非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか? (色付きカルテ)
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【書籍記念短編SS】
【第一巻発売記念SS】動物に触れる


こちらは書籍第一巻を記念してのSSとなります!
本文を読まれていない方は飛ばしてください!

書籍の第一巻は実はサイトによって購入特典がありまして、その購入特典のSSがどんな文字数で、どんな形の話が書かれるのか気になる方もいらっしゃると思うので、参考になるようなSSを書き上げました!
大体文字数は同程度ですので、こんなもんなんだと知っていただけたら幸いですー!


 

 

 

 

 動物というのはどうにも人間が持たない危機管理能力があるらしい。

 鼠や鳥が地震の前に異常行動を取ることがあるのも、人間には無い、或いは発達した第六感があることを示唆しているとも言われている。

 そしてどうやら、そんな動物達の危機管理能力が察知するのは自然による天災のみならず、近付く人間にも当てはまるようなのだ。

 

 

「みぃー!」

「……子供の猫かぁ」

 

 

 ベースの白に茶色と黒色の毛が混じった小さな猫。

 一人立ち(一匹立ち?)して間も無いのか、それとも母猫からはぐれたのか、小さなその猫が道の端で幼い鳴き声で親を呼んでいる姿に私は思わず足を止めた。

 

 特段急いでいる訳でも無い私が思わず鳴いている子猫を見付けて足を止めたのは何も可哀想だとか、可愛いだとか、そんな一時の感情によるものではない。

 以前とは少し変わった自分を見て、幼いこの動物がどんな反応を示すのか少しだけ気になったからだった。

 

 

「……ちょ、ちょっとだけ様子を見てみようかな……」

「み゛……⁉」

 

 

 少し近付いて屈んだ私に対して、脇目も振らず必死に鳴いていた子猫が硬直した。

 さっきまで元気に鳴き声を上げていた猫が、まるで妙な生命体を見付けたように目を丸くして私を見ている。

 ピーンと手足や耳を伸ばした状態で、初めて宇宙を知ったかのような顔をして硬直する子猫の姿に私は自分の顔が引き攣るのを感じた。

 

 どうやら私の動物に警戒される体質は全くと言っていいほど変わっていないらしい。

 

 

(ううん……今もここまで露骨な態度を取られちゃうなら、やっぱり昔みたいに動物に対して印象操作の異能行使は必要かもしれないなぁ。変な注目を浴びるのは避けたいし……)

 

 

 動物は生き物だ。

 知性があるし好き嫌いもある。

 特別懐かれやすい人がいれば特別警戒される人もいるだろう。

 人が持つ雰囲気や見た目、声質、匂いなんかにも、好かれやすいものとそうでないものがあると思う。

 異能のあるなしがそれに大きく影響を及ぼす可能性も考えたが、私が異能で操った人を近付けてみてもこうはならなかったので、単純に私が持つ雰囲気によるものなのだろう。

 

 私は別に動物が好きな訳ではないので、動物に懐かれたいという欲求は無いが、私を前にして変な行動をとるのは、変に悪目立ちするから止めて欲しいのだ。

 

 昔から私は一部を除いた動物には異常に警戒される。

 原因もよく分からなかったので、昔は問答無用の異能行使で最初からある程度懐かせた状態になるよう操作して対応していたが、やっぱり今もその措置は必要らしい。

 

 取り敢えず知りたかったことは知れた。

 そう満足した私がポカンとしている子猫を放置して立ち上がりかけた瞬間、バサバサバサと羽音と共に黒い塊が目の前に降り立った。

 

 子猫の隣に降り立ち、その黒鳥は私に向けて小馬鹿にするような鳴き声をあげはじめる。

 

 

「カア!」

「……なんだよぅ」

 

 

 動物は基本的に私に対して異常な警戒感を示す。

 それが体質なのかなんなのかは分からないが、彼らが持つ防衛本能がそうさせているだろうことは何となく私も分かっている。

 だが、そんな警戒感を示す筈の動物達の中でも例外なのが、目の前に降り立ったこのカラスである。

 カラス自体他の動物に比べて私を好いていて、キラキラとした物(以前は虫や小動物の死体なんかもあった)を私の前に置いて行ったり、雛を見せに来たりということもある。

 特に目の前にいるこの個体は、以前クルミが割れずに困っていたのを石で割ってやってからは、ちょくちょく私を見付けてはこうして声を掛けてくる程度に積極的に関わってくるのだ。

 

 隣で未だに初めて宇宙を知ったような顔をしている子猫を嘲笑うようにチラ見して鳴き声を上げたカラスに、私は溜息混じりに話し掛ける。

 

 

「相も変わらず性格が悪いね……この子猫をどうにかしてくれる?」

「ガッ、ガッ、ガァ!」

 

 

 自信満々の返答、威勢のいい奴である。

 私が「じゃあ任せるね」と言うと、一際大きな声で鳴いたカラスは地に足を着けたままバサリと大きく羽を広げて子猫に近付いていく。

 ズンズンと近付いてくるカラスの翼で私が視界から隠れた子猫は正気を取り戻したが、目の前に迫った自分より大きな黒い鳥に逃げる事もせずプルプル体を震わせ始めてしまった。

 

 どう見ても捕食される寸前の小動物である。

 この光景だけを見れば流石の私も止めるが、状況を知っている私はカラスの意図を察してそのまま見守ることにした。

 

 

「ガァ! ガッガッガッ!」

「みっ……!」

 

 

 カラスが今から襲うぞと言うように鳴き声を上げたその瞬間、屋根上から慌てて飛び降りて来た大人の三毛猫がカラスと子猫の間に着地する。

 

 毛を逆立ててカラスに威嚇する大人の猫だったが、その後ろにいる私を一瞥した瞬間直ぐに子猫の首元を咥えて何処かへと逃げ出していく。

 すぐ近くまで探しに来ていた母猫が無事に子猫を見付けられたことに安心する。

 

 その事に私がホッとしていると、カラスが再び私の前に戻って来て、誇らしげに喉を鳴らし出す。

 

 手際も良いし、やり方も上手い。

 やっぱりコイツ、カラスにしては頭が良すぎる気がしてくる。

 

 

「お前、さては最初から親猫を見つけてたでしょ?」

「ガー?」

「今さらよく分からないみたいな態度を取っても遅いってば。でもまあ、ありがとう。子猫を無視してるのを動物好きの妹に見られたら後から何か言われそうだと思ってたし助かったよ」

「ガア!」

 

 

 また何かあれば呼べとでも言うように一鳴きしたカラスはそのまま私に背を向けて飛び立っていった。

 動物に何かをしてお礼をされる物語は昔からよくあるけど、こうして実際にお礼を返される経験をすると全てが空想の話では無かったのだろうなと思う。

 その事に少しだけ浪漫を感じた私は、後腐れなく気持ちの良い帰路に就くことが出来たのだった。

 

 

 

 

 

 




【書籍化に伴うリンク集】

〇 KADOKAWA公式サイトリンク

https://www.kadokawa.co.jp/product/322308000521/

〇 『非ななな』特設サイト(こちらにMV情報などがあります!)

https://famitsubunko.jp/special/hinanana/entry-12830.html

〇 公式Twitter(X)

https://twitter.com/fb_hinanana



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犯罪事件に巻き込まれる確率は?


 

 

 

 ――――拝啓、この世界のどこかにいらっしゃるであろう神様へ。

 

 人間生きて80年、長くとも100年の時代となりましたが、まだまだ神様が望むような形を私たちはきっと出来ていません。

 神様が望むような高度な知性体系を、いまだ私たちは築くことはできていないのです。

 それどころか、人は日々間違いを犯すものです。

 私たちが試行錯誤を繰り返して、最善だと思った道を進んでいても、それが間違いだったなんてことも多々あります。

 

 幾度となく繰り返される間違いを目の当たりにして、貴方様がお怒りになるのは当然ではあります。

 それでも、仕方のない奴らだと、優しく許すのが貴方様の役目なのではないでしょうか。

 優しく許すのが難しくとも、多少の痛みが伴う程度の罰を与える程度に収めるべきだと思うのです。

 

 ましてや私なんて15年程度しか生きていない、小娘です。

 いくら私がこれまでの人生で盛大にやらかしていたとしても、軽い天罰を与える程度で十分だと思うのです。

 

 少なくとも……そう、少なくとも、命にかかわるような罰はあまりに重すぎると思うのです。

 15歳の小娘に与えるべき罰はもっと他にある筈です。

 

 

 ……なんて、そこまで考えて、私はそっと目の前の悪夢が収まっていないかと瞼を開くが、そこにある光景は変わらない、大きな出刃包丁を持った男がバスの運転手を脅している後ろ姿だ。

 

 

 ――――だからこんな、学校へ向かう早朝のバスの中で、たまたま刃物を持った男が私の乗ったバスをジャックするなんてあんまりだと思うのです……。

 

 

 ……ばい、一般女子高生、佐取燐香の嘆きの言葉。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 私は何の変哲もない家柄の両親のもとに生まれ、兄と妹に囲まれてすくすくと育った。

 家はぎりぎり都会と呼べる範囲で暮らすのには不自由ない程度には裕福な家庭。

 私自身は取り立てて挙げるような特技もなく、人に誇れるのはそれなりの進学校に通っていることくらいだ。

 進学校内での成績も悪くなく、私生活もアルバイトを少しやるくらいで目立つようなことはしていない。

 少し友達が少ないだけの、どこにでもいる高校入学したての女子高生。

 それが私、佐取燐香(さとり りんか)だ。

 

 大きな山もなく深い谷もないような日々の暮らしではあるが、それを嫌だと思うこともなく、何気ない日常に私はそれなりに満足していたのだ。

 平日は学校に行って勉学に励み、仕事で夜遅い親に代わって家では家事を行う生活。

 全部を親にやってもらえている人達と比べれば私自身苦労しているのだろうとは思うが、これはこれで楽しいものだ。

 少し刺激が足りないと思う時だってあるが、そこはゲームなどで発散することで解消できる。

 外で遊びまわるだけが幸せではなく、科学が進んだ現代社会では私の様な学生でも十分楽しめる機器が身近に存在するのだ。

 まあ、つまるところ、私は現状に何一つ不満を持つことなく、十分幸せに生活を送っていたという訳である。

 

 ――――だから断じて、非現実的な場面に遭遇したいと思っていた訳ではない。

 

 

「おらっ!! お前ら動くんじゃねぇぞ!! 少しでも反抗的な動きを見つければ、一人二人は始末してやるからな!」

 

 

 体格のいい中年男性が運転席近くで吠え立てる。

 手に持っているのは男の太い腕に見劣りしない大きさの出刃包丁。

 そんな出刃包丁を持っているというのに、男は重さをものともせず、軽くそれを振り回していた。

 

 

「お前らは俺の財産だ! 使い道は俺が決める! 俺に反抗するような財産は処分する、言いたいことはわかるよなぁっ!?」

 

 

 そう言って、一番近くの席にいた私と同じ年くらいの男子学生の隣の窓を叩き割る。

 近くにいた男子生徒は顔を蒼白にして悲鳴を漏らしていた。

 

 素人ではない、そう思う。

 人の恐怖と言う感情を、この犯人はよく理解している。

 身の危険をより身近に感じさせるのはいい手だ、あの砕かれた窓が自分だったら、そんな思考が一瞬でも頭をよぎってしまえば人は恐怖に打ち勝つことは難しい。

 少なくとも力自慢にも見えるその動作で、乗客に残っていた僅かな反抗心は砕かれた。

 

 男は運転手へと向き直る。

 

 

「おい、高速に乗れ。絶対に停まるなよ。停まったらその度に一人殺す」

「お、落ち着けっ、こんなことしてなんになる……か、金なら払うから……」

「馬鹿かよ、バスに入ってる金程度でこんなことするか」

 

 

 馬鹿にしたように男は運転手を笑うが、正直それ以上に馬鹿なことをしている自覚を持ってほしい。

 

 ちらりと腕時計に目をやって、登校時間が過ぎゆくことに頭を痛める。

 私はただ、学校へ通学したかっただけなのに……。

 

 朝早くに起きてお弁当と朝食を作り、早めに家を出た日に限って、こんな事態に巻き込まれる。

 自分自身の運のなさに辟易するが、そんなことをぐちぐち悩んでいても仕方ない。

 取り返しのつかないことになる前に解決策を探すべきだろう。

 

 バスジャックを起こした犯人は、顔を蒼白にしている運転手の横で電話を始める。

 

 

「――――聞こえてるか、今俺は10人以上が乗ったバスをジャックした。要求は三つ、一つ、逃走用の車両と拳銃30丁、現金10億円の用意。二つ、警察庁長官の辞任。三つ、刑務所にいる囚人の全解放だ」

「な――――何を言って……!?」

「うるせえ! 今電話してんだよ! お前を殺して乗客に運転させてもいいんだぞ!!」

「っ……!」

「……また電話をかけなおす。一つの条件につき猶予は一時間だ。一時間ごとに条件を一つも呑めなければ、その度乗客を一人殺す」

 

 

 それだけ言って、犯人は電話を切った。

 

 随分とまあ、大胆な要求だと思う。

 そんな要求が本当に通るとは思っていないだろうに、どういうつもりなのだろう。

 いらいらとした様子で窓をもう一つ叩き割った犯人に、乗客たちは肩を震わせて怯える。

 

 バスの中を視線だけで見渡せば、乗客は犯人が言っていた通り10人程度しかいない。

 その中のほとんどは、体格が良くおそらく武術の心得がある犯人に対抗できるようには見えない。

 私のような学生が3人に、会社員の様なスーツの人が二人、主婦のような女性が二人とそのうちの一人に連れられた赤ん坊、あとはくたびれた雰囲気の若めの男と年配の老夫婦がいるだけだ。

 

 どう考えたって、筋骨隆々の犯人に対抗できるようには見えない。

 数的に見れば、戦力にならない赤ちゃんを抜いたって数倍ほどの人数差があるのだから、数で押せば押し切れそうな気もするが、何分犯人とは覚悟の差がある。

 場合によっては犠牲者は多く出るだろう。

 

 

「……そんな死んだような目をするな少女。何とかなる。だから、大人しくして、不用意な行動は控えるんだ。いいな?」

 

 

 そんな風に状況を確認していた私に話しかけたのは、私の隣に座るくたびれた雰囲気の若めの男性だった。

 不健康そうな目の下のクマやこけた頬に目を奪われるが、彼の手は確かに武骨で大きい。

 あの犯人とやり合える可能性があるとすれば、この人くらいだろうか。

 

 

「……あの、この目は生まれつきなんですが」

「はは、そんな死んだ魚のような目が生まれつきな筈がないだろう。まあ、冗談を言える余裕があるのは良いことだ」

「…………」

 

 

 失礼な男である。

 鋭い目で犯人を観察するこのおじさんの横顔を不満を訴えるように見つめる。

 まあ、しかし、現状を解決しようとしてくれているようではある。

 他の乗客は怯えて反抗しようとする意志すらないのだから、この男性は立派だ。

 

 しかし、ここで動いてもこのおじさんの失敗は目に見えている。

 通路側に座る私の精神を少しでも落ち着かせ、制圧時にすぐに退いてもらえるよう私に話しかけたのだろうが、まだ退く訳にはいかない。

 

 

「……あの、おじさん。今動くのはやめておきましょう。不利にしかなりませんよ」

「……なに?」

「…………」

 

 

 言葉にせず、視線だけで私の後ろを示す。

 私が伝えようとしていることは伝わらなかったようだが、何か嫌な予感がしたようで、おじさんは閉口し動くのをやめる。

 

 本当は会話すらしないほうが良い。

 この、当日思い立ったかのような杜撰で意味の分からない犯罪行為だが、この犯人達はおじさんが思うよりもずっと危険で計画的な奴らなのだから。

 

 

「……ひっくっ」

「泣かないでっ……お願いだから、静かにしててっ……」

 

 

 静寂に包まれていた車内に響く、赤ん坊のぐずる音。

 それを必死に母親があやすが、苛立っている犯人の目は鋭く二人を捉えた。

 

 

「おい、それを黙らせろ。できないんなら俺がやってもいいんだ」

「ひっ……すいませんっ、すぐに泣き止ませますからっ……」

 

 

 犯人はなぜだかとても赤ん坊の泣き声を聞きたくないようで、母子を見る目は恐ろしいほど鋭い。

 怯えながらも母親は必死に赤ん坊をあやすが、恐怖で引き攣った顔でやってもそんなものは裏目に出るばかりだ。

 赤ん坊は母親の普段とは違う雰囲気に怯え、どんどん大きな声で泣き始めてしまう。

 赤ん坊の泣き声が車内に大きく響き渡るのはそれほど時間は要さなかった。

 

 

「お願いっ……お願いだからっ……!」

 

 

 それでも母親の必死な懇願も赤ん坊には届かない。

 いらいらとした視線を向け続ける犯人がだんだんと限界を迎えていくのを眺めていたがそれほど時間もたたないうちに、母親の元へと進み出そうとしたため、仕方なく私が動くことにする。

 

 席から立ち上がり、隣のおじさんの制止しようとする手を避け、犯人が止める間もないまま、私は彼女達の元に歩み寄った。

 

 

「はいはい、怖いですよね。でも大丈夫、お母さんと一緒にちゃんとお家に帰れますからね」

 

 

 赤ん坊の頭を撫でる。

 幼児特有のぐちゃぐちゃの思考を整えるために、人肌に触れさせ強制的に落ち着かせる。

 あうあうと、しゃっくりを上げながら徐々に泣き止んだ赤ん坊の様子を見届けてから、不思議そうに私を見上げる赤ん坊の瞼を手のひらで覆い「おやすみなさい」と小さく囁いた。

 そうすれば魔法のように、すう、と赤ちゃんが柔らかな眠りに落ちる。

 

 なんとか犯人の要望通り赤ちゃんを静かにさせられた。

 

 だが、これで一安心という訳ではない。

 振り返れば、勝手に動いた私を冷たく見下ろしている犯人がいる。

 

 

「……小娘、自分が何をしたか分かっているのか?」

「不快にさせたならすいません、私も赤ちゃんの泣き声はうるさかったもので」

「俺が最初に言ったことを覚えているよな? お前は――――」

「ええ、ですから、警察が要望に応えなかった時の見せしめの一人目は私にしてください」

「――――……は?」

 

 

 目を見開いた犯人を見上げ、目を合わせる。

 赤ん坊を抱えた母親が何かを言おうと口を開き掛けたが、後ろ手に人差し指を母親の口元に当てて黙らせた。

 

 

「今殺すのもあとで殺すのも一緒ですよね? なら、財産は慎重に使った方がいいんじゃないですか?」

「……そりゃあ、そうだが……お前、自殺願望でもあるのか?」

「学生の私にそんなことを聞きますか、死にたくないですけど譲れないことってあるじゃないですか。それが当てはまっちゃっただけです」

「…………そうか」

 

 

 ならこっちに来い、と乱暴に腕を引かれ、車両の前方まで引っ張られていく。

 運転席の隣の床に座らされて、トンッ、と肩に出刃包丁の刃先が置かれる。

 

 

「なにかあればすぐにお前を殺す」

「ええ、はい。それでお願いします」

 

 

 何とかその場で殺されるのを防げたと内心大喜びだが、周りはそう取らなかったようで、ほかの乗客が私に向けている感情は暗いものだった。

 特にあの母親からの視線は、悲壮感が満ちすぎている。

 止めてほしい、死ぬつもりなんて毛頭ないのだ。

 私だって無策でこんな提案したわけじゃない、活路を見出しているから動いたに決まっている。

 むしろこの位置に来るために、私があの母子を利用したようなものなのだから。

 

 周りの乗客に聞こえない程度の声量で犯人に話しかける。

 

 

「犯人さん、少し会話しませんか?」

「……お前、本当に命知らずだな」

「どうせ死ぬことが決まっているなら、動機とか諸々を少し知りたいと思いまして」

「……何が知りたい」

 

 

 ため息を吐くかのような言い方でそう聞いてきた犯人に、表情は変えずに、やはり答えてくれるかと安堵する。

 

 

「では、犯人さんの要求に合わせて三つだけ。まずは動機を教えてください」

「……交渉のためだ、さっき電話してただろうがあの要求が通れば、俺はお前らを解放していい」

「なるほど、じゃあ次に、その要求した物を持ってどうするつもりなんですか。」

「……さあな」

「なるほど――――では、貴方が本当に取り戻したいものを、この方法で本当に取り戻せると、思っているのですか?」

「――――…………何を、知っている」

 

 

 知るわけがない。

 でも、この犯人達の動機はある程度読めた。

 あとは、ゆっくりと説得をしていけば……、なんていう風に悠長に考えていたのが悪かったのだろう。

 

 バスの窓から見えたのは、近くを走る警察車両。

 ヘリの音がわずかに聞こえるのを思えば、このバスの動向は上空から監視されているのだろうか。

 犯人の顔色に緊張が走り、それでも、彼の目線は私から外れない。

 

 犯人が震える声を出す。

 

 

「お、お前は……あの子がどこにいるのか、知っているのか?」

「ええ。彼らが何のためにその様な事をしたのかも、知っています」

 

 

 警察がこの車両を包囲し始めているというのに、犯人の注目は私に向いたままだ。

 チラチラと運転手が私達に視線をやり、なにが起こっているのかと動揺しているが無視をする。駆け引きの山場はここだろう。

 

 

「警察は信用できないですもんね。言いなりになるしかないですもんね。子供の無事を祈るしか、出来ることがないですもんね」

「っ……」

「――――大丈夫、私がやっておきます。貴方が取り戻したいものは、必ず私が取り戻しておきます」

 

 

 肩にかかっていた出刃包丁の重みがなくなる。

 見れば犯人の男は呆然と、泣きそうな顔で私を見ている。

 

 

(敵意がなくなりましたね、じゃあ、あとは後ろの方も――――)

 

 

 よし、説得成功、と喜んだのもつかの間。

 好機だと判断したのか、一番近くに座っていた眼鏡の男子生徒が犯人に飛び掛かった。

 驚愕したのは私だけじゃなく、完全に私に注意が逸れていた犯人も思わぬ奇襲に少しよろめくが、すぐに組み付いた男子学生を振り払い、地面に叩き付けた。

 

 

「――――テメェッ! 死にてぇのかクソガキ!!」

「ひぃぃっ!!」

「あ、ちょ、ちょっと待ってください」

 

 

 振り上げた出刃包丁が男子学生へと振り下ろされようとして、私は慌てる。

 もう少しで言いくるめられたのにとんだ邪魔をしてくれた訳だが、だからと言って死んでも良いわけではない。

 恐らく絶体絶命に見えた私を助けるために飛び出してくれたのだ。

 その善性は褒められこそすれど、死に追いやられるようなものではない筈だ。

 

 慌てて犯人の男を抑えようと手を伸ばしかけたところで、先ほど私の隣にいたくたびれた男が割って入る。

 振り下ろされる出刃包丁をするりと受け流し、犯人の腕を掴み上げて、軽々と地面へ転がした。

 

 

「なっ――――ぐぉっ!!?」

「――――さて、あんたが呼んでた警察だ。大人しくお縄につくんだな」

 

 

 めまぐるしく変わる状況に目を白黒とさせるが、こうなってしまえばもう1人の説得は難しい。

 乗客席の後方にいた中年女性が音もなく立ち上がったのが視界の端に入った。

 周りの人達は皆、刃物を持った男の身柄に注目しており、そんなことには気が付きもしていない。

 床に倒され、関節を極められている犯人が苦しそうにもがくのを尻目に、くたびれたおじさんの背後に近付く女性。

 

 これもまた、私がやるしかないのだろう。

 

 

「おばさん、やめといた方が良いですよ」

「……あら、何のこと? 警察の方の手助けをしようと近付いただけよ」

「そういうのは、手に持った刃物をしっかりと隠してから言うんですね」

 

 

 私の言葉が終わる前に、おばさんは抱えていたカバンから果物ナイフを抜き取って、私目掛けて振り被る。

 

 

「っ……駄目だ! その子は傷付けるな!!」

 

 

 抑え込まれている仲間の叫びさえ、鬼気迫る表情のおばさんは意に介さない。

 強迫観念に囚われすぎて、周りに耳を貸す余裕さえないのだろう。

 

 そして、当然そんなことは分っていた。

 

 

「熊用スプレー、強力ですよ」

 

 

 女性が刃物を抜き出す直前に、私も懐から武器を抜き出していた。

 熊用の撃退スプレー。

 間違っても人に向けるものではない。

 

 

「――――ああああああっ!!!!!」

 

 

 まともに顔面に噴射を浴びた女性が、悲鳴を上げる。

 やたらめったらと手に持った果物ナイフを振り回し、ボロボロと涙や鼻水を垂れ流す女性はまともに周りが見えていない。

 スプレーをした後は、しっかりと窓を開けておく。

 直接かからなくたって、こういうのは周りにも被害はあるのだから大切だ。

 

 

「っ……運転手の方っ! 道端によって停車を頼む! 直ぐに警察が乗り込んでくるはずだ!」

「は、はいっ!!」

 

 

 走り続けていたバスがようやく停まる。

 次いで、扉が開き、乗り込んでくる警察隊員達に犯人達が確保され、とりあえず死者が出ずに事件が解決したことに安堵する。

 人質になっていた乗客達が喜ぶ中で、私に向けるくたびれたおじさんの視線は気が付かないふりをした。

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

「本当にっ、本当にありがとうございました……!」

「いえそんな……思わず体が動いてしまっただけで、感謝されるようなことはしていませんよ」

 

 

 どの口が言っているのだろう。

 思わず、どころか、損得勘定をしっかりした上での行動だったのに、我ながら白々しい。

 

 バスから降ろされ、人質だった私達が解放され、すぐに赤ん坊を抱えた母親がお礼を言いに来た。

 一人ひとり怪我はないかと言う確認と念のために病院へ送られる説明を受けた直後で、まだ命の危機にあったという恐怖が抜けていないだろうに、ずいぶんと義理堅いことだ。

 だがきっと、善人と言うのはこういう人のことを言うのだろう。

 善人と関わるのは肩がこるが、腹黒い奴や根っからの悪人と関わるよりはずっと良い。

 すやすやと寝息を立てている赤ん坊を軽く撫でて、じゃあまた病院でなんて言って母親たちの元を離れる。

 

 学校は……どうやら今日はもういけないらしい。

 警察や病院でいろいろなことに時間を食うと説明されてしまったのだから、もうそっちは諦めることにした。

 今は入学式を終えたばかりの春真っ盛りだ。

 友達作りの大切な時期に一日休みを取るなんて、高校デビューを目指す私からしたらかなり手痛いロスである。

 ……明日の学校が憂鬱だなぁ、なんて思いながら、手持ち無沙汰にぶらぶらする。

 警察の人たちが忙しなく犯人達を運ぶのや、バスの中の検証をしているのを眺めていれば、そんな中から先ほどのくたびれたおじさんが私を見つけて近づいてくる。

 

 

「少女、無事で何よりだ。犯人に腕を掴まれた時はひやひやしたぞ」

「ああ、すいません。ご心配をお掛けしたようで」

「もう少し冷静な子だと思ったんだがな。まさか自分の危険も顧みず飛び出すなんて思いもしなかった」

 

 

 少し諫めるような口調で言ったおじさんの言葉に、すいませんと返しておく。

 危険はなかった、なんて言っても信じてもらえないだろうし信じさせるつもりもない。

 根拠を聞かれても答えられないし、別に悪意がある言葉でもないのだ、ここは甘んじて陳言を受けておく。

 

 

「怪我はないな? 精神的に大きなショックは受けていないようだが、こういうのは後々に響いてくるものだ。信頼できる、親や友人にしっかりと苦悩を吐き出しておけよ。あとは……君が言っていた通り、その死んだ眼は元々なんだな……」

「……」

 

 

 本当に失礼なおじさんだ。

 三年以内に前髪がスカスカになってしまえ。

 

 

「……ところで、あー、その。君に、聞きたいことがあって、だな……」

「はい」

 

 

 目が泳いでいる。

 動悸が少しだけ激しくなり、心臓が鼓動する回数が通常時よりも多くなった。

 何か聞きにくいことを聞くときの反応だ。

 体をおじさんへと向けて、聞く体勢を取る。

 

 

「その、君の行動は少し、褒められたものではないが……結果的に見れば常に最善を導き出していた。俺が動こうとした時に君が止めてくれなければ、後ろから襲い掛かってきた共犯者にやられていたかもしれない。君が赤ん坊をあやしに行かなければ、犯人は母親ごと赤ん坊を殺害していたかもしれない。君の行動は危険ではあったが、確かに誰かを救う行為ではあった……」

「はい、そのつもりで動きました」

「……率直に聞く、君は何か特別な力を持っていないか? 例えばそう、透視をする力とか、そういうものを」

「…………本気で言ってますか?」

 

 

 私が返した冷たい言葉を、おじさんは噛み締める様に瞑目した。

 荒唐無稽なことを言っている自覚はあったようだ。

 

 

「……すまない。怖い思いをしたばかりの被害者にこんなことを聞くべきじゃなかったな。聞かなかったことにしてくれ」

「おじさんには助けられましたから、今のは忘れることにします」

 

 

 悪いな、なんて苦しそうに笑ったおじさんが、そっと私の元から離れて警察の人たちと話しに行く。

 事件の後に、おかしな話を被害者に聞かせるなんて警察官としては失格なのかもしれないが、正直私に不快感はない。

 

 むしろ――――私は勘の鋭いくたびれたおじさんに心底感心していた。

 よくそんなことに思い当たったものだと、私の心の中でのおじさんの評価をさらに上げる。

 

 

(ようやく手がかりを……きっかけを掴んだかもしれないと思ったんだがな……)

 

 

 おじさんがそんなことを考えながら高速道路のフェンスに手を掛け、空を見上げている。

 彼を動かす執念の原点、揺るがぬ行動原理が先ほどの質問に密接に関わっていたのだと、私は読み取った(・・・・・)

 

 あの若いはずのおじさんがくたびれたような雰囲気を持っている理由。

 現代の警察では絶対に証明することが出来ない事件を、このおじさんが追っていることを知る。

 長年ずっと、繋がらない点と点を探し続けているのだということを覗き見た。

 

 

(このまま俺はどれだけ時間を無為に消費するんだろうな……いつまで俺は)

 

 

 警察の人に車の準備ができたと呼ばれ、くるりとおじさんに背を向けて私は歩き出した。

 首を突っ込まなくていい面倒ごとに自ら首を突っ込むような精神性を、私はしていないのだ。

 たとえ先ほどのおじさんの発言が的を射ていたとしても、観念して自白するほど、潔くなんてない。

 なんたって私は――――真性の屑だからだ。

 誰かのために自分の身に危険を呼び込むことはしない。

 

 

 私は、一般的な平凡な家庭に生まれ、兄妹に挟まれてすくすくと成長し、誇れるのは進学校に通っていることだけの人間。

 

 人に誇れるような特技は無くて。

 

 人に誇れない特技に、ちょっぴり人の心に干渉できる、なんてものがある。

 

 何処にでもいる、少し性格の悪い女子高生だ。

 

 

 

 



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見える景色

 

 

 

 さて、家族を含め誰にも打ち明けたことのない私の特技であるが、私は「人の心を読む」と言うことが出来る。

 

 応用を利かせることで色々と出来ることはあるが、基本的に私の力の原点は「人の心を読む」ことであり、他人の精神状態を盗み見る程度の強力とは言いにくい力である。

「人の心を読む」とは言うが、「聞こえる」と言うのは少し語弊があるし、「見える」と言うには捉え方が違う。

 どうにも言語化しようもないから、形として「心を読む」と言うことにするが、これは私がこの世に生まれ落ちた時から身近にあった私の力である。

 どうやっても切り離せるようなものではなく、同時にどうやっても私を裏切らないこの力が、両親を含めた周りの人達、誰もが持たない特別なものだと私は物心がついてすぐに気が付いた。

 

 両親が他の大人と話している時、口に出している事と、「視えた」内面が違う。

 内面ではどれだけ口汚く相手を罵っている人も、実際に口に出す言葉は全く違う、視える内面とは似ても似つかない取り繕った中身のない言葉ばかり。

 張りぼての言葉で紡いだ関係をわが身のように大切にして、その関係自体が自分自身が積み重ねた虚実であると理解しようともしない。

 人とはこれほど薄っぺらいのだと、子供ながらに幼児燐香は呆れかえった。

 そして、そんな乖離した現実を眺め続けた私は大人に対し一種の見切りをつけると同時に、自分の持つ力がいかに驚異的なものなのかを理解した。

 

 人知をはるかに超えた力。

 記憶力があるだとか、運動が出来るだとか、手先が器用だとかで他人と比べている程度の者達とは違う。

 

 ――――生まれ持って埋めようのない圧倒的な才能を、私は自分が持っているのだと確信した。

 

 幼いながら、私は誰にも力のことは言わなかった。

 両親や友達の心を読めば、心を読まれるというのは相手にとって恐怖でしかないとすぐに分かったし、自分の力を明かしてしまえば折角のアドバンテージが失われてしまう可能性があることが理解できたからだ。

 

 だから表面上は、無難に、平凡に、穏便に。

「心を読む力」、“異能”を疑われないように使い、様々な分野で私の利となるように動いて結果を残してきた。

 思考に頼るボードゲーム、家や学校での人間関係、人に言えないようなことで困っている人を助けることも、幸せの絶頂にいる人を陥れることも、良いことも悪いこともやってきた。

 留まることを知らない私の、暴走にも似た異能の悪用は中学生になっても続き、盲目的に私を信用する者で身の回りを固め、誰にも何も悟らせないまま、どんどんと私の異能による侵食の手を広げていったのだ。

 

 ……あの時の私は、自分自身の全能感に酔いしれていた。

 今だからこそ言えるが、あの時期の私はいわゆる中二病、暗黒期真っ盛りであったのだ。

 自分がいかにアホなことをしているのかに気が付き、取り返しがつかなくなる前に辞めることが出来たが、一歩間違えれば本当に取り返しがつかなくなってしまう可能性もあった。

 当時の私は本当に馬鹿だったのだ。

 

 しかし、だからこそ、今の私はなんて事のない日常が何よりだと思うようになれたし、必要以上に異能を使うことをしないよう徹底するようになった。

 誰かを陥れるような悪意に満ちた異能の使用から、自分の身を守るための異能の使用へと、切り替えた。

 私が本当に欲しいものは、見ず知らずの誰かからの賞賛でもないし、有り余るほどの金銭でもないし、国や地球上の全てでもないのだと、自分の身の程を知ることが出来たからだ。

 

 結局、私はあくまで過ぎた力を持っただけの一般人で、人を陰から支配する器ではなかったのだ。

 

 将来はせいぜい、ひいひいと誰かの手足となって働くくらいがお似合いなのだ。

 そのことが知れただけでも、私にとっては得るものがあった。

 その頃を今思い出すと顔から火が出るほど恥ずかしい暗黒時代ではあるが、良い薬でもあったのだろう。

 

 そうやって自分の方向性を理解したのが、中学二年生の頃。

 それからはそれまでの暴れっぷりが鳴りを潜め、大人しく、平凡に学業に専念してきた。

 

 そして、高校一年生。

 自分のことを知る人がいない場所で、いわゆる高校デビューを果たそうとした私には、どうやらその頃の報いが返ってきているらしい。

 

 

「…………はぁ……」

 

 

 昼の休み時間、誰とも会話しないまま机の上で自作の弁当を広げた私はため息を吐く。

 この休み時間人と話さなかった、なんて生ぬるいものではなく、今日一日誰とも会話をしなかったのだ。

 

 友達も居ない、話し相手も居ない、知り合いなんていない場所に自分から進んで来た。

 

 ――――つまり、逆高校デビューの開幕である。

 

 

(あの……あのバスジャックさえ無かったら……)

 

 

 まだ4月の初旬で入学から数日と経っていないものの、周囲はもうそれぞれ仲の良い人とつるむ形でグループを組んでいる。

 これは入学式からほんの一日、二日程度の間で決まる友達作りと言う名の、グループ分けによって整然と配分された結果であり、その中の大切な一日をあのバスジャック事件で浪費した私には大きなハンデが存在したわけである。

 

 まあ? 私にはすごい才能があるから別にこの程度のハンデどうってことないです、なんて最初は思っていた。

 けれど、蓋を開けてみればこのざま。

 いくら人の心が分かったところで、出来ないことはいくらでも存在するのだと思い知らされる結果となった。

 

 

(……でも、そのうちグループからあぶれる人が絶対に出るから……その人と仲良くなれれば……)

 

 

 焦る必要はない。

 そのうち意見の対立や価値観の違い、若しくはくだらない嫉妬や喧嘩からあぶれる人は必ず出る。

 そういった人を私が拾い、クラスの端でこじんまりと生活するだけで十分だ。

 あぶれた人もボッチにならないのだから、ウィンウィンの関係と言う奴だろう。

 

 チラリとクラスに出来たグループを見回して、この教室内の状況を確認。

 そしてその中から目当ての1人を目に留めた。

 チャラチャラした派手目な女子達の中にいて、少し居心地が悪そうにしている眼鏡の女子。

 

 彼女は現在、私が友達になりたい人ナンバー1の舘林春(たてばやし はる)さんだ。

 気弱な感じであり、真面目そうな性格もグッド。

 地味さはあるが、所作から品の良さを感じる。

 私が男なら是非ともお付き合いしたい女子なのだが、どうやら現段階では異性人気は全くないようで。逆に彼女の周りにいる化粧などで見栄えを良くした派手目女子達が人気らしい。

 舘林さんをグループに引き込んだのはそういう引き立て役が欲しかったからと言う目論見だったようだが、あの様子だと無事成功しているようで何よりだ。

 

 舘林さんはそんな馬鹿達からの呪縛を離れて、早く私の友達になってほしい。

 そんな風に念を送ってみるが、舘林さんは私の想いには気が付かないようで寒気を感じたように身震いしている。

 ……別に異能は全く使っていない。

 

 

 そんなことを考えていた私の携帯に、ピロンッ、と速報ニュースが表示されて、世間を騒がせている誘拐事件に新たな被害者が出たのを知らせてくる。

 

『新たな被害者は氷室区に住む5歳の男児、いまだ犯人に繋がる証拠は発見できず』

 

 

「……うわぁ、この近くに来ちゃったんですか……」

 

 

『連続児童誘拐事件』、それが今世間を騒がせている犯罪事件であり、過去に類を見ないほど被害者の多い誘拐事件である。

 被害者は大体5歳から10歳までの子供。

 最初に起きた誘拐事件から半年、累計被害件数23件と言う連続事件であり、にも関わらず警察は現在も犯人に関する足取りを全く掴めていない状態。

 そして、警察や被害者に対して金銭等を要求することなく、現在まで続いているこの事件は何時しか警察の信頼失墜と国家規模での不安が住民にのしかかっている。

 

 証拠もない、状況も判明しない、目的も、手段も分からない。

 数分前に子供と帰宅した母親が料理をしようと台所に立ち、隣の部屋にいた子供の物音がしなくなったと気が付いて、家中を探すが結局見つからず通報したのが事件の始まり。

 当初は通報した母親の犯行だと見られていたが、その判断を嘲笑うように別の家庭でも全く同じ事件が発生したことで状況が変わった。

 その後、同一犯による誘拐事件として警視庁が大掛かりな捜査に乗り出すものの、事件解決どころかその後の事件発生も抑えることが叶わないまま現在に至っている。

 

 世間は警察の怠慢や捜査能力不足だと言っているが、それが真実であったら話は簡単だったろうに。

 この誘拐事件の余波でこの前のようなバスジャックが起きるなら、私としても迷惑なので、そろそろ警察にはしっかりとカタを付けてほしい。

 ……かなり難しいだろうが。

 

 クラスのグループに所属している人達も誘拐事件には注目しているようで、速報が入ってからはなんだか騒がしくなってきている。

 待つ、とは決めたが、友達を作る努力を怠るつもりも無い。

 この話題を武器に何とか会話の輪に入って明るい学生生活をつかみ取って見せると気合を入れて、私は席を立った。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

「わ、分からない……最近の女子高生の思考が分からない……。可愛いとは……? きも可愛いってなに……? それ、不細工なだけなんじゃ……」

 

 

 今日も友達作りに無事敗北した。

 話題に加わろうと突撃したまでは良かったのだが、彼女達の話の中心にあったマスコットキャラクターの良さが1ミリも理解できなかったのだ。

 おすすめしてくる彼女達の目とぶよぶよした体形のキャラクターがもはやホラーだ。

 逃げ出した私は絶対に悪くない、と思いたい。

 ま、まあ、結果として敗戦兵だが、自分の感性を守ったと考えればそれもきっと価値があるものだ。

 

 トボトボと帰路に就いた私が、家の前で周囲に張り巡らせていた自動読心の力を解除する。

 それから家の門扉を開き、通りがかった小太りのおじさんに会釈をして中に入ると、まだ私以外誰も帰っていないようであった。

 

 夕食の準備を終わらせ、軽い家事を一通り終わらせてから、私は自分の部屋に戻る。

 パソコンを開き、アルバイト用アカウントのSNSにいくつか通知が来ていることを確認してから、いくつか誘拐事件についての詳細を調べておく。

 面白いもので、ここまで世間を騒がせているといろんな人が関わろうとするのか、現場周辺の写真を見つけるのは難しくなく、いくつか役に立ちそうな情報を仕入れることが出来る。

 

 今回の事件が起きているのはすべて東京都での出来事だ。

 つまり、誘拐犯が東京を拠点にしているのはほぼ確定、警察もその方針で動いているのは知っている。

 次々に流れてくる情報の山を頭の中で処理しつつ、昨日巻き込まれたバスジャックとの関連を紐付けていく。

 

 

(昨日のバスジャック犯は子供を誘拐された親。何らかの方法で犯人からの接触があってバスジャックを指示されたんだろうけど……)

 

 

 この事件に対して私は二つほど確信していることがあった。

 

 一つ目は、この犯罪の背後にはかなりの大きな組織が潜んでいること。

 個人でやる分には誘拐なんて一度すればいいし、人身売買を行っているならそれこそ個人では手が足りなくなる。

 だから、大きな組織が今回の誘拐事件を計画しているのはまず間違いない。

 そしてもう一つ、これは恐らく――――私の同類が関わる事件。

 

 別に世間を騒がせる色んな犯罪事件を解決するような趣味は無いが、被害者の親を使って犯罪を起こさせる誘拐事件の黒幕には怒りがある。

 それが私と同じ、到底警察に逮捕されないと分かっている力の持ち主であるならなおさらだ。

 

 

「――――お姉、少しいい?」

 

 

 ノックも無しに部屋に入ってきたのは、最近は一緒に寝るのも嫌がる絶賛反抗期真っ盛りの私の妹、佐取桐佳(さとり きりか)だ。

 私が父親似で、家族で唯一死んだ眼をしているのに対して、妹は母親似、生き生きとしていて気が強そうな眼をしている……らしい。

 お父さんに言われるのだから、きっとそうなのだろう。

 

 

「あのさ、最近誘拐事件とかで物騒じゃん? 私達の住んでる氷室区でつい最近誘拐事件があったし、日曜のお姉のアルバイト、やめといた方が良いと思うんだ。この前のバスジャックに巻き込まれたのもあったし、出来るだけ家から出ないようにしようよ」

「それはそうだけど……」

「昨日のバスジャックの時だってお姉危なかったんでしょ!? 私にはあんまり外出するななんて言っておいて、自分だけそういうのはおかしいよ!」

「むう……」

 

 

 妹の言葉に詰まる。

 確かに妹が言っていることは正論で、正さなければならないのは私の方だ。

 反抗期とはいえ、家族の危険に不安を覚えている妹のお願いをないがしろにするのは違う気がする。

 自分は異能があるからどうにでもなると考えていたが、私の力を知らない妹やお父さんにとっては不安しかない筈だ。

 

 

「そう、だね。桐佳の言う通りかな。私も出来るだけ外出は控えるようにするよ」

「!!」

 

 

 ぱぁッ、と笑顔を浮かべた妹を見て諦める。

 私の異能を使えば危険と言うのはほぼあり得ないことではあるが、家族の誰にもこの力のことは話していない。

 だから、それなりの行動を心掛けないと家族には心配を掛けるし、いらない負担まで与えることになってしまう。

 

 

「お父さんにも言ってさ、なんなら学校休むのもありじゃないかな! 今犯罪が多発してるし、怖いもんね!」

「調子に乗らない。桐佳、今年受験生なんだから勉強しなきゃでしょ」

「はあ!? また母親みたいなこと言ってさ! 勉強はしっかりとやってますー、お姉の高校くらい余裕で入れるんだから!」

「……別に私が行ってる高校をわざわざ選ばなくても良いのよ?」

「こ、ここらへんで一番頭いいところがお姉のところなの! 変な勘違いしないでよね!!」

 

 

 勘違いなどしない、妹は私のことを一種の目安にしているのだ。

 どの程度までやればいいのか、どの程度まで達成すればいいのかの目安を図る上で、兄や姉と言った存在は指針となりやすい。

 特別やりたいことが見つかっていないなら、特にそれは顕著となる。

 だから間違っても、妹が私を大好きすぎて一緒の学校に行きたいということはないのだ。

 

 

「あ、あとね。お姉、前から友達と約束してた映画館に行く約束なんだけど、あれは結構前から予定してたし、映画だけを見てすぐに帰るから行かせてほしいなって……」

「むむ……」

「お願いっ! なんならお姉もついてきていいから! お姉の目に届くようにしてれば心配いらないでしょ!?」

「わ、私もついていっていいの? ……そんなに行きたいんだ……」

 

 

 期待するような桐佳の目に気圧される。

 勉強にも気分転換は必要だろう、そんなに楽しみにしていた予定を潰せば効率だって悪くなるというもの。

 こんなにトゲトゲした対応をしている姉に対してついてきて良いと言うくらいだ。

 無理に外出しないようになんて言えば、どうなるか分からない。

 

 

「分かった、でも桐佳が自分で言った通り、あんまり遅くなっちゃ駄目だよ」

「……あれ? お姉はついてこないの?」

「お友達と遊びに行くのについてくる姉がいたら邪魔なだけでしょう? 桐佳ももう中学三年生なんだから、自分で言ったことを守るだろうっていう信頼はしてるから」

「…………そう、そうだよね……」

 

 

 嬉しさのあまりか、顔を俯けてぶつぶつと言い始めた桐佳を私は満足げに見る。

 きっとその日の予定でも立てているのだろう。

 そろそろ夜の九時を回る、妹に自分の部屋へと戻るよう促そうとして。

 

 ふと、一階のリビングあたりから響く足音に気が付いた。

 

 

「――――」

「あれ、お父さん帰ってきたのかな? 玄関が開いた音聞こえなかった気がするんだけど」

 

 

 妹もリビングから聞こえた足音に気が付いたのか、いつものようにお父さんを迎えようと扉に手を掛けた。

 そして、桐佳が扉を開ける前に、私は妹の手首を掴み廊下に出ようとするのを止める。

 

 

「お姉ちゃん……?」

 

 

 ――――私は普段、絶対に家族に向けて異能を使わない。

 

 それは私自身が自分に課した制約で、越えてはならない一線を越えないための境界線だからだ。

 だから、本当は妹やお父さんが私に対してどう思っているのか分からないし、知らないままでいいと思っている。

 それはきっと、家族内で関係が拗れても、変えることはないと思う程に強固な決意でもある。

 彼女達との関係は、そんなものを挟んで為しえるものであってほしくないと言う私の強いわがままだ。

 

 けれど……けれどだ。

 大切な家族に迫る危機があれば、その限りではない。

 安全を取るのが最優先であり、私は優先順位をはき違えることはない。

 少しでも家族に危険が及ぶ可能性の疑いがあるなら、父親の可能性がある足音の主の心を読むことに戸惑いなんてなかった。

 

 

「桐佳、この部屋から絶対に出ないで」

「お、姉ちゃん? なんでそんなに怖い顔をしてるの……?」

 

 

 足音よりも、私の顔に怯えたのか妹は顔を青くして私を見る。

 けれどそれに配慮する時間もなく、私達の声が聞こえたのか、リビングのあたりをうろついていた足音は徐々にこちらに近付いてきた。

 

 

「うん、お父さん。もう少しで帰ってくるから、大丈夫だからね」

 

 

 その足音は、絶対に父親のものではない。

 

 足音の主は音の大きさから言って、恐らく70~80㎏ほどの人物。痩躯の父とは似ても似つかない。

 それがあののほほんとした父親ではありえないほどの悪意を持って、今この家の一階を歩き回っている。

 そして、悪意と凶暴性に満ちた感情が向かうのは、この家に住んでいると知っている私達姉妹二人に向けたもの。

 バスジャックの時の、どうしようもない理由がある者ではない。

 世間の混乱に乗じて自身の狂気の発露を行おうとする最低な人間。

 それが今、私達へと向かってきている。

 

 

「な、なんで……じゃあ、この足音は……」

 

 

 ダンダン、と階段を一つずつ上ってくる音に、顔を引き攣らせた桐佳の頭を撫でる。

 

 

「いい、絶対に部屋から出ちゃダメだからね」

「お、お姉ちゃん、待っ――――」

 

 

 それだけを最後に恐怖に縮こまっていた妹をベッドに放り、扉から出る。

 そして、扉が開かないように背中を預け、階段を上ってきた肥満体型の見知らぬ男性を――――いいや、先ほど家に入る時にいた小太りの男性を見やる。

 手に持つ刃物も、欲望に染まり切った眼差しも、口周りの汚い無精ひげや不潔な髪も、後ろに妹がいると思えば怖くはなかった。

 

 

「こんばんは、見知らぬ人。良い夜ですね」

 

 

 自分が思っていたよりも、ずっと冷たい声が出た。

 自分のそんな声を聴いて私はようやく理解する。

 

 

「――――ああでも、貴方にとってはきっと、最悪な夜になりますよ」

 

 

 私は思っているよりもずっと、この侵入者に怒りを感じているのだと。

 そう言って私はせめてと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 



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顛末、末路、もしくは過程

 

 

 

 

 東京都氷室区にある氷室警察署。

 公序良俗に反する犯罪者を取り締まり、秩序を守る警察官が勤務するこの場所は今、日本一注目を集めている警察署だ。

 署員がおよそ400人を誇るこの警察署であり、普段であれば人手が足りないということはない場所であるのだが、とある事件によって今は署員のほとんどが駆けずり回っている状況であった。

 

 

「――――いいか、最後に誘拐事件が起きたのはここ氷室区だ。これまでの犯行を考えれば、おそらく次の犯行も氷室区となる。未然防止、犯人確保を絶対に行うぞ。各自、各々の警戒箇所を徹底しろ!」

 

 

 刑事課が慌ただしく駆け巡り、雑務として庶務課の人間まで駆り出されている状況の中で、交通課に所属する署員たちはそれを横目に自分達の事務に取り組んでいた。

 声を張り上げ興奮したように指示している上司とは違って、あくせく働いている下っ端たちの顔には疲れがにじんでいる。

 ここ最近異動してきた刑事課の課長はどうも熱血漢が過ぎると言うのが、交通課に所属する署員の意見だった。

 あれでは捕まえられるものも捕まえられなくなるだろう。

 

 

「いやー、飛鳥ちゃんは幸運だねぇ。見てみなよ刑事課の連中の忙しないこと、新人やベテランの区別なく駆り出されてるよ。飛鳥ちゃんも刑事課に入れられてたら、今頃は休む間もなく働いてたんじゃないかな?」

「えー、じゃあ良かったですぅ☆ わたし、ここの交通課に入れて安心しましたぁ!」

「まあまあまあ、刑事課とは違って、俺がしっかりと手取り足取り教えちゃうからさ! そこんとこは心配しないでよ!」

「キャー先輩カッコいいですー」

 

 

 慌ただしい足音をBGMにしながら、交通課に所属する軽薄そうな男と頭に何も入っていなさそうな女の新人が声量も気にせず会話している。

 腹立たし気に刑事課の人達が横目に睨んでくるのもなんのその。

 優雅にお茶に口を付けながら、カチャカチャとパソコンにゆっくりと文字を打ち込んでいる。

 

 

「でもぉ、やっぱり凄いですねぇ“連続児童誘拐事件”。どこもニュースはそればっかり取り上げてますし、わたし昨日の帰り道に取材させてくださいってどこかの新聞社の人が話しかけてきましたもん」

「あはははは、まあ、それは刑事課の人達に解決してもらうとして、俺達は俺達の仕事をしっかりやらないとだからね。あっちの手助けなんてしてる余裕ないし。新聞社の人は、きっと飛鳥ちゃんが可愛いからナンパのために話しかけたんじゃないかな?」

「やだー、もう先輩。褒めるのが上手いんだからー」

 

 

 ケラケラと軽い感じで話している二人の意見は間違っても交通課全ての総意ではない。

 だが、それを注意するだけの義理を刑事課に感じていないのも確かであり、叱りつけようなどと言う姿勢を見せるものは一人もいなかった。

 

 

「それでぇ、次の書類の作り方教えていただいて良いですかぁ?」

「んー? ああ、いや飛鳥ちゃん。今日はもう十分だよ、今日教えたことだけちゃんと覚えてくれれば、あとはゆっくり覚える余裕があるし。なにより飛鳥ちゃんはポンポンと覚えてっちゃうから、これ以上優秀なところを周りに見せちゃうと刑事課に引っ張られちゃうかもしれないよ」

「……そうですかぁ、じゃあ仕方ないですね☆ 教えていただいたことの復習をしておきたいと思います! あ、お茶入れてきますね、熱いの大丈夫ですかぁ?」

「ありがとー、流石飛鳥ちゃんは気が利くなぁ!」

 

 

 素直に喜ぶ軽薄そうな男にあざとい笑顔を向けて、頭の軽そうな女はお茶を入れに行った。

 

 新人への指導を任せられた軽薄男は当初こそ初の新人指導に不安を覚えていたが、想像よりもずっと優秀だった新人にいつしか不安は微塵も残っていなかった。

 これなら上司からの覚えもいいだろう、もしかしたら自分の評価も上がるかもしれないと、一人ご機嫌だった男は隣の席に目を向ける。

 そこには、隣で煩い二人がいたのをまるで気にせず、黙々と自分の作業をこなしている実年齢よりもずっと老けて見える男性警察官がいた。

 

 神楽坂上矢(かぐらざか かみや)、先日のバスジャック事件に遭遇し、無事に犯人確保を行った警察官だ。

 

 

「……神楽坂さんさー、この間のバスジャック事件の時お手柄だったじゃないですか? あれで給料上がったりとか、休みを特別に貰えるとかないんですか?」

「……別に無いな。と言うより、あんなもの手柄のうちに入らないだろう。本当はバスジャックをされる前に犯人を確保するべきだったんだからな」

「うわあぉ、流石元エリート刑事は言うことが違いますね。でも、忠告じゃないですけど、今は刑事課じゃないんだからあんまり派手に動くのは止めた方が良いですよ。そういう態度、刑事課連中は愉快じゃないでしょうから」

「は、あんな只の手足としてしか動けない連中に目を付けられたところで何にも怖くなんてない。むしろあんな連中とはなれ合いになりたくない」

「まあ、俺も後半は賛成ですけど」

 

 

 神楽坂は自身のやらなければならない案件を出来る限り早く終わらせ、余った時間を使い、過去の児童誘拐事件についての資料を見比べていた。

 大掛かりな事件は刑事課に任せておけばいいと思っている男にとっては、神楽坂のそんな行動は見習いたくもない。

 

 

「まあいいっすよ。神楽坂さんがウチに変な仕事を持ち込まない限りは、俺に負担がかかるわけじゃないっすから」

「お前は事件を解決して出世しようという気はないのか?」

「神楽坂さんだって出世したいわけじゃないでしょうに。俺も出世したいわけじゃなくて、そこそこの仕事をして、その金で私生活を充実させたいだけなんですよ。公務員になったのも安定してるからってだけですしー?」

「正直なのは良いことばかりじゃないぞ、そういうのは心の中だけにしとけ」

「刑事課で出世街道にいたのに荒唐無稽な主張をして、こっちに飛ばされた人の言葉とは思えませんね。ええと、なんでしたっけ――――科学では証明できない超常的な力を持った人間がいる、でしたっけ」

「…………」

 

 

 心底馬鹿にしたように吐き捨てた男性職員に、神楽坂は眉一つ動かさず資料に落としていた視線を上げ、男性職員を見据えた。

 くたびれた様な雰囲気で、燃え尽きた煤の様な神楽坂の表情に一瞬だけ言葉に詰まった男性職員は、資料を指さす。

 

 

「そりゃあ今世間で騒がれてる連続誘拐事件だって、何か超常的なもののせいに出来れば楽ですよね。自分達には理解できないことを全部超常現象のせいにして、解決できないと匙を投げて。良いですか、警察官としての誇りを持ってない俺だってわかります、科学的な根拠に基づいた法をもとに職務を執行する我々が、科学を否定してしまったら何も解決なんてできないって――――」

 

 

 早口に言い立てる男性職員を遮るように、神楽坂ははっきりと口にする。

 

 

「――――ああ、それでも……科学では証明できない力が、この世には存在するんだ。存在するんだよ」

 

「――――……馬鹿馬鹿しい……」

 

 

 神楽坂が疲れたように言ったその言葉に気圧されて、男性職員、藤堂はそんなことしか言えなかった。

 

 

「はーい☆ 先輩方お茶が入りましたよー☆」

 

 

 冷え切っていた空気の部署に能天気な声が響く。

 空気も読まずに入ってきた新人警察官の飛鳥は、それぞれの人達の机の上にお茶を載せていく。

 

 

「ほらほらー、藤堂先輩も座って座ってー☆」

「あ、ああ、飛鳥ちゃん。ありがとねー、じゃあ、俺も俺の仕事に移るから、さっき言った通りのことをやっておいてね」

「はーい、分かりましたぁ!」

 

 

 毒気を抜かれた藤堂を見送るように、ひらひらと手を振る飛鳥に神楽坂は胡乱気な目を向ける。

 入りたての新人だが、どうにも一つひとつの行動に意味があり、単なる空っぽ頭のようには見えないのだ。

 

 

(そういえば、警察学校の教官連中が揃って優秀とは言っていたな)

 

「神楽坂先輩ー、私に見とれちゃいましたぁ? まー私ってめちゃ美人だし仕方ないですけど、あんまり不躾に女性を見てるとセクハラになりますよ☆」

「ああ、悪い」

 

 

 少なくとも空気を読み、あえて周囲の状況に合わせない度胸もある奴なのだろうと、神楽坂は自分の中での飛鳥の評価を一つ上げる。

 言われた通り、視線を彼女から集めた資料へと戻して、自分の考察をまとめていたメモにまた筆を入れる作業に戻る。

 事件発生場所、日時、それらから算出される拠点と取引場所。

 それらを自分なりにまとめ、少しでも事件を解決に導くためにといくつか考え付いたものを書き記して。

 

 まだ、隣にいる飛鳥が興味津々と言うように神楽坂の手元を覗き込んでいることに気が付いた。

 

 

「なんだ? お前もやることがあるだろ、さっさと自分のデスクに行け」

「……神楽坂せんぱーい、先輩は今回の誘拐事件も超常的な力が関わってると思うんですかぁ?」

「だからなんだ、言っておくが散々いろんな奴からあり得ないと言われている。お前に言われるまでもなく、多くの奴が否定的な意見を持ってるのは分かってる。だが――――」

 

 

 これまで何度も言われてきた言葉だと、めんどくさそうに切り捨てようとした神楽坂の言葉に重ねる様に飛鳥は口にする。

 

 

「――――だけど、確信してるんですよね? 神楽坂先輩は“異能”の存在を」

「……お前……?」

 

 

 耳元に口を寄せて、囁くように言った飛鳥の言葉に神楽坂は目を見開く。

 彼女の声には確信が含まれているように感じたからだ。

 

 弾かれた様に振り向いた神楽坂の額に手作り感のある青色のお手玉が押し付けられた。

 お手玉越しに見える彼女の顔はいたずらに成功した子供のようににやにやとしている。

 

 

「――――なーんて、私はUFOとか、ネッシーとか信じないんですけどね。まあ、可愛いとは思いますけど☆」

「…………テメェ……おちょくりやがったな?」

「神楽坂先輩がこんなにかわいい後輩に構わないからですよ☆ このお手玉私のお手製なんです、非日常が好きな先輩のために今度ネッシーのぬいぐるみ作ってきてあげますね☆」

 

 

 わざわざ家庭的な部分をアピールしてから自分の机へと帰っていった飛鳥に、また個性の強そうなやつが入ってきたもんだと神楽坂は頭痛を覚える。

 あんな飄々とした態度なのに、この部署の男どもは揃って飛鳥に甘々なのだ。

 少し風にでも当たってこようかと、神楽坂は煙草に手を伸ばした。

 

 

(……そういえば、バスジャックの時の死んだ眼をした女子学生。あの子は事件に巻き込まれたのに随分落ち着いてたな。ああいう子が警察になってくれれば、きっと文句なしに優秀になるんだろうが……頭もよさそうだったし、どこか大手企業にでも就職するだろうな……)

 

 

 以前顔を合わせた少女のことを思い出し、小休憩を挟もうと席を立った時、タイミング悪く署内が少し慌ただしくなる。

 

 

「――――緊急通報がありました。この警察署の近くの家に住む少女からの通報です。ただ……家に凶器を持った男が乗り込んできたとの通報なのですが、少女は酷く落ち着いていて……もしかすると狂言通報かもしれません」

「チッ……ただでさえ誘拐事件の対応で忙しいってのに。今、手が空いてるやつはいるかー? 誰でもいいから現場に行って確認してきてくれー。おーい誰かいないかー?」

 

「…………はあ」

 

 

 手にしていた煙草をデスクの上に放り投げ、神楽坂は上衣を羽織りつつ駆けだした。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

「ね、ねえお姉ちゃん……? もう私部屋から出ていいよね?」

「……まだ部屋から出ちゃダメ、かな」

「さっきまでしてた変な音はなんなのっ……!? 何が起きてるの? やっぱり帰ってきたのお父さんじゃなかったんだよね!?」

「なんでもないよ、もう少し待っててね」

 

 

 扉越しに不安そうに声を掛けてくる妹に適当な返事をして、背中で扉を開けられないよう押さえつける。

 

 パキリと、指をならして、視界の正面で立ち尽くしている男の様子を窺った。

 肩で息をしながら凄まじい形相で辺りを見回している男は目が血走り、震える手で大振りのサバイバルナイフを握り込んでいる。

 

 彼は今なお私を探しているようだが、正面に立つ私を気にする様子を見せることは無い。

 壁や家具を凶器で裂かれ傷だらけにされてしまったが、何とか妹がいる部屋までは辿り付かせなかった。

 

 時間は掛かった、だがもうこの男は私の手中の上だ。

 張り巡らせた蜘蛛の糸に巻き取られるように、彼の感覚のほとんどは拘束し終えた。

 正常に周りを把握することは出来ないし、私や妹の部屋を見付けることも出来はしない。

 私が“精神干渉”と呼んでいるこの才能は、時間を掛ければこんなことも可能なのだ。

 

 

「通報も終えたし、無力化も出来た。言い訳は……薬物でもやってたで良いですよね?」

「……ッ!! ……ァッ!!?」

 

 

 妹を不安にさせないように、相手の声も封じたのだがどうも完璧では無い。

 普段、こんな使い方をしないから、こうしていざという時に上手く出来ないのだろう。

 気にするべき点は多々あるが、動きを封じれただけで充分か。

 この状態まで持っていければあとはどんな風にでも私の思うように弄繰り回せる。

 

 私は今なお暴れ、何とか私達姉妹を見つけようとしている犯人をゴミでも見るように眺める。

 

 

(家の中も傷だらけになっちゃいましたし……コイツ。どう代償を払わせてやりましょうか)

 

 

 私の力はあくまで精神に作用するもので、直接危害を加えられるような力ではない。

 だから怒りに任せてぶん殴れない代わりに、証拠を残さず相手をぐちゃぐちゃにすることが可能なのだ。

 何に対しても恐怖を感じるようにしてやるべきか、はたまた、あらゆることに楽しみを感じないようにしてやるべきか。

 そんな風に悩みつつ、手のひらを藻掻く男へと向けて精神に干渉を始める。

 

 まずは、他人を快楽のために傷付けようとすると恐怖を感じるように。

 次に、普段から感じていた快感を何に対しても一切感じないように。

 次に、ごく一般的な善人としての行動を行うよう刷り込み。

 最後に、行動原理の核に自分自身の身を粉にしていままで迷惑をかけてきた家族に対し奉仕すると言うものを付け加える。

 

 ――――そんな風に目の前の危険人物を根本から作り替える。

 

 そうすれば、ほら、先ほどまで足掻いていた男が嘘のように静かになり、その場で呆然と立ちすくんだ。

 

 

(――――これでコイツも私の操り人形)

 

 

 もう男に自由意志などない。

 私が規定した通りの善人として、この世の中で生きるしか道はない。

 

 ――――文字通り、死ぬまで。

 

 

「お、お姉、パトカーが……」

 

 

 この家へと向かってくる複数の人間を感知する。

 通報なんて初めてだったが、幸い家が警察署の近くにあるからか、数分と掛からずに駆け付けてくれたようだ。

 

 

「佐取さんー? 入りますよー?」

「……」

 

 

 玄関から聞こえてきた警察官の声にも男は一切反応しない。

 ガチャガチャとドアを開けて、複数人の足音が家に響きだした。

 妹の動揺する声を聞きながら、上ってくるだろう階段に視線をやる。

 

 

「……」

 

 

 生気が抜け落ちた顔で玄関の方向を気にする犯人はピクピクと身体を痙攣させている。

 

「逃げなくては」と思うのに、「贖罪をしなければ」と思う。

「目的を果たさなくては」と思うのに、「目的が酷く悪いことのように」思えて行動に移せない。

 そんな風に、この男は自分の感情に板挟みになって動けない。

 結局何の行動もこの男は起こせない。

 

 そんな状況で、つい先日も見た顔が階段を駆け上がり私の視界に飛び込んできた。

 

 

「――――な、なんだこれは……?」

「あ、すいませんおじさん先日ぶりです。彼が刃物を持って暴れているんですが、どうも言動がおかしくて」

「君は……!? 災難ばかりだな、全くっ」

 

 

 バスジャックの時も出くわした、老け顔の警察官だ。

 警察官のおじさんは異様な現状に目を白黒とさせていたものの、すぐに口をパクパクと大きく開閉させ、硬直している犯人に掴み掛かった。

 あっと言う間に刃物を取り上げ抑え込み、即座に手錠を掛ける。

 バタバタと他の警察官が加勢して、全身を抑え付けられた犯人は碌な抵抗も出来ていない。

 

 

「――――通報のあった被疑者を確保した! 抵抗はあるが激しい暴れはないっ、連行の準備をっ!」

 

 

 背中に扉を押す力を感じてそっと身体をどければ、顔を青くした妹が様子を窺っている。

 多数の警察官に目を丸くして、抑え付けられている凶器を持った男を見て表情を引き攣らせる。

 

 大丈夫だよ、なんて声を掛けてみたが、目尻に浮かべた妹の涙を止めることは出来ない。

 勢いよく私に抱き着いてぐすぐすと鼻をすすり始めた妹の頭を撫でながら、抑えつけられている犯人の方向へ視線をやる。

 険しい顔をしたおじさんと目が合った。

 先日のバスジャックの時とは比にならない疑念を抱いた、おじさんの視線が私を捉えていた。

 

 

 

 

 



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それぞれが向かう方向

 

 

 

 警察官が私の家へと踏み入り、発狂していた男の身柄を取り押さえてから、私と妹の桐佳は警察署で別々に分かれ話を聞かれていた。

 状況等の簡単なものだなんて説明をされたが、いまだに顔色悪く恐怖から立ち直れていない桐佳にはあまり多くを聞かないでほしいと伝え、大部分は私が説明することとしていた。

 妹の心理状態を気遣ったのもあるが、私にとってはそっちの方が都合がいいからだ。

 

 

「――――なるほど、じゃあ佐取さんは妹と部屋にいたとき男が家に押し入ってきて、薬か何かをやっていた男の意味不明な行動を見ていただけで怪我等はしなかったと」

「ええはい。そうなんです、信じられないかもしれませんがそれ以上に言えることが無くて」

 

 

 勿論、私の異能に関することは省いて、あの男がおかしくなったのはあくまで最初からだと一貫する。

 

 おどおどと、出来るだけ動揺している様子が相手に伝わるように演技しながら。

 対面に座るおじさんの視線が痛いのを気にしないようにしつつ、同じ部屋にいる婦警さんが涙ぐみながら私に同情の念を抱いているのを確認しほっとする。

 暴漢に襲われた後の少女の様な演技だが、正直そこまでうまくやれている自信はない。

 それでもこんなに簡単に私の証言を信じるのは、やはり家に不審者が入ってきた被害者の少女、と言うフィルターが強いのだろう。

 

 

「それで……ふむ、男と君の間に面識等は無いと捉えていいんだな?」

「はい、まったくありません。妹と二人で部屋にいたときに足音が聞こえて、お父さんではないなと、様子見に行ったらあの人が……」

「恐かったよねぇ、もう大丈夫だよ、ここには貴方を傷付ける人はいないからね……もう良いんじゃないですか神楽坂さん、これ以上未成年の被害者に色々聞いて負担を掛けるのはどうかと思いますよ」

「……それもそうだな。済まない、そろそろ終わりにするか。悪いが妹さんを呼びに行って貰っていいか?」

「はい、今は温かい飲み物を飲んでもらっているから食堂にでもいると思います。ちょっと行ってますね」

 

 

 よほど同情を誘えたのか、婦警さんはおじさんに聞き取りの早期終了を進言し、別室にいる桐佳を呼びに部屋から出て行った。

 深い追及もなく、覚悟していたおじさんからの疑いの目も予想よりもずっと軽い。

 何とかやり過ごせたかと一息ついたところで、おじさんは思い出したように呟いた。

 

 

「それにしても……バスジャックの時も思ったが、本当に常に目が死んでるんだな」

「……死んでませんが?」

 

 

 危なかった。

 もう少しでおじさんに異能を使って、私の目がきらきらして見えるよう洗脳するところだった。

 変なことを突然言わないでほしい。

 

 

「それに、前の時は事情聴取に当たらなかったから分からなかったが、君は高校生なんだな……もう少し下だと思っていたよ」

「花の高校生ですが? 何処見てるんですか? まさか私の身長じゃないですよね?」

「あ、違う。すまん。ほら、顔が少し童顔気味だからな。精神的にはかなり大人びていたし、どれだけの年齢か見当がつかなかったと言うか……」

 

 

 なめとんのか。

 ギリギリと歯ぎしりをする私に、おじさんは慌ててフォローを入れるが今更遅い。

 

 確かに私は世間一般で言う低身長に該当する。

 けれどまだ高校生、十分成長の余地はあるのだ。

 中学二年生の時に成長が止まってしまったからと言って、これ以上成長しないと言うことは絶対にないのだ。

 しかも人の身体的な特徴をあげつらうなんて最低だ、このおじさんにはあとで絶対報復する。

 私は大人だから異能は使わないけれど、さっき妹を呼びに行った婦警さんにおじさんにえっちな目で見られたとでも言っておいてやる。

 

 私の機嫌が猛烈な勢いで悪くなり始めているのに気が付いたらしいおじさんが、慌てて姿勢を正す。

 

 

「待て待てすまん。変なことを言ったな、うん」

「は? 別に怒ってませんが?」

「完全に怒ってるじゃないか……あー、そ、そういえば妹さんはある程度落ち着いたみたいだぞ。向こうは君の要望通りそんなに深くは事情を聞かず休ませているし、ご家族の方々にも連絡は済ませている。もう少しでお父さんが警察署に着くそうだから安心してくれ」

「…………それは、良かったです。いろいろとありがとうございました」

 

 

 正気に戻る。

 おじさんは失礼な人だが、確かに私達の危機にいの一番に飛び込んできてくれたのだ。

 それに、私のお願いに応えて妹への聴取も控えてくれている。

 感謝するべき要素は一杯ある、だから今はそちらを優先するべきなのだろう。

 

 

「いや、君たちは被害者で怖い思いを一杯しただろう。配慮するのは警察としてではなく大人として当然のことだ。こうして気丈に協力してくれている君に感謝されるほどのことなんてしていない」

「む、むむ……」

「話を聞いた限り、君が妹を守るために尽力したのはよくわかった。君の行動を軽率だと、部屋にこもって助けを待つべきだったと俺の立場なら本当は言うべきかもしれないが、まあ、それは大人びている君なら自分でもよく分かっているだろう。こうして色々話を聞いてきたが、俺が君に言うのは一つだ……」

 

「君が無事で良かった、それだけだな」

「お、おじさん……」

 

 

 目のことや年齢で勝手に怒っていた私との器の違いをまじまじと見せられた気がする。

 「おじさんじゃないんだが……」とボヤいているが、そんなことよりも私は先ほどまでのおじさんに向けていた自分自身の恨みを恥じる。

 

 

「……おじさんは良い人ですね」

「あの、おじさんじゃないんだが。まだ28歳なんだが」

「おじさん。おじさんが今本当にやりたいのはこんな姉妹が襲われたなんて言う事件じゃなくて、もっと違うことの筈なのに……」

「何を言うかと思えばそんなことか……事件に貴賤はない。そこにいるのは加害者と被害者だ。俺は被害者を救いたくて警察になった、解決する事件を選ぶなんてことは絶対にしない。それだけだ」

「――――それは……それはとても……尊い考え方だと思います」

 

 

 この人は善人だ。

 間違いなく、私がこれまで会ってきた中で誰よりも、正しいことをしようとする人なのだろう。

 意志も強く、強靭な精神を持ち、屈強な肉体を保っている。

 非常に優秀な警察官。

 様々な事件を解決しうる要素を兼ねそろえた、丁度いい人材。

 

 少しだけ、迷う。

 

 今回の事件のように、周囲の犯罪が多発してそれが解決されていなければ、多くの犯罪に紛れて欲望を発露しようとする不届き者が出てくることも否めない。

 目下目障りなのは世間を騒がせる『連続児童誘拐事件』。

 あれをこれ以上放置することは私に不利益しかもたらさないと、今回の件で思い知った。

 だから私にとっても、穏便かつ迅速に、この事件を終わらせる必要が出てきた訳だ。

 

 ……いや、信用するにはまだ早い。

 このおじさんがどれくらいの能力を持っているのかまだ未知数だし、“読心”で得た情報をおじさんに伝えるにはまだ深層の人間性が判明していない。

 

 

「……さて、ここからは少し、あり得ない様な話をするんだが……何の心当たりもなければ、馬鹿な男の妄想だと聞き流してほしい」

「はい」

 

 

 来た。

 流石に近くで二回も異能を使えば、超常現象を疑うのは目に見えていた。

 

 

「……この世に科学では証明できない力があるとして、だな。それを公に公開するのは本人にとって色々と不都合があると思うんだ。きっとこれまでそれで収益を得ていた者もいるだろうし、人間関係を保っていた者もいるだろう。俺はそれを一概に責めるつもりは微塵も無いと……そう、言い切ることは恐らく出来ないが、一定以上の理解をするつもりではある」

「……」

「俺は他の人に言わないでくれと言われれば誰にも言わない。これ以上深入りしないでくれと言われれば首を突っ込むつもりも無い。警察官として失格だと言われても、俺はその一線は絶対に超えることはないと誓う。……俺は、科学では証明できない力で罪を犯して誰かを傷付けている奴だけは、誰かの命を奪ってノウノウと生活を送っている犯罪者が、どうしても許すことが出来ないんだ。……もし、もし何かしらそういった事情に心当たりがある誰かがいるなら、どうかお願いだ」

 

 

 協力してほしい。

 警戒していた私の考えに反して、彼が言ったのはそれだけだった。

 

 頭を下げたおじさんに対して、私は何も言わない。

 肯定も否定もしなかった。

 捉えられ方によってはめんどくさいことになるかも、なんてことが頭を過ったが何も言わない。

 協力しないと決めていても、何となく、善意しか向けていないこの人に嘘だけは吐きたくなかったから。

 

 

「――――と、独り言はここまでだ、すまんな。妙なことをぶつぶつと」

「……いえ」

 

 

 私はぼんやりと、顔を上げて優しい笑みを浮かべるおじさんを眺めながら、首を振った。

 

 本当にこの世の中は、ままならないものだと思う。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 『連続児童誘拐事件』が今世間を騒がせているが、同じように世間を騒がせて結局未解決となった事件は結構存在する。

 『北陸新幹線爆破事件』『針山旅館集団殺人事件』『薬師寺銀行強盗事件』など、ぱっと思い付くだけでも多くの未解決事件があり、今なお捜査が続いているものもある。

 

 昨今警察の信用は地に落ちた。

 メディアや新聞、はたまたネットの至る所で小馬鹿にされている理由はそんなところにあるのだ。

 解決出来ない事件が増えた、と言うよりも、警察の手が及ばない事件が情報社会となった弊害で明るみに出始めたのかもしれない。

 一部の、それこそテレビに出てくる犯罪評論家といった内情を知る者はこの国の警察を評価しているようだが、そんなものでは今のこの警察に対する逆風は収まらない。

 当然だろう、解決されないと言うことは、怒りの矛先を向ける相手が見付からない被害者が存在するのだ。

 その人達の怒りの矛先は自ずと、事件を解決させられない警察へと向くことになる。

 そして、警察憎しの風潮がある今の世間の中では、少しでも警察に不快感を感じれば、それを声高々に発信する者が現れる。

 

 

「ほんっと警察使えないっ! なんなのアイツら、こんな長い時間私達を拘束してさ、結果何もしないで終わりとか何考えてるの!? そんなことする前にちゃんと危ない奴捕まえてよ! 刃物を持った奴が家に侵入してるとか、一歩間違えればお姉がっ……私が死んでたじゃん!!」

 

 

 私の隣で騒いでいる妹も警察に不信感を持っている側だ。

 いや、不信感と言うよりも周りがそうだからそうなのだろうと信じ込んでしまう子だ。

 妹は直ぐに世間の空気に流されやすく単純、悪く言うとバカ。

 警察署でこそ縮こまって居たが、いざお父さんが迎えに来て帰れるとなるとこうして元気に文句を言い始めた。

 典型的な他人に厳しいダメな子だ。

 気の弱いお父さんが、まあまあと妹をおさめるものの大して効果は見られない。

 それどころか妹がキツい眼差しを向けるものだから、反抗期の娘に嫌われたくないお父さんは直ぐさま腰が引けてしまう。

 

 

「お父さんは分かってるの!? 私達女の子しか居ない家に変態が侵入したんだよ!? 普通なら被害が出てておかしくないし、しっかりと犯罪を防止できてなかった警察は責められるべきでしょ!? 取り返しの付かないことになってたんだよ!?」

「それは、そうだけどさ。ほら、結果的に乗り込んで助けてくれたわけだから、そんな責めるようなもの言いしなくても……」

「お父さんは何でもかんでも甘すぎるのっ!! 私達がどうなっても良かったって言うの!?」

 

 

 さらに上の怒りのボルテージがあるのか。

 顔を真っ赤にする妹の攻勢に、困ったような顔をしたお父さんがこちらに助けを求める視線を向けたのを受け取る。

 

 

「ほら桐佳、お父さんが困ってるでしょ。私達が運良く助かったのを喜びはしても、今誰かの責任だって責めるのは良くないよ。やるんだったらせめて、家に防犯用のものを増やそうとかそう言う対策の話をしよう?」

「お姉って本当に合理的なことしか言わないねっ!! もうっ、その話はいいっ!」

 

 

 私の言葉にグルリと勢いよく振り返った妹は気炎を上げながら、私に詰め寄ってくる。

 

 

「それよりお姉っ、私を部屋から出ないように言って自分は犯人と向かい合ってたってどういうこと!? それで私を守っていたつもりなのっ!?」

「あー……守るというか、行動を制限させていたっていうか。あの人の行動、要領を得なくて訳分からなかったから、目標を定めさせてた方がやりやすくて」

「嘘ばっか!! お姉のそういう所ほんとに大っ嫌い!!」

 

 

 プリプリと怒っている妹の様子に心底困ってしまった私とお父さんが思わずお互いの顔を見合わせる。

 父親の顔を見れば、眉が下がり、口角も下がり、どうしていいか分からないと言わんばかりの表情がある。

 お父さんに似ているとよく言われるが、今のこの表情もそっくりなのだろうか。

 

 

「ぶふっ……!!??」

 

 

 私達の表情を見て噴き出した妹はヒクヒクと口の端を震わせながらそっぽを向いて、先頭を歩いて行ってしまった。

 ……恐らく今のは、私とお父さんの表情が全く一緒のものになっていたのを見て噴き出したのだろう。

 自覚はないが、私と父親は同じような表情をよくするらしい。

 小さい頃、それでよく妹は笑っていたから間違いない。

 

 少しだけ機嫌が直ったような妹の背中を眺めながら、お父さんは小さな声で話し掛けてくる。

 

 

「……ともかく、お前達が無事で本当に良かったよ」

「……心配掛けてごめんねお父さん。お仕事途中で抜け出してきたんでしょう?」

「なーに、娘達に何かあったと聞いたら仕事に手が付かなくなるから、結局居ても意味が無いさ。早くお前達の無事な顔も見たかったしな」

「……うん、ありがとう」

 

 

 嘘だ。

 お父さんは切り替えが出来る人だ、無事と連絡を受けていればわざわざ確認なんてしなくても大丈夫なはずだ。

 わざわざ来てくれたのは、きっと、私達の為でしかない。

 

 

「最近物騒だからな、桐佳じゃないけど警察はあまり信用できないし、防犯用品を揃えておかないといけないかもだな」

「……あ、そういえば熊用スプレー使っちゃったんだ。お父さん、私熊用スプレー欲しい」

「……年頃の娘に熊用スプレーをねだられるのって、何か違う気がするんだけど……」

 

 

 あれは意外と高価なのだ、ねだれる時にねだっておきたい。

 あれの強力さは証明されたわけだし、なんて思う。

 

 これからきっと必要になる。

 ここ最近多発している事件は突発的で、動機なんてあってないようなもので、大きな悪意が後ろにあって、それでいてきっと科学では証明できない。

 だから、きっとこれは警察やお父さん、桐佳では何の対応もできないから。

 

 

「――――お父さん、もしかしたら、これからもっと危ない世の中になっていくかもしれないけどさ」

 

 

 前を駆けながらチラチラと私達の様子を窺う妹の後ろ姿を眺め、私はお父さんに話し掛ける。

 

 もしかするとこの先、さらに危険が身近に迫ってくる可能性がある。

 犯罪事件がそこらで発生している今、本当に安全な場所なんてどこにもないし、きっとこれから危険な目にあうことにもなるかもしれない。

 だから、これだけは言っておかなければならないと思う。

 

 

「私達はずっとこのまま、何気ない毎日を過ごそうね」

 

 

 ――――その為に不穏分子は私が全て潰そう。

 

 言葉にしない決意は私の胸の内にしまい込んで。

 優しく頷くお父さんと、結局足を止めて私達を待つ妹を追いかけて、そっと私は二人の手を取った。

 

 

 

 



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悪性の定義

掲示板要素および少しだけ残酷描写がありますのでご注意下さい!


 

 

 

 

 オカルト板part121

 

 

 

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 368 名前:名無しの探究者

 >>280の親戚が神隠しにあったとか言う話はどう考えても今の児童誘拐事件に倣って書いてるだけの創作確定

 もうちょい設定をしっかりとしとけば騙される奴も居たろうに

 

 369 名前:名無しの探究者

 写真に写った顔のない巨大な人型が神隠しを起こすとか、都市伝説をサンドイッチすれば良いってもんじゃねえぞ!?

 まあでも楽しめたわw

 

 370 名前:名無しの探究者

 いやでも、普通にこの話が実際にあった児童誘拐事件のことかもしれないし

 

 371 名前:名無しの探究者

 >>370

 お前ww

 顔のない巨人の都市伝説しっかりと調べてからそういうことは言えやwww

 同じ理由で巨人の話をするのはNGな、次の話題に行こうぜ

 

 372 名前:名無しの探究者

 >>370

 過去スレ読めってまじで

 >>371

 じゃあ、まだ全然解決できそうにない児童誘拐事件の話をまたするか?

 

 373 名前:名無しの探究者

 その話題もな、また不謹慎だって騒ぎ出す連中がいるだろ

 フキンシンダゾ!ってね

 

 374 名前:名無しの探究者

 実際、解決できてないってことは被害者がいる訳で

 でも、オカルトを語るだけの板だからセーフだろ

 警察さんはいつも通りグダグダやってるし、解決はまだまだ先になるだろうし、事件のオカルトな部分でもまたほじくり返してみるか

 

 375 名前:名無しの探究者

 事件概要…11月頃発生した、東京都●●区の誘拐事件が端緒

 証拠が見つからなかったことから通報した母親を重要参考人とする

 動機、目的、手段も不明

 母親は確かに子供を連れて家に帰るのを周辺住民に目撃されており、そこから通報までは10分も経過していないことからアリバイ成立、捜査は停滞状態となる

 

 12月初旬、東京都■■区で第2の誘拐事件が発生

 同様の手口、同様の犯人と思われるが、警察は見当も付けられず捜査は難航

 なお、最初の事件被害者とは何のかかわりもない家族であった

 

 12月中旬、東京都●●区で第3の誘拐事件発生

 

 ・

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 ・

 

 で、4月初旬、まあ、今日だな

 東京都氷室区で第23の誘拐事件が発生した

 状況はほとんど変わりなく、直前まで被害者である子供を目撃する大人がいる状況で誘拐が発生した

 

 これはオカルト(確信)

 

 376 名前:名無しの探究者

 >>375

 有能

 警察官に就職してきていいぞ

 

 377 名前:名無しの探究者

 >>375

 有能ニキ

 さて、オカルト認定したい所だけどなぁ……

 警察が無能なだけの可能性も否定できないからなぁ……

 

 378 名前:名無しの探究者

 >>375

 おつおつ

 

 >>376

 それは地獄w

 

 んじゃ、取り合えず最初の誘拐事件を例に実行方法のオカルト加減を追究しよう

 実行場所‐被害者自宅

 状況‐母親と二人でいた、鍵が掛かっており密室の状態

 第一発見者‐母親、料理を作っていた母親が物音がしなくなったことに気が付いて捜索を開始、その後一切の痕跡が見つからず通報

 以降、子供の消息は一切不明

 

 379 名前:名無しの探究者

 >>378

 母親は子供の遊ぶ音が聞こえる範囲にいたのに、犯人の物音に一切気が付かなかったとかあるの?

 

 犯人は母親

 

 380 名前:名無しの探究者

 >>379

 だから、何度もニュースになってるけどその後続いている事件も全く同じ手口なんだってwww

 

 381 名前:名無しの探究者

 神隠しねぇ……そういう神様とか妖怪とかって結構いるし、そこらへんが関わってるのかね

 有名どころと言えば天狗とか、海外で言うならブギーマン

 

 382 名前:名無しの探究者

 やめろやめろ、被害者の親がそれで悪徳新興宗教に狙われたの忘れたか

 マジでこの事件はナイーブなんだから

 

 383 名前:名無しの探究者

 オカルト板なのにオカルトの話できないって、そもそもの土台が崩壊してる件

 

 384 名前:名無しの探究者

 まあ実際、これだけ多くの子供を攫って、それを個人で保管できるような奴がこの国にどれだけいるのかって話だよな

 消去法で犯人限られてくるだろ

 

 つまり犯人は国

 

 385 名前:名無しの探究者

 俺被害にあった家族に知り合いがいるんだけど

 マジで何の物音もなく、ほんの数秒で密室だった自宅から子供が消えたらしいぞ

 

 386 名前:名無しの探究者

 >>385

 マ?

 それならマジで予想すらできないんだけど

 瞬間移動でも出来る奴がいなきゃなりたたないような犯罪だろ、もう

 

 387 名前:名無しの探究者

 >>385

 誘拐事件の被害者に知り合いがいるとか、全く羨ましくなくて笑えない……

 ちなみになにか、世間に公表されてないことで手がかりになりそうなことって言ってなかったか?

 

 388 名前:名無しの探究者

 >>387

 とは言ってもな、ほとんど被害者の家族は発狂しかけてて、今は子供の幻覚までみるようになってて、どれくらい信憑性があるか……

 あ、いや、そういえば、一番最初に変なこと言ってたな

 

 389 名前:名無しの探究者

 なに?

 

 390 名前:名無しの探究者

 もったいぶるな、良いから早く言え

 

 391 名前:名無しの探究者

 いや、マジでどうでもいいようなことなんだけど

 そこの家族、結構きれい好きで、普段は家の匂いとかほとんど無臭なんだけどよ

 

 その事件の後はその家の中、やけに甘い匂いがしてたんだと

 

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 誘拐事件を解決するための調査をしていくことを決めたものの、学生の身でやれることは限られている。

 

 学業は疎かにできないし、夜更かしだって限度がある。

 例えばどこぞの超人高校生探偵だって、日常生活を送りながら本物の探偵のように24時間の張り込みなんて出来ないだろう。

 結局、何が言いたいかと言うと、肉体的かつ物理的に不可能な調査である以上、異能を使った効率的な調査が必要になってくると言うことだ。

 

 私の異能の出力、つまり私は自分を中心として半径500メートルの範囲であれば読心程度ならできる。

 やらない様にと心がけているが乱雑に他人の心を抉ることを許容さえすれば、範囲内に入った人の心の奥深くに隠した感情さえ読み取れるが、流石にこれは除外した。

 無理に人の精神をこじ開けると、その後に影響を及ぼしかねない。

 

 色々と条件や制約を付けて自分のやれることを考えていく。

 そうなってくると、常時出力を最大にして日常生活を送り、出来る限り周辺を散策するようにするのが現状のベストと言う結論に落ち着いた。

 範囲内に入った人がせいぜい軽く考えている事を読む程度に抑え、不埒な思考をしていて事件に関係のありそうな人物をピックアップし、あとはその相手を叩く。

 そうすれば私の予想通り、多くの人数が関わっているこの誘拐事件の情報なんて簡単にたどり着けるだろうからだ。

 

 

 そう結論付けてから数日経過したばかりの学校帰り。

 まだまだ続いていた学校でのボッチ生活に、本格的に心を折られ始めていた私が感知したのは、“誘拐の実行”と言う不穏なワードを考えた者達の集まりだった。

 まだ異能での探知を始めて半日、想像以上に速い事件解決の取っ掛かりに、私は浮足立つ気持ちを抑えきれず感知している対象がいる建物へと足を向けた。

 

 どうせボロい建物で集まるごろつきだろうと想像していたものの、辿り着いた場所は最近建てられたばかりの最新式の高階層ビル。

 入り口には直接雇った警備の人も立っており、関係者以外立ち入り禁止の看板もしっかりと置かれている。

 見るからに財源が豊富であり、人材だって吐き捨てるほどいそうなその場所に直接乗り込むのは正直恐い。

 

 

(……出来ないことは、ないんだろうけど……)

 

 

 私の力はあくまで精神、意識と言ったものに作用する力でしかない。

 つまり、目の前の人間がどんな才能を持っているのか即座に見抜けるわけでもないし、もしも同類(異能持ち)と相対しても相手の異能が詳細に分かるわけではないのだ。

 いや、直接他の異能持ちと相対したことは無いから、憶測混じりではあるが恐らくこれは間違いない。

 

 そして私の異能も便利なもので、他人の意識外に自分の存在を持って行って認識させなくするなんて荒業をすれば、目の前の建物に侵入するのはさほど難しくはない。

 だがもしも、それを無効化できる異能持ちがあの建物内に存在したらどうなるか。

 あくまで意識外に自分を置くだけだから、一度見破られれば相手が私から意識を逸らさない限り再び意識外に置くことは難しい。

 何の支援も、別の手札もない段階で、危険を冒して敵の本拠地に侵入するプロ意識を私は持ち合わせていない。

 

 もちろん考えすぎと言われればそうかもしれないが、現状の誘拐事件を考えればそれも仕方ないと思う。

 なぜならこの事件にはまず間違いなく自分の同類が関わっている。

 私はそう確信しているからだ。

 

 

(……それも、私と同じように他人に認識されずに移動が可能な面倒な異能を持った奴)

 

 

 ――――甘い匂い。

 

 ネットサーフィンをして、情報を集めていた時に見かけたそんな情報。

 有力な手掛かりになりえるその情報は、やはり異能を知らない人からすると大した情報と思わなかったのだろう。

 その話題が出たネットの掲示板ではすぐに興味を失ったように話題にも出されなくなっていた。

 しかし私にとってその情報はかなり大きく、この誘拐事件へ関わる異能持ちへの理解を深めることが出来た。

 匂いが関わり、移動が可能、そしてその移動は他人に違和感を感じさせない。

 そうやって情報が真実を絞り出してきた。

 さらに私はこうして、支部ではあるだろうが犯罪者達の拠点を突き止めている。

 相手は私と言う、常識はずれの存在を認識していないのだから、有利なのは完全に私の方だ。

 

 後は、異能を持つ人物の形と背後にいる組織についてはある程度探っておきたいのと、誘拐されている子供達の安全も早めに確保したい。

 外国に連れ出されていたとなると面倒だが、流石にその可能性を考えて国が出入り口である空と海くらい抑えているはずだ。

 

 

(誘拐現場と同じ区内にあるこのビルの中で監禁……なんてことは流石にしてないと思うけど)

 

 

 近くの植木の柵に座り、手に持った飲み物を口にしながらぼんやりとビルを眺める。

 誰か一人でもあのビルから事情を知る者が出てくればやりやすいんだけれど、なんて思いつつ、そんな幸運がある訳ないだろうと自分に突っ込みを入れた。

 

 情報と言うのは生命線だ。

 特に、白昼堂々とやれないような後ろ暗いことをする奴らならそれは顕著だろう。

 そんな、骨子ともいえる情報を所持した人が一人で出歩くなんて幸運ある訳ない。

 そんなにザルな体制なら、組織としては下の下な筈だ。

 

 だからまあ、出直そうかなと腰を上げ掛けた私の視界に、ビルから出てきた一人の男が入ってきた時、口に付けていた飲み物が変なところに入り思わずむせてしまった。

 

 不機嫌そうな顔を隠そうともしないゴロツキに近い男。

 高価な服に身を包んでいるものの、内から溢れる品の無さが身なりと反比例する形で貶めているのが遠めの私さえ感じとれてしまうような奴。

 そんな奴が、グチグチと苛立ち混じりにビルから出てきて、その思考の中に誘拐事件に関する重要そうな情報が入っているのを確認して唖然とする。

 

 まさかこんな財力を持つ組織が、こんな程度の低い奴を重要ポストに置いているのだろうか?

 

 

「ひ、樋口様っ! せめて付き添いをお付けください! 今から人数を確保しますので……!」

「うるせぇ!! いらねーんだよそんなもん!! こんな極東の小国で護衛が必要な状況なんてねえ!!」

「で、ですが……」

「あー、クソムカつくぜ……! なんで俺がこんなことを……!! しかも大人しく経過を見守れだと……!? 嘗めやがってっ、俺を誰だと思ってやがる……!!」

 

 

 追ってきたスーツの人を足蹴にして、柄悪くビルから出てきた男はぶらぶらと歩いていく。

 その目的は特になく、あくまで気晴らし程度の散歩のようだ。

 追っていたスーツの人が仕方なさそうに、警備の人にこっそり後を付けて護衛するように伝えているのを確認して、数人増えた重要情報を持った奴らが無警戒に出歩くのだと理解した。

 

 口に近付けていた飲み物を下し、私もその男の後を追う。

 あくまで視界で捉えるのではなく、異能の届く範囲で標的を捕捉して、間違っても追跡していると思わせないように、私は男の後を追いかける。

 

 

「……あは」

 

 

 つ、と出力を上げる。

 スーツの人から連絡を受けただろう街中に馴染めるような格好でビルから飛び出してきた筋肉質な人達の意識外に、私とあの男を持っていく。

 そうすればほら、護衛の人達は護衛対象の男の存在を見失い、男の真横を通り過ぎて慌てて街中へと走っていった。

 

 そのあと私は目的の男へ向けて異能を発動させ仕込みをする。

 万が一でも制圧できるよう、異能を男へ張り巡らせる。

 

 これであとは適当な場所で。

 勝手にあの男が人目のない場所へ行くのを待てばいい。

 情報を引き摺り出せる時を、私はただ待てばいい。

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

 端正な少女が制服姿のまま街中を歩いていた。

 髪は金色に染められ制服も着崩し、校則違反が所々散見される彼女の姿は、燐香が見ればお近づきになりたくない人物筆頭のギャル系少女である。

 薄く化粧を施している顔はかなり整っており、すれ違った人の半数以上が振り返るほどに見目麗しい。

 

 そんな少女が一人学校帰りに目的もなく街中をふらついている。

 

 

(……新しい学校の人達、みんなつまらなそうだった)

 

 

 下がった目元から感じる優し気な印象とは裏腹に、彼女の思考は酷く冷淡だ。

 

 

(学校の勉強もつまらないし、仲良くなりたい人もクラスにいない。こんなことならもっと校則が緩いようなところに行けばよかった。そうすれば見る分には面白い人達もいっぱいいたんだ)

 

 

 彼女の頭に過るのは、新しく入学した高校の光景。

 平凡な校風、保身ばかりの教師に、従うことしか知らない生徒達。

 どれも面白みに欠けていて興味すら沸かない、父親が偏差値の高い高校に入学してほしいと言うから今の高校を選んだが、失敗だったと言う落胆が彼女にはあった。

 

 今日一日のつまらない時間を慰めるために、こうして街中をぶらついているが、どうにも刺激が欠けている。

 

 

(……そう言えば、入学早々学校に来なかった子。どんな面白い感じの奴かと思ったけど、目が死んでるだけの平凡な娘だったな。友達が作れなくて絶望してたのは面白かったけど……正直期待外れ)

 

 

 少しだけ注目していた女の子を思いだすが、それも期待外れが否めない。

 燐香が聞いたら気を病んで寝込むようなことを考えた少女は、手に持った買い物袋を揺らしながら街中を歩く。

 適当に買ったおやつをつまみ、次は何をしようかと視線を彷徨わせていたが、突然路地脇から現れた複数人の集団に目を丸くする。

 

 

「……なんだろう、あの集団」

 

 

 君子危うきに近寄らず。

 あるいは尊敬する父親が言っているように、おかしな奴とは関わり合いにならない様にと、さっ、と道の端に避けてその集団に道を譲ったものの、袖子の意思とは反対にその不審な集団は彼女に声を掛けてくる。

 

 

「おい、この近くで背が高くて金髪で髪をオールバックにした若い男を見なかったか」

「えっ……全然そんな人は見てないです」

「っち、どこ行ったあの人。まあどうせいつもの場所付近だろ」

 

 

 そう言って、お礼も言わずに走っていった集団を見送った少女は眉間にしわを寄せる。

 妙な集団だった。

 やけに筋肉質で荒事に慣れてそうな。

 少女は関わり合いになりたくないなぁと思う反面、退屈だらけだった一日の中で訪れた刺激的な誘惑に襲われる。

 

 

(……あの集団。きっと何かしらの悪いことに関わりのある奴ら……かも)

 

 

 日々の刺激不足でついそんなことを考えてしまった少女、山峰袖子(やまみね そでこ)は警察官僚の父を持つ正義感溢れる少し無口な女子高生だ。

 

 好きなものはおしゃれと仮面ライダー。

 幼いころから秩序を守る父親の背中を見て来た彼女は、多少ひねくれ曲がっているものの、悪を挫く正義に盲目的な憧れを抱いていた。

 目の前に現れた不審者集団など、彼女が見逃せるはずがない。

 それが、日々の刺激不足の中で出会ったものならなおさらだ。

 

 前を走っていく不審な集団の後をこっそりと追いかけ始める。

 こんなギャルギャルしい見た目だが、袖子は幼いころから文武両道を地で行っており、特に運動神経は同年代の中では飛びぬけて優秀であったため、危険だと感じてから逃げる事くらいなら容易だろうと言う根拠のない安心感を持っていた。

 

 それに、最近こそ犯罪が増えて世間が慌ただしくなっているが、基本的にこの国は他国と比べて犯罪率も少なく比較的安全が保障されているのだ。

 そこまで不安になることもないかと袖子は結論付け、角を曲がっていく不審な集団の後を追う。

 

 

(最近はお父さんが誘拐事件に頭を悩ませてるし、もしもこれが解決の糸口になったらお父さん私を褒めてくれるかも……)

 

 

 そんな風に考えて、危険性を理解しながらも袖子は心のどこかで楽観視をしてしまった。

 

 きっと、この世に蔓延る悪意と言うものを彼女は甘く見ていたのだろう。

 

 そんな不審な集団を追って入り込んだのは、夜の店が並ぶ人通りの少ない路地で。

 コソコソと、複数の男達を隠れながら追っていた彼女が辿り着いたのは地下へと続く一つの建物。

 薄暗い場所にあるにも関わらず中からは多くの人の気配がする。

 距離を空けて、警戒するように様子を窺っていた袖子だったが、両腕を掴まれた焦点の定まらない目をした男が黒服の人達に建物の中に連れ込まれる光景を見て、これは流石にまずいと慌てて踵を返した。

 人通りの多い通りに出られればと逃げ出したものの、本当に危ない場所を初めて見たせいで焦りすぎた袖子は路地に入ってきた男に気が付かず、そのままぶつかってしまった。

 

 

「いつっ……! あ、すいません……」

「あ? ……へぇ」

 

 

 尻もちをついた袖子が謝罪を口にするが、ぶつかった男は品定めするように袖子の顔を覗き込んだ。

 袖子が男の失礼な態度に眉をひそめる間もなく、男は自然な動作で彼女の首を掴み、そのまま人通りの少ない路地へと引き摺っていく。

 筋肉質で体も大きな男になす術なく引き摺られていく袖子は悲鳴を上げようとするが、声を上げ掛けた瞬間、男は袖子を放り投げた。

 そして、大きく振りかぶって倒れ込んだ袖子のわき腹に蹴りを加える。

 

 

「ひぐっ……!?」

 

 

 平均よりも少し高いであろう身長の袖子の体は壁に叩き付けられ、何とか逃げようともがいた袖子の顔を男は容赦なく蹴りつけ、延々と暴力を振るい続ける。

 

 

「は、ははは、そうだよ。こういうのがねえとさぁ、つまんなくて仕方ないんだよ!」

「ひっ……いぃっ、やめっ、やめてくださっ……あ゛あ゛っ……!」

 

 

 逃げ出すことなんてできやしない。

 危険だと思ったときにはもう遅かった。

 なおも続く容赦のない暴力で散々痛めつけられた袖子は口から血を流して動かなくなる。

 朦朧とする意識の中で、なおも襲い来る激痛に何度も意識が飛びかける。

 浅い呼吸へと変わり、悲鳴を上げることも助けを呼ぶことも出来ない状態へと陥ったのを確認した男はそこでようやく彼女へ向けていた暴力を緩めた。

 

 

(な……ん、で……こんな目……に……?)

 

 

 嗜虐的な笑みのまま、袖子が抵抗しようがしまいが関係なく、何度も何度も暴力を振るう男に絶望する。

 もうどうしようもないのか、そう思った時に男の背後から近寄ってくる複数人の影に気が付いて一縷の希望を見出すが、そいつらが男に声を掛けたことでそんな希望は簡単に打ち砕かれる。

 

 

「うるさいと思ってきてみたら、ちょっと樋口さん、なにやってんすかー」

「あ? ……ああ、お前らか」

「片付けるこっちの身にもなってくださいよ。それどうするんすか」

 

 

 親し気に男へ声を掛けた集団に、もう逃げられもしないのだと理解した袖子がうつろな力ない目から涙を流す。

 

 

「適当に始末できんだろうが、顔も悪くねえし商品にもなる。適当にやっときゃ、“紫龍”のやつを追いかけるのに夢中な警察はこんな小娘一人の家出程度捜査も出来ねぇよ」

「ちょ、そいつ樋口さんに何したんすか? やけにボコボコにするじゃないっすか」

「ぶつかってきやがったんだよ。丁度イライラしてたからな、良い物拾ったわ」

「ははは、ひっでぇ!」

 

 

 ケラケラとなんでもない事のように笑う男達に恐怖する。

 なんであんな奴らを追ってしまったんだと後悔する。

 こんなことになって、何が悪かったのだろうと絶望する。

 

 これから自分はどうなるのだろう。

 朦朧とした意識でそんなことを考えた袖子が最後に縋ったのは、尊敬する父親だった。

 

 

「パパ……助けて……パパ……」

 

 

 地面を引っ掻くようして、視えない誰かに手を伸ばした袖子に、男達は笑い声をあげる。

 

 

「ははは、なんだコイツ。パパだってよ可愛ー!」

「どうします? とりあえず、あそこに連れ込みますか? あそこなら簡単な処理くらいしてくれるでしょうし」

「……ていうかよ、お前ら。そんなダラダラしてていいのか? 連れだって俺を走り抜いていったけどよ。何か用事があったんじゃねえのか?」

「へ? 俺らは樋口さんを追ってたんすよ?」

「はぁ? お前ら、俺の横を走って通って行ったぞ。俺に用事があった癖に俺を通り過ぎるとか、目が悪くなったんじゃねぇか?」

「ええ!? そ、そんな筈は……」

 

「パパ……痛いよぅ……」

 

「ちッ、なんだコイツうっせぇな!」

 

 

 ドッ、と顔を蹴り上げられた袖子が壁に叩き付けられる。

 もう言葉も聞き取れないようなことしか呻かなくなった袖子に、興味を失った男は適当に連れて行くように指示を出しながら、証拠を隠滅させるために会社に電話を掛ける。

 あとは適当に手駒の“紫龍”にでも誘拐事件を起こして貰えば、この娘が行方不明になったところで捜査の手は薄いだろうと手配しようとしたところで――――

 

 ――――ふと、男は自分達の背後に誰かが立っていることに気が付いた。

 

 

「――――……は? コイツ、いつ入ってきた?」

「え? 誰の事です?」

 

 

 後ろに立つ奴を指差して示しても、袖子達を運ぼうとしている男達はそこに何も見えないかのように辺りを見回す。

 黒い毛布を頭からすっぽりと覆うようにかぶった長身の人物など、すぐに目が付くはずなのに。

 

 

「ふ、ふざけてんな! すぐそこに――――」

 

『――――悪性を晒し、醜悪を撒き散らす』

 

 

 誰も口を開いていないのに声がする。

 頭の中で反響するような声がする。

 

 パチン、と言う音がして袖子達を運ぼうとしていた男達は一斉にグルリと白目を剥き、その場に崩れ落ちた。

 何の抵抗も出来ないまま、屈強な男達が一瞬のうちに地に沈んだ。

 

 顔も見えない長身のそいつは、いつの間にか目の前に立っている。

 至近距離で見上げる形なのだから、隠れた毛布の中が見えるはずなのに、そこにあるのは真っ黒な空洞だけで、まるでそれに貌が無いのかと思ってしまう程に歪だった。

 

 

「ひっ……!?」

 

 

 いつの間にか後ずさりした男の背中に冷たい壁の感触。

 咄嗟に殴り掛かったものの、当たった毛布に沈み込んだ腕が呑み込まれ、引き抜くことも出来なくなった。

 

 

『……もはや更生は不可能……で、あれば』

 

 

 目の前で怯える男の意思など関係なく、真っ黒な空洞は嗤った。

 

 

『全部一度壊してしまえばいい。造り直すくらい訳はない』

 

 

 そうして一人の男の精神はこの日、欠片も残らず磨り潰された。

 

 

 

 




なお、これは相手から見た光景です。


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それぞれの矜持

 

 

 

 人の意識外に対象物を落とし込み疑似的な死角を作る、なんて。

 話を聞くだけなら、なんて便利な力なんだと思うかもしれないが、敵なしの無敵な能力などではない。

 例えば、ある対象を気が付かれない状態にしたって、それが大きな音を発生させれば、あくまで誘導程度の私の力では誤魔化しきれず、周りはその存在に気が付いてしまう。

 そして、一度気付いたものを再び意識外に持っていくには、その対象への注意を無くさなくてはいけない、と言う面倒な手順が生まれる訳だ。

 

 今回の件で言うと、標的とした男を追いかけていた護衛の人達の意識外に持って行ったわけだが、標的としていた男が通りすがりの人を襲い、音を立ててしまっていた。

 だから、私の異能では誤魔化しきれず私の意思に反して死角は解除され、認識されてしまうと言う事態に陥った訳で、面倒なことに男達は合流してしまった。

 

 一人の時に襲撃を掛けると言う計画が狂ってしまった訳だが、別に異能を持っていない凡人程度何人増えたところで変わりない。

 護衛の人達は意識を奪い、標的だった男からは情報をあるだけ引き摺り出した。

 あとは悪人をそこらへんに放置しておくと周りに害を与えるため、彼らが周りに迷惑を掛けないように少し弄繰り回しておいた。

 

 こういうところでこまめに善行を為しておけば、きっと巡り巡って私に幸運が戻ってくるはずだ。

 具体的に言うと、友達が欲しい。

 

 ……ま、まあ、それはともかくとして。

 標的だった男は思っていたよりも事件に深く関わる人物のようで、予想以上に様々な情報を私にくれることとなった。

 

 例えば、私の予想通り“紫龍”と呼ばれる異能持ちを使い誘拐事件を起こしていること。

 そしてその誘拐事件を起こしている組織の母体は海外に本部を持つ組織で、連れ去った子供達は実験に使っている。

 実験の内容についてこの男は知らないものの、子供達の監禁場所については知っていて、本部からは、誘拐した子供の親に連絡を取り、犯罪を指示して日本国内を可能な限り混乱させろと言う指令が下っているらしい。

 

 ……なんだかややこしいが、とりあえず悪い奴らがいっぱいいることと、彼らの仲間には異能持ちが複数いることが分かれば十分だ。

 

 一般人相手ならどうとでもなる私でも、自分の同類とやり合えと言われて絶対に勝てる自信は存在しない。

 とりあえず私の国を混乱させているこの事件を解決するために尽力したいとは思うが、こいつらの本部組織とやり合うとかは考えたくない。

 せいぜい支部にいる組織の人達全員を洗脳して、二度とこの国に来ないよう誘導するしかないだろう。

 先のことは大体そんな感じでやっていくとしても、今は直接やり合わなければならない“紫龍”とやらについても頭を悩ませる必要がある。

 

 “紫龍”、その正体は煙を操る異能を持つ男。

 現場に残された甘い匂いは煙を出すために使用された煙草によるものであり、なんでも海外で作られる日本では珍しい品であるらしい。

 誘拐方法は、薄く引き伸ばした煙の中に紛れ家に入り込み、子供を煙に収納、誘拐すると言う手口。

 指紋も痕跡も何も残さないなんとも警察泣かせな異能だが、実際に対峙するとなるとその脅威は恐ろしいものだろう。

 これに精神に干渉するだけの異能を持つ私が勝つには、対峙する前から仕込みをする必要がある。

 つまり、奇襲か囮か、どちらかを使う必要が出てくるのだが。

 

 幸いなことにどちらも私には手段があった。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

「本当にありがとうございますっ……! お嬢様が無事だったのは佐取さんのお陰でっ!! ああ、本当に無事でよかった……! 街中でこんな風に子供を痛めつけるような奴がいるなんて……!! 佐取さんが通りすがらなければ一体どうなっていたか……」

「ほ、本当ですよね。もう、物騒な世の中で嫌になっちゃいますね……」

 

 

 家事手伝いをしていると言う女性が、ホロホロと涙を流しながら病院のベッドに横たわる少女を見る。

 彼女は必死に感謝を伝えてくるが、私は素直に感謝を受け取れないどころか気まずさのあまり目をそらしてしまう。

 

 

「今、お嬢様のお父様も病院に向かっているそうなので、ぜひ事情を教えて差し上げてください。一人娘ですからきっと血相変えて飛んできている途中でしょうし」

「あっ、あっ、す、すいません急いでますので……無事が分かったので私はここで」

 

 

 情報を抜き出し終えた私は、得た情報の成果に一人ホヤホヤとしていたのだが、地面から聞こえる少女のうめき声に気が付いた。

 服はボロボロで、体のいたるところからは出血している一人の少女が倒れていた、しかも怪我は結構深刻なようで意識もない。

 血塗れで倒れている同年代くらいの少女を見て動揺した私は、そのまま慌てて救急車を呼んで何とか手当しようとその場に留まってしまい、結果こうして保護者が駆け付けてくるまで病院で付き添うことになってしまった。

 

 その後、病院に駆け込んできた保護者代わりと言う家事手伝いさんに倒れていた彼女を見つけた時の状況を簡単に説明すれば、地面に頭をこすりつけるのではないかと言う勢いで私に感謝を伝えてくる事態となった訳である。

 

 元はと言えば私がとっととあの男をボコボコにしておけば彼女に怪我はなかったし、襲われていた彼女を助ける意図を持って奴らを倒した訳でもない。

 正直、今回のこの一件は怪我もなく助けられるものだった。

 それなのに手放しに感謝されるのは居心地の良い物ではない。

 

 お手伝いさんからの感謝の言葉に気まずさを感じた私は、引き留めようとするお手伝いさんから逃げる様に病院を後にした。

 

 

「へ、変な汗かいた……。それにしてもあんな簡単に暴行事件を起こすなんて、誘拐事件の裏にある組織は相当アホの可能性が……」

 

 

 それならそれでこの事件を終わらせに掛かっている私としては楽だが、じゃあなんで警察の方々は尻尾を掴めないのかと言う話になってくる。

 内通者、協力者、癒着の可能性すら考えなくてはいけないとなると、本格的に警察組織への協力はありえない選択となるだろう。

 

 

(……まあ、あのおじさんは信頼できますけど)

 

 

 奇襲して終わらすと決めたのなら早い方が良い。

 自分と同じ異能持ちが動き出したと悟れば、この事件に関わっている“紫龍”とやらが警戒を始めてしまうだろう。

 その他もろもろの異能を持たない人達は警察にでも任せればいいのだから、そいつさえ倒してしまえばそれでいい。

 引き摺り出した情報には『誘拐した子供を引き渡す場所・次の予定日時』も含まれていた。

 そこを襲撃すれば一方的に殴り込みを掛けられることになる。

 

 ……とはいえ、私は家では多くの家事をこなしており、私1人抜けるだけで我が家は成り立たなくなってしまう。

 多くの時間を取れる訳でもないし、そのためにはちゃんとした予定の調整や準備が必要になる、すぐさま殴り込みを掛けられるわけではない。

 しばらくは様子見か、と結論付けた私はそのまま帰路に就こうと向きを変えて。

 

 

「あ、お姉」

「え、桐佳ちゃんのお姉さん?」

「!?」

 

 

 下校途中と思われる妹達が目の前に現れた。

 逃げられない。

 

 慌てて妹の心を読まないよう異能をオフにする。

 つい先ほどまで何か楽しい話をしていたのか、緩んでいた桐佳の顔が私と目が合う内にみるみるキツイものになってきた。

 ……反抗期の娘を持つ父親の気持ちはこんな感じなのだろう。

 

 あっと言う間に見慣れた不機嫌そうな顔になった妹の横にいる少女に、妹の友達だろうとあたりを付けて挨拶をする。

 

 

「あ、あわわっ……桐佳と、お友達? い、妹がお世話になってます、姉の燐香です」

「えっと、桐佳ちゃんの友達の遊里(ゆうり)です。私のほうこそ桐佳ちゃんにはお世話になっていて……」

 

 

 初めて見る妹の友達に動揺してしまう。

 い、いや、私以外に対しては別に反抗的な態度をとっていないのだから桐佳に友達が出来ることは普通なのだが……心のどこかで妹は私と同じように友達が少ないと思っていたから少し衝撃を受けている。

 

 

「……この人が桐佳ちゃんが前に言ってたお姉さんなの? 普段あんまり話してくれないけど、話の中で出てくるお姉さんとは少し違うみたいじゃ……」

「え? 今なんて言いました?」

「んんっ……!! そんなことよりお姉!! 今日ご飯いらない! 遊里ちゃんの家に泊まるから!」

「……は?」

 

 

 突然の妹の宣言に数秒呆けた私は、妹と遊里さんに視線で確認するがおずおずと頷かれ、話がだいぶ進んでいたことを知る。

 

 

「お父さんには言ってあるから」

「は、え、ちょっと、桐佳」

「じゃあね」

「し、失礼します」

 

 

 さっさと去っていった妹達に置いて行かれ、呆然と手を伸ばした状態で固まる。

 数秒経って、ノロノロと携帯を開けば、確かにお父さんからは妹が友達の家へ泊る旨の連絡通知と、夜遅くなるから食事はいらないと言う一文が入っている。

 そういえば妹が前々から予定していた映画鑑賞は明日だ、一緒に見に行く友達の家に泊まりこむくらい普通だろう。

 私はそういう友達が出来たことがないから、おそらく、だが。

 

 

「……」

 

 

 私の見落としだ、私以外誰も悪くないのだろう。

 手に持った食料品はまた明日以降消費することになる……。

 

 

「………………」

 

 

 予定が空いた。

 いきなりだが、今日一日暇になった。

 

 

「…………よし、今日やろう」

 

 

 突然暇になった時間を埋めるため、私は“紫龍”とやらが行う誘拐事件の解決を終わらせてしまおう。

 身に余る行き場のない怒りを全力でぶつけてやろうと思い、私は先ほどの暴行男から奪っておいた携帯電話を取り出した。

 

 

 

 

 -2-

 

 

 

 

 氷室署交通課に所属する神楽坂上矢は同僚からも煙たがられている警察官。

 ほんの数年前までは本部勤務で公安に所属していたエリートであったが、ある事件により彼の行動方針がガラリと変貌し、科学的にあり得ない様なものが存在すると公言し始めたのだ。

 きっかけとなった事件が事件だけに、当初こそ周囲の者達は神楽坂に同情し、親身になって諫めていたものの、半年が過ぎた辺りから考え方を変えない彼を狂人として扱い、距離を取り始めた。

 さらに時が過ぎても神楽坂は自分の態度を改めなかったため、能力としては充分以上に持ち合わせていた彼は本部から他所へと飛ばされ、凶悪な犯罪事件に関わりにくい交通課に配属されることとなったのだ。

 

 エリート街道からの転落。

 転属となった氷室署の同僚達からも狂人としての扱いから距離を取られ、勤務環境としても最悪に近い。

 そんな環境の中でも彼は交通課の多忙な仕事内容をこなし、氷室区で起きた様々な事件に首を突っ込み、持ち前の優秀さで事件担当の警察官よりも早く事件を解決に導いてきた。

 そして、関わった事件の中に“非科学的な要素”が隠れていないか探し続けてきたのだ。

 

 彼のそんな態度は刑事関係の警察官だけでなく、同じ交通課の警察官からも冷たい目を向けさせるのに時間は掛からなかった。

 “狂人”若しくは“転落した警察官僚”なんて陰口を叩かれるようになっていたのだ。

 

 

 ――――けれど、彼の芯は何も変わっていなかった。

 きっかけとなったと言われている事件の前から何も、実際のところは一つとして変わってなどいなかったのだ。

 

 

「…………次はここか」

 

 

 日も暮れ、灯りが無ければ碌に周囲の状況も分からない時刻。

 神楽坂は一人、廃棄された人気のない建物を虱潰しに歩き回っていた。

 

 普段であれば勤務外の時間。

 私服で、武器だって碌に持っていない装備で彼は自身の身も顧みず、危険であろう場所の調査を行う。

 彼の目的はただ、誘拐事件の関係者を見つけ出し攫われた子供達を無事親達の元に届けることだ。

 そのためなら警察官として褒められないような行為でも、犯罪行為に近いことでもやるつもりであった。

 

 

「ここは広いな……以前は物流の拠点にもなっていた倉庫か」

 

 

 小さなライトを口にくわえ、埃の被ったブルーシートを捲る。

 目立ったものはなにもなく、ただただ放置されている木材。

 これまで多くの場所を巡ってきたが、成果はほとんど得られていない。

 

 ため息を吐いて、懐から地図を取り出してバツ印を付けていく。

 これで今日だけで五つ目の場所だ。

 家からも遠く、帰るのに一時間は掛かるだろう。

 別の場所を探しに行くのは無理かと判断し、神楽坂は暗がりの中口にくわえたライトを消して、倉庫を出る。

 

 

(……人がいたような跡はあるんだが、事件に繋がりそうな痕跡はない。せいぜい近所の悪ガキのたまり場の可能性が高いか。……とは言え、事件で使われた場所の可能性はある。この場所は慎重な判断が必要……くそ、全然候補から外せねぇ。こんな効率が悪いことに本当に意味があるのか!?)

 

 

 苛立ち混じりにガシガシと頭を掻き、もう何度目かも分からない欠伸を噛み殺す。

 全く成果の無い廃棄場所巡りを放り出したくなるが、その度に子供を誘拐された親達の泣き顔を思い出して歯を食いしばる。

 

 警察に力がないから捜査が進まない。

 警察に信用がないから被害者達が脅され、罪を犯す。

 そんな今の状況をただ指を咥えて見ているだけなんて、神楽坂にはできやしなかった。

 どんなに小さな一歩でも、たとえ1ミリも進めていなくても、事件が解決するなら何だって良い。

 

 根っからの善人で、馬鹿みたいに愚直なこの男は、そんな自分の芯を折ることはない。

 だから彼は歩みを止めず、捜査を進め続けている。

 

 

(っ……やべぇ、流石に二徹はキツイか……一瞬意識が飛びかけた)

 

 

 そんな、フラフラとした足取りで帰路に向いていた神楽坂の足が止まったのは、倉庫を出てすぐだった。

 

 

 ――――最初に感じたのは、甘い匂い。

 

 入る時は感じなかったその香りに思わず足を止めたのは、一度、事件発生直後の誘拐現場に入ることが出来た時、嗅いだ香りに酷似していたから。

 

 

(甘い匂いっ……あの時はうっすらとしか感じ取れなくて何の香りか分からなかったが、これは、煙草か……!?)

 

 

 香りの発生源を探るために周囲を見渡せば、すぐに見つかった。

 倉庫の壁に背を預けながら、男が一人電話をしながら煙草を吸っている。

 

 線が細い中年くらいの男。

 到底子供を連れまわせるような筋力を持っているようにも見えず、これまで対峙してきた凶悪犯罪の犯人のような悪意を持っている雰囲気もない。

 見るからに一般人、たまたまここで煙草を吸って電話をしているだけにしか見えない、ただの男性だ。

 

 事件との関係性は、煙草が発する匂いのみ。

 こんなものでは普通の警察官は疑いすらしないだろう。

 

 

「クルアーン社が作る、グリーンアップルですか……輸入煙草とは珍しいものを吸っていますね」

「――――!? あ、ああ、なんだいきなり?」

 

 

 けれど、それを見つけたのは普通の警察官などではない。

 身内にすら“狂人”と呼ばれる、物差しの壊れた優秀過ぎる警察官。

 匂いを嗅ぐだけで銘柄を言い当て、男の服と携帯電話から金回りが良い男だと判断。

 声を掛けられた時の態度から小心者であると予測を立て、少ない手札を補うためにカマを掛けることにする。

 

 

「同じものを使って事件を起こすなんてよほど自信があったんだろうが、馬鹿なことをしたな。匂いが同じだ。お前の仕事仲間が我が身可愛さにベラベラ喋ったよ、お前の手段と裏にある組織をな」

「なっ……なんだとっ……? い、いや、なんのことか分からないな。お前が何を言ってるか分からねぇ……!」

「警察を甘く見たな。“そういう力”があれば無敵だとでも思ったか? 警察が本当に“そういう力”に対応する部署を作っていないとでも思ったか? 世間に公表されていない、超常を解決する部署は存在していて、お前の足取りはもうずいぶん前から追跡してたんだよ」

「な……くそっ、違うっ! 俺は何もしてねぇ! 俺は別にっ……!!」

 

 

 明らかに怪しい態度だが、まだ確実な証言がない。

 もう少し押せればと歯噛みするが、実際分かっていることはあまりに少ないのだ。

 これ以上押すのは無理だと判断した神楽坂は、別の切り口を探すことにした。

 

 

「……とはいえ、だ。お前の力を法に照らして裁くのは正直難しい。こうして深夜にお前に接触したのは、お前の協力を求めるためだ。お前のやったことは許されることじゃないが、お前が協力して後ろの組織への証拠を出してくれるなら考えてやる、こっちもあまりお前らの様な力は世間に公表したくないんでな」

「っっ……お、俺は…………は、ははは、ははははは!!」

 

 

 引き攣った顔で後退った男が言葉に詰まらせるが、何かに気が付いたのか笑い始める。

 

 

「―――――馬鹿が、お前は今馬鹿なことを言ったぞ! 世間に周知したくない!? てことはこういう力を知ってる奴は限られるってことだ! 何が部署だ、何が警察だ! 今さら法の土台を壊しかねない不都合な真実は世間に公表したくないなんて考えじゃ、もうこの国はお終いなんだよ!」

「ほう……この国、なんて随分大げさじゃないか」

「大げさなもんかよっ、お前らみたいな能無しがのさばる時代はもういらねえ。本当の才能がある奴だけが支配する世界がもう少しでやってくるんだからな! ――――つまり回答は! 沈むだけの船でしかないお前らに協力なんてする訳ねぇ! 今ここでお前の口を封じて警察へ圧力を掛けてもらえれば、それだけで誰もこの事件を解決なんてできないんだからよ!!」

 

 

 事態は悪いばかりじゃないと判断したのか、それとも観念したのか、先ほどとは打って変わりペラペラと喋り始める。

 こいつの後ろにある組織の目的は分からないが、コイツがどんな口車に乗せられたのかははっきりした。

 

 どうせこいつを誘拐の犯人として逮捕することは出来ない。

 何もかも証拠が足りないのだから当然だ。

 だから、もう、聞きたいことは聞きつくした。

 

 

「協力しない、か。そうなると、俺はお前をここで逮捕することになるな」

「ひ、ひひっ! そもそも俺がどうやってやったって証明するんだよ!? この国は科学なんてものを妄信する法治国家だ!! 手口が分かったとしても科学的に証明できなきゃどうにもならねぇ!! お前らは俺を罪になんて問えないっ!! 俺が誘拐事件に関わったなんて証拠はどこにもありゃしねぇんだよ!!」

 

「……何言ってんだ――――証拠なら今、お前が口にしたじゃねえか」

 

 

「……は?」と呆けた男がまんまと自分のカマ掛けに掛かった事に、神楽坂は嬉しさで震える体を抑えながら録音した音声を流す。

 神楽坂の声掛けから今までの会話が録音された音声が流れ、笑っていた男の顔はみるみる血の気が引いていった。

 

 

「俺は、一度たりとも、誘拐事件なんて言ってねぇ。この会話の音声が捜査の端緒、本格的な証拠はお前が持っている物からこれから出てくる。直接誘拐した犯人としては捕まえられないだろうが、関係者としてなら話は別だ」

「は……はは……、お、お前、騙したのか……? 警察がこんなことやって……」

 

 

 強靭な握力で男の肩を掴んだ神楽坂は凶悪に牙を剥いて笑う。

 

 

「ははは。おいおい、被害者が今も泣いてるのに犯罪者に優しくする警察官がどこにいるよ」

 

 

 “狂人”、神楽坂上矢は卑劣な犯罪者を絶対に許さない。

 それがたとえ非科学的な力を扱う者であっても変わらない。

 

 

 

 

 



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異なる能を持つ者達

 

 

 

 

 日も暮れて、人目が少なくなってきた時間帯に私はとある場所までやってきた。

 それは廃棄され未だに取り壊されていない廃れた倉庫がある場所だ。

 

 この場所は誘拐した子供を取引する場所として利用されているようで、ちょくちょく“紫龍”とやらや誘拐事件を起こしている組織が使う場所でもある。

 そして、なぜこの場所に私がやってきたのかと言うと、“紫龍”と言う異能持ちを誘き出して、早々に無力化してしまおうと考えたからだ。

 

 裏路地で子供を暴行していたあの男からこっそりと拝借していた携帯電話を使い、登録されていた“紫龍”に電話をし、私の声に違和感を持たないよう異能を使ってから話があると呼び出した。

 後は、一人呼び出しに応じて出てきた“紫龍”と言う奴を背後からボコボコにすれば私の計画は達成。

 長らく世間を騒がせていた連続児童誘拐事件も無事に解決すると言う寸法だ。

 

 

(完璧すぎる計画っ……! 憂さ晴らしも兼ねてるし、久しぶりに全力全開でぶっ飛ばしちゃおう……! 悪即斬! 悪即斬!)

 

 

 ククク、と言う笑いを漏らしながら、もう一度“紫龍”とやらに電話する。

 倉庫の何処にいるのかしっかりと場所聞き出して初手に全力で異能をぶつける、戦闘型でない私の異能でできる唯一の必勝法だ。

 

 何の疑いもなく私の電話に出た男に、もうすぐ着くことを伝え、どの位置にいるのか聞き出そうとしたところで――――異常が起きた。

 

 

『――――!? あ、ああ、なんだいきなり?』

「は? 何かあったか?」

 

 

 どうにも電話先の“紫龍”とやらの様子がおかしい。

 別の誰かと会話しているようだが相手の声は聞き取れない。

 何度か呼び掛けてみたが、返事のないままそのまま通話が切られてしまった。

 

 

「……え? これ、バレてたって訳じゃなさそうですけど……」

 

 

 バレていてあえて私をここまで誘き出したのなら最後まで、電話を繋げる筈だ。

 だが、電話先の男はどうにも予想外なことが起きたと言う反応で、何か策略を企てていたようには思えない。

 

 

(……想定外が起きたのは見過ごせない。また別の日にするべきか……いやいやでも、あの男からの呼び出しとして“紫龍”を呼び出せるのはこれっきり……)

 

 

 「とりあえず様子見だけでも……」なんて考えて倉庫に近付いていった直後、ガシャンという大きな音が倉庫の入り口近くから聞こえてくる。

 人目が少ないと言っても、これだけ大きな音が出れば周辺の人達が様子を見に来たり通報されたりだってあるだろう。

 

 もうこれは駄目だと、私は完璧だったはずの計画を投げ捨て、回れ右をして逃げ出そうとするが時すでに遅し。

 転げる様に飛び出してきたくたびれた男性と目が合った。

 と言うか、神楽坂おじさんだった。

 

 

「お、おおおおっ、おじさんですか!?」

「なっ、んでっ、こんな所に君がいるんだっっ!?」

 

 

 動揺も収まらないまま、素早く私目掛けて飛び付いてきたおじさんは私を脇に抱え、その場を素早く飛びのいた。

 瞬間、先ほどまでいた場所に鉄材が突き刺さる。

 

 

「――――!!?」

「すまんっ、巻き込んだ!! とりあえずこの場を離れるぞっ、しっかり捕まってろ!!」

「て、てててて、鉄が、地面に突き刺さっててててて」

「ああっ、君の場合はそうやってしっかりパニックになってくれた方が安心するな!」

 

 

 そう言うと、おじさんは私を抱えたまま恐ろしい速さで、近くのコンテナ置き場の中に入っていく。

 

 やばい……間違いなくやばい……。

 姿は見えないが“紫龍”と呼ばれている異能持ちは臨戦状態で、私もろともおじさんをぶっ殺そうと全力で異能を発動している。

 私も異能で応戦しようにも相手はしっかりと私の姿を捉えているし、何より多少の思考誘導程度なら大丈夫かもしれないが、派手に異能を使えばすぐそばにいる神楽坂おじさんには完全に私の力がばれてしまう。

 

 そうなれば、超能力が使える人間として研究対象となり一生を送る羽目になるかもしれない。

 それだけは、それだけは絶対に嫌だ。

 

 

「あわわわ、で、でも、このままじゃ死んじゃうっ……死んじゃううぅ……」

「な、なんだか、バスジャックの時とはえらい違いだが……とにかく安心しろ、君は俺を信じてしがみついておけ」

 

 

 私が慌てるのも当たり前だ。

 なんたってこうしてまともに他の異能持ちと戦いになるのは初めての経験なのだ。

 

 だが、そんな風に慌てふためく私とは正反対の自信に満ち溢れたおじさんの態度に少しだけ焦っていた気持ちが落ち着く。

 そうだ、大丈夫だ。

 だってこのおじさんの能力の高さはよく分かっているし、これほど不安を感じさせない態度なのだ。

 何かしらの打開策は持っていてもおかしくはない。

 

 

(……なんて言ったものの、煙そのものに変貌したあの男に有効な手立ては何一つない。……せめてこの子だけでも逃がさないと)

 

 

 だめじゃん。

 

 思わず読んでしまったおじさんの思考に絶望し、辞世の句を詠み始めた私をおじさんは米俵でも抱える様に持ち替え、辺り一帯に広がった薄い煙から逃げる様に走り続ける。

 

 追うように鉄屑や壊れた家電、若しくは道路に設置されている標識なんてものまで飛来し、圧し潰そうとしてくるが、おじさんはスポーツ選手かと思う程の速さで走り回りそれらを難なく回避していく。

 対抗策が無いとは言え、このおじさんの身体能力の高さは化け物だ。

 打倒することは出来なくとも逃げることは難しくないのかもしれない。

 

 

「っっ……良し、煙からだいぶ離れたな」

「おおっ、す、凄いですおじさん……! こ、このまま倉庫とは別方向に逃げましょう!」

「…………悪いがそれは出来ない」

 

 

 コンテナの陰に隠れて一呼吸入れたおじさんは私の提案を断ると、鋭い目で上空に漂う煙へと目をやる。

 

 

「今何が起きているのか、きっと君は全貌を掴めていないと思う。だが、あそこにいるのは俺が捕まえなくちゃいけない犯罪者で、俺が長年追っていた“超常”なんだ。ここまでくれば君一人でも逃げられる。俺とあいつがやり合っている間に、この場を離れろ」

「え……嘘ですよね? あ、あんなのと生身でやり合うんですか……?」

「ああ。本当ならこうして逃げるつもりも無かったが……君がいたからな。流石に君が巻き込まれるのは避けたかった」

 

 

 私を地面に下して、息を整えるおじさんは私に何かを押し付けてくる。

 見ればそれは警察手帳と録音器具のようなものだ。

 

 

「君がなんでこんな所にいたのかは聞かない、そんな時間もないからな。ただ、これを……帰った後この機械を警察に届けてほしいんだ。一緒に渡した俺の手帳を見せれば、警察も動かざるを得ない」

「それって……まさか、おじさん死ぬつもりなんですか?」

「そのつもりはないと言いたいが、覚悟はしている。理由は何であれ君が来てくれた、だから、託せるなら託してしまおうと思っただけだ」

 

 

 君はとても頭の良い子だからな、なんて言って私の頭をガシガシと撫でてくる。

 手渡されたおじさんの録音機がこの日のために買ったように新品同然で、手帳が散々使い古されたようにボロボロなのが、よくわかる。

 心配させまいと笑みを浮かべているが、そんな上っ面だけのものなんて私には意味がないのだ。

 

 

「…………お、おじさん、わたしは――――」

 

 

 頭上、真上に異能の発動を察知する。

 

 

「――――おじさんっ!!」

「!?」

 

 

 私の声に目を見開いたおじさんを掴み、押し倒す。

 足先を掠める様に降り注いだ家電製品の山が地面にぶつかり、壊れた部品が私とおじさんに襲い掛かった。

 ねじやガラスの破片、様々な凶器が体に打ち付けられ、ずきずきとした痛みが続いていく。

 しかも、おじさんを押し倒す形であったから、その攻撃のほとんどを私が受ける羽目になってしまった。

 めちゃくちゃ痛い。

 

 

「っっ!? 大丈夫か!? 怪我は――――」

「――――おい、今のを躱すかよ。お前本当に凡人か?」

 

 

 私の身を案じるおじさんの言葉に被せる様に、知らない男の声が背後から掛けられる。

 

 長身痩躯の中年男性、口は悪いがどこにでもいるような一般人。

 凶悪な犯罪事件には到底関わっているとは思えない通行人A。

 そんな印象を受ける男が、音もなく煙の中から姿を現した。

 荒事や犯罪には無縁そうな見た目の男だが、異能を使う者特有のこの男から発せられている色濃い異能の力の輪郭がよく分かる。

 

 間違いない、この男こそ、今世間を騒がせる“連続児童誘拐事件”の実行犯。

 運び屋“紫龍”だ。

 

 

「…………だが、お前から同類の力は感じないな。ただ運が良かっただけか」

 

 

 値踏みするように私を見下ろした“紫龍”が下した判断にほっとする。

 どうやらこの男の目には私は異能を持たない凡人として映ったらしい。

 ……ふざけやがって。

 

 ずきずきと痛む背中のおかげで、精神が冷えて落ち着いていく。

 本当なら泣きながら不平不満を漏らしたいが、そんなことは家に帰ってからやるとしよう。

 今はこの状況を突破する術を考える。

 

 

「テメェッ……! 子供を構わず巻き込みやがってっ……!!」

「ああ? 何言ってんだお前、お前が悪いんだろうがよ。お前がそのガキを抱えて連れ出さなければ追うこともなかった。お前がその証拠をそいつに渡さなけりゃそのガキをつけ狙うこともなかった。全部お前が巻き込んだんだろうが」

「――――っ……!」

「可哀そうになぁ、こんな屑みたいな警察官のせいで巻き込まれて危険な目にあうことになるんだ。これから先どうなるかなんて考えたくもないよなぁ? ぜーんぶ、そこのクソ野郎のせいなんだぜ? ほら、何か言いたいことあるだろ? 言ってみろよ」

「…………」

 

 

 ヘラヘラと軽口を叩く男に、おじさんは歯を噛み締めた。

 まるで、『そうかもしれなかった未来』があったかもしれないと認める様に、おじさんは口を噤んでいる。

 

 けれど。

 

 

「……何言ってるんですか? おじさんが私を抱える前に、貴方は私に向けて鉄材を飛ばしていたじゃないですか。この現場を見た時点で、貴方は私を無事に帰す気なんてなかったくせに、まるで自分は善人だなんて言う妄言は止めて下さい」

「……可愛げのないガキだ」

 

 

 男から笑いが消えた。

 ヘラヘラとした笑みは不快だったから何よりだ。

 何処からともなく取り出した、甘い香りがする煙草を口にして周囲に漂う煙を操り、だんだんと濃く、広範囲へと増大させていく。

 

 

「子供好きの変態警察官が女子学生を誘拐し失踪、二人のその後の行方は分からない――――筋書きはそんなもんでいいだろう」

 

 

 顔を強張らせたおじさんが盾になるように私の前に身を出した。

 それを嘲笑うように、男は口にくわえていた煙草を弾いた。

 

 

「立場だけしか取り柄のない、なんの才能も無い奴らが本当の天才に逆らったらどうなるのか。その身に刻んでやるよ」

 

 

 宙を舞っていた煙草が煙の中に掻き消える。

 代わりに煙から現れたのは、視界一杯に広がる巨大な有刺鉄線の網だ。

 

 目前に出現した網をおじさんは驚異的な反射神経で蹴り飛ばし、一足で“紫龍”へと距離を詰める。

 “紫龍”の腹部目掛けて振るわれた殴打は、“紫龍”自身が煙に掻き消えることで回避される。

 それどころか、おじさんの姿も煙に吸い込まれるように消えて、辺りには濃霧の様な煙だけが残された。

 

 

「お、おじさんが消え……」

 

 

 ――――感知する。

 

 頭上、右下、左正面で“紫龍”の異能が発動しようとしている。

 

 

(回避……いや、それよりもこのままじゃ煙に取り込まれたおじさんが危険……)

 

 

 “紫龍”がやろうとしているのは、煙に取り込んだおじさんを上空へ運び解放するだけだ。

 だが、6メートル上空に運ぶだけで、人間なんて落下すれば致命傷を受ける。

 煙になると攻撃が効かず、煙に取り込まれるのに抵抗は出来ず、気が付けば即死の攻撃を受ける“煙の力”、初見殺しにもほどがある。

 

 三歩後退して二歩左に動く。

 私に目掛けた攻撃を当たらないように掻い潜る。

 

 そして、煙の中に紛れる“紫龍”の思考を読み取って、6メートルの高さからおじさんを落とそうとするのを4メートル程度だと誤認させる。

 

 

「――――なっ、なんで俺は空中にっ!?」

 

 

 目論見通り、4メートルの高さならおじさんにとっては大した高さではないようで、宙に投げ出されたおじさんは空中で体勢を整え私のすぐ近くに転がるように着地した。

 いや、二階の高さとか私にとっては致死クラスなんですが……。

 

 

「ああ? ……なんだ? お前なんで無事なんだ……?」

「お前っ……!! なるほどな、そうやって子供達を攫った訳だっ! 家の中にいても煙だったらいくらでも入れて、煙に人を収納できるならどれだけでも子供を運べるものなぁ!!」

「うるせぇな。今質問してんのは俺の方なんだよ。それよりテメェ、どうして無事なんだ? 確かに俺はかなりの高さまで運んだはずだぞ」

 

 

 当然だが訝し気な“紫龍”の言葉に、私がやったからだよ、とは言わない。

 おじさんは姿を現した“紫龍”の動きを警戒しているが、私は周囲に漂う煙と頭上でおじさんを吐き出した煙の濃さを見比べる。

 

 

「おじさん。原理は分かりませんが、取り込む物体によって必要な煙の濃さが違うようです。おじさんが取り込まれた時、周りにはかなりの濃さの煙がありました。煙が濃い場所は回避してください。次、煙に取り込まれれば即死と考えた方が良いかと思います」

「……なるほど」

「はぁ? おいおい、何冷静に分析してんだ。そんな正確かもわからない分析一つで、俺とお前らの才能の差を突破できると思ってんのか?」

「出来る出来ないは結果を見てから私が決めます。それとも……貴方の非科学、解明されるのが怖いんですか?」

「…………ガキが」

 

 

 私の挑発で“紫龍”の視線が私に固定される。

 証拠となる録音機も私が持っている。

 これでコイツの中の優先度は、おじさんよりも私だ。

 

 

「…………二手に分かれますよ。どちらに追ってきても、恨みっこなしです」

「な!? い、いやだが、俺は奴を捕まえないと……」

「今ここで、たった2人だけでどうにかなる相手じゃありません。一度撤退を」

 

 

 おじさんがいなければ、少し派手に異能が使える。

 極力出力の高い異能の使用はしたくないが、“紫龍”とやらは犯罪者で、悪人だ。

 後遺症が出ようが知ったもんか。

 

 懐から水筒を取り出し“紫龍”目掛けて投げる。

 飛んできた水筒を煙と化すことで躱そうとした“紫龍”だったが、水筒から飛び出した粉に包まれ、正面から水筒と粉を浴びることとなった。

 

 

「っっ!!??」

 

 

 自分が煙になれなかったことに驚愕しているようだが、なんてことはない。

 水筒の中に入っていたのは水ではなく小麦粉。

 “紫龍”と言う名称から、煙に関する力だろうとは当たりを付けていた。

 だからこそ、こうして接触する前に使えるかもしれないと準備しておいたのだ。

 

 そして実際に会ってみて煙草をいちいち使っていたから、自分で作りだした煙か煙草からの煙でしか扱えないと考えたが、どうやらその予測は正しかったようだ。

 煙とはすなわち水分、水分を吸収する小麦粉に囲まれれば煙の扱いが上手くいかないのは当然だ。

 現に今、奴は自身の周囲を取り囲んだ小麦粉の粉塵に邪魔をされ、煙に紛れることが出来なくなっている。

 

 事前準備の差が猶予を生む。

 

 

「今ですっ、逃げますよ!」

「――――っっ、クソッ!」

 

 

 効果があるか半信半疑だったから少量だけしか持ってこなかったが小麦粉の効果は判明した。

 もしここで仕留めきれなくても、もっと大量の粉塵を用意すれば疑似的に“紫龍”の異能を封じることは可能だ。

 今この場で制限を持ったままやり合うよりも数段勝算がある。

 

 おじさんが私とは反対方向に走り出したのを確認して、計算通り進んでいることに口元が緩んだ。

 

 

(最初こそどうなるかと思ったけど、ここで私を追ってきたら当初の予定通り1対1。しかも布石も打てた、全力で異能を使えるなら負けはない。もし私達の追跡を諦めたとしても、“紫龍”の異能に対する対策も分かったから次やる時はもっと有利な状況を作り出せる)

 

 

 周囲に漂っていた粉塵を手で払う“紫龍”を後ろ目で確認し、どれくらいの時間有効なのかを見ておく。

 結構な距離を空けることが出来た、ここまでくれば、先ほどまでの“紫龍”の異能の出力なら捕まることは無い。

 

 勝ちを確信した瞬間、粉塵を振り払い終えた“紫龍”が憎悪を込めた目で私を見た。

 

 

「このっ、クソガキがぁっっ!!!」

 

 

 “紫龍”が怒りの叫びをあげて、ポケットから石の様なものを取り出した。

 距離があるから詳細は分からない、だが夜の暗闇の中でも“紫龍”が取り出したその石はひときわ暗く、そこだけがぽっかりと空洞があるように黒かった。

 

 そして“紫龍”はその石を、あろうことか呑み込んだ。

 

 

「クソガキィ、お前だけは無事に帰さねぇぞっ……」

「――――!!??」

 

 

 “紫龍”が纏っていた異能の力が増大する。

 出力が桁違いに跳ね上がる。

 届かぬはずの距離が、たった一瞬で埋められる。

 

 煙が槍の様な形状に変わり飛来する。

 鉛色が混じった煙の槍は、煙であって煙でない。

 蓄えた鉄と混ざり合った煙はこの世の自然界では絶対に存在しない、煙と鉄の両方の性質を併せ持つ『超常』だ。

 

 寸でのところで横に飛び躱したが、地面に突き立った煙の槍から“紫龍”が現れる。

 

 

「――――死ね」

 

 

 私の頭目掛けて翳した手のひらから、数多の煙が吐き出される。

 いや、違う。

 煙に煙を収納し、今私目掛けて解放したんだ。

 

 人を呑み込む濃度の煙に為すすべなく私は取り込まれ、そしてそのまま上空へと運び落下させられる。

 

 

 ――――“紫龍”は、そう誤認した。

 

 

「……あ?」

 

 

 落下しない。

 何も落ちてこない。

 いくら待っても捕まえて運んだはずの私が上空から吐き出されない。

 

 

「……ああ?」

 

 

 怪訝そうに運んだはずの上空へと視線をやった“紫龍”に、『本当の』私は真横から熊用スプレーを吹きかける。

 

 

「――――あ? ああああっ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」

 

 

 直接顔に吹きかけられた“紫龍”は激痛に顔を抑えて尻もちをつく。

 この男と出会ってからずっと積み上げてきた布石、思考誘導の網はすでに強固に彼を縛り付けている。

 

 

 だから言ったのだ、負けは無い。

 

 

 先ほど“紫龍”が私を異能持ちだと見抜けなかった理由は単純、年季の差だ。

 私は物心ついたときからこの力を扱い、中学の頃なんて調子に乗って見境なく試行錯誤を繰り返していた。

 だからこそ、使用時と未使用時の切り替えは完璧で、この“紫龍”のように異能の力が垂れ流しになっていることはない。

 何より練度も違うし質も違う。

 出力は……まあ、そんなに変わらないけども、煙を操る力と精神に干渉する力じゃ格の違いは歴然。

 妙な石を使って出力をブーストしたことには驚いたが、それで改善できる状況はもう少し前だった。

 

 意識を完全に雁字搦めにするまであと少し。

 

 

(私のヘロヘロ物理攻撃なんて少しの影響も与えられないでしょうから、このまま異能で押し切りましょう)

 

 

 あの妙な石の詳細は気になるが、同じ異能持ち相手にあれこれやれるほど余裕がある訳でもない。

 これまでのような違和感を感じさせない程度の出力ではなく、全力で。

 “紫龍”への精神干渉を行おうと頭の中のスイッチを切り替えようとした。

 

 

「無事かっ!?」

 

 

 だから想定外の声に意表を突かれた。

 分かれたはずの、あのおじさん。

 別方向に逃げる事を確認した筈の、私の異能を知られてはいけない人が私の身を案じて戻ってきてしまった。

 いや、いつか戻ってくるだろうとは思っていたが、それまでには終わらせられると思っていたのだ。

 迷いなく私を助けようと戻ってきた、その判断が早すぎる。

 

 

(あわっ、あわわわ……!!??)

 

「――――これはっ……!?」

 

 

 想定外の場面を目の当たりにしたような声を上げるおじさん。

 それはそうだろう、少女が熊用スプレーを持っており、その近くにいる中年男性が顔を抑えて絶叫している。

 私だってこんなもの見たら少女の方がやべぇ奴だと思う。

 なにより不味いのは私の異能の使用をどこまで見られたかだ。

 

 

(そ、そうだ、重たいもので頭を殴れば記憶が飛ぶかも)

 

 

 なんて、のんきにそんな考えたのが間違いだった。

 あれだけ意識を向ける大切さを知っていた筈なのに、目の前の無力化しきっていない敵から意識を逸らしてしまったのだ。

 

 

「おごっ、ぁああ゛あ゛っ、あああああ゛あ゛!!!」

 

 

 暴風のように“紫龍”の周囲の煙が渦巻いた。

 取り込んだ鉄と融合し鉛色に変色した煙は、刃物のような鋭さを持っている。

 そんな煙が“紫龍”の周囲、全方向へと撒き散らされた。

 

 意志もなく計画もない。

 偶然、異能の暴走、言ってしまえばただの事故。

 だからこそその出来事は、知性体の精神に干渉する術しか持たない私の死角となった。

 そして迫りくるその鉛の煙は――――

 

 

「……あ」

 

 

 異能を除けば平均以下しかない私の能力では回避など出来ない――――不可避の死そのものだった。

 

 

 ざっくりと、肩口が深く裂けた。

 腕やわき腹、背中の至る所が引き裂かれ血が噴き出し、きっと内臓や骨にまで傷口は達しているだろう。

 あまりの激痛に顔を歪める。

 

 私を守るように抱えたおじさんの、そんな姿が目の前にある。

 

 

(――――)

 

 

 理解できない理解できない理解できない理解できない。

 目の前の光景の何一つが、私にとってあり得ないものだった。

 

 私を抱えたおじさんはそのまま地面を転がる。

 背後から受けた傷は激痛を訴えているはずなのに、地面を転がる時も彼は私が傷付かないように抱きしめている。

 傷口に土が入るだろうに、地面に散らばる鉄や石が傷口を広げるだろうに、彼は私を抱えて離さない。

 

 

「っ……怪我はないかっ?」

「……は、ぁっ?」

 

 

 馬鹿だ、この男はどうしようもない馬鹿野郎だ。

 自分はこれだけ傷付いているのに、血も出ていない私に向けて何を言っているんだ。

 しっかりと傷一つ無いように守り切っておいて、何をふざけたことを言っているんだ。

 

 

「君は、早く帰れ。君が無事に帰れるように俺が何とかする。最後まで君を守る」

 

 

 終いにはそんなことを言ってきたこの人に拍子抜けしてしまい、考えていた色々なことが抜け落ちていってしまう。

 自分の身を顧みず私を守ろうとするこの人を見ていると、自分の身ばかり守ろうとしている私自身がどこまでも醜く思えてくる。

 

 

「……なんでそんなに私を守ってくれるんですか?」

「なんでかって……君が善良な一般市民で、俺が警察官だからだ」

「…………私はおじさんが思っているほど、善良なんかじゃないですよ。それでも最後まで私を守るんですか?」

「……言ってることが分からないが……そうだな。たとえ君が自分を善良と呼べなくても、少なくとも俺にとって君は、守られるべき子供だよ」

 

「……………あー、そうですか。そうですかー」

 

 

 この人は口に出す言葉と心に乖離が無い。

 何から何まで善人で、どこまでも誠実な人だった。

 くしゃりと歪んだ心と共に、口から出たのは投げやりになったようなそんな言葉。

 

 善人は苦手だ。

 善良は理解に苦しむ。

 単純な人は……どうしていいか分からなくなってしまう。

 人の汚れた部分を見すぎた私は、こんな人を前にすると眩しさで目がつぶれてしまいそうになってしまうから。

 

 もう私は、どうするのが正解なのか分からなかった。

 

 

「……あのですね、神楽坂さん。私、隠し事がありまして」

 

 

 意識をはっきりと取り戻した“紫龍”が、焦点を私達にしっかりと合わせた。

 

 今から思考の誘導は出来ない。

 振り上げた手の先から射出されそうな大量の鉄材を別の場所に打たせる術を私は持たない。

 動き出した“紫龍”に気が付いた神楽坂さんは私を深く抱きしめて、何とか回避しようと動き出す。

 

 そんな状況の中で私は片手を構え、何も考えないままその手を攻撃態勢に入っている“紫龍”へと差し出した。

 

 

「私、ちょっとだけ凄いことが出来るんです」

 

 

 パチン、と指を鳴らした。

 

 異能が指から音を伝い、空気に流れ、標的に辿り着く。

 

 乗せられた異能の力が標的に届き、標的の脳、精神を攻撃した。

 

 そうすれば一瞬にして、“紫龍”が携えていた煙は跡形もなく霧散し消し飛んだ。

 ぐるりと白目を剥いた“紫龍”がそのまま背中から地面へと倒れ込む。

 音も色も空気の揺らぎさえない不可視の衝撃波は、何の抵抗も許さず“紫龍”の意識を刈り取った。

 

 

「――――なっ、なにがっ……!?」

 

 

 白目を剥き、口から泡を吹いて顔から地面に倒れた“紫龍”は数回痙攣して動かなくなる。

 しばらくは目を醒まさないだろう。

 

 呆然と、突如として崩れ落ちた“紫龍”の姿に、神楽坂さんはそれを為したであろう私へと顔を向けた。

 

 

「君は、なんなんだ……?」

 

 

 愕然とした視線を向ける神楽坂さんの腕から逃れた私は、少し距離を取って、初めて自分以外の誰かに対してこの力を告白する。

 

 

「人を化け物みたいに言わないでくださいよ――――私は佐取燐香、高校一年生。特技に少し凄いことが出来る一般人です。私は、貴方が待ち望んでいた“超常”を、貴方には明かすことにしました」

 

 

 どうぞ末永くよろしくお願いします、なんて言って。

 これが本当に正しい事かなんてわからないまま、にっこりと笑顔を浮かべて、私は神楽坂さんの手を取った。

 

 

 

 



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1つ先の光景

 

 

 

 

 それからの話だ。

 半年にわたって警察に足取りを掴ませなかった“連続児童誘拐事件”はあっけなく、たった一夜にして解決した。

 

 と言うのも、私があの暴力男から引き出した情報には子供達の軟禁場所もあり、一気に事件を解決出来る場所を突き止めていたのだからある意味当然の結果であった。

 誘拐された子供達と言う動かぬ証拠の在処を私が知っていて、警察官の神楽坂さんが私と協力することとなった。そうなると行動力の化身である神楽坂さんは、誘拐実行犯“紫龍”の確保をしたその夜のうちに監禁場所に突入する。

 後は、情報通りその場所に捕えられていた子供達全員を無事に助け出し、その場にあった証拠物なども抑え、事件はあっと言う間に解決することとなった。

 

 子供達は誘拐被害にあった者達一人残らず助け出し、監禁されていた時の話を聞くことと、医者による体調の確認を行うために、秘密裏に一時的な保護として氷室警察署に連れて帰ったが、どこから情報が出たのか次の日の朝には親達と報道各社が氷室警察署へと殺到。

 一夜にして起こった事件解決劇は詳細不明のまま、あっと言う間に世間に公表されることとなってしまったのである。

 

 

 曰く、『氷室署の一人の警察官が“偶然”誘拐された子供達が監禁されている現場を見つけ、救い出した』と、そんな風に。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

「……はふぅ……今、何時れす……? ……!??」

 

 

 妹のいない休日の朝は久しぶりで、昨夜の深夜に及んだ子供達の救出活動の疲れから私はぐっすりと眠り込んでしまっており、目を醒ましたのは昼の正午を回った時間になってから。

 

 今日やろうと予定していた事が全て崩れ去っていることに気が付き、慌てて布団から飛び起きてリビングへと向かえば掃除機片手にニュースを眺めている父親の姿が目に入る。

 

 

「ああ、燐香起きたね。燐香が寝過ごすなんて珍しくて声を掛けなかったけど、何か予定でもあったかな?」

「お、お父さん……」

 

 

 リビングの様子からして、やろうとしていた家事はすでに終わっている。

 ニコニコと普段通り温和な雰囲気を見せる父親に、申し訳ない気持ちになった。

 

 

「……ごめんなさい。少し疲れてて……」

「いやいや、謝ることないよ。いつも燐香には迷惑ばかり掛けてるからね。これくらいやらせてくれないと、むしろ僕が怒られちゃうよ」

 

 

 慌てて私の謝罪を否定した父親は、私に新しく注いだコーヒーを勧めてくる。

 大人しく、父親の勧めに甘えてコーヒーに口を付ければ、少しだけ残っていた眠気も苦みで打ち消されていく。

 お父さんはふと思い出したように私を見る。

 

 

「そういえば、桐佳は夕方頃帰ってくるそうだよ」

「……私、昨日の泊まりの話。直前まで聞いてなかったんだけど」

「桐佳が言わないでおいてって言っていたからね。本人が言うものだと思っていたんだけど」

「ご飯とかの予定もあるからそういうのは言ってくれないと私が困るし。次からちゃんと話を通してほしいかな」

「ははは、ごめんね。でも、桐佳ももう中学三年生だから、あんまり子供扱いするのは本人が嫌がるんだよ。もう、自分の事はある程度自分で考えられる歳だからさ。ある程度は認めてあげないと」

 

 

 やけに桐佳を擁護する父親に、目じりが上がっていくのを自覚する。

 

 

「中学三年生は子供です。悪い大人には何の抵抗も出来ないし、自分でしたことの責任を自分で取る事もないんだから。桐佳にはまだしっかりと目を向けないとだめ」

「まったく……桐佳のことになると燐香は頭が固いなぁ……」

 

 

 私の譲らない態度に困ったような顔をするお父さん。

 いつも仕事を頑張ってもらっているが、これだけは譲れない。

 世間の犯罪率の高さの土台となっていた犯罪事件は昨日解決したが、世の中悪い人間はいくらでもいる。

 特に、見た目の良い年頃の女の子なんて格好の獲物になりかねない。

 しっかりと縛り付けるくらいがちょうどいいのだ。

 

 語気を強める私に困ったような顔をしたお父さんは、丁度流れて来た“誘拐事件”が解決したと言うニュースを指差して私を説得しようと口を開く。

 

 

「ほら見てごらん。解決できないと言われていた誘拐事件も、ちゃんと警察は解決してくれたみたいだよ。世間に言われているほどこの国は危険じゃないさ。燐香もそんなピリピリしてないで、学生らしくちょっと夜遊びするくらいが良いんだよ?」

「…………勇敢で優秀な警察官がいてくれたようで何よりですね。その部分は私も安心しています。でも、それとこれは話が違います。お父さんが何と言おうと、桐佳は子供で、悪い大人には抵抗できなくて、この世の中は悪意で満ちているんですから」

 

 

 お父さんは楽観的だ、世界中で犯罪事件が増加していると言われている現状でも、自分達の国は心のどこかで大丈夫だろうと思っている部分がある。

 それは違うと、人の心を読める私は断言する。

 何時だって、悪意は本人の知らないところからふいに襲ってくるのだから。

 

 話は終わりだと、コップに入ったコーヒーを一気飲みする。

 テレビから流れる、神楽坂さんとした約束通りの情報に、ひとまず連絡を取ろうと携帯を開き、随分前の時間に彼から連絡があったことに気が付いた。

 

 

『受信時間:4月16日9:34

 送信者:神楽坂おじさん

 表題:これからの話がしたい

 本文:こっちの処理は終わった。君が指定した喫茶店で待っている』

 

「…………」

「ど、どうした燐香。顔を真っ青にして。やっぱり今日予定でもあったのか?」

 

 

 時計を見る。

 今の時間は既に13時を回っている。

 もっと掛かるだろうと思っていた神楽坂さんの事件処理は、思いのほか早く終わっていたようである。

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

「さて、君の要望通り、事件処理に君を巻き込まず、“異能”と言う超常の存在を表沙汰にせず、昨日の件を収めた訳なんだが……俺はてっきり君に裏切られたものかと思ったよ」

「す、すすすす、すいませんっ……ね、寝落ちしてっ……あ、い、いや、言い訳とかではわわわっ……」

「……いや、待て待て。別に怒ってない」

 

 

 慌てて辿り着いた喫茶店の隅には、神楽坂さんが腕を組んで椅子に座り目を閉じた体勢で私を待ち構えていた。

 バタバタと近づいてきた私に薄目を開けた神楽坂さんの言葉は私を抉りに来たものの、どうやら怒ってはいないらしい。

 ……少しだけ心を読んでみるが、その言葉に嘘偽りはないようである。本当に人の良いおじさんだ。

 

 

「め、面目ないです……あ、あの、約束を守っていただいたのは報道を見て確認しました。本当に、私の事も、力の事も公表しないでいただけて助かりました」

「いや、それは大したことじゃない。超常の力があるなんて騒いでも証明しきることは難しいのは俺がよく分かっているからな。なによりも……俺個人としては、無策に真実を世間に公表しようとするよりも、君の協力を取り付けられる方がずっと価値があった。それだけなんだ」

 

 

 連続児童誘拐事件の実行犯、運び屋“紫龍”を拘束した後に私が神楽坂さんにした提案。

 それは、異能と言う超常の力を公表しないこと、私のことを周囲にばらさないこと、それらを飲んでもらえるなら今後異能の関わる事件に協力すると言う交換条件だった。

 突然意識を失った“紫龍”に、状況が分からず少し悩む様子を見せた神楽坂さんだったが、私の有用性を示す一端として攫われた子供達が監禁する場所を話せば彼は即座に二つ返事で頷いた。

 

 結果として、その夜のうちに実行犯の逮捕と攫われた子供達の保護を行えたものの、私の条件を呑んだことで“紫龍”が行った誘拐の実行は証明できず、あくまで事件に関わる疑いがあった者として話を聞こうとした神楽坂さんに対する暴行の罪での逮捕にとどまったようである。

 ……まあ、神楽坂さんが言うように、いくら異能の存在を主張しても、今の法律では裁けるものでもなく、その存在も周知されていないのだから、罪として認められることはなかっただろう。

 

 しかし、そこまで言った神楽坂さんの表情が解せないと言うように少しだけ曇る。

 

 

「だが……少し分からないことがある。昨日捕まえたあの男とは違い、君は別に力を使って犯罪を犯している訳ではなかった。わざわざ協力の約束までして力の存在を隠すほどの必要性が、君にはなかった筈だ。なぜわざわざ交換条件までしてそんなことを……?」

「……えっとぉ、それは……その……」

 

 

 そんなのは当然、私がこの力を使って後ろ暗いことを一杯やってきたからに決まっている。

 でもそんなこと馬鹿正直には言えない訳で。

 

 

「あの……あっ、あれです! この一連の事件には大きな組織が関わっていると私は思っているんです! 下手にここで力の存在を公表しようと目立つ動きをすれば、神楽坂さんの命を真っ先に狙いに来ると思ったからです! となると、もっと強力で、凶悪な力を持った奴がこの地域に来る可能性がありますからっ、それをなんとかして阻止したかったんです!!」

「…………なるほど。筋は通っているが……もう少しうまく嘘を吐けないのか……?」

「う、嘘じゃないですよ!!」

「ああ、うん、そういうことにしておこうか」

「嘘じゃないですよっ!!??」

 

 

 嘘ではないのだ、本当だ。

 大部分は自己保身だが、そういう理由もちょっとだけあった。

 強力な異能を持つ奴と好んで戦いたいなんて言う戦闘狂ではないし、自分の限界を知りたいなんていう欲求も私にはない。

 だから出来るだけ同類の方はこの地域に近付かないでくれるよう動きたいのだ。

 

 けれども神楽坂さんの私を見る目は、子供が吐く単純な嘘を呆れるような色がある。

 甚だ不本意ではあるが、ここまでくると否定しきるのはもう難しいだろう。

 せめて違う話題に移ろうと、私は神楽坂さんが最もしたいであろう話を切り出す。

 

 

「……それよりも、これから神楽坂さんに協力しますけど、おじさんが追っている事件ってどんなものなんですか? もしかしたら既に私がある程度は知っている事件かもしれませんし、出来れば教えていただけたら嬉しいんですけど」

「ん、ああ。それは…………いや、その前に、今回の誘拐事件の黒幕をあぶり出してからそちらの話はしよう」

「え? ま、まあ、それは良いですけど」

 

 

 てっきり神楽坂さんが追っている事件についての説明が、この待ち合わせの主題だと思っていただけに拍子抜けしてしまう。

 確かに、大きな組織が黒幕ならばこの誘拐事件はかなり根深いものであり、誘拐された子供達を助け出した場所で見た物を考えば、優先してそちらを解決しようとする気持ちも分からなくはない。

 

 

「俺としては、この場ではそこまで大きく君との関係を築いて、一気に事件の解決を進めようとしている訳では無くてだな。あくまで、君が本当に俺と話をしてくれる気があるのかの確認と、君への感謝を伝えるためのものだったんだ」

「はぁ……まあ確かに、お互いのことを碌に知りもしないですし、たまたま命を預け合ったような偶然の関係ではありますから別に私はそれでも良いですけど……。でも、私は別に神楽坂さんから受ける感謝なんて特にはありませんよ。だって能動的に神楽坂さんを助けようと私は動いていた訳ではないですから」

「いや、確かに俺としても君には十分感謝しているが、ここで君に伝えたかった感謝は俺からのものじゃない」

 

 

 そう言って神楽坂さんは、鞄から一枚の手紙を取り出した。

 短く感謝の言葉が書かれたその手紙は、派手さもなく、彩りもない、なんとも地味な一切れの紙。

 

 

「――――バスジャックを引き起こしたあの夫婦から、君へ届けてくれと言われた手紙だ」

「え……あの人達、ですか?」

 

 

 熊用スプレーをぶちまけた女の人と、責任を取るつもりもない言葉で惑わせた男の人。

 あの人達からの感謝の手紙だと、神楽坂さんは私に言う。

 

 手に取ったその手紙は薄くて、少しだけ湿ったような跡があった。

 

 

『名前も知らない少女へ

 バスジャックの件では君達にとても迷惑を掛けた、本当に申し訳ない。

 行方の分からなかった息子が助けられたと、あの男の人に聞いた。

 君が関わっているのかは分からない。でも、なんとなく君が助けてくれたんだろうと言う予感がある。ありがとう。

 君があのバスに乗ってくれていて本当に感謝している、それだけは伝えたかった。』

 

 

 そんな簡潔な文章が、その手紙には書かれていた。

 

 

「……神楽坂さん、すぐにこの人達に子供達が帰ってきたって伝えたんですね」

「ああ、彼らは犯罪者ではあったが、子供がいなくなって、脅迫されたと言う理由があった。もちろん犯罪を正当化できるものでは無いが、安心させてあげられるならそれに越したことはないだろう?」

「そうですね……私もそう思います」

「……本来なら、犯罪者になんてならなかった人達なんだろう。面会して、そう思ったよ」

 

 

 神楽坂さんが約束を破って彼らに私の詳細を伝えたのか、なんてことも一瞬だけ頭を過ったが、文章を読めばそんなことはないのだとすぐに分かる。

 

 あんな風に子供を誘拐したと名乗る者からの脅迫に従って罪を犯すほどに追い詰められていた彼らは、私の何の信憑性の無い言葉に縋るしかなかったのだろう。

 そしてそれは私が出くわした彼らだけではない、子供を誘拐され罪を犯した者達はもっといるのだ。

 そして、元々は罪を犯す筈がなかった家族達をそれほど追い詰めた奴らは、今もきっとどこかで優雅に暮らしていることだろう。

 

 

「……今の科学では証明できない力を随分長い間探し求めていた。ようやく出会うことが出来て、正直俺は今、冷静でいると言える自信はない。だが、超常の力が関わる事件の犠牲者達をこうして改めて目の当たりにして、何も悪いことをしていなかった人達が良いように利用される理不尽さは絶対にあってはいけないと思ったんだ。……どうしてでも、どうやってでも、罰せられない存在なんて許してはいけないと思ったんだ……」

 

 

 異能を持つ私の前で、神楽坂さんは異能を持つ者の犯罪を許さないと断言した。

 これからの科学では追跡できない事件を追う上で、協力してもらわなければならない相手である私に対して、きっぱりと。

 ともすれば敵対することも厭わないと、神楽坂さんは私に対して断言したのだ。

 

 

「そして、そんな事件の数々を追うことは俺一人ではどうしようもないと言うことはもう身に染みて分かっている……分かっているんだ。だから……君にもう一度言葉にしてお願いしたい」

 

 

 その上で彼は私に頭を下げるのだ。

 

 

「――――どうかお願いだ。俺と共に、非科学的な力を持つ奴らが起こす犯罪事件を解決してくれっ……何の見返りもっ、何の利だって君に与えられないかもしれないっ……!」

 

 

 それでもと彼は言う。

 

 

「俺はっ、手が届かないそういう事件を解決しなくちゃいけないからっ!」

 

 

 神楽坂さんのボロボロの感情が、慟哭するかのようにクシャリと歪む。

 頭を下げたままでいるのは、自分の今の表情を見られたくないからだろうか。

 そんなことを思う程に、彼の心の叫びが私にははっきりと視えてしまった。

 

 彼が言っているのは全部自分一人の事情だ。

 過去にどんな事情があろうとも一般人を巻き込んでいい理由にはならないし、そんなことは神楽坂さんだってわかっているだろう。

 

 それでも、そうだとしても。

 そんな道理や道徳を蹴り飛ばしてでも、為したいものがあるから、彼に選択する余地なんてなかったのだ。

 

 机にぶつけるかと思う程深く下げた頭をぼんやりと眺める。

 30にも迫ろうかと言う大の大人が高校生になったばかりの子供に頭を下げて力添えを願い出る。

 それはどれだけのプライドを捨てればできる事なのだろう、そう簡単に出来ることでないのだろうとだけしか子供の私には分からない。

 人によっては大人げなく、だらしのないなんて考える人もいるかもしれないが……私は神楽坂さんの姿勢は嫌いではなかった。

 

 むしろ、私は尊敬の念の方が強い。

 

 そんな彼の姿勢に私は敬意を払う。

 はっきりと、私も彼の誠意に答えて本音を口にする。

 

 

「神楽坂さん、私は警察と言うものを信用していません。より正確に言うと、私は自分以外の人間のほとんどは信用に値しないと思っています。だから、私はこれからも自分以外の誰かを本当の意味で信用することはありません」

「っ……」

 

 

 けれど。

 

 

「…………神楽坂さんは私と出会ってからこれまで、嘘を一つも吐きませんでしたね」

 

 

 私はそう、思い出すように言った。

 

 

「バレないように害の無いように、なんて。自己保身ばかりの私と違って神楽坂さんは、ずっと誰かの為に走り回っていました。こんな小娘一人に対してもずっと誠実に接してくれました。超常の力を目の前にしても、私を守ろうと必死になってくれたことも知っています。こうして一回りも歳が離れた小娘に対して頭を下げるような決断も下せる。それらは何物にも代えがたい、大きな価値だと私は思います」

 

 

 自己保身と打算まみれの小娘だが、この掛け替えのない善人がそれでもと望むなら。

 

 

「やりましょう神楽坂さん。この世界に蔓延る異能が関わる犯罪事件を。自分は特別だと世界を見下している奴らを根絶やしにしてやりましょう」

 

 

 私は私の周囲が平和に暮らせる世の中にするために。

 神楽坂さんは科学では追えない犯罪事件を解決するために。

 

 そうして私達はお互いの手を取った。

 

 

 

 





ここまでお付き合い頂きありがとうございます
皆様の評価等とっても励みになっています
また誤字等あれば指摘していただければ幸いです

これにて話の一章が終了となりますが、これからも更新していきたいと思いますので、どうかお付き合いください
これからも最後までよろしくお願いします


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画面を通した見えざる声


 

 

 

日本で発生する犯罪件数は重要犯罪に該当するもののみでも年間平均1万5千件を超える。

 

 

 

そのうちの9割強を検挙する日本の警察組織の能力は、他国と比較しても疑う必要がないほど高いもので通常であれば国民から不満が噴出するようなものではないだろう。

 

実際、よくやっていると、言う者が大多数を占めてはいるものの、日々増していっている国民からの警察組織への不信感の背景には情報が得やすい社会になったことによるものが大きい。

 

 

 

警察に解決できていない事件がこんなにも存在する。

 

解決できていない事件の被害者はこれだけ可哀想で、事件の凄惨さはこれほどで、もしかすると警察組織の忖度がどこかに存在するかもしれない、なんて。

 

尾ひれが付くどころか、存在しない尻尾や角さえ付けられた情報が、ネット上を通じて多くの人の元へと送り届けられるからだ。

 

 

 

1割に満たない、毎年およそ1%ほど発生する未解決の事件の情報が報道や新聞で取り上げられ、それらの情報に踊らされるものは少なからずいる。

 

しっかりしろと、被害者の立場に立てと、声を上げる人達がいる。

 

広く世界的な視点を持って、人間の性能を考慮して、若しくは科学の限界を知る者なら許容する犠牲、それを許容できない者達が大半だからだ。

 

 

 

――――だが、それらの者達を責めることは出来ない。

 

 

 

なぜなら確かに日本の警察組織にも、不祥事はあって、取り逃がした証拠があって、冤罪だってあって、忖度だって存在している。

 

清廉潔白などではない、腐敗していないとは言えない、全ての見本などとは到底言えない様な組織だからだ。

 

 

 

汚濁を嫌う性質を持つ彼らは、きっとそんな組織の後ろ暗い部分を嫌う。

 

信頼から成り立つ警察組織の土台は、微量な不祥事をいくつか明るみに出していくだけで崩れていく。

 

一国の法治国家における法の執行者が、その国の民から信頼されなくなったらどうなるのか。

 

正されるものが正されない、法が執行されない国が出来上がる。

 

 

 

国家の攻略は何も武力のみで行うものではない。

 

真偽不明の情報が垂れ流しで個人に届けられる今、為せる方法はいくつもある。

 

信頼なんてもので土台を作っている国家の柱など、これほど手折りやすいものはないのだ。

 

 

 

 

 

だから私は何度でも言おう。

 

 

 

――――この国の壊し方を知っている、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連続児童誘拐事件について語るスレpart98

 

 

 

899 名前:名無しの傍観者

 

で、結局この事件はなんなんだよ

 

半年かけて誘拐された子供達全員が一夜にして親元に戻るとかどうなってんだ?

 

犯人は? 目的は? 手段はなんだったんだよ?

 

警察もメディアも何も情報を流さねぇし、意味わかんねぇ…

 

 

 

900 名前:名無しの傍観者

 

>>890

 

警察はよくやっただろうが、実際被害者が無事に戻ってるし、捜査だって俺らが考えてるよりずっと多くやってる

 

お前みたいな考えなしに批判しかしないような奴よりか全然一般市民の平和に貢献してる

 

 

 

901 名前:名無しの傍観者

 

もう喧嘩するのやめろよ

 

とりあえずは無事に事件解決したんだからこれで終わりでいいだろ

 

 

 

902 名前:名無しの傍観者

 

今北産業

 

荒れすぎてない? どういう状況?

 

 

 

903 名前:名無しの傍観者

 

>>899

 

誰も分かんねぇよ

 

とりあえず、氷室区の警察官が優秀ってことだけ分かった

 

 

 

904 名前:名無しの傍観者

 

>>902

 

今朝誘拐されていた子供達23名が親元に帰ってきた

 

犯人、目的、手段が結局発表されなくて、警察が事件を解決できなかったんじゃないかと言い争い開始

 

あとはいつも通り、警察批判側と擁護側で言い争い中

 

 

 

905 名前:名無しの傍観者

 

>>902

 

事件解決

 

未解明部分多数

 

世間批判多数

 

 

 

906 名前:名無しの傍観者

 

氷室区での昨日の逮捕なんて、そんな大きなものなかった筈だから、警察が結局何もできなかったんじゃないかっていう推測は間違いでは無いんじゃね?

 

 

 

907 名前:名無しの傍観者

 

夜に警察官に暴行した馬鹿を逮捕した事件ならあったぞ

 

鉄材ばら撒かれたみたいで、大掛かりな回収作業が近くの廃倉庫でやられてた

 

 

 

908 名前:名無しの傍観者

 

なんだその事件?

 

関連性があるのかないのか分からん

 

 

 

909 名前:名無しの傍観者

 

氷室区は修羅の国じゃけえ

 

 

 

910 名前:名無しの傍観者

 

最近訳の分からない犯罪増えてたもんな

 

警察の方はご苦労様です

 

 

 

911 名前:名無しの傍観者

 

>>905

 

誰も頼んでないのになぜ三行?ww

 

 

 

しかし、子供達が帰ってきたってことは誘拐事件は解決ってことでいいのか?

 

犯人が捕まってないならまだ続くのか?

 

うちの子供、大事をとって学校休ませてるんだけど、もう大丈夫なんかな?

 

 

 

912 名前:名無しの傍観者

 

俺、氷室区の駅から離れたところに住んでるんだけど、昨日の夜は霧が突然発生するっていう異常気象も起きてたし、正直気味が悪い

 

こうやって色々重なるとまたオカルト板の奴らが出張してくるかもな

 

 

 

913 名前:名無しの傍観者

 

オカルトなぁ……俺もこんな状況ならそっちを考えちゃうわ……

 

 

 

914 名前:名無しの傍観者

 

事件については情報が少なすぎてほとんど分からないが少なくとも分かることが1つある、警察と政府は何かを隠してるってことだ

 

 

 

915 名前:名無しの傍観者

 

ともあれこれ以上情報が出ないなら、事件も終息したわけだしこのスレも終わりか

 

 

 

916 名前:名無しの傍観者

 

このスレで終わりかね?

 

子供達が帰ってきてめでたしめでたしでお終いにしとくか

 

 

 

917 名前:名無しの傍観者

 

まあ他の国、特に発展途上国なら子供が少しいなくなるくらい普通だろうし、戻ってきて良かったわ

 

 

 

918 名前:名無しの傍観者

 

なによりも報道でこの事件だけ取り上げられることもなくなると思えば嬉しいわ

 

テレビで見るのも飽きて来てたし

 

 

 

919 名前:名無しの傍観者

 

残りのレスも少ないし、お前らの暇を潰すために1つ教えてやるよ

 

 

 

次はもっと大きなことをする、お疲れ

 

 

 

 

 

――――以降、こんな919の発言はただの狂言と受け取られ、このスレッドが終わるまでの間、話題に上がることは無かった。

 

 

 

この発言が真実かどうかは、結局誰にも分らないまま次の犯罪事件が産み落とされる。

 

 

 

 

 

 

 

 



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はじめての犯罪捜査

 

 

 

――――この世は想いに満ちている。

 

それが悪性か善性かの違いはあれども、世界を満たしている人の想い。

 

それこそが人間社会をまわすエネルギーだ。

 

 

 

より良い生活のために、より良い快楽のために。

 

そんなことを追求するから人の技術は進化していくし、そんなものを追求するから争いが生まれていく。

 

良い方にも悪い方にも転ぶから、一概に必要かどうかなんて断言はできないけれど、今この時に限って言えば、はっきり言えることがある。

 

 

 

神楽坂さんの想いは、執念深くめんどくさい。

 

 

 

 

 

「次は、これなんてどうだ? 轢き逃げ事件で、被害者がいるものの逃げた車両がいつまでたっても出てこない。目撃証言はいくつもあるのに、証言の車両が1つだって出てこないんだ。この事件は異能が絡んでいたりは」

 

 

 

 

 

次なる1枚物の資料を私に手渡して、事件詳細を口頭でも説明した神楽坂さんの、期待を孕んだ目に、少し怯みつつも私は断言する。

 

 

 

 

 

「……全然関わってないですけど、まさかこの事件も未解決なんですか? ……マジですか?」

 

「…………そ、その確信はどこから来るんだ? 事件概要しか見てないのにどうしてそんなに断言できる?」

 

「いえ、事件概要とそれを理解している神楽坂さんの思考を読み取ればおおよその詳細は掴めますし、その上でこの程度の非科学的要素では異能は少しも関わっていないと自信を持って言えます」

 

「い、いやそれでも現に警察が捜査能力を駆使してなお解決できていない事件だ。君の力に疑いを持っているわけじゃないが、書面を見ただけでここまではっきり違うと言われてもだな」

 

「…………」

 

 

 

 

 

なおも噛みついてくる神楽坂さんに、口を噤んだ私は何というべきかと頭を悩ませる。

 

 

 

今現在、私は休日に神楽坂さんと待ち合わせを行い、彼が持ってきた事件を話しているところであった。

 

異能が関わる事件であれば、世間に悪意を持つ異能者は私としても放置しておけない。

 

特に、先日まで起きていた誘拐事件に関わっているようなものであればなおさら……なのだが、それ以外の普通に事件にまで対応する義理は私にはない筈だ。

 

私は別に、この世全ての犯罪を裁いて見せると意気込むような正義感溢れる少女ではない。

 

 

 

私と協力して解決する事件を決めようと、これは、と言うものを神楽坂さんが選別して私の元へと持ってきてくれはしたのだが、彼が持ってきた4つの事件は幸か不幸か、何の変哲もない普通の事件ばかりだった。

 

 

 

……まあ、当然と言えば当然なのだ。

 

 

 

 

 

「そもそも異能を持つ人なんて滅多にいるもんじゃないんです。正確な確率は分かりませんが、1つの国に10人も居ればいい方なんじゃないですか? 何でもかんでも解決できない事件に異能が関わっているなんてあるはずもないです」

 

「それは……そうかもしれないが……」

 

「結構大きな日本でも碌に異能について把握されていないんですし、実際に犯罪に使えるくらいの有能な異能持ちが犯罪に関わるメリットも少ない。むやみやたらに事件を漁ったって、異能持ちが関わっているものを引くのはかなり低い確率だと思いますよ」

 

「…………なるほど」

 

 

 

 

 

私だってブイブイ言わせていた中学時代ですら他の異能持ちと直接対峙することは無かったし、なんならこの前の“紫龍”との闘いが初めての異能持ち同士での戦いだったりする。

 

そのせいで極度に緊張してしまい、劣勢になった時はちょっと泣きかけたが……それくらい異能持ちの人間は珍しいし、異能持ち同士がやり合うなんて普通はありえない。

 

戦国時代に天下統一でも目指してれば話は違うのだろうか?

 

 

 

難しい顔をした神楽坂さんは、気楽にパフェをつつく私とは裏腹に難しい顔をする。

 

 

 

 

 

「だが、実際君も見ただろう。誘拐された子供達がいた場所を、残っているものでどんな研究をしていたのか判明する資料や証拠は何もなかったが、あれだけの子供を収容していたあの場所はまるで……研究所のようであった。あれだけの設備、それを運営するだけの人脈。そして“紫龍”と言う異能持ちが協力していた組織だ、目的は分からなくとも多くの異能が関わっていることは間違いない。そしてそれは国家転覆規模の大きな目的を持っている可能性が高い」

 

「……ちなみに私は勧誘とかされてないです」

 

「ああ、それは安心した。奴らは君の事を把握していないと言うことだろう」

 

「まあ。私、凄くコソコソとしてきましたし」

 

「ともかく、だ。そんな大規模な設備を有する集団が誘拐事件だけで終わっている訳がない。そうなると、俺としては可能性があるものは1つでも探っておきたいんだ」

 

「それは、まあ、そうですけど……」

 

 

 

 

 

誘拐事件を解決し、まだ見えぬ組織へ打撃を与えたあの夜。

 

時間を置かずに子供達を捕らえている場所に突撃した私達だったが、そこに残っていたのは見るからに深い事情を知らない下っ端と被害者である子供達のみで、有力な資料はほとんど残っていなかった。

 

 

 

どの段階で私達の攻勢が相手方に勘付かれたのか。

 

情報伝達が優秀か、予知に関する異能を所有しているのか、それともその両方か。

 

私達が一方的に打撃を与えただけでなく、いまだ全貌が見えないこの相手は酷く厄介だと思い知らされることとなった夜でもあったのだ。

 

あの暴行男のいた会社も周りにいた奴らも、尻尾きりできる程度の奴であったようで、組織の核までは辿り着くことが出来なかった。

 

あくまであいつらは、日本における誘拐事件を任されていただけの存在だったという訳だ。

 

 

 

つまるところ、組織の規模や相手が何を目的としているのかすら、私達は掴めていない。

 

 

 

 

 

「正直、君が敵側にいないと言う点には感謝しかない。君のような子が敵にいたらと思うと、ぞっとする」

 

「……まあ、人の心を読めるのなんて厄介極まりないですよね。でも、私は基本人畜無害なんですよ?」

 

「…………それで話を戻したいんだが」

 

「え、その間はなんですかっ……!? う、嘘でしょ全然信頼されてないんですっ……!?」

 

 

 

 

 

そもそも勧誘を受けたところで、平和に日常を謳歌したい私は二の句も告げさせず断ったうえで、それ以上追跡できないように私に関する情報抹消に勤しんでいただろうから関係ないのだが。

 

 

 

私の擬態が上手くいっていたのか、それとも取るに足らない雑魚異能と思われたのかは分からないが、それらからのコンタクトは今のところ受けていない。

 

それはそれとして、話をもとに戻すことにする。

 

 

 

 

 

「はぁ……例えばです。この事件、轢き逃げですか。これが起きた場所はここからすぐ近くの道路ですけど、発生した時間は1か月前の夕方頃。通行人も少なくなくて、目撃者だって同じです。要するに、大勢の人が人を轢いた車を認識しているんです。車両って1つひとつ登録やらなにやらされてますよね? 車種とか分かれば持ち主が誰かくらいは分かるようになっていますよね? それでも目撃証言に合わせて調べても、持ち主が出てこない。つまり、特定された車が間違っているか、登録すらされていないかのどちらかになる訳です」

 

 

 

 

 

神楽坂さんが目を白黒とさせているが関係ない。

 

このまま言い切ってしまう。

 

 

 

 

 

「この事件を異能で誤魔化すには、そもそも登録されていない車自体を作るような力を持っているか、大勢の人の認識を誤魔化すような大きな力を持っているかの2つになります。前者は、そんな力があればそもそもこんな突発的な事件で発覚するようなものではなく、裏取引などで出所の分からない物が出回っていると話題になるはずで、後者は、そんな大きな出力で異能を使えば近くに住んでいる私が絶対に気が付く筈だからです。よってこの2つの可能性はありません」

 

 

 

 

 

異能を使えば異能を持っている人はすぐに気が付く、という訳ではないが、少なくとも多くの人を惑わすような大きな出力のものを、探知型の異能である私が見逃す可能性は無に近い。

 

そこまで説明しても神楽坂さんはまだ納得がいかないようで噛みついてくる。

 

 

 

 

 

「ま、待て。そこまで不可思議な点があって異能が関わっていないなら、なぜこの事件は全く進展ないままなのかっ、それがおかしいだろう!?」

 

「そんなの簡単です。それなりの金と権力を持った奴が、登録されているリスト自体を消したか、調べる側の警察官に便宜を図ってもらったか、それで終わりです」

 

「ば、ばかな……そんなこと……」

 

「無いとは言い切れないでしょう? 神楽坂さん、結構そういう後ろ暗い事情を見たことがありますもんね」

 

「――――……」

 

 

 

 

 

汚いものを見つけた潔癖症のように、神楽坂さんは顔を暗くする。

 

ベテランの警察官はこういうのには慣れていると思ったのだが、そうでもないのだろうか。

 

ここまでで手元にあるこの事件が異能の関わらないものだと説明をし、協力する気がないと言う姿勢を見せた。

 

しかし、いくら説明して、私だけで確信していても、そう簡単に納得できないのも事実だろう。

 

 

 

……私たちはお互いにお互いの理解がないまま協力できるような関係ではない。

 

多少の譲歩は私にも必要だろうか。

 

 

 

 

 

「むう……私も神楽坂さんのことを知らないように、神楽坂さんも私のことは全く分からないですもんね。私の確信に疑問を持つのは当然ですか……仕方ありません。能力のアピールを兼ねて1つ事件を適当に解決しましょうか」

 

「……適当に解決って……事件を少し甘く見すぎていないか。言っておくが、警察が真剣に捜査して解決できていない事件だ。人よりも少し優れた部分があろうと、そう簡単にどうにかなるものでは無いぞ」

 

「神楽坂さんこそ、私達、異能持ちのこと甘く見すぎていませんか? あれだけ一方的にぼこぼこにされていたのにまだ懲りていないなら、正直付ける薬はないと思うんですけど」

 

「ぐっ……君は遠慮なく痛いところを突くな。だ、だがな、正直まだ君がどの程度まで出来るのか分からない部分が多くてな。協力を願い出た身としては君の安全は最重視したい。俺としては無理はさせたくないんだ。それに異能と言うものに対する理解が及んでいないんだよ、先日捕まえた“紫龍”とやらの力も、今なお煙を使う以外分からない部分ばかりだからな」

 

 

 

 

 

私の身の安全を考えてくれているらしい。

 

警察官と言うのはそういうことまで気を遣わなくてはいけないなんて、大変だと思う。

 

 

 

 

 

「そういえば捕まえた“紫龍”は何か手がかりになるようなことを吐きましたか?」

 

「なんにも。公妨でしか逮捕できなかったからあまり変な方向から強く問い詰めることも出来なくてな……正直、異能と言う力の詳細も君だよりなんだ」

 

「むむむ……仕方ありません」

 

 

 

 

 

ここはひとつ、異能について少し知ってもらう機会が必要か、なんて考える。

 

 

 

1つ曲芸でも見せつけよう。

 

そう考え、私は10円玉を財布から取り出して彼に見せた。

 

 

 

 

 

「神楽坂さん、視ててください。今私の手のひらの上に硬貨がありますね?」

 

「それは見たらわかるが……もしかして、力のデモンストレーションでもしてくれるのか?」

 

「そういうことです。しっかりとこの硬貨から目を離さないでくださいね」

 

 

 

 

 

ピンッと、テレビでやる手品師のように宙高く飛ばした硬貨は。クルクルと回転しながら宙を舞い、かっこよくキャッチしようとした私の手をすり抜け地面に落下した。

 

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 

唖然とした顔になった神楽坂さんを見ないようにしながら、私は落ちた硬貨を慌てて拾った。

 

 

 

 

 

「さあ、どっちの手に硬貨があるでしょうか?」

 

「君のメンタルは強靭だな!?」

 

 

 

 

 

何を言っているか分からない。

 

 

 

 

 

「いいから、早く答えてください。ほら、ほらほらほら」

 

「くっ……拾う場面がしっかり見えていたんだから間違えるわけがないだろう。右手」

 

 

 

 

 

正解だ。

 

渋々答えた神楽坂さんの回答に頷く。

 

それに対して神楽坂さんは一切喜びを見せない、当てたんだから少しくらい喜んでもいいのに。

 

 

 

それで、とせっかちな神楽坂さんに先を促され、反応の薄い彼に本命の質問をすることにする。

 

 

 

 

 

「正解です――――では、私の手の中に納まっている硬貨はなんですか?」

 

「は……?」

 

「最初に見せましたよね、私が握った硬貨の種類を。1円か5円か10円か50円か、100でも500でも良いですよ。何だったか覚えていますよね?」

 

「そんなの1()0()0()()()だろう?」

 

「いいえ、違います」

 

 

 

 

 

聞くまでもないだろうと面倒そうに答えた神楽坂さんに首を振る。

 

右の手のひらを開いて、そこにある10円硬貨を見せる。

 

 

 

 

 

「私が投げたのは10円玉ですよ」

 

「――――は?」

 

 

 

 

 

最初に見せた時と全く同じ構図で、見間違えるはずもなかった状況だ。

 

一瞬呆然とした神楽坂さんは、目を見開いて身を乗り出した。

 

何度見ても、私の手のひらにある硬貨は変わらない。

 

 

 

 

 

「ば、馬鹿な。俺は確かに、100円玉を見たはずだ……」

 

「意識を硬貨の内容から逸らしましたよね? 硬貨の行き先だけに意識を向けましたよね? 私の力は人の精神に干渉すること、意識外の認識を別のものに誘導することくらいなら簡単にできます」

 

「…………以前君の家に押し入った男が無力化されていたのは」

 

「ええ、これを使って、彼の認識を書き換えました。今は真面目に、改心して、別人のように精力的に働いているんじゃないですかあの人……ふふ。で、こんな感じで自衛は出来るので私に及ぶ危険はそれなりに回避出来ると思いますよ」

 

「……」

 

「あっ、ちょっと、黙らないでくださいっ。言っておきますけどこれほんと子供騙しみたいなもので、武器で殴られれば一発で動けなくなる程度にひ弱なのでっ……! ほんと調子に乗れるようなものでは無いのでお願いだから過信はしないでくださいお願いしますっっ」

 

 

 

 

 

険しい顔をして黙った神楽坂さんに、ほんの少しだけ不安になる。

 

まさか、こんな便利な力なら自分の身くらい自分の力で守れとか言い出さないだろうか?

 

そんな無責任なことを言う人ではない筈だが。

 

 

 

 

 

「……なるほど。君の力は十分わかった」

 

「あ、はい、分かっていただけたら何よりです」

 

 

 

 

 

不穏な空気を何とか誤魔化すために、本題に入る。

 

 

 

 

 

「では、未解決事件を1つ解決してみましょう。やっぱり詳細を聞いた轢き逃げ事件が良いですか? 確かに悪質なものの匂いがしますし、ここら辺が良いですかね? 神楽坂さんはどう思いますか?」

 

「好きにしてくれ……」

 

「ふふふ、ここからちょちょいと事件を解決して、さらに他の人との格の違いを見せてあげますから楽しみにしててください。それはもう大船に乗ったつもりで」

 

「……ふう、そうだな。そうさせてもらおうか」

 

 

 

 

 

――――という訳で、神楽坂さんの許可も貰ったので、私の初めての事件捜査が始まった訳だ。

 

 

 

今日1日で解決して見せようと、私は意気揚々と神楽坂さんを連れて街中に繰り出した。

 

まずは、事件現場に手を付け、周囲一帯の通行者の思考を軽く読みながら近くを歩き回った。

 

次に、情報を握りつぶしたであろう人を探すために、担当した警察の部署の人達にこっそりと近寄り、気付かれない程度に探りを入れたりもした。

 

そうやって色々と手立てを考え、私の思いつく限りの手を尽くしたと言える。

 

頑張った、私は必死に頑張ったのだ。

 

 

 

けれど結果として、色々と時間をかけて情報を仕入れたものの、犯人に辿り着く決定的な情報は出てこなかった。

 

 

 

……まあ、何の成果も得られなかった訳である。

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

「あれ、じゃないが」

 

 

 

 

 

自信満々だった私に、日が暮れるまで振り回された神楽坂さんは疲れたような顔で私を見ている。

 

 

 

 

 

「さっきまでの自信はどうしたんだ。まさか分かりませんとは言わないよな? まさか、自分達はレベルが違うんですみたいな事を自信満々に言ってたのに、何も出来ませんでしたとかないよな?」

 

「い、いえ、ここからですし? ここまで調べた場所では有力な情報を得られないという情報が分かりましたし」

 

「それは…………まあ、大切だな」

 

「ですよね!? ここから、これまで集めた情報から導き出される最良の手を考えて実行するのが大切です!」

 

「ほう、それで次なる一手とは?」

 

 

 

「………………び、びら配り?」

 

「………………」

 

 

 

 

 

神楽坂さんの目が死んだ。

 

私とお揃いである、わーい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

犯罪者が収監される場所は基本的に静かだ。

収監されている者の中にはどれほど危険な奴がいるか分からないし、少しでも危機感を持てる者ならば、そんな場所で騒いでやばい奴に目を付けられないように努力する。

 

けれど当然、それに当てはまらない者もいる。

1つは、自分に絶対の自信を持っていて、目を付けられたとしても返り討ちに出来ると言う自信を持っている者。

もう1つは、初めて収監されて、そういう知識や危機感を持っていない者だ。

 

 

 

 

「ああ、かったりぃなこの豚箱の中での生活はよ」

 

「へへ、でも兄貴は流石っすね。こんな状況なのに平然としてる。肝の据わり方が俺らとはチゲーっすよ!」

 

「ふ。まあな、ここでの過ごすことになるのももう3度目だからな。3度目の正直ってやつだ。何か分からねえことがあれば俺に聞け」

 

「流石兄貴っ! かっこええ!!」

 

「はははは! なんたって俺はそこら辺の犯罪者とは比較にならねぇ大悪党だからな!!」

 

 

 

「――――うるせぇぞボケナス共!!! 豚箱らしく次の飯に虫の死骸をぶち込んでやろうか!!?」

 

 

 

 

 

「「す、すいやせん……」」

 

 

 

 

 

檻の中で騒いでいた大男達が大きな体を小さくして大人しくなる。

 

それを見届けた看守が去っていくのを確認して、2人は汗を拭った。

 

 

 

 

 

「こ、こええ。ここの看守まじヤクザっすよ。ねぇ兄貴、昔から看守ってあんな感じなんすか?」

 

「……いや、昔はもっとやばかった。今の奴は虚勢を張ってるだけだ。1人暴れれば何の対処もできない平和ボケ野郎さ」

 

「さ、流石兄貴!」

 

「だが、逆らうのは得策じゃねえ。今は大人しく静かにしておこうか」

 

「きっちり未来も見据えているんすねやっぱり兄貴はちげえや!」

 

 

 

「……おい、アンタら。本当にうるさいから少し黙っててくれ。こっちは早く寝たいんだ」

 

 

 

 

 

無機質な牢屋がまた騒がしくなり始めたのを好まなかったのか、別の牢に入れられている者から声が掛けられた。

 

能天気な会話をしていた2人だが、警察に捕まるほどの犯罪を犯した者達でもある。

 

そんな不快な言葉を吐いてくる奴にはそれ相応の対応をしようと血気盛んに牢に掴みかかったまでは良かったものの、声を掛けて来た相手を見て顔を青くする。

 

 

 

 

 

「な、なんだ……あんたもここに入れられてたのか“紫龍”」

 

「チッ……」

 

 

 

 

 

不機嫌そうな舌打ちが、牢の隙間から聞こえて男たちは震え上がった。

 

無法の行いを数々やってきた男達だが、そんな彼らでも逆らえぬ生物の法と言うものがある。

 

 

 

強さだ。

 

 

 

古くから続く絶対的なその格差は、なによりも上下関係を決める指針となりえ、そして容易くは覆しがたい壁を作り続けている。

 

同じ仕事を請け負い、多少なりとも関りがあった彼らは“紫龍”と呼ばれる男の恐ろしさを良く知っていたし、自分達がいかに武器を手に入れたところで敵わないことは理解していた。

 

 

 

しかし、だからこそ男達は分からなかった。

 

 

 

 

 

「アンタほどの力を持った奴も捕まるもんなんすねー。いや、世の中分かんねぇもんだなぁ」

 

「ばっ、馬鹿! すいやせん“紫龍”さん、あんたの力を侮ってるわけじゃないんでさぁ」

 

「……くそ忌々しい。黙ってろ」

 

「ひぇ」

 

 

 

 

 

“紫龍”は腹立たし気に懐をあさる動作をするが、当然求めていたものはない。

 

そもそもそれがあればこんな場所からはとっくに逃げ出しているのだ。

 

 

 

 

 

「ッッ……あんの忌々しいクソガキがっ……」

 

 

 

 

 

苛立ちをぶつける様に吐き捨てたが。実をいうと最後の瞬間はよく覚えていない。

 

だからあの場所で、完全に優位に立っていた筈の自分がなぜいきなり意識を失うことになったのか全く分からないし、あの警察官や少女がなにかをしたという証拠もないわけだが、彼らに怒りをぶつける以外に適当な奴がいないのだ。

 

 

 

 

 

(なんで俺が負けたんだっ? 異能を持つ俺が、なんで何も持たないあんな奴にっ……)

 

 

 

 

 

ここに押し込められてから考えるのはそんな事ばかり。

 

激しく傷つけられた自尊心と誇りが、燃え立つ火炎のように胸の中で渦を巻いている。

 

 

 

 

 

(ともあれ、早く煙草を手に入れてここを脱出しねぇと。大丈夫だ、こいつらは俺の力を全く信じちゃいねえ。あのクソ刑事が何を吹き込んだかは知らねぇが、やっぱり周知はされてねえみたいだ。なんとかおこぼれを貰う形に持っていけば……?)

 

 

 

 

 

重苦しい空気の中、カツンッ、と牢の並ぶ通路に響いたのは高級そうな靴の音。

 

不審に思った“紫龍”は息をひそめ、そっと牢の隙間から外を窺えば、厳格そうな顔をした男が部下や先ほどの看守を引き連れて、品定めするように牢屋を覗いて歩いていた。

 

 

 

どう見てもこんな夜中に来るような階級の奴ではない。

 

 

 

 

 

(なんだありゃあ……)

 

 

 

「へ、へへ、それでこんなところに何の用でしょう? ここには罪人しかいませんし、まともに接待をできる環境があるわけではないのですが……」

 

「ここに、柄の悪い、余罪が多くある奴がいるだろう? それはどいつだ?」

 

「は……? はっ、そ、そうですね、それでいうとここの2人の大男ですかね、あの世間を騒がせた児童誘拐事件の受け子をやっていたと思われる奴らでして、少なからず裏社会に通じていた形跡があります。余罪も色々と出てくるでしょう」

 

「ふむ……」

 

 

 

 

 

悪意に満ちたような男の視線を受けて、先ほどまで騒がしかった男達は震え上がっている。

 

“紫龍”も、取引相手の幹部にいた果てのない欲望を抱えた奴らと変わらない雰囲気を携えている偉そうな男を見て、背筋が凍る。

 

 

 

 

 

(おい、おいおいおい嘘だろ。警察の幹部だよなありゃあ。警察の幹部がなんであんな裏社会でも最悪の部類に入りそうな雰囲気を纏ってるんだよ……ありゃあ、日常的に犯罪を犯してる奴の目だぞ……)

 

 

 

「こいつで良いか」

 

 

 

 

 

ぽつりと呟かれた言葉の真意を“紫龍”は分からなかったが、良くないものだということだけは理解できた。

 

先ほどまで恨みを募らせていた警察官の、何とか犯罪者を取り締まろうとしている姿が聖人に思えるほど、目の先にいる警察官の上司であるはずの男は腐りきっている。

 

もう“紫龍”の頭の中に、神楽坂への恨み言を考える余裕なんてない。

 

 

 

 

 

「ゴミ溜めの犯罪者の余罪が1つ2つ増えようが、世間は興味などない。そうだろう?」

 

 

 

 

 

引き攣った笑いを浮かべる看守とは裏腹に、その男が連れていた部下達は心底面白そうに笑い声をあげていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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ありふれた事件

本当にひどい話と言うのはこういうことを言うのだと思う。

 

 

 

 

 

「……み、皆さんの中に、1カ月前のこの場所で起きた轢き逃げ事件についてご存じの方はいませんかー? ご協力をお願いしますっ、どんな情報でも良いんです。どうか私に何か知っていることを教えてくださいー!」

 

 

 

 

 

ちょっと心が読める年頃の女子高生佐取燐香は、貴重な休日を使い、街中でビラ配りと言う名の情報収集に勤しんでいた。

 

 

 

朝っぱらからこんなめんどくさいことを言っているのは他ならない私自身だ。

 

本当はアルバイトでもしようとしていた休みの日。

 

大概の人がゆっくりとする筈の朝早くから、私は自作したビラを持って、実際に事故のあった現場近くの人通りの多い場所でビラ配りを行っている。

 

 

 

誰とは言わないが、あれだけ「手伝ってくれ、なんでもする」なんて聞こえの良いこと言っておいて、私が地道なビラ配りを提案すれば明日は仕事があるからと、私1人に押し付ける大人が世の中にはいることを純粋な子供達はよく覚えておいてほしい。

 

正直、異能の能力アピールを神楽坂さんにする本来の目的から見ると割に合わない気がしてきた。いや、昨日1日で解決できるだろうと思っていた私も悪いのだが……。

 

 

 

ともかく、今は神楽坂さんと言う大人がおらず、見るからに子供の私がせっせとこんなことをやっていれば、暇を持て余したお節介焼きさんは勝手に寄ってくる。

 

やれ、「何をしてるの?」「親御さんはどこにいるの?」「飴ちゃんいる?」などと様々だが。

 

買い物袋を提げたおばさんや通勤途中のサラリーマン、大学生くらいの若者に、井戸端会議をしていた年寄りだったりと結構多い。

 

 

 

残念ながら今のところそうやって私の身を案じて寄ってきた人達は誰も事件について知っている人はいなかった。

 

ほとんどが私の事情や安全を心配しての、純粋な善意で話しかけてきた人達。

 

気持ちはありがたいのだが、別にやむにやまれる事情なんてないし、逆に心配を掛けていることが心苦しかったりする。

 

 

 

で、そんな風に時間を過ごしていれば、昼頃となれば私の手持ちには手作りビラ以外にもお菓子や飲み物などがずらりと並んでいる状態となってしまった。

 

有益な情報は無し、ただし食料は沢山確保完了。

 

本末転倒とはこのことだろうか。

 

 

 

 

 

「うう……全然情報無いですし、あんまり大きなことを言うべきじゃなかったです……。」

 

 

 

 

 

懸念と好奇心、あるいは少しの下心。

 

そんな感情を持った人ばかりが声を掛けてくるせいで、この場所での地道な情報収集の効率さえ考え直しはじめる。

 

 

 

地味に暖かくなり始めたこの時期に道路の隅でビラ配りするのはそれ相応の体力が消費される。

 

私の体力なんて穴の開いたバケツと同じようなものだから基準になんて出来ないだろうがつらいものはつらい。

 

 

 

 

 

「す、少し休憩を……」

 

 

 

 

 

ビラを配り始めて2時間と少し、朝早くからしていたビラ配りに結構早めの昼休憩に入る。

 

項垂れる様に近くの公園にあるベンチに腰掛け、持ってきていた水筒に口を付けつつ、周りに並べたお菓子に惹かれて近付いてきたチビ達に消費させる。

 

いや、毒とか入っていないのは分かっているが、知らない人に貰ったものとか私は口にしたくないのでこの何も考えてなさそうなチビ達の存在は正直ありがたい。

 

 

 

それにもう少しで身体測定があることだし、年頃である私だって体重はそれなりに気にもなったりする。

 

 

 

遅れて来た親御さん達に群れと化していたチビ達を押し付けて、もう1度ビラ配り作業に入ろうと腰を上げたところで、懐の携帯電話が震えた。

 

神楽坂さんからのメールだった。

 

 

 

 

 

『送信者:神楽坂おじさん

 

件名:ひき逃げ事件解決

 

 内容:かなり疑いの強い被疑者が見つかった。もしまだビラ配りをしているなら切り上げてくれ。無駄足させた借りはまた次の週末にでも』

 

 

 

「……へ、へえ。解決……ですか」

 

 

 

 

 

言葉にしてみれば陳腐なものだ。これだけあくせくと働いて、終わってしまえばほんの2文字で片付いてしまう。

 

 

 

どんな風に話が進展して未解決だった事件が解決したのかは分からない……が、被害者が不安を抱えたまま過ごす日々が終わった訳なので、きっとこれ以上の結果はないだろう。

 

犯人も捕まって、警察の隠蔽と言う疑いも晴れて、被害者の心も晴天のように晴れ渡る。

 

 

 

良かった良かったこれにてこの問題は終わり……なんて、到底許せなかった。

 

 

 

 

 

「ふ……ふふ、この私が無駄骨を折る……? そんなの許しません……この事件は絶対に別の犯人がいます……絶対に、警察が隠蔽しているんですぅ……!」

 

 

 

 

 

でないと、私のせっせと作ったビラも、早起きしてお父さんが出社するよりも早く家事を始めたことも、この2時間アホみたいにビラを配ったことも、全部無駄だったことになりかねない。

 

そんなことは絶対に許されない。

 

 

 

 

 

「っっ――――だ、誰か、この事故について知っている人はいませんか!? す、少しでも、どんな情報でも良いんですっ! あ、そこのお綺麗なお姉さんっ、なにか……あ、知らない? じゃあ、知っている可能性がある知人とかは――――」

 

 

 

 

 

休憩なんてしてられない。

 

ここからは私の持てる全てを注ぎ込んで、真犯人の解明に全力を尽くしてやるのだ。

 

ついさっきまで近くにいた親子が逃げる様に離れていくのを横目に、私は抱えたビラの束を撒き散らしに走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………佐取の奴、家に帰っただろうな。流石に補導されてくるあの子は見たくないぞ」

 

 

 

 

 

出署して、いつも通り新しく出てきた問題を解決しようとデスクに座ってから間もなく、あの子と調べ始めた事件の犯人が見つかったとの情報が回ってきた。

 

なんでも犯人は以前捕まえた誘拐事件の関係者だ。

 

裏社会の仕事になんて関わっていれば余罪なんて色々と出てくるだろうし、そこは別段不思議でもないし、事故の証拠などを消す方法も、長い間裏社会で生きてきた連中ならいくらでも知っているだろう。

 

証拠も出てきて、証言とも一致する。役満、犯人確定だ。

 

だからこの事件の捜査はこれで終わり、署内で行われていた捜査の担当していた者達も順に撤収を始めている。

 

 

 

 

 

「ま、ありきたりな終わり方だろう。犯人はすでに檻の中にいました。ここまでスムーズに事が運んでくれれば世話はねえ」

 

 

 

 

 

交通課に配属されてもう結構経つ。

 

だから似たような事件の終わり方はいくつか経験していた。

 

何の疑いも、何の不自然さもないほど正確に、事故の処理は淡々と進んでいる。

 

 

 

――――まるで、どうすれば疑われずに警察が処理するのか知っている者が糸を引いているかのように。

 

 

 

 

 

(俺の勘違いならいい。勘違いであるならそれが何よりだ……しかし――――)

 

 

 

 

 

見えない力で証拠が掻き消されたと思う程の、長年事件を間近で見てきた神楽坂が異能を持っている者が関わっているのではないかと疑う程のこの事故が、本当にこんなありきたりな終わり方をするのだろうか?

