五話な時点で皆さんお気づきだとは思うのですが、多分十話では終わりませんねこれ。
大誤算だよもう。
因みに次話は息してないどころか一文字も生まれてません。


「アリス、今日の予定はどうなっている?」

 

 人界七の月の最後の朝、全員が黙々と食事を摂る中、そう投げかけたのはアルフォンスだ。

 つい十日前に審問を終え、彼の傍付き修道女、という良く分からない天職に任命されたアリスは、彼の毎日のスケジュールを把握しておく必要があった。

 とはいえ、同じ修道士、修道女である以上個人のスケジュールなんてものはないのだが。

 学生が良くやる「次の授業なんだっけ?」みたいなやり取りのようなものだ。

 アリスは目線を左上へと飛ばしながら、記憶を探る。

 

「えぇっと、今日は確か午前中が神聖術、午後からは剣術ね。講師は──」

「違う、オレのではない、お前のだ、アリス」

「私?」

 

 しかし、同じ修道士、修道女と言ってもそこにはまた小さな区分が存在していた。

 ざっくり分けて三つ、上級、中級、下級、である。

 アルフォンスは当然ながら上級で、新参のアリスは未だに下級だ──アルフォンスは最初から上級であったが。

 かと言って、それはアリスが有能ではないということではなく、最初の一年はみな下級であるのが普通なのである。

 こいつが異常なのだ。

 

「午前はカセドラル内の案内で、午後は歴史と神聖術の修練よ」

「そうか、つまり暇ってことだな」

「なんで???」

 

 どうしてそうなるの? という疑問は、しかし意味をなさない。

 多分形式上聞いただけで、予定なぞどうでもよかったのだろう。

 アルフォンスはどこ吹く風、と言わんばかりにお茶をすすっている。

 本来であれば抵抗なりしたいところなのだが、残念ながらアリスはこの少年の()()()修道女であった。

 アルフォンスの命令は大体絶対なのである。

 アリスはこいつに逆らえない。

 

「今日はちょっと行きたいところがある、付いてこい」

「はいはい……最高司祭様のところ?」

「いいや、アドは最近お前を連れてくと若干不機嫌になるからな……夜に行く。

それとは別件だ」

「ふぅん、まぁ分かったわ」

 

 やれやれ、と嘆息すると同時に安堵を覚えながら、アリスは残った一切れのパンを食べ切ってしまう。

 最高司祭様が明らかに私的な意味合いでもアルフォンスを気に入っているのは周知の事実だ。

 そうでなくとも、アリスはアドミニストレータの発する圧に耐え切れない。

 一度でも顔を合わせればその日はもう疲労困憊である。

 

「そう他人事のような顔をするな、お前にも関わってくることだ」

「私にも?」

「あぁ──整合騎士見習いである修道士、修道女が此処で最も初めに得るべきものが、何かは知っているか?」

「得るべきもの?」

 

 ここ十日間で教えてもらったことを思い返してみても、アリスには一切見当がつかない。

 重ね重ね言うが、アリスは決して無能でもなければ、頭が悪いという訳ではない。

 むしろその逆で、アルフォンスがいなければ今頃『教会史上最大の天才』とまで言われていたであろう。

 それほどまでに彼女は神聖術に対する適性が高かった。

 無論、その頭も出来が酷く良く、分厚い辞書でさえも数日あれば頭に叩き込んでしまえるほどだ。

 そんな彼女に見当がつかない、ということは教えてもらっていないということで間違いないだろう。

 だが、何となく「分かりません」と言うのは癪だったアリスは、もう一段階踏み込んで思考を回す。

 整合騎士と言えばこの人界を守護する英傑たちだ。

 超級の《神器》をその手に、圧倒的な剣技と神聖術で暗黒領域からの軍勢を跳ねのける一騎当千の()()精鋭。

 であれば、やはり──

 

「自己回復の、神聖術とか……?」

「うむ、全然違う──が、まぁ回答としては悪くないな。確かに回復の神聖術の習得は必須だ。褒めてやろう、流石オレの妹分だ」

「そ、そう? えへへ……」

 

 よしよし、とアルフォンスに頭をなでられアリスは嬉しそうに声を上げる。

 見ようによっては仲の良い兄妹だ。

 最初こそ嫌がっていたアリスもたった十日でこれである。

 アルフォンスはかなりの人たらしだった。

 他人が喜ぶことと、嫌がることを本能レベルで理解している。

 ──アリスに関しては、突然やってきた非日常の中で、誰よりも早く、誰よりも親身に助けてくれた、ということも大きく作用しているだろうが。

 

「ちなみに正解は『相棒』だ」

「?」

「無論、人ではないし、愛用の武器を指しているわけじゃない。整合騎士の相棒とはすなわち──」

 

 ──飛竜だ、とアルフォンスはそう言った。

 

 

 

 

 

 

 セントラル・カセドラル南方庭園。

 豊かな草原が広がり、美しく大きな湖が存在する広大なそこは、央都セントリアでも屈指の広さを持つ巨大庭園である。

 セントラル・カセドラル──つまり教会の完全私有地であり、一般の人間が立ち入ることが許されていないそのエリアは通称:飛竜の庭。

 本来、西方にしか住まわない飛竜が教会の手によって育てられている此処は、首都にあるには似つかわしくないほど危険度が高い場所でもある。

 人間の天命値を大きく上回っており、人程度であれば一瞬で焼き殺せるブレスや、裂き殺せる牙、爪を持つ彼ら飛竜は、しかし決して人々を襲うことは無い。

 元よりかなり知能が高く、無暗に何かを襲うような生物でもない上に、彼らは整合騎士との間に強い繋がりを持っているからだ。

 ここで育てられた飛竜はみな、誰もが幼体の時に一人の戦士に預けられる。

 飛竜は何よりも絆を重んじる生物だ。

 幼い頃から共に育った戦士のことを裏切ることは無い──彼らが守ろうとするものを、一緒に守ろうとしてくれるのである。

 

「そういう訳でお前の飛竜を貰いに来た、ちゃんと名前は考えて来たか?」

「そっういうことは先に言っておくべきじゃないかしら!?」

「兄貴分を蹴るな叩くな馬鹿者」

 

 セントラル・カセドラル南方庭園に隣接する、セントラル・カセドラル一階、飛竜厩舎に今日も元気のいい少女の声が響き渡る。

 ついでに彼女渾身の蹴りが炸裂したが、返ってきたのは岩でも蹴ったかのような感触だった。

 思わずアリスは蹲る。

 

「いっっったぁ……」

「当たり前だ……お前とは格が違う」

「くぅっ」

 

 ギリィッ、とアリスは奥歯を嚙み締めた。

 ここ十日でアリスは随分とこの少年に絆されたが、それはそれとして同年代ということもありすっかり気安い関係になっていた。

 彼が兄貴分、妹分という言葉を使うせいで、もし兄がいたらこんな感じだったのだろうか、とも思っている。

 それがまた、彼女のアルフォンスに対する接し方のハードルを下げているのだろう。

 実際アルフォンスも満更ではなかった。

 小動物がじゃれてくるようなものである。

 

「そら、落ち着いたか?」

「え、ええ……もう大丈夫」

「なら良い、行くぞ」

 

 アリスの白く、小さな手を握ってアルフォンスは歩き出す。

 飛竜の庭は、パッと見渡した程度では果てが見えないほどの広さだ、一度迷い込んでしまえば出るのも一苦労だろう。

 そんな中を気負うことなく突き進む二人は、やがて大きな厩舎の前へと着いた。

 

「ハイナグー! 来たぞー!」

 

 手をメガホンのようにして、アルフォンスは大声で叫ぶ。

 アリスはその声量にやられたようでぐわーんとふらついた。

 せめて叫ぶ前に何か言ってよ、と文句を言おうとしたが、しかし厩舎の奥から誰かが出てくることにアリスは気付いた。

 青のつなぎを着た、長身の男だ。

 騎士だろうか、とアリスは一瞬そう思った。

 それくらい、彼の身体は鍛え上げられていたのである。

 

「アルフォンス修道士殿、毎度そう大声は出さなくても良い、と言っただろうが」

「そんなこと言って、一昨日来たときは気付かなかったろうが」

「アルフォンス修道士殿は大声か小声しか選択肢がないので?」

 

 バチバチッとした言葉が交わされるが、しかしアリスはそれだけで「あぁ、この二人は仲が良いんだな」ということを察した。

 兄貴分である彼は、横暴なふるまい、尊大そうな態度を取る割にはかなり理知的な言動をしている。

 相手の不快にならないラインを見極めるのが上手いのだ。

 ゆえに、冗談だったり、我儘だったり、煽りだったりを言う相手は大体仲が良い──アルフォンスが甘えている、とも言う。

 事実、二人には笑みが浮かんでいた。

 

「アリス、こちらがハイナグ──この飛竜厩舎の厩舎長だ。これから世話になるだろう、挨拶しておけ」

 

 そう促されて、アリスは一歩前に出た。

 ハイナグと呼ばれた男の灰の眼を見ながら、コホンと咳払いをする。

 

「アリス・ツーベルクと申します。つい十日ほど前に修道女になりました、よろしくお願いします」

「あぁ、話には聞いている。よろしく頼む」

 

 差し出された、黒く焼けた手をアリスが握る。

 こんなに大きい手の持ち主は村でもいなかったな、とアリスは思った。

 そもそも、これだけ身体を鍛えているような人がいなかった、というのもあるが。

 

「それで、飛竜なんだが早速会うか?」

「良いのですか?」

「もちろん、ちょっと待ってな」

 

 そう言って、ハイナグは厩舎の中へと入っていった。

 アリスは何となく緊張してしまって、ソワソワと落ち着かない。

 

「アリス、目にうるさいぞ」

「だ、だって、飛竜よ!? その、情けない話、期待……もあるけど、ちょっとだけ、怖くて」

 

 アリスは十日前、デュソルバート・シンセシス・セブンと、その飛竜によってここまで運ばれてきた。

 彼女は今でも、あの瞬間が目に焼き付いている。

 無機質な兜の先から見えるまなざし、それと共にある、巨大で恐ろしい、飛竜……。

 抑えているのに、それでも手が震える。

 

「? ……! ふっ、ふははっ、そうか、恐ろしいか」

 

 しかしそんな彼女を、アルフォンスは笑い飛ばした。

 むっ、とアリスが眉をしかめる。

 

「何も、笑うことないじゃない……」

「いやすまない、そういえばお前はまだ何も知らなかったのだと思ってな」

「知らないって、何が?」

「直に分かる、ただ一つだけ断言するのであれば、お前は必ず気に入るだろうということだな」

「ふぅん……?」

 

 曖昧な物言いだな、と思うが直ぐに分かるというなら待つしかないだろう。

 まったく、こういう時は慰めるなりなんなりしてくれるのが兄ではないのか、とアリスは内心毒づいた。

 

「あっ……」

 

 毒づくと同時に、手を握られた。

 特段こちらを見ていないから良く分からないが、いつも通りのすまし顔をしているのだろう。

 こんなことで少しだけほっとする自分がいることに気付いて、アリスはため息を吐いた。

 私、思いのほか簡単ね……。

 地味にショックを受けていれば、「キュルル!」という聞きなれない、愛らしい声が耳朶を叩いた。

 伏せていた顔を上げてみればそこにはハイナグと──その手に抱きかかえられた、ぬいぐるみのような飛竜がいた。

 体表は綺麗なライトブルーの鱗に覆われており、クリクリとした大きな目はアリスと同じ、深い青。

 まだ小さな翼をパタパタとさせている姿はいっそ天使か何かかとアリスは錯覚し、次いで自分の中にある飛竜のイメージとそれがぶつかり合った。

 勝者は前者であった。

 もうこんなもんいるかっ、と言わんばかりにアルフォンスの手を振り払ってアリスは駆けだしていく。

 

「かっ、かわいぃぃぃ~……!」

 

 ハイナグが困ったように笑い、渡してくれた飛竜を抱きしめアリスは心の声を垂れ流した。

 数分前の怯えようが演技だったかのような変わり身である。

 流石に呆れたような顔をしたアルフォンスだったが、まあ何にせよ良かった、と思った。

 幼体にまで怯えられたら話にならないところだった。

 

「アリス修道女殿、あまり抱きしめすぎると飛竜が嫌がる。ほどほどにしてやってくれ」

「あっ、そ、そうですよね。ごめんね……えっと、この子の名前は?」

 

 その言葉に、今度はハイナグが呆れたような顔をしてアルフォンスを見た。

 

「教えていないのか?」

「いや、ここに着いた時に言ったんだけどな……まぁ良いか。

アリス、そいつの名はお前が付けるんだ」

「わ、私が?」

「そうだ、お前が名を与えることで、初めてお前らの間には絆が出来上がるんだ──慣例としては、漢字二文字だな。

自然物に由来する漢字を一つ、それを目的語とする動詞一つ、だ。

例えば、アドの飛竜は『雪織(ユキオリ)』だし、整合騎士であるベルクーリの飛竜は『星咬(ホシガミ)』と名付けられた。

じっくり考えて、良い名前をつけてやれ。期待しているぞ」

「ハードル上げないでよっ、えぇっと、どうしよう……」

 

 綺麗な水色だし、水関係から取った方が良いかな……いやでも……と悩みだした妹分に、もう大丈夫そうだな、とアルフォンスは思う。

 飛竜の方はアリスにビックリしているようだったが、敵意がないのは分かっているだろう。

 それに先ほどからちょろちょろと彼女の周りを行ったり来たりしている。

 問題はなさそうだ。

 

「ハイナグ、陽護(ヒノモリ)はいるか?」

「ああ、運がよかったな。今日は珍しく奥で休んでいる──行くのか?」

「うむ、あいつとはそれこそ久しぶりだからな、一応アリスを見てやっといてくれ」

「分かった、気をつけてな」

 

 ハイナグの言葉を背に受けながら、アルフォンスは軽い足取りで厩舎へと入っていく。

 そこにいるのは見慣れた飛竜たちだ。

 みな、整合騎士たちの相棒である。

 星咬や宵呼(ヨイヨビ)と少しだけじゃれ合ってから、彼は最奥へと足を向けた。

 そこにいるのは、一匹の飛竜──否、飛()

 本来、東方にしか存在しない、翼がなく、胴が長い竜が、己の身体を巻いてすやすやと眠りについていた。

 その鱗は美しいサンライトイエローで、まるで宝石のように輝いている。

 

「珍しいな、寝ているのか、陽護」

 

 既に自分と同じくらいの大きさに育った飛龍に近寄り、頭をなでてやる。

 ──陽護は、この飛竜の庭で生まれた龍ではない。

 まだ幼体であったにも拘わらず、東の果てから飛んできたのである。

 その身体に多くの傷をつけ、フラフラと落ちてきたのを、アルフォンスが拾ったという訳だった。

 以来、陽護は彼に懐き、例外的にアルフォンスの相棒として認められたのだった。

 

「ガゥ……?」

「ん、起こしてしまったか……まあいいだろう、折角久しぶりに会ったのだから」

 

 陽護は、この飛竜の庭においては一番の問題児だ。

 全ての飛竜はよくしつけられ、夜になればこの厩舎に帰ってくるのだが陽護だけは無視してガンガン遊び続けて帰ってこない。

 そんなところまで主人に似なくていいんだが……とはハイナグの弁である。

 陽護のそういったところも、アルフォンスは気に入っていた。

 オレの相棒であるのだから、そのくらいでないとな! と笑ったまであるほどだ。

 その後、「余計なこと吹き込むな」とアドミニストレータに拳を落とされたが、それはまた別の話だ。

 

「どうだ、そろそろオレを乗せて飛べるようにはなったか?」

「きゅるる……ガゥアッ!」

 

 瞬間、陽護はアルフォンスに巻き付き飛翔した。

 ぶわり、と風が舞い勢いよく外に飛び出す!

 

「だぁーっ!? 落ち着け陽護! 確かに飛べるかとは聞いたが今すぐ実践しろとは言ってない!」

「きゅるるるる! ガァァアァアア!」

「こ、こいつ……!」

 

 純粋に楽しんでやがる!

 アルフォンスはすぐさまそれを察し、しかしそれなら仕方ないな、とため息を漏らした。

 楽しそうなことはすぐさま試して行けと教え育てたのは他ならぬ自分自身である。

 アドにちゃんと躾けなさい、と言われた意味がようやく分かったな、とドンドンと遠ざかっていく地面を眺めながらアルフォンスは思った。

 

「……って待て、陽護お前、どこまで行く気だ?」

 

 下にいたアリスたちが豆粒になっても、陽護はまだ止まらない。

 上へ上へと昇る飛龍は、何かを目指すように雲を突き抜けた。

 そうして見えてくるのは──

 

「ガァァアアアア!」

「────まさか、お前!」

 

 ──そう、セントラル・カセドラル最上階。アドミニストレータの部屋へと、一直線に陽護は向かっていた!

 心なしか気分の良さそうな声を上げた陽護にアルフォンスは思わず感動してしまう。

 こいつ、外からの襲撃を可能にするために……!

 オレは、最高の相棒を持ってしまったようだな……。

 フッと笑ってから神聖術を唱える。指に宿るは十の熱素だ。

 セントラル・カセドラルの外壁は異常なまでに強固だが、アルフォンスが全力を出せば小さな穴くらいは空けられる。

 いける、いけるぞ!

 

「よし陽護! このまま頂点獲るぞ!」

「ガゥァァアア!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この後二秒で叩きのめされて外壁に吊るされた。

 

 




陽護:性別はメス。雪織とアルフォンスのことが好き。アドミニストレータのことが嫌い。
アルフォンスのことを運命の相手だと思ってる。

ハイナグ:めちゃくちゃ絆されてるがそれはそれとしてクソガキだと思ってる。

アリス:飛竜きゃわわ。


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彼女らは『自由』を夢見るか。

今週中にもう一回更新できたら超ラッキーって感じです。進捗マジでダメ。


 名前というやつは、どうやって決めれば良いのだろうか、ということを《昇降係》はもうずっと、ひたすら考え続けていた。

 きっかけは、もう一年も前のことになってしまうだろうか。

 よく晴れた日の、ちょうど午後の業務へと入ったばかりの時だった。

 一人の少年──アルフォンスと、初めて出会った日のことだ。

 最初に声を発したのは自分だった。

 思う、ではなく、そのはず、でもなく。そうだった、一字一句違うことなく、《昇降係》はその時のことを覚えている。

 もう百年近く、口ずさみ続け、もう馴染みきってしまった「お待たせいたしました」の一言が、最初の一言だった。

 《昇降係》はそれまで、他愛のない話というものをしたことがなかった──いや、正確にはしたことはあったのかもしれないが、しかし彼女はもう、それを思い出すことはできなかった。

 この長い、長い年月に晒されることで、昔の記憶はとうに枯れて、消えてしまっていた。

 その時はまだ十歳になったばかりだったアルフォンスは、《昇降係》が人を運べる限界──つまり、八十階である《雲上庭園》まで運んでほしいと頼み、《昇降係》はそれを了承した。

 無論、この時から既に、修道士・修道女が上に行ってはならないという規則はあったが、しかし《昇降係》たる彼女に与えられた仕事は『昇降盤を動かすだけ』である。

 規則を守る、守らないという思考自体が、彼女にはない。

 下にいるものを上へ、上にいるものを下に運ぶ、ただそれだけの仕事であり、それ以上も以下もなかった。

 だから、この時も「修道士が利用するなんて珍しいな」と彼女は思っただけであった。

 物珍しさはあったが、しかし想定外だった、とわざわざ口に出すほどではない。

 ゆえに、《昇降係》にとって想定外だったのは、ちょうどこの後──アルフォンスを乗せ、五十階《霊光の大回廊》から、八十階《雲上庭園》へと送る、ごく短い時間のことだった。

 初の利用であるにも拘わらず、アルフォンスはふらっと《昇降係》へと問いを投げかけた。

 

「オレの名はアルフォンス、そっちの名前は?」

「名前、ですか……それはもう、忘れてしまいました。ですが、呼称に困るというのであれば、《昇降係》とお呼びください。

昇降盤をご利用になる方はみな、私のことをそう呼びます」

「ふぅん……忘れた、か。まぁオレも似たようなものだから、あまり何も言えないが──思い出そうと思ったことは無いのか?」

 

 ゆるゆると、風素が生み出す突風により上昇していく昇降盤の上で、アルフォンスは怪訝そうに言った。

 アルフォンスは通称《ベクタの迷子》である。

 己の出自から、この年齢まで育ってきたはずの全てを忘れてしまい、拾われた少年。

 記憶喪失、と言えばわかりやすいだろうか。

 

「いいえ、名前の有無が重要であるかどうかと言えばそうではないと思いますので。

《昇降係》で通じるのであれば、それでよいと思っています。

なので、かつての自身の名前を、思い出そうとしたことはありません」

「だが、《昇降係》は悪いが氏名ではなく天職名だ。

例えば、整合騎士は天職名であっても、それを個人の名として扱うものはいないだろう」

「整合騎士の方々と、私自身を並べるのは恐れ多いかと」

「恐れ多い? どちらも無くなっては困るものだ、そういった意味で職に貴賤などはないと思うけどな」

 

 困ったな、と《昇降係》は思う。

 本当に、言葉の通りの意味で彼女は、そこまで深く己の名前について考えたことは無かったのだ。

 忘れてしまったのならば、もうそれは仕方のないことなのだと、そう思えてしまえる人間だったがゆえに。

 ──否、もしかすれば、ずっと前はそうではなかったのかもしれない。

 ただ、百年に近い年月が、そういう思いすらも風化させたのだ。

 それを悲しいとは思わない。けれども、そう思えないということが、少しだけどうなのだろう、と《昇降係》は思った。

 

「であれば、私はこれからなんと名乗ればよろしいのでしょうか」

「そんなものを他人に易々と尋ねるな、名前は確かに記号にすぎないが、記号以上の意味を込められるものだろう。

だからこそ名付け親というのは尊重されるものなのだから。

少なくとも、会ったばかりのオレなんかに聞くな」

「そういう、ものなのでしょうか」

「そういうものなのだ──お前、今何歳だ?」

 

 セントラル・カセドラルに住む人間は、見た目通りの年齢である者は非常に少ない。

 それは、ここに住むものであるならば常識である。

 皆が皆、という訳ではないが、大多数の人間が最高司祭:アドミニストレータの手によって天命の自然減少を凍結させられている──要するに、不老にされているのだ。

 《昇降係》自身も、肉体自体は二十代前半で止まってはいるが、その倍以上の年数をここで過ごしていた。

 

「この天職を頂いてから、九十八年が経ちましたので、現在は百十八歳となります」

「へぇ、随分と長働きなんだな。その間、ずっとここにいたのか?」

「《昇降係》として、という意味でならそうなります」

「こっから出たことは無い、と」

「そうなります、私に外に出る権限はありませんので」

 

 職務中はずっとこの昇降洞におり、終われば自室に戻る。

 食事の時間帯になれば食堂に行き、暇は特に持てあますことなく眠りに充てる。

 それが、《昇降係》の一日であり九十八年間、彼女が続けてきた日常だ。

 そんな生活に、満足しているかと言われれば答えに瀕するが──かといって、特段不満を抱えているということもない。

 

「──あぁ、なるほど、()()()か」

 

 不意に、アルフォンスは「合点がいった」と頷いた。

 《昇降係》が首を傾げれば、彼は笑みを浮かべながら言う。

 

「お前、名前と一緒に、色んなものを忘れたんだな」

「色んなもの?」

「ああ、まぁ、そもそもこんなことを長い年月続けてたら身体は保っても心は保たないものだしな。

一度壊れた時に、壊れた部分を纏めて捨てた──あるいは、捨てられたのだろう。

そしてお前は、それを本能的な部分で、恐れている。

()()忘れることを怖がっている」

 

 心も、感情も、記憶も。

 目には見えなくとも、そこに必ずあるものは、しかしどれもが揃って繊細に出来ている。

 壊れてしまえば、二度と元には戻らないものだ。 

 忘れてしまったら、もう取り戻すことは叶わないものだ。

 けれども、無くなってしまえば、それ以上人は傷つかなくなるようにできている。

 

「ま、過ぎたことを言っても仕方あるまい──だから、名前をつけよう」

「……先ほど、断られたと記憶しておりますが」

「無論、付けるのはオレではない。であれば誰かと言えば、当然それはお前の他にいないだろう。

《昇降係》、お前が、お前自身で自らに名前を付けるんだ」

「自分に、ですか?」

「そうだ──と言っても、直ぐには決まらないだろうがな。だけど、それで良いんだ」

「?」

 

 《昇降係》は、アルフォンスの言いたいことがつかめない。

 それもそうだろう。

 彼女からしてみれば、初めて会った少年が、如何にも分かったような口振りで名前が云々と語り始めているのだ。

 正直「うっせぇわ」と一蹴しても良いくらいだ。

 ──だが、彼女はそうしない。

 それは彼の言葉が、大なり小なり当たってはいるという証左でもあった。

 名を忘れてしまった少女は、やはり忘れることを恐れていた。

 《昇降係》という名にこだわっていたのも、そこが要因だ。

 天職名を忘れるような人間は、少なくとも此処がある内はいないのだから。

 

「それで伝わるのだから、通じるのだから、それで良い、ではなく。

誰かにこう呼んで欲しい、こういう自分でありたい、こういう人間になりたい、こういう言葉に似合うようになりたい、こういう言葉が好き。

何でも良い、けれど確かに何かの意味を込めて、名前は付けるもので、付けられるものだ」

「名前に、意味を……」

「それに、もう二度と忘れることも、忘れられることもないからな、安心すると良い」

「……それは、どうして、そのようなことが言えるのですか」

「? それは勿論、オレが覚えているからに決まっているだろう」

 

 アルフォンスが笑ってそう言うのと、昇降盤が最上階──《雲上庭園》に辿り着くのは同時だった。

 ガコン、という音と共に昇降盤が止まり、アルフォンスはそこから降りる。

 

「ま、そう難しく考えなくても良い──と言っても無理そうだから、ゆっくり考えると良い。

それじゃ、これから世話になるよ。名前が決まったら、ぜひ教えてくれ。えーと……《昇降係》の()()()()

 

 パチン、とウィンクをしたアルフォンスはそう言って、アドミニストレータの元へと向かった。

 

 

 

 ──ここまでが、彼女の記憶にある、一番最初の邂逅だ。

 それから一年、《昇降係》は未だに、自分の名前を決めあぐねていた。

 おかげで最近はため息が増えたし、ぼぉっとすることが増えて若干寝不足だ。

 それもこれもあの少年のせいである。

 今日も今日とて、騎士を上へ下へと送りながらも考え込む日々だ。

 ある意味新鮮ではあるが、いつまでもこうだと何だかずっと決まらないような気さえする。

 それはそれで、どうなのだろうか、と思った時だ。

 見慣れた少年が、いつからか携え始めた木剣を腰に吊るしてやってくる。

 

「よっ、《昇降係》のお姉さん。調子はどうだ?」

「──どちらかと言えば悪いでしょうか。どこかの誰かのせいで、ずっと頭を悩ませています」

「お姉さん、オレにだけやたら当たり強くなったな……まぁ許すけど」

 

 アルフォンスはこのセントラル・カセドラルで最もこの昇降盤を利用する人間だ。

 なにせ一日一回は必ず使う──もちろん、言うまでもなくアドミニストレータ襲撃のためである。

 大体の場合において、この少年は昇降盤を律義に利用して駆けていくのである。

 その度にアルフォンスは《昇降係》に話しかけるし、その度に《昇降係》は少しずつこいつに毒されていた。

 結果がこれである。

 一年前では考えられないような軽い皮肉が飛び交うのが日常と化すことになったのは、アルフォンスとしても想定外だっただろうが。

 

「今日もまた、《雲上庭園》まででしょうか」

「ああ、よろしく頼む──それで、まだ名前は決まらないのか?」

「はい、勧めてくださった小説も読ませていただきましたが、ピンとくることもなく」

「まぁその辺は何かのきっかけになればと思っただけだしな……とはいえ、まさかここまで難航するとは思わなかったな。いや、ゆっくり悩めと言ったのはオレなんだが」

 

 いや一年て。

 長すぎんだろ、とは言わない彼を乗せて、それなりのスピードで、昇降盤は上へと向かう。

 見慣れた空を、ぐんぐんと突き抜けていくような感覚にももう、慣れてしまった。

 そんな中で不意に、《昇降係》は「ああ、けれど」と声を上げた。

 

「夢──ではありませんが。やってみたいと思うようなことはできました」

「へぇ、聞かせてもらっても?」

「はい──」

 

 一度、言葉を区切り《昇降係》は空を見上げた。

 見つめ返してくるのは、どこまで澄み渡り、広がる青い空。

 流れゆく雲も、雷雲も、雨も、嵐も、何もかもを受け入れる大空。

 それは、彼女にとっては自由の象徴だった。

 

「この天職が、終わったらという前提なのですが──私は、空を翔けたいです。

五十階から八十階までの短い空ではなく、もっと、もっと高く、広いあの空を、この昇降盤で飛び抜けたい。

そうすれば、私は、私が本当になりたいものが、見つかるような気がするのです。

私が、どう呼ばれたいのか、どのような道を歩みたいのかが、分かるような気がするのです」

「……そりゃまた、随分と難しいことを言い出したな」

「はい、私もそう思います。空を飛べるのは、飛竜だけということももう知っています。

この昇降盤では空を翔けることはできないということは、承知の上です。

その上で、私は空を翔けたい。この子と──もう何十年も共にいた昇降盤と、私はあの空を自由に翔けたいのです。

その為であれば、何だってしたいとも思うのです」

 

 《昇降係》は空を見上げたまま言った。

 その表情は、アルフォンスが彼女と初めて会った時と比べて、特に変わることは無い。

 笑みを浮かべている訳でもなく、かといって悲しんでいるという訳でもなく。

 無表情、という言葉がぴったりだろうか。されどその、夏空の蒼穹を宿したような瞳はどこか輝いていて、アルフォンスは「ハッ」と笑った。

 

「良いんじゃないか? 道は険しければ険しいほど、手に入れた時の快感は大きくなるものだ。

オレがアドを倒すか、それとも《昇降係》のお姉さんが我慢ならずに上をぶち破るか、競争だな」

「そのような競争はいたしません。私は飽くまで、この天職が終わったらの話をしているのですから」

 

 眉を潜めた《昇降係》に、しかしアルフォンスは笑う。

 確かに、名前は決まらなかった。これからも、もうしばらくは決まることは無いだろう。

 それこそ、本当に彼女が天職から解き放たれるその日まで、彼女に名前が授けられることは無いと言っても良い。

 本来、彼女の天職は一生涯を捧げるような内容だ。

 任命したアドミニストレータでさえ、そう考えているだろう。

 もちろん、それは《昇降係》である彼女自身もそうだ。

 もう約百年間、こうして《昇降係》を務めているのである。

 あと何年かしたところで、「はいお疲れ様でした」とならないことは、充分に理解しているだろう。

 しかし、そんな中でもいつかは『自由』になれる日が来るのだと、彼女が漠然と確信していることが、アルフォンスは嬉しかったのだ。

 何故ならそれは、アルフォンスがアドミニストレータを打ち負かす日が絶対に来ることを、信じてくれているからに他ならない。

 その信頼が、アルフォンスは何よりも嬉しい。

 ──アドを負かす理由がまた増えたな。

 どれだけ遅くなったとしても、タイムリミットは後九年。

 それまでに絶対に倒さなくてはならない、とアルフォンスは思いを秘め直し、アドミニストレータの元へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ、限界かも、しれないわね……」

 

 セントラル・カセドラル最上階。

 夜の帳が落ち、誰もが眠りについているような深夜、アドミニストレータは一人頭を抱え、憔悴していた。

 常に余裕を保っている表情は見る影もなく、ポツリポツリと汗が流れ落ちている。 

 ────タイムリミットだ。

 人として生きる以上、制限時間と言うものは必ずついて回る。

 最も大きく、誰にでも当てはまる物は、やはり寿命だろうか。

 肉体の衰えは、総じて命の終わりとイコールで繋がるものなのだから。

 どれだけ長く生きる者でも、普通であれば百を超えるか超えないかで、時間が来る。

 しかし、セントラル・カセドラルにはその例外が山ほど存在する。

 老化の凍結──それは確かに、傍目から見れば不老不死になったものに見えるだろう。

 だが、それは()()

 天命の自然減少の凍結、それは不老ではあっても、不死ではない。

 制限時間を取り払うのではなくそれは、飽くまで先延ばしでしか無い。

 ここ、アンダーワールドは人工の世界だ。人の手によって作られた、いわば仮初の世界であり、ここに住む人間も、言ってしまえば仮初の命。

 彼らはフラクトライトと呼ばれるものを基に存在する生命だ。

 フラクトライトとは、言わば人間の魂・記憶のメモリである。

 それが収めておける情報は、ざっくり言って百五十年分──つまり、この世界の人間は百五十年以上の記憶は保持できない。

 肉体の老化は止められても、魂の老化は止められない。

 限界まで達したフラクトライトは、情報の供給に耐え切れずに自壊する。

 その始まりは、記憶の破損だ。

 忘却ではない、かといって削除でもなく、破損である。

 フラクトライトがひしゃげ、中身が潰れて壊れていき──そしてその果てに、フラクトライトごと人は死ぬ。

 本来であれば、気にすることではない。

 整合騎士と言えども、まだ最長のベルクーリでさえ二百年ほどだ。問題にするにはまだ早いだろう。

 しかし、一人だけ、当てはまる人物がセントラル・カセドラルには存在していた。

 ──アドミニストレータ。

 公理教会を創設し、この三百年人界を支え続けた彼女は、()()()()()()()()()()()

 本来──もっとわかりやすく言うのならば、原作であれば、そんなことにはならなかったはずなのだ。

 過去の記憶を少し削除し、後は寝て過ごすだけで蓄積される表層の記憶さえ毎日消去すれば、それで問題ない筈であった。

 だが、これはもう正史とは別の物語になっている。

 一人の少年が、それを変えてしまった。

 今、アドミニストレータには毎日膨大すぎるくらい膨大な情報が、幾度も注ぎ込まれており──そして。

 彼女はそうして蓄積した記憶を、しかし削除することができない。

 自分がかつて経験したこととして、書類にしてしまうこともできない──否、したくない。

 

「──どうするべき、なのかしらね」

 

 彼女の脳内にある情報は大まかに分けて四つある。

 一つは、かつて少女だった頃からここまで成長してきた、『今のアドミニストレータ』を形成する上で必須である記憶。

 一つは、この人界を治めるうえで必要なあらゆる地域の情報。

 一つは、ここまで培ってきた膨大な量と質を誇る神聖術や、リアルワールドに関する情報。

 ──そして、最後の一つが、『アルフォンスとの記憶』だ。

 アドミニストレータはもう、これ以上削る余地が無い程情報を削っている。

 その上で、彼女のフラクトライトは既に限界が近い。

 何を消すか、何を残すか。

 アドミニストレータは、まだ何も選べない──しかし、直ぐに選ばなければならない日が来るだろう。

 そうなった時、自分は何を消してしまうのか。

 はたまた、このまま死を選ぶのか。

 

「そんなの……分からないに、決まっているじゃないの……」

 

 真っ白な布団を、彼女は一人抱きしめる。

 その手が、身体が震えているのはどの感情から来ているのか、彼女には分からない。

 銀の瞳からは、透明な雫が零れ落ちる理由もどれなのかもはっきりと分からない。

 ただ、誰かに抱きしめて欲しい、とアドミニストレータは一人、そう思った。




《昇降係》:めっちゃ空飛びてぇ~!

アドミニストレータ:あと二百年は早くアルフォンスと出会ってたら超幸せ絶頂のまま人生全うできた。でも大体自業自得。

アルフォンス:無自覚に好きな女殺しかけてる。


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『成り損ない』の女。

奇跡的な更新です。明日以降は無理です。


 深夜二時。誰もが寝静まり、ただでさえ静かなセントラル・カセドラルが、更に音をなくす時間。

 タッタッタッ、と床を蹴る音を一定のリズムで奏でるのは、一人の少年だ。

 最上階にて眠る現人神──最高司祭:アドミニストレータの元へと、アルフォンスは走っている。

 既に三人の整合騎士の目を潜り抜けて来た彼は、ここから上には誰もいないだろう、ということをほとんど確信した上で、足音を立てていた。

 というのも、整合騎士がセントラル・カセドラルの警備をするということ自体が、本来あり得ないことだからである。

 現在、二十九人しかいない人界の守護者は、常に人手不足だ。

 そのほとんどが人界を守るため、暗黒領域(ダークテリトリー)と人界の狭間にて防衛線を繰り広げている──つまり、此処を警備する人員というのは非常に限られてきてしまっていた。

 休息を与えられている騎士もいることから、日常的に警備にあたっているのは三人~四人であるということを、アルフォンスはとうに把握していた。

 ついでに一人一人のスケジュールも大体把握済みだ、彼は意外と──でもないが、用意周到だった。

 この上には誰もいないということを知っているからこそ、好き放題に走れるという訳だ。

 

「システムコール」

 

 窓の外から零れ落ちてくる月明かりが以外は一切光の存在しない暗闇の中、アルフォンスは素早く式句を口にする。

 神聖術は基本的に、式句が無ければ成り立たないものだ。

 ここから術句を連ね、熱素や凍素といった素因を生み出し、それを己のイメージに合わせて変形させる。

 十本の指先に熱素(サーマル・エレメント)を灯した彼は、すぐさまそれを龍──己の飛龍に似た姿──に変形させた。

 それは当初、彼が五分以上かけて生成していた神聖術である。

 アルフォンスは既に、それを数秒で形成させられる程度には神聖術への造詣を深めていた。

 ふーむ、良い出来だ。これならアド相手にも数秒は保つだろう。

 横目で見ながら評価を下し、並行させてまた神聖術を紡ぎあげる。

 今まで単一属性の神聖術で挑んでた彼だったが、最近は属性を混ぜるということにはまっていた。

 ほら、あれだ。光と闇が合わされば最強に見える、みたいなやつ。

 アルフォンスは最近読んだ小説におもくそ影響を受けていた。

 

「──っ、やはりまだ安定はしないか」

 

 先ほどの熱素と同じように風素(エアリアル・エレメント)を灯せば、同時に熱素によってできた神聖術が一瞬揺らぐ。

 集中力やイメージ力の問題だ。片方に集中しすぎると、片方が疎かになる。

 ただでさえ、ここで暴発すれば今駆けている階段など黒焦げになってしまうだろう。

 直せないことは無いが、しかし普通に面倒だ。なんなら説教までされてしまう。

 アドの説教は慣れてきたが、ファナティオの説教はレベルが違うのだ。

 問答無用で木剣で叩きのめされる。

 それだけは本当に嫌だ……。

 そう思ったアルフォンスは、ゆっくりと息を吸い込み

 

「み・つ・け・たっ」

「!!?」

 

 ──ぶはぁっ! と勢いよく吐き出した。

 完全に不意を突かれた肩ポンに、手元が狂う。

 重ねて言うが、神聖術というのは高位のものであればあるほど、集中力やイメージ力、個人の技量が問われるものだ。

 それが崩れてしまえば、当然神聖術は形を保つことはできない。

 つまり──

 

「あっ、やばっ」

 

 熱の龍が、たちまち姿を解かし──しかし、爆破することは無く幾重もの斬撃に切り刻まれて、音もなく消し飛ばされた。

 火の粉と化したそれがふわりと舞い、暗闇を明るく照らし出す。

 ようやく振り返ったアルフォンスの前にいたのは──

 

「やっほー、元気してた? ()()

 

 ──イーディス・シンセシス・テン。

 十番目の、整合騎士であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「い、イーディス……」

 

 特徴的な黒のリボンで、茶色の混じったような灰色の、腰まで届かんばかりの髪をひと結びにした女性。

 整合騎士であれば誰もが与えられている、ワンオフの鎧ではなく黒のノースリーブ姿の彼女は、愛刀である《闇斬剣(あんざんけん)》のみを携えている。

 彼女が手ずから生み出した光素によって照らされる紅い眼差しは、実に愉快そうにアルフォンスを見つめていた。

 というかもうニマニマと笑っている。

 思わずアルフォンスは声が上擦った。

 

「あら、随分と嫌そうな声出すじゃない。なぁに? あたしに会うのは気まずかった?」

「い、いや、そういう訳では……」

 

 ある。

 もうめっちゃある。

 こいつ、ついこの前イーディスを隊長とした人界警備の荷物にこっそり入り込み、暗黒領域に侵入するという馬鹿げたことを成し遂げたばかりである。

 当然、イーディスはもうバチクソにベルクーリに叱られたし、そのことをアルフォンスは知っている。

 彼からすれば「う~ん、ほとぼりが冷めるまで近寄らんとこ!」と言った感じであったのだ。

 それがまさかこんなに早く再会を果たすとは正直考えてもいなかった。

 というか、アルフォンスの脳内データベースではこの女は未だ任務中のはずである。

 どういうこと?

