テンプラと自虐する男の㊙手記 (Mak)
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Prologue ~テンプラ(男)~
あまりにも面白いので他の連載が滞るという障害が発生しましたが、しばらくすると題材にしたくなるという困った発作が発症したという……
アニメはまだ未視聴で、あくまでアプリゲーム版で育てたウマ娘たちの感想文形式でお送りしたいと思います。
「ボツ。 こんなありきたりな内容を掲載できると思っているのか?」
数あるウマ娘専門誌の中でも格式高いと讃えられる一冊、「優俊」の編集室は活気に満ち溢れていた。
今日もチーフは部下たちにネタ探して来いだの、書き直せだのと檄を飛ばす。
その強さは期限が近づくほど機嫌も悪くなる物らしく、〆切3日前にして渾身の記事を書けたと意気揚々と持ってきた新人記者はその厳しい裁定に眩暈を起こしそうであった。
没の烙印を押された部下にとっては堪ったものではないが、それは没にしたチーフ当人も同じ気持ちであった。
〆切はもちろん大事だが毎月雑誌を楽しみにしている読者たちを満足させることの方が大事なのだと理解しているからだ。
だからと言って雑誌に穴をあけることはたとえ読者が許しても自分より上の鬼デスクが許すはずがない。
先ほど没を貰い、涙目でこちらを恨めしそうに睨む部下の能力では〆切内に自分を納得させる良い記事を書けと言うのは酷だし、他の部下たちもラストスパートをかけているためとても頼める状況ではなかった。
八方塞がりのように思えるこの状況、だがチーフには秘策があった。
「仕方がない。
そう呟くとチーフは携帯電話を取り出し目当ての電話番号を探し始める。
それに驚いたのは恨めしそうに睨むあまり自席に戻るタイミングを失った新人記者であった。
「て、天ぷら!? あのチーフ。 先ほどお昼食べていましたよね? というより今そんなもの食べている余裕なんてあるんですか!?」
自分のせいでヤケになったのではないかと心配する部下をチーフは手で制し、やっと見つけた連絡先にテンプラと登録された番号に電話を掛ける。
「もしもしテンちゃん? 俺だ俺。 突然でスマンが、なんか良いネタない? 出来ればデビュー前でこれから大活躍しそうな未来のスターになれる
「チーフ! 先ほどの電話なのですが、テンプラって人に穴埋めを頼んだように聞こえましたけど何者なんですか!?」
険しい顔でチーフに詰め寄る新人記者。
まだ編集部内の先輩方に頼むのなら納得がいくが外部の人間に頼んだことに恥ずかしさと怒りが半々に混ざり合った複雑な感情を持て余していた。
だがチーフは涼し気に、と言うよりは問題が一つ解決した為か満足気な顔だった。
「ん? あ~そうか、君はまだ会ったこと無いのか。 テンプラっていうのはペンネームだ。 本名は
「トラックマン? 運送業の人ですか」
思わずズッコケるチーフ。 反射反応で怒鳴り散らそうとしたが、最近研修を受けたハラスメント防止教育を思い出しグッと抑える。
一度冷静になれば業界人になって日の浅い人間ではそう言った奇想天外な勘違いも仕方がないのではないかと思い直した。
「……君の教育担当は何を教えているんだ、まったく。 トラックマンというのはウマ娘たちのレース専門紙の記者の総称だ。 レースに出る予定のウマ娘のタイムを集計してレースの予想を立てたり、普段の様子を報道しウマ娘の魅力をファンに伝えるのが仕事だ。 つまり、俺たちも広義ではトラックマンだ。 業界常識なので覚えておくように」
「はい。 勉強不足で申し訳ありません。 それで、話は戻りますが・・・何者なんですか? その人」
「予言者だよ」
「予言者?」
「そうだ。 あいつは何故かどのウマ娘がどのくらい活躍するのかある程度分かるんだそうだ。 それもデビュー戦の前から」
「まさか! そんなことが可能なのですか?」
「実例があるんだから認めるしかないさ。 シンボリルドルフは知っているだろう?」
「はい、あの皇帝ですよね?」
「そうだ。 その皇帝をデビュー前から目を付けて最初に取材したのがそいつだ。 もちろん、皇帝が世間の注目を集めるのに然程時間は掛からなかったがその僅かな時間の差で手に入れられたかもしれない情報は膨大だ。 しかも、注目が集まり過ぎたからか途中から皇帝への取材は制限されてな、多くの出版社がテンプラに莫大な金額でネタを買ったということがあったのさ」
「そ、そんな凄い人に穴埋めを頼んだんですか!? しかし、変わったペンネームですね。なんでテンプラなんでしょう?」
「さあな? 縁あってそれなりに親しくなれたんだがその理由は教えてくれんのだ。 ささ! ぼやぼやしてないで次のネタ探してこい! あいつの原稿料高いんだから頼むぞ。 それこそ老舗天婦羅屋にしばらく通えるぐらいにはな!」
◇◇◇
「ふぅ……まったく、あの人はいつも無茶な注文をする。 まぁ、我ながらあんなバ鹿高い値段で定期的に買ってくれるんだからそのぐらいのサービスをしないと罰が当たるよな」
チーフから先ほど依頼を受けたこの男、自らをテンプラと卑下する青田海渡は書斎へと向かう。
自宅の北向きに設置された窓以外の壁一面に大量の本やノートでびっしりと埋められた本棚で覆われているその部屋は昼間でもかなり暗かった。
少しばかりブラインドの角度を変えると春の柔らかな日差しが書斎を照らし、青田は本棚からお目当ての取材ノートを探し始める。
「お、あったあった」
しばらくノートを取り出してはページをめくり、そして戻し、ノートを取り出してはページをめくり、そして戻しを繰り返すと目当ての情報へとたどり着くとそこに書かれた内容に目を通し始める。
「……内容はまあ十分かな? けどこの内容に合う写真が不足しているからトレセンに撮りに行かないと。 取材申し込みの時間は……うん、今から出れば間に合うな」
そういうと青田は簡単に身支度を整えると自宅を後にする。
最寄り駅であるKO線下高井戸駅から東府中まで各駅停車の電車に乗り、そこから乗り換えで府中レース場正門前行きに乗り換えること41分少々。
その間青田はノートを読み返し、自分の記憶との相違がないことを確認しながら脳内で原稿の草案を練っていた。
「遂にあの名馬の名前と魂を受け継いだウマ娘が世に出るのか。 一体どんな娘になっているのか……楽しみだな。 しかし何回経験しても不思議な気持ちだ。 名馬が輪廻転生した世界に異世界転生ってどんなジョークなんだ?」
誰に語り聞かせる訳でもなく、感慨深げに言葉がポロポロとこぼれ落ちていく。
傍から見れば危険人物に見えなくもないが、平日の昼過ぎ、それもレースが開幕していない日にこの電車を利用する人は少ないことを彼は知っていたからこその行動であった。
「ウマ娘、彼女達は走るために生まれてきた。 時に数奇で、時に輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る。 それが彼女達の運命。 この世界に生きるウマ娘たちの未来のレース結果はまだ誰にも分からない。 俺以外は……というのは彼女達への侮辱だよな。 彼女達は一つの命だ。 ある程度の運命が働くのかもしれないがそれを撥ね退けるだけの力を有している。 だからこそ気高く、美しく、人々の心を動かすんだ」
『まもなく~、府中レース場正門前、府中レース場正門前でございます』
もうすぐ目的地に着くことを知らせるアナウンスが流れ始める。
男は一旦思考を止め、目を瞑り、心の中で宣誓を行い始める。
それは彼が取材前に行うルーティンであり、懺悔でもあり、戒めでもあった。
一つ、ウマ娘たちへのリスペクトを忘れるな
二つ、情報は力だ、過剰な力はウマ娘たちへの枷になることを忘れるな
三つ、これは前世で夢を見させて貰った名馬たちへのささやかな恩返しなのを忘れるな
宣誓が終わると丁度電車のドアが開く。
レース開幕日なら人でごった返す広いホームに降りたのは青田以外いなかった。
こうして彼の新たな3年間が始まる。 彼が取材したウマ娘たちがどのように活躍するのか……。 彼が前世から持ち込んだこの世には出せないエピソードや記録をベースにどのような活躍を魅せてくれるのか……。
このお話はサラブレッドがアラブと偽るかの如く、この世界の住人と偽って生きるテンプラと自虐する男が取材で得た情報を、持ち越した元ネタと照らし合わせた独自の見解をまとめた手記である。
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書き散らし “アメリカ取材”
皐月賞が無事終わって1週間後、俺は今、空の上にいる。
とある雑誌社からの依頼でアメリカクラシック三冠の取材の依頼を受け、いま太平洋上空を飛行中だからだ。
アメリカクラシック三冠とは我が国の
というより、元々“三冠”の言葉はこの3レースが由来だと言われ、所謂元祖と言えるだろう。
正式名称「Triple Crown of Thoroughbred Racing」、この名称が後に正式のルールに基づき専用の競技用施設(競馬場)において行われるウマ娘による近代レースの礎を作ったイギリスにも伝わり、なんやかんやあって世界中に三冠という概念が根付いたのだ。
そんな伝統と格式高いレースの取材に白羽の矢が立ったのが俺だ……。
別に現地に人を送らんでも地元の人間に記事を依頼してそれを翻訳すればいいのに、どうやら依頼人の新しい上司が「現地に足を運ぶことに意味がある!」と最近のメディアマンにしては中々気骨のある人らしい。
と言っても部下の方はそうではなかったらしく(依頼人もアメリカ語が喋れないから嫌だと)こうしてお鉢が回ってきたのだ。
まあ、無理も無いと思う。
なにせアメリカ三冠が開催される5月から6月までの一か月弱をアメリカで生活しなければならないのだ。
第1戦のケンタッキーダービーが5月初め、第2戦のプリークネスステークスがその2週間後、更にその3週後に第3戦のベルモントステークスが開催されるのだ。
中々過密なスケジュールだ。 あちらのウマ娘はタフさも要求されるのだから本当に大変だ。
言わずもがな、我が国のクラシックは皐月賞から日本ダービーで一か月強、菊花賞なんて5か月後だ。
その間にトレーニング次第ではライバルたちが三冠制覇を阻むドラマチックな展開があったりして三冠の価値を高めていたりするが、やはり休む時間が短いからなのかこちらはこちらで意外と三冠達成が少なく、37年も達成者が居なかったりと別のベクトルで覇業といえる。(ウマペディア調べ)
そしてそのタフさは日本人にも求められている。
1レース毎に帰国しては予算がいくらあっても足りないので運賃が高い国際便の回数を最小限に留めるには現地で生活するしかない。
それは並の日本人にはG1レース7勝に匹敵するぐらい困難なことだろう。
その最たる理由は米が食えないからだ。(依頼人もそう言っていた)
一応言っておくと、ケンタッキー州とニューヨークでも米は一応食える。
この情報は取材で仲良くなったケンタッキー州出身の帰国子女、グラスワンダーちゃんから聞いた話だ。(ニューヨークは旅行で得た経験から。メリーランドは行ったこと無いから知らん)
とは言え、その味は雲泥の差がある。
普段我らが食べている米とカルフォルニア米を比べるのはかなりアンフェアだがそれでもやはりあの繊細な味は絶対に味わえない。
グラスちゃんに日本に来て何が一番美味しかったか聞いたら「白米」と答えた程なのだから相当な物だろう。 ……あの子はもうアメリカに帰れないんじゃないかな?
中東部の片田舎というハンデを物ともせずにあそこまで日本文化に造詣深い子になれたなと本当に感心したものだ。
実は(前世では)同じアメリカからの帰国子女だったので彼女の気持ちが判るのでこの時の取材はスムーズに進み、良い関係を築けたものだ。
お蔭さまでケンタッキー州での滞在中は彼女の実家で過ごせることになっている。
(もちろん彼女が家族のために用意したトランクケース一杯の日本土産と恐らく大量のケンタッキー土産のピストン輸送という大仕事を任されたが)
何にせよ、まともな米が食えるのはニューヨークの和食レストランぐらいな物だろう。
だがそもそもニューヨークは最終戦の地だ。
わざわざ特に物価の高いニューヨークで米を食べることは恐らく無いだろう。
ステーキがチャーシューの代わりに乗っている一番高いラーメンだったが、日本円に換算すると3000円近くするぐらい物価が高い地区だ。
どうせレースが終わった次の日には(26時間かけて)日本に帰るのだ。
きっと空港のコンビニで買ったツナマヨおにぎりを食って感涙するに違いない。
米を食わなくても平気なタイプの人間だが、やっぱり一定期間米を食べないとコンビニオニギリのクオリティの高さとそのありがたみに気づけるので色んな人にオススメしたいものだ。
そんなわけで(前世で)アメリカ生活に耐性のある私に白羽の矢がたったわけだが、早くも暗雲が立ち籠っており先行き不安な気持ちにさせられている。
いま俺は、日本の航空会社が運航する国際便では無く10万円も安いアメリカの航空会社が運航する飛行機に乗っている。
機材は一応最新機種だが座席がエコノミークラスじゃあそのありがたみも薄い。
せめてビジネスクラスに乗せてくれよ。
でもそれはまだ良い。 いくらでも我慢してやる。
だが機内エンターテインメントシステムが使えないってどういうことだ!!
フライト開始してからずっとエラー表示で3回ぐらい再起動したうえで機長のアナウンスによると整備の際にデーターそのものを更新し忘れていたらしい……。
そんなのアリかよ!?
というわけで暇を持て余した私は機内wifi(有料)を使ってこんな使えもしない書き散らしを書いているわけである……。
まったくもって不安だ。 きっと機内食も不味いんだろうな……。
搭乗2時間前のコンビニオニギリがもう恋しい……。
ウマ娘のブームというのは恐ろしいものでして、こんなにウマ娘がまったく登場しない作品(多分ハーメルンに登録されている作品で一番じゃないかな?)もはや詐欺に近いのではと思うような作品を読んで頂き、またお気に入り登録や感想、過分な評価を頂きとても感謝しております。
本当は第2話はとあるウマ娘のグッドエンディング到達記念で書くつもりだったのですが難航してしまい、更に取材と言い訳してそのウマ娘でレジェンド到達、勝負服解放、覚醒レベルMAXと時間だけが奪われてしまうこの始末…。
仕方がないのでこんな書き散らしめいた2話になってしまいましたが、こんな作品でも楽しんで頂けたら幸いです。
なお、最後の事件は実体験です。
今でもwifi代金返せと思ってますよデ〇タさん!