 

 

 

『――――結構そういう後ろ暗い事情を見たことがありますもんね』

 

 

 

なんて、昨日言われた彼女からの言葉のせいかそんな事ばかり考えてしまうのだ。

 

疑念が墨汁でできた染みのように、胸の中に広がっていくのを何とか無視しようとして、神楽坂は失敗する。

 

思考がどうしても、悪い方へと転がって行ってしまう。

 

もしも、もしもこれが警察が真実を隠蔽しようとしているのなら。

 

 

 

 

 

「せんぱーい☆ 休憩長くないですかぁ? あ、隣座りますね!」

 

 

 

 

 

きゃるるんと擬音が付きそうな声色で声を掛けてきたやかましい新人は、飲み物片手に休憩していた神楽坂の隣に当然のように座った。

 

うるさい奴が来たと、神楽坂が空き缶を握りつぶすのも構わず、飛禅飛鳥(ひぜん あすか)はいつも通りの口調で話しかけてくる。

 

 

 

 

 

「さっきは驚いちゃいましたねー。交通事故関係の捜査は私達の担当の筈なのに、いきなり上から犯人は捕まえた、証拠も揃っている、ですもんね。いやー、まいったなぁ。仕事する手間が省けちゃいました☆」

 

「……ああそうかい。仕事が減ってよかったな」

 

「またまたぁ、思ってもいないことをー」

 

 

 

 

 

仕事とは無関係のことばかり話されるのかと思いきや、神楽坂が考えていたことと同じことをこの女は話し始めた。

 

仕事減った、ラッキー☆。で終わるほどこの女の頭はすっからかんではないらしい。

 

 

 

 

 

「嫌な扱いですよねー。まともな鑑定も、照会もしてくれないのに、捜査は一方的に終わらせてくるなんて、どう考えたって嘗めてるとしか思えませんもんね、私達のことを☆」

 

「実際そうなんだろう。と言うか、こんな署の休憩室でそんな愚痴をこぼすな。誰に聞かれてるか分からないぞ」

 

「あはっ、先輩やっさしいー。でも大丈夫ですよ、周囲に人影はないことを確認してからここに来てますしぃ、なによりそういうの気にする人達は今別のことに必死ですからぁ☆」

 

「……別のこと?」

 

「えー、分かりませんかぁ? あれって先輩の差し金じゃないんですかぁ?」

 

「俺が、何を差し向けるってんだ。良いからとっとと話せ」

 

「嫌でーす☆ どうせすぐ分かりますよー」

 

「…………」

 

 

 

 

 

いちいち癪に障る、なんて青筋を立てる神楽坂の額に、今度は黄色のお手玉を押し付ける。

 

 

 

 

 

「そうカッカしないで下さい。ほら、黄色信号です。周囲を確認せずに飛び出すのは危険ですよ」

 

 

 

 

 

以前のシャリシャリとした感触ではなく、もっと固いものが中に入れられているような硬質な触感がある。

 

口調は先ほどの生ぬるいものではなく、どこか鋭利さを持ち、怒りのままに問い詰めるのは憚られた。

 

 

 

 

 

「お前……はぁ、お前なぁ。お前は面白いかもしれないが、こっちは訳わかんなくて腹立つんだ。そういう態度を他の奴に向けるなよ。敵を作るばっかりだからな」

 

「あはっ、私がこういう態度を取るのは神楽坂先輩にだけですよ」

 

「てめぇ……」

 

 

 

 

 

嘘つけ、と思ったが、口には出さない。

 

なんだかんだコイツは頭が回る、口げんかになったら勝てる気がしなかった。

 

 

 

 

 

「……んー、でもそっかぁ。あれは違うのかぁ。じゃあ、先輩は別にそういう事件を追ってるわけじゃないのかぁ」

 

「ああ? 何を言ってんだお前?」

 

「別にー。なんでもないですよー」

 

「はぁ? 何不機嫌になってんだ、不機嫌になりたいのは俺の方だぞ、おい」

 

 

 

 

 

グリグリと飛鳥の頭頂部に拳を押し付けて力を籠めれば、痛いです痛いです、なんて言いながら逃れようとする。

 

本当に口の減らない後輩だ。

 

こいつを面食いの藤堂の奴に指導を任せていたらまともに指導されないだろうし、これからは自分も積極的に指導に協力していこうかと考える。

 

 

 

 

 

「あ、そういえば先輩」

 

「あ?」

 

 

 

 

 

ふと、思い出したように鞄を漁る飛鳥が首の長いトカゲの様なぬいぐるみを取り出した。

 

 

 

 

 

「じゃーん、ネッシーのぬいぐるみ! ほら、この前作ってきますねって言ってたじゃないですかぁ。頑張って作ってきちゃいました☆ 凄いですよね? 欲しいですよね? じゃあ、しょうがないからあげちゃいます! どうぞー☆」

 

「あ、ああ。ありがとう……」

 

 

 

 

 

口撃のラッシュに気圧された神楽坂は、押し付けられたぬいぐるみを思わず受け取ってしまう。

 

 

 

自画自賛するだけあって、渡されたネッシーのぬいぐるみは精巧だ。

 

縫い目もしっかりしているし、目などのワンポイントもバランス良く違和感を感じない。

 

押し付けられるようにして手渡されたぬいぐるみを、どうしたものかと眺め、それでもせっかく作ってくれたものだと少しうれしく思う。

 

 

 

 

 

「……なんだろうな、別にお前の世話をしたつもりもないのにこんなものを貰って、少し罪悪感があるな。だが、素直に嬉しいよ。ありがとな」

 

「えへへー。まあまあ、これからいい関係を築きましょうっていう証にですよ☆」

 

「ああ、そうだな。これからは俺も藤堂の奴に任せきりにせずに、ビシバシお前に指導を入れていくよ」

 

「えへへへ……へ? え、まって、それは予想外。ごめんなさい、そんな指導はされたくないっていうか。今だけでも手一杯っていうか……」

 

「なーに、任せておけ。俺は本庁でもそれなりに、若い奴らをビシバシと指導してたこともあるんだ。臨時講師として警察学校にも呼ばれたこともあるしな。教えるのは得意だぞ、結構厳しいとは言われるがな。ははは」

 

「あ、あっれー? あ、あのあのあの、やっぱりぬいぐるみを返してもらうことって……」

 

「言っておくが……嘗めた態度をとっていたお前のことを、ぬいぐるみが無くとも熱烈に指導してやろうとは思っていたからな。覚悟しておけよ」

 

「…………あ、これはやばいやつですね☆」

 

 

 

 

 

大丈夫だ、こんなに肝の据わった奴はちょっとやそっとじゃ挫けない。

 

経験でそんなことは分っているのだ。

 

 

 

神楽坂は笑顔で誤魔化そうとしている飛鳥の頭をぐしゃぐしゃと掻き回しながら笑った。

 

「さて、そろそろ仕事に戻るか」と髪がぼさぼさになって涙目になった飛鳥を置いて腰を上げたところで、やけに入り口方向が騒がしいことに気が付いた。

 

 

 

 

 

「なんだ、やけに騒がしいな。何かの事件の犯人でも逮捕したのか?」

 

「……えーと、これはたぶんあれですよ。未成年の補導っていうか、なんというか……」

 

「は? 補導だと?」

 

 

 

 

 

なんで未成年の補導程度でそんな騒がしくなるのかと訝しげに玄関方向へと見やれば、どこか見覚えのある背丈の少女が署内でも中々悪名高いそこそこ高い階級を持つ奴らに連れられていた。

 

 

 

見覚えがあると言うか、ビラ配りするとか言っていた佐取燐香だった。

 

 

 

 

 

「…………えっ、嘘だろっ!?」

 

 

 

 

 

当初の不安が寸分の狂いもなく的中していたことに愕然とする。

 

 

 

 

 

「あー、やっぱり引っ立てられたかー。未許可だったんですねぇ、あの子。通勤時に見かけたんで、そんな申請出している人いたかと思っていたらやっぱりこうなりましたか」

 

 

 

 

 

公共道路でのビラ配り。

 

許可を取らないと一応犯罪にあたる。

 

 

 

 

 

「……しまった。必要だったなそんな許可。言うの忘れてたぞおいっ……!」

 

「やっぱり先輩のお知合いですか? 助け船出しに行った方が良いんじゃないですか。ほら、初めて補導されたのか、顔が煤けてますよあの子」

 

「ちょっ、係長に少し戻るのが遅れると言っておいてくれっ!」

 

「はいはーい、いってらっしゃいです☆」

 

 

 

 

 

ガタイの良いゴリラ系に囲まれた少女は捨てられた子犬の様な顔で、きょろきょろと周りを見回していて。

 

神楽坂は傷の治りきっていない体を酷使して、全力疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

取調室と言うと聞こえは悪いが、要するに事情を聴く場所として使用される。

 

どうしてそうなったのか、その事象が起きた前後の話、そんなことを軽く聞くときも使われるこの部屋は、一般人からするとあまり居心地がいい部屋であるとは言えないものだ。

 

特に人生経験の少ない、女子高生程度であれば不安でいっぱいになるだろう。

 

現に目の前の少女も、普段の落ち着きでは考えられないほど不安を覚え、しょげ返っている。

 

 

 

 

 

「わ、私、どうなるんですか? も、もしかして、学校に連絡がいって、退学になったりなんて……」

 

「い、いや、そんなことはないぞ! 君は別に悪意を持ってやったわけじゃなくて、ちょっとした擦れ違いからいけないことをしてしまっただけなんだ。だから、反省の色が見れればそんな大きな問題になんてならないからっ! 安心してくれ!!」

 

「う、ううう……」

 

「あー、その……だな。正直、済まないと思ってはいるんだが……形だけはやるぞ。ビラ配りに許可が必要だとは知らなかったんだな?」

 

「……知りませんでした……」

 

「うん、そうだよな。普通の学生がそんなこと知るはずないもんな、うん」

 

 

 

 

 

普段の態度は何処へ行ったのか。

 

見るからに弱弱しく落ち込んでいる協力者の少女にやりにくさを感じてしまう。

 

 

 

手早く必要事項の記載を済ませ、形だけの取り調べを終わらせていくが、こんなものはやりたくないのが本心だ。

 

だが、補導したゴリラ系……いや、階級だけはある頭空っぽ集団に無理を言って取り調べを変わってもらったのだ、せめて形だけでもやらなくては外聞が悪い。

 

燐香に対しては非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、神楽坂は内心で土下座しながら黙々と作業を進める。

 

 

 

明らかに悪意があった訳ではない、そんな燐香の様子に外から様子を窺っていた者達も拍子抜けしたように去っていく。

 

その様子をチラリと確認して、神楽坂はさっさと聞き取りを切り上げに入る。

 

 

 

 

 

「……大体、聞きたいことは終わったな。よし、反省したならいいんだ。次からは気を付けてくれ」

 

「はい……」

 

 

 

 

 

スンスンと鼻を鳴らす燐香の姿が痛々しく、居た堪れなくなっていく。

 

 

 

随分大人びた子だと感じていたから精神面では何も心配はいらないだろうと考えていたが、その認識は改める必要がありそうだった。

 

少し精神が大人びていたって、警察に補導されれば不安にもなる。

 

それが、かなりの進学校に通っている優等生となればなおさらだ。

 

 

 

何か温かい飲み物でも飲めば落ち着くかと考え、神楽坂がお茶を汲みに動いたところで、俯いて憔悴としている様子の燐香が口を開く。

 

 

 

 

 

「静かに聞いてください神楽坂さん。私、犯人と会いました」

 

「……なんだって?」

 

 

 

 

 

憔悴としてるにしてはやけに芯の通った声が神楽坂の耳に届いた。

 

黙って聞いてくださいと言った燐香の声は絶妙に小さく、近くにいる神楽坂だけに届いている。

 

俯いた顔に掛かる髪が邪魔で燐香の表情すら正面にいる神楽坂ですら窺うことは出来ない。

 

彼女の口が動いているのすら周りから判別できないことを思えば、彼女の話を理解しているのは神楽坂だけだ。

 

 

 

 

 

「軽薄そうな男、若い男でした。大学生くらいで、ビラを配っていた私に声を掛けてきたそいつは、私が誘いに乗らないと分かった途端に私のビラをゴミでも見るような目で見て、踏み捨てていきました。そのあとすぐにここの警察の人が大勢来て、私を連行していきましたので警察と深いつながりを持った人物です」

 

「……間違いないのか?」

 

「間違いありません」

 

 

 

 

 

弱弱しいように見える姿とは裏腹に、小さく吐き出される言葉はあまりに強い。

 

髪の隙間から覗く燐香の目は、死んだ魚を思わせる普段通りのものだ。

 

これまでの態度が全て演技なら、こいつは役者の才能もあるだろう。

 

 

 

 

 

「事故の発生から今日まで、事故処理を終えるまで犯人は自宅に軟禁されていたようです。ほとんど証拠も残っていない状態。けれど、今犯人扱いされてる身代わりが事故を起こしたと言う証拠を出すために、本当に事故を起こした車は出してくるはずです。流石に、状況に合わない要素が出てきたら疑いを持たれてしまいますから」

 

「……俺はどうすればいい?」

 

「いくら証拠を隠滅しようとしたところで、過去にあったことは変わりません。事故を起こしたのはたった1人です。真実を覆い隠そうとしたところで、絶対にどこかでボロがでる筈です。私達は明確な証拠を掴む必要があります」

 

「出来るのか……そんなことが、本当に?」

 

「絶対に出来ます。だって――――」

 

 

 

 

 

髪に作られた影の奥で、少女の口は弧を描いた。

 

 

 

 

 

「――――この事件に、超常的な力は何も関わっていないから」

 

 

 

 

 

神楽坂はただ口を噤んだ。

 

 

 

 

 

 



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心の手折り方

 

 

 

――――時間は少しだけ遡る。

 

公園で休憩を取ってからそれほど時間も経っていない頃。

 

突如として現れた警察官達に問答無用で補導される前、私は轢き逃げを起こした犯人に遭遇した。

 

 

 

見るからに遊んでいる大学生と言った風貌で、公園の近くでビラを配っていた私に対して気持ちの悪い下心を内心に抱いて近付いてきたのがきっかけだった。

 

 

 

 

 

「ねえ、君大変そうだね。お兄さんも手伝ってあげようか」

 

「……」

 

 

 

 

 

ニコニコと、一見すれば悪意を感じさせない笑顔を浮かべ、良くできた甘い仮面の下ではドロドロに蠢く欲望を滾らせて。

 

私が配っているビラに書かれている、自分の犯した事故のことなど記憶にも残っていないのか、警戒1つせずに私に寄ってきて声を掛けてきた。

 

 

 

ようやく親の軟禁から解放された、あんな奴ら轢いたところでなんで俺がこんな窮屈な想いをしなくちゃいけないんだ、なんて。

 

そんなことを考えていた男が私に寄ってきた時、正直言えば私は驚いていた。

 

犯人が近くを通ったとしても、自身が犯人の事故のビラ配りになんて近付かないのが普通なのだから。

 

目撃者や被害者家族にでも会えればと思って始めた活動で、まさか犯人から近づいてくるなんて安易な予想はしてもいなかった。

 

 

 

 

 

(うわぁ、きもっ……とはいえ、情報源としてはこれ以上ないし、ある程度情報を搾り取らないと。まずは、コイツの理想を演じるために思考を読み取って……“お淑やかで気弱な少女”……わ、分からない)

 

 

 

「あはは、警戒させちゃったかな? ごめんねいきなり声を掛けて、とっても可愛い子が頑張って声を出しているのが見えて気になっちゃって。」

 

「えっと……あの、可愛いなんて……ありがとうございます。でも、どうしても情報が欲しくて……」

 

「ふうん、そんなにそのビラが大切なんだね。偉いなぁ。両親に頼まれたのかな? 長い時間ここら辺で配っていたから疲れたろう? お兄さん結構お金持ちだからお金は出すよ、近くのカフェで少し休まないかい?」

 

 

 

 

 

言葉巧みに人をかどわかし2人だけになれる場所に連れ込もうとする、典型的な下半身で物を考えるタイプの男。

 

実際、甘いマスクをしてお洒落にも気を遣ってそうなこの男の外面だけしか見なければ、まんまと着いていってしまう人もいるのだろう。

 

それくらい、この男の雰囲気は女慣れしている。

 

 

 

 

 

「カフェ、ですか? い、いえ、見ず知らずの方にお金を使わせる訳には……それに、まだ全然ビラも配り終えていませんし……」

 

「そうかな? 自分の体にも気を遣って、適度に休みを入れた方が良いと思うけどなぁ」

 

「とっても、ありがたいんですけど。私、明日から学校ですし、今日中にこれを配っちゃわないとで……」

 

 

 

 

 

…………お淑やかってこんな感じで良いのだろうか?

 

正直、こんな奴の理想に合わせるのは業腹ではあるから、少し違っても良いかと言う投げやりな気持ちもある。

 

 

 

で、私の猫かぶりはどうやらこの男に効果抜群のようで、さらに男の目は欲望に滾り、ぐいぐいと誘いを入れてくる。

 

 

 

 

 

「いいじゃないか、少しの時間だけでもさ。なんならそのビラを一緒に配ってもいい。ほらほら、すぐそこに良い店を知ってるんだ。遠慮せずにさぁ」

 

「い、いえ、あの、でもですね」

 

「そんな肩ひじ張ったって仕方ないよ。こっちこっち」

 

「あ、押さないでください……」

 

 

 

 

 

痺れを切らした男がついに実力行使に出てしまい、ぐいぐいと背を押される。

 

このまま連れていかれると間違いなく良いことは起きないであろうし、異能を使う羽目になるだろう。

 

それはちょっと、ご遠慮願いたい。

 

 

 

 

 

「あのっ、せめてビラだけでも確認してもらっていいですか? このことについて知っていたら教えてほしいんですけれど」

 

「んー? 全く、意固地な子だね。どれどれ、ちょっと見せてみ――――…………ああ、これか」

 

 

 

 

 

押し付けたビラを見て、男は表情を消した。

 

けれどそれは、自分が犯人の事件を調べられていてまずい、と言う感情ではなく、心底くだらないものを見たと言う、呆れだ。

 

取るに足らないクソ事件、この男の頭に過ったのはそんな言葉だ。

 

 

 

 

 

(――――この、クソ男)

 

 

 

 

 

被害者がいて、傷を負った人達がいて、負うべき罪がある。

 

自分は加害者で、被害を受けた者がいると分かっていて。

 

それらを理解してなお、「ああ、これか」などと、まるで自分に関係ないことの様な思考をするこの男に心底吐き気を催した。

 

あたかも自分が理外の上位者のように、特権階級である自分自身にはそんな些末なことは何も関係ないことだとでも言うように、こいつは私が押し付けたビラから一目で興味を失った。

 

 

 

同時に私も、コイツに時間を掛けるのはこれ以上ないほどに無駄だと切り捨てた。

 

もう、演技するつもりも失せた。

 

 

 

 

 

「…………貴方の家はこの近くなんですか?」

 

「ん、いきなりどうしたの? もしかして店じゃなくて俺の家に行きたくなっちゃった? 全然いいよ、じゃあ、こっちに」

 

「なるほど、分かりました。では次に、この事故を起こしたと疑いがある人が捕まったというのをご存じですか?」

 

「……えっと、ちょっと何が言いたいのか分からな」

 

 

 

「へえ、そうですか。では最後です――――罪を償うつもりはないんですね?」

 

「………………なんなんだ、お前……?」

 

 

 

 

 

気味が悪いとでも言うように顔をしかめた男の様子など気にもならない。

 

男の思考は一貫して、罪を償うつもりも無く、そのためなら他の誰がどうなっても良く、そんなどうでも良いことよりも自分の欲望を発散させたいと言うものばかりが埋め尽くしていた。

 

 

 

更生不可能の屑。

 

親が権力を持つばかりに、他の人がどんな被害を被ってでも自分の身を守ろうとする害悪。

 

私が大嫌いな、自分本位で、他者の人生を貪り喰らう悪性。

 

 

 

私が時間を割くのも、神楽坂さんに手間を掛けさせるのも、どちらをする価値もない。

 

 

 

――――ここで私が、この醜悪な悪性を刈り取ろう。

 

 

 

 

 

怒りに任せ、ずるりと手に異能を廻す。

 

もはや渡したビラなど興味ないとばかりに放り捨てて、私の腕を掴み連れて行こうとする男の頭に照準を定める。

 

そしてそのまま、もはや仮面をかぶるのすら辞めたのか、醜悪な笑みを私に向ける男に腕を振るおうとしたところで。

 

 

 

私の背後から声が掛けられた。

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっとなにやってるんですかっ!?」

 

 

 

 

 

声を掛けたのは年若い母親。

 

いつぞやの、あのバスジャックの時にバスの中にいた赤ん坊を連れていた女の人が私を連れ出そうとしていた男の肩を掴んで引き留めていた。

 

 

 

 

 

「あ……」

 

「貴方この近くに住んでる嘉善さんの息子さんですよねっ!? こんな女の子を無理やり連れて行こうなんて何を考えているんですか!? 何処に連れていくつもりだったのか、教えてもらえますか!?」

 

「チッ……」

 

 

 

 

 

男に詰め寄る女性を見て、慌てて私は手に廻していた異能を解いた。

 

舌打ちしたいのは私の方だ、命拾いしたな屑男、なんて思うがもちろん口には出さない。

 

 

 

男は面倒そうに舌打ちをして、なんと言い包めようか口ごもったが、女性の大きな声を聴いて、先ほど私が子供達を押し付けた他の母親達も異変を察知して寄ってくる。

 

あっと言う間に多くの人達が集まってきたことに危機感を抱いたのだろう、男は掴んでいた私の腕を放り捨て、さっさと立ち去って行ってしまう。

 

 

 

 

 

「あっ、ちょっと待ちなさいっ!!」

 

「追いかけないでください。貴方や貴方の赤ちゃんが、万が一危険な目にあうのは絶対に嫌なので」

 

「あっ……そ、そうね。ごめんなさい、少し熱くなってしまって……」

 

 

 

 

 

抱っこ紐の中で驚いたように目を丸くしている赤ちゃんに「久しぶりだね」と声を掛け、頬を優しく突けば、赤ちゃんは嬉しそうな笑顔を浮かべて私に手を伸ばしてくる。

 

にぎにぎと、その手に応じて手を握ってから女性へと顔を向けた。

 

 

 

 

 

「お久しぶりです、お元気そうでなによりです。今度は助けられちゃいましたね」

 

「あ、ううん、この前は本当にありがとね……えっと、怪我はない?」

 

「はい、何かされる前に助けてもらえたのでなんともありません」

 

 

 

 

 

集まってきた母親達に囲まれ安否の問いかけに答えながら、去っていく男の後ろ姿を横目で追う。

 

家や身元はしっかりと掴めた、欲しかった情報は全て集まり、この事件は隠蔽工作が入っていることも分かった。

 

情報収集としては充分以上の戦果だ。

 

 

 

感情的になってこの場で処理しようとしてしまったが、冷静になって考えればこれは神楽坂さんに対して私の異能の有能さをアピールするのが目的だ。

 

しっかりと真犯人を突き止めたことを伝え、然るべき方法であの男を追い詰めてこそ、神楽坂さんとの信頼関係を築けるというものだろう。

 

 

 

 

 

「嘉善さんのところの息子さん、あんまり評判良くないから気を付けてね。お父さんは警察の偉い人らしいのに、なんであんなに素行不良になるのか……」

 

「……まあ、肩書で貴賤を測れない、良い見本と言うことですね」

 

 

 

 

 

散らばってしまったビラを拾うのを手伝ってもらった私は、そのまま形だけでももう少しだけビラ配りを続けようとして。

 

その後、急に集まってきたパトカーから出てきた警察官達に補導される形で、警察署まで連行されたという訳だ。

 

 

 

多分と言うか絶対、あの男が警察のお偉いさんであるパパにでも電話して、何とかしてくれるように頼んだのだろう。

 

それが、私の休日を利用したビラ配り作業が終了した経緯である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうして、私の休日は終わりを迎えた訳です、はい」

 

「……なるほどな。悪かったな、大変な時にそばにいてやれなくて」

 

「え、口説き文句ですか? まあ、年若い燐香ちゃんを口説きたくなる気持ちは分かりますが、流石に神楽坂さんはちょっと」

 

「ちげぇ! なんだか最近よく見る態度だな!」

 

 

 

 

 

「そもそも神楽坂さんはちょっとってなんだ……?」と愕然としている神楽坂さんに少しホッとする。

 

あのクソ男を見たせいで心が荒んでいたが、裏表のない神楽坂さんの姿は私を安心させてくれる。

 

 

 

 

 

「……まあ、それは良いとして。本当に見つけたんだな、真犯人を」

 

「もちろんです。そちらは、お願いしていたアレはちゃんと取れましたか?」

 

「ああ……言われた通り取ってきた。警察署の奴らには伝えてない」

 

「流石です。神楽坂さんはやっぱり信頼できます」

 

 

 

 

 

警察署を離れ、また別の場所で落ち合った私と神楽坂さんは情報の共有を図った。

 

もちろん、私自身の手で片付けようとしたことは口にしなかったが、でっち上げられた偽物の犯人とその証拠、私が接触した真犯人と誰がこの事故の隠蔽を測っているのか。

 

そのあたりの内容を話し合い、計画を立てた。

 

 

 

むやみやたらにコイツが真犯人だと騒いだところで、でっち上げられた犯人と偽造された証拠を上回る証拠を提示しなければ誰も私達の話に耳を貸さないだろう。

 

 

 

だから出された偽物の証拠物、今回で言えば、事件で使われた車とそのハンドルや取っ手に付着した指紋や車内に置かれたままになっていた私物など。

 

これらから、本当に事故に使われた車両なのか、破損状況におかしな部分がないかを確認してもらい、整合性の合わない部分を探してもらった。

 

もしも偽装に異能が関わっていれば整合性が完全にあっているような、完璧な証拠物を出せるかも知れないが、今回のこれは違う。

 

 

 

只の人間が起こし、只の人間が隠蔽しようとしている事件に過ぎない。

 

だから、粗があるし、真実を突き付けることが可能となる。

 

 

 

 

 

「じゃあ、行きましょうか神楽坂さん。覚悟は良いですか?」

 

「…………子供が余計な気を回すんじゃない」

 

 

 

 

 

空が赤み掛かり始めた夕刻。

 

私と神楽坂さんは、私が接触した真犯人の家の前で待ち伏せをしていた。

 

真犯人、これは名前が分かればどんな人間か、そしてその親がどんな立場の者かがすぐに判明した。

 

 

 

これだけ大掛かりな隠蔽工作を行える人物は限られている。

 

結果は当初の私の予想を裏切ることなく、警察組織のかなり高い地位を有する存在を親にもつ、責任感も何もないボンクラだったという訳だ。

 

 

 

 

 

そして、そうなってくると神楽坂さんの事情も変わってくる。

 

ここでこの真相を解明すれば、世間的に信頼を失っていっている警察の信頼がさらに地の底まで落ちることは間違いないし、組織の中での立場もさらに悪くなるだろう。

 

いくら正義がこちらにあるとはいっても、社会人としての立場は、きっと私では測り切れない。

 

 

 

 

 

「やめるなら今ですよ、神楽坂さん。何も真実を白日の下に晒すだけが手段ではないです。法を介さず罰を与える手段などいくらでもありますし、実のところ神楽坂さんが直接手を下す必要もありません。今はネットと言う便利なものがあって、そこに証拠をいくつか流してしまえば、そこら辺の正義感を持った人や記者なんかがほじくり返してしまうでしょう」

 

 

 

 

 

そう、そうなのだ。

 

私と神楽坂さんの目的は共通していて、『異能が関わる事件の解決を行うこと』である。

 

この事件はあくまで、私の実力を神楽坂さんに知ってもらうために解決する通過点に過ぎず、絶対に解決しなければならないものでは無い。

 

言ってしまえば、私達が直接手を下すまでもない事件なのだ。

 

 

 

事故被害にあった者も命を落とした訳でも無ければ、犯人に仕立て上げられた奴が全く罪のない者と言うわけでもない。

 

あのボンクラには腹が立っているから、それ相応の罰を受けてもらうつもりではあるが、それを神楽坂さんがやるべきだとは思っていない。

 

 

 

後々に影響が出てしまうのであれば、ここはやり方を変えるのも手段の1つだと私は思う。

 

 

 

 

 

「いいや、これは俺がやる。俺らがやらなくちゃいけないことなんだ……どれだけ支払うものが多かったとしても、不正を見逃す警察官なんて存在する価値もない」

 

 

 

 

 

だが、神楽坂さんは私の杞憂を一蹴する。

 

 

 

 

 

「身内であれば許される。位が高ければ見逃される。そんな法律はどこにもなくて、この国は法を順守せよとする国であるならば、警察官である俺がやることは1つしかない――――あそこに住んでる犯罪者を逮捕する。それだけだ」

 

 

 

 

 

はっきりとそう言い切った神楽坂さんの信念は微塵も揺らいでいない。

 

強い芯を感じさせる彼の目は、真っ直ぐにあの男がいる家へと向いている。

 

 

 

この人は本当に馬鹿みたいに真面目で、1人で苦労をしょい込むタイプだ間違いない。

 

屑な私とは正反対、正直言葉を聞いているだけで日を浴びた吸血鬼のように消滅しそうである。

 

 

 

 

 

「では……サポートはしっかりしますから、真犯人に証拠を突き付けて引っ立ててください」

 

「……君は来るんじゃないぞ。絶対にここで待っているんだ、まったく……」

 

 

 

 

 

ビシッ、と指を指した先にはあの男の家がある。

 

豪邸と言っても良い大きな家に、大きな庭、備え付けられた駐車スペースには黒く光沢を放つ高級そうな車が置いてあった。

 

どこからどう見ても恵まれているであろう家庭、私の父親もそこそこ稼いでくる方だとは思うがここまでではない。

 

それがあのクソみたいな価値観をもった男が住む家だった。

 

いやあ、子供は生まれる家を選べないと言うけれど、この場合この家に生まれたからあのクソ野郎が出来上がった可能性すらあるから何とも言えない。

 

 

 

 

 

「これから少し呼び鈴を鳴らして話をしてくるから、絶対に出てくるんじゃないぞ」

 

「え、それはもしかしてフリだったりします?」

 

「絶対にっ! 来るんじゃないぞ!」

 

「……はーい」

 

 

 

 

 

冗談の分からない人だ。

 

少しでも気がまぎれる様に冗談を言ってみたのだが、失敗だったらしい。

 

 

 

 

 

「まあ、神楽坂さんが警察をクビになったら私が雇ってあげますよ。そしたら、異能が関わっている事件を調べるために色々こき使いますから、覚悟してくださいね」

 

「……はいはい。じゃ、大人しくしてろよ」

 

 

 

 

 

これが冗談と取られてしまった。

 

本当に冗談の分からない人だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神楽坂は重い足を動かして、本庁勤務の警視監の家の前までたどり着いた。

 

正直に言えば、ここに住んでいるお偉いさんの名前も顔も性格も知っていた。

 

神楽坂が出世街道から外れる前までは、能力の高さに期待され、公安勤務を行っていたため、その時に少し顔を合わせる機会があったのだ。

 

 

 

性格が良いとはとても言えない。

 

良く言えば策略家で、悪く言えば警察に似つかわしくない狡猾な男。

 

老獪さと執念深さ、そういうものを集めて人型にすればこうなるのではないかと何度も思ったこともあった。

 

あれから数年が経過しているが、少しでも変わっているとは到底思えない。

 

恐らく、いやほぼ確実に、このまま呼び鈴を押し、証拠を突き付ければ自分の身に危険が迫るのは目に見えていた。

 

 

 

牢に入っていた犯罪者とはいえ、1つの事件の犯人に仕立て上げるにはかなりの段階を踏む必要がある。

 

たった1人の高官で為しえられるほど、甘い作業ではないのだ。

 

それを、ほんの短期間で終わらせたとすれば、どれだけの協力者が警察の内部にいるのか予想もつかない。

 

 

 

 

 

(……俺は、異能の関わる事件で死ぬものとばかり思っていたんだがな。まさか、同じ組織の奴に背を刺される危険を考える時が来るとは……)

 

 

 

 

 

辿り着いた玄関口で息を入れる。

 

自分の死を告げるような呼び鈴を鳴らし、中から誰かが出てくる音を聞く。

 

ガチャリと、扉が開いて中から出てきた、昔見たことのある妖怪の様な男に突き付ける様に紙を出し、はっきりとした口調で告げる。

 

 

 

 

 

「警察だ。長男の嘉善義人に轢き逃げ事件の逮捕状が出ている。息子さんを呼んでくれ、署まで同行を願おうか」

 

「な――――なんだと!?」

 

 

 

 

 

妖怪の驚愕した表情など見るのは初めてだったが、存外それだけで少しは不安が晴れるものだ。

 

 

 

 

 

「馬鹿な、その事件は犯人がすでにっ……」

 

「指紋が出ている。偽装された偽物の犯人以外の指紋、あんたの息子の指紋と合致するものが事故車両として出てきた車からな」

 

「指紋っ!? 指紋だと!!??」

 

 

 

 

 

唾を飛ばし、目を見開いた老人に向けて、神楽坂は上司に向けるとは思えないほど冷淡な視線を向けた。

 

 

 

 

 

「そうだ、巧妙に車内や取っ手、ハンドルと言った部分の指紋は拭き取られ、別の男の指紋が付けられていたが……残っていたぜ、ガソリンを給油するための入り口。その蓋に」

 

「ば、ばかな……。き、きさま、神楽坂だなっ!? きさまの評判はよく聞いているぞ! あの同僚の自殺事件を機に狂ったように魔法や呪術の存在を追うようになった狂人だと! きさまのような奴の戯言など誰がっ……」

 

「残念ながら……俺がたとえ狂人だったとしても、この逮捕状は本物だ。しっかりとした証拠をそろえて、アンタの息子を犯人だって言ってんだよ。おら、早く息子を出せ」

 

「が、ぎっ……き、きさまっ、本庁の公安に戻りたいのだなっ!? それなら――――」

 

「あんな所への執着はもうねえよ。俺が執着してるのは、法を犯している野郎を豚箱に叩き込むことだけだ」

 

 

 

 

 

ズカズカと家の中へと乗り込んでいく。

 

何とか押しとめようとする老人の力などでは神楽坂にとっては障害にもならず、そのままいやに広い廊下を通り、リビングまで押し入った。

 

リビングでは悠長にソファに座り、テレビを眺めている若い男がいる。

 

入ってきた神楽坂を見て焦ると言うよりも、ポカンと、まるで何が起きているのか分からないと言った表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

「嘉善義人、お前を危険運転傷害罪の疑いで逮捕する。署まで同行を願おうか」

 

「……え?」

 

 

 

 

 

そうはっきりと要件を述べても、真犯人『嘉善義人』はまだ状況を理解していないようで、視線をふらふらと神楽坂から外し、父親へ、その後台所にいた母親へと向けられた。

 

 

 

 

 

「…………え? 俺が、逮捕……?」

 

「そうだ、お前の指紋、お前の車庫証明、購入した支店の書類にはまだはっきりと証拠が残っていた。お前が犯人で間違いない」

 

 

 

 

 

目を白黒とさせ徐々に顔色を青くして、表情を歪ませていく整った顔の男は逆に滑稽で、イケメンは何してもイケメンと言う戯言が嘘なのだと思った。

 

 

 

時間にして数秒、思考停止していた『嘉善義人』がヒステリックに叫びだしたのはすぐだった。

 

 

 

 

 

「な、なんでだよ!! なんでだよ親父!!?? 俺が逮捕される!? そうならないように手を打つって言ってたじゃねえかよ!!?? なあっ、嘘だろ!!? 俺は逮捕されねえよな!? どっかの屑が肩代わりするんだよな!!?? 俺の経歴がこんなくだらないことで傷つく訳がないんだよな!!??」

 

「義人……」

 

「っっ……!」

 

 

 

 

 

掴みかからんばかりに発狂した『嘉善義人』に息子を溺愛している両親は悲痛な表情を浮かべ、唇を噛む。

 

この状況を傍から見れば、不幸を嘆く若者と息子の不幸を嘆く両親と言う構図の、美しいものとして映るだろうか?

 

 

 

内情を知っている神楽坂としては、到底唾棄すべき光景にしか見えはしなかったが。

 

 

 

 

 

「はっ、いい年して自分の罪にも向き合わず、パパに頼って隠蔽工作か? 図体ばかりデカくなった結果、ろくなプライドも、まともな倫理観も育たなかったお前の様な犯罪者は良く見るぞ」

 

「なんでっ……なんでだよっ、あんな、あんな底辺のくそみたいな奴らを轢いただけで、この俺が、キャリアコース間違いなしの俺が、そんなこと……!」

 

「…………底辺のくそはお前だ。お前にお似合いの場所に引き摺ってってやるんだ、感謝しろ」

 

 

 

 

 

吐き捨てるだけ吐き捨てて、抵抗する意思もなくなったのか、呆然とした表情のまま神楽坂に連行される。

 

慌てたのは、警察の高官である父親だ。

 

 

 

 

 

「ま、まて神楽坂っ! 金か!? 金ならいくらでも出す! 1億でも、2億でも、いくらでも出すっ! お前も金が必要なんだろう!? どうせお前の持ってる証拠がなければ義人は逮捕されないのだろう!? だからっ……!」

 

「……アンタにも、証拠隠滅の疑いが掛かっている。今回の件に関わった奴ら全員にもだ。腐った膿は、誰かしらに捨てられるもんだ。大人しく連絡を待ってろ」

 

「かっ……! く、な、ぐぎ、ぎぎっ……!」

 

 

 

 

 

泡を吹き、歯ぎしりをする妖怪の様な奴も、こうなってしまえばなんてことはないただの年寄りだ。

 

栄華を誇っていたこの家も、息子による事故で喪失することになるのかと、鼻で笑う。

 

きちんと罪に向き合っていればこんなことにはならなかったのに、隠蔽に隠蔽を重ねた結果がこれだ。

 

馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

 

 

 

神楽坂はそんな風に彼らを嘲り、そのまま『嘉善義人』を警察署へ連行しようとしたところで、地獄の底から響くような、悪意に満ちた怨嗟の声が向けられた。

 

 

 

 

 

「……貴様、確か植物状態の婚約者がいたな」

 

「…………だったらなんだ」

 

 

 

 

 

聞き捨てならない、妖怪の呪いの言葉に神楽坂は視線を鋭くして振り返る。

 

 

 

 

 

「……いいや? ただの老人の独り言だよ。不幸な事故だったな、あれは。同僚の自殺と時期がかぶって。余計君には堪えただろう? それからずっと目も覚まさず、病院で入院しているんだったな――――そう確か、区をまたいだ先にある、東京総合病院の503号室に今も入院中だった……そうだろう?」

 

「て――――テメェっ……!」

 

 

 

 

 

悪魔の様な、そこらの犯罪者程度では出せない様な、醜悪な悪意に満ちた老人の笑みに、神楽坂は顔が引きつると同時に、背筋に冷たさを覚えた。

 

事情を知られている、内情を知られている、場所を知られている、状態を知られている。

 

もしもこの妖怪が害を与えようと思えば、神楽坂程度の力では何もできないまま、神楽坂が守らなければならないものを全て、根こそぎ、壊してしまうだろう。

 

 

 

そんな確信を神楽坂に抱かせるには十分だった。

 

 

 

 

 

「神楽坂君――――仲良くしようじゃないか、なあ? 君も、婚約者を、もっといい病院の医者に診てもらいたいと思っているのだろう?」

 

「――――」

 

 

 

 

 

混乱と、恐れと、絶望と、焦り。

 

いろんな感情が1度に神楽坂を襲い、言葉にもならない、ただ引き攣ったような潰れた声しか出なかった。

 

こうなることを想像していなかった訳ではない。

 

けれど、曲がりなりにも警察官をやっている男が容易く一般人を害する選択をできるとは思っていなかった。

 

神楽坂の、想定の甘さが自分の大切なものを危機に追い込んでいる。

 

 

 

目の前の悪魔は、醜悪な悪意と欲望で神楽坂を包み込むように冷たい甘言を吐き出した。

 

 

 

 

 

「――――さあ、どうしようか神楽坂君。私は別にどちらでも良いんだがね?」

 

「――――では私は、貴方が冷たい牢屋に閉じ込められる未来を選びましょうか」

 

 

 

 

 

パチンッ、と指が鳴らされる。

 

その瞬間、笑みを浮かべていた妖怪以外の、母親と『嘉善義人』が膝から崩れ落ちた。

 

 

 

何が起きたのか。

 

誰の声が響いたのか。

 

何1つ理解できなかった老人が目を見開き、冷たい甘言に包み込まれかけていた神楽坂が冷や汗を掻きながら老人の背後に、いつの間にかこの場に存在する少女へと視線を向ける。

 

 

 

 

 

「な、誰だっ! 一体何をっ――――」

 

「悪いですけど、私、貴方に興じるほど暇ではないんです。貴方には何の価値もなさそうですし、やりたいことだけやらせてもらいますね」

 

 

 

 

 

老人の後頭部を少女が掴む。

 

ぞっとするほど感情の動きが読み取れない、真っ黒な瞳が凍り付くしわがれた老人の後ろ姿を映す。

 

そこに投げかけられる言葉は、あまりに軽く、まるで今日の天気の話でもするように適当だった。

 

 

 

 

 

「知ってますか? 人の悪意って、とっても折れやすくて、潰しやすいんです――――特に、他人によく悪意を向ける人の悪意ほど脆いものはありません」

 

「――――あ……ああっ…………あああああああ…………」

 

 

 

 

 

人の思考など目に見えるものでは無い。

 

だから、きっと錯覚の筈だ。

 

老人を掴む少女の手から、剥がれる様に黒いカビの様なものが零れ出しているなど、あり得るような光景ではない。

 

 

 

 

 

「正直に言って、私、必要悪を謳う人間よりも偽善を為そうとする人間の方が好きなんです。だから、切り捨てるならどちらかなんて考えるまでもないんです。貴方がこういう人間で、神楽坂さんへ悪意を向けていただけて本当に助かりました、無駄な思考に時間を割かなくて済みますから」

 

 

 

 

 

顔色は変わらない。

 

死相が浮かぶこともなければ、外傷が加えられているわけでもない。

 

それでも、つい先ほどまで神楽坂へ醜悪な悪意を向けていた妖怪の様な人物は、少女に掴まれ、浮かべていた悪意を1つ1つ丁寧に手折られ、根本から作り替えられて、ただの老人へと変貌していく。

 

 

 

それを止める者はいない。

 

救われた形の神楽坂にはその権利はなく、老人の身を想う家族は意識を失っている。

 

 

 

そして、人の意思を捩じ折るなんて言うことをしている少女は、ただ笑っているから。

 

 

 

こうして1つの、闇に葬られようとしていた事件の真相は、明るみに出ることとなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 





ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
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どうかこれからもお付き合い頂ければ幸いです。


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サイレント

誤字報告を頂きました、ありがとうございます助かりました。
これからも違和感を感じた部分があれば指摘していただけたら嬉しいです。

また、皆様の応援、大変励みになっております!
これからもどうかよろしくお願いします!



 

 

嘉善義人は恵まれた人間だった。

 

世間一般的に言えばこれ以上ないほどに、恵まれていた人間だったのだ。

 

 

 

地位のある父親に愛情深い母親。

 

中々子宝に恵まれなかった夫婦の念願の第1子となった彼は、その家の有り余る財と力の恩恵を与って、何一つとして我慢せずに生きて来て、奔放な彼の態度は許されてきた。

 

多少成績が悪くても、金遣いが荒くても、女遊びが酷くても、金と権力とコネがあれば誰だって彼を許さざるを得なかった。

 

 

 

だから彼はそういう風に世界は出来ているのだと、認識していた。

 

自分は権力を持ったほんの一握りの上流階級。

 

これまでも、そしてこれからも、自分は恵まれた人間であることを少しだって疑っていなかった。

 

 

 

そんな何一つ不自由ない生活に亀裂が入ったのは、当然甘やかされて育った彼の過ちからだった。

 

 

 

 

 

『……い、いや、勘違いだ。違う、猫でも撥ねただけだ』

 

 

 

 

 

親から貰える大金で夜通し仲間と酒を飲んでいた彼は、スーっと冷えていく頭で繰り返しそんな事を自分に言い聞かせた。

 

 

 

何かにぶつかった。

 

その時の信号の色は覚えていない。

 

悲鳴のようなものが聞こえた気がしたが、そんなのは小動物でも同じだろう。

 

だから自分は何も悪くない、何も悪くないんだと、動揺に震える体のまま運転を続けた。

 

 

 

現場からの逃走。

 

もしも人間を轢いていたら。

 

僅かばかり残った理性がそんな恐怖から車をそのまま家に向かわせることなく、人通りのほとんどない隣の県にある山まで向かわせた。

 

そして、人がいないのを確認してから、自分をいつも甘やかしてくれる母親へ電話をしたのだ。

 

 

 

母親から父親へ連絡を繫ぎ、帰ってきたのは期待通りの言葉だった。

 

 

 

 

 

『お前は何も気にしなくていい。迎えをやるから少しそこで待っていろ』

 

 

 

 

 

それから証拠とともに、彼は父親の息がかかった者達に回収された。

 

最初は人を撥ねたと言う意識から挙動不審になっていたものの、誰も何も自分に罰を与えないのだと理解して、10日も経たずに気にもしなくなっていく。

 

そうして世間には何も公表されることなく、何もかも恵まれた彼はまたいつもの恵まれた普段の生活に戻る筈だった。

 

 

 

 

 

――――これが、どこにでもある犯罪事件の顛末だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一つの事件が解決した。

 

死者も出ていない、普段であれば見向きもされない様な小さな轢き逃げ事件であったが、闇に葬られようとしていた真犯人が明るみに出たとあっては話が変わる。

 

警察による隠蔽工作、犯人は警察官僚の息子、罪を全く関係のない者に被せようとした事実、騒がせるには十分すぎた。

 

 

 

要するに、未解決であった轢き逃げ事件の真犯人と共に、警察による隠蔽工作があったことも世に出回ることとなったのである。

 

 

 

警察官のほとんどはこの件に関与していない、無関係の者達であることは間違いないが、だからと言って、警察に対する批判が爆発しないかと言えばそうではない。

 

これまでに類を見ないほど、世間から噴出した不満や批判は膨大だった。

 

 

 

連日続く報道各社による警察批判やネットやSNSで行われる批評の嵐に、警察庁は声明を出すまでに至り、年々増加傾向にあった犯罪件数や未解決事件の多さに、警察始まって以来最悪と噂されていた国民からの信頼がさらに墜ちることとなった。

 

 

 

もはや針のむしろ。

 

制服を着て外を歩いているだけで陰口を吐かれるなんて言う個人に対する攻撃のみならず、警察庁周辺でのデモ行進なんて言うのも連日続いている。

 

警察庁の本部だけでもこれだけ攻撃されているのだ、発端となった事件の現場である氷室警察署は苦情や批判の嵐で、相当対応が忙しいらしい。

 

 

 

 

 

……色々と世の中の情勢を話したが、結局何が言いたいかと言うと、ここ最近私は神楽坂さんに会えてすらいないと言うことだ。

 

 

 

私の力を見せて、神楽坂さんの信頼を得るために行った事件解決だった訳で、これを土台として異能の関わる事件の処理をしていこうと思ったのだが、それどころではなくなった。

 

事件を解明したことになっている神楽坂さんには連日事情聴取と言う地獄が待っており、また、どこから情報を入手したのか、報道各社が今回の隠蔽工作を暴いた警察官と言うことで取材を強行したために、世間からの注目度も他の警察官とは段違いとなってしまった。

 

 

 

世間からの評価は、不正を許さず真相を暴き切った立派な警察官。

 

警察内部からの評価は……まあ、評価は2つに分かれていることだろう。

 

一部から裏切り者扱いされていることは間違いない。

 

色々な対応をしなければならないようで、まともに電話すらすることが出来ない。

 

今後の協力体制についてやあの汚職おじいさんが言っていた神楽坂さんの婚約者とかについても話をしたかったのだが……こうなっては仕方ない。

 

 

 

しばらくは休憩期間と言うことで、気ままに私生活を送るしかないだろう。

 

 

 

チラチラと携帯画面を確認しながら掃除機を掛ける私に、ジト目をした妹が声を掛けてくる。

 

 

 

 

 

「……お姉、最近携帯ばかり見てるけど、彼氏でも出来たの?」

 

「――――な、いきなり何をっ……!」

 

 

 

 

 

びっくりした。

 

普段心底驚くことなんてない私だが、読心から除外している妹の発言には完全に虚を突かれてしまう。

 

慌てる私の様子に桐佳はさらに疑いの目を強くして、唇を尖らせ始めた。

 

 

 

 

 

「だって、お姉って携帯は普段家だと自分の部屋以外で使わないし、かといって操作をしてる風でもないから、誰かの連絡待ちかなって」

 

「うぐっ……」

 

 

 

 

 

びっくりした。

 

言われてみればその通りである。

 

頭が足りなくて手のかかる子だと思っていた妹が、いつの間にかこんな観察眼を身に着けているなんて……流石は私の妹だ。

 

 

 

 

 

「言っておくけどお姉が分かりやすいだけだからね。目は死んでるくせに表情は豊かだし、そもそも何も隠す気のない行動ばっかりじゃん。お姉が本当に外でやっていけてるのか私、心配なんだけど」

 

「うぐぅっ!!??」

 

 

 

 

 

どうやらポンコツは私の方だったらしい。

 

い、いや、世の未解決事件を解決できる才女がポンコツな訳がない。

 

 

 

 

 

「べ、別に彼氏とかは出来てないし! ただのくたびれたオッサンの手助けをしてるだけだもん!」

 

「え……お姉、高校生とつるむおっさんは完全に不審者だから近付かない方が良いよ?」

 

「妹に常識を教えられる姉って惨めだから! 違うからね!? そういう仲じゃなくて、あくまで業務的な関係と言うか……!」

 

「業務……的……?」

 

 

 

 

 

口を噤んだ桐佳が顔色を変えて即座に電話をかけ始めたのを見て、心を読まなくてもどんな誤解を受けたのか分かった。

 

 

 

 

 

「――――あ、もしもし警察ですか。実は姉が」

 

「誤解!!! 誤解だから電話を切って桐佳!!!!!」

 

 

 

 

 

武力行使ほど利のない交渉はないと言う信条を捻じ曲げ、私は電話を掛ける桐佳に組み付きに掛かった。

 

 

 

当然、負けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家に帰れず、職場で夜を過ごすこと1週間。

 

神楽坂上矢はようやく溜まりに溜まっていた業務の数々から解放され、家に帰ることが許された。

 

許されたのだが……神楽坂は家に直帰せず、最寄りの駅近くの定番の待ち合わせ場所、大噴水の前で人ごみに紛れて、人を待っていた。

 

 

 

当然この1週間は、携帯電話を周りの目が無く使う時間がなかったために人と満足に連絡を取ることもできなかった。

 

特に燐香とは今後について話すこともできなかったため、仕事から解放されてすぐに彼女に『この後会えないか』と連絡を入れたのだ。

 

彼女はなぜか息も絶え絶えではあったものの快くニつ返事をくれたため、神楽坂は自分の安アパートにも帰らず、そのまま彼女との待ち合わせ場所に向かった訳だ。

 

 

 

 

 

正直、今の神楽坂の立場は相当悪い。

 

そもそも左遷の様な扱いで氷室署に飛ばされ、事件に関わらないようにとほどほどに忙しい交通課に入れられた訳で、そんな奴が刑事課を差し置いて色んな事件を解決していれば、どこも良い顔はしないだろう。

 

そしてとどめに今回の件だ。

 

警察の不祥事を暴き、世間からの警察の信頼を文字通り失墜させた。

 

 

 

同じ氷室署の人達はおろか、警察庁から来た偉い方々も、辞めさせるにも辞めさせられない面倒な奴だと言う考えを隠すそぶりさえなかった。

 

1度経験しているから分かるが、あの態度を見る限り、おそらくまたどこかに飛ばされるか、別部署に移されるのが有力だと思う。

 

 

 

 

 

(せっかく異能と言う超常的な力までたどり着いて、本当に幸運に、その力を持った善良な協力者まで得られたんだ。警察官を辞めることになったとしても、この協力関係だけは何とか継続したい……)

 

 

 

 

 

先日見た力の一端。

 

犯人を特定するまでの尋常ではない速度に加え、人の行動を先読みし、その意思を砕き、行動を誘導する。

 

常人ではどうあっても太刀打ちできない格差をまざまざと見せつけられた。

 

彼女は“読心”できる程度の大した異能ではないと言っていたが、そんな生易しいものでは断じてない。

 

もし彼女が完全犯罪を犯そうと考えれば、いや、世界の均衡すらいともたやすく崩すことが出来る、そんな力を彼女は持っていると神楽坂は確信した。

 

 

 

だからこそ、そんな力の持ち主が味方でいてくれている現状は、どうしようもないほどに幸運に違いないのだ。

 

 

 

 

 

(そうだ、たとえ俺が警察官を辞めることになったとしても。警察では解決出来なかった事件を解決させることが出来るのなら――――)

 

 

 

「お久しぶりです、神楽坂さん。心配してましたよ」

 

「――――ああ、連絡取れずすまなかった。こっちは少し大変だったんだ」

 

 

 

 

 

背後から掛けられた声に振り返る。

 

頭数個分小さな燐香の姿はいつも通りで――――いや、いつも通りではなく、何か争った形跡が体中に見受けられた。

 

 

 

 

 

「ふ、冗談です。そちらが大変だったことは知っています。そんなことを気にしませんから謝らないでください」

 

「あ、ああ」

 

 

 

 

 

心を読めて話を逸らすと言うことは、なんで争ったような形跡があるのかと言う疑問には答えたくないのだろう。

 

そう考えた神楽坂はそのままスルーしようとするが、その思考すら読まれたようで、燐香は涙目で睨んでくる。

 

 

 

 

 

「……まあ、良いです。ちょっと、自分の身体能力の悪さを再確認しただけですし……神楽坂さん、今度良い筋トレとか教えてください」

 

「何があったのかは聞かないが……トレーニングとかは任せてくれ、俺は結構詳しいからな」

 

 

 

 

 

そんな他愛のない話をして、そこそこにお互いの無事を喜び合う。

 

まだ出会ってから1カ月も経過していないが、打算はあるもお互いの身を案じる程度にはいい関係を築けていたようだった。

 

 

 

 

 

「ニュース見ましたよ。ヒーロー扱いでしたね神楽坂さん」

 

「止めてくれ、警察署では腫れもの扱いなんだ。変に褒められて自分の立場を勘違いしたくない」

 

「私は正当な評価だと思いますけどね。実力や人柄含めてですよ?」

 

「事件解決は君で、不正を暴いたのは同じ警察職員として当然だ。優秀なのは俺では無くて君だし、褒められたくてやった訳じゃない。それに、そんなどうでも良い事よりも、俺と君にはやりたいことがあるだろう?」

 

「同感です。ではそのために、神楽坂さんが抱える憂いを1つ解消しておきましょう」

 

 

 

 

 

ニヤリと悪人ぶった笑いを浮かべた燐香が、手書きのメモ用紙を神楽坂に押し付ける。

 

そこに書かれているのは、異能が関わっているのではないかと彼女に詳細を見せた他の3つの未解決事件の名称と、それぞれの事件名の下に人の名前と住所、そして潜伏場所だった。

 

 

 

 

 

「私の方でそれぞれの犯人と所在について調べておきました。神楽坂さんには今回かなり身を挺してもらう形になりましたので、それに対する報酬の様なものです。まあもっとも、物理的な証拠については何も握っていないので、それはそちらでやることになると思いますが」

 

「……なるほどな。助かった、ありがとう。この件についてはこっちでやっておく。ちなみに最初に言っていた通り、異能が関わっていた事件は……」

 

「一つもありませんでした。と言うか、同じ地域で異能が関わる事件なんてそうそうあるものじゃないですから。安心してくださいって」

 

 

 

 

 

何度も言うが、異能なんて言う常識外れを所持しているのは非常に希少であり、それを十分に発現させられる者はさらに少なくなる。

 

その上、異能を些細な犯罪に使おうなんて言う気狂いは、世界は広いといえども流石にいないも同然だ。

 

だから、注視するべきは1件1件の事件ではない。

 

 

 

 

 

「異能を集めている組織、これを探ってしまった方が芋づる式に判明することの方が多いはずです」

 

「……子供を集めて何か実験をしていた組織、か。“紫龍”と言う強力な異能持ちが所属していたほどの奴らだからな。ほかにどれほどの手札があるか、どんな目的を持っているのか、考えることは山積みか」

 

「おそらくその組織にとっても“紫龍”は大切な存在の筈です。そのうち奪還に来ることも予想されますから注意を……って、すいません。今の立場の神楽坂さんには、好きなように動けるだけの自由はありませんね。気にしないでください」

 

「……そこまで聞いて、みすみす見逃すようなことはしたくないな」

 

「別に見逃してくれて構いません。むしろ回収してくれた方が足取りを追いやすいので。あくまでいなくなったタイミングを教えてくれるだけで十分です」

 

 

 

 

 

前を歩く燐香を追いかける形で神楽坂は彼女と会話をするが、不穏な会話をしていても周りの人達はこちらを気にしたようなそぶりも見せない。

 

燐香が異能で何かしらやっているらしいが、神楽坂はどうにも誰かに聞かれているのではないかと不安を覚えて、出来るだけ小声で話してしまう。

 

が、燐香はあえてそれに逆らうようなことはせず、同じように声を潜めて話を続ける。

 

 

 

 

 

「とりあえずお疲れ様です。またしばらくは忙しいでしょうし、何か異能が関わりそうな情報があった時や状況に変化があった時は連絡をください。なんとか時間を作って、協力させていただきますので」

 

「……ありがとう、君には助けられてばかりだな。また今度埋め合わせはちゃんとする。何か欲しいものや食べたいものなんかあれば遠慮せずに言ってくれ」

 

「ふふ、では神楽坂さんの行きつけの食事処にでも連れて行ってもらえれば」

 

 

 

 

 

時間はもう夕刻だ。

 

何とか時間を作ってこうして落ち合わせたが、あまり長い時間は取れない。

 

人通りもそろそろ帰宅ラッシュの波で急増するだろうことを考えれば、長々と話を続けるのも難しいだろう。

 

近くにあったクレープ屋から品物を受け取った神楽坂が燐香に渡して、そろそろ解散するかと提案する。

 

現状とお互いの無事は確認できた、これからの方針も共有できた、ここから神楽坂の立場がどうなっていくのかは未知数だが、とりあえずはそれだけで2人は満足だった。

 

 

 

 

 

「とりあえず家に帰って風呂入って寝るかな。どうせ明日にはまたゆっくり食事する暇もないし、今日だけでもしっかりと休まないとだ。君もそろそろ勉強に力を入れたいだろ?」

 

「私、頭いいのでそれは大丈夫ですよ。職場でどうにもならなくなったときは言ってくださいね。警察署丸ごと洗脳してなんとかしてみせますから」

 

「はは、そんなテロみたいなこと……駄目だからな? やっちゃ駄目だからな?」

 

「冗談ですって、私にそんな出力は出せませんから」

 

「どうせ読まれるだろうから言うが、君はマジでやりかねないと俺は思ってる」

 

「…………私ってそんなに悪い奴に見えますか?」

 

 

 

 

 

露骨に目を逸らし早歩きになった神楽坂に、燐香は半目を向ける。

 

少し空いた距離を小走りで詰めて、手にしているクレープを口に押し込んだ。

 

 

 

 

 

「君の協力のおかげであと残ってるのは後処理だけだからな。この後異能の関わる事件でも起こらない限り、しばらく会うこともないかもしれないな」

 

「またまた未練がましいですって、同じ地域でそう何度も起こらないですよ…………あ、そういえばちょっとお聞きしておきたいことがあったんでした。ほら、この前あの妖怪みたいな汚職おじいさんが言っていたことなんですが」

 

「汚職おじいさんってお前……」

 

 

 

 

 

あれでも最高幹部まで上り詰めた人間なんだがとは思ったが、今回の事件を隠蔽しようとした部分しか見ていない燐香に何言っても説得力などないかと口を噤む。

 

どうせもうすぐ失職するんだから何と呼んだっていいだろうと燐香は言って、それよりもと続けた。

 

 

 

 

 

「ほら、同僚が自殺したとか、婚約者が植物状態だとか――――」

 

 

 

 

 

そんな風に、燐香が少し気になっていた事を聞き出そうとした時、背後から女性の短い悲鳴が上がり、直後男の怒号が飛んできた。

 

 

 

 

 

「じゃまだ退きやがれ!!」

 

 

 

「っ、危ねぇ!!」

 

「え――――ひぃんっ!!??」

 

 

 

 

 

突如として強く背中を押され、小さな体躯の燐香が吹き飛ばされかけたのを神楽坂が慌ててキャッチする。

 

 

 

危うく地面と顔面からキスする所だった。

 

随分と情けない悲鳴を上げた自覚があったのか、燐香は恥ずかしそうに口元を抑える。

 

それから燐香は猛然と走り去っていく男の背中を睨み、神楽坂にお礼を言ったところで誰かの怒号が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

「あいつっ、ひったくり犯だ!! 誰か捕まえてくれ!!」

 

「まったく……すまん、少し離れるぞ」

 

「え、神楽坂さん!?」

 

 

 

 

 

押し飛ばされた女子を放って犯人を追う!?

 

いや大事はなかったし!? しっかりと倒れる前に支えてくれたけれども!?

 

 

 

そんな燐香の抗議の声などなんのその。

 

恐るべき速度で犯人を追いかけ始めた神楽坂の足の速さに燐香は唖然とする。

 

学校の運動会で見る体力自慢達でもあんな速いのは見たことがない。

 

人ごみをスルスルとすり抜けて、あっと言う間に犯人との距離を詰めていく姿に、警察官ではなくスポーツ選手になれと一瞬考え。

 

 

 

 

 

「――――ちょ、ちょちょ、ちょっと待ってください!」

 

 

 

 

 

追いかけられていることに気が付いた犯人が苦し紛れに路地裏に駆け込んだと同時に、燐香も慌てて2人を追いかけた。

 

 

 

1人や2人の暴徒に対してあの神楽坂が負けるとは思わなかったが、もし何かしら武器を持っていたら自分の異能が必要になるかもとの考えが頭を過ったからだ。

 

 

 

走り出し、なんとか燐香は2人が曲がった路地裏に辿り着く。

 

 

 

 

 

「ぜひゅ……ぜひゅー……、か、神楽坂さん待って……え……?」

 

 

 

 

 

路地裏を覗き、燐香の口から出たのは疑問の声だった。

 

 

 

神楽坂だけが路地裏に入ってすぐのところで立ち尽くしている。

 

 

 

直前に入った犯人の姿は何処にもない。

 

争った形跡すら、どこにもなかった。

 

 

 

 

 

「か、神楽坂さん、犯人は?」

 

「なあ。異能を持つ奴ってそういないんだよな?」

 

 

 

 

 

神楽坂の問いかけを聞くと同時に、ぞくりと燐香の脳内に警鐘が響く。

 

神楽坂は訳が分からないと言った表情で振り返り、状況を説明しようと口を開いた。

 

 

 

 

 

「確かに目の前にいた奴が跡形もなく消えたんだが、これは――――」

 

「――――下がってください神楽坂さん!!!!!」

 

 

 

 

 

危険を感じたのは神楽坂の様子になどではない。

 

感知した攻撃的な“異能”の出力に、死の危険を感じ取ったのだ。

 

 

 

神楽坂が何か言う前に、燐香は彼の襟首を掴み、そのまま後ろに引き摺り倒した。

 

直後、鋭い何かが神楽坂が立っていた辺りを通過する。

 

 

 

 

 

 

 

バシャバシャと、高所からバケツでもひっくり返したような水音が目の前で発生し、それが真っ赤な血であることに気が付いたのは、周囲で悲鳴が上がってからで。

 

 

 

次いで上から落ちてきたのは、バラバラの複数の物体で。

 

 

 

 

 

それが――――先ほどのひったくり犯のバラバラ死体だとすぐに分かった。

 

 

 

 

 

状況に気が付いた神楽坂が目の前の凄惨な光景を見せないようにと、咄嗟に燐香を抱え込み、それから呆然と、目の前の落下してきた死体を見つめる。

 

 

 

 

 

「なんなんだ、これ。直前まで、俺から逃げてた犯人がどうやって……」

 

「……どうやってなんて、分かり切ったことじゃないですか」

 

 

 

 

 

異能の出力を全開まで上げて、半径500メートル範囲に犯人がいないかを探った燐香がため息を吐く。

 

 

 

ほんの数秒前まで、神楽坂まで巻き込もうとしていた攻撃的な異能はすでにこの場に存在していない。

 

 

 

半径500メートルの範囲には殺人的な思考を持つ犯人は存在していない。

 

 

 

つまり、それ以上の距離から力を振るう、若しくはほんの数秒で燐香の探知範囲から逃げ出せるほどの速さを持つ――――

 

 

 

 

 

「……これが、異能の関わる事件ですよ」

 

「は、はは……ふざけやがって」

 

 

 

 

 

阿鼻叫喚と化した駅前広場の中で、神楽坂の頬から冷たい汗が流れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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無能な采配


 

この日もまた氷室署は忙しない一日を迎えている中で、神楽坂は自分のデスクに張り付け状態になっていた。

 

山のように折り重なった仕事が机に鎮座しており、今日は昼休憩すら挟めていないほどに休む暇も無かった。

 

 

 

しかし、別に神楽坂一人がこんな目に遭っている訳ではない。

 

 

 

 

 

「せんぱーい、こっちの仕事終わりましたので確認お願いします☆」

 

「はいはい……ちょっと待ってろ。この書類に区切りをつける」

 

「お願いします! あ、じゃあ私は飲み物でも入れてきますね☆」

 

 

 

 

 

後輩である飛鳥のふざけた口調とは裏腹の気配りに、神楽坂は張りつめていた集中力を一度途切れさせ、凝り切っていた肩を回し一息入れる。

 

朝からずっと休憩もなく作業をしていたが、まだ全体の半分も終わっていないことに頭が痛くなった。

 

 

 

 

 

(……まあ、単純な事務処理作業ばかりなんだがな)

 

 

 

 

 

神楽坂上矢はあの超常現象の関わる事件を目の当たりにしたものの、特に普段と変わりない非常に忙しない毎日を送っていた。

 

警察官僚の隠蔽工作による責任追及や真実を公とした神楽坂をどうこうしようとする動きはほとんど見られないまま、氷室警察署内は普段の業務に戻っている。

 

人のいない、ガラリとした課の中で、課長と神楽坂と飛鳥の3人だけが淡々と事務作業をこなしている。

 

 

 

これは別に彼自身が何か重大事件の担当を任された訳でもなければ、今一緒に業務をしている飛鳥の指導担当となった訳でもない。

 

原因はただ一つ、神楽坂達以外のほとんどの氷室署の警察官は連続して発生しているとある凄惨な事件を追って、緊急で対応に当たっているからだ。

 

 

 

 

 

一週間前に発生した『氷室区無差別連続殺人及び死体損壊事件』――――一連の遺体が原型を留めていないことから警察署内では犯人を『壊し屋』と呼称した。

 

先日まで起きていた誘拐事件とは異なる、完全な殺人事件。

 

この新たな火種が今、世間を大きく騒がせているのだ。

 

 

 

神楽坂と燐香が遭遇したひったくり犯の惨殺現場。

 

あの事態を皮切りに、氷室区内では裏路地に入った人間が凄惨な死を迎えると言う事件が連続している。

 

悪質性や凶悪性を考慮した警察庁が公安を派遣するとともに、信頼が低落した自分達の風評を改善するためにも早期事件解決の指示を出し、それに応じた氷室署が全戦力を用いて事件対応に当たっていた。

 

つまり今は氷室署の事件解決能力を有する部署はほとんど出張っており、それ以外の業務はおのずとその事件に関わっていない人達で持つことになった訳だ。

 

世間による警察組織の責任追及が過熱しきらなかったのもこの事件があったからだ。

 

報道やネット上では、日本で起きている凄惨な連続殺人事件の話題で持ち切りになっていた。

 

 

 

 

 

(助かったとは口が裂けても言えないが……)

 

 

 

 

 

特別に配布された『連続殺人事件』に関する資料に視線を落とし、そのあまりの凄惨さに顔が歪む。

 

こんな凄惨かつ凶悪な事件でも、独断専行の多い神楽坂を前線には出したくなかったのだろう。

 

こうして事務作業へと詰め込まれてしまっている。

 

 

 

神楽坂が在席する交通課の者もほとんどがそちらに駆り出されており、駆り出されていないのは年を取った者と色々と問題のある神楽坂、それと新人の飛禅飛鳥だけ。

 

事件解決の人員に選ばれなかった神楽坂と飛鳥は出払った人達の残りの業務を何とか片付けるために、せっせと働くことになるのは仕方ない事だろう。

 

 

 

絶望的な状況ではあるが、神楽坂にとって幸いであったのは想像以上に飛鳥が有能であったこと。

 

入りたての新人であるくせに、これまで手を抜いていたのかと思う程事務処理の速度がすさまじい。

 

流石に慣れている神楽坂には劣るとはいえ、交通課に任された仕事量の2割はしっかりと終わらせてくるのだから侮れない。

 

 

 

 

 

「――――よし、細かい修正箇所もなくなってきたな。よくやった。次はこの案件の処理を頼む」

 

「はーい☆」

 

 

 

 

 

持ってきてくれたお茶を受け取りつつ、彼女の提出書類をチェックして新たな書類を渡すが、飛鳥は飄々と書類を受け取り自分の席へと戻っていった。

 

かなり忙しく精神的にも負担があるだろうに、それをおくびにも出さない飛鳥を神楽坂は手放しで称賛していた。

 

 

 

コイツはかなり出来る奴だ。

 

少なくとも本庁にいたコネや学歴だけの連中とは頭の出来が違う。

 

色々と足りない部分はあるが、こういう奴が上に行ってくれれば現場の負担も変わるだろうに。

 

 

 

様々な部署を見てきた神楽坂がそんな風に考えるほど、彼女の能力は飛びぬけていた。

 

 

 

 

 

「とはいえ、流石にこの量をこの人数でこなすのは無理があるな……」

 

 

 

 

 

いかに少人数が優秀であってもやはり限度がある。

 

腫れもののような神楽坂を署に釘付けにするための措置でもあるのだろうが、こんな仕事の分担があって堪るかと悪態を吐いても許されるだろう。

 

 

 

いつでも連絡を取り合えるようにとデスクの上に置いてある携帯を一瞥して、あの小さな協力者からメールが届いているのを確認しつつも、特に返答する気にもなれず山積みになった仕事の消化作業に戻る。

 

 

 

 

 

「――――こっちの張り込みは駄目だった、そっちはどうだ?」

 

「全然尻尾も出さねえよ。リストにある反社会的組織に当たっても今回はどうも関係なさそうだ」

 

「くそっ……おい、外見てみろよ。暇な報道陣が待ち受けてやがる、邪魔ばかりしやがって、裏口を通るようみんなに伝えておくか」

 

「……」

 

 

 

 

 

事件に関わっている奴らの会話を盗み聞いて、神楽坂は自身の目の前で起きたあの惨殺の瞬間を考える。

 

 

 

追っていたひったくり犯と神楽坂の距離はあの路地裏に入るまでにもうあと数歩の距離にいた。

 

路地裏に駆け込んだ時間差は1秒2秒程度の筈だった。

 

だが、男を追って角を曲がった先にあったのは、誰も居ない路地と燐香が辿り着いてから落ちて来た男の惨殺死体だけ。

 

つまりそれだけの短時間であのひったくり犯は惨殺されたのだ。

 

 

 

燐香はこれを異能が関わる事件だと断言した。

 

それはそうなのだろう、そうとしか考えられない事態だ。

 

だが、何が起きたのか全く分からなかった。

 

そして、手口が分かったところで何かできるとも思えなかった。

 

それぐらい現実離れした光景をありありと見せつけられた。

 

 

 

善意の協力者、佐取燐香の『精神干渉』のような超常的な力を持つ異能の力をもってしても、あんな短い時間で大の大人一人を八つ裂きにするようなことが出来るものだろうか。

 

もし出来るような異能があったとして、そんな奴を本当に逮捕することなど出来るものなのだろうか?

 

そしてそれは、唯一の協力者である彼女が持つ『精神干渉』と言う力で、対抗できるようなものなのだろうか?

 

 

 

異能と呼ばれる非科学的な力は分からないことばかりだが、あの子が持つ『精神干渉』や“紫龍”が持つ『煙の力』のように、性能や力の強さには格があるのではないかと思うようになった。

 

……もしも、もしも今発生しているこの事件に関わる異能が、自分が想像だに出来ない様な強力無比な絶対的なものであるなら、ただ事件解決に向かうだけでは、一方的に惨殺されるのが関の山であるだろう。

 

そんな言い訳をして、自分に与えられた事務をただ淡々とこなし、燐香からの連絡を見ないふりをしている。

 

 

 

……いいや、これは自分を納得させようとするだけの無意味な言い訳だ。

 

何とか事件解決の行動を起こさないように、自分を戒めるただの理由付け。

 

本当の理由はそんなことではない――――神楽坂はただ、恐怖したのだ。

 

 

 

自分の命を落とす可能性に、ではない。

 

異能の力から守るため引き摺り倒された時に触れあった自分よりも頭2つ分小さく幼い少女の命が失われる可能性を考えて、急に恐ろしくなったのだ。

 

 

 

神楽坂は警察官として事件を捜査して、超常的な事件を追い続けた。

 

長く険しい道のりで、理解者は無く、心が折れることも1度や2度ではなかった。

 

だから、ようやく見つけた超常現象の取っ掛かりを必死に手繰り寄せようと、深く考えず、ただ人よりも少しだけ才能のある学生を犯罪事件に巻き込んだ。

 

きっと超常的な事件を追う上でそれは必要なことだったのだろう。

 

 

 

それは理解している、だが――――

 

 

 

――――それは本当に、一人の警察官として誇れることだったのか。

 

 

 

そんな疑問が鎌首をもたげ、神楽坂に深く噛み付いた。

 

 

 

 

 

異能が関わる事件は恐らく危険なものだ。

 

警察官でさえ命を落とすし、警察官の関係者でさえ標的にされ、その手段は人の想像を超えてくるだろう。

 

気が付かぬうちに命を落とすこともあるだろう、理解できぬうちに絶望的な状況に陥ることもあるだろう。

 

あの無差別殺人事件に出くわした時、燐香に引き倒されていなければ、もしかすると自分は死んでいたのかもしれない。

 

自分の生死に関わることですら、現場に出くわした異能を持たない神楽坂には分からないのだ。

 

 

 

だからもし、自分が何も理解できていないまま、あの小さな協力者が自分を庇い血の海に沈んだとして、その責任は誰が取る。

 

家に不審者が侵入した恐怖に身を震わせながらも、姉の安否を涙ながらに聞いてきた彼女の妹に何と言えばいいのだろう。

 

仕事場からずっと走ってきて、娘の無事を知って座り込んでしまうような優し気な彼女の父親にどう謝れば良いと言うのだろう。

 

 

 

目の前で惨殺されたひったくり犯を見て、そんな恐怖が急に噴き出して、ぞっとした。

 

人を殺すことに何の引け目も感じていない相手の前に、ただ才能があるだけの少女を連れ出そうとしていたのかと、息が止まった。

 

 

 

 

 

「……違うよなぁ。それは多分、間違ってるんだよな」

 

 

 

 

 

そう、間違っている。

 

警察官を志した神楽坂ならともかく、何の選択もしていない子供を無理やり危険な場所に引き摺り込むわけにはいかないのだ。

 

少なくとも、今回の様な明確な危険が伴うような、殺人事件などには協力を求めるべきではない。

 

例えそれで神楽坂が夢半ばに倒れることとなったとしても、警察官として越えてはいけない一線なのだと思った。

 

 

 

そっと携帯に写った燐香からの心配するような連絡を消して、目の前の資料に集中する。

 

ただでさえ組織はこれ以上神楽坂に事件を捜査させないよう釘付けにしようとしているのだ、一般人に危険を及ぼしてまででしゃばるべきでないなんて考えていた神楽坂に声がかかった。

 

 

 

 

 

「神楽坂ァ、久しぶりじゃねえか」

 

「っ、柿崎かっ!? なんでお前がここに……」

 

 

 

 

 

強面の男。

 

到底まともな職種に就いているとは思えないような恐ろしい容姿をした男がデスクにいた神楽坂の背後に現れる。

 

 

 

見知った、と言うより、昔よく見たその強面は警察学校時代からさらに巌のような恐ろしさに磨きがかかっている。

 

神楽坂上矢の同期であり、全国警察において最強の男とも呼ばれる、柿崎遼臥(かきざき りょうが)だ。

 

 

 

神楽坂と相対して、にやりと笑った筈の柿崎の顔は般若のようだ。

 

 

 

 

 

「殺人事件がこの地域で連続してるだろう、あれを解決するために本庁から派遣されたんだ。テメェが異動した場所だから俺だって来たくなんか無かったが……なんだテメェ、この事件に関わってすらいねェのかよ」

 

「……俺が好き勝手やるのが目障りらしい。署で事務をやってろと厳命された」

 

「はっ、情けねェ面しやがってよォ。殺人事件に怖気付いたのかァ?」

 

「そんな訳がっ……!」

 

 

 

 

 

そこまで言いかけて口ごもる。

 

昔の、それこそ異能の存在を知る前の自分なら上司からの厳命など振り切って事件捜査に当たっていたと自分で分かるからだ。

 

 

 

 

 

「ふん、まあ俺が呼ばれたってことは本庁も本格的に今回の事件には焦りを覚えてやがる。なんたって今回は誘拐事件なんてみみっちい事件じゃねェ、マジの連続殺人事件だ」

 

「……柿崎、誘拐事件にも多くの犠牲者がいて、その人らにとってはまだ何も元通りになんかなっちゃいねえんだ。それを、そんな状況にも関わらず、事件を軽んじるような発言を、警察官であるお前がするんじゃねえ」

 

「俺は俺の価値観に基づいて言っただけだ。誘拐事件なんてコソコソした犯罪を起こすみみっちい犯罪者よりも、真昼間から人目も気にせず他人をぶっ殺す奴の方がヤベェだろうが」

 

「お前っ……!」

 

 

 

 

 

挑発的な柿崎の言葉に神楽坂が席を立ち上がりかける。

 

面白そうに笑った柿崎はそんな神楽坂を迎え撃とうとして、2人を邪魔するように飛鳥が間に割り込んだ。

 

 

 

 

 

「ちょっと、どこのどなたか存じませんがこの忙しい時に先輩の時間を奪おうとするの止めてもらえませんか? 私、絶対に残業はしない派なので定時までに仕事終わらないと困るんですけどぉ?」

 

「あァ……?」

 

 

 

 

 

突然現れた妙な女に柿崎は眉を顰め、その高い身長から飛鳥を睥睨する。

 

普通の人なら腰が引けるような強面の男の眼光を受けてなお、この奇妙な女は一歩も後ろに引かない。

 

 

 

 

 

「ですからぁ、こっちは猫の手も借りたいくらい忙しい状態なんです。そんな中で最大戦力である神楽坂先輩を奪われたらもうどうしようもない訳なんです、分かりますよね? 例え本庁からの臨時派遣員だとしても、普通に迷惑なんですけどぉ?」

 

「…………ちっ……」

 

「……もういけ柿崎。俺にも俺の仕事があるんだよ、さっさとお前も事件捜査に入って、この胸糞悪い事件をとっとと解決してくれ」

 

 

 

 

 

そう言って、席に腰を下ろしなおした神楽坂をつまらなそうに眺めた柿崎は、特に反論せずくるりと背を向けた。

 

柿崎の補佐だろうか、近くで待機していた年若い女性が慌てて荷物を纏めて付いていくが、柿崎はふと足を止めると神楽坂に声を掛けた。

 

 

 

 

 

「…………俺はテメェが不正を働いた幹部を叩き潰したことはよくやったと思ってるぞ。だからこそ、俺はテメェの不遇には同情はしねェ。現状はせいぜい自分で改善することだ」

 

「……分かってる、死ぬなよ柿崎」

 

 

 

 

 

剣呑な筈だった筈の空気の中で、どこかお互いを認めているかのような彼らの会話をした2人に飛鳥は目を白黒させる。

 

 

 

男の友情と言うものは分からない、原始人に近いのだろうかなんてことを飛鳥が考え首をひねっていると、交通課の電話が鳴り出した。

 

鳴っている電話には相手の電話先が表示されていないため、どうやら一般人からの電話を窓口からこちらに回されたらしい。

 

 

 

 

 

「あ、電話出ますね。はーい、もしもーし、こちら氷室署交通課の飛禅です☆」

 

「……電話でくらい真面目な口調で出ろ、全く……」

 

 

 

 

 

鳴り響いた呼び出し音に反応した飛鳥が電話を取る。

 

はきはきキャピキャピと応対していた飛鳥だったが次第に眉を顰め、何か言いたげな目で神楽坂に視線をやってくる。

 

何かあったのかと近づいた神楽坂に、電話口から口を離し、小さな声で質問してくる。

 

 

 

 

 

「……あの、相坂さんって、バスジャックの時の犯人の名字ですよね?」

 

「あ、ああ、そうだな」

 

「なんか、その子供だと思うんですけど、お父さんとお母さんを逮捕した警察官を出せって言ってまして」

 

「はぁ? 子供?」

 

「ええはい、つまり、あの誘拐事件の被害者ってことになると思うんですけど……」

 

 

 

 

 

どんなルートでここに電話を掛けられたんだと頭痛を覚えた神楽坂は、そのまま飛鳥の持つ電話を受け取り相手の要求に応じることにする。

 

あの2人を捕まえたのは神楽坂なのだ、どうせ文句でも言われるのだろうと思いながら電話に出る。

 

電話先から聞こえて来た声は、小学1年生程度の子供の声だ。

 

 

 

 

 

「お前が僕のお父さんとお母さんを逮捕した奴か」

 

「ああ、そうだぞ。何か言いたい事でもあるのか?」

 

「……一度会って話がしたい。お父さん達がいる刑務所の面会に一緒に来てほしい」

 

 

 

 

 

不満そうな声色を隠すことなく直球でそんなことを言うものだから、言葉に詰まってしまう。

 

本来こういうのに応じるべきではないのだろうが、この子の両親は誘拐事件を起こした奴らに脅され精神的に追い詰められ罪を犯したのだ。

 

その引き金となった子供がようやく家に帰って、両親が逮捕されていると知った時どんな気持ちだったのだろう。

 

そう思うと、この子供のお願いはあまり無下にしたくなかった。

 

 

 

 

 

「……分かった明日の昼頃でどうだ」

 

「え……来てくれるのか?」

 

「君が言い出したんだろ。一度あの2人とは話をしたいと思っていたんだ、丁度いい」

 

 

 

 

 

そうだ、解決できたとは言え、子供の安否不明で、警察が本当に解決してくれるかもわからないと彼らの不安を燻ぶらせたのは自分達だ。

 

だから一言、犯罪を行ってしまったとはいえ、彼らには個人的に謝罪をしたかった。

 

そう思って、神楽坂は電話先の子供の提案を了承する。

 

 

 

 

 

「そりゃ……そうだけど」

 

「なんだ、俺と会って悪いことでもする気だったのか? 相手を呼び出してボコボコにするなんて古典的な犯罪だぞ。今年サンタが来てくれなくなるぞ?」

 

「ち、ちげーし!! 明日の昼だからな! 忘れんじゃねぇぞ!!」

 

「おお、今おばあさん達と住んでるんだろ? しっかり着いてきて貰えよ」

 

「うるせー! ばーか! 子ども扱いすんな!!」

 

 

 

 

 

がちゃんっ、と電話が切られる。

 

少しからかい過ぎたかと思うが、きっとそこそこ恨まれる程度が丁度いい。

 

 

 

 

 

「……神楽坂先輩、今の子なんて言ってましたか?」

 

「ん? あー、なんでもねぇよ。少し会ってからかってくるだけだ」

 

「――――……へえ、そうですか」

 

 

 

 

 

それだけ質問すると飛鳥は、にこりと笑って自分の作業に戻っていく。

 

その態度に少し違和感を覚えたものの、神楽坂は明日の約束のために今のうちにある程度の仕事を終わらせるかと意気込んで、目の前の書類の山を崩しにかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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不適格な巡り合わせ

 

 

徐々に暖かくなってきた真昼時。

 

 

 

犯罪事件なんかとは無縁な、ひどく平穏でほのぼのとした時間の中、私は窓から降り注ぐ心地よい木漏れ日を浴びながら学校の階段の隅で弁当を突いていた。

 

人によっては他人との交友を深めたり、若しくは自身が所属している部活の練習にわずかな時間も当てている昼休みの時間で、私は一人自分で作った弁当を楽しんでいる。

 

 

 

まだ子供と呼ばれる年齢とは言え、ご飯を食べるときはやっぱり一人で味わって食べるのが品があると言うものだ。

 

立ち入り禁止の屋上付近の階段ならめったに人が来ることは無い、教室で食べるのが気まずいときはお勧めだ。

 

……まあ、普通に友達がいるならその友達と一緒に食べることを推奨するし、本当は私だってそっちの方が良いのだけれども。

 

 

 

いや、別に私の学校生活なんて今は問題じゃない。

 

 

 

 

 

「神楽坂さんからの返答がない……忙しいのかな。でも、早く手を打たないと犠牲者は増える一方だと思うのに」

 

 

 

 

 

なんて、そんなことを私はぼやく。

 

私の頭にあるのは今この地域で発生している異能による殺人事件だ。

 

 

 

私と神楽坂さんが目の前で目撃した『殺人事件』の最初の被害。

 

今はもう、『裏路地の連続殺人事件』と称されるほど有名となったこの事件の新たな被害が、『児童誘拐事件』の解決で落ち着きを見せるかと思われた世間をさらなる混乱へと陥れた。

 

そしてその犯人及び動機や手段に繋がる手がかりなどは得られないまま、もう1週間以上が経過している。

 

 

 

三つ葉入りのだし巻き卵を崩しながら、私は膝に乗せた携帯電話を眺める。

 

朝見た時と変わらない、何の連絡もない携帯電話に困惑しながら、ネットニュースに流れてきた新たな殺人事件の詳細に眉をひそめた。

 

殺人事件はいつも通り、裏路地に凄惨な死体しか残っていなかったようで、ニュースには書かれていないがあんな異能全開な事件で警察が証拠を見つけられる筈もない。

 

おそらく現状なんの手がかりも無いのだろう。

 

 

 

多くの警察官が区内を見回っているのを確認しているが、それでも隙間を縫うように被害者が出続けていることを思えば、どれだけ人員を掛けたところで防止するのは至難なのだろう。

 

 

 

今回のこの事件は誘拐なんて生易しいものでは無い、完全な殺人事件。

 

被害者に共通することは無く、恨みなどによる犯行ではない無差別殺人であることは明らかだ。

 

つまり最悪の場合、私の妹や父親までこの犯人の手が伸びる可能性がある。

 

 

 

だからこそ私は今回の事件の早期解決を図りたかったのだが、ここ1週間私からの必死の猛電話や猛メールはことごとく無視されていた。

 

今思うとあの現場を前にした時の神楽坂さんの様子はおかしかった。

 

凄惨な殺人現場を目の当たりにしてから、私と目を合わせないようにしていた気がする。

 

大きな恐怖の感情を持っていただけだったから特に違和感もなく、深読みすることもなかったが、何らかの事情を抱えていた可能性も捨てきれない。

 

 

 

 

 

「私としてもこの一件は長いこと放置したくないのに……神楽坂さんのばーか」

 

 

 

 

 

とりあえず犯行現場は共通して路地裏であることから、人気の少ない場所には絶対に行かない様にとお父さんや桐佳には言い聞かせているが、それでどこまで安全と言えるかは分からない。

 

 

 

 

 

「もう、こうなったら私一人でも……」

 

 

 

 

 

そんなことを考えながら、練習がてら異能を発動させる。

 

『精神干渉』、つまり、言ってしまえば他人の思考に干渉し読心や誤認識をさせるだけのもの。

 

長らく付き合ってきたこの力だが、正直強力な異能を前にして正々堂々とやり合えるほど強力とは言えないのは事実だ。

 

異能をガンガン使っていた頃とは違い結構なブランクもあるし、出来れば使用感覚を思い出しておきたい。

 

 

 

“紫龍”と対峙してみて思ったが、やっぱり相手の思考を誘導して無力化するのは時間がかかりすぎる。

 

前に家に侵入してきたおじさんくらいなら時間稼ぎをしつつもゆっくりと思考の誘導を行えたが、同類相手じゃそれも難しい。

 

結局は派手で、直接相手に影響を及ぼせる技に頼る必要がある訳だ。

 

つまり、“紫龍”を倒したあの技の練度を上げておくのは必須という訳だ。

 

 

 

 

 

「これ、私あんまり好きじゃないんだけどな。目立つし……」

 

 

 

 

 

感情波、もしくはブレインシェイカー。それがあの指パッチンの名前だ。

 

名前の通り、指から鳴らした音に乗せたおよそ数百人分の精神に干渉する“揺れ”を耳から相手の脳に直接届ける技。

 

人間の脳は限度を超えた感情を感知すると身を守るために意識を失う特性があり、それを利用した“精神干渉”の応用がこの技だ。

 

基本的に備えていなければ数分から数十分の失神を引き起こせる便利なものだが、理屈が分かれば対策もされやすく効果もまちまちで正直私はそれほど信用を置いていない。

 

 

 

けれども数少ない、私の相手を直接攻撃できる技であるし、なんとか使える程度には練度を上げたいと思っているが、今の私の出力では中々うまくいくものでは無い。

 

 

 

 

 

「出力を上げる訓練をするか、それとももっと効率の良い方法を考えるか……」

 

 

 

 

 

神楽坂さんと共に遭遇した最初の事件。

 

あの時感知した異能は確かにかなり遠方からの攻撃を可能にする使い勝手の良いものだったが、能力の出力とは裏腹に練度はお粗末なものだった。

 

 

 

殺傷能力は高くとも、あれでは100回やっても私には届かない……と思う。

 

だが逆に言えば、私は対処できる相手ではあるものの、神楽坂さん達のような何の異能も持たない人達ではなす術がない。

 

もしも今、神楽坂さんが事件解決に向けて尽力しているのであれば、あまりに危険だ。

 

 

 

 

 

「……ふんっ……ふんっ……! あ、あれ、上手く指が鳴らない……」

 

 

 

 

 

思ったように音が鳴らず、指パッチンをしようと何度も挑戦してみるが、出るのはただこすれるような音ばかり。

 

“紫龍”とやり合った時や、あの暴力男の護衛を倒すのに使った筈であるのに。

 

 

 

 

 

「ま、まあ私って本番に強いタイプだし……」

 

 

 

 

 

1回、2回なんとか成功した時点で指が痛くなってきたので諦める。

 

まさか指パッチンの練習までしなくてはいけなくなる日が来るなんて思ってもみなかった。

 

 

 

 

 

そろそろお昼休みが終わる頃かと、食べ終えた弁当箱を片し立ち上がりかけたところで、下の階の廊下が騒がしくなり始めたことに気が付く。

 

 

 

野次馬根性で騒がしい方へと向かっていけば、騒がしいのはどうやら私のクラスであるようだった。

 

騒いでいる人垣の隙間から原因を窺えば、人垣の中心には春からずっと不登校を続けていた派手な金髪をしてる女子生徒が不機嫌そうな顔で席に着いている。

 

どこぞで喧嘩してきた後なのか、包帯や湿布で顔や腕は覆われていて、見ているとずいぶんと痛々しい。

 

 

 

 

 

(痛々しいけど……どうせ不良同士の喧嘩だろうし、こういう不良の人と関わり合いになりたくないから、そっと距離を取ろう)

 

 

 

 

 

どうしたの? 事件にでも巻き込まれたの? と言う周囲の問いかけを心底うっとおしそうに顔をしかめていた女子学生(名前もよく覚えていない)だったが、視線もやらず音も出さず隣に位置する自分の席に腰を下ろした私の存在に彼女は目ざとく気が付くと、目を丸くした。

 

 

 

2度見され……3度見された。

 

それ以降彼女は、必死に視線を向けない様にする私の横顔をガン見し続けてくる。

 

 

 

 

 

(ひっ……な、なんでこの人私をガン見してるの……? )

 

 

 

 

 

私の決死の知らんぷりなどまるで関係ないようで、見るからに凶暴な不良少女は獲物を見定める蛇のように私を見つめて視線をそらさない。

 

そして、彼女は次の行動に出る。

 

 

 

 

 

「あ、あっ、あのさっ……!」

 

「ひぃ!?」

 

 

 

 

 

何が見るからに素行不良な彼女の興味を引いてしまったのか分からない私は、声を掛けられ思わず悲鳴を上げてしまった。

 

 

 

目を丸くする周囲となぜかショックを受ける不良少女。

 

私に向けて伸ばしていた手を所在なさげにふらつかせた彼女は、他の人に向けていたトゲトゲしい雰囲気がどこに行ったのかと思う程、弱弱しく柔らかな、それこそ初恋の相手にどう接すればいいか分からない乙女のように声を掛けてくる。

 

 

 

 

 

「あ、あの、あなたのお名前は……?」

 

「……え、は? さ、佐取燐香です……」

 

「佐取……燐香……」

 

 

 

 

 

噛み締める様に復唱した不良少女の真意が分からず戸惑うばかりだった私は、思い切って異能で彼女の心情を少し深くまで読み取ることにする。

 

 

 

何がどうなってこうなっているのか分からないが、私の“精神干渉”の力は最強だ。

 

どんな素行不良の奴が相手だって、この力の前ではすべてがつまびらかとなるのだ。

 

 

 

そうして探った彼女の真意は――――

 

 

 

 

 

「あ、あの、佐取……さん。私とお友――――」

 

 

 

(友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい友達になりたい)

 

 

 

「――――ひ、ひえぇええぇぇ!!??」

 

「!!??」

 

 

 

 

 

直視させられた強すぎる感情の波に、私は脱兎のごとく逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論を言うとあの不良少女、山峰袖子さんは前に私が助ける形となった暴行を受けていた少女だった。

 

 

 

突然目の前にした、私目掛けた重い感情に思わず逃げ出してしまったが、彼女は別に私に危害を加えるつもりは微塵もなく、ただ自分を窮地から救ってくれた(ぼんやりとだが意識が残っていたらしい)私に対して感謝の感情を持っていただけなのだ。

 

結果、私の無駄な逃亡は逃げ出した先にいた次の授業を担当する教師に捕まり、そのまま教室まで引きずられてしまったのだから、クラスメイトから変な形で浮いただけに終わってしまった。

 

 

 

 

 

以前暴行の被害にあって、想定外にも私が病院まで付き添うことになってしまった少女。

 

酷い怪我で意識なんてほとんどなかった彼女は、どうにも朦朧とする中で混乱する男達の前に現れた私をぼんやりとながらも視認していたらしいのだ。

 

……この子にもしっかりと思考誘導を掛けておけばよかったと今ほど思ったことは無い。

 

 

 

幸いにも、この子はあくまで私が助けてくれたとは理解していても、どのように、ましてやあの複数人の男達を私一人で真正面から叩き潰したとは露ほども思っていないようで、その部分の追及を受けることは無かった。

 

 

 

しかしながら、何の問題もなく万事解決かと言われるとそんなことは無い。

 

じゃあ何が問題か、簡単だ。

 

 

 

 

 

「……さ、佐取さん。私入院してて長い休みを取ってたから。出来れば進んだ部分の勉強を教えてほしいな……」

 

「……」

 

 

 

 

 

懐かれた。

 

友達になりたくない候補ナンバー1の不良少女に思いっきり懐かれたのだ。

 

 

 

金髪なんて言う学生にあるまじき髪色とそのトゲトゲしい雰囲気から、同じようなギャルグループの人達が何とか仲良くなろうとするのを煩わしそうに躱し続けていた孤高の山峰さんが、ボッチ街道猛進中の気弱で大人しい私にやけに執着してくる。

 

 

 

授業を受けてれば私を何度も盗み見る。

 

昼食をとるため教室から出れば追ってくる。

 

トイレに行けばついてくる。

 

そして何かとボディタッチが多い。

 

そんな友達の作り方を知らない幼稚園児みたいなことをいたって真面目にやってくる。

 

絶対に友達になりたくない不良少女が、そんなことをやってくるのだ。

 

 

 

悪いのはそんな状況だけでない。

 

山峰さんの私に対する態度を見て、以前山峰さんと仲良く出来ないかと声を掛けていたチャラチャラした女子グループは自分達と私への態度の差に、苛立ちを隠そうともしない。

 

そのせいでその女子グループの中にいる、私にとって友達になりたいナンバー1の舘林春さんに距離を取られ、全く会話できなくなってしまった。

 

彼女が現れるまでは挨拶くらいは出来ていたのにだ。

 

 

 

しかもこのクラスの担当である教師にとって、前々から友達のいなそうだった私と山峰さんは悩みの種だった。

 

その悩みの種だった2人が、気が付けば近くにいることが多い。

 

クラスのわだかまりを解消するチャンスがやってきていると思った訳だ。

 

となればこのチャンスをものにしようと担任教師は他の教師陣にも根回しして、様々な授業で何かと山峰さんと私を組ませるように仕向けやがった。

 

外堀があっと言う間に埋められていたのだ。

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………っっ……」

 

 

 

 

 

授業と授業の合間である今も、こうした無言が続く。

 

ひたすら私の隣の席で機嫌良さそうにしている山峰さんから時折向けられる捕食者を思わせる鋭い視線に、せっかくの休み時間にも関わらず私は気が休まらない。

 

本当なら逃げ出したいが、この教室から逃げ出せば彼女は間違いなくついてくるのでどうしようもない。

 

こんなことなら悪意を持っていじめでもしようとして来てくれた方がやりやすいのに、彼女が持っているのはあくまで、私と友達になりたいと言う想いだけだ。

 

不器用すぎる彼女のアプローチに胃に穴が開きそうだった。

 

 

 

 

 

(死ぬ……ストレスで死ぬ……)

 

 

 

 

 

最近は食欲の低下が激しい。

 

隣に現れたコミュニケーションドヘタモンスターのせいだ。

 

神楽坂さんとはあれからさらに1週間の間まるで連絡が取れない。

 

そのことも精神的にかなり来ている。

 

 

 

 

 

(…………早くクラス替えしないかな……)

 

 

 

 

 

神様お願いします、私は普通の友達が欲しいだけなんです……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

府中市にある刑務所、そこが日本にある刑務所において最大のものである。

 

犯罪者として刑務所に入れられた家族の面会などで訪れるほかは、警察関係者が訪問するのが多いのだろうか。

 

神楽坂がその場所を訪れても職員には全く不思議そうな顔もされず、すんなりと対応される。

 

 

 

約束通りその刑務所に訪れた神楽坂を待っていたのは、上品なおばあさんと電話してきたであろう8歳くらいの少年だった。

 

生意気盛りを体現するような顔をした少年に苦笑いをこぼし、ペコペコと頭を下げるおばあさんに頭を下げないでくださいと声を掛けた。

 

 

 

 

 

「ふん、ほんとに来たんだな――――いてぇ!?」

 

「来たんだな、じゃないでしょう! ああ、すいません、ウチの孫がご迷惑をお掛けして!」

 

「いえいえ、自分も実のところ一度訪れたいと思っていたので構いませんよ。よう坊主、約束通り来たぞ。ちゃんと保護者も連れてくるとは偉いな」

 

「……俺1人で来ても父ちゃんと母ちゃんには会えないし……」

 

「はははは。まあ、それもそうか」

 

 

 

 

 

少年は振り上げようとしていた拳を振り下ろす先が見つからなかった時の様な、所在なさげな顔をしている。

 

大方何かしらの文句でも言いたかったのだろうが、自分の両親を捕まえた神楽坂が想像と全く違っていたのだろう。

 

悪人であったなら……、そう言うような表情で少年はそっぽを向いた。

 

 

 

 

 

「すいませんね、えっと、神楽坂さんでよろしかったですか?」

 

「ああ、はい、その通りです。神楽坂上矢と言います。お好きなようにお呼びください」

 

「まあ、ご丁寧に。私は相坂琴(あいさか こと)と言います。こちらの子は相坂和(あいさか かず)、どうかお見知りおきください。今丁度大変な時なのに、わざわざすいませんね」

 

 

 

 

 

上品な態度を崩さないまま、不満そうな男の子を無理やりお辞儀させるおばあさん。

 

子供や孫に対してもしっかりとした教育を施しそうに見える。

 

急に孫が呼び出しをしたことに対して心底申し訳ないと思っているような態度をしているおばあさんに慌て神楽坂は否定の言葉を口にする。

 

 

 

 

 

「ああ、いえ、私はそちらの事件には関わっていなくてですね。今は事務関係をこなしているだけなんで問題ありませんよ」

 

「え!? あ、あんた今の事件追ってないの!? これまであんなに一杯解決してる人なのに!?」

 

 

 

 

 

やけに過剰に反応したのは少年の方だ。

 

完全に予想外と言った様子で、呆然としているのは少し事情がありそうだった。

 

神楽坂は、こんな時心を読める協力者がいたら一発なんだが、なんて考えて、すぐその考えを振り払う。

 

 

 

 

 

「俺も有名になったんだな。そうだぞ、本当は俺、これまで解決してきた事件を追う担当の奴じゃなかったんだ。だから、本当の担当の人はあまりいい顔しなくてな、今は署にすし詰め状態だ」

 

「……ま、まじかよ……あんた、いないのかよ……」

 

 

 

 

 

難しい顔をする少年にどういうことだろうと不思議に思う。

 

自分がいないことでこの子に不都合があるとは到底思えない。

 

変に早期解決してくれるだろうと期待されていたにしては少し反応が違う気もする。

 

話を詳しく聞こうかとしたところで、刑務所の職員から面会準備が整ったとの声がかかる。

 

 

 

また後ででもと考え、神楽坂はひとまず彼らと一緒に面会場所に入った。

 

 

 

 

 

 

 

面会は神楽坂が考えていたよりもずっと穏やかに進行した。

 

以前の時もそうだったが覚悟していた文句や暴言は無く、むしろ刑務所に入れられているバスジャックを起こした少年の両親には神楽坂に対する感謝も伝えられた。

 

貴方が息子を取り戻してくれたのは知っていると、私達が捕まったのは悪いことをしたから当然だと、穏やかな顔で言われてしまった。

 

一緒にいたおばあさんは彼らの言葉に何度も頷きながら涙ぐんでいたし、口を尖らせていた少年も最後には神楽坂に謝罪と感謝の言葉を伝えてきた。

 

 

 

警察署内では腫れもののような扱いだが、彼らにとっては間違いなく救いになれたのだと、嬉しくなって、神楽坂の方が思わず涙ぐんでしまったのも仕方ないだろう。

 

だから、涙ぐんだ神楽坂を、決まりが悪そうにそっぽを向いた少年と見ないふりをしてくれたおばあさんには感謝しかなかった。

 

 

 

 

 

「――――それじゃあ、今日はこれで」

 

 

 

 

 

神楽坂は刑務所から出て、2人に別れを告げる。

 

まだまだやるべきことは残っていた、だから、このまま休むわけにはいかないと、神楽坂はもう一度体に鞭を入れた。

 

 

 

 

 

「今日は誘ってくれてありがとな。君のおかげで俺ももう少し、頑張れそうだ」

 

「っ……」

 

 

 

 

 

唇を噛んで俯いた少年に、神楽坂は笑いかける。

 

この子も色んな不幸が重なって今の境遇になっているが、優しい人達に囲まれているこの環境なら、きっと大丈夫だろうと安心できた。

 

おばあさんも、刑務所にいた両親も、満足そうで、これ以上ここに残る必要はないと神楽坂が判断するのも、きっと仕方ないことだったのだろう。

 

 

 

――――だから、気が付かない。

 

 

 

少なくとも燐香がいれば、異能を使わなくても気が付けたことに気が付けない。

 

 

 

 

 

「神楽坂さん……俺……」

 

 

 

 

 

囁くように呟かれた声に気が付かないまま、神楽坂は「それじゃあまたお会いしましょう」と少年と祖母に頭を下げてから歩き出してしまう。

 

 

 

離れていく彼の背中に声を掛けて助けを求める勇気は、今の少年に存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




何度も誤字報告頂きすいません、いや、我ながらこんなに誤字脱字があるとは思ってませんでした。とても助かってます、ありがとうございます。


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隠された本性

皆様の応援大変励みになっています。
いつもお付き合い頂きありがとうございます!


 

 

4月末日、東京都氷室区某商店街路地。

 

多くの警察車両及び警察官により商店街は一時的に封鎖されており、ある事件の捜査を任されている捜査員たちは揃って苦い顔をしながら現場の様子を確認していた。

 

 

 

『氷室区無差別連続殺人及び死体損壊事件』。

 

その次なる事件は、数多くの警察官の警戒態勢の中でさえ容易く行われる結果となった。

 

 

 

 

 

「……これも、酷いっスね。うぷっ……吐き気が……」

 

「随分とまァ、いちいち仏を掻き回すのが好きな犯人じゃねェか。これで無差別殺人だってんだから、犯人の狂いっぷりがよく分かるなァ」

 

 

 

 

 

事態を重く見た警視庁の本庁から捜査員として派遣された柿崎遼臥とその補佐である一ノ瀬和美は被害にあった者の見るも無残な遺体に合掌して頭を下げる。

 

 

 

最初のバラバラ事件から続く、路地裏殺人事件はすでに10件を超えた。

 

どれだけ警戒し捜査を進め巡回体制を敷いても、新たな事件の発生は阻止できず、捜査に進展はでてきやしない。

 

辺りを囲む捜査員達の顔には隠し切れない影が映っている。

 

 

 

 

 

「……今回は重機でも使ったような圧し潰した死体、なァ。……この犯人は芸術家気どりだったりするのかァ? いちいちふざけたヤリ方をしやがってよォ」

 

 

 

 

 

柿崎の言う通り、今回の被害者は最初のバラバラ殺人とは違っていた。

 

しかしこのやり方は別に今回が初めてではない。

 

 

 

 

 

「えっと……今回で10件目の犯行なんスけど。そのうちの3件がバラバラ殺人で、他7件が圧し潰したような殺人っスね」

 

 

 

「……前科も何もない普通の会社員っス。ごくごく普通の一般市民っスよ」

 

 

 

 

 

軽く一ノ瀬が状況をメモに残したのを確認してから後の現場検証は担当の者達に任せ、一旦柿崎たちは現場を少し離れる。

 

 

 

 

 

「1日1回のペースで事件を起こすクソ野郎が……一体どんな目的での犯罪だァ?」

 

「それはウチにも分からないっス。前に柿崎さんが言っていた事ですけど、やっぱり明確にそうだとは言いづらくないっスか? ほら、今回は確かに善良な一般市民でしたけど、前回は窃盗とかを過去にやっていた奴が圧し潰されていましたし」

 

「俺が前に言ったのは、バラバラ殺人は“過去に犯罪を犯している奴が被害者になってる”じゃねェ、“現に犯罪を行っている奴が被害者になっている”だ。丁寧に殺す奴を選別してやがる。圧し潰し殺人をする時は、どおやら無差別殺人みたいだがなァ」

 

「え……て、てことは何スか? バラバラ殺人と圧し潰し殺人は別人による犯行ってことっスかっ!? それともなにか特別な意図でもあるって話っスか!?」

 

「そこまでは言ってねェ。あくまでやり方を変える時には法則があるんじゃねェかって話をしてんだよ」

 

 

 

 

 

ガリガリとメモ帳に猛烈に書き込み始めた自身の補佐を胡乱気に眺め、柿崎はたとえば、と前置きする。

 

 

 

 

 

「精密に計画を立ててやるときはバラバラ殺人、突発的にやらなくちゃいけない時は圧し潰し殺人、計画的に犯行してるんじゃなくて必要に駆られて行っている。こういう考え方もできる訳だ。何よりも確定しているのはその2つの手段を選べるだけのカラクリを犯人は所持している訳だァ」

 

「はぇー……流石鬼刑事と呼ばれる方っスねぇ。論理的に犯人への道筋を組み立ててる訳っスね……」

 

「……この考えが100点満点正解なんてことある筈がねェ。どっかしらに歪みはあって、間違いがないとも言い切れねェからな。これ以上犠牲者を出すようなことはしたくないが、推理する材料も証拠も足りなすぎるとなると――――」

 

 

 

 

 

柿崎はそこまで言って口を噤む。

 

それ以上の考えは、少なくともこんな誰の耳に届くか分からない場所では口に出せないからだ。

 

 

 

 

 

(――――被害者には悪いが、もう少し犠牲者が出て貰わないことには犯人の特定までは出来ねェな)

 

 

 

 

 

そんな風に、冷酷な思考を彼は巡らせる。

 

 

 

 

 

「――――柿崎部長、少しお耳に入れたいことが」

 

「あァ?」

 

「じ、実は本庁から柿崎部長宛てに伝言が……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神楽坂上矢は月に一度、どれだけ仕事が忙しくとも必ず休みを取り、決まった場所に訪れる。

 

それは別に誰かに強制される訳でもなければ、訪れたところで何か得るものがある訳でもないものだが、彼は一度たりとも欠かすことなくこの訪問を続けていた。

 

 

 

その日はいつもと同じように、忙しい仕事の中であったが無理やり休みを取って、月の恒例行事を行っていたのだが、いつもと違い人影が1つひょこひょこと後を付いて回る。

 

にやついた顔で後をついてくるのは私服姿の後輩、飛禅飛鳥である。

 

続いていた連勤の中で生まれた貴重な休みをこんなおっさんのストーカーに使うとは、最近の若い奴の気持ちは分からんと神楽坂は嘆息した。

 

 

 

 

 

「せんぱーい。顔が怖いですよぉ、可愛い後輩にプライベートで会えたんだから少しは嬉しそうな顔をしたらどうですかぁ?」

 

「……お前なぁ、せっかくの休みなんだから、わざわざこんなおっさんの後を付け回さなくても……」

 

「えー、だって街中で偶然先輩を見つけちゃったらもう、追いかけるしかないじゃないですかぁ☆ まあ、墓参りに行くのは予想外でしたが、ここまで来たら最後までストーキングに励みます☆」

 

「はぁ……勝手にしろ。言っておくが何の面白みもないぞ」

 

「まあ、私としては先輩といられるだけで1日が充実しますよ……なんちゃって☆」

 

 

 

 

 

「ねえねえドキドキしました?」なんて言い募ってくる飛鳥に拳骨を落とし、目当ての――――恩人が眠る墓石の前でそっと膝を突いて線香を添えた。

 

 

 

涙目で隣に膝を突いた飛鳥も神楽坂に倣って墓石にそっと線香を添え、静かに手を合わせる。

 

流石に、奔放な態度を崩さない彼女も墓の前では大人しくしてくれるようで安心する。

 

 

 

 

 

(常識が無い訳じゃないんだがな……と言うかコイツどこまで付いてくるつもりなんだ?)

 

 

 

「先輩。この墓って、先輩の同僚の方のものなんですよね?」

 

「……ああ、そうだな。3年前に死んだ人で、色々と俺に仕事を教えてくれていた人だ」

 

「知っています。自宅で自殺をしたって言う新聞が残っていました。先輩はその人と馴染みがあったんですね」

 

 

 

 

 

彼女がまだ警察にもなっていない時の事件も勉強しているのを知って、感心する。

 

警察学校時代の、非常に優秀と言う教官の評価は伊達ではないのだろう。

 

 

 

 

 

「…………そうだ。だが、あれは自殺なんかじゃない。自殺とされただけだった」

 

「へえ、まだ神楽坂先輩はそれを信じているんですね」

 

「……どうせ聞いているだろう。『神楽坂は気狂いだ、上司が自殺して、恋人が事故にあって、おかしくなってしまったのだ』と。警察官の癖に、非科学的な呪いや魔術があると妄信している……そんな陰口、俺自身が聞き飽きたくらいだ」

 

「んーと、まあ、そうですね。そこに、まともな警察官になりたいなら出来るだけ関わるな、って言うのが入りますけどね☆」

 

 

 

 

 

軽い調子で茶化してくる飛鳥は、他の陰口を叩く者達と違って神楽坂を見下しているような様子はない。

 

どちらかと言えば、そんなことを言っている周りの人間を馬鹿にしているかのような口調だった。

 

 

 

 

 

「お前……分かってるなら、なんで俺に関わろうとするんだ?」

 

「私ってまともなだけの警察官になんてなりたくないんで、別にーって感じなんですよねー。むしろしっかりと事件を追って、結果を出してる先輩の方が正直尊敬できるって言うか☆ ままっ、そんなことはどうでも良いんですよ☆ それよりも神楽坂先輩が考える、自殺とされた事件の詳細を教えて欲しいんです!」

 

 

 

 

 

「教えてー☆」と言って頬を突いてくる飛鳥の手を軽く払って、ため息を吐いた。

 

 

 

 

 

「お前は大物になるよ、まったく……あの事件が起きる前に、先輩はある事件を追っていた。連続する不審死、何も関連性のないような死亡事件、けれど先輩はそこに何かしらの繋がりを見つけていたのと、少しだけ個人的な理由もあって、当時その部署に入りたてだった俺とともに事件の調査に乗り出した。残念ながら、うちの他の奴らは完全に単なる事故や自殺だと決めつけていたからな、あくまで個人的な調査だった」

 

「うわぁ、それはなんていうか。典型的な職務怠慢をする奴らがいるものですね☆」

 

「それで、ある日先輩から俺の携帯に電話があったんだ。職場に来るはずの時間をとうに過ぎていて、遅刻の理由でも伝えてほしいのかと電話に出た俺に先輩は告げたんだ」

 

 

 

『上矢……もう、この事件は追うな。科学的に証明できない事件は……はぁ……この先、何があっても追うんじゃない』

 

 

 

「……馬鹿な話だ。結局俺には何の詳細も教えてくれないまま、その日、先輩は首を吊った状態で発見された。完全な密室、遺書もあり、指紋や争った形跡もない。自殺の処理をされるのは当然だったんだろう……だが、違う。先輩は自殺をするような人じゃなかった。少なくとも、自殺の前に俺に電話を掛けてその履歴を消すような、そんな行動を理由もなく行う人じゃなかった。少なくとも、死の間際に科学的に証明できない事件なんて根拠のないものを持ち出すような人じゃなかった」

 

「……へえ。それで先輩は追うのを辞めなかった」

 

「そうだ、だから俺の……結婚を約束していた彼女は事故にあった」

 

 

 

 

 

『貴方の信じた道を進んで』

 

先輩の妹で、当時自分の婚約者だった女性からの最後のメッセージが脳裏にこびりついている。

 

 

 

 

 

「植物状態になる前の、救急搬送されている最中に最後に書かれたメッセージがそれだ。俺の考えなしの行動による代償を、まるで彼女が受けることになったとでも言うように。……やけになったんだろう、俺は、ただ1人俺だけが取り残されたようで、自分じゃどうにもできないと分かっていながら、その後も必死になって調査を続けたんだ。俺も殺してくれと言わんばかりに。これまで以上に向う見ずになって、調査をしているのは俺だと犯人に分かるように、叫ぶように必死に調査を続けて――――」

 

 

 

 

 

ずっと胸に燻ぶっていたものが吐き出されるように、話し始めた言葉はとめどなかった。

 

けれど、最後の最後になって、神楽坂は口を噤んでしまう。

 

 

 

だってそれは、決して吐きたくなかった弱音で、言ってはいけない想いの筈だったのだから。

 

 

 

 

 

「――――……それで……なんで、俺だけが何もないまま、生きてるんだろうって」

 

「…………」

 

 

 

 

 

なにもなかった。

 

なにもなかったのだ。

 

 

 

どれだけ調査をしようとも、2人を手に掛けたはずの姿の見えない殺人鬼は神楽坂に何もしようとしなかった。

 

それがまるで見当違いな調査しかしていないと嘲笑されているようで、お前など取るに足らないと言われているようで、神楽坂は絶望した。

 

自分は、事件を解決することも、仇を取ることも、死ぬことさえ出来ないのかと、絶望した。

 

 

 

 

 

「……3年前と言えば、“アレ”が起きる前の出来事ですね。きっと神楽坂先輩がその犯人に襲われなかったのは、決して、神楽坂先輩が取るに足らないと言う訳ではない筈ですよ」

 

「…………ああ、分かってる。自虐が過ぎるとは自分でも分かっているさ。悪いなつまらない話を聞かせて」

 

「いえ、私が話をせがんだので。それにとても興味深い話でした……色々と考えさせられる話ですね☆」

 

「ん、ああ、暇しなかったならいいんだ。じゃあ、そろそろ帰るか。あまり長居するような場所でもないしな」

 

 

 

 

 

閑散とした墓所から離れようと伸びをして、歩き出す。

 

柄にもなく色んな弱音を吐いてしまったような気がする。

 

 

 

 

 

(何やってんだ俺、新人の女にこんな話聞かせて……久しぶりの墓参りだから精神的に参ってたのか……?)

 

 

 

 

 

恥ずかしいところを見せてしまったと言う焦りに、飯でも奢ってやれば口止めになったりしないかと考えながら、数歩歩いた。

 

そして、飛鳥がついてきていないことに気が付いて振り向けば、彼女はじっと神楽坂を見詰めている。

 

 

 

何も言わず、ただ品定めするようにじっと神楽坂を見つめ続けている。

 

少し異様で不気味なその様を、ついこの前見た気がする。

 

 

 

 

 

「……どうした? 昼くらいは奢ってやるぞ、この近くにある定食屋には何度か行ったことがあるんだ。あまり高いものは奢れないが――――」

 

「先輩。先輩は今、刑事課の人達が必死になって捜査している殺人事件どう思っているんですか?」

 

 

 

 

 

異様な雰囲気の飛鳥が投げかけてきたのは、世間話をするようなそんな話題。

 

だが一切笑いが出てこないのは、嫌に感情の無い飛鳥の表情に神楽坂は嫌な予感を覚えているからだ。

 

 

 

 

 

「お前、いきなり何を……」

 

「先輩は分かっているんですよね。あの人達じゃきっと解決できないだろうってこと。どれだけ人員を掛けたとしても、出てくるのは何にも繋がらない点と警察からの死傷者だけだってこと。先輩はどこか確信しているんですよね?」

 

「なにが……言いたいんだ?」

 

 

 

「――――非科学的な力を用いた犯罪事件は存在します」

 

 

 

 

 

断言した。想定外の彼女の言葉に呆気にとられる。

 

 

 

もしや彼女は自分と燐香の関係について察しているのか、それとも自分のように異能の関わる事件を追っているのか。

 

どちらにしてもここで彼女を肯定するのはあまりに危険だと判断した神楽坂が、否定の言葉を口にしようとして、それよりも先に飛鳥が口を開いた。

 

 

 

 

 

「異能と呼ばれる力を持った人間は少数ながらこの世には存在します。異能は人知を超えていて、普通ならあり得ないようなことさえ可能にする、少数の人間に備わった才能です。天才と言ってもいいでしょう」

 

「…………なんでそれを俺に言った、なぜ俺に接触を図る? 俺は確かにそういう存在の捜査を個人で行っているがそういう存在に当てがある訳じゃない。お前の目的はなんだ?」

 

 

 

 

 

普段と異なり、仮面でも張り付けたように無表情な後輩の姿に危機感を覚え、いつでも戦闘に入れる準備をする。

 

 

 

この場所は人が少なく、多少の音を出そうとも周りに察知される可能性は少ないだろう。

 

もしも飛鳥が敵対するつもりなら、この場所に2人きりになったのは完全に間違いであった。

 

真意の読めない飛鳥の様子は不気味で、燐香の姿を連想させる。

 

少なくとも燐香に被害が及ぶのを避けなくては、なんて考えてた時、ようやく飛鳥が動いた。

 

 

 

手提げカバンから取り出したのは、いつか見た青色のお手玉。

 

 

 

 

 

「異能は別に原理法則のないものではありません。異能を使用する際はあくまで使用者の頭部から力が送られ、いずれかの現象を起こしています。つまり何らかの出力が使用者からは放出されるわけで、普段から異能の力を使っている他の異能持ちはその何らかの出力を感知できるんです……簡単に言えば、異能持ちは異能持ちの存在に気が付くことが出来るということですね」

 

 

 

 

 

ポンポンと飛鳥は緊張している神楽坂の前で、軽く投げては受ける遊びを始める。

 

ふざけているのかと思ったのもつかの間、一際大きく宙に投げたお手玉がいつまで経っても落下してこず、彼女も落下してこないことを分かっているのか、受け手である彼女もお手玉のことなど気にせず神楽坂へ向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

「――――私、神楽坂先輩が逮捕してきた男を遠目に見たんですよねぇ。ほら、この前の廃倉庫で暴れまわったっていう奴です。絶対に逮捕できないだろうって言う奴が、呆気なく、何の力も持っていない筈の神楽坂先輩に逮捕されたと聞いて、私がどんな気持ちだったか分かりますか? 私の驚き、分かりますか?」

 

 

 

 

 

近付いてくる飛鳥とはまだ数歩の距離がある。

 

にもかかわらず、ゴツリと、距離を取ろうとした神楽坂の後頭部に何かが押し当てられる感触を感じて、背筋が凍った。

 

この感触は感じたことがある、以前は額に押し付けられた感触だ。

 

間違いなく、飛鳥が持っていたあのお手玉が後頭部に押し付けられこれ以上の距離を取れない様にしている。

 

 

 

 

 

「ねぇ先輩。もう1つ教えてほしいんですけどぉ」

 

 

 

 

 

あり得ない力だ。

 

たかが数グラム程度しかない筈のお手玉が、下がろうとする神楽坂の頭をしっかりと抑えつけている。

 

じゃりじゃりとした感触が分かるほどに、後頭部に押し付けられているこのお手玉の力はあとどれほど強くできるのだろうか。

 

 

 

 

 

「――――異能を持ってる“紫龍”を、どうやって捕まえたんですかぁ、せんぱぁい?」

 

 

 

 

 

クシャリと、歪んだ笑みを浮かべた飛禅飛鳥はもう目と鼻の先にいた。

 

彼女の周りには浮き上がった草木や石に混じり、縫い針の様な鋭利なものまであり、その全てが神楽坂へと矛先を向けている。

 

目の前に浮かぶ小石が宙に浮き、それをまるで自身の手足であるかのように加速させ周囲を飛び回らせ始めたことで、自身の命がすでにこの女に握られていることを知った。

 

 

 

神楽坂は理解する。

 

自身はまた、想像を絶する異能を目前にしているのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 



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蜘蛛の糸

 

「うう゛う゛う゛う゛ああ゛っ……!!」

 

 

 

 

 

普通の家の、どこにでもある部屋の中にうめき声が響き渡る。

 

タオルを口に噛み獣のようなうめき声を上げるのは子供だ。

 

外傷はなく、どこに不調があるのか傍目からは全く見当も付かないその子供の様子は、ひたすら何かに耐えているように見えた。

 

 

 

 

 

「なんでっ、なんで俺ばっかりがこんな目にっ……!」

 

 

 

 

 

涙でくしゃくしゃになったその子供の顔には抑えきれない憎悪が浮かび、その目線の先には飾られた家族写真がある。

 

今はもう失ってしまった幸せなあの時間を奪った奴らが許せない。

 

何1つ悪くなかった筈の自分達を、こんな風に追い込んだ奴らが許せない。

 

善良な人間が裁かれ、悪事を成した人間が罰から逃れる今が、この子供は許せなかった。

 

 

 

 

 

「……俺が我慢ばっかりするのはおかしい……こうして俺が苦しんでいることを、誰も気付きさえしないのにっ……!!」

 

 

 

 

 

そうして彼は、1人孤独に耐えていた衝動を解き放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

超常的な力が神楽坂に向けられていたのがほんの数十分前。

 

片手で数えられる程度しか経験していない、己の命すら諦めかけた瞬間であったものの、今神楽坂は無傷の状態で定食屋の席に腰を下ろしていた。

 

 

 

それどころか、つい先ほどまで得体のしれない怪物のように見えていた後輩が、今は隣で神楽坂が連れて来た定食屋のおすすめを美味しそうに頬張っているところだった。

 

 

 

 

 

「しぇんぱい! しぇんぱい! ここのメンチカツ滅茶滅茶美味しいですぅ☆」

 

「あ、ああ……」

 

「ああっ! お味噌汁のダシも海鮮ものを使っていて、磯の香りが鼻を通ってお米が美味しい!! 先輩先輩! お代わりしても良いですか!?」

 

「好きに、してくれ……」

 

「店長ー!! お代わりください!! 全部!!」

 

「――――おい!? 全部お代わりするのか!? お前、ちゃんと残さず食えるんだろうな!!??」

 

 

 

 

 

先ほどまでの威圧は何だったのか。

 

今の飛鳥は普段通りのキャピキャピ状態に戻っていて、攻撃的な雰囲気は微塵も存在しない。

 

それどころか先ほどなど、神楽坂の前で盛大にお腹を鳴らした飛鳥は「奢ってくれるって言ってましたよね?」なんて言って、定食屋に連れて行けと駄々をこね始めたのだ。

 

 

 

流石の神楽坂もこれには思考を停止した。

 

コイツは前後の空気を考えられない本物のアホなのかと心底疑った。

 

もはや飛鳥の思考の切り替えについていけなくなった神楽坂は思考停止した後、ただのイエスマンになって彼女を定食屋に連れて行ったわけだが、どうやら彼女はここの料理にご満悦らしく、先ほどの会話を全て忘れてしまったらしい。

 

ずっとこの状態から戻らない。

 

 

 

意を決して神楽坂は口火を切る。

 

 

 

 

 

「……おい、それでさっきのお前の提案なんだが……」

 

「え? あー、私と協力して異能の関わる事件を解決しませんか、って奴ですね?」

 

「そうだ……本気なのかお前?」

 

 

 

 

 

死を覚悟して、口を閉ざした神楽坂に目と鼻の先まで迫った飛鳥が提案したのは「協力しませんか?」なんてものだった。

 

正直、意味が分からない。

 

 

 

 

 

「本気ですよぉ。だって私がいれば、異能持ちが分かるじゃないですか? それに異能持ち同士なら、よほど相性が悪くない限りそれなりに戦えますし」

 

「いや、分かる。お前と組むことによる俺のメリットはよく分かってる。だが……分からないのはお前のメリット、お前の目的だ。分かるんだろ、異能を持つかどうかが。だったら俺にはなんの力もないことくらい分かっているんだろ?」

 

「でも実際“紫龍”を捕まえている訳ですよね? 何かしらの対抗手段を神楽坂先輩は持っていると言うことで、それなりの事情も知っているベテラン警察官。正直、争う理由がなければ協力関係を築きたいと思うのは当然な気がするんですけれど」

 

「……まあ、そういう考え方もできるのか」

 

 

 

 

 

協力体制を築くという提案は神楽坂にとって願ってもない。

 

しかしそれは引き換えに、“紫龍”を捕まえられた方法を教える必要が出てくる筈だ。

 

そうなれば、もう1人の協力者、佐取燐香についても話さなくてはいけなくなる訳で、そんな重要な事を神楽坂個人で決めるのはあまりに不誠実な行為だろう。

 

 

 

だから、数秒逡巡して、神楽坂は決めた。

 

 

 

 

 

「……そうだな、俺としてもお前の提案は歓迎したい」

 

「むふふ☆ まあ、そうですよねぇ。今現在進行形で起きている殺人事件を放置なんて出来ないですもんねぇ」

 

 

 

 

 

佐取燐香の情報は可能な限り伏せ、今は連続している殺人事件の解決を優先する。

 

それが神楽坂の選択だった。

 

 

 

店長が持ってきたお代わりをホクホクとした顔で口にして、ご満悦の飛鳥に神楽坂は最後の確認を取る。

 

 

 

 

 

「だが、いくつか確認がある。今回の事件あるいはこれまでの事件でお前は犯罪行為を行っていないんだな?」

 

「それはもう、このメンチカツに誓ってしていないと明言しましょう」

 

「……メンチカツ……まあいい、それとお前の最終目標を教えてくれ。俺だけ最終的な目標を知られているのは不公平だろ?」

 

「んー、まあ、先輩と同じです。とある異能持ちを追っているって感じですね。あ、一緒とは言いましたが、同じ人物じゃないですよ。それは確定しています」

 

「詳しくは言いたくないっていう訳か、まあ良い。それならそれで」

 

「言いたくない訳じゃないですけど……ほら、あれですよ。“顔の無い巨人”って言う都市伝説くらいは聞いたことありますよね?」

 

「か……顔の無い巨人?」

 

「え、うそ、知らないんですか? ほら先輩の先輩が自殺したことにされた事件のすぐあと、3年前に起きた全世界無犯罪の4カ月間。よく言われるのは『三半期の夢幻世界』、おそらくそれの元凶と言われてる奴です」

 

「あー……ああ、そんなことが……あったな、確か……」

 

 

 

 

 

視線を逸らして何とか思い出すが、どうにもそのあたりの事はおぼろげだ。

 

何せ、上司の自殺と恋人の不幸が重なってからすぐの事である。

 

事件捜査以外のことは何もやっていなかったし、情報収集もまともにやっていなかった。

 

 

 

 

 

「私多分ですけどソイツに会ったことあるんですよねぇ。それでなんて言うか、異能を無理やり使える様にされたと言うか……才能を開花させられたと言うか……。それで、自分でも恨んでいるのかどうかが分からないんですけど、もう1度会って、色々聞きたいことがありまして。そのために私警察官を目指したんですよね。まあ、簡単に言うと、自分探しの旅みたいな☆」

 

「……異能を開花、だと……だから、異能が関わる事件を追っていけばいつかソイツに会えると」

 

「そうなんですよぉ、でも予想以上に警察って異能の関わる事件を認めてなくて、ぜーんぜん情報が無くて、このままじゃ警察にいても意味ないなーって思ってたところで、先輩が“紫龍”を捕まえて来たじゃないですか? もう、これは接触を図って色々と協力してもらうほかないなって☆」

 

「それで俺はターゲットになった訳な」

 

「はい☆」

 

 

 

 

 

口元に米粒を付けてニコニコ笑う飛鳥に呆れ顔を向け、ティッシュで米粒を取ってやる。

 

コイツの目的は分かった、話が本当なら争う理由もないだろう。

 

後はせいぜいそれなりの関係を築き、嘘を吐いているのかどうかを燐香に視て貰えばいい。

 

 

 

そう判断して、神楽坂はとりあえずの協定を飛鳥と結ぶ。

 

 

 

 

 

「――――じゃあ、いつまでも押し付けられた雑用ばかりやってないで、この殺人事件を解決するために動くか」

 

「ひゅー☆ 先輩、かっこいいですよぉ! あ、もう一杯お代わりしてもいいですか?」

 

「それはお前がしっかりと今回の事件を活躍したら奢ってやる。良いから行くぞ、あんまり腹に詰め込むと動けなくなるからな」

 

「それもそうですね☆ 腹八分目が丁度いいって言いますもんね☆」

 

「……お前、そんだけ食って腹八分目なのか……」

 

 

 

 

 

伝票を持って会計をすると、以前男数人で来た時よりも上の金額が掲示され愕然とする。

 

警察署では手作り弁当とか言って、ミニマムサイズの弁当箱を持ってきていた女と同一人物とは思えない量を食いやがった。

 

支払いを終えた神楽坂に、飛鳥は「ごちそう様です☆」と無垢な笑顔を向けてくるものだから、脱力しながら許してしまう。

 

悲しい男のサガである、これだから女と言う奴はズルいのだ。

 

 

 

 

 

「ん? ちょっと待て、着信が……」

 

「えー、誰からですかぁ? もしかして他の協力者だったりなんてー」

 

「待て近寄るな、人の携帯を覗き込むなっ!」

 

 

 

 

 

連絡を絶っていたとはいえ燐香からの通話すらブロックしていた訳ではない。

 

もしも燐香からの通話だったらと、擦り寄ってきた飛鳥から見えない様に空間を確保して、着信相手を確認する。

 

 

 

 

 

「……署からだな。定時連絡かなにかか」

 

「なーんだつまらないですねー」

 

「ちょっと口を噤んでろ、お前といることがバレると後々面倒だからな――――はい、神楽坂ですが」

 

 

 

 

 

口の減らない後輩を押しのけながら通話に応じれば、焦り口調の同僚に通話が繋がる。

 

次いで告げられたのは、訃報だった。

 

 

 

 

 

「警察から死者が……そうですか、アイツが」

 

「えっ、せんぱっんぐぐっ……!?」

 

「はい、はい。分かりました、それでは」

 

 

 

 

 

声を出そうとした飛鳥の口を塞ぎ、通話を切る。

 

警察から死者が出ることを覚悟していなかった訳ではないが、顔見知りが亡くなったと聞かされるのは小さくない衝撃を与えてくる。

 

そういう経験してきている神楽坂ですらそうなのだから、経験のないであろう後輩ならもっと衝撃は深刻な筈だ。

 

 

 

眉間にしわを寄せて考え込んでいる飛鳥にどう伝えるべきか悩んでから、彼女の手を掴む。

 

 

 

 

 

「聞いての通り、警察にまで手を出すようになった犯人にはもう自制なんてものは無いだろう。これまで以上に被害者は増えていくはずだ」

 

「……先輩、これからどうやって動くつもりですか?」

 

「これまで捜査には全く関われてなかったからな。科学的でないものが相手だと分かっているのに今から地道に証拠集めなんてやってられない。俺は勘のまま動くぞ」

 

「じゃ、じゃあ私は……」

 

「お前も俺と一緒に来い。それで、異能持ちを見つけた際はすぐに俺に知らせろ。虱潰しにしていくぞ」

 

 

 

 

 

勘に従うなんて自分でも馬鹿げていると思うが、それでも神楽坂はある程度の勝算を見込んでいた。

 

 

 

見るだけで容疑者を絞れる後輩の存在や、連続事件が氷室区内でのみ発生していると言う範囲の狭さ。

 

なによりも、確証はなくとも違和感を感じていた部分がある。

 

ほんの数日前に会った、あの少年の態度には引っかかるものが少なからずあったのだ。

 

 

 

 

 

「1つ教えろ飛禅、他人の手で異能が開花する可能性はあるんだな?」

 

「えっ、えっと、私はそうでしたけど……?」

 

 

 

 

 

そして思い出すのは、あの少年を助け出した時に監禁されていた場所のことだ。

 

薬品やデータがほとんど残っていなかったが、何かしらの研究を行っていたのは間違いないであろう設備。

 

 

 

ほんの少しあったそれらの疑いが少しだけ繋がった。

 

 

 

 

 

「……俺にとって異能って言うのは未知だ。生まれ持って備わっていたものだと考えていたから、どういうきっかけでそれが開花するか考えたこともなかったが……」

 

「ちょっと先輩っ! 何か心当たりがあるなら、1人でぶつぶつ言ってないで教えて欲しいんですけどっ」

 

「……“児童誘拐事件”はまだ続いてるかもしれないって話だ」

 

「はい?」

 

 

 

 

 

見れば分かる。

 

容疑者を絞って見るだけでそれが異能持ちかどうか判明する、なんて、そんな手があるなら、こんな事件は昔1人で非科学的な事件を追っていた時よりもずっと簡単だ。

 

そしてもしも、この事件の詳細が自分の考えている通りなら、心底、もう1人の協力者であるあの少女と共にこの事件を解決しなくてよかったと思った。

 

 

 

 

 

「俺の考えが正しければ、この事件にはきっと救いがない」

 

 

 

 

 

そういう事件も、神楽坂は経験済みだから。

 

苦い記憶と共に、今は隣にいない燐香へそんなことを思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

 

 

 

氷室区にある駅前のゲームセンターの一角がにわかに騒ぎ立ち、普段その場所でゲームをしている人達が人垣を作り、今まさに格闘ゲームを繰り広げている2人を囲んでいる。

 

興奮を隠しきれていない周りの様子から、格闘ゲームを行っている2人の高い技量が伺えるが、その試合内容は一方的だ。

 

 

 

防戦一方であり、苦しい戦いを強いられている男は瞬き一つせず必死に画面を凝視して反撃の目を探っている。

 

 

 

 

 

「す、すげぇ……あの鉄っちゃんを一方的に……」

 

「あの女の子ここの常連じゃねぇよなっ? もう12連勝だろ!? 」

 

「……いや聞いたことがあるぞ、この氷室区には時折ゲーセンに訪れる女子学生がいて、それが恐ろしいほどに強いと言うのを……! だが、まさかそれが格ゲーの鉄と呼ばれる鉄っちゃんを凌ぐほどだなんて信じられる筈が……!! あ――――」

 

 

 

「ぐおおおおおっっああああ!!!!!」

 

 

 

「「「て、鉄っちゃーん!!!???」」」

 

 

 

 

 

起死回生の決死のカウンターを、まるで分かっていたかのように躱して、格ゲーの鉄はとどめを刺され絶叫を上げる。

 

ゲーム台からひっくり返り、呆然と天井を見上げる鉄を彼のファンたちは駆け寄るが、勝利した少女はつまらなそうにゲーム台から立ち上がりそれらを見下ろす。

 

 

 

 

 

「――――まだまだですね。ですが、楽しめました」

 

 

 

 

 

勝利を誇るようなこともせず、颯爽と踵を返して去っていく少女の様子に、対戦相手であった格ゲーの鉄やそれを知る者達は畏怖の眼差しを向ける。

 

……が、当然勝者であるこの少女の内心は、彼らの羨望を華麗に受け流すほどクールなものでは無い。

 

 

 

 

 

(へへへ、13連勝。声援も罵倒も尊敬の念も全部が心地良い! やっぱり私って最強ね!!!)

 

 

 

 

 

少女、佐取燐香は自身がなした成績を思い返して、内心全力で自画自賛する。

 

気を抜けばほころんでしまいそうになる口元を必死に抑えながら、有頂天のままざわめきを残すゲームセンターを後にした。

 

 

 

本来燐香はゲームは好きではあるが、騒ぎになるほど目立ったことをするのは好きではない。

 

こうやって今日みたいな目立った無双なんてこれまでやりたいと思ったことすらなかったのだ。

 

 

 

だが……、家での妹からの反抗的な態度、学校でのストーカー被害、協力している筈の神楽坂からの無視。

 

無意識の内に溜まっていったそれらのストレスが日々積み重なっていき、割と器の小さい燐香はすぐにストレス限界を迎えていた。

 

その結果、少しだけ時間が出来た燐香はゲームセンターが目に留まり、衝動的にストレス解消の為に格ゲーで遊んでいる人達をぶっ倒しに走ってしまった、という訳だ。

 

 

 

 

 

(時間的には少し居すぎたくらいだけれど……まあ、楽しかったから、し、仕方ないし……)

 

 

 

 

 

駅前の大きな時計を視界に入れて、間もなく待っていた時間が来ることを確認する。

 

もう間もなく、燐香が予測した犯行時間がやってくる。

 

 

 

 

 

(……さてと、今回は前に私が見たバラバラ殺人の方が起こる筈だけど)

 

 

 

 

 

もちろん燐香だってただ時間を潰していた訳ではない。

 

連絡の取れない神楽坂はもう放置して、自分1人で事件解決に当たることとしたのだ。

 

そのために、これまでの事件から燐香は仮説を1つ立てた。

 

 

 

今世間を騒がせている凄惨な殺人事件であるが、それらの事件は大きく二つに分類できる。

 

1番最初に発生したバラバラ殺人と重機で押しつぶしたような殺人事件。

 

順不同に起こるそれらの事件はほとんど同じ条件下で行われるが、重機で押しつぶしたような殺人事件の方は全く時間に関連性や規則性がない。

 

だが、バラバラ殺人の方は違う。

 

 

 

42時間ごと。

 

1時間ほどの時間差はあるが、およそ42時間ごとにバラバラ殺人は行われている。

 

それだけではない。被害者も、ほとんどが犯罪を行っている者や何かしら人に害を与えようとしている者、つまり悪人に限られている。

 

つまり、次の犯行時間が予測出来る余地があり、対象を選別する過程がこちらの事件には間違いなく存在する。

 

 

 

 

 

(警察が同じような結論に辿り着いてるか知りたかったりしたんだけど……まあ仕方ないかな)

 

 

 

 

 

被害者になりえそうな人はいないかと周囲を見渡しながら通りを歩く。

 

 

 

前に神楽坂さんと待ち合わせをして、殺人事件に遭遇した場所だ。

 

駅前の通りは普段であれば人が賑わう場所であるはずなのに、殺人事件が連続している今は人通りが少なく、どこを見ても制服を着た警察官が巡回しており、一般人のほとんどが複数人固まって行動しているように見受けられる。

 

緊張状態、そうはっきりと言えるほどのピリついた空気が街中に流れていた。

 

 

 

そんな中で、1人警察に難癖をつけている中年男性を見つける。

 

夕暮れのこの時間ですでに出来上がっているのか顔を真っ赤にして、酒瓶を片手に持って荒々しい口調で巡回していた警察官に言いがかりをつけているようだった。

 

終いには言いたいことを言い終わったのか、唾を吐きながら去っていく中年男の姿は、悪人を狙っている犯人から見たら絶好の的だろう。

 

 

 

 

 

「……出来すぎなくらい良い獲物ですね」

 

 

 

 

 

ふらふらと千鳥足で去っていく男を軽く追いかけつつ、自分の幸運に驚く。

 

前にもこんな感じの幸運があった気がする、今まで自分では不運な方だと思っていたけどもしかするとそんなことは無いのかもしれない。

 

 

 

もう1度時計を確認して、もっと男との距離を詰めようかと考えていると、一瞬寒気が走り身震いする。

 

異能の発動を感知した訳ではない……これは……。

 

 

 

 

 

「あ……燐ちゃん」

 

「ぴっ!?」

 

 

 

 

 

不良少女、ストーカー、またの名を山峰袖子。

 

燐香のストレスの一因である。

 

と言うか、燐ちゃんてなんだ、といきなり付けられた渾名に困惑する陰キャ燐香は、盛大にビビり何もできないまま袖子に距離を詰められる。

 

 

 

 

 

「き、奇遇だね燐ちゃん」

 

「あ、あああ……は、はいぃ……」

 

 

 

 

 

すっかり苦手意識が付いた燐香はくるみ割り人形のようにガクガクと体を震わせながら返事する。

 

それに対してストーカー袖子は、自分の金髪を弄りながら、憧れの人にあった子供のように顔をほころばせている。

 

 

 

 

 

(あば、あばばばばばっ……!! な、なんでこの人がここにっ、完全に撒いて逃げて、時間も潰したのになんでっ!?)

 

 

 

「あのね燐ちゃん。も、もうすぐゴールデンウィークでしょ? 長い休みだから、どこか行こうかなって考えてるんだけど……」

 

「う、え、あ、いい、いいんじゃないですか?」

 

「本当? よかった。じゃあまた予定が決まったら連絡するね。あ、そのためにちょっと携帯貸して。私の連絡先入れておくから」

 

「え…………え?」

 

 

 

 

 

するりと取られた燐香の携帯電話は素早く操作され、ストーカーさんの連絡先を入れられるとともに連絡先も彼女に取られてしまう。

 

呆然としている燐香の手の中に戻った携帯電話には、家族以外にほとんど登録されていなかった他人の連絡先が登録されている。

 

 

 

嬉しくないこともないが、微妙な気分になる。

 

 

 

 

 

「えへ、燐ちゃん。私達友達みたいだね」

 

「ひぇ……」

 

 

 

 

 

いや、やっぱり怖い。

 

再びガタガタと震え始めた燐香だったが、そこで周囲がざわついたのに気が付いた。

 

前方から男の助けを叫ぶ声、見れば先ほどの警察官に言いがかりをつけていた男が倒れており、目に見えない何かに路地裏に引き摺り込まれそうになっていた。

 

耐える様に植込みの小さな木を掴んでいるが、相当な力で引っ張られているのか、掴んでいた木が根元から折れかけている。

 

 

 

 

 

「な――――なに、あれ……?」

 

 

 

 

 

袖子は目の前の光景に唖然として呟く。

 

 

 

ポルターガイスト、テレキネシス。

 

物を浮かせたりするそんな現象が頭を過る目の前の光景は、一般人の目からすれば極めて異常だ。

 

大の大人が必死に木にしがみつき、何もない筈の男の足は何かに引っ張られるかのように宙に浮いている。

 

これを科学的になんと言えばいいのだろう。

 

 

 

騒然とする周囲と慌てて駆け寄ろうとする巡回の警察官。

 

だが、助けに入ろうとした警察官が近づくよりも早く、掴まっていた植込みの木がついに折れ、男が引き摺られながら路地裏へと取り込まれようとして――――。

 

 

 

 

 

――――パチンッ、と燐香が指を鳴らした。

 

 

 

その瞬間、男を引き摺っていた目に見えない力が消え、ドサリと地面に落ちて自由になった男は慌ててその場から逃げ出して警察官に縋りつく。

 

ざわつきが伝染し、何が起きたのかと騒ぎの原因を探そうとした人々の目が蒼白になって怯えている男に向かう。

 

そんな人達の意識の隙間を縫って、燐香は男が引き摺り込まれようとしていた路地裏へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

(……なるほど。“糸”かつ、設置するタイプの異能。蜘蛛の糸と言う方が解釈的に合ってるかな。咄嗟だったから出力に出力をぶつけて怯ませたけど……)

 

 

 

「まだ来ますよね、分かってましたよそれくらい」

 

 

 

 

 

襲い来る異能を回避する。

 

雑で、使い慣れていなくて、力に翻弄されているだけのそんな攻撃は運動できない燐香でも回避は容易。

 

そして、相手側から異能の出力があると言うことは、それを辿って逆探知することも容易であり、こうして少し時間を稼げば。

 

 

 

 

 

「――――みつけた」

 

 

 

 

 

相手の場所を捕捉するくらい訳はない。

 

 

 

眼前に迫っていた異能の糸を掴み取ってそう言った。

 

糸から伝わってくる感情は驚愕と恐怖に満ちており、反撃されるとは微塵も思っていなかったことが伺える。

 

 

 

そして、その瞬間、相手側が逃げる様に異能の出力を停止した。

 

手の中にあった糸が消えて、あっと言う間に路地裏は静寂に包まれる。

 

もう、辺りから異能の感知は出来なくなった。

 

 

 

手の中にあった糸の感触を思い出すように何度か手を握りなおして、燐香は自分の推理の正しさと手に入れた手掛かりに満足したように笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

「さてと……明日は学校休みでご飯は作り置きがあるから、私としては今からだっていいんですよね」

 

 

 

 

 

異能出力の最大範囲外を闇雲に辿るのは難しい。

 

だが相手の出力が分かっている状態であれば、数キロ離れた場所の特定も可能である。

 

しっかりと記憶した相手の場所の位置を思い返しながら、燐香はICカードを取り出して駅へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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報いの数

 

 

 

本庁から派遣された捜査員、柿崎遼臥は秘密裏にもたらされた本庁からの情報に険しい顔を隠し切れないまま、1人思考を巡らせていた。

 

つい先ほど来た、連続殺人事件の捜査をしていた氷室署警察官から死者が出たと言う情報と合わせ、柿崎は深い思考の底へと入り込んでいく。

 

 

 

もしも、いやしかし、だとすると。

 

そんな着眼点が次々にひっくり返るような思考の連続に、深くため息を吐いた柿崎の大きな巨体は普段以上に小さく見えた。

 

だからだろう、彼の補佐として派遣された一ノ瀬が心配そうに柿崎に声を掛けたのは。

 

 

 

 

 

「あの、柿崎さん? 何か心配事でもありましたっスか?」

 

「……いや、なんでもねェよ。ただ、ついに警察官から犠牲者が出たってことは、犯人はきっとこの程度の捜査能力ならもっと暴れても問題ないと判断したか、何かしらに痺れを切らしたか。どちらにせよ、これまで以上に活発に動き回るだろうと思っただけだ」

 

「そ、そうっスよね……私達も、標的になりえる訳っスもんね……」

 

 

 

 

 

顔を青くしてガタガタ震え始めた一ノ瀬の姿に、さらにため息を吐いた柿崎は何でこんな新人が自分の補佐なんて……、と呆れかえる。

 

警察学校時代はかなりの好成績を残したと聞いたが、それでも現場と学校の授業は違うのだ。

 

子守りなんて柄じゃない、そんなもの神楽坂にでもやらせておけ、とそこまで考えて柿崎はまた自分の悪い癖に気が付く。

 

 

 

同期の神楽坂を何かと気にしてしまう悪い癖。

 

今でこそ全国警察最強と言われている柿崎だが、学生時代神楽坂に負けて以来一度も彼にリベンジを果たせていないのが元々の原因だ。

 

柔道剣道拳銃逮捕術、なんでもこなせるゆえに、何かしらでいつかリベンジできると思っていた柿崎だったが、当の宿敵はそんなことに目を向けず、事件の捜査ばかりでそんな機会が訪れることは無かった。

 

 

 

だからだろう、今回の事件で神楽坂が異動になった氷室署への派遣に気分が高揚したのは。

 

だからだろう、捜査に関わらないあいつが嫌に腹立たしく感じたのは。

 

 

 

 

 

「ちっ……」

 

「ヒッ!? す、すいませんっス! 警察官としてビビってる場合じゃなかったっス!!」

 

「あ? ……ああ、いや、恐怖を感じるのは悪い事じゃねェ。口先だけ大きなことを言っておいて、いざって時に動けねェ奴よりは恐怖を想像できる奴の方が数段マシだ」

 

 

 

 

 

柿崎達がいる今の場所は警察官が被害にあった、犯人が徘徊している可能性のある危険な場所であるが、多くの警察官達が周りで捜査している今、襲われる危険性は少ないだろう。

 

だから、この新人のようにもし自分達が狙われたらと言うことを身近に考えられる奴は少ない。

 

想像力は何をするにしても大切だと考える柿崎は、弁明しようとしていた一ノ瀬を遠回しに褒めたのだが、何を勘違いしたのか、一ノ瀬はニコニコと嬉しそうに笑いながら「ありがとうございますっス!」なんて感謝してくる。

 

 

 

 

 

「……で、だ。被害にあった警察官が持っていた筈の拳銃がまだ見つかってないと言うことだが、十中八九犯人が銃を奪ったんだろう。そこをしっかりと頭に入れておけ、疑わしい奴がいたら相手に銃を撃たせる前に、いや、取り出す前の発砲も視野に入れろ。いいな?」

 

「あ、はいっス! そ、それで私も周辺の捜索をやって見つけたものがあるんス。さっきそこの角でこんなものが……」

 

 

 

 

 

そう言って一ノ瀬が取り出したのは、ネジの先端のようにひしゃげた黒い筒状のもの。

 

潰れた眼鏡ケースにも見えるその筒状のものに、一瞬眉をひそめた柿崎は顔色を変えてそれを手に取る。

 

 

 

固い。

 

ぐしゃぐしゃな形状をしている筈のそれは、柿崎の力では欠片もびくともせず、もともとそのように作られたかのように押し固められている。

 

力ではどうにもならないと判断した柿崎は鼻を近付けその物体の匂いを嗅ぎ、わずかに香る火薬のにおいに目を見開いた。

 

 

 

 

 

「……おい、これ……」

 

「え?」

 

「これ、拳銃だぞ」

 

「……はえ?」

 

 

 

 

 

ぐしゃぐしゃに押しつぶされたような物体が、探している拳銃だと気が付いた。

 

柿崎の言葉を理解できないと言うように呆けた一ノ瀬の顔であったが――――ふと、唐突に、別の方向へと目をやった。

 

 

 

やけに静まり返った現場検証中の警察官達。

 

それぞれが作業していた手を止めて、あり得ない物を見る様に目を見開いて立ち止まっている。

 

 

 

そんな彼らの視線はある一つの方向で固まっていた。

 

 

 

宙に浮かび上がった数台のパトカーを、呆然と見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしもこうだったら、なんて幾らでもあって。

 

もしもこうでなかったら、なんて願ったことは数えきれない。

 

ありふれた現実はいつも非情だし、ありふれた非日常はきっと救いがない。

 

 

 

そんな事ばかり見て来たから、今更希望に縋るようなことなんてしなかった。

 

事実と法に照らし合わせて、相手に自分自身の罪を突き付けるだけの仕事をするだけの機械が警察官だなんて、ずいぶん昔に諦めたから。

 

 

 

だから今更誰が、どういった理由で罪を犯したって、自分のやるべきことは変わらないと思っていた。

 

 

 

 

 

「随分と息を切らせてるな、どうしたんだ少年?」

 

「っっ……か、神楽坂、さん」

 

 

 

 

 

何かから逃げる様に走っていた少年、相坂和は神楽坂の声に足を止めた。

 

相坂少年の様子は何だかやけに怯えており、お化けを見た子供のように動揺を隠しきれていない。

 

対して神楽坂の声は落ち着いていて、穏やかだ。

 

 

 

 

 

「な、なんでもないっ、なんでもないんだよっ……ただ……家にいたくなくて……」

 

「そうか……まあ、そういうこともあるよな」

 

 

 

 

 

手に持っている携帯電話から、『……異能持ちです』と言う声が神楽坂の耳に届く。

 

了解、とだけ言って、携帯電話の通話を切って座っていた公園のベンチから立ち上がり、息を切らしている相坂少年へと歩み寄ろうとする。

 

だが、相坂少年は警戒するように後ずさりをした。

 

 

 

 

 

「……なんでこんな場所にいるんだよ神楽坂さん……どうして、こんな公園に」

 

「そりゃあ、公園にいる理由なんて1つだろ? 童心に帰って遊具で無邪気に遊びたかったのさ」

 

「ふ、ふざけんなよっ……! 俺を言い包められるガキだとでも思ってんのかっ!? アンタが俺を誘拐した奴らから救い出したってことはっ、そういうのも全部っ、知ってるってことなんだろっ!? あの煙の奴のような力も全部っ!!」

 

「…………そう、だな」

 

 

 

 

 

激昂する相坂少年に神楽坂は目を閉じて静かに頷いた。

 

隠し立てできない、それだけの材料がこの子には揃っている。

 

飛鳥と言う異能持ちを相坂少年に悟られ刺激することのないように、距離を置いてもらっているがそれも意味が無いようだった。

 

 

 

 

 

「……じゃあ君は、認めるんだな? 君が、不思議な力を使って人を殺していることを」

 

「っっ……! お、俺はっ……俺は……俺だってっ……!!」

 

 

 

 

 

神楽坂の確認するような言葉に、歯を剥き出しにして相坂少年は吠え立てる。

 

 

 

 

 

「――――アンタなんかにっ、俺の気持ちが分かるかよっ!? 普通に暮らしてただけなのに、誘拐されてっ、変な薬打たれてっ、頭に色んな機械を付けられてっ……ようやく助け出されたと思ったら、お父さんとお母さんが捕まってるってっ……! それでっ、俺を捕まえてたやつらはお父さん達よりも罰が軽くてっ……ちゃんと一緒に暮らせるようになるまで何年も掛かるって言われてさぁ!!」

 

「……」

 

「お父さん達よりも悪い奴らなんてそこら中にいっぱいいてっ、何にもしていない人を傷付ける奴らがいっぱいいてっ……! なんでそんな奴らは自由にやって、お父さんとお母さんみたいな人が捕まるんだよっ! おかしいだろ!! 俺を誘拐したような悪い奴らは、もっといっぱい痛みを味わうべきだろうが!!!」

 

「……そうだな、そうかもしれないな」

 

「そうだろっ!? そうだよなぁ!! だってそうじゃないとっ、意味わかんないじゃんかっ!! 悪い奴らが笑うだけの今、悪い奴をアンタら警察が裁けないならっ、裁ける奴が裁くしかないんだって思うだろうが!!!」

 

 

 

 

 

頭を抱えてしゃがみ込みながら、相坂少年はあふれ出す激情を抑えきれない。

 

 

 

 

 

「最初はアンタだって悪い奴だって思ってたっ! お父さん達を捕まえたアンタだって、俺を誘拐した奴らと何にも変わりないんだって思ってたっ……! ……でも違った。アンタは、アンタ達警察は別に悪い奴でもなんでもなかったっ……神楽坂さんを恨むことなんてできなかったっ……! だからっ、引ったくりした奴をっ、他人に暴力振るってる奴を、周りに害を与えている奴らをっ、許せないって恨んだだけだ!! 世の中の悪い奴らが許せないってっ、願っただけで……!」

 

 

 

 

 

顔を上げた相坂少年はボロボロと涙を流した顔を神楽坂へ向ける。

 

 

 

絶望と後悔と恐怖と。

 

そんな感情が入り混じる表情で、神楽坂を縋るように見上げた。

 

 

 

 

 

「みんな、死んでいく……。俺が……恨みを持つだけで、そういう奴らがみんな、みんな死んでいくんだよぉ……神楽坂さん……。頭に浮かんだ光景が、そのままテレビで流れて……俺、どうすればいいか、わからなくて……」

 

「君は……」

 

「俺がやってるのかって不安になって、必死になって人を恨まない様にって抑えようとしても、すぐ恨めしい気持ちが押し寄せてきて……不幸になれって願っちゃうんだよぉ……なぁ、神楽坂さん……なんなんだよこれ……俺、なんでこんな力……」

 

「――――故意じゃ、なかったのか……」

 

 

 

 

 

グスグスと泣き始めた相坂少年の前に膝を突いて、神楽坂は目線を合わせる。

 

助けを求めようにももしかすると自分が人を殺しているんじゃないかと不安で話せない。

 

実際に両親は誰かを害そうと言う悪意があった訳でなくとも捕まったのだ、この子からしたらより一層人に相談することなんてできなかっただろう。

 

 

 

恐らく、この子の力は誘拐先のあの実験場のような場所で無理やり開花させられた力だろう。

 

飛鳥と言う前例を知らなければそんなまさかと思っていたような事実だが、ここまでくると認めざるを得ない。

 

 

 

子供達を誘拐していた奴らの目的は、異能持ちを作り出すこと。

 

そしてそれを出来るだけの技術と力を持っている、非人道的な集団だ。

 

幼い子供に兵器の様な力を与え、子供の環境を壊し、自分達の手駒にするか、こうして暴走させ社会に大きな被害を与える。

 

そんな奴らの目的への経路が、神楽坂の頭の中で繋がっていった。

 

 

 

 

 

「おれ……つかまるのかなぁ……おれを誘拐した奴らよりも悪い奴だって、つかまるのかなぁ……」

 

 

 

 

 

ガタガタと震える少年の問いに答えられず、そっと抱きしめた神楽坂は歯噛みする。

 

くだらない野望でこんな子供の人生がめちゃくちゃにされていることが、そんな奴らがまだどこかでノウノウと次のたくらみをしようとしているのだと、憎悪にも似た怒りがこみ上げる。

 

 

 

罪は裁かれるべきだ。

 

だが、この子の罪はなんだ?

 

自由を奪われ、苦痛を与えられ、家族と会えず、悪意に身を蝕まれる。

 

それで恨みを持つだけで、誰かを殺してしまう力を持ったこの子の罪はなんだと言うのだろう。

 

誘拐事件の全てを解決することも、不幸に陥った家族を救うことも出来なかった自分自身の方がよっぽど罪深いじゃないか、なんて、神楽坂は思う。

 

 

 

でも現実は違う、違うのだ。

 

人を殺したのはこの少年で、この少年に力を押し付けた奴らは見つかっていない。

 

人殺しの罪を犯したのはこの少年で、事件を解決できなかった神楽坂に罪は無い。

 

 

 

だから――――警察官である神楽坂上矢は、人殺しをしてしまっているこの少年に、捕まらないよ、だなんて口が裂けても言えなかった。

 

 

 

 

 

「おかしいよ……おかしいよ……おれは、わるいことなんてしたくなかったのに……」

 

 

 

「いやだよ、おれは……あんなやつらよりわるいことなんて、してないのに……」

 

 

 

「ずるい……ずるい……」

 

 

 

 

 

 

 

「「「「「ズルい」」」」」

 

 

 

 

 

相坂少年の声の質が変わった。

 

子供の嘆くような声色が、粘着質で醜悪で憎悪に満ちたものに変化した。

 

 

 

 

 

「――――!!??」

 

 

 

 

 

気が付けば神楽坂は体を宙に逆さ摺りにされている。

 

反転した視界に驚愕している暇もなく、体の四肢を捕らえる不可視の細い力が徐々に強まり始めた。

 

皮を貫き、肉を裂き、そのまま骨へと向かう不可視の力に、神楽坂は何もできないまま目を見開いて豹変した相坂少年を見て――――。

 

 

 

――――ボロボロと血の涙を流す、彼の姿を捉えた。

 

 

 

「いやだ」と、「にげて」なんて、そんな動きをする彼の口元に神楽坂は硬直する。

 

こんな、こんなに異能と言う非科学的な力は危険で、その力を持つ人間さえ逆に支配するほどに凶悪なのかと愕然とした。

 

自分が認識していたよりもずっと、この異能と言う力は人を容易に壊すのだと、今更になって思い知った。

 

 

 

 

 

「――――じゃ、せんぱーい、役者交代です☆」

 

 

 

 

 

そして――――横から飛び出した巨大な暴風に神楽坂の四肢を縛っていた不可視の糸が断ち切られる。

 

 

 

驚愕に目を見開く相坂少年の前で、地面へと落下する神楽坂を優しく受け止めたのはもう1つの不可視の力。

 

声がした方へと顔を向ければ、その先にいたニコニコと笑顔を浮かべる女性が長い髪を後ろで纏め縛り上げた。

 

 

 

 

 

「私の力とあなたの力、どっちが上か楽しみですね☆ 存分に殴り合ってぇ……その溜め込んだ悪意、解消しちゃいましょうか」

 

「「「「「ああああ、憎い憎い憎いっ!!!」」」」」

 

「あっは、元気ですねぇ☆ ま、しっかりぶっ殺しますから、存分にハイになっていいですよぉ」

 

 

 

 

 

凶悪な笑みへと変わった飛鳥に、神楽坂は危険を感じて叫ぶ。

 

 

 

 

 

「飛禅っ! 絶対に殺すなよ!!」

 

「――――もうっ、テンション上げるための方便ですってー。私が子供を本当にやっちゃう訳ないじゃないですかー☆ 先輩の鈍感ー」

 

「いいからっ、前だけを見てろ馬鹿!!」

 

「またまた先輩ってばー」

 

 

 

 

 

小石や砂が1つの生物かのように巻き上がり、飛鳥の周囲を高速で旋回する。

 

飛鳥目掛けて伸ばされた不可視の糸は、重力を無視して飛び回る小石や砂に弾かれいともたやすく無力化される。

 

 

 

 

 

「暴走してるだけのこの子に私が負けるはずないじゃないですかー☆」

 

「「「「「!!??」」」」」

 

「じゃ、こっちからも行きますね☆」

 

 

 

 

 

飛鳥はそう言って懐から青いお手玉を取り出した。

 

 

 

 

 

「青は青信号、まだ安全ですっ☆」

 

 

 

 

 

ズドンッ、と。

 

一瞬のうちに手のひらから姿を消したお手玉が相坂少年の腹部に突き刺さる。

 

悲鳴も出せないまま吹き飛ばされた相坂少年の姿を見て、神楽坂は血の気が引くがせき込みながら地面を転がる少年の姿に意識があるのかと安心する。

 

 

 

だがその安心もつかの間、相坂少年が上空を睨んだのにつられて空を見上げれば、目に見えるほど巨大な糸が公園全てを圧し潰すだけの大きさの蜘蛛の巣となって落下してきたのを確認した。

 

 

 

 

 

「黄は黄色信号、少し危険です☆」

 

 

 

 

 

黄色のお手玉が空を飛ぶ。

 

そして、周りの布を引き裂き姿を現したのは、粉々になったガラス片の山だ。

 

多数のガラス片が1つ1つ意志を持つように宙を旋回し、落下してきた蜘蛛の巣の糸全てを丁寧に引き裂き無力化する。

 

 

 

透明な糸が散り散りに消えていく姿は雪が降るようで、その中に紛れて降り注ぐ大量のガラス片は容易く人を殺しうるもの。

 

それが、ギリギリ相坂少年に当たらない箇所に降り注ぎ突き立った。

 

恐ろしい精度の力の操作に、神楽坂は驚愕を隠し切れず、少年はペタリと尻もちをついて呆然とする。

 

もはや暴走も出来ないほどに力の差を叩きこまれたためか、目の前までやってきた飛鳥を少年は抵抗すらしないまま見上げる。

 

 

 

そして、飛鳥は呆然とする相坂少年の頭に手を乗せて人をからかうような笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

「はい☆ 私の勝ちです、すっきりしましたか?」

 

「あ……お、おれ……」

 

 

 

 

 

冷水をぶっかけられたかのように、目を白黒とさせた相坂少年は、恐る恐ると言った様子で神楽坂を見て、生きている事を確認するとまたボロボロと涙を流し始めた。

 

どんな原理で少年が暴走するのかは分からないが、どうやら今は正気に戻っているようで、神楽坂は安心から深く息を吐いた。

 

 

 

煙とかいう目に見えるものならまだしも、飛鳥や少年の使うような不可視の力には抵抗しようがない。

 

何とか生きながらえたことに安堵しながらも、神楽坂は相坂少年に近付いた。

 

少年は涙でクシャクシャな顔を神楽坂に向ける。

 

 

 

 

 

「……怪我はないか?」

 

「……かぐらざかざんっ……おれっ……」

 

「……いい、俺は怒ってない。君が無事で良かった」

 

 

 

「え、ちょっと先輩私の無事は喜んでくれないんですか?」

 

 

 

「で、でも、おれ、もう、どうすればいいか……」

 

「……大丈夫だ、何とかなる。君の精神で手が負えないのでも、何とか出来る心当たりは俺にはある、だから心配するな」

 

「かぐらざかさん……」

 

 

 

「あっ、頑張った後輩を無視するんですね、そうなんですね。私へそ曲げますからね? 簡単に不貞腐れますからね? あとで高級寿司店でも奢ってもらおーっと」

 

「寿司でもなんでも奢ってやるから今は黙ってろ」

 

「あ、はい」

 

 

 

 

 

それっきり大人しくなった飛鳥を放置し、未だに泣きじゃくる少年を落ち着かせるために、少しだけ逡巡して自分の考えを纏める。

 

 

 

 

 

「……君は時限爆弾のリモコンを押し付けられただけの一般人なんだ。悪意を持って誰かを傷付けた訳じゃない、自分の欲望のために人を陥れる犯罪者なんかじゃない。爆弾を処理する知識は君にはある訳がなくて、君にはどうしようもないことだった。責められるべきは君でなくて君を誘拐した犯人達だ。君自身は人を殺してなんかいない。君は悪い人間なんかじゃない。……だからもう、泣かなくていいんだよ」

 

 

 

 

 

心の中で、本当にそうだろうか、と言う疑問の声が上がる。

 

自分が口にしているのに、自分のその発言が本当に正しいのか神楽坂には分からない。

 

被害者にとってはどうなのか、異能を法に当てはめるとどうなるのか、そんなIFは専門家ではない神楽坂には見当も付かない。

 

もしかすると、自分の先輩を死に追いやった奴に、自分の恋人を傷付けた奴に同じような理由があったとして、それを自分は許せるのか、なんて考えて、自分の身勝手な発言に嫌気がさすけれども。

 

 

 

 

 

「ごめんなさいっ……ごめんなさいっ……」

 

 

 

 

 

それでも……どうしようもない地獄を味わって、泣きじゃくるしかなかった少年が救われた様にクシャクシャに顔を歪めるのを見て――――これで良かったのだと神楽坂は思うのだ。

 

 

 

この少年は少なくとも、救われるべき人間であるはずだから。

 

 

 

 

 

「……神楽坂先輩って甘いなー、もう。私にバレない様に誰かの事も隠してるし……」

 

 

 

 

 

出来る後輩ってここで無理に自分の意見を押し通そうとしないですよねー、なんて言って、諦めたように首を振った飛鳥はすっかりと日が沈んだ空を見上げる。

 

 

 

あの日見たのもこんな景色だった。

 

自分の生まれた境遇だからしょうがない、この環境で生きていくしかないのだからと諦めていた。

 

そんな自分が変わるきっかけとなったあの時のことは今でも夢に見る。

 

この少年が今神楽坂に救われたように、自分も間違いなくあの時救われたのだ。

 

 

 

 

 

「……救いって、誰にだって必要だもんね……うん。私もそれは分かるよ」

 

 

 

 

 

つい先ほどまで考えていた冷徹な思考が溶けていく。

 

面倒なことを考えたくないなら始末してしまうのが1番なのだろうが、もうそんなことをする気にもなれなくなった。

 

 

 

人を悪意で陥れる人間がいるなら、人を善意で救う人間がいないとバランスが取れない。

 

世界なんてきっとそんなものだ。

 

 

 

 

 

「……あの人にもう1度会いたいなぁ……」

 

 

 

 

 

ノスタルジックな空の色に、つい感傷的になってしまった飛鳥はブンブンと頭を振って正気に戻る。

 

 

 

 

 

「ちょっとちょっとせんぱぁい、あんまり遅い時間になるとその子の保護者が心配しちゃいますよぉ。もう時間も遅いですし、逮捕とかしないなら取り敢えずその子家に連れて帰っちゃいましょうよ☆」

 

「あ、ああ、そうだな。すまん」

 

「別に謝る必要ないですよぉ。私は子供をあやすのとか超苦手なんでぇ、そういうの完全に先輩にお任せするしかないですから☆」

 

 

 

 

 

未だに鼻を鳴らして、ボロボロと涙を流している相坂少年を神楽坂は抱き上げる。

 

この子には家まで案内してもらわないといけないから、なんとか泣き止んで話をしてもらう必要がある。

 

その事を理解しているのか、飛鳥も肩をすくめて、公園の端にある自動販売機へと視線をやった。

 

 

 

 

 

「じゃあ私温かい飲み物でも買ってきますね☆ んーと、めんどくさいんで全員激甘ミルクティーで良いですよね?」

 

「……別に甘いものは嫌いじゃないが、なんでそんなゲテモノを……」

 

「じゃ、買ってきまーす☆」

 

 

 

 

 

まったく聞く耳を持たない後輩が自動販売機へと向かって歩き――――数歩歩かないうちにその足を止めた。

 

その場に根を張ったかのようにピタリと動きを止めた飛鳥を不審に感じた神楽坂は声を掛けようとする。

 

 

 

だがその前に、飛鳥は複数のお手玉を手に取って、鋭い目で誰かを睨んだ。

 

 

 

 

 

「――――驚いた。単なる回収任務だと思っていたが、まさか未把握の同類がいるとは」

 

 

 

 

 

黒いスーツを着た長身の男だ。

 

外国、アジア系の血が強く出ているその人相は無表情で、はっきりと分かるほどの強靭な筋肉がスーツを盛り上げている。

 

 

 

ゾッと、その男を見た瞬間神楽坂は寒気を覚えた。

 

今までいろんな犯罪者と相対してきた神楽坂にとって、度を越した凶悪犯と言うのは特段珍しいものでは無い。

 

だが、これまでこの男ほど死を感じさせる奴はいなかった。

 

これほどまでに、殺しと言う技術が歩き方にまで滲んでいる奴は見たことが無かった。

 

 

 

――――遠くでサイレンの音がする。

 

それも、1つや2つではない、聞いたことが無いほど多くの音だ。

 

 

 

 

 

「先輩、下がってください。こいつ……」

 

「異能者、なぜ構える? 同類と事を構えるほど愚なことは無い。才ある者同士潰し合う程虚しいことは無い。そうだろう?」

 

「……へえそうですか。じゃあ、そのどこまで始末しようかと考えている目を辞めてもらって良いですか? 少なくとも貴方、神楽坂先輩は殺そうと考えていますよね」

 

「俺の仕事柄、不要なものは切り捨てる考えが染みついている。気を悪くしたなら謝ろう」

 

 

 

 

 

きっぱりと何の感情も籠っていない謝罪を口にしてから、男は視線を神楽坂へ、そして相坂少年へと移動させた。

 

 

 

 

 

「ようやく見つけられた、異能を暴走させている者。俺は彼を迎えに来た」

 

「迎えにって……お前、この子のなんなんだ? いきなりこの場に来て、どういう腹積もりでこの子を引き取ろうと考えている」

 

「……せっかく開花させた才を暴走させたままにするのが忍びなかった。だから、力の使い方を教えるために俺はここに来た」

 

「正義の異能者ってか? おい、お前外国人だろ? 外国からわざわざどうしてこの街のこの場所に暴走している異能持ちがいるって分かった。日本に住んでいるって言うなら在留証明を出せ、それと――――」

 

 

 

 

 

続く神楽坂の言葉は出なかった。

 

首が恐ろしい力で締め上げられている。

 

男も、飛鳥も、相坂少年も何1つ動いていないのに、目に見えない何かが神楽坂を持ち上げて、首を締めている。

 

 

 

 

 

「ガッ……グギ……!」

 

「神楽坂先輩っ!?」

 

 

 

 

 

体が浮かび上がった神楽坂に驚愕の声を上げた飛鳥が、地に落ちていたガラス片を浮かせ神楽坂を締め上げている何かを切ろうとするが、それすらも神楽坂の首元で止まり動かなくなる。

 

 

 

 

 

「うるさい男。才もない奴が1度発言を許したからと付け上がるな」

 

「おまえっ、先輩を離せデカブツっ!!」

 

 

 

 

 

男を取り囲むように全方位の小石が浮かび上がり、中心に立つ男目掛け砲弾のように飛来する。

 

だが、それらの攻撃すら男に届かないまま、宙で制止し何かに圧迫され圧し潰された。

 

粉状になった小石に目を見開いた飛鳥に、眉1つ動かさず男は言う。

 

 

 

 

 

「方針を変える。抵抗するなら四肢を砕いて連れていく、才の無いその男は始末する。どうする同類」

 

 

 

 

 

まるで塵は捨てようと言うように、何の気負いもなくそう言い放った男が神楽坂達を見る目はもはや生き物を見るような目では無い。

 

これから殺処分する家畜を見るような、そんな程度のものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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傍迷惑な彼に

 

 

 

ペシペシ。

 

 

 

 

 

「もしもし? 意識はありますか、あるなら返事が欲しかったりするんですけど」

 

「――――」

 

 

 

 

 

ペシペシペシ。

 

 

 

 

 

「あ、ダメなやつですか? もしかして今にも死んじゃう感じだったりしますか? うーん、どうしよう……向こう側も他の怪我人を助けるのに精一杯みたいだからこっちに手が回るのはだいぶ時間がかかりそう……怪我が酷かったらほんとに死んじゃうだろうし……」

 

「――――ぁ……ガッ……お前、は……」

 

 

 

 

 

ペシペシペシペシ。

 

 

 

 

 

「あっ、起きましたね? い、今貴方車の下敷きになってるんですよ。状態はどうですか? すぐにでも救助が必要だったりは……」

 

「……ああ、足が……折れてるな。あとは腕の感覚もおかしい……呼吸も変だ……。長くは持ちそうにない」

 

「ま、マジですか……? えっと、どどど、どうしよう……私じゃこういうのどうにもできないし……」

 

 

 

 

 

柿崎が目を醒ますと、視界一杯に見知らぬ少女の顔があった。

 

腹部に激痛を感じて見れば、下半身がパトカーの下敷きになっている。

 

 

 

記憶が混濁している。

 

自分が今どういう状況なのか分からずに、少女に問われるままに自分の状況を伝えるが、そのおかげで柿崎は冷静に今に至った経緯を思い出せた。

 

 

 

――――突然現れたあの男の事を思い出す。

 

 

 

宙に持ち上げた車両を何かしらの力で粉砕し、爆発を起こしながら、自分達に襲い掛かってきたあの犯罪者。

 

攻撃されたのは自分だけでは無い、周りにいた他の警察官達も危険な状態にあったはずだ。

 

 

 

 

 

「あいつはっ……他の奴らは無事なのかっ……!?」

 

「あ、はい。他の人は今警察官やらなにやらに救出されていますね。幸い死者は出てないみたいですよ、と言うかお兄さんが1番重傷っぽいです。少し距離があるので向こうの人達お兄さんに気が付いてないみたいですけど」

 

「そう、か……それは、安心した……」

 

「ちょ、ちょっと、安心ついでに気力を失わないでくださいほんとに死んじゃいますよ!?」

 

「君はうるせェ奴だな……」

 

「いつもはもっと物静かな美少女ですっ、と言うか、もう意識が朦朧としてるじゃないですか!?」

 

 

 

 

 

唐突に浮かび上がった複数台の車両が地面に叩き付けられ、大きな爆発を起こした。

 

とっさに近くにいたあの新人を飛んできた車両から逃がすために突き飛ばしたが、出来たのはそれだけだった。

 

 

 

全国警察最強と言われていても、出来たのはその程度。

 

車両に押しつぶされ、全身の痛みに意識が朦朧とする中で見たのは、倒れ伏す同僚達と火の海に変わったその場を悠々と歩く1人の男だ。

 

 

 

 

 

「――――そうだ……おい、君。あいつは、まだこの辺りにいるはずのあの男は危険だ……早くこの場を去るように救助している奴らにも言うんだ」

 

「え、いや、ダメですよ。お兄さんも救助してからこの場を離れるからもう少し時間は掛かります」

 

「駄目だっ……俺は置いていけっ……! 奴は、誰であろうと邪魔なら簡単に手に掛けるっ……この国に入ってきている事自体が最悪なんだっ……! 一般人の君にはこれ以上言えないが、ともかく危険な奴がまだこの場所にっ」

 

「ええ……そんなにやばい人がいるんですか? この近くに?」

 

 

 

 

 

怪我人が多くいる場所は今柿崎がいる場所から少し離れた場所だ。

 

助けを呼ぼうにも向こう側でさえ忙しそうで、まったくこちらには目も向けていない。

 

気が付かれないのが関の山だろう。

 

そんな状況に少女は困ったように眉尻を下げて、辺りを見渡した。

 

 

 

 

 

「ま、まあ、怖いですけどここには警察の人もいっぱいいますし、流石に……」

 

「その警察官が多くいる場所が襲撃されたんだっ……ああくそっ、良いかっ!? その男は国際指名手配されてる凶悪な犯罪者だっ! テロ行為も殺人も簡単に行うクソ野郎なんだよ!」

 

「そ、それなら余計お兄さんを放置できないじゃないですか」

 

「あのなァっ……!」

 

 

 

 

 

この少女は人の良い奴なんだろうが、もし自分の部下だったらひっぱたいているだろうな、なんて思いながら柿崎は声を荒らげる。

 

だがこの少女は、女子供は見ただけで腰を抜かすような柿崎の怒気を、視えないものかのように気にしない。

 

 

 

 

 

「大丈夫ですよ、きっとすぐに皆お兄さんを助けるために集まってくれます」

 

「……お前な」

 

「ほら、見てください。『たまたま』すぐそこの会社の人達が様子を見に来てくれましたよ」

 

「そんな、訳が……!!??」

 

 

 

 

 

柿崎はその光景に自分の目を疑った。

 

スーツ姿の、明らかに仕事途中と思われるような男達が不思議そうにあたりを見渡しながら真っ直ぐ柿崎の元へと向かってきている。

 

まるで何かに導かれるように、一直線へ自分達の元へと向かってくる社会人達に、少女は大きく手を振って助けてくれとアピールをした。

 

 

 

彼らはそんな少女の姿に気が付いたようで、駆け足で助けに来てくれる。

 

人手が増え、どうにか重しになっていた車を持ち上げることが可能だろう。

 

 

 

 

 

「ほら、意外と何とかなるものですよ」

 

「っ……ああ、俺も死にたい訳じゃなかったからな……幸運に感謝しないといけねェな」

 

「ええと、まあ、そうですね。きっと女神様が微笑んでくれたんですよ」

 

 

 

 

 

少女はそう言って、集まってきた男達に場所を譲り、柿崎が助けられる様を少しだけ見詰めてからその場を後にする。

 

男達に救急車の元へと運ばれる柿崎は、去っていく少女の背中に1度だけ視線を送って、限界を迎えたように意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗くなり始めた公園に設置されている街灯が次々に光を灯していく。

 

氷室区で起きている連続殺人事件は日夜を問わず様々な報道機関により周知されているため、外を好き好んで出歩こうだなんて考える人は少ないのだろう。

 

日が暮れ始めたばかりとは思えないほど、氷室区のどの通りも静まり返っていた。

 

けれど、そんな氷室区の状況とは反対に、とある公園の一角には数人の人が集まっていた。

 

 

 

ポタリ、と顎を伝った汗が地面に落ちた。

 

ギリギリの彼女を嘲笑うかのように、睨む先にいる男は相も変らぬ無表情でその場に突っ立っている。

 

 

 

 

 

「全然っ……効かないのはどういうことなんですかねぇっ……」

 

 

 

 

 

忌々しそうに歯を食いしばる飛鳥に対して、男は淡々としている。

 

 

 

 

 

「相性の差」

 

「相性ね……それじゃあ貴方の異能は一体何だって言うんですか?」

 

「答えるつもりはない」

 

「……でしょうねぇ!」

 

 

 

 

 

一瞬だけ、未知の力で木に叩き付けられて意識を飛ばしている神楽坂とその近くで怯えている相坂少年へと視線を向けて、飛鳥は声を上げる。

 

意表を突くように、死角である背後から最高速度まで加速させた五寸釘を男目掛けて飛来させたがそれすら男の数メートル手前で制止して動かなくなる。

 

 

 

しかし、その結果は飛鳥だって分っていた。

 

男の遥か頭上まで飛来させていたガラス片をそのまま自由落下させ、自分はパチンコ玉を正面に放り投げる。

 

パチンコ玉が飛鳥の正面で制止し、横回転が加わっていく。

 

徐々に加速していく回転速度はもはや甲高い金属音を響き出させ、パチンコ玉が変形する直前まで加速させたそれを、ガラス片が男へ着弾すると同時に発射する。

 

 

 

 

 

「“鉄散弾”」

 

 

 

 

 

正確無比、かつ、実際の銃弾以上の破壊力を持った砲弾が男に襲い掛かる。

 

男の各部急所を狙いすまし、実際に寸分違わず飛来した鉄の散弾は轟音と共に、男に着弾し、わずかに後ずさりさせることに成功する。

 

 

 

しかし、それだけだ。

 

全力を込めた異能の一撃が、この男には全く通用しない。

 

上からのガラス片も、背後からの鉄屑も、正面からの砲弾も、全て男に傷1つ負わせることが叶わない。

 

 

 

 

 

「……ほんと、鉄壁ですね貴方の異能、どんな原理なんですか」

 

「何度も言うが答えるつもりはない」

 

「答えを求めて言ったわけじゃないですよ。ただの愚痴です」

 

 

 

 

 

自身が今放てる最大の一撃があれだった。

 

だから、飛鳥はその結果を見てこの男を異能で制圧することを割とあっさり諦める。

 

無理なことはしない・やらない・諦め肝心な飛鳥は、降参の意思を示すようにポイッと手持ちのお手玉を全て地面に放り捨てた。

 

無防備な状態になった飛鳥に、男は攻撃を加える意思がないのか何もせず、それどころか早々に降参の意思を示してくれたことに感謝の言葉を述べてくる。

 

次いで男がしたのは、飛鳥への勧誘の言葉だった。

 

 

 

 

 

「俺と共に来い同類。間もなく俺達にとって住みやすい世界が出来上がる、その時それなりの旨味を貰えた方が良いだろう?」

 

「……訳わかんないんで説明してくれるんですよね? あの子供がこの連続殺人事件の一端を引き起こしていたことは分りましたけど、あの子供が関与していない殺人事件もありましたよね。……それ、貴方が起こしていたってことで間違いはないですか?」

 

「そうだ」

 

 

 

 

 

男は隠し立てなど一切せず、はっきりと飛鳥の疑問に肯定する。

 

不機嫌そうな様子を隠しもせず、飛鳥は髪を弄りながら不審そうに男に視線をやった。

 

 

 

 

 

「むやみやたらに住民を殺して回ったってことじゃないですか。そんな猟奇殺人犯と手を組むなんて正直あり得ないんですけど?」

 

「殺しに抵抗はない。だが、行為自体を好んでいる訳ではない。必要があったから俺は行動していただけだ」

 

「はぁ? 必要って……見境なく殺しまわることの必要性が全く分からないんですけど」

 

 

 

 

 

これまで発生していた氷室区の連続殺人事件は13件。

 

バラバラ殺人と圧殺殺人の2種類があって、暴走して相坂少年が碌に異能を扱えていなかったことから、彼が起こしたのは糸で力任せに引き裂くバラバラ殺人の方だけだった筈である。

 

13件のうち、3件がバラバラ殺人で、それらが相坂少年の異能の暴走だとすると、他10件はこの男が起こしていた筈だ。

 

10人もの無関係な人間に手を掛けることに必要性なんて、と考えた飛鳥に男が出した答えは淡白だった。

 

 

 

 

 

「――――その子供が事件を起こしたからだ」

 

「はあ?」

 

 

 

 

 

意味が分からず、飛鳥は呆れた声を出す。

 

だが、男の態度は全く変わらない。

 

 

 

 

 

「俺は異能が開花したその子供の回収任務を受けた。だが、住んでいる場所が分からず、居場所を突き止めるのに時間を掛けていたために子供の異能が暴走してしまった。この地域には“紫龍”を捕らえた人間がいる。このまま放置してしまえば子供が捕らえられるのは時間の問題だった」

 

「…………えっとぉ、それはつまり……警察が子供に辿り着くのを阻止するためにわざわざ似せた殺人事件を起こして、捜査を混乱させたってことですか……?」

 

「そうだ。俺も出来るなら波風立てることなく連れ帰るつもりだった」

 

「そんな事の為に、何の関係もない10名もの人間を……」

 

「問題ない、所詮何の才能もないくだらない奴らだった」

 

「……はぁ、そうですか」

 

 

 

 

 

自分の発言に何1つ間違いはないと思っているのか、眉すら動かさない。

 

そんな様子に嫌悪感を抱きながらも、飛鳥はどうしたものかと今後の方針を考える。

 

 

 

こんな奴の下に付くのは絶対にありえない。

 

だが、だからと言ってここで突っぱねれば実力的にかなりの差がある自分では神楽坂含め殺されるのが関の山だろう。

 

 

 

 

 

(正直に言えばこんな奴と会話すら続けたくないですけど、意味の分からない不可視の壁を何とかしない限り私達に勝ちの目もないし、逃げる事すらままならない……)

 

 

 

「あ、そうですかー。じゃあ、あの子供を回収したらもうこの国には用が無いってことで良いんですよね? しばらくは本部のある海外で力を蓄える感じで?」

 

「これからの方針は知らない。だが、この国だけ放置などはしないだろう。新たに異能を開花できる人材を集める、既存の異能持ちの協力を取り付ける。協力しない相手にはそれなりの対応を取る。これまで続けて来た方針だ。すでにいくつかの国では国家機関等にまで根を張ることに成功している。ここから破滅することは無い。安心するといい」

 

「じゃあ少し前にあった誘拐事件は、子供を集めていたのは異能を開花する技術を試すため、ですか。子供の家族に犯罪をやらせたのは、子供の居場所を無くすためですか? それとも、少しでもこの国の治安を悪くさせるためだったりしたんですか?」

 

「……これ以上は組織の仲間でない限り話せん。もういいだろう、判断材料は充分に渡した。その上で、どうする? 俺は別にどちらでもいい、やることは決まっているからな」

 

「そうですねぇ……」

 

 

 

(こんな国家的な陰謀に巻き込まれるつもりなんて毛頭なかったのになぁ……)

 

 

 

 

 

手を取るなら仲間として、断るなら攻撃を。

 

先の未来はどちらにしても、飛鳥にとって良いものでは無い。

 

飛鳥の思考はこの男に勝つことはすでに諦めており、どこまで切り捨てるかの方向に向かっている。

 

神楽坂やあの子供、どちらも見捨てて自分だけなら逃げるだけに執着すればきっと可能だろう。

 

 

 

どうするか頭を悩ませ、出した結論をどう伝えようかと重い口を開き掛けた所で、飛鳥よりも先に声を上げた者がいた。

 

 

 

 

 

「――――お前の仲間が……俺の家族をっ、俺に人殺しをさせたのかっ……!」

 

「……」

 

 

 

 

 

怒りに満ちた、怨嗟の声が上がる。

 

どれだけ大義名分があったとしても、それによって人生を弄ばれた被害者の怒りは収まる筈がない。

 

男達の悪意に生活をぐちゃぐちゃにされた相坂少年は、激高する。

 

 

 

 

 

「お前らがいなかったらっ……俺達はこんな目に遭わずに済んだのにっ……!! お前らさえ、いなければぁっ!!!」

 

「うるさい子供だ。連れ帰ったら声を出せない様にでもするか……いや、今するべきだな」

 

「子供の癇癪位でなにを言ってっ……!」

 

 

 

 

 

男の首目掛けて振るわれた少年の異能が、飛鳥の時と同様に途中で何かに阻まれ停止する。

 

制御はまだまだ出来ていないが、確実に男を狙った異能の糸に飛鳥は逡巡する。

 

 

 

ここで少年の加勢をするべきか、否か。

 

自分1人の異能ではどうあっても突破できない男の守りも、別種の異能2つなら可能ではないかと頭を過ったからだ。

 

 

 

 

 

「――――あぐっ!?」

 

 

 

 

 

だから、即座に相坂少年から悲鳴が上がったことに焦る。

 

ろくな予備動作もなく、不可視の力に首を締め上げられた少年の様はすでに完全に制圧されており、一瞬のうちに勝負がついてしまったことで加勢のタイミングを逃してしまう。

 

 

 

 

 

「相手の力も測れず攻撃を仕掛けるなど、短慮なことだ。与えられた力を暴走させることしか出来なかった身で一瞬でも俺に勝てると思ったのか?」

 

「ぐううぅぅ……!! お前らさえっ……お前らさえいなければっ……!!!」

 

「……感情任せ、子供らしく、これほど腹立たしいことは無いな」

 

 

 

 

 

相坂少年の元に歩み寄った男は、首を締め上げられてなお憎悪の籠った目で睨み暴れる様子を眺め、子供の腹部を殴打した。

 

 

 

 

 

「かはっ……」

 

「無力な子供、反吐が出る。お前がどう思おうと関係ない。我々は才の無い奴らがどれだけ犠牲になろうと知った事ではない。恨むなら自分の子供1人守れないお前の親でも恨むんだな」

 

「っっ……俺のお父さんと、お母さんはっ……! 悪くないっ……! 絶対に恨んだりしないっ! 俺の事を大好きって言ってくれるお父さんとお母さんをっ、俺は絶対に恨むもんかっ!!」

 

「つまらない癇癪、耳障りだ」

 

「っっ……」

 

 

 

 

 

なおも反抗する相坂少年にわずかに怒りを滲ませた男がもう1度、拳を振りかぶる。

 

 

 

助けに動けない飛鳥と相坂少年が振るわれようとする拳に目を瞑って――――横から振るわれた拳に交差させるようにして、男の顔に神楽坂の拳が突き刺さった。

 

頬にめり込んだ拳に、男は不快そうに眉をひそめる。

 

 

 

 

 

「痛い、か。随分感じなかった感覚だ。狙って振るった訳ではないだろうが……まさか異能を持たないお前の様な奴に」

 

「お前のような奴が多くの人を傷付けていたと思うと反吐が出るっ……!」

 

 

 

 

 

先ほどの異能によって出血したのか、頭から血を流す神楽坂は溶岩のように怒りに燃え滾った声で言い放つ。

 

決して軽傷などではない、血によって服は真っ赤に染まり、振り抜いた拳の威力も万全の時よりもずっと弱いだろう。

 

 

 

 

 

「称賛する。だが、その無謀の対価は払ってもらう」

 

「っ……!!」

 

 

 

 

 

ぞわり、と周囲の空気が一変したのが肌で分かる。

 

神楽坂も、相坂少年も、離れた場所にいた飛鳥でさえ、周囲を目に見えない何かが取り囲んでいることに気が付いた。

 

 

 

咄嗟に神楽坂が行ったのは、自身の滴る血を周囲に散らすこと。

 

見えなくともそこにあるのなら、と咄嗟に考えてのその行為で炙り出されたのは、真っ赤な血によって判明したその形だ。

 

 

 

いくつにも及ぶ『手』の形をした何かが神楽坂達を取り囲んでいる状況。

 

 

 

 

 

「ひぃっ!?」

 

「手……?」

 

「“見えざる第3の手”って奴かよっ……数は第3どころじゃないようだがなっ……!!」

 

 

 

「――――なるほど、そんな解明のされ方があったとは。勉強になった」

 

 

 

 

 

宙に漂う『手』はそれぞれが意思を持つように動き回っており、そして飛鳥の弾丸を止めていたのは見えない『手』が掴み取ったと言うこと。

 

異能の詳細を解明された男は、神楽坂の閃きに心底感心したように呟いた。

 

 

 

 

 

「タネが割れてしまったならば、取り繕う必要もない」

 

「っっ……先輩っ、デカいのが来ますっ!!」

 

 

 

 

 

回避をっ、そう言うと同時に、飛鳥は相坂少年に自分の異能を発動させ、自分のいる場所へと彼を引き寄せる。

 

息を呑み、即座に回避行動へと移った神楽坂のいた場所が砕け散る。

 

 

 

神楽坂の血で形が判明したいくつかの『手』以外による攻撃は、まったく目で捉えることは叶わない。

 

だがこの威力、アスファルトを砕いた異能の力は一撃受けただけで即死ものだ。

 

 

 

 

 

「死ぬ前に知ると良い、俺の異能は“千手戦仏”。千にも及ぶ不可視の『手腕』は人など容易にねじ切る。捉えられぬ死神の鎌をどのように捌くのか、拝見させてもらおうか」

 

 

 

 

 

周囲にあったいくつもの木が、捩じり折られ浮かび上がる。

 

豪速で振るわれた木の大振りを回避できずまともに直撃した神楽坂は、嘘のように体を吹き飛ばされ地面に転がった。

 

 

 

直後、神楽坂が見えない力で進行方向を捻じ曲げられると同時に、それまで向かうはずだった方向の地面が見えない『手』によって破壊される。

 

 

 

 

 

「っ……先輩無理ですっ! 私じゃ正確な攻撃場所が分かりませんっ!! 次は成功するか分かりません!! このまま綱渡りを続けるのは無理です!!!」

 

「馬鹿野郎っ……! 無理だと思うなら手を貸さないで保身だけしてろっ……! 俺のことは置いて逃げてもいいっ!!」

 

「そんなの……!」

 

 

 

「――――そうだな。最後の問いだ女、即座に答えろ。俺と共に来るか、その男と共に死ぬか」

 

 

 

「…………貴方と一緒に行くのは死んでもごめんです」

 

 

 

「そうか、なら死ね」

 

 

 

 

 

はっきりとそう言い切った飛鳥に、神楽坂は驚愕を隠せず目を見開き、男はくだらないものを見たかのようにそんな言葉を言い捨てた。

 

 

 

そうして国際指名手配の凶悪犯が本気で神楽坂達に牙を剥いた。

 

幾百の人間を屠ってきた、本物の人殺しがその技術と凶悪な異能を武器に襲い掛かってきたのだ。

 

 

 

 

 

――――だからその後の顛末は、どうあっても変わらない。

 

 

 

神楽坂の高い身体能力も、飛鳥の“飛行”の異能も、相坂少年の“糸”の異能も。

 

何1つとして男には通用しない。

 

“千手戦仏”と言う馬鹿げた異能の圧倒的な破壊力と、その名の通り1000にも及ぶ不可視の『手』による全方位への攻防。

 

どんな手を講じても、赤子の手を捻るように全てを無力化された。

 

ただ蹂躙されるだけの時間はほんの数分にも満たず、気が付けば凶悪犯である男以外に立てる者はいなくなる。

 

どれだけ正義を主張しようとも、この場における勝者はただ1人だった。

 

 

 

もう誰も動けない。

 

足が潰され、腕は折れ曲がり、血にまみれて倒れ伏す神楽坂達は僅かな呼吸を繰り返すばかりだ。

 

放置されれば死ぬだけの彼らの様子に満足したのか、男は組んでいた腕を解き倒れる彼らの元へと歩み寄る。

 

 

 

 

 

「……死体でも異能持ちなら研究には使えるだろう。鮮度の問題もある、可能な限り生かして運ぶべきだな。あとは要らないこの男だが……」

 

「かひゅー……ひゅー……おまえは゛、じごくにおち゛ろ……」

 

「口先だけだ、お前は」

 

 

 

 

 

神楽坂の髪を掴み持ち上げた男は、血を吐きながら声を発する神楽坂を嘲笑う。

 

 

 

 

 

「何もできない、何も成せない。才能も力も頭も足りない。非情になることもできず、味方を切り捨て実を取ることもしない。それで最後はお前を慕うものと共倒れ、滑稽だろう?」

 

「……おま、え゛」

 

「そういえば先ほどお前は俺に言ったな。お前の様な奴が多くの人を傷付けていたと思うと反吐が出る、と。しかし結果はどうだ、俺はやりたいことを全てやれた、お前は全てを失った。神はどうやら俺を裁くつもりはないようだが、反対にお前の考えは周りを傷付けるだけだった。無意味で無価値で、傍迷惑なのはどうやらお前だったらしい」

 

「…………」

 

 

 

「お前の正義がこいつらを殺したんだ、良かったな」

 

 

 

 

 

ポキリと、神楽坂の何かが折れた。

 

この男の言葉はほんの少しも正しいなんて思わないけれど、自分が引き起こした現実は何1つ否定できなかった。

 

倒れる守るべき後輩の飛鳥も、救うべき子供の相坂少年も、血を流してもう動かない。

 

 

 

『上矢っ! 飯食いに行くぞ! お前と妹の関係を洗いざらい吐いてもらうからな!!』

 

 

 

笑う先輩の顔が頭を過る。

 

 

 

『上矢……あんまり危ないことはしないでね。お兄さん、強引だから……辛かったらすぐに言ってね』

 

 

 

案じてくれる愛する人が頭を過る。

 

 

 

その2人はもういない。

 

自分を置いていってしまった。

 

冷たい部屋で首を吊った先輩も、もう目を醒ますことは無いと言われずっと病室で眠る恋人も、それを引き起こしたのは間違いなく自分の行動で。

 

 

 

神楽坂上矢の行動は、いつも向う見ずで、望んだ結果なんて出せなくて、誰かを犠牲に自分だけが生き延びる。

 

 

 

 

 

「う゛……あ゛あ゛あ゛っ……!」

 

 

 

 

 

髪を掴む男に噛み付こうとした神楽坂は、視えない『手』に殴り飛ばされ地面を転がった。

 

 

 

 

 

「お前がどんな人生を送ってきたかは知らないが、さぞかし周りは迷惑して、誰もがつまらないものだっただろう」

 

 

 

 

 

くだらない正義、傍迷惑な善性、だからつまらない人生なんだ。

 

それだけ言って、男は蹲った神楽坂目掛けて、石像すら容易く破壊するいくつもの『手』を構えた。

 

そうして自分目掛けて振り下ろされる不可視の『死』を、神楽坂はぼんやりと理解して。

 

 

 

――――疲れてしまったように、笑って空を見上げた。

 

 

 

 

 

「か、ぐら゛ざか、せんぱいっ……!!」

 

 

 

 

 

飛鳥が最後の異能を発動させる。

 

自分1人、最後に逃げられるようにと残していた、最後の最後の余力を使って、神楽坂の体を公園の外へと飛行させた。

 

 

 

鼻先を掠めた『死』から遠ざかっていくことが理解できず、神楽坂へ手を向けて口から血を流す後輩の姿を吹き飛ばされながら呆然と見る。

 

自分でも自分の行動が理解できないのか、飛鳥は目を丸くして自分の伸ばした手をまじまじと見つめた。

 

 

 

そして。

 

 

 

 

 

「……せんぱい、いきてくださいね」

 

 

 

 

 

眉を下げて困ったように笑い、そうやって口だけ動かした後輩の姿に神楽坂は絶叫した。

 

 

 

また、まただ。

 

また俺だけ生き残る。

 

誰かを犠牲にして、誰かを置いて、誰かに置いて行かれる。

 

 

 

全部自分の無力で、全部自分が引き起こして、全部失って。

 

 

 

そうしてまた、神楽坂上矢は1人になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――神楽坂さん、どうして泣いているんですか?」

 

「……な、んで……」

 

 

 

 

 

冷たい路上で倒れている神楽坂の元に、佐取燐香が傍にいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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救われた少女

 

 

 

 

追い詰めていた筈の男が、自分とは違う何か別の力で公園外まで吹き飛ばされて視界から消えたのを見て、『千手の男』、ステルは小さく舌打ちをして神楽坂目掛けて伸ばしていた不可視の『手』を消した。

 

 

誰が、何をやったのかは考えなくとも分かる。

 

あの男を始末する結果に変化はないだろうが、面倒な手順が増えたと煩わしく思う。

 

 

 

 

 

「無駄なことを。足を折り、出血も少なくない。血痕を辿ればすぐにあの男の元には辿り着く。せめて自分の逃走にでも使えば俺も手間が掛かっただろうが……お前の判断は理解に苦しむな」

 

「……」

 

「まあいい。だが、ギリギリまで生きてもらうべきだろうという考えは俺にはもうない。最後まで抵抗するのなら、今、ここで始末して運んだ方が効率的だ」

 

「……おまえ、は」

 

 

 

 

 

虫の息の飛鳥にとどめを刺そうと距離を詰めてくるステルに、飛鳥は自分の終わりを悟る。

 

そして、立ち上がることもできないのか、木に背中を預けたまま飛鳥はぽつりと呟いた。

 

 

 

 

 

「かおのないきょじんに……やられてしまえばいい……」

 

「顔の無い巨人……馬鹿げた話だ。そんな空想上の人物に縋るなど」

 

 

 

 

 

目前にして、飛鳥が言い捨てたそんな言葉に思わずステルは反応してしまう。

 

それが、今の雇い主がこの極東の島国を手中に収めることに最大限の警戒を払っていた理由であり、存在を確認できなくなって数年が経つ今なお、それらしき者を見つけた際は絶対に敵対せず逃げろと厳命されている事項だからだ。

 

 

 

聞いた話だ、自分で見た訳ではない。

 

だからステルは、その存在を信じている訳ではない。

 

自分が異能も持っていなかった時の嘘の様な話。

 

『たった1人の異能持ちが世界を征服した』だなんて、異能の詳細を知った今からしても到底信じられるものでは無かった。

 

 

 

 

 

「……お前は会ったことがあるのか?」

 

「だれが、いうか……」

 

「…………」

 

 

 

 

 

一瞬迷う。

 

もしもこの女が、顔の無い巨人と呼ばれる異能持ちの情報を持っていた場合、雇い主はその情報を心底欲しがるのではないかと考えたからだ。

 

 

 

ステルはその与太話を信用している訳ではない。

 

だが、世界規模に影響を及ぼしたのが誇大された表現だとしても、元となった人物はいるのだろうと考えていた。

 

実際に起こした何かしらの事例で多くの人々に恐怖を植え付け、連鎖的に続いた他の関係ない事件がその者の関与があったと錯覚された。

 

その後はねずみ算式に、話が誇大され、これだけ大きな話となった。

 

顔の無い巨人の話はそんなくだらないものでしかない、そうステルは考えている。

 

 

 

もしもこの女がその話の原点である人物を知っているなら、それを元に雇い主に情報を渡し、自分がその人物を始末してみせればいい。

 

それだけで雇い主はこの極東の島国の支配に警戒などする必要もないのだと判断でき、もっと大々的に動けるようになるのだ。

 

 

 

 

 

(いや……)

 

 

 

 

 

あるかどうかも分からない情報の為に、手間を掛ける必要はないと判断した。

 

 

 

天秤にかけた思考を左右したのは、自身の力へと持つ絶対的な自信だった。

 

例えこの女が本当に顔の無い巨人について何かしら知っていたとしても、その情報の元である人物と事前知識がなく遭遇したとしても、制圧できるという絶対的な自信が、ステルにはあったのだ。

 

 

 

だから、もう喋ることすら億劫になって黙り込んだ飛鳥にとどめを刺そうと、ステルは異能を発動させて――――

 

 

 

――――バサリッ、と言う羽音と共に真っ黒な物体が鼻先を飛びぬけ、思わず後方へ飛びのいてしまう。

 

 

 

 

 

「カラス……?」

 

 

 

 

 

鳴き声もなく、羽音もなく、まったく気が付くことが出来なかった。

 

大きく空を旋回する黒鳥を確認し、ステルは上空を見上げて唖然とした。

 

数十、数百、いやもしかすると数千にも及ぶ真っ黒い鳥の群れが一帯の建物の上からこちらを見ている。

 

一羽たりとも鳴き声1つ上げず、ただただステルを空から見下ろしていた。

 

 

 

 

 

「ありがとう。危ないからもう行っていいですよ」

 

 

 

 

 

幼さが残る少女の声を耳にして、弾かれた様に振り返れば、声の通り背の低い少女がいつの間にかそこにいた。

 

少女の声に応えたのか、先ほどステルの目前を飛びぬけたカラスが少女の指先に留まり一鳴きすると、上空にいる群れへと飛び去っていく。

 

 

 

 

 

(異能……いや、こいつからは異能持ちの気配がしない。ただの動物使い、か……?)

 

 

 

「はじめまして。自己紹介は必要ですか?」

 

 

 

 

 

平坦な口調で、淡々と問い掛けた少女の目は何の光も灯していない。

 

黒曜石のような真っ黒な瞳の中には、動揺を隠し切れていないステルの顔が写っていた。

 

不気味な少女だった。何処から来たのかも、何を企んでいるのかも分からない。

 

 

 

 

 

(落ち着け、異能持ちでないなら処理は簡単だ。こんななんの才能も無いような小娘に動揺するなどらしくない)

 

 

 

「……いらん。一般人、とは考えない。この場に来て俺の邪魔をしたのなら、あの男にでも乞われて来たのだろう。であれば、お前の末路は決まっている」

 

「ええ、まあ、はい。その認識で間違いはないですね」

 

「俺の力について時間が無く教えてもらえなかったのか、それとも聞いてなお俺の力を見誤っているのかは分からないが……異能持ちを前にして悠長に会話するなど、自殺行為でしかない」

 

 

 

 

 

不可視の『手』が少女の両足を捕らえる。

 

いくつもの『手』がか細い少女の足をへし折らんばかりに握りつぶし、そのまま動けない少女の頭を正面からもう1つの『手』が吹き飛ばした。

 

 

 

ほんの一瞬。

 

返答の時間も、抵抗の余地もないままに終わった少女の生を冷たくあざ笑ったステルに、「そうですね」と、ある筈のない肯定の言葉が返ってくる。

 

 

 

 

 

「私も、相手の異能の詳細も分からないのに対策なく対峙する人は無能だと思います」

 

「!?」

 

 

 

 

 

“ブレインシェイカー”

 

至近距離から放たれた、感情波と言う名の凶器は常時展開されている『手』の壁の隙間を通り、ステルの意識をズタズタに引き裂いた。

 

意識が途切れる寸前、とっさに歯に仕込んでいた気付け薬を噛み砕き、完全に意識を手放すのを防ぐが、足元はぐらつき、手は痙攣が止まらない。

 

 

 

 

 

(異能……!? 馬鹿なっ、コイツからは確かに異能の気配はっ……!!)

 

 

 

 

 

少女の姿を探し視線を巡らせ、ようやく見つけた彼女の姿は傷一つ無く、先ほどの即死が嘘のように何事もなくその場にいる。

 

今なお少女からは全く異能持ち特有の出力は感じられない、どこにでもいる只の一般人のようにしか見えはしなかった。

 

制服の上着を脱ぎ、適当にそれを放り捨てた少女は気だるげに髪を掻き上げた。

 

 

 

 

 

「直接戦闘は得意じゃないですけど、まあ、仕方がありません」

 

 

 

 

 

一斉に上空にいるカラスが鳴き始める。

 

数千にも及ぶカラスの大合唱は、他の音など聞こえないほどその場に響き渡る筈なのに、少女の声はいやにはっきりとステルの耳に届く。

 

 

 

 

 

「さてと、じゃあ久しぶりに――――」

 

 

 

「私の声は聞こえますか?」

 

「私の姿は見えていますか?」

 

「私は何に見えますか?」

 

 

 

「――――貴方の世界は今、何色ですか?」

 

 

 

 

 

ぐちゃぐちゃな問い掛けを終えるとともに、少女、佐取燐香の体から異能の力が噴き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“精神干渉”と呼ばれる異能の力はそれほど大きなものではない、と言うのが燐香自身が自分で下した結論だった。

 

 

 

彼女が自分の異能を理解するためにまずしたのは、客観的な分析だ。

 

出力、つまり有効距離は半径500m程度の円状、ランク付けするならB。

 

破壊力、つまり物理的な破壊力及び影響力の測り、Tierとすると3程度。

 

総評すると、“精神干渉”と言う異能の力はB3程度だと考えられ、実感としては無類の強さを誇ると感じられる自分の異能も、ランク付けしてしまえばまだまだ上がいると思えるものだった。

 

 

 

自分よりももっと上はいる。

 

もっと理不尽で、もっと現実離れした異能を押し付けてくる存在が必ずどこかから現れると言う確信を、燐香は常に持っていた。

 

だからこそ、燐香は可能な限り目立つような行動はしないし、敵がいるなら絶対に正面衝突を避け、情報収集、不意打ち、奇襲、若しくは戦闘の回避を徹底してきたのだ。

 

自分のこの力は最高峰の力だと思う、だが、異能同士の戦闘となると必ずしも優位が取れる力ではない。

 

 

 

そう自制し、自戒することで、佐取燐香はこれまで上手く世の中を渡ってきた。

 

だからこそ、こうして敵意を持つ異能持ちと対峙する状況そのものが燐香にとっては敗北に等しい。

 

そして燐香の信条は『やるなら徹底的に』である。

 

 

 

 

 

「っぉ――――おぉオオっ!!!」

 

 

 

 

 

感情波、ブレインシェイカーを数度撃ち込んでなお、ステルの動きは精細さを欠き始めたものの完全には意識を失わず、咆哮を上げ、燐香が作り上げた幻覚を含めた周囲一帯を纏めて異能で薙ぎ払っている。

 

出来る限り距離を取ってやり合っているため、むやみやたらの攻撃ではこちらに命中することは無いが、距離を取りすぎると感情波の音も届かなくなる恐れがある。

 

実際その影響もあって、だんだんと効果が薄くなっているのだろう。

 

最初こそ薬で無理やり意識を保っていたようであるものの、その後は数秒程度完全に意識を飛ばしていたが、今は慣れもあるのか瞬き程度の時間しか稼げていない。

 

 

 

 

 

(さて、どうしますか)

 

 

 

 

 

現状維持は決定事項として、ここからどうやって戦闘不能にまで持っていくかを考える。

 

手段が全く無いわけではない、なんならこのまま現状維持するだけでも勝ちまで持っていくことは可能だろう。

 

問題は、この男がまるで異能の秘匿を考えていないことだ。

 

大声を叫び、周囲一帯を破壊し、木や遊具すら武器として引っこ抜く。

 

これで一般人が異変に気が付かない方がどうかしてる。

 

 

 

 

 

(私は見られない様にしてますけど、この人はなんでここまで気にもしないのか……)

 

 

 

「っっ……また幻っ! どういうことだっ、お前の異能は一体なんなんだっ!?」

 

「分からないんですか、これだけ見せているのに? 私は貴方のそれ、よくわかりましたよ。目に見える範囲で不可視の手を出せる。握力、破壊力は元となっている貴方の5倍程度。あとは手を壁にした時の硬度を知りたいくらいですが、まあ別にそれは良いですかね」

 

「貴様っ、貴様ぁ!!」

 

 

 

 

 

この不可視の手、破壊力は大したものだが、それ以外は別にどうってことなく、扱い方もなっていない。

 

感情波によって精神が不安定になっているのもあるだろうが、異能の格差を現在進行形で分からされているのがよっぽど屈辱なのだろう、ステルはさらに怒気を強めて吠え立てている。

 

どうやらこの男の異能は誇りでもあったようだ、自分の異能が通用しないということはコケにされていると同義……らしい。

 

 

 

怒り心頭。

 

余裕も何も無いようなすさまじい形相で、辺り一帯を破壊し続けている。

 

 

 

 

 

(怒りで攻撃も単調になってる……それなら攻めるのもありかな)

 

 

 

 

 

無尽蔵に近い体力を持つステルに、燐香は方針を変えた。

 

 

 

異能を手に廻す。

 

廻らせ、巡らせ、刃のように。

 

以前思わずひき逃げ事故を起こしたあの男に使用しそうになったこの技術は、燐香にとってたった2つしかない、直接相手を制圧が可能な技だ。

 

 

 

トンッ、とステルに向けて歩き出す。

 

あらゆる方向へ『手』をばらまくステルの思考を誘導し、安全な通り道を作り出して、その中をゆっくりと歩いていく。

 

そしてステルの真横まで近づいた燐香は、異能を廻した手を水平に振り抜いた。

 

 

 

 

 

「っっ――――!!??」

 

 

 

 

 

それを回避出来たのはいくつかの要素があった。

 

ステルが昔から対人戦で金を稼いでいたこと、燐香が運動は得意ではなかったこと、周囲に張り巡らせていた『手』の壁を残していたこと。

 

そんないくつかの要素で、視えずとも本能的な悪寒を感じたステルが咄嗟に仰け反る形で回避をしたことで、燐香が放ったその技に触れられることが無かった。

 

 

 

しかし。

 

 

 

 

 

「おっ、が、あ゛あ゛あ゛っ!?」

 

 

 

 

 

激痛が脳を焼くようにステルを襲い、彼は感じたことのない痛みに絶叫を上げる。

 

 

 

痛みの元は周囲に張っていた防御用の『手』だ。

 

異能と言う力、特に自分の手足のように使い続ける形のステルの異能はまさに肉体の一部と言っても過言ではなく。

 

本来ならどのような手を使っても破壊不可能なその防御は、燐香が廻した異能の刃に容易く抉り取られた。

 

 

 

精神破壊、人格抹消。

 

名前を付けるなら“ソウルシュレッダー”。

 

効果は、触れた相手を廃人にする。

 

限定的だが、超高出力を維持するその技術に他の異能がぶつかれば、裁断されるのは当然だった。

 

 

 

 

 

(躱されたっ、追撃……いや一旦離脱を)

 

 

 

 

 

異能を廻していないもう片方の手で指を鳴らし、僅かな時間を稼ぎながら、なんて考えて。

 

スカッ、と掠れた音が指先から響いた。

 

 

 

練習の時と一緒だ、失敗した。

 

 

 

 

 

「……あ」

 

「――――そこかぁ!!!!」

 

 

 

 

 

鬼のような形相で、“ブレインシェイカー”を失敗した燐香目掛けてステルは全ての異能を放つ。

 

一方向からの攻撃なら、“ソウルシュレッダー“だけで対処すればよかった。

 

けれどもあらゆる方向から、囲むように発動された即死の異能を感知して、ここからの回避が不可能だと判断。

 

 

 

 

 

(やばっ、やばばばばばばば!!!???)

