after days(シン・エヴァンゲリオン after短編集) (◆QgkJwfXtqk)
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征きて帰りての物語
再会への旅路






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 南極での決戦で全てが終わり、そして世界が回復した日から幾ばくかの時間が流れた。

 人は日常を少しづつ回復しつつあった。

 世界が、社会が少しづつ回復しつつあった。

 そんな中になってWILLEのメンバーも、NERVの消滅に伴い多くの人間は日常へと戻った。

 

 そして式波・アスカ・ラングレーは厚手のツナギ服を着て相田ケンスケの山小屋 ―― その一角で一人黙々と金属の加工に勤しんでいた。

 パソコンの画面を確認し、加工する部材を見て、やすりを振るう。

 合間で重量を測り、或いは紙に記入していく。

 と、入り口の扉が叩かれた。

 

「出物があったぞ式波」

 

 この小屋の主、相田だ。

 此方は厚手とは言え半袖シャツと、かなりラフな格好をしている。

 

「何?」

 

 余り興味無さげな感じで、振り返りもせず、仕上げた部品を見ている。

 ウェスで磨いたところに息を吹きかけ、形を確認する。

 そんなツレないアスカの背中に、相田は悪戯っぽく笑って言葉を紡ぐ。

 

「モーター、聞いて驚け150万W級のコンパクト高出力型だ」

 

「はぁ!? どこで拾ってきたのよ!!」

 

 1()5()0()()W()、滅多にない大出力モーターに慌てて振り返るアスカ。

 その青い目が、防護用バイザー越しに嘘は許さないとばかりにケンスケを睨む。

 

「そうだな、その答えは飯の後にしよう。式波、まだ飯を食ってないんだろ」

 

「………おおきなお世話よ。ケンケン、アタシはコレをしたいの。()()()()()()()()の」

 

 机の上に並んでいる様々な部品を背に、まるで背負っている様に言うアスカ。

 目には迫力があった。

 が、体は正直だった。

 朝からずっと作業を続けてきていたのだ、グゥっとばかりに音を上げた。

 

「なっ!?」

 

 バツの悪そうに顔を顰めたアスカを宥める様に、相田は笑う。

 手には紙袋があった。

 何度も使いまわしてヨレヨレになった紙袋。

 そこからえも言われぬ良い匂いが漂っている事にアスカも気づいた。

 意識したらもうだめだ。

 腹がもう一度、自己主張をした。

 

「だろ? そんな事だろうとトウジの所から肉を分けて貰ってきた」

 

「………」

 

「食おうぜ式波。なんたって第3村おばちゃん団の労作、パンもどきで作ったサンドイッチ風だ! これを食わなきゃ損ってモンだ。それに、腹が減っては戦も出来ぬ、って言うしな」

 

「ケンケン、アンタ本当に___ アタシもバカシンジ扱い?」

 

 溜息を1つ、そしてアスカは笑った。

 

 かつて、立て続けになった心理的衝撃の果てに疲労困憊となっていた碇シンジを、根気よく見守り、そして背中を押したのが相田だ。

 いや、シンジだけではない、アスカも、傍で見守られ、背中を支えて貰ったのだ。

 相田と言う男には不思議な魅力、いや父性と言うものがあった。

 アスカが記憶する相田と言う男は、中学生時代にはどちらかと言うと浮ついた所のあった男の子であった。

 だが、サードインパクト以降の苦難によってか少なくない年月を超えて再会した時、このような振舞いを身に着けていた。

 安心するのだ。

 見守ってもらった。

 そっと頭を撫でてもらった。

 使徒に飲まれエヴァンゲリオン初号機に喰われたアスカ。

 Evaの呪い(使徒化)によって蘇り、世界が変わった事を知り、世界から疎まれた事を理解し、愛した男が失われている事を知って沈んだ絶望の時にそっと支えてくれたのが相田だった。

 アスカは絶対に口にはしないが、相田に父性を感じ、そこに親愛の情を抱いていた。

 

「そうだな、目が離せないのは同じかな?」

 

「バカシンジと同じに見るんじゃないわよ」

 

「なら素直に飯を食おうや。そしたらモーターの話も出来るしね」

 

「本当にケンケンって上手くなったわよね」

 

「まぁね」

 

 降参っと手を上げたアスカは、ゴーグルと革手袋を外すと外に手を洗いに向かった。

 その背を見た相田は困ったやつだと笑った。

 

 

 

 少しばかり遅い昼飯。

 サンドイッチのパンもどきとは、結晶化の解除された地域の食糧庫から回収された小麦で作ったナンで肉と野菜を挟んだモノだった。

 ピタじゃんと笑うアスカに、そうだなと頷く相田。

 和やかな食事は、アスカが最後にコップを飲み干すまでだった。

 

「で?」

 

 コップを下したアスカはじっと相田を見た。

 その意図を相田も誤らない。

 

「モーターな、近くの戦自基地を探索してた時に見つけたんだ。戦車用のハイブリッド試験モデルだ。村で伊吹さんに見て(チェックして)貰ってるけど、問題は無さそうだって話だ」

 

 使えるのかと聞くのは野暮と言うものだろう。

 使えそうだから拾ってきたし、その確認の為にWILLEで技術部を統括していた伊吹マヤに頼んだのだろうから。

 心の内側から沸々と湧き上がってくる感情を支配する為、アスカは目を閉じて、歯を食いしばってうつむいた。

 

 人一倍に器用で、人一倍に不器用なアスカと言う少女を良く理解する相田は、正しく大人の笑みを顔に浮かべた。

 

「これで()()()な」

 

「ありがとう………」

 

 

 

 

 

 夜のとばりに包まれた第3村。

 その中の1つ、鈴原宅の明かりは煌々としていた。

 裸電球 ―― LED灯の下で差し向いで手酌酒をしているのは相田と家の主たる鈴原トウジだった。

 相田お手製の酒は、趣味で作ったどぶろくだった。

 

「ほうか、式波の夢は叶いそうか」

 

「何とかなりそうだ。機体の方も8割がた完成しているんだ、後は、もう1週間くらいかな」

 

「なら、食料も集めてやらんとな。携行食がええやろ。確か備蓄させてた分に余裕があった筈やし」

 

 コア化が溶けて以降、第3村の食糧事情も劇的に改善していた。

 その為、昔は生命線であった災害備蓄用の携行保存食の類は、非常用として常用する事は無くなっていた。

 それを鈴原の権限で分けようと言うのだ。

 

「ああ、頼むよ鈴原センセイ」

 

「センセは碇の専売品や、あんじょういくよう式波を信じるしかないわな」

 

「だな」

 

 一しきり笑った鈴原は漬物を齧り、最近になって食卓に上がるようになってきた海魚の干物を炙ったものを齧る。

 地球環境が戻って、食卓は豊かになりつつあった。

 

「後は日本酒が飲みたいのう。どぶろくも酔えてええんやけど、甘みがあるからのう」

 

 アテに合う合わないと言うのも酒飲みとしては大事な話なのだ。

 そして、その事を口に出来る時点で、第3村も豊かになりつつあった。

 人類社会は生存を最優先した体制から、復興へ向けた動きを取り戻しつつあった。

 

「そこは乞うご期待だな、製造場所の目途は立ってるんで、後は機材をおいおいと拾ってくるさ」

 

 とは言え、生き残った人間は少ないので、既存のインフラを利用して一気にと言う訳にはいかないけれども。

 文明と文化を絶やさず、前に進もうと言う相田と鈴原。

 二人はこの第3村でも重要な役職に就いている為、会話は自然と復興プランに関わる所とも繋がる。

 衣食住、そして教育。

 又、ここ以外のWILLEが支援している集団とも連携し、人類社会を復興させるのだ。

 夢は大きく、前途は果てしなく遠い。

 

 そんな会話がひと段落したとき、ふと、鈴原が話題を変えた。

 

「しかしケンスケ、お前、式波が出ていくと寂しゅうなるナァ 男やもめの一人暮らしや。どや、降りて来んか?」

 

「んー 今はそんな気にはなれないかな。あそこが拠点で色々と揃えたしね」

 

 他人の居ない場所で好き放題に、村の為のモノから趣味のモノまでかき集めているのだ。

 そんなものを簡単に捨てられる筈も無かった。

 

「かーっ、秘密基地かいな。大人になったと思ったんやけどな」

 

「人は何処かに子どもの部分を持つものさ」

 

()()()な。センセや__ なぁケンスケ、式波はええんか?」

 

 酔いが、鈴原の口を滑らせた。

 その事に気づきた鈴原が何かを口にする前に相田が口を開いた。

 

「一応、同い年だよな。だけどさ、そんな風に見れないんだよ」

 

 再会して、色々と聞いて、そんなアスカとの事をポツポツと呟いていく相田。

 その横顔には慈愛に似たものが浮かんでいる様に鈴原には感じられた。

 

「式波は、子どものころからエヴァに乗る為の訓練を受けていた。信じられるか、ほんの5歳位からだぞ。ユーロのNERVは、コッチより軍隊的でな、信じられるか、式波は最初っから、俺の前でも平気で裸になってシャワー浴びてたんだぞ」

 

 羞恥心すら与えられない、人としての、子どもとしての情動すら与えられない環境でアスカは生きてきたのだと言う相田。

 エヴァンゲリオンを動かすための部品としてのアスカ。

 式波Typeと言うクローン(量産品)としてのアスカ。

 隠す気も無く、意味も無い為、相田が聞けば教えたアスカ。

 

 嗚呼、本当に式波・アスカ・ラングレーとは子どもであったのだ。

 

「だからこそ、俺は式波を受け入れたいと思った。シンジもそうさ。1()4()()()()()()が世界を背負わされて、責任を背負って歯を食いしばってたんだ。なら、俺は、俺が出来る事をしたかった」

 

 あの頃、自分が子どもであった事など何の免罪符にもなりはしない。

 そう相田は断じる。

 知らなかったからと、押し付けた結末まで口を拭って生きるなんて出来ないのだ、と。

 

「俺は、お前も、大人になった。成らざるを得なかった。だがそれは自分が生きる為だ。恥じる気なんて無いし、誇れるさ。だけどあいつ等は違う。大人の勝手な都合で世界を背負わされ、戦ってたんだ。だから俺は、二人を()()()()のさ」

 

 彼らが前を向くまでの間、そっと休める場所を与えたかった。

 肯定してやりたかった。

 よくやったと言ってやりたかった。

 

「ケンスケ、お前、それ、親の顔やぞ」

 

「本物の父親になった奴に言われたんだ。褒められたって事だな」

 

「大絶賛や」

 

 二人して手を叩いて笑う。

 無論、隣の部屋で寝ている鈴原の家族を起こさない様に最新の注意を払いながら。

 が、そんな努力を無にする一言を相田が口にする。

 

「それにな、俺にだって一寸した女性の趣味ってのはあるんだぜ」

 

「ブフォッ! ちょおまっ!?」

 

 思わずどぶろくを噴出した鈴原。

 慌てて隣の部屋を伺うが起きた気配はない。

 育児その他で疲れ切った嫁も、元気である(泣くし騒ぐ)事が仕事の娘も、起きる気配はない。

 ふーっと息を吐きだして、相田を睨む。

 

「オマエナァ」

 

「噴出したのも騒いだのもトウジじゃないか」

 

 台拭きでチャッチャとちゃぶ台を掃除しながら嘯く相田。

 笑っている。

 正しく、二人は悪友であった。

 

「だが真面目な話、式波だと精々が男友達だよ。俺はもう少し穏やかな女性が欲しい」

 

「そう言えば()()()やったな」

 

「そういう事」

 

 外見に問題は無いし、湿気の無い距離感は気持ちも良い。

 だけど性格には難あり。

 相田も、嫁にするなら家庭には癒しが必須だと思っていたと言う事だった。

 

「ま、あの性格に耐えられるのはセンセだけやろ」

 

「だな。あいつ等が帰ってきたら第3村に名物が1つ増えるワ」

 

夫婦喧嘩(ラブコメ)だあな。おばちゃん達が喜びそうだ」

 

「相田クン、潤いある人生には娯楽が大事だとは思わんかね?」

 

「おっしゃる通りで鈴原先生」

 

 二人は悪ぶった笑顔を浮かべ、どぶろくの湯飲みで乾杯するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ!」

 

 振りかぶられ、振りおろされた斧。

 小気味よい音と共にワイヤーが切断され、レールの上を走る赤い飛行艇。

 多くの人間が見守る中、豪快なしぶきを上げて飛行艇は第3村のすぐそばの池にお尻から飛び込み、浮かんだ。

 歓声が上がる。

 澄んだ青空に虹も掛かった。

 

「良し!」

 

 満足げに見るアスカ。

 この赤い飛行艇はアスカがコツコツと作った、南極までシンジ達を迎えに行く為の翼だった。

 2000馬力級の大出力コンパクト超電導モーターで飛翔し、動力は翼に張られた高効率発電パネルで賄われる。

 又、固体電池を翼と胴体に仕込む事で、夜間や曇りの空でも飛べる。

 飛行艇の形を選んだのは、どこでも降りられる様にする為だ。

 目的地は南極。

 シンジと真希波・マリ・イラストリアスを迎えに行く為の飛行艇だった。

 誰もが死んでいるのではないかと言っていた。

 生きている証拠など何もないのだ。

 よしんば向こう側から帰ってこれたとしても、何もない南極で人が生きて居れる筈がないと言う。

 

 それらの声をアスカは全て雑音だと鼻で笑って、相手にしなかった。

 アスカは()()()()

 シンジが生きている事が、マリ(コネメガネ)も傍に居る事が。

 エヴァンゲリオン第13号機に喰われ、遡ればエヴァンゲリオン初号機にも喰われたアスカだ。

 そして裏世界にまで行ったのだ。

 だからこそ、判るのだ。

 シンジとの繋がりを胸の中で感じる。

 後、マリも居るのが判る。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ああ、良いだろう、マリはシンジを助けたのかもしれないから()()()独占していても良い。

 だけど、アレは私のものだ。

 好きだったと告げて、好きだと告げられたのだ。

 私のモノだ。

 

 と、元WILLEのAAA・ヴンダー乗組員でもあった若い男たちが手際よくボートを出して、飛行艇を回収してきた。

 その中には加地リョウジも居た。

 ヤマト作戦 ―― 南極決戦後、母の事を知らされた加地は、思う所があってかAAA・ヴンダーの乗組員たちと一緒に居る事が多くなっていた。

 スタッフ、乗組員たちからも敬愛されていた偉大なる葛城ミサト大佐。

 かつて、もう半生の昔に同居していた頃をふと思い出した。

 陽気に酒を飲んで騒いでいた姿を。

 そしてユーロNERV時代の保護者だった加地の姿も。

 少しづつ時間が流れているのが判る。

 皆、先に進もうとしているのだ。

 

「アタシも、頑張らないとね」

 

 

 

 水に浮かべてから最終チェックを行い、試験飛行を行い、そして食料や水、造水機や寝具、その他を積み込んでいった。

 それを手伝っていたケンスケがはしけ船から飛行艇を見上げる。

 

「で、コイツ(飛行艇)の名前って決まってるの?」

 

アルバトロス(アホウドリ)よ。バカ(バカシンジ)ネコ(コネメガネ)を拾いに行くには良い名前でしょ」

 

 胴体に白く描かれた、2と言う数字にも似て描かれた(アルバトロス)

 口で、犬と猫の入った袋を銜えている。

 中々の力作だ。

 建造に協力してくれたWILLEスタッフの伝手で、描かれたものだった。

 それだけじゃない、尾翼周りにびっしりとメッセージが書き込まれている。

 WILLEのスタッフに鈴原や相田、或いは第3村の人たちがシンジに贈る感謝の言葉だった。

 (下地)が3分に(文字)が7分。

 中々に楽しそう(ハッピー)な仕上げだ。

 全てが終わったのだ、これ位は良いだろうと、機体後部を見るアスカの目は穏やかだった。

 

2()()()とかじゃなくて?」

 

「あの子はもう十分に働いたから、お役御免ってヤツね」

 

 隙間を作らぬ様に色々と荷物を差し込んでいく。

 ここは余人では手伝えない。

 乗って行くアスカが、キチンと行わないとダメだからだ。

 

「そうか、じゃ、先に行かないとな」

 

 相田はまぶし気にアルバトロスを見上げた。

 曲線主体で作られた飛行艇は、最低でも3人は乗せて飛ばねばならぬ為に大型化しており、鋭さよりもユーモラスな愛らしさがあった。

 とは言え強度はある。

 構造材や外皮などに戦自の基地跡地からかき集めてきた先進材料を使っているのだ。

 気象状況の悪い南極域でも十分に飛べるだろう。

 

「何時、出発するんだ?」

 

「積み込みが終わるのが夕方になりそうだから、明日かな」

 

「そうか。ならトウジに話付けとくから今夜は壮行会をしようぜ」

 

「えっ」

 

「長い旅になるんだ、肉喰って、元気出してさ」

 

「アンタはアタシの親かっつーの」

 

「今更だな」

 

 

 その日の鈴原邸は夜遅くまで電気が消える事は無かった。

 鈴原家の人間だけじゃない、鈴原サクラに綾波レイ、第3村に居たWILLEスタッフや村の住人が代わる代わるあいさつに来て、アスカを激励した。

 その中には伊吹マヤも居た。

 アルバトロス(飛行艇)のデジタルな操作システムをくみ上げたのは伊吹だった。

 そもそも、伊吹がこの村に滞在していた理由の大半は、このアルバトロス建造への支援だった。

 WILLE ―― 旧NERVからのスタッフの多くは、アスカに出来る限りの援助をしていたのだ。

 

「取り合えずアスカ、メルボルン(オーストラリア大陸)のWILLEキャンプに向かって。アッチでも色々と準備してくれているから」

 

「有難う。だけどそこまでしてもらわなくても良いのに。シンジの捜索はワタシの我儘なんだから」

 

 アスカはWILLEの特務少佐 ―― 佐官級将校であった。

 当初はエヴァンゲリオンに乗ると言う事で与えられていた大尉と言う階級であったが、ニアサードインパクト以降の日々で階級相応の資質(ライトスタッフ)と献身とを示したが為、昇進していたのだ。

 とは言え、今は特別休暇を宣言し、全ての仕事を放り出していた。

 誰もそれを咎める人間は居なかったが、アスカはそれを己の我儘であると認識していた。

 だが、大人たちはそれを否定する。

 そうではないのだと。

 

「それぐらいさせなさいよ。私たちはそれ位しか出来ないけど。だからこそ出来る事はしたいのよ」

 

 或いはそれは、己の為の贖罪であったのかもしれない。

 だがそれをアスカは受け入れていた。

 伊吹は必死になって作り上げた手書きのマニュアルをアスカに渡すと、必ず帰ってきなさいと言った。

 アスカも必ず、と答えた。

 

 そして夜が明ける。

 

 朝日に染まったアルバトロス。

 その雄姿を見上げるアスカの所に、サクラがやってくる。

 

「コレ、持ってって下さい」

 

 油紙に包まれた、手のひらサイズの荷物。

 割と、重い。

 

「何? ………なに?」

 

 包みを開けて出てきたのはホルスターに収まったリボルバー拳銃だった。

 KBP MODEL R-92。

 サクラがAAA・ヴンダーの上で携帯していた、護身用拳銃だ。

 男性の多いWILLEでは、ヤケクソになった馬鹿から身を護る為として女性スタッフの多くが拳銃を与えられていた。

 幸いな事に、AAA・ヴンダーの艦内で()()()()で発砲される事はついぞ無かったが。

 

「シンジさん迎えに行くゆうても、道中危険があります。だから、コレ、もってって下さい。必ずシンジさん連れて、戻ってきて下さい」

 

 強い力が込められた目だった。

 まるで脅されているみたいだと思いつつ、アスカは手慣れた仕草で拳銃を操った。

 

「ん? 2発が発砲済み__ 」

 

 何に撃った、この娘はとサクラを見れば、誤魔化す様に9.2㎜弾(実包)の入った箱を差し出してきた。

 

「アスカさん、必ずですよ!」

 

「うん」

 

 頷いて受け取った。

 アスカは出来る女であり、危険から逃れる術を知っていた。

 

 次に来たのは綾波だった。

 農作業に行く前だったのだろう、良く馴染んでいる汚れても良い恰好をしていた。

 昔を思えば、或いは綾波Typeを思えば違和感もあるだろうが、これは綾波が自分を広げる行為と同じだったのだ。

 アスカにはまぶしい恰好にも見えた。

 

 綾波がそっと右手を差し出した。

 

「またね。また会うためのおまじない。アスカ、碇君と一緒に会いたい」

 

()()()

 

 綾波の手をアスカは大切に、そして優しく握った。

 

 

 

 湖面を滑る様に走り、そしてふわりと浮いたアルバトロス。

 その挙動にブレ(迷い)は無い。

 一周、第3村の上空を飛ぶや、真っすぐに南へと飛んだ。

 良く晴れた青空に映える赤い機体は、直ぐに見えなくなった。

 

「行ったな」

 

「ああ」

 

 目を細めて見送る相田の顔に浮かんだ複雑な表情に、鈴原は娘を嫁に出した父親の顔だと内心で笑った。

 関西で生まれ育った鈴原は、()()()()事に目が無いが、流石に空気を読むだけの理性は持っていた。

 

「後は、帰ってくる事を信じるか」

 

「そうだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第3村を立ち、日本列島を出て一路、南へ飛ぶアルバトロスの飛行は順調そのものであった。

 途中で人の居ない町を見た。

 人の居る町も見た。

 手を振ったり、翼を振ったりして飛ぶアルバトロス。

 アスカは自分たちが守ろうとしたもの、WILLEが取り戻そうとしたものの成果を見ながら南へ向かった。

 逸る気持ちを抑え、昼過ぎには着水出来る場所を探し、そして朝に飛び立つという日々。

 雨の中、一昼夜以上をアルバトロス号の中で過ごした日もあった。

 曇りの日、釣りをして過ごした日もあった。

 島を伝うように南へ飛んだアスカがメルボルンに到着したのは、第3村を出て8日目の夕方であった。

 

「翼よ、あれがメルボルンの灯よってね」

 

 メルボルンには旧NERV時代からの施設があり、そして今はWILLEの南極監視部隊の拠点でもあった。

 少なくない人が働いているのが空の上からも判る。

 復興の熱気が見えた気がした。

 洋上へと着水しようかとしたアスカに、通信が入り、誘導が行われた。

 少し内陸へと飛べと言う指示。

 訝しみながらも従ったアスカを待っていたのは、WILLEの特務南極調査艦あおばだった。

 ヴンダーの技術を元に建造された、N2リアクターで空を飛翔する事が可能な多目的艦であった。

 

「完成したんだ、あおば」

 

 誘導されるまま、重力制御で空を飛んでいるあおばの飛行甲板へとアルバトロスを着艦させるアスカ。

 着艦用の着艦フックなど持たないアルバトロスであったが、重力制御機能の応用による着艦制御によって危なげもなく甲板上に止まる。

 

「しかし、アルバトロスの(ランディングギア)ってこの為だったんだ」

 

 設計を担当した伊吹が無理やりに付けさせたタイヤにあおばの甲板作業車が取り付いて機体を移動させる。

 軽量化の為に陸上への着地能力なんて不要だと削る事を主張したアスカに、伊吹は必要だからと抵抗していた。

 この事を言わなかったのは、驚かせたかったんだろうなと、何となく察したアスカは小さく笑って革の飛行帽を脱いでいた。

 

 

 

「式波・アスカ。ラングレー特務少佐、乗艦許可を願います」

 

「許可する」

 

 敬礼と答礼。

 飛行甲板に隣接された搭乗員待機所入り口での一寸した儀式を終えたアスカは、まじまじと出迎えに来ていた艦長の顔を見た。

 見知った顔だった。

 旧NERV以来の戦友と呼べる一人、青葉シゲルだった。

 襟元には中佐の階級章が輝いている。

 

「見知った声だと思えば」

 

「ま、そういう事だ。あおばは大船だ。南極だって余裕をもって行けるぞ」

 

「青葉にあおばね。ジョークみたいね」

 

「そこは仕方がないさ。コイツは元が戦自建造を進めていた空中巡洋艦で、既に命名済み。徴発した際にソレを知った葛城さんが、『青葉、青々とした木々のある世界を意味する名前ね。良いじゃない』って言ってな、改名させなかったんだ」

 

 そして奇縁で俺が艦長だと笑う青葉。

 

「あおばの仕事は南極圏の調査と監視って事?」

 

「そう言う事だ。すべては解決した筈だ。第13号機も全てのエヴァンゲリオンも失われ、旧NERV本部も海の底だ。もう何もないはずだ。だが、()()()()()監視をする必要がある」

 

 その意味を理解しないアスカでは無い。

 とは言え、理解はしても納得できるとは限らない。

 

「貴重な空中艦を使って人心慰撫。大変ね」

 

「大変でない事なんてこの世には無いさ。それより、取り合えずこんな所で長話もなんだから艦内へ行こう。この船には本物の珈琲もあるんだぜ」

 

 

 

 取り合えず調査員(お客さん)向けの個室が与えられたアスカは、そこに着替えなどの入ったバックを置くや、旅塵を落とすことなく青葉の居る先進化戦闘指揮所(AICIC)へ向かった。

 出航準備が進められているらしく、慌ただしいAICICにあって青葉は一段高くなっている艦長席に落ち着いて座っていた。

 

「もしかしてアタシを待ってたの?」

 

「調整してただけさ」

 

 南極圏の調査を行っているあおばは、アスカを載せて旅立つ準備をしていたのだ。

 

「生鮮食料品とか消耗品の積み込みだけは寸前でないと意味が無いからな。それよりコッチに来てくれ」

 

 青葉が示したのはテーブル状の複合分析型表示機(コンピュータ・ディスプレイ)だった。

 今、そこには南極圏の全体図が表示され、そこにあおばが行ってきた調査結果が合わせて表示されている。

 現段階で4割近い場所が捜索済み(異常ナシ)と表示されていた。

 無論、そこには生存者を拾っていないと言う事も意味している。

 

 シンジは居ない。

 

「どう思う?」

 

 問われて、ゆっくりと目をつむったアスカ。

 自分の中にあるシンジと、そして真希波との繋がりを追う。

 感じる。

 生きている。

 辛そうな感じはしない。

 ()()()()

 でも居る場所は大体、分かった。

 指で方向を指し示す。

 

「方位確認! 地図と合わせてくれ」

 

 青葉が声を上げた。

 アスカとシンジ達との繋がりに疑問を挟む事は無かった。

 エヴァンゲリオンという不思議なモノに慣れていた青葉は、()()()()()()()と受け入れていた。

 

 AICICのスタッフが手早く操作し、ディスプレイに線が入る。

 この何処かにシンジは居るのだと思ったアスカは、血が沸き立つのを感じた。

 もうすぐ見つける。

 会える。

 そう思えば居ても立っても居られなくなった。

 だが、青葉が示した航路予定は、その線から大きく外れていた。

 何故かと顔を見れば、軽く笑った。

 

「三角測量さ。この線上を基本に別々の場所から探す。そうすれば絞り込める」

 

「焦ってたわ」

 

「大丈夫。本艦は韋駄天だ。測量は1日で終わる。終わらせる。そしたら見つけられる筈だ。そんなに慌てる事は無い。それより珈琲はどうだ? 落ち着くぞ」

 

 見れば、若い乗員が湯気の昇っているマグカップを持ってきていた。

 アスカは両手でそれを受け取った。

 

「アリガト」

 

 珈琲を飲んで、それから風呂に入ったアスカは緊張の糸が切れたのか、はたまたそれまでの強行軍が祟ってか、深い眠りに落ちた。

 

 

 

 駅。

 

「だーれだ?」

 

「オッパイの大きい良いオンナ」

 

 二人して手を握って駆け出していく。

 それを独りぼっちで見送る自分。

 

 

 

〇×△□〇(ザッケンナコラー)!」

 

 破裂した怒り。

 上品とは言えない軍隊式のスラングと共に跳ね起きたアスカ。

 だが目を覚ましてしまえば、その怒りの理由は忘れてしまっていた。

 只々、不快だったという感情。

 故にアスカは、サクラから預かった拳銃をバックの底から引っ張り出して、整備を始めた。

 一通りの整備が終わると、弾を抜いてから壁に向かってトリガーを引いていた。

 カチンカチンと乾いた金属音が鳴る。

 それは朝食の迎えが来るまで続けていた。

 

 

 朝食を済ませた後、出航したあおば。

 古典的な意味での水上艦 ―― 空母にも似た上構を持ち、葉巻にも似た船体をしたあおばは、空を征く事が冗談の様にも見えるくらいに普通に、そして素晴らしい速度で征くのだ。

 その艦内にあってアスカはブリッジ上に設けられた露天艦橋に立っていた。

 落ち着かないのだ、艦内に居ては。

 

 肌を刺す冷たさ。

 金がかった赤い髪がたなびいている。

 だが風は、その速度の割に余り来ない。

 重力制御に因る訳では無く、伝統的な露天艦橋周りに配置されている制風用のシステムとスクリーンとのお陰だった。

 口を一文字に閉じて、じっと前を睨んでいる。

 露天艦橋は、高速飛行中はレーダー以外で外を警戒する必要性が乏しい為、アスカ以外誰も居なかった。

 それも良かった。

 後味の悪さしか残らない夢見の影響、荒れた感情で誰かを傷つける恐れが無い事は良い事だった。

 と、露天艦橋後部に備え付けられていた通信機が鳴った。

 受話器を取る。

 

『寒いだろ、そろそろ珈琲を飲みに降りてきてくれ。測量もしたい』

 

 青葉だった。

 特務少佐と言う階級、エヴァンゲリオンのパイロットだったと言う戦歴もあって、アスカは少しばかりあおばの乗組員たちから恐れられていた。

 だからこそ青葉が、率先してアスカの柔らかな部分を引き出そうとする(コミュニケーションをとってみせる)のだ。

 

「了解」

 

『因みに、何か見えたか?』

 

「海も空も、綺麗すぎる位に綺麗って事ね」

 

『青いってのは良い事さ。じゃ、済まんが来てくれ』

 

「了解」

 

 

 

 南極圏の外周を半円の形で航行しながら都合4回行われた()()

 その結果、おおよその目的地が絞れる事となった。

 ここから直線距離で約100㎞の海域。

 300㎞四方程度の海域。

 レーダーによれは南極大陸の残骸と、複雑な海流によってか流れ着いた難破船 ―― 雑多な戦闘艦やら貨物船やらが流れ着いている場所だった。

 コア化によって世界が凍結した時、海にあったフネは主を失い漂流していたのだ。

 その流れ着いた果て、と言うべきかもしれない。

 

 居る。

 アスカは直感、或いは()()()()()とでも言うべきもので察した。

 となれば決断は直ぐに出来た。

 

「青葉艦長、発艦許可を頂けますか」

 

「慌てないでも送っていくぞ」

 

「自分で行きたいのよ」

 

 決断は出来ても、心の奥底から湧き上がってくる期待と不安とがない交ぜになった感情はどうにも処理できない。

 先ほどまでの様に露天艦橋に立っていたとしても、風を受けていたとしても発散は出来ないだろう。

 体を動かしていたいのだ。

 

 アスカの声に含まれた感情の揺らぎを察した青葉は、発艦許可を出した。

 するとどうだろう、アスカは飛ぶように走り出していった。

 AICICのスタッフは開きっぱなしで行った入り口扉をビックリした様に見ていた。

 嗚呼、本当に子どもだ。

 子どもに戻ったのだと、青葉は嬉しくなった。

 WILLEの時代の、斜に構えたアスカ。

 戦闘時以外では口数も少なく、任務以外での会話をするのも殆どマリのみと言う有様。

 そんな痛ましい姿から、懐かしき第3新東京市の頃に戻った様に見えたのだ。

 嬉しくならない筈がない。

 

「宜しい、あおばはアルバトロスの発艦後、後続する。但し速度は60ノットとする」

 

「艦長、それは余りにも遅いのでは? 我々も捜索に参加するべきです」

 

 青葉の言葉に副長が異を唱える。

 生真面目なあおば副長は、AAA・ヴンダーにも乗り込んでいた男だった。

 あの頃のアスカを間近に見ていた。

 だからこその言葉。

 だが、青葉は笑って否定した。

 

「良いのさ。1()4()()()()()()()だ。それとも君、馬に蹴られる趣味があるのかい?」

 

 AICICがドッと沸いた。

 副長も略帽を脱いで頭を掻いた。

 

「そりゃ仕方がありませんな。ゆっくりと向かうとしましょう」

 

 

 

 飛行甲板、駐機スポットに固定されているアルバトロスへ奔るアスカ。

 指示が出て居るのだろう、固定索が手際よく外されていく。

 と、アスカは気づいた。

 尾翼周りの白みが増えている事に。

 いろんな言葉で書き込まれた、あおばクルーからの激励だった。

 

「っ………」

 

 思わず立ち止まり、マジマジと見てしまったアスカ。

 こみ上げてくる想い。

 背中を押してくれる声。

 

 ふと、甲板クルーの誰もがアスカを見ていた。

 涙なんて流さない。

 不敵に笑って見せる。

 右の拳を突き上げて親指を立てたアスカに、皆が親指を立てる。

 

「ご武運を!」

 

「任せなさいってーの!!」

 

 アスカは、自覚せぬままにとびっきりの笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 あおばを飛び出したアルバトロス。

 アスカは最大出力でプロペラ(モーター)を回させた最大速度だ。

 ソーラーパネルの産む電力だけでは足らず、バッテリーの電力まで消費していく。

 みるみる減っていく残量をアスカは気にしない。

 心の叫びのままに、スロットルを開きっぱなしにする。

 コンピューター(アビオニクス)が、警報を上げる(機体がバラバラになってしまうと言う)が無視する。

 あおばが来ているのだ。

 ならアルバトロスは目的地まで持てば良いのだ。

 否、そんな事すらも考えず、アスカはただ前を向いていた。

 

 

 

 

 

「~♪ 海は青くなったけど、魚は釣れないニャー」

 

 座礁して傾いたフネの上。

 男物の大きなツナギを来たマリは手製の日傘の下、呑気な顔で釣竿を海に伸ばしていた。

 浮きはピクリとも動かない。

 あくびを一つ。

 

「南極圏じゃやっぱ無理って事か。それとも人類の無い世界なのかニャー」

 

 竿を引いてみるが、針に付けた保存食の欠片が食われた気配はない。

 仕方ないとばかりに海に戻す。

 

「あーあ。保存食は飽きたし、わんこ君にもこのマリ様の女子力(料理の腕前)を見せつけたかったけど、コレじゃ駄目だね」

 

 朝から一切無い釣果に、流石のマリも釣りに厭きてきていた。

 

「こうなったらわんこ君を襲って、今日こそはめくるめく桃色のアバンチュールに持ち込むしかない! この海に、この世界に男と女は私とわんこ君のみ! ならば新世界のアダムとイブになるしかないっ!!」

 

 暇を持て余し過ぎたマリが何とも評しがたい事を、誰に見せる訳でも無く劇調で宣言した時、マリは視野の端っこに何かを見た。

 動く、黒い点。

 

「ん??」

 

 目を凝らすがよく見えない。

 そもそもメガネっ娘のマリは目が良くない。

 近くに置いていた袋から、拾ってきた軍用の双眼鏡を引っ張り出して見る。

 見えた。

 飛行機だ。

 人だ、人が居るのだ。

 

「人類は生きていた!? ココって本当に地球なの!!」

 

 綾波ユイへの誓いに依ってシンジを助けると決めていたイスカリオテのマリア(真希波・マリ・イラストリアス)は、助けた結果、帰る先がマイナス宇宙の果て(ポイント・オブ・ノーリターン)であろうと気にはしていなかった。

 だからこそ、呑気に釣りをしていたとも言える。

 愛しのわんこ君を助けたのだ、この先がどうなるか分らぬが、今は余暇(アディショナルタイム)だと割り切っていた。

 そこに飛行機が来たのだ。

 驚くのも当然であった。

 取り合えず、傍のタオルケットを振り回して自分をアピールする。

 気づけ! 気づけ! と必死に振り回す。

 と、1つの事に気づいた。

 機体は真正面からしか見えない、と。

 

「あるぇ?」

 

 数秒のタイムラグでマリは理解した。

 飛行機は()()()()()()()()()()()()()()と。

 

「わわわわわわっ、新世紀の突貫戦術(スーサイドアタック)かにゃーっ!?」

 

 人が居たと思ったら、行き成り特攻(カミカゼ)である。

 人を食ったような態度を崩さぬマリとは言え、慌てるというものであった。

 今のマリには策も術も無い。

 営々と準備してきた全てを消費してシンジを助け、そして今は只の少女としての体しか残っていないのだ。

 飛行機にぶつかられては死んでしまう。

 

 逃げ出そうとした矢先、飛行機は一気に角度をつけて着水した。

 豪快に巻き上がる海水。

 そこで初めてマリは、飛行機が赤く塗られた飛行艇である事に気づいた。

 

「人騒がせなっ!」

 

 飛行艇が着水の余勢でスルスルとマリの近くへと迫ってくる。

 止まらない。

 止まらないままにぶつかって、傾いたフネの側舷に乗り上げた。

 

「………」

 

 流石に言葉も出ないマリ。

 と、その耳朶を懐かしい声が打つ。

 

「コネメガネ!!!」

 

 アスカだ。

 ぶつかってきた飛行船から飛ぶように出てきて、そして子どもの様にマリに抱き着いた。

 

「ひっ、姫?」

 

 殆ど無意識のままに抱き返すマリ。

 手のぬくもりが、柔らかさが、マリにアスカが其処に居る事を教えた。

 

「姫だ! 姫だ!!」

 

 気が付いたら二人とも、泣いていた。

 

 

 

 最早会えぬと思っていた相手との再会に涙した二人。

 14年もの歳月を共に戦った、背中を預け合った相手なのだ。

 泣かぬはずが無かった。

 珍しい、お互いの涙を流す顔を見合わせて笑う。

 それは戦いの日々では決してあり得なかった姿でもあった。

 

 ひとしきり、泣いて笑った後に、アスカは怒る。

 何で連絡をしてこないのかと、助けを呼ばないのかと。

 

「いやー 最初はそう思ってたんだけど、この船も周りのも潮を被ってかコンピューターとかが全部オジャンになっちゃっててね。仕方が無かったって事で1つ」

 

「どれだけ心配したと思ってるのよ!」

 

「アッシも? わんこ君だけじゃなく??」

 

 意地悪く言うマリのほっぺを両手でつまむアスカ。

 容赦なく摘まんで引っ張る。

 

「アタシがそんな薄情に見えるか!!」

 

「見えない! 姫だもの!!」

 