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小川に咲き誇る大輪の花
「ふぅ……、すっかり遅くなってしまったか。 今日のレースはG1でも無いのに凄い観客数だったな。 まあそれだけ彼女の存在が大きくなった証拠かな?」
時計の針はてっぺんに差し掛かろうとしている。
そんな真夜中にこの男、青田はやっとの思いで自宅に帰宅したところであった。
その肩には仕事道具であるカメラと取り外された望遠レンズがぶら下げられており、手にはコンビニのビニール袋を持っていた。
どうやら取材の帰りらしい。
「さてっと、軽く飯食ったら彼女のここ3年間の記録をノートに纏めるとするか。 いつもなら彼女たちが味わった勝利の美酒程ではないにせよ、それなりに高いワインを開けるところだが……うん、今日はコーヒーにするか。 それもとびきり濃い奴を」
そういうと彼は買った弁当を電子レンジで温め始めると棚からミルとお気に入りのコーヒー豆を取り出す。
苦みが少なく柔らかな酸味と甘い香りですっきり爽やかな味わいが特徴の結構値の張るこのコーヒーに出会って数十年、すっかりこの魅力にやられた彼は家で飲む際にはこのコーヒーだけと決めていた。
それほどに彼にとっては衝撃的な出会いだったのだ。
ヒトとはコーヒー一つにこれほどの衝撃を覚えるのだ……、ましてそれがヒトとウマ娘の場合、それは計り知れないものだろう。
「文頭はどう始めようか。 ……うん、盗用・剽窃も甚だしいがやっぱり彼女たちを讃える名文句にこれ以上のものは無いだろう。 俺の頭じゃあ偉大なるコピーライターを超えるなんぞ土台無理な話だしな」
苦笑いしながら手慣れた手つきで豆を挽くとそれをコーヒーマシンにセットしスイッチを入れる。
同時に弁当も温まり終わったことを告げる音が流れ、しばしの小休憩。
数分後、芳しいコーヒーの香りが立ち籠もるコーヒーサーバーを持って書斎に入っていく。
青田の長い夜が始まった……。
本当の出会いなど、一生に何度あるだろう。
とある名馬を讃える名文句の一つだ。
例え世界が変わろうとも、この言葉は彼女の為にあると断言しても良い。
それほど美しい物語を魅させてもらった。
そして私にとっても、一方的ながらもこの名馬とウマ娘に出会えたのは本当に幸運だと言える。
実際には幸運ではなく、私だけの役得でもあるゆえ他の記者たちに対して引け目を感じない訳ではない。
だが、やはりデビュー前から追いかけた選手というのは愛着が湧くもので、その地位を不動のものにした瞬間まで無事立ち会えたのはやはりどうしようもなく嬉しいものである。
そのウマ娘の名はスーパークリーク。
今やなぜかスーパーヒールと呼ばれ、彼女の一挙手一投足が多くのウマ娘に恐怖を与える存在となった大スターである。
……なのだが実際にはかなりおっとりした娘であり、正直年齢に合わない程の母性溢れる優しいウマ娘なのだが、圧倒的強さは時に受け手側にあらぬ誤解を生むものらしい……。
そう言えばどっかの三流雑誌が彼女をこう評していたっけか。
「一見小川の様に穏やかそうだが騙されてはいけない。 その実態は反乱間近の大河のごとく荒々しいので近づかない方がよいだろう……」
なぜこうなったのやら。
追い続けた身としては失笑を禁じ得ない内容だがまあ、態々それを訂正する火消し記事を書く必要はないだろう。
いまさらこんな記事に精神を乱されるような二人ではない。
そう、あの二人には……
実を云うと彼女をここまで集中的に取材する予定は当初無かった。
取り上げるにしても葦毛の怪物二人を中心にそのライバルとして紹介するぐらいだろうなと漠然と考えていたぐらいだ。
なぜならその方が盛り上がるだろうという打算があったし、当時は然程興味の対象ではなかったからだ。
もちろん彼女が素晴らしい成績を残すことは会う前から確信していた。
とはいえ、彼女の場合はちょっと特殊で、ただ強いだけではどうしても物足りないという想いが自分の中にはあった。
ワガママなのは承知しているし勝負に懸けるウマ娘に、いや、すべてのスポーツ選手に願う想いではないのだが、たとえウマ娘に転生しようと、何となくだが彼女には自身のために勝利を勝ち取るよりも、誰かのために勝利を捧げて欲しいという想いがぬぐい切れなかった。
その誰かとはファンにではない。
それはこの世界のレースとあちらの競馬、その最たる違いである、とあるジョッキーに対してだった
基本、ウマ娘たちにとってレースとは個人競技だ。
所属という意味でのチームは存在するし、仲間のウマ娘やトレーナーからのサポートは有るのだろうが、一度ターフに出ればそれは自分と鎬を削り合うライバルとの戦いとなる。
対して競馬とは人と馬の共闘、謂わば二人三脚みたいなものだ。
私は別にどちらが優れているのかを論じるつもりはない。
しかし単純に命が1つ分多く、意思疎通が容易ではない生命体のタッグという要素がレースに複雑さと深みを出していることは否定のしようがない。
その出会い、対話の果てに心が一つに交わり人馬一体となる瞬間にこそドラマが生まれること知っている身としては、詮無いことは承知だがやはり寂しく感じずにはいられないのだ。
……書いている途中もしもこの世界にもジョッキーが存在するとしたらどのようになるのか想像してみたのだが、字面も絵面も非常によろしくないので割愛とする。
話は脱線したがスーパークリークの最も象徴となる逸話の要が存在しない以上、前世のように人々の心を豊かにしてくれるエピソードが期待できないと思い込んでいた私は、トレセン学園がマスコミ向けに発行する入学生徒名簿で彼女の名を見つけたときでも特に何とも思うところは無かった。
もちろん、スーパークリーク単体でも十分魅力的なウマ娘であることに変わりはない。
選手としては典型的なステイヤー型の特徴であるスタミナ量を持ちながら中距離でも十分通用するスピードを兼ね備えているためレースでは終始安定した走りを展開できる。
ひいき目に見てもこれ以上ない程お手本となり得る存在だ。
……また、競技に真剣なスポーツ選手たちを容姿の部分だけ抜き出して褒め称えるのは個人的には好きではないのだが、眉目秀麗、容姿端麗なウマ娘の中に合ってもトップクラスの美貌の持ち主でもあるため、たとえ成績が振るわなくてもアイドルとしての素質も要求されるこの世界においても十分ファンの人気を集める存在になるだろうとは思っていた。
とはいえ、その程度の内容なら私でなくても良いだろうと思っていたのが正直な気持ちだ。
浅ましい理由から始めたトラックマンの仕事ではあったが、それなりに誇りと楽しみを見出していた私としてはそんな結果を報じるだけの簡単な仕事をする気にはなれなかった。
そんな考えを変えさせたのはトレセン内で行われた選抜レースでの出来事だった。
選抜レースとはトレーナーが付いていないウマ娘向けの学園イベントであり、多くのウマ娘たちはここでトレーナーにスカウトされ、トゥインクルシリーズに向けて本格的な活動を始める。
件のスーパークリークもそこで見事なレースを披露し、中堅からベテランまで数多くのトレーナーがスカウトに殺到したらしいが、なんと彼女は何の実績もない新人トレーナーを逆指名した。
実を言うとこれは非常に珍しい話なのだ。
何故ならトレセン学園に入学したウマ娘たちは共通してレースに勝つための努力を惜しまないからだ。
それ故にトレーナー選びにも余念がない。
もちろん、相性の問題やフィーリングで選ぶ娘が居ない訳でもないが、三冠を狙える逸材がそれを行うのは最早暴挙と呼ぶに相応しい事件と言えた。
この1件は学園内外でもちょっとした話題にはなりはしたが、世間にはあまり知られていない。
なにせ三冠すら狙えるような逸材とはいえデビュー前のウマ娘の話だ。
記事にするにはまだ価値は低く、いくら非常に優秀と評価されたとはいえ新人トレーナーが担当に付いたという事実がマイナス材料として働き、更に同期のライバルたちが記事映えしたことも相まってか、宮仕えする多くの記者がクリークの才能が開花するまでの長期取材を躊躇ったのが理由だ。
だが私はフリーの身だ。
スーパークリークが選んだトレーナーとはどのような人物なのか……、もしかすると大物なのではと非常に興味をそそられた私は笠松行のチケットを後輩に譲り、多くのトラックマンたちとは逆にトレセンに取材に行ったものだ。
仕事であってもある程度趣味に走れる、フリーという立場の何たる素晴らしきことか……。
初めての取材は今思い返せば中々笑えるものだが当時は唖然とさせられたものだ。
なにせ、取材を受けるクリークよりもトレーナー君の方が緊張していたぐらいだ。
噂通り本当に新人なのだろう。
中年から見れば初々しいこの上ないことだが、同時にそんな調子では担当するウマ娘に悪影響を及ぼすのではと思っていたが、どうやらこの二人の間柄は特殊だったらしい。
今でこそ二人の名物のように受け入れられてはいるが、新人とはいえ成人したトレーナー君が自分より年下の、それも指導される立場にあるウマ娘に「いいこいいこ」と頭を撫でられる姿を前情報も無しに目の前で見せ付けられた私の心情を答えられる者など居ないだろう。
もうそれこそ四六時中とまでいかないが隙あれば「いいこいいこ」したくなるクリークと羞恥心のあまり逃げるトレーナー君とのやり取りはネタにはならない(と言うより涙目で記事にしないでとトレーナー君にせがまれた。 私が書かなくても多分すぐにファンに浸透するだろうに(というよりした))が何か期待できるなと思った私は時間の許す限りこの二人を追いかけようと決めた瞬間だった。
それからメイクデビューまでの一年間、他の子の取材をしつつ顔から火が出るくらい記事に出来ない恥ずかしいネタで手記が厚くなっていくと同時に彼女たちとの信頼関係も築くことも出来た。
取材中で特に印象深い出来事はクリークとトレーナー君に個別で相談を受けたことだろうか。
まず、スーパークリークにはどうやったらもっとトレーナー君を喜ばせることが出来るかという相談だった。
これについては簡単だった。 心に従ってはどうかとだけ答えた。 その方が面白い 良い結果になるだろうと思ったからだ。
そう伝えた時の笑顔は満面の笑みでありG2レース勝利並の笑顔は今も私のPCのメモリーに保存されている。
そしてその成果はトレーナー君からの相談で知ることが出来た。
まぁ、新婚もかくやという甘々な内容であった。 きょうび、付き合いたてのバカップルでもやらないような甘い誘惑であった。
よくもまぁ(内面は知りようもないが)おくびにも出さずにちゃんと自我を保てたなと感心したものだ。
そして肝心の相談内容はこのまま甘やかされて良いのだろうかという傍から聞けば惚気のような相談であった。
曰く、トレーナーとはウマ娘に頼られる存在であるべきというのが理想らしく、ウマ娘に甘えることに葛藤を覚えているらしい。
私は社会人の先達らしく、理想はあくまで理想でしかない、担当するウマ娘ごとに高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応するべきだろうとだけ答えた。
怪訝そうな顔を向けられ「それは諦めろってことですか?」と聞かれたが後の事を考えればこの時無理やりトレーナー君を納得させることに成功した自分を自分で褒めたいと思う。
……無言で明後日の方向に顔を背けた時の「裏切られた」という顔を撮れなかったがザンネンで仕方がない。
さて、ジュニアクラス時代の彼女たちは絶好調であった。
途中調子が悪かったとのことだがそのようなことは一切表には出さず、無事メイクデビューを果たしクラシッククラスの幕開けとなったのだが事件は2月後半に行われたすみれステークスで発生した。
スーパークリークに謎の息切れが発症したのである。
原因は不明。 分かっていることは骨折では無いこと、少なくとも半年は休養を余儀なくされることだった。
それはクラシック三冠の内、皐月賞、日本ダービーを諦めろということだった。
だがそれも、希望的予測でしかない。
根本原因を見つけ排除しなければあるいは一生走ることが叶わない可能性もあったのだ。
このことを知った私は運命の神とはなんと残酷なのだと嘆いた。
名前と魂を継がせるだけではなくその運命すらも継がせることに何の意味があるのかと。
まだ骨折ではないだけ神さまはお優しいのかもしれない、そう心で納得させながら。
そして何故私をこの世界に転生させたのかを。
クリークのケガは勿論予測はしていた。 だが私はそのことを彼女たちに伝えることはしなかったし忠告などもしなかった。
上手く伝えられる自信もなかったし伝えたことによる未知なる影響を恐れ、また変化に対して責任を負う自信が持てなかったからだ。
結果、こうして未だに後悔している。 いや、それは正しく無いな。
きっとどの選択肢を選んでも後悔していたと思う。
選んだこと選ばなかったことによる後悔‥‥果たしてどちらが正しかったのか……。
当然ではあるがクリーク程の選手のケガの情報はメディアにとって恰好の話題であった。
勿論、私の方に彼女とそのトレーナーに関する新しいネタは無いかと詰め寄られたこともあったが、その際には最近は会っていないから知らないと断っていた。
実際にこのレースの前後に敢えて会わないようにしていたのだから嘘ではない。
だが別に私だけがこの世のトラックマンというわけではない。
一人程度の窓口が閉まったところで情報の流れは防ぎようがないのだ。
それと同様に、いくら会わないように努力しようとも私の仕事場がトレセン内でもある以上、偶発的に出会うことは避けられない。
皐月賞が終わり5月に入ろうとしたとある日、ばったりとスーパークリークに会ってしまったことがある。
その際、温厚で慈悲深いと思っていた彼女から飛び出したのは彼女から涙ながらの罵声であった。
今にして思えばこれが初めて聞いた彼女の、年相応のむき出しの本心だったと思う。
「なんで皆さんあんな酷いことを言うんですか! トレーナーさんは悪くないのに! ぜんぶ……全部私のせいなのに!」
涙をこぼしながらそう訴えてくる彼女に私は何も出来なかった。
せめてマスメディアの代表として彼女の非難を黙って受け止めることだけが私に出来ることだと信じて。
しばらく尽きることのなかった彼女なりの罵声は騒ぎを聞きつけてやってきた彼女のトレーナーと親友のタマモクロスくんがやってきたことにより収まった。
タマモクロスくんがクリークを保健室に連れていくとトレーナー君は私に謝罪をしてくれた。 そんな資格は私には無いのに。
そして彼は、こんな私に二度目の相談をしてきたのだ。
彼なりの不調の原因を。
だが聞かされたところで私は医者ではない。
それが正解かどうかすらも判断できるような人間で残念ながらない。
なので、らしくは無いのだが自分なりのエールを彼に送らせてもらった。
私は予言者なのだと。 彼女はここで終わる定めではない。
必ず秋には花を咲かせることだろう。 だが、それは全て君次第だと。
予言者など他人が付けた大それた名前ではあったが彼が見つけた答え、それを信じたくなった私が出来ることは彼にすこしでも踏み出す勇気を与えることしかなかった。
この手助けが役に立ったのかどうか分からないし特に興味はない。
それを聞くのは野暮だろうし、きっと私が何もしなくても自力で結果を引き寄せたはずなのだから。
秋の菊花賞は素晴らしいレースだった。
結果がモノを言うこの世界、クラシックの最後の舞台で華々しい成果を残したことにより世間の彼女と、なによりトレーナー君への評価はガラッと変わった。
曰く、奇跡の復活の立役者、遅咲きの天才などともてはやした。
正直、トレーナー君が天才なのかどうかは私には分からない。
なにせ私には人を見る目が無いのだ。
だがそんなことは関係ない。 トレーナー君が彼の生まれ変わりなのか……、はたまた私みたいな人間なのか……そんなものなど判りようはないが一つ分かっていることはトレーナー君がどこまでもスーパークリークの助けになりたいと、支えになりたいという献身の心は本物だということだ。
美しい物語を魅させてもらった。
目が覚めるような美しさだった。
この世界にはこの世界の人馬一体の形があったのだと気づかせて貰えた。
それはあちらの世界に勝るとも劣らない魅力だと、世に伝えられたらなと願わずにはいられなかった。
さて……、菊花賞の後の活躍だが‥‥‥‥
「ん? こんな時間にメールか?」
深夜に仕事用のスマホがメールの着信を告げる。
執筆を一旦止めメールの内容を確認するととあるゴシップ雑誌からの依頼であった。
「スーパークリークとそのトレーナーの只ならぬ関係を表すネタとか無いかだって? 冗談じゃない! 読者全員糖尿病にするつもりか!?」
スマホをベッドに放り投げ、卓上のマグカップを拾い啜ろうとしたが既に中にコーヒーは無く、サーバーの方も既に無くなりかけていた。
「……淹れてくるか。 ここから先はコーヒー無しでは書けそうにも無い」
背伸びを一つし、青田はコーヒーサーバーを持って書斎から出た。
彼がこの仕事受けたのかどうかは定かでは無い。
受けたところで影響はコーヒー豆が値上がりするぐらいだろう。
だが彼が予言できるのはそこまで。
かの2人が今後どうなっていくのか……それは彼にもわからない。
たとえ予想が一番人気でほぼ確実だとしても、レースでは何が起こるか分からないのだから。
スーパークリーク育成完了記念、
のはずだったのですが、難航してる間にレジェンド、勝負服解放、覚醒レベルMAX到達記念になってしまいました。
最初はゴルシの因子継承ようだったのですが、今となっては一番好きなシナリオです。
スーパークリークの魅力の10分の1でも伝わってればと思っております。
それではまた!