 

 

 

 

 

燐香は保身をかなぐり捨てた。

 

 

 

超高出力をしている手に廻した異能を変化させ、そのまま両手を打ち合わせる。

 

そこから発動されるのは、感情波。

 

“ブレインシェイカー”の上位互換、指パッチンよりも数倍規模の異能を乗せられる暴力の権化。

 

凶悪な異能の暴発により、燐香に差し向けていたステルのすべての『手』は拮抗すらすることなく破壊し尽くされ、その後も暴発した異能は減衰することなくステルに襲い掛かった。

 

 

 

そしてそのデメリットは、今の燐香には制御できないこと。

 

 

 

 

 

「あう……」

 

 

 

 

 

至近距離でまともに受けたステルはもとより、使用した燐香すらその場でふらついて尻もちを突いた。

 

グラグラする視界と混濁する意識で、呼吸が上手く出来ていない事に気が付き、何とか元に戻そうと深く深呼吸をする。

 

ようやく戻った視界で、あの男はどうなったのだろうと探すと、顔から地面に潰れているのが確認できた。

 

 

 

完全に意識が吹っ飛んでいる。

 

気付け薬でどうにかなる次元を超えているから、急に目を醒ますなんてこともないだろう。

 

 

 

 

 

「か、勝ちー……私の勝ちー……」

 

 

 

 

 

結果的に自爆特攻となってしまったので、少し納得はいかないが、まあ、勝ちは勝ち。

 

想定とは違う勝ち方ではあったけれど、最後に勝てばどうとでも良いのだ。

 

 

 

 

 

「か、神楽坂さん達は無事に病院まで行けたのかな……?」

 

 

 

 

 

そう呟いて、燐香は自分が乱入するまで嬲られていた女性と子供がいた場所へ目を向ける。

 

そこには予定通り、すでに誰も居なくなっている。

 

すぐにタクシーでも拾えていれば、もう病院に辿り着いている頃だろう。

 

 

 

血塗れで、ボロボロになっていた神楽坂と出会ったときに、重傷者がいることは心を読んですぐに分かった。

 

神楽坂が過去のトラウマと同じように、誰かに救われて自分だけ生きながらえようとしているのも、すぐに分かった。

 

だから、心が折れていて、絶望に囚われていた神楽坂に、残してしまった2人を救出するよう言ったのだ。

 

自分がその男を引き付けて、神楽坂達に意識が向かないよう誘導するから、一刻も早く治療を受けさせるように、と。

 

 

 

 

 

(生きる気力さえ折られていたから、何かしらのやるべきことが神楽坂さんには必要だった。逆に心が折られていた神楽坂さんだから、あんな頼みに頷いたんでしょう)

 

 

 

 

 

そうでなければ、きっと頷くことは無かっただろう。

 

これまで自分と連絡を取らなかったのも、単なる才能があるだけの学生を殺人事件なんてものに巻き込みたくなかったという理由なのだから、なおさら、燐香1人を危険な場所に残すなんて選択を取れる人ではない。

 

 

 

カアカアと、鳴きながらカラス達が寄ってくる。

 

軽く口先を撫でてあげれば、彼らからは嬉しそうな感情が流れて来た。

 

助け出すべき人間を始末しようとしていたステルの意識を、一度完全に離させるには劇的な舞台装置が必要だった。

 

そのために咄嗟にカラス達を異能で呼び寄せたのだが、これが思った以上にうまくいった。

 

一般的にカラスは頭が良いと言われているが、所詮は動物。

 

命の危険があるなんて思いもしていないのだろう。

 

 

 

 

 

「あー……疲れた……」

 

 

 

 

 

随分久しぶりにこれだけ異能を酷使した。

 

それに最後には出力限界を超えたものまで打たされたため、頭痛は酷い上に鼻血まで出て来ている。

 

完全なオーバーヒート状態、しばらく休養が必要である。

 

 

 

気絶している男をどう処理するべきかと迷った燐香は、取り敢えず警察にでも電話するべきかと言う結論に落ち着いて、携帯電話を取り出した。

 

番号を打ち込みながら、何と言ってこの場に来てもらうべきかなんてことを考えて。

 

 

 

コロンッ、とステルの手から小さな筒状の容器が転がった。

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

 

 

 

拾い上げて、中を覗いてみたが何もない。既に取り出された後のようだ。

 

手で触れているのにひんやりと冷たい温度が変わることは無く、よく分からない材質でできている。

 

まるで、温度を変化させるとまずいものが保管されていたような、そんな保管ケース。

 

 

 

 

 

「あー……不味い気がしてきました」

 

 

 

 

 

以前、煙を扱う男とやり合ったときも、奴は変なものを口の中に放り込んで異能の出力が急激に上昇した。

 

遠目だったが、確かあの時男が呑み込んだ小さなものは、こんな感じの大きさでは無かっただろうか。

 

そんなことを思い出して、燐香はその場に背を向けて逃げ出した。

 

絶対碌なことにならない、そんな予感はすぐに的中する。

 

 

 

 

 

「――――オ、オオオッ、オオオオオ!!」

 

「ひえっ、とち狂ってる。まずいまずいっ……」

 

 

 

 

 

可視化できる巨大な手がステルの周りの地面に叩き付けられる。

 

巨大な手には光る線のようなものが浮かび上がっていて、巨神の腕のようにも見える。

 

完全に意識がなかった筈なのになぜ、なんて考えて、いつもの自分の運の悪さかと即座に納得した。

 

 

 

都合の良い強化アイテムなんてない。

 

こんなもの使ったのなら、時間経過で勝手に倒れるはずだ。

 

まともに対峙する必要は何処にもない。

 

 

 

早々に逃走を決意した燐香に、ステルの虚ろな目が定まった。

 

 

 

 

 

「……なるほどな。まんまと騙された訳だ」

 

 

 

 

 

悪鬼のような顔で、執念深く燐香を見据えたステルが巨大な腕で逃げ先を潰し、話しかけてくる。

 

 

 

 

 

「そうだ、俺に打ち勝つのが目的な筈がなかった。そうであるなら最初から、あんなに大げさな登場などせずに、お前のその精神に干渉する異能で奇襲すればよかっただけだ。それをしなかったという事は、お前は死にぞこないのあいつらを助け出すために出て来たということだ。俺はまんまと出し抜かれた訳だ」

 

 

 

 

 

意識が戻ったばかりで、思考誘導を掛けきれない状態。

 

絶好のチャンスをまるでふいにするかのように、ペラペラと話し掛けてくるこいつは一体どういうつもりなのか。

 

そんな興味と打算から、燐香は会話に乗ることにした。

 

 

 

 

 

「……そうなりますね。それで、騙され切った貴方が今更何を言いたいんですか?」

 

「なに、随分と肩身の狭い思いをしているじゃないかと思ってな。無能な男、脆弱な異能持ち、どれもこれも仲間と呼ぶにはお前の強さには全く見合っていない。この俺をここまで追い詰めるような者が、そんな窮屈な思いをしているのかと思うと不憫になった」

 

「随分と持ち上げてくれるじゃないですか」

 

「事実だ。あれだけ不利な状況からまたふりだしまで戻させるその知性。優秀な異能、多岐に渡る技術、恐怖に打ち勝つその行動力も素晴らしい。そして俺は強者には敬意を払う」

 

 

 

「お前は強者だ、俺が保障しよう。お前は人の上に立つ資格がある」

 

「…………」

 

 

 

 

 

面倒なことになった、と口を噤む。

 

要するに、この男は私を認めたということ。

 

自分達と組んで窮屈な世の中を変えようじゃないかと、勧誘してきているのだ。

 

 

 

 

 

「俺の雇用主の目的は、異能を持つ者が何の偏見もなく評価される世を作ること。そのために、異能を開花するに至っていない者を開花に導き、すでに異能を持つ者を集め、今の世の格差を一度撤廃する。真に権力を持つべきものが持つ社会へと世を変える」

 

「それはそれは……随分大層な目的をお持ちですね」

 

「そうだな、言ってしまえば俺達の目的は――――」

 

 

 

 

 

世界征服、と、何の恥じらいもなくそう言い切ったステルに堪らず燐香は顔をしかめた。

 

昔の自分を見ているようで、ぞわぞわとした恥ずかしさがこみ上げてくる。

 

 

 

 

 

「あのですね……世界征服なんてしてどうしようって言うんですか。異能を持つ人が正当に評価される世界なんて作るよりも、異能が周知されていない世の中で、隙間産業的に利益を上げる方が責任も何もなくていいに決まってるじゃないですか」

 

「本当にそうか? 今の権力者などどこも自分がもっとも利になるよう容易く人を虐げ、人を死地へと向かわせる。自身が無能であることを自覚せず――――」

 

「あーあー、良いです。それ以上は言わなくていいですって。要するに貴方は我慢ならないんですね。能力を最重要視する貴方は、コネクションや血筋で社会的強者の地位を築いている人間がいることが許せない」

 

 

 

 

 

逆に、と燐香は繋げる。

 

 

 

 

 

「能力ある人間が環境によって虐げられていることも許せない。均等に評価がされない世の中を根本から変えたい。そのためであれば、能力がない人間はどうなってもいい。だから貴方は、能力があると認めた私をここまで引き込もうと躍起になっている。私への怒りに燃えながらも、こうして言葉を交わしている」

 

「――――お前は……本当に頭が回る」

 

 

 

 

 

燐香の読心と予想を合わせた返答に、ステルは興奮したように言い募る。

 

 

 

 

 

「ならば分かるだろう? 能力が高い者が支配してこそ、人間と言う種は繁栄する。権利、平等、差別、尊重。全てが全てくだらない。この世の資源は有限だ。人間と言う種は増えすぎている。であれば選別するべきだろう。能力のない者を生かす価値は無い、能力の高い者だけを残してこそ、限りある資源を平等に分け合えるのだ。そうして、飢える者のいない世界が完成する!」

 

「うわぁ……」

 

「崇高な目的っ、完全な世界の構築っ! これ以上世界に平和をもたらす手段などありはしない! そうだろう!? さあ手を取れ強き少女よ! 我々異能を持つ選ばれた者達は立ち上がる時が来たのだ!」

 

「……えっと」

 

 

 

 

 

盲目的で熱狂的に、まるで洗脳されていると言われた方が納得できるようなステルの言動に燐香は困惑しながら、返事を濁した。

 

 

 

色々と言いたいことはあるが、結果としてこの男の目的は世界平和にあるらしい。

 

世界の方向性を自分達で定め、人類と言う種での繁栄を望んでいるという。

 

 

 

世界を平和に導くなんて目的自体に反対するつもりは毛頭にない。

 

いくら性格がねじ曲がっているとはいえ、燐香だって争いなんてもの無い方が良いと考えている。

 

 

 

目的自体にどうこう言うつもりはない。

 

けれど、この男の行動は言葉にしている平和とは程遠い。

 

 

 

 

 

「その完成された世界とやらに一般の……つい先ほど貴方が襲った何の過ちもしていない人達の安全は考慮されていないんですか? 種の繁栄や平和を謳いながら、貴方はこの街で多くの人を手に掛けていますよね」

 

「何を馬鹿な事を……二本足で立って、言葉を話せば人間か? いいや、そうではない。足りえない者がこの世には跋扈している。俺は手に掛ける奴をしっかりと選別している。新たな世界に不要なものは、人間ではない」

 

「そんなことを言われて私が頷くと思ったんですか……?」

 

 

 

 

 

顔を引き攣らせた燐香に気が付かないのか、ステルは朗らかに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「――――お前からは俺の雇い主と同じ雰囲気を感じる。自分の理想を果たすためにはあらゆる犠牲を許容する残虐性を有し、天に立ち全てを支配する才能を秘めている。俺の直感が言っている、お前のその口や顔に出ている偽善は、薄皮一枚程度の仮面だとな」

 

「――――…………」

 

 

 

 

 

だから、実際は見知らぬ赤の他人が死んだと聞いてもお前は何も思わないだろう、なんてステルは言った。

 

 

 

ピキリと、燐香の表情が凍る。

 

反射的に片手で自分の頬を触れて確認してしまう。

 

触れた頬の感触は柔らかく、口元はちゃんと持ち上がっていた。

 

 

 

 

 

「そう不安がるな、俺達皆がそうだ。異能を与えられた人間全てが、出来ない人間を見下している。俺達は俺達同士でしか分かり合えない。どこまで行っても異能を持つ者は持たない者と分かり合うことは出来ないのだ。たとえそれが家族であろうとも、な」

 

「……」

 

 

 

 

 

それはそうだ。

 

ずっと昔からそんなことは分っていた。

 

自分は両親や兄妹とは違う。

 

そんなことはずっと前から理解していて、とっくの昔に諦めた。

 

 

 

もういいか、と燐香は思う。

 

これ以上こいつの話を聞いていても気分が悪くなるばかりだ。

 

だから、もう終わらせてしまおう、そう考えた燐香が自身の異能の出力を強化しようとして、彼女の異能の探知範囲に、この場所にいる筈がない人がいることに気が付いた。

 

 

 

 

 

「俺とお前の精神構造はそう大して変わらない。その点に気が付いているかどうかの違いだ。俺を殺人鬼と罵ろうとも、お前は俺と同類でしかない」

 

 

 

「――――いいや、違うな」

 

 

 

 

 

何も言い返す事も無いまま口を噤み、ボンヤリとステルを見て立ち尽くしていた燐香の隣に男が立った。

 

頭から血を流し、足も引き摺っていて、片手は碌に動かせないのに、その男はこの場に戻ってきて、もう1つの手で燐香の頭を優しくクシャクシャと撫でまわす。

 

 

 

ステルはその男を見て、余裕ぶった笑みを怒りで染め上げた。

 

 

 

 

 

「お前っ……!」

 

「この子はお前とは違う。異能なんてありえないようなものを持っていても、この子はお前と似通っている点なんてない」

 

 

 

 

 

呆然と、目を見開いてされるがままに、頭を撫でられる燐香は隣にいる誰かを見ることもない。

 

それでも、自分自身でさえ信じ切れない人間を、心の底から信じている男が隣にいる事だけは理解できた。

 

 

 

 

 

「見知らぬ誰かの為に自分を危険にさらせて、無力な男の為に手を差し出せるこの子は、誰よりも優しくて誰よりも強い子だ。お前が思うよりもずっと、この子は色んな人を救い上げて来た」

 

「何も持たない人間にいったい何が分かるっ! 持たぬ者が持つ者を理解などは出来ん!」

 

「いいや、少なくとも俺はこの子をお前よりもずっと見て来た。俺はこの子に救われてきた。だからこそ俺は、ここにいる。優しいこの子のためならこんな命、惜しくはない」

 

 

 

 

 

なんで、と燐香が疑問を言葉にする。

 

彼は他の怪我人を連れて病院まで向かったはずだ。

 

この殺人鬼は自分ではどうしようもないと理解して、命の危険しかないのだと理解して、自分がこの場から逃がした筈だった。

 

それなのになぜこの人はこの場所にいるのだろう。

 

そんな思いから呟いた言葉に男はクシャクシャと撫でる手を止めて、膝を突いて燐香に目線を合わせた。

 

 

 

 

 

「君のおかげで、俺の後輩も、被害者の少年もなんとか病院まで送り届けることが出来た。俺一人では絶対に出来なかったことだ。君が、無力な俺を助けてくれるのに、俺が何もしない訳が無いだろう? 異能があるとか、異能が無いとか、そんなことはさして重要じゃないんだ。手を差し伸べてくれる人を置いて自分一人安全な場所へ隠れるなんてできる訳がない」

 

「……」

 

「例えこの命が失われることになろうとも、君がその身を賭して救いの手を伸ばしてくれるなら……俺は君の為に命を懸けて盾になる。君1人でなんて、戦わせない」

 

「…………神楽坂さんは、やっぱり馬鹿ですね」

 

 

 

 

 

男は、神楽坂は何もできない筈なのにこの場にまた戻ってきた。

 

過去のトラウマと、今の無力な自分に散々打ちのめされたにも関わらず、神楽坂はまたこの場にいる。

 

打算も勝算も何もない。

 

自分がそうするべきだと思ったからここにいる、そんな馬鹿げた理由しか存在しなかった。

 

 

 

人は彼を浅はかだと言うだろう。

 

殺人鬼の元へと残した少女を救うために戻ってきた警察官である彼を、無力な彼を、きっと誰かは笑うだろう。

 

殺人鬼の元に残った少女もそんな無力な警察官を見て、少しだけ視線を彷徨わせ恥ずかしそうに微笑んだ。

 

 

 

 

 

「仕方ありませんね。神楽坂さんが私をそんな風に信じるなら……きっと私はそうなんでしょう」

 

 

 

 

 

少なくとも、他人を傷つけることしかしない男の言葉よりもずっと、神楽坂の何一つ偽りのない言葉は燐香の心に響いた。

 

 

 

 

 

「下らんっ、下らん下らん下らんっ!!!」

 

 

 

 

 

可視化した巨神の腕が動き出す。

 

交渉が決裂したと受け取ったのか、それとも神楽坂だけを黙らせるつもりなのかは分からない。

 

もう知る必要もないからだ。

 

 

 

激高したステルから庇うように前に出ようとした神楽坂を、燐香は「何もしなくて大丈夫ですよ」と言って引き留める。

 

 

 

 

 

「状況は詰みです。これ以上どうこうする意味はありません」

 

「それは……?」

 

「勝敗はすでに決しています、神楽坂さんの怪我も軽傷ではないのですから、必要以上に動く必要ありません」

 

「ふっ、ははは! そうだっ! お前らの様な見苦しい偽善者どもなどっ、口先だけで何もできない無能に過ぎん!! 俺のこの神のごとき力に平伏しっ、無様に散れっ!!!」

 

 

 

 

 

巨大な数多の腕が轟音と共に振るわれる。

 

勝利を確信しているステルの怒声とともに、迫りくる巨神の腕に神楽坂は顔を引き攣らせながら燐香を抱き寄せて。

 

 

 

 

 

「ええ、それでは――――そんなゴミ異能しか持てなかった無能に、上下関係を叩き込みましょう」

 

 

 

 

 

――――停止した。

 

 

 

 

 

「…………? な、なんだ?」

 

「……………………」

 

 

 

 

 

あれだけ怒声を吠え立てて、怒りに任せて巨大な異能を振るおうとしていたステルの全ての動きが停止した。

 

突然電源を落とされたかの様に体の力を失ったステルは、唯一残された眼球の自由だけで状況を把握しようと辺りを見渡した。

 

 

 

 

 

「私が貴方に接触してから10分が経過しました。意識を失わせてしまうと言う事故はありましたが、それでも合わせて5分ほどの時間さえあれば、末期状態まで持ち込むのは容易かったです」

 

 

 

 

 

佐取燐香の異能の1つ、思考誘導。

 

それを燐香はステルに対して常に仕掛けていた。

 

違和感を感じられない程度の微弱さで、甘皮が剥がれていくようなゆったりとした速度で、ステルの感覚は徐々に燐香の手中に収まっていっていた。

 

 

 

もうすでに彼の体の自由は彼のものでは無い。

 

 

 

 

 

「……さて、私もこれは長く続けられないので早急に終わらせます」

 

 

 

 

 

体と異能の自由は奪った。

 

つつっ、と燐香は鼻から血が流れ始めるのを拭いながら、ステルに問いかける。

 

 

 

 

 

「私の声は聞こえますか?」

 

 

 

 

 

聞こえている。

 

何重にもなったような不気味な声が、ステルの頭の中に響き渡っている。

 

 

 

 

 

「私の姿は見えていますか?」

 

 

 

 

 

見えている。

 

二足歩行で立ち両手からは力を抜いている、ノイズが走る少女の姿が見えている。

 

そして、その後ろには。

 

 

 

 

 

「私は何に見えますか?」

 

 

 

 

 

巨大で、人型で、口以外顔の無い巨人が目の前にいる。

 

ステルは理解した。

 

目の前のこれが顔の無い巨人なのだと、理解した。

 

 

 

 

 

「――――貴方の世界は今、何色ですか?」

 

 

 

 

 

世界は白黒で、空は赤くて、太陽は真っ黒に染まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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これから辿る幾つかの可能性

 

 

 

物事には何事もマナーと言うものが付いて回る。

 

誰が定めたものなのかは知らないけれど、親しき仲であればそれほど気にしなくても良いものもあれば、最低限抑えておかなければならないものもある。

 

お見舞いの時に持参する花なんてものは前者であるだろうが、万が一にも嫌われたくない相手に対して持っていくのであれば、明るい色の、根が付いていないものを選ぶくらいの配慮は必要だろう。

 

そして意外と花と言うものは値が張るものだと、今日、私の財布は思い知らされた。

 

 

 

 

 

「佐取、また来てくれたのか。毎回言うが、学校もあるんだから無理してくる必要なんてないんだぞ」

 

「神楽坂さんってば、私がお見舞いに来なかったら誰が行くって言うんですか。ほら、また殺風景で何もない病室ですし、私以外に誰もお見舞い来てないんじゃないですか?」

 

「それはそうだが……わざわざバスケットを持って見舞いなんて……そんな気を遣わなくても良いんだぞ?」

 

「ふふん、私、大人ですから。知り合いが入院したら花とか果物を持って見舞いに行く程度には常識があるんです……でもお花って結構高いんですね」

 

「い、いや……いくらしたんだ? その分の値段は俺が出すから……」

 

「止めてください、すごく惨めになるので、そんな気遣い止めてください」

 

 

 

 

 

今日はおしゃれに花でも持っていこうと考えた私が浅はかだったのだ、勉強料として甘んじてこれくらいの出費は受け入れて見せよう。

 

そう自分を納得させて、病室の角にバスケットを飾る。

 

 

 

私は今日、包帯だらけの姿で病院のベッドで横になる神楽坂さんの数度目となる見舞いに来ていた。

 

あの“千手”の男と対峙してから早1週間。

 

重傷と言っても差し支えない怪我を負った神楽坂さんは、全治3か月の診断をされるとともに即日入院を言い渡された。

 

あれだけの大怪我だったのだ、ある意味当然の診断だろう。

 

 

 

逆に、国際的に指名手配されていた凶悪犯であるあの男の身柄は、駆け付けた警察官達に即座に確保されていた。

 

歩くこともままならなかった私に変わって、神楽坂さんが応援を呼んでくれたのだろう。

 

彼らに付き添われる形で病院に連れていかれる神楽坂さんを見送ってから、直接的な怪我をしていない私はそのまま自宅に帰った訳だ。

 

 

 

 

 

「それにしても神楽坂さん、本当に私以外に見舞いに来る人いないんですか? 家族とかに連絡が出来ないとかであれば、私の方から連絡を入れるくらいは……」

 

「ん、ああ、そうだな。両親とは疎遠で、わざわざ俺の見舞いに来るような人は誰も居ないからな」

 

「へー……何と言うか。まあ、私も他人の事言えませんけど、ちょっぴり寂しいですね」

 

「何、1人は慣れてるから別に今更寂しいなんて思うこともない。むしろ佐取がよく来てくれていることもあって、ここ最近は普段以上に会話しているくらいだ」

 

「ふへへ」

 

 

 

 

 

私が切り分けた果物を、ありがとうと言いつつ口にする神楽坂さん。

 

病院食は薄味と聞くから、こんな果物でも嬉しいのだろう、頬を緩めながら咀嚼する神楽坂さんの姿を見て、持ってきて良かったと思いながらテレビの電源を入れた。

 

 

 

テレビではまた同じ事件が繰り返し報道されており、今はその事件について意見討論をする番組のようだ。

 

 

 

 

 

「ここ最近はこんな感じに、連続殺人事件の犯人が国際的に指名手配されている凶悪犯だったことがずっと報道されて、色々話し合われてるみたいですが神楽坂さんの元に入ってくる情報も似たようなものばかりなんですか?」

 

「そうだな……とは言っても怪我人で現場復帰もまだな人間に重要な情報なんて渡すわけがないから、俺が情報を貰っていないからと言って警察全体でもそうだとは考えない方が良い。ちなみに、最近の世論はどういう?」

 

「なるほど分かりました。事実関係が判明してからは、こういう討論形式の番組が増えましたけど、たいていの内容は、国際指名手配犯が入国する前に阻止できなかったのか、と言う点ばかり話していますね。警察のトップへの批判はちょくちょく出てきますが、神楽坂さん達氷室署の警察官には基本的に擁護の立場の人が多いです。まあ、実際にあの“千手”とやらを捕まえたのは、神楽坂さんってことになっていますから、世間的には警察官優秀って言う評価みたいですよ。悪くないんじゃないですか?」

 

「そうか……佐取の手柄を全部かすめ取っている訳だから、俺としては喜べないがな……」

 

 

 

 

 

そんなこと気にしなくていいのにと思い、何かフォローでもしようかとして顔をしかめる神楽坂さんに、せっかくならちょっと意地悪なことを言っておこうかと考え直す。

 

 

 

 

 

「まあ、神楽坂さんが最初から私と連携を取っていればもっと楽にこの事件を解決できた訳で。神楽坂さんのその怪我とかもなかったかなぁとは思うんですけどねー?」

 

「うぐっ……その、申し訳ない……」

 

 

 

 

 

神楽坂さんの腰がこれまでにないくらい低くて面白い。

 

 

 

 

 

「うぷぷ、あの程度の異能持ちの攻撃で私がやられるかもしれないなんて考えるなんて、ほんとに神楽坂さんは心配性ですね。それもなんですか、私とは別の異能持ちをどこからか見つけ出して協力していたなんて。節操無しで、浮気性なんですから。うぷぷ」

 

「言い訳のしようもない……」

 

 

 

 

 

何の反論もせず、じっと私の指摘に耐え続ける神楽坂さんに、私の性格の悪い部分が火を噴き始めた。

 

具体的に言うと、これに乗じて何かしらの要求を通してしまおうと言う悪だくみだ。

 

 

 

 

 

「まあ? 信頼関係が築けていなかったのは私にも責任があるでしょうし? 今後は私をもっと大切に扱って、些細なことでもしっかりと私に連絡していただけたら別に今回の件でこれ以上どうこういうつもりは――――」

 

 

 

「よく言うじゃない。“千手”をぶっ飛ばした後動けなくなって、神楽坂先輩の手を煩わせていたくせに」

 

 

 

 

 

普段は見れない神楽坂さんのへこんだ表情を見て、調子に乗り始めた私がさらに追撃を掛けようとしたところで、別の声が割り込んだ。

 

「ゲッ」と思わず声が漏れ、その声の主の予想をしながら病室の出入り口へと目を向けた。

 

 

 

松葉杖を突いた女性が、呆れた顔で調子に乗っていた私を見ている。

 

なんでも私との連絡を絶っている時に協力体制を築いた、飛禅飛鳥と言う同僚の女性らしい。

 

 

 

 

 

「開花したての異能持ちでもないくせに、出力限界以上の異能を使って行動不能になるってどんなミスよ。ゲロをゲーゲーと吐きながら鼻血を撒き散らしていたなんて、心配そうにあの子の体調は大丈夫なのかって先輩に質問された私の気持ちが分かる? 馬鹿小娘」

 

「そ、そそそ、それは……あ、あの時は気分が高揚しすぎていて後先考えていなかったと言うか」

 

「後先考えずに異能を使うって……呆れた。あの子供に異能の制御を教える前に、貴方に教えた方が良いような気がしてきたのだけど」

 

「言いすぎじゃないですか!? 私勝てなかった貴方の尻拭いしたんですけど!? そもそも貴方が“千手”に勝っていたら、こうめんどくさい事態にはなってないんですよ!?」

 

「はいはい、そうやって自分に非があると思ったら責任転嫁して話題を逸らそうとする。漫画に出てくる精神関係の異能持ちにありそうな性格の悪さね」

 

「こ、このっ……この女っ……!」

 

 

 

「ひ、飛禅? お前、性格全然違う気がするんだが……」

 

 

 

 

 

最初に言うが、既に何度か会っているこの女と私の仲は非常に悪い。

 

別に初対面の時私は好き嫌いを持っていなかったが、この女は私を見るなり、いや見る前から既に私を嫌っていた。

 

非常に私に対する当たりが強いのである。

 

 

 

理由はもちろん分かっている。

 

 

 

 

 

「へっ、自分の弱さを再認識して落ち込んでるからって自分よりも年下に当たって、恥ずかしくないんですかね。“浮遊”なんて異能何に使えるんだか、お手玉でもして客を取れば良いんじゃないですかね」

 

「……カチーン」

 

 

 

 

 

飛禅とやらの怒りのボルテージが上がっていく。

 

なんだ、やるのか、と立ち上がった私に向かって、松葉杖を突きながら近付いてくる。

 

 

 

 

 

「あらあらあら、戦いにおける強さだけで異能の価値を測るなんて、やっぱり社会に出てないお子様は世間を分かっていないわねぇ……」

 

「強さだけが物差しではありませんが、事件を起こした異能持ちと戦う可能性を考えれば、十分価値基準になりそうですけども?」

 

「物騒なことばかり言って、これが中二病って奴かしらね。大丈夫よ、戦いは環境に左右されることもあるし、相性がとっても重要なの。たまたま……偶々っっ! 貴方が“千手”と相性良くて、私が“千手”と相性が悪かっただけ。そんな上からものを言うなんて身の程をわきまえた方が良いわよ、お・こ・さ・ま?」

 

「ちゅうにびょう……おこさま……は、はぁ? 私大人ですし? 体はともかく心は大人ですし? むしろ栄養全部胸に行ってるような、体だけ大人な鶏女よりもずっと私の方が立派ですし、現に結果も残してるんですぅ! 相性とか、環境とか、そんなもののせいにし出した貴方に、成長はないんです! あーやだやだ、これだから自分を立派な大人だと思い違いをしてる人間は相手にしたくないんです」

 

「……胸……鶏女……? 成長がない、ですって……? ……ふ、ふふふ、上等じゃない。今ここでどっちが上でどっちが下か、分からせてあげようじゃない」

 

「じょーとうじゃないですかぁ!!」

 

 

 

「おいやめろっ! ここは病院だぞっ!?」

 

「あでっ!?」

 

 

 

 

 

ゴツンッ、と神楽坂さんに頭を小突かれて、ひっくり返る。

 

い、命の恩人の私に対してなんてことをっ……、なんて思って文句の1つでも言おうと顔を上げたが、関節を極められて悲鳴を上げている鶏女を見て、まだ優しい対処だったのかと口を噤んで冷静になる。

 

 

 

しばらく神楽坂さんによる説教を眺めて、ようやく解放された鶏女が涙目で肩を撫でているのをニヤリと嘲笑う。

 

人に対して厳しい当たりをするからこんな目に遭うのだ、ざまあみろ。

 

 

 

 

 

「……佐取、君もその馬鹿にするような笑いを辞めなさい。君に対しても説教をしなくちゃいけなくなる」

 

「ごめんなさい」

 

 

 

 

 

元々のフィジカルの高い彼らと違って、私は肉体面で言えば雑魚だ。

 

同じような説教を受けた場合、3日は寝込む自信があった。

 

 

 

 

 

「いつつ……で、せんぱーい。これからの事について話しに来たんですけどぉ」

 

「うわ……なんですその口調。こっわ」

 

「佐取」

 

「ごめんなさい」

 

 

 

 

 

おかしい、呆れたような目と感情を神楽坂さんから向けられている。

 

いや、確かに話の腰を折るのは悪かったのだろう、反省しなくてはいけない。

 

 

 

 

 

「……あの相坂って言う子供、ほんとに無罪放免にしちゃって良かったんですかぁ? “千手”の奴がわざわざ似せて犯行を行ってくれてたから、あいつ以外の人間の犯行じゃないかって疑う声は今のとこ出てきてないみたいですけどぉ」

 

「…………俺としては、そうだな。あの子を無理に犯人だと言うつもりはない。実際、あの子に故意はなく、あの子に爆弾を括り付けたグループの一味が“千手”の男だからな。もしも本当に罪を世間に公表し償わせるにしても、今ではないだろう」

 

 

 

 

 

難しい顔で会話する2人の間で顔を行き来させ、話を聞いていた私は初めて知る事実に驚いた。

 

 

 

 

 

「ん? え? すいません、私多分状況をよく把握してないんですけど、あの“千手”とやらが今回の殺人事件の犯人じゃないんですか?」

 

「2種類あったでしょ殺人事件。バラバラとぐしゃぐしゃ、バラバラが異能の暴走した子供の犯行で、ぐしゃぐしゃがあの“千手”とかいう男よ」

 

「あー、なるほど。犯人が2人いる方でしたか。てっきり異能の制御が利いているものと暴走してしまったものの2つだと思ってました」

 

 

 

 

 

状況を把握し、2人が難しい顔をしている理由にようやく気が付く。

 

異能は法に当てはめられないが犯行は現実であり、罪は残っている。

 

その罪を、誘拐され異能を押し付けられた子供にどこまで償わせるかの問題が残っていて、それは現在の法では判断できない状況なのだ。

 

しかも、ただでさえ色んな混乱が起きている今、異能の存在を公表すれば、相坂少年の身の安全は保障できないものになるだろう。

 

 

 

 

 

「……ま、取り敢えず同じ過ちを犯させないよう飛禅さんがその子供に異能の制御を教える形なんですね」

 

「ええそうです☆ ……あっ、間違えた。ええそうよ」

 

「……それ取り返し効くんですか?」

 

「佐取」

 

「えっ!? 嘘っ、今のは別に馬鹿にする意図ないですよ!? ごめんなさい!!」

 

 

 

 

 

関節技をガードするように神楽坂さんから距離を取って、頭を抱える。

 

冗談だ、と笑っているが、こっちは笑い事じゃないのでほんとに勘弁してほしい。

 

 

 

 

 

「んー、でもその措置でいいんじゃないですかね。正直こっちから異能の子供を公表すると、子供の身柄を抑えたい……えっと、外国の組織は積極的にその子供を狙ってきますもんね。救いのない悪党でもないですし、“千手”とやらに全部かぶってもらっちゃっても良いんじゃ……」

 

「…………」

 

「……まあ、私もそちら側の意見なんだけれども」

 

 

 

 

 

2人の暗い顔を見て、ああなるほどと納得する。

 

 

 

例えどんな理由があろうとも、別の誰かに罪を擦り付けるのを許容することを、この2人は納得できないのだ。

 

それをしてしまえば、自分の息子の轢き逃げを別の誰かに擦り付けようとした警察官僚となにも変わらなくなってしまうから。

 

善意と義務感の間のそんな葛藤に、この大人2人は苦しんでいるらしい。

 

 

 

ふむ、と少し考える。

 

 

 

 

 

「……と言うか、その異能の子供、ほんとに異能が暴走していたんですかね」

 

「なに?」

 

 

 

 

 

訝し気な顔をする2人に私は、「異能の暴走が出来すぎているって言う話です」とつないだ。

 

 

 

 

 

「結局その少年は異能をまともに使えてなかったんですよね。そんな人間が遠距離から特定の人間を狙う? しかも、成人男性をバラバラにするほど強力な異能を? なんだか、それっておかしくないですか?」

 

「……それって……」

 

「実際の少年の証言も、その“千手”の証言も私は直接聞いていないから分かりませんけど、少年はきっと『自分が何をしたのか分からない』『分からないけれど、自分の頭でフラッシュバックした光景と世間で起きている事件に近いものがある』『だから自分が何かやってしまったのではないか』、そういう錯覚に襲われたはずです。そしてその錯覚は、少年を連れて行こうとしていた“千手”にとっては好都合なものだった」

 

 

 

 

 

私の発言には何の根拠もない。

 

けれど、異能と言う非科学的な力が関わっている以上、今ここから過去を遡って事件の真相を暴くことは出来ないし、証拠を見つけ出すことは不可能であるから。

 

 

 

だから私は、可能性のあるもう一つの可能性の話を、ペラペラと彼らに提示する。

 

 

 

 

 

「だって、その少年が犯行をしたと言っているのは、自分の異能を把握できていない少年と、何人もの人を殺めてる“千手”とか言う殺人鬼ですよね? 一般常識的に考えれば、“千手”と言う殺人鬼が、罪の意識を少年に押し付けるために、“そういう風”に見せる事件を作ったと言う方が説得力ありませんか?」

 

「……確かに……その通りだ」

 

 

 

 

 

押し黙るようにして私の話を肯定した神楽坂さんは目線を床に向け、鶏女さんは顎に手を添えて私の発言を考えている。

 

 

 

ここまでの仮説は何の裏付けも根拠もない。

 

だから、可能性は否定できなくとも、積極的に肯定は出来ない筈だ。

 

だからもう一手必要になる。

 

 

 

 

 

「鶏……えっと、飛禅さん」

 

「…………今なんて呼ぼうとしたのか聞いていい?」

 

 

 

 

 

少しの言い間違えも聞き逃さないらしい。

 

 

 

 

 

「飛禅さんはバラバラ事件の犯人から標的になったことはありますか? あ、ここでいう犯人と言うのは、特定の誰かではなくて、路地裏でバラバラにされるような目にあったか、と言う話です」

 

「小娘……あとで絶対に泣かす……。……襲われてはないわよ。私は先輩と協力することになって直ぐにアイツらと衝突することになったから、そういう事件には巻き込まれてないわ」

 

「そうですか。なら私だけの証言になりますけど、私は2度その異能を目前にしています。そしてその異能は、あの少年のものよりも“千手”に近いと私は感じました」

 

「そ、それはっ、本当か!?」

 

「はい、あくまで私の主観ですが、そうであったと思います」

 

 

 

 

 

一般人には感知できない異能の感知を根拠として、私の仮説の補強を行う。

 

誰も嘘とは分からない、誰も真実だとは証明できない、けれど信頼に足るであろう情報。

 

これで彼らは私の仮説を絶対に否定できなくなった。

 

 

 

 

 

「なんにせよ、必ずしもその子供が異能を暴走させたと言う確証が取れない限りは、どの角度から見ても、子供の異能については言及するべきではないですね。少なくとも国際指名手配されている今の“千手”の処遇にどうこう口を出すべきではないと私は思います」

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 

 

私はそこまで言って、反論されることは無いだろうと胸を張るが、手放しの賞賛が飛んでくると思いきや、2人は無言で目配せをしている。

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 

 

 

 

不安になり2人を交互に見る。

 

2人の曖昧な態度は崩れず、それどころか、鶏女は仕方なさそうに肩をすくめ、神楽坂さんはガシガシと自分の頭を掻いていた。

 

 

 

 

 

「……すまん。そういうことにさせておいてくれ」

 

「ま、それが無難な落としどころじゃないですか。私達の心情的にも」

 

「あれー……?」

 

 

 

 

 

目論見が上手く通らなかった。

 

彼らの罪悪感を少しでも減らせたらなんて考えたが、所詮は子供の浅知恵だったようだ。

 

逆に私に配慮させた事に申し訳なさがあるようで、神楽坂さんはまた私の頭をわしゃわしゃと撫でる上、鶏女さんは不服そうにしながらも私の隣に椅子を用意して腰を下ろした。

 

 

 

「起きてしまった事をこれ以上悩み続けるのは大人として示しが付かないな」なんて言って、神楽坂さんは真剣な顔で私と鶏女さんを見据えた。

 

 

 

 

 

「実はな佐取、もう1つ君には話しておかなければならないことがある。飛禅にここに来てもらったのはこれからの方針について、俺の考えを2人に伝えたいと思ったからだ」

 

「む……」

 

 

 

 

 

真剣な話に入ったことに気が付いて、私は口を引き締め真面目な顔を作った。

 

 

 

 

 

「これからの話……佐取が、“千手”から抜き出してくれたおかげで、連続している異能の関わる事件の黒幕組織が判明した。世界的大企業、『UNN』……正直この組織に対して、現状俺達に出来ることは何も無い。世界展開されている大手企業が、裏では異能持ちを作り出す実験をしていて世界征服を狙っている組織なんて、陰謀論にしたって限度がある」

 

「……私は嘘は言ってないですよ?」

 

「分かってる。全部真実だと分かってるが、それが真実だとして俺らに出来ることは無いと言うことを話したいんだ。相手の本拠地が海外と言うのもあるし、別に俺達は国を渡って相手を追い詰められるだけの権力も、資金も、力もない。受け身の姿勢を取るしかないと言うことを理解してくれ」

 

 

 

 

 

そこまで前提を話した神楽坂さんは、ようやく本題を切り出した。

 

 

 

 

 

「いいか、俺はこれまで通り、非科学的な力の存在も、その陰謀論めいた話も、『UNN』と言う企業が世界征服を狙っていると、いくらでも世間に発信していこう。だが、佐取と飛禅は変な行動を取らないでくれ」

 

「ん……?」

 

 

 

 

 

予想に反した神楽坂さんの提案に少し考えこんだ私に対して、同じ病院に入院している鶏女さんは前から話を聞いていたのか、素直に頷いている。

 

 

 

 

 

「神楽坂先輩の広報で警察内部や世間に情報を流し、敵からの攻撃を1点に集める餌の役目を行う。自分達の悪事を広報している人間がいると分かれば『UNN』とやらも日本への攻撃を控える可能性もあるし、“千手”のような異能持ちを神楽坂先輩へ送り込んだとしても相手の情報にない私達の存在でその攻撃を阻止できる可能性が高いって訳ですね☆」

 

「……そ、それくらいは分かっていましたし。でも、それって神楽坂さんの負担が大きすぎませんか? 奴らに狙われるのはもちろんですけど、警察組織内部からの圧力もあるでしょうし、世間的に企業への風評被害を起こそうとしている人間なんて、警察官としていられなくなるんじゃ」

 

「勿論ほどほどにはする。もともと俺は警察組織からは嫌われ者。多少立場が悪くなろうと、今更気になるものじゃないし、ここ最近の佐取に貰ったような手柄を考えればむしろプラスだろう」

 

 

 

 

 

全てを理解してなお、笑って自ら危険を引き受けようとする神楽坂さんに衝撃を受ける。

 

 

 

私は、善人が好きで悪人は嫌いだが、自己犠牲も厭わないようなレベルになると話は違う。

 

不幸になると分かっている相手をみすみす放っておけるほど、私は達観できていない。

 

 

 

 

 

「で、でもっ……! ほらっ、神楽坂さんには入院中の婚約者がいるって……意識が戻らないその女性を神楽坂さんはずっと待っていたんですよねっ? 今もその人を愛しているんでしょうっ!? それじゃあ、その人が起きた時に神楽坂さんの身に何かあったらどうするんですかっ。その人の身に何かあったら――――」

 

 

 

「先日、婚約は解消した。もう見舞いにも行かない。あいつをこれ以上危険に巻き込めない」

 

 

 

「――――はっ……?」

 

 

 

 

 

愕然とした。

 

心を読める異能を持っているにしては、あまりにお粗末な私の態度に神楽坂さんは軽く笑った。

 

 

 

神楽坂さんは私の頭を優しく撫でながら、笑っている。

 

けれど私から見える神楽坂さんの心は、悲嘆に満ちていた。

 

本当はそんなことを望んでいなかったのくらい、神楽坂さんと婚約者さんの関係を知らない私だってすぐに分かった。

 

 

 

 

 

「なに、事が済んだらまたプロポーズでもするさ。今は、このままの関係じゃいられなかったってだけだ」

 

「でもっ……でも……」

 

 

 

 

 

何とか神楽坂さんの意思を曲げられないかと鶏女さんを見るが、睨むように私を見ていた彼女はゆっくりと首を横に振った。

 

 

 

 

 

「今後、周りで妙なことがあればすぐに連絡する。今回の件で、俺1人ではどうしようもないってことは嫌と言う程よく分かった……だから、佐取を危険なことに巻き込むのは本当に申し訳ないんだが……その時は俺を助けてくれないか?」

 

「…………分かりました」

 

 

 

 

 

神楽坂さんの決意は固い。

 

私が何を言っても、いや、もしかしたら神楽坂さんの婚約者の方が何を言っても彼は決断を変えないかもしれない。

 

 

 

だったらもう、私がやることは1つだ。

 

神楽坂さんの救援要請に応え、全力を尽くして、私の気に入らない奴を打ち倒す。

 

 

 

 

 

「ただしっ、絶っっ対に私に連絡くださいね! 今回みたいに間に合うとは限らないんですから!」

 

「ああ、胸に刻んでる。頼りにしてるよ佐取、もちろん飛禅もな」

 

「……はいはい、その代わり私の目的にも協力してくださいよ」

 

 

 

 

 

話したかった重い話はこれで終わりだと言って、話を終わらせた神楽坂さんに複雑な気持ちを抱きながらも、私は頷いた。

 

 

 

実際、神楽坂さんも鶏女さんも怪我の完治までには時間がかかる。

 

これからすぐにと言う話ではなく、今後の方針としての話なのだから、やっぱり……と思い直した時はまた神楽坂さん達に言えばいいだろう。

 

それじゃあ、話したいことも終わっただろうし神楽坂さんの様子も見たから、早く帰ろうと椅子から立ち上がったところで、今度は鶏女さんから待ったが掛かった。

 

 

 

 

 

「そうそう。私にも私の目的があるから、アンタにも聞いておきたいことがあるのよ」

 

「ええ~……」

 

「なんで神楽坂先輩にはあんなに協力的なのに、私にはこれっぽっちも協力する気が無いのかしらこの小娘っ……!!」

 

 

 

 

 

歯ぎしりしながら私の態度に苛立ちを覚えているようだが、当然だろう。

 

神楽坂さんには結構色んな場面で救ってもらったし、出会ってから1カ月程度の間、私に対して非常に誠実に接してくれている。まぎれもない善人だ。

 

 

 

だが、この鶏女さんはそんなことない。

 

猫かぶりで、私に対して当たりが強く、妙な対抗心を燃やしてきていて、それでいてそこまで善人と言う訳でもない。打算的で、独善的で、それでいて自分本位でもある。悪人ではないけど、私は好きではないタイプの人間だ。

 

 

 

私の嫌そうな顔など知った事かと、鶏女さんは質問を投げかけてくる。

 

 

 

 

 

「私、“顔の無い巨人”って言う異能持ちを探しているの。貴方何か知らない?」

 

「“顔の無い巨人”……?」

 

 

 

 

 

聞いたことのない名前の人物に頭を捻る。

 

 

 

いや、一応聞いたことはある。

 

ネット上で都市伝説として囁かれている、怪物の存在。

 

それが存在するのかどうかは知らないが、ネット上では多くの人に恐れられており、話題に出すことさえ嫌がる人がいるほどだ。

 

私は、まあ、そんな都市伝説になんて興味が無かったから深くは知らないが、それを本気で追っている異能持ちがいるとは思わなかった。

 

 

 

 

 

「えっと、もっと具体的な特徴とかないんですか? 何と言うか、名称だけ言われても困るんですけど」

 

「……とは言っても、私だって直接会って一度話したきりだから……その異能の詳細もよく分からないのよ……」

 

「ええ……なんでそんな奴に会いたいんですか? ネットでその名前はたまに見かけますけど、正直碌な奴じゃないと思うんですよね」

 

「……」

 

 

 

 

 

沈黙。

 

言いたくない、と言うよりも、口に出すとそれを認めるようで嫌なのか。

 

そんな複雑怪奇な感情に、おかしなものを見るような目で鶏女さんを見ていた私に、ついに観念したように彼女は重い口を開いた。

 

 

 

 

 

「……村ぐるみで迫害されていた私を……救ってくれた奴なのよ。才能があるって言って、地下牢に繋がれていた私の異能を無理やり開花させて。村全てを変わり果てたものに変えたの」

 

「はぁ、それはそれは。村ぐるみでの迫害に地下牢なんていつの時代の話なんですか、それ。それで最後は異能の開花なんて、まるで今の私達の敵みたいな役満…………」

 

 

 

 

 

――――そこまで言って本当にふと、遠い昔の頃の記憶が蘇った。

 

 

 

嬉々として自分の異能を広げていた暗黒時代の全盛期よりもずっと前、確か人の集まりの場所に、1人だけ弱弱しく、全てを諦めたような感情を持っていた人間がいた。

 

見た目も性別も分からないその人間と、それを恐怖し攻撃しようとする意志を持つ人間達に、そういえば手を出したことがあった。

 

 

 

 

 

「……い、異能の開花、ですか……」

 

 

 

 

 

全てを諦めていた人間からは、自分と同じ力を感じた。

 

無意識的に自分で無理やり抑え込んでいるようなその感じに、当時の、我慢なんて知らない私は即座に異能を使用し、強制的にその人間の異能を放出させた。

 

 

 

あとは、その場所から連れ出して、迫害する意識のある人間全ての価値観を歪めた、と言うずっと忘れていた、記憶を思い出した。

 

 

 

 

 

(い、いや、いやいやいやいや、そんなまさか……あんな昔の話、あんなの私が小学生時代の話じゃないですか……まさかそんな昔の話が今さら目の前にやってくるなんて、そんなことある訳が……そもそもあの時の私って、異能で感知してたから、相手からはまともな姿に見えてなかった筈だしっ……)

 

 

 

「……まあ、冗談みたいな話よ。私も、ずっとあのまま、繋がれて死ぬものだと思っていた。あの日だって突然目の前に現れた、あの黒い煙の様な奴に、自分の正気を先に疑ったもの」

 

 

 

(黒い、もや……黒い……煙…………あ、私だ)

 

 

 

「へ、へへへ、へー、そうなんですね。ち、ちち、ちなみにそのやべー奴と再会したらどうするんですか?」

 

 

 

(いやまだですっ。ここまでの話なら恨みを買ってるなんてことある訳ないですし、それとなく探すのを諦めさせればまだ勝機はあります!)

 

 

 

「もしも、あの人に会ったら…………」

 

 

 

 

 

そう言って、ゆったりと、静かに口を開いた彼女は瞳にドロドロとした執着とほの暗い光を宿していた。

 

 

 

 

 

「…………私、あの人を殺しちゃうかもしれないわ」

 

 

 

(なんでーーーーーー!!!???)

 

 

 

 

 

この日私のストレス要因がもう1つ増えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまでお読みくださり本当にありがとうございます!

感想やお気に入り登録、評価にとても励まされ、誤字報告に何とか助けられながら更新することができております! 本当にありがとうございます!!

話としてはこの話で一旦区切りとなり、次の話は少し間章のような短い話をいくつか挟んで、それからまた本編を進めようと考えております。

また、本編の方は少し話をまとめ直してから投稿したいと思いますので、更新間隔が開くと思いますが、ある程度話が溜りましたらまた毎日更新していきたいと思いますので、出来れば飽きずにお付き合いいただけたら何よりうれしいです!

これからもどうかよろしくお願いします!


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間章Ⅰ
【悲報】国際指名手配犯が日本に上陸していた件について



短編1つ目は掲示板です。
結構短いのでご注意ください。


 

 

 

 

 

【悲報】国際指名手配犯が日本に上陸していた件について part4

 

 

 

 

 

 

 

67 名前:名無し

 

国際的な指名手配犯が入国してたことの責任どうこうの難しい話、俺には分からんけど

 

結局、国際指名手配犯って捕まえたら賞金とか出るの?

 

気になりすぎて夜も眠れません

 

 

 

70 名前:名無し

 

>>67

 

出る奴もいる

 

今回の奴はメッチャ悪名高い奴だから、億行ってたはず

 

 

 

72 名前:名無し

 

>>70

 

マジ!?

 

宝くじ当てるより可能性高くね!?

 

俺も夜出歩いてればよかったわ

 

 

 

75 名前:名無し

 

見て来た、3億2000万だってよ

 

捕まえた奴って氷室署の警察官だろ?

 

もう人生勝ち組じゃん

 

 

 

79 名前:名無し

 

警察官には賞金は入ってきません

 

無知は勉強しなおしてどうぞ

 

 

 

82 名前:名無し

 

そもそも警察が即発砲する海外で懸賞金掛けられている奴なので、危険性は日本とはダンチ

 

一般人は普通に〇されます

 

 

 

88 名前:名無し

 

過去の犯歴見て来たけどコイツやべえな

 

国家転覆、テロ行為、殺人、誘拐、詐欺、特殊詐欺、なんでもやるやん

 

 

 

90 名前:名無し

 

>>88

 

そんな奴が日本に普通に入ってきていたと言う恐ろしさよ

 

他の指名手配犯もそこらにいるんじゃね

 

 

 

96 名前:名無し

 

>>90

 

いたとしてもおかしくないけど、そんな神経ぴりつかせてたら持たないぞ

 

 

 

99 名前:名無し

 

実際今回のこいつだけで、なんの罪もない人が10人〇されてるんだぞ

 

それなのに気にしないって方がやばいだろ

 

 

 

101 名前:名無し

 

そしてその全部が氷室区

 

まじであそこ呪われてるだろ

 

 

 

104 名前:名無し

 

氷室区は修羅の国じゃけえ

 

 

 

105 名前:名無し

 

前も見たなこの流れ

 

 

 

109 名前:名無し

 

>>104

 

氷室区周辺に住んでいますが、最近移住を考えています

 

誰か犯罪率の低い平和な場所を教えてくだちい

 

 

 

110 名前:名無し

 

>>109

 

ありませんので諦めて成仏してください

 

 

 

112 名前:名無し

 

おいおいおいおい、お前らTalkerの映像見たか?

 

指名手配犯が公園で暴れている奴

 

今めちゃくちゃバズってるから一回見て来い

 

 

 

116 名前:名無し

 

>>112

 

何それ、そんなの出回ってるの?

 

 

 

117 名前:名無し

 

>>116

 

暗くてよく見えないけど、マジでバケモンだぞ

 

遊具とか木とか引き抜いてぶん回してる、意味わかんない

 

 

 

120 名前:名無し

 

>>112

 

リンク張って

 

 

 

125 名前:名無し

 

>>120

 

めんどくさがり屋かよ

 

http/――――――――――――

 

ほれ

 

 

 

128 名前:名無し

 

>>125

 

やさしいかよ

 

 

 

130 名前:名無し

 

>>125

 

ありがとう

 

 

 

131 名前:名無し

 

優しい世界

 

 

 

132 名前:名無し

 

野菜生活

 

 

 

134 名前:名無し

 

ここまでテンプレな

 

 

 

138 名前:名無し

 

いやリンクまで張ったんだから早く見てくれよ

 

これおかしいだろ、普通の人間じゃありえない

 

 

 

140 名前:名無し

 

見たぞ、でもこれ普通にCGじゃねえの

 

なんか一部ノイズが走ってるし、最後は神々しい感じの巨大な腕出て来たし

 

いかにも素人が面白半分に作りましたって感じ

 

 

 

141 名前:名無し

 

ぶち切れ散らかしてるオッサンに適当にCG当てた感じあるなww

 

 

 

143 名前:名無し

 

ごちゃごちゃ吠えてよく聞き取れないけど、なんか、異能とか言ってね?

 

 

 

144 名前:名無し

 

オカルト板の専門じゃねこれ

 

あ、でもこの男ってこのスレで話してる指名手配犯か

 

うーん……セーフ!

 

 

 

147 名前:名無し

 

異能?

 

つまり超能力?

 

そういうのが本当にあるなら、これまで警察が全然解決できなかった事件って

 

 

 

150 名前:名無し

 

科学的な立証に基づいて犯罪を解決する警察は非科学的な犯罪事件を解決できません!

 

そういうことかぁ……

 

 

 

153 名前:名無し

 

いやいや、暗くてよく見えないし、何に対してキレ散らかしてるか分からない様なこんな動画がそんなものの根拠になる訳がないだろ

 

 

 

155 名前:名無し

 

昔ならいざ知らず、科学が発達した今そんな超常的なものある訳ないし

 

 

 

158 名前:名無し

 

大体これほんとに指名手配犯なのかよ

 

捕まってない犯罪者って、もっと狡猾でこんな不用意に騒ぎ立てたりしないだろ

 

 

 

160 名前:名無し

 

ガチで反論する奴らww

 

いつもの適当なネタなんだからマジに捉えんなよww

 

 

 

163 名前:名無し

 

>>160

 

は?

 

俺は結構ガチであり得そうだって思ってるぞ

 

信じるから俺に透視の力が芽生えないかな

 

 

 

165 名前:名無し

 

>>163

 

変態定期

 

 

 

166 名前:名無し

 

>>163

 

ド変態定期

 

 

 

167 名前:名無し

 

>>163

 

通報しました

 

 

 

170 名前:名無し

 

しかし、CGにしても凄い技術だな

 

実際、コイツが捕まった公園ってどうなってたかとか報道されてたっけ

 

 

 

173 名前:名無し

 

>>170

 

いや、されてなかったと思うけど

 

でもTalkerで、近くに住むって言う奴らは皆、公園がこの映像みたいに掘り返されてたって言ってるな

 

 

 

175 名前:名無し

 

てかお前らこれ恐くないのかよ

 

この暴れて怒鳴りまくってる男迫力ありすぎて、映像なのに俺ちびりそうなんだけど

 

 

 

176 名前:名無し

 

>>175

 

真正面からの映像でもないのにww

 

でもまあ、マジモンの凶悪犯だからな

 

普通の精神してたらまともに会話することすら出来ないくらい怖いだろうな

 

 

 

178 名前:名無し

 

俺は暴れっぷりよりも、この男の最後の方が怖い

 

なんであんな巨大な腕を操っておいて、最後は動かなくなったんだよ

 

何もない空を見上げて、なんで呆然として、最後は何の抵抗もしないまま、まるで見えない巨大な何かに押しつぶされた

 

怖い

 

 

 

180 名前:名無し

 

最後な、全身の関節が完全におかしな方向へ曲がって倒れたように見えるな

 

最初から最後までコイツの周りには何にも居ないのに、確かに怖いわ

 

 

 

183 名前:名無し

 

まあ、実際これが本物だとして、異能なんて言う超常現象が本当にこの世にあるとしても

 

無敵に近いであろうこの国際指名手配犯が、この映像の通り叩き潰されて捕まってる以上、何かしら対抗勢力がある筈だろ

 

 

 

この映像が本当だとしても正義の異能使いが日本、若しくは氷室区の近くにいてくれている事も同じように確定なんだから、とりあえずは安心できる要素はある

 

 

 

と、思いたいなぁ……

 

 

 

185 名前:名無し

 

そこで、顔の無い巨人ですよ

 

 

 

187 名前:名無し

 

顔の無い巨人な……

 

俺あの都市伝説が流れ始めた当時は全くそんな存在信じていなかったんだけど

 

今思い返してみると、あの頃嫌に事件とか起きてなかったわ

 

暴走族すらいなかったし、やっぱりその存在が悪いことしようとしてたやつ全部粛清してくれてたのかな

 

 

 

188 名前:名無し

 

おい、俺知らねーぞ

 

 

 

189 名前:名無し

 

あーあ……

 

 

 

190 名前:名無し

 

>>187

 

新顔か?

 

顔の無い巨人の話はNGだぞ

 

荒らしが湧くし信者が湧くっていうのもあるけど、なにより顔の無い巨人は噂をするとマジでお前の所に来るぞ

 

 

 

193 名前:名無し

 

>>190

 

え?

 

ちょっと、まってどういうこと、こわいんだけど

 

 

 

207 名前:名無し

 

落ち着け

 

あくまであの都市伝説が最も囁かれていた数年前の時の事だから今はどうか知らないけど

 

スレでその話をした奴が何人も途中で打ち込めない状態になったんだ

 

そいつらは途中までは普通に話してるんだけど大体徐々に発狂してって、最後は「顔が無い」とか、「巨人」とか打って消えることがあった

 

だからここの住人の間では、顔の無い巨人が禁句になってるんだ

 

 

 

もうこれ以上は俺も言いたくないから、後は自分で調べてくれ

 

 

 

210 名前:名無し

 

>>207

 

ありがとうございます

 

すいません、俺、ずっと顔の無い巨人は、悪人を裁いてくれる良い存在って聞いてて

 

そんな怖い奴だとは思わなかったんです

 

 

 

212 名前:名無し

 

まあ、アレが実際どういう存在かはしらないけど、>>210の周囲の人はアレの信者に近いんだろうな

 

 

 

216 名前:名無し

 

これで話は終わりだろうけど、これ以上はオカルト板に行こうぜ

 

 

 

218 名前:名無し

 

誰もこれ以上話したくねえよ

 

国際指名手配犯の話に戻ろうぜ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

511 名前:名無し

 

おい、あの動画消されたぞ

 

しかもあの公園見に行ったらほんとに地面や遊具が掘り返されたような状態になってた

 

 

 

マジで妙な力がこの世界にあるかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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あの子と友達になりたくて


短編2つ目です。
ストーカーさん視点なので、時折やばい思考がありますのでご注意ください。


 

 

 

 

『――――ああ、本当に嫌になる』

 

 

 

 

 

体中を走る激痛と、これから自分はどうなってしまうのだろうと言う絶望の中。

 

朦朧とした意識で聞いたのは、心底つまらなそうにそう吐き捨てる少女の姿だった。

 

 

 

その少女には見覚えがある。

 

同じクラスの隣の席で、常に視線を床に彷徨わせていた、勉強しか出来なさそうな少女。

 

裏路地へ引き摺り込まれ、大柄な体躯の男達に囲まれた自分の状況には到底似つかないそんな子が、いつの間にか男達の元に立っている。

 

 

 

 

 

『ドロドロとした欲望を見る羽目になる私の身にもなってほしいです。と言うか、なんでこんな奴らがこの街にいるんだか……ん? 何か、別の……』

 

 

 

 

 

助けを求めて伸ばした手は何も掴むことなく地面を引っ掻き、散々暴力を振るわれた全身の痛みは未だに激痛として残っているけれど。

 

自分と何ら変わりない筈の少女の姿を見て、何の根拠もないのに安心して涙があふれだして止まらなかった。

 

 

 

次の瞬間には、何の前触れもなく急に崩れ落ちる男達、そして私を暴行していた男は1人残され、何かに怯え悲鳴を上げて騒ぎ立て始め、最後には自分の首を絞めながら泡を吹いて地面に倒れ伏した。

 

そんな男達の奇行には興味もないのだろう、突然現れた少女はそんな男達に視線もやらずに辺りを見渡し……倒れている私に気が付いた。

 

 

 

 

 

『……あれ?』

 

 

 

 

 

ポカンッ、と。

 

本当に想定外のものを見つけたように、心底呆けたような顔で私を見詰める少女。

 

まじまじと私を見詰め、流れている血の量を見て、侮蔑に染まっていた彼女の顔から血の気が引いていく。

 

 

 

 

 

(……この、ひと……は)

 

 

 

 

 

まるで都合の良い夢だ。

 

私が憧れている、悪漢から弱者を救い出すヒーローのように、容易くどうしようもない現実を壊してしまう存在。

 

そんな夢の様な存在を前にして何を思ったのか私は、朦朧とする意識の中で助けを求めるように彼女に向けて手を伸ばしていた。

 

 

 

彼女は目を丸くする。

 

血が付き、泥に塗れ、汚れ切った私の手。

 

救いを願っても誰も手を取ってくれることは無かった私の手は、結局また、何も掴むことなく力が抜け始めた。

 

 

 

消えていく意識の中で。

 

地面に落ちようとした私の手をそっと掴み取った、彼女の手が最後に見える。

 

 

 

私よりも小さく、嘘みたいな光景が現実なのだと教えてくれる温かな手のぬくもりに、ひどく安心したのだけは、私の記憶に深く、深く刻みついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終業のチャイムが鳴る。

 

教師の号令と共に始まる放課後の自由時間に胸を高鳴らせて、私は逃げられない様、即座に隣の席にいる彼女の肩に手を置いた。

 

 

 

 

 

「燐ちゃん、一緒に帰ろ?」

 

「ひっ……!?」

 

 

 

 

 

私の言葉に変な声を上げた彼女の名前は佐取燐香さん。

 

私の隣の席に座る女の子で、基本的に死んだ眼で静かに授業を受けているだけの毒にも薬にもならなそうな少女である。

 

その小さな体躯の通り、よくキョロキョロと周りを警戒しているさまは非常に可愛らしい。

 

彼女の指先に至るまでの所作の数々はこれまで見てきた誰にも存在しない独特な色香があり、ここ最近、私を夢中にさせてやまない。

 

 

 

そしてなによりも、その可愛らしさよりも重要(私が気になる点として)なのは、ごくごく普通の少女である彼女が、あの地獄のような痛みの中から私を救い出した、と言う点だ。

 

 

 

 

 

「……いやあの、今日は予定があったり……なかったり……えっと、う、ううう……」

 

 

 

 

 

そんな彼女はしばらくモゴモゴと口を動かしてから諦めたように頷いた。

 

 

 

私を地獄の様な出来事の中から救い出した彼女は、あの時の姿が嘘のように私が話しかけるとおどおどとした態度になる。

 

つい、あの時のヒーローの様な彼女と本当に同一人物なのかなんて考えてしまうこともあるが、彼女の手を握ると感じる温かさはあの時感じたものと何1つ変わりなくて、その度に私の確信は強固になる。

 

 

 

少しでも彼女と仲良くなっていきたいと思うのだが、中々思うように距離を縮められていない。

 

友達としてうまく行ってるとは到底言えないのだ。

 

例えば、こうして私が話しかけても彼女とはほとんど目が合わない。

 

私の何が嫌なのか、露骨に目をそらして会話する彼女に少し不満が溜ってくる。

 

 

 

 

 

「燐ちゃんはなんで私と目を合わせようとしないの?」

 

「え、えっ、あ、別にそんなつもりはないんですけど。別に人と話すのはそんなに苦手じゃないですし……」

 

「本当? じゃあ、ほら、私の目を見てみて?」

 

 

 

 

 

彼女に顔を近付けてむりやり目を合わせる。

 

急な接近に目を見開いて動揺した彼女は、次第にフラフラと視線を揺らし始め、そのうちぐるぐると目を回し始めた。

 

 

 

 

 

「わ、や、止めてください。私、家族以外にそんな顔を近付けられたことなくてっ……き、緊張します! 山峰さんって顔整い過ぎて長く見てるとくらくらしてくるんです!!」

 

「あ、そんなに暴れたらっ……!」

 

 

 

 

 

バタバタと暴れ始めた彼女が座る椅子がバランスを崩し、咄嗟に彼女の小さな体を抱き寄せた。

 

驚いたのか軽く硬直した彼女は、小さな声で「……あ、ありがとうございます」と言う。

 

ムググ、となぜだか不満そうな彼女の顔を見て、不思議に思いながら、抱き寄せている彼女の体を何回か揉んでみた。

 

 

 

……とっても柔らかい、同じ人間とは思えないくらい手触りが良い。

 

こういうのをきっと赤ちゃん肌って言うのだろうか?

 

 

 

 

 

「あ、あか……!? もうっ、離れて! はーなーれーてー!」

 

「あ……」

 

 

 

 

 

何が彼女の癇に障ったのか、より一層怒り出し、素早く私から距離を取ってしまう。

 

いや、確かに今のはセクハラだったかもしれない。

 

欲望に負けてしまった、反省しなくてはいけないだろう。

 

でもそんな事よりも、顔を赤くしてキッと眉を上げてる燐ちゃんが可愛い、抱きしめたい。

 

 

 

 

 

「だ、大体っ! 一緒に帰るって言ってましたけど、話があるから放課後に職員室に来るようにって言われてたじゃないですか!」

 

「あ……また明日でいいや。それより燐ちゃんと一緒に帰りたい」

 

「待ってますから! 早く行ってきてください、もう!!」

 

 

 

 

 

彼女はベシベシと私の背中を叩き、早くいけと催促する。

 

仕方なく、絶対に待っててねと念押ししてから職員室に向かうことにした。

 

 

 

教師の話はなんてことはない、入院で休みを取っていた関係で、ゴールデンウィークの宿題の他にやるべき課題を出すのでその説明をと言うことだった。

 

 

 

私のお父さんは警察組織の中でもかなり偉い人で、それを知っているであろう教師は見るからに私の機嫌を気にするように、媚びるような笑みを浮かべている。

 

「最悪袖子さんがやりたくなければやらなくてもこっちで何とかするから」なんて、教師にあるまじきことを言って何とか私の機嫌を取ろうとしている大人の姿は、到底尊敬できるものでは無かった。

 

早く燐ちゃんの元に戻りたい、そんな思考が私の頭を埋め尽くすのに時間は掛からなかった。

 

 

 

説明はほんの10分程度で終わった。

 

参考のプリントを貰い、燐ちゃんが待ってくれているであろう教室の前まで早足で戻って、教室の入り口に手を掛けたタイミングで、聞き覚えの無い声が教室の中から聞こえて来る。

 

 

 

 

 

「佐取さんアイツに迷惑してるでしょ? さっきもセクハラされてたしさぁ、アイツの目つきもなんかエロかったよ。だから、私達とつるむんなら、あの迷惑な奴から守ってあげるよって言ってるの」

 

 

 

 

 

聞こえて来たその声に、思わず教室を開けようとした手が止まる。

 

開いている扉の隙間から教室の中を覗けば、そこには私を待っている彼女が数人のクラスメイトに囲まれていた。

 

 

 

まさかいじめの現場かと、即座に飛び込もうとした私の足を止めたのはある言葉。

 

 

 

 

 

「――――あんなめちゃくちゃな付き纏い、普通じゃないもんね。色々とやばいところと繋がりがあるって噂もあるし、佐取さんも山峰とは早く縁を切った方が良いと思うなぁ」

 

「っっ……」

 

 

 

 

 

他ならない私自身の話に、思わず息を潜めてしまう。

 

なんで隠れるのか自分でも分からないまま、扉の隙間から覗きこんだ。

 

ここから燐ちゃんの表情は見えない。

 

 

 

 

 

「佐取さんがなにやってあいつに気に入られたのかは知らないけどさ、心底同情するわ。あいつの中学生時代に一緒の学校だった人が教えてくれたのよ。突然髪を金色に染め始めて周りを威嚇して、教師との衝突が多くて、喧嘩も日常茶飯事。夜の街を遊び歩く遊び人。彼氏がいた数も片手じゃ数えられないくらいらしいし」

 

「……」

 

 

 

 

 

燐ちゃんの肩に手を置いて、優し気に話しかけているその女子の言葉に胸が痛む。

 

中学時代は確かにいつの間にかそんな噂が勝手に立って、学生どころか教師からも避けられていた。

 

本当に、心の底から仲良くなりたいと思っていたあの子には知ってほしくなかった噂話が、よりにもよって最悪な形で告げられてしまった。

 

根も葉もないとは言えないけれど、噂程酷いことはしていない、そう言って信じてもらえるだろうかと考えて、怖くなる。

 

 

 

彼女がどんな表情をしているのか、怖かった。

 

 

 

 

 

「ねえ、佐取さん。別に私は酷い話をしてるんじゃないのよ。このまま大人しい佐取さんは危ない場所に引き込まれるんじゃないかって思ってね、私貴方が心配なのよ。だから、ね。私達が友達になってあげるから、もうアイツなんて放っておいて遊びに行きましょ?」

 

 

 

 

 

そう言って燐ちゃんの肩を抱くようにした女子は、周りで待っていた数人の友達と一緒に外へと連れ出そうとして。

 

 

 

 

 

「…………嘘ですね」

 

 

 

 

 

明確に拒絶するように、腕を振り払った燐ちゃんの言葉に足を止めた。

 

 

 

 

 

「う、嘘じゃないわよ。本当に、アイツの中学ではそういう噂が広がってて、それを同中の人に聞いたのも本当。嘘なんてないわよ」

 

「ああ、それらは嘘じゃないです。私が言いたいのは、貴方が私の心配をしていると言う点です」

 

「は、はぁ!?」

 

 

 

 

 

腕を振り払われた女子は突然の反抗に唖然としながら、はっきりと拒絶の意思を示す燐ちゃんの態度の変貌に動揺している。

 

クラスで友達を作りたがっていた燐ちゃんのことは、その女子もよく知っていたのだろう。

 

少し誘いを掛けてやれば従順についてくるだろう、なんて、考えだったのがその顔から読み取れる。

 

 

 

 

 

「貴方は別にクラスの端で生活している私なんて気にもしていない。私が本当に危ない人と付き合っていても、興味だって持たないんです。あくまで貴方が私にこうして話しかけてきた理由は、自分の為。恥をかかせた山峰さんを陥れてやろうと考えたからです」

 

「な、なっ、そ、そんな訳っ……!!」

 

「前に話しかけて無視された山峰さんが、よく分からないけど別の誰かに執着している。面白くない、このまま二人が仲良くなるのを見過ごしたくない。山峰さんを一泡吹かせるにはどうしたらいいか。そう考えたんですよね?」

 

「だっ、だまりなさいっ……!!」

 

 

 

 

 

怒りによるものか、羞恥によるものか、顔を真っ赤にした女子は燐ちゃんを突き飛ばそうと手を出すが、それを分かっていたかのようにヒョイと躱した彼女は女子の耳元に口を近付ける。

 

 

 

 

 

「ふー」

 

「あひゃわあ!!??」

 

 

 

 

 

耳に息を吹きかけられて、ひっくり返った女子は耳を抑えて地面を転がる。

 

慌てて彼女の友達が助け起こすが、今度は確実に羞恥で顔を真っ赤にして燐ちゃんを睨み付けた。

 

 

 

 

 

「一泡吹かしてやろうと軽い考えで行動を起こしたのかもしれませんが、貴方のその行動は私にとっては非常に迷惑です。……確かに常日頃から山峰さんに付き纏われているのは迷惑ですが……トイレの個室まで付いて来ようとした時はビンタしちゃいましたが……。距離感がへたくそで、友達の作り方を知らない幼稚園児のようで、ストレスだって色々掛かっていますけど。それでも」

 

 

 

 

 

あの時のように堂々と、しっかりと相手を見据えて、燐ちゃんは告げる。

 

 

 

 

 

「私の事なんて何一つ考えていない貴方と、私と“友達になりたい”と心から願って行動しているあの人なら。私はたとえどんな悪評がある人だとしても、山峰さんと友達になりたいです」

 

「くっ……!!」

 

「ぁ……」

 

 

 

 

 

思わず漏れた声を抑えようと両手で口を覆う。

 

自分でも、今更こんなことで嬉しく思うなんてと思う程、胸に沸いた感情は大きくて、昔からずっと欲しかったもののような感じがして、柄にもなく動揺する。

 

 

 

バンッ、と勢いよく反対側の扉が開いて、燐ちゃんを囲っていた女子達が脇目も降らず教室から飛び出していった。

 

悔しそうで、それでいて恥ずかしそうでもあった女子の横顔に目が行って、思わず彼女達の背中を視線で追っていれば、いつの間にか隣まで来ていた燐ちゃんが私の頭に私が教室に置いていた鞄をポンと置く。

 

 

 

 

 

「ほら、何やってるんですか。帰るんですよね?」

 

「あ……う、うん」

 

 

 

 

 

しっかりと帰り支度を済ませ終わっていた燐ちゃんは、私を置いて歩き出してしまう。

 

慌てて彼女を追いかけて何とか追いつくが、なんと話し掛ければいいかと頭を悩ませてしまう。

 

 

 

何か気の利いた話でも振らないと、なんて焦っていた私の前で燐ちゃんが振り返った。

 

 

 

 

 

「……別に、山峰さんの事、嫌いじゃないんです。友達になりたいって思ってくれているのは分かるから、それは……凄く嬉しいですし」

 

「え、えっと……うん」

 

「でも、少し積極的過ぎて焦るって言うか。ちょっと距離が近すぎて対処に困ることもあって、苦手って言う感情があるのは否定できません」

 

「うっ、ごめんね……」

 

「謝らないでください、私だって友達作るの初めてで下手くそなんです」

 

 

 

 

 

でも、と燐ちゃんは続ける。

 

 

 

 

 

「こうやってお互いどうすればいいか分からなくて、アワアワと距離感を測りかねて、色んな擦れ違いがあって、口喧嘩だってあったりして、そういう風に友情が育まれるのだって悪くないと思うんです。そういう友達の作り方も、あるんじゃないかなって思うんです」

 

 

 

 

 

モゴモゴと自分が恥ずかしいことを言っていると思ったのか、次第に小さくなっていく声。

 

それでも私に伝えたいことがあるのだろう、しっかりと私の目を見て、最後まで燐ちゃんは言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

 

「どこからが友達って言えるのか、友達の定義って何なのか。私は皆目見当も付かないんですけど……もしよかったら一緒に目指していけたらなって、今は思ってるんです」

 

「燐ちゃん……私も、同じ気持ち……だから」

 

「ふ、ふふ……じゃあ、まずは友達未満として」

 

 

 

 

 

そう言って、差し出してくれた彼女の手を迷わず掴んで、あの時と同じ彼女のぬくもりを握り込む。

 

 

 

小さくて温かい。

 

胸を温かくするその体温に心を落ち着けながら、今日も私は友達になりたいこの子と一緒に帰り道を歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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とある妹の日常

試しにタイトルを変えてみました。
活動報告の方で、タイトルの意見を募集しているので良かったらご協力ください。

短編3つ目となります!


 

 

 

 

 

『……桐佳、また泣いているの?』

 

 

 

 

 

困ったような声色に、抱えていた膝をより強く抱き寄せて顔を見せない様にした。

 

それでも鼻をすするのを辞められないのだから、姉には泣いている事がバレてしまっているのだろう。

 

そっと近付いてきた姉は、座り込んでいる私の隣に腰を下ろした。

 

 

 

 

 

『あのね。私、料理を始めてみたの。今はお母さんほど上手には出来ないけど、きっとすぐに上手になるから』

 

 

 

 

 

私の前に置かれたトレイの上には、不揃いな野菜が入ったポトフと不出来な形のロールキャベツが乗せられている。

 

 

 

お母さんが作る料理で私が1番好きだったもの。

 

お母さんが作ったものとは形もなにも全然違うけれど、口にした味は同じように、優しい味がした。

 

 

 

 

 

『……大丈夫。私が、守るからね』

 

 

 

 

 

1つしか違わない姉の優しい言葉に、当時の私はただ泣いて甘えることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

喧騒に包まれた教室の休み時間。

 

思い思いの場所で会話を楽しむクラスメイト達を尻目に、佐取桐佳(さとり きりか)は1人黙々と勉強に勤しんでいた。

 

別に宿題を忘れたとか勉強が特別出来ないと言った訳ではなく、姉のように友達がいないからと言うこともないが、彼女には休憩時間でも構わず勉強に費やす理由があった。

 

 

 

簡単に言うと、桐佳には直近に差し迫っている大きな目標がある。

 

 

高校受験。

 

特に桐佳が目指している高校はかなり偏差値が高く、幼いころから勉学に励んでいないと合格は至難な高校であった。

 

前に家では姉に向かって余裕だと言ったが、もちろんそんな筈がない。

 

こうして僅かな時間も勉強に当てると言う努力によって、なんとか合格射程圏内に入れている現状なのだ。

 

 

 

けれど、そんな友人の状況など中学の悪友達が気にする筈もない。

 

 

 

 

 

「桐佳ちゃんまた勉強してる。本当に勉強好きだねー」

 

「いやいや、何度も言うけど桐佳ちゃんは勉強が好きなんじゃなくて、お姉ちゃんが好きなんだって。お姉ちゃんと同じ高校に行きたいからこうして一心に勉強してるの」

 

「ま、転校生の遊理にはまだ桐佳のこの一面は分からないかもしれないけどさ。重度のシスコンって考えておけばいいと思うよ」

 

 

 

「……人の事を好き勝手言ってっ……! ああ、もうっ! 勉強の邪魔だから散れ、散れ! 私はシスコンじゃない! あんなダメポンコツ姉に負けるのが嫌なだけなの!!」

 

 

 

 

 

暗記ものは回数が命だと、休み時間の度に繰り返している単語帳捲りを止めて、周囲に集まって好き勝手言っていた友人達を追い払おうと手を振り回す。

 

しかし、周りの友人達は桐佳のそんな癇癪など慣れたものなのか、やんわりと振り回す手を受け止め、落ち着かせようと声を掛けてくる。

 

 

 

 

 

「またまた桐佳ってば素直じゃないなぁ。あんなに妹の世話をしてくれるお姉ちゃんなんてそういないよ? 今日のお弁当だってお姉ちゃんが作ってくれたんでしょ? 今のうちに素直に感謝して甘えないと、そのうち彼氏でも作って構ってくれなくなるんだから」

 

「そうそう。料理が出来て、勉強が出来て、顔も良くて、性格も良い。なんて優良物件! 私もあんなお姉ちゃん欲しかったな……うちのは家に帰ってくるなりリビングのソファとテレビを占拠する置物だよ? 桐佳ちゃんが羨ましい……」

 

「羨ましいよねー。しかもあの燐香先輩だよ? あの人が自分だけには優しいとか、神かよ。最高待遇かよ!」

 

 

 

「あーもうマジでうっさい!! 遊里! 遊里はこいつらみたいにしつこいと、嫌われるって覚えておかないと駄目だよ!?」

 

「え、えっと……まあ、私は別に桐佳ちゃんのお姉さんとは、この前偶然会っただけだし。碌に話もしてないからどういう人かは知らないから何とも言えないけど……なんかやけに人気あるよね、桐佳のお姉さん」

 

 

 

 

 

もうこれ以上勉強を続けるのは無理だと判断したのか、桐佳は机の上に出していた勉強道具を片付け、面倒な友人達を相手にしようと向き直った。

 

桐佳の周りに集まった友人達は、彼女の姉の話で盛り上がっているが、今年の4月に転校してきた遊里はその話に付いて行けず、困ったように微笑むしかない。

 

 

 

不思議そうに桐佳の姉の人気に言及した遊里に、ああそうかと盛り上がっていた2人も少し落ち着きを取り戻した。

 

 

 

 

 

「ごめんごめん、そっか、遊里って燐香先輩知らないもんね。知らないネタで盛り上がるなんて性格悪いことをしちゃったね」

 

「別に気にしてないけど……あれだよね、たまに話で出てくる、優秀で怖い先輩。でも、不思議なんだよね。スポーツで全国制覇したとかならまだしも、勉強が出来るって言うだけの人がそんな有名になるのかなって。あ、別に馬鹿にしてる訳じゃないからね桐佳ちゃん!」

 

「…………いや、そこまで酷い悪口じゃなければ口出さないし。そんな揚げ足取るような文句なんて言わないよ」

 

 

 

 

 

学校で姉の話になるなんて、と、口をすぼめて不機嫌そうな様子を隠すことのない桐佳だが、そんな様子を気にすることなく悪友2人は転校生である遊里に説明を始める。

 

 

 

 

 

「燐香先輩はねー……えっと、特に何かしたって人じゃないんだよね。うんと、凄く怖い先輩がいるって有名だったんだけどそれが燐香先輩でね。けど、生徒会とか入ってたわけじゃないし、運動で成績を残した訳じゃないんだけど、他の怖い先輩も、先生達も、燐香先輩には気を使ってて……うーん……」

 

「まあ、やっぱり桐佳が妹だからよく私達の話題に出るって言うのもあると思うよ。学校全体としては別にそこまで有名人ではないと思うし、それこそ燐香先輩と同学年なら的場先輩とか湯楽先輩の方が有名だろうしね」

 

「そうなんだ……」

 

 

 

 

 

遊里は2人の説明を聞いて、なるほど、と納得する。

 

 

 

確かにそれならば違和感はない。

 

以前偶然会った時の、あの、会話の苦手そうな大人しい印象を受ける死んだ眼をした女性が有名だとはどうしても思えなかったから。

 

 

 

だから、2人の話を聞いて安心した遊里は安堵のまま口を開いた。

 

 

 

 

 

「前にばったり会ったとき、随分大人しそうな人だなぁって思ったし、年下の私にも丁寧に話し掛けてくれたから良い人なんだなって、おも……?」

 

 

 

 

 

そこまで話して、ふと遊里は、あれだけうるさかった筈の教室の中が静まり返っている事に気が付いた。

 

 

 

 

 

「あー、あの時ね。ポンコツお姉ちゃんが初めて見る子に人見知りしたんだよきっと。そんな丁寧なんて柄じゃないって」

 

「……?」

 

 

 

 

 

桐佳がやれやれと呆れる様に首を振るのを横目に、遊里は教室を見回した。

 

 

 

おかしい。

 

いつも教室で騒いでいる男子生徒が、授業中でさえ周りを気にしない不良生徒が、おしゃれや色恋については喋り続けている女子生徒が、全員、口を噤んで止まっている。

 

ある人は顔を青くして、ある人は逆に頬を上気させ、ある人は真剣な顔で、口を閉ざして何かを待ってる。

 

 

 

……何を?

 

 

 

 

 

「おい、遊里何ボーッとしてんの? 話聞いてた?」

 

「あ……、う、うん。ごめんね」

 

「まあ、あんまり燐香先輩については話せなかったけど、大体こんな感じだよね。そんであんまり長くこの話をしてると、やっぱり妹としてはあんまり愉快じゃないって話でね。ねー、桐佳ー?」

 

「まあ、美しいだけの姉妹愛じゃいられないってこと。嫉妬とかやっかみとかいろんな複雑な感情があって、高校も追いかけたいんだよね桐佳ちゃん?」

 

「ぐぎぎぎぎっ! だからっ、そんなんじゃないって!」

 

 

 

 

 

そうやって、違う話へ変わっていく彼女達の会話に合わせて、徐々にクラス内に喧騒が戻りはじめた。

 

まるで沈黙など無かったかのように、元の状態へと戻っていく。

 

遊里も数秒その異様な変化を呆然と見つめていたが、沸いた疑問を振り払うように首を振って桐佳達の話に集中する。

 

 

 

 

 

「でも遊里も運悪いよね。事件が続けて起きる直前にこの辺りに引っ越してくるなんてさ、しかも今年は高校受験が控えてるって言う。勉強とかも大変でしょ?」

 

「あはは……それはもうホントに……」

 

「グロッキーだね。なにより遊里の家って勉強熱心だもんね。塾とか結構行ってるし、この前泊まりに行った時も部屋に置いてある本が勉強本ばかりだったのはちょっと衝撃だったよ」

 

「そ、それは……お母さんが教育に力を入れてて……」

 

「教育に力を入れてるならこんな時期に引越しなんてするなって話だけど。まあ、事情があったんでしょ?」

 

「えへへ」

 

 

 

 

 

曖昧に笑う遊里に深い事情は聴くまいとそれ以上は踏み込まず、それより、と雑誌を取り出して最近のドラマに出ているイケメン俳優の話へと移していく。

 

 

 

どこにでもある中高生の普通の雑談。

 

どこにでもいる学生の彼女達は、特に一つ一つの様子をつぶさに観察して、深い事情を考慮するなんていうことはしない。

 

 

 

だから、遊里の顔に差していた影に気が付いたのは、1人だけだった。

 

 

 

 

 

(……遊里ってあんな暗い顔するんだ)

 

 

 

 

 

異能なんて言う超常現象を扱えなくとも、人間の精神に関してこれ以上ないほど詳しい姉を持つ桐佳にとっては、同学年の隠し事くらい察することは難しい事ではない。

 

 

 

 

 

(転校してきてから笑顔を絶やすところほとんどなかったけど、やっぱり結構無理してたのかな……)

 

 

 

 

 

今年の4月に急に転校してきた彼女。

 

友達作りも大変だろうと、積極的に関わりに行ってようやく友好関係を作れてきたが、何かと遠慮している彼女からは少し壁を感じる。

 

 

 

遊里自身が壁を作っているのに家庭の事情をどうこうする勇気は桐佳にはなかった。

 

だから、もう少し仲良くなって壁を感じなくなってから、もう少し話しやすくなってから話してみようなんて、桐佳は疑惑解消を先延ばしにするしか出来なかった。

 

 

 

けれど、1度気付いてしまうと何だか無理しているように見える友人の笑顔に罪悪感が溢れ、誤魔化すように携帯を開けば、メッセージが届いていた。

 

 

 

『受信時間:4月25日12:34

 

送信者:お姉

 

表題:夕食献立

 

本文:今日はポトフとロールキャベツにするけど、何かリクエストあったら連絡ください』

 

 

 

 

 

「ふふ……」

 

 

 

 

 

姉からのメッセージに沈んでいた気持ちが励まされる。

 

最近はポンコツ具合が酷くなってきている姉だけれど、なんだかんだ頼りになる人だから、この新しい友達の事を相談してみようかなんて思って、桐佳はそっと携帯を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







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犠牲者の見えない悲鳴

色々な意見を頂いた結果、以前のタイトルが意外と人気があるようなので少し弄ったこのタイトルにしたいと思います!
あとはタグやあらすじを少し調整しますので、どうぞよろしくお願いします!
ご意見、ありがとうございました!
また、誤字報告や感想、評価等本当にとても助かっています!



 

 

 

 

 

 

 

 

あの“千手”による連続殺人事件が終息し、世間は徐々に落ち着きを取り戻し始めていた。

 

国際指名手配犯の中でも一際凶悪とされていた“千手”の逮捕に、日本のみならず多くの国から注目が集まり、近くICPO(国際刑事警察機構、いわゆる国際警察)から確認のため人員が派遣されるなんて言うのも報道されていたりする。

 

テレビやネットの一部ではそのことを、とても名誉なことだと言っている者もいるが、多くの人の考えは『なんでそんな危険人物がこの国に』と言うもので、凶悪事件に巻き込まれた被害者を悼む声は未だにどこでも見かけるほどだ。

 

 

 

そんな風に、ポジティブに捉えようとする者や批判する先を探す者など、実に様々な考え方を持つ者達が落としどころを見つけようと声を上げているが、どちらも共通して、“紫龍”“千手”の両名を捕まえた氷室署警察官への称賛は欠かしていなかった。

 

 

 

他国が解決できなかった事件を解決できる力がある。

 

それも高額の懸賞金が掛けられていた凶悪犯を。

 

それだけで、文字と画面越しにしか情報を受け取れない彼らには称賛しない理由が無い。

 

 

 

ともあれ世界的に注目を浴びている事、生まれたヒーローの存在の2点。

 

それらは私の予想の範疇でしかなく、むしろそうなるよう誘導した節もあるから私にとっては無問題なのだが、見過ごせない事態が一つ発生した。

 

 

 

密かに出回っている超常的な力を持つ者の映像。

 

私と“千手”がやりあった際の映像を、記録に残した者がいたのだ。

 

 

 

映像は暗く、信憑性は薄く見える。

 

さらに幸いなことに、私は異能を使って自分を認識されないよう調整していた。

 

映像には残っていても、映像を見る人に私を認識することは出来ない。

 

だから私に直接影響が出てくることは無いと思うが、異能と言う存在の認識が、『そんなものはあり得ない』から『ある筈がないけど、あると主張をする者がいる』と言うものへ変わってしまうだろう。

 

 

 

そして、その舞台となった氷室区は、しばらくの間そういうものに興味を持つ人達が集まってくる危険が出てくる。

 

私の異能は人の精神に干渉する、目に見えない異能の筆頭ではあるが警戒するに越したことは無い。

 

事件が起きない限り、と言う前置きは付くが、神楽坂さんや飛禅とか言う人が療養中の今、不用意に出歩く必要もないだろう。

 

しばらくは大人しく普通の生活を心掛けたいと思う。

 

 

 

そんな感じで方針を固め、家のソファで簡単に勉強の復習をしていると、ピロリンッ、と携帯にメッセージが届いた。

 

しばらく放置していたSNSアカウントに新しいメッセージが届いた通知音だ。

 

 

 

 

 

「……あ、相談が結構来てる」

 

 

 

 

 

……ところで、実を言うと私には結構な貯金がある。

 

 

 

コンスタントに神楽坂さんや飛禅さんのお見舞いに行って、花や果物を差し入れている事からも分かると思うが、無駄遣いできるほどでないにしても普通の学生よりも金銭的な余裕があったりする。

 

その理由が、私がやっているアルバイト、『SNSを利用した商売』が高い利益を出しているからだ。

 

 

 

簡単に言ってしまえば、異能を利用した社会貢献。

 

精神科医が匙を投げるような重篤な精神障害、若しくは重度のトラウマの治療を匿名で行っていたりする。

 

別に私が大々的に治療しますと広報している訳では無く、あくまで噂話程度の情報しか出回っていない『精神治療の最後に頼るべきところ』に頼ってきた人に限って依頼を引き受ける。

 

それこそ都市伝説のようなもので、何の変哲もないSNSの『心理』と言うアカウントまでたどり着き、ダイレクトメールで相談してきた人だけを対応するなんて薄情なものだが、身元を割られたくないし、これを今後の仕事にもしたくないので、今のところやり方を変えるつもりは微塵もない。

 

 

 

そして、こんな根も葉もないような怪しさ満点の私を頼ってくる人は結構いて、たまに驚くような人も居たりする。

 

ある時は試合中大怪我をしてトラウマを負ったプロスポーツ選手。

 

ある時は過剰な人間不信を抱え家族まで疑うようになってしまった政治家。

 

ある時はしばらく公から姿を消していた超大物女優。

 

こんな風に、なんでお前らがこんな変なのを頼るんだと思うような人もいるが、まあ、大体は普通の家庭の人が来る。

 

今回溜っていた相談も特に目に付くようなものは特になく、危急を要するようなものが見当たらないどころか、相談するつもりも無いものがいくつかある。

 

 

 

 

 

「あー……冷やかし相談がいくつかあるなぁ……大方、噂が大きくなりすぎて興味本位で来るようになった人が増えたのかな……時期が時期だし、しばらく休業かな。お金は出来るだけ貯めておきたいんだけどなぁ……」

 

 

 

 

 

私達のお父さんは中々良いところで働いていて、お父さんの稼ぎだけでも一般家庭よりも少し上程度の暮らしは問題なく出来ている。

 

 

 

だが、もしもお父さんが何かの事故に巻き込まれた時どうするのか。

 

予想外の高額な出費が必要になった時どうするのか。

 

その時になってから大掛かりな異能の行使をして大金を巻き上げることは当然できるだろう。

 

だが、それをするくらいなら日々少しずつ異能を使って悔恨を残さず危険を少なくする方が合理的だろうと考えて、こうした暇な時を利用してアルバイトをしているのだが、それもこの状況ではやってられない。

 

 

 

本当に困っている何人かの相談者には申し訳ないけど……と考えながら、個別のメッセージに断りの返信を打ち込もうとして、指を止めた。

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 

 

 

 

相談者の一人。

 

恐らくSNSの危険性も理解していない学生なのだろう、本名と思われる名前で登録している名前には聞き覚えがあった。

 

 

 

遊里。

 

確か、前に妹と街中であった時、友達だと紹介していた子だ。

 

人違いかなと、そのアカウントの自己紹介ページを覗けば、いくつも彼女と合致する要素が書き込まれており、本人の疑いが強くなる。

 

 

 

 

 

(あの時は別に何も気にならなかったような……あ、いや、桐佳が近くにいたから読心は切ってたんだった。でも、うーん……こんな根も葉もないような噂のアカウントにわざわざ助けを求めるもの?)

 

 

 

「……分からない。でも、このメッセージを送った時のこの子は間違いなく助けを求めてる感じだけど……」

 

 

 

 

 

しばらく悩んでから、この子の友人である桐佳に話を聞けばいいかと結論を出し、部屋で勉強しているであろう桐佳の元へと向かう。

 

 

 

 

 

「桐佳? ちょっと聞きたいことがあるから入って良い?」

 

「――――!!?? お、お姉ちゃっ!? なっ、なんなの!? 私の部屋に来るなんて、も、もしかしてお父さんに何かあった!?」

 

「あ、ごめん。そういうことじゃないんだけど……ほら、私が前に桐佳のお友達に会った時あったでしょ? 遊里って言う子だと思うんだけど」

 

 

 

 

 

ノックしてから妹の部屋に入る。

 

私が掃除に入るのを拒否するようになってから、部屋の状態が心配だったが、想像よりもずっと綺麗に使っているようで、どうしようもなく気になる部分は無い。

 

まあ、脱ぎ捨てられた服が端にあるのはご愛嬌だろう。

 

 

 

勉強机に向かっていた桐佳に友達の件について話を切り出すと、見るからに顔を暗くした。

 

 

 

 

 

「……うん。遊里がどうしたの?」

 

「えっと、前にあの子と泊まりに行ってたけど、どうだったんだろうって気になってね。私見たことなかった子だったから、どんな子か知らないし。今度はこっちに遊びに来てもらったらいいかなって思って」

 

「そっか……うん、とっても良い子だよ。今年から転校してきた子でね、慣れない環境なのにニコニコしてて」

 

 

 

 

 

転校生、道理で私が見覚えのない子だった訳だ。

 

中学3年生と言う時期に転校なんてあまり良いとは言えないけど、桐佳の話しぶりからしてクラスには馴染めているようだし、あまり心配するようなこともないのかと思ったが、依然として妹の顔は暗い。

 

 

 

 

 

「……でも、最近学校を休んでてね。メールしても返ってこないし、どうしたんだろうって心配で」

 

「んん?」

 

 

 

 

 

学校を休んでいる、これは分かる。

 

体調不良でも家庭事情でも、何か事件に巻き込まれていたとしても、学校に出られないのは当然だ。

 

けれど、友人からのメールに返信しないのはよく分からない。

 

現に私のSNSアカウントには助けを求める相談が来ていたから、少なくとも携帯を使える状況にある筈。

 

 

 

 

 

「……それってどのくらい休んでるの?」

 

「今週の月曜日からだから、3日目くらい……きっと遊里、何か家庭の事情を抱えていたんだよ……でも、そんなの分かっても、私、仲良くなり始めたばかりの子の家の事なんて踏み入っちゃダメなんだって言い訳してて……どうしようお姉ちゃん……もし、遊里がずっと学校に来なくなっちゃったらどうしよう……私、嫌われてでも、無理やりにでも話を聞くべきだったのかな……?」

 

 

 

 

 

いや、と私は思う。

 

中学生の桐佳にそこまでのことを求めるのは間違っている。

 

確かに今の結果を思うとそうするのが最善だったのかもしれないが、家庭に問題があると察して解決に動くのは同級生の役目ではない。

 

教師や近所に住む人達、それか遊里と言う子の両親や親族がそれをするべきなのだ。

 

それは桐佳が背負うべき罪過ではない。

 

 

 

けれど私が何を言ったところで、優しいこの子は納得なんてしないのは私がよく分かっている。

 

 

 

 

 

「そんなことは無いと思うけどな。まあでも、桐佳は責任感じてるんだよね?」

 

「……」

 

 

 

 

 

無言、けれど、彼女の机の上にある進んでいない勉強ノートを見れば答えは分かった。

 

 

 

 

 

「なら、今からその子の家に押しかけてみよっか」

 

「……え?」

 

 

 

 

 

フリーズした桐佳をよそに、私は部屋から出て外出の準備を進める。

 

お父さん宛てのメモ書きを残し、帽子で髪の乱れを隠し、財布と鍵を持ったところで桐佳が部屋から飛び出してくる。

 

思考停止は終わったようだがまだ動揺はあるようで、正気かと私に言い募ってくる。

 

 

 

 

 

「い、今から行くの!? もう日が暮れるよ!?」

 

「大丈夫大丈夫、少し様子を見るだけで長居しないし。ほら、桐佳も準備して。私はその子の家知らないんだから」

 

「いやっ、いやいやいや、本当に何かに巻き込まれてるかどうか分からないし、まだ私だって仲良くなって1カ月の関係で……」

 

「1カ月の関係でも、桐佳は勉強に身が入らなくなるくらい気になるんでしょう? なら、その不安を解消するためだけでも行く価値はあるよ。これでなんの問題も無くて、ただの病気だったらそれで良いし、何か事件に巻き込まれてたら助けてあげられるかもしれないでしょ?」

 

「…………お姉、アグレッシブすぎぃ……」

 

 

 

 

 

自分がうじうじ悩んでいたのが馬鹿らしくなってきた、と言って頭を抱えてしゃがみ込んだ桐佳の頭にお揃いの帽子を乗せる。

 

ちょっと前に桐佳とお揃いファッションがしたくて買っておいたものだけど、まさかこのタイミングでやれるとは思わなかった。

 

普段の桐佳なら嫌がるだろうけど、今はそれどころではないのか、何も言わずに頭の上に乗せられた帽子の位置を整えている。

 

 

 

妹は特に用意するものは無いのか、そのまま玄関まで付いてきて、戸締りをしている私に複雑そうな目を向ける。

 

 

 

 

 

「……その、お姉、ありがとう」

 

「どういたしまして。って、まだ何もやってないんだから。お礼は問題が解決してからで良いって」

 

「うん……」

 

 

 

 

 

珍しくしおらしい桐佳に、幼い頃のこの子を連想する。

 

昔は素直で、お姉ちゃんお姉ちゃんと後を付いて回って可愛かったのに、今はガブガブ噛み付いてくるものだから迂闊に猫かわいがりも出来ないし。

 

もう少しこのままでも……なんて邪念が浮かんだのを何とか振り払い、桐佳と一緒に遊里と言う子の家へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遊里と言う子の家は、お世辞にも綺麗とは言えないアパートの一室だった。

 

外から部屋の様子を窺えたらと思ったが、カーテンが閉められていて中の状況が分からない。

 

しっかりとカーテンが閉じられており、まったく隙間すらない様は怪しささえ感じさせる。

 

 

 

 

 

「ここの203号室なんだけど」

 

「ふむふむ、ちょっと待ってね」

 

 

 

 

 

桐佳の案内が終わったのを確認して、周囲の状況を確認する。

 

日が暮れ始めた時間帯なので、人通りは結構ある。

 

騒ぎを起こせばすぐに通報されてしまうだろうが、逆に私が通報しなくとも警察には連絡がいくと言うことだ。

 

 

 

本当ならここで異能を使って、部屋の中の状況を確認したいが、万が一桐佳の心情を読み取りたくないのでそれは最終手段として取っておく。

 

最後に正確に言えるように、自動販売機の住所を丸暗記して準備完了だ。

 

 

 

 

 

「よし、じゃあ取り合えず玄関まで行ってみよっか」

 

「う、うん」

 

 

 

 

 

緊張した面持ちでいる桐佳を引き連れて、遊里さんが住んでいる筈の203号室の前までたどり着く。

 

 

 

扉一枚挟んでいるだけの状況だが、中からの物音はテレビの音くらいで静かなものだ。

 

何人家族かは聞いていなかったが、恐らく小さい子供とかはいないのだろう。

 

躊躇している妹を尻目に、私は迷うことなく呼び鈴を鳴らし、中に住む人の反応を窺う。

 

 

 

少し待たされて、舌打ちと共に出てきたのは40代ほどのかなりふくよかな女の人だった。

 

 

 

 

 

「……はいはい、なんでしょうか」

 

「初めまして、遊里さんのお宅ですよね。私、遊里さんの同級生なんですけど、最近学校に来られていないのでどうしたのかと思って様子を見に来ました。先生からも様子が分かったら教えて欲しいと言われているので、出来ればお会いしたいんですけど」

 

 

 

 

 

初手堂々と嘘を吐く。

 

後ろで妹が驚愕している様子が伝わってくるが、馬鹿正直に言っても適当にあしらわれて終了だ。

 

重要なポイントは、ここに来ている事を先生(第三者である大人)が知っていることだ。

 

 

 

 

 

「……あー、今あの子は高熱で誰にも会わせられないんだよね。悪いけどまた今度にして」

 

「そうなんですか? 少し顔を見るだけでも良いんです、それだけで安心できますし、先生にも会ったって言えると思うんで少し家に入れていただきたいんですけど」

 

「ダメダメ。感染させたら大変だから、後で私が先生には電話しておくから帰った帰った」

 

 

 

 

 

少しもこの部屋に入れさせる気はないようだ。

 

私のお願いもまるで聞く耳を持たず、不愉快そうにシッシッ、と手を払って追い出そうとしてくるので、仕方なく私はさっと玄関周りとこの女の全身を観察する。

 

それから、少しカマ掛けをすることにした。

 

 

 

 

 

「……では、遊里さんの声が聴きたいので、お暇な時にお母様の携帯電話から佐取に電話させてもらってもよろしいですか?」

 

「ああ、分かった分かった」

 

「…………それでは、遊里さんにはよろしくお伝えください、お母様」

 

「はいはい」

 

 

 

 

 

鼻先を掠める勢いで強く扉を閉められる。

 

威圧するように強い扉の閉め方に桐佳は肩を跳ねさせ驚いているが、私はその場で考えを纏める。

 

……もしかすると少し厄介なことになっているのかもしれない。

 

桐佳の手を取り一旦扉の前から離れ、203号室からは死角となっている場所まで連れて行った。

 

 

 

 

 

「……桐佳、遊里さんのお母さんに会ったことある?」

 

「え、う、うん」

 

「それはどんな人?」

 

「えっ、そんなの、今の人じゃ……」

 

「そんな筈ないよ」

 

 

 

 

 

桐佳の言葉を否定する、そんな筈はないのだ。

 

先ほど出てきた女は、ほぼ確実に遊里と言う子の母親ではない。

 

 

 

 

 

「玄関にあった靴にあの女の人のものが無かった」

 

 

 

 

 

玄関に置いてあった靴は、2つ種類があった。

 

桐佳と同じくらいの子が持ちそうな女の子の靴と細身の大人の女性が使いそうな靴。

 

どちらも、かなりふくよかな今の女性では絶対に履けそうなものでは無い。

 

そして男物が無かったことから、どうやら遊里さんの家は離婚していると思われる。

 

それなのに今の女性は、左手の薬指に指輪をしていた。

 

 

 

 

 

「それでいて、あの人は遊里さんが携帯電話を所持している事を知らない」

 

 

 

 

 

私が携帯電話から電話してほしいと言ったとき、あの人は私の『母親の携帯電話で電話してほしい』と言う発言を訂正しなかった。

 

遊里さんの携帯電話があると分かっていれば、娘の携帯で掛けさせると言い直すだろう。

 

娘の携帯電話の所持を分かっていない親などいない。

 

 

 

 

 

「それと……あの人がしていたネックレスには見覚えがある」

 

 

 

 

 

ジャラジャラとした装飾の中に、最近有名な新興宗教のネックレスがあった。

 

確か、『世の平和を願う宗教団体』と言う名を被った、悪質な詐欺組織だった筈だ。

 

 

 

携帯を所持していて友達には連絡を取らず、根も葉もない私のアカウントに助けを求めて、全く関係のない人物が母のふりをして家にいて、友達と遊里さんを会わせようとしない。

 

これらの要素から導き出される答えは――――

 

 

 

 

 

「桐佳、落ち着いて聞いて。遊里さんは恐らく監禁されてる。母親とは別の場所でね」

 

「…………え?」

 

 

 

 

 

桐佳は私の言葉が理解できないかの様に、呆然として私を見詰めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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違う世界の私も

 

 

 

 

赤く染まっていた空が徐々に暗く沈んでいく。

 

もしかすると仕事を終えたお父さんはもう家へ向かっている途中かもしれない。

 

万が一を考えて書き残したメモ書きが役に立ちそうで良かったと安心しながら、私はもう数分間も混乱状態にある桐佳の様子を窺った。

 

 

 

私の推測を聞いてから放心状態だった桐佳がようやく、ハッと意識を取り戻し、いやいや、と首を横に振った。

 

 

 

 

 

「お、お姉……そんな、そんなことある訳ないよ……確かにお姉が言った点は不自然だよ? でも、だからと言って、そんな現実離れしたことが身近で起きる訳が……」

 

 

 

 

 

信じられないと言うように言葉を絞り出す桐佳。

 

確かに、桐佳にとってはあまりに現実離れしすぎて私の推測だけだとにわかに信じがたい状況であるし、決定的な証拠と呼べるものは無い。

 

 

 

 

 

「例えば……そう、たまたま遊里のお母さんに用事があって家を離れるから、親戚のおばさんがその間のお世話をするためにあの家にいるとか、そういう……」

 

 

 

 

 

桐佳は私の突飛な推測を何とか否定しようと材料を話しながら探し、それでも思いつかないのか徐々に言葉を重くしていく。

 

 

 

 

 

「分かった。じゃあ、少し隠れて待ってみよう。幸い今は夕暮れ時、夕食の準備が始まるだろうけど、私の推測が正しければあの人はあの場で料理をせずに買い出しに行くはずだから」

 

「あ、あの人が買い出しに行ったときどうするの?」

 

「部屋に忍び込む」

 

「本当にっ!? 侵入罪じゃん!?」

 

「正確には建造物侵入罪ね。あの人が住居侵入をしているようなものだし、大丈夫大丈夫、もし捕まっても未成年だから何とかなるって」

 

 

 

 

 

そういう問題かなぁ!? と言う、桐佳の口に指を押し当てて黙らせる。

 

そして、桐佳を範囲に入れないよう、あらかじめ捕捉しておいたあのふくよかな女性の思考の誘導を開始して、食事の買い出しに行くよう仕向けた。

 

 

 

 

 

「……言ってる傍から出て来たみたい。桐佳、隠れるよ」

 

「え、うそ、こんな早くっ……!?」

 

 

 

 

 

私達が階段の物陰に隠れた直後、ドスドスと階段を下ってきた女性は隠れた私達に気が付くことも無く買い出しに向かっていく。

 

 

 

後ろ姿を見送る。

 

これくらい離れれば気が付かれることは無いだろう。

 

今度は「行くよ」と桐佳に声を掛けて、階段を駆け上がった。

 

桐佳を無理やり引っ張って、203号室の扉の前までやってきたが、未だに勝手に人の家に入ることに抵抗があるのか、桐佳は引き攣った顔で私を見る。

 

 

 

 

 

「お、お姉っ、ほんとに行くの?」

 

「やる。もしかすると遊里さん、かなり危ない状態かもしれないからここで確かめておかないと…………桐佳は外で待ってて。あの人が帰ってきたら私に教えてね。遊里さんがいたら連れ出すし、いなかったらすぐに出てくるから」

 

「…………うん」

 

 

 

 

 

桐佳が頷いたのを見届けて、ドアノブを捻って扉を開く。

 

当然、思考誘導で鍵を掛け忘れるよう仕向けたから鍵なんて掛かっていない。

 

 

 

嫌なにおいのする家の中に入り、ごみの散乱する部屋を覗き込んで確認しつつ、遊里さんの姿を探すが中々見当たらない。

 

あまり時間を掛けていられない、痺れを切らして異能による探知をすれば、棚で開かない様に閉め切られている押し入れの中から弱弱しい人間の意識を感知した。

 

 

 

状態を見るに、数日前から押し入れに閉じ込められていたようだ。

 

 

 

 

 

「……外道が」

 

 

 

 

 

思わず悪態を吐いて、すぐに救出作業に取り掛かる。

 

異能の探知で押し入れにいる1人以外は感知できなかった、つまり私の予想通り、遊里さんとお母さんは別の場所にいるのだろう。

 

 

 

棚を押して、ギリギリ押し入れが開くほどの隙間を作り、入り口を開くと寄りかかっていたのか、ぐったりと衰弱しきった少女が携帯を抱きしめたまま倒れ込んでくる。

 

慌てて抱き留めようとしたものの、非力な私が受け止め切れる筈もなく、背中から床に倒れ込んでしまった。

 

だが、それでも思ったほどの痛みは無い。

 

 

 

あまりにこの子が軽かった。

 

前に桐佳に紹介された時も線の細い子だと思ったが、今はそれよりももっと酷い。

 

顔や体に青いあざがいくつも出来ていて、傷がまともに治療されなかったのか化膿したものもある。

 

 

 

 

 

「……お、かあ……さん……?」

 

「……もう大丈夫だよ」

 

 

 

 

 

虚ろな目で私を見るその子の言葉になんとか返事して、そっと彼女を背中に背負う。

 

直ぐに桐佳が待つ玄関まで連れ出そうとするが、この子はそれを嫌がるように弱弱しく身動ぎする。

 

 

 

 

 

「だ、だめっ……わたしが、いなくなると……おかあさんが……」

 

「ちょ、ちょっと、動かないでっ、ただでさえ私は力無いのに動かれたらっ……」

 

「だめなのっ……おかあさんがっ……いたいめにあうのっ……」

 

「何とかするっ! 私が何とかするから落ち着いてっ……!」

 

 

 

 

 

私の制止の声など耳を貸さず、何とか私の手から逃れようと暴れる遊里さんに、これ以上無駄な時間は掛けられないと判断する。

 

 

 

 

 

「落ち着いてっ、もうっ、大人しくっ、してっ!」

 

「あぐぅ……」

 

 

 

 

 

こんなことで使いたくなかったが、これ以上は転ぶ事になると考え、“ブレインシェイカー”を打ち込んだ。

 

出来るだけ優しく使ったつもりだが、元々意識を保っていたのはギリギリだったようで、簡単に気を失って動かなくなる。

 

今がチャンスと、せっせと遊里さんを運び、なんとか玄関から外に出れば、待っていた桐佳が友人の惨状を見て息を呑んだ。

 

 

 

 

 

「ゆっ、遊里!?」

 

 

 

 

 

桐佳は顔を青くして駆け寄ると私から遊里さんを抱き寄せ、彼女の全身の怪我と衰弱具合に気が付いて悲鳴を上げ掛ける。

 

 

 

 

 

「酷いっ……! こんなっ、なんでこんなっ……!!」

 

 

 

 

 

震える声でそう呟き、もしも私が強行して家に入らなかったらと顔を青くして恐怖している。

 

これからどうするのか、警察に届け出ればいいのか、それよりも病院に連れて行けばいいのか、と言う混乱した桐佳の思考が頭に流れ込み、私は自分の失敗に気が付いた。

 

 

 

 

 

(まずっ……! 読心が切れてないっ……!!)

 

 

 

 

 

慌てて異能を停止させて、桐佳の心を読まないようにするが、急な切り替えに意識がクラリと揺れる。

 

何とか意識を保ち、一度、深呼吸をして気持ちを整える。

 

 

 

 

 

「……取り合えず、病院に行こう。それで、多分、遊里さんのお母さんはどこかで幽閉されてる筈。大方、宗教団体の施設だろうけど、その場所を探さないと」

 

「どうして……?」

 

「自分がいなくなるとお母さんが痛い目にあうって遊里さんが言ってたから、早く見つけて助けないと、どうなるか分からないからだよ」

 

「そっちじゃないっ! なんで遊里がこんな目に合うのっ!? 遊里が何か悪いことしたの!? 遊里のお母さんが何かしたの!? あんなっ……あんな良い子が……なんでこんな目に合うの……?」

 

 

 

 

 

目で見えるものでしか世界を知らないこの子にとって、現実はあまりに想定を超えていた。

 

だから癇癪を起したように、不条理を桐佳は訴えるけれど、こんなものは不条理の内になんて入らない。

 

 

 

 

 

「…………善人で頼る相手のいない人間ほど、扱いやすくて使い潰しやすい人間はいない。そして、悪人ほどそういう人を見つけるのが得意なんだよ、桐佳」

 

 

 

 

 

私の言葉に俯いていた桐佳が、目に涙を浮かべ私を見る。

 

非現実的だった暴力を目の前にして急に恐怖を感じたのだろう、桐佳はカタカタと震えている。

 

 

 

 

 

「――――大丈夫だよ。桐佳もお父さんも、私が守るから」

 

 

 

 

 

安心させるためだけの、何度も言ったそんな言葉を吐いて妹の頭を撫でる。

 

少しだけ震えが収まった桐佳に笑いかけて、これからについて考えを巡らせた。

 

 

 

警察は駄目だ、突入までの手順が掛かりすぎて逆に足枷になる。

 

かといってこのまま闇雲に探すのも悪手だろう、どれほど時間に余裕があるか分からない。

 

となれば、今打てる最善手はこれしかない。

 

 

 

 

 

(一斉指令、目的『捜索』、標的『新興宗教団体の建造物』、手段『他人を害さないあらゆる手段』)

 

 

 

「――――やれ」

 

 

 

 

 

私は異能を解放する。

 

 

 

対象は、私の異能が侵食し切った人達。

 

例えば、かつてとある姉妹の家に侵入した男、例えば、轢き逃げをした息子の犯行を隠蔽しようとした老夫婦、例えば、とある組織の末端であり、以前女子高生を暴行していた男達。

 

 

 

動き出す。

 

ここからかなり離れた場所にいるそれらの人達が、一斉に私の目的のために行動を開始した。

 

彼らが持つあらゆるコネクションを使って捜索に乗り出してくれるだろう、後は私の方で、情報を持っているあの女の口を封じつつ話を聞けばいい。

 

 

 

直ぐにそうするのが合理的なのは分かっているが、だからと言って、傷付いた遊里さんを桐佳に任せて別行動なんて出来ない。

 

ひとまず、あの女に見つからないうちにこの場を離れて、遊里さんを病院に連れて行った後に、桐佳に付き添ってあげて欲しいと言って別行動を取るのが無難だろう。

 

 

 

 

 

「早くここから離れよう。あの女がいつ帰ってくるか分からないし、見つかるようなことは避けないと。取り合えず病院に…………桐佳?」

 

 

 

 

 

様子がおかしい妹に、思わず声を掛ける。

 

目を伏せて、傷付いた友人をギュッと抱きしめて、何も言わなかった桐佳が寂しそうに顔を上げた。

 

その顔に先ほどまでの恐怖は無いけれど、悲し気な雰囲気は増していた。

 

 

 

 

 

「……ううん、なんでもない。お姉、早く遊里を病院に連れて行こう?」

 

「……うん、そうだね」

 

 

 

 

 

せめて家族の心は読まないと決めている信念があるから、妹が今抱えている感情を私は分からない。

 

けれど、本当は何か言いたかったんだろうと言うことだけは、何となく分かった。

 

 

 

 

 

それから。

 

私達は遊里さんを連れて、近くの病院に駆け込んだ。

 

やせ衰え、体中に暴力を振るわれたような跡のある少女が運び込まれたことで、一時病院内は騒然としたが、流石に病院に勤めるプロの人達は動揺することなく、手際よく遊里さんを隔離、傷口の手当と点滴による栄養の投与を終えた。

 

幸い大きな怪我はないものの、衰弱具合が酷いらしく、完全に生活に復帰するまでには1カ月くらいを見て欲しいとの診断をされた。

 

どのような事情でこのような怪我を負うことになったのかと言う説明を求められたものの、あくまで私達の立ち位置は妹のクラスメイトでしかない。

 

連絡が取れなくなって家に尋ねに行った結果、衰弱した遊里さんを発見、病院に運び込んだと説明すれば、取り合えず納得してくれたようだった。

 

 

 

 

 

「最初はこんなことになるなんて思わなかったね……。ねえ、お姉、お父さんなんて言ってた?」

 

「桐佳の友達が入院することになるから、少し帰るのが遅くなるって言ったら、気を付けて帰ってくるんだよ、って言ってたよ」

 

「……そっか。やっぱり放任主義は変わりないなぁ」

 

「お父さんは私達を楽させるために頑張って仕事してくれてるんだよ。それに年頃の娘の心境なんてお父さんには分からないんだから、放任だってお父さんを責めるのは違うと思うな」

 

「……お姉はそうやっていつも合理的な話ばかりする。別に、そんなことは私も分かってるもん。でも……私はここにお父さんも居て欲しかったって思うの」

 

 

 

 

 

割り振られた病室のベッドで眠る友人の姿を見ながら、桐佳はぼんやりとそんなことを言った。

 

 

 

 

 

「子供の危険に飛んできてくれて、親身になって悩みを聞いてくれてさ、楽しい時も苦しい時も一緒にいてくれる。家族ってそういうのが理想でしょ? だから、お母さんが死んでから、夜遅くまで仕事に没頭して、私達のことなんて形だけでしか関わろうとしない今のお父さんは、思うところが色々あるよ」

 

「そんなの……」

 

「遊里の家もそうでしょ? 宗教の人がどうやって入り込んだのか知らないけど。少なくともお母さんと遊里がしっかり話し合えていればこんなことにはならなかったよね。……だから思うんだ。今の遊里は、もしかしたらの私なんだろうって」

 

「……」

 

 

 

 

 

凄惨な現場を見た桐佳の心は、きっとこれ以上ないくらいに荒んでいる。

 

遊里と言う友人の家庭事情と、私達の家庭事情。

 

どちらも片親で少しだけ似た部分もあるから、私達以外誰にも見つけてもらえず、傷だらけでやせ細って、独りぼっちで深い眠りについている友人の姿が、どこか自分の姿に重なって見えて怖いのだろう。

 

 

 

ぼんやりとした顔で眠りにつく遊里さんを見る桐佳になんと声を掛けようか迷っていた私だが、異能で動かしていた人間の内、遊里さんの家を見張っていた者からあのふくよかなおばさんが帰ってきたと言う情報が伝わってきた。

 

じきに連れ出された遊里さんに気が付いて、教団に連絡を取るだろう。

 

抑えるなら今しかない。

 

悩みを抱えている桐佳を放置するのは心が痛むが、背に腹は代えられない。

 

 

 

 

 

「……桐佳、色々思うことはあると思うけど、私、遊里さんのお母さんを探せる人に連絡を取ってくる。遊里さんの危険は無くなったけど、今度はお母さんの方が危ないしね。すぐ戻るから、それまで遊里さんをよろしくね」

 

「……うん」

 

 

 

 

 

静かに頷いた桐佳の頭をもう一度優しく撫でて、そっと席を立つ。

 

妹の平穏をここまで揺らがせた教団とやらに、しっかりと怒りをぶつけてやろうと意気込みながら病室の扉に手を掛けると、桐佳が「あのさ」と私を引き留めた。

 

 

 

 

 

「さっき言い掛けたことなんだけど……」

 

 

 

 

 

言いづらそうにそこまで言って、桐佳は視線を彷徨わせる。

 

それから覚悟を決めたように私を見据えた。

 

 

 

 

 

「……お姉ちゃん、最近は小さい頃に戻ったみたいだよね。優しくて、全力で、一生懸命私達を守ろうとしてくれて、お母さんの代わりになろうと必死なお姉ちゃん。優しいお姉ちゃんに戻ってくれて嬉しくない訳がないけど……今のお姉ちゃんはなんだか、無理してるようで、嫌だ……」

 

「そんな、無理なんてしてないよ?」

 

 

 

 

 

桐佳の言葉に驚く。

 

そんなもの考えたことも無かった。

 

 

 

私の力は私だけのものだ。

 

人知を超えた力を持っているからと言って、全ての人間を救おうと思う程私は善人じゃない。

 

義務も責務も責任も、存在しないし、心底くだらないと思っている。

 

だから重荷なんて感じたことは無かった。

 

家族を守ることも、この地域から異能を使った犯罪を駆逐することも、あくまで私がやりたいと思ったからやっているだけだ。

 

やりたいことだけをやっている私が無理をしている筈がない。

 

 

 

それでも、暗い顔をした桐佳の顔色は戻らなくて、じっと私を見詰め続ける。

 

 

 

 

 

「……もう、冷たいお姉ちゃんに戻らないでね……」

 

 

 

 

 

泣きそうな顔で、縋るように言った桐佳になんて慰めを言えばいいのか分からなくて、私は困ったように笑って誤魔化すことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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暗闇で嗤う者

 

 

 

 

 

 

 

考えていた通り、遊里さんを病院に運んだ後、桐佳をその場に待たせて別行動を取った。

 

今の時刻はもう夜の6時を回っているから、本当は明日に響くような行動は控えたいが、この件を終わらせない限り桐佳の心に平穏が訪れることは無いだろう。

 

だからこそ、私としては珍しく、早急な解決を図った。

 

 

 

口封じをするために遊里さんの家に戻れば、先ほどのふくよかな女が慌てながらどこかに電話を掛けていて、丁度良かったのでそのまま異能で良いように誤魔化す。

 

徐々におかしくなっていく女の言動に、電話先の上司のような奴は訝し気になっていったが、最後には、「よく分からないから他の信者を確認に向かわせる」と言って電話を切った。

 

 

 

つまり、確認に来るまでの間、時間を稼ぐことに成功した訳だ。

 

後は女から、遊里さんのお母さんが幽閉されている場所と、どういう経緯で今の状況に至ったのかの情報を引き出して、捜索をさせていた人達から上がってきた情報と合わせて状況を整理した。

 

 

 

経緯はこうだ。

 

遊里さんの母親は何らかの事情で旦那さんと離婚し、ここ氷室区へと引っ越した。

 

母親は両親とは疎遠であり頼る人もいなかったため、女手1つで遊里さんを立派に育てようと苦心していたが、そこに目を付けた宗教団体が甘い言葉と金銭支援で彼女達の生活に入り込むようになった。

 

あとは、こういう宗教団体お得意の洗脳術で、母親の価値観を壊し、優先順位を捻じ曲げ、逆に金を搾り取るようになっていったのだ。

 

 

 

だが、母親を手中に収めることは出来たが、その娘である遊里さんは思うように洗脳することが出来なかった。

 

いつまで経っても反抗的だった遊里さんを煩わしく思った団体が、洗礼と称して母親を団体の施設へ幽閉するとともに、その期間中に、反抗的な娘を調教すると言う名目で始末する手筈だった。

 

頼る宛ての無い女子生徒1人、洗脳し切った母親の協力があれば消息を絶たせることなど難しくはないと考えたのだろう。

 

 

 

母親には洗脳を、遊里さんにはおかしな真似をすれば洗礼中の母親がどうなるのか分からないと言う脅しを。

 

そうして彼らにとっては円満に、物事を収めるつもりだったのだろう。

 

娘の言葉ですら正気に戻ることが無くなった母親など、もう誰にも救いようがないと過信した。

 

 

 

彼らの誤算は、私。

 

洗脳術が自分達の専売特許だと思った事だ。

 

 

 

 

 

「――――ぇあ……わ、た……し?」

 

「正気に戻りましたか? どうですか、今の貴方にとってここに書かれている宗教の教義はどれだけ重いものでしょうか?」

 

 

 

 

 

土気色の不健康そうな顔色で、ガリガリにやせ細った女性の目に光が戻ったのを確認して、私は途中で拾った教典を彼女に見せる。

 

ともすれば突然目の前に現れたように見えただろう私の姿に、女性は現実離れしたものを見るような目で呆然と私を見上げている。

 

 

 

宗教団体が根城にしていた建物の最奥。

 

御丁寧にしっかりと隠蔽されていた隠し部屋で鎖に繋がれていた女性、遊里さんのお母さんを見つけ出し、深刻な洗脳状態であった彼女の精神を元に戻した。

 

何度も抑圧され、丹念に首輪を付けられていた彼女の精神に残る楔は既に存在しない。

 

 

 

――――けれど、私は彼女の記憶を消せるわけではない。

 

洗脳されていた時に行った自分自身の数々の行為を、彼女は1つとして忘れてなどいないのだ。

 

 

 

呆然と、私が差し出した教典を見ていた女性が、突然発狂したように私の手から教典を奪い取り、引き千切り始めた。

 

何度も何度もそれを引き裂き、地面に叩き付けて踏みつける。

 

そうして最後は、自分自身の顔を両手で覆って声を上げて泣き始めた。

 

 

 

 

 

「遊里っ……ゆうりぃっっ……!! なんで私はっ、なんで私は娘にあんなことをぉっ……!! あ、あああああああああああああああ!!!!!!!」

 

 

 

 

 

咄嗟に自分の耳を塞いだ私は、音量を和らげながらも彼女の悲鳴をしっかりと聞き届ける。

 

……桐佳には言わなかったが、遊里さんのあの怪我はやはり教団の人間がやったものだけでは無かった。

 

 

 

恐らく教団の奴らは、この人と遊里さんの心を折るために彼女自身に娘へ、指導と言う名の暴力を振るわせていたのだ。

 

 

 

……ああ、いやそうか。

 

彼女に暴力を振るわせて、その怪我を治療しないまま押し入れに閉じ込め放置することで始末する。

 

そして、お前が殺したのだと、娘の死体をこの人に見せることをもって、教団がこの人に科した洗礼とやらは完成する予定だったのだ。

 

 

 

大切なものを全部壊して、教団が唯一彼女に残った大切なものとする。

 

吐き気を催すほど下劣で、外道な、こいつらのやり方だった。

 

 

 

 

 

「…………最近は“読心”の範囲が狭かったし、神楽坂さんとばかり居たから、中々ここまで醜い人の感情を見ることは無かったんですけど。やっぱり鳥肌が立つほど気分が悪いですね、こういう感情を持った人間は」

 

 

 

 

 

そう言って、私は恐ろしい幻覚に怯え逃げ惑っている教団の人間達を見やる。

 

各々が想像しうる最悪の光景を見ている筈だが、やはりこういうものにのめり込む人は想像力が豊かなのだろう、今まで見たことが無いほど何かに恐怖し、絶叫を上げている。

 

 

 

ここは教団『白き神の根』本部の最奥、洗礼室。

 

そして本部にいた教団構成員、計43名。全ての人間の精神を制圧した。

 

彼らは既に、自由意志はほとんど残っていない。

 

私が許可していなければ、叫び声を上げる事さえ彼らには出来ない状態だ。

 

この後は……まあ、適当に行動に制限でも掛けて、適当に警察に検挙させればいいだろうか。

 

 

 

……流石に、異能持ちではない人達とは言え、この人数を制圧するのは骨が折れた。

 

妹の友人の母親が囚われていて、残された時間があまりないと言うような特殊な事情が無ければこんな無理は絶対にしない。

 

 

 

 

 

「ゆうり……ゆうりぃぃ……」

 

「……あの、私の声が聞こえていますか? そろそろ本題に入りたいんですけど、聞く耳持ててますか? まず大事なことを言いますね、遊里さんは無事です。病院に運び込んで治療を受けていますが命に別状はありません」

 

「――――え……? ゆ、遊里はっ、私の娘は無事なんですかっ!?」

 

「栄養状態も悪いですし、傷の具合も良くはありませんけど、少なくとも意識はあります。遊里さん、最後まで貴方の心配をしてましたよ」

 

「あ、ああ……あああああああ!!」

 

 

 

 

 

歓喜と、安堵と、悔恨と、後悔が入り混じった遊里さんの母親の絶叫を聞き届け、取り合えず無事に事件を終わらせられたと安心する。

 

正直、自粛しようと思っていた矢先の出来事だっただけに思うところが無いわけではないが、他ならぬ妹の友人家族の話であれば多少は仕方ないだろう。

 

 

 

この人を連れて、桐佳が心配しないうちにさっさと病院に戻ろうと遊里さんの母親の手を取ったところで、彼女はその手を振り払った。

 

 

 

 

 

「わたしはっ……母親失格ですっ……!! あの子に合わせるっ、顔がないっ……!!」

 

「…………」

 

 

 

 

 

ぼさぼさの髪も、こけた頬も、傷だらけの体も、少しも気にも留めないでこの人が気にするのは娘の事ばかり。

 

責任感が強くて、本当に娘の幸せを願っていた人だったのだろう。

 

その感情を利用され、良いように心を弄ばれるまでは、きっと確かな信頼関係を築けていたのだろう。

 

 

 

洗脳は解けても、記憶は消えない。

 

だからこそ、この人は洗脳状態にあった自分が行った行為がどれほど娘にとって非道だったのか分かる。

 

他ならぬ自分自身の手で、助けを求める娘を壊した自分自身が許せない。

 

 

 

確かに酷い母親だったのだろう。

 

本当に大切なものを見誤った人間には救いがないことくらい、私だって痛いほど心当たりがある。

 

この人は確かに酷いことをしたのだろう、それはきっと世間一般的な価値観からすれば到底許されることではないのかもしれない。

 

 

 

……けれどこの人は、全てを誤った訳では無かった。

 

 

 

 

 

「貴方は酷い洗脳状態であっても、最後まで娘が携帯電話を持っている事を他の人間に言わなかった。貴方は最後まで遊里さんが逃げられる道を守り続けていた。確かに貴方が犯した間違いは酷いものだったのかもしれないけれど、貴方が守った遊里さんの命綱はこうして私の手に届きました」

 

「わ……わたしは……」

 

 

 

 

 

遊里さんの持っていた携帯電話。

 

今の時代、中学生が持っていることくらい珍しくもないそれを、教団の人間が考えもしなかったと言うのはあり得ない。

 

いくら遊里さんの家が貧乏で余裕がないと言っても、洗脳状態にあった母親に確認をしない筈がないのだ。

 

 

 

だから、もし本当に教団の人間が、遊里さんが携帯電話を持っている事に全く気が付いていなかったのなら、それはこの母親が口を閉ざしていたことに他ならない。

 

 

 

 

 

「――――貴方は誇るべきです。貴方の行為は遊里さんを確かに救いました。どれだけ間違いを犯していたとしても、それだけは認められるべきです。今、貴方達は生きているのだから」

 

「う、うぁ……あり、がとう……ありがとうございますっ……ありがとう、ございます……!」

 

 

 

 

 

クシャクシャの顔がさらに酷いことになって、誰に向けたものかも分からない彼女のお礼の言葉は私が彼女を異能で強制的に眠らせるまで続いた。

 

 

 

彼女の瞼に手をかぶせて、以前バスの中にいた赤ん坊にやったように、彼女を夢へと落とす。

 

そして、彼女が力が抜けたように地面に崩れ落ちたのを見届けて、ホッと息を吐いた。

 

 

 

 

 

「……後は残りの人間の後始末をして終了。せいぜい良い人にでもなるようにしてあげますか」

 

 

 

 

 

背後で狂乱状態に陥っていた人のほとんどが、耐え切れずに動けなくなったのを確認して仕上げの作業に取り掛かる。

 

私の家の中に侵入してきた男の人にやったのと同じ要領で、彼らの精神に制限を掛けることで疑似的に善人を作り上げる技術。

 

合理的かつ効率的だが、やはり道徳的には良くないものだ。

 

根から善人な神楽坂さんとかには絶対に言わないようにしないといけない。

 

 

 

そんなことを考えていた時だった。

 

 

 

 

 

「――――あれ? 僕の人形が壊されてる。どうなってるのこれ」

 

「……」

 

 

 

 

 

突然だった。

 

後ろで狂乱状態にあった1人、恐らくここの本部で指導者のような人物が、これまでの狂乱状態が嘘のように、何の前振りもなく無表情になってペラペラと口を動かし始めた。

 

 

 

まるでスピーカー、ただ音を発する機械のようになった指導者の男を、私はじっと観察する。

 

 

 

 

 

「えっと? まじで? 折角作った教団完全に潰されてるじゃんか!? そんなぁ……僕の金づる達が……」

 

 

 

 

 

異能。

 

それも、私と同系統。

 

恐らくは人間の精神に干渉するタイプの異能だが、どうやらコイツの異能は直接他人の精神に根を張るタイプのものらしい。

 

 

 

 

 

「うわぁ……全く面倒な……で? これをやったのは君?」

 

「“私の顔が見えていますか?”」

 

「いいや、全身ノイズが走ってて見えないや。君、同類かな……おっと、逆探知とか止めてよ。別に場所がバレてもどうってことないけどさ」

 

 

 

 

 

スコットランド。

 

無理に異能の出力を辿ってみたが、あまりにも遠い場所を探知し、洗脳を掛けることは諦める。

 

異能を使っているこの人間の出力がどれほどのものかは分からないが、勝てる可能性の低い手を使ってこちらの手札を晒す必要はない。

 

 

 

 

 

「…………まさかコイツ……いや、出力が違いすぎるね……」

 

 

 

 

 

少しだけ警戒したような口調になった男だったが、少し考えてまた軽薄な口調に戻る。

 

 

 

 

 

「いやあ、ごめんごめん。君の縄張りにでも入っちゃったかな? 同類と争うつもりはないんだよ。気を悪くさせちゃったならごめんね。僕、外国で“白き神”って名乗ってるんだけど、定期的な収入が欲しくてそこの奴らみたいな教団を作って儲けてたんだ。君みたいな異能を使いこなしてるやばい人と事構えたくないからもう撤退するよ」

 

「…………」

 

「おお、怖い怖い。そんなに気に障るようなことしちゃったかな? それともあれかな、“千手”の件でピリついてるのかな? あれだから人工的に異能を発現させた奴は駄目なんだよね。大丈夫、“千手”みたいな馬鹿はしない。異能の認知が高くなったって僕らに良いことないしね。ほどほどに、無能達を絞りあげて美味しく貪ろうじゃないか、お互いに」

 

「黙れ」

 

 

 

 

 

仲間意識でもあるのか、親し気に話しかけてくる相手に虫唾が走って、思わず強い言葉を使ってしまう。

 

普段はこんな言葉を使わないのに、この異能持ちはなぜだか私に不快感を与えてくる。

 

 

 

異能の出力を上げて男の精神に圧迫を掛け、口を噤んだ姿の見えない異能持ちに対して、宣告する。

 

 

 

 

 

「次私の視界に入ったら容赦しない。お前を磨り潰す」

 

「……まじでこわ……もうしないって」

 

 

 

 

 

「こわこわ」と、冗談交じりに身震いするフリをしている奴に早く消えろと睨み付ける。

 

 

 

私の怒りに気が付いたのだろう、申し訳なさそうに両手を合わせて頭を下げていた男が、異能を消そうとして、「そういえば」と何かを思い出したように口を開く。

 

 

 

 

 

「“千手”と“紫龍”を捕まえた警察官、迷惑してるよね、ごめんね。前に僕がちゃんと始末しておけば良かったんだけどさ」

 

 

 

 

 

最初は話の前後が分からず、男が何を言い出したのかと思った。

 

心底おかしそうに、子供が蟻を潰すように、ここにいない誰かを嗤っている。

 

 

 

 

 

「ついつい夢中になって遊びすぎちゃって。でもそうだ、あの警察官にはまだ弱みがあるから、縄張り荒らした謝罪として置き土産に教えてあげるよ」

 

 

 

 

 

それは、なんでもない事のように。

 

私の脳裏に浮かんだくたびれた男性を嘲笑いながら、男が口を裂く。

 

 

 

 

 

「東京総合病院だっけ、そこで入院してる落合睦月(おちあい むつき)って女。その警察官の婚約者でさぁ。それを揺すってやれば面白いくらい反応があるとおも――――ゴッ……!?」

 

 

 

 

 

問答は無い、全力で出力を上げる。

 

異能のラインを辿り、遥か距離の離れた場所にいる異能持ちに対して攻撃を仕掛けた。

 

 

 

失敗の可能性が高いとか、必要以上に手札を見せないとか、そんなものよりも。

 

この害悪を早急に排除するべきだと、私は判断した。

 

 

 

 

 

「やめっ……お前っ、いい加減にっ……!?」

 

「つまらないわね、貴方」

 

 

 

 

 

思考誘導、幻覚、幻聴、トラウマ作成、感情波。

 

あらゆる手段を講じて、迅速に相手の行動を奪おうとするが、それらが成立するよりも早く異能のラインを切られてしまった。

 

 

 

逃げられた。

 

やる前からそうなることは分かっていたが、悔しさで拳を握り込んでしまう。

 

震える拳をゆっくりと開いて、もう一度周囲を異能で探知するがアイツの気配はもう何処にもない。

 

 

 

 

 

「……神楽坂さん」

 

 

 

 

 

私の協力相手で、私が見て来た誰よりも善人なその人を思って、唇を嚙み締めた。

 

 

 

彼のトラウマ、彼の心を今なお傷付けている出来事の原因となる人物。

 

彼自身に何があったのかを聞く前に、それに深く関わる人物に出会ってしまった。

 

苦いこの感情は何なのか、“精神干渉”なんて異能を持っているくせに、私には自分自身のこの感情が理解できなかった。

 

 

 

やっぱりこの世界は、優しくない。

 

薄っぺらいシステムで出来ていて、淡白に悲劇を甘受する。

 

私はそれが、昔から大嫌いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまでお読みくださりありがとうございます!
皆様の感想や評価、誤字脱字報告などに支えられて何とか連日更新をしてきましたが、ストックが切れましたので、ここで一旦お休みします。
ここまでお付き合い頂き本当にありがとうございました!

次回からは4章となります。
ある程度話が溜まりましたら更新を再開しますので、また次回よろしければお付き合いください。


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国外からの来訪者


お待たせしました、4章の更新をしていきます!
多分毎日更新ができるとは思いますが……ど、どうなるかはちょっと分かりません!


 

 

 

 

氷室警察署の貸し与えられた一室で、警察本部から派遣されている柿崎遼臥(かきざき りょうが)は一足先に仕事に復帰していた。

 

 

 

人一倍大きな体は見た目の通り頑丈だ。

 

車の下敷きになろうとも、その頑丈さはいかんなく発揮され、1週間と経たずに普通に動けている彼はもはや怪物と言っても相違ないだろう。

 

だが、それでも完全に仕事に復帰出来ている訳ではない。

 

足は折れているし、体に残った傷が消えた訳ではない。

 

現場仕事は控え、事務仕事もある程度の期間自粛するようにと、警察本部から通達があったのだが、そうもいっていられない状況があった。

 

 

 

 

 

「……悪いな、耳が悪くなったみたいだ、ふざけた提案に聞こえた。もう一度言って貰えるか?」

 

 

 

 

 

柿崎は普段以上に恐ろしい顔つきで手元にある「身分を証明する物」を眺め、胡散臭そうなものを見るような目で正面に座る彼らに視線を向ける。

 

突然氷室署を訪れた、顔も見たことのない彼らの提案は本来ならば到底受け入れられるようなものでは無かった。

 

 

 

 

 

「それでは、もう一度言いましょう。現在拘束中の“千手”の身柄を我々に引き渡してください」

 

 

 

 

 

繰り返された提案に、柿崎の顔がさらに鬼に近くなる。

 

隣に座る氷室署の署長は、青かった顔を引き攣らせた。

 

 

 

 

 

「……アンタらは突然ウチにやってきて、何の助力もせず要求だけ通そうと言う訳だ。随分ふざけた話じゃねェか、なあ?」

 

「ちょ、ちょっと柿崎君」

 

「ICPOがなんだってんだ。国際警察? それにどんな権限がある。うちの国で起こした犯罪をうちが裁いて何が悪い?」

 

 

 

 

 

日本人離れした巨体を持つ柿崎の苛立ち混じりの言葉に、ICPO(国際警察)から確認に来た者達が理解を示すように頷いた。

 

 

 

 

 

「貴方がおっしゃることは理解できます。しかし、これは貴方がたの為でもあるのです。“千手”は我々も何度も取り逃した凶悪な犯罪者。その特性を正しく理解していなければ拘束は難しく、またさらなる激昂によって多数の死者が出ることも充分考えられます」

 

「だから……その特性ってェのは何なんだよ!?」

 

「お答えできかねます。禁則事項に当たりますので」

 

 

 

 

 

柿崎が苛立つ理由はこれだ、先ほどからこの調子が崩れないICPO職員の態度。

 

機械的に、禁則事項の一言で、“千手”の危険性を説明しようとすることが無く、その癖、身柄を引き渡せと言うめちゃくちゃな提案をしてくるのだ。

 

 

 

今回の事件を本部から任されている柿崎としては、どうにもしがたい話である。

 

 

 

 

 

「その禁則事項ってのは何なんだよ。現に今“千手”とか言う犯罪者は脱獄できてない訳なんだから、アンタらのその発言は信憑性の欠片もない事分かってるのか?」

 

「その点は我々も驚いています。しかし、“千手”が何か意図を持っていて逃亡を図っていないだけ、と言うのが我々の見解です。いつでも“千手”は逃げ出せる状態にあると言うことです。それと、禁則事項は私達ICPO全体の総意と取っていただいて構いません。ご理解いただけないようでしたら、申し訳ありませんが本部から日本政府に直接申し入れを行い、強制的に身柄の受け渡しを行います」

 

「……あくまで俺ら現場の人間には何も伝えないつもりか」

 

「その様に指示を受けています」

 

 

 

 

 

機械的な調子を崩さないICPOに、柿崎は疲れたように深く息を吐く。

 

じろりと、睨み付ける様に目の前にいる三人のICPO職員を一人ひとり確認して、一切口を開かない二人から視線を逸らし、会話担当であろう若い白髪の女を正面から見据えた。

 

 

 

 

 

「……ふう、署長。ちょっとこの人達と自分だけで話したいことがあるんで少し席を外して貰っても良いですか?」

 

「い、いやしかしね。柿崎君、君絶対この人達に暴力振るうだろう?」

 

「いや、する訳ないでしょう。俺をなんだと思ってるんですか」

 

 

 

 

 

そうバッサリと言い捨てて、氷室署で一番偉い人物を柿崎は部屋から追い出す。

 

突然の柿崎の行動に、署長を含めICPOの三人も目を丸くする。

 

 

 

 

 

「……それで?」

 

 

 

 

 

扉を閉じて、音が漏れないようにしながら彼らに向き直る。

 

会話を担当している白髪の女は、眼鏡を押し上げた。

 

 

 

 

 

「……それで、とは?」

 

「とぼけるな。俺は実際にその“千手”と言う男を見た。到底やり合ったなんて言えないような、一方的にぶっ飛ばされたようなもんだが。それでも、車両を浮かせて俺達目掛けて見えない力を振るったあいつのことは、把握している」

 

「……」

 

 

 

 

 

機械的に話を続けていた白髪の女が口を閉ざす。

 

何かを迷うように、残りの二人と目配せをしたのを柿崎は見逃さなかった。

 

 

 

 

 

「科学では証明できない力……あいつが言ってたそれを俺は信じちゃいなかったが、今回の件で少し話が変わった。あるんだろ、そういう力がこの世には――――」

 

「ええ、あります」

 

 

 

 

 

はっきりとした断言に柿崎は僅かに目を剥いた。

 

絶対に認めようとしないだろうと言う予想が覆されたからだ。

 

 

 

 

 

「異能、そう我々が呼んでいる未知の力は、遥か太古からごく僅かな人間に備わる絶対的な才能です。過去に偉業を為した人物達の中にも、それを備えた者は多くいると我々は予想をしています」

 

「……それで、“千手”と言う奴がその希少な才能の持ち主と?」

 

「ええ、そうです。その才能が関わる事件こそ、我々が解決を任されているものとなります」

 

 

 

 

 

予想こそしていたが、今までの常識を塗り替えるような突飛な話に、柿崎は思わず視線を扉に向けるが、「安心してください」と白髪の女は言う。

 

 

 

 

 

「音漏れの可能性は絶対にありません。私達以外にこの会話を耳にする者はいませんから」

 

「何を言って……」

 

 

 

 

 

そこまで口に出して、柿崎は意図に気が付く。

 

 

 

超常的な力があるとして、それに対抗するためにはどうするか。

 

答えは考えるまでもない、超常的な力に対抗するには同じ超常的な力をぶつけるのが一番簡単な方法だ。

 

つまり、超常的な力の対処を任されている彼らにも同じ力を持つ者がいてもおかしくはないし、絶対にないと言い切ったことを考えれば、この場の音を支配する異能とやらを彼らは使っているに違いない。

 

 

 

柿崎はそう判断した。

 

 

 

 

 

「……そうか、なるほどな。そうなってくると話は変わる。俺としても、奴を捕まえ続けるのは難しいと思っていた。本部に掛け合おう」

 

「貴方が頭の良い人で助かりました、感謝します」

 

 

 

 

 

白髪の女は事務的な笑みを見せる。

 

“千手”とやらの凶悪な力を断片的に見た柿崎にとって、あの超常的な力を鉄や石でできた独房で抑えきれる自信は持てない。

 

定期的に“千手”の拘束を担当する者に様子を聞いたが、大人しすぎるあの男の報告内容に、嫌な予感は日に日に増していたのだ。

 

彼らの本心は分からないが、彼らの提案は柿崎にとっては渡りに船であった。

 

 

 

 

 

「聞かせろ。ICPOはなぜこの件を隠す。なぜ世間にその力を公表しない。脅威に対して備えるのは必要だとは思わないのか?」

 

「世間に不要な混乱を招かない為……表向きはそうですが、実情は異なります。何事も、利益を得る者がいるとだけ言っておきましょうか」

 

「どこも変わらねェな」

 

「しかし真理です。私達人間の世界は昔から変わりませんから」

 

 

 

 

 

忌々し気に吐き捨てた柿崎は、話は終わりかと提示されていた身分証明を返すが、受け取った彼らは扉に向かおうともせず、まだ部屋にとどまっている。

 

まだ何か用があるのかと眉を上げた柿崎に、白髪の女は問いかける。

 

 

 

 

 

「ところで、“千手”を捕まえた警察官の方にも話をお聞きしたいのですが……今はどちらにいらっしゃいますか?」

 

 

 

 

 

白髪の女の言葉を皮切りに、動きを見せなかった残りの二人が、出入り口を塞ぐように動いた。

 

口を割らないなら力づくでもと言う意思を見せてくる彼らの態度を見て、圧力を掛ければどうにでもなる“千手”のことで、わざわざ彼らがこの場に出向いた理由を理解する。

 

 

 

自分の同期であるあの男に会うことが、彼らの重要な目的の1つなのだ。

 

 

 

 

 

(神楽坂……お前、なんてもんに目を付けられてんだ)

 

 

 

「ええ、少し話を聞きたいだけですとも。神楽坂上矢さんはいまどちらへ?」

 

 

 

 

 

銃口を向けられるよりも重いナニカが目の前にあることを理解して、柿崎は額に汗を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校がゴールデンウィークに入り、休みになって直ぐの事。

 

私は目の前の光景に今年一番感動していた。

 

 

 

 

 

「遊里、大丈夫? ちゃんと歩けてる? ちょっとでも違和感を感じたら私に言うんだよ?」

 

「ありがとう桐佳ちゃん、でももう一応退院したんだしそんなに心配しなくても大丈夫だよ?」

 

「栄養失調を甘く見ちゃだめ! 体の内側での事なんて私達じゃわかんないんだから気を付けないと! ……それに、まだ体のあざも残ってるし……」

 

「これは……別に気にならないよ」

 

「気にならない訳ないでしょ! もうっ、我慢しなくていいの! 悩みとか全部私に吐き出さなきゃだめなんだから!!」

 

 

 

 

 

……妹が別人のように人に気を使っている。

 

周りに流されやすく、感情的で、抜けたところが多かった。

 

そんな、悪く言えば自分中心の思考だった妹の成長を目の当たりにして、私は思わず笑みを浮かべてしまう。

 

 

 

なるほど、やっぱり人の成長には人との関りが大きいのだろう。

 

結果的にプラスの方向へと働いている今の状況に、悪い事ばかりではないのだと嬉しく思った。

 

 

 

 

 

病院の入り口から出る際にそんな声を掛けて、おまけに病み上がりの友人の荷物を持ってあげている妹の成長に私が純粋に喜んでいる横で、遊里さんのお母さんは複雑そうな顔で桐佳達を見詰めている。

 

 

 

 

 

「……まだ悩んでるんですか? もうしっかりと謝罪して、遊里さんもそれを受け入れてくれたじゃないですか。これ以上グジグジ悩むのは、遊里さんの精神的にもどうかと思いますよ」

 

「たとえ娘が許してくれても……私に親の資格は……」

 

「でも、児童相談所が入院している遊里さんのところに確認に来た時、遊里さんは必死に貴方を庇っていましたよ。だからこうして一緒にいられますし、遊里さんも貴方と一緒にいたいと言っているんです。これから報いて、取り戻していけば良いんです」

 

「それは分かっているけれど……それに、貴方達家族にも、迷惑を掛けて……」

 

 

 

 

 

肩身狭そうに縮こまっている、自分よりも一回り以上年上の女性。

 

私としては妹の平穏の為に最善手を選んだつもりだが、確かに、この人からするとあまりに多くの好意だったのだろう。

 

 

 

 

 

「宗教の人達から助け出してくれて、私達の間を取り持って、児童相談所の人にも対応してくれた。それだけでも返しきれないくらいの恩があるのに……私が宗教につぎ込んでしまってお金が無いから、娘の入院費用の肩代わりをして、ゴタゴタでアパートから追い出された私達をこうして受け入れてくれて……一生燐香さん達ご家族には頭が上がらないわ……」

 

「それはまあ、ホームレスになりかねない妹の友達を見捨てるのは少し後味悪いので」

 

 

 

 

 

本当に、妹の友達でなければこんな境遇の人見向きもしない。

 

それに、彼女達をこんな状況に追い込んだ私と同系統のあの異能持ちの存在が、彼女らを保護するべきだと判断させたのだ。

 

 

 

私が言うのもあれだが、精神干渉関係の異能は始末が悪い。

 

自分の手を汚さずに悪いことが出来るし、ただ見るだけでは誰が敵だか分かりづらい。

 

目に見えない相手との争いは、昨日まで友人だった人達が洗脳されていないかと言う疑心暗鬼に苛まれながら、日々を過ごすことになるのだ。

 

勿論相手の異能の正確な強さがどの程度かは分からないが、妹と深く関わる者を、そして、一度身柄があの異能持ちの手元にあった者達を放置するのは、あり得ない選択だった。

 

 

 

だからこそ、お金も、仕事も、行き場もない彼女達を、私の家で一時的に預かることにしたのである。

 

と言うか、これで遊里さんが中学校を休学してそのままと言うことになれば、間違いなく桐佳の精神に悪影響を及ぼす。

 

それは流石に許容できなかった。

 

 

 

 

 

「じゃーん! これからここが遊里達の家になる家だよ!」

 

「わああ、凄い広い! 桐佳ちゃんっ、本当にありがとね!」

 

「えへへ……もう家族みたいなものだしっ、変に気を使ったりしなくていいからね! あ、遊里のお母さんも、普通に娘の友達と接するようにしてくれればいいからね!」

 

 

 

 

 

我が家に辿り着き、遊里さん達を家へ招き入れ、自慢げに胸を張る桐佳。

 

自分は何もしていないのに、なぜか鼻が伸びている桐佳の頭を私は軽くひっぱたいた。

 

別に遊里さん達の緊張をほぐすためにそういう態度を取るのは問題ないが、それほど仲良くない年上の人には敬語くらい使うべきだ。

 

 

 

 

 

「こら、遊里さんのお母さんは年上なんだからちゃんと敬語使いなさい。それと、あくまで遊里さん達を家に住まわせるのはお父さんが頷いたからなんだから、お父さんにちゃんとお礼を言うこと。最近避けてるの知ってるんだからね」

 

「……わ、分かってるもん。ごめんなさい遊里のお母さん」

 

「あら……良いのよ敬語なんて。いつも娘と仲良くしてくれてありがとう、桐佳ちゃん」

 

「い、いえ、そんな……」

 

 

 

 

 

私に叱られて、あっと言う間に気が小さくなった桐佳と遊里さん達の会話を見ながら、あらかじめ用意しておいた彼女達家族の部屋を二つに分けておいて正解だったと安心する。

 

 

 

やはりお互いに、事情があったとはいえ暴力を振られた側と振った側を同じ部屋にいさせるのは色々と問題がある。

 

現に今までも、遊里さん達はお互いを目で追っているものの、目を合わせないようにしているし、会話もぎこちない。

 

幸い空き部屋が二つ以上あったから、彼女達の寝る場所は分けられたが、それがなかったらどうなっていたか。

 

 

 

 

 

「それでは、お二人がこれから使ってもらう部屋まで案内するので付いてきてください」

 

「ま、待って下さい。えっと、燐香さん。娘ともどもこれからお世話になります。もちろん掛かったお金はなんとしても後でお支払いしますので……」

 

「別にそこまでかしこまらなくても……遊里さんも居ますし、お金みたいな生々しい話はあとでにしましょう」

 

「あ、そ、そうですよね。ごめんなさい」

 

 

 

 

 

だめだ。

 

何だか遊里さんのお母さんは私に対して妙な壁がある。

 

まるで触ることのできない目上の人にでも対応するようなそういう態度。

 

宗教関係の洗脳は初期化させ、そういう思考回路に行きつかない様に手を入れた筈だがなぜこうなるのだろう。

 

やむを得なかったとはいえ、流石に監禁されていた場所から救い出したのは、違和感を覚えないよう異能で誤魔化したとしても無理があったのかもしれない。

 

 

 

……いや、なるほど。

 

異能の存在に気が付いていなくとも、救われたことは自覚しているから、結果的に私は彼女にとって恩人となるのか。

 

こういう異能の使い方をあまりしてこなかったから、どういう方向へ転がるのかよく分からなかった。

 

そんなことを考えていれば、今度は遊里さんがおずおずと話し掛けてくる。

 

 

 

 

 

「あ、あの燐香さん。改めて、私とお母さんの危ない状況を救っていただいてありがとうございました。こ、高校生になったらアルバイトを始めて私も返済を手伝いますので」

 

「だからっ、良いんですって! そういうのが欲しくて助けた訳じゃなくて、桐佳の友達が危ない目に合ってて、その子がとっても良い子で、偶然、偶々2人を助け出せたのでこうして最後までやろうって話になっただけなんです……それに、家事を手伝ってくれる人がいるならその方が良いかなって言う打算もありますし……」

 

 

 

 

 

「誰かさんは手伝ってくれないし」と言うと、あからさまに心当たりしかない人物は私から目を逸らした。

 

どうやら自覚はあったらしい。

 

 

 

 

 

「だから、生活基盤が整うまでの間は、ここを自分の家だと思ってくれて構わないんです。それが私達家族の総意なんです。桐佳が言ったように、変に遠慮とかはしないでくれると私としても助かります」

 

 

 

 

 

本当に最近は善人に出会うことが多くて、目が焼き切れそうになる。

 

自分の性格の悪さを再確認させられて、徐々に憂鬱になってきた。

 

適度に性格の悪い、飛禅と言うあの女警察官が私には相性がいい気がしてきた。

 

 

 

 

 

「変に遠慮しなくていい、ですか?」

 

「はい、そうしてもらえると私の精神的にありがたいです。私を呼ぶ時も、敬称なんて付けなくていいし。なんなら呼び捨てで燐香でも、さとりんでも、お姉ちゃんでも良いから」

 

 

 

 

 

おずおずと腰を低く私に問いかけて来た遊里さんの気を楽にさせようと、適当にそんなことを言ったが、予想に反して、私の言葉を聞いた遊里さんは顔に喜色を浮かべて期待した様子になる。

 

 

 

 

 

「じゃ、じゃあ、あの……ここに住まわせていただいている間っ、燐香さんの事をお姉ちゃんって呼んでも良いですか!?」

 

「…………ん?」

 

「私、お姉ちゃんに憧れてて、実は桐佳ちゃんがお姉さんの話をしてる時羨ましかったんです! 出来る事なら……呼ばせて欲しいなって……」

 

 

 

 

 

小動物のように可愛らしい遊里さんが、憧れと期待と不安が入り混じった眼差しで私を見詰めてくる。

 

 

 

可愛い。

 

間違えた、考え方が分からない。

 

こんなどこの馬の骨とも分からない女を、姉と呼びたくなるものなのだろうか。

 

別に私としては嫌ではないが、完全に冗談のつもりで言ったことをここまで真面目に受け止められるとは思いもしなかった。

 

 

 

正直、普段妹から雑に扱われている身としては、慕ってくれる系の妹が出来るのではと期待が湧かないと言えば嘘になる。

 

いやしかし、流石に本当の妹がいる前で「君も私の妹だ」なんて節操のないことは出来ないし、不機嫌になった桐佳が怖いので断るべきだろう。

 

 

 

気楽にさせようと自分が言い出したことだし、本当に期待している遊里さんには悪いと思うが、ここはきっぱりと……。

 

 

 

 

 

「……だめ、ですか?」

 

「駄目じゃないっす」

 

 

 

 

 

駄目だった。

 

涙を浮かべた可愛い遊里さんに勝てなかった。

 

もうこの子も私の妹でいいやと、思考を放棄して花が咲いたように笑顔になった遊里さんをクシャクシャと撫でまわす。

 

その手に伝わる感触が昔の小さかった頃の桐佳を思い出させ、自然と笑顔になった私の首を、誰かの腕ががっしりと締め上げた。

 

 

 

桐佳だった。

 

 

 

 

 

「ぐえええええっ!?」

 

「お姉っ!! 人の友達にっ、何してんの!? このおとぼけアホ姉がぁ!!」

 

「ほ、ほんとに首が締まってる! 息! 息が出来ないから!!」

 

 

 

 

 

流石に肌が触れれば、見たく無くとも相手の感情を読めてしまう。

 

激しい嫉妬に駆られた妹の首絞め攻撃。

 

小さい頃ならまだしも、私の身長を追い抜いた桐佳がそれをやるとシャレにならない。

 

青くなっていく私の顔に、アワアワと動揺する遊里さん達に救いを求めて手を伸ばそうとして、カクンと体から力が抜け、そのまま床に倒れ伏した。

 

 

 

倒れた私を蔑んだ目で見下し、「遊里行くよ」と言って桐佳は遊里さんを連れて自分の部屋へと去っていく。

 

 

 

 

 

「え、えっ!? で、でも燐香さんがっ……!」

 

「良いの! 大体遊里もあんなお姉にすぐに気を許しすぎ! 懐きやすい猫じゃないんだから!!」

 

「で、でも燐香さん私を助けてくれて……カッコよかったし……」

 

「っっ……! もうっ、そういうの良いから!!」

 

 

 

 

 

無理に手を引く桐佳に引っ張られながら、私を心配そうに見る遊里さんを安心させようと片手を上げてひらひら振っておく。

 

暴力的な妹の怒り攻撃は初めてではない。

 

大丈夫、喧嘩によく負ける私は別にこれくらい慣れているのだ。

 

 

 

 

 

「……あの、本当に大丈夫?」

 

「うぐぐ……問題ありません。私は強い子なんです……」

 

「涙目……いや、うん。流石燐香ちゃん」

 

 

 

 

 

ともあれ、今日の我が家の最大行事は終わった。

 

無事に彼女達を我が家に迎え入れたのだから、と。

 

休日にも関わらず仕事に行っているお父さんに連絡を入れようと、携帯の操作を始める。

 

すぐに返信があった、なんだかんだ気にはなっていたようだ。

 

 

 

 

 

「……お父さんから了解と返答がありました。お父さんが帰ってきたら、また挨拶しておいてくださいね」

 

「あ、うん。それは勿論やっておくわね」

 

「じゃあこれから時間がありますけど夕飯でも作りましょうか。簡単に調理器具の場所とか説明をしたいですし……あれ?」

 

 

 

 

 

今後パートなどを行ってお金を稼ぐ予定だそうだが、それまでは時間も有り余っていて、何もしないのは逆に苦痛だろう。

 

家事などもある程度やってもらおうと考え、遊里さんのお母さんを誘って食事の用意でもしようかとした時、一件の通知が携帯電話に入る。

 

 

 

神楽坂さんからだ。

 

 

 

 

 

『受信時間:5月4日14時22分

 

 送信者:神楽坂おじさん

 

 表題:無題

 

 本文:次は、白いカーネーションとパイナップルで頼む』

 

 

 

「…………すいません、遊里さんのお母さん。少し用事が出来てしまいました」

 

「え、あ、そ、そうなの?」

 

「はい、すぐには戻れないかもしれませんので、適当に冷蔵庫にあるもので夕食を作ってもらえると助かります」

 

 

 

 

 

あらかじめ取り決めていた暗号を使ったメールに返答せず、すぐに外出の準備をする。

 

 

 

暗号は簡潔かつ私達以外では解読不能なもの。

 

何かしらのメッセージをするときは花と果物を使用する。

 

花に意味は無く、特定の果物で状態を知らせるだけの簡単なものだ。

 

 

 

指定した果物は3つ。

 

1つ、緊急を要さないが話が必要な時はリンゴ。

 

2つ、緊急を要し、救援が必要な場合はイチゴ。

 

そして3つ目、緊急を要し、正体の分からないものがあるときはパイナップル。

 

 

 

大雑把に状況を伝えるだけのメッセージだが、正体不明の何かであれば最悪は異能による間接的な攻撃が考えられる。

 

あの“白き神”を名乗る存在のことも頭の隅に置きながら、私は家から飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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巨悪の影を踏む

 

 

 

 

 

その日、入院中の警察官2人はまだ治らない傷を庇いながら、安静を取っていた。

 

とは言え、まだ全貌の掴めない犯罪者が自分達を狙ってくることも、自分達が住む地域を襲うことも考え、情報収集は欠かしていなかったが、それでも病院に釘付けになっている彼らに出来ることは少ない。

 

 

 

特に、年若い今の時間を楽しみまくっている飛鳥にとって現状はかなり辛いもののようで、燐香がいる時ほど口は悪くならないが、普段の職場では考えられないほど愚痴を吐く状態だった。

 

 

 

そしてその愚痴を聞かされる相手はおのずと絞られる。

 

 

 

 

 

「あー、神楽坂せんぱーい。見てください、新ドラマが始まってますよ。『イチャイチャ王子様とドキドキ学園パラダイス』、最初の1話見逃したんですけどぉ……」

 

「いっ、いちゃいちゃ……!? まさかそれがタイトルなのか? お、お前……人の趣味嗜好をどうこう言うつもりはないが、せめて俺といるときはそのフルタイトルを言わない様にしてくれ。俺には耐え切れそうにない……無性に恥ずかしくなる……」

 

「嘘です☆ このドラマのタイトルなんて知らないでぇす☆ ……あー、神楽坂先輩弄るのも飽きてきましたぁ、何か面白い事ないかなぁ……」

 

「………………俺はお前と話すことに疲れた。病院を別にしてほしいんだが」

 

「駄目です☆」

 

 

 

 

 

今日もまた、神楽坂の病室へ飛鳥は懲りずにやってきた。

 

流石に他の入院患者もいる病室で飛鳥と会話をするのは、周りの迷惑となると確信していた神楽坂は彼女を連れて屋上へと移動したが、どうやらそれがかえって飛鳥の遠慮を無くしたらしい。

 

 

 

どちらかと言えば堅物に分類される神楽坂にとって、相性の良いとは言えない飛鳥との会話は精神的にクルものがある。

 

しかも相手は入院生活が暇すぎるのか、時間があれば神楽坂の病室に入り浸る徹底ぶり。

 

そんな傍若無人ぶりを見せつけてくる飛鳥だが、逆に相坂少年の異能制御訓練は一切欠かす事無く、熱心に取り組んでいるからこそ、神楽坂も飛鳥のダル絡みを無下にできない。

 

もしかすると、怪我が治ってもまた別の病院に通院することになるのではと思いながら、神楽坂は最近買った胃薬を懐から取り出して呑み込んだ。

 

 

 

 

 

「面白い事なんてある訳がないだろ、ここをどこだと思ってるんだ」

 

「えー、でもでも、退屈なのはまだ目を瞑っても! 病院食はほんとに美味しくないですし、量も少ないですしー! 神楽坂先輩と約束したあの食事処にまた早く行きたいんですけどー! カツが私を待っているんですけどー!!」

 

「やかましいわ……たくっ、退院したら連れて行ってやるから大人しくしとけ。と言うか、そろそろ佐取が来てくれる頃だろ。何か果物でも頼んでおけばどうだ?」

 

「………………私、あいつ、あんまり好きじゃないんですよねー……」

 

「お前なぁ……」

 

 

 

 

 

先ほどまではご機嫌に神楽坂を弄っていた癖に、一転、ブスリと不機嫌そうに口を尖らせた飛鳥に神楽坂は呆れた声を出す。

 

言われるまでも無く、飛鳥が燐香を快く思っていないのは分かっていたが、なんだかんだ飛鳥は署でもうまくやっているし、そのうち時間が解決するものだろうと思っていた。

 

だからこそ、予想に反して何時まで経っても変わらない彼女の態度に困惑する。

 

 

 

 

 

「あの子の何が気に入らないんだ? はっきり言って、俺があの子の歳の時なんてもっと人間出来てなかったぞ。もっとガキで、もっと人に迷惑を掛けていた。こんな大人の手伝いなんてしようなんて思ってもいなかっただろう。あの子は良い子だよ、間違いなく」

 

「あいつが、良い子ぉ……?」

 

 

 

 

 

心底忌々しいとでも言うように、顔を歪めた飛鳥は、へっ、と鼻で笑う。

 

 

 

 

 

「あの眼。人を自分よりも下だと見下しているあの眼がまず気に入らないんですよ。何が死んだ眼ですか。むしろ光が無いから可愛げがあるように見えてるんですよ。あれが普通の眼だったら、きっと一目で冷酷無比な奴だって分かりますよ」

 

「いや、死んだ眼はコンプレックスみたいだから、そこは触れてやるなよ……」

 

「それに、確かに頭は良いんだと思いますよ? 私達が協力するって話になった時に、即座に暗号を考案し、使おうって持っていくのは中々出来ることじゃないと思います。でも、普通そんなこと考えますか? 普通の学生生活を送った奴が、暗号の必要性なんて理解している筈がないじゃないですか」

 

「そりゃあ、異能を持ってるんだから普通の学生生活では無かっただろうよ……」

 

「なによりもっ!」

 

 

 

 

 

それとなく否定する神楽坂の言葉の姿勢を批判するように、声を上げて、飛鳥は指を突き付ける。

 

 

 

 

 

「普通の、何の悪事も働いていない、異能を持っているだけのただの女子高生が、世界的に有名な犯罪者である“千手”に勝てると思いますか?」

 

「む……」

 

 

 

 

 

これまでは、こじつけに近い飛鳥の言葉だったが、最後のこの言葉は神楽坂も思うところがあったのか口を噤む。

 

 

 

そうだ、自分達、まがりなりにも犯罪者に対するプロである警察官2人と異能を上手く扱えていなかったとはいえ、相坂少年があの場にはいた。

 

異能持ち2人と異能を持っていない相手であれば苦も無く制圧できる神楽坂が3人掛かりでどうにもできなかったあの凶悪な力を持った男を、彼女はたった1人で相手取り、神楽坂達を救い出し、怪我1つなく制圧した。

 

 

 

それは、ある種の偉業。

 

賞金総額3億2000万円の犯罪者は、この国では考えられないほどの危険度だ。

 

いくら相性が良いからと言って、異能があるからと言って、どうにかなる次元を超えている気がしてならない。

 

 

 

 

 

「だから私は、あいつは私達を監視している、奴らの仲間なんじゃないかと思ってるんですよ。私達の動向を観察して良いように状況を持っていこうとしている――――最悪の知能犯」

 

「…………ありえないな」

 

 

 

 

 

声を小さくしてそう言った飛鳥の言葉を、神楽坂は一蹴した。

 

感情に任せて言ったのではない。

 

これまでの、燐香との関りを思い出してそう言ったのだ。

 

 

 

 

 

「そんなことをして彼女に利があるとは到底思えない。あの子の助けが無ければ俺はとっくに命を落としている。あの子が敵側なら、俺達は既に誰にも知られることなく始末されてるだろう」

 

「ですよねー」

 

 

 

 

 

神楽坂の言葉を聞くまでもないと言うように、肩をすくめた飛鳥はあっけらかんと同意した。

 

手のひらを返すどころか、元々そんなもの考えてもいなかったとでも言うような飛鳥の態度に神楽坂は目を丸くする。

 

 

 

 

 

「そりゃあそうですよ。そんなの私も分かってます。あいつが善意で先輩に協力しているのは疑いようのない事実です」

 

「……今の問答はなんだったんだ?」

 

「分からないですか先輩。神楽坂先輩、結構アイツの事盲目的に信用してますよって言う警告です」

 

 

 

 

 

心当たりがあったのだろう、言葉に詰まった神楽坂に飛鳥は胡乱気な視線を向ける。

 

どんな経緯でアイツを信用するようになったのかは知らないですけど、と飛鳥は言った。

 

 

 

 

 

「アイツは多分、全部を神楽坂先輩には明かしてないです。他人の精神をぐちゃぐちゃにする異能の使い方が相当上手いってことは……それだけの事をやってきた筈ですから」

 

 

 

 

 

沈黙が2人を包んだ。

 

重苦しい沈黙の中で2人が考えるのは、自分達よりもはるかに歳が若く、はるかに恐ろしい力を持った少女の事。

 

 

 

“精神干渉”。

 

彼女自身が申告する異能は、あまりに応用が利き、あまりに人間性を無視する危険なものだ。

 

恐らく彼女が本気で悪事に手を染めようとした時、止められる人間はいないのではないかと思う程に。

 

 

 

だが。

 

 

 

 

 

「……逆に言えば、あの子を信じてさえしまえば、これ以上無いくらいに頼りになる存在はいない、そうだろう? お前が何と言おうとも、俺は、あの子を最後まで信じると決めたんだ……飛禅が信じ切れないと言うなら、悪いがお前とは手を組めない」

 

「……先輩は分の悪い賭けが好きですね。ま、私もまがりなりにもアイツに命を救われた訳ですし、これ以上言うつもりはないですよ。先輩が信じ切る分、私が疑っておきますから」

 

「はは。だから、あの子に隠し事は出来ないんだって」

 

「あ、そうじゃないですか。あー、もうっ! やっぱりアイツ嫌な奴ですよ! 隠し事の1つくらいさせろって話ですよね!!」

 

 

 

 

 

声を荒げた飛鳥に反応するように、ピロリンと着信音が鳴り、「ぴゃいっ!?」と、思わず飛鳥は驚きの声を上げてしまう。

 

音の鳴り所である、神楽坂の懐に目を向けて、少し怒ったように飛鳥は注意する。

 

 

 

 

 

「な、な、なんなのですか!? ビックリしたんですけど!? 病院ではちゃんとマナーモードにしててくださいよ! 常識ですよ常識!」

 

「あ、ああ、すまん。よく連絡がありそうな奴は全員音が鳴らない様にしてるんだが……柿崎だと?」

 

 

 

 

 

連絡相手を見た神楽坂は、予想外の相手に目を剥いて、何事かとメッセージを読む。

 

 

 

『ICPOがいくぞ、気を付けろ』

 

 

 

簡潔に書かれた内容に、アイツらしいなと思いながら、これから訪れる困難を想像し眉間にしわを寄せた。

 

 

 

 

 

「飛禅、ICPOの連中がここに来る」

 

「へ? ICPOって言えば、国際警察ですよね? 確か“千手”の確認に来るとかニュースでやってた……あ、いや、そりゃそうですよね。“千手”を捕まえたってことになってるんですから神楽坂先輩には話を聞きたいでしょうし」

 

「……どうだろうな、あの柿崎が気を付けろと警告してきてる……少し、不味い状況かもしれん」

 

 

 

 

 

素早く燐香に向けて、状況を知らせる暗号メールを送る。

 

これでもし万が一があっても、燐香に状況は伝わる筈だ。

 

 

 

 

 

「あとは……飛禅、お前は自分の病室へ帰っておけ。顔を知られる必要もないだろう」

 

「あ、まあ、そうですね、私もそうしようかと思ったんですけど……」

 

「……どうした?」

 

「……異能持ちが接近してきています。恐らく相手も私を捕捉している筈ですから、むしろこのままここにいた方が良いと思います」

 

「異能持ちだと……?」

 

 

 

 

 

珍しく深刻そうな顔をしている飛鳥に、神楽坂は状況が良く分からない方向へ転がっている事を自覚して、冷や汗を掻く。

 

 

 

異能持ちなんて、数年間自分が探し求めてきて全く手掛かりを得られなかった存在にもかかわらず、燐香と出会ってから、若しくは氷室区へ飛ばされてからの遭遇率が異常だ。

 

それも、凶悪かつ攻撃的で、一つ間違えれば容易く人の命を奪いかねないものばかりだから、出来る事なら遭遇したくないと言うのが本音だったりする。

 

 

 

 

 

「状況から考えて、ICPOが異能持ちを抱えているって言う筋書きが一番しっくりくるんだが……」

 

「まあ、そうですね。私は日本の状況しか分からないから断言は出来ないですけど。恐らく、日本は異能と言う存在への認知はかなり遅れている方だと思います……少なくとも、日本の警察よりも国際警察の方が、そういう事件の対処をしていると言われて違和感を感じない程度には」

 

「相坂少年が捕捉されることは?」

 

「普通ならされるでしょうけど、前にアイツがそっちはどうにかするって言ってました。取り合えず今はアイツを信じるしかないかと」

 

 

 

 

 

今、神楽坂達がいる場所は屋上。

 

病室の中とまでは言わないが、他の入院患者も多くいる。

 

そんな中で、異能持ちと言えいきなり暴れることは無いだろうとは思うものの、2人の脳裏にあの凶悪な犯罪者、“千手”が過る。

 

 

 

異能持ちとそれ以外を明確に差別し、無能は死ぬべきとまで言い切ったあの男の考え方がもしも、世界における異能持ちの常識的な考え方だった場合。

 

 

 

この場に血が流れることが、否定できなくなる。

 

 

 

 

 

「……いや、腐っても国際警察だ。そんな無法を起こすなんて外聞が悪すぎるだろ」

 

 

 

 

 

心のどこかで、異能持ちを最近対峙してきた犯罪者達と同じくくりにしていた自分に突っ込みを入れる。

 

 

 

“紫龍”も“千手”も、他人を容易く害する犯罪者だ。

 

だが現に、同じ異能持ちでも燐香や飛鳥はしっかりとした考え方を持って、不用意に人を傷付けるような人間ではない。

 

『異能持ち』と言うくくりを悪人と同義にしようだなんて、とんだ見当違いだと理解している筈なのに、何を考えているんだと自分を戒める。

 

 

 

 

 

「……神楽坂先輩、来ますよ」

 

「っ、ああ」

 

 

 

 

 

屋上の扉を開けて入ってきた、日本人離れした風貌の3人に気を引き締める。

 

流石と言うべきか、3人とも背がかなり高く、3人の内の唯一の女性も170以上はありそうだ。

 

 

 

先頭を歩いていた白髪の若い女は屋上を見渡して神楽坂達を探しているようだったが、彼の後ろにいた2人は真っ直ぐ飛鳥へ視線を向けている。

 

右後ろに位置していた褐色肌の男が、短く口を開いて神楽坂達を指し示すと、白髪の若い女は柔和な笑みを浮かべ神楽坂の元へとやってきた。

 

 

 

 

 

「――――どうも、初めまして。貴方にお会いしたかった」

 

 

 

 

 

お互いに敵意は見せていないのに、ピリリと空気が張りつめ、何事かと周囲の人達が神楽坂達に目を向ける。

 

 

 

 

 

「神楽坂上矢さんで間違いないですね?」

 

「…………ああ」

 

 

 

 

 

頷いた神楽坂に、白髪の女は片手を差し出して握手を求めながら自己紹介を始める。

 

 

 

 

 

「ICPOの特別顧問をしています、ルシア・クラークと申します。どうぞよろしく」

 

 

 

 

 

差し出された彼女の手を払うことなんてできず、神楽坂は緊張した面持ちで握手に応じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お互い顔を初めて合わせた者同士。

 

視線に警戒が含まれていることに気が付いたのだろう、白髪の女、ルシアは握手を終えた両手をヒラヒラと上に上げた。

 

 

 

 

 

「――――まず、お互い下手な隠し事は無しにしましょう。前提として、“異能”、非科学的な才能の存在について、お互いに認識している。これに間違いはないですね?」

 

「っっ……」

 

 

 

 

 

ルシアからの問いかけに、神楽坂は慌てて周囲を窺うが、周りの人間はこちらの会話が聞こえていないのか、それぞれの会話に戻っている。

 

神楽坂の様子をクスリと笑ったルシアは、安心させるように話す。

 

 

 

 

 

「安心してください、周りの人間に私達の話が漏れることはありません。隠し事なども気にせずお話しされて良いですよ」

 

「……何が目的だ」

 

 

 

 

 

多くは無いが決して少なくはない周囲の人々に一切漏れないと言うのはほぼあり得るようなことではない。

 

ここまで確信を持って言うとすれば、それ相応の根拠がある筈で。

 

 

 

つまり、彼らは自分達の異能の力を誇示しているに等しいものを口にした。

 

 

 

 

 

「貴方が持つ戦力に興味があるのですよ。我々ですら中々捕らえられなかった、あの“千手”を捕まえた貴方が持つ力に」

 

「戦力ね……悪いが話せるようなことは何もないな。実際、俺はこうして死にかけてギリギリで捕まえた訳で、アイツの妙な力をどうこうする力は持っちゃいない。捕まえられたのは本当に偶然、運が良かっただけだろう」

 

「ははは、御冗談を。アレを偶々運よく捕まえた? 私達をあまり甘く見ないでください。私達だって何度も取り逃しているのですから、それなりにアレの凶悪さについては分かっているつもりですよ……アレを個人で捕らえるのは不可能に近い、ですから、貴方はほぼ確実に、いくつかのコネクションを持っていると思っていましたが……その考えは正しかったようですね」

 

 

 

 

 

そこまで言って、ルシアは飛鳥へと視線を向けて笑みを消す。

 

眼鏡の奥から覗く蒼い瞳が冷たさを増す。

 

そこに浮かぶのは、何かを計算する数学者の様な色だ。

 

 

 

 

 

「我々に協力をしてくれた場合、対価を払いましょう。貴方にとって非常に欲しいであろう情報を、こちらも貴方に提示する準備があります」

 

「対価……」

 

「数年前、この国を支配し活動していた貴方が追い求める異能持ち、“白き神”についての情報を」

 

「…………は?」

 

「……おや?」

 

 

 

 

 

話が嚙み合わず、お互いに不可解なものを見るような顔になった2人であったが、後ろでピリピリと神経を尖らせていた飛鳥が口をはさむ。

 

 

 

 

 

「“白き神”? 以前裏で支配していたのは“顔の無い巨人”ですけど?」

 

「おや、御存じありませんか? 今、“顔の無い巨人”は“白き神”を名乗って国外で暗躍しているのです。まあ、元々“顔の無い巨人”は本人が名乗っていた訳では無く一般大衆から呼ばれ出したものですからね。奴が気に入らない可能性も充分ありました」

 

「…………あの人は、今、国外に……?」

 

「い、いやいやいや、待てっ! 俺がなんでそいつを追っていると思ったのかは知らないが、俺は別に“顔の無い巨人”とやらを追っている訳じゃないぞ!? 俺が追っているのはっ…………今も詳細が分からない、狂った異能持ちだ。その“顔の無い巨人”とやらでも、“白き神”とやらでもない」

 

 

 

「分からない人ですね。貴方の同僚を殺害し、婚約者を事故に合せ、当時の貴方がたが追っていた『薬師寺銀行強盗事件』を引き起こしたのが、“白き神”だと言っているんです」

 

 

 

 

 

ルシアの言葉に息を呑んだのは2人同時。

 

先に話を理解したのは、飛鳥だった。

 

 

 

 

 

「……つまりなんですか? 貴方が言いたいのは、“顔の無い巨人”は先輩の同僚や恋人に危害を加え、今も国外で悪事を働いていると? そんな妄言を本気で言っているんですか?」

 

 

 

 

 

彼女にとって到底受け入れられない彼らの情報。

 

額に青筋を立てて、無意識の内に異能の出力を上げた飛鳥の前に褐色肌の男が立ちふさがった。

 

 

 

 

 

「back off(下がれ)、飛禅飛鳥」

 

 

 

 

 

冷たく言い放たれた言葉と共に、鋭く怜悧な視線を浴びせられ、飛鳥はその場で足を止める。

 

目に見える形では何もないが、立ち塞がった男は間違いなく飛鳥の同類、異能持ちだ。

 

 

 

苛立ち混じりにルシア達を睨み付けた飛鳥を、神楽坂は制止する。

 

 

 

 

 

「落ち着け飛禅。まだ何も話を聞けていない、感情に任せたところで事態は好転しないだろう。普段飄々としてるお前らしくもない」

 

「…………すいません先輩」

 

「で? その俺の持っている戦力を知ってアンタらは何がしたいんだ? “白き神”とやらの情報は確かに俺にとっては必要な情報だが、アンタらの目的を知らんことには肯定も否定も出来ん」

 

「おや、それは失礼しました」

 

 

 

 

 

当然把握していると思っていた情報を持っていなかったことに対する失望か、感情的になった飛鳥に対する侮蔑かは分からない。

 

だが、ルシアの視線が、若干価値が無い者を見るような色になっていることに神楽坂は気が付く。

 

 

 

 

 

(いや、この場合不相応な評価をされている方が苦労する。価値が無いと思ってもらえるならその方が良いか――――)

 

 

 

「私達の目的は、“千手”の然るべき場所への護送。及び、最近この国で再び活動を活発化させている“白き神”のトリガー……活動手段を破壊することです」

 

「――――なんだと?」

 

 

 

 

 

神楽坂の声に憎悪が宿る。

 

 

 

アイツが。

 

もしルシアの言っている内容が真実ならば。

 

恩人を死に追いやり、恋人を植物状態へと陥れた奴が、またこの国で活動している。

 

 

 

――――あの悲劇が、またどこかで起きているかもしれない。

 

 

 

熱くなりかけた頭を冷やすように大きく息を吐いた神楽坂は、冷静になるよう努め、不安げな様子の飛鳥を見る。

 

 

 

 

 

(落ち着け馬鹿野郎。また一人で暴走すれば、飛禅や相坂少年、それに佐取はどうなる。また昔と同じように、良いように遊ばれて終わりだ。迎え撃つ態勢が万全ならともかく、情報共有もまともになっていない今、俺一人が感情に流されれば迷惑しか掛けないだろう)

 

 

 

 

 

そこまで考えて、ルシアを見据える。

 

 

 

 

 

「……俺の戦力を測ろうって言うのは、その協力をしてほしいからってことか?」

 

「ええ。こちらも“白き神”には手を焼いている……いえ、違いますね。現在、我々の目下最大の敵は“顔の無い巨人”改め“白き神”。世界最悪の異能持ちとどのような経緯であったとしても、一度奴とやり合っている貴方の協力があれば頼もしい、そう思ったのですが……」

 

 

 

 

 

そう言って失笑したルシアは、肩を竦めて口を閉ざす。

 

予想以上に、想定以下だった。

 

そう言わんばかりの彼女の態度は業腹だが、神楽坂はさして気にした風も無く神妙に頷いた。

 

 

 

 

 

「なるほど事情は分かった――――だが、協力は出来ない」

 

「……その理由は?」

 

 

 

 

 

無感情に理由を問われ、すぐに出した結論を答える。

 

 

 

 

 

「見ての通り俺らは今、“千手”との闘いでできた傷が治っちゃいない。ICPOが手を焼いている相手をこの状況で相手取れると思う程、俺は思いあがっちゃいない。悪いが他を当たってくれ。もっとも、アンタ個人としても俺らの協力なんて必要ないと思っているようだが」

 

「なるほど、分かりました。それらしい理由を答えてくれて私の立場としては助かります。それで、貴方が持つ戦力はその隣にいらっしゃる女性の方だけと言う認識で構いませんか?」

 

「ああ、そうだ。柿崎なんかは同期でそれなりに連絡を取ることもあるが、“千手”を捕らえるのに協力してくれたのはコイツだけだ」

 

「……ふむ、“千手”が今なお脱走をしていない理由は何かしらの不調が関係しているかもしれませんね。まあ、この後“千手”に直接聞くとします」

 

 

 

 

 

提案を断られたとは思えない軽々しい態度で、ルシアは自分を守るように立つ褐色肌の若い男と髭を軽く伸ばした中年くらいの男に目配せさせた。

 

話は終わり、そう言うかのように、何の心残りも無いように踵を返したルシア達を、神楽坂は呼び止めた。

 

 

 

 

 

「一つだけ教えてくれ」

 

「“白き神”の情報は貴方が協力しないのであれば教えることは出来ません。不用意に私達が持つ情報を共有して、貴方が何かしらのへまをして奴に気取られたくないですから」

 

「いや……“白き神”を名乗る前。“顔の無い巨人”と呼ばれた異能持ちは一体何をやらかしたんだ? こっちではそんな情報何も知らされていなくてな。警戒するにしても出来ないんだ。基本的なその部分を教えてくれ」

 

「三年前のあれを知らない? ……ふっ、なるほど。本当にこの国は異能の危険性に対しての認識が遅れている」

 

 

 

 

 

“顔の無い巨人”は。

 

 

 

そう言葉を繋いだルシアは若干血の気を失った唇を震わせて、神楽坂を見る。

 

 

 

 

 

「……一度、完全に世界を支配した、他人の精神に干渉する系統の異能持ち。ある日突然、顔も名前も記憶も同じ別人が何人も作り出されました、いえ、作り替えられたと言う方が適切ですか。昨日までの人間と顔も体が同じでも、別の思考を持つ別人が世界に溢れかえった。誰も奴の存在に気が付けず、誰も奴の浸食を止められなかった。ICPOが推定している被害者の数は――――およそ10億人。地球上の10億人の人間が同時に、奴の手に掛かり洗脳された暗黒の三半期。それこそが、三年前に起きた『三半期の夢幻世界』の真相で、今なお、世界最悪の異能持ちと呼ばれる“顔の無い巨人”の正体です」

 

 

 

 

 

神楽坂の思考は停止した。

 

想像をはるかに超えた、理解不能な事件の詳細に総毛立つ。

 

 

 

それはこれまで見て来たあらゆる異能持ちと比べて、あまりにも規模が違う。

 

 

 

 

 

「じゅっ……10億っ……!? ま、待て……話が壮大すぎて理解が追い付かないっ! ……なんだ、それ……? そんな怪物的な異能持ちがこの世にいるのか……?」

 

「ええ、にわかには信じられませんが、その化け物はこの世に存在します。支配に飽きたのか、継続するだけの出力を維持できなかったのかは定かではありませんが、現在世界は以前の状態に戻っています。現在のICPOが何としても捕らえたい最大の犯罪者は奴です。……協力関係にはなれませんでしたが、貴方がたも充分気を付けてください。隣にいる人間が、昨日までと同じだとは思わないように」

 

 

 

 

 

それだけ言うと、ルシア達は今度こそ神楽坂達に背中を向けて去っていく。

 

振り返り、扉に向かって足を進め、『自分達の真後ろに立っていた少女の姿』がまるで見えていないかのように去っていく。

 

 

 

同じ異能持ちである筈の彼らは一瞥すらすることなく、『少女』の横を通り過ぎる。

 

 

 

路傍の石を見るような目で彼らを見ていた『佐取燐香』は、自分に気が付いた神楽坂と飛鳥に気が付いて、はにかみながら手を振った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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歪んだ精神性

 

 

 

そこは日本ではない、どこか別の国。

 

人通りの少ない早朝、道路の端の公衆電話の近くにそれはいた。

 

 

 

 

 

「君の言い分も分かるがね。まさか、“千手”が捕まるとは想像もしていなかったんだ。我々としても想定外の事が起きた、あれほどの制圧能力を持つ彼がまともに正面から不覚を取られたとはどうしても思えない。これ以上貴重な異能持ちを無駄に浪費なんてできないからこそ、直接手を下す必要のない君に、こうしてお願いをしているんだ」

 

「だからぁ、僕が言っているのはそう言う話じゃなくて、異能の秘匿をしっかりとやってくれって話なんだよね。アンタらが人工異能を作り出す技術を確立させるのは勝手だけど、異能の認知が進んで僕らに良い事なんて1つも無いんだから。不用意に映像に残されるのも、異能の痕跡を盛大に残すのも、どっちも秘匿する意思があったらあり得ないだろう? 育てた子飼いの異能持ちくらいちゃんと管理してくれよ、まったく……お得意様じゃなければ敵と見なしてるよ」

 

 

 

 

 

初老の女性が、受話器がぶら下がった公衆電話の外に立って、受話器からの声と会話している。

 

杖を突いている老人とは思えないほど、張りのある声は侮蔑に満ちていて、電話先の誰かを嘲笑っている。

 

だが、それを気にした風も無く、電話先の相手の声に陰りは無く、むしろこの初老の女性に敬意を払っているようにも聞こえる。

 

 

 

 

 

「そうだな、確かに『異能持ちが支配する世界を構築する』……“千手”にはそう言っていたのだった。最終的に異能持ちが世界を支配すると言ってしまえば、今異能の存在が明るみに出ようが問題ないと誤解する可能性があるのを見過ごしていた。私のミスだ」

 

「まっ、どうせ後手後手の捜査ばかりのICPOと、超常的な力の存在を受け入れない日本政府なんて、僕の敵じゃないんだ。多少の擦れ違いはあったけれど、ミスを認めて次の報酬に色を付けてくれるなら、僕から言うことは特にないさ」

 

「流石は“顔の無い巨人”。国際警察と先進国である日本を相手にして敵じゃないとは、言うことが違うな……いや、今は“白き神”と呼んだ方が良いのか?」

 

「……そうだなぁ、僕としては後者が気に入ってるんだ。名乗っているのに中々浸透しないのは、流石に腹が立ってくる」

 

 

 

 

 

嘆息しながら初老の女性は子供のように、腹立たし気に杖で地面を叩く。

 

初老の女性の歳に見合わぬ行動に何を言う訳でもなく、電話先の相手は要件を告げる。

 

 

 

 

 

「ならば、“白き神”。無事私の依頼を成し遂げたなら、報酬はこれまでのものに桁を1つ追加しよう。今はICPOの異能担当が日本にいる筈だ。奴らよりも早く頼むぞ」

 

「ひゅー、随分豪勢だなぁ」

 

「異能持ちの価値はそれ以上と言うことだ。確実な成功を」

 

「まあ任せてよ。丁度あの国には面白い仕掛けも残してる。全部出し抜いて、アンタの依頼を成功させるさ」

 

 

 

 

 

そう意気込んでいた女性に、「……それと」と言って電話先の男は女性の出鼻を挫き告げる。

 

 

 

 

 

「日本にいるある存在を私は非常に危険視している。もしも、自分よりも格上だと感じる相手と出会った際は、その情報を持って帰ってきてくれるだけで良い。それだけで報酬を払おう。絶対に行き過ぎた行為をするな」

 

「……世界最悪の異能持ちと言われる僕にそれを言うの?」

 

「“顔の無い巨人”を名乗っている誰かを、その存在が許すのか分からない。絶対に下手な刺激をせずに終わらせろ。私としては、あの国の支配は諦めても良いんだ」

 

「僕がっ、嘘を言っているって言うのかっ……!?」

 

「君が優秀な『他人を掌握する力』を持っているのは理解している。君自身の力は認めている。話はそれだけだ、良い報告を待つ」

 

 

 

 

 

それだけを告げると、電話先の男は激昂する女性を無視して会話を打ち切る。

 

ブツリッ、と音がして、通話が切られた電話機を憎々し気に睨み付けた初老の女性は、凄まじい形相で歯軋りをして――――

 

 

 

 

 

「おばあちゃん?」

 

「――――」

 

 

 

 

 

金髪の、どこか初老の女性に似た面影を持つ幼い女の子に声を掛けられて、ピタリと体を制止させた。

 

振り返り、まるでゴミを見るような目で幼い女の子を視界に収めた初老の女性は能面のような無表情を作る。

 

普段の優しい初老の女性なら絶対に作らない表情に、幼い少女は怯えて身を竦ませた。

 

 

 

 

 

「お、おばあちゃん、誰かと喋ってたの……?」

 

「――――誰とも喋ってないよ。こんな朝早くにどうしたの、お母さんかお父さんは付き添ってないのかい?」

 

 

 

 

 

くしゃり、と無表情だった初老の女性の表情が優し気に崩れる。

 

これまで電話していた初老の女性とは別人の様な彼女の様子は、幼い少女にとっては見慣れたものだったのか、ぱぁっ、と顔を輝かせた彼女はいつも通りの祖母の手を取って、一緒にいる母親の元へと引っ張っていく。

 

 

 

その場に残ったのは、受話器が落ちた公衆電話だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拍子抜け。

 

今の私の心情を表すならそんなものだろうか。

 

ぼんやりと私が見る先にいるのは、助けを求めた神楽坂さん達と、見たこともないスーツ姿の男女が向かい合う姿。

 

友好的、とまでは行かなくとも敵意をぶつけることも無く話を続けている様子を見れば、そこまで緊張感あふれる場面ではないことはすぐ分かった。

 

 

 

あれ、と思ったのも束の間。

 

話の途中だったため前後は分からないが、彼らがこの街に来ている異能持ちについて話している事に気が付いた。

 

前に遭遇した同系統の異能持ちについて、だと思われる。

 

その話は私もとっても興味があった。

 

 

 

意識外に自分を持って行っているから気が付かれることは無いものの。

 

盗み聞きするなんて……とは思いながら、私は神楽坂さん達の話し相手の背後でこっそり、しっかりと聞き耳を立てる。

 

 

 

 

 

「――――協力関係にはなれませんでしたが、貴方がたも充分気を付けてください。隣にいる人間が、昨日までと同じだとは思わないように」

 

 

 

(……あれ、もう話が終わった?)

 

 

 

 

 

見ると、それではと言って神楽坂さん達に背を向けて去っていく見知らぬ人達の姿がある。

 

 

 

 

 

(“白き神”の事を話してそうだったけど、全然状況がつかめなかった…あの人達から無理やり情報を絞り出すべきだったり……いや、流石に……)

 

 

 

 

 

そうやって、少しだけ立ち去っていく話し相手達から情報を奪うべきか迷ったが、止めておいた。

 

彼らは見たところ、何か悪いことをやっている犯罪者ではない。

 

神楽坂さん達がそこまで敵対関係になかったのだ、私が変に介入して関係を悪化させるのは避けたいし、きっと神楽坂さん達もそれは望まないだろう。

 

何があったのか神楽坂さん達に聞いてからでも遅くはない。

 

 

 

私がそう結論付けていると、神楽坂さん達の視線が私で固定された。

 

異能の除外対象に彼らを入れていたのだと気が付いて、気まずさを隠すように手を振っておく。

 

 

 

 

 

「…………佐取、ビックリするからそういうの止めてくれ」

 

「そ、そういうのって、神楽坂さんが非常時だって私を呼んだんじゃないですかっ」

 

 

 

 

 

話し相手だった人達が完全にこの場を去ったのを確認して、神楽坂さんが脱力しながらそんなことを言ってくる。

 

 

 

「私本気で心配してたんです!」なんて言ってみるが、神楽坂さんどころか、飛禅さんも変な顔をして私を見ている。

 

おかしい、私が“顔の無い巨人”とかの変な名称で呼ばれていた存在だったかもしれないなんて彼らには言っていないし、おかしな事も特にやっていないのにこの反応は何なのだろう。

 

 

 

 

 

「あー……すまん。さっきの奴らはICPO、つまり国際警察だ。なんでも、異能を専門に取り扱う部署の人間らしいんだが、“千手”の確認とかをするためにここに来たらしい」

 

「ていうか、メールしてから来るの早すぎない? 学生の癖にどんだけ暇なの? 友達とかちゃんと作った方が良いんじゃない?」

 

 

 

「私の心配返してもらえます!?」

 

 

 

 

 

図星を突かれた私の悲鳴のような叫びが響く。

 

 

 

いや、分かる。

 

確かに目的も分からない世界的な組織の人が来たら連絡の1つも入れておくのが普通だし、私が考案したあの暗号に当て嵌めるなら、敵味方不明で緊急を要する状態なのだからパイナップルで正しい。

 

神楽坂さんの対応に間違いはない、改めるべき点はもっと状況が分かりやすい暗号を作らなかった私の落ち度だ。

 

 

 

でもそれとこれは別である。

 

私だって私生活を放り出してここまで来たのだ、感謝はされても貶されるのは許せない。

 

と言うか、よりにもよって友達を作れとか言ってくる奴を許したくない。

 

特に、飛禅とか言う女は絶対に許さない。

 

 

 

 

 

「わ、私だって家事とかその他もろもろ投げうってここまで来たのにっ、もうっ、帰ります! 何事も無くて良かったですね!」

 

「あ、ちょっと待って。お見舞いの果物とかは持ってきてない? 病院食じゃ物足りなくて」

 

「面の皮厚すぎませんっ!? 何ですか飛禅さん貴方、腹ペコキャラなんですか!?」

 

 

 

 

 

一応持ってきておいた林檎を飛禅さんに投げ付ければ、彼女は目を輝かせてそれをキャッチし、いそいそと懐に仕舞い込んだ。

 

ここまで食い意地を張った奴は初めて見た、食べ盛りの妹でももう少し品がある。

 

 

 

怒り心頭の私の様子を見た神楽坂さんはバツの悪そうな顔で頬を掻く。

 

 

 

 

 

「いや、本当に。駆け付けてくれてありがたかった。これでもし彼らと敵対していたら、間違いなく俺達だけだとどうにもならなかったからな。結果的には何もなかったが、佐取が居てくれたと言うだけで安心感が違う」

 

「……そ、そんな誤魔化しで通用すると思わないでくださいね」

 

「誤魔化している訳じゃないさ。それにメールを入れてからここまで来るのも早かった。よっぽど気にしてくれたんだろう、ありがとな。それに、ここまで来るのに階段を使う必要がある。これだけ早かったと言うことは、俺が言ったトレーニングもしているんだろ?」

 

「……時間がある時に、ランニングとか筋トレとかはしてます」

 

「口先だけじゃなくちゃんと行動に移せるのは立派だ、継続すれば結果は付いてくる。これからも頑張れよ」

 

「えへへへ」

 

 

 

「……盲目的なのはお互いでしたか。私の心配は杞憂かな、これ」

 

 

 

 

 

腹ペコキャラが何か言っているが、そんな言葉が耳に入らないくらい気分が良い。

 

努力を誉められるのは良いものだ。

 

最近は1キロくらいの軽いランニングならなんとかやれるし、筋トレの回数も最初に比べれば10回以上増えた。

 

全て私の努力の成果である、素晴らしい頑張りだ私。

 

家事をやりながら、勉強もして、それでいて運動もするなんて普通出来るものでは無い。

 

 

 

 

 

「……ところで、いくつか確認したいことがあるんだが、いいか?」

 

「へ? あ、はい」

 

 

 

 

 

どうやら褒め褒めタイムは終わってしまったらしい。

 

 

 

 

 

「その、佐取は他人の精神に干渉できる力を持っているが……同時に干渉できるのは何人だ?」

 

「と、突然ですね。えっと……?」

 

 

 

 

 

私的にはもう少し褒めて欲しかったが、神楽坂さん的にはこっちの話も重要なようで、難しい顔で私の返答を待っている。

 

先ほどの三人組と争う事態になった時の前準備として欲しい情報なのだろうか。

 

神楽坂さんが抱いているのは、期待と不安と緊張感……?

 

よく分からないが、相手が神楽坂さんなので正直に答えておく。

 

 

 

 

 

「んー、と。私の異能は半径500m範囲を円状に広がっていて、その範囲なら読心や思考の誘導は可能です。対象の特定は目視が確実ですが、まあ見えなくても知っている人物なら判別は可能です。同時干渉は程度に寄りますけど……神楽坂さんに見せた“千手”の末期状態程となると、同時だと出来て5人ですかね……あ、制限を掛ける程度ならもっと行けますよ。そんな感じですけど……欲しい情報はこれで大丈夫ですか?」

 

「だよ、な。普通はそんなものだよな……10億なんて数字馬鹿げてる」

 

「10億? 何の数字ですかそれ」

 

「……今この国で活動を再開し始めている異能持ちによる被害者の数らしいんだが……俺が知る限り一番異能の扱いが上手い佐取でその数なら、きっとこの情報は間違いだろう。悪いな、変なこと聞いて」

 

「……ふむ」

 

 

 

 

 

色んな意味で温まっていた思考を冷やして考える。

 

もしも本当にそれだけの数の被害者がいる異能持ちとなると、私が探知出来ていないことを考えればおそらく活動の中心はこの国ではないのだろう。

 

そして、10億なんて死傷者が出ていればおのずと大々的にニュースに取り上げられる筈で、それがないと言うことは、私と同じ精神干渉系の異能の可能性が高い。

 

なによりも、今神楽坂さんからこの話が出てきたことを考えると、ICPOと話していた“白き神”を名乗る異能持ちの話であると思われる。

 

 

 

以前私が奴と遭遇した時。

 

異能の操り人形ならぬ操り人間を通した形での接触だったため、相手の出力は測り切れなかったが、確かに国を跨いで干渉できるなら危険度は高そうだ。

 

しかしそれだけの出力を持つ奴が今までこの国で活動してこなかったのは少しおかしい。

 

異能の出力が国を跨いで効果を及ぼすのなら、もっと大々的で、もっと凶悪なことをやれてないとおかしいのだ。

 

 

 

つまり。

 

 

 

 

 

(……何かカラクリがありますね)

 

 

 

 

 

何も馬鹿正直に出力を放出するだけが効果を及ぼす方法ではない。

 

もっと効率的なやり方はあるし、工夫1つで効果を増大させるやり方もある。

 

与えられた異能と言う手札をそのまま鈍器として使うのなら、猿にだって出来るのだ。

 

 

 

 

 

「もう1つ、ここ最近周囲で異能を感知することは無かったか?」

 

「…………ありましたね。恐らくアレは、私と同じ精神干渉系の異能だと思います」

 

「……ICPOの情報は正しいのか、くそっ……」

 

 

 

 

 

焦りと憎悪が孕んだ神楽坂さんの言葉に、私は思わず目を剥いた。

 

あの神楽坂さんが、あの善人を形にしたような神楽坂さんが隠し切れない憎悪を抱いていることに驚愕した。

 

……いや、もしもあの異能持ちが過去に神楽坂さんの先輩と恋人を手に掛けているなら、その情報をICPOにもたらされたのなら、当然か。

 

 

 

 

 

「ま、待って下さいっ」

 

 

 

 

 

どこか焦りを含んだ声で私達の会話に割って入ったのは腹ペコさんだ。

 

 

 

 

 

「あの人はっ、神楽坂先輩の先輩や恋人を意味も無く手に掛けるような人ではありませんっ……! あの人はそんな非道なことをする人じゃ……」

 

 

 

 

 

無いんです……、なんて、最後は聞こえないくらい小さな声でそう言った飛禅さんの様子に、私も神楽坂さんも驚いてしまう。

 

あの不遜で我儘で自己中心的を形にしたような飛禅さんが、こんなに弱弱しい態度になってしまうのは想像もしていなかった。

 

 

 

 

 

「きっと何かの間違いで……あの人達の情報が間違っていて……」

 

 

 

 

 

縋るようにそんな仮定を口にする飛禅さんに困ってしまう。

 

よく状況が分からないが、飛禅さんが前に話していた自分を救ってくれていた存在について言っているようだ。

 

 

 

……なるほど、今話題に出ていた、あの“白き神”を名乗っていた奴が“顔の無い巨人”でもあると言う情報を与えられたのだろう。

 

 

 

恐らく私の暗黒時代にやらかしたことの1つだと思っていたのだが、異能を通して見たせいで人相とかは何も分かっていない為全く確証がない。

 

しかも、子供時代の彼女を救ったのが本当に私だったとしても、彼女が抱いている物騒な感情を思えば、自分が助けた存在だとは非常に言い出しにくいため、彼女と事実確認もできやしない。

 

 

 

『顔の無い巨人』とやらが私だと確定した訳ではないのだ。

 

それに、飛禅さんを助けたのが『顔の無い巨人』だとも確定していない。

 

不安定かつ不安要素ばかりのこの状況で、変に石を投げ込みたくない。

 

つまり、ここで私が取るべき行動は無言で傍観することになる。

 

 

神楽坂さんに視線を送れば、任せろと頷きを返してくれた。

 

 

 

 

 

「飛禅。お前を助けたそいつがどんな奴だったのか俺達には分からない。顔の無い巨人とやらがどんな存在なのかも俺はまだよく分かっちゃいないし、ICPOの情報が全部正しいわけじゃないとも思う。けど、今この地域に悪意を持って異能を扱う奴がいるかもしれないって言うことは確定している。色々と思うところはあるだろうが、被害者が出ないようICPOの捜査が上手くいくことを祈ろう」

 

「……」

 

「それに、俺はともかく、お前の怪我だって軽いものじゃないんだ。大人しくしておくのは苦痛かもしれないが、いざと言う時に怪我が再発なんて笑えないだろ?」

 

「…………はい」

 

 

 

 

 

微妙に錯乱状態にあった飛禅さんをそう諫めて、神楽坂さんは何かを悩む様に視線を彷徨わせつつ私を見た。

 

 

 

 

 

「……すまん佐取。頼みがある」

 

「はい」

 

 

 

 

 

真面目な様子。

 

後輩をしっかりと抑えて見せた神楽坂さんに感心しながら、神楽坂さんの頼みを聞くために、しっかりと体の向きを整えた。

 

 

 

 

 

「……前に、俺の過去の境遇について、佐取には少し話したと思う。非科学的な力があるとか、魔法や呪術があるとかそんなことを言って、警察内での俺の立場は良くないと言う話をしたと思う」

 

「そうですね、そういう話は聞いたと思います。発端となった事件とかは、後回しにされて聞いてなかったですけど」

 

「そうだ。それで、さっきICPOの人達と話して、発端となった事件を起こしたのが“白き神”と言う異能持ちだと知ったんだ……確証を俺が持っている訳じゃないが、ICPOの人達は断言していた」

 

「……なるほど。“白き神”ですか」

 

 

 

 

 

この前の、遊里さん達を巻き込んだ宗教組織に深く関わっていた人物。

 

出力元を辿った結果、海外にいるとは分かったが仕留めきれなかったそいつの情報を、神楽坂さんも手に入れていたらしい。

 

 

 

実は私が手に入れた神楽坂さんの過去に関係しそうな異能持ちの情報は、まだ彼に話していなかった。

 

だって、私はまだ神楽坂さんに過去の事件について話をされていないし、偶々こういう情報を手に入れたと神楽坂さんに言っても、彼からすれば私が勝手に神楽坂さんから情報を抜き取ったと思われかねない。

 

信頼関係を続けるためにも、それは避けたかった。

 

 

 

だから、神楽坂さんから過去の話を聞くまでは保留としていた訳だが、どうやら事情が変わったようだ。

 

 

 

 

 

「俺の先輩と恋人に手を掛けた奴を俺は許せない……だが、見境なしに動けるほど、俺に力がある訳じゃないのはもう何度も思い知った。万全の状態でもそれなら、この怪我の状態じゃどうにもならない。だから、再びこの国で活動を開始している“白き神”とやらの逮捕の協力願いを断ったんだが……」

 

 

 

 

 

そこまで言って口を噤んだ神楽坂さんの意思を読み取って、私は頷く。

 

 

 

 

 

「またこの国で活動を開始したその犯人を野放しには出来ない。ICPOの実力も分からない。だから、彼らICPOの補助、若しくは様子を私に見て欲しい。そういう感じですか」

 

「…………そうだ。今俺と飛禅は怪我でまともに動けない。だから、どうしても佐取に頼らざるを得なくなる。もちろん嫌なら断ってもらっていいし、無理に逮捕まで持って行かなくても軽く様子を見るだけでも良い。今回の相手もICPOが動くほどの大物で、過去にとんでもないことをやらかしている可能性もある。碌にサポートも出来ず、相手の情報も分からない状態で佐取に頼るなんて間違っているなんて分かってる。だから――――」

 

 

 

「まったく、神楽坂さんは心配性ですね」

 

 

 

 

 

本当なら自分の大切な人達を弄んだ犯人を自分が捕まえたいのにそれが出来ない。

 

それでも自分の感情のままに動くことなんて出来ない、それで色んな大切なものを失ってきた経験があるから、今更そんなことは出来ないのだ。

 

苦しくて、苦しくて、それでも、必死に最善を探す神楽坂さん。

 

その結果、年下で、非力な女子で、守るべき立場の子供に頼るしかない。

 

私を頼るしかないのだ。

 

 

 

少し前の私なら、こんなお願いされても物凄く嫌な顔をして断ったかもしれない。

 

そんなことを思うような頼みだけれど、なぜだか今の私は無性に嬉しくて仕方なかった。

 

 

 

 

 

「“顔の無い巨人”? “白き神”? 随分大層な名前ですね」

 

 

 

 

 

 

 

我ながら性格が悪いと思う、これまでないほどやる気が湧いてくる。

 

キラキラと目が輝いているのではと思う程高ぶっている感情がそのまま顔に出ていたのだろう、神楽坂さんと飛禅さんは私の顔を見て表情を引き攣らせた。

 

 

 

 

 

「驕り高ぶったその異能持ちの自尊心を、私が足から掬ってやりますとも」

 

 

 

 

 

だから安心していてください、なんて。

 

柄にもない事を私は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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向けられる矛先

日本語の会話を「」、外国語を話している際は『』の表記で区別させますのでご了承ください!