 じゃれ合い。

 それは年相応の少女たちの姿だった。

 背負っていた、背負わされていたモノを全て下せたが故の、年相応にしか見えぬ姿であった。

 

「所で、その、バカシンジは何処?」

 

 周りを見るけど居ない。

 釣り具も椅子も1セットのみだ。

 シンジの気配は無い。

 

「姫愛しのわんこ君はアッチ!」

 

 マリが示したのは、マリの居た船の隣の隣に係留されている小さなヨットだった。

 汚れてはいるが壊れている気配は無い。

 船上には様々な道具が散乱していた。

 

「エンジンの修理だにゃー 姫、アチシ達だって遊んで(バカンスして)た訳じゃなく、帰る様に努力してたんだって」

 

「あんな小さなヨットで南極圏を超えようって、正気を疑うわよ」

 

「仕方ないじゃん。ここら辺の船で修理が出来て、しかも2人程度で動かせそうなのってアレしかなかったんだから。と言うか、姫もこんな小さな飛行艇でココ(南極圏)まで来るなんて、無理無茶無謀ってモンでしょ」

 

「おあいにく様。アタシはWILLEのフネで近くまで送ってもらったもの」

 

 無茶はしてないと胸をはるアスカ。

 当初はマリの言葉通り、この飛行艇だけで南極圏まで来ようとしていたのはシレっと忘れていた。

 

 

 ダラダラと話していても意味が無いとばかりに、深呼吸をしたアスカは、自分に言い聞かせる様に宣言する。

 

「じゃ、コネメガネ、ここで待ってて。アタシ、ちょっと、シンジの所に行ってくるから」

 

 緊張感で言葉が途切れ途切れだ。

 だが()()()()であるマリは、その事を指摘する事は無かった。

 頬が真っ赤になっている事も指摘しなかった。

 拗らせてきた14年分の感情を真っすぐシンジにぶつけるつもりかと了解した。

 

「ラジャ! 行っといで姫」

 

 愛しのわんこ君を独占出来ないのは残念だが、共有する相手は可愛い姫だ。

 問題は一切無い。

 何なら3()()()()()()()()()()問題は無い。

 

「でも、姫ってば拗らせてるから、最初だけは譲るかニャー」

 

 

 

 光源は開けっ放しの扉から入る陽光だけという薄暗い暗いヨットの船底で、シンジは必死になってエンジンと格闘していた。

 整備マニュアルを見て、動かない理由を探る。

 暗いし狭いしと半裸で汗だくと言った塩梅だ。

 

 何度目かのテスト。

 始動試験。

 エンジンの始動スイッチを入れるが、エンジンは掛からない。

 今度こそはと思っていただけの、徒労感が大きい。

 エンジン室の入り口扉に腰掛ける。

 

「非常用マニュアルを、また1から確認するか………マリさんも手伝ってくれたら良いのに」

 

 この非常事態であっても呑気に釣りをしているマリに、只、溜息をつくシンジ。

 シンジが機械を触れるのは、第3村でケンスケのやっていた事を見様見真似しているだけなのだ。

 専門の知識も経験も無いシンジでは、ヨット用のディーゼルエンジンを修理して起動させると言うのは難問であった。

 

 と、その背中から腕が伸びて抱き着かれる。

 強く、そして優しい手だ。

 服越しに温かい体温を感じる。

 とは言え、何時もの悪戯(ブラをしているだけマシ)と思って名前を呼ぶ。

 

「止めてよ()()()()、今、忙しいんだよ?」

 

 その名を呼んだ瞬間、体が思いっきり絞られた。

 

「誰って?」

 

 地の底から這い出てくる様な声。

 

「え?」

 

 聞きたかった声。

 聞けなくなったと思っていた声。

 愛していた人の声。

 不帰(帰れぬ)と思えばこそ、別れを告げた人の声だった。

 

 体に巻き付いた腕に手を添えるシンジ。

 自分の手が震えている事が判る。

 同時に、体を思いっきり掴んでいる手も震えている事が判る。

 

「アス………カ?」

 

 背中が熱くなった。

 ギュッと絞られた手とシンジの手が繋がる。

 

「………バカシンジ」

 

 シンジは自分が泣いている事を理解した。

 零れ落ちる涙が恥ずかしくて、只、天井を見上げていた。

 

 

 

 

 

 




 尻切れトンボ風ではあるけど、キスしてエンダー!! だと、個人的に拗らせ乙女で絶対に処女っぽいアスカだとそのまま運動会コースなので我慢した(我慢
 でもたぶん、あおばと別れての帰りは運動会だと思う。

 尚、帰り着いたらサクラとの闘いが始まる模様(おい

 気分が向いたら、続きを書くかもしれませんが、ま、こんな終わり方も良いじゃないですかねー

2021/03/22
 かいたったー
 LAS分の置けるラブ分が足りんという事で中編化!
 らぶるぜー らぶるぜー (尚、微糖

2021/03/23 文章修正

2020/04/04 冒頭文移動
 サクラが病み気味。
 アスカ? もう乙女拗らせを通り越してます。それでもナイフを研ぎださないのは肉喰ってるから(多分
 マリはバイ(真顔
 それで宜しければご笑覧の程、よろしくお願いします。

2020/10/18 文章修正

※追記
 短編の予定でしたが、ラブ分が足りなくね? と言う心の底から湧き上がる声が会ったため、セルビエンテ・タコーン的に中編となりますた。
 後、脳内で新劇を味わってたら、別のネタも思いついたのでそのウチに描きます(ニチャァ

※追記2
 本シリーズは少し修正(少しの予定)後、1.01としてpixivにも掲載する事としました。


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月明りの道辺

+

 重なった手と手のぬくもり。

 背中に感じる柔らかさ。

 何よりも、首にかかる甘くも温かい吐息。

 アスカがここに居る。

 それだけでシンジの感情は爆発しそうだった。

 贖罪。己の身命を捨てて世界を解放しなければならぬと思えばこそ、シンジはアスカに愛を告げた。

 まじりっけ無しの本心だった。

 

 もう会う事は出来ないと思っていたヒトが居るのだ。

 様々な思いが入り混じって、言葉に出来ない思いがシンジの胸を満たす。

 

「泣くんじゃないわよ、バカシンジ」

 

 滂沱。

 仰いで唯々泣いているシンジ。

 だが、そういうアスカも又、涙声になっていた。

 シンジは泣き声を上げては居ない。

 だがアスカの手の中で肩を震わせ、そして回した手が温かく濡れていくのだ。

 判らぬ筈がない。

 思いは伝わる。

 伝わるのだ。

 腕の中で震える姿に、アスカも万感の思いが溢れ零れたのだ。

 

 

 どれ程の時間、そうしていただろうか。

 ふと、シンジは冷静さを取り戻し、声を出す。

 

「ねぇアスカ、手を離してくれない?」

 

「………なんで?」

 

 ぬくもりを手放したく無いとの思いからでた()であったが、アスカ自身も驚くほどに低い声が出た。

 が、シンジは怯まない。

 

「アスカの顔が見たいんだ。抱きしめたいんだ、駄目かな?」

 

「駄目、駄目な訳無いでしょ」

 

 離れる二つの影。

 ヨットの船底と言う薄闇の中でシンジとアスカは正面から向かい合う。

 目と目が合う。

 顔と顔が合う。

 つい今まで抱きしめていた。

 抱きしめられていたのだ、何となくの気恥ずかしさから二人とも頬を赤くしていたが、だがそれでも視線を外す事は出来なかった。

 何のわだかまりも無く互いの顔を見たのは、本当に久しぶりだった。

 睨むのでもなく、拒否するのでもなく、只、穏やかに顔を見たのは、本当に久しぶりだった。

 

「ホント、14年ぶりね、バカシンジ」

 

「うん、ほんと、久しぶりだよ、アスカ」

 

 体感時間として14年と言う月日は感じていないシンジ。

 だが、アスカが乗る3号機と相対し、何もせぬままに操られ喰らってしまったあの悔恨すべき日から燻ぶっていた蟠りが、アスカの顔を見ているとゆっくりほどけていくのを感じた。

 

「バカシンジっていうより泣き虫シンジね」

 

「アスカだって泣いてるじゃないか」

 

 アスカだって同じだ。

 気づいたら全てが失われて、そして戦いのみがあった14年の日々。

 マリ(相棒)が常にいてくれた。

 相田は、父親の様にしてくれていた。

 だけど心にポッカリと穴が開いて、只、虚しさと責任感だけを抱えていた日々が終わった事を、改めて()()()()()()()()()()()()()()()()実感したのだ。

 

「煩いバカシンジ」

 

 ギュッと抱きしめる。

 抱きしめられる。

 抱きしめられた。

 抱きしめ返す。

 二人の体温が混ざり合う。

 そこに言葉は要らなかった。

 

 

 

「ニャーにゃーニャ―!? CQ! CQ!! 全世界よ聞こえていますかー 空気がストロベリってあーまーいです。わんこ君がオスの顔で姫がメスの顔になってます!!! 私がアレ、やりたかったー!!!! でも、かゆくなるからむーりー ユイ先輩!! 息子さんは私以外で男になりそーですニャー ゲンドウ君、わんこ君は君の遺伝子を貰ったなんて信じられなーーーい!!!!」

 

 盗み見ていたマリ(出歯亀)が、バレぬ様にと隣の船にまで渡ってから一人悶えていた。

 実年齢を重ね過ぎて自分には出せない青さ(青春)の破壊力は抜群だ。

 なし崩しで組んで解れての大運動会に持ち込もうとしていたゲス(エロ)い大人が一発で浄化されていく。

 

 

 

 アスカのぬくもりを受け取ったシンジは、ゆっくりと落ち着いていった。

 同時に冷静さを取り戻す。

 冷静さを取り戻せば、シンジの脳裏には蘇って来る事がある。

 1()4()()()()()()

 シンジにとって、綾波を助けようとした日から気づいたら(14年後)だった。

 好きだったアスカは14年と言う月日を生きてきた。

 辛くて悲しくても生きてきたんだ。

 自分が何もできない判らない時にアスカは生きてきた。

 相田を愛称で呼び、一緒に住んでいた。

 好きだったと言ってくれた。

 だった、過去形だ。

 自分が好きな人にとって思い出(過去の人間)だと認識するのはとても辛い事だけど、それを受け入れないのは、今のアスカを受け入れない事だとシンジは思った。

 だから、そっと距離を取る。

 友人としての距離を。

 

「こんな極地まで助けにきてくれて僕は嬉しいよ。嬉しいけど、アスカにはアスカの居場所があるんだ。無茶をするのは駄目だと思うんだ」

 

 ゆっくりと体を離していくシンジをアスカは拒否しない。

 少し寂しいけれど、シンジの顔を見るには距離が近すぎたからだ。

 温もりを感じる近さは、言葉を交わすには近すぎるから。

 

「バカシンジ。子どもの癖に大人な意見を言うのね」

 

「そう言うアスカは()()なの?」

 

「そうね、アンタとは違ってもう大人よ」

 

「そうだったね。アスカはもう大人なんだものね」

 

 シンジは、胸の痛みからくる切なさが顔に浮かんだ。

 アスカからは子どもだと馬鹿にされるシンジではあるが、大人になったと言う言葉と、アスカが相田と同棲していた事から()()()()()だろうと理解する程度には子どもでは無かった。

 失われた14年という月日の重さ、その苦さを味わう。

 

「?」

 

「何でもないよ。でも、一人で来たの? ケンスケとかと一緒じゃないの?」

 

「何でケンケンがここに来るのよ? アイツは第3村の大事な何でも係、村を離れられる筈がないじゃない。アタシの迎えだと不満かっちゅーの」

 

 妙な事を口にしてきた事に少しムカっと来てズイっと顔を寄せてきたアスカに、シンジは慌てて首を振る。

 

「ふ、不満な筈無いよ! ただ、女の子の一人旅って危ないから。だから一緒かと思っただけだよ!!」

 

「うん、そこは判った。判ったけど、なんでそこでケンケンなの? アンタ、そんなに仲良かったっけ」

 

 更に顔を近づけてくるアスカに、シンジの心臓が早鐘になる。

 桜色の唇が艶やかに見える。

 目を逸らしたい。

 逸らさなければならない。

 だけど、逸らせない。

 ()()()ヤケクソに声を張り上げる。

 

「アスカだよ! ケンスケ放っておいてこんな所まで来て、居場所があるんならそこを大事にしないとダメだって話だよ!!」

 

 大声を上げたせいで肩で息をする羽目になったシンジ。

 自然とうつむいた。

 

「来てくれたのは嬉しいよ。嬉しいけど、僕はアスカに幸せになって欲しいんだ。好きだったから。僕を好き()()()と言ってくれたから_____ 」

 

 自分の隣ではなく、誰か ―― 相田の傍で笑ってるアスカなんて見たくない。

 それでも幸せならと思える程に、シンジはまだ割り切れていない。

 好きだって思って、自分の大切な人だと思った時からシンジの時間はまだ経過していないのだから。

 辛い。

 アスカの傍に居たい。

 アスカが迎えに来てくれたんだから、第3村には行きたい。

 相田にも鈴原にも、加地リョウジにも、多くの縁を持った人にも会いたい。

 感謝を口にしたい。

 だけど、もし、万が一にアスカと相田の結婚式なんてものがあったら、わき目もふらずに第3村から逃げ出そう、そう一瞬でシンジは真剣に腹を決めていた。

 10年後か20年後、笑って祝福できるまでは帰らない。

 そう一瞬で決意していた。

 

 再会の喜びが一気に反転した。

 これが生きている事なのかもしれないと、シンジは俯きながら考えた。

 涙は流さない。

 哀れむべき事は無い。

 只、狭量な自分の心が、卑しいって思うだけだから。

 

「僕の事はもう良いんだ。大丈夫。だからケンスケと幸せになって良いんだよ」

 

「バカシンジ………」

 

 アスカの手がそっとうつむいたシンジの頬に添えられた。

 その手の柔らかさと温かさに涙が出そうになるシンジ。

 だが現実は非情である。

 

 アスカはシンジの頬を抓った。

 本気で抓った。

 力一杯に抓って引っ張った。

 

「くぉのバカシンジィィィィィ!!!!!」

 

 アスカ大爆発。

 

「いひゃいいひゃいいはいってアスカ!?」

 

 

 

 床に正座するシンジ。

 その眼前で仁王立ちするアスカ。

 目は鋭くシンジを睨んでいる。

 

()()()()()()()()?」

 

 冷静ではあっても、怒りを隠しきれてない声。

 シンジはAAA・ヴンダーで再会した時よりも怖さを感じていた。

 

「いや、だって……アスカが言ったじゃないか………」

 

「アタシが何って言ったって?」

 

「だって、好きだったって言うし、大人になったって言ったし、そもそもケンスケと同棲してたし………」

 

 自分の口で列挙したら泣きそうになった。

 嫉妬だ。

 嫉妬からの拗れて拗ねた感情を口にした事に自己嫌悪が上がってくる。

 バカガキってアスカに言われた事が蘇る。

 そしてシンジは認めた、本当に僕はガキなのだと。

 昔のよしみで助けに来てくれた人相手に、こんな情けない事を口にする自分が嫌で、嫌でたまらなくなる。

 穴が合ったら入りたい。

 羞恥心。

 首が上がらなくなって、アスカを見れなくなったシンジ。

 だがアスカは逃がさない。

 シンジの細い顎を両手でグイっと掴み、そのまま上に引っ張る。

 

「見ないでよ!」

 

 目を逸らそうとするシンジ。

 逃さないアスカ。

 その表情を一言で言い表すならば愉悦だった。

 それはもう凄く楽しそうな笑顔をしている。

 

「嫉妬したんだバカシンジ」

 

 視線をずらして逃げようとしても、その先にアスカの顔が寄ってくる。

 何度繰り返しても諦めないアスカに、シンジはとうとう降参した。

 羞恥から目を瞑って逃げる。

 否、ヤケクソになって叫ぶ。

 

「そうだよ! 悪いかよ!? 言ったよね、好きだったって!!!」

 

「ふーん………ていうかバカシンジ、アンタも過去形じゃん」

 

「しょうがないだろ、もう戻ってこれないって思ってたんだから」

 

()()()()()()、しょうがないのね」

 

 目を瞑っているシンジには分らないが、アスカの口端が更に上がる。

 いじめっ子オーラが全力で出て居る。

 否、いたずらっ子だ。

 シンジの顎から手を滑らせて、愛し気に頭を掻き抱くように包み、胸元へと寄せる。

 顔全体に感じる柔らかさにシンジの動きが止まった。

 耳まで真っ赤になっている。

 そんな初心な状態に気づかぬまま、アスカは顔をシンジの髪の毛に沈める。 

 そして、楽しくて楽しくて仕方がないとばかりに、そっとその赤くなった耳へと言葉を注ぐ。

 

()()()()()バカシンジ。ワタシも帰ってこれない積りだったから」

 

 全てが終わった世界で自分には居場所はない。

 エヴァの呪いによってヒト(リリン)の範疇から離れてしまっただけのマリと違ってアスカは左目に使徒を封印していた。

 そんな人間が、平穏になれば()()()()()()()()()()のだ。

 アスカは人口的に生み出されたエヴァンゲリオンの操縦者(部品)だ。

 であればこそ、使徒化によって危険性を孕んだ不良品が廃棄されない筈はない。

 そう確信していた。

 故に、全てを終わらせる戦いでアスカは果てる積りだった。

 だからこそ、エヴァンゲリオン13号機撃滅を図った際、不足した力を補う為に躊躇なく使徒の力を使えたのだ。

 DSSチョーカーがあれば、使徒化した自分であったとしても殺せると思えばこそであった。

 生まれにも育ちにも満足していたとは言えぬアスカであったが、DNAレベルで刻印された人類鎮護の意思と、(Love)したシンジや(Like)してくれた相田を、その他の優しい人々を護れるのであれば、十分だと思っていたのだ。

 

 だけど、我慢をする事は出来ずに言ってしまったのだ。

 好きだった、と。

 シンジを傷つけない為に、過去形にしたのだ。

 死した後、自分を忘れてもらう為に。

 正しくシンジと同じ性根であった。

 

「………アスカはバカだよ。僕以上のバカアスカだ」

 

 忘れられる訳が無いのに。

 そう続けながら、シンジはしっかりとアスカを抱きしめた。

 アスカも、もう離したくないとばかりにシンジの頭を抱きしめる。

 

 薄明りの下、静かに涙を流して抱き合う二人は、さながら絵画の如き荘厳さすら漂わせていた。

 

「バカシンジに言われるなんて、ワタシも焼きが回ったものね」

 

 罵る様な言葉。

 だが二人の言葉には甘やかな響きがあった。

 

 

 どれ程抱き合っていただろうか。

 ふと、アスカがゆっくりと身を離す。

 切なげな顔で抵抗をしないシンジ。

 

「キス、しよっか」

 

「僕で良いの? 僕は___ 」

 

 踏ん切りがつかないシンジの唇を指先でそっと封じたアスカは、ここだけは年上の様に笑う。

 

「あんたが全部あたしのものにならないなら、あたし何もいらない」

 

 笑ってはいるが目だけは真剣だった。

 目が、嘘は許さないと言っていた。

 だからこそシンジは真剣にアスカに向かった。

 

「あげるよ、全部、僕の全部を」

 

 まごころを君へ。

 

 

 

 

 

 回収作業の為に着水したあおば。

 AAA・ヴンダーとは異なり大気圏外での運用は前提とされていないあおばであったが、様々な場所で運用する予定であった為、水密性などは高いものが与えられていた。

 作業艇が取り付き、多機能クレーンが飛行艇(アルバトロス)を吊り上げようと四苦八苦している。

 本来なら飛んで戻れば良いのだが、今回は出来ない。

 シンジと、後、マリのもとへと駆ける為、アスカが全力でモーターを回し続けた結果、バッテリーが放電しきってしまったのだから。

 又、着水している理由の1つには、この海域に漂着していた漂流船(幽霊船)を捜索し、物資その他の回収を図ることもあった。

 

 作業班が大忙しで動く最中、艦長である青葉は作業を見守る為と称してAICICを出て艦橋の見張り台に居た。

 貴重品である煙草をくゆらせながら、アスカたちを見ている。

 3人はアルバトロスの回収作業を貨物船の上から見ていた。

 仲良くじゃれあっているのが遠目にも判る。

 年齢相応とも言える緊張感の無い姿に、青葉は口元が緩むのを止められなかった。

 

「マヂ、信じられないんですけド」

 

 不満げに口を尖らせて感想を言うのはピンクに染めた髪が特徴的な、あおばの船務士 ―― レーダー全般を担当する北上ミドリだった。

 その外見や口調の軽さからは判らぬが、各種レーダーに習熟している人材であり、高度な先端技術に関わる教育システムが崩壊している昨今に於いて、貴重極まり無い人材の一人でもあった。

 その才能故に選抜され、あおばに乗り組んでいるのだ。

 

「あの緩んだ顔ってマジヤバ感、あるんですけド」

 

 北上は、余り親しくしていた訳では無いが、それでもAAA・ヴンダー以前からアスカを見てきていた。

 任務以外の事で他人と話す事も稀。

 マリ以外で世間話をする事も無い。

 荒れている訳ではなかった。

 だが、荒んだ目が特徴的に見えていた。

 間違っても、あんな風に男の傍で笑う様な人では無かった ―― それが、北上の見たアスカだった。

 

「戻れたって事さ」

 

「?」

 

「奪われていた子どもに、かな」

 

「………ワタシらだって奪われてるんですけド?」

 

 いっそ呑気と言ってよい青葉の発言に、北上の声のトーンが下がる。

 ニアサードインパクトで家族を失い、そこから泥を啜るようにして生きてきた北上にとって、一部のWILLEメンバー(旧NERVスタッフ)が時折に見せるエヴァンゲリオンパイロットに対する()()は、正直、理解できないものであった。

 理解したくも無いものであった。

 家族とともに居た時間を奪ったもの、その象徴がエヴァンゲリオンだからだ。

 

「そうだな。旧NERVが、俺らが失敗したせいだな、すまん」

 

「か、艦長が謝る事じゃないシ!」

 

 ブッチャケあり得ない! 等とブツブツと言う北上を、青葉は優し気に見る。

 若人を見る年長者の眼差し。

 北上の気持ちも理解できていた。

 又、悲しみに軽重も大小も無いのも判っていた。

 だが、()()()()()が失ったものの大きさ、それ迄に奪ってきた事とそれ以降に

奪ってしまっていた事を思うと、どうしても子どもたちに甘くなってしまうのだ。

 

「ははは、北上は優しいな。ま、直ぐには無理だろうが何時かは式波特務少佐だけではなくシンジ君も認めてやってくれ」

 

「当分先で良ければ」

 

「それで充分さ」

 

 

 

 

 

 アルバトロスと物資の捜索回収に2日程費やしてあおばは帰投した。

 メルボルンではアルバトロスの点検と整備を行い、その合間に旧NERVスタッフが中心となってシンジとマリの帰還歓迎会が行われた。

 料理こそ()()()()であったが、アルコールは素人のお手製ではなく発掘してきた蒸留酒やワインが用意され大いに盛り上がった。

 宴会部長(マリ)のマイクパフォーマンスが大いに冴えわたり、皆、笑い、そして二人を祝福していた。

 両手に華(シンジから離れないアスカとマリ)をやっかんだ若い衆が、法律も無いもんだとばかりにシンジに酒を飲ませて見事に撃沈し、アスカに怒られると言う一幕もあった。

 笑顔を取り戻したアスカは、それ程に魅力的(チャーミング)だった。

 ああ、それは正に平和であると思わせるバカ騒ぎであった。

 

 

 酔い覚ましに外へと独りで出たシンジは、ベンチに座り込む。

 アスカは年上の女性スタッフに捕まっていた。

 男女のアレコレで親切心(面白半分)で、男女関係に初心いアスカに教育的指導をしていた。

 余り変な事を言われないと良いけど ―― そんな事を思いつつ酒精の混じった息を吐き、空を見上げるシンジ。

 満天の星空。

 南極で見上げたものと同じだけど、違う空。

 空気が澄み、そして人工の光が無い南極の星空は触れれば肌が裂けそうであった。

 だがここは違う。

 基地の明かりによって星の輝きは鋭さを失いぼやけて居た。

 だがそれが人の優しさを表しているようにも思えた。

 

 と、陰る。

 

「わんこ君」

 

 マリだ。

 いつも以上に読めない(ミステリアスな)笑顔を浮かべて、シンジの正面に立つ。

 

「幸せ?」

 

「うん。多分。僕はまだ幸せって良く判らないけど、でも、楽しいんだ。嬉しいんだ」

 

「それが幸せって事だニャ」

 

 だから、と手を伸ばすマリ。

 シンジはその手を掴む。

 掴まれた。

 強く強く掴まれた。

 逃がさぬとばかりに捕まれた。

 

「だから、二次会ダァ!!!」

 

「ゑ!?」

 

「ニャハハハハハッ! 狙った獲物(主賓)は逃がさなーい!!」

 

 つぶれるまで飲ます!! と物騒な宣言をしてシンジを連れて走り出すマリ。

 引っ張られ、そしてシンジも走り出す。

 アスカのもとへ。

 自分が帰ってきた事を祝ってくれた人たちの所へ。

 

 

「どこ行ってたのよバカシンジ!」

 

「どこにも行かないよ!」

 

 笑う。

 笑う。

 笑いあう。

 笑う。

 

 祝福の果て、新しい世(ネオ・ジェネシス)が幸せにつながるとは限らない。

 だがこの夜ばかりは笑顔が満ち溢れていた。

 

 

 

 

 

 




2021/03/23 文章修正
2020/04/04 文章修正


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穏やかな寄道

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 シンジと真希波の帰還を祝うバカ騒ぎ(パーティ)が終わって1週間程経過するが、まだアルバトロスはメルボルンで翼を休めていた。

 理由の1つはアルバトロスの整備だ。

 基本設計をマヤが行い、大部分の部品をアスカが自分で工作し、そして相田が拾ってきた部品で構成されているアルバトロスは、飛行機 ―― 飛行艇の知識を持つ人間からすれば少しばかり認めがたい存在(キメラ)であったのだ。

 良くぞ飛んできたと呆れるレベルのソレ(アルバトロス)を、メルボルンの有志一同が改良しだしたのだ。

 外見を整形し、外装から内装はシートから配線に至るまでWILLEにあった高品位部品に取り替えたのだ。

 その様は、殆ど新造する様なものであった。

 アスカやシンジ、子どもへの思いの表れとも言えた。

 そしてもう一つは事情聴取だ。

 シンジがマイナス宇宙に滞在した事 ―― アディショナルインパクトを阻止出来た事などの報告をWILLEが求め、真希波が行っていた為でもあった。

 当初は実行した当事者であったシンジも重要参考人として聞き取りを受けてはいたが、それらの詳細を理解し、行動し、或いは対応したとはとてもでは無いが言い難かった。

 この為、証言は何とも曖昧模糊とした感性的なモノとなってしまい、聞き取り調査は早々に打ち切られる事となっていた。

 その分、マリが微に入り細に入り、朝から晩までWILLEスタッフからの質問攻めに合う事となっていた。

 

「いい気味よ!」

 

 とはアスカの弁である。

 自他共にマリを親友にして戦友と認めるアスカであったが、()()()()()()()()()()()()()()()()()お冠となるのも当然であった。

 最初はメルボルンに置き去りにしようか言い出す程であった。

 

「まぁまぁそんなに怒らない怒らない」

 

 呑気に笑うシンジの手には釣竿があった。

 肩から氷の入った保冷バックを下げている。

 第3村以来、シンジもすっかり釣りを趣味にする様になっていた。

 対するアスカも釣竿を、此方は背負っている。

 両手は、椅子やら飲み物やらお菓子やらとった細々としたものを括り付けた真っ赤な自転車を押していた。

 二人が行くのは海に続く道。

 シンジは藍色のハーフパンツ風の水着に濃緑のWILLEパーカーを引っ掛け、アスカは赤白のボーダなセパレート水着に此方もWILLEのパーカーを着ていた。

 何ともラフな格好で歩いていた。

 その様は正しくティーンエイジャーのレジャー(デート)と言った塩梅だった。

 舗装されていた道は半ば砂に埋もれ、道の周りの家々は朽ちつつある様は終末の光景(アフター・ザ・ホロコースト)であったが、その中を歩く二人の空気は陽性であり、そこに不思議な輝きがあった。

 或いは思い。

 全てが終わった。

 だからこそ、例え明日、世界が滅んでも今を生きたいと言う思いが溢れていた。

 

「何よ、随分と余裕じゃないの」

 

「怒ってたら魚が逃げちゃうからね」

 

「平常心って? ホトケシンジにでもなる積りかっちゅーの」

 

 不平不満の様に言うが、アスカの表情は穏やかだった。

 不満げに目を細めていても、唇を尖らせていたとしても、シンジはキチンと理解していた。

 

 意味の無い会話。

 それが平穏であり日常でもある。

 だからこそ愛おしい。

 何でもない言葉の1つ1つが嬉しいのだと。

 一緒に歩いているだけでも楽しかった。

 一緒に会話しているだけでも楽しかった。

 

 

 

 着いたのは堤防、突堤の先端にある突堤灯台だ。

 ニアサードインパクト以前、セカンドインパクト時代からの被害はかつての風光明媚なメルボルンと言う街の姿を一変させていた。

 突堤は、その頃の名残が残っている。

 青い海に沈むヨットの残骸、或いは艦船。

 それらが丁度良い漁礁となって海の生き物を育んでいた。

 

 とは言え、シンジにとってもアスカにとってもどうでも良い話であった。

 釣れても良いし釣れなくても良い。

 WILLEメルボルン基地の食糧事情は悪くない為、無理に魚を釣る必要は乏しいのだ。

 故に、これは純然たるレジャー(デート)でしかなかった。

 相手と一緒に居られる。

 他愛も無い会話をする。

 それだけが目的であり、全てだったのだから。

 パラソルを立てて隣り合って釣り糸を垂らし、色々な事を話した。

 アスカの14年間をシンジは聞いた。

 シンジの子供時代をアスカも聞いた。

 本当に他愛も無い会話であったが、であるからこそ愛おしいのだ。

 過酷な日々、或いは体験が、二人にその事を教えていた。

 気が変われば海に飛び込んでも良い。

 WILLEの趣味人が真水が突堤にまで来るように配管しているのだから、海水にまみれても無問題だ。

 問題は日焼け止めクリームだろう。

 

「背中は兎も角、前を塗るのはシンジにはまだ難しいかな」

 

 水着の紐を解いたアスカが悪戯っけタップリに笑えば、シンジは顔を真っ赤にする。

 が、今日のシンジはひと味違う。

 

「そんなに言うなら塗ってやるよ!!」

 

 顔を真っ赤にしながらヤケクソに吠えたのだ。

 その余りの可愛らしさにアスカの笑いは深まる。

 

「バーカ、エッチ、チカーン!」

 

 罵り声。

 但し、その響きは甘やか極まりなかったが。

 

 

 

 

 

「誰………碇君?」

 

 農作業で汗を流していた綾波は、フト、ナニかに呼ばれたように空を見上げた。

 シンジが見つかったのだろう。

 そんな気がしたのだ。

 

 農作業と言っても、綾波が行っているのは嘗ての様な棚田で米作り ―― 手作業で米を植える様な事では無かった。

 大型のトラクターで巨大な農地を耕しているのだから。

 季節が1つ進んだ中、来年に向けた準備であった。

 コア化の解けた(人類領域が回復した)為、第3村は近隣にある元農地の整備を全力で行い食糧増産に取り掛かっているのだった。

 男衆は電力や上下水道から始まって様々な社会基盤(インフラ)の再稼働に全力で取り組んでいる為、第3村の農業は女衆が一手に引き受けている状態だった。

 活気に満ちて、拡大傾向にある第3村。

 人口も増えつつあった。

 戦が終わりWILLEから降りた人も居るが、それ以上に帰り人(まろうど)と呼ばれる人々の存在があった。

 文字通りの()()()()()()()()だ。

 100人だの1000人だのと言う様な程に多い訳では無いが、それでも稀に1人2人と、忽然と現れ、村に参加するようになっていた。

 流石に死んだ人間が帰ってくる事は無かったが。

 

『綾波ちゃん! そろそろお昼にしようかね』

 

 トラクターの(ピラー)に引っ掛けていた無線機が、お昼ご飯を教えてくれる。

 集中していた綾波も、その声に食欲を覚えた。

 

「はい」

 

 返事をして、エンジンを止める綾波。

 周りを見て今日の出来を思う。

 良い調子であると思いながら、巨大なトラクターから降りた。

 

 

 

「綾波ちゃんは大きな機械を扱うのが上手いから助かるねー」

 

「のみ込みが早いし、仕事が丁寧だし」

 

 木陰の下で広げられたお弁当。

 おにぎりと漬物、そして卵焼きと言うシンプルな内容だった。

 味付けもシンプルに塩だけといった塩梅であったが、ひと汗をかいた後の食事と言うものは実に美味しかった。

 程よい温度になったお茶が、合間に喉を潤す。

 ほっこりと笑う綾波に、周りのおばちゃん達は本当にそっくりさんにそっくりだと笑っていた。

 

「………ぐぅ」

 

 と、近くで盛大に腹が鳴った。

 食べたばかりでまだお腹が減っているのかと皆で笑いながら顔を見合わせるが、誰もが違っていた。

 首を傾げた綾波。

 

「?」

 

 と、もう一度、同じように腹が鳴った。

 すぐ傍、木陰の向こう側だ。

 

「誰?」

 

 誰何をすれば返事があった。

 

「やあリリス(レイ)

 

 ひょっこりと顔を出したのは、渚カヲルだった。

 とは言え、綾波からすれば初対面であった。

 但し、知ってはいた。

 NERVの頃、ゲンドウから渡された資料で第1使徒である事を。

 使徒故にか超然とした雰囲気が特徴的な渚であったが、今の姿は萎れた、年齢相応の雰囲気があった。

 と言うか服装も酷い有様だった。

 泥に塗れ、所々に葉っぱだの枝だのが付いている。

 美男子が台無しと言えるだろう。

 

「渚カヲル?」

 

「そうだよ。いや、リリンは大変だね、こんなにお腹が空くなんて」

 

 

 

「綾波ちゃん知り合い? この可愛い子」

 

 あんまりな渚の状態に、おにぎりが渡される。

 貪る渚。

 空腹だったんですと全身で表現する勢いだ。

 慌てて食べて咽て、おばちゃんから貰ったお茶を飲む始末。

 整った顔から放たれていた雰囲気が台無しだ。

 故に、おばちゃん達から可愛い子扱いされるのも仕方の無い話だった。

 

「渚カヲル。知っていたけど会ったのは初めて」

 

 使徒であった事は言わない方がよいだろう。

 NERV絡みの部分も含めて、そう考え答えたのだった。

 

 

 

 

 

 夕暮れまでには基地に戻ったシンジとアスカ。

 海に魚が戻ってきているとは言え大物は釣れなかった。

 とは言え11匹ほどは釣れた為、厨房の調理スタッフに贈り喜ばれた。

 11匹だけではこの基地の食材としては全く足りないが、重労働もこなす重要スタッフ ―― 航空機パイロットなどへの加給食には十分な量であったからだ。

 

 後は借りていた自転車や釣り具を返してから、住居として宛がわれたコンパートメントに戻る。

 文字通り客車を元に、間仕切りされベットなどの寝室やトイレが設置された仮設住宅だ。

 アパートなどの居住性の高い物件は、使用可能な準備が出来ると共にスタッフの奪い合いとなっている為、お客さん(ゲスト)に回ってくる事は無かったのだ。

 尚、3人で1つのコンパートメントであり、まだ子どもの体と言う事でキングサイズのベットで一緒に寝る形になっていた。

 思春期真っ盛りのシンジは、同じベットで寝ると知った瞬間に真っ赤になってしまい揶揄われていた。

 アスカと真希波に。

 二人が慌てなかったのは、()()()()()()()()()()()()と言う事と、そもそも、軍隊経験を持つが故に、個室であると言う時点で破格の待遇だと喜び、ベットの事などどうでも良かったからであった。

 無論、その後に女性スタッフから運動会の小道具(避妊具)の話を聞かれて、アスカは真っ赤になって否定したが。

 否定したけど、ベットを一緒にする事は譲らなかったが。

 真希波と女性スタッフはアイコンタクトを行い、微笑み(ニチャァと笑い)あい、後でこっそりと用意したのだった。

 

 

 

 晩飯は大食堂で食べる。

 帰還歓迎会が行われた場所でもある。

 温めなおしたりしたり、手を加えた携帯食が主役の食事ではあるが、コア化の解けた場所の冷蔵庫から回収されたン年ものの冷凍食材が彩を加えており、それなりの食事にはなっていた。

 

 

「ちかれたー」

 

 連日の事情聴取にすっかりバテた真希波は、もそもそとボイルされ香味油の掛かった魚料理をかっ喰らっていた。

 重要な頭脳労働と言う事が勘案され、真希波にも加給食()が出されていたのだ。

 

「姫たちは良いニャー ギラつく太陽の下でストロベリーにラブしているんだから」

 

 揶揄う言葉を怨嗟の様な響きで言う真希波。

 本当に疲れ果てている様だ。

 

「わんこ君、この後、お風呂でお尻を揉んでくれない? 石になってないかしっ ―― 」

 

 鎮圧された。

 アスカが鎮圧した。

 シンジが何かを言う前に、アスカの手が真希波を捉える。

 

「そ”う”い”う”の”は”駄”目”っ”て”言”っ”て”る”わ”よ”ね”?」

 

「姫姫姫姫!? 身が出る、身が出るって。何なら姫も一緒に…って、アーッ!」

 

 何ともドタバタコメディに悪意の無い笑いが大食堂に生まれる。

 シンジは少しだけ恥ずかしそうに顔を覆って俯いた。

 が、足音で顔を上げる。

 シャープな顔をした、猛禽の様な貌をした若い男だ。

 とは言え攻撃的な雰囲気ではない。

 

「碇シンジか?」

 

「はい」

 

「俺はイオ・フレミング小尉だ。少し話があるんだが良いか?」

 

「少尉、私たちは食事中なんだけど?」

 

 面倒事は嫌いだとの気持ちを全身から発散させているアスカが口を挟む。

 WILLE支給なパーカーの襟に縫い付けたバカ除け(特務少佐の階級章)に、ほっそりとした指を触れさせつつ尋ねる。

 正しく威圧。

 外見は小娘(ティーンエイジャー)であっても、アスカは幼少期よりユーロNERVに在籍し10年を超えて20年近く戦場を駆け抜けてきた古強者(ベテラン)だ。

 航空部隊に所属し実戦を重ねていたとは言え、ニアサードインパクト以降にWILLEに参加したフレミングとでは食ってきた釜の飯が違う。

 目つきが違う。

 その威に反射的に背筋をのばしたフレミングであったが、別段に含む所が無かった為に陽性に対応する。

 