 

「ふっふーん、そんな怯えた顔しちゃって、可愛んだから。何も取って食ったりしないわよ」

「そのつもりなら取りあえず肩から手を離してくれないか?」

 

 もうさっきからギチギチ音鳴ってるんだけど、と文句を垂れるが、しかしイーディスは笑ったままだ。

 あーもうこれ怒ってる、超怒ってるよ。

 アドと言い、ファナティオと言い、キレやすい人がちょっと多すぎる、とアルフォンスは思った。

 大体の場合において自業自得なのは棚の上だ。

 

「あ、逃げようとしちゃダメよ。もしそんな素振りでも見せたら、ただじゃおかないんだから」

「脅しのつもりか? オレは絶対に屈しないぞ」

「ファナティオに言いつけちゃうわよ」

「許してくれ、オレが悪かった」

 

 即答で頭を下げるアルフォンスだった。

 彼はありがたいことに毎日、手が空き次第ファナティオに訓練をつけてもらっていたのだが、お陰でばっちり全身にトラウマじみたものを刻み込まれていた。

 ファナティオはこのセントラル・カセドラルで、この少年に最も優位に立てる地位を確立したと言っても過言ではないだろう。

 アドミニストレータが知れば激憤してそのポジション代わりなさいとジタバタしそうなものだ。

 

「はい、良い子ね。でも、もう一つ言いたいことがあったりするんじゃない?」

「……っ、ぐぬ……勝手に荷物に入り込んで、迷惑かけて、ごめんなさい……」

「よしよし、よく言えたわね」

 

 慣れた手つきで、イーディスはアルフォンスの頭を撫でる。

 何だか微妙な雰囲気から始まったが、元よりこの二人はセントラル・カセドラル内でもかなり仲の良い方だ。

 不思議なくらい面倒見の良いイーディスに、周りに面倒をかけまくるアルフォンス。

 相性が悪いわけがない。

 謝ることをかなり渋りはしたが、それはもうアルフォンスの性格がゴミというだけだ。

 いつもギリギリまで自分は悪くないのでは? という理論を考え、結果的にいつも「オレしか悪くないな……」という結論に達しているだけの話である。

 

「あんたも最初から謝ってくれれば、こんなことしなくて済んだのに」

「正直戻ってくる頃には忘れてるだろうと思っていた、オレの計算違いだったようだな」

「あたりまえでしょうーがっ」

「ぐえぇぇ」

 

 ギシギシと音を立ててアイアンクローをかまされ、思わずアルフォンスは声を上げた。

 見た目だけならそれほど筋力なさそうに見えるイーディスであるが、しかし彼女は整合騎士──しかも古参──だ。

 弱いわけがない、むしろリンゴとかなら余裕で潰せるくらいだ。

 一頻り苦しむアルフォンスを見たのちに、イーディスはパッと頭を離す。

 

「ま、こんなところで立ち話もなんだし、移動しましょうか」

「えぇ……オレ、上に行きたいんだが」

「だーめーよ、あたしの話に付き合わない限り、此処から先には行かせてあげないんだから」

 

 ピッ、と額に人差し指を当てられ、アルフォンスは観念したように息を吐いた。

 アルフォンスは天才だ、剣の技量も、神聖術の技量も既にトップクラスへと迫っている。

 だが、流石に今真正面からイーディスとぶつかり合って勝つことはできない、ということを理解していた。

 同様にだまくらかして先に行くのも不可能である、ということもだ。

 何せイーディスはこのセントラル・カセドラルでアドミニストレータの次にこいつに振り回された回数の多い女である。

 年季が違う、アルフォンスは口先でイーディスを騙すのはもう中々骨だということを知っていた。

 ズルズルとイーディスに引きずられながら下り、辿り着いた先は、八十階《雲上庭園》だ。

 

「絶対ここだと思った。イーディス、《雲上庭園》好きすぎだろ……」

「ん-、まぁね。でも、嫌いな人の方が少ないと思わない? だってこんなに綺麗なんだよ?」

「どちらかと言うと、昼の方が良くないか? ソルスの光が入ってきてる時が、一番綺麗だろう」

「夜は夜で趣きがあるじゃない、だってほら、こんなに幻想的」

 

 ヒラリと舞った青色の聖花を手に乗せて、イーディスそっと微笑んだ。

 八十階《雲上庭園》。そこは、このセントラル・カセドラルでも最も特殊なフロアである。

 基本的に、白の大理石に造り上げられたフロアのみで構成されているセントラル・カセドラルではあるが、この《雲上庭園》だけは例外だ。

 《霊光の大回廊》程ではないものの、広大であるこの階層の床は石張りではなく、芝が張ってあり、各所には色とりどりの聖花が咲き乱れている。

 奥の方では小さな小川が、月光をキラキラと反射し輝いており、それにかかるように木の橋が長く続いていた。

 その先まで行けば、少しだけ高い丘になっていて、その頂点には一本の金木犀の樹が生えている。

 その樹は、特段巨大と言う訳ではない、むしろ小さい方と言っても良いくらいだろう。

 別格なのは、それが経てきた年数だ。

 この金木犀は人界が生まれた時から存在する、太古の樹木である。

 それが保有する属性は《永劫不朽》。

 この《雲上庭園》は、この樹のために造られたと言っても過言ではない。

 イーディスは金木犀のあの、甘い香りを好んでいる。

 それも相まって、彼女は此処を気に入っていた。

 金木犀の下までたどり着いた二人は、揃って背中を預けて座る。

 

「静かな夜だとは思わない?」

「《雲上庭園》はいつもそうだろう……それで、話とはなんだ?」

「あー、それね、特にはないのよ」

「は?」

「ただ、あんまりにも静かすぎて目が覚めちゃったから、構ってもらおうかと思って」

「こいつ……!」

 

 グググッと拳を握ったのちに、はぁ、とアルフォンスはため息を吐いた。

 ここでじゃれ合っても良いが、アドと戦う前に消耗はあまりしたくない。

 常に全力で挑まなければ、アレは中々倒せないのである。

 それに、あんまり暴れるとここの花が散ってしまうだろう。

 《雲上庭園》を特に気に入っているという訳でもないアルフォンスでも、流石にそれはどうかと思い踏みとどまった。

 それから、隣に来ていた手にふと目がいって、そのまま自分の手を重ねてやった。

 

「相変わらず、曖昧な物言いばかりするな。どうせまた人肌が恋しくなったのだろう、それならそうと言え」

「アルってさぁ……本当、たまには鈍いフリとかしてみた方が良いよ? それが優しさってものだぞ~」

「うえぇ、頬をつつくな、頬を」

 

 ムニムニ、と何度も押してくる指をバシバシッとアルフォンスははたきおとす。

 それを残念そうに笑ったイーディスは、静かに目を伏せた。

 

「最近、なんだか違和感があるのよね」

「違和感?」

「うん、あたしはさ、天界より召喚された整合騎士じゃない? それなのに、時折フッと、知らない誰かと暮らしてる夢を見るんだ。

あたしより小さくて、でもあたしに似てて、妹なのかな。

分からないんだけど、なぜだかその子が、本当に存在している子のような気がして、胸が苦しくなっちゃうの。

それで何だかとっても寂しくなって、会いたいって、その子を探さなくちゃならないって、そう思ってしまう」

 

 おかしいよね、とイーディスは笑った。

 それに、アルフォンスは何も返さない──返せない。

 彼は、その詳細が何なのかは分からなかったが、それでも知りはした。

 それは、記憶だ。

 彼女が、整合騎士になる前の──もうずっと、ずっと昔の記憶。

 イーディスが整合騎士ではなく、一人の村人として過ごしていた頃の思い出。

 アドミニストレータが抜き取った、イーディスにとって何よりも大切なモノ。

 その残滓とでも言うべきものが、浮かび上がってきているのだろう。

 長年仕えている整合騎士にこういうことが起こるのは、あまり珍しいことではない。

 例えばベルクーリや、ファナティオと言って古参の騎士であれば体験したことがあるだろう。

 そして、そういったことが起こるたびに、アドミニストレータは整合騎士の記憶を触り、それを消していた。

 それを、アルフォンスの口から告げられることは、しかし無い。

 彼は、自身が誰かにそれを伝えることの危険性をよく理解していたからだ。

 それに、ただでさえイーディスはもう何十年も整合騎士として仕えているのである。

 ショックを受ける、と言った程度では済まないことは想像に難くない。

 そこまで思い至って、アルフォンスはようやく、あそこにイーディスが居た理由に気が付いた。

 

「ああ、だから、あんなところにいたのか。アドに、そのことを聞きに行こうとしたな」

「あはは、分かっちゃう?」

「今の流れで分からないやつはいない……助言だ、アドに聞きに行くのはやめろ」

「……どうして?」

 

 膝を抱えながら、イーディスはアルフォンスを見る。

 アルフォンスそれに、一瞬だけ言葉が詰まり、コホン、と咳ばらいをした。

 

「アドは、あまり性格のいい女じゃないからだ。それはイーディスだって分かってることだろ」

「でもアルは、最高司祭様のこと好きじゃん」

「それはそうだが……だからこそ、擁護できない部分があることも分かってるって話だ。

欠点のない人なんてのはオレ以外はいないものだ、アドはそれが、少しばかり顕著すぎる。

相談役には甚だ向いていない──するなら、オレかベルクーリ辺りにするのが無難だろう」

「相変わらず自己評価高いなぁ……でも、そっか、じゃあしょうがないなぁ。

アルに頼ってあげる、だから今夜は、あたしの話し相手になってくれる?」

「──ま、仕方ないな。オレから言い出したことだ、眠くなるまでは相手してやろう」

「ふふ、ありがとうね」

 

 イーディスはふわりと笑い、「そういえばね」と他愛のない話を口にし始めた。

 それにアルフォンスは耳を傾け、時折言葉を返して笑う。

 こうして、二人の夜は静かに更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────その、更に後のことだ。

 夜は明け始め、空がうっすらと白んできた頃、アルフォンスは一人階段を駆け上がっていた。

 タッタッタッという、数時間前と変わらないリズムで今度は登り切って最上階へとたどり着く。

 既に三つの神聖術を用意したアルフォンスは、躊躇いなく扉を押し開けた。

 

「さぁ、アド! 今日こそ、は──?」

 

 はたして、彼が見たのは、ベッドで蹲る一人の女性──アドミニストレータ。

 いつもであれば直ぐにでも言葉か、あるいは神聖術を飛ばすアドミニストレータは、しかし酷く緩慢な動きで身体を持ち上げた。

 その美貌は、些かたりとも衰えていなかったが、しかし肌は酷く青白く、生気が全くない。

 彼女は、長い銀の髪を揺らしながら、虚ろな目をして少年を見て──そして。

 バチン、と電源が切れたようにくずおれた。

 

 

 

 

 

 




イーディス:唯一の『アル』呼びお姉さん。妹のことを忘れさせられているのに忘れていない、忘れられない。

アドミニストレータ:ぶっ倒れた。


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賢者と『運命』の夜。

次話は何とかして早く投稿したいなぁ、という気持ちだけはいっぱいです。
現在次話進捗43文字です。
無理だ……。


「──アド?」

 

 ただごとではない、ということだけを瞬時に理解した。

 最高司祭:アドミニストレータはこの人界において最強の人物である。

 天命値は凍結され、自然に減少することは無く。

 三百年蓄積してきた莫大な記憶、経験を伴っており。

 神聖術に至っては暗黒領域(ダークテリトリー)にさえ、彼女に敵うものはいないと断言できるほどだ。

 最早人の枠に当てはめて良いのかも分からないような、それくらい高みにある人物、それがアドミニストレータという女である。

 それほどまでの女性が、あのような倒れ方をするだなんてことはまずありえない。

 ましてやここはセントラル・カセドラル。

 彼女に敵対するものが侵入することなど不可能である堅牢な、アドミニストレータにとっては()だ。

 用意してきた神聖術を音もなく消し、アルフォンスは大きく吸った息を深々と吐いてから彼女の下へと歩み寄った。

 

「悪ふざけ──するようなやつでもないな。おい、アド、大丈夫か?」

 

 返答はない、どころかピクリともしない。

 だが、触れてみたところ、特段熱を持っているわけでもなければ、冷えているわけでもなかった。

 脈拍、呼吸も共に異常なし。

 ステータスだけを見れば、彼女は正常な状態にあるということだ。

 それはつまり、それ以外のもっと他の部分に支障をきたしているということに他ならない

 アドミニストレータを仰向きに寝かせ直したアルフォンスは「ふむ」と嘆息した。

 

「起きる様子は無し、か──ふぅん、どうやら()()()()()()()()らしい」

 

 スラリ、とアルフォンスは腰に帯びた剣──《白金樫の剣》を引き抜いた。

 かといって、特段構えを取るわけでもない。

 幾度か遊ぶように握り直し、それからゆっくりとアドミニストレータの胸元へと切っ先を向ける。

 

「悪いな、アド」

 

 一言。

 端的に、悪びれもせずに謝罪を放ったのちに、アルフォンスは剣を振り下ろした。

 天命が凍結されている、と言ってもそれは飽くまで自然減少への対抗手段──老化の停止にすぎない。

 当然、外部から攻撃を受ければ大きく減少することなる。ましてや、《白金樫の剣》は《神器》ほどではないが、それでも高い優先度を保つ剣だ。

 アドミニストレータの莫大な天命値も、無抵抗に切り刻まれれば直ぐにゼロになるだろう。

 真っ白に磨き上げられたそれは、易々と彼女の寝間着を裂き──その白い肌へと食い込んだ。

 純白のベッドを汚すように、彼女の胸元から鮮血が──しかし()()()()()

 代わりに迸ったのは()()()()だった。

 そう、まるでステイシアの窓を開いた時に発せられる光のような──いわば機械的な紫光が解き放たれたかのように室内を照らし出す。

 それがアドミニストレータの肉体を絡めとるように包みこんだ。

 もちろん、それはアドミニストレータに血が流れていないということを示しているわけでは無い。

 光を発しているのは、《白金樫の剣》だった。

 とはいえ、通常の《白金樫の剣》にそのような特殊な効果は存在しない。《白金樫の剣》は単純に優先度が高い木剣だ。

 それはつまり、アルフォンスが使っていた剣は《白金樫の剣》()()()()、ということを意味していた。

 

「──正しく予想外、じゃな」

 

 不意に、声が響いた。

 アドミニストレータが発したわけでは無いし、勿論アルフォンスの声でもない。

 古めかしい言葉遣いにあまりに似合わない、幼い少女の声が、二人以外には誰もいないはずの最上階へと響き渡った。

 それにアルフォンスは──しかし、驚かない。

 

「カーディナル……声をかけるならせめて姿を現してからにしろ」

「おっとそれはすまなんだ──とはいえ、おぬしがわしを呼んだんじゃがな?」

 

 ほいっ、という軽い言葉と共に、カーディナルと呼ばれた少女はアルフォンスの足元から飛び出てきた。

 ──いや、正確に言うのであれば、アルフォンスの影からである。

 《白金樫の剣》より発せられた紫の光に当てられ、濃く染まった一つの影から彼女──カーディナルは飛び出してきた。

 アカデミックドレスに身を包んだ彼女は、少しだけ頭からズレたモルタルボードハットを被り直し、身の丈ほどもある杖を構えた。

 

「まさかあのアドミニストレータが、ここまで丸くなるとはのう。この目で見ていたが、やはりそれでも信じられんよ」

「人って歳食うと新しい物事を受け入れられなくなるらしいしな。ばあさんには難しい──」

「フンッ!」 

 

 気合に入った声と共に杖がアルフォンスの膝裏をぶち抜いた。

 ドゴォッ! という凄絶な音と共に倒れ伏す。

 これは言い逃れようもなくアルフォンスが悪い。

 というか、こいつが悪くなかったことがないまであった。

 

「カーディナル……お前、今のは絶対に天命値減ったぞ!」

「レディに対する言葉遣いがなってないのが悪いのじゃ、次やったら雷じゃからな」

「やり過ぎだろう、それは……」

 

 プルプルと震えながらなんとか立ち上がったアルフォンスは、そのまま弱々しい足取りでベッドへと座り込んだ。

 ちょうどアドミニストレータとカーディナルの間に来るように、柔らかい音を立てる。

 

「ま、雑談は後でで良いだろう、カーディナル。最上階に蟲はいないとは言え、いつ誰が嗅ぎ付けてくるかは分からない。だから、手短に済ますとしよう」

「ふむ、そうじゃな──そうと決まれば、退け、アルフォンス。今からそやつを殺す」

 

 コンッ、という軽い音が響いた。

 それは、カーディナルが己の杖で床を叩いた音だ。

 たったそれだけの動作で彼女は、同時に数十の神聖術を発動させた。

 暗闇に落ちる室内が、一瞬にして煌びやかに彩られる。

 そんなものをまともに喰らえばアルフォンスは一撃で消し飛ぶだろうし、アドミニストレータとてその天命値を著しく消費するだろう。

 二度、三度と喰らえば間違いなく死ぬ、そういう領域の神聖術。

 それを前にして──しかし、アルフォンスは笑った。

 

「珍しく、随分と好戦的だな。だが、その台詞でオレが退くと思っているなら、それは大間違いだと言ってやろう」

「ああ、そうじゃろうな。おぬしとの付き合いは然程長くもないが、それくらいはわしにも分かっておるよ。

だが、敢えてそう言っているのだ、ということを察することもできない男だとは思っておらんかったがのう」

「そこで気を遣うようなやつだと思われていたのならば、心外だ、としか言えないな」

 

 カーディナルが眉を潜め、もう一度アルフォンスを睨んだが、しかしその表情が変わることは無かった。

 これだけの圧倒的に戦力差を前に、笑みの欠片すらも崩れない。

 どころか、余裕すら感じさせるほどで、カーディナルは内心舌打ちをした。

 

「次は言わん、退け。でなければおぬしごと撃つ」

「脅し文句としては三流以下だな、カーディナル。

アドの……いいや、クィネラのコピーでもあり、未だ視点が人間でしかないお前が、オレを傷つけることはできても、殺すことはできないことを、まさかオレが忘れたとでも?」

「──面倒なやつじゃのう、であれば、何用でわしを呼んだ? こうなることは目に見えていたろうに」

「まぁ一つ確認したくてな──いつかした、賭けのことは憶えているか?」

「──賭け?」

 

 何のことだ?

 カーディナルは目を細め、トントン、と己の頭を指先で叩く。

 彼女の記憶領域はここ二百年で貯めに貯め、研鑽に研鑽を重ねた神聖術と、この人界に放った協力者たちのことでほとんどが埋め尽くされている。

 アドミニストレータほど切迫しているという訳でもないが、しかし相当な量の情報が詰め込まれている脳だ。

 思い出すのも一苦労で、諦めた彼女は苦々し気な顔を作り──そしてふと、目を見開いた。

 

「おぬし、あのような戯言を今更持ち出すか……」

「賭けは賭け、約束は約束だ。破るのか? カーディナル」

「………………ふんっ」

 

 長い沈黙ののち、カーディナルは鼻息を鳴らしてから杖で床を叩いた。

 同時に、展開されていた神聖術が音もなく消える。

 

「これで満足か?」

「いいや、お前にはもう少しだけ協力してもらう──というか、実際こっちが本題なんだけれどもな」

「ほう? 言ってみよ」

 

 カーディナルは片方の眉を上げて、興味深そうに声を漏らした。

 無論、アドミニストレータを殺すつもりが無くなったという訳ではない、むしろ阻止された今でさえ、隙を伺っているほどだ。

 その手はいつでも杖を振るえるように、その頭脳はいつでも神聖術を発動できるように回されている。

 だが、それで尚カーディナルはアルフォンスの言葉を促した。

 

「率直に言うぞ、アドミニストレータのフラクトライト、その編集を手伝ってほしい」

「──何を言うかと思えば、馬鹿げたことを。フラクトライトの領域増加を頼みたいとでも言うつもりか?

そんなもの、出来るのであればそこの女が真っ先にやっていただろうよ。やっていない時点で察するべきじゃ。

ライトキューブの容量を超えた時点で、こちらから出来ることは何もない、諦めろ、アルフォンス」

「アドのことになると、すぐ短絡的になるな、お前は……そうじゃない、よく聞けカーディナル。

オレは、アドを神から()()()()()()んだ。言ってる意味が、分かるか?」

「──無理じゃ、考えるまでもなく、な。おぬしは些か、アドミニストレータのこととなると希望に目を晦ましすぎる」

 

 天命を凍結し、三百年以上もの年月を生きる最高司祭:アドミニストレータが現人神とすら呼ばれているのは事実だ。

 だがしかし、こと彼女を"神"と呼称するにあたっては、二種類の意味が存在している。

 もちろん、一つはこの人界で暮らす多くの人々が口にする神──つまるところ、信仰対象という意味合いでの"神"。

 そしてもう一つは、文字通り()()()()()()()()()()()()()()、という意味合いでの"神"だ。

 アドミニストレータの在り方は、既に人のそれではない。

 フラクトライトという、この世界に住む者にとっての脳であり、魂であるそれが、アドミニストレータは壊れているのである。

 否、壊れているという表現は、あるいは不適切かもしれない。

 もっと、丁寧に、正確に言うのであれば、大量のイレギュラーに見舞われた、だろうか。

 ──かつて、アドミニストレータは神の領域へと手を伸ばしたことがある。

 神の領域──それ即ち、アンダーワールドと呼ばれるこの世界の()現実世界(リアルワールド)

 アンダーワールドを創り上げた現実世界の人間たちの知識を、彼女はモノにしようとした。

 その結果、アドミニストレータは己のフラクトライトにアンダーワールドを管理する《カーディナル・システム》の基本命令──《秩序の維持》という命令を書き込まれる、という結果を招いた。

 この世界の人間は、どこからどう見ても現実世界の人間と大きく変わることは無い、それはまごうことなき事実だ。

 しかし、それでも彼らは──アンダーワールド人とでも呼ぶべき彼らは、フラクトライトありきの存在なのである。

 いわばその人物を構成する核たる部分に、直接命令を書き込まれたアドミニストレータはこの瞬間に()()()()

 《カーディナル・システム》と融合し、不明なエラーを吐き出し続け、バグにバグを重ねた結果──アドミニストレータは、人の枠を外れたのである。

 壊れてはいけないところが破損して、必要だった部分が無くなり、人であった部分を上書きされた。

 それが、アドミニストレータという、一人の女──であった"神"である。

 それを、人に戻すというのであれば、それこそフラクトライトに書きこまれた命令を削除する、あるいは上書くしかないだろう。

 アルフォンスはそういったことを言っているのだと、カーディナルは瞬時に呑み込んで、その上で無理だと断じた。

 《秩序の維持》という命令はフラクトライトの中でも最も重要な部分、言わばその人間の行動原理とでも呼ぶべき部分に書き込まれたものだ。

 それはつまり、彼女にとっての本能であり、欲求であり、願望であり、最も価値ある部分に定義されてしまったということである。

 書き換えは不可能、そういうことだ。

 ──だが、そんなことはアルフォンスも分かっているはずなのだ。

 何せこのような説明を、カーディナルは一度、自らの口でこの少年に語って聞かせたことがあるのだから。

 一度聞いたことを忘れるような男ではない、曲がりなりにも、彼は天才だ。

 だからこそ、笑みを崩さないアルフォンスが、カーディナルは少し不気味だった。

 

「難しく考えるな、カーディナル。もっと簡単な話だ」

「簡単……?」

 

 どこがじゃ! と叫びたくなるのを抑え、カーディナルは続きを促した。

 アルフォンスが「やれやれ」と言ったポーズを作るのを見て、ギュッと杖を握りしめる。

 こういう余計な行動を取る割りに、地味に様になっているのが苛立ちを若干加速させていた。

 カーディナルは杖を振りかぶらなかった自分を内心褒めた。

 

「神から人に引きずりおろすのに、そう難しいことは必要ない。ただ力を取り上げる、それだけで良いだろう」

 

 ──力を、取り上げる?

 まさか、アドミニストレータの神聖術や、剣術の記憶を消し去る、だなんてことを言っている訳ではあるまい。

 しかし、であれば一体どういう意味だ、と疑問を持った瞬間、カーディナルは「あっ」と声をはじきだした。

 

「……そうか、かつてアドミニストレータがやったように、今度はそやつから、今度こそ、そやつのようにミスをせず、《カーディナル・システム》の権限のみを抜き取るか!」

 

 人界中央都市、央都セントリアを四分割する不朽の壁しかり。

 人界最北端に佇む、最高硬度を誇る倒れない杉の大樹しかり。

 その全てがアドミニストレータが手にした《カーディナル・システム》の権限により生成されたものだ。

 あらゆる意味で逸脱者であるアドミニストレータと言えども、この権限が無ければ『ただ恐ろしく強く賢い人間』でしかなくなる。

 

「ご名答。で、本題はここなんだが、カーディナルには、その権限を()()()()オレに移譲する手伝いをしてほしい」

「──ほう、大きく出たな、アルフォンス。今なら聞かなかったことにしてやるが?」

「ダメだ、それがオレには必要──いいや、その権限を持ったオレが、人界には必要なのだ」

「理由だけは聞いてやる、話せ」

 

 一瞬、発動させかけた神聖術をキャンセルし、カーディナルは構えた杖を下げた。

 そこにあるのは、アルフォンスへの信頼だ。

 カーディナルは──このセントラル・カセドラル内という括りであれば、ほとんどの人間がそうなのだが──アルフォンスのことを気に入っている。

 長年付き合いがあるわけでは無い、しかし、アルフォンスがどういう人間であるのか、ということくらいは理解していた。

 笑えるほど頭が回り、恐ろしいくらい人の心に踏み込んでくるのが上手く、また現実世界についての知識どころか、この世界の未来すら見渡す知識を保有する、異端的存在。

 無論、カーディナルからすれば十年少ししか生きていない小僧でもある。

 だが、その上でカーディナルは『聞く価値のある言葉を持つ男』という認識をしていた。

 

「無論、この世界を統治するためだ──そして、これが()()()のお前の問いかけに対する、オレの答えでもある。

世界は見捨てない、オレが統治し、オレが導こう──とはいえ、独裁という訳ではない。

その為にも、カーディナルには協力してほしいのだがな……そう、敢えて言うのであれば相談役、と言ったところか」

「────」

 

 そんなことを、当たり前のように言ったアルフォンスにカーディナルは思わず声を失った。

 不安なことなど一つもない、と言わんばかりに己を見据えてくるアルフォンスに、彼女はいつの日かの光景をフラッシュバックするように思い出す。

 そう、それはアルフォンスが言う『あの日』であり『賭け』をした日──つまり、彼らが、初めて出会った日のことだ。

 




何か想定より文字数増えたから分割しました。


カーディナル:次話で掘り下げられる女。

アルフォンス:普通に狙って記憶領域パンパンにさせてた。


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『賢者』の追憶、あるいは運命の選択。

ゲームやってたら小説の書き方忘れました。


「お前が本当に欲しいものをくれてやる、だからカーディナル、お前はオレに尽くせ」

 

 開口一番、そう言い放ったアルフォンスに「なんじゃこいつ……もしかして馬鹿?」と思ったことを、カーディナルは忘れない。

 ある日の昼下がりのことだ。

 誰もが寄り付かない、寄り付けないセントラル・カセドラル唯一の大図書室。カーディナルにしか侵入を許さない小さな城に、アルフォンスが招待された日のことである。

 端的に言って、アドミニストレータと敵対しているカーディナルからすれば、アルフォンスは絶好の条件を備えた人間だ。

 数日の観察の身でそう断じたカーディナルは、協力するならなるべく早い方が良い、と判断し有無を言わさずアルフォンスを大図書室へと連れ込んだ。

 どうせ説明は一から十までしなければならないのだ、最初は多少強引でも構わない、という実に合理的かつ模範的な思考回路である。

 アドミニストレータが見ていたら「はしたない……」と顔を赤らめていたかもしれない。

 傍から見ればただの誘拐である。童女が小僧を自室に無理やり引っ張り込む、うーん、字面だけ見れば犯罪感が薄れる。

 とまあ、何はともあれアルフォンスを廊下を歩いていたら急に引きずり込まれ、気付けば見知らぬ部屋だった、という訳の分からない状況に陥った訳だが、特に意に介することは無かった。

 むしろ「ようやく来たか」等と宣い、言われるより先に近くにあった椅子に腰を掛けるまであった。

 カーディナルからすればそれこそ異常事態である。

 流れに乗じて謎の強者感を出しつつも、己の目的からアドミニストレータの正体その他諸々を重々しく語るという彼女の計画は出だし一発目からこけたのだった。

 どころか、「まあ座りなよ」といった目線を飛ばされ実質、この場の話の主導権はすっかりこの目の前の小僧のものになった、とカーディナルは思い知らされるまであった。

 とはいえ、席に着かないという選択肢もない。

 普通に想定外な事態に若干頭痛を覚えながら、カーディナルが座ると同時に放たれたのが上記の一言だ。

 何度か脳内で反芻してみたが最終的には「ちょっと怖いんじゃが……」という随分と失礼な結論に至っていた。

 確かにアルフォンスは少々ねじの外れた野郎だが、しかしこの場において一番無礼なのはこの女の方だった──が、何もカーディナルは馬鹿ではない。

 むしろその真逆に位置していると言っても過言ではないだろう。

 カーディナルはこのアンダーワールドで唯一、アドミニストレータと同レベルの権限、知性を誇っている……人間だ。

 字面だけを捉えるのではなく、それ以上にまで踏み込んでカーディナルは頭を回したが故の感想だった。

 まあ普通に考えて接点が何一つない男に自身の名前を知られているのは恐怖以外の何ものでもないだろう。

 しかも何だかこちらの事情すらも見透かしていそうな余裕っぷりなのだ。

 カーディナル自身が覚悟していたよりもずっと、目の前の少年は得体が知れなかった。

 はぁ、と小さくため息を吐き、本来であれば自分が投げかけられるはずであった問いを口にした。

 

「おぬし、何者じゃ。まさか、アドミニストレータの手先という訳では無かろうが──なぜ、わしの名を……いや、なぜわしを知っている?」

「ふむ、それは答えるのが非常に難解な問いだ。一言で答えることもできるが、百の言葉を以てしても明確な答えを提示できない」

 

 スッ、とカーディナルは目を細めた。

 口を開けば謎を生み出すことしかできんのか、この小僧は。

 

「おちょくっているつもりか、あるいは謎かけのつもりか?

 わしは下らん遊びに付き合う気は毛頭ないと宣言しておいた方が良かったかのう」

「むぅ、オレだって別に好きでこんな曖昧な言い方をしているのではない。

 だが、そうとしか言えないから難解な問いだ、と言っているのだ」

 

 少年らしく、アルフォンスは表情を崩してうなる。

 色々と常軌を逸しており、そのほとんどが自前のアルフォンスではあるが、唯一、この埒外な知識に関してはギフトのようなものなのだ。

 どこかの誰かが己に残した、未来の知識。

 それを実際脳内に持っているアルフォンスはともかく、「オレは未来の知識がある」と言って信じてくれるような人はそうはいない。

 かと言って、話もせずに信頼関係を築くことは不可能だということが分からないわけではない。

 少しだけ熟考したアルフォンスは「面倒だな」と一言そう思った。

 

「うん、よし、分かった。カーディナル、オレの頭を見ろ」

「なんじゃ急に、馬鹿は治せんぞ?」

「安心しろ、オレは天才だ……お前は確か自身の記憶を直接編集したことがあったはずだろう。

その要領でオレの記憶を見ることもできるはずだ」

「────」

 

 端的に言って、カーディナルは絶句した。

 確かにそうだ、この目の前の少年が言った通り、カーディナルは自身の記憶を一度、自らの手で整理している。

 だがそれを、他人はおろか使い魔にすら話したことは無い、いわばカーディナルだけが知る秘密だ。

 よしんば自身の名前だけであれば(ほとんど可能性は無いに等しいが)アドミニストレータから聞いた、で筋は通るが、こればっかりはそうはいかない。

 久方ぶりに触れる『未知』に、カーディナルは何か冷たいものが背筋を這いあがってくるような感触を覚えていた──が、断る理由はどこにもない。

 仮に今、不意を突かれて攻撃されたとしても無傷で封殺できる自信があることを再度確認し、カーディナルは深呼吸をした。

 

「おぬしは、それで良いのか? わしがおぬしの記憶を好きなように改竄する可能性もあるのじゃぞ?」

「問題ない──というか、そんなする必要のないことをするようなやつじゃあないだろう、お前は」

「まったく、さっきから知ったような口を聞きおるわ……まあ良い、こっちへ寄れ」

 

 少し引きずりながら引いた隣の席へと、アルフォンスが座ると同時に、カーディナルはその頭へと手を置いた。

 それから一言、二言を声を発すると同時に、カーディナルの前には一枚の画面が浮かび上がる。

 何だか地味ではあるが、これが人の記憶の閲覧方法だ。

 無論、アルフォンスはそれで気絶だったりしているわけでもない。

 何一つ隠すことのできない、自身の記憶を見られているというにも拘わらず、のんびりとしている。

 

「思っていたよりもあっさりなのだな……」

「見るくらいであればの、これを編集するとなればまた別じゃが」

 

 あまりの緊張感のなさに多少の空気の弛緩を覚えながら、カーディナルは目の前の画面をサクサクとスクロールしていく。

 記憶とは、少なくともこの世界では記録とほとんど変わりのないものだ。

 本人が思い出せる、思い出せない関わらず、必ず情報としてフラクトライトには書き込まれている。

 十一年しか生きていないとはいえ、その情報は膨大と言っても良いだろう。

 とはいえ、アルフォンス本人が十歳からの記憶しかない、かつ今の人格を形成していることから、見るのはここ最近の部分だけで良いはずだ。

 そうあたりをつけてカーディナルは流し読みしていき──

 

「ブフォァ!?」

「づあっ!? 急に何をする!?」

 

 口に含んだばかりの紅茶を勢いよくふきだした。

 おかげでアルフォンスは顔面紅茶塗れである。

 

「あ、す、すまなんだ──いやしかし、これは……」

 

 謝りながらも、カーディナルは目を離せない。

 それほどまでにアルフォンスのログは異様だった。

 何せ──十歳になるのと同時にこの少年は、どこかからか強制的に記憶を書き込まれているのである。

 否、それは記憶だけではない。

 フラクトライト──いわば魂、人格を形成するものを丸ごと上書かれようとされ、なおかつ失敗した跡があるのだ。

 異常──等という一言で片づけたくはない。

 それは、言ってしまえばアドミニストレータとほとんど同じだ。

 行動原理への焼き付け、記憶、人格の強制上書き。

 記憶の残り方から見て、ほとんど成功しているも同然だ、だというのにこの少年は未だに正常な人格を保っている。

 本来であれば、それはありえない。

 人間二人分の人格、魂の情報だなんて、フラクトライトが耐え切れずに自己崩壊してもおかしくない。

 ましてや、自己崩壊を免れたとしても、他人の一生の記憶なんてものを客観的に眺めるというのは非常に難しい──いや、普通は無理だ。

 ただでさえ、この少年は生まれたころから今に至るまでの成長の記憶がないのだ。

 また、その記憶の中身でさえ奇妙極まりないものだ。

 それこそ──そう、こうして見なければ信じられないほど荒唐無稽な内容。

 言わば、現実世界も含めたこの世界の未来の知識。

 酷く頭痛がしてきたカーディナルは「マジで何なんじゃこいつ……」と思った。

 アルフォンスは「せめてタオルとか……」と思っていた。

 

「……おぬしの事情は大体理解した」

 

 そっと、アルフォンスの頭から手を離しながらカーディナルは言う。

 今得た情報を咀嚼し、飲み込みながら彼女は言葉を続けた。

 

「確かに奇妙なことになっているようじゃの、おぬしは。正直言って、なぜおぬしが今も問題なく生活を送れているのか、不思議すぎて最早気持ち悪いまであるわい」

「まあ凡俗にはそう見えても仕方ないだろうな」

 

 ふふん、とどこか誇らしげにアルフォンスは笑む。カーディナルは無視した。

 

「じゃが、中身は興味深かった。おぬしの余裕さの理由も分かったしのう」

「うむ、伝わったのであれば重畳だ」

「その上で改めて聞こう、おぬしはこれを以て、何を為すつもりじゃ?」

 

 カーディナルが読み取ったのは飽くまで記憶であり、アルフォンスの思考ではない。

 だからこそ、一番最初にアルフォンスが放った言葉だけが気がかりだった。

 というか、これから何をするつもりなのかが、どうにも読めなかった。

 睨むように目を細めるカーディナルを見て、アルフォンス薄く笑った。

 

「──アドミニストレータを打倒する。ひとまず、目先の目標はこれだ」

「……その先は?」

「その先は──今話しても、結論は出ないだろうよ」

 

 アルフォンスは笑みを抑えてそう言い、カーディナルを見た。

 それに対してカーディナルは「ふむ」と思考する。

 カーディナルの目的は、端的に言えばアンダーワールドの破壊だ。

 アドミニストレータを打倒し、カーディナル・システムとしての全権限を取り戻し、この世界を零へと戻す。

 それが彼女の立てる目標であり、譲れない部分だ。

 何せ、このアンダーワールドは十年後、早まることがあれば数年後には人界の人間と、暗黒領域の人間たちの凄惨な殺し合いが始まることが決定されているのだ。

 そんな大規模な殺し合いが行われるくらいであれば、いっそ消してしまった方が良い、とカーディナルはそう考えていた。

 ──そして、彼女がそう思っていることも、目の前の少年は知っているのである。

 その上で言葉を濁した……すなわち、その部分で意見が食い違っているということだった。

 

「だが、答える気が無いという訳ではない──一年だ。今から一年でアドミニストレータを打倒し、カーディナルを納得させるだけの答えを用意する。

だから、それまでは協力しろ。それではダメか?」

「ほほう? 一年と言ったか。随分と夢見がちなやつじゃのう。吐いた唾は吞めんぞ?」

「もちろんだ、オレは有言実行がモットーなんでな。何なら賭けても良いぞ?

 今から一年かけてアドミニストレータを倒せなかった場合、オレはお前に絶対服従してやろう。

 代わりにその逆も然り、だ」

「ふんっ……」

 

 大きく鼻息を鳴らし、カーディナルは呆れたように顔をゆがめた。

 カーディナルは基本的に賭け事が好きではない。「この阿呆めが」と頭でも叩いてやろうとして──しかし、いや待てよ? と踏みとどまった。

 遊び半分なことくらいは分かっているが、しかしこれはこれで保険になる。

 そも、今から一年でアドミニストレータを倒せるなどとはカーディナルはこれっぽっちも思っていない。

 こんな少年が一年でどうにかできるなら、とっくの昔にカーディナルはアドミニストレータを殺せている。

 つまり、これは些か卑怯なくらい勝率が高い賭けだ。

 記憶を見ただけでも分かる、この少年は酷く律義な性質を持つ人間だ。

 いずれ──これらから先、二人でアドミニストレータを倒した際に自分の好きなように話を持っていきたいときに持ち出せばかなり効果覿面だろう。 

 うん、うん、悪くない、悪くないぞ。

 ギャンブル未経験、超初心者のカーディナルはそう思った。

 

「よかろう、乗ってやる」

「ふん、後悔するなよ」

「それはこっちの台詞じゃろうが……」

 

 

 

 ────と、ここまでが回想である。

 この後はなんだかんだ入り浸られたり、暇つぶしにボードゲームをやったりと関わっては来たが、取りあえずはこれがカーディナルが覚えている限りの、アルフォンスとのファーストコンタクトだ。

 賭けにおもくそ負けたカーディナルはギリッと奥歯を噛み締めた。

 ついでに言えば、アルフォンスの出した答えに、心が揺らぐ自分がいることにも酷く動揺を覚える。

 

(自らが統治し、自らが導く──)

 

 それは、この男であればできるのではないか、とカーディナルはそう思いかけていた。

 なにせ絶対に無理だと確信すらしていたアドミニストレータの陥落だけにならず、このセントラル・カセドラル内の人間ほぼ全てをこの少年は口説き落としているのだ。

 365日と言ってしまえば何だか長いようにも見えるが一年というのはイメージ程長いものではない。

 両手では数えきれないほどの人数と十分な信頼関係を築くにあたっては全く足りないと言っても良いだろう。

 ──だがやり遂げたのだ、こいつは。

 騎士長ベルクーリから始まり整合騎士のほぼ全員だけでなく、各天職を与えられた不老の人間たち。

 アルフォンスは知る由もないが、修道士たちの間では人気者だ。

 ……認めたくはないが、カーディナル自身も絆されている。

 

「アンダーワールドを存続させる以上、少なくない血が流れることになるのは事実だ。

 それは隠し通せないことで、だけれども、その行く末はまだ分からない──いいや、オレが良いものにする。

 この世界の終末は血に塗れたものではなく、光に満ちたものにすることを約束しよう」

「…………」

 

 カーディナルは言葉を返せない──返す言葉が見つからない。

 否、肯定も否定も、しようと思えばできるのだ。

 どちらの言葉も既に心中にある、ただそれを、口にする決断が彼女にはできなかった。

 

「オレが信じられないか?」

 

 瞬間、そっと背中を押されてカーディナルは目を伏せた。

 それから深々と、長くため息を零す。

 

「おぬし、それは……それは、卑怯じゃろ……」

 

 できるできないではない。

 やると言ったら絶対にやるのが、アルフォンスという少年なのだ。

 少なくとも、カーディナルはそう信じている──信じるようになった。

 であればもう、答えは一つしかないも同然だ。

 

「そう言われたら、わしは信じるとしか言えぬではないか……」

 

 ポン、とカーディナルはアルフォンスの胸へと拳を落とす。

 それからもう一度息を吐きなおしてから、グッとアルフォンスを見上げた。

 

「信じるし、託すぞ。良いのじゃな」

「愚問だな、世界の命運を背負うくらいが、オレにはちょうどいい」

「ふん……ならば良い、始めるぞ」

 

 杖を持ち直してカーディナルはアドミニストレータの頭へと触れる。

 そこに殺意は間違いなくあったし、恨みもつらみもあったがグッと飲み込んだ。

 それを、アルフォンスは少しだけ見届けてから

 

「ありがとう、カーディナル」

 

 と一歩踏み出した。

 

 

 

 




カーディナル:爆速絆され陥落女。


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その女神は『最悪のクソ女』だった。

やぁ、元気してた?
私はずっとTwitterやってたので超元気です。


 

 アドミニストレータは最悪のクソ女である。

 それは他ならぬアルフォンスでさえも認めるところであり、カーディナルだけでなく、彼女の本質を知る者であれば誰しもが頷くであろう事実だ。

 絶対的な力を持ち、世界最高の権力を握り続け、世界を統治し続けた正しく人界の女王──あるいは女神。

 その非道さを非道だと思うことは無く成し遂げ続けた無情の女──それが、アドミニストレータである。

 ──そんな彼女を、しかし悪だと断ずることはできるだろうか?

 彼女とて、生まれ落ちたその時は少しばかり優秀で、しかしそれだけの小さな少女だったのだ。

 生まれ持った異質とも言える聡明さを以て、誰よりも早く世界の仕組みに気付いてしまっただけで、それ以外はほとんど他の人間と変わるところは無かったであろう。

 たったそれだけ、その一点においてのみ、誰よりも一歩先に踏み出したに過ぎない。

 親に隠し事はしたことがあるか?あるいは、友達や先生相手でも良い。

 自分だけの、大切な秘密が生きていれば一つくらいはあっただろうし、今もあるかもしれない。

 アドミニストレータ──いいや、クィネラにとってはそれこそが、このアンダーワールドという世界の仕組みだったにすぎない。

 獣を倒せば権限が上がる、権限が上がればやれることが大幅に増える。

 単純な仕組みだ。しかしだからこそ、それはクィネラという少女の秘密に成り得た。

 単純なことだというのに誰も知らない、自分だけが知っている大きな秘密。

 しかもそれは己を更に高みへと連れて行ってくれる。

 そんなものが手元にあれば誰だって、自分だけが知っているという高揚に身を浸らせるだろう。

 天才児たるクィネラであっても、それは変わらない、変わるわけがない。

 何故ならば、彼女だってひとりの少女だったのだから。

 天才であるから。

 超人であるから。

 たかだかそんな程度の小さな要因は、子供を大人に引き上げてはくれない。

 天才過ぎるがゆえに並び立つものは無く、超人であるがゆえに親にさえ畏れられ、その美貌ゆえに勝手に憧れられた。

 友はおらず、家族は近づかず、無論恋人もいない、情も愛も知らずに育った孤独──孤高の少女。

 それがクィネラ──女神へと成り果てた、アドミニストレータ。

 何者であろうと、彼女の隣を歩くことはできなかった。

 その背中を追うことすらできず、彼女の足跡を辿ることだけで精いっぱいだった。

 歴史上でも稀に見るほどの天才、鬼才であってもそれは同じことで──だからこそ、彼女を止められる者はいなかった。

 いいや、あるいは、語らうことができるものすら、存在しなかった。

 同じ目線でものを見ることができるものも、同じレベルの思考を回せるものも、同じ次元の高みを目指すものも。

 ひとりとして、生まれてこなかった。

 ゆえに、クィネラが信じられるのは、過去も今も、常に自分のみ。

 どれだけ悩もうと、どれだけ挫けようと、どれだけ苦しもうと、そもそも誰も、それに共感できなかった。

 彼女が高みを目指し、一歩進むごとに、そこの隔絶は大きく広がっていく。

 やがてそれは、同じ人としてのカテゴリに収まらず。

 憧れは尊敬に、尊敬が信仰に移り変わった頃。

 高みを目指し、それでも人々に役に立とうと、登り続けていたひとりの少女は、そこでようやく、下へと目を落としたのだ。

 ──愚かだと、少女は思った。

 誰も並び立たないのは良い、それは許容する。

 だが、並び立とうとするものすらいないのは、何だというのだ?

 自分に全てを委ね、何もかもを任せ、ただ安寧と今を啜るこの人間たちは、果たして自身と同じと言っても良いのか?

 この関係はまるで──そう、まるで「神」と「人」のようではないか。

 クィネラは聡明な少女だ、いや、聡明と言っていいのかどうかすら、判断がつかない。

 神才と、そう呼ぶべきだろう。

 誰よりも賢く、しかし、子供である彼女は求められた役目を果たそうとした。

 他に誰もいないのであれば、自身が導くしかないのだろうと、そう思ったから。

 それはきっと、子供じみた発想だった。

 けれども、それをおかしいと思ったものは誰一人としていなかった。

 これが公理教会の始まりの一歩。

 彼女が神へと成り果てるまでの、一歩目であった。

 教会を造り、巫女として、あるいは、神としてクィネラは振舞うようになった。

 無論、それは求められたというのもあるが、彼女自身の欲が混ざっていたことは否定できない。

 むしろ、多大に含まれていたと言っても良いだろう。

 ──しかし、それが悪いと、誰が言えるだろうか?

 この時ですら彼女は齢にして十三。

 たった十三歳にして、彼女はおよそ人界のすべてを掌握することとなったのである。

 たかだか中央にある村の一つを治める領主ではなく。

 人の世界そのものを、だ。

 そして誰よりも優れていたからこそ、無数の法により、彼女は人界を統治できた。

 それは、見方を変えれば人々を支配するためのものにも見えるだろう。

 どう見るかは、人それぞれだ。

 しかし彼女が並外れた才能を持ちうる"人間"だったがゆえに、完璧を求めたのは、間違いないだろう。

 教会の塔は高くなり、人々は増え続けた。

 平和は維持され、世界は豊かに広がっていった。

 ただの独善的な支配者にできることではない。

 しかし、それを兼ね備えていたのも、事実ではあった。

 完璧を重んじるがゆえに恐れが生じた。

 人界の外を知ることで、その恐れは増した。

 力のみで人は従わない、正論だけで、人は動かない。

 ゆえに治めねば、完璧に。

 何故なら私は、私は──最早既に、神なのだから。

 クィネラは歩み続けた。

 既に女神と呼ばれる彼女は、それでも『本物』になるべく、歩みを止めることはなかった。

 私情と、責任と、義務と、恐れ。

 十年、二十年、三十年と。

 孤高の女神は、ひとり進み続けたのである。

 奇跡的なまでの天才とは言え、彼女は人だ。当然寿命がある。

 八十年が経ち、美貌は衰え、自ら歩くことすらもままならなくなった。

 ──けれども、ここで死ぬわけにはいかなかった。

 いいや、それは単純な死への恐怖でもあっただろう。

 死にたくない、死ぬわけにはいかない、まだ、まだ、まだ。

 『神』は死なない。死んではならない。

 クィネラは己の間違いには既に気付いていたであろう、あるいはもう、ずっと前から気付いていたかもしれない。

 人界は、クィネラというたったひとりの女がいなければ、最早成り立たない世界だったのだから。

 今死ねば、人界は大きく乱れる。それだけは見過ごせなかった。

 ゆえの執念、ゆえの執着。

 その命の灯火が消えるその瞬間まで、クィネラは手を伸ばし、歩みを続け──そして、奇跡は起こった。

 否、違う。

 クィネラはその弛まぬ努力を以て、奇跡を引き起こしたのである。

 だから、その奇跡は必然だったのかもしれない。

 一度も足は止めず、誰よりも上を見続けて、何よりも邁進し続けた、彼女がつかんだ、必然の奇跡。

 クィネラは、この世界の真理の扉を、力づくでこじ開けた。

 

『インスペクト・エンタイア・コマンド・リスト』

 

 それは究極の神聖術。

 あらゆるシステムコマンドの、すべてが記された窓。

 世界すら思いのままにできる術に。

 正しく『神』のみが使えるそれに、クィネラはたどり着いた。

 そこからは簡単な話だ。

 己の命を無尽蔵に設定し、世界中のなにもかもを操る術をその手に収めた。

 その時の高揚はいかなるものか!

 それを以て、クィネラは自身にあらゆる権限を付与していった。

 寿命のみならず、地形や天候、建造物への干渉。

 道具の生成、消滅。

 人すらも含めた、寿命の操作。

 この時を以て、彼女は真実として、神へと至った。

 そして同時に、この世界に神は既にいたのだと、彼女は知覚した。

 アンダーワールドは、現実世界により作られた、いわば「仮想世界」だ。

 それを支配する絶対的存在──すなわち、カーディナル・システムに、クィネラは気付いた。

 繰り返す言うが、クィネラは決して、聖人ではない。

 かといって、極悪人だったわけでもない。

 持ち得ていた感性は恐らく、普通だった。普通の少女だった。

 普通だったからこそ、八十年という重みには耐え切ることはできなくて。

 大切だった何かは、時間をかけて圧し潰された。

 クィネラは、衝動的にカーディナル・システムを取り込もうとした。

 神は二人もいらないと思ったか。あるいは、ただただ、邪魔だと思ったか。

 基本的に、クィネラは冷静なタイプの女性だ。

 何事も慎重に事を運ぶ女──けれど、すべてを掌握しつつある彼女は正しく全能感に支配されていた。

 カーディナル・システムですらどうにかできると、文字通り衝動的に動き。

 そして誤った。

 端的に言えば、彼女はカーディナル・システムと意図せぬ融合をした。

 権限のみを奪うだけでなく、カーディナル・システムに与えられていた命令でさえ、己に書き加えてしまったのだ。

 カーディナル・システムが与えられている命令は、たったひとつ。

 《秩序の維持》。

 この世界の秩序を、永遠に維持するという絶対使命が、刻み込まれたのである。

 されども取り込んだのはクィネラであり、カーディナル・システムは取り込まれた方だ。

 その命令をどのように実現するかは、クィネラに依存する。

 現実世界の人間と似た視点へと至った彼女からすれば、最早人界の人間はただのデータにしか見えなくなった。

 こうしてクィネラは、誰よりも冷酷で、非情で、合理的な支配の女神、アドミニストレータに、成り果てたのである。

 そんな彼女を、悪と糾弾するのは簡単だ。

 無情にして最悪の女神だというのは簡単だ。

 討ち倒すべき巨悪だと、そう歯向かうのは簡単だ。

 ────けれど、果たして彼女だけが、悪だったのだろうか?

 責められるべきは、アドミニストレータだけか?

 神に成り果てた、ちっぽけな少女だけか?

 どこまでも彼女は、悪であっただろうか?

 私情のみで、この世界を治めてきたのだろうか?

 確かに彼女は間違えた、大いに間違えた。しかし、間違ってばかりだっただろうか?

 誰も、誰も、誰も!

 彼女を止めようとすら、しなかったのに。

 果たして、何もかもがアドミニストレータの責任であるのだろうか?

 恋も、愛も、友情も、親愛も、共感も、何ももらえず、与え続けただけの彼女は、絶対の悪だったのだろうか?