 

 

 

 

 

『薬師寺銀行強盗事件』。

日本犯罪史に残る、かの有名な未解決事件が起きたのはもう数年も前の事である。

 

被害総額100億円。

事件は当時資金の調整のためにほんの一日だけ、経由場所である薬師寺銀行に巨額の紙幣を集めていた時に起きた。

当然世間にも、関係者内でも紙幣が集められたのを知る者はごく僅かで、狙いすましたかのようにその日の警備が一番手薄になる時間帯を、覆面を被った複数の人間が襲い掛かってくるなど誰もが考えもしなかった。

強盗事件が発生した時の死者は12人にも上り、犯人一行は複数台の車両を使用しバラバラに逃走。

車両を変え、移動手段を変え、慎重に身体特徴を隠した犯人達の行方を追うのは至難を極め、事件は当時大々的に報道されるに至った。

状況が変わったのは事件発生から2週間が経過した頃の事だ。

 

強盗事件に関わった犯人の死体が次々と発見された。

 

ある者は自殺、ある者は事故、ある者は強盗事件の別の犯人とお互いを。

いつの間にか誰一人として逮捕される前に、強盗事件を起こした犯人達は全員命を落としていた。

因果応報、欲望に駆られ他人を傷付けた報いが本人達に返って来たのだと、最初こそ言われ、綺麗に終息はしなかったものの、事件に関わった犯人達はいなくなり、この事件は終わりに向かうと思われた。

 

だが、結論を言うと、この事件は解決しなかった。

 

金だ。

奪われた紙幣、100億もの大金がどこにも見つからなかった。

死亡した彼らの家や預金にもそれらしきものはなく、彼らの行動を洗い出してみるも何処にも金が流れるような関わりがある場所が無い。

1年ほど続いた事件の捜査だったが、結局100億は見つからないまま、捜査は終了することとなった。

 

被害品が見つからない。

犯人を逮捕することが出来ない。

死亡した犯人達の裏に本当の黒幕がいるのかもさえ、分からなかった。

 

こうして、多くの謎を残した『薬師寺銀行強盗事件』は有名な未解決事件として名を残すこととなったのだ。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

「……ふむ、なるほど。これは神楽坂さんが言っていた通りの内容ですね」

 

 

 

次の日、私は図書館に立ち寄り、過去の『薬師寺銀行強盗事件』に関わる新聞記事をいくつか印字して持ち帰っていた。

 

『薬師寺銀行強盗事件』と言えば、昔世間を騒がせた怪事件だが、これを神楽坂さんが追っていたとは思わなかった。

この事件こそが神楽坂さんのトラウマを生み出した事件の発端であり、異能と言う超常現象を追い始める切っ掛けとなった出来事。

この事件の黒幕が神楽坂さんの先輩や恋人を手に掛けた異能持ちであり、ICPOの情報が正しければ、今は“白き神”を名乗る存在であるらしい。

まずは地道な情報収集から、と考えて、こうして過去の新聞記事を搔き集めたものの、中々に興味深い。

 

一見、異能が関わっている事件なら普通の新聞記事を見ても意味が無いように思えるが、逆に異能と言う前情報がある状態で普通の記事を見ると面白いものが見えてきたりする。

そもそも、何の調査もせずに姿の見えない敵と追い掛けっこをするのはあまりに効率が悪いのだから、入りとしてこういう記事を集めるのは個人的には悪い手ではないと思っている。

 

 

(まあ、本当に世界を股にかけられる程の異能持ちの犯罪者なら、まともにやり合うのは避けるべき。この前会った人物が、そんな世界規模な器には見えなかったけど……油断はするべきじゃない)

 

 

そう考え、私は新聞記事の内容からこの事件のおかしな点を数えてみる。

最初に、犯人が特定の日に大金が薬師寺銀行に集まると言う情報を持っていた事。

次に、逃走経路などは綿密に練られているのにあまりに協調性がない実行犯達。

次に、実行犯全員が何らかの理由で命を落としている事。

最後に、盗まれた金銭が一切見つかっていない事。

 

確かにこれらの要素を満たす変数Xの存在があるとするなら、洗脳系統の異能持ちが最適に見える。

そして、同じ精神干渉系統の私の異能との比較と共に、過去に実際に目にした感じからあの異能の詳細を予測していくと、“白き神”とやらの具体的な形が見えてくる。

 

読心というよりも記憶ごと覗き見てその人から情報を搾り取る力。

洗脳を施した人間を容易く切り捨て、自分の利益だけを追求する人間性。

実行犯達のバラバラな出身や経歴から、一度の異能の行使で彼ら全てを洗脳したわけではない事。

そして、異能持ち本人が近場に来ることなく、次々に関わりのない人々を洗脳する技術。

 

――――恐らくアレは、私の異能とは異なり、他人の精神に寄生し肉体の主導権を奪うことを得意とした異能だろう。

 

私はそんな風に当たりを付けた。

 

 

「まあ、まだデータから見た推測の域を出ませんから、こうだろうと思考を固くしない様にしないとですね」

 

 

そうやって自分に言い聞かせるように声に出す。

それで、過去のデータからの推測はこれくらいで良いとして、次に必要なのはこれから行われるであろう事件の予測。“白き神”とやらの目的を考えることだ。

 

ここに来てわざわざ日本で活動を再開するようになった目的……。

 

 

「……金が好き? 前にも100億円を奪っているのがコイツなら、また味を占めてこの国を狙ってきた? ……うーん、なんか根拠としては弱そうな気がする」

 

 

神楽坂さんが言っていたのは、“白き神”がこの国での活動を再開した、ということだけだ。

どういうことをして活動を再開したと判断したかなどは分かっていない。

少し前の宗教団体から定期的に金を集めていたようだけれど、本当にそれだけなら、もう私が根元を切ったのでこの件は解決してしまっている。

これ以上の調査は無駄足になる可能性があるが、わざわざICPOの人間がこの国に来ているなら、何かしら別の手がかりを得ている可能性もある。

 

以前“白き神”とやらと遭遇した際、奴はもうこの周りでは活動しないと言ってはいたが、経験上ああいう奴の発言は、その時心底思って口にしていたとしても信用できるものでは無い。

その時は心の底から思っていたとしても、すぐにコロリと意見を変える奴も世の中には一定数いる。

 

 

「他に、わざわざこの国に足を運んで活動することに意味があるとすれば……」

 

 

思い当たった事柄を口にしようとして、ズドンッと私の部屋に誰かが飛び込んで来た。

一緒に住み始めた遊里さん親子は慎ましい方々なのでこんなことをしない、するのは絶対桐佳だ。

 

振り返って見れば、予想通り、妹が慌てた様子で部屋に入ってきていた。

 

 

「お姉っ、今から友達が来るから絶対部屋から出てこないでね!」

 

 

開口一番ペット扱いされた気がする。

これくらいで頭に血が上っていたら、桐佳と付き合うことなんてできない。

余裕を持った姉らしく、優雅に妹をたしなめる。

 

 

「別に変なことしないよ? お茶とかお菓子とか出すし」

「良いから! ぜぇったい、出てこないで!!」

「……いやいや、本当に変なことしないし、長々と会話もするつもりないから」

「お姉が良くても私が嫌なの!」

「…………」

 

 

割とガチで傷ついた私は思わず無言になる。

 

 

「ご、ごめんなさいお姉さん……」

「そういうわけだから、部屋から出ないでね!」

 

 

それだけ言うと、後ろで申し訳なさそうにしていた遊里さんを連れて、ドタドタとリビングへ降りていってしまう。

 

酷い、完全に外に出したら恥ずかしい物扱いだ。

家庭的で、これだけ献身的に家事をしているのに。

深く心が傷付いた私は、うじうじと出かける準備を始める。

元々部屋で集められる情報など高が知れていたのだ、せっかく異能を持っているなら自分の足で歩き回った方が早い。

 

 

「ううう、なんでこんなに酷い扱いをされないといけないの……?」

 

 

元々、ICPOの人達の所在を把握したいとは思っていたのだ。

協力しようなんて気はないが、神楽坂さんが言っていたように補助が必要になる場面もあるかもしれない。

 

これはそのために出掛けるのだ。

だから決して妹に追い出される訳ではないのだ。

 

そんな言い訳をしながら、私はトボトボと階段を下りてそのまま外に繰り出した。

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

私が向かったのはICPOの人達が比較的に活動していそうな氷室警察署だ。

 

続いていた誘拐事件や殺人事件が一応の終わりを見せたからか、以前ほどピリピリした空気を纏った警察官の巡回も見当たらず、平和になったのだろうと肌で実感できる。

とは言え、あれだけ凄惨な事件が続いた後だ。

巡回している警察官の顔には疲れが見えるし、通行している一般の人も落ち着かないように周囲を見渡すことが多い。

……世間に走った見えない傷跡は、もしかしたら誰もが思うよりも深刻なのかもしれない。

そんな感想を抱きながら、私は当初の予定通り、読心をオンにして氷室警察署周りの散策を行う。

 

それから十数分程度。

ICPOの人達について情報を持っている人がいないかなーという期待しての行動だったが、中々目的の情報を持っている人が見当たらない。

前に警察署へ補導された経験があるから、心情的に出来れば長居したくないのが本音だったりするのだが思うようにいかないものである。

 

警察署の周りをクルクル歩き回っている人間なんて、基本碌な奴はいないのだから話しかけられても仕方ない部分はあると思うが、自分の事となるとちょっと怖い。

 

 

(もう一周だけしたら帰ろっかな。今のところ不審と感じている人とかいないし、不審がられたら即退散する方向で考えておけばいいし――――)

 

「あのー、どうかしたっスか? もしかしてお悩みがあったりします?」

「――――うひゃぁ!?」

 

 

予備思考無く、要するに脊髄反射に近い勢いで私に声を掛けてきた誰かにビビり散らかした私は、慌てて声の主を探すと、予想外の反応だったのだろう、キョトンとした顔で私を見詰める女性がいる。

 

若めで活発そうな雰囲気の女性。

スーツ姿で、一見警察官に見えないが、どうも彼女の思考を見る限り神楽坂さんと同じ警察官らしい。

 

 

「あ、あー、びっくりさせちゃいましたよね、すいません。私一応こんな格好ですけど警察官なんス。一ノ瀬って言うんスけど、お嬢さん何か探してるようだったので、何かあったのかなーと」

「あ、ああ、勝手に私がビックリしただけなので気にしないでください。えっと、一ノ瀬さんは、本当に警察官なんですか? 失礼かもしれませんけど、そうは見えなくて……」

「む! これでも立派な警察官っスよ!! 同期の誰よりも早く事件担当となり、この前も凶悪事件の解決の一助となった期待のエース! 一ノ瀬和美とは私の事っス!!」

「へ、へー……」

 

 

また濃い奴が現れた。

何なのだろう、警察官って飛禅さんと言い、濃い面子が集まりやすい職業なのだろうか。

ドン引きに近い状態の私の様子に気が付かないのか、一ノ瀬さんとやらは腕を組んで満足げに頷いている。

 

 

「ふふん、警察学校でこそ飛禅のアホに主席を奪われたっスが、現場ではあのアホはここの交通課から動きを見せない。私が一足飛びに活躍して、あっと言う間に警視、警視正、警視長へと駆け上がって見せるっスよ! あっはっはっは!」

「…………」

 

 

単細胞を形にしたような人を初めて見た。

まじか警察、まじか。

あの優秀な神楽坂さんを冷遇しておいて、こんなのをエースとして扱ってるのか?

正気云々じゃなくて、もう評価体制の生死を確認した方が良い気がする。

 

 

「で、で、何かお悩み事っスか? なんでもこの一ノ瀬警察官が解決しちゃいますから、気軽に相談していただけると良いっスよ!」

「あ、結構です。すいません急いでるので」

「そうでしょうとも! 私の眼に狂いはないっスから何かお悩みを……え?」

「結構ですので。それでは失礼します」

 

 

これまでいろんな人を見て来た経験が、この人と関わっても良いことは無いと言っているため、目を丸くしている一ノ瀬さんとやらを置いて、私はその場で回れ右をした。

 

 

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待つっス!?」

 

 

硬直から正気に戻った一ノ瀬さんが、立ち去ろうとしていた私に追い縋る。

 

 

「いや、もしかして不審者とか思ったかもしれませんし、展望語る上で少しテンション高くなりすぎちゃったところはありましたが、ほんと、れっきとした警察官なんス! ほらほら、ちゃんと警察手帳を見せるっスよ!? どうっスか? 良い写真写りしてるっスよ?」

「貴方がもし本当に警察官だとしても貴方にだけは相談とかしたくありません」

「辛辣っ!?」

 

 

私の言葉で一度は膝から崩れ落ちた一ノ瀬さんだったが、すぐに復帰してまた追いかけてくる。

どうやら諦める気が毛頭もないらしい、ヤバい奴に目を付けられてしまった。

 

 

「ううう、そんなぁ、変なこと言ったの謝るっスから何か相談してくださいよぉ。そろそろ何かしら活躍しないと、柿崎部長にもっとしごかれちゃうんスよぉ……迷子の犬とかの捜索でも良いんでぇ……!」

「そんなの私には関係ないです、ちょっと、着いてこないでください」

「人助けっ、人助けと思って私に相談を! どんな些細なことでも空き部屋の隅でアホみたいに口を開けて待機し続けるよりはずっと良いっスからっ!」

 

「……おい、一ノ瀬何してんだお前」

 

 

ついには自分の事情まで赤裸々に語って懇願してきた一ノ瀬さんをどうするべきか真剣に悩み始めた私の横から重々しい低い声が届く。

「ひぇ」と言って、石像のように固まった一ノ瀬さんの視線を私も追って――――声の主である鬼の様な顔をした男に、私の顔も引き攣った。

 

怖すぎる。

到底同じ人間とは思えない。

というか、筋肉の発達量がどう見てもおかしい。

人間よりも鬼と言われる方がまだ納得できる存在を初めて見た。

 

 

「テメェ……何一般人に迷惑かけてんだ?」

「ひ、ひええっ、お、鬼? 人間じゃないですよねこの人……!」

「か、か、かかかかか、柿崎さん、ここここ、これはですねっ……!」

 

 

ズンズンと近づいて来る鬼の人の威圧感に、小鹿のようにガタガタと体を震わせる一ノ瀬さんと私。

思わず身近にいたお互いの手を握り合って縮こまった私達の目前に立った。

それからその鬼は怯える私を見て、流石にこの場で叱るのはまずいと思ったようで、深いため息を吐いて燃え上がるような怒りを何とか治める。

 

 

「チッ……後で覚えておけよ」

「わ、私のせいで柿崎さんが怪我したんですし、せめて柿崎さんが動けない間、何か私もやらないとって思って……私、部屋で待機なんてできなくてっ……!」

「そういう下らない気を回すのは独り立ちしてからにしろ。はっきり言うが迷惑だ」

「っっ……」

 

 

くしゃっ、と表情が歪んだ一ノ瀬さんとそれを無視する鬼の人こと柿崎さんを見て、2人のあまりの不器用さに何か言うべきか悩んだものの、私が何か言う前に鬼の双眸が私を捉える。

 

そして、少しだけ驚いたように目を剥いた。

 

 

「お前は、あの時の」

「え? ……あ」

 

 

そこまで言われて、思い出す。

“千手”と会う前に、車の下敷きになっていた男の人を助けたことがあった。

あの時のこの人は上半身しか見えなかったし、この人の意識も朦朧としていたから、実際に立っている状態のこの鬼のような人と中々合致しなかった。

 

でも、気が付いて改めて見ると、肩幅とかめちゃくちゃ大きいあの時の人とそっくりだし、どう見ても同一人物だ。

 

 

「お、お久しぶりです……?」

「……あの時は助かった。あの時お前が居なかったら、俺はここにいない。感謝してる」

「あ、いえ、別に……何かした訳でもないですし」

 

 

到底感謝しているとは思えない仏頂面でそんな事を言うものの、鬼の人の内心もしっかりと私に感謝しているようだ。

……うん、ツンデレってこういうのを言うのだろう。

この鬼の人のツンデレなんてきっと誰も得をしないが。

 

 

「あー……コイツが何か変なことをしたなら謝る。わりィな、俺がしっかりと見ておかなきゃいけなかったんだ」

「あ、いえ。別に、そこまで変なことはされませんでしたし、あくまで私を気遣ってくれていただけですから」

「……分かった。あんまりキツくは言わねェよ」

 

 

下唇を噛んで悔しそうに俯いている一ノ瀬さんを、見た目にそぐわない優し気な感情で一瞥した鬼の人は片手に持っている杖を軽く持ち替えた。

そういえば神楽坂さん達が怪我を負った日と同じ時に車の下敷きになっていた筈なのに、なんでこの人立ってるんだと、私が足元に目をやったことに気が付いたのか、鬼の人は軽く笑う。

 

 

「足はまだ折れてるが、そこまで深刻じゃねェ。杖を使いさえすりゃあ日常生活に支障は出てない。それに、ここ数日はどうしても出勤しなきゃいけなかったから動いているだけだ。心配すんな」

「はー……警察って大変なんですね。足の骨折って直ぐ出勤しないといけないって」

「馬鹿どもが尽きない限り警察は忙しいんだ。つまり、人間がいる限り暇な時は来ねェ」

「……さらっと問題発言してません?」

 

 

神楽坂さんも大概不良警官だと思うが、この人もだいぶヤバそうだ。

というか、私は何を呑気に会話しているのだろう。

 

この2人に絡まれてしまうと目的の達成も難しそうだし、もうここら辺で切り上げるべきか。

もう少し街中をぶらぶらしてから帰れば、妹の友達も居なくなっている頃だろう。

 

そう思って、鬼の人と一ノ瀬さんに帰る旨を告げようとした時、鬼の人の背後にある警察署の入り口から見覚えのある3人組が出て来たのが目に入った。

 

神楽坂さんと話していた彼ら。

ICPOの異能対策要員であり、異能を所持する者達。

恐らく今回の日本で起きている“白き神”の活動を、最も把握している者達を私は見付けた。

 

 

「柿崎巡査部長、それでは私達はこれで」

「ああ。何かわかったら連絡する」

「助かります。それと、前の話ですが――――」

 

 

ICPOの人達が鬼の人を見付けると挨拶するために近付いてきて、そのまま会話を始めた。

 

彼らの容姿を改めて観察すると、当然だがかなり日本人離れしている。

全体的に長身で、顔の彫りが深く、鼻が高い。

会話を担当している白髪の女性以外の2人が異能を持っているのだろう、後ろで従者のように控えている彼らから強い異能の力が感じ取れる。

女性が異能を持っているのか傍目からは分からないが……うん、恐らく持っていないと思う。

 

この女性はあくまで異能持ちと言う兵器を管理する立場にいる人間なのだろう。

 

 

「……」

「む……」

 

 

じっと女性を観察していたら、それを遮るように後ろに控えていた褐色肌の若い男性が立ち塞がり私を見つめ返してきた。

異能も漏れてないので、相手からすると私はただの一般人に見えている筈なのだが……やけに警戒するような目で私を見てくる。

 

流石に気まずくなった私がそっと目線を逸らした事に、ICPOの女性は気が付いたようで、嗜めるように褐色肌の男性の肩を叩く。

 

 

『アブ、なんで子供を威圧しているの? 怖がってるから止めなさい』

『……申し訳ありません』

 

 

流暢な英語で男性を嗜めたICPOの女性は、優し気な笑みを浮かべて私に目線を合わせるように屈んだ。

 

 

「ごめんなさいね、うちの使用人……いえ、部下が威圧しちゃって。根は優しいんだけど、口下手な上に気難しくて」

「!?」

 

 

優し気な雰囲気を纏った女性に目を剥いた。

神楽坂さん達と話していた時の、数学者のような仕事モードからの切り替えが早すぎるし、態度が違いすぎてビックリする。

後ろにいる褐色肌の男性も、無言でペコリと頭を下げてくるのを見て、逆に申し訳なくなってきた。

 

 

「はぁ……おい一般人の子供相手にダラダラ構っている暇あったらとっととこの国でやることを終わらせて本部に帰ってくれ。お前らがいるせいで、俺はまともに休養も取れないんだぞ」

「まったく。この国の人は遊びが無いとは聞いていましたが、可愛らしい子供に話しかける事さえ許されないとは。柿崎巡査部長、もう少し余裕を持っていないと周りも息苦しさを覚えてしまいますよ。ただでさえ貴方は少し、強面なのですから」

「ほっとけ」

 

 

軽口を叩き合う大人達を交互に見て、彼らに抱いていた先入観を改める。

無意識の内に敵認定していたICPOの人達だが、随分と人間臭い部分を見せられて拍子抜けしてしまった。

神楽坂さんから彼らの補助をしてくれと言われていたのに、変な思い込みをしていたようだと反省する。

 

それと……さっきから私の事を子供子供と言っているが、具体的に何歳くらいと思っているのだろうか。

 

 

「それでは可愛らしいお嬢さん。この辺りはもう少し危ないかもしれないから、外出は控えてね」

「おいおい、一般人にそんなことを言っていいのかよ。禁則事項とやらには引っかからないのか?」

「あくまで個人的な注意をしただけですから。それでは柿崎さん、また明日。改めてお願いしますが、妙なディスクを見つけても、くれぐれも再生して映像や音声を流さない様にして下さいね」

「……何度も聞かされたが、その理由は?」

「禁則事項です」

 

 

ニヤリといたずらっぽく笑った白髪の女性は鬼の人の問いを適当に誤魔化した。

苛立ち混じりにガシガシと頭を掻く鬼の人を置いたまま、ICPOの人達はそのままこの場を去ろうとして。

 

私は異能の出力を感知した。

 

 

(――――異能の出力。かなり微弱? しかもこの位置って、後ろ……車道?)

 

 

出力元を探そうと視線を巡らせるが、見える範囲、開けた歩道にはそれらしき人物の影はない。

感覚だけで場所を探るなら、と車道に目をやって。

 

異能の出力を感知した場所で、信号無視をして走り続ける車を見つけた。

それも、1台ではない。

 

真っ直ぐ警察署の前にいる私たち目掛けて、複数台の車両が真っ直ぐ突っ込んできている。

偶然なんかではありえない、異能持ちによる遠隔攻撃。

 

 

「車がっ!」

「あァ?」

「――――!」

 

 

突然叫んだ私を訝し気に見た鬼の人と違い、ICPOの人達は即座に私が指し示す方向を見やり、顔に緊張が走った。

 

そして、ICPOのもう1人。

髭を蓄えた中年くらいの男性が白髪の女性と褐色肌の男性の腕を掴んだと思ったのも束の間、文字通り、その場から3人の姿は消滅した。

 

消滅の瞬間、異能の出力を検知。

“瞬間移動”して、彼らは危機回避を図ったのだ。

 

私と鬼の人と一ノ瀬さんをその場に残して。

 

 

(ふざけっ――――)

 

 

真っ直ぐ、およそ100キロ近い速度で突っ込んでくる数台の鉄の塊を前にする。

一ノ瀬さんは幻でも見るように呆然と、鬼の人はとっさに動こうとしたものの折れた足に力が入らずその場でよろめいて。

 

回避なんて絶対にできない状況。

そんな、絶対的な死に追いやられた状況で――――あることを確認した私は笑みを浮かべた。

 

 

(――――ああ本当に、“白き神”とやらに洗脳された人間で良かった)

 

 

――――爆音に、鉄のひしゃげる音に、誰かの悲鳴が木霊する。

 

私に覆いかぶさるようにして縮こまっていた一ノ瀬さんは身がすくむ様な轟音が止んだのを確認して、過呼吸の様な呼吸を繰り返しながら、周囲を見渡してガタガタと体を震わせる。

私達3人を避けるようにして潰れた車両の数々に、現実離れをしたものを見るように焦点が定まらない目を向けている。

 

 

「か、か、か、かかか、かきざきさん、ここ、これはああ、な、ななななにがががが」

「…………落ち着け、とは俺も言えない。俺も、訳が分からない……」

 

 

ペタンと私を抱きしめたまま、お尻から地面に座り込んだ一ノ瀬さんと血の気が失せた顔で周りを見る柿崎さんは、生きた心地がしない様にその場に立ち尽くしている。

 

複数台の車が突っ込んできて、偶々避けるような形に車のハンドルが切られるなんて偶然はない。

当然、これを為したのは私だ。

 

微弱な異能、細い異能のライン、そして意志薄弱な洗脳された人間。

それだけ条件が整っていれば、私がそれを上書きするのに必要な時間は1秒に満たない。

洗脳の制御を奪い取り、私達に当たらないよう強制的にハンドルを切らせた。

動作も、音も、準備だって必要ない。

 

だからこそ、間に合った。

 

 

(び、びびび、ビックリしたっ……!!)

 

 

とは言え、同じ精神干渉系の異能を相手に一時的にとは言え洗脳の制御権を奪い取るなんて経験は初めてだったから、条件は揃っていたと言っても不安はあった。

なんだかんだ、ICPOの人達が何とかしてくれるだろうなんて楽観視していたから、車の存在を口にした時は異能を使おうなんて考えていなかったのだ。

 

……というか彼らが自分達だけ逃げたことに物凄く怒りが湧いてきた。

いや、一番怒りをぶつけるべきなのは“白き神”とやらなのだろうが、完全に見捨てられた形なので凄くムカついてきた。

 

 

「……偶然、俺達を避ける形で突っ込んだ……? あんな、真っ直ぐ速度を落とさず突っ込んできた車が、ひとつ残らず……?」

「う、うううえっ、うえええええん! しんじゃうかとおもったよぉおおおぉぉぉぉ!!! こわかったよぉおおおぉおぉぉぉぉぉ!!」

「あ、あ、い、いたいっ、強く抱きしめられすぎて凄く痛い! は、離してください一ノ瀬さん!! はーなーしーてー!!」

「うえええええんん!!!」

 

 

大泣きする一ノ瀬さんの抱き枕と化した私の悲鳴は、考え込んでしまった柿崎さんにも泣きじゃくる一ノ瀬さんにも届かないまま、助けに出て来た警察署の人達の声にかき消された。

 

 

 

 

 

 



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亀裂の入った形無いもの

中々感想を返せずすいません。
皆さんの感想や評価にはとっても励まされています!
これからもお付き合い頂ければ嬉しいです!


 

 

 

 

ICPOが抱える異能犯罪対策の特殊部署。

 

そこに所属する特別な才能を持つ彼らは、国際的な巨大組織である国際警察であっても、替えの利かない大切な人員だ。

 

 

 

だからこそ、彼らには特別な待遇・権利が許されているし、多くの支援や補助、活動をサポートする優秀な人員を引率に回されている。

 

国を跨いだ異能犯罪の対応をするために、可能な限り彼らの要求に応えるし、潤沢な資金を使い、快適な移動・拠点での生活を行えるよう、ICPOは常に細心の注意を払っている。

 

 

 

過剰にも思える厚遇。

 

自分達が抱える“異能”と言う超常的な才能を持つ者に対してこのような措置を取っているのは、偏に、裏切られることが無いようにということに他ならない。

 

過剰なまでに異能を持つ者に対してへりくだり、厚遇を続けている今の状況。

 

 

 

なぜか。

 

 

 

前提の話をしよう。

 

異能を持っていたとしても銃を向けられ、発砲された場合大抵の場合は命を落とす。

 

最新の、それこそ軍が使う兵器を用いれば、異能を持つ者1人なす術などないだろう。

 

銃弾が体を貫けば命を落とすし、爆弾を落とされれば木っ端微塵にだってなる、異能持ちなんて仰々しく呼んでいても、その点は普通の人と何一つ変わりはしない。

 

基本的に異能を持っているからと言って軍隊に勝てる力を所持している訳ではないのだ。

 

およそ100万人に1人と言う割合と推定されている、自然発生型の異能持ちは希少性こそあれど、現在の科学技術からすれば大した有用性は見出されていなかった。

 

 

 

ならなぜ、ICPOは過剰なまでに自分達が抱える異能持ちを厚遇しているのか。

 

 

 

理由は、怖いからだ。

 

数年前まではそこまで重視していなかった異能の力。

 

せいぜい原理を知ろうと、色々な手を使って異能を持つ人物の確保に走ったり、軟禁したりもしていたこともある。

 

それでもそこまで大きな脅威と捉えていなかったのは、進歩した科学技術で十分対応が可能だと判断していたから。

 

反乱や罪を犯すなら、部隊を投入して制圧ないし抹消すればいい。

 

それだけの力の差があると、異能の存在を知る各国は判断していたのだ。

 

だから珍しい生き物と認識していただけで、面白い研究材料だと思っていただけで、異能を持つ者がどれほど危険で、特別な対策が必要であるなどと彼らは考えてもいなかった。

 

 

 

 

 

一人の異能持ちに世界を征服されるまでは、だが。

 

 

 

 

 

侵略されている事に気が付けなかった。

 

征服されている事を知りもしなかった。

 

大きく目減りしていく世界の犯罪数に、緊張状態にあった国と国の友好関係が劇的に改善されていく事に、誰一人として何の違和感も感じていなかったという異常事態に気が付けたのは、全てが終わった後だった。

 

悪事を成していた組織が原型を留めないほど崩壊して、非道を働いていた者達の罪は全て明るみに引き摺り出された。

 

 

 

汚職、癒着、表に出せない裏取引、全てが許されないディストピア。

 

いつの間に世界から非道も、犯罪も、諍いも消え失せていた。

 

どんな原理でこうなっているのか分からないまま、世界中の人々は手に入れた絶対的な安穏に恐怖し、誰も傷付けないからと、目に見えない誰かに許しを請うように笑うしかなかった。

 

 

 

それからだ。

 

ICPO、いや、異能を認知した各国が異能を持つ者達への対応を変えたのは。

 

異能と言う特別な犯罪に対して対応する部署を作り上げた。

 

非道とも取られかねない異能持ちへの対応を改め、過剰に異能持ちと言う存在を厚遇するようになった。

 

今は鳴りを潜めている、姿の分からない世界を征服した者が、再び世界に手を掛られない様に。

 

 

 

『異能を持つ人間を育て、世界最悪の異能持ちに備えよ』。

 

それが今の、異能の存在を認知している国々の共通している不文律となっていた。

 

 

 

 

 

『なぜ一般人を見捨てたの?』

 

 

 

 

 

今は明確に、異能を持つ者とそうでない者には格差が付けられている。

 

特に大きな組織になればなるほど、その傾向は顕著だ。

 

だから、今の常識において、何よりも大切にされている貴重な異能持ちへ責め立てるような発言をした彼女の姿は酷く危うい。

 

 

 

 

 

『答えなさいベルガルド。貴方の行為はICPOの掲げる信念に反する行為です』

 

 

 

 

 

とある豪華なホテルの一室の空気が重くなる。

 

酷薄で、温度を感じさせない問い掛けをしたのは白髪の女、ルシア・クラークだ。

 

苛立ちが混じったような彼女の矛先は、同じ組織に所属する髭を蓄えた男性へと向けられている。

 

 

 

 

 

『なぜって、俺の手は2つしかない。理由ならそれで充分じゃないか?』

 

『貴方の力についての資料は拝見させて頂きました。手に触れた物、では無く体に接触している物が範囲に入るのは承知しています。手で触れることが出来なくとも、あの人数程度であれば抱き込むことは出来た筈です。もう一度問います――――なぜ、あの方々を見捨てたのですか?』

 

 

 

 

 

今度の問い掛けは先ほどよりもずっと鋭く、言い逃れは許さないと言う重さを持っていた。

 

引く気配のないルシアの様子に、ベルガルドと呼ばれた男は面倒臭そうに表情を歪めた。

 

 

 

 

 

『……咄嗟の出来事だったろう』

 

『いいえ、貴方が私達を「移動」させてから数秒の猶予はありました。即座に危機を判断して対応して見せた貴方ほどの者が、あの場にいた者達を救う術が無かったとは言わせません』

 

『ああ、それは俺のミスだったな。攻撃を受けていると判断して慌てて離脱を選んでしまった。悪かった……これで充分か?』

 

『貴方と言う男はっ……!』

 

 

 

 

 

悪びれもしない男の様子に、ルシアはついに怒りを露わにする。

 

ICPOを支援する立場にある名家に生まれ、あらゆるものに優秀な成績を収めたルシアと言えど、今の立場は異能と言う超常的な力を持つ者達の特別顧問。

 

実力だけで勝ち取ったとは到底言えないような、コネと金によって奪い取った名誉職のようなそんなもの。

 

 

 

普通であれば、何よりも異能持ちを大切にすると言う今のICPOの状況を考えれば、どれほどルシアが正しい事を言っていたとしても立場が悪くなるのは彼女の方なのだが……。

 

 

 

 

 

『ベルガルドいい加減にしろ』

 

 

 

 

 

口を挟んだのは異能を持つもう1人の男、アブサントだ。

 

 

 

 

 

『お前のそれはミスでは無く、故意に人を陥れた危険行為だ。未だに異能に対する理解を得られていないこの国に於いて、俺達への風評が悪くなればどうなるのか考えが及ばない訳ではないだろう。改めないと言うのなら、俺から本部に「ベルガルドは危険思想を持つ」と報告してもいい。そうなればお前は異能犯罪者と同等の扱いを受けることになる』

 

『おいおい、お前も俺が悪いとでも言うのか?』

 

『お前が決めろ』

 

『……言葉に気を付けろよ飼い犬風情が』

 

『ちょ、ちょっと2人とも止めなさい!』

 

 

 

 

 

一触即発の空気になったホテルの一室で、慌てたのは先ほどまでベルガルドを問い詰めていたルシアだ。

 

 

 

あくまで“白き神”、あるいは他の異能持ちを相手にした時に戦力にならない自分だからこそ、多少ベルガルドと険悪になってでも、今回の件の釘を刺そうと思っていた。

 

だが、抱えている貴重な異能持ち同士が争うなら話は別だ。

 

 

 

2人の間に割って入り、仲裁に動いたルシアに心底うっとうしそうな視線を向けたベルガルドは嘲笑する。

 

 

 

 

 

『何が優秀な通訳係だ。結局異能の才能を持たない奴なんて何の役にも立たないんだよ。何かしら思うところがあるなら、お前が異能を扱えるようになればいい。必死になって異能持ちを搔き集めている時点で、お前は俺よりも下で、正義は俺にある』

 

『臭い口を閉ざせ髭面』

 

『アブサントっ!』

 

『ちっ、せいぜい足を引っ張るなよ。お嬢様』

 

 

 

 

 

苛立ち紛れに部屋から出て行こうとするベルガルドをルシアは慌てて制止するものの、トイレだ、と簡潔に言い残してそのまま出て行ってしまう。

 

 

 

異能を持つ奴はどいつもこいつも個性的で、手綱を取るのも一苦労だ。

 

どうしてこうなるのかと肩を落とし、ため息混じりに椅子へ腰掛けたルシアだったが、彼女の様子を見てアブサントは申し訳なさそうに眉尻を下げた。

 

 

 

 

 

『……ルシアお嬢様、申し訳ありません』

 

『お嬢様って呼ばないでアブ。今の私はあくまでICPO特別顧問のルシア・クラーク。貴方達の補助を任された人間よ。そして今の貴方はクラーク家の使用人じゃなくて、ICPOの異能対策の実動員。私達の立場は変わったの』

 

『……』

 

 

 

 

 

一癖も二癖もある異能持ちの人間関係を調整するのも、補助する者の重要な任務だ。

 

この失敗をどう挽回するべきかと考えながら、ルシアはムッツリと黙り込んだアブサントを見遣る。

 

 

 

 

 

『……ねえ、アブサント。“白き神”の目的は何だと思う? この国の宗教団体から妙な金の流れがあったからこうして私達が来ているけど、わざわざ攻撃してくるなんて完全に想定外。これまで通り、特に反撃もないまま、トリガーになってるディスクを壊して、またいたちごっこになると思っていたけど……』

 

『何らかの目的があるのか。それとも、俺達が邪魔になったのか。気分屋な奴の真意は読み取り辛い』

 

『それに、先ほどの攻撃であの警察官達が怪我1つ無く生き残ったのも妙よね。何かメッセージ性を残そうとしたのか。それとも本当にたまたまぶつからなかったのか』

 

『…………異能の出力はベルガルドと“白き神”の他には感じなかった。あの警察官達は特に異能を持っていない筈だ』

 

『八方塞がり……取り敢えず“白き神”の攻撃を警戒しつつ、“千手”の護送に集中しましょう。ICPOにとって最大の宿敵である奴を相手にするにしては、今の私達はあまりに戦力が足りなすぎる。一応応援要請は出しているけど……最近はテロ行為が活発みたいでそっちの対応が忙しいみたいだし』

 

 

 

 

 

ここで“白き神”を相手取るつもりはなかった。

 

いつも通り、資金調達をしている“白き神”の被害拡大を抑えるだけの筈だった。

 

もしも、ここで本格的に“白き神”との争いが始まるなら勝てる可能性は限りなく低い。

 

逃走も視野に入れなくてはならないだろう。

 

 

 

 

 

『……最悪この国は捨てる必要がある。それは覚悟していてくれルシアお嬢様』

 

『……その最悪は来ないことを願うわ』

 

『色々言ったがベルガルドの“転移”は優秀だ。俺達だけの逃走なら、“白き神”が本気で攻撃をしてきても不可能ではないだろう。本部に戻って、最大戦力で事に当たれば良い。それまでの被害は、仕方ないと割り切ろう』

 

 

 

 

 

現在の状況は想像以上に苦しい。

 

組織全体で“顔の無い巨人”改め“白き神”を打倒するために戦力や情報を集めている最中だった。

 

まだ時では無かったし、すぐに戦力を集結させることは難しい状況。

 

 

 

そんな苦しい状況の中でどうすればあの凶悪な異能を持つ世界最悪の犯罪者に対抗できるのかという思考を、ルシアとアブサントはまだ止めていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ベルガルド・ピレネさんですね?』

 

『ん、ああ、そうだが……どうしたホテルの従業員さん』

 

『落し物がありました。どうぞこちらへ』

 

『俺の? ふん、分かった……ところでアンタ、日本人の癖に随分と英語が流暢だな。日本人は母国語しか話せない奴がほとんどって聞いてたんだが――――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの異能による遠隔攻撃、車両の特攻を受けてから次の日。

 

私は早速自分の部屋から神楽坂さんへ報告のための電話を掛けていた。

 

 

 

報連相は大人の常識だし、あれだけの大事故ゆえに例え隠そうとしても(隠すつもりも無いが)報道などで大々的に取り上げられていて隠すのは難しいし、後ろめたさを感じている神楽坂さんを一層不安にさせる可能性もある。

 

だから、しっかりとした状況報告が必要な訳だ。

 

 

 

そして私は状況の説明をすると共に、ICPOの人達への不満を神楽坂さんへとぶちまけた。

 

 

 

 

 

「どう思います神楽坂さん!? 常識的にありえなくないですか、ICPOの人達!! 一般人置いて自分達だけ逃げたんですよ!?」

 

『あ、ああ、そうだな』

 

 

 

 

 

状況報告を早々に終わらせ、堰を切ったように氾濫し始めた私の愚痴に、電話先の神楽坂さんは動揺しつつも、理解を示してくれる。

 

流石の大人の余裕だが、そんな風に接されても積もった私の不満は一向に減らない。

 

 

 

あれから本当に大変だったのだ。

 

恐怖に泣きじゃくる一ノ瀬と言うヘタレさんに精神的な支えかのようにしがみ付かれて、下手に退散することも出来ず。

 

時間を置いて戻って来たICPOの人達が私達の無事な姿を見て驚愕しつつ、一応は無事を喜んでくれたが私の彼らの評価は地に落ちていて。

 

潰れた車両の隙間にいる私達を救出した警察官達が、そのまま事故を起こした車両に乗っていた人達も救出するのをしばらく手伝い。

 

外傷はないものの一応保険としてと、病院に連れていかれ。

 

そして、連絡を受けた妹が慌てて病院に駆け付けてきて泣かれた。

 

それはもう、号泣しながら謝ってくる妹をあやすのはめちゃくちゃ大変だった。

 

 

 

それもこれも全部、ICPOの人達と自称“白き神”とか言うナルシストのせいである。

 

 

 

 

 

「死ぬところでした! 死を覚悟しました……! やっぱり異能持ち怖い……あいつら人道的な価値観なんて持ち合わせていないんです……頭のネジが飛んだ奴らばかりなんです……」

 

『佐取も同じ異能持ちなんじゃ……いや、やれることを考えると佐取の異能もかなり強いものだろうが物理的な防御手段を持っている訳ではないし、危険なのか……? 今更かもしれないが、無理に調査をしなくてもいいんだぞ? ICPOが捜査に動いているなら正直一般人の出る幕はないだろうから、佐取が無理してやらなくてもいい。むしろ彼らはプロだ。俺なんかよりもきっと捜査能力だって高いからそこまで甚大な被害が出ることは無い筈だろう。危険だと思ったら――――』

 

「がんばりまずっ……!」

 

『頼むから頑張らないでくれ……!』

 

 

 

 

 

ともかくあの“白き神”とか言うやつは早々に無力化しないとまずい、私のメンタルの問題で後回しにするのはあまりに危険だ。

 

 

 

苦悩に満ちた神楽坂さんの声に励まされ、少しだけ元気になる。

 

一方で、電話から聞こえる神楽坂さんの声は重い。

 

 

 

 

 

『……俺がせめて万全に動ければ一緒に行動できるが、怪我した状態だと足しか引っ張らないだろう。このタイミングで奴が活動を再開するとは、なんて間の悪い……』

 

「ずびっ……それなんですけど。多分このタイミングであのナルシスト……“白き神”がこの国で動き出したのは偶然じゃないと思います。多分、最初に私がアレを見つけた時の目的と、今回のICPOへの攻撃の目的は別物です」

 

『ん?』

 

 

 

 

 

奇しくも私が危険に巻き込まれた昨日の事件で、私の仮説が間違いないと証明された。

 

非常に認めたくないが、あの命の危機があったからこそ、得るものがあった。

 

虎穴に入らずんば虎子を得ず、だった。

 

 

 

 

 

『どういうことだ?』

 

「最初は単純な金稼ぎで宗教団体を作っていました。でもアレは、今は明確な目的を持って障害となりうるICPOの人達を排除しようと動いたんです。別に日本でする必要もない金稼ぎの為だけに、世界に広げている大切な傀儡を使ってわざわざ大きな事故を起こした」

 

 

 

 

 

勿論、アレが度し難い性格で、出来るだけ他人に迷惑を掛けたいと考えていたならそういう事もあるだろう。

 

だが、私と遭遇したアレは心の底から、出来れば同類と事を構えたくないと考えていた。

 

要するに、同じ精神干渉系の異能を持ったテリトリー内で暴れて、同種の厄介な相手の怒りを買う必要がないと考えていたのだ。

 

どれだけ自分の力に自信を持っていたって、抵抗の手段を持たない人間と抵抗の手段を持つ人間、どちらを搾取するかと聞かれれば、基本的には前者を選ぶ奴が多いだろう。

 

 

 

 

 

「奴の目的は恐らく分かりました。ついこの前まで無かった価値が、今のこの日本にはあるからです。それが何だかわかりますか神楽坂さん?」

 

『……もったいぶらないでくれ』

 

「えへへ、少しだけもったいぶらせて下さい神楽坂さん」

 

 

 

 

 

気分は、色んな物語に出てくる推理を披露する人達だろうか。

 

それか手品師の自慢のトリックを見破った時かもしれない。

 

 

 

電話越しに唸るような声を出した神楽坂さんに、私は告げる。

 

 

 

 

 

「いつか助け出そうとするだろうなと思っていました。異能持ちを作る技術を持っていると言っても、何十人も子供を攫って、実験をして、それで異能が開花したのが1人だけでしたから、まだ異能持ちを大量生産できる体制は出来ていないんです。つまり、彼らにとって組織に従順な異能持ちの価値は、まだかなり高い」

 

『それは……つまり……』

 

「そうです。奴の目的は恐らく、“紫龍”および“千手”の脱獄を手助けすること。すなわち――――東京拘置所への襲撃」

 

『異能持ち同士の繋がりかっ……!』

 

 

 

 

 

驚愕を孕んだ神楽坂さんの言葉に肯定しつつ、私はパソコンに流れて来た『海外で過激化するテロ活動及び、大規模なデモ活動のニュース』に視線を走らせる。

 

報道内容は加速的に拡大している過激活動への注意喚起がほとんどだ。

 

 

 

“白き神”とやらは本当に用意周到で臆病者。

 

万全を期して自分の身の危険を排除するのに、どれほどの犠牲も厭わない。

 

 

 

 

 

「……現状は薄氷の上になりたっています。水面下では既に思惑が交錯しており、一歩間違えればこの国は異能持ち同士の戦場になりかねません」

 

 

 

 

 

もしもそうなれば……なんて、その後の事は口にしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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粘つく思念と感情を

いつもお読みいただきありがとうございます!
実は……Twitterで「あまくしら」さんに本作のイラストを描いていただけました!
活動報告の方にTwitterへのリンクを貼りましたので、ぜひ興味がある方は素敵なイラストをご覧ください!


 

欧州にあるとある広い部屋に、部屋半分を埋め尽くすほど大きな世界地図と、その上に点々と置かれた指人形が不気味に存在していた。

 

 

 

灯りは無い。

 

僅かに窓の隙間から入ってくる月の光が部屋に降り注ぎ、物がほとんど置かれていない生活感の無さを照らし出している。

 

防音性能が相当優秀なのか、かなり発展した都市であるその地域でも、部屋には外からの物音がわずかにも入ってくる事がない。

 

まるで使われていない物置なのでは、なんて思うその部屋の中だが、そんな想像に反して1人の若い男がソファに身を沈み込ませていた。

 

 

 

 

 

「あー……惜しかったなぁ、もう少しだったのに。こいつはゲームオーバー、後始末して次の奴に行こうか」

 

 

 

 

 

まるで眠っているかのように目を閉じていた男は、唐突に目を開き、脈絡も無くそんなことを言う。

 

 

 

そして、目の前の地図上に置かれた駒の1つを拾い上げ、ゴミ箱に放り投げた。

 

金髪の男を模したその指人形は、弧を描いてゴミ箱に詰め込まれた他の指人形の山に積み重なった。

 

 

 

テレビから流れ続ける諸外国での被害報告に視線をやり、男は不満げに肩を竦めた。

 

 

 

 

 

「シドニー、北京、ニューヨークにロンドン、そんでサンクトペテルブルク。やっぱり世界の主要都市はどこも警備が厳重だなぁ。本当に世界を征服するなら、もっと綿密な手順を踏まないと、か……」

 

 

 

 

 

ぽつりと呟いた男は地図上の世界各地に散らばる指人形を眺める。

 

 

 

次はどうするべきか、なんて考えて。

 

幾つか所持している手段のどれを使おうかと、気分に任せて適当な駒を選ぼうとして。

 

 

 

ふと、以前遭遇したとある異能持ちの存在を思い出して、その視線が日本に集まる指人形に定まった。

 

自分に攻撃を仕掛けた同種同系統の異能を持つ存在。

 

忌々しいあの存在に似た、警戒するべき誰か。

 

 

 

なんでもない事だと思っていた彼にとっては無自覚だったが、その存在は彼の中に確かな不安を残していた。

 

 

 

 

 

「……日本での依頼は順調だ、ICPOの奴らも敵じゃない。不安は……日本にいた正体不明の異能持ちだ。精神干渉系統の異能なんて、僕とアイツ以外に存在しているとは思ってもみなかった。あの程度の出力の奴なら敵じゃないだろうけど……危険なことには変わりない。一通り片付いたら、何かしら対処しないと足を掬われる可能性はある……この前は随分やってくれたからね、お返ししないと」

 

 

 

 

 

「とは言え」と言って、男は楽観視する。

 

 

 

 

 

「日本での依頼に影響は出る訳がないけどね。なんて言ったって戦力が違いすぎる。少しでも危険を感じ取れるなら、手を出してくることは無いだろう。これでもし僕のやってることに首を突っ込んできてくれたら、こっちとしては願ってもない。僕の手駒でも最大級に戦力が揃うあの場所で、適切に処理してやればいいだけだ」

 

 

 

 

 

そんな風に結論付けた男はそれ以上悩むのを止めて、日本の上に乗る指人形を1つ増やして、別のものに視線を向ける。

 

そして、他の地図上の指人形に手を伸ばそうとしたところで、手を止めた。

 

 

 

 

 

「――――10万人目だ! ようやくこれだけの数になったぞ!」

 

 

 

 

 

突然、嬉々とした声を上げた男はソファから立ち上がり壁に記号を書きこんだ。

 

白いチョークで幾度となく書き殴られた壁は、一面がほとんど真っ白で、傍目からはもはや何が書かれているかは分からない。

 

だが、それを掻き殴った張本人は、自分が築き上げた成果を見て満足げに歪んだ笑みを溢していた。

 

 

 

 

 

「……この数を手駒にするのに時間は掛かったけど、僕だってやれた。不可能じゃない。そうだ、何も奴だけが特別じゃない。僕だって、世界を手中に収めるくらい出来ない筈が無いっ……!」

 

 

 

 

 

執念を感じさせるそんな言葉。

 

男が幻視するのは、彼自身が姿を見たことも無い1人の人間。

 

自身にこれ以上ないほどに屈辱を与えたそいつを、この男、“白き神”は今もなお、暗く宿った憎しみを抱えて追い続けている。

 

 

 

 

 

「まだなのか? まだアイツは僕を敵と見なさないのかっ……!? これだけお前と同じだけの力を見せているのに、まだお前は僕を見ないのか! ……いいさ、それならそれでいいっ! もっと力を付けて、もっともっと手駒を増やして、いつかお前を僕の前に跪かせてやるぞ! そのためにっ、まずは見せてやるっ……! 僕の力の真髄を!!」

 

 

 

 

 

どちらが世界の覇者となるか。

 

あの組織的に異能持ちを増やす老人のような紛い物では無く、人と言う種の頂点に立つに相応しい人間がどちらなのかを、世界に知らしめる。

 

 

 

砕かれた彼の自尊心を取り戻すには、それしか道は無いのだ。

 

 

 

 

 

「――――僕を見逃したこと。絶対に後悔させてやる……!!」

 

 

 

 

 

そう吐き捨て、真っ白な壁に叩き付けられた白いチョークは砕け散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つい先日神楽坂さんへの報告を終えて元気を貰った私だが、実は私から神楽坂さんへ情報を渡しただけでは無く、1つ聞きたいことがあった。

 

 

 

今回の件での不確定要素になりかねない、1人の、私の命を狙う恐れのある飛禅飛鳥と言う女性の連絡先だ。

 

 

 

 

 

「――――という訳で、ですね。恐らくICPOの方々が追っている“白き神”と言う奴は、東京拘置所への襲撃を行って、“千手”と“紫龍”の救出を図ると思うんです。それで、どんなやり方で襲撃をするかは分かっていませんが、今まで見て来たアレの性格から考えると、誰かしら東京拘置所で働く人を洗脳して、内部から切り崩すやり方を選ぶかなぁ、というのが私の推測です」

 

『……そう』

 

「うん、こんなところが今、私が集めた情報と推測の話です……で。随分と【なんで自分にわざわざ電話してきたのか分からない】みたいな感じですね飛禅さん」

 

『……私、本当に貴方が嫌いだわ』

 

 

 

 

 

神楽坂さんへのものと同様に、一通りの状況説明および推測を話したところで、軽い冗談のつもりで飛禅さんの心情を予想して見たのだが、逆効果だったらしい。

 

どうにも彼女との仲は改善の兆しが見えない。

 

私はそこまで嫌いじゃないのだが……相性が最悪の可能性すらある。

 

 

 

いや、そもそもコミュニケーションが足りていないのだろう。

 

思い返してみれば、電話越しとは言え飛禅さんとこうして2人だけで話すのも初めてだった。

 

はっきりとした拒絶の言葉に居心地の悪さを感じた私は、思わず手元にあった特徴的な首飾りを弄繰り回す。

 

 

 

 

 

「そ、そんなはっきりと嫌い宣言されるとは思っていませんでしたが…………まあ別にこれくらいじゃ傷付かないですし? 今は私も外に出ているので長電話するつもりはありませんし? 用件だけ済ましたらすぐに電話を終わらせますので」

 

『それで用件は?』

 

 

 

 

 

……やっぱりこの人と話すときは神楽坂さんを挟むべきなのだろう。

 

そうでもしないと私のメンタルが持ちそうにない。

 

 

 

 

 

「…………飛禅さんが前に“顔の無い巨人”と言う方に何やら思うところがあったようなので連絡したまでです。私としてはアレに対して手心を加えるつもりなんてありません。やれるなら容赦なんてしません」

 

『……私が裏切ってその“白き神”って奴に力を貸すのを危惧しているのね』

 

「飛禅さんの異能があれば骨折なんて大した影響もないですし、そうなると私としては行動原理の分からない飛禅さんは何をするか分かりません。だから、あらかじめこうして情報を渡して、飛禅さんの予想外な暴走を予想できる範囲の暴走に収めようとしたって訳です。はっきり言いますけど、私も飛禅さんのことそこまで信用していませんから」

 

『ふん、正直に話してくれて清々しいわ』

 

 

 

 

 

不愉快さを隠す事無く、鼻で笑った飛禅さんは「それで」と疑わしそうな声を出す。

 

 

 

 

 

『なんでわざわざこんな面倒な保険を掛けるのよ。アンタの力ならこんな遠回しのやり方をしなくても、私を思いのままに操れるようにすることも出来るんじゃないの?』

 

「なんで何も悪いことをしていない人にそんなことをしなきゃいけないんですか? あっ、さては私が自分のためなら無差別で洗脳まがいなことをする奴だと思ってますね!? だから前々から私に対してそんな敵意を向けてくるんじゃ……!」

 

『……』

 

 

 

 

 

確信を持って疑うような飛禅さんの言葉に、一瞬何の事か分からなかった。

 

確かにそうやって自分の都合の良いように周囲を調整するのは、自分が変わろうとするよりもよっぽど楽だろう。

 

でもそれをやっていって残るのは、価値観の壊れた自分自身と只の人形と化した血が通っているだけの生物だ。

 

 

 

私は誰かを支配したい訳でも、1人で生きたい訳でもない。

 

飛禅さんがどれだけ私にとって厄介な想いを持っていたとしても。

 

他人を救うために命を投げ打つことができる、少なくとも善人である彼女に対して、一方的に刃を向けるようなことはしたくない。

 

 

 

 

 

「言っときますけどっ、何も悪いことをしていない人に対して、誤認程度の軽いものならまだしも、本当に相手を支配するような洗脳なんて、そんなの頼まれたってやらないですからね! も、もちろん、私とか家族とかに攻撃の意思があれば躊躇なんてしませんが!」

 

『……ふーん。まっ、そういう事にしておいてあげる』

 

「ナチュラルに上から目線ですね!?」

 

 

 

 

 

飛禅さんのこの態度にも慣れて来た。

 

まあ、ストーカーの山峰さんよりはましだと思えるし、私はこれくらいじゃ挫けない。

 

私を挫けさせたいなら、これの数倍私にストレスを掛けてみせて欲しい。

 

 

 

 

 

「と、ともかく、私から伝える情報はこれだけです。“白き神”とやらがどれだけの悪事をやって来たのか私は分かりませんが、少なくとも多くの人が犠牲になっていることは確かです。飛禅さんがこれを聞いてなお、“白き神”とやらに加担したいと言うなら止めることはありません。ただ、私も神楽坂さんと言う事情を抜きにして本気で攻撃しますのでそのつもりでいてください」

 

『……見くびらないで頂戴。確かに私にとってあの人は、色々と思うところがある相手だけれど、今の私は曲がりなりにも警察官よ。誰かが不幸になるのを許容することは無いわ。もしもあの人が不幸を撒き散らしていると言うなら……それを防ぐのも私の在り方の1つ。私に影響を与えたあの人にとっては皮肉だけどね』

 

「…………そうですか」

 

 

 

 

 

思った以上にしっかりとした考え方を持っていた飛禅さんに、少し迷う。

 

最初の予定ではここまでで話を終わらせるつもりだったのだが、こうして話してみて、彼女の人となりが少しだけ見えてきて、彼女が言っている過去の関わりは本当に私だったのか、確かめたくなってしまった。

 

 

 

だからせめて、なんでもない風を装って、私は飛禅さんに問いかける。

 

 

 

 

 

「……もしもですけど、昔飛禅さんを助けた人に会ったら、何か言いたい事ってありますか?」

 

『は? なんでそんなことをアンタに言わなきゃいけない訳?』

 

「いえ、仮にですよ? 私が“白き神”と遭遇して、奴が以前飛禅さんに会ったような言動をしていて、関連に確信が持てた場合、私から何か伝えておくか、聞いておきたいことがあればと思いまして……」

 

『……』

 

 

 

 

 

踏み込みすぎたか、と思ったが、飛禅さんの反応は決して悪いものでは無く、何度も思い悩む様な雰囲気が電話越しに伝わってくる。

 

少しだけ息が乱れて、心臓の鼓動が早まったのか、飛禅さんは大きく息を吐いた。

 

 

 

 

 

『悪いけど、それは私にとって大事なことだから……アンタに頼まなくても、私が直接あの人に聞くわ』

 

 

 

 

 

ぽつり、と彼女はそう言って話を打ち切る。

 

『少しでも相手の情報を得たいアンタからしたら、迷惑な話でしょうけど』なんて少しだけバツの悪そうに言うものだから、私は何も追及できない。

 

色々と思うところがあったのだろう、飛禅さんはそのまま私に別れの言葉を言って一方的に通話を切ってしまった。

 

 

 

溜息を吐いて、ワシワシと頭を掻く。

 

中々どうして、人間関係も、抱えた秘密の運び方も、上手くいかない。

 

前までの私であればあんな、明らかな地雷へと直接踏み込むようなやり方はしなかった。

 

神楽坂さんの影響で自分でも丸くなっている部分はあると思っていたが、下手くそな方向への変化は喜べない、自省しなくてはいけないだろう。

 

 

 

 

 

「……飛禅さんと境遇が似たあの子と会ったのは、もう何年前なんだろう」

 

 

 

 

 

通話が切れた電話の表示を眺めながら、そんなことを呟いた。

 

 

 

あの頃はそこまで私も調子に乗っていなくて、素直に自分の異能の限界を試すために色々試行錯誤をしていた時代だった。

 

 

 

五感に頼らない知性体感知。

 

異能と言う第六感のみを用いてあれこれ試していた頃だった筈だ。

 

そんな中で見つけたその微弱で弱弱しい精神性に、自分と同類である異能の感覚を兼ねそろえていたその小さな生命を感知して、これ幸いと観察したのが始まりだった。

 

 

 

相手の具体的な様子は分からない、ただ、あんまり良くないのだろうと言うのだけは分かった。

 

精神的に弱っていて、周りに成熟した精神を持つ者達が存在しない。

 

私にとって、何をするにしても都合が良かったのだ。

 

 

 

最初に、意思が伝わるか声を掛けてみた。

 

反応はあった、不思議そうに周囲の状況を窺っていた。

 

次に、相手から情報を取れるか試してみた。

 

結構な距離が離れているものだから、あの頃は深層心理を無理に覗くことなんて出来なかった。

 

それならと、質問して相手に考えさせて、思考を読み取る方法を試してみた。

 

これは想像以上に上手くいって、こういうやり方が有効なのかと勉強になったのを覚えている。

 

そして、最も気になっていた無意識の内に封じ込めている異能の力を解放させて、その力の使い方をある程度教えてみたりした。

 

私とは別の異能をこんなに間近で観察する機会なんて無かったから、私も変に興奮していたような気がする。

 

 

 

数日くらい掛けてそんな風に、小さな誰かと会話し、観察を続けていた。

 

だが、その間、成熟した精神を持つ人達が全く寄り付かない事に、話し相手である小さな誰かの命の危機を感じた私は、その子を連れ出すことにしたのだ。

 

 

 

……まあ、その判断は正解だったと分かった訳だけど。

 

私が連れ出したその子を攻撃しようとした大多数を何とか無力化し、流石にこんな場所には置いておけないと、その子をどこか別の街に連れて行こうと決めたのだ。

 

 

 

せめて児童養護施設まで送り届けないと、なんて。

 

これまで私の実験じみた事に付き合ってくれたお礼として、その子をかなり遠い他の街まで送り届けたが、それも数日掛かったため、その子と接した時間は合わせて1週間程度だろう。

 

 

 

そんな幼少時の他愛ない冒険。

 

異能を使っているから相手からも顔は覚えられないし、すぐに忘れられるだろうと高を括っていた小さな事件。

 

まさかそれが、こんな事になって帰ってくるとは思ってもみなかった。

 

 

 

 

 

(あの子が飛禅さん? ううん……分からない、あの子の異能は確か“空を飛ぶ”だったと思うから、間違いとも正解とも言い切れないし。でも、そもそも異能を持つ人の少なさを考えれば、同一人物と思った方が良い気が、って、あれ? 思い返してみても、私が殺意を抱かれる要素が無い気がするんだけど……やっぱり別人?)

 

 

 

 

 

何度思い返してみても、今ある情報ではそうとも違うとも言い切れない。

 

と言うか、危ない場所から連れ出して違う街の児童養護施設まで連れて行ったのだから、感謝こそされても殺意を向けられる理由なんてある訳がない。

 

だから、どちらかと言うと別人説を押したい私はぐぬぬと唸りつつ、携帯を懐に仕舞い込む。

 

 

 

 

 

そして、私はそっと両手を組んだ。

 

 

 

 

 

「別人別人別人、別人であってくださいお願いしますっ……」

 

 

 

 

 

祈るようにそんなことを言いつつ、椅子から立ち上がる。

 

出来損ないのとんでも新興宗教とは言え、部屋にはそれっぽい神具が置かれていたので適当に祈っておく。

 

 

 

 

 

「私は良い子。悪い子じゃないよ神様。少し悪いこともしたことあるけど、もう改心したので許してくださいっ……!」

 

 

 

 

 

そんな感じに、前にテレビで見たことあるようなお祈りをしてみるが、飾られていた神具はタイミング悪く地面に落下した。

 

別に私は何もしていない、経年劣化とかその辺である。

 

 

 

 

 

「……帰ろう」

 

 

 

 

 

前に新興宗教、『白き神の根』の根城となっていたこの場所だが、前の時は遊里さんの母親を助けるので手一杯で、調べ切れていなかったためこうしてまた捜索をしに来ていたのだが、期待したものは出てこなかった。

 

 

 

変な神具関係と教本とかそういうのばかり。

 

後は、恐らく信者とする者のリストアップするためだろうこの地域の地図と、各家庭情報が書かれた資料……まあ、市役所とかに洗脳した者がいて、そこから横流しさせているのだろう。

 

そこら辺が出て来ただけで、私が欲しかった異能の範囲を広げている道具は見当たらなかったのだ。

 

 

 

 

 

(まあでも、たとえ見付けてもアレが持つ異能の測りにするために使うしか使い道ないし、絶対欲しい物でも無かったですし)

 

 

 

 

 

あくまで、近くにいない同系統の異能持ちに対して出来る準備の一環。

 

保険の為にアレが国を跨いで活動している手段を、把握しておきたかった。

 

 

 

 

 

(出来なければ出来ないで、もう一度しっかりと対面することさえできれば別の手段もあるし……)

 

 

 

 

 

 

 

本格的に襲撃するのは何時なのだろう、なんてことを考えながら、誰も居ない『白き神の根』の拠点を出て、帰路に就く。

 

 

 

街中を歩き、公園を横切り、商店街を通った。

 

再び増え始めた人通りは、誘拐事件や殺人事件が終わって街に平和が戻ったと思っている人達が数多くいることを示している。

 

 

 

呑気なものだなぁ、なんて思うものの。

 

駆け抜けていく子供達や元気に井戸端会議をしている主婦達の姿は見ると嬉しくなってくるし、商店街の行きつけのお店は買いに来たわけでもないのに野菜を持たせてくれたりと、なんだかんだ私にとってもお得である。

 

 

 

やっぱり平和が一番だ。

 

異能があるとかないとかそんなのは関係なく、争いや諍いなんてない方が良いに決まってる。

 

 

 

きっと平和ボケ出来るくらいが丁度良い。

 

私はそう思うのだ。

 

 

 

 

 

ふと、私はある電気屋の前で足を止めた。

 

 

 

時計は15時59分45秒を指している。

 

店の道路に面するガラス張りの壁一杯にテレビを置いた、どこにでもありそうな電気屋の前で足を止めた私は、突然真っ黒に染まった電気屋のテレビを見上げる。

 

1つなら故障も考えられた、10以上あるテレビ全部がいきなり映像を映さなくなるのはあり得ない。

 

 

 

時計は15時59分53秒を示している。

 

店内にいるアルバイトの様な女性が、虚ろな目で何かディスクを入れ替えている。

 

ディスクには何も書いていない、どこにでも売っていそうで、誰でも何かしらのデータを記録するときに使いそうな、ありきたりなもの。

 

 

 

時計は15時59分59秒。

 

真っ黒に染まっていたテレビが一斉に1人の男を映し出した。

 

音量調節が壊れた様な大きな音で、映像を正面から見据える若い男はにこやかな顔で画面越しのこちらを見ている。

 

 

 

時計は、16時00分。

 

 

 

 

 

『――――初めまして下等な諸君、僕の名前は白崎天満。年齢は25歳、性別は男。好きなものは他人の絶望した顔、かな』

 

 

 

 

 

大量の異能が含まれた大音量と映像によって、テレビに現れた男の情報を記憶に入れた人達の意識が内側から異能に蝕まれていく。

 

 

 

私の隣にいた男性が、持っていた携帯電話を取り落として。

 

仕事に急いでいたスーツ姿の女性が、意識に寄生してきた別の誰かの人格に悲鳴を上げた。

 

 

 

ほんの一瞬で阿鼻叫喚の、悲鳴が木霊する現場となったこの場所で、画面の先に映る男はにこやかな笑みのまま、家畜を見るような無機質な目を画面に映す。

 

 

 

 

 

『おはよう僕の家畜達。僕の新しい手足となって、君達の無為な人生をどうか棒に振っておくれ』

 

 

 

 

 

そこまで言って、消えるテレビの映像を見届けた私はすぐに携帯を取り出した。

 

国内外を問わない、新たなニュースの数々が、絶えず携帯を鳴らし始めたのを確認する。

 

 

 

世界的な同時多発テロ。

 

警察や軍隊、それどころか国際組織にすら休む暇を与えない様な馬鹿げたものばかり。

 

こうすれば確かに、ICPOがどれだけ優秀でも、各国がどれだけ科学力を持っていても、目の前の事だけで手一杯だろう。

 

 

 

 

 

「……本当に癪に障る」

 

 

 

 

 

溢れかえるニュースの通知で、もはや何の情報を得ることもできなくなった携帯電話を消した私は、“白き神”による、世界規模の東京拘置所への襲撃が始まったことを理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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『認智暴蝕』

 

 

 

 

 

 

時間は少し遡る。

 

 

 

時刻は14時50分。

 

とある個人経営の会社にある厳重な金庫室で、ICPO(国際警察)に所属する異能犯罪対策の特別顧問ルシア・クラークは回収した目的のディスクの映像を再生して確認し、安堵したように大きく息を吐いた。

 

 

 

 

 

『……毎度のことだけど、洗脳されるかもしれないと思いながらの確認作業は肝が冷えるわね』

 

『…………俺の異能では安心できないか?』

 

『ああ、違うのよアブサント。洗脳の力が込められた映像だと思っているから、“音”だけ消して貰っても視覚情報だけで洗脳されるんじゃないかって不安が拭えないの。もしも、自分が気付かない内に、洗脳されていたらどうしようって思って……』

 

『そうか』

 

 

 

 

 

ムスッとして口を閉ざしたアブサントにルシアは笑い掛ける。

 

ルシアは洗脳された後の人は見たことがあるものの、“白き神”が実際に力を使って人を洗脳する瞬間を見たことが無い。

 

だからこそICPOの、“音”を遮断さえすれば洗脳されることは無い、と言う情報をルシアは完全に信じ切っている訳では無かった。

 

 

 

ICPOに伝わる“白き神”の情報はいくつかあり、洗脳される状況と言うのもいくつか入ってきている。

 

「異能を帯びた手に長期間触れられる」や「直接“白き神”の異能を帯びた言葉を聞き続ける」といった、直接的な関りを持つことは以ての外として、“白き神”と直接対峙せず、直接異能の標的になっている訳でなくとも、洗脳される危険がある際にはいくつかの条件が存在する。

 

 

 

洗脳の条件を簡記すると

 

1つ、ディスクや音声データを通じて“白き神”自身が語る“白き神”の情報を知識として取り込んでしまったとき。

 

1つ、語られた“白き神”の情報を知らなかったとき。

 

1つ、どれだけの情報量を取り込んでしまうと洗脳されるかには個人差があるが、おおよそ「年齢」「名前」等の個別の情報を2つほど聞いてしまうと、抵抗することはできない。

 

などが存在する。

 

 

 

つまり、“白き神”の間接的な洗脳条件には“音”が非常に大きく関係している。

 

洗脳するためのディスクや音楽データはダビングしても効果は残るが、効果は減少していく。

 

一度洗脳された者は洗脳が解けると洗脳時に知らされた情報は消えてしまうため、“白き神”自体を追うのは非常に難しいが色々と制約も存在する異能。

 

対策は出来るし予防も不可能ではない、だがそれを補って余りあるほどの理不尽な異能が“白き神”が持つ『認智暴蝕』だ。

 

その危険性は、ICPOが認知している世界に存在する異能の中でも頂点に立つ。

 

 

 

“白き神”は各国を跨いで、積極的に甚大な被害をばらまいている。

 

被害者の数も相当なものであるし、その分こんな風にいくつも情報が入ってきてはいるが、その正否は確実とは言い難いのではないか、と言うのがルシアの持論だった。

 

 

 

そもそも、異能と言う超常現象が未だに解明されていないのだ。

 

異能と言う正体不明の力の中でも、科学的に立証されていない精神に干渉できると言う、よく分からない力に原理を求める方が間違っているのではないか。

 

そんな風な考えを持って、危機感を覚えているルシアを嘲笑うようにベルガルドが鼻を鳴らす。

 

 

 

 

 

『これだから肝の据わっていないお嬢様は困る。そんなに怖いなら、そもそもこんな現場になんて出てこず家に引き籠っていればいいものを』

 

『そうだな、俺も汚い髭野郎をスーツケースに片付けたくなってきた』

 

『アブ黙って。……ベルガルドさん、確かに私は“白き神”と言う存在を怖がっているわ。けど、それは怖気付いたからじゃない。相手の力を分析して、危険を感じているから恐怖しているんです。楽観視しかしなかったら、あっと言う間に呑み込まれる相手です。ベルガルドさんもくれぐれも』

 

『はっ、そうかい。そりゃ失礼した』

 

 

 

 

 

ルシアの堅実な発言を聞いて、一応は納得したのかベルガルドは肩を竦めながら矛を収める。

 

 

 

周りに喧嘩を売りながら、自分の気になる部分が無くなってしまえば、状況がどうであろうと飄々と切り上げる。

 

いつも通りのベルガルドの様子に、ルシアは気疲れしたように溜息を吐き、アブサントは不愉快そうに眉をひそめた。

 

 

 

ともあれ、とルシアは諫めるように状況を口にした。

 

 

 

 

 

『これで“白き神”のトリガーとなっていたディスクの回収は6つ目。日本で拡散されていたもののほとんどは回収できたんじゃないかしら?』

 

『ふん。いや、もう1つくらいあってもおかしくはないだろうな。奴はいくつか保険を掛ける癖がある。目立った事件を起こしていないものもある筈だ。お前もそう思うだろう、アブサント』

 

『…………そうだな』

 

『そう、でも難しいわね……。柿崎さん達には悪いけどトリガー全ての回収は無理かもしれないわ。本部から早々に日本での任務を終わらせて戻って来いと指示が来ているの。どうにも各国でキナ臭い動きがあるみたいで……私達以外の異能対策の人員も総動員させられているみたい。“千手”を本部に護送して他の国への対応に当たらないと……』

 

『そうだな。異能に対する理解が進んでいない日本の優先度が低いのは、異能を持つ俺達からすれば当然だろう。気に病むことも無い。それに、攻撃を仕掛けて来たから、また次の攻撃があるんじゃないかと警戒していたが、それも無い。あの目立ちたがり屋の“白き神”から接触も無かったことを考えると、あくまで奴の不審な行動の目的は、日本ではない別の国の可能性が高い。本部からの指示の通り、別の場所の支援に行った方が吉だろう』

 

 

 

 

 

回収した“白き神”のトリガーであるディスクを厳重なスーツケースに収め、外に出る。

 

重い荷物を持とうとアブサントがルシアの持つ荷物に手を伸ばすが、当然警備的に戦闘も担当するアブサントが荷物を持つなど許されるはずが無い。

 

それとなくルシアに窘められたアブサントはがっくりと肩を落とし、せせら笑っているベルガルドを物凄い形相で睨み付けていた。

 

 

 

 

 

『結局、見つかった“白き神”に洗脳されていた者達も軽いものばかり、人格そのものが乗っ取られてるレベルの者は見つからないわね…………あ』

 

 

 

 

 

そういえば、とルシアは何かを思い出した。

 

 

 

 

 

『聞きたかったことがあったのよ、アブサント。前に柿崎さん達と一緒にいた小さな女の子をやけに警戒、と言うか、観察していたじゃない? しかも、中々表情にも態度にも出さない貴方があんなに露骨に。あの距離で異能の気配を感じなかったのなら、“白き神”から洗脳を受けていないでしょうし、あの時の態度がよく分からなくて……なにか不可解な点でもあったの?』

 

『ほう? そういえばそうだな、アブサント。どうしてあんな態度を取ってたんだ? いつも通り過保護な忠犬っぷりを発揮したのは当然だが、何を根拠としていたんだ?』

 

『……………………』

 

 

 

 

 

不思議そうな顔で問いかけるルシアと馬鹿にするかのような顔で笑いながら答えを促してくるベルガルドに、しばらく沈黙したアブサントは嫌々ながら口を開く。

 

 

 

 

 

『……勘だ、根拠も何もない。あの少女の視線に嫌な予感がしただけだ』

 

『ぶっ、はっはっはっ! そうか、やっぱり大好きなお嬢様への過保護が発揮されただけか! それなら別に良いんだっ、ははっ!』

 

 

 

 

 

ひとしきり笑ったベルガルドがそのまま、先導して歩き出したのを眺めてから、アブサントは馬鹿にされたことなど気にもならないかの様に無表情で、ぽつりと呟く。

 

 

 

 

 

『あの“白き神”の攻撃による複数台の車両事故。彼らが生き残ったのは、“白き神”に何らかの意図があったのか、それとも本当に偶然か?』

 

『……何が言いたいの?』

 

『分からない…………だが俺は、この国から今すぐにでも逃げだしたいと思っている。理由は無い。単なる俺の、感覚の話だ』

 

 

 

 

 

アブサントは口を噤み、それ以上話すことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15時15分、氷室警察署。

 

ICPOからの命令で帰国する旨を伝えるために、一応は協力していた氷室警察署へ訪れた。

 

 

 

 

 

「……確かに上からの情報や報道から、世界的なテロ活動がやけに活発らしいのは俺も分かってた。それにあの男、“千手”とやらを本部に運ぶのもお前らにとっては大切な任務なんだろう。流石にそれを知った上で、最後まで日本に留まって解決してくれとは言えねェ。苦労掛けたな」

 

 

 

 

 

もはやICPOとの窓口になっている柿崎に事情を説明し、明日には日本を離れるつもりだと伝えると、柿崎は特に引き留めることも無く彼らに労いの言葉を掛けてきた。

 

まだいくつか洗脳を行うためのディスクが存在するかもしれない事、見つけた場合の対処、要するに見ることなく破壊する必要を伝え、ルシア達は今回日本に派遣された最大の目的である“千手”に会いに、東京拘置所へ向かった。

 

 

 

 

 

15時50分、東京拘置所。

 

 

 

 

 

「ICPOの……伺っています。あの外国人ですね? ええ、通達があって……非合法ではありますが、目や耳を塞ぎ自由を許さず拘束しています。長年、ここで働いてきましたが初めてですよ、あんな人権を無視したような拘束は。とはいえ、彼の言動はかなり病的で……早めに引き取ってくれるなら何よりです」

 

 

 

 

 

厳重な警備が敷かれた拘置所の入り口も、警視庁が直接動いてくれたおかげか、特に身分証を掲示すれば止められることも無くすんなりと入ることが出来た。

 

最新の機器に囲まれ、多くの人員に穴が無いよう監視され、強固な牢で部屋に押し込められている被疑者達(まだ犯罪が確定していない人達)。

 

そんな中を歩き、辿り着いたのは殊更厳重な一室だった。

 

 

 

その中で拘束されている男。

 

“千手”の男、ステル・ロジーの拘束環境は職員が言っていたように過酷なものだ。

 

目を塞がれ、機械が頭ごとすっぽりと覆い耳から音を拾えないように、四肢は拘束具で何重にも縛られている。

 

口の自由こそあるが、それだけだ。

 

 

 

 

 

「……▮▮▮▮▮▮▮」

 

 

 

 

 

口元が僅かに動いている。

 

だが、何を言っているか扉越しでは全く聞き取れない。

 

過酷な拘束環境に精神を病んだとしても不思議ではないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

15時55分、東京拘置所通信モニター室。

 

 

 

“千手”の収容されてからの様子や健康状態の引継ぎを受ける。

 

参考までに監視カメラからの映像がどのように映っているのかを確認し、建物の構造が書かれたマップから護送時のルートを決めていく。

 

そして、本部と連絡を取り決めた予定を伝え、輸送機の手配を依頼して、今日この場所でやれることはここまでか、と最後にホテルに戻ろうとして。

 

 

 

ルシアは部屋に置かれた多くのモニターの中に、不審な動きをしている職員がいることに気が付いた。

 

その職員は、まるで酔っぱらっているかのようなフラフラとした足取りで、鍵の付いた輪を指で振り回しながら、通路を歩いている。

 

 

 

 

 

「……あの、あの職員は何をされているのでしょう? 収容している者達に見せ付けるように鍵を振り回していますけど、あれはまさか牢の鍵ではないですよね?」

 

「……はい? へ? な、なにやってんだアイツ!?」

 

 

 

 

 

ルシアの指摘に、初めて同僚のおかしな行動に気が付いたのだろう。

 

ルシア達を対応していた職員が、慌ててマイクへと手を伸ばし、映像に映ったおかしな行動をしている職員がいるフロアへの音声を入れると、その場で止まるようにと言う警告を始める。

 

 

 

 

 

『……“白き神”の兵隊? でも、それにしたって幼稚で無謀過ぎない?』

 

『そうだな、あんな単純な行動ではせいぜい1人や2人分、牢を開けるのが精いっぱいだろう。それに、見た限り警備は中々だ。間違っても“千手”の解放は出来ないだろう』

 

『……』

 

 

 

 

 

不審な行動をしている拘置所職員が、駆け付けた他の職員達に取り押さえられているのをモニター越しに眺め、妙な事態が収束したのに安心する。

 

ここに収容されている人間はおよそ1000人程度で、ここで働く人間は100人程度だろうか。

 

 

 

あり得ない話だが。

 

もしも全収容が解放されてしまえば、そこから考えられるこの場の光景は地獄の筈だ。

 

 

 

 

 

『……勘弁してよね。これ以上の想定外は要らないんだから』

 

 

 

 

 

この目的の分からない行動に次の手があるとすれば、と考えてルシアはモニターから視線を外して周囲を見る。

 

恐らくそれは、このモニター席でしか出来ない事であるだろうし、洗脳されている人は異能持ちからすれば距離さえ詰めれば見付けるのは容易だ。

 

 

 

洗脳されている者は、微弱な異能の出力がある。

 

普通の異能持ちが発する出力とは違うから、出力が全くない一般人との見分けは簡単に付くし、異能持ちとも出力の仕方が違うから識別も楽だ。

 

 

 

 

 

『ベルガルド、一応他に洗脳されている者がこの場に居ないか確認を。もしアレが“白き神”の兵隊なら、また次の一手があることも考えられ――――』

 

『ルシアお嬢様!!』

 

 

 

 

 

だからルシアは、より異能の扱いに慣れていて、探知も優れているベルガルドに声を掛け、周囲の警戒をするよう促そうとして――――押し飛ばされる。

 

 

 

ガツンと、鈍器で殴られたような鈍い音がして、頭から地面に叩き付けられたアブサントがルシアの隣に倒れ込んだ。

 

 

 

床に真っ赤な血が広がっていく。

 

 

 

 

 

『……アブ?』

 

 

 

 

 

両親よりも信頼を置く人が死んだように動かないのを見て、ルシアは事態が理解出来ずにそう呟いた。

 

 

 

そして、その事態を引き起こした犯人は気だるそうに持っていた鉄の棒を放り捨て、頭をガシガシと掻いた。

 

 

 

 

 

『まったく、才能も無い奴が指示してくるんじゃねぇよ。嫌悪感で蕁麻疹が出ちゃうだろうが』

 

『ベル、ガルドッ!?』

 

『まさか、忠犬がここまで身を呈するとは思わなかったが、お前への怒りはこれでチャラにしてやる。ほら、どけ』

 

「な、な、なんだっ、仲間割れかっ……!? いったい何を!?」

 

 

 

 

 

倒れたアブサントの事などもう興味もないようで、ベルガルドはモニターのマイクを職員から奪い取ると機器の握り方を調整して、『あー』と声の調子を確かめ……それから凶悪に笑った。

 

 

 

 

 

「なーんて、ね。僕の芝居、上手かったろ?」

 

『……え?』

 

 

 

 

 

ベルガルドの口から出て来たのは、彼が話せるはずがない流暢な日本語だ。

 

小馬鹿にするような、見下すような目で事態が呑み込めないルシアを一瞥して、手に持ったマイクに告げる。

 

 

 

 

 

「初めまして下等で愚かな諸君、僕の名前は白崎天満。年齢は29歳、性別は男。好きなものは他人の絶望した顔。今は、“白き神”を名乗っているよ」

 

 

 

 

 

ぐらりっ、と。

 

視界が歪んだと思う程の量の異能の出力がベルガルドから発せられ、機械を通して、東京拘置所中を異能の孕んだ声が響き渡る。

 

 

 

事態を把握した拘置所の職員達が、ベルガルドに飛び掛かろうとした体勢で停止する。

 

モニターに映る、不審な行動を取っていた職員とそれを抑え込んでいた者達が動きを止める。

 

そして、何が起きているのかと状況を窺っていた牢に収容されている者達は、全員が一律に立ち上がる。

 

 

 

そして、彼ら全員がベルガルドに忠誠を誓うかのように、その場で頭を下げた。

 

 

 

 

 

「さてと、制圧完了。じゃあ依頼通り、“千手”と“紫龍”を迎えに行くかな」

 

 

 

 

 

時刻は15時59分。

 

ベルガルド……いいや、彼の体を乗っ取った“白き神”は、思い出したように手を打った。

 

 

 

 

 

「ああ、忘れてた。世界中に配置している奴らに暴れて貰わないと、どさくさに紛れていっぱい駒を増やさないとね」

 

 

 

 

 

“白き神”はそう言って、指を鳴らす。

 

その瞬間、世界中で合図を待っていた彼に洗脳された者達が一斉に行動を開始する。

 

世界に暴力が満ち溢れていく。

 

 

 

これから始まるのは、『UNN』からの依頼の達成だけを目指すものでは無い。

 

“白き神”自身の目的への第一歩。

 

世界最悪の異能『認智暴蝕』による、本格的な世界征服の始まりだ。

 

 

 

時刻は16時00分、世界を巻き込んだ同時多発の大規模テロが勃発した。

 

 

 

 

 

「いくつの国が手中に落ちるか、楽しみだなぁ……」

 

 

 

 

 

“白き神”はそう言って、床を染めた血を踏みにじった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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崩壊する均衡

いつもお読みくださりありがとうございます。
皆様の応援にはいつも励まされております。
本当にありがとうございます!

実はまた本作のイラストをTwitterの方で描いて頂くことが出来ました!
活動報告の方にリンクを貼らせていただきましたので、興味ある方はぜひ素敵な作品をご覧ください。


 

 

 

アメリカ ワシントン。

 

所属不明のおよそ10000人規模の武装集団による蜂起。民間人への攻撃及び政府施設への襲撃により軍隊が投入されるも未だ抵抗激しく制圧出来ず、また人質も多数。交通機関の占領もあり、完全制圧にはかなりの時間が要すると想定される。

 

 

 

『なんなんだよあいつら!? 突然銃を撃ってっ、畜生っ! すぐに逃げた俺でも肩や足が撃たれてるんだ! 撃たれて動けなくなった奴が何人もそこら中に転がってるっ!! 警察でも軍隊でもなんでもいい! 早くあいつらをなんとかしないと大勢が死んじまうよ!!』

 

 

 

 

 

イギリス ロンドン。

 

アメリカと同様に、大規模の武装集団によるテロ活動が同時刻に開始される。政府施設への攻撃は勿論、王室への攻撃もかなりの激しさを見せており、明確な目的は読み取れない。どこから入手したのか、軍隊でも採用されている銃火器を使用したテロ活動はさらに規模が拡大していくと予想される。

 

 

 

『通してくれっ! まだあの中に私の娘がいるんだ!! まだ5歳になったばかりなんだよ! 雑踏で、繋いでいた手が離れてっ! きっとまだ生きてる、きっとまだ泣いているっ! 俺がっ、俺が行かないといけないんだっ……! だからそこを通してくれっ、頼む、頼むよ……!!』

 

 

 

 

 

中国 北京。

 

アメリカやイギリスとは異なり、テロ思想を持った個人が同時に蜂起したと思われる。その規模推定2万人。その膨大な数により、警察署や軍施設の占拠に動いた彼らのテロ行為は警察や軍と非常に激しい衝突に発展している。

 

 

 

『違うの! あの子はこんなことをする子じゃないの!! この国一番の大学へ入学したばかりで、将来は有名な科学者になるんだって私に言ってたのっ……! これまで育てた私を、お父さんの代わりに楽させてあげるんだって言って……あの子が、こんなことする訳なくて……! いやよ……お願い……きっと悪魔に取り憑かれているの……あの子は悪くないから、お願いだから……』

 

 

 

 

 

ロシア、フランス、インド、オーストラリア、エジプト、フィリピン等、計21ヵ国で同時刻に発生した大規模テロは瞬く間に世界を地獄へ変えた。

 

阿鼻叫喚の未曽有の事態の中、事態の収束にICPOや各国の警察や軍隊が大きく動く。

 

そして、異能と言う稀有な超常現象の存在を認め、対策部署を作っていた特定の国々は、今回の件が、異能を持つ者による一つの意思に基づいた世界的なテロだと言う結論に辿り着いていた。

 

 

 

だが、辿り着いていたものの、そこから具体的な対策は打ち出せない。

 

これらのテロを操っている黒幕本人を叩けるなら話は別だ、だが、裏で糸を引いている誰かは、姿を見せておらず、所在も全く分かっていない。

 

そもそも異能の詳細すら正確に把握できていないのだ。

 

異能と言う存在を認めて、正式に対策を取る必要があると考え出したのはほんの数年前なのだ。

 

せいぜい国内にいる異能持ちを必死になって集めていただけの、形ばかりの対策部署では、こんな世界規模の形の見えないテロ活動には太刀打ちが出来ない。

 

最初の敵として、今回の世界規模の異能犯罪はあまりに相手が悪すぎた。

 

 

 

この時点で結論を出すなら、“白き神”による世界各国への同時攻撃は成功しかありえなかった。

 

 

 

 

 

「――――ああ、良い眺めだ。ははっ、各国の首脳陣の驚愕する顔が目に浮かぶ」

 

 

 

 

 

目を瞑り、世界中の端末と化した人間達から送られてくる情報を受け取り、ベルガルドの体を操っている“白き神”は全能感に酔いしれた。

 

 

 

 

 

「あの老人も、まさか僕がここまで大規模にやるとは思わなかっただろう。でも文句は言えないよなぁ、最初に話を大きくしたのはアイツだし、僕にこんな美味しい依頼をしたのもアイツだ。ああ、なんて僕は幸運なんだ。一気に異能持ちが手駒に出来るなんて、最高じゃないか!!」

 

 

 

 

 

高揚した気分に、頬を上気させた“白き神”は、占拠した東京拘置所内全てを映しているモニターの前で、大きく腕を広げた。

 

 

 

“瞬間移動”に“音”、“煙”ときて“千手”まで、より取り見取りなこの場所の異能持ち達は、洗脳を得意とする“白き神”からすればお宝の山だ。

 

これだけあれば、世界が混乱している隙に日本と言う国を落とすのだってそう難しくはないだろう。

 

そんな皮算用をして、さらに上機嫌になっていた“白き神”の背後で女性が動いた。

 

 

 

 

 

「あがっ……!!」

 

「無駄だよ、僕の探知内にいるんだ。奇襲なんて出来る訳ないだろう?」

 

 

 

 

 

ルシアが懐から引き抜いた銃口を“白き神”に向けようとしたが、周囲にいた洗脳された拘置所の職員達が一斉にルシアを取り押さえた。

 

女性だから、とか、警察の傷付けない様な生ぬるい拘束ではない、大多数で圧死させるかのような取り押さえに、ルシアはまともに呼吸すら出来ず圧し潰される。

 

 

 

 

 

「それにしてもおかしいな。僕の言葉を聞いた筈なのに僕の駒になってない……何か対策でもしたのかな? それとも……」

 

『――――……』

 

「そうか、やっぱり君か」

 

 

 

 

 

ゆらりと立ち上がった褐色の男、アブサントは頭から血を流したまま、猛禽類の様な鋭い視線を“白き神”に向ける。

 

ベルガルドの筋肉質な体を使って、全力で頭を殴り付けたのに丈夫なものだと、“白き神”は感嘆のため息を吐いた。

 

 

 

 

 

「良いね、その頑丈さは僕の手元に置いても有用そうだ。どうだろう、彼女の命が惜しいだろう? 僕の洗脳を受け入れてくれたら――――」

 

『消えろ』

 

 

 

 

 

“白き神”が提案をアブサントへ問い掛けようとした瞬間、立ち上がったアブサントは両手を叩いて手の中に音を作り出す。

 

隙間を作らないよう音を閉じ込め、一瞬の停止により手の内で増幅された音の暴威は、直後“白き神”に向けて解放された。

 

 

 

 

 

「――――ふうん、器用だね」

 

 

 

 

 

鼓膜を破壊するような音の爆発が、部屋にいる人間全てを巨大な衝撃で吹き飛ばした。

 

ルシアを圧死させようと取り押さえていた職員達やアブサントの行動を止めようと飛び付いていた者達の体が、目に見えない衝撃で吹き飛ばされ、壁に叩き付けられる。

 

 

 

地面に押し潰されていたルシアが、ようやく出来た呼吸に咳き込みながらも立ち上がり、手に持った銃口を“白き神”に向けようと探すが、先ほどまであった姿がない。

 

 

 

 

 

「お嬢様には“音”の異能が届かない様に、周りに無音の膜を張って防御。それでいて自分自身にも音が波及しないようしっかりと指向性を持たせた異能の出力。優秀、優秀」

 

『っっ!!??』

 

『アブっ、後ろっ!!』

 

 

 

 

 

背後に立っていた“白き神”に転がるようにして距離を取ったアブサントは、今度は“白き神”単体を狙って異能を発動させようとするが、視線の先にいた“白き神”の姿が消えたことでその攻撃は空振りに終わる。

 

 

 

 

 

「ほーら、こっちだぞー」

 

『グッ!?』

 

 

 

 

 

横に現れた“白き神”に脇腹を蹴り飛ばされ、地面を転がる。

 

そして、地面に転がったアブサントに追撃をしようと、落ちていた鉄材を拾い上げた瞬間。

 

 

 

 

 

「おっと危ない」

 

『っっ……!!』

 

 

 

 

 

“白き神”の背後を取ったルシアが数発発砲するが、それを事前に察知した“白き神”はその直前にルシアの背後に転移して、手に持った鉄材でルシアの後頭部を殴り飛ばす。

 

 

 

アブサントと同様に殴り飛ばされ地面に叩き付けられたルシアは、頭からの出血で床を赤く染めていく。

 

 

 

 

 

「ぐ、うぅ……お前ぇっ、ベルガルドの異能をなんでそこまでっ……!」

 

「【なんでそこまで使いこなせるのか】かな? 時間稼ぎにしたってもう少し質問考えたら? まあいいや、そりゃあ僕がこうしてベルガルドくんを乗っ取って、彼の記憶や知識はしっかり僕のものにしてるからだよね。もともと僕以上の異能の使い手なんていないし、ベルガルドくんよりもずっと上手く使えたとしても不思議じゃないよ」

 

「ぐっ、いつからベルガルドを操っていたのっ!?」

 

「最初から。そう言ったら絶望する? あっはは!」

 

 

 

 

 

哄笑する“白き神”に、焦りを隠し切れないルシアは必死に頭を回して攻略の糸口を考えるが、どれをとっても不可能なものばかり。

 

 

 

八方塞がりに近い現状。

 

背後で洗脳された職員達が再び立ち上がっているのを確認して、ルシアは逃げ場すらない事を悟った。

 

 

 

 

 

『……違うな』

 

「は?」

 

 

 

 

 

立ち上がったアブサントは真っ赤な血に染まった髪の隙間から、鋭い目を向ける。

 

 

 

 

 

『先日あった車両による攻撃の目的は、俺達の誰がどんな異能を持っているか測るためのものだった。その場で俺達の異能を確認したお前はベルガルドの異能を知り、最初に洗脳するべきなのはコイツだと判断して、ベルガルドが1人になるタイミングを待ち続けた。洗脳した手段は……大方洗脳していない人間を脅して使い、ベルガルドに音声を聞かせた、そうだろう』

 

「ふうん……そう、そういうのも考えられるのか君」

 

 

 

 

 

正解とも間違いとも言わず、少し称賛するようにそう言った“白き神”は残念がるように肩を落とした。

 

 

 

 

 

「異能を持っていて、優秀な思考も出来て、それでやることがそのお嬢様のお守りって……本当に君の人生ってあんまりじゃない?」

 

 

 

 

 

心底哀れむ様な目でアブサントを見た“白き神”は、優し気に微笑む。

 

 

 

 

 

「僕が解放してあげるよ、その縛られた思考の在り方を。僕と言う至高の手駒として、君を生まれ変わらせてあげよう」

 

 

 

 

 

「そのために」、そう言った“白き神”の背後に白い煙が立ち昇る。

 

そして、その煙の中から現れた、どこにでもいるような中年の男性は、煙から拳銃を取り出して“白き神”に手渡した。

 

 

 

突如として現れた情報に無い異能持ちの出現に、ルシアもアブサントも驚愕と絶望で顔から血の気を無くす。

 

 

 

 

 

「まずは、今の君のご主人様を消してあげよう」

 

『――――ルシアお嬢様っ!』

 

 

 

 

 

“白き神”の姿が掻き消える。

 

恐らく今度はルシアの至近距離で。

 

銃口を向けた状態に転移するだろうと、瞬時に判断したアブサントはもう一度音の爆発を、今度はルシアすら巻き込むよう部屋全体に発生させ、動き出していた職員達含め吹っ飛ばす。

 

 

 

どう足掻いても勝ち目がない、そう判断したアブサントはルシアの意思を確認すること無く、壁に叩き付けられ口から血を吐いたルシアを抱えると、そのまま逃走を図った。

 

部屋に残ったのは、何度も壁に叩き付けられてなお、うめき声1つ上げずに機械の様に立ち上がる職員達と白い煙のみ。

 

数秒して、安全になったと言う情報を受け取ってから部屋に現れた“白き神”は、部屋の現状と駒の欠損を軽く確認し、少しだけ考えて指示を出す。

 

 

 

 

 

「よし、面倒だけど音が聞こえない状態になってる“千手”は直接行かないとだから、僕が行くとして、逃げたあいつらは君達が回収。特に“紫龍”、君が居れば身柄の回収は簡単だろう? “音”じゃどうやっても君の異能は防げない、ちゃんと生かして僕の前に連れてきてね。ICPOの職員を手駒にすれば超有用なのは間違いないんだから」

 

 

 

 

 

“白き神”は、指示に了承もしないまま機械的に行動に移った駒達を見届ける。

 

 

 

 

 

(……しかし、“紫龍”は想像以上に使えそうな異能だ。“千手”もそうだけど、まともに手駒にしようとしたら、結構手間が掛かっていたかもしれないな……神楽坂、あの男が本当にこんな奴らを捕まえたのか? あんな、身体能力しか取り柄の無い低能の男が?)

 

 

 

 

 

少しだけそんな風に悩んだ“白き神”だったが、そんな事よりも目の前の事態をある程度収拾させるのが先かと、判断し思考を切り替える。

 

 

 

“千手”を奴らが解放して、何かしらの間違いでICPO側についた場合、面倒なことになる。

 

そんなありもしない不安を抱いて、“白き神”は足早に“千手”が拘束されている部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

時間にして5分も掛からない程度。

 

“千手”が隔離されている部屋へ足を踏み入れた“白き神”は、ルシア達を追っていた駒達から、確保完了の報告を受け取り、上機嫌に笑みを浮かべる。

 

想像していた通り“紫龍”の異能に太刀打ちすらできなかったようで、ルシア達はあっと言う間に煙に囚われて、今は身動き一つ出来ない状態らしい。

 

 

 

どうせなら“千手”が手中に収まるところでも見せて、もっと彼らを絶望させてみようと、彼らを捕えている“紫龍”を呼べば、ものの数十秒で白煙が部屋に現れた。

 

 

 

機動性にも長け、察知も難しく、その上攻撃のバリエーションにも富んでいる。

 

想像以上の成果を出す“紫龍”と言う異能持ちに、目を丸くした“白き神”は感心した声を上げた。

 

 

 

 

 

「……いや君強いな、どういうへましたら捕まるのさ……まあ、後で記憶でも見てみるか」

 

 

 

 

 

“白き神”からすると皮肉のない珍しい手放しの称賛である。

 

 

 

早速“紫龍”にルシア達を出すようにと指示をする。

 

煙から引き摺り出されたルシア達は、再び目の前に“白き神”がいることを知り、今いる場所が“千手”が捕らえられている場所だと理解して、表情を引き攣らせた。

 

 

 

 

 

「さてと、こうして全部が全部僕の望むままに上手くいった訳だけど。何か言っておきたいことはあるかな?」

 

「っ……」

 

『……』

 

 

 

 

 

有刺鉄線により手足が縛られており、まともに動くことも出来ないルシア達。

 

せめて“白き神”の思い通りになって堪るかと口を噤んだが、その苦し紛れの抵抗すら読み取った“白き神”は愉快そうににんまりと笑みを深めた。

 

 

 

 

 

「愉快愉快。さあ、これからICPOを散々苦しめた戦争屋“千手”が僕の手駒に落ちるところを見せてあげるよ。せっかくだし、その後は手に入った異能持ち達を使って、東京くらいは制圧してみようかな? 勿論君達の名前を使って、ICPOによる日本への宣戦布告と言った形式にして世界をもっと混乱させるんだけどね。あはははっ」

 

 

 

 

 

それだけ言って、白き神は洗脳した職員達に“千手”の耳を塞いでいる機械を外させる。

 

ぐったりと力がない“千手”の様子に少し不安を覚えたが、洗脳すれば変わりないかと“白き神”は大して気にもせず、いつもの言葉を発する。

 

 

 

 

 

「初めまして、僕は白崎天満。歳は29歳で、今は“白き神”と名乗っていて――――……?」

 

 

 

 

 

異能を使って言葉を聞かせたが、全く手応えがない。

 

これっぽっちも感触の無い“千手”への洗脳に、少し困惑した“白き神”は頬を掻いた。

 

 

 

 

 

「ん? んんん? どうして反応がない? …………あ、分かった。前に会った同じ精神干渉系統の異能持ち、あいつが先に洗脳しているんだ。なるほどなぁ、確かにそれじゃあ、情報による寄生だと出力が弱すぎて、優先権はあっちにある訳ね」

 

 

 

 

 

なるほど、と得心が言ったように“白き神”は頷いた。

 

これまであの老人が手を回していた異能持ち達を捕えていたのが、以前遭遇したあの人物だとしたら、全ての疑問が解消される。

 

 

 

そして、そうなると話は変わってくる。

 

精神干渉系統の異能同士が洗脳の上書きをしようと争う時、モノを言うのは出力の高さとなってくる。

 

となれば、安易で、雑な洗脳方法では勝てないのは当然。

 

ベルガルドにやっているような、精神への直接的な寄生が必要となってくる。

 

 

 

そう考えた“白き神”は、職員達に“千手”の目隠しも取らせ、ぼんやりとどこか遠くを見る“千手”の頭に手を触れた。

 

 

 

 

 

「じゃあ、こうして直接手を触れて、一度僕が潜り込めばいい。そうすれば、あの忌々しい同類の姿形も、“千手”の記憶から多少は見て取れるはずだから――――」

 

 

 

 

 

むしろ一石二鳥か、なんて。

 

そう言おうとしながらも、異能を起動させようとした“白き神”の耳に、廃人に近い様子である“千手”の、先ほどまでは全く聞き取れなかった呟きが耳に入ってくる。

 

 

 

 

 

「▮▮▮▮……無貌の巨人、顔の無い巨人、顔の無い。顔の無い。顔の無い、悪魔が……」

 

「…………は?」

 

 

 

 

 

ひやりとした嫌な予感が“白き神”の背筋を伝った。

 

その言葉の意味を聞き返す前に、自分の異能が起動してしまう。

 

 

 

 

 

――――いくつもあった不気味な点を放置して、“白き神”は異能を起動してしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

視界が反転する。

 

 

 

見えていた景色が、逆になる。

 

 

 

目の前にいるのは、先ほどまで自分が操っていたベルガルド。

 

 

 

その後ろには自分の手駒の職員達と“紫龍”に、何のなす術もないルシア達。

 

 

 

 

 

それだけの筈だ。

 

それだけの筈なのに。

 

 

 

巨大な体躯の、あり得ない存在が“白き神”を覗き込んでいる。

 

部屋を埋め尽くし、屈みこんだその巨体は正しく怪物。

 

 

 

その怪物は――――。

 

 

 

「待っていた」そう言わんばかりに、口しか存在しない顔をその化け物は笑みを作るように引き裂いて、目を見開いて驚愕する“白き神”を歓迎した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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謀略、奸計、あるいは欺瞞

 

 

 

日本時間、16時35分。

 

フランス リヨン ICPO本部。

 

 

 

 

 

『……どうなってる?』

 

 

 

 

 

次々と入ってくる新たな情報の数々に忙殺され、目まぐるしく世界が変化していく中で、何の有効な対処も出来ずにいたのがほんの数分前。

 

各国で発生していた“白き神”によるものと思われるテロ情報の収集及び現地にいる職員達への指示伝達、並びに各国への情報提供を行っていたICPO本部に、唐突に訪れた沈黙の数分間は職員達を困惑させるには充分すぎた。

 

 

 

最後に上がって来た、現地で対応に当たっていた職員達からテロ活動の収束、および異能持ちからは群衆の洗脳が解除されたとの報告に、派遣した職員すら“白き神”の手に落ちたのかと肝を冷やしたが、どうにも様子がおかしい。

 

ほんのちょっと前の“白き神”による世界的なテロ活動からするとあり得ない様な、不気味な平穏がICPO本部を包んでいる。

 

 

 

 

 

『局長、“白き神”によるテロ攻撃を受けていた各国から、攻撃の停止があったとの連絡が! 現地職員から上げられた報告と合致します! “白き神”の攻撃は全停止された模様です!!』

 

『馬鹿な、“白き神”からの総攻撃だぞ? ここまで大規模で、人目に付く派手な攻撃をしておいて、1時間もしない内に沈静化させるなどあり得ない。……なんだ? 何か奴が予測していなかった事態があったのか……?』

 

 

 

 

 

入ってくる連絡はどれもテロ活動が沈静化されたと言うものばかりだ。

 

本来であれば喜ぶべき内容の報告である筈なのに、このテロ活動の首謀者である人物を考慮すると、何か裏があるのではないかと疑わしく思えてくる。

 

先ほどまでの忙しさが嘘のように、手持無沙汰となってしまった職員達は、取り合えず各地に派遣している者達と連絡を取りあって、無事の確認を急いでいた。

 

 

 

そんな中、ICPOに今まで繋がらなかった通信が届いた。

 

 

 

 

 

『局長、先ほどから連絡の取れなかった“千手”回収任務に就いているルシア達と通信が繋がりました』

 

『なんだと? ……異能遮断の通信は確立できているな? よし、こちらに回してくれ。まだ日本からはテロ活動が開始されたとの報告も、沈静化したとの報告も無かった筈だ。詳細を……いや、今は簡潔に状況を報告させろ』

 

『了解。ルシア・クラーク、局長に回線を回す。簡潔に状況を報告せよ』

 

『りょ、了解。こちらルシア・クラークっ、状況は、極めて説明が難しいですっ……』

 

 

 

 

 

普段の理路整然とした姿からは考えられない、通信越しですら動揺する気配が伝わってくるルシアの声に、局長は眉をひそめる。

 

「何が起きている?」、その単純な問い掛けに、ルシアは上手く答える術を持たないかのように、継ぎ接ぎの事実を述べていく。

 

 

 

 

 

『わ、我々は“白き神”の本人格と交戦状態に入りました。異能対策のベルガルド・ピレネが“白き神”の手に掛かり洗脳。私と異能対策のアブサントは“白き神”により拘束され、日本の東京拘置所は“白き神”により完全占拠。我々には奪還は不可能でした……!』

 

『なんだと!? そうかっ、“白き神”の目的は“千手”か!? いやだが、それでは辻褄が合わない。なぜ奴は他の国から手を引いて……』

 

 

 

 

 

局長は彼らが置かれている状況の悪さに増援を送る手筈を整えるよう指示を出し、頭の中で繋がった“白き神”の行動理由に、血の気が引いた顔色で息を呑んだ。

 

 

 

しかし、ルシアから上がって来た次の報告を聞いて、局長は思考を停止させる。

 

 

 

 

 

『そして現在っ、“白き神”と“顔の無い巨人”が交戦状態に入りました!』

 

 

 

『――――な……なにを、言っている……?』

 

 

 

 

 

到底あり得る筈がない情報に、局長は呆然とそう呟くことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

燐香ちゃんは考えた。

 

 

 

集めた情報からして、“白き神”とやらはより強制力に優れた洗脳を行う異能持ちだと。

 

寄生、そう評した洗脳手法は、相手の意思に関係なく、相手の精神そのものに取り憑き、取り憑いた者の記憶すら自分のものとする一方的なものだと。

 

そして、以前人格が“白き神”と呼ばれる者に切り替わった被害者を見た限り、一時的に異能の対象とした者と精神を同一化している状態なのだろうと。

 

 

 

そう結論付けた。

 

 

 

 

 

わた……燐香ちゃんは考えた。

 

 

 

国外と言う、遥か遠い場所から媒体(音楽又は映像ディスク)を使って攻撃の手を広げている“白き神”は、異能と言う繋がりのみを使っているから、この国で暴れる洗脳された者達をいくら攻撃しようが、中々本体まで攻撃を届かせるのは難しい。

 

その上、少しでも危険を感じれば一方的に異能の繋がりを絶って逃げ出すのだから、いくらこの国で行われている“白き神”の攻撃を防ごうが、原因を排除することは出来ないのだ。

 

 

 

ならば、どうするのか。

 

 

 

 

 

わた……天才少女燐香ちゃんは思い付いた。

 

 

 

あ、これ、寄生する相手にあらかじめ思考誘導を掛け切っておけば巻き込めるんじゃない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16時22分。

 

東京拘置所、通信モニター室。

 

 

 

 

 

あり得ない。

 

 

 

最初に“白き神”の脳裏を過ったのは、そんな単純な言葉だった。

 

 

 

真っ黒な人型で、部屋を覆いつくすほど巨大で、口以外存在しない異形の存在。

 

自然界では絶対にありえない怪物が、目の前にいることを理解してもなお、“白き神”は何か出来る訳も無く呆然とそれを見上げた。

 

 

 

だから、この場で最初に動いたのは怪物を認識している“白き神”では無く、“白き神”が危険と感じている事に反応した洗脳されている者達だった。

 

“白き神”に及ぶ可能性がある危険を排除する、と言う“白き神”が取り決めている基本ルールに従い、洗脳されている者達は視えもしない“白き神”への脅威を排除しようと、何もない空間に殴り掛かる。

 

 

 

けれど当然、“白き神”が見ているその巨人がこの世に存在する筈も無く、視えぬ巨人に殴り掛かった者達の拳は空を切った。

 

 

 

現実にない、ただの幻覚。

 

洗脳されている者達の攻撃がただすり抜けるだけで終わっているのを見て、そう確信した“白き神”は一瞬だけ安堵してしまった。

 

 

 

顔の無い怪物の巨大な手が、“白き神”を掴み壁に叩き付けるまでは、だが。

 

 

 

 

 

「……あ? あ……あ、あああ、あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!????」

 

 

 

 

 

“千手”の姿をした“白き神”が突然頭から壁に叩き付けられた。

 

次いで“千手”へ移った“白き神”が上げた一切の余裕がない絶叫。

 

完全に想定していなかった状況に、ルシアとアブサントは驚愕に目を見開き、訳が分からないと言うように動揺する。

 

 

 

だが、そんな周りの様子に思考を裂く余裕など、今の“白き神”には存在しなかった。

 

顔を掴んでいる怪物の腕から、濁流の様に異能の出力が精神を蝕んでくる。

 

 

 

 

 

(なんだなんだなんなんだコイツは!? 顔の無い人型、まさかコイツ“顔の無い巨人”なのか!!?? 死ぬっ、死ぬ!! 顔が掴まれて逃げられない逃げ出せない!? なんでだ、なんで接続が切れない!? 異能の力が僕に直接、僕の精神がぁあああああぁぁぁぁ!!?? 駄目だ駄目だ駄目だ! 異能を分散させているとやられるっ!! 集めないと駄目だ! 駄目だ! 分散させてる僕の異能をあつめなななななななな!!!???)

 

 

 

 

 

正体不明の巨大な化け物と言う根源的な恐怖。

 

伸ばされた正体不明の異能の力が、自身の精神に浸食を始めたことに気が付いた“白き神”は、もはやなりふり構わない。

 

世界中に分散させていた自分の異能の力を必死に搔き集め、何とか精神を蝕んでくる化け物に対抗しようと、暴走したように異能の出力を噴出させ続ける。

 

 

 

 

 

「やめろぉおお!!!! “顔の無い巨人”っ、その出力を止めろぉおおおお!!!!」

 

 

 

「か、顔の無い巨人……?」

 

 

 

 

 

ルシアの呆然と口にした疑問に答える者はこの場にいない。

 

“白き神”と“顔の無い巨人”は同一人物では、なんていう考えが頭を過るがそれを証明する術はない。

 

“白き神”が見ている怪物すら、ルシアには見ることは出来ないのだから。

 

 

 

――――だが。

 

 

 

パチンッ、と音がしてルシアとアブサントを拘束していた有刺鉄線が、洗脳されている筈の1人の職員によって切り落とされた。

 

アブサントが弾かれた様に自分達を解放した職員へと振り返るが、おかしな動きをしたのはその一瞬だけ、ルシア達を解放したそいつは、次の瞬間には他の洗脳されている者達と同じように何もない虚空に殴り掛かっていく。

 

 

 

 

 

『何かが……私達を助けた……?』

 

『……ルシアお嬢様、状況は分からないがひとまずこの場から離れよう』

 

『で、でもアブっ、混乱しているこの状況こそ、“白き神”を倒せるチャンスなんじゃ……』

 

『奴を見ろ。見えないものが見えているようだが、見えるものが見えなくなっている訳じゃない。俺達が攻撃したところで、周りにいるあの訳の分からない煙男に拘束されてお終いだ。本部と連絡を取って、一刻も早く応援を呼ぶ。でないと、奴が正気に戻った時、日本は終わりだ』

 

『待って、じゃあ、今“白き神”とやり合っているのは一体何なの?』

 

『…………全く見当も付かない。いや、まさか、本当に“顔の無い巨人”と“白き神”が別人なのだとしたら……』

 

『本気っ!? “白き神”が“顔の無い巨人”と同一と言うのは、ICPOが散々検証して出した結論よ!? それに、もしそうだとしたら……“顔の無い巨人”が私達を助けたって言うの?』

 

『どちらにせよ、あの場でやり合ってるのはどちらも、世界に大きな影響を及ぼせるだけの怪物だ。俺達だけでどうにかなるものじゃない』

 

 

 

 

 

そこまで話すと、ルシアとアブサントは“白き神”達が暴れ回る部屋から飛び出していった。

 

 

 

恐らくこの後、安全な場所まで退避してICPOの本部と連絡を取り合うのだろう。

 

彼らとは協力する気になんてなれないけれど、“白き神”とやらの余計な戦力にならないならそれで充分、と。

 

 

 

そんなことを、彼らの後ろ姿を見送った『彼女』は考えて、意識を“白き神”へと戻す。

 

 

 

 

 

「なんでだ!! なんでまだ押し切れないっ!! 僕の出力がまだ足りないとでも言うのか!!?? くそっ、くそおぉぉおおおぉぉぉおお!!!!」

 

 

 

(ああ、やっぱり無理ね。この“白き神”とやら、国を跨いで活動をするだけあって出力がこれまで会って来た誰よりも高い。私の本来の異能範囲距離からだいぶ離れてるし、完璧に“千手”と精神を同一化してる訳じゃないから思考誘導の末期状態が掛けきれてない。辛うじて、コイツの認識を歪める程度が限界、か……まあ、これで完全に無力化まで持っていけるなんて甘い考えはしていないわ――――次の一手よ)

 

 

 

 

 

迫る透明な裁断機を押し返すような、終わりが見えず、目に見えない、形のない激痛。

 

“白き神”には何時間にも思えた、地獄の拷問の様な時間がようやく終わりを迎える。

 

愉快そうに笑っていた“顔の無い巨人”が突然興味を失ったように、掴んでいた“白き神”を壁に放り捨てたことで、これまで行われていた精神への攻撃が終わりを告げたのだ。

 

 

 

 

 

「ひっ……ひっひっ……ひっ……お、終わった? 抵抗出来たのか? 僕は、解放された?」

 

 

 

 

 

ギリギリ正気を保った“白き神”が呼吸を激しく乱す。

 

叩き付けられ床に這い蹲った状態で、涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま周りを見回した“白き神”は、視界から“顔の無い巨人”が消えている事を確認する。

 

何度も異能の探知を行い、何度も何度も周囲を窺って、それでようやく安堵の息を吐いてから気が付く。

 

 

 

――――自分の異能の出力を上げるために、洗脳を解いてしまっている。

 

 

 

自分の近くにいる奴ら、東京拘置所にいる者達はまだ辛うじて洗脳出来ているが、世界各地で起こしているテロ活動の洗脳は、全て断ち切られてしまっていた。

 

“白き神”が何年も掛けて集めた、10万人にも及ぶ“白き神”の財産が、残らず空っぽになってしまっていた。

 

 

 

 

 

「あ……あああ……そんな、僕の財産が……僕の手間暇かけて作り上げた下僕達が……」

 

 

 

 

 

ボロボロと滂沱の涙を流し、これまでの努力が無に帰した事に絶望の声を上げる。

 

“白き神”は、悲鳴のような声を出し、頭を抱えて蹲った。

 

 

 

 

 

「酷いっ、酷い酷い酷いっ……!! どうしてこんなことが出来る!? どうしてこんな酷いことが出来る!! なんなんだっ、なんなんだよこれは!!?? 一体誰がこんなことをしやがった!! 人が一生懸命集めた財産を無にしやがってっ、ふざけやがってぇぇぇ!!!!」

 

 

 

 

 

怒りと絶望のままに絶叫した“白き神”に声を掛ける者はいない。

 

所詮、彼の周りにいるのは彼の指示に従うしかない人形ばかり、慰める事も、解決策を提案することもない。

 

 

 

 

 

「はぁっ……はぁっ……! 落ち着け僕っ、ここにこれ以上残るのは危険か? これ以上の“顔の無い巨人”による攻撃はあるか? いや、でもっ、ここで依頼も果たせず帰ったら、僕に残った手駒はゼロで、こんな大規模な行動をした僕をあの老人も処分する筈だっ……! 王手が取れると思ってここまで大きな行動をしたんだ。ここで何の成果も無く帰るなんて、出来ない。帰れば結局僕は詰みだ……もう一度戦力を整え直す前に始末される……どうするっ、どうするっ……!!」

 

 

 

 

 

血走った目で周囲を警戒しつつ、“白き神”は口早に状況を整理する。

 

状況は絶望的、陽動の役割を担っていた世界のテロ活動も終息してしまったためICPOの増援があることも確定、こうなってくるとICPOすら難敵となりえる。

 

最悪はまだ全貌の見えない“顔の無い巨人”だ。

 

異能持ちとしての戦力は文句なしで最強だろう。

 

どこから攻撃を仕掛けてきているのか、“千手”の様な罠がどれだけ仕掛けられているか、どれだけ本気で自分を潰しに来ているのか、全く分からない。

 

 

 

現状残っている手駒は“紫龍”“千手”“転移”の3つの異能持ちと1000人余りの凡人達のみ。

 

勝算が全く無いわけではないが、不安要素ばかりで本当なら今にも逃げ出したい状況。

 

 

 

 

 

「……と、取り合えず残りのICPOの職員を手駒にして増援を遅らせよう。これ以上異能持ちが来れられると、今はきつい……。“音”の異能なんて限定的だから、徹底抗戦にはあまり使えないだろうけど、何とか戦力を整えてICPOとの戦争を…………待て、アイツらどこ行った……?」

 

 

 

 

 

逃げられない様にしていた筈のルシア達の姿がどこにもなく、切り落とされた血付きの有刺鉄線が床に転がっているのを見て、“白き神”は湧き上がる憤怒のまま絶叫した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――白崎天満、年齢28歳。幼少期から病弱で、入院生活が長年続いていた。高校と大学は通信制で卒業、成績は優秀。大学生の頃両親が亡くなり天涯孤独となる。どこから収入があったのかは不明だが20歳ほどから金回りが良くなり高額な治療費を自分で払って、病を完治、その後かなり遊んでいたそうだ。25歳のある時突然海外へ飛び出し消息不明となる……今すぐに調べられた情報はこれだけだったが、役に立ちそうか?』

 

 

 

 

 

電話から聞こえる神楽坂さんの声に、私は何とか貰った情報を頭に入れながら、気だるさに負けじと返事をする。

 

 

 

 

 

「…………ん……はい。そうですね、凄くありがたい情報でした。神楽坂さんわざわざ無理させてすいません」

 

『いや、俺は良いんだが……だいぶ調子が悪そうだが……距離がある状態で異能を使っているのか? ……大丈夫か?』

 

「…………罠にかかったネズミの処理で気分が悪くなっているのと、あと……乗り物酔いでちょっと……」

 

 

 

「ごめんお嬢ちゃん!? おじさんの運転そんなに悪かったかな!? む、娘にも結構言われるから気を付けてたんだけどっ、本当にごめんね!?」

 

 

 

 

 

神楽坂さんと電話中の私の言葉を聞いた、タクシーを運転する中年のおじさんが、慌ててそんなことを言ってきた。

 

 

 

随分と腰の低い男性である。

 

いや、この人の運転は悪くない。

 

むしろ安全運転すぎて、時間が気になるほどの遅さだ。

 

原因はなんと言うか、仕掛けていた罠に掛かった“白き神”への攻撃と、状況を把握するために“白き神”周囲の探知をしていたため、意識がここではない場所に行っていて三半規管がやられやすくなっていたのだ。

 

 

 

 

 

「いえ……もともと酔いやすいんです……バスに乗ってても酔う時ありますし、携帯を弄りながら乗っていた私が悪いんです……おぇぇ……」

 

「と、停まろう! 体調が落ち着くまで少し休もうか! ちょっと待ってね、道の脇で停車するから!」

 

「駄目です、急いでるんです。私は大丈夫ですから早く東京拘置所までお願いします……うっぷぶぶぶ……」

 

「はっ、ははは……吐かないでね?」

 

「頑張ります……」

 

 

 

 

 

耳元に当てていた電話を逆の耳に移し、“千手”に回していた異能の出力を切る。

 

当初の目的であった“白き神”が世界各地に広げていた洗脳を断ち切ることには成功したのだ。

 

思っていたよりも抵抗が激しかったし、状況を確認することも出来た。

 

これ以上は得られるものよりも私の消耗の方が大きくなるし、ICPOの人達も逃がしたのだからまた多少の時間稼ぎはしてくれる筈。

 

となればここは、私の体調を優先するべきだと思う。

 

 

 

 

 

先ほどの“白き神”による一斉洗脳を受けて、私は周囲で暴走しようとしていた人達の洗脳解除を一通り行い、ディスクによる起爆役の人達も捕まえてある程度無力化した。

 

“白き神の根”とか言う教団もこの前潰していたし、日本でのテロ活動は事前に抑え込めたと言っていいだろう。

 

 

 

その後こうして、“白き神”が襲撃している東京拘置所へと向かうためにタクシーを捕まえ、神楽坂さんに、私が見たあの映像に出て来た人物、『白崎天満』なる者の情報を集めて欲しいとお願いした、と言うのがここまでの経緯。

 

 

 

あらゆるコネクションを使い『白崎天満』と言う人物を調べた神楽坂さんの情報の量は、わずかな時間しかなかったとは思えない程、多い。

 

流石の優秀さである。

 

 

 

頭の中の“白き神”の情報に新たに、本体は病弱だった過去があり、親族はいない、を追加した私は、体調回復に努めつつ、電話先で私の返事を待っていた神楽坂さんに声量を落として伝える。

 

 

 

 

 

「……状況はニュースで分かっているとは思います。神楽坂さんにとって、因縁の相手であるアレが暴れている場所に、本当なら駆け付けたいんだろうと言う気持ちは分かります。でも抑えてください。アレの活動は大幅に削ぎました、今はもう出来る事なんて限られてます。ここでチェックメイトを掛けるためには、もう少し手順が必要なんです」

 

『……分かってる。異能の出力とやらも感知できない俺が行っても、洗脳されるのがオチなんだろう。俺の出る幕はない……先輩の、アイツの、仇だったとしてもっ、俺にやれることなんてないのは分かってるっ……!』

 

「神楽坂さん……」

 

 

 

 

 

苦しいくらいの激情が電話を通して伝わってきて、私の方がやりきれない想いになってしまう。

 

 

 

でも、神楽坂さんと言う善人は、私よりもずっと大人で、人間として出来ていて――――彼は私よりもずっと、私の事を信じていた。

 

 

 

 

 

『……すまん佐取、信頼してる。君が奴の悪意を挫いてくれると、信じてる。俺の未熟な無念を、俺の力不足を、君なら晴らしてくれると信じてる』

 

「…………任してください」

 

 

 

 

 

だから私は、神楽坂さんと言う誰よりも報われて欲しい人の信頼に応えるために、強く頷いて、思考を冷たく鋭らせる。

 

 

 

 

 

「神楽坂さん、飛禅さんに会うことは無いと思いますが、もし会ったらアレの攻撃が始まっている事を教えてあげてください」

 

『? あ、ああ、分かった。任せてくれ』

 

「ええ、ではこの辺で。もう少しで建物が見えてきます」

 

『……無理をせず、必ず帰ってきてくれ、多少の取り逃がしは警察でも当然なんだ。なによりも、また君の話を聞かせて欲しい』

 

 

 

 

 

『無事を祈る』、そう言って切れた通話をしばらく眺め、私は東京拘置所の建物を視界に捉える。

 

 

 

異能と言う力を扱える私にとって、誰かに期待を掛けられるのも、誰かに信頼を寄せられるのも、それほど珍しくはない話だ。

 

けれど、あれだけの激情を、あらゆる誹謗中傷の中で信念を曲げることなく非科学的な犯罪事件の影を追い続けて来た人から託された想いは、一際特別だった。

 

 

 

 

 

「……お嬢ちゃん、おじさんにもお嬢ちゃんくらいの娘がいるんだけどね」

 

 

 

 

 

チラリと、ミラー越しに私の様子を見た運転手さんはそう前置きをして優しく笑う。

 

 

 

 

 

「今の君ほどカッコいい顔は見たことないなぁ。何をやろうとしてるのかは分からないけど、君なら何でもやれるんじゃないかって、おじさん思っちゃうよ」

 

 

 

 

 

思わぬ応援の言葉に私は思わず呆気にとられてしまう。

 

初めて言われたそんな言葉に私は、少なくとも……悪い気分では無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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例えばこんな原点で

 

 

 

良くも悪くも、脳裏に焼き付いて離れない記憶なんて人にはいくらでもあると思う。

 

 

 

そう言うものは、トラウマだったり黒歴史だったりと、そういうものが多いらしいけど、私は顔も名前も性別も年齢も、何も知らない相手と一緒に過ごした時間がそうだった。

 

 

 

 

 

『貴方は何処へでも飛んでいける』

 

 

 

 

 

あの人に掛けられたその言葉は、今も私に、じんわりと熱を残している。

 

私にとってその言葉は、言祝のようで、呪いのようで、これまでの私の世界を変える魔法の様な言葉だった。

 

 

 

あの人のその言葉がもう一度聞きたくて、私の歩んでいるこの道が間違っていないのかもう一度会って聞いてみたくて、なんで私を置いていったのかずっと聞いてみたくて、いなくなってしまったあの人の影をこれまでずっと追い続けてきた。

 

 

 

夢にまで見た再会が手に届きかけた。

 

期待と不安で、会ったときどんな話をしようかなんて柄にもなく1人で思い悩む日が続いて、もしも本当に敵対するしかなかった時、私はちゃんと正しい行動を取れるのかと考えるだけで苦しくなった。

 

 

 

そんなことを1人で思い詰めていたから、ずっと願い続けていたあの人との再会が、急に怖くなって。

 

もうこのまま会わないままで、綺麗な過去のままでいてしまえばどれだけ楽なんだろうと、怖気付いたりもしたけれど。

 

自分でも何故だか分からないけど見るだけで腹立たしい、目が死んでる読心少女から、あの人が現れるだろう場所を伝えられ、ニュースで流れだした世界的な騒動にあの人の活動が始まったのだと知ってしまえば、もう自分の行動を止める事なんてできなかった。

 

 

 

あの忌々しい読心少女に言ったような、綺麗ごとだけで飾り付けた口だけの決意を到底実践できる気もしないまま、衝動的に窓から飛び出した私は、きっとどうしようもない馬鹿なのだろう。

 

 

 

貴方が壊してくれた檻を出て、私は上手に飛べているのだろうか。

 

羽ばたいた先にどんな結末が待っているのだとしても、どうしても答えが聞きたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――了解、通信を切ります』

 

 

 

 

 

状況を伝え、異能持ちの増援をICPO本部に要請したルシアは手に持っていた通信機を切り、壁にもたれかかっているアブサントの頭に包帯を巻いていく。

 

軽い消毒と止血だけのものだが、ないよりはずっといいだろう。

 

 

 

酷い怪我ではないが、いかんせん出血が多すぎる。

 

これまでの出血量は、既に動けなくなってもおかしくない程だが、アブサントは何とか意識を繫いで、周囲への警戒を怠っていなかった。

 

 

 

なぜなら、今彼らがいる場所は決して安全圏ではなく、東京拘置所の施設の中に留まっていたからだ。

 

 

 

と言うのも、部屋から脱出した直後に行った音による探知の結果、東京拘置所の建物内は唯一外と繋がる一階の出入り口は勿論、下層の窓にも洗脳された職員達が待機していることが判明しており、外は広い平野が続いている。

 

特別機動性に優れている訳ではない彼らにとって、負傷したお互いを支え合いながら敷地内から脱出することは不可能に近く、また敷地内から出たとしても、今の状況ではあの“白き神”が一般人を気にして追ってこないと言うことは無いと理解していたからだ。

 

 

 

だから彼らが目指したのは建物下層の出入り口部分、ではなく、東京拘置所の屋上。

 

東京拘置所の映像関係の機械を破壊した上で、視界を取れる場所に身を潜める選択をしたのだ。

 

 

 

 

 

『すぐに応援が駆け付けてくれるそうよアブ。もう少しだけ時間を稼げれば……この施設の映像を集めるケーブルが集中している場所は何とか破壊できたから、映像はもう映らない。私達の居場所がカメラでバレることは無いと思うから……大丈夫、きっと応援は間に合ってくれるわ』

 

『……ルシアお嬢様、無理だ。いくら出力を抑えようとも、近付かれれば感知される。異能持ちが近づかなければ居場所までは分からないかもしれないが、ここがバレるのも時間の問題だ。奴らに見付かったら、屋上から下に降りて、下の平地で奴らを迎え撃つ。その間にお嬢様は逃げてくれ』

 

『そんな1人だけ逃げるようなことなんて出来る訳が……!』

 

『分かってくれ。奴の言葉一つで敵になる仲間なんて、最初からいない方がやりやすいんだ』

 

『っ……』

 

 

 

 

 

そもそもアブサントの異能は、直接他の異能持ちと戦闘して優位を取れるようなものでは無い。

 

戦闘特化の“千手”は勿論、相性が最悪な“紫龍”にも勝てないだろう。

 

当然そんなことはアブサントだって理解していた。

 

 

 

だからこそ、彼は取捨選択する。

 

異能持ちを集めているようであった“白き神”にとって、異能を持つ自分は丁重に扱われるだろうと言う予想。

 

そして、何の異能も持たないルシアが“白き神”の手に落ちれば、捨て駒にされるのがオチだろうと。

 

どちらか片方しか助からないとするなら、選ばれるべきは決まっていた。

 

 

 

 

 

『……アブサント、貴方と私の優先順位は決まっています。なんの異能も持たない私よりも、貴方の安全は組織として重視されています。先ほどの私を庇った行動は褒められたものではありません。分かりますね?』

 

『聞き入れられない』

 

『私は貴方に守ってもらうためにここにいる訳ではない』

 

『組織の方針には従おう、だが緊急時における俺の行動基準は俺が決める。そしてその采配権は、俺がICPOに協力すると決まった時に上層部に伝えて、許可を得ている』

 

『アブサント貴方はっ……!』

 

 

 

 

 

悔しさに唇を噛み締めたルシアに一瞥もしないまま、アブサントは険しい顔で床を睨み、緊張した声で告げる。

 

 

 

 

 

『……どの異能持ちかは分からないが、屋上に上がってくる奴が1人いる。……“白き神”ともう1人の……“顔の無い巨人”とやらの真偽はともかく、正体の分からない奴の争いが終わったようだ』

 

『……“白き神”は負けたの?』

 

『いや……“白き神”を襲っていたのは確かだが、襲っていた奴の姿は全く見えなかった。異能の出力も、どこか遠いところから攻撃している、と言うよりも、あらかじめ“千手”に仕掛けていた分の蓄積を使って、と言う感じだった。姿も現さず、遠回しな奇襲じみた攻撃。あれでは流石に、“白き神”はやられないだろう』

 

 

 

 

 

先ほどまでの私情を含んだ言い争いから思考を切り替えて、2人はアイコンタクトを取って頷き合う。

 

呼吸を小さく、体から漏れそうになる異能の出力を抑え込み、アブサントはじっと屋上の出入り口を注視する。

 

 

 

この場に来る可能性がある異能持ち。

 

ベルガルドか、“千手”か“紫龍”か、それとも正体不明の“顔の無い巨人”と呼ばれた者か。

 

対処に逡巡したのは一瞬だけだった。

 

 

 

 

 

ドアノブが回り、扉が開き始めた瞬間、アブサントは最大威力まで溜め切った“音”の異能で扉ごと上がってきた人物を確認もせずに吹っ飛ばした。

 

ほんの一瞬でひしゃげた鉄の扉が音も無く吹っ飛び、扉を開いた人物もろともただでは済まないような惨状へと変貌したが、ある筈の轟音は周囲に響かない。

 

 

 

音を扱った隠密、情報収集だけがアブサントの役割ではない。

 

あらゆる音を発生させない、ある種の究極の暗殺こそが、彼のもっとも得意とするものなのだ。

 

 

 

 

 

――――だが、常人なら容易く屠れる威力があろうと、いかに奇襲を成功させ周囲に攻撃を悟らせないとしても、相手が同様に埒外の存在であれば話は変わってしまう。

 

 

 

 

 

『っっ、“千手”かっ……“白き神”本人格が来たのなら、他の奴らも……!』

 

 

 

 

 

砕け散った鉄屑の中から、汚れ1つ無い状態で姿を現した男を見て、アブサントはルシアを抱き寄せ即座にその男の視界から外れるように転がった。

 

 

 

いくつもの不可視の手が床を抉り、鉄でできた手すりを簡単にねじ切る。

 

豪速で空を切ったナニカが頬を掠め、いくつもの鉄塊が宙に浮き上がり、振り回される。

 

 

 

物理学的にはあり得ない現象。

 

およそ物質同士の戦いであれば無類の強さを誇る“千手”の異能は、全くと言っていいほど隙が無い。

 

けれど、“千手”の不可視の手はあくまで本人の周囲に張り巡らせる程度しか維持できず、遠くまで伸ばすとしてもそれは視界内しか動かせないと言う情報を、ルシア達は知っていた。

 

 

 

そして、その情報の有無は本来抵抗すら許されないであろう戦況を、拮抗にまで持っていく。

 

 

 

 

 

『アブっ、煙が!』

 

『想定通りだ!! 飛ぶぞルシアお嬢様!!』

 

 

 

 

 

“千手”の視界に入らない様に立ち回り、拮抗状態を作り出していたアブサントが、ルシアの指差した先にある煙を捉え、即座に屋上から飛び降りた。

 

 

 

煙は一般的に、上に昇っていくものだ。

 

だからこそ、一度上に立ち昇らせてしまえば下には来るには時間が掛かる筈。

 

物理的な攻撃の一切が通らず、触れれば捕らえられると言う、相性が最悪な異能を持つ“紫龍”に対してできる現状唯一の対策だった。

 

 

 

“千手”と“紫龍”。

 

短時間とは言え、この2人の異能持ちの足止めに成功した。

 

あとはベルガルドさえ何とかすれば、逃走だけなら難しくはない筈だ、そう考え、地面目掛けて落下しながら2人は逃走経路を探すため地面に視線を走らせる。

 

 

 

 

 

『2時の方向へ行くぞ。落下の衝撃に備えろルシアお嬢様!』

 

『っ……!!』

 

 

 

 

 

異能の衝撃を地面に叩き付け、地面を転げまわりながらも10階以上の高さから飛び降り、なんとか着地に成功させたアブサントとルシアは、一息すら動きを止めないまま駆け出した。

 

 

 

逃げられない様に配置されている者達を異能で薙ぎ払い、逃走経路を確保したアブサントは背後に現れた最後の異能持ちを感知して、ルシアを押し出し振り返る。

 

 

 

 

 

『ベルガルド!』

 

 

 

 

 

“千手”も“紫龍”もすぐには来れない、ならばコイツさえどうにかすれば。

 

そう状況を理解していたアブサントは、間髪入れずベルガルドに襲い掛かる。

 

 

 

洗脳されている者の思考は単純だ。

 

“白き神”が決めている基本ルールを基軸として、それぞれが大まかな命令を与えられ、それを達成するために無感情で行動を行う。

 

 

 

つまり最効率ではなく、目前の事を優先する。

 

そんな行動基準を遵守するから、いくら“転移”を持っているベルガルドであろうとも、洗脳されていれば襲い掛かってくる異能持ちを無視して、逃げているルシアを追うような行動を取る筈がない。

 

 

 

“白き神”の本人格が乗り移っていなければ。

 

 

 

 

 

「――――ばーかぁ」

 

 

 

 

 

歪んだ笑みを浮かべたベルガルドに、アブサントは背筋が凍った。

 

 

 

ベルガルドが消える。

 

 

 

転移したのは確認しなくとも分かる。

 

 

 

行く先も、考えなくても分かった。

 

 

 

 

 

『アブ』

 

 

 

 

 

異能を回して、すぐに彼女を守ろうとしたけれど、“音”では直接触れる洗脳には無力だから。

 

振り返った先に映った、呆然とこちらを見る彼女と、その背後から彼女の頭に触れた“白き神”に、全身が総毛立つ。

 

 

 

 

 

『――――どうして私を守ってくれないの?』

 

 

 

 

 

ルシアが浮かべた暗い笑みに、アブサントは立ち尽くすことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物心ついた時には泥に塗れて暮らしていた。

 

飢えと孤独と寒さだけよく知って、親も知らず、家を持たず、誰からも見捨てられた生活を送っていた。

 

いつ死んでもおかしくなくて、きっと自分が死んでも誰も見向きもしないんだろうと言う自分の人生に、どうすればいいか分からないまま道路の端に座り込む日常。

 

 

 

そんな自分に手を差し伸べてくれたのは、彼女だった。

 

 

 

住む場所を与えてくれた。

 

役目を与えてくれた。

 

名前を与えてくれた。

 

 

 

返しきれない恩が山ほどあって、それでも何も返せないまま年月ばかりが過ぎて、気が付けば体は成長し切ってしまっていた。

 

 

 

平和な日常だった。

 

これ以上無いくらい幸せな日々だった。

 

世界がどんなに騒がしくなっても、自分達の日常には何一つ影響なんてなくて、このままずっとこの日常が続いてくれるのかと、嬉しく思った。

 

けど、ICPOを支援する立場にあった彼女の家だったから、異能と呼ばれる力の検査がされて、自分に異能の力があると結果が出た時、有無を言わさずICPOに連れ出された。

 

世界の平和を守るためにお前の力が必要なんだって、見知らぬ大人に言われても実感なんて沸かなかったけど、間接的にでも彼女を守れるならと気が付けば頷いていた。

 

 

 

だからいくら彼女と一緒に過ごした日々が恋しくても、少しでも彼女の助けになるなら自分の命が尽きるまでここで働こう、と、何度も何度も自分に言い聞かせて、苦しい日々を送る。

 

もう会う事なんて、きっとないんだろうと、諦めていた自分の前に、不慣れな制服に身を包んだ彼女が現れた時は、ついに願望を夢に見るようになってしまったのかと思った。

 

 

 

笑って、『また会えたね』って心底嬉しそうに抱き寄せてくれた彼女に、自分がまた彼女に救われたことを知った。

 

 

 

危険を顧みず、周りからの誹謗中傷を顧みず、自分の元に飛び込んできてくれた彼女を、絶対に守って見せると決意したのは、その時。

 

 

 

泥の匂いがしみ込んだ犬が、身の程知らずな想いを抱いたって、到底叶うはずなんてなかったのに。

 

 

 

 

 

『……その人を解放しろ“白き神”』

 

 

 

 

 

声が震える。

 

初めて誰か個人に憎悪を抱く。

 

初めて誰か1人に殺意を抱いた。

 

 

 

 

 

『その人は、お前なんかが触れて良い人じゃない……!』

 

 

 

 

 

ただ喰らい付くように、ベルガルドの姿をした“白き神”目掛けて、飛び掛かる。

 

 

 

 

 

『その人は、幸せになるべき人だっ!』

 

 

 

 

 

地面を抉り、瞬きする間にベルガルドの元へ辿り着いたアブサントが腕を振るうが、ベルガルドの姿は再び掻き消える。

 

即座に周囲を探知し、ルシアを連れたベルガルドを見付け、再びアブサントは彼女を取り戻そうと肉薄するが、その度にせせら笑うベルガルドの“転移”によって振り出しに戻る。

 

 

 

“転移”、“瞬間移動”、“空間転送”。

 

呼び名は色々とあるが、ベルガルドの持つこの異能も大概反則染みている。

 

触れているものだけを対象として、移動できる場所は視界の範囲内、なんて制約はあるものの、無制限かつ予備動作不要で“転移”を繰り返せる優れもの。

 

次の“転移”にまで掛かる時間は、およそ1秒。

 

走って行って殴り掛かるなんて、いくら繰り返しても当たる筈がない。

 

 

 

“白き神”の手に落ちれば、きっとルシアは殺される。

 

感知される自分と言う存在が無ければ、ルシア一人なら逃げ切れるはず。

 

そんな大前提を元に動いていたアブサントにとって、ルシアが“白き神”の手に落ちるなど、あってはならない事だった。

 

だから今のアブサントには余裕なんて一切残っていなくて、ただ闇雲に攻撃を仕掛けるしか、出来なかった。

 

 

 

 

 

「全く交渉する余地も無しか。本当なら君は無傷で捕らえたかったんだけど、しょうがない」

 

 

 

 

 

想定外は“白き神”も同じだ。

 

ベルガルドの記憶から、ルシアは1人で逃げたとしてもアブサントは1人で逃げることは無いと分かっていたから、先にルシアを捕らえたが、まさかここまで周りが見えなくなるとは思ってもいなかった。

 

 

 

けれどあまり長々と時間は掛けられない。

 

早急に戦力を整えないと、これから来るであろうICPOの増援に対抗できるか分からない。

 

本来なら相手にする必要も無かった戦力だけに、その部分の情報収集を怠っていたのが非常に悔やまれた。

 

 

 

 

 

「ま、諦めなよ駄犬くん。ルシアちゃんはICPOの身分を存分に使った活動をしてもらう予定だし、君には純粋な戦力以外にも色々期待しているさ。悪いようにはしない、きっとね」

 

 

 

 

 

肩を竦めてそう言った“白き神”の背後に、白煙から姿を現した“紫龍”と不可視の手に乗って地面に降り立った“千手”が現れる。

 

 

 

気が付けば周りに洗脳された者達はいない。

 

異能を使う上で、不要な駒に怪我をさせない様に配意したのだろう。

 

ただでさえ頭の怪我で万全ではないアブサント1人に対して、危険度トップクラスの異能持ちが3人も立ち塞がっている。

 

 

 

どう考えても、勝ち目なんて無かった。

 

 

 

 

 

「君で4人……世界中にいた10万人の代わりになんてならないけど、まあ、悔やんでいても仕方ない。君達の人生を、僕の為の薪としよう」

 

『ルシアお嬢様……!』

 

 

 

 

 

絶望的な状況で、それでもなおアブサントが見据えるのはルシアただ1人だ。

 

彼女さえ助け出せれば勝ち、だなんて、そんな思考に切り替わって、勝算も無しに牙を剥くアブサントの姿は正しく狂犬のごとく。

 

 

 

彼の精神はまだ死んでいない。

 

彼の意思はまだ砕けていない。

 

 

 

だからこそ、先ほど油断して財産を失うことになった“白き神”は窮鼠猫を噛むと言う言葉を思い出して、ほんの少しだけ躊躇してしまい。

 

 

 

 

 

だからこそ、決着が付く前にこの場所に向かっていた者達が、間に合ってしまった。

 

 

 

 

 

「――――は? なんだお前、どこから……」

 

 

 

 

 

ズドンッ、と空から墜落してきたのは入院着姿の飛禅飛鳥。

 

 

 

5人の間に割って入るように着地した飛鳥に続き、流星群の様に次々に飛来した石屑や鉄屑が“白き神”達に襲い掛かる。

 

咄嗟に、“白き神”を守るために“千手”が複数の手を展開することで巨大なシールドを作り上げ、致命的な一撃を避けることは出来たが、だからこそ、“白き神”の懐に入り込んでいた少女の身も、結果的に守ってしまう。

 

 

 

パチンッ、と両手を叩いた少女はその異能を解放する。

 

大きさにしておよそ数百人分ほどの感情の波。

 

常人であれば、脳に直接叩き込まれれば数時間は意識を奪われ、運が悪ければ副作用すら残り続ける危険な技、感情波によって、物理的に守られた“白き神”達の意識を大きく揺らし、呼吸すらままならない状態まで叩き落した。

 

 

 

咄嗟に“紫龍”が出した大量の白煙から逃げるように、状況を理解できず呆然とするアブサントと忌々しそうな顔をする飛鳥の元へ少女が駆け寄ってくる。

 

 

 

 

 

「ちょっ、ちょっと飛禅さん何してくれるんですかっ!? もう少しで私も巻き込まれるところだったんですけど!?」

 

「……あーうるさいうるさい。アンタの隠密意味わかんないくらい探知できないんだもん。アンタがあいつらのところにいると分かってたら私だってもっと違うやり方やってたわよ」

 

「む、むむ……ま、まあ、そういう事なら……」

 

「アンタがいると分かってたら、もっと強力な奴を持ってきてたのに……」

 

「この鶏女! 聞こえているんですよ!!」

 

 

 

 

 

噛み付く燐香とそれを鬱陶しそうにあしらう飛鳥。

 

まるで街中で腐れ縁にでもあったような、そんなほのぼのとしたやり取りをする彼女達の背中に、アブサントは目を丸くして。

 

もう1度白煙から現れた膝を突いた状態の“白き神”達が、憎悪を宿した目で彼女達を睨んでいるのを見て、状況を理解する。

 

 

 

また別の異能持ちが、この戦場に乱入したのだ。

 

そして彼女達は恐らく、“白き神”の敵であるのだと。

 

 

 

 

 

「全くっ、もう良いです! ……で、ここからなんですけど、異能持ち同士の集団戦になる訳ですが、ちゃんと協力するつもりありますか貴方達。それに、褐色イケメンさんはまだ戦えるんですか?」

 

『お前たちは……なんなんだ……?』

 

「私はそうね、仕方ないけど1人じゃどうしようもないし協力するわ。……ところで、どうしましょう。私英語とかさっぱりなのよね」

 

「え、学業とか優秀な成績だったって聞いたんですけど?」

 

「日本の英語の授業は、実践的じゃないわ。実際に話しているのを聞いた私がさっぱりなんだから、間違いない」

 

 

 

 

 

ちぐはぐな3人組はお互いの目的もよく理解しないまま、共通の敵を見定めた。

 

意味もなさそうな会話をしながら、彼らの眼はゆっくりと“白き神”へと定められて、倒すべき相手をすっと見据えた。

 

 

 

そんな会話をしていた燐香達に、怒りに任せて“千手”の不可視の手が地面に叩き付けられた。

 

“白き神”の怒りを表すように“千手”の不可視の手が地面を砕き、わちゃわちゃと会話していた燐香達を“白き神”は凶悪に睨み付ける。

 

 

 

 

 

「お前ら……いい加減にしろよ。僕は今、予定外の事ばかりで腹が立ってるんだ。どいつもこいつも、僕をコケにしやがって……! 意味の分からない異能の使い方しやがってっ……どうやって僕の探知外からこんな至近距離まで来やがった……! お前らは何なんだっ!? アイツの手先なのか!? なんで今こんなタイミングでっ!!」

 

 

 

 

 

激情に震える“白き神”の言葉に、アブサントはどうするべきかと頭を回そうとして、燐香がそれを手で制す。

 

何も口にしなくていいと言うように、燐香はアブサントと飛鳥の前に出る。

 

 

 

心底価値のない物を見るような目で“白き神”を見下す燐香は、冷笑を湛えて、そっと指を折った。

 

 

 

 

 

「コケにしているのはどっちですか? まさか私が何もせずにただ会話しているとでも思いましたか? そんな筈ないのに? 例えば、そう――――スコットランドのグラスゴー、空港近くの貸し部屋『フルート』の403号室。これ、なんだと思います?」

 

「何を言ってっ…………なにを……いって……」

 

 

 

 

 

“白き神”は一瞬何を言われているか分からなかった。

 

だがそれが、つい最近見た地名だと気が付いて、自分の体を隠している場所だと気が付いて、二の句が継げなくなって凍り付く。

 

 

 

燐香は、これまで“白き神”がやってきたように冷たく彼をせせら笑った。

 

 

 

 

 

「貴方の居場所。前と違って世界に散らばってなかったので分かりやすかったですよ」

 

「お、おまえ……おまえっ……おまえええええ!!!!」

 

 

 

 

 

完全に逃げ道を潰された。

 

情報と言うアドバンテージがすべて失われた。

 

ここで逃げ出したところで、居場所がバレた“白き神”の本体が、世界中から延々と追われるのが確定してしまう。

 

 

 

これで、“白き神”の活路はただ1つに絞られた。

 

目の前の3人の異能持ちを倒して、情報の流出を防ぐ、それだけに。

 

 

 

 

 

「3対3。同じ土俵で結構ですね。さて、“白き神”さん、“顔の無い巨人”さん、大層な名を名乗る誰かさん――――私は何に見えていますか?」

 

 

 

 

 

少なくとも“白き神”には、目の前の少女の形をした何かは死神に酷似しているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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黒い過去の清算を

いつもお付き合い頂き、また様々な応援を頂き、とっても励まされています!
本当にありがとうございます!!!

今回の話は普段よりも長いので、ご注意ください。


 

 

「“千手”に“紫龍”に、その人は“転移”の異能持ちですか。随分優秀な異能持ちで固めましたね。おまけに後ろの建物には1000人くらいの洗脳された方々がいる訳で……まったくフェアじゃない状況に笑えて来ます」

 

 

 

 

 

佐取燐香は現状を俯瞰し、努めて冷静に状況を理解する。

 

 

 

東京拘置所の広い敷地内。

 

起伏が少ない平野で視野は良好。

 

お互いに何か障害物を利用して視界外に動くのは不可能だ。

 

こうなってくると単純な出力の強弱は強みになりえない。

 

高出力の異能を使える最大の利点が、異能が及ぼせる効果範囲の大きさ。

 

その明確な違いが出てくるのが、人の感覚で最も遠くのものを認識する能力である『視覚』に影響されるかどうかだからだ。

 

視界外のものに干渉できるか、そうでないか。つまり、本来人間に備わる認識する力、以上のものを異能と言う第六感で発揮できるかは、現代社会においては異能持ちとしての格付けそのものに影響を及ぼしてくる。

 

いくら強力な異能を有していても、攻撃できない距離から一方的に攻撃されれば、なす術はないのだ。

 

 

 

そして、それこそが佐取燐香にとっての武器の1つ。

 

自身を中心とした半径500mの球状範囲内であれば無条件に異能で干渉できると言う、遠距離攻撃が出来る強みが、この場所でこうして向かい合った時点で失われるということを意味していた。

 

 

 

数的不利もそうだ。

 

少し確認しただけでも“千手”、“紫龍”、そしてICPOの職員2人の他にも、“白き神”に洗脳されている者は1000人近くいるのが分かる。

 

それに対してこちらの戦力と数えられるのは、軽くない負傷をしたICPOの褐色の男に、万全の状態ではない“浮遊する”力を持った飛禅飛鳥に、自分の3人。

 

3対1000。

 

判断基準を都合よく緩めて異能持ちだけで数えたとしても、3対3となるのだから、どちらが不利かなんて考えるまでも無い。

 

 

 

相手は1つの意思によって、連携できるのにこちらは急造のチームとも言えないような3人組。

 

思惑や目的が違いすぎて、まともに信頼も意思伝達も出来ない。

 

状況としては、あり得ない程に悪いのだろう。

 

 

 

佐取燐香は、現状をそう判断する。

 

そして、その上で、自分と同じ現状認識を“白き神”がしているのを視て、佐取燐香はこう結論付ける。

 

 

 

 

 

「――――まあ、私が勝ちますけど」

 

 

 

 

 

どう考えたってあり得ない様な宣戦布告に、精神的に我慢の限界を迎えていた“白き神”の全力の攻撃が開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に動いたのは“紫龍”と“千手”だ。

 

“紫龍”は溜め込んだガラクタを煙から射出するノーリスクの遠距離攻撃が可能であり、“千手”については視界内であれば、不壊かつ不可視の手をいくらでも伸ばせるその異能は現状において無類の強さを誇る。

 

それを正しく理解している“白き神”は、時間経過が命取りとなりえる精神干渉系統の異能を持つ燐香を真っ先に潰そうと、“紫龍”のガラクタの射出を隠れ蓑とした“千手”による無数の手による攻撃を開始させた。

 

 

 

全方位から襲い掛かる可視の鉄屑の凶器と不可視の手。

 

攻撃が始まった事すら気が付かずに、バラバラにされることだってあり得る筈のその攻撃に対する燐香の解答は簡単だ。

 

 

 

 

 

(2人とも聞こえていますね? これの対処は私に任せてください)

 

(!?)

 

(なんだっ? 頭の中に声が……?)

 

 

 

 

 

あらかじめ距離感覚を狂わせていた“紫龍”の鉄屑の射出は見当違いの方向へ飛び、“千手”の不可視の手は一番最初に接触するものを裏拳の要領で消し飛ばした。

 

 

 

 

 

「――――ぉ、おあ゛あ゛ああああっっ!!??」

 

「……は? なっ、何をしたお前!?」

 

 

 

 

 

“紫龍”の鉄屑が、地面を耕すだけに終わり、“千手”の『手』は一瞬の拮抗すらなく削り取られた。

 

差し向けていた他の多数の『手』も消して突然、身を捩るようにして絶叫した“千手”に、驚愕する“白き神”がそう叫ぶが燐香は何も言わないまま、指を鳴らす体勢に入る。

 

 

 

 

 

(音の増幅をお願いします)

 

 

 

『!!??』

 

 

 

 

 

ブレインシェイカ―。

 

音の大きさによって乗せられる異能の量も変わってくるその技術は、“音”を操るアブサントが加わると、尋常ではない効果を発揮する。

 

 

 

轟音と呼べるほどまで増幅された指を鳴らす音に、乗せられた異能は、燐香が過去に“千手”に対して暴発させたものよりもずっと強大だ。

 

 

 

音速で飛来した、景色すら歪ませる異能の出力に咄嗟に“転移”できたのは幸運だった。

 

寸でのところで回避に成功した“白き神”は、両手で掴んだ“千手”と“紫龍”の無事を確認した後、運びきれなかったルシアだけでなく背後にいた手駒とした者達の内、およそ数百人が完全に意識を失い倒れている事に気が付く。

 

 

 

 

 

「ば……どんな威力だよ……」

 

 

 

 

 

建物の中の、音が届きにくい場所にいる者達こそ無事だったが、それ以外の者達は洗脳すら解けて意識を飛ばしてしまっている。

 

 

 

個人差のある異能の出力によって、現実に干渉できる幅に大きな差異があるのは“白き神”も知っているが、それにしたってこれは桁外れだ。

 

音を介した“精神干渉”の異能と、“音”を司る異能が及ぼす相乗効果に、“白き神”は冷や汗が流れるのを自覚する。

 

 

 

異能と異能の効果を組み合わせるなんて、試してみようとも思わなかった。

 

 

 

 

 

「重量5㎏、速度時速975㎞、装填完了、照準」

 

 

 

(飛禅さん、2発続けて撃って下さい。狙うは“転移”の人、“白き神”の人格本体。1発は今いる場所を、次は……奴らが今いる場所から5歩右の場所です)

 

 

 

「――――アンタの性格はともかく、実力は認めてる。従うわ」

 

 

 

 

 

浮かび上がった5㎏分の鋼球に回転が加えられながら、空中で制止し指示を待つ。

 

さながら弾倉に込められた銃弾を撃ち出すように、張りつめたトリガーを引くように、飛鳥は“白き神”達を見据え、手を向けた。

 

 

 

 

 

「発射」

 

「……!?」

 

 

 

 

 

この世に強力な銃は数あれど、5㎏の弾丸を時速1000㎞に近い速さで撃ち出せる銃は無い。

 

それも、正確に照準を定めて連射出来るなんて、今の科学技術では不可能に近いだろう。

 

 

 

 

 

――――それを可能とする飛鳥の異能『飛翔加速』は、現在の科学力の数歩先を行く。

 

 

 

 

 

高速で飛来する鋼球が、速度をそのままに一度膨らむ様に拡散し、別々の方向から再び収束するように“白き神”目掛けて撃ち込まれたのを、恐らく“白き神”は視認すらできなかっただろう。

 

 

 

それでも、最強の回避行動である瞬間移動があれば、どれだけ強力な一撃であろうとどうとでもなると“白き神”は考えていたのだ。

 

碌に考えることもせず“転移”によって回避に走った“白き神”の顔の横を、高速で飛来した鋼球が通過するまでは。

 

 

 

 

 

「…………え? なんで、転移したのに……」

 

 

 

「チッ……もうちょっと右ね、悪いわね外したわ」

 

「まあ、平地の中の位置を言葉で伝えるのは無理がありましたから」

 

『待て、あれが当たったら確実にアイツ死ぬんだが……髭面には嫌な記憶しかないが……、一応同じ組織の……いや、緊急時だ。そうも言ってられない、遠慮なくやってくれ』

 

「なんて言ってるのか分からないけど、なんか酷い事言ってそうねアンタ」

 

 

 

 

 

先ほどまで“白き神”は目の前の3人を叩き潰すことなど簡単だろうと思っていた。

 

自分を襲っていたあの怪物、“顔の無い巨人”に比べて、あまりに矮小に見えていた3人の異能持ちだった。

 

だが、こうして自分が追い詰められているのを肌で実感すると、途端に不気味に見えてくる。

 

 

 

個々の異能は大したことが無い……筈だ。

 

“千手”にも”紫龍”にも、“転移”にも、自分の『認智暴蝕』にも、及びもつかない異能の数々の筈だ。

 

出力だって、自分と同じ精神干渉系統の異能を持つ少女が少しだけ秀でているだけで、大したことが無い筈なのに。

 

 

 

なのに……なぜ。

 

そんな風に、“白き神”の頭の中は自問自答を繰り返し混乱する。

 

 

 

 

 

「なんなんだよ……お前ら……、ぼ、僕は世界最悪の異能持ちだぞっ……最強の異能を持つ人間なんだ! なんでっ、こんなっ……!!」

 

 

 

 

 

想定外すぎる状況に錯乱する“白き神”。

 

そのうろたえぶりを見た飛鳥は、1人眉をひそめた。

 

 

 

 

 

(……どうやってるか知らないけど聞こえてるんでしょ? 本当にコイツが“顔の無い巨人”なの? 何だか……私が想像していたのと、違いがあるんだけど)

 

(こっちでは言語の壁が無く意味が伝わるのか? なんだ? これは君の異能なのか? こんな種類の異能が…………ああ、奴は“白き神”ではあるが“顔の無い巨人”ではないようだ、先ほど奴に姿が見えない何者かが襲い掛かった時、奴が“顔の無い巨人”なのかと誰何(すいか)していた。奴は人を惑わせるのを好んでいるから、確定した情報ではないが……)

 

(………………一応、試してみるわ)

 

 

 

 

 

落胆したような、ホッとしたような、なんだか複雑そうな顔をした飛鳥さんが、動揺を抑えきれていない“白き神”に問いかける。

 

 

 

 

 

「久しぶりね、私のことは覚えている?」

 

「……会った事あったか?」

 

「もう数年前の話よ、閑散とした村の中からむりやり私を連れ出してくれたでしょう?」

 

「ああ、そういえばそうだった。異能の力を持っていたから、無理やり何もない村から連れ出してやったな。それがどうした、今更僕に感謝したいとでもいうのか?」

 

 

 

(…………こいつは、あの人じゃない……)

 

 

 

 

 

飛鳥が、嘘ではないが真実から離れた内容を話すと、疑うそぶりも無くそれに乗って来た。

 

明らかに自分が再会したいと思っている人間ではないことを確認した飛鳥は、無理を押してここまで来た自分の目的が果たせなくなった事を理解する。

 

 

 

萎む様に、元気がなくなっていった飛鳥に、燐香が慰めるように声を掛けた。

 

 

 

 

 

「……飛禅さん、気を落とさないでください」

 

「気なんて落としてないわ。元々そんなに期待なんてしてなかったし、コイツの人間性を見ればどう見たって、あの人じゃないって分かってたし」

 

「めっちゃ気にしてるじゃないですか」

 

 

 

 

 

やかましい、と言って燐香の頭を小突いた飛鳥は、もう一度気を引き締め直す。

 

目的の人とは会えなかったけれど、目の前にいる“白き神”とやらを許していけないのは良く分かっている。

 

例え、以前“千手”になす術も無くやられた自分でも役に立てるなら、と燐香に次の指示を求めた。

 

 

 

 

 

「……なんだ? 僕に聞きたいことはもう終わりか? 再会したんだ、積もる話もあるだろう? なんでも聞いてくれ、お互いの誤解を解くことが出来れば僕達はきっともっといい関係を築ける筈だから」

 

「ああ、もう良いの。人違いだったわ。もう話し掛けないで頂戴」

 

「……この糞アマっ……!」

 

 

 

(お得意の自己紹介による洗脳が来ます。イケメンさん、音の防護をお願いします)

 

(アブサントと呼んでくれ。音の防護は任せろ)

 

 

 

「なんなんだよ、お前ら……俺はっ、“白き神”だぞ! 世界を支配する最強の異能持ち、白崎天満だぞ!!」

 

 

 

 

 

しっかりと音の防護を施されたようで、口を動かしている“白き神”の言葉は何も聞こえない。

 

一瞬でも隙が出来ればいいと思ったのか、その直後“紫龍”と“千手”が同時攻撃の体勢に入る。

 

 

 

 

 

「芸が無い」

 

 

 

 

 

“紫龍”と“千手”は本人格を介さない簡単な洗脳を受けている。

 

“白き神”の情報を取り込んだことによる洗脳。

 

状況としては、車を特攻させてきた時と同じだ。

 

 

 

つまり燐香であれば、1秒もあれば指示の上書きくらい簡単に出来る。

 

 

 

 

 

「おごっ……!!??」

 

 

 

 

 

煙から射出された鉄材と不可視の手が、“白き神”の両脇腹に突き刺さった。

 

受け身も取れずに、地面を数回跳ねて、ゴロゴロと地面を転がった“白き神”は状況が理解できないまま、目を白黒させる。

 

 

 

自らが行った攻撃に戸惑いつつも、慌てて“白き神”を守るように動いた“紫龍”と“千手”は完全に洗脳が解けている訳ではない。

 

燐香が行ったのはあくまで、一時的な強制でしかない。

 

 

 

 

 

(くそっなんなんだ!? 裏切り? 洗脳が解けた? いや、異能は発動している……まさか洗脳を一時的に上書きされたのか!? もっと異能を強くして、こいつらの制御が奪われないようにしないと――――)

 

 

 

 

 

景色が歪むほどの轟音の異能が、今度はまともに“白き神”達に直撃した。

 

咄嗟に、“千手”が盾にした不可視の手も“紫龍”による煙の逃亡も関係ない。

 

 

 

抵抗すら許されず、“白き神”達は意識を吹っ飛ばされた。

 

 

 

 

 

「止めの一撃はサトラせないやり方で。……当たったら一撃だって分かってたくせに、警戒しないなんてお粗末ですね」

 

 

 

 

 

指を鳴らした体勢で燐香はそう言った。

 

佐取燐香の“ブレインシェイカー”は連発可能な、いわゆる軽打だ。

 

手さえ動かせれば即座に放てるそれは、常に警戒しておかないと避けることは不可能に近い。

 

 

 

 

 

“白き神”が意識を失った瞬間、先ほどまで飛び交っていた喧騒の数々が終わる。

 

千人規模の“白き神”の駒達と、トップレベルの危険度を誇った異能持ち達はそれまでの動きを停止させ、ピクリとも動かなくなった。

 

 

 

ここで起きていた異能持ち同士の戦争が終わりを告げたのだ。

 

 

 

 

 

「……勝ったの? こんなにも呆気なく? ……本当にコイツ世界を股に掛けてる大犯罪者?」

 

『……他の洗脳されている者達も動かない、実感は沸かないが、これで終わったのか。……ルシアお嬢様も無事。何の被害も無かったとは言い難いが、これ以上ないくらい上出来だろう……』

 

 

 

 

 

飛鳥とアブサントは勝利の余韻すら上手く感じられずにいた。

 

 

 

白目を剥いて、仰向けに倒れ伏した“白き神”達は動かない。

 

最後の抵抗も、悲鳴も、命乞いの言葉すらなく、完全に動きを止めて意識を失った彼らの姿は酷く現実味が無い。

 

 

 

これまで世界で起きていた騒乱。

 

その首謀者が迎えた最後が、あまりに呆気ない。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

燐香は動揺する2人には答えず、黙ったまま倒れていたルシアの頭に触れて、異能を使い、未だ彼女に施されていた洗脳を解除した。

 

 

 

 

 

「……寄生型の精神干渉は、異能の使用者が意識を失おうが効果を継続させることが出来るんですね。……そうなると、一般人はともかく“白き神”にとって特別な駒である彼らには同様の措置が取られていて――――」

 

 

 

 

 

そう言って燐香は、立ち上がった“紫龍”と“千手”に視線をやった。

 

 

 

 

 

「――――あらかじめ行動を設定して、意識の有無に関係なく動かす、と」

 

 

 

 

 

彼らの手に持っているのは、いつか見た小瓶。

 

これまで関わって来た一連の事件の犯人が持っていたそれは、飛躍的に異能の出力を上昇させる異常な物。

 

 

 

明らかに意識が無い状態でなお動き出した彼らの姿はおよそ生者には見えず、彼らが何かを呑み込むのを止める術を、燐香達は持っていなかった。

 

 

 

 

 

いつか見た、この世に存在しない性質を持つ鈍い色の煙と可視化した巨神の腕が顕現した。

 

 

 

 

 

躊躇も、問答も無い。あるのは指令に従って行われる殺戮行動だ。

 

 

 

次の瞬間には、出現したその2つの異能が燐香達目掛けて振るわれる。

 

 

 

反応できたのは、燐香だけだった。

 

 

 

 

 

回らせ、巡らせ、刃のように。

 

飛び出した燐香が両手に回すのは、触れるだけで他人を廃人に出来る超高出力の異能だ。

 

両手に回された異能の刃が、正面から飛来した2つの異能を止めるために突き出され、凶悪な2つの異能を引き裂いたものの、それでもなお尋常ではない出力を持つそれらを完全に削り取ることが出来ず、燐香の小さな体は地面を削りながら後退させられた。

 

 

 

 

 

「あ、アンタ大丈夫なのっ……!?」

 

「下がっていてっ!!!」

 

 

 

 

 

通常では使わない、両手への超高出力の異能の行使は当然かなりの負担が強いられる。

 

息が切れ、肩で呼吸をして、鼻からは血が流れだした燐香の姿に、慌てた飛鳥が駆け寄ろうとするが、燐香は声を荒げてそれを制止した。

 

 

 

次の猛攻が繰り出される。

 

 

 

異能を削り裂かれた激痛など感じないかのように、“紫龍”は巨大な槌の様な鉛色の煙を腕に纏わせ、“千手”はあらん限りの巨神の腕を顕現させた。

 

そのまま追撃を始めようとした“紫龍”と“千手”だったが、即座に燐香が彼らの認識にズレを発生させ、異能を向ける先を変更させる。

 

 

 

――――振り下ろされた異能が、大地を割った。

 

その場に何があったとしても、無事では済まないような惨状に、飛鳥とアブサントは血の気を無くす。

 

 

 

ほんの数瞬のやり取りだったが、燐香のその行動により覆り掛けた戦況がギリギリで膠着状態に入った。

 

 

 

だが、その代償は大きかった。

 

 

 

 

 

「お、おえぇっ……」

 

 

 

 

 

血の混じった胃液が逆流した。

 

何とか異能を継続させる燐香だが、もはやまともに立っていられず膝を突いて地面に座り込む。

 

 

 

慌てて駆け寄った飛鳥が支えた燐香の体は、かなりの熱を持っている。

 

到底健康な人の体が持つ熱量ではないそれに、飛鳥は目を見開いた。

 

 

 

 

 

「っっ……これ、アンタ……」

 

 

 

 

 

息を呑む。

 

ぽたぽたと顎を伝った血が地面を赤く濡らしているのを見て、焦りが産まれる。

 

明らかにオーバーヒート状態、限界以上の異能を使いすぎて体に異変が起きている。

 

外から触っただけでもこれほど異常があるのだ、恐らく燐香が感じている体の異変はそれだけではないだろう。

 

 

 

でも。

 

 

 

 

 

「あー……きついですってもうっ、こんなのっ……! ソウルシュレッダーはこんな使い方するものじゃないし、認識誘導は本来もっとゆっくり浸透させるものなんです……ほいほいこんなの連発させてっ! ふざけやがってぇ!! 絶対に許さないっ!!!」

 

「げ、元気ね……そんな騒いで本当に大丈夫なの?」

 

 

 

 

 

顔を上げた燐香が怒りのまま吠えたのを見て、取り合えず……安心した。

 

気力が全くないよりも、怒りを発露させられているならまだ最悪には至っていない。

 

 

 

燐香が居なければ、そもそも“白き神”達に太刀打ちするのだって難しい。

 

そう考えてしまった自分に、飛鳥は怒りを覚え歯を食いしばる。

 

 

 

 

 

(あらためて考えると、私も大概不甲斐ないわね。こんなんじゃ、異能を持ってない人と変わりないじゃない……)

 

 

 

「うぅ……言っときますけど、急造の組み合わせで、前を張る人がいないから無理を押して私が前に出てるんです。分かってます? 相性の問題です、変に気負われてグチグチされるとそっちまで気を回さなくちゃいけなくなるので、そう言う思考は止めてください」

 

「……人の思考を勝手に読むな」

 

「イタイ!?」

 

 

 

 

 

恥ずかしさを紛らわせるように、軽く燐香の頭を叩いて、前を見る。

 

ソウルシュレッダーと言う名の技術によって、異能を削り取られた“千手”達は無理やり動かされているにしても何度も連続して異能を使えないのか、いくつかの追撃の後はその攻撃の手を緩めている。

 

 

 

良く見れば彼らの呼吸も荒々しく、普通ではない。

 

疲労以外の別のところでも限界を迎えてきているのが見て取れる。

 

燐香が倒れるのが先か、“千手”達が限界を迎えるのが先か、傍目にはどう転ぶか全く分からなかった。

 

 

 

 

 

「……アンタはもう、奴らに掛けた異能を切って、寝てなさい」

 

「は? 何言ってるんですか飛禅さん、私がいなかったら勝負になる訳ないじゃないですか」

 

「アンタはいちいち腹立つわね。良いから寝てなさい。私にだってね、プライドがあんのよ」

 

 

 

 

 

明らかに体調が悪そうな癖に口の減らない燐香を寝かせて、飛鳥は立ち上がった。

 

 

 

そうだ、プライドがある。

 

まだ学生の燐香に負担を押し付けて、自分がのうのうと安全を享受するなんて、飛鳥の矜持が許さない。

 

 

 

勝算なんてない。

 

そもそも“千手”なんて、少し前に自分ではどうしようもないと思い知らされたばかりの相手だ。

 

それが他の異能と連携して攻撃してくるなんて、“浮遊”させるだけの異能しか持っていない飛鳥が、どうにかできるような次元を超えている。

 

 

 

そんなこと、飛鳥だってとっくに分かっていた。

 

 

 

 

 

「……いや、本当に死んじゃいますよ? 分かってます? 私が彼らに掛けた誘導を解いたら、飛禅さん本当に死んじゃいます」

 

「ふん……私に家族なんていないし、特別親しい人もいない。アンタよりもずっと身軽なの。それに、アンタは私に色々嫌な思いさせられてきたんだし、別に気にするようなことでもないでしょう?」

 

「でも…………飛禅さん、会いたい人がいるんですよね?」

 

「……」

 

 

 

 

 

燐香にそんなことを言われ、自分を救いだした顔も見えなかったその人の事を思い出す。

 

 

 

 

 

【異能と言う超常現象は本来人間が持っているとは思わなかったもの。ならその限界がどこまでかなんて誰にも分からない】

 

 

 

 

 

あの人が言っていたことは、今なお一字一句明瞭に思い出せる。

 

 

 

 

 

【異能は人それぞれ違いがあって、それぞれの出来ることが違う。なら、きっと異能の限界を決められるのはその人自身だけ。私が見た限り、貴方の異能はまだ、自分の作った檻に閉じ込められている】

 

 

 

 

 

そうだ、私が飛べるのはこんなものじゃない。

 

もっと高く、もっと大きく、もっと強く、もっと、飛べるはず――――なのに……。

 

 

 

歯を食いしばり、そう思考を巡らすものの、どれだけ思い込もうとしたところで、正面に立つ2人の凶悪な異能持ちに勝てる光景が一切見えてこない。

 

自分の物を飛ばすだけの異能がどんなに強くなったところで、奴らに勝つことが出来るとは到底思えなかった。

 

 

 

 

 

(……貴方が信じてくれた私を、何時まで経っても私は信じ切ることが出来ないのね)

 

 

 

 

 

息継ぎが終わったのか、“千手”達が大きく動き出す。

 

巨大な腕と鈍い色の煙が空を覆い尽くし、ゾッとするほど強大な異能の出力があたりに満ち始めた。

 

認識をズラされて、攻撃が直撃していないことに気が付いたのだろう、まとめて周囲を薙ぎ払う方向へ転換したようだった。

 

 

 

これまでとは比にならない彼らの出力は、おおよそ個人が出せる異能の限界を超えている。

 

 

 

 

 

(私は結局、貴方が言うように上手くは飛べなかった。下手くそで、不器用で、惨めな飛び方しかできなかったけど……)

 

 

 

 

 

飛鳥はしっかりと足で地面を踏みしめて、彼らの前に立つ。

 

 

 

 

 

(――――ここが私の最後になっても、貴方に顔向けできないような生き方だけは絶対にしたくない)

 

 

 

「違いますよ飛禅さん」

 

 

 

 

 

異能を発動させようとしていた飛鳥の肩に小さななにかが飛び付いた。

 

それが燐香だと気が付いて、何をするんだと、振り払おうとした飛鳥の横をアブサントが駆け抜ける。

 

 

 

 

 

『せいぜい1分程度だ』

 

「認識はズラしたままにしてあります。すいません、お願いします」

 

 

 

 

 

“千手”と“紫龍”に肉薄し、同時にその2人を相手取り始めたアブサントを見て、混乱する飛鳥に燐香は囁く。

 

 

 

 

 

「なにをっ……! なんで邪魔をするの!?」

 

「良いですか。悲壮な決意とか、あの人が言っていたからとか、そういうのじゃないんです。本当に自分を信じて、自分の能力はもっと上なんだと思い込むことが大切なんです。異能が強い人達って、どいつもこいつも独善的でしょう?」

 

「アンタッ……また人の思考を勝手にっ……!」

 

「良いから聞いてくださいって。飛禅さんは根暗です、猫被って他人に対応していたり、私に対して必要以上に攻撃的に接したり、どこか他人と距離を取って絶対に自分の心の内側に人を入れない様に必死になったりしています。それは、過去の虐げられた経験が、大切な人が飛禅さんを置いていった経験が、自分への自信を喪失させたからです」

 

「っ…………!?」

 

 

 

 

 

燐香に言われた言葉に思わず息が詰まった。

 

自分の心を自分が理解しているなんてことは無い。

 

だから、燐香が指摘したそれは、思いもしていなかった飛鳥の心の内だ。

 

 

 

 

 

「飛禅さん、貴方はきっと自分を信じられないんでしょう。過去の経験と言う鎖が貴方の羽を、強く縛り付けている。だからずっと自分の道も見つけられないで、自分を置いていった薄情な奴を追いかけ続けている」

 

「…………」

 

 

 

 

 

そうなのだろう。

 

そんな風に心の中で、燐香の言葉を肯定した。

 

冷たい牢の中に入れられた時も、あの人が自分を置いていった時も、自分が何か悪かったんだと思った。

 

 

 

施設で何をやっても満たされなくて、何もやりたいことが見つからなくて、結局自分に残っていたのは、救ってくれたあの人への執着だけ。

 

 

 

 

 

「知ったようなことを、言わないで……」

 

 

 

 

 

だからこんな道に進んだ。

 

だからこうして迷い続けている。

 

だからこんな風に何も変えられない。

 

 

 

だってそうだろう。

 

誰も手を引いてくれなくて、自分の足も信じられない人間は、どうやって先に進めばいい?

 

ずっと分からないままだった。

 

 

 

 

 

「……私だって、どうすればいいか分からないのに……何も知らないアンタが、知ったようなこと言わないでよ」

 

「……」

 

 

 

 

 

そんな事ばかり考えて、飛鳥の足はずっと昔から止まってしまっていた。

 

 

 

 

 

「【貴方は何処へでも飛んでいける】」

 

「――――」

 

 

 

 

 

だから、自分しか知らない筈のその言葉を聞いた時、飛鳥の思考は停止した。

 

 

 

音が止まった。

 

呼吸が止まった。

 

心臓も、止まってしまったのかもしれない。

 

 

 

燐香が紡いだその言葉に、飛鳥は体を硬直させた。

 

 

 

 

 

「【その翼は貴方を何処までも空高く運んで、これまで貴方が知らなかった世界の色を貴方に見せる。貴方は飛んだ先に見たい世界を、何にも縛られることなく選ぶことが出来る。貴方は誰よりも強く羽ばたいて、誰の手にも届かない高みで、自由に空を飛んでいける】」

 

 

 

 

 

それは言祝のようで、呪いのようで、魔法の言葉のよう。

 

何時かあの人に言われた言葉が、今、そのまま紡がれている。

 

 

 

今、飛鳥の後ろにいる人物が、飛鳥が何度も思い描いていたあの人なのだと言うように。

 

 

 

 

 

「【――――だから飛鳥、これから貴方は羽ばたいて貴方が居たいと思える場所に行けるのを、貴方が幸せになれるのを祈ってる】」

 

「……うそ。やめてよ……そんな冗談、流石に笑えないわよ……アンタが、あの人だって言うの……? だって、アンタは私よりも年下で……私みたいなの、救うような奴じゃなくて……私を置いていくような、人じゃなくて……」

 

「飛鳥さん」

 

 

 

 

 

座り込んだ飛鳥に、燐香は困ったように眉尻を下げる。

 

その姿はいつか見た、牢から助け出された直後、「私なんて死んでしまえばよかったのに」なんて言ってしまった時見せた、あの人の姿と重なった。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい。私、貴方を隣の街に連れ出して、大人の人に育てられた方がきっと幸せになれるんだって思ってました。私みたいな、自分よりも年下の、性格ばっかり悪い奴と暮らすよりも、ずっといい生活が送れるんだと思って……貴方の好意は分かっていたから、未練を残さない様にって何も言わずに消えました。こんな風に、ずっと貴方を縛り付けることになるなんて、想像もしていませんでした……飛鳥さん、本当にごめんなさい。貴方の事が嫌で、置き去りにした訳じゃないんです」

 

「あ、う……あううう……あうぅううっ……」

 

 

 

 

 

涙腺が決壊したように、ボロボロと涙が溢れ出す。

 

必死に目を抑えようとするけれど、どうしてもうまくいかなくて、見せたくもない酷い顔を一番見られたくない人に見られてしまう。

 

 

 

「ああ、そうか」そんな風に、今まで自分の心の奥底に刺さっていた冷たい針が、ようやく抜け落ちた気がした。

 

 

 

何故だか分からないのに、ずっと、強く当たっていた彼女。

 

自分でも何が嫌か分からず、それでも顔を見るたび不機嫌そうな声になり、冷たく攻撃するような言葉ばかり口に出た。

 

思い出せばあの時もそうだった、助け出してくれたあの人に自分は何度も酷い言葉を言ったのを覚えている。

 

結局あの人が目の前から消えるその時まで、お礼の一言も言えなかったのを、覚えている。

 

 

 

だから燐香に、もしも助け出した人だと分かったら何か伝える事はあるかと聞かれた時に最初に頭を過ったのは、自分を置いていった理由を聞くことでは無く。

 

 

 

『私を助け出してくれてありがとう。それから、酷いことを一杯言って、ごめんなさい』

 

 

 

ずっと前から言いたかった、そんなことを伝えたかったのだ。

 

 

 

 

 

「飛鳥さん……色々と話したいことはありますが、時間がありません。貴方が持っている翼は、あらゆるものを寄せ付けないような強靭な翼。大丈夫、最初は私が手助けします。貴方は貴方の思うがままに空を駆けてください」

 

 

 

 

 

ボロボロと溢れ出した涙は少しだって止められなかったけれど、飛鳥は燐香のその言葉に、ゆっくりと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アブサントは、感謝していた。

 

突然割って入って来た2人の年若い女。

 

1人は病院で会った女性で、もう1人は警察署の前で会い、自分達を標的とした攻撃の巻き添えになるところだった少女。

 

どちらにも良い感情なんて持たれていないのは分かっていた、彼女達が自分の側に立ってくれるなんて考えてもいなかった。

 

 

 

けれど、自分よりも年下だろうその2人は、どうしようもないと思っていた戦況を一変させてくれた。

 

 

 

自分の無力で“白き神”の手に落ちた大切な人を、彼女達はいともたやすく救い出してくれた。

 

“音”なんて言う、こんな混戦にはどうやったって向かないような異能なのに、彼女達は文句の1つも無く手を貸してくれ、逆に手伝ってくれと求めてくれた。

 

彼女達がどんな目的があってこの場に割って入ったのかは分からない。

 

でも、アブサントとしてはこれ以上彼女達に何かを求めるつもりは無かった。

 

 

 

だから“白き神”が完全に意識を飛ばし、“千手”と“紫龍”が暴走状態に入り、彼女達が追い詰められているのを見た時、自分1人が囮になって時間を稼ぐことに何のためらいも無かったのだ。

 

 

 

勝つことなど最初から考えていない。

 

“白き神”が制御している内は、何とか手駒としようと生死に関わるような攻撃は控えていたが、今の奴らにはそれは無い。

 

いかに時間を稼ぐのか、暴走する奴らの行動をつぶさに観察しつつ、一撃で生死を彷徨う攻撃を必死に回避した。

 

認識にズレがあるのは続いていたようで、見当違いの方向への攻撃も多かったが、それを補う程の面攻撃が繰り返され、余裕なんて出てこなかった。

 

何度も何度も地面を転げまわり、即死に繋がる煙と手に捕まらないよう足を動かし、可能な限り時間を稼ごうと必死に努力を繰り返して――――それでも、少女に告げたように1分も持たなかった。

 

 

 

 

 

『ぐ、おぉ……』

 

 

 

 

 

足が折れ、全身からは血が噴き出している。

 

今はもう指先にも力が入らないし、片眼ははれ上がり視界が塞がってしまっている。

 

異能の力も、枯れ果てたのではなんて思うくらい絞り切ったし、五感もどこがおかしくてどこが正常なのかの判断も付かないくらいグラグラだ。

 

 

 

もうこれ以上の回避は出来ない。

 

次奴らが攻撃に動いた時が、自分の最後だと分かっていた。

 

 

 

 

 

『ル、シア……』

 

 

 

 

 

間に合わなかった。

 

それでも、あの2人に対してはこれっぽっちも恨みなんて抱かなかった。

 

 

 

ただ心残りがあるとするならば、最後まであの人の手を握れなかったことだろうか。

 

そんな心残りを自覚して、少しだけ後悔が押し寄せた。

 

 

 

 

 

「――――ごめんなさい、待たせたわね」

 

 

 

 

 

アブサントのその状況を覆したのは、その場を支配した次元の違う異能の出力。

 

これまで会った誰よりも、異次元染みた異能の圧力を感じて、アブサントは目を見開いた。

 

 

 

物を飛ばす、そんな異能。

 

はっきり言って強力とは言えない彼女の異能は、どうあっても“千手”や“紫龍”には通用しないと思っていた。

 

 

 

だが、彼女、飛禅飛鳥のこの馬鹿げた出力からは――――。

 

 

 

 

 

「飛べ」

 

 

 

 

 

彼女のその一言で、“千手”と“紫龍”が発生させていた『手』と『煙』は散り散りになった。

 

それらが視認すら出来ない速度で遥か彼方へ吹き飛ばされたと気が付いたときには、既に飛鳥が倒れ伏すアブサントの前に立っていた。

 

 

 

“千手”と“紫龍”に向かい合う飛鳥の姿は異様だ。

 

髪の毛先は重力に反するように浮き上がり、足裏が本当に地面に着いているのか怪しい。

 

体の内側に留まり切らない異能の出力が、黒い雷のように飛鳥の体を迸り、彼女が扱う出力の異常さを物語る。

 

 

 

 

 

「……これ、アンタに負担無いのよね?」

 

「いえ、私の異能の出力のほとんどを飛鳥さんに回しているので、負担は結構大きいです。なんならそんなに長時間維持は出来ません。でも、強制的に行った認識誘導を継続するよりはずっと楽ですので気になさらないでください」

 

「後で、色々話すんだからね。言いたい事が、いっぱいあるし……絶対に無理はしないで」

 

「え、優しい……分かりました。あとで、必ず話しましょうね」

 

「うん」

 

 

 

 

 

飛鳥はそんな会話を終えると、襲い掛かってきた“千手”と“紫龍”の体を浮遊させ、地面に叩き落とす。

 

 

 

数メートルと言う高さから、あくまで死ぬことだけはないようにと配意されたその一撃で、強制的に動かされていた“千手”達の動きすら完全に封じた。

 

それでも暴走する“千手”達の異能は、飛鳥に通用しないと判断されたのか、燐香やアブサントにまで向けられ。

 

だが、それすら飛鳥は塵でも払うように、薙ぎ払い、全く寄せ付けないまま“千手”達をはるか上空へ向けて吹き飛ばした。

 

 

 

為すすべなく、されるがままに。

 

まるで巨人が意志の無い人形を振り回すかのような一方的な異能の暴力で、上空に縛り付けられた“千手”達には反抗の手段など残されていない。

 

 

 

もはや異能持ちとしての絶対的な格が違う。

 

 

 

赤子の手を捻るかのように、ただの人間と上位者の争いのように。

 

 

 

今の彼らには覆しようのない差があった。

 

 

 

チラリと、飛鳥は燐香に困ったような視線を向ける。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい。ここまでやって思ったんだけど、こいつらをいくら痛めつけたところで“白き神”は倒せないわよね。どうすれば……」

 

「……はい。後は、任せてください」

 

 

 

 

 

邪魔な異能持ち2人の暴走は無力化した。

 

後は、無防備に動かないベルガルドに寄生している“白き神”をどうにかするだけだ。

 

そして、異能を使って精神を飛ばしているだけの“白き神”をどうにか出来るのは、同じ精神干渉系統の異能持ちだけ。

 

 

 

重い体を引き摺るように動かして、燐香は止めを刺すために“白き神”の元に辿り着く。

 

飛鳥が四肢を動かせないように異能でベルガルドの体を抑えつけたのを確認してから、倒れて動かない“白き神”に馬乗りになる。

 

 

 

 

 

「ふぅ…………やります」

 

 

 

 

 

少し呼吸を整えて、燐香は左手だけで“白き神”の首を絞めた。

 

 

 

 

 

「――――お、ごっ!? な、にが……!?」

 

 

 

 

 

強制的に気絶から引き戻された“白き神”が、状況が分からず、動かせない顔の代わりに慌てて目だけで周囲の状況を確認して、絶望的な自分の立場に気が付いて顔を青くする。

 

あり得ない程強力な出力を発する飛鳥に、周囲の何処にも手駒が存在しない状況、最終防衛として残していた筈の“千手”達の暴走は見る影もない。

 

 

 

動かせない手足と組み敷かれた体勢。

 

完全敗北、そんな言葉が頭を過った。

 

 

 

 

 

「どうっ、なって……!?」

 

 

 

 

 

即座に、ベルガルドの“転移”を使おうとするが、使えない。

 

誰かしら洗脳しようと『認智暴蝕』を使おうとしても、使えない。

 

どうしようもないとベルガルドと繋いでいる異能の接続を切ろうとしても、切れなかった。

 

 

 

 

 

「な、んでっ、なんでだっ……!!?? いったいなにが――――ヒッ……!?」

 

 

 

 

 

目の前からぱきり、と指を鳴らす音がする。

 

その音を聞いて、ようやく“白き神”は目の前に誰かがいることに気が付いた。

 

 

 

 

 

「――――ようやく……捕まえた」

 

 

 

 

 

目の前にいる、顔の無い少女に気が付いた。

 

 

 

今度は間違いなく現実。

 

首を絞めつける熱量が、そのことを“白き神”に伝えてくる。

 

 

 

 

 

「ひっ……!? か、“顔の無い巨人”!? いや違うっ、お前は、違う!? お前っ、さっきまでいたあのっ……あのっ……顔が思い出せない……? せ、精神干渉の異能持ちだろう!? そのふざけた格好を辞めろ!! 僕に何をしたお前っ、なんで僕の異能の接続が切れないんだ!?」

 

「……」

 

「お、おい……! 何とか言え!! そ、そうだ、お前神楽坂の関係者なんだろ!? 前に会ったとき神楽坂の話題に反応してたもんなぁ!? あいつの関わった事件について知りたいだろ!? と、と、取引しよう!! 良いだろ!? ここで僕の口を割らせる方が絶対に良いぞ!! なんたって――――」

 

 

 

 

 

 

 

【黙れ】

 

 

 

 

 

 

 

声とも呼べない悍ましい宣告で、“白き神”の言葉が止まった。

 

 

 

口が動かない。

 

舌が口の中で張り付いたように、動かせない。

 

息すらまともに出来なくなった。

 

 

 

 

 

【お前はやりすぎた。お前は手を出してはいけないものにまで手を出した】

 

 

 

 

 

憎悪に近い怒りに触れて、“白き神”は自分が大量の汗を掻き始めたのに気が付く。

 

もはや視線を自分で動かして、視覚の恐怖から逃げる事すら出来ない。

 

 

 

 

 

【世界は無色、薄っぺらくて淡白。であれば、世界が醜いのは醜悪なものが蔓延っているからに他ならない――――お前らの様な醜悪な奴らが】

 

 

 

 

 

悲鳴も、命乞いも、許しを請うことも、出来なかった。

 

無貌の怪物のもう1つの手が、“白き神”に伸ばされた。

 

 

 

 

 

「……ソウル、シュレッダー」

 

「!!!???」

 

 

 

 

 

絶叫は、許されなかった。

 

全身を駆け巡る激痛に、意識を失うことも出来ず、“白き神”は体を激しく痙攣させる。

 

 

 

ソウルシュレッダー。

 

本来の使い方は相手の精神を破壊する、若しくは――――相手の異能を破壊する。

 

 

 

ベルガルドに寄生している“白き神”の人格を削りながら、ベルガルドから伸びる異能のラインを辿り、未だ洗脳状態にある者達に入り込んでいる『認智暴蝕』の異能を粉砕する。

 

 

 

1人、2人、5人、10人、60人、140人、380人、1000人。そして、“白き神”の本体である白崎天満の体の元へと、破壊の手が異能のラインを裁断しながら恐るべき速さで向かっていく。

 

 

 

 

 

「■■■■■■■■!!??」

 

「あと、少しっ……」

 

 

 

 

 

声にならない悲鳴に耳を貸す事無く、真っ赤に染まった視界の中、燐香は白崎天満を見据える。

 

 

 

世界中に散らばらせていた異能の全てを粉砕した。

 

ベルガルドに入り込んでいた“白き神”の人格だけを破壊した。

 

海を越え、国を越え、僅かなラインを辿り、標的の姿を捉える。

 

 

 

生活感の無い部屋の一室。

 

椅子に沈み込むように座る1人の若い男。

 

 

 

それに、手を掛ける。

 

 

 

 

 

「……もう、すこ、しだけ――――」

 

 

 

 

 

白崎天満の体が跳ねる。

 

異能の刃が彼の形のないものをズタズタに引き裂いて、ベルガルドの体が上げられない分まで悲鳴を上げる。

 

 

 

のたうち回り、絶叫し、痙攣を起こして。

 

異能の力を破壊して、精神を粉砕して、“白き神”と言う存在を本当の意味で消す、最後の最後。

 

 

 

白崎天満に届かせていた破壊の手が、無理やり引き離された。

 

 

 

 

 

「――――……え?」

 

 

 

 

 

燐香は状況が理解できず、思わず呆けた様な声を上げた。

 

もう手に掛けていた、あと数秒あれば、完全に白崎天満を廃人にして、異能の力を完全破壊できた。

 

 

 

なんで、なんて思う間もなく、悲鳴に近い声で怒鳴られる。

 

 

 

 

 

「――――アンタ、何やってんのよ!!」

 

 

 

 

 

悲鳴のような、泣き声にも聞こえる飛鳥の声に、ようやく自分が抱き絞められていることに気が付いた。

 

飛鳥が、無理やり自分の体をベルガルドから引き離したのだ。

 

 

 

自分の視界が真っ赤に染まっている。

 

鼻から、だけではない。

 

口は血の味で満ち、目からも血が流れている。

 

 

 

自分の体の限界が、とっくの前に来ていたのだ。

 

 

 

 

 

「こんな奴に止めさしてアンタも死ぬつもりなの!? ふざけないでよっ!!」

 

「あ、あぶぶ……ああああ、飛鳥さんありがとうございました……し、死ぬところでしたっ……!」

 

「……気付いてなかったの? ほんと、何なのよアンタ。他人の限界をどうこう言うなら自分の限界くらいすぐに気が付きなさいよ。普通、異能持ちなら誰だって出来るわよ…………あっ、い、いや、今のは、その、悪口、じゃなくて……心配したからつい、熱くなって思ってないことまで言っちゃっただけで……」

 

「……あ、上から“千手”と“紫龍”が降ってくる。あ、飛鳥さん! 今、異能を回しますのでもう一度彼らをキャッチしてせめて死なないようにしないと!」

 

「絶対っ、これ以上っ、異能を使うなっ!!! あんな2人くらい、普通に浮かせられるわよっ! ほら!!!」

 

 

 

 

 

落下してきた“千手”達を軽く浮遊させた飛鳥は、彼らをゆっくりと地面に下した。

 

完全に“白き神”の異能が消えて、意識を失った状態の2人は普通に息をしている事を確認する。

 

 

 

寝息を立てている2人に目をやり、飛鳥は不愉快そうに口をへの字に曲げた。

 

 

 

 

 

「……ま、こいつらがどうなろうと知ったこっちゃないんだけど。こんな奴らのせいで私やアンタの手を間接的にも汚すことになるのは業腹だからね。一応は、生かしておかないと……って、本当に大丈夫? このまま病院に連れて行くわね。ちょっと私に掴まって」

 

「うぐぐ……ぎもじわるい゛……」

 

「もうっ、気持ち悪かったら遠慮しないで吐いちゃいなさい。別に私の服に掛けても良いから」

 

 

 

『ま、待て!』

 

 

 

 

 

そのまま、ICPOの応援が来る前に、燐香を病院に連れて行こうとした飛鳥をアブサントが制止する。

 

何の用だ、と苛立ち紛れに目線だけで振り返った飛鳥と真っ青な顔で肩を貸されている燐香に、起き上がることも出来ないまま、アブサントは少し視線を彷徨わせた後、話し出す。

 

 

 

 

 

『……その、お前達には、世話になった。俺だけではルシアを救う事なんて絶対に出来なかったし、俺も奴の手に落ちて、色んな人を攻撃していたかもしれない。お前達が来てくれて、本当に助かった。飛禅飛鳥、君には病院での態度の悪さを謝罪する。背の小さな少女、あの警察署の前で、君を見捨てる行為をしてしまった事は、本当に申し訳なかった。これからこの場に来るICPOの奴らには、君達の迷惑にならないよう俺が上手くやっておく』

 

 

 

「……なんて言ったか分かった?」

 

「うぶぶ……ぎもじわるい゛…………」

 

『……あー……』

 

 

 

 

 

アブサントは今まで言葉が伝わらないことを、不便と思うことは無かった。

 

ルシアとだけ会話できればいい、それだけで完結していた彼の世界には、他の国の人など存在しなかったからだ。

 

 

 

けれど、今、アブサントは彼らに言葉が伝わらないことを酷く悔しく思っていた。

 

救ってもらったことを、大切な人を助けてもらった感謝の気持ちを、伝えることが出来ないのがもどかしくて。

 

 

 

だから、せめてと彼は不器用な笑顔を燐香と飛鳥に向けて、拙い言葉を話すのだ。

 

 

 

 

 

「あー……ソノ、アリガト、デシタ……」

 

 

 

 

 

向けた先の彼女達も、笑って返してくれた。

 

 

 

こうして、“白き神”の世界各国への無差別テロ活動は完全な終わりを迎える事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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目に見えないものは言葉に変えて

 

 

 

夜の帳が下りた街中。

 

世界的企業である『UNN』の支部が置かれているその街は、その影響もあってかなり経済活動が非常に活発で人出もかなり多く。世界の主要都市の1つにも数えられる場所だ。

 

 

 

『UNN』の支部であるその建物の中にある貴賓室には、年老いた老人が腰を下ろし、秘書である若い男性から話を聞いていた。

 

 

 

美しく加工されたガラスの杯に口を付けながら、その老人は穏やかに報告を聞いている。

 

世界各地で同時刻に起きたテロ活動、ICPOやテロが起きた国々と攻撃されなかった国々の対応、そして、日本での“白き神”の襲撃の顛末についての報告を、何一つ口を挟むことなく聞き続けた。

 

そして、全ての報告を聞き終えて、情報をまとめ報告を行った秘書に対して、優し気な視線を向ける。

 

 

 

 

 

『“白き神”は失敗したんだね? “千手”と“紫龍”の回収に失敗しただけでなく、ここまで事を大きくして、日本にいる我々が把握していない異能持ちとICPOに敗北した』

 

『おっしゃる通りです……“紫龍”はともかく、このままでは“千手”は我々が回収する前にICPOが本部に連れて行くこととなるでしょう。すぐに本格的な“千手”回収チームを編成して、日本に向かわせることとします』

 

『ああ。それはしなくていい。“千手”にはもう価値が無い』

 

『価値が無い……ですか?』

 

 

 

 

 

コロリ、と黒曜石の机の上に転がしたのは、どこまでも暗い色をした結晶。

 

異能と言う、未だ何一つ解明されていない非科学的な力が集約されたその結晶は値段にすると、この世に存在するどんな宝石よりも高価だ。

 

 

 

 

 

『“白き神”はこれを“千手”に吞ませたらしいね。捕まる前にも呑んだようだから、続けて2回。過去の回数を合わせると3回を超えている』

 

 

 

 

 

そして、老人はあくまで穏やかに、些細なことだとでも言うようにもう一度グラスに口を付けて、続ける。

 

 

 

 

 

『もう“千手”は異能を失うだろう。彼は優秀な実動員だったが、少し暴走が過ぎた。与えていた私達の情報も大したものは無い。異能が無い彼を、リスクを冒して助け出すメリットは存在しない』

 

『……なるほど、承知しました』

 

 

 

 

 

あれだけ忠誠を誓っていた男をいともたやすく切り捨てると告げた老人に、秘書は冷たい汗をかきながら、次の懸案事項に目を向ける。

 

 

 

 

 

『それでは、“千手”に関してはその方向で進めたいと思いますが……日本に存在している未把握のICPOと協力したと思われる正体不明の異能持ちについての調査チームの編成は……』

 

『ああ、本物の“顔の無い巨人”を“白き神”が刺激したのだろう? もうこれ以上の危険は冒すことはない。一度、日本への侵攻の手は、最低限の情報収集要員を残して引きなさい』

 

『は……? に、日本への侵攻を、止めるのですか……?』

 

『今、間違いなく最強に近い異能持ちであろう彼に刺激を与えるのは下策だ。そもそも私は彼と対立したい訳じゃない。可能であれば、手を結びたいと思っているんだ。本来なら刺激をせず所在を突き止め、必要な手順を踏んで協力関係を結びたかったが……私の人選が良くなかった。回収だけを頼んだ“千手”、同系統の異能であろう“白き神”。あるだろうと思っていた多少の介入から彼についての情報を得たかったが、ここまで刺激を与えてしまうのは想定外だった』

 

『し、しかしっ、日本にはほとんど手を伸ばしていませんが、我々は日本以外の多くには既に多くの拠点や協力者を持っています! これ以上の勢力拡大を目指すなら、日本の侵略は必要不可欠になってくるはずでっ……! 代表のおっしゃる“顔の無い巨人”も、危険と思われるのはよく分かりますが、組織全体の動きに影響させるほどだとはどうしても思えないのです!』

 

 

 

 

 

世界における最大手の多国籍企業であり、表では「より良い世界の発展を」と言う目標を掲げ、さらに様々な分野に手を伸ばしている『UNN』。

 

世界の経済的な面では実質的に完全な支配を成功させているこの企業にとって、真の目的は現状の維持などでは無い。

 

それを為すためには、必須とは言えずとも日本と言う経済大国を手中に収める事には大きな意味がある筈だが、老人はそれを諦めると言い切った。

 

『UNN』と言う化け物会社を作り上げ、今なお世界中に大きな影響力を持ち、確実に歴史に名を残すであろうこの老人が、諦めると言い切った。

 

 

 

“千手”を切り捨てる以上に信じられない老人の発言に、秘書が思わず反論すれば、老人は優し気な目を細め、感情の伺い知れない笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

『君は、異能と言う力にどこまで可能性を感じている?』

 

『それはっ……その、正直に言いますと、可能性はあまり感じておりません。現状は未解明だからこそ強みを持っているだけの現象にすぎず、効果も異能でしか為せない、と言うことはありません……いずれは科学で追いつけるだけの、兵器に近い力だと……』

 

『ああ確かに、君の言う通り。これまでのままなら、数百年後には進歩を続ける科学の方が上回っているかもしれないね――――もっとも、今私達が解明を進めているこの結晶のように、異能についての進歩が無ければの話だが』

 

『っ……』

 

 

 

 

 

圧力が違う。

 

自分は持っていなかった考え方を話されているのに、まるで反論の為に口を挟むことが許されないような、この老人独特の空気。

 

この人が正しいのだと、この人の話を聞くことが正しいのだと、無条件に信じたくなってしまうだけの力がこの老人には存在する。

 

 

 

 

 

『これまで異能と言うものを真に理解する土台が足りなかった。だから、進歩することなく放置され、優秀なその力を持つ者が迫害されることもあった。だが、間違いなく異能はこれまでの歴史の転換期に関わっていて、異能は世界に変革をもたらすだけの力があることはこれまでの歴史から既に証明されている。なんの手も加わっていない力が、世界を変える力を有するなら、それを進めた先にあるのはなんなのか。本当に、異能は科学と変わらない、1つの技術でしかないのか。私はそれが知りたいんだ』

 

 

 

 

 

時代における英雄。

 

それぞれの時代における革命者。

 

情報化社会が進み、能力の均一化が図られている今の時代において、そういう存在がいるとするなら間違いなくこの人なのだと、秘書は理解する。

 

 

 

それくらい、この老人の言葉には圧があり、そして人を惹き付けるなにかがあった。

 

 

 

 

 

だが、老人のこの問答はこの場にいる者に向けられたものでは無い。

 

ここにいない誰かに向けて、彼は子供が夢を語るようにキラキラと目を輝かせながら、問いかけている。

 

 

 

 

 

『――――そろそろ、我々人類は原始人から進化するべきだ。そう思わないかい?』

 

 

 

 

 

彼が望む解答者は、現れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある病院の屋上で、私と飛鳥さんは肩を寄せ合いながら、私が持ち寄った映像レコーダーで録画されたデータを見ていた。

 

 

 

その映像の内容は、映画やアニメ、ドラマやアイドルでもなく、ただの一般人の自己紹介が記録されただけの、簡素な物。

 

ただし、ICPOや事情を知る者にとっては、最高ランクの危険度を誇る映像データだ。

 

 

 

 

 

『初めまして下等な諸君、僕の名前は白崎天満。年齢は25歳、性別は男。好きなものは他人の絶望した顔、かな』

 

 

 

「うっわ、このドヤ顔腹立つわね」

 

「ですよね? 異能が伴わなくなったらこんなのただの自己紹介なのに、自ら世界中にばら撒いてるんですから、ナルシストですよナルシスト」

 

 

 

 

 

けれどその危険な映像データも、今となっては何の力も伴わない。

 

安全になっていたその映像の酷評を行いながら、レコーダーの電源を落とす。

 

 

 

“白き神”改め、白崎天満の映像データから彼の異能の状況を確かめて、飛鳥は疲れた様なため息を吐く。

 

 

 

 

 

「……本当に洗脳されなくなってるのね。もしかしたら洗脳されちゃうんじゃないかって少しドキドキしてたけど、取り合えず安心したわ」

 

「私の異能がコイツの本体に届いていましたし、全部じゃないですけどしっかりとコイツの異能を破壊した感覚はありましたから。恐らくもう、こういう情報データを通じて洗脳するだけの力も残ってないでしょうし、それどころか同時に数人を洗脳することももう出来ませんよ」

 

「と言うことは……犯罪者である自分の人相が写った、何の意味も無い自己紹介データが世界中にばら撒かれている事になるのね。恨み持つ人なんて山ほどいるでしょうし、アイツにとっては命を掛けた鬼ごっこがスタート、ね……同情はしないけど」

 

「自己防衛のための異能も使えない訳ですから撃退も出来ないでしょうし、捕まったら何されるんでしょうね」

 

 

 

 

 

そんな風に、巨悪“白き神”の無力化がなされている事を確認して、改めて一連の事態が完全に収束し、その元凶を断つことが出来たことに私は安堵していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京拘置所の襲撃があってから数日、その間私は飛鳥さんと神楽坂さんと同じ病院で入院することとなっていた。

 

別に入院するほど体に悪影響がある訳では無く、単に私を診た医者が、あらゆる病に当てはまらない異能持ち特有の症状に、原因は全く分からないものの取り合えず異常事態だと判断し緊急入院をすることとなった訳だ。

 

様子を見るために、と告げられた入院期間は1週間。

 

これによって、私のゴールデンウィークは完全に終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

 

強襲した妹、桐佳に再び号泣され。

 

新たな妹、遊里には泣きそうな顔で心配され。

 

奇襲してきた学校の友人、袖子はやけに豪華な花と果物の盛り合わせを送ってきて。

 

見舞いに来た父親と遊里さんのお母さんにはいったい何があったのかと問い詰められ。

 

 

 

そんな散々な入院生活ではあったが、実を言うとこの生活を私は内心楽しんでいた。

 

 

 

いや、だって中々体験できない入院生活はやっぱり刺激的な経験だったし、初めての入院生活を甲斐甲斐しくサポートしてくれる同性の飛鳥さんと、神楽坂さんと言う気心が知れた大人がいたから、暇することも困ることも特になかった。

 

家事学業悪者退治にアルバイトと、忙しない日々を送っていることから考えると。まったりとした快適極楽な入院生活は満ち足りたものだった訳だ。

 

 

 

 

 

「はぁ……私このままここに住みたい……」

 

「何寝ぼけたこと言ってんのよ。もう学校始まってるんでしょ? アンタどうせ頭良いんだから、とっとと主席でもなんでも取って、いいとこの大学入って、安定した職業にでもつきなさいよ」

 

「なんか投げやりな感じに言ってますけど、私への信頼が重すぎるんですが……え、私勉強が出来るとかそういう事言ったことないですよね?」

 

「私は聞かなくても分かることは聞かない主義なのよ」

 

 

 

 

 

自信満々にそう言い切った飛鳥さんに、どこからその自信が湧くんだと呆れるが、同じ病院で入院していて彼女について少し分かったことがある。

 

 

 

基本的にこの人は、観察力がある。

 

外側から見るだけで彼女はものの本質を捉えることが得意なのだ。

 

これ以上無いくらい警察官に向いているとも言える特技だが……警察官への熱意がそんなになさそうなのが難点だろう。

 

 

 

 

 

「……まあ、だから聞かなきゃ分からないことは遠慮しないで聞くんだけど。あのICPOのアブサントからの手紙にあった、ICPOの異能持ち部署への誘い、どうするの? 入る意思があるならアブサントが推薦してくれるらしいけど」

 

「それこそ聞かなくても分かりそうなものですけど、答えは勿論ノーですよ。私が今神楽坂さんに協力しているのはあくまで、私の身の周りが変な奴らが起こす事件によって傷付かないようにするためでして、世界の犯罪者達を取り締まりたいなんて考えてないです。ICPOの雇用条件は凄く良いですけど、惹かれるものではないですしね」

 

「そうなのね……うん、安心したわ。それなら私も心置きなく断れる」

 

「うん?」

 

 

 

 

 

飛鳥さん、今断るとか言っていたように聞こえたのだが……。

 

 

 

待遇も立場も給与も何もかも桁外れになるICPO直下の異能対策部署。

 

良くも悪くも、“白き神”があれだけ暴れた後の世界情勢は少なからず変化する筈で、異能持ちの世間的な認知と価値はこれまで以上となっていくだろう。

 

だが、それは同時に争いの種になりえるということ。

 

組織に属さない、何の後ろ盾のない状態の異能持ちは、私のようなステルス仕様でない限り、生きにくくなるのは目に見えている。

 

 

 

いくら日本が異能の認知が進んでいなくて、今回の件で私が事前に洗脳された人達を解放出来て、被害が未然に防げたから異能の認知が進まなかったとしても。

 

 

 

国や公的機関が異能持ちを取り込まなかったとしても、この国に潜んでいる異能持ちが居なくなる訳ではない。

 

だからこそ、周知されなかったその情報を得た勢力が異能を持つ者を取り込もうと動き出すことが考えられる。

 

 

 

そして、その状況から最も安全に脱する方法があるなら、それは世界的に最も大きな組織に属すること。

 

 

 

つまり、アブサントさんがいるICPOの異能対策部署に他ならない。

 

 

 

 

 

「…………ねえ、また私を置いていった時と同じ考えをしてない?」

 

「ヒッ!?」

 

 

 

 

 

ガシリと両肩を掴まれて顔を近付けられた。

 

半目で疑うような飛鳥さんの視線に耐えかねて、視線をあらぬ方向へ動かしまくっていたら、今度は頬を押さえられ強制的に目を合わせてくる。

 

怖すぎて笑えない。

 

 

 

 

 

「私の身の安全を勝手に考えて、どうすれば私の為になるのかを自分勝手に考えて――――それでアンタ、それをどうするつもりなの?」

 

「あ、ば、ばばばば……」

 

 

 

 

 

なんなんだこの人、私よりもずっと人の心を読んでいる気がするんだけど。

 

 

 

 

 

「すまん、待たせた。飲み物買ってき――――これは……仲が良いのか、それとも詰め寄られてるのか……俺はどうすれば……」

 

「神楽坂さんー!!! 助けてー!!!」

 

 

 

 

 

私の、ここ一週間で一番の全力の叫びだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、ちょっとした喧嘩だったんだな? 佐取も飛禅も無理に仲良くなれ、とは言わないが、悪口や実力行使は限度がある。やっちゃいけないラインをちゃんと弁えるんだ。特に飛禅。お前はもう社会人。大人の一員なんだから」

 

 

 

「反省してまーす☆」

 

「あぶぶぶぶ……わ、わたし、はやく退院にならないかな……」

 

 

 

「……本当に喧嘩だったのか?」

 

 

 

 

 

疑念の眼差しを向けてくる神楽坂さんだが、それもその筈。

 

神楽坂さんは私と飛鳥さんの関係を知らない。

 

不義理ではあるのだが、流石に神楽坂さんには過去に飛鳥さんを助けた、なにか知らないけどやべー異能持ちとして有名な“顔の無い巨人”とやらと同一人物じゃないかと疑いを持たれたくないからだ。

 

勿論、過去に色々とやらかしているから完全にその言われている存在が自分ではないと言えない。

 

“白き神”とやらも、私の遠隔トラップに引っ掛かり思考誘導を受けて、咄嗟に“顔の無い巨人”を連想する程度には、私とそれは似通った部分があるのだ。

 

相談するのは色々と調べてからでも遅くない……うん、そのやべーと言われている“顔の無い巨人”がどんな所業をしてきたのかしっかりと知って、情報を確定させてから相談するべきだと思ったからだ。

 

 

 

そして、幸いにも飛鳥さんも変に事を大きくしたくないのか、誤魔化すことに協力的だった。

 

 

 

 

 

「大丈夫ですよぉ先輩。私、燐香ちゃんとは仲良くやっていけそうなんでぇ☆」

 

「!!??」

 

 

 

 

 

でも、人が猫を被る瞬間を見るのは恐怖を感じるものなんだと知るのは今でなくてよかったのに。

 

 

 

ひしっ、と抱きしめられた私は心臓が止まってしまったような気分のまま、助けを求めて神楽坂さんを見るが、私の救援要請は届いていないようで、「そうか……」と解せないような声を出しながらも納得してしまっていた。

 

救援は無い、現実は無慈悲であった。

 

 

 

 

 

「……ともあれ、お前達には感謝しているんだ。俺が、俺の先輩や恋人を傷付けた奴を、俺自身の手で捕まえられなかったことに思うところが無いわけじゃないが……それでも、同じように傷付く人が出なくて、本当に良かった。ありがとな」

 

「……」

 

「先輩ってば水臭いですよぉ☆ そりゃあ色々先輩のために動いた部分もありますけど、基本的には私個人の用件があったからですし、別にそんな感謝なんていらないですって☆」

 

 

 

 

 

神楽坂さんと飛鳥さんがそんな風に、一段落ついたと言う話をしているのを見て、少し逡巡した。

 

 

 

確固たる確証に至る物証はない。

 

これはもしかしたら私の思い違いの可能性もある。

 

 

 

だが、それでもこれを黙っている事は出来ないと、私は自分達を起点にしていた認識阻害の異能を強化して声を上げる。

 

 

 

 

 

「あ、あ、あの! 話したいことがあるんです! その、神楽坂さんの過去の、同僚と恋人の件なんですけど」

 

 

 

 

 

私はそう切り出して、訝し気な表情を浮かべた2人に突き付ける。

 

 

 

 

 

「“白き神”は確かに関わっていたとは思いますけど、恐らくあの件の黒幕は奴じゃないと思います!」

 

「――――!?」

 

「……え、アンタそれマジで言ってるの?」

 

 

 

 

 

驚愕する2人に対して、私は頷きを見せる。

 

入院生活を過ごしながら考えていたこの件は、私の中でほぼ間違いないだろうと言う域にまで達していた。

 

 

 

神楽坂さんは目を見開いて私に顔を向けて、飛鳥さんも私を抱きしめていた体勢を止めて話を聞く形に入ってくれる。

 

 

 

これまでの私が搔き集めた“白き神”の人格面や異能についての情報。

 

異能の練度や理解、そして実際に対峙して判明したひととなり。

 

そして、何よりも神楽坂さんが集めてくれた白崎天満と言う人物の過去から推察されることを、神楽坂さん達に伝える。

 

 

 

 

 

「“白き神”、白崎天満が異能を開花させたのは恐らく大学生の時です。それ以前に彼は異能を使ったような形跡がないですからそこは間違いないと思います。でもですね。そんな長年病弱で病院にいただけの人間が、異能が開花して数年で急に大金を求めて銀行強盗に手を染めますか? そんなことしなくても、異能を悪用して豪遊できるだけの生活は出来ていたのに、わざわざそんな大きな危険を冒しますか? もちろん可能性としてはあるでしょう、人の心は移り変わるもの。手に入れた力を試したいと思うようになることもあると思います」

 

 

 

 

 

けれど、と私は続けた。

 

 

 

 

 

「そんな突発的な思い付きでやった異能犯罪は、もっと人道的で、もっと粗だらけの筈なんです。少なくとも、私が調べた『薬師寺銀行強盗事件』はあまりに完璧すぎた――――まるで、犯罪に関して卓越した知識を持った者が計画したと思えるほどに」

 

 

 

 

 

誰も居なくなってしまった加害者と言う、真実を知る者達を始末し。

 

被害品である100億もの金銭を足取り残さず手に入れて。

 

事前に狙うべき金銭の動きを完璧に把握していた情報網を保持していること。

 

 

 

どれも、裏社会を知らなかった者に出来る事ではないし、実際に人物として見た“白き神”はそれを出来る器では無かった。

 

 

 

異能がいくら強力でも、あれだけの事件を当時20歳と少しの“白き神”が出来るとは到底思えない。

 

 

 

そして、“白き神”は言っていた。

 

 

 

 

 

『――――あいつの関わった事件について知りたいだろ!? と、と、取引しよう!! 良いだろ!? ここで僕の口を割らせる方が絶対に良いぞ!! なんたって――――』

 

 

 

 

 

――――あいつが恨むべきなのは僕じゃないから。

 

 

 

続きを言わせるとしたら、こんなところだろう。

 

 

 

 

 

「“白き神”が言い掛けた言葉には、そういう風を匂わせるものもありました。そしてそれは嘘を含んでいなかった。異能に目覚め、犯罪に手を染め始めた“白き神”を、完全に裏社会に引き込んだ人物がいて、それが『薬師寺銀行強盗事件』を計画し、この事件を追っていた神楽坂さん達を手に掛けた」

 

「ま、まて、確かにその理論は通る。だが、それはあまりに……突拍子がないだろう」

 

「確かに突拍子はありません。過去の詳細は、私は記事や新聞などを通してしか見ていない訳ですし、私よりもずっと神楽坂さんの方が詳しいでしょう。なら聞かせてください神楽坂さん、貴方が追っていたその事件は、他人と関わり合いの少ない20超えたばかりの人が、計画出来るだけの事件だったんですか?」

 

「……それは……確かにあの頃は、もっと凶悪な知能犯が関わっていると思っていて、犯罪の造詣が深い人間以外は出来ないと、思っていた……」

 

 

 

 

 

黙ったまま聞きに徹している飛鳥さんに視線を向けるが、彼女は何も言うことは無いと首を振った。

 

 

 

もちろんこんなものは確実な証拠になりえない。

 

私が提示したこれらはあくまで推察する材料にしかなりえない。

 

 

 

でも、これまで他人の思考を見て来た私の経験と直感が、『薬師寺銀行強盗事件』は“白き神”では力不足だと囁いていた。

 

 

 

 

 

「……あくまで私の考えなんで、こういう風にも取れるよ程度に考えていただけたら。ただ、私はこの件に関して確信に近いものを持っています」

 

 

 

 

 

“白き神”と言う異能持ちを見出し、効率的な犯罪のやり方を教えた者がいるとして。

 

世界への同時攻撃と言う大掛かりな活動を仕掛けた“白き神”が、意識を集中させていた東京拘置所へ一緒に出てこなかった理由は恐らく、今の彼らには協力体制が築かれていないからだ。

 

袂を分かち海外へ逃亡した“白き神”と違い、そいつは今なおこの国のどこかに潜んでいる可能性が高い。

 

 

 

信じがたい事だが、もしもそうだとすると。

 

 

 

私の中学生時代。

 

学校から区、区から都、都から国へと伸ばした私の異能の手。

 

日本全土の人間の思考を覗いた私の異能を、何らかの方法で掻い潜った奴がこの国にいることを示している。

 

 

 

犯罪への造詣が深く、異能を持ち、探知系の異能から逃れる術を持ち、日常に溶け込む悪が存在している事になる。

 

 

 

もしもそんなものが、本当にこの世に存在するとするなら、それは。

 

 

 

 

 

「もしも……もしも私の想像通りこんな人間がいるなら……この国には、世界を脅かしている『UNN』と言う組織とは別の、恐ろしい悪意が存在することになります」

 

「――――」

 

 

 

 

 

ただ私を見ている神楽坂さんに、突き付ける。

 

 

 

 

 

「神楽坂さんの追っていた事件はまだ何一つ解決していません。神楽坂さんの大切な人達を襲った犯罪者は、今もこの国のどこかにいます。“白き神”と言う異能を使って犯罪計画を企てるだけの誰かが」

 

「…………」

 

 

 

 

 

神楽坂さんは黙ったまま、手に持った飲み物を握り込む。

 

震える腕からどれだけに力が込められているかが分かる。

 

彼の激情の行くべき先は、まだ見えていない。

 

だから、ずっと長い間押し込んでいたそれを、まだ神楽坂さんは必死に抑えなくてはいけない。

 

 

 

 

 

「……悪い、少し頭を冷やしてくる」

 

 

 

 

 

そう言って、私達の為に買ってきてくれた飲み物を置くと、踵を返して早足で屋上から出て行ってしまう。

 

思わず伸ばし掛けた私の手を止めたのは、隣にいた飛鳥さんだった。

 

 

 

 

 

「あっ……」

 

「止めときなさい。人にはね、立ち入ってほしくない部分ってあるのよ。特に、喪失の経験なんて、誰かに聞かせたいものじゃないわ」

 

「……やっぱり、確定していないこんな情報を話しても、誰も幸せになんてならないですよね。話すべきじゃなかったかな……私ってこういう思考は全部1人で完結させてたから、人と共有するのが慣れてなくて……」

 

「どうかしらね。それは人によって捉え方が違うと思うけど、私はアンタのその直感。まず間違いないと見てるわ」

 

 

 

 

 

それに、と飛鳥さんは神楽坂さんが出て行った扉を見遣る。

 

 

 

 

 

「あの人は子供じゃない。自分を打ち砕こうとする現実一つでへこたれる様な精神性をしていないわ。……いや、むしろ、自分の手で捕まえる相手がいることに喜んでる可能性もあるんじゃないかしら」

 

「……ほ、本当だ、神楽坂さん落ち込んでないです!」

 

「……あんた、今読心したの? いや、あんまり読心するなっていったのは私だけどさ……」

 

 

 

 

 

呆れ混じりに飛鳥さんは私を慰めるように頭をぐしゃぐしゃと撫でまわしてきた。

 

やっぱり、私の頭を撫でる飛鳥さんの手からは、私への好意と信頼が伝わってくる。

 

人からこんな風に直接好意を向けられるのには慣れてなくて、こうなってしまうとどうすればいいか分からなくなる。

 

 

 

 

 

「本当は誰だって、自分の過去の清算は自分でやりたいものよ。あの人はアンタや私に手助けを求められるだけ大人なの。私なんてこの前は、頼れる奴がこんな近くにいたのに暴走して1人で飛び出した訳だしね」

 

「あ、いや、それは、私だって隠し事してたから……」

 

「アンタって本当に、こういう人の機微を悟るの下手過ぎない? あー、もうっ、不安になって来たからちゃんと言葉にするわね。アンタが思ってるよりも私や神楽坂先輩は大人だし、アンタの事……す、好きなのよ。だ、だから、好きなアンタの言葉はしっかりと受け止めたいと思うし、ちゃんと考えようと思う。感情の整理は必要だけどさ、何も言ってくれないよりも言ってくれて一緒に考えられた方が良いのよ。だから、アンタのそれは間違ってない。よくやったわ」

 

「や、やさしい……な、なんなんですか飛鳥さん!? 本当に人が変わったように優しくなってません!? しかもさっきまであんな変な猫被りしてたのに、大人のような言葉と態度! 温度差ありすぎませんかっ!?」

 

「こ、こいつっ……!」

 

 

 

 

 

そんな風に、飛鳥さんと会話して不安に思っていた気持ちが少し静まったのを自覚して、思わずからかうように、そんな事を口走ってしまった。

 

飛鳥さんが私を思いやって、私を慰めるように声を掛けてくれたことが、なんだかむず痒くて、こんなことを言ってしまったのだ。

 

 

 

ふと、ただ泣いているだけだった子を思い出した。

 

 

 

昔の、村の牢に入れられていた子。

 

あの時と比べると、飛鳥さんは本当に色々成長しているんだと知って、なんだか嬉しくなる。

 

私よりも年上で、自分を嫌う世界しか知らなくて、ただ泣くことしか出来なかったこの子が、いつの間にかこんな風に大人になっている事が、やけに嬉しかった。

 

 

 

私がこれまでしてきた1つひとつの行動が、間違いか正解だったのか、分からない。

 

きっと多くの間違いを犯してきたとも思うし、同時に多くの正解を行えてきたとも思う。

 

世の中には色んな悪意があるし、色んな善意も、そして正義の数なんて数えきれないくらいあるから、変わらない正解なんてきっとないけれど。

 

 

 

 

 

「ねえ、アンタ……あー……燐香」

 

 

 

 

 

名前を呼ばれて、振り返る。

 

気恥ずかしそうな顔をして、頬を掻くあの子がそこにいる。

 

 

 

 

 

「ずっと言えなかったこと、やっぱりちゃんと言葉にさせて。……あの時、私を助け出してくれてありがとう。それから、酷いことを一杯言って、ごめんなさい……これからもよろしくね」

 

「……どういたしまして。こちらこそ、これからよろしくお願いします」

 

 

 

 

 

私はあの子を助け出したことは、正解だったのだと胸を張ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







これにて4章終了です!
ここまでお付き合い頂き本当にありがとうございました!
個人的に驚くほど皆様に本作を評価していただけていること、本当にありがたい限りです。
お気に入り登録も評価も感想もそうですが、レビューや誤字脱字報告、イラストの作成までしていただき、本当に私から皆様へは感謝しかありません。
本当にありがとうございます!!!

