アサルトリリィ BOUQUET  ~if~ (クロスカウンター)
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(用語説明・前書き) ※未視聴者向け、スキップ可

アニメ未視聴者向け。
一部はアニメよりやや詳しい説明も。

各キャラクターのビジュアルについては公式サイトを参照↓ ※若干ネタバレあり
https://anime.assaultlily-pj.com/character/

(4/16誤字修正。ご報告ありがとうございます)


〇ヒュージ

 人を襲う謎の巨大生命体。

 生物がマギの力で暴走したものと考えられている。金属様の体表や触手を備えていたりする。

 小さいもので数m、大きいもので400~1000mとも言われる。

 サイズによって、スモール、ミドル、ラージ、ギガント、アルトラと名称が変わる。また、ラージ級以上はリリィでなければ倒せない。

 

〇リリィ

 ヒュージと戦う力を持った女性の総称。

 少女である必要はないが、ピーク(概ね高校生の15~18歳辺り)を超えると力が減退するとされている。

 一応、戦える男性も0ではないらしいが、殆ど存在せず、作中には出てこない。

 

〇マギ

 リリィやヒュージの力の源。

 詳細は分かっていないが、身体能力が上がったり、特殊能力(レアスキル)を使えるようになったりする。

 なお、リリィの有り様は魔法使いと言うより戦士。マギを撃ち出して戦う訳でなく、『マギで強化された身体で戦っている』イメージ。

 

〇チャーム

 リリィの武器。剣・斧・盾・銃など、見た目は様々。大抵は変形機構が備わっており、銃撃モードと斬撃モードを使い分けることができる。

 また、コア部分(マギクリスタルコア)が、マギ行使に必要な詠唱など無数の魔術的契約を代行してくれている。よって、チャームを持っていればそれだけで戦闘能力が大きく上がる。

 逆に言えば、チャームがなければ戦闘力は格段に落ちる。『リリィがチャームを手放すときは死ぬ時』とも言われる。

 

〇スキラー数値

 詳細は不明だが、恐らくマギ出力に関する指標。数値が高いほどマギを扱う効率が高い。

 どのレアスキル(特殊能力)に覚醒できるかに関わる他、これが50ないとチャームを起動できない。

 主人公のリリ(と仲間のフミ)は50なのでギリギリ。とはいえ、50さえあればチャームのスペックに差は出ないらしい。例外として、特殊仕様のチャームの起動により高いスキラー数値が必要になることもある。

 

〇ガーデン

 リリィ育成の学校。地域防衛の拠点でもある。

 百合ヶ丘女学院では、幼稚園から高校までの一貫教育がされている。幼稚舎、初等部、中等部、高等部それぞれでセレクション(入試)がある。事情があれば途中で入学・転校することもある。

 

〇レギオン

 リリィが戦闘する部隊の単位。ガーデンによるが、基本的に9名以上が必要。

 特定のレアスキルが必須だったり、ガーデン側が組織することがあったり、細かい縛りもある。

 SSS~A級(orそれ未満)までの格付けがある。

 

〇百合ヶ丘のレギオン(一部抜粋)

・(初代)アールヴヘイム

 作戦遂行率100%を誇った伝説のレギオン。現・一柳隊のユユやマイもここの元メンバー。初戦は甲州撤退戦(ユユ達が中3の頃)。解散は御台場迎撃戦の後(高1の晩春)。リリ達が入学する約1年前に解散していることになる。

 

・(2代目)アールヴヘイム

 アールヴヘイムの解散を惜しんで、その名を引き継いだレギオン。壱盤隊とも。

 初代のメンバーからソラハ、エナ、アカネの3名が参加している。結成直後から外征に駆り出される実力派。格付けSSS。

 

・レギンレイヴ(水夕会)

 リリのクラスメイト、六角汐里が副将を務めるレギオン。18名の大所帯。

 六角汐里は、フミの私見では『最強の1年生』。また、初代アールヴヘイムからは聖・和香が参加している。

 格付けSSS。アールヴヘイムと並び、最強レギオンの一角。

 

・一柳隊

リリ達のレギオン。実力者も多いが、個性派ぞろいであり、活躍はこれから。

 

 

〇ノインヴェルト戦術

 9人のリリィが力を合わせてヒュージに一撃を叩きこむ必殺技。

 マギスフィアと呼ばれるマギの塊をパスしながら味方のマギを集めてヒュージにぶつける。マギの消耗が大きい諸刃の剣でもある。

 なお、この戦術が生まれるまでは、ヒュージとの1対1を主とする『デュエル』という戦い方が主流だった。この結果、多くのリリィが犠牲になったとされている。

 現3年生(リリ達新入生の2つ上、ユユの一つ上)の世代までが『デュエル年代』である。

 

〇シュッツエンゲル-シルト

 百合ヶ丘女学院の疑似姉妹制度。

 『上級生(シュッツエンゲル)』が『下級生(シルト)』を守り導くという制度。シュッツエンゲルになった上級生を「お姉さま」と呼ぶこともある。

 なお、別に契りを結んだからといってイチャイチャする訳ではない。もうちょっとイチャイチャしてもいいと思う。

 

 

----(以下人物紹介)

 

 

〇一柳梨璃(リリ)

 本作の主人公。無邪気だが無鉄砲な少女。2年前に白井ユユに助けられ、百合ヶ丘女学院に入学することを決意した。入学時点では全くの素人だが、動きに目を見張るものがある。

 人当たりが良く、周囲から好かれるタイプ。他人との距離が(物理的に)近い。

 多分、天然ボケ。

 

「初めまして。私、一柳梨璃って言います。一つの『柳』の『木』に、果物の『梨』と、瑠璃色の『璃』と書いて一柳梨璃っ」 byアニメ1話

 

〇二川二水(フミ)

 小柄で大人しい少女。しかしリリィの話題になるとテンションが上がるリリィオタク。

 リリと同じく補欠合格組で、リリィとしてはまだ半人前。

 週刊リリィ新聞なるものを発行している。実は先輩にずばずば取材する度胸もある。

 多分、ツッコミ担当で苦労人。

 

「今のは楓・J・ヌーベルさんでは!? あの方は有名なチャームメーカー・グランギニョルの総帥を父に持つご自身も有能なリリィなんですよ!」「フミでいいよ~。私みたいな補欠合格のへっぽこが、シュッツエンゲルなんて……!」 byアニメ1話

 

 

〇楓・J・ヌーベル(楓)

 有名チャームメーカー『グランギニョル社』の社長令嬢。自信満々で堂々としている。

 リリィとしての実力も高く、才女で、非の打ちどころのないお嬢様……なのだが、どこか呑気な性格をしているのであまり凄い感じはしない。リリにぞっこん。

 多分、ボケもツッコみもするタイプ。

(アニメでは語られなかったが、実は司令塔として、世界レベルの実力を持っている)

 

「はーい、そこ! お待ちになって。私を差し置いて勝手なことをなさらないでくださいます?」 by1話

「手取り足取り合法的に……ぐふふ……って! 何を言わせますの!」 by2話

 

〇白井夢結(ユユ)

 どのレギオンにも属さない孤高のリリィ。冷静だが冷たい性格。

 ただ、孤高を気取るようになったのは、2年前の事件が原因。本来はもう少し人当たりの良い性格だったらしい。

 リリとシュッツエンゲルの契りを結んでからは、次第に心を開き、不器用な優しさを垣間見せるようになる。

 多分、ツッコミか真顔でボケる。天然ボケ。

 

「いいわ。面倒だから、3人まとめていらっしゃい」「必要ありません。足手まといです」 by1話

 

〇ミリアム・ヒルデガルド・v・グロピウス(ミリアム)

 「のじゃ」口調が印象的な少女。自信家。チャーム弄りが趣味。百合ヶ丘の工廠科(主にチャームの研究や整備などを学ぶ学科)に所属している。

 工廠科に所属するリリィはアーセナルと呼ばれ、ミリアムは、その中でも戦闘もこなせる『戦うアーセナル』。戦闘力が低いわけでないが、後先考えずにスキルを使うなど詰めの甘さも見える。

 多分、積極的にボケる人。あとトラブルメーカー。

 

「なかなかすばしっこい奴じゃのう。じゃが、一歩間違えれば切られかねんぞ?」 by1話

 

〇郭神琳(シェンリン)

 冷静で聡明で品のあるリリィ。しかし妙なところで意地を張っていたりする。また、自分の倫理観に反することには迷わずノーを突きつけるタイプ。

 同じスタイルのリリィと比べられ、苦しんだ過去を持つ。それが似た境遇にあったユージアに手を差し伸べた理由かもしれない。

 百合ヶ丘の生え抜き(幼稚舎からの在籍者)だが、アニメでは一柳隊以外と絡んでいるシーンがほぼない。孤高の人だったんじゃないだろうか。

 何となく毒舌家のイメージがある。

 

「自信がないならお止めになっては?」「撃ちなさい、ユージアさん。撃って、貴方が一流のリリィであることを証明なさい」 by4話

 

〇王雨嘉(ユージア)

 気弱で言葉少なな少女。

 姉妹との比較で自信を喪失し、アイスランドから単身、日本の百合ヶ丘に進学してきた。なお、姉妹との差はスタイルの違いであって、当人も非常に優秀なリリィ。射撃が得意だが、接近戦もそつなくこなす。

 多分、ぼそっとボケるタイプ。

 

「ううん。私は姉や妹に比べて、出来が悪いから……。だから心配……なんだと思う」「一人だけ故郷を離るように言いわたされて……。私は必要とされていないんだって思った」

「一柳さんとシェンリンは、私にチャンスをくれたの。……だから私も貴方たちを信じてみる」 by4話

 

〇安藤鶴紗(タヅサ)

 クールな一匹狼。しかし無類の猫好き。

 人と壁を作り、距離を置いている。ただ、梅様とは気が合うのか、行動を共にすることが多い。

 強化(ブーステッド)リリィで、かつて『ゲヘナ』というリリィ研究機関に体中を弄りまわされている。その結果、『リジェネレーター』(傷の高速治癒)などの特集能力を身に着けたが、副作用で精神的に不安定になりがち。ゲヘナに不信感や恨みを抱えている。

 アニメではやや出番が少ない。だからまっさきに4.5話を書こうと思った。

 多分、積極的にボケないけど、流れには乗るタイプ。

 

「この子、エサは食べるのになかなか触らせてくれない」「安藤タヅサ。いつもこうだから仕方ない」 by5話

 

〇吉村・Thi・梅(マイ)

 明るく元気なリリィ。

 元々は、ユユ共々、『(初代)アールヴヘイム』の一員。解散後は、仲間と離れ一人戦うユユに付き添い、どのレギオンにも属さなかった。

 何となく、(直情的なイメージに反して)ちゃんと色々考えているイメージがある。

 多分、積極的にボケるタイプ。ただ、打たれ弱そう。

 

「私は吉村・Thi・梅。2年生だぞ?」「もういい! 下がれユユ!」 by3話

「マイは誰のことも大好きだからな!」 by4話

 

 

〇一柳隊以外のリリィ

・田中壱

 2代目アールヴヘイムのAZ(前衛)。リリのクラスの学級委員長。

 自他ともに厳しいが、面倒見が良いとされる。ただ、アニメではやんちゃな一面も。

 百合ヶ丘の生え抜きで、『この世の理』(回避スキル)を、S級と呼ばれる高みまで極めている。デュエル復古主義の1人で、デュエルがとんでもなく強い。

 

・江川樟美

 2代目アールヴヘイムのTZ(中衛)。気弱な性格で、親しい仲間がいないと周囲とうまくコミュニケーションが取れない。ただ実力は非常に高く、希少レアスキルのファンタズム(未来視)を、史上最年少で覚醒させた。その才能は、百合ヶ丘の歴史の中でもトップクラスとも言われる。

 壱とは親友だが、中等部時代に大きなトラブルがあったらしい。

 

・遠藤亜羅椰

 2代目アールヴヘイムのAZ(前衛)。

 気の多い人で、一時はリリにもちょっかいをかけていた。

 実力は高く、フェイズトランセンデンス(無敵モード/マギの一気放出)をS級まで高めている。デュエル復古主義の1人。マギ量も強化リリィ並みに多い。

 フミの推しリリィ(永遠のアイドル)。

 

・伊東閑

 リリのルームメイト。冷静で毅然としているが面倒見の良い性格。言いにくいこともハッキリ言ってくれる。

 格付けSSレギオン『シュバルツグレイル』の主将でもある。かなりの理論派。

 アニメでは描かれなかったが、フミのリリィオタク仲間でもある。異常な人材オタクで、地方の末端レギオンの構成員すら全部暗記しているとか。

 

・六角汐里

 円環の御手(二刀流)使い。

 フミの私見では『最強の1年生』。なお、その時に挙げたもう一名は他校の生徒であるので、フミとしては『全国の1年生で最強』という評価の模様。

 人当たりの良い柔らかな物腰をしているが、戦場では武勇を轟かせる剛の者。チャーム使いが荒いなど、血の気の多さが垣間見えるエピソードも。デュエル復古主義の1人でもある。

 アニメでは語られなかったが、壮絶な過去があったりする。

 

・立原紗癒

 アニメではあまり出番がなかったが、現役最高のスキラー数値98を誇る凄いリリィ。

 1年にして、SSSレギオン『ローエングリン』の主将を務めている。

 

・妹島広夢

 『ローエングリン』のメンバー。難関の中等部セレクションを突破した。

 なお、中等部セレクションは即戦力を求められる狭き門。突破者は、例外なく名手となると言われる程。現2年生だとマイ、ソラハ、秦祀などが中等部セレクション突破組。

 また、デュエル復古主義の1人。

 

・倉又雪陽

 『ローエングリン』のメンバー。紗癒の幼馴染。

 ファンタズム(未来視)に覚醒するまでは紗癒の取り巻き扱いで、心無いことを言う人もいたという。覚醒後は手のひらを返したように持てはやされるも、当然、紗癒のレギオンに加入した。

 

 

----(以下スキル関係)

 

 

〇レアスキル

 マギを用いた特殊能力。本人の過去や思想などに影響されるようで、原則は1人につき1つまで。

 16種類ほどあり、アニメに出てきたのは、

・鷹の目(俯瞰視野)

・ルナティックトランサー(暴走・身体能力の超強化)

・縮地(高速移動)

・天の秤目(超視力)

・フェイズトランセンデンス(無敵モード/マギの一気放出)

・テスタメント(味方スキルの広域拡大化)

・ファンタズム(未来視)

・円環の御手(二刀流)

・カリスマ(味方へのバフ)

 など。

 

〇サブスキル

 各レアスキルの水準に満たない能力。

例)縮地のサブスキル⇒インビジブルワン

 最大でもレアスキルの7割程度の力しか出ない。その代わり、サブスキルは複数を持つことが可能で、トップガーデンなら『レアスキル+サブスキル3個』は標準的なライン。

 また、レアスキルを持っていない場合、サブスキルを極めることでレアスキルに昇華できる。ただし全てのレアスキルにサブスキルがあるとは限らず、例えば『円環の御手』のサブスキルは未確認。

 他、レギオンの司令塔になるには、レアスキル『レジスタ』か、そのサブスキル『軍神の加護』が必須。(例えば、仮にフミが司令塔を目指すなら『軍神の加護』を習得する必要がある)

 

 なお、アニメ中でサブスキルを使っている描写は(多分)ない。

 




 原作設定と齟齬がないようにしていますが、一部改変している場合があります。また、あまり情報がないリリィについては適宜、口調・性格などを想像で付けています。(工藤朔愛など)
 何卒ご了承いただければ……。

 また、なるべく未視聴でも分かるように書きたいと思います。もし未視聴の方がいれば、本作を契機に興味を持ってもらえれば嬉しいです。
 そんな感じで頑張っていきたいと思います。


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第1~4話 レポート・これまでのあらすじ ※スキップ可

未視聴者向けに、アニメの1~4話の大まかな説明です。フミ目線でまとめ直してみました。
なお、4話までのネタバレが含まれているので注意してください。

(4/16誤字修正。ご報告いただきありがとうございます)


 ヒュージ。人類を脅かす異形の化物。

 マギ。起源不明の超常の力。

 チャーム。マギで起動する対ヒュージ用の武器。

 リリィ。ヒュージに対抗できる唯一の存在。マギを操り、チャームを手に、ヒュージを倒す特別な少女たち。

 

 私たちはリリィ。高校生ながら、ヒュージ迎撃の最前線を担っている。

 

-1話-

 

 リリィ育成の名門校、百合ヶ丘女学院に補欠ながら合格したリリさん。一柳梨璃(リリ)。リリィになるべくして生まれたようなお名前ですね。

 2年前の戦い、甲州撤退戦で白井夢結(ユユ)様に助けられたリリさんは、ユユ様にお会いするためにリリィになることを決められたのです。

 ……あ、先輩への『様』付けが気になりますか? 先輩に『様』をお付けして呼ぶのは、リリィたちの文化のようなものですね。特に百合ヶ丘のようなトップガーデン(リリィ育成校)は、お嬢様学校のような側面があるのです。

 『シュッツエンゲルの契り』という疑似姉妹制度もお嬢様感がありますね。上級生(お姉さま)が『守護天使』(シュッツエンゲル)となって、下級生の『天使の盾に守られし子』(シルト)を守り導く……! カッコいいですよね~。

 (かえで)さんも、当初はユユ様のシルトを狙っていたそうです。

 (かえで)J(ジョアン)・ヌーベルさん、有名チャームメーカー・グランギニョル総帥のご令嬢です。高等部セレクション(入試)をトップの成績で突破した折り紙付きの実力者でもあります!

 あ、私はリリさんと同じ補欠合格組ですよ? 二川二水(フミ)。戦術理解やリリィの情報にはちょっと自信があります。

 そんな私ですが、入学式前、標本用ヒュージが逃走するという事件が起こりまして、体育館の方に避難していました。実戦経験は0なのです……。

 しかし、リリさんも実戦経験はない筈ですのに、楓さん、ユユ様に付いて、逃走したヒュージの討伐に向かってしまったんです。そこでリリさんは腕に傷を負ってしまいます。

 それでも、3人で協力し合い、最後は見事にヒュージを討伐しました! 初出撃でお見事です!

 私も週刊リリィ新聞号外として、リリさんのご活躍を紹介させていただきましたよ!

 

-2話-

 

 入学式翌日、クラス発表がありました。何と、私、リリさん、楓さんは一緒のクラスだと判明します。流れで楓さんともお近づきになれて、私、感激でした~。

 でも、リリさんと楓さんはいつの間に仲良くなったんですかね? リリさんはアールヴヘイムの亜羅椰(アラヤ)さんにも目を付けられたそうで、色んな意味で目が離せませんね~。

 そうそう、チャームのことを詳しく知ろうと、工廠科の工房にもお邪魔しましたよ? 真島百由(もゆ)様。ちょっとマッドサイエンティスト風の方ですね。

 もゆ様には、ユユ様のことも少しだけお聞きしました。リリさんは、ユユ様の雰囲気が冷たく変わってしまったことをとても気にされてたんです。

 ユユ様のことを知りたくなったリリさんは、玉砕覚悟でユユ様にシュッツエンゲルのお願いに行きます。最初は冷たくあしらわれそうになったのですが、楓さんの熱い説得により、最後はシュッツエンゲルの契りを結ばれることになりました!

 これは自分のことのように嬉しかったですね~。

 

-3話-

 

 皆さんはノインヴェルト戦術ってご存知でしょうか。9人のリリィが弾(マギスフィア)をパスしあいながらマギを溜め、ヒュージに向かって撃ち出す必殺技です。これがあるからレギオン(リリィの戦闘チーム)は9名以上と決まっているんですね。

 この日は、あのアールヴヘイムのノインヴェルト戦術を見学できました~。アールヴヘイム、世界最高峰のレギオンです! 見る間にギガント級を討伐していて震えましたよ……!

 まぁ、私はまだまだノインヴェルトどころではないんですけど。しかし、ここはヒュージ迎撃の最前線。いつまでもうかうかはしていられません。

 リリさんも、ユユ様から厳しい特訓を受けることになりました。

 ユユ様は殆ど初心者のリリさんに向け、容赦なくチャームを振るいます。リリさんは何度も飛ばされてしまいます。体中が打撲や傷だらけで、見ている方が痛々しく感じる程の特訓でした。

 それでも、リリさんは食らいつきます。ユユ様のことをどうしても知りたかったのです。

 リリさんは、アールヴヘイムの1年生から、甲州撤退戦でユユ様がシュッツエンゲルを亡くしていることを聞きました。そこでリリさんが何を思ったのかは私には分かりません。とにかく、リリさんは弱音を吐きませんでした。

 そして訓練が始まって一週間が過ぎた頃、ついにリリさんはユユ様の攻撃を受け止めます。素晴らしい成長ぶりです!

 そして、リリさんはユユ様に付いて初の出撃任務に就きます。私はまだ実戦経験がありませんでしたので、鷹の目(俯瞰視野)を使って見学していました。

 そのヒュージは、歪な形をしていました。討伐されずに何度も巣に帰還している強者、レストアード(レストア)です。そしてその体表には大量のチャームが突き刺さっていました。

 ……リリィにとってチャームは身体の一部のようなものです。それを手放すとしたら……。恐らく、このヒュージは、とんでもない数のリリィの命を奪っています。

 打ち捨てられたチャームの群れは、ユユ様のトラウマを刺激してしまいました。お姉さまの死を思い出し、ルナティックトランサー(半暴走、肉体超強化)のスキルで完全暴走状態になってしまいます。

 自らが傷付くことも(いと)わず攻撃を続けるユユ様。それを止めようと、リリさんは飛び出します。しかし、暴走中のユユ様は敵味方の見境がありません。リリさんはユユ様に弾き飛ばされてしまいます。

 見ていてはらはらしましたが……、その場に居合わせた楓さん、マイ様、ミリアムさん、その他のリリィの皆さんがリリさんをサポートしてくださいました!

 リリさんとユユ様、2人のチャームが触れ合い、マギを通じてお互いの思いが通じ合います。そして、最後はお2人で協力し合って、ヒュージの討伐に成功します!

 その後、リリさんはユユ様と、亡くなられたユユ様のお姉さま、川添美鈴(ミスズ)様の墓参りをしました。私も少し離れて見守っていましたが……ユユ様は、どこか寂しそうな顔をしていたのが印象的でした。

 

-4話-

 

 いや~リリさん×ユユ様の号外記事、大好評でしたね~。カップルネームまで付いてしまって、編集者冥利に尽きるというものです~。……あ、ユユ様? え、あのこれは、あはは……。

 そ、それはさて置き! 何と、ユユ様のレギオン作りですか? それはリリィオタクたる私の面目躍如です!

 早速、リリさんと一緒にクラスの方にアプローチをかけました。安藤鶴紗(タヅサ)さん……は、ちょっと話しかけにくいですね……。六角汐里(しおり)さん……は、えっと、水夕会の副将でしたね……。

 ……。

 レギオン集めというものは、想像以上に難儀なものでした。

 ただ、ありがたいことに、楓さんは何も言わずともレギオンに加入してくださいました。そして、リリさんも楓さんも、私のこともレギオンの仲間だと考えてくれていたんですよ~! 私がレギオンに入るなんて想像もしていなかったので、すごく感激しました!!

 それと、楓さんは8つのレギオンから誘いを受けていたらしいので、それを蹴っての加入ということになります。これもリリさんへの愛がなせる(わざ)なんですかね~。

 ……いや、本当にどうなんですかねぇ。楓さんのリリさんを見る目って怪しくないです? (いや)らしいと言いますか、何と言いますか……。

 まぁ、楓さんほどの実力者が仲間にいるのは、非常に心強いですけどね。

 その翌日には、工廠科のミリアムさんが加入してくれました。これで5人です! 続いてクラスメイトの(クォ)神琳(シェンリン)さんの部屋まで直談判に行ったところ、あっさりとオッケーをいただけました!

 これで6人!

 そのままリリさんは、シェンリンさんのルームメイトの(ワン)雨嘉(ユージア)さんにも声をお掛けしました。クラスは違いますが、ユージアさんも優秀なリリィでいらっしゃいます。

 ただ、リリさんの誘いにユージアさんは消極的なご様子でした。後で知りましたが、この時ユージアさんは、ご姉妹のリリィと比較されて自信を喪失されていたそうです。

 シェンリンさんは「自信がないならお止めになっては?」と口にします。シェンリンさんは、ユージアさんに冷たく当たっているように見えました。リリさんは、そんなシェンリンさんに「やってみなくちゃ分からない」と言います。

 あまり深く考えてのことではないと思いますが、私には、ユージアさんを鼓舞しているように聞こえました。リリさんらしいですね。

 そして「やってみなくちゃ分からない」という言葉に従って、ユージアさんの力を試すテストが行われることになりました。

 詳細は事前に教えてもらえませんでしたが、何と1km離れた地点のシェンリンさんを狙い撃つというとんでもない内容でした。私は離れて見ていましたが……圧巻の一言です。途中で強風が吹いたにも拘らず、中断せずに10発全てを正確に狙い撃ったのです。そしてシェンリンさんから不意打ちで反撃されたのを、咄嗟に防御する判断の正確さ! 動きのキレ! ……ユージアさんは間違いなく一流リリィです!

 そして撃たれた弾丸を全て捌き切ったシェンリンさんも、紛れもなく一流ですね!

 ユージアさんも加入して7人! レギオン発足まであと2人です!

 これにはきっとユユ様も驚いているでしょうね~。

 早く残りの2人も集めて、アールヴヘイムにも負けない立派なレギオンを作りましょう!

 

-フミが知らないところ-

 

 リリのルームメイト、伊東(シズ)。チャームを一晩中抱えていたリリを「変な子」と思いつつ、慣れない制服への着替えを手伝うなど面倒を見てくれる。

 しかし1話で付けた腕の傷については「運が良かったのね」とシビアなコメント。優しくも、甘くはない。

 また、学内の噂には強く、楓が8つのレギオンに誘われていたことや、フミのスキルを欲しがるレギオンは多いことなどをリリに教えてくれた。

 

 ユユは、寮の自室で『お姉さま』と会話する。死んだはずの美鈴お姉さまの幻影。

 その『お姉さま』はユユと何気なく会話しているようで、ユユを責めているような、どこか冷たい印象を与えることがある。

 ユユは、自分がその手でお姉さまを殺したのだと、罪悪感を抱えているのだった。

 しかしリリの純粋さに触れ、ユユは徐々に心を開いていく。ルームメイトの(ハタ)(マツリ)にも柔らかい態度を取るようになる。少しずつ、美鈴の死を乗り越えようとしていた。

 

 

--

 こうした出来事が、4月の冒頭に起こっていた。

 そしてリリたちの物語はここから更に加速していく。



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第4.5話 タヅサの休日

アニメ第4話と第5話の間にあったかもしれないお話。


 煉瓦で舗装された遊歩道を、安藤鶴紗(タヅサ)は1人歩いていた。

 誰もいない休日の学院。風もなく過ごしやすい5月の陽気。平穏そのものである。

 しかしタヅサは、そこに不穏な静けさを感じ取っていた。例えるなら、ネズミが逃げ出した後の船。空っぽの弾薬庫。その静けさは波乱の前触れだ。

 何か悪いことが起こる。そんな『予感』がタヅサを襲っていた。

 

 ……そうだ、思い出した。 

 友達は選ぶべきだと、親に言われたことがある。当時、仲の良かった友達は素行に問題があり、そんな『不良』とつるんでいるのが気に入らなかったらしい。当時は、人を表面的にしか判断できない母に反発したものだ。

 しかし、もしかすると母は間違ってなかったのかもしれない。塀の隙間に身体を突っ込み、下半身だけをこちらに突き出し、「ぐぬ、ぐぬぬ……! なぜじゃ! なぜ抜けんのじゃ……!」と叫んでいる同級生を見ていると、無性にそう思えてならないのだった。

 選べるもんなら選びたいものだな、と思いつつ、タヅサは震えるケツに声を掛けた。

「おい、なにしてんだチビ助」

「誰がチビ助じゃ! ……ってその声はタヅサか」

 声に反応して、ケツが上下する。

「何だ、芸の練習か?」

「違うわ! 見ての通り、塀に嵌ったのじゃ!」

「見ても分かんねぇよ……」

 そして何でオマエは偉そうなんだ。タヅサは嘆息した。

 このちびっこ(ミリアム・ヒルデガルド・v・グロピウス)は、変人揃いの百合ヶ丘の中でも、とびっきりの変人である。独特な語り口調で、チビで、自信家で、おまけにチャームマニアでもある。研究室に籠っては日がなチャームばかり弄っている変人中の変人だ。

――こいつと関わるとこっちまで変人だと思われちまう――

 さっさと立ち去ろう。

「ミリアム、悪いが」

 こっちも忙しくてな。そう言いかけたところで塀の向こうからにゃーという鳴き声が響き、「ね、ねこおおお!!??」

 タヅサは思わず叫んだ。

「そうなのじゃ! 実はこの黒猫を追って……ふふ、くすぐったいのぅ、そう舐めるでは……ふふふっ」

「く、黒猫だって……?」

 タヅサはくらくらと眩暈がした。

 安藤鶴紗は、無類の猫好きである。全ての猫を触りたい、撫でたい、食みたい、むしゃぶりつき侍らし独占したいという、生粋の猫フリークである。

 そんなタヅサが最近狙っているのが、学園に出没する黒猫のくー(命名:タヅサ)であった。その娘は全くタヅサに懐かず、ここ最近の猫缶作戦も失敗に終わっている。そんなくーが、ミリアムに懐き、あまつさえほっぺを舐めている……?

 タヅサは激情そのまま叫んだ。

「オイ、そっちはどうなってるんだ!!」

「いたた! これ、尻を叩くでない!」

「つーかオマエが邪魔で見えねぇ! 引っこ抜かせてもらう……!」

「ま、待った! それは望むところじゃが、ちょ、ちょっと待て!! ちょっと待ってはくれぬか?!」

 あまりに必死な懇願に、タヅサは不承ながら手を止めた。

「あ? 何だよちみっこ」

「いや、そのな……」

「何だよ、言いたいことあるならはっきり……」

 ミリアムの口から「あっ……」と吐息混じりに艶のある声が漏れ出た。

 

「あ、あの……や、優しくしてたもうれ?」

 

 タヅサは全力でミリアムを引き抜いた。

「痛ぁっ!!」

「おい! くーが逃げたじゃねーか!」

「いてて、じょーくの分からぬ奴じゃのう」

「うるせえ! オマエの所為でくーが逃げたんだ! 追いかけるぞ!!」

 塀を迂回するのももどかしいとばかり、タヅサはチャームを起動した。何でわしまで……と思いつつ、ミリアムもチャームを起動する。

 そんな2人の前に、間が悪く現れるリリィが1名。

「ミリアムさんとタヅサさん……? もしかしてヒュージですか?!」

 週刊リリィ新聞の二川フミその人であった。

 間の良いことに、そのレアスキルは鷹の目。探し物に便利である。

「……丁度いい。オマエも来い」

「え? 私、実戦経験はまだですが」

「いいから行くぞ!!」

 有無を言わぬ力で手を引かれ、「えええええ!!」フミは、タヅサと共に塀を飛び越えた。

 こいつも不憫な奴じゃの……。ミリアムは一歩遅れて塀を飛び越えつつ、心の中で合掌をした。

 

--

 

「鷹の目!」

 スキルの発動と共に、フミの視点が高く遠くに広がっていく。

 鷹の目。それは広範囲を見通すことのできるレアスキルである。

 索敵系スキルは、レギオンに一人は必須と言われている。敵の数、位置、地形の把握といった作戦立案に必須な情報を瞬時に把握できるためだ。また、味方との連携、遭難者や遺失物の捜索など活躍の幅も広く、部隊行動の潤滑剤として大いに役立つ。

「要はレギオンの便利係ってことじゃな」

「……私も猫探しにこのスキルを使うとは思いませんでしたよ……」

「どうせ暇だったじゃろうに」

「ネタ探しの最中でしたよぉ」

 と言いつつ、手持無沙汰であったのは図星だった。

「そうじゃ、このことを記事にするのはどうじゃ?」

「でも、リリィ新聞ですからねぇ……」

 と雑談しつつ、フミは横目でタヅサを見る。それにしても。タヅサさんってこんな感情豊かな方でしたっけ? 

 猫好きとは知っていたが、クールな一匹狼というイメージと目の前のタヅサがどうも一致しない。

「おい、くーはまだ見つからないのか!」

「は、はい! ……でも、学内は遮蔽物が多く猫は小さいので、俯瞰視野とは相性が悪いんですよ……」

 実際、学院は緑が多く、上空からの視界はあまり良くない。猫が動き回ってくれれば鷹の目で捉えられるかもしれないが、例えば木陰で休まれていたりすると、フミにはどうしようもない。

 一縷の望みをかけ周囲を一通り見まわした後、フミは一旦スキルを解除した。

「やっぱりダメです……」

「まぁ、しょうがないじゃろ。虱潰しに探すしかあるまい」

 しかし、タヅサは我慢の限界を迎えており、そんな悠長なことはとてもできなかった。

「仕方ない。あまり使いたくなかったが……」

 タヅサは目を瞑り、チャームを構える。そこから、集約されたマギの光が溢れ辺りを照らしていく。

 おお、これはまさか噂に聞くファンタズム……! いくつもの仮定の世界線を覗き見て欲しい結果に至る為の動きや条件を空間単位で瞬時に理解出来る希少レアスキルしかもその中でも花形中の花形、上手く使えば10倍の戦力差すらひっくり返すと言われていて実際10対3の組手で圧勝したという記録が」

「ファンタズ……おい、フミ、うるさいぞ!」

 フミの興奮が知らず口を突いていた。ついでに、鼻を突いて熱い血潮として噴き出していた。

「おや、タヅサが赤面するとは珍しいのう。なんじゃ、お主、褒められ慣れとらんのか?」

「う、うるさい! ちょっと黙ってろ!」

「え゛~だづさざんずごいずぎるも゛っでるのに゛!」

「オマエは鼻を拭え」

 タヅサはぶっきらぼうにハンカチをフミの鼻に当しつけ(わ、猫柄だ……!)、大きく息を吐き、息を整える。

 そして再びマギを集中させた。

「ファンタズム!」

 時が止まり、頭の中だけでいくつもの世界が動いているような感覚。――その中で不要な世界線を除外し、必要な情報だけを手繰り寄せる。望み通りの結果を導く世界線だけを残す――

「……そこか!」

 自身のチャームを、近くの木に投擲する。鋭い鳴き声と共に黒猫が落ちてくる。その時には既に鶴紗は間合いに入っていた。「速いです……!」

 猫は左右に飛び出そうとするが、タヅサはそれが分かっているように機先を制し、一瞬フェイントを入れた直後、「ここだあ!!!」猫に向かって飛びついた。

 

 

「ふへへ、捕まえたぞぉ……! くーこのぉ、にゃあ、ふふふ、にゃあにゃあ♪ どうした? ここがいいのか、ふへへ、け、毛繕いしてやろうか? 全身ふやけるまで嘗め回してやるぞ♪ ふふ、ふへへ」

 

 

「うわっ」

 端的に言って、フミはドン引きしていた。うわっ、タヅサさんってこんな(かた)だったんですね……。

 一瞬抱いた尊敬の念は、クールな一匹狼というイメージ諸共、粉々に崩れ去ってしまった。

「ところで、お主はどうして写真を撮っておるのじゃ……?」

「え? ああ、職業病ですのでお気になさらず」

 お気になさらずも何も、ハンカチ越しに止めどなく血潮を流しつつ、にやけた顔でファインダーを覗く様は異様である。

 嫌がる猫を舐めまわす少女と、それを怪しい表情でカメラに収める少女。

 ここは地獄か。

 ……やれやれ、この学園には変人しかいないのかのぅ……。

 唯一の常識人のつもりのミリアムは、やれやれとため息を吐いた。

 

--

 

「お主に足りぬのはしゃかいせーというものじゃ」

 腰に手を当て、荘厳そうにふんぞり返ってミリアムは言った。

「はあ」とフミ。「あ?」とタヅサ。

「……なんでお主まで気のない返事なのじゃ?」

「いやあ、確かにあれはアレでしたけど、あれは社会性とかじゃなくて……」

「社会性以前の問題があるような口ぶりだな」

 タヅサに睨まれ、首をブンブンと横に振る。

「いえいえ! あの、その! ミリアムさん、何かその黒猫と仲良くなるアイディアがあるんじゃないですか?」

 フミは全力で話を逸らした。

「……そうなのか?」とタヅサ。

 ミリアムは満面の笑みを浮かべた。

「もちろんじゃ! お主があのくーとかいう黒猫と懇意になれぬのも、お主にしゃかいせーが欠如しているからなのじゃ」

 タヅサは胡乱げな表情を浮かべた。

「社会性ね……。確かに私は人付き合いが悪いし、人当たりも良くない。だけど、それとくーの話は別じゃないのか?」

 ところが、ミリアムは声を大にして反論した。

「なーにを言っとるのじゃ、たわけが!」

「たわけって……」

 ビシッと人差し指を立て、有無を言わせず続ける。

「いいか、なべてあらゆる動物はしゃかいせーを有しておる。人間然り猫然りじゃ。当然、それぞれの動物にはその動物なりの『ルール』を持っておる。入っていい間合い、入ってはいけない間合いがあるのじゃよ。……それなのにお主ときたら……」

 ため息を吐き、片目だけで鶴紗を見た。

「な、なんだよ」

「嫌がる猫を抑え込み?」「うぐっ」「抵抗を封じて柔肌に触れ?」「うぐぐっ」「あまつさえ全身をしゃぶり尽くすなど言語道断! 悪即斬! 打ち首腹切り晒し首じゃあ!!!」「うわああああ!!」

 やはり社会性以前の問題では? という根本的疑問がフミの頭に浮かんだが、それは考えないことにした。

「で、でも私はアウトサイダーかもしれないが、アウトローではないぞ」

「そ、そうですよ! いくらタヅサさんでも、きっと人間相手にそんなことしないですよ」

 2対1。

「……ふらふら歩いていたフミ嬢を拐かしたのは誰だったかのう?」

「あー……」

 1対2。

「おい、フミ! 距離を取るな!」

「すみません、タヅサさん……ちょっとこれ以上擁護は……」

 フミは目線を逸らすことしかできなかった。

「ま、こういうことじゃ」とミリアム。

「しゃかいせーとは、相手へのリスペクトじゃ。猫と仲良くなりたいならば、猫を知り、猫になり、猫の生き方を尊重することと覚えよ!」

 ……まぁ、社会不適合者のレッテルは不満だったが、なるほど、言っていることは一理あった。

「と言ってもミリアムさん。猫と仲良くならないと猫のことは分からないんじゃないですか?」とフミ。

 フミ自身、猫は嫌いでないが、猫社会についてはあまり詳しくなかった。この件については、タヅサの力にはなれそうにない。

「そう、その通りじゃ。だからこそ、これの出番じゃ!」

 そう宣言すると、どこから取り出したのか、紙袋をタヅサに差し出した。

 なんだそれは……。タヅサは訝しみながらそれを受け取り、中身を確認して固まった。

「? 何が入っていたんですか?」

 横からひょっこりと覗き込んむフミ。袋の中には……猫耳、しっぽ、肉球グローブが入っていた。

 あー……なるほど……?

「…………ミリアムさん、そういう趣味がおありなんですね」

 何気なく手に取ろうとして、「……って重っ!」ずしりと、予想外の重みを手に感じた。

「何なんですこれ……?」

 ミリアムはよく聞いてくれたとばかり、胸を張って答えた。

「こいつはわしが開発した新型アーマー! の試作! 第……何号じゃったかのう? まぁよい。ともかく、新型猫型アーマーじゃ!」

 ばばーん。とSEを口ずさみ、演出に余念のないミリアム。一方、フミとタヅサは全く合点していなかった。

「結局何なんですこれ……?」

 しかし着ければ分かるの一言に押され、タヅサは猫型アーマーとやらを身に着けていく。

 数分後、そこに現れたのは、百合ヶ丘の制服に、猫耳、しっぽ、肉球グローブを着けた……正直、いかがわしい姿のタヅサであった。

「……おい、これで本当に猫と仲良くなれるのか?」

 と言いつつ、満更でもないタヅサ。グローブで招き猫の動きをしている辺り、かなり気に入った様子である。

「ああ、そうじゃ。……ところでタヅサよ。アーマーとのコンタクトはどうじゃ?」

「コンタクトって、この猫耳から入ってくる音? のことか?」

 タヅサの着けた猫耳からは、周囲の音が聞こえていた。それもただマイクで集音している訳ではなく、マギに乗って直接脳に届けられているような、不思議な感覚があった。

「実験は成功じゃな」とミリアム。

「それは聞き捨てならないが……要は聴覚補助機能付きってことか」

 ミリアムが持ってきたそれはヒュージから身を守るための防具の一種で、アーマー(リリィバトルクロス)と呼ばれている。

 百合ヶ丘の制服もある意味でアーマーと言えなくもないが、一般的には、よりマギを消費する『防御型チャームを着込む』ような、(フル防具の)アーマーのことを指すことが多い。

 フル防具と言わずとも、多少の武装をするだけで負傷率は大きく減少する……のだが、必然的に攻撃力は下がってしまうのであまり人気はない。

 むしろ、通信機能や視覚・聴覚補佐などの補助機能の方がクローズアップされることが多い。(ただそれもマギを使ってまですることなのか? 機械で十分でないか? と常に批判の的となっている)

「へぇ、これが噂に聞くバトルクロスですか! あまり見かけないので新鮮です~」

 と言いつつフミはパシャパシャとすごい勢いでカメラを光らせる。

「お、おい。あんまり写真を撮るな」

「何を言いますか! 新型バトルクロスのリーク情報ですよ!? こんなスクープ見逃せません!!」

 ミリアムもフミに同調した。

「お主が連れ出したせいでネタ探しに困っておるのじゃ。少しぐらい協力したらどうじゃ」

 そう言われるとタヅサも強く出にくく、大人しくされるがままに甘んじた。

 ……とは言え、「あ、両手を構えて」「四つん這いで!」「あ、目線お願いしまーす」とその立場をいかんなく使い倒すフミはどうかと思うし、満更でもない様子でそれに応えるタヅサもタヅサであった。

 そして撮影会が始まること10分。

「すみません、我を忘れてまして……」と反省するフミ。

「全くオマエは……」とやや怒った調子のタヅサ。

「満更でもなかった癖に……」と呆れた様子のミリアム。

 なお、黒猫のくーは『なにやってんだ』とばかり、すぐそばの広場で日向ぼっこしている。

「それでミリアムさん、この猫型アーマーの機能を教えていただけますか?」

 フミは取材モードになり、既に紙とペンも取り出していた。

 ちゃっかりした奴じゃのう……と思うミリアムだったが、自慢の発明品を紹介するのはやぶさかではなかった。

「こいつはな、周囲から集めた音信号をマギの振動に変える変換装置なのじゃ。それにより、周囲の音をまるでマギの流れを感じるように、自然に感じ取れるのじゃ!」

 単純な収音・増幅ではないのだなと、タヅサは素直に感心した。……ただ、これはこれで、慣れないと音の大きさや位置を特定するのは難しそうであったが。

「へぇ、いわゆるヒュージサーチャーとは違うんですね」

「ま。その機能も付けておるがの」

 なお、ヒュージサーチャーとは、その名の通り、ヒュージのマギを感知する装備である。カチューシャ型、タブレット型など種類があり、中には猫耳に見えるものもある。

「加えて、装着者のマギを用いて周囲に超音波を発する機能もある……エコーロケーションとは聞いたことがないかの?」

「えっと、クジラやコウモリが使うあれですか?」

「そうじゃ。超音波を発し、それが返ってくるまでの時間で相手の位置や距離を測るあれじゃ」

 中々高度そうな機能である。

「でも猫ってそんなことしてましたっけ……?」

「なんじゃ、お主は馬車の代替に馬型の機械を作るのか?」

 言われてみれば、猫耳型と言えど猫に寄せる必然性はなかった。

「……ということは! このしっぽや肉球にも何か特殊機能が……!?」

 目を輝かせ前のめりになるフミ。しかし、「…………まぁ、その」ミリアムは途端に口を濁らせた。

「何ですか、もったいぶらないで教えてくださいよ!」

「…………りじゃ」「はい?」「ただの飾りじゃ」

 …………。

「ミリアムさん、やっぱりそういう趣味なんですか?」

 ……一応、話を聞くとグローブの先に爪(チャームの刃)を着けたり、しっぽをムチかメイスのように使う案もあったそうだ。しかしマギの消費・分散との兼ね合い、そもそもそんな危険な戦い方(超接近戦オンリーの武装)は推奨されないと先輩に窘められたこともあり、ひとまず形だけ残すことにしたようだ。

 などと話し込んでいると、タヅサと戯れていたくーが弾かれたように立ち上がり走り去っていた。

「……おいミリアム。超音波を出したらくーが逃げたんだが……?」

 タヅサは憮然とした表情で抗議した。

「あー、猫って可聴域広いんでしたっけ?」とフミ。

「あと可聴域に加えて超音波も混じると、流石に気持ち悪くなってくる」

「あー、研究室には雑音がないからのぅ……。それは盲点じゃった」

 気落ちするミリアムを、「研究に失敗は付き物ですよ」と慰めるフミ。

「まぁ、失敗があるから改善点が見つかるからの。また色々弄ればよいだけじゃ」

「そうですね! 記事には『まだまだ課題が多いものの、鋭意改良中』と書いておきます」

「うむ! また改良したらフミに紹介するぞい!」

「はい! 是非ともお願いします!」

 失敗にくじけず、むしろ晴れ晴れとした表情をミリアムを見て、やはり職人気質の方なんですね~、とフミまで元気が湧いてくるのだった。自分も負けていられないと、フミは気持ちを新たにした。

 そして何となく一段落した雰囲気の2人だったが。

 

「おいオマエら、私のことを忘れてないか……?」

 

「ん? ああ、テストに協力してくれて感謝するぞタヅサ」とミリアム

「まだそれ着けてたんですか?」とフミ。

「オイ、マジで言ってるなら私は怒るぞ」

 仄かな怒気の噴出を感じ、ミリアムは慌てて取り繕う。

「ああ、分かっとる分かっとる。猫と仲良くなるという話じゃな?」

 ああ、そういう話でしたね、と心の中でフミ。

「いや、ほらどうじゃ! 猫の格好をすることで猫と心通わせ」「いやくーに逃げられたんだが?」「タヅサさん、今の恰好ならくーちゃんにも仲間扱いされ」「いやだからくーが逃げたんだが?!」「じゃがこれから猫のしゃかいせーを勉強すれば」「いやだからその為のくーが逃げたんだが?!!」

「オマエらくーを返せよ!!」

 タヅサの叫び声は、人気の少ない学院に溶けて消えていった。

 なお、その後、くー探しに付き合わされ(くーが逃げる際、フミが鷹の目で追っていたのでこれは簡単だった)、猫の集会所を発見し、タヅサが暴走するなど一悶着があったことを付記しておく。

 

 休み明け。

 タヅサは昨日あまりにテンションを上げすぎた反動で、今朝はいつも以上にムスッとしていた。

――アイツら、今度会ったら覚えてろよ――

 結局、くーとは仲良くなるどころか、危険人物として覚えられてしまった感がある。(なお、フミとミリアムも面白半分ではあったが、大部分は自業自得である)

 しかし、タヅサが気だるさを隠さず歩いているのに、「おはよう、タヅサちゃん」「タヅサさん、おはようございます」「近所に猫カフェができるそうですよ」など、妙に声を掛けられることに気付き、首を傾げた。

 タヅサは人付き合いがあまり良くない。クラスメートでさえ距離を置いている位だ。もしかしたら委員長(壱)辺りが気を回したのかもしれないが、はっきり言って迷惑ですらある。(ただし、猫カフェの誘いは受けた)

 群れるのは好きじゃないんだ。他人がいても戦いにくくなるだけだ。

 口出しは無用だと、壱に言っておくべきかもしれない。そんなことを考えつつ歩いていると、掲示板の前に、わらわらと人が群がっているのが目に映った。

 何の集まりかと思ったが、お目当ては週刊リリィ新聞であると察する。不思議と、フミの新聞は人気があるのだった。

 ……そういえば私の写真も撮られたな……まさかそれが原因で声を……?

 そのまま何気なく新聞に目を向け……「は?」

『新型バトルクロス 猫耳モードのたづさにゃん』『愛されボディでヒュージも悩殺にゃん』

 そこには、ばっちりポーズを決めた猫耳コスのタヅサや、上目遣いのタヅサの写真が、デカデカと、キャプション付きで掲載されていた。

 そしてご本人登場に気付いた一同が、小さく感嘆の声を上げ、タヅサを囲い込んだ。

 何やら声を掛けられているのは分かる。褒められている気がするし、楽しんでいるのも伝わってくる。

 しかし、歓声の上がる中、タヅサは無表情だった。

 感情を消し、静かに、とても静かに心に炎を灯した。

 

 放課後。

「よし、今日もレギオンメンバーを探さなくっちゃ!」とリリ

「って、ちびっこが1名いませんが?」(楓)「誰がちびっこじゃ!」(ミリアム)「誰も貴方とは言っていませんよ」(シェンリン)

「フミなら……校舎裏の方に連れていかれてた」とユージア。

「へー、告白かな?」とリリ。

 

 校舎裏。

「よぉ……。その節は記事にしてくれてありがとなあ……?!」

「ひいいい!!! 助けてください助けてください助けてくださああああい!!!」

 フミの悲鳴は、百合ヶ丘の喧騒に溶けて消えていった。



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第4.1話 vs特訓開始

 春風が優しく木々を揺らす。太陽が気持ちよく身も心も温めていく。百合ヶ丘女学院、本日も晴天なり。

 ……とか何とか言う前に。

「やっ……やっと終わりました……」

 フミは盛大にため息を吐いた。フミたちは、つい先程まで『新入生向け』の講義を受けていたのだが。

――何が『新入生向け』ですか……――

 フミやリリが目を回す程のスピードで、板書も授業も進行していた。初めはその教導官がたまたまそういう人なのかと思っていたが、どの授業、どの先生も大抵そうであると、この一週間で気付いてしまった。

 今日から二週目の講義が始まり、より一層加速する授業スピードに、フミは身も心も疲れ果てていた。

 しかし。

「何をおっしゃいますか。この程度で音を上げてしまうようでは、立派なリリィにはなれませんわ。ねぇ、リリさん?」

 その講義を一緒に受けていた筈の楓は、ピンピンした様子でリリに抱き着いている。

 ……何故でしょう……まさかリリさんパワーで無尽蔵のエネルギーを……?

「よし! 今日もレギオンメンバー探し、頑張らなくっちゃ!」

 視線を横に移すと、リリもまた、あの地獄の講義を終えた直後と思えないほど元気一杯なのだった。

 ……私もあやかれないものですかね~、とリリに手を伸ばすと、楓に威嚇されてしまった。

「いいじゃないですか! 減るもんじゃありませんよ!」

「いけませんわ! リリさんはアナタのような下賤の民が触れて良い御方ではありません!」

 酷い言い様だった。

「……と言いますか、どっちかというとリリさんも私側ですよ?」

「お黙りなさい、ちびっこ! 魂の貴賎ではリリさんの圧勝なのですわ!」

 魂の貴賎って何ですか……。そうツッコミたいのは山々だったが、あまり深追いすると講義のノートを見せてもらえなくなるので(フミ唯一の命綱)黙っておくことにした。

 それに、現状に文句を言うより、明日のレギオン結成の為に奔走する方が有意義と言うものだった。フミは頭を切り替え、いざ未来のレギオンメンバーを見つけに行かんと、力強い一歩を踏み出した!

「お待ちなさい、フミさん」

 そこに、真面目な顔の楓が立ちはだかっていた。

「え、何ですか?」

「リリさんもちょっとよろしいかしら」

「うん。でも、早くメンバーを集めないとユユ様に怒られますよ?」

 キョトンとする2人に、楓はため息を吐いた。そしてカッと目を見開き、ビシリとチャームを突きつけた。

「アナタたちは弛んでいますわ!」

 その決めポーズに、リリもフミもぽかんと口を開けた。

「いえ、その、弛んでいるも何も、講義に演習に自主練にレギオン作りまで、むしろバリッバリに引き絞られてい……ひぇっ!」

 急にチャームの切っ先を向けられ、フミは短く悲鳴を上げた。

「そのレギオン作りが問題なのですわ」

 楓はチャームを下ろし、再びため息を吐いた。(……何で私はチャームを向けられたんですかね……?)

「え? でももう7人も集まったよ?」とリリ。

「そうですよ。ですからあとふた……ひぇっ!」

 急にチャームの切っ先を向けられ、フミは短く悲鳴を上げた。

「ちょっと! 何で私だけチャームを向けられるんです!?」

 しかしフミの抗議は無視され、あくまでも真剣に、楓は口を開いた。

「あと2人揃えば、レギオンは発足してしまう。このことの意味がお分かりですか、フミさん?」

 フミはリリの陰に隠れつつ、記憶を手繰り寄せた。

「……えー、レギオンができますと、控室が与えられ、また独自の判断による出撃が広く認められ……一方で、学院からの出撃要請にも応える必要がでてきますね」

「へぇ、控室なんてあるんだ……」とリリ。

 まぁ控室はともかく、それがどうしたのだろうかと首を傾げていると、楓はピシリと、今度は指を突きつけてきた。

「それですそれ!」「控室ですか?」「違います! 出撃要請ですわ! レギオンが出来てしまうと、まず間違いなく哨戒任務には駆り出されます。アナタのような素人が前線に出たら、どうなってしまうとお思いなのですか!」

 胡乱げな表情だったフミは、そこでハッとした。

 楓に言われて初めて、フミは『レギオン作成』のその先のことを全く考えていなかったことに気付いたのだ。フミは、いつしかレギオン作りがゴールであるように思ってしまっていた。しかし、それはむしろ戦いのスタートでもあった。

「リリさんは(わたくし)がお守りします。しかし、それでも万が一、ということは起こり得ます」

 リリは、自身の左腕――入学式の出撃で負った傷――に触れた。『運が良かったのね』。ルームメイトの言葉は脅しでも何でもなく、言葉通り事実だった。

 リリは、その表情を引き締めた。

「……もっと強くならなきゃ、だね?」

「その通りですわ。レギオンメンバーがここまですんなり集まるとは、私も予想外でしたもの。ここは一旦足を止め、『戦場で最も大切な技術』を学び修めるとしましょう!」

 リリは「はい!」と元気に返事をした後「……はい?」と疑問の声を上げ、フミは「戦場で最も大切な技術?」と首を傾げた。

「そうですわ!」

 ビクッとしてリリの後ろに隠れたフミに向け、楓は再び指を突きつけた。

「アナタたちにはリリィの基礎、『防御技術』を会得していただきます!」

 

 

「初心者が戦場において最も大切にすべきことは何か。それは、自分の身は自分で守ることです。つまり、アナタたちは味方の邪魔にならず、無事に生き残るだけで100点なのですわ」

 楓の言葉は尤もだったが、それでは自分たちは足手まといだと言われているようで(事実そうなのだが)フミは苦い顔をした。

「でも、それでしたら戦場にいる意味なんてないんじゃないですか?」

 フミの疑問に、「何をおっしゃいますか」と楓。

「例えアナタのような初心者でも、ヒュージにとっては『自分に致命傷を与えうる存在』です。ただ生き残るだけでも、確実にプレッシャーになるのです。安全圏からちまちま撃たれるだけでも、ヒュージ側からしたら嫌なものですわ」

 自分がヒュージに『致命傷を与えうる存在』。その発想はフミの中にないものだった。

「ヒュージと言えど、乱戦の最中(さなか)、一々誰が攻撃してくるかなど判別できません。アナタの攻撃を防御したり、回避したり、あるいは迎撃に向かったり。敵にリソースを割かせることができるのです。分かりますか? つまり! 自衛のできる人間は、立派な『戦力』なのです!」

 フミは目からウロコが落ちる思いだった。

 自衛はリリィにとって最低限だと、それすらできない自分に引け目を感じていた。しかしそうではなく、その自衛こそが、今、目指すべき、自分の『100点』だったのだ!

「そのためには! 1に防御、2に防御! 3、4に防御で5に防御! ですわ!」

「はい! 私、防御技術をマスターして立派なリリィになります!!」

 と、フミは完全にその気にさせられていた。楓も、伊達にチームの司令塔としてその名を馳せてきた訳ではないのだった。

 しかし、リリは「うーん……」と悩むような表情をしていた。

「あれ、リリさんはあまり乗り気じゃないんですか?」とフミ。

「ううん、そうじゃないんだけど……。ユユ様や楓さんみたいに、もっとササって攻撃を回避できたらいいな、って思って」

 確かに自衛と言えば、防御だけでなく回避も重要な技術である。

 まずは防御をマスターしてその次に回避なのでしょうか? ……とフミが思っていると。楓が、ゆっくりとチャームを振り上げているのが見えた。

 咄嗟にチャームを起動し、後方に飛び退く。数瞬後、フミのいた場所にマギの乗った一撃が振り下ろされた。

 フミはヒヤリとした。

「ちょっ! 何をするんですか急に!」

 楓は、あら、防御するものと思ったのですがよく避けましたね、と心の中で呟いた。まぁ、フミとしては散々チャームを向けられたので咄嗟に身体が動いたのであるが。

「……フミさん。アナタ、今、チャームはどうされていますか?」

「いえ、どうもなにも……」

「下がっていますわね? つまり、無防備な状態です」

 言われてみれば、フミのチャームは無造作に構えられているだけで、防御の形になっていない。フミほど無防備でなくても、回避をすれば誰だって防御の型は崩れるだろう。

「防御と回避は同時にはできない。防御技術の基本ですわ」

 しかし、リリはなおも疑問を口にした。

「でも、お姉さまは回避しながら防御してヒュージに向かっていたよ?」

「確かに、一流のリリィは防御をしながら回避を行っているように見えることはあります。しかし、あれも一つ一つ場面を切り分ければ、ある時は『防御』、ある時は『回避』に専念しているのです」

 楓はチャームを戻し、2人に向き合った。

「そうなのですよ。どんな一流でも、場面ごとにどちらかに専念しなくてはなりません」

 そして難易度が高く、失敗のリスクも大きいのが回避だった。

「高等技術なのですよ、回避というものは。まずモノにすべきは確実な防御です。それに、どんな一流でも、防御を全くしないリリィはいませんから」

 しかし、少し逡巡するように間を開けて、こう付け加えた。「……クスミさんのような僅かな例外を除いて、ですが」

「え゛っ!」とリリ。

「あー。まぁ、ファンタズム(未来視)の申し子たる江川樟美(クスミ)さんは、『完全回避で防御をしない』と言われていますね~」

 なお、クスミは二代目アールヴヘイムの主力メンバーである。その圧倒的なファンタズムの力を活かし、あらゆる攻撃を回避する。他のファンタズム持ちでもここまで華麗な戦いはできない、百合ヶ丘屈指の才人である。

 そのクスミに対し、リリは、「私、ラムネをあげて抱きついちゃったりしたんだけど、大丈夫かな……?」かなりフランクに対応していた。

「いえ、まぁ、気にされていないと思いますよ」とフミ。

「でも……よくよく思い出したらちょっと嫌がってたかも!」

「大丈夫ですって! クスミさんは人見知りする(かた)で、恥ずかしがっていただけですよ!」

 と言いつつ、嫌がっていると思ったならその時点で止めるべきでは? と思わなくもなかった。まぁ、それがリリさんの魅力ですけども……。

「いえ! リリさんは人との距離が近すぎるんですわ!」

 それは間違いなかった。

 ……と、話が脱線しつつあるのを感じ、

「それで、防御技術は楓さんに教えていただけるんですか?」

 フミは軌道修正を図った。

「それでも()いのですが、防御技術はその道のプロフェッショナルに任せたいと思います」と楓。

「プロフェッショナル?」

 リリとフミは首を傾げた。

 

 

「で。その流れでどうして(わたくし)たちの処へ来たのですか?」

 シェンリンは、憮然としているのか澄ましているのか判然としない顔で問いかけてきた。

「シェンリンさんはジャストガードの習得者ですし、それにその道の『プロ』もいらっしゃいますから」

 そう言って、視線を横にスライドさせる。そこには……「わ、私……?」リリにクッキーを食べさせられている大人しそうな少女、ユージアがいた。

 ユージアはBZ(後衛)教育の名門、ヘイムスクリングラトレードゴード出身であり、そこのリリィは守りに定評があるのだった。

 そしてそんな名門校からやってきたユージアもまた、エリート中のエリートであり、決して、気軽にあーんをしたりさせたりしていい相手ではない筈である。

「といいますか、リリさんも何をやってるんです……?」

 まぁ、ユージアさんも満更でもなさそうですが……。

 しかし、もしかしたらそれが、ユージアの気に障ったのかもしれなかった。

「話は分かりました。しかし、私のユージアを貸し出すことは認められません」

 シェンリンは、きっぱりとフミらの申し出を断った。

「え~、そんなぁ……」とリリ。「残念です……」とフミ。

「いえ、それ以前に『私のユージア』って何なんです? いつからユージアさんはアナタの所有物になったのですか」

 楓のツッコミに、「あら、ご存じなかったのですか?」とシェンリン。

「実は先日、そのようになりまして」

「なりませんよ! そんなに取られたくないのでしたら、名前でも書いておいたら如何ですか?」

「書いていますよ。お見せしましょうか?」

 真顔で事も無げに言うので、本気か冗談か見分けが付かなかった。

 そんな緊張漂う最中、リリが、そっとユージアのシャツを捲り上げる。

「リリ!? 何してるの?!」(ユージア)

「え? 名前、書いてないかなって……」(リリ)

「冗談に決まってるではありませんか! ……ですわよね?」(楓)

 シェンリンは「うふふ……」と笑った。

「……ホント冗談ですよね……?」(フミ)

「まぁ、真面目な話、防御技術を磨いて損はありません」「露骨に話を変えましたね……」「ユージアさんも乗り気なようですし」「え? ……。うん……乗り気だよ!」

 『え?』って言ってましたよ『え?』って……。

 まぁ、引き受けてくれるなら何でもいいのであるが。フミがそう思っていると、シェンリンがちょいちょいとユージアを手招きした。

 ユージアと、それにつられたリリがシェンリンの方に向かうと、シェンリンはリリに手を突き出し『待て』をした。ピタッと止まったリリに、楓は口笛を吹き、ちょいちょいと手招きをした。

 のこのこと、シェンリンと楓の(もと)に向かうユージアとリリ。あなたたちはペットか何かですか……。

「さてユージアさん、お二人にはどのような訓練がよろしいでしょうね?」

 ユージアが自分の許に辿り着くと、シェンリンは妙に通る声で話し始めた。

「うん、そうだね……」「ところで話は変わりますが、リリさんにあーんされるのって嫌じゃありませんか?」

 え? とユージア。

「えっと……別に……」「嫌ですわよね」「……あの」「嫌ですね?」

「…………うん、嫌だったよ」

「ユージアさん!?」(リリ)

 何かが始まっていた。

「そうですか。リリさん、そういう訳ですから、今後はこのようなことは自重なさってください」

「あ、うん……ごめんね、ユージアさん」とリリ。

 明らかに言わせたじゃないですか……。フミはそう思ったが、下手なことを言うと自分に飛び火するのは目に見えていたので黙っていることにした。

「本当に名前も書いているんじゃありません?」と楓。「楓さん!しっ!」(フミ)

「さてユージアさん、お二人の訓練ですけど、初心者向けか、ちょっとレベルの高い上級者向けか、鬼も黙る地獄の特訓かで悩んでいるのですが、ユージアさんはどう思われますか?」

 地獄の特訓って何ですか……?

「えっと……やっぱり……」「地獄の特訓ですか」「……あの」「地獄の特訓ですね?」

「…………うん、地獄の特訓だね」

「ユージアさん!?」(フミ)

 何か恐ろしいことが始まろうとしていた。

「そうですか。リリさん、そういう訳ですから、私も心を鬼にして地獄の特訓に協力したいと思います」

「あ、うん……が、頑張るね?」とリリ。

「あの、私も必然的に地獄の特訓を受けるんですよね……?」とフミ。「ご愁傷様。当たって砕けてきなさいな」と楓。

 こ、この~他人事だと思って……!

「さて、」「まだあるんですか!?」(フミ)「いえいえ。後はユージアさんの心意気を確認しようと思っただけです。訓練ではもしかしたらリリさんやフミさんが傷付いたり、『不幸な事故』が起こるかもしれませんが」「ちょっと! 不穏すぎますよ!!」(フミ)

「…………うん、不幸な事故なら仕方ないよ!」

「「ユージアさん!?」」(リリ・フミ)

 戦場の狂気というものだろうか。あの優しかったユージアさんが、ここまで好戦的になるとは……。「いえ! ちょっと、シェンリンさん! ユージアさんに何言わせてるんですか?!」

「まぁまぁ。ああはおっしゃっておりますが、流石に危険な訓練をなさる(かた)ではありませんわ」と楓。

「それに、何かありましたら私がリリさんをお守りしますから!」

「……私のことは助けてくれないんですね……」とフミ。

 とはいえ、確かに『地獄の特訓』とは言え、滅多なことはしないだろう。

 そう思った10分後、1km離れた地点からユージアとシェンリンに狙撃されることになろうとは、少しも想像していないフミであった。



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第4.2話 vs体重 その1

「うぅ~酷いですよ……楓さんもシェンリンさんもユージアさんも……」

「あはは……でも、おかげで度胸は付いた、かも?」

 シェンリンらによる防御訓練が終わった後、リリとフミは2人で雑談していた。正確には、5人(とひっそりと合流してきたミリアムの6人)で入浴した後、長湯気味な楓を待って、脱衣所併設の休憩スペースで時間を潰していた。

「でも、やっぱりユージアさんって射撃が上手なんだね」とリリ。

 フミもその点について異論はないのだが、先程、『初弾を受けて吹っ飛ばされたリリが地上に着くまでに残り9発の弾丸が叩きこまれる』という衝撃シーンを目撃した手前、手放しで褒めにくかった。

「まぁ、よくリリさんのチャームだけ狙って当てられるなとは思いますよ」

 使用されたのが訓練弾とはいえ、ユージアの度胸も中々だった。

 ちなみに、訓練弾なら滅多に怪我はしないとはいえ、普通に痛い。例えるなら強力ゴムパッチンくらい痛い。訓練中、常にゴムをくわえさせられているような絶妙な恐怖感があり、なかなか精神に来るのだった。

 何も知らないミリアムが『何じゃ、面白そうなことをしておるの』と、明日から訓練参加を希望しているのを聞いて、内心フミはニヤニヤしていた。

 ふっふっふ……ミリアムさんも一緒に苦しんでいただきますよ……。

 ただし、訓練弾に慣れてきたフミたち2人には近日中に実弾での訓練が始まることを、この時フミは知らないのであった。

「何にしても! 早く皆さんに追いつくため! 頑張りたいものですね……ってリリさん?」

 ふと目を向けると、リリがぼーっと壁の方……正確には、恐らく壁際に設置されている体重計に目線が釘付けになっているのが見えた。

「リリさん? もしかしてダイエットでもされているんですか?」

「え?! 違うよ? 別にそんなダイエットだなんて……!」

 とは言うものの、その目線は右へ左へと泳ぎ回っていた。

「確かに49kgは高1リリィ平均より高めですが、別に気にする程の事でもないかと……」

 フミの、そのフォローかどうか微妙なラインの言葉に「あ、やっぱり高めなんだ……」と気落ちしつつ……ふと気付く。

「……って、フミちゃん……? どうして私の体重を知ってるの……?」

 リリは疑問、というより疑念と不信の目でフミを見た。

「ええ。体重は153cm、血液型はA型で誕生日は6月19日ですよね」

「だから何で知ってるの!?」

 警察……通報……不法侵入……不正入手……。リリの頭に物騒な単語が踊るのが、傍目にもありありと見えた。

「いえ、まぁ、種明かしをしますと、この位の情報は官報やリリィネットワークで広く公開されているものなんですよ」

 

「ええ!? 私の体重が49kgってこと、世界中に公開されてるの!!?」

 

 リリがあまりに大仰に驚くので、周囲の目線が2人に集まり、フミは少し恐縮した。

 『まぁ。ダイエットですか』『女の子ねえ』『リリィなのですから気になさらなくてよろしいのに……』。周囲の目はその程度の意味しかないのだが、リリにとっては……。

 『49kg?』『この身体で49? デブね……』『まぁ、肥えた豚がよくも恥ずかしげもなく百合ヶ丘に来られたものね』……「って! 誰が豚ですか!!」

「リリさん、落ち着いてください。そんなこと誰も言ってませんし思ってませんよ……」

 と(なだ)めながらも、……体重の話になると豹変する人って、やっぱりどこにでもいるんですね~と、フミは呑気に考えていた。

 基本的にリリィの体重は同年代平均より軽くなりがちだ。

 マギの消費に多大なエネルギーを使う上、そもそもの運動量が大きい為、いくら食べても食べ足りない程なのである。三食に加えて夜食までしっかり摂るリリィもいるが、それでも太っているリリィはまず見かけない。その程度には、リリィは体重の悩みとは無縁の存在の筈だった。

 実際、リリの153cm、49kgというのは適正体重よりやや痩せ気味程度。フミとしては、それは特別気にするような体重にはとても思えなかった。よって、

「……ちなみにだけど、フミちゃんの体重って……?」

 と、おずおずとリリに尋ねられた時も、

「152cmで44kgですよ~」

 と何気なく答えてしまったのだった。

 ちなみに血液型は……と続けようとして、リリが口を大きく開けて絶句していることに気付いた。その段になってようやく、フミは事の重大さを察した。

 しかし時既に遅し。リリはわなわなと震える口を開いた。

「よ……44kg……?」

「は、はい……そうですね……」

「私と……1cmしか違わないのに5kgも軽いの……?」

 あ、これ地雷だったんですね……。「いえ、あの、リリさん」

「私のこと、『あぁ、1cmしか変わらないのに5kgも思い肉の塊だ』って思ってたの……!?」

「思ってないですよ……!」

「初めて会った時も『私より5kgも重いくせに』、クラスが一緒だった時も『私より5kgも重いくせに』、レギオンに入った時も『5kgも重いくせに』って、ずっと思ってたんだね!?」

 いや、そんな性格悪くないですよ……。

「ちょっと貸して!」

 と言うと、有無を言わせずフミが持っていた手帳をひったくり(かつてないほど強引ですねぇ)、目ざとく、レギオンメンバー(仮)の基本情報をまとめたページを見つけ出した。

 フミは、何となく嫌な予感がした。恐らく、最もリリが気にするであろうユユ様の体重だが……フミの記憶によれば、確か50kgより小さかった気がするのだ。せめて49……せめて49kgで……と祈るような気持ちで見ていると、リリは…………「ほぇーー」と気の抜けた音と共に地面に崩れ落ちた。

 フミは、手帳を拾い上げる。白井夢結、身長163cm、体重48kg。

 あー、やっぱりそうでしたか……。

「わ、私より10cmも高いのに1kgも軽い……」

 この世の終わりかというほど悲嘆にくれるリリ。どうしたものかと思ったが、このままにする訳にもいかない。一先ず宥めてみることにした。

「まぁまぁ。10cmも1kgも誤差みたいなものですよ」

 しかし、リリは勢いよく顔を上げると、「フミちゃん! 乙女の1kgはペットボトルの1kgより重いんだよ!」と訳の分からないことを言い始めた。

「私より5kgも軽いからってバカにして……! この……裏切者ー! あんぽんたん! チーズみたいな人間性ー!」

「あぁ、トムとジェリーみたいなチーズですか……?」 ※穴あきチーズ

 と言いますか、あんぽんたんって。久しぶりに聞きましたよ……。

 そのワードチョイスはどっから来てるんですかね? と、半ば感心しつつ、さてどうしたものかと手を出しあぐねてしまった。

 そこに、「あら、リリさん。(わたくし)を待っていてくださったのですね!」と上機嫌の楓が現れた。

 リリは、一直線に楓に近付いた。

「楓さん、身長と体重は何kgですか?!」

 そしてフミが止める間もなく、「164cmの52kgです。誰もが認める完璧なプロモーションですわっ」と楓は自信満々に答えた。

 リリは何やら指折り数えた後、

「楓さ~ん!」

 楓の胸元に飛び込んだ。

「きゃっ! リリさん、こんな人が見ているところでなんて……大胆すぎますわっ」「楓さんだけが私の仲間だよ~」「あぁ……! リリさんがようやく私の魅力にお気付きになったのですね……! ささ、この続きは私の部屋で……」

「ちょっと、何(かどわ)かそうとしてるんです」とフミ。「あら、いたのですか」と楓。

 どうでもいいが、リリの指折りを見る限り、恐らく『3cm=1kg(端数切捨て)』算を採用しているものと思われた。多分、シェンリンさん(165cm、53kg)はセーフでユージアさん(163cm、50kg)はアウトなんだろうなぁと、よく分からないが、もののあわれな気持ちに襲われるフミであった。

「そんなことより聞いてくださいよ、楓さん」とフミ。

「ダメ! フミちゃんみたいなはんぺんの言うことなんて聞かないで!」とリリ。

「また妙なことを……! 楓さん! 聞いてください、リリさんの一大事なんですよ!」とフミ。

「ダメ! こんな薄っぺらな人間の言うことなんて聞いちゃダメだよ!」

 この貶されるのか貶されていないのかよく分からない罵倒は、リリの優しさかもしれなかった。

 一方、楓は視線を行き来させつつ2人の言葉を吟味していた。そして何かを決めたようにスッと目をつぶる。

 ……のは良いんですけど。これ、10:0で負けますね……とフミは思った。

「お黙りなさい、この練り物の手先が!」

 案の定ですよ……!

「と言いますか、なんで楓さんまではんぺん呼ばわりなんです?」

「はいはい。アナタはコンビニのレジ横にお帰りなさいな」

「ですからおでんの具じゃないですって!」

「すり身の戯言なんて聞いてられませんわ。私たちは部屋の方でじっくり……ですよね、リリさん?」

「うん、私たち……一緒に頑張ろうね!」

「? はい! 頑張りましょう!」

「頑張って、4kg痩せようね!」

 リリは笑顔で宣言し、楓は……。

「…………はい?」

 笑顔のまま首を傾げた。

 言わんこっちゃない。そう思ったが、はんぺんにはもう止める気力も残されていないのであった。



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第4.2話 vs体重 その2

Q.リリさんは153 cmの49 kg、ユユ様は163 cmの48 kgです。身長3 cmあたり体重1 kgの加減を許容する時(ただし小数点以下は切り捨てとする)、リリさんは体重を何kg落とせばユユ様の体重と釣り合うでしょう?

(式)10÷3=3.333≒3 48-3=45 49-45=4  A.4 kg

 

 ……という、初等算数レベルの計算が4kgの裏側である。

 なお、楓に関しては『身長が±3cm未満だから同じ体重になるまで4kg痩せよう』という本当に雑な計算であった。

 しかし、どう見ても太っているようには見えない2人が4kgも落とせるのか、かなり怪しいものだった。無理に痩せようと極端な方法に走らないか不安もあり、そもそもの発端は自分にあるという自責の念もあり、(使えそうなら記事にしようという下心もあり、)フミは2人の『特訓』に同行することにしたのだった。

 以下はそのダイジェストである。

 

・早朝。山登りのランニング(フミ、行きでリタイア。楓におぶわれて下山)

・昼休み。チャーム素振り100回、腕立て腹筋背筋スクワット各50回(フミ、腕立て半ばでリタイア)

・空き時間。基礎訓練(フミ、気力で参加)

・放課後。防御訓練(フミ、訓練前から満身創痍)

・夜。エア自転車こぎなど各自努力(フミ、快眠)

・次の日の早朝。山登りのランニング……

 

「あなた方は少年漫画の主人公ですか」

 2日目の朝、開口一番フミはそうツッコんだ。

 確かに、4kgも落とそうとすれば相当ハードなトレーニングが必要になる。とはいえ、こんな無茶苦茶、何日も続けられるとは思えなかった。……のであるが。

「いいえ。リリィにはマギがあります。この程度、一流リリィにとっては何でもないことですわ」

 そう言って楓はピンピンしていた。それどころか、自分と同じく初心者の筈のリリもいつも通り元気一杯な調子だった。今も、到着の遅い2人に痺れを切らしてグラウンドをぐるりと走っている位だ。

 これ私の方がおかしいんですか……?

「リリさんもよく持ちますね」

 当人曰く、「田舎育ちだから体力には自信があるんですよ~」とのことだが、フミも曲りなりにリリィとして訓練を積んでおり、どうも納得がいかない。この差は一体何なのだろうか。

「まぁ、無粋なことを申しますとマギ保有量の差ですわね」

「うぅ~同じスキラー数値50ですのに~」

 フミはがっくりとうなだれた。

 なお、基本的にマギ保有量はスキラー数値の高さに比例するようだが、個人差が大きく、その関係はよく分かっていない。各ガーデンは様々な試みを行っているが、それらを確実に伸ばす方法は未だに確立されていない。

「使えば使うほど強くなると申します」と楓。

「マギ超回復理論ですか? そんな単純な物なんですかね……?」

「少なくとも私は、幼き頃より、限界までマギを使うトレーニングを続けておりましたわ」

 そういうと、腕を捲り手首に着けたリストバンドをフミに放り投げた。

「? なんですかそ、おおおっ!? 重っ!」

 何気なく受け取ったそれは、こじんまりとした見た目に反して、ずっしりと重かった。

「え、何ですかこれ?」

「何って、グランギニョル社特性のマギウェイトですわ」

 そんな当然のように言われても、一般リリィには手が出せないような特殊トレーニング器具、知っていよう筈もない。

「へぇ、噂には聞きましたがこれが……確かに、ほんの少しずつマギが吸われていますね~」

 単純に重りとなるだけでなく、強制的にマギを吸われることで高効率のマギトレーニングが行えるようだ。

 なるほど、これを着けていれば、同じトレーニングでも数段重い負荷がかかるという訳なんですね~。…………。

「……って、ええーー!? これを着けたまま1日過ごされてたんですか!?」

「ですから、一流リリィにとっては何でもないと申し上げましたでしょう?」

 本当に少年漫画の世界観だった。

 よくよく見ると、手首だけでなく足首にも同様のウェイトを着けている。1つ2~3kgだとして、重量だけで少なくとも計8kg、下手すると10kg以上の重りである。これに加えてマギ吸収が4倍速……。

 フミは感嘆するべきか引くべきか、ちょっと悩んだ。

「もしかして普段から着けられているんですか……?」

「そんな訳ありませんでしょう。いつ何時ヒュージの襲撃があるかも分かりませんのに」

 言われてみれば、それもそうだった。

 ……と言いますか、もしかしなくても、このダイエット特訓って想像以上にリスキーなんじゃ……。

 初心者のフミとリリはまだしも、戦力としてカウントされているであろう楓を、こんなダイエットで消耗させてしまって良いのだろうか。

「楓さんもここまでされなくたって良いじゃないですか?」

 フミの非難とも取れる問いかけに、楓の答えはシンプルだった。

「だってリリさんが私を頼ってくださったんですもの」

 楓は和やかに微笑んだ。

 その優し気な笑顔を見ていると、これが大変な美談に思えてくる。しかし、昨晩、「疲労を取るためのマッサージですわ!」と称してリリにいかがわしいことをしようとしていたのを目撃しているフミとしては、微妙な表情を崩せないのだった。

 まぁ、ダイエットにしても、リリさんへの想いにしても、目標への真摯さは確かなのでしょうが。

 などと考えていると、「2人とも遅いよ~!」と言いつつリリが帰ってきた。(なお、まだ集合5分前である)

 楓は、フミの手からリストバンドを取り去ると、「乙女には朝の準備があるのですわ!」とリリに駆け寄っていった。

「そのリストバンドも乙女の準備なんですか?」(リリ)「ええ、これは乙女のリストバンド。着けているだけで美しくなれるのです」(楓)「私も着けてみようかなぁ」(リリ)「まぁ、リリさんは何も身に着けず、無垢なお姿が一番お美しいですわ」(楓)

 ……冗談めかしているが、さりげなくリストバンドのことを隠していた。

 何でしょうね、私が頑張る必要なんて全然ないんですけど……。

 こういうシーンを見ていると、自分だけが音を上げるわけにはいかないと、そう思ってしまうのだった。

 

--

 

 特訓3日目の午前中、次の授業へと教室を移動している際、リリが急に「私! お手洗いに行ってきますね!」と走り去って行った。

「リリさん、廊下を走っては怒られますわよ~」と楓。

「と言いますか、お手洗いは逆方向ですよね?」とフミ。

 一体どうしたのかと(いぶか)しんでいると、「ごきげんよう楓さん、フミさん」曲がり角からぬっとユユが現れた。

「ごきげんようユユ様」「ご、ごきげんよう……」

 フミは、心臓が暴れるのを必死に抑えた。フミにとってユユ様は、未だに雲の上の存在だ。こちらからお会いするならともかく、急に出現されると心臓に悪かった。

「どうしたのですか? ユユ様は、取れる単位はもう殆ど取り終えているとお聞きしましたが」

 全く余裕のないフミに代わって、楓が疑問を投げかけた。

「ええ。最近リリを見かけないものですから。仔細ないか、リリのシュッツエンゲルとして、少し様子を見に来たのです」

 最近見ない、と言っても特訓が始まったここ3日くらいの話である。

「まあまあ。あの孤高のリリィ、ユユ様が、リリさんにかかればこんなに乙女になるのですね……」

 楓のツッコミに、フミとしても概ね同意したい気分だった。

 しかし、考えてみれば、今まで必ず毎日顔を出しべったり付きまとっていたリリが、急に顔を出さなくなれば心配になるのも当然だった。

「実はリリさんは特訓をされているんですよ。その成果が出るまではユユ様の前には出られないと思っているようです」

 フミは微妙にぼかした表現で解説しておいた。

「ああ。最近、シェンリンさんたちと何かされているようですね」

「あら、耳が早いですわね」

 正確にはそっちではないのだが、納得してくれたのならと口は挟まなかった。

「私に手伝えることがありましたら、何でも言ってください」とユユ。

 フミとしては、『別に体重なんて気にしない』と言ってもらえれば話が早くて助かるのだが、リリに絶対内緒! と言われている手前、直接聞くのは憚られた。

 楓も少し思うところがあったのか、「それでしたら、ユユ様は太いのと細いのでしたらどちらがお好きですか?」とかなり婉曲的な質問をした。

「は? 何の話ですか?」

「いえ、直感に従っていただければ」とフミ。

「何ですか2人して……。まぁ、強いて言えば細い方が好きですが」とユユ。

 あー、細い方ですかー……。

 フミは、手元の手帳に『ユユ様は細いのがお好き』と書き込んだ。

「……ちょっとお待ちなさい。これは何のアンケートですか」

「え? いえ、特に他意はありませんが」

「でしたらどうしてメモを取っているのです」

 ユユは、先日の一件(カップルネーム『ゆり』の件)でフミへ『厚い信頼』を寄せている。何気ないフミの手癖にすら不信感を募らせてしまうのだった。

「何か如何わしい香りがします」とユユ。

「いえ如何わしくないですよ」「では何の話題だったか説明してください」「それはちょっと……」「ほら見なさい。後ろめたいことがあるのでしょう」「違いますよ! そもそも、太い細いで何がどう如何わしくなるんですか!」

 楓さん、何とかしてくださいよ! と視線を移すと、楓は静かに爆笑していた。

「ちょっと! 質問を振ったのは楓さんでしょう!?」

「いえ……ちょっと……」

 楓はそれだけ何とか絞り出すと、壁に寄りかかり、顔を真っ赤にして小刻みに震えることしかできなかった。

 ユユはその反応を見て気を悪くしたのか、「分かりました、もう結構です」と(きびす)を返した。そして、「フミさん。先の発言をいかなる文脈においても引用した場合、貴方の存在を百合ヶ丘から消滅させますのでそのおつもりで」と何やら不吉な忠告を残して去っていった。

「……何故か私の評価だけが一方的に下がった気がするのですが」

 今回の収穫⇒ユユ様は推定細麺派であること。

 今回の損失⇒ユユ様に僅かに残っていたかもしれないフミへの信頼。

 釈然としないものを感じていると、リリが「2人とも~! 早く行かないと授業が始まっちゃうよ~!」と、いつの間にか遥か前方で2人を呼んでいた。

 そもそもリリのダイエットが発端であることを考えると、やはり釈然としないフミであった。

 

--

 

 はぁ、今日も疲れました……。フミは重い疲労感の中、しかしどこか心地よさも感じていた。

 特訓開始4日目の夜。何やかんや言って、授業も、ランニングも、筋トレも、訓練も、慣れてしまえば何とかこなせるものだった。

 唯一問題があるとすれば、リリィ新聞のネタが思い付かず(流石にダイエットの件を書く訳にもいかない)、ちょっと悩んでいる程度のことだった。

 何かネタがないか、シズさん(※リリのルームメイトでフミのリリィオタク仲間)にでも聞きに行きますかね……と思いつつ廊下を歩いていると。

 急に目の前の部屋の扉が開き、そこから伸びた手に、フミは部屋の中に引きずり込まれた。

 部屋は真っ暗で、襲撃者の姿すら分からない。フミはそのまま地面に引きずり倒される。何者かが、フミに覆いかぶさるようにして浅い息を漏らしている。

 やばい。これはマズイ……!

「や、やめてください!」

 必死に抵抗するも、自分より力も体格も上で、訓練で疲れてなくとも振り払えそうにない。

 誰に襲われてるか分からない恐ろしさに、身の毛がよだつ。

 鷹の目を使えば多少の暗視効果はあるが、今はスキルを発動するほどマギも集中力も残されていない。代わりに、指輪にマギを送り込み、僅かながらの光源を作り出した。

――一体、誰がこんなことを……?――

 果たして、光に照らされたのは……。

「って! 楓さんじゃないですか!!」

 それはつい1時間ほど前まで一緒に入浴していた、楓・J・ヌーベルその人だった。よく思い返すと、フミの歩いていた位置は楓の部屋の辺りだった。

 犯人が分かり、フミは肩の力が一気に抜けた。

「何ですか。もしかしてリリさんと間違えましたか?」

 しかし、楓はなおもフミを振りほどかなかった。

「フミさん……フミさんって、こんなに可愛らしいお方でしたかしら?」

「ちょ、楓さん?」

 指と指を絡めるように手を床に押し付け、ゆっくりと顔を近付けてくる。マズイ。よく分からないが何かマズイ。振りほどこうにも、体重を掛けられただけで今のフミには抵抗ができない。

 自分が何に対しドキドキしているかも分からないまま、フミは身体を固くした。そして迫りくる楓を直視できず、ギュッと目を閉じた……。

 ぐううぅ~~。

 暗闇の中、音が響いた。

「…………お、」「お?」「……お腹が、空きましたわ……」

 フミは、再び盛大に脱力した。

「……とりあえず、私から離れて、電気を点けていただけますか?」

 一体何なんですかもう……。

 しかし話を聞いてみると、事は思いの外、深刻な様子だった。

「実は、マギの消費量が摂取カロリーを大きく上回っているようで……つまり、猛烈にお腹が空いております」

 話としては単純なのだが、楓の表情のやつれ具合を見てフミは驚いた。

 あの自信の権化で他人に憚ることを知らない高慢な楓が、ここまで弱気な表情をしているとは信じがたいことだった。

「でも、お食事はちゃんと摂られているんですよね?」

「そりゃあ必要分は摂っていますが……いつもの量ではマギの消費に追いついていないと申しますか……追いつかないようにしないと体重は減らないと申しますか……」

 確かに、フミもこの特訓を始めてから食事量が増えた。それどころか、食べても食べても食べ足りない感覚に陥っていた。食欲より先に胃袋が限界を迎える経験は、これが初めてだった。

 マギ保有量があまり多くないフミですらそうなのだから、それよりずっとマギ保有量が多く、よりハードなトレーニングを行っている楓の飢餓感は相当なものだと推察された。

「もうやめましょうよ……身体を壊したら何にもなりませんよ?」

 心配になったフミは、説得を試みた。しかし、楓は首を横に振った。

「いえ……これもリリさんの為ですわ」

「こんなことをされても、きっとリリさんは喜びませんよ」

「何をおっしゃいますか! 一緒に苦楽を共にすればこそ愛は育まれるのです!」

 ……確かに、ここ数日はリリも、どことなく辛そうな様子を見せることがあった。今思えば、それは疲労ではなく飢餓感によるものだったのだろう。この苦しみは、きっとこの2人にしか分からないものだ。

「…………」

 フミは何を口にするべきか悩んだ。

 2人の苦しみは実感できないが、間違いなく、楓の方がリリより辛い筈だ。マギの保有量も、トレーニングの負荷も、そして元々の体型から考えた4kgという重みも、楓の方がずっと大きい。

 それに、楓はルームメイトがいない。このだだっ広い部屋の中で、気を紛らわす相手もなく過ごす時間は、かなりの苦痛を伴うはずだ。そうでなければ、たまたま傍を歩いていたフミを無理やり引きずり込んだりはしないだろう。

「……私が話し相手になりましょうか?」

 フミはおずおずと提案を口にした。

「えー? フミさんがですか……?」

「なんで不満そうなんですか!」

「こんなちびっこ、見ていて面白くもありませんわ」「さっき可愛いって言ってたじゃないですか!」「それは気の迷いというものです」「何ですか! 私だって忙しいんですよ!」「……でしたらさっさとお行きなさいな。私は止めませんよ」「……冗談ですよ。暇だったんです。お喋りに付き合っていただけます?」「まぁ、フミさんがそこまで言うのでしたら」

「私も一緒に減量しましょうかね……」「止めておきなさい。今、アナタの身体は消費した分を取り戻そうと、猛烈に活性化しているのです。その原動力となる食事を減らしては、元も子もありません」「それを言ったらリリさんもそうじゃないですか?」「それは……そうですが、仮に間違っていることでも、当人がやりたいと言い出したことなら最後までやらせてあげたいじゃないですか」「……楓さんは良い母親になりますね」「まぁ、嬉しいことを言ってくれますね。リリさんとの式典にはアナタも呼ぶか検討しておきます」「確定で呼んでくださいよ!」

「と言いますか、何でリリさんと結婚する前提なんです?」「運命のお相手ですもの」「運命って何なんです?」「一目見た瞬間に分かるものなのです」「一目って、最初はもっとつっけんどんな感じじゃありませんでした?」「お黙りなさい。この百合ヶ丘でお互いに最初に出会ったリリィが、リリさんと私でしたのよ。これが運命と言わずして何なのですか」「まぁ、クラスも一緒でしたしね」「そういうことですわ。私の隣にリリさんの名前があったことも運命なのです」「それを言うなら私なんて真下でしたけどね」「……出席番号の5番から15番まで消して差し上げれば私も真上ですね……」「止めてくださいよ……楓さんならやりかねないので……」「そうしますと……まぁ……私たちが3人、並ぶじゃないですか……」「3人……並んだら……楓さんが長女ですかね……?」「……アナタが末っ子なんですか」「…………楓さん……お姉さん感……ありますし……」「…………それも……私の魅力ですわ…………」

 2人でとりとめのない話をしていると、どちらともなく言葉少なになり、気付けば、2人仲良く抱き合うようにして寝息を立てていた。

 

--

 

 特訓5日目。

 昨日の一件から、フミは、リリと楓の体調に注意を払うようにした。特に、楓が心配であった。何でもないように振舞っているが、よくよく注意すると、集中力・パフォーマンスの低下が、わずかながら感じられる。

 楓は『やらせてあげたい』と言っていたが、このままだと何か良くないことが起きるのではないか。

 そんなフミの不安は、思わぬ形で的中することになった。

 防御訓練中に、リリが倒れた。

「リリさん……? リリさん!!」

 射撃直後、リリが受け身も取らずに倒れるのを見て、フミは頭が真っ白になった。昨日から、射撃に使うのは訓練弾から実弾へと変更している。

 慌てて駆け寄り、身体を確認する。「リリさん、大丈夫ですか!」

 近くにいたミリアムと楓も駆け寄る。

「リリ! 大丈夫かの!」

「動かさないで!! ミリアムさんは保険医をお呼びになってください!」

 楓は鋭く指示を飛ばすと、リリのもとへ屈みこみ、脈拍や呼吸などをテキパキと確認し始めた。

「傷はないと思うのですが……」とフミ。

「傷はなくとも、頭を打っていたら危険です。……確か、弾は弾いていたと思うのですけど……」

 フミの目にも、銃弾自体は当たっていないように見えた。チャームに弾かれた後まで確認できなかったが、少なくとも、頭や身体の中心部位には当たっていない……筈であった。

「うぅ……フミちゃん……楓さん……」

 リリは、意識を取り戻した。しかし、身体に力が入っていない。

「リリさん!」「弾は! どちらに当たったのですか!」

 リリは、答えず、ただ小さく呻いた。

 弱々しい声に、最悪の可能性が頭をよぎる。

 射撃場所から、シェンリンとユージアが駆け寄ってくる。

「リリさん!」「リリ!」

 シェンリンがチャームを構える。テスタメント。広域化スキル。ユージアが飛ばされたチャームをリリに握らせる。楓がチャームを構える。レジスタ。味方チャームのマギ純度を向上させる。これで効果があるかは分からない。しかし何もしないよりはマシである。

 緊迫した空気の中。

 ぐううぅ~~。

 5人の間に、音が響いた。

「…………お、」「お?」「……お腹、空いた……」

 リリだった。リリがお腹を鳴らし、空腹を訴えていた。

 フミは、盛大に脱力した。

 

「貴方方はバカなんですか?」

 シェンリンは、かなり辛辣な口調で楓らを非難した。しかしそれも当然で、ダイエットで体調を崩し、あわや大怪我の事態を引き起こすなど、最前線のリリィにとって有り得ないことだった。

「ごめんなさい。私もまさか、ほとんど食事を摂っていないとは思いませんでしたわ……」

「楓さんの所為じゃありませんよ……。私も一緒にいるのに全然気付きませんでした……」

 実は、リリは3人で摂る昼食を除いて、朝晩は何も口にしていなかった。そのことは、特訓が始まって以来、この場にいる5人(楓、フミ、ミリアム、シェンリン、ユージア)が一度も食堂でリリと出会っていないことからほぼ断定できた。

「全くお主らは何を考えておるのじゃ……。せめてわしらに相談してくれれば、リリが食事を摂っていないことも事前に分かったかもしれんと言うに」

 完全におっしゃる通りであり、楓とフミはますます頭を低くした。

 幸い、リリはただの貧血(というよりエネルギーのガス欠)であり、倒れる際も特に外傷はなかった。念のために点滴を打って休んでいるが、目を覚ましたらそのまま帰れるだろう。

 と、反省モードの2人の前に、リリの病室から出てきたユユが現れた。

「考えなしとは思っていましたが、まさかこれほどとは思いませんでした」

「本当に申し訳ございません」

 楓は改めて頭を下げた。この件に関しては初心者2人を率いていた自分に責があると考えていた。フミも一緒に頭を下げる。

「私も申し訳ございませんでした……。それであの……リリさんのご様子はいかがでしたか……?」

「別に問題ありません。ぐっすりでした。倒れた時の判断も適切だったと聞いています。それには感謝しています」

 しかし「ただし」と、楓とフミに鋭い目線を向けた。

「ただし、危険を伴う訓練であったのに、私に一切の相談も監修も求めなかったことについては説明を求めます。一体どういうおつもりだったのですか?」

 口調は丁寧だが、恐ろしいほどの圧が(こも)っていた。

 フミはどう言うべきか口ごもった。今更隠し立てをしようとは思わないが、下手なことを言えば冗談抜きで切りかかられかねない。何と切り出すべきか悩んでいると、

「申し訳ございません。(わたくし)たちの判断で、リリさんに防御訓練を行っていました」

 と、シェンリンが一歩前に出て謝罪をした。

「確かに危険を伴うことは分かっておりました。しかし最前線にいる以上、多少強引にでもレベルアップさせる必要があると判断しました」

「私も……! 危険なのは分かっていたけど……止めませんでした。本当にごめんなさい……」

 ユージアもシェンリンに続いた。

「その気持ちは理解できます。しかし私が聞きたいのは事の一部始終ではなく、どうして私に相談をしなかったのかということです」

 折角協力してくれた2人を巻き込む形になり、フミは焦りを募らせた。

 このままだんまりを決め込むわけにはいかない。勇気を振り絞り、声を上げた。

「あの、ダイエット、ですよ……」

「は?」

 ユユは呆然とした声を出した。その隙に、楓が続きを引き継いだ。

「ユユ様、失礼ですが、体重はおいくつですか?」

「48kgですが……まさか、私より体重が重く、それを気にしているとか……?」

 流石に察しが良かった。フミと楓が無言の肯定を返すと、ユユは、頭痛を抑えるように頭に手を当てた。

「もしや、わしに相談しなかったのもそういうことかの……」

「はぁ……。私の体重を知った時ですら『5kgも軽い!』と大変な取り乱しようでしたから」

 なお、ミリアムは153cmで40kgである。リリが知ったら卒倒しかねなかった。

「皆さんに相談しなかったのは私のエゴですわ……。シェンリンさんは絶対にお止めになると分かっていましたから……」

 楓は俯きながら白状した。

 その告白を聞いて、ユユは理解不能と言った顔でため息を吐いた。

「体重なんてパフォーマンスに影響しなければ何でもいいでしょうに。全くそんなことで……」

「『そんなこと』じゃありません! 大事なことなんです!」

 リリさん! と楓らは驚きの声を上げた。

「リリさん、目を覚まされたんですか!」

「いえ。それよりもリリ。どうしてこんなことをしたのですか?」

 ユユは、詰問とも問いかけとも言えない、どっち着かずの口調で尋ねた。

「だって、私、お姉さまにふさわしいリリィになりたいんです。私が思う完璧なリリィは、体重だってプロポーションだって完璧なんです! 完璧じゃなくちゃいけないんです……!」

 ユユは、その訴えをただ静かに聞いていた。そして軽く息を吐いて、こう切り出した。

「貴方は今、(つぼみ)です。(さなぎ)と言ってもいいですよ。いずれにしても、まだ準備中の『まだ何者でもない』存在です」

 『まだ何者でもない』。どこかで聞いた言葉だった。確か入学ガイダンスで、スイレンの花言葉の意訳として紹介されていた。

「貴方、(つぼみ)が『私はあの花のように美しくない』などと言い出したらどう思いますか。(さなぎ)が、『綺麗な羽が欲しい』などと言い出したら? それは小学生が早く大きくなろうと、スーツを着て大人の真似事を始めるようなものです。傍から見たら滑稽でしょう?」

 シェンリンは、他の人に聞こえないよう小さく息を吐いた。

 リリは、ユユの言葉を黙って聞いていた。

「貴方がしたのはそれと同じことですよ。今(あせ)る必要はありません。(きた)る時に備えなさい。そして自分が何者になりたいかは、花開き、羽を身に着けてから考えなさい。その時、もしもなりたい姿があるならば、私がその成長を一緒に手伝ってあげましょう。なぜなら、私は貴方のお姉さまなのだから……」

 リリは、しばらくうつむいたままユユの言葉を咀嚼していた。

「……完璧じゃなくても……いいんですか?」

「ええ。そもそも完璧な人間なんていません。もちろん私だって完璧ではありません。仮に貴方が完璧な存在なら、私は貴方とシュッツエンゲルの契りなど結ばなかったでしょうね」

 ユユはふと、逆も然りなのだろうかと思った。完璧な人間は、如何なる下級生ともシュッツエンゲルの契りを結ばないのだろうか。

「……それでも私、やっぱり、お姉さまにふさわしい立派なリリィになりたいんです……」

 リリは俯いたまま呟いた。

 そして、「ですから!」と顔を上げ、笑顔をユユに向けた。

「ですから! 私、お姉さまの言う通り、まずは立派に開花してみせます!」

 ユユは、そんなリリを、どこか愛おしそうな眼差しで見つめていた。

 

--

 

「今回の事は本当にごめんなさい……」

 ユユが帰った後、リリは改めて5人に謝罪した。

「リリさんは悪くありません。私が悪かったんですよ」と楓。

「本当にしっかりしてくださいな」とシェンリン。

「というか、一番の被害者はユージアじゃろ。顔が真っ青じゃったぞ」とミリアム。

 自分が射撃を加えた直後に倒れたのだから、あの場で一番責ショックを受けたのは、間違いなくユージアであった。

「ユージアさんごめんなさい……」(リリ)「折角ご尽力いただいたのに申し訳ないです……」(フミ)「私からも謝罪を……申し訳ありません」(楓)

「いいよそんな……! リリが無事で、私も安心した」

 ユージアの優しさに、フミはその背後に後光を幻視した。本当に良い方ですね……。

 その言葉を受けてか、「まぁ、私もダイエットの噂は聞こえていたのに止めなかった点で同罪ですので……ユージアさん、申し訳ございません」とシェンリン。

「えー! 知ってたんですか!?」とフミ。

「そりゃ、あれだけ公衆の面前で49kgだ49kgだと騒いでいたら噂にもなりますよ」

「え゛! それじゃあ私の体重って百合ヶ丘中に知れ渡っているんですか……?」とリリ。

「ですから元々世界中に知れ渡っていますって」「それとこれとは話が違うよフミちゃん!」

 再びボルテージを上げ始めたリリを、「これこれ」とミリアムが(いさ)めた。

「リリ。先程ユユ様に諭されたばかりじゃろ」

「うう~そうですね……まずは立派なリリィになるべく、私精一杯頑張ります!!」

「その意気じゃ!」とミリアム

「うう、これは良い記事になりますね~」とフミ。

「アナタはいつもそれですわね……」

 などと言いつつ、フミも、リリと一緒にとても嬉しい気持ちになっていた。

 

--

 

 そして安全を考慮した結果、次回の防御訓練はユユも参加して行われた。

「なるほど。私は貴方たちに射撃を加えたらいいのね」

 のは良いのだが。

「あの、お姉さま……」「あの、ユユ様……」

 前回までの距離⇒1km。

 本日の距離⇒25m。

「近すぎません!?」

 しかしユユは事もなく言った。

「何を。射撃場の距離は概ねこの程度でしょう」

 何の冗談かと思った。

 むしろ、冗談とか怒っているとかそういったことであればまだ救いがあった。しかし、この言い方は……ユユ様の顔は……。

 本気だ……何が問題なのかまるで分っていない顔だ……!