追記。
武豊騎手の早い回復をお祈りしております。
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書き散らし “ウマ娘たちの食性について”
腹いっぱい食べられることは幸せなことだ。
だが、それは若さの特権である。
最近は大好きだったラーメンも大盛りから中とんで並盛、しかも家系や豚骨を食べようものなら食後に胃もたれ防止の薬が手放せなくなってきた。
好きで30代になったわけではないのに世間も体も年相応の行動をしろと脅迫してくるようだ。
なぜこんな個人的なつまらない愚痴が文頭になるのか……それは天高くウマ娘肥える秋のせいである。
最近はこの時期が来ることが嫌で仕方がない。
何故なら毎年この時期には
そう、秋恒例の食べ物特集である。
だが俺はトラックマンだ。
一見、そんな物とは縁が無いように見えるが残念ながらこの世界ではそうもいかん。
なにせ取材対象はウマ娘たちなのだから。
彼女たちの存在がアイドルや芸能人みたいな側面もある以上、大衆というのは不思議なもので偶像たちが普段どのような物を食べるのか気になるものらしい。
と、言っても今回の仕事はそんなゴシップやグルメ系の雑誌の仕事とは少し違うが……
今回の仕事は毎年恒例になりつつあるトレセン学園に通うウマ娘たちの食生活の取材であり、掲載誌もトレセン学園入学志望のウマ娘たちに人気のスポーツ系の雑誌だ。
レースの内容は勿論、レースに出場しているウマ娘たちの普段の生活やトレーニング内容、シューズや勝負服のメーカーの情報などが記載されている雑誌だ。
将来レースに出たいと夢を追いかける子にとっては参考にしたいという需要があるのだろう。
そしてもちろん、体を作る最も大事な要素である食事についても力を入れていたりするのだ。
かく言う俺も似た経験がある。
かつて憧れた史上最高との呼び声高い水泳選手の食事に関する記事を読んだことがある。
まったく参考にはならなかったが非常に話題になったし、そのけた違いさには驚かされたものだ。
なにせその選手が摂取する1日の総カロリーはなんと12000キロカロリー。
一般男性が必要なカロリーの6倍だ。
体が資本とはよく言ったものである。
ヒトの男性としての最高峰ですらこの位のカロリーが必要なのだ。
ましてや育ち盛りで現役のウマ娘が必要なカロリーはこれに勝るとも劣らない。
とはいえ、 その食事メニューの取材自体は然程大変ではない。
なにせ毎年の事でありそうそう様変わりするものではない。
一昨年ぐらいに書いた記事を下敷きにちょっと文面や写真を変えて、今年の変わり種メニューが何なのかを付け足すだけで済むのだ。
読者には悪いと思わないでもないが、なにせ購買層は毎年一新されるのだ。
手を抜けるところは手を抜きつつ、そうとは思わせないのがプロの仕事だ。
そしてもう一つ特集が組まれる。 これが大変なのだ……
それは、その年活躍したウマ娘(雑誌編集部が独断と偏見で選ぶ。因みに何故か私は関与できない)をお一人様抽選で選び、予算内で好きな物を食べられるというご褒美特集だ。
かれこれ10年はやっている目玉企画だ。
そして可笑しな話であるが、何故か外部の人間である私がそのお相手をしなければならない。
と、言うのにも理由がある。
それはこの企画は元々俺が一回限りのつもりで持ち込んだものであったが、翌年もやらざるを得ない程の大反響を得てしまったからに他ならない。
と言っても単純な物である。
単に取材対象者と一緒にメシを食いながら取材するのだ。
そして楽しそうに食べているその合間を取材するだけという誰でも出来る仕事だ。
名付けて
だが作戦としては悪くないのだ。
ウマ娘は(予算内で)好きなだけ食べられるし、同じメシを食うことにより心の距離が近くなったことにより、作られている表情ではなく自然体でおいしそうにメシを食べる姿を撮ることが出来るのだ。
……元々は俺が食うのに困る……程ではないが外食をする余裕が無いぐらいには仕事が無かったペーペーの頃に持ち込んだアコギな企画だったのだが……
今にして思えばよくこんな企画が通ったな……
だが張り切り過ぎたのが良くなかった。
なにせ掲載誌が悪かった。
先ほど述べたようにこの企画が掲載されているのは将来トレセン学園に入りたい若いウマ娘に人気の雑誌だ。
この特集を読んだ当時の子が次の年にトレセン学園に入学し、自分もこの企画に出たい、選ばれるようになりたいと言いだす子まで現れ、更にそれを見た次の世代が以下同文を繰り返すという場外レースが出来上がってしまったのだ。
……実を言うと3年前からこの企画を辞めたい、もしくはポジションを誰か若いのに譲りたいと願い出ているのだが、その都度編集長自ら俺を泣き落とししてくるため失敗に終わっている。
曰く、俺しかいないらしい……っと。
俺の方もそもそもが下心いっぱい、横領に近い手法という罪悪感もあってか結局押し切られている。
20代前半までは良かったのだが、周りにいる先輩たちの言う通り、後半からは食欲がガクっと落ち、受け付けない食べ物の種類が増えてからは本当に大変だった。 先輩方…‥この話を鼻で笑ってすんませんでした。
まあ過ぎてしまったことを後悔しても仕方がない。
愚痴はまだまだあるが、切が無いのでそろそろ本番に備えて胃の拡張トレーニングを始めなければな~なんて思いながら復習がてら「肥えウマ娘たち」と命名されたファイルに保管された過去のウマ娘食との食事風景と彼女たちの食性がどうなっているのかと思い出深い胃が痛くなった過去を振り返って行こうと思う。
まず初めに、当たり前だが彼女たちは飼い葉を食べたりしない。
ヒトと同様に基本的には雑食性だ。
肉も食べるし米も食う。
そして本来馬が食べてはいけないもの、キャベツやブロッコリー、意外に思われるがビーツも普通に食べられるのだ。
好き嫌いの差はヒトと同様と言ってもよい。
逆に好物はというと、やっぱりというかニンジンや甘い物を好む傾向にある。
やはりあれだけのフィジカルを維持するのにそれ相応の糖分を必要とするかららしい。
そのため彼女たちへの取材協力のお礼にはお菓子やスイーツの割引券などが非常に喜ばれたりする。
かく言う俺もクーポン券や近場のスイーツに関する情報の収集は欠かしていない。
自分では食べないけどね。
と言っても全員が全員甘党と言うわけではない。
ヒト同様、各個人で味の趣向は異なり、激辛党なウマ娘も時にはいる。
そういう子に当たった時は非常に大変だ。
過去にエルコンドルパサーがご褒美の対象に選ばれた時は本当に大変だった。
やっぱりというかなんと言うか、彼女がリクエストしたのはメキシコ料理だった。
メキシコ料理は好きだ。
現地で食べたフィッシュタコス、フリホレスやブリトーの味は今でも思い出す。
最近はコンビニでもブリトーぐらいは売っているが、詮無いことだがやはり物足りない。
なにが足りないって豆感が圧倒的に足りない。
中南米というのは本当に豆料理が多いこと多いこと。
せめてもうちょっと近場にタコ〇ルが出来ればなと思う今日この頃だ。
と、独白は良いとしてエルコンドルパサーに話は戻るが、彼女は普段から自家製のデスソースが手放せない程の超激辛党だ。
彼女の担当トレーナーにも聞いたことがあったのだが、曰く、物理的に飛び上がるほどの辛さだという。
そしてしばらくはのたうち廻る羽目になるのだとか……
勿論、取材の際にもそのデスソースの話は話題に上がった。
幸運だったのは件のデスソースは丁度切らしており、持って来られなかったと申し訳なさげに言われたことだ。
そのため私はそのソースの辛さは知らない。
しかし、この話を聞いていたウェイターが(余計な)気を利かせてそのお店自慢のデスソース各種を持ってきてくれたのだが、そのどれもが辛さが足りないと瓶丸々1本分を料理にぶちまけながらも美味しそうに食べる彼女の顔が色んな意味で忘れられない。
勿論、私もその餌食となった。
なんとかその場は我慢し、彼女の素敵な笑顔が撮れたがその代償として胃が物凄くシクシクしたのは言うまでもない。
こうして目出度く、「いっしょに食事に行かないウマ娘」のリストに彼女の名が登録された瞬間であった。
もう一人ぐらい、思い出深いウマ娘の話をしよう。
これは企画とは別の時の話になる。
散々ぱら胃もたれだの食欲がないだのと騒ぎたてているが、俺のペンネームは胃もたれ確実筆頭の「テンプラ」である。
まあ、変更するつもりは無いし、なにより良い油を使い、量さえ間違えなければそうもたれることはないが。
このペンネームと、取材協力の際にはクーポン券を差し上げている関係からか、時折俺をグルメレポータか何かと勘違いしている子もかなり多く、おいしいお店の情報を聞いてきたりすることもある。
まあ、教える代わりに噂話とか最近のスクールライフの話を聞けたりするので肯定も否定もしないのだが……、ある日、どういう訳か俺をグルメガイドと勘違いし、片言な日本語でラーメン屋さんに連れてってとお願いしてきたウマ娘がやってきたことがある。
俺の推測だが、上記の俺の行動がごちゃまぜになった結果だと思う。
片言と言っても話す姿勢自体は悠然としており、逆に尊大に見えるほどの堂々ぷりのため爽快であった。
突然やって来て面識の無い男性にメシに連れていてくれと頼んでくるこの子の胆力にも驚かされるが、そのチョイスが「ラーメン」というのはこれまた驚きだ。
まあ、これもラーメンが世界的にブームになった結果なのだろう。
昔から世界的にはスシ・テンプラ・フジヤマの国と思われている我が国だが、もしかしたら最近スシ・テンプラ・ラーメンで通っているのかもしれない。
さて、例のその子だが、片言ながら自分の出身地と思われる単語だけ滑らかに発音出来たところから推測するにその子はアイルランドからの出身らしい。
結果として、その夜は仕事を抜きに彼女をオススメのラーメン屋に招待した。
普段なら仕事以外でそんなことはしないのだが、どうやら彼女の威勢に中てられたのかもしれん。
しかし物怖じしない子だった。
移動中のタクシー内でも会話と笑顔を絶やさず、日本の良いところを根ほり葉ほり聞いてくるのだ。
因みにその間の会話は日本語のみだ。
アイルランド出身なら英語も公用語として採用されているはずなのでよりスムーズな会話が出来ないでもないが、あえて日本語のみでのコミュニケーションに留めた。
個人的な考えだが、頑張って異国の言葉で伝えようと努力する留学生に対し、緊急の場合以外でそれは失礼だと考えているからだ。
それに彼女曰く、なるべく多く日本の良いところを経験したいとのことだった。
ならばすこしでも日本語の勉強になるほうがこの子への経験になるだろうという考えもあった。
さて、最近はお洒落で女性でも入り易いことを売りにするラーメン屋も増えた昨今ではあるが、俺が連れて行ったのはそれとは真逆のもはや絶滅危惧種のラーメン屋だ。
場所は俺の地元の下高井戸駅から徒歩3分。
商店街の様々な個人経営の店が軒を連ねるその中で黄色い暖簾に赤字で「木八」という名前のラーメン屋だ。
外観は古めかしく、壁は変色している。 中に入ればカウンター席しかなくしかも後払い制だ。
この時はまだ春だったからよかったものの、クーラーが無いので夏は非常に暑く、冬は非情に寒い。
贔屓の店とはいえ、御世辞にも若い女の子を連れていくのには相応しくない外観と内装なのは否定のしようがない。
まあ、そんなのは日本育ちの子にしか分からんだろうし、何よりここの一杯が最高のラーメンなのだから仕方がない。
……府中市周辺のラーメン屋をあまり知らないのとその周辺ならそのうちこの子が個人で開拓するだろうという気遣いもあったりもするが。
さて、件のその子だが、ラーメン屋には何度か入ったことがあるらしいが話によるとどれも大手チェーン店であり、こういった個人経営の店は初めてであり興味津々のようだった。
お水がセルフサービスなこと、目の前でラーメンが出来上がる光景に一々可愛らしい反応を示していた。
まるで魔法を観ているみたいだと言ったときは苦笑させられたが、長年通い続けているのに一度も笑ったところをみたことがない頑固そうなオヤジが照れ臭そうにしていたのが非常に印象的であった。
程なくして出てきたのは大盛りラーメンである。
この店が出しているのは基本的にラーメンのみであり、あとはチャーシューメンと謎のメニュー、チャーシュールーメン、それ以外はそれぞれ大盛りにするか、各種トッピングという非常にシンプルな物である。
ちなみにルーメンはチャーシューメンのチャーシュー増しらしいのだが何故か頼んだこともないし、何故ルーメンなのかは謎に包まれている。
麺は中太ストレートであり、スープは謎である。
というのも人によって評価が分かれるのだ。
醤油とんこつだと言う者もいれば、ホープ軒系だと言う人もおり、地味ながら何系に属すのか判断に迷う味なのだ。
最早木八系と称するほかなく、中々これに似たスープが存在しないため他と比較のしようもないためか、果たしてこのラーメンがおいしいのか不味いのかは常連ですら大声では言えないという摩訶不思議な一杯なのだ。
そして謎のスープの上に豚の背油がトッピングされており、仄かに甘いというのも特徴だったりする。
最近は背油が入っているラーメン屋も少なくなったものだ‥‥
まあこのオンリーワン具合、グルメサイトでも3.0±誤差ぐらいのラーメンだからこそこのウマ娘を連れてきた理由でもあるのだが……、大事なのは採点者の反応である。
結果としてはおおよそ女子受けする代物ではないが、食べた彼女の反応は好評であった。
片言の日本語を忘れ、自国語(何言っているのか理解は出来なかったので恐らくアイルランド語)で何やら感動の言葉を口にしつつ美少女が一生懸命麺をすする姿は写真が無いことが残念で仕方がないほどの光景であった。
ほっこりとする話だ。 ここまでは。
お忘れかも知れないが、これは胃が痛くなったエピソードの一つである。
胃が痛くなったのは食後、タクシーでトレセン学園まで送り届けた最後に彼女の名前を知った後の事だった。
正確には名前を聞いたときはまだ新たなに名馬の名前を受け継いだ子に出会えたなと言う感じだった。
問題はそのあと、折角顔見知りになったのだから今度本格的な取材を依頼しようかと思い彼女のバックグラウンドを調べた時のことである。
彼女の名はファインモーション。
まだこの世界ではデビューしてはいないが、一度デビューすれば無敗の6連勝で秋華賞、エリザベス女王杯を制する……かもしれないウマ娘であった。
そして当たり前だが、彼女一人一人に家族というバックグラウンドが存在し、それも取材する上では知っておいた方が良い情報の一つなのだが、調べてみたらとんでもない家柄出身だということが判明した。
以来彼女も「いっしょに食事に行かないウマ娘」のリスト入りを果たした。
胃って、ストレスでもこんなに痛くなるんだなっと勉強になった瞬間であった。
ナリタタイシン可愛いですね。 ファル子も給料日には狙います。
早くファインモーションが実装されるのを楽しみにしております。
誰かファインモーションが主役で都内のラーメンをレポートする小説書いてくれませんかね?