「申し訳ございません特務少佐。少しばかり特務少佐の男をお借りしたいだけです。で、なぁ碇さんや、お前さんチェロが弾けるんだろ?」

 

 

 フレミングがシンジに声を掛けた理由。

 それはJAZZだった。

 JAZZを趣味としてドラマーとしてドラムを叩く事を趣味にしていたフレミングであったが、演奏(セッション)仲間が集まらず苦労していたのだ。

 ピアノ兼ボーカルは居るが、それ以外はからっきし。

 暇を見てはドラムを叩き、未来の仲間に備えて弦楽器やら管楽器を集め、手入れをしてきていたのだ。

 そこに降ってわいたシンジ。

 チェロが弾けるのだと言う。

 誘わない理由が無かった。

 

 

「すいませんね少佐、アイツ、言い出したら聞かなくて」

 

 そうアスカに詫びを入れるのはフレミングのJAZZ仲間、ピアノ兼ボーカルを務めるビアンカ・カーライル少尉であった。

 アスカよりも赤味の強い髪をまとめ上げた、さばけた感じの女性であり、アスカとは旧知の仲であった。

 傍に小柄な女性 ―― 子どもを連れている。

 実子、と言う訳では無いだろう。

 誰かと付き合っただの結婚し只のの話は聞いた事が無かったからだ。

 とは言え、少女ともフレミングとも距離感は近い。

 

「あ、この子はリリー・シェリーナ。色々とあってイオの妹になった子なの」

 

 ペコリと頭を下げたシェリーナ。

 その仕草と、少しばかり超然とした雰囲気は、どことなく綾波を思わせた。

 或いは初期ロット(そっくりさん)を。

 L.C.Lに帰った同胞(クローン)を少しだけ思い出し、そしてアスカは頭を振って追い出す。

 第3村の綾波に、その記憶と経験はうっすらと引き継がれたと言う。

 或いはそれは幸せな事なのかもしれない。

 違うかもしれない。

 

「ま、良いけど。式波アスカ・ラングレーよ、よろしく」

 

 

 

 シンジの加わったJAZZの演奏(セッション)は少しづつ加速していった。

 古典の楽曲しか弾いた事の無いシンジであったが、譜面を読み、耳から入るフレミングのドラムにそつなく合わせる形で音を紡ぎ出すのだ。

 それは初めてにしては上出来と言う水準を超えていた。

 聞き惚れる様にアスカは無心になって聞いていた。

 と、水のボトルが差し出される。

 見上げれば真希波だった。

 

「わんこ君、ホントにハイスペックだねぇ」

 

 呆れた様に言いながら、アスカの隣に座った。

 

「多芸よね」

 

「多芸ならまだしも、音を合わせて来れるって凄いよね。姫も参加しない?」

 

「アタシは無理よ、やった事無いモノ」

 

 戦闘用クローンである式波Typeの生き残り、唯一となった(アスカの名を与えられた)固体。

 生体戦闘マシーンとして生み出され、鍛えられ、そして今まで戦い抜いてきたのだ。

 音楽と言うものを聴いたことはあっても、やった事など無かった。

 情操教育なんてモノを受けた事は無い。

 エヴァンゲリオンに乗ること以外で教わったのは、時間つぶしとして与えられた古臭いゲームだけだった。

 ゲームは楽しいからしていた訳じゃない。

 時間つぶしと、そして他人との壁として(正面から向き合わない為)の道具でしかなく、それは趣味と呼べるものでは無かった。

 

「だから良いんじゃない。わんこ君に手取足取り教えてもらえるよん、お姫様」

 

「時々アンタが味方なんだか敵なんだか判らなくなるわ」

 

「うーんそこは迷って欲しくないかな。アッシは姫の忠実なるマリですニャ」

 

 ブイっと指をする真希波に改めてアスカはため息をついていた。

 

 

 

 一休みとシンジがアスカの所へ戻ってくる。

 フレミングはまだまだ物足りないって感じだったが、まだ成長期のシンジでは大人の体力に追随しきれなかったのだ。

 幾度か音を外してしまった為、水分と休養をとカーライルが口を挟んだのだった。

 

「お疲れ、凄いのね」

 

 水のボトルを差し出せば、嬉しそうに受け取るや否や飲みだすシンジ。

 見れば汗でびっしょりという様だ。

 

「でも、楽しかったんだ」

 

「そっ」

 

 持っていたタオルをシンジの頭に掛けるアスカ。

 

「程々にしなさいよね」

 

「わんこ君、姫とも話したんだけど、第3村に戻ったら音楽もしない?」

 

 肯定的な返事をしたつもりが無かったにも拘わらず、この真希波の言葉である。

 慌てて否定しようとしたが、シンジが先に食いついた。

 

「良いね。楽しいよ!」

 

「アタシは音楽なんてやった事ないもの………」

 

 俯き萎れるアスカ。

 だがシンジがそっと手を繋ぐ。

 

「誰だって初めてはあるよ。僕はアスカと一緒に演奏したい」

 

 音楽だけの話では無い。

 その誘いは、式波アスカ・ラングレーと言う少女に戦いだけの日々(エヴァンゲリオンパイロット)から離れ、一人の人間として歩もうと言う言葉だった。

 そう作られた(戦いしか無かった)事から踏み出そうと言う話。 

 差し出されたシンジの手をアスカはそっと握った。

 

「アッシも居るニャ!」

 

「うん、ありがとう」

 

 

 

 全てを知っている訳では無いが、それでも少年少女たちの仕草から何かを感じ取ったフレミングは、小さく呟いた。

 

こんにちは文化(ヤック、デカルチャー)ってな」

 

 戦争だけが人生なんて、潤いが無いと笑う。

 その笑いに、コテっと首を傾げたシェリーナが尋ねる。

 

「文化って?」

 

「愛さ」

 

 投げキッスの1つでもしようとしたフレミングだったが、カーライルに制圧された。

 子ども(シェリーナ)の前でする事じゃない、と。

 割と蓮っ葉な雰囲気もあるカーライルだけれども、情の深い女性らしく良識と言うものも存分に持っていた。

 

「私は子どもじゃないわ?」

 

「まだ子どもよ、だからもう少し大きくなったらね」

 

 

 

 この数日後、シンジはフレミングたちと一緒にメルボルン基地の慰労会で演奏(セッション)する事となる。

 

 

 

 

 

 



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ある嵐の夜に

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 メルボルン基地の片隅。

 生活エリアの一画、一言さんでは辿り着く事の難しい場所へと設けられた歓談室ドラ猫で、その日、真希波マリ・イラストリアスはくだを巻いていた。

 

 歓談室はそう広くない。

 2つのボックスシートとカウンターシート、40㎡も無い小さな歓談室には所狭しとセカンドインパクト以前の貴重品 ―― アルコールの瓶が並んでいた。

 内装も、何処其処から拾ってきた部材で()()()()()作られた、事実上のBarであった。

 看板代わりに入り口にはF-14戦闘機(ドラ猫)のレリーフが、女性専用(ガールズ・オンリー)の文言と一緒に掲げられている。

 入り口に設けられているIDカード式の入室管理(ドア・チェッカー)機械は、一見な男性のソレを[入室資格ナシ]の文言と共に弾いている。

 別に女性優位主義などが理由では無い。

 作ったばかりの頃に、酔っぱらった馬鹿が過激なナンパ(非文化的行為)をした結果だった。

 とは言え、女性だけだから平穏かと言えば、そういう訳でも無い。

 真希波の如くくだを巻く奴、上司同僚部下への怨嗟を潰れるまで呟く奴、女性へのナンパをする奴、果ては銃を抜く馬鹿。

 迷惑度数最大値な最後の奴は1人だけで、しかも、今現在は出禁なので問題は無い。

 では最小値だから真希波の行為を許すかといえば、実は微妙であると言うのが、このドラ猫の管理者たる長良スミレの正直な感想であった。

 

「長良っち、聞いてる!?」

 

「聞いているよ」

 

 特にそれが色恋沙汰であれば。

 正確に言えば、性絡みだ。

 本当にこの()()()()()がっ! と長良はグラスを磨きながらコッソリと嘆息した。

 

「何で姫とわんこ君、まだエッチしてないの! 絡めないじゃん!!」

 

 本当に最低の話題だった。

 式波アスカ・ラングレーと碇シンジの性的な関係が成されていない事を延々と真希波は愚痴っていたのだ。

 

「14年越しに成された初恋だよ!? 普通さ、14年分の悶々と10代の性欲とが入り乱れて直ぐに凄い事になるって思うジャン!!」

 

「2人ともガキって事っショ」

 

 ペロペロと度数のキツいジンを舐めながら、毒を吐いているのは北上ミドリだ。

 何と言うか、真希波が嘆き北上が煽り、煽った結果、真希波が嘆くに戻ると言うループ状態なのだ。

 長良の表情筋が死ぬ(ブッダスマイルな)のも仕方の無い話であった。

 

「そもそもの話として、同居人(保護者枠)が居ればオイタは出来辛いだろ?」

 

 礼儀として、そもそも真希波が同居しているのが悪いのでは無いか? とツッコむ長良に、真希波は納得しない。

 

「普通、目を盗んでするモンでしょ!?」

 

「それって、欲望モンスターのアンタ基準の話ッショ」

 

「にゃーん! 世界のみなさーん!! 青葉っちを喰えそうだからって余裕ぶちかましてる性悪がここに居ますよーっ!?」

 

「なっ、何を証拠にそんなヤッヴァい事言ってるのよ、信じられないッショ!!」

 

「焦ってるって春だーっ!!」

 

「いや違うって。鬼の伊吹に聞かれたらホントにマジヤバだからね!!」

 

 旧NERV時代からの赤木リツコの子飼いで、AAAヴンダー整備班班長であった伊吹マヤ大尉。

 若手、特に叱られている男性陣からは()()()()と恐れられる女傑だが、肩書その他を手放すと、可愛い(チャーミング)な所のある女性だとも言われていた。

 特に、旧NERVからの付き合いがある青葉シゲルなどからは。

 そして、それを憎からずと受け入れているのだ、伊吹が。

 共に公務が忙しいから()()なっていないだけの関係だと言うのが、北上などの色恋沙汰大好きな若い女性の一致した意見であった。

 聞かれたらヤヴァいと言う問題は、その青葉が割とモテると言う事に起因していた。

 まだ若いながらも中佐の階級を与えられ、多目的空中艦あおばを任される程に能力がある青葉は、まだ特定のパートナーを持たない事も相まって人気(有望株扱い)であったのだ。

 

 だが、北上も含めてAAAヴンダー乗り組み経験者は誰も青葉に手を出そうとはしていなかった。

 伊吹が、可愛い顔をしながらも、整備班班長として率先して現場に立ち、自分の背丈ほどもあるパイプレンチを軽々と扱うゴリラ(頭脳派筋肉ガール)であるからだ。

 そしてAAAヴンダーでは誰もが見ている前で、錯乱した男性乗組員を保安班のスタッフが駆けつけてくる前に素手で()()してみせていたのだ。

 間違っても敵対(恋敵に)したい相手では無かった。

 

「そー言えば、伊吹チャンって今はパリの仮本部だったっけ?」

 

「そうさ、あそこの施設が完全に使える様になると人類圏の存続はかなり楽になるからね」

 

 ユーロNERVの中心であったパリは、MAGIタイプの第7世代型有機コンピューターがあり、その他にも各種生産設備が整備されていたのだ。

 各種機能の本格的な再稼働ができれば、文字通りの人類再興の牙城となれる場所であった。

 問題は、MAGIシステムにせよ、各設備にせよコア化していた事による極端な劣化こそ免れていたが、それでも放置されて14年なのだ。

 全面的な再稼働には、事前の保守点検は重要であった。

 

 その再稼働準備の責任者として、伊吹はアスカが第3村を発つと共にパリ支部へと赴任していたのだ。

 この1点を見ても、WILLEの上層部がアスカに心を配っていると言うのが判る話であった。

 人類の再興を優先すると共に、人類を生き残らせる為に身命を賭した子ども(エヴァンゲリオン操縦者)への配慮は、同じ価値があると断じていたのだから。

 

「んじゃ、鬼の居ぬ間に?」

 

「マヂ、止めて………」

 

 許してっとばかりに北上は頭を振った。

 自分の欲望に素直なのが真希波と言う女性であったが、他人からそれをモンスター扱いされるのは許さないと言うワガママさがあった。

 人間、そういうモノである。

 

 凹んだ北上をカバーする様に長良が話題を戻した。

 

「で、少佐と碇少年。年相応で微笑ましい以外の事は無いし、何が問題があるの?」

 

「混ざりたいジャン!!」

 

 わんこ君を鳴かして、姫を蕩かせたいと言う真希波。

 本当に最低発言であった。

 

「………やっぱし欲望ジャン」

 

「なーにー?」

 

「なら真希波、アンタが少し離れて見るのが良いかもね」

 

 北上の自爆をサラリと流して見せる長良、その様は正に管理責任者(バー・マスター)の仕草であった。

 

「丁度、南極のマイナス宇宙域の再計測話が出てたし、行ってきなさいよ」

 

「姫ともわんこ君ともはーなーれーたーくーなーーーーい!!」

 

 

 グダグダな内にBarドラ猫の夜は更けていくのだった。

 

 

 

 

 

「と言う訳で、1週間程南極に行っていますニャー!!」

 

 WILLEの乗員制服をビシッと着こなした真希波が、こればっかりは真面目な敬礼をしてみせていた。

 シンジとアスカに。

 2人からすれば青天の霹靂であった。

 尤も、言う真希波当人にとっても青天の霹靂であったが。

 

 手を回したのは北上。

 飲み屋での話題への善意(報復)だった。

 青葉を介する事でメルボルン基地上層部へと持っている交渉力(コネ)をフル稼働させたのだ。

 

「ひーめー! わんこくーん! アッシが戻るまで元気で居てねっ!!」

 

 2人に泣きつく真希波に、暑っ苦しいと顔を背けるアスカ。

 とは言え力づくで引きはがそうとしない辺り、割とアスカも絆されていた。

 シンジは宥める様に真希波の背中を優しく撫でていた。

 

「なーに、今生の別れみたいに雰囲気出しているのよ。自分で言ってるじゃない、1週間って」

 

「姫に1週間もハグ出来ないなんて死ぬような思いだよ!? しかも、わんこ君の匂いを1週間も嗅げないんだから、実質拷問みたいなモノじゃないか!!」」

 

「変態かっ」

 

「まーまー」

 

 

 

 嵐の様に仕事に出て行った真希波。

 1週間の出張と言う事で3人が住むコンパートメントが静かになる ―― 訳では無かった。

 今日は何処に遊び(デート)に行こうかと考えていた所に、電話が鳴ったのだから。

 メルボルン基地司令部からアスカへの出頭要請だった。

 

 

 アスカを呼び出したのはまだ若い男性、アスカと同じ少佐の階級章を持ったメルボルン基地救難部門の部長代行だった。

 

 敬礼と答礼。

 軍隊的な意味での貫目比べ ―― 先任の確認をする。

 恐らくはアスカが先任となった。

 大多数の若い将校に比べてアスカは軍歴の長さが違うのだから当然だろう。

 14年前の時点で中尉の階級章を与えられ、それから順当に昇進して今の特務少佐なのだ。

 その昇進速度は一般的なソレと比較して余りにも早いと言う訳では無いのだが、そもそも、スタート時点が違い過ぎるのだ。

 14年前、14歳で中尉だったのだ。

 同じ年齢位の相手では、軍歴の長さで比肩できる人間など居る筈も無かった。

 

「そう堅っ苦しくせずに」

 

 基地の救難部門の部長代行と言う決して軽い立場では無い人間に与えるには聊か貧相な執務室で、アスカを応接セットに促す部長代行。

 だがアスカはソレをやんわりと断る。

 何の用事か判らぬが、この救難部門の部長代行と腰を据えて語りたいとは思っていなかった。

 この後はシンジと一緒に自転車で遠出をする予定にしているのだ。

 軍務中であれば別だが今は休暇中の身、仕事よりも余暇を優先したいと言うのが本音であった。

 だからWILLEの制服を着る事も無く、至急の呼び出しだったから ―― と言うのを盾に、白いパーカーと濃紺のカットジーンズと言うラフい格好で来ていた。

 休暇中に呼び出しやがって、と言う無言の抗議でもあった。

 

 尤も、若い部長代行には()()()()を発揮してしまい、アスカの感情は急降下しつつあった。

 

「何の要件でしょうか」

 

 鼻の下が伸びて何とも言い難い顔を晒しているのだ。

 これで好意的な感情を抱けと言うのは難しいと言うものであった。

 尤も部長代行の側はアスカの空気、その気分を見抜く事が出来ていなかったが。

 若さと、そもそもUS-NERV系へのコネで昇進していた人間であった為、どうしても甘さがあったのだ。

 可愛い女性をみたら口説きたいと思う類の。

 アスカの肉体年齢は子ども(ティーンエイジャー)であるが、書類上は28歳と記入されていた事も、そのスケベ心の背中を押した。

 無論、エヴァンゲリオン操縦者としてのアスカの名前を知らない訳では無いのだが、そこに重きを置いていなかった。

 少しでも知っていれば、初々しい恋人(シンジ)との関係を大切にしている事も理解していたかもしれないが、残念ながらも部長代行にそれらの知識は無かった。

 旧NERV ―― NERV本部関係者から伝えられる、アスカとシンジに干渉するなと言う要請(事実上の命令)も知らなかった。

 WILLEの後方部隊勤務で、実に呑気な人間だったのだ。

 そんな部長代行にとってアスカは、エヴァンゲリオン操縦者で可愛いと言うだけでしか無かった。

 既に階級で相手が先任(上位者)であると言う意識も飛んでいた。

 だから本題の前の世間話で、個人的交際(デート)のお誘いをしたのだった。

 

「健康的で良いねアスカ少佐。最近は父を見習ってサーフィンをやり始めたんだ。今度、一緒に海に行かない?」

 

 許可も無く(ファーストネーム)を呼んだ事に、アスカの堪忍袋を〆る紐にハサミが入った。

 だが我慢した。

 一応は階級では上位であるが、相手は基地の部門長の代行なのだ。

 面倒事を避ける意味で大人の態度をする(猫を被る)程度はアスカも出来るのだ。

 世間向けの微笑みを浮かべて断る。

 

「お断りします。それより本題をお願いします。後、アスカでは無く式波と呼んで下さい」

 

「ゴメンね。海は苦手? でも青い海って楽しいよ。後、アスカって呼んじゃダメ? ほら君と僕の関係だし」

 

「僕ぅ?」

 

 アスカは自分のコメカミがヒク付いたのを理解した。

 ユーロ空軍、NERV、WILLE渡り歩いた戦歴を持つアスカにとって、何とも看過し辛い発言であった。

 が、アスカは我慢する。

 ()()2()()()、それにこの後はシンジと自転車で楽しむのだ。

 こんな所で時間を取られる訳にはいかなかった。

 コホンっと、1つ空咳をすると出来るだけ冷静に返答をした。

 

「私がアスカと呼ぶことを許す異性は1人で十分ですから。それよりも本題をお願いします」

 

「いや僕の方が良い男だよ。なんたってマイアミに家があるしね。世界が元通りだから、フロリダの別荘にだって行ける。今度、案内するから2人っきりで、さ」

 

 ウィンクを1つキメた。

 キメたのは暴言も3つ目(スリー・アウト)

 アスカがキレた。

 

「黙れ、このケツ拭き屋!」

 

 一喝。

 エヴァンゲリオンに乗っていても乗って居なくても常に前線部隊にあって軍歴をアスカは、文字通りの叩き上げだった。

 気迫と言うモノが違う。

 アスカの大喝に、部長代行は思わず立ち上がって背筋を伸ばしていた。

 が、アスカは許さない。

 仕事中に海だの女だのと現を抜かす玉無しに、本当に千切って口に突っ込んでやろうか等と、キツイ軍隊式表現(スラング混じり)で怒鳴る。

 怒鳴る。

 

 美少女少佐と思っていた相手が、鬼軍曹(ドリルサージェント)も吃驚の表情で叩きつけてくるのだ。

 部長代行は逃げ腰になって腰が引ける。

 涙目。

 だがアスカの叱責は止まらない。

 ここにシンジが居たならば、アスカのキメフレーズであるアンタバカァ? が本当はそこに優しさがあったと感心するであろうレベルの気迫で放たれる、叱責だった。

 

 30分ほど叱責は続き、そして終わった。

 

「それで、私に出頭要請が出た理由は何?」

 

 それまでの怒鳴り声を忘れた様なアスカの態度、声色であったが、部長代行は緩む背筋を伸ばして答えた。

 

「サー、申し訳ありません、サー」

 

 新兵訓練時に戻った様に、言葉の頭と最後にサー(殿)と付けだした部長代行。

 そもそもこの部長代行、元々が親のコネとコンピューターの使用能力を買われての裏方(オフィスワーカー)に配置された元民間人 ―― 子どもであった為、真っ当な軍事訓練を受けた事が無かった。

 それが叩き上げ(ホンモノ)の迫力に当てられれば、こうなると言うモノであった。

 

「理由を聞いている」

 

「サー、申し訳ありません、実は少佐殿の飛行艇をお貸し頂きたくありまして、サー」

 

「はぁ?」

 

 聞けば理由は航空機の問題だった。

 WILLEは現在、メルボルン基地を起点にしてオーストラリアやパプアニューギニア、果てはニュージーランドまで資源開発に乗り出していた。

 この定期連絡用として航空機や飛行艦が使われている為、救難部門で管理する非常事態向けの機材が少ないと言うのが理由であった。

 正確に言えば、長距離を飛行できる機材だった。

 1000㎞から遠方まで機材や医療品を届けたり、或いは病人を移送する手段が限られていたのだ。

 そこでアスカの飛行艇に目を付けたのだ。

 

 ある意味で先ほどアスカをナンパしようとしたのも、その為と言えた。

 アスカの私物を、男女の関係になる事で接収しようと考えていたのだ。

 ()()()()()()になったが。

 

「アタシは何時までも此処に居る訳じゃないわよ?」

 

 呆れた様に笑うアスカ。

 真希波が解放されればもう第3村に帰る予定であるのに、そんなモノを頼ろうとしてどうするのか、と。

 しかもアスカの飛行艇、アルバトロス号の物資搭載力は大きいとは言い難い。

 けが人や病人を乗せるにしても開口部も狭くて乗り降りは非常に大変なものになっている。

 

 だが、それでもと部長代行は素直に頭を下げていた。

 軟派な人間ではあるが、性根が腐っている訳でも無かった。

 そして、()()()()()()()()()()()()と言うメルボルン基地救難部門の惨状でもあった。

 担当する領域の急速な拡大が、産んだ苦境と言えるだろう。

 

 

 

 

 

 外見が少し変わり、ピカピカに磨き上げられたアルバトロス号。

 真っ赤な外装がメルボルンの強い日差しの下で輝いている。

 その様をアスカは満足げに見ている。

 ヒネた所や素直じゃない所があるとはいえ、根っこが真面目で優しい性格をしたアスカは、他人の為に助けてくださいと言われれば応えてしまう人間だった。

 

「荷物の積み込み、確認まで終わったよ」

 

 チェックリストを片手にやってくるシンジ。

 アスカとお揃いの、OD色のWILLE航空乗員作業着は腕も脚も裾を捲らねばならぬ程度にはぶかぶかしているが、それでも男の子らしい凛々しさをシンジに与えていた。

 

「シンジはゆっくりしてて良いのに」

 

「アスカと一緒に居たいんだ。それとも、邪魔だった?」

 

 少しだけ自信なさげなシンジ。

 その軽く鼻を弾いて、アスカは抱き着いた。

 まじまじとシンジを見る。

 まじまじとシンジに見られる。

 それだけでアスカは何となくの満足感を覚え、頬にキスする。

 

「ばーか」

 

 何を指しての言葉か、そんな事、言った本人のアスカすら判らぬままに言葉を舌に乗せ呟く。

 その響きは何処までも甘ったるいものであった。

 

 

 

 メルボルン基地救難部門からの委託業務。

 その最初のモノは、中距離の物資輸送であった。

 目的地はタスマニア島。

 南極調査部隊用の前進基地が設けられている場所だった。

 メルボルンからは片道1000㎞近く離れており、飛行艇で飛ぶにも丁度良い位の距離であった。

 自律航法による自動飛行能力迄付与されているアルバトロス号にとって、難しい飛行では無いのだから。

 

 天候快晴。

 海も空も果てしなく青い中を飛ぶ、真っ赤な飛行艇と言うのは実に絵になるものであった。

 シンジとアスカは操縦席と航法席に縦に並んで(タンデムに)座ってお喋りをした。

 

「コレはコレで良いわよね!」

 

「滅多に味わえない経験だよ!」

 

 風切り音に負けない様に声を出しながらの会話だが、それでも2人は楽しんでいた。

 

 そして昼。

 飛びながら食べるお昼ご飯は、シンジ手製のお弁当だ。

 最近発見された日系企業の冷凍庫から可食状態で発見された冷凍精米を炊いて作ったおにぎりに、ウィンナー、そしてポットに入れた緑茶だ。

 飛行艇で簡単に食べられる様にと、シンジが考えた結果だった。

 

「…………」

 

 アスカは食事中は会話をしない。

 食事に集中するのだ。

 14年ぶりに得たモノを食べると言う喜びをかみしめる為に。

 シンジが作ってくれたモノを食べると言う喜びを逃がさぬ為に。

 只、静かに食べる。

 

「ごちそうさま」

 

 それはシンジにとっても至福の時間だった。

 

 

 

 昼食を食べ、喋りながらさらに飛ぶ。

 すると大きな島が見えて来る。

 タスマニア島だ。

 

「翼よ、あれがタスマニアの灯だ!!」

 

 お約束の事をアスカが言い、シンジがボケて、そしてアスカがツッコむ。

 最後に笑う2人を乗せてアルバトロス号は降下していく。

 

 海岸沿いに飛んで更に南へと目指す。

 セカンドインパクトによる海面上昇によってかつてとは変わっであろう海岸は、それでも空の上から見る限り、どこまでも続く砂浜が綺麗であった。

 所々に入江もあって飛行艇を安全に止める事が出来そうであった。

 1つ、思いついたアスカが声を張り上げる。

 

「帰りにっ!」

 

「えっ!?」

 

「帰りに寄って見ても良いかもねっ!」

 

「いいねっ!」

 

 お弁当はもうないけど、念のためと保存食や水は予備を積んでいるのだ。

 寄道も、万が一には機中泊も一泊程度は可能であった。

 

 

 アルバトロス号が目指しているのはWILLEが拠点としているホバート市、その空港であった。

 かつてホバート国際空港と呼ばれていた場所である。

 島でも随一の大きさを誇る空港である為、様々な輸送機の発着は勿論、飛行艦の停泊も可能である事から選ばれていた。

 そしてアルバトロス号で運んでいるのは、基地で使われる機材の保守部品や医療品などの、それなりの貴重物資だった。

 飛行艦や輸送機を臨時に手配する程の重要度では無いが、出来れば早く欲しい物資。

 船で運ぼうとすれば時間が掛かり過ぎて、人手が奪われる事が問題に思えるような遠い場所、ヘリコプターでは航続距離が足りない場所。

 そんな隙間の様な要求(ニッチなニーズ)に、アルバトロス号は最適であった。

 メルボルン基地でも、独自にソーラー式飛行艇を建造してはどうかと検討される程度には。

 飛行艇は海の傍であればある程度自由に降りる事が出来、ヘリコプターよりも遠くまで早く飛べるのだ。

 この、社会インフラが再構築する最中にあっては、使い出のある飛行手段と言えた。

 

 飛行場へと着陸し、手際よく運んできたものを渡す。

 受領証明書にサインを貰い、帰路へと就く。

 折しも時間は昼過ぎを過ぎようとしていた為、タスマニア島基地の人からは泊っていく事を勧められたが、2人は丁重に断っていた。

 往路で見た綺麗な砂浜に早く行ってみたかったからだ。

 夕暮れに沈む海を見たい、そういう欲求もあった。

 だが、その選択肢が2人の関係を進める事に繋がった。

 

 

 

「シンジ、急いで!」

 

「判ってる!!」

 

 綺麗な入り江にアルバトロス号を着水させた、そこまでは良かった。

 海辺の水遊びを楽しみ、残されていた人の家 ―― 倉庫から樹脂製の椅子を浜辺まで持ち出し、優雅な気分で珈琲を飲んだ、そこまでも良かった。

 問題は、その後で急速に天候が悪化しだしたのだ。

 

 空が曇り、遠雷が轟だすや、2人は慌ててこの場を離れる準備に掛かった。

 だが手早く片づけを行ったにもかかわらず、片付けが終えた頃には海が荒れだし、アルバトロス号での離水は不可能となっていた。

 風が囂々と音を立てている。

 

 非常時の即断を訓練されているアスカは、アルバトロス号で離れる事を諦めて機体の固定を行う事をシンジに言う。

 アスカの判断を疑わないシンジは、直ぐに動き出す。

 アルバトロス号を出来るだけ陸上に押し上げてロープで固定し、海に流されない様にする。

 入江であった事が幸いし、外洋程は海は荒れていないお陰で作業はそこまで難しくは無かった。

 問題は、大雨の中での作業だったと言う事。

 2人は頭からつま先までずぶ濡れになって、近くにあった倉庫に逃げ込むのだった。

 

 かつてこの辺りに住んでいた人が使っていたであろう倉庫にはキャンプ用品などが整理して置いてあった為、2人が夜を超える事を手伝っていた。

 先ずは火を起こして、暖を取る。

 併せて、ずぶ濡れになった服や靴を乾かす。

 そこまでは良かった。

 問題は、この倉庫の主が1人暮らしであったろう為に使える毛布が1枚しか無かったと言う事だ。

 

「………」

 

「………」

 

 真っ裸で2人、一枚の毛布に包まる。

 最初は冷えからそれどころではなかったのだが、温まってくると、相手の体温が相手の吐息が気になってくる。

 それまでの、グダグダとした話が嘘のように静かな室内になる。

 先ほどまで荒れていた外が少し静かになった。

 夜の帳と雨音が、倉庫を世界で唯一残された場所の様に閉ざしている。

 風に弄られてカタカタと揺れる窓枠と、パチパチと薪の燃える音だけが支配する中で2人は、共に自分の高鳴っている胸の音が相手に聞こえているのではないかと心配していた。

 

「アスカ………」

 

「何よ、バカシンジ……」

 

 ギュッと抱きしめ合っていた手と手が繋がる。

 指と指とを絡め合う形へと変わる。

 

 シンジもアスカもお互いの瞳に囚われる。

 

 互いに相手への好意は伝え合い、確かめ合っている。

 キスは何度も繰り返していた。

 性欲だって人並みにはある。

 だが何となく、まだその先に2人は足を踏み入れて無かったのだ。

 臆病であった訳では無い。

 好きだと言って好きだと返され、2人は涙を流しあった位なのだから。

 

 只、真希波が居たと言う事もあって、機と言うものが無かっただけなのだ。

 だからこそ、その時が来た時に2人は共に躊躇しなかった。

 

 

 その夜、2人は1つとなった。

 

 

 

 

 

 




 尚、18歳以上の限定版の続きはワッフルワッフルと___ うーそーでーすー

 本作品は18禁ではありません。
 全年齢対象デース!
 
 大体、ワタスの場合の18禁って、ちょーとばかし赤味のある鉄分多めの意味ですしお寿司?
 あ、そう言えば本作は(おげひん


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夜明けと海と

+

 一つとなった。

 互いを求めあい、貪り合った夜。

 いつの間にか眠り、そして目覚めた朝。

 碇シンジはスッキリとした顔で、開けっ放しとなっている倉庫の入り口から空を見上げた。

 快晴。

 青みが鮮やかさをましていく空は、前夜の嵐が嘘のような雲一つない夜明けだった。

 

「朝、か」

 

 誰に言うつもりも無く呟くシンジ。

 まだ眠る式波アスカ・ラングレーを腕の中に収め、毛布に包まって見上げる空は、昨日までの朝と同じに見えて違っていた。

 腕の中に居る愛しい人(アスカ)

 触れた素肌の柔らかさ、そして温もりは昨日までとは違う。

 多幸感。

 赤味の乗った金糸の如き髪に顔を埋めながらフト、思った。

 あの市立第3中学校のあの日々 ―― 決定的なあの日(せめて綾波レイを助けたいと願った日)から今日まで、シンジの体感としては1月にも満たないが、14年の月日が流れていた事を。

 

 喪ったと思っていた大事な人との再会。

 WILLE、意味の分からないままに、憎まれたと思い、心が凍った。

 NERV、喪ったものを取り返したいと思い、その果てに取り返しのつかない事(大切な友達となった渚カヲルを喪った)をしてしまった、絶望。

 第3村、かつての同級生が与えてくれた優しさ、暖かな日々。

 だからこそ立ち直れた。

 だからこそ、マイナス宇宙で決着をつける事を自分から選んだ。

 感謝とケジメを付けたいと言う気持ち。

 

 そしてアスカへの感情だ。

 今思い返せばシンジは()()が冷静な自暴自棄でもあったと思えた。

 訳の分からぬままに14年と言う月日を奪われ、大事であると思っていた人は、自分以外の人と親密な関係を構築していた ―― 少なくともシンジはあの時、そう思った。

 だからこそシンジは、あの時、帰らぬつもりだった。

 帰れなくても良いと思っていた。

 それでも大事な人(好きな人)の未来が守れるならばそれで良いと思っていたのだ。

 本当にヤケクソだった。

 だからこそ今が信じられない、そう思う時があるのだ。

 

 アスカと一緒に居る時。

 ご飯を食べる時。

 デートをする時。

 キスをする時。

 コレが自分の、都合の良い夢では無いかと思う時があったのだ。

 恐怖と言って良いだろう。

 

 だが今はもう、それが消えた。

 肌を触れ合い、心臓の音が重なった時、シンジの心から怯えは完全に消え去っていた。

 腕の中の温もりがネガティブな感情の全てを消し去ったのが判る。

 我ながら現金なモノだと自嘲しながらも、でも、そんな気分すらも幸せと言う感情と共にある。

 フト、砂浜に固定された真っ赤な飛行艇(アルバトロス)を見て、人は独りでは飛べない、飛んじゃいけない ―― そんな言葉を思い浮かべた。

 

 そんな、愚にもつかない事を考えていたからか、シンジは懐中から伸びた白い手に気づくのが遅れた。

 頬を添えられた手。

 そして指先は、少しだけ生え始めたヒゲを撫でるように動く。

 

「ん………バカシンジ」

 

 どこまでも優しく、そして緩い笑顔をアスカが見せた。

 

「おはよう、アスカ」

 

「おはよ」

 

 どちらからと言う事は無くの挨拶(キス)

 とは言え、シンジもアスカも耳まで真っ赤にして、とても初々しさが漂っている。

 ここに邪心の塊(真希波マリ・イラストリアス)が居れば、昇天しそうな程だ。

 

「身体は大丈夫?」

 

 初めて尽くしの事で加減の判らなかったシンジは、快楽に溺れ、自分の思うままに動いてしまった。

 そう言う自覚があったからだ。

 何と言うか、叱られた子犬じみた表情をみせるシンジに、アスカは笑って口づけをした。

 

「ばーか、アタシが何年軍人やってたと思うのよ。アンタとは鍛え方が違うってーの」

 

 それが何の意味があるのかとか思うし、そもそも血が出たのだから痛くは無いのかとか思ったシンジだが、それを全てのみ込んだ。

 それがアスカの心づかいだと思ったからだ。

 だから、シンジもアスカにキスをする。

 匂いを嗅ぐように顔を寄せ、頬で頬を撫でる。

 アスカも同じことをしてくる。

 

「鍛えててもアスカのほっぺた、凄く柔らかいよ」

 

「男のくせにアンタのは柔らかすぎ」

 

 笑ってしまう。

 笑い、笑われる。

 穏やかな朝。

 

「ね、アスカ。お腹、すいてない?」

 

「んー そうね…………珈琲は飲みたいかな」

 

 夜明けのコーヒーを一緒に、そんな真希波が歌っていた古い曲のフレーズを思い出したアスカは、口にしてから赤面していたのだが、流石にシンジがその事に気づく事は無かったが。

 

「チョコレート、貰ったのがあった筈だから、それで朝ごはんにしようか」

 

「いいわね」

 

 では準備をと動こうとしたシンジ、だがアスカは手をその背中に回し動きを止めさせる。

 

「アスカ?」

 

「シンジはお腹が空いてるの?」

 

「いや、実はそんなに」

 

「ならもう少し、もう少しだけこうしていたいの、駄目?」

 

「良いけど、もしかしてアスカ………その、やっぱり()()()()()とか?」

 

 顔を真っ赤にして聞くシンジ。

 直ぐにその言葉の意味を把握してアスカも顔を真っ赤にする。

 

「馬鹿。()()()()()()()()()

 

 スケベ、そう言ってアスカはシンジに罰を与える様にギュっと抱きしめた。

 

 

 

 

 

 特務南極調査艦あおばの士官食堂で、薄いクラムチャウダーとクラッカーと言う簡素な朝食を貪っていた真希波は何かを感じて(キュピィィィィン)、唐突に声を上げた。

 

「ビンビンに何かを感じる!」

 

「………とうとう壊れた?」

 

 相席していた北上ミドリが呆れた様に呟いた。

 近くに纏まっていた女性乗組員たちも同様の顔をしている。

 男女混合のあおばでは、艦長である青葉シゲルの方針もあって、()()()()と女性乗員は出来るだけ同じシフトに付くように調整されていた為である。

 

「違っがーう! アッシのわんこ君と姫とのストロベリーセンサーにビンビンに」

 

「はいはい。夕べのが残ってるって事っショ。コーヒーでも飲んで酔いを醒ましとかないと後がマヂヤヴよ?」

 

「残ってない! だいたい、電波じゃない!!」

 

「んじゃ、どうやって判るの?」

 

「愛」

 

 真希波は真顔(ドヤァ顔)で言い切っていた。

 付き合いきれぬと北上は、戻した脱脂粉乳のマグカップを呷った。

 対NERV戦、ヤマト作戦が終決して以降、この元エヴァンゲリオンパイロットはぶっ壊れてきたナァなどと呆れながら。

 だが、フチに残っている最後の1滴まで飲んでいて、フト、気づいた。

 平和になったからか、と。 

 地球のコア化が解けて以降、食糧事情が劇的に改善し、こうやって自分たちにも嗜好品みたいなものが支給される様になった。

 濾過を繰り返した、誰かの排泄物を基にした水を飲む事もなくなった。

 ()()()()