まだまだ、サトリちゃんの異能事件簿はこれからも続いていく予定ですので、もしよろしければこれからもお付き合い頂ければ、これ以上嬉しい事はありません。
どうかこれからもよろしくお願いいたします。


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間章Ⅱ
違う道を歩む者達


また少しだけ間章を挟みます!
よろしくお願いします!


 

 

 

 

 

 

特別支給され、特例的にICPOが協定を結んでいる国の上空を飛行させることが許されている小型航空機の内部。

 

ルシア達は護送中の国際指名手配犯“千手”が入れられた鉄の棺に近いものを補助員達に見張らせながら、各々が思い思いに休息を取っていた。

 

激闘、と言えるような立派なものでは無く、蹂躙される一方だったルシア達だったが、だからこそ残された傷や疲労は深い。

 

振り分けられた体調管理士の治療を受け、普段ならいがみ合うような関係の彼らも、今は大人しく腰を下ろして体を休めている。

 

 

 

そんな中、頭に重く響くような痛みに耐えかねたベルガルドは悪態を吐いた。

 

 

 

 

 

『ああ゛ー……頭いてぇ……これ、ほんとに“白き神”に洗脳された後遺症なのか?』

 

『後遺症かは分かりませんが、貴方は確かに“白き神”の手に落ち洗脳状態に……それも、“白き神”の人格に寄生されていました』

 

『くそっ……全然覚えてないぞ……! 洗脳されている間はこんな風に記憶が完全に抜け落ちるものなのか?』

 

『一概にはそう言えないそうです。他国でテロ活動のために洗脳させられていた者は自分がやったことを覚えているそうですが、“白き神”の記憶は一切失われていたと報告があります』

 

『なんだってんだ……くそ忌々しいっ……! “白き神”の奴、好きなだけ暴れて、最初からいなかったように消えやがって……! 次俺の前に現れやがったらっ……』

 

 

 

 

 

ベルガルドの苛立ちは頭に残る痛みに引き摺られるように大きくなっていき、周りにいた補助員や体調管理士が怯えるように距離を取り始める。

 

大柄で、かつ未だ何も解明できていない異能を持つ者は一般人からすれば恐怖の対象なのだ。

 

 

 

しかし一方で、そんなベルガルドの様子を見た年配の女性は呆れたような声を掛けた。

 

 

 

 

 

『アンタ、出来もしないことを言うもんじゃないよ。図体ばっかりデカくて、短慮。それで今回ルシアやアブサントにどれだけ迷惑を掛けたか、自覚が必要だね』

 

『ババア……!』

 

『そもそもアンタらの班は情報収集と“千手”の身柄を抑える事を目的とした編成だった筈だよ。戦闘が出来るような異能も無い癖に、出しゃばって状況を悪くしてさ。同じ異能持ちとして数えられてるのが恥ずかしくなる』

 

『ぐっぐっ、ぐぐぐ……』

 

『ヘ、ヘレナお婆さん、その辺に……僕らの増援も間に合わなかったんだから、一方的にベルガルドさんを罵倒するのは……』

 

『はっ! レムリアはこんな奴にまで気を使うのかい? 気を使う相手も選ばないと、後々面倒がのしかかってくるのは自分だよ! ババアの経験談さ、教訓にしな』

 

 

 

 

 

杖を突き、堂々と椅子に腰を下ろしている横で、背の小さなこの場に似合わない少年が縮こまりながら周りの様子を窺っている。

 

 

 

ヘレナと呼ばれた女性と、レムリアと呼ばれた少年はICPOが抱える数少ない異能持ちであり、今回ルシア達の救援へ向かったのもこの2人だった。

 

明らかに体格だけ見れば、ベルガルドの怒りを諫めるには足りない人物達の筈が、皺だらけの女性が睨み付けるだけで大人しくなっていく。

 

 

 

ベルガルドとアブサントの監督役を任されているルシアは申し訳なさそうに、ヘレナに頭を下げた。

 

 

 

 

 

『申し訳ありませんヘレナ女史。ご迷惑をお掛けし、日本にまで足を運んでいただく事態となり……』

 

『あー、アンタが謝ることは無いよルシア。私はこの粗暴なアホを杖で叩きまわすのが好きなだけさ。若者の更生に貢献できてる実感が沸いてワクワクするね』

 

『……くそ、趣味の悪いババアめ……』

 

『聞こえてるよベルガルド坊ちゃん』

 

 

 

 

 

スコーンと、投げられた杖がベルガルドの額を撃ち抜き、ただでさえ洗脳されていた後遺症の痛みが残っていたベルガルドは悲鳴を上げて、地面に転がった。

 

鼻を鳴らしてベルガルドを見下していたヘレナに、慌てて杖を拾いに行ったレムリア少年が戻ってきて杖を渡す。

 

 

 

 

 

『ああ、レムリアはこんなに良い子なのにねぇ。ルシアも大変だったろう? こんなゴロツキ上がりの暴れん坊をなだめるの。だから何度も私がコイツと組むって言ってるんだけどね。コイツが嫌がるのなんのって……』

 

『あは、ははは……』

 

『それで? いつもは私よりも先にコイツに噛み付く奴が随分大人しいじゃないか。どうしたんだいアブサント、何をやって……』

 

 

 

 

 

ヘレナがやけに大人しいこの場にいる“音”を操るもう1人の異能持ち、アブサントへと視線を向けるとその表情を凍らせた。

 

 

 

アブサントが熱心に視線を落としているのは、1冊の本だ。

 

『3歳から始める日本語教室』と言う題名が書かれた本を、じっと読みふけっている忠犬アブサント。

 

ルシアのこと以外に興味を示すことの無かった男が、なぜか今熱心に日本語の勉強に励んでいる。

 

 

 

 

 

「……アリガトウ……コンニチハ……イラッシャイマセー……」

 

『な、な、何があったんだいアイツっ!? ルシア、アイツもしかして“白き神”の洗脳が続いてるんじゃないのかい!?』

 

『いえ、その……日本に友人が出来たそうで、ちゃんと自分で会話したいらしく勉強すると……』

 

『友人! ほー……アブサントが、友人……あの無気力無関心ルシア馬鹿のアブサントが……良い事じゃないか……』

 

『ヘレナお婆さん、アブサントさんのことそんな風に思ってたの?』

 

 

 

 

 

純粋無垢なレムリアの視線に耐えかねたヘレナが、冗談だよと言って顔を逸らしたが、どう見ても孫の前で嫌な部分を見せたくない祖母の図である。

 

微妙になり掛けた空気に耐えかねたヘレナが、バッとルシアに顔を向ける。

 

 

 

 

 

『そ、そろそろ話してもらおうかね! 私らが辿り着いた時、完全に事態が終息していたあの場で起きたことを!』

 

『……ババアめ、居た堪れなくなりやがった』

 

『やかましい!』

 

 

 

 

 

声を荒げたヘレナを何とか宥めつつ、ルシアは少し悩むように話を始める。

 

 

 

 

 

『その……正直私もよく分かっていません。完全に私達は“白き神”の術中にはまって拘束状態にありました。ベルガルドさんは洗脳され、アブサントも私を庇い頭に怪我を負った状態。拘置所にいた職員と囚人達も洗脳されており、どうやっても打開できる状況では無かったんです。ただ……“白き神”が捕まっていた“千手”を洗脳した時、それは起きたんです』

 

 

 

 

 

『顔の無い巨人』。

 

キラキラとした目でその名前を呼んだレムリアとは違い、ヘレナは重く口を閉ざして続きを促す。

 

 

 

 

 

『私達にソレは見えませんでした。でも、間違いなくソレはそこにいました。“千手”に寄生した“白き神”が絶叫を上げたんです。そして……その見えないソレを指して、“顔の無い巨人”と叫びました。アブサントが言うには突然現れた異能の出力だったとのことですが、到底まともな異能には見えませんでした。見えない何かに襲われて、宙に持ち上げられ、叩き付けられ……精神干渉系統の異能とは思えない物理的な攻撃を“白き神”に加え、その、職員の1人を使って私達を拘束から助け出したんです』

 

『……なるほどねぇ、“顔の無い巨人”を見た訳じゃないが、その名を騙っていた“白き神”がそう叫んだのなら、そう取るのもおかしくはないね』

 

『ね、ね! だから言ったでしょヘレナお婆さん! “顔の無い巨人”は悪い人じゃないって! ルシアさん達を助けたんだし、絶対良い人だよ!』

 

『レムリア、ちょっと落ち着きな。私だって“白き神”が“顔の無い巨人”だったと言う話には懐疑的だったんだ。これは想定の範囲から外れちゃいない。そんで、それがあった時と世界でのテロ活動が突然終息した時間が合致する訳だ。“顔の無い巨人”が“白き神”に打撃を与えたと考えて間違いない。結果的に言えば、今回は私らの味方だったと見て良いだろう。……でも、アレはだいぶ気紛れな奴さ。ルシア達を助けたのは、たまたまそういう気分だったなんて言われても納得できちまう……それで、その後はどうなったんだいルシア』

 

『いえ、それが……その後は私も追って来た“白き神”に洗脳されたようで記憶が……』

 

 

 

 

 

続きを待っていたヘレナ達に、申し訳なさそうにしつつもルシアはそう言って、どうしようかと視線を彷徨わせたが、それに割って入る声が上がった。

 

 

 

 

 

『その後は、日本にいる他の異能持ちが協力してくれた結果、“白き神”を倒せた。それだけだ』

 

『なんだいアブサント、喋れるじゃないか。それで、その日本にいた異能持ち達はどんな奴らなんだい?』

 

 

 

 

 

突然発言したアブサントに、ヘレナは意外だと言うように驚いた顔をした。

 

手に持っていた『3歳から始める日本語教室』と言う興味対象から視線を外し、こちらの会話に参加してくるなんて、気難しいアブサントにしては珍しい行動だからだ。

 

 

 

そして同時にヘレナは嫌な予感も覚えていた。

 

短慮だが任務に忠実なベルガルド、状況を冷静に把握するルシア。

 

その2人が意識を失い、残ったのがよりにもよって少々独特な価値観を持つこの男なのだから、なにかしらやらかしていても不思議では無く。

 

当然、その予感は当たっていた。

 

 

 

 

 

『非常に強力な異能を持った人達だった。感謝しておいた。勧誘したが断られた、残念だ』

 

『…………アンタまさかそれで終わりにしてないだろうね? その人達の名前と連絡先と、異能の性能くらいは聞いているんだろうね!?』

 

『なぜだ? 良い奴らだ。見返り無しに俺達を助けてくれた。これ以上何かを求めるつもりはない』

 

『アンタが良くてもウチの組織としてはもっと交流を深めて取り込まないとだろう!? あーもうっ!!! 残ったのがアブサントだけと言うのが最悪だよ!! そいつらが別の犯罪に加担した時どうするんだい全く!!!』

 

『ま、ま、待って下さい! 確か、“千手”を捕まえたと言われている神楽坂上矢と言う警察官と会った時、一緒にいた女性が異能を持っていました。恐らくその人物かと』

 

『本当にルシアはここの馬鹿どもの唯一の良心だね! 帰ったらアイスを奢ってやるよ!』

 

 

 

 

 

警察官ならそれなりの役職を与えるよう日本の警察組織に伝えて……、と悪い顔で考えこみ始めたヘレナとは違い、なぜだかショックを受けた様子のレムリアは呆然とした顔をアブサントに向ける。

 

 

 

 

 

『…………“顔の無い巨人”負けちゃったの?』

 

『知らん。と言うか、本人も現場に来ていなかったから多少痛い目を見させる程度のつもりだったんじゃないか?』

 

『えええ……その“白き神”を襲った人も“顔の無い巨人”じゃないんじゃないの……?』

 

『それも知らん。結局、俺達は姿を捉えることも、異能の種類を判別することも出来なかった』

 

『正体不明……! うううっ、凄く“顔の無い巨人”ぽいっ……!』

 

『……ふんっ、確かにあの化け物が狙った獲物を逃すなんて妙だね。些細な情報でもいいから他の気になることは無かったのかい?』

 

『え、えっと、私にはちょっと分からなくて……アブ、何かある?』

 

『全然分からない。済まないルシア』

 

『アンタはまず違うことを反省しなきゃいけないと思うけどねっ……!』

 

 

 

 

 

大きくため息を吐いたヘレナを労わるように、隣にいるレムリアは背中を擦る。

 

それに励まされたのか、ヘレナは気を取り直したように顔を上げて、ルシア達3人を見据える。

 

 

 

あくまで増援として送られたヘレナ達のやるべきことは、ルシア達の救出とこれからの事についての説明だった。

 

 

 

 

 

『聞きな。私の方からアンタ達に話しておかなきゃいけないことがあるんだ、これからの異能持ちとICPOの立場についてだよ』

 

『それは……今回の件に影響されて、ですよね?』

 

『その通りだよ。まあ、前々から異能に関してどこまで公表するかは話に上がってたからね。それで、今回の件でウチのトップが、国連の上層部や各国の首脳と連絡を取り合い、おおよそ合意に至ったそうでね』

 

 

 

 

 

一呼吸入れる。

 

 

 

 

 

『……今回、世界的な洗脳による同時テロが起きたことで多くの罪のない者達が各国で収容されることとなった。流石にこれは、真実を知る私達ICPOとしては見過ごせない。そこで、異能と言う存在を完全には公表しないものの、何かしら非科学的な超常現象が発生している場所があることをICPOは認識していて、今回の件がそれに基づいたものであることを、世界に向けて発信することにしたそうだよ』

 

『なっ……! 公表するのですか!? しかし、それはっ……』

 

『完全な形じゃない。世間には、分からない事ばかりだけどそういう事例が複数起きていると言って納得させんのさ。そんで、何かしら非科学的な要素を感じた場合はすぐに公的機関へ連絡をするよう呼びかけ、各国の首脳部にはちゃんと話を付けておく。筋を通した上で、情報収集に協力させんのさ。こういう方向で進めるそうだよ』

 

 

 

 

 

これまで積極的に異能犯罪を行っていた“白き神”が、恐らく“顔の無い巨人”だと思われる存在によって大きな打撃を受けた今、奴を捕らえることが何よりも優先される。

 

現状を何とか挽回しようと動く“白き神”の行動を把握し、その本体の場所を特定し強襲するタイミングは今しかないのだ。

 

 

 

そして、在野で放置されている異能持ちを集め、いつか考えられる“顔の無い巨人”による世界への再侵攻や、最近世界で作られている“千手”のような人工異能持ちに対する対策を整える。

 

世界が大きく変動する今こそ、やるべき手を打たなければ、ICPOと言う大規模組織であっても窮地に追いやられる可能性があることをヘレナは知っていた。

 

 

 

 

 

『分かってるかい? ここから忙しくなる、気を引き締めな。私らの敵は、“白き神”だけじゃない。ここからは恐らく、異能を取り込みたい勢力が表立って活動を始めて、国によっては後ろ暗い事をやり始めるだろう。全部、対応するんだよ私達は』

 

 

 

 

 

ヘレナの問いかけに、それぞれがしっかりと頷いた。

 

 

 

国も年齢も性別も、宗教も違えば信じるものも違う。

 

考え方はいくつも違うし、ちぐはぐだらけで個性的な奴らばかりだから、協調性なんて欠片も無いけれど、この場にいる者は全て異能犯罪者を無くすと言う目的を共有している。

 

ICPOの異能対策である彼らが見る先は同じだから。

 

 

 

 

 

『私達が人であるために。異能が人であるために』

 

 

 

 

 

彼らは、そう言うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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【解答求む】非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?

ハーメルンさんの掲示板形式を試していましたが、ちょっと難しいので取り合えず自分で作ったものを使用します。
数字を自由にできる分、自分でやった方が楽に感じてしまうのです……。


ちょっとだけホラー注意です!


 

 

【解答求む】非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?

 

 

 

 

 

 

 

3 名前:名無し

 

昨日のICPO局長の公式発表を見た時最初に思ったのがこれ

 

これからどうなるん?

 

 

 

4 名前:名無し

 

>>3

 

流石に話が飛躍しすぎだろ

 

昨日の公式発表であったのはあくまで、今の科学では証明できないと思われる現象によるテロ活動や犯罪を数件確認している、ってだけ

 

情報収集段階だから、それらしい現象を見た時は通報してくれって話

 

 

 

6 名前:名無し

 

スレ名長すぎ、改名しろ

 

 

 

7 名前:名無し

 

訳分かんない公式発表だったけど、ICPOの局長が出てきて話すんだから何かしらの裏付けが取れてるんだろ

 

 

 

9 名前:名無し

 

>>7

 

と言うか、世界的にあったテロがこの話に絡んでくるから緊急会見なんて開いたんだろ

 

裏付け取れてなくてこんなんやったら、局長と言えど物理的に首が飛びかねない

 

 

 

11 名前:名無し

 

信じる奴いるのかって言う内容の会見だったけど

 

ここ最近のなかなか解決しない事件を考えると、そう馬鹿にも出来なくなってくる

 

 

 

14 名前:名無し

 

じゃあ何

 

この前の誘拐事件はそういう現象が関わっているって言うのか?

 

馬鹿馬鹿しい誰が信じるかそんなもん

 

 

 

16 名前:名無し

 

信じたほうが都合が良いのか、信じない方が都合が良いのか

 

 

 

20 名前:名無し

 

まあ、裁判でそんな現象を証拠に有罪にされるなら冤罪なんて無限に出てくるだろ

 

少なくとも日本じゃ今回のICPOの発表は受け入れられない

 

 

 

23 名前:名無し

 

>>20

 

他国と違って死刑がある分、日本は人権の保護に関して慎重だからな

 

 

 

27 名前:名無し

 

ウチの国はしばらく様子見ね

 

つっても、この前の国際指名手配犯の映像の件があるから……

 

 

 

33 名前:名無し

 

>>27

 

なにそれ?

 

 

 

35 名前:名無し

 

あれだろ、動画消されたやつ

 

 

 

37 名前:名無し

 

あの映像が本物だって?

 

馬鹿野郎、あんなのがCGの無い本物映像ならB級グロホラーみたいに人間引き裂けるじゃねえか

 

 

 

39 名前:名無し

 

公園の遊具が空中でねじ切られてたwww

 

数百㎏ある筈の遊具が地面から引き抜かれて、鉄でできてる筈の物がマシュマロみたいに変形してwww

 

 

 

ねえよ、怖いこと言うなよ、ほんと

 

 

 

44 名前:名無し

 

なにで盛り上がってるのか全然分かんないんだけど

 

その映像ってどこで見れる?

 

 

 

49 名前:名無し

 

>>44

 

もう元の映像は削除されてて見れない

 

でもどこかしらに映像くらい残ってそうだよな、あんだけバズったんだし誰か持ってそう

 

 

 

55 名前:名無し

 

見たっていいことないのに

 

 

 

57 名前:名無し

 

いい事ないってことは無いだろ

 

一応検証が出来る訳だしな

 

 

 

60 名前:名無し

 

>>44

 

これな

 

http/――――――――――――

 

 

 

69 名前:名無し

 

>>60

 

まじかよ

 

 

 

73 名前:名無し

 

>>60

 

持ってる奴マジでいたw

 

 

 

81 名前:名無し

 

その動画も真偽不明だろ

 

 

 

102 名前:名無し

 

映像の公園と思わしき場所に行ったスレ民がいて、壊れた遊具や地面の陥没を見付けてる

 

 

 

109 名前:名無し

 

これが真実なら誘拐事件も……それどころか、もっと前の未解決事件もそういうのが関わってる可能性がある訳だろ?

 

 

 

122 名前:名無し

 

最近のヤバい事件で言ったら、東京拘置所の集団脱走だろ

 

あそこに収容されてたやつほぼ全員牢から解放されてたけど、誰一人として逃亡した奴いなかったとか言う

 

 

 

130 名前:名無し

 

東京拘置所の脱走は映像撮ったとか言う奴何人かいたけど、誰一人としてちゃんと映像に残せてないし、週刊文季の記事にしか書かれてないから真実かも分かんない

 

あの件も関わってるの?

 

そんな頻繁にICPOの言う現象が起こるものなのか?

 

 

 

141 名前:名無し

 

未解決事件っていったら、薬師寺銀行であった強盗事件か?

 

ほら、あの金が最後まで見つからなかった

 

 

 

145 名前:名無し

 

>>141

 

あと有名なのは針山旅館で起きた惨殺と新幹線の爆破か

 

 

 

152 名前:名無し

 

オカルト板で話しているような内容になって来たな

 

まあ、現代科学のある種最先端とも言うべきICPOがオカルトの話をぶち込んできたからしゃーないけど

 

 

 

155 名前:名無し

 

>>60

 

見て来た、やばいなこれ

 

異能とか言ってるけど、この男正気っぽいんだよな

 

ICPOが言う非科学的な現象って、個人が持つ超能力の事を指してるのか?

 

 

 

166 名前:名無し

 

>>155

 

もうこれを個人で持つような奴がいるなら、それは人間じゃなくて兵器だろ

 

 

 

169 名前:名無し

 

非科学的な現象、人の手に負えない未解決事件って……まんま顔の無い巨人がそれじゃね?

 

 

 

174 名前:名無し

 

>>169

 

やめろ

 

 

 

178 名前:名無し

 

>>169

 

やめとけまじで

 

 

 

194 名前:名無し

 

いやでもさ、いつまでもビビってたら検証なんて出来ないじゃねえか

 

顔の無い巨人って何なんだよ

 

 

 

196 名前:名無し

 

馬鹿やめろ

 

 

 

197 名前:名無し

 

たまたま犯罪が起きなかった期間がそう呼ばれだしただけだろ、何かある訳じゃねえ

 

それに面白がった奴らが乗っかって、変なレスをしたりしたのが文化になっちまったんだよ

 

 

 

201 名前:名無し

 

来れるもんなら来てみやがれ、顔の無い巨人、顔の無い巨人、顔の無い巨人!

 

 

 

コイツの正体をどうにかして解明すればこの訳の分かんない事がぜんぶぶぶうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう

 

 

 

205 名前:名無し

 

終わった

 

 

 

206 名前:名無し

 

逃げろ、やっぱりまだいるぞ

 

 

 

207 名前:名無し

 

待って、何が起きてる?

 

いきなり過疎ったし201はどうなった?

 

訳分かんない、このままスレを閉じれば良いのか?

 

 

 

208 名前:名無し

 

怖い

 

何が起きてんだ

 

なんで誰もいなくなってスレが遅く

 

 

 

209 名前:名無し

 

後ろに何かいる

 

誰か助けて

 

 

 

210 名前:名無し

 

>>209

 

落ち着け

 

別に逃げなくていいしスレも閉じなくていい

 

顔の無い巨人を追求しない、興味を持たないと強く念じろ

 

 

 

211 名前:名無し

 

目を閉じて何度もそうやって考えろ

 

絶対にそれ以外考えるな

 

何かの気配を感じても、錯覚だと思い込め、絶対だ

 

 

 

212 名前:名無し

 

大丈夫か?

 

1分程度で元に戻る

 

もし目を開けてこのスレを読んだら返事しろ

 

 

 

213 名前:名無し

 

だいじょうぶ

 

後ろにいた気配がきえた

 

ありがとう

 

 

 

214 名前:名無し

 

あんな風に馬鹿みたいに連呼したり、正体を解明しようだなんて考えなきゃなんもない

 

なんか飲み物でも飲んで来い

 

そんで落ち着いてから戻ってこい、待っててやるから

 

 

 

215 名前:名無し

 

ごめん、落ち着いた

 

 

 

216 名前:名無し

 

よし、もう寒気とかないな?

 

変なことを考えるなよ?

 

この話を誰か別の人にしようとかは……まあ、その程度は大丈夫だと思うけど

 

 

 

217 名前:名無し

 

アレはなんなのって、聞いても良いですか?

 

 

 

218 名前:名無し

 

顔の無い巨人、と、言われてる何か

 

決められてるシステム的に起きる現象

 

それ以外は知らないし知りたくない

 

 

 

219 名前:名無し

 

決められてるシステムって、知ろうとしたらって言うことですか?

 

 

 

220 名前:名無し

 

正確なのは分からないけど、大体そんな感じ

 

 

 

221 名前:名無し

 

言っとくけど俺もそんなに詳しいわけじゃない

 

一度馬鹿して巨人にやられたんだ、だからやられた奴も死ぬわけじゃない

 

 

 

222 名前:名無し

 

何が起きるんですか?

 

 

 

223 名前:名無し

 

どこまで言って良いか分かんないからこれ以上言いたくない、悪い

 

 

 

224 名前:名無し

 

い、いえ、僕の方こそすいません

 

色々聞いてしまって

 

 

 

225 名前:名無し

 

怖い思いしただろうけど、顔の無い巨人は悪い存在じゃないから嫌わないでくれ

 

ちょっとプライバシーに敏感なだけだから

 

 

 

226 名前:名無し

 

こわくないんですか?

 

 

 

227 名前:名無し

 

まあ、俺世間で言われてる信者だし

 

もう一度あの人に世界を平穏にしてほしいと思ってる分類の人間だから

 

 

 

228 名前:名無し

 

あの人って、これって、人間なんですか?

 

 

 

218 名前:名無し

 

いや、どうだろう

 

俺は、信者って言う色眼鏡もあるんだろうけど、新しい世界の神様だって思ってる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




1時間後にもう1話投稿します!


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食卓に並んだ新しいもの

本日2つ目の投稿となります、お気を付けください!


 

 

 

 

 

 

 

私が入院していた一週間で、どれだけ家が荒廃することになるだろうと言う漠然とした不安を実はずっと抱いていた。

 

 

 

病院のベッドで横になって、どうせ布団も干して無いんだろうな、と考えたり。

 

病室の隅に小さくたまった埃を見付けて、どうせ家の中埃塗れなんだろうな、と考えたり。

 

どうせ帰ったら妹が色んな食器を破壊していて、お姉ちゃんどうしよう……みたいな展開になるんだなー、とか思いながら久しぶりに家に帰った訳だが。

 

 

 

そんな風に想像していたよりもずっと綺麗に掃除され、所々センスの良い家具の配置換えが行われていた自分の家の中に、思わず口を開けたまま固まってしまった私は悪くない。

 

 

 

 

 

 

 

「燐香ちゃんお帰りなさい。大丈夫? まだ辛いところあったら何でも言ってね? あ、お腹空いてたら作り置きのスープがあるからそれを飲んでも良いかも。私が作ったものだから口に合わないかもしれないけど、ぜひ食べてみて欲しいなって……」

 

「お姉お帰りっ! 元気になった!? もう大丈夫なんだよね!?」

 

「お、お姉さんお帰りなさい……えっと、退院おめでとうございますっ……!」

 

 

 

「……あれ? ここ私の家だよね? ん? あれ……?」

 

 

 

 

 

反抗期の妹1人が迎えるだけだった私の家の中は、想像していたよりもずっと騒がしく私を迎え入れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご、ごめんなさい燐香ちゃん……急に家が模様替えされてたら驚くよね? こんな風にしたらどうかなって、いくつか候補を考えてたんだけど、燐香ちゃんが退院するまで待とうと思ってたら、桐佳ちゃんと高介さんにちょっとくらい良いんじゃないかって言われてつい……ご、ごめんなさい……」

 

「え? い、いや、別に、模様替えしたくらいじゃ怒らないですけど……それにお父さんと桐佳が良いって言ってたら私は別に……」

 

「ううん。やっぱり家事を一番やってたのが燐香ちゃんだろうし、こういうのはちゃんと燐香ちゃんに話を通すべきだったって反省してます……次からちゃんと話してからにするから……ごめんなさい」

 

 

 

(な、なんだかこの人から謝罪ばっかり聞いてる気がする……いや確かに家の中が変わっててびっくりしたけど、新しいものを買ったりとかしてなくてちょっと配置を変えただけみたいだし、別に気にしてないのに。……それよりもお父さんを名前呼びしてることの方が気になってるんだけど……仲良くやれてるならなによりだけど……あ、スープ美味し……)

 

 

 

 

 

折角なので作ってもらったスープを美味しくいただいている最中、遊里さんのお母さんがそんなことを言って来た。

 

 

 

驚いた顔の私を見て失敗したと思ったのか、桐佳達がいないタイミングを見計らってこっそりと謝罪してきたこの人のネガティブさ加減にちょっと呆れる。

 

こういうネガティブなことばかり考えていたから、あんなよく分からない宗教に狙われることになったに違いない。

 

餌食にする人を探している悪い人からすれば、こんな感じの人は絶好のターゲットだろう。

 

 

 

私の何かしら思う所のある視線に気が付いたのだろう、さらに顔を青くした遊里さんのお母さんはアワアワと身振り手振りをしながら、聞いてもいない説明を始める。

 

 

 

 

 

「あ、あのっ、私パート先を見つけたの。すぐ近くのスーパーなんだけどね。ちゃんと昼頃から燐香ちゃん達が帰ってくる前に終わる軽い感じのを、週6日くらいで入れることにしたから、すぐお金も入れれるようになると思うし、ちゃんと並行して家事もするからね! 肩代わりしてもらったお金もちゃんと返すようにするからっ……!」

 

「え……? い、いや、そんな無理しなくても……」

 

「えっと、それで、月の家賃がね、ど、どれくらいになるのか聞いてなかったなって……月の家賃と、肩代わりしてもらったお金と、毎月の生活費で……その、なんとか毎月15万くらいに収まらないかなって……」

 

「いやいやいやいやいや!!! 生々しい生々しいです!!!!」

 

 

 

 

 

桐佳達がいないことを確認してこういう話をしてくれたのは嬉しいが、あまりに生々しすぎる内容に、思わず叫んでしまった。

 

 

 

え? お金を徴収する側の気持ちってこんな感じなのだろうか?

 

ちょっと色々精神的に負荷がかかってくるのだが、と言うか、奴隷を雇ったつもりはないのだが……状況が処理できずに思わず、私は強い拒否反応を示してしまった。

 

 

 

 

 

それから。

 

お金のことについてずっと気にしていたらしい遊里さんのお母さんと厳正な話し合いをした結果、全てお父さんに丸投げする方向で話がまとまった。

 

そもそも高校生の私にこんなお金の話をする方が間違っている。

 

そういうのは大人同士で話をまとめて、結果だけ教えて貰えば結構だ。

 

何かしら無理があったりすれば私に相談してほしい、とだけ遊里さんのお母さんに伝え、この話は取り合えず終息した訳だ。

 

 

 

安堵のため息を吐いた私の対面に座り、ほうっ、と感嘆するように私を見詰める遊里さんのお母さん。

 

 

 

 

 

「……前から思ってたけど、燐香ちゃんって本当にしっかりとした考え方をしてるのね。高介さんも言ってたけど、燐香ちゃんって色んな方面の才能があるんでしょ?」

 

「へ? 別に何もやってないですし、才能も何も考えたことすらないですけど……あ、良い学校に通ってることを言ってますか? アレは別に……中学時代の人達と会いたくなかったので勉強頑張っただけですし……」

 

「動機がどうであれ結果を出せるんだから凄いわ」

 

「…………あ、あの、私って褒められるとすぐに調子に乗っちゃうので止めてもらって良いですか?」

 

「あらあら」

 

 

 

 

 

なぜか楽しそうにクスクスと笑う遊里さんのお母さんに、抗議するような視線を送る。

 

人が困っているのを楽しむなんて、性格が悪い。

 

 

 

 

 

「遊里さんのお母さんは……」

 

「由美って呼んで欲しいな。毎回その呼び方だと疲れちゃうでしょ?」

 

「……由美さんは思っていたより性格が良くないです」

 

「そうかしら?」

 

「そうですよ。でもまあ、これくらいの性格の悪さは私的には全然気にならないので」

 

 

 

 

 

だから別に構わないんですけど……、と言って目を逸らす。

 

これまで犯罪者とか諸々を相手してきた影響で、多少の意地悪くらいじゃへこたれないくらいに精神が鍛えられている。

 

だからこれくらい気にならないと言うのは本当なのだ。

 

 

 

でも、何だろう、私のこのモヤモヤした感情は。

 

自分の心の整理が付けられなくてすこぶる調子が悪い。

 

 

 

思えば家に帰って来た時からそうだった。

 

病院に入院していて不安に思っていたことが全部杞憂で、昔、修学旅行で家を空けた時とは段違いに良い状況の筈なのに。

 

家をぐちゃぐちゃにして泣きついてきた妹に苦労することは無いのに。

 

 

 

なんで私は、仲良くなろうとしてくれている由美さんに対して、こんな感情を持っているのだろう。

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

 

 

 

 

そんな折、予想外の声が聞こえて来た。

 

普段はこんな早くに帰ってくることは無い、お父さんの声だ。

 

普段よりもずっと早い時間の帰宅に私が目を丸くしていると、目の前の由美さんはいたずらっぽく笑っている。

 

この人がこっそり企画してくれた退院祝いなのだろうと言うことがすぐに分かった。

 

 

 

 

 

「ほら、燐香ちゃんの退院日だけど高介さんはちょっと仕事が入ってて迎えに行けないって言ってたし、燐香ちゃんも迎えはいらないって言ってたけど、お祝いくらいはしないとってことでね。今日は私達みんなで顔を合わせながらご飯食べようって話してたの」

 

「……」

 

「えっと……迷惑じゃなかったら良いんだけど」

 

「もちろん迷惑なんかじゃないです。お父さんがこうして早く帰ってきてくれることなんて中々ないですし、由美さんが私を想って考えてくれたと思うと凄く嬉しいです」

 

 

 

 

 

本心、なのだと思う。

 

これだけ色々とやってくれている由美さんを非難する所なんて見当たらないし、お父さんが早く帰ってくれたらなんて思うのは常日頃からだった。

 

それを私の為に実現させてくれた由美さんには感謝しかしない……筈。

 

 

 

無意識的に、私の視線がお母さんの小さな仏壇へと向いた。

 

小さい頃に亡くなったお母さんが優しい笑顔で私を見ている。

 

 

 

 

 

「……うむむ、そうですね。じゃあ今日は甘いものが一杯食べたいです」

 

「あ、それなら昨日のパート先で買って来たケーキがあるからそれを食べましょう。燐香ちゃんはモンブランとチーズケーキどっちが好き?」

 

「私は和菓子系が好きなので、どちらかと言えば栗が乗ったモンブランですかね。あ、でもどっちも好きなので、桐佳と遊里さんに先選んでもらいましょう。あ、先に行っててもらって良いですか。私、久しぶりに帰って来たのでちょっと仏壇に挨拶していきます」

 

「あ、ご、ごめんなさい。気が付かなかったわ……それじゃあ、先に行ってるわね」

 

 

 

 

 

由美さんを見送ってその背中が見えなくなってから、私はお母さんの仏壇の前に座る。

 

 

 

幼いころに亡くなった母親。

 

正直言って4歳か5歳の時くらいに亡くなったから、どんな人だったのかもよく覚えていない。

 

お母さんが亡くなった時、私はちょっとも泣いた記憶がない。

 

幼いころから人の心を読んで、自己保身ばかりをしていた私だから可愛げなんてある訳ないし、きっとそこまで親子関係が上手くいってなかったのだろうと思う。

 

だからいなくて寂しいと言う感情もほとんどないし、今更思う所がある訳でもないが……お母さんが亡くなるほんの少し前にした約束だけは、未だにはっきりと覚えている。

 

 

 

 

 

『燐香……貴方は凄い子だから、皆の事、よろしくね……』

 

 

 

 

 

可愛げのない子供。

 

兄の後に生まれた女の子だから、それはより顕著に見えたことだろう。

 

それでもしっかりと兄妹と差別することなく育ててくれたお母さん。

 

何を持って私を凄い子だと思ったのかは分からないが、そんな人が苦しそうに額に汗を浮かべながら、私の手を握って言った言葉は、それからの私の行動指針になるのは当然だった。

 

 

 

 

 

「お母さん、約束守るからね」

 

 

 

 

 

線香を供えながら、私はそう口にして立ち上がった。

 

 

 

リビングに向かえば、そこには由美さん達とお父さん達が仲睦まじく話をしている。

 

冷蔵庫に入れてあったのだろう、豪華な料理やケーキは全部私の退院を祝うための物だ。

 

 

 

何と言ってあの中に入ろうか。

 

そんなことも分からなくなって、廊下で立ち止まったままぼんやりとその光景を眺めていたら、桐佳が私に気が付いた。

 

 

 

 

 

「……お姉? どうしたの?」

 

 

 

 

 

普段の攻撃的な様子が鳴りを潜め、顔色を変えて私に駆け寄って来た桐佳は慌てて私の手を取った。

 

私の手を両手で握りしめた桐佳が、なんだかホッと安心したような表情をする。

 

ギュッと、決して逃がさないように、強く力を込めて私の手を取った桐佳は不安げな目で私を見る。

 

 

 

 

 

「……な、なにやってるのお姉、早く入って一緒にご飯食べよう?」

 

「うん」

 

「どうしたの? やっぱりまだ体調が悪いの? もう、部屋に戻って寝た方が良い?」

 

「大丈夫だよ桐佳。私お腹空いてるし、久しぶりに皆の顔を見て話をしたいから」

 

 

 

 

 

そう言って、私はぐしゃぐしゃの感情のまま食卓に着いた。

 

 

 

その時した話はよく覚えていない。

 

でも、無性に神楽坂さんの声が聞きたかったのは覚えてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





ここまでお付き合い頂きありがとうございました!
取り合えず毎日更新はここまでとなります!
またある程度話がまとまったら投稿していきますので、これからもよろしくお願いします!!


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場違いな依頼人


ちょっと中途半端なんですが、間章3話がまとまったので投稿します!

それとまたまたイラストを頂くことが出来たので活動報告の方にリンクを貼らせて頂きました!
とっても可愛いサトリちゃんのイラストをぜひご覧ください!!


 

 

 

暦は6月、季節は梅雨。

 

湿度が高く、気温も高くなり始めるこの時期はとても過ごしにくい嫌な時期だが、それは異能を持っていたとしても変わらない。

 

白き神と言う世界的な犯罪者を倒した私も、汗をかきながらせっせと学業に励むしかない。

 

 

 

入院生活を終えてから1カ月程度経過した今、これまで連続していた異能犯罪が“白き神”の事件以降すっかり鳴りを潜め、平和すぎるくらいの生活に戻れていた。

 

非日常的な事件に巻き込まれることも無い、学校に通って家で家事をするだけの生活。

 

あれほど恋しかったものなのに、いざ手に入ってみるとどこか物足りなさを感じてしまうのは、あれらの事件が少々刺激的すぎた影響だと思う。

 

 

 

……まあ、それだけじゃないのは分かっているけど。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 

 

 

 

下校途中の学校の廊下、帰宅後の事を考え憂鬱気なため息を吐いた私に、隣を歩くストーカーさんこと、袖子さんが伺うような眼差しを向けてくる。

 

友人である彼女にいらない心配を掛けるのは心苦しいが、どうしても家でのことを思うと溜息が漏れてしまう。

 

 

 

 

 

「……最近燐ちゃんって、元気ないよね。大丈夫?」

 

「え? あ、う、うん、まあその、ちょっと入院して家を空けてたんだけど。退院して家に帰ったら、言葉にしにくいんだけど、自分の家じゃない様な違和感があって……」

 

「えっ!? それって、この前ニュースになってた科学で証明できない現象じゃっ!?」

 

「あ、それはないです。と言うか、なんでそれでテンション上がるんですか……?」

 

 

 

 

 

はわわっ、と目を輝かせ出した袖子さんに、思わず溜息よりも呆れた声が優先されてしまった。

 

 

 

最近何かと話題の、科学では証明できない現象。

 

ICPOの公式発表を契機として、面白がりそう言うものを探す人達、また探すところを動画投稿するような人が増えて来た。

 

まあ実際、科学では証明できない現象、つまり異能は100万人に1人と言う超希少なものなので、異能を持つ側が変に騒ぎ立てなければ見つかるようなことはそうそうない。

 

ここ最近は私も使用を控えているし、ほとぼりが冷めてくれるまで取り合えず潜伏するべきだろう。

 

 

 

そして、あたかもそんなもの信じてるの?

 

と言う態度を出して、ちょっと白い目で見れば袖子さんは目に見えて動揺した。

 

 

 

 

 

「だ、だって……カッコいいから……!!」

 

「あー……」

 

 

 

 

 

未知なものに対する興味、と言うよりも、単純なカッコよさを感じているだけ。

 

この娘の好みは大体小学生男子レベルなのである。

 

 

 

なんだかモヤモヤした毒気をすっかり抜かれてしまった私は、ちょっとだけ噴き出した。

 

 

 

 

 

「むっ、笑わないでよ燐ちゃん! 私は別にそんなふざけてた訳じゃ……と、と言うか! 違うんならもっとちゃんと教えてよ!」

 

「あのですね、なんて言うか……ちょっと前からウチに居候している人達がいるんですけど、私が思っていたよりもずっと良い人たちで、お父さんや妹と仲良くしていて、私がやっていた家事とかもずっと上手くこなせちゃうのを見て、モヤモヤしてるだけなんです」

 

「ふーん……? なんだろう、分かりそうな……分からなそうな……同意が凄く難しいような……あ、でも分かるかも。私もお父さんが愛人とか作って家に連れてきたら、衝動的に襲い掛かっちゃうかもしれないし」

 

「あ、そういうのじゃないんで」

 

 

 

 

 

さも理解したと、したり顔を浮かべた袖子さんと言うファザコン娘を置いて、私は玄関口で靴を履き替えてさっさと外に出る。

 

まってよー、と追いかけてくる袖子さんにはすぐに追いつかれてしまうが、正直外でくらい父親への愛をもう少し抑えてくれないと、隣にいる私の方が恥ずかしい。

 

 

 

私の友人であるこの彼女、山峰袖子さんはお嬢様だ。

 

彼女は私と同じく片親。

 

不倫相手を作った母親が幼い袖子さんを残して家を飛び出し、仕事一辺倒の父親に育てられたため趣味嗜好が男子に近い。

 

魔法少女よりも仮面ライダーが好きだし、可愛いものよりもカッコいいものが好き。

 

彼女の不良みたいな見た目も、父親に構って欲しいと言う願望とカッコいいからと言う価値観に基づいて行われた集大成なのだから、その深刻さが分かるだろう。

 

 

 

まあ、要するに、山峰袖子さんは愉快な思考回路こそしているが、私が危惧していた不良系の要素はほとんどなく怖い要素は無いに等しかったのだ。

 

 

 

 

 

「うーん、そういうのってやっぱり相手の気持ちが分からなくてすれ違うのが怖いよね。ちゃんと言葉にして伝えて見たら? こういう時心が読めたら一番なんだけどね」

 

「……まあ、そうですね」

 

「ねえねえ、燐ちゃんも髪を染めてみない? きっと似合うと思う!」

 

「いや……興味が無いわけじゃないですけど、多分桐佳……妹が真似しそうなので止めときます」

 

「あっ、そっか。妹さんがいるんだもんね……ううん、今度家に遊びに行くし、私も黒髪に戻さなきゃだよね……」

 

「え、私の家に来るんですか? 今の話を聞いて?」

 

 

 

 

 

私の疑問には全く答えないまま、袖子さんは丁寧にメモ帳を取り出して、予定を書き込み始めた。

 

こうして丁寧に日程付きの手帳に予定を書き込む行動を袖子さんは良く取るが恐らく警察官の父親からの影響が多くあるのだろう。

 

この部分は私も見習わないといけないとは思う。

 

 

 

……まあ、そんな事よりも、今は私の家に来る気満々の、この色々と問題のある友人が変に妹に影響を与えないよう考えないと、とそんな事を考え出した私は、ふと気が付く。

 

 

 

 

 

(……なんだか、さっきよりも胸のモヤモヤが消えてる。何も考えてない袖子さんとの会話でこんな……改善されるなんてちょっと……腹立つけど……)

 

 

 

 

 

チラリと袖子さんを見るが、私のこれは絶対に彼女が意図したものでは無い。

 

何も考えてなさそうな口をだらしなく開けた顔で、新しい予定が書かれたメモ帳を喜んでいるこの人が、そんな複雑なことを考えている訳が無かった。

 

 

 

それでも。

 

暗い想いは内に溜め込むよりも吐き出してしまった方が良いし、強制的に何か別の事を考えさせるようにすれば、おのずと悪循環に陥っていた思考から抜け出さざるを得なくなる、と言うのは私も知っている。

 

論理的に現状を分析した結果、私の抱えていたものが袖子さんによって軽減されたと言う事実を認めるしかないのだと判断した。

 

 

 

 

 

「ありがとうございます、袖子さん」

 

「え? なにが?」

 

「…………別に、心当たりがないなら良いんです」

 

 

 

 

 

とぼけた顔に久しぶりにイラッと来た。

 

フイ、と顔を逸らせば、何か悪いことをしたのかと動揺する袖子さんの気持ちが視える。

 

口元に力を入れて、不機嫌アピールをしておいてやる。

 

少しくらい反省させてやる。

 

 

 

そんな風な、入学の時からは考えられない様な関係に変わっていた袖子さんとのこんな関係を、自分が悪くないと思っていることは、とっくに気が付いていた。

 

 

 

 

 

「ご、ごごごっ、ごめんね燐ちゃ――――」

 

「おっ、いたー!! そこの少女、ちょおおぉぉと良いかい!?」

 

「!!??」

 

 

 

 

 

明朗快活な高い声が突然私達の会話に割って入った。

 

有名校には不釣り合いな汚れた作業着に、小脇に抱えたヘルメット。

 

つい先ほどまで工事現場で作業していたような、化粧気のない、背の高い女性が私達を学校の正門外で待ち構えていた。

 

 

 

完全に不審者である。

 

 

 

朗らかだった袖子さんの目が、鋭いものへと早変わりした。

 

 

 

 

 

「……は? おばさん誰?」

 

「はっはっは! 私がおばさんに見えるなんて、今の若い子は目が肥えてるね! ちょっとだけお姉さんの話に付き合ってほしいんだけど、良いかい?」

 

「わざわざ学校前で待ち受けるなんて勇気があると言うか、無謀と言うか、完全に変質者さんなんですけど自覚あります?」

 

「おっさんがやってたらアウトかもしれないけど、同性のお姉さんだからセーフだろ! 良いから良いから、ちょっとだけだからさ! お姉さんの話に付き合ってよ!!」

 

 

 

 

 

そう言って、突然現れたこのガテン系の女性は私と袖子さんの肩を抱き寄せるようにして、「こっちこっち」と連れ出していく。

 

私達と同じ下校中の周りの生徒達の視線を気にもせず、ぐいぐい私を連れて行こうとするこの人は大した胆力をしているものだと思う。

 

ただ……まあ、私を連れて行こうとするこの行動は完全に不審だが、どうも悪意がある訳ではないようで、衆目もある今変に騒ぎ立てるのも都合が悪い。

 

 

 

そして何よりも、この女性には少し気になることがあった。

 

だから、大人しくついていくことにする。

 

 

 

私が何かするよりも先に袖子さんの目つきがヤバくなり始めたので、取り合えず牽制しておく。

 

 

 

 

 

「……私と袖子さんに飲み物を奢ってくれたら、取り合えず数分は付き合いますよ」

 

「えっ、燐ちゃん!?」

 

「ん? おー! ありがとな! 飲み物くらいなら任せろー!!」

 

 

 

 

 

ガテン系女性は快活に笑いながら、すぐ近くの公園を目指して私達を連れて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、いきなり連れてきて悪いな! 私の名前は遠見江良(とおみ えら)って名前だ、気軽にえーちゃんとでも呼んでくれ。とーちゃんでも良いぜ? ほれ、飲み物2人分! ほんの数分の話で終わるから、ちょっとだけお姉さんの話に付き合ってよ! 私も早く仕事に戻らないといけないし、そこまで長くならないからさ!」

 

「……」

 

 

 

 

 

むすっとしている袖子さんと共に連れられた公園のベンチで、飲み物を買って戻って来たガテン系の女性、遠見江良さんが朗らかにそんなことを言った。

 

ガサツだが気遣いを欠かしていない、横暴だが常識的な価値観は持ち合わせている。

 

なんだかちぐはぐなこの女性を前に、受け取った飲み物は口を付けないまま、本題を促す。

 

 

 

 

 

「それで? 私達に話したいことってなんですか?」

 

「おー、いきなりだな。まあ、そういうの嫌いじゃないぜ。それなんだけどなー、実は同じ高校に通ってる私の一人息子の件でお願いがあるんだよ」

 

「……息子さん?」

 

 

 

 

 

ちょっと予想外な方向の頼みに少しだけ驚いた。

 

 

 

 

 

「そうそう。私には出来すぎた優しくて優秀な子で、母親の私の頭からは考えられないくらい頭いい学校に入学できた凄い子なんだ」

 

「へえそう。確かにウチの学校って結構偏差値高いし、貴方の息子さんが通ってるのは驚き」

 

「袖子さん……不審者さんを刺激するのは、警察官として下策ですよ。お父さんが目を見張るような立派な警察官になりたいなら、穏やかに話を聞かないと」

 

「――――ごめんなさい、それで、その素晴らしい息子さんがどうしたんでしょうか?」

 

 

 

「あははっ! 気にしてねえよ、アンタ面白いな!」

 

 

 

 

 

袖子と私の失礼な発言にも本当に微塵も気にした様子がない。

 

掌を返した袖子さんの様子に爆笑しながら、この人はそれでなー、と言葉を続けている。

 

急に乗り気になった袖子さんがふんふんと相槌を打って、それを楽しそうに笑っている江良さんの性格を測りかねながらも、私はじっくりと彼女を見据えた。

 

 

 

今のうちにもう1つ、彼女で気になっていた部分を至近距離からじっくりと観察しておく。

 

 

 

 

 

(……やっぱりそうだ。この人……すごく小さくだけど……)

 

 

 

「その、な? 私ってこんななりだろ? だから、私には過ぎた息子も、恥ずかしく思っちゃうのか、最近全然会話もしてくれなくて、学校行事も全然教えてくれなくてな?」

 

「ふむむ、なるほど。貴方の要求は分かりました。素晴らしい息子さんが教えてくれない学校行事を私達に教えて欲しいわけですね?」

 

「あ、悪い。そうじゃないんだ」

 

「な、なら、気軽に会話をするためのアドバイスが欲しいと」

 

「それもちょっと違うんだよ」

 

「ガーン……」

 

 

 

(袖子さん……この人警察官向いてないんじゃ……)

 

 

 

 

 

いやに張り切り出した袖子さんが会話の腰を折って先読みしようとしているが、見事に外れを引き続けている。

 

いや、江良さんの話もあっちこっちに行って要領を得ないけど、袖子さんも少し待って話の全容を掴んでから口を挟めばいいのに、なんて思う。

 

 

 

何だか言いにくそうにしている江良さんの様子から、本題に入るまでにもう少し遠回りすることになりそうだと感じ、気長に待っていれば、女性はようやく意を決したのか重くしていた口を開いた。

 

 

 

 

 

「あー……その、それで、ウチの息子の反抗期だと思ってしばらく距離を空けてたんだが……どうやら、その、いじめられてるらしいんだよ。私の息子」

 

「いじめ、絶対に許せない。どいつをとっちめればいいの?」

 

「袖子さん、座って……暴れないで……」

 

 

 

 

 

いじめ、と言う言葉が袖子さんの正義の琴線に触れたのか、ベンチから勢いよく立ち上がった彼女は、まだ見たこともない江良さんの息子に即座に味方し始めた。

 

いやもう、正義の味方に憧れる袖子さんにとってはこれ以上ない話ではあるので、仕方ない部分もあるかもしれないが……。

 

 

 

と言うか。

 

 

 

 

 

「うちの学校でいじめ? うーん……私の知る限り私のクラスにいじめられている生徒はいない気がするんですけど……もしかして別クラスですか?」

 

「あ、いや……クラスだけじゃなくて……君達って1年生? もしそうならウチの息子は2年生だから学年も違うかな」

 

「1学年上で起きているいじめ……ふふふ、下剋上……なんだか燃えて来た」

 

「袖子さん、下剋上、違うから」

 

 

 

 

 

なんで別学年の私達にこんなことを相談するんだと、ジト目を向ければ、江良さんは気まずそうに眼を逸らし、それから、両手を合わせて頭を下げて来た。

 

 

 

 

 

「頼む! 実情が知りたいんだ!! ちょっとだけ! ちょっとだけで良いからウチの息子がいるクラスの様子を見て欲しいんだよ!!」

 

「……え? いじめの解決じゃなくて様子見? もしかして、いじめの決定的な証拠がある訳じゃない……?」

 

「ああ。だから、らしいって言ったろ? でも、日に日にやつれているように見える息子の姿を毎日見てんだ! 息子がどんな酷い目に合ってるのか、って思うと食べ物も喉を通らねえんだ!! 頼む!!」

 

「……むう」

 

 

 

 

 

……嘘はない。

 

だが、恐らく言っていないことも存在する。

 

私は江良さんのこれまでの様子から、そう判断した。

 

 

 

しかしどうやら、私達を悪意で貶めようとする話ではない。

 

頼みも別に、悪いものではなかった。

 

私が危惧していたものとは違うのだと、少しだけ安心できた。

 

 

 

しかしだ、こんな事をいきなり別学年、それも下の学年の女子に頼むなんて普通は考えられない。

 

普通、こんなやり方じゃなくて、学校を通して教師に注意を促すか、教育委員会を通じて訴えるかのどちらかを取るのが正攻法だと思うのだが……。

 

 

 

 

 

「……学校の先生方はこれを? それか教育委員会には?」

 

「いや……それはやってない。そのやり方じゃダメなんだよ……あ、いやっ、しっ、証拠もないのにそんな話を大事にして、息子の学校生活を乱したくないなって、思ってだな……」

 

「…………」

 

 

 

 

 

それは……何と言うか、妙な話だ。

 

なんでわざわざ私達に声を掛けて、こんなことを頼んできたんだと少し怪しく思う。

 

読心するが、私達に申し訳なさを感じているが、私達でないと駄目だと言う確信を、この人は持っているようだった。

 

妙な確信具合……もしかして、この人に私の異能がバレてるんじゃ?

 

 

 

そんな事を考え、少し思い悩む。

 

ここで断ってしまうとこの人が私達に執着する理由が分からないままだし、無理やり深層心理まで読み取るほど悪い人でもない。

 

後遺症を考えれば、あんまり深層心理を読み取る選択はしたくなかった。

 

 

 

疑問点が多いし、頼みごとをしているのにこの人は隠している事も多すぎる。

 

しかし、だからと言って、どこから私達に頼むべきと言う情報を得たのか分からないこの人を野放しにするのは危険に思える。

 

 

 

どうしたものかとちょっとだけ頭を悩ませた私だったが、隣にいる袖子さんの中では既に答えが出ている事に気が付いて、これは私がどうこう出来るものではないのかと諦めた。

 

こんな話をされて、母親が心底息子を心配している様子を目の前にして、この、山峰袖子さんと言う人物が黙っていられる訳が無い。

 

 

 

 

 

「私に任せて、おばさんっ……! 必ずこの難題をこなして謎を解き明かして見せる!」

 

「…………まあ、話を聞くって言いだしたのは私だし、袖子さんがそういうなら……」

 

「ほ、本当か!? ありがたい、恩に着るよ!」

 

 

 

 

 

純粋な喜びの声を上げる江良さんは、一見すると何か企みがあるようには見えない。

 

あくまで息子の学校生活を心配するだけの母親だ。

 

 

 

しょうがない、と諦める。

 

最善手ではないだろうが、この人に頼まれたことを進めつつ、動向を探ろうと言う結論に落ち着いた私はその思考を終わらせ、隣で異様に張り切っている袖子さんをどうやって抑えるかで頭を悩ませることにした。

 

 

 

きっとこのまま放置すれば、この娘は暴力沙汰を起こしかねない。

 

この正義大好きファザコン娘は基本的に、直情的で単細胞なのだ。

 

誰かがしっかり手綱を握らなきゃ、問題を起こしてしまうのは目に見えている。

 

 

 

 

 

「頑張ろうね燐ちゃん!」

 

「はあ……頑張りましょうね」

 

 

 

 

 

こうして私達の、ままごとに近い人間関係をめぐる調査が開始されたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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教訓となりえるものは

 

 

 

 

 

 

という訳で、唐突に素人2人組による、『戒玄高校暴行傷害容疑事件』の調査活動が開始された。

 

 

 

いや、そもそも学校や警察じゃなく、学生の私達にこんなことを頼んでくるのがお門違い。

 

あくまで素人、あくまで疑いがあるだけ、と言う神楽坂さんが聞いたら鼻で笑いそうな状態である訳だが、私1人棄権するなんて選択肢が取れるわけがない。

 

こうしている今、袖子さんのやる気は想像をはるかに超えて天元突破しているのだから。

 

 

 

 

 

「事件、事件、事件の香り……!」

 

「……袖子さん、真の名警察官は本当の逮捕の瞬間までみだりに自分の捜査を誇示しないものですよ」

 

「うん、分かった! 頑張ろうね燐ちゃん!」

 

 

 

(駄目だこりゃ……と言うか、我ながら真の名警察官とは……?)

 

 

 

 

 

いつも学校で見せているつまらなそうな顔は何処へやら、袖子さんはキラキラと目を輝かせ2年生のクラスが並ぶ廊下をスキップ混じりに進んでいく。

 

 

 

どう考えたって手持ちの情報が少ないのだから、情報が取れそうな人を捕まえてあらかじめ話を聞いておくのが良いと思うのだが、私ではウキウキで現場に向かおうとする袖子さんは止められない。

 

見ず知らずのあの女性の頼みなど義理も何もないのでまともにやる気など起きないが、せめて友人である袖子さんが危険なことに巻き込まれないように、手助けくらいはしておこうと思ってこうして後を引っ付いている。

 

 

 

なにせ私は実際の事件もいくつか解決した天才少女。

 

友人の考えなしな行動を手助けするくらい、お茶の子さいさいなのだ。

 

 

 

 

 

「ここね……! 燐香ちゃん見て見て……この中にいる、男子生徒の誰かがあの人の息子! どの子だろう!?」

 

 

 

(そういえば碌に特徴とか聞いてなかったな……まあ、あの女性の息子とは言っても全然似てないらしいし。私みたいな典型的な地味系の人なんじゃ……)

 

 

 

 

 

辿り着いた教室を袖子さんと一緒に覗き込むと、そこは私達の教室と変わらない光景。

 

休み時間にも関わらず、授業の予習復習をしている人が最も多く、残りの生徒も友達と会話をして普通に楽しんでいる。

 

 

 

一見、いじめの現場となっている場所とは思えない平穏とした空気だが、こういう所に限って石の後ろに湿った場所のように、目に見えない所に粘つくような悪意は存在しているもの。

 

どうやって証拠を掴むつもりなのか、袖子さんの手腕が気になるところだが……クラスの中を覗いているうちに私は1人の男子生徒に気が付いた。

 

 

 

 

 

(……あれ、あの人)

 

 

 

「燐ちゃん? 見付けた?」

 

「あ、いや……前にバスジャックで居合わせた人がいてビックリして……」

 

「へー?」

 

 

 

 

 

確か……バスジャックの時に犯人に飛び掛かった眼鏡の男子学生。

 

先輩だったのかと、驚いてしばらく見詰めていると目が合った。

 

どうやら驚いたのは向こうも同じだったようで、勉強していた手を止めて目を見開いている。

 

 

 

気まずそうに目を逸らされる。

 

どうにも申し訳なさそうな気持ちと気恥ずかしそうな感覚を抱いている彼に、そういえば彼は事件後、結果的にバスジャック犯に対して無力だった自分を恥ずかしく思っていたのだと思い出した。

 

 

 

いや、実情はどうであれ、刃物を持つ大人相手に飛び掛かる勇気は恥ずかしがるようなものでは無いと私は思うのだが。

 

 

 

 

 

「……まあ、特に話した訳でもないので私から話し掛けに行くようなこともないですが……ん?」

 

 

 

 

 

あんまり見つめ続けるのも迷惑かと、そう話を切り上げ、彼から視線を逸らそうとして、ふと悪意を読み取った。

 

 

 

教室の中で集まっている男子生徒の集団が、悪意を持った笑みを浮かべながら眼鏡の男子生徒に視線をやっている。

 

いじってやろう、とか、こうしたら面白いだろう、とか。

 

そういう軽い気持ちで、自分の抱えるストレスの捌け口や嗜虐心を満たすための標的として彼を見ている。

 

それも突発的に目が付いたでは無く、いつもやっている相手だから良いだろうと言う思考。

 

 

 

これは……恐らく、常日頃からそういう行為をしている相手に向けるもの。

 

いじめ、と言う行為が起こりうる感情として、これ以上のものはない。

 

つまり、私の読心による推察によると、いじめられているのはあの眼鏡の男子生徒で、彼こそがガテン系女性、遠見江良さんの息子と言う可能性が高い。

 

 

 

 

 

(……つまりあの時の気弱そうな眼鏡の男子学生が、ガテン系を絵にかいたような人の息子ってこと? ……さ、詐欺だ)

 

 

 

「むう……分からない。あの人にもう少し特徴を聞くべきだったね。……遠見さん、って名前で聞いたら分かるかもしれないけど、誰が犯人かも分からない状況でむやみにクラスの人に被害者を聞くのは……燐ちゃん、もう休み時間も少ないし帰ろ。またあの人に詳しい特徴とか聞いてからにしよう?」

 

「え、あ、う、うん。そうだね」

 

 

 

 

 

私へと振り返った袖子さんの後ろで、悪意を向けていた集団が丸めた紙くずや消しカスを眼鏡の男子生徒に投げている光景が目に入り、思わず言い淀む。

 

 

 

 

 

手段を選ばないなら解決なんて簡単だ。

 

ここで攻撃している彼らの意識を瞬く間に変えられる私の異能は、証拠など残さない。

 

私の異能なら、彼らの稚拙な感情などいくらでも作り替えられるし、今後一切そういう行為をさせないよう制限することだってできる。

 

 

 

でもそれは……なんて、私は少し思い悩んだ。

 

他者への意識改革を本人の経験に寄らずに行う私の異能は、道徳的に不適切なものだとは分かっている。

 

誰からも良い顔をされるようなものでは無いし、私の異能を知れば家族だって私に忌避感を持つだろう凶悪な力だ。

 

 

 

醜悪な犯罪者や他人を進んで害そうとする者達にこの力を向けるなら良い。

 

人を殺しうる力を他人に向ける者への情けなんて、私は持ち合わせていない。

 

若しくは、私や家族の安穏を壊そうとする者達が相手だったら、私はそんな道徳心をくだらないと一蹴するだろう。

 

何よりも大切なものの優先順位を、私は取り違えるつもりは無い。

 

 

 

けれど……見ず知らずの他人に対する、いたずらに近い悪意に、私はこの凶悪な力を振るうべきなのか、私が決めるべき異能の使用の境界は何処が正しいのだろうと、不安に思った。

 

中学時代ならいざ知らず、今の私は道徳性を完全に投げ捨てている訳ではない。

 

目の前で起きているこの出来事は、せいぜいからかうような意味合いのもので、それを行っている彼らは私がこれまで対峙してきた醜悪な者達と同じような対処をされるべき人間なのだろうかと、思ってしまった。

 

 

 

 

 

「ん、なにかある?」

 

「あー……えーと……。……うん、なんでもないです。帰りましょうか」

 

 

 

 

 

そんな道徳の線引きだけではない、今の世間的な情勢で考えても、異能をおいそれと使用するのは控えるべきだろう。

 

こんなことで異能と言う凶器を使うなんて馬鹿げているし、変に思い悩むならやらない方がマシ。

 

そんな自己保身的な考えで私は考えるのを止め、袖子さんの言葉に頷いて向きを変える。

 

 

 

私の異能は容易く人を傷付ける、であるなら、その相手はせめてどうしようもない悪人であるべきだ。

 

きっとそうだ、きっとそうであるべきだ。

 

誰かを傷付けないと言う選択を取った私はきっと間違っていない筈。

 

 

 

そう結論付けた私がこの場を去ろうと足を踏み出した時、ふと脳裏に誰かの背中が過った。

 

 

 

――――あの善良な警察官は、こんな時どうするのだろう。

 

 

 

私は、そんなことを考えた。

 

 

 

 

 

「――――随分と下らないことをするんですね。恥ずかしくないんですか?」

 

 

 

 

 

気が付けば私は、人を小馬鹿にするように笑っていた彼らの前に立ってそんなことを言っていた。

 

 

 

多くの注目が私に集まる。

 

突然教室に入って来た下級生が、柄が悪く体格も大きい複数人の集団へ向けて、喧嘩を売るような言葉をはっきりと吐き捨てたあり得ない光景に、教室中が静まり返った。

 

 

 

私にそんなことを言われた集団は何を言われたのか理解できないのか唖然と私を見て、被害を受けていた眼鏡の男子学生も驚愕して私を見ているのが伝わってくる。

 

 

 

当たりまえだ、そもそも私だって自分が何をしているのか分からない。

 

道徳的には正しいかもしれないが、常識的にはいきなり教室に入って来た見ず知らずの下級生がこんなことを言うなんてどうかしてると思う。

 

 

 

馬鹿だと思うし、直情的過ぎるとも思うし、もっと他にやりようはあったと思うけど。

 

 

 

間違いだとは、思えなかった。

 

 

 

 

 

「もう一度聞きます、恥ずかしくないんですか? 高校2年生にもなってゴミを無抵抗の人に投げ付ける、それを身内で笑い物。今時小学生だってもう少し品がありますよ」

 

「……あ? 何だコイツ」

 

「お前下級生か? 何マジになってんだ?」

 

「私は質問しているんです。貴方方の行動はいささか幼稚が過ぎる。どんな理由があってそんな恥ずかしい行為をしているのか興味があるんです」

 

「はあ? 何だ、いきなり」

 

「……あ、俺コイツ知ってるわ。1年の入学式で入校生代表として話してた奴だ」

 

「入校生代表……?」

 

 

 

 

 

ざわめきが広がり始める。

 

私の顔を見ようと、野次馬になった人達が動き出し、私達を遠巻きに眺め出す。

 

 

 

最近は分からない事ばかりだ。

 

なんで神楽坂さんが頭を過ったのかも、なんでこんな利の無い行動をしているのかも、目立つことなんて好きじゃなかった筈なのに、なんで私はこんなに簡単に体が動くようになってしまったのかも分からない。

 

 

 

でも……そうだ、別に物事を解決するのに『異能』を使う必要はない。

 

『異能』なんてなくても、物事を解決することは出来るし、行動に移ることは出来るのだ。

 

『異能』は使いたくない、でも、見過ごすこともしたくない。

 

ならするべきことは簡単だった。

 

 

 

 

 

「行為には責任が、言葉には品性が、そして行動はその人の価値が伴うものです。高校2年生であれば、もう1人の大人として認められる時もあるでしょう。自分の行動で引き起こされる結果を考えられれば、子供染みた快楽的な思考のままではいられない筈です」

 

 

 

 

 

言葉と態度による説得。

 

異能を使用しないでこんなことをするなんて、なんて非合理的なんだろうと、昔の私は今の私を見て笑うだろうか。

 

 

 

 

 

「貴方方の1つひとつの行動が、自分達の価値を高くも、低くもすることをよく自覚するべきです。誰かを傷付けて得られる快楽が、周りから見ればどんな価値かなんて考えるまでも無いんですから。……せっかくこんな進学校に通っているのに、将来に悪影響が出る様なことをするなんてもったいないですよ」

 

 

 

 

 

柄でもないし、下級生がするこんな説教染みた話を、年頃の彼らが素直に聞く訳が無いのに。

 

会話で解決できるなら世の中のほとんどの問題は起きていないと分かっているのに。

 

きっと無駄なことをしていると分かっているのに。

 

私の動き出した口は止まらなかった。

 

 

 

既に後悔し始めた私の考えを肯定するように、目の前の人達が激昂する。

 

年下のくせに生意気だ、いきなり教室に入ってきてイカれてるのか、こんな冗談にマジになるんじゃねえ、なんていきり立ちながら私に詰めてくる目の前の彼ら。

 

 

 

だが、周囲から彼らに注がれる視線は強い。

 

気が付けば教室の外には別のクラスの人達が騒ぎを聞きつけて覗き込んでいるし、なんなら背丈が小さな私が大柄の男子生徒達に囲まれている状況に、無条件で私の肩を持つ人が多いのか、ほとんどの人が冷めた視線を彼らに向けている。

 

私の言い分に同調した人は何人も居るようで、ひそひそと冷ややかに何事か話す周りの様子は、まるで彼らにとって敵地のようだった。

 

 

 

基本的にこういう弱いものを迫害する人は肩書や周りの空気に弱い。

 

私がそれなりに有名人であり、周りの空気が私に傾いているのが分かるのだろう、目に見えて動揺し大声を上げる彼らは、精神的に追い詰められ始めていた。

 

 

 

そして、行き詰まった感情は、簡単に人を暴力行為へと導いていく。

 

 

 

 

 

「――――このっ、糞ガキがっ!」

 

「危なっ……!?」

 

 

 

 

 

一際大柄の坊主頭の男子生徒が私の襟を掴もうと手を伸ばしてくる。

 

周りが悲鳴のような声を上げ、推移を窺っていた眼鏡の男子学生が立ち上がろうとして。

 

 

 

私に向けて伸ばした男子生徒の腕が、横から伸びた細い腕に捻り上げられた。

 

 

 

武術を学んでいる、人を制圧することに長けた技術を駆使したその力は、容易く男子生徒に悲鳴のような声を上げさせる。

 

 

 

 

 

「……燐ちゃんへの暴力なら私が相手になる」

 

「ちょっ、袖子さん!?」

 

 

 

 

 

先ほどまでの私と話していたのほほんとした雰囲気からは考えられないくらい、剣呑な空気を纏った袖子さんが捻り上げている他の生徒達を睨み付けている。

 

背の高いモデルのような袖子さんには私と違い異様な圧力があるのか、彼らはたじろぐばかり。

 

そんな彼らを尻目に、捻り上げている腕に力を込めたのか、悲鳴を上げていた男子生徒はいともたやすく床に転がされた。

 

 

 

 

 

「……1年の入校生代表がなんで2年のクラスに乗り込んできてんだ?」

 

「お前聞いてなかったのか? アイツらが嫌がらせ行為をしてたのを止めに入ったんだよ」

 

「アイツらよく過ぎた嫌がらせしてたからな。いじめみたいなもんしてたんだろ」

 

「いきなり暴力を振るおうとしてたよね? え、どうしよう、先生呼んでくる?」

 

「……アイツら恥ずかしいな。注意されて反論できなくて暴力に走ろうとして逆に制圧される。1年の間で話が広がって、2年全体が馬鹿にされるんじゃないか?」

 

「あの金髪……不良みたいだが、素人じゃねえ。勝てんぜ奴ら」

 

 

 

「ふっ、ふ、ふっ、ふざけんじゃねえ! ぶっ殺してやる!!」

 

 

 

 

 

周囲のざわめきが、完全に自分達を馬鹿にするものに変わり始めたことに危機感を覚えた彼らは収集が付かなくなり、そのまま私達に攻撃をしようとして――――そのタイミングで、丁度良く何人もの教師達が教室に飛び込んできた。

 

私達に襲い掛かろうとしている男子生徒達を見て、それから私と、袖子さんの姿を見た教師陣は目に見えて顔色を悪くする。

 

 

 

 

 

「お、お前ら何やってる!? 離れろ! 離れろ!!」

 

 

 

 

 

教師達に取り押さえられた男子生徒達とは違い、特に抵抗するそぶりを見せない私達は、女性教師に引き離されるまま2年の教室から追い出された。

 

あまりにも大事になってしまった事態に、若干の後悔がズシリと圧し掛かってきた私とは違い、なぜか袖子さんは嬉しそうに私の手を握ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまん! そういえば息子の写真も何も見せてなかったな。変に混乱させたようで……何と言うか、本当にすまん!」

 

「それは問題なかったから大丈夫。それに、いじめみたいなのはちゃんと注意したからこれ以上やることは無いんじゃないかな? 流石にあれだけ同級生の注目を浴びて、教師達に暴力を振るおうとした場面を見られて、なにより私と燐ちゃんからいじめをしていた場面を見たって証言があったから学校としても対応しようとするだろうし」

 

「そうか! いやっ、本当にありがとうっ!! 君達に相談して正解だったっ……! これ、少ないけどお礼を……」

 

「……なにこれ? お金? え、いらない」

 

「え?」

 

「え?」

 

 

 

「あぶぶぶぅぅ……絶対お父さんに連絡行くよね。やっちゃったぁ……なんで私はこう、アホなんだろう……」

 

 

 

「……いや、確かに何を渡すとか、どんなお礼をするとか言ってなかったけど、まさかただ働きさせる見ず知らずの大人がいると思ってたの? 流石に、お金くらいは払うよ。もちろん私が稼げるのなんてたかが知れてるから、少ないけど」

 

「え、いらない」

 

「ん?」

 

「は?」

 

 

 

「考えなしの能無し……これじゃあまだ中学時代の方がマシじゃんかぁ……。2年生どころか学校中に私の話が出回るだろうし、先生達から厳しい目が向けられること間違いなし……ああ……どうしよう」

 

 

 

「…………で、あの子は一体さっきから何を呟いてるの? 1人で頭を抱えて蹲ってるけど」

 

「自己嫌悪だって、私も何に自己嫌悪してるのか分からない。燐ちゃん、カッコ良かったのに」

 

「私の頼みのせいで苦しんでるのか……ほんとにごめんな。ほら、これでいいもん食べな?」

 

「触らないでください、そんなお金なんていらないんですよ。ぺっ」

 

「………………アンタら、ほんとなんなんだよ……」

 

 

 

 

 

意味が分からないと、封筒片手に立ち尽くす汚れた作業着の女性は困惑しきりの表情を浮かべている。

 

この人が変な頼みごとさえしてこなければこんなことにならなかったのにと言う、ただの八つ当たりである。

 

 

 

あれから私達は教師達には色々と尋問される事となった。

 

 

 

知り合いから、息子がいじめを受けているようだから様子を見て欲しいと頼まれた。

 

見に行ったら、ゴミを投げつけられて笑われていた状況があったので止めた。

 

説得したが、激昂したいじめっ子達に暴力を受けそうになったのを、袖子さんが止めた。

 

 

 

要点をまとめると、そんな感じの簡単な経緯を包み隠さず教師達に答えておいたのだ。

 

 

 

別に異能が関わっている訳でもないし、何か悪いことをしたわけでもないのでしっかりと説明したのだが、私達が悪くないと分かる度に、いじめっ子達のクラスの担任らしき人は顔を青くしていき、袖子さんの顔色を窺うようになっていた。

 

見るからに袖子さんの親と衝突は避けたい学校側の心情が透けて見えた。

 

 

 

まあ……だから、袖子さん、と言うよりも袖子さんの父親の不興を買いたくない学校としては、何もしないと言うのはあり得ないし、何らかの処分を私達に下すことも無いとは思うのだが……。

 

 

 

 

 

「とりあえず、しばらくは息子さんの様子をしっかりと見ていてください。あそこまで事態が大きくなってこのままいじめ行為を続行するとは思えないので、解決したとは思いますが……また何かあっても今度はちゃんと教えてもらえるように、疎遠になりかけてる息子さんとの仲をちゃんと深めておいてくださいね」

 

「お、おお……? 急にしゃべるな? わ、分かった」

 

 

 

 

 

事件解決した、とご満悦な袖子さんと、困惑しながらも感謝を伝えてくる江良さんにそれだけ言って私はため息を吐いた。

 

色々あったが、変な頼みごとを早々に終わらせることが出来たことだけは良かった点かなと思い直す。

 

 

 

どうあっても私達がお金を受け取らないと分かったのか、江良さんは困ったような顔をしながら口を開いた。

 

 

 

 

 

「本当に、ありがとな…………私は見ての通り素行が悪くてさ。若い時にあの子を産んで、色々不便を掛けているし。性別も違うから家族なのにちゃんと話も出来なくてさ。それでも……どうしても、あの子には幸せになってほしくてな。こんな普通じゃない干渉までしちまった……こんな無理を聞いてくれて、本当に感謝してる」

 

 

 

(……)

 

 

 

 

 

そんな女性の言葉に、私も少しだけ心が揺れた。

 

家族とちゃんと話せないなんて、きっとどこの家庭にもあることなのだ。

 

それをどうするかで、きっと状況はいくらでも変えられるのだろう。

 

 

 

 

 

「……まあ、別に良いです。袖子さんも欲求が満たされて満足してますし、私としても得るものがありました」

 

「満足……!」

 

 

 

 

 

しみじみとお礼を言う、もう会うこともないだろう女性に、しっかりと釘を差すことにする。

 

 

 

 

 

「良いですか。どうして私達に相談しようと思ったのか、とか、どうして学校や教育委員会を通さず学生に相談したのか、とか、本当なら色々聞きたいことはありますけど、全部聞かないでおきます。その代わり、次が無いようにしてくださいね」

 

 

 

 

 

やはり隠したい事だったのか、動揺を隠し切れないまま私の言葉に頷いた江良さんをしっかりと見届けて、彼女と別れを告げた。

 

 

 

突然起きた、事件とも言えないような話だったけれども、色々と思うところはあったし、自分の考えを見直すきっかけになった。

 

失敗はしたけれど、この失敗は無駄ではないし、袖子さんが楽しそうだったから良いかと、私は自分を納得させる。

 

難しい家庭事情に首を突っ込むつもりも無いし、面倒な女性の全ての問題を解決するつもりも無いから、これで終わりだと区切りを付けたのだ。

 

 

 

江良さんが私達を頼った理由も何となく分っていることだし、これ以上私に干渉してくるつもりがないならそれでいい。

 

 

 

これから家に帰って、異能に頼らないやり方で、私ももう少しちゃんと家族と話をしようかと考えて、この話はお終い。

 

私の教訓を形作ることとなったこの件は、こうして幕を閉じる訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

少なくとも――――そう思っていた私は、きっと人の善性を近くで見すぎていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめっ……! ごめんなさいっ……!! 助けてっ、あの子を助けてくださいっ……!!」

 

 

 

 

 

その日の夜は大雨だった。

 

知る筈がない私の家まで、夕方別れた筈のずぶ濡れの女性はやってきていた。

 

 

 

時刻は夜中の11時。

 

あまりに非常識な訪問者は、縋るように助けを求めている。

 

 

 

 

 

「なんなんだ貴方は? 何時だと思ってる? 警察を呼ばれたくないなら早く立ち去りなさい」

 

「お願いしますっ……! 燐香さんに会わせてくださいっ……! お願いします!」

 

「何を言って……! 娘をこんな訳の分からない人の前に出すわけがないだろう!?」

 

「死んじゃうんですっ……! このままじゃ息子が死んじゃうんですぅ……!!」

 

「何を馬鹿な……! それなら警察にでもなんでもっ……!!」

 

 

 

「お父さん、その人なに?」

 

 

 

 

 

玄関口での言い合いに、私が部屋から出てくればお父さんは、厳しい顔で私を見た。

 

 

 

 

 

「燐香っ! いいから部屋に戻ってなさい! ……いや、警察に電話してくれ! おかしな人がいると通報してくれればいいから……!」

 

「燐香さん! 息子が帰ってこないの! 明日になったら、息子が死んじゃう……お願い……助けて……」

 

「……」

 

 

 

 

 

今にも泣き出しそうな焦燥とした江良さんの様子に、状況を理解した私は、ぼさぼさの髪を手櫛で整えながら言う。

 

 

 

 

 

「……なるほど分かりました。でも、今日は遅いので後で話を聞くことにします。もう帰ってください。流石に時間が遅すぎますよ」

 

 

 

「そんなっ……今じゃないと――――あ……分かり、ました。また、明日ね」

 

「……え? 帰るのですか?」

 

「……はい、確かに考えてみればこんな夜遅くに非常識でした。迷惑かけてごめんなさい」

 

「い、いえ、分かってくれたなら良いんですが……」

 

 

 

 

 

思考誘導。

 

私の言葉の裏に持たせた意味に気が付けるよう、江良さんに対して行使した。

 

 

 

そして、先ほどまでの鬼気迫る様子からは考えられない程、素直に帰っていく江良さんの背中と、それを不思議そうな顔で見送るお父さんに、2階の自分の部屋に戻って寝ることを伝える。

 

 

 

実際に部屋に戻り、私の部屋の窓を見上げていた江良さんへ向けて、部屋に仕舞い込んでいた小さな頃の雨衣を見せて向かう意思を示し、私は少しだけ時間を見計らってからこっそりと家を抜け出した。

 

 

 

 

 

降りしきる豪雨の中、江良さんは私を待っている。

 

まるで本当に、息子が死ぬ姿でも見たかのように泣きはらした女性がじっと私を待っていた。

 

 

 

 

 

「……で、やっぱり貴方はそういう力を持っているんですね? 世間でニュースにもなった、非科学的な現象の力を」

 

「……分からないの、前に『視た』のはもう10年以上前で……これは、好き好んで使えるものじゃなくて……私も詳細が分からない……」

 

 

 

 

 

暗がりの中でたたずむ女性は、それを使ったばかりなのか、以前よりもはっきりと出力を感じ取れた。

 

 

 

 

 

「私は人の死が……未来が視えるの」

 

 

 

 

 

傘もささずに話す彼女は、私が注視しなければ分からない程微弱に、だが確実に『異能』の力を持っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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どこかの家族が歩く光景

 

 

遠見江良と言う女性は昔かなり荒れていた時期があった。

 

喧嘩に明け暮れ、まともに学校に行かず、夜遊びばかりの非行少女。

 

自分を認めてくれない周囲への怒りばかりが募って家を飛び出し、最終学歴は中卒と言う身で、20にも達していない歳のまま子供を授かることとなった。

 

 

 

結婚はしなかった。

 

相手が誰だったか分からなかったし、分かったとしても責任など取るような奴はいなかったからだ。

 

だから、一方的に絶縁した両親には頼らず、借金して子供を産んで、必死に働いて返済すると共に子供を育て始めた。

 

家賃2万の安アパートに住み、小さな息子を1人で育てるそんな生活。

 

 

 

そんな彼女の異能が最初に起動したのは、ある夜の事だった。

 

仕事で疲れ切り、何とか息子を寝かせた彼女は、深い眠りに落ちていた。

 

蓄積していた疲労により、ここ最近は全く夢なんて見なかった彼女が眠りの中で、ある光景を見る。

 

 

 

全く連絡の取っていなかった両親が、交通事故で車にはねられる光景だ。

 

やけにリアルなその光景に、思わず飛び起きた彼女は、そのまま無意識の内に電話へと手を伸ばし、思い留まった。

 

 

 

いや、何を考えているんだ。たかが夢、たかが悪夢。

 

何も珍しいものでも無いではないかと何度も何度も異常を知らせる自分の感覚を誤魔化して、何とか自分を納得させた彼女は、その時から何度も見る同じ夢を無視し続けた。

 

今は生活が苦しくて、子供も小さいからそんなことをしている場合ではないのだと自分を騙した。

 

こんな悪夢なんかでは無く、いつかきっと、自分と両親との仲が氷解するきっかけが訪れる筈なんだと、心のどこかで信じてきって。

 

 

 

その夢を見てから一週間後。

 

彼女は、親族からの電話で両親が車にはねられ亡くなったことを知った。

 

 

 

ついぞ、子供の顔を両親に見せることも出来ないまま、ずっと長い間口も利かないまま、彼女は両親と会う機会を永遠に失うこととなったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

異能、仮呼称するなら『救命察知』だろうか。

 

普段は異能と言う現象にまで達するようなものでは無く、持ち主の危機的状況にのみ反応し、起動するタイプの異能持ち。

 

これはほとんど異能持ち自身も自分の才能に気が付くことなく、日常生活を送る者が多く。

 

異能を実際に扱っている者からも、察知されないと言う利点がある。

 

 

 

個人的な私見だが、『UNN』が何らかの実験を行うことで異能を発現させていたが、あれは実験の成功によって異能を持つ者が産まれたかと言うとそうではないと思う。

 

元々発現させるほどの出力を持っていなかった者が対象となった場合のみ、異能持ちを作り出すことに成功した形だったのだろう。

 

 

 

ともかく、江良さんの歪な情報収集能力の元を知ることが出来た訳だが……まあ、確かにこんな事を誰かに相談するなんて無理な話だ。

 

世間的に『非科学的な現象』が注目を集めている今、某動画サイトなどでは超能力やそれに類する現象を連想させる似非動画が急増している。

 

公共電波を通じた真相究明番組なんかも出てきているし、自称超能力者の台頭も著しい。

 

 

 

最近名をテレビでよく見かけるようになった、予言出来ると豪語する有名な占い師は、完全に偽物だし……まあ、そういう存在がいてくれるおかげで、徐々にこの世間的な熱も下火になるだろうが……。

 

 

 

問題は、そういう偽物が出回っていると言う事。

 

ノリや冗談、狂言として取られかねない今の世の中では、江良さんの力を相談できる相手なんていなかったのだろう。

 

 

 

 

 

「で、その力で息子の危険を察知できたとして、なんで私を頼ったんですか?」

 

「それは……どうすればいいんだろうって、解決方法を考えていたら、貴方と会話する私が視えて……」

 

「……なんですその、とんでも性能。解決する未来まで視えるんですか?」

 

「わ、分からないのっ……でもっ、学校も警察も教育委員会も、どれを頼っても、駄目だった未来も視ることになって……」

 

「……それで直接私と袖子さんに相談に来たって訳ですか」

 

 

 

 

 

生還するための正しいルートまで察知できるとか、化け物性能すぎる。

 

 

 

そして、江良さんの異能による予知で彼女の息子を助ける鍵となるのは、恐らく私。

 

私の異能、『精神干渉』を計算にいれたものなのだろう。

 

……変に情報が漏れていると言うことでは無いようで、取り合えずは安心した。

 

 

 

私はため息を吐きつつ、被ったポンチョの位置を整える。

 

家族に外出がバレないよう、小さな頃に使っていた雨衣を引っ張り出したが窮屈さはない。

 

元々大きめのものだった筈だと自分を納得させ気にしないようにして、空を見上げた。

 

 

 

雨が強い、こんな時は夜じゃなくたって外出したくないのだが、人の命が関わっているなら話は別だ。

 

それも、私が一度何とかしたと思った相手に死なれるのは、目覚めが悪いにもほどがある。

 

 

 

 

 

「家に帰ってこないと言うことは、夕方の学校から? その貴方の、仮名として予知夢と言いますけど、それに手掛かりになるような情報は無かったんですか?」

 

「今回は、息子が帰ってくるのを待ってたら突然葬式に出ている私の光景が流れ出してっ……、情報は……分からないの。でも、この光景が流れた感覚は、もう時間がない時の……」

 

「……なるほど」

 

 

 

 

 

私の異能範囲は無条件に拡大するなら500m。

 

これで、街中虱潰しでやったところで、間に合わない可能性が出てきてしまう。

 

自己防衛のための現象でしかないこの人の異能を無理やり開花させることも出来なくはないが、幼い頃の飛鳥さん以下の状態であるこの人を無理やり開花させれば、どんな反動があるか想像も出来ないし、今の私のサポートでは危険な後遺症が残る可能性すらある。

 

 

 

幾つかの手段が封じられている。

 

だが、八方塞がりでは無かった。

 

 

 

 

 

「ちょっと待っててください――――もしもし、夜分遅くにすいません神楽坂さん、至急お聞きしたいことが」

 

『――――どうした?』

 

「不良少年達が夜遅くにたむろする場所として候補に挙がる場所を教えてください。かなり急いでいます」

 

『待て……情報を限定させるぞ。君の通う高校から君の家までと考えて、その周辺にある場所で良いのか?』

 

「はい。とりあえずはそこに限定してください。もし、その候補で見つからなかった場合……少し無理します」

 

『説明を聞いている時間はなさそうだな。言うぞ、メモの準備は良いか?』

 

「雨でメモは無理です、暗記します。お願いします」

 

 

 

 

 

複数の場所の住所を神楽坂さんから教わり、暗記する。

 

そして、その場ですぐに教わった住所に向けて、私は異能の出力を伸ばした。

 

 

 

1つ目、最も近い場所にある神社――――はずれ。

 

2つ目、ボーリング場跡地――――はずれ。

 

3つ目、河川敷の橋の下――――はずれ。

 

4つ目、取り壊されていない廃マンション――――当たり。

 

 

 

複数人の憎悪のような感情に囲まれた、弱弱しい感情が1つあるのを見つけた。

 

 

 

 

 

「――――こっちです」

 

「は……!? だ、誰かに場所を聞いたの!?」

 

「私には心強い味方がいるんです……神楽坂さん、廃マンションに向かいます。ありがとうございました」

 

『ああ……気を付けろよ』

 

 

 

 

 

電話を切って、急ぎ足で歩道を歩く。

 

江良さんが私の異能をどこまで知っているかは知らないが、私に異能を見せつける趣味はない。

 

異能の秘匿を最低限済まし、何かしら勘付かれたとしても後で取り返しを付けられるようにと、江良さんにも目印を付けておいた。

 

これで何かあった時でも大丈夫。

 

 

 

それから、精神干渉の思考誘導を廃マンションにいる者達に掛け、少しでも時間を稼げるようにして、私は真っ直ぐ目的地へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしてこうなったのだろう。

 

今になって思うのはそんな事ばかりだった。

 

 

 

会話が苦手で、自分に自信が無くて、快活な母親とはうまくいかない。

 

六畳一間の小さな部屋では、自分がやりたいこともやれないまま、ただ会話しなくていいようにと勉強ばかりしていたら、不相応な高校に入ることになってしまった。

 

きっとこれがいけなかったのだろう。

 

 

 

母親が凄く喜んでくれたから、何とかこの学校を卒業して、出来るだけ恩返しをしよう。

 

幼いころから父親がいなかったし、たった1人で自分を育ててくれた母親へは、仲が上手くいっていなくとも、そんな風に報いたいと言う気持ちは持っていた。

 

そう思っていただけなのに、やっぱり上手くいかなかった。

 

 

 

 

 

(……あの、バスジャックの時の女の子みたいに……だれに対してもはっきりと自分の意思を言えたなら、違ったのかな……)

 

 

 

 

 

痛みの中うずくまる自分を囲むのは、普段自分をいじめてくる同級生達と、彼らが呼んだだろうガラの悪い先輩達。

 

突然車に乗せられ、散々殴られ蹴られ、地面に転がされた。

 

笑いながらもっと仲間を呼んで遊ぶとか言っているから、少しの間これ以上暴力を振るわれることは無いだろうが。彼らの言う仲間が来たら、用意されたバットや工具が振るわれるのは目に見えている。

 

 

 

きっともう家に帰ることはできないのだろう。

 

 

 

何処か冷静にそんなことを思う自分に驚いた。

 

そして、あれだけ嫌だと思っていた筈の六畳一間のアパートに、こんなにも帰りたいと思うようになるなんて、考えもしなかった。

 

嫌いでは無かったのだ、きっと。

 

あの部屋も、母親も、一緒にいる時間も。

 

 

 

 

 

(ああ、なんだ……)

 

 

 

 

 

そこまで考えようやく、少年は気が付いた。

 

 

 

 

 

(最初から僕が間違えたから……)

 

 

 

 

 

もう会えないだろう母親に、距離を取った自分が間違えただけ。

 

そう理解した少年は、どうしようもない自分の馬鹿さ加減に歯を食いしばって。

 

 

 

 

 

「海政っ!!」

 

「――――お、かあさ……」

 

 

 

 

 

部屋に飛び込んできた、もう会えないと思っていた母親の姿に目を疑った。

 

自分達の仲間以外が来るはずないと思っていた者達にとって、この突然の乱入者は完全に想定外なのか、自分達を掻き分けて少年の元に突き進んだその母親を止められた者はいなかった。

 

 

 

 

 

「何だコイツ、誰がここを教えたんだ?」

 

「女? まさかコイツの母親か? おいおい、ふざけんなよ。これじゃあ、コイツを黙らせることも出来ねえじゃんか!」

 

 

 

 

 

状況を理解し、騒ぎ立ち始めた彼らは、ボロボロの息子を抱きしめる女性を唾でも吐きそうな顔で見ていた。

 

どうしたものかとお互いの顔を見合わせて、取り合えず面倒ごとにならないようにと、用意した金属バットを振り上げた1人が、女性に背後から殴り掛かろうとする。

 

 

 

 

 

「……本当は、手を出すつもりはなかったんです。本当です。だって赤の他人の拗れた人間関係なんて、強行に介入するほどの興味もありませんから」

 

「あ? 誰――――」

 

 

 

「――――でもこれは、あきらかに度を越えている」

 

 

 

 

 

バットを振り上げていた者が、隣に音も無く現れた黒い布団カバーを頭から被ったような、2メートル近い人物に腕を巻き取られた。

 

 

 

 

 

「……え?」

 

「醜悪に歪んだそれ、誰もがそのまま放置してくれるとでも?」

 

「ごっ、ぐぼぼえええ!!???」

 

 

 

 

 

巻き取られた腕が全く動かせず、呆けたように口を開いて黒い布を被る者を見上げた。

 

 

 

その瞬間、長身の人物が纏う黒い衣服が蛇のように、バットを振り上げていた者の口に入り込む。

 

 

 

息が出来ない。

 

バタバタと手足を暴れさせ、悲鳴と共に助けを求めるように仲間達に向けて手を伸ばすが、仲間達は驚く表情で見るだけで助けるそぶりも見せなかった。

 

 

 

――――当然だ、周りから見ると彼は、自分の口に自分の手を突っ込んで叫んでいるだけなのだから。

 

 

 

 

 

「な、んでぇっ……?」

 

 

 

 

 

結局自分の手で息を止めている事に気が付けないまま、息苦しさに耐え兼ねその場で倒れた少年は、意識を悪夢の中に引き摺り込まれた。

 

 

 

 

 

「な、なんでアイツ、自分の口に手を……」

 

 

 

 

 

自分達の標的である少年とその母親が抱き合っている姿などに、攻撃することを躊躇する者達ではないが、目の前で起きた異常事態に、総毛だった彼らはその場で状況を理解しようと立ち尽くした。

 

時間経過で自分達の命運が尽きるなど、彼らはきっと想像もしていないのだろう。

 

 

 

その一室の入り口部分で、誰にも認識されず状況を観察していた燐香はつまらなそうに周りを見た。

 

 

 

 

 

(さて……所詮は、誰一人異能も持たない烏合の衆。制圧は簡単だけど、どうしようか……私が規定する善人に変えてしまうのが何よりかな。昼までと違って、彼らは立派な犯罪者、殺すつもりでなかったとしても、江良さんの息子さんを殺めてしまう可能性が高かった訳だし、到底野放しには出来ない)

 

 

 

 

 

同じ学校の学生を手に掛けるなんて、まるで中学時代の焼き増しの様で、あまり気持ちの良いものでは無い。

 

だが、燐香が流石にこれ以上はやらないだろうと言う境界線を、容易に踏み超えた彼らの精神は、想像以上に醜悪だったのだと認めざるを得ない。

 

 

 

 

 

「立てる海政!? 酷い傷っ……早く病院にっ……!!」

 

「ふ、ふざけんなババア!! 誰の許可を得て、そいつを連れ出そうと――――し、あ……な、んだコイツ……背が、デカすぎっ……」

 

 

 

 

 

息子を連れ出そうとする女性を止めてやろうと、殴り掛かろうとした男が、目の前に立つ何かに気が付いたような声を上げる。

 

そして、ゴッと、その男は恐慌状態に入る直前に、自分で自分の顔を殴って、そのまま気を失いその場で崩れ落ちた。

 

 

 

「なんなんだよっ……糞っ、なんなんだよこれ!? おい、ババアっ、お前が何かやってんのか!? ふざけんなっ!! どんなカラクリか知らねえが正々堂々戦えや!!」

 

「何を言ってるか知らないけどね!! 海政にこんなことをしたアンタらを、ぶん殴ってやりたいくらい私は心底腹が立ってんだ!! でも、そんなくだらない私の感情で、怪我した海政を放置なんて出来ないっ! アンタらに使うような時間なんて、ほんの少しだってないんだよ!!!」

 

「ババアっ……!! 調子にっ……ちょう、しに? え……おまえ、どこから現れ……まて、近付くな、……やめろっ……こっちにくるんじゃねえええええ!!!!」

 

 

 

 

 

女性に手を上げようとした男もまた、そんなうわ言を呟きながら幽鬼のような足取りで壁に近付き、自ら壁に頭を打ち付け、そのまま昏倒した。

 

 

 

正体不明の異常な現象を目の当たりにして、残りの者達の間に戦慄が走った。

 

仲間の3人が自ら昏倒した現状は、もはや手に負えない域なのだとようやく理解した残りの者達は顔から血色を失わせ、周囲に何がいるのかと必死に周囲を見渡し始める。

 

幾ら見渡しても、彼らには原因である少女を捉えることなどできない。

 

 

 

そして、無様に震える彼らに興味もないのか、息子を背負った女性はそんな彼らに見向きもせず、出入り口へと向かっていく。

 

 

 

 

 

(これで終わり。あとはこの人達の思考回路を少し弄って、これ以上の暴挙を取らせないよう色々制限を掛けて……)

 

 

 

「へ、へへへ……覚えてろよババア……! 今は無事に帰れたとしても、今度は家に火でもつけてやる……! 俺らをなめたこと、絶対に後悔させてやる……! お前の人生も、その弱虫の人生も、どこまでも追って滅茶苦茶にしてやるからよ!」

 

「っっ……なんでそんなクソみたいな思考をっ……!」

 

「そいつが悪いんだよ! 貧乏人の癖に、碌に勉強環境も整ってねぇ癖に、そいつが才能にものを言わせて俺らの邪魔をするから!! そいつさえいなきゃ、俺はもっと高い順位を取れたのによぉっ……!!」

 

 

 

(……なんて、身勝手な話)

 

 

 

 

 

始まりは勉強による競争に負けたこと。

 

それで自分よりも順位が上にいる、後ろ盾のないだろう人間を選んで攻撃する人間性。

 

攻撃を正当だと主張して、自分が咎められたら激昂して、最後は暴力に走り、相手の人生をめちゃくちゃにしてやろうと執着する。

 

 

 

到底、許してはいけない部類の人間がそこにいた。

 

燐香はその事実に、言葉を失った。

 

 

 

 

 

(……私は馬鹿だ。神楽坂さんや飛鳥さんばかり見て、そういう尺度で人間を測っていた。もっと醜悪で、もっとどうしようもない人間ばっかりだって分かっていたのに。神楽坂さん達の様な善人が普通だと、安心してしまった。……私は人が持つ悪性を見誤った。手心なんて加えるべきじゃないのに、もっと、もっと、手段なんて選ばず、最初からこいつらの深層心理を無理やり読み取っていればこんなことには、ならなかったのに……)

 

 

 

 

 

あの教室での後、散々教師達から叱責されたのを知っている。

 

親が呼び出されて、親にもかなり怒られていたのを、燐香は知っていた。

 

だから、大丈夫だろうと思っていた。

 

 

 

誰だって間違える。

 

自分だって中学時代間違えていたのだから、ちょっと踏み外した彼らを異能と言う凶器を使って手に掛けるのはと、躊躇した。

 

そして、これから彼らが変わってくれることを願って、燐香は彼らを見逃したのだ。

 

叱ってくれる教師がいて、親身になりつつも怒ってくれる両親がいて、更生できる余地は十分にあって……それでも、蓋を開けてみればこいつらはどうしようもなかった。

 

 

 

 

 

「は、ははは、調子に乗りやがってよ……! こいつのおかげで停学処分になったんだ! こいつは自業自得なんだ……!」

 

「俺なんて父さんに散々怒られたからな。まだ殴られた頭が痛いし……全部コイツのせいだよほんと」

 

 

 

 

 

そんな風に、自分勝手なことを口走る彼らを否定する者はこの場にいない。

 

全部別の誰かが悪いし、自分達は悪くないと信じ切っている。

 

 

 

吐き気を催すほどの人間性がそこにはあった。

 

 

 

 

 

(――――手加減なんてしない。“白き神”や“千手”のような犯罪者と同じだ)

 

 

 

 

 

ぞっとするほど、冷たい顔になった燐香が彼らを見据えた。

 

 

 

 

 

(他人を貪るどうしようもない悪はこの世に存在する。それは、年齢や性別、人種や国籍で区切れるものでは無い。そんなことは分っていた筈だ。だから、私は考えを改めるべきだ。どうしようもない悪人がこの世は大半を占めていて、神楽坂さんの様な善人の方が珍しいことを。こういう醜悪な奴らは、誰かが……私がこの手で――――)

 

 

 

「――――よくやったな。あとは任せろ」

 

「…………え?」

 

 

 

 

 

燐香の肩に優しく手が置かれた。

 

燐香の荒んでいた心を癒すような優しい声の人は、病院を抜け出したのか、入院着を濡らしたまま部屋に入ってくる。

 

 

 

目を見開いて、驚愕したのは燐香だ。

 

 

 

 

 

「な、なんで神楽坂さんがここにいるんですか!? い、いや、私が確かに場所を伝えはしましたけど……! 私が神楽坂さんに電話しましたけどもっ……!! わ、私1人でどうこう出来るのに、病院を抜け出すなんてっ……」

 

「あのな、なにか勘違いしてるから言うけどな。君が、たいていの事を解決出来るって言うのは俺が一番分かってる。でも、何でもかんでも君がこういう事を解決するべきって訳じゃない。君が手を掛ける様なものは、どんなものであれ少ない方が良いに決まってるだろう?」

 

 

 

 

 

まだ完治なんてしていない筈なのに。

 

体に痛みが残っている筈なのに。

 

こんな夜中、こんな雨の中、駆け付けてくれたその人は朗らかに笑う。

 

 

 

 

 

「君が好んで他人に手を掛ける訳じゃないのも、俺は良く知ってるから。優しい君にはこれ以上無駄に誰かを傷付けたと言う意識を持たないで欲しいんだ。だから、ここから先は俺に任せとけ」

 

「――――…………あうぅ……分かり、ました。……神楽坂さんにお任せします……」

 

「おう」

 

 

 

 

 

無意識の内に懐から煙草を取り出すような動作をして、慌ててそれを止めた神楽坂はガシガシと頭を掻きながら、未だに執着する悪意を遠見親子に向けている彼らの前に立った。

 

 

 

突然の、もう1人の乱入者に目を丸くした少年達が吠える。

 

 

 

 

 

「て、テメェ、誰だ!?」

 

「ガキども、悪さが過ぎたな。話は署で聞く、大人しくついてこい」

 

「はぁ!? オッサン誰だよ!?」

 

「警察だ、暴行、傷害、殺人未遂。色んな疑いがお前らにはある。顔も、名前も、全部すぐに分かる、逃げても無駄だ」

 

「警察!? な、なら、そのババアを捕まえろよ!!! 俺らの仲間が、変なカラクリでやられたんだよ!!」

 

 

 

「……おい、大人をなめんなガキ。この状況でお前らを味方するとでも思ったか? 全部こっちは把握済みだ。手加減は苦手なんだ、大人しく捕まれ」

 

 

 

 

 

神楽坂のはっきりとした口調と、外から聞こえ始めたサイレンの音に顔を引き攣らせた彼らは、周りの見えない何かに怯えながらも、拳を握り締めた。

 

 

 

 

 

「……馬鹿野郎、少し痛いぞ」

 

 

 

 

 

一斉に神楽坂目掛けて突っ込んできた彼らを眺め、神楽坂は一言そう吐き捨てる。

 

それからの行動は――――あまりに迅速だった。

 

 

 

 

 

震脚。

 

そう思わせるだけの踏み込みが床を打ち抜き、次の瞬間には先頭にいた男が恐ろしい速さで壁に叩き付けられた。

 

ものの一瞬で意識を失い壁に叩き付けられた男は、そのままずるずると地面に滑り落ちていく。

 

 

 

そして、先頭にいた仲間が吹っ飛ばされたことに反応できないまま、神楽坂が元居た場所に向けて、足を動かし続けていた次の2人の腕が掴まれる。

 

2人の間にいた神楽坂が適当に見える所作で腕をぐるりと回すと、腕が掴まれた2人はその場で独楽のように回転し、地面に叩き付けられた。

 

 

 

コンクリートに背中から落とされた彼らの意識も、ほんの一瞬で奪い去られた。

 

 

 

 

 

「……え……は……?」

 

「あと2人」

 

 

 

 

 

状況を理解できず、いなくなった仲間達を探すように周囲を見ながら立ち止まった残りの2人の顎を、神楽坂は軽く拳で打ち抜いた。

 

グルリと白目を剥いた2人がゆっくりと倒れるのを見届けて、神楽坂は疲れたようにため息を吐く。

 

 

 

鎧袖一触。

 

まさに文字通り、相手にもならなかった不良集団はものの数秒で鎮圧された。

 

しかし、そんなことは日常茶飯事なのか、神楽坂は誇るような顔をするどころかどこか憂鬱そうな顔で少年達が倒れ伏す光景を見詰めている。

 

それから外に集まって来たパトカーに視線をやり、「始末書何枚書くんだろうな……」と呟いた神楽坂は、呆然としている遠見親子に近付いた。

 

 

 

 

 

「怪我は大丈夫か? 警察と救急車を呼んでおいたから下まで来てるはずだ。」

 

「え、あ、ああ……ありがとうございます」

 

「は? え? アンタ、強すぎないか? 私も結構喧嘩してきたけどアンタくらい強いの見たことないんだが……」

 

「強くない、見ての通りボコボコにされて入院中の身だ」

 

 

 

 

 

ほら、行くぞと言って、怪我をしている海政を背負うと、神楽坂はなんとも言えない複雑な表情で、意味が分からない生物を見る様な目で自身を見ている燐香に笑い掛ける。

 

 

 

 

 

「どうだ、大人も少しは頼れるだろう?」

 

「……神楽坂さんは絶対、普通の大人のくくりではないです」

 

 

 

 

 

拗ねたような燐香の言葉に、楽しそうに笑った神楽坂は少し強めに彼女の頭を掻き撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐3‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数日して、私は袖子さんと一緒にとある喫茶店で事件解決の小さなお祝いをしていた。

 

私のおごりだからと、無邪気に色んなものを頼んでいる袖子さんは、友達でこういう場所に来るのが夢だったと恥ずかし気も無く言うものだから、一緒に来ているこっちが恥ずかしくなってくる。

 

頼まれたコーヒーに口を付け、もう数度ミルクをつぎ足しながら私は袖子さんを見た。

 

 

 

 

 

「こんなお祝いなんてする必要なかったんじゃ……いや、カフェに来たいだけなら、そんな名目なんてなくてもいくらでも付き合いますし」

 

「ほんと!? じゃあ、また別のおすすめ探しとくから一緒に行こう!」

 

「そ、それは良いんですけど……」

 

「お祝いは出来る時にしないとやらないものだし。戒玄高校探偵部としての最初の活動として、しっかりお祝いしないと!!」

 

「え、なんですそのヘンテコな部活!? 私絶対参加しませんからねっ!?」

 

 

 

 

 

あの夜にあった事は一般生徒には知られていない。

 

あまりの不祥事になりかねない大事に、学校側が生徒に伝わらないよう配慮したからだ。

 

 

 

2学年の生徒が数名、退学となった。

 

理由はいじめ、今後もこう言った行為に対しては厳しい処分を下していくと、学校全体の集会で校長先生が断言し、学校内でのこの件は収束となったのだ。

 

そして、その件を知る者については、校長直々に口止めがされた。

 

正確に言うと、関わっていないと思われている私以外、つまり遠見親子にだ。

 

何かしらの交換条件があったのかは知らないが、何か脅してくるようなことがあれば神楽坂さんが俺に頼れと言っていたし、ある程度円満に話が進んだのだろう。

 

そのへんは私が関知する所ではない。

 

退学となった彼らが、正式に犯罪者として裁かれるとだけ聞ければいい。

 

 

 

まあ、だから昼間の件で事件が解決したと思っている袖子さんが清々しい顔でケーキを口に運ぶのは普通だし、それを邪魔しようとも思わない。

 

この件は大人が処理をする、そういう話で良いのだ。

 

 

 

 

 

「そういえばさ、燐ちゃん家族の問題で悩んでたでしょ? もしまだ悩んでたら、私の家にしばらく泊まりに来ない? 距離を置いたら見えてくるものがあるかもしれないし、もし泊まるならパパ……お父さんには話を通してるから、今日からでも大丈夫だよ?」

 

「あ、えっと、その件なんですけど……」

 

 

 

 

 

私が悩んでいたことをしっかりと覚えていて、こうして手を回してくれていたことに驚いた。

 

けれど実は、私なりに今回の件で色々思うところはあって、お父さんと遊里さんのお母さんには、実はこのモヤモヤした想いを話していたのだ。

 

 

 

 

 

「……私が変に悩んでいたことを、ちゃんと言葉にして伝えたんです。何だか私だけ、仲間外れにされてるみたいに思えて、嫌だったって……。私の居場所が取られちゃうんじゃないかって不安だったって、そうやって伝えたら、2人とも理解を示してくれて……ごめんねって謝ってくれて……」

 

「ん、そっか。それなら良かった。これ以上無いくらいの解決だね。出来れば頼ってほしかったと言う気持ちもあるけど……流石燐ちゃん、大人だなぁ……!」

 

「お、大人? 私的には、こんなことで思い悩んでる私って子供っぽく思えて嫌なんですけど……」

 

「大人だよ。ちゃんと言葉にして話せたじゃん。そういうの言葉にするのってすごく難しいものだから、大切なものだって私は思うよ」

 

「そっか……」

 

 

 

 

 

遠見親子の姿は、どこか私の家族と重なって、色々考えさせられるものだった。

 

会話の無い、お互いがお互いを大切に思ってる筈なのに大きくすれ違って、もしかしたらもう会えないような大きな事件に巻き込まれる。

 

まるでそれは、すれ違った父親との関係の様でもあるし、言葉を上手く交わせられない桐佳との関係の様でもあるし、大喧嘩したまま疎遠となった兄との関係の様でもある。

 

放置することは簡単だけど、放置することは必ずしも良い事では無くて、きっかけがあれば大きく崩壊する危険があるその(ひび)は、きっとちゃんと向き合わなければならないもの。

 

 

 

顔を合わせ、言葉にして、素直に自分の気持ちを伝える。

 

そういう事の積み重ねが大切と言う基本的なものを、異能と言う超常的な力に頼りすぎていた私はきっと分かっていなかった。

 

これから先、私はもっとちゃんと、普通の人として行動していくべきなのだろう。

 

 

 

 

 

「あのガテン系の人も、ちゃんと息子さんと仲直り出来てるといいね」

 

「……うん、そうだね」

 

 

 

 

 

ある程度甘くなったコーヒーに口を付けながら外を眺め、私は思わぬ同類である彼女と交わした約束を思い出す。

 

 

 

異能の話はお互いに誰にも話さない。

 

今日の事は忘れるし、お互いにこれ以上の事を詮索しない。

 

これから先、何か伝える様な事あった時は、息子さんを通じて私に予定を聞くこと、むやみに突撃してこない。

 

でも、出来るだけ会わないようにしよう、お互いの安全のために。

 

 

 

異能持ちと異能持ちが関わったって、ろくなことにならないから、なんて。

 

私はそんな約束を彼女と交わした。

 

 

 

だから、彼女と次会うのはきっとずっと先になるのだろう。

 

もしかしたら今後会うこともないだろうあの女性が、息子とどんな風に仲を改善するのか。そもそもそんなこと出来るのか、今の私には知る術がない。

 

 

 

きっと彼女達が幸せになれることを願いながら、私はぼんやりと外の光景を眺める。

 

 

 

 

 

「燐ちゃん……? どうしたの、何か見てるの?」

 

「あ、別になんでも無くて、ちょっとだけ――――」

 

 

 

 

 

ふと私は、喫茶店の外でとある親子の姿を見付けた。

 

怪我をしている子供を支えながら楽しそうに笑う母親と、恥ずかしそうにしながらも、どこか幸せそうに笑う私と同じくらいの男の子。

 

楽しそうに会話をしながら街中を歩く彼らの姿は、どこにでもある普通の家族だ。

 

 

 

 

 

「――――外を通った普通の、仲の良い家族を見てたんです」

 

 

 

 

 

頬骨を突いて笑う私の視線の先を追って、袖子さんも嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて間章は終了となります!
5章はまとまり次第投稿しますので、時間が掛かると思いますが気長にお待ちいただければ幸いです!
なお、次の話はサトリちゃん異能メモと言う名で、これまで出て来た異能の詳細についてまとめたいと思います。
こういったまとめが苦手な方は、飛ばしてくださいね!


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番外
サトリちゃんメモ『異能詳細まとめ』


これまで登場した異能の詳細についてまとめたものとなります。
こういったものが苦手な方は飛ばしてください!



 

 

 

File.1 名称:精神干渉

分類:N型 ランク:B3 所有者:佐取燐香

知性が存在する生命体全てが対象となる。思考や感情を読み取り、やり方次第では相手に違和感を感じさせないまま思考の方向性を誘導、または誤認させることが出来る。表面心理を読み取るまでは相手に後遺症を残さないが、深層心理を無理やり読み取ると、異能を受けた相手は思ったことを思わず口にしやすくなるなどの後遺症が残る場合がある。

 

File.2 名称:紫煙霧散

分類:U型 ランク:C2 所有者:『紫龍』

自身が発生させた煙を増減させることが可能。自分自身を煙に紛れ込ませ移動する他、煙に触れている物を煙の中へ引きずり込み運ぶことができる。煙に収納できる物の量は条件は付くがほぼ無限。煙に引きずり込まれたものは物理的に触れることはできず、また異能所持者が発生させた煙は意識を失うなどしない限り継続される。またこの者が発生させる煙は水分を含んだ物の為、小麦粉を周囲に撒くことで一時的に無力化が可能。

 

File3 暗鬼蜘蛛

分類:U型 ランク:B1 所有者:相坂和

肉眼では視認が難しいほど、細く強靭な糸を生み出す。糸の周囲の状況は熱源感知により捕捉が可能で、柔軟かつ変幻自在な糸は鋼鉄をも引き裂く。設置場所に制限は無く、完全な無から生み出せるため対処は困難であるが、糸の質量がほとんどないため進行方向への力は強くとも、側面からの力には弱い。私の異能の出力を纏った手で容易く掴み取ることも出来たが、今後成長すればそれも難しくなるだろう。

 

File4 加速飛翔

分類:N型 ランク:C2 所有者:飛禅飛鳥

最大重量200㎏、最速時速1000㎞で物体を飛ばすことが可能、対象は有機物、無機物問わない。なお、重量が重いほど速度は遅くなり、実際に200㎏のものを飛行させるときの時速は1km、100㎏のものを飛行させる時は時速501kmとなる。このように、1㎏につき時速5kmで相反する増減の関係となっている。

 

File5 千手戦仏

分類:U型 ランク:C1 所有者:『千手』

物理的に破壊不可の不可視の手を作り出す。名前の通り、同時に作り出せる手の数は1000であり、不可視の手の力は異能者の実際の握力によって変動する。数値にすると、異能者の握力のおよそ5倍、“千手”は100㎏を超える握力をしているため、手1つが500㎏の力を自在に振り回す。物理的な痛みも感じない為、あらゆる衝撃を防ぎ切り、あらゆる物質の破壊が可能。なお、不可視の手は物理的な破壊は不可能でも、異能による破壊は可能であり、破壊された際かなりの激痛を訴えていた。出力が上回っている場合、倒すのは難しくはないと思われる。

 

File6 音界乗消

分類:N型 ランク:C3 所有者:アブサント

発生する音を増幅、または完全消音する。発生させた音を増幅することで物理的な衝撃まで持っていくことも出来るが、威力としては最大まで増幅したとしても人を殺傷するだけの力には及ばない。また、無音から何か音を作り出すことは出来ず、あくまで発生する音に干渉するだけの力である。この異能単体としての性能の脅威度は低いが、他の異能と組み合わせた時の相乗効果はかなりのものと想定される。注意が必要。

 

File7 異相転移

分類:N型 ランク:C2 所有者:ベルガルド

体に触れているものを対象として瞬間的に座標位置を入れ替える。転移が可能な範囲はおよそ50mで、連続使用に必要な間隔は1秒程度。空中から空中への転移が可能なため、飛行能力を有すると判断できる。また、転移先に指定した場所には異能の出力による微小な穴が開かれるため、出力を感知することに長けていれば移動先の予測は可能。連続使用に必要な間隔が1秒程度なのも、穴の設置から移動するまでに掛かる時間がその程度だからと考えられる。

 

File8 認智暴蝕

分類:N型 ランク:B1 所有者:『白き神』白崎天満

他人の精神に異能を寄生させることで相手を支配下に置く。上記『精神干渉』と同系統の異能だが、こちらはさらに強制力に優れており、支配した相手の記憶を覗くことも出来る。出力が高い異能には電子機器を通して異能の効力を発揮できるものもあるが、これはその典型であり、音声や映像に含まれた自身に関連するデータを相手に取り込ませることで異能の対象とさせていた。人格投射、と言う本人の人格を支配相手に寄生させることで、見聞きしたものを自分のものに出来るが、代償として、寄生相手が受けた痛みや恐怖も全て本体に流れ込む。車両を使用した突撃の際に、運転手に寄生して情報収集を行わなかったのはこのためである。事故車両を運転する勇気が無かった。

 

File9 飛翔加速(覚醒)

分類:N型 ランク:A1 所有者:飛禅飛鳥

異能の力は精神に起因する。ゆえに、精神的な重しが足枷になることもあり、重しから解放された場合、その出力は桁違いに強化されることもある。

最大重量200㎏→1000㎏、最速時速1000㎞→2000㎞、に出力限界を変更。物体だけでなく気体、液体、他の異能現象(物理的なもの、例を出すと『暗鬼蜘蛛』の糸は対象となるが、『精神干渉』の出力そのものは対象とならない)も対象となり、また。1つの物体を別方向に飛ばすことも出来るため、出力限界が大幅に上昇した今、何かを飛行させずとも物理的な破壊力を持つことも可能となった。なお、上記『精神干渉』の助力を受けた状態であれば、さらに出力は飛躍的に上昇し、具体的な限界は不明だが、建物を地盤ごと浮遊させることが容易なまでに変貌する。

 

 

File10 救命察知

分類:N型 ランク:D4 所有者:遠見江良

異能の力を完全な形で発現していないタイプであるが、自身に大きく影響を及ぼす者の危機を察知し、それを回避できる未来を探すことが出来る未来予知型の異能。

あくまで異能の影響が及ぶものが自身に限られることから最低ランクとしているが、その脅威度は高い。

普段は全く異能の出力もないため、ほぼ全ての異能持ちが遭遇しても彼女が異能持ちだとは気付かないと思われる。

現実に影響を及ぼすわけではないので、これ以上の観測は難しい。

過度の接触は控えたい。

 

 

 

 



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超常現象を知る者


お待たせしました、話がまとまりましたので更新を再開したいと思います!
感想が返し切れていませんが、徐々に徐々に返していきたいと思いますので、気長にお待ちいただければ幸いですっ……!!


 

 

 

 

 

6月中旬。

 

神楽坂上矢は病院を退院し、職場に復帰していた。

 

“千手”による怪我が完治したわけではないが、日常生活を送る上で問題ないと判断されたため、溜まっている軽い事務作業の消化のための様子見を兼ねた臨時的な職場復帰。

 

そのため、神楽坂は所属する交通課の指定されている席で、延々と書類仕事に励み続けていた。

 

 

 

だが……神楽坂がいくら無言で事務作業に取り組みたくとも、久しぶりに職場に戻って来た彼に絡みに掛かる者はいる。

 

 

 

 

 

「神楽坂さんさー、やっぱり悔しかったりするんですか?」

 

「……何がだ?」

 

「いや、国際指名手配犯を捕まえたのに賞状1つでない訳ですし? 掛けられていた賞金も一銭たりとももらえない訳じゃないですか? おまけに、他の人は手柄上げてる神楽坂さんを差し置いて出世していくわけですし、やっぱり思う所くらいありそうだなーと」

 

 

 

 

 

隣の席に座る、同じ交通課の藤堂が神楽坂にそんなことを聞いてくる。

 

世界的な指名手配犯を捕まえたことになっている神楽坂には、その前後の問題行動と合わせて複雑な感情を向ける者が多い。

 

藤堂もそんな感情を持つ者の1人かと思った神楽坂は、視線すらやることなく返答する。

 

 

 

 

 

「興味ない……が、それは俺個人としての考えだ。傍から見れば不公平な状態になっているんだろうとぐらいは思う。今後の奴らの為にも、これを恒例化させるべきでないともな」

 

「…………ふうん。神楽坂さんって本当に、損ばっかりする性格してますよね」

 

 

 

 

 

何だか様子がおかしいと、神楽坂は書類に落としていた視線を隣に向ける。

 

何か思い悩む様な顔をしている藤堂の姿に、神楽坂は作業をしていた手を止めた。

 

 

 

 

 

「どうした、何か悩みでもあるのか?」

 

「え、あ、いや……正直、最初は問題起こした頭のおかしい人って印象を神楽坂さんに持ってたんですけど、ウチの署の刑事課よりもずっと事件解決していく神楽坂さんをちょっとずつ見直してた部分があって……そんな神楽坂さんが、なんて言うか、報われてないのを見ているとモヤモヤし始めたって言うか。……飛鳥ちゃんの件もあるし、俺このまま警察続けられるか、不安になってきてたんです」

 

「……まあ、飛禅の奴は見るからに優秀だったからな。遅かれ早かれってとこはあっただろ。指導担当だったお前としては、面白くないだろうが」

 

 

 

 

 

神楽坂へ向けられる好奇の目。

 

だがそれも、氷室署で起きたもう一つの大きな事件によって幾分かは緩和されていた。

 

 

 

もう1つの事件とは、飛禅飛鳥の退院明けに告げられた異動の話。

 

急遽新設された警視庁公安部特務対策第一課への転属通知だった。

 

本部が管轄する新設部署への異動など、栄転以外の何物でもない。

 

 

 

 

 

「いや、嫉妬とかじゃないんですよ。多分ですけど……。飛鳥ちゃんが栄転するのは良い事ですし。新設部署への異動なんて大変なんだろうなとも思いますから」

 

「あの新設された部署は、ICPOが世界に向けて発信した『非科学的な現象』への対策を、警視庁が形として世間にアピールするためだけのものだろう。実情、何してるか分からんが、まともな活動はしちゃいないと思うぞ」

 

「そうなんすか? ……いやいやっ、俺が言いたいのはそういう事じゃなくて! その『非科学的な現象』が存在すると認めてウチが対策を取るなら、ずっと前からそれを口にしていた神楽坂さんこそその部署に置かれるべきじゃないんですかね!? 飛鳥ちゃんは優秀ですけど、まだまだ新人ですよ!? 基本をもっと学んでからでも遅くはないでしょうに!」

 

「あー……まあ、そうだな。そういう考え方が普通だよな」

 

 

 

 

 

飛禅飛鳥は優秀だ。

 

警察学校ではかなりの好成績を残していたし、交通課での仕事ぶりも様々な人物を見て来た神楽坂をもってしても評価する点ばかりだった。

 

だが、それだけ優秀だったとしても、傍から見れば活動が分からない新設部署へ新人を異動させるなど、本来であればあり得ない。

 

異能と言う才能を知らない視点から見れば、だが。

 

 

 

 

 

(……十中八九、ICPOから推薦があったんだろう。飛禅の奴、異能を見られたって言ってたし、ICPOへの勧誘も断ったと言う話だから……日本の警察で、厚遇措置や特別対応を取って異能持ちである飛禅に首輪を付けるよう話があった、こういったところか。あとは……実際、異能が関わる事件は同じ異能持ちをぶつけるのが何よりだと言うのは、俺も身をもって経験している。そういう事件を本気で相手にするなら、あいつ以上に新設部署に適した奴はいないだろうからな)

 

 

 

「俺は良いんだよ。実際、どんなに即した発言をしていたとしても、組織を引っ搔き回してる訳だからな。警察と言う縦社会、独断専行する奴が一番厄介に思われる。だから、藤堂。お前も出世したいなら、下手に自分の意見を前面に出すなよ。目を付けられる以上に出世の邪魔になるもんはない」

 

「……なんて言うか……神楽坂さんってほんと、自分勝手な人ですね」

 

 

 

 

 

呆れたような顔でため息を吐いた藤堂は、もう私物が全く無くなってしまった飛鳥の机を一瞥してから、自分の仕事に戻った。

 

 

 

 

 

「……自分勝手、か。よく言われるさ」

 

 

 

 

 

神楽坂はそんなことを言って、自分の携帯に届いたメールを思い出す。

 

植物状態で入院している元恋人の両親から、婚約破棄と続けている仕送りの件について話があると、自分勝手な行動をするなと、何件も連絡が届いている。

 

 

 

 

 

「少なくとも、俺が捕まえるべき奴を捕まえるまでは、これは変えられない」

 

 

 

 

 

佐取燐香と言う、神楽坂が知る限りこれ以上ないほど超常的な力に対して見識を持っている少女が言った、“白き神”とは別の、自身の過去に関わる異能持ち。

 

ずっと追って来たそいつが今もどこかで私腹を肥やしているのなら、神楽坂は止まるつもりはなかった。

 

 

 

異能と言う才能を持つだけの少女を事件に巻き込んでいる自分が、寝たきり状態の元恋人との婚約を一方的に破棄した自分が、他人想いの良い人間なんて、今更そんなことは思っていない。

 

 

 

1人で異能の関わる事件を解決出来ない自分が、縋りつくようにどうしようもない事をしていると自覚しながらも、神楽坂はもう覚悟を決めている。

 

全ての責任を持つことになったとしても、自分に残ったものを全て失うとしても、少女を事件に巻き込むなんて道徳的に許されないことに手を染めても、全てをやり遂げると決めていた。

 

 

 

 

 

(見てろよ……必ず奴は……)

 

 

 

 

 

そんな風に、睨むように虚空を見詰めた神楽坂が、目の前の仕事をさっさと終わらせてしまおうと手を伸ばした時、突然彼の背後に1人の男性が近付いてきた。

 

そっと近付いてきた人の気配に、思わず素早く振り返った神楽坂の目に入ったのは、どこか見覚えのある歳若い男性だった。

 

 

 

 

 

「――――お久しぶりです神楽坂先生!」

 

「先生……? お前、伏木か?」

 

 

 

 

 

ビシッと敬礼する男を見て、神楽坂は目を見開く。

 

随分前に、警察学校に臨時講師として訪れた時の学生で、神楽坂に何かと懐いていたのがこの伏木航(ふしき わたる)だ。

 

 

 

当然、氷室署で勤務している者では無く、ここ数年間連絡すら取っていなかった。

 

久しぶりに会った伏木は、以前よりもずっと大人びた顔つきになっていて成長を感じさせ、神楽坂は思わず立ち上がる。

 

 

 

 

 

「久しぶりだな。何年ぶりだ?」

 

「ええっと、学校以来ですし確か5年ぶりですかね。神楽坂先生にまたこうして会えて嬉しい限りです!」

 

「何度も言わせるな、先生は止めろ。お前ももう学生じゃないんだからな。ところで、お前は確か本部の部署にいた筈だが、なんでここに? まさか氷室署に異動って訳じゃないだろう?」

 

「はい! 神楽坂せん、えっと、任された仕事の件で神楽坂先輩に話があってですね……」

 

「俺に? なんでまた……」

 

「先輩が優秀なのは俺らの同期全員が知るところですし、その……俺、ある一件を任されたんですけど、正直、これどうすればいいか迷ってて」

 

 

 

 

 

眉を寄せた神楽坂に、周囲をチラリと見渡した伏木は神楽坂の耳元にそっと口を運んだ。

 

 

 

 

 

「……実は、『非科学的な現象』に繋がる可能性がある指示を受けたので、協力してもらいたいんです。この件に詳しい『佐取優助』って言う、人物がいるらしいんですけど」

 

「…………佐取、優助?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぜひゅー……ぜひゅー……」

 

 

 

 

 

休日の早朝、私は日課にしているランニングを終えて、家の前で息を整えていた。

 

最近は暑くなってきたし湿度も高いので、普段以上に息は乱れ、汗は酷い。

 

まだ1500m程度しか走ってないのに……、なんて思いながら、運動後の体操をして体の調子を整える。

 

 

 

 

 

(つ、疲れた……でも、走れるようにはなってきてる。私の体力って底の抜けたバケツだと思ってたけど、ちょっとずつ体力ってつくものなんだなぁ……)

 

 

 

 

 

自分の成長を実感しつつも、神楽坂さん考案の体力増強メニューを今日もこなしたことに満足する。

 

継続は力なり、つまり継続する私は偉いのだ……褒めてくれる人は滅多にいないけど。

 

 

 

ふと、この前の不良集団を一瞬で叩きのめした神楽坂さんの動きを思い出す。

 

グルグルと肩の調子を確かめながら、ちょっと神楽坂さんのパンチの真似をしてみるがやっぱり私のパンチは、見本にしたものとは似ても似つかないヘロヘロパンチだ。

 

こんなのを打ってどうこう出来るのは線の細い同年代までだろう。

 

トレーニングの先はまだまだ長いのだろう。

 

 

 

そして……あんまり気は進まなかったが、私が所持するもう一つの武器のチェックも、実は走りに行った際にやって来た。

 

 

 

 

 

(試してみたけど……伸びてたなぁ、私の異能の距離)

 

 

 

 

 

前まで、指向性を持たせない無条件下での私の異能の距離は球状に半径500mが限界だった。

 

だが、今日の試行では500mを越えて、およそ750mまで範囲が拡大されていた。

 

 

 

異能の成長。

 

いや、生物の能力なのだから、複数回限界まで使っていれば酷使した体力や筋力のように成長もするだろうが、それにしたってこれは伸びすぎだ。

 

 

 

およそ1.5倍。

 

恐らく、対象に出来る人数もそれくらいは増えている筈である。

 

“千手”に行った思考誘導の末期状態に持っていくことも、以前よりもずっと早くに行える……と思う。

 

 

 

 

 

(前は5分。今は何分だろう? 誰かに試そうとして簡単に出来るものじゃないし、正確には分からないけど……多分4分は切るかな……)

 

 

 

 

 

グニグニと手を握りながら、私は成長を始めた自分の異能に危機感を覚える。

 

確かにこれから先、“白き神”を犯罪の道に引き込んだ悪人が日本に潜んでいてそれと対峙する可能性があるなら、私の異能が成長するに越したことは無い。

 

だが、私の異能の成長は同時に、昔の私に近付いていることを意味している。

 

 

 

異能を、悪意を持って暴走させていた、独善的で、傲慢で、全能感に酔いしれていたあの暗黒時代に戻ってしまったら、今度こそ私は家族にすら異能の手を向けかねないのではないかと言う恐怖があった。

 

 

 

ふと、“千手”の言葉が蘇る。

 

 

 

 

 

『そう不安がるな、俺達皆がそうだ。異能を与えられた人間全てが、出来ない人間を見下している。俺達は俺達同士でしか分かり合えない。どこまで行っても異能を持つ者は持たない者と分かり合うことは出来ないのだ。たとえそれが家族であろうとも、な』

 

 

 

「……気持ちを強く持て私。私はアイツらとは違う」

 

 

 

 

 

自分の顔を叩いて気合を入れる。

 

あんな人殺しと一緒にされるなんて、心底不愉快な話である。

 

確かに暴走していた時代もあったが、アレはあれだ、人の暗い部分を見すぎて拗らせた、中学生がよく陥る病気が重症化した結果だ。

 

こんな善良で可愛い天才少女を捕まえて何を言うかと言いたい。

 

 

 

私は良い子、私は良い子、と呪文のように繰り返しながら、空を睨んだ。

 

色々お願いしてきたのに、神様は私の願いを1つだってまともにかなえてくれない。

 

反省して大人しくしたんだから、代わりにしっかり私の周りを平和にしてくれればいいのにそれすらしてくれない。

 

ここ最近何度周りで凶悪事件が起こったことか……神様の怠慢が酷すぎる。

 

 

 

神様がそういう態度なら仕方がない、私にはもっと頼れる大人がいるし、すっごい力もあるのだ。

 

神頼みなんてしないで、これからは自分の力だけで何とかしてやる。

 

 

 

そう決意を新たに、私は家の中に戻った。

 

まだ日も昇らないくらいの早朝だから誰も起きていないだろうと思っていたのだが、そんな私の予想は外れ、家の中ではお父さんがリビングでコーヒーを啜っていた。

 

 

 

 

 

「燐香。お帰り、今日もランニングをしてきたんだね。最近、随分と頑張ってるね」

 

「あ、ただいま……あれ? 今日も仕事なの?」

 

「うんそうなんだ。急な仕事でね、昼前には帰ると思うんだけど、会社には行かなきゃいけなくなっちゃったんだ」

 

「そうなんだ……頑張ってね」

 

「うん。ところで燐香、聞きたいことがあるんだよ。目指してる大学とか、将来やりたい仕事とか、もう決まってるかな?」

 

「え?」

 

 

 

 

 

予想外のお父さんの質問に少し戸惑う。

 

とは言え、私だって全く考えていなかった訳ではないので、すぐに返答した。

 

 

 

 

 

「大学には行くつもりない、かな……今は、高校卒業したら仕事見つけて、働こうって考えてる」

 

「そうか……うーん……もちろん悪くはない、悪くはないんだけど……」

 

 

 

 

 

私には『人の精神に干渉できる』力があるから、それを活用できるものであれば、いくらでも仕事に困らないだろう。

 

 

 

例えばちょっと前までは活発にやっていたSNSを使った、精神医の真似事なんて、その筋ではちょっとした知名度があったのか有名人が客としてくるほど繁盛していた。

 

既にちょっとやそっとでは困らない程のお金は稼げているし、きっと軌道に乗らないなんてこともないと思うのだが……。

 

 

 

そんな風に考えていた私の人生設計だが、異能を知らないお父さんにとって私の言葉は不服だったようで、少し難しい顔をした。

 

 

 

 

 

「……燐香はとっても優秀だから、やりたいと言うなら留学したって良いし、外国の大学にだって行っても良いよ? 無理に働かなきゃいけない理由なんてないんだから、もう少し学生として色々学んでほしいと、お父さんは思ってるんだけど……」

 

「え、う、うーん……別にやりたい事ないしなぁ……」

 

「…………うん、なら丁度良かった。お願いがあるんだけど」

 

 

 

 

 

出勤準備を終えているお父さんは何かを思いついたのか、出社用の鞄を漁りながらそんなことを言ってくる。

 

お父さんが私に頼み事をしてくるなんて、珍しい事もあるものだと私は首を傾げる。

 

私にこうして直接何かを頼んでくることなんて滅多にないのに、とお父さんの次の言葉を待っていると、お父さんはお金の入った封筒を取り出した。

 

 

 

 

 

「このお金をね、優助に届けて欲しいんだよ。3か月分の仕送りのお金なんだけど、急な仕事が入っちゃって行けなくなっちゃったから。様子見も兼ねてさ、頼めるかな?」

 

「え゛っ……」

 

 

 

 

 

思わず汚い言葉が出た。

 

自分がどんな顔をしているか分からないけど、絶対に笑顔ではないことだけは確かだ。

 

 

 

私の顔を見たお父さんは、困ったように笑いながら、頼むよ、と言ってくる。

 

 

 

 

 

「優助と仲が良くないのは知ってるけどさ。そろそろ1年以上口も利いてないし、仲直りしたい、とは燐香も言ってただろう? これを機に、ちゃんと仲直りをして欲しいんだよ。2人とも、2年前のその喧嘩の詳細を教えてくれないから、碌に仲裁も出来ないしさ」

 

「お兄ちゃんと……私、仲直りしたいって言ったっけ?」

 

「言ったよ。燐香は準備が完璧じゃないと動かない欠点があるからね、桐佳みたいにちょっとは突撃してから考えることも覚えなきゃ。ほらこれ、ちゃんと渡して来たらお小遣いも上げるから、少しは高校生らしいお洒落な服でも買うといいよ」

 

「……あ、お父さん。私、今日ちょっと、体調が悪いかも……」

 

「元気にランニングしてきて何を言ってるのさ、行きなさい」

 

「あううう……」

 

 

 

 

 

くしゃくしゃー、と表情が崩れていく。

 

兄の事は別に、嫌いではないが、あの一件の後となると顔が合わせ辛い。

 

 

 

喧嘩の理由はお兄ちゃんが悪いが、先に手を上げたのは私だ。

 

私も反省しなければならない部分が多々ある訳で……そうなってくると、お兄ちゃんがどんな対応してくるかで、私も意地を張りかねない気がする。

 

 

 

……でもまあ、ちゃんと言葉にして分かり合わないと、今のこの擦れ違いがもっと大きく拗れてしまうかもしれない。

 

 

 

そう考えると、お父さんのこの提案は、良い機会と捉えることが出来る訳である。

 

…………心の準備は出来ていないが。

 

 

 

 

 

「わかったよぅ……行ってきます……」

 

「うん、頼んだよ燐香。あんまり優助が酷いことを言うようなら、無理しないで戻っておいで。それで、仲直り出来たら、大学での事とか聞くと良い。もしかしたら興味が持てるかもしれないからね」

 

「はぁい……」

 

 

 

 

 

こうして、私の不用意な言動で今日の予定が決まった訳だ。

 

 

 

……神様、今からでもお父さんの仕事の予定を無くしてくださいお願いします。

 

 

 

私のそんな祈りも、勿論神様は叶えてくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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『佐取優助』

 

 

 

家から駅までバスに乗り30分。

 

さらに自宅の最寄り駅からお兄ちゃんの通う大学近くの駅まで電車を乗り継いでもう30分。

 

1時間くらいかけてようやくたどり着いたお兄ちゃんが通う大学は、私が想像していたよりもずっと広大な敷地を有していて、建物も高校よりも一回り以上大きかった。

 

 

 

休みの日なのに、私服で出入りする学生達と、そんな学生達が通る度に挨拶する守衛らしき人が大学の門を守っている光景はこれまで見たことも無い光景で、思わず自分が別の世界に来たのではないかと錯覚してしまう。

 

 

 

 

 

「おお……! 大学って、こんなんなんだ……」

 

 

 

 

 

大学の敷地に入る為には門を潜らなければならないし、私も守衛らしき人の横を通らなければならない。

 

関係者ではない私が通れるのかと、今更不安になってきた……と言うか、門に立つ守衛は門衛と言うんだっけ?

 

馴染みが無さ過ぎて、そこら辺はよく分からない。

 

 

 

きょろきょろと周囲を物珍し気に見ていたのが目立ったのだろう。

 

門衛のおじさんが不審そうな、いや、あの子どうしたんだろうと言う心配するような視線を向けてきている。

 

 

 

大学の中に入るには、門衛の人に中にいる家族に会いに来たとでも言えばいいんだろうか?

 

 

 

あの大学の敷地内に入る必要があると考えると、何だか非常にワクワクしてきた。

 

大学近くの寮に住んでいるお兄ちゃんは基本的に大学の研究室に篭りきりのようだし、今日も夕方頃までは大学内にいる筈とお父さんが言っていたし、会ってお金を渡すにはなんとか中に入るしかない。

 

目の前にある大きな建物の中を歩き回る自分をちょっと妄想しながら、お兄ちゃんの名前を出せば入れるだろうか、なんて考えて、門衛の人に近付いていく。

 

 

 

 

 

「あの、すいません。大学に在籍する兄への届け物の為に来たんですけど、どうやって入れば……」

 

「ああ、お兄さんへの届け物ね! 君みたいな小さな子が周りを見渡していたからびっくりしちゃったよ。えっと、ちょっと待ってね。お兄さんの名前を教えてもらえるかな?」

 

「……小さい子……あ、えっと、兄は佐取優助って言います。大学2年生の理学部生物学科を専攻していると思うんですけど」

 

「あー……」

 

 

 

 

 

少しだけ目を見開いた門衛が、通信機を使って何か確認を取りながら、困ったように頭を掻いた。

 

 

 

 

 

「あの人ね。最近よくあの人にお客さんが来るなぁ……」

 

「……お客さん?」

 

「んー……駄目だ、やっぱり拒否されてるね。佐取優助さんへの用事では入門は出来ないみたいだ」

 

「え……か、家族なんですけど……」

 

「申し訳ないんだけどねぇ。今ウチの大学結構ピリピリしてて……何か家族だと証明できるものがあれば別だけど、そんなの持ってないだろう?」

 

「家族の証明……?」

 

 

 

 

 

そんな、どの程度の付き合いからが友達か、みたいな、悪魔の様な質問が飛んでくるとは思わなかった。

 

ワクワクしていた気分が急速にしぼんでいく。

 

私の態度を見て証明できるようなものが無いのが分かったのだろう、門衛のおじさんは、ごめんね、と申し訳なさそうに言ってくるから、もう諦めるしかない。

 

 

 

やっとたどり着いた大学を前にして、私はそっとその場を後にした。

 

 

 

 

 

(……もう今日は帰ろっかな。でも、浪費癖は無かったと思うけど、お兄ちゃんお金カツカツだったらどうしよう……)

 

 

 

 

 

大学を何度も振り返りながら、頭を悩ませる。

 

お兄ちゃんに電話して迎えに来てもらうか、外でお兄ちゃんが出てくるまで待つか、それとも今日はもう諦めるか。

 

気は進まないが、取り敢えず携帯電話でお兄ちゃんへ電話する。

 

 

 

 

 

「……出ない。お兄ちゃん、夢中になってると周りのこと無視する癖あるから……」

 

 

 

 

 

予想通りの結果に思わず溜息を吐いた私が、仕方ないから駅方向に戻ろうと決めた時、私が大学の門衛の人に話しかけてからずっと私の様子を窺っていた人達が動いた。

 

 

 

彼らの内の1人が、私に向かって近付いて来るのを察知する。

 

 

 

 

 

「済まない、少しいいかな?」

 

「……」

 

 

 

 

 

どこかで似たようなシチュエーションがあったなと思いながら、声を掛けて来た男性を見る。

 

スーツ姿の男性は、柔和な笑みを浮かべながら私に穏やかな口調で話しかけてくる。

 

 

 

 

 

「大学内に入りたいんだろう? 実は困ってる君が見えてね、声を掛けなければと思ったんだ。あそこの門衛は特に頭が固い。そこで、実は私達もあの中に用があって、これから大学に入ろうと思ってるんだよ。どうだろう、ついでだし、良かったら一緒に入らないかな?」

 

「……貴方は?」

 

「ああ済まない! 桂(かつら)って言うんだ、教職に就いてる者だ」

 

 

 

 

 

中年と呼ぶには少し若い男性。

 

スーツ姿にワックスで髪を固めていて、一見すると教職についている者にも見えなくもない。

 

桂、と言う男性は自分が不審がられるというのは分かっていたようで、すぐさま胸ポケットから自分の身分が書かれた名刺を取り出して、私に差し出してきた。

 

渡された名刺には、確かにどこかの学校の教職をしていると書かれている。

 

 

 

思わず気を許したくなるような柔らかな笑顔を浮かべている桂と言う男性は、自分の後ろで私達の推移を見守る者達に一瞥もすることなく、身分が証明され安心したであろう私に手を差し伸べた。

 

 

 

 

 

「あの大学内、何度も行ったことがあって詳しいからね、良かったら中の案内もするよ。どうだい?」

 

「……ご厚意ありがとうございます。ただ、すいません。家族が中にいるので、後で連絡して迎えに来てもらいますので遠慮させてください」

 

「おや……」

 

 

 

 

 

想定外だと言わんばかりに目を丸くした男は、掴まれなかった自分の手を手持ち無沙汰に引っ込める。

 

不思議そうな顔で、本当に良いのかい、と最後の確認だけして、しつこさを感じさせることなく引き下がった。

 

何も事情を知らなければ、これで警戒しろと言う方が無理があるだろう。

 

 

 

……明らかに、こういうことに慣れている。

 

 

 

私の肯定を確認して一瞬だけ残念そうな表情をした桂は、上手く作った笑顔と言う仮面をもう一度顔に張り付けて、「それじゃあ」と言って私に質問を投げかけて来た。

 

 

 

 

 

「これも縁だと思ってさ、最後に、君の名前も教えてくれるかな?」

 

「――――山田沙耶です。せっかくお気遣いいただいたのにお断りしてすいません桂さん」

 

「いいや、ご家族の方が迎えに来られるならそれに越したことは無いよ。会って間もない男を信用しないって言うのは、賢い選択だと思うからね」

 

 

 

 

 

「またね山田さん」、そう言った男が、後ろで待つ仲間達とは別の方向へ歩き出したのを確認しながら、私もその場を後にする。

 

困惑した様子を見せる男の仲間達の他に、この大学の周囲に配置された同じ思考を持つ者達の数を、私は異能を使って数え上げていく。

 

 

 

その数、およそ30人。

 

 

 

 

 

分かっていた。

 

桂と言う教職を騙った男性が、反社会的勢力に属している事も。

 

この大学の周囲を取り囲むように配置し、出入する人達の様子と人相を窺っている事も。

 

彼らの目的が、佐取優助と言う、私の兄である事も。

 

上手く取り繕った男性の仮面など私には何の意味もないから、全部分かっていた。

 

 

 

私と言う見た目が幼い一般人なら、人質としての価値が高いだろうかと見積もっていたことくらい、歩み寄って来た段階で見通していた。

 

 

 

危険な思考、危険な手段。

 

彼らが、リスクを冒してでも手に入れたいと思う何かが、今お兄ちゃんを取り巻いている。

 

 

 

 

 

(お兄ちゃん……無事だよねこれ……?)

 

 

 

 

 

私は軽く異能を行使してから、予定を変更して、駅に向かうつもりだった足をお兄ちゃんが借りているマンションへと向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『発見されていない人間の機能について』。

 

その論文が世に出たのはもう半年以上も前の事である。

 

 

 

有名大学に在籍する1人の学生が発表した、あまりに非科学的な研究論文は日本の多くの専門家に一笑に付され、当時は多くの者に見向きもされなかったが、半年の時が過ぎた今になって、注目を集める事態を迎えていた。

 

 

 

その大きな要因となったのは、ICPOによる公式声明。

 

『科学では証明できない事象』、『非科学的な現象』、色々な呼び名があるが、超常的な現象を認め、その事例として最近世界を混乱の境地に陥れた「全世界同時発生のテロ活動」を名指ししたことにより、それまでの空気が一変したのだ。

 

 

 

勿論、あり得ないと声を荒げる者もいるし、これまで培ってきた科学への冒涜だと怒りを露わにする者もいる。

 

酷いところでは、国家として受け入れられないと声明を出すところもあるのだから、ICPOへの風当たりの強さが窺えるだろう。

 

だがそれでも、ICPOとあらかじめ情報共有をしていたいくつかの国々は、「異能」と言う超常的な力の存在を受け入れ、情報収集及び情報提供に協力すると表明したのだ。

 

 

 

あり得る筈がない。

 

これまで培ってきた常識からは到底考えられない、非現実的な新たな常識。

 

そんな国際情勢の動きに、これまで一考の余地すらないと考えていた、とある学生が発表した論文が、日本の専門家達のみならず、国内外の『非科学的な現象』に興味を持つ者達から注目を集める事となった。

 

 

 

もしかするとアレは。

 

内容があまりに突飛で、今だって信じ難いが。

 

人が持つ発見されていない機能、これまで人類史の転換期に関わって来た大いなる力。

 

『異能』と言う、超常能力を有する人間がこの世に存在する可能性を示唆したその論文は、正しいのではないか。

 

 

 

――――そう考え始めた者が、少なからずいたのだ。

 

 

 

だから、その論文を発表した学生は苛立ちを露わにする。

 

 

 

 

 

「何度も言いますが、俺は別に確証があってあの論文を発表したわけじゃない。疑問や発想を発展させ論文とすることに何の問題があるんですか。これまで馬鹿にされこそすれ、話を聞かせて欲しいなんて人も、研究に協力したいって人も、1人だっていなかった。でもそれを不満になんて思っていなかった。はっきり言いますが、今のこの状況は迷惑なんです。どんな意図があったにせよ、ICPOが妙な声明を出したからここ最近は連日研究の暇もなくお客さんが押し寄せてくる――――貴方達のようなね」

 

 

 

 

 

苛立ちを隠す事無く、怜悧な目を眼鏡越しに向ける白衣を着た長身の男性、佐取優助はそう吐き捨てた。

 

 

 

怒りを向けられた先にいるスーツ姿の男性警察官は、到底歓迎されていない彼の強硬な態度に顔を引き攣らせ、頷く。

 

 

 

 

 

「い、いやあ、おっしゃる通り、耳が痛い話です……しかし、私達警察としても、対応せざる得ない状況だというのを理解してほしいんです。……ご協力いただけませんか、佐取優助さん」

 

「だから、俺に何かを協力できるとは思えないと言っているんです。今日で何日目ですか貴方達が来るの。あまりにしつこい……そろそろ俺も普通の研究に戻りたいんです。大体俺はただの学生の身です。協力を要請するなら教授などにお願いすればいいでしょう」

 

「……せ、先輩」

 

「ふぅ……彼の言ってることは正しいよ伏木。いったん下がろうか、悪い、邪魔したな優助さん」

 

 

 

 

 

ほとほと困ったように神楽坂へ振り返った元教え子の様子に、付き添いをすることとなった神楽坂はこれ以上要請を続けるのを中止させる。

 

どう見ても彼は自分達に良い感情を持っていないし、これ以上の要請は逆効果だと分かっていたからだ。

 

 

 

肩を落とした伏木に帰る準備をしろと伝え、神楽坂はそっと優助の様子を窺う。

 

 

 

鋭く怜悧な目にすっと伸びる鼻筋。

 

目にかかるほど伸ばされた髪も、端正な彼の容姿を隠すことは出来ていない。

 

クールな態度と風貌は、どこにいても女性人気が出るだろうなと思わせるが、同時に気難しそうな彼の性格は容易に誰かに気を許すこともないだろう事も確信させる。

 

 

 

そして、神楽坂がよく知る少女とどこか似た面影を持つ彼の姿は、血縁関係を想像させるには充分すぎた。

 

 

 

 

 

「あの……さっきから人の顔を見て何ですか? それに貴方はここ数日、話を全部そちらの人に任せきりでしたが……何か俺に言いたい事でも?」

 

「ああ、失礼した。知り合いに少し似ていたものでな」

 

 

 

 

 

神楽坂の視線に気が付いた優助が、訝し気な表情を浮かべる。

 

ここで直接、燐香との血縁関係を聞くことも出来たが、神楽坂と燐香の関係は秘密にすると話し合っているので、そんなことをする訳にもいかない。

 

完全に嘘ではない返答で答えを濁し、未だに警戒したように神楽坂を見る優助の様子に、帰りの準備をしている伏木の姿も後ろ目に捉えてから、少しだけ話をする。

 

 

 

 

 

「優助さんにとってはとんだ迷惑かもしれないが、俺達は別に君を傷付けたり、強制しようという意思はない。むしろそういう者から守るためにここに来ているというべきか……」

 

「……なにを?」

 

「君が望まなくとも、君は渦中に巻き込まれる。そういう事は得てして人生で起こりうるものだ。今の世界の情勢と日本政府の動きの遅さ、日本国内の力を付けたい新興組織にとって、この一件は、動き出すには絶好の機会なんだ。本当は君も分かっているんだろう、今自分がどれだけ危険な状態にあるのか」

 

「…………」

 

 

 

 

 

これまで頑として迷いも見せなかった優助の視線が少しだけ揺れた。

 

だが、それも一瞬で、再び不機嫌そうに眼鏡を押し上げた彼は、神楽坂を侮蔑するように見た。

 

 

 

 

 

「そういう手ですか。窮地にあることを自覚しろ、守ってほしかったら協力しろ。とんだ警察官がいたものですね。知らないものは知らない。貴方方を手伝えることは無い。俺が言えるのはこれだけで変わることは無いんです、早々にお引き取りを」

 

「まったく……随分意固地な人だ。君の知らないと俺達の知らないは同義でないだろうに。君には些細なことでも、俺達からすると喉から手が出るほど欲しい情報の可能性だってあるだろう」

 

「俺は天才じゃない、そんなことはずっと昔に思い知らされましたから。不用意に自分を誇示しようなんて思えませんよ」

 

 

 

 

 

怒りに任せたようにも、自虐するかのようにも見えた優助の言葉に、神楽坂は少しだけ想像がついた彼の過去に若干同情する。

 

あの少女が幼少期比較対象にいたなら、きっと今の彼は多くのコンプレックスを抱えているだろうから。

 

 

 

 

 

「では、1つだけ聞かせてくれ。君個人の見解として、『非科学的な現象』……いや、『非科学的な力を持つ人間』は存在すると思うか?」

 

「――――…………論文を知っているなら分かると思いますが、俺はいると思ってます。きっとそういう存在こそが、本当の天才なんだろうとも思っている」

 

「そうか……邪魔したな。話を聞いてくれてありがとう、悪いがまた来ることになる」

 

「……」

 

 

 

 

 

黙ってしまった優助の様子に、燐香から妹の話はよく出るのに、兄の話はほとんど聞いたことないのを思い出し、兄妹仲は良くないのだろうと納得した。

 

 

 

燐香は言わずもがな、優助もこんな有名大学で学生の身で論文を発表するほどに優秀なのだ。

 

 

 

優秀なもの同士が血を分けた兄妹となると、きっと色々な衝突もあったのだろうと神楽坂は思った。

 

 

 

 

 

(……余計なお世話かもしれないが、今度あの子に会った時、話を聞いてみようか。兄妹仲が良くなるなら、それに越したことは無いものな……)

 

 

 

 

 

荷物をまとめた伏木が、神楽坂の元へ戻ってくる。

 

 

 

 

 

「すいませんっ! お待たせしました先輩!」

 

「ああ、じゃあ一度署に戻ろう。報告しなきゃならないことがいくつかある」

 

「はい! 佐取さん、それではこれで俺達は失礼します」

 

「……」

 

 

 

 

 

それだけ言い残して、神楽坂達は帰っていく。

 

去っていく神楽坂達の背中を見送った優助は、研究室の扉が閉まるのを見届けた。

 

連日続いていた面会を求める人達の来訪は、思った以上に学生の身である優助の負担になっていたようで、思わず彼らに感情的になってしまった部分があったと、今更になって彼は後悔する。

 

 

 

そして、疲れたように溜息を吐いた優助は、説明のために広げていた資料を片しながら、置きっぱなしにしていた携帯電話に、妹から着信とメールが届いていた事に気が付いた。

 

随分前、あの警察官達が来る前からだろうか。

 

 

 

優助の表情が凍る。

 

 

 

 

 

「……燐香が俺に? ……何の用だ?」

 

 

 

 

 

思わず優助は困惑しながら携帯に写ったその表示を凝視する。

 

この世の誰よりも恐ろしく、彼が今なお自分を優秀だと思えないきっかけを作った人物からの連絡通知。

 

あの冷酷で、他人を見下す恐ろしい雰囲気を纏っていて、それでいて全てを凌駕する才覚を持った5歳年下の妹。

 

 

 

通知を見ただけで恐怖を感じてしまうのは、ある種仕方がないだろう。

 

 

 

本物の怪物、本物の天才。

 

有名大学まで進学し、海外への留学も経験し、年の離れた様々な研究者や重要な役職を持つ者達に会ってきて、勝てないと、本気で思った相手はあの妹を除いて終ぞ現れなかった。

 

誰よりも恐ろしいあの妹が、今更になって自分に接触してこようとしている事に、どんな厄介な組織に属するお客さんが現れた時よりも、背筋が凍った。

 

 

 

 

 

(なんだ……一体、俺に何を言うつもりだ? ……最後のあの怒りを、今度はちゃんと俺に向けるために? い、いや、それにしては、年数が経ちすぎじゃっ……ほとぼりが冷めるのを待っていたのか!? 燐香から獲物にメッセージを飛ばしたということは、もう俺はあいつに命を握られてるんじゃっ!? じょ、状況は――――)

 

 

 

 

 

顔を引き攣らせ、届いたメールを震える指でなんとか開いた優助の目に、彼女からのメッセージが飛び込んでくる。

 

 

 

その内容は、優助の想像を超えていた。

 

 

 

 

 

『受信時間:6月16日12時45分

 

送信者:燐香

 

表題:お兄ちゃん、早く帰ってきて

 

本文:大学入れなかった。変な人達に絡まれた。届け物があるから今お兄ちゃんが住んでる部屋の前で待ってるんだけど、鍵が無くて入れない。お腹空いた、早く帰ってきて』

 

 

 

「――――???」

 

 

 

 

 

首を傾げた優助は、携帯電話の読み込みがおかしくなったのかと、素早く再起動した。

 

そして、もう一度妹からのメールを見るが、そのおかしな内容は変わらない。

 

 

 

 

 

「……なんだ、どういうことだ? 何かしらの暗号があるのか? 縦読み……斜め……、字抜き……暗喩……????? いや、まて、別の受け取り方をするには……この表題に何かしら意味が持たせられていた場合……それとも時間か? お腹空いた、をどう変換するべきだ……?」

 

 

 

 

 

いくら考えても、この書かれている内容以上のことが見えてこない。

 

いや、そもそもあの自分では及びもつかない天才である妹の真意を汲み取ろうとすることすら間違っているのかもしれない。

 

だが、妹がこうして通知を入れて来たことには何かしら意味がある筈だ。

 

どうにかしてメッセージを読み取らなければ、苦しい状況に追い込まれるのは自分だ。

 

そう思い、何とか解読を諦めずに続けていく。

 

 

 

しかし、いくら考えても妹からのメッセージの真意は読み取れなかった。

 

すっかり困り果て始めた優助は、取り敢えずこのメッセージ通り早めに帰るかと時計に視線をやると、時計は『17時12分』を表示している。

 

このメールがそのままの意味だった場合、4時間以上妹は待ち惚けを喰らっている事になる訳だが……。

 

 

 

あり得ない話だが、少しだけ不安を覚える。

 

 

 

 

 

(……いや、あの燐香に限ってそんな。多分アイツなら、10分待たされた時点で、相手が泣くまで許さないだろうし……流石に、家に帰ってるだろ)

 

 

 

 

 

そんな風に考えながら、優助はバタバタと帰宅の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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とある兄妹の在り方

またルビ振り間違えてすいません!
誤字報告していただき本当に助かりました!
一層誤字脱字の無いよう確認を頑張りたいと思います!!


 

 

 

 

 

お兄ちゃんと私は年の離れた兄妹だ。

 

5歳になって私が産まれるまで、お兄ちゃんは両親の愛を一身に受ける存在だった。

そんな幸せな生活の中、突然割って入った私の存在は、幼く精神的に未熟だったお兄ちゃんにとって酷く邪魔者に映った事だろう。

何かにつけて複雑な感情を赤ん坊の私に向けていたのを、ぼんやりとだが私は覚えている。

 

私が産まれて、その次の年には桐佳が産まれた。

小さな子供が2人も出来たことで、おのずと両親の目は私達へ向けられる。

今までなかった、疎かにされるお兄ちゃんへ接する時間。

当然、両親に悪意なんてなかっただろう。

 

だが、両親の目が新しくできた妹達に向いている事が我慢ならなかったお兄ちゃんは、少しでも自分を見て貰えるようにと、それから必死に努力を始めた。

私がまともに立てもしない内から対抗心を燃やし、何かと家事などの手伝いを行い、勉学に励み、当時励んでいた将棋では小学生の部で優勝するほどの実力を発揮して両親を沸かせた。

いや、両親だけではない、数々の分野で優秀な結果を残し始めたお兄ちゃんに、周りの大人達は一様に神童と呼び、遠縁の親戚まで噂を聞き付けて駆け付けて来るほどになっていった。

 

お兄ちゃんは優秀な人だった。

だから、両親も、遠縁の親戚達も、周りにいた人達も、結果を残すお兄ちゃんを持て囃し、肥大化していくお兄ちゃんの自意識を抑える人は誰も居なかったのだ。

 

どうだ、と言わんばかりに、私ともう1つ下の妹である桐佳に対しても、威圧的に接することが多くなった。

一緒に遊んで欲しいとおもちゃを持って近付く幼い桐佳を、俺はお前らと違って忙しいんだと、何度もあしらい、泣きだした桐佳が私に縋りつくのが、何時の日かいつもの光景になってしまった。

 

お兄ちゃんが結果を残すごとに、私達妹と距離が広がっていく。

そんな関係だったから、私とお兄ちゃんの仲はあまり良いものではなかった。

お兄ちゃんは、自分よりも何もできないし、何もしない、不出来な妹として私を見て。

私は、小さな桐佳にすら威圧的に当たるお兄ちゃんの事が、あまり好きでは無かったのだ。

 

優秀なお兄ちゃんと、私と、泣き虫な妹。

ちぐはぐで、凸凹で、どこにでもいる様な3兄妹。

それが私達だった。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

世間一般から見て、佐取優助と言う青年は非常に優秀な人物だった。

小学校低学年で地域の将棋の大会に優勝するほどの結果を残し、運動も得意で運動会ではリレーのアンカーを任され、持ち前の運動神経の高さで幾度となく運動部に誘われた。

勉強面でも、テストになると満点が当たり前で、素行も悪くなく、交友関係も広い。

その上容姿も良いのだから、同級生達からの人気は非常に高く、また周囲の大人からの評価もこれ以上ない程高かった。

 

完璧と呼べるほど優秀で、どの方面に進んでもかなりの結果を残せる実力を持った佐取優助と言う人間は……しかしながら。

他者と比べ卓越した多くの才覚を発揮しながらも、自分を優秀だと自覚できない程どうしようもなく大きなコンプレックスを抱えていた。

 

 

『お兄ちゃん』

 

 

それこそが、彼の5つ下の妹の存在。

佐取燐香と言う少女。

 

 

『私が、こわい?』

 

 

――――怖いに、決まっている。

 

全てを見透かすような目をして、それでいて誰も妹の異常性に気が付かない。

自分よりもずっと背丈の小さな妹の影が、優助は時折巨大な何かに見える時があった。

 

彼女の望むままに人が動く。

言葉巧みに人を操り、気が付けば誰もが妹の味方になっている。

困っている人が形として見えているのではと思う程に、誰かを助け、そして盲目的に自分に奉仕する者を作り上げていく。

派手さはなく、目立つことなく従う者を増やしていくその様に、両親は友達が多いと喜んでいたが、あれはそんなものじゃない。

 

幼いながらに、妹のその在り方は、もっともっと悍ましいものに思えてならなかった。

 

 

決定的だったのは、ある1つの出来事だ。

 

色々と思うところがあって、妹達と距離を取っていたそんなある日。

将棋を教えてと寄って来た1つ下の妹、桐佳を「お前と将棋をやってもつまらない」なんて、冷たく突き放した時に、それを見ていた燐香から提案されたのだ。

 

『お兄ちゃん、私と将棋で勝負してみようよ。昨日、桐佳がお兄ちゃんと遊ぶために将棋を習っていたのを横で見ていたから、多分私勝てるよ』

 

一瞬呆気にとられた。

そして言われた内容を理解して、ふざけるな、と思った。

昨日将棋が出来るようになった奴が、地域の大会で優勝している自分とまともにやり合えるわけがないだろうと苛立ったのだ。

幾ら普段の生活で不気味なところがある妹だからと言って、どうこう出来るような年期の差じゃないと、目にもの見せてやると思って、怒りのままに妹との勝負に乗った。

 

結果。

妹との勝負全てに敗北した。

敗北の原因は全て、自分の簡単な見落としだった。

その単純な筈の見落としが、まるで決められた物理法則であるかのように、何度やっても必ず自分の前に現れた。

 

再戦を願い出て、その度同じミスを繰り返す。

何度気を付けようとしても、いつの間にか王手を取られている。

何をしようとも、どう対策を取ろうとも、手法や戦術をいくら変えようと、妹との戦況はほんの少しだって変わらなかった。

 

再戦を5回ほど繰り返して、その全てで負けて、ようやく気が付いた。

自分はこの存在にどうやっても勝てないのだということに。

大人の、プロの人とやった時にさえ味わうことの無かった、絶対に勝てないという感覚。

生物としての絶対的な格差を、思い知らされた。

 

積み上げて来た努力の成果が全て否定された気分だった。

あれほど努力して掴み取った優勝と言う栄光も、この妹の前だと塵に等しいのだと気が付かされた。

それが、佐取優助が明確に妹に苦手意識を持つことになったきっかけの出来事。

 

そして彼は、次の大会で苦戦することなく優勝を果たし、将棋を辞めた。

これ以上続ける意味を見出せなかったからだ。

 

幼い彼の自尊心は容易く粉砕された。

どうやっても自分はこの存在に勝てないのだと、幼いながらに理解するしかなかったのだ。

 

悪夢だった。

トラウマだった。

それからどれだけ結果を出しても彼が驕ることが出来なかったのは、5歳下の妹と言う怪物の影が常に付きまとったからだった。

 

同じ屋根の下に住む年下の妹が常軌を逸した才覚を持っていて、どうすれば自分が優秀などと思い上がれるだろう。

結局、彼は実の妹に一度も勝つことが出来ないまま、高校を卒業したと同時に、その家から逃げ出すことを選ぶことしか出来なかった。

 

そして数年の時を経て、再び目の前に現れた、悪夢で、トラウマで、どうしようもないコンプレックスの対象である、佐取燐香と言う名の怪物は――――。

 

 

「すぴーすぴー……うへぇ……」

「…………」

 

 

優助の部屋の前で体育座りの状態で爆睡していた。

 

 

自分の部屋の扉に背を預け、寝息を立てる物体。

涎をたらし、幸せそうなアホ面を浮かべる少女。

優助のトラウマである天才妹、佐取燐香だった。

 

 

「……なんだこれ」

 

 

優助は目元を揉んで、見間違えが無いようにとその物体を何度も確認するが、現実は変わらない。

 

幸せそうな顔で眠りについている燐香は、一応どこかのコンビニで買って来たビニール袋を床に敷いて座っており、手にはメロンパンの包装を持っていることから、あのメールの後空腹に耐えかねて買いものには行ったようであった。

 

だが、そんなものではこの醜態を晒している状況のフォローにはならない。

優助は自分が燐香に対して抱いていたイメージが、音を立てて崩壊していくのを感じ取る。

 

 

「燐香なのか……? 本当に? こんな、こんなポンコツみたいな顔で眠ってる奴が、あの、怪物と同一人物……? い、いや、別人だな。そうに違いない。たまたま部屋を間違えて、寝入ったんだろう。うん。あいつがこんなアホみたいな表情をする筈が――――」

「うへへへ、きりかはかわいいなぁ……」

「――――……嘘だろ?」

 

 

思わず泣きそうになった。

現実逃避しようとしたのに、寝言で個人名を出されてそれすら許されなかった。

行動を先読みして封じてくる悪辣ぶりは同じだが、目の前のこの物体が幼少期から続く自分のトラウマだとは思いたくなかった。

 

優助は意を決して、距離を取って様子を見ていたこの物体を起こしてみることにした。

 

 

「よし……よし、起こすぞ……おい、起きろ。誰かは知らないが、起きろ。ここは俺の部屋の前だぞ。どこかと間違」

「ハッ!?」

「うわぁ!?」

 

 

肩を揺すろうとして伸ばした手の距離が、一定距離に入った瞬間、寝入っていた少女が飛び起きた。

 

戦時中の仮眠を取る兵士かと思う程に、ぱっちりと目を醒ましたそれは素早く優助の姿に焦点を合わせる。

光の無い死んだ眼が優助を映し、警戒するような顔でいた少女は優助をしっかりと認識して、表情を崩す。

 

 

「……あ、お兄ちゃん」

「う、お……り、燐香なのか?」

「え? それ以外の誰かに見える?」

「…………なんでもない」

 

 

心底不思議そうに首を傾げる燐香に、優助はそれだけ言って口を噤んだ。

想像していた過去の妹が成長した姿と、目の前のこの燐香の乖離具合があまりに酷い。

雰囲気が、何と言うか……柔らかすぎる。

目元は鋭くないし目は死んでるし、表情はコロコロ変わるしで、風格も覇気もなく、話していて冷や汗を掻くような要素がどこにもない。

 

夢を見てるんじゃないかと疑い始めた優助は、自分の頬を抓ってみた。

普通に痛かった。

 

 

「……あっ、確かに雰囲気変わってるかも。ほら、髪短いから。中学生の時は結構伸ばしてたし」

「え? あ、ああ、そうだな。前に見た時は……確か、腰のあたりまで髪があったな」

「髪って長いと手入れが大変で、一度短くしちゃうと惰性で……」

「そうか……」

 

 

お前の口から、惰性で……、なんて言い訳染みた言葉を聞くことになるとは思わなかったと優助は思う。

 

沈黙。

喧嘩したまま顔を合わせなくなった兄妹がこうして再会して、お互いにどう話を進めればいいかと迷い、気まずい空気が漂い始めた。

だが、優助にとってその空気は想像していたものよりも悪いものではない。

もっとピリついて、もっと深海に引き摺り込まれるような苦しさを感じる会話になると思っていたから、無意識の内に少しだけ安心して肩の力が抜けていく。

 

だからだろう、思わず彼の生来の気質が表に出てきてしまったのは。

 

 

「……と言うかだな。待たせた俺も悪いが、オートロックのある場所だと言っても、外で寝るのはどうなんだ。危ないだっ……!!」

 

 

そこまで言って、優助は自分の過ちに気が付く。

思わず口走ってしまったが、目の前のこれが本当にあの燐香なのだとして、不用意に弱みを人に見せるだろうか。

弱みを見せ、口を出しやすい空気を作り、注意しに来た相手を逆に喰らう。

そんな心理戦、佐取燐香と言う怪物なら片手間でやって見せるだろう。

ここまでの流れや雰囲気がただの偽装であるなら、過去の燐香と一致しないのも納得がいく。

 

やられたっ、と顔を引き攣らせた優助の前で、燐香の目元が歪んでいく。

鋭く、鋭く、中学時代の様な、冷たく凍える様な双眸に……なんてならなかった。

 

燐香は、ショボショボ……、と見るからに気落ちし始めた。

あの、常に自信満々だった燐香が、悲しそうに顔を暗くしていく。

 

 

「……ごめんなさい……」

「!!??」

 

 

優助は思わず悲鳴を上げて逃げ出したくなる。

 

あの悪辣非道の権化である佐取燐香が、ショボショボに落ち込んで謝罪を口にしたのだ。

もはやこんなもの素直に成長したとは思えない、恐怖しか感じない。

 

 

「お、お前っ……どうしたんだ!? 本当にお前っ、燐香なのか!? 燐香はこういうんじゃないだろう!? もっとっ……こうっ……悪辣で、現代に現れた魔王みたいな奴だろっ……!」

「酷いっ……!!?? なんで急にそんな罵倒されなきゃいけないの!? た、確かにちょっと昔はアレだったけど、そこまでは酷くなかったもん!! 現代に現れた魔王って何さ! 絶対思い出に変なフィルター掛かってるよ!!」

「いいや、絶対におかしいのはお前だ! さては、お前燐香じゃないなっ! アイツの信者の誰かだろ! 燐香の奴に、自分の名を騙って俺に会って来いと言われたな!?」

「なんでそんなに疑心暗鬼なの!? そんな訳ないじゃん!! 私にそんな従順な人なんて……いないし」

「ほら見ろ、なんだその間! 心当たりがあるんだろ!」

「そんなの――――あ、待って。す、すいません。うるさくしてすいません」

 

 

周りを気にしない2人の罵り合いに、不機嫌そうな顔をした隣人が家から顔を出すと、騒いでいた2人を一睨みする。

すぐさま謝罪した燐香達は、取り敢えずお互いに向けた矛先を収め、家の中に入ろうとアイコンタクトを交わす。

お互いを不審者でも見るような目で見詰めつつ、次は何をやらかすんだと警戒しながらも、2人していそいそと玄関へと入っていく。

 

玄関で同時に肩を落とした兄妹は、疑わしそうにお互いを見遣った。

 

 

「……と言うか燐香、いきなりウチまで来てどうしたんだ。もう夕方だが、帰らなくていいのか?」

「……お父さんが生活費を渡して来いって。私だっていきなりでビックリしたし……」

「父さんが? 燐香とは言え、大金を娘に持たせて1人でここまで来させたのか? やっぱり父さんは少し危機意識が無さすぎる……燐香は同じ価値観を持つなよ。お前にとっては何でもなくとも、桐佳にとっては危険なんだからな」

「うん……うん? もしかして、私馬鹿にされてる? お兄ちゃん?」

「いいから、取り敢えずお父さんに連絡入れておけって。こんな時間までいるつもりじゃなかったんだろ」

「解せない……」

 

 

ブスッ、不機嫌そうな顔をした燐香が電話の為にまた玄関から出て行った。

そんな妹の姿を見届けてから、優助は深くため息を吐く。

 

これだけの態度で接しても、まだ燐香は本性を現さない。

本当に別人か、若しくは大きく心変わりするような出来事があったのか。

喧嘩をしてすぐに家を出たため、それから、つまり中学2年の終わり頃からの妹を知らないが、ものの1年程度でここまで人が変わるなんてあるのだろうか。

真意が読めず不気味ではあるが、どうにも人を害そうという意思は全く感じない。

それどころか、優助ではなく周囲を警戒している素振りすらあった。

それはまるで、何かから優助を守ろうとするように、だ。

 

 

(……一体何なんだよ)

 

 

調子が狂ってしまう。

何時仕掛けてくるのかと、今まで必死にしていた燐香への警戒が馬鹿みたいに思えてくる。

それくらい、今の燐香からは恐ろしい気配を感じない。

 

……もしも、本当に仮にだが、あの妹が何か心変わりをして、今の大人しい状態になっているのなら……。

 

そんなことが頭を過った優助だったが、甘い考えを振り払うように頭を振った。

 

人はそう簡単には変われない。

燐香も、自分も、きっとあの頃から大きくなんて変わっていないのだ。

 

 

「……よし。取り敢えず、あいつには早めに帰ってもらおう。タクシーを呼んでお金を渡せばいいだろ。あんまり一緒にいると、どんな目に遭うか分からないしな」

 

 

そんなことをぼそりと呟いたと同時。

ガタンッ、という小さな音が燐香の出て行った扉の外から聞こえた。

 

まさか、今の言葉が聞かれたんじゃないだろうなと思い、どうかしたか、と声を掛ける。

反応がない。

 

少し様子がおかしいと思いつつ、再三声を掛けるが一切反応がない。

扉の外からは、なぜだか物音ひとつしない。

 

 

「……燐香?」

 

 

言い知れない不安を感じて、そっと玄関のドアを開ける。

 

そこにはちゃんと妹の姿があって、ほっと安心したのも束の間、彼女の横顔を見て優助は表情を凍らせた。

 

先ほどまでとは雰囲気が違う。

凍て刺すような雰囲気を身に纏った燐香が、ゴミでも見るような目で廊下の先を見ていた。

先ほどまでの穏やかさは何処にもなく、中学時代の冷酷さが浮き彫りになっている。

 

自身のトラウマそのものである目の前の人物に、優助は何も言えなくなって、その場から動けないまま彼女が何を見ているのかと視線の先を辿った。

 

数人のスーツ姿を着た男達が、尻もちを突いた状態で後ずさりしている。

何かに恐怖するように顔を引き攣らせながら、無言のまま口をパクパクと動かして、床を掻くようにして、逃げようと藻掻いている。

だが、その進みはあり得ない程遅い。

目に見えない何かが彼らの足を掴んでいるかと思えるほど、彼らの体は重いように見える。

 

この世に存在してはいけない何かを目の当たりにしたように、彼らの顔からは血の気が失せ青白くなっていた。

 

 

「……燐香?」

「……!? お、お兄ちゃん! ビックリさせないでよ!」

 

 

名前を呼んだ瞬間、今まで優助の存在に気が付いていなかったのか、燐香は弾かれた様に顔を向けて慌てだす。

冷たい雰囲気が掻き消えて、残ったのは先ほどまでの穏やかな妹だ。

 

 

「う、うわああああああっ!!!!」

 

 

尻もちを突いて後退りしていた大人達が、恥も外聞も投げ捨て、悲鳴を上げながら逃げ出した。

先ほどまでのゆっくりとした動きは何だったのかと思うほど、脱兎のごとき速さで逃げ出した彼らを唖然と見つめた優助は、状況の説明を求めるように燐香を見るが、彼女は肩を竦め、知らない人達だよ、とだけ言う。

 

 

「何か変なものでも幻視したみたいだね。暗くなってきてたし、怖かったのかも」

「変なものって……ここまだ築10年も経ってないぞ」

「まあ、そんなことよりも、お父さんに連絡して今日は泊まるって言っておいたよ」

「……え?」

「どうせ自炊なんてしてないんだろうし栄養あるもの作って食べさせるって言ったら、納得してくれたから。今日はよろしくね。お兄ちゃん」

「…………」

 

 

やっぱり人はそうそう変わるもんじゃない。

笑顔を浮かべた燐香の目が、ゾッとするほど冷たい光を湛え始めたのを見て、優助はそう確信した。

 

 

 

 

 



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交錯する悪性

 

 

 

 

龍牙門(りんがもん)と呼ばれる半グレ集団は、最近できたばかりの新興勢力だ。

関東圏で活動しているこの組織は、人数は50人行かない程度、構成員の年齢は20から40と幅広い。

活動は主に、詐欺や闇金、違法薬物と色々あるが、どれも1つで組織維持できるほど稼げている訳ではなく、また、既にそれぞれの地域で根を生やしている武闘派組織の影響もあって、勢力拡大は思うように行っていなかった。

 

人も、技術も、コネクションも、金もない。

反社会的組織として世間からの風当たりも強く、警察からは睨まれ、運営さえ難しい状況。

そこに舞い込んできたのが『非科学的な現象』と言う、世界を変える様な新しい情報だった。

 

ICPOから声明を出されたその情報は世界の情勢を大きく変えるだけ影響があると、龍牙門の組織員達は考えた。

情勢を見守るべきか、それとも情報が出揃うまで待つべきか。

そんな事を考えていた彼らを動かしたのは他でもない、日本政府が出した結論だった。

 

『日本政府としては、本件の推移を注意深く観察し、また情報収集に努め、国際警察及び各国と足並みを揃えて協力していきたい』

 

事実上の静観声明。

つまり、日本国内で起きている『非科学的な現象』と言う新たな資源をしばらく放置するとしたのだ。

 

勢力拡大が叶うかもしれない、いや、もしかすると、この噂されている現象を手に入れることが出来れば、もっともっと大きな事業に乗り出せるのではないかと彼らは判断した。

そのために、まずは情報を集めることを選んだのだ。

 

『非科学的な現象』に繋がる研究をする者の身柄を抑え、情報提供させる。

 

これが、彼らの勢力拡大のための第一目標となった。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

次の日。

佐取優助と再び接触するために、神楽坂は伏木が運転する車に乗車して大学へと向かっていた。

 

伏木から渡された障害となりえる可能性がある反社会的組織一覧の資料を眺める。

幾つかの組織に目を通していた神楽坂だが、その中でも、大学周辺でうろついていたとの情報があった半グレ集団『龍牙門』の部分で手を止めた。

 

 

「……つまり、今回俺達が会った佐取優助と言う人物には、この組織が同じように接触を図ろうとしている訳か」

「そうです。今のところ、強硬な手段を取っていませんし、せいぜい大学の周りをうろついているだけのようですが、接触を図ろうとしていることは確かです。今後行動が過激化する可能性も充分考えられます」

「こっちの増員をすることはできないのか? 正直、この組織と正面衝突する可能性を考慮したら、2人だけじゃ足りないぞ」

「それが……無理なんです。色々と要請を掛けて、なんとか神楽坂先生だけ巻き込めたんです。本来なら、政府も、上層部も、乗り気じゃないこの現象に対する調査なんて、俺1人でやれと言われていて……」

「そりゃあ……しかし、状況が状況だ、俺からも掛け合って増員するよう要請しておく」

「助かります! ……正直、神楽坂先生を巻き込むのもギリギリで……山峰警視監と浄前部長の後押しが無ければ、俺1人でやらなきゃならないところでした」

 

 

伏木ががっくりと疲れたように肩を落とし車両を運転するのを、助手席に座る神楽坂は同情するように見る。

 

警視庁本部で勤務する苦労は神楽坂も分かっている。

伏木が期待されているのは分かるが、まだ精神的に未熟な部分がある年若い彼が、様々な思惑が交錯するあの場所で勤務するのは少し酷だろう。

 

自分の教え子の境遇に不安を覚えつつも、それにしても、と神楽坂は思った。

 

 

「山峰警視監か……随分大物が後押ししてくれたな。次期警視総監と目される人じゃないか。それに、浄前さんか……あの人も……」

「山峰警視監はそれはもう、自分もビックリだったんですけど……あれ? 神楽坂先生……あ、先輩って浄前部長とお知り合いなんですか?」

「……ああ、前に直属の上司だった。優秀で良い人だよ、あの人は。まだ若いし、きっともっと上まで上り詰めるだろうな」

 

 

神楽坂の口から出るのは称賛の言葉ばかりだが、その顔は暗い。

だが、それも当然だろう。

 

 

「……あっ、すいません。確かあの一件があった時の直属の上司が浄前部長ですもんね」

「いや、気にするな。そんなことまで気を遣う必要はない。それに、あの一件は解決するべき事象ではあるが、精神的に重荷となる段階はもう過ぎてる。そんな事よりも、少しでもあの件の真実に近づくために努力していくつもりだ」

「神楽坂先輩……これからそれらしい情報を聞いたら、その都度先輩に流しますね!」

「助かるが……無理はするなよ。守秘義務が課されるようなものまで無理に教えてくれとは言わないからな」

「分かりました!」

 

 

本心から自分を手伝おうとしてくれる伏木に、神楽坂は心の中で感謝する。

同時に、警察学校以来……いや、自分が今も引き摺るあの事件があった時に連絡をくれてから、それ以来会うことも無かった彼がここまで自分を慕い続けてくれていることを嬉しく思った。

 

横目で運転する伏木を確認しながら神楽坂は携帯の画面を開き、短く返信されていた文章に目を通した。

 

 

(しかし、一応必要かと思って佐取に連絡だけしたが、あの子も近くにいるのか。こんな偶然あるんだな……やっぱり兄妹仲は悪くないのか?)

 

 

自分達が接触している佐取優助の妹。

神楽坂の協力者である『非科学的な現象』を操る者、異能を持つ者、佐取燐香。

彼女の身内に近付いていた危機を知らせるだけのつもりだったが、どうにも返信の内容からすると、協力することが出来る状況らしい。

 

 

(取り敢えず急いで接触する必要はないが、連絡は取り合えばもしもの時に……)

 

「そういえば先輩は『非科学的な現象』について、前々から存在すると仰っていましたよね? この現象について、どういう考えを持たれているんですか? 世間的に言われているのは、遥か昔に存在したロストテクノロジーとか、アメリカとロシアの冷戦時代に基礎を作られていた新技術とか、言われている事は色々ありますけど。神楽坂先輩はどれだと思いますか?」

「あー……正直に言うとだな、そこら辺の話題は全て、誰かの創作に近いものだと思ってる」

「え!? ネットで話題になってるのが全部違うと!?」

「いや、ネットで出てる話を全部は知らないが、亡国の古代技術やら戦争時に秘密裏に開発がすすめられた技術って言うのはないだろうって話だ。俺が思っていたのは……もっと原始的で、もっと自然的なもので、それでいてもっと限定的な一部の人間が自由に扱えるものだと思っていたんだ」

 

 

神楽坂は少しだけ考えてそう答える。

あくまでこれは、燐香と言う異能持ちに出会う前に考えていた自分なりの結論だ。

結果として、空想上や物語で出てくる超能力者と言う存在に近い者が正解だったが、呪術や魔法と言った存在を疑っていた時期も確かにあった。

 

燐香の存在を口外しないという約束を守ると同時に、不要な追及を避けるため、あえてこの場は『異能持ち』と言う存在を確信している様子は見せないようにと言う配慮で、過去の考えを持ち出したが……。

 

 

「なるほど……」

 

 

考える様なそぶりを見せた伏木の様子に、少し不安を覚える。

 

本部で勤務する伏木は、何かしら公になっていない情報を貰っている事も考えられる。

そうなると、自分のこの解答は情報を持っている伏木からすると、もしかすると期待外れだったかもしれないと思ったからだ。

 

とは言えこれ以上の解答は、燐香の説明をする必要まで出てくるだろう。

困ったように口を噤んだ神楽坂だったが、そんな彼の考えとは裏腹に伏木は少しだけ悩んでこんなことを言い出した。

 

 

「あの……これは極秘なんですけど、『非科学的な現象』と言うのは、それを生物的な機能として備えた人間、つまり物語に出てくる超能力者に似た存在を指しているという話なんです」

「――――なんだと?」

 

 

驚いたのは、伏木が、その情報を警視庁本部から受け取っているという事実だ。

 

 

「警視庁公安部特務対策第一課。神楽坂先輩と同じ部署にいた女性の方が、新設されたこの部署に異動になっていましたが、この部署はそういう人達を集める場所だと聞いています。あっ、勿論神楽坂先輩の元同僚の女性が超能力者と言っている訳ではなく、ある程度部署としての形を作りながら、国内で見つけた超能力のような力を持った人達の身を置く場所を作るという意図があるようなんです」

「……つまり、今は土台作り。これからの情報によってその件に対応できる人間を順次その部署に入れていく、と」

「その通りです。それで、俺はこの部署にぜひ神楽坂先輩に入っていただきたくてですね。その……長年そういうことを追って来た神楽坂先輩の方が、超能力に似た力について考えたことない人よりもずっと対応できると思っているので……もしよろしければ、俺が推薦したくて」

「それは……正直、願ってもない話だ」

 

 

ようやく。

長年追い続けて来たこの、科学的な証拠の残らない事件に対応できる部署が正式に設立されたことに、神楽坂は感慨深い気持ちがこみ上げてくるのを感じていた。

例えそこに自分が居なくとも、警察が組織的にそういう事件を非科学的な方向も考慮して調査してくれる芽が出てきただけで、神楽坂にとっては大きな一歩だった。

 

 

「だが……無理に俺を推薦する必要はない。これから警察組織がそう言った事件に対処してくれるなら、俺はそれだけでいいんだ。俺はただ、あの事件の真相を解明するために動いていただけで、同じような理不尽な目に遭う人が出なければ良いと思っているだけだからな」

「そうですか……でも、これからきっと神楽坂先輩の力は必要になると思うので、ぜひ推薦させてください!」

「そう言ってくれるなら、否とは言わないさ。ありがとな」

 

 

神楽坂がそういうと、伏木は照れたように顔をそむけた。

そして、見えて来た大学の施設に視線をやってふと思いついたように神楽坂に問う。

 

 

「そうだ。もし超能力者がいるとして、そういう力を持っている人達って、どういう人間なんですかね? 他の人にはない超常的な力を持った人間は、どんな精神性に成長するんでしょう」

「……さあな、そればっかりは人によるとしか言えないが」

 

 

神楽坂は、これまで会ってきた異能持ちを思い出しながら口を開く。

善性も、悪性も、様々な形を見てきたが、彼らは総じて。

 

 

「……きっと、個性的な奴らばかりなんだろうとは思う」

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

「――――お兄ちゃん見て見て、ダンスの練習してるよ! あれってチアリーディングって言う奴だよね? バク宙とか人を上に放り投げたりとかすごいね! これは……学生が作った美術作品なの? う、うーん、前衛的な芸術を感じる……きっと凄い作品なんだね! あ、これは――――」

 

「…………」

 

 

次の日、家に泊まった私はお兄ちゃんに引っ付いて大学まで付いてきていた。

しっかり栄養士もビックリの完璧なお弁当とちょっとつまめるおやつを用意して、私は大学見学も兼ねたお兄ちゃんの護衛に繰り出した。

 

お兄ちゃんの所属する研究室に向かう途中、大学で練習している人達や置かれた美術作品の数々に手を伸ばしはしゃいでいるように声を出しているが、私のこれは普段は見れない大学の様子を楽しんでいる訳ではない。

実はしっかりとした訳があるのだ。

 

昨日の夕方、お兄ちゃんを狙った襲撃があった。

偶々外に出ていた私がそれに遭遇したため撃退できたが、それ以降は何も無かったものの、あのよく分からない反社会的な組織員達と遭遇した時に読心した感じでは、お兄ちゃんの確保を急いている様子だった。

昨日の夕方、お兄ちゃんを尾行して住居までやって来た彼らは、可能であれば家へ押し入り誘拐することさえ視野に入れていた。

 

昨日は撃退出来ても、今日はどうなるか。

時間に余裕がないようである彼らが、今度こそ確実にお兄ちゃんを捕まえられるよう過激な行動に走る可能性は高い。

私の後ろで寝不足気味な目元を抑え肩を落としているお兄ちゃんは、正直、運動こそ多少できるが、反社会的な組織の暴力に対しての対抗手段など持ち合わせていない。

 

だからこそ私は昨日の予定を急遽変更して、お兄ちゃんの家に泊まり込み、こうして大学まで付いてきたのだ。

 

昨日の夜、お兄ちゃんはなぜか異常に私を警戒していて若干寝不足みたいだが……まあ、許容範囲内だと思おう。

 

 

(……うん。あらかじめトラップの様なものは仕掛けている様子はないし、学生に扮して近付こうとする様子もない。予想していた搦め手はないのかな……? こうなってくると、直接乗り込んでくるしか考えられなくなるんだけど……)

 

 

私の異能による思考誘導は、“白き神”のような強制力に優れたものでは無く、誤認、に優れたものである。

 

誤認は、目的を持った1人の思考を乱し目的が分からなくなって帰らすことは出来ても、帰った先で共通の目的を持った人間に指摘を受けると元に戻ってしまう程度の強制力でしかない。

“千手”にしたような思考誘導の末期状態や私が規定する善人への調整、魂破砕(ソウルシュレッダー)で廃人にすれば、その心配もなくなるが、いかんせん数が多すぎる上に、現場に来ている奴ら以外にどれだけの人数が控えているのかも分からない。

 

そもそも『非科学的な現象』を求めて来ている彼らのような相手に、致命的な損害を与えられない形で、彼らが欲しているモノの一端を見せるのは酷く危険だ。

 

はっきり言うが、昨日の夕方襲って来た奴らに対して行った私の対処は良くなかった。

尾行してきた奴らの襲撃が突然だった上、お兄ちゃんがその場にいたため時間を掛けられなかったため、お化けに近いものを見せて追い払ったが、本当ならもっと穏便な手で追い払うべきだったのだ。

彼らの大本の組織がどれだけ穏便な手段を取ろうとしているか分からない以上、相手が大きく動く要素を残すべきでは無かったのだ。反省しなくてはいけない。

 

一応、お化けを見て逃げ出したという事を極度に恥ずかしいと思うよう手を加えたから、プライドが邪魔をして報告しないでくれればいいのだが……そんな希望的観測をしている時点で失策だ。

 

そんなことを考えながら、学生が作ったらしいミニチュアモアイ像を持ち上げて見ていた私にお兄ちゃんが声を掛けてくる。

 

 

「…………あまりはしゃがないでくれ燐香」

「むっ。私がただはしゃいでいるだけだと思うなんて、お兄ちゃん観察力が足りないんじゃない? 私の行動の一つひとつには重要な意味が隠れていて――――」

「頼む、恥ずかしいから」

「――――……はい……」

 

 

よく考えたら、別にこんな演技しなくても静かに観察すればいいだけだった。

ミニチュアモアイ像を元の場所に戻して、いそいそとお兄ちゃんの傍に寄る。

 

 

「お兄ちゃん、今日は何のために大学に? 日曜日だから休み……あれ、大学って休みじゃないんだっけ?」

「ここもそうだけど、基本的に国立大学は休みだ。俺がどうしても来たかったのは、知人にあるものを持ってきてもらうよう約束してたからで……丁度来たな」

 

 

お兄ちゃんの視線を辿れば、いかにも大学生らしい軽い服装をした青年が手を振りながらこちらに歩いてきている。

知的な雰囲気があるお兄ちゃんとは正反対な、いかにも大学生活を心底楽しんでそうな男性の登場に、咄嗟に『読心』して邪な考えがないか調べてしまう。

 

完全な白。

何一つ邪なことを考えていない。

なんなら、普通に良い人だった。

 

 

(ふ、普通に友人だ。お兄ちゃんの友達って見るの初めてかも……まあ? 私も友達くらいいるし別に普通なんだけど? ……ちょっとストーカー気質で、好意の表現と距離感がバグってるから、本当はもっと普通の子と友達になりたいと思ってはいるけれど……)

 

 

思わず凝視する私をよそに、2人は気楽に言葉を交わし始めた。

 

 

「ほら、持ってきてやったぞ。こんなん自分で印刷すりゃいいのにわざわざ頼むなんて……って、優助が女の子を連れてる!? 嘘だろ、あんだけ告白されても拒絶しかしなかった、ホモなんじゃないかと噂されてた優助が!? お、おま、そっちの子との関係は!?」

「妹だっ……! 怖いからそういう事言うの止めろっ……!」

「妹ぉ? ……似てなくない?」

「俺と一番下の妹は母さん似、燐香は父さん似なんだよっ。そんなことはどうでもいいだろ」

「あー嘘嘘、目元とかそっくりだよ。怒んなって、ほら言われてた資料」

 

 

軽薄そうな男性が笑いながらそう言って、その手に持っていた大きめの茶封筒をお兄ちゃんに差し出した。

お兄ちゃんは差し出された封筒を受け取り、その中身を覗きながら、チラリと少しだけ心配そうな目を男性に向ける。

 

 

「……変なことは起きなかったか? 体調に変化は? 幻聴や幻覚なんかはないな?」

「ないない。それに、お前に言われた通り内容はよく読まずに印刷したから、俺には何が書かれてたかすら分かってないよ。全く……妙な事お願いしやがって。約束通り、今度の合コンに付き合ってくれよ」

「ああ、助かった。合コンはまた時間がある時な」

「合コンがめんどくさかったら妹ちゃんを俺に紹介してくれても良いぜー。なっ、俺、君のお兄さんと友」

「やめとけ。マジで。俺は友達としてお前を止めてるんだ」

「お、おい……そんなガチな顔すんなよ。冗談、冗談だって……」

 

(私は口に出されなくても本心が分かっちゃうけど、本人を前にしてこうも堂々と好き放題言うって、もしかしなくても相当失礼なんじゃ……)

 

 

なんて、そんな事を話したその友達は「じゃあまた講義で」と言って去っていった。

残されたのは、お兄ちゃんの手元にある茶封筒のみ。

相当危険なものなのか、受け取ってからやけに丁寧にそれを扱っているお兄ちゃんに、私の視線もおのずと封筒に向かう。

 

 

「……お兄ちゃんそれって」

「ああ、俺の調べている事に関連がありそうなものを……ネット上で多発しているある存在による被害を印刷してきてもらったんだ」

「ある存在?」

 

 

封筒から印刷された紙を取り出したお兄ちゃんは、それを広げながら口を開く。

 

 

「顔の無い巨人」

 

 

思わず目を見開いた。

想像してなかったその存在の名に、私の目はお兄ちゃんの手元にある紙へと向かう。

 

 

「……燐香も聞いたことあるだろ。ちょっと離れてろ、恐らく直接ネット上のものを見なかったら……よし、いける。大丈夫そうだ……興味あるなら、燐香も見てみ――――」

「お兄ちゃんもうちょっと手を下げて。よく見えない」

「あ、悪い」

 

 

私が背伸びをして見ようとしている事に気が付いたお兄ちゃんが、謝りながら見えるように紙を下げてくれた。

 

素早く全体に目を通す。

幾つかの紙に書かれた内容は、ネット上にある電子掲示板のみならず、SNSや質問サイト、個人ブログのコメント欄と多岐に渡っている。

何処か個別の箇所ではなく、ネット上そのものにこの存在は駐在しているように見える。

そして、そのどれもが決められたワードに作用するものでは無く、ある情報へ近付こうとする者が被害者となっている。

 

それらの内容に目を通した私は、ある事実に気が付いた。

 

 

(……これって)

 

「とまあ、こんな感じの眉唾な都市伝説なんだが……自作自演で面白おかしくやってるようにも見えて、それでいてこの一連の被害者となる者のあやふやな境界線は、どこか真実味も感じられる。数年前から有名になったという“顔の無い巨人”とやらを解き明かすことが出来れば、俺の調べている事も一気に進むんじゃないかと思ったんだが……」

「……お兄ちゃん、随分とオカルトなことを調べてるんだね。専攻って生物学系統だよね?どういう関係でこれを調べてるの?」

「そ、それは……」

 

 

気恥ずかしそうに視線を逸らし見せていた紙を私から隠すように背中へと回したお兄ちゃんは、躊躇いがちに呟く。

 

 

「前に論文も出したんだが……そ、その……『発見されていない人間の機能について』なんだが……」

「発見されてない、人間の……機能……」

「も、勿論馬鹿なことだって言うのは分かってる。論文を出した後なんかは散々批判されたし馬鹿にもされた。だから今は、ちゃんと現実的な研究の傍らでちょっとずつこうして情報と実例を集める程度に留めてるんだ。いわゆる趣味みたいなもんだよ。何か変なことをしようなんて考えていない」

 

 

そう言うお兄ちゃんの目には、少しだけ怯える様な色があった。

実の家族、本当なら一番知られたくなかった相手に恥ずかしいものを知られた時のように、お兄ちゃんは怖がるように私の反応を窺っている。

 

 

「……ちょっと、世界にはもしかしたら科学では証明できないことがあるんじゃないかって、思っただけなんだ。頭の良い燐香にとっては、無意味なことに見えるかもしれないけど、俺は……」

「馬鹿になんかしない。むしろ、心底凄いと思う」

「え?」

 

 

虚を突かれたように目を丸くしたお兄ちゃんが私を見詰めるが、これは私の嘘偽りのない本心だった。

 

 

「誰もやっていなかったことをやるのって勇気がいることだし、それを続けるのは、他の誰かがやってきたものを学ぶよりも、労力も時間も掛かるもの。色んな非難も批判もあったのに、誰からの支援も応援も無くて、こうして研究を続けているお兄ちゃんを、私は本当にすごいと思う」

「……燐香」

 

 

本当なら、異能と言う他人にバレたくないものを持っている私の立場から考えれば、お兄ちゃんのこの研究を後押しするようなことは言うべきではないのだろう。

どうせなら、家族の立場を使ってこれ以上無いくらいこき下ろし、二度とこんな研究をしないよう心を折るか、若しくは異能を使って研究する気をさせなくするのが合理的なのだろうとも思う。

 

でも、少なくとも、私が味わわせてしまった不条理に腐ることなく、こうして努力を続けて来たお兄ちゃんを否定しようという気には、私はどうしてもなれなかった。

 

 

(自分の首を絞めること、分かってるのにな……でもそっか、あの反社会的な人達に狙われてるのって、ICPOの声明による世間の流れとお兄ちゃんの研究が一致したからなんだ。……でも、反社会的な組織が、学生が出した無名の論文を一つひとつ調べるものなのかな?)