「えっと、ユユ様? それ、訓練弾ですよね?」

「…………」

「あのお姉さま、今、私とフミちゃんのどちらを狙ってるかくらい教えていただけたり……」

「…………」

「ユユ様? あの、ユユ様? ……ユユ様? ユユ様ぁ!?」

 轟音とリリたちの悲鳴が、放課後の学院に響き渡った。

「危険度が上がってはおらぬか……?」とミリアム。

「まぁ、模擬戦で実弾を撃つガーデンもあるくらいですから」とシェンリン。

「リリ、フミ……ファイト!」(ユージア)「リリさん! 怪我をされたら私が介抱いたしますわ!」(楓)「行くも地獄帰るも地獄じゃのう……」(ミリアム)「何を。ユユ様に傷付けられたリリさんを私が介抱することでその心の隙間に」「リリー! 怪我したらおしまいじゃぞ! 気を付けてまいれ!」(ミリアム)

「ちょっと! 私のことも心配してくださいよ!!」

 果たしてリリさんと私は大輪の花を咲かせることができるのでしょうか……。

 リリィとしての大成どころか、まず本気で命の心配をしなくてはならないフミであった。

 

 

 

 

 

 

 

----

 

 夜、寮の自室で、ユユは明かりも点けず窓の外を眺めていた。

「お姉さま……」 

 今までは、名前を呼べば必ず現れた。呼ばなくても、時には、出てきてほしくない時にまでその姿を見せた。

 川添美鈴。死んでしまったユユのシュッツエンゲル。亡霊か幻か、付きまとうようにしてユユを苦しめ、しかし救いともなっていた謎の存在。

 それが、ここ最近、現れなくなっていた。リリとシュッツエンゲルの契りを結んだから? それとも、リリを受け入れたことで自分の中で何か変わったから?

 ユユにとって、美鈴は完璧なお姉さまだった。しかし、完璧な人間などいない。もし美鈴が完璧な存在なら、自分をそのシルトにしようなどと思わなかったはずだ。

 美鈴様にとって欠けていたピースとは何だったのだろうか。自分はそのシルトとして、どのように振舞うべきだったのだろうか。

 言いたいことはたくさんあった。報告したいことも、聞きたいことも、掛けたい言葉も、掛けられたい言葉も、たくさんあった。

 しかし、もはやそれが叶えられることはないのかもしれない。人も幻も、消える時はいつも突然だ。

 美鈴が2年前に死んだときと同じように、ユユが抱えている思いは、宙に浮いたまま、行き場を失っていた。



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第4.3話 vsヘッドハンティング

ルイセ・インゲルスさん。ほぼビジュアルしか公開されてないので、性格はそれっぽく調整。
山梨日羽梨様。何となくこんなイメージがあったので、性格はそれっぽく調整。


「さぁ! 今日も訓練、頑張るよ!」

「はい! 一日も早く皆さんのお力になれるよう! 頑張ってまいります!!」

 気合十分のリリとフミに、

「あ、今日の訓練はお休みです」

 シェンリンが当然のように宣言し、2人はずっこけた。

 

「どうしてですかシェンリンさん!?」とフミ。

「私たちに何か問題が!?」とリリ。

 確かに訓練は辛いものがあるが、そこには成長の実感もあり、何より彼女たちに一番必要な『身を守る』力を身に着ける訓練なのだ。

 必死に詰め寄る2人を、シェンリンは「はいはい」と澄まし顔であしらった。

「まぁまぁ。このところ根を詰め過ぎましたから」と楓。

「何を言いますか! ここは最前線なのですよ!!」とフミ。「早く一人前のリリィになって大輪の花を咲かせるんです!!」とリリ。

「何でお主らはそんなに元気なんじゃ……」

 ミリアムは2人のテンションに着いていけなかった。連日、授業、訓練、研究、授業、訓練、研究……まぁ、今までもほぼ授業か研究しかしてこなかったが、訓練が挟まることで確実に身体への負担は上がっていた。

「貴方に関しては研究のしすぎですよ」とシェンリン。

「なんじゃ! 徹夜は研究の(たしな)みじゃ!」

 そう啖呵を切るミリアムだったが。

「ほら! ミリアムさんが無理をするせいで訓練がなくなったじゃないですか!」

「ミリアムさん! ちゃんと寝てください!」

 藪蛇で2人の無用な怒りを買う羽目になった。

「ええ!? わしか!?」とミリアム。

 まぁ、実際に一番疲労が溜まっているのはミリアムで、休息も睡眠も、もう少し取るべきではあった。

 ただ、必要以上に詰め寄られるミリアムを見かね、楓とシェンリンが助け舟を出した。

「お二人とも落ち着きなさいな。別にミリアムさんの所為で訓練がなくなった訳ではありませんわ」

「そうですよ。今回はユージアさんの都合なのです」

 シェンリンの言葉に、「ユージアさんですか?」とリリ。

 言われてみれば、確かにユージアの姿がない。「……というか、それを先に言ってくれい」とミリアム。

「ユージアさんがご友人と会うそうなのですよ」と楓。

「へぇ、珍しいですね。クラスメイトの方でしょうか?」とフミ。

 なお、このメンバーの内、工廠科のミリアムを除いた4人は椿組で、ユージアのみが李組である。

「アラヤさんとかかなぁ」とリリ。

「いえ、ちょっと想像できない組み合わせなのですが……」

 遠藤亜羅椰(アラヤ)はゴッシプを賑わせる気の多いリリィで、一時はリリも狙われていた程だ。デュエル復古主義を掲げるバリバリの武闘派でもあり、物静かなユージアと気が合うようには思えない。

「まぁ、そもそも遠征中ですから」と楓。

「遠征って?」(リリ)「優秀なレギオンは県内外の激戦区に派遣されるんですよ」(フミ)「え? まだ4月だよ?」(リリ)「4月冒頭の段階でギガント級を軽々討伐されてましたから」(シェンリン)「わしらも見学しとった、あのノインヴェルトじゃな」(ミリアム)「あの数日後には遠征に向かわれましたわよ」(楓)

 ええ!? とリリは驚いた。そういえば最近、壱さんクスミさんたちを見ていないような……。

 リリは知らなかったが、幼い頃から百合ヶ丘に学ぶ生え抜きの面々は、新入生と言えど既に一線級として扱われているのだ。

「それにアールヴヘイムは格付けSSSと目されている超実力派ですからね~」とフミ。

「格付け?」

 リリは首を傾げた。

「『World Legion Rating』と言いまして、世界中のレギオンは、その実力に応じてAからSSSまでの間で格付けされるんです」

 なお、A未満は評価がされない。

 リリは、へぇ~そうなんだ~と納得しかけ、「……ってええ!?」一転、叫んだ。

「それじゃあ、アールヴヘイムってものすごく凄いんじゃ……」

「凄いなんてものではありませんわ。世界に肩を並べる最強レギオンの一角と目されておりますもの」

 (わたくし)のライバルに相応しい一流レギオンですわ、と楓。

「よくもあのスター集団に喧嘩を売れますね……」とフミ。

「あの、私、壱さんに水晶の小物あげちゃったんだけど、田舎者だって思われてないかな……?」とリリ。

 思われてないもなにも、事実、田舎者である。

「大丈夫ですわ。リリさんの魅力は、そのご出自に縛られませんわ」と楓。

「微妙に田舎者は否定してないが、それでよいのか……?」とミリアム。

「気になるようでしたら是非ヌーベル家に嫁入りなさいませ、リリさん」(楓)「これ、どさくさ紛れに既成事実を作るでない」(ミリアム)「と言いますか、出自を変えるなら嫁入りではなく養子では?」(フミ)「お黙りなさい! ちびっこ!」(楓)「あ、あはは……」(リリ)

「一柳ヌーベル……」(シェンリン)「いえ、それ両方苗字ですから……。ヌーベル・リリ……リリ・J・ヌーベル……?」(フミ)「あら素敵な響きですわね」(楓)「一柳楓さんかもしれないよ?」(リリ)「お主もまんざらでもないのか……?」(ミリアム)

 完全に脇道にそれた一同に「それよりもユージアさんですよ」とシェンリン。

「貴方たちは本題に入る前に無駄口を叩く義務でも課されているのですか?」

「シェンリンさんだって乗ってたじゃないですか」とフミ。

「それではシェンリンさんにお聞きしますが、ユージアさんのご友人とはどなたなのですか? 私たちはクラスも違いますし、普段から一緒にいるシェンリンさんがお詳しいと思うのですが」

 楓の言葉に、シェンリンは紅茶のカップを傾けた。

「…………」(シェンリン)

「…………」(フミ)

「……………………」(シェンリン)

「……………………」(フミ)

「あ、知らないんですか!?」

(わたくし)も四六時中共に過ごしている訳ではありませんから」

 もったいぶっといて酷いオチである。

「でも、シェンリンさんっていつもユージアさんといるよね?」とリリ。

 リリらが見る限り、2人が別々に行動している場面に遭遇したことがなかった。部屋も一緒、レギオン(仮)も一緒、そして食事、入浴、その他恐らくプライベートでも、かなりの時間を共に過ごしているのは間違いない。

「そのシェンリンさんでも知らないとなると……」「女じゃな」

 フミの言葉に被せるように、ミリアムが目を光らせた。

「女って、両方女性ですよ……」

 フミは冷ややかな目線をミリアムに向けた。そもそも、ユージアに関してはそういった噂は聞いたことがない(ただし、シェンリンと『出来ている』という噂はある)。

 一方、リリは「女って?」と首を傾げた。

「おやカマトト」(シェンリン)「リリさんは純粋なのですわ」(楓)

 茶々を無視し、ミリアムはリリに語り掛けた。

「リリよ、これはシェンリンへの宣戦布告なのじゃ」

「宣戦布告、ですか?」

「そうじゃ。シェンリンとユージアは、誰しもが認めるカップルじゃ。余人が入る隙はない。なかった。その筈じゃった。しかし! 何者かがそこに楔を打ち込んだのじゃ! 今、ユージアは、シェンリンすら知らぬ何者かと密談を決め込んでおる……」

「み、密談……!」

 よく分からないが、何かリリの琴線に触れるものがあったらしかった。

「そこで何が行われるか……言わずとも知れよう。そう! 謎の刺客がシェンリンとユージアの仲を引き裂こうと画策しておるのじゃ! いわば略奪愛!」

「略奪愛……!」

「このままではシェンリンはユージアに捨てられてしまうじゃろう……」

「シェンリンさんが……そんな!」

 真に迫ったリリのリアクションに、すぐ横で、その話を聞いていた、当の本人シェンリンは、「…………」無言だった。

「よく当人がいる前でこんな話ができますね……」とフミ。

「まぁ、ヘッドハンティングは十分あり得ますけど。何分(なにぶん)、まだ正式に発足していないレギオンですから。『正式に発足したら抜けてくれて構わない』とか何とか騙くらかして引き抜かれてもおかしくありませんわ」と楓。「……その発想が出てくるということはその経験がおありで……?」(フミ)「…………」(楓)

 怖っ。

「まぁ、何にせよ、ユージアの動向を掴んでおく価値はあるじゃろ」とミリアム。

「そうだよ! シェンリンさんの為にも、ユージアさんの密談をスパイしないと!」

 リリはミリアムに大変感化された様子だった。

「まぁ、レギオンメンバーの交友関係を把握しておくこともリーダーには必要ですわね」と楓。

「私としましては新聞のネタにもなるので賛成ですけど」とフミ。

「……全く、貴方たちの野次馬精神には眩暈がします」とシェンリン。

「ああ。参考までに、会合は16時からカフェテリアにて行われるようです。部屋のアルバムを持っていかれたので、もしかしたら旧友とお会いになるのかもしれませんね。百合ヶ丘にもフィンランドやアイスランドに縁あるリリィがいらっしゃるでしょうから、そこから絞り込めるやもしれません」

「……滅茶苦茶やる気満々じゃないですか」とフミ。

 その用意周到さに眩暈がしそうだった。

 

「あ。あれです」

 カフェテリア奥の一席に、ユージアはいた。

「こんな奥まった場所を使うとは……!」「やっぱり密談だね……!」

「……いえ、単に近くを通る人が少なくて集中出来るからじゃないですかね……?」

 ある程度腰を据えて話す場合は、人の往来が少ない奥まった場所が人気である。

 まぁ、腰を据える必要があるということはヘッドハンティングの可能性も高まったのであるが。

「向かいに座っている(かた)は……」「あれはルイセ・インゲルスさんですね」

「ルイセさんですか。強化リリィの御方ですね」とシェンリン。

「強化リリィ?」とリリ。

 強化リリィとは、人工的な強化を受けたリリィのことである。マギ量が増えたり特殊能力を与えられたりと、確かに強力な存在なのだが、副作用として精神が不安定になりがちだ。

 実質的にゲヘナ主導の研究・実験なのだが、リリィへの非人道的な扱いが横行しているようで、強化リリィはゲヘナに対して恨みを抱えている者が多い。

「……というのは一般論ですけどね。強化リリィだからと言って、必ずしも荒れていたり、恨み骨髄(こつずい)、という訳では決してありません」とフミ。

 現に、ルイセは楽しげな様子でユージアと談笑をしていた。そうと言われても分からない程、一見して普通のリリィに見える。

「へぇ。そうだったんだ。私、前にチャームの構え方を教えてもらったよ」とリリ。

「流石のコミュニケーション能力ですね……」(フミ)「どうせ貴方も取材をしてるでしょうに」(シェンリン)「まぁ、そうですけど……。強化リリィってお堅い印象だったんですけど、気さくで姉御肌って感じの方でしたよ」(フミ)

「別に妖怪や物の怪ではありませんもの。変に身構える方が失礼ですわ」と楓。

「まぁ、壮絶な経験をしてるようじゃから、迂闊なことを聞くべきでないがの」とミリアム。

 事実、過去の経験から心を閉ざし、他者とのコミュニケーションを拒むリリィもいる。同じく強化リリィのタヅサは、どちらかと言うとそのタイプだった。

「しかし、どうしてルイセさんとユージアさんが……? 接点ってなにかありましたっけ?」

 ルイセとユージアは、そもそもクラスが違う。また、リリたちと同じ椿組であるが、2代目アールヴヘイムの面々や、リリのルームメイトの(シズ)と比べると、リリたちのグループとはあまり交流がない。

 そんな中、2人の共通点は何だろうかと疑問に思うのも当然だった。

「やっぱりヘッドハンティングでしょうか」とフミ。

「それにしても、何か共通点、取っ掛かりがある筈ですわ。例えば、リリさんをヘッドハンティングするなら、警戒されているアラヤさんより、信頼されている壱さんの方が成功率が高いでしょう?」

 なるほど、楓の言葉は一理ある。……というか、そういったことにすぐに頭が回るのは一流の司令塔として当然なのか、楓が特別そうなのか。後者なら、楓との関係を考え直すべきかもしれなかった。

「インゲルス(Ingels)と言いますと、イングランド系の姓ですわ。ご出身がそちらだとすると、地理的には比較的近いですわね」と続けて楓。

 急にインテリなことを言われると、先程までと振れ幅が大き過ぎて混乱するのだが。

「まぁ、アイスランドも英国も島国ですからね。近いと言っても、東京と沖縄程度には離れていますが」とシェンリン。

「中学はフィンランドの(ほう)じゃろ? まぁ、そっちは陸路もあるとは言え、やはり距離感覚は似たようなものじゃが」(ミリアム)

「それでも、あの辺りは国を跨いで共闘する文化が根付いていますから。どこかで接点があったのかもしれません」(フミ)

「まぁ、少なくとも日本人が行くよりかは遥かに通りが良いじゃろうな」(ミリアム)

 一同の解説に、「へ~。みんな詳しいんだね」とリリ。

「まぁ、私は乗っかっただけですが」(フミ)「と言いますか、ご出身など基本情報はアナタの専門分野ではありませんか?」(楓)「強化リリィだからか、微妙に機密がかかってるんですよぉ」(フミ)

 騒ぎ始めたフミらを、「しっ! 見ろ。ユージアが何か取り出したぞ」と、ミリアムが(しず)めた。

 見ると、何か分厚い冊子のようなものを机の上に広げていた。

「『何か』と言いますか、シェンリンさんが言っていたアルバムですね」とフミ。

「しかしこちらからは何をお話しされているのかさっぱり」と楓。

 そこでこほんとわざとらしく咳をすると、ミリアムは「実は」と口を開いた。

「実は、わしは読唇術を使えるのじゃ」

 自信満々にそう宣言するが、どうも胡散臭い話であった。

「本当!?」とリリ。

「ああ。実は私も使えます」とシェンリン。

「本当ですか……?」とフミ。

 ともあれ、実際にやってもらわなくては分からない。どちらにしても現状、会話を知ることはできないのだから、やってみて損はない筈だ。

「ではわしはルイセの奴を……あー、うん、『へぇ。ユージアって昔はこんなに小さかったんだね』」

「声真似まですることですか?」(フミ)「ルイセさんってこんな気障(きざ)ったらしい御方でしたか?」(楓)「でも本当に読唇出来てるよ……!」(リリ)

「お静かに……こほん、『うん……今では大きくなっちゃったけど』」

「シェンリンさんも声真似ですか……」(フミ)「でも、上手だよ?」(リリ)「また妙な特技を……」(楓)

 

『そんなことないさ。今でも小さくて可愛らしい女の子じゃないか』【ルイセ】

『もう……。またそんなこと言って……』【ユージア】

『本当さ。可愛いよ、ユージア』【ルイセ】

『ルイセ……意地悪』【ユージア】

『そんな意地悪な女について来たのは誰だったかな?』【ルイセ】

『……やっぱり意地悪』【ユージア】

 

「うわあ……! 大人の会話だ……!」(リリ)「というか本当に言ってるんですか? ルイセさんはともかく、ユージアさんは思いっ切り向こう向いてますけど」(フミ)「まぁ、『レジスタ』や『軍神の加護』(※レジスタのサブスキル)にも俯瞰視野能力がありますから……」(楓)

 

『さあ。身も心も私のモノになる準備はできたかい?』【ルイセ】

『でも……やっぱり』【ユージア】

『ふぅん? あの女か?』【ルイセ】

『違う……! シェンリンは関係ない』【ユージア】

『やっぱりそうじゃないか』【ルイセ】

『違う……シェンリンとはそんな関係じゃ……』【ユージア】

『だったら好都合だ。さぁ。私のレギオンに入ってあんな女なんて忘れてしまえ』【ルイセ】

 

「修羅場だよフミちゃん……!」(リリ)「いえ、絶対違いますよ……。談笑されてますって」(フミ)「しかし、少々続きが気になりますわね」(楓)

 

『駄目……私にはシェンリンが……』【ユージア】

『そんなこと言って。私について来たってことはそのつもりだったんだろ?』【ルイセ】

『……あっ……』【ユージア】

『さぁ。素直になろうユージア』【ルイセ】

『ぁ……駄目……! 人もいるのに』【ユージア】

『誰も見てないさ。さぁ、いつもの可愛いユージアを見せてくれ』【ルイセ】

『……もぅ、意地悪』【ユージア】

 

「フミちゃん!? ルイセさんがユージアさんの隣に……!」(リリ)「いえ、一緒にアルバムを見ているだけですって」(フミ)「と言いますか、このセリフを言わせるミリアムさんってかなり鬼畜ですわよ」(楓)「いえ、言ってるシェンリンさんもシェンリンさんだと思いますが」(フミ)

 と、フミたちは真面目に取り合わない中、リリだけが妙にヒートアップしていた。

「こんなの駄目だよ! 私、ユージアさんを止めてきます!」とリリ。

 そう言って立ち上がると、ユージアたちの席へすんずん歩み出した。

「あら、やりすぎましたか」とシェンリン。「まだまだ青いの」とミリアム。「……止めなくていいんですか?」(フミ)「まぁ、リリさんがお望みであれば」(楓)「前々から思っとったが、お主、リリには甘いの……」(ミリアム)「リリバカという奴ですよ」(シェンリン)「愛情! と申し上げてくださいな!」(楓)

 まぁ、止めないフミもフミであったが。

 そんな一同の視線の先で、リリはユージアとルイセの席に飛び込んでいった。

「『駄目だよユージアさん! シェンリンさんがいるのにこんなこと……!』」(シェンリン)

「あらお上手」(楓)「まぁ、読唇するまでもなく聞こえてますからね」(フミ)「わしは構わぬが、また変な噂になるぞい」(ミリアム)

 しかし、その後なにやら二言・三言話したと思うと、リリは2人の間に体を滑り込ませ、3人でアルバムを捲り始めた。

「あれ? 止めに行ったはずでは?」(フミ)「まぁ、どう見ても口説いてる風ではないからの」(ミリアム)「ぶっちゃけましたわね」(楓)「分かってましたが、取り繕う努力はしてくださいよ」(フミ)

 一方、フミらの観察の他所に、リリらは写真を指差し笑い合っている。

「あらあら仲睦まじくされて」(シェンリン)「何や、両親の馴れ初めを聞く娘みたいになっとらんか……?」(ミリアム)「まぁ、純粋な(かた)ですから……」(フミ)「少々幼いとも言えるがな」(ミリアム)

「そういうことはリリさんの前でおっしゃらないでくださいよ」(楓)「もちろん良い意味でじゃぞ?」(ミリアム)「リリさんの魅力でもありますから」(フミ)「それでもです!」(楓)「貴方、またリリさんを自分の物だと思って」(シェンリン)「お黙りなさい! ち……えー。アナタ、揶揄しにくい見た目ですわね」(楓)「そんな悪口、初めて聞きましたよ……」(フミ)

「まぁ、この様子だと何事もないようじゃの。2人の繋がりは後でリリに聞けばよかろう」とミリアム。

 確かに、この和やかな様子から一転、ヘッドハンティングも口説き落とされることもないように思えた。

「全く。これだから必要ないと申しましたのに」とシェンリン。「一番やる気だったじゃありませんか」(楓)

「どうします? これ以上ちょっかいをかけてもお邪魔でしょうから、私たちは解散しましょうか?」とフミ。

「ま。ここで解散して、あとで2人とも引き抜かれとったら笑うがの」(ミリアム)「実はこの辺りの客席はグルで、隙を見て周囲を封鎖しサインを強要するという可能性も……」(楓)「どうして穏やかじゃない発想ばかりでてくるんです?」(フミ)「職業病ですわ」(楓)「お主はリリィを何だと思っとるんじゃ」(ミリアム)「でしたら良い病院を紹介しましょうか? 頭の」(シェンリン)「あら。アナタの行きつけですか?」(楓)「喧嘩は止めましょうよ……」(フミ)「売り言葉に買い言葉じゃな」(ミリアム)

「そもそもですね。引き抜きも何も、ルイセさんはまだ、どこのレギオンにも所属されてなかったと思いますよ」とフミ。

「お?」(ミリアム)「ふむ?」(シャンリン)「ほう?」(楓)「……その悪いことを思い付いたみたいな反応、止めていただいてよろしいですか?」(フミ)

「いやな。やはりユージアとリリが引き抜かれないかと心配でな」とミリアム。

「大人数で圧迫されれば心細くなるものですからねぇ?」と楓。

「相手は一人。片やこちらは六人……。いえ、これは独り言ですが」とシェンリン。

 こ、この人たちは……!

「まんまサイン強要(さっきの)を実行する気じゃないですか!」

 フミは吠えた。

「何をおっしゃいますか。まだどこにも所属されていないのでしょう?」と楓。

「正式に決まっていないだけで、ほぼ確定というレギオンはありますよ」(フミ)

「まぁまぁ。4月の内にお決めにならなくても、別の選択肢を検討することも大切ですわ」(シェンリン)

「物は言い様ですが、悪行の片棒を担ぐのには断固反対しますよ」(フミ)

「別に取って食ったりはせんわ。ユージアと繋がりがあったのも何かの縁、ちょっと話すくらいよかろう」(ミリアム)

「どこの世界に六人で一人を取り囲む歓談があるんですか」(フミ)

 とは言っても、皆がぞろぞろ向かっているのに傍観を決め込むわけにもいかず、結局、その片棒を掴ませられている気がするフミであった。

「ごきげんよう! ルイセさん」

 楓の挨拶に、ルイセらは顔を上げた。そして何かしら反応を起こす前に、ルイセの横に楓とミリアムがササっと入り込み、反対側にシェンリンが座った。

 ……やはり妙に手慣れてますね。

「ごきげんよう。お邪魔してすみません……」

 フミは謝罪しつつ、空いているシェンリンの横に腰を下ろした。

 これでUの字の掛け椅子の中央にリリがいて、その左にルイセ、楓、ミリアムが。その右にユージア、シェンリン、フミが並ぶ格好になる。最奥ではないが、ルイセが抜け出すのはかなり困難な位置である。

「何ですかオマエたちは?」

 ルイセは、丁寧なのか粗雑なのか分からない言葉遣いをしながら楓らを胡乱(うろん)げに見つめた。

「いえいえ、私たちはユージアさんのお付きの者ですから」とシェンリン。

「わしらのことは気にせず続けてくれて()いぞ」とミリアム。

 気にせずも何も、どかどかと4人の人間が現れて何事もなく話せるほど図太い人間などそうはいない。

「……と言いますか、オマエたち、どうせ私をヘッドハンティングしようとでも思ってやがりますね?」

「ヘッドハンティング……? まさかこの純粋無垢な私たちがそんなこと……」

 楓はとぼけた。

「さっきからちらちら見てやがったでしょう!」

 滅茶苦茶バレバレだった。

「有難いことに、私はサングリーズルから声を掛けていただき、既に内定しています。まだ正式加入していないのは、4月中はロスヴァイセの奴らに声を掛けられる可能性があるからです。残念ですが、お誘いは断らせていただきます」

 ルイセは丁寧ながら毅然とした態度で言い切った。取り付く島もないというやつである。

「あー、やっぱり『サングリーズル』ですか」とフミ。

 サングリーズルは超実力派かつ超個性派ばかりが揃う異色のレギオンである。教導官や生徒会の指示に従わないことも多く、レギオンとして正式に認められるまでかなりの時間を要した。

 いわゆる百合ヶ丘の『問題児』であり、制御不能のレギオンとさえ呼ばれている。実力は高いのだが、その戦績や格付けに反して、学院からの扱いがやや不遇気味であったりする。

 ちなみにロスヴァイセは強化リリィ特務レギオンで、特定任務を課すために学院側が作ったレギオンである。強化リリィには4月の段階で一応、声が掛けられていたらしい。

「まぁまぁ。正式に加入していないのでしたらお試しで……」(楓)「それは引き抜きの常套手段でしょうが」(ルイセ)「バレバレじゃないですか」(フミ)

 まぁ、リリィとしてそれなりに活躍していれば、それなりにその『裏側』も知っているものだった。

「しかたないの。こうなったら実力行使じゃな」とミリアム。

 不穏な言葉に、楓らが臨戦体勢へと移る。

「ちょっ! 本気ですか!?」とフミ。

「ダメだよみんな……!」とリリ。「そうだよ……ルイセは私の友達だから……」とユージア。

「でしたら同じレギオンで活躍できた(ほう)がよろしくはないでしょうか?」(シェンリン)

「ん…………」(ユージア)「おいユージア」(ルイセ)「悩まないでくださいよ!? ダメなものはダメです!」(フミ)

 つーかコイツら、普段からこんな勧誘してやがるんですか……?

 ルイセは怒るというより呆れてしまった。

「て言いますか、それ以前にオマエんとこまだ7人だろ? 私が入ってもまだ足りねぇでしょう」とルイセ。

「どうせお友達の強化リリィも誘われているのでしょう?」(楓)

「そんなフリーの強化リリィがぽんぽんいる訳ねぇでしょう!」(ルイセ)

 ……と言いつつ、実は『黒川・ナディ・絆奈』も強化リリィで、同じくサングリーズルに誘われている。鋭い奴ですね……と心の中で毒づいた。

「どちらにしても、私はこんなとこで暴れるほど無分別なリリィじゃないんですよ。他をお当たりくださいな」

 ルイセは取り合わず、シッシッと腕を払った。

「そうだよ。ルイセさん、ユージアさんの昔のお友達のお友達なんだよ?」とリリ。

「……えー、『ユージアさんの昔のお友達』、と言いますと?」(フミ)「……うん、愛ちゃんと……」(ユージア)「愛ちゃん?」(楓)「愛永・ウツソンさんですね」(シェンリン)「どうして知っとるんじゃ……?」(ミリアム)「あー、ヘイムスクリングラトレードゴードの」(フミ) ※ユージアが中学まで通っていたスウェーデンのガーデン。

「シェンリンには何度か話してるから……」とユージア。

「それじゃあユージアさんとルイセさんには浅からぬ縁があったのですね」とフミ。

「ちっ、命拾いしましたわね」と楓。

「物申してやりてぇですが、流石にオマエとシェンリン相手では厳しいですよ……。まさかと思いますが、普段からこんなことをしてるんですか?」

 ルイセの疑念の声に。

「まさか」と楓。「そんな訳なかろう」とミリアム。「してませんよ?」とシェンリン。「してないよ?」(ユージア)「してません」(フミ)「してないよ?」(リリ)

「何でオマエらはそう胡散臭いんですか」

 本当のことを言ってるだけなのに、どこか嘘くさかった。

「あーそういえばオマエ、あのヒバリ様に目ェ付けられたんですよね」

 不意に、ルイセはフミに話を振った。

「ヒバリ様?」とリリ。

「現サングリーズルの司令塔、そして『魔術師』の異名を持つ、独特でモダンでハイセンスな戦い方をされるリリィです」とフミ。

 そして初代アールヴヘイムの茜様のライバルを自称・世間からも認められる程にその実力は高い……のだが、ハッキリ言って、変人だった。

「何ですあのドイツ語かぶれは。何て指示してるかよく分からねぇし、先輩に聞いても『雰囲気で理解しろ』って、何で司令塔の指示をそれとなく察さなくちゃいけねぇんですか……」

「まぁ、トップレギオンは目で会話すると申しますし……」

「口で会話してんのに伝わらねぇのが問題なんですよ」

 4月の頭、急に話しかけられたにもかかわらず、あのフミが鼻血を出す暇もなかったと言えば、どれだけ変人であるか、その一端が伝わるだろう。

「オマエをサングリーズルに入れるって話もあったみたいですけど」「いや、あれはリップサービスですって……」「サングリーズルの誘いを蹴るとは剛毅(ごうき)な奴だと思いましたが、まぁ、あんな奴がいるなら納得ですね」

 酷い言い様だが、色々エピソードがあるだけに擁護はできないのだった。

「『貴方が求める力は私が持っている』とか何とかおっしゃってましたよ」とフミ。「そんな魔王みたいなことおっしゃるんですか?」(楓)「日本語で話してくれるならいいじゃねぇですか。急に『ブラボー! ビシュライニゲン!』と言われてもぽかんとしますよ」(ルイセ)

「ビシュ……なんて?」(リリ)「beschleunigen……まぁ、意訳すれば一気呵成といったところでしょうか」(シェンリン)「む、難しいんだね……」(リリ)「でも、カッコいいよ?」(ユージア)「ちょっとハイセンスすぎて私には分かりませんが……」(フミ)

「アナタもヨーロッパ育ちでしたらドイツ語くらい分かるんじゃありません?」と楓。

「無茶言わないでくださいよ。向こうの公用語は英語って決まってるんです。挨拶や簡単な指示くらいは分かりますが、専門用語っぽいのは無理ですよ」(ルイセ)

「昔、Allegro(アレグロ)! と指示する奴はおったがの。ドイツ語もその亜種なのか?」とミリアム。

「まぁ、beschleunigenも音楽用語のドイツ訳ですから」と楓。

「はぁ!? じゃあドイツ語かぶれの音楽用語かぶれなんですか!? 救いようねぇですね……」(ルイセ)

「一応先輩ですよ……」とフミ。

 しかし何となく『一応』と付けてしまうのは何故だろうか。入学直後からフミに目を掛けてくれたヒバリには申し訳ないのだが、実力の高さに反して、どことなくポンコツ感が滲んでいるのである。

「そんな面倒な御仁(ごじん)に指示されるなら、わしらんとこの方が幾分気楽ではあるまいか……?」

 ミリアムは割と真面目に提案し、ルイセもちょっと心が揺らがなくもなかった。

 しかし、「ま。遠慮しておきます」とルイセ。

「折角、名高いサングリーズルからお誘いがあったんです。自分の力を試してみたい、先輩方の技術を吸収したいと思うものでしょう? まぁ、オマエたちとわいわいするのも楽しそうですが……それは来年の楽しみにしておきますよ」

 ニヤリとして答えた。

「それ、断る時の常套句じゃありませんか」と楓。

 来年になったら先輩が抜け、新人が入ってくるので易々とは抜けられないのだ。

 とはいえ、これ以上引き下がる理由もないのだが。

「あの~、邪魔しちゃってごめんね?」とリリ。

 むしろ、真っ先に言うべき言葉はこれだった。

「ホントですよ。愛永から連絡があって機会を伺ってたんですが、なかなか一人にならねぇですし、メールで話をしても忙しそうですし。オマエたちのレギオンに休みはねぇんですか」

「土日はフリーの時間も多い筈ですけど……」(フミ)「月月火水木金金……」(ユージア)「ちょっと、ルイセさんが信じたらどうするんですか!」(フミ)「いや、マジで土日も捕まらねぇんですけど」(ルイセ)「まぁ、戦闘やら訓練やらはありますから」(楓)「最近は私と外出することも多いですね」(シェンリン)「シェンリンはユージア以外の友達を作ってくださいよ」(ルイセ)

 シェンリンさんって友達少ないの? と小声でリリ。いつの間にか、厳重な囲いを抜け出し、フミの横に来ていた。

 フミを挟んだ横に当のシェンリンがいるのに、よく質問したものだった。

「居ますよ。壱さんやしおりさんとも知らぬ仲じゃありません」

 シェンリンは澄まし顔で答えた。

「その割にあまり会話しているところは見んがの」とミリアム。「止めましょうよ、本人が目の前にいるんですよ」(フミ)「それは陰で色々言っているってことですわね?」(楓)「フミ……酷い」(ユージア)「そんなフミちゃん……」(リリ)「いや、言ってませんよ! ルイセさんが誤解しますって!」(フミ)

 まぁ、正直フミも、ユージア以外の誰かと絡んでいるシーンを見たことがなかったが。

「そうそう、シェンリンに聞きたかったんですけど……」「はいはい。私の陰口は私のいないところでなさってくださいな」

 シェンリンは、ルイセの言葉を軽くあしらった。

「……そんなんだから友達がいないんですよ?」とルイセ。「仲良しごっこの相手を友達とは言いませんよ」(シェンリン)「オマエ……ちゃんとコイツらに感謝しなさいよ?」(ルイセ)「シェンリンさんにはいつも助けられてるよ!」(リリ)「いや、オマエじゃなくてですね」(ルイセ)「まぁ、私たちが頼んだ側ですから……」(フミ)

 レギオン加入の件については、シェンリンとユージアに頭が上がらないのだった。

 ここ最近も色々なリリィにそれとなく声を掛けてみるのだが、色よい返事を貰えた試しがない。後々、考えれば考えるほど、よくこれほどの実力者が無名のレギオンに入ってくれたものだと思えるのだった。

「そういえばちょっと気になってるんですけど……ルイセさんってそんな口調でしたっけ?」とフミ。

 以前取材した時は、もっと丁寧口調だった覚えがある。少なくとも『オマエ』やら『やがる』やら気風(きっぷ)の良い言葉は使っていなかった。

「ああ、これですか。私の日本語は愛永とかに面白半分に教えてもらいまして、その後に正式に覚えたんですけど、まぁ、油断してるとちょっと出ますね」

「それじゃあ、私たちはもう仲良しだね!」とリリ。「さっきまで恋の密猟者とか何とか言ってやがった気もしますが、まぁいいですよ……」(ルイセ)「リリさんの御言葉ですわ、心にお刻みなさい」(楓)「そういえばオマエはそんな奴でしたね……」(ルイセ)

「でも、独特な口調も、そうなった経緯も、何だかミリアムさんみたいですね」とフミ。

 ミリアムも、確か父親が(勘違いで)この喋り方を教え、この語り口調になった筈だ。もしかしたら、お互いに親近感があるかもしれない。

 と思ったのだが。

「はぁ? 私は隠そうと思えば隠せるんですよ。常に珍妙な口のちんちくりんと一緒にしないでください」

「何を言うか、わしはこの口調にアイデンティティを感じているのじゃ! こっちこそお主のような(よもぎ)リリィと一緒にされるのは心外じゃ」

 むしろ、やや険悪だった。

「喧嘩はダメだよ!」(リリ)「同族嫌悪……」(シェンリン)「ぼそっと言うの止めましょう」(フミ)「同族嫌悪ですわ!」(楓)「いや堂々言いすぎるのもどうかと……」(フミ)

「2人とも!」

 役に立たない外野どもを差し置き、(いさか)いを止めたのは、ユージアだった。

「ダメだよ、2人で喧嘩しちゃ……」

 その悲し気な瞳は、いがみ合っていた2人の熱気を冷ました。2人はばつが悪そうに視線を外し合う。

「ルイセ……。ミリアム……」

 (いさ)めるようなユージアの言葉に、2人はようやく視線を交わした。

「何と言うか……」「その、何と言いますか……」

 そしてユージアは優しく諭すように言った。

 

「同じ穴の狢なんだから仲良くしよう……?」

 

「そうじゃな、わしらは同じ……っておいいい!!」「誰が四足歩行の穴倉に住むタヌキみてぇな奴ですか!」

 感動が台無しだった。

「てか、オマエが一番ひでぇですよ!?」

「多分、人類皆兄弟って言いたかったんですよ」とシェンリン。「まだ日本語がお上手じゃありませんから……」とフミ。

「嘘つけ! ネイティブ張りに話してたでしょうが!」

 ルイセの叫びを聞きつつ、なるほど、全力でツッコんでくれる人がいると楽しいものだなぁと、実質、ほぼ唯一のツッコミ担当としては新鮮な気持ちだった。

「やっぱり仲良しじゃないですか。息ピッタリですわ」と楓。

「いやですから私はですね……」「良かった! 2人は仲良しなんだね?」

 反論したいルイセだったが、純粋な瞳のリリに見つめられると非常にやりづらかった。

 くそ、覚えてやがれですよ……。

 そう思いながら、形ばかりの握手をミリアムと()わすのだった。

「仲直りして良かった……」とユージア。

「ルイセさん、ユージアさんとも仲良(なかい)いじゃないですか」とフミ。「オマエもなかなかいい性格してやがりますね……」

「まぁ、実際、ユージアとは面識があったのかの?」とミリアム。

「どうですかね……多分なかったと思いますけど」とルイセ。「うん、私も……覚えてないかな」とユージア。

「へぇ、それでは本当に愛永さん繋がりで出会われたんですね~。まさに海の向こうのリリィが紡いだ友情! これ、記事にしてもいいでしょうか?」(フミ)「オマエはいつもそれですね……」(ルイセ)「愛ちゃんにも……話、聞いてみる?」(ユージア)「是非! 是非!」(フミ)

 何となく話が取材モードに流れた矢先。

「そういえば、ルイセさんはどうして日本に来られたんですか?」

 不意にリリが投げかけた質問に。

 一瞬で、ルイセの空気がピリッと刺々しく変わった。

 ミリアムはしまったと思った。過去のことなど聞くべきでなかった。一つ過去を聞けば、二つ三つと過去のことに話題が及ぶのは当然だった。

 強化リリィの過去について聞くことは、『迂闊なこと』だった。

 が。

「どうせ観光とかに決まってますわ。大方、食い倒れツアーの最中に仲間とはぐれたのでしょう」と楓。

「いえいえ、お仲間の巣穴に帰ってきたじゃないですか。良かったですね」とシェンリン。

「ですから狢じゃねぇですよ!」

 その重い空気を全く意に介さない2人に、ルイセは一先ずツッコミだけは入れておいた。

 こやつらは凄いの……とミリアム。心の中で頭を下げた。

「まぁ、時間も時間ですし、愛永さんの件は後日ということで。代わりに、今のレギオンでの抱負などをお聞かせいただいてもよろしいですか?」

 そう言うと、フミはちゃっかりメモとペンを取り出していた。

「抱負も何も……まぁ、せっかく呼ばれたからには出来る限りのことをしてやりますよ」

 そこでニヤリと笑うと、

「ま、オマエら如きのレギオンに入らなくて良かったと思うくらい活躍してやりますよ」

 挑発的にリリの方を見た。

「ううん……! 私、ルイセさんのレギオンに負けない立派なレギオンを作るよ!」とリリ。「ほう? SSSレギオンに宣戦布告とはなかなか太ぇタマしてますね」

 え……? ルイセの言葉に、リリは横にいるフミに目線を向ける。

「あれ、言ってませんでしたっけ? サングリーズルもアールブヘイムと同じく、格付けSSSを獲得している超実力派レギオンですよ」

「フミちゃん! それ先に言ってよ!」

 なお、そこに誘われるルイセも当然一流のリリィであり、気軽にアルバムの写真を差して一緒にうふふあははできる相手ではなかった。

 まぁ、今更ではあるのだが。

「リリさん。今、ルイセさんを引き抜けばサングリーズルはSSに降格し、私たちはSSSに一歩近付きますわ」と楓。

「……言いたかないですが、私一人にそこまでの実力はねぇですよ」(ルイセ)「SSとSSSの差は主に控え要因の有無ですから。ルイセさんを引き抜けば降格の憂き目に遭う可能性は十分あるかと」(シェンリン)「確かに私と絆奈が引き抜かれれば痛恨かもしれませんが……」(ルイセ)「何ですか。やっぱりお友達も一緒なんじゃないですか」と楓。

 しまった……口が滑りましたよ……。

「言っておきますが、絆奈にまでこんなことはしねぇでくださいよ?」

「……」(楓)「……」(ミリアム)「……」(シェンリン)「……」(ユージア)「……」(フミ)「……」(リリ)

「て、てめえら、本当に信用ならねぇ奴らですね!!」

 何も言ってないのに、どこまでも胡散臭い集団だった。



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第4.4話 vs変な先輩?

「ユユ様!! ……って、やっぱりもういないよね……」

 ある日の放課後、リリはカフェテリアに駆け込み、そこにお姉さまがいないことに肩を落とした。『講義で遅くなるかもしれないので、私が来れなかったら帰ってください!』、そう伝えていたので、仕方ないと言えば仕方のないことだった。

 ユユもしばらく待っていたのだが、流石に夕日が刺し始めると荷物をまとめて帰ってしまった。しかし、今なお夕日は山の影に隠れておらず、実はタッチの差でのすれ違いだった。

 なお、フミや楓は一足先に寮に戻っている。カフェテリアは17時にラストオーダーを迎えてしまう。別に追い出されはしないが、人気(ひとけ)がなくなり、何となく居づらくなる。仮にユユがいたとしても、すぐに解散となるだろうと2人は判断したのだった。

 実際、カフェテリアにはリリ一人しかいなかった。物寂しげだが、差し込む夕日が歓談スペースを照らし、中々に綺麗ではあった。

 百合ヶ丘の小さな絶景。今度はお姉さまと一緒に見たいな、と思っていると。

「もしそこの御方」

「ひゃい!!」

 急に真後ろの方から話しかけられ、リリはびっくりした。

 振り返ると……あれ、さっきまで居たかな……リリの丁度真後ろの席に、大きな傘を差したリリィが座っていた。もしかしたら死角となって見えなかったのかもしれない。それとも、奥の方からリリを見てやってきたのかも?

 とにかく、恐らく初めましての相手だった。あまりに大きな傘なので、顔が隠れて判別はできないが、少なくとも室内で傘を差すような珍妙なリリィには出会ったことがない。

「あの、私、ですよね?」

 顔色を伺うようにリリが返事をすると。

「アナタに決まってますわぁ。アナタ以外にどなたがいまして?」

 ピシャリと怒気すら孕んだ声が返ってきた。

 ……何と言うか、かなりツンツンした(かた)だった。やっぱりお嬢様だったりするのかな? と、特徴的な話し方と、綺麗に細工された傘を見て、そんなことを思ったりした。

 とりあえず「あの……」と呼びかけようとして、リリは相手の名前を知らないことに思い当たり、言葉に詰まった。

 相手もそれを察したのか、ぼそっと「小沢」と呟いた。

 小沢。恐らく、というか確実に苗字である。

「……えーと、あの、小沢……『(なに)』様でしょうか……?」

 百合ヶ丘では、先輩の呼び方は『様』付けが不文律となっている。苗字であっても名前であっても構わないのだが、基本的に下の名前で呼ぶことが多い。リリも、苗字だと余所余所しさを感じるので、相手が嫌がらなければ名前+様で先輩をお呼びしていた。

 しかし、小沢様は憮然とした口ぶりで「薬師芽(やくしめ)小沢(おざわ)」と呟いた。

 リリは、混乱した。

 え? 『やくしめ』が苗字なの? でも小沢なんて名前……でも『やくしめ』なんて名前も聞いたことないし……苗字でも聞いたことないけど……でも最初に言ってたからやっぱり小沢様? 海外育ちで実はやくしめ様……?

「えっと、やくしめ、様? でよろしいですか?」

「何をおっしゃっていますの!!」

 薬師芽様は烈火の如くお怒りになった。

「あ、はいごめんなさい! 小沢様ですね!!」

「アナタはバカなのですか!! 小沢(おざわ)薬師芽(やくしめ)ですわ! 小さな沢でお薬の師匠の芽キャベツと書いて小沢薬師芽ですわ!!」

 滅茶苦茶な人だった。

「えぇ……じゃあ何で逆に言ったんですか……?」

「アナタがどれ程の人物か確かめたのです」

 この言い草は、もしかしたらとんでもない大物かもしれない。

 それで私の評価はどうだったんでしょう……? なんて思っていると。

「全くダメです。全然ダメです。箸にも棒にもつまようじにもエッフェル塔にも掛かりません。ダメ。てんでダメ。ダメダメ。不合格。0点。最悪。人生をやり直すべきです」

「そこまで言います!?」

 滅茶苦茶に口が悪かった。

「全くの期待外れ。アナタもそうは思いませんか? ねぇ、一柳リリさん」

 急に名前を呼ばれ、リリはドキッとした。

「え? どうして私の名前……」

「だってアナタ、あの白井ユユのシルトでしょう? 顔も名前もよーく存じ上げてるわよぉ」

 そういって薬師芽様は呵呵と笑った。

 ただ、あれだけ悪口を言われこうもカラカラ笑われているのに全く嫌味に感じない。

 これも人柄や育ちの良さというものなのだろうか。リリもすっかり毒気を抜かれてしまった。

「あの……薬師芽様、どうして室内なのに傘を差されているんですか?」

 何となく発言しても許されそうな気がしたので、リリは最初からずっと気になっていた疑問をぶつけてみた。

「ああ、これですか? これは(わたくし)にとって、とてもとっても大事な傘なのですわ」

「はぁ、そうなんですか」

「…………」

「…………」

 いや続きはないんですか? リリがそうツッコみかける直前、「あれは5年前のことですわ」と何やら語り始めた。

「私は当時から賢く器量よし、容姿端麗眉目秀麗男どもからモテまくり酒池肉林の一大サーカスを築き上げていたのですわ!」

 あ、これ長くなる奴だ……と分かった。リリの乏しい人生経験でも、これは絶対に盛大な寄り道をするパターンだと察せてしまった。

「友人も先輩後輩も多く、リリィとしても超超超超超超……えっと何回言いましたかね? ともかく、超優秀なリリィだったのです私は。私は超優秀だったのです」

 いえ、何も2回言わなくても……。「分かりました、分かりましたよ……」

「この傘は超! 超! 優秀だった私が、とある先輩からお譲りいただいた、それはそれはありがたぁい傘なのですわ」

 へぇ、そうだったんですね~と答えかけて、ふと気付いた。

「あのぉ、それって結局、室内で傘を差している理由にならないような……」

「……………………ふーん」

 滅茶苦茶ご機嫌ナナメになっていた。

「あの! それがものすごく大切な傘だってことは分かりました! もしかして、お姉さまからいただいた傘だったりしますか? それで気に入っていて室内でも差すようにしているとか……?」

 慌ててフォローするも、薬師芽様は憮然とした口ぶりを崩さなかった。

「……ふーん。アナタ、あまり他のリリィとはお話ししないでしょう?」

 急に話題を転換され、「えぇ? そんなことないと思いますけど……」と、やや困惑しながら答えた。

「私が言っているのは単純な会話の多寡ではございませんわ。アナタ、相手の魂に触れるような会話をされておりませんね」

 リリは、目の前の彼女の言っていることがよく分からなかった。

「私がお姉さまから傘をいただいた? 気に入っているから傘を差している? 不用意な発言ですわね。この傘は……私のお姉さまの……お姉さまになる筈だった方の遺品なのです」

 リリは、あっ、と小さく声を上げた。

 ここは百合ヶ丘女学院。ヒュージ迎撃の最前線である。悲劇や悲しみなど茶飯事……むしろ悲劇を抱えていないリリィなど、この学院に一握りもいない。

 リリはその一握りの例外であり、つい1か月前までは部外者ですらあった。仕方のないことであったが、リリはそのような機微にはかなり疎かった。

「5年前の戦いで、私はお姉さまとなる筈の方を失いました。それどころか私も巻き込まれ……顔に、大きな傷が残っているのです。それからは酷いものですよ……それまで私を慕っていた者も途端に離れていったのです。惨めな存在……。私は人前で顔を晒せないのですわ。この傘は、その為のベールなのです」

 リリは、掛けるべき言葉を失った。リリは、大切な誰かとの別離も、築き上げてきた物が粉々に砕ける壮絶な経験も、味わったことがなかった。そんなリリが、目の前の傷付いたリリィへとかける言葉など、何一つ思い浮かばなかった。

 まずは、安易に傘のこと、その入手経路について尋ねたことを謝ろうと思った。この百合ヶ丘のリリィにとって、大切な思い出は、きっと苦しみの記憶と紙一重なのだ。

 しかしそのリリの機先を制すように、薬師芽様は立ち上がり、何を思ったか、傘を閉じた。

 しかし夕日は既に沈みかけており、加えて傘の下に帽子を――ごてごてと豪華な装飾の着いた立派な帽子を――被っており、顔は全く見えなかった。

「一柳リリさん」

「は、はい……」

「アナタ、純粋な方ですわね?」

 その、優しげな声に、はい? と訳も分からず顔を上げた。

「この傘は先日購入した日傘ですし室内で差しているのは趣味ですしお姉さまは死んでませんしそもそも5年前に事件などありませんし私の肌は今でもぴちぴちですわよ」

「はい……?」

「あと私の名前は小沢薬師芽ではありません」

「え?」

「それと私、アナタと同じ1年生ですわよ?」

「ええ!?」

「あ! 後ろに白井ユユ様が!!」

「ええ?!!」

 と、混乱したまま後ろを振り向くと……「あれ?」誰もいなかった。

 もう一度振り返ると、薬師芽様(?)は影も形もなかった。完全に日が沈み、真っ暗になったカフェテリアで、リリは一人、立ち尽くしていた。

 …………。

「えええええええ!!!」

 リリの叫び声は、誰もいない室内に響き、消えていった。



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第4.6話 vs studying the "マギ"

 予感はあった。

 いつかこんな日が来ることを、フミは何となく察していた。

 避けられない定め。どうしようもならない天命。それでも抗おうとするのが、人間というものなのだろうか。

「次回、マギ理論の小テストを行います。これだけで成績は付けませんが、不勉強な(かた)にはそれなりの報いを受けていただきますので、そのおつもりで」

 『小テスト』……!

 ついに、やってきましたか……。

 フミは机に倒れ込むようにうつぶせた。

 マギ理論初級。初級と言いつつ、明らかに高校レベルを超えたタイトル詐欺。しかも、数学やよく分からない理論が出てくる、ゴリゴリの理系な講義。

 今日までの内容も理解不能なものばかりだったが、それすらただの前座だと言われると、恐怖で顔が引きつるというものだ。これが必修だとはとても信じられなかった。

「か、楓さん……ヘルプです……」

 『小テスト』の一言で既に満身創痍なフミは、息も絶え絶え助けを求めた。

 しかし。

「さて、今日の授業もそれなりでしたわね」

「ようし! 今日こそお姉さまの所にたどり着くよ!」

 楓とリリは、フミを置いて入口まで歩み出していた。

「ちょっと! 無視は酷くないですか!?」

 フミは足でガンガンと机を叩いた。

「フミさん、はしたないですわよ……」と楓。

「だってテストですよテスト! これでどうかしない(ほう)がどうかしてます!」

 フミの駄々に、アナタそういうキャラでしたっけ? と楓。

「それに、テスト一つでピーピー言うようでは立派なリリィにはなれませんわ」

「大丈夫だよ、テストは来週だよ?」とリリ。

 フミは、リリの純粋な顔を恨めしそうに見つめた。楓はともかく、リリも意外に勉強が得意なのだった。飲み込みが早いというのか、教わったことはすぐに身に着けるのだ。

「うぅ~同じスキラー数値50ですのに……!」

「でも、アナタだって百合ヶ丘のセレクションを突破なさったのでしょう?」と楓。

「……と言いましても、学力テストは基本足切りで、リリィとしての実力と戦術理解が本題ですし……」

 フミは、その中でも自分は戦術理解一本で合格したと自負していた。自己採点でどう考えても基準未満だった自分が合格を勝ち取ったとすれば、気合を入れて書いた小論文以外にあり得なかった。

 もちろん、それ以外の科目も手を抜いていた訳ではない。とはいえ、どうしても得意苦手はある。フミは典型的な文系タイプで、数学や物理などは記号を見るだけで頭が痛くなってくるのだった。

「それでは、夜に勉強会でも開きましょうか?」

「う~ん、そうですね……」

 楓の申し出は大変ありがたいのだが、フミは気が重かった。

 祝賀会。新年会。歓迎会。花火大会。世の中には『会』が付く楽しい出来事がたくさんあるのに、どうしてそこに『勉強』をくっ付けようと思うのだろうか……。

「え! 勉強会!」

 一方、リリは目をキラキラさせていた。

「リリさんは乗り気なんです……?」

「え? 何だか百合ヶ丘に来たって感じしない?」

 ……ちょっと分からなくもないが、『テスト』を控えているとなれば、あまりウキウキとはできないのだった。

 ともかく、いつも通りに防御訓練を行った後、夜に勉強会を開くことで話がまとまった。

 それはありがたいのだが、フミとしては、やはり気が重いのだった。

 

-2-

 

「全く。勉強で(つまず)いているようでは話にならぬぞ」

「良いじゃないですか。必死で勉強するフミさんを(さかな)に飲む紅茶も……いえ、これは紅茶が不味くなりますね」

「ちょっと! 邪魔しに来たなら帰ってくださいよ!」

 夜、勉強会が行われると聞いて、楓の部屋(3部屋ぶち抜きで広い)にはシェンリン、ユージア、ミリアムの3人も応援に来ていた。

「と言いますか、シェンリンさんたちはどうしてマギ理論を受けてないんです?」

 必修の筈だが、ちらほらと受けていない生徒がいるのは何となく気付いていた。そもそも、遠征に行っている面々は当然欠席している。その欠席日数は補習で何とかなる範疇(はんちゅう)を超えているように思えるのだが。

「ええ、私たち生え抜きのリリィはほとんど中学の内に履修済みですから」とシェンリン。

「私も、向こうの中学で履修してたから……」とユージア。

 どうやら、小学校、中学、場合によっては幼稚園時代からのエリートリリィは、教育水準が全く別物のようだった。

 考えてみれば、高校1年から全力で戦いに赴くには、高等課程の勉強・リリィに必須の知識・戦術などを中学の内に頭に叩き込んでおく必要がある。

 ただ、逆に言えば、中学時代にこの難解な理論を学ばなければいけないということでもあり、(うらや)ましいかどうかは微妙なところだった。

「しかしマギ理論初級ですか。生え抜きリリィの間でも壁と呼ばれています」とシェンリン。

「中学1年生から取れるけど……みんな3年生で取ってた」とユージア。

「わしは1年生の内に取ったがの」とミリアム。

 くそぅ……このチャームマニアが……! という逆恨みは(ギリギリ)心の中だけに留めた。

「はいはい、無駄口を叩く暇がありましたら勉強なさい」と楓。

「……それはいいんですけど、どうして楓さんとリリさんだけマンツーマンなんです……?」

 何故か、3部屋ぶち抜きの一番奥に当たる部分で、リリは楓に付きっきりで教えてもらっていた。

 まぁ、むしろフミ側に3人と手厚いので全く構わないのだが、こちらと向こうがカーテンで仕切られているのが妙に疑わしい。

「まぁ、声が聞こえるからの。滅多なことはせんじゃろ」とミリアム。

「それより貴方の勉強ですよ。集中なさい」とシェンリン。

 ……言われるまでもなく、それは分かっているのですけど……。どうして勉強中って、別のことが気になるんですかね……。

 しかも、いざ教科書に目を落としても、何が書いてあるのか全く理解できない。それどころか、一行目を読んで、文字が右から左に抜けて、何度も何度も同じ文章を読んで、それでも何が書いてあるか分からなかった。

 これは知識云々以前に、フミの腰が引けている所為だった。

「シェンリンさん、これ全然分からないんですけど……。正直、今までの講義内容もいまいち分かっていなくて……これどうしたらいいんですかね……」

 フミは、泣き言のようなことを言い始めた。泣き言というか、ちょっと泣きそうだった。憧れの百合ヶ丘であったが、こと勉強に関しては非常にシビアなのだった。

 シェンリンは、ちょっと考えるような仕草をした。

「フミさん。本当に全然分からないのですか?」

「はい……。オームの法則は知ってますけど、内部抵抗? って何ですか……。これ、マギの話となにがどう関係してくるんですか……?」

「フミさん。本当に分からないのですか?」

 シェンリンのその繰り返しは、フミを不安にさせた。

「ちょっとシェンリンさん、やめてくだ…………え?」

 ふとユージアとミリアムを見ると、2人が悲しそうな表情をしているのに気付き、フミの心臓はドキンと嫌な音を立てた。

「え? あの、もしかして、あの、これってこれくらいできるものと言いますか……もしかして、あの、これくらいできなきゃ……あの、退学……? に、なったり、とか……?」

「「「…………」」」

「シェンリンさん……? ユージアさん……? ミリアムさん……?」

 声を掛けられた者から、視線を外していった。

 フミの心臓は嫌な音を高めていった。

 まさかそんな……! 折角入学したのに……まさか勉強で! 頑張ったのに、そんなどうして……。中学……教室……訓練……立派なリリィになるって、決意したのに……そんな……嫌です! リリさん……! 楓さん……! ユユ様……!

 突然、背中からシェンリンが両肩を掴んで「うわっ!!」

「うわああああああ!!!!」

 …………。驚いて叫んだ一瞬後。

「……うわあああん!!」

 フミは、何故か号泣した。

「大丈夫? フミ……?」とユージア。「はいはい、よしよし」とシェンリン。「お主、ガチ泣きすることないじゃろ……」とミリアム。

「フミちゃんどうしたの!?」

「まーたいじめっ子のシェンリンさんですか?」 

 隣で勉強していた2人が飛び出してきたのを見て。

「リ、リリさ゛~ん゛!!」

 フミは、リリに飛びかかるように泣きついた。

「わっ! フミちゃん顔! ハンカチで拭こう?」

「一体何の騒ぎですか? 折角リリさんとスウィートな一時を過ごしておりましたのに」

 ミリアムも、シェンリンの悪ノリにはほとほと呆れていた。まぁ、ちょっかいを掛けたくなる気持ちは分からなくもないが、不安を煽って驚かせて泣かすなど、流石のミリアムもドン引きするレベルだった。

 一度、シェンリンはお灸を据えられるべきかもしれない。 

「フミちゃん、一体誰がこんなことを……?」

 リリはフミを(なだ)めつつ、疑問を投げかける。

 フミは、嗚咽を漏らしつつ、首謀者の名を上げた。

 

「ミ、ミリアムさんが……!」

 

「わし!?」

 何でわし!?

「ミリアムさん! 見損ないました!」とシェンリン。

「ミリアム……酷い」とユージア。

 こ、こやつら……! わしを売る気じゃな!?

「ち、違う! わしじゃないぞ……!」

 ミリアムは反論しようと口を開いた。しかしその時には既に、風向きが概ね決まっていた。

「ミリアムさん、言い逃れは美しくありませんわ」と楓。

「だってフミさんがおっしゃってますもの」とシェンリン。

「ミリアムさん……フミちゃんに何をしたんですか?」とリリ。

「違う! ほら、シェンリンが……」「あら、困ったら私の所為ですか?」「……ほら、その、フミよ! ほら、わしじゃないじゃろ……?」「うわああリリさ゛~ん゛!!」「ミリアムさん!! ……よしよし。フミちゃん、大丈夫だよ?」

 り、理不尽な……!

 その後、フミが泣き止むまでの間、しばらく謂れのない非難を受けるミリアムだった。

 

-3-

 

「何でしょう……全然勉強してないのに滅茶苦茶疲れました……」

 目元を真っ赤にして、机にへたり込んで、フミは意気消沈していた。

 何やかんや鼻血を出したり、ミリアムが冤罪で裁かれたりと、無駄にエネルギーを消費した感がある。元々モチベーションは低調だったが、そこに輪を掛けて気力が失われていた。

「まぁ勉強以前に、まずは忌避意識からなくすべきだと思いますが」とシェンリン。

 尤もらしいことを言っているが、この騒動の元凶である。(……はずが、フミからも特に咎められていないことに、ミリアムは首をひねるしかない)

「そもそも、マギ理論の基本をご存じですか?」と楓。

「まぁ、多少は……」とフミ。

「電池に例えると、『電圧がスキラー数値、電流がマギ量、両方を掛け合わせたものが攻撃力』……でしたか? でも、これって微妙に外れてる気がするんですよね……」

 テレビか何かで聞いた覚えがあるが、それは教科書の記述とは微妙に違っており、フミを幻惑・混乱させるのだった。

「『水道』の例えもありますけど……これは教科書に載ってませんし……」

「あら、直感的で私は好きですけどね」と楓。

 水道の例えとは、スキラー数値・マギ量・出力可能マギを水道で置き換えて説明するものだ。

・スキラー数値⇒蛇口の高さ(高ければ高いほど威力が上がる)

・マギ量⇒タンク容量(一度の戦闘で使えるマギの上限)

・出力可能マギ⇒蛇口の口径(一度の攻防に使えるマギの上限)

 見た目に分かりやすく、子供向け番組などでしばしば引用される。ただ、厳密には違うのでガーデンの教科書には載せられていない。まぁ、厳密な話をするとややこしく、大抵は好き好んで話をしないものだ。

 例外として、こういう話に嬉々として乗るのが技術屋だった。

「やはり電池の例えが分かりやすいぞ」とミリアム。

「じゃが、スキラー数値に相当するのは電圧ではない。抵抗値の(ほう)じゃ。正確に言えば、『抵抗値の小ささ』と『電源の強さ』じゃ。リリィには電気を供給する『電源の強さ』と、その通りやすさを決める『抵抗値』に相当するものが備わっとる。お主もオームの法則は知っとったな。V=RIじゃ。リリィの場合でも、慣例としてそのままV=RIが使われとるがな。『マギ出圧』がV、『マギ流量』がI、『身体のマギ抵抗』がRじゃ。 

 基本的に、誰でも『電源電圧』に相当する『マギ出圧』は概ね一定と言われておる。まぁ、正確には何やら係数のようなものがあるからの、αV'=RIとし、更にR/α=R'と置いて、V'=R'Iとしとるがの。要は電源電圧の強さに関する係数と、抵抗を合わせたこのR'がスキラー数値に相当するものじゃ。……補正抵抗値と言うても伝わらんか」

「えっと……何ですって?」

「更に言えばな、このR'の値が0~100の値になるよう、1からR'を引いて100倍しておる。(1-R')×100じゃ。これがわしらに馴染み深い『スキラー数値』の形じゃな。例えば、リリやフミはこのR'が0.5で、スキラー数値は50ということじゃ。一般人はこのR'が1以上、つまりスキラー数値『0』扱いじゃな。まぁ、これは0~100にした方が分かり良いという政治的な理由じゃな。

 補足するなら、R'=R/αじゃからの。R……身体のマギ抵抗が小さいほど、そしてα……マギ出力が大きいほど、R'は小さくなり、スキラー数値は高くなる。つまり、マギが効率良く、またマギ出力の大きなリリィほどスキラー数値が高いということになる。

 ちなみに、I…『マギ流量』は『出力可能マギ』に深く関係しておる。スキラー数値が大きいほどマギ流量、引いては出力可能マギも大きくなるのじゃ。スキラー数値をS(Skillerの『S』)と置き直せば、V'=(100-S)I/100。あるいはI=V''/(100-S)じゃ。見れば分かる通り、スキラー数値が高いほどマギ流量も大きくなるじゃろ? まぁ、このIは『出力可能マギ』の理論値じゃがな。実際はチャーム側で減衰するから理論値ほど差は付かぬし、同じスキラー数値同士でも個人差が大きい。個人差の原因は諸説あるが……身体全体の平均抵抗ではなく、出力部位毎の抵抗値の関係とも言われとるな。まぁ、工廠科が取るマギ理論中級・応用ではマギを流体になぞらえた計算式を使っとるな。

 それと、マギ量には『電池残量』……あるいは『静電容量』が相当してじゃな……」

「ミリアムさん、その辺にしておきましょう。フミさんが限界です」

 フミは、大分(だいぶ)序盤から、机に突っ伏して白旗を上げていた。

 そもそも、フミは『V=RI』と言われた辺りから、何と言っているか理解を放棄した。

「要点だけ言いますと、『身体のマギ抵抗』と『マギ出力に関する係数』からスキラー数値が計算されるということです」とシェンリン。

「そしてその計算には、リリィを電気回路の電源と見立ててオームの法則が使われるのですわ。内部抵抗云々も、その過程で出てくるものです」と楓。

 要は、リリィのマギについて理解するには、電気回路の計算を理解する必要があるらしかった。

「まぁ、理解が必要というより、そっくりそのまま流用できるという感じじゃな」とミリアム。

「はぁ、これも私や皆さんの身体を流れるマギを理解するためと思えば……まぁ、はい」

 正直、マギを理解するためとはいえ、数式と睨めっこするのは気が重かった。しかし、フミが憧れるあらゆるリリィが通った道で、日頃お世話になっているマギを知るためと思えば……、思えば……。

 いやまぁ、一朝一夕にとはいかないが、せめて足掻いてみようと思うフミだった。 

 

-4-

 

 数日後、シェンリンらはフミが見違えるように問題を解いていくのを見て、目を丸くした。

「すごい……これも正解……!」

「これは驚きました。良くできてます」

「ふっふっふ、これが文系の知恵ですよ……!」

 必殺技、『暗記』である。出てきた問題の解き方を理解するのではなく、『暗記』してしまう。何がどうやって答えが出るかの理屈はいまいち分からないながらも、頻出問題の『パターン』さえ覚えてしまえば、案外、何とかなるものだった。

「ふふふ……VだかRだか知りませんが、枕草子を覚えられて数行の文字列を覚えられない筈がありませんよ……」

「あんまり推奨はできんがの」とミリアム。

「でも、ちゃんと解けてるよ」とユージア。

「パターンで覚えるのは勉強の本懐ですから。悪くない手だと思いますよ」とシェンリン。

 高校入試を暗記で乗り越えたフミにとって、この程度は何でもないのだった。

 鼻高々のフミに、「ちなみに、もゆ様経由でいつぞやの過去問を手に入れたが見てみるか?」とミリアム。

「ええ! 今の私ならどんな問題でも……」

『1.スキラー数値60のリリィと80のリリィが(a)~(f)次の方法でユニゾンを行った場合、実効スキラー数値はいくらになるか。導出式と共に答えよ(ただしCHARMの伝導率ε、空間のマギ伝導率ε0、互いの距離は現実的で適当な値を用いよ)。

(a)CHARM接触式(b)CHARM非接触式(c)CHARM媒介式(スキラー数値60のリリィが基準)(d)リング接触式(e)ノインヴェルト式(f)緊急術式』

「……すみません、ユニゾンって何ですか……? マギ伝導率って? チャーム接触式と非接触式って……? あの現実的で適当な値って……?」

 暗記方式の弱点、それはあまりに馴染みがない単語ばかりだと頭が受け付けない点である。極端な話、枕草子を暗唱できる人でも、ラテン語の文章を暗記しろと言われれば厳しい。朧気(おぼろげ)でも前提知識がないと取っ掛かりがないのである。

「ユニゾンは……レストアの出撃の時に、ユユ様とリリがやってたのと同じだよ」とユージア。

「マギ伝導率はマギの伝わりやすさに関する係数じゃが……ちょっと口で説明できんの」とミリアム。

 フミは、机に突っ伏した。少なくとも、これは一週間未満で暗記できる内容ではなさそうだった。

「伊達に、生え抜きリリィに『壁』呼ばわりされてませんよ」

 カーテンで仕切った向こうからもリリの「えー!!?」という叫びが聞こえてくる。リリと言えど、流石にこのテスト問題は難解過ぎたようだ。

「まぁ、この小テストは脅しの意味もあるじゃろうがの。習ってもいない問題、解けなくて怒られることもあるまい」

「いえ。聞いた話では、あまりに有名になったので、小問の一つくらい予習してくるのが不文律だとか。白紙だとペナルティが与えられますよ」とシェンリン。

 不文律ですか……とフミ。

 百合ヶ丘には様々な不文律がある。『ごきげんよう』という挨拶も、『先輩への様付け』も不文律だ。しかし書いてないからと守らなくて良い訳でないと、入寮式の際にそれとなく脅された。

 一流のリリィには言外に察する力が問われる。この不文律を察する力も、百合ヶ丘の教育の一環なのだった。要は『言わなくても分かるだろ?』ということである。

「小問一つって、でも毎年同じ問題が出るんですかこれ……?」

「流石にそこまでは知りませんよ。ただ、『過去問』としてこの一枚が出回っていることの意味は考えるべきではありませんか?」

 ずいぶんと難しいことを言うものだった。しかし確かに、あの鬼の教導官たちが、過去問が出回っていることを計算に入れない訳がない。

 テスト問題が流出しているとしたら同じ問題を出してくる可能性は低いのではないか……? いや逆に『問題は教えてあげますから予習してきなさい』という教導官の優しさ……?

 ……いえ、あの人たちはそんな生易しい人間じゃありませんね……。

「ちなみに、もゆ様もこの問題文しか手に入らなかったそうじゃ。この過去問がいつの物かも知らんようじゃったしな」

「……皆さんが受けた時はどうだったんですか?」

「中等部じゃから全然形式が違ったぞ」「同じく」「私もガーデンが違うから……」

 フミは頭を抱えた。

「これ絶対無理ですって……! 解決法が鷹の目を使ったカンニングしか思い付きませんよ……」

「それは最終手段ですね」とシェンリン。

「いや、流石にレアスキルを発動して教導官にバレない訳もあるまい……」とミリアム。

 百合ヶ丘の教師陣は、白紙はともかく、カンニングをして表を歩かせてくれるほど甘っちょろい存在ではない。

 フミは、ちらりとカーテンの方を見やった。

「うう~でもリリさんなら小問くらい解いちゃいそうですし……」

 別に競争しているわけではないが、仕切られて、フミとリリで指導を分離させられると、どうしても相手の存在を意識してしまう。

 フミにとっては授業がどうのこうのより、リリに負けることの方が悔しいのだった。

 そうして問題文を見て(うな)るフミに、

「やっぱり……『あれ』しかないかな……」

 ユージアは意味深な言葉を投げかけた。

 『あれ』……? フミは首を傾げる。

「あれって何ですか?」

「あれと言ったらあれじゃろ」とミリアム。

「ええ。あれですね」とシェンリン。

「先生が一番欲しがるもの……」「思わず不可を可に変えてしまう」「貰って嬉しくない方は百合ヶ丘にいませんよ」

 それと明言しない――言外に察することを要求する――言い方に、フミは妙にドキドキした。

「あの、すみません。それは一体……?」

「決まってるじゃないですか」とシェンリン。

 そして辺りを(はばか)るような小声で。「袖の下ですよ」

「え……?」

「こういうことはもゆ様が強いからの。明日、もゆ様に会いに行くとよいじゃろ」とミリアム。「え?」

「大丈夫……フミならやれる……!」とユージア。「え?」

「とはいえ、基礎の勉強もしておかないと。あちらも面子と言うものがありますから」とシェンリン。「え?」

 何事もなかったのように、教科書と、シェンリンらが作成した問題文が目の前に置かれる。

 そして、フミは。

「…………え?」

 これ以上なく間の抜けた顔をしていた。

 

-5-

 

 翌日。『話は通してある』というミリアムの言葉に従い、フミはもゆの研究室へと向かった。

 入室した途端、真っ暗な部屋にモニターの光と、カタカタと猛烈な勢いでキーボードを叩いている先輩の後姿(うしろすがた)が見え、フミは怖気づいた。

 今日日(きょうび)、こんなステレオタイプなマッドサイエンティストスタイルを貫いている人間はこの人(くらい)なものだろう。

「あ~、ぐろっぴ? エネパウはその辺に置いといて~。全く、猫の手も借りたいとはこのことね、というか、この前の防具付けて手伝ってよ~。……いやむしろ、あの装備は私を手伝いたいという無言の意思表示……? まさか貴方がそんな優しさあふれるエンゼルガイだったとは! いやはや、この天才の私をもってしても見抜けなかったぜ……!」

 この人、1人でよく喋るなぁとフミは感心した。このままこっそり退出しても、一通り喋った後『っていないし!』とか何とか一人でツッコミそうである。

 フミは、この時点でかなり腰は引けていたが、しかし話しかけないと始まらないのだった。

「ごきげんよう、もゆ様……。私です、フミです。ミリアムさんが話を通してくれていたみたいですけど……」

「はぇ? なんだって?」

 もゆは、椅子に座ったまま、身体を後ろに倒した。目を細めるも、暗がりでモニターを眺めていたその目では、入口にいる人物を識別できなかった。

「え~、ぐろっぴってそんなに小さかったっけ?」

「いや、私の方が身長は高いですよ……」

「何とぐろっぴに成長期が!? うぅ~お母さん嬉しくて涙が出ちゃうっ! 今日はお赤飯を炊かないとねっ……!」

「誰がお母さんですか! と言いますか私です! ミリアムさんじゃありませんよ!」

 おろ? ともゆ。

「というかミリアムって誰……?」

 ちょ……本気ですか……?

「ってあー! ぐろっぴね! ミリアム・ヒルデガルド・v・グロピウス、略してぐろっぴ」

「そんな本名を忘れるくらい略称を使われてるんですか……?」

「ほら、ぐろっぴって『v』の前後で顔みたいになってるじゃない」※(・v・)

「はぁ……」とフミ。

「……」(もゆ)

「……」(フミ)

「…………」(もゆ)

「…………」(フミ)

「いやだから!?」(もゆ)

 それはこっちのセリフだった

 何でしょう、皆さんがいる時とは別のベクトルで、話しているだけで疲れますね……。

「とりあえず電気を点けますよ」

 そう言って、スイッチに手を掛けた。「あ! ちょっと待って!」と、もゆが止める間もなく部屋に光が灯り、暗闇とモニターに慣れたもゆの目に強烈な室内灯の光が差し込んだ。

「うわ~! 目が! 目が~~!!」

 もゆは地面をごろごろと転がった。

「しかし! ここですかさず特性サングラスだず! これで網膜への光を99%カッツ!! やだ素敵! ふっ、私が長男じゃなかったらお前はもう死んでいたぜ……。気障なグラサン野郎とは違うのだよワトソン君」

 何を言っているんですかこの人は……。

「と言いますか、既に目に入った光まではカットできないのでは……?」

「そこを何とか勉強いただいて……」「いや、値引き交渉じゃないんですから……」

 フミは頭が痛くなってきた。

 よくミリアムもこの先輩と付き合えるものである。出会って5分もしない内に、フミはもうお腹一杯であった。

「って、よく見れば貴方、ユユんとこのフミさんじゃありません?」

「分かってなかったんですか……?」

「いやいやそんなことは……! 確か、取材があったんだよね?」

「いや違いますって……マギ理論初級のレポート作成協力のお願いの件です」

 本当にこの人にお願いして大丈夫だろうかと、猛烈に不安になってきた。

 しかし実績を見れば、もゆは類まれなマルチタレントの研究者であることは間違いない。天才というものは一般に変人奇人であることが多く、もゆもその例に漏れないらしい。

「レポート……? ああ! レポートね」ともゆ。

 シェンリン曰く、『小テストができない方は、代わりにレポートを提出するのが毎年恒例のようですよ』とのことだ。毎年恒例、不文律。

 それを先に言ってくださいよ……! 何ですかミリアムさんもユージアさんも紛らわしい言い方して……!

 ただ、シェンリンがぼそりと言った部分は2人に聞こえていなかったので、微妙に冤罪ではあった。

「一応、『オームの法則』からスキラー数値を求める計算はマスターしましたが、過去問に出てくるような複雑なのはちょっと……。レポートってどのようなものを書けばいいんでしょうか?」

 フミの言葉に、もゆはニヤリとした。

「ふっふっふ! 実はフミさんにぴったりの実験を! 特別に! わざわざ! 特注で? 用意してあるんだず!」

「さっきまで私のレポートのこと忘れていませんでした……?」とフミ。

 まぁ、お願いしている立場上、文句を言うつもりはないのだが。

 むしろ、実験まで用意してくれているなら至れり尽くせりというものだ。もゆはマッドサイエンティスト風味とは言え、滅多な実験な持ってこないだろう。

(これで書くレポートとは、小学校の観察記録や、中学で書いた実験レポートのようなものでしょうか……?)

 

 そんなことを考えていた数分後、フミは椅子に拘束され、全身によく分からない機械を取り付けられ、全身から嫌な汗を流していた。

「え? あの……これ何ですか?」

「これは私が開発したマギ転送装置! 備蓄したマギを流し込み、被験者を疑似的に高スキラー状態にできる優れもの! ……って、さっき説明したでしょ?」

「いや説明は受けましたけど……何で拘束……?」

「まぁ、実験中にそれを取り外したりしちゃう人が多くてねぇ。機械が暴走すると危ないから、ま、これはお互いの為にってことで」

 フミは抗議するように、手を動かしカチャカチャと音を鳴らした。何がお互いの為ですか……!

 手首、足首、膝、腰、肘、肩、首、頭。尋常ではない拘束に、否応なしに不安が高まる。しかし、既に同意書にはサイン済み。よく読まず軽々しく印を押したことに、フミは心の底から後悔していた。

 『ああ、ご飯は後にした方が良いぞ』とミリアムは言っていた。健康診断でバリウムを飲むように、何かしらフミの身体を使った実験とは想像していた。

 しかしまさかこんな……こんな電気椅子の処刑じみた実験だとは思わなかった。

「あの、これって安全性とか確認されてますよね……?」

 脳裏をよぎるのは、1年前に起きたという事故。もゆの開発した精神直結型チャームにより、初代アールヴヘイムの長谷部冬佳は一時植物状態に陥った。

 しかしフミの呟きに返事はない……というか部屋の中にもゆがいない。

「あの、もゆ様?」

 気付けば、もゆは装置の設置されている部屋から退出して、ガラス越しに隣の部屋でパソコンやら端末やら操作しているのが見えた。

 そして、マイクのようなもの(というかまさしく『マイクよん(はーと』と書かれている)に向けて口を開いた。

『あーマイクテステス。あめんぼあおいなあいうえお~……by金子みすゞ』

「あの、もゆ様! マイクテストはいいんですけど、これ安全な実験なんですか!」

『あー、これは自動音声。フミさんの声はこちらに聞こえておりません』

「嘘吐かないでくださいよ! 見えてるんですよ!」

『何っ! 角度的に見えない筈……! って、あ、鷹の目……。……ごほん。あー、ジドウオンセー、ジドウオンセー、ワタシ、モユ、チガウ』

「ちょっと! バレてなお続けないでください!! 止めます! わたし止めます! これ外してください!!」

 カチャカチャと暴れ始めたフミを無視して、もゆは着々と準備を進めた。

『大丈夫、大丈夫。本当に無理って言われたら止めるから』

「じゃあ『本当に無理』です!!」

『そのコマンドは不正な時間を指定しています』

「それって始まってからなら止めてくれるってことですよね!?」

『…………』

「返事!! 返事をしてください!!」

『それじゃああと3秒で始めるわね』

「猶予が短すぎますよ!?」とツッコんでる間に。

『2、1、ぽちっとな』

 実験は開始された。

 ぐわんぐわん、と不安を煽る音と振動が響き、同時に何かが、マギが、装置を通して身体の中に入ってくるのが分かった。

 その気持ち悪さにフミは悶えた。まるで鼻から管を通されているような……? いやもっと酷くて、まるで全身に小さな口が生まれ、それを通して手足からご飯を食べさせられているような、強烈な違和感がフミを襲った。

 フミは歯を食いしばり、その感覚に耐える。そうしていると……なるほど、確かにマギが身体に満ちていくのを感じる。訓練で消費したマギが回復していく。身体がぽかぽかと温かくなるのを感じた。

 ただ、その充実感も一瞬のことで、すぐにフミは嘔吐(えず)き始めた。苦しい、吐き気がする……。マギが、飽和して苦しい……。

 例えるなら、お腹一杯なのに無理やり水を流し込まれているような感覚。思いっ切り息を吸った肺に、更に空気を注入されるような……。自分という器に、無理やりそれ以上の物を詰め込まれているような……。

 やばい、本格的に気持ち悪い。吐くとか頭痛とかじゃなくて、ヤバイ。パンクしてしまう。このままだと……限界だ……!

「も、もゆ様……これ、もう無理です……と、とめてください……」

 変わらず、機械はぐわんぐわんとなっている。

「もゆ様?」 

 ぐわんぐわんと機械がなっている。

「もゆ様? ……もゆ様? あの、『本当に無理』です……。……。……もゆ様? もゆ様?! もゆ様?? もゆ様あああ!?」

『科学ノ発展ニ犠牲ハ付キ物デース』

「だ、だまされたあああ!!!! ミリアムさんめえええええ!!!!」

 薄れる意識の中、フミはマギを操り、垂れた鼻血でダイイングメッセージを書いた。

 ミリアム・も……(この先はかすれて読めない)

 

-6-

 

 そしてテスト当日。

 地獄の実験を乗り越え、フミは一回りも、二回りも大きく成長していた。修羅場を乗り越えた度胸は並大抵でない。

 こんな忌まわしいレポート(しかも手書き)になぞ頼らなくても、どんな問題でも解いて見せよう!

 フミはテスト用紙を表返した。

『1.理想状態が保たれているリリィについて、マギ密度をρ、スキラー数値をSとした時のフェイズトランセンデンスによるマギ放出量をそれぞれ示せ。ただし、定常リリィ出力数、チャームの抵抗、その他必要な値については現実的な値とせよ』

 フミはテスト用紙を裏返した。

 ありがとうもゆ様。ありがとう実験。

 

 フミは、開始数秒で席を立った。

 

 

 

 

 後々聞くと、リリも、もゆ様の実験を受けていたらしい。

 しかし実験内容が『マギを利用した低周波マッサージ器~出力者はスキラー数値50リリィが最適なんじゃないか理論~』で非常にリラックスしていたと聞いて、えこひいきだ! 絶対えこひいきだ! と思った。

 この件について、ミリアムに厳重抗議すると心に誓うフミであった。



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第4.7話 vs最強の1年生

「ちょっとよろしいですか」

 講義室で何気なく話しかけてきた人物に、フミは、「はいはい何……ろっ! 六角汐里(しおり)さん!?」飛び上がらんばかりに驚いた。

 飛び上がらんばかりというか、事実飛び上がった。

「そんな大声を出されなくても……」

「だって! 水夕会の副将! 百合ヶ丘1年のエース! あのスーパースター六角汐里さんですよ!?」

「そう私に言われましても……。あの、鼻血を出されていますよ?」

「ああ、これは職業病なのでお気になさらず」

 これがフミとしおりの、1対1でのファーストコンタクトだった。

 

-1-

 

 リリたちが特訓を初めてから数週間が過ぎた。

 その間、ユユ直伝スパルタ指導の結果、リリたちは見違えるように成長した。

「はあああ!!」

 気合を上げながら、リリは前へ前へ突っ込む。そこに、弾丸の雨が降り注ぐ。ユユ、シェンリン、ユージアの3名による集中砲火だ。

 それらを受け、リリはなおも前進する。時に受けきり、時に受け流し、時には避けながら、足は決して止めない。そして、たどり着いた至近距離――チャームとチャームが触れ合う距離――、ユユが放った弾丸を押し流すように(さば)く! 更に一歩、跳躍、チャームを投げ捨て……「お姉さまああ!!」ユユの胸元に飛び込んだ。

「お姉さま! やりました! 初めてお姉さまのところまで辿り着きました!!」

「こら、リリさん。チャームを投げ捨ててはいけません」

 ユユは厳粛さを装って言うものの、その表情はどこか柔らかかった。

「ほぅ。あの初心者だったリリが、見違えたの」

 それを見ていたミリアムらも感嘆の声を上げた。

「リリさんなら当然ですわ!」

「私だって、2人までなら辿り着けますよ!」

 先程まで容赦のない射撃を加えていたシェンリンとユージアも、顔をほころばせた。

「あらあら。お姉さま作戦は成功したようですね」

「リリ……やったねっ」

 なお、お姉さま作戦とは、『ゴール役のお姉さまに抱き着きたい心理を利用し、リリのモチベーションを高める』という作戦である。そして、ユユは3対1での訓練でしか狙撃役を務めない。ユユに合法的に抱き着くには、早急なレベルアップが必要なのであった。

 こうして5月も半ばを迎える頃、新人2人の教育は一定の目処がついた。もちろんバリバリにデュエル(1vs1)などはできないが、一先ず、集団戦での自衛と味方のサポートは何とか形になっていた。

 前線に立つ準備は問題なし。気合も十分。そんな訳で、目下の課題はというと……。

「レギオンメンバー、集まりませんね……」

 とある放課後。本腰を入れてレギオンメンバー探しに奔走をする一同だったが、これが非常に難航していた。

 あと2人。たった2人なのだが、それがなかなか集まらない。

「ボヤいている暇があるなら、身体を動かしなさいな」と楓。

「そうは言いましても……」

 何故か人が寄ってこないというか……何となく、話しかけようとしただけで避けられている感すらある。

「みんな、もうレギオン決めちゃってるのかなぁ」とリリ。

「もう5月もいい頃じゃからな。めぼしいリリィは、どこぞのレギオンに加入しとるじゃろうな」とミリアム。

「まぁ、噂も飛び交っていますからね」とシェンリン。「噂?」

 フミは、首をひねった。

「何か良からぬ噂でも広まっているんですか?」

「いえ。ユユ様のレギオンでは、新人が瀕死の重体だとか、実弾で撃たれるだとか、肉を物理的にそぎ落とされるとか、寄ってたかって無理やりサインさせられるだとか」

「滅茶苦茶悪名高いじゃないですか!!」

 そりゃあ、人も寄ってこない訳だった。しかも一部が事実なだけに反論しづらい。

「ど、どうしてそんなことになってるんですか!?」とリリ。

 まぁ、半分はリリが倒れたり、その直前にダイエットを宣言したりしているのが原因なのだが、流石にそれを指摘するような心無いリリィはいなかった。

「いやそりゃお主が」「ええ! 本当に不思議ですね!!」

 それを指摘するような心無いリリィはいなかった。

「しかしそれでしたらアプローチを変えなくては、いくら待っても獲物はかかりませんわ」と楓。

 いや獲物って……。

 ……しかし表現は別にして、確かに、このままいくら待っていても事態は好転しない。

「伝手を頼ってみますか? リリさんのルームメイトのシズさんとか、あるいは今まで取材した方からお話を伺ってみるのも……」

 と、フミが話している間、リリが「ほー……」と、遠くに視線を向けていることに気付いた。

「……えっと、リリさん?」

「あ! ご、ごめん! ちょっとしおりさんが練習してるのが見えて……」

 そう言ってリリが指さす先には……といってもかなり先、フミが鷹の目を使わないと分からないほどの位置に、しおりはいた。

 六角しおり。1年生のエースリリィである。

「しかしよく見えますわね……」と楓。

「一度、授業で教えてもらったから」とリリ。

 ……微妙に答えになっていない返答だが、行間を読むなら『一度教えてもらった⇒型を見たことがある⇒遠目でも分かった』ということだろう。

「いや、それでもよく見えるの……」

 肉眼では豆粒サイズであはあるまいか……? それをしおりを識別できるのは、リリの視力の良さ(曰く「田舎育ちだから……」)の賜物だろう。

 ちなみにだが、しおりの指導というのは、実はかなり貴重な経験だったりする。しおりの所属する水夕会はいわゆる外征レギオンで、学院の外を飛び回ることが多いからだ。

 他には2代目アールヴヘイムも外征レギオンであり、4月の中旬ごろから外征に出かけ、未だ戦闘中である。水夕会はまだそこまで長期の任務はこなしていないが、その実力の高さは2代目アールヴヘイムと同格と言われている。

 要は百合ヶ丘の、ひいては全国・世界レベルのトップ級レギオンである。そんな実力者かつ多忙なしおりに、授業の一環とは言え手取り足取り教えられたとなれば、(リリィオタクに対して)一生涯自慢できる程だ。フミも、その様を横目で見ながら羨ましさに唇を噛んだものだ。(フミは楓とペアだった)

「しおりさんってすごいよね……」

「まぁ、百合ヶ丘きってのエースリリィじゃからな」

 ミリアムの言葉が聞こえているのか、聞こえていないのか、リリは、ぼんやりとした様子でしおりの動きを見つめ続けた。

「……一緒に戦えたら楽しいだろうなぁ」

 おや? え? ふむ? おお。ほうほう……。「え?」

 リリの何気ない言葉に5人は反応し、その意味ありげな反応に、逆にリリは声を上げた。

「しおりさんみたいな()がタイプだったのですか」とシェンリン

「ちょっとリリさん、それって……」とフミ。

「お主、やるつもりじゃな?」とミリアム。

「ヘッドハンティング……!」とユージア。

 リリは、「……え? ええええ!!?」皆の盛り上がりに付いていけず、ただただ驚きの声を上げた。

「そうと決まれば善は急げですわ! さあリリさん、参りましょう!」

 言うが早いか楓はリリの手を引き、しおりの(もと)へ走り出した。

「えええ!? いいんですか??」

 そうして、リリが強引に連れられて行くのを見て。

「やれやれ。わしらも行くとするかの」とミリアム。

「これは面白くなってまいりました」とシェンリン。

「ちょっと、楽しんでないでくださいよ」とフミ。

「ヘッドハンティング……!」(ユージア)「……何気にユージアさんもノリノリなんですね……」(フミ)

 

-2-

 

 その数分後、ぞろぞろと現れた一同に連れられて、しおりは楓の自室(3部屋ぶち抜き・広々とした1人部屋)にいた。

「いや~本日はお日柄も良く、しおりさんにおかれましてはますますご清祥(せいしょう)のこととお慶び申し上げます~。そのチャームの冴えは凄まじく、その二つ名『不動劔(ふどうけん)の姫』に相応しい働きと活躍ぶりであるとかねがねお聞きしておりまして、本日はしおりさんにご勉強させていただきたくこちらの席を用意させていただいた次第なんですよ~」

 フミはやや早口でこの長文を言い切った。

 フミ……胡散臭(うさんくさ)い……。小声でユージアがぼやいたがフミは無視を決め込んだ。多少胡散臭くても、こういう場ではこういう風にするものなんですよ……! 多分……!

 実際かなり胡散臭いというか、警戒しない方がおかしな言い回しであったが、

「それはそれは。こちらこそ、お招きいただき光栄です」

 しおりは、にっこりと微笑んだ。よくできた人間である。

 さて、どう切り込んだものかと二の句を検討しているフミだったが、「フミよ、そんな回りくどい言い方なぞせんでよいじゃろ」とミリアム。

「そうですわ。単刀直入に申し上げます。しおりさん、アナタ、(わたくし)たちのレギオンにお入りなさい!」

 うわっ……楓さん、あのしおりさんによくここまでストレートに切り出せますね……。

 取材慣れしているフミでも、そこまで無遠慮な物言いはできないのだった。

「まあ。そんな提案、全く思いもしておりませんでした」

 なお、しおりはとぼけているが、リリのレギオン(仮)が勢ぞろいで駆け寄ってくるのを見た時点で大体の流れは察している。

 そして、しおりの思いの外の好感触(?)を見て、レギオンの頭脳たちは動いた。

「今でしたらリリさんをギュッとする権利を差し上げます!」と楓。

「え!? 何で私!?」(リリ)

「大盤振る舞いですね~」(フミ)「楓がリリを俎上(そじょう)に載せるとは……これは本気じゃな」(ミリアム)

「ついでにフミさんもお付けしましょう」とシェンリン。

「え!? 何で私ですか!?」(フミ)

「シェンリン、大盤振る舞いだね」(ユージア)「えー、フミさんでは交渉の具になりませんわ」(楓)「ついで扱いの上、酷い言い草ですね……!」(フミ)「お主、リリの時は他人事だった癖して、自分の時は大仰に騒ぐんじゃな……」(ミリアム)

「私もフミちゃんも貸し出せません!」とリリ。「まぁ、私は1回くらいでしたらむしろ……」とフミ。「何と。1回抱かせてあげると」(シャンリン)「……何でそう紛らわしい言い方するんです?」(フミ)「フミちゃん大胆すぎるよ……!」(リリ)「フミ、狼……」(ユージア)「ちょっと! お二人まで乗らないでくださいよ!」

 わちゃわちゃ騒ぎ出した一同に、それでも顔色一つ変えず、「まぁ、それはお得ですわね」としおりは微笑んだ。

 楓は騒ぐ一同を差し置いて、話を切り出した。

「もちろん、その他の事でも厚遇をお約束しますわ。希望のポジション、希望の戦法、希望の出撃先……しおりさんの意向を最大限尊重いたします。あれほど大所帯ですと、しがらみも大きいのではありませんか?」

 しおりは、微笑んだまま答えなかった。

「また、グランギニョル社から最高のチャームを提供することも、各種トレーニング機器を取り寄せることもできます。それに、ユユ様とお手合わせしたり、指導を受けたりする機会もあるでしょう」

 そこで、しおりの反応が変わった。

 しおりは、ユユと手合わせする機会をずっと伺っていた。しかし孤高のリリィたるユユとは、手合わせどころか顔を合わせる機会すらほとんどない。ユユと手合わせする権利は、しおりにとって何より魅力的なものだった。

 ……相手にはないもの、相手が欲しがっているものをチラつかせ、揺さぶる。

 楓は本格的な引き落としに入っていた。

「如何でしょうか。悪い話ではないと思うのですが?」

 楓の問いかけに、しおりは再び微笑みを浮かべた。

「私をそこまで評価していただけるとは、望外の幸せです」

 しおりの言葉に「おお~でしたら!」とフミは(はや)る。が、「しかし」としおりは続けた。

「しかし、私を信頼し任せてくれる仲間がおりますから……私の一存では、とても決められることではございません。申し訳ありませんが、このお話はなかったことに」

 ……まぁ、やっぱりそうなりますよね……。

 そもそも、しおりは水夕会の副将であり、そう易々と抜けたり交代したりできる立場ではなかった。それに仮に億が一、このヘッドハンティングが成ったとしても、水夕会に加え、百合ヶ丘、そして全国のリリィから猛烈なパッシングが巻き起こるのは目に見えていた。

 どのレギオンに属するかは個人の自由とは言え、(推定)格付けSSSレギオンの主格を引き抜いたとなれば、世間が黙っていないというものだ。

「わざわざごめんね、しおりさん?」とリリ。

「いえいえ。このようなご提案は初めてでしたから、私も新鮮で楽しかったですよ」としおり。

 フミも完全に終了モードだった。引き抜きは早々に諦めて、せめて取材の1つでもしようかと(むしろフミにとってはそちらが本題)メモ帳を取り出していると……「なるほど、なるほど」と楓が立ち上がった。

 楓だけでなく、ミリアムも、シェンリンも、ユージアさえも立ち上がっていた。というかチャームを抜いていた。

「……あらあら皆さん、どういうおつもりで?」

「とぼけなくて結構。こうなれば実力行使ですわ!」

 気付けば、ミリアムは扉の前に立ち、出入り口を封鎖している。3室ぶち抜きとは言え、扉は一つに改装されており、中央部屋のそこが唯一の出口だ。

「ダ、ダメだよそんなこと……!」「ちょ! 本気ですか楓さん!?」

 慌てる2人とは対照的に、4人は戦闘モードに入っていた。

 リリは、止めるべきか一瞬躊躇した。剛の者しおりとは言え、(ミリアムはともかく)楓、シェンリン、ユージアという世界レベルのリリィ3人を相手に切り抜けるのは厳しいだろう。……と、普通なら思うのだが……。

 図らずも、リリはここしばらく3者の攻撃を掻い潜り相手の懐に飛び込む訓練を行っていた。リリでさえその動きができるのだから、自分よりはるかに優れたしおりなら、もしや、この場を切り抜けるのではないか……。

「待ってください! しおりさんは左手に古傷があるんですよ!? そちらのチャームはバンドで固定する必要があるので、今は右手しか使えないんです!」

 フミは好戦的な4人にストップをかけた。

 しおりは『円環(えんかん)御手(みて)』(二刀流)使いだ。円環の御手は、単純に攻撃能力が1.5倍になると言われており、場面打開の鍵となりうるスキルである。しかし逆に言えば、片手しかチャームを使えない状態では全力の7割弱程度の力しか出せない。

 ですから、荒事はやめてください! とフミは主張したが……。

「なるほど。それは良いことを聞きましたわ」と楓。

「あのしおりと言えど、戦略的に戦えばこの通りじゃ!」とミリアム。

「年貢の納め時ですわ」とシェンリン。

「鬼ですかあなた方は!!」

 リリは、そんな4人の前に立ちはだかった。

「ダメだよ! しおりさんが嫌がってるのに無理やりだなんて!」

 フミもリリに倣った。

「そうですよ! それに相手の弱みに付け込んで、多数で1人を狙うなんて……!」

 しかし、「2人とも、お退()きください」とリリとフミを止めたのは、誰でもなく、当のしおり本人だった。

「相手の弱みに付け込む? 結構じゃないですか。勝つために何でもするのはリリィとして当然のことです。多数で1人を狙う? それも結構。私たちが常日頃行っていることです。その因果応報が私に廻ったからと言って、文句を言う筋合いはありません」

 淡々と右手一本でチャームを抜き、構えた。

 そして問いかける。

「貴女方。本気ですか?」

 殺気。

「本気で、片手の私になら勝てると思い込んでいるのですか?」

 それは高純度の覚悟。

 自分に向けられた訳でもないのに、フミは後ずさっていた。ただ構えただけで、喉元に刃を突きつけられたようなプレッシャー。戦闘モードのしおり。恐らく、同級生で最も武に優れたリリィ。

 4対1の筈なのに、しおりが、この場を圧倒していた。

――鬼ですかあなた方は!!――

 フミは心の中で自分の発言を訂正した。しおりさんの方が……4人よりよっぽど鬼じみてるじゃありませんか……。

 

-3-

 

「どうしたんですか? かかってきなさい」

 しおりの言葉に、誰も反応できない。言葉通り切りかかったら、そのまま切り捨てられる。そんな嫌なイメージを誰も払拭できなかった。

 そんな中、リリがチャームを構えているのを、フミは視界の端に捉えた。

 一体何を……? フミが訝しんでいる間に、「たあ!」気合一閃、リリはしおりに切りかかった。

「リリさん!?」

 フミは度肝を抜かれた。しかし。

「フミちゃん!」

 リリの呼び声に、咄嗟にチャームを抜き、「はぁ!」フミも、しおりに切りかかった。

 なぜそうしたかは、フミにも分からない。ただ、リリの呼びかけは……一緒に戦ってほしいとフミの手を引いているように思えて……気付けば、身体が動いていた。

 しかし力の差は歴然としている。しおりは右手一本でリリを払いのけ、飛びかかってきたフミを正面から弾き返した。

「リリ……! フミ……!」

「おい! あいつらは何をしとるんじゃ!」

「リリさん! フミさん!」

 仲裁しようとする2人を、助太刀しようとする楓を、シェンリンは止めた。見ると、リリもフミも、体勢を立て直しもう一度突撃を試みるところだった。

 

――正面から打ち合っても敵わない……それなら……――

 フミは、しおりの左手側に回り込んだ。弱みに付け込め。しおりの言葉通りの戦法だ。

 フミはそこで、思いっ切りチャームを振り下ろす。

 確かに、フミの一撃はしおり程重くはない。それでも、全力を乗せた一撃なら防御なり回避をしなくてはならない。その隙は、リリの攻撃に繋がる筈だ。

 そして、しおりが選択したのは防御だった。その場から一歩も動かない。

(狭い室内で、大きな移動を嫌ったのでしょうか……?)

 リリに正面を向けたままの無理な体勢で、フミの一撃を受け止めた。

 ……逆に、その体勢で受け止めてしまえるのは驚異的なことだった。力を入れにくい筈なのに、むしろ、チャームを叩きつけたフミの方が顔を歪めるくらい、堅牢で強固な防御だった。

 それでも、そこにしおりの隙が生まれた。リリが正面から飛びかかる。フミは、しおりがチャームを動かせないよう、力をかけ続ける。……私がチャームさえ抑えていれば、しおりさんは何もできません……!

 しかしその時、しおりの左手が自分の方へ伸びてくるのを見て……フミは、呆然と動きを止めてしまった。

――そんな、だって左手は……!――

 胸倉を捕まれる、地面に引き倒される、しおりはそのまま屈んだ膝をバネのように使い、驚くリリに飛びかかる。鎧袖一触(がいしゅういっしょく)、リリは弾き飛ばされた。

 フミはせき込んだ。喉を引きちぎられたかと思った。信じられない、左手には、古傷があるんじゃなかったんですか……?!

「私の左手を置物か何かと思いましたか? ずいぶんと不用意なものですね」

 床に顔を付けながら、フミは、しおりの武勇を思い出した。『不動劔(ふどうけん)の姫』、最も武勇に優れた1年生。バンドで固定しているとはいえ、左手でヒュージの攻撃を受け、戦場を飛び回っているのだ。

 不用意。本当にその通りだ。左手の存在を全く無視した動きは、軽率以外の何物でもなかった。

「おい、フミ! 大丈夫か」

 そんなミリアムの声がどこか遠くから聞こえてくる気がした。フミは立ち上がり、バックステップで距離を取りつつなおもチャームを構える。

 ……私、どうして戦ってるんですかね?