 

「──答えは否だ。他の誰が何を言おうとも、オレはそう思う。であれば"そう"なのだ」

「同情のつもりかしら。だとしたら余計なお世話ね」

「いいや、違う。同情などする訳がないだろう。

 何せそれは、才あるものの宿命であり──結局、アド自身が選び進んだ道なのだから」

 

 セントラル・カセドラル最上階。

 最高司祭:アドミニストレータの寝室。

 豪奢なベッドに横たわり、上半身だけ起こしたアドミニストレータと、その正面に用意した椅子に座るアルフォンス。

 状況だけであれば、いつも通りの光景だ。

 二人きりの空間。

 毎日行われていた、じゃれ合いのような果し合い。

 しかし、その雰囲気はまるで別物で、重苦しいものだった。

 アドミニストレータは、既に自身が眠っていた間に行われたことのほとんどを把握しており。

 そうであることも、アルフォンスは理解していた。

 

「そう……なら、何故私は生かされているのかしら。

 バックにカーディナル(おちびさん)がいるのは分かっているわ。

 あの子は私を殺したくて、殺したくてたまらなかったでしょうに」

「ああ、そうだな。それで少し揉めたが、まあ、結果は御覧の通りだ」

「ふぅん、上手くやったものね。

 私を生かしていても、メリットはない──いいえ、多少はあるでしょうけれども、デメリットの方がずっと大きいというのに」

「……そうだな、まったくもって、その通りだ。だから、これは私情だ」

「私情……?」

 

 アドミニストレータは、表情を歪めた。

 ただでさえ、色々な感情が綯い交ぜになっていて、今にもおかしくなりそうだと言うのに。

 同情ではないと、自分でそう言ったくせに。

 

「そう、私情──オレは、お前に言わなければならないことが、あるのでな」

 

 ああ、そういうことか、とアドミニストレータは納得した。

 メリットデメリットという話ではなく、単純に、最期に言いたいことがあった。

 それだけだったのだ。

 ふっと笑い、アドミニストレータは力を抜いて──それでも彼女は、諦めない。

 諦めるわけにはいかない。

 まだ、やるべきことがあった。

 なさねばならぬことがあった。

 責任があった。

 義務があった。

 執着があった。

 止まるわけにはいかなくて、神聖術を紡ごうとしたアドミニストレータは、しかし少年の予想外の言葉で動きを止めた。

 

「オレは、お前の三百年を知っている。

 少女から、神に成り果てるまでの足跡を、知っている」

 

 クィネラから、アドミニストレータまで至るまでの、長い、長い物語。

 そこには、正義があった。

 そこには、悪があった。

 そこには、正しさがあった。

 そこには、間違いがあった。

 そこには、決断があった。

 そこには、苦悩があった。

 そこには、執念があった。

 そこには、迷いがあった。

 そこには、絶対に諦めないという、覚悟があった。

 

「昔の話はやめてちょうだい、好きじゃないの」

「いいや、やめない。何故ならこれは、お前の物語なのだから。

 耳を塞がずに聞け、アド」

 

 この世界が作りものであることを知ろうとも。

 すべてが精巧なコピーでしかないことを知ろうとも。

 本物はどこにもなく、偽物しかないのだとしも。

 抗うことを忘れなかった、女がいた。

 この足は、踏みしだくためにあるのであって、決して膝を屈するためにあるのではないのだと。

 そう叫んで歩み続けた。

 

「オレはそのすべてを、しかし肯定しない。

 けれどもそれは、決して、否定するという意味ではない」

 

 感情すら不要である、と。

 切り捨てられるものはすべて切り捨てて。

 どこまでも神であろうとし続けて。

 現実世界にまで手を伸ばそうとした。

 たったひとりで。

 愛を知らぬ少女は、どこまでも、止まらなかった。

 そうして、ひとりの少年は、その姿に魅せられたのだ。

 その生き様に、目を奪われた。

 近づいて、知り合って、関わって。

 心を近づけた。

 ──だから。

 

()()()()()()()()()()()()。アドミニストレータ──クィネラ、オレはお前を愛している」

「────ぇ」

「これからは、オレがお前の隣を歩こう。ゆえにお前も、オレの隣を歩め」

「なに、を……」

 

 アルフォンスはベッドへと移り、そのままアドミニストレータを抱きしめる。

 それを跳ねのけることすらせずに、アドミニストレータはただ茫然とした。

 茫然としたまま、知らず、涙が伝う。

 

「ここから先は、お前の背負っているものを、オレも背負おう」

 

 ひとりだと、人は間違ってしまうから。

 ひとりだと、人は真っすぐ歩けなくなってしまうから。

 時にはしゃがみこみ、時には迷い、時には道なき道を行ってしまうから。

 間違いに、気付けなくなってしまうから。

 引き返すことすらも、できなくなってしまうから。

 

「辛いときはオレが支えよう。

 迷ったときはオレが手を引こう。

 間違ったなら、オレが正してやろう、だから──」

「ダメ、ダメよ──いいえ、もう、無理なのよ。

 私はもう、ここまで来てしまったのだから。

 もう止まれない、止まるわけにはいかない。

 私は、神なのだから」

 

 アドミニストレータは、アルフォンスへとしがみつく。

 既に砕けてバラバラになっていた彼女の心の、その破片が悲鳴をあげているようだった。

 

「私は、最適解を選び続けた。

 無論それは、人のためではなく、世界のための最適解。

 いいえ、あるいはそれは、私のための、最適解だった。

 だから、この道は私だけのもの。

 私がひとりで、歩まなければならない道なのよ」

 

 助けて、と。

 救ってくれ、と。

 一言でも言えたのならば、きっとアドミニストレータはここにいなかった。

 ただの人として、一生終えられたのかもしれない。

 けれど、そうはならなかったのだ。

 己の弱さのすべてに目を背け、己の強さばかりを信じ。

 誰にも頼らず、ないがしろにし、ひとり進み続けたのが『アドミニストレータ』なのだから。

 だから、これまでも、これからも。

 アドミニストレータが救われる資格はない。

 

()()()()()()()()()()()

 そういう生き方しかできないから、お前は間違えたのだ──よく見ろ。

 クィネラ、お前の目の間にいる男は、頼るには不十分か?」

「だから! そういう話ではないって──!」

「そういう話なんだ!」

 

 声が響く。

 小さな、彼女だけの城に、少年の声は響き渡る。

 アドミニストレータは、気付けば大粒の涙をこぼしていた。

 彼女に感情はないはずなのに。

 自らの手で、壊したはずなのに。

 ──彼女の感情は、アルフォンスと共にいることで、修復されていた。

 いいや、あるいは、取り戻されていた。

 

「どうして、なの。どうして、私を、そんなに──」

「愛しているからだと、言っただろう」

 

 愛とは、ただ求めるものにあらず。

 愛とは、ただ与えるものにあらず。

 愛とは、与え合うものだ。

 

「クィネラは、どうなんだ」

「私、は──」

 

 誰かとともにある思い出が、初めてできた。

 ずっと、ずっと自分自身しか記録し続けなかった、自分だけの物語の中に、突然そいつはやってきた。

 弱弱しくて、けれどどこか、昔の自分のような気質をもつ少年──アルフォンス。

 アルフォンスといることを、次第に楽しいと思うようになった。

 嬉しいと思うようになった、傍にいなければ、寂しいとすら思った。

 心が満たされる感覚があった。

 そのすべてがキラキラとしていた。

 それは光だった。

 気付けばそれは、何よりも手放しがたいものになっていた。

 何よりも、愛しいものになっていた。

 

「愛しているに、決まっているでしょう……」

「ならば、クィネラの重荷をオレにも背負わせろ。そしてオレの重荷も背負え。

 オレだけの道ではなく、クィネラだけの道でもなく、二人の道を、二人で歩こう」

 

 それならきっと、真っ直ぐに進めるから。

 二人なら、きっと間違わないで、歩いていけるから。

 

「──重いわよ、私」

「重いくらいが、ちょうどいいというものだ」

「それに、すぐに迷ってしまうわ」

「それならずっと、手を繋いで歩くとしよう」

「たくさん間違ってきたわ、きっとこれからも間違える」

「分かっている、それも背負うと言っているのだ。

 そして、これからは間違える度に、正してやろう──心配するな、もう、ひとりではないのだから」

 

 ひとりではない、という言葉の意味を、しかしクィネラは良く理解していない。

 けれども、その言葉には確かな暖かさがあることだけは、分かっていた。

 

「良いの、かしら。私が、こんな……」

「良いか悪いかは、誰かが決めることではない。

 強いて言うのなら、オレが良いと言えば、良いのだ」

「何よ、それ──ねぇ、アルフォンス」

「うん?」

 

 ──ありがとう、とクィネラは言った。

 囁くように、耳元で。

 小さく、小さく、そう言って。

 アルフォンスを思いっきり、抱きしめた。

 

 

 

 

 

 こうして、神へと堕ちた少女は、少年の手によって人へと引き戻された。

 それは、とても、とても残酷なことで。

 けれどもきっと、少女にとってはそれが、何にも代えがたい、最大の幸福だった。

 

 

 

 

 




《恋愛クソ雑魚女陥落編》完結!

次回からは《ウルトラヌルゲー・アンダーワールド大戦編》が始まります。もちろん嘘です。


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クソガキの平和な日常。あるいは二人の剣士の教会攻略編
やはり『妹』は『兄』に振り回される。


やぁ、久し振り。
二章目スタートです。


 人界歴三七九年。早朝。

 セントラル・カセドラル最上階。

 本来であれば、選ばれた人物しか出入りの許されないその回廊に、ひとつの足音がこだましている。

 黄金の鞘に収められた一本の長剣を携え、僅かにも息を乱さず、金の長髪をなびかせる少女。

 彼女の名は、アリス・()()()()()

 美人というのは何をしても映えるとは言うが、彼女自身その例に漏れず、ただ駆けているだけの姿は実に絵になっている。

 そんな彼女がこの人界──いいや、あるいはこのアンダーワールドという世界単位で見ても有数の実力者であることを知る者は少ない。

 というよりは、このセントラル・カセドラルの住人自体が、認知されることの少ない人間ばかりであると言った方が正しいのだが。

 とはいえその実力が確かであることが間違いのないことなのは──最も新しくはあるが──整合騎士に任ぜられたことからも分かるだろう。

 彼女がここに来てから未だにこの人界の平穏が崩れたことは無いが、いざそうなった時は無類の実力を発揮してくれることは想像に難くないし──事実、その時は如実に近づいてきていた。

 そのことを、アリス自身も当然ながら理解している。

 ──であれば、こんな朝早くからこうして移動しているのは鍛錬の為か? と問われればもちろんその答えはノーだ。

 鍛錬のことなぞ、今のアリスの内心には欠片たりとも存在しない。

 あるのは怒りと呆れと怒りである。

 そう、アリスは今ハチャメチャにブチギレていた。

 具体的に言えばこの最上階で今も安眠をむさぼっているであろうあいつに──!

 

「起きてください兄さん──いいえ、いい加減起きろ愚兄ーー!!」

 

 ドーン! とぶっ飛ぶように扉が開き、美しい声音が怒声となって響き渡る。

 その奥にある、やたらと豪奢なベッドの中で一切身じろぎのしない男へ向かい、アリスはズンズンと歩み寄り──フカフカの布団を一気に引っ剥がした!

 

「兄さん、いつまで寝ているつもりですか!」

「んぅ……何だ、騒がしいぞアリス」

「"何だ"ではありません! 今日は朝から会議だと昨日、自分で言っていたでしょう!?」

 

 おや、そうであったか、などと宣いながらのそりと起き上がった、アリスに「兄」と呼ばれた男の名はアルフォンス。

 カンカンに怒っているアリスなど意にも介さず、アルフォンスは「くぁぁ」と大きく欠伸した。

 

「分かっている、分かっている。このオレが忘れる訳ないだろう」

「であれば何ですかこの体たらくは……会議はあと数分で始まります。もうアドミニストレータ様や小父さまたちも席についているのですよ」

「それも含めて分かっている、と言っているのだ。なに、安心しろ……オレは遅刻だけはしない男だ」

 

 というか、アドのやつオレを起こさなかったのか……等とぼやくアルフォンス。

 因みに今から会議場所である、セントラル・カセドラル五十層《霊光の大回廊》まで行くのに優に十分はかかる。

 整合騎士であるアリスが、邪魔も障害も無い中で、全力疾走した上で十分はかかるのだ。

 端的に言ってかなりの距離がある。

 ゆえに遅刻はもう確定なのである、と言おうとしたアリスは心底馬鹿にされたような顔を向けられ思わず青筋を浮かべた。

 こ、この愚兄……!

 いずれ絶対に寝首をかいてやる、とアリスはもう何度も抱いた気持ちを握り直した。

 

「そう怒るな、可愛い顔が台無しだぞ」

「甘い言葉をかけとけば何とかなるとか思ってないですよね、兄さん?」

「ひねた見方をするな……まったく、誰から影響を受けたんだかな」

 

 言いつつ、アルフォンスはさくっと身支度を済ませた。

 それこそアリスから見ても、いつの間にか、と形容するしかないくらいの早さで整え、それからアリスの手を取る。

 

「に、兄さん?」

 

 アリスの困惑した声が漏らされる。

 しかしアルフォンスはまったく、気にも留めずに口を開いた。

 

「いいか、アリス? 今日も一つだけ教えてやろう──何事も、基本的には上がるより下りる方が楽だし早い、ということをな」

「な、何を──」

 

 言っているのですか? と言葉にすることはできなかった。

 否、恐らく口にはしたであろう、しかし──ノーモーションで爆砕された壁の悲鳴によって、それはかき消されていた。

 というか、壁を破壊した……? 素手で?

 セントラル・カセドラルの壁は不壊と名高いのに──!?

 

「そら、呆けている場合ではないぞ。しっかり捕まっていろ」

「は?」

 

 言われた通り呆けていたアリスはグッと引き寄せられ抱えられた。

 そこまでなら良かった。

 この程度のことならもう何度も経験しているのだから、恥ずかしくはあるが自分たち以外、誰もいないこの状況で慌てふためくことではない──のだが。

 そこで終わる訳が無いのがアルフォンスという男であった。

 ヒョイッと、気軽にアルフォンスは跳んだ。

 ……跳んだ!? 

 

「兄さぁーーーん!!?」

「あっはっは! はしゃぐなはしゃぐな!」

「~~~ッ!」

 

 はしゃいでるんじゃなくて悲鳴と抗議の声ですが!? 等という言葉すら出せず、アリスはアルフォンスにしがみついた。

 落下速度は既に、整合騎士たるアリスにすらそうさせるほどの速度であったからだ。

 つまり、このまま落下すれば途方もないほどに上昇した彼女の天命値ですら、一撃で空になる。

 ざっくり言えば死ぬ。そりゃ怖いのも当然というものであった。

 

「ば、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿! 私こんなところで死ぬなんて嫌ですからね!?」

「馬鹿はどっちだ、大馬鹿者め。オレはともかく、こんなことでお前を殺させるわけが無いだろう」

 

 確かに少々刺激的ではあるかもしれんがな、と小さく呟きながら、アルフォンスは片手でアリスを抱きなおした。

 その際にかなり体勢が不安定になり、アリスの悲鳴が漏れたが問題はない。

 空いた右手を、軽く引いてタイミングを見計らう。

 最上階からこの速度で落ちてきたのだから、そろそろだろうか。

 引いた右手を基に、イメージを広げ始める。

 この世界で何よりも必要なのは強烈なイメージ力だ。

 壁を破壊できるのだという確信。

 どのような技を以て、どれほどの力を以て、破壊するのだという明確な想像。

 それらをすべてを、特に負担なく行いアルフォンスは、そっと壁に右手を突いた──瞬間。

 ドゴォン! という爆砕音と共に、《霊光の大回廊》には巨大な穴が空いた。

 それからトン、と何も無い空中を一度蹴り、アルフォンスは《霊光の大回廊》へと着地する。

 そこにあるのは巨大な円卓と、それを囲むように座る公理教会──いいや、新・公理教会とでも呼ぶべき組織の、メインメンバーたちだ。

 一様に呆気にとられる彼らに見られながら、アリスを席に捨てるように置き、何事も無かったかのようにアドミニストレータの横へと座った。

 ちなみにセントラル・カセドラルの壁は自動修復機能が備わっているため、既に元の形に戻りつつある。

 アドミニストレータが組んだ天才的な神聖術の一つだ。

 

「うむ、全員揃っているようだな。ではこれより《対最終負荷実験会議》を始め──ぐぁ!?」

 

 ポカリ、というかドン! という衝撃音が響くような拳が落とされ言葉が中断される。

 それでもたんこぶの一つも出来ないのは流石と言うべきだろうか。

 

「何をする、アド……」

「何を何事も無かったかのように会議を始めようとしてるのよ、貴方は……ああなった経緯を説明なさい、経緯を」

「アリスが急かすから最上階からここまで落ちてきただけだ。それ以上も以下も無い」

「??????」

 

 全く意味が分からなくてアドミニストレータは疑問符を出しまくった。

 恐らく言葉通りの意味なのだろうが、普通に意味不明でアドミニストレータはアリスへと目を向けた──が、涙目になっている彼女を問い詰めるのは可哀想だ、という結論にでも達したようで深々と溜息を吐いた。

 

「ま、良いんじゃないですか? アルフォンスが突拍子ないのはいつものことなわけだし」

「あら、あんまりこの子を甘やかさないでくれるかしら? ベルクーリ」

「何でこの流れで俺が睨まれなきゃならねぇんだよ……」

 

 どうにかしろ! と言わんばかりの目を向けられて、コホンと、アルフォンスが咳ばらいをした。

 

「分かった分かった、アドにも後で同じことを経験させてやるから……」

「あれ? 今そんな話していたかしら!?」

「何だ、アリスに嫉妬したのではなかったのか?」

「ぐむ……」

 

 アドミニストレータは思わず黙り込んだ。つまりアルフォンスの勝ちという訳である。

 生来の気質であったのだろう──愛が深く、愛が重い。

 アドミニストレータはそういう人間であった。

 とはいえ嫉妬と言っても本当に、ちょっとくらいしかしていない。

 昔ならいざ知らず、今のアドミニストレータとアリスの関係はそれなりに近しいものとなっていた。

 

「それでは改めて始めるが──まあ、それほど堅苦しくなくて良い、いつも通り気は緩めろ、どうせ長くなるしな。

 ああ、とはいっても書記は怠けないようにな。ではベルクーリ、各国騎士団の報告から頼む」

「承知した……つっても先月と大して変わりはしねぇがな。アルフォンスが言った通り、これ以上の騎士の増員はあまり見込めなさそうだが──」

 

 報告が始まると同時に、アリスは「ハッ」と意識を確りと取り戻した。

 決して気絶していたわけでは無いが、魂が半分抜けていたも同然である。

 アリスはあとであいつ絶対に一発殴る、と思いながら自席に用意されていた資料を手に取った。

 と言っても、ベルクーリの報告は半ば自身の報告内容そのものではあるのだが。

 アリスは現在ベルクーリの部下である──まあ整合騎士である以上、それも当然なのだが。

 ──そう、整合騎士。

 かつて最高司祭:アドミニストレータが作ったそのシステムは、未だに運用されていた──アルフォンス曰く、『劣悪なシステムではあるが、今はまだ頼らざるを得ないからな』とのことだ。

 そうしてそのことを──この場にいる人間は全て、把握し納得している。

 あるいは、アルフォンスに納得させられたと言うべきか。

 今からちょうど、七年前。我が兄──正確には兄貴分──であるアルフォンスがアドミニストレータを打ち破り、実質この公理教会の全権限を握った日から、少し経った頃のことである。

 この《対最終負荷実験》の一回目。

 集められたセントラル・カセドラルの住人──とは言えその中でもある程度の権利を持つ者のみだが──の前で、アルフォンスは多くのことを語った。

 何の間違いか、あるいはアルフォンスの贔屓かは未だに分からないが、一先ずは参加することを許されたアリスは、その時の記憶を今でさえ鮮明に覚えている。

 いつも浮かべている飄々とした面は引き締められ、傲岸不遜な態度も鳴りを潜めた彼は、十一歳でありながら既に指導者の風格を誇っていた。

 それに伴うように言葉のひとつひとつには重みがあり、だからこそ語られた荒唐無稽とも呼べる話──例を挙げるならば、それこそ着実に迫ってきている戦争がそうだ──を疑うものは現れなかった。

 無論、誰もが信じたわけでは無いが、嘘であると断じるものもいなかったというわけだ。

 そうして、そこまで持ってこられれば後は時間をかけ、事実を積み重ねるだけで人は信じる方に傾いていく。

 その過程でアルフォンスは多くのことを成し遂げた──かのように見えるが、実のところそこまでのことはしていない。

 その証拠とでも言うように、公理教会の在り方というのはこれまでとほとんど変化していなかった──無論、あまりに理不尽に過ぎる規則等は撤廃されたし、セントラル・カセドラルからは一部の人間が永久退場することにはなったが。

 しかし言ってしまえば()()()()だ。

 内部の体制は幾らか変わったが、人界に住む多くの人からすれば公理教会は全く変化しているようには見えないだろう。

 ──そのことを、指摘したこともある。何せアリスからすれば、色々な闇を孕むこの公理教会をそっくり変えてしまうのだと、確信すらしていたのだから当然だ。

 幼いながらにも分かるこの組織の(いび)さを、その圧倒的手腕でどうにかするのだろう、と思っていたアリスの期待は見事に裏切られた。

 いいや、それは恐らく、アリスだけの期待では無かったのだが──アルフォンスはただ

 

「今はその時では無い」

 

 と一蹴したのであった。

 時を経て、成長した今ならばその言葉の意味が分かる。

 端的に言うならば、それは「今は人界内で争っている場合ではない」なのだろう。

 人界はもう何百年もの間、整合騎士の尽力によって平穏を維持されてきた。

 お陰でかつては剣術を学ぶ場所であった修剣学院も実力よりも見栄ばかりが優先されるようになり、騎士と言っても名ばかりなものだけになってしまった。

 要するに、まともに戦える人間が暗黒領域と比べれば圧倒的に少なくなってしまっていたのだ。

 最終負荷実験と呼ばれる、あと数年で来ると予見されている戦争は過去を鑑みても類のない規模の戦いになる。

 整合騎士では抑えられないほどの数が押し寄せてくるだろう──そうなった時、戦わなければならないのは、その住民たちなのである。

 何も用意することができずにその時が来てしまえば、出来上がるのは地獄だろう。それだけは避けなければならない。

 なるべく早く各国の協力を取り付け騎士団を再編、磨き上げなければならないというのに、今そのトップが揉めて人界を揺らす訳にはいかない、という判断だった。

 アドミニストレータという一人の女の類まれな手腕ひとつで纏め上げられてきた人界だ、トップが揺れるということはイコールで人界が揺れる。

 ……ただし、その判断が正しいのかどうかは、正直なところアリスには分からない。

 だがアルフォンスがそうだと言うのならば、間違ってはいないのだろう──とまで思ったところでアリスは「良くないな」と己を律した。

 今では誰もが盲目的にアルフォンスを見てしまうのだ、少なくとも私くらいは公正な目を持たなければ──何せ、私は妹分なのですから!

 ふふん、と心なし胸を張る。

 直後にバチンと額を弾かれた。

 

「いっ……!?」

「会議中にうたたねとは、良いご身分ね? アリス」

「あっ、副騎士長殿……」

「まあ、それもあの坊やに付き合わされたのだから、仕方ないとは思うけれど。それでも少しくらいはシャンとしましょう、ね?」

 

 そう言って、薄く微笑んだ女性の名はファナティオ・シンセシス・ツー。

 豊かな黒の長髪を揺らしながらポンポン、とアリスの頭を撫でるように叩き去って行く。

 その背中を目で追いながら、視野を広げればどうやら会議は終わったらしく、既に解散ムードであった。

 私としたことが、小一時間呆けてしまった……!?

 ガーン、と肩を落としそうになるのを取り繕いながら、しかし小さくため息を吐いた。

 まあ、会議の内容自体は資料に目を通せば大まかには分かるので、そこまで問題ではないのだが……。

 それはそれとして流石に気が抜けすぎているというものである。

 あ~あ、それもこれも兄さんのせいです……とアリスは投げやり的にアルフォンスへと責任を擦り付けた。

 

「取り敢えずオレに責任を押し付けようとするのはやめろ、アリス」

「なぁっ……! 兄さんこそ、人の頭の中を覗き見るのはやめてください」

「お前が表情に出やすいと言うだけだ、阿呆め」

 

 やれやれ、と嘆息したアルフォンスは「んーっ」と伸びをして身体を解す。

 その隣には当たり前のように──と言うには少々くっつきすぎているような気もするが──アドミニストレータが佇んでいた。

 ただそこにいる、というだけで思わず目が奪われてしまうのは、単純に彼女が美しすぎるがゆえだ。

 

「午前分のタスクは消化したし、久し振りに東にでも行くか」

「あら、貴方まだ諦めてなかったのね」

「オレが諦める訳がないだろう──それともなんだ、アドはオレには不可能だと思っているとでも言うのか?」

「……その言い方は卑怯だと、いつも言っているでしょう」

 

 ぷくぅ、とアドミニストレータは小さく頬を膨らませてみせた。

 この人、どんどん可愛らしくなっていくなぁ……とアリスは思った。

 初めて見た時に感じた神々しさや、神聖さというものは一切薄れていないのにこれである。

 卑怯なのはどっちなんだか。

 

「アドも来るか?」

「それは魅力的な提案だけれども──残念ね。この後はカーディナル(おちびちゃん)との打ち合わせがあるの」

「……ああ、アレか、悪いな。頼む」

「良いのよ、これも私の役目なんだもの……帰りはいつ頃になるのかしら?」

「そうだな……二日後の会議までには戻る」

 

 分かったわ、と言い残したアドミニストレータは手を振ってから、その場を後にした。

 彼女の存在感が強かったのか、少しだけ空気が軽くなったような気さえする。

 

「ふむ、ところでアリス、今日のお前の予定は何だ?」

「え? えーっと、今日は午後から鍛錬する予定です」

「そうか、つまり暇ってことだな。では行くぞ」

「…………」

 

 もう何も言うまい。

 アリスは返答をした直後にこうなることを察してそっと全てを諦めた。

 引かれる腕をそのままにすれば、ヒョイッと身体ごと持ち上げられる。

 米俵のように片腕に抱かれたアリスは、最後の抵抗と言わんばかりに声を発した。

 

「あのですね、兄さん。一応言っておきますが私、明日は普通に会議の予定が入っていて……」

「なに、安心しろ。ベルクーリなら一人でもどうにかできる」

「そういう問題じゃないと思うんですけど!?」

 

 響く声はしかし意味を為さない。

 このようにして、アリスのアルフォンス(あに)に振り回される一日は始まるのであった。

 

 




アルフォンス:おっきくなった。十七歳です。あれ? 十八歳か? 十八歳です。

アドミニストレータ:七年かけてかなり人間っぽくなった。最近のマイブームは編み物。

アリス:もうずっと振り回されてる。

※一章~二章間の歳のお話は幕間で出していこうかな、という気持ちでいたよ※


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『聖獣』と『期待』。

月姫がガチで面白い。現場からは以上です。


 蒼穹の果て。

 雲一つなく晴れ渡る蒼空の向こう側で、一匹の飛竜が空を泳いでいる。

 一定のリズムで翼をはためかせ、しかし乗り手にほとんど振動を与えないその様は実に洗練されている。

 名を、雨縁(アマヨリ)

 整合騎士:アリス・ツーベルクの相棒である彼女の背には今、二人の人間が騎乗していた。

 一人は彼の相棒であるアリス。そしてもう一人は、彼女の兄貴分であり──現在、この人界におけるトップのアルフォンスだ。

 特に力むことなく手綱を握るアリスの背中を眺めながら、アルフォンスは「ほぅ」と小さく嘆息した。

 

「飛竜の操り方も上手くなったものだな。初めの頃はアレだけ怯えていたというのに」

「兄さんはいつの話をしているんですか……私だってもう、整合騎士になってから三年は経ちます。この程度は出来て当然でしょう」

「む、それもそうか」

 

 素っ気なく返してきたアリスを視界に収めつつ、アルフォンスはそっと雨縁の背を撫でた。

 ──こうして飛竜に乗って出かけるというのも久し振りだ、と思う。

 陽護(ヒノモリ)はここ最近、別件で貸し出しているし、そうでなくとももうアルフォンスは個人の力で飛ぶことができるのだ。

 だから、飛竜に乗るのが久し振り、というよりは自らの力以外による移動手段を用いる、ということ自体が久し振りであった。

 心意を使うのも楽ではない──という訳ではないが、偶にはこういうのも良いだろう。

 

「それより、イスタバリエスに何の用事があるんですか? 騎士団のことであれば、今朝の会議で小父さまが報告していたと思いますが」

「うん? ……ああ、そういえば説明していなかったか。用向きがあるのは確かにイスタバリエスではあるが、別に帝都に用がある訳ではない──そうだな、アリスは《守護聖獣》のことは聞いているか?」

「名前だけ先日、小耳に挟んだ程度ですね」

「そうか、では一から説明してやろう」

 

 そう言って、アルフォンスが緩やかに宙へと円を描けばそれだけで人界のマップが浮かび上がってきた。

 それに"×"するように線を描き、均等に四分割をする。

 

「この人界は大まかに、ノーランガルス北帝国、イスタバリエス東帝国、サザークロイス南帝国、ウェスダラス西帝国の四つに分けられており、それぞれ暗黒界に繋がる道を監視、封鎖しているのは知っているな?」

「はい。我々整合騎士が、今までもずっとそこを中心に警備してきたのですから、当然です」

「うむ、であれば良い──《守護聖獣》というのはな、元々はその通り道を守護してくれていた獣……オレたち人間のような明確な意思等が存在する強大な生命体のことを指す」

「え……」

 

 アリスは思わず絶句した。

 そんな生き物がいるのであれば、これまで整合騎士達があれほど激しいシフトで警備していた必要はなかったのでは? と。

 しかしそこは教会始まって以来の天才と呼ばれている……アルフォンスの、その妹分である。

 仮にもあのアドミニストレータが、そのような無駄なことをさせる意味が無い──であれば、警備はする必要は絶対にあったのだろう。

 であれば、何故? とまで考えたところで、アルフォンスの言葉が少しだけ引っかかった。

 

「守護してくれて()()……? 過去形、なのですか」

「そうだ、過去形だ──《守護聖獣》は東西南北に一匹ずつ存在していたが、そのどれもが過去の整合騎士、あるいはアドの手によって、もう数百年も前に殺されている」

 

 その理由というのは実にシンプルなもので、「思い通りに動かないから」というものであったというのは秘密だ。

 今でこそ随分と鳴りを潜めたが、アドミニストレータは普通に暴君である。

 具体的に言えば秒で沸騰するくらいには短気だった──いや、今もそうではないのかと言われれば、返答には困るところなのではあるが。

 ここ数年で多少はマシになった、とはアルフォンスの談である。

 

「それこそアリス、お前ならばその死体を見たことあるのではないか? ノーランガルスのは確か白竜であったはずだが、あれはちょうどお前の故郷……ルーリッドの真北にある洞窟にいたはずだ」

「え? あ──」

 

 言われると同時に、アリスの脳内に蘇った鮮やかな光景は、それこそ自身が公理教会に連れられるきっかけになった日のことだ。

 かつてアリスがまだ十一歳の少女であり、その隣には幼馴染である二人の少年がいた頃。

 経緯は省くが彼女らはその洞窟へと入り──そして見たのだ。

 まるで水晶のような輝きと硬質さを誇る、氷のように透き通る青の色をした巨大な骨の山を。

 幾年月経とうとも劣化することの無い、しかし生前に付けられたのであろう無数の傷が刻み込まれた、竜の頭骨を。

 フラッシュバックのように思い出したアリスは、少しだけ眉を顰め、同時にアルフォンスの言葉は本当なのだと実感した。

 疑っていたわけでは無いが、話のスケールからして信じがたいものなのだから、当然だ。

 ……そういえば、あの時は整合騎士が殺したのかもしれない、なんて予想を立てたっけ。

 まさか本当だったなんて、とアリスは自嘲気味に笑みを浮かべた。

 

「確かに、見た記憶があります……でも、それらがどうしたと言うのです? まさか、蘇らせるという訳でもないでしょうし」

 

 生命は、一度死ねば蘇ることは無い。

 それはこのアンダーワールドにおいても当然のルールだ。

 人も獣も、花も虫も、死ねばそれで終わりだ。

 そのルールを覆すのは神聖術──ひいては心意であっても不可能だろう。

 

「おや、珍しく察しが良いな。その通りだ、今回のオレ達の目的はこの《守護聖獣》の蘇生だ」

 

 しかし呆気らかんと、アルフォンスはそう言った。

 まるで当たり前にそれができるとでも言うようなトーンで。

 何の憂いも声色に帯びさせず。

 アリスはあまりの驚きに少しの眩暈を覚えた。

 

「に、兄さん? もう一度言ってくれますか?」

「だから、蘇生だと言っているだろう。何だ、言葉の意味が分からなかったか?」

「いえ、そうではなくですね……」

 

 基本属性が"荒唐無稽"な兄ではあるが、ここまでだったとは……とアリスは深々と溜息を吐いた。

 公務なら別であるが、少なくとも私事であれば「出来るか出来ないか」ではなく「やれそう」で動く人間である。

 その上で大体の場合、やれてしまうのだから恐ろしいというものであるが。

 兎にも角にもアリスとしてはかなり微妙な心境であった。

 死を覆すなど、不可能だ。

 しかしアルフォンスがやれるというのならば、可能な気もしてくる……。

 とはいえ、何度でも言うが、死は覆らないものなのだ。

 正直に言って、失敗する兄の姿はあまり見たくない。

 

「……そんなことができると、本当にそう思っているのですか?」

「思っている、というよりは事実として出来る、だな。

 まあ今回で確実に上手くいく保証はないが……どれだけ長くなっても一年以内には方法は確立できるだろう──とは言え、それは《守護聖獣》に限った話だがな」

「へ? それは、どういう?」

「いわゆる特別措置というやつだ。そもそも生物にホイホイと生き返られるのはこちらも困るというものだしな……命とはそう軽々しく扱って良いものでは無い」

 

 そう言い、ゴロンとアルフォンスは雨縁の背中に寝転がった。

 普通であればそんなことをすれば、たちまち振り落とされるというものだが、生憎こいつは普通ではない。

 実に安らかな顔で目を瞑っていた。

 そんな姿を横目に見ながら、アリスは安堵にも似た息をホッと吐く。

 良かった、何も考えていない訳じゃなかったんだ……。

 

「──と、兄さん、そろそろイスタバリエスの領地に入ります。この後はどこに向かえば?」

「ん、出来ればサロール山地の一番奥で降ろして欲しいんだが、出来そうか?」

「そうですね、出来ないことは無いと思いますが……あまり不用意に近づくことはできませんね」

「分かった、であれば高度は無視して良い。できるだけ奥まで行ってくれれば、あとはこちらでどうにかする」

 

 分かりました、と短く答え、アリスは雨縁の首を優しく撫でた。

 

「お願いね、雨縁」

「キュルル!」

 

 ここまで来るのに相当時間をかけたが、そんなことは些事であるかのように雨縁は小さく嘶き翼をはためかせる。

 飛竜の最高速度は──大体であるが──時速百二十キロルほどだ。

 それほどの早さを以て飛行すれば、いくらこの広い人界と言えど数時間で果てまで来れてしまう。

 雨縁は疲れなど一切見せず、二人をサロール山地の果てまで乗せて飛び、その場で停止した。

 

「さて、では行くか……ああ、そうだ、雨縁もここで待機させるのはアレだろう。その辺で休ませていると良い」

「ちょっと兄さん!?」

「大丈夫だ、飛竜は人界どころか、アンダーワールド全体で見ても敵うものは早々いないのだから」

「いえ、そういうことではなく──」

 

 今もしかして私に対して「では行くか」って言いましたか!? と放とうとした問いは、しかし中断せざるを得なかった。

 否、せざるを得なかったというか、させられたというか……。

 アルフォンスはアリスの襟を引っ掴んで雨縁から飛び降りた。

 それこそ今朝方、最上階から飛び降りた時のように軽々と。

 

「ひっ、きゃっ~~~~~~~~ッ!」

 

 声にならない悲鳴を上げながら、問答無用でアリスはアルフォンスに抱き着いた。

 なにせ体勢が不安定なのである。襟首だけ掴むとかこの兄、嘗めてるのか!?

 離された時にはもう死まで一直線なのである。

 アリスとてかなりの練度を誇る神聖術の使い手ではあるが、空を飛ぶなんてことは不可能だ。

 多少浮かせることは出来るかもしれないが、この状況下で出来るかと言われればかなり頷きづらい。

 必然、最も生き残る可能性の高いアルフォンスに引っ付くのが正解であった。

 

「────はぁ、二度目だぞ、アリス。いい加減慣れろ」

 

 そんなアリスに、アルフォンスは無慈悲にもそんな言葉を投げかけたがアリスには大分余裕が無かった。

 言葉無き文句とでも言わんばかりに繰り出されたアリスの拳をアルフォンスは悠々と受け止め、そしてなんの衝撃も無く緩やかに着地した。

 一拍置いて、アリスを下ろす。

 

「に、兄さんは私を虐めるのが趣味なのですか……!?」

「ハッ、馬鹿者め。だがまあ、少々愉快であったというのも事実だがな」

「~~~!」

 

 アリスのポカポカと繰り出してくる拳を、アルフォンスはぬるぬると躱す。

 暫くそうした後に、息を乱して手を止めたアリスを見ながらやれやれ、と息を吐く。

 

「ま、はしゃぐのもそのくらいにしておけ、仮にも墓場なのだしな。騒々しくする場所でもない」

「へ? 墓場って──」

 

 息を整え、周りを見渡すと同時、アリスはウッと目を瞑る。

 それから少しずつ、目を慣らすようにして瞼を開けば、飛び込んできたのは銀に輝く骨の山であった。

 ──ああ、これは確かにルーリッドの洞窟にあった、白竜の死骸と同じものだ、と直感で理解する。

 こちらは水晶ではなく、正しく銀塊そのもののようにも見えるが、間違いない。

 痛々しく刻まれた刀傷の数々、叩き折られたであろう数多の骨片がそれを物語っていた。

 

「──本当に、本当にこれを蘇らせると、そう言うのですか、兄さんは」

「何だ、オレを疑っているのか?」

「そういう訳ではありませんが……」

 

 言葉だけ聞いていたのと、こうして実物を前にするのとでは、抱く感想はまた別物になってくる。

 確かに、目の前の死骸は他の獣や、人間とは違い幾らか異質ではあるが──だからと言って、これが蘇るところまではまるで想像がつかなかった。

 

「ふむ……まあ良い」

 

 不安げに視線を揺らすアリスを鼻で笑い、アルフォンスは白銀の大蛇の頭骨へ触れた。

 相当の年月が経っていたのだろう、脆くなっていた頭骨はそれだけで、パキリとか細い悲鳴をあげた。

 もう少し押し込めば穴が空いてしまいそうだ。

 

「問題はなさそうだな──そう手間はかからない。すぐに終わるから、見逃すなよ」

 

 言うや否や、アルフォンスが取り出したのは手のひらサイズの結晶だった。

 明るいライトブルーに染め上げられ、小さいながらも相当の優先度を誇るオブジェクトであるそれの正体を、一言で言うのならば《記憶》だ。

 誰のか、と問われればそれは勿論、《守護聖獣》──つまり、白銀の大蛇のものである。

 かつて、アドミニストレータが対話した際に問答無用で抜き出したそれを、アルフォンスは持ってきていた。

 

「《これ》を基に、まずは死骸に残留した思念を叩き起こす──という言い方では少々分かりづらいだろうが、何、見ていれば分かる」

 

 言いつつ、アルフォンスがコツンと《記憶》を頭骨へと当てた──刹那。

 

「え……」

 

 ゆらりと、大蛇の骨がほのかに光を灯す。

 熱を象徴するような、赤の光が骨の内側からドンドンと膨れ上がっていく。

 幻想的──とは中々言い難いが、しかしある種、神秘的な光景であったのは間違いないだろう。

 十歩ほど離れた場所で、険しい顔で見ていたアリスが、ふいに息を呑んだ。

 ──蛇が、いる。

 白銀の鱗に包まれ、どこまでも深く紅い瞳を携えた、大蛇の姿が。

 まるで霊体の如く、死骸に宿るように浮かび上がった。

 

「次に、リソースを分け与える」

 

 瞬間、アルフォンスを中心に、青い光の柱が屹立(きつりつ)した。

 しかしそれは大蛇のそれとは違い、不可思議な現象という訳ではない。

 ある程度熟練した神聖術師なら誰でも使える神聖術──天命移動の術だ。

 名称通り、自身の天命を他に譲渡する神聖術。

 それを以てアルフォンスは、自身の莫大な天命を白銀の大蛇へと流し込んでいるのだ。

 とは言えそれは、死した者には全く意味を為さない神聖術ではあるのだが──どういった仕組みなのか、朧げであった大蛇はみるみるうちに輪郭をはっきりとさせていくではないか!

 は? 意味が分からない、とアリスは素直に思った。

 アリスは整合騎士であるが、その神聖術の腕前はそれこそ、人界でも五本指に入るほどのものだ。

 その彼女ですら分からない、というのははっきり言って異常であったが、仕方ないか、とアリスは嘆息と共に困惑を切り捨てた。

 それに少しだけ遅れて、光の柱が霧散する。

 白銀の大蛇は──恐らくであるが──完全に復活していた。

 

『────────』

 

 鎌首をもたげ、大蛇はアルフォンスを睨め付けた。

 そこに声は無い、音は無い。

 しかし何かを確認するような圧力があって、それをアルフォンスは真っ向から受け止めていた。

 そこには少しの怯えも、恐れも存在しない。

 ひたすらに自然体で、視線を交差させる青年の姿があった。

 その状態が続いたのは、時間にして約三分──恐ろしい速度で振るわれた白銀の尾が、静寂を打ち破り。

 アルフォンスが、轟音と共にそれを片手で受け止めたことにより終わりを告げた。

 大蛇が、そろりと首を垂れる。

 

「言葉は要らぬか」

『────』

「であれば良い、こちらには多大な非礼があった訳だしな……求めるのはひとつだけだ。

 人界の──いいや、この世界の為に、力を貸してほしい。我々には、貴様らが必要だ」

 

 返答は緩やかに、一瞬の間もなく行われた。

 美しく光を弾く銀の蛇は頭をそろりとアルフォンスへと寄せた。

 それが何よりも明確な返答で、アルフォンスは静かにその額へと触れた。

 

「悪いな、時が来れば遣いを出す」

『────』

「ああ、よろしく頼む」

 

 神妙にそう告げた後に、アルフォンスは実に普通に振り返った。

 そのままツカツカとアリスに歩み寄る

 

「良し、帰るぞ」

「え? あ、はい……はい? もう良いのですか?」

「そうだ、用事はもう済んだからな。それに、少しばかり疲れた」

 

 驚くほど滑らかな手際でアルフォンスはアリスを抱き上げる。

 

「ちょ、兄さん!?」

「喧しいな、今は片手だと少々不安定なのだ。察しろ……それより、先ほどのはよく見ていたか?」

「はい、それはもちろん。少々不思議なところはありましたが、多少は理解も出来ました」

「それは重畳、次からこの役はお前に任せることになるからな」

「!!?」

「期待しているぞ、アリス」

「!!!????!?!?」

 

 言葉と同時にアルフォンスは地を蹴り空を舞い。

 アリスの困惑と抗議の声は悲しいかな、深山幽谷へと響き渡ったのであった。

 

 

 

 

 

 




アルフォンス&アリス:このあとイスタバリエス東帝国の旅館に一泊してから帰った。

アドミニストレータ:早く帰ってこないかなぁ、と一人ベッドの上でお山座りしてた。


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『紅蓮』の忠臣は『甘さ』に笑う。

実はもう次話が出来ている。


 セントラル・カセドラル北方庭園。

 どこまでも草原が広がるそこに、複数の重なった声が響く。

 声、と言ってもそれは談笑のそれではなく、気合の伴った掛け声だ。

 まだ少年少女のものと思われる、幼さの滲んだ──けれども確かに気迫の籠った幾つもの声が、高らかに空に響いてた。

 よく耳を澄ませてみれば、声の他に僅かに空気を斬るような音が聞こえるだろう。

 一定のリズムで紡がれるそこに目を向けてみれば、広がるのは少年少女の群れだ──とは言え侮るなかれ、彼らはこう見えても公理教会に属する修道士・修道女である。

 その実力は生半可なものでは無い──無論、整合騎士には遠く及ばないが。

 それでもその誰もが、人界全体で見れば上から数えた方が早い程度の実力は備えており、猛者と言っても過言ではないだろう。

 当然ながらそれは剣術に限らず、神聖術も相当な腕前のものが多い。

 本来、修道士・修道女とはこのような実力を備えさせるために作った制度ではない。

 元・最高司祭たるアドミニストレータが想定していた彼らの用途は、言ってしまえば都合のよい手足であり、実験材料であった。

 とはいえ、結局想定通りに運用されることは無く、現在はこうして戦争に備えるために鍛錬が義務付けられているのだが。

 アルフォンスがトップに立ってから、今日この日まで毎日北方庭園には彼らの声が響いている。

 ──想定外と言えば、この北方庭園についてもそうであろうか。

 ここは元々特に何もない、だだっ広いだけの場所であった。言うなれば、アドミニストレータの強権を示すためだけの場所、とでも言うべきか。

 手入れがされない日はなかったが、碌に使われることも無かった庭園である。

 それを見かねたアルフォンスが、ガラッと鍛錬場に作り変えてしまったという訳だ。

 使えるものは何でも使う彼らしい発想である。

 そんな場所で、少年少女達を指導するように声を張り上げる一人の騎士がいた。

 炎のようなレッドに染め上げられた鎧に身を包み、巨大な弓を携えている屈強な男。

 名を、デュソルバート・シンセシス・セブン。

 整合騎士というのは古参であればあるほど、数字が若くなる仕組みとなっている。

 セブン……つまり「7人目」である彼は、相当昔からこの公理教会に従う、超の付く猛者だ。

 整合騎士内でもトップランクに位置する実力を保持しているだろう──尤も、整合騎士に弓手は多くないので、簡単に上下などはつけられないが。

 少々頭の固いところはあるが、これがまた指導者としては中々向いている……とのことで修道士・修道女の指導役には彼とファナティオの二人が任命されていた。

 ちなみに人選はアルフォンスの独断と偏見だ。

 今日はファナティオが急務の為この場にいないが、普段なら二人で揃って指導しているところである。

 ファナティオはアレでいてかなりの鬼教官なので、修道士・修道女達からの人気は意外と、デュソルバートに集まっているのが面白いところと言えるだろう。

 そんなことを露も知らぬデュソルバートはこの日も、いつも通り指導役としての業務をこなしていた。

 数年前とは見違えたと言って良いほどに、戦技を会得した彼らの動きは見ていて気持ちが良い──と、根っからの武人であるデュソルバートは思う。

 デュソルバートは、積み重ねと言うものが好きだ。

 真摯な修練による積み重ねというものは、武具に、技術に宿るからである。

 それが籠っていればいるほど、ぶつかり合った時の気持ちというのは炎のように燃え上がるものだから。

 ──それに、技術というのはあればあるほど、質が高ければ高いほど良いものだ。

 ただでさえ、暗黒界との戦争が控えているのである──デュソルバートとて、戦争というのは経験したことは無いが、死地なら幾らでも潜り抜けてきた。

 本当の窮地に立った時、頼れるのは己だけであることを。

 己が取れる選択肢の豊富さが、そのまま自身の未来へと繋がることを、彼は知っている。

 少しでも多く、少しでも長く、彼らには生き残って欲しい。

 そういう思いで行われる指導は、すべてとは言わずとも欠片くらいは伝わっている。

 そこが好かれている理由の一つでもある……ということもやはり知らないデュソルバートは、不意にセントラル・カセドラルでへと視線を向けた。

 同時に、今日も今日とて荘厳な雰囲気を纏い、空を貫かんばかりに聳え立つ白亜の塔から『リンゴーン』という鐘の音が響き渡る。

 毎日一時間ごとにその音を豊かに響かせる神器である《時告げの鐘》は、正確に午前が終了したことを広く知らせていた。

 それが鳴り響くのを聞き届けてから、デュソルバートは鋭く手を打ち叩いた。

 

「本日の剣の修練は終了! 全員速やかに昼休憩に入るように!」

 

 鐘の音にも負けず劣らず張り上げられた声に応じ、修道士・修道女たちが三々五々に散っていく。

 それを眺めながら、デュソルバートも弓を持ち上げると同時、僅かに近寄る踏み込み音が、彼の鼓膜を揺らした。

 反射的に鋼で作り上げられた矢を引き抜いたデュソルバートはそれを、一息に振り切った!