 北上は、ストンと腑に落ちた。

 

「平和よね」

 

「ん?」

 

「アンタのその反応が平和の証拠って事ッショ。アタシも男でも見つけるかなー」

 

「青葉っち?」

 

「そのネタ、マジむり」

 

 笑えないっショと、手をパタパタと振って否定する北上。

 真希波もケタケタと笑っていた。

 

 

 

 

 

「ポカポカする」

 

 薄日の差す中、朝餉として味噌汁を作っている綾波レイ。

 お玉ですくって口に含み、その味を確かめている時、ふと感じた直感めいたナニカによって、そんな事を呟いていた。

 大根と大豆、それに最近になって手に入る様になったワカメと言うシンプルな具材で出来ている味噌汁は、綾波家の朝の味であった。

 第3村の皆で作る味噌は、味噌汁や調味料として重宝していた。

 農作業その他、村での仕事は塩分を失うので、その補充の役割も果たしてくれる。

 後、火力調整が楽なのも良かった。

 

 第3村で使える火力は、ソーラーパネルが設置されている家がIH。

 アディショナルインパクト以降に増設された様な家では、竈で薪を燃やすと言う極端な2択状態であった。

 そして綾波家は後者の側であった。

 2Kのプレハブハウス、土間のキッチンに廃材を組み合わせて作った鉄製の竈が鎮座しているのだ。

 それでも、キッチンがあるだけ綾波家はまだ恵まれていた。

 第3村で医師役として影響力を持っている鈴原の知り合いであり、子育てに協力している関係で回ってきた物件だったからだ。

 対して最近に建てられた家の場合だと、数家で共用する集団キッチン方式が採用されているのだ。

 竈の共用による燃料の節約や、水回り配管の手間を惜しんだと言う面があった。

 それだけ、帰ってくる人間が増えていた。

 

「出来が良かったのかい?」

 

 隣でお握りを握っていた、同居人である渚カヲルが、何時もの様に楽しそうな顔で尋ねてくる。

 否、()()()()()ではない。

 楽しいのだ、実際に。

 

 元使徒。

 元NERV第2代司令。

 元SEELEのエージェント。

 元エヴァンゲリオン操縦者。

 

 いくつもの肩書を過去形にしたこの少年は、今はただの人間として第3村で生活していた。

 地に足を付けて生活する。

 全ての事が楽しくて、そして愛おしいのだ。

 

 尤も、楽しいからと言って全てが簡単にいく訳では無い。

 大層な肩書、立場故に様々な事が出来るのだが、事、日常生活のスキルと言う意味に於いてはからっきしであった。

 家を掃除する事、洗濯する事、料理する事。

 誠に持って駄目であった。

 だから、綾波家に入る事になっていた。

 顔見知りであるのだからと、綾波が面倒を見る事になったのだ。

 尚、恋人でも婚姻関係もない若い男女を一緒に住ませるなんて、と言う様な反対意見は出なかった。

 本人たちに拒否感が無いならそれで良いと言う様な適当さと、()()()()()()()()()()()()()と言う様なおおらかさ故であった。

 尚、WILLE ―― AAAブンダーから決戦(ヤマト作戦)前に降りて、その後、第3村に住みつくようになった一部の若い女性からは別の意見(綾波さんでは無く私がと言う主張)も出たが、村の重鎮の寄り合いで全会一致で却下された。

 結果としてなるならまだしも、狙って喰いに行こうとする人の所へ渚を住ませるのは流石に非人道的と言う話であった。

 第3村の重鎮会から見て、超然とした雰囲気を持った渚も、ただの子どもでしか無かった。

 渚は力仕事が得意と言う訳でも農業が出来る訳でも無かったが、手先が器用であり、骨惜しみする事無く働き、何よりも優しい所(ぽややんな雰囲気)が第3村に簡単に溶け込めた理由だった。

 

「美味しい。でもそれだけじゃない。ポカポカするの」

 

 そっとお玉を置き、両手を胸に当てる綾波。

 

「嬉しいの。嬉しいと言う気持ちが溢れて来るの。これは、ナニ?」

 

()()()()()()()()()()()()、多分、それが幸せって事さ」

 

「幸せ? 判らない。貴方は判るの?」

 

「実は僕も良く分からないんだ。この村での生活は楽しいって思う。だけど、幸せと言うのはまだ、僕には良く分からないんだ」

 

 使徒と言う完全な存在として生れ落ちて、そして今まで生きてきた。

 いつからか、シンジを幸せにしたいと思って生きてきた。

 幸せにしたいと言う思いは抱いていた。

 だが、自分が幸せに成りたいと思った事は無かった。

 判らなかったのだ。

 ある意味で死すらも超越した、孤立して存在できるが故の事だった。

 

「そう、貴方も探しているのね」

 

「探すしかないからね」

 

 炊きあがったご飯でお握りを作りながら渚は思索し、言葉を返す。

 その手は柔らかくも的確に動いていく。

 絶妙な力加減で握られ、見事な三角形に仕上がったソレは朝ごはんではり、昼の弁当でもあった。

 ただの塩お握りだが、渚が作るソレは一味違うと、農作業で振舞えば大人気の逸品だった。

 

「僕はシンジ君の為に幸せにならないと駄目だからね」

 

 シンジを、他人を幸せにするには、先ず、自分が幸せでなければならない。

 第3村に腰を下ろした後、何かの時に、鈴原(洞木)ヒカリが諭した事を渚は覚えていた。

 

「だから、とりあえずは今日も頑張ろう」

 

「そう、そうね。頑張りましょう」

 

 第3村の1日が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コーヒーとチョコレートと言う簡素な朝ごはん。

 倉庫にあったアウトドア用の小さなストーブに、廃材などをくべてお湯を沸かし、コーヒーを淹れる。

 金属製のマグカップに粉末コーヒーを入れて、お湯を注ぐだけの簡単調理だ。

 粉末コーヒーは、オーストラリア大陸に残されていた旧オーストラリア軍の倉庫から掘り出してきた戦闘糧食(レーション)に入っていたものだ。

 チョコレートも含めて、おやつ用にとシンジがアルバトロスの空きスペースに放り込んでいたものだった。

 

「アンタもマメよね」

 

「こうやって一緒にコーヒーが飲めればな、って思ってただけだよ」

 

 もう服は着ている。

 少し湿気った厚手のフライトスーツ、アスカは上半身を脱いで腰に巻いている。

 インナーの白いスポーツブラが、濃緑のフライトスーツとのコントラストになって何とも刺激的だ。

 シンジも着込んでいるが、此方は裾と袖を巻いて首元を開けてきている。

 共に、ラフな格好だった。

 

「スケベ」

 

 ピトッとシンジに体を寄せるアスカ。

 密着した事で素肌程では無いが、体温が相手に伝わる。

 シンジの顔が一気に赤くなった。

 

「ちっ、違うよ! 此処までは考えて無かったよ!!」

 

「本当に? それとも嫌だった??」

 

「いっ、嫌な訳、ある筈無いよっ!!」

 

「じゃぁシンジも__ 」

 

 アスカが肘でシンジの腕を突っつく。

 そこで漸くシンジは、アスカが求めていた事に気づいた。

 おずおずと、優しく、だけど断固とした仕草で、空いていた腕でアスカの腰を抱く。

 抱きしめる。

 アスカもまた、腕をシンジの腰に回した。

 顔を見合わせれば笑みが零れる。

 

「碇二等兵、察し悪すぎ」

 

「式波少佐、上官からの指示は判りやすくお願いします、どうぞ」

 

 真面目くさった顔を作ったアスカに、シンジも不満気な表情を作る。

 そして同じタイミングで吹き出す。

 笑いが倉庫に満ち満ちる。

 

 

 コーヒーを飲み切って、チョコレートを食べて。

 そして片づけを始める。

 感謝を込めて、そして出来れば又、使える様に。

 

「良い場所よね、ここ。でも、とっととメルボルンに帰りたいわね」

 

「どうして?」

 

 楽しいのに? と言う顔を見せるシンジに、アスカは楽しい事とは別の問題があると言う。

 

「海で身体洗ったけど肌はべた付くし髪はごわごわになるし、やっぱり真水で温水のシャワーとシャンプーは必要ね」

 

 じゃないと汗やらナニやらで酷いことになる、なったと笑うアスカ。

 倉庫の傍に蛇口を見つけたが、水は出てこなかった。

 流石に14年から放置されていた場所なので、そこら辺が機能している筈も無かった。

 井戸が枯れたか、浄水器が壊れたか、配管が駄目になったのか。

 何にせよ、人が居る為には手を入れる必要があった。

 

「でも、ボクはまた来たいって思ったんだ」

 

「そうね、いつかきっと、又、来れるわよ」

 

「一緒に?」

 

「一緒に!」

 

 

 

 嵐の夜を越えてもアルバトロスに被害は無かった。

 操縦席の防水カバーを外せば、中にまで水は入って居なかった。

 電機システムにも異常はない。

 操縦席に座ったアスカは、システムを立ち上げて自己診断プログラムを走らせる。

 シンジは注意深く外側から機体状態を確認しながら、主翼に取り付けられているソーラーパネルの清掃を行い、それから機体を固定していたロープを外していく。

 異常は見られなかった。

 

「アスカ、大丈夫みたいだよ!」

 

「ならプロペラを回して後進をさせる離れて注意してて!!」

 

「判った!!」

 

 機敏な動作でアルバトロスからシンジが離れたのを確認して、アスカは機体のモーターを回す。

 水上機としての、かつお節の様な機体の上部に取り付けていたモーターが電力を喰らってプロペラを回しだす。

 ゆっくりとアルバトロスが砂浜を離れる。

 

「大丈夫みたいね、シンジ! 戻ってきて!!」

 

 大声を張り上げるアスカに、シンジが了解と手を振る。

 それから後部(航法)座席の内側に結わえたロープが括り付けられていた救命用(オレンジ・カラー)の浮き輪にしがみ付いて、アルバトロスへと向かって泳ぐ(バタ足)

 操縦席から機内に降りて、航法席に出たアスカはロープを引っ張ってシンジの手助けをする。

 

 少ししてシンジが機体に這い上がる。

 肩で息をしながら仰向けに寝転がる。

 日射で温まった赤い機体は、濡れて体温を奪われたシンジにとって最高の懐炉代わりになった。

 

「良い恰好ね、シンジ」

 

「ずぶ濡れだよ!」

 

「だから言ったじゃない、最初っから裸だったら良いって」

 

「さすがに恥ずかしいよ!!」

 

「はん、夕べ、アタシが嫌がったのに隅々まで見るわ舐めるわした癖に。恥ずかしいとかよく言うわっ」

 

「それはその……」

 

「ナニ?」

 

「アスカが…」

 

「アタシが?」

 

「アスカが可愛いのがイケナイんだよ」

 

「…………………バカ、バカシンジ」

 

 

 結局、モーターを収めているナセルから後方の尾翼に伸びている空中(アンテナ)線にパンツからシャツからフライトスーツから干して、乾くまではのんびり過ごす事とあいなった。

 改めてアルバトロスから錨を下して流されないように固定する。

 そしてタオルで腰を隠したシンジは釣りを始めようかとした所で、アスカがバカシンジだけが裸なんてかわいそうだと言ってシンジが止めるよりも先に裸になる。

 堂々とした仕草。

 強い日差しの下で見るアスカの体は、シンジには輝いて見えた。

 だから、アスカの顔が笑っている事に気づかなかった。

 

「行くわよバカシンジ!」

 

 見とれて反応をする前に、アスカに掴まって海へと飛び込む羽目になる。

 ドボンっと、一塊になった水柱があがる。

 

「何てことするんだよアスカ!?」

 

「泳ぎの練習よ、アンタ泳げないんだから丁度良いじゃない!」

 

「人間は陸棲なんだよ!!」

 

「14年もL.C.Lに浸かってたんだから、多分、アンタは水陸両用になってるわよ!」

 

「無茶苦茶だっ!?」

 

 抗議の声を上げた瞬間、アスカが両手で掬った海水がシンジの顔を直撃した。

 咽るシンジ。

 笑うアスカ。

 

「やったなぁっ!!」

 

 シンジだって男の子だ。

 復讐に襲う事だってある。

 アスカは黄色い声をあげて逃げ出した。

 

 

 

「こうなってくると小さくても良いからボートが欲しいわね」

 

「そうだね」

 

 一通り遊んで疲れた2人は、今は浮き輪にしがみ付いて波に漂っていた。

 強い日差しをアルバトロスの翼で遮り、揺蕩うっている。

 

「後、ご飯と水と着替えと、それから__ 」

 

「色々と持って、又、来ようよ」

 

「そうね」

 

 指切りで約束をする2人。

 一日が始まる。

 

 

 

 

 

 




 海行きたいっすー
 南の海ー
 公式ウ=ス異本なEEEのあの南国っぽい奴がスコーン と頭に刺さってこうなりました。
 次は5人でこよーずー と(お

 ま、あの写真ポイのをネタにしたSSも用意しつつあるんですけどね。
 それは又、今度でー




 後、ひととおりの辺りはマッパァ!! なのでお察しください(ゲス笑顔
 尚、わっふるわっふると(うーそーでーすー


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南の良き日々(上)

+

 WILLEメルボルン基地に風呂と言うモノは無い。

 正確に言えば、浴槽のあるバスルームが存在していない。

 これは、今までのWILLEの台所事情の厳しさ ―― 浴槽の用意は可能であったが、その浴槽をなみなみと満たすだけの湯が用意出来なかったからだ。

 ヤマト作戦までのWILLEと人類とは、それ程に追い詰められていたのだ。

 その延長線上に、まだメルボルン基地は存在していた。

 結果、メルボルン基地の入浴と言うのはシャワーであった。

 

 軍隊式の、時間制限が行われる集団でのシャワー。

 その第6シャワー室は、基地の人員が増えた事に対応する為に最近になって増設されたシャワールームだった。

 平和になったと言う事を意識してか、色とりどりのペンキで防水塗装されたシャワールームは、快適とは言いづらくても、何ともリラックスした空間になっている。

 そして今は姦しい女性だけの時間であった。

 アレやコレやと楽し気にシャワータイムを過ごしている。

 勢いが良いとは言えない、自家製の太陽熱温水器で温められた生温いお湯であったが、その日の汚れと疲れとを流す力はあるのだから。

 シャワーヘッドの下、申し訳程度の間仕切りが設けられた半畳程度の空間が個人スペースで体中を泡だらけにしながら会話し、或いは歌いながらシャワーを浴びる。

 何とも平和な情景であった。

 

 その中で、式波アスカ・ラングレーも鼻歌交じりに体を洗っていた。

 (リリン)の体に戻って以来、アスカにとってシャワーも又、素晴らしく楽しい時間であった。

 準使徒化していた頃は、新陳代謝がほとんどない体と言う事もあって、資源節約の為として入浴を禁じられていたからだ。

 それが戻ってきたのだ。

 食べる事、寝る事、碇シンジと居る事と並ぶ、アスカの大事な楽しい一時であった。

 

 と、その泡塗れのアスカの背を白魚の様な指先がなぞった。

 

「ひぃっ!?」

 

 突然の感触に、生娘めいた悲鳴を上げるアスカ。

 慌てて振り返った先には、バスタオルを首に掛けた同居人、真希波マリ・イラストリアスが立っていた。

 頭っからつま先までフルオープンで、仁王立ちだ。

 その表情は実に実に楽しそうだ。

 

「ン~~~~ン、姫の良い声! 帰ってきたって感じるヨォ!!」

 

 辛抱たまらんと言わんばかりに拳を握って吠えている。

 他のシャワー利用者も呆れて見ている。

 当然、アスカも呆れている。

 ドン引きである。

 

「コネメガネ、アンタいきなり何するのよっ!」

 

 言外に、変態かっ! と憤るアスカ。

 だが真希波にとっては蛙の面に小便、馬耳東風。

 ダッとアスカに抱き着いた。

 抱き着こうとした。

 その動きをアスカは右手で止める。

 具体的には顔を掴んで止める(アイアンクロー)だ。

 一切合切の躊躇なく、力を込めて絞る。

 絞る。

 

「私に()()()()は無いっつぅーのーっ!」

 

「ひっ、姫!、姫!?、姫ぇっ!! 出る、出ちゃう、中身が出ちゃう!!!」

 

 おバカな寸劇に、陽性の笑いがシャワールームに響いた。

 

 

 

「あ”あ”あ”、頭蓋が割れるかと思ったニャ」

 

「その時は、真っ当になる様に洗ってやるわよ」

 

「それって洗脳、物理?」

 

「知るかっ」

 

 つっけんどんな態度で返すアスカであったが、真希波が隣のシャワーブースに居る事を拒否しては居なかった。

 そもそも、声掛けには都度都度と応じているのだ。

 何とも面白い距離感であった。

 

「ツンデレか!」

 

「アンタにやるデレは無いっちゅーの」

 

「うわー シュートな姫だ」

 

「あと1週間ばかし南極に居れば静かだったのに」

 

「わんこ君と海に行けるから、かニァ?」

 

「う”っ”?」

 

 ニヤッと笑う真希波に、思わず言葉が詰まったアスカ。

 油の切れたブリキのおもちゃの様にゆっくりとした仕草で真希波を見れば、とても良い笑顔をしていた。

 ()()()()()()だ。

 直感で理解したアスカが、何かを口にする前に、とっても楽しそうに真希波は口を歪め、そして開いた。

 湯気で眼鏡が曇っているのが、更にヤヴァい雰囲気を高めている。

 

「聞 い た よ 姫ェ~ わんこ君と海でバカンスだったんだって?」

 

「ば、バカンスじゃないっつーの。飛行中に良いビーチ見つけたから、少し寄道したみただけの話よ」

 

 事実としてはその通り。

 だが出来事の全てを口にした訳では無い。

 と言うか、全てを口にするなど出来る筈も無い。

 思い出しての、にやけそうになる口元や赤くなりそうな顔を誤魔化す為に話はそこまでと言わんばかりにシャワーを頭から浴びはじめるアスカ。

 

「へー」

 

 が、真希波はそれを許さない。

 口元に深い深い笑みを浮かべ、目は曇った眼鏡で隠しつつ、そっとアスカの背に近づく。

 

「姫、良く焼けたね。白い肌も良いけど、健康的に焼けた小麦色の姫って可愛いよ」

 

「そっ」

 

「でもさ、何で()()()()()()()()かな?」

 

「」

 

「The Game is Over♪ ねぇ姫ェ、詳しく聞きたいな☆」

 

 ツンっとアスカの小麦色に焼けた背中に指を当て、真希波はアスカの耳元にそっと囁いた。

 

 

 

 

 

 メルボルン基地救難部門から軽輸送業務を依頼された日から、シンジの日々は少しだけ変化していた。

 アスカが、真希波が解放されるまでと言う前提で、飛行艇アルバトロス号での配達業務(アルバイト)を受け入れたからだ。

 輸送配達部門での便利屋として、中大型の定期便の隙間を支える様に奔走する事になったのだ。

 シンジは、機付きの整備士兼ナビゲーターの様な仕事をしていた。

 そして暇な、アスカが居ない時には、メルボルン基地の整備班に交じって勉強をしていた。

 機械の事、道具の事、色々と勉強をしていた。

 整備班の中でシンジが手伝える事など、荷物運びなどの雑務であったが、それをシンジが厭わずに笑顔でやっているた為、気が付けば受け入れられていた。

 

 夕暮れ。

 男の入浴時間まで時間があったので、シンジは1人で工具の手入れをしていた。

 他の整備の人間は、三々五々と飯を食いに行くなりなんなりしていた。

 虫の鳴き声は無いが、手元のラジオが|メルボルン基地放送《メルボルン・ボランティア・ブロードキャスティング》が陽気なPOPミュージックを奏でている。

 ウェス(端切れ)で丁寧に汚れをふき取っていく。

 セカンドインパクト前に作られた、今はまだ再生産の難しい貴重な工具類なのだ。

 シンジが()()()()のも当然であった。

 折り畳み椅子に座ってのんびりと手入れをするこの時間を、シンジはそれなりに気に入っていた。

 

 と、全館放送が流れた。

 シャワーが女性から男性に変わった事を伝えて来る。

 では片づけでもしようかと立ち上がろうとしたシンジの首にほっそりとした手が回った。

 しっとりとした指先に目が塞がれる。

 

「だーれだ」

 

 戯けた言葉と共に、背中に乗ったふにゅっとした感触。

 アスカ、ではない。

 アスカはこんな事はしない。

 短い時間で馴らしてくる相手、何時もの悪戯だと言うのが判る。

 

「お帰りマリさん。でもそう言うのはもう止めて欲しいかな」

 

 ゆっくりと目を塞いだ手を掴み、そっと外す。

 笑いながら見上げれば、予想通り。

 色気のない(OD)色のWILLEマークの入ったスウェットを着た真希波だ。

 

「おっと、余裕だね?」

 

「余裕って言うか、もう慣れましたよ」

 

「………()()()()んだけど?」

 

 ナニをとまでは言わない。

 だが組んだ腕に乗せている(バインバイン)辺り、真希波の言外のアピールは判る。

 残念。

 シンジは()()()()()()()()を得たのだ。

 であれば、その程度では揺るがない。

 穏やかに笑いながら、そっと椅子から立って距離を取る。

 

「余裕だね?」

 

 シンジの態度にナニを見たのか、真希波は少し不満げに口先を曲げる。

 いつまでも揶揄える子犬だと思ってた相手が、余裕を見せたのだから、さもありなんであろう。

 とは言え今の真希波には、更に踏み込む切り札がある。

 

「それとも()()()()()()からかな」

 

 そう言いながら組んだ腕を解いた真希波は、両手を顔の横でにぎにぎとさせた。

 卑猥なハンドサインを作っている。

 シンジの、余裕が凍った。

 真希波の顔のニヤニヤが溢れて零れそうになっている。

 ナニを言ってくるのか、シンジが警戒する先で、真希波はパンパカパーン! とばかりに胸を張った。

 

「と言う訳でわんこ君! 姫と一緒に海に行こう!! バカンスだよ!!! アチシはよく働いたと思う。思った、思うべき!!!! 幸せは歩いてこない。だから見つけに行こうと思う(サーチ・アンド・デストロイ)!!!!」

 

 

 

 

 

 シャワールームで襲われたアスカは、武力行使後、その足でメルボルン基地の管理棟に来ていた。

 シャワーを浴びた後なのにスウェットの様な気楽な格好ではなく、ましてや階級章を付けたパーカーでも無く、OD色で開襟の半袖シャツとパンツスタイルと言う略装(第2種基地装)に身を包んでいる。

 向かった先はアスカのコネとでも言うべき相手、あおば艦長の青葉シゲルのオフィスだった。

 

「ようこそ!」

 

 珈琲を片手に、ヤケクソめいた明るさでアスカを迎え入れる青葉。

 南極調査から帰ったばかりではあったが、それなりの報告書を上げる為、何よりも艦長がフネに残っていては気が抜けぬだろうとの配慮で、あおばを下船していたのだ。

 アスカが来たのは、1つの確認とお願いの為であった。

 

 オフィス内のソファに案内される。

 珈琲が青葉の手で用意された。

 従兵の類はもう帰らせた、との事だった。

 

「茶請けが無いのは勘弁してくれよ?」

 

「おしかけた側が要求しなわよ、珈琲だって申し訳ないって思う位なのに」

 

 気楽い会話。

 貴重品なのだ、珈琲も。

 コア化が解けた事で珈琲豆の産地も自然が回復してはいるが、そこから再び珈琲が生み出されるまでは長い長い時間が掛かる。

 そう思われていた。

 絶滅の危機を脱した人類であったが、嗜好品にまで手が回るのは相当に先 ―― 少なくとも戦前(ニア・サードインパクト)レベルに戻るには10年は掛かるというのが見立てであった。

 それも最短で。

 

「お代わり用に作ってた奴だ。気にせずに飲んでくれ。ミルクは流石に無いが砂糖は幾らでもあるぞ」

 

「では遠慮なく」

 

 しばしの喫茶タイム。

 くだらない話を幾つかして、アスカは本題を切り出した。

 

「コネメガネの事なんだけど」

 

「真希波?」

 

「そ、少し長めの休みを与えて貰っていい」

 

「別に構わないけど、何で急に?」

 

 真希波は別にあおばの乗員でも無ければメルボルン基地のスタッフと言う訳でも無い。

 一応、WILLEの一員ではあるけども、その主任務であったエヴァンゲリオンの操縦ができなくなった ―― この世からエヴァンゲリオンと言うモノの一切合切が消え失せている為、仕事が無くなっているのだ。

 事情聴取すら本質は情報共有()()であって、アスカ同様に待機配置となっているのだ。

 要するには休暇配置であった。

 それは、エヴァンゲリオン操縦者として、人類の盾にして矛として最前線に立ち続けた2人への報酬とも言えた。

 

 とは言え軍隊組織の飯を食って永い2人だ。

 依頼と言う形とは言え、上から要求されては簡単に拒否出来る様な性分は無かった。

 だから、アスカは先に話を付けに来たのだ。

 

「いや、アレが壊れそうだから」

 

 溜息。

 壊れそうというか、壊れていると言うか。

 

「ヤバイのか?」

 

「シャワー室、公衆面前で襲い掛かってくる位だもの。アレでも相当にストレス貯め込んでいるわね」

 

 常日頃からスキンシップ過大な真希波だが、常に空気を読み場を選んではいたのだ。

 それが今日は壊れていた。

 少なくともアスカにはそう見えた。

 だから、長期間のバカンス。

 そういう事を手配する位にはアスカも真希波を身内(相棒)と見ていた。

 

「そうか、判った。上には俺から言っておくよ」

 

「有難う、迷惑を掛けるわね」

 

「ま、良いって事さ」

 

 

 

 

 

 かくして、南の島でのバカンスを予定する事となった3人であるが、翌日に即、旅立つと言う事にはならなかった。

 水食糧嗜好品に着替えその他、パラソルに寝具にetc。

 バカンスの準備は簡単では無いからだ。

 特にこんな、モノを現地で買うと言う様な選択肢が無い時代だと。

 幸い、アルバトロス号と言う便利で大容量な自家用の足があるシンジたちであったが、無ければ、長期のバカンスなど諦めねばならぬ様であった。

 

 3日程かけて準備をし、そして旅立つ。

 

「ニャハハハ! 飛行艇ってイイもんだニャー」

 

「アブナイからあんまり顔を出し過ぎなさんなよ?」

 

 アスカ(操縦席)の後ろ、航法席に座った真希波が、機体が空を飛びだすと共に体を席から乗り出させて風を一杯に浴びている。

 ハイになっていた。

 

「姫も良いモノ作ったネェ」

 

「聞いちゃいない。シンジ、悪いけど下から支えてやっててね」

 

 機内に居たシンジにお願いする。

 荷物の隙間に、寝具でソファを作って寝そべっていたシンジは、慌てて真希波の足を掴んだ。

 おおっと柔らかい。

 ハーフパンツから伸びる生足は実に魅力的であった。

 持ち主が昭和メンタルと言う事を無視できる範囲であれば。

 無論、今は無視できる状況では無い。

 

「ワオ! わんこ君、大胆!」

 

「チョッと、マリさん!?」

 

「何やってるのよバカシンジッ!!」

 

 

 

 風きり音に賑やかさを交えてアルバトロス号は優雅に離水し、南へと飛ぶ。

 

 

 

 

 

 




2021/10/25 文章修正


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New!! 南の良き日々(中)

+

 飛行艇アルバトロス号で征く南の島。

 数日は現地で生活するのに必要な物資 ―― 食料や調理用具、寝具などなどの荷物満載飛んでいる為、その速度は遅い。

 だが、元より急ぐ必要のない旅路だ。

 操縦桿を握っている式波アスカ・ラングレーは、海を見やすい低空に機体を下して遊覧飛行の様に飛ぶ。

 海の青々しさが、赤い機体を染めていく様にも思う。

 

『綺麗だね___ 』

 

 いつの間にか、吸い込まれる様に海を見ていた真希波マリ・イラストリアスがポツリと呟いた。

 本当に小さな声だった。

 だが改装時に増設されたアルバトロス号の機内用通話システム(Intercom)、そのヘッドセットに含まれていた喉頭マイクが拾って前席のアスカに伝えた。

 真希波の居る後ろ(航法席)を振り返ったアスカ。

 見れば、憑き物が落ちた(躁の気が消えた)様な素直な表情をしているのが見えた。

 穏やかな感嘆の表情と言っても良い。

 力みのない、素の顔になったとアスカには見えた。

 だかだろうが、アスカも又、自覚せぬままに口元を緩めていた。

 

「アタシとアンタ、それにシンジで取り戻した海よ」

 

 全てが変わりだした日(ニアサードインパクト)から数えて14年。

 走り続けた日々、その成果なのだ。

 

『姫とわんこ君が頑張った成果だよ。私は何も出来なかった………』

 

 アスカの傍に居て離れず、共に戦い続けた。

 碇シンジを送り届け、そして迎えに行った。

 だが、自分がした事はそれだけだったと真希波は自嘲する様に言った。

 守りたいと思っていたアスカが、使徒の力(エンジェルブラッド)を使うのを止められなかったし、エヴァンゲリオン13号機に喰われる事も阻止出来なかった。

 シンジの母たる綾波()ユイへの誓いから、助けると決意していたにも拘わらず、出来た事は全てが終わった後に迎えに行っただけ。

 NERVの首魁にしてシンジの父、碇ゲンドウとの決着時には何も出来なかった。

 更にその後、シンジは世界復元(ネオンジェネシス)に、命を掛けようとしたのだと言う。

 アスカとシンジが助かったのは偶然に因る部分が大である。

 助けるための策を用意し、或いは努力していたにも拘わらず、それらに失敗したのだと真希波は認識していたのだ。

 己への自負を持つが故に、こういう平穏な時間が訪れると、己は失敗していたのだと考えてしまうのだった。

 終わり良ければ総て良し。

 そう思える様に真希波は単純な人間では無かったのだから。

 

 だが、それをアスカは否定する。

 

「ハンッ!」

 

 真希波の認識への不満を鼻息に変えて吹き飛ばし、馬鹿よと言う言葉をのみ込んで、それから優しい声で言葉を紡いだ。

 

「いい、真希波マリ・イラストリアス。正直、アタシはアンタが居てくれたから戦い続けてられたんだと思う。アンタと言う人間が常にアタシの傍に居て認めてくれていたから、あの、居場所のないフネ(AAAヴンダー)にあっても自分を失わずに済んだんだと思ってる」

 

 式波Type。

 量産されたエヴァンゲリオンの管制用生体Unitとしてのアスカ。

 ()()()()()()()()から世界を滅ぼしかけた、憎むべきエヴァンゲリオン操縦者だ。

 憎まれもしたし、恨まれもした。

 当時のWILLEの指揮官であった葛城ミサトは、その感情を意図的に制御しなかった。

 理性ではアスカも理解している。

 雑多な敗残兵や志願兵の集まりでしかなかったWILLEを団結させる為には、遠い目標(NERV打倒)以外にも手近な標的(憎悪対象)が必要だと言う事は。

 だがそれは、アスカに絶大な負荷を与えた。

 好きだと思っていた相手(シンジ)は奪われ、同居して疑似的であっても家族だと思っていた相手(葛城)からは拒絶され、そして人々からは憎悪を投げかけられる日々だったのだ。

 それでも、アスカと言う人間の大事な部分が摩耗し果て無かったのは、衒いの無い善意を与えてくれた真希波が居ればこそだった。

 そう、アスカは認識して居たのだ。

 

 ぶっきらぼうな言葉だが、それは紛れも無い感謝の表明であった。

 

『ひっ、姫ぇ………』

 

 至誠伝わればこそ、真希波は言葉を失った。

 じっとアスカを見た。

 振り返っていたアスカも真希波を見た。

 笑ってる。

 やさしく笑ってる。

 14年の日々には無かった、柔らかなアスカの魅力的な笑顔だ。

 

「アタシだけじゃない。バカシンジだって、世界の為に死んで良いって思ってた、()()ヴゥッカシンジッだってそう。アンタが手を尽くして助けに行ってくれたから、帰ってこれた」

 

 バカと言う表現の、更に上を行くヴァッカと力を込めて言われた当のシンジは、礼儀正しく沈黙を守った。

 口を手で覆って俯いている。

 

「(つつつぅー!!)」

 

 それは別段に乙女の語らいの時間だから、ではない。

 違う。

 そう言う情緒的な理由では無いのだ。

 そもそも、シンジはアスカの傍に居たいとばかりに操縦席すぐ下の狭い空間に寝具などで即席のソファを作り、座って居たのだ。

 隙間からアスカの顔が見える様な、そんな場所だ。

 それが災いした。

 ヴァッカシンジッとアスカが爆発した際に、蹴られて悶絶していたのだ。

 とは言えアスカも狙っての事では無い。

 憤懣からの思わず地団駄を踏む様に動いた足が反射的にフットペダルから離れ、偶々と言う感じで直撃したのだ。

 偶然の一発(ラッキーストライク)

 狭い空間に居ると言う事から被っていたヘルメットがあったとは言え、ゴッツいブーツが当たったのだ。

 かなりの痛みだった。

 だがシンジは悲鳴もうめき声も我慢した。

 アスカの声色から空気を読んだのだった。

 

 だがアスカはシンジの異変に気付いた。

 シンジがアスカを見る様に、アスカも又、シンジを見ているのだから。

 真希波にゴメンとの一言を言って、股下に集中する。

 浮いたような操縦席、その真下に居るシンジに声を掛けた。

 

「シンジ? どうしたの??」

 

「なっ、何でも無いよ」

 

 手を振って否定する。

 真面目な話の途中で横から腰を折るのは悪い、そう思って耐えるシンジは性根の優しい子どもであった。

 

「気分でも悪くなったの?」

 

「いや、大丈夫。何でもないよ」

 

「そっ? なら良いけど、でも無理するんじゃないわよ?」

 

「ありがとう、アスカ」

 

 

 話の腰が折れてしまったので、丁度良いと全周警戒。

 ぐるりと周りを見渡す。

 蒼い空。

 碧い海。

 そして大地、白い砂浜。

 美しい、平和な世界。

 それから何となくの満足を得たアスカは、

 

「まっ、良いわ。だからコネメガネ?」

 

『聞いてるよ、姫』

 

「あんまり考えすぎ(シリアス)するんじゃないわよ? アンタって色々と考えてるし先を読もうとかしているのは判ってる。だけど、多分、今はそれが空回ってるのよ」

 

『え?』

 

「だから1つだけ、簡単な話を覚えておけば良いのよ。誰が何と言おうと、アンタがアンタ自身をどう評価しようとも、アタシはアンタを評価しているって事。感謝しているんだからね!」

 

『ひ、姫ぇぇぇ』

 

 涙声めいた声を上げる真希波。

 いや、泣いていた。

 綺麗な涙を流れだしていた。

 イヤフォンからその雰囲気を察したシンジは、おずおずと喉元のマイクスイッチを押して声を上げる。

 

『マリさん。アスカの言う通りだよ。僕も感謝している。あのマイナス宇宙に迎えに来てくれた事も、その前に僕を初号機にまで届けてくれた事だって感謝してるんだ。だから、何も出来なかったなんて言わないで(泣かないで)よ、ね?』

 

『わ、わんこ君までぇ』

 

 シンジとアスカの至誠を受けて、真希波の涙腺が決壊した。

 全てが終わった事で張りつめていたモノがキレた真希波は、()()()()()()()()、深刻な心の失調を抱えていた。

 なまじ、何年も何年も独りで、他人に張りつめている事を判らせぬ様に動いてきたからこそ、全てが終わった反動が来ていたのだ。

 燃え尽き症候群(バーンアウト)

 全てが終わった日、マイナス宇宙を出て南極にシンジと2人で出現してからカラ元気で走っていたのだ。

 躁、と言えた。

 

 

 歳ゆえに声を上げる事は無いがそれでも静かに涙を流した。

 風にまいて輝いて散っていく涙は、まるで光のしずくの様であった。

 

 貰い泣きしそうになったアスカは、そっと前に視線を戻し、それを見て見ぬフリをする。

 と、足元を見た。

 シンジが見上げていた。

 親指を立てるジェスチャ―が贈られ、贈る。

 

 

 

『姫、わんこ君。私、地上に降りたら2人にキスしたい。ハグしたい、すっごく抱きしめたい』

 

 そう言った時の真希波は、凄く綺麗な笑顔をしていた。

 

 

 

 

 

 第3村病院。

 帰還者によって人口が増え続けている第3村にとって、衣食住に足して重要な、住人の医を助ける場所だ。

 NERVとの戦争が終わり、手すきになったWILLEの医官も協力してくれている。

 とは言え、かつての様な先進医療などが受けられる訳では無い。

 発掘した医療設備を整備し移植したりしているが、その補修部品は潤沢ではないし、そもそも薬が常に品不足だ。

 点滴も貴重品だった。

 ()()()()()、第3村病院を預かる鈴原トウジは病気になる前の健康維持を重視していた。

 生活習慣病その他の予防活動だ。

 虫歯だって予防しなければならない。

 体を先にケアする事で、病気をさせない事が大事なのだから。

 

 黄ばんだ壁紙や、座ればキィキィと音を立てる椅子。

 それらだけではなく、揃えられている医療用の道具も新品の様な等とは口が裂けても言えない第3村病院の診察室であったが、それ故に、換気の徹底や清潔だけは保とうと言う努力が見られていた。

 開けっ放しの窓から、村の生活雑音が聞こえている。

 猥雑とも言えるが、それはやはり活気と呼ぶべきだろう。

 コア化された世界に囲まれ、明日も判らぬ日々から解放された事が第3村の住人に元気を与えていた。

 

「と、言う訳でや」

 

 愛嬌のある顔をわざとらしく歪めた鈴原は、自分の向かいに座った患者 ―― 患者予備軍である細く生白い体をした渚カヲルを見る。

 気怠げに椅子に座ってはいるが、渚も顔には真剣の色が浮かんでいる。

 

「うん、どうなんだい?」

 

「働いて、良く食って、良く寝ろっちゅうこっちゃ」

 

 無理しない範疇で、と続けた。

 

「うん?」

 

 どういう事? とキョトンとする渚。

 付き添いで来ていた綾波レイも、キョトンっと小首を傾げた。

 揃って同じ角度に首が傾いている事に、看護師(助手)としてこの場に居た鈴原サクラは少し、吹き出しそうになった。

 可愛いナァ、と。

 