 そんな些細な疑問は、戦いの高揚感の中に消え去っていた。そんなことより今は、勝ちたい。やってやりたい。目の前のリリィに、目にもの見せてやりたい……!

 視界の隅でリリが起き上がり、チャームを構えるのを見て。

「リリさん、同時攻撃を仕掛けましょう!」

 フミは声を張り上げた。

「同時に攻撃すれば、しおりさんはどちらかの攻撃は回避しなくてはなりません。回避された側は、もう一人が迎撃されている隙を狙って、連続攻撃を仕掛けましょう。そうすれば、流石のしおりさんも苦しい筈です」

 しおりは眉をひそめた。作戦会議を敵の眼前でするなど……いやこれは罠?

 しかし、フミとリリは、タイミングを揃えて同時に飛び込んできた。

 ……いや、僅かにフミの方が早い。僅か半歩、時間にしてコンマ数秒程度だが、フミの方が早く辿り着く。しおりは瞬時に判断し、フミの側へ身体を向けた。

 その瞬間、フミはブレーキを掛けた。逆に半歩、リリが先へ出る。

――やはり罠――

 猪口才な。

 しおりは咄嗟に身体を捻る。リリへと向き直す。リリを弾き飛ばす。フミに向き直る。この間僅か0.1秒。

 戦力差というものは、時に絶望的だ。小細工を弄されようが、しおりは十分にフミを迎撃する余裕があった。いや、フミの攻撃を受けて立つどころか、むしろ攻撃しようとしたフミの機先を制するように、しおりはチャームを振るった。

 フミは、これまでチャームで攻撃する訓練を受けていなかった。基礎訓練は受けていても、どこを攻撃したら嫌がられるか、どう力を加えれば効果が大きいか、攻撃のイロハは学んでこなかった。今までやってきたのは防御技術。いかに相手の攻撃を受け止め、受け流すか。

 そうであるからこそ、フミはこの一瞬に掛けていた。しおりが防御でなく、『攻撃』にチャームを振るうこの一瞬に――フミが今、最も得意とする『防御』に――全てを掛けた。

 しおりの一撃が、恐ろしい速度でやってくる。そこに、フミは、チャームを軽く合わせた。それだけで、チャームが吹き飛ばされそうな衝撃が走る。しかし、踏ん張る。いや、無駄に()()()()()()

 チャームの角度を調整する、全身を使ってその力を外に逃がす。今まで何百回と繰り返した動き。銃弾という超音速の相手にだってやり(おお)せた動き。敢えて受けて、流して切る。しおりのチャーム程度の速度で、それが再現できないはずがない……!

 力を込める、チャームの上で斬撃が滑るように()らされる。そして、フミは、流れるようにしおりの攻撃を受け流した。

 しおりの大勢が、大きく崩れる。攻撃を受け流された直後、この一瞬だけは、どんな人間でも無防備になる。

 仮に二本のチャームを持っていれば、もう一方の手で防御ができたかもしれない。しおり程の使い手なら、迎撃すらしてきたかもしれない。しかし、今のしおりは一刀流だ。

――勝った!――

 フミは勝利を確信した。しおりがどれだけ早く腕を振り直そうと、今まさにチャームを振ろうとしているフミには敵わない。フミがやるべきことは、焦らず、しかし手早く急所にチャームを突きつけるだけ。

 その筈だった。

 腹部から、衝撃が飛び抜けた。視界が目まぐるしくスライドする。チャームを振るおうとして、目の前にしおりがいないことに気付く。それどころか……あれ? え? 何で?

「はいはい。そこまでにいたしましょう」

 フミは、自分がシェンリンに抱えられていることに気付いた。同時に、「……っ……ぃあ……だっ……」腹部から猛烈な鈍痛が襲い掛かってくることにも気付いた。

 ……痛っ……どう……なんで……?

 フミは、記憶を手繰った。自分は今まさに、その決定的シーンを見ていた筈だ。何が起こった? 確か自分はチャームを振り抜いた。勝利を確信したはずだ。そうだ、その瞬間、しおりが、攻撃を加えた。どうやって……。

 フミはハッとした。足だ。しおりは、不用意に接近してきたフミの無防備なお腹を、思いっ切り蹴り飛ばしたのだ。

 ……またやってしまいました……。油断してはいけないと分かっていたのに……せめて手なり肘なりガードが間に合っていれば、まだ戦闘は継続できたかもしれないのに……。

 腹部の痛みか、それとも悔しさか、フミは鼻の奥がツーンと痺れるのを感じた。

「しおりさん、大変申し訳ございませんでした。冗談半分でチャームを向けるべきではありませんでした」

 シェンリンは陳謝した。楓らもそれに続いた。

「私も失礼を申し上げて、大変申し訳ございません」「しおりさん、ごめんなさい……」「わしも調子に乗ってすまなかった……」

 リリもハッとしたように「急に私が切りかかってごめんなさい」と頭を下げた。

「ほら、フミさんも謝罪なさ……って、アナタ、鼻血が出てるわよ」

「……ぅえ?」

 鼻の奥の痺れは、痛みでもなく、悔しさでもなく、ただの鼻血だったようだ。

「フミ……大丈夫……?」

 ユージアが部屋のティッシュで栓を作ってくれた。情けないのだが、今は一歩も動ける気がしない。その好意に甘んじることにした。

 しかし、謝罪に関しては人に代わってもらう訳にはいかない。……のだが、腹部の痛みがひどく、今はまともに喋れなかった。一先ず頭を下げたが、それだけでズキンズキンと腹部が痛み、改めて謝罪が必要そうだった。

「いえ。謝るのは私の方です」としおり。

「皆さんが冗談で言っているのは分かっていましたのに、私、挑発するようなことを言ってしまいました。その結果、楓さんの自室で暴れ、それどころかフミさんを思いっ切り蹴り飛ばしてしまいました。……誠に申し訳ございません」

 しおりもまた、陳謝した。先程までの異様なプレッシャーは消え去り、そこにいるのは、どこまでも普通の女の子だった。

「謝らなくても結構ですわ。この部屋なんて仮初の住まいですし、フミさんを多少殴る蹴るしたところで誰も気にしませんわ」

 楓の言葉に、フミは両手を振って抗議した。フミが声を出せず、反論できないのを分かってしているのが憎たらしかった。

「というか、どうしてリリは切りかかったんじゃ?」

 別に責めている訳でなく、ただただ純粋な疑問として、ミリアムは尋ねた。リリが切りかからなければ、この場を何とか丸く収められたかもしれない。

「あー、それは恐らく……」としおり。

「あの……しおりさん、授業の時に、『かかってきなさい』って言われら切りかからないのは失礼だって……」とリリ。

「そんなことで切りかかったんですか……」とシェンリン。

「そんなことじゃなくて、大切なことなんですわ!」と楓。「お前はリリバカすぎじゃ」(ミリアム)

 リリは、改めて頭を下げた。

「フミちゃんも、しおりさんも、本当にごめんなさい」

「リリさんを責めないであげてください。本当は、挑発をしたらこうなることは分かっていたんです。それに、リリさんが切りかかった時点で、私には応戦しないという選択肢もありました。それなのに 私はチャームを(まじ)えました。……このままでは血がおさまらなくなったからです。全ては私の不徳が致すところです」

 なお、デュエルが得意な者は、大なり小なり、好戦的で血の気を好む傾向がある。その極地がデュエル復古主義と呼ばれる一団だ。しおりは普段の人当たりの良さに反して、かなり武闘派な一面があるのだった。

 それにしても。

 シェンリンは、フミのお腹に手を触れた。

「……っ! ……ぁの、……ェンリン……さ」「喋らなくて結構です。その怪我、応急手当くらいはしておきましょうか」

 恐らく、痣になっている。あの蹴りは、しおりが本気で嫌がる時の動きだ。格下相手に出すようなものでない。

――随分とお熱くなったようで――

 意味ありげな視線に気付き、しおりは抗議するような目を向けた。シェンリンは、それに微笑みで返した。

 

-4(おまけ)-

 

 その後、喧嘩両成敗のような形で、お互いに後を引かないということで話は決着した。しかし、このままだと後味が悪いということで、その後、ささやかながら親睦会が開催された。

 

「トントントン」「誰ですか」「グングニル」「グングニルって誰ですか?」

玩具要(がんぐい)る? と聞いたのじゃ!」

 

「何でノックノックジョークなんです……?」とやや復活したフミ。「その掛かり方は微妙じゃないですか?」と楓。「私は嫌いじゃないよ?」とリリ。

 

「では僭越(せんえつ)ながら私が……」としおり。「え? しおりさんもやるんですか?」

「トントントン」「……(あ、私がやるんですか?)誰ですか?」「張飛(ちょうひ)です」「張飛って誰ですか?」

超秘密(ちょうひみつ)です!」

 

 …………。

「うん……そうだね……」とユージア。「あ、うん。面白いよ!」とリリ。「やや受けですわね」(楓)「しおりさんともあろう人が……」(シェンリン)「ゲストを喜ばせようという気遣いはないんですか」(フミ)「わしは結構好きだったぞ」(ミリアム)

 なお、しおりはあまりウケずにちょっと拗ねた。

 

「本場のノックノックジョークをお見せしましょう」と楓。「……別にいいですけど本場ってアメリカじゃないんです?」

「トントントン」「……(あ、これ交代じゃないんですね……)誰ですか?」「しおりです」「しおりって誰ですか?」

菓子折(かしおり)りですわ!」

 

 そう言うと、裏手の棚からお菓子を持ってきた。

「あ、これはどうも」(しおり)「あー、こうやって使うものなんですね」(フミ)「楓、カッコいい……!」(ユージア)「楓さんってジョークも得意なんだ」(リリ)「まぁ、笑いはとれていませんが」(シェンリン)「お黙りなさい! こういうのは笑わせるものでなく小粋に使うものなのですわ」(楓)「まぁ、小癪さは認めてやるわ」(ミリアム)

 

「私、やってみる……!」とユージア。「これ全員やるんですかね?」

「トントントン」「誰ですか?」「三角形……」「三角形って誰ですか?」

「楓さんかっけえ」

 

 不意打ちに、フミは噴き出した。

「ちょっと、ユージアさんがそんな口調使うのはずるいですよ」(フミ)「ユージアさんのポテンシャルを感じましたわ」(楓)「ヤンキーみたいで可愛かったよ」(リリ)「ヤンキーって可愛いんかの……?」(ミリアム)

「……っ……ふ……」(シェンリン)

「シェンリンさんが静かにツボってます……!?」(フミ)「これは珍しいですね」(しおり)「シェンリン……大丈夫?」(ユージア)「これ、そこは『へへ、シェンリンさん、大丈夫っすか?』じゃろ……痛っ!」

 ミリアムはシェンリンに無造作に(はた)かれた。

 

「全く、こんなバカなことを……」とシェンリン。「でもやる意志はおありなんですね……」

「トントントン」「誰ですか?」「わたしです」「わたしって誰ですか?」

「おや、自分の事すら分からなくなったのですか?」

 

「…………? あ! うわ、結構ムカつきますねこれ……」(フミ)「ふふ、騙されてやがりますわ」(楓)「これはやられた方が間抜けじゃぞ」(ミリアム)「フミちゃんはフミちゃんだよ」(リリ)「いえ分かってますが……」(フミ)

「フミさんはフミさんではありません」(しおり)「……え? じゃあ私って誰です……?」(フミ)「アナタは奴隷……その名はあああああ」(シェンリン)「デフォ名じゃないですか!」(フミ)「あああああちゃんはあああああちゃんだよ」(リリ)「あああああちゃん……」(ユージア)「あああああ」(ミリアム)「勇者あああああ」(しおり)「あああああさん」(楓)「止めてください……何か……怖いです……」

 

「私もやってみるね!」とリリ。「リリさんって何を言うかちょっと恐いんですよね……」

「トントントン」「誰ですか?」「リリだよ」「リリって誰ですか?」「…………」「リリさん……?」

「私って誰だろう……」

 

「おっとこれは?」(シェンリン)「リリさん、それホラー系なんですよ……」(フミ)「お主、意外と演技派じゃな……」(ミリアム)「あ、あはは……」(リリ)「お聞きなさい。アナタは私の伴侶、リリ・ジョナサン・ヌーベル……」(楓)「どさくさで既成事実を作らないでくださいよ」(フミ)「リリ、上手だったよ」(ユージア)「上手であるべきかは少し疑問ですけども」(しおり)「これは前振りが悪いですよ……」(フミ)

 

「そんじゃフミのしょーもないのを聞いて解散するか」とミリアム。「私が大取なのも、しょーもないの前提なのも腑に堕ちませんが……」

「トントントン」「…………」

「え? ちょ……」

「誰ですか?」(しおり)

「ごめんなさい、ちょっと心が折れたのでやり直しても……」

 

「何じゃ。こういうのは伸ばせば伸ばすほどハードルが上がるんじゃぞ」とミリアム。

「誰も言わないのは酷いじゃないですか!」

「ごめん、ミリアムさんがやるのかなって……」(リリ)「しおりがやるもんだと思っての……」(ミリアム)「申し訳ありません、ちょっと反応が遅れました」(しおり)「いや、しおりさんの所為じゃないですよ……」(フミ)「早くやってしまいなさいな」(シェンリン)「滑ってもよしよしして差し上げますわ」(楓)「あなたたちの所為ではないんですけど、何かあなたたちの所為にしたくなりますね……」

 

「では改めまして……トントントン」

「「「誰だれで誰ですか」」」

 

「ちょっと! コントじゃないんですよ!!」

「ごめん、私がやるのかなって……」(リリ)「私がやるもんだと思っての……」(ミリアム)「申し訳ありません、私がやるものかと」(しおり)「いや、しおりさんの所為じゃないですよ……」(フミ)「早くやってしまいなさいな」(シェンリン)「私だって早く終わりたいですよ……」

 

「では改めま……これ絶対3人とも言わないパターンですよね?」

「「「…………」」」

 

「ほら! やっぱりそうじゃないですか!!」

「ミリアムさんが~」「しおりが~」「反応が~」「3人とも雑ですよ!!」(フミ)「早くやってしまいなさいな」(シェンリン)「じゃあシェンリンさんが返答役やってくださいよ」(フミ)「フミ……不憫(ふびん)……」(ユージア)「そう思うなら手助けしてさしあげなさいな……」(楓)

 

「では改めまして……トントントン」「誰です?」「ふふふです」

「ああ。ふが三つで『ふみ』ですか。下らないですね」

 

「ちょっと! ネタバラししないでくださいよ!!」

「……ふふ……」(リリ)「その笑いは何の笑いなんですかね……」(フミ)「と言いますか、フミさん、趣旨を分かっておられます?」(楓)「ちょっと違うのは分かってますが、思い付かなかったんですよ……」(フミ)「フミ、分かるよ……難しいよね……」(ユージア)「今日一番のネタを決めたユージアさんの言葉は素直に受け取れませんが……」(フミ)

「ふふふ、ふふふ、ふふふ」としおり。「お? その心は?」(ミリアム)「『ふみさん』です!」

「おい、フミ。しおりの方が面白いぞ」(ミリアム)「流石フミさん。これがゲストへの気遣いと言うものなんですね」(シェンリン)「滑った手前、反論出来ないのが悔しいですよ……!」

「フミさん、お気を落とさず」としおり。「ご高配痛み入りますが、その優越感と、私への憐憫(れいびん)の情は隠せていませんからね?」

「フミが尖ってる……」(ユージア)「近づくもの全てを傷付けてますね」(シェンリン)「『おい、フミ! シェンリンパイセンに挨拶しろよ』……痛っ」(ミリアム)「アナタも懲りませんね……」(楓)「でも尖ってるフミちゃんも可愛いよ?」(リリ)

「『わかってくれとは言わないが~♪』」(しおり)「え、何ですかそれ?」(フミ)「すみません私も知りません」(楓)「ごめん、私も……」(ユージア)「知らんの」「何ですか?」「何ですそれ?」

「ちょっと貴女方、リターゲッティング能力高すぎませんか?」(しおり)「隙を見せたら食われる。野生の掟じゃ」(ミリアム)「百合ヶ丘の寮でサバイバルしたかないですが」(フミ)「安息の地は自分の部屋だけです」(シェンリン)「まぁ、その安息の地が踏み荒らされてる訳ですが」(楓)「ごめんね? 後で掃除するから……」(リリ)「私もお手伝いいたします」(しおり)「いいですよ、ゲストなんですから」(シェンリン)「まぁ、ゲストの扱いとはとても思えませんけど」(フミ)「笑いに敏感過ぎるのですよ。水夕会でもここまで殺伐としていませんよ」(しおり)

「え? 殺伐としてるの?」(リリ)「何となく、琶月さん美土莉さん辺りでいがみ合ってそうですが(※どちらもしおりが大好き)」(フミ)「さくあさんも結構な曲者ですよ(※水夕会の主将)」(シェンリン)「まぁ、はい」(しおり)(あっ、否定しないんですね……)(フミ)「……やっぱりウチに来ますか?」(楓)「…………」(しおり)「その間は闇が深そうじゃの……」(ミリアム)「苦労されてるんですね……」(フミ)

 …………などなど。

 話は尽きず名残惜しかったが、いつまでも話している訳にはいかなかった。

「では、私はこの辺で……。今回のお詫びと言っては何ですが、近い内に、リリさんとフミさんに稽古を付けさせてください」としおり。

 フミたちとしては、攻撃の名手に指導してもらえるなら、これ以上ない話だった。

 リリは「別にそんないいよ~」と言っているが、「リリさん、こういうご厚意は受けておくものですわ」と楓。「そういうものですよ」としおり。「それでは遠慮なく~」とフミ。「お主はちっとは遠慮せい」(ミリアム)

「参考までに、お二人は普段から連携をされたりしていますか?」としおり。

「え? 特にしてないよ?」とリリ。「まぁ、入学以来、ほぼずっと一緒にいますけどね」とフミ。「言わなくても通じ合う……」(ユージア)「中々、堂に入った連携じゃったからな」(ミリアム)「止めなさいな! こういう話は蒸し返さないでおくものです」(楓)「嫉妬しおってからに……」(ミリアム)

 

 そんな訳で、本日、レギオンメンバーは集まらなかった。

 しかしデュエルの名手・六角しおりの師事を手に入れ、リリたちのレギオンはまた一歩前進したのだった。

 

-5-

 

 しおりは帰り道、今日の一件を思い出して、くすくすと笑い声を立てた。実は、しおりは茶目っ気がある。親しい友人には冗談を言ったりもする。しかし、あんな風にバカをする仲間はほとんどおらず、今回のことは新鮮な経験だった。

 しかし回想が遡り、リリとフミとの手合わせの場面に差し掛かると、自然とその目は鋭くなる。

 しおりは携帯を取り出すと、メッセージを打ち込み始めた。

 

 リリたちと一悶着(ひともんちゃく)あったその日の夜、水夕会の幹部会が開かれた。

 メンバーは主将・工藤朔愛(さくあ)、副将・六角しおり、そして2人のシュッツエンゲルの泉牡丹(ぼたん)、谷口(ひじり)の4名。

 この会自体は遠征前に不定期に開催しているのだが、今回はそれとは別に、しおりが開催を希望したものだった。議題は、外征の一時休止の提案だった。

「しおり様がそのようなご提案をなさるとは、珍しうございますね?」

「しおりん、急にどうしたの? 何かあった?」

「あの子たちが、『しおりが楓に攫われた!』とか何とか言ってたけど……。まさかとは思うけど、そこで脅されたりしてないわね?」

「まさか。そのようなことありませんし、仮に脅されたとして、それに屈する私ではございません」

「それでしたら、お気に入りの小娘でも見つけられましたか?」「いや小娘って……」

「え~、でも18人もいるでしょ? これ以上は多すぎないかな?」

「そういう訳ではございません。ただ、5月までの外征で、学院には次回の格付でSSSは確実だろうとおっしゃっていただきました。これで私たちの要望も十分通るようになるはずです。それでしたら、これ以上の遠征で消耗するより、来るべき時に備えて地盤を固めるべきではないかと考えたのです」

「ふ~ん?」

「地盤ねぇ……」

「由比ヶ浜ネスト、その討伐でございますか?」

「まさか……!」

「いえ、そこまでは申しません。しかし、私たちやアールヴヘイムなど、実力派レギオンが遠征に行く間、この学院を守るのは一体誰でしょうか。そして、この学院で何かあった時に、それでも安心して任務に集中するには何が必要でしょうか?」

「ふーん? 新入リリィの育成をしようって訳?」

「あらあら。やはりお気に入りがいらっしゃるのではございませんか。ご紹介してくださいな、一柳リリさんのことを」

「…………」

「あら、これは正解でございますね♪」

「……そういうの、嫌われるわよ」

「……。さくちゃん、余計な手出しはしないと誓ってくださいね」

「うふふ♪ 大丈夫ですわっ。私にお任せくださいな」

「アンタは信用できないのよ……まぁ、シルトに言う言葉じゃないけど」

「お褒めに預かり光栄ですわ」

「ねえねえ、しおりんしおりん。私も反対じゃないけど、あまり長くはできないよ? 最長であと2~3……う~ん1~2か月? 夏頃までなら待てるかな? 3年生の先輩方も、そこまでなら大丈夫。逆に、そこがリミットだよ」

「分かっております。それまでに目処を付けさせましょう。もし、それが成らないのであれば……いえ、必ず成らせてみせます」

 

 水夕会、外征の一時休止の提案は、全会一致で可決された。



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第4.8話 vsしおりの不安

「フミちゃん!」「リリさん!」

 掛け声に合わせてリリが突撃し、その1歩半後ろにフミが付いていく。

「はああ!!」

 リリの鋭い一撃、同時に、その反動を活かして素早く離脱。そしてリリの影に隠れていたフミは、既にチャームを振り抜いていた。

「はっ!!」

 こちらも鋭い一撃。「やっ!!」そしてもう一撃。

 更にもう一度と、フミはチャームを振り上げる……そのわずかな時間に、今度はリリが死角から迫っていた。

「たあ!」

 しおりはそれを左手の防御チャームで防ぐ。体勢が崩れたところを「はっ!!」フミの一撃が叩きこまれる。

 お手本のような波状攻撃。しかし、しおりの表情は優れなかった。

「甘い!」

 しおりは乱暴にチャームを振るった。2人は咄嗟にガードをするも、ガードの上からそのまま吹き飛ばされた。新人相手に容赦のない一撃。

 それでも、2人は空中で体勢を整え、着地と同時に突撃の構えを見せた。

 ……上手くいきすぎている。

 しおりは今回、防御役に徹していた。ただし、2人には『隙を見せたら反撃をする』とも伝えてある。実際、しおりは何度か反撃を行い、2人は何度か手痛くやられている。

 それにも拘らず、2人は突っ込んでくる。その連携も攻撃のキレも一切鈍っていない。

 普通、痛みを伴う経験をすれば、警戒し動きが硬くなるものだ。むしろ、今回の訓練はそれを期待してのものだった。

 2人は、一度恐怖心を身に着ける必要があった。もちろん、恐怖に呑み込まれてばかりではいけない。しかし、恐怖を全く知らないリリィはいずれ破綻を迎えるのだと、しおりは経験から知っていた。

 恐怖心と『正しく付き合うこと』。それがリリィにとって必要である。その為には一度『恐怖』を知らなくてはいけない。その為の訓練なのだが……。

「はああ!!」「やあ!!」

 恐れ知らずの純粋さ。筋金入りの無鉄砲。

 ……いや、無鉄砲であっても無謀ではなかった。

 2人は攻撃を加える前、連携の合間合間に、しおりの右手の動きを確認していた。ちゃんと考えてはいる。決して愚かではない。

 そしてそれ故に、決して立ち止まらない。その姿は、粗削りながらも勇猛であり……。

 仄かに、しかし確実に、しおりに破滅の予感を感じさせるものだった。

 

-1-

 

「本当にあの2人はどうなっているのですか?」

 しおりは、憮然とした表情を隠そうともしなかった。普段、人当たりの良い態度を崩さないしおりにしては珍しいことであった。

「なんじゃ、あれだけ動けてまだ不満なのかの」とミリアム。

(わたくし)には、それほど焦ることとは思えませんが」と楓。

 ミーティングルームとなりつつある楓の自室で、しおり、ミリアム、楓、シェンリン、ユージアと、これまた恒例となりつつあるメンバーが顔を揃えていた。

 リリとフミは訓練中である。2人の件で相談するために、あえて席を外させていた。

(しおりが『所用』で外すと聞き、内心ホッとした2人。しかし、代わりにユユの地獄のようなトレーニングが待っているとは思いもしていなかった)

「一流の(かた)は見据えるものが違いますわね。流石しおりさんです」とシェンリン

「……そういう言い方は止めてください。貴女方も分かっていることでしょう?」

 しおりは、再び仏頂面をした。

 2人の動きに不満などない。しおりの訓練が始まって一週間、2人の動きは見違えるようになった。

 一般論として、リリィの上達は早い。肉体の成長は時間がかかるが、マギの成長は時に劇的なものだからだ。乾いたスポンジに水が染み込むが如く、新品の和紙に筆を走らせるが如く、2人は猛烈な勢いで技術をモノにしつつあった。

「わしには問題があるようには思えんがの」とミリアム。

「これも、彼奴(あやつ)らが水面下で続けてきた努力が実を結んだ成果。喜びこそすれ、そんな浮かない顔をするものではないと思うのじゃが」

 そのことについて、しおりも異論はない。2人の成長の推進力は、今までの努力とひたむきさにある。もしかしたら……遠くない未来、自分たちと肩を並べるようになるかもしれない……。そう思わせるほどに、2人の成長ぶりは目覚ましかった。2人は、エンジンには問題がないのだ。

 問題は、そのブレーキが壊れていることだ。

「あの()達は恐れ知らず過ぎるんです。このままでは、遠くない未来、お二人は破滅を迎えるでしょう」

 しおりの言葉に、ミリアムはぎょっとした。

 破滅。リリィにとっての『破滅』とは、命に関わること以外あり得ない。その表現は、あまりに不穏すぎる。

「そんな大変なことになっておったのか?」

 ミリアムは、しおりにというより、楓やシェンリンに向けて問いかけた。

「大丈夫ですよ。そんな心配なさらなくても」とシェンリン。

「私も心配しておりせんわ。無茶をしたら私たちが止めればいいだけですもの」

「お二人は楽観的過ぎます! 4月の頭も頭に! 碌にチャームも扱えないまま飛び出していったことをお忘れですか!!」

 しおりは色をなして主張するも、2人は(特に楓は)取り合わなかった。

「別にいいじゃありませんか。実戦で痛い目を見る。その中で学ぶことも多くありますわ」

「実戦の失敗が何を意味するか、良くご存知でしょう?」

「ですから、そうならない為に私たちがいるのではありませんか」

「4月のレストア戦で(※3話)、暴走するユユ様に突っ込んでいったのは誰ですか。そしてそれを止めなかったのは誰ですか!」

「本人がやりたいことをやる。失敗したら周りが助ける。そうして私は成長してまいりましたし、それ故に今の私があります。リリさんにも同じようにのびのびと成長していただきたいのです」

「それは楓さんが幼いころから英才教育を受けていた故のことでしょう? リリさんは道理を知らぬ幼子ではありません。ちゃんと考えて行動してもらわないと困ります」

「困るってアナタがどうして困るのですか? レギオンの仲間たる私たちが問題ないと言っているんです。それとも、アナタもレギオンに入ってくださるのですか?」

「そういう問題ではありません! 人が崖に突っ込もうとしているのに止めないのは無責任というものでしょう?」

「ですから、崖でも何でも一回落ちてみるべきだと言っているんです。野生のライオンでも崖を登れるのですから、リリさんなら軽いものです」

「それが無責任だと言っているのです!」

「無責任ではありません」

「いいえ無責任です」

「むしろ経験をさせない方が無責任ですわ」

「貴女はお二人の死の責任を取れるのですか!」

「取れませんわ。ですから、崖から落とすべきなのですわ!」

「無茶苦茶です! 貴女はお二人のことを真剣に考えているのですか!?」

「私はいつでも真剣ですわ! それに無茶でも何でもやってみるのはリリさん自身が望んだこと。でしたら、その背中を押してあげるのが友人と言うものですわ」

「崖際で背を押す友人がどこにいるのですか!!」

 

「二人とも……ストップ!」

 お互いに侃々諤々(かんかんがくがく)と主張をぶつけ合う2人を、ユージアが止めた。

「二人の気持ちは分かるけど……そんな風に言い合いをしても、リリとフミの為にならないよ」

「ま。一度冷静になれってことじゃな」

 そう言ってミリアムは、2人に包装された菓子を投げつけた。チュッパチャプス。なぜそのチョイス?

 シェンリンも、言い合いの間に用意していた紅茶を2人に差し出した。

 微妙にミスマッチながら、しおりは何も言わず両方受け取り、飴を舐めながら紅茶を飲み始めた。それを見ると楓も断りづらく、飴を舐めながら紅茶に口をつけた。

 シェンリンは小さくため息を吐いた。

「全く。貴方たちは子どもの教育方針で揉める夫婦ですか」

「誰がお父さんですか!」(しおり)

「誰もお主が父とは言うとらんじゃろ……」

 しかし何となく、熱心な教育ママさんとそれに反対するパパさんの構図に似ているかもしれなかった。

「まぁ、楓さんは以前からこんなのですが」とシェンリン。「こんなのとは聞き捨てなりませんわ!」(楓)

「しかし、しおりさんがここまでリリさんたちに入れ込むのは腑に落ちませんね。何か心境の変化でもありましたか?」

 シェンリンの言葉に、しおりは露骨に嫌そうな顔をした。

「それを言うなら、貴女こそどうしてこんなレギオンに入ったのです?」

「『こんな』とはずいぶんな言い(よう)じゃの」とミリアム。

「まぁ、メンバーの過半数が初心者でしたから」と楓。

 そうじゃな、と言いかけて、ミリアムは楓の言葉に一瞬悩んだ。

 シェンリンらを誘う当時のメンバーは、リリ、フミ、楓、ユユ、そしてミリアムの5人だった。過半数が初心者ということは、リリ、フミに加えてもう一人、初心者がいることになる。…………。 

「……ちょっと待て、わしまで初心者扱いは心外なのじゃが」

「アナタは完全に技術者枠でしょう?」と楓。「まぁ、レアスキルに覚醒して駆り出されたというお話ですから」としおり。「ある意味初心者以下ですよ」とシェンリン。「大丈夫……ミリアムは便利な女だよ」

「その物言いはどうなんじゃ!?」

 ミリアムは吠えた。

「まぁまぁ。ユージアさんはまだ日本語が達者ではありませんので」(シェンリン)「嘘言うでない! 絶対ネイティブじゃろ!」(ミリアム)「確か中華系アイスランド人とお聞きしていますが」(しおり)「うん。でも、ちょっと身内に日本人がいて……」(ユージア)「今の世の中、マルチリンガルくらい普通ですわ」(楓)「お主のように散歩感覚で何か国語もマスターできんわい」(ミリアム)

 なお、楓は13か国語を話せる才女である。

「脱線しました。ウチのちびっこが失礼しましたわ」と楓。「微妙に腑に落ちぬが……話の腰を折ってすまんかったな」とミリアム。

「……話を戻しますが、私が最初に興味を持ったのは、リリさんがユユ様とシュッツエンゲルを結んだ一件です」

 しおりは飴をカップの取っ手部分に立てかけると、姿勢を正した。

「それ以降も、事件が起こる度にリリさんの名前が聞こえてきましたから。どんな人物かと、演習の時間を活かして確かめたですよ」

「それで結果はどうだったのじゃ……って、聞くまでもないか」

 それが遠因となって先日の『事件』が起きたのだから、何かしおりの琴線に触れるものがあったのだろう。

「それにしても、急にリリさんたちと手合わせするとは思いませんでしたが」と楓。

「冗談が過ぎるからですよ」としおり。

「私だって無暗にチャームを抜いたりはいたしません。しかし、貴女方のような腕利きに囲まれて闘争心を抑えていられるほど出来た人間ではありませんから」

 出来た人間云々ではなく、普通の人は腕利きに囲まれても溢れんばかりの闘争心は湧きあがらないものだと思うが。

「確かに悪ノリが過ぎたのは申し訳なく思っておるが……あの挑発はリリに向けたものではなかったのか?」

 『かかってきなさい』と、しおりは言った。そして『こうなることは分かっていた』とも。あれはリリらと手合わせすることが分かっていた、ということではなかったのだろうか。

「……私は、貴女なら向かってくるのではないかと期待していたんですよ?」

 しおりは、シェンリンに怒っているような、拗ねているような視線を向けた。

「私ですか?」

 シェンリンは驚いてみせた。

「あら。シェンリンさんは案外、武闘派でいらしたんですか?」と楓。

「そうなんですよ。昔はなかなか尖っておられまして」

 ニッコリとしおりは答えるも、シェンリンはつれなかった。

「はいはい、そうですね。私もチャームが2本あれば立ち向かえたのですが」

「楓さんとユージアさんが居たではありませんか」

「……しおりさん。貴方はどうしても私の所為にしたいようですが、リリさんに斬りかかられて、応戦したのは貴方です。その非は認められるべきかと思いますが?」

 ばっさり言われて、しおりは少々言葉に詰まった。

「……貴女だって止めなかったじゃないですか」

「別に。一度痛い目を見れば学ぶだろうと思ったまでの事です。貴方とは違って、ですけど」

 中々嫌らしい言い回しだった。

「私だって痛い目を見ることに反対ではありません。ただ、それは練習の場で行うべきなのです。本番でいきなり突っ込んだり、飛び出したり、無謀な行為をすることは容認いたしかねます」

 しおりは尤もらしく言い放った。

「……それにしては、お主の殺気は本番さながらといった様子だったがの」とミリアム。

「フミさん、お腹に青痣ができていましたよ」と楓。

「なるほど。貴方が容認する『練習』とは随分と本格派なのですね。参考になります」(シェンリ)

「私も……2人に痛い目を見せるために……頑張るよ!」(ユージア)

「分かりましたよ。私が悪かったですって!」

 しおりは、4人の波状攻撃に、成す術もなく撤退した。

 戦場より舌戦での連携が優れていることは果たしてリリィとして正しいのだろうか。にわかにそんな疑問が湧き上がってくる程の、無駄に息の合った連携であった。

「確かに、結局は私が悪いのですが……」としおり。

「しかしそれだけではありません。リリさんとフミさんも、想像の何倍も良い動きをしておりました。私の闘志に火を点けるような、素晴らしい戦いぶりでしたよ」

 しおりの言葉に、ミリアムは首をひねった。

「そうかの。わしには、終始しおりが押しとったように見えたが」

 ミリアムが見たところ、リリもフミもまだまだ動きは荒く、特に攻撃動作などは素人じみていた。達人の域にあるしおり相手では、2人はまるで歯が立っていなかったように見えた。

「まぁ。そのしおりさんに一目散に斬りかかったのは驚きましたが」

「あれは昂りましたよ」

 殺気を放出したしおりに、迷わず斬りかかってきたリリ。明らかに格上の相手に迷わず立ち向かう勇猛さに、しおりは手合わせを続けたくなったのだ。

「フミも、考えて動いてたよ」とユージア。

 左サイドを狙う。話術で揺さぶる。そして打合せなしで連携攻撃を決める。

 特に最後の連携。

「確かに、あの連携は驚いた」

 ミリアムも土壇場にフェイントを入れるとは思わず、フミの動きに惑わされてしまった。最後の連携に限れば、その動きは実戦級に冴えていた。

「……本当に、普段から連携はしていなかったようですから。二人の信頼の賜物ということでしょう」

 しおりはそう言いつつも、心の奥でどこか解せない気持ちがあった。

 あの連携で驚くべきは、フミではなく、リリの動きの方だ。

 連携攻撃で自分より先にいたリリィが動きを止めれば、普通、何があったかと動きに乱れが起きる筈だ。しかし、リリは動揺を見せなかった。勢いそのまま、しおりに飛びかかってきた。

 リリも、フミがタイミングをずらすことを承知していたとしか思えない。あの連携は、即興でできる域を超えていた。

「フミさんの受け流しも、なかなか堂に入っておりましたわ。あれなら実戦でも通用するでしょう」と楓。

 しかし、しおりに言わせれば堂に入っているというレベルではなかった。

「……一体どんな訓練をしたら、ひと月やそこらであんな動きができるのですか?」

 しおりも防御訓練のことは耳に挟んでいた。実弾を使っていることも知っていた。しかし、しおりの一撃は弾丸などと比べ物にならない程に重い。最低限の護身技術で捌ききれるようなモノではない。

 フミがしおりの攻撃を受け流した場面。確かに、直前の連携で焦りはあった。それでも、迎撃には十分の余裕があり、しおりの太刀筋は決して甘くなかった。

 あの一瞬、フミの動きは目を見張るものがあった。当たれば怪我では済まない一撃に、一歩踏み込んで、するりと流し切ってしまった。

 あの動き。あの一瞬の動きは――ユユ様レベルの――神がかり的なリリィのそれだった。

 あの時、咄嗟に全力の蹴りを入れてしまう程には、しおりは昂っていた。本音を言えば、シェンリンが止めに入ったのは口惜しい程だった。

「フミ……あの後すぐに、3人の射撃をクリアできるようになったよ」とユージア。

「やはり練習より本番の場数が大事と……おっと、あれは『練習』でしたね」とシェンリン。

「……言っておくが、わしはしおりの一撃を受け流すなどまっぴらご免じゃぞ?」(ミリアム)

「そもそもアナタにできるのですか? フミさんはああ見えて度胸がありますから」(楓)

「いえ、度胸がありすぎるのが問題なのですよ……」としおり。

 しおりは、リリに対してはその才能を直感していた。呑み込みの早さ、そして恐れ知らず。全力で叩けと言われたら、遠慮なく全力で叩く。ありったけのマギを込めろと言われたら、見ている方が心配になるほどマギを込める。

 その純粋さは危うさを孕んでいた。ブレーキがない。それは成長の枷が取り払われているということではあるが、一方、破滅を前にして身体を止められないということでもある。

 先日の一件で分かったのは、フミも同種の性格を持っているということだった。問題児は2人いたのだ。

「先程も言いましたが、なまじ度胸があるので危険に対し無頓着なのですよ。その無頓着さは悲劇を招きます。我々はヒュージという未知の存在を相手取っているのです。警戒してしすぎるということはありません」

 しかし、楓は真っ向から反対した。

「私も先程申しました通り、それは実戦を繰り返す中で自然と身に着けるべきものです。あの()たちに『気を付けろ』といくら言っても無駄です。本人が自ら悟るまで、私たちが傍で見守るしかありません」

「……そうは言いますが、やはりレストアの一件では止めるべきだったと思いますよ」

「そう申されましても、私はリリさんが望むなら、そのようにさせてあげたいのですよ」

 結局、しおりも楓も、2人を心配しているのは同じだった。ただ、その対処法が『止める』か『背中を押す』かで正反対に分かれてしまっているだけだ。

「……貴女方も楓さんも同じ考えなのですか?」

 しおりは楓の説得を諦め、ミリアム、シェンリン、ユージアの3人に水を向けた。

「わしは頼んで入れてもらった身じゃからの。ボスの言うことに逆らう気はないぞ」とミリアム。

「リリは私の背中を押してくれたから……リリが望むなら、私も手伝いたい」とユージア。

「私はあの娘たちの行く末に興味がありますから。それに、図らずしも周りの人間を巻き込んでしまう無鉄砲さも、あの娘の魅力ですよ」とシェンリン。

 その『図らずしも巻き込まれてしまった』しおりとしては、複雑な気持ちであった。

「分かりました。貴女たちがそこまで言うのでしたら、私も口出しはいたしません。……ただし、あの娘たちを一人にしないと約束してください。一人で何かしでかそうとしたら、止めてあげてください。このままですと、いつか取り返しのつかないことをしでかしかねません」

 そんなしおりの言葉に、「当然ですわ」と楓。

「それに、そのための連携訓練なのでしょう?」

 ツーマンセル。お互いにカバーしあう存在。お互いの抑止力。それは間違いなく、しおりも意識して配置したことだった。

「もちろんそれもありますが……しかし、あのお二人だけでも危険ですからね。絶対に、それぞれから目を離さないでください」「そんな幼子ではないのですから……」「貴女が言わないでくださいな!」

 とまたも言い合いを始めかけたところで、ガチャリと扉が開いた。

「つ、疲れました……」

「うう……今日のお姉さま、夢に出るかも……」

 ボロボロの2人が、這うようにして楓の部屋に入ってきた。

「大丈夫ですかリリさん!?」(楓)「リリ、大丈夫かの」(ミリアム)「リリさん、お怪我はありませんか」(シェンリン)

「ちょっと! 私も心配してくださいよ!!」とフミ。

 それだけ騒げれば十分元気じゃろ、とミリアム。

「フミ……大丈夫?」とユージア。「うう~、私の味方はユージアさんだけですよ……」

「ユージア、別にバランスを取る必要はないぞ」「ミリアムさんは黙っていてください!」

 ……とまぁ、一見元気ではあるが、擦り傷、打撲、そしてフミについては(いつものことだが)鼻血まで出している。

「これはこっ酷くやられましたね」としおり。

「あれ、しおりさん、用事じゃなかったの?」とリリ。

「はい、思いのほか早く終わりまして。それより、何があったのですか? 確か、今日はユユ様がコーチをお務めだとか」

 フミは「そうなんです!」と被せ気味に訴えた。

「聞いてくださいよ~ユユ様、ルナティックトランサーをお使いになったんですよ!!」

「おう、マジか……」とミリアム。

 ルナティックトランサーは、暴走状態となる代わりに、肉体の限界を超えた動きができるレアスキルである。もちろん、使い方によってはコントロール下に収めることもできるが、その凶悪さゆえ、あまり新人の教育で使うようなスキルではない。

「最初は防御に徹されていたのですが、途中で『防御している相手だけでなく、攻撃している相手にも攻撃できるようになれ』とか何とか、もう無茶苦茶でしたよ……」

「何が無茶苦茶なものですか。戦闘の基本です」

「ユユ様!?」

 一体どこから現れたのか、振り返ると、フミの背後にユユがいた。

「あら、ごきげんようユユ様」「ごきげんよう、しおりさん。お二人の指導、心から感謝いたします。見違えるように良い動きをするようになりました」

 と言う割には、その見違えた後輩2人をボコボコにしているような気がするが。

「あの動きは絶対おかしいですよ!! ユユ様だけ無重力空間で動いてるんですか!?」とフミ。

「まぁ、重力だとか肉体の限界だとかを諸々無視された動きをなさると申しますから」(楓)

「というか、よく生き残ったの」(ミリアム)

「失礼ですね。ほんの少し、薄皮一枚スキルを使っただけですよ」

「絶対違いますよ! 終わった後、何か記憶が曖昧そうだったじゃないですか!」

「何を言いますか。戦闘の余韻に浸っていただけです」

 そんな訳ありますか……!

 あー、ここは……? とか何とか言っておいてよくも取り繕えるものである。

「でも、本気のお姉さまと手を合わせられて、少し嬉しかったよ?」とリリ。

「それでしたら、明日からも私が相手をしましょうか?」

 リリは、笑顔のまま顔を引きつらせた。

「おい、リリのこの表情はかなり貴重じゃぞ」(ミリアム)「リリ、大ピンチ!」(ユージア)「まぁ、ここは一つ背中を押しましょうか」(シェンリン)

「お止めなさいな! そもそも、ルナティックトランサーは副作用も大きい筈ですわ。毎日毎日使っていたら、ユユ様の方が持ちません」と楓。

 事実、強力な反面、相応にデメリットも大きく、実は今もユユはそれなりに疲弊していた。ただ、それを全く表面に表さないのは驚異的な精神力というべきだったが。

「全く、ルナティックトランサーをお使いになったユユ様と手合わせされるなど……」としおり。「……何で羨ましそうなのです?」(楓)

「そもそも、ルナティックトランサーは封印されたと聞いておったがの」とミリアム。

「可愛い後輩の為です。封印の一つや二つを解くくらい、訳ありません」

 その結果がこのボロボロの2人な訳だが、良心の呵責はないのだろうかとミリアムは思わなくもなかった。

「と言いますか、ルナティックトランサーはリリさんに抱き着かれないと止まらないのですか?」とフミ。

「また抱き着いてお止めになったのですか……」(楓)「リリ……大胆」(ユージア)「そんな映画のワンシーンのような……日常的にやることではないぞ」(ミリアム)「情熱的ではありませんか」(シェンリン)「そんな命がけの情熱なんて嫌ですよ」(しおり)

「またチャームを合わせてマギスフィアを作ったのかの」とミリアム。「そんな三文芝居みたいに言わないでください」(ユユ)

「第一、前提が違います。リリさんが足元を滑らせて、私の方に飛び込んできたのです」

 ユユの解説に、「……そうだっけ?」とリリ。

「なんじゃ、リリまでルナティックトランサーか?」(ミリアム)「ミリアムさん、レアスキルジョークは相手を選びましょう」(シェンリン)

「何でもいいですが、身内に使うスキルじゃないですよ……」とフミ。

「受け流せない攻撃もある。良い経験になったではありませんか」(ユユ)

「受け流せないような攻撃、しないでくださいよ……」

 フミはがっくりと床に項垂れた。それなりに上達してきた実感があったのだが、今日の一件で、それは思い上がりだったと分かったのだ。

 一方で、リリは、真っ直ぐな瞳でユユを見据えた。

「でも私……いつか、ユユ様にも負けない立派なリリィになってみせます! その時はもう一度、手合わせをしていただけますか?」

 笑顔ながら相変わらずの無鉄砲な発言に、しおりは呆れるやら感心するやら忙しかった。

 ユユは逡巡するように少し間を開けた後、「そうね」と答えた。

「でも、その前に、2人で私を超えてみせなさい。挑戦はいつでも受けて立ちますよ」

 そして放たれるプレッシャーに、再び、リリは笑顔を引きつらせるのであった。



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幕間_フミの鼻血

 フミさんがよく鼻血を出しているので、その理由を適当に考えた話です。フミさんの病気は創作ですが、しおりさんの左手については原作通りです。
 こういうのを知るとしおりさんを応援したくなり……必然的に出番も増えます。


 非番で授業もない昼下がり。しおりが水夕会の控室に向かっている最中、鼻血を噴き出すフミを見かけて足を止めた。

 『鼻血を噴き出す』という表現をこんなにカジュアルに使わせないでほしいのだが、体質なのか何なのか(当人曰く職業病)、フミは定期的に鼻血を出していた。そして、取材を受けていた先輩がぎょっとしているのが目に映る。

 なるほど、初めて見ると驚くものらしい。しおりは既に慣れてしまったが、改めて考えると、確かに異様な光景ではあった。

「ごきげんよう、フミさん。また鼻血ですか」

 取材が終わったタイミングを見計らって、しおりは声を描ける。

「ああ、しおりさん。ごきげんようです。取材をしてたらついつい出してしまうんですよ~」

 そんな『春になると鼻水が出る』くらいのテンションで鼻血を出さないでもらいたいのだが。

「それなんですが、一度保険医の(かた)に診ていただいたらいかがですか? 万が一マギ関係の疾患でしたら事ですから」

 あまり症例は多くないが、マギを使う度に粘膜の弱い部分が破ける(≒鼻血が出る)ケースがあるらしい。

 滅多なことはないと思うが、診てもらって損はないだろう。そのくらいの気持ちで何気なく聞いたのだが。

「いえ実はマギ梗塞の一種らしいんですよね」

「えっと? マギ梗塞ですか」

「はい。どうもマギの通路が詰まっているようで、そこを無理やりマギが通る時に粘膜を傷付けているとか」

 どうも、滅多なことがあったらしい。

「ちょっとお待ちください。そんな状態で戦って大丈夫なのですか?」

 思いのほか深刻に捉えられ、「いえいえ!」と、フミは慌てて付け加える。

「詰まっているのは鼻の粘膜の辺りだけですし、それもチャームを使っていない時だけですから! 現状『鼻血が出やすい』以外の何物でもないんです。保険医の方にも全く問題ないと言われましたよ?」

 なお、百合ヶ丘(というより各ガーデン)の保険医は医師免許を持っている。主に外傷やマギ関連の治療が専門であるから、その先生が言うなら間違いないだろう。

「正確には、局所性非活性時マギ梗塞症と言うらしいです。これが『非局所性』や『活性時』だとリリィとして不適格もありうるそうですが、私の症状がそういったものに変化する可能性は低いそうです」

 局所性⇒鼻の粘膜のみ。

 非活性時⇒主にチャームを使っていない時。

 マギ梗塞症⇒マギが詰まって出血を伴う。

 ……どうして病名というのはこうも物々しいのだろうか。

「そんな御病気を抱えていたとは知りませんでした」

「まぁ、私も百合ヶ丘に入学してから知ったくらいですけどね。先生には『花粉症より全然困らない』と言われました」

「いえ、ですから免疫反応感覚で鼻血を出されましても……」

 まぁ、ビジュアルはともかく、実害が少ないのは事実らしい。一般人より治癒能力がずっと高いリリィなのだから、多少の出血は問題にならない。その点、便利な身体である。

「とはいえ、何か困りごとがありましたらすぐにおっしゃってくださいね」

「それを言うのでしたら、しおりさんの左手の方がよっぽどだと思うのですけど」

 しおりは、一瞬真顔になった。

 しおりは過去の事件で左手の感覚を部分的に失っている。こちらはフミと反対に『戦闘中にマギを通す』と痺れは酷くなる為、一時はリリィ不適格の烙印を押されたこともある。

 ただ、それはタブーに半歩踏み入った発言だ。

 その事件でしおりは両親と妹を亡くしている。今更しおりは気にしないのだが、普通は周りが気を使って話題に上がらない。それを臆面もなく話題にするのは、友人の中でも『工藤さくあ』その人くらいなものだった。

「フミさん、取材の時もずっとその調子なのですか?」

 フミはしおりの変化を見て、「あっ、ごめんなさい……」失言だったと頭を下げた。

「以前、あまり気にされていない様子だったのでつい……申し訳ないです……」

「いえ、気にしていないつもりだったのですが……。他の方は避けられる話題ですので、少し驚いただけです」

 考えてみれば、フミは先輩相手に甲州撤退戦の件を尋ねるような人間だ。

「老婆心ながら忠告しておきますが、あまりタブーに突っ込むものではありませんよ」

「忠告はありがたいですが……しかし聞きにくいことを聞くのが新聞記者ですから」

 この点でも、フミは『恐れ知らず』なのだった。

 しおりは小さくため息を吐いた。

 ……この性癖も改めなくては、いずれトラブルを招くのではないか……。

 まぁ、4月冒頭時点で既にトラブルに見舞われており、今後もしおりの心配を他所に、トラブルに巻き込まれることになるのだが。



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第4.9話 vs最凶の1年生その1

日羽梨様の話し方はこんなんじゃないと思うのですが、概要を見てると、自然とこんな感じになりました。悪しからずご覧いただければ幸いです。


 リリィの朝は慌ただしい。

 着替えに髪のセットに身だしなみ、食事もしっかり摂らないと訓練や出撃で身が持たない、予習もしておかなくては講義が身にならない。

 朝の一秒は血の一秒。一瞬たりとも無駄にはできない。

「フミちゃん! 行くよ!」

「はい! 今日こそは楓さんのノートに頼らず授業を乗り切ってみせます!」

 気合十分、気力充実。意気揚々と一歩を踏み出した、まさにその時。

「お待ちなさい、迷える子羊よ(Verirrtes Lamm)

 ……と、こんな珍妙な声掛けをするリリィは、学院広しと言えど一人しかいなかった。

「……何してるんですか、ヒバリ様」

 寮の入口で待ち構えていたのは、山梨日羽梨(ヒバリ)その人であった。

 壁にもたれ掛かり、身体を斜めにこちらを見据えている。格好付けているつもりだろうが、頭のリボンが巻き込まれて絶妙に恰好悪い。

「つれないわね、二川二水」

「そりゃ、忙しい朝ですからね。雑談でしたら放課後にお願いできますか?」

 ざっくばらんなフミの態度に、むしろリリが慌てた。

「だ、ダメだよフミちゃん! ちゃんと挨拶しなきゃ! ごきげんよう、ヒバリ様? えっと、初めまして、ですよね?」

 しかしヒバリは「挨拶など不要です!」と一喝した。

「ちなみに私は山梨日羽梨と申します。初めまして、以後お見知りおきを」(ヒバリ)「あ、一柳リリです。フミちゃんとは仲良くさせてもらってます」(リリ)「これはこれはご丁寧に」(ヒバリ)

「ちゃっかり挨拶してるじゃないですか!」とフミ。

「そんなことどうでもいいのです。貴方は今、大切なものを失っているのですよ」「時間ですか?」「違います。機会です好機です英語で言うところのOpportunityです。貴方は値千金の鉱石を道端に捨てた憐れなHanswurst(ハンスヴースト)……。そして貴方は磨けば光るEdelmetall(イーデルメタル)。貴方は自身を、それと知らず河原に捨ててきたのですよ、二川二水」

 フミは、この人が何を言っているかちょっとよく分からなかった。

「あの、イーデルメタルって貴金属ですよね? 詳しくないんですけど、貴金属って単体で出土すると聞きますし、磨かなくても光るんじゃないですか……?」とフミ

「あの、ちなみにですけど、機会をドイツ語? で言うと何になるのかな、と思ったり……」とリリ。

 ヒバリはそっと目をつぶり、ニコっと微笑んだ。

 

「SHUT UP, MAN!!」

 

「何なんですか!」

「何なんですかはこちらのセリフです。何なんですか」(ヒバリ)「繰り返されても困りますよ。何なんですか」(フミ)「なぜ私の誘いを断ったのです」(ヒバリ)「ああ、その件ですか」(フミ)「許しがたい暴挙です」(ヒバリ)「条件がシビアすぎますって」(フミ)「何を、4月中にラージ級を単独討伐くらい」(ヒバリ)「無理ですって!」(フミ)「私なんて何度も達成しています」(ヒバリ)「それはヒバリ様だからです」(フミ)「私が手取り足取り教えて差し上げますと申したでしょう」(ヒバリ)「ですから、私はリリさんと一緒に強くなると決めたんですって!」(フミ)

「全く。貴方は物の道理を弁えませんね」とヒバリ。

「それはこっちのセリフです」とフミ。

 ヒバリはため息を吐いて身体を起こした。

「分かっていますか二川二水。貴方はKätzchen(ケッツェン)ではなくSechzehn(ゼヒツェン)。自分はDrei mal zwei(ドライ・マル・ツヴァイ)と嘯くSchlafender Löwe(シュラッフェンダルーヴェ)。貴方を真に導けるのは私だけ。私です。私なのです。貴方に最も必要なのは私。間違いありません。貴方に必要なものは私。私が良く知っています。私を頼りなさい。私を頼るのです。私の力が必要だと思ったら私を必要としなさい。貴方は愚かなWeiser(ヴァイザー)Edelweiß(イーデルヴァイス)ならぬEdellilie(イーデルリーリエ)。痩せ我慢は止めなさい。自尊心など捨てなさい。抜き身のLilie(リーリエ)になるのです。その力強い姿こそ貴方が真に咲かせる花。分かりましたか分かっていますね、二川二水さん。然るべき場所でまた会いましょう」

 ヒバリはほとんど一息で言い切ると、スカートをサッとはためかせ、立ち去った。

 リリはぽかんと、その後姿を目で追った。嵐のようなリリィだった。

 本当に何言ってるか分からない人ですね……。

 まぁ、正確には『何を言っているか分からないことにしておきたい』といったところであるが。

「百合ヶ丘って、こんな人ばかりなのかなぁ」とリリ。

 あながち否定できないフミであった。

 

-2-

 

「小沢薬師芽(やくしめ)……様? ですか?」

――百合ヶ丘って、こんな人ばかりなのかなぁ――

 リリはヒバリを見て、夕暮れ時に出会ったリリィのことを思い出したのだった。

「うん、偽名って言ってたし同級生って言ってたけど……あの人、嘘吐きだからよく分からなくて」

 リリのやや怒ったような言葉に、しかしフミは首をひねった。

・室内で傘を差す

・帽子を被っている

・どちらもかなり豪華そうなもの

・お嬢様口調

・同級生?

・小沢薬師芽?

・嘘吐き

 概要を並べただけで、なかなかに奇特そうな人物であった。しかしそれならフミが知っていてもよさそうなものなのに、まるっきり思い当たる人物がいない。

 リリィオタクの面目躍如かと張り切ったフミだったが、予想以上に難解そうだった。

「小沢様も小沢さんもおられたと思いますが、特徴には当てはまらない気がしますね……。『薬師芽』の方は、全国で検索を掛けてもヒットしないですし」

 念のため、小澤、尾沢、尾澤、大沢(おおさわ)逢澤(おうさわ)……なども考えてみたが、そもそも百合ヶ丘にいなかったり、いても、やはり特徴には一致しなかったりした。

「5年前に事件があったかもしれないんだけど……」

「5年前と言うと、私たちが小学校5年生の頃ですね……。仮に上級生だとしましても……まぁ、3年生の方でしたら中1の時期ですが……。あるいは、百合ヶ丘では初等科リリィがヒュージの襲撃を受けた事件がありましたが……もしかしたらそのことなんですかね……?」

 ただし、それが『5年前』の件だとすると、微妙に時期がずれる気もする。

「本当に百合ヶ丘の方なんですかね……?」

「うーん、傘で顔が見えなかったし、服もちょっと隠れてたけど……でも、百合ヶ丘の制服だったと思うよ」

 フミはうーんと唸った。

「……リリさん、その(かた)には何かお話ししましたか?」

 フミは、少しだけ、その人物がスパイである可能性を疑っていた。薄暗い時間、顔を晒さない、本名を隠している、神出鬼没な俊敏な動き。しかもこれだけ派手にリリと接触しているにもかかわらず、一切の手がかりを残していないのだ。仮に彼女がその筋の人物だとしたら、その手際の良さは尋常ではない。

「別に私は何も……。勝手に色々喋って、勝手に行っちゃった。……でも、もう一度会ったら絶対文句を言ってやるんだから……!」

 リリの話を聞きながら、フミは考えに(ふけ)った。

 ……一先ず、何かしら情報を引き出されたわけではないようだ。しかし今回は下見か、あるいは別件の作業を終えた後で、戯れにリリに話しかけた可能性もある。

 もしそうだとしたら、次回出会ったとしても、安易に話しかけるべきではない。下手をすれば、リリや仲間の誰かが(さら)われる危険すらある。

「? どうしたのフミちゃん?」

「……いえ、リリィ新聞に情報を募集する記事でも掲載しようかと思いまして」

 フミはリリの追及を適当にごまかした。

 考えすぎだろう。

 可能性は0でないとはいえ、この厳重なセキュリティの百合ヶ丘に侵入し、その上で、特に意味もなくその生徒と接触するとは考えにくい。そもそも、周辺には防犯カメラもある。

 一応、ユユ様経由で生徒会の耳に入れても良いかもしれないが、現時点でリリに無用な心配を与える必要性はなさそうだった。

「私の方でも、伝手を頼って調べてみます。何か分かったらお教えしますね!」

 疑問も不安も有耶無耶にするように、フミは笑顔を見せた。

 そうして、他愛もない雑談としてこの話はお流れとなった。そう思っていたのだが……。

 

--

 

【注意喚起】

 敷地内カフェテリアにて、不審人物の目撃情報が入りました。以下の特徴に一致する人物と接触、またはその姿を目撃した際は、速やかにその場を離れ、教導官・生徒会役員にご一報ください。また、当該人物について情報をお持ちの方は、編集長の二川二水、並びに生徒会までご連絡ください。

・豪華な傘を持ち歩いている

・豪華な帽子を被っている

・「ですわ」などお嬢様口調

・虚言癖(1年生・偽名を自称)

※当該人物が不審人物ではないことが確認された場合、謝罪と共に訂正の記事を掲載させていただきます。

 

-3-

 

 フミは、リリから聞いた人物についての注意喚起記事を、生徒会監修の下で掲載した。

 思いのほか大事(おおごと)になったことに少々驚きつつ、やはり最前線ともなると情報管理にはシビアになるのだなぁと身を引き締められる思いだった。

 ただ、一点。リリに報告した際、「悪い人じゃなかったよ?」と寂しそうに言うので、それだけは申し訳ない気持ちになるのだった。

「いいえ。百合ヶ丘でそんな迂闊な行動をお取りになる方が問題ですわ。リリさんやフミさんが気にすることではございません!」

 楓はやや不機嫌そうな様子で昼食のご飯をかきこんでいた。

 どうも、自分の与り知らぬ場所でリリにちょっかいをかけられたことが気に入らないらしい。

「何でしたら、リリさんに名前でも書かれたらどうですか?」とシェンリン。

「お黙りなさい! 毒舌!」(楓)「おお。悪口がアップデートされてますね」(フミ)「成長だね」(リリ)「それは成長して良い部分なのか……?」(ミリアム)

「でも、リリに何事もなくて良かった……」とユージア。

 実は、戦場で、日々の生活で、いつの間にか仲間が消えた……ということは往々にしてある。行方不明のリリィはバカにできない数に(のぼ)っており、例えば初代アールヴヘイムの明石愛華も(事件性の有無は別として)行方不明リリィの一人だ。

「残念なことですが、何があるか分からないのがリリィの世界ですわ。今後はツーマンセル・スリーマンセルを徹底すべきかもしれません」

 楓の言葉に、ミリアムは「まぁ、反対はせんが、そこまでは神経質にならんでも良いと思うがの……」と微妙な態度を取った。

 ミリアムはクラスが違う上、夜遅くまで研究することが多く、少なくともこのメンバー内でペアを作るのは難しかった。

「もゆ様をレギオンメンバーに誘ったら如何ですか?」と楓。

「いや、それとなく誘ってみたのじゃが、『あくまで私は研究者! 知の宮殿を彷徨うミノタウロスなんだず!』とか何とか」(ミリアム)「もゆ様も結構変わってますよね……」(フミ)「案外、もゆ様が(くだん)のリリィだったりしませんか?」(楓)「もう! もゆ様に失礼だよ?」(リリ)「……それはそれでその薬師芽(じょう)に失礼なのではないか?」(ミリアム)

 一方シェンリンは、「気にする程のことではないと思いますが」と、気のない様子で熱いお茶を(すす)った。

「基本的に百合ヶ丘のセキュリティレベルは高い筈ですからね。スキルS級レベルが来ない限り、そうそう破れませんよ」

 S級になれば、スキルによってはワープや透視ができるようになる。そんなチートじみたことをされない限り、トップガーデンのセキュリティ網に一切かからないなどあり得ない。

 ……逆に言えば、本件にスキルS級リリィが関わっている可能性が僅かながら残る、ということでもあるのだが。

「……リリさん。やはり私とフミさんの三人で行動するように心がけましょうか。お一人の時は怪しい人に話しかけられても付いていってはいけませんよ?」と楓。

「いや子どもじゃないんですから……」

 まぁ、スリーマンセルは悪いことではないと思いますが……。

「私たちも、なるべく1人にならないよう気を付ける……!」とユージア。

「でもユージアさんとシェンリンさんは一緒にいるから、やっぱりミリアムさんが1人になるんじゃない?」とリリ。

 結局、ペアを考えるならミリアムがネックになるのだった。

「堂々巡りですわね。アナタ、いっそユユ様とペアを組んだら如何です?」

 半ば投げやりな楓の言葉に、

「ダメだよ!!」

 とリリが全力で叫んだ。

「ユユ様をお守りするのはシルトの私の役目です!!」

 ……ああ、これはスイッチが入っちゃいましたね……。

「……まぁ、日常でユユ様が(さら)われるとは考えにくいですから、わざわざペアにしなくて良いと思いますよ?」とフミ。「でも、お姉さまに万一があったら……!」

「マイ様がよく一緒にいるそうですから」とシェンリン。「うぅ……そ、それでも……!」

「会えない時間も恋だよ」とユージア。「…………確かに、ペアで四六時中一緒は良くないよ!」

 一瞬の変わり身だった。

 ユージアの鮮やかな手際に、フミらは舌を巻いた。

「ユ-ジアさん、凄いですね……」(フミ)「やはり経験があるんかの」(ミリアム)「先生とお呼びしましょうか?」(楓)「もう……! やめてよ……!」(ユージア)

 ユージアのファインプレーにより、ユユ様のペア問題はすんなり解決した。

「まぁ、わしも基本的にもゆ様と一緒じゃからな。ああ見えて、もゆ様はかなりの実力者じゃ。わしもペアなしで構わぬぞ」とミリアム。

「私も取材がありますから……」

「別に四六時中一緒に居ろとは申しませんわ。ただ、離れる際は私に一言お願いします」

 そんな訳で、『楓、リリ、フミ』『シェンリン、ユージア』『ユユ、(マイ)』『ミリアム、(もゆ)』が緩くペアを組むような形で話は落ち着いた。

 その後、「私、お手洗いに行ってきますね」とフミが言った時、「私、付いていこうか?」「大丈夫です? お一人で行けますか?」と子ども扱いされたことだけがフミとしてはやや不満だった。

「いえ、それくらい大丈夫ですって……」とフミ。

 ただし、この時、フミは1人でトイレに行ったことを後悔する事態に迫られる。



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第4.9話 vs最凶の1年生その2

 フミは、洗面台でハンカチを(くわ)えた自分を睨み苦い顔をした。先輩で、このようにしているリリィに憧れてやってみたが、フミがやると何か違う。何と言うか……華がない。

 そもそも、ハンカチっていつ咥えるんですかね? 手を洗う直前? でも、手を洗う直前にハンカチに触るのも……。かといって事の最中にずっと咥えているのも何か違いますし……。

 まぁ、華がある人と言うのは、そもそもそんなことに拘らないのだろうと思う。生まれながらのスターリリィたちは持っているものが違うのだなぁと落胆半分、諦め半分……。

 フミは首を振った。

 いいえ、彼女たちのような完璧なリリィでなくとも、自分を強みを生かした立派なリリィになればいいんです!

 憧れのリリィの言葉『極端なリリィになりなさい』。その言葉を胸に、戦術理論を学び、文献を読み漁り、ついに百合ヶ丘の門をくぐった。自分は天才ではない。それでも、一つを磨いて尖らせれば、どこかに刺さるオンリーワンにはなることができる。

 こんなところで落ち込んでいてはいけない。落ち込んでいる暇はない!

 ……というか、いつまでもハンカチを咥えている場合ではない。やっぱり、この姿はどこか間抜けである。

 多少凸凹(でこぼこ)であってもいいが、何とか華のあるリリィになれないものか。そう思いながら尚も鏡と睨めっこしていると、入口の扉が開くのが、視界の端に映った。

 マズイ、私のカッコ悪い姿が白日の下に……!

 フミは呑気だった。あまりに呑気すぎた。

 反射的に入口に向き直り、入ってきたリリィを見て。フミは、ハンカチを口から落とした。

 白い大きな傘。この室内で、顔も見えない程の大きな傘を差したリリィが、そこに立っていた。リリから聞いた不審人物。

 小沢薬師芽(やくしめ)……!?

 フミはチャームを起動しようとして、食堂に置いてきたことに気付く。咄嗟に、タイを武器代わりに構える。

 私はバカですか……! 不用意すぎる。片時も手を離してはいけない自分の手足、相棒。僅かな時間とは言えチャームを手放すなど、リリィ失格だ。

「あらあら。随分な挨拶でございますね」

 その丁寧な口調とは裏腹に、そのリリィから異様なプレッシャーを感じた。しおりのとも違う、ユユの刺すような気迫とも違う。

 フミは鷹の目を使い、傘の下を覗いた。ご丁寧に、大きな帽子でその素顔を隠している。その口元が、笑みの形に歪んだ。

 愉悦。

 敵意ではない。遥か優位からこちらを見下す優越感。何をしてくれるか遊び感覚で伺う好奇心。

 間違いなく実力者である。そのプレッシャーは並の使い手でないと一目でわかる。しかし、その性質は善ではありえない。

 フミが相対してすぐ臨戦態勢を取るほどには、異様。目の前の人間は、まともな人物ではない。

「アクサ・雨読(ウドク)と申しますわ」

 そんなリリィ、聞いたこともない。

 明らかな偽名。大きな傘、帽子、お嬢様口調、そして異様な雰囲気。間違いない、目の前の人物は、(くだん)の不審人物だった。

 フミは大声を出そうか迷い、すぐに諦めた。フミは混雑を避け、食堂から一つ離れたトイレに来ている。一つ離れるだけで、殆ど人とバッティングしない。ここは鏡の自分と睨めっこできる(くらい)には利用者が少ない。この拮抗状態を壊してまで、大声を出すのが得策とは思えなかった。

 チャームを手放したリリィなど、一般人と殆ど変わらない。増援も助けも期待できず、加えて入口を敵に塞がれている現状は、あまりにも劣勢。

「……」

 狙われたのだろうか。チャームを持たず、不用心に人気(ひとけ)の少ない場所へやってきた自分を。

 だとしても、何とかするしかない。使えるのは、制服に備わった武装機能だけ。それを活かして、何とかこの場を(しの)ぐしかない。

「目的は、一体何ですか?」

 フミは、微妙に構えを変えつつ【謎のリリィ】に問いかけた。

「目的? なんのことでございましょうか」

 【アクサ・雨読(ウドク)】はふふっと笑った。

(わたくし)はただお話に来ただけですわっ。ここはお話にピッタリな場所ではございませんか。ねぇ、二川二水様?」

 ちらりと傘を上げ様子を伺う、その目元に向けて勢いよく何かが飛び込んでくる。

 ……リリィの使う日用品は、マギと相性の良い銀が編み込まれている。リボンも、制服も、そしてハンカチも。

 フミは、足元のハンカチを蹴り飛ばしていた。

 このリリィは絶対に自分の名を呼ぶと思っていた。リリのことを知っていた、名前も顔も、ユユ様とシュッツエンゲルを結んだことも。情報ソースとしてリリィ新聞を使用していた可能性は高い。当然、編集者たる二川二水の存在も知っている筈だ。

 そして絶対に、この人は名前を呼んだ瞬間、傘を上げると――不意に名前を呼ばれた自分の反応を見逃しはしないと――フミは確信していた。

 咄嗟に傘で防御する【ウドク】、その隙に制服から装備を外し天井と床に投げつける。閃光弾。辺りが眩い光に覆われる。

 フミは靴を脱ぎ、駆け出した。

 鷹の目。閃光で敵が視界を失っている数秒が勝負だった。この場所から抜け出すのは不可能に近い。入口は襲撃者に塞がれている、窓は遠すぎる上、チャームなしではとても壊せない強化ガラス。ゆっくり鍵を開けている暇などなく、そもそもこの数秒では窓にたどり着くことすら困難。

 フミが向かったのは、トイレの個室だ。死角となっていて、一見どこの個室にいるか分からない。物音を出さぬよう、しかし急いで飛び込む。両手を口に当て息を殺す。

 鷹の目で状況を確認する。傘は飛ばされ、部屋の角に落ちている。しかし素顔は帽子に隠され、依然(いぜん)判然としない。

 【ウドク】は、フミの靴を確認し、そして天井に目を()った。

 溜まっていた埃が、脱いだ靴の上に降り注ぐ。最初に天井に投げた閃光弾だ。それが天井の点検口をこじ開けた。

 もしかしたら、そこに逃げたと錯覚してくれるかもしれない。もしかしたら、それで追跡を諦めてくれるかもしれない。

 それは楽観的な思考だったが、玉砕覚悟で不意打ちするより、遥かにマシな戦略だった。仮に個室に逃げ込んだと考えたとして、どこに逃げたまでは分からない。不意打ちのチャンスは、まだ残されている。

 フミは高鳴る心臓を抑えつつ、唇を噛んだ。

 できれば、もっと奥の個室に入りたかった。相手の出方を伺うため、もう一つか二つ奥の個室に入りたかった。しかし、フミはそこに隠れるのが精一杯だった。

 祈るように息を殺す。

 どうか、諦めてください……。

 もしもこっちに来られたら、ほぼ丸腰の自分が勝てる可能性など万に一つもない。それでも、何とかやるしかない。飛びかかる覚悟はある。しかし、そんな絶望的な戦いなどしたくなかった。

 そんなフミが可笑しくてたまらないといった顔で【ウドク】は笑った。

「貴方、純粋なお方でございますね」

 くるりと、二番目の個室を――フミのいる個室を――『見て』話しかけられ、フミはバクバクと心臓を加速させた。

 どうして!? 

 個室は7つある。当てずっぽうにしても、あまりに的確過ぎる。

「俯瞰視野」

 フミは、冷や汗をかいた。

「自分だけだとお考えでございました?」

 楽観的すぎた。あまりに想定が甘かった。相手も俯瞰視野を持っている可能性など、全く考慮していなかった。

 圧倒的優位に立って、【ウドク】はころころと笑った。

「足音を隠すためでございましょうか。お便所で躊躇(ちゅうちょ)なく履物をお脱ぎになる、それは素晴らしい選択ですわっ」

 しかし。

「しかし、それでこの点検口を開く意味は分かりませんわ。だって、点検口に逃げ込むのでしたら、どうしてここにお靴があるのでしょう? 天井に跳んだのでしたら靴をお脱ぎになりませんよねぇ? 脱いだとして、このように綺麗に揃えて参りませんね? 育ちの良さが出てしまわれましたね! いえ、所帯じみていると言うべきでしょうか? 平凡、一通り、凡庸。手の平から逃げられないお猿さん、発想が貧弱、器が小さい……。視野の狭い『鷹』なんて莫迦莫迦しくございません?」

 フミは、その(あざけ)るような言葉に反論できなかった。その通りだ、脱出を偽装するなら靴は持っていくべきだった。持って行かないのなら、天井に閃光弾を投げず、その時間で奥の個室に入るべきだった。

 ……いや、こんな揺さぶり聞いてはいけない。

 どちらにしても、俯瞰視野で全てバレていたのだ。帽子越しの口は、愉悦に歪んでいる。明らかに、フミの反応を楽しんでいる顔だ。

 考えるべきはこれからのこと。俯瞰視野を得られるスキルは、鷹の目、レジスタ、あるいはそれらのサブスキル。

 ……最悪のパターンは、鷹の目でS級・ターゲッティング(弱点看破)を持っている場合。それはデュエル世代の花形スキル。彼女がその手の猛者であれば、万に一つどころか、逃げ切れる見込みはゼロだ。

 それでもやるとしたら……不用意にやってきたその瞬間だけ。

 もちろん、それは向こうも承知している。手の内がバレた不意打ちなど自殺行為だ。それでも、手元に残されたカードはそれしかない。その時が来たら、覚悟を決めるしかない……。

 しかしそれすらも甘い見通しであると次の瞬間に思い知らされた。

 フミの耳に、チャームの変形音が届いた。―――銃撃モード――

(そんな、チャームを持っていない相手に銃撃……?!)

 それはあまりに無慈悲だった。確かにその方が確実には違いない。しかし圧倒的優位に立っている人間が、足掻こうとしている人間に取る策としては、あまりに有効で、あまりに容赦がなかった。

 弾丸の速度は音速を遥かに超える。チャームを持っていない今のフミでは、当たれば即死は免れない。

 フミは、弾かれたように立ち上がる。そして、制服の(すそ)を破いた。

「待ってください!!!」

 フミは声を張り上げる。

「この二川二水!! 逃げも隠れもしません!!」

 気合を入れ、覚悟を決めたように、姿を現した。

 緊張で、息が震える。手足が震える、それを必死で抑えながら、相手を見据える。

「確かに私は……凡才です。楓さんのような華麗な戦術も、シェンリンさんのような大局的な見方も真似できません。……それでも……それでも! 立派なリリィになるって決めたんです!! こんなところで負けていられません!!」

 右手にマギを通したタイを持ち、左手にぐるぐると制服の切れ端を巻いて。腰を深く落とし、刺突の構えを取る。

「手合わせ願います。射撃ではなく、斬撃モードでお相手いただけますか?」

 しかし、相変わらず、彼女は銃口を向け続けた。

「言い残すことはそれだけでございますか?」

 彼我の距離は5m、しかも狭い通路。外す方がおかしいシチュエーション。あえて射撃モードを解くメリットは全くなかった。

 フミは、個室の壁を殴りつけた。

「構えろっつってんですよ!!! チャームもない小娘に何怖気付いてんですか!!? 構えろ!! 私に力を見せろ!!」

 フミは、一直線に突っ込んだ。【ウドク】は、チャームを斬撃モードに切り替えた。

 フミはその瞳に炎を灯した。

 繋がった。繋がった! 銃撃されていたら、確実に死んでいた。しかし、戦ってくれるなら……可能性はゼロじゃない……!!

 【ウドク】はそれを見て、口角が上がりっぱなしだった。『イト』が見えていた。制服のスカートから伸びた糸が、個室の扉に引っかかっていたのがありありと見えていた。薄く、それと注意していなければ分からないが、それに気付かぬほど間抜けではない。

 先程、壁を殴っていた。あれはフェイクだ。恐らく、糸の先には閃光弾が繋がっている。そこにマギを流す為に、激昂している振りをした。

 その証拠に、壁を殴ったワンテンポ後に突っ込んできた。そしてその顔。その笑いは、空手で突っ込む人間のそれではない。

 0.1……0.2……そろそろだ。突然、閃光弾が光る筈だ。それを見て驚き動きが止まる、その隙に一撃を入れ入口から離脱する。それがフミの筋書きに違いなかった。

 浅はか。底が知れる。手の内がバレた不意打ちなど自殺行為。心中なさい。その矮小さと愚かさが紡いだモノに絶望しながら♪

 0.3……0.4……0.5……。

 ………………。

 おかしい。

 何故だ。爆発しない……? 閃光弾ではないのか?

 ミス……? フェイク? あり得ない。足取りに乱れがない。他に手立てもない。あり得ない。無策などあり得ない。何を間違った。何を計算に入れ違えた? 目の前の小娘は何をしようとしている?

 【ウドク】は、初めてその表情から余裕を消した。その目前にフミがいる。圧倒的優位に立っていた筈が、この1秒未満の間に……この1秒未満の間だけは、勝負の(あや)がその未来を決定する所にまで持ち込まれていた。

 フミの突きを紙一重で(かわ)す、帽子がタイに貫かれる、体勢を崩したところにフミの拳が伸びる……しかしそれより早く、チャームは、フミの鳩尾に吸い込まれていた。

 腹を突き破るような衝撃と共に、フミは吹っ飛ばされる。胃液と紅茶が逆流する、苦しい、気管に入る、苦しい、むせる、痛い、お腹が痛い。異物感のような痛み、身体が捩じ切られる、痛い、全身が歪む、痛い、嫌だ、苦しい……! 痛い、お腹に鉄心でも刺されたように痛い。生きていることを後悔するくらい痛い。痛い、痛い、苦しい、気持ち悪い、苦しい、痛い、呼吸ができない、苦しい、苦しい、痛い、苦しい……。

 フミは(おぼろ)げな意識の中、彼女がゆっくり歩いてくること、そして自分が出血していないことに気付いた。

 その瞬間は鷹の目で捉えていた。(やいば)ではない、()の部分で殴られた。

 手加減された。フミは、奥歯を噛みしめた。

 彼女はフミに近付きながら、二番目の個室を覗いた。そこに制服の切れ端はあった。しかし、糸は繋がっておらず、無造作にサニタリーボックスに捨てられている。代わりに、糸は扉の角に引っかかり、そこで揺れている。

 意図的なものでなかった。無策、無謀だった。

 しかしそれこそが、計算づくだった彼女の立ち回りを狂わせた。

 フミの足元で歩みを止め、その様を見下す。便所の床でうずくまり、口から液体をこぼし、鼻血を流し、(うめ)き、(あえ)ぐ、憐れな姿。その喉元にチャームを突きつけ、(あご)側へ突き上げる。マギは通していない。マギを通した瞬間、刃は肌に吸い込まれ致命傷を与えるだろう。いや、このまま放置されるだけでも嘔吐物が詰まって窒息死する。それ程まで、フミの命は風前の灯と言えた。

「何か言い残すことは?」

 先程までと打って変わり、無感動な声が響いた。これ以上、遊ぶつもりがないことは明らかだった。

「……どうして、手加減したんですか……?」

 予想外の言葉に、【クドウ】は顔色を変えた。

 命乞いなどしまい、とは思っていた。チャームを持っていれば……といった後悔。どうして私が……という嘆き。やれることはやった……という諦め。何者で目的は何か……といった無駄な質問。何故私を殺すのか……という単純な疑問。フミの答えは、予想していたそのいずれでもなかった。

「……あなたの太刀筋が見たかったです……」

 闘争心とも好奇心とも違う、手加減された惨めさでも、悔しさでもない。

 そこにあるのは、決定的場面をその目に収めたい、実際に体験してみたいという当事者欲求。生粋のリリィオタク。

 自分の命が掛かっている場面でそれを優先させてしまう感性。

 頬が自然と吊り上がる。面白い。とても面白い。もっと欲しい。

 

 もっと楽しませて欲しい。

 

 轟音。入口が開き、二本の光が残像を描いて【クドウ】に襲い掛かる。チャームを瞬時に引き戻し、襲い掛かる二本のチャームを軽やかに(さば)ききる。

 乱入者は、壁、床、天井を飛び斬撃を繰り返す。尋常ではない密度の攻撃、常人であれば指一本動かせないであろう猛攻の中、【クドウ】は舞うように軽やかにステップを踏んだ。

 フミはそれに反応する間もなく、首が締まるのを感じた。乱入してきたリリィに、首根っこを掴まれ引っ張られた。それに気付いた頃には、窓際に、乱入者の背に庇われるようにして移動していた。

 混乱する頭で、――恐らく味方の――乱入者を見る。凄まじい攻撃のキレ、類まれな運動量、そして二振りのチャームを構えたその姿は……「しおり、さん……?」最強の1年生、六角しおりだった。

「………………」

 しおりは、何も言わず肩に掛けた荷物を床に下ろした。チャーム。フミが食堂に置いてきたチャームだ。慌てて起動する、もう2度と手を放すまい。しおりに感謝を述べようとして、しかし、フミは床に崩れ落ちた。

「おぇえええ゛、あ゛っ、おごっ、ぅええ゛え゛」

 フミは嘔吐した。

 しおりだ。しおりの殺気に、フミは決壊した。

 戦場でも滅多に見られない本気のしおり。凄まじいプレッシャーだとは思っていた。しかしチャームを介して感じ取ったそれは、殺気どころでない。

 死の宣告。死の訪れを予言する死神の鎌。それを、フミの疲弊した身体は受けきることができなかった。

 ダメだ……構えなくちゃ……足手まといはいけません……自分の身は自分で守るんです……!

 心意気に反し、フミの身体は限界だった。

 しかし、しおりはフミを気遣うでもなく、ひたすらに目の前の相手を睨みつけた。

 そして一言。

「……戯れが過ぎますよ、さくちゃん」

 フミはその言葉の意味も、込められた感情も分からず、ひたすら胃の内容物を吐き出し続けた。

 そして言葉と殺気を向けられた当の【さくちゃん】は、

「あらあら。私、しおりん様を怒らせてしまいましたか?」

 それは素敵なことでございますね、と、水夕会主将、【工藤朔愛(クドウ・サクア)】はニッコリと笑った。



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第4.9話 vs最凶の1年生その3

 フミは、次の講義を欠席した。

 制服が破れ、腹部に痣を作り、嘔吐し、鼻血まで出している。現場の片づけ、応急手当、シャワー、着替えと、一通りの処置を考えると、講義などとても出ていられなかった。

「はい……はい、申し訳……ございません。教導官の(かた)にも……体調不良と……。ご心配、おかけして……いえ、しおりさんも……居ますから……はい、ありがとう、ございます……では……」

 フミは、電話を切った。図らずとも、かすれた声は話の信ぴょう性を高めていた。

 しかし、フミは今、どんな顔をするべきか分からなかった。

 しおりは、テキパキとフミの嘔吐物を処理してくれた。裏返したゴミ袋で大きな物を取り去ると、細かいものはホースの水で流し、洗剤とブラシで仕上げとした。

 自分の不始末を他人に任せるのは恥ずかしく、申し訳なかった。フミも自分でやると申し出たが、実際のところ、グズグズと痛むお腹を押さえて掃除するのはほぼ不可能だった。しおりに外で休んでいるよう言い渡されてしまい、フミもその提案をありがたく受け入れるしかないのだった。

 フミはため息を吐こうとして、顔をしかめた。ため息すら満足に吐けなかった。

 ……しかし、私も気付くべきでした……。工藤さくあさん。しおりと並ぶスターリリィ、そして何よりフミらのクラスメイトである。

 4月から何度も遠征に行っていた関係で、あまり深く関わりが持てなかったのは事実だ。加えて、さくあは妙に情報が回ってこない。皆、何故か口が重く、それこそ甲州撤退戦のように誰も語りたがらない。

 シェンリンからは「あの人に関わると碌なことになりませんよ」と釘を刺されていた。その意味を、誰しも語りたがらないその理由の一端を、今日その身をもって実感した。

 ……それでも、その声に、帽子が外れた後のその素顔に、全く気付けなかったのは不注意と言うしかない。傘と帽子に『顔も知らない不審者』だと思い込まされていた。声を掛けられた段階で気付いていれば、無用な怪我など負わなかった。

 恐らく、楓やユージアといった一流リリィなら気付いた。いや、そもそもチャームなど手放さない。もしかしたら人気のない場所に1人で行くこともないかもしれない。

 ……全部、反省することばかりです……。

 講義が始まりいよいよ静まり返った廊下で、フミは顔を俯かせた。

 さくあは水夕会控室へ応急キットと予備の制服を取りに向かっていた。保健室は利用できなかった。リリィ同士でここまでやり合ったとなれば、さくあだけでなく、フミやしおりにまで何かしらのペナルティが課されるだろう。それを防ごうと思えば、このことは内密に済ますしかなかった。

 しおりは烈火の如く怒ったが、フミもそれに賛同した。この中で最も重い処分が下るのは、間違いなくさくあだ。チャームを持たないリリィへの暴力など、本来は停学レベルの大事(おおごと)である。しかし、さくあが処分されるということは、水夕会の活動も制限されるということであり、ひいてはしおりの活動が制限されるということになる。それどころか、レギオンの主将(さくあ)と副将(しおり)が揃ったこの事件が明るみになれば、最悪の場合、水夕会の解散まであり得る。

 フミとしては、喉元過ぎれば……ではないが、五体満足で大した怪我もなく終わったのだから、このことは大事にしたくなかった。

 さくあに悪意を感じなかったのもそう決めた理由の一つだ。良くも悪くも(というか『悪くも』)純粋な人間なのは分かった。善良な人間ではないが、悪い人ではない。

 その証拠に、お腹の怪我は痣程度で済んでいる。さくあの手加減だ。本気で殴られていたら、チャームの柄とは言え内臓破裂・背骨骨折など当たり前であるから、かなり繊細な調整を感じられる。痛いが重傷にならない。絶妙な打撃をあの速度で加えられるのは、見事の一言だ。

 あれは無秩序な暴力ではなかった。むしろ指導のようなものではないか。途中、ダメ出しをされたが、あれも精神攻撃でなくアドバイスと思うなら非常に合点がいく。

 デュエル年代の指導は、怪我やチャームの破損を伴う激しいものも間々あったと聞く。それを考えるなら、ちょっと青痣を作るくらい何でもない。むしろ、『本気のしおりとそれをいなすさくあ』という一生モノの光景を間近で見られたのだから、お釣りが返ってくるくらいだ。

 そういう訳で、フミはさくあに対してあまり物申す気分はなく、むしろ感謝すらしていた。

 一方、しおりの怒り様は尋常ではなかった。

「わたし言いましたよね? 手を出すなって?」

 フミの自室に集まった3人だったが、しおりは未だに殺気を放ち剣呑な雰囲気を崩さない。しかし、さくあは呑気だった。

「それはリリ様のことでございましょう? それに(わたくし)、恥ずかしながら、フミ様のことはあまり詳しくございませんから」

 嘘だ。顔と名前が一致し、レアスキルを把握している程度にはよくご存じだった。

「見え透いた嘘はお止めなさい。貴女ほどの人間が把握していない筈がありませんでしょう?」

「嘘ではございませんわ。しかし、そのお怒り(よう)を見るに……しおり様のお気に入りはリリ様とフミ様のお二人だったのですね! お教えくださらないなんて、水臭いですわっ」

「お黙りなさい!!」

 しおりは声を荒げた。

「仲間を傷付けておいてその態度は何ですか? 貴女には失望しました。貴女は一線は超えても、本当に超えてはならないラインだけは守る人間だと思っていました」

「それは楽観的に過ぎまわしたわね」

「その(けが)れた口を閉じなさい! このことを公にされたいのですか?」

「あ、あの! 私は全く、怒っていませんから……!」

 あまりにヒートアップするので、フミは仲介に入った。

 ……しかし、この怒気を受けてなおこの態度を崩さないさくあは並の人間ではない。ただ、その凄さはどうも負のベクトルを向いているのが問題らしい。

「さくあさん。もしリリさんに手を出したら命はないと思いなさい」

 ……恐らくだが、既に手を出しているのではないか? フミはそう思ったが、

「まぁ。それでしたらフミ様に」「今度フミに手を出したら一族郎党根絶やしにします」

 のっぴきならない会話に、言及するタイミングを失った。

「大丈夫です……! ほら……骨に異常はなさそうですし……内臓も、へっちゃらですし」

「当たり前です! もし骨折されていたらこの女の骨という骨をへし折っていましたよ」

 しおりは本当にやりかねない。

「まぁ。それは惜しいことをしましたわっ」

 しおりは一際キツイ目でさくあを睨んだ。

 ……この人も本気でやりかねない。

「まぁまぁ。このことは、不用心だった私も悪かったので……」

 フミのフォローに、しおりは「本当です!」と怒りの矛先を変えた。

「貴女も何をチャームも持たず、のこのこ人気(ひとけ)の少ない場所に行ってるんですか!! 不審者が出るとご自身が警告されたではありませんか!!」

 それはおっしゃる通りで何も言えなかった。

「いえ、その……すみません」

 まさか、ハンカチを口に(くわ)える練習の為とは言えなかった。

「まあまあ、しおり様。大事(だいじ)には至らなかったのですから」

「大事に至っていたらあの場で殺していましたよ」

 ぞっとする言葉に、さくあはころころと笑った。

「しかし、しおり様が気に掛けられる理由が良く分かりました。フミ様? 貴女、狂人ですわね?」

「はい……?」

 唐突にあんまりな評価を受け、フミは呆けた声をあげた。何なら、さくあの方が(失礼、)ずっと狂人じみている。

「死地に嬉々として飛び込むのは、勇者か狂人でございますからねぇ」

「それでしたら……勇者でお願いしますよ……」

 しかし、しおりもまた微妙な表情でフミを見ていた。

 ……ああ、しおりさんも私のこと、そんな風に見ていたんですね……。

「どうでしょう? フミ様、水夕会に来てみませんか?」

 狂人扱いの上、勧誘までされるとは光栄である。

「さくあさん。ちょっかいを出すなと言ったところでしょう」

「いえいえ、これは本気の勧誘ですわ。フミ様は、とても良いB型兵装使いになれますから」

 しおりは一瞬、さくあの言っている意味が分からなかった。――B型兵装。リリィ殺しの悪魔の兵器――その内容を理解した瞬間、しおりはチャームを手に立ち上がった。

「しおりさん……!」

「堪忍袋の緒が切れました。この人はここで抹殺しておくべき人間です」

 しおりは完全に目が据わっていた。

「あの、落ち着きましょう」

「言っても良いことと悪いことがあるでしょう? 善悪判断、その分別(ふんべつ)の付かぬリリィなどヒュージ同然。ここで討ち取ってやります」

「ダメですって……」

「止めないでください、フミさんのしていることは利敵行為ですよ?」

 むしろフミにチャームを向けつつ、しおりは言い放った。

 何ででしょう、仲裁に入った私まで切り伏せられそうな勢いなんですけど……。

「いえあの、ここ、私の自室ですから……」

 その言葉に、しおりはピタリと止まった。そして渋々、本当に渋々といった様子で、腰を落ち着けた。

 B型兵装。それは一種のタブーだった。強力な攻撃力を得られる追加装備。――ラージ級を単独討伐くらい――――無理ですって!――

 できる。本当はできるのだ。

 その代償として、高い死亡率を甘受するのなら。

 それはデュエル年代の負の遺産だった。あまりに多くの血が流れすぎた。現在、百合ヶ丘でB型兵装は禁忌指定がされている。

 ノインヴェルト戦術が一世を風靡(ふうび)する現在、その重要性は相対的に下がっている。それでもなお、AZ(前衛)のリリィを中心に、最後の切り札として忍ばせるリリィが後を絶たない。その攻撃力はそれ程に魅力的なのだった。

「二度とその名前を出さないでください」

 しおりのその声は、怒気が含まれていない代わり、絶対零度の冷たさでフミの肝を冷やした。

 そしてさくあは変わらず笑っていた。

 ……ただし、こればかりはフミも、反応に困るのだった。正直言って、フミはB型兵装のことがピンと来ていなかった。

 ヒバリが言外に言っているのが『それ』だと気付いたし、デメリットが大きい代わりに強力な装備ということも当然、知っていた。しかし現在はそれを使いこなさずともノインヴェルトがある。フミは特段それに魅力を感じなかった。

 他人の使用についても、常用するのはどうかと思うが、最後の切り札として忍ばせておくことまで否定しようと思わない。

 しおりの過剰とも取れる反応に面を食らってしまう、というがフミの本音だった。

 恐らく、ここまで反応をしているのは、過去の記憶ゆえだろうとフミは思った。

 デュエル年代は、現在の3年生までのリリィだ。この世代までは、リリィの死傷者が比べ物にならないくらい多かった。B型兵装はその悪の象徴だ。

 きっと、フミには分からないような別離を経験してきたのだろうと思う。そして、その別離の経験がないフミに、しおりの拒否反応が理解できないのは、残念ながら当然とも言えた。

「フミさんも、B型兵装に手を出したら貴女をヒュージと見做し討伐しますから、そのおつもりで」

 使いませんよ、そんなもの……。

 しかしそう易々と口にできない、口に出すべきでない。フミは何度も頷くので精一杯だった。……逆に、それについて易々と言及したさくあのことを尊敬……はしないが、称賛……もできないが、何と言うか、やはり普通でないと思うのだった。

「フミさん。念を押しておきますが、さくあさんのようにタブーを踏み抜く人間にはならないでくださいね」

「甲州撤退戦について尋ねたりでございますか?」

 しおりは、苦い顔をした。フミは、入学早々、先輩方に甲州撤退戦についてずばずば質問をしていた。しおりは、それも正直、タブーに踏み込んだ所業だと思っていた。

「さくあさん、その件については止めておきましょう」

「そうですね。川添美鈴様が亡くなられた戦いですから」

 しおりは、不意に怒りを爆発させた。

「あの女について話すのはお止めください!」

 あの女って……。

 しおりも、言ってから失言に気付き、咳払いした。そしてニッコリ笑う。

「あの『御方(おかた)』と私は申し上げましたよ。興奮の余り、口先が回っていなかったとしたら大変失礼いたしました」

 すごい言い訳を聞いた。

 ……何でしょう、しおりさんは美鈴様と面識があるのでしょうか? と考えて、聞くまでもなく、しおりのシュッツエンゲルは聖様(元・初代アールヴヘイム)であることに思い至った。聖様経由で美鈴様(初代アールヴヘイム)に面識があってもおかしくはない。

 しかし、しおりにとって美鈴様は印象がよろしくないようだ。まぁ、後輩のユユ様、聖様たちを置いて逝ってしまった形であるから、ある意味、褒められた最期ではなかったのかもしれない。少なくとも聖様は大変悲しまれたと想像できるし、その姿を見ているしおりにとって、その原因たる美鈴様の印象はあまり良くないのかもしれなかった。

「……すみません、ちょっと頭を冷やしてまいります」

 しおりは、少し疲れた様子で休憩を宣言した。

「あら、それでは私はフミ様と」「貴女も頭を冷やすんです!」

 さくあはずるずると引きずられ、「あーれー私の貞操の危機ですわー」とかなんとかぬかしていた。そりゃまぁ、こんな人間と一緒にいて疲れない訳がない。

 しかし、よくもまぁ、タブーというか地雷をいくつも踏み抜けるものだった。そんなさくあのことを尊敬、はしないが……。

 …………? 

 ……待ってください、本当に尊敬できないのでしょうか?

 フミは、何か重要なことに触れているような気がした。

 新聞記者にとって、聞きにくいことを聞くことは仕事である。フミは職業記者ではないが、執筆にあたって責任と誇りを持っているつもりだ。

 そうであればこそ、タブーだからと腫物を触れるような扱いでいいのだろうか。

 B型兵装もそうだ。この兵器に強く反対するリリィがいる一方、正式な解禁を求めるリリィも多い。B型兵装が奪った命がある一方、それに救われた命もある。そういった議論を飛ばして『タブーだから』で全てに蓋をすることは、果たして正しいことなのだろうか。有効に活用すれば、きっとリリィの死亡率を更に下げることもできる。

 甲州撤退戦の話もそうだ。4月冒頭、何人かの先輩に聞いて、そこで取材を諦めてしまった。そして結果的に、美鈴様のことについて知る機会を(いっ)してしまった。

 そうだ、美鈴様はどんな人間だったのか、これを尋ねるのも『タブー』だ。死んだ人間について語ることは『タブー』だからだ。

 ……このことについては、フミには苦い経験がある。墓に入った先人たちの活躍を、少しでも知れないものかと、ある先輩の名前を先生に尋ねたことがある。先生は資料を探しに退出し、戻ってきた時は、目元が赤くなっていた。

 相手を傷付けた。その経験は、痛恨の記憶としてフミの脳裏に刻まれている。

 ……しかし、さくあはそれをものともしなかった。その結果、しおりから美鈴様の情報を引き出すことに成功した。

 もちろん、人を傷付けるやり方は褒められたものでない。しかし、フミはそれを過剰に恐れていたのではないか? B型兵装に顔色を変えたしおりのように、フミもまたタブーに過剰反応していたのではないか?

 ……自分は、相手を傷付けることではなく、むしろ自分が傷付くことを恐れていたのではないか?