多分それなりに人気出ると思うんですよ。
私は無理です。
いま宇都宮市民なので。
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書き散らし “ウマ娘からの贈り物”
今更説明をするまでもないが、この世界におけるウマ娘と云う存在は非常に人気のある生物である。
見た目が良いという外的要因もさることながら、その理由には文化的・歴史的な背景も影響しているのではないかと思う。
詳細は割愛するが、古代には神の使いと捉えられたこともあり、非常に大事に(と、言っても当時の基準で)扱われてきた歴史があるほどだ。
現代においてもその風習は色濃く残っており、云わば彼女たちそのものが縁起物として扱われているのが現代の立ち位置だ。
日本でも、ウマ娘に子ども(特に女の子)を抱っこしてもらうと元気な子に育つという昔ながらの言い伝えがある。
因みに男の子の場合は力士にである。
まあ、最近はあまり性別に関係はなくなってきてはいるようであるが。
そんなわけで、生きる縁起物ともいえる彼女たちだがそれにあやかろうとする人々の需要が非常に高い。
それを満たすのがURAなどの各種団体が製作販売しているウマ娘たちをモチーフにしたグッズ各種だ。
その需要はかなり力強いものであり、割と最近まで存在したレース賭博が世界的に禁止になりそうな機運が高まったさい、試しにグッズの種類を大幅に増やしたところ十分収支が見込めると後押しする要因となったほどである。
勿論良いことばかりではなく、結果として地方が寂れる要因にもなってしまったという負の面も存在するが。
さて、肝心のグッズ類だが、その種類は非常に豊富である。
彼女たちをデフォルメした人形、ブロマイド、サイン色紙、キーホルダーにタオルや勝負服のレプリカ等など。
他にもオークションなどで彼女たちが使用したゼッケン、使用済みの蹄鉄なども人気だ。
特に蹄鉄の人気は凄まじいものがある。
こちらの世界でも蹄鉄は魔除け、厄除け、幸運を招くという言い伝えがあり、贈り物としての人気は非常に高い。
レースに初勝利したウマ娘たちはその蹄鉄を両親や親しい人に贈る風習があるぐらいだ。
そして有名なウマ娘が記録と記憶に残る名勝負で使った蹄鉄などは時にオークションなどで驚きの値段となり世間を賑やかせたりするときもある。
さて、ここまで軽くウマ娘に関するグッズの需要と説明をしたのには訳がある。
実はこれらのグッズ以上に強力かつ入手が基本的には不可能であり、幻とまで言われるアイテムが存在する。
それが「ウマ娘の尾毛」である。
変態的なことを書いているようだが、真面目な話だ。
そもそも前世の世界での馬の毛の需要は非常に高い。
非常に高いということはそれだけ優れた繊維である証である。
ブラシ、筆などに使用され、変わり種としてはサイフに使用される場合もある。
またお守りとしての意味合いも強く、西洋などでは幸運を呼び寄せ、邪悪を払うとしてお守りに使われる伝統があるのだ。
流石にこの世界ではそうではない。
いや、正確にはあったと表現するのが正しいだろう。
それこそ大昔は貴族の装飾などに使われ、またウマ娘の尾毛を使用した筆こそ高尚とされ、非常に高価で取引された記録があるほどなのでその性能と潜在的な需要はこちらでも高いと思われる。
だが流石に現代の価値観においては彼女たちの毛を使用することは忌避されており、いまや博物館に収蔵されている品々や一部の神事の装具に使用される場合のみであり、修繕の際には寄付などで賄われ、代替え品を使用することが加速しているのが現状である。
と、いう訳で基本的には尾毛はその絶対数もだが、人道的、生理的な理由も込みで大ぴらに取引や贈呈には使われないのが世間一般の常識なのだが、何事も例外はある。
それはウマ娘本人がプレゼントした場合と受け取った側がウマ娘に関わる仕事をしている人種にたいしてだ。
前述で一般的に忌避される傾向にあるが、そもそもウマ娘との距離が近い彼女たちにとって尾毛はまあ身近な存在であり、世間一般が思うほど尻尾というのは神聖不可侵なモノだという認識が希薄なためだと思われる。
とはいってもウマ娘にとって自分の尾毛は非常に大事なものであり、それこそ女の髪と同等の価値を有するのでおいそれと贈呈することはない。
ではどのような時か。
大抵の場合は学園を卒業するときが多い。
生徒たちは卒業間近となると自分の抜け毛を集めて編んだブレスレットやストラップに加工し、親しい人、特に自分を鍛えてくれた男性トレーナーに対し感謝の気持ちと卒業の思い出としてプレゼントすると言った風習があるのだ。
所謂制服の第2ボタンみたいなものだと例えると分かり易いだろう。
貰う側ではなく与える側というのがまあいじらしいとうか何と言うか……、そう気楽に思えたらなぁ‥‥と思う。
……先ほども述べたようにこれは非常にマイナーで、世間一般には知られていない風習である。
かくいう私も知らなかったし、聞いた限りではトラックマン仲間にも知る人はいなかった。
ではなぜ知っているのか……それは私も一つ頂いてしまったからに他ならない。
その娘は特に有名ではなかった。
前世の記憶を持つ私ですら知らない名であった。
その理由が単純にマイナーだったからか、それとも私が競馬を知るずっと昔の名馬だったからかは分からない。
彼女とは知らない仲ではないが、然程重点的に取材をしたわけでもないし一回大穴特集で取り上げた数あるウマ娘の一人だったぐらいで関わった時間は他のウマ娘に比べても少ないほうだったと認識している。
卒業式当日、輝かしい成績を残した大物ウマ娘の卒業とあってその取材に行った際、その子に呼び出され貰ったのが彼女の尻尾と同じ色のブレスレットだった。
私は彼女に聞いた。
彼女曰く、その1回の特集で選ばれたことが非常に嬉しくて、それを励みにG2とは言え番狂わせの立役者になれたことへの感謝とのことだった。
当日はそれで終わり、彼女ともそれっきりであった。
後日贈り物の意味を知りたくて知り合いのトレーナーに話を聞いたところ、それは彼女の本意ではなかったことが分かった。
ウマ娘が自分の尾毛で作ったアクセサリーを送る意味事態は第2ボタンを贈るのと同じだが、加工したものによって秘された意味も変わるとのことだった。
彼女がこのブレスレットに秘めた真意は不明だ。
少なくとも一回特集を組んだことへのお礼だけではないことは確かだろう。
今更どうすることも無いし、正直にいえば処分に困る品物を頂いてしまったと思うのは私が狭量だからだろうか……それとも。
何となくだが、このブレスレットを身に付ければまたあの子に逢える気がしてならない。
だが、自分がテンプラを名乗り続ける間はそんな資格なんてないし彼女に対しても失礼だろう。
酷い男だ。
だがその日まで、このブレスレットは大事にしまっておこうと思う。
いつか、身に着ける勇気が持てるその日まで。
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書き散らし “ウマ娘たちの歴史 炭鉱ポニー”
今日の取材はウマ娘たちを育てるトレーナーの養成に関するものだった。
トレーナーと言えば、この世界におけるジョッキー、調教師、厩務員が一つに纏まったようなこの世界独自の職業である。
とはいえ、そう感じるのは俺だけで、こちらの世界の感覚では部活の顧問やコーチ、またはアイドルのプロデューサーというのが世間一般の認識だ。
ウマ娘たちの親を除けば最も彼女たちとの距離が近い人種であり、また近代社会においてはウマ娘という固有種族の力を十全と引き出させる唯一の職業といえるだろう。
なにせ昨今ではウマ娘の馬力を必要とする仕事はほぼ無いのだ。
当たり前のことではあるが、時代により職業と言うのは淘汰され、代わりに新たな職業が生まれるということを繰り返してきた。
ケガの保証やリスク回避と効率化により力仕事などの単純労働が完全に機械に置き換わりつつある現代において、ウマ娘の馬力を見込んで大量に雇用し従事させる仕事というのはほぼ存在せず、ヒトとの人口比を考えると見かけることは会っても、偶然同じ職場の同僚として知り合える機会は極めて稀だったりするのだ。
そのため学生には人気の高い憧れの職業でもあるのだが、同時に敷居の高い職業でもある。
というのも、トレーナーになるためには中央、地方それぞれの協会が運営する養成学校へと入校し、実習課程を経て国家資格であるウマ娘トレーナー免許を得なければならないからだ。
なぜこのような制度があるのか、それは一般的にウマ娘の、特に足の速さを競うレースに出場するウマ娘たちの身体的最盛期が中学から高校までと非常に短いことに起因する。
長い人生の内の僅かな貴重な時間内で、効率的に最大限にパフォーマンスを引き出し輝かせることが彼女たちの為になる……そう言った機会損失を防ぐという理念に基づいて生まれたのが免許制度なのだ。
これは長い歴史の積み重ねによって得られた先人たちの努力の結晶なのだと、養成学校の校長の言葉だった。
トレーナー養成学校のカリキュラムの内容は多岐に亘る。
必須科目として設定されているのは主にウマ娘の能力育成や命、ケガに関するモノなどの体育系に属する科目が主となる。
その逆、ウイニングライブでの踊りや歌などを指導するための科目は文科系に属されており、その殆どは必須ではない選択科目という位置づけにある。
その文科系の中で唯一必須科目となっているのは歴史の科目だ。
勿論、世界史とか日本史とかではなく、古今東西のヒトとウマ娘に関する歴史だ。
この授業は、過去に人類とウマ娘がどのような関係であったのか、共存繁栄と至った出来事
を学び、正しい関係性を学ぶことを目的している。
当たり前の話ではあるが、歴史とは先人たちの血と汗と泥が積もり積もって出来た、今我々が現代という現実と幸福を歩み続けることを可能にした貴重な土台そのものだ。
その土台は時に微笑ましい美談ばかりでなく、その多くは今の価値観では受け入れがたい、または当時でも凄惨な悪事として後世に伝えられる負の一面が多分に客観的に盛り込まれている。
この科目は非常に人気が無く、現役のトレーナーに聞いても最も苦労した授業は何かと聞かれれば歴史だと答える者も多い。
悲惨な事件や事故も記載されているため感受性の高すぎる人によってはノイローゼになってしまうこともあるのだとか。
それ故に効果は大きく、免許取得後も厳しい競争を強いられるトレーナー業にあって、その怒りをウマ娘たちに向けず、最低限の尊重を失わず、ましてや彼女たちは自身の立身出世の道具ではないのだと自覚することに大きく寄与していることは間違いないだろう。
私も少しだけ中身を読ませてもらったが、かなり精神に来る内容である。
いや、それは正しくはないな。
幾つかは前世にて既に知っている内容や事実であり、あまり驚きや嫌悪感を抱くはずの無かった話のはずだった。
しかしこの世界の、現代における一般常識を身に着けた故か、それとも4つ脚から2本足へと変化し、隣り合う存在に昇格された故なのか‥‥。
改めて人類とは見た目に惑わされる生物なのかもしれないなと思わずにはいられなかった。
今日はその中から、炭鉱ポニーについて少し紹介しようと思う。
炭鉱ポニーとは書いて字のごとく、炭鉱作業に従事したウマ娘たちのことである。
この世界でいうところのポニーとは、種類の事ではなく、体躯の小さいウマ娘や単純に未成熟なウマ娘のことを差す。
その歴史は古く、現在知られている最古の記録によれば18世紀には既に存在していたようだ。
産業革命前までの時代、ウマ娘の立場と言うのはその国、時代、社会情勢によって大きくことなるのだが、共通して、どの国においてもウマ娘の馬力というものは貴重な労働力であり、欠かせない要素であった。
炭鉱ポニーも、鉱山の数が国力に直結する時代であり、各国が競り合うようにして石炭の採掘量を増やすことに躍起になっている時代に自然と生まれた職業である。
世間一般に炭鉱ポニーというものが知られる切っ掛けとなったのは、当時ほぼ唯一の情報インフラである新聞紙がとある事件を報じたことが切っ掛けと言われている。
当時は人手の数の不利を覆す産業機械もこの時代は未発達、あるいは高価な時代であり、同時に人権というものもあやふやなモノだった。
炭鉱で働く者の中には未成年の少年少女も含まれていたのだ。
そして、とある炭鉱に従事していた26名の少年少女が作業中に出た吹き水により溺死したニュースが報道された。
この凄惨な事故により一般大衆は初めて炭鉱で未成年者が働かせられていることを知り、政府もこれを機に13歳未満の少年たちを炭鉱に従事させることを禁止する法律を作ったほどのショッキングな出来事として受け止められた。
だが現実として各国が列強化し世界の覇権を争い始めようとする時代の最中、法令の発布により生産力が落ちることをなんとしても避けたい当時の政府は減少した労働力をなんとか出来ないものかと頭を悩ませることとなる。
そして白羽の矢が立ったのが、ウマ娘で減少すると思われる労働力を埋めることを広く奨励したのだ。
これにより、その国ではほぼ全ての炭鉱でウマ娘の導入がなされ、最盛期には1つの国内で7万人ものポニーたちが居たと記録されている。
これだけ聞くと当時のその国におけるウマ娘の立場というのは今では考えられないほど低く、一方的に搾取されているかのように思われるかもしれないがそれは正確ではない。
実際にはヒト側も労働階級と支配階級とで分けられていた時代であり、炭鉱の多くが法の目が届きにくい地方に広く点在するということもあってか、肝心の法律は未成年たちの労働を抑制することはできず、ただただ炭鉱運営者にウマ娘の活用方法を広く宣伝しただけという皮肉な結果となった。
ポニーたちは非常に過酷な環境下での労働に従事を課せられてはいたが待遇はヒトに比べれば破格の対応だったといえる。
なにせ、炭鉱夫たちとは違い衣食住は保証されており、装備も革製の防具や頭巾を与えられるというほどである。
主な仕事は炭鉱から掘り出された石炭の輸送、物資の搬送などであり、彼女たちの仕事道具と言えばトロッコが代名詞になるほどであった。
平地では一人で10台ものトロッコを引くことが出来、5%の勾配でも平均して4台ものトロッコを引けるという運用効率はヒトとは比べ物にならない。
逆に、そのパワーを活かしての石炭を掘るという作業は許されてはいなかった。
その理由が、炭鉱運営者が武器となりえるつるはしを与えることを懸念したのか、それとも炭鉱夫たちのささやかな見得なのかは判断の分かれるところである。
いずれにしろ、どれ程待遇が良くてもその過酷さが軽減されるわけでは無く、彼女たちにとって炭鉱とは仕事場であり家でもあった。
脱走者もそれなりに居たとのことだが、他の炭鉱夫と同様、多くのポニーたちは人生の大半を炭鉱内で過ごしたと言われる。
唯一の例外が出産の時である。
運営者側としてもポニーたちの出産というのは表向きには目出度いことであり、同時に次世代の労働力の確保にもつながるため喜ばれた。