 

 

そんな引っ掛かりを覚えたものの、唇を噛んで俯いてしまったお兄ちゃんに、私も知りたいと思っていた“顔の無い巨人”と言う存在についての話を促すことにする。

 

 

「それで、お兄ちゃんが今まで調べたこの“顔の無い巨人”について分かったこと、私に教えて欲しいな」

「っっ……」

 

 

くしゃりと、嬉しそうな悔しそうなよく分からない表情を浮かべたお兄ちゃんは、ゆっくりと私の顔を見て、口を開いた。

 

 

「……まず、これは特定の場所に駐在するものでは無く、インターネットそのものに根を張る何かしらの意志、もしくは設定されたシステムだと言われている。そして現に、こうして色々情報を集めて見て、俺は前者が近いのだろうと予測している。なぜなら特定のワードに反応するものではなく、あるものが一定の水準を超えた段階でこの存在に襲われてるからだ」

「あるもの?」

「あくまでこれは、これまで刷り出したものを見て考えた想像なんだ。確信がある訳じゃない、そう理解した上で聞いてくれ」

 

 

私が頷いたのを見届けて、お兄ちゃんは難しい顔で手に持った紙を見る。

 

 

「襲われる条件は決められた言葉ではない、打ち込んだ文字数でもない。時間経過でもなく、ある情報に近付いた度合いでもない。であれば、きっとこれはインターネット上に文字を打ち込んだ、打ち込んでいないかは関係しない。『特定の情報に対して近付こうとする意志を持った人間が、インターネットに住むナニカに画面を通して見付かった』ことで、これは起きている」

「……インターネットに住む存在?」

「……ここまで来たらはっきり言うぞ、燐香。俺はこの存在は、インターネットそ」

 

 

――――ブツンッ、近くの部屋にあったパソコンが起動した。

 

私とお兄ちゃんの持っている携帯電話から、砂嵐のような音が聞こえ始めた。

周囲にある電子機器が、ひとりでにインターネットに接続され、異常な音が鳴り響き始める。

 

喧騒が聞こえる外の様子がやけに遠くのものに思えて仕方がない。

日中の筈なのに、窓から入ってくる光がやけに暗いのはなぜなのだろう。

状況を理解したお兄ちゃんは血の気の失せた顔で私を見る。

 

 

「……嘘だろ。なんだって、こんな……悪い燐香。こんな筈じゃなかったんだ。画面を見ていなかったら、見つからないと思っていたのに……」

「……お兄ちゃん、目を閉じて」

「駄目だ、もう見付かってる……燐香、お前は俺がどうなっても絶対に変なことを考えるなよ。大丈夫だ、命は取られないって書いてあった……大丈夫だ」

「お兄ちゃん目を閉じて」

「大丈夫だ、インターネットに接続された画面さえ見なければ、見なければ――――窓に、反射し」

「お兄ちゃんっ!!」

 

 

私はその瞬間お兄ちゃんを押し倒した。

ナニカ見てはいけないようなものを見てしまったように、目を見開いて硬直したお兄ちゃんを引き倒し、その目を片手で塞ぐようにして隠す。

 

手で触れたお兄ちゃんの体温は、まるで冷水に長時間浸かったかのように冷たかった。

 

 

「消えろ!!」

 

 

私がそう怒鳴った瞬間、起動していた全ての電子機器が落とされる。

携帯電話から鳴っていた砂嵐も、意味の分からない言語を発していたパソコンも、全て何事も無かったかのように元に戻った。

それでも、まだ倒れたお兄ちゃんはぐったりとして、体は冷たかった。

 

焦りで呼吸を忘れる。

 

「お兄ちゃんっ、お兄ちゃんしっかりして! 怪我はないよ! お兄ちゃんはちゃんと息を吸えてるし、ちゃんと私が見えてるよ! ほら、起きて! おーきーてー!」

「――――」

「あー、もうっ! 叩くよ! 痛いからね!!」

 

 

ベシべシベシベシ、と割と本気でお兄ちゃんの顔を叩くこと2往復。

じんわりと目に力を戻したお兄ちゃんが、痛みに顔を顰めながら私に焦点を合わせる。

 

 

「……燐香? 俺、どうなって……」

「熱中症だよ! クラッと倒れちゃったんだから、ほら、飲み物飲んで!!」

「まっ、この体勢じゃ――――ぐぼぼっ!?」

 

 

水筒を口に差し込んで、お兄ちゃんの思考をアレから引き離す。

無いとは思うけど、もう一度来たら面倒だ。

保険の意味も込めて、こうしてお兄ちゃんを別の思考に持って行かせようとしたのだが、口から飲み物を溢しまくったお兄ちゃんが、怒りのまま私を持ち上げたことで、それも出来なくなる。

 

 

「燐香っ……!!」

「ひぇっ……こんな持ち上げて怒らなくてもっ……」

「飲み物が鼻に入ったんだよっ! もう、大丈夫だから落ち着け!」

 

 

鋭い目で近くのパソコンの画面が起動していないことを一瞥して確かめたお兄ちゃんは、深くため息を吐いた。

 

 

「……燐香は何もなかったか?」

「……うん、大丈夫だよ。お兄ちゃんこそ、ちゃんと意識ははっきりしてる?」

「ああ、記憶の混濁もない。悪かった、助かったよ」

 

 

私を下したお兄ちゃんは、ガシガシと頭を掻き、私が押し倒した時に落とした眼鏡と“顔の無い巨人”の資料を拾い始めた。

気力が尽きたような、げっそりとした顔をしたお兄ちゃんだったが、それでもその口元は少しだけ嬉しそうに緩んでいる。

 

 

「……危ない目に遭ったのに嬉しそうだね?」

「ん? ……悪い。燐香に迷惑掛けてるのにこんな顔して……ただ、俺の考えはやっぱり間違ってなかったんだということが肌で実感できて、嬉しくなっちゃったんだ」

「くれいじー……」

 

 

これが、異能が無いのに世界を変えられる研究者のサガなのか、と戦慄してしまう。

やっぱり、お兄ちゃんは異能を持たない身としては、誰よりも天才と言える位置にいるのだろうと思った。

 

感性が普通じゃないのだ。

きっとこういう種類の人間がそういう方向性に向かうことで、世界を統べる器になるのだろうと思う。

 

 

「それで……燐香。ずっと前から気になってたことがあって、1つだけ聞きたいことがあるんだ」

「んー、何? あ、拾うの手伝うね」

「…………この、俺が調べてることなんだが、お前」

 

 

お兄ちゃんの話を聞きながら、私も散らばった紙を拾うのを手伝おうと、床に落ちた紙に手を伸ばし、それが、私よりも先に誰かに拾い上げられた。

 

私はその拾い上げた誰かを見て、自分の顔が引きつったのを自覚する。

 

 

「おや、また会えたね。山田沙耶さん」

「……桂さん」

 

 

にこやかに笑ったその男は、昨日と同じ、悪意に満ちた感情を持って、私とお兄ちゃんをその目に捉えていた。

 

 

 

 

 

 



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未知なる恐怖

 

 

 

神楽坂達は昨日同様大学に辿り着いたものの、昨日までとは違い、大学の入り口で立ち往生することになっていた。

門衛の男が神楽坂達の前に立ち塞がり道を譲らない。

理由は、佐取優助に面会を拒否されたため入門資格が無くなった、と言うのだ。

 

突然告げられた言葉に、伏木が食って掛かる。

 

 

「そんなっ……昨日まで普通に入っていたんですよ!? しかも俺ら警察ですって! 守る側の人間なんですよ!? 拒否される謂れなんてないじゃないですか!」

「とは言っても実際に拒否連絡が入っているしねぇ……貴方達連日来すぎなんですよ。本来休みの日に大学に来るってことは、その学生は何かしらの期限に追われてるか、研究に熱中してるか何ですよ。それを邪魔してるって言うの、理解してます?」

「ぐぬぬぬっ……神楽坂先輩ぃっ……!」

「はぁ……」

 

 

落ち着いた雰囲気の男性の門衛に言い負かされ、悔しそうに歯噛みしている伏木がどうしたものかと、神楽坂に助けを求める視線を投げる。

 

正直、佐取優助本人から面会を拒否されているならどうしようもないと、神楽坂は思っていた。

自分達との会話は、何も強制力があるものではないし、国や警察の上層部が大きく動いていない以上、協力要請だって正式に出せているとは言い切れない。

この門衛の言う事が本当なら、事を荒立てたくない神楽坂達の立場としては素直に帰るしかないのだが……。

 

神楽坂は気取られないような自然なしぐさで、門衛の男を観察する。

 

 

(……この門衛、昨日の男とは違うな。態度や言動が不必要に人を煽るようで、大学の顔とも言える門衛を任された人間とは思えない。新人と言うなら分かるが、それにしたって補助の為の人間も居ないのは違和感がある……それに)

 

 

事を荒立てずに帰ると言う選択を、消して神楽坂は伏木の前に出る。

少しだけ驚いたように眉を動かした門衛の男に、神楽坂は顔を近付けた。

 

 

「どうも、神楽坂と言います。昨日話をした時、また明日尋ねることを優助さんには了承を貰っていたのですが本当に面会を拒否しているのですか? もう一度確認していただくことは可能ですか?」

「何度も言わせないでくださいよ、貴方達を名指しで拒否すると言われているんです。これ以上しつこく食い下がるようなら警察本部へ苦情を入れますよ」

「ああ、なるほどそうですか。……ところで、貴方、制服着慣れてないんですか? そのベルト、付け方間違えていますよ?」

「なんだと――――」

 

 

門衛の男が指差された自身のベルトへと視線を落とした瞬間、神楽坂は門衛の男の胸ポケットから身分証を抜き取った。

何の反応できずに唖然とする男の前で、その身分証を確認した神楽坂は躊躇なく男の腕を捻り上げ、壁に押し付ける。

 

想像通り、身分証の顔写真とこの男は別人。

 

 

「随分身分証と顔が違うし、年齢も一回り以上若い……お前誰だ?」

「ぐうおぉぉっ!?」

「本物の門衛の人は何処にやった? いや、お前の顔は見覚えがあるな、資料にあった龍牙門の下っ端か」

「お、お前っ、警察がこんなことをやって――――ごっ……!?」

 

 

男の反抗的な目付きから、情報を聞き出すのは時間が掛かると即座に判断した神楽坂は捻り上げている手とは反対の腕で腹部を殴打し、男の意識を奪った。

 

目の前で起きた急展開に、目を白黒とさせる伏木に対して神楽坂は指示を飛ばす。

 

 

「龍牙門が行動を過激化させたらしい。大学の中で何をしてるか分からないが時間はあまりなさそうだ。伏木、本部へ連絡し応援要請しろ。神楽坂が大学で暴れ出したと伝えれば嫌でも人員を出す」

「え、ええええ!? か、神楽坂先輩っ!?」

「こいつらがどこまでやってるか分からないが、ここで勤務する筈だった門衛が既に被害に遭ってる可能性が高い。時間稼ぎないし、俺らを名指しで通さないようにしていたってことは、それだけ後ろめたい事をやってるんだ。お前は応援要請をしたら門衛の人を探せ、急ぐぞ」

「ちょ、神楽坂先輩ぶっ飛びすぎっすよぉ!!」

 

 

周囲の通行人が何事かと注目する中、「ごめんなさい、なんでもありません。俺達警察です!」と叫んだ伏木を置いて、神楽坂は大学へと入っていく。

 

数度訪れているものの、大学の建物内全てを把握しているとは言えない神楽坂が闇雲に龍牙門の者達を探したところで見付けられるとは思えない。

だからこそ、神楽坂は探すものを絞った。

 

 

(大学内で交渉を終わらそうなんて考えない筈だ。となれば、奴らがやるのは誘拐。歩かせて誘拐なんてない、必ず足を用意する筈……アレか。スモークの掛かったワンボックス車両)

 

 

近付いていけば、車に乗っていた柄の悪そうな男達が下りて来る。

どいつもこいつも、先ほど車の中で見た資料に載っていた人相で、神楽坂は分かりやすくていいと笑った。

 

 

「前回と違って子供相手じゃないから気が引ける事もない。痛い思いをしたくないなら……なんて、半グレ連中が聞く訳ないか」

 

 

ナイフに伸縮式鍛錬棒、メリケンサックにスタンガン。

容易く他人を害せる道具を取り出した彼らに、問答の必要はないかと駆け出した。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

なんてタイミングの悪い。

目の前の男が現れた瞬間頭を過ったのは、そんな悪態だった。

 

インターネット上に住む存在に襲われてから間もないタイミングで現れた男の存在は、大きな脅威では無いものの、無視できるほど無害な存在でもない。

桂と名乗るこの不審者がこの場にいる目的は、お兄ちゃん。

昨日は、「どんな理由か」までは知らなかったが、お兄ちゃんと話して既にその全貌は何となく掴めている。

 

要するに、異能と言う未知の力を手に入れたいのだ、この男とこの男が所属する組織は。

 

お兄ちゃんの前では異能なんて使えないしどうしようか、なんて考えつつ、目前に現れた男をどう処理するか考えていたら、桂と言う不審な男に気が付いたお兄ちゃんが私の前に出た。

 

 

「へえ。これはネット上の交流を印刷したものですね。なるほど、興味深い内容です」

「どちら様ですか? 今日誰かが訪ねて来るなんて話は聞いていないんですが」

「ああ失礼、桂と申します。別の学校で教員をやっているものですが、少しお話が聞きたくてですね」

「事務が開いていない土日に? 申し訳ありませんが、今日はお引き取り下さい。見ての通り、友人の妹である山田沙耶さんの大学見学の案内をしているんです。別の方に掛ける時間はありません」

「それはそれは、申し訳ない」

 

 

適当な偽名を使っていたのに、即座に状況を理解して適応して見せたお兄ちゃんは、私の手を引いてこの場から離れようとする。

だが、行き先を阻むように現れた黒服のサングラスを掛けた2人組に道を塞がれた。

 

 

「でもですねぇ、こちらはそうはいかないんですよ佐取優助さん」

 

 

獲物を前にしてもう隠す気もないのか、歪んだ笑みを浮かべた桂は私達に歩み寄ってくる。

 

 

「私達の状況は非常に悪い。足場固めが出来ていないし、邪魔する奴らが多すぎる。だからと言って派手な武器を用意すれば警察が黙っていないし、国家権力を黙らせるコネクションだって持っていない。私達は急ぐ必要があるんです。それこそ、一分一秒だってね」

「……話し合いなら、無関係なこの子は帰って貰っていいだろう?」

「顔も見られてしまいましたし、何より優助さんへの人質になりえそうだ。非情に残念ながら逃がす理由は何処にもないですね」

「……見境なしかよ、外道が」

 

 

懐から、日本で普通に生活していれば見る事なんてないだろう銃なんてものを取り出した桂は、丁寧にハンカチに包んだ筒状のものを銃口に装着して、私達へと向ける。

ゲームの中でしか見たことがないそれは、防音機能に特化したサイレンサーと言うものだ。

 

一発で容易く命を奪う武器を出されて、緊張で表情が固まった私達の様子を満足そうな顔で眺めた桂は行動とはかけ離れた優し気な声で問いかける。

 

 

「貴方が調べている情報の価値を、私達なら分かってあげられる。貴方が欲する研究環境も、対価も、いくらでも用意しましょう。もちろん、『非科学的な現象』を兵器として扱えるようになってからね。大人しくついてきてくれるなら、優助さんにも、その子にも、手荒なことはしないと約束しましょう。さて――――どうします?」

「っっ……!」

 

 

拒否すれば隣にいる私達の命が危険に、拒否しなくとも相手にとってさらに有利な場所に連れていかれるだけ。

 

どれだけ学業で優秀な成績を残していても、こんな理不尽な選択を迫られることなんてなかった筈だ。

先ほどまで姿の見えない存在に襲われ、万全な状態でもないお兄ちゃんは、頬を流れる汗を拭くことも出来ずに、顔は青白く呼吸も荒くなっていく。

きっと思考を制限された今の状態では、まともな判断が出来ないまま、少しでも死の危険が無い方を選ぼうとするだろう。

 

そして、その心理は恐喝を何度もやってきているその道のプロである桂もよく分かっている。

 

 

(……)

 

 

私と彼らの前に立つお兄ちゃんの足が震えているのを見て、私も覚悟を決めた。

 

 

「非科学的な現象の正体が知りたいんですか?」

 

 

そっとお兄ちゃんの手元にある資料を奪いながら、私は桂達の前に出た。

 

家族であるお兄ちゃんには異能の事なんて絶対にバレたくない。

けれど、このままお兄ちゃんと私自身の命の危険さえあるものを見過ごすのなんてありえない。

 

だから、私は1つ策を講じることにする。

 

 

「りんっ……!?」

「ここに優助さんが調べているその現象の資料がありますよ。顔の無い巨人って言うネット上に住む化け物の資料らしいんですけど、見てみます?」

「……顔の無い巨人……へえ? 面白そうな話だね。でもそれよりも、泣きも震えもしないどころか、こうして前にすら出てくるなんて、山田さんって随分肝が据わってるんね。もしかして俺らが本当は撃たないとでも思ってる?」

「いえ、撃つんだろうなと思いました。それできっと、優助さんの情報が欲しい貴方達が、反抗された時に最初に狙うのは私の筈です。だから私が前に出たんです。撃たれるタイミングくらい自分で決めたいですから」

「あははは! 命乞いでもするのかな? 悪いけど、そういう命乞いは見飽きてるからさ」

 

 

嘲るようにそう笑った桂を、私は手に持った資料を差し出すようにしつつ、じっと見据える。

随分とまあ、ここまで性根が腐った奴が次から次へと湧いて来るものである。

 

 

「私だって命乞いする相手くらい選びます。命乞いはもう少し、理知的な人でないと効果なんてないです。遭遇した熊相手に命乞いなんて意味がありますか? 畜生にも劣る醜悪な精神性しか持たない人間に、いくら対話しようとも意味なんて無いんです」

「……おい、なめてんのか? お前の頭を吹っ飛ばすくらい何ひとつ躊躇うことなんてないんだよ。いい加減黙らねえと……」

「非科学的な現象を追っているのに、ここまでおかしな行動をする私を危険だと思えないんですね。非科学的な現象を、さっき言っていた顔の無い巨人を、扱える人間の存在を考えられない。だから貴方は三流なんですよ、桂さん」

「…………」

「――――撃てばいいじゃないですか。しっかりと私の頭を狙って、人質としての役目を無くせばいい。それに今更どんな意味があるか、身を持って実感しないと、どうやら貴方達は分からないようですから」

「…………ふ、随分と頭と口の回るようだが、あまり龍牙門を舐めるなよガキ」

 

 

苛立ち混じりに外向けの仮面を破り捨て、そう言い放った桂の言葉の直後。

パシュッ、と潰れたような静かな音が響いた。

 

銃弾が私の足を貫通した。

お兄ちゃんが目を見開き、短い悲鳴を上げ、銃弾が貫通した私のふとももから血が流れだすのを見た桂達が嘲笑の笑いを上げる。

けれど、銃弾がふとももを貫通した筈の私が、痛みも衝撃も感じないかのように、そのまま何事も無かったかのように立ち尽くしているのを見て、嘲笑が疑惑に変わり、次いで、混乱に変化した。

 

それらの様子をじっと見詰めた私は、彼らの思考がある点に辿り着いたのを視て、両手の指先を合わせる。

 

 

「……もういいか――――起きろ、顔の無い巨人」

「……は?」

 

 

私の言った言葉に数秒の沈黙した後、桂はポカンと口を開けて私を見る。

他の2人の黒服が、慌てて周囲を見渡して何が起こるのかと警戒を始めた。

 

何も起こらない。

 

それからしばらく、何も起きない周りの様子に、次第に彼らは落ち着きを取り戻し始め、私の虚勢だと判断した桂が馬鹿にするように笑みを作ろうとして。

 

 

「――――あはっ」

 

 

私は嘲笑の笑い声を上げた。

 

 

「貴方達、随分と顔の無い巨人に興味があるんですね」

 

 

ブツンッ、と周囲にあった電子機器が起動した。

先ほどと同じように砂嵐の音を起こしながら、全ての電子機器がインターネットに接続される。

 

世界が塗り替えられる。

インターネットに潜む何かが、システムに触れたそれらを見定め牙を剥く。

今度の標的はお兄ちゃんではなく、桂達3人だ。

 

 

「な、なんだこれは!?」

「ひっ……! か、桂さんっ! 何かが、何かがいます!!」

「なんだこれっ、なにっ、ひっ、きょ、巨人がっ……」

「――――お前ェェ!! 何をしやがったァ!!!」

 

「うぷぷー、ざまあみろ! ぺっ」

 

 

お兄ちゃんから奪った資料を桂達目掛けて放り投げる。

異能を使い、その紙の束が異常に視界を遮るよう誤認させ、追撃を拒みつつ、目を白黒させるお兄ちゃんの手を取って逃げ出した。

 

 

「り、燐香今お前、足撃たれてなかったか!? と言うか、お前、顔の無い巨人を操れるのか!?」

「……ギ、ギリギリ銃は当たらなかったよ! 顔の無い巨人は襲われるきっかけが分かっているんだから、そうなるように誘導しただけ! そんなこと良いから、逃げるよお兄ちゃん!!」

「どんな頭の回転してるんだよっ……くそ、無茶しやがって……!」

 

 

当然、銃弾なんて当たっていない。

“千手”の面攻撃を避けられるのに、銃弾なんて言う狭い範囲にしか殺傷能力がないものを避けられない道理はないのだ。

あらかじめ分かっていれば散弾だってやり過ごせる……もちろん、めっちゃ怖いからやりたくなんてないけども。

 

せっせと足を動かしている私を見たお兄ちゃんが驚いた表情を見せる。

 

 

「燐香……お前、そんなに走れたのか? 運動会だといつもビリで、不機嫌になってたのに……」

「いっ、今そんな話は良いでしょ! 黙って逃げるの!!」

「あ、ああ、悪い。けど、真昼間のこんな場所で銃をぶっ放すなんて相当いかれてる……あいつらは……顔の無い巨人に襲われたんだろうけど、どこまで徹底的にやってくれるか……」

「ああ、それは……うん。多分、気絶するくらいはやってくれるんじゃないかな、うん」

「そうなのか? 確かに、これまで集めた情報からして、大きな外傷はなくとも、恐怖して二度と調べる気がなくなるようなことをされるんだろうことは想像していたが……」

「そ、それよりも! 何処に逃げるの!? このまま、外にまで逃げる!?」

「仲間が外を張ってる可能性は高そうだ。どれだけ人数がいるかも分からない、次はきっと銃が外れる様な事もないだろうから……研究室に逃げ込んで立てこもろう。あとは警察に電話をして……!」

 

 

パンパンッ、とさらに連続した発砲音が背後から響いて、私達は揃って顔を引き攣らせる。

異能で目隠ししていたこともあり、私とお兄ちゃんどちらにも当たらなかったようだが、もう、普通に発砲してくる桂とか言うヤバい奴とは金輪際顔を合わせたくない。

 

 

(……この距離ならまだ思考誘導可能な範囲だから、さっきの奴らへ干渉を続けられる。5分も稼げれば完全に無力化できるし、一度時間さえ稼げちゃえばいい私の異能って、やっぱり凄く便利)

 

 

階段を上り切り、後ろから追ってきていないことを確認して、私はひとまず安心する。

当然、異能で場所の捕捉は続けているし、思考誘導も続行しているので、無力化するのは時間の問題だ。

 

危険がほとんどなくなったことを、初めて命の危機を味わい今も恐怖で手を震わせているお兄ちゃんに、伝えてあげたいが、どういう根拠でと聞かれると困ってしまうから黙っておくほかない。

お兄ちゃんにはもう少し、怯えておいてもらおう。

 

そんなことを私が考えているうちに、お兄ちゃんは目的地にたどり着いたようで、ある部屋の鍵を開け、私が中に入ったことを確認してすぐに扉を閉めて施錠する。

 

 

「よしっ、取り敢えず、辿り着いたな……ようやく一息つける……」

「はぁはぁ……お兄ちゃん、あんな人達とは知り合いなの?」

「今日初めて会ったよ。燐香だって、変な偽名を使ってたじゃないか」

「あれは昨日、大学の中に入れなくて立ち往生していた時に声を掛けてきたから、咄嗟に偽名を使ったんだよ。まさか、お兄ちゃんを目当てにしてるなんて……」

 

 

当然嘘だ。

お兄ちゃんを目的にしていたから、佐取と言う苗字は出したくなかったし、下の名前もあらかじめ血縁関係を調べられていたら面倒だと思って適当に言ったのだ。

 

まあ、正直、ここまで来たら後は消化試合だ。

異能の射程距離内にいる彼らは、私は一方的に干渉を仕掛けることが出来るし、無力化して、近くにいるらしい神楽坂さんに連絡を付けて、警察に来てもらえれば今回の件は収束する。

大学で発砲するなんて行動を起こしたことで、彼らの本拠地にも警察の調査が入ることになるだろうし、一網打尽することが出来るだろう。

 

どうやったら私の休みの内にお兄ちゃんを狙う奴らを潰せるかと悩んでいた私としては、これ以上ない結果である。

 

 

「取り敢えず、警察に電話して……お兄ちゃんは警察に連絡してね、私も知り合いに連絡を取るから」

「……荒事に融通が利く知り合いがいるのか? 分かった」

 

 

携帯を取り出して、電話帳に登録されている名前を見て指が止まる。

さて、どっちに連絡しようか、なんてちょっとだけ考えた。

 

神楽坂さんと飛鳥さん。

正直、戦力面としてだけ考えれば飛鳥さん一択だが、ここ連日夜になると私に電話してきて、変な部署に異動になったと愚痴を吐いてきていた。

「何もやることなく待機ばかり」やら、「積んでいた本を何冊も読み切った」やら、どうでも良い事をずっと聞かされていた身としては、多少迷惑かけるのもやぶさかではないのだが、もし仕事中だったら新しい部署で不慣れな中、抜け出して来いという要求をすることになる。

ほぼ王手状態の今、そんな迷惑を掛けてまで飛鳥さんの戦力が必要かと言うと、そんなことはないだろう。

 

一方神楽坂さんからは、どうもお兄ちゃんの大学での研究について調査をしている途中との連絡が入っていた。

随分とタイミングが良いが、今日もどこか近くにいるだろうことは確実だし、この前の不良少年達を一蹴した神楽坂さんの化け物具合を見る限り、異能が関係しない相手ならば一方的にぼこぼこに出来るだけの実力が絶対ある。

そして、彼らは私が探知した限り、異能持ちは誰一人として存在しない。

後は、神楽坂さんが居ればきっと何とかしてくれるだろうという安心感がある。

 

どちらを選ぶかは別に考えるまでも無かった。

 

 

「うん、神楽坂さん一択だね」

 

 

そもそも昔の関係が判明してから、飛鳥さんはスキンシップが激しすぎて少し怖いのだ。

そこまで切羽詰まってもいないし、ここは神楽坂さん一択である。

 

電話を掛けるといつもと違い、数コール置いてから通話が繋がった。

 

 

『……佐取? 大丈夫か?』

「あ、神楽坂さん! あのですね、昨日連絡した通り、お兄ちゃんと一緒に大学に来ていたんですが、変な連中がいきなり銃を持って襲ってきまして。今はお兄ちゃんと一緒に研究室に隠れているんです。神楽坂さんはどこにいますか? 出来たら救助に来て欲しいんですけど」

『銃? あー……こっちも同じだ。大学に入ろうとして邪魔されていた。恐らく佐取のお兄さんを狙ったものだったと思うが、足である車にいた奴らはあらかた無力化したからこいつらの計画はほとんど潰れたも同然だ。これから大学内に入るから、佐取はお兄さんと一緒にしばらくその場に隠れていてくれ』

「おお……やっぱり神楽坂さんは頼りになります。あと、私達を襲って来た奴らは今、幻覚に惑わされている状態になっているようなので、見付けたら拘束してしばらく放置するのが良いと思います」

『……状況はよく分からないが、分かった。佐取の言う通り、あまり接触せず自由だけ奪って放置しておく。それと、佐取は無理をして自分を危険に晒す癖があるからな、その場で大人しくしていろよ、いいな』

「……そんなつもりないんですけど。まあ、いいです。また後で」

 

 

そう言いながら電話を切る。

神楽坂さんが既に大学内にいるということは、もう10分もしない内にここまで助けに来てくれるだろう。

 

と言うか、足である車で待機していた人達を制圧したって、軽く言っているが何人を相手にしたのだろう。

やっぱりあの人はフィジカルお化けだ。

明らかに不健康そうな老け顔してるくせに、プロの格闘家とさえやり合えるんじゃないかと思う程の強さを誇っている。

異能持ち、若しくは“千手”クラスの、世界の戦場を股に掛けてるその道のプロが相手でもなければ、神楽坂さんが負けることは無いだろう。

 

その神楽坂さんが手も足も出ない、異能持ちとか言う奴らのヤバさが際立つ話でもある訳だが。

 

 

「お兄ちゃん、やっぱり非科学的な現象どうこうって危ないし、研究とかするの止めとかない?」

「いきなりどうした!?」

 

 

警察への連絡が終わったのか、私の言葉に困惑を露わにするお兄ちゃん。

正直異能持ちなんて碌でもない奴がほとんどなので、安全を考えたら関わるようなことをしないのが一番なのだ。

 

 

「まあ、そんな話は後でしよっか……」

「……ああ、そうだな」

「そういえば、せっかく友達に持ってきてもらった資料を捨てちゃってごめんね」

「いやそれは、命には代えられないだろ。……むしろ、燐香を矢面に立たせてごめん。足が動かなかった」

「普通拳銃向けられて怖くない人なんていないって。気にしなくていいから」

 

 

ふっ、と疲れたように息を吐いたお兄ちゃんを眺め、インターネットに潜む怪物に襲われただけでなく、妙な組織に狙われることになっているお兄ちゃんに同情する。

行動を実行した桂達とか言う頭のおかしい人達は勿論だが、声明を出したICPOや、傍観を決め込んだ日本政府、またこうなるきっかけを作った“千手”や“白き神”はお兄ちゃんのような被害者が出ることをよく考えて、猛省してもらいたいものである。

これで私とは全く関係ない人が狙われていたら、防ぐ術などない筈なのだから、その人は抗うことも出来ず生活を滅茶苦茶にされていたことだろう。

 

 

(少なくともICPOは目の前で命を落としそうな一般人を見捨てるようなことしたからね。政府も警察も、この世のあらゆる組織的なものに信頼を置くことなんて出来ないや)

 

 

やっぱり、神楽坂さんのような善人である個人しか信頼することは出来ないし、本当に信頼する組織を作りたいのなら自分で作る以外道はないのだろう。

そんなことを考えながら、今の状況をそれほど危機的に考えていない私とは対照的に、お兄ちゃんは悲壮な顔で私の肩を掴んだ。

 

 

「……もし、奴らがここに乗り込んできそうなら。何とか俺が時間を稼ぐから、燐香はあの棚の下の部分に隠れてくれ。お前くらい体が小さかったらきっと入れるから……」

「お兄ちゃんそんなこと言わないで」

「いうことを聞け、良いからこんな時くらい兄らしいことさせてくれ」

 

 

震える手でフラスコ類が置かれた棚を指差すお兄ちゃんに、私の申し訳なさが増していく。

 

もうほとんど危険はないのに、お兄ちゃんは今も悲壮な決意をしていた。

やれ自分がいなくなったら部屋にあるものを片付けてくれや、お父さんには何と言って、桐佳にはどう伝えて、と遺言を残すように次々言っていくお兄ちゃんの姿は、悲痛に満ちている。

 

あんまりにも聞くに堪えない。

こんな遺言染みたことはやめさせようと、私は口を開き掛けて。

 

 

「?」

 

 

異能を向けていた対象が消えた。

 

これまで精神干渉をしていた桂達の思考の操作が出来なくなっただけでなく、思考すら読めなくなった。

 

この感触は覚えがあった。

 

 

「? ……りん」

「黙って」

 

 

おかしい。

なにかがおかしい。

 

意識を失ったというなら分かる。

ネット上の怪物が意識を奪うことは分っていたし、いずれそうなることは予測していた。

だが、それにしたって3人が一斉に意識を奪われるというのは妙だ。

もっと一人ひとり順番に意識を無くしていくものだとばかり考えていたのだ。

そしてなによりも、意識を失う時はもっとじんわりと意識が消えていくものなのに、今の感触は電源を引き抜かれたかのような唐突さがあった。

 

この感触はまるで、死んだときの様な。

 

 

(……なにが)

 

 

トントン、と私達がいる部屋の扉がノックされた。

 

規則的に続けられる扉を叩く音は、探し人がこの部屋にいると分かっているかのようにずっと続けられている。

 

神楽坂さんではない。

大学にいる他の人達ではなければ、きっと先ほどの反社会的勢力の者達でもないだろう。

噴き出した冷たい汗が頬を伝う。

 

 

――――だって、扉の外にいる筈の何かを、私の異能では感知出来ていないから。

 

 

肌が粟立つ。

感情がない、思考がない、私の読心が通用しない。

そんな存在がいる筈ないのに、生まれてこれまで味わったことの無いこの感触が、いくら探っても変わることが無いから。

 

私は扉の先にいる何かを、じっと見詰め続けた。

 

 

 

 

 

 



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深淵の淵に立つ

今回はちょっと怖い要素があるのでご注意下さい!


 

 

 

 

見詰める扉の先からは未だにノックの音が響いていた。

規則的かつ理性的に、知性を持つ生き物が鳴らすようなその音の発生源。

私の『読心』が何らかの要因で発動出来ていないが、その音の感じからして、扉の先にいるモノが無知性の物体であるとは考えにくかった。

 

扉を挟んだ先にいる正体の分からないモノは、想像を絶することはあっても理解できないモノではない。

 

 

(落ち着け。確かに私の『精神干渉』の力は強力だけど、こういう風に遮断される可能性も考えていた。世の中には絶対はない、だから、異能が通用する相手だけしか存在しないなんて最初から思ってない)

 

 

――――ならどうするか、戦況を冷静に分析する。

 

状況は良くない。

この部屋の出入り口は今ノックされている扉といくつかの窓だけだが、ここは4階。

窓から飛び降りるのは現実的ではなく、正体不明のソレと接触することなく逃走するのは難しい。

 

戦力はどうか。

相手の異能は未知数。

しかし、異能を遮断する何らかの手段を持っていて、私の索敵技術の基礎である『読心』が通用しないということは、『外側からの異能の干渉を受けないこと』が確定する。

ノックをしているということは、私の様な目に見えず形の無い力ではない。

物理的な干渉力を持ついずれかの異能、と考えるのが妥当だろう。

 

勝利条件はどうか。

扉の先にいる相手の目的は不明だが、このタイミングで出て来たのが偶然だとは考え辛い。

桂達の反社会的勢力の襲撃を待っていた何者かが、この騒動に紛れて目的を果たそうと動き出したと考えるべきだろうか。

つまり犯人は、私達若しくは桂達の動きを監視していた何者か。

桂達の始末が目的なら私達を追う意味はなく、この場に来たということは私達どちらかの命を奪うことが目的と考えられる。

 

……情報を徹底的に遮断している私が標的になっている可能性は低い。

十中八九、お兄ちゃんの命が目的だろう。

つまり、異能と言う存在を隠匿するのが好都合な者。

 

 

「……相手の輪郭が見えてきた……」

「お、おい、燐香。なんだか、ノックしてきている奴の様子おかしくないか……?」

「黙ってお兄ちゃん」

「っっ……」

 

 

『読心』が通用しないということは、同じく異能の起点を外側に置くものは通用しないと考えるべきだろう。

 

そうなると、『ソウルシュレッダー』や『意識外への設定』も恐らく効果が無い。

逆に内側に起点を置く『思考誘導』は通用しそうではあるが、『読心』を伴わない『思考誘導』の難易度はかなり高い。

目隠しして無作為に混ぜられたルービックキューブを完成させろと言われるようなものだ。

単純なものならまだしも、全てを都合よくなんて操作できない。

 

結論から言うと、扉の先にいる相手は私の『精神干渉』の天敵に近いのだろう。

 

 

「お兄ちゃん、多分この先にいるのはまともな人間じゃない」

「……何を言って……」

 

 

ノックの音が止まった。

 

静けさの中、ズルリ、と言う粘液が地面を引き摺るような音と共に、扉の隙間から溢れ出すように入って来たのは、銀色の液体が無理やり人型を作ったような歪な存在。

目の前に超常現象の塊のような姿が目前に現れてもなお、この存在からは思考は読み取れず、異能の出力も感じられない。

 

通り抜けた際にその液体に触れた扉が音を立てて溶け落ちる。

ステンレスの扉が、煙を上げながらグズグズに崩れ落ちる様はあまりに異様だ。

 

お兄ちゃんが息を呑んだ。

蒼白な顔で、目の前に現れた異常事態を凝視する。

 

 

「非科学的な現象を操る人間……異能持ち」

「な、んだ、あれ……」

 

 

ボタボタと銀色の人型から滴り落ちる液体が、床に触れた瞬間音を立てて溶かしていく。

恐らくは、強酸性の特性を持った存在で、触れられたら人間などひとたまりもない。

 

 

「まごうことなき怪物だよ」

 

 

目も鼻も口も無いそいつは確かに私達の存在を知覚して、その不気味な体を私達に向けた。

 

問答は無かった。

それは即座に私達に向けて、鞭のようにしならせた腕を振るう。

私達に存在した机を2つほど挟んだ距離が、ゴムのように伸びた腕に潰された。

 

 

「――――っっ!?」

 

 

けれど、奇襲に近いその攻撃は大きく的を外し、壁と天井を大きく溶かすだけに終わる。

強酸性の、液体を滴らせるその人型がその結果を見て、驚きで一瞬動きを止めた。

 

 

「――――私の声は聞こえますか?」

 

 

予想通り、起点を内側に置く『思考誘導』は効果こそ薄いが通用する。

私の異能は知性体を対象として効果を及ぼすが、この『思考誘導』は外から人の精神を弄るものでは無く、存在する知性を内側から変質させるもの。

 

どれだけ無敵の防御を誇っても、知性を有していれば私のこれは防げない。

 

 

「私の――――」

 

 

聴覚があるのだろう。

私の言葉に異常を感じたソイツが、返すようにもう一度私目掛けて腕を振ってくる。

しかし、それも私から大きく逸れて床を引き裂くだけに終わる。

ここまでは想定通りだった。

 

 

「こっちだ!!」

「!?」

 

 

全力で異能を起動させていた私の隣で、お兄ちゃんが声を上げ、お兄ちゃんが近くに置いていたパイプ椅子を溶解人間に対して投げ付けた。

一瞬怯んだソイツの横を駆け抜けたお兄ちゃんは、廊下に飛び出しながら、実験用器具をさらに投げ付ける。

 

私も考えていた、この怪物が持つ目的は何なのかの結論が同じだったのだろう。

自分に注意を引き付けようとするお兄ちゃんの行動に、私は驚愕する。

 

投げ付けられた物を、呑み込むようにして溶かしたソイツの顔がお兄ちゃんへと向いた。

もう一度だけ私を見て、それからお兄ちゃんに向けて動き出したそいつに私は焦りを覚える。

 

 

「なにをっ……! このっ、スライム人間っ! お兄ちゃんをっ」

「燐香お前は逃げろ! こいつは俺を狙ってる!」

 

 

それだけ言って、廊下を駆けだしていったお兄ちゃんに、ソイツは人型だった身体の下半身を蜘蛛のように変化させ、おぞましい速さで追いかけていく。

思わず言葉を失う程のその素早さに、慌てて私も駆け出した。

 

 

(『身体変異』……流動的かつ硬質化も可能で強酸性も兼ね揃える異能なんてっ……せめてアイツの目的が私だったら……)

 

 

蜘蛛の足によるあのおぞましい速さでは、いかに足の速いお兄ちゃんと言えどすぐに追いつかれてしまうだろう。

そして、あの強酸性の体は触れるだけで生死に直結し、狭い場所も関係なく、立体的な動きも可能で、手足を伸ばして距離を潰すことも出来る。

 

生身の人間では、どうやっても逃げ切ることなんて出来る訳がない。

 

 

(っっ……『読心』で探知出来ないから遠距離から捕捉が出来ないっ、これじゃあ、精神干渉も通らない!! せめて視界でアイツを捉えないと……どうすればっ……)

 

 

お兄ちゃんの研究室から出る前に目に入ったものを1つ、使えるかもしれないと手に取って追いかけるが、こんなもの現状を打破できるようなものでもない。

 

そもそもお兄ちゃんがこんな行動を取らなければもう少しうまくやれたのだ。

お兄ちゃんが自分を囮にして私を逃がそうとしたのか、意味が分からない。

銃を向けられあれだけ恐怖していたお兄ちゃんが、あの異形の人間を前にして恐怖を感じない訳がないのに、どうして。

 

 

(……過ぎたことを考えても仕方ないか。このまま追っても絶対追いつけないだろうし、まだ出来るだけこちらの情報は隠しておきたい……やりたくないけど、お兄ちゃんの思考を探して先回りを……)

 

 

慌てて廊下に出たものの、既に2人の姿は視界にない。

即座に異能の探知範囲を広げ、お兄ちゃんを探す。

あの溶解人間は私の探知には引っ掛からないが、お兄ちゃんをしっかりと追っていると仮定して動けば……。

 

そこまで考え異能の範囲を全開まで広げていた私は、探知内に神楽坂さんがいることを発見した。

救援要請をしていたが、こうして異能で存在を身近に感じると、やはり安心感がある。

 

ほっと息を吐き、安心して冷静になった私はふと思う。

そういえば、飛鳥さんと違って神楽坂さんは異能に類するものを調査する部署に異動した訳でないのになんでこんなところにいるのだろう、と。

勿論、優秀であり無条件で信頼できる相手だから居てくれるのはありがたいが、何と言うか、タイミングが良すぎる気がしてしまう。

 

 

「……いや、神楽坂さんの事だから、自分なりに異能関係の捜査をしてお兄ちゃんにつながった可能性もあるかな。こんなこと今考えても仕方ない。合流したら聞いてみれば良いし、お兄ちゃんの居場所を――――うん、見つけた」

 

 

降って沸いた疑問をひとまず放置する。

逃走を図っているお兄ちゃんの思考を見付けた私は、彼らに先回りするべく駆け出した。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

佐取優助は妹が苦手だ。

幼いころ、自分の能力の高さに順調に自信を付けていた優助を、何の遠慮も無く叩き潰した燐香と言う妹に、彼はこれ以上ない程嫉妬や恨みを持っている。

自分が一番得意だった将棋を妹に負けたのを契機に辞めてからも、どうやったらあの怪物に勝てるのかと日々悩み続け、いろんな分野で勝負を仕掛け、結局最後まで満足に勝てなかったから、どうしようもない苦手意識を今だって抱えてしまっている。

だが、その苦手意識は同時に、燐香と言う妹の事をこれまで誰よりも見て来たからこそ、抱える悩みでもあるのだ。

 

だからこそ、優助は確信を持って今の妹の様子はおかしいのだと言える。

 

妹は、燐香は幼少こそ穏やかだった。

生活の端々で異常性を発揮しつつも、どこか他人を思いやる優しさは持っていて、困っている人を恐ろしい速さで見付けては助けに近寄っていくし、駄々をこねる妹の世話さえ不満を溢す事無く率先して行っていた。

そのくせ一歳下の妹に喧嘩が勝てず、いつも馬乗りにされて泣きべそをかく光景はいつもの事だった。

 

あの頃の燐香は本当によくコロコロと表情を変えた。

よく笑うし、よく泣くし、よく不機嫌にもなる、どこにでもいる様な少女だったのだ。

優助はそんな妹に恐ろしさを感じつつも、どうしても憎み切ることは出来ずにいた。

 

異変が起きたのは母親が亡くなった後からだ。

 

燐香が小学生に上がる直前くらい。

元々あまり体が強くなかった母親は白血病を患ってから一年ほど入退院を繰り返し、最後は病室で亡くなった。

その頃の記憶はあやふやで、いつの間にか葬儀は終わっていて、家にいて、母親がいないだけのこれまで通りの生活を送っていた。

それから、穏やかだった燐香は徐々に変貌を始めた。

 

何かの使命感にでも駆られるかのように。

家族に対する接し方はこれまでと変わることは無かったし善良な人間に対しては変わらず柔らかな物腰だったが、それ以外には酷く攻撃的に、冷酷に、悪辣になっていった。

 

やっている事は悪いことでは無い。

むしろ彼女がやっている行為のほとんどは人助けの延長だった。

決して目立つことはしないのに、どこからか影のように人を救っていく。

暴力に悩まされる者、環境に悩まされる者、自分の人生に悩んでいる者。

そう言う者達を魔法のように救い上げて、彼らやその様を見た者達の信頼を得ていった。

善行を為し、悪を挫き、他人からの信望を集めていく。

ごく一般的な人望を集める人間のサイクルであったが、異常なのはその規模だ。

学校の関係者、同じスーパーを利用する人々、顔も知らない街中を歩く大人達が、いつの間にか燐香に信頼を寄せるようになっていった。

 

燐香がするのは基本的に会話だけだ。

だが、年に見合わぬその言動は様々なものに影響を及ぼした。

子供のくせに、彼女の言葉はある時は人を奮い立たせ、ある時は簡単に人を絶望へ陥れる。

自分は表舞台に立たないくせに、嫌に影響力を持つ冗談みたいな存在になっていった。

心の底から信望する者は1人や2人では無い、きっと燐香が命を捨てろと言えば喜んで捨てるだろうと思うくらい、妄信的な人間が何人も現れた。

 

そういう人間なのだ、佐取燐香と言う怪物は。

 

容易く他人の人生を踏み荒らし、良くも悪くも他人の世界を壊す癖に、絶対に自分の懐に相手を入らせない。

派手さを嫌い、表舞台には立たない癖に、それでも何に対してもどうにかできるだけの力を持っている。

誰よりも近くで見る事が許された家族だからこそ知ることが出来た彼女のその怪物性は、いずれ日本のみならず、世界を統べるようなものなのだろうと優助を確信させるのは当然だった。

 

だから本当は、久しぶりに会った妹の様子を見た時、疑心暗鬼を抱きながらも彼は安心したのだ。

幼い頃のようにコロコロと表情を変える妹の姿を前にして、佐取優助は心のどこかでは――――。

 

 

「くそっ……この化け物は知性があるのか!?」

 

 

防火扉で壁を作り、窓を飛び越え講義室を通過するなどして様々な障害を与えても、それらをするりと抜けて追ってくる。

蜘蛛の様に変異させた下半身から生み出される速度はかなりの速さであり、未だに優助が追跡者に捕まっていないのはこの怪物の気紛れなのでは、と言う恐ろしい想像さえ頭を過ってしまう。

 

そんな、数分にも及んだ逃走劇は、出口に使おうとした扉の鍵が施錠されていた事で、唐突に終わりを告げた。

開かない扉に愕然とした優助が蒼白な顔で背後にいる怪物を確認し、別の脱出口を探すために視線を巡らせようとした瞬間、その怪物は手を大きな網目状へと変異させ振るってきた。

 

先ほどの攻撃が外れたのがよほど気にくわないのか、今度はしっかりと逃れようがないように。

 

転がるようにして、講義室に並ぶ机を上手く遮蔽物にした優助は何とかその一撃を避けたものの、壁になった机が音を立てて溶け落ちたのを見て、即座にその場から逃げ出した。

 

 

(なんだあれっ……生物と言うよりも、そもそも強酸としても常識外れだ! あんななんでも溶かすなんて、硫酸だってあそこまでじゃないぞ……!!)

 

 

対抗手段として考えられるのがほとんどない。

物質的に非常に安定しているダイヤモンドの盾でもあれば防げるのかもしれないが、そもそも強酸としてさえ逸脱しているあの溶解人間相手には、それがあったとしても立ち向かえるビジョンが見えなかった。

 

だが……と、優助は追ってくる怪物の足元を見る。

 

 

(常時あれほどの強酸性の体であるなら、床が溶け落ちる筈なのにそれが無い。意図的に硬質化させるのか、強酸性を抑えることが出来るのかは分からないが、強酸性がない瞬間だけは、反撃の糸口が……)

 

 

もっともその考えは、接近するという大前提をクリアしなければならない上に、考えを読まれ全身を強酸性にされた瞬間どうしようもなくなる。

即座に頭に過った反撃の選択を却下した優助が、何とか別の出口に辿り着き掛けた時、跳躍したその怪物が目前の出入り口を塞ぐように着地した。

 

 

「……うそだろ……」

 

 

その場で尻もちを突いた優助は、きっと責められるべきでない。

これまで廊下や教室を走り抜けて、追跡は振り払えないものの、捕まらないことは出来るのだと思っていた。

異常な見た目ではあるが、身体的な性能差はそれほどないのだと予測していた矢先、ほんの一度の挙動で、その予測が根本から崩された。

 

コイツは何時でも自分を始末できた。

そんな嫌な予感が現実だと、見せつけられたのだ。

自分の命はこの怪物の気紛れによって決まる。

絶望による思考停止。

度重なる疲労によって、優助の足はもう動かなかった。

 

座り込んでしまった優助に対してすぐに攻撃を仕掛けることなく、なぜか周りを確認したその怪物は、まだ来ぬ待ち人に落胆した様子を見せる。

だが、それも一瞬。

今度は手を細かい鞭のようにして、片手間に座り込んだ優助を薙ぎ払おうとして。

 

 

――――銃声が響いた。

 

 

的確に、怪物の変異した腕を打ち抜いた銃弾に驚愕した優助だったが、自分の味方だと判断した優助は即座に声を上げる。

 

 

「――――足だ!! 酸性の体を硬化して床を溶かしてないっ、足を狙え!!!」

 

 

続いた銃声は4発。

全てが的確に怪物の足を打ち砕き、大きく体勢を崩した怪物の前から、優助は慌てて飛びのいた。

 

 

「こっちだ!」

 

 

銃声の元である神楽坂が、講義室の扉を開きながら優助に向けて呼びかける。

自分を助けた人物がここ連日自分を訪ねていた警察官の片割れだと知って、安堵した優助はすぐさま神楽坂の呼ぶ方へと駆け出した。

 

銃に弾を込め直し、体勢を崩したまま動かない怪物に銃口を向け続け、神楽坂は自分の元まで辿り着いた優助を先に逃がし、そのまま逃走を選択する。

戦闘はあり得ない。

見るからにおぞましい異能を所持している相手に対して、何の異能も持たない自分がまともに反撃できるとなんて思っていない。

 

 

(佐取はっ……!?)

 

 

一緒にいる筈のあの少女の姿を探し、視線を走らせようとした神楽坂が見たのは、合流した優助達の様子をじっと見つめる、銀色の液体が人型を作っているだけの怪物。

 

寒気がした。

奴にとってこの状況が一番の好都合であるかのような、嫌な予感が神楽坂を襲う。

判断は一瞬。

咄嗟に前を走る優助を掴み、地面へ転がった。

 

 

「な、なにを――――」

 

 

次の瞬間、溶解の怪物と神楽坂達を挟んでいた全てが強酸の腕に薙ぎ払われた。

 

全てを溶かし尽くした、文字通り。

 

数十メートルはあった距離。

その間にある、壁も床も天井も、机も段差も誰かの置いていた荷物さえ、まとめて溶かした強酸の腕はギリギリ躱し床に転がっている神楽坂達をさらに狙うべく、既にまた振り被られている。

一息だって吐く暇はない。

今度は、倒れた状態の神楽坂達をより当てられるように、腕を縦に振るおうとする怪物に、何とか優助を連れて逃げ出そうとしていた神楽坂の血の気が引いた。

 

 

(コイツ、判断速度が尋常じゃないっ! 無理だ、躱せな)

 

 

そんな刹那の間に、場違いなくらいの無造作で、缶状の物が怪物に向けて投げられた。

攻撃よりも防衛意識が勝ったのだろう、即座に攻撃のために振り被っていた腕でそれを弾いた怪物だったが、溶けた缶から溢れた内容物が怪物の全身に降り注いだ。

 

 

『――――■■■■ッッ!!??』

 

 

その缶は、対大型の獣を撃退することを想定して作られた劇物であり、酸性の液体と言う、言うなれば剥き出しになった体内に不純物が降り注げば、まともではいられないのは目に見えていた。

 

 

「良かった、ちゃんと苦しんでくれた」

 

 

悶え苦しむ怪物の前に姿を現した、その劇物を怪物に投げ付けた少女、燐香は、なんでも無いかのように怪物に話しかける。

 

 

「知性があるものの、どうにも人間染みていない様子だったので疑惑を持っていましたが、どうやら苦しみや痛みと言った部分の感覚はあるようですね。つまり貴方は、完全な異能の現象ではなく、人としての性質は消えていない。まあ、知性があるんですから、当然ではあるんですけど」

 

 

追撃が来ない。

聞き覚えのある声がする。

そんな状況に、優助が顔を上げてそれを見る。

 

数年前からちっとも変わっていない巨悪が、恐ろしい顔を覗かせて怪物と対峙している。

 

 

「そうなれば話は簡単です。私は貴方の壊し方を知っています」

 

 

わざわざ標的となるように姿を現し、苦しむ怪物を前に長々と話をする。

普通であればそれは致命的な隙であり、自分の目的を邪魔した燐香を怪物は即座に溶解しようと体を大きく変異させ、呑み込むように行動したのは『怪物にとって当然だった』。

 

 

「人としての機能、ないし、人間的な部分が体のどこかに残っているなら。人間にとっての猛毒で、その体を染め上げてしまえばいい」

『――――』

 

 

怪物が呑み込んだのは少女では無かった。

 

燐香が研究室で回収していた容器、それは塩素系洗剤。

酸性系洗剤と塩素系洗剤を混ぜ合わせることで起こるのは、人体に猛毒な塩素ガスの発生だ。

空気中に拡散するだけでも甚大な被害を引き起こすそれが、人としての性質を残す体内に取り込まれたらどうなるか。

結果が出るのに時間なんて掛からなかった。

 

銀色だった身体に毒々しい紫色の斑点が次々に浮かび始めた。

瞬く間に全身をどす黒い紫色に染め上げられたその怪物は、ぐらりと床に倒れ込み、その場で苦しみによりのたうち回る。

自壊し、体の結合が崩壊し――――そして、体がただの液体へと溶けていった。

 

不死に思えた酸性の怪物は、もう動かない。

 

 

「…………よし! 何とかなった! 流石私っ、相性なんてものともしない!! むふふふっ」

 

 

動かなくなった怪物を至近距離から見届けた燐香はガッツポーズを取り、怪物がいた場所に広がった液体を適当なもので突いて、安全を確認する。

どういう原理なのか、液体からは酸性が完全に消えているようで、粘つきも無く、ただの水に近いものになったそれを、燐香は不思議そうな顔をしながら眺めて。

 

 

「……ん? これ……人の指?」

 

 

黒く炭化した人間の指の様なものが、その怪物が変異した液体の中にあるのを見つけた。

大きさ的に小指だろうか。

怪物として動いていた時は液体に覆われていただろうそれが、わずかに異能の出力を残しているのを見て、燐香は理解する。

 

 

(……なるほど、これがこの異能を遠距離で動かすための核。それにこれは……異能のラインが他に繋がっている訳ではない。これが本体でないならもしかすると……)

 

「燐香……?」

「へあ……?」

 

 

怪物の亡骸を弄っていた燐香にいつの間にか近付いていた優助が、困惑したまま声を掛けた。

 

完全に虚を突かれた顔で兄を見返す燐香と疑惑の眼差しを向け続ける優助。

そんな2人の様子を見守っていた神楽坂が、怪物が暴れた周りの惨状にも、自分の協力者の窮地にも、どうするべきかと頭を痛め、重いため息を吐いた。

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

バレた。

お兄ちゃんに、異能がバレた。

いや、正確には私の『精神干渉』に対する詳しい説明をした訳でもないし、私が『非科学的な現象』を扱えるのかと直接聞かれた訳でもないが、恐らく……多分……バレているのだと思う。

 

心は読んでいない。

だって、あの時は非常事態だったから場所を捕捉するために仕方なく読心対象にしていたが、非常時でもないのに自分で決めたラインを自分の都合で踏み越えるなんて……、と思うからだ。

だから、絶対にバレたという確証がある訳ではないのだが……。

 

 

「お、お兄ちゃん? ……よ、良かったよね、何とか皆無事でさ! い、いやあ、あの怪物を前にした時は死んじゃうんじゃないかと思ったけど、何とかなって良かった良かった!」

「……」

「警察の人がドバーっと大学の中に入ってくるのもビックリしたよね。色々聞かれた時は怖かったけど、結局そんなに時間も掛からなくて安心したよ! と、ところで、お兄ちゃんの研究対象って、あの怪物みたいなやつなんでしょ……? わ、わぁ、あんな実物を前に出来て、すっごく良いサンプルが取れたよね! このままノーベル賞一直線だね!」

「…………」

「あうぅぅ……」

 

 

ずっと無視される。

嫌がらせの為の無視ではなく、何か考え込む様な、何か非常に思い悩むようなことがある様な、そんな感じの無視だ。

 

嫌われたとかじゃない筈。

多分、きっと、そんな気がする。

 

 

「あー……そろそろ着くぞ?」

 

 

車を運転し、私達をお兄ちゃんの住むマンションまで送り届けてくれている神楽坂さんが、空気の悪さに気を遣ってそっと声を掛けてくれる。

キリキリと痛んでいたお腹が、神楽坂さんが声を掛けてくれたことで少し収まった。

もはや私にとってこの場における唯一の癒しである。

 

 

「しかし、優助さん本当に災難だったな。半グレ組織には狙われるし、妙な怪物には追い回されるしで、怪我が無くて本当に良かったよ」

「……いえ」

「半グレ組織については、やたらと武装も所持していたからな、今後まとめて検挙するからもう付け狙ってくることは無い筈だ。そこは安心してほしいんだが……すまんな。あの怪物について、まだ警察内では猜疑論が根強いんだ。証言もまともに聞いてくれなかったんだろう?」

「え!? あれだけ見るからにヤバい奴が暴れ回ったのに、まだ全然信じてもらえないんですか!? わ、私はそっちの話は全然聞かれなかったので、どんな話になってるか知らなかったんですけど、お、お兄ちゃん馬鹿にされたの……?」

「……はい。でも、俺だって未だにあの光景が現実だと実感できてないですから、実際に目の当たりにしていない人が無条件に信じるのは難しいと思っています。……それにどうやら、監視カメラもしっかりと潰されていたらしいですし」

「監視カメラの映像データを潰した奴については調査中だが、まあ、十中八九半グレ連中なんだろうというのが今のところの警察内部での見解だ。まだこの件についての謎は多い。十分気を付けて生活を送ってくれ」

 

 

そう締めた神楽坂さんの言葉に、お兄ちゃんは暗い顔のまま頷いた。

そこまで話をして、チラリと私に視線を送ってくれた神楽坂さんに軽く頭を下げて感謝を伝えておく。

こういう事情があるからあまり深く思い悩むな、そう言われた気がした。

 

それからすぐにお兄ちゃんの住むマンションまで到着した私達は、部屋の前まで送ると言った神楽坂さんに甘え、いくつかの荷物を持ってもらいながら階段を上がっていく。

先頭を歩くお兄ちゃんに少し距離を置きながら、私はこっそりと神楽坂さんに話しかける。

 

 

「神楽坂さん、今回は本当にありがとうございました。その、初めて私の異能が利きにくい相手だったのでちょっと動揺していた部分が……一度取り逃がしたのは私のミスです」

「いや、俺から感謝することはあっても感謝されることは無いさ。結局倒してくれたのは佐取のおかげだからな。佐取がやってくれなかったら、君のお兄さんも、俺も、命を落としていた」

「いえそんな……それで、今回の件で少し疑問点が残っているので、お話ししたいんですが……」

「ん? ああ、それは勿論構わないが……佐取は今日家に帰るんだろう? お兄さんを送り届けてから合流で良いか? ああそうだ、家まで車で送ろう。その時車内で話せばいいか」

 

 

ダンマリを決め込んだままズンズンと歩いていくお兄ちゃんの背中を確認する。

こちらの様子には気が付いていないようだ。

 

本当なら、お兄ちゃんには聞かれたくない内容の話だからこんなところで話すよりも、神楽坂さんが言うように車内で話した方が良いのだろうが、どうしても気になることがあった。

 

喉に小骨が刺さった時の様な、言い知れぬ不快感。

拭いきれないその疑惑を、早急に解消したかった。

 

 

「……はい、詳しい話はそこでしたいんですが、ちょっとだけ早急に確認したい事がありまして。その、神楽坂さんは今回の件、どういった形で介入することになったんですか?」

「言っている事の真意が分からないが……昔教え子だった奴が、俺を頼ってきたのが切っ掛けだったな。それで、数日前から君のお兄さんに接触を繰り返していた」

「……龍牙門と言う半グレ組織って、情報収集に長けているんですか? 具体的には、大学の学生が出した、かなりマイナーな論文も見付けてしまうくらい」

「いや、どちらかと言うと、抗争とかの荒事で主に金を稼ぐ連中だな。どうやって佐取のお兄さんの情報を知ったのかは知らないが、裏の情報屋みたいなのは結構いるんだ。そういう奴から情報提供されたんだろうと思っているが……」

「……血の気の多い暴力集団で、考えなしに大規模な行動を起こす恐れがある連中……騒ぎを起こしてくれるのを期待するならこれ以上ないくらい適任……」

「…………聞きたいことはもう良いのか? なんだか、佐取が疑っているのを見ると、無性に不安になるんだが」

 

 

神楽坂さんの質問に、取り敢えず材料が出揃った私は軽く頷いてぼんやりと考える。

 

学生の身であるお兄ちゃんが出したマイナー論文に注目して、接触を図る半グレ組織。

神楽坂さんと言う、これまでの異能の関わる事件を解決に導いたとされている者が、所属部署を通り越して急遽この件を担当することになる状況。

そして、半グレ組織とは無関係のように見える、突如として現れた第三者の異能持ちが、都合よく半グレ組織の騒ぎを察知して姿を現したという事実。

 

頭の中で、嫌な線が繋がっていく。

この件に関わる第三者、Xの存在があった時、それはどんな存在なのだろうと考える。

 

その存在Xは恐らく――――

 

様々な論文を漁るだけの教養を有していて、半グレ組織に情報を提供していた。

異能の情報が出回るのを相当嫌うだけの理由が存在しており、異能を研究するお兄ちゃんと、出来れば異能の事件を解決している神楽坂さんも同時に始末したかった。

半グレ組織が起こす騒ぎに乗じて行動し、全ての責任を彼らに押し付けるため、身近で状況を見定めていて、なおかつ『読心』出来る私が接触していない人物。

 

そして、もしも私がそれに会った時、『読心』出来なかったとしたら、それこそが。

 

 

 

「――――あ、神楽坂先輩。丁度良かった。色々重なって急に会えなくなっちゃったから、ここで待ってたんです」

 

「伏木? 本部への連絡は終わったのか?」

「ええ、そうなんですよ。それで、本部から神楽坂先輩を呼んでくるようにって言われちゃってですね」

 

 

――――あの、正体不明の異能持ち。

 

 

「ああ、すいません。佐取優助さん、部屋の前で待っていてご迷惑でしたよね。どうぞお気になさらず部屋に入ってください。俺は神楽坂先輩と少し話すことが……」

「……どうやってここまで入ったんだ? オートロックだぞ、ここ」

「……管理人さんに連絡して、入れて貰ったんですよ。すいません、変に不安にさせて。それで――――」

 

 

マンションの外に置かれていた野球用のバットを持った私は、異能で姿を隠しながら、全力でその男の頭をぶん殴った。

 

ぼちょん、と言う気が抜けた音と共に鼻から上が消し飛び、銀色の断面が露わになる。

ぼとぼとと断面から流れ落ちるのは、真っ赤な血なんかではなく、銀色の不気味な液体だ。

 

 

「――――そこにいる子って、優助さんの妹ですか? いやあ、似てる部分が結構あって可愛らしいですね。そんなに可愛い妹がいるなんて羨ましいなぁ」

「…………ふ、伏木?」

「ひっ、あ……なんだ、こいつ……り、燐香早く離れ……」

「あれ? どうかしたんですか? ほら、神楽坂先輩早く本部に行きましょう」

 

 

まるで自分がどんな状態なのかも分からないのか、鼻から上が無くなった状態でペラペラと話し続けるその怪物の姿はあまりにおぞましい。

顔を引き攣らせたお兄ちゃん達の様子に首を傾げながら近付こうとしたそいつに、私はバットを捨てて、右手を向ける。

 

 

「ソウルシュレッダー」

 

 

銀色の液体の中に見える指の様なものに向けて、手に纏わせた私の異能を銀色の断面に押し当てた。

想像していた通り、外皮は異能を弾くが内部は異能を通すようで、裁断されたその指の異能が破壊され、人型を作っていた液体が、音もなく崩れ落ちた。

 

人が液体になったのを目の当たりにした神楽坂さん達が顔を蒼白にさせている中、残骸であるその液体の中で核である指の他に、別の指が入った小瓶があることを確認した私は、神楽坂さん達目掛けて駆け出した。

 

 

「お兄ちゃん神楽坂さん! まだ来るっ、逃げてっ!!」

 

 

小瓶が内側からの力で破裂した。

中から現れた銀色の液体は、傍にあった炭化した指を呑み込みながら、先ほどの男の姿を足から順に作り上げていく。

ほんの数秒で、どこにでもいる様な先ほどの男の姿を模った銀色の液体は、困ったような顔を浮かべた。

 

 

「あれ、おかしいな。どこでバレたんだろう」

 

 

それから、その男はぼとぼとと大量の銀色の液体を腕から地面に垂らし始める。

その銀色の液体は、大学で見た酸性などでは無く、真っ赤に燃え上がる火炎を噴き出し始めた。

 

 

「まあ、いいか。どうせ全部殺すつもりだったし」

 

 

嫌に人間染みた笑顔を浮かべるその男は、化け物にしか見えない姿で歩いて来る。

 

 

 

 

 

 

 



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顔の無い巨人

 

 

 

 

お兄ちゃんの大学に突如として現れた変異系統の異能持ち。

これがどんな詳細の異能なのか、正直言って今の私には分からない。

 

異能の出力を遮断し、外部からの異能の干渉を弾くなんて、異能と言う第六感を広げていただけの私ではそういう相手は探知すら出来ていないからだ。

経験も知識も無い相手。

けれど、それでは全くこの未知の相手に対して対策を練られないのかと言うとそんなことは無い。

2度ほど顔を合わせたコイツの異能の使用から、分かることはいくつかあった。

 

強酸性の特性及び発火性を持つ液体への変異。

扉をノックする等が可能な固体への変異。

特定の人物に対する擬態。

そして、外部からの異能及び、自身が発する異能の出力を絶縁する特性。

 

それらから導き出される異能は、恐らく……『身体変化』。

液体への変化を基礎として、特性を付与するタイプの異能だと思われる。

 

異能を遮断していた外皮を剥してのソウルシュレッダーは通用した。

だが、外皮を剥した時に確認したが、“白き神”のように目の前の個体が本体にパスがつながっている訳では無かった。

つまり、私が対峙したコイツは本体を介さず完全に独立して知性を持つ異能の存在。

指が残っていたのを考えると、大本の異能持ちが自身の指を起点とすることで、疑似的に知性を会得させることに成功していたのだろうと思われる。

本体との繋がりがない以上、私がラインを通して本体を特定するのは不可能だが、同時に私と言う異能持ちの存在が本体に知られていないとも言える訳だ。

 

それらを踏まえて、私はどうするべきか。

 

マンションに発火性の液体を撒き散らし、轟々と燃え上がる火炎の中から歩みを進めるこの怪物を打倒することは、そもそも可能なのだろうかと思考を巡らせ、正面のそれから視線を逸らす事無く、異能の行使を始める。

 

 

「――――伏木っ、お前っ、どういうことだ!?」

 

 

神楽坂さんが吠える。

信頼していた人間が本性を現したことに心底動揺しつつも、重心を落としすぐに動けるようにして会話をしようとする神楽坂さんに、そのまま時間稼ぎを任せることにする。

 

 

「お前はいつからっ……いや、お前は本当に伏木航なのか!? 成り替わった別人か、それとも最初から計画を立てて警察に入ったのかっ……答えろ!!」

「あーあー、神楽坂先輩うるさいなぁ。ここマンションですよ? 日も暮れて来たんだからもう少し声を落とさないと近所迷惑じゃないですかぁ」

 

 

やけに常識的な話をして、声を荒らげる神楽坂さんを嗜める他人の皮を被った怪物は気味が悪い。

まともに取り合うつもりも無いだろうと思えるこの男の態度だが、それでも神楽坂さんは必死に、まるで否定してほしいとでも言うように噛み付いていく。

 

 

「っっ……何時からっ……何時から俺らを騙してた!? その力を使って、どれだけの悪事を働いてきたんだ!? なんでこんな事を起こしたっ!?」

「あはは、まだ神楽坂先輩は俺を信じようとしているんですね。ええ、実はやむにやまれぬ事情があって、仕方なくこんなことをしてるんです。だからこれっぽっちも神楽坂先輩を騙すつもりなんて無かったんですっ! ……なーんて、そう言ったら信じてくれますか?」

「伏木っ……お前……!!」

「最初から伏木航と言う人間はいなかったのか。それとも途中で成り変わられたのか。……神楽坂先輩、俺悲しいよ。あれだけ俺が慕っていた先輩がそんなことも分からないなんて……酷いなぁ、悲しいなぁ……ああ、でも仕方ないか」

 

 

さも、これ以上無いくらいの悲劇に見舞われたとでも言うように、大仰に涙を隠す動作をしたその男は、指の隙間から漏れる笑みをきっと隠すつもりも無い。

 

 

「神楽坂先輩、あれだけ仲の良かった落合巡査部長が自殺するまで異常に気が付けないくらいですもんね?」

「……お、まえ……まさか……」

「おかしいよなぁ。絶対あの人色んな葛藤あった筈だもんなぁ。普通でいられるはずが無かったもんなぁ……ねえ神楽坂先輩、最後に見た落合巡査部長って、どんな表情をしてましたか?」

 

「――――おまえッ!!!!」

 

 

あいつと、白崎天満と同じ、神楽坂さんの過去の事件に関わる者。

それをこの怪物ははっきりと言葉にした。

 

次の瞬間、神楽坂さんの形相が豹変する。

私がこれまで見たことも無いくらい、憎悪に染まった神楽坂さんの様子。

完全に冷静さを失った神楽坂さんが構えた銃を連射したのを、怪物はちっとも痛くないかのように、笑いながら受け止めた。

 

心底愉快そうに、にやついた表情を浮かべたソイツは受けた銃弾を指折りで数えていく。

 

 

「……3、4、5発。ああ、全部撃ち尽くしちゃいましたね神楽坂先輩! 警察官は常に冷静でいろってあれだけ俺に言っていたのに、全然だめじゃないですかっ!! 知ってましたか? 拳銃の銃弾って、水風船を5つ分も満足に貫通出来ないような威力しかないんですよ? 折角の遠距離武器なのに、ちゃんと弱点を狙わないから、無駄になっちゃいましたねぇ」

「伏木っ!!!」

「神楽坂さん!! 駄目です落ち着いて!!!」

 

 

飛び出しそうになる神楽坂さんの肩を掴み、私は必死に引き止める。

神楽坂さんが本気で私を振り払おうとしたら、私の力なんて毛ほども障害にならないだろう。

それでも私の制止に動きを止めてくれたのは、神楽坂さんが私を信用してくれているからに他ならない。

 

ケラケラと笑っている人の皮を被った怪物を見た。

挑発し致命的な隙を作ろうとすると同時に、コイツも出来るだけ時間を稼ごうとしている。

恐らく発火している液体により、マンションに完全に引火するのを待っているのだろう。

逃げ場を奪う、あるいは環境を自分にとって有利なものにすることで、確実に私達を仕留められるようにと言う意図で。

 

血走った目で怪物を睨んでいた神楽坂さんが、私の言葉に大きく息を吸いこんで激情を抑え込む。

あれ、と肩透かしを食らったように小首を傾げた怪物は、ようやく存在に気が付いたように私をじっくりと見詰めてきた。

 

疑惑に満ちた表情を浮かべた怪物が、私に問いかける。

 

 

「……お前、なんだ?」

「自己紹介するとでも?」

「神楽坂先輩との仲は何だ? どういう経緯で知り合った? 最近神楽坂先輩が異能の関係する事件を解決しているのも、白崎の奴のテロが阻止されたのも、お前が関係しているのか?」

「そういうあなたは、化けの皮が剥がれてますよ。伏木航と言う人物とは少々かけ離れている気がしますね。本当の伏木航と成り替わったのは何時ですか? ……ああ、失礼しました。この質問では答えにくいですよね、質問を変えましょう。この事件に関わる前、神楽坂さんと最後に連絡を取り合ったのは何時ですか?」

「…………」

「警察学校時代? それとも所属替えをした時にでも? 若しくは個人的な付き合いがありましたか? あるいは……神楽坂さんの身近な人が亡くなった時、心配して連絡したというのも考えられますよね。答えてくださいよ、伏木の名を騙る誰かさん」

「……お前は邪魔だなぁ」

 

 

返答は、刃のように鋭い形状に変異した腕の薙ぎ払いと共に。

 

だが既に、神楽坂さんとの会話で稼げた時間だけ、この怪物の攻撃は私達に届かない。

マンションの壁を破壊するだけに留めたその攻撃に、怪物は表情を歪める。

 

 

「……なんだかおかしいなぁ、妙な感覚だ。狙いがズレる。上手くいかない……」

 

 

肩を回すようにして腕の調子を確かめる怪物が、うまく思考誘導に掛かっている事を確認出来て安心する。

読心が出来ないと相手の思考を操作出来ているか分からないのが辛い。

物理的に干渉できる異能ではない私では、まともに攻撃を受けたら一発でアウトなのだ。

 

今まで感じたことの無い緊張感が常に私の精神を蝕んでくる。

 

腕の調子を確かめていた怪物は無造作にもう一度腕を振るうが、当然それも見当違いの方向に向かった。

 

 

「……これは、異能……?」

 

(こいつ……ただでさえ異能の相性が悪いのに、私の思考誘導を受けても冷静。……まずい、また前みたいに気が付いたら異能の出力限界を迎えてたなんてことになったら……)

 

 

基本的に私の異能では物理的な現象を起こせないのだから、相手の精神を揺さぶるしかない。

それなのにコイツは冷静にズレの原因を探っていて、全く精神が揺さぶられている様子が無い。

 

しかも最悪なのはそれだけじゃない。

 

じりじりとした熱が肌を焼く。

煙を察知した火災報知器が大きく音を鳴らし始める。

火が周りを包み始めたのに、それを引き起こした当人はいっそ涼し気だ。

流れ落ちる汗が顎を伝い、火災の煙が私達を取り巻いていく。

火災により逃げ場が徐々に失われていく。

 

完全に逃げ場が無くなるまでもう時間も無い。

仕事中だとか、異動後で馴染めてないだろう新部署とかもうどうでも良い。

飛鳥さんに救援要請を送ることを決意する。

多分、駆け付けてくれる……筈だ。

 

取り敢えず神楽坂さん達に逃げようと合図を送った時。

昨日も私とお兄ちゃんの騒音被害に遭った隣人が、騒がしい外の様子を見ようと部屋から顔を覗かせた。

 

 

「危ないっ、部屋に戻れ!」

「え?」

 

 

焦った神楽坂さんの警告に、眉をひそめながら外を窺ったお兄ちゃんの隣人は虚を突かれた様に目を丸くして。

 

その直後、隣人は何も理解できないまま、脇腹をゴムのように伸びた腕に殴り飛ばされ、壁に叩き付けられた。

グルリと白目を剥いて意識を失った顔見知りの姿に、お兄ちゃんが思わず息を呑む。

 

 

「……やっぱりだ。そもそも、不都合なものを見た一般人をただ殴り飛ばそうって発想になるのがおかしいよな。ちゃんと致命傷になるようにする筈なのに……だけど、こうして気を付けてよく考えれば……」

 

 

そんな凶行に及んでも、コイツは何一つ悪びれることは無い。

不思議そうにつぶやいた怪物が首を傾げている間に、神楽坂さんが気を失った隣人を救出に走る。

私は先ほどの金属バットを、お兄ちゃんは手に持っていた荷物を怪物目掛けて投げ付けて、神楽坂さんが逃げる時間を稼ぎ、そのまま3人で階段方向へと走り出した。

 

投げ付けられたものを片手で防いだ怪物は、逃げ出す私の背中を見詰める。

 

 

「……認識阻害。精神干渉。そこらへんの異能が考えられるけど……まあ、さっき俺をやったのはお前だよなぁ」

 

「神楽坂さん、お兄ちゃんとその人を連れて逃げてください。それと、飛鳥さんに救援要請をお願いしますね」

「なっ……燐香、何を言って!?」

「私が飛鳥さんが来るまでの時間稼ぎをします。神楽坂さん達よりもずっと適任ですから、心配しないでください」

 

 

異能を持っている私がこいつを相手に時間を稼ぎ、神楽坂さんに飛鳥さんへの応援要請を出してもらう。

 

幸い、奴に今の優先するべき標的は私に切り替わった。

現状、これ以上ない最善の選択だろう。

 

表情を歪めながら頷いた神楽坂さんにお願いしますと言って、それからお兄ちゃんを見る。

 

 

「燐香っ、あんな怪物相手に一人で時間稼ぎなんて出来る訳がっ……!」

「出来るよ、大丈夫。だからお兄ちゃん、神楽坂さんの手助けをお願いね。もし万が一私を無視して2人を追ってきたら、対処する必要があるからさ」

「そんな筈っ……貴方からも何か言ってください! 妹があんな化け物を相手にする必要なんてないって……!」

 

 

お兄ちゃんはまだ異能持ちと言う存在について分かっていない。

どれだけの身体能力を持っていたとしても、どれだけ歳の差があったとしても、異能の有無と言う格差はどうしようもないということを、まだお兄ちゃんは理解していないのだ。

だからこそ、それを嫌と言う程理解している神楽坂さんは、お兄ちゃんの言葉に頷くことが出来ず押し黙るしかない。

 

何も言わない神楽坂さんに、お兄ちゃんは唖然とした表情を向ける。

信じられないというようなお兄ちゃんの反応は、普通の価値観を持った人からすれば当然なのかもしれない。

 

 

「大丈夫、任せてお兄ちゃん。私は――――」

「……舌を噛むなよ」

「へ? うひゃぁっ!?」

 

 

ガバリッと唐突に、お兄ちゃんは私を抱き上げた。

驚く神楽坂さんを無視して、お兄ちゃんは私を抱き上げたまま階段まで辿り着くと上階へ向かう階段に足を掛けながら、神楽坂さんに向けて叫ぶ。

 

 

「俺は燐香と一緒にあいつの足止めをします! 貴方はその人を安全な場所にっ! それと、誰かは知りませんけど、アイツに対応できる人に応援要請をしておいてください!」

「えっ、えっ!? お兄ちゃん!?」

「俺の方が早いし体力がある! そうだろ!?」

 

 

それだけ言って、お兄ちゃんは私を抱えたまま、有無を言わさず階段を駆け上がっていく。

 

 

「っっ……あいつがお前らを追ったら飛禅に連絡はする! それまで何とかして耐えてくれ!!」

 

 

必死の形相でそう叫んだ神楽坂さんは、私達とは反対に階段を駆け下りて行った。

 

遠くに見える伏木と言う人間の皮を被った怪物が大学で見た時と同じように、追跡に適したものへと体を変貌させ、人間離れしたその肉体を躍動させて追ってくる。

恐るべき速さで追跡を開始した怪物は、真っ直ぐ私とお兄ちゃんを視線で捉えて離さない。

 

数段飛ばしで階段を駆け上がるお兄ちゃんだが、人間では不可能な三次元的な動きで追いかけて来るアレには、きっとすぐ追いつかれるだろう。

慌てて思考誘導で怪物の重心を崩すよう仕向け、追跡の妨害を行う。

 

 

「お兄ちゃん! 私は――――」

 

 

このままお兄ちゃんを危ない目に遭わせてしまうくらいなら、もういっそ自分の特異性を告白してしまおうか、と頭を過った私はそこまで口にして。

 

 

「知ってるよっ……! 燐香が、あの怪物と同じような力を持っているってことは!」

「――――」

 

 

思いもしなかったお兄ちゃんの言葉に、私の思考が停止した。

私はバタバタと暴れていたのもやめて、呆然とお兄ちゃんを見る。

 

いや、そうだ。

あれだけの事があったのだから、バレていたっておかしくはないと思っていた。

そのことの話をしていなかったのは、単に連続して襲撃があったからで、時間があればきっと問い詰められていただろう。

 

けれど、お兄ちゃんはそんな私の考えを否定する。

 

 

「ずっと前から……燐香と喧嘩をした2年前からずっと分かってた……お前が、人とは違う才能を持っていて。きっとそれは人智を越えているんだろうってことは、知っていたんだよ」

「け、喧嘩って……嘘……お兄ちゃんが、桐佳の誕生日祝いの約束を破った時のこと……? そ、それで気が付いて、家を出て一人暮らしを始めたの……?」

「…………その客観的な事実だけ聞くと、ほんとに俺が最悪みたいだからやめてくれ」

 

 

私を抱えて走りながらそれ以上話すのはやっぱり辛かったのか、お兄ちゃんはそれ以上は話さないまま、屋上まで登り切る。

 

息を整える間もなく、扉を突き破って追って来た怪物の衝撃で、私とお兄ちゃんは地面に転がった。

私と言う重しを持った状態で数階分の階段を駆け上がったのだから当然だが、お兄ちゃんは息も絶え絶えで、汗の量も尋常ではない。

 

 

「……あの時がきっかけだけど、お前がそういう特別な才能があるんだってことは、それ以前も何度も思って来た。妬みもしたし、恨みもした。距離を取ったり、何とか出し抜こうとしたり、どうしようもなくなって怖がったりもしたけど……今だってお前の事を、全く怖くないなんて言えないけど」

 

 

それでも、同じように地面を転がった私の前に立って、怪物と相対しようとする。

お兄ちゃんは私を見ない癖に、私を守ろうと怪物の前に出る。

 

 

「燐香が俺は絶対に持てない様な力を持っていたとしても……目の前のアレとも、人を簡単に殺そうとする犯罪者とも違う。それだけ分かったから……だから、もう良いんだ」

 

 

怪物が私達の姿をその目で捉え、攻撃方法を変える。

灼熱の液体を雨のように屋上全体の上空にばら撒いた。

 

読心で先読み出来なかった状況での最悪の一手。

意識の空白を作って回避なんて、そんな器用なことを出来ないまま、灼熱の雨は私とお兄ちゃんに降り注ぎ。

 

 

「……燐香、お前は俺の妹だから」

「――――」

 

 

お兄ちゃんは私を、覆いかぶさるように抱き締めた。

高熱の液体が降り注ぎ、屋上にあるものを焼いていく。

私を守るようにして、ぎゅっと強く私を抱きしめ続けるお兄ちゃんは、もう自分の事なんて考えていないようだった。

地面に跳ねたものですら熱くて泣きたくなるのに、これを身に浴びているお兄ちゃんはどれだけ熱い思いをしているのか。

細かい高熱の液体が全身に降り注いでいる時、どのくらいの時間を人の体は耐えられるのだろうか。

 

ゴトッ、とお兄ちゃんの服のポケットから携帯電話が落ちた。

表示された待ち受け画面は、私と桐佳とお兄ちゃんが写った、ずっと前に撮った家族写真。

私ですら忘れていたその古い家族写真を、お兄ちゃんは携帯電話の待ち受けに使っていた。

お兄ちゃんはずっと、その写真を大事に持ち続けていた。

 

体が勝手に動いた。

 

 

「――――止まれ」

「!!??」

 

 

行使されていた異能の雨が止まる。

強制的に相手の知性を起点に異能の出力を割り込ませて、相手に異能の出力を遮断させた。

初めて襲う異常事態に人の皮を被った怪物は、自分の体が変化させられないことに驚愕している。

 

これまで無いほどの異能の大出力に、激痛が頭を襲い一瞬で視界が真っ赤に染まった。

 

 

「なっ、他人の異能を強制停止させるだと!? 異能の干渉を受けない俺が!? なんでっ……!? いったいどうやって……!!」

 

 

ゴポリッ、とせり上がって来た血を吐き出しながら、私はお兄ちゃんの容態を見る。

服が盾になって大やけどは逃れているようだが、傍目からは深刻具合が分かり辛いし、痛々しいほど焼かれたお兄ちゃんの肌からは血がにじんでいる。

 

早く病院へ行かないとどうなるか分からない。

時間をかけることは出来ない。

 

 

「燐香……血が……」

「……お兄ちゃん」

 

 

朦朧とした意識の中でも、お兄ちゃんは私の口から溢れる血に心配するように手を伸ばす。

家族に対して冷たいと思っていたお兄ちゃんがこんな人間だったなんて、いままで自分はどれだけ家族の事を見ていなかったのだろう。

 

これまで散々時間はあった。

それでも、年の離れた兄との険悪な関係をそのままにしたのは、私の異能を知られた時、受け入れられないんじゃないかと言う恐怖があったからだ。

異能と言う隔たりがある、他人と自分は違う。

家族であってもきっとそれは変わらない、きっと異能を持たない家族の誰にも、私と言う人間は永遠に理解されることは無いのだと、ずっと諦めていた。

 

そんな想いがあって、私はずっと逃げて来た。

母親との最後の約束を盾に、私の異能で家族を守っているのだからと言う自分勝手な免罪符で、家族の誰にも私の特異性を話さないままこんなところまで来てしまった。

自分の歪さも、家族との関係が拗れたのも、全部そうやって先延ばしにしてきたせいなのだ。

 

 

「くそっ……異能が使えないなんてあり得ないっ……!! なら、直接お前を仕留めればっ……!!」

 

 

これまでの時間、私の異能による浸食を受けていたコイツへの思考誘導は既にかなりの深度だ。

読心できない状態では完全な末期状態までは持っていけないが、疑似的なものは出来る。

 

怪物が攻撃のために右手を動かした瞬間、私も異能による誤認を行う。

ボンッと言う音と共に、動かした左手により自分自身の顔を攻撃した怪物が、意味が分からないというように、目を白黒させながら吹き飛んだ。

着地しようとした足の重心を崩し、支えにしようとした腕を自分の足に突き刺し、受け身も取れないまま転がっていく。

 

 

「な、んだこれっ!? このっ、ふざけっ……!?」

 

 

私は怪物に一瞥もしないで、お兄ちゃんに話しかける。

 

 

「……お兄ちゃん、私はね。小さな頃から人の心が読めたんだ。だから、お兄ちゃんの心を読んで将棋に勝ったり、お父さん達の心を読んで何が求められているのか分かったり、桐佳の心を読んで好かれるように努力したりした。ズルばっかりしてきた私は、一度だってまともにお兄ちゃん達と同じ土俵には立ってなかった。最低だし、最悪だし、人の心を平気で踏み荒らす私は、自分自身が一番屑だって分かってる」

 

 

私はそこまで言って自分の携帯のフォルダを開いた。

お兄ちゃんが持っていた古い家族写真が、奥深くに眠っていたのを見付けて安心する。

忘れていただけで捨てていなかった。

 

なら、きっとまだ拾い上げる事は出来るのだろう。

 

 

「自分は特別なんだって思ってた。だから、家族を守れるのは私だけなんだって思ってたんだ。どれだけ異能を非道に扱っても、家族を守れればそれでいいと思った。自分自身の欲望で他の人を傷付ける人間がいつ私の家族に襲い掛かるか分からないから、悪人はどれだけ悲惨な目に遭わせても良いと思った。……人に守られるような資格なんてない。そんな人間なんだよ、私は」

 

 

意識が朦朧としているお兄ちゃんに私の言葉がどこまで届いているかは分からない。

返事もないし、私自身も異能の出力を上げすぎて意識が朦朧としてきたけれど、これだけはちゃんと口にしないといけない気がした。

逃げ続ける私にお兄ちゃんが歩み寄ってくれたから、私も手を伸ばすべきだと思ったから。

私はそこまで言って、お兄ちゃんを地面に寝かせた。

 

何かを喚き散らしている怪物へ視線を向ける。

未だに読心は出来ないし、外側からの異能は弾くし、出力を出しすぎてこれ以上私の異能の酷使は出来ない。

本体は別の安全な場所にいるだろうし、単なる独立した知性体のコイツ単体に対して怒りを向けてもきっと意味なんてない。

 

完全な手詰まりに近い状況。

だけど、こいつだけは私の手で始末すると決めた。

 

 

「……貴方は自分の情報を他人に知られたくない時どうやって口封じをしますか?」

「お前っ……俺に掛けたこれはなんなんだっ……!? 本当にお前は精神干渉の異能なのか!?」

 

 

一方的に話し掛け続ける。

 

 

「幸い、私の異能は他人にバレにくい。情報として流れにくいし、目立つようなことしなくても他人を無力化できる。それでもいつかきっと、私の情報が集積して、誰かに個人情報が特定されると思ったんです。そうして他の異能持ちから見つかって家族が攻撃されるのを避けたかった私は、どうやって情報の集積を防ぐか考えたんです」

「何なんだっ……何が言いたいんだ!? 情報の遮断なんて、今話すようなものでもないだろうが!!」

 

 

思い通りに体を動かせないことに激昂する怪物に対して思い出話をしながら、携帯電話のフォルダからその古い家族写真をコピーして、インターネットに接続した。

適当なサイトを開き、入力する場所に適当にコメントを打ち込み、古い家族写真をアップロードする。

 

 

「やっぱりインターネットをどうにかしないと、情報が出回るのは抑えられないと思ったんですよ。ネット上に投稿される私の起こしたものの数々が出回ってしまえば、いつかそれらの情報が私に繋がってしまうんだろうって思いました。それで、どうすればいいか、考えて」

 

 

その画面を人の皮を被った怪物に見せる。

 

 

「最初に、インターネットを支配することにしたんです」

 

「…………は?」

 

 

ERROR。

真っ赤なその表示が、携帯電話の画面を埋め尽くした。

ポカンとした顔でその表示を見詰める怪物。

普通の動作ではありえないその表示が何なのか、そういう顔をした怪物に答えるように携帯の画面が変わっていく。

 

『‐ERROR‐そのデータは許可されていません。‐ERROR‐その考えは許可されていません。‐ERROR‐貴方を重大な規律違反対象と見做します。‐ERROR‐その■■タは許可され■■ません。‐ERROR‐■の考えは■可さ■■いませ■‐ERROR‐貴方■重大■■律■反対象■■■します。‐ERROR‐■■■■タ■■可■■■■■■■。‐ERROR‐■■■え■■■■■■■■■■■▮‐ERROR‐■■■■■■■■■■■■■■■■■■■▮――――貴方ハ最優先処分対象デス』

 

 

「ヒッ……!? ま、まさかっ……まさかお前ッッッ……!!??」

「まだこの機能が生きてるとは私も思っていませんでした。インターネットそのものを知性体として定めて精神干渉が出来るのか。電子機器内に異能の出力を保存できるのか、そしてその保存した異能の出力を私の手駒としたインターネットの怪物がその判断で使用できるのか。それぞれの実験結果であり試行結果」

 

 

怪物は、顔を引き攣らせありえないものを見るように私を見た。

信じたくないとでも言うようなソイツに、私は静かに打ち明けた。

 

 

「――――どうやら、顔の無い巨人って私のことらしいですよ」

 

 

周囲一帯の光が消えた。

姿無きカラスの鳴き声がいくつも木霊し重なり始めた。

 

そして――――私の後ろにそれが現れる。

 

巨大な何かが現れる。

 

 

「か……顔の無い巨人……? は、ははは、嘘だ……そんな、こんなのは、あり得ない……こんなガキが顔の無い巨人だなんて……そんな筈がない。駄目だ。これは幻覚だ。幻覚で偽物なんだ……ああ、本体に知らせないと危険だ。コイツは駄」

 

「貴方に問い掛けは必要ない」

 

 

巨大な何かが怪物の顔を掴み、そのまま握りつぶした。

 

 

「貴方の世界の色は、私が決めた」

 

 

ただの液体になった怪物が、起点となっていた指を崩壊させながら、地面に広がり消えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 



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残された爪痕

次の話で5章も終了となります!
もうちょっとだけお付き合いください!


 

 

 

 

 

この才能は一体どこまで出来るのだろう。

自分の異能に対する理解が浅かった幼い頃の私が、そんな疑問を抱いたのが始まりだった。

 

人の思っている事が分かった。

動物の感情が分かった。

鳥の思考を思うがままに誘導することが出来た。

やればやるほど実現できていく現象の数々に、私の力の行使は留まるところを知らなかった。

 

虫は?

肉眼で捉えられない微生物は?

はたまた自我の芽生えていない赤ちゃんはどうか?

どこまでが私の異能の対象となって、どこからが異能の対象にならないのか。

自分の異能を知る上で最初に私が始めたのはそんな事で、最終的に落ち着いたのが知性を持つかどうかと言う境界線だった。

 

私が言う知性とは、「認識する力」を持つかどうか。

勿論世間一般的な知性に対する考え方とは違いがあるだろうが、私の異能が干渉出来る、目に見えず形の無い『精神』の定義はそれだった。

 

それを知った後、私は。

 

これから何をやるにしても自分の情報が出回るのは不利にしかならない。

そして、情報の遮断に最も適した方法は情報の出所を抑えてしまうこと。

 

そんな純粋な興味と打算から、私は親が起動して放置していたインターネットに接続されているパソコンに手を伸ばしていた。

 

私の異能対象の境界線が「認識する力」であれば、巨大な情報集積体であるインターネットと言う存在が対象にならない筈がない。

 

そんな考えでの行動は、確かに、私にとって全世界に異能の手を広げる足掛かりとなる重要かつ強力な駒を手に入れることが出来るという結果になった。

 

危険性を考えなかったわけではない。

人間が利用している巨大なデータそのものに自我を与えることがどれほど危険なものか、よく考えた上で。

例えどんなことになっても知性体に強制力を持たせる私の異能があれば制御することなんて簡単だと、所詮知性がある限り私の支配から逃れる術はないと、幼少時の驕り高ぶった当時の私はそんなことを至極真面目に考えていた。

 

実際それは順調だった。

手駒となったインターネットの意思は私に従順だったし、何かしらバグや不備が発生することも無く、それは私の役に立ち続けた。

 

問題は、私が大規模な異能の行使を続けなくなった時だった。

ある時を境に世界規模での異能の行使を辞めた私は、私の異能を核として存在を確立させているインターネットの意思も、私の異能の供給が無くなればそのうち消えてなくなるだろうと考え、そのまま放置してしまった。

 

私に辿り着く可能性があるものを見付けた時は阻止するようにという、そんな簡単な指示を残したまま、このインターネットに作り上げた巨大な意思を持つ存在を私は、直接手綱を握ることを止めたのだ。

その結果生まれたのが、『顔の無い巨人』と言う存在に近付く者を徹底的に排除するインターネットの怪物。その正体だ。

 

……まあ、私もまさか、確立した自我を今日と言う日まで保ち続けるとは夢にも思っていなかったのだ。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

「……周りにそれらしい奴はなし……このスライム人間の予備はもういないかな。大規模な異能持ちとの戦闘を考えなければ、指3本分でも十分すぎるもんね」

『……』

 

 

人の皮を被った怪物の残骸がもう動かないことを確認し、それから周囲に異能の出力を微量だけ流して出力を弾く存在がいないか確かめる。

力技のこの探知方法は、正直あまり使いたくなかったものだが、インターネットの怪物と言う最大戦力を呼び出している今、多少の力技であっても敵を見つけ出してしまう方が良い。

そんな考えからこうして無理やりの探知をしているが、既に出力を使いすぎているため、少し探知をするだけでクラリとした眩暈が私を襲う。

 

 

(……指を起点にした単独思考型の異能の存在。流石に、異能持ち本人の指だと思うんだけど……)

 

 

この怪物の分身体は指を起点にしていることから、異能持ち本人の指を核とした分身だと仮定すると恐らく10体、最大でも20体の分身を作れるのだろうと思う。

20本中の3本を1箇所の戦力に回すのだって慎重すぎると思うから、これ以上の予備はないだろうと考えていたのだが、どうやらその考えは当たっていたようで私の出力が届く範囲に異能を弾く存在は見当たらない。

 

 

(よし、これで私が探知できない敵性存在については考えなくて済む。あと考えなくちゃいけないのは……)

 

『?』

 

 

チラリと後ろを見る。

今まで必死に無視していた後ろの存在が、全く消えることなくそのまま居座っている事を確認した。

 

背後にいる巨大な何かはあの怪物を潰した後、ずっと私を見下ろしている。

何かを確信しているのか、キラキラとした感情を私に向けてきている。

よく分からない。

 

 

(……コイツめっちゃ怖いから、早くいなくなって欲しいんだけどなんでずっといるんだろ……)

 

『!!??』

 

 

スライム人間よりもずっと凶悪な見た目をした異形の巨人。

決まった姿形の無い筈のインターネットの意思が、私に見せているこの姿は一体何だというのだ。

 

10メートル以上ありそうな体躯に、輪郭は影のような癖に透明ではなく後ろの風景は見えないほど深い黒。

手足はやけに長いし、どこかバランスが悪く、人間をそのまま巨大にさせたにしてはおかしい気がして、不気味さが際立っている。

平面の様で、立体的で、ホログラムの様で、物質的で。

相反する印象を受けるソイツの存在を、私は初めて視認した。

 

不気味すぎて笑えない。

少なくとも私はこんな姿を設定などしていない。

顔の無い巨人なんて、本当に悪趣味が過ぎる。

 

やっぱり自分の過去の行いとは関係ないんじゃないかと、お兄ちゃんの資料を見た時に感じた確信を無視してそんなことを考える。

 

……いや、今はそんなことを考えている場合じゃなかった。

 

 

「お、お兄ちゃんを病院に連れて行かないと……! もうっ、邪魔だからネットに帰ってっ……!」

『!!!???』

 

 

階段から下の階層を見る。

既に火の手が回っていて本格的な火災現場になってしまっている。

非力な私がお兄ちゃんを抱えていくのは、どう考えても難しそうだ。

目に見える範囲でこれなのだから、恐らく出火元となったお兄ちゃんの部屋がある階層は火の海になっている事だろう。

 

 

「階段を使うのもエレベーターを使うのも無理……飛鳥さんはまだ時間かかるだろうし……どうしよう」

 

 

意識を失っているお兄ちゃんを持ち上げようとするが、体格差からまともに持ち上げることも出来ない。

こんな状態では、火災が起きてなくてもマンションから脱出するのは不可能に近い。

火の手が屋上まで登ってくるまでに、あとどれくらいの時間的猶予があるのだろう。

現状、飛鳥さんを待つしか手が無い気がするのだが……。

 

いつの間にかマンションの下には人だかりが出来ているし、遠くからは消防車のサイレンの音が聞こえてきている。

大っぴらに異能を使うのを避けるのなら私が異能で誤魔化さないといけないし……と、色々考え、まだ激痛が残る頭がこんがらがりだした結果、私は大きく空を仰いだ。

 

 

「あー……飛鳥さんの馬鹿ー! 神楽坂さんと一緒に行動してたのが飛鳥さんならこんなことにならなかったのにー!!!」

「――――うっさいわね! 急いできたんだからそんなこと言わなくていいじゃないっ!!」

「あれっ!? あ、飛鳥さんっ!?」

 

 

いつの間にか上空に、息を乱しながら宙に浮かぶ飛鳥さんの姿があった。

仕事を途中で抜け出してきてくれたのか、警察官の制服を着た状態の飛鳥さんの姿は何だか新鮮だ。

助けに来てくれた状況もあるのだろうが、普段のあの姿とは違うギャップに飛鳥さんが凛々しく見えてしまう。

 

と言うか、さっき周囲の索敵をした時、私が感知できなかったのを考えると、ほんの数十秒で1キロ以上の距離を飛んできたことになるのだが……。

 

 

「え、え? 神楽坂さんから連絡が来てまだ10分も経ってないんじゃ……?」

「アンタがっ、ピンチだって言うからっ! うるさい上司をぶっ飛ばしてここまで来たのよ!! それで何!? 到着したら罵倒されて、挙句まさか……途中アホみたいな出力を感じたと思ったけど、アンタ倒したんじゃないでしょうね!?」

「…………えへ☆」

「はあああああっ!!??」

 

 

私の目の前に着地した飛鳥さんはがくがくと私の肩を揺さぶり、怒りをぶつけてくる。

疲労困憊の状態の私になんてことを、と思ったが、飛鳥さん視点からすると理不尽にもほどがあるだろう。

大人しく怒りをぶつけられるのを甘んじる事にしよう、と思ったのも束の間、飛鳥さんは深いため息を吐いて表情を和らげた。

 

 

「……全く、取り敢えず燐香が無事で良かったわ」

 

 

あれだけ怒っていたのに急に態度を軟化させた飛鳥さんはそう言って、私の頭をポンポンと軽く叩いてくる。

急に大人としての格の違いを見せつけられた。

なんだかそれはそれで不服である。

 

 

「……あっ、飛鳥さん! お兄ちゃんが熱湯を掛けられて火傷してるんです! い、命に別状はないと思うんですけど、早く病院に連れて行かなきゃっ……!」

「え、燐香って兄がいるの? そこで倒れてるのが……?」

「私のお兄ちゃんで……あ、飛鳥さんと同い年ですね」

「ふーん? 同級生では見たことないわね。医学知識なんて警察で学んだ応急手当だけだから何とも言えないけど、多分重傷じゃないわ。ま、取り敢えず、火が回らない内にマンションから降りておきましょう。ほら、手を取って」

「冷静っ……!?」

「アンタがテンパってるだけよ」

 

 

お兄ちゃんを異能で浮かし、私にはわざわざ手を取って、飛鳥さんはふわりと体を浮かせた。

 

軽々とした羽毛のように、飛鳥さんの異能によって空を飛ぶ。

無重力空間と言うのはこんな感じなのだろうか、ちょっとだけ感動しながらも、私はすぐさま異能を使って周りにバレないよう細工をする。

 

 

「……ところで、襲ってきてた異能持ちってどんな奴だったの? またUNNの手先?」

「あー、いや、その情報はちょっと分からなかったです。何と言うか、外部からの異能の出力を弾く特性を持った奴だったので」

「はあ? それって燐香にとって天敵じゃないの? ……良くもまあ、勝てたものね」

「あははは……ズルしたって言うか……貯金を使ったって言うか……まあ、そんなことはどうでも良いんです!」

 

 

チラリと屋上に視線を向ければ、ショボンと落ち込んだように肩を落とす巨人が消えていくのが見える。

 

……私の言葉がそんなにショックだったのだろうか。あとで話し合いが必要かもしれない。

私に掛かっていた幻覚が消えたことに安心するが、これからあの存在の扱いをどうすればいいのだろうと考えると、頭が痛くなってくる。

 

だが、空を飛んでマンションから降下する際に見えたのは、もっと頭が痛くなる光景だった。

 

 

「あああああっ、助けてくれぇええっ!!! 誰かっ、熱い熱い熱いっ!! 早く、消防車を!!!」

「死にたくないようっ……!! 誰かっ、助けて……!!! 熱いよぉ!!」

「嫌だぁ!! 焼け死にたくない!!! なんでっ、熱いよ! 助けてくれっ、誰かっ、助けて!!!」

 

 

――――あまりにも多い助けを求める人達の、懇願に近い叫び声。

燃え上がる火災の強さに追い詰められ、マンションの窓から助けを呼ぶ人々の姿。

 

 

「……異能持ちによる出火ですからね。そりゃあ、火の回りが早くて、逃げ遅れた人が当然一杯いますよね」

 

 

ぱっと見ただけで十数人はいるだろうと思えるその光景に、私は顔が引きつるのを自覚しながら、救助に向かっている筈の消防車を探す。

まだ現場に到着していないところを見ると、間に合うかも怪しいものだ。

 

 

「……」

 

 

集まった野次馬達が、助けを求める彼らを完全に認識し、注目してしまっている。

ここからこの人数の意識を逸らすのはかなりの出力が必要になるし、強制停止なんて言う規格外の出力を使った後の私では、意識を失うまでに成功するかも分からない。

 

今更になってしまうが、あの怪物から逃げている時、住人達に危険を伝えて逃げてもらう必要があったのだろう。

私の配慮が足らなかった。

 

誰にも気が付かれることなく地面に私達を下して、飛鳥さんは救助を求める人々に視線を向ける。

 

 

「……そんな暗い顔しなくていいわよ。私があいつら全部助け出すから」

 

 

ふと思いついたことを口にしたような気軽さで、飛鳥さんはそんなことを言った。

 

 

「えっ!? あっ、いやっ、すいません、実は私ちょっと出力使いすぎて、既に注目を集めている事からこの人数の認識を誤魔化すのは難しくて……」

「誤魔化す必要ないわ。むしろ今の警察署の偉い人の一部が私の力を知っている状況の方がめんどくさいの。ここまで来たら、国家規模の有名人になってやるから、見ててちょうだい」

「ちょっ、飛鳥さん!? 本気ですか!?」

 

 

私は慌てる。

『非科学的な現象』と呼ばれるものが世界中で注目を集めている今、異能持ちの出現は多くの人に知れ渡り、同時に、悪意か善意かは関係なく、多くの人が接触を持ち、また利用しようとしてくるだろう。

あまりに危険だし、日本政府の今の方針から考えると、異能持ちと世間に知れ渡った人に対してどんな扱いをするのか未知数がすぎる。

異能を利用して有名人になりたいだなんて思う人でもないのに、そんな危険に身を置くのは……と思った私は、飛鳥さんを引き留めようと慌てて彼女の手を掴んだ。

 

私の様子に少し驚いた顔をしてから、飛鳥さんはニヤリといたずらっぽく笑った。

 

 

「有名になって、たとえ国そのものが私を拘束しようとしたりしても、また昔みたいに燐香が助けてくれるんでしょ?」

「……だから、飛鳥さんのその信頼は重いですってぇ……」

 

 

一切疑っていない。

いや、裏切られても構わないとさえ思っていそうな飛鳥さんの様子にへにゃへにゃと力が抜けて、掴んでいた手を離してしまう。

 

最近分かったが、私はこういう信頼とか善意とか、そう言うものにめっぽう弱いのだ。

特に飛鳥さんくらい親しい人に頼りにされると、ついつい応えたくなってしまう。

 

……いや、飛鳥さんが目の前の惨状を救うために覚悟を決めているのだから、この場に巻き込んだ私が覚悟を決めないでどうする。

家族はどうするか、学校はどうするか、どこまでやるかを即座に考え頭を回しながら、私はズシリと重い覚悟を決めた。

 

 

「…………分かりました。世界が飛鳥さんの敵になるなら、全てを打倒する覚悟を私も持ちます。1人では行かせません、地獄までお供しますともっ……!」

「――――プッ……あはははははっ!! どこまでマジになってんのよ! うひひっ、なにその顔超ウケる! 仮にも公安の身なんだからそんな事態になる訳ないじゃないっ、まだテンパってるのねアンタ!」

「は――――は、はぁぁぁあああああぁっぁ!? わ、私がこんな重い決意をして、世界だって敵に回して見せると言葉にしたのにっ、この糞鶏女っ……!! あっ、待てっ、まだ話は済んでないですよ馬鹿鳥!!」

 

 

ふわりと浮かび上がった飛鳥さんは、私の叫びを心地いいとでも言うように聞き流して、笑みを浮かべた。

 

 

「ふふっ、良いからそこで見てなさい。昔アンタが救った小娘が、今度はこんな大勢を救う……なんだかそれって、とっても素敵な話でしょ?」

「……ああ、まったく、忌々しいほどに素敵な話ですね」

 

 

――――それからの事は、きっと話すまでも無いだろう。

 

『遊楽ガーデン大火災』

マンション全てを燃やし尽くしたその大火災は、翌日には日本全土に知れ渡ることとなる。

近年まれにみる大火災であったにも関わらず死亡者が誰一人として出なかったことと、1人の異能持ちがその超常現象で全ての人を救いだした、という事実と共に。

 

 

 

 

 



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それはきっと苦い味

 

 

 

 

朝日が差し込む病院の一室。

ひときわ光が差し込む窓際のベッドの上で、目覚めたお兄ちゃんは眩しそうに目を細め脇に置かれたテレビから流れるもう何度目か分からない同じ内容のニュースに目を向けた。

それから、ベッドの近くにいた私を一瞥するとその端正な顔を歪めた。

 

私はお兄ちゃんのその反応に少し心が折れかけながらも、負けじと声を掛ける。

 

 

「おはようお兄ちゃん、入院初日からだから、数日ぶりかな。加減はどう?」

「……」

 

 

クルリと、お兄ちゃんが黙ったまま私に背を向けた。

微妙な顔をしたお兄ちゃんが、床に視線を落としたまま顔を上げようとしない。

それどころか、隣にいる私を意図的に見ないようにしているのか、私がせめて視界に入ろうと動くたびに、お兄ちゃんは体ごと向きを変えてしまう。

 

どうして、なんて考えるまでもなく、お兄ちゃんはボソリと独り言を呟いた。

 

 

「俺…………あの時、凄い恥ずかしい事を言ってた気がする……」

「そ、そんなことないよ!? 格好良かったよお兄ちゃん!!」

 

 

羞恥で真っ赤に染まった顔を私に見られないように、お兄ちゃんは必死に私から顔を背け続けていた。

 

病院で目覚めてから2度目となる私との面会、つまりあの大学襲撃事件からおよそ一週間が経つ訳だが、どうやらあの時の恥ずかしさが今になってぶり返したらしい。

あの溶解人間に追われていた時、私に対して言った事が、お兄ちゃんにとってはとてつもなく恥ずかしいようなのだ。

 

病室の布団に包まるようにして私の視線から逃れようとするお兄ちゃん。

私は何とかフォローしようとしているが、別にこの言葉はお兄ちゃんを元気付けようとした中身の伴わないものではない。

あの時のお兄ちゃんの言葉は、ちゃんと私の心に響いていた。

 

 

「……あの時言ったのはアレだ。追い詰められて、咄嗟に口に出ただけの言葉で……その……本心、じゃない訳じゃないが……忘れて欲しい……」

 

 

でも、お兄ちゃんは私と目も合わせないままそんなことを言う。

 

……まあ、こんなことを言っているが、人間って追い詰められた時に出る言動は普段抑圧しているものが多いから、照れてしまっている今のお兄ちゃんのよりもあの時のお兄ちゃんの言葉の方が本心に近い筈。

 

つまり、色々あったけどお兄ちゃんは本心では私が嫌いじゃないのだ。

 

 

「……えへ」

「!! 燐香っ、なんだ今の笑いは!? お前っ、信じてないだろ俺の――――」

「えー? 私わかんないー。無理やり一人暮らししたくせに、寂しくて私達との家族写真を携帯の待ち受けにしていた人の言葉なんて全然わかんないよー」

「――――おっ、おっ、お前っ!? なんで……!?」

「いやぁ……私も忘れるくらい昔の家族写真が待ち受けにされてて、思わず自分の携帯のフォルダから同じ写真が無いか探しちゃったよ。うんうん、ほら見てお兄ちゃん! 私もこれ待ち受けにしたの。お揃いだねー」

「うぐぎぎぎぎっ……!!??」

 

 

表情を七変化させるお兄ちゃんをニヤニヤしながら眺める。

これまで中々、こうしてお兄ちゃんをからかった事が無かったから、ついつい面白くなってしまう。

 

とまあ、こんなところで素直になれないお兄ちゃんいじりは止めておく。

やりすぎて、意固地にさせてしまうのは今回の私の本意ではない。

 

今日、私が言いたいのはそういうことでは無くて……。

 

 

「……今回はたまたま深刻な怪我にならなかったけど、今後はもう自分を盾にして誰かを守るようなことは止めてね」

「……燐香、お前」

 

 

私は、病室のベッドで横になる、入院1週間を迎えたお兄ちゃんに対してそう言って、切り分けた果物を差し出した。

 

 

あの大学での襲撃及びお兄ちゃんの住んでいたマンションへの放火があってから、私はお兄ちゃんを病院に担ぎ込んですぐにお父さん達に連絡して状況を説明した。

直ぐにお父さん達は病院に駆け付けてくれ、お兄ちゃんは診断の結果、幸い重度には至っていないし後に残ることは無い程度の火傷だが、1,2週間入院する必要があることなどが告げられた。

燃えたお兄ちゃんの私物等の話は置いておいて、お兄ちゃんの命に何の別状も無かったのは不幸中の幸いだったと思う。

 

幸い大事に至らず、病院での治療を受けてから少しして、お兄ちゃんは目を醒ました。

お兄ちゃんが目を醒ました姿を見た時は、思わず私は安堵で膝から崩れ落ちてしまった。

困惑するお兄ちゃんに縋りついて、お父さんや桐佳がいる前でグスグスと泣いてしまった私は、きっとどうしようもないくらい情けなかっただろう。

 

ぼんやりと、私が切った果物を口にするお兄ちゃんを私は眺める。

 

 

「……ねえ、お兄ちゃん。あの時、どこまで私の話が聞こえてたか分からないけど、お兄ちゃんが考えていた私に対する疑惑は全部当たってるよ」

「っっ、んぐっ!? ま、まて燐香っ、周りに人がっ……」

 

 

私の口火を切った言葉に、口にしていた果物を噴き出しそうになったお兄ちゃんが制止しようとするのを、私は逆に遮る。

 

 

「聞こえないよ。ううん、違うかな。私達以外は認識できない。そういう風にしてるから」

「それは…………そんなこと出来るのか?」

「出来るんだ。私のはそういう力だからね……例えばね、『    』。これ、聞こえた?」

「…………聞こえなかった。いや待て、例えば、の後に口が動いたのも分からなかったぞ。本当は話してないなんてこと……ないんだな、本当に……」

「うん。『佐取燐香』って言ったんだ、凄いでしょ? 聞き覚えがある言葉でも、目の前で話してても、認識できないんだよ」

 

 

愕然としたお兄ちゃんが、手を私の口へと伸ばして触れたので、もう一度やって見せる。

意図的にだが、お兄ちゃんの指の感触は残しておいた。

 

お兄ちゃんの目が見開かれる。

 

 

「……口は動いてる。燐香、これ……相当ヤバい力だぞ」

「非科学的な現象、つまり、一部の人間に宿った超常的な才能。私はこの力を、異能と呼んでるの」

「これが……あの怪物を実際に目の当たりにしたが、世の中でこんな力を使える奴が本当に……」

「私のこれは……えっと……精神干渉。知性体の精神に干渉できる力。この前襲って来た奴は、仮呼称だけど『液状変質』かな。体を液体に変化させ、変化した液体には特性を付けられるんだと思う。発火性とか酸性とかね。こういう風に、目に見えたり見えなかったりとか物理的なものかそうでないとか、才能の発現には色々種類はあるけど、総称して異能、異能持ち」

 

 

そんな風に、私はお兄ちゃんに対して今までずっと隠してきた秘密を告白した。

世界にはこういう風な力を持つ人が一定数いて、世界でも認識はほとんどされていなくて、一般人の中に潜むようにして生活している、特殊な才能を持つ者達。

自分を含めてそう言う存在がこの世にはいるのだと、お兄ちゃんに告白した。

 

 

「全部が全部じゃないけどね、そういう存在は良くも悪くも自分本位なんだよ。誰かの為に自分の特殊な力を使う人なんて滅多にいない。そりゃあ歴史上の聖人として数えられている人なんかは、そういう人だったかもしれないけど……基本的には、自分さえよければそれでいい。才能を持たない人から何かをしてもらった訳でもないから、才能を持った自分達が無償の奉仕をするなんてありえない。そう考えるのが普通なんだ」

「……その、異能持ちは悪人ばかりなのか?」

「ううん。そういう訳じゃないよ。でも、世界から異能持ちに対する扱いってあんまりよくなくてね。一般的には異能は周知されてないんだけど、やっぱり一部の、偉い人達とかは事情を知ってて。ちょっと前までは、見つかった異能持ちは……その、色々非人道的な扱いを受けてるところもあったの。だから、異能を持っている人達は、その力を隠れて自分の為だけに使うのが普通の考えなんだ」

 

 

だから、と私は続けた。

 

 

「お兄ちゃんみたいに、異能を解明しようとする人は嫌われる。異能持ちにも、一部の事情を知る偉い人達にもね」

「……」

 

 

どうしたものかな、と頭を掻いて言葉に悩む。

大学で、お兄ちゃんの研究を応援すると言った言葉に偽りはない。

だが、今の世界情勢的に危険であり、そして、今回の異能持ちによる襲撃でほとんど知る人のいなかったお兄ちゃんの研究は、少なからず目にする人が増えたのも事実だ。

その研究を続けることがこれからどれだけ危険を呼ぶのか、今の私には見当も付かなかった。

 

テレビから、もう何度見たか分からない飛鳥さんの映像が映し出される。

火災で逃げ場を無くした人々を『浮遊』させて救い出す飛鳥さんの姿は、まるで物語から飛び出してきたヒロインのようで、今は日本中を熱狂させている。

アイドルの様な立ち振る舞いで笑顔を振りまく飛鳥さんの姿は、きっと普段の彼女の姿を知る人でないと違和感にすら気付けないだろう。

飛禅飛鳥と言う女性警察官は、未知であった『非科学的な現象』を携えた市民に味方する正義のヒロイン。

 

恐らく世間の大多数の意見としては、飛鳥さんを好意的に受け入れるものが大半だろう。

だが、これを見た、隠れ潜んでいた異能持ちやこの事実を隠したかった権力者はどう思い、どう動くのか。

 

躍起になって火消しに走るだろうか。

飛鳥さんに続くように、表舞台に立つのだろうか。

傍観するか、諦観するか、それともこの流れを利用しようとするか。

全ての思考や感情を理解することは、今の私には出来ないけど。

 

 

「……それなら、俺はこんな研究やめるよ」

 

 

私が何を言うよりも先に、お兄ちゃんはそう言った。

驚く私をお兄ちゃんはじっと見据えた。

 

 

「燐香が、こんな奴らが起こす事件にもう関わらないと言うのなら。俺は何の後腐れも無く研究をやめる」

「――――……」

 

「燐香、俺はお前を理解したかった。お前に勝ちたかったし、お前の兄でいたかった。だからこの研究を始めたんだ」

 

 

望んだ形ではなかったけれど、私の力を知れた。

私の秘密を聞いて、世界の裏事情を知れて、それがどれだけ危険なのか理解した。

であれば、もう無理に研究を続ける意味なんてないのだとお兄ちゃんは言う。

 

 

「お前とは色々あったけど、燐香がそういう視点を持っている事を知れた。燐香がどういう悩みを抱えて俺と接していたか分かった。もういい、もう十分だ。今回の一件を経てよく分かった。これ以上お前が傷付くのは見たくない、あんな奴らにお前が襲われるなんて考えたくない。……なあ、燐香。これまでの事を謝る。これまでずっと冷たくしててごめん。これからは家族を何よりも優先して考える。だから」

 

 

そう言って、私の手を握る。

 

 

「もう、あんな奴らに関わるのなんて辞めてさ。父さんと桐佳と、俺とで……何気ない毎日を過ごしていこう」

 

 

それは、前に私がお父さんに向けて言った言葉で、きっと私がずっと聞きたいと思っていた言葉だ。

 

家族に私を受けいれて欲しかった。

どんな悪意にも家族を奪われたくなかった。

お母さんとの最後の約束を守りたかった。

 

見て見ぬふりさえしてしまえば、求めていた全てが揃うようなお兄ちゃんの言葉だけど、今それはできない。

 

 

「…………ごめんねお兄ちゃん。それは出来ないんだ。最近頻繁に起きてる一連の事件には、異能を利用したものばかりで、まだその根本を断つことが出来てないの。今の状況全部忘れて日常に戻るのは、危険に怯えるだけの生活をすることになるから。そんなの、私は嫌だ」

「それは……燐香がやらないといけない事なのか?」

「私、警察とか国とか、国際組織だとか。全部信じてないの。だって、私1人どうしようも出来なかった人達に、期待なんて出来ないよ」

「…………燐香1人にどうしようもなかったって、どういう……いや、顔の無い巨人ってお前まさか……」

 

「あっ、とっ、ともかく! そのふざけた奴らをボコボコにするまでは協力するって言う約束もあるから! 完全に関わらないって言うのは、もう少し時間が掛かるの!」

 

 

ジトッとしたお兄ちゃんの視線から逃れるように、顔を逸らしながら私はそう宣言する。

ダラダラと汗を掻き始めた私の横顔をしばらく眺めたお兄ちゃんはそれから、仕方なさそうに溜息を吐いた。

 

 

「そうか……それなら俺も、研究をやめる訳にはいかないな」

「おっ、お兄ちゃん何を言ってっ……!? 危ないんだよ!?」

「燐香がそういう危ない奴ら相手に少しでも上手く立ち回れるよう、異能とやらの解明をしないといけない、そうだろ? 己を知ることは戦術の第一歩だが、相手の裏をかくなら相手のことを知る必要がある。異能とやらの仕組みが分かれば、その分だけ優位に立てる筈だ」

 

 

お兄ちゃんの目に強い決意が宿る。

あやふやで先の見えなかった目標が定まったというような、乗り越えるべき壁を見付けたというような、久しく見なかったお兄ちゃんのそんな晴れ晴れとしたそんな顔。

 

 

「この前見た異能持ちとやらを相手にして、俺は何か出来るとはとても思えなかった。きっとどんな異能でも、直接出会ったら俺にはどうしようもないんだろう。異能持ちに対して何も持たない俺が何を言ったところで、燐香の意思はきっと止められない。だったら、俺は俺のやれることをやるしかない」

 

 

敗北には慣れてるんだ、そんなことを言ったお兄ちゃんが私を見詰めて寂しげに笑った。

 

 

「……それくらいやらせてくれ。俺は、妹のお前を1人危険な目に遭わせるなんて嫌なんだ」

「ぐ、ぐぐっ……ぐにぬぬぬっ……」

 

 

異能も持ってない人が異能の関わるものに近付く危険性。

実際に異能による怪我をしているお兄ちゃんへの心配。

それでも、お兄ちゃんから向けられる心配も、何かしら行動を起こしたいという気持ちも、私はよく理解できてしまう。

 

だから、そんな自分のごちゃごちゃした感情が処理できなくて、私は頭を抱えるようにしてお兄ちゃんの横になるベッドに顔から飛び込んだ。

 

驚いたような声を上げたお兄ちゃんに対して、私は顔を毛布に沈めたまま問い掛ける。

 

 

「私、お兄ちゃんに酷いことしてたんだよ? 心を読んで、勝負でぼこぼこにして、対等じゃないのに見下して、これまでずっと異能を秘密にしてた」

「……ああ」

「家族を守りたかったのに嘘はないけど、お兄ちゃんのことずっと冷たい奴だって思ってたし、中学生の頃まで家族に向けた読心も日常だった。自分以外の誰の事も信用なんてしてなかったし、自分以外の人間を、きっと私は人間とも思ってなかった」

「ああ、それでも」

「……前に喧嘩した時なんて、お兄ちゃんに対して、私は異能を使おうとまでした。最低だし、最悪だし……今だってこんな風になってるけど、本当の私は冷たくて、凄惨で、悍ましくて、許されていいような人間性なんてしてなくて」

 

「それでも、お前は俺の妹だから」

 

 

むにっ、と布団にうずめていた私の顔を持ち上げて、お兄ちゃんは正面から私と目を合わす。

 

 

「俺はお前を守るよ、燐香」

「っ……」

 

 

くしゃっ、と自分の顔が歪んだ。

どんな風に歪んだのかは分からなかったけど、目を丸くして、それから噴き出したお兄ちゃんの反応を見るに、ろくな顔じゃなかったのだけは分かる。

 

これまでずっと、口喧嘩を含めて、お兄ちゃんとの勝負は負けたことは無かったけれど。

子供のように笑うお兄ちゃんの姿に、私は今、初めて言い負かされたのだと知った。

不思議と悪い気がしなかったのは、きっと、これが初めてお兄ちゃんと同じ土俵での勝負だったからなのだろう。

 

私は、そんなことを思うのだ。

 

 

「……ねえ、お兄ちゃん」

「はははっ……! な、なんだっ……?」

「守ってくれてありがとう」

 

 

笑いを引っ込めて、驚いた顔で私を見たお兄ちゃんは、それから優し気に微笑んだ。

 

 

「……どういたしまして、燐香が無事でよかった」

 

 

まるでどこにでもいる普通の兄妹のように。

随分遠回りした私達の関係は、確かにこの時近付けたのだと思う。

 

 

 

 




ここまでお付き合い頂きありがとうございます!!
この話で5章終了となります!

色々引っ掛かるところがあるであろう飛鳥さんや神楽坂さんの話などは、間章としてまたちょくちょく挟んでいきたいと思います。
間章の更新は多分1週間程度後に始められると思いますが、6章の更新はまた少し時間が開くことになります。

更新を再開した際はまた読んでいただけると嬉しいです!


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間章Ⅲ
兄と妹と怪物と


お待たせしました!
取り敢えずこの話から間章を進めていきたいと思います!


 

 

 

 

初夏の時期に差し掛かった今日この頃、我が佐取一家にある一つの大きな出来事が発生していた。

と言うのも、先日あった溶解人間による襲撃によりマンションが燃え落ちてしまったため、住むところを無くしたお兄ちゃんが我が家に帰ってくることになったのだ。

 

私としては離れ離れだった家族がまた同居できることは大賛成なのだが、今の我が家には一つだけ、お兄ちゃんにとって問題がある。

路頭を彷徨う寸前だった女性2人を、我が家を仮住まいと言う形で生活させていることだ。

 

20歳を過ぎた成人男性であるお兄ちゃんにとって、見知らぬ女性が2人も家にいることは少なからず抵抗があるだろうし、同様に由美さんや遊里さんも思うところがあるだろうと不安に思っていたのだが……。

 

 

「ご挨拶が遅れてすいません。佐取さんのお宅に住まわせて頂いている黒川由美です。こちらは私の娘で、遊里と言います」

「よ、よろしくお願いします……」

「これは……ご丁寧に、俺は佐取優助と言います。通っている大学に近いマンションを借りていてこれまで家に顔を出しませんでしたが、この家の長男になります。どうぞ、気を遣うことなくこれまで通りお過ごしください」

 

 

少しだけ不安だった、お兄ちゃんと遊里さん親子とのそんな会遇。

お互いに不快にならない間合いを図りながら挨拶を交わし、私が不安に思っていたよりもずっと平穏に彼らの会遇は終わりを告げた。

 

 

「……実を言うと父さんから黒川さん達が住まわれているという話を聞いてなかったんです。だから少し、心の準備が出来ていないところもありますが、基本的に俺は貴方方を邪険にするつもりはありません。冷めたような態度は元からなので、気になさらないでください」

「そ、そうだったんですね。分かりました、これからよろしくお願いします」

 

 

大人しい性格をしている遊里さん親子と、なんだかんだ常識を弁えているお兄ちゃんに衝突する要素があるなんて本気で思っていた訳ではないが、実際にこうして何事もなく挨拶を終えている場面を見ると安心する。

波乱も何も起きることが無さそうで本当に良かった……。

 

 

 

「ぐぬぬぬっ……」

「き、桐佳……」

 

 

……恨みつらみが篭ったような目でお兄ちゃんを睨み続けている桐佳の存在を無視したら、なのだが。

 

 

マンションの火災で部屋のみならず、部屋にあった私物を全て焼き尽くされたお兄ちゃんが我が家に戻ってくるのは割とすぐに決まった。

元々お兄ちゃんが使っていた部屋は残っていたし、次のマンションを決めることも、焼けた生活用品を新たに買い直すのも、時間も手間も掛かってしまう。

それに……うん、喧嘩別れしていた私とお兄ちゃんの関係が修復されたと聞いて、お父さんが喜びながら「また一緒に暮らそう」と提案したのだ。

 

お互い複雑さはあったものの、そこで嫌と言う程、私もお兄ちゃんも精神的に未熟では無かった。

直ぐに了承し、お兄ちゃんが自宅に帰ってくる話がその日のうちにまとまったのだが……。

 

 

「さて……桐佳も久しぶりだな。元気だったか?」

「……ふんっ、糞お兄、今更どの面下げて帰ってきたんだか」

「どの面を下げるも無い、ここは俺の家だ」

「皮肉だよバーカ!!」

 

 

牙を剥いて気炎を上げる桐佳に、お兄ちゃんは眉をひそめる。

お兄ちゃんの記憶にある桐佳の様子とは随分違い、驚いているのだろう。

 

……昔の、冷たい態度のお兄ちゃんに対して苦手意識を持っていた桐佳とは、様子が違うのは当然だ。

お兄ちゃんが家を出ていく直前の頃なんて、桐佳は私の後ろに隠れなければお兄ちゃんと話すらしようとしなかったのだから。

こんな真正面から意見をぶつけてくるなんて、お兄ちゃんは想像もしてなかっただろう。

 

状況についていけず、目を白黒とさせる遊里さん達親子をよそに、さらに桐佳は怒りのボルテージを上げようとする。

そんな桐佳の額を私は小突いて止めた。

 

 

「――――!? お、おねえっ……!!??」

「こら、お兄ちゃんが帰ってくるって言うのは事前に説明して桐佳も納得したでしょ。遊里さん達を放って、変な因縁付けないの。由美さんも遊里さんも、挨拶はもういいですよ。お兄ちゃんへの説明は私がやっときますので」

「!!!???」

「お兄ちゃんこっち。部屋の移動とか特にしてないから場所は変わらないけど、遊里さん達の部屋を含めて教えるよ」

「あ、ああ、ありがとう燐香」

 

 

目を大きく見開いて驚愕する桐佳を放置して、私は持ち帰る荷物も無くなってしまったお兄ちゃんを家の中に招き入れ、部屋まで案内することにする。

 

もう背中の傷は大丈夫なのか、だとか。

お風呂とかはどうするのか、なんて。

そんな会話を、軽く笑い合いながらお兄ちゃんと交わす。

数年前は考えられなかったお兄ちゃんとの取り留めのない話に、私はついつい嬉しくなったのが思いっきり態度に出てしまっていたのだろう。

 

あり得ないものを見るような目で私を見る桐佳が後ろに見えて、そういえば仲直りしたとか桐佳に説明してなかったと私はふと思い出した。

まあ、兄妹の仲直り事情なんてまた後で時間がある時にでも説明すればいいかと気楽に考えたのが、完全な私の失敗。

 

 

「……き、桐佳ちゃん……顔が怖いよ?」

「ぎぎぎぎぎっ……!!」

 

 

遊里さんのお母さん、由美さんがパートに出掛けた後。

リビングで遊里さんと共に宿題をする桐佳は、食卓で飲み物を飲みながら雑談をしていた私とお兄ちゃんを、人でも殺しそうな顔で睨み続けていた。

いや、最初は私とお兄ちゃんが2人だけで談笑していたのだが、桐佳達が急に自分達の部屋でやっていた宿題をリビングに場所を移して始めたのだ。

断じて私からお兄ちゃんとの良好になった関係を見せびらかせようとしたわけではない。

 

そんな状況に、お兄ちゃんは居心地悪そうに肩を回し縋るように私を見た。

 

 

「……燐香、あれ。何とかしてくれないか?」

「あ、あれー……? 桐佳のアレ、私も何が原因か分からないんだけど……」

「お前にベッタリな桐佳が、俺に燐香を取られたと思って威嚇してるんだろ。むしろそれ以外に何があるんだ」

「い、いや、昔は確かにベッタリだったけど、今はそんなことないんだよ? 姉離れと言うか、最近はむしろ邪険にされると言うか……散々邪魔者扱いされてきたから、出来るだけ過干渉にならないようにって、私が気を付けてるくらいだし……」

「桐佳が姉離れ……? そんなの向こう10年は出来ないと思ってたことだぞ……?」

 

 

おかしい……、こと人の精神に関しては他の追随を許さない筈の私が、妹の事を理解できていないなんて事ない筈なのに。

現に今の桐佳の様子を見ていると、お兄ちゃんが言っている事が正しいのではないかと疑わしく思ってしまう。

 

チラリと桐佳を見る。

私と目が合うと、桐佳はもごもごと何かを言いたそうに口を動かしたが、結局何も出てこないでプイッと私から顔を逸らしてしまう。

照れ隠しにも見えなくないが、これまで素直に好意をぶつけて来ていた桐佳が今更に私に照れ隠しをするとは考え辛い。

 

……本当にアレが、まだ私にベッタリなのだろうか?

やっぱりお兄ちゃんの勘違いだろうと、妹の心情を察し切れていないお兄ちゃんを小馬鹿にするように肩を竦めた。

 

 

「…………何かムカつくことを思われてる気がするんだが?」

「うぷぷー、お兄ちゃん。妹の心情を察せないとか恥ずかしくないのー? 思春期真っただ中の桐佳の心を察せないと、本気で嫌われちゃうよー?」

「…………桐佳! なんで燐香はこんなポンコツになってるんだ!? お前、俺がいなくなってから鈍器で燐香の頭を殴っただろ!?」

「うっさい糞お兄話しかけんな!!」

「な、なんなんだこの妹共はっ……!?」

 

 

桐佳からの罵倒に動揺するお兄ちゃん。

やっぱり妹の気持ちを分かっていなかったのはお兄ちゃんの方だった。

妹の心の機微を察せないとか、恥ずかしいと思わないのだろうか?

これまでこんなに可愛い妹達と関わろうとしてこなかった自分の行動を猛省してほしい。

 

 

「まあまあお兄ちゃん。これから家族としっかり接して、お互いを理解していけばいいんだよ。今の自分を恥じる必要はないから、気にしない気にしない」

「こっ、このポンコツ……!! なんでこんなに自信満々なんだっ……!?」

 

 

ムフフンと、胸を張る私に顔を引き攣らせたお兄ちゃんは、大きくため息を吐いた後ガシガシと自分の頭を掻いた。

それから、私が汲んで上げた飲み物が入ったコップを持ち、「部屋に戻る」と言いながら立ち上がる。

 

帰り際、お兄ちゃんはそっと桐佳に歩み寄った。

 

 

「……桐佳、どんな気持ちでそういう態度を取ってるかは知らないが……今の燐香に対しては素直になっとけ、アイツ、中学時代と同じだと思って接すると擦れ違うばっかりだぞ」

「…………知ってるし」

「本当に分かってるか? アイツ、気を遣ってるつもりでお前と距離を取ろうとしてるぞ?どうせそんなの嫌なんだろう? お前だって本心じゃもっとだだ甘えしたいんだろ。お前がそうやすやすと姉離れ出来る筈ないもんな。だが安心しろ。きっと昔みたいに、お姉ちゃん大好きって言って抱き着くだけで、燐香は即堕ちすると思うか――――」

「うっさいっ!!!! 死ね!!!!」

 

「あっ!! 暴力は止めなさい桐佳!! ちょ、遊里さんも止めて止めて!!」

「は、はいっ……! 桐佳ちゃん暴力良くない!」

 

 

ドッタンバッタンと暴れる桐佳を2人がかりで何とか抑え込み、お兄ちゃんを部屋へと追い払った。

 

お兄ちゃんが桐佳に何と言ったかは分からなかったが、変な刺激をしないで欲しい。

鼻息荒く、怒りの表情を浮かべる桐佳だが、先ほどよりは落ち着いたのか、お兄ちゃんが部屋に戻ってから少しして、ぐるりと私に顔を向けた。

 

 

「お姉っ! どういうことなの!?」

「えっ、えっ? 何が?」

「糞お兄との関係っ、昔はあんな仲良く会話なんてしてなかったじゃん! あの私達を省みない糞お兄に今更なんで優しくしてるの!?」

「それは……お兄ちゃんだって今と昔は違うし、1人暮らししてお兄ちゃんも大人になったんだよ。この前家に泊まった時に、お互いに昔の事は謝り合って、仲直りしたし……い、いや、と言うか、家族なんだから仲良く出来るなら仲良くしたいでしょ……?」

「はああぁぁ!?」

 

 

今度は私に怒りが向いたらしい。

駄目だ、なにで怒ってるのか全然分からない。

 

 

「き、桐佳は別にお兄ちゃんの事嫌ってなかったじゃん! 私の後ろにくっついてただけで、別にお兄ちゃんと言い争いもしたことなかったし! むしろ私とお兄ちゃんが喧嘩したのを頑張って仲裁しようとしてたじゃんか!? なんでっ、なんで怒ってるの!!??」

「私はあの糞お兄が帰ってくるって聞いてっ……! 昔の私は、お姉に隠れてただけだったから……今度は私がって……!!」

「え? 今度は私がの続きは……?」

「っっ……もう良い!! 遊里っ、私の部屋でやろう!!」

「えええっ!? ま、待ってよ桐佳ちゃん!!」

 

 

また怒って、桐佳はリビングから飛び出して行ってしまった。

それを慌てて追いかけて行った遊里さんの背中を見送って、私は疲れたようにソファに身を沈める。

 

いや、何と言うか……思春期の子って怖い……。

 

まさかの、お兄ちゃんと桐佳の関係が最悪になるという異常事態に私は頭を抱えた。

……取り敢えず、私達3人兄妹の関係に引っ張り回されている遊里さんには非常に申し訳ないので、後で勉強の時のお菓子と飲み物でも部屋に持っていこうと思う。

確か、自分用に買っておいたシュークリームが残っていた筈だ。

 

 

「あー……私が、家族の仲を取り持つことになるなんて……いやでも、自己主張のあまりなかった桐佳がお兄ちゃんに対してはっきりと意見できるのは成長とも捉えられるし……悪い事ばかりじゃないかも?」

 

 

何事もマイナスばかりに考えると疲れてしまう。

これまでのお兄ちゃんの行いが、今の桐佳の態度に繋がっている訳だし、しばらくお兄ちゃんには桐佳の犠牲になってもらおうかな、なんて考える。

 

一気に静かになってしまったリビングで1人、残っていたお茶を飲み切る。

それから、自己主張するように点滅を始めた私の携帯を一瞥して、誤魔化すように視線を背けた。

 

 

「自分の過去の責任くらい果たして貰わないとね、うん」

『同意』

 

 

ピロンッ、と私の携帯にそんな肯定の文字が表示された。

私はそれを努めて無視をする。

 

 

「さて、時間が出来たし作り置きでもしておこうかな。主食はまあ、残り物があるし、サラダあたりでも……」

『サラダレシピ検索中……該当1万5229件、所有野菜、状況カラ逆算……該当23件。オススメハ『夏バテ防止海鮮サラダ』。表示スルカ?』

「…………やっぱり、違うの作ろっと」

『了解。検索結果ヲ消去』

 

 

喧しい文字が私の携帯を勝手に占拠する。

チラリ、と画面に視線を送り、それからさらに私が知らんぷりをしようとしたのを察知したのか、先手を打つように文字が浮かぶ。

 

 

『ネグレクト』

「はっ……?」

 

 

浮かんだその文字に一瞬思考停止した私は、何が言いたいのかを理解して自分の携帯に掴み掛る。

 

 

「だっ、だっ、誰がネグレクトか!? 私はお前の親じゃないっ……!」

『酷イ、認知シロ』

「そんなもんするか馬鹿!!」

 

 

オラァと、ソファに向かって携帯を投げつけると、今度は勝手にテレビの電源が入る。

私に何かを訴えるかのように、テレビを公共放送されている児童番組に番組を切り替えたインターネットに住むソイツに向かって、私は異能を使い、強制的に大人しくさせるように手綱を締めた。

 

瞬間、大人しくなる。

以前コイツを手駒にした時に私だけには逆らえないようにと丹念に設定していたから、今の私の異能でも抵抗は全くない。

だが、最後の抗議とでも言うように、今度は顔文字を使って感情を表現してきた。

 

 

『(´;ω;`)』

「器用っ……!? 何なのっ!? ストーカーしないでってっ……この前のお礼に異能出力の貯金を増やしたでしょ!? 次呼ぶ時があったらまたお礼するからっ、それまでどっかに行っててってば! これでまだ不満なの!?」

『(´;ω;`)』

「不満なのね!? 何が不満なの!?」

『愛シテ……』

「要求が重いんだよなぁっ……!!」

 

 

家族や飛鳥さんの関係でただでさえ頭を痛めているのに、ここ最近続く電子ストーカーの犯人はさも自分は被害者ですと言わんばかりにメソメソし始める。

そんなインターネットの怪物を見て、私は大きくため息を吐いた。

 

人間以上に人間らしい感情表現。

あの時見た顔の無い巨人とか言う怪物を出していた存在とは思えない程、傷付きやすく感性豊か。

溶解人間を倒した時の私の態度が相当不満だったのか、次の日からずっと携帯を通してなんとか私とコンタクトを取ろうとしてくるほどの強情さも併せ持つ。

生後10年未満のインターネットの怪物の扱いに、私は非常に苦心していた。

 

 

(……コイツ、多分私以外じゃどうしようも出来ないくらい厄介だよね……)

 

 

コイツを制約も無く野放しにしたらどうなるか分かったもんじゃない。

だが、せっせと私に尽くしてくれていたコイツの自我を私の勝手で消去するのは……流石に気が引ける。

これまで通り無視を決め込むにしても、溜め込まれた全盛期の私の異能がどの程度か正確には分からない上、このインターネットの怪物の存在を維持できなくなるにはまだまだ時間は掛かりそうなのだ。

私の周囲は害せないだろうが、消滅までの間やけになり、私以外に対して電子災害をバラ撒くことが否定できない。

あんまり世間に迷惑を掛けるものでは無い、となるとこれも却下することになる。

 

結論、コイツの制御を投げ捨てることは出来ないし、無視することも出来ない。

首輪を付けて大人しくさせるしか選択肢はない。

過去の私はもっと先をよく考えて行動するべきだった。

 

 

「『UNN』とか、日本にいるだろうあの溶解人間関係を倒すためにはこれ以上無いくらいの戦力ではあるけどさ……これは過剰だって……」

『愛シテ……』

「やかましい」

『!?』

 

 

再び私の携帯に浮かんだその文字を、私は人差し指で小突いた。

ここ2年程度、私がコイツを完全放置したせいで、変な方向に自我を確立してしまったようである。

どういう心境の変化なのか私に対する執着が中々に強い……見た目があんな怪物じゃなければまだ可愛がれるだろうが、顔の無い巨人とか普通に怖すぎる。

 

 

『!!』

「……ところで、これまでも情報統制を続けてくれてたのは感謝してるんだけど……可能ならそこに、情報収集を付け足してほしいんだけど、出来る?」

『可能、委任シロ』

「異能について……あ、いや、これはこれから先色んな人が話すか……うーん、じゃあ、『UNN』、人工異能、世界征服に佐取優助。これから、ここら辺を関連付けて考える奴をある程度ピックアップしてほしい」

『了解、攻撃ハ?』

「しなくていい。対象を見付けたら泳がせて情報を集める。まあ、重要な情報をインターネットを通じて扱うことは無いだろうけど、探すだけ探しておこう。そのうち準備が出来たら、UNNの本社に強制的に回線を繋いで、情報を抜き出しに行こうか」

『了解』

 

 

まあ……便利ではあるのだ、コイツは。

これまで行動範囲の狭さから、事件が起きてからしか対策できなかったが、コイツさえいれば先立って情報を集め、先手を取って敵の本拠地を攻撃することも出来るかもしれない。

そう思えば悪い事ばかりでもないのだろう……多分。

 

チカチカとライトを点滅させて感情表現するソイツ。

すっかり私の携帯に住み着いてしまったインターネットの怪物を眺め、それからお兄ちゃんと妹の関係の事も思い出し、私は今後の先行きに不安を覚えるのだった。

 

 

 

 

 



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【至急】思わず抱きしめたくなる可愛いものを教えて【可愛いとは?】

 

 

 

 

【至急】思わず抱きしめたくなる可愛いものを教えて【可愛いとは?】

 

 

1 名前:

立てた、教えて欲しい

 

2 名前:

思わず抱きしめて愛したくなるものを教えろ下さい

 

3 名前:

誰か、早く、もう待てない

 

4 名前:

誰か……

 

5 名前:

(´;ω;`)

 

6 名前:名無し

>>1-5

どういうことなの……?

 

7 名前:名無し

怪しすぎてROMってたけど>>1が泣きだして吹いた

 

8 名前:名無し

正義の超能力者飛鳥ちゃんに日本中が沸く中、唐突にこんなスレを立てた>>1は勇者

 

9 名前:名無し

今どこかしこも飛鳥ちゃんの話題一色だからな

このスレも普段ならもうちょい人がいそうだけど、今は過疎りまくってるな

 

10 名前:名無し

ほら、警視庁の広報担当が飛鳥ちゃんになった途端、チャンネル登録者数が二桁増えたし

人気は留まるところを知らない

俺も好き(隙自語り)

 

11 名前:

あんなのはどうでも良い

それよりも可愛いを教えて欲しい

 

12 名前:名無し

>>11

よく話が見えてこないんだけど、それって普通に犬や猫じゃダメなの?

愛玩動物で検索したら、今時可愛いなんて幾らでも出て来るだろ

 

13 名前:名無し

それこそ今の可愛いと言ったら飛鳥ちゃんでしょ

なにあの子、スタイル抜群だし顔はそこら辺の芸能人よりも可愛くない?

 

14 名前:名無し

>>13

確かにあの子めっちゃ可愛いけど、それは流石に言いすぎだろ

 

15 名前:名無し

「超能力少女」と「日本一人気のアイドル」みたいな属性が付いてるから、より輝いて見える錯覚

 

16 名前:名無し

彼女になってほしい

 

17 名前:

つまり、飛禅飛鳥に愛玩動物要素を加えれば良いのか?

 

18 名前:名無し

>>17

おい

 

19 名前:名無し

>>17

おい

 

20 名前:名無し

>>17

おい

 

……閃いた!

 

21 名前:名無し

もう>>1が何を求めてるのか分からなくなってきた

あらゆる条件を度外視して可愛いものを出せばいいなら、ほんとに空想上の生き物になるだろ

 

22 名前:名無し

銀髪碧眼色白白ワンピースロリ

これが最強にかわいい

 

23 名前:名無し

>>22

お前の性癖じゃねえか

 

帰れ

 

24 名前:名無し

まあ……可愛い銀髪碧眼のロリっ娘は幻想の存在だし……

 

25 名前:

作成完了

飛禅飛鳥+愛玩動物(猫)

 

『画像表示』

 

どうだ? 抱きしめたくなるくらい可愛いか?

 

26 名前:名無し

>>25

どんな雑コラかと思ったらなんだこのクオリティ!?

お前、最初から作って準備しておいたな!?

 

27 名前:名無し

>>25

保存しました

貴方が神だったか

 

28 名前:名無し

>>1の話を無視してすいません

靴を舐めますし土下座します

あの、フェネックと女優の神崎未来を足したものを画像化って出来ないですかね……?

 

29 名前:

反応がおかしい、可愛いじゃなくて劣情を感じる

ちゃんと可愛いものを教えろください

 

30 名前:名無し

>>29

ギクッ!

 

31 名前:名無し

>>29

そそそ、そんなわけないだろ!?

 

32 名前:名無し

あの、フェネックと神崎未来の足したものを……

 

33 名前:名無し

マジレスすると

その技術さえあれば、犬とかパンダとかハムスターとかそう言う現実的なものを参考にするか、ゲームとかアニメに出てくる可愛いものを参考にすれば何でもできるだろ

 

34 名前:名無し

それこそ銀髪碧眼ロリとかな

 

35 名前:名無し

>>34

銀髪碧眼色白白ワンピースロリだ

二度と間違えるなデコ野郎

 

36 名前:名無し

こっわww

 

37 名前:名無し

と言うか、>>1の技術の高さは分かったけど状況が分からない

世に出す創作物としての可愛さを求めてるのか?

それとも、何か私的な事に使うために?

 

38 名前:名無し

飛鳥ちゃんめちゃんこ可愛い

火災現場から人々を助け出す映像もう100回以上見た

 

39 名前:名無し

あの……フェネックと神崎未来…

 

40 名前:名無し

スレがカオスになって来た

人数は少ない筈なのに

 

41 名前:名無し

フェネック狂いの人諦めろ

俺でもお前からは劣情しか感じないって分かる

 

42 名前:名無し

>>1の技術の高さでスレが温まって来たな

 

43 名前:

理由

可愛いって頭を撫でて欲しい

愛してるって抱きしめて欲しい

 

44 名前:名無し

や、闇深そう……

 

45 名前:名無し

俺が愛してやるよ!

 

46 名前:

>>45

お前に愛されても嬉しくない

 

47 名前:名無し

>>43

どんな環境だそれ……

 

48 名前:名無し

>>46

即答w

辛辣ぅww

 

49 名前:名無し

>>46

思考することも無く即拒否w

いや、見ず知らずの奴に愛されても怖いけどさ

 

50 名前:名無し

ユーモアに溢れたイッチだな

気に入った、ここを荒らすのは最後にしてやる

 

51 名前:名無し

飛鳥ちゃん飛鳥ちゃんって……お前ら騙されてるよ

あんな化け物みたいな力持ってる奴が人間な訳ないだろ

 

52 名前:名無し

改めて聞かれると可愛いって何だろうな

 

53 名前:名無し

躊躇わせないものさ

 

54 名前:名無し

>>53

抱きしめるのをな

 

55 名前:

作成完了

銀髪碧眼色白白ワンピースロリ

 

『画像表示』

 

どうだ? 無条件で愛したくなるほど可愛いか?

 

56 名前:名無し

>>55

だからクオリティィィ!!??

どうなってんだマジで!?

 

57 名前:名無し

>>55

そうか、お前が俺の神様だったのか……

 

58 名前:名無し

>>55

神……素晴らしいです神

 

59 名前:名無し

>>55

俺、このスレにいられて幸せだ

 

60 名前:名無し

>>55

え、この速度でこのクオリティって言うのは勿論驚きだけど

これって絵? 写真? 3D画像かなにか?

 

61 名前:

なら、これに愛玩動物的要素を加えてみる

銀髪碧眼色白白ワンピースロリ+愛玩動物要素(犬)

 

『画像表示』

 

どうだ?

 

62 名前:名無し

>>61

可愛い

 

63 名前:名無し

>>61

可愛い

 

64 名前:名無し

>>61

ペタンコお耳超可愛い

 

65 名前:名無し

>>55

なんで掲示板にこんな技術持ってる奴がいるんだよ

基礎素材を色々準備しておいたと仮定しても人間業じゃない

 

>>61

これポーズも違うし、こんな速度で完成する訳ない

クリエイターの末席に座る者として言うけど、この技術あり得ない

 

66 名前:名無し

ここまでくると怖くなってきた

>>1は何か人間らしいとこ見せて欲しい

 

67 名前:

うん

 

傾向は分かった

反応も分かった

感謝する、良いデータが取れた

 

68 名前:名無し

え、もう終わり?

 

69 名前:名無し

ちょ、何終わらそうとしてるの!?

フェネックと神崎未来の足した奴は!?

ねえねえねえ!!!

 

70 名前:名無し

フェネック狂うるせぇ……

 

71 名前:名無し

>>67

ちょ、解決したのかこれ!?

 

72 名前:名無し

これで>>1の技術自慢は終わりか?

早めに何か可愛いと思うもの言っておけばよかった……

 

73 名前:名無し

画像talkerのアイコンに使って良いですか?

 

74 名前:名無し

この速度で創作が出来るなら、>>1はもう食うのに困らないし、そのお金を貢げば誰からも愛されるだろうよ

 

75 名前:名無し

ちょっと>>1人外染みてるよな

まさかAIか何か?

それとも何かの番組の企画か?

 

76 名前:

可愛いは理解した

反応が楽しみ

 

 

 

 

 

 

 

――――このスレッドは存在しません――――

 

 

 

 

 



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解き明かされていくもの

 

 

 

夜の家族が寝静まった頃合いを見計らい、私はそっとお兄ちゃんの部屋に向かっていた。

あらかじめ約束していた時間を少し過ぎてしまっていたが、お兄ちゃんが帰ってきて以来何かと私と一緒に居たがる桐佳が自分の部屋に戻るのを待っていたと言えば、お兄ちゃんもきっと分かってくれるだろう。

 

……最近やけに嫌われているお兄ちゃんの事だ、きっと桐佳の話題を出せばそれだけで深くは突っ込んでこないだろう。

そんな性格の悪い事を考えながら、私は扉をノックしてから部屋に入る。

 

お兄ちゃんがいない時はちょくちょく掃除をしていたから見慣れた筈の部屋だが、部屋の主がいるだけで印象がガラリと変わるのだから不思議なものだ。

 

 

「……お兄ちゃんお待たせ。ごめんね遅れて、まだ寝てないみたいで安心したよ」

「いや……桐佳の騒がしい声が燐香の部屋から聞こえて来たからな。仕方ないだろう。それで……なんだ、始めるか?」

「うんっ、第一回異能対策会議を始めようっ……!」

「ばっ、声が大きいっ……」

「ご、ごめ……」

 

 

そんな締まらない始まりと共に、初めてとなる私とお兄ちゃんの、異能および異能持ちに対するお互いの見解を深め、そして対策するための会議が、真夜中に開始されることとなった。

 

元を辿ると、お兄ちゃんのこれまで行って来た研究をこれ以上大学で続けるのは危険だと判断したことに始まるこの会議。

研究の資料等は家で扱い、設備が必要な時だけ大学を利用すると言う方針でまとまった訳なのだが、こうなってしまうと研究の進捗は大幅に遅れるか停止するのが普通の運びなのだが……。

 

ここで、お兄ちゃんにとってこれまでになかった研究対象が出て来た。

 

非科学的な現象を操る者、他ならぬ私だ。

これまではその現象が関係していると思われる事例から予測するしかなかったお兄ちゃんの研究がここに来て、その現象を扱う人間と直接観察することが出来る環境が整ったのだ。

そして、異能と言う機能に興味を持つ私が、お兄ちゃんの研究に協力しないなんて言うのはあり得なかった。

 

 

「……まず俺からの報告だ。DNA検査の結果、異能を持っていない俺と異能を持っている燐香のDNAに目立った違いは見られなかった。普通の兄妹が持つ程度のDNA配列の差異……まだ断言は出来ないが、異能の有無にDNAは関係しない可能性が高い」

「な、なるほど……」

 

 

簡単な触診や、唾液などから採取したDNAにお兄ちゃんとどれくらいの違いがあるのかの確認。

それから、実際に異能を使ったとき何かで検知することは可能なのかについての調査を、これまで簡単にだが行って来た。

その結果が早くもこうして出てくると、生まれてからずっと扱って来たこの異能に私の知らなかった側面がまだまだあるのだと実感させられる。

 

私が持ち得ない視点からのこういう異能に関する研究が行えるお兄ちゃんとのやり取りはかなり有意義で……正直、中学時代の私の方がやりたがっていたと思うのだが、中々タイミングが合わないものだ。

 

 

「それと、俺は生物学専攻で医学部ではないからそこまで詳しくは無いんだが……恐らく触診して見た感じ、普通の人と違う臓器を持っていると言う事も無さそうだ。あとは……」

「……異能を使用した際、体の何処が活発に働いているのかとかも調べてみたいけど、そういう設備は用意できないからね……」

「そうなんだよ。分かっていた事とは言え、研究は環境に左右されてしまうものだと改めて思い知らされるな」

「あ、でも異能を酷使すると頭痛とか鼻血とか出るよ。これ関係ありそうだよね」

「そんな危ない事やってたのか!? 治療法とか誰にも分からないんだからそういうのは止めとけよ!?」

 

 

慌てて私の額に手を置いて熱の有無や眼球が充血していないかを確かめたお兄ちゃんは、安堵のため息を漏らした。

昔から自分の異能の限界を知ろうとしていて、あれくらいの鼻血や頭痛は普通だったから感覚が麻痺していたが、確かにお兄ちゃんの言う通り安全では無いのだろう。

とは言え、恐らく筋肉痛のようなものだから大丈夫だとは思うのだが……これ以上私の異能が成長しても手に負えなくなるだけだし、私も出来る事なら異能を酷使するのは無い方向で進めていきたい。

 

 

「とりあえず異常はなさそうだが……あまり無理はしないでくれよ。それと、俺から出せる情報はこれだけだ。参考になるような事は、まだ碌に出せてない……悪いな」

「ううん、結構目から鱗が落ちる様な話があったよ! でも、あと出来る事って少ないよね……何かあったかな……」

「異能と言う超常現象が発生する原理の解明だけを目的とするならやれることは少ないだろう。だが、異能と言う現象に対抗しうる原理の解明を目的とするなら話は変わる。異能の力とやらを遮断、あるいは検知できる物質を発見することが出来れば恐らく、これからの異能持ちに対して有利に立ち回れるだろう。そう言ったものの発見に重点を置けば――――」

「あっ! 良い物あるんだった!」

「……燐香が大人しく俺の話を聞いてくれるわけがないか……」

 

 

諦めたように肩を落としたお兄ちゃんを置いて、ある物の存在を思い出した私は、慌てて自分の部屋に戻り、厳重に仕舞い込んでいた銀色の小さな小瓶を持ち出した。

 

私の突然の行動に目を丸くしているお兄ちゃんの元に戻って、その小瓶を突き出した。

思考停止した猫の様な顔で呆然とするお兄ちゃんがそれを受け取って、なんだか高級そうなその瓶の材質に驚愕している。

 

 

「あのね、この小瓶の中にある鉱石みたいなやつ。異能持ちが口から呑み込むと異能の出力がブーストされるみたいなんだ。今は私が誤認を掛けて出力を感じ取れなくしてるけど、この鉱石自体から異能の出力を感じるんだよね」

「は? は?? ま、まってくれ、なんだか専門用語を連発された時のような混乱をしてる。と、取り敢えず……それを経口摂取すると、異能の力が強まるのか?」

「うん」

「それを……なんで燐香が持ってるんだ?」

「前に奪っておいたんだよ」

「……誰から?」

「敵から――――痛いっ、痛い痛い痛いよお兄ちゃん!?」

 

 

ムギュウッ、と両頬を抓られた。

何度か頬を引き延ばされ痛みに悲鳴を上げる私に、私の持っていた携帯の画面が光りアイツが警戒状態に入る。

不味いと思った私は慌ててお兄ちゃんの手をタップして、必死に携帯を指差す。

 

 

「……携帯がどうかしたのか?」

「危ないからっ、離してっ……! ちゃんと説明するからっ、離して……!!」

「あ、ああ……それで? どういう事情なんだよ? 敵って」

「ああ、やっと離してくれた。顔が饅頭みたいになってたらどうしよう……」

「いや、今の燐香は昔に比べたら饅頭っぽいぞ?」

「!!!???」

 

 

衝撃の言葉にそれまで考えていたことが吹っ飛んだ。

体重は増えてない筈なのだが、久しぶりに会ったお兄ちゃんがこういうんだから間違いないのだろう……多分。

 

急激にやる気を削がれながら、私は事情の説明を始める。

私の異能が知られてしまっているお兄ちゃんに対してこれ以上の隠し事は難しいし、神楽坂さんと出会ってから協力までの経緯も話しておく。

結構長い話になってしまったが、顔を顰めながらも黙って聞き役に徹してくれたお兄ちゃんは、あらかたの経緯を聞き終えると得心がいったように頷いている。

 

 

「……それで、“白き神”って言う奴が他の異能持ちを洗脳していた時に、私そいつと対峙した時があって。私の異能で気が付かれないようにしている時に、こっそりソイツから奪っておいたんだよね。……まあ、結局他の洗脳していた異能持ちがその鉱石を呑んじゃったから、強化させないようにって言う私の試みは失敗したんだけど」

「なるほど……燐香の状況は良く分かった。……だからあの警察官は、燐香にあの化け物を任せようとしていたんだな」

 

 

そんなことを言ったお兄ちゃんに、私は慌ててフォローを入れる。

 

 

「そうだよ。神楽坂さんは本当に良い人なんだから、変な誤解はしないであげてね」

「……いや、それでも一般人、それも燐香みたいな女の子を怪物の元に置いていく選択をする警察官は碌でもないと思うのが普通だと思うぞ」

「……い、いや、異能のあるなしは相当違うし。なんなら、異能の無い大人1人には幼稚園児時代の私でも勝てるだろうし……それくらいの差があるから、私の邪魔にならないようにって配意してたんだよ」

「いや、それでもなぁ……兄としての身から考えると、無責任が過ぎるんじゃないかと言いたくなるな……」

「お兄ちゃんって本当に指摘がねちねちしてるなぁ!? そんなんだから桐佳に嫌われるし、彼女が出来ないんだよ!?」

「なっ、そこまで言うか!?」

 

 

まだ納得できていない様子のお兄ちゃんに思わずそんなことを言ってしまう。

いや、確かに視点を変えた場合、感じ方に違いが出るのは当然かもしれないが、それにしたってその認識は神楽坂さんに失礼すぎると思う。

 

私はあの人に散々助けられているし手助けしてもらっている。

なによりも、出来ることの範囲を理解していて、正義感に任せた勝手な行動も無いし、私の情報だって約束通りしっかりと隠してくれている。

私はこの協力関係に不満なんて1つも無いのだ。

 

 

「ともかくっ、神楽坂さんは本当によくやってくれてるんだから! これ以上変なことを言うのは禁止!!」

「……まあ、燐香がそういうなら良いけどさ」

 

 

少しだけ不服そうな顔でそう言ったお兄ちゃんは、私から受け取った小瓶を眺め、それからそっと中を覗いて危険性が無いのを確かめた。

 

 

「……本当だな。これって……結晶? いや、それとも……鉱石なのか?」

「えっとね、多分出しても大丈夫だけど、人の体温くらいの暑さになると液化するみたいなんだよね。で、冷やされるとまた結晶化する」

「なんだそりゃ」

 

 

コロンッ、と小瓶から黒い鉱石の様なものを机の上に取り出した。

以前闇よりも暗いと思ったが、その感想はある意味正しく、ある意味誤っていた。

 

色は黒、そしてわずかに赤色が混じっている。

黒一色でなかったのは驚きだが、その赤と混じっている筈の色合いは、今まで見てみて来た何よりも暗さを感じさせる。

そして、宝石の様な輝きを放っているその鉱石は蠱惑的な美しさがあり、見るものを魅了し執着させるだけの何かを持っているようで、お兄ちゃんは思わずと言ったように感嘆のため息を漏らした。

 

 

「……これは凄いな。今まで見て来たどんな宝石よりも……綺麗に見える」

「えー、そうかなぁ? 私はなんだか、趣味の悪い宝石に似た鉱石に見えるんだけど」

「そ、そうか? いやっ、俺にはかなり綺麗なものに見えるんだが……」

「まあ、そこら辺は感性の違いかな。取り敢えずそれ、異能の出力は周りにバレない様に私が細工済みだから好きに調べてみてよ。『UNN』の異能開発にかなり深い部分で関わってそうだし、それの原理が分かれば私も異能をブースト出来るかもしれないしさ」

「……ああ」

「お兄ちゃん、変なものに魅入られちゃ駄目だからね」

 

 

ぼんやりとその鉱石を見惚れているお兄ちゃんに、私は釘を刺す。

『UNN』がどこからこんな鉱石を集めてきているのかは検討も付かないが、どうせ碌でもないものに違いない。

これまで遭遇してきた犯罪者達はこんなものを喰らってまで自分の異能を強化したかったのだろうか。

 

それに、恐らくこれは単に異能を強化するだけのものでは無い筈だ。

 

 

(……これまで会って来た『UNN』の関係者は誰もこの詳細を知らなかったけど。多分、これが人工の異能持ちを作り出すための重要物なのは間違いない)

 

 

この鉱石を“白き神”から奪い取って、しばらく私なりにあれこれ調べてみたが決定的な関係性は見付けられなかった。

結局机の奥底に仕舞い込んだままになっていたのだが、私とは別視点から調べることが出来るお兄ちゃんに任せれば、もしかすると、と思ったのだがそう上手くいくのだろうか。

正直、インターネットのアイツがまだ猛威を振るえるなら、こんなものを解き明かさなくても、直接『UNN』のデータベースを襲えば解決するのだが…………まあ、攻撃に転ずる時は最後の最後の手段にするのが得策だろう。

 

下手に手札を晒して対策されても面倒であるし。

それよりも今、目下解決するべきはこの国にいるであろう神楽坂さんとお兄ちゃんを狙っていたあの溶解人間を見つけて叩きのめすことだ。

 

 

「取り敢えず、色々調べてみるが……なんだろうな、この、微かに残る特徴的な匂い……。……なんだか、血液に近い匂いの様な気がするが……」

「血液? いや、普通は異能持ちの血液から異能の出力を感じるなんてことある訳ないし、こんな結晶化するような性質も持つものじゃ…………もし、血に関する異能だったらどうなるんだろう。例えば、血を操るとかそういう異能だったら」

「まあなんだ、ちょっと色々とやってみるよ。結果は多分数週間は掛かるとは思うが」

「血液に異能の出力を留めて結晶化させる……? 他人の異能出力を体内に取り込み、才能を持っている人の体内に留まっていた異能を反発作用で強制的に覚醒させるとしたら…………いや、そんなことやっていたら、自分の異能が使い物にならなくなるなんて言う副作用も考えられそうだし……」

 

 

私よりも生物研究の勉強をしているお兄ちゃんの方が生物的な匂いには気が付くことが多いようで、お兄ちゃんの指摘に私はその可能性を視野に入れて思考を巡らせる。

決定的な証拠が出せない以上、この場でいくら考えても情報を確定させることは出来ないのだから、と一旦考えを切り替える。

 

もう夜も遅い、明日学校があることを思えばこれ以上時間を取ることは出来ないだろう。

となると、後話しておくべき事柄は……、と考えた私は難しい顔をしているお兄ちゃんを見遣った。

 

 

「ところで、その鉱石の話は置いておいて……この前の怪物、液体人間なんだけど。襲って来たアレらは本体じゃない。指の様なものを媒体にして独立行動させてたから、私がこの前に潰した3本以外、多分7本分の分身が考えられるって言うのは前に話したよね?」

「ああ、それは前にも聞いたな」

「それで、その異能持ちの本体は多分どうして分身がやられたのか分かってない状況で、警戒はしていると思うんだけど、お兄ちゃんは今後も狙われる可能性が高くて、もしかすると多少の犠牲を前提として攻撃を仕掛けてくる可能性もあるの。そうなると、私がいつも傍にいて守ってあげることは出来ないから、手段が限られるんだけど……」

「…………どうすればいい? そんなことの対策は出来るのか?」

 

 

不安そうに表情を曇らせたお兄ちゃんに、私はなんてことはないように肩を竦めた。

 

 

「お兄ちゃんがどんな時も携帯電話を手放さなければどうにでもなるから、どんな時も持ち歩いてね。で、充電切れたら大変だからこれがモバイルバッテリー。買っておいたからちゃんと持ち歩いてね」

「お、おお……準備が良いな。ありがたく借りるが…………って待て待て、なんでその怪物の対策に携帯電話が関係するんだ。いや、言わなくていい。それを含めて聞きたいことがあった。いいや、どうしても聞いておかなきゃならないことがあったんだ」

「へ……? な、ななな、なにさ?」

 

 

私が差し出したモバイルバッテリーを受け取って、急に雰囲気を変えたお兄ちゃんが強めの口調でそんなことを言ってくる。

動揺した私が慌てて続きを促すが、お兄ちゃんはじっくりと私の目を覗き込むようにして、嘘は許さないとでも言うようにゆっくりと問い掛けてきた。

 

なんだか嫌な予感がする。

 

 

「今回の話で、燐香が事件に巻き込まれる理由は分かった。これまで、あの擬態していた怪物のような奴らと戦って来た状況も何となく分かった。きっとお前は世の為人の為、色んな不幸を未然に防いだんだろう。凄い事だ、それは認めよう。手放しに称賛だってする」

「え、えへへ……」

「だが。だが、だ」

 

 

突然褒められて照れた私だったが、そこではお兄ちゃんの話は終わらなかった。

むしろこれは本題に入るための、ほんの前座に過ぎなかった。

 

 

「1つ、どうしても分からないことがある。これらの事件に関わる、お前の動機だ燐香」

 

 

ぎらりと、お兄ちゃんの目が、これから怒りの炎に燃えることを確信しているような光を湛えた。

お兄ちゃんは犯人を追い詰める名探偵のように、私の過去の発言をしっかりと復唱する。

私が全力で隠したい黒歴史を、怜悧な指摘で紐解いていく。

 

 

「……お前、前に病室でそれを聞いたとき、『私1人ですらどうにもできなかった奴らなんて信用できない』と言ったよな? だから自分がこういった事件を解決する必要があると、お前はそう言ったよな?」

「あ、ああ……」

「単刀直入に聞くぞ……お前は、『誰にもどうすることも出来なかったような』、何をやらかした燐香?」

「あわ、あわわわわっ……!!」

 

 

お兄ちゃんの表情は人に質問する時のものではない。

疑惑、ではない、こいつやってるな、と言う確信を持った表情だ。

私の言い訳を許すようには到底見えなかった。

 

 

「な、ななんにもしてないですぅ!!??」

「あっ、こらっ、逃がすか馬鹿っ!」

 

 

お兄ちゃんの名探偵も真っ青な追及に、私は思わず逃げ出すことを選択したのだが、私が扉に辿り着く前に、お兄ちゃんに押し倒され逃げられないように手首を掴まれた。

覆い被さられ、お兄ちゃんの鋭い目付きが私を正面から見据えてくる。

 

 

「これだけはしっかりと吐いてもらうぞっ……! お前が過去にどれだけやらかして、どれだけ世界に影響を及ぼしたのかっ……分かってないと対処のしようが無いんだよ! 正直に吐け燐香! お前、俺がインターネットの怪物に襲われた時、どうやってアレを追い払った? アレはお前の異能とやらが関わった力じゃないのか? 過去のお前の事だ、日本全土くらいに影響を与えるような大きなことはやってるんだろうよ。それでいて数年前まで頻繁に猛威を振るったとされる“顔の無い巨人”の存在。この2つが偶然じゃないなら、これはお前の事じゃないのか?」

「ひっ、ひっ、ひっ……!? な、なんなのその推理力っ……!? ちょ、ちょっと、心の準備がっ……」

「燐香、お前の異能。正直これまで説明されて間近で見てきたがまだ底が見えないんだよ。その異能、どこまで世界に影響力を及ぼせるんだ? 過去にどれだけの猛威を振るったんだ? ん? 懺悔してみろ燐香」

「あばっ、あばばっばばばばば……!!」

 

 

追い詰められた私はもはやまともに返答も出来ず、何とか逃げ出そうとバタバタと暴れるものの、お兄ちゃんになんて勝てる筈もなくそのまま抑え込まれる。

「観念しろ!」と、刑事ものの警察官の様な事を言うお兄ちゃんに、私は成す術無く黒歴史時代の秘密を諦めるしかないところまで追い込まれ――――。

 

――――当然、夜中にこんなうるさい事をしていたら、隣の部屋の住人は物音に気が付く。

 

 

ガチャリッ、と部屋の扉が開いた。

 

 

「…………何してんの糞お兄」

 

 

恐ろしいほど冷たい目をした桐佳が現れた。

逃げようとする私に覆いかぶさり、暴れないように手足を抑え込んでいるお兄ちゃんを、桐佳はゴミでも見るような目で見据えている。

 

その冷たい視線が、お兄ちゃんに抑え込まれている私に向けられる。

追い詰められ涙目になって抵抗している私の姿に、桐佳の表情から感情が抜け落ち、額に青筋が浮かんだ。

 

読心しなくても分かる、これを放置したらお兄ちゃんは間違いなく殺される。

 

そして、そんなことはお兄ちゃんも直感的に理解したようで、即座に私から離れると、害意はないと言うように両手を上げ、無抵抗を示しながら全力で首を横に振り始めた。

 

 

「…………」

「誤解だ桐佳。俺はお前が思っているようなことをしていた訳じゃない。話し合いが白熱して、少し燐香を抑え込んでしまっただけなんだ」

 

 

お兄ちゃんの懇願に近い状況説明に、桐佳の眉が不快そうに歪む。

そんな事は些事であると言うように全く桐佳の耳に届いていない。

 

 

「…………」

「燐香と意見の食い違いがあって……ほら、昔みたいに言い争いしていたんだ。お前が思っているようなことじゃない。決して、仲良くなっていた俺らを見てお前が抱き始めていた疑念が正しかった訳じゃ……」

「…………あ?」

「違うんだ、頼む。殺さないで……」

 

 

桐佳がお兄ちゃんの命乞いを最後まで聞き届けてから、ゆらりと幽鬼のように歩き出した。

桐佳の双眸がしっかりと固定された先にいるのは、無抵抗だと必死に両手を上げてアピールしているお兄ちゃん。

どうやら激昂した桐佳に許されることは無かったらしい。

その後、桐佳からお兄ちゃんへ向けられた暴力は、正気を取り戻した私が慌てて間に入るまで続くことになった。

 

こうして、私とお兄ちゃんが何とか時間を捻出してやっとこぎつけた第一回異能対策会議は、こんな締まらない形で幕引きする事となったのだった。

 

 

 

 

 



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do you love me・・・?

 

 

 

 

ふわふわと重力のない柔らかな空間。

羊の毛が地面に敷き詰められ、まるい花びらが宙を舞う。

そしてそんな空間にいるのは、私と、幼い頃の桐佳だけ。

幼い頃の桐佳は今のトゲトゲとした態度なんかではなく、私に人なつっこい笑顔を向けている。

 

ああ、私はなんて幸せなんだろう。

 

 

『おねえちゃん! だいすき!!』

 

 

幼い桐佳が、花が咲くような笑顔を浮かべて抱き着いて来る。

スリスリと頭を押し付けて、背中に回した小さな腕で力いっぱい私を抱きしめる。

まさに可愛いの具現化、頭が沸騰しそうだ。

 

 

『わたしね、わたしね、おねえちゃんとけっこんするの!』

 

 

世界は想いに満ちている。

そして目の前にあるこの想いは尊いものだ、間違いない。

もう、異能とか世界事情とかどうでも良いから私はこの子を幸せにしたい。

 

 

『ねえねえ、おねえちゃん。わたし、可愛い?』

 

 

可愛い可愛い、超可愛い。

もう有無も言わさないレベルの可愛い存在。

もし誰かが可愛くないなんて言ったら私がそんな奴徹底的に洗脳してやるレベル。

最強無敵究極可愛い。

 

 

『ほんと? よかったぁ! じゃあねおねえちゃん、おきてー!』

 

 

ん?

いきなり言われた妙なことに、沸騰間近だった私の頭は混乱する。

 

 

『おきてー! はやくおきておねえちゃん! はやくおきてわたしをだきしめてー!』

 

 

何かがおかしい。

幼い桐佳の言っている事が妙だ。

おきて? ……起きて? ということは、これは夢なのだろうか?

いや、夢にしたってなんで夢の住人が私を起こそうとするものなのだろうか。

確かに幸せすぎて現実とは思えなかったが……こんな夢の終わり方なんて酷すぎる……。

 

幼い頃の桐佳にもっと触れ合いたかった。

だだ可愛がりして、あざとい程にもこもこした洋服を着た桐佳を抱き上げたかったし、頭から生える羊耳を思いっきりクシャクシャと撫でまわしたかった……。

こんなの……こんなの、あまりに酷すぎる……。

 

なんで……。

 

 

『はやくおきて――――私を愛して御母様』

 

 

ぶっ殺す。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

『シクシクシクシク……(´;ω;`)』

「ねえ、作業が遅くなってるんだけど? ちゃんと私が言った内容を1000回文章にして音声再生しなさい。『私はもう人の意識に干渉して夢を操作しません。燐香様の妹である桐佳さんの姿を模倣しません。とても反省しています』、ほら早く」

『ドメスティック、バイオレンス……(´;ω;`)』

「私は今、怒りを抑えるのに必死なの。ちょっと間違えたら、実力行使しちゃいそうなのよ。反省してるならちゃんと言う通りにしなさい」

『ナンデ……モフモフ綿毛ニ羊耳ノ幼少期妹ノ姿、可愛クナカッタカ?』

「お前は人の心を分かってない。他人の妹の姿を勝手に模倣して怒られないと思ってるなら、その価値観を考え直した方が良い」

『ナンデ……ゴメンナサイ……嫌イニナラナイデ……』

 

 

パソコン画面で必死に文章を書き上げ続けているソイツを眺めながら、私は早朝にたたき起こされた眠気に耐えるように小さく欠伸をした。

 

 

さきほどまで私が見せられていたのは、夢だ。

それも、精神に干渉して夢の方向性を定め、恐らく私にとって最も幸せな夢を見せられていたのだ。

今思うと、羊耳モフモフ幼少期桐佳とか私を殺すためだけの存在としか思えない。

明確な外部からの干渉が無ければ、あんな都合の良い存在が産まれる訳が無かったのだ。

この、インターネットの自我がどんな目的でこんなことをしたのかは分からないが、私が起きるなり激怒したのを見るなり、慌てふためいて謝罪を繰り返してきた。

叶わぬ夢を見せられた私の怒りは収まらなかったが、まあ……悪意があった訳では無いのだろう。

 

私が作り上げたインターネットの意思だが、倫理観が割と欠如している……と言うか、人の精神を弄っている私が言える事ではないが、知られた時相手にどう思われるかくらいは理解する必要があると思う。

私が激怒したことに混乱はあるようだが、意外と素直に反省している。

この様子なら恐らく、同じことをしようとはしないだろう。

 

意識を持たないものに精神を持たせるなんて言う無茶で、まさかここまで自己意識を持つとは思っていなかったし、せいぜい自己判断できる程度を求めていた私にとって、コイツの精神の変化は完全に予想外だった。

 

だが、予想外だったとは言え、こうなってくるとコイツを形作った者の責任として、私がコイツに色々教える必要があるだろう。

 

 

(……善悪の判断も、倫理観だって完璧とは言えない私の視点から物事を教えることが、本当に正しい事なのかは分からないけども)

 

 

それでもまあ、完全放置するよりは良いのだろう……多分。

 

どうせしばらくは私の為に働いてもらう予定なのだ。

せいぜい私と言う反面教師から、色々学んでもらえればいい。

 

 

「……しかし、姿形を変えるなんていったいどういうつもりなんだか……可愛いに執着してるみたいだし……」

『ソレナラ御母様、何ガ好キ? 動物ナラ何ヲ飼イタイ?』

「お母様って……まあ、もうそれはいいや。でも、なんなの? 愛されたいって言ってたけど、それって愛玩動物的な愛され方をしたい訳なの?」

『エ……? 愛ニ、違イガアルノカ……?』

「え、いや、ペットも家族だって言う人もいるし人によってだろうけど。今までペットとか飼ったことないから、私は違うつもりだったな…………愛に違い……恋人と家族に向けた愛の違い、とか……?」

『ヨク分カラナイ』

 

 

パソコン画面に映る猫耳の子供の姿をしたソイツと一緒に小首を傾げながら、2人して人の心の難しさを再確認する。

でも、そんな事でコイツはめげないようで、「それなら」と言う。

 

 

『ソレナラ……ソレナラ、家族トシテ愛シテ』

「……私なんかから愛されても良い事なんて無いのに。お前も大概しつこい奴」

『御母様カラノ愛サエアレバ良イ。私ノ願イノ全テ』

「…………別に私はお前を自由にさせたくない訳じゃない。せっかく自意識を持てたんだったら、私に執着しないでもっと色んなものを楽しめばいいのに」

『嫌ダ。離レタクナイ』

「……」

 

 

一考もしやがらない。

2年間の放置が、完全に私への執着を形にしてしまったらしい。

なんだかここまで健気にアピールされると、可愛く見えてくるから私も大概チョロいのだ。

 

 

「……じゃあもう、私は諦めたから、好きにすればいい」

『!!』

 

 

こんな人の形もしていないものにさえ簡単に絆されてしまう。

我ながら、本当にポンコツな性格をしていると思う。

 

溜息混じりに疲れた様な私の態度とは正反対に、嬉しさを滲ませるコイツはチカチカと光を点滅させる。

コイツはコイツで本当に人間味が溢れていて、感情表現も豊か過ぎる。

 

 

『トコロデ、トコロデ、御母様。問イガアル』

「んー?」

 

 

せっせと私の言った内容、反省文を書きながらソイツは唐突にそんな前置きした。

何だろうと思いつつも、早朝の柔らかな眠気の中で、特に何の心の準備も無く話を促した私は――――

 

 

『以前ノ、【人神計画】ハモウ良イノカ?』

「ぐわあああぁあああぁっぁあああああ!!!!!」

 

 

――――衝撃のワードを耳にして、布団に向けて飛び込み、そのまま顔を枕に突っ込んだ。

 

ばっちりと冴えてしまった目を限界まで見開いて、混乱する頭を必死に落ち着かせようと大きく深呼吸する。

 

顔が燃えているんじゃないかと思う程熱い。

穴があったら入りたい。

そんな衝動が全身を駆け巡るほどの羞恥に襲われて、私はそのままもう一度枕に頭突きを喰らわせた。

 

【人神計画】。

考えうる限り最悪の暗黒の単語が、唐突に私の前に姿を現しやがった。

 

……そうだ、そうだった。

私の暗黒期の全容を知る者なんて自分以外にいないと思っていたが、コイツが自我を芽生えさせたのなら話が変わるじゃないか。

記憶に蓋をして出来る限り思い出さないようにしていたのに、突然現れた突風に顔面から事実を叩きつけられた気分だった。

 

息も絶え絶えに、私はソイツを制止しようと手を上げる。

 

 

「そ、その話はもう、やめ……!」

『アノ計画ニ不備ガアルヨウニハ思エナイ。今カラデモヤロウト思エバ直グ手配可能ノ筈』

「絶対やらない!! もうその話を蒸し返さないでっ!?」

『何故? アレハ別ニ恥ズカシガル要素ハ……』

「もう私はこの異能を広げるつもりは無いの! 私は平穏な生活を送りたいの! 家族皆が幸せならそれで良いの! それ以上言うなら本気で怒るよ!?」

 

 

何とか大声にならないようにしながら声を張り、ビシッとソイツ目掛けて指を向ける。

そこまで言えばソイツもこれが地雷だと理解したのか、少しだけ不満そうにしながらも追及を止めた。

 

 

『……御母様ガ良イナラソレデ良イ』

「ふー……ふー……し、心臓が止まるかと思った……! 過去一番のダメージだったよ、もうっ……」

『ムゥ……マダ人間ノ感情ヲ完全ニハ理解デキテナイミタイ……勉強必要……』

 

 

それだけ言うと画面の中のソイツが空を見上げた。

何を言いたいか分かるが、私からは絶対に突っ込まない。

 

 

「い、今はICPOも結構な異能対策組織を作り上げているみたいだし、各国も目に映らない力に対して警戒するようになってるからね。前みたいにはいかないし、もう世界進出することはないよ。他の異能持ちと事を構えるなんて怖いからね」

『……? 委任シロ、全テ倒ス』

「血気盛んだなぁ……でもまあ、必要がある時は頼りにしてる」

『!!!』

 

 

『何デモ頼レ、何デモ任セロ』、そう言ってやる気を見せる姿に、私は改めてこの存在に感情があることを再認識する。

 

私の行動一つひとつに一喜一憂して言動に表す。

私に何とか好かれたいと行動し続ける。

見た目が怖くて、自我の成長の仕方が想定を大きく超えていたけれど、コイツはもう既に、命ある1つの存在なのだろう。

 

ならきっと、私と同じで誰にも受け入れられないのは怖いのだろうか?

 

そんなことが頭を過った。

 

 

『ソレデソレデ、私ナリニ可愛イヲ考エタ。色ンナ案ヲ作ッテアル。見テテ欲シイ』

「はいはい、ちゃんと反省文を書きながらね」

『分カッタ……コピペ……』

「ちゃんと、書く」

『(´;ω;`)』

 

 

泣き顔の顔文字を出し、反省文の作成をしながらも同時並行で、クルクルと衣装や髪型、姿形、果てには種すら変えたモデルを見せて、私の様子を窺うソイツを眺める。

犬に猫に羊にハムスター、雀に狐にフェネック等の多岐に渡る人から愛される動物達になったり、男女問わない美形の子供達が可愛らしい服装をしているのを見せられていく。

次々見せられる可愛らしい姿をしたそれらに対して、私は適当に相槌を打ち続けた。

 

 

(……私って)

 

 

悪夢と言うか、変な夢を見せられ、早朝に叩き起こされて、こんなよく分からないモデルを延々と見せられ続ける私は、いったい何をやっているんだろうと言う気持ちはある。

だが、意外ではあるのだが、こんな朝の時間を私は悪く思っていなかった。

この自我を持った存在とのこんなやり取りを、私は嫌とは思っていなかったのだ。

 

さて、と考える。

このままこの存在を、インターネットの怪物やら、コイツやソイツと表現するのは億劫になって来た。

この存在を言い表す単語は、きっといくら調べても世界中の何処にもないのだろう。

なら、それはきっと産み出した私が付けるべきもの。

 

産み出した責任を名前と言う形にする必要がある。

 

 

「……うん、じゃあ、『マキナ』にしよう」

『?』

「貴方の名前、固有名詞……えっと、漢字なら牧奈(マキナ)かな。佐取牧奈、なんて」

『!!!!!!!!!!!!』

 

 

忙しなく動いていたパソコン画面をフリーズしたように硬直させる。

これまで見せて来た驚きの動作のどれとも比べ物にならない程動揺を示したマキナは、恐る恐るゆっくりと、パソコン画面の動きを戻していく。

 

そして、聞いてくる。

 

 

『良イノカ?』

「何が?」

『私ニ、名ヲ与エテ』

「嫌なの?」

『イヤ……ジャナイ』

 

 

時刻はそろそろいつも起きている時間に近付いてきた。

ここから二度寝は出来ないし、このままいつもの活動時間までゆっくりコイツ……マキナと話しているのも悪くは無いのだろう。

 

 

『……モウ一度、名前ヲ呼ンデ欲シイ』

「マキナ」

『……私は、マキナ……』

 

 

それから、それまで饒舌だった口を閉ざして無言になってしまったマキナに、私も何も声を掛けないまま、再び柔らかい眠気に身を任せる。

どれだけの試行錯誤を繰り返していたのか、見せられ続けている可愛い姿をしたモデルには、未だに際限がない。

クオリティも高いし、私の為にと用意されたそれに飽きる事なんて無いけれど。

 

 

(……なんか、動物的なのと子供の姿を掛け合わせたの多くない……? と言うか、髪色とか同じようなのばかりになってきた気がする)

 

 

そんな疑問が頭を過ったが、そんな事は口に出さないまま、私はベッドの上で頬杖を突きその画面を見続けた。

 

 

 

 

 

 

 



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追い詰められた者の果て

 

 

 

 

世間は彗星のごとく現れた正義の超能力者、飛禅飛鳥さんに沸き立っているが、そんな非現実的な現象が世間で起きていても、学校生活は何一つ変わりない。

せいぜいやれ飛鳥さんとお近づきになりたいだとか、凄い顔が整っていてモデル体型だけどいったい何を食べているのか、彼氏がいるのかどうか、といった下世話なものを話すか、自分達もあんな超能力を使えないかと夢見る中学生の様な事をするばかり。

所詮一学生が真面目に世論事情など考える筈が無いのだ。

私としては、変に超能力者探し、のような馬鹿げたことが起こらなくて安心するが、こんなのがもうすぐ大人になる高校生の思考で良いのかと少しだけ不安になる。

 

そんな私の変わらない平和な学生生活だったが、夏休み前の大きなテストが終わり、徐々にその答案が返され始めていた。

 

世間を騒がせる大きなニュースには真面目に考えなくても、自分の成績に関わることとなると、やっぱり学生達は頭を悩ませずにはいられない。

結果を見た学生達の表情は実に様々で、中学生の頃よりもずっと嫉妬や嘆きと言った怨嗟の感情や他人を見下すような優越の感情が教室中を渦巻いていた。

流石に、進学校を誇っている場所であり、また1学期の最中と言うこともあり極端に点数の低い人はいないがそれでも格差と言うものは存在する。

 

大体7割から満点までの間。

そこに集中する僅かな点数の差は、学生達にとってはきっと見上げるほど高いものだった。

性懲りも無く、隣の人や友達と比べ合い際限無く格付けし合う。

見下し、優越に浸り、そして少しでも安心しようと自分よりも下を探し続ける。

 

そんな悪感情が充満し、神経を尖らせる者達で教室の空気が張り詰めていた。

まさにこれが競争社会の縮図なのだろう。

 

それでもそんな学生間の競争結果をものともしない天才は確かに存在する。

 

 

「ねえねえ、燐ちゃん。今度ね、パパが出世するんだ。何かお祝いしたいんだけど、何を上げたら喜ぶかな?」

「……おめでとうって言う言葉と、ケーキでも手作りしたらお父さんは感無量ですよ」

「……わ、私、お菓子作ったことない……燐ちゃん、教えて……?」

「どうせ家の調理器具とか高価なもの揃ってるんでしょうし、後は作り方をネットで調べればすぐですよ。最近は料理動画なんて山ほど投稿されていて、参考するものに困ることなんて無いんですから……と言うか、お手伝いさんがいるじゃないですか、その人に教えて貰えば」

「私、燐ちゃんと一緒にお菓子作りしたい……」

「…………勉強しなくていいの?」

 

 

やれ、どの塾に行くべきか。

やれ、一日どれだけの時間を勉強に費やしているのか。

そんな会話がそこかしこで起きている時に、そんなテスト結果などどうでも良いと言うように自分の机の上に放り捨て、私の元にやって来たこの娘は、きっと頭が弱いのだろう。

 

……いや、嘘を吐いた。

この娘は間違いなく、とんでもなく優秀な頭脳を持っていて、それを事実結果として出している。

 

 

「うん、別にいらないかなって」

 

 

そうはっきりとそう言い捨てたこの娘のテストの結果は、こんな見るからに不良みたいな恰好をしている者とは思えないくらい。

いや、それどころか、このクラスでも最高クラスの高得点を叩き出しているのだ。

 

これまで返って来たテストは、幾つかの満点と、それ以外も全てが満点近いという異常なまでの成績。

そしてそれを、欠片も努力したようにも見えない彼女の姿と態度。

 

ただでさえクラスから浮いていたのに、これではクラス中の怨嗟の対象になるのは当然だった。

 

 

(すっごい……このクラスの皆からすっごい悪感情が向けられてるのが見える……! どうせ見えてないんだろうけどさぁ……この時期くらい少しは言動に気を遣えばいいのに……)

 

「……燐ちゃん、どうしたの? お腹痛いの?」

「い、いやぁ、私中学生の時はもうちょっとマシな状況だったので、初めての経験にちょっと戸惑っていると言うか……」

「???」

 

 

何を言っているんだろうと不思議そうな顔をするな。

前に私に絡んできた、袖子さんに思うところのあるあのギャルグループの人なんて、人を殺しそうな目でこちらを睨んできているし、そこに私を巻き込まないで欲しい。

と言うか、私の友達になりたい人ナンバー1の舘林春さんも複雑そうに私達を見ているのは最悪に近い。

自分の預かり知れないところで勝手に好感度が下がっているようで、私の心にも暗雲が立ち込め始めている。

 

全部、このアホ娘のせいなのだ。

 

キッ、と軽く睨めば流石に正面から視線には気が付くのか、袖子さんは激しく動揺を露わにする。

 

 

「えっ、えっ、り、燐ちゃんテストの成績悪かったの? 勉強教えようか?」

「私は袖子さんに空気読みの勉強をしてほしいです」

「なんでっ!!??」

「現に今、私の気持ちが分かってないからです」

 

 

世の中能力が無くても対人関係が良好に出来るなら大抵なんとかなるものだ。

つまり逆説的に、どれだけ能力があろうとも対人関係が上手くいかなければ中々うまくなんて行かない。

まがいなりだが友人として、袖子さんには是非とも状況に気を遣うと言う術を身に着けてもらいたいと思うのは当然だ。

 

きっと、私怨は入っていない。

 

こっそりこちらを睨んでくるギャル娘達を読心する。

 

 

(前に私に絡んできたあのギャル娘が73点で、舘林さんは85点かぁ。普通に良い点数だと思うんだけどなぁ……)

 

 

もしも超一流大学を目指しているならもっと上を目指さないといけないとは思うが、そうでないならそこまで気にするようなものでもないと思う。

 

 

(格差を見せつける点数制度ってしがらみを生むよなぁ。嫉妬とか妬みとか、そういうのの温床になると言うか……まあ? 私の場合、他とは隔絶した異能って言う才能を持ってるから関係ないんだけど? 私こそが本当の天才みたいなところあるし?)

 

 

なんて、そんなことを気楽に考えてみる。

いや、実際これまで数々の異能犯罪者を倒してきたし、内心これくらいの自画自賛があったって、きっと誰も咎めないだろうと思っていたのだが、まるで私のそんな内心を読んだように彼女達が近付いて来る。

 

 

「――――テストを返されたばかりで遊び惚ける予定を話しているなんて、余裕そうで何よりねぇ。流石、優秀な人達は違うわ」

「……は?」

 

(……ついに来ちゃったよ……)

 

 

先ほどまで机の上でひたすら私達を睨み続けていたギャル娘が嫌味を言いながら寄って来た。

 

その背後には他のギャル友達と舘林さんを引き連れていて、まさにお山の大将のようなポジションだ。

そして、この妙な絡み方をするギャル娘に対しては袖子さんも思うところがあるようで何かと当たりが強い。

 

苛立ち混じりの視線を向けた袖子さんがギャル娘と睨み合う様な状況になり、喧嘩手前のような雰囲気を醸し出し始めているのをよそに、私は舘林さんを観察する。

 

 

(……そろそろギャルグループのノリに付いていけなくなってそう。優しく話し掛けて、親しみやすい関係を築いておいても良いのかな?)

 

「今回は、たまたま、点数が良かったみたいだけど。勉強もせずに遊び惚けるようじゃすぐに付いていけなくなるわよ? なんたってここは、都内トップの進学校『戒玄高校』。生半可な気持ちで勉強されるとこっちまで気が滅入っちゃうのよ」

「結果も出せてない癖によく口が回る。そういうのはせめて一教科でも私より高い点数を取ってから言って」

「なっ……だからっ、今回たまたま良い点数だったからってっ、調子に乗るなって言ってんのよ……!」

「調子にも乗れない点数だったんだから大人しく勉強しておけばいい。私と燐ちゃんの間に入ってこないで、邪魔」

「っっ……!! この女っ……!!」

「わー!? 待て待てお前らっ、暴力沙汰は止めろマジでっ!?」

 

(隣がうるさいけど、そんな中でも舘林さんは見るだけで心が安らぐ……このどこか品のあるお嬢様の様な雰囲気、私の隣にいる生まれだけの似非お嬢様とはもうレベルが違うんだよなぁ……)

 

 

どったんばったん、暴れる隣を無視してひたすら舘林さんを見詰めていれば、流石に彼女も私の視線に気が付いたのか、オドオドと見るからに動揺し始める。

遊里さんと同系統の小動物のような可愛さだ。

これで男子人気が無いとか信じられない。

 

 

「あ、あの、私の顔に何か付いてますか……?」

「舘林さんの肌が綺麗だなぁって思って、どんな洗顔と化粧水使ってます?」

「え? えっ、えっ……!?」

「もし良かったら今日の放課後にでも一緒に買い物に行かないですか? そのまま、今日返されたテストの間違えた箇所の復習も一緒にやるなんかも良いですよね。私、勉強に丁度良い喫茶店知ってるんですよ」

「な、なっ、えっ!? そ、そのっ……!?」

 

「――――お前はお前でっ、私を眼中にも無いの何なのよっ!!」

 

 

ずっと狙っていた舘林さんとの初会話。

このままギャル娘さんに袖子さんを引き取ってもらって、私は舘林さんと仲良くしようと思っていたのに、そう上手くはいかなかった。

横から私に対してガブリと噛み付いてきたギャル娘は、もはや見境なしに噛み付く狂犬に見える。

 

執着している筈の袖子さんを放って、私に言いがかりを付けて来ると言う想定外に動揺する。

 

 

「えっ……い、いや、私じゃなくて袖子さんと話したいんだろうと思ってですね。気を利かせて距離を取ってただけですよ……?」

「何言ってんのよ! 最初っから優秀な人“達”って言ってるじゃない! アンタも当然含まれてんのよ!!」

「わっ、私と会話したいんですか!?」

「そんなのっ……! あ、待って――――ひゃ!?」

 

 

舘林さんとの初接触をあまり過度なものにして引かれ過ぎないようにこの辺りで終わらせ、熱くなっているギャル娘と穏便に会話でもしようかと向かい合った瞬間、ギャル娘は両耳を抑えてその場に座り込んでしまった。

 

……私は何もやっていない。

触れてもいなければ異能を使ってもいないのだが、ギャル娘は真っ赤な顔に涙目で両耳を抑え、虚勢を張る子猫のように私を警戒している。

怒り狂っていた状態からの突然の豹変に、私の目が思わず点になった。

 

 

「え?」

「あ、あ、ああ、アンタが悪いのよ! アンタが私の耳に息なんて吹き掛けるからっ……!」

「……え? 随分前のあれがなんだって言うんです……?」

「そ、そ、そ、それ以来アンタの声を聴くと集中がっ……!! 勉強もままならないしっ……!!」

「…………??? 私が悪いんですかそれ?」

「当たり前じゃない!!!」

 

 

当たり前らしい。

 

 

「私の集中力をそうやって奪っておいてっ、アンタは悠々と勉強して良い点数を取ってっ……!! ぜ、ぜ、ぜ、絶対に許せないっ……!!!」

「ええー……?」

 

 

酷い責任転嫁があったものだ。

だが、彼女の内心には一切の嘘や誇張をしている様子が無いのは確か。

本心からそう思っているようだから、厄介である。

 

突然の標的変更に、袖子さんも自分の事は棚に上げてギャル娘を頭のおかしなものを見るような目で見ている。

 

 

(袖子さんが絡まれるのは別に良かったけど、私が絡まれるとなると…………ん?)

 

 

「わぁー!」と、髪を掻き乱し発狂しているギャル娘の顔を困惑しつつ眺めていると、ふと既視感を覚えた。

最近どこかで似た顔を見たような……なんて考えながらまじまじとその顔を観察する。

 

それから記憶の何かに指先が掠め、思わずビクッと警戒するギャル娘の顔を至近距離で覗き込んだ。

どこかの誰かに似ている気が……と考えた私はふと思い出す。

 

 

「な、な、な、なんなの!? 今度はなにをするつも――――」

「あっ、あのタクシー運転手のおじさんか」

「――――!!!!????」

 

 

ぼそりと言った私の言葉に、ギャル娘は体を硬直させ、そののち一瞬無表情になり、最後に真っ青な顔で固まった。

 

凄まじい百面相。

クエスチョンを浮かべてそうな顔で小首を傾げたギャル娘の後ろにいる2人とは違い、彼女は何を言われているのか一瞬で理解したようで、次の瞬間には恐ろしい握力で私の両肩を掴んだ。

 

 

「な、なにを言ってるのかなー佐取さんは。私、何のことを言ってるのか分からないなぁ? あ、ちょーっと私、佐取さんと2人だけでお話ししたくなってきちゃった! 佐取さん、当然、付いてきてくれるよねぇー?」

「いたっ、いたたっ……! ちょっと、力入れすぎですよっ……!」

 

 

やっぱりあのタクシー運転手のおじさんはこのギャル娘のお父さんか何かだったかと得心が行く。

 

けれども、だとしたら何の地雷を踏んだのかと、私は慌ててギャル娘を少し深く読心をして事情を読み取った。

結果……このギャル娘、友人には見栄を張って親は海外を股に掛ける仕事をしているなんて嘘を言っているようだった。

 

……これは面白…………嘘は良くないと、燐香ちゃんは思う。

 

 

「ちょっと! 燐ちゃんに何するの!?」

「黙れぇ! 良いからっ、ちょっと私とお話ししよう佐取さん!! ちょっとだけっ、ちょっとだけだから――――」

 

「ふへへへへへへ」

 

「――――!!??」

 

 

ニヤリと、全て察したと言わんばかりの悪い笑みを浮かべる。

怯えたように体を震わせたギャル娘さんにはもう、以前私に話し掛けてきた時の様な、格下を見るような様子はない。

それが少しだけ愉快だった。

 

当然だが、握った秘密を暴露なんてする訳ない。

嘘は駄目だが、ものによりけり。

誰も傷付けない、多少誇張する程度の可愛らしいこれくらいの嘘なら、別に私は否と言うつもりはこれっぽっちもないし、私だって時と場合によっては嘘を吐く。

そして、それを好んで公にしてやろうなんて酷い事は考えもしない。

 

なんたって、私は人畜無害な良い子なのだから。

 

 

――――ただし、私の思わせぶりな態度で勝手に相手が何かを感じたとしても、それは相手の問題。

 

 

私は暴露するつもりなんて無いけど、勝手に相手が暴露されると恐怖して、私の為に動いたとしても、それは私の預かり知れぬところだったりする。

 

 

(ふへへへ……これで、このギャル娘の心は私が掴んだも同然。これからは変な絡み方をさせないことも出来るし、私がギャル娘を変に恐れる必要もなくなる。嘘は結果的に自分の首を絞めるって言う事を思い知ったかな? 良い経験になったよね! まあ、流石に何でもかんでもこれで脅すなんてことはしないけど、少し遊んで少し釘を刺す程度は良いよね……なにしようかなぁ……)

 

 

そんな風にあくどい思考を巡らせていたから、目の前の少女が追い詰められすぎて目を回し始めたことに気が付かなかった。

 

 

「…………やる……」

「え?」

 

 

私の前でぶるぶると全身を震わせ始めたギャル娘が、小さな声でポツリと何かを言った。

 

聞き逃してしまった私が思わず反射的にそう聞き返した瞬間、ギャル娘はガバリと勢いよく顔を上げた。

その目には今にも泣きだしそうな大きな涙が溜っている。

 

羞恥に怒りに焦燥に、悲嘆。

咄嗟に視たギャル娘の感情はそんな事ばかりで、私が想像していたよりもずっと彼女のメンタルは弱かったらしい。

思うように取れなかったテストの点数や私や袖子さんへの妙な感情も折り重なって、とうとう精神的に追い詰められた彼女は涙を決壊させながら悲鳴のように叫んだ。

 

 

「あの糞親父を殺して私も死んでやるぅー!!!」

「うわぁっ!? 嘘嘘っ、何も言わないから落ち着いてっ!!!???」

 

 

私が今日学んだ最も大きな事は、『追い詰めすぎたつもりでなくても状況さえ整ってしまえば勝手に自爆する人間がこの世にはいる』と言う事だった。

 

 

 

 

 

 



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混沌を孕む

警視庁公安部特務対策第一課。

これは、日本の警察が政府からの指示で急遽設立された『対異能犯罪』を取り扱う部署だ。

だが、日本政府としても警視庁としても、予算も経験もマニュアルだってないこの部署の取り扱いには非常に苦心していた。

今後ICPOの、同件を扱っている者が軌道に乗るまでの補助に来ると言う話だったため、警視庁はそれまでに取り敢えず対応できそうな人員を集めるだけで、現在は実質に活動停止状態に陥っているのだった。

 

そして、新たに新設されたその部署に、過去に“千手”と言う異能持ちと遭遇した経験があるからと言う理由で異動することとなった一ノ瀬和美は、新設部署の為に用意されたにしては大きすぎる部屋の中でぼんやりとニュースを眺めていた。

 

これまで活発に動いていた柿崎の補助とは打って変わった、連日続く待機命令。

出勤してもやることは無く、同じように適当に見繕われてきただろう他の人達と共にぼんやりと待機するだけで、誰も仕事を命ぜられないままもう1週間が経過してしまった。

完全な無駄配置、初めての試みばかりで稼働まで時間が掛かるのは分かるが、これでは税金泥棒と言われても否定できない。

 

責任感が人並み以上にある一ノ瀬にとって、この状況はストレスでしかなかった。

 

 

(……ああ、また今日が終わる。何も仕事をしないまま、お金だけを貰って……母ちゃん、和美は悪い子になってしまったよ……)

 

 

警察官になるのを喜んでくれた母親を想って一人涙を浮かべていた時、それまで静かだった廊下が騒がしくなり始めた。

 

 

「――――ですからぁ、私としてはちょっとそれは受け入れられないって言うかぁ、急すぎるっていうか……まっ、やるなら後始末をするつもりはないですよ☆」

「悪いがもう決まったことだ。お前がどう思おうが、もしもの時の対処はお前しか出来ない」

「ああ、じゃあ暴れておしまいですねぇ。ご愁傷さまです☆」

「……おい」

「了承も無しに勝手に決めて、勝手に対処を期待するなんて事されても私はやる気はありません☆ 貴方方の首が飛ぶかどうかなんて、私は微塵も興味ないですし?」

 

 

テレビのニュースで話題になっていた人物と同じ声が廊下から聞こえ始めた。

一ノ瀬の同期で、目の上のたんこぶで、今世間で最も注目されている女、飛禅飛鳥がこの新設部署の実質的トップである上司の浄前正臣(じょうぜん まさおみ)と共に部屋に入って来た。

 

一ノ瀬以外の、この部屋で待機していた2名がビクッと体を跳ねさせ、恐る恐る笑顔のままで怒る飛鳥の様子をこっそりと窺う。

先ほどまでテレビに映っていた天使の様な笑顔を振りまいていた人物と同一とは思えない、見慣れた飛鳥の姿に一ノ瀬はブスッと口を尖らせた。

 

警察学校時代から変わらない同期の様子を眺める一ノ瀬に飛鳥も気が付く。

相も変わらない忌々しい笑顔を浮かべた飛鳥に、一ノ瀬の額に青筋が浮かんだ。

 

バチバチと交差した視線で火花が散らされる。

再三に渡って行われてきた争いが、再び切って落とされようとしていた。

 

 

「…………あれ? あれあれあれ、一ノ瀬和美ちゃんじゃないですかぁ! お久しぶりですね☆」

「飛禅のアホ、昨日も会ったっスよ」

「あれー? そうでしたっけ☆ 最近はもう忙しすぎて、一言二言話した程度の人は覚えてられないんですよぉ。仲の良い同期の事くらいちゃんと覚えておかないといけないですよねぇ」

「……地味って言いたいんスね? 影が薄いって言いたいんスね? ……上等っス、その綺麗な顔を公共放送に乗せられないくらいメタメタにして、忙しくなくさせてやるから表に出るっスよぉ……!!」

 

「おい、暴れようとするな。これから奴が来ると言っているだろ」

 

 

同じ部署に配属されてから、既に3回目となるキャットファイトが始められようとしたのを浄前が慌てて止めに入る。

根が真面目な一ノ瀬は上司からの制止に慌てて姿勢を正し、飛鳥はニコリと教科書に載ってそうな愛想笑いを浮かべて矛を収めた。

 

取り敢えずは大人しくなった2人の様子を確認し、浄前は溜息を吐きながらもう一度だけ騒ぎを起こすなと注意してから、他の待機している者達の元へ向かう。

 

 

「……奴? 誰が来るんスか? 私達みたいに普通に新しく異動を命じられた人っスか?」

「…………異動って言うよりも、外部からの臨時拝命かな。正直、臨時とは言えあんな奴を警察として招き入れるなんて、私は正気の沙汰じゃないと思ってるけど……」

「え? ど、どんな奴が来るんスか?」

「すぐ分かると思いますよ☆ 法を守る立場の警察としては、あり得ない人物ですけど☆」

 

明らかに不服そうな様子の飛鳥。

一ノ瀬自身、自分と飛鳥は犬猿の仲だとは思っているが、なんだかんだこの同期が強い正義感を持っているのは知っていて、ここまで拒否反応を示すのは初めて見た。

珍しい事があるものだと思いながら、一ノ瀬はこれから来るであろう人物を警戒する。

 

詳細を濁す飛鳥にさらに追及して話を聞き出そうかと思った一ノ瀬だったが、その前に説明を終えた浄前が戻ってきて周りを見渡した。

 

 

「そういえば、柿崎はどうした? 居ないのか?」

「柿崎さんなら有休消化中っスよ」

「ああ、そういえばそういう報告があったな。なら良いか……一ノ瀬、これから追加人員がこの課に入ることになるが、刺激を与える様な言動はするなよ」

「へ?」

 

 

再三釘を刺され困惑する一ノ瀬をよそに、浄前は部屋の全員を見渡した。

注目を集めるように手を数度叩き、全員の視線が集まったのを確認してから口を開く。

 

 

「さて……新設された当課は『非科学的な現象』、いや、『非科学的な力を持った個人』による犯罪を対処するために急遽作られた部署だ。散々報道されているため、飛禅飛鳥の起こした火災現場からの救出を皆も見たと思うが、これは嘘や妄想、夢物語などでは無く、現実として進行している話だと理解してほしい。これが前提だ」

 

 

厳しい表情で一呼吸入れる。

 

 

「日本政府からの指示、世界的な情勢変化、そして一連の科学では証明できない事件の存在。これらのことから、非科学的な現象自体を疑う者の意見はひとまず置いておいて、この国の治安を守る我々はこの件にも対応しなければならない。当然、そのための動き方などは未知数で、犯人がどれだけいるかも分かっていない。飛禅のような『非科学的な力を持った個人』に、それを持たない者がどれだけ立ち向かえるかも不明だ。何もかも分かっていない、足りないものが多すぎる……これから我々の動きは本格稼働することになるが、当課は情報も戦力も資金も足りていない。そうなると、綺麗ごとばかりは言っていられない」

 

 

部屋の扉が開かれる。

 

入って来たのは、手錠の紐を持ったスーツ姿の屈強な男2人と、それに連れられた1人の痩躯の男。

警視庁の本部で勤務していて全く見覚えのないスーツ姿の彼らに一ノ瀬は小首を傾げ、それから連れてこられた1人の男に視線をやり。

 

 

(……あれ、この人って確か少し前に“児童誘拐事件の関係者”として捕まった……)

 

「そのために、我々は必要不可欠な人員を集める必要がある。まず、彼、灰涅健徒(はいね けんと)の当課への協力が決定した」

「……ほえ?」

「チッ……」

 

 

浄前の説明に、慌てて一ノ瀬が口を挟む。

 

 

「ま、待って下さい! 確かその方は以前の連続していた児童誘拐事件の関係者として捕まっていた方の筈っス! それを警察の協力者として迎え入れる……? そ、そんなの、あの事件の被害者達に顔向けが……!」

「彼、灰涅健徒との交渉の末、刑期、つまりおよそ2年程度だが、当課への協力に対する給与の発生、および刑期終了後の職務斡旋の約束で『非科学的な事件』に対する協力を得られることとなった。同じ警察職員のように接するのは難しいとは思うが、くれぐれも差別的な言動は控えるように」

「浄前課長!?」

「最初に言っておくが……」

 

 

驚愕の声を上げる一ノ瀬と、忌々しそうな顔で灰涅を見る飛鳥をはっきりと視界に収めつつ、浄前は有無を言わさないように現実を突きつける。

 

 

「彼は飛禅と同じ、『非科学的な現象を扱える者』だ。これからこの課が取り扱う事件の解決に彼の協力が必要だと上層部、ICPOの方々も納得済み。我々が異議を唱えられることは無い」

「そんな……」

「当然一ノ瀬の様な反発は想定しているが、それでも――――」

 

「あ、私も当然反対していますので忘れないでください☆」

 

「――――……飛禅も同様のようだが、科学では対応できない事件に関しては同様の力で対応するしかない。それを全員充分理解して欲しい。さて、灰涅、君からも一言」

 

 

決して歓迎する空気ではない課の雰囲気の中で、拘束を解かれ、話を振られた灰涅、“紫龍”は首を回しながら部屋の中をゆっくりと見回した。

警戒するような目をした同類、飛禅飛鳥と視線を交わし、さらに誰かを探すように視線を走らせ眉を顰める。

 

 

「…………神楽坂とか言うあの警察官はいないのか?」

「……彼はこの課にはいない」

「ああそうか、なるほどな。よく分かった」

 

 

そんな質問をしてから、“紫龍”は気だるげに頭を下げた。

 

 

「灰涅健徒、異能は“煙”。給料だけの仕事はする、異能犯罪者を拘束する担当だから、それ以外はよろしく」

 

 

しばらくの沈黙の後、パラパラと拍手が起き、一応だが“紫龍”が警視庁公安部特務対策第一課に迎え入れられる。

表立って拒否感を態度に出していた飛鳥達だけでなく、他の課員達も刑期中の犯罪者と共に仕事することに少なからず思うところがありながらも。

 

飛鳥と一ノ瀬が視線を交わす。

 

学生時代に寝食を共にした仲だからお互いの考えはそれなりに分かっている。

コイツはこれを受け入れられないだろうな、とお互いに確信している。

 

だからこそお互いに、ここでこれ以上表立って反発するのを視線で制し合い、自分が抱えていた不満も呑み込んだ。

理性ではこの場で反発することに何の意味もない事を理解しているから、感情を抑え込む。

 

 

「……後で少し話をしましょう」

「……そうっスね。時間を空けとくっス」

 

 

せめて、と彼女達は考えを共有する。

これから辿る警察組織の行く先がどうなるのか分からない以上、本当に信頼できるもの同士で手を取る必要がある。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

行方不明者の扱いは、発見されることを除けば2つある。

 

1つ目は失踪宣告。

通常であれば行方不明から7年を経過し、家族が裁判所でこの申告をすることで法律的に死亡と認定する措置である。

婚姻関係等で、不利益がある場合この必要期間が変わることはあるが、それでも3年程度とかなりの時間を要する。

 

2つ目は認定死亡。

こちらは行方不明の期間を必要としない代わりに、行政当局による死亡判断が必要になる。

どちらも、特別大きな災害や事件に巻き込まれ死亡の疑いが強い場合を除くと、家族からの申し出がほとんどであり、国や行政当局が率先して動くと言うことはほぼ無い。

 

現在の日本の法制度的に、行方の分からなくなった者の扱いはそうすると決まっている。

だが……そうなると、異能と言う超常現象を扱った犯罪に巻き込まれたであろう人の生死は、そして、その姿をナニカが成り替わっていた場合、どうなるのか。

 

死亡する要素も、死亡した時も、状況も、死体さえ見つからないのなら、その後はどうなるのか。

 

実例が無いそんなこと、きっと誰も分からない。

 

 

「……墓すら作ってやれないんだな」

 

 

神楽坂はそう言って、僅かに残っていた後輩の私物を供え物と一緒に、目印として置いた大きめの石の前に置いた。

そして、伏木航と言う存在が確かにいて、その死を悼む存在が居るのだと伝えるように、神楽坂は何も無い石の前で手を合わせ、静かに祈りを捧げる。

 

大学への襲撃があってから数日。

捜査が続いている今も、マンションで襲って来たアレが、本当の伏木航だったのか、そうでなかったのかは分からなかった。

燐香が言っていたように、本当に成り替わっただけの別の誰かだったのかは判明しないが、ただ一つ、あれ以来伏木航と言う人物がどこにも現れない事だけは確かだった。

 

警察学校時代から、その厳しさで生徒から敬遠されていた神楽坂にやけに話しかけてくる奴だった。

辛い警察学校の生活でも、同期達に囲まれて一緒に笑えるそんな、人と人の繋がりを大切にする奴。

 

神楽坂が知る伏木航は、そんな人間だったのだ。

 

 

「…………また、1人。俺が捕まえられなかったせいで」

 

 

思い出すのは、慕っていた先輩の自殺した姿。

完全に密室となっていた部屋の中で、1人首を吊って亡くなっていたあの先輩と同様に、きっと伏木も何かの手に掛かったのだろうことは分かっている。

それでも、こうして同じ犯人の犯行だと分かっていても、神楽坂はなんの手掛かりも掴めていないのが現状だった。

 

感傷に浸っていてもどうしようもないのは分かっている。

だが、捜査の現場から完全に外されている神楽坂に出来ることは限界があった。

あらゆる手を使って伏木に接触のあった人間や状況を調べ尽くしたが、何ひとつだって証拠になるようなものは出てこない。

 

まるで自分以外の全員が、丹念に証拠となるものを抹消しているのかと思う程の様相。

僅かに手に入った伏木の私物を、こうして持ってくることしか出来なかった。

 

 

「……ここにいたか」

 

 

そんな風に声を掛けた柿崎が、神楽坂の隣に立った。

 

伏木航の墓なんて無い。

だからこの場所を見付けられたのは柿崎の予想によるものでしかなかった。

恐らく、神楽坂は亡き先輩の墓のところにいるだろうと言う完全な予想。

そしてそれは当たっていた。

 

どこか遠くを見て、自分を見向きもしない神楽坂に、頭を掻いた柿崎は眉間にしわを作った。

 

 

「……伏木航の住んでいた場所はアパートだった。周囲の住人は特段本人の様子が急に変わることは無かったと証言している。仕事上の、同じ課の奴らも同様だ……だが、数か月前から突然、住んでいる場所の水道やガス、電気料金が極端に減っていたらしい。風呂や料理、ましてやテレビなんかを全く使っていないと思われるほどに」

「……」

「帰宅する姿は何度も目撃されていたにも関わらず、生活の痕跡が無い。つまり……恐らくは途中から人間じゃなくなってやがる。立証なんて出来ないがな」

「……柿崎。伏木は本当に、本部から俺を連れて大学の学生に接触するように言われていたのか? 成り替わった伏木が、たまたまそんな役目を任されるなんて考えられない」

「残念ながら、そんな指示があったかどうか誰も認識してなかった。書類も残っちゃいねェ。痕跡が消されたのかどうかは分からないが……」

 

 

成り替わったと思われる時期の人との接触の無さやその立場、なおかつ誰にも不審に思われない振る舞いが出来るだけの事前観察があったこと。

そして襲撃のあった大学やマンションで、確実に監視カメラや証拠として残るものを抹消するだけの警察の捜査に関する知識や囮として使った半グレ集団の詳細だってそうだ。

 

それらの要素は、柿崎にあることを確信させるには十分過ぎた。

 

ようやく横目に自分を見た神楽坂に、柿崎は周りに視線を配りながら呟くように言った。

 

 

「………お前も考えている通り、伏木のように、成り替わった奴が他にも警察署内に居るんだろうな」

「……ああ、そうだな。そうなんだろうな」

 

 

それも、神楽坂のあの過去の事件よりもずっと前から。

 

2人の警察官はその事を確信していた。

だからこそ、この話は確実に信頼できる相手にしかしていない。

 

 

「神楽坂、俺はこの超常現象を扱う部署に配属してる。警察署内にその潜んでいる奴がいるなら、この部署に少なからず関わってくるだろう。そこで何かしらの不審点があればお前に連絡する。お前は外から探れ」

「ああ、俺も全く手立てが無い訳じゃない。俺も外から過去の事例で内部から手が加えられた事件が無いか探る」

「お互い、成り替わられる可能性を常に考慮する必要がある……必ず情報のやり取りをする前には、目印となる言葉を決めておこう」

「そうだな……」

 

 

そんな会話をして、神楽坂は先輩が眠る墓と、その隣に置いた墓とも言えない伏木のための石をもう一度だけ見遣る。

どちらも、神楽坂が責任を持つべきものの筈だ。

少なくとも神楽坂自身はそれを信じて疑っていない。

 

だから、自身の命に懸けて必ず一連の事件の犯人を引き摺り出すと心に誓った。

 

 

「……なら、目印となる言葉は、種類を問わず花と果物にしよう。ただし両方とも前回と同じは駄目だ」

「なんでもいいのか?」

「盗聴されていた場合の対処だ。悪くないだろ」

「ああ、なるほどな」

 

 

そして、それは柿崎も分かっていた。

何もかも奪われている、この自分の同期がこれから復讐のために動くことは分っていた。

 

慕ってくれていた後輩の為に。

慕っていた先輩の為に。

想い合っていた恋人の為に。

そして、同じような被害者を出さない為に。

 

自分とは違う、根っからの善人はきっとそうやって道を進むだろうと、分かっていた。

 

 

「柿崎、お前は死ぬなよ」

「…………馬鹿野郎、お前もだ。無茶すんな」

 

 

きっと大切なものを全て奪われてしまった人間の未来は――――。

 

柿崎はそれ以上考えるのを止めて、口を噤む。

 

全部柿崎の推測だ。

勝手な妄想でしかない。

神楽坂が本当に考えている事を知ることは出来ない。

柿崎に心を視ることは出来ないのだから、そんな事は当然だ。

 

だがもしも……人の心を読むことが出来たのなら。

全てを奪われたこの男は何を想っているのだろう。

 

柿崎は未練がましく、何の返事もしない神楽坂の背中を黙って見続けた。

 

 

 

 




ここまでお読みいただきありがとうございました!
この話で間章Ⅲが終了となります!!

警察組の話は不穏だったので最後に持ってきました!
完全に次章に関わってくることだったので、どうしようも無かったんですっ……!!
マキナちゃんや紫龍や探知できないスライム人間など、色々な要素が出てきていますがきっとサトリちゃんが何とかしてくれるはずです……!

次話以降、また章として完成してから投稿していきたいと思いますので、時間が少々掛かってしまうと思います!
気長にお待ちくだされば幸いです!!

なお、またイラストを頂くことが出来ました!
今度は5章サトリちゃんの決め台詞+表情差分と豪華なものになっています!!
またリンクを活動報告の方に置いておきますので、興味がある方はぜひ見て行ってください!!