 きっと、これからのリリィにはフラットな議論が求められる。きっと、B型兵装についても語るべきことはあり、美鈴様や甲州撤退戦についても、全てが全て忌まわしい記憶ではない。そしてそれに踏み込むのはきっと、――いえ、絶対に!――新聞記者たる自分の役割だ。

――念を押しておきますが、さくあさんのようにタブーを踏み抜く人間にはならないでくださいね――

 2人が戻ってくる頃には、しおりの忠告は、完全にフミの頭から抜けてしまっていた。

 

-2-

 

 しおりは、さくあにほとほと呆れていた。

 しおりとさくあは幼稚舎からの付き合いだ。ただ、当時はそれなりの関係で、仲良くなったのは『事件』があって百合ヶ丘に帰ってきてからだ。

 当時、しおりは荒れており、誰もしおりのことに触れることができなかった。しおりの存在自体が『タブー』だったのだ。

 そんなしおりに物怖じせず話しかけられたのは、タブーに拘らない、むしろ嬉々として踏み込んでいく人間、同級生ではさくあ(くらい)なものだった。しかしそこには、確かに優しさがあるのだと、しおりは思っていた。

――ええ!? 俯瞰視野を使われていなかったんですか!?――

「はい! どうせ手前側の個室に入っただろうと、適当に身体を向けただけでございますわ」

「へぇ……確かに完全に騙されました……そうだとするとこの世の理(回避)とか縮地(高速移動)辺りのバリバリ戦闘系とか、ユーバーザイン(隠密)などのスパイ系スキルを警戒するべきでしたね……いえ、結果的に『レジスタ』でしたから、嘘だと判断しても安易にレアスキルの判断に組み込むのは……あー、難しいですね……」

「ふふっ。フミ様、口八丁に騙されてはいけませんわ」

 これは先程、フミの部屋で()わされた会話である。フミは目を輝かせて、さくあと感想戦をしていた。

「もしチャームを持っていたら、最初の不意打ちで窓に走るのが最適解ですかね?」

「あの不意打ちはドキドキしてしまいましたわっ。ただ、チャームを構えてございましたら、あの距離でお喋りなどいたしませんわ」

「あー、まぁ、下手すればチャームが触れ合う距離ですからね……いえ、そもそも、チャームを持っていれば適当に発砲すれば異変に気付き……いえ、あの距離でそんな悠長無理ですし……あっ、ということは最後別に大声出さなくても……いやあれはしおりさんが気付いたので正解でしたか……。さくあさん的にはどうです? 私の動きで不可解なものはありましたか?」

 どうです? じゃありませんよ……。

 しおりは、非常に不安だった。チャームを持たない自分を殴り飛ばした相手のことを、どうして尊敬のまなざしで見られるのだろうか。

 そもそも、さくあは本当に俯瞰視野を使わなかったのだろうか。

――……いえ。まぁ、この人は変なところで公平ですからね――

 チャームを持たないフミに対して、ある種のハンデを課していた可能性は十分考えられる。現場にあった壊れた傘も、破れた帽子も、手加減していたことを示唆していた。

 しかし、あくまでそれはしおり視点の判断であり、フミはそこまで深く考えていたように見えない。無防備に、さくあの言葉を妄信しているように思えた。

 心配なのは、疑いを知らないその目だ。あれほど騙された直後に、どうしてさくあの言葉を信じることができるのか。どうして純粋なまなざしで見られるのだろうか。

 フミは自覚していなかったが、リリ同様、フミもまた純粋な人間だった。

 純粋というより……。言いたくないが、『狂人』という表現はあながち外れていなかった。恐怖を知らない、危機感が欠如している。

――いや~さくあさんってすごいんですね! 目線が違います! 俯瞰視野じゃないですけど、常に高みから見下ろすようなお考えは圧巻です! それに心理戦が抜群にお上手です~! 情報も戦いなんです、今日の一件でよく分かりました!――

 さくあに懐くその様は、どこか偽の新興宗教に嵌った人間を想起させる。しかし、笛の音に付いていったネズミは漏れなく川に落とされるのだ。この人間に付いていって碌なことにならないと知るべきだ。

「フミさんは自分の立場が分かっていないのですよ……。B型兵装の件もそうです」

 しおりは今日何度目か分からないため息を吐いた。

「フミ様はしおり様が激昂された理由を理解されておりませんからねぇ」

 そして小さく呟く。『破滅的』。

「素晴らしい響きでございます」

 さくあは、フミの危機感に疎い精神性にご満悦だった。

 フミは、見え見えの逃走の偽装、ハッタリに反応してしまう素直さなど、経験不足が否めない。恐らくフミが自覚しているこの弱点、しかしその点について、さくあは『可愛らしい』程度にしか思っていなかった。

 一方、最初の不意打ちで見せた『読み』は素晴らしかった。素晴らしく愚かである。根拠のない読みに確信を持つなど、自ら死にに行くのと何ら変わりない。

 そして無策で突っ込み、自分の生死より当事者欲求を優先してしまうその精神性。最期の言葉を聞いて確信した。

 『破滅的』。

「自分の決断に身を預ける度量は中々のものでございます。そして、無策で私に勝つつもりだった愚かしさ。間違いなく早死にしますわっ」

 さくあは嬉々として笑い、さくあは憮然とした。

 図らずも、しおりとさくあは同じ結論に至っていた。このままでは遠からず死ぬ。最前線で戦うにはあまりにも無鉄砲すぎる。

「フミさんは私が指導いたします。さくあさんは手を出さないでください」

 しおりはもう一度釘を刺した。

「あら。私、手を出したつもりはございませんわ」

「嘘はお止めください。あんな恰好をしていたということは、(はな)からフミさんを試すおつもりだったのでしょう?」

 さくあはただ小さく笑った。

「フミさんを煽るような真似はお止めください」

「でも、見たくありませんか?」

――フミ様が破滅するところ――

 しおりは眩暈がした。

 この人は時に信じられないほどに品格を失う。しかしそこには、確かに優しさがあるのだと、しおりは思っていた。今まではそう思っていた。

 そして今もその気持ちは変わらない。

「……そんな見え透いた言葉ではもう反応いたしません」

「あら?」

「そうならないよう、ご指導をされたんでしょう? 本当は心配だから関わった。フミさんに警告するためにあえて暴力的な手段を取った。私は信じてますよ。さくちゃんは、本当は他人思いの優しい女の子だって」

 しおりの言葉に、さくあはにっこりと笑った。

「仰る通りですわ! しおり様がフミ様のお腹にご指導されたのと同じ優しさですわっ」

 しおりはため息を吐いた。

 ……やはり、この女(さくちゃん)は信用できない人間なのだった。




 さくあさんの性格・話し口調は全て想像です。今のところ殆ど情報が出てきていないので、『皆が語りたがらない』⇒『タブーに踏み込むアンタッチャブルな存在』といった連想から着想を得ました。
 最凶呼ばわりしているのはちょっと申し訳ないですが。
 また、不愉快に思われるさくあさんファンが居たら申し訳ないです。(個人的には好きなのですけど……)


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第4-10話 vsインタビュー・フミ

 リリィ界に様々なタブーがあることは知っていた。B型兵装、甲州撤退戦、亡くなったリリィ……思い出したくない過去。

 その境界に遊び半分で踏み入るべきでない。しかし、誰かが踏み入らないと変わらない。

 そして目下、フミが気にしているのは……。

「オマエ、私を便利屋かなんかと勘違いしてねぇですか?」

 前回と同じ、カフェの奥。あまり人が通らない、密談・取材にはぴったりの場所。強化リリィのルイセ・インゲルスは、フミの呼び出しに不満をぶつけた。

 こう見えてルイセはSSSレギオンの主力メンバーであり、5月は外征に出かけていた。帰ってしばらくは休養期間があるものの、次の遠征は既に決まっており、用もなくカフェでお茶するほど暇ではないのだ。

 ……まぁ、それでも話に付き合っているということは、一応フミをそれなりの友人と認めているのだった。

「それで一体何の用でしょう? 遠征の取材ですか? 何にしても手短にお願いしますよ」

 気怠(けだる)げに片肘をついて、完全にオフモードのルイセ。

「実は強化リリィの過去について記事に」

 強い振動と音が響き、フミは言葉を止めた。ルイセは、机を殴りつけていた。

「テメェ、ふざけたことぬかしてんじゃねぇですよ……?」

 漏れ出たマギがフミまで届く。剥き出しの敵意がルイセの瞳に浮かぶ。

 強化リリィの過去。実験、投薬、副作用、痛み、苦しみ、トラウマ。それは現在進行形のタブーだ。強化リリィの『過去』について尋ねるなど、まして記事にするなど、許しがたい暴挙だった。

 しかし、フミはひるまず口を開く。

「ふざけていません。本気です」

「私らがどれだけ苦しんだか知ってんですか!?」

「知りません」

 あまりにさらりと答えたので、ルイセは一瞬言葉を失った。その隙に、フミは身体を乗り出した。

「知らないから聞きたいんです。皆さんに思い出したくない過去があることは知っています。その苦しみは、私が安易に立ち入るべきではありません……。しかし、本当に語ることは一つもないのでしょうか? 仲の良かった人はいませんでしたか? ゲヘナを出て取り戻せたものもあるのではないですか? 強化リリィの過去と言っても、全部が全部、嫌な記憶ではない筈です。私は、そういったことを記事にできないかと考えたんです」

 フミの真剣な顔に、ルイセは逡巡(しゅんじゅん)した。

「何で私なんですか……?」

「強化リリィの(かた)で、一番仲の良いのがルイセさんなので……」

「じゃあ私じゃなくて良かったんですか?」

「まぁ、そうですね」

 フミの涼しい顔に、ルイセは怒るべきか呆れるべきか悩んだ。

 そしてため息を吐き、椅子にもたれる。

「やっぱり便利屋感覚じゃねぇですか……」

「いや、冗談ですよ……」

 それは随分と気安くなったものだった。

「それに、今日はルイセさんのことを記事にしに来た訳でなく、そもそも、『強化リリィを記事にすること』の是非を伺いに来たと申しますか……」

 ……話を聞くと、どうも今すぐ記事を作ったり取材を進めたりするつもりはないようだ。

 むしろ、そういうことをしていいか当事者の意見を聞いている段階で、今日はいわば『プレ取材』のようなものらしかった。

「それは私が(はや)ったようですね……」

「いえ、私も言葉が足りず申し訳ありません……」

 そう言って律儀に頭を下げるフミを見ながら、ルイセは苦い顔をした。

――それにしても、強化リリィですか――

 大抵の人間はそのことを話題にしない。話題にしても、ルイセの反応を見てすぐに話題を変える。ルイセの怒りを受けてなお、その話題を持ち出す人間はフミが初めてだった。

「まぁ、雑談程度なら付き合いますが……もしかして、タヅサの奴を狙ってやがるんですか?」

 タヅサは一匹狼の強化リリィで、6月に入ろうというのにフリーで活動している珍しいリリィだ。まともな手段でレギオンメンバーを探そうとしたら、あとは一匹狼のリリィくらいしか残っていない。

 ルイセとしては、わざわざ強化リリィを話題にするとしたらそれくらいしか理由が思い付かなかった。

「いえ、別にそういう訳では……まぁ、間接的に命を救われたのでお礼は言いたいですが」

「なんですか? 貰ったペンダントが凶弾を防いだんですか?」

 ……実は当たらずとも遠からずで、さくあと戦った時に飛ばしたハンカチは連休の一件でタヅサから貰った猫柄のハンカチなのだった。

 さくあとの手合わせでかなりよれてしまったが、それ以来お気に入りのハンカチで、お守り代わりに懐に忍ばせるようにしている。

「まぁ、アイツは私が話しかけても無視しやがりますからね。袖にされても気にしねぇでくださいよ」

 袖にされるどころか、連休の一件(主に写真の使い方)が禍根を残しているようで、出会う度にじっと視線を向けられる。クラスメイトとは徐々に和解しているような気がするのだが、フミとは距離感を感じる。

 自業自得ともいう。

「そういえば、強化リリィ同士の繋がりってどうなんですか? ロスヴァイセじゃありませんが、それなりに絆みたいなものはあるんですか?」

 フミはそれとなく話題を変えた。

 ロスヴァイセは全員が強化リリィの特殊なレギオンだ。その結成経緯や特異な役割から、独特の連帯感のようなものがあるらしい。

 フミとしては比較的話しやすい話題だと思ったのだが、ルイセの表情はあまり(かんば)しくなかった。

「ロスヴァイセですか……私はあまり……いえ、大きな声では言えませんけど、強化リリィ同士の狭いコミュニティで傷を舐め合うのには反対ですね。そんなつもりはねぇかもしれませんが、いつまで過去に固執してやがんですかって思いますよ」

 フミは驚いた。確かにロスヴァイセにはお堅い人物が多く、クラスメイトのよしみでインタビューを申し込んでもそれとなく断られてしまう。その閉鎖性に思うところはあったが、同じ強化リリィのルイセが辛口で批判するとは思わなかったのだ。

 一方、ルイセは言った後、自分自身の言葉に顔をしかめた。黒川・ナディ・絆奈。一緒にサングリーズルに加入した強化リリィ。

 傷を舐め合ってるのも、過去に固執しているのも、自分も何も変わらない。

「気が滅入(めい)ってきますね……」

 ルイセはため息を吐いた。強化リリィの話題など、強化リリィ内でも微妙にタブーだった。大ぴらに話すことは、思いのほか精神に負担がかかる。

「今日はもう止めておきましょうか?」

「いや、いいですよ。遠征の準備が始まったら時間なんて取れねぇですし。それに、オマエもそのつもりで来たんでしょう?」

 フミは微妙な表情をした。

 ルイセがタブーを語ることに葛藤があるように、フミもまた、タブーに踏み込むことに葛藤があるのかもしれない。

 自分から踏み込んだくせして。まぁ、そういうところが妙に憎めない奴なんですが。

「まぁ何にしても、強化リリィの件に踏み込むのはおススメしねぇですよ」

 トラウマ、怨嗟、復讐、憤り。碌な感情が飛び出してこない。

「どんな良いことがあっても、結局、持ち上げて叩き落されるだけなんですよ。……私は、その間の記憶を全部消して、真っ新(まっさら)に生きてぇくらいですよ。オマエにも、消したい過去の一つくらいあるでしょう?」

 何気ない問いかけに、フミは、そうですね~と曖昧な笑みを浮かべた。

 ルイセはおやっと思った。この反応は……何かある。

「何ですか? 人に聞いといて、オマエも言えねぇ過去があるんじゃないですか」

「いえ、そんな……」

 そしてルイセは、フミの過去について殆ど知らないことに気付いた。フミは土足で他人に踏み込む癖して、逆に、他人に踏み込まれることはあまりないらしい。

 ルイセはニヤリと笑った。往々にして、攻めるのが得意な人間は、いざ自分が攻め込まれると困窮するものだ。

「そういえば、オマエはリリィ校出身じゃなかったですよね。『外』ってどんな感じなんです? 普通の学校でリリィの扱いってどうなんですか?」

 勘所はそこだろうと、ルイセは無遠慮に聞いてしまった。結果、フミは、表情を消した。

 タブーだ。ルイセは直感した。

「あの。急に色々聞いてごめんなさい」

 ……そんな気はしていた。しかし、冗談半分で踏み込むべきでなかった。

 姿勢を改め、ルイセは深く頭を下げた。

「え? いえ別に謝ることじゃ……」

 

「オマエ、外で(いじ)められてたんですね……」

 

 フミは、いやだからいいですって……と言いかけて。

 はい? いじめ?

「百合ヶ丘で上手くやれてます? 困りごととかありませんか?」

 ルイセは急に優しくフミに親身になり始めた。その瞳は、傷付いた小鳥を抱える優しい少女のようで、祈りをささげる無垢な乙女のようで……。

「って! 違いますよ!! なにを……ちょっと! 可哀そうな人を見る目を止めてください!!」

 なおも生暖かい視線を送るルイセに、フミは声高らかに抗議した。

 

-2-

 

「花瓶を割った、ちょっとしたトラウマを思い出しただけですよ……!」

 本当にそれだけですかねぇ? とルイセは穿(うが)ったが、「それだけです!」と強弁するので、これ以上の追及は止めておいた。

 代わりにちょっとした提案をしてみた。

「折角ですから、フミの過去を教えてくださいよ」

「何でです?」「人の過去を聞くつもりなら自分の過去くらい語ってくださいよ」「聞いてどうするんですか」「だってオマエの過去なんて誰も知らないじゃないですか」「私の過去なんて面白くもなんともないですよ?」

「そんなの分からないですよ。分からないから聞きたいんじゃないですか」

 ルイセの逆襲に、フミは悔しそうに押し黙った。

「まぁ、オマエの話を聞いたら私だって口が緩むかもしれません」

「本当ですかぁ?」

 ……まぁしかし、確かに人に聞いておいて自分が言わないのも不公平かもしれなかった。

 そういう訳で、フミは僭越(せんえつ)ながら、自分の生まれ育ちを語ることとなった。

――えー、ごほん。私、二川二水が生まれたのは、鎌倉府の……――

「あ、細かい地理は詳しくねぇので飛ばしていいですよ」

 いきなり出鼻をくじかれた。

「……話の枕ですよ。とりあえず聞くのがマナーじゃないですか?」「いえ、私日本に来てみじけぇですから?」「いつ来たんです?」「あー強化リリィですからーその質問はちょっとー」「あの、ツッコミにくいので、都合の良い強化リリィは止めてもらえますかね……?」

 ちゃんと後で話してもらいますからね……! そう思いつつ、フミは紹介に戻った。

――私は二川家の第三子として生を受けます――

 フミは、二川家の長女として生を受けた。男、男と続いた中の初の女子(おなご)で、両親、特に父が非常にフミを可愛いがった。

 小学校の運動会の時、滅茶苦茶大声でフミを呼ぶので、フミはかなり恥ずかしかった記憶がある。(なお、その場にいたはずの兄は一切名前を呼ばれなかった)

「ちなみに、生まれてすぐにリリィと判明して、皆驚いたそうです。ウチの家系でリリィなんて今までいなかったですから」

「まぁ、リリィは遺伝するとも遺伝しないとも、よく分からねぇですからね」

 いずれにしても、二川家にとってフミのことは寝耳に水だった。

「ただ、父は元々リリィオタクだったので、大変喜ばれたとか」

 そして父の影響でリリィオタクのケがあった兄たちも、特に興味はなかった母も、フミの誕生以来、筋金入りのリリィオタクへとジョブチェンジしている。

 なお、現在の両親の推しは天野天葉(ソラハ)様(アールヴヘイム)である。そりゃ間違いなく世界レベルのスターリリィではあるし、フミもただならぬ憧憬の念を抱いているが……しかし、リリィオタクが推すリリィとしては、ちょっとミーハーっぽくてフミは嫌だった。年季が入ったリリィオタクの癖に、どうしてそのチョイスなのか。フミとしてはもう少し渋い、いぶし銀的なリリィ、アールヴヘイムで言えば副官ポジションの(アカネ)様のようなリリィが好みだ。

 両親からはソラハ様のサインを頼まれていたが、外征直前のため取材は断られていた。

「これは私まで安いリリィオタと見られずに済んで、むしろ良かったと言うべきかもしれませんね……!」

「いえ、オマエん()のオタク事情はどうでもいいんですが……」

 まぁ、この微妙なポジショントークのせめぎあいが、まさしくリリィオタクがリリオタクたる所以ではある。フミも、生粋のリリィオタクなのであった。

「でも、家族ぐるみでリリィオタクなおかげで、幼稚園、小学校と、そこかしこのセレクションに参加できたんですよね~。それには感謝しています」

「本当に筋金入りですね……。って言いますか、早い段階からスキラー数値は50だったんですか」

 基本的にガーデンの受験資格は『スキラー数値50以上』である。フミは幼稚園入学の頃からギリギリ50で、この基準は満たしていた。

 ただし、百合ヶ丘などの世界レベルの名門校にスキラー数値50で受かるのはほぼほぼ不可能であり、完全に(主に両親が生のリリィを見るための)冷やかし受験であった。

 これが初等部受験の頃になると、フミもそれなりに自我というものが芽生えていた。そして自分の意志でもって、各地で(主に生のリリィを見るための)冷やかし受験をするのであった。

「ここで一つ外せない話を……! 百合ヶ丘には多分、初等部のセレクションから参加したんですけど、何とそこで! 私は運命の出会いを果たしたのです……!」

 それはフミのオタ話の鉄板ネタだった。フミの心のアイドル、他とは別枠の『推しリリィ』、その名前は……!

「ああ、亜羅椰(アラヤ)の奴ですか」

 ……その話は、あまりに鉄板過ぎてクラスメイトには割と広まっていた。

 再び出鼻をくじかれて、フミは、「…………」無言でむくれていた。

「いや、ごめんですって……」

「…………」

「あの……」

「…………」

「えっと、誰と会ったんです?」

「実はなんと! 現アールヴヘイムのAZ! リリィ会の獅子! フェイズトランセンデンスを既にS級まで極めた超天才!! 遠藤アラヤさんとお話ししたんですよ~!」

 めんどくせえ奴ですね……。

 げんなりとするルイセを無視して、フミは瞳を輝かせた。

「私は卑しくもアラヤさんに言葉を投げかけました、『受からないと思いますけど、すごい皆さんに会いたくて来ました』と。すると聖人の如きアラヤさんは、こうお答えになられました。『そうなの? でも、一緒の場所で戦えた方がもっと楽しいでしょう?』……おっしゃる通りですね……私、感激して『もちろんです』と答えました。話はそこで終わったかと思ったのですが、何と、アラヤさんはマリアの如き優しさをお見せになり、私なんかにアドバイスを賜ったのです……! 『全能力満遍ない退屈なリリィより、何か得意なことに的を絞った極端な能力のリリィの方が絶対面白い、アナタはそうした方がいいわよ♪』……何と素晴らしい御言葉(みことば)でしょうか……! 私、一言一句、五臓六腑に染み渡らせて、今、ここに立っているんです! 今の私があるのはアラヤさんのおかげなんですよ~。心の師匠……というのはおこがましいですけど……恩人、大恩(だいおん)ある御方として、そのご活躍を一生追い続けると決意したのです!」

 話が(なげ)ぇんですよ……。

 オタクというものは、どうして語り始めると止まらないのだろうか。というか、『アラヤに会ってアドバイスを貰った』で済む話を、どうしてこう長々と嬉々として喋れるのだろうか。

 加えて、初等部入試という時期(当時6歳)を考えると、内容に脚色が入っている気もする。

「つかストーカー宣言じゃねぇですか」

「リリィは税金も投入される公の存在ですよ! その活躍を見守り応援するのは国民の義務です!」

 労働、納税、教育、アラヤの活躍を見守り応援する←new

「んな訳ねぇでしょう!」

 コイツ、アラヤの誕生日(4/25)に一人ケーキとかつついてないですよね……?(※してる)

 というか、リリィオタクにとって推しの誕生日を祝うのは割と一般的で、二川家ではソラハ様の誕生日(10/27)にはハッピーバースデーの歌とケーキをつついている。

 当人に(とつ)(突撃)しないだけ良心的だ! というのが本人の(げん)であるが、同じ学院のリリィなのだから大ぴらに祝う方が健全ではなかろうか。少なくとも、一人暗い部屋で闇の儀式じみたことをするよりかは、いくらかマシである。

 まぁ、今年は当人が遠征に行っていたので仕方ないのだが。

「でも、百合ヶ丘に合格できたのは本当にアラヤさんのおかげなんですよ~。『極端なリリィになれ』。その言葉を心に刻んで、ひたすら自分の強みを伸ばし続けた成果ですから。多分、アラヤさんは覚えていないと思いますけど……」

 フミはちょっと寂しそうな顔をした。アラヤには入学式でニアピンし、クラス発表の場、廊下、浴場などで度々会っているが、その際に特別声を掛けられたことはなかった。

 多分、覚えていない。そりゃ初等部入試(当時6歳)で、木っ端(こっぱ)リリィだったフミのことなど覚えている筈もない。こちらから声を掛けようかとも思ったが、自重した。それは例えるなら、『私、デビューコンサートの最前列にいて、その後の握手会にも一番に行ったんですよ! 覚えてませんか?』とアイドルに話しかけに行く迷惑なファンのようなものだ。

 ウザイですよね、昔の話なんて持ち出されても……。

 決して迷惑を掛けてはならない、リリィオタクとは常に一歩引く存在なのだと。フミはリリィオタクとしての矜持をそこに見出しているのだ。

 まぁ、傍から見ると、遠慮せずに話しかけたらいいんじゃねぇですかね? と思うのだが、それがリリィオタクの生き様らしかった。

 ……などと考えている時、ふとあることがルイセの頭をよぎった。

「まさかと思いますが……オマエ、アラヤを追ってここまで来たんですか……?」

 ルイセは身体を少し引きながら尋ねた。

 フミは取材に命を懸けているような人間だ。目的の1割……5割程度……いや本当に主な目的が『アラヤに会うこと』でもおかしくない。

 コイツならガチであり得る。『そうですよ~』と言われたら関係性を再考しなくちゃならねぇですね……。

「ち、違いますよ! そんなリリさんみたいな……」

「本当ですか……?」

 あまり信用ならなかった。

 しかしルイセの軽いノリに反し、フミは浮かない顔をした。

「……正直、記念受験だったんですよ。他のガーデンも受けていませんでした。普通に、一般の高校に入って、ただのリリィオタクとして……まぁ、できればリリィに関わる仕事、ワールドリリィグラフィティ(リリィ情報誌)の記者になりたいとは思っていましたけど……リリィになる夢は、百合ヶ丘にスッキリ落とされて、スッキリ諦めるつもりだったんです」

「オイオイ。随分悲しいことを言いますね」

 確かに、百合ヶ丘の合格ラインはかなり高い。スキラー数値で言っても平均80強。スキラー数値50のフミやリリが合格できたのは、本当に奇跡的なことだった。

「でも、本当に受かって良かったのか、不安になることもあるんですよ。皆さんとレベルの違いを実感する度に……。私なんかがリリさんの隣にいていいのかと」

 意外な告白に、ルイセはポカンとした。

「リリですか? 私はそんなに凄い奴とは思いませんけど……」

「何言ってるんですか! 間違いなく天才ですよ……! リリさんは……。オーラがあるんですよ。一流リリィが(まと)っているあれです。ユユ様の傍にいてぴたりと嵌るんです。まるで(しつら)えたかのように……。リリさんは、絶対に大成する(かた)ですよ」

 フミは本格的に落ち込み始め、ルイセは焦った。

「オマエだってユユ様のレギオンにいるじゃないですか」

「数合わせですよ……本当は私なんて入るべきじゃないんです……」

 フミの落ち込みように、ルイセは悩んだ。あまり落ち込みすぎるのは良くない。ただ、フミは空気を読むタイプであり、内心を吐露する機会はきっと多くない。

 往々にして、聞き手というのは、話し手になるのが苦手なのだった。

「悩みがあるなら聞きますよ」

 フミはため息を吐いた。

「……止めましょう、愚痴なんて言いたくありません」

「いいじゃねぇですか。レギオンの仲間には言えねぇことでしょう」

「いいですって、別に悩みもないですよ」

「リリの何が不安なんです?」

 リリさん……。別にそんな……だって……。

 フミは、視線を手元まで下げた。

「…………だって、私って、小学生から一応チャームを手にしていたんですよ? リリさんなんてこの前、初めてチャームを握ったのに、もう私よりお上手です。勉強もリリさんに負けて、行動力もすごくて、戦術だってきっとすぐに……」

 こんなこと、口にするつもりはなかったのに。一度言い始めると、止めどなく言葉が溢れてくる。

「皆さん、リリさんがお好きなんですよ。ユユ様だって楓さんだって、あんなにツンツンされていたのに、見る間に仲良くされるようになって……。入学初日に楓さんと仲良くなって、入学2日でユユ様とシュッツエンゲルを結ばれて……アラヤさんにも見初められましたし……。きっとシェンリンさんたちが入ったのも、リリさんに感じるものがあったからです。オーラがあるんですよ……。大成する人間特有の空気です……。私のような凡人では足手まといにしかなりません……」

 つらつらと言葉を吐き出すフミに、ルイセは軽く息を吐いた。

 そんなに溜まっていやがったんですか……。ユユ様……はともかく、シェンリンや楓の奴は何をしてんですか……。

 メンバーのフォローはリーダーや司令塔の役割だ。リリたちのレギオン(仮)の場合、リーダーはリリだろうが、まだ初心者なので実質的にユユ様。司令塔は楓かシェンリン、あるいはその両方だった。

「下手な慰めはしませんがね、事実として、フミとリリの力量は同程度に思えますよ」

 4月時点ではあるが、両者に大した力量差は見受けられなかった。そもそも初心者に力量もクソもないのだが……強いて言うなら、『2人とも初心者としてはなかなか悪くない動き』だった。

 しかし、フミは「下手な慰めですよ」と突っぱねた。

「ルイセさんは知らないんですよ。この1か月でリリさんがどれほど成長されたか……。同じ初心者と言っても、私はある程度訓練をしてきた身です。底が見えてるんです……。対して、リリさんは真っ新です。教わったことをすぐに吸収されます。実戦経験がない私を尻目に、リリさんは何度も出撃されて……差は開く一方ですよ……。何のために私はいるんでしょう……。ミリアムさんのような知識や技術もなく、戦術だって楓さんやシェンリンさんに及ぶべくもなく、ユージアさんのような万能さも、リリさんのような成長性もなく……。戦闘だってユユ様にボロ負けして、しおりさんにボコボコにされ、さくあさんにもボコボコにされ……」

「オイちょっと待て、オマエは水夕会の恨みでも買ってるんですか……?」

 流れるように喋りすぎて、フミは口が滑った。さくあの件は極秘事項である。

 暴力……隠ぺい……停学……この件は、割とシャレにならない……!

「あ! すみません、今のオフレコで!」

 フミは弾かれたように顔をあげ、ルイセは眉をひそめた。

「何ですか、水夕会の取材でさくあの不興でも買いましたか?」

「いや本当にシャレにならない件なので……! どうか詳細は伏せさせてください……」

 シャレにならないって、何をしでかしたんですかコイツは……。

 あのしおりが一緒ということは、控室に侵入して、遠征予定の資料でも漁ってやがりましたか……? いや、さくあはともかく、しおりがボコボコにって想像できねぇんですが……。

 しおりのタブーを踏み抜いた? いや、それならさくあは乗っからないでしょうし……でしたら2人のタブーを同時に……? 一体どんなネタを掴んだんです……?

 とりあえず『ただもんじゃねぇ』のは確かだとルイセは結論付けた。

「安心していいですよ。さくあに喧嘩を売るなんて、オマエもやっぱり普通じゃないですよ」

「まぁ、さくあさんにも狂人呼ばわりされましたけど……」

 本当に何しでかしたんですか……。

「つーかアイツこそ……いえ、止めておきましょう。どこに耳があるかわかったもんじゃねぇですよ」

 ルイセは辺りを(はば)るように視線を動かした。

 ……やっぱさくあさんってタブーなんですね……。さくあの情報がまるで集まらないその理由を目の当たりにし、なかなか興味深くはあった。

「て言いますか、しおりもさくあも、ユユ様も、楓も、シェンリンも、ユージアも……お前が挙げたのはワールドレベルのリリィですよ? 悔しいですが、私と比べても格上なくらいです。それに負けて自信喪失って、何言ってるかわかんねぇですよ」

 ルイセは慰めではなく、事実としてそれを口にした。

 そして言われてみると、それはその通りだった。

「それに、ウチの司令塔がオマエを見込んだのは確かなんですよ。成長性がない? だったらヒバリ様の目は節穴なんですか?」

「それは……」

 これもその通りだ。ヒバリは、入学当時のフミを見て声を掛けてくれた。フミには分からないが、ヒバリが自分のどこかに目を付けてくれたのは間違いなかった。

「そもそも、見込みのねぇ奴をセレクションで通すわけがねぇでしょう。あの鬼の教導官たちが、そんなぬるい奴らだとお思いですか?」

 それもまた間違いなかった。

 確かにそうだ。セレクションに合格した。防御訓練もやり遂げた、授業にも慣れて、小テストだって何とか乗り越えた。自分だって、少しずつ成長している。

 ネガティブを吐き出し気分が一巡すると、常の楽観性がフミに戻ってきた。そしてルイセの言葉通り、色々悩んでいたのがバカみたいに思えてくるのだった。

「ありがとうございます! ルイセさんってカウンセラーの才能がありますね……!」

「何がカウンセラーですか……ちゃんと悩みを相談できる相手を作ってくださいよ」

「え? だってルイセさんがいるじゃないですか」

 その純粋な眼差しに、ルイセは言葉に詰まった。

「……だから便利屋感覚じゃないですか」

 ルイセはため息を吐いた。

 ……なるほど、学内でリリの噂がよく巡っている理由が分かった。新人は危なっかしく、どこか手を差し伸べたくなるのだ。

 フミも同じだった。不安定で危うく、自分が助けてやらなくてはと思わされる。

 そしてその感覚は、そんなに悪くなかった。

「そういえば、水夕会が遠征を取りやめて新人の獲得を目指してる、っつー話じゃないですか。私んとこにはリリとオマエの名前が聞こえてるんですけど、何か心当たりがあったりしますか?」

 ルイセはそれとなく話題を変えた。

 なお、サングリーズルは遠征取りやめのとばっちりを受け、東奔西走(とうほんせいそう)させられる羽目になっている。まさか本当に2人を引き抜こうとしている訳ではないだろうが、話題としては上々だった。

「まぁ、噂は知ってますが……単にしおりさんに稽古を付けていただいているだけで……」

「は? しおりが稽古ですか?」

「はい。詳細は割愛しますが、以前ちょっとしたトラブルがありまして、そのお詫びということで」

 フミは何でもないように言っているが、ルイセにしたらとんでもないことだった。

 ……オマエ、しおりの稽古って、どんだけ値千金だと思ってるんですか……。

 ルイセも受けられるものならお金を払ってでも受けたいくらいだ。しかし、リリィの時間は黄金の如く貴重である。しおり程のリリィに稽古をつけてもらうなど、普通はどうやっても不可能だ。

 トラブルか何か知らないが、しおり程の使い手が、意味もなく初心者2人に稽古など付けるなどあり得ない。こうなってくると、『新人獲得』の噂が真実味を帯びてくる。

「マジでヘッドハンティングされたんじゃねぇですか?」

――フミ様は、とても良いB型兵装使いになれますから――

「まぁ、さくあさんからとても呑めないような条件なら提示されましたね……」

「何ですか、魂でも要求されましたか」

「はい、そんなところです」

 碌でもねぇ奴ですね、工藤さくあの奴は……。

「あと要求を呑んだらしおりさんに殺されます」

 とんでもねぇ奴ですね、六角しおりの奴は……。

 当人たちの与り知らぬところで、2人の評価が……上がったのやら下がったのやら。

「まぁ、どっちにしても、見込みのない奴に稽古をつけるほど酔狂じゃねぇでしょう。水夕会も目ぇつけてたんなら、俄然、オマエを引き込んでやりたくなりましたよ」

「いや、その場合でもしおりさんに殺されるので」

 一体どんな条件を提示されたんですか……。

「水夕会、マジで闇深(やみぶか)ですねぇ……」

「いや、それは風評ですって……」

「いやでも琶月(※水夕会の1年、ヤンデレ気味)とか美土莉(※水夕会の1年、しおりを狙っている)とか、魔窟すぎますよ。しおりと話しただけで因縁付けられますからね」

 まぁ、そうですね……とフミは言葉少なく答えた。

 ぶっちゃけ、フミやリリも2人から因縁が付けられたことがある。どうしたものかと思っていると、急に2人はその場を立ち去り、後ろからさくあが現れた。

 それ以降、絡まれることはなかったが……今思えば、さくあは一体どんな魔術を使ったのだろう。あれはあれで闇が深い気がするフミであった。

「まぁ、何にせよ、困りごとがあったら私に話してくださいよ」

「分かりました! トイレのトラブルがありましたらすぐに……」「だから便利屋じゃねぇですよ!」

 決め台詞っぽくなったそれを契機に、今日のインタビューは終了となった。

 

「今日はありがとうございました」

「いや、私もあまり顔が広くねぇですから。フミと話せてよかったですよ」

 そして空になったコップを手に立ち上がろうとしたその時、フミは思い出した。

「……って! ルイセさん! 私の過去ばっか話してルイセさんの話は全然じゃないですか!!」

「あれ、そうでしたかね?」

 ルイセはとぼけた。

「私の話を聞いたら口が緩むんじゃなかったんですか!」

「きっと今日は緩まない日だったんでしょうね」

 確かに、『緩むかもしれない』とは言っていたが、話すと明言した訳でない。しかしこの態度は、最初からフミの話を聞いて終わる腹に違いなかった。

「こ、この! あんぽんたん! 嘘吐き! リリィでなし!」

「いや、あんぽんたんって……」

 リリ直伝のかなり懐かしい悪口である。あまり効果はない。

「水夕会に悪口をリークしますよ」

「うわっ、ちょ、それマジ止めてください!」

 こちらは効果てきめん。というか、割とガチでルイセは嫌がった。

 ……やっぱり闇深いんですかね? 水夕会……。

 結局、時間の関係上、ルイセの話は次の機会となった。ただ、遠征や準備もあり、次の機会とは何か月先か分からない。

「それじゃ一つアドバイス。タヅサの奴は一匹狼ですけど、本当は寂しがり屋です。お前たちんとこなら脈ありだと思いますよ」

「本当ですか……?」

 また口先だけじゃないですよね……? フミは半信半疑だった。

「それより! 私の許可なく強化リリィの取材はしねぇでくださいよ」

 気付けば、強化リリィの件まで釘を刺されてしまった。

「まぁ、強化リリィ云々はしばらく寝かせますけど……。絶対に! ルイセさんの話を聞かせてくださいね!」

「はいはい、分かってますって」

 ルイセは左手をひらひらさせて去っていった。

 ……何だかうまいこと言いくるめられた気がするフミであった。




 原作で明言されていない部分は割と好きに書いております。例えば、フミに兄と弟がいることは明言されておりますが、その内訳は明言されていないので4人兄弟にしました。これは自分が4人兄弟だからってだけなのですが。
 アラヤさんと初等部セレクションで会っていること・会話の内容は原作通りです。アラヤさんがそれを覚えていないのはちょっと変えてあります。
 今回に限らず、こんな感じで創作部分と原作部分が混じっておりますので、その点、改めて注意喚起をさせていただく次第です。


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第4-11話 vsイメージ戦略その1

「タヅサさん、4時方向の……あ、もう少し下ですわ」

「……ん」 

 楓の指示に従い、銃身と視線を動かす。赤と白が交互に同心円状に並んだ、非常に分かりやすい『的』が視界に映る。微調整、トリガーを引く。

 轟音と共に銃弾が空間を引き裂き……そして、的の脇に抜けていった。外れ。

 タヅサは小さく息を吐く。近接戦は得意だが、射撃はどうも苦手だった。ファンタズム(未来視)を使えば当てられるのだが……。

「タヅサさん、こうですわ」

 見かねた楓が、銃の構え方を指南してくれる……のは良いのだけど。

「あの、……楓、さん」

 胸が、当たっている。とかは別に気にしないけど。その、ほとんど後ろから抱きしめられてて……。普通に、滅茶苦茶恥ずかしい……。

「タヅサさん、試験中ですよ。集中なさい」

 しかし、楓は全く気にした様子もなくテキパキと腕の位置や角度を修正している。その手際の良さにはタヅサも感嘆するが、やはり近い。近すぎる。

 リリといい、楓といい、百合ヶ丘の生徒は距離感が近い。女子校育ちだからか……? いや、リリは『外』からだったな……。……それじゃあどうしてだろう? リリといい、楓といい、フミといい、ミリアムといい……リリィってのはどうしてどいつもこいつも変人揃いなんだ……?

 タヅサは、自分を棚に上げてそんなことを思った。と、その時。

――来る――

「ん」

「了解ですわ」

 楓はチャームを取り、振り返る。その瞬間、パシュっという発射音と共に矢が飛んできた。

 発射に気付いて振り返ったのではない。発射を見越して振り返った。『ファンタズム』――いくつもの仮定の世界線を覗き把握する能力――タヅサのレアスキルである。これを防御に割り振っていた為に射撃では使えなかった。

 なお、覗いた世界やそれに至る条件などは、ある程度ならテレパスで周囲に伝えることができる。殆ど会話なしで楓と意思疎通できたのはこの力のおかげだった。

 楓はチャームを振るう。楓が離れた隙に、タヅサ的に狙いを定める。

 弓矢が真っ二つに切り裂かれたと同時、轟音と共に的が粉々に吹き飛んだ。

 電子音が響く。

『そこまで。タヅサさん、楓さん、お疲れ様です』

 こうして、2人は狙撃手としても観測手としても、良好な成績でもって6月の試験を終了した。

 

-2-

 

 百合ヶ丘(を含む殆どのガーデン)は高等課程と言っても、かなり自由度の高い履修制を採っている。一般の高校と違い中間テストという概念はなく、強いて言うなら6月に行われるこの実技試験がそれに相当する。

 それすらも、その4半期に任務に出たリリィは免除される。試験の目的が評価ではなく、実戦に向けた教導官からのアドバイスのようなものだからだ。

 ここに集まっているのは、レギオンに入っていないリリィか、加入・設立したばかりで碌に任務に就いていないリリィ、要は実戦経験の浅いリリィばかりだった。

 その中で、楓とタヅサは例外的な実力者だ。試験に来ていたリリィは、こぞって2人の様子を観察した。

「うわ~あの距離を2発ってすご……」

「見つけるの早すぎじゃん! 本当にレジスタの俯瞰視野? ズルしてない?」

 これはその中の新米リリィ。

「わっ、楓さん、撃たれる前に振り返ってたよ」

「ファンタズムの未来視・テレパス能力ですね~」

 これはその中のリリとフミ。こうして見ると完全にモブの一員である。

 ただ、モブの中では2人は際立って目立っている。その原因は2人の(まと)う空気……とかではなく、むしろ纏う服と言うか。

 ほつれた制服に、所々が泥に汚れた四肢。リリとフミは、少し前に教導官にボロボロにされたところだった。

「リリさん、フミさんも惜しかったね」「押してるように見えたけどねぇ」「センセーもやりすぎだって」

 とクラスも違うリリィから口々に励まされる程度にはボロ負けした。

――しかし、まさか狂乱の(しきみ)まで発動されるとは……――

 狂乱の閾とは、ルナティックトランサーのサブスキル(レアスキルに満たない同系の特殊能力)である。本家未満とはいえ凶悪な自己強化能力には違いなく、フミもリリも防御しきれず、軽々とすっ飛ばされてしまった。(というか、ルナティックトランサー共々、やはり指導で出すようなスキルではない)

 他の生徒が割と緩い指導的な手合わせ(※ユユ様のスパルタ基準)に見えたので、油断……とは言わないが、まぁ、そこまで出さないだろうと高を括っていた。

――……というか出さなくても負けてたんじゃないですかね……?――

 普通に、狂乱の閾なしでも最後は押し負けていた気がする。大立ち回りをしていたのに、手合わせ後に息一つ乱していなかった。

 途中までは調子が良かっただけに、単にこちら合わせてくれていたと分かると、脱力感もひとしおなのだった。

 ……もしかすると『調子に乗るな』という教導官からのお達しかもしれない。まぁ、この試験メンバー内でも飛びぬけて素人な2人であるからスパルタもやむなし……なのだろうか。

「そんな気落ちしないの! まさか、楓さんに怒られたりするの?」

「いや、あの人は『リリさん、お肌にお傷が付いないか、(わたくし)が身体の隅から隅まで調べて差し上げますわ!』とか言うでしょ。怒ったりしないって」

 フミは苦い顔をした。あぁ、百合ヶ丘生徒一般にも既にその認識なんですね……。「まぁ、大体そんな感じですけど……」

「でも、あなたたち、あの楓・J・ヌーベルを良く捕まえたわね」

 とポニーテールのリリィ。

 まぁ、捕まえたというか、捕まったというか。

「あはは……楓さんには良くしてもらってる、かな」

 曖昧に笑いながらリリは頬をかいた。

「『百合ヶ丘の至宝』だからねぇ、大切にしなよ?」

 と短髪のリリィ。

「うん、楓さんに負けないくらい立派なリリィに……」

 そう言いかけて、

「……って、『百合ヶ丘の至宝』?」

 リリは首を傾げた。

「あれ、リリさん、ご存知ありませんでしたっけ? 二つ名ですよ二つ名! カッコいいですよね~」

 フミはうっとりと、両手を顔の前で組んだ。

 ある程度の実力者になると、誰ともなくそのリリィに二つ名を付ける者が現れるのだ。例えば、ソラハ様の『蒼き月の御使い』、しおりの『不動劔(ふどうけん)の姫』。自分もいつかはカッコいい二つ名を……! ……まぁ、想像するくらいは……自由ですから!

「へぇ~なんだか有名人みたい!」とリリ。

「みたいってか有名人よ……」

 リボンを付けたリリィは呆れて言った。一応、楓はワールドクラスのリリィである。

「と言うか、百合ヶ丘のトップ層は有名人ばかりだから、ほぼ全員に二つ名があるわよ」

 ポニーテールのリリィは少し誇らしげにしていた。

 リリはそれを聞いて、ニッコリして尋ねた。

 

「へぇ、それじゃあお姉さまにも二つ名があるんですか?」

 

 場の空気が凍った。

(え? あれ……?)

 リリも、空気が変わったことに気付いた。

 皆が、気まずそうに目線を逸らした。さっきまで意気揚々と喋っていたのに、急に口をつぐんだ。

「……『死神』ですよ」

 リリの質問に答えたのは、フミだった。

「……え?」

「『死神』……つまり! ヒュージに死を与える恐ろしい存在ということですよ~」

 フミは笑顔で答えた。

「はは、うん、そうだな」「ユユ様はクールで知的な御方ですから……」

 周りにいたリリィも、氷が解けたように口を開き笑い合う。

 しかし、リリは落ち着かなかった。皆の反応、そして『死神』という不吉な響き。

「あ、リリさん! 楓さんとタヅサさんが帰ってきましたよ~。おーい、楓さーん!」

 その不安は、楓が帰ってきてからもなかなか消えてはなくならなかった。

 

-3-

 

「リリさんのレギオンに人が集まらない原因! それはズバリ、ユユ様にありますわ!」

 お茶の席、唐突に楓が声を上げ、レギオン(仮)一同はポカンと目を丸くした。

「いきなりどうしたんです?」

「確かにメンバー集めは進んでおらぬが、それがユユ様の所為とは思わんが……」

 フミとミリアムの茶々に「お黙りなさい、ちびっこズ!」と楓。

「……やっぱり私がちびっこ枠なの納得できないんですが……」 ※リリと1cm差

「魂の大きさですわ。自分事ばかりで、ミリアムさんはチビだと思っているアナタではリリさんに敵いませんわ」

 微妙に図星を突かれてフミは唸った。

「フミちゃんもミリアムさんもちっちゃくて可愛いよ?」(リリ)

「いえだから、1cm差なんですって……」(フミ)

「というかこれはチビ発言ではないのか?」(ミリアム)

「これは相手が『可愛らしい』と評しているだけで、小さくて卑しいと言っている訳ではございませんわ」(楓)

 物は言い様である……「って! 小さくて卑しいと思ってたんですか!?」

 話が脱線した一同を、シェンリンとユユが止めた。

「はいはい皆さん、楓さんのお話の最中ですよ」

「そうですね。私に何か言いたいことがあるようですが?」

 楓は待ってましたとばかり咳を一つ、そして口を開いた。

「ユユ様。私たちのレギオンに関する数々の噂について、ご存知でしょうか?」

「まぁ、噂くらいは耳に入れてありますが……」

 新人が瀕死の重体、実弾で撃たれる、肉を物理的にそぎ落とされる、無理やりサインさせられる……。一部真実が含まれるものの、どれも面白半分に誇張された他愛の無い噂話だ。

「確かに荒唐無稽な話ばかりですわ。私たち五体満足で、とても重体の人間なんておりませんもの。……それではユユ様。なぜ、この噂が真しやかに語られるのでしょう?」

 なぜ、と言われましても……。しかし困惑するユユが口を挟む間もなく、楓は机を叩き宣言する。

「理由は明らかです! ユユ様が『そういうこと』をされる方だと世間に認知されているからですわ!!」

 な、なんですってー! と、フミは付き合い程度に叫んだ。

 ……しかしよくよく考えると、確かに心当たりがない訳でもなかった。

「たった数日でメンバー7人を揃えたのは、まさしくリリさんの人徳によるものですわ! 逆に、あと2人、たった2人のメンバーが約2か月の間集まらなかったのは、ユユ様、アナタ以外に理由が考えられないのですわ!」

「まぁ、わしもクラスの奴らに『正気か!?』と言われたわ」とミリアム。

「私も……ユユ様のレギオンに入るって言ったら……クラスのみんなに、ちょっと心配された」(ユージア)

「まぁ、ユユ様にそういうイメージがあるのは確かですね」(シェンリン)

 仲間内(なかまうち)でも結構な評価だった。

 明確に反論したのはリリだけだ。

「何を言ってるんですか! お姉さまは優しく賢く素晴らしいリリィです! 肉をそぎ落としたり、誰かを瀕死にしたり、実弾で撃ってきたりしません!!」

「いや、撃ってますって……」

 一方、ユユは静かに話を聞いていたが、リリの言葉に口を開いた。

「リリさん、私を庇わなくて結構です。確かに、私はそのような野蛮なことはいたしません」

 いや、撃ってますって……。フミは思ったが、真面目な場面なので口を閉じていた。

「問題なのは、『実際にそのような評価がある』という事実そのもの。そうでしょう、楓さん?」

 ユユの言葉に、リリは先程の凍った空気を思い出した。

「でも、お姉さまは……死神なんかじゃ、ありません……」

 ユユは、ピクリと眉を動かした。そしてため息を吐いた。

「何をそんな話、と思いましたが……合点しました」

 恐らく、リリが何かしらの風評を被ったのだろう。ユユはそう判断した。

 自分のことは何を言われても構わない、好きに言わせておけば良い。ユユはずっとそう考えてきた。しかし、シュッツエンゲルの契りを結ぶとは、自分とシルトが一体として扱われるということだった。

「楓さんのおっしゃったことは尤もです。私は今まで、自分の評価はその働きで証明すべきだと、悪評など気にせず、ただ戦いに身を投じておりました。しかしそうした閉鎖的な態度こそ、無用な軋轢を生んでいたのかもしれません。私も身の振り方を考え直そうと思います」

 ユユの言葉に、リリは「お姉さま……!」と感極まった声を上げた。

 ……このリリの純粋な眼差しが、ユユは苦手だった。嫌いではないのだが、何と言うか、胸の奥が変な心地がする。

 それから逃げるように視線を楓にずらす。

「……しかし、人の評価は一朝一夕に変わるものではありません。それが悪評であるなら猶更です。それをわざわざ話題に挙げたということは、楓さん。貴方に何かしらの『策』があると考えてよろしいでしょうか?」

 楓はよく聞いてくださいましたとばかり、胸を張って答えた。

「もちろんですわ! リリさんの、リリさんによる、リリさんの為の計画……その名も、『ユユ様イメージアップキャンペーン』ですわ!」

 楓は勢い良く宣言し、リリはゆっくり首を傾げた。

「イメージアップキャンペーン?」

 

-4-

 

 昼下がり。忙しい百合ヶ丘のリリィにも、束の間の休息が訪れる。昼食から授業が始まるまでのちょっとした時間。訓練するにも予習するにもやや短く、次の授業が始まるまでの休憩時間。

 読書も良い、講義室で雑談しても良い、昼寝には短いが、日向ぼっこくらいはできる。あるいは、気持ち良い日差しと穏やかな風を受けながら立ち話をするのも乙なものだ。

 短い髪をツインテール気味に括っている小柄なリリィと、こちらも短髪気味の髪をカチューシャでセットしているやや内気そうなリリィも、そうやって掲示板の前で雑談している、数あるグループの一つだった。

「試験っていうから身構えたけど、全然大丈夫だったわね!」

「うん……。でも、まだ哨戒任務くらいしかこなしてないから……。早くアールヴヘイムみたいな立派なリリィになりたいなぁ」

「アールヴヘイムって初代の方でしょ? いい加減教えてよ、誰推しなのよ。やっぱりソラハ様?」

「もぅ、内緒って言ってるでしょ!」

 うふふ、あはは、と他愛もない会話をしている2人に、黒い影が迫っていた。

「ごきげんよう、1年生さん」

 2人は反射的に挨拶を返そうとして、「ごきげ……!?」一人は言葉を失い、「? ごきげ……ユユ様!?」もう一人は叫んだ。

 孤高のリリィ・白井ユユその人が、静かに忍び寄っていた。

――ユユ様イメージアップキャンペーン――

 その内容を説明すると、期間中、ユユ様が1年生とフレンドリーに接することでユユ様への畏怖感を払しょくしようという試みである。

「『リリさんによる』……って、リリさんは何もしないんじゃないですか」

「何をおっしゃいますか、リリさんはユユ様をお見守りになるのです。そうすることで、成功率は軽く見積もって50%はアップしますわ!」

 何を根拠に言っているか分からないが、こう自信を持って言われるとそんな気がしてくるから不思議だ。

「へ~、これがフミちゃんの鷹の目なんだ」

 加えて、距離を離れてユユ様を観察する都合上、シェンリンのテスタメント(広域拡大化)でフミの鷹の目を全員に少しずつ分配している。

「……と言いますか、テスタメントってこういう使い方もできるんですね~」

「まぁ、とはいえかなり集中力が要りますからね。このようなお遊びにしか使えませんよ」

 遊びではありませんわ! と楓はツッコんでいるが、(ユユ様はともかく)傍観者サイドは野次馬とほぼほぼ変わらない。一応、(ルイセの引き抜き時の反省を生かし?)無線機で音声をやり取りできるようにしているが、一流リリィのユユにアドバイスも何もないだろう。

 ……本当にこの時はまだ、フミは無邪気に、そう信じていた。

 鷹の目を通して見ると、……ちょっとファーストコンタクトは堅かったものの、1年生リリィとユユ様の3人で、和やかに会話が始まるところだった。

 

「ユ、ユユ様? あの、リリさんならカフェテラスの方に行きましたよ?」

 カチューシャのリリィが妙に怯えた様子でそう言うのを、……ああ、私が話しかけるとしたらリリのことだと思われているのですね……と、ユユは冷静に聞いていた。

 ここ数年、自分から後輩のリリィに声を掛けた記憶がない。反対に声を掛けられた記憶もほぼない。確かに、こんな状態では『よく分からない』『恐い先輩だ』という印象になるのも致し方ない。

 まずは対話が必要だ。自分が畏怖の対象ではなく、どこにでもいるただのリリィであるとを知ってもらうこと。それがスタートラインだ。

 ユユはゆっくり微笑んでだ。

「お時間はあるかしら。少しお話をしましょう?」

 そして何気ない談笑の輪に溶けていった。

 

~~

「まぁ、無難に始まりましたね」

 フミの言葉に、「ちょっと硬すぎではありません?」と楓。

 ……まぁ、確かに1年生側の反応が硬いというか、既に恐怖を覚えている風と言うか……。ユユも、こうした振る舞いに慣れていないのか、動きも笑顔もぎこちない。

 しかし、あのユユ様に急に話しかけられたら誰しもこうなるだろう。自分だって、(だいぶ慣れてきたとはいえ)急に話しかけられたら今でもちょっとドキッとする。入学時点のフミだったら、驚きと喜びと恐怖の三重奏で気絶してもおかしくないくらいだ。

「お姉さま! 頑張ってください!」(リリ)

「ユユ様……ファイト……!」(ユージア)

「まぁ、どっちかというとあの1年たちがファイトじゃがな」(ミリアム)

 

 ツインテールとカチューシャは、バクバクと心臓を鳴らしていた。

 何で……どうして……何の目的で……? 『お話』って何ですか……? その好戦的な笑みは一体何ですか……!?

 2人の脳裏に浮かぶのは、ユユ様のレギオンのウワサ。恐怖のレギオン……引き抜き……無理やりサインを……。それだ!

 『お話』って、絶対そのことだ……!

「あ、あのぅ、ユユ様? 私たち、実はもうレギオンに入っていまして……」

「そ、そうなんです! 私たち、そこでお姉さまにも見出していただきまして!」

 カチューシャが伺うように述べ、ツインテールが牽制するようにお姉さまの存在を提示した。お姉さまがいると知れば、自分たちだけ引き抜くような真似はできないだろう……。

 しかし。

「それはおめでとうございます。それで、お姉さまとは2年生の(かた)でしょうか? お姉さまにもお祝いを伝えなくてはなりませんね」

 ユユは目元を鋭く、視線を飛ばした。

 ()()行かれる……! お姉さまごと引き抜かれる……!!

「あの、その! わ、私! 用事を思い出しました! ごきげんよう!」

 ツインテールは逃げ出した。

「あ! わ、私も……」

 カチューシャも逃げようとして。ガシッと。ユユ様に思いっ切り腕を掴まれた。

「ひっ!」

「すみません、つい反射的に手が……。しかしどうして逃げるのですか?」

 万力のような力で腕が絞められている。ヤバイ、怒った。逃げようとしたから怒られている……!

 助けを求め、相方が逃げ去った方に目を遣る。しかし、ツインテールは脇目も振らず走り去って、その姿は既に視界から失せている。う、裏切者ぉ……!

 せめて誰かに助けを求めようとして、しかし周囲に誰もいないことに気付いた。あんなにたくさんのリリィがいたのに、人っ子一人いない。

 実はユユが2人に話しかけた時点で、その不穏さに周囲の人間は誰ともなしに逃げ出していた。助けを求める相手などどこにもいない……いや、遠方から、5~6人の一団が走ってくる。

(た、助けて……!)

 一筋の希望を宿し、その一団を見つめていたカチューシャ。しかしそれが楓、ミリアム、シェンリンを始めとするユユ様のレギオン(仮)と気付き、絶望した。

 囲まれる……サインを強要させられる……! さらばお姉さま……さらば平穏なリリィライフ……。

 チャームを手にすごい勢いで駆け寄ってくる一団に、カチューシャは魂が抜けたようにヘタレ込んだ。

 

-5-

 

「ユユ様、手を出すのはダメです」

 フミはそう言いながら、今日以外のシチュエーションでこのセリフを言うシーンが、『ケンカする小学生や不良を諫める』以外に思い浮かばなかった。

 何と言うか、常識であった。

「違います。逃げる相手は追う。戦場の反射が出てしまっただけです」

 どんな言い訳ですか……。

「全く、ユユ様の所為でトラウマになったらどうするつもりじゃ」

 ……とミリアムは言っているが、実のところ、トドメを刺したのはむしろ走り寄るレギオン(仮)一同の(ほう)である。まぁ、どちらにせよ腕を掴むのは論外なのだが。

 なお、現在、彼女(カチューシャのリリィ)はリリ、ユージアによる介抱で快方に向かっている。

「しかしユユ様がここまでポンコツだとは想定外でしたわ」

 楓の言葉にユユはムッとしているものの、どう考えても反論できる立場にない。その筈だが、ユユは不満げに口を開いた。

「何ですか。私が悪いみたいな言い方は不服です」

「いえ、ユユ様の所為ではありませんわ。ユユ様の実態を把握できなかった(わたくし)たちの失策です」

 こちらはシェンリン。言葉で取り繕っているが、発言内容は楓とほぼ同じである。

「これ結構見られてましたよね? イメージアップどころか、むしろイメージダウンしていませんか……?」

 これはフミ。結局、今回の目的はユユ様のイメージアップ(とそれによるレギオンのイメージアップ・リリへの風評を防ぐこと)である。それが失敗するとは、レギオンのイメージダウン……はともかく、リリの風評にも繋がる。

 リリが関わるとなると、ユユも態度を軟化せざるを得なかった。

「分かりました。私が失態を犯したことは認めましょう」

「賢明でございますわ」とシェンリン。「微妙にバカにしてはおらぬか……?」(ミリアム)「ミリアムさん、思っても口に出さない方がいいこともありますよ……」(フミ)

「しかしながら、問題はいかに次に繋げるかです」とユユ。

「申し訳ありませんが、私はあまり会話が得意ではありません。手を出したことは反省しますが、それを抜きにしても、あまり和やかな会話であったとは思えないのですが」

 それは確かにそうだった。あのまま2人共が逃げ(おお)せたとして、それでユユ様のイメージアップにどう貢献したかと言われると、今とあまり大差なく思える。

 楓は少し考えた後、こう提案した。

「今回のは最初からハードルが高すぎましたわ。まずは見知ったリリィから話して、徐々に感覚を掴んでまいりましょう」

 まぁ、課題でも人付き合いでも、ハードルの低いものから手を付けるのは常套手段である。

「それではしおりさんとかですかね? まぁ、今でもたまに会話されてますから、イマージアップの趣旨としては微妙かもしれませんが」

「それでも『後輩と和やかに会話している様』を周りに見せつけるのはマイナスでは無かろう?」

 ミリアムの言葉に、なるほど、そういう考え方もあるのかとフミは感心した。ミリアムさんにしては冴えてますね~。

「……お主、何か失礼なこと考えてはおらんか……?」

「何のことです?」と、フミはとぼけた。

 ただ、楓は難しい顔をした。

「悪くはありませんが、肝心のしおりさんがご多忙ですからね。上手く捕まるかどうか……」

 確かに、水夕会は長期の遠征は休止しているものの、近場の戦闘に駆り出されることはよくある。訓練の他、その為の打ち合わせ、メンバー選定など、それなりに忙しそうである。

「まぁ、そうですよね……そんな都合良くしおりさんが捕まる訳……」

 と何気なく視線をあげると、廊下の先からしおりが歩いてくるのが目に入った。

 

-

 

「しかし本当に都合が良いですね……」

 少し離れたところから観察しながら、フミはぼやいた。ユユとしおりは、それなりに仲良く会話しているようである。それは良いのだが、テンポが良過ぎて不安になる。

「都合が悪いより良いじゃないですか。流れには乗るものですよ」とシェンリン。

 こうした堂々とした立ち振る舞いも一流リリィたる所以なのだろうか。フミなどは、こう都合が良すぎると逆に警戒して引いてしまうのだが……。

「それにしても、すれ違ったリリィが全員、見事に二度見していますねぇ」とフミ。

「そりゃあ、あのスターリリィ2人じゃからの。否が応でも目立つじゃろ」とミリアム。

「それが狙いでもありますわ。ユユ様も後輩と会話するのだと、少しずつでも認知させてまいりましょう」と楓。

 少しずつどころか、この分だと今夜の話題はユユ様としおりさんの件で持ちきりだろうなぁ、とフミは思った。自分が部外者だとしたら、孤高のリリィ・白井ユユ様と、武のリリィ・六角しおりのツーショットには間違いなく食いつく。

 そしてこうした努力を続けていれば、いずれユユ様のイメージも(今、フミたちが抱いているように)もっと温かなものになるのではないか。そう思うと、フミも何だか心がぽかぽかしてくるのだった。

「やっぱり『死神』呼ばわりは寂しいですからね……」

 もちろん、それは蔑称(べっしょう)ではないのだが、どこか冷たい。愛称ではなく、畏怖の念を伴った冷たい称号に思えるのだ。

 それはフミだけでなく、シェンリンも同様だった。

「やはり甲州撤退戦以降、特に百合ヶ丘のリリィは皆不安でしたから。美鈴様を殺したのはユユ様だと心無いことを言う方も大勢いらっしゃいました。『死神』とはまさしく蔑称だったのですよ」

 伝説のアールヴヘイムの、やはり伝説的な存在、川添美鈴。その死が与えた影響は、外部の者が想像するよりもずっと大きかった。しかし。

「しかしそれを変えたのもまたユユ様自身です。ユユ様がおっしゃっていたように、あらゆる悪評に、ユユ様は言葉でなく行動で示されました。その結果、蔑称だったはずの『死神』は、いつしか称号と化したのです。そのことを、私は素晴らしく尊敬しております」

 フミは、その言葉を不思議な気持ちで聞いていた。シェンリンが内心を語るなど滅多にない。何にも興味のないような顔をして、ちゃんと人並みに関心を持っているのだと分かると、楽しいような不思議なような、妙に嬉しい気持ちになる。

「お主もユユ様を心配しておったのじゃな? 全く、思いは言葉にせんと伝わらんぞ」

 ミリアムの言葉にフミも同意したいところだったが、その時には

「何ですか。言わなくても伝わらなくては一流とは言いませんよ」

 と、いつものつれないシェンリンに戻っていた。

 一方、楓は片目を閉じて「蔑称、称号と来ましたらその先ですわ」と意味深なことを言った。「その先、ですか?」

「シェンリンさんは称号とおっしゃいましたが、私としてはそれは枷でもあると思うのです。確かに、リリィ界が不安になった時は、誰かが『伝説』となり皆を勇気づけることが必要です。それが、あの頃のアールヴヘイムであり、孤高のリリィ、ユユ様だったのです」

 どうして当時1年生ばかりだったアールヴヘイムが伝説になったのか。それはきっと、甲州撤退戦の存在と無関係ではない

「しかし、ユユ様もただの人間です。『伝説』でも何でもありません。皆に(おそ)れ敬われてばかりでは息苦しいことでしょう。今はもう、その称号を乗り越えて、死神でも伝説でもなく、ただの1人のリリィとして在るがままに受け入れられるべきだと思うのです」

 枷、伝説、畏怖の念。楓が言いたいのは、『ユユ様は恐くないと皆が知るべきだ』ということだった。つまり、イメージアップキャンペーン。そこに話は戻ってくる。

「何ですか。思い付きのように見えましたが、実は温めていたアイディアだったのですね」とシェンリン。

「別にそういう訳ではありませんわ。ただ、いつまでも過去に囚われるべきではございませんから。リリさんの隣に辛気臭い顔は似合いませんわ」

 シェンリンは、楓の言葉に目を瞑った。

「何にせよ、孤高のリリィにはもうサヨナラじゃな」

「当り前ですわ。あのリリさんが隣にいるんですもの。いつまでも孤高を気取らせては差し上げませんわ!」

 視界の先では、ユユがしおりと別れてこちらに帰ってくるところだった。その帰り道、普段より親しみを持って挨拶をされているように見えるのは、フミの思い込みだろうか。

 リリィオタクとしては、イメージが壊れることを残念に思うことは間々ある。例えば、完璧だと思っていたリリィが実はだらしない一面があると分かると……それはそれで興味深いのだが、どこか残念な気持ちになったりする。『ずっと完璧なアイドルで居て欲しい』というオタクの願望があるのだ。

 しかし、ユユ様に関しては、そのイメージが壊れることに対して、残念さではなく嬉しさ。失望感ではなくワクワクを覚える気がして。やはり楽しいような不思議なような、妙に嬉しい気持ちになるのだった。

 

-6-

 

 ユユが帰ってきて、次のターゲットについて相談する段になっても。

「何ですか、皆さんニヤニヤして。また変なことをたくらんでいるのですか?」

 4人とも全くユユの信用がなかった。しかしそれすらも今のフミにはくすぐったく、いよいよニヤニヤしてしまい、いよいよユユの不信感がピークに達するのだった。

 その所為か、ユユはしおりと何を話したか教えてくれなかった。

「さて、次は誰がよろしいでしょうか?」と楓。

「もう割と目的を達している気もしますが……」(フミ)

「何をおっしゃいますか! ようやく『ユユ様のイメージ』という錆びれた車輪が動き出したのですわ! ここで止めては元の木阿弥というものです」(楓)

「言い方は物言いですが……鉄は熱いうちに打てと申します。しおりさんのおかげか、周囲の私を見る目が少し変わったのを感じます。この好機を逃したくありません」(ユユ)

 いつの間にか、ユユ様も積極的になっていた。

 こうなってくると俄然応援したくなるのだが……ユユ様と仲の良い1年生って……誰かいましたっけ?

 その時、ふとフミは閃いた。

「そういえば初代アールヴヘイムにも後輩の(かた)が入る予定だったんですよね?」

 『しおり-聖様-美鈴様-初代アールヴヘイム』といういつかの連想が頭を巡り、そのことに思い至った。美鈴としおりにさえ面識が(多分)あったのなら、初代アールヴヘイム関連、特に『新入メンバー予定だった1年生』とユユは間違いなく面識がある。

 知っているだけでも立原紗癒(サユ)さんと、坂樺埜(かほ)さんが~とフミは続けようとして。

「フミよ! そんな有名リリィたちはしおり同様忙しいじゃろ。……まぁ、しおりは偶然手が空いておったようじゃがの。もう少し手が空いている者を攻めてはどうかの」

 ミリアムがささっと提案した。

「……別にいいじゃありませんか。良い着眼点だと思いますよ」とシェンリン

「よく分かりませんが、何も忙しい方から時間を拝借することもないのではございません? それに、有名リリィとしか話さないと思われるのも良くありませんわ」と楓。

「そうですね。あの子達とは、また別の機会に話したいと思います」

 という訳で、ユユの一声でお流れになった。ただ、フミは……シェンリンさん、少しピリピリされてます……? 理由は分からないが、何となくそんな気がした。

 もしかして、初代アールヴヘイムがNGワード? いえ、先程シェンリンさん自身が話されてましたし……?

 まぁ、今考えるようなことではありませんね。

 フミはさっくり頭を切り替えた。

「それでしたら、ユユ様に物怖じしないような方が良いですかね。タヅサさん……あとはルイセさんとかですかね?」

 言った後で、我ながら何とも言えないチョイスだなとフミは思った。

「あら、ルイセさんですか。いつの間にか随分と仲良しになったものですね」とシェンリン。

 ルイセ・インゲルス。サングリーズルの強化リリィである。最近、取材を行ったこともあって、ふと名前が挙がった。

「ルイセさんですか……」

 ユユはピクリと眉を動かした。(……これがいかなる感情を表しているのか、未だにフミには分からないのだった)

「お? ユユ様もご存知なのかの?」

「それは名前くらいは耳にします。フミさんとは仲良しなのですか?」

「いえ、他意はありませんが……」

 フミとしてはそれなりに仲良くなったつもりなのだが、他人にそうと言うのはまだ恥ずかしい気がする。

 そもそも、彼女もSSSレギオン所属のリリィであり、(何となく気安いイメージがあるが)便利屋では決してない。安易に提案していいリリィかと言えば微妙だった。

「まぁ、今は次の遠征までの休暇期間ですから。簡単になかなか会えるとは……」

 と何気なく視線をあげると、廊下の先からルイセが歩いてくるのが目に入った。

 え、これそういうパターンなんです?



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第4-11話 vsイメージ戦略その2

「しかし本当に便利屋みたいな人ですね……」

 少し離れたところから観察しながら、フミはぼやいた。ルイセはユユ様が話しかけてくるのを見て、ぎょっとした様子だった。それでも大して取り乱しもせず話しているのは、一流が一流ゆえなのかもしれない。

「しかし彼奴(あやつ)が何と言うとるか、大体想像できるのが面白いの」

 『え!? ユユ様じゃねぇですか!』とか言ってそうである。

「……いえ、流石にユユ様相手にざっくばらんな口は利かないのではありません?」(楓)

「まぁ、ああ見えて一流リリィですからねぇ」(フミ)

 SSSレギオンの期待の新メンバー。他のメンバー(ヒバリ様とか)がぶっ飛んでいて目立つだけで、ルイセも折り紙付きの実力者だ。

「それで、フミさんはいつの間にルイセさんと……って、遠征に行ってらしたから、ここ1~2週間のことでしょうけど」

 サングリーズルは5月頭から5月下旬までの数週間、遠征に行っていた。

「どうせその取材じゃろ」とミリアム。

「それだけにしては、妙に信頼されているではありませんか」と楓。

「何ですか。リリさんの次はフミさんですか?」(シェンリン)

「何を。単純な疑問ですわ」(楓)

 言い合いを始めそうな2人に、フミは慌てて口を挟んだ。

「いえ、最近取材をしたので記憶に残っていただけですって! 1-1(いちいち)で話すと楽しい(かた)ですし」

「まぁ、妙ちきりんな口調じゃからな」

 ミリアムさんが言いますか……? ツッコミ待ちだろうかとフミはちょっと悩んだ。

 しかしツッコむより先に、ミリアムが口を開いた。

「それより、今の内に聞いておきたいのじゃが……」

 ミリアムは言いにくそうにフミの腹部を差した。

「お主、お腹の包帯は何なのじゃ?」

 フミは、意図的に表情を隠した。

「別に。ちょっとかぶれてるだけですって」

 ……この件に関しては、リリからも楓からもユージアからもミリアムからも、何度も何度も聞かれている。そりゃ、痣が治ったと思ったらまた包帯を巻いているのだ。一緒に風呂にも入るのだから、気にならない訳がない。

「前にも言いましたが、ご病気の兆候があれば恥ずかしがらず診ていただくべきですよ」

 これも何度も聞いている。

「大丈夫です、もうほとんど治ってますから」

「本当に怪我の類ではないんじゃの?」とミリアム。

「だからそう言ってるじゃないですか」

「ルイセさんとは関係ないんですよね?」と楓。

「なんでルイセさんなんです……?」

「それじゃあしおりと関係あるのかの?」とミリアム。

「だから、ただのかぶれですって」

 フミは、憮然とした表情を一切変えずに言い切った。

「強情じゃのぅ……」とミリアム。

「ここでも話さんということは、リリがいるからという訳では」

「だからリリさんは関係ないでしょう!」

 急に怒気を顕にしたフミに、ミリアムと楓は目を丸くした。

 フミも驚いた。どうしてこんなに声を荒げたのだろう……。

「あっ、その、すみません、急に大声出して……」

「いや、その……わしもくどくどとすまぬかったな……」

「フミさん、その……いえ、何でもないのでしたら、良いのですが……」

 一同に、気まずい雰囲気が流れた。

 そんな中、シェンリンだけが澄ましていた。

「訳ありということですよ。秘密の一つや二つ、誰しも抱えているものです」

 そうであるからこそ、聞くべきでない。

 メンバーの内、シェンリンだけはフミの態度に同調的だった。……ただし、それはそれで事情を察されている気がして、フミとしては落ち着かないのだが。

「まぁ、誰だって聞かれたくないものはあるからの」とミリアム。

(わたくし)は隠し立てなどありませんが。聞かれれば何だって答えますわ」とシェンリン。

 相変わらずツンと澄ましていた。

「それでしたら、ユージアさんとどこまで進んでいるのか伺いたいものですが?」(楓)

「ご想像の通りです」

「接吻とはどのようなものなのじゃ?」(ミリアム)

「一般論ですが、さくらんぼの甘酸っぱさが近いとか」

「今、リリさんとユージアさんは別行動ですけど、お二人が一緒にいることは気にならないのですか?」(フミ)

「後でお仕置きですわね」

 ……。ポーカーフェイス過ぎて冗談とも本気とも取れない。

 何と言いますか、プロですね……色んな意味で。

 そんなことを考えていると、視界の先では、ユユがルイセと別れてこちらに帰ってくるところだった。……しまった、話に夢中で全然見ていませんでした……。

「まぁ、ルイセなら適当にやったじゃろ」「ルイセさんなら大丈夫ですわ」「ルイセさんですから」

 扱いが雑であった。

 ……まぁ、ルイセさんなら大丈夫ですか。

 結局、便利枠扱いなのだった。

 

-7-

 

 フミはちょっとドキドキしながら廊下を歩いていた。その隣にはユユ様。あの伝説のユユ様と肩を並べて歩けるなんて、ほんの数か月前まで恐れ多くて想像すらできなかった。

 しかも、その『伝説』を打ち壊すためにこうしているのだから、人生とは何があるか分からないものである。

「何だか嬉しそうですね、フミさん」

「それはそうですよ! ユユ様とご一緒できるなんて……! これは完全に役得ですね!」

 数分前。次のターゲットを決める際、ユユから『外部の下級生でなくても構わないのではないか』と提案があったのだった。

 それは盲点だった。確かに、適任かつ暇なリリィを探すまでもなく、ここに4人もその候補がいた。

 というか、リリとセットになりすぎていることが、ユユ様の偏狭なイメージを助長している感があった。むしろ、仲間内でリリ以外と2人で歩くことの方がイメージアップには大きく貢献しそうだった。

 思考の柔軟さは流石ですね~、とフミ。やはり、あらゆる点で尊敬できるリリィなのであった。

 

-

 

「行きましたわね……」と楓。

 ユユ様の提案は、渡りに船だった。

 もちろん、その提案はイメージアップキャンペーンの趣旨とも合致しているし、この4人の中で最も適任なのも新人のフミだった。

 しかし、どちらかと言うと3人は別の理由でフミを推した。少し、フミのことで相談したかったのだ。

「フミが声を荒げるとは……やはり何かあったのかの」

「私はルイセさんと何かあったと踏んでいたのですが……見当が外れましたわ」

 深刻な顔のミリアムと楓に、「詮索は不躾ですよ」とシェンリン。

「先程申し上げた通り、『訳あり』なのでしょう。詮索するべきではありませんよ」

 それでも、楓は複雑な表情をした。

「それはそうなのですけど……異変は明らかに『あの日』以来ではありませんか」

 あの日。フミは急な『体調不良』で講義を欠席し、腹部に包帯を巻くようになった。

 その後の動きの鈍り方も、体調不良とは明らかに違う。恐らく、何かしら負傷を負っている。

「ここまであからさまにされて、見て見ぬふりというのも難しいものですわ」

 ミリアムも、楓に賛同した。

「わしもフミに何かあったのなら力になりたいと思う。……まぁ、彼奴(あやつ)の反応から見るに、トラブルではなさそうじゃがの」

 むしろ、生き生きしているようにすら見える。それが余計に何があったか混乱させる。

 しかしそんな状態で、シェンリンだけが大して興味を示さないのだった。それは不可解ですらある。

「もしかしてですが……シェンリンさんは、フミさんに何があったのかご存知なのですか?」

――あの人に関わると碌なことになりませんよ――

「見当くらいは。……まぁ、タブーに触れてしまったということかと」

 タブー? と怪訝げなミリアム。一方、楓はそれ以上は追及しなかった。シェンリンが知っていて『詮索すべきでない』とは、きっと知らない方が良いことだ。

「不甲斐ないですわ。ずっと一緒にいる私の(ほう)が気付けないなんて」

「仕方ないでしょう。百合ヶ丘のことは、百合ヶ丘に居なくては分かりませんから」

 と言うことは百合ヶ丘関連の……と言いかけて、ミリアムは口を止めた。

「いや、止めておこうかの。お主が問題ないと判断したのじゃ。ならば、わしもそれを信用しよう」

 楓もミリアムに倣った。

「信頼と妄信は紙一重なのですが……。アナタが黙っているということは、そうであるべきなのでしょう」

「あら。貴方に評価いただいているとは思いもしませんでした」

 シェンリンは驚いた振りをした。

「一緒に居れば嫌でも分かりますわ。判断力、分析力、視野の広さ。戦場だけではありません。常日頃から、人間というものが分かっている動きですわ。アナタは間違いなく良質な司令塔タイプのリリィです」

 ほぅ、とミリアムは感嘆の声を上げた。楓が正直に人を褒めるのは珍しかった。

 と思いきや、一言付け加えた。

「……ただし、何を怯えているのかとは思いますが」

 シェンリンは、不機嫌そうに楓を見据えた。

「それをおっしゃるなら、貴方のリリさん贔屓(びいき)にも物言いです」

 今度は楓が不機嫌になる番だった。

「リリさんのことはアナタに関係ないではありませんか」

「関係ないとはお言葉ですね」

「2人ともちょっと落ち着かんか」とミリアム。

「フミの話はともかく、リリで言い合うのは脱線しすぎじゃぞ」

 しかし、シェンリンは引かなかった。

「フミさんに関係するのですよ。……貴方、フミさんとリリさんを同列に扱っているつもりで、フミさんを蔑ろにしていますね? 表面上の話ではありません。本音の部分です。フミさんを一人にしたのもそうです。もしリリさんでしたら、何があっても付いていったでしょう? ……その不均衡を自覚していないのは問題ですわよ」

 楓は反論しようとして言葉に詰まった。そんなことはない。そう言いたいのだが――そう思っていたのだが――、思い当たる節が、多すぎる。図星だった。

 代わりに、別の部分に噛みついた。

「お待ちなさい、シェンリンさん。まさかあの時、こうなることが分かっていて、フミさんを一人で行かせたのですか?」

 見当が付いているとシェンリンは言った。そして言外に、楓は止めるべきだったとも。

 分からずにやったのと分かってやったのでは、意味合いが変わってくる。半ば居直りであるのは楓も承知している。それでも、それは黙って聞き流せるような話ではなかった。

 しかし、シェンリンは詰まらなそうに口を開いた。

「予感はありました。チャームを持たずに席を立つとは愚かだとも思いました。……しかし思いのほか痛い思いをしたようで安心しました。これで、二度とチャームを手放すことはしないでしょう」

 事も無げにいうシェンリンに、楓は表情を消した。

 険悪な空気に、ミリアムは視線を慌ただしく動かした。

「お主ら……少し……」「アナタは黙ってなさい」

 ピシャリと冷たい声の楓。視線はそのまま、シェンリンに向けられた。

「なるほど。そういうお考えですか。アナタは優れた司令塔だと思っていましたが、そうではありませんでしたのね」

 楓とシェンリンはお互いに視線を外さない。

「アナタは優れた司令塔などではなく…………ずば抜けて優れた司令塔だったのですね」

 楓は、苦々しくシェンリンを称賛した。

 危険を正しく把握し、それでもリスクとリターンを天秤に掛けること、そして自分ではない誰かにリスクを負わせるのを躊躇しないこと、それが司令塔の仕事である。

 分からずにやったのと分かってやったのでは、意味合いが変わってくる。こうなることが分かっていて、それでも相応のリターンがあると判断したなら……そして実際にフミにポジティブな影響が現れた現実を見るなら……シェンリンの判断は的確だったと言える。

「貴方も優れた司令塔であるようで」

 シェンリンはニッコリと笑った。

「優れたではありませんわ。『ずば抜けて優れた』ですわ!」

 途端に仲良さげにする2人を見て、ミリアムはようやく脱力した。

「そういうのは止めてくれんか……心臓に悪いぞ」

「まぁ、リリさん贔屓に関しては冗談では済みませんが」

 楓も、それは分かっていた。

「申し訳ございません。リリさんに集中しすぎてフミさんに不注意でしたのは私のミスですわ」

 痛恨といった風に項垂れた。

 ……ところで、ミリアムはずっと不思議に思っていた。

「どうしてリリに拘るのじゃ?」

 確かに、リリには目を見張るものはある。入学式に共に出撃した経緯もある。それでも、世界レベルのリリィ(楓)が素人リリィ(リリ)にここまで入れ込むのはどうも解せなかった。

「止めておきましょう。リリさんにとってのユユ様、私にとってのユージアさん。他人にとっては理解できないものがあるものです」

 と、入れ込んでいる当のシェンリンに言われると、ミリアムもこれ以上言及できなかった。

「まぁ、そうじゃな……それより、フミのことじゃったな」

 ミリアムは頭を切り替えた。

「わしには何のことか分からんが、このまま放っておいていいものかの? あまりに冷淡すぎるように思えるのじゃが」

 大丈夫ですよ、とシェンリン。

「それより問題は、フミさんがリリさんに劣等感を抱いていることです」

 ミリアムは驚いた。

「まさか……そんな風には見えぬが……」

 しかし、楓は苦い顔をした。

「薄々は私も……。やはり、私のリリさん贔屓が悪いのですが」

「いえ、そんなことはありませんよ。自覚がなかったのは愚かしいですが、いつかは直面する問題でしたから」

 ……ずいぶんとばっさりとした評価だが、その通りだった。楓は、リリが絡むと判断が鈍る。自分の不甲斐なさにため息を吐いた。

「そうか、フミは一応、経験者じゃからの。初心者のリリに、実戦経験も抜かれ、先にお姉さまにも見初められ……考えてみれば、焦って当然じゃな」

「逆にリリさんだって、いくらかフミさんに劣等感を覚えている筈です」

 またもミリアムは驚いた。

「まさか……そうなのか?」

 楓は、やはり苦い顔をした。

「良くご存知で。決して口には出さないのですが、時折……。例えば、レアスキルは分かりやすいですわね」

「あー、そうか。リリはまだスキルがなかったの……」

 百合ヶ丘高等部で、レアスキルを持っていないリリィは珍しい。同じスキラー数値50のフミでも、鷹の目を持っている。リリもまた焦りがあるのは間違いない。

「ユユ様に(たしな)められて、一時期は収まったのですけど……ってシェンリンさん? 何か?」

 何か言いたげな顔をしているのを見て、楓は怪訝に思った。シェンリンは、言いたいことは言うタイプの人間の筈だが。

「いえ。もしかして、リリさんは『カリスマ』ではないかと思っていたのですよ」

 カリスマ。類まれな統率力を発揮するレアスキル。発現者が少なくその実態は分かっていないが、単なる支援スキルと見ても破格の性能を誇っている。

 人を惹きつけるその有り様、ユユ様の暴走を止めた一件、そして何よりフミと異様な連携を決めた一件。リリが『カリスマ』と考えれば説明も付くのだが……。

「しかし、判定は『スキルなし』なのじゃろう?」とミリアム。

「私も『カリスマ』の可能性は考えましたわ。しかし学院に問い合わせましたが、まだよく分からないそうです。確かにそれらしき特徴は見られるのですが、波形パターンが一致しないとか。そもそも、『カリスマ』は低めの数値で発現するとはいえ、50で発現する例は……まぁ、絶対数が少ないのでまだ分かりませんが」と楓。

「そうですね。まぁ、この話は忘れてください」

 閑話休題。

「結局、フミとリリの劣等感は……何と言うか『隣の芝は青い』という奴じゃの」とミリアム。

「どんぐりが背のびしていて微笑ましいじゃないですか。まぁ、お二人が言い合いでもしてくれれば早いのですが」

「喧嘩どころか険悪な空気になったことすらないからの」

 リリもフミも、人に怒りをぶつけるタイプではないのだった。

「ただ、今日のフミさんを見るに、溜まっているものはありそうです」と楓。

「一番良いのは、当人同士、洗いざらい胸中を晒しあうことですわ。私たちに相談いただければ誘導は致しますが……やはり、こちらから手出しをする問題ではありませんね」

 難しいのぅ、とミリアム。結局、当事者以外にできるのは見守ることだけだった。

「……というかお主ら、いつもそんなことを考えとったのか」

 正直、ミリアムは驚いていた。

「司令塔として当然のことですわ」と楓。

「あら。ミリアムさんまで劣等感ですか? よしよしして差し上げますよ」

 子ども扱いするでない! とミリアム。

「まぁ、何にせよ、彼奴(あやつ)ら自身が何とかせねばならんのじゃな」

 そう言いつつも、裏側を知るとどうも焦れてしまう。

 そんなミリアムと対照的に、司令塔の2人は呑気に見えるほど落ち着いていた。

「忍耐力も一流には必要ですわ」

「あら、果報は寝て待てと申します。忍耐は努力ではなく楽しまなくては」

 ……わしもフミらも、こやつらと同じレギオンで良かったのやら悪かったのやら。少なくとも、楓もシェンリンも大人物(だいじんぶつ)であるのは間違いないが。

 フミもリリもどうか頑張ってくれと、微力ながらミリアムは願うのだった。

 

-

 

 一方、その頑張らなくてはならない当のフミは、

「へぇ、辛い食べ物がお好きなんですね~。リリィおススメの料理屋さん特集……そういうのもアリですね!」

 非常に呑気であった。

「貴方はいつもそれですね」

「職業病ですから~」

 とはいえ、流石にメモ帳を出すのは自重している。目的はあくまでイメージアップキャンペーン。取材ではなく後輩との会話でなくてはならない。

「一応忠告しておきますが、部活動に属さない取材活動というのはあまり良く思われませんよ」

 突然、ユユは妙なことを口にした。

「え? でも、学院からは許可が出ていますよ?」

「リリィの自主性を建前にする以上、禁止はできません。しかし、シビアな情報管理が求められる学院からすれば、あちこち嗅ぎまわる人間とは目障りなものです」

 フミは驚くというか、感心してしまった。なるほど、その発想はなかった。

「取材をやめろとは言いません。ただ、事件に巻き込まれぬようゆめ注意することです。危険を感じた時は、すぐに私に相談なさい」

 フミはあまりピンと来なかったが、気遣ってもらえるのは嬉しかった。

「分かりました。ご忠告ありがとうございます」

 と、手拍子で返事をしたフミの内面を読んだかのように。

「私はそんなに頼りないでしょうか」

 ユユが責めるような口調で言うので、フミはドキッとして足を止めた。が、ユユは構わず歩いていくので、慌てて小走りで追い付く。

「さくあさんとトラブルがあったそうですね」

 フミはまたもドキッとして転びかけた。

「そ、それをどこで……?!」

「しおりさんとルイセさんです。全く。私に頼らない癖に、引き抜きがあった両レギオンの同級生には頼るのですね」

「それをどこで……?!」

 驚きすぎて、同じ反応を繰り返してしまった。水夕会の噂はともかく、サングリーズルの方はマイナーな話である。孤高のリリィたるユユ様が一体どこでそんな情報を……? これもルイセさんが……?

 ユユは、ため息を吐いた。

「それくらい耳を塞いでも回ってきます。それなのに貴方は、引き抜きの件も相談しませんし、訓練も、しおりさんのコーチの件だって全く相談がありませんでしたよ。マギ理論の小テストも、相談されればそれなりに手伝いました。メンバー集めだってそうです。今日まで私に一言も相談も報告もしないではありませんか。ルイセさんを引き抜こうとしていたなんて、(まつり)さん(※ユユのルームメイト)経由で聞いた後、貴方方から一切名前すら上がっていません」

 言われてみれば……確かに、あまりに独りよがりだった。

「すみません……自分たちで頑張るものだと思っていまして……」

「その自主性の高さは誇るべきものです。私もそれを重んじるべきだと口出ししませんでしたが……、しかし、さくあさんの件は、貴方の口から聞きたかったと思います。私は後輩から信用がないのかと悲しくなってきますよ」

 フミは「そんなことないですよ……」と言うものの、我ながら説得力がないものだと思った。

「貴方は人に頼ることを覚えるべきです。私はリリさんのお姉さまなのですよ。友人の姉は他人ではありません。もっと気軽になるべきです」

 そう言われてフミは、昔、友達の家で妹ちゃんと一緒に遊んだことを思い出した。後日、学校であった時にその妹ちゃんから挨拶をされた。

 そうですか、他人じゃないんですね……。友達のお姉さんとは、そういう距離感なのかもしれない。

「何でも自分で抱えてしまって申し訳ありません……。ただ、さくあさんの件はどうかご内密にお願いします……」

 それでもなお、自分で抱えようとするフミに、ユユはため息を吐いた。

「詳しいことは私も教えていただいておりません。それに、貴方のことを考えれば公表などできませんよ」

 随分と気遣っていただいているようで恐縮だった。

「それで、リリさんのことで私に言うことはありませんか?」

 『リリ』という単語に、今までと別の意味でドキッとした。

「その……あの……、確かに、リリさんには対抗心はありますが……それはライバル意識と申しますか、その……」

 見透かされているような気がして、フミはたどたどしく捲し立てた。

 ユユは、小さくため息を吐いた。

「分かりました。貴方は自主性の高いリリィですが、こと相談に関しては自主的になれないようですね。来週の同じ時間、また同じように2人で話し合いましょう」

 それはリリィオタクとして魅力的な提案の筈なのに。

「はい……はい、ありがとうございます!」

 フミは営業スマイルで誤魔化した。

 結局、フミは最後まで自分で抱えようとするのだった。

 

-7.5-

『番外:リリと、ユージアと、カチューシャちゃん』

 

「ユユ様ってシルトに厳しくないの?」

「そんなことないよ! 4月だってチャームとの契約も教えてくださったし、チャームの訓練もしてもらって、それに、焦ってた私に『完璧じゃなくて良い』って。まずは一人前を目指せばいいって!」

「へ、へぇ~……まずは一人前って、やっぱりスパルタなんだ……。でも、厳しいだけじゃなくて、リリさんには優しいお方なんだね?」

「私やシェンリンにも、アドバイス……してくれるよ?」

「え? ユージアさんって射撃も近接も完璧じゃないの?」

「ううん! そんなことないよ……! 保守的過ぎるから、もっと前に出なさいって……」

「えっと、やっぱりスパルタ……?」

「あ、あはは……」

 

「リリさんってどうして、ユユ様とシュッツエンゲルになりたかったの?」

「え? どうして?」

「だってその為にわざわざ百合ヶ丘まで来たって聞いたから。私だったら、それだけの為に来るなんて…………あ! ごめんなさい、別に非難してる訳じゃなくて……」

「リリ。私も知りたい。ユユ様との馴れ初め……!」

「え~? でも、百合ヶ丘に来たのはシュッツエンゲルなんて全然……そりゃあなれたらいいな~ってちょっとは思ってたけど……。ただ、甲州撤退戦でユユ様に助けられたから、もう一度会いたいなって思って……」

「甲州撤退戦……」

「あっ! ごめんなさい! あんまり良くないんだよね……戦いの話って……」

「ううん! そんなことない! だってアールヴヘイムの初陣だもん。私、アールヴヘイムの大ファンなの!」

 

「アールヴヘイム……。私も、名前は知ってる」「名前だけですか!?」

「えっ? あの……」

「作戦成功率100%! あの(カオル)様が主将を務めた伝説のレギオンですよ!! メンバーにはユユ様だけじゃなくて薫様から主将を引き継いだ千華(チハナ)様だって! チハナ様はチャーム開発から戦闘まで何でもできる天才で非情にも見える決断だってできる真に司令塔としての才能がおありでどうしてあのお方がジーグルーネの職を辞さなくてはならなかったんですか!? そうすればカオル様が次期ジーグルーネになる可能性だってアールヴヘイムも解散せずに今でも活躍してもしかしたらご一緒に出撃できる機会だってあったかもしれないのに……!!」

「「…………」」

「あっ……あ、その……ごめんなさい、その、あんまりお話する機会がなくって……」

「なんだか……フミみたい……」

「ユージアさん、失礼だよ!」

「あの……それはフミさんに失礼じゃ……」

 

「私、ユユ様にお会いできて、それで満足できると思ってたんだけど……。お会いしたら、全然、雰囲気が変わられていて……どこか、悲しそうだったから……。私、何があったか知りたくて。それで勢いでシュッツエンゲルのお願いをしたの」

「すごくリリらしいよ……!」

「うん……それに、ユユ様とリリさんって何だかピッタリって感じ」

「そうかなぁ……?」

「うん……! お似合いだよ?」

「リリさんってやっぱりすごいよ。リリさんのレギオンって聞いて面白そうだと思ってたんだけど、ユユ様に楓さん……気付いたらシェンリンさんにユージアさんまで入ってて……」

「でも、私は初心者だから……」

「ううん。リリさんはきっとすごいリリィになれる……」

 

「私も……リリさんみたいに行動出来たら、何か違ったのかな……」

「え?」

「……実は、私も……アールヴヘイムに憧れて、百合ヶ丘に来たの……」

「へぇ~そうなんだ……!」

「なんだか……リリみたい……」

「ユージアさん、失礼だよ!」

「え? リリさん、あの……その、ええ?」

「リリ! リリに失礼だよ!」

「ゆ、ユージアさん……?」

「…………あ。冗談だよ?」

「ふふっ。ね、面白いでしょ? ユージアさんって結構冗談も言うんだよ?」

「……やっぱり、私もリリさんのレギオンに入れば良かったかなぁ」

「まだメンバーは募集中だよ?」

「今なら特典付き……!」

「うーん……もうお姉さまのレギオンに入ってるから」

「……お姉さまごと……」

「ゆ、ユージアさん……?」

「…………あ。冗談だよ?」

(本当に冗談なのかなぁ……?)

 

「お姉さまも……アールヴヘイムの大ファンで。たまたま話をしている内に仲良くなったの」

「アールヴヘイムが恋のキューピット……!」

「へぇ~、お姉さまたちがキューピット!」

「フミさんとも色々話したことがあるんだけど……」

「え!? フミちゃん?」

「……? だって有名なリリィオタクだもの。……でも、私がビックリするくらい色々知ってて……。それに……」

「……?」

「……先輩に甲州撤退戦のことを聞いて回ったり、上級生にずばずば聞いたり……それに……」

「もしかして……フミ、お姉さまに失礼した?」

「ち、違うよ! そうじゃなくって……あの、フミさんって……水夕会と何かあったり、とか……」

「え゛!?」

「あっ、やっぱり……」

「ううん! しおりさんと、ちょっとお手合わせしてもらったというか、コーチをしてもらってるというか……!」

「……あの……さ、さ……水夕会主将の……その……」

「さくあさん?」

「リリのクラスメイトの?」

「そ、そう……あの人に取材……? 分からないけど、みんな恐れ多くて簡単に話しかけたりできないのに……。フミさんも只者じゃないよね……」

「うん……フミちゃんは……すごいもんね!」

「うん! リリもフミも……すごいリリィになれるよ……!」

 

「そうだ! アールヴヘイムが好きだったら、ユユお姉さまと……!」

「え?」

「ユージアさん、言っちゃっていいかな?」

「うん! リリに任せる……!」

「? どうしたの?」

「実は今、ユユ様のイメージアップキャンペーンをしていて……」

 

-8-

 

 その後、フミのリリィ新聞には珍しい対談記事が載った。カチューシャの似合うまだ無名の1年生リリィと、百合ヶ丘屈指のリリィ、ユユ様の特別対談だ。

 フミの取材と違い、突っ込んだ質問はないものの、それ故にユユの人間性が表れた温かみのある記事となった。

 ゴシップ気味なフミの新聞にしては、異例と言えるほど幅広い層のリリィに読まれたらしい。フミの元には、いつになく大きな反響が帰ってきていた。

 イメージアップキャンペーンは大成功の(うち)に終わったと言うべきだろう。

 

 余談。

「あの、ちなみにですけど、アールブヘイムの推しリリィってユユ様だったり……?」

「あの……」

 カチューシャは口を濁した。

 ……何となく、ユユ様推しでないのは察していた。恐らく、彼女の推しはソラハ様……ではなく、それと双璧をなした、2代前の元ジーグルーネたる竹腰千華(チハナ)様……!

「あの、か、(カオル)、様……」

 の、シュッツエンゲルの林薫様ですか!?

「あ、はい……」

 そっちですか……とフミ。

 フミは寮長でもある薫様が少し……いや、かなり苦手なのだった。



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第4-12話 リリィ日和1

 6月某日。余った。

 午後の実技が夜間訓練に振り替えとなり、中途半端に時間が余った。

「全く。そういうことでしたら、事前にご連絡くださるべきではありません?」

「仕方ないですよ。急な出張なんですから」

 リリたち3人は時間を持て余し、演習場で訓練でもしようと話がまとまって。

「それなら私、お姉さまを呼んできます! 先に行っておいてください!」

 リリは、2人の返事も聞かずに飛び出した。講義中で人がまばらな校舎内、リリは1人で駆け出した。

 

 人がたくさんいる筈なのに、しんと静まっている。足を止め、耳を澄ませると先生の声が聞こえる。もっと耳を澄ませば、ペンの音、紙がこすれる音、おしゃべりの音、色々な音が聞こえてくる。見えないだけで、きっと何百人もの生徒がいる。みんながそれぞれ色んなことを考えて、それぞれの景色を見つめている。

 ふと、リリは自分が1人でいることに不思議な心地がした。楓さんとフミちゃん。数か月前まで赤の他人だったのに、今ではずっと一緒にいなくちゃ落ち着かない存在。大切な友達。

 窓から柔らかな風が舞い込んだ。見上げると、穏やかな日差しが学院とリリを照らしている。今日はリリィ日和だ。

 

-1-

 

 温かな日差しが窓から降り注ぎ、リリは、意味もなく伸びをしてみた。

 何だかぼーっとしていたくなる。穏やかな日々。穏やかな日常。最近は大きな事件もない。何だろう……私、百合ヶ丘に来て良かった……!

 何でもない日常に、リリは妙に充実感を覚えた。

(って! こんなことしてる場合じゃなかった!)

 早くお姉さまを探して、二人に合流しなくちゃ……!

 そう思って駆け出す直前、視界の先――と言っても、曲がり角のずっと先の窓越し――にしおりの姿が見えた。

「…………です……。……の……? …………から……」

 途切れ途切れに声が聞こえる……ような気がする。誰かと会話しているのだろうか。隠れるつもりはないのだが、何となくそろりと曲がり角まで近付く。

(あれは……ルイセさんとさくあさん?)

「フミの奴が言ってやがったんですよ」

 どきりとした。

「……そう申されましても、私たちはフミさんたちを引き抜こうなどと考えておりませんよ」

「それじゃあどうして稽古なんてつけてやがるんですか。遠征までキャンセルして、随分入れ込んでるじゃありませんか」

「まあ。遠征に行くか否かはレギオンの自主性に任されている筈ですわ。他レギオンに口出しなさるなんて、ルイセ様こそ随分と入れ込んでいらっしゃいますね?」

「そういう訳じゃありませんよ……ただ、オマエら、フミをボコボコにしたそうじゃねぇですか」

 引き抜き? 遠征? キャンセル?

 リリは学内の噂や情勢に疎く、それらの収集・分析は専らフミに任せている。水夕会が遠征をキャンセルしたことも、それが噂を呼んでいることも全く知らなかった。

 いや、そんなことよりも。

――オマエら、フミをボコボコに――

 リリはぎゅっと両手を握った。

 あの事件だ……! リリが不用意にチャームを抜いた、それでフミが青痣を作った一件。思い出すだけで、その痛々しさに胸が痛くなる。考えなしは他人も傷付けるのだと、リリは初めて思い知った。

 しかし同時に、『オマエら』という表現が不可解だった。しおりがリリらとトラブルがあったのは覚えている。しかし、さくあと何かトラブルがあった記憶はリリにはない。

「……あの子も口が軽いのですね」

「そんじゃマジでリンチしたんですか」

「ふふっ。リンチだなんて、そんなはしたないことなど致しませんわっ。ちょっとした指導でございます」

「オマエらにボコボコにされて落ち込んでやがったんですよ?」

「あら。それでは(わたくし)たちが何をしたのか、お聞きになったのですか?」

「……それは」

「そうでしょう? 私たちは、ただ体調不良を起こしたフミ様を介抱しただけ。それだけでございます」

 体調不良。

 さくあの言葉に、不意に、5月下旬のフミの不調を思い出した。

――ご心配、おかけして……いえ、しおりさんも……居ますから……――

 あの日。ほんの少し前まで元気だったフミちゃんに、一体何があったのだろう。どうして、しおりさんはフミちゃんのチャームを持って行ったのだろう。どうして、しおりさんがフミちゃんを介抱したのだろう。どうして、あの日からお腹に包帯を巻いてたのだろう。

 リンチって一体何だろう。

 リリは気分が悪くなり、その場にしゃがみ込んだ。

「テメェ、語るに落ちやがりましたね。さっきは指導って言ってたじゃねぇですか! 何か隠し事があるって言ってるようなもんですよ」

「私から一点申し上げるとしたら……フミさんは、随分とリリィ新聞にご執心されていますね?」

「はぁ? 意味が分からねぇですよ」

「ルイセさん……詳細を存じていないのでしたら、この件はこれまでにしてください」

「何ですか、しおりもグルって訳ですか」

「何と言われようと構いません。このことはフミさんの為でもあります。フミさんは貴女に詳細を話さなかった。そのことの意味をどうかお考え下さい」

 拳を握りしめる音が聞こえた。そして、すーはーと深呼吸。

「……ったく、変なことはしてねぇでしょうね?」

「良いご具合で」「さくあさん! ……その時のフミさんのご様子から分かるでしょう? それに、さくあさんの名前を出しても反応されないでしょう。……むしろ、そういう純粋すぎるところが私は心配なのです」

「仰る通りですわ。貴女もそうは思われませんか? ねぇ、リリ様」

 急に名前を呼ばれ、リリは飛び上がった。

 頭が真っ白になり、そのまま3人とは別方向へ走り去る。

「……と同じく、純粋な御方のようでございますから♪」

 さくあはころころと笑った。

 走り去る後ろ髪に、四葉の髪飾りが揺れている。

「……オイ、あれってまさか……リリですか……」

「……わざと聞かせたんですか……本当に、時々貴女は最低になりますね」

 額に手をやるしおりに、「あんまり褒めないでくださいな」とさくあ。

 そして再びころころと笑った。

 

-2-

 

 立ち聞きなんてしなきゃ良かったな……。

 フミが授業を欠席したのは、体調不良でも何でもなかった。

 さくあさんと喧嘩? ……でも、さくあさんとフミちゃんって仲良しだし……。

 さくあさんに指導を? ……それならどうして隠したんだろう。

 フミちゃんの為って何だろう。どうして講義を欠席したのだろう。お腹の包帯、しおりさんに付けられた怪我は治った筈なのに、どうして、しばらく付け直していたんだろう。

 リンチ……?

 リンチって何? 暴力って何? リリィ同士で傷付けあうの? どうして? 同じ人間なのに、どうして武器(チャーム)を向けあうんだろう……。

 …………。でも、フミちゃんは大丈夫だって言ってた。さくあさんとも仲は悪くない。喧嘩、指導、……リンチ。

 私は……どうしたらいいんだろう。聞かなかったことにしたらいいのかな。しおりさんも、分からないならそのままにするように言ってたけど……だけど……。

――フミちゃんはどう思っているんだろう。本当に大丈夫なの……?――

 気付けばリリは、楓とフミが向かった演習場に足が向いていた。

 2人に、フミにどんな顔をして会えばいいのかも分からないまま、入口を開けてそっと中を覗いた。

「やっ! はっ! たっ!」

 空気が張り詰める。

 フミは壁を蹴って斬りかかり別の壁へ。壁から壁、壁から床、そして天井、三次元的に空間を活用して、全方位から楓に攻撃を加える。そして銃撃。合間合間に銃撃を挟み、あらゆる角度から絶え間なく攻撃を加える。

 フミ1人でしているとは思えないほど激しい攻撃。切れ目のない連撃。楓に攻撃が当たっていない時間など1秒もない。

 リリは驚いた。あんな動き、いつの間に練習してたんだろう……?