 兎も角。

 今日ここに渚が来た理由は、体の不調故にだった。

 体に上手く力が入らない、歩いているとふらつく事となった為、第3村のおばちゃん衆(渚のおばちゃんファンs’)が第3村病院に行けと強く勧めたからだった。

 別段に痛みは無い。

 熱もある訳では無い。

 取り合えず点滴を、と言う訳にはいかない第3村病院なので、鈴原は生活習慣の問診から始めた。

 併せて、鈴原サクラにバイタルを測らせた。

 その結果が、働け、食え、寝ろと言うものであった。

 

「今、問診した事から見るに、生活習慣の乱れからの、寝不足やな」

 

「寝不足?」

 

「寝不足。後は体力不足かのぅ」

 

 そもそも、元が使徒の渚だ。

 好きな時に寝て起きて、動いていた。

 だから体に、人並みの生活リズムを覚えていないのだ。

 にも拘わらず、第3村に来てからは同居人の綾波に合わせたリズムで生活をして、そして農作業その他の第3村での仕事をしていたのだ。

 それは無理が来ると言うものであった。

 使徒はともかく(リリン)の体は、そうそうに便利には出来ていないのだ。

 

 渚が使徒であるとか、そこら辺の事情までは知らぬ鈴原であったが、体が今の生活に馴染んでいないと言う事は判った。

 

「昔の生活との差。そうやな、渚の様に()()()()()()()には多いんや。そういう症状が出るのは」

 

「そうなんだ」

 

「そうや。幸い、近隣の場所から食料の回収なんかも出来る様になっとる。だから体が馴染むまでは無理する必要はあらへん。だからな、渚も無理せん範囲で働いて、飯食っておれば何とかなるやろってハナシや」

 

 実際、渚の様な症状の人間は割と居るのだ。

 サードインパクト前の世界から今へと帰ってきた人は、生活習慣が一変する。

 科学によって乳母傘であった日々から、自然と向き合い、科学の残滓はあっても己の身で戦わねばならぬ今では、体への負担が段違いになるからだ。

 とは言え、救いがない訳では無い。

 鈴原の言う様に、コア化が解けた近隣から米や小麦、その他の食料が発見されたお陰で第3村の食糧事情は急速に改善しており、体の馴染んでいない人間が慌てて、無理をしてまで働かなくても良かったのだ。

 そこは救いであった。

 コア化が解けた事によって、封印された様なものであった人類の科学が、人類の手に戻ってきた ―― そう呼ぶべき状況でもあった。

 

「そう、良かったわね」

 

 言葉だけを見れば、素っ気ない感じもする綾波の感想。

 だが優しく柔らかな微笑みが、心を現していた。

 

 

 さて、生活習慣改善その他の指導(アドヴァイス)で医者としての話が終わった。

 そこからの雑談。

 第3村病院の医師として鈴原は、人類の互助会となったKREDITや、非常対応を主とした軍や警察を兼ねた様な組織へと変貌しつつあるWILLEともやり取りがある。

 だからこそ、得られた情報を綾波と渚に伝える。

 碇シンジの生存情報だ。

 

「碇君が、居たの」

 

「そうや。センセ、生きとったで」

 

「良かった」

 

 涙をポロポロとこぼした綾波。

 渚も、嬉しさをこらえきれぬとばかりに口元を抑え、笑っている。

 若い二人を見守る鈴原も、うっすらと涙を浮かべている。

 

「センセ、凄い男やで。世界を守って、きちーんと帰ってきたんや」

 

「アスカ、おまじない、ちゃんと、約束を守れたのね」

 

 涙を零しながら綺麗に笑う綾波に、渚がきれいなハンカチを差し出した。

 食べる事も寝る事も上手く出来ていない渚だが、紳士的な仕草だけは一流であった。

 そっと綾波の肩を抱いて、支えるまで自然にやってみせるのだ。

 第3村おばちゃん達が黄色い声を挙げるのも当然と言うものだった。

 色恋沙汰には疎いと言うか、シンジ至上主義にも似たモノを持つ(他のオトコに実に厳しい評価を下す)鈴原サクラですら()()()()()()と認める程の良い(王子様)仕草であった。

 

「そや。真希波ゆーヤツと一緒に南極で難儀しとったのを式波のヤツが見つけて拾ったと言う話や」

 

「それでシンジ君たちは何時帰ってくるんだい?」

 

 第3村のオウジサマみたいに見られている渚だが、その性根は鈴原サクラとは別ベクトルでのシンジ至上主義者だった。

 そこにブレは無い。

 同居する綾波は大事だし、第3村で縁を繋いだ人たちも大事だ。

 だが、一番大事と言う部分の軸は動いていなかった。

 

 尚、鈴原サクラが動揺の1つも見せぬ、澄ましていられる理由は、先に聞いていたからだ。

 聞いた上で、昔のコネを使ってWILLEなりKREDITなりの定期便でメルボルン基地へと迎えに行きたい、行く、行くべきだと大暴れした後だったと言うのが大きい。

 流石に鈴原に止められ、帰ってくるのを迎え入れる準備をするべきだとの弁に同意したからであった。

 その説得を受けた後の働きは美事であった。

 看護師としての仕事も滞りなく行った。

 その上で碇シンジの新居として、家族向けで広めの2K級の住居を確保しようとしたのはどうだろう? そう思う兄、鈴原トウジであった。

 アスカや真希波とも同居させる積りかしらん。

 兎も角。

 楽しそうに共有庫から家財などを運び込む鈴原サクラの背中に何も聞けずにいた。

 

 

「何でもWILLEの依頼と言うか用事? 流石に部外者のワシに詳細は教えてくれんかったが、それでもそう遠くない頃にはコッチに戻ってくると言う話や」

 

「楽しみだね」

 

「ああ、全くや!!」

 

 

 

 

 

 着水しているアルバトロス号。

 その機内から生活物資を黙々と降ろし、数日とは言え生活空間を作り出そうと努力しているシンジ。

 椅子を兼ねたベットを組み立て、それからテーブルを用意する。

 それから組当て式の竈。

 アルバトロス号からケーブルを引っ張ってきて、コンパクトな冷蔵庫も通電させる。

 わずかばかりとは言え持ち込んだ肉などの生鮮食料品や、飲み物を冷やすのだ。

 薪を用意したりもする。

 残されていたガレージを流用するお陰で、テントを張らなくても良いが、それでも一苦労だ。

 シンジは文句一つ零す事なく、否、嬉々として行っていた。

 では、アスカたちは遊んでいるのかと言えば、そうでは無い。

 大事な水の確保に動いていた。

 このガレージに付属している水道栓、その大本を調べて通水出来るようにしようとしていた。

 メルボルン基地で調べたら、タスマニア島と言う場所の水道は雨水を利用しているとの事だった。

 それをろ過して飲用にも用いているのだ。

 であれば、このガレージからそう遠くない場所に、雨水を集める場所やろ過設備がある筈だと言うのがアスカの見立てだった。

 浄水場で処理した水を水道管で引っ張って来ていた場合は流石に手に負えないが、こんな辺鄙な場所なのだ。

 家庭単位で扱う様な機材であろうと推測し、探し出し、その復旧を試みる予定であった。

 勿論シンジ達も、海水から真水を作り出す簡易的なろ過ユニットを持って来ては居たが、携帯可能な(飛行艇に詰める)サイズの簡易的なモノである為、造水能力が弱いのだ。

 正規の、大量に水を作り出せる設備が復旧できるのであれば復旧させたいというのも当然の話であった。

 

 

 ガレージ内の作業が終わると、次はガレージの入り口にシェード代わりの防水シートを張る。

 壁にアンカーを打ち、柱を立てて紐で張って引っ張る。

 手早く、そして無駄なく行っている。

 第3村での生活経験がシンジにアウトドアへの適応力を与えていた。

 風よけと、急な雨の際に中へと吹き込ませない為にと用意したものだった。

 年季が入り少しばかり薄汚れてはいるが、白い蝋引き帆布は外壁が木で出来ているガレージに良く似合っていた。

 

「うん」

 

 仕上がりに、シンジは満足げに頷く。

 これならアスカも喜ぶだろう。

 喜ぶ顔を想像して、少しにやけた。

 後、少しばかりの安心も。

 星空を眺めながらアスカと一緒に眠ったのはロマンチックであったけども、何と言うか、まだ以前の感覚(Before Holocaust)を引きずる14歳の少年には少しばかり開放的過ぎると言うのもあった。

 近隣10㎞圏内に人っ子一人いない場所であるが、なんと言うか、開放的過ぎると感じる訳で。

 

 一仕事終えたシンジは次の作業に取り掛かった。

 組み立て式のコンロを用意しての火起こしだ。

 古新聞に枯れ枝を重ねてライターで着火。

 乾ききっていたソレらは簡単に燃え上がり、そして薪に火が移る。

 クッカーも兼ねたキャンピングケトルを乗せる。

 コーヒーの支度だ。

 潮騒に、パチパチという爆ぜる音が混じって心地よい風情を生み出す。

 インスタントの粒剤を3杯分用意する。

 と、賞味期限が見えた。

 シンジは笑って、指先で弾く。

 2016.12 ―― もう帰れない、遠い昔の日付だ。

 

 少しだけ感傷的な気分に陥ったシンジ。

 だが、それをぶち壊わされる。

 

「わんこ君助けて! 救命啊(ヂォウ ミィン)!!」

 

 駆け込んできた真希波だ。

 上半身真っ裸で、濡れたままに走ってくる。

 

「はぁっ!?」

 

 水を滴らせてブルンブルンと大暴れの暴れん坊将軍×2に目が逝ってしまったのは、若さ故だろう。

 で、反応が遅れた。

 暴走する牛の如き動きで、シンジの後ろに回る真希波。

 そのまま、ギュッとばかりにシンジにしがみ付く ―― 盾にする。

 何に対して、誰に対して、そこにシンジが疑問を抱く前に、怒れる鬼(アスカ)が駆け込んでくる。

 此方も濡れての艶姿になっている。

 顔が真っ赤になっている。

 羞恥か怒りか。

 口元をゴシゴシとこすりながら大噴火する。

 

「落ち着こうよ姫ェ!」

 

「煩い! コネメガネ!! アンタ、何てことするのよ!!!」

 

 大激怒の上の大激怒である。

 シンジは、AAAヴンダーでの一幕 ―― 厚い防爆ガラスをパンチ一発で割って見せた時なみの迫力をアスカから感じて硬直してしまう。

 自分に向けられたものではないのにこの威力である。

 だが真希波はシンジを盾にして飄々と笑う。

 と言うかシンジ、盾と言うよりも人質状態である。

 アスカはシンジを傷つける訳にはいかないと、切歯扼腕と言う塩梅で歯ぎしりをしている。

 

「ハグしてキスするって宣言してたし、姫だって良いよって言ったじゃない!!」

 

「ザッケンナコラー! 舌入れて来るキスまで許した積りはなーーーーーいっ!!」

 

「しっ、舌」

 

 思わず反応する(生唾を飲む)シンジ。

 自分のすぐ横にある真希波の顔を見る。

 目線があった。

 ニャッと笑う真希波の表情は実に猫染みている。

 ペロリっと唇を舐めた。

 その艶めかしいピンク色の舌先が実にエロい。

 

「大人のキッス(ベーゼ)だぜ、わんこ君♡」

 

 甘い吐息が耳にかかり、思わず顔が真っ赤になってしまうシンジ。

 14歳の健全な()少年には刺激が強すぎるた。

 

「ナニ顔を赤くしてんのよバカシンジ!!!!!!!!」

 

 故に、アスカが激発するのもやむを得ない話であった。

 飛び掛かったアスカが椅子に足を引っ掛けて、シンジに頭突きをしてしまうのだけは予想外の話であったが。

 

「キュゥ~」

 

 シンジが失神してしまうのも含めて。

 

「姫、大胆?」

 

「冗談言ってる場合か! タオルを水で濡らして来て!!」

 

「合点承知!」

 

 アスカの指示に従って慌てて駆け出した真希波。

 締まらないドタバタ劇。

 だが、それが良いのかもと思いながら。

 

 

 

 

 

 



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終わりにして始まりの物語
Transfer station


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 大人となった碇・シンジに後ろから抱き着いた、同じく大人となった真希波・マリ・イラストリアス。

 

「だーれだ」

 

「胸の大きいいい女」

 

 人前で、光差す駅のプラットホームで繰り広げるには聊か以上に気恥ずかし気なやりとりをしている2人。

 そう大きな声を出している訳では無い。

 だが、()()()()()()()()()()()()()()と、向かいのプラットホームで椅子に座っていた式波・アスカ・ラングレーは白けた気分で見ていた。

 好きだったと言った癖に ―― そんな怒り(感情)すらももはや湧かない。

 

「そーゆーのが趣味か」

 

 誰に言う事も無く呟くと、視線を断ち切る様にように手元の携帯ゲーム機を見る。

 電池切れのマークが画面の端で点灯していた。

 舌打ち。

 

終わり(ゲーム・オーバー)ね。丁度良いわ」

 

 視線を走らせればシンジと真希波はプラットホームの階段を駆け上がって行っていた。

 手を繋いでいる。

 やるせなやさ虚しさ、色々な感情がない交ぜになったまま見送る。

 

 そして階段の周りから世界の色が失われていく。

 失われていく色。

 生まれる暗闇。

 (モノの形)すらもぼやけていく。

 或いは、解けていく。

 アスカは形すら定かでなくなったゲーム機を投げ捨てた。

 地面に落ちる前に解けて消えた。

 投げた手は、いつの間にか赤いプラグスーツに包まれていた。

 目にも鮮やかな赤。

 まだハッキリとしているのはアスカ自身の体程度だった。

 とは言え、少しずつぼやけだしてはいる。

 

「これにてお仕舞い。で、アンタたちまで何で居るの?」

 

 いつの間にか傍に居た綾波・レイ(エコヒイキ)を見る。

 そして綾波の隣に立つ男 ―― 面識は無かったが資料では見た事のあった要注意エヴァンゲリオンパイロット(αにしてΩ)渚・カヲルを、胡乱なモノでも見る様に目線を送ったアスカ。

 

 なぜここに居る。

 なぜ守るように立つ。

 

 アスカの知る限りに於いて綾波はNERV本部から離れた事は無く、そして渚は所在不明であった筈なのだから。

 とは言え、もはやその様な事はアスカにとってどうでも良かった。

 ココが何処なのかすら、興味の範疇外であった。

 声を掛けたのは、消えゆくまでの時間つぶし ―― その程度の話でしか無かった。

 だからこそ、返事があった事に驚く。

 

「お別れだから」

 

 綾波の声には、寂しさと嬉しさとが等量に含まれていた。

 その手をそっと握りながら、渚は優しく囁く。

 

「終わりは新しい始まりと共にある。連環って言っても良い。とは言え、そこには分れも含まれているからね」

 

 優しい目。

 綾波を見て、そして自分もその目で見られる事に、何となくの居心地の悪さを感じた。

 

「仲の宜しい事で」

 

 だからこそ、悪態じみた言葉を漏らした。

 始まりと終わりは同じところにあるのかもしれない。

 だけど、もう、()()()()()()のだから。

 

「そんなに昏い顔をしているから、()()()()()()()()()()()

 

 知った様な渚の言葉がアスカの心をささくれ立たせた。

 

 座ったままに渚を睨むアスカ。

 殺意すら漂う目にはこびり付いた隈が刻まれていた。

 否、それどころか左目は消え、昏い窩となっていた。

 蒼い光が窩の奥から液体の如く溢れている。

 狂貌。

 アスカの青い目、視線が渚を射らんばかりの鋭さとなった。

 

 先に別れの言葉を贈った事は覚えている。

 ()()()()()、シンジに対して文句を言う積りは無かった。

 とは言え他人に、心に土足で上がられる様な真似をされて受け入れてやれる程にアスカの心は広く無かった。

 その感情の儘に口を開こうとした時、首を絞ろうかと手を動かした時、綾波がポカンと渚の頭を叩いた。

 その余りの快音に、アスカも毒気が抜かれた。

 

「貴方は言葉が足りない」

 

「酷いじゃないか、痛いよレイ(リリス)

 

「私は謝らない。貴方が悪いもの。人は暴力だけではなく言葉でも傷つくから」

 

 綾波の言葉を受けて漸く渚は、アスカの変貌(雰囲気)に気づいた。

 端正な顔を歪め、失敗したと顔で言う様となる。

 人間くさい仕草で頭を掻いて謝罪を口にする。

 

「ごめん。そういう積りじゃ無かったんだ。只、それじゃ()()()()って事を伝えたかったんだ」

 

「大事な事はキチンと言葉にしないと駄目。碇君が誤ったのもそれが原因」

 

「あれは僕も反省しているよ。シンジ君を助けたかったのに、結果として深く傷つけてしまったなんて、悔恨しかないよ」

 

 何を言っているのか良く分からないが、取り合えず仲が良い事だけは判った。

 ご馳走様 ―― 何もかも馬鹿馬鹿しくなって目を瞑ったアスカ。

 と、アスカの瞼をそっと綾波の指先がなぞる。

 その優しくも涼し気な指先に、閉じられたアスカの涙腺が緩む。

 涙。

 温かくも清らかなその()を、綾波は優しく拭う。

 

「目を閉じては見えないの。他人を見る事も出来ないし、他人から見てもらう事も出来ない」

 

「居なくなったわよ! 見つけて欲しいアイツなんてもう何処にも居ないのにっ!!」

 

「大丈夫。只、少しだけ見えづらいだけ」

 

「僕も手伝おう。これはお詫びだよ、君と、シンジ君への」

 

 渚が手を振るった瞬間、アスカの左目から漏れ出ていた青い光が澄んだ響きと共に広がった。

 

「さぁ、見える筈だよ」

 

 

 

 ゆっくりとアスカが目を開くと綾波も渚も居なかった。

 何が見えると言うのか、と周りを見ようとした時、その首に後ろから優しく手が回った。

 温かい腕で抱きしめられた。

 

「見つけた」

 

 行った筈の声が聞こえた。

 

「シン…ジ?」

 

 震える手を腕に添える。

 細い、子どもの手だ。

 幻聴では無い。

 幻覚でも無い。

 背中から伝わる温もりが、しっかりとシンジが居る事を伝えてくる。

 

「うん。ゴメン、見つけるのが遅くなって」

 

 耳元で囁かれる声には果てしない優しさがあった。

 顔が熱くなるのをアスカは自覚した。

 こそばゆいからだと自分に言い訳しながら、でも、手はシンジの腕を離さない。

 離せない。

 だけど、信じられない。

 あふれ出そうな涙を、歯を食いしばって堪えながら言葉を紡ぐ。

 

「だって、だってアンタ、アイツと一緒に………」

 

「違うよ。真希波さんと行った僕は()()()()()()()()()()()()。僕じゃない」

 

 辺りは完全に黒昏に閉ざされ、不安と言う言葉で塗りつぶされた様な中にあって尚、アスカは不安を覚えなかった。

 ただ背中の温度とシンジの言葉だけに集中しているからだった。

 

「でも、もう此処は終わるわ。どうしてアンタまで行かなかったの」

 

 憎まれ口の様な言葉。

 直感だけに従った言葉。

 だが間違えていない自信がアスカにはあった。

 シンジがここに居る事の喜びと共に、ここ(終わる場所)に居てしまう事の恐ろしさがあった。

 

 金属音。

 方々から小さく響く音は、どこかしらシャッターを閉める様を思わせる。

 

「アスカがここに居るのに?」

 

 甘やかに抱きしめられたアスカは、その喜びを口にだす。

 

「バカ」

 

 字面を否定する、砂糖菓子の様な言葉がシンジの耳と共にアスカの心をくすぐった。

 

「一緒に行ってくれるの?」

 

 何処へと言う訳では無い。

 只、終わりを一人で迎えなくて良いと言うだけでアスカの心は温かくなった。

 それもシンジとだ。

 好きだったと告げ、好きだったと返された相手だ。

 シンジが一緒に居るのだ。

 何も怖くは無かった。

 

「大丈夫だよアスカ。マイナス宇宙で父さんと母さんに触れて僕にも判ったんだ、終わりは始まりでもあるんだって」

 

 そんなアスカの気持ちにこたえる様に、シンジはアスカを抱きしめる力を増す。

 密着した体は、そこから温もりを伝え合う。

 アスカの体からいつの間にかプラグスーツが消えていた。

 溢れていた青い光は消えた。

 瞬きをすれば眼窩はふさがり、再び青い瞳が輝きだした。

 

「循環しているって事?」

 

「近いけど少し違うんだ。円環の様に見えて、でも世界は少しづつ前に進んでいる」

 

 ドリル(二重螺旋)みたいに、と笑うシンジ。

 と、そんな二人の前に一本のねじれ合った赤い槍が浮かんだ。

 

「ロンギヌスの槍?」

 

「違うよ。これは綾波が司る絶望の槍(スピアー・オブ・ロンギヌス)じゃない。アスカと共にある希望の槍(スピアー・オブ・カシウス)だ」

 

 命の槍だと言うシンジ。

 その言葉に応じる様に、赤い螺旋槍は解けて槍の姿を取り戻すカシウスの槍。

 

「さあ、アスカ」

 

 アスカはシンジの手に誘われるままに握る。

 仄かに温かく脈動するそれを、そっと抱きしめるアスカ。

 そしてシンジが、そのアスカを抱きしめる。

 雰囲気で、これで最後と分かったアスカは最後にと、首を傾けてシンジを見た。

 何時ものシンジだった。

 そしてシンジもまた、アスカを見ていた。

 視線が絡み合う。

 口づけ。

 二人のどちらが先と言う訳でも無く、そっと、あくまでも優しく、甘く、唇がふれあった。

 

「一緒に」

 

「一緒に」

 

 光と共に二人は解け、紫と赤の光となってカシウスの槍と共に奔り出す。

 

 

 

 

 

「行ったね」

 

 感慨深く言う渚。

 

「行ったのね」

 

 感慨深く呟く綾波。

 

 二人も又、解けつつあった。

 その傍らに浮かぶロンギヌスの槍。

 

 ロンギヌスとカシウス、2本の槍は1対であり、救いだった。

 定命のモノ(ヒト)には命を。

 永命のモノ(シト)には死を。

 無いモノを与える槍は救いであり新世紀(ネオ・ジェネシス)の鍵であった。

 

 渚と綾波はそっとロンギヌスの槍を握る。

 

「僕はシンジ君に幸せになって貰いたかった。それだけだったんだ。だけど、それは一人では出来ない事なんだね」

 

「人間は一人では生きていけないわ」

 

「僕も失敗してたって事かな」

 

「学べば良いわ」

 

「そうだね、僕も学んだよ。次はシンジ君の傍で一緒に幸せにしたいな」

 

 渚だけではない。

 綾波も同じ思いであり、そしてそれはシンジと共にアスカも同じであった。

 

「時間」

 

「ああ」

 

 銀と青の光となった二人は、ロンギヌスの槍と共にシンジ達を追って走り出した。

 そして世界は終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空には星。

 地には光。

 

 第3村は喧噪と活気に満ち満ちていた。

 村の傍の湖には、AAAヴンダーからの非常脱出ポッドが浮かんでいる。

 生還したAAAヴンダーの乗員からWILLEの勝利 ―― 人類の未来が守られたことを知り、誰もが今宵ばかりはと蔵から食料や酒を出しての大騒ぎになっていたのだ。

 

 どんちゃん騒ぎ。

 その様をケンスケの家から見るシンジとアスカ。

 第3新東京市第1中学校の制服姿になっている。

 二人の手は離さない、離したくないとしっかりと握りあっていた。

 

「帰ってこれたんだ」

 

「帰ってこれたんだね」

 

 重なった二人の声には、どこかしら呆然としたものが含まれていた。

 仕方の無い話だろう。

 覚悟を決め、見知らぬ場所(ポイント・オブ・ノーリターン)であろうとも二人であればと思っていたのが、見知った場所であれば、誰しもそうなると言うものであった。

 顔を見合わせて笑う。

 笑いあう。

 

「アスカは何がしたい?」

 

「ご飯が食べたい! 何でもいい、シンジが作ってくれるなら何でもいい!!」

 

「うん、僕に任せてよ!」

 

「シンジは何がしたい?」

 

「アスカ、一緒に釣りに行かない?」

 

「ハマったのね」

 

「うん、楽しかったんだ。だから、一緒にアスカが居るともっと楽しいと思うんだ」

 

「一緒ね?」

 

「一緒」

 

「じゃ、お弁当を持っていくわよ!!」

 

 他愛のない会話。

 だがそれこそが愛おしい。

 ギュッと握り合った手。

 

「「行こう!」」

 

 声を揃えて言う。

 最初の一歩、だがそれを止める声がした。

 

「僕たちも一緒で良いかな?」

 

 からかいの色が滲んだ、優しい声。

 渚が茂みから出てくる。

 

「かっ、カヲル君!?」

 

「私も居るわ」

 

「綾波も!!」

 

「おいていかれると寂しいからね」

 

「アンタたちも一緒ってどういう事よ」

 

 口調とは異なりアスカの口元は優しく笑みを形どっていた。

 シンジはくしゃくしゃに顔を歪めてうれし泣きの笑みだ。

 優しく笑っている渚。

 そして綾波も、小さくも優しく笑っていた。

 

「一緒に行こう」

 

 4人は歩き出す。

 古き時代は終わり、新しい世紀(ネオ・ジェネシス)が始まる。

 

 

 

 

 

 




 駅のシーンの神木シンジ君にも違和感あったけど、それ以前のマイナス宇宙突入後のシンジ君の雰囲気にも何と言うかですねー
 それまでの丁寧さとかが、ぶっ飛ばされている感があってなー
 アスカに絡む部分だけではなく。
 後、緒方さんの言葉もあって、ですなー
 駅から出ていったシンジと、おいていかれたシンジと言うですねー
 なのでー
 こーなりますたったー

ロンギヌスの槍
>綾波レイ
 もうね、何時もアイコンだったからこうなるよねー

カシウスの槍
>惣流/式波アスカラングレー
 何時頃からかアスカはコッチを持っているイメージ

ガイウスの槍
>真希波マリイラストリアス
 鋳造の場に立ち会ったご縁で__
 とは言え、この娘さん人間の範疇からチョイ離れた感があるので、人造の槍に相応しいかと言われれば、じつはびみょー
 シンジの槍とするべきかー
 まよふ

 尚、作中で7本がカウントされているので、愚作シリーズで残る4本を設定したろかいなとか思ってたりする件。
 鍵となる7つの槍。
 7つの鍵?
 そらもー ハーローイーンであるよね(まつ
 7人の乙女で、シンジが選ぶ乙女ゲーム_____
 やるべきじゃないんぬ。
 だってアスカヒロイン√以外はかくきねーしー


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過去形を現在進行形にする為の物語
浜辺への想い


+

「好きだったよ」

 

 真っすぐで穏やかで心が温まる言葉をくれた碇シンジ。

 その余りのこそばゆさと嬉しさに顔が火照ってし思わず顔を背けてしまった。

 さて、この気持ちをどう返そうかと悩んでいたら放り出された ―― 式波アスカ・ラングレーにとってそれが全てだった。

 最悪だったのは、その直後に来た真希波マリ・イラストリアス(コネメガネ)だ。

 軽い調子で「御達者で」とか何とか言って消えていった。

 

 そして気づけば第3村、相田ケンスケ(ケンケン)宅にエントリープラグごとデリバリーである。

 14年にわたって拗らせていた乙女心がとき解れようとした矢先にこの所業である。

 この蛮行である。

 アスカは決心した。

 決して許すまいと。

 絶対に許すまいと。

 乙女心を解するであろうかつての級友、鈴原ヒカリの元へと駆け込み、盛大に愚痴を言い、怒りを述べ、そっと出されたお菓子を食事を盛大に掻っ込むアスカの仕草は乙女とは言い難かったが、その心根は実に乙女である ―― 乙女に戻っているのだと鈴原ヒカリは感じ、楽しさを覚えていた。

 あの懐かしい第3新東京市第壱中学の、あの平和で暑かった教室の日々を思い出すのだ。

 WILLEの式波特務少佐では無く、第壱中学の中学生式波アスカ・ラングレーが帰ってきた様に感じられた。

 だから鈴原ヒカリは、ギューッとアスカを抱きしめたのだった。

 

「お帰り、アスカ」

 

「………ありがとう」

 

 

 

 取り合えずとばかりに、今までは黙って居た目覚めたシンジの話を鈴原ヒカリに言っていく。

 自分が如何に耐えていたかとか、我慢していたかとか、後、綾波レイへの不満などイロイロと。

 その様は正に思春期の子どもだった。

 我が子(ツバメ)も何時かはこうなるのかと、怒涛の如きアスカの言葉を聞きながら鈴原ヒカリは思っていた。

 後、出来る母親であるので、帰ってきていた綾波レイの事は口に出さなかった。

 丁度今はツバメを連れて外に出て居たのだ。

 少し落ち着いてから教えるべきだと、主婦としての母親としての、そして何よりもおばちゃん集団に揉まれていた経験が教えていた。

 

 と、鈴原宅の玄関が思いっきり勢いよく開かれた。

 何事かと2人で見れば、肩で息をする相田ケンスケが立っていた。

 

「やっぱり式波、帰ってきたんだな」

 

 感極まった様な相田に、アスカは少しだけ面映ゆい気分を味わい、であるが故に素っ気なく答えてきた。

 

「ん、生きてるわ」

 

 それは、或いは羞恥心だった。

 AAAヴンダーに戻る際、この村にも相田にも最早会うまいとの不帰の覚悟を決めていた。

 覚悟を決めて話していた。

 だがそれも、生きて帰ってしまえば笑い話(厨二病)になるのだ。

 それはもう恥ずかしくもなるというものであった。

 

「帰ってきてくれて、俺は嬉しいよ」

 

「有難う」

 

 

 

 その夜、鈴原家の電灯は夜遅くまで消える事は無かった。

 鈴原トウジが帰宅し、綾波がツバメを連れて帰宅し、大騒動になった。

 積もる話をして、笑い、或いは泣いて、時間は過ぎていった。

 

 そして深夜。

 アスカが綾波や鈴原ヒカリ、そしてツバメが寝入った部屋の隣で鈴原と相田は酒を飲み交わしていた。

 明日を考えない深酒であった。

 WILLEのヤマト(NERV撃滅)作戦が成功裏に終わったと言う事は、第3村にとって、人類の生き残りにとってそれ程に喜ばしい話であったのだから。

 あの、空の壊乱(ファイナルインパクトの余波)がいつの間にか終わると、世界は一変していた。

 第3村の周りで徘徊していた首なし(インフィニティ)が消え、村の外の赤い(コア化した)世界は元に戻っていた。

 WILLEが成功したとは思っていたが、それを当事者から聞けたと言うのは大きな話であった。

 明日には第3村中に広げよう。

 皆で、手に戻ってきた未来を祝おうと言う話になって盛り上がった。

 そんな男2人の飲み会が、ふと、静かになる。

 少しばかり渋い表情で相田が手に持つ湯呑を見ていた。

 

「どしたん?」

 

「いや………あ、式波だけど()()()()()って言わなかったなと思ってな」

 

「そやな、ただいまとも言わんかったな」

 

 笑顔はあった。

 お帰りと言われて有難うとも言った。

 だが決して、アスカは帰ってきたのだとは言わなかった。

 

「心はやっぱセンセの所にあるんやろな」

 

「好きだった、か。縛りやがって」

 

「別れの一言や。それでも、それでもセンセは言いたかったんやろな」

 

 第壱中学時代の2人は、実に仲が良かった。

 夫婦漫才と揶揄される程には親密であった。

 大人になり夫婦となった事で鈴原も、あの頃のシンジとアスカとの2人の感情が好意であった事が判る様になっていた。

 幼くも、それは愛だったのだろうと。

 シンジは14歳の子どもだった。

 子どもの儘だった。

 だからこそ、帰ってこれないから最後に想いを伝えたのだろう。

 相田の言う様にアスカが縛られたとしても、最後に言いたかったのだろう、と。

 

「俺だって、俺だって判るさ。判るけど………」

 

 歯を噛みしめる相田。

 明るくは見えていても、その実はそうでないアスカ。

 本人は大人だの何だのと自分では言っているが、相田から見ると、その心根はエヴァンゲリオンと言う血腥い戦場から一歩離れれば子どもだった。

 シンジと3人で暮らした時に良く分かった。

 素直になれない、子どもだった。

 人類を守ると言う使命感と、アスカと言う少女としての感情がぶつかり合って、自分でも自分の感情を制御できなくなった、子どもだった。

 その子どもが、漸くエヴァンゲリオンから離れられたのに、もう居なくなってしまったシンジに縛られ生きていくのかと思うとやり切れない気持ちになるのだった。

 

「どうにかならんモンかのー」

 

「難しいだろな。あの日からの14年間も抱え続けていた感情だ。それがシンジが死んだからと簡単に処理出来る様なものなら、式波ももう少し苦労の無い生き方が出来ただろうさ」

 

「なんや、父親みたいな顔やな」

 

「別にそう言う訳じゃないいよ。只、頑張った連中にはやっぱり幸せになって欲しくてな」

 

「そうやな。ホント、そやな」

 

 

 

 

 

 男2人の思いとは裏腹に、翌日からのアスカは精力的に活動を開始した。

 生還したWILLEスタッフと接触し、エヴァンゲリオンが齎した科学体系に精通した人間 ―― 赤木リツコや伊吹マヤを見つけ出すや猛烈に質問を開始した。

 対処は、シンジが居たマイナス宇宙だ。

 持ち帰った観測情報を元に、様々な議論を行った。

 人類の科学文明の再起動、或いは生き残る為の人類圏再興と言う大仕事に取り掛からねばならぬと最初は乗り気でも無かった赤木や伊吹であったが、アスカの熱意に負けて議論する様になり、そして何時しか寝食を忘れてアスカと議論を重ねる様になった。

 1週間ほどして、アスカは鈴原宅を訪れた。

 連日連夜、喰わぬわ寝ぬわの大激論はアスカを少しばかり()()()()()()()()()()()()()にしてしまっていたが、その事に気づいた様子は無い。

 

「アスカ、先ずお風呂に行くべきよ?」

 

 友人と言うよりは主婦としての常識から、まるで子どもを叱る様に言う鈴原ヒカリに、アスカは脂にまみれぼさつく髪をかき上げて答える。

 

「居るのよ、シンジは」

 

 四肢の動きに疲れはあっても、声に張りは無くとも、その目だけはギラギラと力を放っていた。

 鈴原ヒカリがそっと出した湯呑をガっと掴むと、その熱いハーブティー(第3村雑草茶)を一気に飲み干した。

 

「ヒカリ、私は()()わ」

 

「が、頑張って?」

 

 鈴原ヒカリが思わず疑問形で答えるのも仕方の無い話であった。

 但し、この鈴原ヒカリもただでは退かない。

 駄目な子どもには教育せねばならないという母親力に背中を押され、アスカに風呂に入ってこいと厳命した。

 時間は丁度夕方前。

 農作業組向けに、共同浴場が太陽熱温水器で温めた湯を張っている頃合いであるのだから。

 

「ヒカリ?」

 

「アスカ、行ってきなさい!」

 

 バスタオルや綾波と共用(ティーンエイジャー向け)の着替えを持たされたアスカは、鈴原ヒカリの謎の力(マザー・パワー)に逆らえず、素直に浴場へと行くのだった。

 浴場には丁度、綾波が来ていた。

 

「あら」

 

 アスカの表情に、綾波も目を瞠った。

 それ程にアスカは目に力を漲らせていた。

 とは言え、先ずはおばちゃんたちに怒られたのだが。

 ボロボロとしか言いようのない状態に、女の子が何をしているのかと怒られた。

 折角綺麗な髪なのに手入れをしないなんてと怒られた。

 無理やりに捉まって、体洗い場で洗われた。

 頭のてっぺんからつま先まで、指の股から人には言えない所まで全部、容赦なく洗われて、湯船に放り込まれた。

 

「アスカちゃんはそっくりさんより子どもだね」

 

「ほんとほんと」

 

「可愛いんだから、磨かなきゃ駄目よ」

 

 正しく子ども扱いされていた。

 それは実年齢28歳のアスカにとっては屈辱であり、連日連夜の激論で疲弊して居なければ暴れたい程の恥辱であり、だが、只の子どもと扱われる事はアスカの心に言い知れない嬉しさにも似た何かを感じさせた。

 年上から指導ではなく叱られたと言うのは、初めてだったのだ。

 だから従っていたとも言えた。

 

 どこそこから拾ってきたホーローだのステンレスだの様々な湯船の一つ、端っこにある小ぶりなソレにざぶんと浸かるアスカ。

 

「んっ………」

 

 湯に浸かれば、自分の体に疲労が溜まっていた事を否でも理解する。

 体がほぐれていく癒しに身を任せようとしたアスカに、隣にいた綾波が声を掛けた。

 

「それで、何か判ったの?」

 

 単刀直入な綾波。

 その目は真剣だった。

 対するアスカは目元にタオルを充てて、首を伸ばして仰いでいる。

 

「判ったと言うのは語弊があるわね」

 

 理論を裏付ける証拠は乏しいのだ。

 だが、とアスカは言う。

 確信している、と。

 

「シンジに会う事は不可能じゃ無い」

 

 マイナス宇宙とはこの宇宙とは異なる世界であり、因果律も又外れている。

 だからこそ、会える筈なのだ。

 

「碇君はエヴァンゲリオンの全てを葬ったわ、それでも?」

 

「そこは主たる問題ではないわ。あの世界に干渉する為に神器(エヴァンゲリオン)が必須と言う訳じゃないもの」

 

 残されている技術で模造する神形器(デヴァイス)で十分であると言う。

 NERVで使われなかった用語である為、理解出来なかった綾波は首を傾げた。

 が、温水で濡らしたタオルで視野を閉じているアスカは、気づく事無く説明を続ける。

 

「大事な事は、あの空間は因果律の輪が完全に独立しているという事。そして()()()()()()()()()()()()と言う事」

 

「どうして判るの?」

 

「端折って言えば、過去への干渉を可能とするからよ」

 

 1次元、2次元、3次元、そして一方通行ながらも時間のある3次元半(この次元)

 だがマイナス宇宙は時間を遡って干渉出来るのであれば、完全な4次元乃至はそれ以上の高位次元空間なのだ。

 という事は、同時に未来にも存在し続ける事を意味する。

 始まりにして終わりの空間(アルファ-オメガ)

 例えシンジが終わらせたとしても、マイナス宇宙と言う次元自体が消える事は無い。

 

「良く分からないわ」

 

「リツコやマヤと1週間悩んで激論したモンをそう簡単に理解されちゃ立つ瀬が無いっちゅーの。取り合えず要点は、ワタシは、シンジを、取り返し(掴まえ)に行く。それだけよ」