 

「わひゃあ!?」

「きゃっ」

 

 キィーン! という甲高い音が響き、二本の短剣がクルクルと宙を舞った。

 ついでに二人の少女が揃って尻餅をつく。

 

「あーあ、やっぱりダメだったじゃない、ネル」

「わ、私は今日こそはいけるんじゃないかって提案しただけですよう。それに、ゼルだって乗り気だったじゃないですか」

「それはそうだけどぉ……」

 

 片や薄い茶色の髪を、二本のお下げにした垂れ目の少女──リネル。

 片や同色の髪を短く切り、強気そうに切れ上がった目をしている少女──フィゼル。

 ざっくりと言えば、今さっきまでデュソルバートが指導していた多くの修道女の中の二人であった。

 デュソルバートはその悪びれもしない二人を視界に収め、深々と溜息を吐いた。

 

「貴様ら……いい加減我の首を獲ろうとするのはやめろ!」

「えー、でもでもぉ、デュソルバート先生、チョロそうだし、何かいけそ~ってなるんですよぉ」

「その通りです、デュソルバート先生の背中が隙だらけなのが悪いんですよ」

「チョロ……!? 隙だらけ……!? 我を何だと思ってるこの小娘ら!」

 

 ガオーッ! と後ろに獅子でも叫ばせてそうな勢いでデュソルバートが憤った。

 デュソルバートは意外と沸点が低く、尚且つリネルとフィゼルという少女は人を揶揄うのが上手な部類だ。

 相性は最悪、あるいは最高である。

 

「キャー、怒ったぁ!」

「逃げましょう、ゼル」

 

 なんてことを暢気に交わしながら、二人の少女は草原を駆けて姿を消していく。

 端的に言うと、修道士・修道女たちからのデュソルバートの扱いはだいたいこんな感じだ。

 ある意味適役──と言ったのは誰だっただろうか。

 このクソガキ共に良いようにおちょくられることの多いおじさんが、デュソルバート・シンセシス・セブンという男であった。

 ギュッと己の神器たる弓──《 熾焔弓(しえんきゅう) 》を握ったデュソルバートは、再びため息を吐いた。

 我はいつこんなに嘗められるようになったのだろうか……。

 心当たりがない──と言えたら良いのだが、しかし彼には一つだけあった。

 というよりは、ある人物の姿を否が応でも思い出していたというか。

 自分だけ、どころかこのセントラル・カセドラルに住む人間を悉く自由に振り回し倒したクソガキ。

 即ち──とまで考えてデュソルバートは頭を振る。

 嫌なことばかり思い出してどうする、といった感じに彼もまた、昼食でも取ろうかとセントラル・カセドラルに足を向けた、その時だ。

 

「息災か? デュソルバート」

 

 この時ばっかりは、最も聞きたくなかった声が耳朶を叩き、デュソルバートは思わず空を仰いだ。

 

「……はぁ、何か御用でしょうか、最高司祭殿?」

「その呼び名はやめろ、アドのせいで悪名高くなっている……それに、実質的なことを言えばその役職はもう、存在しないのだからな」

「ふむ、であればどのようにお呼びすれば?」

 

 デュソルバートの純粋な疑問に、少年──アルフォンスは少しだけ考える素振りを見せた。

 かつて、公理教会のトップとはアドミニストレータが就いていた『最高司祭』だ。

 しかしアルフォンスは敢えて、その役職を無くしていた。

 つまり、現在アルフォンスは間違いなくこのセントラル・カセドラル──ひいては人界を治める者であったが、しかしそれに応じた役職が存在していなかった。

 そこに理由はあるかと問われれば、勿論ある。

 何せアルフォンスがセントラル・カセドラルのトップに立っていることは、未だに人界全体には通達されていないからだ。

 セントラル・カセドラルに住んでいる者以外、すべての人界の民はまだ、アドミニストレータがトップであることを疑ってすらいない。

 トップが代わったことを周知させるのも、役職名をつけるのも、公理教会を作り直すのも、人界全体を整理するのも、何もかもは大戦が終わった後にすべきことである、と考えているが故だ。

 

「別に、今まで通りに呼べば良いだろう。それで何が変わるというものでもあるまい」

「しかし、それでは公理教会の風紀を乱しかねませんぞ」

「整合騎士が修道女に振り回されてる時点で、風紀もクソもないだろう」

「ぐぬぁっ」

 

 クリティカルヒット! 何も言い返すことができずデュソルバートは苦虫を嚙み潰したような顔をした。

 元はと言えば貴様のせいなのだが……と少しだけ思うのは仕方のないことだった。

 

「では、アルフォンス殿と」

「おや、少し前までは"殿"なんてつけていなかったように思うが?」

「相も変わらず、人を揶揄うのが得意ですな……アルフォンス。して、何用ですか?」

「いや何、特にこれといった用事は──おい、何だその顔は」

「気まま猫のようでいて、その実、酷く合理的な人でしょう、貴方は。本題に早く入ってくれた方が我としても気が楽というのものです」

「お前な……」

 

 まあ良いか、と零しながらアルフォンスはパチン、と指を鳴らした。

 それに応じるように、ガラス製のテーブルと椅子が二人の前に出来上がる。

 

「ちょうど昼時だ、少し付き合え」

「ま、仕方ありませんな」

 

 向かい合わせに座り、アルフォンスが持ってきていた籠を机にドンッと置く。

 中身は肉とチーズのパイだ。やたらと詰め込まれている。

 

「アドとアリスの合作だ。そこそこ美味いぞ」

「それはアルフォンスがいただいたものでしょう、我が食して良いものでは……」

「構わん、あいつら失敗作も問答無用で入れてくるからな、量が多すぎるのだ。とは言え残したくも無い、手伝え」

 

 言いつつ、アルフォンスはパイにかぶりついた。

 一切れ、二切れと、実に上品に片付けていく。

 それに倣うようにして、デュソルバートもまた──恐る恐るといった様子で──食べ始めた。

 

「それでまあ、本題──というほど堅苦しいものでもないのだがな。修道士共はどうだ?」

「どうだ、とは?」

「どれくらい使い物になるか、という話だ。それなりの質にはなってきているとはベルクーリから聞いてはいるが、実際に指導しているお前から聞きたくてな」

 

 ふむ、とデュソルバートは少しだけ思考を巡らせた。

 殊の外、真面目な質問だったな……と思いつつ、であるが。

 

「個々人の練度だけを見るのであれば、既にかなりのものでしょう。人界内でも敵うものはそういない、と断言しても良い程度には。

 しかしその反面、協調性や団結力と言ったものは些か薄いように思えます。それこそ、各帝国の騎士団と比べれば雲泥の差かと」

「ふぅん……大体期待通り、という訳だ。少人数でのチームであれば、ある程度の形にはなっているのだろう?」

「それでも、四人一組が限界といたところですがな」

「十分だ、元よりまとめて使う気は無かったしな」

 

 ご苦労、と言いながらワンアクションで創り上げたコップに注いだ水をあおる。

 

「暗黒界との戦争はもうじき……二年以内には起こるだろう。それまでに五人一組で動けるようにしておけ」

「承知、その程度であれば一年以内には」

「おや、そうか? であればもう一つ仕事を頼ませてもらおう」

 

 ニヤリ、とアルフォンスが笑い、デュソルバートは軽くため息を吐く。

 このクソガキ、元よりそっちが本題だっただろう、と彼は敏感に察知していた。

 ──が、特に文句はない。

 そもそもにおいて、立場的に今のアルフォンスはデュソルバートの上だ。

 まあ、そうでなくとも最近は暇することが多かったので、通りに船と言ったようなものではあるのだが。

 

「一つ、短期の任務を出す──そう身構えるな、状況には依るだろうが、そこまで難度の高いものでは無い。

 とは言え、重要度を言えば相当なものではあるがな……明日より、アリスを《守護聖獣》蘇生の任務に就かせる。それに同行しろ」

「──フッ、アルフォンスも、アリス殿には甘いらしい」

「馬鹿め、そういう話ではない……単純に、あいつ一人では不安があるというだけだ」

「そうですかな、アリス殿はアレでいて、既に整合騎士内でもトップですぞ。まともな一対一になれば、恥ずかしながら我でさえももう敵いませぬ」

「オレは戦闘力の話をしているのではない、総合的な面を見て言っている。今回は『討伐』でも『防衛』でも無い上、失敗は許されないからな。

 なるべく信頼のできる騎士を向かわせたいと思うのも、無理はないというものだろう」

 

 その言葉に、デュソルバートは僅かであるが目を見開いた。

 相も変わらずストレートな物言いをする少年だ。

 聞いているこっちが恥ずかしくなってくる。

 

「頼めるか?」

「断る理由はありますまい……しかし、その間の修道士たちの訓練はどうするおつもりで? ファナティオ殿は明日よりノーランガルスへ出張であったはずですが」

「その点は心配するな、シェータに代役を頼んでおいた」

「んなっ……よりにもよって、シェータ殿ですか!? 一体何を考えて──」

 

 思わず立ち上がり、語気を強めたデュソルバートは、しかし片手で制される。

 特に揺らぎもせず、いつも通りの凪のような瞳に若干気圧されて、彼はまた席に着いた。

 

「何だお前、シェータのことがそんなに嫌いか?」

「そういう話ではないでしょう……あの方は確かに強いですが、決定的に指導には不向きだ」

「うん、まあ、そうだな。だがそれで良い──これも良い経験になるだろう。どちらにとってもな」

「ぐぬ……確かに得難い経験にはなるでしょうが……せめて、いざと言う時の歯止め役くらいは用意してもらいたいですな」

「ああ、それはもちろんだ。オレとて無為に怪我人を作るつもりはないからな。ま、上手くコントロールしてやるさ」

 

 そう言って笑ったアルフォンスに、気が抜けたようにデュソルバートは力を抜いた。

 目の前にいる少年は、冗談は言っても、嘘は吐かない性質だ

 一先ずの安心はしていいだろう。

 

「本当に、頼みますぞ」

「分かっている、分かっている。安心して任務へ向かえ」

「はぁ……承知いたしました。一応、隊長はアリス殿ということで?」

「うん、それで良い……ああいった手前、こんなことを言うのもアレなんだが──アリスを頼んだ」

「──ふっ、はは、お任せあれ。我、デュソルバート・シンセシス・セブン。誰一人傷つくことなく戻ることを約束いたしましょう」

 

 デュソルバートは己の胸へと手を当て、そう誓った。

 騎士の誓いは破れない。破られることは無い。

 

「期待している」

 

 その言葉に安堵したのだろう。

 アルフォンスの声音は先ほどに比べ、幾らか柔らかいものとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




デュソルバート:とても強いおじさん。なんかメスガキに弱そうだけど強いので負けない。負けないったら負けない。負けたこと無い。


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暗殺者な『双子ちゃん』は『憧れ』ている。

書き溜めがついに尽きたので次の更新は多分二週間後とかになる予感がしています。


 朝靄の中を、双つの影が駆け抜ける。

 吐息は最低限に、歩幅は一定に、音を立てることは一切無く。

 意識は落としてしまいそうなほどの無に近づくように研ぎ澄まし、一切の殺意を漏らすことはなく、ただ迅速に平原をすり抜ける。

 己の持つ感情を何もかも排斥し、ただそうする為だけの人形であるかのように。

 双つの影──リネルとフィゼルは、まるで同じ人間かのようにピッタリの動きで一人の獲物を狙いまわしていた。

 未だ、視認できる距離にはない──されども、獲物の知覚範囲にはもう既に入っていることを明確に理解していた。

 経験としても、知識としても。

 だからこそ油断はしない……否、彼女らは既に、油断することさえ出来ない状態で地を蹴ってはいるのだが。

 暗殺を仕込まれるにあたって、彼女らが最初に教えられたことは一時的な自我の封印であった。

 明確な『意思』というものは、持つだけで目には見えない何かとなって溢れ出る。

 世の中にはそれを鋭敏に知覚することのできる人間がいるからだ、と。

 今の彼女らは獲物を追ってはいるが、しかしそれはほとんど無意識下で行われていることだ。

 さながら自然と同化しているように、まったくの異物感を与えることなく近づいていく。

 慎重に、的確に。遅いとも早いともつかぬ速さを保ち、スルスルと。

 獲物の呼気を、研ぎ澄ませた五感で辛うじて拾いながら、リズムを計る。

 一瞬未満しか無い隙を見逃さないように、必要であれば隙を作り上げることも思考の隅に置きながら。

 ──フィゼルが、少しだけ大きく息を吐いた。

 瞬間、リネルが鋭く一歩踏み込んだ。

 呼吸を飲み込みながら、コンマ数秒で引き抜いた短剣を逆手に振り抜いた。

 一般的な人界人共通の、白みのかかった肌色の首へと吸い込まれるように、リネルの一撃は宙を舞い──しかし、捉えることは無かった。

 恐ろしい速度で振るわれた短剣は、宙を斬る。

 リネルの、琥珀の瞳が思わず大きく見開かれ、次の瞬間彼女の視界は大きくブレた。

 

「──ッ」

 

 拙い、と思った時にはもう遅い。

 彼女が握っていた筈の短剣は刹那の間に取り上げられ、逆にそれによって手首を浅く切られた。

 ガクン、と急激に全身から力が抜けていく感覚がリネルを襲う。

 リネルとフィゼルの扱っている短剣は《ルベリルの短剣》。

 ルベリルの毒鋼という、非常に強力な毒を保有する、希少な鉱石で作られた短剣だ。

 一撃でも当てれば、誰であろうとも問答無用で打ち倒すことができるだろう、ジャイアントキリングの立役者。

 しかしそれも、奪われてしまっては意味を為さない。

 舌打ちすることすらも出来ず、ただ身を委ねることしかできなくなったリネルは勢いよく投げられた。

 

「きゃぁ!?」

「……!」

 

 リネルとフィゼルがぶつかり合って、そのままドターンと揃って地面に転がった。

 ついで、フィゼルの手からも短剣がスルリと取り上げられる。

 

「あ、ちょっ」

 

 弱々しい抵抗はやはり届かず、伸ばされた小さな手は空を切った。

 フィゼルは憎たらし気に奥歯を噛みしめた後に、ゆっくりと息を吐いた。

 リネルを腹に乗せたまま、大の字になる。

 

「あ~あ、また負けちゃった。ちょっとくらい手加減してくれても良くなぁい?」

「ハッ、これでも加減した方だというのが分からなかったか?」

「うへぇ、まーたそういう言い方するんだから。そういうところだと思うよ、アルフォンス様?」

「負け犬の遠吠えほど見苦しいものは無いぞ、フィゼル」

 

 言いながら、獲物──アルフォンスは笑いながらリネルに解毒薬を飲ませる。

 もちろん、アルフォンスはそんなもの常備していない。リネルをぶん投げた時に彼女の懐から抜き取ったものだ。

 毒使いが解毒薬を常備しているのは当然である。

 

「まぁ、とは言え以前と比べればまずまずの出来ではあったがな──フッ、貴様が息を乱さなければ、もう少し上手くいったとも思うが」

「んぬぬぬぬ……」

 

 思わずフィゼルが押し黙る。これに関しては正しくその通りであったからだ。

 あの時、リネルが動いたのは集中を乱したフィゼルのカバーに入るためであった。

 そのせいで元から練っていたプランではなく、アドリブで動くしか無くなってしまった。

 ──と、言ってしまうとまるでフィゼルの能力が劣っているように思えるが、それは違う。

 フィゼルもリネルも、どちらの能力値で見るのならばほぼ同じであると言って良いだろう。

 そもそも、先ほどのような、自我を抑えて動くというのはそれそのものが非常に高度な技術である。

 更に加えて言うのであれば、狙っている相手──つまりアルフォンスが悪かった。

 かなりの努力を積み重ね、その全てを発揮しながら二人は近づいてきていたわけだが、生憎アルフォンスは最初からすべてを把握していた。

 その上で、耐えられるかどうか、というギリギリのラインの圧力を放出していたわけだ。

 もし、少しでも気を緩めれば即座にそれに囚われるような、そういう類のプレッシャー。

 あの場面でもし、フィゼルが持ちこたえていたとしても、代わりにリネルがリズムを乱していただろう。

 そして乱せばその時点で、アルフォンスの圧力に呑み込まれる。

 

「いやでも、乙女の片腕を掴んでぶん投げるのはどうかと思います。肩外れたかと思ったんですけど……」

 

 と、そこでようやく身体の自由を取り戻したリネルが目を細めて言った。

 ジト目というやつだが──アルフォンスは普通に気にかけることはない。

 

「これ見よがしに跳ぶからだろう……首に固執するのはお前の悪い癖だ、リネル。《ルベリルの短剣》は肌にさえ当たれば良いのだから、もっと狙う場所を考えろ」

「そう言われましても……首の方が確実じゃないですか?」

「一撃で決めるのならば、な。だがお前らは──今回に限ってではあるが、一人ではなく二人だった。

 片方が動きを鈍らせ、もう片方が殺す、それでも良かったはずだ……お前が片腕を掴まれた時には、既にフィゼルは動き出せていたのだし」

「む、確かに……ですが、流石にあの一瞬でそこまで把握できません。フィゼルだって、もう少しくらいは呆けているかと思っていました」

「そこが甘い、と言っているのだ……ああ、いやしかし、心意はまだ習得出来ていないんだったか?」

 

 《心意》とは、即ち世界の法則を書き換える力である。

 己の強力なイメージ力を基に、不可能を可能に為しうる力。

 これを以てさえすれば、ほぼあらゆる意味で万能になれると言っても大きな間違いはない──無論、それだけの力であるのだから、使い手は整合騎士の中でさえも限られている。

 もっと言えば、アルフォンスほどの使い手は現在どこにもいない。

 アドミニストレータやカーディナルでさえも、彼ほどの《心意》は持ち得ない。

 ──が、それもある意味では、当たり前であるのかもしれないが。

 何せこいつは自身を疑うなんてことは全くしない上に、過剰なまでの自信で満ち溢れているようなガキである。

 自分が少しでも『出来る』と思えば大抵のことは出来てしまってきた、という事実もそれを助長させていた。

 とは言え、そうであっても生命の蘇生といった事柄に関しては、心意だけでどうにか出来るものでは無かったらしいが。

 『出来る』と思っていることが十全に出来てしまう以上、『出来ない』と明確に思っていることは全く出来ない。

 それがアルフォンスという少年の弱点でもあるのかもしれなかった。

 

「そう、ですね……一応、デュソルバート先生の勧めで心意の訓練はさせてもらっているんですが、未だにコツすらつかめていない感じです」

「あたしもネルとおんなじ。というか心意って、鉄柱の上に片足立ちとかして本当に習得出来るものなの?」

「……ふむ、その点は人によるとしか言いようが無いな──ああ、勘違いはするなよ。今《心意》を習得している整合騎士は皆、その過程を経て習得している。

 決して無意味ではない……とは言え、必ず効果があるとも断言できないのが、痛いところではあるのだがな」

 

 そう言葉を区切り、アルフォンスは小さく嘆息をする。

 実のところ、アルフォンスは心意を習得するのに大した──どころか、全く苦労していない。

 「整合騎士に出来るならオレでも出来るな、出来たわ」の流れ作業のような習得の仕方をしていた。

 心意習得RTA、ぶっちぎりで一位である。

 流石のファナティオ──当時、心意の存在を教えたのは彼女だった──も、この時ばかりは顎が外れる勢いで愕然としたものである。

 まあ、それがゆえに、上手いアドバイスが思いつかないという面もあるのだが。

 なので正直に言って、リネルとフィゼルの悩みが全くもって分からない──が、その気持ちが一切汲み取れない、という訳でもない。

 自分にとっては簡単であっても、他の人からすればそうではない、という事態はアルフォンスにとって常である。

 

「お前たちが、心意をどのようなものであると教えられたかは知らないが、オレから言わせれば心意とは『現実の拡張』だ。

 あるいは、世界のルールを押しのけ、自身のルールを世界に押し付ける……と言った方が分かりやすいかもしれないが」

「その理論で出来るの、アルフォンス様だけだと思うんですけど……」

「普通の人はその"押し付ける"が出来ないんですってばぁ、アルフォンス様の頭がおかしいだけですよぅ。

 だってそれ、例えば『物は下に落ちていくものでは無く、上に向かって落ちていくものなのだ』と本気で思いこむようなものでしょう?」

「何だ、分かっているではないか」

「分かっているから、なおさら無理だと言っているのですが……」

 

 リネルが呆れたように言う。

 この様子では理論自体はみっちり教えられていたようだった。

 

「……ふむ、だがその段階程度で音を上げているようでは、オレを殺すなど夢のまた夢だな?」

「む」

「むむ」

 

 一言で、双子は同時に黙り込む。

 流れ作業のように叩き伏せられたのでお忘れかもしれないが、今回の二人の任務はアルフォンスの暗殺であった。

 と言っても、誰かの手先という訳ではない。

 アルフォンスが寛容に受け止めているだけで、これは普通に下克上であった。

 滅茶苦茶簡単に言えばアルフォンスが十一歳のクソガキだった時の、アドミニストレータとの関係性みたいなもんである。

 違う点があるとすれば、アルフォンスが積極的に二人を煽っているということくらいだろうか。

 これくらいでレベルアップが早くなるのなら歓迎、とまでアルフォンスは思っていた。

 ついでに当時のアドの気持ちが理解できて面白いな、とも。

 まあ、当時のアルフォンスと、リネル・フィゼルではそもそもの実力が大幅に違いはするのだが。

 アルフォンスから見て、二人は弱いわけでは決してないが、強いかと言われれば首を傾げざるを得ない程度の実力だ。

 それでも、修道士・修道女の中ではトップクラスではあるのだが。

 

「心意すらまともに使えぬ内は、傷つけることすら不可能だ、とは言ってやる。暫くは心意習得に専念することだな」

「それ何年かかるんですかね……」

「ファナティオで十年、と聞いた覚えはあるな」

「絶対無理じゃん!?」

 

 十年後って言ったらナイスバディなお姉さんになってますよ私達! という悲鳴が響き渡る。

 どうでも良いけど二人の未来予想図、そんな感じなんだ……とアルフォンスは密かに思った。

 まあ、夢があって良いのではなかろうか。

 

「ま、確かに才能に起因するところではあるのだがな……因みに、アリスは一年かからなかったぞ」

「──ッ」

 

 鋭く、二人が息を呑む。

 アルフォンスの異質さに慣れてしまい、公理教会の面子は普通に受け入れているが、アリス・ツーベルクもまた異常な天才である。

 でなければ、たった数年の修練で整合騎士内でも一、二を争うほどの実力など手に入れられるものか。

 ──そして、リネルとフィゼルはその背中を、今より幼いころから見てきている。

 幼い頃からその天賦の才能を示し続け、まるで当然であるかのように整合騎士へと入った女の背中を。

 そんな、勇ましくも麗しい姿に、()()()()()()()()()()()()

 リネルは『ああなりたい』と思った。

 フィゼルは『ああなろう』と思った。

 そして二人は『絶対に超えてみせる』と思った。

 であれば、こんなところで躓いていて良いのだろうか?

 アリスからしても、アルフォンスからしても、初歩の初歩である()()で、拗ねていて良いのだろうか?

 答えはノーだ。

 一年で習得? であれば自分達は半年……いや九か月……ギリ一年いかないくらいで習得してやる!

 意気込みもほどほどに、二人は立ち上がる。

 

「ただそれはそれとしてコツとか何かあったりしませんか?」

「……お前たちは呼吸をすることを意識したことはあるか?」

「聞いた私が馬鹿でした……」

 

 ガクーンと膝をつくリネル。

 この男、心意を使うこと自体を、呼吸と何ら変わらないレベルの行為だと認識している……!

 改めて規格外さを見せつけられ、一瞬心が折れかけたが何とか立ち直る。

 この程度で折れていては、それこそ整合騎士になることすら夢のまた夢だ。

 何とか息を整える。

 

「だが、まあ、そうだな。オレとしても、修道士・修道女(おまえたち)には早々に心意は習得してもらいたいところだ。少しは何かしら、考えておいてやろう」

「ほ、本当!?」

「嘘を吐く理由が無いだろう……大戦まで、少なくともあと一年はあるわけだしな。予定外ではあるが、スケジュールは組んでやる」

 

 リネルとフィゼルは思わず顔を見合わせた。

 そこにあるのはあからさまな歓喜である。

 誰しもが、何度も言っているように、アルフォンスは人界きっての天才だ。

 どのような手段を取るのかは分からないが、それによって間違いなく自分達はステップアップするだろう、ということだけは分かる。

 都合の良い──良すぎるくらいのパワーアップアイテムみたいなものだ。 

 ──そこに、少しだけ懸念がありはしたが。

 

「ねぇ、アルフォンス様。その、暗黒界との戦争って本当に起こるの? 回避はできないことなの?」

「不可能だ。対話でどうにかなるのであれば、既にどうにかしている。どうにもならんから、現状(いま)がある」

「で、でも、今まで戦争なんて無かったと聞いています。それが何で、急に起こるだなんて分かるんですか」

「……今までも、火種自体はあった。それを整合騎士が丹念に潰していただけにすぎん。侵攻はもうとうの昔に始まっていて、それに多くの人間が気付いていなかっただけなのだ」

 

 それに、何をしても結局戦争は始まってしまう。それが《最終負荷実験》なのだから──とまでは、流石のアルフォンスも言葉にはしない。

 このことを知っているのは、会議に参加している一部のものだけだ。

 自分達の生きる世界が、誰かの作り物であるという事実に耐えられるものは、そう多くない。

 

「お前たちには無理を強いることになる、それは分かっている──だが、敢えて言うぞ、リネル、フィゼル。

 ()()()()()()、どれだけの恥を晒そうが、どれだけの敗北を味わおうが構わん、ただ生きろ。

 勝つためではなく、生きる為だけに力を付けろ。お前たちは、それで良い」

「生きる、ために……」

「そうだ、勝ったところで、残るものがいなくては話にならんからな。まあ、オレが死ぬことは万が一にも有り得ぬから、無用の心配というものではあるが」

 

 それでも生きろ、とアルフォンスは当たり前のように言う。

 他の何を犠牲にしても、ただ生きるだけで価値はあるのだと。

 それが意味するところを、正直なところ二人は理解しきれていない。

 ただ、それでも構わなかった。

 言葉にしたところで、その真意がすべて伝わることは無い──それが人間だ。

 言葉にされた思いの一片でも伝わっていれば、それで充分なのだ。

 

「ま、そうは言われても、チャンスがあればパーっと戦果を挙げてみせるわよ!」

「そうです、私たちはまだまだ発展途上中なのですから。グングン強くなって、戦争時には整合騎士になってみせますので」

「そう、か……まあ精進することだな。少なくとも今のままでは戦力にすらならん」

 

 アルフォンスの言葉に、フィゼルがいーっとして、リネルがベーッと舌を出してからそそくさと去って行く。

 恐らくは、心意の修行にでも行くのだろう──その二人を眺めながら、アルフォンスは薄く笑みを浮かべた。

 

「さて、と。時期的にはもう少しか? わざわざ道は整えてやったのだから、さっさと来て欲しいものなのだがな」

 

 一人、小さく言葉を零しながら浮かべるのは、未だ顔、声も知らぬ二人の少年のこと。

 いいや、正確には知っているが、知らないと言うべきだろう。

 知識としてはあるが、実際に会ったことも、話したことも無い。もっと言えば、噂すら耳にしたことは無い。

 まあ、細かいニュアンスはどうでも良いが──とにかく。

 《最終負荷実験》への対抗策としても、これからの人界の未来としても、すべてにおいて、彼らは必要だ。

 精々、折れてくれるなよ、とアルフォンスは一人、空を見上げた。

 

 

 




リネル&フィゼル:アリスが好き。

アリス:可愛い双子ちゃんですね。


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『無音』の騎士と僅かな『日常』。

更新が生えてきました。
ぶわーっと書いたので何か矛盾点があったらこっそり教えてくれると喜びます。


 人界歴三七九年。十二月。

 地球同様、四季が存在する人界は冬真っ盛りであった。

 三月から五月の間を春。

 六月から八月の間を夏。

 九月から十一月の間を秋。

 十二月から二月の間を冬──とする人界は、基本的には現実世界の『日本』と同じであると考えても良いだろう。

 春には桜(人界では"サクラ"呼称であるが)が舞い、夏には太陽(これも人界では"ソルス"である)、秋には多くの木々が紅葉し、冬には雪が注がれるように降る。

 もし人界の民に、この四つの中で一番過ごしづらいのはどの季節か? と聞けば、恐らくは誰しもが「冬」と答えるだろう。

 現実世界でさえ、雪の降る地方がそれなりに困らされているのだ。

 如何に神聖術があるとは言えど、多くの人間にとってそれは万能には程遠い──つまり、人界にとって冬とはそれなりに苦労の多い季節だった。

 寒いし、雪は邪魔だし、で大人になればなるほど文句は出てくるだろう。

 疎まれていると言うほどではないが、しかし好ましいか好ましくないかで言えば、意見の分かれる季節。

 そんな季節がすっかり幅を利かせるようになった日の朝、アドミニストレータ──クィネラはパチリと目を覚まし、そしてもう一度目を閉じる。

 冬の朝というのはそういうものだ。

 まだ寝ていたい、という気持ち。

 もう少し寝ていれば良いじゃん、という冬の誘惑。

 でもそろそろ起きなければ、という理性。

 そういったものたちを数分格闘させたのちに、やや不機嫌そうに彼女は身を起こした。

 そこで彼女は異変に気付く──隣に、アルフォンスがいない。 

 天衣無縫の自由人の名を欲しいままにするクソガキ──もとい愛しの人は、珍しく既に目を覚ました後だったようだ。

 温もりが残っていないことから、それは随分と前のことだったということが容易に分かる。

 であれば、クィネラが寝坊したのか? と言えばその答えはノーだ。

 ここ数年ですっかり朝型人間へと矯正されたクィネラは、この日もいつも通り、六時を少し過ぎたところで目を覚ましていた。

 ちなみにアルフォンスは決まった時間に起きる、ということはない。

 いつもその日入っている予定にギリ間に合うくらいの時間で起きていた。それでも誰も文句を言わないのは単純に遅れたことが無いことと、役割自体はしっかりと果たしているからだろう。

 言いたくとも言えない、というやつだ。

 たまにアリスがブチギレていることが、皆が留飲を下げる一因ともなっているのだが。

 それはそれとして、此処にいない、という事実は若干の不安となり、クィネラへと襲い掛かってきていた。

 何せ今日は、久方ぶりの休暇である。

 《最終負荷実験》と呼称される暗黒界との戦争が徐々に近づいてきている今、この二人に休んでいる暇はほとんど存在しない。

 そんな中で、せめて一日くらいはな、と入れた完全休息日。予定の一切入っていない貴重な一日である。

 それなのに、アルフォンスがいない。これは非常に不安だ。

 否、それは別に、アルフォンスの身に何かが──と言ったことを心配している訳ではない。

 どちらかと言えば、「何かやらかしていないだろうか」という不安が三割。

 また何も言わずに、数日行方不明になったりしないだろうか、という嫌な予感が二割。

 残りの五割は普通に寂しさだった。

 アレコレ言わないので取り敢えず、一日一回くらいは顔を合わせておきたいというのがクィネラの心情だった。

 という訳でクィネラは、ベッドをトントンと叩いた。

 同時に意識を集中させる──と言うよりは、拡張させると言った方が良いだろうか。

 言葉通り、クィネラはその圧倒的な心意を以て、セントラル・カセドラル最上階から一階まで、一気に意識を拡張させた。

 五感を鋭くさせるのではなく、いわゆる第六感を軸に拡張させることで、『強い人間』を捉えることができる。

 この場で言う『強い人間』というのは、強い心意を持つ者を指す。

 騎士や剣士たちに言わせれば、強大な『剣気』を持つ者、か。

 ひとまず、それが人並み外れているやつがいればそれがアルフォンスである。

 無論、セントラル・カセドラルには人類最高峰の実力を誇る整合騎士たちも生活しているが、まず間違えることは無い。

 一口に気配や心意、と言ってもそれは人によって色や形といった個性が出るものである。

 それに、心意に限ればアレは少し格が違う。

 ゆえに間違えることは無い──と、そこでクィネラは眉をひそめた。

 セントラル・カセドラル内にアルフォンスの気配が存在しなかった──と言う訳ではない。

 むしろ少しは隠せ、と言いたくなるくらい自己主張の激しい()()を補足していたが、だからこそ文句の一つ二つを零しそうになった。

 何故かと言えば、彼の近くにはもう一つ、巨大な反応があった。

 ベルクーリの重厚で、巨大なものと少し違い。

 まるで剣のように鋭く、しかし繊細なそれは、ファナティオともまた別種。

 しかし強い──強い、女。

 これに当てはまるのは三十人もいる整合騎士の中でも一人だけ。

 む。とクィネラは唸る。

 続いてむむむ、と内心でも唸る。

 そして言葉がまろび出た。

 

「もう、私の寝ている間に、私以外の女に会ってるとか、ちょっとどうかと思っちゃうわよ。私だって」

 

 寂寥と、嫉妬。

 二つが入り混じった感情を覚えたクィネラは、スルリとベッドを降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 寒空の下、鋭い金属音が高らかに響く。

 紫と白を基調とした鎧に身を包む、細身の女性が雪の白さに彩られた戦場を疾駆していた。

 その手に握られているのは神器《黒百合の剣》。

 たった一輪の黒百合から生成された、極細かつ、刀身が数センしかない剣を以て、彼女──シェータ・シンセシス・トゥエルブは超高速での超近接戦闘を繰り広げていた。

 『この世に斬れぬものなし』と言う強固な心意により、無敵の刃と化したそれを数瞬の後に幾度も振るい、しかしその全てが同速で弾かれる。

 防御をされているのではなく、飽くまで攻撃し合った結果として弾かれている。

 シェータはまず、そのことに大きく()()()()()

 斬れると思った場所が斬れない。

 殺せると確信した軌道で殺せない。

 貫いたはずなのにわずかに届いていない。

 そういった感覚が、何より新鮮であったが故に、シェータは喜んでいた。

 音もなく、声も無く。表情に出すことも──否、ほんの少しだけ、口元をほころばせながら、シェータは《黒百合の剣》を手繰る。

 シェータ・シンセシス・トゥエルブ。

 つまり十二番目の整合騎士である彼女は、対人戦かつ殺し合いに限定すれば、騎士長たるベルクーリすら差し置いて、最強を名乗れる実力を誇る騎士だ。

 四帝国統一大会という、その年の『人界内最強の騎士』を決める栄えある大会にて、対戦相手を例外なくすべて斬殺することで優勝した彼女は、ただ『斬る』という一点において、誰よりも秀でていた。

 否、秀でていたのではなく、幼い頃からそれにしか()()()()()()()のである。

 しかし、シェータがそれを心から楽しんでいるかと言われれば、少しだけ違った。

 ──視えるのだ、彼女には。

 己が視界に入ったありとあらゆる物の、()()()()()()()()()と言うべきものが、くっきりと視えてしまうのである。

 そうして、それが視えてしまえばもう、シェータにはそれを斬らずにはいられない……いられなくなってしまう。

 万物を切断する才能。

 万物を切断せんとする衝動。

 万物を切断することに喜びを見出す本性。

 それらを持って生まれた、生まれながらの狂人。

 しかしそれでいて、それらの衝動や性を押し殺すことの出来る理性を持って生まれた鋼の女。

 それが、シェータ・シンセシス・トゥエルブという騎士である。

 整合騎士になる前から、整合騎士になった後も──言ってしまえば、今この瞬間でさえ。

 彼女は自分自身を抑えつけながら剣を振るっている。

 傷つけはしても、殺しはせぬように、と。

 絶対に切断だけはしてはならないと、何度も己に言い聞かせながら立ちまわっていたシェータには、しかしその理性()が外れていく音が聞こえていた。

 ガチャガチャ。

 ゆるゆる。

 ガシャンガシャン。

 手足を拘束していた理性が外れていく。

 魂を抑えつけていた理性が外れていく。

 本性を締め付けていた理性が外れていく。

 いつもこうだ、私は、いつだって最後には本性に従って、相手を斬り殺してしまう。

 ああ、ああ、ああ!

 なんて私は罪深いのだろう。

 なんて私は愚かなのだろう。

 なんて私は弱いのだろう。

 そんなことを思っておきながら、シェータは動きは止められない。

 視える、視える、視える。切断すべき箇所が視える。

 これを斬り飛ばせばどれほど楽しいのだろうか、どれほど気持ち良いのだろうか。

 思いを馳せることは無いが、しかし想像せずにはいられない。

 現実にせずにはいられない。

 踏み込みは軽やかに、全身は躍動するように。

 獣のようにしなやかに、されどその一撃は、星の如き重さを以て。

 光のような速度で剣を振るい──しかし弾かれる。

 弾かれる、弾かれる、弾かれる!

 幾度振るっても、視えているはずの切断面へとたどり着かない!

 目の前の少年──アルフォンス。

 二十にも満たない齢にして、この公理教会を掌握せしめただけでなく、実力でさえここまでとは。

 久方ぶりに流れる汗を感じながら、シェータはもう一段階ギアを上げる。

 普段であれば、この辺りでもうやめにしようと。

 これ以上続ければ殺してしまうと、そう言って立ち去る段階で、敢えて彼女は集中力を高めた。

 それは、ひとえに信頼ゆえだ。

 ()()()()()()()()()という恐ろしいほどに重い信頼。

 そしてそれを受けてなお、アルフォンスは不敵に笑った。

 常に帯刀している直剣ではなく、『対シェータ用』に製造してもらった短剣を手元で遊ばせながら、姿勢を落とす。

 正直に言おう。

 アルフォンスには今、かなり余裕がない。

 彼の剣士としてのレベルは一流だ。それは誰もが認めるところであり、彼自身もそうであると認識しているところであるが──しかし、逆に言えば()()()()()()()

 ベルクーリやシェータといった《超一流》に、彼は僅かに劣るのである。

 ぶつかり合い続ければ、間違いなく負ける相手──無論、それは《剣士》としての話であって、《戦士》としての話であればまた別ではあるのだが。

 今この瞬間繰り広げられているのは、紛うことなき《剣士》の試合であった。

 であれば『何でもあり』とするわけにはいかない。だが負けたくはない。

 できれば勝ちたい。というかもう何が何でも勝ちたい。勝ってどや顔をかましたい。

 それがアルフォンスの内心だった。

 何せ「賭け試合しようぜ」と朝から吹っ掛けたのはアルフォンスである。

 感覚としては「最近身体動かしてないし、ここらでいっちょ派手に運動しておくか」くらいではあったのだが。

 それはそれとして負けたら普通に恥ずかしかった──別に、彼ら以外の人はいないのだから、無用な感情ではあるのだが。

 まあ、それほどの熱意と真剣さがなければ、シェータに喰らいつくことすら不可能ではあるから、無用と一言で切り捨てるのもどうか、というラインでは一応あった。

 何度も言うようだが、シェータの実力はベルクーリと並ぶか、場合によっては上回るのだから。

 言わば格上。負けるのが当然の相手。

 ──だからこそ、相手としては相応しい。

 ここ最近はまともに鍛錬の一つすら割ける時間が無かったのだから、なるべく質の高い経験値が欲しい。

 《最終負荷実験》ではアルフォンス自身も戦場に立つことが確定しているのだから、そう思うのはなおさらだった。

 クルクルと回していた短刀を逆手に握り直す。

 ゆらりとシェータが切っ先を向ける。

 数秒交錯する視線。

 先に動いたのはシェータだった。

 音の一つも立てない踏み込みで、瞬きの間に懐へ潜り込んでくる。

 アルフォンスはその動きに完璧についていくことはできない──ゆえに、予見して動く。

 攻撃されるより数瞬だけ早く回避行動を取る。

 そうすることで辛うじてダメージを無くしていた。かといって、それが未来予知であるかと言われれば全く違う。

 単純にシェータの殺気が鋭すぎるのだ。

 彼女はヒートアップすればするほど、『ここを斬るぞ。絶対に斬ってやるぞ』という意思をビシバシとぶつけてくるタイプだった。

 その上で、斬り刻んでしまうのが彼女の恐ろしいところであるが、お陰で回避に専念するのであれば幾らか容易ではある。

 避けて、避けて、受け流して、弾いて、距離を取る。

 それを繰り返し、繰り返し、繰り返して──()()()()とアルフォンスは思った。

 同タイミングで()()()とシェータが思う。

 うん、うん、うん。

 いい加減終わらせよう。もうそろそろ、他の整合騎士も集まってくる頃合いだし。

 口うるさいデュソルバートやアリス、ファナティオも最近帰ってきたところなのだ。

 あまり好き勝手やるとデュソルバートに小言を言われかねないし、アリスには試合を強請られファナティオには『特訓』と称して滅茶苦茶にしばき倒される。

 それは普通に避けたかった。何が悲しくて一日をそのように終わらせなければならないのか。

 ただでさえクィネラ──アドミニストレータに黙って此処に来ているのである。

 

「さて、そろそろ終わらせようか、シェータ。いい加減オレも疲れてきた」

「私も……そう思っていた、ところ。片腕無くしても、文句言わないで、ね?」

「は、オレをあまり無礼(なめ)るな」

 

 交わした言葉はそれだけだった。

 それだけで充分だった──これで終いだと、互いは互いに印象付けた。

 弾き出されるように、双方は地を蹴り飛ばした。

 互いの剣に宿った心意は、これ以上ないほど強烈だ。

 必ず打ち倒すという、アルフォンスの心意。

 必ず切断するという、シェータの心意。

 数回に限定するのであれば、幾らアルフォンスの心意が強くともある程度の整合騎士であれば打ち合える。

 更に言えば《切断する》ということにかけては、間違いなくシェータの方が上であった。

 ある意味では互角の戦い。

 空間を裂くように振り合った剣は、激しい金属音だけを数回、重ねるように響かせた。

 アルフォンスが無理を言って()ってもらった短剣が悲鳴を上げてスッパリと真ん中から切断される。

 「やべ」とアルフォンスは思い。

 「いける」とシェータは思った。

 流れるように連続するシェータの斬撃を予見しながら、ここは負けを認めるか、とアルフォンスは判断した。

 負けは負けだ。仕方ない。

 一先ず心意を防御全振りにしようと、そう思った瞬間である。

 修練場の扉が、少しだけ音を響かせて開いた。

 異常な動体視力を以て、何故かアルフォンスはそこを見た。

 どうしてかはアルフォンス自身も分からないが──とにかく、見なければと思ったその先で揺れたのは、薄い紫の長い髪。

 続いて陶器のような肌が見える──あいつ、この時期は厚着しろと言っているのに、寝間着で部屋を出ている!?

 馬鹿者が、と反射的に思った。

 ついで、「え? このタイミングで降参しなければならないのか?」とアルフォンスは思う。

 タイミングとしては最悪である。超最悪。

 なので諦めないことにした。

 意識を切り替える──予見していた一撃を紙一重で躱し、宙を舞っていた短剣の切っ先を()()()()()()

 トン、とアルフォンスは軽やかに宙を舞う。

 シェータが思わず空を見上げれば、落ちてきたのはやたらとでかい布だった。

 正確に言えばそれはアルフォンスの上着だ。

 完全に目くらまし──片手でそれを受けつつ、背後に降り立った音を聞きながら、シェータは鋭く地を踏み込んだ。

 左手に受けた上着越しに、《黒百合の剣》を連続して撃ち放ち──ピタリと、首筋に短剣が当たる。

 一瞬の思考停止。それから「あ、負けたんだ」とシェータはすんなり受け止めた。

 戦場であれば、今ので死んでいた。そう思えば熱もわずかに引いて、何とか《黒百合の剣》を鞘にしまうことに成功する。

 

「良し、オレの勝ちだな」

「……最後のは、少しだけ卑怯」

「まあ……いやしかし、ギリギリセーフとかにならないか?」

 

 ふむ、とシェータは唸る。

 ついでやたらと不機嫌そうなアドミニストレータを視界に収め、「そういうことか」とため息を吐いた。

 であれば仕方ない……ということにしておこう。

 武士の……騎士の情けというやつだ。

 はいはい、と呆れたようにシェータは頷き、アルフォンスは苦笑いをした。

 

「ま、悪いとはオレも思っている。近々、埋め合わせはしてやろう」

「良いの?」

「無論だ。流石のオレも、やっておいてどうかとは思うからな……だがそれはそれとして賭けはオレの勝ちだ。

 修道士・修道女共の教官はやってもらう、前回はそれなりに好評だったからな」

「あ……」

 

 そうだった! とシェータは「ガーン!」と項垂れた。

 以前、短期間だけ修道士・修道女たちの教官を頼まれ、二度としないと心に誓ったのであるがこれである。

 文句を言おうとしたら既にアルフォンスはアドミニストレータの元へと駆けよっていた。

 こうなってしまえば、もうシェータは近寄れない。

 単純に圧があるとか、アドミニストレータが神々しいとか──そういう訳では決してなく。

 普通にあの二人は自分達だけの世界を構築するのが早すぎるのであった。

 文句を言うなら明日以降か……まあ、それも無駄に終わりそうだけど、とシェータは思い。

 アドミニストレータの機嫌を取ろうとするアルフォンスを見ることで、僅かに留飲を下げたのであった。

 




アルフォンス:好きな子の前ではカッコつけたいお年頃。
実は二人きりの時しか「クィネラ」呼びをしない。この後クィネラの我儘に付き合わされ倒した。

アドミニストレータ:一日中振り回した。クィネラと呼ばれると喜ぶ。

シェータ:ヤバすぎる女。滅茶苦茶強い。


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『不倒』の騎士は『思惑』の中に。

更新だと!?