 私の知らないフミちゃん。知らない間に知らないものを見て、知って、経験して、成長する。私なんかと違うから。私みたいに……。

 どうしてだろう。フミちゃんが成長して嬉しくないはずないのに。

――どうして、こんなにすっきりしないんだろう――

 リリは、こっそりと、扉を閉めた。

 

 連撃を終え、フミは息を切らしてチャームに寄りかかった。

「……はぁ、はぁ、……ど、どうですか?」

「うーん、やっぱりスピードもキレも全然ですわ。攻撃と攻撃の間隔が今の半分……いえ、せめて2/3程度にならないと、次の攻撃が見え見えですわ。これではカウンターしてくれと言っているようなものですわよ?」

「これで全力なんですけど……」

 フミは脱力し、へたり込みそうになった。

 先日見たしおりの超高速乱舞に刺激を受けて、フミは楓に手ほどきを受けていた。楓のアドバイスで移動中に銃撃モードでの狙撃を挟んだが、これが非常に難しい。

 空中での射撃自体はここ最近の猛特訓で形になったが……。斬って、変形して、撃って、壁を蹴って、撃って、変形して、斬って、変形して、撃って、壁を蹴って、撃って、壁を蹴って、撃って、変形して、斬って……忙しすぎる。

 壁を蹴るのは基本技術の移動やジャンプとあまり変わらず、思ったより難しくない。ただ、それもしおりのスピードをマネしようとすると、マギ操作が追い付かない。そもそも、マギも体力も全く持たない。

 結局、しおりよりずっと遅い速さ(それでも普段の1.5倍速くらい)で射撃を挟んだ連撃をするのが精一杯だった。それすら、何度も練習して、壁にぶつかったり地面に叩きつけられつつ、ようやく成功したところだ。

「まぁ、しおりさんごっこですし……」

「そんなヒーローごっこ感覚では困るのですけど」

「刺激になるからって楓さんも許可したじゃないですか」

 実際、この練習で感じるものはあった。一流の動きというものはマネしようとすればするほど、基本動作・基礎体力が重要と分かってくる。何というか、身が引き締まる思いだった。

「それにしても、リリさん、遅いですね」とフミ。

「全く、リリさんもスリーマンセルと申していますのに……」

「まぁ、不審者の件は続報がありませんし、きっと大丈夫ですよ」

 続報がないどころか超有力情報があったのだが、『諸事情』により非公開である。どちらにしても、フミとしてはもう終わった話のつもりだった。

「そうですわね……。あんまり過保護なのも良くありませんわ。リリさんも、フミさんも、伸び伸びと成長されるべきですから」

 楓の言葉に、「え? 私もですか?」とフミ。

「何です? 自分はもう一端(いっぱし)のリリィのおつもりですか?」

「いえ、そうではないですけど……。ほら、私ってリリさんみたいに危なっかしくはないじゃないですか」

 何の冗談だろうかと、楓は目を(しばた)かせた。

「私までリリさんみたいに子ども扱いされなくても良いと思いますが……」

 そう口にするフミは曇りない目をしており……若干、遺憾の意を覚えている節すらあった。

 楓はため息を吐いた。

「アナタもウチのお子様枠ですわ!」

 そして、フミの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

「わっ! ちょっと! セットが乱れるじゃないですか!」

「何を。いつも眠気眼(ねむけまなこ)に寝癖をセットして」

「ちーがーいーまーす! これはオシャレポイントなんです! 別に癖っ毛を直すのが面倒とかそういうのではありません!」

 反応がお子様だった。

 楓はそれを完全に無視して、フミの頭を軽くぽんぽんと叩いた。

「全く。(わたくし)のような一流から見れば、アナタ(がた)は、どちらも手のかかる子どものようなものですわ」

 フミは不服げな様子で楓を見つめていたが、ふと、楓の言葉に感じ入った。

 なるほど、確かにリリを見る楓の目は友人のそれとは異なっている気がしていた。改めて考えると、楓に対する見方も少し変わる。

 フミは腕を避けて一歩距離を取ると、自分の肩を両手で抱いた。

「うわっ……楓さん、リリさんだけに飽き足らず、私の身体も狙っていたんですか……?」

 フミは、ちょっと引いていた。

「ちょっと! なんでそんな結論になるんですの!」

 

-3-

 

 カフェテリアでは、珍しい組み合わせの2人が顔を突き合わせていた。

「ったく、オマエは誘ってもなかなか出て来やがらねぇんですから」

「貴方こそ遠征でお忙しいのでしょう? お互い様ですよ」

 シェンリンとルイセ。お互いに百合ヶ丘で長く、知らない仲ではないものの積極的に絡まない2人。

 恒例の奥まった誰も来ない席で、ただし、ルイセはやや穏やかでない空気を醸し出していた。

 あの後、シェンリンはさくあから(一方的な)メッセージを受け取った。シェンリンは面倒ごとを押し付けられた気分だったが、ルイセとしては願ってもないことだった。

「オマエ、ちゃんと新人共のケアはしてんですか?」

 フミの話を聞いてから、ずっと機会を伺っていた。シェンリンが優秀なリリィであることはよく知っている。しかしそれ故に、フミの話は看過できない。遠征が目前に迫る中、それでもシェンリンと腹を割って話せるなら時間は惜しくなかった。

 しかし、シェンリンは呑気な様子でカップを傾けている。

「ケアも何も、当たって砕けろですよ。子どもじゃないんですから」

「フミは悩んでいるみてぇでしたよ」

「悩みの一つや二つ、どんな人間でも抱えているものです」

「それをケアするのが司令塔の仕事でしょう」

「……フミさんがリリさんに劣等感を抱いている件ですか?」

 ルイセは少し驚いた。

「何ですか、知ってたんですか」

「ついでに申し上げれば、フミさんとさくあさんの間に何かあったことも知っていますよ」

 ルイセは荒っぽく席を立った。驚いたというより、苛立っていた。

「それじゃあどうして手を出さねぇんですか」

「あれこれ言っても仕方ないんですよ。自分で気付かなくては。そうでなければいつまでも同じ失敗を繰り返します」

 ルイセは、反応に困った。シェンリンに言われると、言葉に詰まる。

 一先ず腰は落ち着けたものの、しかしシェンリンに同意は出来なかった。

「……私はそうは思いませんがね。放って潰れねぇか心配ですよ」

「それで(わたくし)たちが過保護になっても、自立や成長を阻害するだけです。実際、フミさんは自分からルイセさんを頼ったのでしょう? 私が先手先手で動いていたら、この狭いコミュニティから繋がりは広がりませんでしたよ」

 ルイセは目を丸くしてシェンリンを見つめた。呑気な顔して、恐ろしく筋の通ったことを口にする。

「……結構、考えてやがるんですね」

「貴方とは違ってですね」

 何ですか……! とルイセ。澄ました顔をして、平気で毒を口にする。

 ルイセはため息を吐いた。しかし、これはどちらかというと安堵のため息だった。どうやら、フミのところの司令塔は想像の何倍も優秀なようだ。

「オマエの考えは分かりましたよ。ふざけたことぬかしたらぶっとばしてやろうと思ってましたが、やっぱ伊達じゃねぇですね。……まぁ、それでも、やっぱり私は心配ですがね」

 ぼやくルイセに、シェンリンはカップを置いた。

「貴方もしおりさんも、お二人を見くびりすぎです。お二人は、そんなに柔なリリィではございません」

 その口調はちょっと怒っているように思えた。そうだとすると、非情に珍しいことだ。シェンリンが喜怒哀楽を分かりやすく表に出すなど、ここ数年目にしていない。

「何ですか、オマエもそんな顔をするんですね」

「貴方とは違ってですね」

「……オイ、私は化物か何かですか」

 シェンリンは澄まして紅茶を口に運んだ。

 そして会話が途切れたタイミングを見計らったように、1人のリリィが小走りで駆け寄ってきた。

「遅れてごめん……!」

「ん? ユージアじゃねぇですか」

 2人の前で申し訳なさそうにした後、当然のようにシェンリンの隣に落ち着いた。

 実は、ユージアは『お茶会』とだけシェンリンに聞いていた。しかし所用があり、(都合良く)遅れてしまっていた。

 まぁ、用事を頼んだのはシェンリンなのだが。

「2人とも……何の話をしてたの?」

「ええ。実はルイセさんがフミさんとお近付きになりたいとかで、プレゼントの相談をされてしまいまして」

「ちげぇですって! アイツはどんだけ大物なんですか!」

「フミは……カワウソが好きだよ」

「いえ、ですから……え? そうなんですか?」

「カワウソを見る為なら、1人キャンプもできるんだって」

「へぇ、それはそれは……。まぁ、リリィとしてそのスキルは損ではないですが……。カワウソってそんな可愛いもんですかね?」

「同じ小物同士気が合うのですよ」とシェンリン。

 ……オマエ、やっぱ口(わり)ぃですね……、とルイセ。



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第4-12話 リリィ日和2

 百合ヶ丘はヒュージ迎撃の最前線だ。戦いに休みなどない。

 その日の出撃は、スモール級・ミドル級が複数だった。とは言っても、簡単な任務ではない。一体一体は大したことがなくとも、数でリリィたちを攪乱(かくらん)してくる。

 そこに、轟音と共に地中から巨体が飛び出した。ラージ級だ。

「リリ! 行くわよ!」

「はい! お姉さま!」

 ユユはヒュージに向け勢いよく飛び出し、リリはそれに付いていこうとして……前につんのめった。

(あれ?)

 マギ出力を間違えた? 違う。足元の地面が崩れた。そこからヒュージの鋭利な触手がリリに伸びる。

「リリ!」

 ユユは異変に気付いたが、飛び出した身体は止められない。リリは体勢を整えチャームを構える。避けられないが……受けられる! 大丈夫、練習通りにすれば……!

 しかし、それがリリへと届く前に、風が吹いた。触手は千切れ飛び、ヒュージの断末魔の叫びが響く。

 何が起こったか分からず、リリは呆けた。

「全く。戦場で油断は命取りだ」

「え? あっ、タヅサさん!」

 そこにいたのは、クラスメイトの安藤タヅサだった。

 高速のチャーム捌きで、地中に潜んだミドル級を瞬く間に葬り去った。

 助けてもらった。それに気付いて……リリはタヅサに抱き着いた。

「ありがとう!! タヅサさん!」

「こ、こら。だから戦場だって……!」

 タヅサは憮然とした顔をした……つもりだったが、傍目に見ると顔を赤くして少し喜んでいるようにも見えた。

 ユユは、その様をホッとして見つめ、しかし顔を引き締め「リリ! 付いてきなさい」鋭く命令を発した。

「……ほら、行くぞリリ」

「うん! タヅサさん!」

 2人は並んで飛び出した。

 百合ヶ丘はヒュージ迎撃の最前線だ。戦いに休みなどない。しかし、その中で紡がれる友情や絆は他で代えがたい輝きを放っている。

 

-4-

 

 昼過ぎ一番の授業とはどうして眠くなるのだろう。ご飯を食べると眠たくなると言うが、実はご飯とは関係なしに動物の本能の所為だとも聞く。まぁ、昼過ぎ一番でもなく、授業中でもなく、今ここで寝転がりたくなるのは、今日が昼寝日和だからかもしれない。

「タヅサ。オマエはレギオンに入らないのかー?」

「……そっくりそのままお返ししますが? マイ様」

 木陰で寝ころびながら話しているリリィは、タヅサとマイの2人。どちらもレギオンに属さない一匹狼のリリィだった。

「何だよー。オマエ、リリんとこのレギオンに入りたいんじゃないのか?」

 マイの言葉に、タヅサはぷいと顔を背けた。

「別に……そういうのじゃないです」

 分かりやすい奴だなぁとマイは笑った。しかしその反応も気に入らないのか、タヅサは抗議の声を上げた。

「一柳とはただのクラスメイトです。それ以上でもそれ以下でもありません」

「それにしては、戦場でいつも助けてるだろ?」

「それはアイツが新人で危なっかしいからです」

 それを聞いて、マイは静かに微笑んだ。

 タヅサは気付いていないが、この発言自体がタヅサの変化を表している。危なっかしい新人を助けるなど、以前のタヅサなら口にしたりしなかった。

「オマエ、リリと話して笑ってたぞ。最近は殺気も収まってる。猫たちと仲良くなってきた。なら、次のステップに進んでいいんじゃないか?」

 タヅサは体を起こした。顔に異議ありと書いてある。

「どうして猫と仲良くなったら次は人間なんですか。そもそも私は一人で居たくて居るんです。馴れ合いなんて、戦場では邪魔なだけです」

 マイは何も言わず、ただ愉快そうに笑った。マイに言わせれば、その発言は物言いだった。ここで出会って2か月……いや、初めて会った時から直感していた。タヅサは寂しがり屋だ。

 あり得ないのだ、一人で居たいだなんて。

 そして何より、クールな一匹狼は顔に出やすいのだった。

「笑わないでください……! それに、私がレギオンに入ったらマイ様はお一人じゃないですか」

 何と、自分のことを気に病んでいただけるとは思わなかった。

「そうです、マイ様こそどうしてレギオンに入らないのですか。マイ様ほどの使い手なら、引く手数多でしょうに」

 タヅサの追及に、「いんや、それが全然誘われてないんだな」とマイ。

 マイは初代アールヴヘイムでジョーカー(切り札)的な存在だった。縮地(高速移動)による倍速行動は単純に強力で、素の戦闘能力の高さも相まって、手合わせでマイに勝てるリリィなど一握りもいない。加えてノインヴェルト戦術にも明るい。デュエルもノインヴェルトもできる、現代のレギオンの在り方に非常にマッチした人材なのだ。

 ただ、あまりに有能な人材なので、各レギオン同士が牽制しあっていた。こうなると、どこかに所属されるよりはフリーとして、それこそ切り札的に使いたいというレギオンが多数なのだった。

「意外ですね。アールヴヘイムに誘われたりしないのですか?」

「いや、アイツらと組むのはもう十分だよ。人使いが荒いんだ」

 マイは冗談めかしてため息を吐いた。

 ……実を言うと、初代アールヴヘイムのメンバーとは物別れに終わっている。表立って対立はしないが、今更組もうとは思えないというのが本音だったりする。

「ま。精々、私はフリーのサブとしてやっていくさ」

 マイの言葉に、「それじゃあ私もフリーのサブとしてやっていきます」とタヅサ。

「バカ。マイはこれでも一流レギオンで鳴らしてたんだぞ? そういうのはレギオンで経験を積んでからするもんだ」

「私だってそれなりに場数を踏んでいます。マイ様にだって遅れはとりません」

 タヅサはそう宣言すると、立ち上がり、マイに向かってチャームを構えた。マイは、少し困った顔で上半身だけ起き上がった。

 ファンタズム(未来視)使いの強化リリィ。タヅサは単純な手合わせで考えると、ほとんど無敵だった。未来が見えるのだから、まず負けようがない。縮地使いが手合わせにおいて反則級なら、ファンタズム使いはその有り様が反則級だった。

「何だ? 私に勝ったらフリーでやらせろってことか?」

「そうです。勝ってマイ様に付いていきます」

 マイは半分冗談だったが、タヅサは真顔だった。オイオイ、そんな漫画みたいな……。

 ただ、タヅサとしてはマイと手合わせをしてみたかったというのもある。今まで頼んだことはあるが、それとなく断られていたのだ。

「それじゃ私が勝ったらレギオンに入るって約束してくれるか?」

「どうしてアイツのレギオンに……!」

「『アイツの』だなんて一言も言ってないだろー」

 タヅサは顔を赤くした。全く、素直になればいいのになー、とマイ。

「何でもいいですよ。どうせ負けませんから」

「言ったな? それじゃスタートだ。スキル有りの何でもありで行くぞ」

 ……と言うものの、マイは呑気に座っていた。チャームすら手に取っていない。そのまま1秒、2秒……。

 タヅサは困惑し、構えが緩んだ。

「あの」

 一瞬だった。(まばた)きをして目を開けたら、首元にチャームが突きつけられていた。

 目を閉じた隙を見計らい、チャームを手に取り立ち上がり近寄りチャームを突きつける。ここまで一瞬。文字通り瞬きする間の、縮地による超高速移動だった。

「はいマイの勝ち」

 マイはチャームを引き離すと、興味を失ったように寝転がった。

「あ! 先輩、ズルいですよ」

「戦場にズルいもクソもあるか。こーゆーのは勝ったもん勝ちなんだ」

「もう一回お願いします」

「やだよ。オマエ、もう絶対油断しないだろ? マイは本気のファンタズムとやり合うほど酔狂じゃないんだ」

 マイは身内(初代アールヴヘイム)にファンタズム使いが2人もいたので知っている。本気の彼女らは化物である。ファンタズムが負けるなど『例外』だけだった。

「それに、手合わせでもリリィ同士でガチでやり合うのは反対だ。この力はヒュージと戦うためのもんだろ?」

「それじゃあ指導をお願いしますよ、マイ先輩」

「だから、ファンタズム相手に手加減できるわけないだろ! ……ま、お互いレアスキルなしだったらやってもいいぞ」

 タヅサは憮然とした。

「それじゃあそれでお願いします」

 いや、やるのかよ……。

 仕方なく、伸びを一つしてチャームを手に取った。何となく知ってはいたが、タヅサは負けず嫌いなのだった。

 

-5-

 

「うぐぐ……ダメじゃああ!!」

 両手の工具を適当に放り投げ、頭を抱える。そのまま、ミリアムは背もたれにしなだれかかった。

 チャームの調整。トライ&エラー、スクラップ&ビルド。分かってはいるが、思い通りの成果が出ないとフラストレーションが溜まってしまう。

 しかし、こういう時はムキになっても仕方ない。休憩だ。頭と体を休めれば良い考えが浮かぶこともある。

 もゆ様とお茶でもするかの……。

 そう思い時計を確認すると、長針は3と4の間を差していた。仮眠にもおやつにも悪くない時間だった。

――待てよ、本当に昼の3時だったかの……?――

 ふと不安になり、記憶を手繰る。確か、徹夜をしたのは一昨日で……昨日はそれがたたって日付が変わった頃に寝てしもうたから……そうだ、今日は普通に起きて普通に作業をした。

 日中だ。念のため手元のデジタル時計で確認すると、15:48だった。

――わしは何をやっとるんじゃ……――

 一連の間抜けさに苦笑してしまった。全く、もゆ様でもあるまいに……。

「な~にニヤけてるの?」

 ビクッとして振り返る。

「も、もゆ様ぁ!?」

 まるで心の読んだようなタイミングで、隣室の先輩アーセナル(工廠科生)、真島百由(もゆ)が現れた。

「あっ! その驚きよう! さては"例のブツ"だな?! へっへっへ、嬢ちゃん、一つ譲ってくれよ……ハードでボイルドな男は、ママのミルクがないと眠れないのさ……」

 この先輩は何を言うておるのじゃ……。

 読心装置でも発明したかと焦ったが、考えてみればこの人が神出鬼没なのはいつものことだった。

「もゆ様はいつも全開じゃの……」

「だって朝だもの! 一日の計は早朝にあり! フルスロットルで崖に突っ込むのが真島家の教えなのだよ、グロピウス君」

「ホントに何を言うておるのじゃ……?」

 手元のデジタル時計を指差す。なぬ!? この灰色の脳細胞が私を裏切ったというのか……! とか何とか叫んでいた。

 ツッコミたかったが、自分も勘違いしていた手前、自重しておいた。

「……というかぐろっぴ。そんなに真剣にどうしたのよ。さっきからここに居たのに、集中してて全然気付かないし」

 そう言って、もゆは少しだけ真面目な顔をした。いつもふざけているような人だが、面倒見の良い一面もある。

 実を言うと、ミリアムが躍起になってチャームの調整を始めたのには訳がある。少し悩んだが、ミリアムは思い切って相談することにした。

「実は……自分の実力不足を感じての。レギオンももうすぐ発足しそうな雰囲気じゃから、それまでにチャームで何とかならぬものかと弄っておったのじゃ」

「実力不足って……ミリアムってそんなに実技(わる)かったっけ? そりゃ弥宙(ミソラ)さんみたいなバリッバリな感じじゃないけど」

 ちなみに弥宙とは、2代目アールヴヘイム所属の金箱弥宙だ。工廠科でありながらリリィとしての戦闘力も一流な『戦うアーセナル』の代表格である。戦闘に力を入れる新しいタイプのアーセナルで、戦えるアーセナルと言うより『リリィだけどチャームも弄れる』と言った方が良いくらいだったりする。

「いや、彼奴(あやつ)程とは言わんが……せめて、新人共に示しが付く程度には動けるようになりたくての」

 ほうほう? と、もゆは楽しそうに笑った。新人とは、言うまでもなくリリとフミのことだ。

「いいじゃない! ぐろっぴも青春してるわねぇ」

「何がいいものか。こっちは大真面目じゃぞ!」

「いいじゃないの! だってアナタ、これまで悩みと言えば、チャームと研究のことばかりだったじゃない。それが自分の実力のことを気にするなんて、これも一つの成長だと私は思うわよ?」

 そう言われ、ミリアムはぐっと詰まった。的確な上、客観的に評されると単純に気恥ずかしい。

「それは……その、わ、わしにも向上心があるということじゃ!」

「でも、ぐろっぴはアーセナルでしょ? チャームの整備や装備の開発とか、技術的な面で貢献してもいいんじゃない?」

 ミリアムは、悩むように唸り声をあげた。

「そういう方法も否定せんが……それだとサブメンバーのようじゃろ? 人数に余裕が生まれたらお役目御免というのはどうも嫌でな……」

 ……と口にしつつ。はて、自分はこれほどリリィであることに拘る人間だっただろうかと訝しんだ。

 4月までは、自分が戦場に出ることをあまり快く思っていなかった。レアスキルに覚醒したものの、自分はあくまでアーセナルである。戦う時間があるならチャームの研究でもしていたいと、そう思っていた。

 それが気付けば、『サブメンバーは嫌だ』などと口にしている。

「……まぁ、わしも心境の変化は認めるが……それ故にじゃ! このまま足手まといになるのは御免じゃからの。もゆ様にアドバイスを貰えればありがたいのじゃが……」

 ミリアムは伺うようにもゆを見上げた。

 もゆは何でも屋のアーセナルであるが、同時にリリィとしてもかなりの実力を持っている。もちろんレアスキルにも覚醒しており、進学時には学院側から普通科を勧められた程だ。ミリアムも口にはしないが、研究者としても、戦うアーセナルとしても、尊敬の念を持っていた。

 そしてそんなもゆから見ると、ミリアムは色々と『甘い』ようだった。

「まぁ、ぐろっぴは大味なのよねぇ。戦ってるところを見てても、戦略的っていうより目の前で精一杯って感じ。チャーム云々の小手先じゃなくて、もっと根本的なところを指導してあげようか?」

 もゆの提案に、ミリアムは表情を曇らせた。

「もゆ様、申し出はありがたいが……わしはアーセナルじゃ。リリィであると同時に研究者でもありたいと思うておる。妙なことを言っておるとは分かっておるのじゃが……何とか装備やチャームの調整で……アーセナルとして、リリィとしての不足を補えぬものかの」

 一見、傲慢にも思える発言だが、もゆにはその気持ちがよく分かった。

 かつて、『工廠科はリリィになれない人間の受け皿』だとアーセナルを見下すような風潮が全国のガーデンにはあった。もゆはそれにウンザリして普通科への進学を蹴ったのだ。

 アーセナルとしてのプライドは、簡単に売り渡して良いものではない。アーセナルは、アーセナルらしく強くなればいい。

「それじゃこうしましょう? アーセナルの知識を生かして、貴方の動きを研究するの」

 そういうと、どこに仕舞っていたのか、懐からヘッドギアのようなものを取り出した。

「それは……?」

「心拍数、呼吸、発汗、視線、マギや身体の動きまで、逐一記録してくれる装置よ。こうした記録を動きの改善に生かすのは、技術屋の真骨頂だと思わない?」

 ミリアムはぽかんと話を聞いていた。しかし話を理解するにつれ、徐々に熱いものが胸を上ってきた。

 アーセナルとしてリリィの強さを研究する。アーセナルとして自分自身の戦闘力を分析する。チャーム研究に負けず劣らず、大変興味深い。

「おお! 自分自身を研究とは……! 流石もゆ様、わしでは思いつかなかったぞ!」

「決まりね。早速、実験よ実験! アーセナルらしく、自分の動きを研究! 分析! 改善! PDCAだかPTSDだか知らないけど、全部ぐるぐる回しちゃえばいいのよ!」

 そして無邪気に喜ぶミリアムを見ながら。

 ふっふっふ、かかったわね……! もゆはニヤリと笑った。



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第4-12話 リリィ日和3

-6-

 

 木々の切れ間から光が差し込み、世界を美しく彩る。

 百合ヶ丘の学院には緑が多い。少し歩くだけで、まるで人里離れた山奥に来たような解放感に包まれる。

 リリは木々に囲まれ、しかしお姉さまを探す気にも、フミのところに戻る気にもなれず、当てもなく彷徨っていた。

 ……あったかい。こうしていると、何もない平和な一日なのになぁ……。

 モヤモヤした気持ちを抱えながら、目的もなく歩く。太陽に当たって、自然の中を歩いたら少しはスッキリするんじゃないかと思った。そんなことはなかった。いつまでも頭の中がごちゃごちゃする。ゆっくり考えたい、でも、足を止めたら堪え切れず泣き出してしまうんじゃないか……。そんな訳の分からない観念に囚われ、止まることもできない。

 これからどうしよう……。俯きながらなおも歩いていると。

 急に視界が暗くなった。

「え? あれ?」

 頭の上から、何かが降ってきた。葉っぱ? にしてはちょっと大きいような?

 ……帽子?

 手に取って見ると、それは水兵帽に似た白いベレー帽だった。

「ちょっとそこの御方! その帽子をお返しくださいませ!」

 どこからともなく聞こえた声に、リリは周囲を見まわした。しかし声はすれど姿は見えず。

「どこをご覧になっているんですの! ここです! 上!」

「上……?」

 言われた通り、ぼーっと上を見上げる。するとそこには、木の幹にしがみつく(推定)お嬢様リリィがいた。

 ……いや、本当にお嬢様リリィだろうか。田舎者を自覚しているリリでも、木登りを趣味にはしていない。

「えっと、精が出ますね(?)」

「何を寝ぼけたことをおっしゃっているのです!」

 怒られてしまった。

「貴方は帽子泥棒なのですか? そうでなければ、それを早くお返しくださいまし!」

「は、はい!」

 ようやく、自分が落ちてきた帽子を持ったままであることに気付く。が。

「あ、ごめんなさい、帽子を……えっと、どうお返しすれば……?」

 彼女は地上4~5メートルとなかなか良い具合に(のぼ)っており、この高さまで、正確に帽子を投げ渡せる自信はリリにはなかった。

 そもそも、どうしてそんなところにいるのだろうか。降りられなくなった子猫を……あるいは地面に落ちた小鳥を……といったベタなシチュエーションだろうか。しかし辺りをキョロキョロ見渡すも、それらしき動物は見当たらない。

 ……まさか、『何となく懐かしくなって木登りをしたものの、チャームを忘れて降りれなくなった』といった間抜けな事情では決してないだろう。

 リリが困惑していると、

「貴方! そこのチャームをお投げなさい!」

 と木登りリリィ。

 チャーム? 木の根元まで目線を下げると……確かに一振りのチャームが地面に刺されている。

 手に持って見ると、どういった調整なのか、リリのチャームより一際重く感じた。なるほど、これを抱えたままでは木登りはしづらい。

「全く。のんびりした御方ですわね。早くそれをお投げなさい!」

「え? でも危なく……」「いいからお投げなさい!!」

 声にせかされ、慌ててチャームを投げる。「あ!」しかし、思いのほか力を込めすぎ、チャームは回転しながら勢い良く飛んでいった。

 チャームは金属の塊であり、マギを通さなくても凶器になり得る。リリは慌てて叫ぶ。

「避けてください!」

 しかし、そのリリィは木の幹を蹴って飛ぶと、驚くほど軽やかにチャームを受け止めた。そのまま、空中で1回転して地面に着地する。

 リリはぽかんとしてその様子を見つめていた。

 鮮やかな身体捌き。間違いなく、超一流のリリィの動きだった。

「ぼんやりした方かと思いましたが、なかなか情熱的なのですね?」

 暴投を揶揄する言葉に、リリは赤くなった。

「ご、ごめんなさい……」

 しかし彼女は気にした様子もなく、「受け止めていただきありがとうございます」と手を差し出した。

 リリも慌てて右手を伸ばす。そして、力強く握手を交わした。

「……ってなんで握手ですの!? 帽子! 帽子ですわ!」

「あ! そうですよね、あはは……」

 今度こそ帽子を差し出すと、少し怒った風に、しかし上品にそれを受け取った。

 力強い瞳。自信に溢れた雰囲気。そして華麗な立ち振る舞い……。見るものを魅了してしまう、華のあるリリィだった。

「えっと、あの、お名前を聞かせていただいても……?」

 リリの尊敬を含んだ眼差しに、しかしそのリリィは声を張り上げた。

(わたくし)をご存じない!? ローエングリン主将! 百合ヶ丘女学院きってのエースリリィ! 立原紗癒(サユ)とは私のことですわ!!」

「サユ……様ですか?」

「同級生ですわ!? ちょっと! 何度も顔を合わせているでしょう!」

 両手を振り上げ遺憾の意を表明するサユ。一方、頬をかきながら「そ、そうでしたっけ?」とリリ。

 一応、入学式やリリィ新聞を見に行った際などちょいちょい顔を合わせてはいる。ただ、クラスが違い授業で一緒になったこともなく、あまりピンと来ないのだった。

 今一つ反応が鈍いリリに、自称エースリリィはご立腹だった。

「覚えておきなさい! 私たちのレギオンは世界最強ですわ! 何を隠そう、主将の私はスキラー数値98を誇る超! 天才! つまりは私が世界で一番のリリィという証明なのですわ!!」

 サユは腕を組み、胸を反らせて言い放った。よくもまぁ大言(たいげん)を吐けるものである。一周回って、リリは感心してしまった。

 ……とはいえ、スキラー数値98は事実上の上限であり、現役・歴代含めた最高値である。先程の動きを見ても、世界一とはあながちバカにできない言葉ではある……のだが。

 リリは、何となく、薬師芽様(?)と楓さんを足して二で割ったみたいな人だなぁと思った。自信過剰というか、話を聞かないというか……。

「あ、でも1年生で主将ってことは、新しく作ったレギオンなの? もしかしてお姉さまの為……あっ」

 リリは慌てて口を閉じた。百合ヶ丘のリリィは複雑な経緯を持つ者が多い。お姉さまのことを、安易に聞いて良いのだろうか……?

 しかし、サユは顔をほころばせた。

「よく分かりましたわね! ローエングリンは私のお姉さま、千華(チハナ)様の為に作り上げた完璧で完全無欠のレギオンなのですわ!」

 サユは嬉しそうに微笑んだ。

 リリが気に病んだのが間抜けに思えるくらい、呑気だった。

 何だか色々悩んでいたことがバカバカしく思えて、リリは急に力が抜けてきた。そして姿勢を整えようとして……足腰に力が入らずへたれ込んでしまった。

「あ、あれ?」

 あまりにスッと座り込むので、サユは驚いた。しかし、それ以上にリリが驚いた。

「え! あれ? あの、私! だ、大丈夫です!」

「そんな訳ありませんでしょう! 怪我ですか? それとも体調不良です?」

――体調不良――

 リリは、気分が悪くなり、サユの質問に答えず俯いた。

 サユは困って、悩むように帽子を被り直した。

 それから、サユはリリの横に腰を下ろした。

「あの、スカートが汚れちゃいますよ……?」

「大丈夫ですわ。百合ヶ丘の制服は黒色ですから、多少の汚れは目立ちませんもの」

 ……そういう問題だろうか。でも、サユさんらしいなぁと、リリは思った。

 リリは何も言わなかった。サユも何も言わなかった。そのまま、しばらく何も言わずに2人で座り込んでいた。

「私、友達がいるんです」

 リリは唐突に口を開いた。

「私とおんなじくらいの身長で、おんなじくらいの初心者で、同じスキラー数値で、同じ補欠合格で、同じクラスで、同じレギオンで、同じ授業を受けて、同じ訓練をして、同じように頑張ってきて。……それなのに、いつの間にか私の知らないことを知っていて、いつの間にか私よりどんどん先に行ってて……」

 一度話し始めると、言葉は止まらなかった。スカートの裾を握りしめ、言葉を、思いを絞り出す。

「私、フミちゃんに嫉妬しちゃってるんです……。仲間なんだから、成長してるのを見て、おめでとうって言わなくちゃいけないのに……フミちゃんがどんどん先に行っちゃうみたいで……嬉しいって思えないんです。……あはは、ダメですよね。こんなんじゃ、お姉さまのシルト失格です……」

 リリは両膝を前に出し、両手で抱えた。三角座り。何となく、この姿勢は落ち着く気がする。不安になると、いつもこの姿勢になる。

「私、悩んでるんです。悩まないって決めたんですけど、やっぱりお姉さまに相応しいリリィになれるか……みんなに追いついて一緒に戦っていけるか……。サユさん。どうしたら、サユさんみたいな凄いリリィになれますか? いつも自信を持っていられますか?」

 サユは、スカートを払いながら立ち上がった。

「私は天才ですわ。しかもただの天才ではございません。超! 天才ですわ! ……ですから、リリさんに満足のいく答えができるかは分かりません」

 その才能ゆえ、自身を誰かと比べたりしない。その才能ゆえ、劣等感を覚えたことなどない。やればできてしまう天才。

「私、初等科では敵無しでしたわ。私を慕うリリィはたくさんおりました。私のことを褒めてくれる人間も同じくらいたくさん。……それゆえに、あの頃の私は天狗になっておりました」

 リリは何と返していいか分からず、俯いたまま静かに話を聞いていた。サユは、そんなリリの正面に立ちはだかる。そして問いかける。

「リリさん。並び立つライバルがいることって、そんなに悪いことでしょうか?」

「ライバル……?」

 リリは、顔を上げた。

「私、同級生に競い合う相手がおりませんでしたの。中等部・高等部に進んでようやく並び立つライバルに恵まれました。今思えば、初等科の私はリリィとして停滞していたのです。強くなるにはライバルが必要なのですわ!」

 サユは力強くチャームを掲げた。

「競い合う相手がいる、負けて悔しい相手がいる。結構ではございませんか! それに、そのお相手さんもリリさんに内緒で特訓なさっているご様子。リリさんに負けたくないのですわ。さぁリリさん! 貴方もこんなところでへたり込んでいる場合ではございませんわ! お立ちなさい、そして構えなさい!」

「は、はい!」

 ライバル……そうだったんだ、フミちゃんはライバルだったんだ。負けて悔しくなったり、だから負けないように頑張ったりする相手。友達だけど、仲間だけど、戦う相手。ライバル!

 サユの自信に溢れた言葉は、聞いているだけで心が温かくなる。気付けば、リリは立ち上がり、構えていた。

 そして構えてから、思った。あれ、何で構えるんだろう……? 見れば、サユもチャームを構えている。

「あの、お話ありがとうございます、その、私、元気に……」「落ち込んだ時は身体を動かすべきですわ!」

 そして無造作にチャームを振り上げ、「ええ!?」リリに向けて振り下ろした。

 咄嗟にガードするも、勢いよく吹っ飛ばされる。

 元々、反動を活かして飛び退くつもりだった。しかしそうするまでもなく、あまりの力に強引に飛ばされてしまった。

(な、なんでこんなことに……?)

 体勢を整えつつ、どうするべきか悩んでいると。

――右上!――

 気配を感じ、チャームを向ける。その瞬間、銃声が響いた。際どいタイミングだが、リリはそれを何とか捌く。

 リリは冷や汗をかいた。これ、実弾だ……! 気付くのが遅れていたら、直撃していたかもしれない。

 ……けど、撃ったのはサユさんじゃない……誰が……?

 リリは、サユと射撃のあった方向、その両方に警戒する。すると、木の上、その枝葉に隠れていたリリィがひょっこり姿を現した。

「迷子のお姫様を探してたら、面白いことになってるじゃない?」

 ツインテールの勝ち気なリリィ。サユのレギオンメンバー、妹島広夢(ひろむ)だ。やはりリリは覚えていないが、何度かすれ違っている。

「迷子ではございませんわ。ちょっと散歩をしてただけです」とサユ。

「いっつもそう言うんだから……。でも、戦いだったら私も混ぜさせてもらうわよ」とひろむ。

広夢(ひろむ)さん……いきなり撃っては危ないですからね?」とゆきよ。

「え~? でも防御してたし、大丈夫だったじゃない」とひろむ。

 リリは驚いた。もう一人居る。いつの間にか、会話に混ざっている。

 長髪で優し気なリリィ。同じくサユのレギオンメンバー、倉又雪陽(ゆきよ)。しかし警戒していた筈が、一体いつの間にそこに居たのか全く分からない。

雪陽(ゆきよ)さん。あれはリリさん、悩み多き若人ですわ。しかし多少の悩みなど、汗と共に流してしまえばよろしいのですわ!」

 サユは無茶苦茶なことを言っていた。

「はいはい。止めても無駄でしょうから……私も戦わせていただきましょう。どうぞお手山らかに、リリさん?」「は、はぁ……」

 ただ、物腰は丁寧ながらも、見るからに只者ではない。

 リリは、どこに視線を向けるべきか迷った。

 類まれな身体捌きと、軽く振るっただけでリリを吹き飛ばす力を持つサユ。容赦なく実弾を撃ちこみ、明らかに戦い慣れしている様子のひろむ。警戒していたリリの意識外から現れ、全く動きの読めない雪陽(ゆきよ)

 一人一人が一騎当千。それが三人もいる。三人が自分を狙っている。

 ……と言いますか……。……え? 3対1ですか……?

 

 

「もゆ様ああ!! ヒュージロイドとの戦闘なぞ聞いとらんぞ!!」

 ミリアムは叫びながら攻撃を避けた。相手はヒュージの姿を模した戦闘訓練ロボ、ヒュージロイドだ。

 しかもこのヒュージロイド、異様に強い。大きさはミドル級相当だが、チャームが震える程攻撃が重い。ミリアムにとって、1対1のデュエルで戦うにはやや荷が重かった。

『ぐろっぴ! 避けてばかりじゃ駄目よ! ちゃんと受けて! そしてデータにするの!』

「馬鹿者! こんな攻撃何度も受けられるか!!」

 というかデータってわしのデータか? それともヒュージロイドのデータか……?

『頑張れぐろっぴ! ガッツ!』

 そう言ってもゆはマイクを切った。

「あ! 他人事だと思ってからに……!」

 しかし、ボヤいている暇はない。嵌められた……! 都合の良い実験相手にさせられた!!

 そんな後悔は後にして、目の前の戦いに集中しなくてはならない。

 ……そんなミリアムの姿と、出力されたデータを確認しながら、もゆはこっそり呟いた。

「頑張るんだぞぐろっぴ。ちょっぴり強い相手との戦いが、リリィを成長させるんだぜ?」

 

 

-7-

 

 リリは迷った。誰から狙えばいい……?

 サユはダメだ。打ち合いに持ち込まれたら技術云々以前に捻じ伏せられる。ひろむは……。

 などと考えている間に、3人は同時に動いた。サユは真っ直ぐ、ひろむはリリの右手側に、雪陽(ゆきよ)は左手側に走る。

 サユさんの攻撃は受けられない……! 慌てて後方に下がろうとして、銃声に身を縮めた。リリの動きを読んでいたように、退路を断つようにひろむの銃撃が加えられた。

 しかし、それでも後方に下がるべきだった。サユは、目前に迫っている。受けられない。避けるしかない……!

 サユが振るうチャームを、右に左に(かわ)す。同時に、ひろむの位置を確認する。常にサユが盾になるよう避ける方向を調整する。サユと射線を重ねていれば、銃撃は飛んでこない。……逆に言えば、一瞬でも位置取りを間違えれば、容赦なく狙撃される。

 雪陽(ゆきよ)さんは?

 ハッと気付く。サユとひろむだけに注意を向けすぎた。雪陽(ゆきよ)を見失った。そこに、銃声が響く。

雪陽(ゆきよ)さん!? じゃなくて、あれ……?)

 リリには当たっていない、それどころか辺りに着弾していない。何が起こったか分からず、動きが止まってしまう。

 硬直するリリの目に、辛うじて、ひろむがチャームを空に向けているのが見えた。威嚇射撃……?

 陽動だ。そう気付く間もなく、死角から雪陽(ゆきよ)の銃弾が届く。銃声と共にリリのチャームは跳ね上げられ、良い位置に上がったそれを、サユが思いっ切り叩き飛ばした。

 チャームに引っ張られ、身体も大きく飛ばされる。しかし、リリはチャームだけは決して手放さなかった。

 ……まだ諦めない……だって、まだ、終わってない!

 しかし間髪を入れず、嫌な予感を覚える。慌てて体勢を整えると、轟音と共に銃撃が飛んでくる。ひろむの狙撃だ。

 次々と飛んでくる弾は、正確にリリを狙っていた。咄嗟にそれを受け流す。地上と同じだ、角度を付けてチャームで受ける。4発、5発、6発……全て受け流す。

 そして着地してすぐ、横に飛び退いた。木の幹に隠れる。射線が切れる。銃撃がやんだ。

 リリはため息を吐いた。……いや、休んでいる場合ではない。考えなくては。

 ……恐らく、ひろむさんは射撃系のスキル。空中で移動中のリリをここまで正確に狙えるのは……――ユージアさんと同じ――天の秤目?

 遠く離れた対象を、寸分の誤差なく把握するスキル。リリには、それくらいしか考えられない。

 もしそうであるなら、射撃は上手くとも、近接戦ならまだ分からない。ユージアのようにどちらもこなしてしまう可能性もあるが……それでも射撃の相手をするよりは、ずっと良い筈だ。

 何とかして、ひろむに近付いて一太刀入れる。作戦というほどの作戦ではないが、リリは方針を決めた。

 大きく息を吸い、呼吸を整える。相手は、リリの出方を待っていてはくれない。先手で動かないと、何もできない。それは、立ち合いでも戦場でも同じだ。

 大きく息を吐き、覚悟を決める。そして、上に跳んだ。木の上は枝や幹など遮蔽物が多い。木の上を移動し、射撃を凌ぎながら攻める。

 ひろむはリリに照準を合わせた。

 銃声が響く、しかしリリには当たらない。遮蔽物、特に複雑に揺れ動く木々の間を縫って当てるのは、ひろむは苦手だった。

「ダメだこりゃ」

 ひろむは狙撃を諦めた。

「どうする? 距離を取ってもいいけど」とひろむ。

「流石に消極的過ぎますわ。最初と同じく、私が突っ込んでお二人がサポートする形で参りましょう」とサユ。

「それでは、地上に落としておきますね」

 雪陽(ゆきよ)は、そう言って照準を合わせた。リリではない、そこから少しずれた、誰もいない木の枝。銃声が響くと同時、リリが跳んだ。(え!?)着地するはずだった枝が銃撃で吹き飛ばされる。

 リリは慌てて体勢を変え、木の幹を蹴った。その一瞬後、足元に銃弾が届く。ひろむだ。これでは上に戻れない。木々を蹴りながら、地上に突進する。

 そして木から木へと飛び移る僅かな間に、リリは3人の位置関係を確認した。少し手前にサユ、奥の左右にひろむ、雪陽(ゆきよ)

 ルートを決める。幹を蹴って加速する。サユ・ひろむが一直線に並ぶよう着地し、その勢いのままサユに突撃する。

 射撃はない。注意したが、雪陽(ゆきよ)は射撃を加えなかった。ひろむもサユ越しに射撃はしなかった。

 リリは飛ぶようにサユに向かう。サユは、リリを迎え撃つようにチャームを振るう。リリは避けない、防御もしない。足元にマギを込めて、更に前に加速した。

(なっ、甘すぎましたわ……!)

 肉薄されてしまった。この距離ではリリもチャームを振えない、しかし勢いよく身体を当てられれば体勢を崩されかねない。

 一瞬で判断し、サユは、マギを使って両足を踏ん張る。衝撃に備え身体に力を込める。

 そのサユの目の前から、リリが消えた。

 ……外から見ていた雪陽(ゆきよ)には、何が起きたか見えていた。リリは身体を回転させ、サユの脇を抜けた。

(まるでアメフトの選手みたいですね)

 雪陽(ゆきよ)は撃つこともできたが、止めておいた。その必要はないからだ。

 リリは、サユの後ろ、ひろむに向け飛び込んでいく。限界まで加速した勢いそのまま、ひろむに突っ込む。

 ひろむに近付いて一太刀入れる。作戦通り……と言うにはあまりにも危うかったが。それでも、狙い通り……いや、狙い以上だった。この勢いで全力で叩いて、隙ができない筈がない。

 ひろむは、チャームを斬撃モードに切り替えた。撃つとサユに当たる危険があるから、というだけではない。

 リリは、勢いを活かして、叩きつけるようにチャームを振るった。それをひろむは敢えて受けた。

 チャーム同士がぶち当たり、甲高い金属音が響く。

 リリは驚愕した。振り抜けない。チャームが止められている……? チャームと腕に力を込める、しかし動かない。岩壁でも殴っているように腕が重い。

 ひろむはその場から一歩も動かない。遂には、限界まで加速していたリリの身体まで、強制的に止められてしまった。

 愕然とするリリの前で、ひろむの顔に好戦的な笑みが浮かぶのが見えた。

「ふーん? 私に接近戦を挑むなんて、アナタ、命知らずなのね?」

 頭が働かない。もし回避されたら反転攻勢、防御されたら体勢を崩させて連撃のつもりだった。完全に受け止められるのは予想すらしていない。

 ……リリは大きく見誤っていた。ひろむは射撃タイプのリリィではない。ローエングリンのAZ(前衛)。ガチガチのインファイターだった。

 ひろむのチャームが振り抜かれ、リリは後ろに飛ばされる。体勢を整える暇もなく、ひろむが追撃に来る。咄嗟に、チャームを振るう。攻撃を合わせて、反動で距離を取れば……!

 しかし、それを見てひろむは加速した。

 リリは驚いた。先のリリのように、振り切る前に加速したのではない。振り切ったチャームめがけて加速した。当たる! チャームの軌道は変えられない!

 リリは何とか腕を捻ろうとして……振り切った後では動かなくて……。しかし、結果的にそれは不要だった。ひろむはわずかに頭を屈め、ごく自然にチャームを回避した。

(ええ!?)

 リリは再び驚いた。あのタイミングって避けられるの……!? というか、ちょっと(かす)ってて……?

 しかし驚いている場合ではなかった。攻撃後の無防備なリリに、ひろむは狙いを定めた。そしてその動きは、フィニッシュではない。

 スローモーションのように、ひろむの鋭い斬撃が、その軌道がはっきり見えた。狙いは急所ではなく、腹部。……腹部?

 頭の中で、危険信号が鳴り響く。チャームは振り切って動かない。身体は宙を浮いていて回避はできない。

 このままだとばっさり斬られ……? え……? 当たったら……死……。

 『敢えて受けて流して』……『防御と回避は同時にはできない』……『攻撃後だけは無防備』……。様々なフレーズが頭に浮かぶも、今は何の役にも立たない。

 え……? どうして……チャーム……間に合わない!

 頭を切り替える。

 マギを集中! 腹部を防御、マギを一点に集めれば、致命傷にはきっとならない……!

 歯を食いしばる、衝撃の瞬間に備える。そして……辺りに金属音が響いた。

 ひろむは、口をへの字に曲げた。

「……何よ、邪魔しなくてもいいじゃない」

「勝負ありでしょう? だったら、無暗に仲間を傷付けたくありませんわ」

「もう。ひろむさんはやりすぎるんですから」

 サユと雪陽(ゆきよ)だった。リリを庇うように、二人のチャームがひろむの斬撃を防いでいた。リリは安心して、へたれ込んでしまった。

 一方、ひろむは不満げだった。

「まだ分からなかったじゃない。ほら、みねうちにしてたわよ?」

 見ると、確かに向けられているのは刃側ではない。考えてみれば、手合わせで刃側を向ける訳がない。リリはそれに気付かず、ちょっと恥ずかしかった。

 ……いやいや、チャームは金属の塊でもある。思いっ切り殴られるだけでかなりのダメージがある。普通は無防備な身体に振り下ろしたりしない。

「女の子の身体ですよ? みねうちでも、意図的に打ち込むのは如何なものかと思います」

 雪陽(ゆきよ)はため息を吐いた。

「ひろむさんは、デュエルになると目の色が変わるのが玉に瑕です」

 ひろむはデュエル復古主義者で、手合わせに対する姿勢が他のリリィよりシビアだった。フィニッシュを決められる場面でも、手荒い攻撃を加えることがある。実戦で痛い目を見るくらいなら、手合わせで怪我をするくらい何でもないと思っているからだ。

「何にしても、新人相手にやりすぎはいけませんわ」とサユ。

「えー? でも防御は結構上手かったし、攻撃も悪くなかったわよ。もう前線には出てる感じでしょ?」

「それでもです。そもそも、射撃モードはハンデだったのではありません?」

 別に言明した訳でないが、サユは大振りのみ、ひろむは射撃モードのみ、雪陽(ゆきよ)は有効打のみという縛りを設けていた。本気で決めようと思えば、(最後にひろむがやったように)1対1でも簡単に決めてしまえるからだ。それに、よしんば斬撃モードを使ったのは良いとして、回避&斬撃の必殺の動きはやり過ぎである。

 普通に考えてそうなのだが、ひろむは悪びれなかった。

「だって痛い目も見とかないと危ないじゃない? サユを盾にしたり、狙撃手を狙ったり、アイディアは悪くないのだけど所々甘いのよ。それに雪陽(ゆきよ)の存在を忘れすぎ」

「それはそうですが、だからと言って3対1の中でその動きは……」

 気付けば、リリ抜きでやいやいと言い合いを始めてしまった。

 それをぼーっと聞いていそうになったが、ずっとへたり込んでいる訳にはいかない。お礼の1つくらい言うべきだろうと、立ち上がり声を上げた。

「あ、あの! サユさん、ひろむさん? と、ゆきよさん? お手合わせありがとうございました。それと助けてもらって……」

「本当にそうよ!」

 ひろむは割り込んだ。

「アナタ、これが実戦だったら死んでたわよ!」

「は、はい。ごめんなさい……」

 リリは素直に頭を下げた。……どうでもいいが、これはデュエル年代が良く使っていたセリフだったりする。

「希望的観測で動きすぎなのよ! 攻撃が決まるだろう、敵は撃ってこないだろう……ま、それは経験不足って感じね。それは精進なさい。……それより私が気になったのは、『回避』よ! アナタ、全然なってないんだから」

 ひろむはそう言うと、良いことを思い付いたかのように、一転して笑みを浮かべた。

「そうね。折角だから私が手ずから指導してあげるわ。こんなこと滅多にないんだから、感謝しなさいよ」

 雪陽(ゆきよ)は、その満面の笑みにそこはかとない不安を覚えるのだった。

 

 

「まずは基本的な型が崩れがちね。むしろある程度経験があるからこそ崩れちゃってるんだけど、矯正する訓練をしましょう。それから回避がちょっぴり下手ね。別にすれすれで避ける必要ないけど、回避と攻撃をセットで意識した方がいいわ。受け流す時は攻撃を意識してるのに、回避の時は避けるのに意識を割きすぎよ。これも徐々に練習しましょう」

 ミリアムは文句を言いたかったが、開口一番ガッツリと正確な分析をされ、文句を言うタイミングを失った。

「そうじゃな……もゆ様の言う通りじゃ。型の矯正、それと回避じゃな」

 回避。見た目の軽やかさに反し、高等技術である。

 しかし、防御をある程度身に着けているなら、その練習を始めても悪くない。特に、もゆはその教師として適任だった。

「いい? 『回避』っていうのは最高の防御よ。貴方たちは受け流しの訓練をしてたみたいだけど、私に言わせれば! 攻撃なんて全部避けちゃえばいいのよ!』

 レアスキル、『この世の理』――周囲のベクトルを感知する能力――。

 使い方次第で狙撃手にも司令塔にもなれるが、最も単純な使い方は『回避』である。もゆは『この世の理』使いとして期待されていた実力者で、回避が抜群に上手い。

「いや、それはもゆ様だからできることじゃろ……」

「そんなことないわ。だってスキルとは関係なしに回避が上手いリリィだっているじゃない」

「そんなものかのう……」

「そうよ、デュエル年代とかね? スキルとか関係なしに、強いリリィは強かったのよ」

 ……確かに、デュエル年代の先輩はスキル云々ではなく全員がデュエルの達人だった。

「そうじゃな……。わしも、もゆ様のように華麗な回避を……」

「あっ、それは真似しなくて大丈夫よ」

 出鼻を挫かれ、ミリアムは不満の声を上げた。

「なんじゃ、せっかくその気になっとるのに……!」

「ごめんごめん、そういう意味じゃなくて……回避の上手い人って、2パターンいるのよ」

 もゆは頭をかいた。

「1つは、危機感が強い人間。攻撃に敏感に反応して、攻撃が当たらないように慎重に立ち回るリリィ。これがぐろっぴが目指すべき姿ね。……そして、もう1つは危機感が薄い人間。攻撃を避けることが当たり前って感じで全然怖がらないの。私は……というか『この世の理』使いは後者のケがあるから、あんまり真似してほしくないかなぁ……なんて」

 リリィの中には、回避に失敗して致命傷を負った者も多い。もちろん、『この世の理』使いと言えど例外ではない。

「一つ忠告しておくわ。回避って危険なものなの。だから、攻撃を避ける時は常に危機感を持っておくこと! 恐怖を持つのよ。慣れちゃダメ。攻撃を怖がること」

 

 

-8-

 

「怖がらないでいいのよ」

 ひろむは左手をひらひらと揺らしてリリに近付いた。

 『この世の理』使い、回避のスペシャリスト。ひろむはSSSレギオンのAZ(前衛)を務める程の使い手だ。

 ひろむが見たところ、リリは回避がなっていなかった。確かに、リリがサユの強力な攻撃を受けずに避けたのは悪くない。しかし、ひろむに言わせれば、その動作は大きすぎて無駄だった。

「……アナタ、まずは防御って教えられた口でしょ? 防御は上手いのに回避は下手なのよ。私が、本物の回避って奴を教えてあげるわ」

「はい! お願いします!」

 リリは2つ返事で了解した。

「良い返事ですわ!」とサユ。

 サユは何の疑問も不安もない顔をしているが、雪陽(ゆきよ)は微妙な顔をした。

 先程、ひろむはリリに怪我を負わせるところだった。また、やりすぎはしないだろうか。まぁ、そうならないように自分が見張るしかないのだが……。

雪陽(ゆきよ)、あっちから撃って。実弾ね」

 案の定、不穏なオーダーが飛んできた。

 ……実は、ひろむは実弾を使っていたが、雪陽(ゆきよ)は一貫して訓練弾を使っていた。なお、リリが雪陽(ゆきよ)を無視したのは、それに気付いて訓練弾なら撃たれても大丈夫と踏んでのことだった。

 しかし、これはハンデ云々ではない。必要がないなら味方に実弾など飛ばしたくないという『常識』だった。

 まぁ、ローエングリンでその常識が通用しないことは、嫌になるくらい分かっていたが。雪陽(ゆきよ)は諦めたように、実弾を2つだけ装填する

「ちゃんと避けてくださいよ?」

 適当に距離を取り、ひろむに向けて銃口を向けた。一方、ひろむはチャームを下ろし、のんびり立っている。

 リリは困惑した。

「あ、あの、ひろむさん……?」

「いいから黙ってなさい」

 立ち位置を微調整し、合図を送る。

 予備動作なく銃声が響いた。弾丸が放たれる。ひろむの頬を掠め、後ろの木を貫通した。

 リリは銃口、ひろむ、(みき)に空いた穴を見比べ、絶句した。際どすぎる。確かに、当たっても大した怪我はしないかもしれない。しかし、――訓練で何度も当たったことがあるから知っているが――当たると滅茶苦茶痛い。悶絶するくらい痛い。防御するつもりで気を張って、何とか我慢できるくらいだ。それなのに、実弾が通り抜ける前で無防備に構えるなんて……。

 そう思っていると、「さぁ、アナタの番よ」とひろむに言われ、何のことか理解できなかった。

「大丈夫。雪陽(ゆきよ)は射撃が上手いから、寸分の狂いもなく、同じ場所に撃ってくれるわよ。私と全く同じ位置に立てば当たらないわ」

 そのあんまりなセリフに、雪陽(ゆきよ)は静かにため息を吐いた。

――そんなこと信用できる筈ないでしょうに……――

 雪陽(ゆきよ)のスキルは『ファンタズム』(未来視)である。上手いも下手もなく、『そうなる』。リリに当たることはまずあり得ない。しかし、そうと知らないリリにとっては相当恐ろしい筈だ。

 もちろん、ひろむはそういった恐怖心とは無縁だ。実際、一発目はファンタズムを使っていないのだが、それでもひろむは恐れなかった。恐れていては華麗な回避などできないからだ。

 回避の基本、恐れないこと。ひろむはリリの度胸を試しているのだった。

「…………」

 リリはちょっと考え込んだ。その姿に同情を禁じ得ない。 

 普通、射撃のルートが分かっていても、その射線上ギリギリに立つなどできない。何なら、射撃手がファンタズムと知っていても躊躇(ちゅうちょ)する。それを、『同じ場所に撃つ』と言われて、無邪気に信じる人間などどこにいると言うのだろうか……。

「へぇ~やっぱりそうなんですね! それなら安心ですね」

 リリの言葉に、雪陽(ゆきよ)はずっこけるかと思った。リリは何の躊躇もなく、射線上ギリギリまで顔を近付けていた。

「リリ、あと半ミリ……そうそう、ストップ」

「へぇ、ここまで近付いて大丈夫なんですね」

 あまりに無邪気な様子に、ゆきよの方が躊躇した。

「あの、リリさん。実弾は当たるとかなり痛いですよ?」

「え? でも当たらないんですよね?」

――だって痛い目も見とかないと危ないじゃない?――

 ひろむの言葉を思い出す。なるほど、その通りだったかもしれない。

 一柳リリさん。危なっかしい人とは聞いていたけど、ここまでとは……。

 半ば呆れつつ、トリガーに指を掛ける。未来を『視た』。絶対に当たらない。

 銃声が響き、リリに向けて弾丸が放たれる。リリの頬を掠め、後ろの木の穴をそっくりそのまま通り抜ける。

 雪陽(ゆきよ)にとっては当然だが、撃たれた側にとっては一安心。……の筈なのだが。

「わっ、(かす)ったよ!? あ! 本当に穴が1つしかない……! やっぱりサユさんのレギオンは世界一なんですね!」

 リリは非常に呑気だった。 

「へぇ、度胸はなかなかあるじゃない!」とひろむ。

「ほうほう。見所がありますわ」とサユ。

 不安を感じるのは私だけなんですね……と雪陽(ゆきよ)

 知っていたが、この2人は鈍いところはひたすら鈍い。まぁ、その無邪気さは人を惹きつける魅力でもあるのだが……。

 そんな雪陽(ゆきよ)の心など(つゆ)知らず、ひろむは有望な新人を見つけたとばかり、ニヤリと好戦的な笑いを浮かべた。

「ねぇ、リリ。この肌がひりつく感覚……ぞくぞくするでしょ?」

 ただ、それはリリにはちょっと良く分からなかった。「えっと……」と、口を濁すも、ひろむは口を挟ませない。

「回避って言うのはね、限界ギリギリまで敵の攻撃に近付くことなの。攻撃を避けた時、このひりつきを感じないようじゃダメ。それは回避じゃなくてビビりよ」

 ひろむは畳みかける。

「怖がっちゃダメ、力を入れちゃダメ、どうせ避けちゃうんだから、余計な力もマギも要らない。最小限で最大限の動きをするの。分かるでしょ?」

 リリは、ひろむの回避を思い出した。ほんの少し屈むだけ。最小限の回避。それゆえに、効果は最大限。姿勢も動作も全くブレなかった。

 限界ギリギリまで……ひりつきを感じないようじゃダメ……余計な力もマギも要らない……。

「最小限で最大限の動き……」

 リリは呟いてドキドキした。防御技術では受けきれない攻撃への対処法、回避。その真髄が、そこにあった。

「ひろむさんありがとうございます! あの、もう一度手合わせしてもらっても良いですか?」

「私と差しでやりあおうなんて、やるじゃない。いいわ、今度は徹底的に……」「あの、ひろむさん」

 戦う気満々のひろむを、雪陽(ゆきよ)が止めた。

「何よ、邪魔するっていうの?」

「ひろむさん、そもそも私たちがサユちゃんを探してたのって、遠征の会議があるからでしょう?」

 ひろむは目を点にした。

 ローエングリンも有力レギオンであり、遠征にもそれなりに出かけている。今日はその会議があったのだが。

「あれ、そうだったかしら」とひろむ。「そうでしたっけ?」とサユ。

 ……ひろむさんもですけど、どうして主将が忘れているんでしょうか……。いや、もう何も言うまい。雪陽(ゆきよ)は諦めた。

「リリさん」

「はい?」

「あなたからはセンスの良さを感じますが、回避は高等テクニックです。実戦では付け焼刃の技を決して、"決して"ですよ? 絶対に、ひろむさんの真似はなさらないで下さいね」

 ゆきよは念に念を押した。しかし。

「分かりました! 実戦でも使えるよう練習します!」

 ……いえ、できれば練習も控えて欲しいのですが……。

 ひろむの回避は、練習して真似できるようなものではない。天性の勘の良さと、レアスキルによる直感と、繰り返し回避してきた経験によって成り立っている。新人が憧れても火傷するだけだ。

 しかし。

「遠征から帰ってきたら徹底的に指導してあげるわ!」とひろむ。

「では、私も最先端の戦術を叩きこんで差し上げますわ!」とサユ。

「はい! お願いします師匠……!」とリリ。

「あら、良い響きじゃない」(ひろむ)「先に目を付けたのは私ですわ! 私のことは大師匠とお呼びなさい!」(サユ)「あ! ズルいわよ、サユ!」(ひろむ)「えっと……でしたら、回避の大師匠と戦術の大師匠とお呼びします!」(リリ)「ふーん? なかなか分かってるじゃないの」(ひろむ)「見込みがありますわ! やはりリリさんをローエングリンの名誉一番弟子に指名いたしましょう!」(サユ)「あはは、ありがとうございます(?)」(リリ)

 呑気なリーダー。呑気な突撃隊長。そして呑気な新人リリィ。呑気な3人組を前にして、雪陽(ゆきよ)はただただため息を吐いた。

 




Q.銃弾は掠るだけでも怪我をするのでは?
A.リリィなのでマギによって守られています。そのガードを下げない限り、掠っても(そもそも直撃しても)大した怪我はしません。

……という設定です。実際は味方の弾に当たっているシーンがないのでよく分かりません。
訓練弾を撃ち合っているので、こちらに関しては当たっても死にはしないのだと思います。そして訓練弾とはいえ味方に向けることに躊躇がないなら、実弾でも大した怪我はしないのではないかと思っております。
折角マギがあるので、ここは都合良く考えておきます。


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第4-12話 リリィ日和4

-9-

 

 タヅサは憮然として寝転がった。

「……マイ様、どうしてそんなにお強いんです?」

 あの後、何度か手合わせしてもらったが、一向に勝てない。強化リリィ特有のマギ量と、生来の運動センス。普段から手合わせなどしないが、ファンタズム抜きでも後れを取るつもりはなかった。

 それが、マイ相手だと手も足も出ないのだ。

「マイが強いのはその通りだけど、タヅサは動きが荒いんだ。スキルに頼りすぎだぞ」

 それはファンタズムの思いもしない弱点だった。

 未来が見えるのだから、読み合いや不測の事態など考える必要がない。マイから見れば、通常の駆け引きや立ち回りはまだまだ甘いのだった。

――スキルに頼りすぎ――

 ただし、マイが言っているのはそれだけでないとタヅサには分かった。

 『リジェネレーター』、超回復能力を得ることができるタヅサの”ブーステッドスキル”。

「……マイ様。私はファンタズムはともかく、『リジェネレーター』に頼っているつもりはありませんよ」

 タヅサは声を固くし、顔をそむけた。

 強化リリィは、通常のレアスキルとは全く異なった、人工的なスキル(ブーステッドスキル)を付け加えられている。有用な反面、副作用で精神が不安定になったり、マギや体力を大量に消費したりと、危険なものでもある。

 そして多くの場合、それは当人が望んだ力ではない。ブーステッドスキルもまた、強化リリィのタブーである。

 ……筈なのだが。

「いや、思いっ切り頼ってるだろ」

 マイは、あっけらかんとツッコんだ。

「いや、その……」

 タヅサは、逆に困惑した。あの、マイ様……タブーなのですけど……。

 ……まぁ、実際のところ、タヅサは『リジェネレーター』を当てにして無謀な攻撃を仕掛けることが多い。マイに言わせればそれは悪癖だった。自分のことを大事に……などは置いても、単純に体力とマギの無駄遣いである。タブーか何か知らないが、直せるところは直すべきなのだ。

「……先輩ってすごいですね」

 怒るのも忘れて、タヅサは感嘆を口にした。

「そうだぞ、マイは凄いんだ。だからもっと(うやま)うんだぞ?」

 ……そう言われると逆に尊敬したくなくなるのは何故だろう。もちろん、そういう親しみやすさがマイの魅力ではあるのだが……。

 何だか返事すら煩わしく、タヅサは目を瞑った。

(しかしブーステッドスキル……こんな力に頼ってるつもりは……)

――いや、思いっ切り頼ってるだろ――

 ……。確かに、治るからいいやで突撃することも……少しは……結構……そこそこ……。……別にこんな力なんて……。……こんな身体を大事にして……。私は、どうしたいんだろうな……。

 不意に考え込んでしまったタヅサの耳に、「あ、タヅサさん!!」元気一杯の声が轟いた。

 反射的に顔を(しか)めてしまう。目を開けなくても、それが誰か分かった。

「おい、声がでかいぞ」

「元気でいいじゃないか! そういうの、悪くないと思うぞ」

「あ、マイ様もいたんですね! ごきげんようです~」

 リリだ。リリは、にっこにこの笑顔で2人に駆け寄ってきた。鼻歌を歌いながら無駄にぴょんぴょん飛び跳ねている。

 何と言うか、元気だった。普段から騒々しいが、今日は2割増しくらい生き生きしている。

 もしかしたら、今が6月だからかもしれない。5~8月は百合(リリィ)の花盛り。きっと、今日はリリィ日和だ。

 もしそうだとすると、このテンションがあと数か月続くということで……それは、あまり考えたくないことだった。

「タヅサさん、この前はありがとう」

 リリは何が楽しいのか、満面の笑みでタヅサに寄ってくる。

「ちょっと……一柳さん、近い」

「あー!!」

 リリは急に叫んだ。

「な、なんだ?」

 

「戦場ではリリって呼んでくれたのに!!」

 

 ……なんだ、そんなことか……。

「別におまえとは友達って訳じゃ……」「友達だよ!」

 力強く断言され、タヅサはひるんだ。

「この前の戦いで助けてくれたし、教室でおしゃべりしてくれるし、一緒に猫にご飯もあげたし……。そういうのを友達って言うんだよ?」

 ……なるほど、客観的にはそうかもしれない。しかし、タヅサとしては、何故か素直にそうと言えなかった。

「別に。おまえを助けた訳じゃない」

 確かに、地面から不意打ちしてきたヒュージをタヅサは仕留めた。しかしそれはたまたま近くに居たからであって別にリリを助けた訳では……。

「いや、オマエ思いっ切りリリの方に飛び出してっただろ」

「マイ様……! あれは『視えた』から対応しただけです。それに、私が行かなくても何とかなってました」

「ほうほう。行かなくても何とかなるって分かったけど、それでも顔色変えて飛び出してったのか!」

 タヅサはぐっと言葉に詰まった。

「オマエ……リリが好きなんだな! 私もリリが大好きだぞ」

 違います! と言おうとしたが、

「わあ! ありがとうございます! タヅサさんも、ありがとう!」

 そう笑顔で言われ、どうも否定しづらくて顔をそむけた。

 しかしそのまま抱きつかれると、流石に抵抗した。

「こら、離れろ」

「ダメです~。リリって呼ぶまで離れません!」

「あ、こら……!」

 力を入れて暴れるも、ぎゅっと抱きつかれて全く離れない。

 これだけは、どうも慣れない。タヅサは抗議するように憮然とした。……いや、それは客観的に見ると憮然とした顔ではなく……。

 一匹狼のタヅサが、リリに抱かれて顔を赤くする。なかなか愉快な光景だった。

 マイはそれを見て、ただただ笑っていた。

 

-10-

 

 少女の吐息が、木々に吸い込まれていく。

 主要な通路から外れた、誰も通らないような小さな森の木陰。そこで太陽から隠れるように、2人のリリィが身体を重ねていた。

 荒い息が零れる。心臓が鳴りやまない。熱に浮かされたように身体が火照る。1人が、堪え切れず手を伸ばす。しかし、その手が届く前に、もう1人がその手を伸ばしていた。

 プシュッ。

 エナジーボン――ビタミンやらカフェインやらが入った、炭酸入りエナジードリンクの亜種――をグイっとあおる。

「はぁはぁ……それ! はぁ……私のですって!」

 フミと楓だった。2人はぜぇぜぇと息を荒くして木陰で休んでいた。

 フミはともかく、楓までダウンしている原因は『しおりさんごっこ』だった。あの後、2人は交互に高速斬撃をやっていたのだが、フミの「楓さんでもしおりさんほど早くはできないんですね」にカチンときて、やりすぎた。結果、フミが買ったエナジードリンクを奪い取る羽目になった。

 ……そんなに喉が渇いていたなら、楓さんも買ったら良かったじゃないですか……。

 フミは、楓の下敷きになりながら心の中でぼやいた。

 しかし、自販機で物を買うことは美学に反するらしく、フミを横目に楓はツンと腕を組んでいた。ついでに言えば、地べた(草の上)に寝転がるのも抵抗があるらしく、楓はフミをレジャーシート代わりに敷いてそこに横になっていた。

 この物扱いの現状は不服ではあるのだが、こう疲れていると抵抗する気も失せてくる。それに……まぁ、楓さんですし……。

 常の傍若無人さは、周囲を寛容にしてしまうようだ。

「ちょっと、はぁ……呑みすぎないでくださいね? ……はぁ、私、まだ、一口しか飲んでないんですから……」

 フミの一応の抗議に、しかし尚もごくごくと喉を鳴らす。

「……楓さん?」

 ごくごくと喉を鳴らす。

「ちょっと、楓さん!」

 そしてフミの見ている前で、ペットボトルは空っぽになった。

 ふぅ、と気持ちよさそうに息を吐く楓。

「ふぅ~、じゃないですよ!」

 楓は眉をひそめた。

「何とも言えない雑味ですわね。名前もエネパウのパクリですし」

「私とメーカーに謝ってくださいよ!?」

「何を。こんなもの飲んでいては健康によろしくありませんわ。むしろ全部飲んで差し上げた私に感謝なさい」

 とんだ言い草だった。

 フミは怒りたいところだったが、怒ったところでエネボン(エナジーボンの通称)は返ってこない。それに最初の一口で割と飲んでいたので、フミもそこまで喉は乾いていない。今は、怒るのも煩わしい。

 やはり、常の傍若無人さは周囲を寛容にしてしまうようだ。

「そういえば、楓さんって…………いえ、やっぱりいいです」

 何なんです? と楓は怪訝な顔をした。

 ……楓さんって、間接キスとか気にされないんですね。そう言おうとしたが、楓が気にしていない以上、自意識過剰な気がしてフミは止めた。

 楓はその沈黙に乗じて、フミの腹部に頭を落とした。「ぐえっ」

「全く。こんなところでフミさんとエナジードリンクで逢引きとは」

「私を気遣ってくださいよ! ……と言いますか、二言目にはリリさんリリさんと」

 楓は、「何のお話ですか?」とくるりと反転した。

「私は早くカフェでロイヤルミルクティーが飲みたいと、そう申し上げただけですわ」

 フミは少し驚いた。てっきり、『アナタのようなちんちくりんではなく、リリさんでしたらエネボンでも大吟醸ですわ』みたいなことを言うのだと思っていた。楓がリリのことに言及しないのは珍しい。

 それと同時に……。……なんでしょうね、この体勢は……。

 お互いが仰向 (あおむ)けだと下にいるフミの物扱い感がすごかったが、上にいる楓がうつ伏せになると……。

「あの、楓さん……いえ、別にいいですけど……」

「何なんですの? 言いたいことがあるなら、ハッキリおっしゃいなさいな」

 フミは少し迷ったが、2回連続で口ごもるのも良くないかと、口を開いた。

「いえ、あの。この体勢って……お腹の子の様子を見る、新婚カップルっぽくないですか?」

「…………はい?」

 ……。

――うふふ、あはは――――あっ。今、お腹を蹴ったぞ――――まぁ。貴方に似て元気なのよ――――お前に似てヤンチャなんじゃないのか?――――うふふ、あはは――

 ……。

「随分と想像力が(たくま)しいですわね」

 笑うべきかもしれなかったが特別笑えず、かといって喜怒哀楽のいずれも浮かばず。面を食らった結果、楓は真顔だった。

 ただ、フミはそれにどぎまぎしてしまう。ここ数か月で気安くなったものだが、改めて見つめ合うと、楓は一流リリィなのだと納得する。気品と意志を感じさせる雰囲気、そしてその瞳。真剣な目でじっと見られると、別にやましいことがなくても……何と言うか、ドキドキしてくる。

 耐えきれず、フミは視線を逸らした。楓は、その反応に意地悪く笑った。

「ふぅん? フミさんは私をそういう目で見ていらしたのですね?」

「ち、違いますよ! そういうのじゃないですけど……なんか、今日の楓さんって妙に私に優しくないですか?」

 飛び出したリリではなくフミについて来てくれたり、フミの我儘に付き合ってしおりの真似事をしてくれたり、このやり取りや距離感の近さも、普段とは違っていて……やはりどこか落ち着かない。

 一方、楓は何と答えるべきか、少しだけ思案した。シェンリンから指摘された『リリ贔屓』が耳に痛かった……というのもあるが、そもそもフミのことも憎からず思っている。

「高貴であることは差別を許しませんわ。そうすべき対象であれば、女王でもフミさんでも、等しく可愛がりますわ」

 フミは楓の言っていることが微妙に分からなかった。

「……やっぱり、私のこと狙ったりしてます?」

「それは狙ってもらいたい、ということでしょうか?」

 何でそうなるんですか! そう反論する前にぐっと顔を近付けられ、言葉に詰まる。

「ち、近いですよ?」

「近いと何が問題なのです?」

「その、あの、汗とかかいてますし……?」

 いえ、そういう問題ではなく……。

 確かにお互い汗はかいているが……というか、楓も汗をかいている筈が、なぜか仄かに良い香りがする。シャンプー? 香水? 特殊な洗剤や繊維を使っているとか……? 流石、名チャームメーカー・グランギニョルの総帥のご令嬢ともなると身に着ける物も違うんでしょうね~……。

 などと考えていると、何を思ったか、楓は右手をフミの手に重ねた。

「ちょ、何を……!」

 押し倒されたように身体を押さえつけられる。楓は何も言わない。そのまま、左手をフミの頬へと伸ばした。

「止めてくださいって……!」

「嫌でしたら振りほどけば良いではありませんか」

 楓は愉快そうに微笑んだ。

 フミの空いている右手、そこにはチャームが握られている。さくあと手合わせした時の反省から、休憩中でもチャームは肌身離さず持つことに決めていた。振り払おうと思えば、いつでも振り払える。

 ただ、同じくその時の記憶から、フミはチャームを持っていない相手にマギを使うことは躊躇われた。

 抵抗できるのに、抵抗できない。時が止まったように、フミは動けない。

 そこに、楓の左手が触れる。反射的に肩が揺れる。ひんやりとした、なめらかな感覚。これは心の優しい人は手が冷たい的な……?

 ……違う。楓さんの手が冷たいんじゃなくて……私の顔が熱くなってるんだ……。

 今、自分の顔はどれほど赤くなっているのだろう。真っ赤になった自分を想像すると、恥ずかしさで余計に顔が火照るのを感じる。

「あら。随分と可愛らしい反応をなさいますのね」

 か、かわっ!?

 どういう意味で言っているのか、からかっているのか、深い意味はないのか、それとも……。

 不意に、4月の出来事を思い出す。あの時も、フミは楓に押し倒された。ただ、あの時と違って楓は正常な状態で、そしてフミは抵抗ができる状態で。それなのに、あの時と同じように無抵抗で……あの時よりも更に、心臓を高鳴らせて。

 自分はこの状態を望んでいるのだろうか。自分が抵抗できないのか、単に楓を受け入れているのか、ごちゃごちゃになって訳が分からなくなる。

「や、やめてください……」

 弱弱しく顔を背ける。そこには、とても楓の手を振り払う力は込められていない。

「フミさん、気付いているかしら。アナタは、心の中で本当に思っていることほど口に出さないんですわ。本当の自分を知られたくない。本当の自分を晒したくない……。ですから、本当に止めて欲しい時、アナタは『やめて』とは口にしないのです」

 ドキッとした。自分が見透かされているような気がした。

 自分の全てが白日の下に晒されたような……纏っていた物を剥ぎ取られ裸にされたような……恐ろしいような、あるいは待ち望んでいたような……?

「さぁ、私に本当のアナタを見せてくださいな」

 フミは、耐えきれずにぎゅっと目を閉じた。心臓の音で耳がキンキンする。吸っても吸っても息が苦しくなる。原因不明の緊張感に、フミは全身を固くした。

 そして。

「……おまえらは何をしてるんだ」

 咄嗟に、フミは上体を起こした。

 そこでハッとした。このままでは反動で楓を突き飛ばしてしまう……!

 しかし、楓はサッとフミから離れ、そのまま何気なく立ち上がった。一流リリィともなると、普段から身のこなしが優れているらしい。

 フミはどう取り繕うべきか分からないまま、声を掛けてきたリリィ、安藤タヅサの方に顔を向けた。

 

-11-

 

「楓さん……試験ではありがと」

 その後、フミが困っている間に『怪我の介抱』と楓が適当に理由付けをし、タヅサもそれ以上追及しなかった。面倒そうな空気を感じたからで、その直感は概ね正しかった。

 なお、タヅサの言葉はぶっきらぼうだが、これでもかなり角が取れた方だったりする。当初は『ヌーベルさん』呼ばわりで、そもそも他人に感謝を口にしたりしなかった。

「こちらこそ。即席とは思えないほど気持ちよく動けましたわ」

 楓もお世辞ではなく、心から称賛した。一匹狼と聞いていたが、連携はなかなか悪くなかった。ファンタズムの精度もかなりのものだ。

「……ただ、アナタ、地はいいんですからもっと精進なさいな」

 タヅサは苦い顔をした。『スキルに頼りすぎ』。丁度、マイから同様の指摘をされたところだ。

 タヅサは射撃も、通常の立ち回りも、人並み以上にセンスがある。それを歪めているのは、ファンタズムとリジェネレーターの力だ。

 ……そんなこと、あまり認めたくないのだが。

「そうですよ~ちゃんとトリートメントとかしましょうよ~」

「……は?」

 不意にフミが割り込み、タヅサは反応が遅れた。

 このチビ助は何を言ってるんだ……?

「そうですわ。修行も身体の手入れも、日々の積み重ねですわ」

「そうです! それにミリタリーとかスーツみたいなカッコいい系はもちろんですが、フリフリの付いた可愛い系も似合うと思うんですよ!」

「意外性とは重要な要素ですわ。虚を突かれると堅牢な守りでも崩壊するものです」

 顔を右に左に往復させつつ……。

「待て。楓が話しているのは戦いの話か? オシャレの話なのか……?」

 何の話をされているか分からず混乱してくる。

 ……まぁ、そもそもコイツらの話をまともに聞くべきかは疑問だが。

「それよりフミ。おまえ、あれだ……その……」

 実は、タヅサはずっとフミに言いたいことがあった。しかし意外にフミは人脈が広く、常に誰かと話しており話しかけにくかった。そこで教室や廊下で会った時にそれとなく視線を送っているのだが、何を勘違いしているのか会釈くらいしか返してこない。

「えっと、私に御用ですか?」

 今もフミはキョトンとしている。

「あれだよ……その……猫柄の」

「あ! もしかしてこれですか」

 フミはようやく合点して懐をまさぐった。

 ハンカチ。連休の際に鼻血を出したフミに差し出したハンカチだ。タヅサとしてはあげたつもりはないのだが、一向に返ってこないのでヤキモキしていた。

 実用性に寄りがちなリリィ用品の中で、デザインが可愛らしいタヅサのお気に入り。

 それがよれよれになっているのを見て、タヅサは顔が引きつった。

「私もずっとお礼を言いたかったんです! これ、すごく助かりました! ありがとうございます!!」

 おい、それ私のだぞ……! どう使ったらこんなにボロボロに……。

 そこで違和感に気付いた。リリィ用品は基本的に軍用品に準ずる。単純に銀が織り込まれているだけでなく、耐久性も通常の製品と比べ物にならないくらい高い。それが、どうしてここまでよれるんだ?

 マギを流した。それ以外にあり得ない。

 しかし、フミは実戦経験がない筈だ。そもそも、日用品にマギを流して戦うのは緊急の最終手段であって、まともな状況で使うことはあり得ない。

 ……そういえば、こいつは風呂で包帯を巻いてたな……。

 点と点が繋がり、にわかに不穏な空気が立ち(のぼ)ってくる。下手につついたら大蛇でも出てきそうな雰囲気だった。

「……まぁ、大事にしてくれよ」

「はい! お守りとして肌身離さず身に付けさせていただいてます!」

 ……まぁ、雑に扱っていないなら……いや、あげてないんだが……。

 タヅサは微妙な顔をしたが、客観的には親しげに見えるのだろうか。

「あら、いつの間にプレゼントをする仲になっていましたの?」と楓。

 それはタヅサの方が知りたかった。

 何だかため息が出てくる。リリといい、フミといい、一緒に居ると調子が狂ってしまう。……ただ、その顔は、傍から見ると満更でもない表情に見えることをタヅサは知らなかった。

「本当にいつの間にか仲良くなられて……。アナタ、リリさんとも仲がよろしいのですから、いっそ私たちのレギオンに来ては如何です?」

 タヅサは逡巡した。マイとの勝負に負けたらどこかのレギオンに入る約束だ。しかし……。

「いや……ちょっと、考えさせてくれ」

 自分がいなくなったらマイが1人きりになる。それは寂しいことに思えてしまう。

「一緒に戦えたら楽しいと思いますよ?」とフミ。

 怒ってないことが判明すると、一転してぐいぐい距離を詰めるのだった。

 一方、楓は強引には誘わなかった。

「まぁまぁ。こればかりは本人が決めることですわ」

 この反応は脈ありだと感じ取っていた。それならば、強引に勧誘するより自然に任せた方が円満に収まるというものだ。

「席は空けておきますわ。是非、リリさんともお話しくださいな」

 楓の笑顔に、しかし、タヅサはげんなりした。

 リリとは既に十分すぎる程お話ししたところだった。

 

-12-

 

「はぁ! タヅサの猫耳コスがフミの新聞に載ったんですか!?」 

「今更ですよ」とシェンリン。

「遠征に行ってたんだからしょうがねぇじゃないですか」

 しかし、あの一匹狼のタヅサがそんなことになってるとは……。こうなってくると、むしろどうしてリリのレギオンに加入してないのか不思議なくらいだ。

「何でアイツはオマエらのレギオンに入らないんですか?」

「そりゃ本人に黙って掲載したようですから」

「フミ、睨まれてるから」

 手元の写真に目を落とす。満更でもない顔をしているように見えるのだが……どうやら、何か非合法的な手段を使ったらしい。

「全く、アイツらしいですね」

 ルイセは呆れながらも、楽しそうに笑っていた。いつにも増して、ルイセは上機嫌だった。

「貴方は二言目にはフミさんフミさんと。どれだけフミさんが好きなんですか」

「いや、ちげぇですって。共通の話題がフミなんだからそりゃそうなるじゃないですか」

 とは言うものの、話題の偏りは明らかだった。

「ルイセ……フミの話をしてる時、すごく楽しそう」

「そんなにフミさんがお好きならウチに入ってくださいよ。絆奈さんと一緒に」

「しれっと絆奈を巻き込まねぇでくださいよ!」

 というか、まだ諦めてなかったんですか……?

 改めて釘を刺しておこうかと口を開きかけた時、「あ、ルイセさん! ごきげんよう」リリの声が響いた。

 ルイセはドキッとした。リリのことは自然に任せるとはいえ……。落ち込んでない……訳はねぇですよね……。

 と思ったのだが、リリはスッキリした顔をしていた。

「ルイセさん! さっきは立ち聞きしちゃってごめんなさい! それと……ずっと謝ろうと思ってたんですけど……前にここでお話した時、私、無神経なこと聞いちゃいました。本当にごめんなさい」

 ここで話した時?

 一瞬何のことか分からず、あぁ、過去について聞いた話ですかと合点した。

「何ですか、ずっと気にしてやがったんですか? 私はそんなことで怒るほど小さくねぇですよ」

 というか、最近、もっと露骨なことをフミから聞かれている。今更怒る筈などなかった。いや、怒るどころか、それは自分が向き合うべき問題だ。

 いつまでも、逃げていてはいけない。

 ……つい苦い顔を表に出してしまい、笑って誤魔化した。またシェンリンに小言でも言われますかね? と思ったが、シェンリンはカップを傾けていた。その代わり、ユージアが口を開いた。

「リリ? 授業は?」

「あれ、ユージアさんとシェンリンさんもご一緒ですか?」

「ちょっとしたお茶会ですよ。それより、オマエこそ授業はどうしたんです?」

「実は実習が夜間訓練に振り替えになって、お姉さまを探してるんです」

 時計を見ると、もう授業時間の半分以上が過ぎている。

「そりゃ随分と難航してますね」

「あはは……実はサユさんたちに会って少し指導してもらって」

 ガシャンと音を立ててカップが受け皿に戻される。シェンリンだ。

「シェンリン……?」

 それは常に華麗な立ち振る舞いを心がけるシェンリンらしくない粗雑さだった。

「申し訳ありません。少し紅茶を零してしまいましたので拭いてまいります」

 あれ、零してたかな……。リリは疑問に思ったが、シェンリンはすたすたと歩き去ってしまった。

「私も一緒に……!」

 ユージアは立ち上がりかけ、それをルイセが止めた。

「ユージア。シェンリンをそっとしておいてあげてください」

 ユージアは逡巡した後、大人しく腰を落ち着けた。しかし、難しい顔をルイセに向けている。怒っているわけではない。ただ黙ってルイセを見つめる。ユージアは何も言わない。ルイセも何も言わない。

 ほんの数秒の間に、空気が一変してしまった。

「ルイセさん。シェンリンさんって……サユさんと何かあったんですか?」

 沈黙を破ったのはリリだ。

 シェンリンが態度を急変させた原因、『立原紗癒(サユ)』。リリも、それには気付いた。

 ルイセは場違いながら少し感心した。リリは子どもっぽいというか、機微に疎いところがあった。それがどうも、この1か月でリリは内面も成長しているらしい。

 まぁ、感心している場合ではないのだが。サユとシェンリンの話題はデリケートだ。しかも、それは仲間にも――ルームメイトのユージアにすら――言っていないらしかった。

 ルイセは悩んだ。他人が勝手に話して良いものではないが、2人はそれで納得しないだろう。

「……詳しいことは、シェンリンが自分から言うのを待つんですよ?」

 ルイセはそう前置きして口を開いた。

「リリィをやっていれば、比べられる相手っているじゃないですか。ユージアはウチの冬佳(トウカ)様と比較されることがありますし、私は、過分なことに千華(チハナ)様と比べられることがあります」

「つまり……ライバルリリィってこと?」

 リリの言葉に、ルイセは首を横に振った。

「ライバルってのは実力が近いからこそライバルなんですよ。比較対象が伝説級ですから、むしろ私はありがたく思いますけどね。……ただ、それが同級生だったらと思うと、ぞっとしますよ」

――同級生に競い合う相手がおりませんでしたの――

「……もしかして、シェンリンさんってサユさんと比べられていたんですか?」

 ルイセは、静かに首肯した。

「やっぱりサユの奴は飛びぬけた天才なんですよ。アールヴヘイムに内定してたくらいです、その実力は伝説級なんです。どんな人間でも、そんな奴と比べられたら霞んで見えるじゃないですか」

 それ故に、シェンリンは苦しんだ。

「……でも、シェンリンはテスタメント(スキル広域化)で、サユさんはレジスタ(支援能力)だった……よね? もう比べなくてもいい筈なのに……シェンリン、今も苦しそうだった」

「……詳しいことは私も分からないですよ」

 ルイセは、嘘を吐いた。

 ここまでは一般にそう理解されている内容で、多分フミでも掴めるだろう情報だ。……本当はもう少し込み入った事情もあるのだが、しかしそれは流石に言えなかった。

(全く、何時まで過去に囚われてやがるんですかね……)

 尤も、それはルイセにも当てはまることだ。ルイセもその難しさはよく分かっているので、安易に茶化したりできないのだが。

 などと考えていると。

「陰口は終わりましたか?」

「うわっ! 急に声をかけねぇでくださいよ!」

 振り返ると、いつもの飄々としたシェンリンがそこにいた。

「シェンリンさん!」「シェンリン……!」

「何ですか。そんな『トイレで上司の愚痴で盛り上がっていたところ、個室からご本人登場』みたいな反応して」

 いやに具体的だった。

「あの、サユさんのことルイセさんから聞きました。嫌な気分にさせちゃったらごめんなさい」

 リリはそう言って頭を下げたが、シェンリンの反応はあっさりしていた。

「サユさんですか。別に気にしてませんよ。……先程ルイセさんにも謝っていましたが、そんなに恐縮されるとこちらが困惑します。もっと堂々としなさいな。貴方は百合ヶ丘に来たばかりなんですから、知らなくて当然です。むしろ、知らないが故に踏み込めるのは長所だと思っているくらいです」

 シェンリンの声にも立ち居振る舞いにも、震えも一点の曇りもない。よくもそんな風に取り繕えるものだと、ルイセは感心した。

 それと同時に、シェンリンのその言葉には妙な既視感があった。――知らないから聞きたいんです――確か、フミはそう言った。

 知らないが故に踏み込める。タブーに踏み込み、目を逸らしていたものに立ち向かう機会を与える。百合ヶ丘に新しい風を吹かせる……。

 そうだ、孤高のユユ様を変えたのもリリだった。もしかしたら、百合ヶ丘を変えていくのは……純粋で、危なっかしく、まだまだ未熟な新人2人だったりするのだろうか。

「そうですね……確かに私、怖がりすぎてたかもしれません……。ありがとうございます、シェンリンさん! 私、当たって砕けろの精神で頑張りたいと思います!」

 しかしあまりに素直なリリを見て、ルイセは呆れて笑いが零れた。

 ……やっぱり、純粋で、危なっかしく、まだまだ未熟ですね……。

 過保護と言われようとも。ルイセは、2人を守ってやるべきだなと思うのだった。

 

 

 

--

 

――並び立つライバルがいることって、そんなに悪いことでしょうか?――

――ライバルってのは実力が近いからこそライバルなんですよ――

 リリは、何故かサユとルイセの言葉が頭の中でぐるぐる回って落ち着かなかった。

 



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第4-12話 リリィ日和5

-13-

 

 ユユは迷っていた。自分が変わることについて。自分がまるで普通の人間のように振舞うことについて。

 カフェテリアで一人紅茶を飲んでいると1年生が話しかけてきた。こんなこと、以前なら有り得なかった。それを嬉しいと思う一方……遥かに、それを怖いと思う自分がいる。

 尊敬の目が恐ろしい。本当の自分を知ったら、きっとそんな目は向けられない。

 いや、知らない筈はない。お姉さま殺し。どう取り繕ってもその事実は消えてなくならない。それなのに、どうしてリリも……あの子たちも……。

 ユユには分からなかった。理解できない。どうして自分を恐れないのか、避けないのか。この力は皆を傷付けるのだと、どうして考えないのだろうか。

 このまま、立派なお姉さまとして、それらしく生きていくべきなのだろうか。過去をなかったことにして。お姉さまをなかったことにして。

 それが自分にできるのだろうか。

 こういう時ほど、あの憎らしい亡霊が恋しくなる。嘘でもいいから優しい言葉を、厳しい言葉を、他愛のない雑談を。何でもいいから言葉をかけて欲しかった。

 それはともかく。

 気付けば、周囲には木々が生い茂り、校舎が見えない。自分がどこを通ってここに来たのか皆目見当が付かない。

 ユユは一旦立ち止まり、現状を捉え直した。

「なるほど」

 ユユは迷っていた。

「いや、なるほどじゃないだろ……」

 どこからともなく声がしたかと思うと、ひょっこりとマイが現れた。

「久しぶりね。見ないと思ったら、こんなところにいたのね」

「そんな訳ないだろー。……というか、久しぶりってほど久しぶりでもないぞ」

 先日の出撃でもタヅサ、リリと共に顔を合わせている。

 まぁ、ユユがリリとレギオン(仮)にかかり切りになって以来、会う機会が減ったのは事実であるが。

「どうしたんだ、こんなところに一人で来るなんて。マイにできることなら相談に乗るぞ」

 マイは木の幹に寄りかかり、両手を頭の後ろに組んだまま言い放った。親身なのかぶっきらぼうなのかよく分からない。

「別に。ちょっとした気分転換です」

「こんな鬱蒼(うっそう)とした場所でか?」

「ええ、そうです」

 ユユは強弁した。

 お姉さまが出て来ないかと人気の少ない場所を歩いていた。そんなこと、とても口にできない。

「貴方こそ、こんな場所で何をしていたのですか。私でよろしければ相談に乗りますよ」

「ちょっとした気分転換だよ」

「こんな鬱蒼とした場所でですか?」

 マイは、ユユの返しに閉口した。よくもそんな恥知らずな返答ができるもんだ。

「……ああ、そうだよ」

 まさか入口からストーキングしていたとは言えない。マイは適当に誤魔化した。

「貴方もこんな場所をホームにするくらいなら仲間を作っては如何ですか」

 ユユは忠告ともジョークともつかないことを口にした。

「マイは野生児じゃないぞ……?」

 真顔なので、冗談かマジか若干分かりにくい。

 ……というか、『仲間を作っては如何』て。どんな誘い方だ。

 本人も自覚してるだろうが、ユユは不器用すぎるのだった。

「私はもうしばらくここがホームでいいかな。私を必要とするレギオンも多いしな」

「言い方が悪かったですね。……お願いです、私たちのレギオンに入ってください。貴方が、マイが必要なのです」

 不器用ゆえ、ストレートな言葉は胸に響く。

 マイはどのレギオンにも入るつもりはなかったのだが。ユユの言葉に、心が揺らぐのを感じた。

「……順調だって聞いたけど、そんなに難航しているのか?」

「4月段階ではこれ以上ない滑り出しでした。しかし、その後は全くです」

 今となっては殆どのリリィはどこかに所属しており、所属していないリリィも見習いとしてレギオン加入の準備に入っている。数少ないフリーのリリィは基本的にレギオンに入る意志はない。こうなっては引き抜きくらいしか選択肢はないが、実績のないレギオン未満ができることは限られてくる。

 ……実を言えば、探せば新人を融通をしてくれるレギオンはなくもない。実績がないとはいえ、ユユ、楓、シェンリン、ユージアと、名だたるリリィが加入しているのだから、交渉次第で人員を引っ張ってくることはできた。

 ただ、それをすると何かあった時に逆に人員を差し出す必要に迫られる点、リリ・フミがいるため外部の新人を十分教育できないだろう点、リリたちと繋がりの薄いリリィを加えても不協和音になりかねない点……などなど、問題も多いのでそれは最終手段だった。

「それでマイに話が来たって訳か。……タヅサと一緒に入ったら、丁度9人だもんな」

「あら。鋭いですね」

 ユユは事も無げに言った。ユユはこういうところがあるんだよな……。

 しかしながら、ユユのお願いは真剣だった。

「勝手なのは承知で、お願いします。これ以上、リリに無為な時間を過ごさせたくないのです」

 ユユは頭を下げた。マイとタヅサはフリーでやってきた実力者であり、また、教室や戦場で顔を合わせているのでリリたちとも関係が良好だ。加えて言えば、TZ(中衛)、BZ(後衛)に寄りがちな現メンバーに対し、AZ(前衛)を担当できる2人はそのニーズにマッチしている。選択肢としてこれ以上ない……というか、これ以外ないと思わせるような絶妙な2人だった。

 抜けている穴にぴたりとはまる。

「まるでパズルのピースみたいだ」

「え……?」

「まるでマイたちがそこに入ることを計算されたみたいな空き方だなって」

 マイは何となく、美鈴様を思い出していた。もしかしたら、美鈴様がマイやユユを導いたのかもしれないな……。

 そんな漠然とした、マイとしては他意のない言葉だったが、ユユは妙に考え込んだ。

「……やっぱり止めておきましょう」

「オイオイ。どうしたんだ、ユユ?」

 ユユはそれとなく視線を床に落とした。それから改めて視線を合わせる。

「いえ、もう少しリリに頑張らせてみます。私のおかげでレギオンができたと思うより、やはり自分の力でやり遂げた方が力になる筈です。それに、貴方も乗り気という訳ではないようですから」

 マイとしてもここで首を縦に振るつもりはなかったが……。この唐突な態度の変化は少し気になる。

「やっぱり困り事があるならマイに相談してくれよな?」

「この森の大将にですか?」

 見ると、いつの間にかふてぶてしい素のユユに戻っていた。

「だから野生児じゃ……オイ、もっと酷い悪口じゃないかそれ……?」

「この鬱蒼とした森の一番ですよ。その叡智(えいち)を使って私をぜひ森の入り口まで導いてください」

 お願いする相手に取る態度かそれは……?