 

 力強い宣言であった。

 只問題は力んだ途端に湯にあたって湯船に沈んだと言う事だろう。

 日々、労働に勤しんだ綾波 ―― 農地を拡大し第3村の住人が新鮮な野菜を食べられる様にショベルカーやトラクターを縦横に操り、力を付けていたこの元同僚が居なければ、アスカはもしかしたら、予定をすっ飛ばしてシンジの元に行っていたかもしれない。

 

 尚、こののちに帰宅したアスカは、詳細を聞いた鈴原ヒカリに死ぬほど怒られた。

 

 

 

 

 

 それから1週間後、アスカは赤木たちWILLEスタッフと共に第3村を旅立つ事となる。

 シンジを救う(掴まえる)為に。

 

 

「行っちまうのか」

 

 村の外れでWILLE支部からの迎えの飛行船を待っていたアスカに、相田が問いかけた。

 わずかばかりの私物が入ったバックに軽く腰を下ろしていたアスカは、驚いた表情で相田を見上げた。

 

「見送りに来たんだ」

 

 驚いたのには理由がある。

 アスカが第3村を旅立つ事に相田は最後まで反対していたのだから。

 エヴァンゲリオンで戦う事を終えたアスカが、再び何かをせねばならないと言う事が納得できなかったのだ。

 この村で生活すればよい。

 シンジを救う為とは言うが、理論はあっても実現するには果てしなく時間が掛かるだろう。

 或いは生きている内に果たせないかもしれない。

 そんな事をシンジが良しとするとは思えない ―― そんな事を相田は言い連ねていた。

 

 対するアスカはそれを鼻で笑って否定する。

 確かにシンジはアスカに居場所はあると言った。

 だがアスカが居たい場所はシンジの隣なのだ。

 願うならばシンジの傍で眠りたいのだ、たとえそれがどんな場所であろうとも。

 シンジの想いはあるだろう。

 だがアスカにだって譲れない願いと思いはあるのだ。

 その自分の想いをアスカは一言で言い切った。

 「ワタシの我儘」、と。

 一度きりの人生だからこそ、我儘に生きてやるのだと。

 そう言って笑ったアスカの笑顔は、誰もが見惚れる程に可愛らしかった。

 

「まぁ、な」

 

「アリガト」

 

 アスカの傍に立つ相田。

 だが、その距離は親密ではあっても親愛ではなかった。

 それが2人の関係でもあった。

 尖った所のあるアスカを受け入れ、そっとその翼を休める場所を与えた相田。

 アスカを心配し、その人生と未来とに気を揉む姿は、或いは父親的でもあった。

 そこにアスカもぶっきらぼうな態度に見えても甘えている所があった。

 ある意味で疑似的な親子関係にあった2人だった。

 

 だからこそシンジもケンスケによろしくねと言ったのだろう。

 そう客観的に見れる程に、アスカは心の余裕を取り戻していた。

 最初は、変な物言いだと怒り、そして誤解された事に心が凍り、そして1周回って落ち着いた。

 その間、鈴原ヒカリや綾波がアスカの愚痴を受け止めていた。

 エンドレスで、好きなら好きで略奪してみる位の男気を見せろと延々と。

 鈴原ヒカリは酒も入らずに良くも続くと呆れながら頷き、綾波はシンプルに誤解される方が悪いとバッサリしていた。

 

 イロイロとあってアスカの心に本人の意図せずぬ拗らせを与えた相田であったが、それは兎も角として感謝をしていた。

 嫌いでは無かった。

 だからこそ、見送りは嬉しかった。

 

「無理するなよ? 長丁場になるのは目に見えているんだ」

 

「ワタシがするんだもの、簡単では無くたって、必ず出来るわ」

 

「そうだな、なんと言っても式波アスカ・ラングレーだものな」

 

「そういう事」

 

 胸を張るアスカをまぶし気に見る相田。

 と、カメラを取り出した。

 

「最後に1枚、良いか?」

 

 鈴原の所に頼まれたんだと笑う。

 

「昨日のも撮ったじゃない!」

 

「いや、アレは集合写真になっちまって顔が良く見えないって不評が出てな」

 

「しかたないわね」

 

 アスカはとびっきりの笑顔を相田のカメラに向けるのだった。

 

 

 

 

 アスカの乗った飛行船が行く。

 偶には帰ってこいとは言ったけども、恐らくは帰ってこない ―― 少なくともシンジを捕まえるまでは。

 そういう確信が相田にあった。

 

「元気で、しっかりと捕まえて来いよ」

 

 わずかばかりの喪失感を胸に相田は飛行船を見送っていた。

 

 

 

 

 

 



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途は遥か、歩みは小さく

+

 NERVとの戦いを終えたWILLEは、その目的を人類という種の存続と定めた。

 これは文化と科学の保護と維持も含まれる。

 現時点で確認できる人類は地球全体で見ても、そして希望的な数字を入れたとしても1000万人にも満たないとされていた。

 日本列島の第3村の様な、WILLE ―― 旧NERV系の組織からの支援を受けていた避難所(コロニー)は世界中に点在し、或いは先進国などに多い独立した地下都市のお陰であった。

 問題は、人類の文明維持に必要な人口の、下限に限りなく近い数字であると言う事だった。

 故に、こと科学に於いては教育と研究を担当する科学都市が生み出される事となった。

 過去の大図書館の名を貰いアレクサンドロスと名付けられたこの科学都市は、凍結から蘇った各国のNERV施設の中で一番状態が良かった ―― MAGI-Typeの第7世代型スーパーコンピューターが維持されており各インフラの状態が良く規模も広大であった北米のUS-NERVを基に建設された。

 その上で各国の生き残った工業インフラを再稼働させ、技術発展は困難であろうとも人類が規模を取り戻すために持続的に利用可能とする事を目標とされた。

 アレクサンドロスを起点として、行われた人類再生の一大プロジェクト。

 その中で式波アスカ・ラングレーは、大規模工作用の汎用ヒト型工業機(デヴァイス)研究開発チームを率いていた。

 エヴァンゲリオンは失われた。

 だが、その製造技術も関連技術も全てが失われた訳では無い。

 だからこそ、様々な工作などで便利で汎用性の高いヒト型の工業機が開発される事となったのだった。

 コストパフォーマンスだけを見れば一般の作業用機械が遥かに利便性が高いが、少ない人数で多目的多機能に作業を行おうとすれば、ヒト型と言うものが持つ汎用性は決して侮れないからである。

 そして同時に、マイナス宇宙へと潜る為の光速発揮可能な高位次元転移体(バイ・コーザリティ・ダイバー)開発を進めていたのだった。

 

 

 

 

 

 そして月日は流れ、何時しか()()()から14年が経ってい日。

 物語は動き出す。

 

 場所は宇宙。

 観測用の衛星に囲まれた、全長40m近い大型の構造体。

 それはヒト型 ―― 汎用ヒト型工業機を中心に、幾つものブースターが増設されていた試験機だった。

 それを地上の管制室から眺めている一同。

 

『カウントダウン、カウントダウン、32_ 31_ 30_ _ _ 20_ 19_ 18_ _ _ 10_9_ 8_ 』

 

 固唾をのんで見守られる中、カウントダウンは機械的に時を刻んでいく。

 

『3_ 2_ 1_ 0_』

 

 その日、宇宙で新しい光が生み出された。

 それは新しい英知の光であった。

 試験機は、太陽系の探査と開発を目的として開発された新型の駆動システム ―― バニシングモーターを搭載した、超光速発揮実証実験用の機体だった。

 能力制御用に最新の汎用ヒト型工業機(デヴァイス)を搭載し、X-25(プロフェシー)の名前が与えられていた。

 

『月観測所! 確認しました!! 試験機(プロフェシー)、予定コース及び予定時刻に通過を確認しました!!』

 

「Wowowowowowowo!!」

 

 爆発した様な歓声が上がった。

 だがその中にあってアスカは一人、静かに壁の時計を睨んでいた。

 月からの報告なんてどうでも良かった。

 大事なのは()()()()()()のだから。

 手入れの殆どされていない伸ばし放題の髪から覗く相貌は痩せこけ、ただ赤い眼鏡(ウエアラブルディスプレイ )の奥にある蒼い瞳だけがギラギラとした輝きを放っていた。

 科学に全てをささげた女。

 アレクサンドロスでも有数の女傑(マッドエンジニア)

 それが今のアスカだった。

 戸籍の上では42歳となったアスカだが、その外見は28歳と言う女盛りであったが、そこに色気めいたものは無かった。

 顔立ちは美人で身体は頗る付きであったが、化粧すらせず、男が寄り付く事を許さず、常に研究室に籠って過ごして来ていた。

 アレクサンドロスの男性向け閉鎖ネットワークでの人気投票での勿体ない美人部門で、4年連続1位の実績持ち(タイトルホルダー)でもあった。

 アスカの下に付いた男たちは誰もが一度は落としたいと願い、そして敗れていく。

 歯牙にもかけないその様は、何時しか鉄の女などと揶揄される様になっていた。

 それすらもアスカは相手にする事はなかった。

 

 と、通信設備に付いていた研究員が声を上げた。

 

「火星観測所より報告です! 試験機(プロフェシー)到達を確認!! 予定時刻に誤差なしとの事ですっ!!!」

 

「Wooooooooooo!!!」

 

 先ほどよりも更に大きな歓声が、正しく爆発した。

 所員の多くが手に持っていた紙束を天井に投げ、誰もが手近な人たちとハグやキスを繰り広げている。

 アスカはどさくさに紛れて近づいてくる(スケベ)どもを、見ることなく軍隊式の荒っぽい仕草で頭を掴んで鎮圧し睨んだ。

 それから声を出す。

 

傾注(アハトゥング)!」

 

 裂ぱくの声に耳目が集まる。

 煙草で焼けたハスキーな声は、掠れず、独特の艶があった。

 

「諸君、ご苦労。これで太陽系開発計画は大きく前進する事になったわ。アタシは赤木総括の所に報告に行くけど、貴方たちは自由にしていい。今日はこれまで。パーティーでも何でもやって英気を養いなさい。ツケはアタシに回して良し。以上」

 

 それまでとは別種の歓声が上がった。

 男女的な所から見れば取っ付きにくい所が大きいアスカであったが、この様な心配りが出来る為、部下からの評判は良かった。

 

「主任は来ないのですか?」

 

「何年もの研究が漸く実ったのです、一緒に祝いましょうよ!」

 

 下心だけではないスタッフ、女性までもが今宵ばかりはと声を掛けて来るがアスカは断った。

 気持ちだけ貰っておくと言って、管制室を出て行った。

 

 

 

 

 

 アレクサンドロスを総括する赤木リツコの部屋は常に煙草の匂いをさせていた。

 人類と言う種を守る為として巨大化したWILLE、その差配と言う大きなストレスが赤木を蝕んでいるとも言えた。

 老境、目や口元に刻まれた皺がその日々の過酷さを教えていた。

 応接用のソファに身を預けるその姿は、50代ではなく60代後半と言われても通りそうだった。

 

 赤い口紅の塗られた唇に細巻き(シガリロ)を咥え、ゆっくりと吹かす。

 そして、まだ半分以上も残っているソレを、安タバコの様に手荒くもみ消す。

 

「14年、ね」

 

 アスカの報告を受け、感慨深く言葉を発した。

 あの懐かしい第3村で連日連夜と激論して、そして今、と。

 

「貴方、良く折れなかったわね」

 

 そう声を掛けた相手は、言うまでも無くアスカだ。

 赤木の正面に座り、長い脚を組んで気だるげに背をソファに預けている。

 

「それだけしかないのに、折れる間なんてある訳ないじゃない」

 

 旧NERV以来の30年近い関係は、2人の言葉に気安さを与えていた。

 とは言え、その態度は決して親し気と言う訳でも無かった。

 余人には理解しがたい、或いは絆であった。

 

「そうね、全てを捧げてきたんだもの、止まる訳にはいかないわね」

 

「そういう事。だから試験ユニットの2号機、貰うわよ」

 

「良いわ、約束だもの好きになさい」

 

ダンケ(有難う)

 

 

 

 それから後は私を離れ、責任者としての報告や所見を述べていく。

 後で書類でも行う事であったが、この光速発揮可能な推進システムの開発はWILLEが計画している2060年代以降の太陽系資源開発計画にとって重要な役割を担う為、赤木も気を掛けていたのだ。

 地球資源の開発は埋蔵地帯こそ判ってはいても、どうしても人手が大量に必要となるし、環境対策が簡単ではない。

 だが宇宙はその点で楽だった。

 少なくとも環境対策は不要だった。

 

 富国強兵(産めよ増やせよ地に満ちよ)の如き合言葉と、クローン技術の積極的活用 ―― 式波Typeと綾波Typeの生産技術を基にして開発された成人クローンの量産と言う人倫を捨てた政策を実行したお陰で、地球人類は漸く3000万を超える所まで回復した。

 だがそれでもまだ、労働人口は不足気味であった。

 故に、コストよりも人手が少なく済むと言うのがとても大きなメリットとなるのだ。

 

「貴方が居なくなるのは大きな損失だわ」

 

「脳みそで良ければ2′(ツーダッシュ)に頼ってよね。あの子はは残していくんだから」

 

 2´、それは即ちアスカのクローンであった。

 式波Typeの技術確認用として冷凍保存されていた式波Typeの卵子を使って生み出された、作られた子ども(デザインチャイルド)だった。

 そして、アスカのあずかり知らぬ場所で作り出された命でもあった。

 内部監査でその事を知った赤木は激怒してクローンを行った部門を閉鎖、併せて実験動物の様に扱われていた2’(アスカクローン)を救出した。

 生体年齢で3歳の頃であった。

 そして現在はアレクサンドロスの児童福祉施設で育っている。

 まだ9歳であるにも拘わらず明晰な頭脳を見せつけていた。

 名前はストレリチア・ラングレー。

 アスカが与えた名前だった。

 そして稀に顔を合わせる際には、遠縁のお姉さんとして接していた。

 接触を拒否する事は無かった。

 子ども(クローン)に罪は無いのだから。

 2’(ツーダッシュ)などとと呼ぶのも本人の居ない場所だけで、しかも露悪的に言う時だけであった。

 アスカなりに愛しているとも言えた。

 だがそれでも同居しない理由は、単純に仕事が忙しいからだ。

 アスカは自分に宛がわれた家に帰るのは、週に一度か二度と言う程度だった為、子供を育てる余裕など無いのだ。

 そして何よりも、絆されぬ為であった。

 アスカは碇シンジの所へ行く、それ以外の全てを切り捨てて生きているのだ。

 

「あの娘と貴方は別よ?」

 

「脳みその構造は同じなら、同じ事が出来る筈よ。教育さえ間違わなければ」

 

「教育は兎も角、経験は別よ」

 

「そうね、あの子にワタシみたいな経験はして欲しくないわ」

 

 物心ついた時には周りは全部同じ顔(クローン)

 疑問すら持たずに研磨され、自分の居なくなっていく日々。

 シンジに出会った。

 (リリン)では無くなり、只ひたすらにNERVと戦う日々。

 シンジに再会した。

 そして別れた。

 それからの日々 ―― 今。

 不幸であったと嘆くつもりは無い。

 だが、誰かが同じ(運命)を辿るならば止めたいとは思っていた。

 たとえそれが(自分のクローン)であっても。

 

 

 

「何時立つの?」

 

「2号機の組み立てが終わり次第、その前に第3村に行ってからね」

 

 別れの挨拶程度はしなければと続ける。

 今、第3村は正式には第3東京圏と名前を変えていた。

 人口はこの14年間で遥かに増えて優に2万人を突破し、主要産業はWILLEへと食料と物資を供給する複合経済圏へと成長しつつあった。

 アスカにとって第3村は帰るべき場所では無かった。

 居るべき場所でも無かった。

 その意識あればこそアスカは(綾波)レイや鈴原ヒカリ、相田ケンスケと言った面々との連絡こそすれども、14年前以来一度たりとも行った事が無かった。

 シンジとの思いで ―― あの14年前の自分のシンジへの態度が余りのも重くアスカに圧し掛かっていたと言うのも大きかったが。

 それでも、不帰(最早会えぬ)となれば話は別であった。

 

「そ、ならストレリチアも連れて行って貰えるかしら?」

 

「何で?」

 

「情操教育よ。都市部、と言うかこのアレクサンドロスだけを知って育った子どもたち、少しばかり特権意識が強く育つ傾向が出て居るのよ」

 

 アレクサンドロス以外は全てが植民地の様に思っている人間が出て居ると言う。

 特権意識、或いは階級意識(社会階級)の萌芽と赤木やアレクサンドロスの管理者たちは感じていた。

 組織運営者と言うよりも、人間と言うよりも、科学者であった赤木は、その様なモノが趣味では無かった。

 人間は等しいとか平等と言うのはありえないとは理解しているが、であるが故に公平であるべきだと信奉していた。

 それが人間の進歩であると確信していた。

 

「馬鹿?」

 

「そうね、馬鹿よ。だけど馬鹿だからと放置する訳にもいかないわ」

 

「大変ね、リツコも」

 

「同情するなら残って運営にも参加して欲しいわね」

 

 割と本気な赤木の希望。

 それをアスカは流す(知らんぷり)

 

「………明後日には、第3村に行くわ」

 

「ストレリチアの書類は明日中に用意しておくわ。施設へもこちらから連絡しておくから」

 

「宜しく」

 

 

 

 

 

 アスカとストレリチア。

 二人が並ぶと親子にしか見えなかった。

 特にアスカは、日ごろしない身だしなみを整え、薄っすらと化粧をしていたのだ。

 その様にアスカの部下たちは軽いパニック状態に陥った。

 女性陣は、アスカに比べて礼儀正しい(まだ愛想のある)ストレリチアの可愛らしさにメロメロになっていた。

 問題は男性陣、それもアスカに気のあった(スケベな)連中である。

 

「子どもが!? 式波主任に子どもが!?」

 

「挨拶に行くとかっ!?」

 

「しかもストレちゃんの事で帰ってくる日取りは未定とか!?」

 

 バカであるとうのも理由であったが、アスカの説明も悪かった。

 第3村(第3東京圏)()()に行く。

 ストレリチアも連れていく。

 帰ってくるのは()()()()()()()()()()()()()()()

 

 気の早い人間が、婚外子であるストレリチアを連れて相手の実家に挨拶に行くと捉えてしまうのも仕方の無い話であった。

 又、祝勝会の酒が残っていたのかもしれない。

 兎も角、アスカはバカな話とバカな連中は無視して、2号機の建造を進める様に指示し、それ以外の諸事を次席主任に任せる手続きを行った(書類を作成した)

 

 

 

 

「アスカ、あの人たちって馬鹿バッカ?」

 

 アスカの事をアスカと呼ぶストレリチア。

 対するアスカも、こればかりは仕方がないと苦笑した。

 とは言え、と続ける。

 

「倫理観はあるし、無能ではないわ」

 

「そうなんだ」

 

 親子にも、或いは姉妹にも見える2人は、あまり意味の無い会話をしつつ、第3東京圏との定期貨物航空機に乗り込むのだった。

 

 

 

 

 

 




純愛だよ、汚姫様アスカ編。
尚、ギャグ要素は行方不明に。
SF要素がinしますた。
多分に作者の趣味。
何時もの手癖で話を組むとこーなる。
話が半分も進まなかった件ェェェェェ


所でストレリチア・ラングレーの外見はまんまシンで出たロリッ子のアスカでつ。
発言内容が電子の妖精っぽいが気にしない
(∩゚Д゚) アーアー キコエナーイ
名前とかアレコレが02っぽいのは気にしない
(∩゚Д゚) アーアー キコエナーイ


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式波と綾波、そして渚

+

 かつての日本、日本列島の第3村と呼ばれた1,000人規模の小さな避難所(コロニー)も今や人口は万を数え、重/軽工業や農業、その他の様々な産業の拠点として人類の生存圏維持に大きな役割を果たす様になっていた。

 そんな第3東京圏は東京の名こそ付けられていたが、その本体は東海地方 ―― 中京工業地帯とかつて呼ばれていた工業集積地帯を再起動させ、再建したものであった。

 WILLEによる全力支援もあって現在では、ニアサードインパクト直前の頃と比較して約半分程にまで工業生産力を回復させていた。

 人口が少ないにも関わらず、これ程の工業力を発揮できている理由は、セカンドインパクトの影響であった。

 島国としてセカンドインパクトで甚大な被害を出した日本は、それでも立ち直ろうと全力で努力し、中京工業地帯を世界でも有数の自動化を推し進めた先進的工業地帯として蘇らせたのだ。

 ニアサードインパクトによってコア化、凍結されていたものを復旧させ、改良を進めた今、かつての中京工業地帯は人類の工場として動いていた。

 

 

 

「日本、か………」

 

 WILLEの連絡便(C-2輸送機)から降り立った式波アスカ・ラングレーは誰に言う事もなく言葉を漏らした。

 ウシャンカ(ロシア帽)と厚手の防寒コートの立てた襟の隙間から僅かばかり顔を出して周りを見ている。 

 雪がちらつく冬の日本。

 それは初めて見る日本の顔だった。

 そもそも、40年を超えるアスカの人生に於いて日本の地に居た時間は極めて短い。

 第3新東京市や第3村、それらをつなぎ合わせても1年にも満たないだろう。

 だがそれでも忘れえぬ場所であった。

 

「寒い………」

 

 ニット帽を被り、厚手のウールコートを羽織ったストレリチア・ラングレーはアスカに続いて降りるや、身を縮めていた。

 粉雪を舞わせる風が吹いたのだ。

 小さな体には、冬の日本は寒すぎた。

 セカンドインパクトで常夏の国と化していた日本は、アディショナルインパクトによって四季を取り戻したが、聊かばかり寒冷地化していた。

 少なくとも、嘗てであれば伊勢湾に面したこの地帯雪が降る ―― 積る程に吹雪くなど滅多に無かったのだから。

 

 兎も角、そんな話は別として常夏に近かったアレクサンドロスで育っていたストレリチアには今に日本は寒すぎた。

 アスカはそっとコートのチャックを開いて、ストレリチアを掴んで引き入れる。

 

「あっ」

 

 抵抗する間もなく小さなストレリチアは、アスカのコートにすっぽりと収まった。

 

「迎えが来るから少しだけ我慢よ」

 

 ぶっきらぼうとも言えるアスカであったが、裏腹に手袋を外した手が優しく凍えたストレリチアの頬を撫でていた。

 

「ありがとう」

 

 か細い声で感謝を伝えるストレリチア。

 この小さな少女にとって、遠縁と説明された自分にも似た顔立ちのアスカと言う女性は何とも不思議な相手だった。

 育児所で見た大人とも違う大人、それ以前の白衣い人とも違う人だった。

 見ていないようで、自分を見てくれる人だった。

 優しい人。

 だから、おずおずとコートの中でアスカの足にしがみつくのだった。

 

 輸送機から降りた途端に凍えた小さな体で、何も言わずに自分にしがみついてきたストレリチアをアスカはそっと支えた。

 子ども。

 或いは小さな自分。

 自分の様に()()()()()

 だから、その気持ちの判るアスカは、手をそっとストレリチアに添えるのだ。

 無償の愛、それに類される事。

 かつて(子どもの頃)の自分がして欲しかった事を与えると言う事は、ある種の代償行為と言えるかもしれない。

 だが、何よりも()()を今、子ども(ストレリチア)は欲しているのだから。

 

 

 

 古臭く、何か臭いがする送迎車のライトバンに揺られ、空港のターミナルへと移動した2人。

 車などの再生産も始まってはいるのだが、多少はガタが来ていてもエアコンなどの快適装備は古い民間向け(ニアサードインパクト前の)車が優れている為、この送迎車の様に20年を超えて使われる車は多かった。

 その辺りをストレリチアに説明するアスカ。

 

「とは言え、イロイロと限界よね」

 

 車内に増設されている手すりに掴まりながら、ストレリチアを掴まえながら愚痴るアスカ。

 サスペンションが経年劣化でよく跳ねるのだ。

 とは言え子どもなストレリチアには、ソレを楽しんでいたが。

 

 空港の管制棟に行く。

 今だ国家群が復活した訳でも、居留地毎に独立した訳でも無い為、出入国管理などの煩雑な作業がある訳では無い。

 又、通信用衛星網を最優先で構築したお陰で、回線が太くは無いもののインターネット網が再建されているお陰で、情報面での地球は1つであった。

 だが人間の移動の管理と、特に移動時の事故などの早期発見への備えとして、ある種のアナログ的な移動管理は行われているのだった。

 

 認証装置に手のひらを載せ、2つ3つばかり「寒いですね」だの「アメリカは遠いですね」だのと世間話にも似た言葉を年かさで暇そうな男性移動管理官と交わしながら名前を電子ペンでサインをすれば、それで終わる。

 そもそも旅行、特に観光旅行と言うものがまだまだ難しい世界なのだ。

 人員の移動に制限は無いし、そもそも各居留地(コロニー)が閉鎖的にならない様に本人たちの希望も受け入れる形で定期的に業務としての人員の移動は行われていたが、同時に移動は仕事 ―― 業務として行われるものが殆どである為、その程度で十分なのだと言えた。

 

 ()()()は妙齢ですこぶる付きの美女なアスカとの会話に未練を感じていた移動管理官だったが、アスカがにこやかな(外向けの)笑顔で別れを告げれば、素直に引き下がる。

 但し、お嬢さんとどうぞっとアメを4つ5つばかり差し出しながら。

 

 食い物に拘る日本人は、アメ ―― 嗜好品の生産再開にも手を抜かなかった。

 無論、包装紙までは手が回らず綺麗ともとも可愛らしいとも言えないフィルムに包まれていたが、それでもアメはカラフルで魅力的であった。

 

「甘い」

 

 さっそく口に居れたストレリチアが、その上品な甘さに目を丸くしていた。

 その素直とも幼いとも言える反応にほほえましさを感じながら、アスカもアメを口にいれた。

 

「甘い」

 

 その甘味にアスカも驚き、目を丸くしてストレリチアと全く同じ言葉を漏らした。

 砂糖の生産はまだまだ豊富とは言えず、この手の甘味な嗜好品は品薄なのだ。

 少なくともアレクサンドロスでは。

 アスカも久々に感じた甘さであった。

 

「甘いね!」

 

 何故かストレリチアが自慢げな顔(ドヤ顔)を見せる。

 子ども特有の柔らかみの強い赤い髪に手櫛を指しながらアスカは甘い顔で同意する。

 その様はまるで親子の様であった。

 

 かつての出入国管理と比べると簡素と言っても過言ではない手続きを済ませた2人は、管理棟を入り口に向かって歩く。

 最低限、ペンキが塗ってあるだけの色気(デザインに遊び)の無い建物は、人がまばらな事もあって、暖房が使われているとは言え寒々しさを漂わせていた。

 2人は知らぬが、田舎の町役場染みたと言う表現が一番、似合っているとも言えた。

 違いは告知(カラフルな)ポスターの有無と言う所だろうか。

 

「これからどうなるの?」

 

「迎えが来る筈?」

 

 疑問に疑問形で答えたアスカ。

 一昨日の夜に、急ではあるが会いに行くことを連絡した()()()()が絶対に迎えに行くと言っていたのだ。

 14年、更に14年が経とうとも忘れぬ声に思いを馳せたアスカ。

 と、管理棟の入り口に男の子が立っているのが見えた。

 中肉中背、割と細身だろう ―― 着ぶくれしているが、顔立ちが整っている。

 その顔に少しだけ見覚えがあった。

 

「えっ?」

 

 アスカは素直に、碇シンジに似ていると思った。

 記念写真も何も残っていないシンジ。

 写りのあまり良くない、AAAブンダーで撮影された診察用のソレだけがアスカの手に残されていた。

 大事にラミネート加工して、手帳に挟んでいる。

 妄執にも似た ―― そう自分でも自覚しているアスカの瞼には、あの、ありし日々のシンジの顔が消える事無く残っている。

 あの、砂浜(マイナス宇宙)での悟った様な顔も決して忘れない。

 過去形で告白してきた事も忘れない。

 一言一句だって忘れない。

 忘れない。

 忘れてやる気も無い。

 あの顔にキスしてやる。

 あの顔をひっぱたいてやる。

 あの顔に抱き着いてやる。

 それらが全てアスカを駆り立てる原動力であり、決して減る事のない燃え続ける燃料なのだから。

 

 ()()()()()、少年の顔に見覚えを感じたのだ。

 年頃は7歳か8歳、それこそストレリチアと同じ位だろうか。

 

「ん?」

 

 アスカの足が止まった事に、手を繋いでいたストレリチアは気づいて、不思議そうにその顔を見た。

 と、少年の目がアスカを捉えた。

 にぱっと笑った。

 その笑顔にも見覚えがあった。

 アスカの心臓が跳ね、思わずアメをのみ込んだ。

 

「式波アスカさんですか?」

 

 子どもらしい甲高い声がロビーに響いた。

 

 

 

 

 

「吃驚した?」

 

 小声で簡素ながらも声に茶目っ気を載せながら尋ねてくるのはアスカの古馴染みにして戦友、かつては綾波と名乗り、今では結婚して姓を変えた渚レイだった。

 場所は渚レイが迎えにと乗ってきた車の中だ。

 渚レイがハンドルを握る小型なハッチバック型の自動車は、新しい日々(インパクト・アフター)で開発された民生用のモノだった。

 青色の塗装は渚レイの髪の色に似ており、イメージに合う形だった。

 柔らかなベージュ色で統一された車内の内装は、使用する素材を制限する目的であったのだが、そのシンプルさが外の色との良い対比(コントラスト)になっていた。

 

「ビックリしたわよ」

 

 そう答えるアスカが居るのは助手席だ。

 後ろにストレリチアと少年、渚レイの息子である渚ヒイロが座っていた。

 親の気性を受け継いだのか、それとも躾のせいかかなり行儀が良い。

 対してストレリチアは、車が街中に入って以降、好奇心の赴くままに回りを見ている。

 と、そのかわいらしい耳にヒイロが耳打ちする。

 外を指さしているから、何かを説明しているのだろう。

 その微笑ましさに、アスカの目が自身で気づかぬままに細まった。 

 独りであった自分 ―― 訓練漬けで他に何も無かった、己の過去との対比に重いものを感じてしまったのだ。

 自覚した途端にそれを恥じた。

 そしてアスカは、自分は微笑ましさを感じているのだと内心で言い聞かせた。

 

「アスカ?」

 

「何でもないわ、レイ」

 

 名を呼び合う2人。

 かつてはエコヒイキと呼び、或いは2号機のヒトと呼び、背を預ける戦友であっても少しばかりの壁があった2人も、再会して14年の月日が流れた今は少しばかり仲良くなっていた。

 

 赤信号にブレーキが優しく踏まれた。

 車は、余り揺れる事無く丁寧に止まる。

 

「でも、吃驚したのは私も一緒」

 

 そう告げる渚レイの目は、ルームミラーを通じてストレリチアを捉えた。

 

「本当にそっくり」

 

()()()()()()ね」

 

 アスカはストレリチアの(己のクローンである)事を、ある意味で同じ境遇でもある渚レイに包み隠さず伝えていた。

 エヴァンゲリオンの為に生み出された存在。

 式波Type(戦闘向けクローン)綾波Type(儀式向けクローン)

 コンセプトも製造方法も全く異なれども、背負っているモノは似ていたのだから。

 或いは、あの頃は近親憎悪を感じていたのかもしれない ―― そうアスカは過去の日々で思う事があった。

 戦闘用として地獄の様な研磋研磨によって文字通りに()()()()()()()に対し、何処と無く自分に似た境遇と感じた相手が、自分とは異なり守られてきたと思えたのだ。

 自覚は無かったが、その浅ましくも羨ましいとの思いが、渚レイへのあだ名(エコヒイキ)に繋がったのかもとも思っていた。

 だからこそ、嘗て渚レイに言われた『エヴァに乗らない幸せ』と言う言葉に反発したのかもしれない、と。

 

 とは言え、それも全ては28年も前の話であり、アスカの中では決着のついた話だった。

 エヴァ、エヴァンゲリオンに乗らない幸せはあるかもしれない。

 だがその為には前提としてシンジが必要なのだ。

 ある意味でアスカは幸せになる為に走り続けているのだ。

 

「素直そうよ?」

 

「ワタシも素直だったわ」

 

「そうかしら、碇君が__ 」

 

「何!?」

 

 シンジの名前に、食い気味に慌てて渚レイを見るアスカ。

 だが、渚レイは笑っていた。

 小さく優しく笑って答える。

 

「秘密」

 

 信号が変わり、車がするすると走り出す。

 

「イイ性格してるわね」

 

「よく言われるわ」

 

 

 子どもの様な会話をする2人。

 それをじっと見ていた子どもの2人。

 

「お母さんと仲が良いんだ」

 

「そうかも?」

 

 家の外では余り笑わない母が、機嫌よく笑う姿に驚くヒイロ。

 対するストレリチアは、良く分からないと首を傾げる。

 

「アスカさんも機嫌が良いと思うよ?」

 

 母と同じ位の年頃だからおばさん等と呼ぼうとして説明され(怒られ)たヒイロは、アスカの事をアスカさんと呼んでいた。

 父親と母親の愛情を存分に貰って育ったヒイロは素直な性格をしていた。

 

「そうかも」

 

 何時もの姿を知らないから判らないと言うストレリチア。

 アレクサンドロスを出て既に1日近く。

 これ程に長く一緒に居るなんて初めてだった。

 

「お母さんじゃないの?」

 

「違う」

 

 その事は明確にアスカが否定していた。

 初めて会った時、抱きしめてくれたアスカは、ストレリチアにとって母親であって欲しい人であった。

 それが否定された事は残念で、だけど偶に会いに来てくれて、抱きしめてもくれる人。

 だからストレリチアにとってアスカは大事な人だった。

 

「でも優しい人」

 

「良かったね!」

 

 自分の気持ちを素直に肯定されたストレリチアは、その白い頬を真っ赤にしていた。

 何かの気恥ずかしさから俯き、だけどハッキリと感謝の言葉は口にしていた。

 

「あ、有難う………」

 

 

 

 

 

 渚レイの運転で向かったのは渚家、3人家族で住む一軒家だった。

 市街地郊外の、300坪を超える敷地に建てられた7LDKと云う比較的大きな家は、アスカとストレリチアが泊まるにも十分な広さがあった。

 築50年を数える古い家は、渚レイの趣味 ―― と言う訳では無い。

 第3東京圏管理官の1人という面倒と責任とを背負っている夫、渚カヲルに立場として与えられていた物件だった。

 

「デッカイわね」

 

 家自体もそれなりだが、家が付属品に見える程に庭が凄かった。

 一寸した林とそれなりの池があり、日本庭園風に手入れされているのだ、アスカが呆れる様に呟くのも当然だった。

 家も塀も和風で、ストレリチアなど異世界を見たと言わんばかりの顔で絶句していた。

 

「あの人の趣味が庭いじりなのよ」

 

「庭いじりと言うよりも庭園づくりじゃないの」

 

「本人は文化の継承なんて言っているわ」

 

 日本文化、日本庭園の文化を継承する為だと本人は言っていたとの事だが、多分に趣味でハマっただけなのだろうと渚レイはバッサリと切り捨てていた。

 

 取り合えず家に上がって温かいお茶でもとなった所で、ヒイロがストレリチアを庭の冒険に誘った。

 ストレリチアの目が、車から降りたら庭に釘付けだった事を見て男気を出したのだった。

 渚レイは雪も止んでいるのでアスカを見て、頷いたのを確認すると、冷える前に上がって来なさいよと許したのだった。

 

 

 チョコチョコと庭を走り回っている子ども2人を、縁側に置かれた応接ソファーに座って眺める大人2人。

 手には湯気の昇る湯呑があった。

 

「母親みたいね」

 

「母親だもの」

 

「………シンジにそっくり」

 

「そうね」

 

 積もった雪がキラキラと光を反射し、下からも子どもたちを明るく照らしている。

 まだ幼い子どもにとっては絶好の遊び道具だろう。

 二重窓を超えてくる子どもの甲高い声をBGMに、大人は言葉を交わす。

 

「碇君のクローン、そう見えたのね」

 

 アスカが思っていた事を言い当てる様に渚レイが口火を切った。

 綾波レイや式波アスカ・ラングレーと言う前例があり、この渚レイと言う女性もかつてはシンジに思いを抱いていたのだ。

 アスカが疑念を持つのも当然であった。

 だが、それは否定する。

 

「碇君が居ない。だからいっそ ―― そう思える程に私は割り切れなかったわ」

 

 それなりに夫、渚も愛しているのだからと続ける渚レイ。

 只、問題があったのだと言う。

 

「だけど私はクローン。そしてカヲルは__ 」

 

 元とは言え使徒だった渚カヲル。

 毎晩毎晩頑張っても生まれなかった。

 調べたら、両親の特殊性故に子どもを作り出す上での遺伝子情報が不足していたのだという。

 

「そーゆーモンなの?」

 

 アスカの声が真剣味を帯びる。

 クローン上がりで元使徒と言う、ある意味で渚夫妻を一人で背負っているのがアスカなのだ。

 話に真剣になるのも当然だった。

 

「成体クローンの部署で調査確認したらそういう事だったわ。だから碇君の情報を使ったの」

 

 遺伝子情報バンクに残されていたシンジの遺伝子情報で渚家の2人の遺伝子情報を補完させ、生み出したのだと言う。

 ある種の狂的科学者(マッドサイエンティスト)の所業であった。

 兎も角、補完する遺伝子情報自体はシンジのモノでなくても良かったのだが、どうせならシンジを子どもとしたいと言う思い(欲望)に於いては渚家の2人に歪み(ズレ)は無かった為、渚ヒイロは生まれたのだった。

 

「アンタたちがあの子にシンジって名付けなかった事だけは誉めてあげるわ」

 

 何を突っ込むべきかと悩んだ末に、アスカは単純に褒める事にした。

 その言葉に渚レイは何を当たり前の事をと返した。

 

「碇君は碇君。ヒイロはヒイロだもの」

 

 シンジへの思慕はあっても、渚カヲルへの愛情も当然ある。

 その上で子どもを欲したのだ。

 シンジを、シンジの身代わりを欲した訳ではないのだから。

 ヒイロの名は、シンジの名前から1文字取ろうとして迷走した挙句、鈴原家や相田家、或いは青葉家などの親交のある大人たちに相談した結果決まったものだった。

 渚家の夫婦は名前への拘りが薄すぎて、周りが考えるしかなかったとも言えた。

 諸々の結果、シンジに肖った名前と言う基本が決まり、その後、シンジは立派な事をしたと言う所からとって、シンジの様に真っすぐに(折れても立ち直って)育ってほしいとの願いを込めて、英雄と言う文字が当てられ、そこから女性陣が知恵を絞った結果であった。