ポニーたちの出産費用諸々は運営持ちであり、この時だけは炭鉱を離れ草原の広がる別荘地で数年を過ごし、また炭鉱へと戻るのだ。
生まれた子どもも、ヒトの手による養育の後に炭鉱と契約しポニーとして炭鉱勤めになる。
なお、母娘同士同じ職場で働くことはなく、別の炭鉱で働かせることのが多いのだそうだ。
ヒトとポニーたちの関係は良好だったという記録が多く残されており、特に現場で一緒に働く炭鉱夫たちのエピソードにはこと欠かさない。
元々女っ気の少ない炭鉱においてウマ娘という美しい見た目を有する生物が同じ職場にいること自体が労働者たちに慰安効果をもたらすためほぼ例外なく、ポニーたちは炭鉱夫たちの戦友兼アイドル的存在として機能した。
最後に、2つ程その証拠となるエピソードと炭鉱ポニーという職業がなくなった切っ掛けを紹介したいと思う。
何事にも転換期があるように、産業革命がもたらす力によって生み出された余裕という名のパワーは人権運動というムーブメントと言う形で姿を現す。
それは勿論、過酷な環境で働くポニーの救済という形でも現れた。
1904年、とある炭鉱にて落盤事故が発生した。
炭鉱に努めるとある勇敢な若者は彼の同僚を全員助けると一人現場に残った。
実はこの時ポニーがケガをし置き去りになろうとしていたのだ。
彼は最低限の応急処置を済ますと、救助が駆けつけるまでの間そのポニーに寄り添い、後に救助される。
この勇敢な行動が称えられ、彼は炭鉱運営者より表彰をうけ、この美談は政治家および活動家の強い武器となり、炭鉱ポニー保護法の可決を速めたという。
保護法が可決され、各国でもそれに倣うように同じ法律が発布されたが、それはあくまでポニーたちの労働環境の改善であり、ポニー自体は割と最近、1970年代まで存在した。
最終的に炭鉱ポニーという職業がなくなったのは人権や法律というよりも経済的な理由が主となる。
この時期はエネルギー改革により石炭の需要が減少し、炭鉱が次々に閉鎖されていった時代であった。
そんな理由に閉鎖となった炭鉱にドットと呼ばれる若いポニーがいたという。
このポニーはその炭鉱で働いていたJohn Staffordという労働者が炭鉱最後の日を唄った詩に登場する娘である。
元の詩は英語のため、意訳になるが内容はこうだ。
「彼女はその日が鉱山での最後の仕事だと理解していたと思う。 その日、私と同僚はフェンスに座りドットが草むらの中で風を追いかけて空に向かってジャンプしているのを見た。 それを見ていると思わず永遠に止まらないんじゃないかというぐらい涙が浮かんできたのだった」
引用元
https://en.wikipedia.org/wiki/Pit_pony
https://miningheritage.co.uk/pit-pony/
最近ウマ娘世界の歴史研究論文がにわかに増えてきた気がします。
もっと増えてほしいです。
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書き殴り “ニンジン怖い”
こちらの世界に転生して幾分経つが、唯一嫌いになった食べ物がある。
それはニンジンだ。
いや、正しくは嫌いではないし食べられなくもない。むしろ好きだった。
では何故か? 説明しよう。
こちらのニンジンはとてつもなく甘いのだ。
所謂品種改良というモノだ。
もうニンジンの原産地や日本に来たのはいつか、そもそも何故馬とウマ娘はニンジンが好きなのかはもうこの際書かない。
各自ウマペディアでも確認してくれ。
と に か く
世界が違えども、日本という国は品種改良による野菜の甘味増加にご執心なのは変わらないものらしい。
だが限度がある! メロンより甘いトウモロコシとかはまぁイイとして、トマト、キュウリとかその他諸々の野菜まで下手な果物より甘くするのは如何なものか。
そこまで甘くするならメロンを喰えメロンを!!
最近はピーマンすら甘いんじゃないかと思うぐらいだ。
というより、間違いなく記憶にあるアメリカのピーマンより甘い。
未だ子供の嫌いな野菜のトップに君臨する絶対王者だが、日本の子どもは贅沢だなとつくづく思ってしまう。
‥‥話を戻そう。
ニンジンが体感3割増しで甘いのもそうだが、何よりこちらの世界のニンジンの需要は前世より遥かに高い。
流石の私もニンジンの自給率や生産量までは把握しているわけもないがそう断言して良いだろう。
その理由は近くの小売店に行けば一目瞭然だ。
ニンジンの加工品と言えばキャロットスティックだろうか?
これなら大体のコンビニにも置いてある代物だ。
たまに食うからおいしい。
だがニンジンケーキは? ジュースは? ニンジンスープ、ニンジンハンバーグ、ニンジンステーキ、ニンジンサンド、ニンジンおにぎり、ニンジンのお寿司は!?
もうありとあらゆる料理にニンジンが入っているこの現状を、俺はどうにもこうにも……
ラーメンやソバ、うどんだってそうだ。
トッピングのオプション欄に燦燦と書かれたニンジンの四文字を見たことがあるか?
極めつけはスーパーのニンジンコーナーである。
山盛りのようなニンジンが専用コーナーを有して売り場面積を占有しているのだ。
しかも売れ行きも良いし安い。
下手な白物よりも安いってどういう経済で廻っているのやら‥‥
もちろん安いニンジンばかりではない。
高級なニンジンもちゃんとあるのだ。
一度食べてみたがただでさえ甘いニンジンが更に輪をかけて甘かったとだけしか分からなかったのでメッチャ損した気分だった。
味音痴のつもりは一応ないのだが。
あ、そうそう。
京都土産すらニンジンの魔の手が迫っていたことにはゲンナリした。
ニンジン味の生八つ橋とは一体‥‥‥‥。
そしてそれを抑えての一番人気土産が金時ニンジンって、京野菜が学生に人気とかこれ如何に‥‥。
そもそもこの世界ではオレンジ色とはあまり言わない。
ニンジン色と呼ぶのだ。
クレヨンや色鉛筆にもそう書いてある。
だからこちらの文学では「オレンジ色の空」とは表現されない。
「ニンジン色の空」と表現されるのだ。
風情がないと思うのは私だけではないという意見が聞きたい今日この頃である。
さて、いつになく雑な書き散らし、というより書きなぐりになっているのには訳がある。
地元の商店街で買い物していたら福引のイベントをやっていたらしく、たまたま一枚引換券があったので運試しに廻してみたのだ。
今思えば景品がなにか確かめてからやればよかった。
結果はみごと2等賞。
可もなく不可もなしの結果だったが箱一杯の山盛りニンジンだったのだ。
どうしようこれ‥‥‥‥
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書き散らし “学生寮と猿回し”
こっちの世界の午ってどうなっているだろうね?
毎度の事ながら、当代トレセン学園の理事長とはウマ娘想いな人物だなと思う。
なにせウマ娘のトレーニングに役立つのであれば私費すら投じてでもありとあらゆる最新装備や施設を用意するのだから。
気が付いたら毎年1回は改築、増築工事がトレセン学園内で行われている気がする。
今回は前々から希望の有った美浦寮のリフォーム工事が終わったとのことで、その竣工式が行われるとのことで取材をさせて貰った。
トレセン学園には美浦寮と栗東寮の二つの学生寮がある。
ここを通う学生はこのいずれかの寮の所属となり寝食を過ごすのだが、その振り分け方は外部には知らされていない。
まぁ、個人情報やプライベートのこともあるので詮索するのは野暮な話だが。
今回美浦寮のみがリフォームの対象になったかというと単純な理由である。
それは美浦の方が栗東寮よりも古いからというだけのことなのだ。
簡単に歴史のおさらいをしたいと思う。
こちらの世界では久しく使われることがなくなったが、前世の俺が居た世界と同じく、昔は関東ウマ娘、関西ウマ娘という括りが存在し、互いに妙な対抗意識が存在したのだ。
なぜこう呼ばれるようになったのか、それは東京の府中にトレセン学園が出来る前はそれぞれ茨城県美浦市と滋賀県栗東市と分かれていたからだ。
今ほど移動が容易ではなかった時代、富士山を中心線として西と東に分かれて生まれたウマ娘は属する地域の方のトレセン学園に入学することが多かった。
これによるメリットとデメリットとは、移動時間による疲労である。
二つのグランプリレースで説明すると、有馬記念は美浦に有利し、宝塚記念の場合は栗東に有利となり、実際に統計的にもそのような傾向が見えるのだ。
……だが、徐々にその傾向は崩れることになり、栗東出身者が東西関係なくレースでの勝率が高くなり、美浦出身者が負け続けるという均衡が崩れる事態が発生したのだ。
その理由は各校での施設の充実さに差が出てしまったからと言われている。
具体的にいうと、栗東校には坂路トレーニング用のコースが増設出来たのに関わらず、美浦は学校運営の不手際や資金問題、関東平野という自然を活かしての坂路コースを作り易い環境にはないという立地の問題ということも相まってコースの増設の話は流れに流れ、距離的有利性を活かせずに中山競馬場を始め急な坂のあるコースで関西ウマ娘に歯が立たないという事態が続出。
特に坂路で鍛えられる脚力がモノを言うダートレースによる東西の勝率は悲惨であり、1年間の重賞17レースのうち、関東と関西の勝率はなんと1:16、目も当てられない悲惨な結末となってしまったのだ。
そのため有力な関東ウマ娘などは美浦に所属しながらも「栗東留学」などしたり、東側に生まれたウマ娘も栗東の入学を希望するようになってしまった。
将来的には美浦校は定員割れを起こし、栗東は入学制限を設けなければならないという事態が危惧され、それによる競技人口の減少、ウマ娘によるレース衰退の危機まで想定された。
その打開策の一案として挙げられ、実行されたのが府中に東西のトレセン学園を合併させるというモノであった。
これによるメリットは東西のウマ娘に共通の条件を与えられることにある。
全員共通の施設を使用してのトレーニングを実施することができ、どのレース場に行くにも移動距離的なハンディキャップは無くなるのだ。
勿論デメリットも存在したのだがそれは割愛しよう。
とにかく、このカンフル剤の効果は絶大であり、今の
因みにこの中央の統合計画の中心であり立役者でもあるのが現理事長の祖父母である先々代理事長であり、中央の運営はこの一族に頭が上がらないというのがもっぱらの噂であるが、真意の程は確かではない。
なんにせよ、現在は美浦にも栗東にもトレセン学園はなくなり、この二校の精神と名前はそれぞれの寮へと引き継がれているのだ。
話を竣工式に戻そうと思う。
トレセン学園はそういった経緯もあり関東、関西平等の理念により作られたが必ずしも全てが平等だったというわけではない。
東西統合で一番金額的な意味での損をするのは栗東側である。
なにせ勝率は西側に軍配が上がることが多かったためスポンサーや入学者、各支援団体の差でも西が圧倒し、資金が潤沢だった矢先に統合である。
しかも両校の資金比率から見ても栗東が多く金額を支払わなければならないため、意地なのか見栄なのか定かではないが元栗東のウマ娘たちが住まう寮は豪華絢爛の新築にすると主張し始めたのだ。
統合責任者である先々代理事長もここまで来て交渉決裂を避けたかったのか内装や外装への差をつけることまでは撤回させることが出来たがそれ以外は飲まざるを得なかったため、美浦寮は元々あった建物を学生寮向けにリフォームし、栗東寮は全く同じ造りの寮を新築で建てるという結果になったのだ。
そのためなのか、栗東寮の現寮長であるフジキセキ曰く、
「美浦寮にばかり幽霊話があってずるい」だの、
美浦寮の現寮長であるヒシアマゾン曰く、
「栗東寮はネズミ騒ぎがなくて羨ましい」と地味な差が今なお受け継がれるようになったのだ。
天下のトレセン学園も1000人も入寮できるような巨大な寮を2つ同時にリフォームするだけの資金が無いようなのでこのような問題は永劫と続くことになるのだろう。
最後はこの竣工式に参加して初めて知ったこちらの世界独自の神事を書き留めて終わりにしたいと思う。
竣工式とは、完成した建物の完成を祝い、無事繁栄を祈るための神事である。
関係者各位、工事関係者、そこに住まう学生を招き、宮司さんをお呼びして清め払ってもらったあとにちょっとした祝賀会をするのだ。
ここまでは俺も知る竣工式である。
一つだけ違うのは、神事の一つとして猿回しが行われることだ。
ニホンザルに色んな芸をさせるあの猿回しである。
それも大道芸という祝賀会の演目としてではなく立派な神事の一つとしてだ。
とはいえ堅苦しいものではなく、中々観る機会のない猿による大道芸に学生たちの黄色い声援が飛んだわけで中々の盛況ぶりだったが。
勉強不足だったので記事に起こす前に確認したのだが、あれは
厩とはつまりは馬小屋のことである。
こちらの世界ではウマ娘専用の部屋の事を差したが今では使われない廃れた漢字の一つだ。
そしてどういう訳か、猿は大昔からこの厩とウマ娘の守り神としての役割りを与えられていたことに由来するものらしい。
土着の逸話から発展した話や、果てにはインド神話のハヌマーンから由来するなどの説が散見されるが、大昔、人とウマ娘は争う仲だったがそれを見かねた神が猿に変身し二つの種族の間を取り持ったという伝説が由来とされるらしい。
流石にこの世界独自の神話だろうと思ったが詳しく調べていくと、「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な日光東照宮の三猿が浮上したので読んでみると、あの有名なレリーフは神厩舎、つまり神馬ようの馬小屋に飾られているので恐らく前世でも厩猿信仰というのはあちらの世界にもあると思われる。
ちなみにこちらの神馬は特別なウマ娘の巫女の事指すとのこと。
話を猿廻しに戻そう。
日本というのはとにかく神事の多い国だと改めて思った。
地鎮祭、上棟祭、竣工式。 更にウマ娘が済むことになる建物にはこの猿回しによる舞と計4つも神事を行う必要があるのだから大変だ。
因みにご利益は火災防止、衛生、無病息災、安産などらしく、未だ根強い信仰を集める行事なのであちらの世界では観光地ぐらいでしか見ることのできない猿回しが都心でも割と見られるとのことらしい。
思わぬ違いを体験した良い一日だった。
表紙はどうしようか? やっぱりこの満面の笑みを浮かべながら猿を抱っこしているヒシアマゾンの写真がいいかもね。
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新人記者の日記
誉れ高い「優俊」の編集部に配属になって早半年、最近はミスも少なく、怖いチーフから没を喰らう回数も劇的に減ったし得意分野では特集を任されるようにもなった。
我ながら中々の成長力だと思う。
これなら、いっぱしにトラックマンって名乗ることも出来るかな?