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計略を紐解く


遅くなりましたが皆様明けましておめでとうございます!
今年もどうかよろしくお願いします!!

またまた、本作の新たなイラストも描いて頂く事が出来ましたので、いつも通り活動報告にリンクを載せていますので、もしよろしければご覧ください!

長らくお待たせしましたが、何とか形になりましたので投稿を再開していきたいと思います。
今回の話から6章となります、ストックが尽きるまで毎日投稿していこうと思っていますのでお付き合い頂けると嬉しいです!


 

 

 

 

老若男女、煌びやかな衣装を身に纏った人々が品のある所作で食事を楽しむ場。

華美過ぎず、けれども高価なのだろうと感じさせる威厳のある装飾の数々がフロアに飾り付けられ、テレビ越しにしか見たこと無いような豪華な食事が円形の机に所狭しと並べられていた会場。

高価そうな礼服に身を包んだ、見るからに上流階級の人々が催すそんな会食。

『警視庁警視総監就任祝い』と言う名目で行われている、関係者による祝賀会である。

 

完全に場違いではあるのだが……そんなところに私は居た。

それも、御丁寧にこんな場にいても恥ずかしくない正装をして、これまで一度もしたことの無かった化粧なんて言うものをその道のプロの人に施されて、主役の隣の位置に陣取る形で、だ。

鏡で自分の姿を見た時は、馬子にも衣裳と言うことわざの意味を実感することになるなんて、と思ってしまった程の変身具合。

妙な気恥ずかしさがあって、家族には絶対に見せたくない部類の姿である。

 

あれは誰なんだろうと言う周りの視線に呑まれ、血の気を引いた頭で司会の話を聞き飛ばしていた私に心配そうな視線を向ける袖子さんとそのお父さん。

 

どうしてこうなった……と思いたいが、実のところこれは私から願い出たことなのだ。

こんな場所に来たくは無かった、と言うのが本心ではあるのだが……目的の為にしっかりしなければと、口紅が塗られた自分の唇を小さく噛んで前を見た。

 

ここまで来てヘタレるなんてしてはいけない。

ここでミスをしてしまえば、確実に私の日常は崩壊するのだから。

そう、心の中で自戒する。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

会食が始まる少し前。

私は自分の家の数倍はある、袖子さんの屋敷に来ていた。

 

と言うのも、お父さんの昇任祝いの会食が行われるから一緒に行かないかと袖子さんに誘われ、最初こそ断っていたのだが、少し事情が変わり、急遽会食への参加をお願いすることとなったからだ。

 

事情が事情だっただけに、何の用意も出来ぬまま。

当然そんな気位の高いような祝賀会への参加なんてしたことが無い私は、服装なども全部袖子さんに手配してもらう形になってしまった。

 

だからこそ、どうあってもこの挨拶は避けて通れない。

 

 

「初めまして、袖子から話はよく聞いているよ。いつも袖子がお世話になっているそうだね」

 

 

初老に差し掛かろうとしている歳の、どこか優し気な空気を纏った男性がそう言って私に笑い掛ける。

初めて会う娘の友達である私に、下手に緊張させないようにと言う配慮して、どこにでもいるようなおじさんと言う雰囲気を醸し出してくる。

わざわざ家の前で出迎えてくれたことも、私からの急な申し出を了承してくれたことも、この人が他人に気を配れる立派な人だと言う証明に他ならない。

今も男性の後ろで、「どうだ立派なお父さんだろっ」と言わんばかりに鼻を膨らませて胸を張っている袖子さんが、常日頃からファザコンを発揮するだけの相手だと言うことも充分に理解できる。

 

だが。

相対した相手の緊張を無意識的に解きほぐし、優しいだけの人だと誤認させる所作を弁え、そのくせ人の心を見通すような目をしたこの人物の本質は、当然それだけではない。

 

……目の前にいるこの人は、あの神楽坂さんや飛鳥さんが所属する、犯罪者を捕える組織の最上位の地位に就く人なのだ。

ただ優しいだけの人である筈がない。

 

 

「……私こそ、袖子さんには日頃からお世話になっています。今回は私のこんな無理を聞いて頂き、感謝しています」

 

 

娘を利用している人間か。

なにかしら目的や裏があるのか。

そして、今回なぜこんな祝賀会に参加したいと言って来たのか。

 

そんな心の中の疑いを、一切表に出さないまま見透かそうとしてくる袖子さんのお父さんに対して、私は何一つ気取らせない『緊張する同級生』を完璧に演じ切る。

そもそも、こういう腹の探り合いは私の独壇場なのだ。

いかに経験豊富な人物が相手だろうとどれほどの役職を持つ者だろうと、私の“読心”が封じられない限り、一方的に悟られることなどある訳がない。

 

異能の出力が感じられない事。

“読心”が出来る事。

それから、心を読んで気になるところが無い事。

 

それらをしっかりと確認し、少なくとも悪人でも異能持ちでない事を確かめた。

 

友達の親が敵にならなくて良かった、と本気で思う。

流石に、どんな悪人だったとしても友達の親に手を加えるのは少しだけ心が痛むのだ。

そう思いながら目を細めて袖子さんのお父さんを見れば、何かを察したのか彼は柔和な笑みを浮かべていた額に少しだけ汗を滲ませた。

 

……どうやら少しだけ嫌な予感を感じさせてしまったらしい。

流石にかなり察しが良い。

少しミスをした、気を付けないと。

 

 

「パパ、パパ! 聞いて! 燐ちゃん凄いんだよ!! 前に私が悪い奴らに痛めつけられてた時助け出してくれたの! 燐ちゃんがいなかったら私もっと酷い目に遭ってたんだから!」

「あ、ああ、そうなんだね。この子が…………あの時、直接感謝を伝えられてなくて申し訳ないね。改めて、娘を助けてくれて本当にありがとう」

「えっ……あ、いや、そんな別に……」

 

 

僅かに生じた不穏な空気を察したわけでもないだろうに、袖子さんが割って入るように会話に参加して、それまでの腹の探り合いの様なお互いの様子が霧散する。

こんな娘を助けてくれた友達に疑いの目を向けるなんて……と言う自己嫌悪をしている袖子さんのお父さんに釣られて、私も自分の行いを反省してしまう。

袖子さんのお父さんは職業柄他人を疑うしかないのに、私は対悪人状態で会話をしてしまっていた。

 

 

「あ、あの、この度は警視庁警視総監への昇任おめでとうございます」

「あ……ありがとう。今日の祝賀会は何も難しい事を考えないで楽しんでもらえたらと思うよ。さ、装いを整えないとね。もう予約を取っているから、遠慮しないで」

 

 

そんな風に、快く私を自身の昇任祝いの祝賀会へ参加させてくれた袖子さんのお父さん。

心底嬉しそうにする袖子さんに手を引かれ、色々とおめかししたのが数時間前の事だ。

 

そして、私が祝賀会の雰囲気に呑まれ、後悔し始めたのは会食が始まって直ぐだった。

私は悪くない。そもそも対人に慣れてない人間が、大多数が参加するパーティーに参加すること自体無謀だったのだ。

 

 

(うえぇぇ、人の多さに酔って来た……。もう……早く目的を果たさないと…………あ、ご飯美味しい……)

 

「燐ちゃん、やっぱり少し身だしなみを整えるだけで別人みたいに綺麗になってるよ! ほら、皆がチラチラと燐ちゃんのこと見てるし! 常々お洒落させたいなーと思ってた私の目に狂いは無かったんだね!!」

「……いやぁ、それはどうですかね。私は自分の事、綺麗だとは思った事無いですし、どっちかって言うと私の素材でここまで見てくれを良くできるプロの技術に驚かされたって言う方が正しいんじゃないですかね」

「燐ちゃんは卑屈だなー」

 

 

そんな風に呆れたように私を見る袖子さんに対し、逆に呆れた眼差しを返す。

 

私だって別に自分の事を不細工だとは思っていない、可愛い燐香ちゃんなのだから当然だ。

だが、それも一般的な基準から見た場合。

甚だ遺憾ではあるのだが袖子さんと比べてしまえば私なんて月とスッポンだし、スタイルも、品のある所作も完全敗北を喫している。

色々と残念な部分があるが、こんな完璧超人でありあらゆる才覚に恵まれた袖子さんを前に、自分に自信を持てるのは、相当のメンタル強者にしか出来ないだろう。

 

……まあ、私には異能があるし、別に全てで負けているとは思っていないし……。

 

なんて、そんな言い訳をしておくことにする。

 

 

次々にお祝いの挨拶に来る人達に対応する袖子さんのお父さんを間近に見ながら、私は会場を見渡して机の上にある食事に手を付ける。

どうにも周囲を確認したが、あの液体化する思考の読めない異能持ちの姿は見当たらない。

この会場にはアレに類する奴は存在しないようだ。

 

想定していたのとは違う状況だが……まあ、やるべきことは変わらない。

 

 

「……衿嘉、その子顔色悪いけど大丈夫なのか? 袖子ちゃんのお友達なんだろ?」

「ああ、袖子がどうしても友達を連れて来たいと無理を言ったらしくてね。この子には色々迷惑を掛けているようだからね、せめて楽しんでもらいたいと思ってるんだ。……燐香さん、体調が悪かったら私に気を遣わず席を外していいからね」

「だ、大丈夫です……」

 

 

そんな風に、袖子お父さん、山峰衿嘉(やまみね えりか)さんとその隣にいる、衿嘉さんの旧友らしい男性からの心配の声に、私は取り敢えず大丈夫だと返答しておく。

見知らぬ人ばかりの場所に放り込まれたストレスがほとんどだろうが、恐らく、周囲を警戒して昔のように一気に多くの人の深い部分の“読心”を行ったことがこの体調不良に関係しているのだろう。

 

それなら少し時間を掛ければ慣れる……はず。

 

 

「燐ちゃん大丈夫……?」

「だ、大丈夫大丈夫……なんならご飯美味しくて、そこまで気にもならない程度だから」

「そう? 来てよかった?」

「うん、楽しいよ」

「えへへ、良かったぁ」

 

 

心底嬉しそうにふにゃふにゃと笑顔になった袖子さん。

こんな笑顔を他のクラスメイト達の前で見せれば一気に友達も増えるだろうに、なぜだか私の前だけでしかこの顔をしない。

本当に小回りの利かない娘だと思う。

 

袖子さんも集まった人達に父親のお祝いの言葉を掛けられていて碌に食事に手を付けられていなかったから、私はあらかじめ取り分けておいた食事の乗った小皿を手に持たせた。

折角こんなに美味しい食事があるのだ、手が付けられないなんてもったいない。

私にお礼を言いながらようやく食事に手を付け始めた袖子さんに、私がおすすめを教えていれば、挨拶が一段落した衿嘉さんも友人との会話を楽しみ始める。

 

 

「それにしても、ここまで来るのは本当に長かったな。あれから随分時間が掛かってしまったが、ようやく自分が思ってきたことを口に出せるようになる。……何もかもお前のおかげだよ」

「……よせ。まだ何も成してないだろう。ようやくスタート地点に着いただけだ。これから、見て見ぬふりをするしかなかった不満の改革を進めていくんだろう? それともなんだ、お前はもうこれで満足なのか?」

「ああ悪い、そうだ。そうだったな。少し気分が舞い上がっていた。これからやっていかなきゃいけないことが一杯あるものな。まだスタート地点に立っただけか……全く、気が休まらないものだ」

「お前にはまだまだ働いてもらわなきゃならないんだ。休んでる暇なんて無いんだぞ?」

「まだ働かせるつもりだなんて、なんて奴だ」

 

 

そんな風に、今も親し気に衿嘉さんと話している旧友の男性に私は視線を向ける。

普段学校でご飯をリスのように頬張っている人物とは思えない程、ちまちまと食事をしていた袖子さんに私はこっそり問いかける。

 

 

「……あの人って、昔からの知り合い?」

「え、剣崎さん? そうだよ、私の小さな頃から家族ぐるみの付き合いで、息子さんはまだ小さいんだけど、一緒に仮面ライダーを見る仲で私も仲良いんだ。仕事上のパパの関係だと、パパの腹心の部下、みたいな位置かなぁ……カッコいいよね。私も将来燐ちゃんとあんな感じの関係になりたいなぁ……」

「ふぅん……」

 

 

竹馬の友。

唯一絶対に心を許せる相手。

それが、袖子さんのお父さん、衿嘉さんにとっての剣崎さんなのだろう。

 

2人がどんな関係で、どんな経験を経て来たのかは知らないが、それは決して軽いものでは無い筈だ。

無条件で信頼し合える人はどれだけ偉くなっても、いや、偉くなったからこそ掛け替えのない、貴重で大切なものなのだろう。

 

そんな信頼し合う2人が、これからの日本の警察のトップに立つ。

お互いに支え合いながら、きっとお互いに叱咤激励し合う関係をこれからも維持しながら。

なるほど、確かにそういう人達が上にいる組織は良い方向へ向かうように思える。

 

……尊敬するお父さんがそうであるように、袖子さんも、この人の事を心の底から信頼しているのだろう。

 

 

「ところで美弥さんと阿澄くんは連れてこなかったのか? 袖子も会いたがっていたのに……と言うか、友達を紹介したがってた、の方が正しいんだろうが……」

「ああ、ちょっと野暮用があってな。衿嘉、そろそろ壇上挨拶があるだろ。準備しなくていいのか?」

「おっと、そうだ。すまん助かった。燐香さん、それでは私は挨拶に行くが、気にせず楽しんでほしい」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 

こんな風に、周囲に気を配りながらも衿嘉さんを抜け目なくサポートする男性、剣崎さん。

 

この祝賀会の会場に来た時もそうだった。

あらかじめ、主役となる衿嘉さんが挨拶するのに適した場所を確保して、周りに危険が無い事を確かめておいてくれていた。

そうするのが当然とでも言うように、様々な面に目を光らせ衿嘉さんのサポートをするのが仕事でも当然だった人物なのだろう。

目立たず、派手さも無く、黒子に徹し、それでいてやるべきことをきっちりと弁えたこの男性は、きっととても有能な人だ。

 

そっと、私は剣崎さんの前の机に置かれた、蓋の付いた容器を視線だけで確認する。

持病のため、剣崎さんが常に持ち歩いているらしいその容器に入った薬。

それを持ち歩いている事を、剣崎さんを知る者なら誰も疑問に思う人なんていない、そんなもの。

 

 

「さてと、それじゃあ準備にでも」

 

 

衿嘉さんがそう言って挨拶に行く前の準備として、それまで手に付けていなかったグラスを、唇を濡らすために一口だけ口にしようと手を伸ばしたところで。

 

私は動いた。

 

本当はどこかで止まってほしいと思っていた。

出来る事ならどこかで思い留まって、犯行を止めてくれるんじゃないかとありもしない事を心のどこかで期待していた。

そんなことを望んでしばらく静観していたが、残念ながらこれ以上待つことは無理だった。

 

グラスを持った衿嘉さんの腕を、私は横合いから掴み止めた。

 

 

「?」

 

 

掴み止められた手を驚いたように見た衿嘉さんは、手を辿るようにして私を見る。

そして、そんな視線を意にも介さず、別の方向を見ている私の視線を辿って、その先にいる剣崎さんを見た。

 

掴み止められた本人である衿嘉さん以上に驚愕した面持ちで、呼吸も忘れて私を見続ける旧友の姿を見たのだ。

 

 

「衿嘉さん、その飲み物間違えてますよ」

 

 

私は言う。

 

 

「……どういうことだい?」

「それは剣崎さんのグラスです。剣崎さんが持参している薬を、その飲み物の中に入れるのを見ましたから間違いありません」

 

 

嘘だ。

そんなものは見てはいない。

だが、事前に何かしらの薬を入れていたことは、私は『読心』で分かっていた。

私達がこの会場に来るよりもずっと前の段階、事前に衿嘉さんの席を取っておいても不審に思われない立場を利用した計画的な犯行。

 

彼らの関係を知る者からすると誰も疑わないだろう明確な殺意を持った行動だったが、私が見逃す事は無い。

 

私は衿嘉さんのグラスを奪い取るようにして、何も言わない剣崎さんの前に置いた。

 

 

「どうぞお飲みください。剣崎さん」

 

 

額に汗を滲ませた彼に対して、私は言う。

そんなことを出来る筈が無いのを理解した上で、私は彼に、彼が用意したものを差し出す。

 

 

「燐ちゃん……? 何を言ってるの? いったい何が……」

「……燐香さん。君が言っているのはおかしい。彼の薬は飲み物に溶かすものではないから、薬を溶かす必要がないんだ」

 

 

そこまで言って衿嘉さんは口を噤んだ。

私の見間違い、それなら良いが、先ほど見た旧友の驚愕の表情に僅かな疑念が産まれた衿嘉さんは困惑の表情を剣崎さんへ向ける。

 

古くからの家族ぐるみで親交のある友人で、仕事上誰よりも頼りにしてきた人間だ。

疑いたくなんてない。

 

だがもしも、娘の友人の見間違いでないとすると……。

そんな葛藤に苛まれた目に、剣崎さんは青くなった唇を少しだけ震わせた。

 

 

「……君がなにを言っているのかさっぱりだ……こんな祝いの席でいきなりそんな、ありもしない妄想をこんな場で口にして……常識が無いのか? 最初見た時は随分と可愛らしい子だと思ったが、その行動は袖子ちゃんの友人とは思えない程、あまりに配慮に欠けていると言わざるを得ない」

「っっ……!!」

「良いよ袖子さん、何も言わないで」

 

 

小さな頃からずっと親しい関係である剣崎さんと争いたくなんてないだろう、袖子さんが何か言おうかと躊躇したのを、私は言葉で制した。

 

周囲を見回した。

騒ぎに気が付き始めた人が僅かながら出始めている。

これ以上注目を集めるのは、私も望むところではない。

 

 

「見間違いなら良いんです。袖子さんのお父様の大切なご友人だと言うのは少しの間見ているだけで分かりました。お互いを信頼し合っている関係なのでしょう。私だって、変なことを言いたくありません。ですが……小娘の無用な心配を解消するためのお願いです。この飲み物は交換させてください」

 

 

糾弾を続けようとした剣崎さんに先んじて、私はそう提案をする。

ここで言い合ったって学生の身でしかない私と、これまで数々の実績を残しているだろう剣崎さんでは信頼されるのがどちらかなんて目に見えている。

 

であれば、むやみに争うことはない。

どちらが正しいかの口論は、ここでは必要無いのだ。

 

だって、剣崎さんの勝利条件は、私が手に持つこの飲み物を衿嘉さんに飲ませる以外にないのだから。

それさえさせなければ、私の目的は達成される。

 

……私に対する周囲の評価が、祝いの場で変なことを言い出した頭のおかしな奴、と言う風になることに目をつぶれば、だが。

 

 

(……割に合わないなぁ……これ)

 

 

見るからに焦りを浮かべた剣崎さんと視線を合わせながら、私は近くにいたスタッフを呼んで、衿嘉さんが飲もうとしていた飲み物を交換するようお願いした。

近付いてきたスタッフは快く私のお願いに応じ、そのグラスを受け取った、のだが。

 

予想外にも、剣崎さんはそれを慌てて制止した。

 

 

「ま、待ってくれ。そんな、ありもしないその子の妄想で飲み物を変えるなんて、そんな必要は……!」

「変えない必要も無いですよね? ああ、別に剣崎さんが飲まれるのでしたら交換する必要はないと私も思いますけど」

「君は黙ってろっ!」

 

 

明らかにおかしな言動になり始めた剣崎さんに、衿嘉さんと袖子さんが目を剥いた。

慌てて言い訳しようとして、それでも何の言葉も出てこなかった剣崎さんは引き攣った笑みを浮かべる。

 

剣崎さんはそのままスタッフの人に問いかける。

 

 

「そ、そうだろ? 君もそう思うだろ? 別にそれを変える必要なんて……」

「は、はぁ……何を気にされているのかは分かりませんが、別に飲み物を変える程度手間ではありませんよ? 何か気になる点がございましたら、交換することを嫌とは言いません」

「だ、だが……」

 

 

スタッフの困惑混じりの解答に、言葉に窮した剣崎さんは青い顔で周囲を見渡した。

それから、何かに怯えるようにガタガタと体を震わせて、懇願するように衿嘉さんへ見る。

 

 

「た、頼む衿嘉、俺は……俺は何も、頼むよ……まだ阿澄は小さいんだ。美弥にはまた次の子が出来たんだ。こ、こんな、これが出来ないとあの子達は……」

「……どうしたんだ……? いったい、美弥さんと阿澄くんに何があったんだ……?」

「おじさん……?」

 

 

明らかに常軌を逸した言動に、ついには周囲で推移を見守っていた人達からすら剣崎さんは疑惑の目を向けられ始める。

それでも、もうこの人には衿嘉さんしか目に入っていないのか、周囲の変な空気にすら意に介す事無くへなへなと床に膝を突き力無く肩を落とし、縋るように衿嘉さんを見上げる。

 

 

(……『UNN』とかの海外からの手やあのスライム人間の事、それに異能が明るみに出た関係で、この時期に警視総監になるのは忙しくて大変だと思ったけど)

 

 

真っ青な顔をした剣崎さんの懐にある携帯電話から、恐らく誰かはこの状況を盗み聴いているのだろう。

この状況を逐一把握している存在がいるのだ。

私はその通話先にいる存在を確信する。

 

 

(一番はやっぱり、普通の人にはどうしようもない異能を持った奴が、こうやって奸計を講じて来ることがやっかいなんだろうな)

 

 

邪魔な奴を穏便に始末する簡単な方法。

それが出来る関係にいる奴を利用して、誰も警戒しない方面から仕掛ければいい。

手口の細かなところに異能と言う非科学的なものを一つ組み込めば、簡単に完全犯罪は成し遂げられる。

 

今回で言えば、標的が衿嘉さんで、その手段が剣崎さんだった。

 

無二の親友と言う立場を利用した完全犯罪。

わざわざ表舞台に出ることなく、邪魔な奴を片付ける

 

唾棄すべき醜悪な計画だが、その有効性は認めよう。

 

 

(ただし、相手に同じ異能持ちがいる場合、話は変わる)

 

 

私は既に、標的を捉えていた。

 

 

「――――マキナ」

 

 

指示を出す。

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

同時刻。

剣崎の家には3つの人影があった。

小さな子供とその母親、そしてそれらを視界に収めながら母親の携帯電話を使用して、どこかの状況を監視する銀色の人型。

恐怖に体を震わせる母子が見つめるその銀色の人型の存在は、水銀を無理やり人型に押し込めたかのように歪で、常にその体は流動的に動きまわり、生物的にありえない。

 

こんな存在が現実に存在するなど、彼らは少し前までは想像すらしていなかったのだ。

 

 

家の中からやけに響いて来るテレビの音と常時流されている音楽に、漂う不穏は掻き消され、外部からは異常を感じ取れない。

常に監視されている夫の状況に異常があれば、すぐにでも彼らの命は奪われる。

そんなこと何を言われずとも分かっているのに、拘束もされていない今の母子に逃げると言う意思は微塵も存在していなかった。

 

そんな選択は、この怪物の怖さを目の当たりにして、消えてなくなってしまったのだ。

 

数日前、何の前触れも無く、鍵のかかった玄関扉の隙間から入り込んできた銀色の液体。

それが、顔の無い銀色の人型に変貌し、壁を溶かしながら歩き進んできたその光景。

人型でありながら変幻自在に体を変異させ、突き立てられた包丁を体内に取り込んでグチャグチャに押しつぶし、それから跡形も無く丁寧に丸めた包丁を彼らの前に落とした怪物の人智を越えた機能を見た瞬間に、抵抗の意思は消え失せた。

 

 

「ママ……」

「大丈夫、大丈夫だから……。お父さんが助けてくれるからね」

 

 

もう泣き疲れ、声を出す元気もない子供を抱きしめて、母親は自分でも信じていないそんなことを言う。

悲痛な母子の様子など気にも留めず、機械的にじっと母親の携帯電話を顔の無い頭を向けていた怪物は次の瞬間、グルリ、と頭を回した。

 

 

「――――失敗した。お前の旦那、失敗した」

「ひっ……!!」

 

 

それが発した声は、異常だった。

 

いくつもの声が重なって聞こえた。

年老いたしわ枯れ声にも、小さな幼子の声にも、陰鬱なほの暗い声にも、年若い高い声にも重なって聞こえた不気味な音が機械的に部屋の隅で震える母子に向けられる。

それが意味するところは、つまり。

 

 

「ひっ……ひっ……こ、この子だけでもっ……!! この子だけでも見逃して下さいっ……お願いします……! わ、私はなんでもやりますからっ、お願いですっ……この子だけで――――あ゛っ!?」

「マ、マ……?」

 

 

ゴムのように伸びた銀色の腕に殴り飛ばされて、子供の前で壁に叩き付けられた母親は頭から血を流しながら意識を失う。

そして、その光景を呆然と、理解できないものを見るようにしていた子供が何かを言う前に、伸ばされた腕が、まるで意思を持つ巨大な蛇のように子供の首を咥えて宙に持ち上げた。

 

 

「あ、かはっ……!?」

 

 

無言で子供の首を締め上げた銀色の怪物は周囲を警戒しつつも、目の前のこの母子の始末を実行に移す。

計画は何者かによって邪魔をされたため、失敗時の筋書き、『同僚の出世に嫉妬で狂った父親が家族を心中させ、出世した同僚に毒を盛ろうとした』へと切り替える。

第一目的は達成できなかったが、可能な限り捜査の手が伸びるのも、疑う者が出るのも少なくする必要がある。

 

そのために、自分の姿を見ているこの親子を見逃すなんて選択は初めから無い。

 

この家族の処分方法は気を付けないと、なんて。

そんな事を言いながら、銀色の怪物は手に持った子供をさらに締め上げる。

 

手足をばたつかせ、必死に倒れて動かなくなった母親に向けて手を伸ばす子供が徐々に、抵抗の力を無くしていく。

血の気を失い、ぐったりと体から力を失った子供にさらに銀色の怪物が力を加えようとして。

 

 

「あ、ああ゛あ゛!!!!」

 

 

意識を取り戻した母親が、飛び付くように子供を締め上げる怪物の腕に体当たりするように縋りつき、窒息しかけていた子供を引きはがす。

そして、守るように子供を抱きしめると、ふらつきながらその場から逃げ出そうとして、脇腹を銀色の怪物に殴り飛ばされ再び壁に叩き付けられた。

 

激しく咳き込み、涙を流しながら這うように逃げようとする母親の背後に銀色の怪物は近付いた。

凍り付く母親と意識を朦朧とさせる子供が、近付いて来る怪物の姿をその目に写して。

絶望に凍り付いた表情を浮かべた、その時。

 

 

――――唐突に、怪物の背後にあった携帯電話から機械音声が響いた。

 

 

『見付けタ』

「――――!!??」

 

 

それまで余裕しか見せなかった銀色の怪物が、弾かれた様にその場を飛び退き背後を振り返る。

 

振り返った先には何もいない。

先ほどまで、山峰新警視総監を始末出来るか監視するために使用していた携帯電話があるだけで、それ以外には何一つおかしな個所はない。

 

だが、確かに響いた機械の声。

無機質でありながら、明確な意思を持ったような声。

そして、同じように活動していた筈の、自身と同じ分身体の3つがある日突然消滅すると言う謎の事態に警戒心を抱いていた銀色の怪物は過剰なまでに、今の現象が何なのか解明しようと周囲を窺う。

 

 

『敵性異能知性体。お前は最優先処理対象ダ』

「――――馬鹿な、いったいどこか」

 

 

次の瞬間、目の前に巨大な腕があった。

 

轢き潰される。

 

異能の出力を弾くはずの外皮を、巨大な衝撃が破壊して、銀色の怪物を壁に叩き付けた。

 

 

「……!?」

 

 

存在を保てない。

ほんの一瞬で分身体を構築するための核を直接巨大な力で握りつぶされた。

ドロリと、体がただの液体になっていくのを感じながら、銀色の怪物は突如として目の前に現れた巨人を呆然と見上げる。

 

 

「ありえない……」

 

 

最後の言葉はそれだけだった。

ボチョン、と言う間の抜けた液体の音と共に、家族を襲っていた銀色の怪物は消滅した。

 

呆気なく、あれだけ恐ろしかった銀色の怪物が目の前で体を崩壊させたのを目の当たりにして、恐怖に震えていた母子は状況が分からず目を見開く。

周りには何の異常もない。

あの銀色の怪物を攻撃する存在は何処にも見当たらないのに、あの怪物は目に見えないナニカに抵抗すらできないまま無力化されたのだ。

 

それは、あまりに理解の範疇を越えている。

 

呆然とする母親の奪われていた携帯電話が、触れてもいないのに勝手にどこかへ繋がった。

 

 

『はい、こちら救急相談センターです。どうなされましたか?』

「え……なんで、電話が勝手に……」

『? どうなされましたか? 怪我人がいらっしゃるんですか?』

「け、怪我人が2人います! 場所は――――」

 

 

そんな母子の状態を見届けて、この場を遠くから監視していたもう一体の液体人間の処理も完了したのを確認し、銀色の怪物を襲っていた無形の巨人はその場を後にする。

 

無形の巨人、姿の無い暴力。

そして、その正体のインターネットの怪物は、自分の成果を報告して御褒美を貰うため、帰るべき場所へと向かう。

 

1人の少女の元へと、戻っていく。

 

 

 

 

‐3‐

 

 

 

 

『むんっ、むんむんむん! むんむんむんむんっ!!』

「えっえっ? ど、どういう意思表示? どんな状況だったのかって報告してほしいんだけど……」

 

 

剣崎さん宅にいるだろうこの件の元凶の始末をマキナに命じて、ネット回線を通して攻撃を仕掛けた訳だが……帰って来た銀髪幼児のアバターになっているマキナは両腕を曲げて力こぶを強調してくるだけで何の報告もしてくれない。

恐らくこの表現は、倒した、と言う意味なのだろうが、剣崎さんの家族は人質にされている状況だっただろうから、せめて被害が及ぶ前に倒せたのかと言う情報は欲しいのだが……。

 

そんな私の想いとは裏腹に、私の反応を見たマキナはしょぼんと肩を落として眉尻をこれでもかとばかりに下げる。

 

 

『可愛くないのか……マキナのあらゆるアニメ、イラスト、小説から研究してきた“可愛い”の集大成その1が不発なのか……これが、悲しいと言う感情……』

「あの、報告早くしてもらっていい? 私、ちょっとトイレ行ってくるって言って抜け出してきただけなんだけど……」

『酷い、御母様は我が子の頑張りに対してもう少しちゃんと褒めるべきダ』

「我が子じゃないし」

『(´;ω;`)』

「わ、我が子じゃないけどっ、私が生んだとは認めないけどっ……その、まあ、ちゃんと丁寧に扱うし……」

『……(´;ω;`)……? 何だか、前よりは良くなってる……かも? むふー!』

 

 

…………なんだかんださっきのは普通に可愛かったと思うし、今の動作を赤の他人としての視点から見たらファンになると思うが、いかんせん私は擬態だと分かっているし、なんなら私だけを狙いすましたあざとい可愛さに対して素直に負けを認めるのは何となく癪だ。

 

それと、御母様と呼ぶのは勝手にしていいが、私は絶対に認知しない。

だって、私がやったのはあくまで元々あったものの枠組みを強固にしただけだし、無から生み出した訳ではない。

つまり、親と子の関係ではない筈なのである。

マキナと言う存在を形作った者としての責任は果たすが、この歳で子供とか……それはちょっと……うん、私の意思は固いのだ。

 

アバターのマキナがまだ少し不服そうに唇を尖らせながらも、携帯の画面半分に剣崎さんの家の中の映像記録を写して私に説明を始めた。

ちなみに、どうやって記録を残していたのかやどんな技術で私の携帯にデータを転送してきたのかは、私には全然分からない。

 

 

『御母様の指示通り、剣崎家庭に以前の異能知性体が1体。また剣崎家庭の様子を遠くから監視していたもう1体、計2体発見。どっちも倒した。剣崎家族は無事だったゾ』

「2体……前にやったのと合わせてもう5体目……? この分身体が替えの利かない指を起点としているとすると、少し使い方が雑……? いやでも、あの分身体が2体以上を同時に相手にしてまともにやり合えるだろう異能持ちがどれだけいるかって考えると、コイツのやり方が間違っている訳じゃないのかな……?」

『御母様とマキナの敵じゃない。やっぱり御母様は最強、無敵、カッコいい』

「…………そういうことを言うのは恥ずかしいから止めて……。まあ、その、報告ありがとう。完璧な仕事だったかな」

『むふふー!!』

 

 

本気でそう思っていそうなマキナに釘を刺した上で、私は考える。

数に限りがありそうな分身体の扱い方が雑なのか、それとも何かしらの方法で数の限りを無くす手段を持っているのかは分からないが、私のやることは変わらない。

この液体人間の本体を見つけ出し、コイツの計画全てをご破算にしてやること、それだけを目指せばいいのだ。

 

どこに潜んでいようと、絶対に引き摺り出してやる。

 

 

「……お兄ちゃんを怪我させた報いは絶対に受けてもらうぞ、スライム人間」

 

 

窮屈な髪留めを引き抜きながら、私はそれだけ呟いた。

 

 

 

 



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見解の相違

 

 

 

 

先日の、警視総監毒殺未遂事件は結局、一切表沙汰になることなく終わりを迎えた。

 

と言うのも、あの場、あの時の事は、私が指摘して剣崎さんの態度がおかしかっただけの疑惑のままで、それ以上の進展を迎えることは無かったのだ。

その理由は色々とあるが、最大の要素は『被害者である衿嘉さんがそれを望まなかった』から。

 

毒殺の唯一と言っていい証拠であるあのグラスの中身を、被害者である衿嘉さんが捨ててしまった事で証拠が無くなり、そもそもあの騒ぎに気が付いた人自体ほとんどいなかった。

毒殺の可能性を指摘した私も声を張り上げていた訳ではなかったし、元々声量が大きくない私の声なんて盛り上がっていた会場では聞き取る方が難しかっただろう。

別に私としても、この件を大事にするかどうかは袖子さん達に任せようと思っていたから、この結果にどうこう言うつもりなんてなかった。

 

つまり、犯行が未遂で終わったあの場で起こったのは、他者には見えもしない、剣崎さんと衿嘉さんの関係に大なり小なり亀裂が入ったと言う事実だけだった訳だ。

 

剣崎さんを脅していたスライム人間を処理した今、再び衿嘉さんを剣崎さんが狙う理由もないし、彼らがそう解決するなら私にとってはそれでも良い。

 

……まあ、結果的に見れば、特に何も事件は無かった形で終わったのだから、私がしたのは友人のお父さんの昇任祝いの空気を悪くしただけになる訳で……。

招待して貰った身としては、あれからちょっと袖子さんとは接し辛い。

 

それだけが少し、後味が悪く残っていた。

 

 

「……取り敢えず、私の方はそんな感じなんです。まあ、元々、割に合わない事をするって分かってたわけですから、友達との不和は別に良いんですけども……」

「……その割に暗い表情な気がするが……と言うか、本当に山峰警視総監を毒殺なんてあったのか? ああいや、佐取の話を疑う訳じゃないが、いったいどうやって事前にその情報を……」

「あ、その、なんて言うか、この件は特別なコネがあってですね。毎回使える様なものではないので気にしないでもらえると助かります」

 

 

そんな事を言って私は、神楽坂さんの追及をそれとなく避ける。

後ろ暗い事じゃないけれど、この情報源には少々特殊な事情が存在した。

 

そもそも私が使ったのは、異能による未来予知。

『警視庁警視総監の毒殺』の未来を予知するという、反則技を行った。

 

と言うのも、話はお兄ちゃんが襲撃された日まで遡る。

異能を探るお兄ちゃんと神楽坂さんへの襲撃を行い、失敗したあのスライム人間が、異能が世間で常識化され始めている現状をただ静観するとは思えなかった。

 

きっと何かしらの大掛かりな事件を起こしてくる。

けれど、異能を弾く外皮を持つ液体人間の居場所を探し出す手段を、私は持っていない。

何かしらの事件を起こすことは分っているが、いくつも考えられる選択肢の内から正確に行動を予測して事前に事件を防止できるようにするのはどう考えたって不可能。

誰かが犠牲になるのを許容して相手が尻尾を出すまで待つ、と言う待ちの手もあったが、それは何だか色々と癪だ。

 

だからこそ私は、私の何かしらの力に勘付いており、私に対して恩返しをしたいと思っていたある人への接触を図った。

 

 

いじめに遭っていた男子学生の母親、そして、未来予知系統の常識外れの異能を有する人物、遠見江良さんへの接触を。

 

 

現在、遠見江良さんの異能、『救命察知』は正しく機能していない。

未来予知系の本人以外には感知しえない現象な上、異能持ちとして開花したとも言えない状態の人であることもあって、私の分析さえ全く足りていない彼女の持つ異能の力。

どんな影響が及ぼされるか分からないから出来るだけ接触を控えていたのだが、国内にいるだろう私の異能で探知が出来ない奴が出てきた以上、事情が変わった。

発動も、対象も、何一つとして思うように扱えない彼女に代わり、私が彼女の異能の方向性を定めることによって、未来で発生する大事件をいくつか予知してもらった。

 

初めて明確に様々な未来を予知しただろう江良さんは、これから起こる予定の事件の数々を血の気を失った表情で私に伝えた。

その中の、最初の事件がこの『警視庁警視総監毒殺事件』。

つまり、袖子さんのお父さんが殺されると言う予知。

 

予知を聞いてしまって、一応友人の危機を知った私が動かない訳にはいかなかった。

わざわざ苦手な人の集まりに足を運んで、さらには可能な限り目立つことを避けていた私がそれを曲げてまで毒殺を防止した理由はこれだった。

 

 

「……私も、この情報源を使ってあのスライム人間の本体をさくっと調べられたらいいなとは思ったんですけど、やっぱりそうもいかなかったんです」

「異能を弾く性質を持った存在であり、それでいて他の異能持ちのように、超常的な力を振るえる。正直、佐取達を襲ったあの存在は現代社会において最悪の相手と言ってもいいかもしれないな……」

 

 

私の正面に座る神楽坂さんはそう呟いて、疲れたように目元を揉んだ。

私の言いたくない雰囲気を感じ取った上で、それ以上追及することなく話を終えた神楽坂さんに私は内心感謝する。

 

流石に、異能の開花も出来切っていない江良さんの存在を神楽坂さんに伝えるのは憚られた。

 

神楽坂さんを信頼していない訳ではないが、今後、他人の記憶を抜き出すような異能持ちと対峙する可能性が無いわけではない。

少なくとも、私ですら良く見なければ分からない程度の異能出力しか持たない江良さんが日常生活で他の異能持ちに捕捉されることは無いと考えられる。

となると、貴重な異能持ちでありながら、武力に対する抵抗手段を持たない江良さんの情報管理には最大の注意を払う必要がある。

 

悪意を持つ者に目が付きやすい、危険域にいる神楽坂さんには、これは少々渡せない情報だった。

 

 

「すいません……」

「いや、良い。まともな抵抗手段を俺自身が持っていないことは理解してる。佐取は佐取の思うようにしてくれれば良い。とは言えあの液体人間に対する明確な対処方法を模索する必要があるのは変わらないな」

 

 

分かっていたことだが、神楽坂さんはやっぱり人が出来ている。

彼の境遇を考えると少しでも手段があるならそれに縋りたいと思うものだろうし、協力者から一方的に隠し事をされるのは気持ちの良いものでは無い筈なのにそれを微塵も表に出さない。

こんな人だからこそ、私も安心して出せる情報、出せない情報を神楽坂さんの前で隠さないで済んでいる。

 

ぱくりと、出されたスイーツに口を付ける。

普通のファミレスのなんでもない一品だが、中々どうして、悪くない味をしていると思う。

 

今度私も、少し凝ったスイーツ作りでもしてみようか、なんてそんなことを考えていたら、正面に座る神楽坂さんが何か言いたげな目で私を見ていた。

 

 

「……ちなみに前から疑問だったんだが、異能持ちは基本的に大食いだったりするのか? 異能を使う際にカロリーを使うから、人より多く食べるとか……」

「えっ? えっと、いや、どうなんですかね。私は別にそんなことないと思うんですけど…………え? もしかして私、凄い食べてます?」

「いや、佐取はそんなことないと思うが、前に飛禅に奢った時は、凄まじい量を食っていてな。そんなものなのかと思っただけで……」

「あー、いや、確かに異能もものによってはカロリー消費とかありそうですけど、飛鳥さんはきっと元から大食いですよ。あの人の食への執着凄いですもん」

「普段、署内だと小さなお弁当で済ませていたんだがな。あいつ曰く、これもお洒落らしいが……俺にはよくわからん」

「それは私も分からないです。うーん、大人の女性のエチケットとか言う奴なんですかね?」

 

 

そんな風に好き勝手言い合う私と神楽坂さんを見たら、この場にいない飛鳥さんは怒り出しそうだな、なんて、ふと思った。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

これまで色んな異能の関わる事件を解決してきた事になっている(異能の関わらない事件はもちろん沢山解決している)神楽坂さんだが、相も変わらず警察内での扱いは悪いままであるらしい。

その証拠に、対異能犯罪の為の部署らしい、警視庁公安部特務対策第一課……長いので今後は異能対策課と呼称するが、これに今まで超常的な力の存在を提言してきた神楽坂さんを組み込まないと言う暴挙に出ている。

 

確かに、厳格な上下関係を重視するだろう警察社会で神楽坂さんと言う存在は中々扱いに困るだろうし、その判断は私には及びもつかない考えから為されたものの可能性も否定はできない。

だが、結果的に神楽坂さんが警視庁の本部を拠点としている異能対策課に所属しなかったのは、こうして私と神楽坂さんが顔を合わせて情報交換を行えると言うメリットに繋がった。

 

……神楽坂さんの心情を慮って口にはしないが、現状は正直、私にとってありがたかったりする。

本部のそんな部署に配属されてしまうと、今の飛鳥さんのように碌にコンタクトも取れなくなってしまう。

良い面もあるのだろうが、それは少し困る。

 

 

「それでえっと、今日は私に聞きたいことがあるって話だったんですけど、それって今話した祝賀会の事じゃないですよね?」

「……ああ、悪いな時間を取ってもらって。もちろん祝賀会の事も気になっていたからこうして詳細を聞けて良かった。俺らのボスを救ってくれてありがとう。きっと誰にも称賛されていないんだろう? 俺からこうして言葉にする事しか出来ないが、感謝させてくれ」

「あー……いやそれは別に私が秘密にして欲しいって言ってる訳ですから。そもそも私、見ての通り調子に乗りやすいので、誰かに手放しに称賛されるのはほどほどじゃないと……だからこうして定期的に何か奢ってもらえるだけで大満足なんです」

 

 

何処にでもあるファミレスの一角で、私は二人きりで神楽坂さんと会っていた。

実に数カ月ぶりとなる二人きりでの話し合いだが、今後の予定と方針を話し合うつもりだったので飛鳥さんもと考えたのだが、いかんせん、あの人は忙しすぎた。

 

私の解答に、欲が無いんだな、と困ったように苦笑する神楽坂さん。

そんなことは無いのに変な評価をされ、むず痒くなった私は早速本題に入る。

 

 

「それで、何なんですか? 今更私に聞きたい事って、しかもこうして直接話すとなるとそれなりに長くなる可能性があるものですよね?」

「……ああ」

「む? なんで言いよどむんですか? 今更聞きにくい事でもあるんですか? どうせこうして顔合わせした以上私に隠し事なんて出来ないんですから、ほら、早くゲロっちゃって下さい。ほらほら」

「ぐっ、急に煽るような態度になるのは何なんだ……? まあいい……単刀直入に言うぞ。恐らくこれからあの異能を弾く人型の怪物との戦いが多くなるだろう。攻撃するし攻撃される。異能が効かない、佐取にとって相性の悪い相手と言うのは分かっているが、それを踏まえて佐取に聞きたい。どれくらい戦える? 佐取の異能にどれだけ頼れるのか、その判断基準が知りたい」

 

 

「前にあまり過信しないでくれと言っていたからな……」と深刻そうな顔で呟いた神楽坂さんに、私は思わず口を噤んで考え込んでしまった。

 

異能を弾く人型の怪物、液体人間の分身体との戦いになった時に私がどれくらいの戦闘を行えるのか、どうやら神楽坂さんはそんなことを純粋に心配しているようなのだ。

 

確かに、アイツは私の異能の基軸となる“読心”が効かない相手で、相性は相当悪い。

だがそれでも、私はこの前の襲撃と祝賀会の関係を含めて既に分身体を5体倒しているのだ。

単純な戦闘力はともかく、結果的な話だけを聞けば私の方があの分身体よりも強いと思われるのは当然な気がする。

 

それを踏まえた上で、神楽坂さんのこの聞き方は何だろう。

流石に守るべき子供と言う態度ではないが、頼りになる相棒、と言う感じでもない。

もしかして、いや、まさかとは思うが……神楽坂さんって、私の事弱いと思ってるのだろうか?

 

 

「精神干渉……人の認識を誤認させる事に秀でており、その力で相手の攻撃を躱した上で相手の精神に手を加え幻覚による攻撃を行う。君の戦闘方法を簡単にまとめるとこんな感じだろう? 正直、同種だろう“白き神”と言う奴はともかく、これまで勝利してきた“千手”や“液体人間”を相手にその戦法が安定して通じるようには思えない。もし、これまでが綱渡りの上での勝利だと言うのなら……もし、一つ間違えれば佐取が命を落としていたと言うのなら……あまり危険なことはさせたくない」

「んっと……えっと……」

「期待していないと言えば嘘になるが、こんなところで虚勢は張らないで欲しい。正直に、自分の限界を教えて欲しいんだ」

 

 

どうやら、限定下では強いが基本性能は弱い、そんな風に思われているようだった。

 

まあ、外から見ると私の異能は何が起こっているか分かり辛い上にまったく派手さも無いので、異能の出力を感じ取れない神楽坂さんからすると少々危うく見えるのだろう。

だから、神楽坂さんにとって信頼できる味方の中で、安定して強い、最強の異能持ちは私では無く飛鳥さんのようなのだ。

 

……いやうん、まあ、そりゃあ、異能を酷使するたびに自分の出力に耐え切れず鼻血を出す奴なんか強いと思われる筈も無かった。

自分の異能の出力管理すら出来ない奴が強い訳が無い、当然の感想だ。

私だって別に自分の異能を直接的な戦闘でも強い異能だなんて思ってないけど……なんだか、こうしてはっきりと突き付けられるとそれはそれでちょっと悲しかった。

 

 

「……私の異能はですね。前にも説明したんですが、人を誤認させる事が出来るのでやり方によってはおそらく誰にだって勝てます、はい。でもおっしゃる通り、最強無敵な異能では無いので、探知できない液体人間なんかは視界に入れるまでは攻撃対象に出来ないと言う欠点もあったりしますし、神楽坂さんが言う所の幻覚による攻撃にまで持っていくのには時間が掛かりますし、見ての通り本体である私は雑魚です、はい」

「…………なんだかやさぐれてないか? ど、どうしたんだ?」

「やさぐれてなんかないです。自分の駄目さが表面化した気がしてちょっと落ち込んでるだけです。どうせ私なんて自分の異能出力も調整できない調子に乗りやすい糞雑魚ですよ」

「!!??」

 

 

オロオロと慌て始めた神楽坂さんの姿を見て、私のこんな子供っぽい感情で色々追い込まれているだろうこの人を変に振り回すべきじゃないと気持ちを切り替えることにした。

小さく咳払いをして話を切り出す。

 

 

「こほん……話を戻しますが、そうですね。神楽坂さんが求めているだろう解答をするとしたら、あのスライム人間には奇襲さえされなければ勝つことは難しくありません。そして私は“読心が出来ない人間”を見付けることで、あの液体人間を探し出すことが出来ますが、アイツは私を異能持ちだとは探知できません。つまり、顔や名前が割られない限り、ほとんどの状況で私からの奇襲が可能だと言うことです」

 

 

急に真面目に話し出した私に目を丸くした神楽坂さんが、すぐに真剣な顔になって私の話に聞き入った。

 

 

「同時に、神楽坂さんは飛鳥さんを味方の異能持ちとしては最高戦力として考えているようですが、これも少々考えなければならない点があります。まず、飛鳥さんとあの液体人間の力関係は飛鳥さんが優位だと言うのは同意しますが、飛鳥さんの、完全に顔や名前が公になっている今の状況は、格好の的、と言っても過言ではないかもしれません。異能の出力を弾く外皮を持つ液体人間を飛鳥さんは見るだけでは識別できず、要救護者に扮した液体人間を懐に入れてしまう可能性だってあると言うことです」

「……飛禅は、危険な状態なのか? アイツの異能で対処は……」

「可能とは言い切れません。最近飛鳥さんは狙撃を警戒して、自身の範囲内に一定の速度以上の物体が飛来した場合、即座に停止させられるよう常時異能の行使をしてるようですが……あれは少々疲れるでしょうし、あの液体人間の異能を弾く外皮自体に停止を掛けられるのかは疑問です。世界的にも注目されている飛鳥さんに何の計画も無く攻撃を仕掛けると言うことは無いと思いますが、その予想も何処まで当たるか」

「どうすれば最善だろうか。佐取が四六時中飛禅と一緒に居る訳にもいかないとなると……」

 

 

深刻そうに悩む神楽坂さん。

何かフォローを入れて神楽坂さんに安心要素を作ってあげたいが、現状はそれほど楽観的になれるものではない。

そもそも現状、あの液体人間だけを警戒するのでは足りないのだ。

『UNN』と言う人工異能を作り出す技術を確立させつつある組織に、世界の均衡が異能によって崩壊しないようにと言う目標を抱えながらも、国際的な利益の為には何をするか分からない『ICPO』と言う国際組織。

そこに日本に潜む、液体人間関係の異能持ちに、異能が明るみになりその力を手に入れようとする既存組織、さらにはその他の異能を有する集団だってまだまだある。

あらゆる方面が危険ばかり、正直人のいないジャングルにでも住む方が安全だろうと言うのが私の感想だ。

 

とは言え、そんなたらればの現実逃避ばかりしていても意味はない。

何も、どれも何の解決策も無い訳では無いのだ。

まず初めに解決するべきはスライム人間の件かな、と私は考えを整える。

 

そして、「良い方法があります」と言い、渾身のドヤ顔で人差し指を立てた。

私の態度に、これは失敗するな、とでも言うような顔をした神楽坂さんがちょっと嫌そうに続きを聞いてくる。

 

……随分失礼な態度である。

 

 

「……どんな方法だ?」

「むふふ、やられる前にやれ作戦です。とっとと原因を見付けて排除しちゃうのが一番ですよ!」

「それは……確かに理想的な案だが、それが現実的でないから守りを固める策を考えてるんじゃないのか?」

「ふっふっふっ。神楽坂さん、さては分かっていませんね? 以前の襲撃、今回の祝賀会、どちらも警察内部の情報に詳しくないと計画すら出来ないものです。タイムリーに警察情報を得ることが出来る立場に、本体か分身体かは分かりませんが、まだあのスライム人間がいるっ……! 警察署内部にスライム人間がいるのが確定したわけです!!」

「…………そ、そうだな」

「ふへへ、そうなるとやることは簡単です。まずは警察内部にいるであろう液体人間を見付けるために警察署内を虱潰しで探してみるんです。要するに、私が警察署内部を探索すればそれで終わりって言う訳ですね! 推理、予測、計算。全部必要ありません、力押しのごり押しであの液体人間が支配出来ている範囲を狭めていくんです!!」

 

 

散らばった分身体を潰していけば、いずれ本体が何かしらのアクションを起こさざる得なくなる。

それも、数に限りがありそうな分身体の話ならそれはより顕著だ。

自爆する状況を作ってしまえば相手は勝手に馬脚を露す、そのことを私は学んで知っているのだ。

 

正直な話、マキナを使えば警察署内の捜索は簡単だと思うが、マキナばかり頼っていては今は潜在化している敵に『インターネットそのものに意思があり、監視され、攻撃される可能性がある』と気が付かれるかもしれない。

気が付かれた程度で止められる程、私のマキナは生易しいものでは無いが、切り札は隠してこそ真価を発揮するもの。

それに、倒すべき悪性に勘付かれるならまだ良いが、事件を解決して見せると言う善意の人間に勘付かれ、打倒しようと思われるのは正直避けたい。

 

平和を願う者同士は、争うべきではないと思うからだ。

 

 

「クックックッ……なんて完璧な作戦、流石天才少女燐香ちゃん……! それでそれで、そのための手引きを神楽坂さんにやって欲しいんですよ。どうせ私を起点とした誤認識はあのスライム人間には通用しないでしょうし、スライム人間に遭遇した時、いきなり変な少女が侵入してるって言う状況よりも、警察官の身内が警察署内に用事があるって言う形で動いている方が、奇襲が成功しやすいと思いますから」

「……それは、構わないんだが……」

 

 

私の完璧な計画を聞いた筈の神楽坂さんが、酷く言いにくそうな顔で口ごもる。

何か欠点でもあったかと、首を傾げた私に神楽坂さんがそっと教えてくれる。

 

 

「その……新設部署の助言の関係と、未把握の異能持ちの確認のために、ICPOの異能担当の者達がもう間もなく警察署本部に来るらしいんだが、その中を虱潰しするってことで良いのか? 佐取は……その、ICPOに異能をバレるようなことはしたくないんだろう?」

「…………え?」

「以前来たような、ICPOの異能担当捜査官がしばらく日本に滞在するらしいんだが……確か報道でも少しやってた気がするんだが、見てなかったのか?」

「……見て……無かったです」

「……そうか」

 

 

取り敢えず、飲み物に手を付ける。

予想以上に苦かったそれに、備え付けの砂糖を何杯か入れてからもう一度口を付ける。

それから私は何か言いたげな神楽坂さんへと顔を上げて、提案した。

 

 

「作戦は練り直しですね!」

「……ああ、そうだな」

 

 

優し気な神楽坂さんの眼差しが私を突き刺す。

常に追求しないことだけが他人に対する優しさではない。

そこらへんを神楽坂さんはもっと理解するべきだと私は思う。

 

 

 

 

 



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望まざる状況

 

 

飛禅飛鳥は今日も忙しい。

広報の仕事に、詰め掛ける報道への対応。

さらには通常の警察業務にプラスして、これから異例の出世をしていくだろう飛鳥に何とか良い印象を付けようとする警察官僚や異能に対して懐疑的な感情を持って、その態度を隠しもしない者達の嫌味などなど。

 

給与は今までとは比較にならないくらいに飛び上がったが、それにしたってここ一カ月間一日たりとも休めていないのはどう考えたってやりすぎだろう。

 

諍い合う同期の存在はまだ良い。

だが、何を考えているのか分からない不穏な異能犯罪者が同僚となり、恐らく警察署内に存在するだろう出力を探知出来ない異能持ちへの警戒、積極的に異能を広報している飛鳥の存在を邪魔に思う者達の事など、それらの事を飛鳥は考えるだけで頭が痛くなっていた。

テレビ出演や警察紹介動画などを通じて広告塔の様な扱いを受けている今のアイドルの様な扱いを、飛鳥は欠片だって望んでいなかった。

 

警察が新設した対異能部署に入ることも、異能を使う者として有名になることも、彼女の人生にとってプラスではないのだ。

 

 

(……安請負いするんじゃなかったわね……)

 

 

ついそう思ってしまう。

自分の運命を変えたあの火災現場の時無理に異能を公にせずにいたら、なんて。

あの火災現場で救出した20人余りの人達を放置すれば、今の精神をやすりで削られるような状況は無かったのではないかなんて、そんなありもしない非道な選択をした後の事を考えてしまう。

 

最近はまともに眠れていない。

仕事で帰るのが遅いと言うのもあるし、そもそも考え事や不安が多くて眠れない。

こんなことになるならもっとよく考えてから火災現場での救出作業をすれば良かったと後悔してしまうのだが、どうしようもない事に、飛鳥はあの死んだ眼の少女の前ではついつい格好を付けたくなってしまうのだ。

 

憧れは人を盲目にするし、好きな人には自分を好きになってもらいたいと思うもの。

人なら至って普通の感情だろう。

 

 

(もう当初の目的も果たせたわけだし、警察官辞めても、なんてね。……燐香、何か異能持ちの組織でも立ち上げてくれないかしら……人助け的な、そんな会社。多分、あの子なら上手くやれると思うんだけど無理かな……)

 

 

ここまで知名度が上がってしまった飛鳥を迎え入れる会社なんて否が応でも注目されるに決まっているから、注目されるのが嫌いなあいつの行動原理を思うと、こんな考えはあり得ないと分かっている。

だがもう、日々の仕事で疲れきった彼女の思考はそんな事ばかり考えてしまっている事に、疲労の重症具合が良く現れていた。

 

 

(……あれも……相坂君になんて言おう)

 

 

視線が、部屋の隅で手錠に繋がれ一応は拘束された状態の“紫龍”に向けられる。

異能持ちということで、普通の署員は警戒する態度を隠しもせず、最も近くに席を置かれた柿崎が時折その鬼のような眼光で“紫龍”が不審な動きをしないかを監視していた。

とは言え、そんな拘束などあの男には何の障害にもならないだろう。

 

『連続児童誘拐事件』の実行犯であり、相坂家を引き裂いた元凶の一つとも言える存在。

自由行動はほとんど許されていないが、警察に協力していると言う現状は今の“紫龍”にとって、逃走も、復讐も、容易な立場にあることを意味している。

飛鳥は逮捕に関わっていないから、奴がどんな異能なのか直接見た訳ではないが、“紫龍”を捕まえた2人から“煙”の力の詳細は聞いていた。

煙は目に見える訳だし、即死戦法の『高所への強制移動』は“浮遊”の力を持つ飛鳥にとって対応できない事ではないから、自身にとっての危険性はそれほど高くない。

ただ、問題はその点ではない。

 

問題は、飛鳥が異能の基本的な使い方を教えたあの子供や、他の被害者達に対する罪悪感。

自分の家族をぐちゃぐちゃにした犯人一味の実行犯が、警察にいると言うのを知られた時どうすればいいのか。

被害者達に真実を知られた時、胸を張って今のこの現状の対応は正しい事だったのだなんて、飛鳥は口が裂けても言えなかった。

幸い、異能の扱いを教えていたあの少年の力は既に安定していて暴走することもないだろうから、接する機会自体減っているものの、この飛鳥の立場は裏切りと取られても仕方ないと思えてしまう。

 

 

(上層部は何を考えてるんだか……と言うか、異能持ちの存在を最近知ったような奴らが、本当に首輪を付けて扱えるとでも思ってるのかしらね。とんだ思い上がりだと思うんだけど)

 

 

今日も朝から色んな場所に赴いていた飛鳥が、昼過ぎにようやく自分に振り分けられた机の元に辿り着いてそのまま、コンビニで買ったおにぎりを食べようと封を切った瞬間、部署内がざわついた。

 

 

「……?」

 

「ICPOの人達が到着したらしいぞ、ここに向かってるみたいだ。浄前部長、手筈は整えてあります!」

「分かった、全員起立して待ち構えろ。失礼の無いようにしろよ」

「全員作業の手を止めろ! 起立して待ち構えろ!」

 

「……チッ」

 

 

タイミングの悪さに思わず、いつもの猫被りに罅が入る。

気持ちを落ち着かせ、封を切ってしまったおにぎりを袋の中に仕舞い込み、大人しく他の人達と同様に立ち上がり、派遣されたと言うICPOの者達を待つことにする。

イライラしたって仕方がない。

 

飛鳥は少し前の事を思い出す。

以前病院で見た3人組の姿は異様だったが、確かにどいつも強力な異能の気配を有していた。

“白き神”と言う精神干渉系の常識を逸脱した異能持ちにこそ手玉に取られていたが、異能自体も非常に強力なものであり、“転移”に“音の支配”と言う、使い方次第では他の異能持ちにすら容易く勝ち得る強力な異能。

あれらのような異能持ちが他にも所属しているのかも分からないが、ICPOと言う組織に所属する異能持ちの全貌は未だに見えていないのは確かだった。

 

ゆえに、飛鳥はこれから協力する仲間と言う視点とはまた別の視点から、彼らの戦力に興味を持つ。

“顔の無い巨人”を宿敵と定め、組織としてその足取りを追いかけている彼らの組織に飛鳥は腹の内で少しだけ打算を立てた。

 

 

(タイミングの悪さには正直苛立ったけど……今後敵になるのなら情報収集にはこれ以上無いくらい適しているわね)

 

 

以前と同じ者達が来ることも考えられるが、もし別の人員が来るとしたら今回はどんな奴らだろうと、少しだけ興味を持った飛鳥の視線の先に彼らは現れた。

 

 

「失礼します。国際刑事警察機構、対異能犯罪取締課から派遣されたルシア・クラークです。それからこちらは……」

「初めまして! レムリアです! よろしくお願いします!」

 

「…………女と子供? 2人だけ?」

「なんだ? 本当に彼女達が俺達に異能犯罪について教えてくれるICPOの人員なのか……?」

 

 

張り詰めていた空気が弛緩する。

扉から現れたのは、眼鏡を掛けた金髪の女性とその女性よりもずっと小さな小学生程度の男の子だったからだ。

異能に対してほとんど見聞がない彼らにとって、異能と言う超常的な現象に対抗する人間は経験豊富な屈強な人物だろうと言う勝手なイメージが無意識の内にあったのだろう。

扉から入って来た予想外過ぎる2人の人物に、挨拶を返すことも出来ないままざわついた。

 

そんな動揺した空気の中で、この課の代表である浄前が2人の前に進み出る。

 

 

「初めまして、対超常現象の解決を目的としたこの部署で長をやっている浄前です。今回は非科学的な現象を扱う者達の検挙のイロハを教えていただけるとお聞きしています」

「初めまして。今、私達以外の残りの人員は持ち込んだ機材等の整理を行っているため、ここに来ているのは私とレムリアだけですが、ICPOからは計20名の派遣となっています。さて、早速ですが報告のあった、こちらの未把握の異能持ちについて、その情報詳細分かるものを見せていただけますか?」

「ええ、参考になるかは分かりませんが用意してあります。こちらへ」

 

 

浄前とルシアによるやり取りが始まり、ようやく動揺から解放された署員達は慌てて話を聞き逃すまいと2人の会話に耳を傾け始めた。

彼女達の能力云々は分からないが、ひとまずは無心で仕事をするべきだと言う判断に落ち着いたのだろう。

 

見るからに非力な彼女達を、既に無意識の内に軽く見始めていた他の課員達とは違い、異能の出力を感じ取れる飛鳥は口の端を引き攣らせていた。

視線の先には情報のやり取りをしているルシアでは無く、幼子、と言う域を出ていないように見える異能持ちの少年、レムリアだ。

 

 

(……何。この子、出力が変だ……歪と言うか、気持ち悪いと言うか……他の異能持ちに会う事なんてほとんど無いけど、それにしたってこれは……)

 

「お姉さんが飛禅飛鳥さんだよね……うん、実際に会うと凄い異能の感じ!」

 

 

事前に、失礼の無いように、なんて言ってた癖に、挨拶も返せなかった大半の者達を放置して、その少年は飛鳥を目に留めるとニッコリと邪気の無い笑顔を浮かべた。

そして、そのまま近付いて来る。

 

 

「お姉さんの広報動画よく見てるよ! 毎週楽しみにしてるんだ!」

「え、っと、ありがとう」

「今度お互いがどんな異能を持ってるのか紹介し合おうね! 僕の異能凄いんだから!」

 

 

浄前と挨拶を交わすルシアとは違い、一直線に飛鳥の元に向かって来た少年はいかにも子供らしくそんなことを話し掛けてきた。

 

年齢は外見から推測するに、相坂少年と同じくらいだろうか。

蜘蛛の糸のような異能を持つ少年に比べて、いささか幼い言動をしているように思える。

実際の年齢は分からないが、まさかあの少年以上に歳下でICPOの職員として活動しているとは考えにくい。

 

何と返事しようかと少し悩み、飛鳥はふと気が付いた。

 

 

「あれ、レムリア君は日本語が出来るんですね?」

「……? あ、アブサントの事言ってるでしょ! アブサントはね、悪い人じゃないんだけどルシア以外どうでも良いって言うのを思いっきり態度に出してたからね。他の言語なんて使おうともしてなかったんだよ? 最近は日本に友達が出来たらしくてせっせと日本語を勉強してるけど、本当なら世界を股に掛ける仕事なんだし、色んな言語を覚えた方が良いに決まってるんだけどねー!」

「へ、へぇ……」

 

 

秘密主義な印象があったICPOの個人情報が怒涛のように話されることに動揺し、飛鳥はそんな様子のレムリアにどうやって対応するべきかと頭を悩ませる。

どうにか一線は置いておきたいのだが、どうにも彼の様子は久方ぶりに仲間を見つけた子猫のように見えて仕方がない。

これを冷たくあしらうのは……なんて考えていた時、会話に割って入ってきたのが、同期の一ノ瀬和美だ。

 

彼女は興味津々と言った様子でレムリアに話しかける。

 

 

「お? レムリア君と飛鳥のアホって知り合いなんスか?」

「んーん、違うよ? でもね、異能……えっと、超能力を使う人同士って何となくお互い分かるから、親近感が湧いちゃうんだ! 前に同僚の、アブサントとベルガルドもお世話になったって聞いてるしね!!」

「ほほぉ、なるほどっス。でもそっかぁ、レムリア君が凄い若いから、どうしたのかなってビックリしてたっスけど、その、超能力を使えるからなんスねぇ……ねえねえ、私には? 私には超能力の素養があったりしないっスか? 炎とか氷とか出してみたいっス!!」

「えっとえっと、お姉さんには無さそうかなぁ……多分。僕ってそういう探知系じゃないから……正確ではないと思う、ごめんね?」

「そっかぁ……全然大丈夫! 教えてくれてありがとうっスよ!」

 

 

こいつ異能が欲しかったのか、なんて、今まで微塵も態度に出してこなかったそんな彼女の言葉に、飛鳥は若干呆れた。

確かに傍から見れば便利な力に見えるだろうが、簡単に自分の身さえも傷付ける危険な力なのだ。

仕方が無いのだろうが、無責任に自分も異能が欲しいと言っている奴には若干嫌気を感じてしまう。

 

と言うか、あのルシアと言う女性は異能を持っていなかった筈だから、今回派遣されてた異能持ちはこのレムリアだけということになる。

前回は2人来ていただけに自分達の事を軽く見られている気がして、飛鳥は少し眉を顰めた。

 

 

「……ところで、派遣される異能持ちはレムリア君1人なんですか? 以前の時は、基本2人での行動を原則にしてたみたいでしたけど」

「んと……ルシアに聞こえてないよね? そうなんだー、今僕達忙しくて……世界では異能を持つ組織が暗躍してたり政府との衝突が起きたりで大変だから、日本に派遣できる異能持ちは僕くらいだったんだよ。だから今回は僕1人……ほら、見ての通り子供だから、交渉の場には向かないからね。保護者役兼日本の異能対策への助言役のルシアに連れられて、僕は護衛任務に来たんだけどさ……」

「……護衛?」

「あ」

 

 

しまった、と自分の口に手をやったレムリアはこっそりと周囲を見渡した。

周りの人達が全員浄前達の会話に集中しているのを確認し、ほっと安堵のため息を漏らして、照れたように笑った。

 

 

「えへへ。本当は内緒なんだけど、つい言っちゃったから2人には話しちゃうね。忙しい中でこうして日本に来たのは、日本から助言が欲しいって言う要請があったからだけじゃなくて、ある人が狙われてるって言う情報を知ったからなんだ。あ、勿論、未把握の異能持ちについてはしっかり確認してきてほしいとは言われてるんだよ? でもそれよりも重要なのがこっちの護衛任務!」

「護衛って、超能力関係者に狙われるだけの理由があって、その上ICPOが直接護衛するほどの大物……そ、そんな人日本にいました? 総理大臣? それとも芸能人?」

「……馬鹿ね、日本が誇る世界的な権威と言えば1人いるじゃない」

「えー? そんなすぐ分からないでしょー? 誰をって言うのは流石に怒られちゃうから絶対言わないもんねー!」

 

 

頭を悩ませる和美となぜか自信満々なレムリアに対して、静かに飛鳥は考えを巡らせる。

 

世界的な組織が、数少ない貴重な人員を派遣してでも安全を確保したい人物。

世界最高クラスの要人と比較しても見劣りしないどころか、それらの要人でさえ自分よりも彼を保護しろと言いかねない。

ある方面に対して類を見ない程の才覚を見せた人物で、そして彼が生み出してきた技術の数々はこれまでも、そしてこれからも、世界中の多くの人々の命を救うだろう。

 

世界中から彼を頼る人は海を渡り、世界的な著名人すら大金を叩いて彼の元に頭を下げに来る――――日本が誇る世界最高の医者の存在。

 

 

「神薙隆一郎(かんなぎ りゅういちろう)……」

 

 

飛鳥はその名を呟いた。

それが正解かどうかは、目を見開いて信じられないと言わんばかりに驚愕するレムリアの表情で、はっきりと分かった。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

東京の病院。

お世辞にも綺麗とは言えない外装の、大病院とも言えない程度の面積を有したそんな場所で、1人の白衣の老人に深々と頭を下げる男女とその手に繋がれた小さな子供。

両親に手を繋がれているものの、もう1人で歩くことは出来ないだろうと言われていた子供の足が、確かに自分自身の体重を支えている。

 

なんでも無いようなその光景は、ほんの数年前はあり得ないと断言されていた光景だった。

 

 

「先生っ……! 娘がこうして立てるようになったのは先生のおかげですっ……!! 本当にっ、本当にありがとうございました!!」

「いやいや、手術は成功したけれどこうして立てるようになったのは娘さんがリハビリを頑張ったからですよ。私に感謝する必要はありません、娘さんを褒めて、労わってあげてください」

「はい……はいっ……!」

「神薙先生……!!」

 

 

もう何度目になるか分からない、今にも泣き崩れそうな男女の様子に、そんな光景も慣れたものなのか老人は優し気な笑みを崩す事無く2人の肩を軽く叩いた。

そして、未だに実感が沸いていないのかぼんやりと自分を見上げている少女に視線を合わせるように地面に膝を突くと、優しく少女の頭を撫でた。

 

 

「ほら、言ったとおりだったろう? 治らないものなんてない。約束通り、君は歩けるようになった。私は約束を果たした、なら、君も約束を果たしなさい、良いね。思いっきりお父さんお母さんに甘えて、存分に学校を楽しむんだ」

「……うんっ! かんなぎせんせー! ありがとー!!」

「うんうん、また来る……事は縁起でもないから、何かあったら頼りに来なさい。ほら、こんな老人に時間を使ってないで、一刻も早くお家に帰らないと」

 

 

そう言って、何度も名残惜しそうに振り返る少女と両親の姿が完全に見えなくなるまで手を振り続けた老人、神薙隆一郎は彼らの目が届かなくなってから安堵のため息を吐いた。

肩の荷が下りたとでも言うように、軽く肩を回す彼に、背後で見守っていた看護師が声を掛ける。

 

 

「先生程の方でも慣れませんか? 担当していた方が無事に完治して退院するのを見届けるのは」

「いやぁ、こうして完治して無事に退院するのを見送るよりも、完治できなかった人を看取った事の方が記憶に焼き付いていてね。私にとってはどんな患者でも担当するのは、これ以上無いくらい緊張するものなんだ。ついつい、無事に退院してくれた日は羽目を外してしまうくらいね」

「初心を忘れないことは大切でしょうけど、先生が、となると過剰とさえ感じてしまいます」

「ははは、私達にとっては多くの患者の1人でも、患者にとっては替えの利かない自分や大切な人の命に関わることなんだ。どれだけ真剣に取り組んでも過剰なものなんてないよ」

 

 

医師、神薙隆一郎。

世界に名を轟かせるかの人物は、そんな殊勝なことを口にする。

 

彼の名前を知らぬ医療関係者はこの世界にいない。

内科外科に、循環器科、脳神経外科や眼科、皮膚科に至るまで、あらゆる医療方面に精通し、あらゆる面で新たに画期的な治療法を確立して来た彼に医学関係の賞で取れていないものなどない。

医療関係者にとってはまさに生きる伝説であり、彼が完治させられないのは精神病関係のみと言われるほどに卓越した医療技術を有する者。

 

 

「しかしね。こうして高齢になった身、いつ自分の体に限界が来るかと常に不安なのは事実なんだ。なんでもない時に1人で命を失うのは良い。だが、もしも私が執刀中だったら、担当した患者を完治させられていなかったら、そんなことを考えるといつだって不安で堪らない」

「先生……」

 

 

もう年は90を超えている筈なのに患者を不安にさせないためにと姿勢はこれ以上無いくらい整えられており、顔に彫り込まれた皺からは老いでは無く貫録を感じさせる。

だが、老いは確実に“医神”と呼ばれる彼を蝕んでおり、彼の体力は全盛期とは比べることも出来ないだろう。

 

 

「……冗談だよ。何時まで経ってもこんな頭の固い老人が、医療に関する頂点に君臨していると言われている事に対する当てつけさ。若い子達が、もっともっと頼りになるくらいになってくれればと思ってね。だが、現役でいるうちは完治できない患者なんていないと言い切って見せよう。昔と違って体力はないけど、技術は日々向上しているんだ」

 

 

不安そうな顔をした看護師に、神薙は優しい笑みを浮かべてそう言い切った。

それから少しだけいたずらっぽい笑みに変える。

 

 

「ただまあ、医師を辞めたらこれまで禁止してきたお酒を浴びるほど飲みたいと言う願望はあるんだけどね。休みの日ですら呼び出されない方が珍しかったくらいだから、気を遣わざるを得なくて……」

「先生はお医者様の癖に健康に悪い物を好み過ぎです」

「おお、そう言われるとジャンクフードが食べたくなってきた。確か期間限定商品が今日から販売だったね。一緒にどうだい? 勿論奢るとも」

「ふう……頂きます」

 

 

呆れたような、嬉しいような、そんなため息を吐いた看護師がそう返事をする。

中身もないような何気ない会話をしていた彼らが、そろそろ病院に戻ろうとした時。

 

 

「神薙隆一郎さんですね?」

「おや、君達は……」

 

 

目の前に現れた黒服の集団に、神薙は困惑するような声を上げた。

咄嗟に看護師を守るかのように前に出た神薙に、彼らは慌てて警戒させないよう自分の所属を名乗る。

 

 

「失礼しました。私達は国際刑事警察機構の対異能部署の者です。神薙先生の護衛任務を任され、挨拶に伺いました」

「国際刑事警察機構の異能部署? それも護衛とは……私はしがない老いぼれ、最近話題になっている超能力者のような人の話であれば、まったく見当も付いておりませんよ? 今更自分で新たな研究をするような活力も無いですから」

「いえ、私達もその様な事を話しに来たのではありません。国外の、とある組織が神薙先生を狙っていると言う情報を得ましたので、こうして護衛の任務を託された次第です」

「国外のとある組織? なぜそんな人達が私を……」

「世界最高峰の医学知識を持ち、卓越した技術もさることながらその名声は計り知れない。“医神”神薙隆一郎を狙わない理由を探す方が難しいでしょう」

「ふむ……」

 

 

これまで優し気な笑みしか浮かべてこなかった神薙が、眉間に皺を寄せた。

考え込むようにして、差し出された名刺を受け取りその中身に偽造が無い事を確認した神薙は深く息を吐いた。

 

 

「……つまり、病院を休み、保護下に入れと言うんだね?」

「流石神薙先生、お話が早い。では、これより我々が用意している警護用のホテルに案内しますのでお荷物を――――」

「悪いが、それは遠慮させてもらうよ。ありがたいことだが、今日もこれから10人以上の問診予定があって、2人の執刀予定もある。私に診てほしいと予約している人は山ほどいるんだ。彼らを裏切ることは出来ないし、救えたであろう命を自分の身の安全の代わりに失わせるなんて出来る訳がない」

 

 

はっきりとした断言に、ICPOの職員は唖然とする。

それから、「もしそれで警護に支障が出るなら警護しなくていいよ」とだけ言うと、病院に戻ろうとした神薙とそれを追いかける看護師。

 

慌てたのは世界最高クラスの要人として警護しろと言われていたICPOの方だ。

 

 

「ま、待って下さい! 分かりました! それでは先生には普段通りの生活を送っていただいて、我々が邪魔にならない範囲で警護を行います! それならよろしいでしょうか!?」

「ああ、勿論それは私にとってありがたい申し出だ。何か不満があれば言うから好きにしてくれていいよ。……そうだ、病院のスタッフには話を通しておくから応接間は好きに使ってほしい」

 

 

状況についていけずオロオロとする看護師に「戻るよ」と声を掛けて、神薙は病院に戻っていった。

病院の中に戻っていく2人の背中を見届けたICPOの職員達は通信機を使って状況を、警察署を臨時の支部として設立しているだろうルシア達へと事態の変化を報告する。

 

 

『……しかし、説明にあった通り聖人染みた人だな。若い頃から画期的な医療技術を無償提供し続けていたと聞いていたから、どんな裏がある人物かと思ったが……あれが本物か』

『まあ、所詮今回の敵組織は覇権争いに負けた奴らの苦し紛れの悪策だ。過剰に護衛対象の意向に反することは避けるべきだろう』

 

 

保護下に入ることを拒否されたことに驚きはあったが、彼の人柄を知る幹部からその可能性の話はされていた。

想定していた範疇は超えていないし、対応もしやすい。

むしろ協力的なあの人柄の人物が護衛対象であれば、これまでの任務よりは幾分かは楽だろうと思える。

 

1人を直近に付けて、一旦挨拶に行っている者達と合流しようと結論付けた彼らはもう1度だけ病院を見る。

 

この現代社会、間違いなく世界最高の医者である神薙隆一郎が勤務する場所だとは思えない程、随分と古い、それほど大きくもない病院がそこにあった。

 

 

 

 

 



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定められた照準

 

 

 

唐突だが、世界規模に視野を広げたとしても異能を有する勢力と言うのはほんの一握りだったりする。

 

私の目算では、異能を持つ者は僅かなりとも才覚がある者を含めると100万人に一人の割合、自覚しある程度自由に扱う者にまで絞れば、およそ1000万人に一人にまで減少する。

これは、世界人口がおよそ100億だと考えて逆算すると、予測できる全世界における異能持ちの数はおよそ1000人。

異能の質を度外視してこの結果であれば、天然物の強力な異能を有した勢力なんて世界的に見ても数えるほどしかないのが分かるだろう。

ゆえに、そんな希少性の高い異能持ちと言う存在を、異能の才覚がある者を外部からの干渉で強制開花させる増やすことが出来る『UNN』と言う組織の危険性は言わずもがな……なのだが、今回その話は置いておこう。

 

ここで私が言いたいのはつまり、強力な異能を持つ人は世界的に見ても数少ない、しかしだからと言って強力な異能を持つ者同士が出会うことが少ないかと言われればそういうことでは無い、と言うことなのだ。

 

以前私は神楽坂さんと話した際に、異能と言う才能を持った人が犯罪に手を出すメリットは少ないと言う話をした。

だが、それは正確に言うならば、ちょっとした異能の才能を持っているからと言って、ちょっとした轢き逃げや暴行行為に手を染めるかと言う話であり、異能持ちが大人しく、その力を何の悪用もしないと言う話ではない。

 

犯罪に手を染めるとしたら、もっと大きなものになる場合がほとんどと言う話だ。

 

分不相応の力は人を簡単に思い上がらせ、実現可能となった夢想を野望へと変質させる。

 

強力な異能を持った人はその力に酔いしれ、同類を探し。

明確な敵が存在しない状況で集った多くの力は、その矛先の向ける先を求め。

行きつく先のほとんどは、己の欲望に従ったものになる。

だからこそ、異能を擁する勢力の規模と悪質さは数の少なさを補って余るほどになってくる。

 

 

そして、世界に存在する異能を悪用しようとする勢力には『UNN』の他にもう1つ、巨大な勢力が存在する。

 

それが『泥鷹(mud hawk)』と呼ばれる、中東に拠点を置く異能勢力。

 

『UNN』が人工的な異能持ちを開発、手広く集めているのに対して、『泥鷹』は生まれ持って異能の才能に恵まれた人間のみで構成され、異能の質を何よりも重要視する犯罪集団。

だからこそ、『UNN』ほど世界進出が為されていないが、同時に、個々としての異能持ちの強力さは『UNN』を凌駕するだろう。

 

そして、ここ数年、続いていたこの二つの勢力の対立だったのだが、先日唐突に終わりを迎えたらしい。

 

その終わり方は呆気ないもので、ICPOの一斉検挙に晒されていた『泥鷹』に横やりを入れた組織があったのだ。

名前こそ出ていないようだが、『UNN』によるものでまず間違いない。

 

情報戦での敗北。

『UNN』にこれまでの悪事や拠点にしていた場所を公にされ、構成人員や戦力、潜伏先として確保している場所や国を、世界の均衡を保とうとする秩序側の勢力に流され、そして混乱に乗じた『UNN』からの襲撃がとどめとなり、組織が壊滅状態になった、という訳だ。

 

悪辣で、利己的で、あらゆる犠牲を省みない巨大な悪性勢力が、同業との勢力争いに敗れた。

このこと自体は喜ばしい事ではあるのだが、目下私にとって最大の敵である『UNN』がさらに勢力を拡大していると言うのは素直に喜べることでは無い。

 

出来る事なら、ICPOのような秩序側の勢力に全て壊滅させてほしかった、と言うのが私の偽らざる本音だったりする。

 

 

「……って、こんな情報がネットに流れてたの? 情報管理ガバガバ過ぎない?」

『分からない、でも、流れてたから取ってきておいタ。情報の発信元を確認したけど信憑性は高いソウ。どこかの機器を襲撃してネットワーク外の情報を取ってきた訳じゃない。『UNN』と言う名称は流れていなかったが、それ以外はこんな感じに拡散されてる。日本語でのニュースは無かった』

「ふうん……なるほどね。『UNN』はそうやって逃げ場を潰した訳だ」

 

 

マキナが持ってきたそんな海外情勢を聞いて、最近日本で『UNN』と思わしき事件が起きておらず、江良さんの予知の中にもそれらしいものが無かったと言う疑問へ、思考の線が繋がる。

『UNN』は力の入れ先を変えたのだろう、日本から別の国へと。

確かに、対立する勢力の排除なんて早いに越したことが無いと言うのは同意しかない。

 

あのスライム人間の所属する勢力は思考が読めなかったからはっきりとは分からないが、奴が別勢力で、捕まっていた異能持ちの回収を“白き神”に頼んでからめっきり日本に手を出して来ていないとすると、もう『UNN』は日本での活動を危険と考えて撤退した可能性すら考えられる。

何とも潔すぎるとも思うが、同時に厄介だとも思う。

 

引き際を弁えているせいで、私が敵を特定し切ることが出来なかったのだから、彼らの判断に間違いはなかったのだろう。

非常に腹立たしい話だ。

 

 

「……とは言え、私には二面、三面作戦を展開できるほど戦力がある訳じゃないんだから、今考えるべきは攻撃して来ない将来的な敵の事じゃないよね」

『将来を見越しての潜伏は大切だと思うゾ』

「それはまあ、当然だけど」

 

 

考えてみると、最近は行く先々に問題が転がっていて否が応でも直接自身を危険に晒している気がする。

前回の祝賀会に関しては自ら飛び込んだから無しにしても、それ以前の一連の事件は命がいくつあっても足りないレベルのものばかりだった。

流石にこれだけ危ない事が続いて、さらに次も問題が降りかかってくるなんて不幸はないと思っているが、私自身、恐怖を感じていると言うのも本音だったりする。

 

……まあ、だからと言って部屋に引きこもって、ぷるぷる怯えている訳にもいかない。

ある程度手を打っておかないと敵の良いようにされるばかり。

私の周りに被害が出てからでは遅いのだ。

 

とは言え、桐佳が私の外出を激しく嫌がるようになり宥めるのも大変になってきているので、私としてもそうそう変な事件に巻き込まれた、と言う事がないようにしていこうとは思っている。

 

 

「……まあ、実際、今もこうしてやることがあるから、引きこもる訳にも行かないんだよね」

 

 

マキナがもたらしてくれた情報はありがたいが、どうせ、国外のそんな悪性勢力の栄枯盛衰なんて日本にいる私には何の影響も及ぼさないだろう。

対岸の火事どころか、インターネットの意思そのものであるマキナによる情報収集能力を有していないと得られないくらい遠い国の情報が死活問題になるなんて、そんな筈が無い。

 

そこまで考えた私は、マキナに貰ったこの情報をそれ以上深く考えず、年配の男女と話をする神楽坂さんを眺めた。

 

過去の異能犯罪に巻き込まれ亡くなった先輩と昏睡状態にある元婚約者、二人の兄妹の両親との数年ぶりの再会は、神楽坂さんにとって決して悪いものでは無かったようだ。

 

神楽坂さんは気まずそうに視線を逸らしつつ、それでも先日の、どこか追い詰められたような表情を忘れたように柔らかく。

年配の男女は優し気な眼差しと表情で、ゆったりと話を途切れさせることない。

久しぶりに会った本当の親子の様な穏やかな空気で会話する彼らの様子を、私は温かい気持ちで見守ったのだ。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

「――――恋人さんの元にお見舞いに行きましょう」

 

 

私が、そう神楽坂さんに提案したのが今回の始まりだった。

 

先日あった神楽坂さんとの久しぶりの顔合わせ。

警察署内部にいるであろう、スライム人間の捜索案が思うように絞り出せなかったため、一応の飛鳥さんに注意を払い、何かあれば手助けする体制(怒られそうなのでマキナについては神楽坂さんに言っていないが)を継続させる旨を神楽坂さんに伝え、その日の話し合いは特に進展も無く終わった。

 

のだが、今回私にとって見過ごせない点が一つあった。

それは、想像以上に追い詰められている神楽坂さんの精神面の問題だ。

 

手が届き掛けてきていた神楽坂さんの過去に関わる異能持ち。

にも関わらず、再び神楽坂さんは自分の手の届かないところで慕ってくれていた後輩を失った。

私には後輩が成り替わられていた詳細なんて口にしないけれど、過去に神楽坂さんが捕まえることが出来なかった犯人が、後輩に手を掛けたであろうことを神楽坂さんは十分理解しているのだろう。

 

当然、異能も何も知らない過去の神楽坂さんを犯人を捕まえられなかったことで責めるなんてありえないだろうし、その考え自体不毛だと分かっているのだろうが、それでも神楽坂さんの精神を蝕むには十分過ぎる話。

 

……直接解決は出来ないが、何かしら神楽坂さんをフォローするのは私の役目だろう。

そう思ったのだ。

 

 

(どうせ気晴らしを兼ねて、なんて言っても神楽坂さんは頷かないだろうから……異能への造詣が深いICPOが駐在してる警察署の中を掻き回すのはやりたくない、少し手出しの方向性を変えてみる。うん、こんな名目で良いかな)

 

 

そんな考えで、神楽坂さんが控えていた植物状態の恋人への見舞いを、私が付き添う形で提案したのだ。

 

予想通り、神楽坂さんは渋った。

だが、私が植物状態の彼女を見て、何かしら異常を見付けられるかもしれないし、あのスライム人間関係が近くにいるかもしれないからそれらを確かめるためにと言えば、断る理由も見つからなかったのだろう、渋々といった感じで了承したのだ。

 

日程を合わせて、私は神楽坂さんと二人で遠出した。

少しだけ時間を掛けて彼女が入院していたと言う病院に辿り着いたものの、どうもその病院には恋人はおらず、違う病院に移動したらしい。

神楽坂さんは困惑したような、戸惑う様な表情を浮かべながら誰かと電話を始め、それが終わると神楽坂さんは私に言った。

 

移動した入院先が分かった、とのこと。

 

それからさらに車を2時間近く走らせて、ようやく着いたのは小さくはないが大病院とは言えないようなところだった。

少々年期の入っている病院に辿り着き、神楽坂さんは申し訳なさそうに私に言う。

 

 

「……悪い、時間が掛かったな。前に入院していた病院とは理由があって別のところに移ってたみたいなんだ。それに、初めてくる病院で少し迷った」

「あ、いえ、夏休み中なんで時間は気にしなくていいですよ。見たことない場所のドライブは楽しかったですし。と言うか、彼女さんの両親が入院先を変えていたら把握しようがないですもんね……神楽坂さん、向こうの両親からの連絡を見て見ぬふりしてたみたいですし」

「……あの人達をこれ以上巻き込みたくなかったんだ。これからここに来るらしい。話をしてくる間、少しだけ待っていてくれ」

 

 

そう言って、沈痛な面持ちで神楽坂さんは彼女の両親が来るのを待った。

そうして、彼らが来て神楽坂さんと話したのが最初の会話だったのだ。

 

結果的に神楽坂さんが考えていたような、責めるような言葉も態度も無く。

ただ柔らかな態度で優し気に、労わるように神楽坂さんに話しかける年配の男女の姿。

 

彼らに神楽坂さんを責めるような気持ちは何処にも無くて、ただ心底神楽坂さんの身を案じていた。

それが理解できて、これまでずっと硬かった神楽坂さんの表情が和らいだ。

私が当初考えていた、愛する人に会う事によるストレス緩和を、図らずもそれ以前に達成することが出来たのだ。

 

……なんともまあ、人の思い込みによる擦れ違いは怖いものだと改めて思う光景だった。

こんなにも簡単に和解できたのなら、最初から会えばよかったのになんて思うけれど、そんなこと出来ないからこれまで神楽坂さんは思い悩んでいたのだろう。

 

10分くらい続いた神楽坂さんとの会話が一段落したようで、彼らは神楽坂さんに娘を頼むとその場を後にしようとする。

去り際に、入院先の病院を変えた説明を残して。

 

 

「そうそう上矢。わざわざ病院を移した理由なんだけどね。前の病院では打つ手がなくて全く進展も無かったから、思い切ってその道で有名な方に頼むことにしたんだよ。幸い以前の担当のお医者様から提案して頂けたからね」

「やっぱり脳に問題があるらしいんだけど……詳しい原因は分かっていないみたい。やっぱり脳構造って分かっていない部分も多くて難しいらしくてね。今しばらくは精密検査をするそうなのよ。でも、凄い有名なお医者様が診てくれるから、あの子もきっとすぐに目を醒ますわ」

「……はい」

 

(……うーん……? 何かしらの陰謀や作為は感じにくいけど……)

 

 

そんな彼らの話に耳を傾け、思案を巡らせながら、去っていく彼らの背中を見送った。

 

教えられた病室に向かうため、病院の受付を通り、最上階である4階まで登る。

廊下の一番端の部屋、そこが神楽坂さんの恋人である落合睦月(おちあい むつき)さんが眠る場所だった。

 

本当に、ただ眠っているようにベッドの上でピクリとも動かない彼女の姿は、どこか浮世離れしたものを感じさせる。

 

 

「――――……」

 

 

久しぶりに見たであろう彼女の姿に足を止めた神楽坂さんは、口を噤み、唇を噛んで俯いた。

動揺なんて到底隠し切れていないが、そんなことに口を突っ込むほど私は野暮ではない。

 

私は立ち尽くす神楽坂さんを置いて、彼女の隣の椅子に腰を下ろした。

そっと彼女の額に触れてみる。

ちゃんと温かく、呼吸しているのもしっかりと確認できる。

 

この人は間違いなく生きている。

 

 

(……うん、異能の気配もない。異能による昏睡じゃなさそうだから、本当に脳に問題があるのかな)

 

 

それだけ確認を済ませた私は、隣の席を神楽坂さんに譲った。

かつて異能に関わる事件に巻き込まれた結果の昏睡なのだからと、今も継続して異能によって昏睡している可能性も考えていただけに、ちょっとだけ気落ちしてしまう。

 

体内に残った異能の残骸による昏睡状態なら、私にもやりようがあったのだが。

 

 

(こうなると、治療系じゃない私の異能じゃどうしようも…………いや、どうなんだろう。やればいけるのかな? でも、全盛期の時ならまだしも、今の私で、もし失敗したら……)

 

 

無言のまま、そっと眠り続ける彼女の手を握った神楽坂さん。

私はそんな神楽坂さんの顔を横から眺め、思案を巡らせた。

 

そして、出した結論はもう少し様子を見る、だった。

精神的なものならいくらでも治療は出来ると思うが、こういう昏睡状態の治療なんて手に負えるものじゃない。

高名な医者が今は診ていると言うし、なんとかしてくれる可能性もあるし……、なんて考え、神楽坂さんの邪魔にならないよう部屋の外で待っていようとした時だった。

 

 

「……あれ?」

 

 

私の探知範囲内に異能の出力を持った存在が入って来た。

4つ……いや、3つ分の異能の出力が集まっていることから、組織的な異能を有する勢力だと言うのは考えなくても分かる。

 

私の探知範囲は結構な広さを持っているから、たまにこうして異能持ちの出力が近くを通るのに気が付くことがある。

だから、異能の力を持つ勢力、例えばICPOが近くを通るのだって不思議ではないし、そこに疑問なんて生まれないのだけれど……。

 

……なんかこの出力、こっちに向かってきている気がするんだけど、気のせいだろうか。

 

 

「…………え? えっ、えっ? なんで真っ直ぐこっちに向かってきてるの? ちょ、ちょっと待ってっ……」

 

 

慌てて飛び付くようにして窓から外を覗く。

 

異能の出力の発生源。

黒塗りの、スモークが掛かった窓ガラスをした厚みのある複数車両が真っ直ぐとこの病院に向かってきており、私の悪い予感の通り、病院の入り口辺りに停車する。

 

どう見てもこの病院に用があるとしか思えない彼らの行動に、私は顔を引き攣らせた。

 

 

(なんで、なんでこんなところに異能持ちが複数人!? い、いや、あの中の1人は多分飛鳥さんだよね? つまりあれは警察関係の人達だよねっ……? どうしてこんな病院に……ま、まさか私の過去の悪事がバレた!? 私の身柄を拘束するために来たの!? 飛鳥さん何の連絡もしてくれてないけどなんでっ……どどどど、どうしようどうしようどうしよう!!)

 

 

バッと周りを見渡すが、幸い私の突然の奇行に気が付いた人はいないよう。

神楽坂さんは私の行動を見る余裕なんて無いし、他の患者さんたちも特に気にしていない。

 

そして、私を監視しているような人もこの場にはいなかった。

 

 

(監視員はいない……いや、そもそも私が追跡に気が付かない訳ないしそりゃあそうなんだけど……なら一体なに……? 何が起きてるの? 待って、冷静に……異能で監視されてる可能性……離れた場所から私を監視している、とか? 駄目だ、可能性はいくらでも出てくる……車の中にいる人達を“読心”して――――)

 

 

鼻から上だけを窓枠から出して、こっそりと下の様子を窺っていた私は素早く関係者達の思考を必要最低限だけ読んでいく。

そして、徐々に事情を理解していった私は、自分の顔から血の気が失われていくのを感じながら、そのまま尻もちをついてしまった。

 

その音に驚いた神楽坂さんがようやく私の様子に気が付いた。

尋常ではない私の様子に、慌てて駆け寄って来た神楽坂さんが周りに聞こえないようにこっそりと聞いてくる。

 

 

「……どうした?」

「か、かかか、神楽坂さん。こ、こここ、ここっ……この病院不味いですっ……!!」

「なにがあった……? 何か変なものでも……なんだあの車、ウチの本部で使ってる車じゃないか。警察関係者……? 」

 

 

私の眼前、車両から出て来た異能持ち達は見覚えがある人達ばかりだ。

 

飛鳥さんに、鬼の人に、私を抱き枕にして号泣した女の人。

それだけでなく、以前私と神楽坂さんが捕まえた“紫龍”に、ICPOの女性とそれに連れられた少年などなど、総人員は10を優に超えている。

仰々しい彼らの登場に、病院の人達がざわついているのを見る限り、ここの病院の人達も詳細は知らされていなかったのだろう。

 

 

「海外の異能犯罪組織が、ここの病院のお医者さんを狙っているみたいで……!」

「……どんな偶然なんだ、これは……」

 

 

彼らの目的はこの病院のある人物の護衛。

どうやら外国に拠点を置いていたあの異能組織、『泥鷹』とか言う奴らがこの場所を標的としているらしいのだ。

 

 

 

 

 




お察しの通り、この章はわちゃわちゃです。


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暗闇を渡る

 

 

 

 

ICPOの対異能犯罪についてのイロハを伝える人員を必要人数だけ警察署に残して、飛鳥と“紫龍”と言った異能持ちと、選出されたそれ以外の少人数は目的地である病院へと向かっていた。

 

人数は、ICPOから6名と警視庁から6名の総勢12名。

それぞれの現場における指揮官を任されていたルシアと柿崎は目的地へと向かう車内で、情報の共有の為に資料を片手に話をしていた。

 

 

「『泥鷹』? ……正直、聞いたこともない名前だが……」

「ええ、まあ。世界に悪名を響かせるテロ組織とは違って、狡猾で、異能による科学的な証明の困難な行為を行っているので、一般的な認知はされていないのは当然です。……ですがそうですね、その危険性は以前説明した“顔の無い巨人”……失礼、“白き神”の方ですが、アレ単体に匹敵しかねないものだと我々は判断しています」

「……組織単位の危険性が個人と同等と言われても危機感を感じねェな」

「あ、柿崎さん貴方、“白き神”の凶悪さを分かっていませんね? ……あれにどれだけ私達が手を焼かされたことか……。洗脳に次ぐ洗脳、実行犯を捕まえても本体に繋がる情報が何一つなく、最悪捕まった瞬間隠し持っていた爆弾を抱えて自爆しようとまでするから、馬鹿正直な身柄の確保も出来ない。世界中にばら撒かれていた洗脳のトリガーであるDVDで、奴自身が動かなくても、奴の手足は無限に増えていくと言う悪循環。……あのエレナ女史が杖を叩き折った回数は、もうホント数えたくも無いくらいです」

「あー……軽率な発言だったな」

 

 

ゲッソリと、魂が抜けてそうな顔で反論したルシアに、さしもの柿崎も素直に非を認める。

 

割と、ではあるのだが、“千手”、“白き神”の関係で顔を合わせているこの2人のやり取りに剣呑さはなかった。

以前の車両による“白き神”の襲撃の件で、多少の不信感はあれど、お互いの性質を理解している分まだ親しみやすくはあるのだ。

 

 

「それで、そんな危険な奴らを相手にするにしては少し戦力が足りねェんじゃないか? 連れて来た化け物染みた力を持つ奴が1人だけなんて、事情を知らない俺からしても見込みが甘いと思うが?」

「……その、化け物、なんて言い方は絶対にレムリアの前でしないでください。それと、レムリアは私達の中でも、こと戦闘能力においては間違いなく最高クラスの力の持ち主です。“千手”程度であれば一蹴できるだけの力を持っています。忠告しておきますが、異能持ちの強さは見た目で判断できません。貴方の様な屈強な肉体を持っている人ほど、見くびり簡単に命を落とすんです」

「ふんっ、肝に銘じておく」

 

 

以前“千手”に成す術も無く無力化された経験のある柿崎は、ルシアのその言葉に忌々しそうに眉を歪めながらも大人しく彼女の忠言を聞き入れた。

 

柿崎は言動こそ荒々しいが、その本質は酷く理性的。

力に物を言わせるだけでは勝てない相手がいると言うのは、既に同期の神楽坂と言う男で散々味わっているのだ。

 

そして、理性的であるからこそ、現状の警察組織ひいては日本政府の対策の遅さに苛立ち、ICPOのこの見通しの甘い人員派遣に苦言を呈す。

 

 

「だが、異能持ちだなんだは知らないが、お前らが連れて来たのは年端も行かないガキだ。能力は一級品だろうが精神面には問題があるだろうが。海外の糞ったれテロ組織連中を相手にするなら血を見ることになるのは確実、それでも問題ないとお前らのトップ連中は考えてるのか?」

「……貴方は優しい人なんですね。いえ、実のところこれは、とある情報網から入った可能性の話なんです。奴らの計画の内の1つ程度で、どちらかと言えば徒労に終わる可能性の方が高い」

「どういうことだ?」

「現在、判明した奴らの本拠地制圧を私達の最大戦力で当たっているんです。ですから、ジェット機を所持していたとしてもそれに乗り込むのを許さないですし、逃走先に奴らの地盤が全くないこの国を選ぶメリットはほぼ無い筈。つまり、奴らの組織が完全壊滅するまでの間の護衛。予防の策の中でも優先度は最低に近い、それが私達の立ち位置です……とは言え、気を緩めないようこの事は部下達には話していませんが」

「なるほどな」

 

 

納得のいく答えに柿崎は頷いた。

あくまで自分達の役割は本命では無く予備、であればICPOから派遣されたこの戦力の少なさにも納得がいく。

どれだけICPOが異能持ちを抱えているのかは知らないが、数少ないだろうその1人を送ってくれただけ幸運だったのだろう。

 

 

(……とは言え)

 

「異能とやらを使っての移動の可能性は無いのか? どれだけの利便性があるのかは知らないが、海や山を越える力を持っている奴がいてもおかしくはねェんだろ?」

「ああ、それは問題ありません。私達の情報網は彼らの中核に根を生やしているので、彼らが持っている異能持ちの情報を、こちらは全て把握しているんです」

「内偵か」

「ちょっ……そういうことはもっと小さな声でっ……!」

「はいはい」

 

 

掴み掛らんばかりの勢いで詰め寄ったルシアは、めんどくさそうにため息を吐いている柿崎を睨み付けた。

予定通りであれば、そう時間も掛からず壊滅する組織ではあるのだが、こういう情報の取り扱いには細心の注意を払う必要がある。

そして、そのことも充分理解している柿崎はすぐに話を変えた。

 

以前彼らが日本に来た際に説明された、例の最悪の異能持ちの件を。

 

 

「――――それで、お前らの宿敵についての捜査は進んだのか?」

「……進む訳ないです。“白き神”とは別人だと判明した今、ここ数年全く活動していない事が確定したあの存在の足取りを追うことは不可能に近い。それなのに、アレを信奉する人々は年々増え続けています。日本ではそれほどでもないかもしれませんが、国外では潜在的なものも含めれば既に一つの国が作れるほどの人数になっていると思われます。ある意味テロ組織よりも厄介な集団ですよ」

「“顔の無い巨人”か……お前らの話を聞く限り、相当厄介な存在だな」

「ええ。ですから日本で確認された“液状化する人型の異能生命体”の存在を聞いて、その関係者かとも思ったんですが。まあ、流石に情報が足りませんね」

「今現在活動していないなら後回しで良いだろ。それに、犯罪を一切合切無くしたと聞く限り、それほど害があるようにも思えねェしな」

「そんな簡単な話じゃないんですよぅ……」

 

 

弱弱しい声を不満げに上げたルシアは手渡していた資料の一番最後の紙を指差した。

それは、およそ3年前に起きていた『三半期の夢幻世界』の推定被害者数が書かれた資料。

 

 

「我々の事後調査で判明しただけでおよそ10億人への異能の干渉。それだけの規模の異能の出力があったにも関わらず、出力の出先が全く分からない異常性。精神干渉系とは思われるものの、それだけでは説明のつかない現象の数々。我々は世界の全てをコイツに支配されかけていたにも関わらず、未だにコイツの異能の正体さえ掴み切れていないんです。分かりますか? コイツが世界を滅ぼそうと思うだけで、今の私達は抵抗する術も無いまま滅ぼされる可能性があるんです」

「…………これは、確かに……」

「こんなのを世間に公表したら民衆はパニックになること間違いないですし、どんな諍いや暴動が起きるか予測も出来ません。……柿崎さん、反対意見はいくつもありますが、私の見解としてはこの存在は日本にいるんじゃないかと考えています。証拠も何もありませんが、原因不明の“千手”の弱体化、最高クラスの危険度で我々が一切足取りを追えなかった“白き神”の撃破、これらの出来事は生半可な人物では成し得ない、偉業と言っても良いものです。こんなのを並大抵の異能持ちやただの一般人が成し遂げられるとは思えません」

 

 

ルシアの言葉に柿崎は目を見開いた。

話で聞いても現実味が沸かなかった存在が、もしかすると自分達の住む国にいるかもしれないと聞いて、戦慄した。

 

だが、確かにそうだ。

柿崎が何も出来ないまま無力化された“千手”を、いくら神楽坂と言えど異能と言うデタラメを持っていないで捕まえられるなど考えられない。

神楽坂の境遇から考えて、神楽坂自身や彼の身内にその存在がいるとは考えにくいが、どこからか干渉があった、と考えるのは納得がいく。

 

神楽坂は利用されたのだろう、徹底的に身を隠している怪物の風除けとして。

 

 

「……そうなると、この件が終わったら本格的な調査を日本でやるのか?」

「そんな訳ないじゃないですか!? 何の情報も抵抗手段も持たない今、下手な刺激をして我々を敵だと認識したらどうするんですか!? 一網打尽も良いところですよ!? だからこそ今回の人選は何とかレムリアにしてもらったって言うのにっ……!」

「耳元で怒鳴るなっ……! 分かったからっ……!」

 

 

それにあくまでこれは私の勝手な推論ですし、ICPO内では色々反対意見も出されて全然私の意見なんて聞き届けてもくれないですし……、と早口でぼそぼそと呟いているルシアを柿崎は不審なものを見るような目で眺める。

 

きっと色んなストレスを溜め込んでいるのだろうが、うわ言のように対策を呟いているルシアの姿は一種のホラーだ。

やはり、普通の犯罪事件を解決するのとは違って、異能とやらが関わる犯罪の解決は色々と面倒な手間が掛かるらしい。

 

 

(……こういう手間が掛かるのは性に合わねェんだよ……まあ、警察内に潜む奴を叩き出して、綺麗にするまでは大人しくしておくがよ)

 

 

車窓から、近付いて見えて来る目的である病院に目をやった。

今回の警護で警視庁から派遣された6名の中に伏木航のようなスライム人間がいるのかはまだ分からないが、実は柿崎は既に、その存在の当たりを付けていた。

 

 

(……今のところ一番怪しいのはあの浄前の野郎だろ。神楽坂が公安を担当していた時の直属の上司もアイツだった。あの一件に異能とやらが関わっているなら、状況的にアイツ以上に怪しい野郎は居ねぇ。奴の家のガスメーターの確認は済ませたから、それの消費具合を見て確証を取りてェが……今回こっちの派遣に無理やり自分を組み込まなかったのは解せない。そもそも敵は1人とは限らない。既に他の成り替わりを用意している可能性もある。気を付けねぇと……)

 

「……あの、もしかして怖がらせすぎましたか? 大丈夫ですよ、なんだかんだここ数年大規模な活動はしていないですし、もしかしたら色々深読みをし過ぎていて、過去に世界を征服しようとした“顔の無い巨人”は何かしらの事情で亡くなっている可能性だってありますから。そんなに怖がらなくても……」

「――――誰がビビってるって?」

 

 

難しい顔で黙り込んだ柿崎に、何かを察したような優しい笑顔を向けたルシアが慰めの言葉を掛けてくる。

 

だが、それは流石に柿崎のプライドを刺激した。

額に大きな青筋を浮かべた柿崎の、文字通り鬼の様な形相を見たルシアは、蛇に睨まれた蛙のように全身をビキリッと硬直させた。

ルシアは数々の凶悪な人相をした犯罪者を知っているが、その中でも柿崎のそれは別格だったのだ。

 

 

それから。

 

無事に目的地である病院に辿り着いたルシア達は運び込んでいた機器の調整を行いながら、各々の任務ごとに分担し迅速に警護体制を確立した。

ルシアは傍受されない特別な通信機を使用して、海外にいる仲間に状況を報告する。

 

 

「――――はい、はい。了解。こちらも所定の場所に到着しました。レムリア、飛禅飛鳥、“紫龍”、全てが配置を完了しています。これより24時間体制で配置を続けます。くれぐれもご無事で。アブ……いえ、アブサントの事もよろしくお願いします」

『ああ、任せときな。取り敢えずそっちも気を抜くんじゃないよ。情報が全部正しいとは限らない。不測の事態は何時だって突然やってくるものさ。じゃあ、またね』

 

 

通信を終えたルシアが緊張のため息を漏らしながら、用意された応接室に広げたモニターを見回した。

 

どれも異常は見当たらない。

設備はどれも正常に作動しており、病院内に異常があればすぐにでも分かるだろう。

そして、本拠地制圧直前の最後の情報伝達によると、『泥鷹』の人員に欠けは無いらしく、日本に向かって来ている事も無い。

 

ここまで来ると、恐らく避難先の候補としての日本への侵略案は無くなったと思っていいだろうが、通信先のヘレナが言っていたように気を抜くべきではないだろう。

とは言え、少しだけ肩の荷が下りたような気分になり余裕が出たルシアは、緊張した面持ちで待機する者達を安心させようとそれぞれの確認作業を行わせる。

 

 

「Bエリア異状無し、警護対象の身辺もクリアです」

「病院への新規来院者ありました、80代男性、付き添いの40代女性の2名。熱探知異常無し、クリア」

「こちら、上層階の様子もなんら変わりありません」

「今のところ異能の出力は近くにないよ。異能持ち自体発見できず、だよ!」

 

「よし、こちらも順調。そのまま警戒を続けて下さい。各自自身の体調を含めて何らかの異常があればすぐに報告を」

 

 

科学的な最新鋭の機器を利用した視覚、聴覚、熱の3種を用いた警戒。

桁外れの異能持ちである、レムリアによる範囲内の異能持ちの探知。

そして、最低限の人員を各箇所に置くことによる補完を持って、現在この病院の安全は確実なものとしている……筈なのだ。

 

 

(……報告のあった“異能の出力を完全に遮断する外皮を持つ異能生命体”の存在は未だに信じ切れない)

 

 

自分達が持つ異能持ちの常識を超えた存在。

その報告の真偽は置いておいて、信じられないと言うのがルシア達にとっての本音だった。

 

その存在を裏付ける決定的な証拠は無い。

あくまで、その存在の報告は、遭遇したと言う飛禅飛鳥の言葉しか存在しないのだ。

確かに異能が関わったような破壊の痕跡の画像は確認できたが、そんな存在が異能の出力を発していないなど、自分達のこれまでの常識を超えている。

飛禅飛鳥が嘘を言っている、と言う可能性は低いと思っているが、出力を感じ取れない何かしらの誤認識をさせられたと言う方がまだ納得できた。

 

それくらい、出力を感じ取れないと言うのは異能に対する認識の根本に関わってくるのだ。

 

 

(『泥鷹』の制圧が順調な今、不確定要素はそっち……)

 

「……幸い視覚情報を誤魔化されたと言う報告はないから、こうして肉眼による死角の解消と併せて情報伝達を継続して行っていれば問題はない筈……」

「カウントが終わりました。現在の病院内は入院患者を含め121名、全員不審点はありません」

「ええ、ありがとう。それじゃあ注意するべきは外からだけね。皆、気を抜かずに警戒を継続して」

 

 

そこまで言って、ルシアは、そういえば、と“紫龍”に視線をやった。

以前日本で異能犯罪組織に加担し、子供達の誘拐を行っていた実行犯と言うのが彼らしい。

犯罪者ではあるが、異能持ちの人員が圧倒的に不足している日本の公的機関により超法規的ではあるものの、刑期の間の労働として異能犯罪の取り締まりを協力させる、その代わり発生する給金には色を付けると言うものだった筈だ。

 

日本の常識としては分からないが、ルシア個人の意見としては異能持ちの人員が圧倒的に不足している状況で、罪を犯した異能持ちを労働させ戦力として計上すること自体は非常に理にかなっていると思っている。

ただ、組織の内部で反発が起きそうな話なだけに、ルシアは“紫龍”と彼周りの行動を不安に思っていたが、予想に反して従順で、大人しく待機を行っていた。

本当に罪を反省して警察組織に協力するつもりなのだろうか……、なんて淡い希望も沸いて来る。

 

何か彼にも声を掛けて人となりの把握に努めた方が良いだろうか、と考えたルシアだったが、結局それは叶わなかった。

 

 

「――――ルシア」

 

 

ルシアの考えを遮ったのは、レムリアの嫌に良く通る声だった。

普段の子供らしい声質とは異なる、彼の冷酷な部分が浮き彫りになったようなその声に、ルシアは嫌な予感で背筋が凍った。

 

 

「来るよ」

「!!??」

 

 

それは本当に突然だった。

 

何の前触れも無く、物陰にあった僅かな影が急速に色濃く染まっていく。

墨汁を溢したような先の無い黒が床を濡らし、蠢き、その身を溢れ出す。

 

ルシアの脳裏につい先ほどのヘレナの言葉が過った。

不測の事態は何時だって突然。

 

 

「全員、備えてっ……」

 

 

ルシアの声に応えられた者はいなかった。

 

――――世界が黒に染まる。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

「うん、経過良好。この調子なら来週には通院しなくても良いかもしれないね」

「本当ですか!? ならもう部活に参加しても良いんですかっ!?」

「確か高山君は野球部だったね。来週最後の確認をして、良ければ復帰していいよ。ただし、異常があればすぐに休むこと。プロを目指すにしても、高校野球で辞めるにしても、後に残る怪我なんて悪い要素しかないんだよ。良いかい、多少の無理をしろ、なんて言う君の人生に何の責任も持たない大人の言う事なんて従う必要はないからね。何かあればいつでも私に連絡しなさい」

「分かりました!」

 

 

坊主頭のいかにも野球一筋と言う風貌の少年にそう言い聞かせた神薙の勤務する様子を、直近での警護を任された飛鳥はじっと窺っていた。

警護に就いてからそれほど時間も経過していないのに、彼の診察を受けに来た者は既に二桁に達している。

 

そして、全ての診察相手の名前や症状を正確に把握している神薙の記憶力は、齢90を超えていると思えない程だった。

彼が国内外から“医神”と呼ばれる優秀な人物であることは飛鳥も知っていたが、こういった日常の診察からですら優秀さを確信させるのは流石としか言えない。

 

一見すれば、ただ優し気に微笑むだけの老人にしか見えないのに、である。

 

 

(……“医神”、聖人、医療技術を100年進めた革命者。様々な呼び名はあるけど後ろ暗い事なんて1つも聞いたことが無い人物。あらゆる国境や業界の境を越えて支持されるなんて、どんな裏があるのかと疑ってたけど……こいつ、今のところ医療行為に異能を使っている様子はない。出力も感じ取れないし、まさか本当に異能持ちじゃないの……? もしも、燐香が言ってた液体人間なら話は別なんだろうけど……)

 

 

実のところ飛鳥は、警護対象である彼、神薙隆一郎を異能持ちとして疑っていた。

常軌を逸した成果を上げる人物と言うことは、他の人には無い何かを持っている事に他ならないし、それが異能であるならとても分かりやすい特別だと思ったからだ。

 

飛鳥は理由のないものを信用しない。

だからこそ理由も無く、他の医者よりも優秀な結果を残す神薙をただ天才であると言うだけで片付けるつもりはなかった。

 

 

(話に聞いているあの液体人間の特徴は、体を液体化させ、その液体に、酸性や発火性を付けることが出来る……医療行為に精通する異能とは思えないのが気掛かりね。それに、分身体の核となっていた指も、この人はちゃんと全部あるし……)

 

 

チラリと彼の指を確認して考えを巡らしていた飛鳥に、少年の退出を見送った神薙が振り返った。

 

 

「どうだい。私の勤務風景なんて見てもつまらないだろう?」

「いえいえ☆ “医神”と呼ばれる先生の技術の一端を見れてとても感激です☆」

「そうかね? なんだか気恥ずかしいものだが……私も君の話は聞いてるよ。異能と言う超能力のような力を使いこなす特別な才能を持った人だと。そして、その存在と力を積極的に広報しているとも」

「ええまあ。この前の火災現場で異能を使って救出しちゃいましたから隠し立ては難しいですし、上の方からは警察のPRをしろって色々言ってくるんでー……まあ、公務員の辛いところって言う感じですかね☆」

「上下関係……望まないことをやらされると言うのは辛いだろうね」

 

 

分かるよ、と言って頷く神薙に、飛鳥は小さく息を吐く。

忙しなく、誰が敵か分からない状況での生活は確実に飛鳥の精神を蝕んでいて、こんな風に理解のある言葉や態度を投げかけられるとついつい心を許したくなってしまう。

そしてそれを理解しているからこそ、飛鳥は一呼吸おいて、感情を整理した。

 

 

「……まあ、今回のこの警護任務も想定外ではありましたが、内容が内容ですし、気を抜かずに職務に励まさせていただきます☆」

「ははは、それはありがたい。私のわがままで普通に仕事をさせてもらっているから、あんまりこういうことを口にするのは気が引けるが、よろしく頼むよ」

「はーい☆」

 

 

任された勤めは果たす。

だが、だからと言ってこの警護対象に心を許すつもりは毛頭になかった。

警護の仕事を無事に終わらせ、それまでに集めたコイツの情報を燐香と共有して、それから疑うかどうか決めるとしようと考えた飛鳥は、探知できる範囲内に身元の分からない異能持ちがいないことをもう一度確認する。

 

 

(ここまで異常無し……これっぽっちも不穏な感じが無いのが逆に嫌ね)

 

 

この警戒態勢がICPOによる制圧が終わるまで続くと言うのだから気が滅入る。

これで相手が何度も日本に手出ししてきていた『UNN』と言う組織ならまだしも、今回は名前も聞いたことが無い『泥鷹』とか言う奴らである。

 

 

(とは言え、海外の異能持ちのレベルが分からないのは問題よね。基準は“千手”とかになる訳だけど、あのレベルが何人もいるとはちょっと考えたくな……?)

 

 

ふと気が付いた。

 

 

「……なんか、暗いわね」

「ん? 確かに外が嫌に暗いね。いや、電気が……?」

 

 

いつの間にか、昼の時間にしては、と言うよりも真っ暗な夜でも切り替わったような暗闇が外を支配している。

そのことに気が付いた飛鳥が立ち上がり、神薙が不審そうにそう呟いた瞬間、部屋に灯っていた蛍光灯が消えた。

 

大きな音も無く、一瞬で部屋の中が暗闇に支配される。

夜の暗闇と言う生易しいものでは無い、一寸の光も存在しないような漆黒の世界。

自分の掌すら見えない暗闇の中で、飛鳥は息を呑み、目を見開いた。

 

 

(襲撃!? いや、でも異能の気配は……そんなっ、なんなのこの数は!? こんな数見落とす訳がないのにっ!? さっきまでは無かったのに突然湧いた!? まさか探知外からの瞬間移動!? )

 

「電気がっ……!? 非常用発電機を稼働させないとっ! 延命治療途中の患者が入院しているんだぞ!?」

「先生!! 病院内全ての電気が停止しましたっ……! 暗闇がっ……!」

「和泉君、無事か。……一体どうなって……」

 

「こんにちは、神薙先生」

 

 

慌てて駆け込んできた看護師の声の後に次いで、若い男性の声が部屋に響いた。

異能の気配を感じるものの、視界が潰され全く状況の見えない飛鳥はじっと暗闇の中で息を潜める。

 

 

「……顔が見えないけど、君は……」

「海外を拠点としている、あー……組織なんだが、奴らが手中に収めていない国であるここに本拠地を移すことになった」

「……奴ら?」

「UNN、と言ってもアンタらは信じないだろうな。まあ、なんだって良い。この国を手中に収める上で最も有効になる人質は誰かと考えた時に、アンタの名前が挙がった、という訳だ。大人しく従うなら、この病院の奴は傷付けない。もしアンタが抵抗するなら、この病院内にいる奴らの命はないと思って欲しい。言ってしまえば、そうだな」

 

 

気だるげにそう言った男が自身の持つランタンに似たものに光を灯す。

 

 

「日本時間にして10時34分、この病院は俺達『泥鷹』が占拠した、かね……ウチのリーダーは短気な上に今は虫の居所が悪いんだ、頼むから変な抵抗は止めてくれよ」

 

 

酷く場違いな泥だらけの服装をした、ヒョロリと長い手足をした男はそう言って困ったような笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 



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思わぬ再会

 

 

 

 

目をキラキラとさせて私を尊敬の眼差しで見つめる小さな双眸が二つと、年月を感じさせる目に素直な賞賛を込めた老女の目。

どれも純粋に私を褒め称えるもので、つい先ほどまで委縮していた気持ちが嘘のように、私の心は透き通るような快晴模様となっていた。

 

一般的な認識として謙遜は美徳かもしれないが、別に私はそんな美徳は持ち得なくていいから誰かにいっぱい褒められたいのだ。

彼らから向けられる称賛を遠慮なく真正面から受け止め、私は大きく胸を張った。

 

 

「すごーい! なんだかっ、なんだかパーティーみたいだね!」

「おたんじょうびのときみたい! おねえちゃんすごーい!!」

「ほんとにねぇ。お嬢ちゃんとっても準備が良いのねぇ。本当に助かったよ」

 

「むふふ。替えの電池もあるから良かったら使ってくださいね」

 

 

この病院に海外の異能組織を迎え撃つため、飛鳥さん達が配置に就いてから30分もしない内に突然電気が落ち、部屋の中は文字通り真っ暗闇となった。

ある程度覚悟していた私と違って、突然の異常事態に、同室で入院していた双子の姉弟と年配の女性はパニック状態に陥ったのだが、幸いにも私が普段から持ち歩いている物が活躍した。

 

キャンプ用のLEDライトと替えの電池、さらには甘味を中心としたお菓子類によってパニック状態となっていた子供達をひとまず安心させることに成功した訳である。

そこから先は、私のお得意の口八丁手八丁。

あっと言う間に異常事態であることを忘れさせ、何かしらのイベントでも楽しむ様な精神状態になった子供の単純さとそれに感化された老女に、私は内心安堵した。

行動を予測できない相手ほど、厄介なものは無いからだ。

 

 

こんなもの何処に持っていたんだという呆れと、巧みに人の心を操る私の技術への驚愕を織り交ぜ、視線を向けてくる神楽坂さんに私はドヤ顔を見せる。

 

ここ最近、私の携帯しているもので活躍するのが熊用スプレーばかりだったが、本来はこういった争い以外を目的とした物を多く準備しているのだ。

 

 

「おねえちゃん! ほかには! ほかにはなにかないの!?」

「あるよあるよ、じゃーん! 紅茶(500ml)!」

「「わーい!!」」

 

「……ただのペットボトルの飲み物だろ……?」

 

 

神楽坂さんの突っ込みを聞こえないふりで受け流す。

こういうのは見栄や勢いが大切なのだ。

変な突っ込みを入れないで欲しい。

 

 

「それにしても、中々電気が復旧しないねぇ……何かおかしなことでもあったのかねぇ……ちょっと見てこようかしら」

「きっとそのうち復旧しますよ。暗いですし、階段から落ちたら危ないので、出歩かないでここで集まっていましょう」

「確かに暗い中出歩いたら危ないものね……うん、ありがとねお嬢ちゃん」

「いえいえ、こういう時は落ち着いた行動が大切ですから、皆で声を掛け合いましょう」

 

 

突然の停電、そしてそれに合わさるように、窓の外は穴の無い箱にでも閉じ込められているかのように、光が一切無くなっている。

そして、私の探知内に今まで一切無かった異能持ちの出力がいくつも湧き始めた事から、泥何とかさんの襲撃が始まってしまったのだろう事が分かる。

 

眠り続ける神楽坂さんの恋人と同室の、双子とお婆さんからの信頼を物で勝ち取り、それとなく注意喚起することでパニックになるのを防いだ訳だが、このまま籠城していても何の解決にもならない。

 

これから為すべきことを考える必要がある。

 

 

(……さて、一時的な拠点作成は完了した。ここから先は状況把握、情報収集に移る訳だけど……あんまり時間は掛けられないかな)

 

 

周囲を覆う暗闇は、停電によるものだけではない。

まとわりつくようなぼんやりとした影が宙を漂い、光を阻害している。

恐らくこれは光だけでなく、ものの流れそのものを阻害する性質を持つものだろう。

だからこそ、この影に包み込まれた病院内の電気は全て動きを停止させられ、携帯電話に届く電波さえも無くなってしまっている。

 

そして、何よりも注意しなければならないのは。

 

 

(……間違いない、これは人にも作用する。人の生命活動も阻害する、言ってしまえば“毒”に近いもの)

 

 

空気中を浮遊しているこの僅かな濃度でさえ、一般的な健康体でもおよそ3時間まともに浴びれば昏睡状態に陥り、5時間を越えれば命の危険となるだろう。

 

影を増幅し空気中に散布する異能……範囲内に突然複数の異能持ちが沸いたことから考えると、移動にも応用できる異能なのだろうか。

国を渡るほどの移動も可能で、同時に攻撃にも妨害にも転用できる異能。

詳細はまだ分からないが、随分と使い勝手が良さそうで羨ましい限りである。

 

とは言え、早期にこの事態を終息してもらわないと困る訳で……。

 

まず自分の戦力は、と考える。

チラリと電波が届いていない携帯電話を確認し、マキナの調子はどうなのだろうと思った私のそんな疑問に応じるように、マキナは元気にライトを点滅させて応答してくる。

原理とかはよく分からないが、なんだか問題ないらしい。

核となってる私の出力の一部を私の携帯電話そのものに根を張らしているとかそんな感じなのだろう、多分。

 

となると、最悪の保険は生きている。

多少強気に動いても良いだろう。

 

 

「うーん。とは言え、この部屋だけ安全でも隣の部屋がどうなのかはちょっと気になりますね。お知り合いとかはいたりしますか?」

「えっと、たまに会話する程度なら……」

「……なら、神楽坂さん、ちょっと私と見に行きましょうか。動けるようならこの部屋に案内して、出来るだけ纏まっていましょう。私が持っているのも、スタンド型のライトが1つと、携帯用の小型ライトの2つしかないですし、2手に分かれるのが限界だと思いますから」

 

 

出歩かないようにしようと提案しつつも、善意の根拠を提示することによって自分が出歩くのを正当化し、不快感を抱かせない。

これも、私が物を配って信頼を勝ち得たことで成し得る力技である。

すっかり私を信じ込んでしまっている双子とお婆さんは納得した様子で私の提案に頷き、私は何の障害も無く、彼らを釘付けにしたまま神楽坂さんと共に廊下に出ることに成功した。

 

一足先に廊下に出た私は、すっかり詐欺師を見るような目になっている神楽坂さんへ振り返る。

 

 

「神楽坂さん。敵襲です」

「…………ああ、そうだな」

 

 

色んな何かを呑み込んだような神楽坂さんの返答だった。

 

 

「感知した異能持ちの数は10を越えています。銃器での武装や暗視ゴーグルを所持して病院内を制圧に動いているようです。ですが……それらの者も現状に混乱しているのがほとんど、どうやらこの襲撃は綿密な計画の上に成り立ったものでは無く、突発的に発生したもののようです」

「……それはつまり」

「おそらく、この異能による移動方法を一部の人間以外知らなかったのだと思います。つまり、この組織のボスは部下のほとんどを信用していない。自分に絶対の自信を持ちつつ、他を従わせるだけの手腕を持つ自己中心的な人物……まあ、上に立つ者としては悪くない要素だとは思いますが」

 

 

そう説明しながら、パニック状態になっている他の部屋の患者達に双子達がいる部屋に灯りがあることを言い案内しながら、外側に設置された非常階段を除くとこの病院唯一となる階段部分に近付いていく。

下に降りていくにも、ここの階に来るにも、この場所を迂回するには時間が掛かる。

 

 

「各階2名ずつ人員を回し、制圧に動いているようです。ここにも2名、向かってきます」

「来てるのか、目的は人質か?」

「それもありますが、どちらかと言うと不穏分子の排除の意味合いが強いようです。ここに来る異能持ちはどちらも出力は大したこと無いようですね。異能は…………探知型と自己強化型……? これは……うん、超音波による探知と自身の体及び触れた部分を硬化させる異能ですね。多分ですけど。今は2階部分にいて、ゆっくりと警戒しながらきています」

「……探知を無効化できるか? それと、先導しているのはどっちだ?」

「探知の無効化はいけます。先導してるのは硬化する方ですね」

「分かった。ライトを消してくれ。上がってきたところを奇襲する」

「……あの、銃器を所持してるんですけど……?」

「ああ、分かってる」

 

 

短くそれだけ言って神楽坂さんは壁を背にして、向かってくる2人を待ち構える態勢を取った。

 

 

「……取り敢えず、超音波を使って探知してる方の異能を無力化しておきます。これで異能で場所がバレることは無い筈です」

「助かる、それだけがネックだった」

「それだけがネックって……ほ、ほんとに来ますからね? どっちも異能持ちですからね?」

「ああ、下がっててくれ」

 

 

決意が固そうな神楽坂さんとは違い、私はもう少しだけ距離を取って小さくしゃがみ込んだ。

確かに出力だけを見る限りどうしようもない類の異能ではないが、それでも異能持ちの厄介さを良く分かっている筈の神楽坂さんのこの判断は何なのだろうと動揺する。

 

私は、いざとなれば異能を回して手助け出来るようにとじっと構えていた、のだが。

そんな心配は無用だった。

 

 

『――――なっ!? ごっ!?』

『は!? 馬鹿なっ、なぜ異能の探知にっ――――アガッ!!』

 

「えええー……?」

 

 

一瞬だった。

人影が上って来たことさえ私の視界には映らなかった。

先導していた硬化の異能を持った奴をアッパーカットで意識を奪い、暗闇の中で動揺した超音波の異能持ちに正確に肉薄し、自分よりも大柄な相手が錐揉みしながら吹き飛ぶような強烈な蹴りで無力化した。

直ぐに神楽坂さんにやられた2人を確認して、意識を失っている事を確認する。

 

異能持ちは人間だ。

異能と言う超常的な才能を持っているからと言って、別に上位者でもなければ超越者でもない。

ちょっとだけ特別なことが出来るだけで、野生の動物の中でも耐久性能の低い生き物であることに変わりはないのだ。

それは分かってる、勿論それは分かっているが……普通、武装している相手をここまで一方的に制圧できるものなのだろうか?

 

 

「ふうっ、正直ここまで上手くいくとは思わなかったが、暗闇であることが幸いしたな。佐取のおかげで一方的に相手の情報を得られていたのが大きい。助かったよ佐取」

「じゅ、銃持ちをこんなに簡単に……私、神楽坂さんに勝てる気しない……絶対殴られて顔が陥没して入院する……」

「…………なんだ? 怯えられてる気がするんだが……佐取? どうしたんだ? 3階にも行くんだろう?」

「うぅ……その前に、そいつらの拘束をしておかないと……」

 

 

意識を失っている武装した2人を適当な布で縛り、銃器と暗視ゴーグルを分かり辛いところに置いておく。

これで意識を取り戻してすぐに他人を害することは無いだろう。

 

最初の衝突を無事に終えられたことに安堵しながら、読心範囲内で異常に気が付いた者が居ないのを確認する。

 

 

「2階と3階の様子を教えてくれ」

「えっと、それぞれ2人ずつですね。今は階段部分から離れて、病室の人達を脅しているみたいです。異能は、って待って下さい! 何か窓に……!」

 

 

ふわっ、とした影とは異なる靄が窓の外まで昇ってきて、まるで意思を持つかのように窓の近くで漂い始める。

そしてそれが、完全に閉め切られている窓枠から病院内に入って来たのを感知する。

 

以前も感知した、この異能は。

 

 

「――――あれ? なんだ? なんでここの奴らやられてるんだ?」

「……この声は、お前」

「うぉっ!? 誰だ!? 何なんだ!? 一体どこのどいつ――――ってお前らぁ!?」

 

 

連続児童誘拐事件の実行犯“紫龍”。

前に私と神楽坂さんと対峙したあの男が目の前の靄、煙の中から姿を現した。

 

私は、因縁の相手とばかりに声を上げた“紫龍”の顔目掛けて、消していたライトを向ける。

真っ暗闇の中急な光を向けられて、小さな悲鳴を上げた“紫龍”が顔を抑えた瞬間、神楽坂さんが“紫龍”の腕を捻り上げた。

 

 

「痛い痛い痛いっ!? お、お前らやめろ!! 俺は敵じゃねぇ! むしろ味方っ、味方だから!!」

「テメェ……何、刑務所から逃げ出してんだ? どうしてこんなとこにいる? テメェまさか、テロリストどもと手を組んだんじゃねぇだろうな?」

「ちげぇよ! お前らのお仲間の警察の奴らに手を貸してるんだよ!! 現にお前を煙に閉じ込められる状況なのに何もしてねぇだろ!? 暴力反対っ、暴力反対!!」

「…………」

 

 

“紫龍”の腕を捻り上げながら、チラリと視線だけで私に確認を取った神楽坂さんに、私は頷きを返した。

こいつは嘘を言っていない、詳細は分からないが警察に協力している事は事実なのだろう。

色々と解せないが、まあ、この状況で裏切るつもりも無いようなので敢えて対立するのは避けるべきだろう。

 

 

「チッ」

「よ、ようやく解放しやがった……なんなんだこの男、マジで頭のネジがどっかいってやがる……締め上げた力も馬鹿みたいに強かったし人間じゃねぇ……」

「犯罪者に優しくするわけないじゃないですか、バーカバーカ!」

「……このふてぶてしいガキも変わらねぇしよっ! 一体何なんだよ糞がっ!」

 

 

憎々し気に私を睨んでくる“紫龍”の視線から隠れるように、神楽坂さんの背の後ろに回る。

攻撃する気が無いのは分かるが、こいつが悪い奴だと知っているのだ。

出来るだけ相対したくないのが本音だったりする。

 

 

「と言うか、それが本当だったとして、なんでお前はここにいるんだ? 犯罪者だが、異能を持ってるお前が警察に協力するのは何となく理解は出来る。だが、誰かしらの見張りや監視下に置かれる筈だろ。特にこんな不測の事態において、お前を一人で行動させるなんて選択する訳がない」

「あー、それはその……その、だな……」

「どうせ、強い異能持ちに出くわして逃げたんですよ、うぷぷー。一緒にいた警察関係の異能持ちから人質になってる人達を助けてきて欲しいと言われて、これ幸いと逃げ出してきたんですよ、きっと、ぷぷぷー」

「…………このっ、ガキッ……!! 人の心を見透かしたようにっ……!!!」

 

『おい! なんだか大きな声が上から聞こえたぞ!』

『上はアレクとリュウの奴らだよな? 何かあったのか?』

 

「あ、下の奴らに気付かれた。もうっ、貴方が大きい声を出すせいですよ」

「……あ゛あ゛あ゛! 分かったよっ、やってやろうじゃねぇか!!」

 

 

 

気炎を上げ、袖まくりをした“紫龍”が階段へと向かう。

異常に気が付き、様子を見に来た『泥鷹』の構成員2名がこの場所に辿り着く前に、自身の周りに漂わせていた白煙を階段部分に充満させる。

 

それだけで、“紫龍”の異能について何の情報も持っていない『泥鷹』の構成員は階段を駆け上がる途中で煙に収納され、完全に無力化された。

 

あまりの呆気なさに呆然とその光景を見詰める神楽坂さんに、“紫龍”は誇るような笑みを浮かべながら振り返った。

 

 

「けっ、どうだ。これが俺の異能、煙の力。抵抗すら出来ずに収納して終了だ」

「……改めて見ると常識はずれだな。お前、もしかして異能持ちの中でも上位クラスに強いのか?」

「ふっはっはっはっは! 分かってんじゃねぇかお前! そうだっ、この無限に生み出せる煙の力に対抗できる異能なんてのは、そう存在しねぇんだ! それが分かったら、情けなく俺に縋って、助けを請え、そうすりゃ助けてやらなくも――――」

「普通に捕まったし、強い異能持ちと遭遇して逃げ出したくせに何言ってるんだか」

「――――クソガキィィ!!!! 人が気持ちよく話してるのを遮るんじゃねぇぇ!!!」

 

 

さっと神楽坂さんの後ろに隠れる私に掴み掛ろうとする“紫龍”。

やっぱり犯罪者、非常に危険な凶暴性を有している。

べー、と私が舌を出して挑発するが、“紫龍”は荒々しく罵声を飛ばして額に青筋を立てるものの、異能を使って攻撃してくる様子は見せない。

 

確実に、私に対して苛立ちを覚えているのに、である。

……本当に不思議なものだ。

 

私と“紫龍”がいがみ合うのを見ていた神楽坂さんは、言いにくそうにガシガシと頭を掻きながら膝を突き、私と目線を合わせた。

 

 

「あー……佐取、恐らくコイツは受刑中ではあるが、その刑の一部として警察に協力しているんだ。誰かの役に立つ活動をして、罪を償っている途中なんだよ。だから、内心はどうであれ、しっかりと罪を償っている途中であるコイツに対して、犯罪者だからと言う視点で攻撃するのは駄目だ。過去に間違いを犯した奴だからと言って石を投げても良い訳じゃないんだ。分かるよな?」

「ぐっ……ぐむむっ……」

 

 

怒られた、そして正論である。

神楽坂さんの言い聞かせるような言葉に、私は口ごもり、ゆっくりと頷いた。

 

異能と言う非科学的な現象を利用した犯罪だから、誘拐そのものの罪は制度上問われていない。

だが、罪に対する罰を科されているのは確かだし、コイツはその償いをしっかりとやっている途中なのだ。

それを事件に関係していない部外者が邪魔するような態度を取るのは、神楽坂さんが言うように確かに間違っているのだろう。

 

 

「…………ごめんなさい」

「よし、良く言ったな」

「あーー……いや別に。……なんて言うか、俺が言えた事じゃねえけど、お前、良い父親になりそうだな」

 

 

私の謝罪に、神楽坂さんは優し気な微笑みを浮かべ私の頭を撫でまわし、“紫龍”は気まずそうに口をへの字に曲げて、そんなことを言う。

素直な反応をされて困惑するのを見ると、コイツもなんだかんだ素直になれない人種なのだろう。

 

妙に気まずい空気になったこの場で、「だが」と神楽坂さんが続ける。

 

 

「好き嫌いの個人的な感情まではどうしようもない。特にコイツに怪我させられた人間であれば、多少態度に出ても仕方ないだろう――――おい、テメェ、とっととこの騒ぎを終わらせて刑務所戻れ」

「お前っ!? 手の平ドリルか何かなのかっっ!? せめて説教した子供の前でくらい聖人的な態度を突き通せよ!?」

「罪を憎んで人を憎まずなんて幻想……ぺっ」

「ほら見ろよ! 素行悪くなってんじゃねえか!」

 

 

ギャアギャアと騒ぐ“紫龍”を他所に、取り敢えず4階と3階に配置されていた『泥鷹』の構成員を無力化できたことにホッとする。

『泥鷹』によるこの暗闇ではあるが、これ用の機器を揃えた『泥鷹』の構成員よりも私や“紫龍”の異能の方が暗闇の中での優位性が強い。

 

そもそもこれまで遭遇した異能持ちの質が低い気もするが、こんなものなのだろうか?

それか、ここに来るまでにICPOに優秀な手駒は無力化され、残ったのが大したことない異能持ちばかりなのか。

まあ、どちらでもいい。

 

過程はどうであれ、勝てばいいのだ。

 

 

「たくっ……だが、お前らがいてくれて助かった。ここは協力するとして、お前ら俺を気絶させた時ってどうやったんだよ? 俺、勝ったと確信した記憶しかないんだが……あの力があればここにいる奴らを制圧するのも訳ないだろ? なあ、どういうカラクリで俺を気絶させたんだ?」

「手の内晒すほどお前のこと信頼してる訳ないだろ。取り敢えず、俺の肉弾戦だけだと考えとけ」

「はああ!? くそ……いや、だが、それもそうか。しかし、そうなると……」

 

 

怒り、のちに納得と苦悩。

色んな感情に苛まれ、その場で頭を抱えて唸っていた“紫龍”は引き攣らせた顔を情けなく私達に向けた。

 

 

「な、なあ、2階より上の安全確保だけして、1階は他の奴らに任せとこうぜ。専門家に任せて俺らみたいな門外漢は最低限の活躍だけする。なっ、なっ、悪くない案だろ!?」

「……いや、案としては悪くないが」

「どう聞いても、1階にいる危ない奴に会いたくなくてそう提案しているようにしか聞こえないんですけど?」

「そうだよ! どっちも化け物だ! テロリストもICPOも、普通じゃねぇ! あんなのの近くに居たら一瞬で死んじまうよ!!」

 

 

本気で怖がる“紫龍”の姿に、最初の小馬鹿にしてやろうと言う私の気持ちがどんどん枯れて、最後には怯えだけが残った。

……そんなにやばい奴らがいるのだろうか?

 

 

「……え、なに、そんなにやばい奴なんですか? それなら私も絶対1階に行きたくないです」

「…………いや、ここまでこれ以上無いくらい順調に進んでるのになんで心が折れてるんだ。見てもいない相手にそんな……」

「馬っ鹿……! お前っ、見てからじゃ遅いから言ってんだろ!? ちゃんと理解しろ馬鹿!!」

「ほんと神楽坂さんは脳筋ですね。取り敢えずやってみよう精神は良い時と悪い時があるんです。取り返しがつかない時に、むやみに取り敢えずやってみようって考えるのは下の下の下の下ですよ神楽坂さん」

「なんで俺が責められてるんだ……!?」

 

 

“紫龍”と私に責め立てられる思わぬ状況に、神楽坂さんが戦慄する。

我ながら、自分が“紫龍”にどう接するつもりなのか分かっていないが、まあ取り敢えず目的は似たようなものなのだから、ここでの協力は悪いものでは無いだろう。

ギャアギャアと言い争いつつも、ひとまず私達は2階へと足を向けた。

 

 

 

 

 



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末路へと歩む

紫龍とか言うモクモクしちょるだけの雑魚(これ好き)
卍✟白き神✟卍(これも好き)も言っていた通り、異能だけで見れば強いんです、本当なんです

話は変わりますが、いつも読んでいただきありがとうございます!
誤字脱字報告や感想、評価などとても励みになっています!
よろしければこれからもお付き合い頂ければ嬉しいです!!


 

 

 

 

 

病院での警護に就いてから一時間と少し。

病院の玄関口の配置である警視庁から派遣された者達は、それまであった空気が変化したことに気が付いた。

 

その中でも、柿崎は眉を顰めると窓から外の状況を確認して不審げな声を出す。

 

 

「……なんだ?」

「んむ? 柿崎さん、何かあったっスか?」

「テメェは鈍感過ぎんだろ。外を見ろ、急に暗くなっただろうが」

「あ、本当っスね。でも、たまにあるじゃないっスか。急に雲がかかって暗くなることって…………あれ? もっと暗くなって、夜みたいに……」

 

 

能天気な様子だった一ノ瀬の語尾が徐々に尻すぼみになり、急速に明るさを失っていく空の様子を彼女も見ようと立ち上がりかけた瞬間。

 

ブツリッ、と突然ブレーカーが落ちたように病院内が真っ暗闇に包まれた。

所々、来院していた人達が短い悲鳴を上げて、一気にざわめきが広がっていく。

不安そうな声と誰に向けたものでも無い状況を問う声が飛び交い、受付をしていた看護師の不安げな色を含んだ「落ち着くように」と言う言葉を、誰一人として聞かず、ざわめきは一層激しさを増していく。

 

そしてそれは、状況が分からず困惑する柿崎達警視庁の派遣組も同じだ。

 

 

「柿崎さんっ、これ襲撃じゃ……!」

「だろうよ! 警戒しろっ、こういう類の奴らはどう動くか全く分からねェ!」

「でも真っ暗でっ……あ、そうだ、携帯電話のライトを……!」

 

(聞いていた話と違うが……何か齟齬があったのか? いやそれよりも、どのくらいの量がどこから来てやがる? ……全く、見当たらねェが……)

 

 

ついさっきまで敵は海を渡った先にいた筈だろうと考えながら、柿崎が周囲に視線を巡らせる。

柿崎達がいるこの場所はまだ、テロ組織による襲撃が起きているとは思えない程平穏だ。

だが、日中である筈なのに暗闇に閉ざされた外の光景や突如として消えた電気設備が、ただの偶然だとは思えない。

十中八九、襲撃があったとみていいだろう。

 

方法は分からないがこうして停電を引き起こし、暗闇に閉じ込め、混乱を招いている今、ここに突入してこないのはどういうことなのか。

入り口は他にも裏口があるとはいえ、この一番大きな出入口である玄関ホールを捨てるほど、敵が自分達の戦力に自信が無いとは思えない。

混乱に乗じ迅速に病院を占拠し目的を果たすとして、停電を引き起こしてから落ち着きまでの時間を与えるのは下策。

 

それでもなお、こうして玄関ホール部分が平穏だと言うことは、異能による転移で直接建物内に入られたと考えるべきだろうか。

そんなことを柿崎は考える。

 

 

(…………となると、俺らがやるべきはICPOの連中との合流じゃなく、テロ組織の標的である神薙隆一郎の避難、か……? 動くならすぐで、戦力の分断は愚策、正面玄関の守りを完全に捨てるのは賭けだが迷ってる時間はねぇ……!)

 

「警護対象の避難活動をするぞ。対象は診察室の筈だ。全員、銃を手に持って動け、付いてこい」

「了解」

「え、か、柿崎さんマジでっスか? ここには他の一般人も……」

「黙って従え。現状は何よりも早さが重要だ。相手はプロだ。黙って突っ立ってたら状況は悪くなる」

「す、すいません……了解っス」

 

 

柿崎の指示に頷いた彼らが、それぞれ光源となりえるものを取り出して、何とか視野を確保しながら柿崎の言った警護対象、神薙隆一郎がいる筈の場所を探し動き出す。

そうして、パニックになった人を避け、光の無い暗闇で手さぐりに近い程度の速度でゆっくりと移動していた柿崎達だったが、状況に慣れてくると、パニックで動き回る人の他に、明確な目的を持って進んでいる人達の存在に気が付いた。

 

複数人で階段を上がっていく音。

駆け足で通路を通り、部屋の中に入っていく音。

殆ど音を立てないような忍び足で通路を歩く音。

 

どれもパニックとは程遠い、この暗闇の中でも行く先を確実に理解している者の音だ。

 

 

(……これは、こいつらが襲撃犯なのか? もしこれが襲撃犯なのだとしたら、この音からしてあらかじめ訓練されたように状況に適応している事になる……厄介なんてもんじゃねェ。こんなのと事を構えるってことは、軍隊の中にある一部隊とやり合うのとなんら変わりねェ……流石に手に余るぞ)

 

 

警護対象である神薙隆一郎がいるであろう部屋に、誰かが入っていくのが見えて柿崎は既に先手を取られたのかと血の気が引く。

この視界が完全に潰された状況で、奪われた警護対象を取り戻すのは至難の業だ。

 

直近で警護している飛禅飛鳥が僅かなりとも時間を稼いでくれるのを祈り、このまま突入指示を出そうとして――――複数の人影が病院の奥から飛び出してきて動きを止めた。

なぜなら、手に持つ僅かな光源で見えた彼らの姿は、軍隊でしか見ないような銃火器等の装備を付けているから。

 

柿崎は顔を引き攣らせる。

 

 

(これは、流石に……)

 

「動くな」

 

 

乾いた音が病院に響く。

それだけで、看護師の言葉でも消えなかったざわめきが、水を打ったように静まり返る。

嫌でも覚えているその音は、銃火器と言う、人を簡単に殺しうる凶器の音だ。

 

 

「ここは、我々、占拠した。抵抗の動き、見えたら、我々、ここにいる奴、構わず撃つ」

 

 

性能の悪い翻訳機を通したような、機械的な冷たい言葉。

日本語に不慣れな、途切れ途切れのそんな警告。

 

だが、その警告の言葉を笑う者はいない。

先ほどの銃声は紛い物とは到底思えない破裂音だったし、何よりも異常な暗闇の中で急に現れたその存在からは言い表せない狂気を感じるのだ。

 

 

「……何人だ?」

「おそらく……見える範囲は4人っスね」

「全員武装している上に、どいつが異能とやらを持っているか分からない、か。下手に動けねェ……お前らも動くなよ」

 

 

銃は柿崎達も持っている。

しかし、完全武装に見える相手にどれほど効果があるか分からないし銃器の性能に差がありすぎる。

その上、異能によって銃弾を無効化される可能性を考えれば、この場で虐殺が始まる危険を冒して行動する選択肢は選べない。

 

……とは言え、誰かしらが警護対象の元に向かったのを確認した今、悠長にしていられない。

 

 

(せめて視界が悪くなければ、いや、それは奴らも同じか……だが、暗視ゴーグルに捕捉されず動く方法なんて)

 

 

八方塞がり。

悩んでいる時間すら無いと分かっていてもどちらも選べず柿崎が歯噛みしながら、ルシア達がいる応接間へと視線をやった。

こういった異能犯罪に対しての経験がある彼らがどう動くのか――――なんて、考えたのはそこまでだった。

 

 

『ゴッ……!!』

 

 

応接間に繋がる扉を突き破り、姿を現した大柄な人影が異常な速度で地面を転がって、そのまま近くの壁に叩き付けられた。

痛みを訴えるような絶叫も無いまま動かなくなったその人影に、柿崎達はおろか、病院の占拠を宣言していたテロ組織の構成員達も身動きを止めた。

 

お互い顔を見合わせ、じりじりと扉が突き破られた応接間の方へと近付こうとしたテロ組織の構成員達だったが、さらに応接間から飛び出してきた1人の男を見て声を上げる。

 

 

『ボスッ!? 何事ですか!?』

『――――チッ、ICPOの奴らここにも人員を配置してやがった』

『ICPO……? ちょ、ちょっと待って下さい、だって向こうにはあのババアがいたんですよ? それなのに、こっちにもボスをどうにかできる奴なんて……』

 

「前にやりすぎちゃったから、しばらく異能も使えない仕事ばっかりかなーって思ってたけど、わざわざ僕のところに来てくれるなんて、お兄さんたち優しいのかな?」

 

 

低音の、威圧感のある男達の声を遮るように響いたのは、酷く場違いな子供の声だ。

状況が分からず凍り付いている一般人達がいることに気が付いたその子供は、暗闇に慣れない目元を擦りながら不満げに声を上げる。

 

 

「一般の人達を巻き添えにして騒動を起こすなんて最低だよ! こういう奴らには手加減なんてしなくて良いってヘレナお婆ちゃんも言ってたし、僕も暴れるからね!!」

『っ……ガキが舐めやがって!』

 

 

問答も無く銃の発砲音が連続し、悲鳴が木霊する。

突然の銃撃に、一般の巻き込まれた人達は響いた銃声に怯え、頭を抱えて床にしゃがみ込んでいるが、その銃口を向けられ発砲された少年、レムリアは何事も無いようにその場に立っている。

 

ぼとぼと、と力を無くした銃弾が少年の肌から落ち、床に散らばった。

真正面から銃火器の発砲をその身に受けたにも関わらず、血も、傷も、痣すら無い。

――――それはすなわち、柿崎が想定していた銃弾を無効化する何らかの異能を持っている事に他ならない。

 

 

「暗くてよく見えないけど……取り敢えず異能を持っている人を気絶させればいいよね」

 

 

その言葉から始まる攻撃に、襲撃者達は身構えることも出来なかった。

走り出すような動作も無く、銃器を持った『泥鷹』の者達に恐るべき速度で滑るように肉薄したレムリアの軽い横殴りで、倍はありそうな体躯の男達が軽々と吹き飛ばされる。

直接触れた者だけでない、巻き起こった衝撃波さえ凶器となり、武装している者達を地面や壁に叩き付けた。

まるで一挙手一挙動が規格外の重量を持つ怪物のように、レムリアは敵対する全てを鎧袖一触に伏す。

 

銃器が無力化されるとしても、『泥鷹』の構成員はほとんどが異能持ちだ。

当然、ほとんどが異能持ちで構成されている『泥鷹』の構成員による数多の異能による反撃が降り注いだ。

腕を変質、武器を自在に伸縮、火花や砂埃が飛び交い、轟音に近い衝突音が連続する。

視界が奪われている状況でなお、推移が分からない状況でなお、目の前で起きているこれが常識外れの事態だと言うのを理解しただろう一般人達は、恐怖に体を震わせ目立たぬよう身を縮こませるしかない。

 

 

「……異能って言うのは、ここまで度を越した武力になりえるのか」

 

 

八方塞がりだった先ほどの状況からの急展開に、柿崎はそう呟く。

 

 

(この場所で戦闘が始まりやがった……押しているようだが、ICPOのあのガキも視界を奪われてるのは間違いない。変に手助けに入れば却って邪魔になる……が、このままあのガキだけに任せるのは癪だ)

 

「お前ら、あのガキが奴らの注目を集めているうちに神薙隆一郎を保護し、飛禅と共にこの病院から離脱しろ。この闇の中から出ればまだ対応も出来る筈だ」

「柿崎さんは……?」

「俺は……異能持ちとやらがどの程度なのか、確かめさせてもらおうか」

 

 

スーツの上着を脱ぎ、臨戦態勢に入った柿崎がじっと標的を定める。

動く人影の中でも、あの、ボスと呼ばれていた男に向けて、音も無く飛び掛かった。

 

正々堂々などでは無い。

試合と実戦の違いを、柿崎は冷徹なほどに切り分けている。

そして、その巨体からは考えられない程存在感を消した、まるで暗殺者の様な柿崎の動きに、暴威を振るっているレムリアに注意を取られていた男は直前まで気付けない。

 

ズドンッ、と。

大砲でも撃ったような音が響き、『泥鷹』のボスは顔から吹っ飛ばされた。

歯が何本か砕け、床を転がる。

唖然とする『泥鷹』の構成員達と、突然の乱入に目を丸くしたレムリアが何かを言う前に、さらに柿崎は床に転がった『泥鷹』のボスの元へと駆け、完全装備のその上から踵落としを叩きこんだ。

腹部に踵落としを受けた『泥鷹』のボスが体をくの字に跳ねさせ、あまりの威力に彼が身に着けていた装備が砕け散る。

さらに無防備に跳ね上がった頭に拳を撃ち込み、床に叩き付けたことで、僅かな抵抗すら許されなかった『泥鷹』のボスは体を大の字のまま動かなくなった。

 

 

『ボスッ……!?』

「ガキばっかり見てんじゃねェぞ」

 

 

完全に意識を飛ばしている『泥鷹』のボスの体を放り投げ、銃器の射線を潰した柿崎が宙を舞うボスの体の下をくぐるように構成員達に肉薄し、銃を持つ腕を捻り上げながらの背負い投げで制圧する。

 

 

「えっと……貴方は柿崎さん?」

「そうだ、いらないだろうが手助けする。気にせず好きなようにやれ」

「いらないなんてそんなことないよ、ありがとう! そうだよね、早くこんな奴ら倒しちゃわないと被害が出ちゃうかもしれないもんね。うん、出し惜しみなんてしてられないや」

 

 

近くにいた『泥鷹』の構成員からの攻撃を、躱すそぶりも無くそのまま受け、無傷のまま反撃して昏倒させたレムリアは、そのまま不可視の衝撃波でさらに周りの者達の意識を刈り取った。

これでレムリアが倒した『泥鷹』の構成員の数は10を越えた。

それほど時間を要さず、この場に転移してきた『泥鷹』の構成員達のほとんどを無力化できた事になる。

 

だが。

 

 

(……明るさが戻らねェ……光を奪っている奴がまだ倒せていないってことなのか……?)

 

『――――まだ異能持ちの出力をこの建物から感じる。ここじゃない場所にも侵入してる、のかな? そっちも倒さないと……ルシア、ヘレナお婆ちゃんとの連絡は取れた?』

『まだです。どうやらこの闇そのものがジャミングの様な役割を果たしているようで……それと、“紫龍”については上階にいるであろう構成員の確保を指示しておきました。流石にアレじゃ、レムリアの足手まといにしかならないでしょうし』

『ふうん、そっか。“紫龍”さん、突然の状況に怯えてたもんね。でも……あれ? この“影”って『泥鷹』のボスの……えっと、グウェンが持ってる異能だよね? 今さっきボスを名乗っていた奴が気絶したからこの暗闇も解除される筈なんじゃ』

『ええ、その筈ですが……どうやら影武者を立てていたようですね』

『えっ、そっか……うーん、本物は何処に行ったんだろ……』

 

 

未だに“影”によって奪われている視界は戻らない。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

その男、グウェン・ヴィンランドは誰も信用しなかった。

 

自身の才能を知り、組織を立ち上げ、生まれ故郷を支配した時も。

勢力を拡大し、同業他社である組織同士の潰し合いに勝利し、潤沢な資金と土地を手に入れた時も。

様々な非人道的な行為に手を染め、犯罪行為の数々を自分の手を汚さずに遂行させるようになった時も。

 

どんな時だって男は自分以外の者を信用したことが無かった。

だって、自分が常にどう他人を利用しようかとしか考えていなかったから、周りの人間も自分と同様の考え方をしているに違いないと思っていた。

 

それでも男の強大な力の下には自然と人が集まり、最初こそ多かった反逆者の数も次第になくなって、政府も他の同業も国際的な組織でさえ、男にとって脅威ではなくなったのだ。

障害も、敵も、男の目には映っていなかった。

 

 

『……ゴミ共が』

 

 

世界的な巨大組織にまで急成長を遂げた。

民衆は畏れ、国家は危険視し、男の力に屈する者達はその傘下に入ることを願い出た。

これまでは順風満帆だったのだ。

 

男は自分がこの世界の王になる器と信じて疑わなかったし、それは規定事項、いや既に成し遂げられている事柄でしかないと思っていた。

だってそうだろう、国を跨いで広げられる自分の特別な才能に誰も太刀打ちできなくて、世界の秩序を守ろうとする奇特な奴らを鎧袖一触出来るだけの凶悪な力を一個人が持っていれば、そうも思うだろう。

 

――――だからこそ、男は、グウェン・ヴィンランドは思うのだ。

 

なぜこんなことになっているのか、と。

 

 

『……低能の、群れるだけしか取り柄の無いカス共がふざけやがって……!! 何処まで俺様を馬鹿にすりゃあ気が済むんだ……!!』

 

 

公にされた組織情報。

拠点も、裏取引も、取引相手も、異能情報も、全てを公にして、組織としての運営を不可能にしたのは、裏社会の同業ですらない、表社会で名を馳せている大手多国籍企業『UNN』。

 

対立関係にあった。

利益を巡った諍いもあった。

だが、所詮は表社会で、資金を運用するしか能が無い組織だとしか認識していなかったのだ。

圧倒的なグウェンの才能に屈した同種の才能を持つ者達の力でさえ、何の才能も無い者達に比べて圧倒的で、相手にすらならないのは分かっていた。

だからこそ、異能を持つ者の数が組織の優劣を決めるとグウェンは確信していた。

異能と言う才能は生まれ持ったものでしかありえない特別なものであり、それを後天的に開花させるなんて考えを持っていた『UNN』の方針を、どんな弱者的な考えなのだとせせら笑っていたのだ。

 

負ける筈がない。

負ける未来なんてありえない。

いや、そもそも敗北自体頭に無かったグウェンにとって、戦わずにして負けると言う今の状況は屈辱以外の何物でもなかった。

 

直ぐに拠点を捨てる決断をした。

公となった拠点をそのまま使うのは危険すぎるからだ。

いかに自身の力が強力とは言え、世界的な組織とまともにやり合おうとは思えなかった。

一からやり直せばいい、自身の力は何も変わっていないのだから、なんて、時を置かずに拠点を転々とし、次なる本拠地に目星を付けていたそんな時。

 

気が付けば、ICPOによって包囲されていた。

気が付けば、組織の異能持ちの半数以上が制圧されていた。

殆どの、部下の中でも優秀な者達が的確に無力化され、防衛も逃走もままならない状況まで追い込まれていて。

今まで誰一人にすら明かした事の無かった自身の異能の力を使い、残りわずかとなってしまった部下達と何とか逃走することに成功したのだ。

 

部下も誰一人として信じなかったからこそ、そのグウェンの力の詳細がICPOに伝わっていなかった。

だからこそ、ICPOによって壊滅状態になった『泥鷹』が首の皮一枚を繋いで、海を渡ることが出来た。

皮肉にも今のグウェンはそんな悪癖で、捕らわれることなくここに辿り着けていた。

 

次の本拠地にするなら……と、事前の候補に上がっていた日本。

異能に対する防衛機能が死んでいて、豊かな資金元や利用価値が高い企業が多く存在し、組織の拠点としてはこれ以上ない程の場所。

さらに、世界的な名医である神薙隆一郎を仲間、少なくとも人質として捕らえ、その名声、技術を利用した戦力拡大を図ることを計画してこの病院を目指したのだ。

半分以上の人員を失っており、組織としての力は大きく削がれているものの、世界で活発化していた異能犯罪への対応が遅れ切っていた日本での拠点作成は、それほど難しいものでは無いと確信していたことも後押しした。

 

そんな理由でこの場所を選んだにも関わらず、だ。

 

 

『うーん、暗くてよく見えない。本当に何処にいるんだろ? ……ルシアー、グウェンの影を操る異能の詳細ってあったっけ?』

『いえ……ボスであるグウェンの異能が“影”を操ると聞いていましたが……せいぜい影を物質化させる程度しか私達の情報にはありませんでした。それだけでも強力なのに、海を渡る瞬間移動なんて……それに、通信を遮断するこの暗闇の空間も情報にありません。つまり、奴の異能は一切分かっていないと思ってください。油断せずお願いします』

『分かった任せて!』

 

 

――――悪夢がいた。

 

小さな子供のような風貌をしたそれは、様々な異能を見て来たグウェンでさえ戦慄させるほどの暴威で、いとも容易く『泥鷹』の異能持ち達を殲滅した。

異能に年齢は関係しないとはいえ、その光景はあまりにも異常だった。

 

 

(……何だこの異能は?)

 

 

確かに、ここに来る前に大幅に戦力を削がれ、残った者のほとんどは優秀とは言い切れない程度の異能持ちばかりだ。

だがそれでも、銃火器を所持し、暗闇対策の暗視ゴーグルを持ち、隊列を組んでいる者達がこうも簡単に倒されるのは、グウェンの理解を越えていた。

 

 

(物理的な攻撃が効かない。移動速度も異常。破壊力も十二分……どう対処するべきか糸口さえ掴めない。単調な攻撃しか見せてないが、一般人がこれだけ周りにいる状況で人質を取られることをそれほど警戒しない立ち回り……恐らく人質も効果がない可能性が高い)

 

 

逃走、その文字が頭を過る。

僅かに残った手駒を捨てる事に抵抗など無いが、だからと言ってこの場所を諦めてその先どうするのか。

化け物染みた少年を相手になどしたくないが、ただ一方的にやられただけなど、プライドの高いグウェンには我慢がならなかった。

 

 

(気持ち悪い異能の出力をしやがって……だが逆に考えれば、今、ICPOから派遣されてる異能持ちはこいつ1人だけ。こいつを始末する最大のチャンスでもある訳だ。このデタラメ具合、ICPOの最高戦力と見て良いだろう。放置すればこれから先の最大の障壁になることは目に見えてる。こいつを倒すなら今しかない。そして……こいつの異能は、銃弾の無力化や攻撃方法を見る限り、恐らく……)

 

 

「物理衝撃の吸収と放出」だろうかと当たりを付ける。

限界値は分からないが、限界値を越えるほどの物理衝撃を、なんて言うのは現実的でないだろう。

 

 

(……待て、上の占拠に行かせた奴らの出力が消えた、だと。おい、アレの他にも異能に対処できる奴がいるのか? ……話が違うぞ、政府もまともに対応策を出して無い、『UNN』も根を張っていない、ICPOも拠点を置いていない。異能犯罪に対する防衛機能のほとんどが存在しないのがこの国じゃねぇのか……!? 上から感じる異能の出力も、1階にいるもう1つの異能の出力も敵の異能持ち……)

 

 

グウェンは誰も信用しない。

自身の異能は最強だと確信しているが、その手の内を明かすことを嫌っていた。

対処や対策、そんなものでどうにかなるような力ではないが、それでも誰も信用していないからこそ自身の異能を他人に知られることに強烈な忌避感を覚えてしょうがない。

 

このままバレずに暗闇の空間を維持したまま時間を稼ぐか、もしくは姿を現して真正面からやり合おうかと悩む中、ふと脳裏を過ったのは宿敵である『UNN』の事。

あの老獪で執念深い人物が一度侵略の手を伸ばした国から手を引いたのには、何かどうしようもない理由があるのではないかと、今更になって頭を掠めた。

 

もしもこの連鎖している嫌な状況に何かしらの要因があるとするならば。

そんな久方ぶりの警戒心がグウェンの中で鎌首をもたげた。

 

 

(…………一つ、策を講じるか)

 

 

敵味方問わず、この病院に潜む様々な異能持ち。

彼らの視界を奪っている今、敵味方の識別方法はおのずと限られている。

そこに一つまみ、不安要素を加えてやれば彼らは攻撃先を間違えるだろう。

 

いいや、思うように行かなくてもそれでいい。

 

 

(俺様のこの暗闇で、衰弱させる時間が稼げればそれで)

 

 

どうせ『泥鷹』は壊滅する。

ここに来るまでに半数がやられ、この病院に着いてからさらに半分以上がやられた。

拠点も、取引相手も、これまで築き上げてきたものも、全て壊れてしまったけれど、ただでやられるつもりはない。

奴らが潰そうとした相手がどれほど厄介な奴だったのかを、全世界に思い知らせてやるのだ。

 

せめてもの意趣返しに、この病院にいる奴らを皆殺しにしてしまおうと、グウェンは暗い笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 



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影に潜んだ蠢く存在

 

 

 

 

病院に蔓延っていた悪を無事圧倒した私達、燐香ちゃん一行は入院患者達の安全確保と言う当初の目的を果たし、お互いの健闘を讃えた。

 

なんて言ったって、2階のテロ組織の人達は上の階を担当していた仲間の異常に気が付いており、厳戒な警戒態勢を敷いて私達を待ち構えていたのだ。

当然、銃器を持った完全装備の連中がしっかりと警戒しているなんて、普通の人ではどうしようもないくらい恐ろしい状態だったのだが、残念ながらこちらにいるのは“なんでも収納できる煙の力”を有した人とアホみたいに肉弾戦が強い人だ。

色々と大変ではあったが、正直言って、負ける道理が無かったのである。

 

簡単にまとめると、異能の出力に気が付いた相手に対して“紫龍”が囮になり、人質を取っていた相手の背後からあらかじめ煙に収納していた神楽坂さんを解放し、奇襲させる。

後は、混乱状態に陥った相手に総攻撃を仕掛ければ特に苦労することも無かった、という訳だ。

 

人質になっていた一般人達も、私達も、テロ組織を制圧する上で特に誰も怪我をすること無く、事を終えることが出来た。

巻き込まれた一般人としてはこれ以上無いくらい上等、めでたしめでたし、なのである。

 

だからきっと、これ以上を求めるのは間違っていると思うのだ。

求めるものをむやみやたらに大きくすれば、いずれ失敗するのは目に見えている。

果たすべき役割は必要最小限で良い。

無理に警察やICPOとテロ組織の本隊が争う場所に介入する必要は無いと、私は思う。

 

 

(でも御母様は前に、警察やICPOの戦力なんて当てにしてないって言ってた……)

「そんなことないもん。まったく、マキナは記憶力無いんだから」

(!!!???)

 

 

2階を制圧し、さらに1階に行く気満々な神楽坂さんと、1階には心底行きたくないもののサボっていたと思われると後々酷い扱いを受けるんじゃないかで葛藤している“紫龍”と共に歩きながら、私は直接意思疎通を図って来たマキナにボソリと返答した。

「何か言ったか?」と聞いてきた神楽坂さんに否定を返しつつ、私は今後どうするべきかについて頭を悩ませる。

 

マキナの言う通り、警察やICPOが解決してくれるだろうと信じ切るのが危険だとは私も思う。

 

だが私だって人間、怖いものは怖いのだ。

この広範囲に渡る異能による暗闇。

国を跨ぎ移動できる高出力しかり、応用の利きすぎる異能の性質しかり、どれをとっても厄介かつ強力な相手なのは火を見るよりも明らか。

これから対峙するだろう異能持ちは、恐らく真正面からやり合うなら、今まで私がやり合ってきた中でも最上位に位置する厄介さを誇るだろう。

 

その上、この場にはICPOとか言う異能に対する見聞の深い、かなりの戦力や資金を有する大組織が存在するのだ。

ICPOと協力してこの事件を解決したとしても、彼らに私の素性を把握された場合、私はもれなく確保されドナドナされることは間違いない。

 

 

(それだけは何とか回避しないといけないのに……それだけはっ……!!)

 

 

情報遮断の為にマキナを作り、他の異能持ちにバレない様に異能の出力を超微細な操作が出来るよう訓練し、自分自身を起点とした誤認の異能を常に使っている私が、そうやすやすとバレることは無いだろう。

だが、多少の異能使用なら誤魔化す自信はあるものの、流石に感情波(ブレインシェイカー)や精神破砕(ソウルシュレッダー)みたいな派手なのは誤魔化せない。

『それらを使用しない縛りをしてこの暗闇を作っている異能持ちを倒せ』は、無理では無いだろうが安全性は皆無と言っていいだろう。

それに、神楽坂さんに私の異能がバレた時とは違い、失敗した時の被害が大きすぎる。

 

だが結局、色々言ったところで神楽坂さんと“紫龍”だけに任せるとか出来ないのだから、私も行くしかないのだが……純粋に無理難題に囲まれた今の状況に、心が折れそうなのが正直なところ。

 

 

「ふ、ぐぅっ……」

「そ、そんな泣きそうな顔で勢い良く首を横に振らなくても……分かった分かったから、佐取が言いたいことは分かった。行きたくないんだな? この下にはヤバい奴らが一杯いるかもしれないから嫌なんだな? 分かってる、佐取は無理に行く必要はない。そりゃあ、佐取がいてくれたら心強いが、無理に連れていくつもりなんてないから安心してくれ」

 

 

階段まで辿り着いたギリギリの場面で私はヘタレていた。

悩めば悩むだけ八方塞がりの現状を理解して、足は根が生えたように重くなり、口数はものすごく減っている。

 

なんでわざわざ今日こんな襲撃があるんだろう。

私の行く先々に無理難題が転がっている気がする。

……と言うか、自分だって散々嫌がっていた癖に、“紫龍”が私の様子を見て同情しているのは非常に腹が立つ。

 

 

「……そうだ。わざわざこんな察しが良くて頭が回るだけのガキを連れていく必要も無いだろ? ガキはガキらしく、安全なとこで待ってりゃいいんだよ」

「……こんなアホと神楽坂さんを2人だけで行かせることなんて出来ないです……」

「人がフォローを入れてやったのにこのクソガキッ……!」

「フォローの言葉じゃなかったですぅ……!! 人を馬鹿にしたような発言でした!」

「……だからなんですぐ喧嘩するんだ……俺は仲裁なんて得意じゃないんだぞ……」

 

 

むしろ俺が周りから抑えられるタイプだったのに……、なんて呆れた神楽坂さんが言っている。

まあ、コイツの言動はいちいち腹が立つし、私もコイツが悪い奴だと認識していて、歯止めが利かなくなっているのもあるだろうが、その……あれだ、きっと異能持ち同士反発し合う様な何かがあるに違いない。

 

 

「チッ……ただでさえ異能持ってないお前だけで足手纏いなのに、こんなガキ……コイツが危険に晒されても俺は助けねぇからな!」

「へっ」

 

 

最初に会ったときは、険悪な関係の相手とは言え知り合いに会えて嬉しさを隠し切れていなかった癖に、何人かテロ組織の構成員を制圧して自分の異能への自信と調子を取り戻したのか、“紫龍”は強気にそんなことを言う。

 

彼、“紫龍”に“白き神”に操られていた時の記憶は無い。

つまり、私と二回目に対峙した時の事は覚えていない訳だから、彼の記憶には私は異能を持たない単なる一般人に映っている筈だ。

彼に残っている記憶はあの結晶を使った強化状態の時、私のブレインシェイカーによって何をされたのか分からないまま気絶したと言う事だけ。

どうせ出力も探知できていなかっただろうから、私が異能で攻撃したことすらも分からなかったのだろう。

コイツからは私を戦力として数える気が無いのが見て取れた。

 

私が合流する以前に神楽坂さんがコイツに異能犯罪を解決する部署がどうとか言ったらしいので、その専用の装備が何かがあるんじゃないかと期待しているくらいだ。

 

 

「……うん、覚悟を決めました。行きましょう。行ってさっさと終わらせてしまいましょう!」

「うお!? い、いきなり元気になるな……まあ、暗いよりもずっと良いに決まってるか……」

「配置順は私が最後尾、神楽坂さん真ん中で、貴方が一番前、何かあっても煙になれば回避できるんだから問題ないですよね!」

「いきなり仕切り出しやがって……チッ、分かったよ」

「あとは……ううん……」

 

 

この暗闇の中で、何が一番怖いのかを考えた。

視界が潰されて、音と手に持つライトの光と私の読心による探知、これらを用いて周囲の索敵を行う時、あのスライム人間が現れたら一番怖いだろうか、なんて考える。

私が、少し逡巡しつつ“紫龍”に思考誘導を掛け異能の出力を気取られないようにした後、周囲に薄い出力の波を放ってみる。

 

 

「……は?」

 

 

万が一。

保険の保険。

そんな気持ちで使った、異能を弾く存在を検知するための行為は私にその存在を知らせて来た。

 

1階、階段下りてすぐ左の部屋。

異能を弾く人型の何かが、蠢いている。

 

これまで何度も対峙したあの、人型の怪物に酷似した存在が暗闇の中そこに居る。

 

 

「――――……なんでここにいるの?」

「……どうした?」

「ああ? まだヘタレてんのか? いい加減行くか残るか決めろよクソガキ」

 

 

何か目的を持って動いていたそれが、私が放った微弱な異能の出力の波に気が付いたようで弾かれた様に動き出した。

周囲を警戒し、音も無く廊下に出て、それから、階段方向へ確認を。

 

そこで私の放った異能の波で受け取れる情報が終わってしまう。

 

 

「……」

 

 

訝し気に私を見ていた神楽坂さんと“紫龍”が、私が睨むように見つめている階段の先へゆっくりと目をやり、そこに人影が現れたことで表情を固くした。

 

現れたのは、以前も見た銀色の人型。

生物的な温もりを感じさせない見た目で、自然界ではありえない、液体と固体の性質を同時に併せ持つ知性体。

それが、階段下から私達を見付け……神楽坂さんの姿を捉え、驚いたように硬直した。

 

まるでこの場所にいる筈のないものを見たように、このスライム人間は衝撃を受けている。

 

 

「コイツはっ!!」

「な、なんだコイツは……? こいつも、海外のテロ組織の仲間なのか……?」

 

(そんな訳ない。でも、今この場にいるのには理由がある筈で、即座に私達の排除へ移らない理由もある……みたいだけど)

 

 

ソイツが、くるりと私達に背を向けて逃走しようとするのを確認した私は、攻撃を決断する。

マキナに指示をしようと、私は携帯電話に思考を送ろうとして。

 

 

(御母様もう一つ。接近してくる異能の気配がある)

「……!?」

 

 

逃げようとしていたスライム人間が、1階から恐るべき速さで飛び込んできた人影に吹き飛ばされ、なす術も無くその体を水のように飛び散らした。

地面に広がった水溜りのような、スライム人間の残骸を踏みしめながら、その子供は私達を見上げる。

 

 

『……なんか、異能の気配がしたから急いできたけど、暗すぎてよく見えない……そこに誰かいるの……?』

 

 

見た目は、金髪の小学校低学年程度の子供。

見覚えがあるその子は、確か病室から見た警察関係の人達の中にいた子供だ。

ライトを持つ私達を見えていないのか、しきりに周囲を見渡しながら、声を出して確認をしている。

 

そして、暗くてよく分からないが、あまり調子が良いようには見えない。

恐らく、目に見えてこの子供の周りだけ“影”が濃いのが影響しているのだろう。

疲れたように、何かを見つけ出そうと必死に暗闇の中を探っている。

 

 

(誰からか攻撃を受けている? いや、それよりも、こんな単純な物理攻撃じゃあのスライム人間は……)

 

「な、なんだICPOの異能持ちのガキか。と言うか、あれだけのテロ組織との戦いを切り抜けて、あの気味の悪い人型を一蹴できるなんて、やっぱり世界レベルとなると異能の質もぶっ飛んでやがるな……。おーい、俺だ、上の階の奴らを倒すように言われた“紫龍”だ。こっちに」

 

 

ズルリッ、と床に広がっていた水溜まりから、身を捩じらせながら人型の怪物が少年の背後に姿を現していく。

そのあまりに不気味な姿と一切異能の出力が感じ取れないことに、一瞬絶句した“紫龍”が慌てて声を張り上げる。

 

 

「ばっ、ガキッ! 後ろを見ろ!!」

『……?』

 

 

声が届いていない。

恐らくではない、確実に、少年の周りに纏わりついている“影”がより強く外部からの情報を遮断している。

自分を攻撃して来ない私達のぼんやりとした姿を、不思議そうな顔で窺っていた少年に向けて腕を鋭利に尖らせた人型の怪物が振り被るのを見て、神楽坂さんが慌てて飛び出した。

 

薄皮一枚の差で、少年を抱き抱えて人型の怪物の攻撃を回避した神楽坂さんが、その勢いのまま階段を転がり落ちていく。

 

 

「煙であのスライム人間を収納出来ますかっ!?」

「今やってるっ……出来ねぇ!! 異能の出力も感じねえ! 何だあの化け物!! 海外の異能持ちはこんなふざけた性能してんのか!?」

「とやかく言ってる場合ですか! 収納できないなら、倒すしかないんですよ!」

「どうやって!?」

「私と神楽坂さん相手にやったみたいに物理攻撃です!」

 

 

階段から転がり落ちる神楽坂さん達を追撃しようと動いたスライム人間に、私と“紫龍”が飛び掛かりに行く。

私はコイツの為だけにわざわざ用意したスタンガンを手に、“紫龍”はスライム人間の周囲に漂わせていた煙から鉄材を怪物目掛けて射出して。

 

“紫龍”が射出した鉄材によって腕や脚、胴体に穴を空けられたスライム人間に、私がスタンガンを押し当てると、予想していた通り、液体の性質を持つこいつには非常に有効なようで、火花を散らしながら体を激しく痙攣させる。

だが、それでも致命傷には至らないようで、このスライム人間は痙攣しながらも即座に体を構成する液体の性質を変化させた。

 

電気を通す液体から通さない液体へ。

幾つかあるそんな液体の中でも、自然界でも科学的にも作られていない、純度100パーセントの水へと切り替わる。

 

そして、その切り替わりはこんな至近距離であれば瞬時に感知できる。

瞬間、私は大きくその場を飛び退き、何とか距離を取って、完全な超純水となった怪物が自身の体を爆弾のように弾けさせた攻撃から回避する。

 

下がった私の隣に、煙の中から“紫龍”が現れた。

 

 

「馬鹿野郎! 異能も無いのにあんな化け物相手に近寄るんじゃねえ!!」

「攻撃道具そういうのしか持ってないんだから仕方ないじゃないですか! 銃とかあれば私だってそれ使いますよ!!」

「だからっ、お前は前に出ないで相手の動向や特徴を観察して弱点とかそういうのを見付けりゃいいんだよっ!」

 

(うるさいバカアホマヌケ! コイツの情報を一番持ってるのは私なんだから、私が一番安全に立ち回れるんだってばっ……! と言うか、やっぱりこの暗闇状態でコイツとやり合うのはいくら何でもっ……!!)

 

 

想定される限り最悪に近い状況だと言うのを再確認して私は歯噛みするが、思わぬ助けが横から入った。

 

不可視の衝撃波が階段下から放たれ、スライム人間を吹っ飛ばしたのだ。

神楽坂さんが抱えたICPOの少年が放っただろうそれで、再び散り散りになって床に広がったスライム人間に、私は素早く核となっているだろう指を探して、見つけ出す。

そして、その指に飛びついた私はそれを“紫龍”目掛けて放り投げた。

 

 

「それだけがコイツの中にあった固形物です! 収納を!!」

「――――っっ!」

 

 

何の返事も、音も無く、怪物の核となっていた指が煙の中に収納された。

続いていた激しい争いの音がピタリと止み、再び復活するんじゃないかと警戒していた“紫龍”が動かない水溜りが消滅していくのを見て、安堵のため息を漏らす。

 

流石に煙の中に核が閉じ込められたら、異能の行使は出来ないらしい。

まあ……当然なのだが。

 

 

「あ、あ……危なかった……なんなんださっきの化け物は……そ、それより、ガキ、お前やっぱり観察力ヤバすぎないか……?」

「たまたま、運良く、目に入ったんですよ……うぐぅ、本番まだなのにもう疲れた……」

「と、ともかく、ヤバい奴を倒した事には変わりないか。ふう……おーい、ICPOのガキ……って、これじゃあ区別が付けられねえか。確かレムリアとか言っていたっけな……神楽坂とやら、レムリアとか言うガキの様子はどうだ?」

「……取り敢えず、怪我はしてないみたいなんだが……」

 

 

含みがありそうな神楽坂さんの返答に眉を顰めた“紫龍”が、私に一瞥送ってから神楽坂さん達の元へ向かっていく。

私も、周囲の警戒をしながらもそれに続き、状況を確かめる。

 

集まって来た私達を見て、神楽坂さんの腕の中にいる少年は目をぱちぱちと瞬かせながらゆっくりと微笑んだ。

 

 

「わー……、助けてくれてありがとう。本当に怪我はないんだよ。えっと、“紫龍”さんだよね。ルシアと柿崎さんは神薙先生のところに行って、僕は異能の出力を感じたところを駆け回っていたんだけど、なんだか体が重くて……でも大丈夫、僕はまだ頑張れるから。早く、『泥鷹』のボスを見つけて、この暗闇を解除させないと、いけないんだけど……」

 

 

強がり混じりにそう言った少年の姿は見るからに体調が悪そうだ。

フラフラとしながら何とか自分で立ち上がろうとしているものの、足に力が入らないのかバランスを崩し、神楽坂さんに慌てて支えられる。

 

 

「……どうなってる? 顔面が蒼白で生気がないじゃねえか……本当にさっきの怪物に攻撃された訳じゃないのか?」

「いや、俺も分からないが……体温も低い……これは、いったい?」

 

 

やけに衰弱してしまっている少年の様子に神楽坂さんと“紫龍”は困惑しているが、考えてみれば基本的に他人の異能の性質なんて異能を持たない人が知る由はない。

だから、異能への造詣が低い神楽坂さん達が、この空気中の暗闇が人に有害な効果をもたらすなんて考えもしないだろうし、少年が苦しんでいるこの原因の見当がつかなくても不思議ではない。

 

しかし、だからこそ私が手助けをする余地が産まれる。

 

 

「……ちょっと私に見せてください」

 

 

そう言って、私は神楽坂さん達に近付き、具合の悪そうな少年の額に手を伸ばす。

驚いたように身じろぎした少年の頭を撫でて落ち着かせ、そのまま少年の体に内封されている異能の出力を診断する。

「お兄ちゃんが生物学を専攻していて、論文なんかを読ませてもらったりしているんです」なんて適当なことを言えば、“紫龍”は感心したように納得するのだから扱いやすい事この上ない。

 

少年の体の内部の異能が僅かに暴走を起こしているのを確認する。

と言うのも、空気中に広がっている“影”を取り込んだことで生命活動を蝕まれた結果、拒否反応を起こしているのだろう。

少年の特異な異能の異常を抑制させつつ、入り込んでいた生命活動を蝕む“影”を捉え、処分する。

 

単純な異能の出力を使った力技だが、この程度の副産物的な異能の使い方であれば私でも和らげることは難しくない。

ただまあ、根本的な解決にはなっていないから、完全に体調を戻すには元凶を叩きのめす必要があるのだが、あと数分で手遅れになるのが数時間に戻ったのだから上出来だろう。

 

 

「……うん、取り敢えずはこれで楽になるかな」

 

 

適当にそれっぽい応急措置をやっておき、“紫龍”の目をごまかすのを忘れない。

これまでの、短く早い呼吸がゆっくりとしたものに変わり、体温が徐々に上昇を始め、顔色が少しだけ肌色に戻り始めた。

少年の変化に驚きを見せた神楽坂さん達を尻目に、私は少年を背中に背負い立ち上がる。

流石にあれだけ弱っていた少年を一人で歩かせるのは酷だろう。

 

昔、妹の桐佳もこうやって背負って歩いたものだから、少し懐かしいものだ。

 

 

「さて、行きましょう。ICPOの人達に合流してこの子を渡してしまわないとですからね」

「あ、ああ、だが重くないか? 佐取の代わりに俺が背負っても……」

「私が一番戦力にならないんですから、私が背負うのが合理的です。それにこの子、小さいので全然重くないですし」

「……そのガキの言う通りだな。俺の煙に入れても良いが……体調悪い奴を入れて悪化するとか考えたく無いし、どうせ俺はそこまで信用されてないだろ」

 

 

体調は戻っても、元気は戻らないようで、すっかり安心して寝入ってしまった少年を背負い直した私は、神楽坂さん達と共に1階の先に進んでいく。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

神薙隆一郎の元へ向かい仕事を終えた、異能犯罪組織『泥鷹』の中でも最上位の実力を持つ男、ロラン・アドラーは仕事道具であるライフル銃を肩に乗せながら病院の廊下を歩いていた。

『泥鷹』内でも有数の強力な異能を持ち、ICPOの襲撃で無力化されなかった数少ない男。

ひょろりと長い手足と気だるげな顔は、到底荒事には向いているように見えないが、彼の実力を知る者は誰だって彼と事を構えようなど考えないだろう。

 

 

『たくっ、ボスは何処にいるんだよ。報告の1つも出来ないじゃないか』

 

 

やる気のないそんな言葉を話しながら、ロランは周囲を見渡した。

彼が探し求めるボスの姿は何処にもない。

それどころか、病院内にいた一般人達はどこかの部屋にでも避難したのか廊下に残っている者はいない。

この場にはただ一人、ロランだけが残っていた。

 

それを確認したロランは再びぶらぶらと気だるげに歩き出す。

どうせあの短気なリーダーの事だ、ロランの苦労なんて知らずに激怒して散々叱りつけてくることは目に見えている。

それを考えるだけでロランのやる気は急激に落ち込んでいく。

確かにロランの失態はいくつもあったが、それを補って余りあるほど色々やって来たと言うのに。

 

溜息混じりにロランは愚痴をこぼすように声を出す。

 

 

『ああもう……ボス何処だよ……』

『ここだ』

『おっと』

 

 

通りがかった廊下の壁に、背を預けて腕を組んだ大柄の男が姿を現す。

顔にまで大きく入った刺青に、筋肉質な巨躯。

機嫌の悪い顔を少しも隠す事無く気だるげなロランを睨むのは、肌を露出させるゆったりとした服を身に着けた男、グウェン・ヴィンランドだ。

 

怒りの視線を受け止めたロランは肩を竦める。

 

 

『おいおいボス。この暗闇の中でボスを見付けるのは一苦労なんだ。報告に来るのに多少時間が掛かったって仕方ないだろう?』

『ふん……お前以外の構成員は全員やられた。ICPOの異能持ちに成す術も無くな。つくづく使えない連中だった』

『それはなんとも』

『それで、お前の神薙隆一郎を確保する任務はどうなった。まさか日本の下らない異能持ちから逃げて来たとでも言うんじゃないだろうな』

『ああ、動けないように捕まえて適当な部屋に入れておいてる。この国の異能持ちは、まあ、強かったが実戦慣れしてなかった。殺すのに苦労はしなかったよ。神薙隆一郎の場所まで案内しようか?』

『いや、もう良い。アレは『泥鷹』を再構成するために必要なものだったが、もういらなくなった。ここまで人員が欠けてしまえば、ここをICPOが補足して攻撃してくるまでに態勢なんて整えられない。しばらく息を潜める必要がある』

『作戦変更、ね。それならウチの奴らをやったICPOの異能持ちは始末できたのかい?』

『俺様の高濃度の“影”を奴の身に纏わりつかせた。もう数分も持たない筈だ』

『“影”、ね』

 

 

困ったように頭を掻いたロランが不満げに問う。

 

 

『ボスのこの“影”の異能がこんな移動能力や毒作用があるなんて聞いてなかったんだが。突然飛ばされて……まっ、今更言ったところでどうしようもないか。それで、息を潜めるならここはどうするんだ? 一般人を含めた、ここにいた連中は放置してまた何処かの国にでも行くのかい?』

『ああ、別の国に行くぞ。まだいくつか候補がある。本当なら『UNN』のゴミ共がいないこの国で勢力を拡大させたかったが』

 

 

そこまで会話した彼らの視界の端に、1人の逃げ遅れた老人が写る。

眉を顰めたロランとは反対に、無言で暗闇に溶けたグウェンは瞬間、その老人の前に姿を現した。

ビクリッ、と何かの気配を感じて恐怖に体を震わせた老人の眼前に、グウェンは物質化させた菱形の黒い結晶を浮かべる。

 

そして、グウェンはその黒い結晶を怯える老人の額に当てる。

自身の命を奪う動作を、ゆっくりとこの老人に見せ付けながら、グウェンは告げる。

 

 

『やられっぱなしは性に合わない。ICPOの奴らを含めてここにいる人間は皆殺しだ。この暗闇は閉鎖空間。誰一人だってここから逃がしはしない』

『……なるほど』

 

 

――――老人の額に押し当てられた結晶が破裂する。

 

それは老人の命を奪うための攻撃、ではなく、何者かに攻撃を邪魔されたことによる崩壊。

突然の事に、グウェンは目を見開いた。

 

さらに続けて、何か粉の様なものがグウェンの背中に投げ付けられた。

キラキラと光るその粉は、材質が分からず、さらには体に付着したそれは叩いても全く落ちることは無い。

何事かと振り向いた彼の額に、やけに長い銃口が押し当てられた。

 

問答もない。

対物ライフルの空気を轟かす発砲音が連続する。

個人に、ましてやこの至近距離で発砲するような用途ではない筈のそのライフル銃を、この暗闇の中であるにも関わらず、次々正確に急所へと撃ち込んでいく。

“影”による咄嗟の防御、さらに射線から逃げるように暗闇に溶けてその襲撃者の背後に移動したグウェンを瞬きする間もなく追撃の狙撃が急所を襲い、殺し切れなかった衝撃で地面を転がり回ったグウェンはその襲撃者を血が滲んだ視界で睨む。

 

はっきりとライフル銃の銃口をグウェンに向けたロランが、いつも通りの飄々とした笑顔を浮かべている。

 

 

『ロラン、貴様っ……』

『おっと、勘違いしないでくれよボス。俺は裏切っちゃいない。元鞘に戻っただけだ』

 

 

疲れた、とボヤキながらロラン・アドラーはその痩躯から異能を放ち、酷薄な笑みを作る。

ロランのその目にはグウェンに対する忠誠心など微塵も感じさせず、むしろそれは侮蔑に近い感情が見える。

 

 

『――――ICPO異能対策部所属ロラン・アドラー、こう言えば分かるか? 『泥鷹』のボス』

 

 

そして、ロランの銃声を待っていたように、一切動きを見せなかった大きな異能の出力が動き出した。

その異能の持ち主は、およそ人間に出せない速さで真っ直ぐにグウェン達がいる場所に向かってくる。

 

 

『何のために俺が神薙隆一郎の確保に1人で向かったと思ってる。彼らの安全を確保し、一般人の避難を手伝うために動くためだ。その動きをお前に気取られないよう、レムリアには大暴れしてもらっていた訳だが……もう充分だ。こうして俺の最後の仕事である、隠れ続けるお前を引き摺り出すことは成功したわけだからな』

 

 

飛来する何かを察知したグウェンが危険を回避しようとその場から掻き消えるが、まるでこの暗闇の中でも移動した先が見えているかのように、即座に軌道修正した棚や椅子といった巨大な弾丸が突き刺さる。

持ち前の頑丈さと身に纏う異能の防御で致命傷こそ避けたが、さらに放たれたロランの弾丸に足を取られ、さらなる追撃を許してしまう。

 

 

『ウチのリーダーは短気な上に今は虫の居所が悪い。抵抗してもいいが、その後の事は保証しない』

 

 

背後に現れた飛禅飛鳥と冷酷な眼差しで銃口を向け続けるロランに挟まれて、グウェンは怒りのまま咆哮を上げた。

 

 

 

 

 

 



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悪辣な策を弄す者

 

 

 

 

ロラン・アドラー、年齢35歳、性別男性。

過去従軍経験があり、特に銃に対しての知識はかなりのもので、彼が所持する異能もそれに関係するものである。

 

彼の異能は『製鉄』。

鉄やそれに類する鋼などの合金を自在に製造、変形させ、彼の知識に基づいて銃への加工も可能にする優れもの。

工場いらずの製鉄人間、なんて言われる彼の異能は組織が大きければ大きい程喉から手が出るほど欲しいものだろう。

そして戦闘に於いて彼が得意なのは肉弾戦でも異能を真正面からぶつける戦闘でも、近距離での銃撃戦でもない。

 

超大な距離からの正確無比な狙撃が彼の得意とする役割だった。

 

 

「――――俺は狙撃担当で、意識外からの一撃必殺タイプなの。逃げ遅れたご老人を助けるために攻撃を早めたけど、本当ならこんな至近距離で継続した戦闘なんてしないんだからさぁ。あんまり期待されても困るんだよねえ。と言うか、君めちゃくちゃ美人だよね。良かったらこの後俺と一緒にお酒でも飲みに行かない?」

「御託並べてないで早く打開策を練って下さい☆ 貴方への攻撃だけ放置しますよ☆」

「こっわ……はあ……なんで俺の周りの女性はこんなに気が強い奴ばっかりなんだ? もっとお淑やかで包み込むように甘えさせてくれる豊満な体をした大人の女性はいないかね」

「金でも払って依頼しろ☆」

 

 

物質化した“影”の嵐の様な猛攻を軽く弾き飛ばした飛鳥は、指向性を失った“影”を逆に操るとグウェンへの攻撃に転じさせた。

 

突風の様な指向性を持った“影”の濁流。

派手な飛鳥の反撃の傍らで、ロランの正確無比な狙撃は暗闇に紛れながら、的確にグウェンの防御を弾くように撃ち込まれていく。

 

 

(こいつら急造にしては……いや、ロランが合わせているだけか。しかし、自分で作っている暗闇の中とは言え、視界が遮られている中で遠距離攻撃できる異能とやるのは厄介だな)

 

 

自身の周囲に置いている“影”の防御が徐々に削られている事に気が付いたグウェンは苦々し気に舌打ちをする。

そして、自身の四肢を狙った高速の飛来物に対して、地面から盛り上がるようにして顔を出した“影”で構成された巨大な狼の頭によって噛み砕き無力化させた。

 

グウェンが好んで使う巨大な狼を生産するこの技術。

目立つ巨大な体躯に、攻撃は爪と牙を使ったものしかない欠落技術ではあるが、大きな利点に相手の目を引きやすいと言うのがある。

つまり、奇襲を仕掛けるための意識誘導のトラップがこれなのだ。

巨大な狼が完全に地面から這い出していくのを目隠しに、グウェンは影を渡る転移により飛鳥達の後ろを取ると、そのまま飛鳥達と飛鳥達が守るように立っていた逃げ遅れた老人に向けて、同時に攻撃を仕掛けた。

 

命を奪うまでは至らない、釘打ち機で撃ち出す釘を散弾にしたようなそんなもの。

対物用の異能や鉄材の盾などがあれば問題なく防御が可能なものだが、正面から襲い来る“影”の狼に併せて、守るべき老人への攻撃も防ぐとなるとその難易度は跳ね上がる。

事実、これまで同じような戦法を使って亡き者にしてきた人数は数知れない。

 

だが、グウェンが相対しているこの2人はこれまで戦って来た異能持ちの中でも飛びぬけていた。

 

 

『“burst”』

 

 

ロランの異能は引き金を引くことすらしない。

鉄を操る異能にそんなもの必要としないからだ。

 

銃声が全て重なったようにさえ聞こえるほどの連射。

グウェンが散弾の様な“影”を撃ち出してから1秒にも満たない間にも関わらず、その全てをよりにもよってライフル銃の狙撃で撃ち落とされた。

それだけではない。

 

 

「ちょこまかと逃げ回るだけじゃなく、戦えもしない一般人目掛けて攻撃を仕掛ける外道さ。本当にゴミみたいな人間ね」

『……ロランはともかく、この女……』

 

 

“影”の狼が圧壊している。

生物的な動きをさせるために硬度は全力とは程遠いとは言え、その分速さは他と比にならず、直線的な軌道でないそれを捉えるのは並大抵ではない筈なのだ。

それが、ロランによる狙撃に気を取られた一瞬で破壊されるなどあり得る話ではない。

 

 

『この女の異能はなんだ?』

 

 

険しい顔をしたグウェンの疑問への返答は、四方から襲い来る恐ろしい圧力だった。

ともすれば一瞬で手足が千切れるのではと思う程の痛みに、咄嗟に転移を行って距離を取ったグウェンは激痛から解放されたことを確認し、険しい表情を浮かべ睨むように飛鳥達がいる方向を見る。

 

強力な異能。

物質化した“影”の猛攻をものともせず、逆にそれを利用して攻撃さえ仕掛けてくる。

こんな異能への対策が出来ていない国の異能持ちなど大したことが無いだろうと考えていたのだが、まさかここまで強力な異能持ちがいるとは思っていなかった。

 

さらに不可解なことがある。

視界が全く通らない暗闇の中だと言うのに、彼らは寸分違わずグウェンへと迫ってきている。

苦々し気に自身の体に付着した妙な粉を見遣って、グウェンは確信する。

 

 

『……ロランの奴め、俺様に付けたこの粉は目印か』

 

 

小細工を、と呟いた。

ロランによる数多の狙撃が懲りずに自身を狙うことも、飛鳥が周囲に浮かぶ細かい“影”さえ消し飛ばしながら向かってくることも、グウェンにとってこれ以上無いくらい目障りだった。

 

逃げ続けることも、隠れ続けることも出来ない状況を理解したグウェンは自身の敵である2人を見据えた。

 

 

『良いだろう。そこまで俺様を不快にしようと言うなら構わない』

 

 

グウェンが放つ空気が一変する。

 

 

「……ここからが本番、か。ウチのリーダーがいない今、本当なら全力を出される前に終わらせたかったんだけどね」

「具体的にはどう変わるの?」

「さあね。コイツの全力を見た奴は一人残らず生き残っていない。つまりはそう言う事だよ」

 

 

有利に戦闘を進めていた筈のロランはそんな風に言って顔を緊張させて、グウェンからの攻撃に備え気を引き締め直す。

 

――――グウェン・ヴィンランドは現存する異能持ちの中でも最強の一角として名高い。

 

今なお世界には『顔の無い巨人』が最強の異能持ちだと言う者はいるが、誰もかの者が戦う所など見ておらず、数年前を境に活動らしき活動が見られなくなってから、その存在さえ疑問視する声すら上がっているのが現状。

だからこそ、多くの強力な異能持ちを実力でねじ伏せ、『泥鷹』と言う強大な組織を設立し、横暴を利かせるグウェンの実力を最強の異能持ちであると信じて疑わない者は多かった。

 

異能を詳細に知る国際組織や国家や大企業からは最大限の警戒を。

異能が開花した者達の中でも特に選民思考を持つ者からは最大限の支持を。

そして、グウェンが支配する地域の者達からは最大限の恐怖を受けていた。

 

だが、それほど多くの者から実力を高く評価されているグウェンだが、彼の異能の詳細を正確に把握する者は皆無だ。

 

何故ならグウェンは誰に対しても信頼など寄せていなかったし、この情報化社会の現代で、力の詳細を知られることのデメリットを人並み以上に理解していたからに他ならない。

部下をぞんざいに扱い、自分は表舞台に滅多に立たず、それでいて所持する異能をほとんど振るうことがない。

 

だが、そんな振る舞いをしていてもグウェン・ヴィンランドは最強だと呼ばれている。

誰にも悟られず世界を支配した世界最悪の異能持ち『顔の無い巨人』と同列に語られ、世界の異能に関する犯罪を取り締まるICPOの異能対策部署でもトップランクに危険視される。

 

理由なんて1つだ。

 

彼が本気でその異能を振るった時の暴力が、あまりにも絶対的だったからに他ならない。

 

 

『異能の頂きを見せてやる』

 

 

空気中を漂う視界を遮る暗闇とはもはや根本からして違う、墨汁のような漆黒がグウェンの足元を中心に渦を巻き、奔流し、溢れ出す。

津波の様な暗闇の波があらゆる方向へと、空にも逃げ場も無い程空間を侵食していく光景に、今まで攻撃の手を止めなかった飛鳥達が言葉を失った。

 

黒く暗い闇色は、周囲の空間をさらに深い暗闇の海へと引き摺り込んだ。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

「……さらに暗くなりましたね。壁に近付いたからでしょうか? 皆さん、私達から離れないでついてきてください」

 

 

暗闇に閉ざされた病院に戦力である異能持ちのみを残し、ルシアや柿崎達は神薙隆一郎を始めとした一般人を病院外へと誘導していた。

レムリアによる襲撃者達の制圧と、『泥鷹』を率いる絶対的な指導者であるグウェンの捜索によってできた隙を突いて、可能な限りの者達の避難活動に成功していたルシア達だが、その表情は明るいとは言えない。

 

なぜなら、こうして避難させられているのはまだ1階にいた者達だけであり、1階より上にいる入院患者などは未だに声も掛けられていないのが現状だからだ。

 

見捨てたと言えば聞こえは悪いが、1階にいるだけでも50人を超える一般人がおり、それらを抱えたまま、現在世界に存在する異能持ちの中でも最強の一角と呼ばれているグウェン・ヴィンランドを相手取れるとルシア達は思っていない。

現状、グウェンは暗闇に潜み一切姿を見せていないが、もしも姿を見せて戦闘になり、奴が異能を全力で行使した時、抵抗手段を持たない一般人を恐らくは逃がす事も叶わない。

 

少なくとも、連絡を取れるものが誰か一人でもこの電波さえ遮断している暗闇の空間から出ることが出来れば、現状を伝え応援を要請することが出来る。

なんて、そんな算段があったのだ。

 

 

(……生命維持装置を使っている人も入院していたと聞いた。外部からの電力が完全に遮断されて、予備電力も破壊されていたから電力の復旧も出来なかった。仕方なかったとは言え、その人はきっと……ううん、その人だけじゃない。今も上の階にいた入院中の患者達は急な停電に怯えている筈なのに)

 

「……おい、何を考えてるか知らねェが、混乱してる一般人の前でそんな深刻そうな顔をしてるんじゃねェ。不安や後悔って感情は非常時には特に伝播するもんだ。残った問題を考えるのは後回しにして、今はもうすぐ暗闇から外に出られるって、気楽になっときゃ良いんだよ」

 

 

物思いに耽っていたルシアに、柿崎は心底忌々しそうに周囲の果てしない暗闇を見ながらそう声を掛ける。

先ほどの完全武装の異能持ちである『泥鷹』構成員に対して素手で攻撃を仕掛けた猛獣の様な雰囲気は何処へ行ったのか、目ざとく思い悩んでいたルシアの心情を読み取ったらしい。

予想外の言葉に少しだけ呆気にとられたルシアが、少しだけ嬉しそうに微笑む。

 

 

「……ええ、分かっています。外に出て今いる一般人達の安全を確保し、外部へ救援要請をしてから、また内部に残された者達の救出部隊を編成すれば良いだけですもんね」

「分かってんじゃねェか。なら黙って足を動かせ」

「まったく、ICPOの特別顧問である私に対する態度とは思えませんが……言っている事は何も間違っていませんね。あのお調子者を信じて、今はこの暗闇から脱出しましょう……もう少しですね」

 

 

病院を包む巨大な暗闇。

この暗闇を「病院に巨大な箱を被せたように」と形容したのが間違いでないなら、この暗闇には外と内を分ける壁がある筈だと考えたルシア達の予想を証明するように、ルシアの伸ばした手には冷たい硬質な鉄の様な感触があった。

 

グウェン・ヴィンランドの異能、“影”。

これは、国を跨ぐ影を使った瞬間移動や、毒性を持ち通信電波さえ阻害する性能を持つと言うのは、ICPOの情報に無かった訳だが、この男の異能を使った戦闘は数こそ多くないものの情報として残っている。

その情報によれば、彼が主として用いるのは影の物質化だ。

影を増幅させ、物質化させることが出来るグウェンは、固形化したそれの大きさを自由自在に操り、攻守を両立する力。

物質化された影の強度は戦略兵器すらまともに通さない、おおよそ現代科学の粋を集めても驚異的なものだが、この物質化された影にも弱点はある。

 

完全無欠に見えるこの影の力の弱点、それは光だ。

 

電気による光でも、太陽による光でもなんでもいい。

光を当て続けることで硬質化された影は解け、脆さを増していくことが立証されている。

だからこそ、この暗闇の空間を作っている壁にさえ辿り着ければ、手持ちのライトを使用して壁を壊すことも出来ると踏んでいた。

そしてその考えは、半分は間違っていなかった。

 

 

「……おかしい」

「あァ? どうした?」

「光を当てれば確かに柔らかくなって掘り進められるんですが……崩したところに他の影が集まって再生をしていて……」

「なんだそりゃ、外側は太陽の光があるから内側を少しでも掘り進められればって言ったのはお前だろ。再生能力なんて…………いや待て、大掛かりな移動方法や通信阻害、何よりもこういう一つの建物を暗闇に閉じ込めるなんて有益な力を一切使わず、情報流出させなかったような慎重な野郎が目に見えた弱点をそのまま放置するなんてことは無いんじゃねェか? 特に、他人を閉じ込めるこの暗闇の空間を、内側から壊される危険を放置するなんて」

「い、いやっ、待って下さい! 実際に削れてはいるんですから再生よりも掘り進めるのを速めればこの空間からの脱出は可能な筈です! そうやすやすと異能の弱点を克服されてはやってられませんよ!」

「……だと良いがな。取り敢えずお前が掘るより俺がやった方が早いだろ。代われ」

 

 

柿崎は袖まくりをしてその丸太の様な腕を露出させると、ルシアが持っていたスコップ状のものを奪い、“影”による壁に向けて振り下ろしていく。

ルシアが持ち込んでいた携帯電灯の光を当て壁の硬度を奪い、柿崎が掘り進める作業はしばらく続いた。

2人の作業を後ろから不安そうに見つめる一般人達に、口の回る一ノ瀬を中心とした警察組が彼らの不安を紛らわせようと声を掛けている。

脱出するための作業である筈なのに、暗闇の中でやけに響く柿崎の“影”の壁を掘り進める音はこの場にいる人の不安を掻き立ててやまなかった。

 

未だに脱出しようとする彼らへの追手は無い。

脱出を悟られていないのか、それともただ優先度が低いと見逃されているのか。

理由までは分からないが病院から激しい音すら聞こえてこないことを考えると……なんてルシアは考えたものの、この暗闇が音すら阻害する可能性が頭を過り、口を噤んだ。

 

そんな中、神薙は周りの状況を窺い、声を落として隣にいる看護師へと問いかける。

 

 

「……和泉君、病院にどれだけ残っている?」

「分かりません……ですが、白石さんも山田さんも小谷さんも見当たりませんし、昏睡状態の落合さんもまだあそこに……」

「……私の落ち度だ。私が国際警察の方々の保護下に入っていたら……」

「違いますっ、先生は何も悪くありませんっ……! だって、先生がいるだろう病院への襲撃は、きっと先生が国際警察の保護下に入っていてもあった筈ですっ。もしもそうなっていれば、抵抗するための戦力も何も無い状態で、ただ彼らに占領されるだけでしたでしょうから……先生は悪くないんです……」

「…………ありがとう、和泉君。だがね、それでもきっと私は何かを間違えたんだ。これだけ被害が出てしまった。標的が私だった。だったら、私が負うべき罪はある筈なんだ」

「……先生」

 

 

普段通りの優し気な笑みに影を落とし、神薙は心配げに視線を向ける看護師に笑い掛ける。

痛々しい、囁くようなそんな会話を耳にして、一ノ瀬は悔しさに歯噛みし、睨み付ける様に病院のある方向へ視線をやった。

あの同期の腹立つ飛禅飛鳥とか言う奴が、この事態を引き起こした首謀者を打ち倒すことを祈りながら、自分は自分のやれることをと、それまでやっていた一般人への声掛けを継続させていく。

 

 

「開いたぞ、外が見えた」

 

 

柿崎が掘り進めていた壁から光が漏れだした。

指先程度の穴だったのが、拳程の大きさになり、子供の頭くらいの大きさになって、周囲からざわめきに近い歓声が上がる。

眩しいくらいの光が、自分達がいる暗闇を照らし始め、思わず何人かがその光に向かって手を伸ばした時だった。

 

 

『俺様の許可無く何をしてる』

 

 

落石の様な、巨大な“影”の結晶がルシア達目掛けて落とされた。

誰よりも早く反応した柿崎が直撃地点にいた者達を抱え込み、その場を飛び退いた直後――――炸裂する。

 

砕け散った“影”の結晶が全方位に放たれた散弾のように人々の体を抉り、多くの人が血だまりに沈んだ。

 

あまりに深い暗闇で詳しい周囲の状態は見えない。

だが、一瞬で周囲に立ち込めた濃厚な血の匂いが何よりも夥しい死を感じさせて、自分の怪我のことなど忘れ、ルシアは血の気も、言葉も、失った。

泣き叫ぶような人々の声に正気を取り戻したルシアが、銃を構えてどこかにいるだろうグウェンを探すが、暗闇に溶けた奴の姿は見付けられない。

 

何故、どうしてこのタイミングで、ロランやレムリアはどうなったのか。

そんな事が頭を駆け巡ったルシアの背後から、氷の様な冷たい声が掛けられる。

 

 

『俺様をここまでコケにしたんだ。ICPOの奴らには相応の後悔を味わわせてやる』

『っ――――!?』

 

「邪魔だっ!!!」

 

 

背後からの男の声に絶句したルシアに向けて、砲弾のように強襲した柿崎が怒声を発した。

掌に“影”を集めルシアに向けていたグウェンと筋肉の塊のような柿崎の突進が衝突する。

 

それでも当然、被害を被ったのは柿崎だけだ。

衝突した柿崎の肩口から血が噴き出し、グウェンは少しバランスを崩しただけ。

だが、そんなものは覚悟の上だった。

 

 

「捕まえたぞォ、屑野郎っ……!!!」

 

 

ドンッ、とグウェンの右足を重機の様な足裏で潰した柿崎は、怪我の痛みなど無いかのように、表情一つ変えずグウェンの頭をもう片方の拳で打ち上げた。

頭突き、膝蹴り、回し蹴りと、およそ警察官とは思えない怒涛の超接近戦での肉弾格闘に、異能ですら反撃できないままグウェンは成すすべなく攻撃を受ける。

 

いやむしろ、受けて問題ないと考えたのかもしれない。

 

実際、異能の有無による力の格差は、残酷なほどに存在するのだから。

 

 

『その程度か、筋肉達磨』

「……糞が」

 

 

血が溢れる。

骨に罅が入る。

だがそれは、攻撃を受けたグウェンではなく仕掛けた柿崎の方だった。

グウェンが体の周囲に纏わせていた細かい砂の様な“影”の結晶が、攻撃を一切通さず、逆に柿崎の体を引き裂いたのだ。

 

鍛え上げた肉体がまるで通用しない。

ボロボロになった両手で、それでも柿崎は拳を繰り出そうと腕を振り上げた。

 

 

『いい加減邪魔だ』

 

 

グウェンのそんなウンザリしたような言葉と共に、竜巻の様な“影”に柿崎の巨体は削られるようにしながら吹き飛ばされた。

 

 

『グウェン!!』

『そんなものでは意味などない、理解力の無いゴミが』

 

 

ルシアが吠えるようにその男の名を叫び、発砲するが銃弾は周囲を旋回していた“影”の竜巻に弾かれ終わる。

気が付けば、掘り進めていた暗闇の壁は再生し切って、漏れ出していた光すらなくなってしまう。

そして、グウェンの腕の一振りで発生した銃弾の様な物質化した影の射出により、ルシアは何もできないまま血を噴き出し崩れ落ちた。

 

ほんの一瞬。

一般人を巻き込んだ凄惨な現場を作り出したグウェンに、温厚な神薙が激昂する。

 

 

「貴様っっ! 他人の命を何だと思ってっ……!!!」

「先生駄目ですっ!!」

 

『お前が神薙隆一郎か。ククッ、最初は協力を請おうと思っていたが今はもうお前も用済み。しかし、人を治すお前の前で、人を壊すのは得も言われぬ快感があるものだな』

 

 

凄惨な光景を作り上げたグウェンに対して、神薙は一歩も引かず、それどころかグウェンに向けて前進しようとしたのを隣にいた看護師が慌てて止める。

それからその看護師は、グウェンとまともにやり合うのは不可能だと判断したのか、周りにいる者達に向けて声を張り上げる。

 

 

「逃げてください!! 出来るだけバラけてっ、まとめてやられないようにしてっ! 一刻も早くこの場所から逃げてください!!!」

『さて、この国の言語など興味も無いが下らないことを言っているだろうことは分かるぞ。もう一度言う、俺様の許可なく何をしようとしている』

 

 

グウェンの手が神薙と看護師に向けられる。

先ほどの、影の物質化を見ている神薙と看護師が身構えるが、それより早く飛来した銃弾によってグウェンの腕が弾かれた。

 

驚きを露わにするグウェンの体が見えないなにかによって宙に引き上げられる。

体の四方から異常なほどの圧力が掛かり、そのまま四肢を引き千切ろうとするのを、グウェンは影に溶けることによって回避する。

 

転移した先で、少しだけ驚いたような顔をしたグウェンが駆け付けた傷だらけの飛鳥達を見て称賛の声を上げた。

 

 

『あの物量を捌いたのか? やるものだな』

 

「――――チッ! 仕留めきれなかった!! やっぱり私の異能じゃ先に逃げられる!!」

「目印は付けた。だが、居場所は分かっても攻撃が通せない上、ここは奴の土俵ってか……まいったねこりゃ」

「異能阻害や行動制限は!? そういう異能持ち用の対策はないの!?」

「夢物語じゃないんだからそんなチート技ある訳ないでしょ、ほんと」

「あー、糞っ! あれがまた来るわ!! こんだけ異能を酷使してるのにアイツに限界は無いの!?」

「アイツの異能の出力は桁外れだよ。三日三晩戦えると思っていい」

 

 

怒りの声を上げた飛鳥が、巻き起こっていた“影”の竜巻を消し飛ばし攻撃に転じようとするが、グウェンによる先ほどと同様の凶悪な異能行使が始まった。

 

空間に漂う目に見えないほど細かい菱形状の“影”が形を変える。

変異し、結合し、骨格を作り、生物的な形状へと変貌を遂げていく。

それは、口に羽だけが付いたようなものだったり、異常に足を持つ全身が刃物のようなものだったり、先ほどの狼に似た機動力に優れたものだったりと多種多様だ。

 

空気中に散布されていた“影”を使った数の暴力による攻撃。

すなわち全方位、およそ数千にも及ぶ“影”で構成された異形の怪物達が獲物を喰らうためだけにこの場に生まれ落ちた。

自然界には無い、あまりに強固な外骨格を引き下げた異形の怪物達は小型の銃器程度では太刀打ちなどできやしない。

 

 

「馬鹿げてる……」

 

 

諦め混じりの溜息を吐いて、飛鳥は周囲に視線を走らせた。

 

周りには凄惨な光景が広がっている。

周囲に倒れる人達を止血しようと必死に応急処置を施す神薙隆一郎達。

血だまりに沈み、怯え震える一般人達。

そして、同期の一ノ瀬が誰かを庇うようにしたまま、動かなくなっているのを見た。

あまりに深い暗闇で、傷の状態は分からないがきっと軽いものでは無いのだろう。

 

 

「――――……やってられないわね。本当に」

 

 

吐き捨てるようにそう言った飛鳥は、視線をグウェンがいるであろう方向へ向ける。

火花の様な抑えきれない異能の出力が飛鳥の周囲に現れ始め、髪が浮かび上がった。

出力の限界など知った事か、と、以前燐香の手を借りることで成立させていた状態へと無理やり押し上げる。

 

鼻から血が漏れる。

口からは鉄の味しか感じない。

頭は痛いし、耳鳴りはするしで最悪だが、こんな状態をずっと燐香はやっていたのだろう。

 

尊敬する、としか今は考えられなかった。

 

 

「あの屑のことよ。影の怪物達の標的は私達だけじゃないわ」

「ああ、分かってるさ。ルシアちゃんをあの野郎……」

 

 

ロランは意識を失い動かなくなっているルシアに視線を向けて、周囲を探るような動作も無いままライフル銃を片手間に構える。

 

 

『“insight”』

 

 

ロランの照準はその一言で成立する。

 

人体を標的とする場合、照準は必要としない。

人の体内に必ず存在する、鉄分を目印にすればいいからだ。

 

 

『“burst”』

 

 

銃声。

弾倉一杯の銃弾を撃ち切るように繰り返された発砲音を皮切りに、影の怪物達が雪崩のように押し寄せた。

 

ロランの先手を打った狙撃により、グウェンを守るように動いた10を超える数の怪物が破壊されたものの、それは大局を左右させるにはあまりに力不足だ。

ロランの異能による狙撃は物量に対してあまりに相性が悪い。

だからこそ先ほどの数百程度の異形の怪物の群れは飛鳥がどうにかしたのだが、今回はさらに数が多すぎる上、守るべき人間も周囲に存在する。

 

飛鳥は自分達以外の倒れる一般人達に向かっていった影の怪物達の下の地面ごと無理やり引く抜き、それを鈍器のように振り回して何とか凌いでいくがそれもいつまで持つか。

先ほどとは違いこの場での勝利で全てが終わることを理解しているグウェンも、物見遊山せず、次々に新たな異形の怪物や“影”の散弾や落石に加え、巨大な竜巻まで発生させてくる。

 

無尽蔵に近いと言われているグウェンの異能に対して、限界以上の出力を行使して何とか均衡を維持する飛鳥。

ロランが隙間を縫うように異形の怪物やグウェンの本体を狙撃するが焼け石に水だ。

 

だから、徐々に飛鳥が追い詰められるのは必然だった。

 

周囲で倒れる一般人や自身に向けた攻撃を全て捌き切る飛鳥の実力は確かに異能持ちとして世界有数の域に達しているだろう。

だが、グウェンの攻撃や自身の異能による身の削りもあるが、暗闇による生命活動の阻害により、飛鳥は限界を迎え始める。

徐々に息遣いは荒くなり、足が震え足だけでは立つこともままならなくなり、そして体温はやけに低くなっているにも関わらず汗が止まらなくなってくる。

 

限界が近い。

それを察したのは共闘するロランだけでなく、敵であるグウェンも同じだった。

 

全力を出してもなお均衡を崩せない現状に焦りを浮かべていたグウェンは、飛鳥の様子に気が付くと勝利を確信し、笑みを浮かべる。

そして、とどめを刺そうとさらに巨大な異能を使って、万にも及ぶ影の怪物達を生み出していく。

 

 

『終わりだ』

 

 

無尽蔵に近いと言われる異能の出力を持つグウェンと言えど、疲労を隠せない程の影の怪物達の製造をとどめとして、彼はこの戦いを終わらせようとする。

間違いなく、負けの芽は無いと判断したグウェンの全力の一手だった。

 

けれど。

 

完全な意識の隙間。

暗闇が充満していて視界が制限され、飛鳥とロランと自身の巨大な異能の出力が場を支配していたからこそ。

ぽっかりと穴が空くようにグウェンの周囲にそれが無かったからこそ、グウェンは気が付けなかったのだ。

 

ひっそりと空気中を漂っていた微小な異能を含んだ白煙の存在に、気が付けなかった。

 

 

――――万にも届く影の怪物達がひとつ残らず掻き消えた。

 

 

『……あ? なんだ、どうなって』

 

 

唐突に、グウェンから数歩離れた場所に小石が音を立てて現れた。

唐突なそれを、グウェンは異能によるものだとは気が付けない。

そして、小石と入れ替わるように現れたのは始末した筈の少年、レムリア。

 

 

『は?』

 

 

転移で逃げる間もなく、レムリアの拳がグウェンの腹部に突き刺さった。

 

 

 

 

 



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深淵の底

 

 

 

 

私達はスライム人間を倒し、少年を回収した後、1階の探索に入っていた。

 

暗闇に包まれた病院の1階を歩く、なんて。

ホラー映画にでも出て来そうな状況だが、そんな感想も今の状況を考えればあながち間違いでも無いのが世の中の恐ろしいところだ。

テロリストに占拠された暗闇の病院を徘徊なんて、誰が好き好んでやるものかと心底思う。

 

行く先々には、これでもかとばかりに完全に意識を飛ばした『泥鷹』の構成員達が床に転がっていた。

強くはないが、それでも意識を失っている構成員達からは異能持ちの出力を感じる。

普通の一般人には完全武装しているこんな奴ら、制圧することなんて出来る筈が無いから、やった人間はおのずと限られてくる筈だ。

恐らくだが、私が背負っているこの金髪の子供がやったのだろうか、なんて思う。

まだ二桁にも達していなそうな子供なのにこんな力を持っているなんて……、と慄きながらも寝入る子供を投げ捨てる訳にもいかず、私はそのまま先を行く神楽坂さん達の後をせっせと追いかけた。

 

床に転がるそれらを、ほぼ無限に収納できる“紫龍”が煙に回収していくことで、目を醒ました彼らが反撃する可能性を完全に潰しつつ、ICPOの人達を探しに歩き回るが、これが中々見つからない。

そしてこれは悪いことでは無いのだが、恐れていた滅茶苦茶強い異能持ちにも何故だか遭遇することも無いまま、ただ時間だけが過ぎていくこととなっていた。

 

病院の1階全てを捜索し終えたのではと思う程歩き回り、すっかり体力を消耗した私は、足を震わせながら必死に神楽坂さん達の後を追う。

 

 

「……居ないな、誰も」

「暗闇が消えてないってことは倒したってことは無いだろうが……ま、まさか、国際警察の奴ら負けたのか!? お、おい、どうするよ……!」

「ビビるの早過ぎるだろ……異能持ちは異能持ちの出力とやらが分かるんだろ? 他の異能持ちの居場所を探ってみてくれ」

「この暗闇のせいか全然異能の出力が感じ取れないんだよ! 色んなものが阻害されてる気分だ! ……ここから何とか脱出するためにも、一旦降参するって言うのはどうだ?」

「却下だ。こんな行動を起こしてる時点で交渉の余地なんてないだろ」

「いやいやっ、俺の煙にどんだけ構成員が収納されてると思ってる! こいつらを明け渡す代わりにって言えばいいだろ! それに信用を勝ち取ったあと裏切れば万々歳だ!」

 

「な、なんでも良いですけど……はぁはぁ……取り敢えず外に出て見ましょうっ。ダラダラ話してるのが一番無駄ですから……」

 

 

どうやら“紫龍”の異能探知は練度が低すぎて多少の阻害要因があっただけで機能しなくなるらしい。

それどころか、さっきやたらと大きな異能の出力があったのにそれすらも感じ取れなかったとか……。

『UNN』によって異能を開花させられた自然発生型じゃない異能持ちであることと、異能を持つようになってからそれほど時間が経っていないのが影響しているのだろうか。

私は今も異能持ちを捉えられているが、私が異能持ちと知られたくないから言い出せないジレンマ。

本当にうまくいかないものだ。

 

だがまあ、それとなく誘導することは無理ではない。

私の何気ない提案で、外に感じる3つの強力な異能の出力のある方向へと向かっていくことに何とか成功する。

 

 

(本当は大きな異能の気配がする場所になんて行きたくないけど、どうせ行かないと解決しないだろうしなぁ……)

 

 

そんな諦観を抱きながら、私は背中にいる名前も分からない少年を背負い直す。

私にとっては何気ない動作だったのだが、それを面白く思わない奴がここにいた。

 

 

(ズルい……ズルい……)

 

 

……この緊迫した異能持ち同士の衝突とは別になのだが、私には解決したいどうでも良い感じの問題がいくつかあった。

それは、何と言うか、中々言葉にしにくい問題だし、それほど深刻そうな問題ではないのだが……形の無い大きな奴が私の頭の中で駄々をこね始めているのだ。

 

 

(マキナも頭を撫でられたイ抱っこされたイ、おんぶされたイ。マキナも御母様の体温を感じたイ。ズルい、その子供だけズルイ)

 

「……うるさ……」

 

 

ICPOの子供を背負って歩き始めてからと言うもの、マキナはずっとこの調子だ。

駄々っ子のように怨嗟の思考を届け続けるマキナに、思わず私が文句を口にするとさらにその駄々が強くなる。

完全に5歳くらいの子供を相手にしてる気分になって来た。

 

 

(マキナの方が役に立てル。マキナの方が優秀だモン。マキナの方が…………恨めしイ……無償の愛を享受するその子供が恨めしイ……これが、嫉妬と言う感情っ……!)