 マイはため息を吐いた。ユユは、こういうところがあるのだった。

 

-14-

 

「うわっ、ユユ様じゃねぇですか!」

 ルイセは、急に現れたユユに驚きの声を上げた。まぁ、驚いたとはいえ先輩に『うわっ』と声を上げるのはいかがなものかと思うが。

 なお、ユユはマイと「オマエ、迷子になってたろ?」「何を。一人でも帰れましたよ」とどうでもいい小競り合いをしていた。どうでもいいついでに、ルイセの反応くらいは水に流せるのだった。

「ごきげんよう、ルイセさん。先日はお話しいただきありがとうございます」

「なんだ、ユユんとこの新メンバーか?」とマイ。

「マイ様。ルイセはサングリーズルですよ」とタヅサ。

 ルイセの横で、タヅサはやや不機嫌そうにしていた。

 タヅサはそこでばったりとルイセに会って、(無視するつもりだったが)妙に寄ってこられ、適当にあしらっているところだった。

「なんだ、貞花(みさか)んとこの新人か。アイツ、バカだから大変だろ?」

 マイは愉快そうに笑った。近藤貞花。サングリーズルの隊長で、マイとはちょっとした友人だった。

「いえ、むしろヒバリ様と冬佳(トウカ)様が暴走するので、そのフォローで大変そうです」

「我の強い奴ばっか集めるからそうなるんだ。これもアイツが悪い」

 マイからも妙に風当たりが強く、ルイセは苦笑いした。何やかんや(主にヒバリなどが)事件を起こすと、なぜかいつも貞花の所為になるので肩身が狭そうにしている。

 制御不能のレギオンのリーダー、ギガント級と互角に渡り合った制御不能のリリィ……など、その破天荒な肩書の割に苦労人である。

「そういえば、ルイセさんは冬佳(トウカ)さんとシュッツエンゲルの契りを結ばれるとお聞きしましたが、本当でしょうか?」

 ユユが非常に直球の質問を投げかけ、ルイセは狼狽えた。

「な、なんで知ってるんですか!?」

「どうせフミだろ……」とタヅサ。

 なお、ユユの情報ソースは同室の(マツリ)であり、フミは風評である。

 マイは真面目くさった顔をした。

「悪いことは言わないからやめとけ、トウカは碌な奴じゃないぞ。使った後、リモコンの位置が数ミリずれてたら怒られる」

「マイさん、その手のジョークは部外者に伝わらないので止めておきましょう」

 トウカはセンチ単位で味方の立ち位置を調節する、非常に優れたサポートリリィだ。ただ、その指示の細かさはネタにされやすく、アールヴヘイムでは鉄板のジョークだった。

「いえ、まだそうと決まった訳じゃねぇですから……」

 微妙にジョークにも反応しづらく、ルイセは口ごもった。

「なんだ、嫌なのか。おまえにはもったいないくらいだぞ」とタヅサ。

「いえ、光栄なのですが……唐突で面を喰らっていると申しますか……」

 中等部時代、そこまでトウカやサングリーズルの面々と親しかった記憶はない。急に引っ張られて、急にシュッツエンゲルの契りを申し込まれたといった感で、ルイセは返事に困っていた。

「そうなのですか? 聞いた話では、トウカさんはそのつもりで貴方を引き入れたという話でしたが」

「え!? そうなんですか?」

 ルイセは驚いた。そんな素振り、全く感じなかった。

 ……て言いますか、何でユユ様はそんなこと知ってんですかね……? (※祀情報)

「ついでに言えば、貞花さんはそのつもりで絆奈さんを引き入れたとか」

「え!? そうなのか?」

 マイは驚いた。そんな素振り、全然見せていなかった。

「……いやいや! マジでアイツ、マイに相談せずにシルトを決めるのかよ! オイ、私たちは戦友だとか何とか言った癖して酷いじゃないか!」

 予想外の場所でマイはショックを受けていた。

「貴方と貞花さん、そんなに仲が良かった記憶はありませんが」とユユ。

「御台場以来、ちょっと仲良かった時期もあったんだよ……」

 『御台場』とは1年ほど前にあった御台場迎撃戦のことだ。百合ヶ丘女学院、御台場女学校を始めとした関東の1年生を集めた合宿中に起きた大規模な戦闘で、数々の逸話が語られる屈指の激戦だった。

 貞花も御台場迎撃戦で共闘しており、戦いの後にお互いを称え合った。まぁ、それだけと言えばそれだけだが、激戦を乗り越えた者同士の絆みたいなものがある……つもりだったのだが。

 マイは肩を落とした。

「デュエルバカにありがちなんだが、一期一会みたいな感じで、戦いが終わったら関係が切れるんだよな……。御台場の第5部隊とか、学外で連絡先知ってんの志奈乃(しなの)(※那賀大串女学園)くらいだぞ? その点、千香瑠(ちかる)(※エレンスゲ女学院)や(ゆずりは)(※御台場女学校)は良い奴だよ。……というか、なんで他部隊の方が連絡先知ってんだ……?」

 なお、マイは御台場迎撃戦の第5部隊、千香瑠は第3部隊、楪は第1部隊、ちなみにユユも第1部隊だった。

「まぁまぁ。和香(のどか)さんや依奈(えな)さんもまだシルトが居ませんから」とユユ。

「そういう問題じゃなくて、マイに相談してほしかったの! ……というか、ユユもマイに相談してくれなかったし……」

 フォローしようとしたら藪蛇だった。

「マイ様……もしかして人望がないんですか?」とタヅサ。

「うるせー! マイの知り合いはみんなそんな奴らなの!」

 ……知り合いにそういう人間しかいないのはやはり人望がないからではないだろうか。

 ぎゃーぎゃーと騒ぐマイを見ながら……。やはり、マイ様を一人にできない。しばらくレギオンに入るのは止めておこう。

 そう固く決心するタヅサであった。

 

-15-

 

「あれ、お姉さまですか?」

 変に白熱した空気の4人に話しかけたのはリリだった。

 リリの登場でマイは口を止めた。これ幸いとユユは話題を逸らした。

「リリ。どこに行っていたのですか? 探しましたよ」

「探していただいていたんですか!? ごめんなさい、私もお姉さまを探してて……」

 そもそも、ユユは『リリが森に入った』という情報を受けてそこを探していた、という経緯があった。

 まぁ、そうと言ってくれたらマイも、『リリはカフェテリアに行った』と教えられたのだが……。

「というか、携帯で連絡を取ればいいだろ?」

「あ、マイ様。タヅサさんにルイセさんも! 皆さん、さっきぶりですね!」

 返事もそこそこに、えへへ、とリリは楽しそうに笑った。何となく、それぞれ繋がりの違う友達が揃うと嬉しい気持ちになる。なぜだろうか。

 ちなみにリリは機械音痴とは言わないが、あまり携帯は使わない。コミュニケーションは対面で行うというこだわりがあるのだった。

「それにしても、お二人ともお互いを探してたんですか。やっぱ仲がいいじゃねぇですか」

 ルイセは(はや)し立てるように揶揄(やゆ)したが、リリは素直に受け取った。

「ルイセさん、ありがとうございます! えへへ、お姉さま、少し恥ずかしいですね?」

「リリさん、これは皮肉というものですよ」

 ユユは努めて冷静に返した。

「……それで、私に何の用だったのです?」

「あ、はい。実は、講義が振り替えになったので、空いた時間でご指導いただけないかと思いまして」

 ユユは、はて、今はどれくらいの時間だったかと思い返した。タヅサが時計を確認すると、殆ど講義の時間は終わっていた。

「……もしかして、今までずっと探していたのか?」とタヅサ。

「いえ、まぁ……寄り道もしたけど、はい」

 よく1時間以上、人探しに費やせるものだなと変に感心してしまった。

「それを言うならユユもだろ。リリに何の用事だったんだ?」

 マイに話を向けられ、ユユは答えに詰まった。

 用事など特になかった。単にリリが一人森の中に入っていくと聞いて心配になった(という(てい)で1年生の輪から抜け出した)だけだ。要は一人になりたかったのだ。

「あれ、ユユ様とマイ様じゃないですか……ってリリさん!? ルイセさんとタヅサさんまで……」

 ユユが答えあぐねていると、丁度フミが声を掛けてきた。後ろには楓、シェンリン、ユージアまでいる。

 フミと楓はタヅサに話を聞いてカフェに行ったのだが、そこでリリと入れ違いとなり、折角なので全員でリリを探しに向かったのだった。

「貴方、まだこんなところで油を売っていたんですか?」とシェンリン。

「いいじゃねぇですか。今夜には発つんですから、今くらいゆっくりさせてくださいよ」

「え? ルイセさん、また遠征なんですか?」

「そうなんですよ。全く、レギオン遣いの荒いガーデンですよ」

「……ルイセ。帰ってきたら、一緒にカフェでお茶しよう!」とユージア。

「もちろんいいですが……何で死亡フラグ風なんですか?」とルイセ。

「死んでも死なないような顔をして何を」とシェンリン。「オマエは良い奴だった」とタヅサ。「とりあえず貞花(みさか)とトウカは地獄に置いて来い」(マイ)「ヒバリ様も置いてきていいですよ」(フミ)「貴方たち……地獄行きはトウカさんだけにしときなさい」(ユユ)

「誰か私を心配してくれねぇんですか!?」

 ルイセは吠えた。

「前情報ではかなり温い戦いなのでしょう?」と楓。

「温いと言うのはアールヴヘイムの新潟遠征と比べて、ですよ。アルトラ級はもとより、ギガント級がわんさかいますよ」

「でも、ルイセさんならできるって信じてます!」とリリ。

「ありがたいですが、この期に及んではリリの純粋さすら裏を感じますよ……」

「何じゃ。お主らなら楽勝じゃろうが」とミリアム。

「オマエはどっから出てきたんですか!?」

 いつの間にかちんちくりんがひょっこり生えていた。

「て言いますか、死闘に行く相手にその扱いはひでぇですよ。精神ガタガタになったらどうしてくれるんですか」

 リリィは精神状態が戦力に直結する。遠征直前に休養が入っているのもそれが理由となっている。

「でも、出撃直前に滅茶苦茶優しくされるのも嫌ではありませんか?」(楓)

「あー、何か自分だけ知らない真実がありそうで不安になりますね……」(フミ)

「確かに、それはそれで嫌ですが……」

 それでもルイセが反論しようとしたその時、シェンリンは静かに人差し指を立てた。

「貴方はここで死ぬようなリリィではない。皆さんそう信じているのです」

 急にシェンリンが通る声で言った。

 ルイセは背筋が伸びる気がした。シェンリンにそう言われると、胸が詰まり何も言えなくなる。

「そうじゃ」(ミリアム)「そうそう」(タヅサ)「そうです」(フミ)

「オイ! テメェらは信用なんねぇんですよ!!」

 感動が台無しだった。

「不快に思われたらごめんなさい。本当に、地獄行きはトウカさんだけで結構ですので」とユユ。

「いえ、あの……トウカ様って嫌われてんですか……?」

「いや、ツッコんでくれるから弄りやすかったんだよ。オマエと(おんな)じだな」とマイ。

 ルイセは苦い顔をした。マイたちには、ルイセのキャラクターは既にお見通しのようだった。

「私、信じてる……。ルイセは元気に帰ってくるって」(ユージア)

「だから何で死亡フラグ風なんです?」

「私、ルイセさんが帰ってくるのを待ってるからね?」(リリ)

「何でリリまで死亡フラグ風なんですか!」

「違いますわ。『私……きっと待ってるから……!』ですわ!」(楓)

「それはガチの死亡フラグじゃねぇですか!」

「無事帰ったらパーティを開きましょう」(シェンリン)「帰ったら大事な話がある」(タヅサ)「ルイセ……行くのか?」(ミリアム)「ルイセさん……取材させてくれるって、そう約束しましたよね?!」(フミ)「止めろ! 一番辛いのはルイセなんだぞ……!」(マイ)「そうよ、ルイセさんはきっと帰ってくる……そう信じましょう?」(ユユ)

「おい、オマエら!! 私を殺すなですよ!!」

 怒りの余り、先輩込みで『オマエら』呼びをするルイセであった。

「遠征! リリィの死地! ギガント級一杯! 縁起でもねぇですよ!!」

 若干、片言になりつつルイセは叫び声をあげた。

「知っとるか? 死亡フラグはあまりに立てすぎると逆に折れるらしいぞ?」

 ミリアムの言葉に、(反論が思い付かず)少しクールダウンする。

「……何ですか。では皆さんは、死亡フラグっぽくなったユージアの言葉を気にして、あえて死亡フラグを立てたということですか?」

「そうじゃ」とミリアム。「そうそう」とタヅサ。「そうです」(フミ)「そうですよ」(シェンリン)「そうだよ」「そうですわ」「そうだよ?」「そうだぞ」「その通りです」

「テメェら、マジ信用できねぇんですけど……」

 妙に連帯感があるのも信用できない。

「ここは素直にありがとうと言うところですわ!」と楓。

 盗人猛々しいとはこのことですよ……!

 何と言うか、ルイセはツッコむのも疲れてきた。

「まぁ、オマエららしいですが、出撃前なのでもう少し労ってほしかったですね……」

「出撃前はいつも通りが一番だぞ。ルーティーンって奴だな」とマイ。

 まぁ、一癖も二癖もある奴らなので、素直に応援されるとは思っていなかったが。

「騒がしくしてごめんね? みんな、本当は応援してると思うから……」(リリ)

「やっぱオマエが隊の良心ですよ……」

「真面目な話、帰ったらルイセの話、聞かせてくれよ」(タヅサ)

「ようやく話せましたからね。オマエこそ忘れないでくださいよ?」

「ちょっと! 私との約束も忘れないでくださいよ!」(フミ)

「フミこそ帰ってくるまで無事でいてくださいよ? むしろ任務よりオマエの方が不安なくらいですよ……」

「ルイセさん、貴方の話は私の耳にも届いていますよ。自信をお持ちなさい。練習では最悪を想定しますが、実戦では最高をイメージするのです。貴方ならできると信じていますよ」(ユユ)

「もったいないお言葉です。必ず働きで証明してみせましょう」

「本当にラムネパーティの用意をして差し上げますよ。貴方、友達が少なそうですから」(シェンリン)

「一言余計なんですよ! て言いますか、シェンリンがそれ言いますか……?」

「身体にはお気を付けくださいね。一月(ひとつき)単位の仕事なのですから、息切れして風邪など引かれないようご自愛くださいな」(楓)

「何と言うか……普通に気遣われると面映ゆいものですね……」

「チャームならいくらでもボロボロにしてきて構わぬぞ。わし手ずから直して進ぜよう」(ミリアム)

「まぁ、オマエの腕は本物ですからね。頼りにさせてもらいますよ」

「ルイセは、強いリリィだよ。本当に強いリリィしか、本当に優しくなれないから……。だから、ルイセは絶対に負けないよ」(ユージア)

「あぁ……そうですね……」

 急にルイセは弱々しい声を出した。

「ルイセさん……?」(リリ)「えっと、どうされたんですか、ルイセさん?」(フミ)「オイ、大丈夫か?」(マイ)

 ルイセはもじもじとしながら、か細い声をあげた。

「な、なんか、手厚く送り出されると……今から死地に向かうみたいで……すごく恐くなってきたんですが……」

「……やっぱり慣れないことはするもんじゃないだろ?」とマイ。

「それでは、もう一度最初からやり直しましょう」とシェンリン。

「いや、そんな器用なことできるわけ」「……ルイセ。帰ってきたら、一緒にカフェでお茶しよう!」「いや、できるんですか!?」

「死んでも死なないような顔をして何を」とシェンリン。「オマエは良い奴だった」とタヅサ。「とりあえず貞花(みさか)とトウカは地獄に置いて来い」(マイ)「ヒバリ様も置いてきていいですよ」(フミ)「貴方たち……地獄行きはトウカさんだけにしときなさい」(ユユ)

「やっぱ誰も私を心配してねぇじゃねぇですか!?」

 改めて思い返して気付いてしまった。

「知っとるか? 死亡フラグはあまりに立てすぎると逆に折れるらしいぞ?」「貴方はここで死ぬようなリリィではない」「騒がしくしてごめんね? みんな、本当は応援してると思うから……」「ルイセは、強いリリィだよ」

「オマエらのそれも一切信用できなくなりましたよ!!」

「出撃前はいつも通りが一番だぞ。ルーティーンって奴だな」

「こんなルーティーンがあってたまりますか!!」

 ルイセは全力で叫んだ。

 それが呼び水となったように、強風が吹く。風に乗って、どこからともなく白い花びらが飛んでくる。

 百合(リリィ)の花びら。今日はリリィの咲き盛り、リリィ日和だ。

 ルイセの不安も恐怖も出撃前のモヤモヤも、全部花びらと一緒に吹き飛ばされて消えていった。

 ただ、一同への信頼も同時に吹き飛んで消えたような気がするルイセだった。





 


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第4-13話 vsリリ

 満月の夜だった。

 月の光が地上を照らす。スキルやライトを使わなくてもお互いを十分視認できるほど明るい。

 それでも、戦闘や訓練となると昼間とは勝手が違う。自分と相手、自分とチャームの距離感さえ掴み切れず、動きが鈍る。仲間との連携が数倍難しい。

 普段よりスパルタな内容も相まって、受講生はへとへとだった。そそくさと寮に帰り、浴室から自室のベッドへと、華麗なコンボを決めるのもやむ無しである。

 一方、フミたちは自主訓練の為に再集合することになっていた。授業が夜間に振り替えになった為に普段行っている訓練ができず、かといって中止にするのももったいなく、話し合った結果、授業後の夜間に少々(1時間程)訓練を行うことになっていた。

 ユユ式のスパルタに慣れすぎて、フミたちは完全に感覚が麻痺していたのだった。

(……でも、リリさん、どこに行ったんでしょう?)

 フミはチャームを片手に周辺を散策していた。

 集合時間は21時。授業は20時半に終わったので、フミたち3人は一旦荷物を置きに自室に戻った。この時を境に、リリの姿が消えた。フミが荷物を置いてリリの部屋を訪ねると、リリは既に出掛けた後だった。

 楓のところに向かったのかと思ったが、楓は玄関に一人。

 シェンリンらを呼びに行ったか、はたまた先に一人で集合場所に向かったか。

――念のため、私が集合場所まで見に行ってまいりますわ。フミさんはシェンリンさんやしおりさんのお部屋を覗いていただけますか?――

――いえ、外を探すなら鷹の目を持つ私の方が良いですから。お互い、見つかり次第、連絡するようにしましょう――

 子供ではないのだから……。そうは思うのだが、夜になると妙に不安に駆られる。何でもない学院の敷地ですら余所余所しく、何でもない木々のざわめきすらおどろおどろしい。

 リリィが消える時はいきなりだと言う。

 小さい頃、リリィの失踪事件特集をテレビで見たことを思い出す。仲間が少し席を外した隙に、白い影がガバッと近付いてきて……悲鳴一つ残さず、リリィを連れ去ってしまう。

 チープな演出だが子供心には恐ろしく、それからしばらく寝る時に親の手を握っていた。今でも時折思い出しては、妙な不安に襲われる。原体験的な恐怖なのだった。

 ……まさか、リリさんの身に何か……。

 いつも真剣で直情的。純粋で無鉄砲。リリは、時折ふっと消えてなくなりそうな儚さを見せることがある。誰とでもすぐに仲良くなる純真さは、あまりに穢れを知らなさすぎる。

「……」

 フミは足を止めた。

 考えている内に集合場所に辿り着いてしまった。そこにリリはいなかった。満月が、誰もいない荒地を照らしている。

 満月。おとぎ話のように、月からやってきた無垢な女の子が、月に帰る日がやってきたのだろうか。

(……いえ、楓さんじゃないんですから……)

 そんなバカなことはあり得ない。リリは竹からなんて生まれていない。親がいて、家族がいて、きっと大切に育てられた。一人のリリィとして公的な官報にだって名前が載っている。仮に誰かがリリを連れ去ろうと言うのなら、フミはそれを全力で止めるつもりだった。

 ……もちろん、そんなことはあり得ない。あり得ないからこそ、今は、早くリリを見つけて安心したかった。

 一度楓と連絡を取るべきか、集合場所に居なかったことだけメールして、もう少し周辺を探すべきか。悩みつつ何気なく周囲を見回していると……チカチカと点滅する光が目に入った。

 マギの光だ。森の中から、不定期にマギの光が届く。

「リリさん……?」

 こんな時間に外出しているリリィなど他にいない。多分リリだ、いや間違いなくリリの筈だ。

 風が吹く、木々が襲い掛かるように揺れ動く。森は、夜の中で一層闇に覆われている。

 フミは意を決した。恐る恐る、森の中へ歩を進める。

 森の中ではざわめきがいよいよおどろおどろしく、どこからともなく何かに――ヒュージでもなく――化物に襲われそうな、嫌な感覚が纏わりついて離れない。

 思い出したくないのに、昔聞いた怪談話が頭をよぎる。ランプをゴールと見立てた肝試しの話。

 ……ある男は、迷いつつもようやくゴールの光を見つけホッとしていた。しかし光に近付くと、近付いた分だけすっと光も遠ざかる。おかしいと思いさらに歩み寄るも、その分だけ光は遠ざかる。友人が悪戯しているのだと、男は怒った。帰ってやろうと踵を返すと、すぐ近くにランプの光が見える。

 そこには既に全員が集合しており、皆が男のことを心配していた。ランプは一つしかなく、そもそもこの時間であの距離を戻ってくるなどあり得ない。周辺に他の人間はおらず、光を出す人工物も自然物も存在しない。

 あの光は一体何だったのか。あれについて行っていたら一体どうなっていたのか……。

 ……私、妙にナイーブになってますね……。

 フミはゆっくりと息を吐いた。

 あり得ない。あれはマギの光だ。――死んだはずのリリィの亡霊――、――未解明のマギの怪異――。……都市伝説だ。そんなことはあり得ない。

「リ、リリさん……?」

 自分でも驚くほど声が震えているのが分かった。光がどんどんと近付いてくる。(はや)るように、躊躇(ためら)うように、足が不安定に動く。早く正体を知りたいのと、決して正体を知らずに逃げ出したいのと、矛盾した気持ちがぐるぐると頭を巡る。

 その視界の先、木々の切れ目から小さく開けた森の広場が現れた。

 月の光を背に受け、グングニルを構えたリリィ。後姿でも見間違い様がない。リリだ。

 ようやく見つけた……やっぱりリリさんだった……。

(……あれ?)

 そんな安堵や自嘲が思い浮かぶと思っていた。しかし、フミは全く違う感情を抱いていた。

 心が落ち着かない。不安や恐怖ではなく、収まりが悪い時の気持ち。言うなれば不快感だった。

 リリは足音に気付いたように振り返った。その表情は月に照らされてはっきり分かる……いや、照らされずとも分かる。リリはフミと全く同じ表情をしていた。

 フミはチャームを起動した。理由は分からないが、そうするべきだと思ったからだ。

 2人は共にグングニルを構え相対する。同じチャーム、同じ補欠入学、同じ歳、同じスキラー数値、同じレギオン、同じ師匠、同じ訓練、同じ素人リリィ。同じものが多すぎる。それなのに、お姉さまも、実戦経験も、訓練の成果も、常に自分より一歩先を進んでいる。

 ……ずっと考えないようにしていた。そんなことはないと思い込もうとしていた。しかし、今、はっきりと分かってしまう。

 不快だった。不愉快だった。自分が目の前のリリィより劣っているなど、決して認められない。

「……」

「……」

 フミは何も口にしない。リリも何も口にしない。

 2人はまるで熟練のコンビのように。合図もなしに、同時に飛び出した。

 

-2-

 

 お互いにお互いのチャームが叩きつけられる。一撃一撃が重く、マギの光が何度も広場を照らす。練習の手合わせとは違う。本気で相手を叩き潰すための殴り合いだった。

 フミは奥歯を噛みしめた。このままでは埒が明かない。

 お互いに防御偏重の訓練を受けてきた。お互い、どうしても攻撃より防御が上手い。殴り合ったところで隙など生まれない。

 チャームを叩きつけ、反動で距離を取る。

 熱いくらいに身体が興奮している。ここなら丁度、木々が足場代わりに使える。今なら、できるかもしれない。

 鷹の目を使う。通るべきルートを組み立てる。息を整え、身体とマギを集中させる。

 飛びかかってくるリリを後目(しりめ)に、フミは横に跳んだ。チャームを変形させ、リリを狙撃する。実弾だ。リリは反射的にチャームで受け流す。フミは木の幹を蹴る、角度を変えて狙撃、リリはチャームで防ぐ。幹を蹴る、変形、斬撃。変形、幹を蹴る、狙撃。

 狙撃。狙撃。斬撃。狙撃。狙撃。斬撃。狙撃。斬撃。

 攻撃が加速する。リズムを刻むように攻撃が叩き込まれる。練習の時よりずっと身体が動き、練習の時より攻撃は鋭く正確に届く。リリは防御に遅れが生じた。

――決める!――

 フミは乱暴にチャームを振るった。チャームを吹き飛ばすつもりの全力の一撃、しかしそれは空を切った。

 避けられた。ただし、体勢は大きく崩れている。

 変形、幹を蹴る、狙撃、そのまま変形させもう一度飛びかかる。

 流れるような一連の動作、しかしその間にリリが殆ど動いていないことに気付き、フミは訝しんだ。チャームが動いていない。銃弾をどうやって捌いたのか?

 答えはすぐに分かった。刺突するようなフミの斬撃を、リリは身体を僅かに下げて凌いだ。

――回避……回避?!――

 驚くべき滑らかさだった。一体いつの間に身に着けたのか、動きに無駄が見えない。

 動揺を隠す、頭を切り替える。チャームを変形させる、幹を蹴る、狙撃する。狙撃。狙撃。斬撃。狙撃。斬撃。

 しかし、リリは体勢を崩さない。どんどん動きが小さくなる。より僅かな動きで攻撃を避ける。それどころか、タイミングを計っている。

 カウンターを狙っている。切り崩すどころか、むしろ調子を上げてさせてしまった。

(……このままでは……)

 楓が言った通りだった。単調な攻撃はカウンターの的になる。

 リリはリズムに乗っている。崩すんだ。リズムを崩させる。カウンターを狙っているなら、更にその裏をかく。

 フミは、動きを加速させた。そして、あえて直線的な動きをする。射撃し、幹を蹴った後、真っ直ぐリリに突っ込む。ただし、射撃モードのまま。迎撃に向かってきたリリに、照準を合わせる。

 斬撃ではなく、至近距離の射撃。

 リリはそれに気付く。が、対応する猶予はない。フミはトリガーを引いた。その瞬間、リリは無理やり身体を横に捻った。

「……っ!」

 避けた。しかし同時に体勢も崩れた!

(このまま横を通って、反転、連撃……)

 しかし、リリはまだカウンターを諦めていなかった。片手を地面に着き、マギで手足を固定してチャームを振り上げる。絶妙なタイミングでフミにチャームが迫る。

 フミは次の動作に意識が逸れ、反応が遅れた。咄嗟にチャームで受ける。しかし、受けきれない、受け流せない。全力の加速が衝撃となり、腕に大きな負荷がかかる。

「……たああ!」

 フミは、射撃モードのまま強引に腕を振り切った。そして弾き飛ばされる。減速し、放物線を描くように空中に放り出される。

 油断した。また油断した! ……いや、考えるのは後だ。

 滞空中、リリが地面に倒れたのが視界に入る。この隙に追撃したいが、照準が定まらない。衝撃で腕が震えて調整が利かない。

 チャームのダメージを確認する。変形はできる。こちらは体力もマギも限界が近い。リリは防御と回避で凌ぎ切り余裕がある。

 ここで決めなくては負ける。ここで、決める。

 着地と同時に、リリへ向けて突撃する。チャームは斬撃モード、ありったけのマギを込めて加速する。

 リリも起き上がる。フミの到着を待たず駆け出す。カウンターではない。全力でフミを迎え撃つ。

「はあああ!!」

「たあああ!!」

 2人のマギが広場を照らす。お互いに後を考えない全力の一撃。そして、お互いチャームを振り下ろそうとしたその時。

 前方にエアバッグのような衝撃を感じ、一瞬身体が止まった。その隙に、振り下ろそうとしたチャームが動かなくなった。何かに止められた。

 何が……?

 考える間もなく、背後から何者かに羽交い絞めにされる。雑音が響く。

「な! 放っ、放してください!」

 フミは叫んだ。しかし、暴れようとして、身体に力が入らなかった。思い出したかのように心臓が早鐘を打つ。耳がキンキンする。息が苦しい。全身が重い。

 高速斬撃は、マギも体力も大量に消費する。経験の浅いフミにとって、先程の動きは限界を超えたものだった。

「まだ決着が着いてないんです!! やらせてください!」

 リリが叫んだ。同じく抑えられている状態で、全力で暴れている。

 その姿に、フミも再び力を取り戻す。

「そうです! 決着を!」

 決着を付けなくちゃいけないんです!

「……ミさん。フミさん。そろそろ抑えるのも疲れてきたので、それを放してもらえますか?」

 唐突に、声が聞こえた。いや、聞こえていた音が、声であるとようやく分かった。

「シェンリンさん!? どうして」

 質問する間に、状況に気付いた。自分がシェンリンに抑えられていること、リリを抑えているのがユージアであること、フミとリリのチャームを抑えているのはしおりであること。少し奥に、楓とミリアムの姿も見えた。

 フミは急に戦意を喪失し、チャームを手放した。リリはそれでもしばらく暴れていた。

 シェンリンは、力の抜けたフミを無造作に抱えると、楓に向けてそれを放り投げた。予想外の行動に反応できず、楓は胸でフミを受けた。

「きゃっ! ……ちょっと、何をなさいますの!」

「そちらはお願いします。(わたくし)はこちらの困ったちゃんをなだめてまいります」

 シェンリンは悪びれずにリリの方に向かった。

 楓はため息を吐いて、受け止めたフミを観察した。息が荒い。大分消耗している。戦闘の模様は見えなかったが、高速斬撃を使ったのだと一目で分かった。しかし、この呼吸の荒さはそれだけでない。興奮状態にある。

 一体何があったのやら。

「色々と申し上げたいことはございますが……ひとまず、このおバカさんと申し上げておきますわ」

 フミは息を荒くして、何も答えなかった。

 一方、シェンリンは何気ない調子でリリに話しかけた。

「どうも。訓練内容を勝手に変更されたようで」

「…………」

 リリは抵抗の意志を見せつつも、暴れるのをやめた。

「ご存知でしょうか? 新人リリィの怪我の原因、1位は訓練ですが、2位は実戦ではなく校内暴力だそうですよ。要は喧嘩です。まぁ、百合ヶ丘でこのようなことが起こるのは一種の快挙ですね。しおりさんも何か思うところがあるようです」

 そう言って、身振りでしおりを促す。

 しおりは、静かな表情をしていた。

「私が教えた通り、マギも力も良く入った一撃でしたね。ですが、私は、その力を仲間に向けて振るうように教えたつもりはありませんよ」

 表情は変わらず、言葉も淡々としているのに、それはどこか悲しそうに見えた。

「どうして私たちが秩序を重んじるのか……何がリリィとヒュージを分けるのか。お二人にはご理解いただいていると思っておりましたので、今回のことは本当に悲しく思います」

 リリは何も答えられず、視線を地面に落とした。しおりもそれ以上は何も言わない。

 重い沈黙が、辺りにのしかかった。

 全く、こやつらは……。ミリアムは、その空気に閉口しつつ尋ねた。

「それで、先に手を出したのはどっちなのじゃ?」

 リリは答えに迷ってしばらく押し黙った。

「……どっちでも……ないです」

 なんじゃそれは……。

「お主ら、言い合いか何かで喧嘩になった訳ではないのか……?」

 リリは何と言うべきか分からず、黙っていた。フミも、ただ息を荒く呼吸を整えていた。

 楓が口を開いた。

「原因如何を問わず、リリィ同士が本気でチャームを向けあうなど許されませんわ。……ただ、お二人が何の意味もなくこんなことをなさるとも思えません」

「私も同意いたします。できれば事情を伺いたいところですが……」

 シェンリンは2人の顔を見比べた。どちらも、素直に口を開くようには見えない。

「みんな。今日は……お風呂に入って休もう? 落ち着いてから、2人も納得できるように話したい」

 ユージアが提案し、皆は無言で移動を始めた。誰も何も口にしなかった。

 そして寮に帰るまでの間、リリとフミは一度も目を合わせなかった。

 

-3-

 

 フミはいつもより早起きして、食堂で一人朝食を食べていた。そしてリリを視界の端に収めた途端、残りを強引にかき込み、席を立った。

 不機嫌であると、顔にありありと書いてある。それを見て、リリも不機嫌そうに顔を背けた。

 2人は喧嘩している。一目瞭然だった。そもそも、昨夜時点で目ざといリリィが不穏な空気で帰ってくる一同を目撃しており、夜の間に2人は噂になっている。フミとリリが思っている以上に、2人は渦中の人物なのだった。

 視線を避けるように、フミは人気の少ない場所へ向かう。目的地は自分でも分からない。

 フミは憂鬱だった。喧嘩した次の日だからといって、授業は休みになったりしない。同じ授業を選択しているのだから、リリとは否応にも顔を合わせなくてはならない。気まずい。休みたい。しかし、弱気な表情は見せたくない。

「フミさん、ちょっとよろしいですか」

 不意に話しかけられ、フミは相手も確認せず「何ですか!」と荒々しく振り返った。

「あっ、(シズ)さん……」

 そこに居たのは伊東(シズ)だった。リリのルームメイトでフミのリリィオタク仲間。フミの態度に、少々驚いた顔をしていた。

 それに気が緩みそうになるものの、憮然とした顔を作り直した。

「何ですか。シズさんには関係ないでしょう」

「まだ何も言っていないでしょう? ……まぁ、ご想像通りリリさんの件なのですけど」

 これもまた憂鬱なことだった。リリとの喧嘩が知られたら、絶対に周りからあれこれ言われることになる。そっとしてほしかった。もちろん、寮生活をしている以上、周囲も他人事では済ませられない。それは分かるのだが……それでもそっとしてほしかった。

「アナタたち、チャームを向けあったのね」

「……シズさんには関係ないじゃないですか」

 関係ない訳はない。仲間にチャームを向けるなど、リリィにあるまじき行為だ。咎められて然るべきだ。そんなことは、百も承知している。

「チャームはね、人の命を簡単に奪えるのよ」

 ドキッとする。もちろん、それも知っている。知ってはいるが、正直、自分のその力を実感したことはなかった。

「リリィ脅威論。どうして、一般人がリリィを恐れるのか。どうして税金が投入される公的な存在となっているのか。どうして、ガーデンと称してリリィと一般人を分け隔てるのか……。くどくどと言われたくないでしょうけど、アナタたちの犯したことはこの世界の秩序を揺るがすことです」

 フミは、何も言えなかった。

 分かっていると思っていた。分かっているつもりだった。しかし、事の重大さも、起こり得た惨事についても、全く想像できていなかった。

 ……それでも、フミは憮然とした表情を保ち続けた。

 シズは、そのあまりに強情な様子にため息を吐いた。

「リリさんの傷、見たでしょう? ちょっとずれていたら大変なことになっていたかもしれません。それでもアナタは……」

「ちょ、ちょっと待ってください! 傷? そんな筈は……だって避けていましたよ……?」

 シズは面を喰らった。

「ご存じないのですか……?」

 知らなかった。顔も見ないようにしていたから知りようもない。

 フミは取り繕うのも忘れてシズに詰め寄った。

「どこですか? どこに怪我をされたんですか?!」

「……顔です」

 フミは眩暈がした。

 直感する。あの時だ。フェイントで突撃しながら射撃を加えた時だ。そうだ、リリはうめき声をあげていた。あれは痛みに反応したんだ。

――ちょっとずれていたら――

 どうして……!? そんな、どうして……。

「どうしてですか!? 銃弾で傷なんて付かないでしょう!」

 フミは訳が分からず声を荒げた。

「現場を見ていないので分かりませんが……回避動作中にマギが薄くなる、あるいは意図的に防御分のマギを攻撃に割り振るリリィはいらっしゃいます。一部の『この世の理』使いがやりがちな危険な動きです。恐らく、リリさんは似たことを……」

「もういいです」

 話を聞いているのが嫌になって、シズから離れた。

 どこでそんな技を……? 私がリリさんを危険な目に……。

 嫉妬と後悔で混乱する。ここで立ち止まっていると醜態を晒しそうで、フミは早足で逃げ出した。

「待ってください! きちんとリリさんとお話を……」

「黙ってください!! リリさんなんて大っ嫌いです!!」

 フミは心にもないことを叫んだ。そして振り返らずに駆け出した。

 最悪だと思った。

 ……私、最悪です……リリさんにも、シズさんにも……顔向けできません……。



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第4-13話 vsリリ その2

「あの、しおりさん。昨日は本当にごめんなさい……」

 しおりが振り返ると、リリが申し訳なさそうな顔で頭を下げていた。

 隣にフミの姿はない。まだ仲直りをしていない。そう判断し、しおりは静かに息を吐いた。

「私に謝らなくても結構ですよ。私が申し上げたいことは、きっとシズさんがおっしゃってくれていますから」

 リリィ脅威論。リリに対してその言葉こそ使わなかったが、フミに話したのと同じことを、より丁寧に説明してくれていた。

 リリは、話を聞く度に落ち着かなかった。自分がとんでもないことをしてしまったようで、それでもシズに弱気な顔はしたくなくて、『シズさんには関係ありません!』と八つ当たりのように話を終わらせてしまった。

 シズは朝から何か言いたそうにしていたが、リリは極力目を合わせないようにしていた。シズに弱気な部分を見せたらフミに伝わってしまう気がして、意地になっていた。

 そう、意地だった。

「リリさん。私よりフミさんに……」「どうしてフミちゃんに謝らなきゃいけないんですか! 先にやってきたのはフミちゃんです!」

 自分が悪いことをしたのも理解しているし、フミにチャームを向けたことを謝りたい。またみんなで仲良くしたいとも思う。それでも、何故か素直に謝れない。

「……リリさん、昨日はどちらともなく斬りかかったようにおっしゃっておりませんでしたか?」

「知りません! フミちゃんが悪いんです!」

 リリは怒ったようにそっぽ向いた。

 ……どうしてこんな意地になっちゃってるんだろう……。

 喧嘩なんて、今までしたことがなかった。自分がバカなことをしていると分かっているのに、どうしたらいいか全く分からなかった。

 

-4-

 

 授業の時間、2人は一瞬顔を合わせ、すぐに顔を逸らした。

「「ふんっ」」

 タイミングも完璧。示し合わせたかのように、同時に右を向く。

 これだけ仲良しならさっさと仲直りすれば良いと思うのだが、当人たちは至って真剣だった。

 困ったのは板挟みになった楓だ。いつもならリリに肩入れするところだが、シェンリンに釘を刺されたこともあり、両者から適度に距離を保っていた。

 それとなく交互に話しかけに行くも、どちらもつれない。唯一発見があったのは、意外にもリリとフミの人気(?)が二分されているということだ。どちらにも2人を心配するリリィが集まるのだが、気付くと、リリばかりに話しかけるリリィとフミばかりに話しかけるリリィが、それぞれ拮抗していた。

「フミちゃんは戦術の知識があって、鷹の目が使えて、努力家で、取材で色んな事を調べてて……!」

「リリさんは新しいことでもすぐに吸収されて、頑張り屋で、気付いたら知らない人と仲良くなってますし……!」

 お互い、悪口を言っているのか褒めているのか全く分からない。

「何言ってるんですか!! フミちゃんなんて大っ嫌いです!」

「そんな訳ないじゃないですか!! リリさんなんて大っ嫌いです!」

 ……やはり仲良しではなかろうか。

 しかし、本日最後の授業が終わっても結局2人は仲直りしなかった。例の如く、一瞬だけ顔を合わせ、同時に右に顔を逸らすのだった。

「「ふんっ」」

 

-フミサイド-

 

「あああああぁぁ最悪ですううううぅぅ」

 フミは楓の部屋でじたばたと地面を転がった。

 放課後、訓練も勧誘活動も中止となり、フミは楓の部屋に転がり込んだ。転がり込んだというか転がっているというか。

「全く。そんなに後悔なさっているなら、さっさと謝ればよろしいのではありません?」

 楓は優雅にティーカップを傾けながら声を掛けた。一応フミの分も用意してあるが、フミが手に取る様子はまるでない。

 出来たら苦労しませんよ~とフミ。リリの手前、弱気な顔はできなかったが心の中では今のようにじたばた床を転がっていた。

「ああああぁぁ……。謝っても許してもらえなかったらどうしましょう……。レギオンから追放ですか……絶交ですか!? 折角仲良くなれましたのにいいいぃ!!」

 なおもごろごろと転がっていた。

 ……ですから、地面を転がるくらいでしたらさっさと謝ってきなさいな……。

 楓は、2人の気持ちが分かるようで微妙に分からなかった。

 2人ともお互いのことは嫌いではない。腹を割って話せば済む話だ。しかしお互いに妙なプライドがあり、謝罪の一言が切り出せないのだった。

「そもそも、どうして斬りかかったりしたのですか。演習まではそんな素振り、全く見せなかったではありませんか」

「……分かりませんよ。何だか急にリリさんのことが許せなくなって……。でも! リリさんが悪いんです! リリさんはいつもいつも私より先に居て……! ……でもそんな嫉妬で斬りかかるなんて……私、最低ですぅぅ!!」

 フミは感情がジェットコースターのように上下していた。

「しおりさんにも申し訳ないです。せっかく攻撃の技術を叩き込んでいただいたのにこんな……。楓さんも申し訳ありません。教えていただいた技術をこんなことに……。シズさんも取り持とうとしてくださったのに怒鳴ってしまって……。リリさんにも顔に傷をつけてしまって……。……リリさんはどうしてあんな回避を……! なんでいつも危ないことばっかりするんですかあの人は!! あああああ!!!」

 フミはまた怒ったり嘆いたりしながら地面を転がった。

「楓さん、めんどくさいことしてごめんなさい……」

 不意に冷静になってフミは謝った。本当にそうだった。

「と言いますか、楓さんはリリさんサイドじゃないんですか?」

「何ですの? そのリリさんサイドとやらは」

 何となく、リリ寄りな人間とフミ寄りな人間がいるような気がしているのだった。例えば、シズはリリサイドの人間なので、弱みを見せたらリリに知られてしまう気がする。

 まぁ、『寄り』という意味ではシズは中立に近いが……それより何より、リリに情報が伝わる気がするのだ。その点、今日の様子を見る限り、楓は中立(むしろフミ寄り?)に見えた。

「だってリリさんを傷付けたことも、楓さんならもっと怒られるかと思ったんですけど」

 想像の中の楓は『リリさんの玉のような柔肌を穢すなど!! 打ち首の上、市内引きずりまわりで晒し首にして差し上げますわ!!』とか何とか言っている。しかし現実の楓はむしろ呑気だった。

「私はいつでもリリさんの味方ですわ。ただし、今はフミさんとリリさんが戦っているわけではありませんもの。フミさんの力になることはリリさんが望んでいることですわ」

 フミにはよく分からなかった。

「本当はリリさんの傍に居たいんじゃないですか? 私のことなんか放ってリリさんのところに行ってもいいんですよ」

「愛情とは、当人に最も必要なものを与えることだと私は思っております。与えたいものを与えるのはただのエゴですわ。今、リリさんに最も必要なのは私ではございませんもの」

 これもまたよく分からなかった。

「でも、楓さんに教えていただいた技でリリさんを……。それに、シズさんにはリリィ脅威論まで持ち出されてしまって……」

 リリィ脅威論、それはリリィによって決して快い議論ではない。リリィもヒュージも、マギによって超常的な力を行使すると言う点で同一の存在だ。それゆえ、『潜在的な脅威はリリィも変わらないのではないか』という根深い疑念が未だ拭い切れていない。

「リリィに臨機応変に判断を下す自主性を認められているのも、『リリィは危険ではない』という信頼の積み重ねですから。リリィ同士の喧嘩なんて、本当にあってはならなかったんです」

 そう言って再び落ち込み始めたフミに、「気にされなくて結構!」と楓。

「名門校では少ないですが、地方の末端ガーデンでは喧嘩など茶飯事ですわ。それに、自主性を重んじていることになっているのは、ぶっちゃけ、問題があった時にリリィ個人に責任を押し付ける為です。1年前、百合ヶ丘のリリィが市街地を戦場にした戦い。学院側は、何か責任を負いましたか? 綺麗事に騙さないでくださいな」

 フミはギョッとした。そんな直接的な物言いをするリリィは滅多にいない。

 楓が言及している事件はフミも知っていた。1年ほど前、戦闘の総指揮だった当時の『ジーグルーネ』(生徒会役員)が市街地での戦闘を決め、結果的に一般市民に犠牲者を出した。ギリギリの決断が必要な、際どい戦いだったのだ。しかし、それに内外から批判が生まれ、当該リリィは(実質的に)役職を引責辞任した。

 確かに、スッキリしない話だと思っていた。市街地を戦場にしなかったら、戦線が崩壊してもっと多くの犠牲が出た筈だ。それなのにどうして、そのリリィが咎を受ける必要があったのか。

 ……とはいえ、現役リリィが所属ガーデンを臆面もなく批判するのは驚きなのだが。

「いや、それはそうかもしれませんけど……。やっぱり仲間同士でチャームを向けあうのは褒められたことではありませんよ……」

「そう思うのでしたら、早くリリさんに謝りなさいな」

 それができれば苦労しなかった。

「だって絶対怒ってるじゃないですか……急に斬りかかって顔に傷まで作って……」

「あんな傷、跡も残らず治りますわ。それに、未熟で危険な回避技術を実践されたのはリリさんの不手際です。練習でその危険性を実感できたのでしたら、あの程度、安いものですわ」

 あの程度って……本当にこれはあの楓だろうか? ……と思ったが、よく考えたら、ユユにしごかれて痣を作っていた時も、むしろ嬉々として怪我の手当てをしていた。

 過保護なのか放任主義なのか。楓の考えていることは、やはりフミにはよく分からなかった。

「それでも、私だったら怒りますって……。傷当てが痛々しかったですもん……」

「リリフリークの私が申し上げますわ、リリさんは怒っておりません」

 そう断言されると、何だかそんな気がしてくる。……それでも、『じゃあ謝まろう』とは思えないのだが。

 ……多分、本当は、リリが怒ってるか否かはあまり問題ではなかった。それより、自分が嫉妬しているのを認めたくないというか……リリに知られたくないというか……嫉妬している事実そのものが嫌というか……。

「……私は、どうすればいいでしょうか……」

「リリさんに謝りにくければ、まずはしおりさんやシズさんに謝りに行っては如何です?」

「嫌ですよ! しおりさんはともかく、シズさんは絶対リリさんにばらすじゃないですか!」

 ……そんな子どもみたいなこと言って……。

「それではしおりさんのところに参りましょう」

「嫌です!! しおりさんも絶対怒ってますもん! 行きたくないです!!」

 フミは駄々をこね始めた。

「嫌です嫌です! 絶対私はここを動きません!!」

 そう言って、部屋のど真ん中で不貞寝の体勢に入った。

「ここ、私の部屋なのですが……」

「いいんです! 私、楓さんとこの子になります!! 謝らないんです! リリさんが悪いんですうううぅぅ!!」

 フミはまたごろごろと部屋の中を転がった。

 スカートがめくれてはしたないとか、リリィとして品性を保つべきとかそういう次元ではなく……何と言うか、子どもだった。

「楓さん、めんどくさいことしてごめんなさい……」

 不意に冷静になってフミは謝った。本当にそうだった。

 

-リリサイド-

 

「ううううううううううううぅぅぅぅ……絶対フミちゃんに嫌われたぁぁ……」

 リリはシェンリンの部屋で項垂れていた。

 部屋にはユージアの姿はない。リリがお姉さまへの言伝を頼んだからだ。いつもは授業後すぐ、ユユの待っているカフェへ飛んでいくのだが、今は会わせる顔がなかった。

 代わりに足が向かったのは、シェンリンのところだった。

「……あの、最後に斬りかかった時の、マギのクッションみたいなのって……シェンリンさんですよね? 止めていただいてありがとうございます」

 自分の周囲、任意の場所にマギの障壁を作る技術。ジャストガード。しおりが割り込む一瞬の間を作ったのは、その技術の応用だった。

「はいはい。私に話している暇がありましたら、さっさとフミさんに謝ってきなさいな」

 一方、シェンリンは湯呑で緑茶を啜っていた。当然のようにリリの分は用意していない。

 その無関心さに「それが出来たら苦労しません!」とリリ。

「どうして私、あんなに強情だったんですか……? 思いっ切りチャーム叩きつけちゃいましたし、フミちゃん、最後ものすごく怒ってました……。リリィ同士がチャームを向けあうなんてダメだって、私、ずっとそう思ってたのに……」

 気が付くと、リリは部屋の隅で体育座りをしていた。非常に古典的で分かりやすい表現だった。

「何でもいいですが、次に喧嘩する時は、私たちの目の届く場所でお願いしますよ」

「もう喧嘩なんて……! ……喧嘩も、できません。折角友達になれたのに……」

 リリは膝に頬を擦り付けた。このポーズをするときにやりがちな手慰みだった。

「フミさんは怒ってませんよ。むしろ、リリさんが怒るのでしたら分かりますが」

「どうして私が怒るんですか……? だって私が構えなかったら、フミちゃんだってきっと構えませんでした」

「怪我をしたのは貴方だけじゃないですか。それに……」

「そうですよ! フミちゃん、いつの間にあんな動き身に付けたんですか!!」

 リリは急に声を張り上げた。

「フミちゃんはいつもそう! 私の知らないことをいつの間にか知ってて……! どうしようって悩んでると、いつも戦術を考えてくれて……。あんなフェイント、全然分かんないよ……」

 その声は、尻すぼみに小さくなっていく。

「私、フミちゃんについていきたいって……ライバルになりたいって、そう思って……。私なんかじゃ、やっぱりフミちゃんのライバルになれないんです……」

 結局、リリがチャームを交えた理由はそれだった。自分がフミのライバルとして相応しいか、確認したかった。

 ……何となく予感があった。フミが自分のところにやってくると。本気でやりあうことになると。分かっていて止めなかったのは、どうしてもやってみたくなったからだ。

 それがこんな結果になると分かっていたら絶対に……いや、本当に分かっていなかったのだろうか……? フミに勝てないことも、終わった後に仲違いすることも、実は分かっていたんじゃないだろうか……。

 思考の渦に沈んでいくリリに、シェンリンは事実だけ伝えた。

「客観的な話をしますと、フミさんは貴方をライバルと認めていますよ。そうでなくては嫉妬などしないでしょう」

 嫉妬。自分にないものを持っている相手を羨望すること。

「嫉妬なんて……そんな……」

「フミさんは何やら大技を出していたご様子。それは絶対にリリさんに負けたくなったからでしょう? お互いに負けたくない相手、競い合う相手をライバルと言うのではありませんか」

 リリは迷った。シェンリンの言うことはきっと正しいが……それで『すぐに謝ろう』とは思えなかった。

「でも、もし謝っても許してくれなかったら……」

「いいじゃないですか。メンバーが一人減るだけです」

 シェンリンは薄情だった。

「何を言ってるんですか!! フミちゃんですよ! 頑張り屋さんで、物知りで、色んな人に取材して毎週新聞を作っちゃうくらい元気なリリィです! 絶対に私たちに必要です!! ……何より、大事な……私の一番の親友です……! フミちゃんのいないレギオンなんて、絶対考えられません!」

「それを本人に言ってあげれば一発で仲直りできますよ」

 あっ、とリリは声を上げた。シェンリンはニッコリと笑っている。

 リリは慌てて憮然とした顔を作り、立ち上がった。

「……もう。シェンリンさんなんて嫌いです」

「そうですか。また嫌いでなくなったらいらっしゃってくださいな」

 全く平然としたシェンリンをじとっと睨みながら、リリは退出した。何だか、騙されたような気分だった。

 

-5-

 

 ユユは、カフェで紅茶のカップを傾けていた。

「ユージアさん。リリさんに何かありましたね」

「はい……」

「……」

「……」

「そうですか」

「はい……」

 気まずい、という感覚が2人にあるのかないのか分からないが。ユユとユージアの会話は独特の間でもって、むしろ見ている(ほう)を気まずくさせる。

 リリとセットになることが多いユユと、これまたシェンリンとセットになることが多いユージア。この2人がフリーでいるだけで、何となく居心地が悪い。

「私はリリのお姉さまとして力不足でしょうか」

「そんなことは……。みんな、ユユ様のことを尊敬しています」

「そうですか」

「はい……」

 ……やはり見ていて気まずい。しかし2人とも特に顔色を変えない。平常運転だ。

 ユユは黙ってカップを傾けた。

 昨日の件、ユユは蚊帳の外だった。入浴時間の関係でユユは訓練の参加を見送っていたからだ。後で少し様子を見に行くつもりだったが、ユユには中止になったとだけ連絡があった。

――……なぜ、いつも私に相談がないのでしょうか――

 同室の(まつり)に聞くまでもなく、何かあったことは想像に難くなかった。

「ユージアさん。リリは何かあった時、私と顔を合わせようとしなくなります。……何があったのか教えていただけますか?」

「ごめんなさい……」

「喧嘩ですか?」

「詳細は……言えません」

 ユユはため息を吐いた。リリとフミが喧嘩したことはそれとなく知っていた。しかし詳細は『言えない』ということは、どう考えてもチャームでやり合ったことになる。

 リリィ同士の私闘は厳重注意の対象だ。とはいえ、私闘は基本的に手合わせや指導と区別が付けにくく、特に今回は証拠もない。ただ、ユユは生徒会役員と同室であり、詳細を知ったら道義上の報告義務はある。

 ユユとしてはそれを押して黙っているつもりはあるのだが、優秀な1年生たちは余計なことにまで気を回しているらしい。

「ユージアさん、もう一度聞きます。私はリリのお姉さまとして力不足でしょうか」

「……」

 ユージアは答えに迷った。できるだけ内密にということになったが、ユユにまで詳細を隠すべきとは思えなかった。

 ごめん、リリ……。

 口止めされていたが、ユージアは事の次第を話すことにした。

「実はリリ、ほっぺたを怪我して……。それでユユ様には顔を合わせたくないんだと思います……」

「はあ……?」

「……」

「……」

 ユユは困惑した。

 ……えっと、それだけですか……? と言いかけたところ、ユージアはもう一点付け加えた。

「それと仲間にチャームを向けたので、ユユ様に会わす顔がないんだと思います……」

 ユユは流石にツッコんだ。

「ちょっとユージアさん。どう考えてもそっちが本命ではありませんか」

「私もそう思った……んですけど」

「……何ですか?」

「リリだから、ちょっと分からなくて」

「……」

「……」

「そうですか」

「はい……」

 ユユは妙に納得してしまった。多少感じていた緊張感も、リリのにへらとした笑顔に上書きされていく。

 何とか表情を引き締め、

「ユージアさん。今回はお任せしますが、今後は何かあった時は私に報告するようにお願いします」

 と、それらしく言うものの、どうも締まらない。

 ……いや、現状は何も解決していないのだが。しかし、ユージアがこの様子なら大事に至っていないのだろうとユユは判断した。

「……貴方はたまに真顔で冗談を言うので反応に困ります」

「……あ、ごめんなさい。冗談です」

 ユージアはなお真顔だった。……これも冗談なのか判断に困る。

 恐らく冗談だろうが、その判断ができる程はまだ付き合いが深くないのだった。

「そういえば、ユージアさんとはあまり話す機会がありませんでしたね。どうでしょう、百合ヶ丘ではうまくやれていますか?」

「はい、シェンリンとも(ねんご)ろな関係で……」

 ユユは流石にツッコんだ。

「ちょっとユージアさん。意味を理解されておりますか……?」

 (ねんご)ろと言うと、(男女の)お付き合いが想起される。もちろん、単に親密という意味もあるが……。

「あ。リリとも(ねんご)ろです」

 ユージアはなお真顔だった。ユユは冗談だと判断した。

「レギオン内の関係は良好なようで。……ただ、貴方がシェンリンさん以外と居るところを見ないのですが。失礼ながら、ちゃんと外の関係も広めているのでしょうか?」

 ユージアはシェンリン共々、中学時代に概ね単位を取得済みで、出席するのは一部の必修単位くらいだ。そこでクラスメイトと仲良くできていればいいのだが、正直、シェンリン抜きのユージアはあまりイメージが湧かなかった。

 ただ、ユユの懸念は杞憂らしかった。

「昔の友達繋がりでルイセ……クラスだと、しおり繋がりで琶月(わつき)……外国繋がりでモニカ、とか……。それと、クラス委員長の北河原さんにも、良くしてもらってます」

琶月(わつき)さんですか。しおりさんに留まらず、水夕会の(かた)とも関係を築けているようで何よりです」

「はい……『あたくしのしおりに手を出したら殺します』ってよく言われます」

 にわかに不安になってきた。

「……お待ちください、それは冗談ですか?」

「いえ……最初に『私にはシェンリンがいるから』って言ったら、仲良くなれて……それ以来、会う度に……あの、挨拶、です……!」

 やはり交友関係は精査しておくべきだとユユは思った。

「……今度、琶月(わつき)さんとお話させていただきましょう」

 ついでに、水夕会の聖(元・初代アールヴヘイム)とも話を付けておくべきかもしれない。物別れに終わっている以上、気が進まないが、ユユも身の振り方を変えると決めたところだ。

 そも、なぜ楓がイメージアップなどと言い出したのか、その真意が分からぬユユではない。いつまでも過去に囚われていてはいけない。

「そういえば、ユージアさんは私のことで風評を(こうむ)ったりはしていませんか? 何か良からぬことに巻き込まれておりましたらご相談ください」 

 先日のキャンペーンに関連して、ユユやレギオン(仮)の評判が思いのほか悪いことが判明していた。まぁ、クラスメイトに心配されるくらいなので滅多なことはないだろうが。

 と思っていると、ユージアは微妙な顔をした。

「えっと……」

「あの、そういう反応は心配になるのですが」

「いえ……私、あまり喋らないから怖いって思われてたみたいで……」

 ユージアは、その寡黙さと目つきの鋭さから厳格なリリィだと思われがちだったりする。

「なるほど。もしかすると、私のレギオンに入ったことがそれに拍車をかけたのかもしれませんね」

「いいえ……! ただ、一時期、その筋の人間って話になってて……」

 ……どうも、味方に向かって撃ったという話と混ざって、いつの間にか組織のヒットマン的な扱いになっていたらしい。

「『ユージアに頭ぶち抜かれるぞ』って聞こえてきて……ちょっとフフって来ました」

「……当該リリィを教えてください。そのお姉さま共々、黙らせて差し上げます」

 ユユはチャームを手に立ち上がり、ユージアは慌ててユユを止めた。この前のイメージアップキャンペーンを吹っ飛ばしかねない事態に発展するところであった。

 

-?-

 

 暗躍。暗躍。葛藤、悩み、妬み嫉み、嫉妬。過去の傷。心の闇。トラウマ。

「ふふっ。クライマックスの予感にドキドキしてまいりましたわっ」

「さくちゃん? 人の心を弄ぶような真似は許しませんからね?」

「あらあら?」

「そもそも今回の騒動の発端は……」

「私、何のことやらさっぱりでございます」

「これ以上ちょっかいを出しますと貴女の首が飛びますので、そのおつもりで」

 それは大変でございますわっ、と全く懲りていない顔のさくあ。

 

-6-

 

 玄関、廊下、通路、森、広場、運動場、入り口ホール、カフェ……は敬遠して、教室、演習場、休憩室、屋上、坂道、足湯、高台。

 リリは、学院内をぐるぐると彷徨(さまよ)った。シェンリンに背中を押されたものの、どうしてもあと一歩が踏み出せなかった。

 歩いていると、色んな人に出会う。ミリアム、もゆ様、タヅサ、クラスメイトのリリィ、別クラスのリリィ、たまに話しかけてくれる先輩リリィ、名も知らないリリィ……。

 百合ヶ丘には本当にたくさんのリリィがいる。この2か月間だけでたくさんのリリィに出会った。お姉さまに出会った、楓に出会った、フミに出会った。レギオンの仲間のシェンリン、ユージア、ミリアム。仲良くなったタヅサ、シズ、もゆ様。アールヴヘイムのアラヤ、壱、クスミ。水夕会のしおり、さくあ、琶月(わつき)。サングリーズルのルイセ、絆奈(はんな)、ヒバリ様。ローエングリンのサユ、ひろむ、雪陽(ゆきよ)。気さくに話しかけてくれるマイ様、生徒会の史房(しのぶ)様、寮長の(かおる)様。他にも風紀委員長、図書委員長……『軍神』、『制御不能のリリィ』……名前を聞いただけのすごいリリィもたくさんいる。

 知っているリリィ、知らないリリィ。出会ったリリィ、まだ見ぬリリィ。たくさんのリリィがいる。それなのに、本当の気持ちを話せる相手なんて、本当はどこにもいないんじゃないかと思う。

 バカなことだが、リリは自分だけが仲間外れに思えることがあった。

 自分だけが異質なものを抱えていて、本当はここに居てはいけないんじゃないか、皆と肩を並べていてはいけないんじゃないか。お姉さまの隣に居て、本当に良いのだろうか。お姉さまのシルトになる資格が、自分にはあるのだろうか。

 リリには過去がなかった。様々な過去を乗り越えてきた経験がない。誰と居ても、時に居心地が悪くなる。

 ……前まではこんなことはなかったのに、どうしてだろう。百合ヶ丘に入ったから? お姉さまと出会ったから? それとも、今は全部を悪い方向に考えちゃうだけだろうか……。

 ふと、リリは足を止めた。

 気が付けば、山の向こうから夕日が差しこんでいる。見晴らしのいい高台。置かれたベンチに座る。普段なら気持ちのいい場所かもしれないが、リリの心はもやついていた。

 誰とも居られなかった。心配されても、励まされても、手助けを申し出られても、取り繕うのが精一杯で。一人になりたくて……一人でしか居られなくなって、こんな誰も来ないような場所に足を運んだ。

 今は誰とも会いたくない……誰とも……。いや、一人だけ、頭に浮かぶ人物がいた。

――夕暮れの絶景――

 5月の頭に出会った、謎のリリィ。不審人物として取り沙汰(ざた)され、結局、一度きりしか出会えなかった不思議なリリィ。

 変人だったが、それと同時に惹きつけられるものがあった。誰も知らないリリィ。自分だけが知っているリリィ。あのリリィになら、自分の全てを打ち明けられるような気がした。

 もちろん、望んだところであのリリィには出会えない。きっと二度と……。

「もしそこの御方」

「ひゃい!!」

 不意に話しかけられてリリは飛び上がった。

 あ、ごめんなさい! と言いかけて、バカでかい傘を差したその姿を見て……。

「……って! 薬師芽(やくしめ)様!?」

 噂をすれば……どころでない。まるでリリの心を見計らったように、件のリリィが登場した。

「今までどちらに居たんですか!? 不審者扱いされてますよ! それと同級生なんですよね! じゃあ薬師芽さんって呼べばいいんですか!!」

 リリは雪崩のように言葉と質問を投げかけた。一方、呼びかけられたリリィは「はぁ?」と小バカにしたような声を出した。

「薬師芽? どなたです? (わたくし)萌沢(もえざわ)雫月(しずく)ですわ! 薬師芽などという珍妙な名前、実在する訳ございませんでしょう。リリさんはおバカですわね。ほら、ちゃんと『お』を付けて差し上げたのですから、感謝なさい。額縁入りのおバカ。おバカ界のスーパーレジェンド。バカの大金星ですわ」

「『バカ』って言ってるじゃないですか!?」

 この口の悪さは当人に間違いなかった。

「と言いますか、しずくさんって今度こそ本名で……」「無礼者!!」

 雫月さん(?)は大声を出した。

「私は生年が貴方より2回りは早いのですわ!! 人生の先輩にそのような無遠慮な口利き、はっきり言って最悪ですわ!」

「……えっと、前回、同級生って……」「それは薬師芽でしょう? 私は雫月(しずく)です。雫月様とお呼びなさい」

 ……納得できないが、雫月『様』らしかった。

 先輩に『様』付けはデフォルトだが、高圧的に言われると身分の差的な何かを感じる。まぁ、実際にやんごとなきお方かもしれないが。

「えっと、挨拶が遅れてごめんなさい(?)、ごきげんよう、しずく様?」

「ちなみに漢字で書くと『零れた雫が月に落ちる』と書いて雫月です」

 妙に格好良い言い回しだった。

「へぇ~カッコいいお名前で」「無礼者!! 人の漢字を間違えるなんて、はっきり言って最悪ですわ!」 

 えぇ……。

 漢字の間違いなど、会話では分からないと思うのだが。……確かに『雫』様かと思ってましたけど……。

「零れた月でもなく水滴の月でもなく、雨雫の月ですわ!」

 最初から『雨雫の月』で良かったのではないか? そう思ったが口にしたらまた烈火の如く怒られそうなので黙っておいた。

 代わりに何とか取り繕おうと、とりあえず着席を促そうかと思ったが(なぜか、スペースを開けたのに座らず立っている)、それより先に雫月様が口を開いた。

「全く、先人を(うやま)わないわ、人にバカと言うわ、全然なっていませんわ。シルトの教育をしておくよう、ユユに言っておかなくてはなりませんね」

 ……いえ、バカとは言ってないですよ、と。そうツッコもうとしたが、何気なく上がったお姉さまの名前の(ほう)に、リリは食いついてしまった。

「あの。ユユ様のこと、ご存知なんですか?」

 もちろん、知っていない筈はない。この学院でユユの”過去”を知らないリリィなど存在しない。

「貴方こそご存知なのですか?」

「えっと……?」

「ユユはお姉さま殺しの死神だと思いますか?」

 不意打ちだった。無遠慮すぎる言い様に、リリはショックを受けた。

 『そんな筈ないじゃないですか!』と、いつものようには答えられない。今リリが悩んでいることを深く抉る質問だった。

 一気に、意気消沈してしまう。

「……そんな筈はないって、思ってました。でも、どうしてでしょう……今は、どうして無邪気にそんなことを信じられたか……分からなくなってしまいました」

――アナタ、相手の魂に触れるような会話をされておりませんね――

「……雫月様のおっしゃった通りでした。私、他の人のことなんて全然知りませんでした。知らないから分からないんです……。私、ユユ様のことが分かるようになるか、もう分からなくなっちゃって……」

 本音が驚くほどスラスラと飛び出てくる。それも、とても口にするべきでないモノが。

 ……お姉さまが聞いたら何と思うだろうか……。

 リリは眉をひそめ、それを誤魔化すように笑った。

「あはは……ごめんなさい、急にこんな話」

 雫月は、不意に音を立てて傘を閉じた。そしてどんな魔法を使ったのか、傘を振り回すと、それは一瞬で手元から消え去った。

 驚いて、雫月を見上げた。相変わらず、大きな帽子が素顔を隠している。僅かに見える口元は、愉快そうに笑っていた。

「アナタ、素直すぎますわ。私の冗談を真に受けたのですね」

 雫月はとぼけた。

「でも。私、みんなのことを傷付けちゃって……」

「よろしいではありませんか。傷付けることはそんなに悪いことでして?」

 雫月は小さく笑った。

「溜まっている膿を出す時、そこをナイフで傷付けるではありませんか。リリさんは無暗に暴力を振るったのではありません。一種の医療行為とお考えなさい」

 これ以上なく滅茶苦茶な主張なのに。

――知らないが故に踏み込めるのは長所だと思っているくらいです――

 ふと、シェンリンの言葉を思い出した。彼女がそう言った理由が、ようやく分かった気がした。

「もう二度とは尋ねませんわよ? 自分がなぜユユのシルトになったか、その理由をお考えなさい」

 雫月はそう言ってベンチに座った。

 ……そうだった。ユユ様のことを知りたくて、エゴかもしれないと楓さんに言われて。それでも、一歩を踏み出した。

 お姉さまの隣に居て良いとか悪いじゃなくて、『隣に居たい』。隣に居るのは自分じゃなきゃ嫌だ。

「昔のことでウジウジしてる奴は、背中を蹴っ飛ばしてやりたくなりますわ。誰も彼も。もちろんユユも」

 そう言って、雫月は憮然とした。

「え? ユユお姉さまはウジウジなんてなさらないですよ?」

「してますとも!」

 雫月は断定した。

 ……ネガティブな断定なのに、カラッとしているのはやはり人柄ゆえなのだろうか。などと思っていると、

「リリさんも過去を気にしすぎです」

 急に核心を突かれてドキッとした。

「過去なんてどうでもいいではありませんか。大切なのは刹那の今ですわ」

 自分の全てが見透かされているのかと、頭が真っ白になる。

「あ、あの、私……」

「皆まで言わなくて結構! リリさんの悩みは全て存じております」

 

「アナタ……昔の女と比べられて嫉妬しているのでしょう!」

 

「はい……?」

 リリは、別の意味で頭が真っ白になった。

「分かりますわ。ユユはいつまでもお姉さま、お姉さま……。自分のことを見てほしいですよね?」 

「あ、あの……?」

「ユユは昔の女を忘れられないだけですわ! いつまでもお姉さまのことでウジウジして。そんな時はひっぱたいておやりなさい。私を見てと言っておやりなさい!」

「えぇ……?」

 滅茶苦茶だった。

 嫉妬なんてそんな訳はない。そんな訳はないと思うが……ついさっき、『隣に居るのは自分じゃなきゃ嫌だ』と思ったのは誰だっただろうか……。

「……お姉さまにそんなことできませんよぉ……」

 リリは、とりあえず消極的に否定した。

「大丈夫ですわ。お姉さまに一発入れるくらい、何でもございません」

 何でもない訳はない。

 そもそも、別に自分はそんなことで悩んでいた訳じゃ……!

「いいえ! アナタは過去のことで悩んでいるのですわ! そして、そんなことにウジウジ悩むのはおバカさんのすることです!」

 その言い方にドキッとしてしまう。自分のことを、どこまで知っているのだろう?

「友人に嫉妬するのはバカなことですわ」

「え゛!」

 急に話題がユユからフミに飛んで、リリは驚いた。

「どうしてそんなことまで……」

「私はバカではございませんの。アナタのことは何でもお見通しですわぁ」

 そう言って雫月様は呵呵と笑った。

 ……やっぱり、このリリィは全部お見通しなのかもしれない。

「嫉妬してる暇があったら行動するのです。ユユもフミさんもぶちのめしておやりなさい」

 ぶちのめすとは……全くお嬢様らしからぬ発言である。

「……何だか、悩んでたことがバカみたいです」

「バカがバカなことで悩んだらそれはバカですわ」

「もう! せめておバカって言ってください!!」

「おバカおバカおバカおバカ」

「何で4回も言うんですか!?」

 雫月様はカラカラと笑った。

 相変わらず素顔は見えない。しかし、まだ出会って長くないのに、その雰囲気は何だか懐かしいような気がした。

 それをもっと覗き込もうとして……その輪郭が段々と曖昧になっていくような気がして、リリは目をこすった。

 夕日が沈もうとしていた。気付けば夕方から夜に差し掛かっている。そろそろ帰らなくてはならない。

「ありがとうございます。何だかスッキリしました」

 リリはベンチから立ち上がった。しかし、雫月はなおもベンチに腰かけている。

 どういたしましても言わず、ただ座っていた。

「最後に。一つだけ真面目なお話をよろしいですか」

 何となく雰囲気が変わったように思えて、リリは背筋を伸ばした。

 そういえば、雫月様とユユ様の関係を聞いていないことを思い出す。

「もしかしてですけど、雫月様とユユ様は昔のお友達ですか?」

 雫月は質問に答えなかった。

「今日は特別な日なのです」

 立ち上がり、数歩前に出る。

「特別な日。2年前、ユユが変わってしまった日。ご存知ですか? 2年前の今日こそ、川添美鈴の命日なのです」

 甲州撤退戦。リリは息を飲んだ。

「それ、本当ですか?」

「いえ適当ですわ」

 リリはずっこけた。

「真面目な話じゃなかったんですか……?」

「大体今日くらいですわ。私、過去には拘らない主義ですの」

 まぁ、概ね今日辺りなのは間違いない。正直、リリはその辺りの記憶が曖昧だったりするのだが……。

「それよりも、お気を付けなさい。節目の時期には、必ず良くないことが起こります。死者が形を変え蘇ることだってあるでしょう」

「そんなまさか……」

 リリは笑おうとした。しかし、雫月はあくあまで真剣だった。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花。ススキでさえ、恐怖心に囚われると化物に見えるのです。人の心が、ありもしない死者を目に映すのですよ」

 それはつまり……ユユ様が、ありもしない美鈴様の幻影を見てしまう……ということだろうか?

「お姉さまはそんなことないと思いますけど……」

「アナタは美鈴のことをどう思いますか?」

「え?」

 雫月は突然、話を変えた。

「好きですか、嫌いですか。別離と言う形でユユを傷付けたことを許せますか?」

 そんなこと、考えたこともなかった。

 好き嫌い以前に、美鈴様のことは何も知らない。どんな人間で、どんなことが好きで、何を思って戦っていたのか。何一つとして分からない。

 ……いや、一つだけ分かることがある。

「難しいことは分かりませんけど……でも、美鈴様は……お姉さまの為に、最後まで精一杯戦ったんじゃないかと思います」

 ユユはお姉さまの話をする時、悲しそうにするが、同時に慈しみの情も覗かせる。ユユがどれだけ美鈴様を慕っているかが、リリにはよく分かる。

 お姉さまにそこまで慕われるような人間が、お姉さまを思っていない筈がない。

「どんな(かた)だったかは分かりませんけど、でも、美鈴様のことは尊敬しています。だってお姉さまのお姉さまですから、ものすごーいリリィだったに決まってます! そんな人を許すとか許さないとか、そんなことを言ってたらお姉さまに怒られちゃいます」

 気付けばリリは微笑んでいた。

「私も、きっと実力はお姉さまのお姉さまには及ばないかもしれませんが……それでも! 私だって、お姉さまの為に精一杯戦いたいと思います!」

 雫月は、嬉しそうに頷いた。

 夕日がほぼ沈み、その口元さえ朧だ。それでも、その表情は笑顔に違いなかった。

 と思っていると、雫月はくるりと背を向けた。

「さて。そろそろ時間だよ。お迎えが来たみたいだ」

「え……?」

 お迎え? 何のことか分からず困惑していると。

 いきなりリリの後ろを指差した。

「あ! 向こうに美鈴様の亡霊が!」

「ええ!?」

 咄嗟に差された(ほう)を振り返りかけて……気付いた。これって前の時と同じだ……!

 中途半端に曲げかけた身体を途中で止めるが、身体を戻した時にはもう、ベンチには影も形もなかった。パッと電灯が点き、誰もいないベンチとリリを照らした。逃げ足が速すぎる。

 ……結局、雫月様って本名だったのかなぁ。ユユ様との関係も教えてくれなかったし……。などと考えている暇もなく。

「リリさん!」

「えっ?」

 掛け声に振り返ると、息を切らしたフミが立っていた。『お迎え』だった。

 リリは笑顔を作りかけ……フミの真剣な顔を見て、自分がフミと喧嘩していたことを思い出した。

「あの、リリさん……!」「フミちゃん!」

「「ごめん」」「なさい」「ね」

「え?」

 フミは、ポカンとした。

「これで仲直りだね、フミちゃん?」

 リリはフミの手を握って、上下に振り始めた。その顔は、いつものにへらとした笑顔だった。

「え?」

 フミは、なおもポカンとしていた。

 ここに来るのに、大きな葛藤があった。リリは本当に許してくれるのか、自分はちゃんとごめんなさいを言えるのか。悩み、恐れ、不安。ちょっと楓と練習なんてしたりして、そしてリリが高台に上ったと聞いて、覚悟を持って、ここまでやって来た。

 それが、ものの10秒足らずで終わった。

「わ、わ、」

「わ?」

 

「私がどんな気持ちでここに来たと思ってるんですかああ!!!」

 

 フミは感情を爆発させた。

「え、えぇ……」

「やっぱりダメです! まだ喧嘩中です!!」

「でも、さっき仲直りしたよ?」

「取り消しです!! 先に私が謝るんです! それで紆余曲折あってようやく仲直りするんです!!」

 無茶苦茶なことを口走っていた。

「えぇ~。仲直りしたんだから仲良くしようよ?」

「ダメです! だってまだ沢山謝ってないですから!」

「それなら私も……。大っ嫌いとか言ってごめんね」

「そんな! 私が悪いんですよ……!」

「……私、きっとフミちゃんに嫉妬してたの」

 どうしてそんなに素直に言葉に出せるんですか……!!

 フミは両手を振り上げ、ブンブンと激しく振った。私なんて……私だって!!

「私だって嫉妬してましたよ!!」

 フミは全力で叫んだ。

「私の方が嫉妬してたよ?」

「いいえ! 私の方が嫉妬してました!」

「どうして? 私の方が嫉妬してたよ!」

 ……段々と、リリの方もヒートアップしてしまった。

「だってリリさん! 回避術なんてどこで覚えてきたんですか!?」

「フミちゃんこそ! あんな連続攻撃どこで覚えたの!」

「あんな一歩間違えたら大怪我する技なんてダメですよ!!」

「フミちゃんも攻撃でヘロヘロになる技なんてダメだよ!!」

「危険な回避の方がダメダメですぅ!」

「フミちゃんもバテバテだったもん!」

「あれはリリさんに勝つ為に頑張って覚えた技なんです!!」

「私もフミちゃんに負けたくなくて、まだ練習中だけど出しちゃったの!!」

「どうしてですか!? リリさんは新しいことでもすぐに吸収されて、頑張り屋で、気付いたら知らない人と仲良くなってますし……!」

「フミちゃんこそ、戦術の知識があって、鷹の目が使えて、努力家で、取材で色んな事を調べてて……!」

「リリさんの方が凄いんです! 皆さんも私もリリさんが大好きなんです!!」

「フミちゃんの方が凄いよ! 取材で色んな人と仲良しだし、私もフミちゃんが大好きだもん!」

「私の方がリリさんが好きですよ! 身長も体重も血液型もリリィスタッツも全部暗記しますし、四葉のクロバーが好きでラムネが好物で水晶集めが趣味だってことも知ってます!」

「私の方がフミちゃんが好きだもん! だって私がお姉さまとシュッツエンゲルになれた時も、レギオンのメンバーが増えた時も、自分のことみたいに喜んでくれたもん! お姉さまの二つ名だって、良い意味だって言ってくれたもん!! ……私、フミちゃんが大好きだよ?」

「そ、そんな! だってリリさんが嬉しそうにしてたら嬉しくなるじゃないですか!! だってリリさんが大好きなんですもん!」

「私だってフミちゃんが一緒に喜んでくれて嬉しくない訳ないよ! だってフミちゃんが大好きだもん!」

 

「……あの2人は何をやっとるのかの……」

 下手(しもて)の茂みから2人を様子を覗き、ミリアムはぼやいた。大好き! 大好き! という言い合いがここまで響いている。

「良いじゃないですか。見ていて退屈しませんよ」

「2人とも、仲直りして良かった……!」

 しかしシェンリンは何でもなさそうに、そしてユージアは心底嬉しそうに、リリとフミの方を見つめた。

 一方、楓はハンカチを噛んでいた。

「うう……! リリさんの一番は私ですのに……!」

「何を今更。リリさんが一番信頼しているのは、最初からフミさんだったではありませんか」

 敬称の付け方を見ても、リリが最も心を許している相手は明らかだった。

「それでもです! リリさんを導くのは私の役割ですわ!」

 楓は、嫉妬とも羨望ともつかない視線をフミに送った。シェンリンは面倒そうに手を振った。

「……それにしても、楓がリリのところへ行かなかったのは驚きじゃったの」

 その点、ミリアムは楓のことを見直した。楓はリリに対して強く出られないので、役割分担として理に適っていた。

 『己が欲望を駄々洩れにする恥ずべき御仁』と思っていたが、欲望(リリ)よりも理性(フミ)を優先させたこと感心した。

「将を射んと欲すれば……」(ユージア)

「…………」(ミリアム)

「ちょっと! その目は何なんですの!?」

 一気にミリアムの視線が冷たくなった。

「まぁ、お主の考えなど分かっとったわ」とミリアム。「こういう人間ですわ」とシェンリン。「楓、策士……!」とユージア。

「ちょっと! 私、頑張りましたのよ!? 駄々をこねるフミさんを説得して! 何度も何度も謝罪の練習に付き合って! 学内を回ってリリさんの目撃情報を募って! ギリギリまで不貞腐れていたフミさんの背中を押して……! とっても頑張りましたのよ!?」

「愛とは見返りを求めぬものじゃ」とミリアム。「ちょっとくらい褒めてくださいな」(楓)「はいはい。偉い偉い」(シェンリン)「雑ですわ!?」(楓)

「でも、楓のおかげで……2人とも、こんなに早く仲直りできたよ」とユージア。

 実際のところ、楓のサポートはMVPだった。明け透けなリリに比べ、フミは本音を晒すのが苦手だったりする。そんなフミが一歩を踏み出せたのは、やはり楓の後押しが大きい。

 そして、踏み出してしまえば堰を切ったように思いが溢れだしたらしい。これで、2人の微妙な対立も終結するだろう。

「やれやれ。色々と気を揉んだが、終わってみれば丸く収まったようじゃの」

「まあまあ。これは雨降って地固まるの好例ですわっ」

「荒療治にはなりましたが、お二人の(わだかま)りが解けたのでしたら過程は不問といたしましょう」

「楓もシェンリンも……お疲れ様」

「全く。フミさんには後でケーキでも奢っていただきますわ!」

 などなど、一件落着の安堵感が5人の間に漂った。さて、頃合いを見計らってリリとフミを連れて寮に帰ろうか、今日はゆっくり休めそうだ、と思いつつ……。

「……ところでお主はどっから現れたのじゃ……?」

 いつ、ツッコもうかと。しれっと、輪の中にさくあが紛れていた。

「あらお久しぶりですね」

「シェンリン様、お久しゅうございますわ」

 シェンリンは特に感慨もなく、さくあはニコニコした様子で挨拶を交わした。

「あら? お二人はお知り合いでしたか?」と楓。

「はい。知らぬ仲ではありません」とシェンリン。

 お主はいつもそれじゃな……、とミリアム。

 ちなみに、2人とも幼稚舎以来の知り合いではある。ただ、シェンリンは昔からさくあと距離を取っていた。触らぬ神に祟りなしの好例だった。

 ミリアムも、余計なツッコミは控えようかと思っていたところで。

「さくあさん! こんなところに……!」

 突然、しおりが乱入してきた。

「あら、しおり様? 私に御用ですか?」

「御用に決まっているではありませんか……。余計なことはするなと私、申し上げましたよね?」

 う~ん? とさくあ。それを見て、しおりはチャームを構えた。

「さくあさん? 余計なことはしてませんよね?」

「お、おい、落ち着くのじゃ……」

 仄かに纏わせた殺気に、ミリアムは慌てた。というか、ミリアムしか慌てていない。

「お二人は仲良しですわね」(楓)「昔からこうですよ」(シェンリン)「しおり……頑張って!」(ユージア)「お主らも止めんか!?」

 ……というか、収拾がつかなくなってきたの……とミリアム。いつもはフミがツッコミとオチを担当している。やはりツッコミがいないと、場の暴走が止まらない。

 どうにかフミを引っ張ってこれないかと考えていたところで。

「これはどういうことでしょうか」

 突然、ユユが乱入してきた。

「ごきげんようですわっ、ユユ様」

「ごきげんよう。さくあさん、また貴方ですか」

 『また』って何じゃ……? (こと)さくあに関して、意味深で不穏だった。

「ユユ様! 問題は私がズバッと解決しましたわ! 褒美としてしばらくリリさんをいただきますので悪しからず」

「ユユ様。しおりさんとさくあさんが無制限の試合を行うようですから、どうぞお立会いください」

「ユユ様、私が連撃で抑えておりますから、止めをお任せしてよろしいでしょうか?」

「ユユ様……雨降って地固まる……!」

 ……いよいよややこしくなってきたのぅ……。

 聖徳太子ばりの聞き取りと対応力が求められていた。

「何なんですか……?」

 ユユは異議を唱えるように眉をひそめた。そして、くるりと身体を反転させた。

「ミリアムさん、ご説明お願いできますか?」

 鋭い視線がミリアムを射抜く。

 何故わし……? そう思ったが、他意はないのだろう、多分。

「一件落着したようでの。皆で様子を見に来たのじゃが……何故か、しおりとさくあが一触即発なのじゃ」

「そうですか。それは水夕会内でご解決いただいてください」

 非情に冷静だった。

 まぁ、確かにミリアムたちには関係ないのだが。

「それより、解決したのならどうして言い合っているのです?」

 ユユの質問にミリアムは返答できなかった。それは、ミリアムも知りたかった。

 どう答えたものかと悩んでいると、「あ! お姉さま!」「ユユ様? それに皆さんも……!」リリとフミが一同に気付いた。

 というか、ようやく気付いた。太陽は沈んだが、お互いに視認できる程度に薄明るい。さっさと気付くべきであった。

「貴方たち! もうすぐ食堂も閉まりますし、入浴時間も終わってしまいますよ。門限などありませんが、百合ヶ丘のリリィとして……」「お姉さま!!」

 リリは話を遮り、ユユに飛びついた。

「こ、こら! リリさん……」「ユユ様!!」

 フミは話を遮り、リリごとユユに飛びついた。 

「フミさん……?」

「あ! ズルいですわ! 私もリリさんに!」

 そして、楓も3人に飛びついた。

「何じゃ、面白そうじゃの」「シェンリン……!」「やりたいのでしたらご一緒いたしますわ」「あら。それでは私たちも」「さ、さくちゃん! 急に引っ張らないで!」

 気付けば、全員で押しくらまんじゅうでもするようにぎゅうぎゅうに固まっていた。

「皆さん……! もう、何なんですか?」「えへへ~、ぎゅうぎゅうですね、お姉さま?」

「ひゃ!? だ、誰ですか! 変なところ触られましたよ!?」「あら、これはフミさんでしたか」「確信犯じゃないですか!?」「おい、ちょ、押すではない! ち、窒息する……!」「ふふっ、容疑者過多で真相は闇の中でございますね?」「何をされてるんですか……」「私の推理では、犯人はフミさんが怪しいかと」「冤罪です!?」「フミ……前科一犯……」「風評です!?」

「うぐぐ……い、息が……」「あらら?」「……さくちゃん、故意にミリアムさんを窒息させないでください……」

 皆で固まって。皆で一つになって。自然と笑い声が上がって、それは全員に伝播していった。

「貴方たちは……本当に分からない方々ですね」

 ただ一人、ユユはため息を吐いた。ただし、その表情は優し気に綻んでいたことを、ユユだけは知らないのだった。



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第5~6話 レポート

区分:γ

『2052年6/18~6/20の白井夢結の行動について』

                                    2052年6月23日

                               作成者 ■■■■(非公開)

                               責任者 ■■■■(非公開)

 

1.はじめに(作成事由)

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(非公開)

 

2.白井夢結の関係人物

 当該日程において関係する主要人物について、簡単に解説する。

 詳細情報はデーターベース参照のこと。

 

2-1.所属レギオン(通称『一柳隊』)

 一柳梨璃 白井夢結のシルト。1年。地元が甲州。D*

 楓・J・ヌーベル グランギニョル総数のご令嬢。1年。S

 安藤鶴紗 強化リリィ。1年。S

 吉村・Thi・梅 元初代アールヴヘイムのメンバー。2年。A+

 郭神琳 幼稚舎からの生え抜き。ジャストガード使い。1年。A+

 王雨嘉 ヘイムスクリングラトレードゴード出身。1年。B+

 ミリアム・ヒルデガルド・V・グロピウス アーセナル。1年。C

 二川二水 リリィオタク。1年。D

 

2-2.2代目アールヴヘイム

 天野天葉 白井夢結の旧友。2年。S

 番匠谷依奈 白井夢結の旧友。2年。S

 

2-3.その他

 六角汐里 一柳梨璃の友人。谷口聖のシルト。1年。A+(不要)

 真島百由 アーセナル。研究者。2年。A+

 秦祀 白井夢結のルームメイト。生徒会3役(代行)。2年。A

 川添美鈴(故) 白井夢結のシュッツエンゲル。甲州撤退戦で戦没。(3年)

 

3.白井夢結の行動

 6/18~20の白井夢結の特筆事項は、大きく2つに分けられる。

 1つ目が6/18~19、白井夢結が甲州まで外出した出来事とその経緯、顛末としてのレギオン結成である。

 2つ目が6/20、白井夢結のレギオンが特型ギガントを討滅した出来事である。

 なお、本章の記述は■■■■■■■■■■■■■■■■■■(非公開)である。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。(非公開)

 

3-1.甲州への外出

 6/18、白井夢結は二川二水が持ってきた端末のデータから、一柳梨璃の誕生日が6/19(明日)であると知る。その後、主に2-1に示した人物に一柳梨璃の好物について尋ね、ラムネ(炭酸飲料)が好きであると把握する。しかし、白井夢結が用意できたのはラムネ(菓子)のみだった。

 なお、道中、白井夢結はペンダントを気にするような仕草を見せた。白井夢結のペンダントは誕生日に川添美鈴から贈られたものである。また、六角汐里と交流を行う一幕もあった。(不要)

 6/19、白井夢結は早朝に甲州へと発った。甲州は一柳梨璃の地元である。甲州においてラムネを購入したものの、手放してしまう。その後、学院近くの自動販売機でラムネ(炭酸飲料)が販売されていることに気付き、それで代用とした。

 その後、2-1に示した人物で一柳梨璃の誕生日会を開いた。この際、吉村・Thi・梅、安藤鶴紗がレギオンに加入し、正式にレギオンが発足した。

 

3-2.特型ヒュージ討伐

 6/20、正式にレギオンとして発足した一柳隊は、二代目アールヴヘイムのノインヴェルト戦術を見学する。しかし、二代目アールヴヘイムは特型ギガント(レストア)にノインヴェルト戦術を半ば防がれ、撤退する。戦線は一柳隊が引き継ぐ。

 特記事項として、レストアの体内に白井夢結のダインスレイフが突き刺さっていたことが挙げられる。そのチャームの力を使い、当該ヒュージはマギリフレクトによりノインヴェルト戦術を防いだ。なお、このレストアは、甲州撤退戦で白井夢結、川添美鈴が交戦した個体である。(不要)

 白井夢結は暴走状態に陥るが、一柳梨璃の働きかけにより正気を取り戻す。一柳隊はダインスレイフを奪還し、ノインヴェルト戦術により当該ヒュージに止めを刺す。

 詳細は■■■■■■■■■■■■■■■■(非公開)

 

4.考察

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(非公開)

 

4-1.甲州への外出

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(非公開)

 

4-2.特型ヒュージ討伐

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(非公開)

 一柳梨璃はブレイブまたはカリスマ持ちであると考えられる。カリスマ持ちであると確認できた場合は■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(非公開)

 当該ヒュージがチャームを扱えた理由は■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(非公開)

 川添美鈴は■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(不要)

 

4-3.補足

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(不要)

 

5.参照資料

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(非公開)



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第6.1話 vs過去の因縁

 自室に戻ってから、悩み事ばかりが頭を巡っている。

 今日は特別な戦いがあった。リリのレギオン、一柳隊の初出撃。そして、ダインスレイフの奪還。

 因縁のチャーム。……私が、それでお姉さまを……。

 月の光を頼りに、ペンダントを取り出す。蓋を開くと、美鈴お姉さまが微笑んでいた。

 この写真は、珍しくユユが我儘を言って撮ってもらったものだ。お姉さまのペンダントには、どうしてもお姉さまを入れたかった。優しいお姉さま。強く、優雅で、いつも正しかったお姉さま。

 ペンダントを開くと、温かい記憶が蘇る。

 同時に、最期の瞬間と、あの”感触”を思い出さずにいられない。チャーム越しに感じた手の感覚。

 ダインスレイフ。

 もう二度と、見ることはないと思っていた。もし見ることがあっても、きっと自分は正気を保てない。そのまま二度と戻ってこれないと、そう思っていた。

 しかし、ユユは戻ってきた。戻ってきてしまった。リリに手を引かれ、お姉さまのいないこの世界に、何事もなく帰ってこれてしまった。

(美鈴、お姉さま……)

 それが良いことか悪いことか、ユユには判断できなかった。

 

「おめでとう、ユユ」

 

 ユユは、肩を揺らした。

「レギオンの初出撃でギガント級を討伐するなんて、ボクまで誇らしくなるよ。……あぁ、『アールヴヘイム』が先に削っていたからだって? 気にしなくて良いさ。むしろソラハが倒せなかったヒュージをユユたちが倒したんだ。胸を張って、ユユ。キミのお姉さまとして、ボクはとても鼻が高いんだ」

 ペラペラと軽薄な言葉が、誰もいない筈の背後から響いた。

 ユユは振り返らない。返事も返さない。

 川添美鈴。死んだはずのお姉さま、その亡霊。頼んでいないのに付き纏ってきたそれは、4月を境にぱったりと姿を消していた。

 あんなに憎たらしかったのに、あんなに苦しかったのに、いなくなった途端、ユユは酷く喪失感を覚えた。

 ……いや、今はその逆だ。会いたかった筈なのに、声を聞きたかった筈なのに、いざ現れたそれは、酷くユユの神経を逆なでした。

 黙れ! 亡霊風情がお姉さまの真似をするな!

 胸を()くのは怒り、不快感、嫌悪感。……そして、それを遥かに凌駕する、親愛の情。

「どうして、私を選ばれたのですか……?」

 お姉さまに質問するように、縋るようにユユは尋ねた。

「ボクのシルトは嫌だったかな」

「嫌ではありません。それどころか、信じられないほど嬉しかった……。それでも、思うんです。どうして私だったのか。どうして、ソラハさんではなかったのですか?」

 天野天葉(ソラハ)。初代・2代目アールヴヘイムのエースリリィ。比肩する者がいない類まれな天才リリィ。美鈴がシュッツエンゲルの契りを結ぶとしたらソラハだと、誰しも――ユユでさえ――確信していた。

「……それをボクに聞いても仕方ないよ。ユユが思うようにしかボクは答えないさ」

「それでも、聞かせてください」

 美鈴は、困ったような顔をして、触れ合う寸前までユユに近付いた。そして耳元で一言。

「ユユを愛していたからさ」

 咄嗟に、両手で払った。その動作を予期していたように、亡霊は飛び退いた。

「……止めてください。そんなこと」

「キミが望んだことじゃないか」

「止めてください……私は、そんな……」

 苦しそうなユユを見て、美鈴は困ったように笑った。

「本当のことを言うと、他に適任がいなかったからさ。ソラハはいけないよ、ボクなんかと一緒に居たらダメになってしまう」

「そんなことありません! 美鈴様は、完璧な御方でした……。釣り合うとしたら、ソラハさんくらいなものです」

――完璧な人間は、如何なる下級生ともシュッツエンゲルの契りを結ばないのだろうか――

 美鈴は、微笑んだ。しかし、そこに込められているのは決して優しさではない。

「本当に、ボクが完璧な人間だと思っているのかい?」

「それは……」

「ボクが完璧な人間なら、ユユにこんな思いなんてさせなかっただろう。それとも、ボクがユユを苦しめる為にこんなことをしたと思う?」

 ユユは、言葉を詰まらせた。『完璧』な美鈴お姉さまはそんなことしない。その筈だ。しかし……。

「薄々、気付いているだろう? ボクは善良な人間なんかじゃない」

「そんなことは!」

 否定の言葉は、自分でも分かるほど空々しかった。

 ユユは知っていた。美鈴様は、時折、驚くほど冷めたことを口にした。きっと根源的な部分で、何かを――全てを――嫌っていたのだと思う。

「ボクなんかに何時までも構ってちゃいけないよ、ユユ。キミには未来に目を向けてほしいんだ」

 美鈴は『未来』と口にした。それが何を差しているか、ユユにはよく分かった。

「……リリ、ですか」

 ユユは、顔を俯かせた。そこに込められている感情は、決して……。

 愛しのシルトにこんな感情を向けるなど、他の人の前では絶対にできないことだった。それを自覚しつつも、ユユは()められない。

「リリのシュッツエンゲルになってから……思うようになったんです。シュッツエンゲルとシルトは、パズルのピースのようなものじゃないかって。美鈴様がソラハさんを選ばなかった理由も、そうじゃないかって」

 同じピースが2つあっても、繋がり合うことはないから。

「私は、不完全な人間です。シルトとしても、シュッツエンゲルとしても、歪なピースです。そこに嵌るのが美鈴様であり、リリだとすると……」

 ユユは、そこで言葉を切った。

「カリスマ」

 支配と支援のスキル。リリがそうである可能性を、生徒会の友人から聞かされた。

「美鈴様も、そんな節がありました。人を操っているような……場を支配しているような……。……。一人でいると、悪いことばかり考えるんです」

 美鈴は何も言わなかった。それは殆ど、ユユの懺悔だった。

「情けないことに、たまにリリのことが信頼できなくなります。私を騙して喜んでいるのではないか、いつか手酷い裏切りに遭うんじゃないか……バカですよね、あの純粋なリリが、そんなことする筈ないのに」

 窓から差し込んだ月明かりが、2人を照らす。(こうべ)を垂れ懺悔の言葉を吐くユユは、見方によっては神に許しを請う罪人にも見えた。

「分からないんです。こんな私がリリのシュッツエンゲルでいて良いのか。人を信じられないんです。……たまに……美鈴様のことも、信頼できなくなるんです……」

 その痛切な告白に、意を決した言葉に。

「フフッ……ハハ!」

 美鈴は、こらえきれず笑いだした。

 呆気にとられ、ユユは顔を上げた。美鈴のその顔は、無邪気な笑い顔だった。

「ボクとリリが同じとは、光栄だよ! ユユにとってボクは、とても純粋なリリィみたいだね?」

「笑い事ではありません! 真剣な話です!」

「それなら尚のことさ。ボクとリリが似ている? 一度冷静になって考えてごらん。どこが似ているんだい? 立ち居振る舞い、思考、思想、趣味、嗜好……何より、学年が違うじゃないか! リリはキミの『完璧なお姉さま』にはなれないだろう?」

 美鈴は、おどけて言った。

「それに、ユユはボクに手痛く裏切られたのに、それでもまだ、こんなにも想ってくれている」

「そんな! 私は裏切られてなんか!」

 今度の否定は空々しくないつもりだったのに、美鈴は首を横に振った。

「いいや。これ以上なく酷い形でキミを裏切った。ボクが消えてしまうなんて、ユユは想像もしてなかっただろう?」

 その言葉に、どう反応すればいいのだろうか。ユユは、自分が今、どんな表情をしているか分からなかった。

 ただ、目の前の美鈴は笑っていた。

「ユユは、そんなボクのことをいつまでも慕っているんだ。きっと、リリに裏切られることがあっても、キミはそんなリリを受け入れてあげられるさ」

 気付けば、美鈴の表情は……いつもの、優しいお姉さまの顔だった。

 恐れちゃいけないよ、ユユ。差し伸べられた手を拒まないで。未来を見て。いつまでも幻影なんかに囚われないで。

 気が付くと、ユユは真っ暗な部屋で、1人佇んでいた。

――恐れちゃいけないよ――

 亡霊になっても。時に疎ましく思っても。

 川添美鈴は、間違いなくユユのお姉さまだった。

 

--

 

「ユユからお昼に誘われるなんて! お赤飯炊かなきゃ! だっけ?」

「貴方は私を何だと思っているのですか」

 え~だってユユだよ~? と、目の前のリリィは楽し気な声を上げた。

 谷口(ヒジリ)。『百合ヶ丘の恋人』で、水夕会の主力で、しおりのシュッツエンゲル。どこか抜けているように見えるが、恐らく現役のファンタズム(未来視)持ちで最も完成度が高いリリィでもある。

 ユユは、何気なく手元の紅茶に視線を落とし、すぐに顔を戻した。

 ヒジリは何でもなく振舞っているし、ユユも何事もなかったように装っている。しかし2人は喧嘩別れのような形で分かれており、実際に会うまでユユは緊張していた。

「でもお赤飯はあるのに『お赤うどん』とか『お赤ラーメン』がないのって麺差別じゃない?」

「……ヒジリさん。紅白うどんというものが存在するようですよ」

「ええ~!? 色違いがあるのって、お素麺(そうめん)だけじゃなかったの!?」

 ……何と言うか、緊張して損だった。

「そうそう、お素麺の色違いだけ集めて一食分作ったりとかやってみたいよね~! ……ってしおりんに言ったら『一か月ほど、残った麺をお食べになるおつもりでしたら』だって! もう、夢がないんだから」

「賢明なシルトをお持ちで良かったではありませんか」「あ~、私が賢明じゃないみたいな言い方して!」「違いましたかね……貴方にはもったいないくらい良い子ですよ」

「ユユったら、私に断りなしでしおりんを借りてくんだから!」「それは申し訳ありませんが、貴方も琶月(わつき)さん辺りをちゃんと管理してください」「え? 琶月ちゃんはいい子だよ?」「ウチのが殺害予告を受けているのですが」「大丈夫。琶月ちゃんが事に及んでるの見たことないから」「見てたら手遅れですよ」「大丈夫だって。今まで未遂しかないから」「実行の意志があったことに不安を隠せませんよ……」

 話してて頭が痛くなってくる。そうだった、ヒジリとはこんな人間だった。

 こんなことなら和香(のどか)(元・初代アールヴヘイムで現・水夕会)も呼ぶべきだったと、ユユは半ば後悔していた。

「でも、ユユがシルトを作るなんて。私、本当に嬉しいんだよ?」

 ユユはぴくりと反応を示した。ただ、ヒジリに他意はないらしい。

「ええ、私も自分の変化に驚いているところです。こうやってまた貴方と話せる日が来ようとは、思いもしていませんでした」

「私は知ってたよ? ユユがまたみんなと仲直くできるって」

 ヒジリは頬杖をついてにこりとした。

 ただし、その冗談のような軽さに反して、言葉には真実味が籠っている。

「もしや、ファンタズムですか?」

「ううん。ただの勘」

 ……本当だろうか。ファンタズム使いの勘は当たりやすい。

 特に、この全てを識っているような瞳を見ていると、不思議と自分が守られているような気がしてしまう。

「……やはり貴方の力だったりするのでしょうか」

「もう。ユユはそうやって買い被るんだから!」

 ヒジリは優しく笑った。

 その笑顔に、不意にユユの胸が詰まった。懐かしさと、温かさ。

 この温もりが酷く懐かしい。そうだ、自分にはこんなにも温かい仲間が居たのだ。楽しい時は一緒に笑い、苦しい時は手を取り合う相手。掛け替えのない仲間。

「この一年間、貴方たちを遠ざけて申し訳ございません」

 ユユは唐突に頭を下げた。

 ……いや、唐突どころか遅すぎたくらいだ。

 本当は、ずっと謝りたかった。ヒジリが一番辛い時、傍に居て声を掛けられなかったことを。それどころかヒジリを傷付けてしまったことを、ユユはずっと後悔していた。

「どうしたの、ユユ。そんなこと言うなんて」

「ご存知でしょう。先日の戦いで、レストアの体内からダインスレイフを取り戻しました」

 ヒジリは、僅かに表情を曇らせた。ダインスレイフ、美鈴様の死。それはヒジリにとっても、簡単に割り切れる話ではない。

 それが分かっていて、それでもユユは()めなかった。

「あれは、きっと美鈴様からの贈り物です。過去と向き合えと、美鈴様ならそうおっしゃる筈です」

「そう? 美鈴様なら『過去に囚われるな!』って言うんじゃない?」

「過去に向き合わなければ未来にも進めません。過去をなかったことにはできませんが、決着を付けなくてはいつまでも囚われたままです」

 ユユははっきりと宣言し、そして表情を硬くした。……自分は、恐ろしく都合の良いことを口にしている。

 1年前、ヒジリのクラスメイトが次々と亡くなった戦い……そして、ヒジリの親友だった愛華(あいか)さえ行方不明になった戦いがあった。これ以上なく沈んでいたヒジリに追い打ちをかけるように、ユユはヒジリを突き放した。

 一緒に居られなかった。ヒジリの悲しみを受け止められる程、ユユには余裕がなかった。

 同室になるほど仲が良かった筈なのに、本当に困っている時に手を差し伸べられなかった。

 それなのに、今更一方的に『決着をつけて未来に進みたい』など、虫が良すぎる。

「ヒジリさん。私のことを許せとは言いませんが……」「あ、うん。許すよ?」

 ヒジリはとんでもなく軽い調子で言い放った。

「……あの、ヒジリ? 真面目な話なのですが」

「私だって真面目だよ! だってユユがやっと前を向いたんだもん。それを邪魔するなんて友達じゃないでしょ?」

 ヒジリは可愛くウインクをしてみせた。言葉以上に、その『温かさ』がユユの心に効いた。

 そうだった、ヒジリとはこんな人間だった。

「それに、ユユには言いたいことがあるんだから! やっぱりユユが美鈴様を刺したなんてあり得ない。何度も言ってるのに、ユユは聞かないんだから」

 しかし、この件に関してユユは苦い顔をした。

「いえ、やはり私は刺したのです」

「あー! やっぱり過去に囚われてる!」

 ヒジリは非難の声を上げ、ユユは困ったように眉を寄せた。

 ……どういう訳か、周囲の人間は口を揃えて『ユユは刺していない』と言う。しかしユユにはハッキリと刺した記憶があり、その感覚も腕に残っている。

「そんな訳ないでしょ! だって『ルナティックトランサーで記憶が混濁してた』って言うのに、そこだけハッキリ覚えてるなんておかしいよ。それにダインスレイフだって……」

「分かりました、分かりましたよ……」

「ユユは分かってないの! ユユがそう言うなら、『自分は刺してない』って認めるまで口を利きません」

 ヒジリはむくれてプイっと顔を背けた。

 ユユは困ったが、それでも自分を曲げるつもりはなかった。

「ヒジリさん……私は過去を捻じ曲げてまで前を向きたいとは思いません。私はお姉さまを殺してしまった。その(とが)は背負っていくべきなのです」

「だからそんな咎は存在しないの。それはユユが思い込んで生み出した物」

 思い込んで生み出した。

 川添美鈴の亡霊。

 もし、それが乗り越えるべきものだとしたら……ユユの妄想でしかないとしたら……いずれあの亡霊とも、決別しなくてはならないのだろうか。

「……ってヒジリさん。口を利いてくれないのではありませんでした?」

「う~ん? ユユがこの話をしてくれるようになっただけでも一歩前進だから、今日の所は許してあげる」

 この可愛らしいリリィは、気まぐれに言い放った。

「でも、よく考えてみて。冷静に思い返してみて。記憶なんて当てにならないものよ?」

「いえ、しかし……」「次に会う時までにはちゃんと考えておくこと! そうじゃなきゃ許さないんだから」

 ヒジリは一方的にそう言うと、席を立った。気付くと、ヒジリは皿の中身を綺麗にさらえていた。

「これから定期的に会いましょう。私は一回会ってそれではいオッケー、みたいな軽い女じゃないのよ?」

 ヒジリは、なかなかに魅惑的な笑みを浮かべた。

 ……このリリィが皆に好かれる理由はこういうところなのだろうとユユは思う。掴みどころがなく、悪戯っぽくて魅力的。可愛い恋人みたいなリリィなのだ。

 ……と、まぁ、そんな感想を覚えるのは比較的『部外者』な視点であって。

「ヒジリ様。こんなところにいらっしゃったんですね……」

「あれ? しおりん……?」

 ヒジリが振り返ると、どこで話を聞きつけたのか、しおりが立っていた。

「しおりさん、ごきげんよう」「ごきげんよう、ユユ様」

 挨拶は返すものの、しおりは依然として不機嫌そうな顔で突っ立っている。

「なぁに? 私がユユに構ってるから嫉妬しちゃった? んもぅ、しおりんったらかっわい~」「違います」

 しおりは冷静にツッコんだ。

「覚えておられませんか? 今日はご一緒にお昼を食べるお約束でしたよ」

 憮然とした声のしおりに、ヒジリはしばし顔を顎に当てて考えた。

 考えて、ポンッと手を叩いた。

 

「そうだっけ?」

 

「その『ぽんっ』は思い出した時の動きではありませんか!?」

 ヒジリは、完全に失念していた。

「ヒジリ様、その悩んでいた時間は何だったのですか!」

「ごめんごめん。ちょっと思い出しかけたんだけど、覚えててポカした方が悪いかなって、忘れちゃった?」

「過失を装う方がずっと悪質です!!」

 しおりは怒りを(あらわ)にした。ここ最近、昼食のタイミングがなかなか合わなかった。ようやく都合が合って、楽しみに待って、しかし集合場所にヒジリはおらず、お腹を空かせ懸命に探した結果がこれである。

 よしんば忘れていたのは(この人なので)仕方ないとして、悪びれないその態度は許しがたかった。

「あー、ごめん! しおりん怒らないで~」

 と言いながら、ヒジリはチラチラとユユを見た。

 ……助けませんよ? と思っていたら。

「ほらね? 記憶なんて当てにならないでしょ?」

「ヒジリ様!!」

 しおりは思いっ切り叫んだ。

 ……なるほど、身内がこれだと苦労するのですね、と。

 かつて戦友だった筈のリリィと、ちょっと心で一線を置いたユユだった。



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第6.2話 Happy birthday to you! You! その1

 ビー玉越しに世界を見ると、全てが煌めいて見える。

 何でもない通路も、扉も、ごみ箱さえも、まるで天使の贈り物みたいに素晴らしく思える。

 お姉さまから貰ったもの。ラムネ、みんなが集まるこの場所、ハグ、沢山の優しさ。そして……。

 えへへ~……。

「ご機嫌ですね~リリさん」

「わ゛!? フミちゃん……?」

 急に声を掛けられ、リリは思いっ切り振り返った。そこには小首を傾げるフミ、そして楓がいた。

 楓は呆れ顔を隠さなかった。誕生日以来、リリは度々こんな調子なのだ。

 楓はずいっと近付き、人差し指をリリに突きつけた。

「リリさん! アナタは隊のリーダーなのですから、もっと毅然とされるべきですわ」

 その様は、緩んだリーダーに活を入れる司令官の鑑そのものだった。

 ……ただし、楓の背中に(いちゃつきやがって……!)と書いてあるのがフミにははっきり見えた。というか、普段から『緊張感がないのはリリさんの長所ですわ!』と公言している位なので、これは私怨だとはっきり分かるのだった。

「あはは……。ありがとうございます、楓さん。私、リーダーらしく頑張ります!」と律儀にリリ。

「いえ、楓さんのは完全に私怨ですから」とフミ。

「お黙り、チビ!」と楓。「チビ!?」

 それは完全に悪口じゃないですか!?