とはいえ、自分より優秀な先輩方は、社内はおろかライバル社にもいる訳で‥‥成長出来た分だけ自分との力量差がはっきりと見えてきてしまったがもっぱらの悩みだ。
特に「月間トゥインクル」の乙名史悦子とフリーのテンプラ、この二人はダンチだ。
乙名史さんは先輩に連れられた際に紹介して貰ったこともあるし、何度も同じ現場に居合わせたこともあるからそれなりに交流させて貰っているけどとても良い記事を書く人だ。
ウマ娘に関する知識は現役のトレーナーにも負けないんじゃないかってぐらい豊富だし、何よりあの情熱は見習いたいと思う。
‥‥とはいえ、情熱的すぎて深読みしすぎるというか、もはや妄想癖もあるんじゃないかってぐらい勝手に誇張してしまうのがついて行けない時がある。
というか記者として捏造して良いのかと最初は不快感を覚えたけど、翌日彼女の記事を読むと非常に真摯で妄想の部分は一切ないのだから不思議だ。
よくよく読めばそれだけの情熱が文字の裏に隠れているようにも思えるのでもしかしたらあれは自分のモチベーションアップや熱量を文章で伝えるための高等テクニックなのかもしれない。
とてもではないがあの領域に辿り着くにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
もう一人はテンプラという謎の男。
ふざけた名前だが忘れもしない。
チーフに人生初のボツを喰らったときに代打として選ばれた人だ。
あれ以来気になってチーフには一度会わせてほしいとお願いしたがあちらさんも忙しい‥‥どころではないな。
フリーとは言えこの人の仕事量は多岐に渡り過ぎててちょっと引く。
彼の書いた記事を読ませてもらって勉強させてもらっているけど、この人は発想が奇抜すぎると思う。
本当に奇抜すぎて最早なにを書きたいのか分からなくなるぐらい奇をてらっている時もあれば、常識過ぎてだれも疑問に思わなかったウマ娘のあれこれに真っ正面から向き合うなど堅実な記事を書くもんだから非常に評価に困る。
文章力や情熱度では乙名史さんには負けるけど、ウマ娘の小学生向けの雑誌からアダルト向けの大衆紙までと雑誌毎の購買層の要求に的確に合わせた記事を書くのは素直に凄い。
これだけ仕事しているのだからいくらでも会う機会なんてありそうなものなのにどういった訳かそのチャンスは巡ってこず、入ってくるのは人づてに聞いた彼の印象ばかりだ。
これも当たり前かもしれないが割りと評判の分かれるお方なので判断が付きづらい。
乙名史さんにテンプラの印象を聞いてみたところ、何度か会ったことがあるらしく、その割には彼に対する評価は割と辛口だった。
曰く、最初に会ったときの印象が悪すぎたとのことだ。
彼女から見てテンプラは覇気も情熱も皆無で、そのくせ有力なウマ娘を一目で見抜く才能に溢れているのが気に食わないとのことらしい。
それどころか選抜レースに出るウマ娘の名前のリストを見ただけで有力なウマ娘は居ないと判断し、レース見学と取材を取り止めたという話もあるらしい。(流石にこれは乙名史さんのお得意の妄想癖だとは思う)
その影響か、彼の注目したウマ娘が大当たりに違いないと選抜レースでウマ娘を見ずに彼の動向ばかりを注視する三流トレーナーも居たとかなんとか。
と言うわけで、取材担当する記者たちの印象では割りとテンプラの評価は低い。
しかし覇気や情熱が無いという割には彼の記事は情熱こそ乙名史さんには敵わないだろうけど、取材対象に対するリスペクトというか、不快になる気持ちにはならない文章を書く人な気はする。
一応今度、アーカイブで昔の彼の記事を読んでみようと思う。
先輩方の言うテンプラの当時の人物像が分かるかもしれない。
アグネスデジタル欲しかった‥‥
ファインモーションのSRが手に入っただけヨカッタ。
想像以上に王族しててびっくりしました。
王女殿下を町のラーメン屋に連れて行ってしまった男がいるらしいですよw
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書き散らし “キャロットマン。……マン?”
人生とは常に勉強の連続である。
世界は日々進歩し、気を抜けばあっという間に時代に取り残されてしまう。
趣味、流行の類であれば致命的にはならないが、こと仕事に関しては自信の立身出世、成果と社会に多大な影響を与えかねない。
それは俺の仕事、トラックマンとて変わりはない。
成長目まぐるしいウマ娘たちとそれを支えるトレーナー陣の時に堅実で時に奇抜なトレーニング方法がどのように影響を及ぼすのか、情報収集もさることながらそれがどのような影響を及ぼすのか予想し、読者にそれを誤解無く伝えるためには常に勉強の毎日である。
特に天才と呼ばれる人種のトレーナーは時に常人には理解しにくいトレーニング方法を編み出したりし、それを知識不足の記者が歪曲して広く伝わってしまったことによりけが人が増えたという業界教訓も存在するので正しい知識のアップデートは取材以上に大事な仕事である。
とはいえ、それはいわゆる時計班と予想班と呼ばれる記者たちの仕事だ。
俺みたいに日常生活系を取材するタイプはあまり関係ないように思えるがそうではない。
ウマ娘たちも一度ターフを離れれば一介の女子中学生や高校生たちである。
だれでも趣味の一つや二つは持っており、それがゲームだったり漫画だったりとサブカルチャーとは皆無な娘は殆ど居ないと思われる。
故に俺も、彼女たちとの会話の引き出しを増やすべく少女漫画や流行のドラマは可能な限りチェックしたりしている。
話しやすい、話の通じる記者であり続けるのにもそれなりの苦労があるのだ。
しかしそれでも抜けというのは出てしまう。
時間が有限であり、趣味趣向が十人十色である以上仕方がないのだが時には想定外の趣味を持つウマ娘がいる場合もある。
それはビコーペガサスと取材の際、彼女が特撮ヒーロー好きであり、特にキャロットマンが好きだと言われた時だった。
今時特撮ヒーロー好きに男子も女子もウマ娘も関係ないというのは理解しているし否定するつもりは無い。
しかし個人的な身の回りで女の子が特撮ヒーロー好きというのは経験になく、男子でも割りと一旦は卒業する時期に、しかも大衆紙とは言えメディアにそれを堂々という女の子の存在はかなり貴重なのではないかと思う。
ウマ娘の口から特撮ヒーローの名前が出たのを聞いたもの初めてだし(プリ〇ュアぽい作品が好きだと公言した子は知っているけど)。
それはともかく、実を言うとこっちの世界の特撮ヒーローはあまり興味がなく、精々作品名と演者ぐらいは調べておくぐらいに留まっている。
なので彼女への取材の際にはあまり詳しくないと言うこと先に言っておき、聞き手に専念しつつ前世で培った俺なりのヒーロー像を要所要所で出しつつ彼女も満足いくようなインタビューを引き出すことには成功した。
「おじさん資質あるよ! 絶対キャロットマン観てね! すっごく気に入ると思うから!」
とは彼女のインタビュー後の感想だ。
久方ぶり盛り上がった楽しい取材だったと思う。
悲しきかな、当方がキャロットマン並びにその他特撮ヒーローの知識がもう少しあればもっと盛り上がれたのにと後悔を覚える程だった。
と言うわけで、今後活躍をするかもしれない彼女や、もしかしたら他にも隠れファンがいるかもしれないのでこちらの世界の特撮ヒーロー事情を勉強しようと思った次第だ。
総括すると、この世界の特撮もウマ娘という人間よりも力が強い存在が身近にあることにかなりの影響を与えているように思える。
作品によってマチマチだが、
なので街の蹂躙シーンとかテレビの30分番組とは思えぬほどに派手だ。
具体的に述べると車レベルの重量物が派手に転がり回るのだ。
尻尾が見当たらないこととキャストロールの名前を見るに恐らくヒトのスーツアクターだと思われるがそいつが軽く蹴り上げるだけで車が面白いように宙に浮きあがる描写があったりする。
その道のプロに聞くとワイヤーなどの操演とかはウマ娘十数人で勢いよく引いてあのようなシーンが撮れるのだとか。
車レベルの重量物の吊り上げ下げを重機も使わず数人程度のコストで出来るのだからウマ娘の馬力には驚かされる。
そして肝心のヒーロー側だが、これらは各作品によって作風や事情がかなり違うため代表例を2つほどに絞りたいと思う。
まずはこちらの世界にもある戦隊モノに近いシリーズについてだ。
基本フォーマットは似通っておりカラフルなヒーローたちがチームワークを駆使して戦うところまでは基本同じだ。
違いは必ず一人はウマ娘枠と言うモノが存在し、男性3:女性1:ウマ娘1と言った割合がほぼお決まりのパターンだ。
過去には男性と女性比率が4:1または3:2、もしくはウマ娘が2という割合もあったが時代が経るにつれてどちらかを除け者にするのは如何という風潮になり現代に到るとのことらしい。
前世でお世話になったパワー〇ンジャーみたいだなというのが個人的な感想だ。
因みにウマ娘は何故か黄色役が多いらしい。
キャロットマンは戦隊モノとは対を成すソロによるヒーローシリーズであり、最大の特徴は変身後(つまりスーツアクター)をウマ娘が担当しているという画期的な作品として人気だ。
というのも、ヒーローたちのスーツや着ぐるみの中はとても暑く、ベテランのアクターですらも参ってしまうほどに過酷な仕事であり、ヒトよりも体温が高く熱がこもり易い体質のウマ娘では最悪の場合命の危険性にも関わってしまう恐れがあるため特撮の現場におけるウマ娘の役割りは長らく補助というのがほぼ当たり前であった。
前述した戦隊モノでもウマ娘が変身こそはするが変身後はヒトのアクターによる吹替であり、設定資料集によると尻尾と耳は特殊な力で収納されたりするメタ的な理由付けがなされ、シルエットだけではどっちがウマ娘なのかは分からないようになっている。
キャロットマンはそう言った実情を打破する目論見もありアクターも含めウマ娘らしいヒーローを作ろうというコンセプトで生み出された斬新なヒーローなのだ。
スーツもウマ娘ならではの身体的特徴である耳がすっぽり入るような形状とっており、尻尾もちゃんと出るような造りとなっている。
内部も全体に細いパイプが張り巡らされその中を冷却水が循環することによってウマ娘の体を冷やすと言ってハイテクな仕様となっている。
そのためスーツの製作費が物凄く高価であり(また重量もかなり重いらしい)、そう言った事情のため量産が難しく、キャロットマンは単体ヒーローとして誕生し、アクターがウマ娘になったことによるパワフルな映像表現が生み出されていくのだ。
CGに頼らない生身による大ジャンプや補助なしの敵怪人の投げ飛ばしやウマ娘特有の足の速さを活かしたリアルスピーディーな戦闘描写は目の肥えたファンたちにも新風を吹き込む存在として受け入れられた。
また、プレミアムステージショーのみに限定されるが劇中で使用されたスーツと同じアクターによるテレビと遜色ない生アクションシーンが見られるのも他のヒーローとの大きな差でありセールスポイントになっているのだとか。
ストーリーもその映像美に負けないかなり重厚な話であり、近年稀にみる設定の重さや性差人種差に真正面から向き合うといった意味でもかなりの話題作だ。
なにせキャロット「マン」なのだ。 キャロット「ウーマン」では無いのだ。
どう見てもウマ娘だろうと思えるが視聴済みの劇中の範囲では本人もマンと名乗っているためか一般市民も敵組織も正体を男と思っているらしい。
声も変身役のウマ娘が演じる声は割と中性的な声であり、変身中はかなり低い声で演じ分けているため男性に聞こえなくもなかったりする。
製作陣はどういった意図でマンにしたのか、その辺を楽しみにしつつ今から5話を観ようと思う‥‥
いつも作品を読んでいただき、感謝します。
前話は想像以上に反響が悪かったので期待してくれてた方々には申し訳なかったなという気持ちです。
これからも本作を宜しくお願い致します。
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書き散らし “感謝祭とサポーター”
11月と言えば感謝祭である。
だが残念ながらここ日本ではそのようなイベントはない。
というより、完全にアメリカ国内専用のイベントであり今日までのメディアを通じてアメリカナイズという名の文化侵略を推し進めてきたあの国にしては珍しく世界共通化が成されていないガラパゴスなイベントと言えるかもしれない。