「全く以て嫌な予感がする」

 

 セントラル・カセドラル五階。《武器庫》。

 その前に佇んでいる、萌葱(もえぎ)色の槍を携えた一人の騎士──ネルギウス・シンセシス・シックスティーンは、静かに呟いた。

 何故そう思うかといえば、それはネルギウスがこの場にいることと関係している──とは言え、そう複雑な何かがあったかと言われれば、それもまた違う。

 事は至ってシンプルだ。

 今朝方、この公理教会には罪人が連行されてきた。

 罪人の数は二人。それもどちらも年端のいかない少年である。

 確か、《 帝立修剣学院(ていりつしゅうけんがくいん) 》の、《上級修剣士》であると言っただろうか。

 イマイチ名前まで思い出せなかったが、情報としてはそこまでで充分だろう、とネルギウスは思う。

 罪状は《他人の天命の消失》──簡単に言えば殺人だ。

 彼らは人を殺した……らしい。級友である貴族の少年をひとり、剣で斬り殺したとのことである。

 よくもまあ、この人界でそこまで大胆なことができたものだ。

 胆力、という意味でなら称賛に値する──だが、人としては最低だ。

 理由はどうあれ、《禁忌目録》という、人界における絶対の法に触れた彼らは現状『悪』……『極悪』であり、それが覆ることは無い。

 何かしらの形で裁きを受けることになるだろう。

 そしてネルギウスは現在、そんな『極悪人』である彼らが万が一にも脱走を試み、公理教会へと反逆しに来るようであればそれを止める、という任を受け此処にいる──のだが。

 正にその事実こそが、ネルギウスの嫌な予感をひたすらに煽っていた。

 確かに、殺人などという罪を犯した人間を警戒するのは当たり前のことだろう。念のために、整合騎士が配置されたことも、理解できなくはない。

 問題は、配置されたのが()()()()()()()()()()()ということである。

 五階、武器庫前にはネルギウス。

 三十階、大広間にはデュソルバート・シンセシス・セブン。

 五十階、《霊光の大回廊》にはイーディス・シンセシス・テン。

 八十階、《雲上庭園》にはアリス・ツーベルク。

 本日、暇を与えられていた四人の騎士が、全員階層を指定された上で、警備を任ぜられたのだ。

 過剰戦力とか言うレベルの話ではない。

 この四人が集まれば、それこそ一国を落とすことだって無謀とは言えないくらいの戦力になる。

 つまり、それは公理教会のトップであるあのクソガキ──もとい、アルフォンスがそれだけ、あの罪人を警戒しているということになるのだろう。

 

「アレを"警戒"と言って良いものなのかは、些か判断がつきかねますがな……」

 

 ポツリ、とネルギウスは言葉を零し、数時間前のことを思い出す。

 直接あの二人を連行してきたアリス・ツーベルクに向かって、アルフォンスは──何故か。

 何故か非常に嬉しそうな、あるいは、新たな玩具を手に入れた時のような──見ている者の胃を痛める時に限って見せる、満面の笑みを浮かべたのである。

 それでもって、上記の四人を集めたアルフォンスは

 

「今からお前たちにはセントラル・カセドラルの警護に当たってもらう。もし戦闘が発生した場合は殺すつもりでかかって良い──だが殺すな。以上」

 

 とか宣ったのである。

 意味が分からなかった訳ではない。命令は至極単純だ。

 殺す気でかかれ。だが殺すな。この二つだけ。

 無論、滅茶苦茶嫌な予感がする笑みと共に。

 これはもう絶対に裏がある。無いわけがない。命をかけても良い、と全員が思った瞬間だった。

 ネルギウスが記憶を辿れば、アレはその昔、サザークロイス南帝国に出張した際に勝手についてきやがった時に浮かべていた、含みのありまくる笑みと同じだった。

 要するに、あの少年はこの事態を予見していた。

 確定ではないが、ほぼ確定と言って良いだろう。

 アルフォンスは常に突拍子もないが、しかし時折──本当に、未来予知でもしているのかと思う時がある。

 そしてこれは、間違いなくその類だった。

 ──面倒なことが起こる。絶対に。

 はぁ、とため息を吐き、ネルギウスは腰ほどまである自身の、濃緑の髪を梳く。

 できればこのまま、何事もなく一日が終わってしまえば良いのだが──

 

「どうにもそうはいかなさそうですな……であれば後は、私がこの手でアルフォンス殿の予見を覆すしかない、か」

 

 タッタッタッ、という二人分の足音をキャッチしたネルギウスは、やれやれと己の愛槍たる《 萌嵐槍(ほうらんそう) 》を握りしめた。

 というか、四人も配置している時点で、あの少年の予想では少なくとも手前の三人はやられる想定なのだろう。

 それがネルギウスは、非常に……ひっじょ~に気に入らなかった。

 既に武技ではアルフォンスに抜かれたが、しかしこれでも百年以上整合騎士として務めてきた、熟練の騎士である。

 ここらで、我が実力を見せつけてやる、とネルギウスはちょっと憤慨していた。

 《不倒》の騎士:ネルギウス・シンセシス・シックスティーン。通称ネギ。

 中々に負けず嫌いな、十六番目の騎士である。

 

「どうせ神聖術か、心意か……あるいは想像もつかない手段で見ているのでしょう──であれば、とくとご覧じれ。我が勝利を」

 

 ヒュルリと《萌嵐槍》を構え、ネルギウスはそう言った。

 

 

 

 

 

 

「──とか何とか、今頃言っているのだろうな」

 

 セントラル・カセドラル最上階。

 少しだけ拡張し、増やした部屋の一室──執務室でアルフォンスがそう呟けば、ソファで分厚い本を捲っていた幼女……もといカーディナルが、目線を向けた。

 

「何じゃ、お主ここで黙って待っておるつもりか?」

「そのつもりだが……おい、何だその顔は」

「……んんっ、いやなに、意外じゃなと思っての」

 

 思わず唖然として、開きまくった顎を戻しながら、カーディナルがしみじみと言う。

 開いていた本へと栞を差し、テーブルへと置いてからティーカップを少しだけ傾けた。

 ゆらと揺らぐ上品な香り。

 カーディナルが飲む紅茶はちょっとだけお高めのものだ。

 その辺にちょっとだけこだわりのある女であった。

 

「意外というほどでもないだろう。昔はともかく、今のオレはそれなりに忙しい身だ」

「それは……そうなのじゃが……」

 

 どうにも腑に落ちない、とカーディナルは思う。

 ──というのも、カーディナルは一度アルフォンスの記憶を覗いているからだ。

 今朝方連れてこられた、二人の少年のこともある程度は知っている……無論、全てではないが。

 端から端まで読む解くには、情報が膨大すぎたし──そもそも、この世界が物語であるということを受け止めるのは一朝一夕ではいかない。

 むしろ、アレだけの量と密度を誇る、恐ろしさすら感じさせる情報をけろっと受け入れているアルフォンスが異常なのだ。

 あまりにも異端な存在──と言うのは、まあ今更ではあるのだが。

 兎にも角にも、あの二人の少年の登場は正しく『転機』である。

 物事が大きく動く瞬間──そういうものを、見逃すような人間ではないはずだ。アルフォンスという少年は。

 ゆえに「この目で見たい」とか言って業務も何もかも放り出すと思っていたのだが……。

 事実は小説より奇なり、とはこのことを言うのだろうか、とカーディナルは思った。

 

「……カーディナルの言いたいことが分からぬという訳ではない。事実、多少は気になっているしな」

「ならば見てくれば良かろうに。お主のことじゃ、両立くらいわけないじゃろう」

「まあな、だがそこまでするほど、興味を惹かれているという訳ではない──と言うよりは、そうだな」

 

 一区切りして、アルフォンスはペンを置く。

 背もたれにぐったりとよりかかり、気の抜けたように天井を見上げた。

 微動もせぬシャンデリアが部屋全体に光を落としている。

 

()()()()()()()辿()()()()。その確信が、オレにはある」

「ほう……それは、お主の知識ゆえか? あるいは、何度かその目で観察でもしておったか?」

「いいや、まあ少々細工はしたが……それが無くとも此処には来るだろうよ。勘というやつだ」

 

 勘というものは、存外馬鹿にはできないものだ。

 第五感を超えた、第六感とも言われる──いわゆる超感覚。

 そう言ったものを無意識に働かせ、物事を察知すること。

 あるいは、これまでの経験や知識から弾き出した答え。

 アルフォンスに限って言えば、あまり外れたことが無い──どころか、今のところ百発百中で当たる占いのようなものだった。

 

「ま、お主がそう言うのであれば、わしも文句はないがの……本当に良いのか?」

「くどいな……あっ、その見透かしたような目はやめろ。気に入らん」

「気に入らんて……図体はデカくなっても、そういうところはまだまだ子供じゃのう」

「喧しいぞ、これでももう十八だ。大人と呼ぶには充分だろう──まあ、何だ、一応必要なことでもあるのだ、これは」

 

 カーディナルのニヤニヤとした視線から逃れるように、アルフォンスは言葉を零す。

 それから少しだけ逡巡し、まあ良いか、とため息を吐いた。

 

「あの二人は、アリスの幼馴染だろう。一度オレ抜きで──と言うよりは、本来であれば公理教会という存在も抜きにして、一度は話させるべきだと、そう思っただけだ。

 それが、幾らお節介に類するものであろうとも、必要ではあるだろう。

 決断したのはアリス自身とは言え、あの時選択を迫ったのも、ある意味で縛り付けたのも、他ならぬオレであるのだからな」

「……お主、アリスのことになると途端に激アマになるのう。シスコンと呼ばれても仕方ないと思うんじゃが」

「!!?」

 

 シスターコンプレックス!?

 馬鹿な、そんな訳が無いだろう。

 というかそもそもアリスは妹ではなく、妹分である。

 まあ、確かに他の整合騎士や、修道士・修道女たちと比べれば多少距離は近かったように思うが、それも十一歳の頃からの付き合いなのだから当たり前と言えば当たり前のことだ。

 もう七年間──正確には四年間傍付きとして、ここ三年間は整合騎士として共にいたのだから。

 期待は確かにしているが、それを言えば他の整合騎士たちにだって同じだけの期待をしている……はず、である。

 ……だよな?

 アルフォンスは久方ぶりに、一抹の不安を抱いた。

 アリスにはそれなりに厳しく当たっていたつもりなのだがな……と思わず長考する。

 

「ふふっ……」

 

 うんうん、と一人唸り始めたアルフォンスを見ながら、カーディナルは実に楽しそうに、されども静かに笑う。

 カーディナルは基本的に人を揶揄うということをしないが、相手がアルフォンスの場合は話が別だった。

 常に冷静で、合理的な判断を下すことでき、なおかつ余裕を持っているこの少年は、そもそも翻弄することが不可能に近い。

 ──が、アリスやアドミニストレータといった、特定の人物についての話題になれば、意外とそうでも無かったりするのだった。

 ファーストコンタクトを取った時から、唯一常に『協力者』として動いてきた、カーディナルだけの特権である。

 これだけは、アドミニストレータにもアリスにも譲れない。

 そんな珍しい光景を一頻り楽しんだ後に、カーディナルは言う。

 

「冗談は抜きにしてもじゃ。お主のアリスへの対応はそれなりに過剰じゃろう。わしの目には、お主に言われてあっちこっちへ走り回る姿ばかり目に入るがのう?」

「……良く、見ているな」

「そりゃのう、わしはこれでもお主の相談役じゃぞ?」

 

 相談役。

 文字通りの役割だ。

 今では人界全体を治めているアルフォンスと、アドミニストレータへ助言を与え、時には共に考える特殊なポジション。

 絶対的な知識量で言えば、当然ながらアルフォンスはアドミニストレータとカーディナルには敵わない。

 重宝している人材である。

 

「知っているだろうが、この世界は──こう言うのは問題があるが、しかし仮初の世界だ。

 現実世界の人間がやろうと思えば、一瞬で消し去れる、そういう世界。

 オレ達は……少なくとも、オレやお前はそのことを忘れてはならないし、考え続けなければならない」

「そうじゃのう。それは確かじゃ、だがそれがどうした言う?」

「だが、オレ達は"人間"だ。現実世界の人間がどうあろうとも、オレ達は確かにこの世界を生きる、一つの種族だ。

 であれば、やはり時が来れば、オレ達の中からあちらの世界へと飛び立つべきものが必要になるだろう。

 ……オレは、それにはアリスが適任だと思うのだ」

「おや、お主ではないのか?」

 

 カーディナルの、尤もと言えば尤もな意見に、アルフォンスは鼻で笑う。

 やれやれ、と大袈裟に肩をすくめられ、カーディナルは思わず杖をにぎにぎした。

 

「オレがいなければ、誰がこの世界を統治するというのだ」

「わしとあの女がおるじゃろ」

「お前ら、一度意見が対立したらどちらかが死ぬまで殺し合うだろう」

「…………」

 

 普通に図星でカーディナルは押し黙った。

 似た者同士──というか、実質カーディナルとアドミニストレータは同一人物だ。

 気に入らないところを探し始めればキリが無いし、元々二人は敵対関係である。

 きっかけがあればいつでも殺し合えるだけのポテンシャルがあった。

 

「それに、オレは少々例外だ。アドもお前も含めてな……適任には程遠い。純然たる──とまでは言わないが、この世界で普通に生まれ、育ったものが良いとオレは思うのだ」

「まあ、そうじゃな」

 

 ──と、言いつつやっぱりこいつアリス好きすぎじゃろ、とカーディナルは思うのであった。

 このアンダーワールドで生まれ、育ったもの?

 正しく例外でしかない、トップの三人を除けばそんなもの、誰だって当て嵌まるのだから。

 

「だから、なるべく多くの経験を積ませたい……とでも考えておるわけか?」

「大体はそんなところだが──《最終負荷実験》に向けての準備でもある。

 あれほどの才覚を持つ者は、そうはいない──才能だけで言えば、アリスはアド以上だ。

 出来るだけ高めさせようと思うのも無理ないことだろう」

 

 ──ああ、そうか。

 今更ながらアルフォンスの真意に気付き、カーディナルは僅かに口角を上げた。

 散々御託を並べたが結局、アルフォンスは死んでほしくないだけなのである。

 何せ戦争だ。誰しもが経験したことの無いほどの大規模な殺し合いだ。

 誰が死んだっておかしくはない。

 なればこそ、()()()()()()()()()()()

 親しい人が多ければ多いほど、その距離が近ければ近いほど。

 不安は増える、不安は大きくなる。

 どうにか生き残って欲しいと願うようになる、その為に尽力する。

 そうだった。

 アルフォンスもまた、十八の少年でしか無かったのだ、とカーディナルは跳ねるように立ち上がった。

 トテトテとアルフォンスに歩み寄り、ピョンッと机に座る。

 

「おい──」

「黙っとれ」

 

 不満そうな言葉を先んじて封じ、カーディナルは優しくアルフォンスの頭へと触れた。

 それから何度も撫でる。よしよしと、子供をあやすように。

 

「たまには良いじゃろう、こういうのも」

「……悪くは無い」

 

 不満げに、しかし肯定したアルフォンスに、カーディナルは笑みを深める。

 いつもは逆のことをされることが多いだけに、若干楽しかった──と、そこでカーディナルはふと階下の異変に気が付いた。

 いや、異変というよりは、これは──。

 

「ネギが負けたか、意外と早く終わったな」

 

 そう言って、アルフォンスは薄く笑う。

 相も変わらず、こういう時だけは悪人のように笑うな、とカーディナルは思い。

 しかしその手を止めることは無かった。

 

 

 

 




アルフォンス:幼女とイチャついてた

カーディナル:クソガキとイチャついてた

ネルギウス:上記二人がイチャついてる間に負けた。


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熾焔の『試練』、後に来る『手』。

はぁ、はぁ……毎日更新、無理がありすぎる。


 ようやくここまで辿り着くことができた──。

 真っ白な大理石で組み上げられた、城にも見える蒼穹を貫く塔。

 公理教会セントラル・カセドラル内部へと侵入したキリトは、そんなことを考えながらひたすらに地を蹴っていた。

 二年と少し前までは、現実世界で生活していたし、それが続くのだと思っていた。

 多少の波乱はあったが、学生として過ごし、ゲームを手放すことは無く、されども彼女や友人たちと少しずつ時間を重ねていくのだろう、と。

 しかし、ある日突然キリトの世界は一変した。

 気付けば異世界……いいや、精巧に作り上げられていた仮想世界へと放り出され、そして唯一無二の親友と出会った。

 亜麻色の髪に、エメラルド色の瞳を持った少年──ユージオに導かれるようにして、央都を目指す旅/現実世界へと戻る旅が始まった。

 ルーリッドの村から共に旅立ち、ザッカリアという街で開かれた剣術大会で勝ち残り、そして《帝立修剣学院》へと入学を果たし──そして、罪人という形ではあるが、こうしてセントラル・カセドラルへと足を踏み入れることに成功した。

 ──そう、大罪人として、だ。

 キリトはライオス・アンティノスという少年を殺した。しかしそれが間違いであったかと言われれば、やはりキリトは首を横に振るだろう。

 たとえあの瞬間を何度もやり直すことができたとしても、それでも。

 自分は、他ならぬ自分の意思で剣を振るったのだろう、と。

 ──本当に、どれほど遠いところまで来てしまったのだろうか。

 積み上げ続けてきた実力、ユージオとのコンビネーション、それから大きな幸運により、槍使いの整合騎士……ネルギウス・シンセシス・シックスティーンを打ち破った。

 やっとのことで取り戻した愛剣を撫でながら、僅かに思う。

 このまま順調にいけば良いが、しかしそうはいかないだろう。

 仮に万事が上手くいって、最高司祭とやらに会えたとしても──それが、現実世界へと帰るきっかけになるのかどうかも分からないのだから。

 そうなれば、自分はどうすれば良いのだろうか。

 ユージオはきっと、アリスを取り戻した後に……、そうだな、闇の国にでも逃げるとか言い出すかもしれない。

 もしそうなったらさ、俺も一緒に行っても良いだろうか……?

 声にすることは無く、横で走る相棒の答えを想像しかけて、やめる。

 ……いずれは、道を別つ。それは分かっている。ユージオはこの世界の人間で、俺はこの世界の人間ではないのだから。

 しかし、そうだとしても。

 今そのことを考えるのは、何故だか無性に恐ろしかった。

 

 

 

 セントラル・カセドラルは百の階層で成り立っている。

 百階層という字面はどうしてもあの世界──鋼鉄の城のことを想起させるが、何とか振り払う。

 規模的に言えば、こっちの方がずっと小さいし、各階層に毎回ボスがいる訳でもない。

 だが、障害が無いという訳ではないのだ……それこそ、先ほどの整合騎士のように、警備にあたっている騎士がいてもおかしくはない。

 長方形の広間から、前後左右に伸びる廊下と、等間隔に並ぶ扉。

 どの階層もほとんど違いが見受けられないそこを、ひたすらに踏破する。

 どれだけ上っても景色がさして変わらないことから、もしや魔法──神聖術でもかけられているのかと不安になるが、今は気にしても仕方が無いことだ。

 百回上ってダメだった時に考えよう。

 キリトはそう断じて──恐らくではあるが──二十九個目の大階段を上り切ったのと。

 どかかかっ! という凄絶な音と共に真後ろの壁へと鋼矢が突き立ったのは、同時のことだった。

 パラパラと、矢に破壊された壁の欠片が零れ落ちる。

 

「──キリトッ!」

「ああ、絶対に止まるな、走れ!」

 

 キリトの視界の先にいるのは、真っ赤に彩られた鎧を纏った弓兵。

 身の丈ほどもある長弓をギリリと張らせながら、こちらを見据えている。

 彼我の距離、およそ四十メル。

 キリトとユージオは剣士である。飛び道具は持っていないし、まともに使えたことも無い。

 障害物の無いここでは身を隠すことも出来ない──即ち、足を止めればすぐさま射抜かれることだろう。

 ただでさえ、かの騎士からすれば必中の距離だ。

 ──ああ、くそっ。さっきの武器庫から盾の一つでも持って来れば良かった!

 思っても仕方ないことを考え、歯噛みをしながら素早くキリトは踏み込んだ。

 

「──シッ!」

 

 刹那、四本の鋼矢が放たれる。

 整合騎士の超絶技巧とでも言うべきか、恐ろしい速度で放たれたそれは過たずキリトとユージオの()へと飛来する。

 アレだけの破壊力の弓だ、身体のどこかしらに当たればそれだけで戦闘不能に持って行くことも不可能ではないだろう。

 だというにも拘わらず、脚を狙ってきているということは、狙いは捕獲か?

 思考は止めず、されどもその目では相手を捉え続け、キリトは一本を躱し、もう一本を受け流す。

 見たところ、あの騎士は剣どころか、短剣の一本すらも帯びていない。

 装備はあのデカい弓だけという訳だ。背中の筒にはまだ、三十近い本数の矢が残っている。

 なればこそ、脚は止められない。追加で飛んできた一本を、ギリギリまで伏せることで躱したキリトは更に加速した。

 少しだけ遅れたユージオを置いて、キリトはモーションを起こした。

 ギガスシダーから生成された一本の黒の直剣を、鮮やかなレッドに染め上げ《ソードスキル》──この世界で言う《秘奥義》を起動した。

 

「ァアアアア!」

「ッ!」

 

 右上から左下への斜め切り。そこから左上へと跳ねあがるような軌道を残すアインクラッド流二連撃技《バーチカル・アーク》。

 この人界の騎士や戦士は、連続技というものに疎い。 

 誰しもが単発技しか持たず、それで良いのだと思っているからこそ、連撃というのは意表を突くという意味でも多大な効果を発揮する。

 それが整合騎士に通じることは、先ほどの槍使いでも確認済みである。

 一撃目を弓で受け流した騎士へと振りかかる二連撃目。

 

「連続技か、なるほど、ネルギウスがやられる訳だ」

「な──」

 

 ギャリィン! という硬質な音と共に、二連撃目が受け流される。

 一対一の戦いであれば、ここで決着がついたであろう。

 しかしキリトは一人ではない──相棒がいる。

 

「バースト・エレメント!」

 

 ユージオの声が響くと同時、カッ! と光の爆発が長大な広間を覆いつくした。

 生成した光素(ルミナス・エレメント)を、ただ暴発させるだけの、子供でも出来る神聖術。

 特段ダメージを与えるようなものでは無い、しかし、これ以上ないほどの目くらましになる。

 思わず瞼を閉じたキリトの耳が、地を蹴る軽い音を拾った。

 

「ぜぁ!」

「ぐっ……」

 

 鈍い金属音が響く。

 光の収まったそこでは、ユージオの大上段からの一撃を辛うじて防ぐ騎士の姿があった。

 ──好機。 

 思うより早く動き出したキリトの全身は剣をライトグリーンの光跡を描いた。

 ユージオを弾き飛ばしたことで出来上がった隙を縫うような一撃は、赤の籠手とぶつかり合った。

 一瞬の拮抗は、直ぐに破られた。

 ズッ、という音共に籠手は裂かれ腕へと達し──直後、衝撃を殺すことなく騎士は大きく中空へと舞った。

 

「おいおい……」

 

 それを見上げ、キリトは思わず声を漏らす。

 何かしらの仕掛けがあるのだろうが──そうだとしても、異常な時間滞空した騎士は、直上で三十近い鋼矢のすべてを纏めてつがえていた。

 弓の悲鳴が、ここまで届く。

 

「か、わ、せぇええええ!」

 

 一瞬の思考から弾き出した答えを、キリトが叫ぶ。叫びながら、駆け始める。

 それを吟味する間もなくユージオは大理石を全力で蹴り飛ばし──銀色の雨が降り注いだ。

 剣を盾にして、矢から逃げる、逃げる、逃げる!

 雨が止むころには、広間は半壊していた。

 

「ぶ、無事か? ユージオ」

「そっちこそ、大丈夫?」

「なんとか、な……。冷や冷やしたぜ」

 

 思わず互いに尻餅をついた二人が言葉を交わす。

 同時、弓兵が静かに地へと降り立った。

 弓兵にとっても、あの攻撃は相当無理があったのだろう。弦が千切れ、無様に垂れ下がっている。

 

「──キリトと、ユージオと言ったか。咎人とは言え、見事な技と連携だ。なればこそ、一つだけ問おう。其方らは人を殺したという。これは事実か?」

「────」

 

 一瞬、二人は息を詰まらせた。

 幾度か深呼吸をして、キリトは顔を上げた。

 

「そうだ、俺が殺した」

「そうか……何故だ? 何故そのようなことをした。私怨か? あるいは、ただそれを悦楽としたか?」

「違う! あれは──」

 

 ──あれは、なんなのだろうか。

 本当に私怨では無かったか? ライオスには散々嫌がらせを受けてきた。

 その仕返しという面が、ほんの少しでも無かったと言えるのだろうか?

 僅かに目を伏せたキリトは、しかしもう一度目を合わせた。

 

「殺してやろうと、思っていたわけじゃない。けれど、あの時はああするしかなかった。

 他の人ならもっと上手くやれたかもしれないけれど──それでも、俺はあの瞬間、俺に出来る最善を選び取った。それだけだ」

「正義は其方らにあると?」

「そういう訳じゃ無い──けど、正義かどうかって言い始めたら、あんたらだって疑わしいもんだろ」

「──フッ、そうだな。そう思われても、仕方のないことなのだろうな」

 

 その様子に、キリトとユージオは面を食らったように驚いた。

 今のはドストレートな挑発だったというのに、まさかそう来るとは。

 

「だが、今は公理教会が人界の法だ。従ってもらうのが道理というもの……剣を下ろし、抵抗を止めよ。そうして判決の時を待て」

「生憎、そういう訳にはいかないんでな──押し通らせてもらう!」

 

 同時、二人は剣を握り直しながら走り出し──その動きをピタリと止めた。

 弓兵の、巨大な弓から炎が零れ落ちていた。

 零れ落ちる炎は意志を持っているかのように、弓兵の周りを踊るように舞い。

 ギュルリと逆巻いた後に弓兵の鎧となるように纏わりついた。

 

「我が名は、デュソルバート・シンセシス・セブン。我が《熾焔弓》が生み出す断罪の炎を以て、其方らを焼き尽くさん」

 

 刹那を以て、炎の矢は放たれる。

 完全な炎とかしたあの弓矢は、弾数無限、弦が切れる心配もないチート武器だ。

 かといって、恐ろしいほどの炎を纏うデュソルバートに安易に近づくのは無謀に過ぎるだろう。

 三十メルは離れているというのに、これほどまでに熱い。

 至近距離にいられるのは、精々十秒もてば良い方だろう。

 

「──ユージオ」

「何だい、キリト」

「俺が突っ込んで盾になるから、お前が斬り込むんだ」

「いや、突っ込むって……」

 

 何を言っているんだ、と言わんばかりの呆れ顔をしたユージオであるが、キリトは至って真剣であった。

 

「アレだけの威力だ、連射は出来ない……と思うし。出来たとしても、数秒の隙ができる。そこを狙うんだ」

「無茶言うよ、まったく……でも、うん、言いたいことは解った──だから、僕が盾になるよ」

「なっ……何言ってるんだ、ユージオ!?」

「君が言ったことをそのまま返しただけだろ。それに、アレを食い止めるには、凍素(クライオゼニック・エレメント)が必要になる。

 凍素の扱いなら、僕の方が上手い。そうだろう?」

「それは、そうなんだが……いや、そうだな。解った、信じるぜ、相棒」

 

 その言葉にユージオは静かに笑い──スルリと、滑らかに走り出した。

 音は無く、声も無く。

 まるで氷上を滑るような突進。

 

「その意気や良し! 其方らの強さ、見せてみよ!」

 

 デュソルバートの声と共に、爆炎は撃ち放たれた。

 空間を焼き焦がしながら宙を裂くその炎矢をさながら火の鳥の如く。

 ユージオへと一直線に飛びゆく。

 

「フォームエレメント・シールドシェイプ・ディスチャージ!」

 

 ユージオの掛け声とともに、両手に握られていた十の凍素はたちまち丸盾へと形を変えた。

 それが重なるように並び、火の鳥とぶつかり合う。

 その光景を横目で見ながら通り過ぎたキリトは、ひたすらに地を蹴った。

 その手には未だ銘のついていない、黒の直剣。

 力強く握りしめ、およそ十メルまで近づいたところでキリトはモーションを起こした。

 アインクラッド流奥義──《ヴォーパルストライク》。

 彼我の距離を一瞬で消し飛ばす、単発重攻撃。

 その一撃は、重厚な鎧にさえ風穴を空けるだろう。

 

「かつての我であれば、あるいはここで終わっていたかもしれぬな。そう考えればやはり、アルフォンスの影響は大きい、か。

 まさかこのような場面で使わされるとはな──我もまだまだらしい」

「────ッ!」

 

 ゆらりと、弓が向けられた。

 矢が、既に番えられている。

 ──くそっ、連射あるのかよ! 内心で叫びながらも、しかし《秘奥義》を発動したキリトはもう動きを変えることはできない。

 であれば仕方ない。このまま、矢ごと貫く!

 真っ直ぐ撃ち放たれた炎の矢と、剣の切っ先がぶつかり合った。

 決着は、一瞬でついた。

 ユージオに向かって放たれたものと比べれば、威力は控えめだったのだろう。

 炎は霧散し、その場でキリトの動きが止まる。

 埋められた距離は、約五メル。

 再び矢をつがえようとするデュソルバートを視界に収め──キリトはしかし、止まったままではいなかった。

 硬直しかけた身体を、炎に撫でられた全身を。

 強引に動かしてモーションを起動した。

 《スキルコネクト》というものがある

 ソードアート・オンライン(SAO)時代に彼が考案し、アルヴヘイム・オンライン(ALO)を始めてからはその成功率を五割にまで引き上げた()()()()()()()()の名称だ。

 本来、《 秘奥義(ソードスキル) 》を使った後は自然と身体が硬直するようになっているように設計されている。

 しかし、《秘奥義》というのは一定のモーションにさえ入ればそういったデメリットを無視して発動することが可能であった。

 要するに、《秘奥義》と《秘奥義》は、モーションさえ上手く繋げることが出来れば、連続で発動することができるという訳だ。

 ヴォーパルストライクを放ち、炎の矢とぶつかり合った彼の剣は、左下へと弾かれていた。

 その位置から始める《秘奥義》が、アインクラッド流に存在している。

 黒の直剣が、ライトグリーンに染まった。

 

「ぉぉおおおおお!」

 

 発動したのはアインクラッド流奥義《ソニックリープ》。

 裂帛と共に、キリトは彼我の距離を消し飛ばした。

 超至近距離。矢をつがえるところだったデュソルバートの懐へと潜り込んで撃ち放たれた、左下からの一撃は誰にも止められることは無かった。

 鎧を刻み、デュソルバートの身体を一閃する──だがそこではまだ止まらない!

 手首を少しだけ捻り、キリトは剣を青く光らせた。

 アインクラッド流奥義《バーチカル》。単発の垂直斬りであるそれは、やすやすとデュソルバートの左肩から足元までを叩き斬った。

 

「ぐ、ぬ……」

 

 くぐもった声が、デュソルバートの口から漏れる。

 ──が、まだ倒れない。

 この程度では倒れない、倒れる訳がない!

 デュソルバート・シンセシス・セブン。七番目の騎士たる、炎の騎士はこの程度で倒れられるほど、弱くはない。

 それに、ここで倒れればあの少年の思惑通りなようで、腹が立つ。

 長弓を杖のようにして、気合で立ったデュソルバートは番えた矢を引き絞った。

 《スキルコネクト》を使用したキリトは、通常《秘奥義》を使用した時よりもはるかに長い拘束時間が与えられる。

 つまり、躱すことも、防ぐことも不可能。

 ヤバイ、死ぬ──

 

「キリトぉぉおお!」

 

 声が、響いた。

 巨大な火炎の矢を防ぎ切ったのだろう。あちこち焦げてはいるが、五体満足でいるユージオが何かを飛ばした。

 キラと光る、五つの青の輝点──凍素が、キリトとデュソルバートの間に落ちてくる。

 

「焼き尽くせいッ!」

「バースト・エレメント!」

 

 刹那、炎と氷はせめぎ合った。

 矢というよりは、放射するように放たれた炎が、爆発した氷に喰われ、やや威力を落とし──それでも。

 黒の剣士を一気呵成に呑み込み、爆発を起こした。

 

「キリ、ト……?」

 

 広がった爆風を消えるのと同時に、ユージオは走り寄る。

 そこには変わらず、二人の姿があった。

 アレが正しく最後の一撃だったのだろう、今度こそその場にくずおれたデュソルバートと。

 全身を余すことなく焼き焦がされた、親友の姿。

 慌ててユージオはキリトへと駆け寄った。僅かではあるが脈はある、天命はまだ残っている。彼はまだ、生きている!

 だが、それも時間の問題だろう。このままでは直ぐに天命は消えて無くなってしまう。

 

「ど、どうすれば──」

 

 ユージオとて、回復の神聖術が使えない訳ではない。しかし、それは使えない訳ではない、というだけであって練度は高くない。

 自分じゃどうにもできない。それが分かっていて、それでも焼け石に水のような回復を行使することしかできない。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう!

 こんな時、キリトならどうするだろうか。あぁ、くそっ、どうしてこんなことに。

 

「死ぬな、死ぬな、死ぬなよ、キリト。起きろ、起きてくれ……」

 

 焦燥感に急き立てられる。

 誰でも良いから、助けてくれ。彼は僕の親友なんだ、相棒なんだ。

 彼は──こんなところで、死んで良い人じゃ無いんだ。

 

「だから、頼むよ……誰か、助けてくれ……」

 

 少年の声が、小さく漏れる。

 されども、彼らに救いをもたらすものは、誰一人として──

 

「あ~あ、随分と派手にやったのね? デュソルバートったら、相変わらず顔に似合わず豪快なんだから──っとと、そんな場合じゃなかったんだった。どきなさい、あたしが看てあげるから」

 

 ──ひとりの騎士が、優しく声をかける。

 

「あ、貴方は……?」

「あたし? あたしはイーディス。イーディス・シンセシス・テン。そこの彼と同じ、整合騎士よ──と言っても、警戒はしなくても良いわ。だってあたし、貴方たちの助けになるために、ここに来たんだから」

 

 そう言って、イーディスは神聖術を唱え始め。

 ユージオは思わず唖然としたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




デュソルバート:アルフォンスの名誉練習台。お陰で連続技も初見で対応余裕でした(なお負けた)。この後しれっと双子に回収された。

キリト:やっと出てきた原作主人公。黒焦げにされた。

ユージオ:相棒が丸焼きにされて冷や汗ダラダラ。

イーディス:なんか出てきた。



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『贈り物』は『剣』の記憶。

一話見返したら「十話で終わります(キリッ)」とか前書きに書いてあってダメでした。


 これほどまでの不安を抱くのは、果たしていつ以来だろうか。

 相棒を担いだ整合騎士──イーディス・シンセシス・テンの背中を見つめながら、長い階段を上るユージオは心中でそう呟いた。

 思えば、ルーリッド村を出てからは不安を抱く暇すらなかったように思える。

 駆け抜けるような日々だった。息つく間もないくらい、忙しない日々だった。

 ただひたすらに、目標に向かって邁進するだけで良い、輝かしい毎日だった。

 そしてその隣にはいつだってあの、黒髪の若者がいたのだ。

 《ベクタの迷子》。記憶を失った、どこの誰ともつかない──されど多くのことを知る不思議な少年、キリト。

 あるいは、ユージオの苦悩や迷いと言うものは、すべて彼の手で破壊されたように思う。

 今から八年前。幼馴染であるアリスが連れて行かれるのを、ただ見ていることしかできなかった夏からユージオはずっと、沼の底にいるような感覚を味わっていた。

 逃げるように、閉じこもるように。

 無心となって、ギガスシダーと呼ばれる大樹を斧で叩き続ける日々を送っていたのだ。

 あの時、自分ではどうしようもなかったのだと言い訳をして。

 今から動き出そうとしても、しょせんは無駄だと言い訳をして。

 コン、コン、コンと音を奏でる、退屈な日々──それが、キリトとの出会いを境に一変した。

 百年かかっても倒せないと思われた大樹を斬り倒し、ユージオに剣士としての道を拓き──もう一度。

 もう一度だけ、アリスを追うという選択肢を選ばせてくれた。

 背中を押してくれた。共に歩むための力を、技術を授けてくれた。

 ──思えば、ユージオは不安を抱かなかったのではなく、不安を恐れないだけの自信を、彼に貰っていたのだ。

 時には背中を支えてもらい、時には隣に立ってもらい、時には共に戦い、歩んできた。

 親友であり、師匠であり、相棒であった。

 ここまでずっと、キリトに導かれるように進んできたのだということを、ユージオは改めて自覚した。

 同時に、キリトがいなければ自分はこれほどまでに、弱くなってしまうか、と思う。

 否、弱くなったのではなく、本当の己を見ることができてしまう、だろうか。

 先の二戦ですら、勝利を勝ち得たのはキリトの尽力によるものだった──けれども、その彼は力を使い果たしてしまった。

 そして今、彼の──あるいはユージオも含めた命運は、目の前の整合騎士の手に委ねられることになったのだ。

 刻一刻と天命が減少しているであろうキリトを担ぎ、特に急ぐことも無く悠々と歩く彼女への感情を、ユージオは持て余していた。

 不安と、焦燥と、疑いと、心配。

 ごちゃ混ぜになったそれらを、深呼吸ひとつで抑え込む。

 

『助けになるために、ここに来たんだから』

 

 彼女の言葉を信じた訳ではない。だが、まるっきり嘘でもないのだろうと、ユージオは判断していた。

 確信がある訳でもないし、ある程度は希望的観測になってしまうが、そうだとしても。

 もし、殺すことや捕らえることが目的なのであれば、今この状況はありえない……はず、だから。

 というか、そう信じないとどうにもならない、というのが正直なところだ。

 少なくとも、ユージオにはキリトを救うことができない。それだけの技術が無いのだから。

 ──だが、整合騎士であれば、それは可能だ。

 別段、ユージオは整合騎士に詳しいという訳ではない。しかし、それでも知っていることはある。

 彼らは総じて「剣技と神聖術を極めている」ということだ。

 これまでの二戦を通じて、ユージオはそこについてだけは、確信を深めていた。

 ネルギウス・シンセシス・シックスティーン。

 デュソルバート・シンセシス・セブン。

 どちらも想像を絶する技巧を誇った騎士であり、一対一であれば、間違いなく負けていた相手だった。

 あるいは、二人がかりだとしてももう一度戦うことになれば、勝てないかもしれない。

 そう思わせられるほどの強敵だったからこその信頼があった。

 人となりはまったく分からないが、実力は確かなのだろう──と、そう思ったところでイーディスが振り返った。

 

(なっが)いわよねぇ、この階段。大丈夫、疲れてない?」

「えっ──」

 

 何だその緩さは!? と反射的に言いかけたユージオは、口を抑えることで無理矢理封じ込めた。

 コホンと、息を整える。

 

「僕は、大丈夫です。それより──」

「ああ、彼ね。問題ないわ、見た感じ天命はもうちょっと余裕があるし、目的地はもうすぐそこだから」

「もうすぐって……」

 

 まだ歩くのか。もうかなりの階数を上がってきたはずだけど……。

 そう思ったのが顔に出ていたのか、イーディスは少しだけ笑った。

 

「ごめんなさいね。でも、流石にあの場で治療するわけにはいかなかったのよ──少なくとも、あたしの担当してる階まで行かないと、危険……うん、危険だから」

「僕たちにとっては、どこも変わらないですけど」

「あははっ、そりゃそうに決まってるじゃない。貴方たち、一応罪人なんだよ? だからこそ、あたし以外の人がいない階に行く必要があるんだけど。ほら、ここ──綺麗でしょう?」

 

 階段を上り切ったイーディスが、自慢するように言う。

 それにつられて視線を向ければ、飛び込んできたのは『光』だった。

 壁面に取り付けられた、長大な窓から溢れんばかりの光が柔らかく降り注ぎ、聳え立つ柱は美しい彫刻に彩られている。

 それをなぞるように天井を見上げれば、そこにあるのは三女神の絵だった。

 

「《霊光の大回廊》って言うんだ。あたし的、セントラル・カセドラル内オススメ階層№2ね」

「一番では無いんですね」

「うん、一番のお気に入りはもうちょっと上だから──ま、そんなことよりちゃちゃっと済ませちゃいましょうか」

 

 言って、イーディスはキリトをおろす。

 ゆるりと静かに、無駄のない動きで寝かせたイーディスは、間髪入れずに術式を唱え始めた。

 聞き慣れない──というよりは、聞き取れない。

 意味の理解できていない言葉の羅列と言うものは、総じて「そういう声」に聞こえてしまうことが多いものだ。

 ユージオも例に漏れず、イーディスの唱える言葉は断片的にしか聞き取ることができなかった。

 だが、そうだとしても。それが危険なものでないということくらいは本能的に理解できる。

 一つ、二つと生み出されていく光素が寄り集まって、キリトの全身を包み込む。

 彼の青ざめていた肌は、ゆるやかに温かみを取り戻していくようだった。

 芸術のようだ──と、ユージオは思う。

 何事も、極められた奥義というのはそれだけで目を奪うような魅力を秘めている。

 イーディスのそれは、間違いなくその類にまで達するほどの練度であった。

 

「なぁに? そんなに注目しちゃって。心配?」

「いえ、そういう訳では無いんですけど──単純に凄いな、と思って」

「ん、ありがとう。でもね、一つ良いことを教えてあげると、この先に待ってる人たちはみーんな、あたしよりずっと凄い人達だけよ」

「それは、神聖術という点でってことですか?」

「うーん、悔しいけど、すべてにおいてかなあ。アリスはちょっと微妙だけど、最近は負け越してるしね」

 

 アリス。

 気恥ずかしそうに口にした彼女の言葉のうち、その三文字のみがユージオの脳内を埋め尽くした。

 かつて連れ去られ──今は整合騎士であると名乗った幼馴染の名前。

 思わずキリトから目を離して顔を上げれば、イーディスは僅かに口角を上げた。

 

「そっか。そういえば貴方たち、アリスと幼馴染なんだっけ」

「……知っているんですか」

「そりゃあね。罪人のことくらい知らされるわよ──ま、貴方たちに限っては、それだけじゃないんだけどね」

「?」

 

 ユージオが「どういうことだ?」という気持ちを顔に出せば、イーディスはふわりと笑う。

 その笑みに、僅かにユージオは心臓を跳ねさせる。

 それくらい、優し気な笑みだった。

 

「あたしもアリスとは長い付き合いだから、多少は聞いているわよ。ただでさえ、アリスは例外の整合騎士なわけだし」

「例外、ですか……?」

「うん、例外……というか、特例? う~ん、まあ、正確に言えばこれからは、アリスみたいな騎士がオーソドックスになるだろうから、それもまた違うのかもだけど……」

「???」

「っとと、脱線しちゃったわね、ごめんなさい。

 取り敢えず、貴方たちのことはアリスから聞いていたってことよ。あの子の思い出話って、だいたい貴方たちの話なんだもの。

 あたし以外でも、あの子と仲の良い子はみんな、少しくらいは知ってるんじゃないかしら?」

「っ────」

 

 ユージオは何かを言おうとして、けれども言葉にすることはできなかった。

 ギュッと胸が詰まるような、握られたような感じがして、声が出ない。

 アリスは自分を忘れていなかった、という事実はそれだけで、感動するに値するものだった。

 なればこそ、どうしてこれまで一度たりとも会えなかったのか、あるいは連絡の一つも無かったのか、というところはあったが。

 なるべく目を逸らし続けていた不安の一つが、しょぼしょぼと小さくなっていくのを感じ、ゆっくりと息を吐く。

 

「貴方たちの目的は、アリスの奪還ってところなのかしら」

「ええ、そうです。良く分かりましたね」

「……一応言っておくけれど、貴方が顔に出やすいってだけだからね?」

 

 パッと、思わずユージオは己の頬に手を当てた。

 確かに隠しごとをするのは苦手だが、そこまでだろうか──と、思ったところで、キリトの言葉を思い出す。

 曰く、ユージオは真面目過ぎるよな、とのことだ。

 流石、悪ガキ代表みたいなやつは言うことが違う──けど、あいつならもう少し上手く感情を隠したりしたのだろうか?

 そこまで考えて、ユージオは薄く笑った。

 無理だろう。あいつとて、人に何か言えるほど腹黒いやつじゃあない。

 

「まあでも、そうだとしたら大変ね。ここまで来るのもそうだったでしょうけど、何せ次に待ち受けてるのはアリスなんだものねぇ」

「本当、大変でしたよ…………え? 今なんて?」

「? だから、次はアリスだって言ってるのよ。さっきも言ったじゃない」

 

 あれ!? そんなこと言ってたかな!? と記憶を振り返るも何も引っかからない。

 ──が、まあ、今はそんなことは重要ではないだろう。

 もっと大切なことが、今の話にはあった。

 

「それって、本当に言っていますか……?」

「勿論、嘘を吐く必要なんて──いえ、まあ、あるんだけど……とにかく本当よ。ついでに言えば、アリスが最後の整合騎士ね。

 あの子さえ突破できれば、あとは最上階に行くだけなんじゃないかしら」

 

 神聖術を切り上げ、イーディスは楽な体勢で座り直す。

 目を向ければ、キリトはもう随分と楽になったようで、安らかな寝息を立てていた。

 治療は完了、ということらしい。

 

「それが大変でもあるんだけどね。気付いてるでしょ? 上の階であればあるほど、強い整合騎士が配置されているってこと。

 アリスの序列は三位。騎士長と、副騎士長に次いで強い──あ、ちなみにあたしは四位ね。

 で、そのあたしが思うに、貴方たちでは()()に勝てないかなあ」

「それは、やってみなければ分からないことだと、思います」

「そうかしら? 貴方たちと違って、アリスの剣士歴はもう八年よ? 純粋に地力に差があると思うし──それに何より、貴方たちは《記憶解放術》どころか、《武装完全支配術》すら会得していないじゃない」

 

 《武装完全支配術》と、《記憶解放術》。

 ユージオにとってそれは、聞き慣れない言葉であったが、しかし全く知らないという訳ではない。

 例えば、先ほど戦ったデュソルバート・シンセシス・セブンの使った、あの炎は正しくそれに該当するのだろう。

 扱う武器をただそのように使うのではなく、その武器の性質を基に、より自由な形に創り直して扱うこと。

 イーディスの言う通り、ユージオはそれを扱うことは出来ないし、どうすれば扱えるのかも知らなかった。

 上に行けば行くほど、強い整合騎士がいる……それはつまり、アリスは《武装完全支配術》と《記憶解放術》、どちらも習得しているということになる。

 ただでさえ、整合騎士であるのだ──まともに戦って勝てる可能性は、それこそゼロに等しいのかもしれない。

 

「あら、いやね。そう深刻な顔しないでよ。何のためにあたしが来てあげたと思っているの?」

「! 一緒に戦ってくれるってことですか!?」

 

 顔を上げたユージオは、そこに光を見出した。

 目の前の騎士は、確かに自身の序列が四位であると言った。

 一対一であれば不利かもしれないが、キリトとユージオが肩を並べれば、勝利の可能性は一気に押しあがるだろう。

 

「そうしたいのはやまやまだけど……ごめんね、それは出来ないの。あたし、別に善意とか、教会の裏切りとかで、貴方たちを助けた訳じゃないから。

 むしろその逆なのよね──だから、そこまで堂々とした手助けは出来ない。

 だから、代わりに()()をあげる」

「え? なに、を────」

 

 困惑より早く、イーディスの手はユージオの手に触れた。

 否、触れたのではなく、押し込まれたと言うべきだろうか。

 針の如く細い、クリスタルのような何かが、ユージオの額を通して脳へと挿し込まれた。

 ──寒気が、する。

 一体何をしたのか、と問おうとしたが、口を動かすことすらできずユージオはその場に倒れ込んだ。

 気力のみで開いた視界の中で、イーディスが立ち上がり、こちらにその、灰色に近い茶の瞳を向ける。

 

「ちょっと手荒だけど、許してちょうだいね? これもあたしの仕事なんだ──それに、乗り越えられればパワーアップできるから。頑張ってね」

 

 パチン、と器用にウィンクをしたイーディスは、サッと背中を見せて、そのまま立ち去って行った。

 その一連の流れにユージオは、しかし呆然とすることすらできない。

 やがて瞼は落ちてきたが、意識を失うことは無かった。

 ただ、真っ暗闇が白に塗りつぶされていくようだった。

 夜の闇を蹴散らすように、雪が吹き荒れる。

 ゴウゴウと音を立てながら、暴風と共にやってきた雪が降り積もっていく。

 気付けばユージオは、その中に佇むたった一本の青薔薇と化していた。

 酷く高い──恐らくは、果ての山脈の頂上。

 周りには自分以外、少したりとも植物は存在しない。

 ただ空と、雪がある。

 想像を絶する寒さと冷たさ。それはもう、痛みと言っても過言では無かった。

 絶え間のない痛みの中で、ただ一人耐え忍ぶ。

 何故そうしているのか、答えは出せない。

 意味があるのかと問われても、何も言えないだろう。

 しかしひたすらに、何もかもに耐えながら、凛としてその場に咲き誇る。

 誰かに見つかることは無くとも、ただここにいることを、存在していることを誇りとするように。

 貪欲に地からも、天からも神聖力を吸収し、何があっても手折られぬように。

 僅かな寂寥を握りつぶし、我が身が氷そのものに変じていくことすらも受け容れ、佇み続ける……。

 ──ああ、そういうことだったのか。

 ふと、ユージオは思い当たる。

 これは、自身の愛剣の記憶なのだ、と。

 幼い頃、あの洞窟で見つけて以降、ずっと共にあった《青薔薇の剣》の記憶。

 僕は今、その一端を追体験しているのだろう。

 何故。どうして。イーディスがこんなことを──とは思ったが、同時に些事でもあるな、と思う。

 パワーアップが何とか、とか言っていたけれど、どうでも良い。

 今はただ、この剣の記憶を、余すところなく受け止めたい。

 ユージオが思いを受け取るように、鮮明さを増し始めた雪山の光景は白と青に彩られていて。

 ユージオの思考は、その色に焼き尽くされた。

 

 

 

 

 

  

 

 




イーディス:なんか出てきてなんか去って行った。

ユージオ:薔薇になった。薔薇になったって何?