 フミは抗議したが、「はいはい、下界の声は遠すぎて聞こえませんわぁ~」と、楓は適当にあしらった。

 リリは笑ってそれをビー玉越しに覗くのだった。

 なお、レギオンの控室はあくまで公的な場であり、決して自分の世界に浸る場所ではない。しかしそうは分かっていても、このビー玉を見ていると頬が緩んでしまう。

「そのビー玉……もしかして、ラムネに入っているものですか?」

 楓と取っ組み合いつつ、フミはふと尋ねた。

 見たところ、それは何の変哲もないビー玉に見える。しかしリリが幸せそうに握りしめているということは、何か記念品のラムネなのかもしれない。

 その何気ない質問に、リリは無邪気に答えた。

 

「うん! 実はこれ、お姉さまのラムネのなの!」

 

 ピタリと、楓とフミは動きを止めた。

 フミの脳内に、楓の言葉が浮かぶ。――リリさん? その飲み終わったラムネ瓶をいただいてもよろしいでしょうか?――(※その提案は『(よこしま)』の一言で却下された)

 ……もしや、リリさんもそうした偏愛に目覚め……「まぁ、楓さんじゃあるまいし……」

「ちょっと、それは差別ではございません?」

「だってリリさんはあれですよ」

 そう言って、フミはリリを指差す。リリは、ビー玉を見つめてにへらと笑っている。これが純粋。

 楓は、リリを見つめて目をキラキラさせた。

「これが邪」

「純粋無垢ですわ!?」

 ……ちなみに、このビー玉は『リリの誕生日にユユから貰ったラムネのビー玉』であって、『ユユが飲んでいたラムネのビー玉』ではない。やはり、リリは楓とは違うのだった。

「私、これを見ているとあの日のこととか、お姉さまの優しさを思い出して、すごく嬉しくなるの」

 そう言って、リリは愛おしそうにビー玉を抱きしめた。それこそ、楓が嫉妬するくらいに嬉しそうで。楓には悪いが、フミは見ているだけで幸せな気持ちが湧き上がってくるのだった。

「そうだ、フミちゃん! お姉さまの誕生日っていつなの? 私、お姉さまにしっかりお返ししなくっちゃ!」

「え!?」

 その無垢な笑顔に、しかし、一転してフミは気まずそうに視線を逸らした。

「? どうしたの?」

「えーっと。その……リリさん……」

 リリは首を傾げ、フミはおろおろと左右を見回した。目に映るのは、ゴミ箱、備品の段ボール、そして壁に掛けられたカレンダー。今日は6月21日……。

 ちょっと言いづらかったが、フミは思い切って事実を告げることにした。

「その……ユユ様の誕生日は……12日、です」「え゛!?」

 そのセリフに、流石のリリも慌てた。

「も、もしかして今月の……?」

「いえ、4月の12日です」

 4月12日。入学式を終えて間もない頃。

 あの頃は、お姉さまと出会って、思わず飛び出しちゃったり、シュッツエンゲルの契りを結んでいただけたり、色々あったなぁ……。

 その過ぎ去りし日々を思い……。……その過ぎ去りし日々を……。……過ぎ去りし……。

 ……………………。

「な、な、な! 何で教えてくれなかったの!!?」

 リリは、爆発した。

 4月12日、入学式を終えて間もない頃。それがユユの誕生日だった。

 ちなみに、今年は皆バタバタしており、お祝いは精々、同室の(まつり)からささやかにされる程度だった。当然、そうと知らないリリからは祝いの一言すらない。

 リリは、ポカスカとフミを叩いた。

「フミちゃんの薄情者! あんぽんたん! アルミニウム!」

(……アルミ? 『軽薄』ってことです……?)

「いたた……。いえ、だってリリさん、その頃はユユ様にしごかれてた時期じゃないですか……」

 4月の頭と言えば、入学、シュッツエンゲルの契り、そして1週間に及ぶユユの訓練が一続きに行われた頃だ。特に後半はやや殺伐としており、その中で「今日は誕生日ですね」などと言い出せる空気ではなかったし、何より、当時のユユはそんなことを言って良い雰囲気ではなかった。

「それでもだよ!! だって今年の誕生日は一生に一度なんだよ!?」

 よく分からない勢いに押され、フミは一歩下がった。何か反論したいのだが、事実には違いなく、思いのほか言うことが思い付かなかった。

「それでしたら、代わりの記念日を作ればよろしいのではありません? ほら、4月8日は私たちが出会ったリリさん記念日ではありませんか!」と横から楓。

「……しれっと既成事実を積み上げていません?」

 『助け舟を出したのですから感謝なさいな!』と楓は叫んでいるが、フミは邪さしか感じなかった。

 まぁ、とはいえお祝いを記念日で代替する(例えば『レギオン結成記念』)のは悪くない案であって、リリも感銘を受けた様子ではあった。

「それでは7月の」「来週の金曜日などは如何でしょう? 準備期間もありますし、丁度、ユユ様の誕生日も金曜日でしたわ」

 リリは、満面の笑みで頷いた。

「凄く良いと思います! 私、張り切って準備しちゃいます……!」

「善は急げですわ! 早速、各種セッティングを詰めてまいりましょう」

 楓はいそいそと準備を始め、リリは瞳の奥に炎を宿らせた。

 

 

「……楓さん、日程は7月12日にしたらいいんじゃないですか? 月誕生日……じゃないですけど、キリが良いですし」

 小声でフミは(ささや)いた。

 楓がフミを遮ってまで日程を早めた(?)のは何故だろうか。妙に確信的で、その強引さには意図があるように思えた。

 楓は眉をひそめて小声で返した。

「……7月12日にしてしまうと、8月も9月も、12日にパーティを開くことになるではありませんか」

「あー……」

 フミは、拳を握りしめるリリを見た。

 ……リリさんならやりかねないですねぇ……。

 別に祝って悪いものではないが、祝い事とは、特別だからこそ祝うのである。

 年に12回も祝われては、きっとお姉さまもたまったものではなかった。

 

-2-

 

「えー、ご来場の皆さま、本日は足元の悪い中、お越しいただき誠にありがとうございます」

 リリはぺこりと頭を下げた。今日は件の誕生会……ではない。その準備、会議の第一回だった。

「堅苦しいのぅ……」とミリアム。

「というか、雨も降っていないぞ」とタヅサ。

 そもそも、今日は『初遠征をいつにするかの会議』と聞いており、いつの間にか議題が乗っ取られていた。もちろん反対などしないが……何故、今更ユユ様の誕生日会を?

 ダレダレの一同に、楓は竹刀を地面に叩きつけた。

「皆さん! 会議中の私語は厳禁ですわ!」

「……どうしておまえがやる気なんだ……?」

 タヅサは静かにぼやいた。楓はホワイトボード前に陣取って伊達眼鏡までかけており、妙にやる気満々だった。

「どうせいつものあれじゃろ。誕生会を成功させ、リリの感謝を得、あわよくば身体を許してもらおうという魂胆じゃ」

「そ、そ、そ、そんなことございませんわ?」

 楓は思いっ切り視線を泳がせた。

 ……こいつは本当に分かりやすい奴だな……。

 緊張感のない司令塔に、タヅサはため息を吐いた。

「私も協力はするがな。一柳隊の最初の会議がこれでいいのか?」

「まぁ、シェンリンさんなんて興味がなさ過ぎて紅茶利き始めてますし」とフミ。

 見れば、部屋の隅で「これがアッサム。こちらがダージリンですわ」「へぇ……! 全然違うんだ……」などと言いあっている。

「ちょっと!? アナタも司令塔ですわ!」

 ……改めて、緊張感のない司令塔たちに、タヅサはため息を吐いた。

 一方、そんな自由な一同を見てリリはもう一度頭を下げた。

「皆さん。わがまま言ってごめんなさい……。でも、どうしてもお祝いしたくって」

 その姿に、タヅサは苦い顔で、シェンリンはやれやれといった様子で会議の席に着いた。リリにそう言われると、誰も反対できないのだった。

 ……まぁ、一般論として、本格的な活動や訓練を始める前に、軽い共同作業を行うのは悪いことではない。楓も、全く考えなしに誕生日会に賛成したわけではないだろう、とタヅサは思った。……恐らく、きっと、願わくば。

「そういえば、マイ様はどうしたんだ?」

 タヅサは今更のように尋ねた。

「なんじゃ、お主と一緒ではないのか?」

「……別に私はマイ様のバディじゃないぞ」

 と言いつつ、最近までタヅサの定位置はマイの横だ。今日は珍しく、タヅサの隣は空いていた。

「それでしたら、マイ様にはユユ様の足止めをお願いしましたわ」と楓。

「いつの間に……」(フミ)

「用意周到じゃのぅ」(ミリアム)

「おまえ、先輩を小間使いにするなよ……」(タヅサ)

 ……こいつは先輩に遠慮する奥ゆかしさは持ち合わせていないのだろうか。

 タヅサはそう思ったが、意外にもシェンリンは楓に賛同した。

「このメンバーでは最善の選択です。私も楓さんの決定を支持しますわ」

 確かに、会議と聞いてやってくるユユを足止めできるとしたら、同級生で関係の長いマイ以外にはいない。

 真面目な話、戦場では『先輩だから』や『言い出しづらいから』で作戦が無に帰すようなことは許されない。楓の選択は、間違いなく司令塔として一流のものだった。

 ……尤も、それを日常で発揮すべきかどうかは些か疑問であるのだが。

「何でもいいが、後で謝っておけよ」とタヅサ。

「埋め合わせはお任せしますわ」と楓。「いや、何で私なんだ?」

「まぁ、一番の仲良しさんですし」とフミ。「別にそういう訳じゃないんだが……」

「タヅサさんとマイ様、お似合いだと思いますよ!」とリリ。「いや、だからそういう訳じゃ……!」

「(……え? うん!)……うちのタヅサはやらんぞ!」(ユージア)「おまえは何言わされてんだ……?」

「はいはい。雑談はここまでにしましょう」(シェンリン)「おまえに仕切られるのは納得できないぞ……」

「ま、待て! まだわしのボケが!」(ミリアム)「おい! そういう集まりじゃないからな……!」

「皆さんストップですわ! あと一週間しか時間がないのですから」と楓。

 気付けば、楓とシェンリンで何やら打ち合わせを始めていた。数秒前と打って変わって、両者共に仕事モードである。

「……というか、シェンリンも乗り気なのか?」

 不思議なことに、先程までやる気の欠片も感じなかったシェンリンが、手元のメモにペンを走らせている。

「やらないならやらない、やるならやるで全力で事に当たるべきですから」

「へぇ! 流石、シェンリンさんの人生哲学はクールですね……!」とフミ。

 クールと言うより自分勝手に映るのは気のせいだろうか……。

「さぁさぁ。いつまでもくっちゃべっていないで本題に入りますわ。ボードに書いた通り、準備期間は今日から一週間。時間は放課後の訓練後として、出席者は私たちのみで、会場はこちら控室。食事・飲み物等の手配はシェンリンさん中心、レクリエーションはミリアムさん中心、飾りつけは皆さんで分担、そして……」

 そのテキパキとした進行は流石に堂に入っていた。

「レクリエーション……ビンゴ大会とかかの?」「私も手伝います!」(リリ)

「私は何をしたらいいんだ?」「タヅサさんはシェンリンさんのサポートをお願いします」(楓)

「私もシェンリンを手伝えばいい?」「いえ。ユージアさんは装飾と、人手が足りない時のサポートをお願いします」(シェンリン)

「私はどうしましょう?」(フミ)「フミさんは雑用で」(楓)「雑用!? 『サポート』って言ってくださいよ!」

 などなど。準備はつつがなく進んでいるように思われた。

 

 事が起きたのは、それから約16時間後のことだった。

 

-3-

 

 少女が眉を下げ、一人、席に()していた。その顔には布で目隠しがされ、もじもじと足をすり合わせている。

『楓さん? これじゃあ何も見えませんね』

「リ、リリさん……?」

『楓さんのこと、教えてくれますか?』

「も、もちろんですが……えっと、アナタはリリさん、ですか?」

 楓は顔を右に左に動かした。四方から聞こえるリリの声に、楓は混乱していた。

『ふふっ』

 不意に耳元で響いた声に、楓はドキッとした。いつもの無邪気な笑いではなく、どこか艶のある熱っぽい笑い声。

 このままどうにかされそうな、どうにかなってしまいそうな……。

「ああっ……」

 楓は悩ましい声を上げた。

 

 それを見て。

「オイ、オマエらは何してんだ……?」

 マイは何とも言えない声を上げた。

 休日の朝。まぁリリィに休日も何もないのだが、当番でもないのに朝から控室に呼び出された上、一体何を見せられているのだろうか……。

 発端。

 それは、会議の席で発せられたリリの叫びだ。

「お姉さまへのプレゼントが思い付かないんです!!」

 そこまでは、食事や菓子類の発注の報告、ラムネの確保の確認(売り切れ対策にまとめ買いの上、楓の自室の冷蔵庫で保管)、パーティ用品の買い出しリスト作成、前日・当日の簡単なスケジュールを確認……と、それなりに進んでいた。

 しかし、プレゼントに関してはリリに一任するしかない。そして当然と言うべきか、リリはお姉さまへのプレゼントに頭を悩ませていた。

「別に何でもいいと思うぞ」「シルトから贈られたものならば云々」「何でも喜ぶ草々」

「皆さん、雑すぎですよ!」とフミ。

「何でもは良くないです! お姉さまに相応しいものを! プレゼントしないといけないんです!!」

 リリも両手を大きく振りかぶって抗議した。

「それなら、実際にシミュレーションしてみればよかろう」

 結局、このミリアムの一言が契機だった。

「お姉さま……このラムネ……受け取ってください!」(リリ)

「違うじゃろ。『お、お姉さまぁ……』って感じで」(ミリアム)

「いえいえ、『ラムネです! お姉さまぁ!』って感じでも……」(フミ)

「アナタたち……」

 楓は心底残念そうにため息を吐いた。そして目を大きく見開いて一言。

「全然、リリさんがなっていませんわ! 私が指導して差し上げます!」

 ……まぁ、こんなグダグダした流れで、楓が目隠しで本物のリリを当てる『リリ利き』が始まったのだった。

『私、一柳梨璃って言います。一つの『柳』の『木』に、果物の『梨』と、瑠璃色の『璃』と書いて一柳梨璃っ』(シェンリン)

「コイツ、えげつねぇな……」とマイ。

「妙な特技じゃのぅ」とミリアム。

 目を瞑ったら本物に……どころか、目を開いていても本物にしか聞こえなかった。

「え? 似てますけど、ちょっと違いますよ?」とリリ。

『え? 似てますけど、ちょっと違いますよ?』とシェンリン。

「シェンリンさん、真似しないでください!」

『シェンリンさん、真似しないでください!』

「もう! 全然似てないですぅ!」

『もう! 全然似てないですぅ!』

 いや、見分けがつかない程そっくりだった。

『フミちゃん! 全然似てないよ!』

「あっ! それ私のセリフです!」

「……ごめんなさい、非常に混乱するので止めていただいても構いませんか……?」

 リリとリリが会話しているというシチュエーションに、フミの脳は限界を迎えつつあった。

「リリさん、骨導音(こつどうおん)と申しまして、自分の聞いている声と実際に周りに聞こえる声にはギャップがあるのですわ」と楓。

 どうでもいいが、目隠しされながらのこの理解力・解説力に、フミは真面目に感心した。

「え? ということは……シェンリンさんって、どうやって真似してるんですか?」

『コツがあるんだよ、リリちゃん?』

「リ、リリちゃん!?」

 楓は、立ち上がりながら叫んだ。

「リリさん×リリさん……こ、これは禁断の果実の香りがいたしますわ!」

「あ! 楓さんが暴走してます!」「水かけとけ水」「駆けつけフェイズトランセンデンスしとくかの?」『隊長として許可します』「ああ! 隊長は私です!」「斜め45度の角度で……えい!」「ちょっとユージアさん! 結構な音がしましたけど……!」

 云々かんぬん草々。

「お前らは本当にバカだな……」

 とりあえず、聞いていて非常に不安になるやり取りだった。

 ……実のところ、この雰囲気はどこか初代アールヴヘイム(の悪いところ)を彷彿とさせるものがあった。それ故にツッコみづらく、マイとしては色んな意味で複雑だった。

『リリ……だよ』「思いっ切りユージアさんですよ……」(フミ)「楓、これは誰の手じゃ?」(ミリアム)「うーん……この滑らかで可愛らしくてクールで一匹狼な手は……」(楓)「おい! 私だ! ……というか分かってるだろ……!」(タヅサ)『私はリリ。ねぇねぇ、アナタは誰なの?』(シェンリン)「あああ……私は、私は……」(リリ)「リリさんが闇墜ちしてます!?」(フミ)

 非常にバカである。

――……いや、マイも嫌いじゃなかったんだ。こうやって、バカやって過ごす時間が――

 同じアホなら踊らにゃ損損。

 マイは加速して、一気に輪の中に飛び込む。

『オイ、私はリリだぞ』「絶対マイ様です!?」(フミ)『私も、リリ……』「いやユージアさんですって」(フミ)「私ってリリ……?」「リリさんはリリさんですよ……」『わしもリリじゃ』「隠す気ないですね!?」『(わたくし)もリリさんですわ』『では、(わたくし)も』『それじゃ、私も』「タヅサさんもその道に堕ちましたね……!」

 

「お姉さま……どこ……? 暗い……寒い……」

 

 リリは両手で自分自身を抱きしめた。

「いや、本格的にダークサイドに堕ちてますから!? 皆さんストップ! ストップです!!」

 完全にマイは悪ノリを始め、ツッコミのフミの負担だけが増えるのであった。



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第6.2話 Happy birthday to you! You! その2

-4-

 

 準備は順調。クラッカーにパーティ帽子も用意し、折り紙で作る輪飾りも予定以上の進捗。リリのプレゼントは決まっていないようだが、あちこちで相談している様子を目にする。

 訓練での連携も一際良くなった。特にタヅサ・マイにあった僅かな遠慮のようなものが消え、誕生日作戦は既に半ば成功していると言って良い位だ。

 オールグリーン。絶好調。

 そんな訳で、フミは首筋にチャームを突きつけられていた。

「いえ、あの、ユユ様?」

「フミさん。貴方(がた)が隠し事をしているのは分かっています。私が寛容な内に、洗いざらいお話しいただくのが賢明かと思いますが」

 ……何で私が標的なんですかね……とフミ。

 まぁ、皆が準備している中、新聞の取材で一人抜け出したのが原因ではある。他の皆が姿を見せないので、必然的にフミがチャームを突きつけられることに……。

 いや、普通は突きつけられるものではないが。

 フミは、妙にユユからの信頼が低いのだった。(※自業自得とも言う)

「……」

 とはいえ、サプライズパーティのことを話す訳にいかない。

 とりあえず、フミは首を傾げてみた。

「えっと? ちょっと何のことか」「とぼけても無駄です。リリが私に顔を見せないということは何か異変が起こったということです」

 あー、流石の観察眼ですねぇ……。

 フミは笑って誤魔化そうとしたが、ユユはぴくりとも笑わなかった。

「貴方たちはいつもそうです。私に何も知らせず、勝手に決めて、勝手に終えて……」

 いつぞやの説教の繰り返しだった。

(これはマズイですね……)

 この剣幕ではリリの居場所を聞き出されかねず、仮に聞き出されなくても、今日明日にもリリが問い詰められるのは目に見えている。

「あの! ユユ様、実は……」

 フミは咄嗟に声を上げた。ただ、この次に何を言うかは考えていなかった。

「……何でしょう。仔細、お話しいただけるのですか?」

 ユユの鋭い眼光に、一瞬怯みかける。しかし、フミは今まで乗り越えてきた死地を思い出す。……銃口を向けられる、鳩尾を蹴られる、チャームでボコボコにされる……。

 ……主に仲間からの『指導』が脳をよぎるが……ともかく! ここで怯んでいるようでは、戦場では生き残れない……!

「実は……私も知らないんです……」

 フミは、出まかせを言った。ついでに落ち込んだ風に肩を落としたりしてみる。

「……本当ですか?」

「はい。実は私もハブられた口でして……ほら、今も私一人じゃないですか」

 ユユは訝し気にフミを見ていたが……その目で続きを促した。一応、話に筋は通っている。

「私やユユ様に内緒と言うことは、恐らく、リリさんが何かしら特訓をしていると思うのですが……私も正直、ちょっと不安になります。実は私、先日リリさんと手合わせして、負けてしまったんです……」

 言っている内に、本当に落ち込んできてしまう。

「先日の出撃でも、私は都度状況報告しただけで、殆ど突っ立ている状態でした。実戦経験がないのであれが最善だとは思いましたが……それでも、あのままではいけないと思っています」

 そして、フミは決意を込めた目でユユを見つめた。

(……あれ? これ何の話でしたっけ……?)

 一瞬正気に戻りかけるも、勢いそのまま頭を下げる。

「ユユ様、お願いします! 私に稽古をつけてください。リリさんが特訓されるように、私もリリさんに負けたくないんです!」

 そのまま頭を下げた状態で、1秒、2秒……。その間、ユユも驚いたように動きを止めていた

 それは思いがけず、真っ直ぐな言葉だった。フミ自身、少し驚くくらいに真に迫っていた。

 ……実はこのセリフ、半分は話を逸らす為だが、半分は本音だ。いや、どこまでが建前でどこまでが本音か、自分でもよく分からなかった。

 ユユはチャームを下ろし、僅かに表情を変えた。

「……ようやく、私を頼ってくれましたね。もちろん、私は貴方の力になりますよ」

 ユユは、どこか嬉しそうに手を差し出した。慌てて、フミはその手をがっしりと掴む。

 嘘に真実を混ぜる。自分自身をも騙す。

 地味に、フミは嘘を吐くときのポイントを押さえていた。

 ……我ながら悪いリリィですねぇ……。そう思ってしまうのは、ユユの優し気な笑顔がフミの良心をちくちく刺しているからかもしれない。

「ただし、私の指導は少々『本格的』かもしれません。もちろん、それは覚悟の上でしょうね?」

 ググっと、握った右手を万力のように絞められ……フミは、笑顔を引きつらせた。

 ……我ながら早まったかもしれませんねぇ……。そう思ってしまうのは、ユユの殺人的な笑顔が頭に警報をがんがん鳴らしているからかもしれない。

 

-

 

「それでは、早速参りましょう」

「え? 今からですか?」

「当然ではありませんか。善は急げですよ」

 そう言うと、ユユはずんずんと歩きだした。もちろん、その手を繋いだまま。

「わ、わわっ!」

 身体ごとぐいっと引っ張られる。この細腕のどこに、こんな力が隠されているのだろうか。

「じ、自分で歩けますよぉ~」

「いえ。これはただの癖です」

「絶対逃がさないという強い意志を感じるのですが!」

 しかし、抗議の声は完全に無視され、半ば引きずられるようにして歩く。

 ユユ様とお手を繋いで外を歩く。言葉にすればリリが嫉妬しそうなシチュエーションであるし、リリィオタクとしてこれ以上ない状況でもある。

 ただ、実態としては無理やり散歩させられる犬か、お仕置き部屋に連れていかれる子どもに近かった。

――まぁ、それでもユユ様のご活躍を考えると光栄なのですけど――

「フミさん」「は、はい!」

 ユユは唐突に口を開き、その内容も唐突だった。

「貴方は自分の欠点はどこにあると考えていますか?」

 え? と立ち止まろうとしたが、ユユは一切足を緩めないのでつんのめってしまった。

 慌てて体勢を戻しつつ、質問に答える。

「えっと、見通しの甘さ、理屈と現実のズレ、行動への迷い、打点の低さ……最後を除くと、総じて経験不足、でしょうか」

「そうですね。概ね貴方が考えている通りです。ただし、チームで考えると、一つ一つのデメリットは必ずしも大きくありません。それは分かりますか?」

「まぁ、理屈としては……はい」

 答えながら、フミはユユが何を言わんとしているのか測りかねていた。

 確かに、一般論として、レギオンは個々の能力の和より大きなパフォーマンスを発揮する。経験不足は司令塔の指示でカバーでき、打点の低さもチームでカバーすれば致命的なものではない。しかし……。

「でも、それに甘んじていてはいけないと思うのですが……」

「もちろんです。とはいえ、経験不足は一朝一夕では克服できません。それよりも、早急に克服すべきものが一つあります」

 ユユは立ち止り、じっとフミの目を見た。思わず見つめ返すも、ユユはリアクションを返さなかった。自分で考えろ、そう言われている気がした。

 ……何でしょう、防御技術、攻撃技術は一通り学びましたし、回避は(しばら)くお預けですし、ノインヴェルトや連携は私個人と言うよりチームの課題ですし……。

 ユユが待ってくれているのは分かるが、答えに皆目見当が付かなかった。

「チームで考えると、貴方に求められているのに、十分にその役割を果たせていないもの」

 フミは頭をフル回転させる。

「レギオンによっては、それだけで勧誘に値すると考えるもの」

「あ!」

 気付いて、フミはマギを『目』に集中させる。

 視界が別次元に広がる。まるで盤面を見下ろすように、周囲の状況が把握できる。

「そう。レアスキル、『鷹の目』です」

 どうして気付けなかったのだろうか。俯瞰視野は、レギオンに必須の状況把握能力だ。

 レジスタにも一定の俯瞰視野はあるが、指示を出しながら哨戒、進路考案、作戦立案などをこなしていては身がもたない。もちろん超一流リリィはこなせるように訓練しているが、普通は1~2名サポート役を置く。

 丁度、この間のフミが逐一報告をしたような役割がごく一般的な『鷹の目』の立ち回りであり、俯瞰視野に特化していることが『鷹の目』の強みであった。

「そして、それはフミさんの弱みでもあります」

 そう言うと、突然、ユユはフミの手を引いた。

「え? あ! わっ」

 視界がぶれ、俯瞰視野と混線する。集中が乱れ、レアスキルが解除される。

「貴方は鷹の目を使う時、動きが止まってしまいます。本来の視点と俯瞰視野で混乱するからでしょうが、それでは格好の的です」

 如何ですか? と流し目を送ってくるので、「うう……! 今のは急に動かされたからですよ~」と赤面して抗議した。

 ……実のところ、移動しながらのスキル使用は、通常であれば真っ先に訓練・矯正される『鷹の目』使いの初歩だ。ただ一般校で過ごしてきたフミは、その一歩目で思いっ切り(つまづ)いていた。

「大丈夫ですよ。レアスキルは当人に適ったものが覚醒します。フミさんならきっと、すぐにものにできるでしょう」

「はい……そうだと、わわっ! 急に引っ張らないでくださいって……!」

 またもずるずる手を引かれ、奥へ奥へと歩かされる。

「ご安心なさい。私が『優しく』『丁寧に』教えて差し上げましょう」

 そう言いながら、ぎゅっと握った手を万力のように絞められ……。やはり、”絶対逃がさない”という強い意志を感じるのだった。

 ……いえまぁ、別に今更逃げませんけどねぇ。

 この時のフミは、呑気にそんなことを考えていた。

 

-

 

 その後、歩くこと1分、2分……5分。

 何となく、おかしいと思っていた。

 いつも利用している遊歩道から外れたかと思うと、自然の多い場所に、そして気付けば森の深いところへと進んでいく。校舎に向かうにしては、些か……いや、かなり、非常に遠回りである。

「着きました」

「わわっ! いきなり離さないでください……!」

 ぐっと踏ん張って身体を戻しつつ、周囲を見回す。

 ……着きましたって、どこに着いたんですかね……?

 当然、演習場ではない。というか欝蒼と茂った森の中にしか見えない。

「あのぅ、ユユ様?」

 困惑するフミを置いて、ユユは数歩前に歩み出た。そして、チャームを森の奥に向け宣言する。

「鷹の目を使いながら、この森を駆け抜けなさい。それが今日の課題です」

 

(ひっ、ひぃぃ……!)

 フミは叫び声を押し殺しながら、森を駆け抜けていた。

――この森は昼間でも薄暗く、また障害物が多い為、リリィとはいえ易々とは抜けられません――

 随分と、『それらしい』課題だとは思った。

――しかし『鷹の目』があれば話は別でしょう。常に周囲を確認すれば、最適のルートを見つけることができます――

 自分にピッタリの訓練だと喜びもした。

――制限時間は設定しません。のんびり進もうが結構、フミさんの判断に委ねます――

 そして何より、ユユ様にしては『優しく』教えてくださるものだとホッとした。

 そんなフミに向け、ユユは最後にこう言った。

――ただし、今から10秒後、私は貴方を追いかけます。私が追い付き次第、戦闘訓練に移行しますので――

 そのおつもりで。最後の言葉と不穏な笑顔を確認するまでもなく、フミは弾かれたように飛び出していた。

(追いつかれたらヤバイ追いつかれたらヤバイ追いつかれたらヤバイ……)

 フミは、後ろからもの凄いプレッシャーが迫るのを感じていた。

 もちろん、ユユ様のことは尊敬している。また、リリィとしてのセンス、戦闘技術、戦術眼だけでなく、仲間への指導も決して下手ではないと知っている。

 しかし、(こと)、新人への指導に関しては話が変わる。ユユは、相手の力量に合わせて、器用に自分の力をセーブできる人間ではない。

 要は加減が下手なのだ。ストッパーが外れているとも言う。

 もし仮にルナティックトランサーでも発動された日には、(リリも他のメンバーもいない今、)冗談抜きでとんでもないことになりかねない。

――……と言いますか、この人は絶対発動します……! 『大丈夫です。ちょっと、試しにちょっと発動してみるだけですから』みたいな顔して絶対に暴走しますよ……!――

「フミさん」

「ひゃい!!? な、何も言ってませんが!?」

「射程圏内です」

 「え?」と答えるより早く、背筋を(のぼ)る悪寒に身体を捻った。直後、轟音と共に『何か』が背中の脇を抜けていった。

 鷹の目を後方に向ける。硝煙が、チャームの銃口から上がっている。確認するまでもなく、実弾を撃ったと確信する。

――……や、やっぱり加減知らずですよこの人!!――

 前だけでなく、後ろも見なくてはならない! 間に遮蔽物を挟まなければ、容赦なく撃ち抜かれる……!

 

 まぁ、そんな訳で、フミは地面にへたり込んでぜぇはぁと喘いでいた。

「お疲れ様です、フミさん。初日ですから、この程度にしておきましょう」

 普通に、情け容赦なかったのですが! とツッコみたかったが、そんな余裕は残されていなかった。

「フミさん。貴女に必要なのは経験です。常日頃から、鷹の目を使うよう心がけてください」

「ぜぇ……ふひゅ……」

「どうしました? 訓練は今日で止めにしましょうか?」

「い、いえ! はぁっはぁ、明日も……お願いします……!」

 フミは息を整えながら、絞り出すように、それでもはっきりと答えた。

 ……言葉にこそしないが、この頑張りにはユユも一目置いている。与えられた課題に食らいつく精神力、そして与えられたもの以上を吸収しようとする貪欲さ。

 リリもフミも、いつか必ず大成すると、ユユは確信していた。

 もちろん、そんなこと言葉にしないのだが。

「……ちょっと遅くなってしまいましたね。送っていきましょうか?」

「はぁ……いえ、もうちょっと、休んでいきますので……」

「そうですか。私はリリの様子でも『密偵』しておきましょう」

「はは、……よろしく、お願いします……」

 ……まぁ、リリが何をしているか、本当に知られたら困るのだが。

「何か?」

「いえ! ごきげんようです」

「……はい、ごきげんよう」

 ユユは、やや訝し気にしていたが、重ねて問わずに歩み去っていった。

 ……やはり、ユユ様は勘が鋭いですねぇ……。ユユ様が見えなくなって、ようやくフミは肩の力を抜いた。

 力を抜いて、地べたに(はしたないですけど)直接座る。そのまま何気なく見上げると、空は夕焼けで赤く染まっていた。

 それを見ながら、フミは、自分の頬が緩んでいることに気付いた。

 訓練の充実感、だけではない。レアスキルの訓練は、楽しいのだ。自分のレアスキルを伸ばすことは、他の能力の成長よりずっと胸が高鳴る。

 それはきっとレアスキルは、その人の性格そのものが反映されたものだからだろう。

 思えば、小さい頃からずっとリリィを観察することに命を燃やしていた。それ故の視野スキル、それ故の『鷹の目』なのだろうと思う。 

 そしてそれ故、今日のような無様をいつまでも晒してはいられないとも思う。

――フミさん。貴女に必要なのは経験です――

 ……やはり、もっと、もっと頑張らなくてはなりません。もっと頑張って、一人前のリリィになる為に。皆さんと、並んで歩み続ける為に……。

 この時期の太陽は高い。

 フミは、チャームを強く握った。先程まで限界だと思っていたのに、力を込めるとマギの光がコアから溢れてくる。

 まだ、私は頑張れます……! 頑張って、皆さんに負けないリリィになるんです!

 決意を新たに、フミは森の中へと一歩を踏み出した。

 

 ……のはいいんですけど。

 私、誕生会の準備はしなくて良いんですかね……?

 そもそもの目的から逸脱してるような気がするフミであった。

 

-5-

 

「うわああん! シェンリンさん! 全然、プレゼントが決まりません~~!」

 リリは、シェンリンの部屋でうつ伏せになって意気消沈していた。

「こちらからウバ、ディンブラ、キャンディ、ギャル、ルフナです」「わっ。同じディンブラでも、種類があるんだ……!」

「シェンリンさん、話を聞いてください~!!」

 初回会議の際、ユージアは紅茶に嵌ったようで、度々飲み比べをしているようだった。

「飲むだけでなく、紅茶をお()れになるのも練習されていますよ」

「それは素敵だと思いますけど……」

「はい。これ……リリの分」

 あ、うん、ありがとう……、とリリ。

 どうもはぐらかされた気がするが……なるほど確かに、差し出された紅茶は上品な香りを漂わせていた。唇に触れただけで、仄かな甘みと、さわやかな風味が身体を通り抜けていくような錯覚を覚える。

「ちゃんと、淹れられてるかな……?」

「はい! これ、すごく美味しいです!」

 思わず、満面の笑みで微笑んだ。リリは紅茶に詳しくないが、これは素晴らしい一杯に間違いなかった。

「よろしければ、リリさんもご一緒に学ばれますか?」

 リリは迷った。ただ、返事を聞く前に、シェンリンは奥からティーセットを取り出し始めていた。

「う~ん……。でも、私にできるかな?」

「できるよ!」

 突然、ユージアが大声を上げた。

「えっと、ユージアさん……?」

「リリならできる。私はね、全然ダメダメで……迷惑をかけてばっかりだったの」

「そんな、ユージアさんは……!」

 ユージアは首を振った。

「ううん。……でもね、シェンリンのおかげで、私も段々とできるようになってきたの。こんな私でも……できるようになるんだ、頑張れるんだって思えたの」

 そう言うと、ユージアは、真っ直ぐな瞳でリリを見据えた。

 そこに居るのは、出会った当初のおどおどとしたリリィではなかった。シェンリンと出会い、立ち向かう力を取り戻した、本来のユージアだ。

「リリは、私の背を押してくれたから……。今度は、私がリリの背中を押すって決めてたの」

「ユージアさん……!」

 リリは、感極まってユージアの両手を取った。

「ユージアさん……! 私、頑張ります! きっと、世界一の紅茶職人になります!」

「うん! リリならできる……。私とリリなら、きっと上手に紅茶を淹れられる……!」

 2人は、正面から見つめ合いながら共に高め合うことを誓った。それはまるで穢れない天使の戯れのようで、これ以上なく素晴らしいものを受け渡す儀式のようで……。

 感動的ですわね、とシェンリンは目頭を擦り、それから朗らかに笑った。

 それは2人の様子が微笑ましかったからかもしれないし、リリの話が流れたことにご満悦だったのかもしれない。

 

 

「うわああん! ミリアムさん! 全然、プレゼントが決まりません~~!」

 リリは、ミリアムのラボでジタバタと暴れていた。

「これがスタートボタン、これはプレビューボタン、そっちは設定ボタンじゃ」「へぇ。意外とシンプルなんだな」

「ミリアムさん、タヅサさん! 話を聞いてください~!!」

 リリは駄々をこねるように、簡易ベットの上で二度三度跳ねた。

「リリよ。そのベッドは即席じゃからあんまり暴れると……」「わわっ!」

 ドガドガッという音と共に、リリは地面に落ちた。「い、痛いです……」

「全く、何やってるんだ……」

「だってだってぇ……!」

 リリは、なおも不満そうに手足を振り回していた。相当、溜まっているものがあるらしい。

「ふむ。リリがここまで駄々をこねるのも珍しいのう」

「やっぱり、楓とフミがいないからか?」

「フミちゃんの話はしないでくださいぃ~!」

 リリは、威嚇するように「ぐるる!」と唸った。……何と言うか、今日は一段と感情豊かだな……。

 なお、楓は各種調整で出払っている。居たら居たで面倒なのだが、居ないと、こういうところで問題が起きるのだなと妙に感心する。

「おーい、タヅサ! そっちはもうできている筈じゃ。一通り確認してくれんかの?」

「ん。わかった」

 タヅサはリリを起こそうとしたが、ぷいと顔を逸らされたので、仕方なく作業に戻る。

 リリはその様子を座り込んだまま眺めていたが、ふと思い直して立ち上がった。

「タヅサさん。ミリアムさんは何をしているんですか?」

「ん」

 促されるまま手元を覗き込むと、手乗りサイズにデフォルメされた人形が目に映った。

「お人形で……あ! わあ! これ、お姉さまの人形ですか?」

 その凛々しく美しいお姿は、カッコ良くて綺麗で素敵で優しくて凄くて世界で一番のお姉さまに違いなかった。

「……褒めすぎじゃないか?」

「え?! 声に出してました……!?」

 ……とまぁ、リリが声を上げる程には良くできた人形だった。

「なかなか良くできとるじゃろ? 以前、もゆ様が企画した『リリィ総SD化計画』からデータを流用したのじゃ!」

「……もゆ様と聞くと、急に胡散臭くなるのは何だろうな」

「おい。そんなこと言っとると、もゆ様にSD化されるぞ」

 どんな脅し文句だよ……と思わないでもないが、部屋に盗聴器くらい仕込んでそう(※失礼)なので大人しく口を閉じた。

「でも、みんなの分も欲しくなっちゃいますね?」とリリ。

「わしもそう思ったのじゃが、データを1から作るのは大変での……。もゆ様が持っていたのは、ユユ様、マイ様、ソラハ様、依奈(エナ)様、(アカネ)様……まぁ、『例の顔ぶれ』だけじゃな」

 そう言ってから、ミリアムはふと不安になった。……まさか、リリが知らぬということは……?

 幸い、リリはニッコリ笑顔で頷いた。

「知ってます! 初代アールヴヘイムですよね!」

 クラスにファンの子がいるんですよ~! とリリ。

「いや、ファン云々というか……まぁ、知ってるならいいが」

 リリィとかリリィオタクとか関係なしに、世界的に名の知れたレギオンである。現アールヴヘイムと比べるとややマニアックな感はあるが、当然、日本で百合ヶ丘なら常識レベルの存在だ。

 なお、他のSDデータは谷口(ヒジリ)様、新家和香(のどか)様(水夕会)、竹腰千華(チハナ)様、青木夏帆(かほ)様(ローエングリン)、長谷部冬佳(トウカ)様(サングリーズル)。いずれにしても、これらを有効活用する方法がミリアムには思い浮かばなかった。

「『御台場迎撃戦の再現劇』ができたら面白そうなのじゃが……」

「あ! それフミちゃんに聞いたことあります!」

 聞き覚えのある単語に、リリは嬉しそうにニコニコ笑った。

 ……まぁ、これも一般常識……というより、御台場迎撃戦は世界でも屈指の激戦であり、かつ一般人を含め死者が出なかったというリリィ史に刻まれるレベルの偉業でもあるのだが。

「でも、『できたら面白そう』ってことは、何か問題があるんですか?」

「いや、参加リリィ、軽く40~50人は居るからな……」

 リリは、目を丸くした。

「え゛!? そんなに大きな戦いだったんですか!?」

 ……本当に世間知らずだなこいつは……。

 日本に住んでいて、どうやったら御台場戦を知らずに過ごせるのだろうか。ここまで来ると、一周回って、稀有で貴重な存在に思えてくる。

 変な奴(楓とか)に騙されないよう、しっかり守ってやろう。……などと、妙な決意を固めるタヅサであった。

「さて、わしらはもう少し内容を詰めるとするかの」

「まぁ、リリの頼みだからな……。私もできることはやってやる」

 そう言って、2人は紙の束を取り出したり、タブレットを出したり、いそいそと相談を始めた。

 リリはそれを後ろから眺めながら……いや、眺めているのは2人の様子ではなく……。

「リリよ、慌ただしくて済まぬが……。……リリよ、そんなにこの人形が欲しいかのぅ……?」

「え? あ! いえ、そうじゃなくって……!」

 しどろもどろに言い訳しているが、物欲しそうな目線は、真っ直ぐ人形に注がれていた。

「よければ一つ、お主にやろうか?」

「いえ、見てるだけ! 見てるだけですから!」

「データさえあればいくらでも作れるみたいだぞ。材料費も、まぁ、ラムネ数十個程度だ」

 へぇ、お小遣い1~2ヶ月分ですね、とリリ。

 別にいいのだが、とことん庶民派であった。

「ってそうじゃなくて……。あの、これって、人形以外も作れちゃうんですか?」

 リリはやや声のトーンを上げ、ミリアムとタヅサは顔を見合わせた。

「データがあれば……ってところじゃな。試作用にチャームのデータなら一通り入っとるし、戦術用にこの辺りの地形データも……」

「それじゃあ、もしかして……!」

 ……こうして、各自が自分の為すべきことを見つけて。日々は過ぎていく。

 一日、一日と誕生日会が近付いてくる。

 

-6-

 

「フミちゃん!」

「ふ、ふぁい、リリひゃん……」

「お姉さまは私のですぅ!」

 リリは、思いっ切り頬を膨らませて、思いっ切りフミの頬を抓っていた。

 ただ、チャームを握っていないので全然痛くはなかった。むしろそのいじらしさは微笑ましくもあり、フミの怪しい部分が刺激されそうだった。

 ……なるほど、楓さんがリリさんに拘る理由が分かりかけて……。

 いや、これは分かっちゃいけない奴ですね……。

 なお、言うまでもなく、昨日の訓練は素敵な逢引きではない。フミは生傷を付けて帰ってきたし、その日の内にリリにも一同にも報告している。

 しかし手を繋いで云々の部分は省略しており、それがリリにとってお怒りポイントだったらしい。

「私だってそんなに繋いだことないのに~フミちゃんのバカバカ~」

 リリはぐいぐいっと、フミの頬を引っ張った。怒り心頭というより、拗ねている感じで力はそんなに入っていない。

「なるほど。リリさんを射るには、まずユユ様を……」(楓)

「まず、私を助けていふぁふぁけませんかね……?」(フミ)

 そもそも、リリを射るよりユユ様をどうにかする方がずっと難しいのでは? という根本的な疑問が浮かばなくもなかった。

 

-

 

「はっ。はっ」

 吐息とも掛け声ともつかないものを吐き出しながら、フミは森を駆ける。追跡者がその(うしろ)に迫っているからだ。

 間に障害物を常に挟むように立ち回るも、徐々にその差は詰まっていく。そしてユユがその後姿を捉えた瞬間、()()は発砲した。

(! ……なるほど)

 危なげなく弾くものの、ユユの足がわずかに止まる。その隙に、フミは加速した。2人の距離は、再び大きく開いていく。

 狙いすましたような射撃。いや、まさしく『狙いすまして』いた。

 咄嗟に機転を利かせたものではない。フミの動きは、明らかに意図的なものだった。差が縮まったように見えたのも、あえて速度を調整したもの。この位置でユユを迎撃する為に計算された動き、ユユの動きを計算した動き。

 その『予習』ぶりにユユは苦笑いをした。それと同時、マギを集中させる。このまま普通に追いかけていてはまず追いつけない。それならば、少し”普通ではない”手を使うべきだ。

(ルナティックトランサー……!)

 ユユのレアスキル。半暴走状態に陥る代わり、身体能力を限界以上に引き上げる力。

――いえ、ほんの少しで十分。追跡任務中に暴走するなど、愚にも付きません――

 そう思いつつも、浮かんでいた苦笑いは、そのまま好戦的な笑いへと変貌していた。

 当然ながら、その異様なプレッシャーはフミにも伝わっている。いや、『見えている』。

(前へ、前へ……!)

 ここからは障害物など考えていてはいけない。今のユユは、目の前に何が立ち塞がろうとも一直線に向かってくる。だからこそ、フミも一直線に駆ける。

 僅かでもベクトルを逸らしたら、一瞬で喉元を食いちぎられる……!

 脇目も振らず前に進む。細身の身体を活かし、隙間を縫うように突き進む。身体を曲げ、縮み、飛び越え、最短距離を駆け抜ける。

 その後ろから、破壊音を響かせながらユユが迫る。

 木と木の間の僅かな隙間を、フミは、身体を折りたたむようにしてすり抜けた。

 ユユは回避の素振りすら見せない。

 太い幹が、岩石と見紛う程に硬化したその表面が、ユユに触れた瞬間、麩菓子のように崩れ去った。

 フミが身体を限界まで酷使して乗り越えた障害を、一つ一つ破壊しながら迫りくる。その様は、理不尽ですらあった。

 否応なく、両者の距離は詰まっていく。上空から見たならば、正確に、1秒ごとに数十cmずつ距離が縮まっていく様子が、ありありと見えたかもしれない。

――……捉えた!――

 ついに、フミを射程圏内に収めた。打つ手がなければ、ここでチェックメイト。

 その瞬間、フミはチャームを上に向け、数度発砲した。

 何故、上に?

 ユユは違和感を覚えた。ただ、身体は止まらない。止まる必要もない。幹が撃ち抜かれ、大振りの枝がユユに降りかかる。フミは飛び上がる。わずかな間、フミとユユの間に壁ができる。

 しかし、ただそれだけ。障害にすらならない。ユユがチャームを振りかぶると、真っ二つに切り裂かれた枝の隙間からフミの姿が見える。

 その筈だった。

――居ない!?――

 切り裂いた枝越しに。ユユの視界から、フミが消えた。

 咄嗟に身を屈め防御態勢を取る。周囲を探り追撃に備える。

 ……冷静に考えれば、フミ相手にその反応は過剰だ。ただ、トランス中はより直感的に身体が動く。相手を完全に見失った際は防御態勢に移行すること。それは戦場での基本であり、ユユが長年かけて積み上げたルナティックトランサーの癖でもあった。

 近距離、中距離と感覚を研ぎ澄ませるも、フミの気配は感じられない。

 そして、ユユはピタリと動きを止めた。

――……。これはしてやられましたね――

 ルナティックトランサーを解除する。遠方に感覚を向けると、想定よりはるか遠くにフミのマギを感じた。

 ……恐らく、2度目の接敵もフミの想定通りに動かされた。フミは全速力で進んでいるように見せて、余力を残していた。そして真っ直ぐに進むことで、ユユの意識を正面に固定した。

 視界が途切れた瞬間、フミは真横に飛んだのだ。それも全速力で。

 これ以上なく単純な手だが、トランス状態のユユにはこれ以上なく綺麗に嵌った。

 事前に考えていたのか、思い付きで実行したのか。どちらにしても、フミがこの作戦をうまくやり切ったのは間違いない。

 ため息を吐いてから、ユユは苦笑いを浮かべた。

――新米の彼女にやられるとは……――

 しかし、ユユは思い直した。入学から数か月、フミは並々ならぬ努力を繰り返してここに立っている。戦術理解は元々高かった。それが実戦と訓練の中で開花した結果が、今の『戦略的な』振る舞いだ。

 新米であっても、もはや見習いではない。……フミさんも、リリも、もう立派なリリィなのですね……。

 浮かんでいた苦笑いは、いつの間にか優しい微笑へと変わっていた。

 

(絶対追ってきます絶対追ってきます絶対追ってきます……)

 一方、そうとは知らぬフミは心臓が飛び出る勢いで、全速力で森の外へと駆け抜けていくのであった。

 

-

 

 フミは、木の幹にもたれ掛かり、荒い息を整えていた。

 しかし唐突に顔を上げると、不満げな声を上げた。

「おっ、追ってないなら言ってくださいよ……」

「フミさん。ヒュージは『追跡を止めます』と教えてくれるものでしょうか?」

 さらっと言いながら、ユユは草むらの奥から現れた。ちゃんと鷹の目を使ってますねと評価しつつ、しかし目ざとく失言を咎めた。

「フミさん。私が追っていないことに気付かなかったということは、最後の逃走の際、鷹の目での確認を怠りましたね」

「う……。いえ……はい……」

 だってしょうがないじゃないですか! と言いたかったが、言い訳にしかならないし、一息に長文を喋る元気もなかった。

 随分素直ですね、とユユ。まぁ、元気がなくて正解ではあった。

「とはいえ、全体としてはなかなか良い動きでした。特に、先手で射撃を加えたところと、真横に飛んで視界から外れたところ。どちらも私の動きを見越した良い戦術です。盤面を見るように把握できる『鷹の目』ならではの場をコントロールする戦術だったと、同じレギオンの味方として心強く思います」

 おお! あのユユ様にここまで褒められるとは感無量です……!

「ただし」とユユ。

 ……まぁ、何となく予期していたのだが、ユユはフミを手放しで褒めるようなことはしなかった。

「フミさん。今日のこと、随分と『予習』されたようですね?」

 その鋭いセリフに、フミは首を傾げてみた。

「えーと? 何のことで」「とぼけても無駄です」

 ……前にも同様のやり取りがありましたね? と、ユユ。

「怒っている訳ではありませんよ。私が帰った後も一人練習に励む貴方に、むしろ敬意を表したいくらいです」

「え!? ご覧になっていたんですか!?」

 フミは顔を赤くした後、一転して真っ青になった。

 努力を見られて恥ずかしい……の前に。完全に一人のつもりだったので、休憩中に恥ずかしいことを口走ってた気がする……。というか言った。

 アラヤさんごっことかしてた。あれが世に広まったら私、生きていけないです……!

「……何をしていたかは知りませんが、私もずっとは見ていませんよ」

 フミは心底ホッとした。

 ホッとするついでに、身体の力が抜けた。言葉を変えれば、程よくリラックスした。

 それが良かったのかもしれない。フミは、ふとユユの様子がいつもと違うことに気付いた。服装とか髪型とか外的なものではなく、体調と言った中・長期的なものでもなく、もっと単純な話として。

 ……もしかして、ユユ様もお疲れですか?

 今も、少し荒い息を吐いた……ような気がする。

 考えてみれば、『予習』済みのフミに付いてきた上、途中からはルナティックトランサーを発動して強引に追跡してきた。あれで息一つ漏らさない方がおかしい。特に、ルナティックトランサーは反動が大きいと言われる。

 ……もしかして、今までもスキルを発動された後はこんな感じに……?

 どうして今まで気づかなかったのだろう。いや、どうして今は気付けたのだろうか。

 これも訓練の成果……? ……いえ、俯瞰視野と人間観察はまた別な気が……。

「フミさん」

「あ、はい!」

「これが私との勝負でしたら心から称賛できたのですが、本題は『鷹の目』の訓練ですから。未知の場所を通ってこそ、訓練の成果が上がるというものです。大体貴方は加減と言うものをですね……」

 ユユは眉を吊り上げ説教モードに入ってしまい。フミは「はい……。おっしゃる通りです……」と、ひたすら小さくなるしかなかった。

 ……とはいえ、初心者レベルだった『鷹の目』を、僅かな間に実戦レベルまで引き上げたのは目を見張る成長ぶりだ。

 もちろん、レアスキルは覚醒した時点で適性があるものだ。戦闘中に覚醒してそのままヒュージと戦うリリィがいるくらいだから、フミの成長ぶりも決して不思議なものではない。

 それでも、当人にその気がなければ決して身に付くことはない。ユユに応えて付いてきてくれるこの小さな後輩を、ユユはとても誇らしく思った。

「……」

 まぁ、思ったなら口に出せばいいのだが。

 フミがリリィとしてまだまだ未熟であるように、ユユもまた先輩として未熟なのかもしれなかった。



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第6.2話 Happy birthday to you! You! その3

 ……噂ですか

「そうよ。たかが噂、されど噂」

 この学院にスパイが紛れている……と

「そりゃこんなに大きな学校ですもの。一人くらい『裏切者』がいてもおかしくないでしょう?」

 ……。その言い方は

「下品な表現よね~。誰が言い出したのかしら」

 …………。

「もう一つ、いいかしら?」

 ……何?

「この噂には続きがあるの。この学院にスパイが紛れている。そしてそのリリィは、アナタの後輩の……」

 

-7-

 

 その夜、一柳隊の控室に皆が集まっていた。

「えっと、皆さん。前……以前お話した通り、外征は明後日、土曜日の夜から、翌、日曜日の夜までの、1泊2日に決定しました。集合は21時に正門前。持ち物は……えっと、配布資料の通りです!」

 何とか業務連絡を終えると、リリはホッと一息ついて着席した。

「ありがとうございます」とユユ。

 リリとは対照的に、その表情は心なしか硬かった。

 初めての外征。リリやフミ以外にとっても、レギオンの正式な任務として初めての外。そして、ユユにとって後輩を率いる初めての外征になる。

 決して難しい任務ではない。むしろ残党処理中心の、初外征に打ってつけの任務だ。

 それでも、ここ何ヶ月か続いた不穏な出来事が頭に引っかかる。この任務も、決して楽観視はできない。

「なんじゃ、ギガント級はおらぬのか」

「これでは私の活躍をお見せできませんわ」

「さっさと終わらせて帰りたいもんだな」

「では、昼までに掃討してしまいましょう」

「私も『鷹の目』でバシバシ見つけますよー!」

「私も、やってみる……!」

「おう、お前ら頑張れよー」「マイ様も手伝ってくださいよ~」

 …………。

「皆さん、やる気一杯ですね!」とリリ。

 にへらと笑ったリリの頬を、ユユはにゅっと摘まんだ。「いひゃひゃ! お姉ひゃま、いひゃいです!」

「痛いです~……ではありません! 皆さんも! 確かに残党処理のような形でしょうが、ラージ級、もしかしたらギガント級が潜んでいる可能性もあります。決して油断できない戦いであると、改めて心得てください」

「「「「「「「「はーい」」」」」」」」

「……貴方たち、小学校の遠足じゃないんですよ」

 全く緊張感のない一同に、ユユはため息を吐いた。

「まあまあ。そんなに意気込んでも仕方ないだろー? 結局はなるようになるもんだ!」とマイ。

 ……まぁ、ここは変に緊張しているユユの方が問題だったかもしれない。

 この一週間、リリたちはただパーティの準備をしていた訳ではない。連日訓練を繰り返し、レギオンとしての練度を高めてきた。むしろ、パーティの準備もその『訓練』の一環でさえある。

「もう一つだけ忠告しておきますと、当日は1日中戦闘態勢を取り続けます。特にリリさんとフミさんは長時間の実戦経験がありませんから、息切れに注意してください。他の皆さんも……」

「言うまでもありませんわ! リリさんは私が命に代えても守って差し上げます」

「おまえはフミの保護者じゃなかったのか?」

「タヅサさん!? あれ(※おんぶ)は戦略的機動体勢です! それに私だって……」「はいはい、ついでにちびっこも守ってやりますわ」「おまけ扱いです!?」

「…………」

 全く緊張感のない一同に、ユユはもう一度ため息を吐いた。

 

 ……と、その真面目な(?)会議が終わった15分後。

「はい! 改めまして、お姉さまの誕生日会会議を始めたいと思います!」

 おーぱちぱちー、とフミ。

「リリさん、会議での隊長仕草が板についてきましたね~」

「そうだな。遠征の会議も、要点を抑えた良い報告だったと思うぞ」

 そうですかねー? とリリは頬をかいて笑った。

「皆さん、リリさんを甘やかしてはいけませんわ。リリさんはワールド級の逸材なのですから!」

 何故か、楓が誇らしげに胸を張っていた。

「『もっともっとご活躍いただいて、リリさんと私との関係を世に知らしめるのですわー』って感じです?」とフミ。

「『わしが育てた!』的なものかの」とミリアム。

「それだとみーさんが言っているみたいですよ」とシェンリン。

「みーさん……!」(ユージア)

「……ミリミリ的な?」(マイ)「むーちゃん?」(楓)「アムちゃん……?」(フミ)「アムミリ……」(ユージア)「……フォンちゃん」(リリ)「あ、それ可愛い」(タヅサ)「おい、勝手にわしのあだ名を増やさんでほしいのじゃが……」

「言っておきますが、私は『わし』のような無骨な一人称は使いませんわ!」(楓)「ツッコミどころはそこでいいのか……?」(タヅサ)

「と言いますか、時間がないのでリハーサルに入りますわね」と楓。

 見れば、既に段ボールから司会用のマイクと蝶ネクタイを取り出している。

「緩急が激しくて付いていけないんだが……まぁ、そうだな……」

「何があるか分かりませんから。手早く済ますのがベターでしょうね」

「この段ボールも、中を(あらた)められたらと思うと気が気でなかったわ」

「そうですね、早くやっちゃいましょう! 皆さん、よろしくお願いします!」

 リリが頭を下げたのを合図に、それぞれが配置に着いた。

 ……本番前夜、各種準備は滞りなく進んでいる。今日のリハーサルもほとんど形だけで十分なほどで、何も問題がない。

 事件が起きたのはその時だった。

「よし! それじゃあ入場から……」「あ! 待ってください!」

 突然、フミが大声を上げた。何事かと視線を向け、ミリアムはギョッとした。フミの顔は、蒼白に染まっていた。

「ユユ様が……ユユ様が向かってこられます……!」

 『鷹の目』には、ずんずんと控室に向かってくるユユの姿。

 まるで死を暗示するかのように一歩一歩。『死神』が一柳隊に迫る。

 誕生日会に向けた最後の試練、一柳隊・控室防衛戦の開幕だった。

 

-

 

「やばっ、電気を消して……!」

「ダメです……ばっちり点いてるのを見られてます」

「くっ! 足止めはどうしたのじゃ!?」

「それより次善の策ですわ! 今、踏み込まれるのは最悪……」

「誤魔化すことは可能でしょうが、明らかに不自然。明日のサプライズは事実上失敗となります」

「逃げるにしても、この人数で動けば流石に……」

「私が足止めに……!」「いえ、私が!」

「ダメだ! ……フミやリリだけじゃない、誰が行っても不自然だ!」

「そんな……折角頑張ったのに……」

「諦めてはいけません。まだ、策はある筈です」

 しかし誰かが何かを言い始める前に、タヅサはチャームを起動させた。

「タヅサさん?!」

「私が未来を見る、それで」

「待て! そんなことをしたらマギが漏れ出る! 失敗のリスクがでかすぎる!」

「マイ様! でも!」

「タヅサ……! シェンリンを、私たちを信じて……」

 タヅサは僅かに逡巡した。その後、静かにチャームを仕舞った。

「……すまない、(はや)った。私も次善策を考えさせてくれ」

「ありがとうございます、タヅサさん」

 シェンリンは優しく微笑んだ。

 迫るタイムリミット。限られた選択肢。絶望的な状況は何一つ変わらない。

 それでも、仲間と一緒ならきっと乗り越えられる。それを信じられるなら、リリィに不可能はない。そのことを証明し続けたことが、リリィの歴史そのものなのだから。

 そして、シェンリンが静かに手を上げた。

「シェンリン……?」「シェンリンさん?」「策があるんですね!」

 しかし、シェンリンは厳しい表情を崩さなかった。

「……その様子だと、訳ありみたいだな」「難しいミッションという訳ですわね」

 シェンリンは一度だけ頷き、そして重い口を開いた。

「……これは非情な作戦です。多大な犠牲を伴う恐れがあり、本来は行うべきではないかもしれません……」

 絞り出すようなその言葉に、しかし難色を示す者はいなかった。

「なんじゃ、水臭いの。さっさと策を教えてくれ」「言ってくれ。私にできることなら、何でもやる」

「悔しいですが、私もシェンリンさんの案に賭けたいと思います」と楓。

「作戦にリスクは付きものだ。マイは司令塔に従うぞ」とマイ。

「私、信じてるから……。シェンリンの考え、聞かせてほしい」とユージア。

 リリは、一歩シェンリンの許へ踏み込んだ。

「シェンリンさん。私、お姉さまの誕生日会……絶対に成功させたいんです。どんな難しい作戦でも、私、やり抜きます! どうか教えてください!」

「私からもお願いします!」とフミ。「私は未熟者です! だからこそ、その事実に甘えたくないんです……! どんなことだってやり遂げてみせます。お願いですから、私にも手伝わせてください!!」

 シェンリンは、皆の顔を見渡した。

「分かりました。作戦をお話ししましょう」

 そして僅かに微笑むと、軽やかに口を開いた。

「いいですか。作戦名は『Leaf forest』です」

 

-

 

 予感があった。何かがおかしい。不自然だ。

 例えるなら、ピースが上手くはまらないのに絵柄だけ完成しているかのような違和感。巧妙に仕組まれた『何か』。勘違いで済ませてはいけない。背後に隠されたものが必ずある。

 そして見つけたのは、煌々と灯っている控室の明かり。

 もちろん、この時点で確証はない。それが『何か』見当すら付かない。それでも、ユユは校舎に戻ってきた。リリィとしての直感に導かれてやってきた。

 果たして、その判断は正鵠を射ていたと言える。

――……!――

 突然奥の扉が開き、何者かが廊下に飛び出した。

 距離があり、廊下の電灯だけで人相は判断できない。しかし、少なくとも百合ヶ丘の制服ではなかった。

 そして、顔を隠すように被ったフード、チャームの起動音とマギの放出、誰もいない筈の『一柳隊控室』から出てきたという事実。

 確認するまでもない。それが窓から飛び去っていくのに続いて、ユユも校舎を飛び出した。

――……ゲヘナ? スパイ? どこのリリィなの?――

 考えている暇はない。

「そこのリリィ! 止まりなさい! 止まらなければ、敵対行動中とみなし貴方を拘束いたします!」

 叫びながら、緊急連絡を入れる。独特の発信音に、1秒もしない内に応答があった。

『オイ! どうしたんだユユ?』「不審リリィ1名。隊の控室に侵入の上、逃走。現在北東方角に進行中。私1人で追っています」

『はぁ? 何者だ!?』

「所属不明。小柄でフードを着用。移動が速い。推定暗視装置を付けているか視野系スキル持ち。警告に反応なし。私は追います、マイは警備に連絡を」

 オイ、待て! という叫びを聞く前に、ユユは通話を切った。

 その表情は険しかった。

――コイツ、慣れてる……!――

 この辺りの地形は、ユユもそれなりに把握しているつもりだ。しかし、相手のペースはユユを上回り、徐々に間隔が開いている。

 電話の片手間で追える相手ではない。確実に、百合ヶ丘レベルのリリィだ。

 目的は何か、どんな情報を得たのか、狙いは一柳隊か、それとも……。

 増援は間に合わない。この状況は明らかに怪しいが、ここで逃がすと後々とんでもない脅威になりかねない。

――ここで、必ず捕まえる……!――

 ユユはマギを込めて加速しつつ、チャームに弾丸を装填した。同時にゴーグルを取り出し、装着する。

 木々が障害となり、射線が通らない。それでも狙いをある程度絞って、2発、3発発射する。

 ……それは不審者にかすりもしない。

 代わりに、着弾した瞬間、辺りを眩い光で照らした。閃光弾だ。

(…………)

 着弾点は悪くなかった。確実に光が直撃した位置。

 不意打ちで目を焼かれれば、確実に足が止まる。暗視ゴーグル越しでもスキル越しでも、風景の変化に困惑し、足は鈍る。

 それにも拘らず、彼女の足は決して止まらなかった。その事実に、ユユは表情を一切変えなかった。

 ……この場合、まず間違いなく相手は俯瞰視野持ちだ。それも厄介なタイプ。――そう、スキル使いに絶対の自信があるような……――

 その思考の隙を縫うように、ユユの足元で光が爆発した。

――!? 閃光弾!?――

 ユユは足を止めない。止める必要はない。先んじて防護ゴーグルを付けたのは、光と音を防ぐためだ。この閃光弾で損害は受けていない。

 それでもユユが驚愕したのは、起動のタイミングだ。図ったかのように、ユユの足元で起動した。

 完全に動きを計算されている。

 もし、これが爆発物なら確実にダメージを与えられていた。

――いえ、なぜ手榴弾ではなく閃光弾を……?――

 敵対の意図はない? 警告? 単純なミス? 装備の不足?

 可能性はいくらでも考えられる。しかしユユが直感的に感じたのは……『好奇心』。

 強烈な敵対心は感じられなかった。そして、それは必ずしも良いこととは言えない。好奇心で向かってくる相手ほど、始末に負えないものはないからだ。

 戦闘狂とサシでやり合うなど、考えるだけで頭が痛くなる。それでも。

 ユユは表情を引き締め、マギを集中させる。

――レストアの急増……帰ってきたダインスレイフ……現れた不審者……。もしも、これが一つの線で繋がっているとしたら……!――

 絶対に、ここで引く訳にはいかない。

 

-

 

(なんでユユ様、笑ってるんですか!?)

 それは閃光弾を当てた直後のこと。驚愕の表情の後、ユユは、明らかに笑った。

 もちろん微笑みなどではなく、愉快なことが起きた時の表情。同種のものを、一度しおりが垣間見せたことがある。つまり、それはデュエル年代的な表情。

 要は戦闘狂の顔である。

――……シェンリンさん、確かに私、何でもするとは言いましたけども……――

 顔を隠して走り去れ。適当なところで捕まれ。命令はそれだけだ。

 確かに、作戦は大成功だ。時間は稼げた、距離も離せた、これで控室の隠ぺいも出来ていよう。しかし、下手な捕まり方をしたら命に関わりかねない。

 ……『多大な犠牲』って、『犠牲』が私に集中してませんかね……。

 加えて、フミはボイスレコーダーを押し付けられている。『逃げる理由』とのことだが、このままだと盗撮・盗聴犯の汚名を着せられてしまう。というか、事と次第によっては憲兵に突き出されかねず、最悪のパターンだと刑務所デビューまでありえる。

 ……いえ、事そこまで至ったら流石に皆さんが助けてくれると……。……助けてくれるんですかねあの人たちは……?

 信用がないことに定評がある一同である。最悪、自分の所為にされるのではないか? ここは自分で何とかするしかないのでないか?

 ……とまぁ、そんな疑念と不信に後押しされ、『何とか逃げ切れないかなぁ』という淡い期待を抱いたりしているのだった。

 もちろん、それはあまりに楽観的過ぎるのだが。

 ユユが、射撃体勢に入った。

――! 射撃……閃光弾? じゃないです!――

 先と違い、明らかにじっくりと構えている。

 遮蔽物など意味がない。実弾にマギを込めれば、木の幹など容易に貫通させられる。訓練ではないのだ。ユユ様相手では、木々は目隠し程度の意味もない。

 フミは左右へのフェイントを織り交ぜ、マギを防御に割り振った。油断なく後方を見据え、当然ながら進行方向への視野も確保する。練習の成果で、一先ず形にはなっている。しかし……。

――……あっ! これ、狙われてるだけで距離詰められてます!?――

 この数秒だけで、距離が縮まっているのが目に見えて分かる。射撃体勢はフェイク? フェイントを止めるべき?

 フミは、この一瞬迷ってしまった。

 僅かな逡巡。思考の切れ目。身体の動きが、一瞬止まった。止まってしまった。

――あっ、やば――

 ユユのチャームは、その銃口をフミへと向けていた。

 轟音が響く。咄嗟に頭を屈める。フードの端を掠めて弾丸が抜けていく。ホッとする間もなく、直撃した前方の木が爆ぜた。

――さ、炸裂弾!?――

 爆風に煽られ、フミは体勢を崩す。ぞっとする予感を覚え、体勢そのまま無理やり地面を蹴る。轟音が響き、フミのいた場所が灼熱に包まれる。

 じょ、冗談じゃないですよ!?

 炸裂弾。装甲が硬いヒュージ用の特殊弾頭で、リリィと言えど、直撃したらただでは済まない。

 ……ちなみに、フミの記憶によれば弾頭は結構お高いはずで、気軽にバンバン撃てるようなものでない。

「はあああ!!!」

 それが、気合と共に、弾幕を張る勢いで飛び出してきた。

 それを避ける、避ける……いや、避けさせられている。

 前に出ようとすると炎の壁に阻まれる、移動方向が制限されている、明らかに追い込まれている。

 刻一刻と距離は消えていく。近距離戦に持ち込まれたらおしまいだ、絶対に勝てない。

 ……炎に突っ込む? ……いや、万が一があれば外征が台無しに……。こちらも炸裂弾を? って持ってないですし……。空に逃げ……ても的ですし、反撃しても効果的とは思えないですし……!

――あー! もし私がジャストガードを習得していれば連爆で防げたかもしれませんのにぃ!!――

 考えを放棄したくなる現実に、それでもフミは諦めなかった。

――……考え方を変えましょう。今更できないこと、やったことのないことを考えても仕方ありません……――

 できることをやってみる、練習してきたことをやってみる。受けきれない攻撃への対策は、ユユにやられてからずっと考えてきた。

 フミは、覚悟を決めて空中に飛び出した。

 ユユが眉をひそめたのが見える。それでも、無防備な敵を逃すユユではないと知っている。

 タイミングを見計らう。ユユが狙いを定める。フミが身体を反転させる。そしてユユの射撃に合わせて、チャームを振り下ろす!

 ……()()()()()()『吹き飛ばされる』。受けきれないなら、相手の勢いに乗じて距離を取る。かつて、フミが苦し紛れに思い付いた対処法。

 ……爆発の勢いで逃げる! 一旦距離を取れば追撃も難しくなる……!

 チャームに力を込める。ここで失敗したらみすみす直撃を許したのと変わらない。絶対に爆風に負けてはならない!

 そしてチャームと銃弾がぶつかった瞬間、銃弾はあっけなく二つに分かれた。

「え?」

 頭が真っ白になる。何が起こったか理解が追い付かない。

 いや、理解している。通常の実弾だ! 作戦が見抜かれていた! 分かっている。しかし分かっているのに身体が動かない。

――とか言ってたら! いつまで経っても足手まといなんです!!――

「ああああああ!!」

 無理やり身体を動かす。ユユを肉眼で見据える。射撃体勢。今度こそ炸裂弾!

 マギを総動員して、もう一度チャームを振り下ろす。轟音が響く。

 チャームと銃弾がぶつかった瞬間、爆発がフミに襲い掛かった。それこそ、フミが待っていたものだ。

 マギでガードを固める。爆風を防ぐのではなく、爆風に逆らわない。力強い翼を持った鷹のように、フミは風に乗って空を飛ぶ。

――ここからが勝負です!――

 このままではただの的だ。同じことを、連続で繰り返す自信はない。だから、相手の行動を縛る。

 射撃モードに切り替える。ユユの銃口にピッタリ合わせるように、フミは銃口を真っ直ぐ向ける。

 撃ったら撃つ! 炸裂弾を撃ったら、すぐさま相殺してやる!

 ……もちろん、フミ程度の腕でそんなことはできない。しかし、万が一を思えば躊躇してしまうものだ。もしも炸裂弾にタイミングを合わされたら、ユユはその爆風をもろに受ける羽目になる。

 銃口を向けた脅し。これは先程の意趣返しのつもりだった。

 これで仕切り直しだ。

――いくらユユ様でもここでリスクを取るような……こと、は……――

 フミは、ユユと目が合った。その目は、一寸の迷いもない。

 違う! ユユ様は撃つ。撃つ。撃たれる!

 そして轟音が響く。

――あっ――

 音の主はユユではない。フミだ。思わず発砲してしまった。

 フミは続けて発砲した。こうなったらプレッシャーをかけるしかない、撃ち続けるしかない。撃つ、撃つ、撃つ!

 地面に当たる、ゴーグルに当たって弾け飛ぶ、身体に何発も直撃した。

 ユユは顔色一つ変えない。瞬き一つしない。ただただ真っ直ぐ見ている。フミを見据えている。――ひぇっ――

 その強烈な意思を爆発させ、ユユは一喝した。

「舐めるな!!」

 怒号と共に、マギが込められる。咄嗟にフミは斬撃モードへと変形させる。頭が動かない。代わりに、繰り返し覚えた通りに身体が動いた。

 轟音が響く。空間を切り裂いて弾がフミに迫る。

 それを、チャームの背に当て、微妙な角度を付けて後方に流した。受け流し。フミが初めて習った防御技術。

 実行してから、その不味さに気付く。この技術を教えた師匠は目の前のリリィであり、こんな目の前で披露して、その正体に気付かないということは……。

 ……これは……終了ですねぇ……。

 後方から爆発音が響く。フミは体勢を立て直し、地面に着地する。

 ユユは、一歩一歩、焦らすように近付いてきた。

 

-8-

 

――フミさん。下を向きなさい。落ち込んだ顔をしなさい。……真剣に。もう少し(まぶた)を上げて……良いでしょう。そのまま私に付いてきなさい――

 フミは朝一番に叩き起こされ、関係各所に謝罪に向かわされた。

 教導官、守衛室、生徒会、当直のリリィ、よく分からない関係者……。

 その間フミは、「この度はお騒がせしてしまい申し訳ございませんでした」以外の言葉を発せなかった。ユユの厳命だ。いや、言葉には出されなかったが『余計なことを言うな』というオーラが強烈に発せられており、フミはひたすら恐縮していた。

 ひたすら謝罪に回りつつ。フミが1つ気付いたのは、関係先によってユユの口上が変わっていることだ。

 教導官には『申請に不備があり申し訳ございませんでした』。守衛室には『申請の不備と誤報によりご迷惑をおかけしました』。生徒会には謝罪に加えて『お力添えいただき感謝いたします』、当直のレギオンには正式に謝罪状を送ったのち『何か奢らせて頂戴』。

 ……うーん、政治力学の臭いがしますねぇ……とフミ。いや、その手の話題は全く知らないのだが。

 などと、(心の中で)無駄口を叩いていたのが悪かったのかもしれない。

「あんたがユユのシルトか」

「えっと?」

 急に、隊長さんに話しかけられドキッとした。

 リリィオタクとしてはコンタクトの一つでも取っておきたいのだが、今はひたすら穏便にいかなくてはならない。というか、下手なこと言ったらユユ様に地獄を見せられてしまう……。

「えっと、あの……」

「違います。リリの同級生のフミさんです」

 ユユは助け舟を出したのか、釘を刺したのか。

「そうなのか? ま、どっちでもいいけどな! ユユさんを怒らせる1年坊が2人もいるなら、ユユさんも安泰だ」

 そう言ってバシバシとフミの背中を叩き、フミは目を白黒させた。

 どちらかというと嬉しい部類のコンタクトなのだが、タイミングがタイミングなので「あ、ありがとうございます……」と一通り恐縮しておいた。ユユは何とも言えない顔でそれを眺めていた。

 なお、この謝罪行脚は朝だけでなく授業の合間、昼休み、放課後、そして辺りが暗くなるまで延々と続いた。

 最初はどこか不満(※主にシェンリンへの)があったフミだが、ユユ様が頭を下げているのを見ていると徐々に心苦しくなってきた。

 そして最後の謝罪先へ向かう道中、フミは足を止めて頭を下げた。

「ユユ様。今日は、本当に申し訳ありませんでした」

 ユユは一歩遅れて足を止め、しかし興味なさげに口を開いた。

「……別に。後輩の不手際は先輩の指導不足でもあります」

「それでも、私の為に時間と労力を割かせてしまいまして、大変申し訳ございません」

 生真面目に頭を下げる後輩に、ユユはため息を吐いた。

「貴方は……」

 ユユは何かを言いかけてやめた。代わりに、全く違う話を始めた。

「西に町があることはご存知ですか?」

「はい?」

「緊急時の集合場所です。西に進むと、廃棄された町がありますから。他の皆が集まるまで、仮初の宿になるでしょう」

 急に話題が変わったことに、フミは困惑した。

「えっと……?」

「……何でもありません。このことは他言無用です」

 ユユはそっけなく話を終え、再び話を変えた。

「フミさん。百合ヶ丘での生活は楽しいでしょうか?」

「えっと、はい! それはリリィオタクとしてもちろん! 毎日が発見と勉強と刺激の連続で! ……あ! いえ、これは不法行為を肯定している訳ではなくてですね……」

「心配しなくても私は分かっています」

 ユユは少し表情を緩めた。が、すぐに鋭くフミを見つめた。

「しかし、誰もが貴方を知っている訳ではありません。分かりますね?」

 ……一体何の話でしょう……? フミは返事に困ってユユを見つめ返した。

「……前に言った筈です。取材活動を良く思わない人間がいると。そういった者に付け込む隙を与えるべきではありません」

 ユユは表情を崩し、ただし憮然(ぶぜん)としてみせた。

「痛くもない腹を探られるのは不愉快でしょう? 『李下に冠を正さず』とも言います。それが不法行為でなくても、怪しまれた時点でトラブルになり得るのです。優れた人物というのは、他人に疑念を抱かせないもので……」

 他人に疑念を抱かせない――一点の曇りもない完璧なリリィ――

「…………」

「ユユ様?」

「……話が長くなりました。今回のことに懲りたら、紛らわしい事は止めるようお願いします」

「は、はい。申し訳ないです」

 フミはもう一度頭を下げた。

 ……まぁ、殊勝な態度は外面だけであり。

 頭を下げながら、『鷹の目』で確認する。そして頬が緩みそうになるのを必死に抑える。部屋の中、その準備は万端だ。

「フミさん。いつまでも頭を下げなくて結構です」

「あ、はい!」

「早く向かいましょう。皆さんも待ちくたびれていることでしょう」

 ユユがとっとと歩き出したので、フミも慌てて後を追う。

 妙に長く感じられたこの一週間、最後の行き先は一柳隊控室である。

 

---

 

 ユユは不安を抱えていた。

「あれ? 電気が消えてます?」

 皆が何かを隠しているような気がする。

「フミさん……!」

「とりあえず電気を点けますねー」

 手を伸ばす。届かない。

 暗闇に紛れ、何かが息を殺している。迫りくる気配。放たれた破裂音と共に。

 ユユはチャームを抜き放った。

 



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第6.2話 Happy birthday to you! You! その4

-9-

 

――パン! という発泡音に、ユユ様は、弾かれたようにチャームを振り回します――

『お姉さま!』

『ユユ様!……ぐっ!』

『楓さん!』

『狙撃が来る! 狙われてるのよ!!』

『お姉さま落ち着いて……きゃあ!』

――壁にはお祝いの言葉。机には美味しそうなショートケーキ。しかし戦場の狂気に囚われたユユ様には、クラッカーの破裂音と銃声を区別することができなかったのです――

 

 ……と、目の前で上映される人形劇を見ながら。

「……私はこれをどんな気持ちで見れば良いのでしょうか?」

「まぁ、たのひめばいいんじゃふぁいか?」「マイ。食べながら喋らない」

「ユユ様、これからがクライマックスですわ」(楓)「ここからどう盛り上がるのです?」

「あっ。私、出番だから……!」(ユージア)「ネタバレしていますが大丈夫ですか……?」

 何ともチープな劇と、妙にクオリティの高いデフォルメ人形を見つつ、ユユはこれ以上なく不満げな顔をしていた。

 数十分前。クラッカーの破裂音と共に、ユユはチャームを抜いた。

 なお、「どうせユユ様のことですから、サプライズを襲撃と勘違いするに決まってますわ」という楓の明察(偏見)に基づき配備された鎮圧部隊が、それをごく平和的に解決した。

「私の誕生会にしては扱いが雑なのですが」

「実際に役立ったではありませんか」

「暗闇で怪しげな動きをされれば誰でもそうなります」

「それでは、やはり役に立ったという認識でよろしいでしょうか?」

 言葉に詰まり、ユユは苦い顔をした。楓に言い負かされるのは、なぜか納得がいかなかった。

「……そもそもやりすぎではありませんか? 今回、事後処理の為に色々手を回したのですが……」

「まぁ、それ含めてのサプライズだ。みんなに愛されて、ユユは幸せ者だな!」

 マイがにっこりと(やや意地悪く)笑い、ユユは一層へそを曲げた。

 ……実は、『かなり大々的な問題になりそうだ』と同室の祀(※生徒会役員)に聞き、生徒会・風紀委員・その他役職あるリリィと前職のリリィも含めて、水面下で調整を行っていた。難色を示す者、取り合おうとしない者がいる中、苦労して何とか今日の謝罪回りを実現したのだ。

 その調整したリリィ全員が集まったビデオメッセージが冒頭に上映され、ユユは膝から崩れ落ちた。

「徒労も徒労ですよ……」

「心配かけちゃってごめんなさい、お姉さま。でも、フミちゃんの為にありがとうございます!」

 そう言って、リリはユユに抱き着いた。

「あー! ユユ様! どさくさ紛れに抱き着くのはNGですわ!」

「逆です。どさくさ紛れに『抱き着かれて』います」

「あっ、えーと、お祝いのハグです!」

「……鎮圧の時のあれもお祝いだったのか?」とタヅサ。「えっと、そのー?」

「これこれ! お主は黒子じゃろ!」(ミリアム)「劇なんて誰も見てないぞー」(マイ)「ちょっと! 私セリフの読み込みしてきたんですよ!?」(フミ)

「ユージア仮面……参上!」(ユージア)「あ、ちょっと出番早いです!」(フミ)「ネタバレしているので何でもいいですよ……」(ユユ)

 

『強く、誓ったんだ~♪』

 

「……何か曲が流れていませんか?」

「あわわ! 流れてますよ! 皆さん、踊りますよ!」

「胸がひりひりと~♪」

「リリさん、それは違う曲です」

「何故ミュージカル要素を……」

「いいから踊るぞー!」

 

「……フミさん、下手くそですわね」「楓さんに言われたくないですよ!」「まぁ、踊りは練習する暇がなかったからの」

「シェンリンが妙に上手いんだよな……」「『アイドルリリィ』ですからねぇ」「やるからには完璧を目指しますので」「踊りまで完璧な必要はないと思うがの」

 

「私、曲も振り付けも知らないのだけれど……」「いいんだよ雰囲気で。舞踏会じゃないんだぞ?」「あら? 私でよろしければお相手を務めましょうか?」「だ、ダメです! お姉さまは私と踊るんです!」

「……この曲ってパートナーが必要でしたっけ?」「でも、リリ、楽しそう……!」

 

「いたたたっ! お姉さま! そちらに腕は曲がりません!!」「ちょっと待って。今分かりかけてきたの。もうちょっと……」「いたたたっ!」

「ユユ様もあんなにはしゃがれて……」「いえ、関節決まってますよ!? どうして踊りながらこうなるんです……?」

 

 そんなこんなで流行歌に乗って踊ること数分。

「はぁ、はぁ……」

 本日の主役は疲れ果てていた。

「意外と……体力を使うものね……」

「か、加減というものを、知らないからですわ」

「か、楓も、お疲れのようじゃがな?」

 そして本日の準主役は……。

「お、お姉さまが楽しそうで……わたし、は……」

「リリー!!」(マイ)

「惜しい奴を亡くした……」(タヅサ)「これ、勝手にリーダーを殺すでない」(ミリアム)

「いえ……ちょ、ちょっと小休止しましょう……」とフミ

 気付けば、誕生会とは思えない死屍累々たる惨状だった。

「何故、皆さんもダウンされているのですか?」とユユ。

「本日は実習が重なっておりまして、結構ハードでしたから」とシェンリン。

「ど、どうしてシェンリンさんは元気なんですか……?」(リリ)「考えるだけ無駄じゃ。此奴は人に弱点を晒さぬ」(ミリアム)「人間を信じられない憐れな(けだもの)……」(楓)「一匹狼だな」(マイ)「お姉さまみたい……」(リリ)「ちょっと、聞こえてますよ」(ユユ)

「私……まだ踊れる!」とユージア。

「どうしてユージアさんも元気なんです……?」(フミ)「結構体力あるんだよなぁコイツ」(マイ)

「元気があるのでしたら、リリさんを運ぶのを手伝ってくださいな!」と楓。「ほら! シェンリンさんも!」

 ……と言いつつ、楓はひょいとリリを抱え上げた。

「ひゃあ! 楓さん!? 私、一人で歩けますよぉ~」

「待って! 私も行く……!」「はいはい、お手伝いいたしましょう」

「……結局一人で運んどるぞ」

 パーティはまだ始まったばかりであるのに。早くも満腹感を覚えるユユであった。

 

-

 

「リリ? その恰好は?」

 数分後、リリはフリフリのスカートとヘッドドレスを身に着けていた。それは一般に『メイド服』と呼ばれるものであり。

「はい! 今日はお姉さまに……じゃなかった、『お嬢様』にご奉仕いたします!」

 その満面の笑みに、ユユは曖昧に頷いた。

 どうやら、これもリリによるプレゼントの一環らしい。見れば、早速紅茶を淹れにかかっている。

 この子はまたバカなことを……と思ったが、意外に手際が良い。思いがけず、ユユは感心した。

「驚かれましたか? リリさん、今日の為にたくさん練習をされたのですよ」とシェンリン。

 言われなくとも、頑張りは十分に伝わっていた。

 もちろん、それは『お嬢様』たるユユから見るとまだまだ頼りない。それでも、初心者の域は抜けて十分に及第点と言える給仕ぶりに違いない。自然と、ユユの表情も緩み始め……。

 ……。

 ふと、ユユは視線を横に移した。

「……。どうして貴方もメイド服を?」

 何故か、シェンリンも給仕服に身を包んでいた。

「メイド長ですわ」とシェンリン。

「私はメイド見習い……」とユージア。「貴方まで……」

 ここでフミが種明かし。

「実は、シェンリンさんがユージアさんに紅茶の淹れ方を教えていたそうで。それを見ていたリリさんが、今回のアイディアを思い付いたんですよ~」

 なるほど、とユユ。

「全く服装の説明になっておりませんが、ご解説ありがとうございます」

「まぁ、深いことは考えず楽しめばいいんだ。アイツみたいにな」とマイ。

 その指差した先には恍惚とした表情の楓。

「リリさんが手ずから淹れた紅茶を飲めるなんて! あぁっ、私は幸せ者ですわ……!」

「ユユ様の誕生会で己の利益を最大化させるその貪欲さよ」(ミリアム)「只者じゃない」(タヅサ)「それほどでも!」(楓)「褒めてないぞ……?」(タヅサ)

 なお、何ならメイド服を手配したのも楓である。

「……『これ』と一緒は嫌なのですが」とユユ。

「いいんだよ。こういう時はバカになった方が楽しいぞ?」

「私はもっと落ち着いた雰囲気が好きなのです」

 本当にそうかー? とマイ。

 ユユは憮然とした表情を返事とした。

 

「ユユお嬢様ー! 紅茶ができまし、あっ」

 その時、リリはバランスを崩した。手にしていた容器は一直線にユユの方へと飛んでいき、当然、ユユの服はぐっしょりと濡れた。

「…………」

「え? あの……」

 慌てたように、シェンリンが駆け寄る。

「お嬢様、お怪我はありませんか!?」

「ええ、まぁ」

「お嬢様、タオル……」

「これはどうも」

 ユユはタオルで拭かれつつ、微妙な顔をしていた。

 容器は紙コップ。程よく冷まされた紅茶。すぐに出てきたタオル。これは……。

「あの、その……」

「貴方は! 謝罪の一つもできないのですか?」

「も、申し訳ありません!」

 リリは、自分の失敗に身体を縮こめていた。

 ……ただし、ユユはハッキリ見ていた。シェンリンがリリの背中を押したのを。……それと、『薄幸メイド物語』とミリアムが看板を上げたのも。

 ……ほらまた始まりましたよ……とユユ。

 

『貴方、紅茶の一つもまともに給仕できないのかしら?』

『ごめんなさい。私、不器用で……』

『不器用? 不器用だから失敗しても当然と?』

『そんな、私!』

『お黙りなさい! 反省もできない貴方には、お仕置きを受けていただきます』

 

 …………。

「コイツ、大きくなったら良い小姑になるぞ」(マイ)「完全に板に付いてますからねぇ」(フミ)「裏で本当にやってるのではなくて?」(楓)「『ユージアさん、この埃は何ですの』……痛っ!?」(ミリアム)

 ミリアムの後頭部に、リリィ仕様のカフスが突き刺さった。

「お前も懲りないな……」とタヅサ。

「すみません。お仕置きとやらの前に、私は着替えたいのですが……」

 真っ当なユユの感想に、しかし、声を上げたのは楓だった。

「ユユ様! リリさんをお仕置きする権利を前に逃げると言うのですか!!」

「いえ、ですから下着まで濡れていまして……」

 

「下着!?」とリリ。

 

「興奮するところか……?」(タヅサ)「まぁ、敬愛するお姉さまですから……」(フミ)「リリ……楓みたい」(ユージア)「それは言いすぎじゃろ……」(ミリアム)「……アナタたち、せめて声を潜めてくださいな」(楓)

「まぁ、今日は暑いからいいんじゃないか? ほら、制服なら下着も透けないだろ?」

 

「透け!?」とリリ。

 

「興奮するところか……?」(タヅサ)「まぁ、敬愛するお姉さまですから……」(フミ)「(リリ……楓みたい)」(ユージア)「(それは言いすぎじゃろ……)」(ミリアム)「ぼそぼそ言われるのも、陰口みたいで嫌ですわね……」(楓)

 

 ともあれ、ミリアムはしれっと前に出てユユに『それ』を手渡した。

「ほら、ユユ様。これはわしが開発したお仕置き用疑似チャーム……HARI-1000(エイチ・エー・アール・アイ・イチゼロゼロゼロ)じゃ!」

 それは九十九折りのごとく幾重に折り込まれた硬質の厚紙の造形美……。

「ってハリセンじゃないですか」(フミ)

 思いっ切り古典的なハリセンだった。しかも1m超のバラエティサイズ。

「あー、そうか。フミはリハに参加してなかったもんな」とマイ。

「こんなくだらない出し物とは知りませんでしたよ」(フミ)「おい! 結構作るの大変だったんじゃぞ!」

 まぁ、そうでしょうけども……とフミ。しかし、明らかに力の入れ所が間違っているように思えてならない。

「ささっ。一思いにどうぞ」とシェンリン。

 見れば、リリは既に覚悟を決め、歯を食いしばっている。

「私、お姉さまでしたら怖くありません……!」

「リリ、大胆……!」とユージア。

「……え? いや、これ顔を叩くんですか……?」と素でフミ。

 見た目はハリセンだが、質感は明らかに凶器(チャーム)である。ギャグで済ませられるのか、(はなは)だ疑問であった。

「あー、リハでは省略してたな……」(マイ)「これ、下手なところ叩いて大丈夫なのか?」(タヅサ)「まぁ、理論上はケガをしないことになっとる」(ミリアム)「ちょっと! 適当なマネは許しませんわ!?」(楓)

「ま、大丈夫じゃろ」とミリアム。「リリもこう言っておる。一思いにやるのもシュッツエンゲルの務めというものじゃ」

 ……それはどこの世界の守護天使(シュッツエンゲル)なのだろうか。

「私にシルトを甚振(いたぶ)る趣味はないのですが?」とユユ。

「意外ですね」とシェンリン。「しばきますよ」

「シェンリンさん、今ばかりは冗談ではないのでお気を付けを……!」(フミ)「おい。お前も無駄口は叩かない方が身のためだぞ」(タヅサ)「無駄口じゃなくてハリセンで叩かれるからな! っておわ!? 振り回すなよ!」(マイ)「茶番はもう十分です。誰でもいいので叩いて着替えに行きます」(ユユ)

「これがルナティックトランサー……!」(ユージア)「なるほど、確かに敵味方の見境が……うわっと!」(フミ)「おまえら命知らずか……!」(タヅサ)

 

 ……此奴(こやつ)ら、本当にアホじゃの……と机の下からミリアム。

 こういうものは口を開いたら負けだと心得ているので、ミリアムはこそっと机の影に隠れていた。

「大体、こんなバカげた出し物を提案したのは誰ですか?」

 一通り暴れた後、しびれを切らしたユユは一同を見回した。

「吊し上げですか? 随分エグイ提案をされますわね」(楓)「何でもいいので責任者を出してください」

 責任者……というか発案者。

「えっと、これって誰の発案でしたっけ?」とフミ。

 誰だったかのぅ……とミリアム。

 ミリアムの記憶では、確か、楓が発端だった。

『リリさんが紅茶を零してお仕置きされる流れで行きましょう』『何でですか!?』『涼し気でいいんじゃないでしょうか』『打ち水的なものです?』『……日本の伝統に謝っとけよ?』

 ……とまぁ、シェンリンが悪ノリしたのも原因だったように思える。

 いずれにせよ、口に出したらまず巻き添えを喰らう。ここは息を殺すのが正解である。……それに、どうせフミ辺りが不用意に声を上げるだろう。

「確か……」とフミ。

 案の定だった。

「確か……発案ってミリアムさんじゃありませんでした?」「ふあぃ!?」

 予想外だった。

「そうだ、ミリアムだったな」(マイ)「えー、そうでしたっけ?」(リリ)「あー、うん。そうだった」(タヅサ)「あむさんですわね」(シェンリン)「アムミリだね」(ユージア)「あー、ちびっ子でしたわね」(楓)「そうそうちびっ子です~」(フミ)「いや、ツッコめよ!」(タヅサ)

 いやータヅサさん、見事なツッコミです~! ハハっと和やかな笑いが「ちょっと待つのじゃ!!」

 ミリアムは精一杯飛び上がって叫んだ。

「おかしいじゃろ!? わしじゃない! 楓じゃ!」

「あら。こんなところに隠れていたのね」とユユ。

「しまった! ……いやしまっとらん! わしが正し……こら! 何をする、離せ……!」

「はいはい痛かったら手を上げるんですよ」と右腕を絞めつつシェンリン。

「大丈夫……大丈夫だよ?」と左腕を絞めつつユージア。

「手を上げられんし大丈夫ではないわ!! おい、ユージア! 大丈夫ではない! 放すのじゃ!」

 ミリアムは暴れた。理不尽に甘んじる気はないのだ。そんなミリアムに、ユージアは、とても優しく……しかしどこか悲し気な瞳を向けた。

「大丈夫……ミリアムは、今からでもやり直せる……」

「犯罪者扱いされとる!?」

 あまりにも無情だった。

「ユユ様! 話を」「茶番はもう十分と申し上げた筈です」

 ユユは、捕食者のどう猛さでミリアムを睨んだ。

 何で、こんなに怒っておるんじゃ……!?

 ……いやまぁ、ぐしょぐしょに濡れたまま何分も放置されれば誰でも怒るものだが。

「覚悟を決めなさい」とユユ。

「うわー。ユユ、本気だぞ」(マイ)「年貢の納め時だ」(タヅサ)「因果応報……」(ユージア)「自業自得ですね~」(フミ)「皆さんもこれを他山の石に……いえ、同じ山の石であることにため息を隠せませんわ」(シェンリン)「さっさと駆除しましょう」(楓)

「わしを心配してくれい!!」

 しかし、リリはぽわぽわとその様を見守っていた。

「大丈夫ですよ~。だって、理論上ケガをしないんですよね?」

「…………」

 キラキラと純粋な瞳を向けるリリに、ミリアムはどう返事をするべきか分からなかった。

 その隙に、ユユは一歩踏み込む。そして有無を言わせず、腕を振るった。

「歯を食いしばりなさい」

「ちょっ、あっ、あー!」

 迫る質量の塊。風を切るミリアムの発明品。それが身体に到達するまでの間、ミリアムは様々な記憶が浮かんでは消えた。『貴方がミリアムさんね!』『それは私がもう研究しているわ! 資料は確か……』『ごめん!! お願いだから手伝って……片づけを』『ふっ、ぐろっぴはもゆ家のお母さんだぜぇ……!』……いや、よりによってなぜもゆ様の思い出だけなのじゃ!?