 ヒーローからのアナグラム的な命名とも言えた。

 傍から見るとさっぱりわからない経緯であったが、取り合えず、生まれるまでには決まった良き名前だった。

 

 そして生まれてからは家を明るくしてくれた英雄であった。

 赤ん坊は口数が多いとは言えない2人を引っ掻き回し、若夫婦を親に、そして大人へと育てていた。

 

「ゴメン、キチンと母親やってたのね」

 

「育てさせてもらったって思っているわ」

 

「良い母親って顔をしているわ」

 

「そうかしら、判らないわ」

 

 手を頬に当ててそっと笑う渚レイに、アスカは自分に無い落ち着きを見た。

 この戦友は、いつの間にか先に行ったのだと納得せざる得ない顔だった。

 

「立派よ」

 

「そう言う貴方だって凄い成果を出したって聞いたわ」

 

「ワタシは、ワタシの為にやってるだけだから」

 

 子どもの儘、我儘にやってるだけだと自嘲するアスカ。

 そっと手を見る。

 14年走り続けた。

 その事に寸毫たりと後悔は無い。

 恥じる積りも無い。

 例え前のめりに倒れたとしても。

 今、この場で死んだとしても。

 

 手を握り、拳を作る。

 

「ワタシの手は子どもを掴む事には向いてないわ」

 

 守る手ではなく、前に進む為の、道を遮る壁へと遮二無二に食らいつくための手だからと言う。

 だが渚レイはその言葉を否定する。

 

「でも、あの子は貴方に懐いていたわ」

 

「………」

 

「貴方は自分を否定するわ。母親でも無いかもしれない。だけど、あの子にとって貴方は大事な大人(ヒト)だと見えるわ」

 

「アンタにこんな風に言われるなんて、あの夏の日々からじゃ想像も出来ないわ」

 

「人は成長するのよ。私も貴方も、カヲルもヒイロもあの子(ストレリチア)も。誰もが成長するのよ」

 

「ホント、母親よ、アンタ」

 

「母親よ?」

 

 

 会話がひと段落した後、大人たちは子どもたちを風呂に入れた。

 雪の中で夢中になって遊びすぎた子どもたちは、体が冷え切ってしまっており、大人たちと一緒にぬるま湯を張ったお風呂に長く浸かる事となる。

 

 

 

 

 

 アスカの第3新東京市時代の友人たちは、様々な立場や仕事で広大な第3東京圏の各地に散って生活していた。

 仕事に絡みもあって一度に集まったりする事も簡単には出来ず、又、そこまで自分に時間を使ってもらう事にアスカが遠慮をし、1週間ばかりかけて挨拶をして回った。

 又、第3東京圏の工廠が、超光速発揮実証実験機で性能を確認した新型の推進システム(バニシングモーター)の製造元であった為、アスカの乗る実験2号機(X-25-02) ―― 高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)に関する開発も行っていた。

 基本設計自体に変更などは無かったが、火星への試験運行で得られた情報を元にした設計の改正が行われたのだ。

 この為、2ヶ月ばかりの間、ストレリチアも一緒に渚家で過ごす事になった。

 

 

 日曜日。

 雪が解け切って春めいた日差しの下、渚家の庭で遊んでいるストレリチアとヒイロ。

 渚が、時間があると丹念に手入れをしている本格的な日本式庭園は子どもたちにとって格好の遊び場だった。

 鬼ごっこやかくれんぼう、果ては木登りまで。

 すっかり仲良しになって遊ぶ2人を、縁側から微笑ましくもほろ苦く見ているアスカ。

 理由は1つだ。

 仕事の方がひと段落した為、もうすぐアレクサンドロスに帰らねばならぬからだった。

 別れさせねばならぬ。

 アスカと共にストレリチアも帰らねばならぬのだ。

 

「………」

 

「帰らない。そんな選択肢もあるよ」

 

 物憂げなアスカに声を掛けたのは、この邸宅の主たる渚だった。

 日本趣味に被れた結果、藍色の甚平を身に着けている。

 顔が小さく頭身の多い渚が着ると、なんと言うか微妙に似合ってない感が漂っていたが、本人がとても楽しそうなのでアスカが何かを口にする事は無かった。

 

「人の感情を読むのはマナー違反よ?」

 

「そうかな? 僕には判らないよ」

 

「覚えときなさいってぇの」

 

 聊か乱暴な言葉を返すアスカ。

 何と言うか、お世話になっている手前で言うのもナンであるが、アスカはどうにも渚が苦手だった。

 顔は良いし態度も柔らかい人間なのだが、泰然自若と言うか超然としていて、からかわれたりするのがどうにも反発してしまいがちなのだ。

 後で渚レイに謝ったりもしていた。

 尤も、渚レイからも、アレは夫が悪い(渚が揶揄いすぎ)と謝られていたけども。

 

「でも、他人の意見を聞く事で考えがまとまる事もあるよ?」

 

「考えは決まってるわ。その点でワタシにブレは無いもの」

 

「………頑固だね」

 

「悪い?」

 

 ジロリと睨むアスカに、渚は両手を挙げて降参した。

 そういう風には言わないよ、と返した。

 

「只、可愛いストレリチアちゃんをヒイロと引き離すのは少し心が痛まないかい?」

 

「そうね。でも、出会いと別れはコインの表裏ってもんでしょ」

 

「自分は別れを否定する積りなのに?」

 

「それはイエスでありノーね。表裏だからこそひっくり返すのよ」

 

 目力が違った。

 アスカの蒼い目がランランとして力強く輝いている。

 人を惹きつける力を放っていた。

 

「強いんだね、君も」

 

「今更、止まる気も後戻りもする積りは無いってだけよ」

 

「好いてくれる人を捨てても?」

 

「アンタ、見てたの」

 

「いや、話を聞いてね」

 

 好いてくれる人、即ち第3東京圏に来たアスカへと愛の告白をした人間(勇者)が居たのだ。

 勇者の名は加地リョウジJr。

 第3東京圏の農業部門で活躍する若手エンジニアだった。

 本人の知らぬ縁もあって幾度かアスカと会い、会話し、そしてアスカの知性と蒼く輝く目への恋に落ちていたのだった。

 

 

 どこから知ったのか、アスカが不帰の覚悟で宇宙に出ると知って、好きだから行かないで欲しいと懇願してきたのだ。

 農業部門で作ってた早咲きのバラで花束を作って差し出すと言うオマケ付き。

 オマケに場所は第3東京圏の中央官庁街 ―― 公衆面前でだ。

 劇的な演出とも言えた。

 だがアスカは容赦しなかった。

 花束を受け取る事もなく、口を開いて切り捨てた。

 

『悪いけどワタシはアンタをそう見た事は無い。そしてこれからも無い』

 

 正に一刀両断であった。

 だが加地リョウジJrも止まらなかった。

 待ってくれと言いながらアスカの手を掴もうとした。

 してしまった。

 アスカを逃したくない一心だったのかもしれないが、最悪の一手であった。

 手が延ばされた瞬間、アスカの目が胡乱な人を見る目から不審者を睨む目へと変わった。

 スイッチが切り替わったのだ。

 延ばされた手、その手首を掴み捩じりながら体を加地リョウジJrの後ろへと動かし、膝に後ろから靴の爪先を押し込んで跪かせた。

 軍隊教本にでも乗せるべきレベルの体捌きであった。

 

『ワタシに好意を向けてくれてありがとう。だけどワタシは要らないと言った。それを素直に受け入れろ、理解した(オケィ)?』

 

 幼少期から鍛え抜かれ、戦い抜いてきた日々の成果は、今だアスカの体を錆びつけていなかった。

 が、加地リョウジJrもキメられた程度で折れる程に柔い人間では無かった。

 

『やめてください! 行かないで下さい!! アスカさん!!! アスカァッ!?』

 

 手首を掴む力が増し、抑え込むのではなく痛みを与えるものになる。

 

『アンタに言う事は2つ。1つは何の理由があっても女に手を出す奴はサイテーで、そしてもう1つ。アタシはアンタに()()()()()()()()()()()()()()

 

 怒りの割合的には後者が8割と言った感じで言うアスカ。

 その後は加地リョウジJrが如何に謝ろうとも、治安維持担当の人間が来るまで決して手を離さなかった。

 そして、治安維持担当に対しては、女性に暴力を振るおうとした変質者であると告げて押し付けたのだった。

 

 

 

「彼もコッテリと絞られてたらしいよ」

 

「どうでも良いわよ、そんな事」

 

 心底からどうでも良いと言い切るアスカに、流石の渚も笑いをこぼす。

 その上で1つ、尋ねた。

 

「もう良いのかい?」

 

 質問は漠然として、何を指すかも判らなかった。

 だがアスカは()()()()()()

 

「ワタシはシンジ以外は要らない。何も要らない」

 

 決め切ったアスカの返事に、渚は笑みを浮かべた。

 楽しそうに、実に楽しそうに意地悪な質問を重ねる。

 

「それだと、再会してから先も大変だよ?」

 

「それは、その時に考えるわ。今はシンジだけでいい。それ以外は全部不要なのよ」

 

「君は強情だね」

 

「世界の壁を乗り越えようって腹を決めたら、他の事なってやってる暇なんてないのよ」

 

 見つめ合い。

 否、睨み合い。

 どこか遠くでカラスが鳴いている。

 アスカは折れない。

 折れたのは渚だ。

 渚は甚平の懐から1枚のカード ―― 情報記録媒体(ポータブル・メモリ)を取り出し、アスカに差し出した。

 WILLEの文字が入っている、ごく普通の情報記録媒体にしか見えない。

 

 

「ナニ?」

 

 一応は受け取ったアスカ。

 しげしげと見ていると、渚が爆弾を投下した。

 

「シンジ君の居る場所への道さ」

 

「はぁっ!?」

 

「この星に残されているマイナス宇宙への門、境界。その座標だよ」

 

「はぁぁぁぁっ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げて、繁々と情報記録媒体と渚の顔を見比べるとアスカ。

 渚は、腹の底が読めない笑顔(アルカイックスマイル)を浮かべて言う。

 シンジは自分の事を除外し、アスカや他の人々の幸せを願った。

 だからこそ渚は、この情報をアスカに渡す気が無かった。

 今はシンジを求めても、何時かは妥協し、身の回りで幸せを探すだろうと思っていた。

 だが、そんな渚の予測をアスカ超えてみせたのだ。

 

「君は折れなかった。様々な苦難や誘惑を乗り越えて、一心不乱にシンジ君を求めた。だからご褒美さ」

 

「………情報の真偽も、もっと言えばどうしてアンタがこの情報を知っているのかなんて聞かないわよ」

 

「そうだね、感謝も要らないかな。僕が望むのはシンジ君の幸せだけだ。僕はそれを君に勝手に期待(Bet)するだけだよ」

 

「シンジは渡さないわよ?」

 

「流石の僕も学習したよ。大切なのはシンジ君だ。だけど愛しいのはレイだよ」

 

「フンッ!」

 

 誠にもってご馳走様。

 渚家に関わった誰もが味わうその気分を、アスカも味わったのだった。

 

 

 

 

 

 朝。

 ストレリチアは目が覚めるや否や、アスカから朝ごはんの前の散歩に誘われた。

 朝の澄んだ空気の下での散歩には独特の心地よさあった。

 渚邸の日本庭園には四阿もあり、一寸した休憩も出来る様になっている。

 だがストレリチアの心は、一緒に歩いているアスカにあった。

 何となく、だけれども散歩の理由を理解していた。

 アレクサンドロスへの帰還、或いは帰郷。

 楽しい日々の終わりであった。

 

「ねえストレリチア、アンタ楽しかった?」

 

 四阿に寄って、椅子に腰かけた時、アスカが前置きも無しに尋ねた。

 聡明なストレリチアは、それだけで()()()()のだと理解した。

 だから、背筋を伸ばして答える。

 

「楽しかった、です」

 

 掛け値なしの本音を告げた時、ストレリチアは何故か涙が出て居た。

 それまで生活してきた児童福祉施設では味わえない日々だった。

 良く笑えた。

 楽しかった。

 児童福祉施設は何処か、競争の場だった。

 親の居ない訳アリの場であり、そう多くないおやつや食事を奪い合い、そして施設職員に媚びる事を要求される場所だった。

 100歩譲って競争は仕方がない。

 だが、媚びると言う事は、この幼いながらもプライドの高い少女にとって果てしない苦痛であった。

 何かを要求された訳ではない。

 だが媚びた子どもと媚びなかった子とでは扱いに明白な差が生まれていた。

 そして何より、この場所にはヒイロが居る。

 出会った時は単純に妬ましかった。

 親が居て愛されるのが見て判ったから。

 親の愛を素直に信じていたから。

 だけど、一緒に過ごすうちに、このヒイロと言う少年は底なしに素直で、優しいのだと理解した。

 笑顔が可愛かった。

 渚レイに貰ったおやつを分けてくれる優しさが嬉しかった。

 転んだ時に助けようとしてくれる勇気が心地よかった。

 だから、いつまでも一緒に居たかった。

 いつの間にか恋に落ちていた。

 初恋だ。

 そのヒイロと離れる ―― 終わりを心底から理解した時、ストレリチアは自覚せぬままに涙を流したのだった。

 

 穢れの無い涙が、アスカにストレリチアの心を理解させた。

 嫌がっての大泣きではなく、耐えきれずに流した涙が()()だという事を。

 内心で溜息をつく。

 シンジ程じゃないけど、ヒイロも良い子であり、良い男に育つかもしれない。

 だけど、にしたって、ワタシ(略同型の式波Typeクローン)だからって男の趣味が同じ過ぎないかい、と。

 とは言え、そんな些末事は意識に棚を作って放り投げる。

 大事な事はそこではないのだから。

 

「考えすぎなのよ。理屈で世の中を見ようとする」

 

 アスカはそう乱暴に言いながら、だが繊細な指使いで優しくストレリチアの涙を拭った。

 その顔は優しく、果てしない愛に満ちていた。

 

「嫌なくらいワタシによく似てる。理屈で考えて退いてしまう」

 

 恋とは戦争なのだ。

 奪い合いであり、それは世界との闘いであり、恋敵との闘いでもあり、相手の親との闘いでもあるのだ。

 我儘で良いのだ。

 我儘を言って、言われて、感情を相手にぶつける。

 それが恋だとアスカは思っていた。

 

「何も嫌じゃありません」

 

 意地っ張り。

 或いは本音か。

 だからアスカは頬から手を放してゆっくりと抱きしめる。

 震えているのが判る。

 だから、小さなストレリチアの()を守る様に優しく、だけど断固とした力をもって抱きしめる。

 

「我慢しなくて良い。我慢なんて大人になってからすれば良いわ。だからアナタにワタシは2つの(選択肢)を用意したわ」

 

 抱きしめながら言葉を連ねていくアスカ。

 ストレリチアが悲しまない様に、絶望しない様に言葉を紡いでいく。

 

「1つはアタシと一緒にアレクサンドロスに帰る事。施設の他の子どもたちと切磋琢磨する道。今までの、ほんの2ヶ月前と同じ道」

 

 頭を寄せ、ストレリチアの髪にキスをする。

 そしてもう1つの、希望を示す。

 

「或いは、ここに残る道。今までとは全く違う人間関係を作ったり勉強したり、後、この家でお客様扱いじゃなくて家族となってお手伝いしたりとかで大変な道」

 

 ストレリチアの体が跳ねた。

 信じられない言葉を聞いたとばかりにアスカを見上げる。

 対してアスカは、笑い(ドヤッとし)ながらウィンクを1つ。

 

「聞くまでも無い、か」

 

「はい!!」

 

 涙をポロポロと流しながら、とても綺麗な笑顔でストレリチアは答えていた。

 

 

 

 

 

 ヒイロに会いに走っていくストレリチアの背中を見送るアスカ。

 一仕事終えた満足感が、煙草を吸いたいと真剣に思わせた。

 とは言え渚家は禁煙な為、ポケットから煙草を取り出すのは我慢した。

 その代わり、1枚のカードを抜く。

 

「そういう事だからお願い。コレはワタシの全財産、養育費で使っといて」

 

 いつの間にかアスカの後ろには渚レイが立っていた。

 此方も果てしなく優しそうな笑顔を浮かべている。

 

「判ってたんでしょうね、別れが近いって。ヒイロも寂しがってたもの。だからあの子を残してくれてありがとう」

 

「あの子の為よ」

 

「そうね、私も子どもの為よ」

 

 だから、カードを受け取らないと言う渚レイ。

 だが、アスカは無理やりに押し付ける。

 

「ダンナの稼ぎが良くっても、あるに越したモンじゃないのが現金よ。それにワタシは多分、帰ってこれないから。持っててもしょうがないのよ」

 

「なら、あの子が成人した時まで預かっておくわ」

 

「成人前でも結婚式なりで入用なら使ってよね」

 

「そちらは私も出したいもの、折半よ」

 

 譲り合い、譲り合わぬ話。

 何とも母親的な会話だ。

 あの暑い夏、第3新東京市から数えて28年。

 かつての少女たちは正しく成長しているのだった。

 

「肩の荷が下りた感じよね」

 

「後は碇君ね。アスカ、よろしく頼むわ」

 

「任せないってーの」

 

 拳を作り、力こぶを見せる仕草のアスカ。

 アスカは次は自分だと、自分の為に奔り出す。

 

 

 

 

 

 




シンジが行方不明です。
が、後悔は無い。

シンで登場したロリっ子なアスカとショタなシンジを出したくてやった。
満足している (*゚∀゚)=3 ムッハー

後、加持Jr メンゴメンゴ。
ま、何だ、別のキャラでも良かったんだけど、なんと言うか運が悪かったとおもいねー
ほらさー よくあるじゃん。
男側が壁ドンして愛を囁いたら女側がキュンキュンとかさー
ニコポならぬドンポってどーよー 的な?



さて、シリアスパートはここで終了。
後はコレは酷いと言うお話になりまする。
多分、1話で終わり、外伝が1つですかねー
途中でネタを思いつかない限り(お

2021.05.06 文章修正
2021.06.13 文章修正
2021.09.23 文章修正


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かくして碇シンジは囚われる

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 衛星軌道上に設けられたWILLEの宇宙開発の拠点、ISS-05(エンジェルス・ネスト)

 旧NERVスタッフなどの、使徒戦役からの古参からは苦笑と共に受け入れられる異名の与えられたISS-05はエヴァンゲリオン由来の技術によって、宇宙に出る事が比較的容易となった時代の宇宙ステーションである為、かつてのソレと比べて構造は極めて巨大であった。

 中空の円筒にも似た形をしており、そこに太陽光パネルや各種モジュールが接続されたISS-05は1000m級の全長を持った宇宙開発史で空前の大きさとなっていた。

 100人からが滞在できる居住区画や大規模実験棟、だが何よりも巨大なのは宇宙船などの製造棟であった。

 現在、エヴァンゲリオン系の技術を本格的に採用した第3世代型宇宙船エンタープライズが艤装を行っていた。

 月軌道まで航行した、セカンドインパクト以前の第1世代型宇宙船や、SEELEとユーロNERVが主体となって開発した火星軌道までも行動圏内に収める第2世代型宇宙船が、比較的に小規模で少人数が狭い空間で居住せざる得なかったのに対し、この第3世代型宇宙船は全長が100mを優に超える、本格的なフネとしての能力を持った正しく宇宙()であった。

 宇宙開発を推し進める、人類の象徴的な宇宙船であった。

 とは言えWILLE内部では就役前にも拘わらず、最新鋭との看板が付けられる事は無かったが。

 これは、現在は式波アスカ・ラングレーの研究チーム ―― 汎用ヒト型工業機(デヴァイス)研究開発チームが実証実験に成功した光速推進システム(バニシングモーター)の搭載を最初から想定した第4世代型宇宙船の設計が進んでいるからであった。

 そして、その光速推進システム(バニシングモーター)技術を基に開発されたマイナス宇宙突入機、高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)がISS-05の建造棟で最後の機器チェックを行っていた。

 銀色を基調として所々に赤と紫のラインが入ったヒト型の試験機(デヴァイス)がシステムの統合指揮ユニット(モーター)であり、この試験機が跨る様な形で接続(ジョイント)されているのがカヌーボートにも似たデザインをした純白の光速推進ユニット(ハーリング)であった。

 この2つが1つとなって高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)となっている。

 態々に機体を分けている理由は、元の超光速発揮実証実験機X-25(プロフェシー)の名残であった。

 高価格な制御部分を、新規設計ではなく自立運用も可能な汎用ヒト型工業機(デヴァイス)に担わせる事で安く早く完成させる事が出来たのだ。

 尚、汎用ヒト型工業機(デヴァイス)のセンサー及びコクピット周りだけを流用しなかったのは、アスカの研究チームに引き渡されたのが中古 ―― 他の研究チームが散々に利用していた、失われても惜しくない機体だったと言うのが大きい。

 有体に言えば面倒くさかったのだ。

 必要な部分を取り外して、専用のフレームを作ると言うのが。

 又、実験対象の推進器(バニシングモーター)の出力に余裕があり、汎用ヒト型工業機(デヴァイス)程度の重量であれば例え数機に増えた所で誤差と見れると言うのも大きかった。

 そして高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)X-25(プロフェシー)の2号機を流用して作られた為、同様の構造となっていたのだ。

 

 アスカは高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)のコックピットでチェックリストの最終確認を行っていた。

 コクピットは、1号機たるX-25-01とは異なり複座仕様となっていた。

 本来は収集した情報を集め、或いは増設したセンサーの管制用電算機(アビオニクス)が鎮座していた部分を撤去し、もう1人、人を乗せられる様にしていたのだ。

 捕まえた碇シンジを連れ帰る為であった。

 

「全項目確認、此方では異常は出てないわ、そちらはどう?」

 

 そこら辺に浮かしていた通信機(スマートデバイス)に尋ねるアスカ。

 相手は機外の側の確認者であった。

 機体内部の、機体管制システムからのチェックと外部からのチェックと言う二重確認を行っていたのだ。

 

『………」

 

「ん?」

 

 返事が来ないので通信機を拾って確認したら、相手の若い研究スタッフは顔を真っ赤にしていた。

 

「なに、体調不良?」

 

『な、な、なっ何でも無いです! 外部側でも全項目確認、異常ありません。全表示グリーンです!!』

 

「そう?」

 

 アスカは少しばかり自覚が足りなかった。

 自分が、嘗てのプラグスーツにも似た体の線がハッキリと出る真っ赤な気化L.C.L環境対応スーツを着ていると言う事の自覚が。

 肉体年齢で28歳頃と推測されるアスカの豊満な、ある意味で女ざかりと言って良いボディラインは、若い(スケベェな)研究スタッフにとって暴力的ですらあったのだ。

 研究漬けであったアスカだが、体を訛らさない為とストレス発散とを目的に定期的にトレーニングジムに通っていた結果、柔らかさと精悍さとを両立させた素晴らしい(ワガママ)ボディを作り上げていた。

 そんな、何時もは服に隠れて想像するしかないモノが、下手な水着よりもハッキリと見える格好になって開陳されているのだから、まだ若い研究スタッフ(チェリー)が真っ赤になってしまうのも仕方の無い話であった。

 

 

 粛々と進められていく最終確認。

 その様を高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)計画の総責任者にして宇宙技術部門(ISS-05)の責任者でもある青葉(伊吹)マヤは、腕を組んで黙って見ていた。

 嘗ての幼さすら漂っていた若い頃や、荒んでいたとも言えるAAAブンダー時代とは異なり、今は円熟した凛々しさとでも言うべき雰囲気を漂わせている。

 旦那への感情は別として、敬愛する副長先輩 ―― 赤木リツコを真似て短くした髪が良く似合っていた。

 尚、髪を金色に染める事は旦那である青葉シゲルが必死に阻止していた。

 

 と、ISS-05の建造棟管理官(ドック長)が青葉マヤの所に飛んできた。

 年単位で宇宙空間で過ごしている為か、絶妙な体捌きで着地する。

 ブーツに仕込まれたマグネットが着地の反動を殺す仕草は、秀麗の一言であった。

 それは、人類は宇宙空間を研究の場では無く生活の場としつつある証拠と言うべきなのかもしれない。

 人類はアディショナルインパクトを超えて新しいステージに上りつつあるとも言えるだろう。

 それは、ある意味で人類補完計画が成立したと評価できるのかもしれない。

 

光速推進ユニット(ハーリング)、3度目の外部確認が終了しました。全システムに異常はありません。最終確認と承認を願います」

 

 3度の外部確認を行うのは、まだ光速推進システム(バニシングモーター)の技術が安定していないからであった。

 青葉マヤの判断だけであれば、本来であれば光速推進システム(バニシングモーター)はもう何度か、贅沢を言えば2桁の無人機による試験運用を経てから人間が試乗するべきであった。

 それ程に人類の科学史から見て未知の領域の技術であったのだ。

 にも拘わらず実行される理由は、偏に、実行者であるアスカの強い願いがあればこそだった。

 青葉マヤは、確認項目にキチンと目を通し、ISS-05責任者としての最終承認ボタンに触れる。

 

「良いのね、アスカ」

 

 最後の確認としてアスカに尋ねる。

 酔いも悪いも無く、只、その為に生きてきたのがアスカだ。

 返事は1つでしかなかった。

 

『問題が無いなら承認して、疾く早く(プリィーズ)

 

 アスカに迷いも、それこそ躊躇も無かった。

 故に青葉マヤは携帯情報端末(PDA)の承認ボタンに触れ、承認者の欄に自分の名前をサインする。

 ピン! と言う小さく軽い音と共に、実行認否確認中と黄色い文字で表示されていたのが、青い実行承認に変わった。

 

 

 

 全ての確認が終わった高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)は、作業艇(ボート)の手でISS-05を離れた。

 様々な観測機器、そして多くの人間が見守る中、カウントダウンが進んでいく。

 

 見守る人間には、ストレリチアの姿もあった。

 後学の為にと渚夫妻、渚ヒイロと共に来ていたのだった。

 ストレリチアはヒイロと手を握り合っていた。

 無重力に四苦八苦しながら、体を動かすたびに何処かへ流されそうになるのをヒイロと支え合っていたのだ。

 流石に子供向けのマグネットブーツ(ISS用機械化靴)などは作られていなかったのだ。

 手すりに掴まったり、或いは床の配線に足を絡めさせたりして、何とか2人は床に足を付けていた。

 その微笑ましい姿は、実験を前にした観測室の重苦しい雰囲気を幾ばくかばかり中和していた。

 

「握ってて」

 

 陽光を反射し輝く高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)を見ながら、ストレリチアはヒイロにお願いする。

 アスカとの今生の判れは済ませていた。

 だから後は耐えるだけ。

 だからこそヒイロに頼るのだ。

 縋る様なストレリチアの小さな声、だけどヒイロは決して聞き逃さない。

 

「うん、離さない」

 

 ギュッと力が込められた手。

 握られた手。

 温かい手。

 その事がストレリチアに、自分の居る場所を教える。

 ヒイロは、何処にも行かさないと体を寄せた。

 

 その時、カウントダウンがゼロになる。

 高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)が動き出す。

 最初はゆっくりと、次第に加速していく。

 それはホンの数秒の事だった。

 一気に加速し光となる。

 音も光も振動すらも無く、翔ぶ。

 

「行ってらっしゃい、アスカさん(お母さん)

 

 

 

 ISS-05を離れた高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)は光速の8割ほどを維持して一度、月軌道の外側迄進出し緩いカーブをもって地球への突入ルートに乗る。

 後は、渚カヲルからもたらされたマイナス宇宙へ突入出来る座標 ―― 南極上空のポイントへと突貫あるのみとなる。

 その事を示すアラームを聞いたアスカは、一度、目を瞑った。

 深呼吸。

 開かれた蒼い目には覚悟のみがあった。

 

「アスカ、行くわよ」

 

 躊躇する事無く、操縦桿(グリップ)の赤い最終加速ボタンを押し込む。

 光となった。

 

 

 

高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)、突入確認! 実験は成功です!!』

 

 放送(アナウンス)と共に、観測室では歓声が爆発した。

 人類の新しい一歩が示された事、その場に立ち会えたことの喜びでもあった。

 そんな中にあってストレリチアは喪失感を味わっていた。

 だが、1人ではない。

 ヒイロがギュッと抱きしめてくれているから。

 だから、涙を零すだけで耐えられていた。

 伴星の様に涙を連れたストレリチアの頬に、ヒイロは父親譲りな仕草で頬を合わせる。

 

「僕が一緒に居る。いつまでも居るから」

 

「ありがとう」

 

 自分の体に回されたヒイロの手に、ストレリチアは縋っていた。

 

 

 

 

 

 境界を突破し、マイナス宇宙へと潜った高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)

 初めて意識して見たそこは無限の宇宙だった。

 自分が何処までも広がる様な感覚をアスカは味わう。

 

 地球の外。

 太陽系の外。

 オリオン腕の外。

 銀河の外。

 銀河団の外。

 

 因果律の外側にあるマイナス宇宙。

 アスカの知覚が広がっていく。

 人とは?

 宇宙とは?

 浮かび上がってくる疑問、或いは知の走り。

 だがアスカは歯をむき出しにして、どうでも良いと笑う。

 ()()()()()

 シンジだけで良いのだ。

 宇宙の真実、人類の存在意義なんてどうでも良かった。

 シンジだけで良いのだ。

 人の両手でつかめるものなど限られている。

 だから、アスカはシンジだけ掴めれば良かったのだ。

 

 光がアスカの視野を埋め尽くした。

 

 霞が掛かった様な世界。

 銀河。

 宇宙。

 高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)は翔んでいる。

 動いていない。

 次元の壁を越えた為、軸が失われているのだ。

 

 アスカは真っ赤な人の顔の様なものを持った宇宙船の船団を見た。

 赤だけではなく、青や黄の色の宇宙船がたくさん群れている。

 近くて遠いそれらは、果てしなく巨大だった。

 惑星よりも大きいかもしれない。

 それらが、叫びと共に惑星を砕き、3つが1つとなって巨大なロボットへと姿を変えていった。

 閃光。

 星々が煌きと共に失われていく。

 その眩しさに、アスカは反射的に目を閉じていた。

 

 気づいた時、銀河の外に居た。

 何もない場所。

 と、白亜の、天使の形をした宇宙船が、全天を覆う敵と戦っているのが見えた。

 傷つきながらも突き進む気高い姿。

 壊れ征く宇宙船の破片が光の欠片となって宇宙へと風にまいていく。

 

 気づいた時、時間の流れの果てに居た。

 すぐ近くに黄金のロボット、その頭頂部に座った藍色の髪の少女を見た。

 人形の様に整った顔、細い手足。

 超然とした少女は、薄い笑みを浮かべてアスカに気づいて手を振っていた。

 

 気づいた時、全ての外側に居た。

 巨大な白と銀色のロボットと黒と赤色のロボットが戦うのが見えた。

 舞の様に戦うのが見えた。

 光をまき散らす、その身と同じ大きさの金色の槍をもって戦っていた。

 

 気づいた時、歌が流れていた。

 歌詞は判らないが、只、ひたすらに優しい歌。

 愛の歌だとアスカは思った。

 巨大な、巨大すぎる何かがお腹で歌っているのが見えた。

 その手に、翼を持った蒼い人を乗せて、飛んで行った。

 

 

 

 アスカは、何も分からなくなっていくのが判った。

 見た事、聞いた事、知覚した事、それらが混然となってアスカを埋め尽くそうとしていた。

 因果律の果てへと果てへと流れていく。

 マイナス宇宙の情報は、願望器(エヴァンゲリオン)を携えぬ只の1人の女、否、いつしか嘗て(第2の少女)の姿に戻った式波アスカ・ラングレーと言う器を満たしつくし、溢れさせていた。

 あふれ出る流れによって、自分が漂白されていくのが判る。

 だがアスカに抵抗の術は無い。

 嬉しかったこと。

 悲しかったこと。

 思いですらも手から零れ落ち、解けていこうとする。

 自分が消えていくと言う恐怖。

 

「バカシンジィ!!」

 

 叫び、それは救いを求める声でも願いでも無かった。

 只、アスカにとって縋りたいのは神でも仏でも無いと言うだけの、魂の悲鳴。

 

 水音。

 恐ろしく澄んだ、水面に落とされた水滴の音と共に、アスカを弄んでいた情報が途切れた。

 

「………」

 

 目を開けば、高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)の左右に大きな光る柱が立っているのが見えた。

 否、柱ではない。

 尋常ではない大きさの、それは腕だった。

 宇宙と言う水面から、アスカがそっと掬い上げられたのだ。

 

 

“貴方は勇敢なのですね。でもここは少し遠すぎる”

 

 

 言葉が音とならずにアスカに伝わった。

 その優しさは、それまでの嵐の様な情報とは全く事なっていた。

 情報の質量こそ大きかったが、決してアスカを吹き飛ばそうとはしないのだから。

 だからアスカは思わず、目を閉じて身を委ねていた。

 

 瞬きの様な時間。

 だがそれだけでアスカは理解した。

 世界が1つではない事を。

 因果律と言うものを。

 次元の間、高位次元の存在を。

 

 シンジが、あの世界に於ける因果律の紡ぎ手(世界再構築)を担った事を理解した。

 ()()()なのだ。

 因果律を紡ぐと言う事は1次元()2次元()3次元(立体)4次元(時間)、更にその上の上の次元の権能が無ければ出来ぬのだ。

 果てしなく神の座に近い行い。

 それをシンジは、願望器(エヴァンゲリオン)新生の槍(スピアー・オブ・ガイウス)をもって成していたのだった。

 只のヒトの身で辿り着ける場所では無かった。

 

 

“それでも貴方は諦めませんか?”

 

 

 尋ねられる言葉。

 

「諦めるかっちゅーの!!」

 

 疲弊しても尚、アスカは力一杯に即答した。

 断言した。

 それが誰であれ、どんな事であれ、アスカにシンジを諦めると言う選択肢は無かった。

 

“でしたら鍛えなければいけませんね”

 

 それまで遠かった声が、アスカのすぐ傍から響いた。

 気づいた時、アスカの眼前、コクピットの中に女性が浮かんでいた。

 幽玄な雰囲気を漂わせた、長く青い髪の女性だ。

 微笑んでアスカを見ている。

 

「今日が私でよかったわ。あの子は少し乱暴だから」

 

 玲瓏たる声。

 少しだけ茶目っ気が出て居た。

 只、只の女性ではない事だけはアスカにも理解できていた。

 

「アナタは誰?」

 

「私は津名魅、貴女の勇気を称え顕在した(頂神)

 

 高位次元生命体 ―― 11次元の存在たる津名魅から見て、粗末と言って良い高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)で上位次元世界へと挑んだアスカの勇気は、蛮勇としか評しないものであった。

 だがそれでも尚、その勇気は褒めるに値する行為であった。

 半分は自殺行為にも似たものであったとは言え。

 だから津名魅は現れたのだ。

 世界を跳ぶ船乗りのもとへと。

 

「さぁ跳びますよ」

 

「へっ!?」

 

 アスカの返事を待つことなく、世界は白く光り出す。

 神は人の反応を待たない。

 自らが決めた事を粛々と行うのみであった。

 

 白が世界を埋め尽くす(ホワイトアウト)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 潮騒。

 寄せてはひく波の音。

 

 

「僕を好きだと言ってくれてありがとう」

 

 好きだった。

 アスカが過去形で言った事の意味をシンジは誤る事なく理解していた。

 アスカの戦いを、その覚悟を理解していたのだから。

 だからこそシンジも同じ言葉を返した。

 

「僕も好きだったよ」

 

 エヴァンゲリオンを、全てのエヴァンゲリオンを、己の命を使ってでも消すと決めたシンジ。

 アスカが、多くの人が幸せになる為にエヴァンゲリオンを消す。

 だからこそ忘れて貰う為に、言葉を連ねる。

 本当は何も言わない方が良かったのかもしれない。

 アスカの幸せを、この後の生を思えばそれが正しいのかもしれない。

 だがそれでもシンジは今生の最後にアスカともう一度だけ、会いたかったのだ。

 悲しい程の、小さな我儘であった。

 フト、シンジは己の行いが父、碇ゲンドウが己の人類補完計画(シナリオ)を行おうとした事と同じだと気付いた。

 ただ会いたかったのだ、大切な人と。

 シンジはアスカと。

 ゲンドウは碇ユイと。

 心が欲したのだ。

 

 大人になったアスカの顔。

 本当なら、こうなっていたんだろうと思えるアスカ。

 そのアスカの顔を心に焼き付けるシンジ。

 

 抱きしめたかった。

 離れたくなかった。

 だが、シンジは別れねばならぬ。

 エヴァンゲリオンを消し、ガイウスの槍を使う事でこのマイナス宇宙がどうなるのか見当もつかない。

 消えるのか、それとも止まるのか。

 その中で自分がどうなるのかも判らない。

 皆目見当がつかない。

 だが、やらねば成らぬのだ。

 

 ()()()()()、大事な人をそんな場所に置いておく事など出来る筈も無かった。

 幸せになって欲しい、その願いを込めてアスカを送る。

 

「ケンスケによろしくね」

 

 送る先は第3村、アスカと一緒に住めたあのケンスケの家だ。

 相田ケンスケがアスカの居場所になるかは判らない。

 だけど、あの気のいい親友は、アスカが足を止めてしまったら、再び歩き出すまで支えてくれるだろう事は信じられた。

 だからこそ、シンジは相田の元へとアスカを送るのだ。

 

 エヴァンゲリオン第13号機のエントリープラグにアスカを乗せ、送り出す。

 一瞬で光となって消えて跳ぶ。

 深い喪失感がシンジを襲うが、涙は流さない。

 涙で救えるのは自分だけだから。

 シンジはアスカと、世界を救うと決めたのだから。

 

 凛々しい顔をしたシンジ。

 砂浜に立つその足が、情け容赦なく払われた。

 

「はっ?」

 

 ステーンっとしりもちをつくシンジ。

 何事かと見上げれば、アスカが居た。

 今、別れた筈のアスカが、14歳の頃の姿で居た。

 茶色を基調として、赤い差し色の入った不思議な服を着て立っていた。

 

「あっ、アスカ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げるシンジ。

 対するアスカはとても楽しそうな顔をしている。

 楽しそうではあるが、なんと言うか、不穏な空気も漂わせている。

 あの懐かしい(コンフォート17)で、怒った時の姿を思い出させる雰囲気だ。

 

「何で、何でぇっ!?」

 

 混乱するシンジの両頬にアスカの手が添えられる。

 アスカは笑顔のまま、だけども蒼い目には一切の笑いが無い(シリアスだ)

 添えられた手に力が入り、一気にシンジの頭を掴むとそのままぶん投げた。

 海へ。

 怒声と共に。

 

「くぉのぉバカァシンジィィィィィ!!!!!!!!」

 

 反応する前に派手に海へと投げられる。

 放物線を描いて飛び、着水、派手に水柱を上げる。

 腰くらいの深さの海に沈んで浮き上がる。

 口から入り込んだ海水に咽込んで、鼻に入った海水が死ぬほど痛いけど、それどころじゃない。

 慌てて起き上がったシンジが顔を拭って周りを見れば、アスカがズンズンと歩いてくるのが見えた。

 水面を歩いてくるその姿は、正直な話として怖いし逃げたい。

 腰が引けるシンジ。

 だけども、逃げちゃ駄目だと心のどこかが教えてくれていた。

 だから逃げずにアスカに向き合う。

 

 但し、どうしてもヤケクソな声にはなってしまったが。

 

「どうしてここに居るんだよアスカ! 第3村に帰ってよ!! ここはもう終わるんだよ!!!」

 

「煩いバカシンジ! アタシがどんな思いをしたかっ、どれだけ苦労して()()()()()と思ってるの!!」

 

「戻ってって………」

 

 その言葉の意味する事を考えようとしたシンジは、延ばされてきたアスカの両手に再び捕まった。

 次の衝撃(ヒステリー)を予想したシンジだったが、その手は果てしなく優しく掴まえただけだった。

 引き上げられるシンジ。

 アスカの様に、謎の力で水面に立たされた。

 

 正面からアスカを見る。

 正面からアスカに見られる。

 

 自分の姿が映るアスカの蒼い瞳に、シンジは囚われる。

 

「アンタが帰したアタシ、そのアタシは14年掛けて戻ってきたわ。バカシンジ、覚悟しなさい。たとえ今、また返されたとしてもワタシは又、14年でも何年でも掛けてこの場に戻ってきてやる」

 

 一息に言い切ったアスカは俯いて肩で息をする。

 瞳が逸らされ自由が戻ったシンジは、そっと自分の頭を掴んでいるアスカの手に手を添える。

 

「アスカ………」

 

「馬鹿、ばっかぁしんじぃ」

 

 シンジはアスカの手が震えている事に気づいた。

 そして、アスカが泣いている事にも。

 だから手をそっと動かした、アスカの手から二の腕へと渡り、そして体へと。

 抱きしめた。

 

「ゴメン、アスカ。良かれと思ったんだ。アスカには生きていて欲しいって思ったんだ」

 

「………勝手に決めるなバカシンジ」

 

 涙に震えるアスカの声。

 その声に背中を押される様にアスカを抱きしめる力を籠める。

 アスカも又、その手をシンジの背中に這わせる。

 

 抱きしめ、抱きしめられる。

 頬をなすり合い、お互いのぬくもりとを感じ合う。

 

 どれ程抱き合っていただろうか。

 少しだけ落ち着いたシンジは、吐息の湿度と匂いからアスカの顔が見たくなる。

 近すぎると幸せだけども見えない。

 だから、おずおずとアスカの頬から顔を離し、そして細い頤に手を添えて顔を上げさせた。

 涙に濡れたアスカの蒼い瞳は、吸い込まれそうな魅力を放っていた。

 だからシンジは言葉を紡ぐ。

 

「アスカ、一緒に居て」

 

 居て欲しいと言う願いではない。

 居てくれますかと言う確認でも無い。

 一緒に居る事を望む、我儘だった。

 それをアスカは快諾する。

 

「バカシンジ、ワタシはその為に戻ってきたのよ?」

 

「有難う、アスカ」

 

 唇を重ねる2人。

 2人で世界の改変を始める。

 新世紀(ネオジェネシス)

 世界が変わる。

 変わる世界。

 だがそれでも決して離れまいと2人の手は、指と指とが絡め合い、硬く結びついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浜辺へと顕在化したエヴァンゲリオン8号機。

 だが、誰も居ない。

 

「あれ、わんこ君、どこぉ?」

 

 真希波マリ・イラストリアスの声が、潮騒の音に交じってどこか間抜けに響いた。

 

 

 

 

 

 




 ごめんよ、真希波マリ・イラストリアス。
 君は良いお嬢さんんだけど、オチ担当として優秀過ぎるのだ!!