キリト:( ˘ω˘)スヤァ

アリス:そろそろかな……とソワソワしてるかもしれない。


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『名を得た』お姉さんと『金木犀』の少女。

実は明日更新の予定でしたが意味もなく一日早めました。


「おい、起きろ。ユージオ」

 

 不意に聞こえた声が、降り積もる雪を振り払った。

 急速に覚醒していく意識に促されるまま、瞼を押し開けたユージオの視界に広がったのは《霊光の大回廊》。

 巨大な窓から差し込む陽光はすっかり赤く染まっている。随分と寝ていたらしい。

 ぼんやりとしたままのユージオに、キリトはため息交じりに声をかけた。

 

「何だユージオ、寝惚けてるのか?」

「……いや、そういう訳じゃないんだけど」

 

 どうにも人の身体に慣れなくて──なんて言おうとして、流石におかしいか、とユージオは独り言ちた。

 とは言え、それは無理のないことだろう。

 ユージオは目を覚ますその直前まで、一輪の青薔薇として雪山に佇み続けていたのだ。

 それが、己が剣の追体験だったとしても──否、だからこそリアリティは果てしなく、ユージオの魂に刻み込まれている。

 

「キリトは、何も見なかったのかい?」

「……ってことは、ユージオもか。俺、ギガスシダーになってたぜ。俺が寝てる間に何があったんだ?」

 

 その問いかけで、ユージオはようやくハッとなった。

 そう。そうである。

 兎に角情報を共有しなければ、とユージオは思い出しながらも端的に、たどたどしく説明を始めた。

 整合騎士:イーディス・シンセシス・テンに助けられたこと。

 先程までの夢は、そのイーディスに見せられたものであること。

 そして何より──上の階ではアリスが待ち受けていることを。

 それらを「ふむふむ」と時折頷きながら、最後まで聞いたキリトは言う。

 

「悪かったな、色々負担かけた」

「いや……謝ることじゃないよ。戦った結果な訳だしさ」

 

 それに、実際のところユージオ一人が何かをした訳ではない。

 いきなり現れたあの整合騎士に、一方的に話を聞かされ、最終的にはこうして寝かされただけである。

 ──善意や裏切りで、助けた訳ではない。

 それは裏を返せば、整合騎士に命令できるだけの立場の人間が、ユージオたちに味方しているということだ。

 一体誰が、どういう意図をもって、僕たちを……?

 少しだけ考え込んでから、ユージオは頭を振るった。

 今は考えても仕方のないことだ。

 どちらにせよ僕たちは、上るしかないのだから。

 

「それじゃ、また塔攻略始めるかあ」

「何だよ、その気の抜けた声は」

「いやあ、随分ぐっすりと寝ちゃったからさ。ちょっと気抜けちゃって」

「ったく、確りしてくれよ」

 

 言いつつ、ユージオもまた自身のコンディションを計り直す。

 精神はともかく、身体はかなり快調だ。

 疲労で重くなっていた全身も随分と軽くなった。

 パシパシと、キリトが自身の頬を叩いてから、再度ユージオを見た。

 

「ま、改めて後半戦行ってみようか!」

「──うん、行こう」

 

 《霊光の大回廊》を抜けて、どこの階も変わり映えしない廊下をスタスタと進む。

 当然ながら、ユージオ達がセントラル・カセドラルに踏み入るのは初めてであるが、迷うことは無かった。

 各階は相応に巨大だが、それほど入り組んだ構造ではないというのが大きいだろう。

 これまでもそうだった。道なりに進んでいれば、階段が見えてきたものである──のだが。

 

「あー……ユージオ君や。これはどういうことだと思うかね?」

「何だよその口調……僕が分かるわけないだろ」

「だよなぁ」

 

 二人同時に絶句して、上を見上げる。

 端的に言って、階段は存在しなかった。

 代わりに、各階で必ず階段があった場所には、縦穴とでも呼ぶべき空間が広がっていた。

 天井が、見えない。

 どれだけ目を凝らしてみても、上の方は濃紺の闇に包まれていた。

 良く見てみれば、各階の扉であろう部分にテラスが設置されているのだが、無論届くわけが無かった。

 神聖術を用いても無理だろう──それこそ、空を飛ぶくらいはしないと。

 

「さて、どうしたものかな……」

 

 隣でキリトがそう呟いて、周りを見渡した──その時。

 

「待ってキリト、何か来る!」

「は?」

 

 吹き抜けを仰ぐと同時に、()()は降りてきた。

 愛剣の柄に手をかけながら凝視したそれは、約二メルほどの円盤だ。

 すわ攻撃か、とも思ったがそうではないらしい。

 ゆるゆると風を排出しながら、ユージオ達の前に降りてきた円盤には、一人の少女が静かに立っていて。

 しかし、これまでの騎士と同じように帯剣もしていなければ、神聖術をこちらに向かって放つ様子もない。

 ──そういえば、次の騎士はアリスで最後とも、言っていたか。

 何も言わず、少女は小さく頭を下げた。

 

「お待たせいたしました。何階をご利用でしょうか」

 

 抑揚の抑えられた──しかし、感情が無いという訳でもない、落ち着いた声音。

 

「何階を……ってことは、俺達を上まで乗せてくれるってことか?」

「左様でございます。お望みの階をお申し付けくださいませ」

 

 少女の言葉に、二人は思わず顔を見合わせた。

 

「えーと、僕たち一応、ここに侵入したお尋ね者なんだけど、良いの?」

「お尋ね者……」

 

 少女は僅かに首を傾げ、思案したようであったがすぐに定位置に戻る。

 

「問題ないかと思われます──もし本当にそうであったのならば、今頃このようなことにはなっていないでしょうから」

「それは一体、どういう……?」

「最高司祭様……今、セントラル・カセドラルの頂点に御座す方は、聡明な方ですので。本当に悪しきものを野放しにするようなことは致しません」

「…………」

 

 キリトが考え込むのを横目に、ユージオもまた目を伏せる。

 これは、その最高司祭とやらには、脅威とすら思われていないということで良いのだろうか?

 それはそれで、こちらとしては有難いのだが……。

 何かが引っかかる、と思った。

 無論、ユージオを個人としてはあまり関係の無いことだ──なにせ、ユージオの目的はアリスだけであり、最高司祭云々は正直言って無視しても良い……無視したい存在なのだから。

 最高司祭と話したいと言っていたのは、キリトの方である。

 相棒の目的である以上、当然ながらユージオの目的でもあるのだが。それはそれとして。

 

「ま、それならそれで良いさ。ありがたく乗せてもらうよ」

「なっ、おい、大丈夫なのか?」

「多分……? どちらにせよ、これ以外に上に行く方法もなさそうだしな」

「そりゃ……」

 

 そうだけどさ、という言葉を口の中で転がして、ユージオは渋い顔をした。

 小言の一つ、二つを言いたいところであったが、生憎ユージオもイーディスに助けられ、親身にされたばかりである。

 強く言える立場では無かった上に、これ以外に方法が無さそうというのは間違いなくそうだった。

 のんきな足取りで円盤へと踏み入った相棒へと続き、ユージオも乗り込む。

 

「じゃあ、行ける一番上の階までお願いできますか?」

「かしこまりました。それでは八十階《雲上庭園》へと参ります──システム・コール」

「──ッ!」

 

 反射で二人が柄へと手を当てる……が、予想に反して彼女はただ風素を生み出しただけだった。

 両手の指の数だけ生成させたそれを

 

「バースト・エレメント」

 

 術句を以て、少女が暴発させた。

 ゴォッ! という音と共に、円盤は鋭く急上昇していく。

 感心したように吐息を漏らしたキリトを横目に、ユージオは上を見た。

 円盤の上昇は遅いわけでもないが、早いわけでもない。

 三十階もの距離を上がるにはそれなりの時間を要するだろう──。

 

「アリスって子のことを、知っていますか?」

 

 気付けば、ユージオはそんなことを聞いていた。

 完全に無意識のうちの発言だった。

 慌てて取り消そうとすれば、少女は僅かに微笑んだ。

 

「アリス・ツーベルク様のことであれば、存じております」

「! そう、その子です!」

 

 ビクッと少女が肩を跳ねさせる。

 や、やってしまった……。

 キリトのジト目を甘んじて受け入れながら、コホンとユージオは咳払いした。

 

「その子について、知っていることがあれば、教えてほしくって……。

 僕は、アリスを連れ戻しに来たんです」

「連れ戻しに、ですか?」

「うん、時間はかかってしまったけれど、それでも僕は──アリスの、幼馴染だから」

 

 そう言ったユージオに、少女は少しだけ目を逸らした。

 正直なところ、連れ戻すという言葉が非常に引っかかってはいたが、しかしそれが悪意によるものでは無いということがはっきりと分かる。

 だからこそ、少女は小さく口を開いた。

 

「……アリス様は、整合騎士らしくない騎士だと、私は思います。感情豊かで、表情が目まぐるしいほどにコロコロと変わるお方。

 騎士でありながら、ふとした瞬間は年相応の、ただの少女にしか見えない時がある……。こんなことを言えば、あの人はすぐに拗ねてしまうんですけどね」

「それが、整合騎士らしくないということになるんですか?」

「私の主観では、そうなります。整合騎士の方々はアリス様以外、何十年、何百年と人界の治安を守っておられますから。一部を除けば、口数の少ないお方ばかりです。

 とは言え、アリス様が弱いということは決してないとお聞きしております。アルフォンス様も、大層褒めておられました」

「アルフォンス様……?」

 

 聞き慣れない名前を聞いて、ユージオは首を傾げた。

 一瞬、キリトに視線も送ってみたが、彼も知らないようで首を振るばかりだ。

 

「アルフォンス様は公理教会のトップに在られる方です──少々語弊が発生してしまいますが、最高司祭と言えば、伝わりますでしょうか」

「!」

 

 最高司祭。

 その言葉にユージオより早く反応したのはキリトだった。

 少しだけ目を見開いて言う。

 

「悪い、そのアルフォンスって人について知りたいんだけど──」

 

 良いか? というアイコンタクトに、ユージオは「仕方ないなあ」という面持ちで頷いた。

 何にせよ、アリスはもうすぐそこなのだ。

 これ以上深掘りしたところで、あまり意味は無いように思える。

 

「アルフォンス様は、不思議なお方です。公理教会……いいえ、この人界で最も強くありながら、無暗にそれを振るわない人。

 誰よりも未来を見据え、誰もが知らぬことを知り、私たちを導いてくださるお方です」

「何か、随分と聖人君子みたいなんだな……?」

「──?」

 

 キリトの言葉に少女は疑問符を浮かべ──それから小さく破顔した。

 プッと、少しだけ吹き出してから、ぷるぷると肩を震わせて、声を出さないように一頻り笑う。

 訳も分からずキリトとユージオが呆然とすれば、未だに震えている声で、少女は言った。

 

「確かにそう見えなくもないですが──いいえ、あの方はそのような存在からはかけ離れております。

 天衣無縫かつ、どこまでも自由奔放……そういうお方です。

 歳の頃も、貴方方と変わりないのではないでしょうか」

「え? 俺達と変わらない?」

「はい、確か、十九くらいであったはずです」

 

 少女の言葉に、思わずキリトは絶句した。

 十九──同い年!? 信じられない──というか有り得ない!

 公理教会はもう二百年以上存続している組織だという──いや、もちろん代替わりはあったのかもしれないが、しかし、だとしても若すぎないか!?

 まだ未成年──現実世界準拠ではあるが──だぞ!?

 

「確か、アルフォンス様が今の地位にお就きになられたのは、十二の頃でしたが」

「十二!!?」

 

 ますます信じられない情報が出てきた! とキリトは天を仰いだ。

 十二歳で人界のトップとか、色々とあり得ないだろ……。

 前任者は何をしていたんだという話だ、とキリトは思った。

 まあ、前任者はそのクソガキにコロッと落とされていたのだが。

 ──落とされたという言うのならば、それこそセントラル・カセドラル全体が落とされていたも同然ではあるが。

 

「──ですが、あの方ほどあの地位に相応しいお方はいないと、私は思うのです」

「信頼、してるんだな」

「あの方を信頼されていない方は、此処には恐らくいないでしょう──もちろん、私も、アリス様も含めて。あの方は、そういうお方です。

 あるがままに振舞うだけで人の心を集めてしまうお方。そしてそのことに、決して無自覚ではないお方」

 

 少女が言葉を零すと同時に、ふわりと円盤は上昇するのをやめた。

 天井は未だ遠くまで続いていて見ることすら叶わないが、どうやら終点らしい。

 少女はエプロンの前で両手を揃え、深く一礼した。

 

「お待たせいたしました。八十階《雲上庭園》でございます」

「ありがとう……えっと」

「──エアリーです。私は、《昇降係》のエアリーと申します。どうか、そのようにお呼びください」

 

 少女──エアリーはそう言って、ほころぶように笑った。

 そうすることが何よりも嬉しいといったように、自然な笑みを浮かべる。

 

「そっか、ありがとう、エアリー」

 

 キリトとユージオも、言葉と共に軽く会釈をしてから円盤からテラスへと乗り移った。

 エアリーはもう一度だけ礼をした後、緩やかに円盤を降下させる。

 たちまち、風素による噴出音は二人の耳には届かなくなった。

 

「──何だか、短い間だったのにドッと情報量が増えたね」

「ああ……。ただでさえ謎の多い最高司祭とやらの謎、さらに増えたぞ……」

「イーディスの話を信じるなら、最上階にいるって話だけどね」

「それは、忘れちゃいないけどさ」

 

 結局、どんな相手だろうと直接会って話す以外方法は無い。

 そのくらいのことはわかっているが、それでも思考に使える材料は多いに越したことは無い。

 最高司祭に会うということは、キリトに残された、今のところ唯一の現実世界へ戻る手がかりだ。

 ここがダメで、見当すらつかないというのなら、それこそ暗黒界を旅するくらいしかないのではなかろうか。

 ……それは、嫌だな。

 キリトはふと、そう思う。

 ここまで苦労したのだから何かしらの情報は欲しいものだし──それに何より、キリトはもう二年の年月をこの世界で暮らしている。

 無論、アンダーワールド内の時間は現実と比べれば何十倍にも加速されているはずであるが……確証があるわけではない。

 もしかしたら、現実世界でももう二年が過ぎ去っているかもしれない。

 そう考えただけで、身の毛がよだつ。

 怖い──そう、怖いのだ。

 家族や友人、それに何よりアスナと別たれているという事実が、少しだけ自分を弱気にさせている。

 ふるふると、キリトは頭を振るってそれを追い出した。

 今はまだ、考える時ではない。

 

「ま、ユージオの言う通り、今は目先のことだけ考えるか──あの扉の先だろ?」

「多分、だけどね」

 

 言って、二人が見つめたのは自身らの身の丈より大きい石造りの扉。

 この先が、《雲上庭園》というやつなのだろう。

 そしてそこには──ユージオの幼馴染であるという、アリスがいるはずなのだ。

 相棒の目的は、自身の目的でもある。

 一度だけ深く深呼吸して、二ッと笑った。

 

「良し、準備は良いか?」

「そりゃこっちの台詞だよ。キリト、さっきから考え込んでばっかりだったよ」

「うぇぇ? そんなに顔に出てたか?」

「バッチリね」

 

 そんなこと無いだろう。

 いいや、あるあるだね。

 あるあるってなんだよ!

 

 そんな、この場には似つかわしくない──けれど二人には似つかわしい談笑を重ねながら、揃って扉へと手を押し当てた。

 感触からして、鍵がかかっている感じはしない。

 押せば開くだろう。

 

「……行くぞ」

「ああ、行こう」

 

 同時に扉を押し開ける。

 石造りの扉は、キリトの想像より遥かに楽に、けれども重々しい音を立てて左右に開いた。

 ──瞬間、広がったのは豊かな色彩と、水のせせらぎだった。

 地面はこれまでのような大理石ではなく、柔らかそうな芝が広がっており、各所では様々な聖花が咲き誇っている。

 空間は甘い香りが充満していて、空からはソルスの光がふんだんに注ぎ込んできていた。

 ──まるで、理想郷だな。

 キリトはそんなことを思いながら踏み進め──そして、ユージオが息を呑んだ。

 その視線を追えば、あったのは小高い丘と、一本の樹。

 ギガスシダーとは比較にもならない程の小さくはあるが、その美しさは別次元だ。

 瑞々しい緑色の葉と、十字型をした橙色の花。

 降り注ぐソルスの光がそれを弾き、滑らかな金の光を作り上げていた。

 ──そして、その傍に佇んでいる人影が、目に入る。

 さながら、木漏れ日の作り出した幻であるかのようなそれは、一人の女性。

 美しく長い金の髪に、サファイア色の瞳。

 華麗なら黄金造りの鎧を纏い、純白の長いスカートを風に揺られている。

 ──アリスだ。

 ユージオが言うより先に、キリトはそう思った。

 何故そう思ったのかは分からない──けれど、確信があった。

 ユージオに、次に待っているのはアリスだと聞いていたから分かったのかと言われれば、それは違う。

 胸の裡から溢れてくるような懐かしさが、そう教えてくれていた。

 キリトとユージオは、並ぶようにして彼女の元へと歩み寄り──そして。

 アリスが、流麗な仕草で立ち上がり

 

「来たのですね──ユージオ、キリト。ええ、待っておりました」

 

 柔らかく微笑みながら、彼女はそう言った。




アリス:やっっっと来たぁ~! って思ってるかもしれない。

キリト:うわっ、美人……。

ユージオ:あ、アリス……!

アルフォンス:なんかめっちゃ褒められた気がするな、と理由もなく思ってニヤついてたらカーディナルに怪訝な顔をされた。


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『金木犀』と、『青薔薇』と、『黒』と。

感想・評価・誤字報告等に毎回命を助けられています。ありがとう……。


 それはまるで、夢のような光景であった。

 否、あるいはこれは、本当に夢ではないかと、ユージオは真剣に考えたほどだ。

 それほどまでに、眼前の光景は幻想的であった。

 まるで楽園みたいな場所の真ん中で、ソルスの陽光を一身に浴びた少女が、こちらを見据えている。

 金の髪は艶やかに、陶器のような肌は白く美しく。

 黄金に彩られた鎧に身を包み、純白のスカートを翻し。

 鮮やかなスカイブルーの瞳は、あの頃と変わらない、優しさに溢れていた。

 

「あ、アリス……」

 

 ふらつく足取りで、ユージオは踏み出した。

 互いの距離間はもう二十メルもない。

 走れば一瞬の距離を、噛みしめるようにユージオは歩み寄る。

 説得をするだとか、話し合おうだとか、あるいは、戦うだとか。そんなことはもうユージオの頭にはない。

 ただ、会いたかった少女に出逢うことができた歓喜に、打ち震えることで精一杯だった。

 

「待ちなさい。そこで、止まって」

 

 ──瞬間、声が通る。

 懐かしい声だ。聞きたかった声だ。恋しかった声だ。

 ぼやけていた意識を何とか元に戻し、ユージオは立ち止まる。

 すかさず、キリトが横に控えるように立った。

 

「まずは、此処まで無事来られたことを称賛いたします。イーディス殿とは……恐らく、戦わなかったのでしょうけれど。

 それでもデュソルバート殿と、ネルギウス殿を打倒したのは、見事と言うほかありません」

 

 アリスの澄み渡るような声が、二人の鼓膜を安らかに揺らす。

 

「私は、また貴方たちと会えて、とても喜ばしい。今も胸が、これ以上ないほどに昂っている──しかし、だからこそ同時に許し難くもあるのです。

 同じく罪を犯した私に言えたことではありませんが──罪人としてではなく、騎士と修剣士として再会したかった」

「それ、は……でも──」

「いいえ、言わなくてもよろしい。どうしようもない事情があったのでしょう──あったのだと、思いたい。

 ですが、私は《騎士》なのです。法を守り、人々を守る、人界の守護者。

 情に流され、貴方たちを歓迎するわけにはいきません──故に。

 ここから先には、一歩も通しません。貴方たちはここで、私が拘束します」

「──違う、話を聞いてくれ。アリス!」

「言葉は不要です──私は《騎士》で、貴方たちは罪人であるものの《剣士》です。であれば、すべては()()()()()()()()でしょう」

 

 アリスが右手を、樹の幹へと添える──刹那、一瞬の閃光が《雲上庭園》を覆った。

 光が晴れれば、そこにはもう小さな樹は無く。

 代わりに、アリスの右手には黄金に彩られた剣が携えられていた。

 反射的に、ユージオとキリトは数歩分の距離を空けて愛剣へと手をかける。

 

「あれ、もう完全支配状態なのか……。敵意は無いけど、戦意はあるって感じだな……っておい、ユージオ? 聞いてるのか?」

「あ、ああ──ねえ、キリト。やるしか、ないのかな」

「だろうな……話し合いは無理だと思う。けど、アリスも言ってたろ。剣に訊くってさ」

 

 トントン、と人差し指でキリトが黒の剣を叩く。

 そのジェスチャーを見て、ユージオが思い出したのは、《帝立修剣学院》で世話になっていた、アズリカという女性のことだ。

 自分たちの住む寮監でもあった彼女は大層腕の立つ剣士であり、ユージオとキリトは、一度だけ教えを貰ったことがある。

 ──良いですか、剣というものは時に言葉より遥かに雄弁に、物事を語ることがあるのです。

 担い手がどのような人間なのか。どれほどの苦難を乗り越えて来たのか。如何ほどの信念を持っているのか。

 嘘偽りなく、相手に伝えてしまう。伝え合ってしまう。

 だからこそ、剣には常に真摯であるように。

 助言というよりは、それは正しく教えであった。

 

「──そっか。そういうことなら、うん。僕は、僕の本気をアリスにぶつけることにするよ」

「ああ、その意気だ。頼むぜ、相棒?」

「そっちこそ、変なところでとちるなよな」

 

 コツン、と互いの拳をぶつけ合う。

 一瞬だけ笑みを交わした二人は、鋭く抜剣した。

 

「修剣士キリト! 参る!」

「同じく修剣士ユージオ! 参る!」

 

 張りのある声が、《雲上庭園》へと響き渡る。

 同時にキリトは鋭く芝を蹴った。

 そこに躊躇は無ければ、容赦もない──最初からトップスピードで、黒の剣士は駆け抜けた。

 彼我の距離、約十メル。

 黒の剣は、薄緑色の閃光に染まった。

 アインクラッド流奥義《ソニックリープ》。

 上段から放たれるその奥義は、一瞬にして十メルを喰らい尽くした。

 振り落とされた黒の稲妻は黄金とぶつかり合い、鋭く弾けた。

 真っ白な火花が飛び散って、刹那の拮抗が──生じない。

 

「っ、あ……!」

 

 緩やかな動作で振るわれたアリスの剣に、キリトは剣どころか、()()()()押し飛ばされていた。

 ただの振り落としではない──威力重視ではないとは言え、《秘奥義》を用いたにも拘わらずこれか!?

 相当の実力者であることは聞いていたが、これほどとは。

 キリトは思わず歯噛みしたが、しかし同時に安堵していた。

 ──ああ、良かった。ギリギリ()()()だ、と。

 キリトの視界の端で、青色の閃光が走り抜ける。

 

「ぁぁああああ!」

「ハァッ!」

 

 キリトの作り上げた僅かな隙を逃すことなく、ユージオは懐へと潜り込む。

 薔薇の装飾が為された、美しい氷の剣は、真っ赤な閃光へと身を染める。

 アインクラッド流二連撃奥義《バーチカル・アーク》。

 右上から左下へ打ち下ろされる初撃目を、アリスは華麗な足捌きで躱し──二撃目を、極自然に打ち返した。

 ガァァァン! という、重厚な金属音が響かせる。

 

「なっ、え──」

 

 《秘奥義》を強制終了させるほどの、強烈な打ちこみ。

 ここに来てようやくユージオは、アリス・ツーベルクという少女──否、騎士の実力。その一端を理解した。

 一撃が、重すぎる──!

 単純な剣の優先度(プライオリティ)の差という話ではない。

 明らかに練度そのものが、桁違いだ!

 

「この程度ではないでしょう──遠慮はいりませんよ。キリト、ユージオ」

「くっ……」

 

 遠慮どころか、最初から本気だよ!

 内心叫びながら、振り下ろされた黄金を紙一重で躱す。

 ユージオの亜麻色の髪が、僅かに斬りおとされた。

 

「ユージオ! 下がれ!」

「!」

 

 キリトの声に反応したのは、ほとんど反射だった。

 耳に届くや否や、ユージオは力強くバックステップを行い──神速で放たれた()()()を、辛うじて回避した。

 

「おや、流石ですね」

 

 アリスが喜色を滲ませて、そう言った。

 再び肩を並べる形となったキリトとユージオは、それどころではなかったが。

 

「おいおい、整合騎士殿は例外ばっかりだな」

「まさか、連続技を出してくるなんてね……」

 

 冷や汗が、頬を伝う。

 デュソルバート・シンセシス・セブンが対処してきたように、多少の馴染みはあったが、まさか使用して来るとは予想外だった。

 ──いや、それは流石に、慢心が過ぎたのかもしれない。

 イーディス曰く、アリスは整合騎士内でも三番目の実力であるという。

 多くの剣技に馴染みがあり、使用していてもおかしくはなかった。

 

「力押しじゃ無理だ、こうなったら──」

「連携だね、できる? キリト」

「そりゃこっちの台詞だ」

 

 静かに、されど猛然と進んできたアリスの一撃を、弾き合うように躱す。

 ユージオはバックステップ、キリトは少しの足捌き。

 ギュルリと回転しながら放たれた黒の一撃は、金の剣に阻まれる。

 火花が飛び散り、キリトの身体は──しかし飛ばされない。

 

「キリト、貴方──」

「無駄口叩いている場合か? アリス殿」

 

 キリトの選んだ戦術は、馬鹿正直に打ち合うことでは無かった。

 刹那の脱力を混ぜることで、拮抗しながらもアリスの一撃を受け流す。

 言うのは簡単だが──行うには非常にリスキーだ。

 一度でも失敗すれば、その身は一撃で斬り伏せられる。

 

「──ッ!」

 

 その中で、声もなくキリトは剣を振るう。

 細かいステップ、立ち回り。

 少しの手首の捻り、体重移動。

 大げさなものから小さい視線誘導、大振りの一撃、ワンモーションのフェイク。

 相手を惑わすように、柔軟にキリトは剣を振るう。

 

 対して、アリスはそれを質実剛健な、けれども華麗な足捌きでそれを追う。

 踏み込みは流麗に、一撃は確実に。

 惑わされることは無く、焦ることは無く。

 ただ先を見据え、金木犀の剣は艶やかに光を弾く。

 

 黒と黄金が弾き合う。

 黒と黄金はぶつかり合う。

 黒と黄金の火花が、幾度も戦場を美しく彩る。

 さながらそれは、剣の舞(ソード・アート)

 こんな時でも無ければ、思わず見惚れていただろう──。

 ユージオはそう思い、《青薔薇の剣》を傾けた。

 重心を前に、膝を曲げ、身体を落とす。

 

「ぐ、うおっ」

「エエエィ!」

 

 一際、甲高い金属音が響いた。

 キリトの体勢が崩れ──差し込むように、ユージオは現れた。

 アインクラッド流奥義《レイジスパイク》。

 水色の閃光を纏った一撃が、金の剣へと激しく衝突した。

 真横からのそれに、アリスは一瞬だけ反応が遅れる。

 それを見逃すほど、ユージオも甘くはない。

 地を踏みしめる。剣を握る力はそのままに、動きを流す。

 

「はぁぁああ!」

「なっ──?」

 

 ここに来て、アリスの口からは困惑が零れ落ちた。

 金属音は鳴らず、火花が飛び散らない。

 《金木犀の剣》と《青薔薇の剣》は、その接触面が()()()()()()()

 

「これは、一体」

「《青薔薇の剣》は、氷で出来た剣だ。僕の想いに応えるように、冷気を放つ」

「──なるほど。《剣の記憶》を見たのですね」

 

 フッと、アリスが笑う──笑うと同時に、黄金の刀身はバラリと解け落ちた。

 それらの一片一片が、十字型の花びら──。

 

「エンハンス・アーマメント!」

 

 叫んだのは、ユージオだった。

 ユージオは、なぜ自分がそう叫んだのか、半ば分からずにいる。

 けれども、今はそうするのが正解であると──そう、《青薔薇の剣》に教えられたような気がした。

 

「咲け──青薔薇よ!」

 

 切っ先が、足元の芝生へと触れた瞬間、そこは銀世界と化した。

 陽光を閉じ込めたような花弁が、青薔薇に巻き取られ凍土へと封じ込められる。

 当然ながらそれは、剣だけには収まらない。

 ユージオの身体ごと──アリスもまた、青薔薇に彩られる。

 音を立てながら凍りついていく自身を省みることも無く、ユージオは笑った。

 

「これで、僕たちの勝ちだ。そうだろう? アリス──」

()()()、まだですよ」

 

 零された吐息が、白く染まる。

 瞬間──銀世界は打ち砕かれた。

 黄金の輝きが、爆発するように世界を染め上げた。

 

「は、ぁ……?」

「っ、ユージオ!」

 

 グン、と引っ張られるがままにユージオは数歩ほど下がった。

 砕かれ尽くした氷の破片がパラパラと空に舞い、キラキラと光を弾く。

 その中でアリスはただ一人、微かな笑みを浮かべていた。

 滑らかな金の長髪に付着した氷を、片手で払う。

 

「甘い──この程度では私の足を止めることすら叶いません。これで全力だと言うのであれば、諦めて投降──」

「エンハンス・アーマメント!」

 

 キリトの声が、アリスの言葉を打ち消した。

 突き出された黒の剣が、ドクンと脈打つように震え──闇が、溢れ出す。

 陽光を喰らい尽くしてもなお足りず、その身を際限なく巨大化させてまで陽光を求め続けた《悪魔の樹》、ギガスシダー。

 何よりも硬く。

 何よりも重く。

 何よりも大きく。

 何よりも鋭かった、巨樹。

 ただそこにあるだけで、何物をも破壊し、喰らい尽くす究極の武器。

 黒の剣は今まさに、その姿に戻ろうとしていた。

 

「────!」

 

 それを見て、瞬時に下したアリスの判断は的確であった。

 幾千を超える黄金の花弁が、巨槍の如く研ぎ澄まされて、撃ち放たれる。

 絶対的な質量による攻撃には、同じく絶対的な質量での攻撃で打ち破る。

 純黒と黄金が、凄絶にぶつかり合った。

 二人の間はそこまであるわけではない──距離にして、約十五メルといったところか。

 互いのど真ん中で、それは拮抗した。

 その衝撃だけで《雲上庭園》が震動する。

 吹き荒れる風に、衝撃に、聖花は、芝生は無抵抗に消し飛ばされる。

 ユージオもまた、それを見つめながら思考を回転させていた。

 恐らくは、これが互いの全力全開──であれば、完璧な相殺などは起こりえないはずだ。

 必ず、どちらかが勝利する。必ず、どちらかがどちらかを破壊し尽くす。

 それが、どちらになるのかは分からないが──ユージオは、今すべきことだけは明確に理解できていた。

 キリトの苦悶の声を聞きながら、ユージオは走り出す。

 風圧に押されながら、衝撃に阻まれながら、それでも。

 光と闇の隣を駆け抜けて──彼は、アリスの元へと駆け抜けた。

 元よりこの戦いは二対一だ。

 ──悪く思わないでくれよ。ユージオは小さく呟いた。

 アリスが、目を見開く。

 

「ぜぁぁああああああ!」

「しまっ──」

 

 キィィィィン、と鋭い金属音が鳴り響き、黄金の柄が宙を舞った。

 直後、花弁は統率を失った。

 《不朽》の性質を与えられているアリスの剣ではあるが、その手から離れてしまえばそれはもう、武器にはなりえない。

 組み上げられていた黄金の槍は砕け散り、極黒はその牙を剥く──。

 

「ァアアアアアア!」

 

 アリスを抱え、ユージオは剣を明るく染め上げた。

 アインクラッド流奥義《レイジスパイク》。

 アインクラッド流奥義《ソニックリープ》。

 どちらも十メル以上の距離を一瞬にして踏み消す、突進系の《秘奥義》。

 それをユージオは()()()()()()()ことで、キリトの《武装完全支配術》を紙一重で躱し切った。

 不壊を誇るセントラル・カセドラルの壁に、極黒が衝突し罅を入れる。

 それを背に、ユージオはアリスを押し倒した。焦ったせいか、《青薔薇の剣》は手から滑り落ちていってしまったが。

 

「今度こそ、決着は着いた。僕の──僕たちの勝ちだ、アリス」

「……そうでしょうか? 私は何事も、最後まで諦めてはならないと教わりましたよ?」

 

 瞬間、グルリとユージオの視界は反転した。

 ドッ、という背中に走る衝撃で、ポジションが入れ替わったことに気付き──。

 

「いいや、終わりだよ。俺達の勝ちだ、アリス」

 

 トン、とアリスの肩へと黒の剣が置かれた。

 それから、キリトが息を切らしながらも笑う。

 

「流石に、ここまで来て負けを認めないってことは無いだろ?」

「……そうですね。私の完敗です。貴方たちは私が思った以上に強く──そして、私の信じていた通りに、真っ直ぐだったようです」

 

 アリスが、柔らかく笑みを浮かべて手を上げた。

 ゆっくりとユージオの上から退く。

 

「ですが、最後にこれだけは聞かせてください。貴方たちは何のために、ここまで上ってきたのですか」

「──君を、連れ戻すためだ。僕が村を出て、ここまで来た理由はそれだけだよ、アリス」

 

 ユージオの言葉に、アリスは少々驚いたように目を見開いた。

 どこまでも真摯なユージオのエメラルド色の瞳に見つめられて、アリスは優しげに笑う。

 

「そう、だったのですね……ありがとう、ユージオ。ですが私は、望んで此処にいるのですよ」

「──え? それは、どういう」

「言葉の通りです。私はあの日、兄さんと出会ってから──」

「ちょっと待って???」

 

 兄さんってなに!?

 聞いたこと無い、聞いたこと無い!

 アリスには妹しかいないだろう!?

 

「兄さんは兄さんですよ? セントラル・カセドラルのトップのお方。かつて、最高司祭様を打ち倒し、その座に就いたお方──それが、私の兄さんです」

 

 そう言って、アリスは華やかに笑った──というか、『兄さん』とやらの存在を口にした瞬間から、油断すれば心奪われてしまいそうな笑みを浮かべっぱなしだった。

 いやマジで兄さんって何?

 ユージオはガチで怪訝な顔を浮かべ、アリスの言葉を一言一句聞き逃すまいと、耳を傾け。

 キリトはこれが真剣な話なのか、アリスの兄自慢話なのかが分からず、曖昧な笑みを浮かべたのだった。

 

 




アリス:兄さんの話がやっとできますね!!!

ユージオ:兄???????

キリト:混乱してきた。


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『王』と『剣士』の邂逅はしめやかに。

外に出たら滅茶苦茶金木犀の香りがしました。もう秋ですね。


 

──何をどう話すにせよ、長くなりますから、上に向かいながら話すとしましょう。

 

 にこやかに言ったアリスに従い、キリトとユージオは、彼女の背についていくようにセントラル・カセドラルを上っていた。

 ここから先にはもう、上に行く手段は階段しかないという。

 一通り、セントラル・カセドラル内の説明を終えたアリスが「では」と実に気楽な口調で言葉を紡いだ。

 

「兄さんの話をしましょうか」

「だから兄さんって何???」

 

 思わず、と言ったようにユージオが口を挟む。

 兄さん──兄……義兄? いやいや、まさかまさか。

 ない……よね? 無いと言ってくれ。

 ユージオは思考を停止させた。

 

「だから、兄さんは兄さんですよ──なんて言うのは少し、意地悪かもしれませんね。兄さんの名前はアルフォンス。先ほども言った通り、現在、公理教会を纏め上げている人物です」

「要するに、最高司祭……ってことなんだよな? さっき、エアリーからも聞いたけど」

「立ち位置的にはそうなりますが──正確にはちょっと違います。最高司祭という役職は無くなりましたから。だから、敢えて言うのであれば『人王』とかでしょうか」

「人王……」

 

 人界の王。

 人界を纏め、人界の平和を保つ、絶対的な王。

 彼自身が、自ら名乗るところは──まあ、割と想像は出来る。

 少なくとも、公理教会内にそれを否定するような人物がいないのは明白だった。

 七年前とは違い、ただのクソガキでもなくなっているのだし。

 

「兄さんがそうなったのは、今から七年前のことです。最高司祭様を打倒した……というよりは、口説き落としました」

「口説き落とした???」

 

 は? ちょっと待ってくれ。突然理解が置いて行かれた。

 キリトは思わず困惑し、思考を停止させかけた。

 再度エンジンを入れて、ブルブルと頭を振るう。

 ちなみにユージオはまだエンストしている。

 うわごとを聞き取れば「兄……? 何……?」と言っているようだった。

 

「そこまでおかしなことでしょうか? 最高司祭様とは言え一人の人間ですし──それに、女性ですからね。人界でも、好きな相手に迫られて、喜ばない方はそういないと思いますが」

「え、最高司祭ってそもそも、女性だったのか?」

「はい、元より公理教会というのは、最高司祭……元最高司祭である、アドミニストレータ様を巫女として祀り上げたことが始りですからね。当然と言えば当然です。勉強不足ですよ、キリト」

 

 ふわりと花咲くようにアリスが笑い、キリトの鼓動は少しだけ跳ね上がった。

 彼女がいるとは言え、キリトも男である。

 それに、アリスは控えめに言っても超の付く美人だ。

 ドキッとするくらいは許されるだろう……とキリトは内心言い訳をした。

 

「とにかく、それは分かったけれど──結局、そのアルフォンスって人と、アリスの繋がりってのは何なんだ? いい加減教えてくれないと、ユージオもこのざまだ」

「ふふっ、そうですね……。分かっているとは思いますが、私と兄さんは本当の兄妹という訳ではありません。義兄弟、というのも少し違います。

 正確に言えば、私はあの人の妹分なのです──あの日、ここに連行された時、私は兄さんにそういう形で庇護された」

「!」

 

 そこで再起動に成功したユージオが、パッと顔を上げた。

 少しだけ、面持ちに緊張が走る。

 

「庇護……?」

「ええ──二人は、整合騎士とはどのような人が選ばれるか知っていますか?」

「そりゃ、流石に知ってるよ。四帝国統一大会で優勝した人だろう?」

 

 元々、俺達はその大会を目指していたんだしな、とキリトが付け加える。

 ──そう、その通りなのだ。

 キリトとユージオとて、このような……犯罪者としてセントラル・カセドラルに訪れるようなことは全く想定していなかった。

 事故であった、などと言うつもりはないが、しかし想定外であったのは事実だ。

 

「半分正解で、半分不正解ですね。整合騎士とは、四帝国統一大会の優勝者と、《禁忌目録》に抵触した犯罪者で構成されています」

「──え? 犯罪者?」

「そう……既に《禁忌目録》を破った二人であればある程度は察しているとは思いますが、この人界において、《禁忌目録》を破るというのは非常に困難なことです。

 それは、法に縛られているから、という話ではなく──」

 

 静かに、アリスが自身の右眼を指さした。

 ユージオが、ごくりと喉を鳴らして思わず自身の右眼へと触れる。

 ユージオの右眼は、既に一度破裂している──それこそ、彼自身が《禁忌目録》を破ったその際に。

 

「私たちは、定められたルールに歯向かおうとすると、必ず右眼に走る激痛に邪魔される。そしてそれを乗り越えることができる人は、非常に稀有なのです。

 だからこそ、元最高司祭様は、そういった『例外』の人間を手元に置こうとした。

 現在在籍している整合騎士のうち、半分はそういう、例外の人間です」

「ちょ、ちょっと待った」

 

 思わず、キリトが口を出す。

 そりゃそうだ。今のを一息で理解できる人間なんて、そうはいない。

 

「その……仮にさ、手元に置いたとして、整合騎士にするってのは無理じゃないのか? 一般人がいきなり騎士になんて、なれっこないし……。

 そもそも──俺達が言えた義理でも無いけど、犯罪を犯した人間が、すぐさま『はい、騎士になって人界を守ります』なんて言えるものなのか?」

「おや、意外といいところを突きますね、キリト。そうです、貴方の言う通り、元最高司祭様にとっては、そここそがネックだった──ゆえに、元最高司祭様は記憶を抜き取った。

 そうして出来上がった大きな欠落に、自身への──あるいは、公理教会への絶対忠誠の心をねじ込んだのです。

 そうすることで少なくとも、公理教会へ忠誠を誓う人間は生成できる──これを、シンセサイズの秘儀と言うそうです」

「シンセサイズの秘儀……」

 

 シンセサイズの意は、合成。

 つまるところ、シンセサイズの秘儀というのは、記憶という人格を形成する大事な部分を、忠誠に置き換えることで人格ごと再構成させてしまうことだ。

 良くそんなことをしておいて許されたな、アドミニストレータ。という話である。

 全整合騎士に殴られていてもおかしくはない──というか、ひと悶着どころではない話があったのではあるが。

 それはまた別のお話だ。

 

「それから私を守ってくださったのが、他ならぬ兄さんになるという訳です。兄さんは、私を傍付きにすることで、シンセサイズから庇護してくださった。以来、あの人は私の兄さんとなったのです」

「おっと、いきなり話が飛躍したな」

 

 結局、何がどういう経緯で兄になったのか、全然分かんないんだけど……。

 もしかしてこの人、兄とやらの話になったら頭が悪くなるのだろうか? とキリトは少しだけ思った。

 

「でも、そうやって聞くとやっぱり、アルフォンスって人は、凄い人……なんだよね?」

「それはもちろんです。偉大な人ですよ、兄さんは──立派な方かというと、少々語弊がありますが……」

 

 そっ、とアリスは目を逸らした。

 無論、アリスはアルフォンスを尊敬している──そこが変わることは無いが、しかし見習えない部分が大量にあるのは事実だった。

 逆立ちしても、アルフォンスのようにはなれないし、正直なりたくもない。

 あの人はなんと言うか──一人でも全然生きていけそうであるが、どうにかして支えないと、と不思議にも思わせられる人なのだ。

 必要ないかもしれないが、力になりたいと思ってしまう、と言い換えても良い。

 色々な意味で、危うい人だ。

 アリスは極自然に「兄さんには私がついていないと!」と思っていた。

 

「今の地位についてから兄さんは、ガラリと公理教会を変えてしまいました。内部の改革を行い、二人も知っているかもしれませんが、《禁忌目録》でさえ一部変更してしまった。

 ちょうど、その頃合いです。私が此処に残るか、ルーリッド村に戻るかを選ばされたのは」

「──え? 戻る?」

「ええ、私は確かに《禁忌目録》に違反した訳ですが、兄さん曰く『ほぼ事故だろう』とのことで、『好きにしろ』と。そして私は、残ることを選んだ」

「そ、それは……どうして?」

 

 ユージオが、絞り出すような声で言った。

 どこか、答えを聞きたくないと思っていながらも、しかし聞かざるを得ない。

 何故ならそれこそが、ユージオがここまで歩んできた、歩んで来れた理由そのものなのだから。

 知らずのうちに、緊張が走る。

 

「どうしても、残りたいと思ってしまったのです──当然ですが、ユージオやキリト、セルカや他の皆のことを考えなかった訳ではありません。

 その逆で、私は、貴方たちが大切だったからこそ、ここに残った」

「……?」

「兄さんが言ったのです──近い内に、人界は暗黒界と戦争をすることになり、それは決して避けられることではない、と。

 そして奇しくも私には、剣の才能も、神聖術の才能もあった──」

 

 だから残った、と。アリスはそう言った。

 来るべき戦争に身を投じ、村のみんなを危険に晒すことは無いようにするために。

 己が命を懸けてでも、守りたいと思ったが故に。

 彼女は一人、ここに残り力を付けるという選択をしたのだ、と。

 

「私は今でも、その選択を間違っていたとは思ってはいません……少しだけ気がかりだったのが、貴方たちでしたが、結局ここまで来てしまいましたしね」

「……迷惑、だったかい?」

「いいえ、まさか! 言ったでしょう? 私は二人とまた会うことが出来て、とても嬉しい、と。あの言葉に偽りはありません。

 本当に、本当に私は嬉しかった──だからこそ、同時に落胆もしたのですが。

 そこは今は……というより、私から不問といたしましょう。どちらにせよ、この後、根掘り葉掘り聞かれるでしょうから」

 

 ふわりとアリスは笑い、ユージオは静かに安堵した。

 自身が思っていたような結末とは全く違う方向であるが──少なくとも、ここまで来たことに、ここまで重ねてきた努力に、意味はあったのだと。

 深く安心すると同時に、一抹の不安が背筋を這い始めた。

 根掘り葉掘り聞かれるって、何?