 その時。ミリアムははっと思い出した。

『打ち水的なものです?』『……日本の伝統に謝っとけよ?』『まぁ、わしは()いと思うぞ! 何ならわしがお仕置き用のチャームを開発してやろうか?』『えぇ……ミリアムさんのセンスでは心配ですわ』『何をぅ! キレッキレの一振りを見せてやるわ!』

 ……言ってた。悪ノリしてた。そうか、あれが原因だったのか。全てはわしが悪かったのじゃな……。…………。……。

「いや! やっぱり悪いのはかえ、でっ!!?」

 ドゴっという鈍い音と共に、ミリアムは宙に舞った。「ミリアムさん!!?」

 その飛び方は美しく、芸術的であり……。そしてミリアムの記憶は、ここで途切れている。

 

-

 

「お前ら……! ミリアムが、息してないぞ!」

「何ですって!」と楓。「それは一大事です!!」とフミ。

「一刻も早く救命活動をしなくてはなりませんね」とシェンリン。

「そうだね……」とユージア。

「そうだな」とマイ。

「そうですね」とフミ。

「……」

「……」

「……」

「……」

「…………」「…………」「…………」「…………」

「「「「…………」」」」

「……いや、おまえたち薄情すぎるぞ……」とタヅサ。

「救命活動ということは……き、き……チュウですよね……!」(リリ)「キスでもチューでもない。救命活動だ」(タヅサ)「心肺停止後、1分毎に生存率が10%低下すると言われております」(シェンリン)「まぁ、リリィだともう少し穏やかだが……」(タヅサ)「生存率90%……89%……」(ユージア)「そのカウントダウンは無情だぞ……」(タヅサ)

「おいおい、そんなに言うならタヅサがやればいいじゃないか?」とマイ。

「言い出しっぺの法則ですね~」(フミ)「いえ、それを言うならマイ様がすればいいんじゃないですか?」(タヅサ)「いや、私は第十肋骨圧迫で忙しい」(マイ)「あふ……ふふっ……」(ミリアム)「あれ、ミリアムさん息してます……?」(リリ)「肋骨圧迫(※脇腹くすぐり)が効いてますわね」(シェンリン)

 

「まぁ、最初から胸は上下してたけどな」(タヅサ)「『タヅサさん、ミリアムさんの胸を見る』……と」(フミ)「あ、こらフミ!」(タヅサ)

「タヅサ、えっち……」(ユージア)「いいえ、年頃の子は誰しも女の子に興味を持つものですわ」(シェンリン)「私は思春期の男子か?」(タヅサ)「大丈夫だよ、女の子同士だし」(リリ)「それはフォローになって……いたたっ!」(フミ)「おまえはメモを消してから喋れ」(タヅサ)

 

「タヅサさん、そろそろ人工呼吸をなさらないと……」とシェンリン。

「はぁ? それは流れたんじゃなかったのか?」とタヅサ。

「こんな面白そ……げふんげふん」(マイ)「ミリアムさんの危機を救うためにですね~」(フミ)「(こいつ、他人事だからって……!)」(タヅサ)

「だ、ダメだよ! タヅサさんとミリアムさんがちゅ、ちゅ、キスするなんて!!」(リリ)「思いっ切り前のめりだが」(タヅサ)「尺もあるから……」(ユージア)「おい、尺の為にキスするのは不本意だぞ!」(タヅサ)「何でもいいのでさっさとやっちゃいましょう!」(フミ)「(こいつ、他人事だからって……!)」(タヅサ)

 

「おいおい、そんなに言うならフミがやればいいじゃないか?」とマイ。「え゛!?」

「……言い出しっぺの法則だな」(タヅサ)「タヅサさん!?」(フミ)「フミちゃんとミリアムさんがキ、キ……」(リリ)「ちょっと! リリさんも止めてくださいよ!?」(フミ)「自業自得だ」(タヅサ)

「フミさん。顎を突き上げるような形で気道確保、鼻を摘まんで口を密着させ息を吹き込むのです」とシェンリン。

「いえ知ってますけど……」(フミ)「フミ、知っちゃったね……」(ユージア)「? ……あ! これ『知らないからできない』を封じるアレでした!?」(フミ)

「もう面倒だからパパっと終わらせてくれ」(マイ)「雑ですよ!」

「大丈夫だよ、女の子同士だし」(リリ)「いえ、これは大問題です!」

「皆さん!! そもそも、キスを強要なんて良くないと思います!」と、声を大にフミ。

「……それを1分前に言ってたら私も同意したがな」(タヅサ)「大丈夫だ。お前の初めてはお父さんだ」(マイ)「それはノーカンです……!」

 否定はしないんだな……とタヅサ。「あはは……」とリリ。

 

---

 

「ユユ様のお色直しですわ!」

「わあ! 白のワンピース……!」

「え? あっ……お似合いです~!」

「おお! いいじゃないか! ユユの私服ってシックなものが多いから、新鮮でいいと思うぞ!」

「1年生一同から……です」

「まぁ、実際はほとんど楓さんの一存ですが」

「本当はわしら全員でショッピングに行きたかったがの」

「ユユ様、素敵だと思います」

「いかがでしょう? なかなか素敵なチョイスだったと自画自賛しておりますわ」

「……ひとまず、小芝居などせず普通に渡してください」

 

「今日は白井ユユじゃなくて、白いユユ様だね」(ユージア)

「え?」「ん?」「は?」

「……」

「…………」

「………………」

 

「おい、シェンリン。この空気をどうにかしろ」

「……『テスタメント』!」

「増幅してどうするのじゃ!?」

 

---

 

「皆の者! わしの一発芸に刮目せい!」

「わー!」

「盛り上げるのは流石ですね~」

「……思いっ切り白髪のカツラが見えてるが」「マイはオチが分かっちまったぞ」

「詰まらなかったらちびっ子3号に降格ですわ」「そういうシステムなんですか……?」

「ふん! 見ておれ! ミリアム・ヒデガルド・v・グロピウス、世紀の一発芸! 3、2、1……」

 

「『ルナティックトランサー』」

 

「…………」(ユユ)

「おい、命知らずか!?」(タヅサ)

「本家が飛んできますよ」(フミ)

「そのツッコミも大概だぞ」(マイ)

 

--

 

「えへへ、お姉さまぁ、えへへ~」

「ちょっとリリさん、引っ付きすぎで……リリさん?」

「えへへへ~」

 

「妙にテンションが高いの」(ミリアム)

「あれ……? お酒、入ってませんよね?」(フミ)

「確かにこの様子は怪しいぞ」(マイ)

「……おい、飲み物を用意したのって楓だったよな?」(タヅサ)

「楓じゃな」(ミリアム)「楓さんですね」(シェンリン)「楓だね」(ユージア)「楓かぁ……」(マイ)

「「「「「「…………」」」」」」

「ちょっと!? 濡れ衣ですわ!?」(楓)

 

「まさか、いくら楓さんでも『リリさんのラムネにだけアルコールを混入させてあられもない姿を堪能しよう』など……」(シェンリン)「想像をそれっぽく言葉にするのはお止めなさい!」

「ついに楓さんが一線を……」(フミ)「『来るべき時が来た』みたいな言い方は物言いですわ!?」

 

「どうする?」「私たちは何も知らなかったって……」「いえ、身内から犯罪者を出すのはちょっと……」「幸い、部外者はいませんから」「このことはわしらが墓まで……」

「どうして既遂前提で議論が始まるのですか! ちょっと! 私、結構頑張りましたのよ!?」

 

「ごめんごめん。ちょっと悪ノリした」とマイ。

「私もごめん。……リリは、普段からこんな感じ」(ユージア)「それはそれでひどいのではなくて?」(楓)

「まぁ、これは雰囲気に酔っておるのじゃな」(ミリアム)「リリさんがアルコールに弱いという話も聞いておりませんし」(シェンリン)「そもそも、同じものを飲食してますからね」(フミ)

「送り狼に気を付けろよ」(タヅサ)「どうしてアナタだけまだ警戒モードなのです……?」

 

「えへへ~」

「貴方たち! 茶番はいいので私を助けなさい」

「「「「お幸せに」」」」

「…………『ルナティックトランサー』」

「リリ! やめて!」「ストップですリリさん」「わしが身を挺してでも助けるぞ!」

「お前らの変わり身の早さは縮地以上だな」

 

----

 

「今日は無礼講じゃ!!」

 

「私のアイデンティティが!?」

 

「おい! ファンタズムはずるいぞ!」

 

「ユージア、その……、おかわり貰えるか?」

 

「一発芸……『鷹の目で覗きをするフミ』……」「冤罪です!?」

 

「お姉さまとお出かけ……!」

 

「ユージアさん、後でお仕置きですわね」

 

「ちょっと! 結婚式じゃありませんのよ!?」「け、結婚!!?」

 

「貴方たちは本当に……本当に、言葉も出ません」

 

----

 

「お姉さま」

 リリは、改めまってユユを見つめた。その手には、小さな包装。

「これ、私からプレゼントです」

 ユユは何となく視線を外した。……ニヨニヨと笑っているマイと後輩たちが目に映った。

 密かにため息を吐く。どうやら逃げ道はないらしい。

「……ありがとう、リリ。開けてもいいかしら?」

「はい! ……と言っても、大したものじゃないんですけど……」

 意外にも、と言うべきか、リリから受け取ったその箱はかなり軽かった。髪留めだろうかと直感的に予想した。

 リリのことだから、手作りのプレゼントに拘ったのではないか。髪留めなら何とか自作もできる。クローバーの髪留めがお気に入りだから、それとお揃いのような……。

 そんなことを考えていたから、箱の中身に、ユユは目を見開いた。

 無骨ささえ感じさせる豪快なフォルム、それでいてどこか上品さを携えたデザイン――ユユがかつて心を奪われた一振り――。

「これは……」

「驚いたかの? 実物約1/10サイズのダインスレイフじゃ!」

 ユユは、咄嗟に返事が出来なかった。

 ダインスレイフは、ユユにとって『呪われた』ものだった。同時に特別なものでもある。それ故に別のダインスレイフを使うつもりになれなかったし、その姿を見ることすらユユは拒んでいた。

 不味いと思った。しかし、その直感に反して、なぜか嫌な気持ちは湧いてこない。

 不意にマイと目が合う。マイがニヤニヤと楽しそうに笑うので。ユユは、強いて不機嫌そうな顔をした。

「あの、その……。あんまりでしたか……?」

「いいえ! 嬉しいわ。ただ、何と言うのかしら……予想していなかったものだから」

 複雑な気持ち。

 嬉しい気持ちは存分にある。しかし、むしろそこに戸惑ってしまう。この贈り物を喜んで受け取ってしまっていいのだろうか。

――……自分がもうダインスレイフに抵抗がないことは、素直に喜べることなのだろうか――

 そのユユの表情は、控えめに言って嬉しそうには見えなかった。

「あの、お姉さま……」

 リリは、少しだけ声音を変えた。そして、意を決したようにユユを見つめる。

「お姉さま。私が初めて見たお姉さまは、ダインスレイフを手にしていました。だから……という訳じゃないですけど……だから! その! 一目惚れだったんです! ダインスレイフを使うお姉さまが、綺麗で、カッコ良くて、素敵で……! 夢でも、ダインスレイフを持ったお姉さまと戦うのを何度も見ちゃいました」

 リリは、少し恥ずかしそうに笑って、『ダインスレイフ』を見つめた。

「これは私にとっての思い出だから、お姉さまにとってはそうではないかもしれませんけど……。でも! チャームを作れるってミリアムさんに聞いた時、プレゼントはこれしかないって思ったんです」

 もしかしたら嫌がられるかもしれない。そう分かっていて、それでも贈りたかった。

 その理由はきっと。

「私、きっと……」「いつまでもめそめそされては迷惑! ということですわ!」

「わわ! 楓さん……?」

 いつの間にか、楓がユユとリリの間に立ちはだかっていた。

「楓さん。貴方には、私がめそめそしているように映るのですね」

「そうですわ! アナタにはこ~んな可愛いリリさんが居るのに、他に何を求める必要があるのでしょう?」

 ユユはぴくりと眉を動かした。しかし、その表情は澄まし顔のままだった。

「要らないのでしたら、私が頂きましょうか?」とシェンリン。

「ええ!? シェンリンさんがリリさんを!?」(フミ)「え、ええ!?」(リリ)「大胆不敵……!」(ユージア)「それもまた愛じゃな」(ミリアム)

「……一応ツッコんでおくが、シェンリンが言ってるのは『ダインスレイフ』のことだぞ」とタヅサ。

「さあ? どうでしょう」とシェンリン。

 それは本気とも冗談とも取れない微妙な顔だった。

「大丈夫だ! ダインスレイフはユユのお気に入りだからな! 喜んでいない筈がないぞ」

 マイが横から口を挟んだ。

「……貴方は知っていたのですか」

「さあな? でも、リリの言いたいことは分かる。前を向けってことだな」

――過去に囚われるな、恐れるな、前を向け――

 不思議なことに、皆は口を揃えて同じことを言う。ユユは、変におかしい気がして、ふと気が緩んだ。

 それを見て、リリが叫んだ。

「あ! お姉さまが! 笑いました!!」

「……ちょっと何ですか。私が笑うことは……泣くほどですか!?」

 何故かボロボロと、表情そのまま、涙だけ大粒のを零していた。

「ち、違っ! ……だ、だって……最近、お姉さまはずっと難しい顔をされてて……」

 おろおろと、ユユは周りを見渡した。楓はシェンリンとユージアに阻まれている。フミはタブレットで写真だか動画を撮っている、マイはただただ笑っている。自分で頑張れ、とでも言っているようだ。

――何ですか、みんなして……――

 不満を口にしかけて、リリの様子にまたおろおろした。

 ここ数年。ユユは、自分が冷めた人間だと思ったことは何度もある。実際、感情が揺れ動くことが極端に少なくなっていた。『死神』という通り名さえ、妥当に思えて訂正する気も起きなかった。

 しかし、リリにとってのユユはもっと表情豊かな存在らしい。少なくとも、ユユが無愛想だと不安で泣いてしまう程に。

 ユユは、努めて表情を保ちつつ、頬に手を当てた。

 ……シュッツエンゲルとしてリリに向き合うということは、そのまま、『前を向く』ことに直結する。リリの存在は、あまりにも……。

 ユユは思考を打ち切り、一歩リリに近付いた。

「リリ」

「お姉さま……? わっ! わっ」

 有無を言わせず、ユユは、リリを抱き寄せるような形でリリに密着した。

「心配をかけてごめんなさい。外征のことで神経質になっていたみたい。……ダメね、シルトを不安にさせているようじゃシュッツエンゲル失格だわ」

「そ、そんなことありません! 私、私……!」

 リリがもう不安を口にしないよう、ぎゅっと力を込めた。

――恐れちゃいけないよ――

 何を恐れるものがあるのだろう。

――未来を見て――

 言われるまでもなく。

――いつまでも幻影なんかに囚われないで――

 ……。こんな手のかかるシルトに構っていたら、過去に浸る暇すらない。

 きっとそれでいい。未来を向くことが何を意味するかなんて関係ない。

 自分がシルト(リリ)を不安にさせてまで過去に囚われるような人間になって、誰が喜ぶというのだろうか。

「リリ。もう二度と貴方を泣かせたりしないわ。決して私から離れては駄目よ。だって、貴方ったら危なっかしくて目を離しておけないもの」

 キャーっと黄色い悲鳴が上がった。マイは面白そうに、シェンリンは囃すように、ユージアは興奮したように、タヅサは恥ずかしそうに、ミリアムは豪快に、楓は暴れ、フミは煽りを受けてすっ飛ばされた。

 ただ一人、リリだけが不満そうな声を上げた。

「わ、私だって子どもじゃありません! お姉さまを守ります!」

「え?」「えー!?」「おろ?」「あらら」「リリ……!」「これは……」「それはプロポーズですわよリリさん!?」

 え? とリリ。

「誰がプロポーズですか」

「違うのか?」とマイ。

 違います、とユユ。

 にひひ、とマイが笑った。

 その誤魔化すような笑いに、ふっ、とタヅサが笑った。

 それを見て、シェンリンがふふっと笑った。

 つられるようにフミが、ユージアが、ミリアムが、楓が、リリが。ユユまでも可笑しくなって笑ってしまった。

「リリ……みんなも……。今日は、本当にありがとう」

 ユユはごく自然に感謝を口にした。

 誰もが笑ってユユを見つめている。ユユも微笑んで皆を見つめている。

 時期外れの誕生日会は、大成功の(うち)に終わろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おめでとう、ユユ」

 

 ユユは、肩を揺らした。

 誰もいる筈のない背後。

 そこに居る筈のない誰か。

 時が止まったような世界で、ユユはゆっくりと――誰より早く――振り返る。

「……。……ごきげんよう。ソラハ」

「ごきげんよう、ユユさん?」

 そこに居たのは、ユユの旧友、天野天葉(ソラハ)だった。

 友人が、誕生会にお祝いの言葉を掛けただけ。それだけで人をここまで疲れさせる人間は、ソラハ位なものだ。

 ユユは視線に棘を込めたが、ソラハはただニコリと笑った。

「わぁ! 花束ですか?」とリリ。

 視線を下げると、ソラハの手の中で、色とりどりの花が咲き乱れていた。

「うーん、花束というより『ブーケ』かな」とソラハ。

 二人のお祝いには丁度良いでしょう? と、ユユとリリだけに聞こえる声で囁いた。

 リリは首を傾げ、ユユはそれを受け取る振りをしてグッとソラハを押し返した。

「あ・り・が・と・う。ソラハ」

「礼には及ばないさ。他でもないユユの為なんだから」

 そしてユユの力に逆らわず、ソラハは流れるように二人から離れた。

「それじゃあそろそろお暇しようかな」

「あら? もうお帰りですか?」とシェンリン。

「今日は君たちが主役だからね。私はお邪魔虫さ」

 そう言っている間に、ソラハはもう、半身を扉の外に滑り込ませていた。

「それではごきげんよう」

 短い一言ながら物足りなさは全くない挨拶。

 水鳥のような、爽やかで嫌味のない去り際だった。

「……やっぱり本物の一流リリィはオーラが違いますねぇ」とフミ。

 その視線は楓を向いており、言い方に含みがあった。

「私が偽物のような言い方は聞き捨てなりませんが?」

「……似非の自覚はあるのか」(タヅサ)

「似……!? お待ちなさい、私は正真正銘の一流ですわ!?」

 ……その余韻が去らない内に俄かに活気づくのは、流石一柳隊といったところだろうか。

「貴方たちは情緒というものを知らないのですか?」

「いいではありませんか」とシェンリン。

「百合ヶ丘に一つくらい、騒がしくて慎みのないレギオンがあった方が面白い筈ですわ。西瓜(スイカ)に塩をかけるようなものです」

「明らかに塩分過多なのですが……」

 と言いつつも、ユユの表情は満更でもなさそうだった。

 もちろん、当人はそうと気付いていなかったが。

「おーい! フミが一発芸するらしいぞ!」

「お?」「ほうほう」

「マイ様!? どこから現れたんですか!?」

「詰まらなかったら出家ですわ」

「何で俗世を捨てなきゃいけないんですか!?」

 ……騒がしい夜は終わらない。一柳隊のパーティはまだまだ続く。

 今日は無礼講。なぜなら、一柳隊のお姉さまの誕生日会なのだから。



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第6-4話 vs不審な影

ラスバレ(アプリ)にソラハ様実装記念で、ちょっとアールヴヘイム回を先出ししてみました。
※レジェンダリーバトル実装5/28、投稿6/10。

まぁ、まだゲーム中で取得はできないので……。


 リリィにとってチャームは、かけがえのない存在である。それは武器であり、生命線であり、相棒であり、身体の一部ですらある。

 それがピカピカになっているのを見て、彼女は盛大にため息を吐いた。

「あ~あ。短いバカンスでしたわね」

「アラヤちゃん……昨日までは、暴れたりないって……」

「クスミ。コイツの言うことなんかまともに聞いちゃダメよ。感情が服着て歩いてるような奴なんだから、大して考えちゃいないわ」

「天邪鬼なんだよ、コイツは」

「あぁん? それは喧嘩を売ってるつもりかしら?」

 4人が会話しながら近付いてくるのを見て、すれ違うリリィはさっと道を開ける。

 遠藤亜羅椰(アラヤ)、江川樟美(クスミ)、田中(いち)、金箱弥宙(ミソラ)。彼女たちは百合ヶ丘の……いや、世界のトップレギオンの一角、『アールヴヘイム』の主力メンバーだ。

 先日の戦闘でチャームが損傷・一時戦力外となったが、半月も経たない内に前線に復帰することになった。随分と急ピッチで修理が行われたものだった。

――まぁ、私たちの力が必要とされている、と考えれば悪くない気分で……――

「…………!」

 ピクリと、眉を動かし立ち止まる。

「……アラヤちゃん?」

 クスミが首を傾げ、壱とミソラはチャームに手を掛けた。

「……いえ。気配は消えましたわ」

 アラヤは警戒を解きつつも、不満げな顔を隠さない。

 ()()だった。

 殺気、ではない。しかし、こちらをじっとり観察するような異様な視線。下手をすれば、殺気よりずっと(たち)の悪い何か。

 百合ヶ丘に帰ってから、隙を伺うように何度も視線を感じていた。

「私には分からないんだが……本当に何かいたのか?」とミソラ。

「アラヤちゃんが言うなら、間違いないと思う」とクスミ。

「コイツは動物並だからな」

「ええ! 私は獰猛な肉食獣ですから?」

 アラヤは胸を張った。まぁ、事実、アラヤは野性的な勘を持っており、その直感で数々の危機を救ってきたのだが。

 ……しかし、コイツには皮肉も通じないな……。

 壱は呆れたように息を吐く。ただし、臨戦態勢は保った。

「で、それは人なの? それともヒュージ?」

「どうやら、薄汚い何某ですわね」

 ヒュージではなく、人。

 クスミは大きく頷くと、数歩前に踏み出し、半身だけ振り返った。

「鼠だね……!」

「……何でどや顔なんだ?」

 妙に楽しそうであった。

「それでは、月詩(つくし)さんと辰姫(たつき)を呼びましょうか。あの2人でも、いないよりはマシですわ」

「え? 私たちでやるの?」と壱。

「いいんじゃないか。丁度、コイツの『ネズミ叩き』も直ったところだしな?」とミソラ。

「当然! 獅子は鼠を取るにも全力を挙げるものですわ!」

 ……いや、獅子というか猫の仕事だぞ……。壱はそう思ったが、クスミが乗り気なので何も言わなかった。

「鼠殲滅戦……!」

 ここに、アールヴヘイムの復帰戦が始まろうとしていた。

 

-1-

 

 唸り声のような風切り音を上げ、歪んだ金属塊が飛び込んでくる。そこに一歩踏み込み、鋭い剣筋で切り裂いた。

「やあ!」

 リリだ。しおり直伝の超攻撃スタイルだった。

 そして背後からもう1体が飛び込んでくる気配を感じて、しかしリリは動かなかった。

 その必要はなかった。リリが行動を起こすまでもなく、それは突如撃ち抜かれて爆ぜた。

 それを確認し、茂みからもう1人のリリィが現れる。

「……一応対応してくださいよ~」

「え~? フミちゃんならやってくれるでしょ?」

 その悪戯っぽい言い方に、狙撃手(フミ)は苦笑いした。喧嘩と仲直りをして以来、リリはこうした挑発的な物言いをするようになった。

 対抗して、フミも大言を吐いてみる。

「まぁ、私なら残り全部、一人で倒せますからね」

「ダメだよ! 私が全部、やっつけちゃうから!」

「リリさんには絶対無理ですよ~」

「フミちゃんこそ無理はダメだよ」

 まるで放課後のような他愛のなさだが、その間2人は一切構えを解いておらず、背中合わせで周囲を警戒している。

 そんな2人を囲むように、多数の唸り声が響く。先程と同じものが大量にやってくる。

 それを見て、2人は笑った。

「どちらが多く倒せるか」「勝負だね」

 2人は合図もなしに、同時に飛び出した。

 その様子をモニター越しに見ながら。

「……おう、マジか……」

 壱は、ただただ驚いた。

 画面に現れる撃破スコアは、2人とも並んでいる。右上に表示されているのは『演習』の二文字。今日はヒュージロイドを使用した、実戦形式の演習だった。

 壱は、実に2ヶ月半ぶりに授業に参加していた。既に単位は足りているのだが、学級委員長として、クラスの変化は把握しておきたいのだった。そして、予想以上に著しい変化が眼前に現れていた。

 4月に見た時は、初心者も良いところだった。しかし、今の2人はまるで別人だ。別人と言うか……マジで、何があったらこんなに成長できるんだ……?

「おい、しおりん。アイツらに何があったんだ?」

「士別れて三日なれば即ち更に刮目して相待すべし、ですよ。いっちゃんさん」

 『いっちゃん』はクスミ専用だ! と壱。

 しおりん呼ばわりを完全に棚に上げている壱だが、しおりは全く気にせずにこりと笑いかけた。

 なお、当のクスミは部屋の隅でさくあと雑談している。(壱はそこはかとなく不安なのだが、クスミにとって数少ない話相手なので一先ず黙っておくことにしている)

「しかし凄いな……。いや、百合ヶ丘の平均から見れば中の下……まぁ、数か月でここまで来てる時点で普通じゃないんだが……何より連携の質、おおい!!」

 ざわっ、と見学者一同がどよめいた。壱も思わず声を上げる。死角から迫った射撃を、リリが際どく回避した。

 弾は訓練用とは言え、実戦形式なのでそこそこ威力を出している。当たったらそこそこ痛い。それにもかかわらず、その避け方は確信的でブレがない。もしこれが意図的なものだとすれば、『この世の理』(回避)使いを彷彿とさせるリスキーな動きだ。

「……オイオイ、マジか……」

 ……なるほど、妙に見学者が多いと思っていたが、納得だった。こんな危なっかしい奴、とても目を離してはいられない。

「オイ、しおり。あれはオマエが仕込んだのか……?」

 壱は半ば責めるような口調で尋ねたが、しおりは悟ったような顔で応えた。

「いえ、私は何も」

 笑ってはいないが穏やかなような、苦渋の表れのような、信頼しているような、呆れているような……どのようにでも解釈できる微妙な表情だった。

 結局、外征再開のデッドラインまでに2人の『悪い癖』は治らなかった。しかし、教えるべきことは全て教えた。これ以上は、もはや一柳隊の面々に任せる他はない。

 その心境は、諦観でもなく、満足でもなく、落胆でも安心でもなく、まさしく悟りと言うべきだった。

 壱が更に探りを入れようとしたところで、電子音が響く。演習終了、リリ20、フミ20。随分と仲の良い結果だった。

「ふっふっふ! 今回は私の勝ちですよ~」

「うぅ……! 私のラムネがぁ……」

 しかし、帰ってきた2人の様子は対照的だった。というか、何やら賭けまでしていたらしい。

「2人ともごきげんよう。スコアは同点だったわよ?」

「あっ、壱さん! えへへ、授業で会えると壱さんが帰ってきたんだって感じがします」

 リリは一転してにへらと笑った。

「ごきげんようです~。リリさんは反則で-1点ですから私の勝ちなんです!」

 フミは得意げに胸を反らせた。

 反則と言うと……まさかあの回避のことだろうか。

 そう思っていると、フミは後ろを差した。訝しみつつ振り返る。

(うわっ!)

 声が出そうになる口を咄嗟に抑える。いつの間にか、ユユ様がすぐ近くにいた。

 周囲の生徒が口々に挨拶を始め、慌てて壱も頭を下げる。

「ごきげんよう、ユユ様」

「はい、皆さんごきげんよう」

 そこで、壱は違和感を覚えた。それが何か考えていると……差し当って、ユユが手にボードを持っていることに気付く。そこには『リリ-1点』と書かれていた。

「リリ。意識的でないのは分かりますが、その動きはまだ厳禁です。自身の動きをコントロールなさい」

「いいえ! 素晴らしい回避でしたわ!」

「うわっ、楓も居たのか!」

 死角からにゅっと不満顔の楓が現れた。手にはボードを持っており、『不当判決』と書かれている。

「リリさんの回避は完璧でしたわ! 実戦はともかく、練習の場でトライ&エラーを図ることは悪いことではございませんわ」

「もちろんその通りですが、この演習はその『実戦』を想定したもので……」

「ですから、その『実戦』でうまくできているのですから……」

 そのまま、ユユと楓は言い合いを始めてしまった。

 手に妙なボードを持って、1年生と言い合いしているユユ様。言いたくないが……こんな姿、あんまり見たくなかったなぁ……。

 他方、リリとフミは、クラスメイトから「回避が危ない」やら「寝癖を直せ」やら、口々に注意されている。「いえ、これはオシャレなんですって!」(フミ)

 壱は首を傾げた。……あれ? 百合ヶ丘ってこんな騒がしい感じだっけな……。

 全体的にもう少しピリピリした空気が広がっていたように思う。ユユ様も、後輩とこんなに親しげに振る舞う人ではなかった。一体、百合ヶ丘で何が起こっているのだろうか。

「なかなか愉快ではございませんか? ねぇお壱様」

「……いや、オマエが出ると不穏だから止めてくれ」

 しっしとさくあを払い、壱はため息を吐いた。

 一つ確かなことは、どうやら、一柳隊は百合ヶ丘の台風の目になっているらしかった。

 

-2-

 

 ところ変わってカフェテリア。

「え゛、不審者……?」

 リリは、壱の話に明らかに顔色を変えた。

「あら。心当たりがあるのかしら」

「え、えっと……」

 リリは、つーっと視線を逸らした。頭に浮かぶのは大傘を差した変人リリィ。もしや、萌沢雫月様……?

 心当たりはそれしかない。ただリリには悪い人物には思えず、前回のように大事になるのは避けたい。

 結果、リリは何とか誤魔化そうとして……結局、『私、知ってます!』と全身で表明してしまっていた。

「リリさん? 何かご存知なんですね?」

「そ、それは……」「リリさんを誑かす不審人物が現れたのですわ」

 見かねた楓が助け舟を出した。

「5月の連休直前のことです。丁度このカフェテリアで、不埒者(ふらちもの)がリリさんの貞操を狙ったのですわ!」

「えっと、そういうのはなかったかな……?」

 貞操どころか、身体に触れられてすらいない。

「いいえ、絶対に狙われていましたわ! リリさんはもっとご自身の魅力に自覚的になられるべきですわ!」

「それは楓だけじゃねぇのか……?」

 壱は、素でツッコんでしまった。

 ……いかん、委員長キャラが崩れる……。どうも、リリたちと話してると調子が狂ってしまう。

 咳をして、体裁を取り繕う。

「連休というと、殆ど2か月前のことですね。その間、目撃情報などはなかったのですか?」

「それが全くですわ。もしかすると、上級生のどなたかが犯人で、騒ぎになった挙句に名乗り出られなくなったのかもしれませんわね」

 やれやれと、楓は片手を振った。なお、生徒会や教導官内でも、続報がないということで暫定で同様に結論付けられている。

 リリも上級生ではあると思っているので、嘘にならない程度に曖昧に頷いておいた。

「それにしても『アールヴヘイムを狙う黒い影』、と言いますとちょっとした事件になりますわね」

 楓は冗談っぽく言ってみたが、言葉尻に真剣な響きが残ってしまった。

 アールヴヘイムは世界屈指のレギオンであり、色んな意味で格好の的になる。称賛、取材対象、救援の要請相手、といった好意的なものばかりでなく、やっかまれたり、スキャンダルを狙ったゴシッパーが現れたりと、まぁ、色んな意味で注目されてしまう。

 楓も有名リリィとして鳴らしてきただけに、その厄介さは承知している。『不埒者』の考えるところは理解できないが、何にせよ、本来の活動の外でリリィのリソースを削られるのは本当に腹立たしいことだった。

 ただ、リリはそうした事情にはかなり疎い。

「何だか、フミちゃんの記事になりそうですね~」

 リリはえへへ、と笑った。つられて、楓も表情を緩めてしまう。

 それを見て、壱も苦笑した。今更言うまでもないが、楓はリリに甘いのだった。

「まぁ、不審人物と言ってもアラヤが視線を感じたってだけだから、あまり大事にしないでくれると嬉しいわ」

「あー……アラヤさんですか……」とリリ。

 4月以来、未だ苦手意識が消えていなかった。同じく、楓もアラヤのことはよーく覚えている。

「そもそも不審者なんて本当にいるのです? あの色情魔のことですわ、カラスか何かを覗きと勘違いしたのではなくて?」

「でも、アラヤは勘が鋭いからね。『誰か』が見ていたのは間違いないだろう」

「そうそう。あんな奴だけど、リリィとしてのセンスは……」

 言いかけて、ふと壱は口を止めた。首を回す。正面に楓、その横にリリ、その横にソラハ様。「ってソラハ様じゃないですか!?」

「やぁ、ごきげんよう」とソラハ様。

「7月になると、子供時代を思い出すよ。ヒマワリ畑の絵日記と、アサガオの観察記録。山に連れて行ってもらったり、草むしりに駆り出されたり。ただ、どうして綺麗な花を咲かせるものを『邪魔だから』の一言で排除しようとするのか、私には理解できなかったな。まぁ、今ではせっせと雑草を除けてるのだけどね」

「……何のお話ですか?」と壱。

「ごきげんよう、ソラハ様。できれば、もっと脈絡のある登場をお願いしたいものですが」

「あの、この前はお花、ありがとうございます」

 楓は適当に茶々を入れ、リリはぺこりと頭を下げた。

 ソラハはうんうんと頷いた。それで何をどの程度了解しているのかは不明瞭だった。

「それより、どうしてソラハ様がこちらに? 何か問題でも起きましたか?」

「いいや。会議が終わってクスミを探していたんだ。そしたらリリさんを見かけたから、ふらふらっと」

 ふらふらっと。ソラハ様ともあろう者が、そんなふんわりとした感覚で良いのだろうか……。

 脱力する壱を尻目に、ソラハはニコニコ笑っていた。

「ずっとリリさんに聞きたかったんだ。あんなに頑なだったユユの心を開くなんて、一体どんな魔法を使ったの?」

 こっそり教えてよ、とソラハは茶目っ気たっぷりにウインクした。

 そのチャーミングな様に、楓の目つきが変わった。

「ソラハ様? 百合ヶ丘のエース様と言えど、私のリリさんに手を出そうものなら、その選択を後悔させて差し上げますわ……!」

 スッとチャームに手を伸ばす楓を、リリは慌てて止めた。

「だ、ダメだよ楓さん!」

 図らずも、それは入学日の再現だった。丁度、壱やソラハが初めてリリたちを見かけた一場面だ。

「そもそも、いつからオマエのになったんだー?」

 とツッコみつつ、壱は何となく懐かしくなって、頬杖をついて状況を見守った。あの小さかったリリがこんなにも大きくなって……。

 なお、リリはソラハ様に飛びかからんとする楓を全身で止めている。「壱さん! 止めてください!」とヘルプを求められるが、壱は応援席に座っている保護者の気持ちで目を細めた。

「リリさんふぁいとー」「ファイトしそうなんですよ~」

 騒がしい光景に、ソラハは愉快そうに笑った。

「あはは、これが魔法の答えかな? こんな愉快な仲間に囲まれたら、ユユだっていつまでもウジウジしてられないさ」

 ソラハはうんうんと頷いた。それで何をどの程度合点しているかは不明瞭だった。

――え? ユユお姉さまはウジウジなんてなさらないですよ?――

――してますとも!――

 ふと気になって、リリは背中を逸らせながら(いつの間にか楓に抱きしめられつつ)、ソラハ様に尋ねてみた。

「あの、昔のユユ様って今のユユ様とはちょっと違ったんですか?」

 ソラハは数秒考える仕草をした。

「うーん、今より生真面目だったかな? 中学の入学式なんか、『私が全てのヒュージを倒してやる!』なんて言ってたくらい」

「へぇ、ユユ様が!」「え? そんなことおっしゃってたんですか?」

 その答えに、むしろ壱が驚いた。ユユのことは中等部から一応知っているが、当時から一貫して落ち着いた大人なイメージがあった。そんな青臭いことを言っていた時期があるとは、にわかに信じがたい。

「……って、壱さんは何を格好付けていらっしゃいますの? リリィたるもの、一度はそのセリフを口にするものではございません?」

「いえ、そうですけど……そういうのは大抵、小学校で卒業しませんか? ……いえ! ユユ様を貶めている訳ではありませんけど」

 実際、中学生になってからもそういうことを言っていた人間は、壱の知る限りでバカ(月詩(つくし))を除くと一人もいなかった。もしかしたら、しおりは事件がなければ中学1~2年までは言っていたかもしれないが……。

「結構純粋なところがあるんだよ、ユユは。だからこそ、美鈴様はユユを選んだのかもしれない」

「美鈴様ですか?」

 リリは身を乗り出した。レストアに刺さったダインスレイフ。節目に何かのメッセージを残すように、それはユユの手元に帰ってきていた。美鈴様の話題に、リリは敏感になっていた。

 もちろん、敏感になっているのはリリだけでなく。

「……」「……」

 楓と壱は静かに視線を()わし、壱は首を振った。ソラハ様が美鈴様の話題を出すのは、壱が知る限り数年ぶりだった。何を思ってその名を口にしたかは分からない。

 一体何を言い出すのか。壱は喉を鳴らした。

「あ、これお土産のラムネ煎餅。キワモノかと思ったけど、駄菓子みたいで美味しかったよ」

「あっ、これはどうもご丁寧に……」

 壱は、ずっこけそうになった。

「ソラハ様! 美鈴様のお話ではなかったのですか?」

「ほぇ? ひふふさまふぉ?」

「って何もぐもぐさせてるんですか! お土産ですよね?!」

 ソラハはうんうんと頷いてごくんと飲み込んだ。

「一つ頂いてね。壱もどうだい?」

 どうだい、ではない。あげたお土産をその場で強奪するなど、百合ヶ丘のリリィにあるまじき行為ではなかろうか……。

 しかし、壱の沈黙をどう捉えたのか、「美味しいですよ、壱さん」とリリ。

「なかなか懐かしい味ですわ。アナタにも一つ差し上げますから感謝なさい」

「いや、これ私が見つけたんだが……」

 というか、楓の口に合うのがちょっと意外だった。壱は嫌いでないが、かなり庶民派の味だと思う。……まぁ、楓は良い意味で所帯じみている人間だが。

 いや、そんなことを話しているのではなく……。

「ソラハ様。あまり私たちを振り回さないでください」

「ごめんごめん、別に他意は無いんだ。この前、一柳隊がユユのダインスレイフを奪還してくれだろう? それでちょっと思い出しちゃって」

 ダインスレイフ、甲州撤退戦で失ったユユのチャーム。その戦いには、当然、初代アールヴヘイムだったソラハも参加している。

 それは美鈴様の最後の戦い。皆に好かれ、多大な影響を与えた『お姉さま』がいなくなった戦い。

 ソラハはどこか遠くを見るような目をした。そして呟くように一言。

「カリスマ」

「え?」

「本当にリリさんがユユのパートナーで良かったと思うよ」

「は、はぁ。ありがとうございます……?」

 ソラハが何でもないように続けたので、リリは聞き間違いでもしたかと頬をかいた。

 一方、壱は静かに目を見開いた。――カリスマ……!――

 あの連携の精度……確かに、『カリスマ』と考えれば……しかしまさか……。

「……あっ、レアスキルじゃなくて『人を惹きつける』って意味ね。リリさんは、人を惹きつけるカリスマのようなものを持っていると思う」

 ソラハは後付けのように言葉を加えた。その真意はともかく、リリは首を傾げた。

「レアスキル、ですか?」

「レアスキル『カリスマ』。チームの統率力を上げる、そういうスキルがあるのですわ」

 楓は、できるだけ何気なさを装って説明した。

 ……正直、この話はリリの前ではしたくなかった。自身のスキルに予断を持ってほしくない……というだけでなく、リリがそうであると考えることに複雑な気持ちがあった。

 『カリスマ』持ちは、人を惹きつけるような魅力的な人物であることが多い。レアスキルは当人の人となりを反映するものだから不思議ではないが……時に、逆ではないかと言われることがある。

 つまり、『カリスマ』というスキル故に他人を惹きつけているのではないか。それ自体が能力の一種ではないか。

 支援と『支配』のスキル、カリスマ。そのように考えることは、あまり喜ばしいことではなかった。

「…………」

 一体何を思ってそんなことを口にしたのか、楓は睨みつけるようにソラハを見据えた。しかし、当のソラハはごく自然にリリの方を向いていた。

「リリさん。あなたがその力を()()()使うことを期待しているよ」

 ソラハはニッコリと笑いかけた。

「あ、はい……」

 リリは、何となくバツが悪い気がした。リリィとして正しい力の使い方。……もしかすると、リリがフミとチャームを向けあったことをご存知なのだろうか……。

 そう思っていると、ソラハは右手を差し出した。

「共に歩む百合ヶ丘の同士として。改めてよろしく」

「あ、はい!」

 慌ててその手を取る。

(わっ!)

 温かく力強い右手だった。数々の危機を乗り越え、数多の窮地を救い続けてきた手。皆が憧れ、リリたちが目指すべきリリィの頂点。触れているだけで、勇気が湧いてくるような不思議な力が感じられた。

 ソラハが一際力を込め、2人の指輪が触れ合う。マギを通して、ソラハの感情がリリに流れ込んでくる。

 親しみ、優しさ、喜び、慈しみ、自信、覚悟、そして……?

「もう! 何時まで手を握ってらっしゃるのですか!」

「あっ」

 楓が強引に2人の間に割り入った。

 リリは離された自分の手を見つめ、開いたり閉じたりした。不思議な感覚だった。

 マギには個性が表れる。手と手を触れたりぎゅっと抱きしめたりすれば、相手のことは分かるものだと。リリはそう思っていた。

 しかし、ソラハ様のマギは独特だった。お姉さまともマイ様とも違う。捉えどころがないというか、理解が及ばないと言うのか……。何気ない文章に、未来の言語で書かれた節が所々挿入されているような。

(これが世界レベルのリリィなんだ……!)

 あまり人に遠慮しないリリには珍しく、背筋を伸ばした。そのまま尊敬の眼差しを向ける。

「ソラハ様! それはリリさんの物ですわ!!」

「まぁまぁ減るもんじゃなし」

「減りますわ!?」

 ソラハ様は、ラムネ煎餅を頬張っていた。

「……」

「ソラハ様。リリさんが凄い顔をしていますよ」

「ごめんごめん、思いのほか美味しくて」

 ……何と言うかもう少し威厳があってもいいんじゃないかと。あまり外見を気にしないリリには珍しく、そんなことを思った。

 ただ、ソラハ様は終始愉快そうだった。

「それじゃあ私はこれで。クスミを探してくるよ」

 そう言って立ち去る直前、ソラハはリリをじっと見た。……自分が見透かされているような、それでいて温かいような……何故か、どこか懐かしいような気がした。

 ソラハはうんうんと頷くと、振り返らずに歩み去った。

 何を考えているのかは分からないが……その後姿を観察しながら、楓は苦々しく表情を歪めた。

「……ソラハ様ってこんな厄介な御方でしたか?」

「いや、まぁ、無自覚に騒ぎを作るみたいなところはあるかな……」

 楓はむむっと唸った。

 別に暴走している訳でもないのに、何気なく周囲を振り回す人だった。

 

-3-

 

「ふーみん」

「くーすみん」

「ふーみんふーみん」

「くすくすくすみん」

 あ、それ反則。と、クスミ。

「えー、どういう基準なんです~?」

 フミは頬を緩ませた。

 江川樟美(クスミ)。実戦で被弾したことがないと言われる、並外れた『ファンタズム』(未来視)の使い手。ただし、その実態は人見知りでとても大人しい。

 一柳隊のように騒がしくなく、取材やオタトークのような臨戦態勢でもない。静かな友人との会話は、実はフミにとってかなり珍しいことかもしれない。

 ちなみに、2人は訳もなく校舎沿いを歩いている訳ではなく。

「フミちゃん。きょうはありがとう」

「いえいえ。どうせ取材のネタ探しをしていたところですし、むしろ『アールヴヘイムに迫る黒い影!』として立派に記事にできますから! むしろ願ったりですよ~」

 フミは気遣いなどでなく、素直にそう思っていた。クスミには不審者探しに鷹の目を。フミはそれを記事に。

「これはwin-winですよ!」

「うん。うぃんうぃんだね」

 ……と言いつつ実は、どうせ取材しようとしていたものにお墨付きをいただけたようなもので、win-winというか殆どフミの一人勝ちに近かった。

 フミは元来小心者なのだが、こと取材に関しては遠慮も容赦もない。まぁ、クスミにとって、下手に遠慮されるよりはずっと楽なのだが。

「いや、少しは遠慮しろよ……」

 不意に後ろから声を掛けられる。

「あ、どうもミソラさん」

 フミは返事をして振り返った。そして、首を捻る。

「あれ、ミソラさん? どちらにいらっしゃいますか?」

「ここだよここ」

「あれ? 声はすれど姿は見えず?」

 フミは上の方をキョロキョロした。

「前だよ」「はい」「もう一歩前」「はいはい」「そこで下向いてみて」「はい? ……うわっ、ここに」「お前にそのネタやられるとムカつくんだが?!」

 最後は切れ気味にツッコんだ。それでもちゃんと乗ってくれる辺り、なかなか寛容である。

 金箱弥宙(ミソラ)、フミのリリィオタク仲間だ。なお、低身長であるのが悩みだが、ちびっこたるフミとは大して変わらない。

 それ(ゆえ)……ではないが、ミソラは、フミが強気にボケに行ける貴重なツッコミ要因でもあった。

「お前、本当に遠慮を知らない奴だな……」

「遠慮してたら記者なんてやってられませんよ! 取材も写真も、当たって砕けろのチャレンジ精神です!」

 それはそうかもしれないが、フミはもっと奥ゆかしさを覚えるべきだと思う。甲州撤退戦の取材もそうだが、フミの無遠慮さは、かなり危うさを孕んでいるようにミソラには映る。

「まぁ、コイツと仲良くしてくれてるのは嬉しいけど……ってオイ、クスミ?」

 クスミは、フミの後ろに隠れて小さくなっていた。

「あっ、ども……」

「何で人見知りしてんだよ!? オイ! 私ら伍人組、幼稚舎からの付き合いだろ!」

 クスミはビクッと顔を隠した。

「あー、よしよし大丈夫ですよ~。……ダメですよミソラさん。クスミさんは大きな音がダメなんですから」

「オイ、私は本気で泣くぞ」

 も~冗談ですのに~。じょうだんなのにね~。「「ね~」」と、2人でハモっている。

「いつの間にそんなに仲良くなったんだ……?」

「人は共通の目的を持つと仲良くなるんですよ」「帝国の脅威から始まる有象無象の野合連合だよ」「ですです~」

 随分と儚い絆のようだった。まぁ、何でもいいが……。

「それより、不審者だよフミ。お前の新聞は読ませてもらったが、今回の件は毛色が違うように思う。あれ以外に事件とか噂とかなかったか?」

 フミは考えるふりをして眼を瞑った。うーん、特にありませんねぇ……とフミ。

 不審者……さくあ……隠ぺい……。それはフミにとって、割と危ういテーマである。

 ミソラは一度目を付けるとしつこいところがあり、あまり突っつかれるとボロを出しかねない。不審者の件は、あまり話題にしないのが吉だった。

「まぁ、百合ヶ丘のセキュリティですから。あれ以来、不審者の話は特に聞きませんでしたよ」

「あ。でも、わつきちゃんがしおりちゃんの部屋に入ろうとして問題になった。ってきいたよ」

 クスミが割り込み、フミは何度か頷いた。……あー、そんなこともありましたねぇ。

 それは、しおりの誕生日に起きたちょっとした事件(不法侵入未遂)だった。

「……何と言うか、あいつらも平常運行だな」

 容易にその図が想像できて、ミソラは苦笑いを浮かべた。とはいえ、今回の件とは明らかに無関係だ。

 ……いや、ちょっと待て。

「……もしかすると、それかもしれないな」

 ミソラは、連想からちょっとした閃きを得た。

「え? わつきさんですか?」

「違う。フォロワーが起こした事件かもしれないってことだ」

 学内外にアールヴヘイムのフォロワー(ファン)はそれなりにいる。ただし、中には行き過ぎた行為をしてしまう者もおり、言ってみれば『アイドルとファン』のような微妙な問題があったりする。

「まぁ、別にフォロワーを嫌がる訳じゃないが……。わつきの愛情表現と、今回の件はもしかしたら同じ構図なんじゃないかって思ってな」

 その可能性は十分あり得る。というかその可能性は高かった。

 考えてみれば、4月以来、学内の不審者情報はリリが見たものだけで、他は一切ない。それなのに、ミソラたちの帰還に合わせて不審な視線が急に現れた。

 その人物の狙いは、明らかにアールヴヘイムにある。

「そういう意味では、『不審者情報はなかった』ってのは良い情報だったかもな」

「へぇ、情報がないことが情報ですか……! 流石世界に誇るアールヴヘイムのBZ司令ですね~」

 ミソラはこう見えて、(単なるツッコミではなく)アールヴヘイムの頭脳の一角なのだ。こういう真面目な一面を見ると、改めて一流リリィなのだなぁと尊敬の念が芽生える。

「そうそう。ミソラは凄いんだよ」とクスミ。

「お前が威張ることじゃないだろ」「あっ、うん……」「だから急に人見知るなよ!」

 ……こういう一面を見ると、やっぱり一人の人間なのだなぁと。まぁ、親近感が湧くのだった。

 ミソラは一息吐いて、ちらっとフミのことを一瞥した(恐らく失礼なことを考えたのがバレている)。それから、一仕事終えたように伸びをした。

「まぁ、それじゃ後はアラヤにでも任せるかな……」

「え? いいんですか? もしスパイとかでしたら大変なことになりませんか?」

「いや、ガチのスパイとか関係者なら、戦闘中のデータを見るだろ。ちょっかい出すにしても、セキュリティのあるガーデン内でやるメリットもない。となれば、犯人は百合ヶ丘のちょっと熱心なアールヴヘイムフォロワーだろうよ」

 『ガチ』な相手に関して言えば、アールヴヘイムは戦闘中に何度か不審なドローンを落としたりしている。ただ、外征中にアラヤが同様の視線を感じたことはない。視線は百合ヶ丘に帰ってきてからだ。

 諸々の情報を総合すると、今回の相手はあまり脅威に感じない。少なくとも、重要度はかなり下がったように思えるのだ。

「でも、近場の研究機関とか、それこそゲヘナの可能性はありませんか?」

「だったらよっぽど資金不足なんだろうな。そんなヘボ内偵ならすぐに尻尾を見せるだろ」

 ミソラは、明らかに興味を失った様子で言い切った。鼠にしても、フォロワーにしても、ミソラはこれ以上調査を行うつもりはないらしい。

 この割り切り方は参考になるような、大胆すぎてあまり参考にならないような……とりあえず、唸るしかないフミであった。

「まぁ、私は取材も兼ねてますから、引き続き『鷹の目』で周辺を調べてみます」

「……というかずっと発動してるのか。息切れに注意しろよ」

「いえ、これも訓練ですので!」

 ユユのアドバイス以来、フミは時間があればレアスキルを発動するようにしていた。早朝ランニングもそうだったが、最初はキツくても慣れたらそれが当たり前になる。

「まぁ、万一があれば私を呼んでくれ。クスミがいるなら滅多なことはないと思うが」

「そうですね~。『何かあれば』ですね」

 油断。

 この時のミソラとフミの心境を表すとしたら、その一言に集約される。黒い影が、音もなく3人に忍び寄っていることに、2人は全く気が付かなかった。

 ミソラもフミも、全く無造作に曲がり角に差し掛かった。黒い影がここぞとばかり飛び出す。

「わっ!」

「うわっ!?」「うぎゃああああ!」

 ミソラは仰け反り、フミは腰を抜かしひっくり返った。

 何で……? 何が……?

 驚き床に崩れ落ちるフミを見て、「ははっ! 驚いた?」黒い影ことソラハはカラッと笑った。

 それと同時、クスミは地面を蹴って駆け出していた。

「ソラハさま~」

「クスミ~」

 腕を広げて、ソラハはクスミを迎え入れる。くるくると回り、勢いを殺しながらギュッと抱きしめる。

「もう。私をおいて行ったらだめです」

「ごめんごめん。会議はすぐ終わらせるつもりだったんだ」

「今日は一日私といてください……!」

「うん。今日はずっと一緒だ」

 そして、2人はイチャイチャと身体を寄せ合った。

 ……いや、思いっ切り外なんだが……。もう少し、外聞を気にしてくれないかとミソラは思う。その思いが伝わったのかどうか、ソラハは顔を上げた。

「ごきげんよう。フミさんとそのお友達さん」

「いや、アナタの後輩です」とミソラ。

 求めているのはどう考えてもそれ(ボケ)ではない。

「フミさん、大丈夫?」

 そうそう、それそれ。

「オイ、大丈夫か」とミソラ。

 親切に右手を差し出してやった。

「あ、はい、どうも……」

 ハッとして、左手を伸ばす。

「バカ! 逆だ!」

 ……何故に鏡合わせ? 掴めないだろオイ。

 しかし、ソラハが横から手を伸ばした。フミの手首を掴んで、一気に引き上げる。

(わわっ)

 見た目の軽さに反して、その手は力強かった。

 未だに感覚の残る左腕をさすりながら、フミは心臓を高鳴らせた。

 ……考えてみると、これは非常に貴重な経験ではないだろうか。トップリリィのソラハ様直々に手を取って起こしていただくなど……!!

「オイオイ、粗相はしてないよな?」

 その言葉に、ビクッとして動きを止める。

 フミは恐る恐るスカートの端を(めく)り、中を覗き込み……「いや冗談だよ。私が悪かったよ」

 ミソラはフミを小突いた。フミは、たまに冗談かマジか分からないことをする。

「フミさん、ごめんね。ちょっと驚かすだけの」「ソラハ様! わたしの前で他のオンナの話はだめ……!」

 突然、クスミは声を上げた。

 クスミは、ご機嫌ナナメだった。どうも、ソラハとフミがイチャイチャ(※クスミ視点)していたのがご不満らしい。

「他のオンナって、私ですよ……」とフミ。

「お前は女じゃなかったのか」「女ですよ! いや、そういう意味じゃなくてですね! ……ってあれ? クスミさん……?」

 クスミは、ソラハの後ろに隠れて小さくなっていた。

「あっ、ども……」

「何で私に人見知りするんです!?」

 クスミはビクッと顔を隠した。

「あー、よしよし大丈夫だよ~。……ダメだよフミさん。クスミは大きな音がダメなんだから」

「……これって泣くところですか?」

 自業自得だろとミソラ。

 ソラハは愉快そうに笑った。

「ごめんごめん、冗談だから」

 そしてクスミを抱き寄せると、ニコリとフミに笑いかけた。

「クスミと仲良くしてくれてありがとう。でも、今日は私と一緒が良いみたい」

 見ると、クスミはソラハ様に頬ずりしていた。……別に自分の物でもないのに(むしろソラハ様の”オンナ”だが)『取られた』感があるのは何故だろう……。

「フミさん、目に映るものを大切にね。本当に大事なものを見逃さないで」

 ソラハは忠告のようなことを語った。

「あっ、どもです……」(フミ)

「なぜ人見知り……?」(ミソラ)

 ソラハはうんうんと頷いて歩き去った。もちろん、クスミと連れ添って。

 フミはその後姿を、肉眼で見えなくなるまでじっと見守った。

「……」

「……」

「……行きましたよね?」

「普通に考えればな」

 止めてくださいよそういうの……とフミ。まだどこかでソラハ様が見ているのではと、意味もなくキョロキョロしてしまう

「本当にビックリしたんですよ?」

 誰も居ないと思っていた場所からの出現。鷹の目を使っていたフミにしたら、虚空から幽霊が出てきたようなものだった。

「あれってもしかして……『ステルス』ですか?」とフミ。

 『ステルス』は『ユーバーザイン』(隠密)のサブスキルで、その名の通り気配を消す能力だ。そうでなければあり得ないような接近だったが……。

「いや、恐らく死角を突いたんだろ」とミソラ。

「死角ですか?」

 フミは訝しげな声を上げた。鷹の目使いの矜持……ではないが、それなりに自分の能力は信頼している。このように開けた場所では、俯瞰視野から隠れられる筈もない。死角などあり得ない。

「いや、あるんだよ。お前ん中にな」

 ミソラは真っ直ぐに指を差した。

 ……曰く、死角には二種類あるらしい。一つ目は物理的な死角。物陰は見えない、草食動物は死角が少ないといった単純な意味での死角。

 そして、もう一つが心理的な死角だ。

「俯瞰視野と言っても、見た景色全てを把握できる訳じゃない。『見逃し』があるもんだ」

「でも……『鷹の目』は、周囲を盤面のように把握できますよ?」

「それでも、全ての景色を把握できる訳じゃない。私も『レジスタ』の俯瞰視野を持ってるから分かる。……例えば、お前もそこに生えている木の()っぱ一枚一枚なんて把握してないだろ。無意識に、盤上に残す情報を選別しているんだ」

 なるほどと納得しかけたものの、まだ腑に落ちきらない。

「いえいえ! ソラハ様を見つけたら絶対に分かりますって!」

「でも、分からなかったんだろ?」

 ……それを言われると反論できなかった。

 しかし、本当に死角を突くだけで、フミの索敵網を突破できるものなのだろうか。もし本当にスキル無しで、しかも悪戯感覚で鷹の目を掻い潜る力を持っているとしたら……。

「……何と言いますか、技量とかマギとかそういうレベルではなく、厳然たる『差』を感じます……」

「そりゃ、まず世界で10本の指に入る実力者だぞ。私や壱でも敵わないんだから、フミが敵わないのは当然だろ」

 ……と言いつつ。実は、ミソラもあまり腑に落ちていなかったりする。

 曲がり角(『死角』)に対して、人間は敏感になるものだ。ミソラもそれなりに意識を向けていた筈なのに、ソラハ様が飛び出してくるその瞬間まで、その気配を感じなかった。

 待ち伏せは戦場での基本戦術の一つだ。当然、トップリリィたるソラハはこういった搦手も抜群に上手い。とはいえ……鷹の目を掻い潜る動きは、流石に初めて見た。

 そもそも、ソラハ様は普段、このような悪戯をする(かた)ではないのだが……。

「……やっぱ危なっかしいと思われてるんじゃないか?」

「え、何がですか?」

 お前だよお前。

「あれはスキルを過信するお前への、ソラハ様なりの警告なんじゃないか? あれだな。『戦場なら死んでた』って奴だ」

 それはデュエル年代特有のセリフである。もちろん、フミに傷一つ付いていないが、首筋に刃を突きつけられたのと同じ位に驚かされた。

 しかし、自分が変な自信を持っていたとは思わなかったし、その自信を、そうと気付く前に打ち壊されるとは猶のこと思っていなかった。

「ううー……そうなんですかね……。精進します……」

 もしこれがご指導だとすれば、それを無為にする訳にはいかない。フミは、改善を固く誓うのだった。

 ……ただし、如何な方策を取ったとして、ソラハ様を見つけられるイメージは全く湧かないのだが。

 

 その後、ミソラはそのまま付き添ってくれ、2人で学内を回った。結果として鷹の目に怪しい影は映らなかった。

 しかし、ソラハ様の”悪戯”を見た後だとどうも落ち着かない。『何も見えない』という情報が何を意味するのか、フミは考えて仕方がなかった。

 

-4-

 

 夕食後、アールヴヘイムの控室にて。

「結局! 誰も手掛かり一つ見つけていない、ということでよろしいかしら?」

 アラヤは満面の不満顔を隠さず一同を見回した。

 ……アラヤちゃんがそれ言う? とクスミ。口に出したら怒られるのは目に見ているので、アラヤの後ろで口だけ動かした。

「クスミぃ、見えてんのよ」「ひっ」

「バケモンかアンタは」

 壱はクスミを保護しながらぼやいた。

 とはいえ、1日回って手掛かりが一切ないのは事実だった。壱も巡回の教導官に尋ねたり、ガードマンに情報を貰ったりしたが、目を見張るような情報はない。

「……オイ、もう私は帰っていいか?」

 これはミソラ。この4人の中で一番やる気がない。

「ダメに決まってるでしょう! あのバカとアホがいない分、アナタが働きなさい」

 なお、バカとアホ(月詩(つくし)辰姫(たつき))は控室にすら来ていない。

 つーか、私もサボれば良かったな……とミソラ。これなら、シズやフミらと情報交換していた方が幾分有意義そうだった。

「オイ、アラヤ。恐らく、犯人はただのファンレベルの奴だろ? あまり血眼になって探す相手と思えないんだが」「そうだとしても、私に喧嘩を売ってただで返すわけにはいきませんわ!」

 ……その私怨に私らを巻き込まないでほしいんだが……。

「まぁ、でもまだスパイの可能性もある訳だし」と壱。

「何やかんやお前は真面目だな……」とミソラ。

 まぁ、ミソラもアラヤの勘を信用していない訳ではない。何かがいるのは、間違いないのだろう。

「……でもスパイじゃなくて、はんたいに、もし犯人が百合ヶ丘生ならどう?」

 珍しく、クスミが自分の意見を述べた。

「あー、そういう特定は考えてなかったな……」

 やる気がなかった筈が、ついミソラは頭を働かせてしまう。

 アールヴヘイムが出来たのは今年……とはいえ、前身となった壱盤隊は去年から存在するから、もし強烈なフォロワーならば去年からアプローチがあった筈。この新潟遠征からファンになった可能性もあるが……この百合ヶ丘でそんなアンテナが低い奴はまずいない。

 つまり、もし百合ヶ丘生が犯人なら、そいつは新入生の可能性が高い。4月に視線を感じなかった理由も、『新生活に忙しかったから』と説明が付く。

 それでは、そいつは誰だ。アールヴヘイムに拘っていて、できれば新入生で、視野系スキルを持って、4月時点ではアールヴヘイムを観察できなかった理由のあるリリィは……。

「……」

 ふと、一人のリリィが脳内に浮かんだ。

 アラヤが大好き。鷹の目使い。4月は百合ヶ丘の新生活に四苦八苦して余裕がなかった人物。

「どうしたんだミソラ?」

 壱の追及に、「いや、何でもない」ミソラは首を振った。……まさか、そんな筈はない。

「そんなことより、ホントにいるのか?」

「きっといるんだよ」

 アラヤに尋ねた筈が、クスミが答えた。そのまま、クスミは後退(あとずさ)って窓にもたれ掛かった。そのまま頬に手を当てると、ミステリアスな雰囲気が醸し出される。

 その演出にどんな意味があるかは分からないが……何となく、窓の外を覗いてしまう。当然、辺りは闇に覆われており、不審者がいても見つけるのは不可能だ。

「ふんっ。次に尻尾を出してみなさい。私が噛み殺して」

――……!――

 アラヤはチャームを起動した。壱が「バカ!」と叫んだ。ミソラは咄嗟に耳を塞いだ。クスミが窓を開けた。それを確認することなく、アラヤは弾丸をぶっ(ぱな)した。

「鼠が掛かりましたわ!!」

 

 目が合った。そんなバカな……あり得ない、俯瞰視野と目が合うなんて……!

 考えられない程の超感覚。暗闇に溶け込んでいる筈なのに、弾丸は正確に彼女を狙い打っている。

 身体が震える。緊張と、恐怖と、そして狂喜。やはり常識外れなほど素晴らしいリリィだと、興奮に全身が満たされる。

 チャームを起動しようとして、思いとどまる。マギの光は暗闇では目立ちすぎる。

 どうする……どうすれば『死角』に入ることができる……?

 そして彼女は……。

 

「そこのアナタ!」

「わっ! あっ、アラヤさん!?」

 茂みの中、突然アラヤに話しかけられ、フミは叫んだ。

 二川フミ。リリ経由で、アールヴヘイムの面々とは面識がある。しかし、森の中で(うずくま)っている様は異様と言うか間抜けと言うか……。

 避難訓練か。その呆けた顔に、アラヤは警戒を緩めた。

「アナタ、フミさんですわね。……いえ、こんなところで何を?」

 何をと言われましても……。フミはやや困惑した顔をした。

「不審者の捜索ですよ。……それより先程の銃声は」

「件の不審者ですわ。まだ近くにいます」

「私もお供します!」

 短く言うと、フミは立ち上がってチャームを起動した。

「まだまだ未熟者ではありますが、私も」「お待ちなさい」

 唐突に、アラヤはチャームの切っ先を向けた。その瞳には警戒の色が宿る。

「アナタ……どうして銃声が聞こえてすぐにチャームを構えなかったのかしら。それに、ライトも点けずにこんな森の中、一体何をされていましたか?」

 殺気がそのままフミに突き刺さる。

(ひ、ひぇ~……)

 フミは内心のドキドキを抑え、何とか口を開く。

「あの、私、自分が狙われてる訳じゃないって思ったんですよ。この暗闇で、私の姿は見えない筈ですから。それでしたら、マギの光で居場所を伝えてしまうより、じっとしていた方がまだ良いのではと思いまして……」

 アラヤはフミを鋭く睨んだ。フミは、伺うようにアラヤを見つめた。

 ……一応、筋は通っている。銃声を襲撃者によるものと勘違いしている点も不自然ではない。

 ただし、位置関係的にも状況的にも、フミは限りなく怪しい。

「話は分かりました。では、なぜライトの類を……」

 そう言いつつ、ふと思い立って記憶のページを手繰る。二川フミ、レアスキルは『鷹の目』。

 それならライトを持っていなくても……いや、それならマギの光が見えなかった理由は……。

「……」

 アラヤは黙ってチャームを下げた。ほっとしたのも束の間、アヤラはフミの右手を捕らえた。

「あ! あの……?」

「……ふぅん。遮光グラブね」

 これなら窓の外、暗闇の中でマギの光が見えなかった理由も説明が付く。しかし、状況が明らかになるにつれ、むしろ疑いは深まっていく。

 フミが主張する内容は全て、自身が犯人であることを否定する材料にはなり得ない。フミは不審者捜索にグラブを着けたかもしれないが、フミが犯人でも同じようにグラブを着けたに違いない。

「これはどちらで手に入れたものでしょう?」

「あの、先月の夜間訓練で配布されたものです」

「なぜこれを手に?」

「不審者がいるのでしたら、目立つのはよろしくないと思いまして」

「ではなぜ一人で?」

「あの、散歩ついでのつもりで」「どうしてこちらに?」「やはりアールヴヘイムの控室周辺で」「周囲に人影は?」「ありません」「レアスキルは?」「鷹の目です」

「それで私を見ましたね?」

「……」

 いえ、そんなことはありません。

「……ふぅん」

 アラヤは、右手に力を込めた。マギを通して、アラヤの感情がフミに伝わってくる。不審、猜疑、警戒、訝しみ、闘争心。

(ア、アラヤさんのマギが……! 感激です……!)

 ……いえ、そんなことを考えてる場合ではなく。

「あの、私」

「鷹の目を使ってみなさい」

「え?」

 意図が掴めず、困惑する。

「鷹の目で私を見なさい!」

「は、はい!」

 訳が分からないまま、フミはスキルを発動する。

――鷹の目……!――

 俯瞰視野。鷹の目は、暗闇の中でも視界を確保できる。森が見える、校舎が見える、人影はやはり見えない。周囲をぐるりと見渡した後、アラヤを中心とした視点で固定する。

「あの、スキルで見ていますが……?」

「もっと見てみなさい」

 もっと……?

 そう言われても、鷹の目はあくまで俯瞰視野であり、あまり一つの対象をじっと見つめるイメージではない。

 またも困惑していると、アラヤは腕を引いた。当然、フミはそのまま引き寄せられる。

「わわっ」

 勢い良くアラヤに激突し、頭に柔らかいものが当たる。

――マズイ……!――

 ……いえ私たちは同性ですしこれは故意ではなく事故アラヤさんの不手際でして別に私が焦る必要はなく不幸な事故として多少のお零れを頂戴するくらい許されて然るべきでむしろアラヤさんに謝罪の一言でも頂戴しても良い位の事態で「私を見なさい」

 ぐっと、顎を引き上げられる。その繊細な肌触りに、何故か膝が震え出した。フミは視線を外したが、逃げ出そうにも倒れようにも、アラヤに寄りかかるような恰好では如何ともしがたい。

「見なさいと言っているでしょう?」

 アラヤは更に顔を近付けた。その勢いに乗じて、逃げるように、転ぶように後退する。

「……あっ!」

 背中に、木の幹が当たる。周囲の状況把握ができないなど鷹の目使い失格だが……そんなこと考えている余裕はなかった。

 右手を絡め取られる。額と額が当たる位に顔を寄せられる。

(近い近い近い、近いです……!!)

 視界一杯にアラヤが映り、お互いの吐息がかかる。

 ……この近さは、もし自分がその気になれば……唇を合わせることも……。

――って、何を考えているんですか私は!!――

 フミは首を振ろうとして、アラヤの迫力に、それすら許されない。

「もっともっと私を見なさい! 抉るように、のめり込むように!」

「は、はいぃ!」

 アラヤの目がフミの瞳を覗いている。フミの瞳も、アラヤの目を覗いている。

 綺麗な目をしていた。意志の強さ、自信、矜持、情熱、苛烈。アラヤの魅力を全部詰め込んだような、独り占めしているのがもったいない位の素晴らしい結晶。

 そこに吸い寄せられるように、俯瞰視野がどんどん降りていく。森から、2人、そしてアラヤに。視野がアラヤにぶつかりそうになって、――もっともっと私を見なさい!――それでも、視野を降ろす。抉るように、のめり込むように、アラヤの中に降りていく。

 膜を突き破るように境界を越えたその瞬間。視界の質が変わった。

「え? ……あっ、あっ!」

 思わず声が零れる。『分かる』。アラヤの鼓動が、呼吸が、生命の息吹が視える。手の大きさが、頬の柔らかさが、腰の(くび)れが、肌の滑らかさが、身体のしなやかさが、マギの流れが、その有り様全てが手の内にあるように把握できる。

――これが、アラヤさん……?――

 アラヤのことは何でも調べた。身長体重血液型生年月日スキラー数値スキルポジション使用チャーム得意戦法平均スフィア保有時間パス成功率フィニッシュショット率趣味嗜好座右の銘。

 その情報量を遥かに凌駕するもの、アラヤそのものが、今、フミの手の中にある。

「…………」

 言葉も出ない。フミの心に宿ったのは、名前も分からない強烈な感情。未だかつて感じたことのない高揚感がフミを襲った。

――す、すご……やっぱりアラヤさんは……私の世界一で……――

 次の瞬間、急に視界が暗くなった。フェードアウトするように、何も見えなくなる。身体に力が入らず、暗闇の中を落ちていくような錯覚を覚える。

 それでも、フミは幸せだった。

 ……私、このまま死んでもいいです……。

「いえ、死なれたら困るのだけど」

 アラヤは左手に力を入れ直した。フミは右手を吊り上げられる形で、何とか転ばずに済んだ。

 フミは、目を回して伸びていた。生命の危機……ではなく、単純にマギの使い過ぎだった。

 ついでにフミはボタボタと鼻血を零しており、絵面としてなかなか酷かった。

――違いますわね――

 アラヤはそう結論付けた。少なくとも、このお間抜けさんが件の視線の主では有り得なかった。

 ため息を吐いて、ついでにマギを集中させる。

――フェイズトランセンデンス!――

 自己のマギを、数秒間無限大に増大させるスキル。慣れない内は一度に全てのマギを放出してしまう諸刃の剣だが、アラヤ程になると『無敵モード』とほぼ変わらない。

 その無尽蔵のマギを、指輪越しにフミに叩きつける。

「フミさん……フミ! いつまで寝ているの!」

「う゛ぇ?! はい!?」

 マギ交感による負のマギ除去……とか緩やかなマギの回復……とかそういうレベルでなく。喉に手を突っ込まれて無理やり物を食べさせられているような、強引なマギの補充(気付け?)だった。

「あれ、アラヤさん? ということは、ここは天国ですか?」

「……アナタは私を何だと思っているのかしら?」

「良かったじゃないか、天使扱いされて」

 不意に掛けられた声に、アラヤは憮然として振り返る。「よっ」と壱。「よ」とクスミ。「お楽しみ中だったか?」とミソラ。

「あぁん? この程度で私が満足するとでも?」

 ……いや、否定の仕方がおかしいぞ、とミソラ。ただ、アラヤはそれ以上話を続ける気がないのか、左手を振って踵を返した。

 なお、その振られた手に握られていたフミは、無造作に放り出された。

「うおおお!?」

「ちょっ、オイ!」

 その着地点にはミソラ。なお、フミはチャームを持ったままであり……「危ねぇ!!」間一髪、チャームを()けてフミを受け止めた。

 そして、ごっ、と硬い感覚がフミの頭に触れた。……なお、ミソラはキチンと胸でフミを抱き留めている。

「…………」

「オイ、お前。一言でもしゃべったらしばくぞ」

 ……ミソラさん、胸が……「痛っ!?」

「何も言ってないじゃないですか!?」

「うるせえ! 助けてやったんだから感謝しろバカ」

「何も言うなって言ったじゃないですか!」

「心の声が駄々洩れなんだよ……ってオイ! 鼻血! 私の制服!」

 見ると、思いっ切りミソラの制服に赤い点々が付いていた。

「後はお二人で、どうぞ『お楽しみ』くださいませ」とアラヤ。

「あ、このヤロわざとだな」

 しかし、アラヤはもはや興味を失ったようで、真っ直ぐに寮の方向へ帰っていった。

「アイツも自由人だね~」と壱。

「感情に手足が付いたような奴だ」とミソラ。

 クスミは静かにうんうんと頷いた。

「クスミぃ、見えてんのよ」「ひっ」

「……ホントにバケモンかアンタは」

 壱はクスミを保護しながらぼやいた。

 それを見ながら。……普段のアラヤさんってこんな感じなんですね……! フミは自然と笑った。

 今日は色々と濃いものがあったが、終わってみればアラヤのことを知るまたとない機会となったのは間違いない。今夜は、この幸せを噛みしめながらぐっすり眠れるだろう。

「さて、それでは私はこれで!」

「オイ待て」

 爽やかに去ろうとするフミの右腕を、ミソラはしっかり掴んだ。

「えっと……あ! クリーニングですか。すみません、それは後日私が」

「いや、そうじゃなくて」

 今度は左腕を、壱にがっしり掴まれた。

「フミさん。アラヤの言ってた不審人物はアナタね?」

 ギクッ。

「な、何のことやら?」

 フミは、声を上ずらせた。

「ねたは上がってんだよ!」とクスミ。

「違っ! 話せば分かります!」

「はいはい、話は署の方で聞かせてもらいますねー」(ミソラ)

「ちょ、ホントです! はーなーしーてー!」

 フミはズルズルと引きずられ、校舎に消えていった。

 ようぎしゃかくほー、とクスミ。

 

-5-

 

「えー、フミさんは本日19時過ぎ、校舎外からアールヴヘイム控室を覗いていた、ということで間違いないでしょうか?」

「いえ、その……」

「どうなんですかふみさん!」とクスミ。

 いえ、あの、はい……。

「見てました……」

 ざわざわっ。と、クスミが囃し立てた。「SEも人力なんですか……?」(フミ)

「静粛に! ……ミソラ検事、次の質問をお願いします」と壱。「壱さんもノリノリですね……」

 ……と言いますか、何故、裁判ごっこが始まるんでしょう?

 あの後、場所をアールヴヘイム控室に移し、妙に本格的な裁判が始まっていた。まぁ、『何故』ではなく、フミの自業自得感は漂っているのだが。

「フミさん。アナタは定期的にアラヤの私生活を覗いていた。……間違いないでしょうか?」

「ちょっと待ってください! その言い方は悪意があります!」

 被告人! と壱。

「質問にだけ答えるようにしてください」

 ピシャリと冷たい壱の声。

 うう……完全にお役所仕事ですよ……!

「いえ、私は……」

「うその証言は、裁判官の心証をわるくするよ」とクスミ。

 ゲームのtipsですか……!

 と思いつつも、ちらりと壱を見る。非常に厳しい目でフミを見据えていた。

 あの、その……。

「いえ! 多少気になっているリリィのこと、目で追うくらいあるじゃないですか!」

「『はい』か『いいえ』で答えてください!」とミソラ。「アナタはアラヤの私生活を覗いていた。どうなんですか!」

 憎たらしいほど堂に入った敵役検事ぶりで、フミは苦々しく顔を歪めた。

「……その二択でしたら『はい』ですけど」

「私からの質問は以上です」

 ざわざわと、クスミのSEが響く中、ミソラ検事はクールに一礼して席へと戻った。

「なんかこう……もの凄くやるせないです」

 酷い印象操作をされた気分だった。実際の裁判もこんな感じなのだろうか……?

「裁判では、黙っているけんりも認められているよ」とクスミ。

 tipsのタイミングが絶妙だった。

「ちょっと! それ先に言ってくださいよ!」

「でも黙秘したら『質問に答えられなかった!』ってここぞとばかりアピールされるから」

「じゃあ意味ないじゃないですか!」

「だいじょうぶ。証拠品は最も偉大で寡黙な証人だから」

 訝しげなフミを後目に、クスミは得意げに胸を張った。

 ……何でしょう、妙に自信満々ですね……と思っていると、そのポケットから一冊の本がはみ出しているのが見えた。『法廷』やら『裁判』という文字が見える。

 絶対影響を受けてますよ……!

「弁護人は前へ」

 しかし、ツッコむ前に壱の厳粛な声が響く。そしてクスミが前に出るのを見て、今更ながら不安になる。

「……あの。クスミさんにお任せして大丈夫ですか?」

「だいじょうぶ。これ読んでべんきょうしたから」

 そう言って、例のはみ出していた本を渡される。なかなか、重みと厚さを感じさせる逸品だった。法律書の価値を分厚さと価格でしか認識できないフミとしては、この重厚さは信頼に足る……ような気がする。

 上下に振って重量を堪能してから、ちらっとタイトルに目を通す。『法廷hack! 裁判の裏技・ウルテク集』……「絶対碌でもないですよね!?」

 一気に不安が噴出するも、時すでに遅し。クスミは既に、手の届かないところまで歩み去っていた。

「前略、情状酌量をお願いします」「有罪前提なんですね!?」

「クスミのお願いだからなぁ……」「しかも結構効くんですね!?」

「被害者感情云々」(ミソラ)「雑ですよ!」

「電気椅子か絞首か……」(壱)「酌量されてないです!?」

「執行猶予を付けてください」(クスミ)「死刑の猶予って怖くないです?」「そんじゃサクッと」(ミソラ)「そういう意味じゃないです!」「まぁ被害者ってもアラヤだし、無罪で」(壱)「それはそれで抗議したいところですけど……」

「さいばんちょー。尋問の前に証拠品を提出させていただきます」とクスミ。

「まだ始まってなかったんですか……!?」

 かなり濃密なツッコミターンが挟まったが、これは序の口だったのだろうか……。流石、『アールヴヘイム』の名は伊達でないですね~、とフミ。

 まぁ、そういう称号ではないのだが。

「はいはい。証拠品ですね」

「はい。こちらのカメラです」

 フミが息を整えている間にサクッと証拠品のやり取りが終わっていた。こういう手際の良さは本当に流石なのだが、もっと使い所が……「ん?」

「って! それ! 私の!? どこ、いつ、どうやって?!」

 ガッツリ、フミの私物だった。

「さっき、証拠品として押収したよ」(クスミ)

「アラヤとよろしくやってたみたいだからな」(ミソラ)

「あっ、どうりで近くにいないと思ったら……!」

 わざわざフミの自室まで取りに行ったらしい。

「それより問題は中身です」と壱。

 すぐに部屋の照明が落とされ、備え付けのプロジェクターが起動する。

 あまりの手際の良さに一拍反応が遅れ、顔面が蒼白になる。

「ちょ、ちょっと、冗談じゃありませんよ! す、スクープ(↑)とかプライバシーとか……! 良識とか常識とかそういうのはないんですか壱さん!!」

 声を上ずらせて抗議するも、「はいはいありません」と壱。「鬼ですか!?」

 そしてスクリーン代わりの白壁に、躊躇なくカメラのデータが出力される。そして……チャームを構えたアラヤのどや顔がドアップで表示され……「あっ! わっ! あー!!」

 フミは何とか画像を遮ろうと身体を広げるも、抵抗虚しく、画像はどんどん切り替わる。

 片肘をついて不満げなアラヤ。不敵な顔でニヤリと笑うアラヤ。不貞腐れて顔を逸らすアラヤ。あくびをしつつ歩いているアラヤ。食事中のアラヤ、ペンを走らせるアラヤ、呆けているアラヤ、談笑するアラヤ、走るアラヤ、寝ころぶアラヤ、訓練中のアラヤ、休憩中のアラヤ、……。

 いずれの写真にも共通することだが、アラヤの目線がカメラを向いていない。隠し撮りであることは明白だった。

「「「…………」」」

 薄闇の中、3人の視線が自分に集まっていることが、何故だか分かった。

「あの、違うんです!」

 フミは、とりあえず否定から入った。自分が何を否定しているのか、というか否定できる状況にあるのかなどは一切考えず、とりあえず否定から入った。

「フミ……自首しようぜ?」とミソラ。

「あの、そういうのじゃないんです! リリィオタクとして純粋な行為と好意でして……!」

「はーい、まさに判決の木槌が下ろされるところですよー」(壱)「自首するならいまだよ」(クスミ)

「そんな駆け込み需要みたいな自首は嫌です!」

 フミは叫びながら頭を抱え、その場で丸くなった。

 ……一種のパフォーマンス(前振り)かと思っていたが、フミはそのまま全く動かなくなった。3人で顔を見合わせた後、壱は頭をかいてフミに近付いた。

「ごめんなさい、あまりにガチっぽい写真だったから」「……」

「部屋にピン止めしてそうだった」とクスミ。「うっ」

「スライドショーにしてニヤニヤしてそう」(ミソラ)「うっ、うっ!」

「同じペンを買って使ってそう」(壱)「牛丼に納豆を乗せがち」(クスミ)「中学のジャージをまだ残してる」(ミソラ)「小学校の武勇伝を未だに語ってそう」(壱)「お父さんと床屋で散髪してる」(クスミ)「お母さんの買ってきた服を着る」(ミソラ)

「ちょっと! 罵倒が過ぎますよ!!」

「はい、大人しい性格の()で、とてもこんなことするとは……(裏声)」(クスミ)

「ニュース風のも止めてください!」

「良識とか常識とかそういうのはないんですか?」(壱)

「そのカウンターは本当に痛いので止めてください……」

 フミは項垂れた。何と言うか、反論の余地がなかった。

 別に邪な気持ちがあった訳ではない。ただ、折角百合ヶ丘、アラヤと同じ空間で生活しているのだから……ちょっと写真の1枚や2枚……10枚……100枚……。……いえ、我ながらこれアウトですね。

 しかし何とかウルトラC的に合法化できないかと頭を捻っていると……「う、うぅ~」何故か、クスミも地面にうずくまっていた。「クスミ!?」(壱)

「うぅ~家族ネタは私にもダメージが……」(クスミ)「クスミは家族と絶縁状態だからな」(ミソラ)「大丈夫かクスミ!」(壱)「いえ、そこまでして私を傷付けないでくださいよ……」(フミ)「ナイフのようにするどく生きるのが家族の教え……」(クスミ)「絶対嘘だろ……」(ミソラ)「思いっ切り家族ネタ使ってるじゃないですか」(フミ)

 壱は小槌を手に、電気を点けた。そしてニッコリ笑顔。

「はーい! ミソラは家族ネタを使った罪で今から私に殴られま~す」と壱。

「やべぇ、スイッチ入った」(ミソラ)「壱さんがんばれー」(フミ)「あ、コイツ話が逸れたからって!」(ミソラ)

 なお、壱は喧嘩っ早いところがある。クラス委員長なぞやっているが、その実、デュエル復古主義(デュエルバカ)の一角でもある。恐らく、話は通じない。

 ミソラはため息を吐いた。……まぁ、発言が不用意だったのは確かだ。甘んじて受け入れるかと、ミソラは一歩前に出た。

「うぅ~フミちゃんは家族と仲良しなんだろうなぁ……」

 クスミは殊更にため息を吐いて俯いた。

「はーい! フミは今から私に殴られま~す」

「あ! クスミさんこの! ……ああ!!」

「諦めろ。壱は思いのほか直情的だ」とミソラ。

 ……どんな経験をしてきたら、この一瞬で覚悟が完了できるんですかね……。残念ながら、フミはそこまですぐに割り切ることはできなかった。

「壱さん! 暴力は反対です!」「うるせぇ、クスミを見ろ! アイツの痛みはそんなもんじゃねぇんだ!」

「あ、もしもし?」とクスミ。

「めっちゃ電話してるじゃないですか!?」

「アラヤちゃん? そうそう大変なの」(クスミ)

「しかも当のアラヤさんじゃないですか!」

「オマエにクスミの気持ちが分かるのか!!」

「ちゃんと見えてます?」

 ミソラは、フミの肩に手を置いた。

「諦めろ。壱はクスミに関しては盲目だ」

 ……いや、ホント割り切りが凄いですね……。と思っていると、ミソラは更に前に出て右腕を差し出した。フミが疑問符を浮かべている内に、壱は人差し指と中指を伸ばして右手を振り上げる。

「天誅!」

 風切り音と共に、ミソラの肌に右手が振り下ろされる。「いだっ!!?」パパッという破裂音と同時、ミソラは床に崩れ落ちた。

「ミソラさん!?」

 衝撃映像に、フミは叫び声を上げた。その脳内に、小学校時代の記憶が蘇る。

 『しっぺ』。人差し指と中指で、相手の手首周辺を打つ行為。ただし、こんな音は現役(小学生)時代にも聞いたことがない。というか、女の子が出していい破壊音ではない。

「ミソラさん、大丈夫ですか!」

 慌てたように駆け寄り、ミソラを抱き上げる。ミソラは僅かにうめき声をあげた。

「……めちゃいてぇ……」

「……グロッキーなミソラさんは割と貴重ですねぇ……」

「おい心配してくれよ」

 まぁ、リリィにとってしっぺは『痛い』以上の何もないのだが。どれほど強くやられても、痣にすらなるまい。

「はい、つぎの方どうぞ」(クスミ)

「予防接種か!」(ミソラ)

「……ちゃんとツッコむのは流石ですね」(フミ)

 と、第三者っぽくコメントしつつ、フミは少し安心していた。小槌で殴られる場面を想像してたので、それより遥かにマシな現実にホッと一息ついた。

「まぁ、アラヤさんの件もありますし、しっぺ位でしたら甘んじて……」

 フミがむずと腕を差し出すと、クスミはイソジンらしきものを綿棒で塗り広げた。

「あ。こちらにうつよ」(クスミ)

「……結構本格的なんですね……」(フミ)

「クスミは結構、こういう小芝居が好きだぞ」とミソラ。

「まぁ、クスミはお茶目だからな」

 気付けば、壱もクールダウンしていた。

「……正気に戻ったのでしたらしっぺも止めていただけません?」

「それはそれ」と壱。「真面目な話、私たちのリソースを奪った以上、何かしらの罰を与えないと示しが付かないの」

 なお、アールヴヘイムは世界レベルのレギオンである。この戦力を遊ばせておくことは、人類レベルでの損失だ。

「……そういうことでしたら、むしろしっぺで済ませて良いんですか?」

「まぁ、不審者云々はアラヤが言い出しただけで、公的に問題提起をした訳じゃないから。ただ、生徒会の耳に入った時、『犯人と思しきリリィに厳重注意しました』って報告は必要でしょう?」

 それは間違いない。というかミソラ経由でシズに話が行っている以上、間違いなく噂は伝わっている。大事になってから突き出されることを考えたら、ここで罰を受けておいた方が身の為ではある。

 諦めて一歩前に出つつ……ただ、『厳重注意』ってしっぺなんですね……微妙に()せない気もした。

「つーか私もやられたんだからお前もやられろ」とミソラ。

「私怨じゃないですか」

「……それに、最近妙にクスミと仲良いし」と壱。

「私怨じゃないですか!?」

 問答無用! フミの左腕をガッシリ掴む。人差し指と中指をくっつける。イソジンを塗った辺りを高速で往復し、指に熱エネルギーを蓄積させる。

「はあああああああ!!!!」

「ちょっと! ミソラさんの時より気合入ってませんか!!」

 それを無視して、壱は腕を振り上げた。この時点で、ブウンという風切り音がフミの耳に響く。触れた腕を通して、壱のマギと闘争心が流れ込んでくる。

(一撃必殺……!)

 ちょ、ガチじゃないですか……!?

「これはアラヤとクスミの分だ!!」

 叫んだ直後、風切り音が聞こえたか聞こえないか。フミは全力で着弾点をマギで防御した。

 パパパパッという破裂音。

「いっだあああああ!!!」

 フミは床に崩れ落ちた。鉄拳(?)制裁だった。

 冗談抜きで滅茶苦茶痛い。左腕のイソジンを塗った辺り……ではなく、無関係な筈の右手首が。出血してるのかと思うほど熱く、痺れるような感覚が続き、そして鼓動に合わせてジンジンと痛みを発していた。

 なぜ右手が……?

「ふっふっふ。これが戦場ならアナタは死んでいたわよフミさん」

 壱は腰に手を当て、何故かチャームを構えていた。

「これはいっちゃんの神威ingトラップ!」

「し、知ってるんですか! くすみんさん!」

 神威ingトラップ……! 戦う前にしっぺをするという戯れかと思いきや、『神威の荒域』で相手の利き手を殺すという、まさに必殺技……!

「これを受けたあいては、30分はまともにチャームを握れない……!」

 クスミの解説に、壱はニヤリと笑った。

 『神威の荒域』は、『この世の理』(回避)を限界まで極めると使用可能な固有行動だ。簡単に言えば、複数相手への同時攻撃技である。それを応用すればこの通り。相手の意識を掻い潜り、無防備な右腕を攻撃することなど造作もない……!

「……カッコつけてるところ悪いが、コイツ、ガチでやって問題になったからな?」

「話し合いで解決したじゃん」

「いや、チャーム捨てて殴り合っただろ」

「教導官が来るまでに解決したからセーフ」

 全く悪びれない様子に、ミソラはため息を吐いた。

「コイツはこういう奴だ。委員長(づら)に騙されるなよ」

 デュエル復古主義者の名は伊達ではない。『お嬢様学校育ち』の『委員長』なのだが、肩書に反して割とやんちゃな面もある。

「いや、委員長的所作も得意だから」

「仕切りたがり……というか目立ちたがりなんだよお前は」

「でも、そんないっちゃんが好きだよ」

「うぅ~クスミぃ……!」

 こら、甘やかすな。……とは思うものの、一時期の不和を知っているのであまり強くは注意できない。

 代わりに、未だに倒れている(一応クスミに介抱されている)フミを引き起こす。

「大丈夫か?」

「はい、まぁ……と言いますか、味方殺しのS級スキルってどうなんです?」

「まぁ、『アラヤとクスミの分』って予告してただろ。『神威の荒域』だとピンと来て防御できなかったお前にも非はある」とミソラ。

 滅茶苦茶な主張なのだが、何故か説得力を感じてしまった。本当に、こうした瞬間の判断力が一流とそれ以外を分けているような気はする。

 ソラハ様の一件と言い、ミソラの『情報』の捉え方と言い、まだまだ学ぶべきことがたくさんある。今日の出来事と、この右腕の痛みを糧に、きっと立派なリリィへと成長してみせなくてはなるまい。

 フミは決意を新たに、すがすがしい顔を……。

「……って! それって別に私に『神威の荒域』を使う理由になってませんって!」

「えー、じゃあ、判決はフミさんへS級のしっぺということで」と壱。「後付けじゃないですか!」「うるせえ! 私もやられたんだぞ!」(ミソラ)「だから私怨ですって!」「さいばんちょー、アラヤちゃんを証人としてよぶことを提案します」(クスミ)「まだやるんですか!?」

 気付けば、各員とも配置に付いている。

「当方、三審三罰制を採用しています」(壱)「司法の暴走ですよ!」「えー、検察としましては……」(ミソラ)「私の意志はないんです?!」「被告人はてってい抗戦の構えだよ」(クスミ)

「もう裁判は懲り懲りです!!」

 フミは思いっ切り叫んだ。しかし分厚い壁に遮られ、その声は一切外には漏れ出なかった。

 アールヴヘイム、恐ろしきレギオン也。

 

「あ。アラヤちゃん、いっちゃんが迷惑かけたから写真撮らせてあげるって」

「え!? 本当ですか!!!」

 フミは小躍りして喜んだ。これで合法的な写真が入手できます! ウルトラC級の快挙です……!!

 二川フミ、恐ろしく現金なリリィ也。



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外伝 一柳隊人狼!

最近書けてないので全然違う話を。


「人狼ゲーム……ですか?」

「はい! 知る人ぞ知るパーティゲームの風雲児! かつて一世を風靡した超人気推理ゲームですよ~」

 机を囲む一同に、私は胸を張って説明する。

 「ほぇ~」と梨璃さんは小首を傾げ、「ふぅん?」と楓さんは胡乱げにルールブック(私のお手製)を手繰った。

 ふっふっふ、掴みは十分ですね……! と、私はガッツポーズを作った。

――人狼――

 それは『人狼ゲーム』『汝は人狼なりや?』などの通称で知られる、殺人鬼(人狼)探しの推理ゲームだ。

 プレイヤーはゲーム開始直後、村人陣営か人狼陣営に割り振られる。昼間は皆で会議を行い、多数決で怪しい人物を処刑する。夜は人狼がターゲットを決め殺害する。

 これを続け、人狼を全て吊ることができれば村人の勝ち、逆に人狼を吊り切る前に村人の数が人狼以下になれば人狼の勝ちだ。

「随分と物騒な設定なのね」「こんな野蛮なゲームが、本当に持て囃されたのですか?」

 と、夢結様と楓さん。

「二人は知らないのか? 梅は一度やったことあるぞー」「私も、名前くらいは知ってる」

 これは梅様と鶴紗さん。

「私も何度か嗜んだことがあります。先程まで隣にいた仲間が、一人、また一人と消えていく……大変趣深いゲームでした」

「過酷な状況でも冷静に……。そんな訓練の為のゲーム、なんだね」

 これは神琳さんと雨嘉さん。「……って、そんな殺伐としたゲームではないですけど……」

 さて、皆さんが興味を持ったところでもう一押し……と思っていると、「『汝は人狼なりや?』、じゃな」とミリアムさん。

「わしも名前くらいは聞いたことがあるぞい。……ま、流行ったのは半世紀ほど前らしいがの」

 その言葉に「ふぅん?」と楓さん。

「い、今でも巷で人気なんですよ~」

 ミ、ミリアムさんは流石に詳しいですね……、と釈明に追われる私。

「と、とにかくです! 私たちはレギオン結成からまだ間もない存在です。お互いのことを知っているつもりでも、まだまだ隠された一面がある筈です」

 それを炙り出すのが、この|深謀遠慮()()()()()()()()の心理戦ゲーム!

「どうでしょう? リリさんの意外な一面が分かったり……?」

 ピクリ、と若干二名が反応を示した。

「夢結様や梅様の戦術の一端が分かったりとか?」

 ピクリ、と今度はミリアムさんと鶴紗さん。

「それに、シュッツエンゲルの絆が試される場面があったりして……!」

 これはダメ押しのキラーフレーズだ。梨璃さんは、考えるように目を瞑った。

 そしてほどなくしてニッコリと――私の予想通りに――笑った。

「私は人狼ゲーム、やってみたいと思います! ……もちろん皆さんがよろしければ、ですけど」

 梨璃さんの賛成に、内心乗り気になっている皆が反対する理由もない。

 ……来ました、来ましたよ、と私は内心ニヤリと笑った。

 ゲームはゴングが鳴る前に始まっている。いや、その半ば以上が決まっていると言って良い。

 私はともすればニヤケそうになる顔を整え、平常を装った。

「それでは早速、今晩、地下のレクリエーション室に集合です~!」

 

 

-2-

「さぁ、みんな揃ったわね! それじゃあルールを説明するわ!」

「ルールヲ、セツメイスルヨ!」

 一同の前、百由様と助手のロボットが当然のように宣言した。

「おい、脈絡なく出てくるな。そして出しゃばるな。そんでその機械は何だ」

 そして梅様が一つ一つ丁寧にツッコんだ。

「あら~お目が高いわね! これはメカルンペルシュティルツヒェン君~人狼の姿~よ! 小型化に加えて搭載機能は当社比なんと1.5倍! そして値段据え置きのお買い得性能!」

 答えたい質問だけ答えるなよ……と梅様。

 まぁ確かに、以前見かけたメカヒュージより「メカルンペルシュティルツヒェン君ね!」……以前見かけたメカルンペルシュティルツヒェン君より、格段に小型化している。搭載機能が何かは分からないが、作り手の情熱は一応感じ取れる。

「へぇ~可愛いですね~」と梨璃さん。

「ア、アリガトウダナンテ、オモッテナインダカラネッ」

「つ、ツンデレ機能搭載!?」

 何と言いますかこの方は相変わらずですね~、と思っているとちょんちょん、と肩を叩かれる。

 鶴紗さんだ。

「おい二水。百由様がここにいるってことは……」

 碌でもないことがあるんじゃないだろうな……? と鶴紗さんの心の声が聞こえた。

「違いますよ~。百由様は人狼ゲーム用のプログラムを提供してくれたんです!」

 そう言ってタブレットのアプリを起動する。

 もゆらぼ! という音声と共にポップなロゴが映し出され、続いてキャッチ―音楽とオープニングが流れてくる。

「結構細かいのぅ」

「あっ、このキャラ神琳に似てる」

「あら、こちらの可愛らしいのは鶴紗さんそっくりですよ」

「わぁ~本当ですね!」

「いや、あんまり似てないと思うが……」

 音に釣られて、みんなが集まってくる。なるほど、ゲームへの期待感を高める良い演出だった。

「全く貴方は……。アーセナルの本分は研究と開発、じゃなかったのかしら?」

「いいえ、実は今回の一件も研究の一環なのよ。リリィの精神安定にゲームを活用するって話は良く挙がるけど、実際にどんなゲームがどれくらいの効果があるかなんて誰も実験してなかったの。私としては『真面目に遊ぶ』ものを作ったつもりよ!」

 百由様に続いて、私が経緯を補足する。

「実は先日の取材の際、百由様がレクリエーションアプリを作りたいって仰ってたんです。それに乗っかる形で今回の企画を思い付いた訳なんですよ」

 ……まぁ、人狼ロボが登場するのは予想外だったが。

「安心して。最初はチュートリアルの為に私も参加するけど、途中からは隣の部屋で観戦するつもりよ。メカルンペル君のAIも突貫だから、専ら数合わせ用ね」

 だから安心、安心よ、と『安心』を強調する百由様。

「本当に何にも裏がないということでよろしいですの……?」と楓さん。

「なんか怪しいんだよな……」と梅様。

「まぁ、仮に裏がったとして、私たちは楽しむ、百由様は研究の成果に繋がるでwin-winということで……」

 完全に裏がある前提の私たちに、百由様は信用がないのぅ……とミリアムさんがぼやいた。

 いえまぁ、協力いただいた手前、疑うのは申し訳ないのですけど……。どうも信用しきれないのが百由様なのだった。

「それで、このゲームの流れについてもう一度教えてもらえるかしら。一通り確認しているけれど、私も梨璃もあまり詳しくないわ」

「あー、それですけど……」

「夢結さんも梨璃さんも大丈夫よ! 初心者でも初心者なりに楽しめるわ。気軽に行きましょ?」

 

 

~~ゲームのルール~~

村人と人狼に分かれて、相手を全滅させることを目指す。

 

〇ゲームの流れ

昼 会議

  誰を処刑するか決める⇒人数-1

夜 人狼・占い師のターン

  占い師が誰を占うか決める

  人狼が誰を殺害するか決める⇒人数-1

昼 会議

  誰を処刑するか決める⇒人数-1

……

 

このように昼⇒夜⇒昼⇒……を繰り返し、

人狼が0になったら村人の勝ち。

村人が人狼の数と同数以下になったら人狼の勝ち。

 

tips

・死んだプレイヤーはそれ以降、一切の発言ができない。

 ⇒占い師が人狼に襲われたら、そのターンの占い結果を知らせることができない。

・会議には時間制限がある。設定時間の経過後、投票の時間に移る。

・誰を処刑するかは会議後の投票で決める。同数の場合決選投票が行われる。それでも同数ならランダム。なお、誰が誰に投票したかは分からない(設定変更可)。

・人狼が複数いる場合、襲撃先は多数決。(同数ならランダム)

・ゲーム終了時に死んでいても、所属陣営が勝利すれば勝利扱いとなる。

 

〇役職と能力

人狼……夜のターンに村人を殺すことができる。

占い師……村人陣営の主力。夜のターン毎に1人指定し、その人が人狼か否か確認できる。

狂人……村人ながら人狼に加担する裏切者。人数・占いの結果は村人陣営扱いだが、勝利条件は人狼の勝利。

 

tips

・狂人は、人狼としてカウントされる訳ではない。

 ⇒人狼2、狂人1、村人2の時でもゲームは終わらない。

・狂人は誰が人狼か分からない。人狼からも誰が狂人か分からない。

 

-----

 

「ちなみに確認ですが、占い師は死んだ者の白黒を確認できるのですか?」

「できません……よね? 百由様?」

「そうね、できないわ。……本当は霊媒師っていう職があるんだけど、今回は初心者が多いから省いているわ」

「自分の役職を公開することはできるのかしら」

「できるわ。ただし、それが本当である保証は示せないのだけど。逆に言えば、例えば狂人が占い師を騙ったりできるわ」

「それでは……」

 意外と言うべきか、乗り気には見えなかった楓さんや夢結様がルールの仔細を尋ねていて少々驚いた。

「まぁ、1回やってみればいいんじゃないか?」

 結局、鶴紗さんの言葉が契機となって、皆が席に着いた。

――思えば、この時の私は楽観的に過ぎたのかもしれない――

「それじゃあ、ゲームスタートね」

 まさか、あんな恐ろしい事件が起こるなんて、私は――誰も――考えていなかった。

「さあ。設定はこんな感じね」

人狼……2

狂人……1

占い師……2

村人……5

ルンペル君……1(村人)

--

初日の殺人……あり(ルンペル君)

初日の占い……あり

 

「良いのではないですか」

「と言っても」

「まぁ、どれがいいかなんて分からないけどなー」

 そんな初心者組のボヤキを聞きながら。

 これは実質的に初手犠牲者無しの10人村、オーソドックスなルールだ。

――初手に占い師が落ちる可能性がない、ということは村人有利な筈ですわ――

 ええ、楓さんならそう考えるでしょう……。

(というのも、この形式なら吊りは最大4(PPなら3)、占いは初手COなら1+2=3回(初手被りなら2回)、占い師自身の白で2、と普通にすると10人中7~9人が吊られるor確白が出る。特に、被りなしで狂人か狼が吊られている場合は、占い・投票先が全て逸れるのを祈るしかない)

――しかし、それは初心者特有の『机上論』!――

 このゲームは数学パズルではない。論理的な手順に沿っても必ずしも100%の答えは出ない。『~な気がする』『何となく怪しい』『この役職ならこう考える筈だ』。曖昧な情報を懸命に積み重ね、自分や他人を納得させる理屈を作りだすゲームだ。

 ゲーム後に「え~あんな怪しいこと言ってたのに白なの!?」「信じてたのにぃ~」という光景は茶飯事。理屈は大前提として、それを"利用"するゲームなのだ。

――さぁ、皆さんはどれくらいご存知でしょうか?――

 思考が冴えてくる。ドクンドクン、と心臓が心地よく高鳴る。

 タブレットが手元に回ってくる。

 

ふみさん、貴方の役職は【人狼】です

 

 来た……! 来ました……!

――勝負は始まる前に半ば終わっている――

 オンライン人狼クラブ。

 リリィファンクラブから派生したサイトで生まれた、チャット人狼。

 二水は一時期、そこでバリバリ鳴らしていたことがある。

 初心者をうまく引っ掛けるミスリードも、人狼が議論をかき回す手法も、全て二水の脳細胞に刻まれていた。

 タブレットが中央に置かれる。皆の緊張した顔が、仄かな光源に照らされている。

 

それでは、議論を開始してください

 

 さぁ、始めましょう。

――ただし、一方的な虐殺をね!――

 

「はい! 私、占い師です。二水ちゃんが狼です」

 

「……………………え?」

 え? …………え?

 え?

 

 開始2秒。私の完璧なタクティクスは儚く崩れ去ったのでした。



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