 尚、外伝と言うか蛇足で、もう少しコメディを担当してもらうがな!!


>因果律の果て
1)ゲッター艦隊
 尚、アスカの機体は視認していた模様

2)銀河の外 ―― 誤解されがちだったけど、リプミラ号
 85億年後の戦いと言う、SFとしてはブッチギリなタイトルホルダーな時間軸で戦闘中。
 でもたぶん、リプミラは見つけたね!

3)時の流れの果て ―― KOGとラキシス
 無論気付いている。
 神様だもの(ナハナハ

4)全ての外側にして箱の中 ―― デモンベインvsリベル・レギス戦
 軍神世界ではないので割とまだましだけど、シャイニング(以下略を振り回しているので、本当に世界がヤヴァス
 尚、ナイア=サンは永劫の果てを見ていたのでアスカに気づかなかった(あぶねー

5)因果律を超えたお腹で歌う ―― マクロスF
 ところでアルトや、とっとと嫁の所に戻れ(真顔


2021.05.12 文章修正
2021.06.05 後書追加


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真希波さん、只今疾走中

+

 地球上から失われた筈の、蒼い清浄なる海。

 その波打ち際に立つ真希波マリ・イラストリアスは、体中から水を滴らせながら浜辺へと上がる。

 かき上げた、後ろへと流した前髪が何時もとは違う雰囲気を醸し出している。

 眼鏡と相まって理知的と言える風貌である。

 だが、その表情は只々只管に困惑の色が浮かんでいた。

 

「あっるぇ? わんこ君??」

 

 浜辺を見渡す。

 誰も居ない。

 本当ならば、碇シンジが居るべき場所。

 だが居ない。

 

「嘘ーっ!?」

 

 何時もは余裕しゃくしゃくと言った態度を崩さぬ真希波マリ・イラストリアスであったが、今は冷や汗を流しながら周りを見る。

 

「この場に居る筈なのに!?」

 

 目を凝らしたり、或いは瞼を揉んだりもした。

 無駄であった。

 何も変わらない。

 当然である。

 マイナス宇宙は現実とは違う物理法則に支配された超空間(上位次元)であり、人の目で見る事の出来る内容が事実である訳では無い。

 人が理解出来る様に()()されて見えているのだ。

 だから、隠れていると言う事はあり得ない。

 居る筈なのだ。

 居ないと言うのはあり得ないのだ。

 エヴァンゲリオン8号機γは確かに、シンジの生体反応を捉えていたのだから。

 

「いやいやいや、嘘でしょ! わんこくーーーん、出ておいでぇ」

 

 真希波マリ・イラストリアスは、シンジを探してマイナス宇宙にやってきたのだ。

 葛城ミサトに託された、人類(ガイウス)の槍を携えてやってきた。

 途中で人類(ガイウス)の槍とは離れ離れとなってしまったが、エヴァンゲリオンMark.09-Aを捕食した事で超空間(マイナス宇宙)対応能力を得たエヴァンゲリオン8号機γ、その超常的なセンサーの力でここまで来たのだ。

 

 顔色が真っ青になっていく。

 空が、世界が色を失いつつあるのが理解出来たからである。

 ()()()()()()()

 マイナス宇宙(上位次元)に、そして、この場たるゴルゴダオブジェクトに、異物たる真希波マリ・イラストリアスは排除されようとしているのだ。

 それは、シンジが行った世界の再構築(ネオンジェネシス)、エヴァンゲリオンの無い世界を作ろうと言う思いの影響でもあった。

 正しく善意。

 世界に送り返された、シンジの最愛(式波アスカ・ラングレー)を筆頭に、生き残った人たちが平和に暮らす為に、そして今後はこんな馬鹿げた世界滅亡の危機が再発しない為の措置。

 だが問題は、今の真希波マリ・イラストリアスにとっては命の危機に直結すると言う事だ。

 エヴァンゲリオン8号機γが消滅してしまえば、このマイナス宇宙(上位次元)から脱出する術を失う。

 失ってしまえば、後は解けるだけなのだから。

 

 慌ててエヴァンゲリオン8号機γのエントリープラグに戻る真希波マリ・イラストリアス。

 全ての手順(起動シーケンス)を吹っ飛ばして機体を起動させる。

 既に、エントリープラグ内のインテリアすら半透明になりつつある。

 

「緊急避難だ! わんこ君の所に__ 」

 

 次元跳躍を実行しようとし、シンジの座標を確認しようとする。

 と、信じられない情報をエヴァンゲリオン8号機γのセンサーが捉えた。

 生体情報だ。

 居る筈の無い人間、そうアスカだ。

 

「姫! ナンデ!? ええい、迷ってる暇はない!! 女は度胸!!! 緊急避難だ!!!!」

 

 エヴァンゲリオン8号機γは真希波マリ・イラストリアスの意志に従い、飛ぶ。

 浜辺から掻き消えたピンク色の巨人。

 間一髪であり、その数秒後に世界は色を失い、線を失い、ただ漂白されたのだった。

 

 

 

 

 

 次元を超えるエヴァンゲリオン8号機γ。

 その能力は高位次元転移機(バイ・コーザリティ・ダイバー)の様な人類の科学が齎したモノでは無く、願望器としてのエヴァンゲリオンが本来有している力であった。

 だからこそ、乗り手たる真希波マリ・イラストリアスの願いに従って、シンジとアスカのもとへと飛ぶのであった。

 

“権能を失いつつも願いに応えたいんだね。可愛い子だよ。でも、そのまま顕在すると世界が少し困った事になるからね。だからコッチにおいで。この子は私が送っておいてあげるから”

 

 と、真希波マリ・イラストリアス以外は誰もいない筈の空間に()が響いた。

 音ではない。

 違う何かで、意志が伝わってくる。

 

「何!?」

 

 慌てて周りを見渡すけれども誰もいない。

 通信システムも起動していない。

 だが、感じるモノがある。

 それは根源的な所から湧き上がる畏れだ。

 

“心配する必要はないよ。キチンと送っておいてあげるから”

 

 何処かしら笑うような、楽しむ様な(意志)

 その空気に、何となく信用できない感じを味わう真希波マリ・イラストリアス。

 だが、反論も抗議もする間もなく、跳ばされる。

 

“じゃ、いっといで~ ”

 

 昏くなっていくエントリープラグ。

 と、ヒト ―― カニの様なナニカを見た瞬間、真希波マリ・イラストリアスの意識はブラックアウトするのだった。

 

 

 

 

 

 名前を呼ばれた。

 だから、真希波マリ・イラストリアスは醒めたのだった。

 

「どうしたかね?」

 

 寝起きの様な、或いは夢から醒めた様な気分を味わう。

 不思議な感覚。

 自分が自分になった様な、何か。

 その違和感を飲み込んで真希波マリ・イラストリアスは、自分の名前を呼んだ相手に視線を合わせる。

 

()()()()()()()()()()()()

 

 最後に見た時よりもまだ若い、溌溂とした雰囲気の冬月コウゾウであった。

 NERVの制服ではなく背広に、白衣をコートの様に着ている。

 そもそも、この場はWILLEのAAAブンダーは勿論、NERVでも無い。

 新しいとは言えない鉄筋コンクリートの建物。

 壁には増設された配線が大量に走っている。

 何処だろうか、此処は。

 違和感を口にしてしまう前に、真希波マリ・イラストリアスの口が動いた。

 

「しかし、今日は出て来られない筈だったのでは?」

 

 呟きながら真希波マリ・イラストリアスの意識が繋がった。

 そうだ。

 京都大学の教授で、高位次元物理学の教授である冬月コウゾウ。

 専攻は形而上生物学ではないし、この世界にNERVなどと云う組織は存在しない。

 真っ当に学問の徒として生きている。

 懐かしさが真希波マリ・イラストリアスの胸に来る。

 あの世界の冬月コウゾウでは無い、初めて出会った冬月コウゾウによく似た雰囲気があったからだ。

 とは言え、それを口にはしない。

 出来る筈も無い。

 

「ああ。第2東京市まで行く予定だったが、()の方がコッチに来ていてな。お陰で手早く終わってしまったと言う事だ」

 

 今日は、第2新東京市まで行って昔の教え子に逢うのだと言っていたのだ。

 

リニア(リニア新幹線)のチケットが無駄になりましたね」

 

「何、もう払い戻しをしてもらっているよ」

 

 私用なので、旅費は大学から出ないからねと笑う冬月コウゾウ。

 一大事ですからねと返す真希波マリ・イラストリアス。

 笑いながら、その脳内で情報が組みあがっている。

 

 私の名前は真希波マリ。

 イラストリアス姓は無い只の真希波マリ。

 京都大学の教職員。

 高位次元物理学で冬月コウゾウの下で助教職にあり、若いながらも准教授の席が目の前に見えている才媛。

 家族は居ない天涯孤独の身。

 

 この世界の私、なんで形而上生物学を専攻しなかったのだろう。

 そんな疑問を覚えながら、記憶を探る。

 シンジとアスカの名前を探る。

 居ない。

 記憶にない。

 エヴァンゲリオン8号機γはシンジの匂いを追っていた筈だった。

 謎の声だってそう言っていた。

 居る筈なのだ。

 2人は。

 

「そうだな。マリ君、君は覚えているかね、碇ユイ君の事を」

 

「ユイ先輩!? 忘れる筈がありませんよ!!」

 

 被っていた猫がどこかに逃げ散る勢いで返事をする真希波マリ・イラストリアス。

 碇ユイ。

 憧れであり、六分儀ゲンドウに奪われた大事な人。

 それはこの世界でも一緒だった。

 碇ユイの名前に紐づけされた情報が蘇る。

 この日本連邦で最も力の入れられている学問である高位次元物理学。

 その最先端に居るのが冬月コウゾウとそのゼミなのだ。

 碇ユイは真希波マリの先輩であった。

 結婚と共に職を辞して、今は、ああ、碇ゲンドウと一緒に国際連盟で仕事をしていると聞いている。

 碇ゲンドウと結婚していると言うのは仕方がない。

 だが、()()()()だと? と内心で首を傾げる。

 真希波マリ・イラストリアスの記憶では、国際連盟と言う組織は第2次世界大戦の終結した1946年に解散した筈なのだ。

 そして国連に移行した。

 にも拘わらず、国際連盟があると言う。

 世界は何があった!? そんな真希波マリ・イラストリアスの疑問に気付く事無く、冬月コウゾウは笑っていた。

 

「相変わらずだねマリ君。実はユイ君の息子が今度結婚する事になったのだ」

 

ゑっ(( ゚Д゚)ハァ?)

 

「マリ君も乳幼児だった頃に1度は逢っている筈だよ、シンジ君だ。父親に似ず好青年に育っているようだ」

 

へぇ(( ゚Д゚)ハァ?)

 

「学業よりは音楽家の道を選んでいてね、今は本場であるヨーロッパで活動していてな、そしてそこで出会ったらしい。フン、碇め。中々にしかめっ面をしていたよ」

 

ほぉ(( ゚Д゚)ハァ?)

 

「それで私にも結婚式に参加しませんか、と話が来たのだ。私も何度かはシンジ君と会ってもいるし、最初のドイツ留学に関しては京大のドイツ分校で世話をしたしな」

 

 余りの情報量に目を回しそうになる真希波マリ・イラストリアス。

 シンジと自分との縁は繋がっていた。

 だが、結婚すると言う。

 愛しき姫たるアスカの為、シンジを連れ帰る積りであったが、結婚するとなれば話が違ってくる。

 どうするべきかと頭が痛くなる。

 と言うかシンジは音楽家に成ったと言う。

 14歳では無い。

 カレンダーを確認する。

 2021年だ。

 21歳と言う事だろうか。

 にしても状況が変わり過ぎている。

 取り敢えず、シンジに会ってみるしかない。

 アスカを捨てて、この世界の女性と添い遂げたいとなれば、それはソレでシンジの選択となる。

 が、であれば1発は殴ってやらねば気が済まぬ。

 でなければアスカが可哀そう過ぎると言うものであった。

 

「何人か連れて来て良いと言う事だったのだが、どうかねマリ君。君も行って見ないかね?」

 

「宜しいんですか」

 

「うむ、ユイ君たちも行くと言うからね。なら縁のある君が行くのが良いだろう」

 

「でしたら喜んで!」

 

 満面の笑みを浮かべる真希波マリ・イラストリアス。

 だが心の中で握りこぶしを作っていた。

 フンフンっとシャドーボクシングを脳内でしながら、フト、そう言えばシンジの結婚相手を聞いてないと思った。

 誰であろうか、と。

 

「そう言えばワ、碇シンジ君の結婚相手って誰なんですか」

 

「そうか、そこも説明が足りなかったか。私も慶事に浮かれていたのかもな。この娘さんだよ」

 

 結婚式の招待状と思しき書類を見せる冬月コウゾウ。

 そこには少しだけ成長したシンジと、赤毛の見事な美人の写真があった。

 蒼い瞳をした美人。

 

「姫?」

 

 少しだけ垂れた目。

 意志の強さが見て取れる顔。

 特徴的な鮮やかさのある赤毛。

 14年もの間一緒に居たのだ、見間違う筈も無い。

 アスカだった。

 

「ああ、お姫様に見えるかね。なんでも昔はフォンと名前に付けていたドイツの名家の出身らしいからね」

 

「な、名前は?」

 

「式波アスカ・ランギー、ウチ(京大)のドイツ校で君と同じ教職員に就いているとの事だ」

 

 専門は宇宙工学だの、何だのと言う事を冬月コウゾウが言っているが、真希波マリ・イラストリアスの耳を通り過ぎていた。

 只、何かに感動する様な気分を味わっていた。

 

 何故なら、着飾った写真に写っているアスカは笑顔だったから。

 シンジと2人、笑顔だったからだ。

 コレが見たかったんだ。

 そんな思いを抱いていた。

 

 

 

 

 

 



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世界は少し変わっている

+

 碇シンジと式波アスカ・ランギー(式波アスカ・ラングレー)の結婚式に出る事になった真希波マリ・イラストリアス。

 其処から先は怒涛の展開だった。

 仕事の方は問題は無い。

 上司である冬月コウゾウと一緒、と言うか、その冬月コウゾウに誘われたのだ。

 締め切りが迫っているモノも無い。

 移動費他、滞在費だって招待側が持つので気楽なモノだ。

 とは言え結婚式に相応しい服装、その他、持ってはいたのだが学生時代に作ったモノらしく、少しばかり流行おくれであった。

 男性であれば冠婚葬祭の服装は背広(礼服)1つで済むし、流行おくれと言うのは余り発生し辛い。

 でも、女性用の服装は違う。

 服装が変われば、合わせる装飾も変えなければならない。

 仕事の合間に店を巡って探すのだ。

 正に一苦労であった。

 量販店で軽く買う訳にはいかない。

 何と言ってもアスカの晴れ舞台に列席するのだ。

 欠片とて劣る様な格好をする訳にはいかなかった。

 尚、シンジに関して言えば、私の様な美女が着飾って行ってあげるのだから問題は無いでしょというのが真希波マリ・イラストリアスの感情であった。

 中々にはっきりとした優先順位が存在していた。

 気合を入れて服を探す。

 幸いであったのは、この世界の真希波マリ・イラストリアス、否、真希波マリは無駄遣いを好まなかったので、貯金通帳の軍資金は十分だという事だろう。

 とは言え、華美過ぎて花嫁衣裳のアスカより目立っても駄目なのだ。

 中々に難しい問題があった。

 衣装が買えれば、次は旅行バックだ。

 旅行バックが買えれば、次はアレがコレがと次々と湧き上がってくる。

 誠に面倒くさかったというのが、真希波マリ・イラストリアスの本音であった。

 

 兎も角。

 あれよあれよという間に時間が流れ、気が付けば飛行機に乗っていた真希波マリ・イラストリアス。

 呆然としているが、その理由は状況の変化が急だからではなかった。

 世界が余りにも違い過ぎていたからだ。

 先ずは飛行場。

 大災害(セカンドインパクト)で水没し、放棄された筈の関西空港から飛び立ったのだ。

 否、関西空港だけではない。

 眼下に広がる日本は海面上昇などの気配を欠片も感じさせない。

 そもそも、大都市大阪だって健在だし、アスカの結婚式に参列するための衣装だって、大阪市の百貨店で買いそろえたのだ。

 世界は平和だった。

 全く以って、素晴らしい事であるのだが、理解が追い付かないのも事実だった。

 故に、取り敢えずはドイツまでの時間を費やして世界を知る積りであった。

 

 10時間を超える機内時間。

 とは言え、プレゼントされた航空機チケットはビジネスクラスであり、窮屈さなどとは無縁の時間であった。

 シンジとアスカ。

 そのどちらの実家が金を出したのかは判らないが、どちらにせよ富豪であると真希波マリ・イラストリアスは感心していた。

 シンジの実家、碇家は碇ゲンドウを見ていれば、そこまで金が無いとは思えていた。

 国連特務機関たるNERVも無い現在、高給取り(NERV総司令官)などではないだろう。

 ではランギー家、或いは式波家かと言えば此方も判らない。

 そもそも、エヴァンゲリオンの専属パイロット(制御用生体ユニット)として生み出されたアスカに家と呼べるモノは無い。

 ランギーがラングレーのドイツ読みであるにしても、意味が解らない。

 早く会ってみたい。

 会ってみれば判るかもしれない。

 或いは、式波Typeのベースとなった、言わばアスカオリジナルの存在が関わっているのかもしれない。

 とは言え、仮称アスカオリジナルに関しては、全ての情報が削除されており、その生体情報は1から組み立てられた、言わば作られた子ども(デザイナーズチルドレン)とされていた。

 尤も、それを真希波マリ・イラストリアスは鼻で笑って否定していたが。

 人間と言うモノはそう簡単では無い。

 特に、綾波Seriesを見れば判る。

 リリス(リリンの母たる存在)の生体情報を流用していても、それをヒト(リリン)の枠に収める為には綾波()ユイの生体情報を必要として居たのだから。

 だが、そう言う疑念よりも、今は手に入る情報 ―― 世界情勢の方が優先課題であった。

 個人的好奇心もあったが、同時に、ドイツに渡ったての世間話の際に違和感を持たれない為の努力でもあった。

 真希波マリ・イラストリアスの中に、この世界で生きて来た自分、真希波マリの記憶はある。

 だが、それは日常を生きるための記憶であり、世界を知る上で必要な整理された情報では無いのだ。

 だからこそ、真希波マリ・イラストリアスはネットワーク端末(タブレット)で世界を知ろうとする。

 した。

 世界が何故、こうなっているのかと。

 

「なんじゃそりゃっ!?」

 

 思わず、そう言ってしまう程に世界は複雑怪奇(カオス)だった。

 取り敢えずと、冬月コウゾウにお勧めの近現代史本を聞いて購入した(資料)、その1ページ目に、日本がタイムスリップしたと書かれていた。

 二度見した。

 文字通りであった。

 ソ連人だと言う筆者は前書きで、『神よ、コレが試練ならば耐えます(ファッキンゴット!)でもジョークなら恨みます(ブッダシット!!)』と書いていた。

 共産主義的に神の事を口にしても良いのかと、場違いと言うか現実逃避的な事を真希波マリ・イラストリアスは考えていた。

 呆れ。

 或いはそれよりも重いナニカを感じ、だが本好き(ビブリオフィリア)の本能によって指先はページをめくり、目は文字を拾った。

 頭痛が痛くなる。

 日本が高位次元物理学とか言う怪しげな理論の産物で生み出された、次元振動弾によって100年のタイムスリップをしたと書いてある。

 タチの悪い火葬戦記(パルプフィクション)だった。

 

 うん、無理だ。

 色々と無理だと感じた真希波マリ・イラストリアスはそっと本を閉じた。

 目も閉じた。

 ドイツに付けばシンジが居る。

 アスカは、真希波マリ・イラストリアスが知るアスカでは無いだろうが、シンジはエヴァンゲリオン8号機γが追った相手なのだ。

 本物の筈だ。

 なれば、もうシンジに聞く(吐かせる)のが一番だ。

 そう考えたのだ。

 綾波ユイに頼まれ、人類補完計画の間を縫ってシンジを救わんとして永い永い月日を駆け抜けて来たのだ。

 であれば、少しばかり我儘を言っても良いだろう。

 そんな事を考えながら。

 

 

 

 

 

 ドイツ。

 正式には日本連邦特別自治邦国ハンブルク(ハンブルク共和国)、その首都であるハンブルク市に併設されている国際空港に降り立つ航空機。

 ユーロNERVの研究所があった為、真希波マリ・イラストリアスにとっては幾度も訪れた事のある都市であったが、何とも別物めいた雰囲気であった。

 ドイツらしい(ゲルマン的)建物では無く、何とも日本の地方都市めいた雰囲気があった。

 醤油臭いと言うべきだろうか。

 車は左側通行であり、看板は半分以上が日本語。

 ドイツ語は、日本本土での英語並みにフレーバーめいて使われているだけの有様であった。

 

「国外に来た気がしませんね」

 

 正直、国内線ターミナルと言われても納得するレベルのソレを見て、呆れにも似た感情を口にする真希波マリ・イラストリアス。

 出歩いている人の半分以上は白人種(コーカソイド)であったが、飛び交っている言語の大半は日本語なのだ。

 売店の妙齢の売り子(パッキンボインボインガール)が、もうかりまっせとか、ぼちぼちでっせとか言っているのだ。

 実に頭痛が痛い情景(SAN値チェック案件)であった。

 だが、冬月コウゾウは笑って流す。

 

内地(日本列島)とは違うが、それでもここはれっきとした日本。日本連邦の構成国だからね」

 

「ええ、そうでしょうけど………」

 

 脳みその内側に痛打を与える(100メガショックな)本によれば、特別自治邦国ハンブルク(ハンブルク共和国)は日本連邦を構成する8つの邦国の1つにして、最西端の国家だと言う。

 漁業と農業が産業の中心であり、外貨獲得手段が傭兵 ―― 日本連邦統合軍に対する人員拠出と言う、実にアレな国家であった。

 尚、ハンブルク共和国を正式名称としない理由は、近隣諸国に対する政治的配慮であった。

 70余年前の、第2次世界大戦と言うよりもドイツ戦争とよばれる戦争の影響であった。

 別名はドイツ解体戦争。

 アドルフ・ヒトラーとNazis一党による独裁国家の影響であった。

 かつて存在したドイツの民族国家、ドイツ連邦帝国(サードライヒ)によって甚大な被害を被ったオランダやフランスは、ドイツの民族国家の存在は許されざると公言して憚らぬと言う。

 何とも奇妙奇天烈な情勢(イカレた時代)であった。

 少なくとも、真希波マリ・イラストリアスにとっては。

 

「ま、君の()()も理解するが、余り表には出さぬようにな。ここは外地であっても日本と言う意識の強い土地だからな。差別だ! 等と言われては困るからね」

 

 フィールドワークとして、日本連邦の各邦国を回った経験豊富な冬月コウゾウは少しだけ茶目っ気を出して笑う。

 朝鮮(コリア)共和国に並んで、自分たちは日本人だと言う意識が強いのだと言う。

 日本の支援(管理)が無ければ国家が立ち行かない ―― フランスかオランダ、或いはポーランドに併合されかねないと言う危機感故の事だろうと続けた。

 それだけ、憎悪されているのだとも。

 とは言え真希波マリ・イラストリアス、それを簡単には納得できなかった。

 かつての世界の記憶、常識があればこその理屈があったからだ。

 

「でも冬月先生、ヴェルサイユ条約で民族自決の原則は確立した筈では?」

 

 第1次世界大戦の血腥い経験から生み出された、民族自決の概念。

 それは普遍的なモノではないかと思って居たからである。

 だが、冬月コウゾウ苦笑と共に否定する。

 

「マリ君は世界史、いや国際情勢には少し疎いようだね」

 

 かくして冬月コウゾウは説明する。

 1930年代から1945年までの出来事を解説を交えて説明していく。

 

 ドイツ人による国家が世界に2度も戦火を齎した事が民族自決の原則を問題視する空気を作った。

 民族自決の原則は大事であっても、迷惑を被るのは許されざる。

 そういう言う事である。

 ドイツ戦争後に明らかになった、ヒトラーとNazis党による世界工作の実態(反G4としての不安定化工作)の数々が、その考えを後押しした。

 フランス領アフリカ(フランス海外県)でドイツが行った独立運動(武装蜂起)では、宗主国(フランス)を相手にした活動だけであれば問題は無かったのだが、直ぐに武装蜂起した集団は軍閥化し、管理下に治めた地域で圧政を行い出したのだ。

 暴力、婦女暴行や少年兵問題。

 ドイツによるバルカン半島統治すら()()()と呼べるような惨状であった。

 情報収集をしていたブリテンの国際連盟代表が、『さながら暗黒大陸の如し』などと云うレポートを上げる程であった。

 理想として民族自決の原則は正しい。

 だが、教育の十分では無く、或いは能力の無い人間(民族)に無条件で与えるのは文明国の態度ではない ―― ある意味で覇権主義時代の列強が有していた()()()が生き残っているとも言えた。

 それが冬月コウゾウの解釈であった。

 

「是非に関しては別として、覇権国家たち(ジャパンアングロ)は世界に対する責任を果たそうとしているとも言えるだろう」

 

 少なくともドイツ戦争(事実上の第2次世界大戦)以後、大規模な戦争状態、或いは紛争は発生していないと続けた。

 

「平和な時代、ですからね」

 

 感慨深く呟く真希波マリ・イラストリアス。

 この世界のアスカは判らぬが、シンジは子どものままに過酷な時代を、それも一等過酷な場所を駆け抜けたのだ。

 身命を賭してアスカと世界を守ろうとしたのだ。

 であれば、もうその先は平穏こそが似つかわしい。

 否、平穏であらねばならぬと思って居た。

 

 飛行機から降ろされたスーツケースを回収し、ロビーへと向かう2人。

 ゲートを抜けた先で、冬月コウゾウは迎えを見つけた。

 

「おや、君が来たのか」

 

「お久しぶりです、冬月先生」

 

 シンジだった。

 

「新郎に新婦がお出迎えとはな。忙しくは無いのかね?」

 

「決める所は全部終わってますから。後は待つだけです」

 

「手早くかね? そんな所はユイ君に似たのだろう」

 

 親し気に冬月コウゾウと話しているシンジ。

 碇家と冬月コウゾウの縁は深く、シンジが日本に居た頃は正月などで度々、挨拶に来ていた。

 シンジはお年玉を貰ったりもしていた。

 家長たる碇ゲンドウは、冬月コウゾウが来ればムッツリとした顔で将棋を指し、或いは会話をしていた。

 その関係は、今も続いていた。

 シンジにとって冬月コウゾウは親戚の小父さん、そんなヒトであった。

 だからこそ冬月コウゾウがシンジの結婚式に呼ばれたとも言えた。

 

 懐かしさから言葉を連ね、そして隣に立つアスカを紹介するシンジ。

 アスカも如才なく挨拶をする。

 そして話は、冬月コウゾウの連れたる真希波マリ・イラストリアスに向かう。

 真希波マリ・イラストリアスとアスカの目があった。

 その瞬間、2人は察した。

 寸毫の差でアスカが先に気付いた。

 

「コネメガネ?」

 

 小さな声。

 だが、それが真希波マリ・イラストリアスに確信を与えた。

 

「ひっ、姫なの?」

 

 その呼びかけに、アスカはニヤっとばかりに笑った。

 

 

 

 シンジの運転する車で空港から移動する。

 先ずは冬月コウゾウと真希波マリ・イラストリアスが宿泊するホテルに向かう。

 荷物、それに真希波マリ・イラストリアスとアスカが車から降りて、シンジと冬月コウゾウは碇ゲンドウと碇ユイの居るランギー家に向かった。

 

「本当に姫だ、姫。姫なんだ」

 

 流石に、スイートルームとまでは行かないが、ビジネスホテルのソレとは段違いに広いホテルの部屋に入った瞬間、真希波マリ・イラストリアスは全てを捨てる様な勢いでアスカに抱き着いていた。

 ほおずりして匂いを嗅いでいた。

 その様は、何ともネコめいていた。

 違いは、その瞳に涙を浮かべている事だろうか。

 故にアスカは、仕方がないなと言わんばかりの表情で好きにさせていた。

 とはいえ、流石にキスをしようとした時には頭を掴んで阻止したが。

 

「何すんのよ」

 

「姫ぇ~ 再会を祝う熱いベーゼは必要だと思うのよ、この状況だと」

 

「い・や・よ」

 

「姫、つれない!」

 

「うっさい!!」

 

 とは言え、真希波マリ・イラストリアスがこれ程に感情的になったのには理由があった。

 最早、アスカとは会えない。

 そんな思いがあったからだ。

 エヴァンゲリオン第13号機に囚われた時、シンジに助けを願ったが、それが確実に実現するとは思って居なかった。

 だからこそ、それを救ってくれたシンジへの感謝の念があった。

 そして同時に、自分は第3村に帰ったアスカの所には行けないだろうとの確信があった。

 シンジを見つけ、救い、そして世界に戻す事までを可能とする所までは諸々を計算していたが、そこに自分の帰還と言うものは含めていなかったのだ。

 だからこそアスカに告げたのだ。

 お達者で、と。

 

 そのアスカに逢えた。

 触れられる。

 会話できる。

 真希波マリ・イラストリアスにとってシンジは大事な相手であった。

 だが、それと似て違うベクトルでアスカは極めて大事な相手であった。

 

「でも、姫はどうしてこの世界に居るの?」

 

 第3村に帰った筈だったのだから。

 それをアスカは鼻で笑う。

 

「シンジを、私の男を掴まえに戻ったのよ。何か文句ある?」

 

 全てを端折って、だが力いっぱいに断言するアスカ。

 実にアスカだと真希波マリ・イラストリアスは涙をこぼしながら笑った。

 

「うわー 姫だ」

 

 とは言え説明不足ではある為、言葉を続ける。

 次元を超え、無理矢理にシンジの所に行こうとしたけども、失敗しかけて助けてもらった。

 助けてもらい、鍛えてもらい、シンジの所に行けたのだと言う。

 

「誰に?」

 

「津名魅()

 

「ひ、姫が様って言った!?」

 

「………アタシだって、余りの格上にはそう付けるわよ?」

 

「そんなにスゴイの?」

 

「だって、神様だもの」

 

 正確に言うならば、高位次元生命体だと言うアスカ。

 そしてシンジに会いう為の支えて貰った対価として、自分は仕える事になったとも続ける。

 アスカは、自分の耳に付いた深い紫色の意志に触れた。

 

「…………姫は、姫はそれで良いの?」

 

「問題無いわ。バカシンジだって一緒だモノ。アイツ、津名魅様に僕もアスカと一緒に働きます。働かせてください言ったのよ」

 

 ホント、バカだと甘やかな声を言うアスカ。

 その表情は実に幸せそうであった。

 

「幸せ?」

 

「そうね。幸せだと思うわ」

 

 一緒に居る。

 一緒に眠れる。

 一緒に食事が出来る。

 何より、会話が出来る。

 触れ合える。

 WILLEでの日々の中で願って止まなかった事が、今、日常の様に味わえるのだ。

 それを幸せと呼ばずして何と言うのか、そうアスカは考えていた。

 

「姫、本当に幸せそう」

 

 アスカの幸せの気持ち(オーラ)が伝わってか、真希波マリ・イラストリアスも笑顔になっていた。

 

 珈琲でも飲もうと言う話になって、アレコレと準備を始めたアスカ。

 それは実に女の子らしい所作であり、そこにはかつての自暴自棄、自分をエヴァンゲリオンの部品(生体制御ユニット)だと自嘲していた頃の姿は無かった。

 それも又、真希波マリ・イラストリアスの心を温かくしてくれる。

 守りたかった、哀しい姫が、人に戻れたのだと思うからだ。

 

 一服。

 ふかふかのソファに座って珈琲を飲んで、そして穏やかな時間を味わう。

 と、真希波マリ・イラストリアスが疑問を口にした。

 

「でも、何でこの世界に居るの、姫とわんこ君が」

 

「ああ。仕事の一貫よ。この世界に大規模タイムスリップがあったって知ってるわよね?」

 

「日本と、その周辺が100年から過去に跳ばされたって言う?」

 

「そ。次元振動弾って言うのが影響しているんだけど、その影響で、この世界の次元指数が乱れちゃって安定しなくなっちゃって。それで鷲羽様の命令を受けてここに居るのよ」

 

 次元指数の乱れは次元の混乱に繋がる。

 問題がこの次元、この宇宙だけで止まるのであれば座視していても良いが、並列する3.5次元空間に波及するリスクがあるのだ。

 であれば、今、頂神が降りてきている宇宙まで影響が出てしまう。

 だからこそ、であった。

 頂神の配下であるシンジとアスカが、この世界に居る事で次元を安定させる事が出来るのだと言う。

 

「判った?」

 

「うん、わかんない」

 

「でしょうね」

 

 高位次元とかそこら辺、全く認知外の話であったのだ。

 真希波マリ・イラストリアスが混乱するのも当然と言う反応であった。

 

「取り合えず、鷲羽様がアンタのエヴァ(エヴァンゲリオン8号機γ)を修理してくれてるわ。それが終わり次第、アンタは戻れる」

 

 消滅しかかっていたエヴァンゲリオン8号機γは、多次元移動機としての機能を付与する方向で改修されているのだと言う。

 

「アンタは帰りなさい」

 

「………姫たちはどうするの?」

 

「アタシとシンジは宮仕え。ま、シンジと一緒なんだもの。どこだって幸せよ?」

 

 衒いの無い笑み。

 本当に、心の底から自身は幸せであると考えている笑みであった。

 本当に本当に、それが見たかったのだ。

 そう真希波マリ・イラストリアスが思える笑顔だった。

 だからこそ()が出た。

 

「私も姫たちと一緒に居たい」

 

「………アタシ達、これから新婚なんだけど?」

 

「そこらから先にアチシが居ても良いじゃん!!!!」

 

 ぎゃぎゃーと声を上げる真希波マリ・イラストリアス。

 抵抗するアスカ。

 2人の口論は、シンジが来るまで続くのであった。

 

 

 

 

 

 




+
 お気づきの方もいらっしゃるでしょうけど補足です。
 今、シンジとアスカが調律中の世界は、愚作タイムスリップ令和ジャパンの世界です。
 アスカとシンジにマリをどこで逢わせようか? と考えた時に、ナンジャコリャー!? させる為に、こうなりますた(w

 作品に対しては、フレーバーテキストなので、余り考えすぎないでくださいませ(お


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