 

「無論、これから始まる審問で、です。こうして案内している以上、私も出来るだけフォローしますが、それでもお咎めなし! とはいきません。

 罪には罰を。罰を以て、赦しを。

 そこが曖昧になることは決してありません──それが、法というものですから」

「俺達、今そういった理由で連行されてたのか……」

「もう、逆に何だと思ってたのですか、貴方たちは。私は一度たりとも、教会に反逆するだなんて言っていませんよ」

 

 呆れたように言うアリスに、キリトとユージオは顔を見合わせた。

 何だか妙な展開になってきたな、と苦笑する。

 ──とは言え、アリスが言っていることには正しさしかないことも、二人は理解している。

 罪は罪。逃れられるものでは無いし、逃れて良いものでもないだろう。

 

「……アリス、少し嬉しいのかい?」

「ふぇ? 急に何を言うのですか、嬉しいわけがないでしょう。三人揃って《禁忌目録》に違反しただなんて、村の皆も悲しみますよ」

「いや、それはそうなんだけどさ……」

 

 心なしか、足取りが軽い。

 しかも口角が地味に上がりっぱなしだ。

 いいや、見ているこっちまで嬉しくなるのだから、悪いという訳ではないのだが。

 普通に何で? とユージオは思っていた。

 アリスが「ぐぬ……」と少しだけ言葉に詰まる。

 

「んんっ、その……はい、ごめんなさい。何がどうしてこうなったのかはさて置き、この状況そのものが、少しだけ懐かしかったのです」

「懐かしい? こんな状況が?」

「ええ、私もかつては二人のように、連れられてセントラル・カセドラルを上ったものですから」

 

 しれっとアリスはそう言ったが、あっているのは大まかな状況だけで、細かく言えば全然違う。

 アリスの場合は、あのクソガキに背負われド深夜に超スピードで駆け上がったのだから、例外も良いところである。

 思い出補正、恐るべし。

 ついでに言えばアリスは「あの時の兄さんと同じことをしている……私も成長しましたね」などとポヤポヤ考えていた。

 

「ふぅん……」

 

 小さく、キリトが相槌を打つ。

 ここまでの大まかな話は大体わかり、アリスとユージオの関係も悪化することはなさそうだ。

 それはキリトからしても喜ばしいことで──だからこそ、妙な点に目がいっていた。

 アリスはここまで、徹底してキリトとユージオを一纏めに語っている。

 出会った時もそうだし、今話している時もそうだ。

 それに、ユージオに対する時の距離間と、キリトに対する時の距離間に全く差が無いようにも見える。

 これはどう考えても()()()()

 キリトはこの世界で唯一の部外者であり、異物である。

 ユージオやアリスとは違い、アンダーワールド出身ではなく、現実世界に生まれた人間。

 もっと言えば、この世界に来たのもつい二年ほど前の話である。

 要するに、キリトはアリスとの面識が全く無い。であるにも拘わらずこれなのだ。

 それに加え、それが極自然なことであると、何よりもキリト自身がそう思っていた。

 これではまるで、ユージオとアリスが幼馴染なのではなく、キリトも含めた三人が、幼馴染のようではないか──。

 ふと、そんなことを思いキリトは小さく笑んだ。

 ありえない。俺が九歳の頃と言えば、ネトゲにハマり始めた時期だ。

 こんな二人の幼馴染だなんて、いた記憶はない……ない、はずだよな?

 

「さて、そろそろ最上階です。兄さんは特段、礼儀や粗相を気にするような人ではありませんが、それでも一応、無礼はないように気を付けて」

「無礼……って言ったってなあ。正直、その辺自信無いぞ……」

「あら、二人は上級修剣士だったのでしょう? であれば問題ありません。学校内でしていたような振る舞いをしていれば大丈夫です」

 

 パチン、とウィンクをしたアリスは眼前の扉へと手をかけた。

 一瞬だけ浮ついた意識を、ユージオはしっかりと引き締める。

 

「整合騎士、アリス・ツーベルク。罪人キリト、罪人ユージオを連れてまいりました!」

 

 凛とした声が響き渡る。

 それだけで、この場の空気が張り詰めるようだった。

 何だかふわふわとしていた雰囲気が、その場相応のものになり、ガチャリと、扉が解錠された音が鳴る。

 アリスが無言で力込めれば、扉は左右に押し開かれた──と同時に、若い男の声が響いた。 

 

「は? おい、少し待てアド。お前、今勝手に扉開けたな!?」

「あら、ダメだったのかしら?」

「ダメに決まってるだろうが!」

 

 広がったのは、シンプルな作りの部屋だった。

 所々に飾られた品々は高級品であることが分かるものの、嫌みは無く。

 どころか上品に整えられた部屋の中に、一組の男女がいる。

 銀色の髪を長く伸ばし、白魚のような肌。

 どこまで澄んだ瞳を持ち、今は優し気に笑んでいる女性の名は──アドミニストレータ。

 さながら女神かと、アリスも含め、一瞬にして三人の視線を奪った彼女の膝の上には、青年の頭が乗っていた。

 アドミニストレータの手には、耳かき棒が収まっている。

 

「……兄さん? 何をしてらっしゃるのですか?」

 

 あ、今室温10℃は下がったな、とキリトは察した。

 あ、今凄い呼吸しづらくなるくらいの圧が出てきた、とユージオは思った。

 

「いらっしゃい、アリスちゃんに、キリト、ユージオ──あっ、ダメよアル。動いたら鼓膜破っちゃうわ」

「ちょっ、馬鹿者。早く退けろ、アド……」

「兄さん?」

 

 アドミニストレータが実ににこやかな笑みを浮かべ、アリスもまた満面の笑みを浮かべた。

 曰く、笑顔の起源とは威嚇であるという。

 アルフォンスは「アドに任せ、寝ている場合では無かったな……」と独り言ちた。

 一瞬見回したが、カーディナルももういない。業務に戻ったのだろう。

 ふー、と小さくため息を吐き。

 もう一度寝たら無かったことにならないものか、と再び目を閉じた。

 

 

 

 

 




アリス:こいつはただのブラコン。

アドミニストレータ&アルフォンス:こいつらはただのバカップル。


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『これまで』と『これから』と。

今更ながら二十話を超えていることに気付いて爆笑していたら、あと更に十話は無いと終わらないということに気付き、真顔になりました。


 ──予想より僅かに早い到達であったな……小細工は不要だったか?

 アドミニストレータの膝から脱出することに成功し、わざわざ座り直したアルフォンスは、かなり微妙になった空気の中で、そんなことを内心呟いた。

 やたらと回る口でアリスを宥めすかしたアルフォンスの前には今、二人の剣士が佇んでいる。

 片方は黒の剣士、キリト。

 片方は青薔薇の剣士、ユージオ。

 どちらも、実力だけで言えば既に整合騎士並みだろう。

 通常、即決即断で物を喋り、行動するアルフォンスであったが、この時ばかりは流石に押し黙り、まじまじと二人を観察していた。

 ユージオはともかく、キリトという少年はアルフォンスにとっても例外の少年だ。

 何せ彼は──彼だけは、この世界の住人ではない。

 現実世界の人間だ。云わば宇宙人のようなものである。

 存在自体は認知していたし、知識にも多少はあったがこうして目にするのは初めてだ。

 観察もしたくなるというものである──とは言え、この世界の人間と何か違いがありそうかと言えば、特にそのような点は見つけられなかったのであるが。

 ユージオも含め、目の前の少年は至って普通の人界人だ。おかしなところは一つもない──犯罪を犯したという部分にさえ目を瞑れば。

 ま、そんなものか、とアルフォンスは独り言ちた。

 これ以上は考えても仕方のないことであろう、とも。

 

「ん、もう良い。楽にしろ──そこに座ることも許す」

 

 顎でソファを示し、そう言ったアルフォンスもまた、姿勢を軽く崩した。

 むっ、と言ったようにアリスが視線を向けてくるが無視である。 

 いつまでも気を張っていられるか──こいつらがここまで辿り着いた以上、これから人界は相当揺れるのだ。

 先のことを考え、アルフォンスは軽くため息を吐いた。

 やるべきこと、多すぎ。

 遠慮しがちに並んで座った二人の少年と、その後ろに立つアリスを視界に収め、再度アルフォンスは息を吸った。

 ちなみに言えばアドミニストレータは「お前がいては集中できん」と部屋を追い出されていた。哀れ。

 トントン、とアルフォンスが指先で机を叩いて注目を集める。

 

「審問についてだが──まあ不要であろう。貴様らのことはもう良く分かった。故にもう結論を下す」

「なっ、兄さん!? 何を──」

「一々声を張り上げなくても良い、アリス。そもそも、これが面倒だからお前をあそこに配置したのだ、オレは」

 

 やれやれ、とアルフォンスは肩を竦め、アリスは如何にも不満げな顔をする──が、それだけだ。

 公理教会の言う《審問》とは、アドミニストレータの代までは《シンセサイズの秘儀》のことを指していたが、アルフォンスになってからは最早別物だ。

 しでかした事件と、その悪質さ、それから本人の悪性さを計り、判決を下す。

 そういったものでしかないし──それを計るのに、アルフォンスはアリスを使ったのであった。

 元より、事の経緯を粗方知っていたがゆえの雑な処置である。

 

「四等爵家、ウンベール・ジーゼックの天命の損傷。三等爵家、ライオス・アンティノスの天命の完全損壊……だったか。

 ふん、情状酌量の余地ありとし、数年の公理教会への従属を命ずる。

 向こう数年の間、整合騎士見習いとして働け、貴様ら」

「なぁっ!?」

「えぇっ!?」

 

 アルフォンスの判決は実に端的で、だからこそキリトとユージオは驚愕の声を上げた。

 確かに整合騎士のうち半数は犯罪者とは聞いていたが……。

 まさか自分達までそうなるとは夢に思うまい──ただでさえ、その整合騎士とバチバチにやりあって上まで上ってきたのである。

 《シンセサイズの秘儀》とやらはもう行っていないと聞いたから、恐れるようなことではないが。

 これはどう受け止めれば良いのだろうか、とキリトはかなり曖昧な顔をした。

 隣のユージオはと言えば、嬉しさと困惑が完全に入り混じったことで一周回ったらしい。完全に真顔だった。

 しかしそれも無理はないだろう。人界人の剣士にとって、整合騎士になるということはこれ以上ない名誉である。

 加えて、アリスもまた、整合騎士なのだ。

 それはつまり、これから先も一緒にいられるということを意味する。

 

「何だ、不満であればもっと刑を重くしても良いが──」

「い、いやいやいや、不満なんてことはない! 無いけど……その、良いのか?」

「何がだ?」

「いや、だから──」

 

 仮にも俺達は、人を殺してるんだ。それに、ここまで来るのに二人の整合騎士を打ち倒した。

 だというのにこれでは、あまりにも刑が軽いように思える──と、そこまで言おうとしたキリトは口をつぐんだ。

 というのも、目の前の少年──アルフォンスが呆れたようにため息を漏らしたからだ。

 

「言ったであろう、情状酌量の余地あり、と──事情はもう把握している。こればっかりは、オレも頭を悩ませていた点でもあるのだ。

 貴様の世界と違い、この世界の性質と、現在の人界のシステム上、今回のような件は避けられないことゆえな……。

 それに、別に軽い刑ではない──というのは、まあすぐに分かる」

「──え?」

 

 キリトの思考が、一瞬だけ停止する。

 無意識に零した一音が気にかかったユージオが、怪訝そうに見たが、キリトの思考は中々再回転することは無かった。

 たっぷり十秒、呆けた後にキリトは自身の口を片手で覆い視線を下げた。

 今、彼は『貴様の世界』と、そう言ったのか? であれば、それはつまり、眼前の少年は現実世界の存在を認知しているということになる──!

 心臓の音が、うるさくなっていく。

 

「どうしたんだい、キリト?」

「い、いや、何でも無いよ。ただちょっと、驚いただけだ」

「ふうん……?」

 

 どうにも歯切れが悪い回答だな、とユージオは思ったが、まあ良いかと納得する。

 この黒髪の相棒とは二年もの付き合いなのだ。時折が彼がこうして、誤魔化すような返答をすることがあるのを、ユージオは良く理解していた。

 だから、ユージオは敢えて踏み込まない。

 いつか自ら言ってくれる日をただ待つのみだ。

 

「この判決はこれ以上、良くも悪くも覆らん。黙って従え──と言う訳でだ、アリス。そっちの……ユージオだったか。そいつを連れていけ」

「……キリトの方は、良いのですか?」

「そっちにはまだ聞きたいことがある……というよりは、そいつがオレに、聞きたいことがあるらしいからな。話くらいは聞いてやる、というやつだ。

 それに、お前もお前で、積もる話があるだろう」

「! 分かりました。ありがとう、兄さん」

「お前は公私をもう少し使い分けろ……」

 

 アルフォンスの小言に少しだけ顔を赤らめたアリスは、それを隠すようにユージオの手を取った。

 おっとっと、とユージオがキリトを心配しながらも立ち上がる。

 

「わっ、ちょっと、アリス……」

「安心してください、別に、尋問の類をするような人じゃないですから、兄さんは」

 

 そう言い残し、アリスはユージオを連れて颯爽と部屋を出た。

 バタン、と扉の閉まる音が再度部屋に響く。

 何から聞いたものか、と思わず考え込んでいるキリトを見ながら、アルフォンスは静かに立ち上がった。

 

「ついてこい、貴様の欲しいものを使わせてやる」

「欲しいもの──? って、ちょっ、待った待った!」

 

 てくてくと歩いて行ってしまった背中を、キリトは慌てて追いかける。

 マイペースな人だなあ、と思いながらも、案内されるがままにキリトは奥の部屋へと踏み込む。

 そこは、それほど広くはない部屋だった。

 窓は存在していないが、光素を溜め込むことの出来る鉱石が四隅に設置されていて、光に困ることは無い。

 調度品の類は一切置かれてはおらず、真ん中に鎮座した白い大理石と──その上に乗る、ノート型のパソコンがあるだけだった。

 あまりの驚愕で、キリトは一瞬、それが何であるか分からなかったほどだ。

 

「こ、これって……」

「《三神の神器》──この世界ではそう呼称されている。貴様にも分かりやすく言うのであれば《システム・コンソール》か? もっと分かりやすく、《外部との連絡装置》と言ってやっても良いがな」

「──やっぱり、アンタは現実世界の人間、なのか?」

 

 キリトは、恐る恐るでありながらも確信をもってそう尋ねた。

 アルフォンスの表情が一瞬だけ固まり──フッ、と吐息が漏らされた。

 

「ハ、ハハ、ハハハハハハハッ! 面白いことを言うな、貴様。オレが、現実世界の人間だと? もしそうなのであれば、もっと早くに貴様を保護していたであろうよ」

「え、じゃ、じゃあ違うのか!?」

「当たり前であろう──全く違うというのも、それはそれで語弊がありそうではあるがな」

 

 何を見聞きしたらそんな勘違いをするのか、と笑いながらもアルフォンスは思う。

 確かに、アルフォンスが純アンダーワールド人かと言われれば、返答に悩むところだ。

 間違いなく肉体はこの世界のものであるが、その内側はかなり複雑だ。

 キリトが純現実世界人というのであれば、アルフォンスはアンダーワールドと現実世界の混血(ミックス)と言うのが一番近いだろうか。

 

「少なくとも、オレはこの世界で生まれた人間だ。現実世界のことは知識で知っているにすぎん」

「そ、そうなのか……悪い、てっきりそうだとばかり」

「良い、許す。実に愉快であったからな」

「そっか……ごめん、もう一つ聞いても良いか?」

「ああ、良いぞ」

 

 ゴクリとキリトが喉を鳴らす。

 正直に言って、キリトは少し前──二人きりになった瞬間から、かなりの緊張に襲われていた。

 否、緊張というよりは、緊迫感に襲われていた、と言った方が正しい。

 それほどまでに、アルフォンスという少年が放つ威圧感というのは巨大かつ、強大だった。

 ただでさえアリスとの戦闘で消耗しているのだ。

 油断をすれば、意識を持っていかれかねない。

 ──というのが、キリトの認識であるのだが、しかし、アルフォンスは決してキリトを()()()()()()()

 キリトが察知しているのは、飽くまでアルフォンスが自然と放つ存在感そのものである。

 戦闘直後であるがゆえに、鋭く研ぎ澄まされたキリトの危機察知能力が、それを敏感に感じ取り、かつ正確にその危険性を理解してしまっているのだ。

 今、何かしらの理由で戦うことになればその瞬間、自身は死ぬ。

 そのことを、理性ではなく本能で、キリトは理解していた。

 

「その、使わなかったのか?」

「──一度だけ。一度だけ、使用したことがある」

「たった一回?」

「そうだ、オレの代になってからは、一度しか使用していない──と言うよりは、一度しか使用できなかった、だな」

 

 苦虫を嚙み潰したような顔で、アルフォンスはそう呟いた。

 アレは正しくアルフォンス史上、最大のミスであり、事故であったからである。

 今より数年前、入念な準備を行った後にアルフォンスは現実世界へと連絡を取ろうとしたのだが、それを受けた男が最悪だったのだ。

 その男の名前は《柳井》。

 細かい経緯はすっ飛ばすが──事実だけを羅列すると、柳井はアドミニストレータに心底惚れ込んでいたのである。

 そんな男が首ったけになっている女を落とした男から連絡を受けてみろ。

 柳井はブチギレして連絡を切った上に、アンダーワールド側から連絡が出来ないようにしてしまった。

 アルフォンスはこの時、生まれて初めて心底困り果てた。

 うわー、まさか一言も喋らせてもらえんとはなー、と放心し、ガチな落ち込みが発生したまである。

 公理教会の人間が総勢で甘やかすことで何とか立ち直り、今では誰もが知っている笑い話にまで昇華出来たのが不幸中の幸いだろう。

 アレはアレで最高に可愛かった、とはアドミニストレータの談だ。

 ちなみに連絡が可能になるように戻せたのはつい半年ほど前である。

 であればこの半年、何故使わなかったかと言えば、その理由こそがキリトだ。

 この《システム・コンソール》は稼働すると、FLA──フラクトライト加速倍率が1.0倍速になる……つまり、現実世界と同じ速度で、アンダーワールド内の時間が経過してしまうようになる代物だ。

 現実世界準拠で見て、なるべく早く現実世界に帰してやりたい、というアルフォンスの優しさである。

 本人は『恩を売るためだ』と言ってはいるが。

 

「ま、貴様が気にするところではない、存分に使え」

「良いのか……?」

「使わせてやると、最初に言っただろう……。オレは下らん嘘を吐かんし、余計な時間を過ごすのも好かんぞ」

「わ、悪かった悪かった! それじゃ、ありがたく使わせてもらうよ」

 

 言って、キリトが端末へと触れれば、日本語のダイアログがブワリと宙に浮かんだ。

 

【この操作を実行すると、フラクトライト加速倍率が1.0倍に固定されます。よろしいですか?】

 

 アルフォンスの顔を一度見て、頷かれるのと同時にキリトが【OK】を選択すれば、新しく黒いウィンドウが浮かび上がる。

 そのど真ん中に表示された文字列は【SOUND ONLY】というものだ。

 つまり音声のみ。

 妙だな、とアルフォンスが眉を潜めた。前回はそんなことはなかったはずだが。

 きっちりとあの柳井とかいう男の顔を見たし、その逆も然りだ。

 ──が、そんな思考を吹き飛ばすような、危機感に満ちた声が響いた。

 

『き、キリト君か!? そこにいるのかい!?』

 

 ──菊岡誠二郎の声だ、とキリトはすぐさま理解した。

 この世界を管理している組織の一人。

 

「そうだ、俺だ、菊岡。あんたには色々聞きたいことが──」

『すまない! 誹りは後で幾らでも受けるし、説明もする! けど、ここはもう陥ちてしまうんだ!

 だから今は僕の言葉を聞いてくれ!

 僕はこれから、すぐにFLAを一千倍に戻すから、その間にアリスという名の少女を探すんだ!

 そして見つけ次第、彼女を《ワールド・エンド・オルター》に……ってああ、伝わらないか!

 いいか、オールターは東の大門から出て、ずっと南へ──』

 

 と、そこまで捲し立てられたところで、一際激しい炸裂音が響いた。

 これは──銃声、か?

 ガンゲイル・オンラインというゲームで飽きるほど聞いた音と酷似している、とキリトは思う。

 

『──ダメだ、電源切れます!』

 

 直後に聞こえた声は、キリトもアルフォンスも知らない誰かの声だった。

 それを最後に、ブツリと音を立ててウィンドウが閉じる。

 これは、一体──?

 

「なんだってんだ……? 訳の分からないまま、切れちゃったぞ」

「向こう側で、何かがあったと考えて然るべきだろうな。明らかに尋常では無かった」

「うん……何か、色々言われたし──は?」

 

 その瞬間、キリトは不思議なものを見た。

 遥か上空──硬質な天井を貫いて、真っ白な光の柱が幾つも舞い降りてくる。

 何だ、これは?

 回避をしようにも、身体を上手く動かせず、それは無慈悲にも──

 

「うぉぁ!?」

 

 ──瞬間、キリトはアルフォンスに頭を掴まれた。

 それなりの力を込められていて、抵抗が出来ない──が、そこに敵意が無いことはすぐに分かった。

 

「良いか、疑問を持たず、オレの言うことに従え。何があろうとも、己を否定するな、卑下するな。

 逆に尊大にもなるな、うぬぼれるな。ひたすらに自身をフラットに見ろ。

 貴様は誰であり、何をしてきた人間なのかを、冷静に定義しろ──そうするだけで、それは貴様にとっては脅威にはなりえない」

「────」

 

 言葉もなく、キリトは頷いた。

 恐らくそれは正しいのだと、そう思うのと。

 光の柱が全身を貫くのは同時のことであった。

 己という、肉体ではなく魂をそのものを直接貫くような、存在そのものをバラバラにされるような感覚に襲われ──グッ、とそれを堪える。

 痛みはないが、酷い不快感だった。

 掴まれている頭から響く明確な痛みが無ければ、意識を落としてしまいそうだとすら思う。

 

「──、────」

 

 目の前の少年が、何かしら言葉をかけてくれている。

 よく聞き取れないが、キリトはそれだけでありがたいと思えた。

 手から離れて行きそうな五感が、辛うじてそれで繋ぎ留められている。

 意識を保とうと思える、保たせてくれている。

 息遣いが荒くなっていく、魂が引き裂かれそうな衝撃が続く。

 ──そんな状態が、どれだけ続いたのだろうか。

 突き立っていた光がフッと、音もなく消えて、キリトの身体は力なく崩れ落ちた。

 コンコン、と頭を蹴られている感覚がキリトを襲う。

 

「おい、生きているか」

「お、お陰様で……。でも、悪い、少し、眠い……」

「そうか、であれば良い。存分に休め」

 

 アルフォンスの言葉が終わると同時に、キリトは意識を手放した。

 そんなキリトを片手で持ち上げ、アルフォンスは深く息を吐く。

 

「ここからはもう、オレも知らない物語になる──役に立ってもらうぞ、主人公」

 

 

 

 

 

 

 

 




キリト:心神喪失回避に成功した。この後適当な部屋で寝かされたため「知らない天井だ……」ムーブをする。

アルフォンス:この先がちょっとだけ不安。


薄々気付いてはいたんですけど明らかにこれは《大戦編》ではなく《公理教会攻略編》だろ……と気付いてしまった為、章の名前を変えます。
大戦編は次話以降からになります。ごめんね。


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幕間のお話。
あの遠く懐かしい記憶は、今どこに。(前編)


前話私「次話からは大戦編やりまァす!」
今話私「幕間書いていきまァす!」

という訳でしばらく(五話くらい?)幕間やっていきます。
あと今日はキリトの誕生日らしい。ハピバ!




 夏風が、柔らかく頬を撫でる。

 ゆるりと温かみを纏ったそれは、少しばかりの不快感を与えながら過ぎ去っていく。

 空を仰げば、太陽──ソルスが燦燦と輝いており、人界へと陽光をふんだんに降り注いでいる。

 人界歴三八〇年八月。

 セントラル・カセドラル南方庭園──通称《飛竜の庭》。

 平和を体現したかのような、麗らかな大庭園のど真ん中で、鋭い剣戟が響いていた。

 黒の剣が宙を裂き、青原の剣がそれを迎え撃つ。

 その度に激しい火花が飛び散って、甲高い金属音が空に響いていた。

 鍔迫り合った二人の少年の視線が、バチリとぶつかり合う。

 

「腕を上げたな、ユージオ」

「どこから目線のつもりなのさ……今日は僕が勝たせてもらうからな、キリト」

「俺だって負ける気はない……ぜっ!」

 

 ギィィィン! と弾き合うと共に、キリトは一歩踏み込んだ。

 それを予期していたように、ユージオは二歩ほど下がり、余裕をもった迎撃を行った。

 黒と青の火花が、夏空のもとに何輪も咲き誇る。

 一際大きく高い音と同時に、再び二人は距離をとった。

 じり、とキリトが半歩だけ下がる。

 ──本当に、強くなったな。

 わずかに肩で息をしつつ、そう内心で呟いたキリトは、まっすぐとユージオのことを見つめた。

 ユージオは剣の天才である、ということにキリトが気づいたのは、彼をルーリッド村から連れ出した時のことだ。

 その際にひと悶着あり、村の衛士と戦うことになったのであるが、見事ユージオは勝利した。

 二人が使用する《アインクラッド流》という剣術は、かつてキリトが経験した《ソードアート・オンライン》というゲームのスキルが基になっている。

 その内の一つを教えただけで、彼は別のソードスキル……《秘奥義》を見つけ、使用してみせたのだ。

 ただの木こりでしかなく、剣を振るうようになったのもここ数日の少年が、である。

 お見事、と思うと同時にキリトは、そこに巨大な才能の片鱗を見た。

 そして事実、ユージオは約三年ほどの修練だけで、キリトと並ぶほどの実力──ひいては、上位を除いた整合騎士であれば、問題なく打ち倒せるほどの実力を身に着けた。

 目を見張るような成長である。

 いずれは、こうやって対等に打ち合うのも難しくなるのかもしれない──。

 ふとよぎった思いを、キリトはふるふると追い出した。

 弱気になっていては、勝てるものも勝てない。

 

「どうしたんだい? 息が上がってるよ」

「そっちこそ、すごい汗だぜ」

 

 軽口と視線が交差する。

 少しだけの空白。僅かながらの間隙。

 動き出したのは、両者同時だった。

 二人の剣は真っ赤なライトエフェクトに染め上げられ──ヒュルリと、山吹色の風が吹いた。 

 十字の花で出来上がったそれは二人の剣を一撃で吹き飛ばし、主人の元へと舞い戻る。

 それから、もう耳に馴染むほど聞いた高い声が、ゆっくりと投げかけられた。

 

「二人とも……また、サボっていましたね?」

 

 明らかに怒気の籠った声に、キリトとユージオはビタッ! と静止した。

 

「やべっ」

「あー……」

 

 弾かれていった愛剣をチラッと見た後に、こわごわと二人は振り向いた。

 艶やかな金の髪を靡かせながら、一定の歩調で歩み寄ってくる一人の女性。

 いつもの黄金の鎧ではなく、青色の制服に身を包んだ彼女の手には、籐かごがぶら下がっていた。

 焦ったようにキリトが口を開く。

 

「は、早かったな、アリス」

「全然早くありません。いつも通りの時間です──はあ、どうして貴方たちはこう……」

 

 ピシャリと言いのけたアリスは、ため息交じりにこめかみを抑える。

 実に頭が痛そうだ──なんてことを暢気に考えたキリトが、絶対零度の視線で射抜かれる。

 

「二人には、飛竜の装備の点検・整備を命じたはずですが?」

「よ、予定より早く終わったんだよ」

 

 慌ててユージオが弁解をして、キリトが「うんうん」と首を縦に振る。

 アリスはじろりと二人を睨み直した後に、「そうですか」と口角を上げた。

 

「それで、時間が空いたから剣技の修練をしていたと?」

「そ、そうそう! だから、決してサボっていたわけじゃなくって──」

「では、明日からは教会内部の清掃も任せても良さそうですね。何せそれだけ体力が有り余っているのですから。問題なんてないでしょう?」

「なぁっ──!?」

 

 そりゃないよ! と表情だけでユージオは訴え、キリトは「おいおい……」と空を仰いだ。

 今の二人の顔はまるで捨てられた子犬だ。

 尻尾が垂れ下がっているようにすら見える、とアリスは思い、頬を和ませた。

 

「──冗談です。ですが、あまり此処では剣を振るわぬように。飛竜たちの気が立ってしまいますから」

「そ、そうなのか。それは悪かった」

「悪かった、ではないでしょう。騎士見習い、キリト?」

「──ハッ、申し訳ありません! 整合騎士アリス殿!」

 

 慌ててバッ! とキリトが胸に手を当てそう言い放つ。

 ゆら、と流し目を向けられたユージオもまた、スッと背筋を正した。

 

「以後気を付けます、整合騎士アリス殿!」

「はい、よろしい。私はともかく、他の整合騎士たちにはこういった礼儀に敏感な人もいますからね、癖はつけておくように──では、お昼にしましょうか」

 

 ふわりと笑んだアリスが、籐かごから真っ白な布を取り出し、慣れた手つきで地面へと広げる。

 それに一番乗りでキリトが飛び乗り、遅れてユージオが腰を下ろした。

 呆れたような、微笑ましいような笑みを浮かべ、アリスは昼食を籐かごから取り出し並べた。

 本日の献立は、キノコと肉のパイ包み焼きに、料理長直伝の白パン、今朝採れたばかりの果物、それからミルクである。

 ──どれもアリスが調達したものだ。

 毎日とは言わないが、余裕がある時はこうして、三人で昼食を摂るのが恒例になっていた。

 

「天命を気にするほど時間は経っていないわ。ゆっくり食べて」

 

 アリスの口調が砕け、ついでに緊張感が解け落ちる。

 キリトとユージオは、それを聞き取ると同時に我先にと手を出しかぶりついた。

 年盛りの腹ペコ少年×2だ。焦らなくても良いと言われても、そうしてしまうのは仕方のないことだった。

 やれやれ、と言わんばかりの様子のアリスもまた、二人に触発されたように料理を手に取った。

 ──うん、我ながらいい出来ね。

 口元をほころばせ、次々と食べていく。

 会話もなく、モグモグと三人は口を動かし続ければ、みるみるうちに料理は消えていった。

 コクコクと、最後にミルクを飲み干して、一息をつく。

 

「──ふう、今日も美味しかったよ。ありがとう、アリス」

「気にしないで。いつも言ってるように、ついでに作ってるだけなんだから」

 

 毎回している会話をして、アリスとユージオは顔を見合わせ、破顔した。

 ああ、何て幸せなのだろう──。

 ユージオが、そんなことを思いながら少しだけ目を閉じる。

 こんな日は、もう来ないと思っていた。

 八年前。アリスが連れ去らわれ、それをただ見ることしかできなかった自分。

 あの日、あの瞬間。このような平和な日々は完全に失われたのだと、冗談抜きでユージオはそう思ったのだ。

 無論、それを取り戻すべく、数か月前の自分はここまでひた走ってきた訳であるのだが──ここまで上手くいくだなんて、誰が思うだろうか。

 一時は、暗黒界にまで逃げおおせて、ひっそりと暮らすしかないとすら考えていたのである。

 本当に、本当に夢のようだ──。

 またこうやって、三人で平和な時間を過ごせるだなんて……ん?

 あれ、変だな。と、ユージオは思った。

 キリトという若者は、つい数年前に出会ったばかりのはずだというのに──何故、今自分は「三人で」、と思ったのだろう?

 浮かび上がった疑問は、場合によってはすぐに霧散するようなものであったが、しかしユージオはどうしてもそれが気になった。

 そも、キリトが如何に人たらしと言えど、アリスとここまで距離感が近いのも、考えてもみれば少し違和感だ。

 仲が良いことに違和感があるのではなく、仲が良いことが極自然なことであると、そう思っている自身に違和感を感じていた。

 ──いや、まあ、気にしたところでなんだ、という話ではあるんだけど。

 ユージオがそう独り言ちれば、パタリと真横にいたキリトが仰向けに倒れ込んだ。

 

「──それにしても、平和だよなあ。本当に戦争が起こるなんて、考えられないぜ」

 

 そのままポツリと、キリトは呟いた。

 流れゆく雲を目で追いながら、緩やかに力を抜いていく。

 それを見て、アリスが少しだけ表情を硬くした。

 

「でも、兄さんが言うのだから、間違いはないわ。……それを証明するように、最近は暗黒界からの斥候が多いし」

「へぇ……でも、問題なく対処出来てるんだよね?」

「当然じゃない、常に整合騎士(わたしたち)が複数で警備にあたっているし、何より神獣たちにも協力してもらっているんだから。万が一、ということはないわ」

 

 しみじみと、アリスは言う。

 四神獣──彼女が担当したのは、三体であったが──を説得するのは本当に骨が折れた。

 一度は本気で死ぬかと思ったものである。何とかなって、本当に良かった……。

 

「現状だけを言うのならば、守りは万全だわ。でも、東の大門の天命が、恐ろしい速度で減っている──このままだと、年を超える前には崩れ落ちるだろうって話よ」

「それって……その、神聖術でどうにか出来たりしないのか? アルフォンスとか、アドミニストレータって、相当凄い術師なんだろう?」

「そうね、私もそう思って聞いたことがあるけれど、不可能だって言われたわ。試してはみたけれど、《最終負荷実験》は、どうあっても防ぐことは出来ないようだって」

「……《最終負荷実験》、か」

 

 眉を潜め、キリトが繰り返し呟く。

 最終負荷実験……それはつまり、暗黒界の人間たちとの大規模な戦争を意味する。

 そしてそれは、アンダーワールド内のいざこざという訳ではなく──無論、全く関係が無いのかと言われればそんなことはないが──現実世界の人間たちが仕組んだことだ。

 ──正直なところ、キリトはなぜ、菊岡たちがこのようなことを企んでいるのか、さっぱり見当がつかなかった。

 しかし、如何な理由があれども、このようなことは許されないだろう──。

 そう思い、拳を少しだけ握りしめる。

 キリトはもう、この世界で随分と暮らし過ぎた。

 この世界が、自分のいた現実世界と大差ないことを、もう嫌というほどに味わってしまった。

 ここで過ごす人々は、誰もが自身と変わらない人間であることを、理解してしまってた。

 それがゆえの、怒りだった。

 

「──酷い殺し合いになると、兄さんは言っていた。アドミニストレータ様も、カーディナル様も同様に。だからきっと、暗黒界との戦争はかつてないほど、過酷なものになるでしょうね」

「……怖いのかい? アリス」

 

 呟くように、ユージオが問うた。

 アリスは少しだけ目を見開いて、それから細める。

 

「何年経っても、ユージオに隠しごとは出来ないわね──ええ、そう。私、少しだけ怖いの。明確に何かが怖いという訳ではなく、ただ、漠然とした恐怖がそこにある」

 

 そう言った声音は、少しだけ弱々しいものであった。

 整合騎士だというのに、なんと情けないことか──しかし、この二人を前にすると、どうしても弱音が出てきやすくなってしまう。

 ただでさえ最近は、あらゆるものを背負い込んでいるアルフォンスに世話をかけないように、自らを律していたのだ。

 反動のようにやってくる巨大な弱さを、アリスは深呼吸ひとつで追い払った。

 

「でも、心配するほどじゃないわ。だって私、強いもの」

「それは──確かに、そうだけどさ。それでも、何かあったら頼ってよ。僕たち、幼馴染だし……それに、今はきみ直属の見習いなんだからさ」

 

 な、キリト。と言いつつユージオは、未だに暢気に寝転がっている親友の腹を叩いた。

 ぐぇっ、という情けない声が吐き出され、アリスとユージオは吹き出すようにして笑った。

 

「ちょっ、お前らなあ……」

 

 パッと起き上がったキリトの視界に収まったのは、口を抑えて笑う少女と、ニヤニヤと笑む相棒だ。

 はぁ、と深々とキリトはため息を吐いた。

 これでは何を言っても効果はないだろう。今は甘んじて笑われてやろう──。

 そう思いながら、視線だけは逸らす。

 セントラル・カセドラル南方庭園は、キリトにとってもこれまで見たこと無い豊かさと美しさを兼ね備えた庭園だ。

 目の保養にはなる──と、遠くを眺めた、その時だ。

 

「きゃっ」

「わっ」

 

 ブワリと、頭上を飛竜が翔け抜けて行った。

 此処は《飛竜の庭》と名付けられるほどだ──こうして、飛竜たちが飛び回っているのはそう珍しいことではない。

 流石に、ここまで至近距離を通過していくことは滅多にないが……。

 それでも、有り得ないことではない。

 レアな現象だと思えば、ラッキーだとすら思えてくるだろう──と、実にゲーマーらしい思考をしたキリトの目に、不意に不思議な光景が見えた。

 さざめく川面。広がる草原。離れにある深い森。

 その中を、寄り添い合って歩いていく、三人の子供──二人の少年に、一人の少女。

 ほら、早く、と前を進む少女が振り返り、慌てて追いかける亜麻色の髪の少年。

 それを暢気に眺めながら、置いて行かれない程度の早さで歩く、黒髪の少年。

 夏色の夕日にあてられた彼らの姿は──どこか、酷く懐かしい。

 ──それはきっと、いつかの日の記憶。

 もう失われてしまった、遠い日の思い出。

 こんな日がずっと続くんだと、無邪気にも思い込んでいた輝かしい光景。

 ざわりと、魂の表面が撫でられる。

 魂の奥底が、思い出せと叫んでいる。

 何故かは分からないが、キリトはそう思い──しかし、瞬きをすると同時にそれは消え失せてしまった。

 現れた時と同じように、忽然と。

 パチパチと、キリトは数回微動だにせず、瞬きだけを繰り返した。

 ──今のは、一体……?

 もう一度見れないものかと待ってはみたが、しかしその時はもう来なかった。

 視界にはただ美しい庭園が広がっていて、遠くの方で先ほどの飛竜が、もう一頭の飛竜とじゃれ合っている。

 

「おーい、キリト。どうかしたのかい?」

「……」

 

 ひょいひょい、とユージオがキリトの眼前で手を振ってみせる。

 そちらに意識を戻したキリトは「あー……」だとか、「ん-……」だとか、歯切れの悪い声を漏らした後に、意を決したように言った。

 

「なあ、変なこと聞いて良いか?」

「お前はだいたい、いつも変なことを言っているよ」

「なんだとう? それに幾度も救われていることをお忘れかね、ユージオくん?」

「その回数分、厄介事にも巻き込まれてるんだよ」

 

 ジト目でユージオが言う。

 キリトは思わず「そうだったか?」と目を逸らして口笛を吹いた。

 

「それで、結局聞きたかったことって何なの?」

 

 アリスが口を挟み、キリトが「うむ」と頷いた。

 

「いや、まあ、本当に変なことなんだけどさ。俺達って、昔に会ったことがある……いや、違うな。一緒に育った、幼馴染だったりする?」

 

 言っておいて、キリトはすぐさま頭を振った。

 本当に、あり得ない話なのである──なにせキリトは、現実世界の人間である。

 こちらでは「キリト」という名で通しているものの、本名は桐ケ谷和人。十七歳の高校生だ。

 だから、すぐに否定しようとした。

 やっぱいい、気にしないでくれ──と、言おうとして。

 アリスが、柔らかく微笑んだ。

 奇妙なまでに懐かしさを感じさせる笑顔のまま──

 

「ええ、正解。幼馴染なのは私とユージオだけじゃなく、貴方も含めた、三人よ」

 

 ──と。

 アリスはそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 




アリス:アルフォンスに食わせまくることでメキメキ料理の腕を上げている。

キリト:騎士見習い。アリスの下っ端をやっている。何か……思い出しそう! って思ってる。

ユージオ:騎士見習い。アリスの下っ端をやっている。何か……懐かしい! って思ってる。


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あの遠く懐かしい記憶は、今どこに。(後編)

書きたいお話が幾つかあるのでまとめて幕間で書いてきます。
まあ今話のように、普通に教会攻略後の話とかも書くから半分本編みたいなものなのですが……許してくれると嬉しいな。


 

 記憶喪失を経験したことがある人間というのは、現在約八十億存在する現代人ですら、そうはいないだろう。

 だいたいの人間がそんな経験とは無縁であるはずだ。

 それは、総人口約八万しか存在しない人界であればなおさらというもので、記憶喪失である人間には、その珍しさから《ベクタの迷子》という名称すらつけられているほどだ。

 身近なところで言えば、アルフォンスや、キリトがそれにあたる──尤も、この二人はそれともまた違う、実に特殊な例外ではあるのだが。

 片やバグ的存在であり、片や現代人である──が、それは一先ずおいておくとして、実のところアリス・ツーベルクは「ある」と答えられる稀有な人間であった。

 であれば、彼女こそが《ベクタの迷子》であるのかと言われれば、それもまた違う。

 一般的に《ベクタの迷子》とされるのは、自らの生い立ちといった、いわゆる過去の記憶をすべて忘却してしまった人間のことを指し、アリスはそれに該当しない。

 彼女が記憶を喪失していた期間というのは、たったの一週間だけであり、その間彼女は身じろぎひとつすることなくベッドに寝かされていたのだ。

 だから、アリス視点からすれば、記憶喪失というよりは意識喪失状態だったわけだ。

 目を覚ましてから、ベッドの横にいたアルフォンスから滔々(とうとう)と説明をされ、そういう理解になっただけである。

 ──曰く、「必要であったからしたまで」とのことらしいが。

 眠る前と比べて、特に身体にも、精神にも異変が無かったことから、正直なところアリスはこのことを忘れていた──思い出したのは、キリトたちを公理教会に連行してきた日のことである。

 集められた四人の整合騎士が各階の警備を任命され、退室していく中、アルフォンスに引き留められたアリスは、衝撃の事実を伝えられた。

 即ち、ユージオとキリトには、三人で過ごした時の記憶が存在していない──ある意味では、封じられているということを。

 あの一週間の意識喪失は、アリスがそうならない為にされたものであったことを、アリスは聞かされたのだ。

 

「まあ、何故そうなったのか、問い詰める前に追い出されちゃったんだけどね」

 

 と、曖昧に笑ったアリスのことを、キリトはベッドに寝ころびながら思い出していた。

 時刻は22:00。そろそろ深夜と呼んでも良いくらいの時間帯だ。

 修剣士時代、寮で使っていたベッドもかなり上等なものであったが、公理教会のベッドは比較にならないほど上等だ。

 目を瞑ろうものなら、すぐにでも眠りに誘われるだろう。

 もちろん、キリトとて今日も一日身体を酷使したのだから、すぐに眠りたいところではあったが、当然ながら眠れる訳もない。

 ゴロンゴロンと寝返りを打ちながら思考を回してため息を吐く。

 ──私たちは、三人で幼馴染なのよ。

 その言葉を何度も頭でリフレインする。その度に、やはりこの言葉は嘘ではないのだろうな、という思いを深めていた。

 というのも、恐らくキリトはこのアンダーワールドという世界にダイブするのが、これが初めてではないからである。

 今からほんの少し前──今のキリトからすれば、もう二年以上も前のことになるが──キリトは、とあるバイトとしてソウルトランスレーター(STL)を用いた、三日間の連続ダイブを行ったことがある。

 そしてその際の記憶を、一切持ち出すことができていないのだ。

 推測にはなってしまうのだが。この《持ち出すことができなかった記憶》こそが、アリスの言う《幼馴染として育った記憶》なのではないだろうか。

 当時、STLの持つフラクトライト加速機能(FLA)というのは、最大三倍であると説明はされた記憶があるのだが、しかしあの時菊岡は「FLAを一千倍に戻す」と言ったのである。

 つまり、あの《三日間の連続ダイブ》の時も、一千倍……あるいは、それ以上にまで加速されていたのではなかろうか。

 聞けば、アリスが公理教会に連行されたのは九歳の時であるという。

 FLAが、およそ一千倍ほどにまで加速されていたと考えれば、現実世界で三日経つうちに、内部では九年近い年月が流れていた筈だ……要するに、辻褄が合う。

 無論、機密情報であるがゆえに、内部で過ごした記憶は忘れてしまうという説明はされており、キリト自身それに納得はしていたが──ここまで来ると、流石にちょっと話が違った。

 それに、記憶を持ち出せないと言うが、しかし決して、消されたわけではないのだという。

 飽くまで思い出せないように、プロテクトをかけられているだけだ、と──。

 こうなってくると意地でも思い出してやりたくなるのが人の性というものだ。

 しかもユージオは覚えていないのに、アリスは覚えているという不可思議な現象まで起こっている。

 ──いやぁ、でもなあ……。

 むむむ、とキリトは瞑目した。

 アリスが記憶を保持しているのは、どう考えてもアルフォンスの仕業であると考えて間違いないだろう。

 出会ってからまだ数か月しか過ごしていないが、あの少年のアリスの溺愛っぷりは見ていれば即わかるレベルだ。

 まあ、妹が可愛くて仕方ないという気持ちは、同じく妹を持つ兄として、分からないでもないが……。

 兎にも角にも、アルフォンスに聞けば何かしら分かるのは確かだろう──

 

「でもアルフォンス、ああ見えて超忙しいやつなんだよな……」

 

 朝から晩まで激務に身を費やしているのを、キリトはある程度把握していた。

 彼は奔放な人間であるが、同時に無責任な人間ではない。

 トップでいる以上、あまねく責任は彼の肩に乗っており、この人界の行く末すら、彼の手によって大きく変わるのだ。

 そんなアルフォンスを、極めて個人的な事情で邪魔をしていいのだろうか?