が、流石に11月になった途端にクリスマスムードを醸し出すのかいかがなものか……。
流石にツリーを飾るツワモノはいないだろうが、少なくとも最寄りのスーパーでは既にクリスマスソングが流れ、某フライドチキンの大佐は既にサンタクロースの恰好をしている始末。
いくらなんでも早すぎるだろうというのは日本に暮らすアメリカ人あるあるの一つだ。
それほどまでに感謝祭とはアメリカ出身者にとって大事なイベントなのだ。
具体的に何をするのかというと帰省だ。
11月末までの最後の一週間、この時期はどこもかしこも休日となり日本で言うところのお盆や年末よろしく地元へ帰省し、親族が一堂に会する習慣があるのだ。
だが日本にレース留学しに来ているアメリカ出身のウマ娘はそういう訳には行かない。
特に秋から年末にかけては多くの重賞レースが開催される大事な時期だ。
彼女たちはレースに出場し勝つために覚悟して来日しているため、重要なレース期間中に故郷へ帰るような者はまずいない。
だが長年の習慣というのは厄介なもので、この時期になるとホームシックに陥るなど調子を崩す子が現れることもある。
なので、せめて故郷の味だけでも食べさせてあげようと在日アメリカ人の有志によるサンクスギビングディナーパーティが毎年11月の末に開かれ陰ながら彼女たちの精神的なサポートなどが行われたりするのだ。
ちなみにだがトレセン学園にはアメリカのみならずヨーロッパやその他国と地域からの留学生も来ており、その国の数だけこういったサポーターが存在する。
ウマ娘のレースはこういった多くの人の善意によって成り立っているのだ。
さて、感謝祭では普段食べない特別な料理が用意される。
メインはやはりなんと言ってもターキー、つまり七面鳥だ。
感謝祭が別名ターキーディと呼ばれるほど切外すことのできない重大な要素でありこれを食べずにして年は越せないというと言うアメリカ人は多い。
なにせカニカマみたいに菜食主義者向けに豆腐や麩で出来た代替え品まであるぐらいだ。
その情熱の程がうかがい知れる。
とはいえ、実を言うと七面鳥は毎年一回ぐらいは強烈に食べたくなるが普段から食べたいと思えるほど格別に美味しい訳ではない。
ローカロリーで高蛋白質とアスリート向けな食材ではあるのだが実はチキンに比べて味はかなり淡泊だ。
健康上の理由でもない限り七面鳥を普段から食べる人はかなり稀で、実際七面鳥の需要は11月と12月に集中している。
なぜ感謝祭に七面鳥を食べるのかというと、これはアメリカの建国される前、新大陸と呼ばれていた時代にヨーロッパから入植してきた人々が不慣れな土壌と気候により持ち込んだ動植物が十分に育たず、食糧難に陥ったさい、チキンの代わりに野生の七面鳥を食べたことに由来するらしい。
そのほかにもその土地や気候風土にあった食物の栽培方法などを先住民族に教わり、やがて安定するようになったあと、彼らを招待し様々なご馳走で感謝の気持ちを現したという故事に倣ったというのが現代の感謝祭に繋がると言うのが一般的だ。
まぁ、由来は諸説あり実際にはそんな歴史的な事実は無く、政治家がでっち上げたおとぎ話という話もあるのだがそれは割愛しよう。
なにせ忙しいのだ。
これから他のアメリカ人サポーターの皆と大量のターキーの仕込みをしなくてはならないからだ。
実を言うと俺もアメリカから留学に来ているウマ娘のサポーターの一人だったりする。
前世がアメリカ人ということで別世界だろうとアメリカからわざわざ日本に留学しに来た勇気あるウマ娘たちを応援したいという気持ちもあるが、ターキーを食べたいという気持ちも2割ぐらいあったりなかったりする。
だって日本で七面鳥の丸鳥買うと高いんだもん。
しかもデカいし一人ではとても消化しきれないのでこういった催しでもない限り食べることは無いだろう。
しかしいつ見ても圧巻な光景だ。
七面鳥というのはチキンに比べかなりサイズが大きいので1羽で10人分ぐらいは賄えるサイズで売られているモノもある。
そんなサイズの七面鳥が10羽以上会場のキッチンに集合しているのだ。
それでもパーティ終了時刻までには骨しか残らないのだから恐れ入る。
大変な作業だが、これで秋の重賞レースを頑張ってくれるのなら明後日くるであろう筋肉痛なんぞ安い代償だろう。
……シャッター押せる筋力だけは残したいな。
多分エルコンドルパサーやタイキシャトルあたりはターキーを食べられないことにフラストレーションが溜まる気がします。
ちなみ作者は年末帰省した際に実家で家族と食べてます。
実を言うと本当はアメリカ先住民とウマ娘の関係性、現実に存在する野生馬(厳密には違うけど)マスタングについても書くつもりだったのですが、ごっちゃになるのでこのような形になりました。
とりあえず……ターキー食べたいです。
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書き散らし “ウマ娘の振付師”
トレセン学園には未成年のウマ娘たちは居ても成人したウマ娘は居ないと言われることがあるがそれは事実ではない。
とは言え、そういう風に言われても仕方がないほどに、それも不自然なくらい成人したウマ娘がいないというのは事実である。
トレセン学園は中高一貫校ということもあるが全校生徒2000人という超マンモス校だ。
当然それに対応できるだけの教員、警備員や用務員など運営に携わる大人の人数もかなりの規模となるわけだが運営側(生徒会の除く)に属するウマ娘の数は僅か数名という極端な少なさとなっている。
これはけして運営側が意図的に減らしたり人数調整をした結果などではなく、現状ウマ娘の志望者が純粋に少ないのだと言う。
その現象を象徴的に表すのがウマ娘のトレーナー志望者の内訳だ。
一般的にトレーナーという職業は華やかという認識であり、ウマ娘の膂力を充てにした前時代的な職業が淘汰された現代においてウマ娘と直接、その優れた身体能力を発揮できる数少ない職場ということも相まってか毎年トレーナー育成専門学校は定員以上の入学希望者が集まるほど人気のある職業と言えるだろう。
まぁ、それでもトレセン学園は万年トレーナー不足という状態らしく、その要因はそもそもの資格取得の難易度(東大合格レベルらしい)、更にトレセン学園側のふるい落としが厳しすぎると言われ、毎年URAも交えたレベルの緩和が議題に上がるが未だその解決の糸口が見えていないという状態だ。
そして、その内訳だが男性の方が少し割合が多いが女性希望者も多くほぼ均等と言う塩梅だが不思議なことにウマ娘の希望者はほぼおらず、合格者が出ればニュースになるレベルで珍しい。
スポーツの指導者というのはその競技の元経験者がするのが一般的なはずである。
野球は野球、サッカーはサッカー、水泳なら水泳と、その競技に知識と経験で精通している者が担当するのが理想であり、野球からソフトボールなどはともかく、野球経験者がサッカーを指導することはあまりにもナンセンスだ。
ヒトのトレーナーの中にはかつてトラック、マラソンなどの陸上競技の経験者が居る場合もあるかもしれないが、そもそもの肉体構造、スピード、競技場の環境が全くもってことなるウマ娘たちのレースに活かせる要素は少ないように思える。
あるとすればレース前の心得といった精神的なサポートぐらいだろうがそれが陸上競技未経験者との絶対的なアドバンテージに成り得るかは甚だ疑問だ。
それならば元レース経験者のウマ娘の方が心技体すべての経験を元に大いに指導出来そうなのだが、どういう訳かトレーナーはヒトの方が良いという非科学的なオカルトめいた先人たちの経験則からなる風潮が尊ばれている傾向にある。
しかし案外この風潮はバカにならず、指導された側のウマ娘もそう言う覚えがあるのか、どんなにレースに熱心だったウマ娘も引退後の道に指導者を目指すことは非常に稀だ。
さて、現状トレーナーは圧倒的多数でヒトが担当しているわけだが、その代わりとして人がどうしても担当できない部分を成人したウマ娘が独占している仕事もある。
その一つがウイニングライブで披露されるダンスを指導する振付師たちだ。
今日のウイニングライブそのものは日本に限らず世界中でも行われているが
これは貴族が開催していたレースが母体となった欧州のシリーズとは異なり、日本は早い段階から大衆娯楽の一つとなった側面から運営側も早期からファンサービスを充実させてきたのが理由とされている。
それが応援してくれたファンに対する歌と踊りの披露といった自主的な催しが体系化され現代のライブへと進化していったのだ。
初期の頃はウマ娘が自主的にやっていたということもあり(言い方は悪いがお遊戯レベル、とはいえそれはそれで初々しいと人気であり、今でもG1常連によるシニア級ウマ娘による洗練された高度なライブよりメイクデビューしたばかりのウマ娘たちのライブが好きな層もいる)さほどレベルの高くなかったライブも正式な催しへと昇格し、目の肥えたファンたちがよりクオリティーの高いライブを求めるファンの声に答える形で上がり続けていったのは自然の流れと言えるだろう。
そういったクオリティー向上の一つが振付師という職業であり、現在のトレセン学園における数少ないウマ娘専任の職業だ。
この仕事もトレーナー同様にヒトでも可能なように思えるが、ある理由によりウマ娘の方が適任とされている。
その理由は耳や尻尾を用いた細かな感情表現の指導がヒトでは出来なかったからだと言われている。
一度振付師の仕事を取材させて貰ったことがあるが、ヒトのダンス練習ではまず聞くことの無い、
「そこで耳を寝かせて! 切なさをアピールしなさい!」
「ターンする際には手先だけでなく尻尾のその先まで意識するように!」
……と、こんな指導が頻繁に飛び交うのだ。
手足の動作や顔の表情までならヒトでも出来そうだが流石にヒトには無い部位の指導は困難だろうし、その辺は同じウマ娘ならではの指導と言えるかもしれない。
一見細かすぎて効果があるのかと思われるかもしれないが、実際に先ほどの指導を受けたウマ娘のその前後では素人目に見てもより切なげに、ターンも美しく見えたのでその効果は絶大的だとはっきり言える。
ウマ娘たちの耳や尻尾は彼女たちの感情が正直に出てしまう部位だと言われているが、もしかしたらその逆に耳や尻尾にそれに呼応する行動をとらせることにより彼女たちの心にも作用するのかもしれない。
何にせよ良く出来た指導方法だと感心してしまう。
振付師とは呼ばれているが彼女たちのメインの仕事はライブ用のダンス振り付けではない。
基本的には学園常勤のダンス教師というのが正式な肩書でトレセン学園に雇われている。
どんなに優秀なウマ娘も最初から踊れるわけでもなければ勝利したレースに対応したダンス(しかも成績に応じてパートが変わるので)全てを覚えておけるわけではなく、レース後の限られた時間内でその振付を覚えなければならないわけだが、そのためには普段からダンスの練習の他に振付を付けてもらう訓練も必要になるのだ。
そのためトレセン学園の、特に新入生たちのカリキュラムにはコーチによる選抜レースに向けての基礎固めのほかにダンスの基礎もみっちり固められ、それを担当するのは振付師と呼ばれるウマ娘先生たちなのだ。
もっとも、最近は小学校でも授業の一環としてダンスを教えるらしいので新入生の大体がダンスの基本を学んでおり、基礎練習はそこそこに、早い段階でウイニングライブ用のダンスを教えたりなどして彼女たちのモチベーションをあげることをしたりしているんだそうだ。
こうやって中央のウイニングライブのクオリティーの高さは彼女たちの日頃の活躍により維持されてきていると言っていい。
個人的にはこの一件から見てもウマ娘だからこそ出来る指導法はあると思うので、何時か葦毛のウマ娘は走らないと云った風潮を覆すような、ウマ娘トレーナーが指導したウマ娘がG1レースを勝利する日が現れるのではと期待している。
しかし最初は物珍しかったが最近は仕事の都合や慣れによってライブをしっかり見る機会が減って来たなと思う。今まで借りたことがないけど、レンタルビデオ店や配信サービスサイトとかでライブシーンをゆっくりと堪能してみるのもいいかもしれない。
駿大祭の舞講師からの着想です。
多分あの人もウマ娘なんじゃないかな?っと思ってます。
次のネタは何がいいですかね?