 ただでさえ、公理教会に突入し切った張ったの大暴れをした過去がある。

 もう少し大人しくいるべきではないだろうか……? いやしかし、気になるものは気になるというものだ。

 

「おい、さっきから何モゾモゾしてるんだよ? 明日も朝、早いんだぞ」

 

 困ったなあ、とゴロゴロしていたキリトに、隣のベッドで寝ていたユージオが声をかける。

 この部屋はキリトとユージオの二人部屋だ。

 流石に見習い程度に個室を与えられるか、とのお達しである。

 修剣士時代もそうだったから、特に抵抗はなかった。

 

「て言ってもなあ、ユージオだって気になるだろ?」

「そりゃ、そうだけどさ……」

 

 ユージオとて、アリスの言葉が気になって今もまだ眠れていなかったのだ。

 恐らく、キリトと同じようなことを考えていたのだろう。

 無言のまま、二人は目を合わせ……しばらくした後に頷いた。

 

「やっぱり、聞きに行った方が早いよなあ」

「でも、今から行っても良いのかな……もし、他の整合騎士とかに見られたら、睨まれちゃうよ」

「その時はその時だろ。テキトーに躱すさ」

「お前ってやつは……」

 

 呆れたように言うものの、ユージオはにやっと笑う。

 初めて会った時と比べれば、こいつも大分変わったよなあ、とキリトは思いながらベッドから抜け出した。

 二人揃って制服へと袖を通し、愛剣は少し迷った後に置いていくことにした。

 別に戦う訳ではない。

 むしろ、帯剣していた方が問題視されるかもしれないと思ったからだ。

 そそくさと部屋を抜け出し、最上階へと向かう。

 二人の部屋は三十階だから、およそ七十階分も上らなければならない計算だ。

 

「五十階からは一気に八十階まで上がれるとはいえ、遠すぎなんだよな……」

「良いじゃないか。少なくとも、あの時よりはずっとマシだよ」

「……まあ、邪魔をされたりする訳じゃないからな」

 

 ついでに言えば、骨折り損のくたびれ儲けになる可能性も無い。

 ちょっとした散歩だと思えば、幾分かモチベーションも上がるというものだった。

 カツカツと、足音を響かせていれば、二人は数十分ほどで最上階へと辿り着いた。

 初めて上った時と比べれば、楽過ぎるというものだ。

 

「けど、ここまで来ると流石に緊張するな……」

「百階とか滅多に来ないからね」

 

 ゴクリとキリトは息を飲む。

 が、それも仕方のないことだろう。ただでさえ主に百階で活動しているのはアルフォンスとアドミニストレータ、それからカーディナルなのである。

 三人が三人とも、強烈な心意の使い手であり、意識せずともこの階だけは別種の雰囲気が漂っていた。

 本能的に身体が固まるのを感じながら、それを振り払う──と同時に、ガチャリと鍵の開いた音が響く。

 キリトとユージオは一瞬だけを目を見合わせてから、扉へと力をかけた。

 特に抵抗もなく、扉が左右に開く。

 

「──あっ」

「えっ……」

 

 二人が思わず声を上げる。

 広がったのはアルフォンスの書斎──だが、その奥で彼らは見知った後ろ姿を見た。

 黄金の髪を一つに束ねた、寝間着姿の幼馴染──アリスが、そこにいた。

 何だか妙に距離近くないか……? 反射的に浮かんできた感想をユージオは全力で蹴り飛ばした。

 危ない危ない。

 

「お前たちもか……。オレもそろそろ休みたいのだが──ま、仕方ないか。良い、入ってこい」

 

 もう気分的には仕事モードではなくなっているのだろう。

 いささか砕けた口調のアルフォンスが、目を細めながら声を投げかけた。

 

「あー……いや、その、取り込み中だったなら後でで良いんだけど」

「良いと言っているだろう。それに、用件は大体わかっている、どうせ記憶のことだろう」

「おぉ……相変わらず、察しが良いな」

「良すぎてちょっと怖いくらいだけどね」

 

 小言で二人が言葉を交わし、少しだけ笑ってから歩み寄る。

 アリスは「貴方たちもですか……」と言いたげな顔をしていたが、僅かに頬が緩んでいる。

 

「まず先に言っておくが、オレが今ここで、お前らの頭をちょいと弄って記憶を戻してやる──といったことはできん。記憶を読み取るか抜き取る、あるいは滅茶苦茶にするくらいなら可能だがな」

「……ということは、アルフォンス以外なら、可能ってことなの?」

 

 言った直後、ユージオはピシッと背筋を正した。

 アリスの目が「せめて様はつけなさい!」と如実に伝えてくる。

 自分は「兄さん」と呼んでいるのに……。ユージオはちょっとだけ内心で愚痴をこぼした。

 

「恐らくはな……不可能ではないだろう。同時に、簡単なことでもないだろうが」

 

 記憶とは、密接に魂と絡みついているものだ、とアルフォンスは言った。

 それをまず分離することだけでも超高等技術である上に、それを改竄するとなると、相当な手間になる。

 アンダーワールド内でそれが可能なのは、それこそアドミニストレータとカーディナルだけだ。

 

「今はあまり余計なタスクは増やしたくないのだが……仕方あるまい。カーディナルには直接オレの方から言っておいてやろう」

「い、良いのか?」

「今やらずに、これから悶々と過ごされてはこちらも困るからな。お前たちには期待している──と言う訳でだ。来い、カーディナル!」

「へ?」

 

 唐突な呼びかけに、アリスが音を漏らした。

 まさか、そんな呼びかけで彼女が来るわけ──と三人が思った直後、ヌルリとカーディナルは現れた。

 ちょうど、アルフォンスの影から抜け出てくるように。

 ふわぁ、と彼女は小さくあくびをする。

 

「何じゃ、わしはそろそろ寝るところじゃぞ」

「知っている、だから寝る前に呼んだんだ」

「この小僧……!」

 

 マジでパンチしてやろうか、と思ったところでカーディナルの視界にアリスたちが入って来る。

 ふむ、と三人を丸ごと視界に収め、少々疲れたようなアルフォンスを次に見て、「なるほどのう」と頷いた。

 彼女は完璧に状況を理解していた──尤も、こうなる可能性があるとは、前々から話していたからであるが。

 ちょいちょい、とカーディナルが手招きをする。

 

「では手早く済ませることにするかの。ほれ、来いユージオ」

「わ、私もですか?」

「ま、ついでじゃしな。ほれ、はようせんか──うむ、そこでしゃがめ」

 

 カーディナルの前に並んだアリスとユージオが、揃って膝をついた。

 下がった二人の頭に、カーディナルの小さな手が触れる。

 ──瞬間。

 二人は意識を失い、入れ替わるようにして脳内からウィンドウが飛び出した。

 それをカーディナルが、難しい顔で触り始める。

 

「さて、ではもう少しだけ話をするとしようか、キリト」

 

 ポカンと、その様子を見ていたキリトに声がかけられる。

 視線を向ければ、ぐったりとアルフォンスは背もたれに寄り掛かっていた。

 

「お前の記憶に関してなのだがな……正直なところ、オレにはどうするのが良いのか、判断がつかん」

「珍しいな、アルフォンスがそんなことを言うなんて」

「当然だろう、下手をすればお前、廃人になるかもしれんし、あるいは人格だって変わるのかもしれんのだぞ?」 

「いっ!?」

「何を驚いている……当たり前だろう。お前はこの世界の人間ではないのだぞ? それはつまり、記憶を戻せばお前には、二つの人生の記憶が刻まれるということになる。

 現実世界で過ごした幼少期の記憶と、この世界で過ごした幼少期の記憶がな。

 アンダーワールド人である、ユージオやアリスはお前のことを思い出した、という形になるが、お前の場合はそうはいかない──ゆえに、お前に記憶が戻った時、どういうことが起こるのかオレには見当がつかない」

 

 深々と息を吐きながら、アルフォンスが言う。

 しかし、その言葉には若干の嘘が混ざっていた。

 どうなるのかが見当もつかない──ということはない。

 何せアルフォンスは、まったく見知らぬ人間の記憶を、自身の脳みそに刻み込まれているのだから。

 少々状況は違うが、大雑把に見れば似たようなものだ。

 ましてやキリトの場合、どちらも「キリト自身」の記憶なのである。危険性はそこまで無いのだろう、という確信もほとんどありはした。

 ただでさえ、キリトは現状「まったく思い出せないだけ」という状態で固定されているに過ぎないのだ。

 自覚するか、しないかの違いでしかない。と言ってしまえばそこまでだ。

 だが、無事終わる確証があるわけではない。思いもよらない事故が起こる可能性は十分にある。

 

「仮に、お前が自我を失うようなことになれば、オレには責任が取れん──この世界の人間であるならば、一生面倒を見てやるくらいはするのだがな。

 お前は例外過ぎる──ゆえに、オレからはなかなか言い出せなかったという訳だ。悪かったな」

「──いいや、アルフォンスは悪くないよ。こっちの考えが、足りてなかった」

 

 言われて初めて気付いた──いや、無意識のうちにその可能性を外していたことを、キリトは自覚する。

 言われてもみれば当たり前のことだ。

 記憶は経験だ。そして人間の精神というものは、経験で象られている。

 大なり小なり影響はあるだろう──しかし、ここで「じゃあやっぱりやめる」という選択肢を選ぶことが、キリトにはできなかった。

 瞑目して、思い出す。

 この世界に来たばかりの時。そして、昼間に見た光景──。

 アレはきっと、忘れてはいけない、輝かしいものだったはずだ。

 キリトは大きく息を吸い、その分吐き出した。

 心を整理して、意思を固める。

 

「まあ、もし酷い影響があるようならすぐさま記憶を封じてやるから、廃人になることなどないだろうがな」

「あれ!? そういうことは先に言っておくことじゃないのか!?」

「先に言ったらお前、碌に考えもせずに頼むだろうが……。お前は無理、無茶、無謀が旗印のようなやつだからな」

 

 瞬間、カーディナルが恐ろしい勢いでアルフォンスを見た。

 同時にキリトが耐え切れずに吹き出す。

 彼女の瞳は明らかに「それはお前だろうが!!!」と叫んでいた。

 コホン、とアルフォンスが息をつく。

 

「くくっ……」

「いつまで笑っている……。そら、来い。覚悟はもう決まったのだろう」

「ふっ……わ、悪い。いや、ちょっと待ってくれ。アルフォンスに出来るのか?」

「お前の場合は思い出せないよう、遮断されているだけにすぎんからな。その程度であればオレでも可能だ」

 

 言って、アルフォンスはキリトの額へと触れ──同時、キリトの意識は光の中に転げ落ちて行った。

 そうして見たのは、やはりあの時の光景だった。

 豊かに注がれるソルスの光。

 かけぬけていく涼風。

 さざめく川面に、揺れる草原。

 その中をかけるアリスと、ユージオと──自分(キリト)

 ──ああ、そうだ。そうだよ。これは間違いなく、俺の記憶だ。

 確信を得れば、湧き上がるように記憶は蘇ってくる。

 ガリッタ爺さんの小言や、ギガスシダーの天職に命じられたこと。

 休息日には三人で遊びまわって、たまにシスターに怒られていたこと。

 何でもない小さな日常の欠片たちを、キリトは自身のものとして受け入れ──パッと、目を覚ます。

 

「具合はどうだ? 何か変わったか?」

「いや……多分、だけど特に変わった感じはしないかな……。

 ああ、いや、思い出しはしたんだけどさ。ただ、過去のことを思い出したってだけな感じで、特に影響は──」

「キリト!」

 

 途端、ユージオの声が響いた。

 ゆらとキリトが振り向けば、アリスとユージオと目が合う。

 ──言ってしまえば、それだけだ。

 それだけが、彼らには充分すぎたというだけの話に過ぎない。

 

「何だよユージオ。兄ちゃんに泣かされた時みたいな顔になってんぞ」

「そっちこそ、目が潤んでるよ。また村長さんに叱られでもしたのかい?」

「もう、二人とも、こんな時まで軽口ばっかり言わないの」

 

 少しだけ、無言の空間が訪れる。

 三人とも、何だか妙に気恥しくて、言葉が出ない。

 そんな中、「面倒だな」と思ったアルフォンスがキリトのケツを蹴り飛ばした。

 ぐわっ! 浮いてドスン! と落ちる。

 受け止めようとしたユージオだったが、二人して倒れ込む形になってしまった。

 並んで仰向けに、天井を見る。

 

「あ、あー……俺、こういう時、なんて言えば良いか分からないんだけど……」

「お前が分からないんだから、僕だって分からないに決まってるだろ」

「あのねぇ……こういうのは、単純で良いでしょう?」

 

 と、呆れたようにアリスが口を開く。

 揃って視線を送ってきた二人に、アリスは微笑んだ。

 そっと、二人に手を差し出す。

 

「おかえりなさい。ユージオ、キリト」

「──ただいま。ごめん、遅くなった」

「ただいま。いや本当にな、悪かったよ」

 

 アリスの手を取って、二人は立ち上がる。

 ──あの遠く、懐かしい記憶は今ここに。

 これからはもう、忘れられることは無く、彼らの中で生きていくでしょう。

 

 

 

 




キリト&ユージオ&アリス:この後「邪魔」の一言で蹴りだされた。

アルフォンス:この後アドミニストレータと過ごした。

カーディナル:おねむタイム。


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とある『道化』の最期。

アルフォンスくん十三歳くらい……? の頃のお話。


 人界歴三七三年。

 夏の猛暑も翳りを見せ始め、秋の足音が聞こえるようになってきた頃。

 少しの肌寒さに目を覚ましたアルフォンスは、その日初めて脅迫状、というやつを手に入れていた。

 否、手に入れたというか、見つけてしまったというか……。

 いつまでも迎えに来ないアリスを不審に思い、部屋まで来てやればそれは彼女の机の上に置いてあった。

 ご丁寧に封蠟までされたそれをぺりぺリと剥がせば、中から出てきたそれにはたったの一文しか記載されていなかった。

 

『貴様の妹は預かった。返してほしくば、一人で東方庭園まで来い』

 

 手ずから書いた訳ではないのだろう。神聖術か何かを用いたのか形はバラバラ、サイズも大小さまざまで──少なくとも、筆跡から誰かを特定するのは難しい一文だった。

 まあ、ここがセントラル・カセドラルである以上、犯人は同じ住人なのは間違いないのだが。

 さっと思考を巡らせ、犯人のあたりをつけながら、「ふむ」とアルフォンスは唸った。

 アルフォンスは生まれてこのかた一人っ子である……多分。

 《ベクタの迷子》である以上、十歳以前の記憶がないが──まあ、常識的に考えて実の親兄弟ということはないだろう。

 であれば、ここで示す《妹》とは、アリスのことであるのは明白だった。

 

「……面倒なことになってきたな」

 

 ぼやくと同時、トン、とアルフォンスはつま先で床を蹴った。

 室内に音が響き、それをイメージに重ね合わせ、知覚を急速に拡張する。

 アドミニストレータと話をつけて約一年。アルフォンスは既に心意を完璧に習得していた。

 元来持つ、彼の性格も起因しているのだろうが、ほんの数日で百年近く修練してきた整合騎士たちの習熟度をぶち超えてしまい、ベルクーリが大爆笑したのは良い思い出である。

 そして恐ろしいことに、そこから更に一年間磨きをかけたのである。

 現時点で既に、アルフォンス並みの心意の使い手はそれこそ、アドミニストレータとカーディナルくらいのものだった。

 その二人でさえ、こと心意という一点に限れば、このクソガキに多少の遅れを取るというのだから、おかしさが際立つというものだ。

 まあ、本人は「出来て当たり前」みたいな顔をしているのだが……。

 お陰で、最近になってようやく心意の訓練を始めたアリスが悔しそうにしている姿が公理教会内で散見されている。

 心意を指導しているファナティオも困っていると専らの噂だった。

 

「む……」

 

 アルフォンスが、一音零し落とす。手ごたえがない。

 心意を用いたサーチに引っかからなかった──それはつまり、あの脅迫文が本当であるということを如実に知らせていた。

 尤も、検索したのは公理教会内部だけであり、庭園に出ている可能性もあるが……その可能性は薄いだろう。

 何せ今は早朝である。

 よっぽどの理由がなければ、修道士──それも傍付き!──がこんな時間に庭園に出ることは無い。

 信憑性が高まってきた。というかほぼ確定だ。

 これは面倒とか言っている事態では無くなってきたぞ。

 アルフォンスは僅かに冷や汗を流す。

 無論彼とて、誰も彼もが自分を認めてくれている等と甘い考えをしていたわけではない。

 公理教会は多くの人間が暮らしており、また、一部の人間はアドミニストレータの本性さえ知っていたのだ。

 その上で従っていた者も、当然ながらいる訳で──そりゃ認めるどころかクソ気に入らないと思っている人間だっているのは普通のことだった。

 だから、何かしらの形で妨害はあるだろう、と思ってはいたのだが──

 

「まさか、アリスが狙われるとはな……」

 

 誤算も良いところだ、とアルフォンスは思う。

 否、それは誤算というよりは、やはり己が甘かった、と言うべきだろうが。

 「まあオレ自身が狙われたところでな……撃退する自信しかない」なんてことを考え、碌に対策を講じていなかったのが滅茶苦茶裏目に出ていた。

 考えてもみれば、ここまで実力をつけたアルフォンスを闇討ちしようだなんてやつはそういない。

 上位の整合騎士か──絶対にありえないが──アドミニストレータとカーディナルであれば、可能性も見出せたかもしれないが、ほとんどの人間にとっては不可能だ。

 ただでさえ、妹分であると公表しているのだ。

 アリスとて、実力はつけてきているがまだまだだ──狙われる危険性は十分にあった。

 というか、現状唯一のウィークポイントであったと言っても過言ではないだろう。

 少々、慣れない忙しさにかまけすぎていたな、とアルフォンス一人思う。

 これからは、これまでのような気楽さではいられない──分かっていた筈なのに、分かっていなかった。

 

「さて、と」

 

 脅迫状を放り投げ、剣を手に取った。

 反省はここまでだ──いつまでもここで考え事をしていても埒が明かない。

 それに、アリスはああ見えて臆病な気質がある。

 いつから囚われているのかは分からないが、目を覚ましているのならば今頃怯えているのだろう。

 それは看過できない。

 

「東方庭園……であれば墓地か。悪趣味な場所を選ぶものだな」

 

 小さく吐き捨てて、アルフォンス窓から飛び降りた。

 

 

 

 

 

 東方庭園──またの名を《硝子の霊園》。

 人界人はその命を落とす時、時折硝子の欠片のような光を胸から零し落とすことがある。

 そこから名をつけられた《硝子の霊園》には、ズラリと墓が並んでいた。

 どれも公理教会内に住む者で、天命を全うした者だけがここに埋められる。

 いずれ、自らが死んだ時もここに眠ることになるのだろう──等と考えながらも、アルフォンスは警戒を緩めなかった。

 常に周囲数百メルの範囲を観測し続けながら整えられた草原を踏みしめる。

 ──少しばかり、緊張するな。

 あるいはそれは、恐怖と言っても差し支えないのかもしれない、とアルフォンスは思った。

 仮にもうアリスの命が絶たれていたとしたら、と考えるだけで軽く頭痛がしてくるほどだ。

 人質として扱う以上、そんなことは無いと思うのだが──

 

「ホッホウ、ちゃ~んと一人で来たんですねェ」

「!」

 

 この美しい霊園に似合わない、へばりつくような声が響く。

 やけに小さく、丸い身体に玩具のような短い手足。

 極彩色の道化服に身を包んだ、病的な白さの肌の男がニタリと笑っていた。

 

「やはりお前か、チュデルキン」

「ホッ、ホホォー! 気付いていましたとはねェ! ええ、そうですよゥ! あの小娘は──ほぅれ、この通りィ!」

 

 面白いくらい短い指を、チュデルキンが振る。

 同時に風素に包まれたアリスがふわりと姿を現した。

 気を失っているのか、ぐったりとしたまま動かない。

 アルフォンスは小さく息を吸い込み、長々と吐き出した。

 

「アリスを離せ、チュデルキン」

「ホヒッ、ホヒヒッ! どうやら自分の立場が分かっていないようですねェ! アタシは今、この小娘を一瞬で八つ裂きにだってできるんですよォ!」

 

 ヒュルリと一陣の風が吹く。それだけで、アリスの頬が少しだけ切れた。

 血が、少しだけ零れ落ちる。

 

「……用件は何だ」

「それで良いんですよゥ……アタシの用件はたったひとぉつ! 最高司祭猊下の身柄をアタシに寄越すこと……ただそれだけですよォ!」

「────それだけか?」

「はいィ?」

「だから、()()()()()()()()()()()()と聞いている」

 

 やけに静かな声だった。

 風の音も、草葉のさざめく音もなくなり、ほとんど無音の中、それは突き刺さるような鋭さを以て、チュデルキンを貫いた。

 動揺が顔に出る。

 ともすれば、震えてしまいそうな声を大きくすることで、チュデルキンは誤魔化した。

 

「おほっ、オホホホホ! 強がりでもしているのですかァ!?」

「一度だけ、聞かなかったことにしてやる──()()()()()()、今すぐアリスを解放しろ」

「警告! よりにもよって、警告ときましたか! ホヒヒヒヒッ! 従うとでも思っているのですかァ?」

「従ってもらわなければ困る──なぁ、チュデルキン。()()()()()()()()()()()、性格は置いておくにしろ、お前は優秀な人材だ」

 

 言葉を重ねられるたびに、チュデルキンの背中を汗が伝う。

 しかし、同時に腹の底から込み上げてくるような怒りもあった。

 余裕ぶりやがって。このクソガキが。

 そもそも、チュデルキンはこのアルフォンスという少年が、初めて会った時から気に入らなかったのだ。

 公理教会の定めたルール──暗黙の了解も含め──を悉く無視し、どれだけ言い含めても聞く耳持たず。

 だというのに成長は憎たらしいほど目覚ましい。

 とはいえ、チュデルキンは元老長である──即ち、公理教会でも№2の地位を誇るという訳だ。

 要するに、最高司祭たるアドミニストレータに最も近い存在であった……のだが、それすらこのクソガキはお構いなしだった。

 ここにやってきたその日のうちに、アルフォンスはアドミニストレータへと襲撃をかけた。

 それだけならまだしも──いいや、チュデルキンとしては全く見逃したくは無かったことではあるのだが──このクソガキは、それを日常へと転じたのである。

 正直なところ、毎日ボロカスになって追い出される姿は酒の肴にちょうど良かったのであるが、アドミニストレータに直接教えを請うているとなれば話は別だった。

 アタシでもそんなことしてもらったことないんですよォ!? とチュデルキンはブチギレた。

 その日以来、アルフォンスの行動を徹底的に監視するよう人員を派遣し、深夜になれば神聖術まで用いて道を阻もうとしたのだが……まあ、結果はご覧の有様だった。

 ほんの一、二回ほどで学習したアルフォンスはスイスイと潜り抜ける術ばかりを極めるのであった。

 アルフォンスの隠密はチュデルキンに鍛えられたと言っても過言ではない程で、一度感謝を述べられた時は怒りのあまり目の前が真っ白になったほどである。

 いつか絶対ぶっ殺す、とチュデルキンは思っていた。

 ちなみにアルフォンスは「チュデルキン、キモいけどめっちゃ出来るやつだな」と思っていた。

 そして、それを知ったからこそ、チュデルキンの怒りは深まるのだ。

 それでも彼はギリギリで踏みとどまっていた──のだが。

 最高司祭が敗北し、アルフォンスが公理教会のトップに立った瞬間、彼の理性はぶっ飛んだ。

 で、その結果がこれという訳だった。

 荒々しくチュデルキンは呼吸する。

 

「ず、随分とォ……上から目線じゃないですかァ! あのクソガキが、偉くなったもんですねェ!」

「事実、今はオレの方が上だ。戦うとなれば、お前が相手では加減ができない。素直に従え、チュデルキン」

「──どうやら本ッ当ォにアタシのことを嘗めているようですねェェェエ!? たかだか数年しか修練を積んでいないクソガキがァ! アタシを誰と心得えますかァ!」

 

 ピョンッ、その小さな体躯を以てチュデルキンは地を蹴った。

 クルリと身体を反転させて、頭だけで着地する。

 

「アタシこそはァァ公理教会元老院元老長ォ! アタシがこの地位に就いて約百年が経過しましたァ! それはつまりィ、この百年間、人界ではアタシより腕の立つ神聖術師が生まれてきていないってことなんだよォォオ!」

 

 獣のような絶叫が響くと同時、チュデルキンの周りには熱の素因(サーマル・エレメント)が二十個浮かび上がった。

 ──通常、人界では達人と呼ばれるような神聖術師が出せる素因の限界数は十個と言われている。

 その二倍を、チュデルキンは息をするように作り上げた。

 なるほど、あの最高司祭が、それでも元老長を天職としてこいつに与えた理由が分かるというものである。

 実力だけは、人界内でもトップクラスという訳だ。

 神聖術だけを見るならば、チュデルキンは間違いなく人界内でも五本指に入る腕前だった。

 ──それを、しかしアルフォンスは誰よりも承知していた。

 何せ一年以上も前から直接邪魔されていたのである。

 チュデルキンが人界内最高峰の術師であることを、ともすればアルフォンスは誰よりも理解していた。

 

「……はぁ」

 

 小さくため息を、ひとつ零す。

 迫りくるは熱素で編み上げられた、四つ首の龍だ。

 少し触れただけでも炭化してしまうだろう。それほどの威力を前に、アルフォンスは片手を前に出した。

 ──アルフォンスは、チュデルキンの実力を完璧に理解している。

 だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()を、正確に把握していた。

 パチンッ、と指を鳴らす。それだけで、熱素の龍はたちまち凍りついた。

 

「は──ァ?」

 

 ガラガラと崩れ落ちていく自らの神聖術を前に、チュデルキンは思わず呆けたような声を出した。

 目の前の現象を、受け止め切れない。

 何故、なぜあのクソガキは悠然とこちらに歩み寄ってきている──!?

 

「もう一度だけ、言ってやる。アリスを解放しろ、チュデルキン。そしてオレの下につけ、お前は役に立つ」

「こ……のクソガキがァァアアア!」

 

 ギュルリと風が逆巻く。数瞬だけの動作でチュデルキンはアリスを覆う風を刃に変え──しかし、何事も起こらなかった。

 いいや、正確に言えばそれは、チュデルキンが思い描いたようにはならなかったというだけだ。

 風素はブワリと霧散して、アリスはアルフォンスの腕の中に収まった。

 いつの間に──。

 一瞬回しかけた思考を中断し、チュデルキンは素因を生み出し──ドンッと衝撃が走った。

 乱回転する視界。走る激痛。受け身も取れず、チュデルキンは地に落ちる。

 

「色々と、言いたいことはあるが……まあ良いだろう。とにかく残念だ、チュデルキン。オレはお前のことが、嫌いではなかったのだがな」

「ぐ、この……アタシは、お前が大ッ嫌いでしたよォ……!」

「そいつもまた残念だな──ま、であるならば仕方あるまい。公理教会への反逆並びに誘拐、殺人未遂……。充分すぎるくらいの罪だな。よって、今ここで、貴様を殺す」

「ハッ! 一撃入れたくらいで調子にィ──」

 

 ──と、そこまで言ったところでチュデルキンは言葉を途切れさせた。

 否、途切れさせざるを得なかった。

 足の先から、首元までが凍りついている──!

 身動きもできず、一瞬にして襲い掛かってきたそれに、チュデルキンは反応することすらできなかった。

 

「調子に乗っているのは貴様だった、という訳だ。そもそも、アドを寄越せなんぞ、良くもオレに言えたものだな」

「クソ……がァァァア……! 猊下は、猊下は、アタシだけのォ!」

「アドはオレの女だ、手放す気は無い。あまり、図に乗るなよ。下郎が」

 

 直後に生み出されたのは、百を超える光の素因(ルミナス・エレメント)だった。

 ソルスが真上にいる時間帯でいてなお、光素による輝きで霊園が白く染め上げられる。

 

「来世でやり直すことだな」

「────!」

 

 音もなく、光は撃ち放たれた。

 一つの指向性だけを持たされた光の奔流は、いともたやすく一人の道化を呑み込み、撃ち滅ぼした。

 途中で軌道を変え、跳ね上がった光は空へと打ち上がり、煌びやかに霧散する。

 溶かし、破壊された氷も相まって、一時的に作り上げられた幻想的な光景が作り上げられる。

 チュデルキンは最後になんと言ったのだろうか──。

 上手く聞き取れなかったな、と眉を潜めながらアルフォンスは空を仰いだ。

 深く、深く息を吸い、ゆるりと吐き出す。

 

「何事も、上手くいくとは限らないものだな──まったく、己の無能さに反吐が出る」

 

 だが、これも慣れなければならないことなのだろう──と、アルフォンスは独り言ちた。

 どうにも今日は反省ばかり続く日だ、と思ったところで、腕の中の少女がパチリと目を覚ます。

 

「あ、れ……? 兄さん──ってどういう状況これ!? 何で私が兄さんに抱かれ──!?」

「ああ、もう寝起きから喧しいな、お前は……説明は歩きながらしてやる。ほら、帰るぞ」

 

 雑に地面に降ろされたアリスに手を差し出せば、「訳が分からないんだけど……?」という顔でアリスが手を握る。

 それを見ながら、「そういえばいつこいつはオレを《兄さん》と呼ぶようになったんだったかな」等とアルフォンスは考えた──が、直ぐに振り払う。

 今は考えるべきことが多いし、やるべきことも山積みだ。

 取り敢えずは、不穏分子共の洗い出しを早急に進めよう──と、思うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 




チュデルキン:サクッと始末されてしまった。猊下が好き。

アルフォンス:現実、マジで理想通りにいかねぇな~……と理解してきた頃合い。

アリス:寝起きが最悪だった。この後事情を説明されて半泣きになる。


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お忍びデート。あるいは誰かの泣き声。

 夜気にあてられた夏風が、するりと心地よく吹き通る。

 祭囃子が彼方から響き渡り、雑踏がひしめき合う。

 あちらこちらから飛び交う喧騒が空間を埋め尽くし、時には楽し気な笑い声が耳朶を叩く。

 提灯がぶら下がり、屋台がずらりと展開されている──まあ、つまるところ央都はこの日、一年に一度の祭りを迎えていた。

 過ぎていく夏を見送るように、やがて来る秋を歓迎するように。

 未だ残る熱気と共に人々は、一度限りの楽しみに身を委ねていた。

 ──そんな中、一人の女が慣れない様子で辺りを見回していた。

 腰ほどまで伸ばされた銀の髪は艶やかで、同色の瞳は覗き込めば戻ってこれなくなりそうなほど妖艶、かつどこか果てが無く深い。

 白魚のように透き通った肌はきめ細かく、シミ一つなく美しい。

 というかアドミニストレータだった。

 いいや、この場合は可愛らしく、クィネラと呼んでやった方がいいのかもしれない。

 花の模様をあしらわれた黒の浴衣へと身を包み、ご丁寧に下駄まで履いてる。

 一応の変装のつもりなのか、つば広の帽子を目深に被っていた。

 何も知らない人が見れば、深窓の令嬢っぽいとか思ったりするかもしれないだろう。

 行き交う人々を視界に収めながら、クィネラは道の端で「はぁ」と小さくため息を吐いた。

 私、何でこんなことをしているのかしら──。

 どちらかと言うまでもなく、クィネラは騒がしいのが得意ではない。

 なるべく静かで、情報量が少ない──そう言った場所や物事を基本的に好んでいた。

 要するに彼女は《祭》というものを良く理解していなかった。

 公理教会の塔へと移り住んでもう数百年。彼女がまだ村娘として生きていた頃は、このような大規模な祭りなどそもそも存在していなかった。

 無論、存在そのものを知らなかったという訳ではない。当たり前だ。

 この人界において、クィネラが把握していないことなど、それこそ探す方が難しいというものだ。

 なので知識はある。どういったものかも知っている──だというのに、わざわざこうして足を運んだ理由は、たった一つしか無かった。

 そう、つい一時間ほどの前の話だ──

 

 

「クィネラ、祭に行こう」

「祭り?」

「うむ。今、央都でやっているだろう。アレ、実は行ってみたかったんだよな」

「……いえ、あなた以前、普通に脱走して行っていなかったかしら……? 私の部屋でもさもさ綿菓子食べていたわよね……?」

 

 普通に綿菓子の欠片が部屋中に舞ってキレた記憶がある、とクィネラは思った。

 しかしアルフォンスは「わかってないなぁ」とばかりにため息を吐いた。

 いつまで経ってもこういう、クソガキ仕草が抜けないのは何なのかしら……とクィネラは思う。

 

「というか、アレはお前も勝手に食べてご満悦だっただろう……」

「そ、そうだったかしら」

 

 フイッとクィネラは視線を逸らす。完全に図星だった。

 最高司祭という地位に就いてはいたが、彼女自身は高級食材志向という訳ではなく、それなりに何でも食べるタイプだ。

 まあ、それでも専属の料理人くらいはつけてはいたし、今もいるのだが。

 

「まあ、そうではなくな。オレはクィネラと行きたい、と言っているんだ。来てくれるか?」

「ふふ……そう言われて断るほど、私も面倒な女じゃないわよ」

「面倒というか、クィネラはこっちが不安になるくらいチョロいがな……」

「うっさいわね……」

 

 ていうか、そんなにチョロくないわよ! クィネラはアルフォンスへと襲い掛かる。

 一頻りのじゃれ合い。ちょっとしたいつもの光景。

 やたらとでかいベッドの上でもみくちゃになった後、「さて」とアルフォンスが言った。

 

「折角だし、待ち合わせでもするか」

「まーた変なこと言い出したわね」

「むっ、喧しいぞ。それに、別に変なことでもない……やったことのないことは、試そうと思うのが人の性というものだ。

 それにクィネラも、相応の準備が必要だろう」

「準備……?」

 

 いえ、今すぐ出られるけれど。と思ったクィネラであったが、直後に気付く。

 クィネラは最高司祭──元、ではあるが──であり、その顔は良く知られていないものの、全く知られていないという訳ではない。

 多少なりとも変装は必要であろう──それに、祭と言えば相応の服装がある、らしい……ということをクィネラは思い出していた。

 いつもであれば心意でポンッ、と魔法少女さながら衣装チェンジするのだが、残念ながらこの手の心意をクィネラは苦手としていた。

 というのも、クィネラは基本裸族だったからである。

 服をまともに着るようになったのは、ここ数年の話だ。

 お陰で服のイメージを固める、という技術が全く育っていなかった。

 別に、自分の身体に恥ずかしいところなど欠片一つ分もないが──裸で出ればそれはもう公序良俗ぶっちぎりでアウトである。

 なるほどね、とクィネラは頷いた。

 それを察し、アルフォンスもまた頷く。

 アルフォンスとしては「お洒落とかするんだろうな」程度での発言であったが、全てを察した今は、言って良かったなと心の底から思っていた。

 クィネラはところどころ常識のない女であるということをたまに忘れてしまう。

 こんなことを言えば、クィネラは顔を真っ赤にしてしまうだろうから言わないが。

 

「という訳で、一時間後に集合だ。遅れるなよ?」

「はいはい……」

 

 

 ──等というやり取りの末であった。

 ちなみにクィネラの浴衣はカーディナルチョイス。

 普通に服装に困ったクィネラは渋々カーディナルに頼ったという訳だ。

 お陰で奥歯をギリギリ食いしばる幼女賢者が練成されることになった。

 それでも一応、頼られてやったカーディナルは懐が広いと言えるだろう。

 これが逆の立場だったら普通に凹んで泣きそうになるクィネラが出来上がる。

 そういった訳で、クィネラはひときわ目立つ噴水の手前で佇んでいた。

 美人というだけで目を惹くというのに、祭の光にあてられた水はやけに幻想的で、道行く人の視線がクィネラへと集まる。

 仕方がないことだと割り切ってはいるが、それはそれとして面倒ね、とクィネラは考える。

 ──これが、昔の彼女であれば「面倒」とすら思わなかったであろうことを考えれば成長したと言えるだろう。

 それが良いことなのか、悪いことなのかはまだ分からないが。

 それはそれとしてクィネラはトントン、と地面を蹴る。

 あーあ、早く来ないかしら。

 少し、早く着きすぎたのよね──

 

「ん、もう来ていたのか。悪いな、遅くなった」

「──まったく、本当よ。私を待たせるなんて偉くなったものね?」

 

 薄く笑みを浮かべ、クィネラが顔を上げる。

 そこにいたのは期待通りの人物だ。

 こちらも場に合わせたのか、浴衣を纏った一人の青年──アルフォンス。

 いつも通り不遜な顔で、けれども瞳はいつもよりギラついていた。

 身体はデカくなってもこういうところは変わらないわね──とも思ったが、そういえばまだ十八歳だったか、と思い出す。

 本当に、色々とちぐはぐな子だ──そこもまた良い、なんて思ったりもするのだが。

 

「だから、悪かったと言っているだろ……代わりに案内をしてやる。それでどうだ?」

「あら、アルにできるのかしら?」

「オレはこれでもこの祭り、五回目だぞ。そこそこ顔見知りもいる」

「ちょっと待って???」

 

 五回目? 五回目と言ったのか今!?

 一回しか知らないんだけど……とクィネラは思った。

 もしかしてこいつ、一度目以降、毎年参加していたのだろうか……。

 いや、参加していたのだろう。そういうやつである。

 今となっては、特に責めるほどのことでもないが、当たり前のようにセントラル・カセドラルを抜け出していたという事実にクィネラは頬をひくつかせた。

 

「はぁ……ま、それならエスコート、お願いするわね」

「ああ、任せておけ──」

 

 と、そこでアルフォンスが言葉を区切る。

 それからまじまじとクィネラを眺めてから言った。

 

「言い忘れていたな。良く似合っているぞ、クィネラ」

「──ふふっ、ありがとう」

 

 華やかに、クィネラが微笑む。実に緩み切った頬だった。

 こと二人きりで、気をゆるんでも良い場面になるとポンコツになるのがクィネラだった。

 そっと差し出されたクィネラの手をアルフォンスが丁寧にとる。

 祭はまだ始まったばかり。

 この人界の、王と王妃とも呼べる二人のお忍びデートは、こうして始まった。

 

 

 

 ズラッと果てしなく並んだ屋台の中で、一番最初にクィネラの目を惹いたのは射的屋だった──無論、銃などではなく、風素を用いた射的だ。店主が風素の壁を作り、妨害しているのを撃ち抜く遊びである。

 とはいえ、特段何か特別な賞品があったわけではない。

 安そうな玩具から、ぬいぐるみといった陳腐なラインナップだ。

 だが、陳腐だからこそクィネラの目を惹いたと言えるだろう。

 ど真ん中に配置されたうさちゃんぬいぐるみと目が合った瞬間「あ、昔ああいうの持ってたわね」とクィネラは思った。

 目聡いアルフォンスはそれに当然気付く。

 

「いえ、別に欲しいという訳ではないのだけれど……」

「なに、祭というのはそういう、余計なものを得て楽しむ場でもあるだろう?」

 

 なんてやり取りの後にチャリンチャリン、と射的のおっちゃんに十シアが手渡された。

 瞬く間に風素が五つ浮かび上がる。ヒュルリと風が逆巻いた。

 

「……壊さないようにね?」

「お前はオレを、加減の出来ない怪物か何かと勘違いしていないか……?」

「実際、自由さは怪物並みでしょう」

「誉め言葉として受け取っておこう」

 

 そんな会話している間に撃ち放たれた風素はあっさりとうさちゃんを叩き落とした。

 そのまま風素で巻き上げられたそれは、すっぽりとクィネラの手の中に収まる。

 ふむ……。

 クィネラは僅かに浮かんだ笑みを隠し切れない。

 

「クィネラ、意外と少女趣味だよな」

「──な、何か悪いかしら?」

「そう動揺するな、そういうところも愛いと思っただけだ」

「~~っ!」

 

 真っ白な顔が朱色に染まる。

 恥ずかしさを隠すようにクィネラはギュッと力強くアルフォンスの手を握った。

 店主のおっちゃんはさっさと帰ってくんねぇかな……と切実に思った。

 

 

 

 アンダーワールドの──ひいては人界の祭と言っても、現実世界のそれと大きくかけ離れているかと言われれば、実際のところそうでもない。

 大して美味くはないし、やたらと高い焼きそばやたこ焼き──現実と比べれば、擬きのようなものではあるのだが──なんかも売り出されていた。

 とはいえ、それが売り出されるようになったのは、アルフォンスの入れ知恵なところがあるのだが……。

 アルフォンスはもうゴリゴリに現実の記憶を用いて屋台の開拓を行っていた。

 先程の射的といい、キリトが見れば懐かしさを感じられる──どころか、一瞬くらいは現実に戻ってきたのかと勘違いするかもしれない。

 再現度で言えばそれくらいの出来だ。

 ──要するに、一通り回ったクィネラは地味に混乱していた。

 知識はあると油断していた──いや、これ油断なのか? 全然知らないとかいうレベルじゃねぇぞ。といった具合だ。

 経験するということの大切さを理不尽気味に叩きつけられ超息切れしていた。

 少しだけ外れた場所で、二人並んで道行く人たちを眺めながら一息をつく。

 

「私の知っている祭と、少々──いいえ、相当違うのだけれど……」

「うむ、まあ、多少口出ししたからな」

「多少……?」

 

 神輿が盛大に運ばれていくのを眺めながらクィネラがぽつりと呟いた。

 これで、多少……? あまり深く考えると坩堝にはまりそうね、とクィネラは思った。大正解だ。

 ただ、それはそれとして、やっぱり異常よね──。

 身分を隠し、ただの子供として振舞っていただろうに、結局はこうして大きな影響を与えている。

 場所も人も問うことは無く。

 誰かに影響を与えるために生まれてきたような人。

 ちらとアルフォンスを視界に入れれば、不思議そうに眼を合わせてくる。

 それだけで胸の奥が暖まるような気がして、クィネラは込み上げてきた笑みをそのままにした。

 

「悪いな、やはり疲れたか」

「いいえ、それは別に良いのよ。それよりほら、あーん」

「んっ」

 

 クィネラによって持ち上げられたたこ焼きが、アルフォンスの口へと放り込まれる。

 買ってから少しばかり時間が経ってしまい、少々冷えているがそれもまた乙なものだ。

 少しばかり残っている熱さにハフハフと息を吐きながら、咀嚼し飲み込む。

 

「それで、今日は一体どういう風の吹き回しだったのかしら」

「──というと?」

「言葉の通りの意味よ。そもそも貴方が、何の理由もなく外に出る訳がないでしょう……平時ならまだしも、今はもう《最終負荷実験》目前なのだから」

「流石に買い被り過ぎだ。オレはワーカーホリックではない」

「それ、伝わるの私くらいよ」

「お前に伝わるならそれで良いだろう」

 

 神聖語──現実で言う《英語》を日常会話でも多く使うのは、現実世界の人間であるキリトを除けば、アルフォンスとクィネラ、カーディナルくらいである。

 そもそも、『神々が使う言語』であるから《神聖語》なのだ。当たり前と言えるだろう。

 逆を言えば、多用すれば怪しまれるということでもあるのだが、それはそれ。

 今更この二人をおかしいと思う人間はいないだろう。何せおかしなこと塗れであるのだ。

 

「話したいことがあるのならば、聞いてあげるけれど?」

「随分と、察しが良くなったものだな」

「ええ、お陰様で、もう神様じゃいられなくなったんだもの。人間はこうやって、空気を読んであげて生きるものなのでしょう?」

「嫌味な言い方をするな……」

「それに、あなたの弱音なんて聞いてあげられるのは私くらいじゃない」

 

 ドヤ顔で言ったクィネラの頬を指でつつく。ふにふにだ。

 甘んじて受け入れるクィネラを見つつ、アルフォンスは小さくため息を吐いた。

 

「既に、八の月を過ぎた。《最終負荷実験》が行われるまで、あとひと月を切った」

「ええ、そうね。でも、それがどうかしたのかしら。そんなこと、もう随分と前から分かっていると思っていたのだけれど?」

「どう、とはまた直截的な聞き方をするな──まあ、なんだ。つまるところオレは恐れている、のだろうな……」

 

 その一言に、クィネラは僅かに目を見開いた。

 確かに弱音を聞いてあげる、と言ったのは自分だが、ここまで素直なのは少しばかり珍しい。

 いつもであれば、ちょっとした笑みと共に吹き飛ばすだろうに。 

 

「単純かつ、浅ましい話なのだがな……大戦が始まれば、多くの血が流れる──その中で、クィネラ。

 オレは、お前を喪うことが何より怖い。無論、実力を疑っている訳ではないが──誰もが経験のしたことのない規模での戦争になるのは明白だ。

 ありえないと思っていた『もしも』は幾らでもありえるだろう。不安は多々あるが、それでもオレは、それだけがどうしようもなく恐ろしい」

 

 目を閉じて、アルフォンスは再び嘆息した。

 ずっと腹の底に埋めていた感情を、重々しく吐き出すような吐息だった。

 問われなければ、口に出すことは無かったのだろう。

 いいや、あるいはただ問われただけで、こうして口に出したのがもう異常に近いのかもしれない。

 ここまで弱気なアルフォンスは数年に一度見れるか見れないかである──十八歳の少年である、という要素さえ抜き出せば、そうおかしな話でもないのだが。

 もう少し付け足すのならば、アルフォンスの人格は十歳からスタートしているのだ。

 まあ、この場にいるのがアリスであれば「どどどどうしましょう……!」とあたふたするだろう……が、クィネラは笑った。

 やれやれ、手のかかる人ね。とでも言わんばかりの余裕たっぷりかつ、満面の笑みだ。

 久しぶりに振り回されるのではなく、振り回す側に回れそうでウキウキしている顔とも言う。

 既に肩を寄せ合っていた二人であるが、力任せにクィネラはアルフォンスを引き寄せ抱きしめた。

 

「むっ、何を──」

「本当に、仕方のない人ね、あなたは」

 

 もごもごと暴れるアルフォンスを力づくで黙らせながら、クィネラはアルフォンスの頭を撫でた。

 

「私は死なないわ……そしてもちろん、あなたも死なせない。約束よ」

「約束と言っても──」

()()()。そもそも私が、あなたを手放すような真似をすると、本当に思っているの?」

「いや、だから──」

「ああ、もううるさいわねぇ」

 

 桜色の唇が、やや強引にアルフォンスの唇を奪う。

 やたらと反論を飛ばしてきそうだった声はいともたやすく消し去られた。

 数秒の間ののちに、クィネラが優しい声音で言う。

 

「そんなに恐ろしいのなら、あなたが私を守りなさい? そうしたら、私があなたを守ってあげる。これで良いでしょう」

「──まったく、肝心なところでクィネラには敵わないな……」

「それはこっちの台詞よ──まあ、戻ったらそんな暇もないでしょうし、あっても誰にも見せる訳にはいかないでしょうから、今だけは甘えさせてあげる。好きになさい」

「……ありがとう」

 

 その先は、言葉が交わされることは無かった。ただ抱き合ったまま、時折少年の嗚咽に近い声がする。

 それを聞いて、クィネラはほっと息を吐いた。

 アルフォンスという少年は、この歳で多くの物事を背負いすぎており、同時にそれにもう慣れ切ってしまっている。

 苦を苦と思わない。

 頂点にいるのが当たり前であり、重荷があるのは当然となっている。

 それは当人が望んだことでもあるが──同時に、周りが望んだことでもある。

 そんな中でもまだ、弱音を漏らすことができるのは人である証拠だ。

 ──かつて、クィネラがそうであったように。

 人というのは、誰にも頼れなくなった瞬間が、人として壊れ始める瞬間だ。

 せめてこの少年が《王》であっても、《神》にはなりませんように。

 そんな願いと誓いを胸に抱きながら、クィネラはアルフォンスを離すまいと抱きしめた。

 

 

 

 




この後あちこちフラフラしてから帰ったら二人してベルクーリ&ファナティオに「こんな時間まで何やってるんですか!」とキレられた。

アルフォンス:泣いちゃった!

クィネラ:この後勢いでキスしてしまったことに気付いて顔真っ赤になる。


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