今のところ暖めているのが、
ポロ、不祥事、フィリーズとか牝馬を現す言葉の存在、マスタング族というアメリカに住むウマ娘たちなど等です。
良ければご感想、評価などをお願い致します。
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書き散らし ウマ娘たちのお名前事情
お久しぶりです。1年4ヶ月ぶりの投稿となります。もしもこの作品を楽しみにされている方々がおりましたら大変お待たせ致しました。
ウマ娘も早いもので2周年、彼女たちの世界観も大分解像度が上がってきたような気がしますがまだまだ多くの謎が秘められていますね。
この作品はあくまで公式では出ていない、または出せない表現できない部分を個人的な解釈で表現していきたいと思っております。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
ウマ娘のお名前事情
ひどい目にあった。
一昨日はトレセン生の趣味を取材するという楽な仕事のはずだったのだがマルゼンスキーに取材を申し込んでしまったのが運の尽きだった。
常日頃、情報は前もって入手と吟味をするべきだと意識しているつもりだったのだがどうやらまだまだ甘かったらしい。
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いや、しかし狙い目は悪くないと思うのだ。
現役の生徒で車を持つばかりか、スポーツカーを乗り回すとかハイソだし特集記事のトップを飾るに相応しい見栄えもあるのは間違いない。
トレセン内外に年上のお姉さまとして人気の高いマルゼンスキーというのもオッズ1.0の元払いぐらいに堅い案件だ。
失敗したのは、思ったよりも、そう…噂以上に彼女の運転が非常にアグレッシブだったということだった。
誓って云うが、彼女マルゼンスキーは無謀な運転はしていない。
ただ、スポーツカーならではの優秀な加速力とブレーキ性能、それを見事に操る彼女の力量やレース勘も合わさってか、助手席にしがみつくことしか出来ない身としては心の準備もする間もなく掛かる前後左右へのGに身を晒され続ける、それが非常に怖いのだ。
だが今日は別にマルゼンスキーの運転が如何に荒いかを訴えたいわけではない。
生還後、思わず本当に運転免許証を持っているのかと思わず問いただした際、証拠として見せて貰った免許証、顔写真はマルゼンスキー本人の物なのに氏名欄に見慣れないお名前が記載されていたのだ。
ぷりぷり文句言いつつ、何故だか恥ずかしそうに免許証を見せてくれた彼女に聞いたところそれが彼女の本名とのことだった。
なお、この手記は私以外見ることは無いだろうが個人情報のため彼女の本名を書き残すのは控えさせてもらう。(というより直ぐに片付けられてしまったので覚えていない。もの凄く恥ずかしそうにしていたのでそんなに顔写真が酷かったのだろうか? なぜ免許証の写真ってあんなに映りが悪いのか)
というわけでウマ娘たちのお名前事情をより深く知るために、ウマ娘と結婚し、ウマ娘の子どもを持つ元トラックマンの先輩に話を聞くことにした。
やはり家庭を持つと物入りなのか、それなりの代金(金銭他家庭自慢に惚気、人生の墓場への勧誘などなどの精神的な疲労を含む)を支払う羽目になったがその甲斐はあったのでよしとする。
先輩曰く、ウマ娘は生まれて2の名前を持ち、時には3つに増え、それを使い分けるのが当たり前らしい。
そんな話は聞いたこともないしマユツバな話だがその先輩もウマ娘と結婚、出産を迎えるまで知らなかったとのことなので親類縁者にウマ娘が居ないと知ることのないクローズドな話なんだとか。
その3つの名前とは、親類縁者から与えられる本名、三女神から授かる授かり名、自分の意思で登録する選手名の3つを差すことが多い。
順に追って説明していこうと思う。
まず本名とは両親または親族もしくは親しい間柄の人から名付けられる名とその家族を現す姓との組み合わせからなる、法律的には生後数日以内に役所に届け出たものを差す。
これは我々が良く知る、所謂ヒトと同じ名前であるため説明は割愛させてもらうが、ヒトと違うのは忌み名に近い扱いにされており公的な用件以外では使われず、もっぱら次に紹介する名前を通り名として使用していることである。
その通り名を授かり名、昔はバ名と呼ばれ、戸籍制度が整備された後にウマ娘たちも本名を付けることを義務付けられるようになる前まではこれが彼女たちの本名とされた名前である。
つまり、ウマ娘たちが幾つも名前を持つようなったのは近代化の影響によるものなのだが経緯については北海道アイヌに近しいのでまた割愛させてもらう。
それはさておき、上のほうで三女神から授かると書いたがこれは比喩的な表現とかではなく、文字通り三女神から授かった名前なのだとか。
これまた非常にマユツバな話ではあるが、真面目な顔で説明してくださる先輩の顔から察するに事実なのだろう。
具体的にどうやって授かっているのかというと、ウマ娘が生まれる際、その出産に立ち会った周辺の人物の脳裏に共通のイメージが浮かぶのだとか。いわゆる神託と説明した方が分かり易いだろう。
人々はそのイメージから連想し、それに相応しい単語をそのウマ娘の名前にするのだとか。
実際に三女神が居るのか(その他神々も同様。転生した身としては信じざるを得ないが)どうかは科学的に証明されてはいないのだが、この現象はウマ娘がウマ娘を生んだ時にしか起こらないらしく、同じウマ娘の母親が男児を出産した際には発生しないという。
そのため、宗派によって解釈は分かれるのだが共通して神の御業とされ、非常にありがたみのある、また一番確実で身近な奇跡とされている。
余談ではあるが、ウマ娘が生まれる際の立ち合いには家族や親せきだけでなく、友人や会社の上司、葬式でもないのに僧侶や神職の人も呼んでその出産に立ち会ってもらう習わしがある。出産の大事を前にそんな母親の精神的負担になりそうなことをして良いのかと疑問に思ったがこれにはちゃんとした理由があるのだとか。
一つにはやはりこのような不思議な現象は滅多に体験出来る物ではなく、同時にめでたいことでもあるので福音を共有することで人間関係の強化を目的とした一種の儀式的な側面と、もう一つは神からのありがたい授かり物を取りこぼさないようにするという切実な理由による物のためだという。
この神託、目覚めたら直ぐに忘れてしまう夢のようにあやふやな物らしく、とてもではないが出産中のウマ娘はおろか、気が気でない夫や職務中の助産師ではその神託を脳裏に留めておける余裕がないのだという。そのため身内よりもまさに他人事な立場の立会人の方がこの役目には向いており、彼らは決して奇跡体験を楽しむためではなく重大な役割を担っているのだ。
立会人が多ければ多いほど良いと推奨される理由もある。全員がその神託を受けとれる、または覚え続けておける訳でもなく、また後程すり合わせをすることを加味するとやはり人数がある方が生む方としては安心できるらしい。
身内ではない僧侶や神職が呼ばれるのは彼らが神に仕えているから他人よりも神託を拾える確率が上がる…と昔は云われていたがどちらかというと大昔の知識層が彼らのような役職の人間が多かったため、その頃の慣習が今なお続いているかららしい。いくら神託を受け止められたからとして、それを言語化出来なければ意味がない。そういった知識人の必要性は大昔の逸話からも読み取ることができる。
その大昔、とあるイギリスの貴族に馬車引きとして仕えていたウマ娘が予定よりも早く陣痛が始まった。運が悪くその時屋敷の人間たちは殆ど出っ張らっていたらしく、留守を預かっていたメイド長が助産師を務め、立会人は同じく屋敷に仕えていた丁稚が立ち会ったという。
無事ウマ娘の子どもが生まれ、一仕事終えたウマ娘とメイドは安堵したのだがその後問題が発生する。丁稚に神託は何だと確認すると丁稚は神託を確かに受け取ったがそれが何なのか分からないというのだ。
慌てたメイド長はいくつかの連想ゲームの末、神託の内容が「芋」だったという。
あまりにもあんまりな神託の内容のため丁稚は疑われることになるのだが、彼の必死な釈明により、結局そのウマ娘の名前はかの有名な珍名バ、「Potoooooooo」となった。
余談だが、なぜこのような綴りになったのかというと無知な丁稚が釈明の際に単語の音だけを頼りに必死こいて地面に書いたからとされ、これにより怒り狂い暴れる寸前だった母親のウマ娘とメイド長は虚を突かれてしまい、思わず大笑いしてしまい、最後は丁稚を許しその名前を正式なものにしたのだそうだ。
一説ではこの名前は丁稚がでっち上げた、つまり神託とは関係ない名前になったのではという可能性もあるのだが、なんにせよこの「Potoooooooo」は珍名な名前ながら生涯戦績はとんでもないウマ娘として歴史に名を残すことになる。
元来、このような珍名を持つウマ娘は走らないと云われている。諸説あるが、それは女神の祝福である神託を正しく授かれなかった罰とされている。この「Potoooooooo」の場合は例外であり、その理由としては丁稚のでっち上げなどではなく、神託通りの名前だったもしくは神託に対し突拍子もない名前を付けたことに神々すらも気に入り、逆に祝福を与えたのではと言われる。それほどにレアな事例であり、娘たちの将来を考える母親たちの気持ちを考えればおろそかに出来ない行事なのだ。
余談が長くなってしまったが、今度は3つ目の名前、選手名の話をしようと思う。
これまた書いて字のごとくなのだが、ウマ娘が成長し、URAなどの団体に登録する名前の事を差す。ルールは国によって様々だが、日本の場合カタカナ表記で2文字以上9文字以内と定められている。この名前こそが我々トラックマンやファンの方々が良く知る、よく目にするウマ娘の名前であり、同時に彼女たちの名前事情をより複雑にしている要因である。
そもそもバ名が生まれた時からあるのだからわざわざ選手名をつける必要性が無いのではと思いがちだがそうではない。近代ウマ娘レースが大きな組織、法的根拠のもと整備されたことによりそこには様々な要因によって彼女たちの名前事情はより複雑にせざるを得なくなったのだ。
まず選手名の登録だが、これは別に彼女たちのバ名や本名で登録する必要はない。まったく関係のない名前もつけても良いのだ。例えて言うのであれば源氏名や芸名みたいに個人情報との繋がりを完全に断ち切ることも可能なのである。これは、アイドルと賭け事の対象として様々かつ大量の感情や目線から彼女たちを保護する目的もある。
この世界にも競輪やボートレースなどヒト(ボートには数少ないがウマ娘の選手もいる)が、多くの選手は成人しているのに対しウマ娘レースに出る彼女たちの多くは未成年者なのだ。
これは彼女たちの全盛期である本格化とピークの期間が中、高校生と異様に早く短いからなのは言うまでもない。そのため時折未成年者を賭け事の対象とする法律に対する反対運動も起こるのだが、それによりウマ娘レースが衰退し、国内からウマ娘が減るという目も当てられない結果に陥った例も存在するため、非常に難しい問題であると同時にURAなどは様々な努力を行い文化の保護のため細心の注意を払っているのである。
選手名登録もその一環なのだ。既にバ名が通り名として機能し、選手名から容易に個人情報に結び付かないようにURA等が苦心している関係上、たとえ観客が彼女たちに全財産を賭け失おうとも個人に逆恨みし危害を加えないよう予防する効力になるのだ。
と、それはあくまでURA側の主張であり、実情はその逆、授かったバ名をそのまま登録名にするウマ娘もいる(というより多い)。この話の切っ掛けともなったマルゼンスキーなどがその代表例だ。個人情報保護法によりバ名の時点では本名にたどり着くことは難しく、彼女たちの場合は実家が太いこともあるので容易に手を出せば社会的に抹殺…できると噂されているので登録名をまったく別の物にする必要がなく、女神からのありがたい名前で走ることで縁起を担ぐウマ娘も多いのだ。
もちろん、バ名を捩る、または文字数制限以内で前後に付け足して登録するウマ娘も存在する。所謂、冠名を持つウマ娘たちのことだ。
例題としてメジロ家の名ステイヤー、メジロマックイーンを挙げよう。
分解すると、メジロが冠名、マックイーンが授かり名(登録の際つけた全く違う名前の可能性もあるが確かめようがないのでこれが彼女のバ名扱いとする)、そしてその裏には我々の知らない彼女の本名があるのだ。
上記のメジロ家やサトノ家(サトミじゃないのに驚いた)が冠名を付けるのは家柄の誇示と家業の宣伝のためとされており、それだけウマ娘レースというのは注目と宣伝効果が高いという証左といえるだろう。
この様に名門と呼ばれる家柄出身のウマ娘は共通の冠名を用い一族の結束を強めているのだが、必ずしも共通の冠名を持つウマ娘が全員親戚と言うわけではない。
スポンサー契約や恩顧により共通の冠名を付けるパターンもあるのだ。
まずスポンサー契約などで冠名を付けているウマ娘の例題としてはシンボリクリスエスやエイシンフラッシュなどがいる。
両者とも日本国外出身のウマ娘だがそれぞれ日本語由来のシンボリとエイシン冠名を付けているのは彼女のバックアップをシンボリ家とエイシンという企業が行っているからなのだ。なにせ多くのウマ娘の実家が太いとはいえ留学とはお金の掛かる話なのだ。
冠名が大きな宣伝効果をもたらすのは先ほど書いた通りであり、割と外国生まれのウマ娘を日本に招待する団体は多い。それぞれ彼女たちに問い質した訳ではないので必ずしも正しいとは限らないがクリスエスの場合はシンボリ家に恩があるとインタビューで言及していたので的外れではないと思われる。シンボリ家も名門ではあるが、この家は必ずしも一族だけに拘らず広く有能な人材に冠名を付けることを許しており、かなり柔軟である。
もちろん、国内のウマ娘のサポートをする企業もいくつか存在する。メイショウ、マチカネなどはその数が膨大であり、赤字にならないのか心配になるのだがそこは色んな計算、もしくは純粋にウマ娘のサポートをしたいという想いがあるのかもしれない。頭の下がる話である。
このように、登録名はウマ娘本人より企業側のメリットの方が大きいようにも感じるが真に効果を発揮するのは彼女たちの引退後なのだとか。ヒト並に長くなった彼女たちの人生、レースから数十年も離れてなお騒がれる人生を送るというのは嬉しくもあるかもしれないが煩わしいことも多いのは想像も難しくない。ファンに覚えてもらい続けてもらうのはあくまで登録名で活躍した過去の自分自身であり、バ名や本名で暮らす今の自分とその家族を守るためにも登録名というのは将来的なことを見越せば非常に有能な仕組なのだ。
最後に彼女たちの本名について補足したいと思う。
こういった先人たちの考えた本名に辿り着かないような仕組みになった結果、彼女たちの本名というのは下手をすれば本人たちも忘れてしまうぐらい希薄な存在なのだ。
なにせ使い道も明かす切っ掛けが少ないのだ。ましてや両親以外の他人が知る方法は限られるのでほぼ忌み名状態なんだとか。彼女たちの本名を新たに知ることが出来るのは公的な機関を除けば結婚した相手ぐらいな物らしい。
先輩も自分の奥さんの本名を初めて知ったのは婚姻届けを提出する際だったといい、その名前で呼ばれるとむず痒くなり、真っ赤な顔して照れてしまうのだとか。
…覚えていないとはいえマルゼンスキーには申し訳ないことをしてしまったと気づいた私は後日お詫びの品を持って謝りに行った。快く許してくれた彼女だったが最後に飛び切りの笑顔で良く解らないことを言われたのが印象的だった。
「早く、ミセス・マルゼンと呼ばれるようになりたいわ」…と。
…シャレで「ミス・マルゼン江」と贈り物に書いたのだが彼女の前世の魂が拒絶反応を示したのか、それとも早く大人になりたいいう夢見る少女的な想いからなのかは私には判別つかなかった。
久々に書いたということもありかなり荒い作りになっているかと思いますが、修正は後ほどゆっくり行いたいと思います。
今回はウマ娘でも競馬法と同じく公営ギャンブルの側面もある前提とさせて貰いましたがこれは公式設定ではなく、またこの作品はオムニバス形式のため前後の話ではそのような設定が消えている場合もありますのでご承知おきください。
とはいえ、ウマ娘から競馬にハマってしまった作者は何度か競馬場に行く機会があったのですがあの規模の建物や熱狂を公営ギャンブル抜きで維持するのはとても無理な気がしますw。
あくまでこの作品、この話での設定ですのでご承知おきください。
それではまた。
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