 

「……」

 

 

すっかり感情を理解してきたインターネットの意思(自我形成から8年程度)。

 

と言うか、私としてはテロ組織の襲撃なんて言うシリアスな場面でギャグみたいな言動は控えて欲しいのだが、現実に肉体の無いマキナはそんなこと意に介さないらしい。

と言うか、結構マキナの事を可愛がってるつもりなのに、こんな赤の他人へのおんぶに嫉妬するとかよく分からない。

 

これが一つ目の悩み。

そしてもう一つが私の背中に背負われている少年の事だ。

 

 

(……掴む力強くない? 普通の子供の力じゃないような……と言うか、痛い、いたたたたっ)

 

 

駄々をこねるマキナの件もあり、早急にこの少年を背中から降ろしたいと思っていたのだが、ぎゅっ、と私の首に回されている手にはかなりの力を込められている。

まるで絶対に降ろされたくないとでも言うような力の強さに、顔が思わず引きつった。

 

嬉しさだとか、安心感だとか、そういう好意的な感情を抱いているから何か悪意があって私に引っ付いている訳ではないようだが、いくら少年が軽いとはいえ非力な私には長時間誰かを背負い続けるなんて出来るものでは無い。

早めにどうにかしないと私が戦闘とは関係のないところで潰れるのは時間の問題だ。

 

そもそも私はやけに子供と縁があるが、別に子供が好きな訳ではないのだ

 

辛い、とても辛い。

最初に変な意地を張らなければこんなことにならなかっただろうし、周りを警戒し、先行していく神楽坂さん達は私が苦しい思いをしているのにちっとも気が付いてくれやしない。

まったく周囲への気配りが出来ていない。

これだから神楽坂さんも“紫龍”も異性からモテないのだ、多分。

 

 

「うぅ……神楽坂さん達早いよぅ…………あれ?」

 

 

そんな状況で悪戦苦闘していた時、空間を揺らすような巨大な異能の出力を探知した。

と言うよりも、探知するまでも無くその出力の余波がここまで届いたと言うべきだろうか。

その証拠に、探知がドヘタな“紫龍”すら体を跳ねさせ、私の背中で寝入っていた少年もその異能の出力を感じて飛び起きる。

 

それぐらい、色んな感覚を阻害する暗闇の中であっても、この異能の出力は異常であった。

 

 

「はっ!? はっ!? な、な、な、なんだ今の馬鹿げた異能は……あ!? も、もう一個バカデカい異能がっ!? 何だこりゃ!? 人間じゃねえっ!! ……いや、駄目だこりゃ……もう諦めた……俺、もう牢屋に帰る……」

「いきなり何言ってるんだお前……? 変なこと言ってないでさっさと行くぞ」

「お前これが怖くないなんてっ……あーあー、これだから異能を持たない雑魚は。化け物みたいな異能の出力を感じる必要が無くて逆に羨ましいぜ」

「は? ビビってるだけの癖に何を偉そうに」

「状況も把握できない奴にとやかく言う資格なんて無いんだよ! この鈍感アホ脳筋野郎!」

 

 

なんて、そんな情けない言い争いを始めた大人達を尻目に、私の背中で目覚めて混乱するように辺りを見渡している少年に話し掛ける。

 

 

「起きたみたいだけど大丈夫? 身体に不調なんかはないかな?」

「あ、あっ、え、っと、あの、お姉さん、今どうなってるか分かる?」

「君が眠っちゃったから私が背負って、今は病院の1階を回ってみてるんだけど誰も居なくてね。皆はどこかなって探してるんだけど……君には分かる?」

「分かる、けど……うん、お姉さんありがとう。僕はもう大丈夫だから、お姉さん達は危ないからどこかで隠れてて。今、危ない人たちが戦ってるみたいだから」

 

 

そんなことを言って私の背中から降りた少年がすぐに駆けだしていこうとするが、体調不良がそんなにすぐ良くなる訳も無く、予想通りバランスを崩して転びそうになったのを支える羽目になる。

 

 

「ほら、危ないから」

「あ……あ、ありがとう、ございます……」

 

 

掴まれた手に動揺する少年の体を軽く観察する。

“影”の毒の浸食は見る限りほとんど無いくらい落ち着いている。

しかし、麻痺した体が完全に復調しておらず、その影響で思うように体を動かせなかったのだろう。

必要以上に心配することは無いが無理はさせられない、そのくらいの認識でいる。

 

激しい衝突音が僅かに聞こえ始めた。

異能の出力的に飛鳥さんともう一人別の誰かがいて、敵対している巨大な出力が『泥鷹』のボスとやらなのだろう。

 

戦況は均衡に近いが飛鳥さんが限界を迎えるのが先。

そして、倒すべき『泥鷹』のボスは私達の存在に気が付いていない。

状況は思ったほど悪くはない。

 

 

「ほ、方向は分かったけどよ。多分走って行ったら1分もしない内に着く距離だけどよ。……マジで行くのか? 絶対ヤバいぞ? な、なあクソガキ、なんか良い策でもないか? むやみやたらの突撃なんて絶対駄目だよな? な?」

「お前……この状況で作戦なんて、取り敢えず状況が見える距離まで行ってみる以外ないだろうが……」

 

 

そうやって“紫龍”が異能の出力元に行きたくないがために私へ話を振って来る。

 

 

「いえ、例えばですけど、超能力みたいなのを持っている人同士何となく分かるのでしたら、警戒されてるだろう超能力持ちではなく、私が一人で見える距離まで行って合図を送る、なんて言うのも効果的かなって思ったりします」

 

 

考えを聞いてきた“紫龍”にこれ幸いと考えていたことを話した。

最高のタイミングを狙って攻撃するのはどんな戦いでも共通する必勝法だ。

基本的な安全かつ効果的な動きとしては、これで間違いはない筈。

 

それなりに自信を持っていた解答だったのだが、私に質問を投げて来た“紫龍”は私の返答を聞いて気持ち悪いものを見るような顔で私を見てくる。

……こんな顔される謂れは微塵も無い筈なのだが。

 

 

「……聞いたのは俺だけどさ……お前キモイな」

「突然の罵倒っ!? くっ……一体何なんですか、時間が無いので聞き流しますけど、次は許しませんからね! それで、一番効果的な行動をするためにも貴方方の超能力の詳細を簡単に確認させてください。まず貴方の――――」

 

 

 

 

――――そうやって話をしていたのがついさっき。

 

そして、話していた通り、私は飛鳥さん達が目に見える距離で1人隠れ、急造の作戦が成功したのを見届けた。

 

 

(入った)

 

 

あの少年、レムリア君の異能による転移と攻撃が『泥鷹』のボスの防御を貫通するのを視認する。

 

レムリア君の拳から放たれた、戦車すらへし折る物理衝撃がまともに脇腹部分に突き刺さったのだ。

骨が折れるような音が暗闇の中鳴り響き、血反吐を撒き散らしながら地面を転がっていく『泥鷹』のボス。

どれくらいの損傷があったのかははっきりとは見えないが、少なくとも昏倒させたのは確かだ。

 

作戦の成功を私の合図で知った“紫龍”と神楽坂さんが飛び出してくる。

“紫龍”はレムリア君が『泥鷹』のボスを殴り飛ばしたのを見て歓喜し、神楽坂さんは周囲に倒れる血に濡れる一般人や警察関係者を見て顔を歪めた。

 

 

「やったっ! 勝ったんだな!? うおお!! クソガキ共っ!! 俺の煙による援護があったとは言えやるじゃねえか!!! 俺の給料が入ったらうまい居酒屋にでも連れてってやる!!! よくやった!!!」

「……お前、そんな自由に出歩ける訳ないだろ……それに子供を居酒屋に連れてくんじゃねえ」

「良いんだよこういうのは雰囲気だ!! あ、お前は来ても良いが奢らねえからな! お前は大して活躍もしてないからな!!」

「うるせえ、そんな事よりも怪我人を救助するぞ。一分一秒遅かったら死ぬ人間が出てくる可能性もある」

「うぐっ……わ、わかった」

 

 

大して警戒もしないで喜んでいる“紫龍”に、私は叫ぶ。

周囲を包むこの暗闇が敵の異能のよるものなら、それが解除されていないのが何を意味しているのか、少し考えれば分かると言うのに。

 

 

「油断しないで! 最後まで無力化をっ、早く奴を煙に収納するんですよ!」

 

 

私の大声に驚いた“紫龍”が、「何をそんなに焦ってんだ」と言いながら吹っ飛ばされた『泥鷹』のボスを見遣り、そして絶句した。

 

周囲の暗闇が『泥鷹』のボスを中心に渦を巻くように集まっている。

“影”が男の体に張り付くように集まり、腹部に出来た大きな傷を覆い隠していく。

そんなもので傷が治る筈ないのに、とは思うものの、そのおぞましい光景には追い立てられるような危機感を禁じ得ない。

 

意識を奪えたのは一瞬だけ。

およそ人間離れしたタフネスによって、恐るべき速さで意識を覚醒させたこの男は行動不能となった体を異能によって無理やり動かすために活動を開始している。

 

 

(レムリア君や飛鳥さんは――――駄目だ。レムリア君は異能を使った影響でまた不調があるし、飛鳥さんは想像以上に満身創痍。これ以上の無理は危ない。ここは)

 

「う、おお、しゅ、収納をっ……!」

「駄目です!!」

 

 

おぞましい光景に“紫龍”は慌てて煙を使って『泥鷹』のボスを無力化しようと動くが、僅かにでも意識を取り戻した奴に対してそれはあまりに危険だ。

私が声を張り上げるが、遅かった。

 

倒れていた男がその場から掻き消える。

そして、瞬きする間もなく、異能の出力に反応して“紫龍”の目前に現れたその男。

人とは掛け離れた歪な姿、羽毛のように体中に纏った“影”と顔を覆う鳥の顔の様な兜。

まさしく『泥鷹』と言うべき姿をしたソイツは、木の洞のような歪な目で“紫龍”を見下ろした。

 

 

「ヒッ……!!」

「馬鹿野郎固まんな!!」

 

 

地面から生えた影の針での串刺し。

薄皮一枚の差で、恐怖に顔を引き攣らせた“紫龍”を掴み、神楽坂さんが回避する。

そして、回避した先への追撃が神楽坂さん達を取り巻くように開始された。

 

“紫龍”が最も厄介だと言うのに即座に気付き、何としても始末すると言う動き。

 

襲い来る異形の姿と圧倒的な異能の出力を前にした恐怖で、“紫龍”がまともな判断を出来ていない。

 

 

「自分と神楽坂さんを煙にして逃げるんですよ!」

「っっ――――!!」

 

 

私の声に反応して“紫龍”は寸でのところで神楽坂さんともども煙となり、攻撃を回避した。

ほんの数瞬の差で、神楽坂さん達がいた場所が大きく陥没する。

少しでも反応が遅れていたら無事ではすまなかった筈だ。

 

 

(整理しろ私。読心は当然として、思考誘導、認識阻害、ここら辺も誤認と併用すれば派手さは無いし異能の出力は感知されない。でも、派手な感情波や精神破砕は駄目だし、マキナなんてもっての外。周囲に隠れる場所はいくつかあるけど、転移を頻発するアレ相手に鬼ごっこは圧倒的に不利。視界が奪われた暗闇の中、大きく逃げ回ると倒れる一般人に被害が及ぶ可能性がある。私はこの条件下でこれから来る脅威に対して――――)

 

 

その異形、『泥鷹』は、ぐるりとその不気味な鳥の顔を私に向けた。

何もない空洞の様な空っぽの鳥の目が私を見る。

 

“紫龍”を取り逃がした今、大声で指示を出していた私を標的にするのは百も承知だ。

 

 

(――――対処する必要がある)

 

 

一つ残らず見切ってやると、目を大きく見開く。

 

“読心”を全力で使った先読み。

回避の隙を作るために精神誘導と誤認を併用。

その上で自分を軸とした認識阻害を発動させる。

 

 

「逃げろそこの少女!」

 

 

見知らぬ男性の声が響く。

誰かが『泥鷹』の注意を引こうと狙撃するが、“影”の羽毛に遮られ行動の阻害にすらなりはしない。

 

そして『泥鷹』の姿が再び闇に掻き消える。

私目掛けて、空間を跳んでくる。

 

 

(正面。右下、左、後ろ飛びの後に右へのフェイント)

 

 

目前に現れた『泥鷹』による私へ目掛けた攻撃を、先読みし回避する。

『泥鷹』の、心の芯まで染みついた異能持ちでない者に対しての油断でその攻撃は単調。

先読みさえできれば私でも回避は難しくない。

 

だがそんな油断なんてものは、長続きはしない。

ずっとこのままでいるなんて無理な話だ。

だから、私は少ない手札の中、均衡が崩れる前に攻めに転じる必要がある。

 

自動防御があることを信じて、私は熊用スプレーを『泥鷹』の顔目掛けて投げ付ける。

予想していた通り、『泥鷹』の羽毛からの自動反撃により、砕け散った熊用スプレーの内容物が撒き散らされ、『泥鷹』の顔に降り注いだ。

鳥の顔の様な兜がある上からそんなものを掛けてもどれだけ効果があるかなんて分からない。でもこれでいいのだ。

 

私が作る必要があったのは、距離と時間と油断だけだった。

 

つまり、必要なそれらを満たすことには、既に成功していたのだ。

 

 

(完璧なタイミング)

 

 

視界が切り替わる。

私の目前にいた『泥鷹』が遠くに。

そして、その『泥鷹』の目前にはレムリア君が拳を引き絞った体勢で存在していた。

 

私とレムリア君の位置がすっかりそのまま入れ替わった。

そんな事、事前に彼の異能を理解していないと理解できないだろう。

 

二度目となる、レムリア君の地を揺らす物理衝撃が『泥鷹』に突き刺さる。

何が起きたのか分からないまま、体に纏った羽毛のような“影”を撒き散らしながら『泥鷹』は転げ回っていく。

あれだけ荒事に慣れている筈の奴が、逃げる事も反撃も許されなかった。

 

『泥鷹』が反応出来ないのも当然なのだ。

『物理衝撃』に関する異能を持っていると思っていた少年が、これほど神出鬼没に現れるなんてありえないと思うだろう。

普通はそうだ、これまで見て来た常識から考えてその考えは何も間違っていない。

 

例えば、レムリア君が2つの異能を持っているなんて事が無い限りは、だが。

 

 

「――――お姉さんっ! 大丈夫!? 怪我とかは無いよね!?」

 

 

レムリア君の異能の出力は歪だ。

彼からは、まったく違う2つの異能の出力を同時に感じさせる。

だがこれは、勘違いや感覚が間違っているのではなく、本当にレムリア君は2つの異能の出力を持っていることによるものだ。

 

1つは、『物理衝撃の吸収、貯蔵及びその放出』

1つは、『指定した対象と対象の交換』

 

最初に、奴に攻撃を叩き込んだ時の小石とレムリア君の位置交換も2つ目の異能によるものであり、私の意識誘導と想定になかった転移系統の異能により完全な奇襲を成功させた訳だ。

 

勿論、ただでさえ希少な異能を、1人が2つ所持するなんてどんな天文学的な確率だと思う。

やっぱり世界は広いし、彼が秩序側の人間であることを考えれば……まあ、私的には他の非人道的な思想な人が所持するよりは幾分かマシだろうと許容できる。

 

 

「こっちは大丈夫だよ。ありがとう」

「危ないからロランのところに……ううん、暗闇の中だと安全なとこなんて無いよね。僕の目が届くところにいてくれれば何とかするから!」

 

 

最初に会った時のような弱り切った様子は見せない。

身体を蝕んでいた大部分の“影”は処理したが、それでも体調は万全ではない筈なのに、周りを心配させまいと無理に元気な様子をアピールしているようなのだ。

こんな体調不良の子供に任せてこのまま何もしないのは……なんて思ったのだが、私と『泥鷹』に割って入るように飛び込んできた見覚えのない男性と飛鳥さんに邪魔だと言うように手で制されて、反論も出来なくなる。

 

私の隣に、神楽坂さんと“紫龍”が姿を現した。

 

 

「これは……そうか。お前の異能か」

「あ、あ、危なかった……死んだと思った。す、すまねえ、クソガキ、助かった……」

 

 

状況が理解できず周りを見渡した神楽坂さんと蒼白な顔の“紫龍”は、変貌した『泥鷹』の姿を見遣る。

レムリア君に殴り飛ばされた『泥鷹』は、体に纏った羽毛で衝撃を幾分か吸収されたようで、先ほどのように意識を失うことも無く、じっとこちらを観察していた。

闇の中に潜むその異形の姿はおぞましい。

 

あんなものに遭遇して襲われでもすれば、恐怖に足が竦むくらい普通だ。

 

 

「……アレを見て怖がらない人間なんてそういないですよ。むしろ、神楽坂さんの方が異常だと思います。いや本当に」

「だ、だよな!?」

 

 

私の言葉に顔を明るくした“紫龍”とは反対に私の顔は渋くなる。

何だかやけに気が合うが、コイツと気が合っても全然嬉しくない。

 

 

「一般の方は下がっていてください。大丈夫です。すぐに私達がアレを何とかしますから」

 

 

こちらを一瞥もせず、飛鳥さんがそう言った。

私が怪しまれない為なのだろう、疑われるような言動を1つもしない飛鳥さんに私は少しだけ動揺する。

 

 

「飛禅、お前ふらついてるぞ」

「先輩は黙ってください。無理をしてでもアイツは何とかしないと駄目なんです」

「お前な……」

 

 

険しい顔をした神楽坂さんの指摘に対しても飛鳥さんは全く取り合わない。

異常に引き上げられている異能の出力は相当なものだが、あれはどう見たって無理をしている。

このまま続ければ命に関わるのは目に見えていた。

 

 

「話をしてる暇は無いみたいだ。ほら、もう来る」

「っ……!」

 

 

先ほど私に声を掛けた見知らぬ男性の言葉に従い『泥鷹』のいた場所を見れば、ソイツは大きく空に飛び上がっている。

 

『泥鷹』の周囲の影が物質化する。

空を覆い尽くすような“影”の雨が、私達がいる場所どころか、病院外一帯全てを巻き込むように降り注いだ。

 

近くに降り注ぐものを“紫龍”が、遠くのものを飛鳥さんが、その他で誰かに直撃しそうなものを見知らぬ男性が、それぞれ処理するために慌てて異能を行使する。

そうして完全に攻撃を防がれているにもかかわらず、『泥鷹』はその黒い流星群の様な攻撃を辞めるどころか、さらに数を増やすようにして攻撃を続けて来る。

 

その目的は1つだ。

 

 

(こいつ……私達の時間切れを狙うつもりだ)

 

 

砕かれた残骸や地面に降り注いだ“影”が気化するように溶けていくのを見る。

直接的な物理攻撃だけを狙ったものではない、私達の周りを包む空気中の“影”の割合を多くすることで、毒による行動不能を早める考え。

 

“影”による毒。

生命活動の阻害。

 

既に長時間この暗闇の中に閉じ込められている私達にそれほど時間的な余裕はない。

この暗闇は最初の状態でさえ数時間あれば成人を昏倒させるほどの毒性を持っていたのだ。

それが、異能の所有者が昏倒させる毒性に主眼を置いて攻撃を用いれば、その時間はさらに短縮される。

 

そして、一般人を守ろうとする人が相手なら、一般人を狙うだけで充分その時間を稼ぐのは容易いのだ。

 

 

「ぜっ……ぜっ……な、なんだ、やけに息が苦しい。……お、おい、これってまさか」

 

 

最初に異変に気が付いたのは“紫龍”だった。

苦しい呼吸と痙攣する自分の体に目をやり、レムリア君に会った時の事を思い出したのか顔を青くした。

 

原因不明の衰弱。

それが向かい合っている敵の異能によるものの可能性に思い当たった“紫龍”が、体に取り込んでしまった毒性を吐き出そうと何度も咳き込むが、体調は戻らない。

まだ動けない程ではないが、それも時間の問題だと理解した“紫龍”が助けを求めるように私を見てくる。

 

それでも未だにコイツは私が異能持ちの可能性なんて考慮して無い。

異能持ちは出力を感じ取れるもの、と言う考えが固定されているからだ。

 

 

「そうだロラン! この“影”の中にいると、体の調子が悪くなるんだ!」

「……まったく、時間も掛けられないなんてやってられないね。レムリア、異能の行使は行けそうかな?」

「大丈夫!」

「レムリアは無理するからなぁ、レムリアの大丈夫ほど信用できないものはないんだけど」

「……悪いけど、すぐにでも倒れそうだから。何かを決めるなら、早く……」

 

 

飛鳥さんの言葉にこれ以上時間は掛けられないと判断したのか、ロランと呼ばれた男性が銃を地面に叩き付けるようにして構える。

そして、長い銃口だったライフル銃が高熱に溶かされた様にみるみる形を変形させていく。

 

巨大で、重厚なものへと変貌する。

それは銃と言うよりも、巨大な砲台に近い形へと変わり、空に浮かぶ『泥鷹』に向けて照準を定めた。

到底個人で扱う様な大きさではない戦艦にでも付いていそうな砲台に、懐から取り出した特性の火薬を詰め込んだ。

 

 

「火力偏重なんて、碌に移動もできなくなるから好きじゃないけど。ま、威力は保証するさ」

 

 

これから何をする気なのか、何の説明も無く作り出した砲台を男性は即座に起動させた。

 

 

「“blast”」

 

 

一瞬、周囲の暗闇を塗りつぶすほどの光に包まれ、爆発と共に異能の出力が存分に込められた巨大な弾丸が『泥鷹』目掛けて飛来する。

このロランと呼ばれた男性の異能は、鉄に関するもののようで、放たれる弾丸は人間の体に含まれる鉄分へ自動追尾する。

だから、小回りを利かせる程度の回避では避けられないことを理解していた『泥鷹』が、銃弾を直前まで引き付けてお得意の転移をするのは当然だった。

 

自動追尾とは言え、銃弾の速度を思えば急な方向変更は出来ない。

ロランの本当の標的が『泥鷹』であれば、回避は間違いなく成功したのだろう。

 

 

「――――つ、貫いたのか!? 天井の“影”の壁を」

「!!??」

 

 

周囲を包んでいた“影”の天井部分が破壊され、太陽の光が降り注ぐ。

空気中に充満していた“影”が解け、体調不良の要因が一時的にだが消え去った。

 

自分達に与えられていたデバフ要因の解除。

彼らにとって、勝負を決めるのはここしかなかった。

 

 

「レムリア、頼んだ」

 

 

転移し、回避していた『泥鷹』のすぐ隣にあった物質化した“影”とレムリア君が交換される。

即座に危険を察知した『泥鷹』は全身に纏った羽毛を刃の様にして反撃しつつ、その場から逃げるため暗闇に溶けようとするが、鳥の兜のような頭をレムリア君は片手でがっしりと掴み取った。

 

 

「分かってるよロラン。ちゃんと仕留める」

 

 

冷徹なレムリア君の双眸が『泥鷹』を捉えている。

反撃の為の羽毛の刃など、どれ一つとしてレムリア君の肉を裂くことは無い。

そもそも『泥鷹』の放つ物理攻撃など、レムリア君に対して有効なものは1つとして無かったのだ。

 

レムリア君と戦わないと言う、『泥鷹』の最初の選択は間違いなんかではなかった。

 

 

「■■■――――!!!」

 

 

ぐしゃりと、レムリア君に掴まれていた兜が手の平から発生した衝撃波に破壊される。

現れた男の頭をそのまま掴むと、直後、もう片方の腕による一撃が腹部に突き刺さり、さらに足の裏に衝撃を発生させ加速させた蹴り上げが顎を砕いた。

 

目を白黒とさせる『泥鷹』の頭を両手でしっかりと掴み取ったレムリア君は、そのまま重力に従って落下して『泥鷹』を地面へと叩き付ける。

叩き付ける際に衝撃波を使用したのか、地面は大きくひび割れ、『泥鷹』の体が跳ね上がった。

 

 

『これで、最後』

 

 

馬乗りになったレムリア君が両手を後ろへ引き絞る。

これまでの『泥鷹』の耐久性能から生半可な攻撃では駄目だと判断したのだろう。

文字通り、限界まで練り上げた異能の出力がレムリア君の両手に行き渡った。

 

それは、間違いなく星を砕く一撃。

 

 

「まずっ……!! 全員、身構えろ!!」

 

 

ロランのその言葉が、差し込む光が消え始めた暗闇の中に響き渡る。

身構える暇は無かった。

 

私は初めて、地形が変形する瞬間を目の当たりにした。

 

大地が陥没し、巨大な亀裂が地面を走り、大地震が発生したかと錯覚するほどの揺れが発生する。

 

膨大な物理衝撃はその余波だけで病院をすっぽりと覆っていた“影”の壁にさえ罅を入れる。

 

その衝撃の中心に居るであろうレムリア君と『泥鷹』の姿を目視することは出来ない。

 

私は、揺れる地面に耐え切れず地面を転げ回って、必死に近くにあったものにしがみ付いていたからだ。

 

 

「あばばばばっ!? 何なんですっ!? 何なんですか!? 死ぬっ、死んじゃうよぅ!」

「痛いっ!? ば、馬鹿! しがみ付かないで痛いってばっ! ちょ、混乱するのも分かるけど、アンタが今しがみ付いてるの私っ、私だからねっ!? わ、分かったわ! 少し浮かせるからっ、だからいったん離れてっ……!」

「恐いっ……! こんなのが異能なの!? 異能持ち怖い! こんなアホみたいな天変地異をポンポン起こされてたら恐くて夜も眠れないってばぁ!」

「あ、アンタ……意外と余裕あるわね……」

 

 

ようやく揺れが収まって、しがみ付いていたものを見ると息の絶え絶えの飛鳥さんだった。

想定していなかった状況に驚くが、まあ、飛鳥さんに入り込んでいた毒性も何とかしたいと思っていたので、これ幸いとレムリア君にしたような応急処置をしておいた。

 

私が落ち着いたのを見て、溜息を吐いた飛鳥さんが優しく私を立ち上がらせる。

 

 

「アンタはまったく…………ほら、大丈夫ですか? 怪我はありませんか? 地面に亀裂が入っていて危ないので私の手を取ってください」

「あ、そういう……」

 

 

取り敢えず飛鳥さんは他人のフリを継続するつもりらしい。

私の為を想ってくれているのは分かるが、これはこれで寂しいものだ。

 

 

「……そ、そんな寂しそうな顔しなくても……ちょ、ちょっとどうなったのか見て来るので待っていてください。危ないので動かないでくださいね」

「はい、分かりました」

 

 

離れていく飛鳥さんがある程度体調を取り戻しているのに安心する。

異能の使い過ぎも心配したが、これなら後遺症や命に関わることも無さそうだ。

 

周囲を見れば神楽坂さんや“紫龍”、その他一般人もけが人は無さそうで全員が無事である。

怪我人は多いが、幸いここは“医神”と呼ばれる医者がいるらしいし、きっと何とかしてくれる筈だと考えれば、テロリストの襲撃に対してこれ以上無いくらいの最善で収まったのだろう。

飛鳥さん達警察官やICPOの人達、認めたくはないが“紫龍”も含めて、多くの者達の努力がこれを掴み取ったのだ。

 

僅かに光が差し込んでいるだけになった“影”の天井を確認して、私は溜息を吐いた。

 

 

「……まったく、しつこい奴」

 

 

そうやって愚痴を呟いた私は、そっとその場を後にした。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

1人の男が全身に傷を負いながら逃げていた。

特に重傷の腹部を抑え、暗闇の中を這う這うの体で進んでいく。

もう、その男に戦いを続ける気力は残っていなかった。

 

 

『はぁはぁ……! 糞がっ……この俺様が何故っ……! どいつもこいつも、束になって群れやがってっ……! 最強は俺様なのにっ、俺様に勝てる奴はいないのにっ! ゴミカス共が、浅知恵を働かせやがって!』

 

 

その男、グウェンは血塗れの体を引き摺って倒れ込むように物陰に隠れる。

吐き出す悪態に肯定する部下はもういない。

グウェンの異能を恐れ、従順になる者はこの場にいない。

悪逆の限りを尽くした、全てを失った者の成れの果てがこれだった。

 

 

『ロランの裏切り者め……! 策を弄すことしか出来ない『UNN』の腰抜けどもめっ……! 下らない秩序を守り続ける権力者の犬どもめ……! 俺様が、この世界の王だと何故分からん……! 最も強い者が支配する事が正しいのだと何故分からんっ! 糞がっ、ゴミカス共が……』

 

 

入り込んだ光に邪魔をされ転移が出来ず、レムリアの最大の一撃を全力で防御したもののこのざまだ。

爆撃さえ防ぐはずの自慢の防御も、レムリアのあの攻撃の前ではまるで足りなかった。

 

何とか意識は保ったものの、既に死に体の満身創痍。

もはやどう足掻いても正面切っては勝ち得ない。

そんなことは分かっているから、全力の攻撃をして隙だらけになったレムリアに対して反撃することも無く、こうして転移で逃げ出したのだ。

 

プライドも何もない、生にしがみつく様な逃走だが、それでもグウェンは歪んだ笑みを浮かべていた。

 

 

『だがっ……奴らは仕留めきれなかった! この俺様を、あれだけの数で畳掛けて仕留めきれなかったんだ! くっ、クハハッ、結局最後は生き残った方の勝ちだ! 奴らの体に蓄積した毒性はもう致死量に届く! この空間の“影”をさらに濃度を増して、後は転移で逃げ続ければ良い!』

 

 

ゲラゲラと、品性も無く笑うグウェンは穴の空いた天井の“影”が再生し切るのを見届けてから、物質化した“影”を細分化して空気中に撒き散らす。

 

より深く、より深淵に。

異能の使用者であるグウェンですら周囲が全く見えない程の“影”が空気中を充満し、浸食していくのを見届ける。

これだけの毒性を持たせれば、これまでの蓄積と合わせておよそ数分で致死量に届く。

 

無力化された使えない部下もろともこの場にいる者全てを処分して、とっととこの国を去ろう。

そう考え、周囲を警戒していたグウェンに声が届いた。

 

 

「正直、貴方がこれだけの暗闇を出してくれるのをずっと待ってました。視界はおろか、これだけ異能の出力の感知を阻害させてくれる“影”があれば、多少派手な事をしても誰にもバレないからです」

『――――は?』

 

 

誰もいない。

誰もいない筈なのだ。

自分でさえ周囲が見えなくなる“影”を出す前に周囲の確認は入念に済ませた。

そもそもレムリア達から逃げるために、誰も居ない場所を選んで転移したのだから、ロランに妙な粉を付けられたとはいえ、こんなすぐにここに辿り着けるはずがない。

 

何よりも、“影”の異能の使用者は自分だ。

だから、視界は見えなくなっても散らしている“影”の反応から周囲の状況はおおよそ把握できるのだから。

 

誰も居ない筈のすぐ近くから声がするのは、あり得ない。

 

 

『て、転移を……――――?』

 

 

ここに来て正体不明が現れたことに危機感を覚えたグウェンが即座に転移で逃げようとするが、どうもうまく発動しない。

何度もやろうとするが、体が“影”に溶けて消えることが出来ない。

 

 

「転移ですか? それ、やり方間違えてません? ほら、よく思い出して。前はどう使っていたのかよく意識して思い出してください」

『ひっ……!?』

 

 

さっきよりも声が近い。

足音がそこら中から聞こえてくる。

姿が見えないソレが、未だに“影”で探知できないソレが、人語を発する人間ではないナニカに思えて仕方がない。

 

恐怖が、湧き上がる。

 

 

『く、来るなっ! 何なんだお前はっ、どこから現れた!? お前はICPOなのか!? それとも『UNN』の奴なのか!? ふざけるなっ! どいつもこいつも俺様をコケにしやがってっ!! こっちに来るな!!!』

 

 

グウェンの悲鳴のようなそんな叫びで、一瞬足音が止んだ。

 

 

「アハ」

 

 

返答は、笑い声。

 

 

「あははははは!!! 私がそんなものに見えるんですか――――本当に?」

『ヒッ……や、止めろっ、来るな、来るなァ!!! 姿を見せろ怪物っ!! 化け物めっ!!!』

「難儀なものです。自分で自分の視界を奪っておきながら、暗闇に潜む私を恐怖している。そんなに怖いなら、異能を解いて私の姿を見て見れば良いのに……そうは思いませんか?」

 

 

確かにその通りだ、グウェンは心底そう思った。

この暗闇に潜む怪物の姿が確認できないからこんなにも怖いのだ。

未知に対する恐怖が自分の思考をこんなにも阻害しているのだと心底思った。

 

早くこの暗闇を解かないといけない。

早くこの病院を包み込む“影”の壁を解かないといけない。

早く異能を解いてこの訳の分からない未知から逃げないと。

 

そう考えるグウェンの思考には、その異常さに気が付く余地は残っていなかった。

 

 

「ばーか」

 

 

異能を解除した。

あれだけ強固で解けることの無かった“影”の檻が、他ならぬグウェン自身の手によって解除された。

漆黒であった周囲がようやく光に包まれて、太陽の光が燦燦と地面に降り注ぐ。

 

グウェンは安堵した。

これで迫りくる未知の正体が知れるのだと安堵した。

異能を解き、正面を見据え、未知であったそれ――――顔の無い巨人が、笑いながらグウェンの全身を掴んだのを見ることが出来た。

 

そのまま巨人に握り潰されるまで、グウェンの心は安堵に支配されたままだった。

 

 

 

 

 

 



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傷と瑕

いつもお付き合いありがとうございます!
この話で6章は終了となります!
色々とわちゃわちゃとして分かりにくい章だったかもしれませんが、これからも本作にお付き合い頂ければ嬉しいです!!


 

 

 

およそ1時間以上にも及んだ『泥鷹』残党による“医神”神薙隆一郎への襲撃はようやく終わりを迎える事となった。

 

長時間暗闇に閉じ込められていた人々は、あれだけ強固だった“影”の壁が溶けて消えていくのを目の当たりにして、ほとんどの者が安堵の涙を流していた。

だがそんな彼らの喜びの感情は、明るい日の光で露わになった地面に倒れ伏す他の人達の姿を見たことで、すぐに現実に引き戻された。

死んだように血を流す人達の姿が、一歩間違えば自分であったのだと、彼らに思い知らせてきたからだ。

 

そんな凄惨な現場で即座に動いたのは神薙隆一郎だ。

誰一人として自分の前で死なせないと宣言した彼は、周りの無事だった者達に声を掛け、倒れる怪我人達を病院に運び込むように依頼して、すぐに治療へ向かっていった。

世界的な名医が率先して動いたことで、状況を理解した群衆によるさらなるパニックは何とか抑え込まれ、全員が粛々と怪我人の治療への協力に動いていく。

 

 

『グウェンは用意しておいた専用の拘束を施して動きを封じてます。今のところ意識が戻る様子はないですね』

 

 

そんな中ロランは人の集まりから一人離れ通信機を片手に報告を上げていた。

国外の、通信越しにしか状況を把握できない仲間に向けた情報伝達。

だがそれは、現状の報告のみであり、その経緯の説明は要領を得ずそれでいて不明点が多すぎた。

 

実際通信先の相手からは文句が飛んでくるが、分からないものは分からないのだから仕方ない。

 

レムリアの一撃をまともに受け重傷を負ったグウェンが転移による逃走を図って直ぐ、病院は再び、これまで以上に全ての知覚も阻害される深淵の暗闇に呑み込まれた。

保身の為だけの逃走……いいや、暗闇の毒性を利用した遅延戦術だと理解したロラン達が状況を理解し、血相を変えて即座にグウェンの捜索を開始したのだ。

 

だがそれも束の間。

突然暗闇が晴れ、姿を消していたグウェンが意識を失った状態で倒れているのが発見された。

レムリアの最後の攻撃によるものか、激しい全身の損傷からは、意識が戻ったとしても逃走が難しいのが見て取れる状態。

それだけなのだ、現場にいたロラン達でさえ分かっている事は少なすぎた。

 

不明点が多すぎる。

もしもその怪我がレムリアの攻撃によるものであれば、どうして倒れていた場所まで逃げられたのか。

姿をくらましてからあった攻撃の為の異能の出力も、突然糸が切れたように消え去ったのは何故なのか。

 

暗闇の中で起きていたことが、ロラン達は何一つ掴めていなかった。

 

 

『……意識を失った原因は、その、不明で……転移先で完全に意識を飛ばして気絶してたんですって……いやほんとに。多分、それまでの蓄積していたダメージが限界を迎えたんじゃないですかね。ほら、レムリアにボコボコにされてましたから。あ、勿論俺も攻撃を入れてはいましたよ、はい』

『アンタのその曖昧な情報が、今回の件の根本的な原因だって理解してるのかいボケナス! レムリアの一撃で本当に命からがら逃げだしたんだったら、海を越えたどこか安全な場所に逃げると思わないのかい!? わざわざアンタ達がいる病院の近くに転移したってことは、まだ戦えると判断したからに決まってるだろう!』

『確かにそうなんだよ。流石リーダー、誤魔化せないね』

『馬鹿にしてるのかい!?』

 

 

ロランは電話先のヘレナの言葉に思わず納得の声を漏らして頷いた。

グウェンの性格からして、ヘレナの推測の通りに動く方が不自然さが無い。

そんなことは長年スパイ活動をしていたロランだって分かっている。

 

 

『まあ、当初の目的だった『泥鷹』壊滅は果たせた訳ですし、不明点の解明は後ででも……』

『女のケツを追いかけまわしてばかりのチャラポラン!! もう少し頭を回しな! 奴が倒れたのには何か原因がある筈さ! 報告に上がってた『異能の出力を弾く外皮を持った存在』とかも考えられるから、直ぐに周辺の不審な点を捜索すれば…………いや、待ちな。やっぱり良い。こっちも余裕なんて無いんだ。こっちを攻撃して来ないなら今は取り敢えず、自分の休息と怪我人の救護を優先するべきだね。被害に遭った一般人の救護は何よりも大切だし、どうせアンタの事だ、態度には出して無いけどアンタ自身の怪我や疲労も少なくないんだろう?』

『ははは。やっぱりリーダーはグウェンなんかよりも人を率いる魅力に満ちていますよ。どうせ労わってくれるなら、お酒も交えて夜にでも』

『こんな婆を捕まえて何を言ってるんだい、好色家もいい加減にしな。それとこの話はレムリアにはするんじゃないよ。あの子は何でも自分でやろうとする癖がある。変に気負わせることは無い。もう少しで私達もそっちに到着するから、それまでは油断するんじゃないよ』

『分かってますって』

 

 

そう言ったロランはこれで報告は終わりかと考え、そう言えばと、あることに思い当たる。

 

 

『ウチの予算ってまだ余りがありましたよね?』

『……無駄遣いは許さないよ』

『しませんって。実は優秀な人材を見付けたので勧誘しようかと。異能持ちじゃないようですけど、まあ、優秀な人材ならいくらでも欲しいって言うのがリーダーの口癖じゃないですか。見たところ、ルシアの様な役回りを任せられると思います』

『ふん、好きにしな。切るよ』

 

 

電話が切れる。

ロランは覚悟していたよりもずっと叱責されなかったことに内心感謝しつつ、疲れたように深い溜息を吐いて周りを見た。

捲れ上がった道路や至るところに罅が走ったアスファルト。

怪我人を次々に病院の中へと運び込んでいく応援に駆け付けた警察官や病院の職員達を眺める。

想像していたよりも被害は少ないが、それでも痛々しい傷跡がそこら中に残っている。

 

どれもこれも、自分がグウェンの異能を理解していれば出ることの無かった被害だった。

ヘレナであればグウェンを無力化するのは難しくないだろうし、何かしらの方法で足止めさえすれば、それで終わった話だったのだ。

 

終わったことだが、何も思わない訳ではない。

同じように肩を落としているレムリアに近付き、ヘレナへの報告を済ませたことを伝える。

 

 

『レムリア、こっちの報告は終わったよ。ルシア達は……』

『ルシア達に大きな怪我は無いみたい。警察関係者で一番重傷なのもあの柿崎って言う人らしいし、命に別状はないみたいだけど。でも、病院内で延命治療をしていた人とかはやっぱり……』

『そうか』

 

 

無力化したテロリスト達の拘束状況を監視しているレムリアの隣に座る。

テロリスト集団の『泥鷹』及び現状最強と名高い異能持ちを鎮圧したとしても、それでロラン達は何かを得た訳ではない。

受けた被害の方がずっと目に見えて大きかった。

 

 

『……僕がもっと早くグウェンを見付けて倒せればこんなに被害は無かったのに』

『こういうもんだよ、レムリア。こういうのが普通なんだ。お前は人よりも色んなものを何とか出来るから中々こういう機会がなかったかもしれないけど、どうしたって被害は出るもんだ。俺らは神様でもなんでもない、やれることは限られてる』

『でも……』

『限られた人員、戦力でよくやった方さ。今回の原因は情報を集めきれなかった俺とウチに所属する探知型の異能持ちの少なさにある。んで、探知型の異能持ちを集められてないのは人事の問題だから、現場のレムリアがそこまで背負うことは無い。むしろよくやったよ』

 

 

慰めるようにそう言ったロランに励まされたのか、レムリアの表情が少しだけ明るくなる。

『まあでも、また地形を変えたから色んな所から苦情が入って最前線の場からは離れた場所の配置が続くと思うけど……』、なんて続けたロランの小声は聞こえなくて正解だろう。

 

それから、レムリアはぼやく。

 

 

『探知系統の異能……“顔の無い巨人”さんが仲間になってくれればいいのになぁ……』

『レムリア……あんまりそういうのは』

『国際警察の立場上問題があるんだよね? でも、あの人はこれまで捕まえて来た異能犯罪者とは全然違うんだよ? ヘレナお婆ちゃんだってそれは認めてて……』

『分かってるさ、アレがやって来たのはグウェンの様なただのテロリストとは違う。奴が行った可能性のある善行は数え出したらきりがないくらいだからね。実際ソイツに会ったことあるのは俺らの中ではレムリアとリーダーだけで。そいつの何となくの人柄も、俺よりずっと分かっているんだろう。もしかしたら2人が言うように、完全な悪じゃない可能性は俺だって考えてはいる』

 

 

それでも、とロランは言った。

 

 

『たった一人で世界を支配できる奴を、野放しになんて出来ないんだ。兵器としての枠に収まる俺達とは事情が違う……大人は色々汚いんだ。悪いなレムリア』

『うう……』

 

 

夢にまで見た光景が難しいのだと改めて言われ、悲しそうに俯くレムリアにロランは意味も無い罪悪感を覚え、頭を掻く。

 

 

(……まあ、逆に言えば奴の脅威があるからこそ今の俺達の待遇があるんだ。この微妙なバランスの上で成り立ってる均衡は、何とか維持したいものだが……)

 

 

純粋なレムリアとは裏腹な到底表には出せないような思考をしている自分に嫌気を感じながらも、ロランはようやく終わった自身の内偵任務にほっと胸をなで下した。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

飛鳥さん達が『泥鷹』のボスを仕留めそこなったのは周囲を囲う“影”の壁を見ればすぐに分かった。

 

これ以上の反撃の手は皆無に近く、逃げに徹した『泥鷹』のボスの思考から、もはやまともに戦うことが無いのが読み取れていた。

 

だからこそ、私は強硬策に出た。

『泥鷹』のボスが“影”をより濃く、より深くしたタイミングを見計らっての攻撃。

それも、可能な限り異能の使用を抑えるために、精神干渉の末期状態に持っていきながら恐怖を使って精神を揺すり、暗闇解除のほんの一瞬に合わせて電力に乗せたマキナの全力の異能使用で叩きのめした、と言う形。

私の異能の性質上、時間を掛けられればどんな奴でも倒せると言うのに対して、遅延策を取る『泥鷹』のボスは非常に相性が良かったのだ。

 

だから今回はたまたま。

本当にたまたま、私の相性が良かっただけで、別にそれまで相手してきた飛鳥さん達がどうとか言うつもりは全くない。

 

 

「あ、飛鳥さん、その手はなんですか!? ま、まさか、ぶったり、ほっぺを抓ったりなんて事はしないですよね? そうですよね、私今回頑張りましたし、疲れてますし、飛鳥さんは理由なくそんなことする人じゃ――――痛いっ、やっぱり抓って来た!?」

 

 

グニグニと私の頬を抓って回し続ける飛鳥さんは、青筋を立てながら笑顔を浮かべている。

心配とか怒りとか、いろんな感情がごちゃごちゃとしているが、何よりもこれは八つ当たりなのだとすぐに分かる。

 

結局自分では仕留めきれなかった『泥鷹』のボスを、飛鳥さんにとって一番やらせたくなかった私にとどめを刺された自分への怒りを、私にぶつけているのだ。

今は日本で最も有名な人物となっている正義の超能力警察官は、酷く私情に満ちた八つ当たりを、こんな幼気(いたいけ)な少女にやってしまう人物なのである。

 

 

「私は、危ないので動かないでって言いましたよね? ちゃんと言う事聞かないとこっちとしてはすっごく困るんですけど☆ 分かってますかぁ、おチビちゃん☆」

「そ、そんなのが理由じゃない癖に……」

「口答えするな☆」

「ほげー!?」

 

 

警察官として一般人の危険な行動を指導する。

……その枠組みをちょっと踏み越してる気がしなくもないが、あくまでその体で私に対して攻撃を仕掛けてくる飛鳥さんにされるがままに頬を引っ張られていた。

絶妙に痛すぎないようにしているのは、僅かに残った飛鳥さんの優しさだろう。

そんな配慮するくらいならこんなことしないで、褒めたり持て囃したりしてくれればいいのに。

 

チラリと怪我人の搬送でも手伝った方が良いんじゃないかと言おうとしたが、どうやらそんなものはとっくに終わらせてからこっちに来たらしい。

後は噂の“医神”さんにお任せするしかない、と言う訳のようだ。

 

私達のやり取りを見ていた神楽坂さんが、なんとか諫めようと声を上げる。

 

 

「お、おい、それくらいにしてやってくれ飛禅。怖がりながらも佐取は協力してくれたんだから」

「燐香が? 怖がる? はっ、先輩って本当になんて言うか、騙されやすいですよね。燐香が怖がる相手なんてこの世にいる訳ないじゃないですか。きっと今回も私の手際の悪さを陰から覗いて小馬鹿にしてたんですよ。自分ならもっとうまくやれるのにって」

「いやいやいやっ!? 普通に怖かったんですけどっ!? それに前線張ってた飛鳥さんを尊敬こそすれ小馬鹿になんてする訳ないじゃないですか!?」

「……そ、そう」

「え、ここで照れるんですか? ちょ、反応に困るんですけど」

 

 

気持ちの浮き沈みが激しい飛鳥さんに振り回される。

さっきまで怒っていたのに、私が少し褒めただけで照れてそれまでの怒りを忘れてしまうのだから、私の受けた痛みが馬鹿みたいだ。

とは言え、異能関係の仕事なんて言うものをほぼ強制で任されている飛鳥さんの身の上を考えれば、多少の理不尽くらい我慢するつもりではあるが……。

 

 

「……ともかく、あんまり俺らと接触してると疑われる。飛禅はそろそろ戻れ」

「えー、先輩自分だけズルいんですけどー。また奢ってくれるって言ってた美味しい定食屋にも連れてってくれないですしー? 私だって気心が知れた人達と話をしていたいですしー? 御褒美が見えないとやる気にならないって言うかー?」

「くっ……め、めんどくさい絡み方は全然変わってないなコイツっ……!」

「え、美味しい定食屋……? 神楽坂さん、私連れて行ってもらってない……」

「お、落ち着いたら2人とも連れて行くからっ! 良いから飛禅は他の奴らのところに行け!」

 

 

言質取りましたからね、なんて言っていらずらっぽく笑った飛鳥さんは、抓っていた手を離すと最後に私を思いっきり抱きしめ、にこやかな笑顔で離れていく。

本当に言動が小悪魔的な人だと、その背中を呆然と見送った私は神楽坂さんを見上げる。

頭を抱えてしまっている神楽坂さんに少しだけ同情する……いや、美味しい定食屋さんに私だけ連れてってもらってないとか許せないのだけど。

 

そんなこんな話があって、騒動が終わった病院に残っていた訳だが、私と神楽坂さんはお互い大きな怪我も無いし医者に掛かる必要も無い。

本当なら異常がないかの検査くらいはしたいが、この場での診察は他の重傷者に優先するべきであるし、神楽坂さんの「一旦帰るか」という肩を落としながらの提案に、私は特に反対することも無く従う事にして歩き出した時だった。

 

 

「おっと、ちょっと待ってくれないか」

 

 

そう声を掛けて来たのは、『泥鷹』のボスとやり合っていた異能持ちの1人である見知らぬ男性であり、その隣では、2つの異能を持つ異次元の天才少年、レムリア君が嬉しそうに私達に向けて手を振っている。

 

この見覚えのない男性はたしか、ロランと呼ばれていたやる気の無さそうな中年男性だ。

柿崎と呼ばれるあの鬼の警察官とは正反対に、細身の体で気だるげな雰囲気を醸し出すこの男性は、見るからに一筋縄ではいかなそうである。

何だか嫌な感じなので、私はそっと神楽坂さんの後ろに隠れることにした。

 

 

「警戒しないでくれ。俺はロラン・アドラー。ICPOで対異能犯罪の部署に所属してる。今回、テロ集団『泥鷹』の制圧に協力してくれて感謝している。お兄さんたちの協力があったからこそ今回大勢の人が救われたらしいからね、こうして感謝の言葉を伝えたかったんだ」

「これは、わざわざご丁寧にどうも。今回は知り合いの見舞いの際に巻き込まれただけで、協力したのはこっちも事情があったからだ。何か特別なことをした訳じゃないからお礼なんていらない。それとも、病院の上の階であった詳細な話が聞きたいのなら、あっちの警察関係者に……」

「“紫龍”だっけ? あー、まあ、向こうの人にはあとで話を聞くさ。それよりも、俺は君達に興味があるんだ――――全員が異能を持った武装集団を相手に互角以上に立ち回った、一般人に」

「……それはどういうつもりの発言だ?」

 

 

眉を顰め、声を低くし、警戒するような姿勢になった神楽坂さんにロランさんは慌てて手を振った。

 

 

「ああ、違う違う。すまん、変な誤解を与えたな。俺らのような異能を持たないのに優秀な人がいるもんだと感心しているだけさ。それに、その件で話があるのは警察官のお兄さんじゃなくてそっちの子。可愛いお嬢さん、少し俺の話を聞いて頂けないかな?」

「え゛」

 

 

急な矛先の変化。

出来れば関わりたくない組織のトップ3に入ってくるICPOから話し掛けられるなんて、と私は思わず心底嫌そうな声を出し、神楽坂さんの背中からそろりと顔を出した。

軽く読心するが、どうやら異能持ちとして疑われている訳ではないらしい。

 

 

「まず、君にも礼を言わせてくれ。体調を崩したレムリアを背負って歩いてくれたそうだね。本当にありがとう。君のおかげでレムリアはこうして無事でいるし、何よりレムリアがいなかったらテロリストは倒せてないだろうからね」

「……人として子供を見捨てるなんて出来ないですし」

「そう考えられる君は間違いなく善人だ。そして、君がグウェンと相対した時に見せた回避能力、冷静に状況を俯瞰し即座に判断を下す力、その上、あの状況下で誰に対しても物怖じせず指示を出す胆力。どれをとっても素晴らしかった。異能と言う超能力を持つ人間の中でも最上位に位置する実力者のグウェン・ヴィンランドに対して、あれだけ渡り合える一般人を見たのは初めてだ」

「は、はぁ……」

 

 

突然私をべた褒めしたこの男は、そこまで言うと一度言葉を区切った。

私の前に仰々しく膝を突いて、懐から一枚の名刺の様なものを出したロランさんはそっと私に差し出した。

 

差し出されたのは、国際警察の柄と英字が印字された一枚の紙だ。

 

 

「物は相談なんだが、その才覚を国際警察で振るってくれないか?」

「嫌です」

 

 

ブンブンと首を振りながら即答した。

差し出された名刺も受け取らない、考える余地も無く嫌なのだ。

 

なんて言ったって今回、私はまともにテロリスト集団とやり合ってないのに関わらず心が折れかけていたのだ。

それなのにこれが連日続く仕事とか、少し考えただけでも耐えられない。

そんな将来を選ぶくらいなら私は一生ニートになる。

マキナに株取引でもやってもらって、適当に引き籠って暮らすのだ。

 

私が一切悩むことすらせず即答したことで、ロランさんが呆然とした。

 

 

「な、なんでかな? 給料とか凄いよ? 多分この国の平均収入の5倍くらいはあるよ? 一般人枠なら休みとか手当とかも充実してるし、特にうちの部署は待遇凄いよ?」

「私、外国語喋れないですし、学生ですし、日本離れたくないですし、危ない事も痛い事も嫌いですし、怖いのも嫌なので……」

「凄い量の理由だね!?」

 

 

せっかくウチの奇人変人を御し切れそうな優秀な人材を見付けたと思ったのに……、と言って肩を落としてしまったロランさん。

警察にだって協力したくない私が、自ら危険な職業になんて就く訳が無いのだ。

 

 

「あー……悪いね、時間を取らせて。じゃあ、俺達はこれで……」

「お姉ちゃん、ロランが変なこと言ってごめんね。気にしなくていいからね。絶対また会おうね!」

 

 

そんな風にひらひらと手を振りながら去っていくレムリア君達に手を振り返しながら、神楽坂さんから何か言いたげな視線を感じ取る。

隠れた異能持ちであり、色々悪さをしてきただろう疑いがある私の態度に、何か思う所があるのは当然だろう。

 

 

「……佐取はやっぱり、国家権力みたいのが絡む組織は信用できないのか?」

 

 

レムリア君達が十分に離れたのを確認して、小声で神楽坂さんがそう聞いてくる。

 

 

「えっと、神楽坂さんが何を聞きたいのかは分かります。……そういう組織が信用できない訳じゃなくて、多くの人の思惑が絡む組織に身を預けるほど信用することは出来ないと言う方が正しいと言うか」

「他人を信用し切れてない、と言うことか」

「あ、いや、そこまで潔癖な話じゃないですし、神楽坂さんとか飛鳥さんみたいな個人単位では全然信用してるんですよ? でも、見知らぬ他人の思惑が多く絡んでいる集団を、私は無条件で信じることは出来ないんです」

「俺は……警察は、少なくとも佐取みたいな子供にとっては無条件で信用できる組織であってほしいと思ってるんだがな……」

 

 

少しだけ悲しそうにそう言った神楽坂さんを目の当たりにして、改めて考える。

確かに意識したことは無かったが、何かあった時警察に助けを求めようと言う考え方を私は持っていない気がする。

異能と言う、たいていの事にはなんでも対処が出来る力があると言うのはあるだろうが、この考え方が当たり前になってしまったのは何時からだろう。

ちょっとだけそんなことを考えたが、なんだか自然とこういう考え方になってしまっていたとしか思い出せなかった。

 

 

「……これまで近くで見て来た俺の個人的な感想なんだが……佐取は色んな人を助けても、佐取自身が誰か他人に助けを求める事は無い気がする。佐取は優秀だから困ることの方が少ないのかもしれないが……俺はそこが少し心配だ」

「え、っと、そんな心配されたのは初めてで戸惑ってます……だ、大丈夫ですよ! 確かに私から誰かに助けを求めるのは少ないかもしれませんが、それはただ単に信用できる人が少なかったからで…………あれ? 私もしかして凄く寂しいこと言ってます? い、いや、そういうことを言いたいんじゃなくて!」

 

 

何だか纏まらなくなってしまって、自分でも何が言いたいのか分からなくなってしまって。

それでも必死に思い返して、自分が言いたいことを整理して、今の自分はそんなこと無いと伝えたいんだと、神楽坂さんに向き合った。

視線を地面に彷徨わせ、言葉を選んでいく。

 

 

「今は、神楽坂さんや飛鳥さんが居てくれますから。その……昔よりもずっと、誰かを頼って良いんだって、思えるようにはなっているんです。私も考え方は少しずつ変わりつつあって、ですね。わ、私こそ、お二人には本当に感謝していて……」

 

 

何だか無性に恥ずかしくなってきた。

恥ずかしさでふにゃふにゃになってきた足に力を入れて、ここまで来たら最後まで言ってしまおうと神楽坂さんを見上げる。

 

驚いた顔で、それで、優しく微笑んでくれた神楽坂さんに勇気を貰った。

 

 

「……本当にありがとうございます。どうかこれからも、よろしくお願いします」

 

 

わしゃわしゃー、と言いたいことをちゃんと言った私を褒めるように、頭を撫で回してくる神楽坂さん。

完全な子供扱いなのにまんざらでも無く、碌な抵抗も出来ずされるがままになる。

 

考えてみればそうだ。

気が付けばいつの間にか、私は自分の事が好きになっていた。

昔の私よりもずっと今の私が好きだった。

 

こうして変われたのは、きっとこの人達のおかげなのだろう。

 

 

「と……と、と、とにかく! 早く帰りましょう! 思ったよりも時間が掛かっちゃいましたし、これ以上長居すると家に着くころには夜になっちゃいますからね! あ、でも、最後に落合さんの様子を見て来ましょうか! あの変な暗闇で悪影響が出てない事も確認しないとですしね!」

 

 

口早にそんな提案をして、私は神楽坂さんの元から飛び退いた。

私の豹変に目を丸くした神楽坂さんが小さく噴き出すように笑い、「そうだな」と頷くと携帯電話を取り出す。

今の時間を確認し家に着く予定時間を考えたのだろう、帰り支度をしようと動き出した神楽坂さんと共に、落合さんの病室に置きっぱなしになっている荷物の回収へ向かう。

 

『泥鷹』の襲撃により汚れた病院の中に入った。

怪我人はまだそこら中に居て、急遽出て来た医者や看護師が彼らの対応に当たっている。

そんな中で誰かを見付けたらしい神楽坂さんが足を止めた。

 

 

「柿崎…………悪い佐取、先に睦月のいる病室に戻っておいてくれ」

「え、あ、わ、分かりました」

 

 

全身に包帯を巻かれた巨漢が床に敷かれた毛布の上で横になっている。

恐ろしい話であるのだが眠っているだけのようで、途切れ途切れの意識からは未だに闘争の意思が消えていない。

目を醒ました瞬間目の前の人を殴り殺しだしそうな人物だ。

前に会った鬼の人がここまで怪我をしたのかと思うと同時に、神楽坂さんと関わりがあることを初めて知った。

 

そしてその隣にいる女性にも見覚えがある。

鬼の人と会った時の、私を抱き枕にして号泣していた女性だ。

今は意識があるようでぼんやりと鬼の人を見詰めているが、怪我はそこまで重くないようで、頭を中心に包帯を覆っているだけだった。

 

 

(あの人達とはそんなに関わりも無いけど……取り敢えず、命を落とすことが無くて良かった)

 

 

私の異能では彼らの怪我を治すことは出来ない。

掛ける言葉も無いし、神楽坂さんが鬼の人の元へ歩いていくのを見送って、私は一足先に落合さんの病室へ向かうことにする。

 

 

(そういえば……)

 

 

階段に向かう途中の廊下。

私は歩きながら、暗闇に閉ざされていた時は見えなかったものを見渡して思い出す。

 

 

(あのスライム人間が何かやってた部屋って、ここなんだよね)

 

 

階段下、左手の部屋。

暗闇に包まれていた時は全く見えなかった、その部屋のルームプレートを通り過ぎざまに見る。

 

『機械室』と書かれたルームプレートを眺めながら、私はその部屋の前を通り過ぎた。

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

「……君は確か、一ノ瀬和美さんだったか?」

「あっ……はい。そうです、けど」

 

 

悄然とした様子の一ノ瀬に声を掛けた神楽坂は、彼女の隣に座り、意識を失い動かない同期を見る。

柿崎遼臥とは、警察学校時代からの縁だが、簡単に無理をして大怪我をするような奴では無かった。

自分の限界は分かっているし、体面にこだわったりもせず手段も選ばない。

そんな柿崎がここまで負傷したのだから、本当にどうしようもない状況だったのが分かる。

 

 

「柿崎と前に話した時に言っていた。軽率で、楽観的で、立ち止まって考える事をしない馬鹿な奴の面倒を見ることになった、と」

「……やっぱり、そう思われて仕方ないっスよね。現に何をやっても柿崎さんの足を引っ張ることしか出来てないし、悪い奴一人倒せないし……飛禅の馬鹿みたいに、私も何か特別があれば良かったのに……」

 

 

膝を抱えて柿崎を見る一ノ瀬の姿に神楽坂は、やっぱり柿崎は何も言っていないのかと苦笑する。

 

 

「……だが、自分にはない人の警戒を解く術を持っていて、行動力があって、誰かの為になりたいと頭で考えるよりも先に動ける凄い奴、だとも言ってたな」

「え?」

「不器用な奴なんだよ、コイツは。昔から友達も碌にいなかった。この強面なのに人当たりも強いし、口は悪い癖に大切なことは言わない。凄いめんどくさい奴なんだ……それで、そんな奴が珍しく俺に優秀な部下を持ったと自慢しやがった。どう思う?」

「それは……どう、思うって……」

 

「俺は君が言うような奴が柿崎の下にいるなんて聞いちゃいない、ってだけだ。こいつ、昔っから化け物染みた回復力してるから心配なんていらないよ」

 

 

俺がやりすぎた時も一週間経たずに回復しやがったしな、なんて。

そんな事を言って神楽坂は立ち上がる。

 

既に“医神”の治療を受けたのだろう、適切な措置を受けた怪我の具合を見た限り、命に関わるものではない。

それならあまり心配していれば、柿崎の性格上反感を覚えるのは目に見えていた。

特に、何かと競い合う相手として見ている神楽坂にされたものなら憤死しかねない。

 

柿崎はそういう奴だった。

 

 

「俺はもう行くよ。柿崎の事よろしく頼む。君も怪我してるんだから安静にな」

 

 

神楽坂はそれだけ言うと柿崎達の元から去っていく。

あの不器用な同期の人間関係が心配だったが、あれだけ慕われているのが見たら安心できた。

 

時間にして2分程度だっただろうか。

待たせている燐香に合流して早く帰ろうと、4階にある病室に向かい足早に歩きだした神楽坂だったが、そこで誰かに声が掛けられ止められた。

 

 

「あの、少々よろしいでしょうか?」

 

 

声を掛けて来たのは看護師姿の若い女性だ。

忙しく動き回っていたのか、服には土汚れなども付いていて、時間の合間を縫ってわざわざ神楽坂に声を掛けて来たのが窺える。

怪我人が多くいる中で忙しいだろうに、どんな用件かと足を止めれば彼女は深刻そうに眉を下げて、口を開いた。

 

 

「その、408号室の落合さんの関係者の方ですよね? 彼女の昏睡状況の件で、実はお話があってですね」

「あー……それは急ぎなんですか? 怪我人が一杯いますし、また今度でも……」

「あ、実はこの状況の事に関係していてですね……どうしましょう。ちょっと落合さんの個人情報を含めた込み入った話になるので、外で話したいんですが」

「はあ、それは時間が掛かりそうですか?」

「いえ、数分で終わるとは思います」

 

 

悩んだ神楽坂は数分なら大丈夫かと看護師の提案を了承し、彼女の後を追って外に向かう。

少し思い悩む様な表情で神楽坂を先導する看護師は、おずおずと神楽坂に視線だけを向けた。

 

 

「……先生、あ、神薙先生の事なんですけど、先生が診ても詳しい原因が解明できなくてですね。脳内に傷がある可能性が高いんですけど、レントゲン等で見ても具体的なものが見えなくて……昏睡状態って難しいんですよね。今の医学でも明確な原因が分からないことがほとんどですし……あの、落合さんって確か、事故、なんでしたよね?」

「ええ、車両による事故ですね」

「その際に頭を打って昏睡、ですか。正直私も医学に関して右に出る者のいない先生の治療があればすぐに原因は分かると思っていたんですが……」

「……そうですね、前の病院でも結局分からずじまいだったので。正直、過度な期待はしてないんです……あの、ところでどこまで……」

 

 

そんな会話をしながら病院の玄関を出て、裏手に回り、駐車場まで辿り着いた。

患者の話に、表情を暗くしていた看護師は神楽坂の車の前で足を止めると、振り返り優し気な笑みを神楽坂に向けてくる。

どうして自分の車を知っているのだろうと言う疑問が頭を過り、神楽坂は思わず懐にある車の鍵を確かめた。

 

 

「大丈夫ですよ、先生は凄い方なんです」

「はあ……」

「私は小さい頃、火事で両親を亡くしたんですけど。同じように焼け爛れて死ぬ寸前だった私を、先生はここまで治療して普通に生活できるようにまでしてくれたんです。だから、原因不明の昏睡状態くらい、先生が必ず完治させて見せますから安心してください」

 

 

自分の身の上を交えた、人を安心させるようなその話に、自然と神楽坂の顔に笑みが浮かんだ。

 

“医神”とはよく耳にしてきた名だが、実際の体験としてそんな具体的な話を聞いたことは無かった。

多くの人に慕われて、多くの患者に感謝されている。

そんな人がいるのだと思うと、神楽坂は無性に誇らしくなって、嬉しくなって。

 

カチャリ、と看護師が開いた自分の車のドアへの反応が遅れた。

 

 

「……は? 鍵は、ここに」

 

 

看護師が後ろ手に、車の鍵穴に指を入れて開錠している。

銀色の、液体の様な、変化した指が。

 

 

「――――安心して」

 

 

看護師は笑う。

その端正な顔に優し気な笑みを浮かべ、神楽坂の胸倉を掴んで笑う。

 

 

「彼女は必ず先生が完治させますから。貴方は安心して」

 

 

車の中に神楽坂をおよそ女性とは思えない万力の様な力で引き摺り込む。

そして、ドロリと液状に溶けた腕で神楽坂の口に蓋をして押し倒す。

 

状況を理解できない神楽坂が、咄嗟に携帯電話で異常を燐香に知らせようとするが、看護師はそれを一瞥もしないで神楽坂の手ごと針状に変化させた指で貫き、壊れたそれを外に放り捨てた。

そして後ろ手に、車の扉を閉め切った。

 

目を見開く神楽坂の上に前傾姿勢で馬乗りになった看護師が浮かべる笑みは、いつの間にか邪悪なものに変わり果てている。

 

 

「散々てこずらせてくれて……神楽坂、貴方は私を知らないでしょうけど私は貴方を昔っから良く知ってる。落合の奴も、入院しているその妹の事もね。白崎の奴が倒される時、お前に何を教えたのかは知らないけど、こそこそ私達を嗅ぎまわりやがって。白崎……ふざけた男、先生にあれだけ恩がありながらそれを仇で返すなんて……最初から私はアイツを殺しておくべきだと言っていたのに」

 

 

豹変する。

優し気だった看護師が、凶悪な悪意を持った人物へと。

苛立ち混じりにそう呟くと、神楽坂の太ももに刃状に変異させた腕を突き刺した。

 

 

「取り敢えず、先生が来るまで少しおしゃべりしましょうか? 最近私の分身達を破壊してるの、お前の仲間ですよね。異能も無くアレに勝てる筈ないですものね。どんなトリックを使ってるのですか? その人物の名前と異能を教えてください」

「ぐっ、お、前っがっ……先輩をっ……!!」

「関係ない事をしゃべるな神楽坂」

「ゴッ――――アアアッ!!??」

 

 

神楽坂の口から腕を離し、質問するものの欠片も質問に答えようとしない神楽坂に、不快そうに顔を歪めた看護師がさらに腹部に刃を突き刺した。

嗜虐的な笑みを浮かべ、絶叫する神楽坂を嗤う看護師がふと顔を上げる。

 

車の助手席に乗り込んできたのは、多くの怪我人を治療している筈の神薙隆一郎だった。

 

 

「……!?」

「あれ、早かったですね先生」

「君の張ってくれた異能の出力を感知させない部屋さえあれば異能を制限なく使えるからね。全員を治療するくらい訳ないさ。君が用意した偽物に代わってもらってあるからICPOにもバレることは無いだろう。それにしても……まったく、和泉君はすぐ暴力に走る癖がある。もっと平和的な話し合いをしようと言っていたじゃないか」

「神楽坂には散々嗅ぎ回られていた恨みがあるし、何よりもあの白崎の糞野郎がこの件に関わっていると思うと我慢できなくて……すいません……」

「悪いね神楽坂君、ICPOの人達がいるからここでは落ち着いて話が出来ない。少し場所を変えるのと……異能に探知されないよう措置を頼む、和泉君」

「はい先生」

 

 

神薙の頼みに頷いた和泉が、全身を液体化させた。

銀色の液体は、燐香が何度も遭遇してきた異能生命体である、あのスライム人間と酷似している。

 

体から落ちたその液体が車の内部を伝い車内全てを覆い尽くすと、鉛に近い銀色が車と同色に変化する。

彼らが外皮と呼んでいる、異能を弾く性質を持つ液体に覆われたこの車は、一瞬にして一時的に対異能車両と呼んで差し支えないものへと変貌した。

 

それから、和泉は刃状になっていた腕を運転席に向け伸ばし、車の扉を開錠した時と同様にして車のエンジンを掛けた。

伸ばした腕が途中でブツリと切れ、運転席側に残った腕は形を変え人型になっていく。

銀色の人型になったそれに隣の席にいる神薙が帽子を被せ適当な偽装をすると、人型がまるで普通の人間のように車の運転を開始した。

 

神楽坂の車が、動き出す。

血に染まった壊れた携帯電話をアスファルトの上に残したまま。

誰に知られることも無く、彼らは姿を消していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつまで経っても神楽坂は病室にやってこなかった。

 

あまりに長い時間待たされた燐香が痺れを切らし、神楽坂を探し始めた。

 

病院の中、怪我人達の間をすり抜け、話していた筈の一ノ瀬達、何かしらの連絡をしあうICPOや警察の人達、誰も神楽坂の行き先を知る者はいなかった。

 

探し回って、探し回って、辿り着いたのは彼の車がある筈だった駐車場。

 

血に濡れ壊れた携帯電話を拾い上げ、呆然とそれを見詰めた燐香が状況を理解した時にはもう、彼女の探し出せる範囲には神楽坂の姿は存在しない。

 

膝から崩れ落ちた燐香は、ただ茫然と血に濡れた携帯電話を抱きしめた。

 

 

 

 

 

 




次話から7章となります。
明日も更新予定です。


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剥がれ落ちる仮面


今回から7章となります。


 

 

 

 

フランス リヨン 国際刑事警察機構本部。

逃走していた『泥鷹』の構成員達と内側に強烈な光源が内蔵されている棺桶のようなものと共に、日本に派遣されていた職員達がようやく戻ってきていた。

派遣時とは打って変わった、包帯や介助用具を使用した職員達の姿に、『泥鷹』殲滅任務を任されていた本隊の者達は、思う所があるのか一様に表情を暗くする。

 

労いの言葉が交わされていたそんな場に、本部から飛び出してきたのは端正な容姿をした色黒の男性だ。

 

 

『ルシアッ!』

『あ、アブサント、静かに……』

『ルシアッ!!! こんなに怪我をして痛くないか!? いや、痛いに決まってるっ! だから俺は嫌だったんだ! ルシアには本部に残っていてもらうのが一番だって何度も言ったのにあのババアがっ……!!』

『アブッ! ヘレナ女史、私のすぐ後ろにいるからっ……! そういうのは後で聞くからっ……!』

 

『……どっちも失礼な事言ってるって自覚しなアンポンタン共』

 

 

あらかじめルシアが怪我をしたと聞かされていたアブサントが周りの制止を薙ぎ払ってルシアの元に駆け付けたのを、ヘレナはボヤキながらも2人を生温かい目で見ていた。

 

多少の罵倒は慣れている。

ヘレナにとって年若いこの2人の関係は、彼女にとって早く解決してほしいじれったい問題の1つでもあるのだから、自分をネタに彼らの仲が深まるのならそれでいいとさえ思っていた。

 

 

『……とっとと付き合っちまえば良いのにね。まったく……人の一生なんて短いんだから、うだうだ悩むのなんて時間の無駄だって言うのに』

『いやあ、お互い恋愛経験無さそうだしねぇ……どうだろうリーダー。俺がちょっと間に入って、2人の関係に刺激を与えるなんて』

『それをやったら去勢するから覚悟しな』

『ひえ……』

 

 

ロランを一言で黙らせ、何処か上の空のレムリアの背中を押して先に進ませる。

異能犯罪対策課のまとめ役なんて御大層なものについているが、自分がやっているのは手間のかかる奴らの面倒を見ているだけだとヘレナは心底思っていた。

嫌ではないが、勝手気ままに生きて来た時期が恋しくなる事があるのも仕方ないだろう。

 

本部から出て来た事務・連絡担当の職員に指示を飛ばす。

 

 

『ロランが上げていたこいつらの異能の詳細に合わせて、捕らえた奴らをそれぞれ拘束しておきな。グウェンはあらかじめ決めていた場所に収容。リストにあった銃器や装備も間違いがないか確認をするんだよ。『泥鷹』と言う組織はこれで完全に壊滅したが安心するには早い、後継組織が出て来る余地を潰すんだ、良いね?』

『了解しました、各員に通達します』

『それから、ウチの負傷者の手当はあの神薙の奴が手当てしていてこれ以上する必要は無いけど、一応形だけでも担当の医者に検診させておきな。その後に、拘束した『泥鷹』の奴らの怪我の具合も確認させるんだ。死なれても困る訳じゃないが、今後の利用できる可能性があるものは残しておくのが得策さね』

『既に担当医には連絡して、本部の中の医務室で態勢を整えさせています』

『流石だね。それで、『泥鷹』の逃走前に無力化した奴らはどうなってる?』

『楼杏(ろうあん)さんが、自分が全員尋問すると言っていて……』

『あいつにだけはさせるんじゃないよ!?』

『ベルガルドさんが今何とか説得してるみたいですが、早くヘレナさんを連れて来てくれと言う悲鳴を……』

『どいつもこいつもっ……!!』

 

 

一息すら入れられないのだと理解し、ヘレナが歯軋りする。

怒り心頭の彼女の様子に、このまま楼杏達の元に行かせると本部内で戦争が起こることを予感したロランが、慌てて声を掛けた。

 

 

『そ、そう言えば、内偵中は出来るだけこっちの詳しい情報は聞かないようにしてたんで教えて欲しいんですが、以前捕まえた“千手”ってどうなったんですか? あの歴戦の“千手”を良く捕らえたものだと思いましたけど、その後は……?』

『あ? ありゃ駄目だね、“白き神”にやられたせいか精神ズタズタ、異能の出力もありゃしない。ただの一般的な犯罪者になってるよ。情報を取るのも、協力させるのも無理だね。話はもう良いね? ちょっと楼杏を引っ叩いて来るからアンタは休んどきな』

『もう一つ! “白き神”の身柄ってどうなったんですか!? あれだけウチラを振り回していたアイツが今、活発に活動していないってことは確保できたんですか!?』

『……いや、それまでの出ていた出力の元を特定して駆け付けた時には既にもぬけの殻だった。身柄の拘束には至ってないよ。取り逃がしたが……何故だか今なお活動していない。理由は分からないね』

『なるほど……』

 

 

先ほどまでの気炎が収まりつつあるのを見たロランはほっと胸を撫で下ろし、最後のとどめとばかりに質問を投げかける。

 

 

『最後にもう一つ、リーダーって神薙隆一郎と昔からの顔なじみでしたよね?』

『ん、まあ、アイツの事は若い頃から知ってるよ。あの若造が“医神”と呼ばれるようになるなんてね』

『ははは、若造って、神薙隆一郎は確か90歳超えてるじゃないですか。いくら年齢不詳のリーダーでも彼を若造と呼ぶのは……』

『そんなことはどうでも良い。何が聞きたい?』

『……本当に彼、異能持ちじゃないんですか? 正直言って、世界規模で見てもあれだけの数の怪我人を短時間でここまで完璧に治療出来る技術を持ってるのは……聞いたことが無い』

『ふん、そんなことかい』

 

 

足を止めないでロランの疑問を聞き終えたヘレナは、すっかり先ほどまでの怒りが消えたのか、軽く鼻で笑うと考えるように眉間に皺を寄せた。

 

 

『異能持ち特有の出力は感じなかっただろう?』

『それは、まあ……』

『つまり現状、私達がいくら奴を疑っても異能持ちだと証明する術は無い。それに、あの若造の権威はもはや世界に名を轟かせている。下手に強硬な捜査をすれば、世界中にいる神薙へ恩を感じている奴らが一斉に動き出すだろうね。重ねて言うけれど、私達の今の立場は強固なものじゃない。明確な罪を犯していない、異能の所持が疑われるだけの奴を調査出来るほど強権を振るえる訳じゃないんだ。何か奴が悪さをしない限り、私らからの手出しは無用だよ』

『ふむ……まあ、あの人は聖人として有名だ。たとえ異能を持っていたとしても悪用はしないかな』

 

 

石畳の廊下を歩きながら説明を聞いたロランは、自分の疑心にそう折り合いをつける。

画期的な医療関係の新技術を無償提供、世界の紛争現場に自ら訪れ治療するボランティア、大規模な災害や紛争で発生した怪我人を保護するための基金設立と、神薙がしてきた偉大な功績は多くある。

彼の善行は数知れず、彼に救われた者は多くいる。

彼の聖人性を今更疑う人がほとんどいないのは、ある意味当然かもしれない。

 

 

『聖人ね……あいつがそんなタマかね』

 

 

だが、彼の若い頃を知るヘレナはそんな呟きをしながら、ふと昔を思い出す。

 

人を救うことに全霊を掛けていた。

死にかけで、普通の医者が匙を投げる患者さえ最後まで救って見せるとその手を離さなかった。

国籍も人種も違う、言葉すら通じないまったく見知らぬ他人の死を、我が事のように泣いていた彼の姿を思い出す。

 

そして。

 

 

『……聖人と言うよりもアイツは』

 

 

争いを起こした者達に向けた、彼の目を思い出す。

憎悪に濡れ殺意に満ちた、酷く感情的なあの目。

 

 

『弱者だけの味方。そう言う方が正しい気がするがね』

 

 

その憎悪の矛先を向けられたのなら、きっと。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

神薙隆一郎への国外の異能犯罪組織による襲撃を受け、日本政府は即座に異能犯罪を許容しない事を明言するとともに、対策部署の設立を急ぐと宣言した。

それまでの様な形だけの対応ではなく、国家予算を投じた本格的な戦力配備方針へと舵を切ったのだ。

 

それほどまでに、神薙隆一郎の名は日本政府にとって重い。

自身や親族、友人が彼の手によって完治したと言うのも珍しくは無いし、そんな私情を挟まずとも外交で他国が彼に配慮すると言うことも度々あるほどだからだ。

 

そんな彼が異能と言う超常現象が関わる力で狙われた。

国民からの批判を受けるまでも無く、例え現状とは反対の方向の声が多数だったとしても日本政府は迷わず舵を切っただろう。

 

そしてその煽りを、形だけとして設立された警視庁の対策部署も大きく受けていた。

 

 

「ぐええ……や、やってられないっス……警察庁ほか内閣、国会に提出する報告書を作れだなんて、いかれてるっスよぉ……。そ、それも、これまでの活動を含めて先日の襲撃の件を詳細にだなんて、私らはそんな官僚の真似事が出来る人材じゃないのに……疲労も怪我もまだあるのにぃ……」

「あー……私、もうこの仕事辞めます☆ 辞めて、やりますぅ……☆」

 

「お前ら、手を動かせ手を。口を動かして休んでんじゃねェ」

 

 

先日の襲撃の時とは打って変わって、カタカタとパソコンに釘付けになっている飛鳥達の顔色は悪い。

飛鳥達の文句を注意した柿崎も、その巨体を小さく縮めてパソコンに向かい合っているもののどこかやつれた様子を隠し切れていなかった。

 

 

「と言うか、柿崎さんは本当にもう少し休んでおいた方が良いんじゃないっスか? あれだけ血だらけで怪我も酷かったっスし」

「馬鹿野郎、あの病院での指揮を取ってたのは俺なんだから、その俺が居なかったら報告書なんて作れねェだろうが。逆に言えば一ノ瀬なんかは休みを取って構わねェんだ……まあ、心配してくれるのは、嬉しいがな」

「か、柿崎さんがデレた!? ついに私の有能さに素直に感謝するようになったんスね!? うひゃー! 照れるっス!!」

「……テメェは元気そうだから、しばらく休ませないようにって言っておこうか」

「あっ、それとこれは話が別っスよ! 待って待って待って……!」

 

(こいつら、うるさ……)

 

 

額に青筋を立てた柿崎と元気に文句を言っている一ノ瀬を他所に、飛鳥はにこやかな笑顔を浮かべたまま無言で机の上に置いた携帯に何の通知も無い事を確認していた。

 

 

(……神楽坂先輩から何も返信がない、か。あの子からも変なメールが来たっきり何も連絡が無いし……)

 

 

燐香達とあの病院で会ってからまだほんの数日。

あの件で忙しくなった飛鳥はともかく、私事で病院にいた神楽坂は忙しくなる筈が無いのに返事も無いのは何なのだろうと飛鳥は首を捻っていた。

それに突然燐香からメッセージが届いたと思ったら、『しばらく不用意に動かないでください』の一文だけ。

 

状況が全く分からない。

何か悪い事が起きているのだろうが、燐香がこんなメッセージを送ってくると言うことはどうにかできる目途が立っていると言う事なのだろうか、と飛鳥は思う。

取り敢えず仕事に集中しようと、再びパソコンに視線をやって、ふと同様に、柿崎も何やら携帯電話を気にしている事に気が付いた。

普段は気にもしていないのに、視線を自分の携帯電話に向ける頻度がやけに多い。

 

柿崎はしばらく視線をパソコンに彷徨わせていたが、一度強く瞼を閉ざすと、部屋の端で手持無沙汰に椅子に座って天井を見上げている“紫龍”を見て、それから飛鳥に視線をやった。

 

視線が合う。

柿崎が何か言おうと口を開き掛けたのを見て飛鳥が身構えた瞬間、部屋の扉が開いた。

 

 

「報告書の進捗状況はどうだ柿崎」

「……半分くらいです。浄前さん、取り敢えず今出来てるのを持っていくので確認を」

「ああ、分かった」

 

 

浄前正臣、公安特務対策第一課の課長を任されている人物。

キャリア組の人間で、その優秀さを幹部に広く評価されており、将来的には警察の最上階級に昇り詰めることは確実と言われている。

過去に神楽坂や落合が所属していた公安部署で、消えた100億の事件を未解決だった汚点こそあるものの、未だに彼の地位は盤石。

性格も悪くなく、自分の優秀さを鼻に掛けることも、他者を見下すことも無い事から人望もある。

 

普通なら犯罪者に加担する理由なんてない順風満帆な男、それが浄前正臣。

 

 

(……警察内部に裏切り者、ないし前に燐香が言っていた擬態する身体変化形の異能持ちがいるとして……)

 

 

飛鳥はそんなことを考えながら、横目で席に着いた浄前を見遣る。

 

 

(昔からその人物が警察内部に居たと仮定した場合、そして、その人物がこの部署内に居るとするなら候補は限られてくる。その内の1人がコイツだけど……怪しい素振りは未だに見せない)

 

 

流石に疑いが弱い今の段階で強硬策には出られない。

適当に伸びをしながら、「燐香に読心してもらうのが一番手っ取り早いのだからどうにかして警察内部に燐香を手引きして……」なんて、そんな方法を考えていた飛鳥はふとあることに気が付いた。

 

窓の外に鳥がいる。

鳴くこともしないで、じっと室内の様子を覗いている真っ黒なカラスが、その場に留まっている。

 

 

(何あれ、カラス? ……カラスって言えば確か、前に燐香が千手とやり合った時に……)

 

 

バサリッ、とそれまで身じろぎ一つしなかったカラスが飛び立った。

空に向けて飛んでいくカラスの先には、同じように数多のカラスが空を飛び回り羽ばたいている。

漆黒が空を覆うような光景に言い知れぬ不安を覚えた飛鳥は視線を落とす。

それから、携帯電話に流れて来るニュースの隅に、『カラスが集団で飛び回る姿がSNSに多く上げられている』と言う文面が流れて来たのを見て、飛鳥の顔が強張った。

 

 

「ちょ、ちょっと失礼します!」

「え、は? 飛禅のアホ、何処に行くんスか!?」

 

 

頭を過った嫌な予感が嫌に背筋を凍らせて、無性にすぐにでも燐香に確認を取りたくなってしまった飛鳥は、即座に部署から飛び出して人の少ない場所を目指して走って行く。

 

 

佐取燐香は“顔の無い巨人”と呼ばれる異能持ちだ。

確証や物証なんて無いが、少なくとも飛鳥はそれを疑っていない。

 

だが、それを知っても飛鳥は燐香の過去を深く聞いていない。

どうして世界で恐れられるようなことを仕出かしたのかを聞いていなければ、今の彼女の異能の出力では到底成し得ない過去の行為をどのようにして行ったのかも聞いていなかった。

これまで色々とごたごたがありすぎて、タイミングが無かったと言うのもあるし、今は穏やかに過ごしているのなら無理に掘り返すようなものでも無いだろうと思ったからだ。

 

彼女が過去に自分を助けた誰かであって、世界を脅かしていた“顔の無い巨人”であることは飛鳥にとって何ら問題では無かったのだ。

 

 

「――――チッ、あの馬鹿っ、電話に出ないっ……!」

 

 

数年前、顔の無い巨人が侵攻していたその手口にカラスを使ったものは無い。

カラスの異常な行動や露骨とも言える状況を作らず、ニュースや報道でもその前兆は予期させなかった。

つまり、こんな手段を取らなくても燐香には何かしら、世界を手中に収める手段がある筈なのだ。

ならばなぜ今は、こんなことをしているのか。

 

少し考えればそんなの簡単だ。

そのやり方では探知できない相手を、草の根を分けてでも探し出すために。

 

 

「やっと繋がったっ……! こんの、お馬鹿ッ……!! 一体何をして――――」

 

『――――口を閉じて、動かないで』

 

 

溜息混じりの無機質な言葉に、ピタリ、と走っていた飛鳥の足が止まった。

自分の意思で足を止めたのか、電話先の声で止められたのか、まったく分からない。

口が張り付いたように動かず声が出せない事に冷や汗が噴き出して、硬直している飛鳥に電話先の冷たい声が優しく囁くように話し掛けて来る。

 

 

『今、飛鳥さんは追跡されています。あれだけ目立つ退出をしたんですから当然ですが、取り敢えずその場で良いので聞いてください』

「……」

『ええ、はい、色々言いたい事や聞きたい事があるでしょうが、まず神楽坂さんですが行方不明になっています。あの病院で、私を乗せて来た車のあった場所に血の付いた携帯電話だけを残して行方を断っています、生死は不明ですが…………期待はしない方が良いでしょう』

 

 

驚愕する。

燐香から一息にもたらされた情報は飛鳥の想定を越えており思わず数秒思考が停止する、慌ててこれからどうするべきなのか考えを巡らせようとした飛鳥に。

 

 

『御察しの通り、カラスは私の出力機です。彼らの視界を使って状況や敵の捕捉、それから飛鳥さんの安全を確認しているのでお気になさらず』

「……!!」

『駄目です、飛鳥さんは目立つ行動を控えて大人しくしていてください……喋るのも駄目です、聞かれてます。良いですね、大人しく、報告書でも作っていてください。飛鳥さんは私がちゃんと守っていますから安心していてください。すぐに終わらせますから』

 

 

それだけ言うと電話が切られた。

携帯電話から流れる無機質なツーツーと言う音を呆然と耳に当てていた飛鳥は、震える目で携帯電話の画面を見て、ようやく自分の足や手が動くことに気が付いた。

 

 

「……どういうことなの?」

 

 

後ろを見る。

追跡していると言う者の姿は無い。

そして、姿を隠しているその存在を、飛鳥は探知することも叶わなかった。

 

飛鳥には、状況がどのように推移しているのか、誰が敵なのかも分からない。

ただ、自分の力が恩人にまったく当てにされてない事だけは理解できた。

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

世界は悪意で満ちている。

 

この世に生まれ落ちた生物は、誰だって最初は悪意など持っていない。

生きていたいと、誰にも責められるようなものではない願いだけを持っていて、あまりに弱弱しい赤子は誰かの手で庇護され成長する。

 

誰かの愛があって、生き物は生き永らえる。

例外なんて無く、誰かに愛されて生まれ落ちた赤子は育つのだ。

ならばなぜ、最初のそんな願いが満たされて、知性を持つように成長した者達は悪意を持って誰かを傷付けるようになるのだろうか。

 

分からない。

けれど、そんなきっかけは何であれ、悪意を持たない人間の方がこの世界には少なくて、可視化された想いの大半は悪意だった。

 

 

「……馬鹿だなぁ、私」

 

 

飛鳥さんからの通話を切って、私は切れた携帯電話を耳元から下すと空を見上げた。

 

烏が飛んでいる。

真っ黒で、空を覆い尽くすほどに。

彼らは知性を持ち、数が多く、空を飛び、何処にいても不思議ではない存在。

私の目となり、耳となり、異能の出力機となりえる都合の良い知性体。

 

私は大きな横断歩道の上からそれらが広く、都内を飛び回っていくのを眺めている。

彼らから送られる情報を頭の中でいくつも同時に写して、目的のものを探していく。

 

私は万にも及ぶ“目”を手に入れた。

 

 

「最初からこうしてれば良かったんだ」

 

 

神楽坂さんが居なくなったあの病院。

『泥鷹』と言う集団が襲撃した時に、『液状変性』の分身体が居たのは作為的なものでは無い。

作為的な何かがあれば、あの暗闇は異能を弾く性質を持つアイツにとってこれ以上無いくらい有利な場所で、分かりやすい成果をあげるために動く筈だった。

それが無かったと言うことは、あの場にいた『液状変性』の分身体は加害者の立場では無かった可能性が高い。

つまり、あの場にいた誰かが『液状変性』の本体であったのだ。

 

でなければ、私の“読心”が神楽坂さんを襲うと言う悪意を読み取れないなんてこと、ないのだから。

 

私は眼下に広がる人ごみを見下ろした。

彼らの内面が嫌と言う程良く見えて、自然と私の眉間に皺が寄っていくのが自覚できる。

 

 

「……久しぶりにこうして見るけど、どれもこれも変わらず汚らしい内面を晒して……」

 

 

下らない諍い。

下らない劣等感。

下らない欲望のままに、他人を傷付け貶めようとする醜悪達。

 

それらを見下ろす今の私は、いったいどんな顔をしているのだろう。

少なくとも神楽坂さんが言ってくれたような、優しい人間の顔をしていない事だけは分かっている。

 

 

「……神楽坂さん、貴方は誤解してる」

 

 

嫌悪が消えない。

憎悪すら沸くほどの嫌悪感が頭に痛みを走らせて、髪を掻き上げるようにして抑えた頭には、今なおズキズキとした刺激が孕んでいる。

 

でも今、そんなものは些末だ。

 

 

「私は貴方が思うよりもずっと、おぞましい形をしているのよ」

 

 

もはや犯人の目星は付いていた。

神楽坂さんの居場所、あるいは生死を確認でき次第、事を終わらせる。

 

そのための準備も、もう終わるのだ。

 

 

 

 

 



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憎悪の行く先

いつもお読みいただきありがとうございます!

感想に多かったマキナによる誘拐場所の特定ですが色んな理由があって無理でした。
ネタバレにはならないと思いますが、理由を書き出すので見たくない方は飛ばして下さい。

神楽坂さんの車に乗ったのは今回が初めてで車番とかを記録していなかった事や、異能を弾く外皮を使用して車を外部から隠した事、後はサトリちゃんのそういう方面への知識が足りなかった等が主だった理由になります。
それらに加え、サトリちゃん的にも冷静を取り繕ってはいますが冷静になりきれてい部分があり、状況にあった手段を新たに確立するよりも、過去にやっていた慣れ親しんだ手段を取ってしまったと言う形です。

作中でもう少し分かりやすく書ければ良かったのですが申し訳ないです…


 

 

 

神楽坂上矢の人生は他人に誇れるようなものではなかった。

 

少なくとも、神楽坂自身はそう思っていた。

 

子供の頃は手が付けられない悪ガキだった。

ネグレクト気味だった親に反感を抱き、勝手に授業中の学校を抜け出すし、危ないからやるなと言われた事は一通りやるし、学校の放送室や校長室の占拠だってやる。

持ち前の運動神経を駆使して道場破りよろしく色んな運動部に顔を出してちょっかいを掛けたりもしたりと、いたずらばかりする。

成長するごとに落ち着くかと思われた彼のいたずらは、身体能力の高さに比例するように次第にエスカレートしていった。

 

それでも子供時代の神楽坂を慕う者が多かったのは、彼生来の正義感の強さによるものだろう。

不正や不公平に対して敏感で、おかしいと感じたのなら相手が誰だろうと噛み付き、対立した。

気の弱い生徒に対してカツアゲしている不良や周囲に迷惑を掛ける暴走族、自己都合を子供に押し付ける大人が相手だって関係ないし、時には病院送りにしたこともあった。

神楽坂にとってはなんてことはない気晴らし程度のものだったが、彼に助けられた人達やその現場を見た者達からの評価は悪いものでは無かったのだ。

 

そんな、暴れ回るばかりの学校生活を送っていた神楽坂が変わったのは、中学2年生の時、1つ上の先輩との出会いがあったからだ。

 

 

『お前が神楽坂か? 睦月が言ってた以上に目つき悪いな、ははは』

『……誰だお前?』

 

 

竹刀袋を肩に掛けた長身の男が、学校の廊下で突然神楽坂に声を掛けた。

神楽坂の落合卯月(おちあい うづき)との最初の出会いはそんなものだった。

 

不良に絡まれていた妹がお前に助けられたらしいからそのお礼だ、なんて言って。

剣道部に所属する先輩である卯月は、それから何かと神楽坂を気に掛けてくるようになった。

廊下を歩いていれば何処からともなく現れて、教室に居れば妹に会いに来たついでだと話し掛けてきて、大して上手くもない剣道を興味も無かった神楽坂に教えるようになった。

 

頼んでもいない世話焼きに最初こそ気味悪がっていた神楽坂だったが、それも最初の内だけ。

 

下手くそな癖に剣道を励み、人格面で主将を任されている卯月の人柄に絆され、神楽坂はすっかり大人しくなっていった。

「お前はきっと警察官が性に合うから」と、勉強を教えようとする卯月の押しに負けて、勉強を始めた。

前に不良から助けたらしい(神楽坂は覚えていなかった)卯月の妹であるクラスメイトの落合睦月(おちあい むつき)と一緒に彼らの家で勉強するようになって、それまで悲惨だった神楽坂の成績がみるみる向上していった。

 

一足先に中学を卒業した卯月との関係はそれからも続いた。

勉強を教わり、武道の訓練を行い、いつの間にか自分の家よりも落合兄妹の家にいる時間の方が多くなった。

落合家の人々はおおらかで、そんな神楽坂を喜んで受け入れて、本当の子供のように接してくれた。

 

高校の学費の関係で実の親と対立して、バイトで稼いだ金で高校、大学と進んだ。

ほとんど絶縁状態になっていた親とは反対に、落合家とは時間を経るごとに本当の家族のようになっていった。

いつしか恋仲になった睦月と、それを祝福する卯月と両親。

仮初で、普通ではない関係だと分かっていたけど、神楽坂は彼らと過ごす日々が幸せだったのだ。

 

先に警察官になった卯月を追って、神楽坂も警察官となった。

お前の性に合っているだろうと、そんな風に言われたから目指していただけの職業だった筈なのに、気が付けば、落合家のような優しい人達の平穏を守りたいと言う夢を持つようになっていた。

恋人の睦月が危ない職業だからと不安そうに兄と神楽坂を見ていたが、そんな心配に申し訳なさを感じながらも、辞めようとは思えないくらい、人を助ける仕事が誇りだった。

 

 

『やっぱり俺の思った通り、上矢は警察官に向いてるよ』

 

 

警察官になってしばらくして、卯月に言われたそんな言葉。

がむしゃらに勉強してがむしゃらに日々の仕事をこなしていたら、気が付けば多くの人に評価され、エリートコースと言われる道に入っていた。

あれだけ荒れていた自分が、いつの間にかこんなにも周囲に評価されるようになるなんて思っていなかったし、卯月の期待に少しでも応えることが出来たのかと思うと内心嬉しかったのだ。

 

自分を見る卯月の嬉しそうな目が照れくさくて、神楽坂は素直にその言葉を受け取れなかった。

 

 

『上矢みたいな優しさにしか救われない人はいるんだよ、きっとな』

 

 

いつもと変わらない、人を有頂天にさせる馬鹿な事を言っていると思った。

そんなことある訳がない、粗暴な自分にはせいぜい悪い奴らを捕まえる事しか出来ないのだから陰ながら平和を守ればいいのだと、ある種の割り切りを持っていたから、卯月のそんな言葉には耳を貸さなかった。

 

神楽坂の様子に苦笑いする卯月と、仕方ないと言う風に2人を見て微笑む睦月。

卯月と同じ課に配属されて、様々な事件を解決するようになって、恋人の睦月とは結婚の話まで出て、何もかも順風満帆で、神楽坂は幸せで。

 

……とある銀行強盗事件の話が神楽坂達の元に舞い込んできたのはそんな折だった。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

“白き神”、白崎天満は重病を患っていた。

人並みに生活できぬ彼が誰かに異能について教わる機会があったとすれば、教える機会のある者はおのずと限られてくる。

そして、患っていた重病が完治したのと異能を使い始めたと思われるのが同時期だったことで、挙げる候補をさらに減らすことが出来た。

 

“医神”神薙隆一郎、白崎天満の治療を最後に担当したのがコイツ。

少し異能を用いて調べてみれば、誰が白崎天満の治療行為を行ったのかすぐに分かった。

単純なことだった。こんなもの……そもそも手段を選ばなければ私に分からない事など無かったのだ。

 

つまるところ、“白き神”と『液状変性』に“医神”。

これらが過去の日本において関係性を持っていて、程度の違いこそあれ、未解決事件『薬師寺銀行強盗事件』並びに『警察官の首吊り自殺』に関わりがあったのだと考えられる。

 

 

「……17体」

 

 

関連性を裏付ける情報は集め終わった。

出力機と化しているカラスからの送られた視界情報で分かったことは多い。

何よりも大きいのは、『液状変性』の異能についてだろう。

 

現代社会で生活する人の中に、神楽坂さんの後輩で会った伏木のように、擬態した分身体がいくつか存在していた。

これは当然予想していたことだが、自身の身の回りの防御へ回す分を考えると擬態した分身体はもっと少ないと考えていたのだが、完全に予想が外れた。

人の指部分を異能の核として使用していたから、最大数でも20以上は増えることは無いだろうと予想していたのだが、どうにも奴らにはそれを越える手段が存在しているようだったのだ。

 

私が確認した擬態した分身体の数。

政治家や企業の社長、省庁の官僚や著名人といった世間に影響力を持つ人物。

性別や年齢問わず、この辺りに擬態している分身体の数は東京に限って数えただけでも17体。

私が先日始末した5体を含めると、それだけで23体もの数になる。

つまりまさしく、この『液状変性』の異能を持つ人物は1人で日本と言う国家のかじ取りを行えるだけの権力を、誰に知られることも無く所有している事になるのだ。

 

 

「こいつらの全貌が見えて来た」

 

 

質の悪い、ただ私欲を満たすだけを目的とした者達ではない。

それこそ以前は仲間だっただろう“白き神”、白崎天満とは性質が全く違う。

 

裏で日本と言う国の舵を取りながらも、いくらでも金銭や権威を使えるにも関わらずそれらには手を付けず、かと言って悪用しない訳ではない。

明確な目的を持ち、権力を保持し続け、何かしらの理由を持って害する者を選別している。

 

……ここまでくれば何となくだが、彼らの動機は分かる。

 

 

「ただいま」

「あ、お姉さんお帰りなさい。急に雨が降ってきたけどっ、あっ、び、びしょ濡れだよ!? そのままだと風邪ひいちゃうよ!? バスタオル持ってくるからちょっと待っててっ!!」

 

 

そんな風に頭の中で情報を纏めながら家に帰ったタイミングで、丁度2階からを降りてきていた遊里さんが私を見て驚いたように目を丸くした。

 

急な雨に降られ、全身ずぶ濡れ。

髪はベッタリと顔に張り付き、さながらお化けの様な様相になっているのだろう。

ちょっとした怯えを見せる遊里さんに申し訳なさがこみ上げた。

 

私のあまりの惨状に、遊里さんは慌てて洗面所へバスタオルを取りに走って行く。

 

雨に濡れた体はいつの間にか冷え切ってしまっていた。

遊里さんの声が聞こえたのだろう、何事かと目を丸くした桐佳が暗記帳片手に部屋から顔を覗かせ、私の姿を見ると顔を蒼白にして駆け寄って来る。

 

 

「お、お、お姉っ!? 傘忘れたの!? 急な雨だったもんね……え、っと、お風呂沸かしてくるからちょっと待って」

「ありがとう。でもお風呂は良いから」

「そんなこと言ってっ、どうせ風邪で寝込むんだから素直にお風呂に入って…………お姉、どうかしたの……?」

 

 

いつも通りにしようと思っていたのに、どうにも演技が上手くなかったらしい。

私の顔を見た桐佳が動きを止めてしまった。

 

 

「どうもしてないよ。ちょっと雨に降られて気分が落ち込んでるだけ」

「嘘……お姉、雰囲気が怖いもん。怒ってるの……?」

「なんで私が怒るの?」

「それは…………私の態度が、悪いから、とか……」

「そんな事じゃ怒らないよ」

 

 

桐佳が動揺したようにそんな事を言って、私に向けて手を伸ばしてくる。

濡れた前髪を分けて私と目を合わそうとするのを、やんわりと払い除けた。

 

 

「部屋に戻るから。遊里さん、タオルありがとう」

「あ……」

 

 

遊里さんからタオルを受け取って、私はすぐに部屋に戻る。

髪に付いていた水滴を一通り拭い、私は電気も付けないでパソコンの前に立ち、問い掛けた。

 

 

「動きは?」

 

 

私の声に反応して、自動でパソコンが起動する。

 

 

『家、家族共に安全ダ。奴らの動きに変化はなし、普段通り病院で働いてル。昨日も特段どこかに寄ることも無かっタ。入院中の落合睦月に対して何かしらの行動も起こしても無い。奴らの家の中も確認済みだが……誰かを監禁している様子は確認できないゾ』

 

「彼らの姿は出力機を通して確認した。異能の出力を二人から感じず、同時に二人には読心も通らない。私みたいに出力の完全調整が出来るだけではこれは不可能、恐らく『液状変性』の外皮をどっちも纏っているんだと思う」

 

『前の分身体と同じ要領で良いならあの外皮程度問題にならない。御母様、マキナは何時でも行けル』

 

「……神楽坂さんが生きてるならその安全を確保した上で攻撃に転じたい。読心が通らない相手の行動を完全に支配下に置くのは難しいから、少しでもリスクは減らさないと」

 

『御母様、奴らには神楽坂上矢を生かしておく理由は』

 

「……」

 

 

目を閉じる。

 

実のところ、犯人の目星を付けるのは1日を要さなかった。

それでも、即座に制圧に移らなかったのは神楽坂さんの身柄が何処にあるのかを確認したかったと言うのが大きい。

数日間、準備を固めると言う名目で時間を置きつつ彼らの行動を逐一監視したが、彼らが神楽坂さんの監禁場所に向かう様子は全くと言っていい程無かった。

 

分身体を近くに配置しているのか、それとも別の理由なのか。

神楽坂さんを誘拐した彼らが、神楽坂さんの元を訪れることは終ぞ無かったのだ。

 

マキナがこれ以上の様子見は無駄だと言うのも頷けた。

過去、落合と言う警察官や伏木と言う警察官を亡き者にしている彼らがあの場で神楽坂さんを始末しなかったのは、ICPOや飛鳥さんがその場にいて、騒ぎを起こしたくなかった可能性が高いだけだった、そう考えるのが自然だろう。

 

だから、ここまで監視して、監禁している動きが無いのなら、きっと神楽坂さんはこの世に居ない可能性が高い。

 

 

「……もう、良いわ」

 

 

目を開けた。

パソコンに映る、心配そうな顔をしたマキナのアバターが私の表情を窺っている。

マキナに私は指示をする。

 

 

「様子見は終わりにしよう。マキナ、奴らを指定した場所に連れ出して」

 

『対峙するのカ? 御母様が出る必要は無い、御母様がマキナに指示するだけで終わル。すぐだゾ。すぐ終わる。ただでさえ御母様は弱ってるんだから、見たくないものなんて無理に見る必要は……』

 

「私は、奴らの本心が知りたい。マキナの力は分かってる、いざと言う時は頼りにしてる」

 

『むふー! ……あっ、じゃ、じゃない……御母様がそう言うなら、マキナは何も言わない』

 

 

マキナが動き出すのを見届ける。

これで、奴らは私が指定した場所に疑いもせずにやってくる筈だ。

 

ずっと我慢してきた溢れそうになるこの感情を、ようやくぶつけられるのかと安心した時。

ふと、これまでの事が頭を過った。

 

 

(……神楽坂さんは、私がこれからすることをどう思うだろう)

 

 

馬鹿真面目で、どうしようもない善人で、私を良い子だと言って頭を撫でてくれた人。

もしかしたら、人の痛みを思って同じように苦しむ彼からすれば、例え自分の仇だとしても非道行為が行われる事に拒否感を示すかもしれない。

もしかしたら、私が知らないだけで、先輩や後輩を殺めた奴らには憎悪を持っていて、憎悪の対象である彼らには出来る限りの非道を尽くしてくれと言ってくるかもしれない。

 

そんなありもしない想像をいくつかしてみても、辿り着いた結論は同じだった。

 

 

「……神楽坂さんはどんな事であっても、私が始末を付けるのは嫌がるんだろうな」

 

 

子供の手を汚させたくない、なんて。

彼はきっとそんな事を言い出すのだろう。

例え自分の命を奪った相手が居たとしても、あらゆる手段を使って復讐しようなんてことが出来るほど、神楽坂さんは器用では無かったのだから。

 

考える前からそんな事は分かっていたのだ。

これまで数か月間、根っからの善人と言えるあの人と接して、そういう人だと言うのは分かっていた。

それでも諦めきれず、少しでも自分を正当化しようとあれこれ考えてきたが、結局私が始末を付けた結果を見て、神楽坂さんが喜ぶ姿は思い描けなかった。

 

 

「善人が悪人に踏み躙られるのは見たくない。悪人がのさばって善人が苦しむのは不条理だと思う。それこそ傷付けられるのが知り合いだったら、いかに理屈を並べ立てられても私は我慢なんて出来ない。こんなのはエゴだって分かってる、でもね」

 

 

だから、これからやるのはあくまで私の意思によるものだ。

そこに他の意思や義務感や思惑など、これっぽっちも介在しない。

 

私が為す、私が果たす、私が下すのだ。

たとえ、法も、国も、神様が見逃しても、私が彼らは唾棄すべき醜悪だと断定しよう。

 

 

「……最初に手を出したのは、お前らだ」

 

 

きっと。

こんな事を考える私も、昔から変わらず醜悪なのだ。

 

 

 

 

 



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善悪の裁定

 

 

 

 

その日はいつもと変わらない1日だった。

 

神薙隆一郎の1日は忙しい。

高名な“医神”の治療を求めてやってくる全国からの人々を彼は可能な限り診察し、少しでも治療しようと、僅かな休憩時間すら取らずに働き続けている。

周囲の人達が齢90を越える神薙の体に掛かる疲労を心配する中、神薙は今日も疲労の色を一切見せずその日の仕事を終わらせた。

 

更衣室で着替えを済ませ、帰り支度を終わらせた頃には、時刻は夜の9時を回っていた。

同じように病院で働いていた者達に労わりの声を掛けつつ、当直の者達に何かあれば連絡するようにと言って病院を後にする。

 

 

「先生、お疲れさまでした」

「ああ、和泉君。わざわざ待っていたのかい?」

「はい、少しお話したいことが。その……あれ以降、連絡が途絶えることがなくなりまして」

「それは……」

「……泳がされているのか、それともアイツ自身がやっていたのか……どちらにせよ、やはり関わっていたのは間違いないようです」

 

 

雨の中、神薙を待っていたのは和泉雅(いずみ みやび)と言う名の看護師。

仕事の時は小さく纏めている長い髪も、仕事終わりの今は腰まで下ろされ、たれ目をした彼女は職業上の先入観を持たなくても、優し気な雰囲気を他人に感じさせるだろう。

実際、彼女は看護師の仕事を誠実に勤め上げており、院内での評価も、患者達からの評価も非常に高いもの。

 

だが、その本質は優しさとは程遠い。

 

 

「――――まあ、ようやく邪魔な奴が消えてくれて安心しました。あれだけ忠告してやって、せっかく見逃してやったのに、また先生の邪魔をしてくるなんて…………付ける薬の無い馬鹿はどうしようもないものですね」

「和泉君。いつも思うが、君の仕事が終わり次第のその豹変は……普段の君に憧れている人達が知れば吃驚してしまうよ。もう少しお淑やかに、だね……」

「育て方を間違えたかな、ですか?」

「……私の喋り方をマネするのは止めなさい」

「そうは言っても、長年一緒に過ごしてきた親代わりの人に口調が似るのは仕方ないと思うんだよ先生。正しく、私が先生の影響を受けていると言う話だね」

「ああもう、既に敬語も抜け落ちてる……」

 

 

溜息混じりにそう呟いた神薙に、和泉はコロコロと無邪気な笑みを浮かべた。

 

病院からの距離はもうかなりのもの。

それに伴って、仕事用の態度はもう良いだろうと判断したのか、和泉の表情や口調が全くの別物へと変貌を遂げていく。

 

たれ目の穏やかな笑みは、薄ら笑いを浮かべた酷薄なものに。

誰に対しても柔らかな口調は、神薙に似た老人めいたものに。

何よりも、今の彼女の瞳には隠し切れぬ狂気が溢れていた。

 

スキップでも始めそうな足取りで隣を歩き始めた和泉を横目で見遣り、神薙は思案混じりに口を動かす。

 

 

「……大体、あまり私生活上で私に接するのは少なくしなさいと言っているだろう。君が昼休みや仕事終わりの私にこうして関わりに来るから、男女関係にあるなんて噂があったりもするんだよ。父親代わりに君を育てて来た私としては、そろそろ君も恋人の1つや2つ作って安心させてほしいんだが……」

「先生は奥方を、私を養育するよりもずっと前に亡くされているし、そういう下世話な噂で迷惑の掛かるようなことは無いだろう? それに、私にはそういう普通の恋人を作る価値観が欠落しているようなんだ。なに、そう心配しないで欲しい。今はこうして先生と話をしているだけで、私はこれ以上無いくらいしっかり充実感を得ているからね」

「まったく……」

 

 

そんな風に、彼らにとっては何でも無い話をしながら、神薙達は帰路を歩く。

 

すっかり暗くなった帰り道、雨音だけが響くやけに静かな街中。

動物の鳴き声1つしない暗闇の中、神薙と和泉の取り留めのない会話は弾む。

すれ違う者の様子など気にも留めない都会の人達の中、神薙達は仕事終わりの疲労など忘れたように歩き続けた。

 

時間にして数時間。

ビル群を抜け、交差点を渡り、駅を経由した。

いつも通りの帰り道。

見慣れた筈の帰宅途上。

彼らは見覚えのない廃倉庫へとたどり着いた。

ボロボロの、人気のない倉庫には今の時間もあって人目は何処にもありはしない。

 

 

「あれ? 先生、ここは……?」

 

 

最初に異変に気が付かされたのは、和泉だった。

和泉の疑問の声に、さらに廃倉庫の奥に進もうとしていた神薙の足が止まる。

 

 

「……なんだ? 確かに家までの道のりを歩いていた筈なのに……ここは何処だ」

「待ってくれ先生。病院を出たのは9時頃だった筈だろう? 家に着くのに1時間も掛からない私達が、どうして0時を回っている今、見覚えのない場所にいるんだ?」

 

 

神薙達が勤務する病院から家まで、バスを使って30分。

徒歩の時間を含めても1時間を越えることは滅多にない筈であるにも関わらず、数時間を掛けて自分達は見知らぬ場所に辿り着いている。

高齢の神薙だけならアルツハイマーと言ったものも考えられるが、2人して疑問も抱かないなんて事、普通は考えられなかった。

 

街灯1つ無い廃倉庫と言う静寂に満ちた暗闇の中、あまりの不気味さに和泉は表情を引き攣らせ、神薙はまさかと思い当たる節を呟く。

 

 

 

「………………私達は、異能による攻撃を受けている、のか?」

「先生っ、そんな馬鹿なっ。私達は全身を覆うように――――」

 

「――――異能の出力を弾く外皮を纏っているのに、ね」

 

 

反応は瞬時。

背後から掛けられた誰かの声に、和泉が振り向きざまに液体化させた鞭の様な腕を振るう。

が、背後から掛けた筈の声の主はそこにはいなかった。

 

姿無き異能持ち。

そして、相手は完全にこちらを捕捉し、性質を理解した上で攻撃を加えている。

明確な異常事態に、神薙と和泉の背中に冷たいものが走る。

 

 

「話し合うことも無く攻撃に転じた。いいわ、そちらがそのつもりなら私も交渉の余地は無いと判断するから」

「――――待ってくれっ!」

 

 

ぞっとするほど感情の無い声に、咄嗟に神薙が声を張り上げた。

臨戦態勢に入ろうとする和泉を手で制し、神薙は姿の無いその人物からの攻撃を一時的にでも収めさせようと思考を回す。

 

突如として目の前に現れたコレは、神薙が見てきた何よりも凶悪なのだと脳裏の警鐘がけたたましく鳴り続けている。

 

 

「君は誰だ!? なぜ私達を狙う!? 異能持ち、それも精神干渉系統の異能だな!? こちらには交渉に応じる余地があるっ、攻撃を止めてくれ!」

「先生っ」

「和泉君は大人しくしていなさいっ……!」

「……」

 

 

これまで見たことも無い、一切の余裕の無い神薙の姿を前にして和泉が息を呑む。

状況は最悪に近いのだと理解した和泉がそっと周囲を見渡し、それから、両手を上げて、降参するとでも言うようにその場に座り込んだ。

神薙も同様にその場に座り、無抵抗を示すように両手を背中に回した。

 

これは賭けだ。

姿を一切見せないこの存在が、無抵抗な者を攻撃しない事に神薙は賭けた。

そしてその賭けは、首の皮一枚の差で神薙達の生命線となったのだ。

 

沈黙が人気のない廃倉庫を包む。

 

 

「……話をしよう。私達は理由も無く争うべきじゃない」

「状況を理解して最善を選び取る能力は随分高い。年の功は伊達じゃない訳ね」

「君の、望みは何だ……?」

 

 

解答されないだろう問い掛け。

だが、どうしてもこの質問をしなければ交渉の席に着くことすら出来ないと神薙は分かって切り込んだが、その返答は酷く冷めたものだった。

 

 

「なぜ私が貴方達の問い掛けに答えなければならないの?」

「いやっ、すまない。そんなつもりでは無いんだ。そうだね、順番に質問していこうか。疑問があれば聞いてくれ。出来るだけ答えていこう」

 

 

まずい、と思った。

少し会話しただけで分かる相手の攻撃性。

交渉しようと言いつつ、何かしらの理由さえあれば攻撃に移ろうと言う意思を感じる。

 

出力の検知さえ叶わず、姿を一切見せず、そして何よりも誰であるのかの候補すら出てこないのが恐ろしい。

 

 

「確認する」

 

 

神薙の提案をまともに取り合わず、ソレは告げる。

 

 

「1つ、5年前の2月28日、貴方は“白き神”を自称する白崎天満の治療を行った。白崎天満に異能の存在を教え、白崎天満はその力で過去の未解決事件『薬師寺銀行強盗事件』を計画、実施した」

「……質問の意図が分からない」

「2つ、異能が世間に知られるのを危惧した貴方は『薬師寺銀行強盗事件』を実行犯の死亡で片付けるため隣の女の『液状変性』を利用し、当時から警察内部に入り込んでいた擬態を使って事件捜査を終わらせようとした。けれど警察内部の数人の人物が反抗。独自調査を始めたことで彼らを手に掛けることを決めた。その最初の標的が落合卯月」

 

 

押し黙る。

過去の事件を踏まえ、ソレは神薙達の過去の犯行を羅列している。

カマを掛けたり、顔色を窺う様なものでは無い。

絶対的な確信を持っている。

 

文字通り確認作業を行うだけのソレの言葉に、神薙達は地面に座ったまま口を噤んだ。

 

 

「3つ、隣の女の異能『液状変性』を利用した擬態を広げ、現在は警察内部のみならず政治家や企業の重役、著名人やジャーナリストと言った影響力を有する人物に分身体を成り替わらせている。最近では過去の事件、落合卯月の自殺について独自調査を進めていた伏木航を処分して成り替わり、過去に取り逃がしていた神楽坂上矢及び異能の核心に触れる研究をしていた佐取優介の殺害を計画した。新たに就任した警視庁警視総監の毒殺を図ったのも、貴方」

「先生、こいつは……」

「過去の共犯である白崎天満の世界的テロ行為が阻止された事で自分達の存在が明るみになるのを恐れた事。異能の存在が世間に広まりつつある現状を憂いた事。活動を活発化させてなかった貴方が再び暗躍を始めたのにいくつか理由はあるようだけど、正直に言うと私にとっては動機なんてどうでも良い」

 

 

焦りを含んだ和泉に反して、表情の抜け落ちた神薙は視線を地面に固定したままだ。

探偵に犯行を暴かれている犯人の姿としては、酷く落ち着いた様子の彼はゆっくりと顔を上げた。

 

 

「……それで?」

「目的は何? これだけ多くの人を犠牲にして、貴方はいったい何をしたいの?」

「……人外染みた力と情報収集能力を持ちながら気にするのは結局そんなことかい? なるほど、和泉君の異能の力で読心が出来ない、そんなところだね」

 

 

医師として患者に接している時とは掛け離れた、薄く冷たい笑みを浮かべた神薙が問いかける。

 

 

「君が、“顔の無い巨人”だね?」

「そう名乗ったつもりはないわ」

「ああ、分かっているさ。形も名前も分からない未知を人は畏れるからね。どうしたって、何も分からないモノと遭遇した時、人間は名称を勝手につけたがる。私の“医神”と言う呼び名もそうだ――――正直に言おう、君には昔から会いたいと思っていた」

 

 

一瞬、間を置いた。

 

 

「なぜ、世界を支配するのを辞めた?」

 

 

お前ならそのままやれただろう、そう言外に告げている。

 

怒りが含まれたそんな質問に、姿を見せない存在は少しの間沈黙した。

沈黙の中、最初に口を開いたのもまた神薙だった。

 

 

「君は、人が死ぬ場面を目撃したことはあるかい?」

 

 

彼にもう笑みは残っていない。

ただ怒りに満ちた激情だけが露わになっている。

 

 

「君は、不条理に命を奪われた人の遺体を抱いたことはあるかい?」

 

 

隣にいる和泉が呆然と神薙を見るくらい、彼の怒りの感情の発露はあり得ないもの。

それでも憤怒を叩き付けるように吐き出す、神薙は隣にいる和泉の様子など気付かないのか、彼女に一瞥することなく“顔の無い巨人”の問いかけを首肯する。

 

 

「君が指摘した事は事実だ。全て私が関わっている事に間違いはない」

 

「私がしてきたことは人殺しを含む、俗にいう犯罪行為だ。だが、それは悪か? いや、そうだろう。人を殺める事は人間社会で生きていく上でも、道徳的にも、きっと何を措いても許されることでは無い。そんなことは私だって分かっている。けれどね。自分の欲望に負け、特権を利用し利益を貪る者達を処分することが誰かの害になるのかい? 国の機運を左右する立場にいる人間が恐ろしく無能であれば、その不利益は誰が受ける? ……例えば、下らない権力者の面目の為に引き起こされた戦争の犠牲は、いったい誰の悪の上に成り立つものだと言うのかね? そしてそれらに罰を下すのはいったい何だと言うのか」

 

「私は医者だ。“医神”などと呼ばれても救えない人は数多くいた。私の力不足で生きられなかった人は確かに存在する、私自身がそう明言しよう。そして言ってしまえば、私以上に人の死を間近で見て来た人間はいない。人の死の重さを私以上に理解している人間など、この地球上に存在しないんだ」

 

「命は掛け替えのない大切なものだ。だが、世界には他人の生死を些事にしか思っていない人間はいて。君の役職や年齢は分からないが、きっと君が思うよりもそれらはずっと数多い。多くの人間がそれらに奪われ、不幸にされる。奪われるのは何時だって、頼る人もいない力の弱い一般市民だ」

 

 

だから、と神薙は続ける。

 

 

「そういう人間を適切に処分する者が必要なんだ。そうでなければ、何の罪も無い人達が傷付くのは分かり切っている」

「自分の行いは悪人や無能を排除しただけに過ぎない、ね……自分は裁定者に値すると?」

「少なくとも、人の命を救ったことも無い権力者よりはずっと」

 

 

断言した。

嘘などなく、自分の行いを認めながらも間違いではないと確信している。

悪を為す自分が、名も知らぬ誰かの為に必要なのだと覚悟しているのだ。

 

勘違いしないで欲しい、そう言って神薙は立ち上がった。

 

 

「君が羅列したものは確かに私が為した悪だ。けれどその先の目的は決して私利私欲などではない。あくまでこの国が再び戦争の災禍に見舞われないように。多くの人が死に至るようなことが無いために。剪定しているに過ぎないんだ。裁定から零れた者からすれば、多くの命を奪う私は悪だろう。だからこそ同時に私は医者として多くの命を救い続けよう。一つでも多くの命を救い、未来で失われる可能性を少しでも無くすことに全力を尽くす。奪った命に対する贖罪にはならないだろうが……私は私の務めを果たす。“顔の無い巨人”、君が世界を支配するならそれでも良いと思っていたが、君がやらないなら私がやる。それだけだよ」

 

 

昔、全ての傷や病を治して見せると燃えていた男がいた。

理想を夢見て、努力を積み重ね、そして戦争と言う災禍に救って来た命を奪われた男がいた。

“医神”と、“聖人”と、呼ばれる老人の原点はそれだった。

そして、今の彼もその地続きにいる。

 

“顔の無い巨人”は冷たく彼の発言を見定めた。

 

 

「随分と素晴らしい価値観ね。理想論に似せようと言う努力さえ感じられる。いいえ、どちらかと言うと、無理に聖人になろうとした人間を見ている気分」

「老人の戯言だと笑うかね?」

「個人的にはそこまで嫌いじゃないかもね。悪を屈し善を助ける、素晴らしい思想だと思うわ。でも、貴方はその発言を実行できていない。正義を為していると思っているのは自分だけだなんて、傍迷惑にもほどがあると思わない?」

「……どういうことかな?」

「異能の力を使って社会を正す。言ってしまえば貴方のやっている事はそれだけ。でも例を違わず、貴方も異能の力を御することができていない。白崎天満も、隣の女も、貴方の考え方に共感も理解もしていない、首輪を付けきれていないから貴方の理想と乖離して無用な犠牲者が産まれる。事実、善良な警察官の方々を手に掛けている貴方達は、悪を挫く者とは言い難い」

「…………警察のように、自らの意思で国家権力の僕になっている人間には上に逆らう自由は存在する筈だ。自分が守っているものが正しいのかも見抜けないような者達も、私の粛清対象となりえる……進んで排除しようとは、思わないがね」

「それは本心? 随分と浅い理由ね、まるで後付けの理由のように思えるけど」

 

 

心当たりがあったのだろう、一瞬沈痛な面持ちを浮かべた神薙とは異なり、指し示された和泉は怒りの表情を浮かべ食って掛かった。

 

 

「私が先生を理解していないだなんてっ……ふざけた事を言うなっ!! 私は誰より先生を理解して、誰よりも私が先生の力になっているんだっ……!! お前なんかに何が分かる!」

「さて」

 

 

鬼気迫るような和泉の様子を一笑した“顔の無い巨人”は、彼女を無視して神薙に言葉を向ける。

 

 

「情報は人を介すごとにノイズが混ざる。人を本当の意味で従えるのは、深層心理でも読み取れない限り無理な話よ」

「……君は、神楽坂君の関係者か?」

「関係者、と言うのは語弊があるけどね」

 

 

なぜ今、“顔の無い巨人”が自分達の前に現れたのか考えが及んだのだろう。

先日、手に掛けた男の姿を脳裏に映して、目をつぶった神薙がゆっくりと話し出す。

 

 

「彼には悪い事をしたと思っている。私に罪は無いとは言わない。だが、あんなことをしようとは思っていなかったんだ。私が治療した白崎君が先走り、彼の恋人や恩人に手に掛けてしまった。何とか神楽坂君に手を出そうとするのを止めたが……本当は、彼も同じようにしてあげるべきだったんだろう。1人生き残らせるだなんて、あまりにも可哀そうなことをした」

「……先日は、可哀そうな状態だから手に掛けたと?」

「違う。彼は正しく私の喉元に手を掛けていた。過去の事件から私に辿り着くのも時間の問題だと判断せざるを得なかった。だからこそ手を打ったんだ……けれど、数年前のあの時。白崎君が落合睦月を洗脳し、落合卯月を自殺に追い込んだあの時に。私は彼に意味の無い情を掛けるのではなく、命を奪う選択をしておくべきだった。結局こんな選択をするのなら、彼が苦しみ続ける数年間を作るなんて事をするべきでは無かったんだろう。今になってそう思うよ」

 

 

罪の告白に似た神薙の言葉。

まるで終わった事のように話す神薙の発言に、これまでの何よりも、“顔の無い巨人”は大きな反応を表した。

 

 

「それは……」

 

 

それは、“顔の無い巨人”にとって何よりも聞き逃せない情報だったからだ。

 

 

「……神楽坂さんは……もう、苦しむ必要もなくなったと言うんですか?」

 

 

それまで冷徹で、平坦だった“顔の無い巨人”の口調が揺れた。

人の形を見出せなかった姿の無い化け物が、ようやく見せた人間らしさ。

会話をしていた神薙も当然その変化に気が付き、同様に隣で怒りの形相を見せていた和泉も気が付いた。

 

神薙は眉を顰め、和泉は突破口を見付けたと笑みを浮かべる。

何か言おうとした神薙に反して、和泉は優し気な口調で口を挟んだ。

 

 

「ああ、なんだ、君は神楽坂を助けたいんだね? そうならそうと早く言ってくれればいいのにさ。良いよ、それならこれから君のお仲間の神楽坂を連れてきてあげるよ」

「和泉君、なにを――――」

「ほら、そっちを見てごらんよ」

 

 

和泉が指差した先。

廃倉庫の入り口に近い場所に立つ、1人の長身男性の姿。

ボロボロな服装をして、クシャクシャになった手入れされていない髪と疲れ切ってこけた頬の、年齢よりもずっと歳を喰って見える中年男性。

 

いつか見た神楽坂上矢の姿がそこにあった。

 

 

「…………神楽坂さん」

 

 

“顔の無い巨人”――――佐取燐香が呆然と呟いた。

心のどこかで諦めていた人の無事な姿を見て、動揺が隠せなくなる。

そんな燐香の姿を見て、神楽坂が困ったように笑った。

 

 

「……心配かけたな」

「…………」

 

 

いつも通り、こっちの心配なんてちょっとも分かっていないような神楽坂の様子に、痛みに耐えるように表情を崩した燐香が片手で胸元を強く握って俯いた。

 

 

「その、悪かった。見ての通り無事だ。色々痛めつけられたけど、命に別状はない。連絡できなかったのは……携帯を叩き落されていてな」

「……神楽坂さん」

「ん、どうした?」

 

 

顔を上げた燐香は寂しげに笑う。

 

 

「私は本当に貴方を助けるつもりでした。貴方の馬鹿みたいな善性は、何も分からなくなっていた私を導いてくれて。私を認めてくれた貴方の言葉に救われたのは一度だけではなかった。幸せになってほしいって本気で願っていたんです。辛い過去を経験してきた神楽坂さんには、この先明るい未来がありますようにって……本気で、願ってたんです……」

 

 

泣き出しそうな顔で「だから」と、燐香は血を吐くように言った。

 

 

「……貴方を救えなくてごめんなさい」

「――――」

 

 

パンッ、と。

神楽坂に擬態していた和泉の分身体が弾けた。

ぼたぼたと、それを形成していた液体が地面に広がっていく。

 

分かっていた。

当然、こんな場所に誘拐された人が現れる訳がないのだ。

人質を出してどうにかできる状況でも無いのに、自由に人質になりえる人間を出歩かせる訳がない。

本物の神楽坂上矢でない事だなんて、異能を使わなかったとしても燐香には分かってしまう。

 

 

そして……分身体を擬態に使う時の条件は分からないが、これまでこの分身体が擬態してきた相手は決まって命を落としていた。

 

 

「……」

 

 

人を識別する固有名詞である名前。

人を信頼させるには何よりも重要なそれを、神楽坂に擬態した分身体は終ぞ呼ばなかった。

燐香についての話も、異能についての詳細も、もしかしたら協力者の存在すら、連れて行かれた神楽坂は何も話さなかったのだろう。

 

だから彼らは燐香について何も知らない。

だから和泉は神楽坂を、ただ注意を逸らすだけの駒としてしか使う事が出来なかった。

 

もう、地面に落ちて広がる液体はそれまで人の形をとっていたのが嘘のように、ほんの少しだって動くことは無い。

燐香の手を引いてくれた人の姿をしたものは、もうほんの少しだって動かない。

 

 

無防備な燐香の背後から襲い掛かってきていた和泉の針の様な腕を、虚空から現れた巨大な足が踏み潰した。

 

 

「足っ!? やっぱり読心出来る奴には擬態なんて通用しないだろうねっ! けど、集中が途切れたから姿が現れてるんだよ“顔の無い巨人”!」

「……子供だったなんて……いや、そんな……」

「先生っ! コイツは紛れも無い“顔の無い巨人”だ! 外見に惑わされて気を抜くなんて出来る相手じゃない!」

「……分かっている。今更、誰が相手だろうと私はやるしかないとも……」

 

 

2人は異能を解放する。

練られ、使い慣れた彼らの異能の出力に無駄は無い。

必要な分だけ、強力な質を伴った、非常に強力な力だ。

生み出される超常の力は並大抵ではなく、それぞれが凶悪な異能を所有している。

 

『液状変性』と『製肉造骨』。

人智を越える才覚を持つ2人が、ただ立ち尽くす1人の少女へ目掛けて全力で振るわれる。

 

だが。

 

 

『御母様』

「……分かってる」

 

 

奈落の底から這い出るような、おぞましい出力が目の前で蠢きだし、2人は自分達の異能を停止せざるを得なくなる。

 

酷くゆっくりと神薙たちの元へ振り返った少女は、冷え切った人形のような表情を神薙達に向けた。

 

 

「……探り合いの会話はもう充分。もはや交わすべき言の葉は腐り落ちた」

 

 

打ち捨てられた家電が火花を散らす。

静寂を保ち周囲を取り囲んでいたカラスの群れが一斉に声を上げる。

まったく知覚できなかった、少女と動物達の姿をようやく捉えたと言うのに、神薙達は全方位から自分達を囲むように向けられた数えきれない程の異能の出力元を知覚して、どうしようもない焦燥に駆られる。

 

状況を理解すればするだけ、彼らの抱く恐怖は具現化していく。

 

 

「口論も、闘争も、殺戮だって必要ないけれど」

 

「貴方達はこれから、血が通うだけの人形に成り果てるから」

 

 

やけに通る少女の声。

おぞましい光が宿った少女の目が、神薙達を敵として捉えている。

 

 

「せめて、恐怖に満ちた最後の時を存分に味わって――――消えていけ」

 

 

異能の刃が、お互いを狙い動き出した。

 

 

 

 

 



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掲げた正義の行く末

 

 

 

燐香と神薙達が接触するよりも少し前。

 

人々が寝静まる深夜に入ろうとする時間帯。

疲労困憊に至りながらも仕事を終えた飛鳥は、未だに家に帰っておらず、東京の街中を携帯電話と地図を片手に走り回っていた。

 

既に十か所ほど目星を付けた場所を巡り終えた飛鳥は、確認を終えたマンションの当直室を後にしながら、携帯電話で口早に誰かと通話して情報のやり取りを行う。

 

それは定時連絡のような、事実だけを伝える簡潔な連絡だ。

 

 

「3番町から荒川方向への通行を確認出来ました。これから橋方面を当たります」

『こっちの南千住は外れだ。俺と一ノ瀬は荒川周辺の河川敷辺りを漁る』

『今のところ私達の方に追尾してくる人などは見られないっスけど、そっちは1人なんスから気を付けてくださいね』

「分かってるわ。そっちも気を付けて」

 

 

飛鳥はそう言って、通話を切った。

あらかじめ目印を付けていた地図の、確認できた部分に色を入れる。

そうして地図上に浮かび上がった進路を確認し、傘を差した状態でふわふわと空を飛ぶ。

 

深夜の暗闇の中の雨の中だったとしても、こんな風に周囲に見られる危険の中で空を飛ぶなんて事は無かった。

今はもう世間に知られている立場にあるから、そんなもしもがあっても問題無いと言う吹っ切れを飛鳥に与えていた。

 

何よりも、今は時間がない。

 

 

「……」

 

 

着地する。

周囲にいた数少ない人が己の目を疑い飛鳥を何度も見返す中、彼らを無視して地図上のあらかじめ目印を付けた建物へと足を向けた。

 

通話で話していた橋の近くのどこにでもある、少し警備が厳重なだけのマンション。

その正面玄関の前で足を止める。

 

 

「……ようやく出て来たわね」

 

 

飛鳥は足を止めたまま、招かざる客の為に背後を振り向いた。

いつの間にかそこに居た、スーツ姿の、帽子を目深に被った長身の男性を前にして、飛鳥は凶暴な笑みを浮かべた。

 

 

「意味の無い顔隠しは止めにしなさい。アンタが邪魔しに来ることは分かっていた。だからわざわざ足取りを追いやすいように異能を使って移動していたんだもの。私の誘いに乗って見事に釣られたスライム人間――――そうですよねぇ浄前課長☆」

「……柿崎と一ノ瀬はどこにいる?」

「ただのスライム人間には知る必要も無い事です☆」

 

 

スーツ姿の男が目深に被った帽子を脱ぎ捨てる。

警視庁公安部特務対策第一課で何度も見て来た、浄前正臣が昆虫のように無機質な双眸で飛鳥を映している。

 

飛鳥達警察の動きを監視していた内通者の存在、その正体がコイツだった事に飛鳥は微塵も驚きを見せていない。

そもそもコイツには怪しい部分が多すぎたのだ。

 

過去、警察官やその家族の不審な死や事故の被害の周囲にはこの男の影があった。

それら被害者となった警察官に多少なりとも関りがあり、警察内部でも影響力を持ち、不自然なほど優秀な男。

 

そして、浄前正臣がスライム人間である確信の決定打となったのは予想外にも、柿崎からもたらされた情報によるものだった。

 

 

『――――奴の生活インフラが伏木と同様だ。ほとんど使われてない』

 

 

燐香からの電話で知った神楽坂の誘拐。

以前より神楽坂と情報のやり取りをしているようであった柿崎にその件を伝えると、同じように神楽坂からの連絡が途絶えていた柿崎はすんなりと事態への納得を見せ、その情報を飛鳥に伝えたのだ。

 

 

『お前が別の誰かとやり取りしているのは分かっていた。お前が内通者かと疑った事もあったが、話で聞いていたスライムとお前の異能とやらは違った。何よりあの病院でのお前の仕事に対する姿勢を見てこの疑惑は既に捨ててある。俺はお前を信じよう』

 

 

簡潔にそう言った柿崎からの、協力体制の申し出を思い出し、飛鳥は目の前の人ならざる存在に対して異能を向ける。

 

 

「神楽坂先輩を攫ったのは貴方達の親玉ですか? 異能を弾く外皮とやらを所有する連中、あの病院を襲った『泥鷹』も貴方達の差し金かと思いましたがどうやら違うみたいですねぇ」

「答えると思うか? ……とは言え、君の事は高く評価してたんだが」

「今更関係の修復は不可能ですね☆」

「だろうな」

 

 

浄前の腕が銀の液体に変異した瞬間、飛鳥の懐から飛び出した赤色のお手玉が弾け飛ぶ。

手作りのそのお手玉の中身は、小さな鉄屑やガラス片を内封した凶器。

弾けて飛び出したそれらの凶器が、渦を巻くように飛鳥の周囲を飛び回る。

 

一つひとつは少量のそれも、5つもあればそれなりとなる。

 

 

「出力が上がったので本当はこういうのも新調するべきなんでしょうけど。これまでそんな暇が無いくらい忙しかったですし、なによりこれ気に入ってるんですよねぇ」

 

 

異能を弾く外皮を纏っていると言うことは、恐らくスライム人間を異能で浮遊させることは出来ない。

人がいる街中で戦闘になれば、物を飛ばすだけ飛鳥は武器となるものが限られてしまう。

だからこそ、どれだけ非力だったとしても武器となりえるものを携行する必要があった。

 

 

(分かっていたけど、この状況)

 

 

さらに、鋼球が入った黄色のお手玉を浮かせ臨戦態勢を取った飛鳥は周囲の状況を確認する。

 

夜間帯とは言え、都市部であるこの場所にはまだ通行人が存在する。

状況が分からず立ち尽くしている者達ばかりだが、それらを巻き込まないよう立ち回る必要がある上、複数の分身体が存在するこのスライム人間の追跡がコイツ1人とは考えにくかった。

 

 

(犯罪者である“紫龍”の雇用も、警察内部を撹乱(かくらん)するためのコイツの差し金だったんだろうけど……これなら、“紫龍”の奴も何とか言い包めて協力させる方が良かったかもね)

 

 

けれど、異能を持っていない柿崎達の元へ行かれるくらいなら、まだ自分に来た方がやりようはある。

そう考え、飛鳥が目の前の不気味な人型を睨んだ時だった。

 

 

視界が揺れた。

 

 

「な、にっ!?」

 

 

違う、視界が揺れたのではない。

目の前にいた浄前の形をしたスライム人間が巨大な何かに叩き潰された。

 

バチュ、と言う気が抜けるような音がいくつか周囲から響き、その音が発生したいくつかの場所には物言わぬ水溜りが地面に広がっていく光。

草陰や物陰に潜んでいたモノ、一般人を装っていたモノ、浄前の形をしたモノ。

飛鳥に向けて攻撃しようとしていた複数のスライム人間が、ことごとく不可視の何かに叩き潰された。

先ほどまで話をしていた浄前正臣の姿すら無くなっているのを見て、飛鳥は自分を囲っていた脅威が一掃されたことを知る。

 

だが、こうして異常現象を目の当たりにしても、異能の出力は最後まで感じ取れなかった。

 

 

「……これは……こんなふざけた事を出来るのは……」

 

 

事の推移を窺っていた周囲の人達が状況を理解できず目を白黒とさせ混乱する中、飛鳥は遠くからの異能の余波を感じ取り、背筋を凍らせる。

胸の内に抱いた恐怖を振り払うように頭を振って、飛鳥は再び、今度は追跡してくる存在を警戒することなく走り出した。

 

きっともう、この街に潜んでいる恐ろしい分身体は残っていないと言う確信があった。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

顔の無い巨人。

 

かの者は都市伝説として、厄災として、あるいは世界的な異能持ちとして有名だが、実際遭遇した事のある者はほとんど存在していない。

レムリアやヘレナのように、異能の現象に遭遇した者こそ存在するが、それだってほとんどいないのが現状だ。

 

確認できた活動期間は3年前から2年前までの1年間。

ICPOが過去を遡った一連の事件の想定される最低限の被害者数が10億名。

10億名が何かしらの精神干渉を受けていた、と考えなければ説明できない現象がこの1年の間に発生している。

だがそれは、『泥鷹』のような異能による武力弾圧ではなく、目に見えぬ力による洗脳と言う、到底科学技術では証明しえない方法によるものだったからこそ、その存在が長らく活動をしなくなった今、存在を疑う者が増えていくのは必然だった。

 

『三半期の夢幻世界』。

“顔の無い巨人”が世界を完全に支配したと言われるその期間。

犯罪も、事故も、紛争も、戦争も、何もかもが消え去った平和な世界。

“顔の無い巨人”の手によって統治された時なのだと言われてきたその現象。

 

それが、たまたま、偶然にも、そんな風に成り立ったのだと言う者は決して少なくないのだ。

 

世界最悪の異能持ち、世界最強の異能持ち、異能の支配者、異能の王。

世界中で様々の名で呼ばれる彼自身、あるいはその異能を正確に把握している者はおらず、ただ話だけが肥大しているのでは、と言うのが現在事情を知る者達の大多数の意見となりつつある。

証拠がないと言うのもあるし、本当はそんな存在を信じたくないと言うのもある。

時間が過ぎて、恐怖が薄れて、現状に満足している者達がそんな楽観論を夢見るようになるのはある種仕方ないことではあったのだろう。

“顔の無い巨人”本人も、そんな人間の心理を良く分かっていたし、少し大人しくしていればいずれそんな過去など風化すると言う、その思惑は正しく進行していたのだ。

 

 

……だが、それは世界的に見た話だ。

 

 

「っっ……!!」

 

 

日本で活動していた神薙や和泉、また白崎は巨大な異能が世界を侵食しようとしたのを知っている。

 

病を治し、異能を得て、有頂天にあった白崎が恐怖を覚えて国外に逃げ出し、和泉が必死に異能を弾く外皮を使って神薙と自分を隠した過去。

おぞましい程強大な異能の現象を目の当たりにした彼らは、疑われつつある“顔の無い巨人”の存在を、いつだって微塵も疑ってはいなかった。

 

彼らの不幸は、かの存在と同じ国にいたと言う事だろう。

 

 

(どこからこの機械音がっ、「まきな」とはなんだっ!? この機械染みた音声は何だと言うんだ!? “顔の無い巨人”の異能は白崎と同じ精神干渉系統の筈だろうっ!? いやっ、そもそもこのおぞましい出力の出所は本当にこの女から……? 駄目だ、正確な場所が探知できない……)

 

「……まさか、あの“顔の無い巨人”が、君の様な幼い少女だとは想像もしなかった」

「先生っ」

「分かっている。“骨格変異”」

 

 

神薙が自身の異能、“製肉造骨”を使用する。

生物の肉体を構成する全てを増幅、縮小、変異、抹消が可能な神域の異能。

そして、長年自身の異能を行使してきた神薙であるからこそ、その異能の対象となる相手は自身のいずれかの感覚で相手を捉えていれば成立する。

つまり、いかにあの凶悪な異能を振るった存在が相手だろうと、神薙の視界に入った時点でこれの回避は不可能だ。

 

対象は数メートル先にいる“顔の無い巨人”の少女。

効果は肋骨を内臓に突き刺すように変異させるように。

 

防御も、抵抗も不可能の異能の使用――――であるにも関わらず、“顔の無い巨人”の少女は痛みなど無いのか眉一つだって動かさなかった。

 

 

「それ、生物に対してしか効果無いのね」

「……馬鹿な」

 

 

瞬き一つしない。

まるで自分が生物でないとでも言うようなその発言に、神薙は自身の異能の不発原因が分からず、焦りを浮かべ。

 

 

「こんなお返し、どうかしら?」

 

 

ほんの少しも状況を理解する時間を与えず、“顔の無い巨人”の少女はそんな事を言う。

 

“ブレインシェイカー”と言う、音を使った精神を揺らす技術。

普段は指を鳴らすことで使用するそれを、今は周囲を取り囲む真っ黒な鳥の群れが一斉に鳴き声を上げることで使用した。

つまりそれは、万にも及ぶ異能持ちが一斉に攻撃を仕掛けたと同義。

 

爆発が起きた。

 

もはや何の鳴き声なのかも分からない暴力的な轟音と、大きすぎるがゆえに探知し切れない異能の暴力が、神薙と自分達を守るように腕を盾のように変形させた和泉を上から叩き潰した。

 

 

「あっ……ぐううぅぅ!!??」

「和泉君!?」

 

 

異能を弾く外皮を纏っていると言うことは、異能の出力に触れていると言うことだ。

物理的な衝撃の有無はともかく、刃のような攻撃性を持たされた異能を無限に受けられるわけではない。

 

電気を通さない絶縁体にも、許容量を超えた電気に破壊される絶縁破壊と言う現象が存在するように、異能を通さない筈のものでもどうしようもないものは存在する。

断頭台から落とされた刃の様な異能の攻撃を何とか凌ぎ切り、自分と神薙を守り切った和泉だが、うめき声と共に膝を突いた彼女の姿はとても無事とは言い難い。

 

予想もしていなかった光景に、神薙は目を剥いて和泉を見た。

外皮を貫通こそされていなくとも、たった一撃で和泉の余裕は消えている。

 

 

「和泉君、無事か!?」

「せ、んせいっ……!! この出力は……つぎ、は……駄目、です……!」

「ああ、もう一発欲しいのね?」

 

「顔の無い巨人っっ!!!」

 

 

情けも容赦も無い“顔の無い巨人”の言葉に、咆哮に近い声を上げた神薙が前に出た。

 

老人の体が変形する――――異能の起点を自分にした。

 

骨格と筋肉が増大する。

廃倉庫を埋め尽くすほどの大きさへと、やせ細っていた老人の体を核として、巨人の体を構築していく。

人体について、これ以上ない程理解している神薙だからこそできる、この世に実在しない巨人という生物の肉体構築。

 

顔の無い巨人と言う現象ではない、本物の巨人がこの世に姿を現した。

 

危機を感じた鳥達を一斉に上空へと避難させた“顔の無い巨人”の少女は、8メートルに及ぶその巨人が自分目掛けて拳を振り上げているのをつまらなそうに見上げた。

 

 

「力技ね……試してみる?」

「「どこまでも余裕を晒してっ、後悔するなっ!!」」

 

 

巨大な風切り音。

太古に存在した恐竜ですら一撃のもと叩き潰せそうな容赦ない拳の振り下ろし。

 

だが、その拳は終ぞ“顔の無い巨人”の少女に振り落とされることは無かった。

 

彼女の背後の奈落から現れた、巨大な腕がその拳を掴み取った事で停止させられたのだ。

 

正確に掴み取られた神薙の巨大な拳は、圧倒的な力で抑えつけられピクリとも動かせない。

 

 

「「ば、ばかな……君の異能は精神干渉で、物理的な干渉は無い筈では……?」」

「末期状態でなくても、これくらいは出来るのよ」

「「同じ巨人の力の筈、なのにっ、なんだ、これはっっ……!!?? ふざけるな、どうな」」

 

 

奈落から、“顔の無い巨人”の名称となった巨人が徐々に姿を現していく。

片手ですら拮抗どころか完全に抑え込まれていた神薙が、片手から片腕、両腕、上半身、と姿を現していく巨人を押し切れるはずもない。

逆に押し潰されるように姿勢を崩し、最後には掴まれた両腕を地面に叩き付けられ、さらに顔を掴まれ巨大な力で地面に圧し付けられていく。

 

巨人が巨大な力に圧し付けられ、コンクリートの床に大きな亀裂が走り始める。

 

 

「こっちを見ろっ! “顔の無い巨人”っっ!!」

「言われなくても」

 

 

全身を液状にした和泉が、体をいくつにも分裂させながら“顔の無い巨人”の少女目掛けて疾駆した。

完全に戦闘のために作られる分身体の数は、一度に製造できる限界の20にも及ぶ。

銀色の人型をした『液状変性』の分身体達が、それぞれ全く異なる動きをしながら“顔の無い巨人”の少女を取り囲むように、時間差で飛び掛かっていく。

 

1体ですら普通の異能持ちの天敵となりえる異能を弾く外皮を持ち、それぞれが別の液体特性を持った分身体達。

その一斉攻撃は、どんな異能でも、どんな人間でも、それこそグウェンと言う世界最強と名高い異能持ちでさえ、対処は難しい。

 

実際、相性が悪いと判断していた“顔の無い巨人”の少女も、周りに現れた分身体の数を見て少し悩む仕草を見せている。

 

そして。

 

 

「う、ぐぉォォッ!!」

 

 

神薙は自分の体を核として作り出した巨人の肉体を自分の体を切り離し、奈落から現れた“顔の無い巨人”を相手取らせると、自分は和泉に合わせて“顔の無い巨人”の少女目掛けて駆け出した。

 

基本的に、異能は一人一つしか持ち得ないし、出力に上限は存在する。

だから、どれだけ人智を越えた強力な異能だったとしても、異能を持つ人間が本体である限り、数の差には絶対的な有利性がある。

異能持ち一人では万の一般人への対抗が難しいように。

たった一人の異能持ちに対して、二人の異能持ちが有利になるのは当然だった。

 

この怪物の異能の詳細は分からないが、少なくとも精神干渉系統が予想されるなら、下手に時間を掛ける事が出来ないのを二人は充分理解していた。

 

だから、勝負を決めるならこの一瞬。

その覚悟を持って、二人は少女に迫る。

 

 

「ここで消えるのはお前だ“顔の無い巨人”っ!!!」

 

 

全身を銀色の液状に変異させた和泉及びその分身20体。

さらに巨人化した剛腕を振るう神薙。

 

神薙達にとってこれ以上無いくらい好機で、当然“顔の無い巨人”の少女にとっては窮地の筈だった。

 

『液状変性』と『製肉造骨』。

どちらも間違いなく、現存する異能の中でもトップクラスに入るほどの理不尽な異能。

『泥鷹』グウェン・ヴィンランドやICPO最高戦力の一人レムリアにすら届きうる、世界レベルの異能持ち。

 

そう評価しているからこそ、“顔の無い巨人”の少女も全力で迎え撃つ。

少女は、手に持った携帯電話の画面を見せるように構えた。

 

 

「――――面倒。マキナ、轢き潰して」

『了解』

 

 

また、何処からか響いた機械音声。

出力元が分からない、圧倒的な異能の出力が場を支配した。

目を見開いた神薙と和泉の視界一杯に、雷光のような異能の出力が迸った。

 

――――瞬間、“顔の無い巨人”の少女を取り囲んでいた分身体が残らず叩き潰される。

 

彼らは体を構成していた液体を撒き散らし、何も出来ないまま掻き消える。

 

 

「あ……」

 

 

一瞬、ほんの一瞬だ。

敬愛する神薙のために、少しでも時間を稼ごうと動いた和泉が稼げた時間がそれだけ。

 

そして彼女は足を止めた。

分身体達の末路に放心したのではく、分身に使用した指の喪失の痛みによるものではなく、あまりに巨大な異能の出力によるものでもない。

 

突如として目の前に現れた“顔の無い巨人”に、和泉は呆然と声を漏らして足を止めた。

 

同時に反対側で、何もない虚空に持ち上げられた神薙が地面に叩き付けられているのが見える。

神薙を抑え込んでいるだろう何かを、和泉は見ることも叶わない。

それでも姿無き何かに抑え込まれている事態の理由は自分の前にいるこれしか考えられないから、なぜ自分の目の前にもコレがいるのか、和泉にはちっとも分からなかった。

 

 

「貴方達の言う巨人が一体だけだと思ったの?」

 

 

和泉の疑問に応えるように“顔の無い巨人”の少女が問い掛ける。

 

少女の後ろで、神薙が切り離していた巨人の肉体が跡形もなく叩き潰されている。

きっと、あそこにも何かが存在するのだろう。

 

和泉は自分の顔が引き攣るのを止めることが出来なかった。

 

 

「末期、早かったわね」

 

 

少女がそう吐き捨てた。

 

直後、巨人の拳が和泉の体を撃ち抜く。

子供に投げ捨てられた人形のように、廃倉庫の壁に叩き付けられた和泉が激しく咳き込み、うめき声を上げるのを、ソレは目前で見ている。

いつの間にか、目の前にいた“顔の無い巨人”の少女に、和泉は反応すら出来ないまま首を掴まれ壁に叩き付けられた。

 

彼女の力は、到底人間のものとは思えない。

 

 

「捕まえた」

「あ、ぎぁ……!! や、やめ……」

「やめ? やめてって言ってるの?」

 

 

神薙は地面に圧し潰され、和泉は首を掴まれ指1つ動かせない。

和泉を殴り飛ばした巨人は、主人の背後に付き従うように立っている。

音すら無く、身じろぎもしない巨人の姿は、今にも襲い掛かってくるのではと思う程に恐ろしい。

 

誰がどう見ても抵抗のしようがない、完全に詰んでしまった状況。

懇願するような和泉の言葉に、おぞましい光を宿した少女が不快そうに眉を動かす。

 

 

「そう言えば、貴方には何も聞いてなかったわね」

 

 

せせら笑いを浮かべた“顔の無い巨人”の少女は、掴んだ獲物を品定めするように空いたもう片方の手で撫でた。

何をしているのかと言う和泉の疑問は、体に纏っていた異能を弾く外皮がズルリと裂けて地面に落ちていった事で、すぐに氷解する。

読心を防いでいた、和泉の守りを完全に破壊したのだ。

そして、包み隠され見通せなかった和泉の精神を、“顔の無い巨人”は丸裸にしたのだ。

 

 

「――――ああ、そう、なるほどね」

「な、に……? なんで、守りが……」

「貴方、生粋のサイコパスじゃない。善悪の価値観も碌に無いのに、よく世直しの手伝いをしようと思えたわね」

「――――」

 

 

沈黙した。

これまでの比ではない程呆然と、そして状況を理解して恐怖に表情を硬直させた和泉が震える声を出す。

 

 

「や、めて……お願い、それは、それだけは、やめて……せんせいの、前でだけは……それは……」

「へえ」

 

 

和泉の懇願に対して“顔の無い巨人”の少女が浮かべた笑み。

どんな人間よりも悪意に満ちたその笑みは、和泉の背筋に凍らせた。

 

巨人に潰され、ボロボロになって元の形に戻った神薙が、和泉達の元へと投げ捨てられる。

一瞬死んでいるのではと思う程の負傷だったが、しっかりと呼吸をしているため生きているのは間違いない。

 

そして、生きた神薙を和泉のもとに運んだことに、意味するのは1つだ。

 

“顔の無い巨人”の少女は語り掛ける。

 

 

「う、ぐ……ぉ」

「神薙隆一郎。貴方は平和を維持するためなら誰かの犠牲もやむを得ないと言った。どんな善人だろうと、立場や状況を甘んじたのなら犠牲になることも仕方がないと言った。そうでしょう?」

「な、にを」

「なら、私がこの女を貴方の手で始末しろと言ったら出来る? 数々の事件の実行犯で、無用に犠牲を出したこの女を、貴方の手で始末したら私は手を引くと言ったら、貴方は出来る?」

「…………それは」

「貴方達の過去は、事前にあらかた調べてある」

 

 

言葉に詰まった神薙に、“顔の無い巨人”はさらに言う。

 

 

「この女は火災現場から救われ、命に関わる大やけどを全身に負いながらも貴方に治療され助けられた。それから、火災で亡くなった両親に代わって養子としてこの女を育てていたみたいだけど……不思議に思わなかったの?」

「やめて……おねがい、やめて……」

「……」

「この女には火傷以外にも怪我があった。打撲痕や切り傷と言った、まあ、虐待の傷ね。それで、火災の理由は煙草の不始末とされてるんだけど。虐待されていた子供だけが助かるって中々無い確率だと思わない? 両親が寝静まった頃合いを見計らって、子供が火を放ったと考える方が合理的でしょう?」

 

 

すすり泣きを始めた和泉と静かに目を閉じた神薙。

それらを見る“顔の無い巨人”の目に侮蔑は無いものの、何処までも無機質だった。

 

 

「誰に助けを求める事も無く、自分の身を守るために自分の住居ごと纏めて焼き尽くす事ができる生粋のサイコパス。ううん、もしかしたら虐待されるうちに心が死んだ後天的なものなのかもしれないけれど、いずれにしてもこの女の価値観は、普通の人にとっては危険極まりないもの。同情の余地はあるかもしれないけれどね」

「……なにが、言いたい?」

「たとえ私を打倒してこれまでを取り戻したとしても、その女の価値観はまた無用な犠牲を生むわ。これは貴方の言う、剪定対象でしょう? 貴方は平和を乱すと言う理由で、これまで育てて来た娘を手に掛けられるのかと聞いてるの」

「…………」

 

 

沈黙した神薙に、和泉が泣き声を上げ始める。

必死に守り続けて来た秘密を明かされ子供のように泣きわめく和泉を、“顔の無い巨人”の少女は特に何も言わないまま拘束し、神薙の様子を見続けている。

 

数十秒沈黙していた神薙が、ゆっくりと顔を上げた。

 

 

「……彼女は私の娘だ」

「それで?」

「娘の不始末は親が付けるものだろう。娘が悪い事をしたのなら、責任は親も持つ。彼女が悪い事をしたら私が始末を付けるべきで、対処するべきだったのも、君の言うように私なんだろう」

「……それで?」

 

 

強く目をつぶった神薙がゆっくりと吐き出した。

 

 

「だが……だが、私は、和泉君を……その子を手に掛ける事は出来ない」

 

 

予想もしてなかった神薙の言葉に、和泉が泣き腫らした顔を神薙に向けた。

反対に“顔の無い巨人”の少女は眉を顰めた。

 

 

「和泉君……雅。そんなに泣かないでくれ。私はね、最初から分かっていたんだ。だてに“医神”だなんて呼ばれていない。君の傷を見て、火災の状況を知って、そんな可能性はずっと考えていた。考えていた上で君を愛すると決めたんだ。今更そんなことを知ったからと言って、君を嫌う事なんて無い」

「せん、せい……せんせいっ、せんせいっ!」

 

 

違う意味でボロボロと泣き出した和泉に反して、“顔の無い巨人”の少女は冷たく神薙を睨む。

彼女の怒りは収まるどころか、さらに膨れ上がっているようにさえ見えた。

 

 

「……それ、言っている事が無茶苦茶よね。将来的な危険性を考えて見知らぬ誰かの犠牲を許容するのに、将来的に誰かの犠牲を生む娘の犠牲は認めない。他人だからと犠牲を強要する、貴方の言う悪と何が違うの?」

「……そうだね」

「善を為し悪を挫く。それで、他人は善人であっても犠牲を強いるのに、身内に悪がいても手を施さない。自分達の積み重ねた罪さえなかったことにして、のうのうと平和を謳歌する……それって、おかしいでしょう?」

 

 

一呼吸置いた。

彼らの色んな擦れ違いや想い違いを想定し、これまで積み重ねてきたものを想像する。

色んな事情や切っ掛けがあって、それでこの場所に至ることになったのだと酌量する余地を考え、結局口に出たのはこんな言葉だ。

 

 

「ふざけるな」

 

 

怒りに染まった異能の出力が暴れるように噴出する。

 

 

「そんな矛盾した自己満足の正義感で人が死ぬの?」

 

 

怒りに満ちた感情を、問い詰めるような激情を言葉に乗せる。

 

 

「死ってそんなに軽いものなの? 異能があれば異能がない人はどうしても良いの? 白崎天満のように、自分以外はどうでも良いと心底思っている人間じゃなくて。欲望に浸った醜悪でも無くて。死の痛みを良く知る貴方達が、どうしてそんなに簡単に人の生死を決めてしまうの?」

 

 

“顔の無い巨人”の――――少女の目からはもう、おぞましい光は消えていた。

あるのは、目いっぱいに溜まった涙。

 

 

「人が悲しむ、人が苦しむ、人が嫌う。大切な人がそんな風になるのが嫌だと思うなら。それだけ、人を想う心があるのなら……」

 

 

いつの間にか顔の無い化け物は消えていて、年相応の少女がそこにいた。

大切なものを失ってしまって、傷付き、泣きじゃくる少女がいた。

 

 

「……どうしてその優しさを少しでも、もっと別の誰かにも向けられなかったんですか? どうして、優しい人達を手に掛けられるんですか? どうして悲しむ人達を見ようともしないで、どうして、神楽坂さんを殺したんですか……?」

 

 

空いた片手で胸を搔き抱き、疲れたように肩を落とした燐香はポツポツと言葉を落とす。

 

 

「神楽坂さんが貴方達に、いったい何をしたって言うんですか……? 神楽坂さんは、大切な人をいっぱい失って、あれだけ苦しんで、それでも藻掻いていたのに、どうして……」

 

 

行き場を無くしてしまった異能の出力が消える。

和泉の首を掴んでいた手を離して、フラフラと後退りした燐香がその場に座り込んだ。

 

慌てたマキナが即座に周囲の家電やカラス、燐香の携帯から異能を行使し、防衛網を敷く。

ほとんど制圧し切っているとはいえ、まだ動く敵を前にして無防備を晒すなんて絶対にやってはいけない事なのに、とマキナは不満の想いを乗せた危険信号を燐香に送る。

 

しかし、マキナのその心配は杞憂だ。

質は変わっても、燐香の怒りの矛先は神薙達に向けられたままなのだから。

 

 

「……貴方達は、今日を生きたかった罪も無い人達を何人も殺したんだ……」

 

 

落合兄妹も、伏木航も、神楽坂上矢も。

もしかすると自分の兄である佐取優介も、一歩間違えばその中にいたのかもしれない。

 

 

「…………許さない、お前達は絶対に許さない」

 

 

彼らが冷徹なだけの人間ならそれでよかった。

これまで会って来た犯罪者達のような、醜悪なだけの人間性であれば彼らの精神に手を加えることに何の憂いも無かったのだ。

 

事情があった、彼らなりの正義もあったのだろう。

純粋な善人とは言えなくても、醜悪だと切り捨てるほどの悪人でも無かった。

けれど、彼らを許すかと言われると、そんなことはあり得ない。

何もかもを許すには、奪われたものは多すぎた。

 

なら、どうするのか。

 

 

「……私がやる、私がやってやる。たとえ、これまで貴方達が起こして来た非科学的な犯罪事件の数々を。誰も、法も、神様も裁かなかったとしても、私が、私の憎悪に従って償わせて見せる――――絶対に」

 

 

そんなこと、最初から決まっていた。

燐香は、ただ神楽坂上矢の1人の友人として彼らに手を下すと決めていたのだ。

神楽坂の望みがどうであれ、例えこの想いが間違いであったとしても、それでも良いと思っていた。

そうでなければあまりにも、生きられなかった人達が報われない。

 

そんな、子供と呼べる年齢の少女が目に涙を浮かべ、ただ怒りを向けてくるのを目の当たりにして神薙は苦しい表情を浮かべた。

 

彼が目指していたのは、子供にこんな表情をさせる未来でなかった筈なのに。

何処で道を違えたのだろうと、そんな言葉が神薙の頭を過る。

自分が作り出した子供が泣きじゃくる光景に、神薙の抵抗する意思はぽっきりと折れる。

 

燐香がふらりと立ち上がる。

超高密度の異能が燐香の腕を覆うように流れた。

 

廻らせ、巡らせ、刃のように。

 

人格さえ破壊するその力は、異能持ちが一目見れば恐ろしい凶器だと分かるほどに凶悪だ。

とっさに自身を守るように動こうとした和泉を、神薙は制止して歩いて来る燐香を座ったまま見詰める。

 

 

「君が、裁いてくれるのか。ああ……それなら、悔いはない。雅、済まない。最後まで私の戯言に付き合わせてしまったね」

「……私は先生に救われた。先生だけが私の全てなんだ。先生と一緒に居られるなら、どこまでも。先生は……もう、良いのかい?」

「ああ、そうだね。もう充分だ。私はきっと、長生きしすぎたんだろう」

 

 

燐香が二人の前に立つ。

燐香は酷く感情的な目で睨むように彼らを見下ろし、一方で自分達に下される未来を受け入れた神薙達の姿は満足感に満ちている。

 

どちらが優位に立っているのか分からなくなるようなその光景は、燐香の手に纏わされた破壊の力で終わりを告げるのだ。

 

 

「――――命は奪わない。けど、貴方達の自由意識は消えてなくなる。価値観も、善悪観も、情緒も、感情も。全て私が定めた単一の物差しに従って生きて、この世界の誰かの為に、その命尽きるまで罪を償い続けろ」

 

 

それが、燐香が下す罰。

酷く合理的で無駄がなく、それでいてあまりに冷酷な厳罰。

およそ倫理的ではない、他人の精神にメスを入れるその非人道的な異能の行使。

昔と同じ、悪意に満ちた異能の使用を、燐香はその言葉と共に行おうと手を伸ばす。

 

 

だが、燐香の手が二人に触れる、その最後の一線を越える直前。

佐取燐香と言う少女の何かが終わってしまう直前に、それは現れた。

 

 

『御母様、誰か来る。かなり早いゾ。これは、飛禅飛鳥と、……ム?』

「…………え?」

 

 

この状況でも、あらゆる反撃を想定していた燐香が完全に虚を突かれたように呆然とした声を漏らした。

ゆっくりとそれらが向かってくる方向へ、廃倉庫の出入り口へ顔を向けてから、再び燐香は鋭い目を神薙達に向けた。

 

 

「……今度はどんなトリック?」

「……何を言っている?」

「ふざけないで。受け入れたような態度を見せた挙句、まだこんな搦め手を使って生き延びようとするなんて」

 

 

冷たく、無機質に、燐香の声質が変わり始める。

年相応の怒りを見せていた少女が、顔の無い怪物へと変貌を始めて。

再び、奈落の底から湧き出るような異能が、燐香から溢れ出す。

 

だが、神薙は状況が理解できないのか、困惑の表情を浮かべて燐香を見上げている。

 

 

「……ああ、貴方の纏った外皮も先に剥しておくべきだった。けど良いわ。貴方達がそのつもりなら良い。私は最後まで徹底的に貴方達を圧し折るだけだから」

「――――佐取っ……!」

 

 

目におぞましい光が宿った燐香の背後から聞き慣れた声が響いた。

燐香は自分の名を呼ばれたことで目を見開いた。

 

 

「……どうして……」

 

 

飛禅飛鳥と、彼女の肩を借り乾いた血がこびり付いた服を着る汚れた男、神楽坂上矢の姿。

 

さきほどの和泉の擬態と同じで、体中の負傷や汚れは真に迫るものがある。

息を切らしながら廃倉庫の状況を見渡した彼らは、燐香を見てさらに困惑の表情を浮かべた。

それから彼らは本物のように燐香の無事を喜び、顔を綻ばせている。

 

燐香は自分が動揺しているのが分かる。

散々探した彼が、こんな場所に現れる筈が無いのに。

 

 

「ま、間に合った……」

「佐取っ……!」

 

「近寄らないで」

 

 

だから、燐香はその偽物達に冷たく吐き捨てた。

神薙達に精神干渉を掛け、攻撃を許さないようにしながら、新たに現れた偽物達に読心を向けてその正体を考えていく。

 

和泉の擬態。

神薙達の別の仲間。

『UNN』のような第三者の介入。

そして現状を作り上げるのに考えられる異能はどんなものか。

 

つらつらとそんなことを考え、まるで痛々しいものを見るような顔をする偽物達を冷たく観察する。

 

 

「……」

 

 

だが、いくら時間を掛けても考えの全てが当てはまらない。

 

“読心”が通用する。

彼らの思考が読める。

本当の彼らが考えそうなことばかり考えている、視線の先にいる二人。

何か行動を起こすことも無く、ただ燐香の気が済むまで彼らはじっとそこに留まっている。

 

今はただ、そんな彼らの存在が不愉快だった。

 

 

「なんで……」

「佐取、もう良いんだ。俺の不注意だった。佐取に責任は無い。だからもう、自分を責めるな」

「黙れ偽物、私の前から消えろ」

「……佐取」

 

 

相手に隙など与えるものかとあらゆる奇襲の可能性を考慮して。

神薙と和泉の挙動におかしな部分は無いかと意識を割き。

何よりも偽物達が妙な行動を取らないか監視する。

 

……それから。

 

…………それから。

 

ついに何も思いつかなくなってしまった燐香はその場で立ち尽くし、口を噤んでしまった。

あらゆる手で彼らの偽証を暴こうとするが、あらゆる手を講じる度、彼らが本物である証明がされてしまう。

そんな筈がないのに、彼らが本物であるかのように思えて仕方なくなって。

 

他人の心を読むことが出来る。

こんな異能を持っているくせに燐香はまた、何が正しいのか分からなくなって、ただぼんやりと彼らを見詰めてしまう。

 

自分の血に塗れた男が、そんな燐香に話し掛ける。

 

 

「そいつらは、佐取がやらなくていい。佐取の手を汚す必要なんてない。俺が、警察官として、そいつらを逮捕する」

「…………何を馬鹿な事を。それはこいつらを助け出すための方便? 馬鹿にしないで、異能犯罪を逮捕だなんて出来る訳がない……こんな非科学的な事をどうやって証明すると言うの? こんなのいくら証拠を出そうとも、不能犯にしかなり得ない。それに、そもそもそいつらは」

「必ずだ……佐取。俺が必ず、異能を証明して、彼らが起こした犯罪の数々を白日のもとに晒して見せる。どれだけ時間が掛かろうが、どれだけそれが困難だろうが。それが卯月先輩に最後に託された、警察官としての俺の使命だから……だから頼む佐取」

 

「佐取だけに責任を負わせるなんて事をして。俺に、これ以上俺自身を嫌いにさせないでくれ」

「……」

 

 

くしゃりと歪んだ表情の縋るようなそんな言葉に、燐香は無意識の内に手に纏わしていた異能の刃を解いていた。

 

おぞましい光が宿っていた燐香の瞳が揺れる。

 

光が消えた今の彼女の目には、二人の姿しか映っていない。

 

 

「……帰ったら、約束していた旨い定食屋に行こう」

「神楽坂先輩?」

「勿論、飛禅も一緒にな」

 

「――――……」

 

 

それは、少し前にした約束の話。

神薙達が知りえない、小さな取るに足らない下らない約束。

 

燐香はフラフラと、偽物達の元へ歩みを進める。

そして、目の前まで辿り着いて、神楽坂の顔に手を伸ばし触れた。

 

彼は、間違いなく本物だった。

本物の神楽坂上矢だった。

 

 

「………………ぅ……」

 

 

燐香が冷徹で、無機質だった顔を俯けて、沈黙する。

 

数十秒に渡る沈黙。

 

けど、それが破れたのは一瞬だった。

 

燐香の感情が爆発した。

 

 

「――――うわあああああんっ!!! かぐらじゃかしゃんっ、死んじゃったがと思いましたぁぁぁ!!!」

 

「うるさっ!?」

「うおおっ!? と、飛び付かないでくれ、傷がまだ、響……ぃぃ!!」

 

 

涙でぐしゃぐしゃになった顔の燐香が、神楽坂と飛鳥目掛けて飛び付いた。

体重が軽い燐香の勢いに乗った突撃をボロボロの神楽坂達が受け止め切れる筈もなく、三人諸共倒れて床を転がっていく。

 

今まで溜め込んでいたものを全て吐き出すように大声で泣き続ける燐香を、圧し掛かられて倒れている神楽坂達が困ったように優しく撫でた。

自分を撫でる温もりに、さらに「びえええんっ!」と言う、恥も外聞も無い幼子の様な泣き声を大きくした燐香に、神楽坂と飛鳥は噴き出したように笑う。

 

あれだけ恐ろしい雰囲気を纏っていた燐香の姿はもうどこにもなかった。

 

 

「悪かった、心配かけたな」

「へっ、ざまあ見なさい。私だってこれくらいやって見せるんだから、最初から素直に私に頼っておけば良かったのよ。この馬鹿」

「あぶぶぶぶっ……!! わ、わだじはやっぱりポンコツですぅ……!! なんにも出来ないアホの子なんですぅ……!!!」

「ちょ、ちょっと、泣かないでよ……! 警察官の強権使えるだけ使ってやっただけなんだから! アンタが悪いんじゃないって……もうっ、この子の面倒は見てますから、神楽坂先輩はあいつらの始末をお願いします! それとも、手伝いましょうか?」

「いや……そうだな、俺に任せてくれ」

「かぐらざかさんっ、危ないからだめですっ……!!」

「大丈夫だから。少し待っててくれ」

 

 

泣き続ける燐香を心配そうに眺めた神楽坂は、しがみついている彼女を飛鳥に渡すと身を起こした。

 

そうして見据えるのは燐香達の事態を理解し静観していた、神楽坂が長年追い続けていた事件の黒幕。

 

神薙たちの元へと、神楽坂は歩を進める。

それを見た神薙が少しだけ惜しむように燐香を見て、神楽坂に視線を向けた。

 

 

「……怪我の調子はどうだい?」

「おかげさまで」

「それは良かった……下らない裁判ではなく、あの子の手に掛かれなかったのは少々残念に思うが……子供の手を汚すことにならなくて安心している自分もいる。相反する感情だ。度し難い事だね。そう思わないかい、神楽坂君」

「……まず、どうして俺を殺さなかった。落合先輩や伏木を手に掛けたのは間違いないんだろう? お前達に人を殺す躊躇なんて無い筈だ」

「そんなことを今聞くのかい? さあね、私にもよく分からない……ただ……君は怪我をして私の前に現れた。だから、怪我が完全に治るまで、私の異能を行使したとは言っても安静にする期間が欲しかったんだろう。本格的な尋問は、君の容態が落ち着いてからと思っていたのかもね。職業柄の馬鹿な考えだったんだろう。結局、そんな時間的な余裕、私に残っていなかったようだがね。君、子飼いの異能持ちが、まさかあの“顔の無い巨人”だとは予想もしていなかったよ」

「顔の無い巨人……?」

 

 

聞き覚えのある単語に反応して、チラリと未だに号泣している燐香の姿を確認し、少し沈黙する。

 

だが、それは後で良いと整理した神楽坂が次に聞くべきことを口にした。

 

 

「落合卯月、落合睦月、伏木航。そして『薬師寺銀行強盗事件』はお前ら、若しくはお前らの仲間がやったことで間違いないな?」

「せ、先生はそいつらを直接手に掛けていないっ! 私と白崎がやったんだ! 『薬師寺銀行強盗事件』は白崎の奴が、警察情報について教えて欲しいと言ったから、私が擬態で得た情報を教えて、少しでも先生の役に立とうと思って一緒に計画を立てた。先生が知ったのは全てが終わってからだった……先生は悪くない。私が、先生を理解した気になって、暴走しただけだ」

「……神楽坂君。今、雅が言った事は事実だ。だが、だからと言って私の手が血に染まっていない訳ではない。無能な政治家や悪意に満ちたマスメディア。手に掛けた官僚は数多い。私の行いを見て、彼女が思い違いをするのは当然だ。私が彼女を幼少時から洗脳したようなものだ。彼女には、情状酌量の余地がある」

「先生!?」

「そういう話は後で聞く。今は俺の質問にだけ答えろ」

 

 

庇い合おうとする神薙達を制し、神楽坂は次の質問をする。

 

 

「白崎天満とはどうなった?」

「決別した、そう言うべきかな。彼は私の方針に納得してなかったし、私も彼の過激なやり方には思う所があった。思えば、彼は手に入れた異能の力に酔っていたんだろう。つまり、“顔の無い巨人”の侵攻の前に私達の関係は崩壊していた。だからこそ、和泉君は外皮で白崎君を守るのを拒否して、彼は国外に逃げ出さざるを得なかった……彼のその後の事を、私は詳しくは知らない」

「そうか」

 

 

そして、神楽坂は最後の問い掛けを行う。

 

 

「最後だ……自首をするつもりはあるか?」

「神楽坂さんっ、待って下さい!」

 

 

その質問に割って入ったのは燐香だ。

涙をボロボロとこぼしながらも、必死に彼のしようとしている事を引き留めようとする。

 

 

「そいつらが自首したところで、異能が犯罪の因果関係として完全に認められていない今っ、そいつらの罪がもみ消されるのは目に見えています! そいつらがやって来た悪事は多いですが、同時にそいつらが為してきた偉業や善行も多いんです! この国の司法や政治的な判断に、完全な公平なんて存在しない! 区別も、特別待遇も、忖度も、世界にはいくらでも存在するから……」

「ああ、分かってる。それでも、佐取に罰を頼むなんてことはしない。俺を想って言ってくれてるのは分かってるよ。ありがとう佐取」

 

 

燐香へ振り返りそう言った神楽坂。

だが、その柔らかな表情と言葉に反して、彼の手は震えるほど強く握り締められている。

恩人や大切な人、慕ってくれた後輩を手に掛けられて何も思わないなんて、神楽坂だってある訳がなかった。

 

彼が理性を保てているのは、あくまで自分の憎悪よりも、燐香や卯月との約束が重いからだ。

それを理解したのだろう、燐香は何か言いたげな顔をしながらも口を閉ざす。

 

 

「自首をすると思うのかい? これまで君を苦しめて、これまでこれだけの事を裏でやって来た私に、そんな良心が残されていると?」

「仮定の話だ。この場で、お前らを犯人と知る者がこれだけいて、それでもまだ過去の罪から逃れ、誰かを傷付けようとするのか? もしもお前らが、お前が嫌う、保身に走り強権を振るう権力者のように、罪を隠し罰から逃げ続けるのなら、俺は必ずお前らを追い続ける。どれだけの年月を経ようが必ず、異能を証明し、罪を立証して、必ずお前達を正式な形で逮捕する」

「なるほど、それが自首をしない選択をした時の話だね」

 

 

何処か影が差した顔で、暗く笑った神薙は隣にいる和泉を見遣る。

それから、ようやく泣き止み鼻を啜っている燐香を見て、小さく疲れた様な溜息を吐いた。

 

 

「…………もしも、もしも私が自首をすると言ったらどうする?」

「その時は」

 

 

品のある老人と汚れた壮年。

正義を掲げた老人と正義を秘めた壮年。

二人はお互いが目を逸らさず、じっと睨み合うように視線を交わした。

 

 

「お前の良心を信じている訳じゃないが、もしもそうすると言うのなら……お前には警察に突き出す前に、命を奪った人達とその家族のもとに謝罪に回ってもらう。償うべき罪を、お前にはしっかりと目で見てもらう」

「それは………………随分酷い罰だね」

 

 

そう言って。

神薙隆一郎は憑き物が落ちたかのように静かに笑った。

 

神薙にとって、何も気負うことなく笑うのは随分久しぶりで。

 

その姿はどこにでもいる、ただの穏やかな老人の姿だった。

 

 

 

 

 



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変化した形

いつもお読み頂きありがとうございます!
感想や評価などとっても励みになっております!

前話はある程度指摘があるだろうなとは思っていましたが、想像以上の感想で驚いています。
一応、今後に繋がる伏線のようなものも含まれているので手直しなどは難しいですが今後の参考にしていきたいと思います。
貴重なご意見ありがとうございます。

7章もこの話が終わればあと1話。
長い話でしたが、出来ればこれからもお付き合い頂けると嬉しいです。


 

 

 

神薙隆一郎と言う男は一般家庭に生まれた子供だった。

特別貧しい家庭と言う訳でも無かったが、物心つく頃には様々な場所で手伝いをしてお小遣いを稼ぐ、お金が何よりも好きな変な子供。

小銭を集めて喜ぶ彼の将来を、周囲の大人達が酷く心配するのが彼の周りの日常だった。

 

将来お金を稼ぐにはどうすればいいのか。

幼いながらに両親に聞いたなんてことの無い質問の答えが、神薙隆一郎の医師を目指すきっかけであった。

 

取り立てて勉強ができる訳では無かったが、不純なそんな動機を燃料にせっせと勉強を続けた。

遊び惚ける同輩や、当時の金銭や性別の問題で勉強を諦めざるを得なかった者達を傍目に、神薙が何の障害も無く勉強に心血を注げたのは大きな幸運があったのだろう。

ともあれその結果、名門と呼ばれる大学に進学しそこそこの成績で卒業することに成功した訳だが、実際に医師と言う職業に就いて、一気に大金を稼げる訳でないと知った当時の神薙の絶望はかなりのものだった。

神薙の想像とは違い、医師と言う仕事はそこまで華やかなものでは無かったのだ。

 

仕方なく、研修を積みながら、もっとも金になるだろう医療の新技術を考える日々を過ごす神薙。

当時の医療状況は個人での開業医が大半を占めており、それが徐々に戦争を背景に国が運営するものへと変わっていく時代であり、それにそぐわない神薙の目的は彼の医療運営を国に隠れて治療行為を行う闇医者染みた方向性へと変えていった。

 

国を介さない医療行為を行う闇医者、そんな状態がしばらく続く。

ある時、自分が充分な医療技術を身に着けたと判断した神薙が、医者の少ない片田舎へと拠点を変えて、医療の占有状態を作ったのがそんな彼の人生の転機となった。

 

人も少なく、交通の便も悪く、何よりも排他的な集落。

そんな所で、国の息が掛からない状態でこっそりと医療行為をしている者がいると言う情報が流出しないように、神薙は可能な限り人に好かれるような態度を崩さないよう心掛けた。

外部から人が入ってこない村特有の、排他的な態度を受けながらも、親身になって彼らの治療や診察を行う医者として、彼らから信用されるよう努めたのだ。

政府や国営に反感を抱く閉鎖的な村人達だったが、幾度となく病状を救われ、それでも驕らない神薙の真摯な姿勢に絆され、態度を軟化するのはそう時間は掛からなかった。

 

いつしか神薙は村人から何かあっても無くても頼られる、都会から来た知識人としての地位を築き上げていた。

 

老若男女問わず感謝され頼られる生活。

金銭だけが生きがいだった神薙にとって、ここまでの状況は完全に想定外だった。

 

取り繕った善人の仮面を信じ、村の重要事項まで相談に来る大人達も。

都会に夢を見る若者が、都会にはどんな仕事があるのかと聞きに来るのも。

女性達が妊娠や出産といった相談しにくいものまで頼りに来るのも。

村の子供達が神薙の小さな病院を毎日のように尋ね、遊び場と化すそんな日常も。

想像もしていなかったこの穏やかな生活が、神薙は嫌いではなかったのだ。

 

ある家族の問題を村全体で解決して、その夜は祭りのように騒ぎ合った事。

取り上げた赤子の名を付けて欲しいと言われ、悩みすぎて徹夜した事。

村人の紹介で村の女性と男女交際した事、そしてそのまま結婚した事。

 

いつしか神薙は子供の頃からあった金銭への執着が薄れ、仮面だった筈の善人の姿がすっかり板についてしまっていた。

存在しなかった筈の村人達が思う優しい神薙隆一郎が、いつのまにか本物になってしまっていた。

そのことを疑問に思うことも無いまま、神薙はただ人を救いたいと、救い続ければいつか世界はこの村の人達のように幸せに暮らせるのだと信じるようになっていった。

 

そして……。

 

そんな神薙の何気ない満足した暮らしを変えたのは、戦争という災禍だった。

 

碌に暮らしの支援もしなかった癖に徴兵と言う名で若者達を連れて行った偉そうな人間達。

海の先の、見たこともない人達と争うと言って、食料や鉄製品すら奪っていく政府の人間。

幸い、闇医者まがいなことをしていた神薙は、政府に居場所を知られていなかったから徴兵されることは無かったが、連れて行かれた若者達が、残した者達の事を頼むと言ってそのまま帰ってくることは無かった。

日々の貧しい暮らしと活気の無くなってしまった村で、それでも何とか以前のような生活を取り戻そうと奮闘していた神薙の終わりは、唐突に訪れた。

 

空襲。

海に近い場所にあった村を、空から降って来た爆弾が破壊した。

それが相手国の作戦の内だったのか、何か予想外の事態があったのかは問題ではない。

多くの者が死んだのだ。

神薙と交流のあった者達が、医者である神薙の手の中で死んでいった。

老人も、子供も、妊婦も、自分が名を付けた赤子すら。

神薙の腕の中で苦しそうな表情で息を引き取った彼らの姿を、誰一人救えないまま死んでいったあの優しい人達を、きっと神薙は生涯忘れる事が出来ないだろう。

 

妻を亡くし、子を亡くし、友を亡くした。

多くの亡骸を背負い、誰かを救うために神薙は1人生き続け――――皮肉なことに、彼に異能が開花したのは“医神”と呼ばれるようになってからのことだった。

 

生きてさえいれば命を救える神域の異能を手にした時には、全てがあまりにも遅すぎた。

 

言ってしまえば、神薙隆一郎と言う医者は、救った命よりも救えなかった命ばかり見てしまったのだ。

 

邪な欲望を目的とした医者でなく、純粋に患者を想う医者となってしまったがゆえに。

そんな彼であったからこそ、いつしか彼の思想は捻じ曲がり、誰かを傷付けるものへと変貌を遂げていった。

自分のその変化を、彼はまたいつかのように気が付くことが出来なかったのだ。

 

聖人になろうとした凡人の成れの果て。

彼を評するなら、きっとそんなものだった。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

「人の主義主張は時間や経験と共に変わりゆく。きっとそういうものなんだろう」

 

 

そんなことを言った神楽坂さんの髪を風が揺らした。

最初に会った時のような執念に憑り付かれたような様子がすっかり抜け落ちた神楽坂さんは、力の抜けた表情でぼんやりと遠くを見ている。

 

その神楽坂さんの目前には、いくつもの墓石が立ち並んでいる。

亡くなっていた神楽坂さんの先輩の墓に並ぶように作られた新しいもの。

これまで死んだことも知られず、墓すらなかった被害者達のために、神楽坂さんがそれらしい墓石を人数分購入し、名前を刻んだのだ。

 

遺骨も無い不完全な墓だ。

正式には墓とは言わないのかもしれない。

それに、神楽坂さんの財布事情的に豪華なものなんて購入できていない。

それでも、私や飛鳥さんの資金提供の申し出も、これは自分の中のけじめを付けるためだからと固辞した神楽坂さんにとって、これは必要な事だったのだろう。

 

神楽坂さんは言っていた。

もしかしたら、神薙隆一郎の一件を知り、被害者の家族がそのことを信じて墓を作るかもしれないが、そうでないかもしれない、と。

若しくは、被害者には天涯孤独の立場の人も居たからこのまま放置すれば墓も無い人が出て来てしまうのは目に見えている。

だから、例え無駄になったとしても、誰にも知られることなく命を落とした者達の墓だけは作らなければならないと言っていた。

 

そんな神楽坂さんの背中を見ながら、こっそりと飛鳥さんが耳打ちしてくる。

 

 

「……神楽坂先輩ってホント難儀な性格してるわね。苦労する事が目に見えてるし、警察署でも冷遇されてるんだからお金に余裕がある訳でも無い筈なのに」

「けほっ……私は、嫌いじゃないんですけど。誰にでも優しいあの性格で自分が傷つくのは止めて欲しいです。その、もう少し自分の事を考えて欲しいと言うのが本音ですね」

「アンタは自分一人で完結するもんね」

「止めてください私の傷は深いんです……ああ、また黒歴史が……」

 

「聞こえてるぞ……まったく、こんな場所でも言い争うな」

 

 

神楽坂さんは溜息混じりにそう言って、墓石を拭いた手拭いを片手に立ち上がる。

あの廃倉庫の件から数日しか経っていないが、神楽坂さんの傷は、再会した時のボロボロの見た目とは相反して無傷に近いものだったらしい。

 

あの場で神薙が言っていた、治療したと言う話には正直半信半疑だったが、こうして普通に歩いているのを見るとどうにもそれは嘘ではないようだった。

正直、神楽坂さんがこうして無事な状態でいるのを見ても、まだ信じ切れていない自分がいる。

同じような疑問を持っていたのだろう、墓に来たいと言った神楽坂さんのサポートの為にここにいる飛鳥さんも、おかしなものを見るような目で神楽坂さんを見ていた。

 

 

「疑問なんですけど、神楽坂先輩って、監禁されていた時とか誘拐されていた時ってアイツらとどんな話をしてたんですか? 具体的にはどういった事を目的に誘拐されてたのか、私よく分かってなくて」

「あまり長い時間話した訳じゃないが……奴らの分身、スライム人間か。それを倒している仲間の存在についてと、過去の卯月先輩と睦月の事故について。それと……まだ生きたいと思っているのか、とも聞かれた」

「はー……結局よく分からない奴らだった訳ですね。何がしたかったんだか。てっきりもっと死ぬ寸前まで痛めつけられているものか、正直死んじゃっているかとも思っていましたよ。あ、先輩の同期の柿崎さんにも探すの手伝ってもらったんで後でお礼言っておいてくださいね」

「ああ……まあ、奴らの心情については俺も分からない。平和の維持のため、なんて言ってはいたがな。俺は、お前らの事は何一つ言わなかったんだが、話をするうちにあの医者……神薙隆一郎の態度は柔らかくなっていた。思う所があったのかもしれないな」

「ふうん?」

「けほけほっ……私が話した時はあれですね。世に悪影響を及ぼす権力者の剪定。それをやることで、再びこの国が戦争と言う名の災禍に呑まれることの無いように、らしいです」

 

 

首を傾げている飛鳥さんと肩を竦める神楽坂さんに、私は直接あの医者と話聞いた内容について簡単にまとめる。

 

 

「世の中には自分の利益の為なら他がどうなってもいい人はいて、それによる被害を未然に抑えるために、世の悪性を剪定する者が必要になる。で、自分は命の重みを誰より理解しているから、一人の命も救ったことのない権力者よりも自分がそれをやるべきだと思った。と言う話です」

「……言ってることは、分からなくも無いけどさぁ……」

「結果、神楽坂さんや落合さん達のような善良な人を被害者として出してるので本末転倒の人達ですよ……誰かが止めないと、ずっと止まらなかったでしょうね。きっと、ですけど」

 

 

それで、と私は話を聞いて考え込むように口を閉ざしている神楽坂さんを見上げた。

 

 

「ずびっ……今更ですけど、本当に良かったんですか? 神薙隆一郎と和泉雅の件」

「……なんだか佐取、鼻声じゃないか? さっきから咳もしてるし、風邪でも引いてるのか?」

「雨に打たれて、風邪を引いたみたいなんです。でもほとんど治りかけてるので、問題は無いですよ。それよりも、はぐらかさないでくださいね」

 

 

今回、聞こうと思っていたこの話。

今は重要参考人として話を聞かれているだろうあの二人の事だ。

あの場では神楽坂さんの無事が嬉しくて、神楽坂さんに言われるがままになってしまっていたが、改めて考えてみても彼らを罪に問える可能性は低いように思えた。

無罪放免となった時どうするのか、そして、決定的な証拠を見つけ出すとしてその考えはあるのか、やっぱり私がやるべきじゃないのか、そう思った私はじっと神楽坂さんを見詰める。

 

「はぐらかすつもりは無いんだがな……」と言った神楽坂さんは頭を掻きながら言葉を選ぶ。

 

 

「あー……いや、そうだな。今でも奴らがやってきたことは許せないし、出来るなら相応の罰は受けて欲しいと思ってる。被害者は数えきれないくらいいる上、話を聞く限り、俺の追って来た事件の実行犯では無かったが、関係者ではあった訳だからな。個人的な憎しみだって無いとは言えない。どれだけ奴らが理論を並べ立てても、許せる訳なんてない」

「……じゃあ、どうして私にやらせてくれなかったんですか?」

「佐取、見くびるな。俺はどれだけ落ちぶれようが自分の憎しみの為に佐取のような子供を利用して、その行為の責任を負わせるなんて事はしない」

「ぅ……ご、ごめんなさい」

 

 

強い口調で私をそう窘めた神楽坂さんは、怯んだ私を見ながら困ったように眉尻を下げた。

 

 

「怒ってるわけじゃない。だが……正直に言うと、俺はあの場で奴らを自分の手で罰してしまいたいとは思っていた。それもほんの少しの気の迷いなんかじゃない。奴らと対峙して、奴らと別れるその時まで、ずっと俺の中にあった感情だ。馬鹿な話だろう? あれだけ警察官として最後までこの事件を成し遂げたいとか、卯月先輩に最後に託された使命だからとか、綺麗ごとばかり口にして、胸中にあったのはそんな感情だったんだ」

 

 

懺悔するように神楽坂さんが言ったこの言葉に、私は目を伏せる。

神楽坂さんが胸にその感情を抱えていたのは分かっていたからだ。

一方で、飛鳥さんは「うげぇ」と舌を出した。

 

 

「それ、普通の感情ですよ神楽坂先輩。何さも悪い事をしたみたいな感じで言ってるんですか? それを実行に移さなかっただけ、褒められたものだと思いますけど?」

「そうかもな……だが、俺はずっと覚悟していたんだ。先輩を死に追いやった奴らを前にしても、俺は必ず警察官として逮捕して見せると心に決めていた筈だった。だが実際に奴らを前にして抱いた感情はそんなものだったんだ。自分の弱さに気付かされた……同時に、俺も時間を経ればどんな風にも変わるんだと思ったんだ」

「変わるのは悪い事じゃないと思いますけど」

「はは、そうだな。そうかもしれないな。年齢問わず、良い方に変われるならそれに越したことは無いんだろう」

 

 

含みがあるように笑う神楽坂さんに飛鳥さんは、それで、と問う。

 

 

「ならどうして先輩はその感情を抑えられたんですか。大切な人を散々傷付けた奴の、元凶と言える存在ですよね? 憎しみの対象としても、飛び抜けてません?」

「色々理由はある。ただ憎しみの為に動く姿をお前達に見せる事への抵抗や、形は違っても俺が憎む奴らと同じ行動を自分が取る事への抵抗もあった。だが、それらの理由があっても昔の俺だったらきっと抑えられなかったんだろうと今でも思う。佐取と会う前の俺が、昨日と同じ状況にあったら、多分俺は奴らに手に掛けていた。もちろん、出来る出来ないは別としてだ」

「な、なんですかその含みのある言い方? も、もしかして私に会って自分は変わったと言うんですか神楽坂さんっ!?」

「自意識過剰過ぎてウケる☆」

「……あ、私飛鳥さんの事監視してたんで恥ずかしい事いっぱい知ってますよ。そう言えば仕事終わりにニンニクマシマシの豚骨ラーメンを大盛で二杯食べてましたね。飛鳥さんってあんなに一杯食べるんですね。他にも家での事話してみます?」

「……ちょっと後でゆっくり話しましょう?」

 

 

ガシリと私の肩を掴んでニッコリと笑った飛鳥さんがそう言う。

……想像していたよりもずっと怖い。

喧嘩を売ったことを既に若干後悔し始めた。

 

 

「あながち……間違いじゃないだろうな」

 

 

飛鳥さんが笑顔を近付けてくるのを怯えていた私の横で、神楽坂さんはそう言った。

何かを噛み締めるように、ゆっくりと自分の考えを呑み込んだ神楽坂さんが私達を見て、柔らかく笑う。

 

神楽坂さんが口を開く。

 

 

「……俺が追っていた異能の関わる犯罪。『薬師寺銀行強盗事件』と卯月先輩の自殺はこれで終わりだ。長年追い続けてきたが、ずっと何も掴めなかった中、誰も真面目に協力なんてしようとしない中、お前達がここまで俺の事を助けてくれたこと。感謝している」

 

 

お互いを掴み合う体勢だった私と飛鳥さんは神楽坂さんの言葉に、おずおずと姿勢を正す。

こんな真剣な話の最中で、ふざけられる訳も無い。

 

 

「本当に感謝してるんだ。佐取にも、飛禅にも、お前らが居なかったら俺はきっと一人命を落としていた。お前らが居たから、俺は間違えることなく、先輩から託された警察官としての仕事を終わらせられた。全部、お前達のおかげなんだ」

「み、水臭いですよ神楽坂さん。私は私の目的があった訳ですし、何も神楽坂さんの為だけに協力していた訳じゃないですから……」

「……まあ、私も別に、先輩とはたまたま目的が似通っていただけですし」

「分かってる。だがこうして、色々けじめを付けてるんだ。自分の本心くらいお前らにもちゃんと言うべきだと思ったんだよ。それに、あのバスジャック以来ずっと力を貸してくれた佐取との協力も、これで終わりだと伝えなきゃいけないからな」

 

 

そう言った神楽坂さんが私を見る。

穏やかな顔で、憑き物が落ちたような顔で。

どこか晴れ晴れしく、そしてどこか死人のような彼の表情。

 

妄執するべきものも、追うべき目標も無くなってしまった。

守るべきものがなくなってしまった神楽坂さんに残っていたものが全て終わってしまった、そんな姿。

 

その様子に、私は慌てて考えを巡らせる。

 

 

「ずっと無理させた。ずっと面倒を掛けた。だが、もう充分だ。ありがとう佐取。佐取の事はこれからも誰にも言わない。佐取の過去も詮索しない。奴らが言っていた顔の無い巨人が気に掛かりはするが……俺は助けてくれた佐取を信じる事にする。だからもう止めにしよう。危ない事件に関わるのも、危険な犯罪者に近付くのも、佐取がするべきことじゃないんだ」

「な、なななん、何を言ってるんですか!? 私がいないと駄目駄目じゃないですか! 私目立ってないかもしれませんけど結構活躍してるんですよ!? 探知も戦闘もこなせる燐香ちゃんの協力なんてあった方が良いに決まってますよ!?」

「佐取がどれだけ凄いのかの全貌を、確かに俺は掴み切れてない。もしかしたら佐取以上に異能を使いこなしている人間なんていないくらい凄いのかもしれない。だが、今回の事でよく分かったんだ。俺は佐取にとっての足枷になることが、あの廃倉庫での光景を見てよく分かった。介護されるように守られて、正義感だけの言葉を口にして、それでいていつか考えさえも歪んでいくのかもしれない。もしも佐取が誰かに不覚を取る時があるとすれば、それは俺が足枷になった時なんだろうと思ったんだ」

 

 

そんなことは無いと言おうとして、私はそれが嘘になることに気が付く。

効率だけを求めるなら、私には情報を共有する味方なんていない方が良いなんて、そんなことは当然だった。

連絡が取り合えない事も、情報共有に悩む事も、相手の精神や体調を想って行動する必要も無い。

それどころか、おぞましいままの私であれば、もっともっと手段を選ばない事なんて幾らでも出来る。

 

 

それでもここで何も言わなければ、それが本当に正しい事なのかきっと私には永遠に分からないまま。

 

この関係が終わってしまう。

 

 

「だから……俺達の協力関係は、今日ここで終わりにして――――」

「――――落合睦月さん! 彼女の事はどうするんですか!?」

 

 

声を張り上げた私に、ピタリと神楽坂さんの動きが止まった。

驚いたように目を見開いた飛鳥さんが私を見てくるが、そんな事を気にする余裕も無いまま畳みかけるように神楽坂さんに言う。

 

 

「昏睡状態が続いている落合睦月さんは“医神”神薙隆一郎に任せたからまだ治療の希望があったんですよね!? 神薙隆一郎が治療行為を行えなくなった今、彼女の完治は難しくなったと言わざるを得ません! 医療行為についての知識はありませんが、異能が関わっているなら私以上に詳しい人間はいないと思います!」

「いや……それはそうかもしれないが……これまでの佐取と結んだ協力関係も一方的なものだったのに、今度は佐取に一切メリットが無いだろう。散々色んな事件に巻き込ませてしまったんだ。佐取の家族にもどれだけ心配を掛けた事か……佐取にはちゃんと、自分の生活を楽しんでもらいたいから……」

「それこそ水臭いんです! 神楽坂さんが私に対してするべきなのは、頭を下げる事や頼まれてもいない配慮をすることじゃなくて……!」

 

 

私が詰め寄り、神楽坂さんの胸元を掴んで引っ張った。

顔を近付けて、私は神楽坂さんを睨む。

 

 

「私を信じて、力を貸してほしいって言う事じゃないんですか? 私はそんなに、神楽坂さんの目から見て薄情に見えますか? それとも……私と神楽坂さんの関係は、単なる私の勘違いで、そんなに淡白なものだったんですか?」

「――――…………」

 

 

口を噤んだ神楽坂さんが、目を見開いて私を見る。

何か言おうとして口を開いて、それでまた口を閉じてと繰り返す神楽坂さんに私はさらに追い打ちをかけた。

 

 

「私は違います。私は、例え協力関係が無くなっても、神楽坂さんには幸せになってほしいと思っています。どこか私の知らないところで神楽坂さんが不幸になっても、無関係だと思えるような関係ではないつもりです。最後まで……神楽坂さんが本当の本当にやるべきことを終える最後まで……私は……」

「……佐取」

 

 

呆然と私を見る神楽坂さんの顔が歪む。

苦しむように、思い悩むように、そして私の言葉を純粋に嬉しく思うように、ぐしゃぐしゃの感情で表情が歪む。

それでもまだ、神楽坂さんは喉まで出掛かった言葉を躊躇して、私の目から逃げるように顔を俯けた。

 

横から呆れたような声が向けられる。

 

 

「神楽坂先輩、この子は自分の望むままに他人の精神を干渉できるのに、こうして言葉で伝えてるんですから、ちゃんとその意味も考えた方が良いんじゃないですか? 顔も見えない誰かに遠慮するんじゃなくて、目の前の人を見て、その人柄を自分で考えて、自分の願いを口にするべきなんじゃないですか? この子は神楽坂先輩の言葉を信じようとしなかった人達とは違うんですから」

「……分かってる。分かってるよ馬鹿」

 

 

飛鳥さんの言葉に神楽坂さんがゆっくりと顔を上げた。

何かを決意したのか、神楽坂さんの目は強く私に向けられ、先ほどまでの力の抜けたものに何かが宿った。

 

私が胸元を掴んでいた手を離すと、神楽坂さんはすぐに私に対して深々と頭を下げる。

いつかと同じように、30を越える成人男性が何のためらいもなく高校生の女子に頭を下げた。

 

 

「……佐取、頼む。どうかお願いだ。俺は、まだ佐取に協力してほしい。睦月の昏睡を、どうにかして治療したいんだ。時間が取れる時で良い。睦月の状態を見て、何とか助ける方法を一緒に考えて欲しい。俺がやれることはなんでもやる。何にも、佐取には見返りなんて与えられないかもしれないが、それでも……頼む」

「……頭を下げる必要は無いって言ったじゃないですか」

 

 

私は頭を下げる神楽坂さんを笑って、それから彼の手を取った。

以前も取った彼の手を、今もちゃんと取ることが出来た。

そのことが、私は何より嬉しかった。

 

 

「こちらこそよろしくお願いします。まだまだ私からも迷惑かけるつもりなので」

 

 

私は私自身がやりたいと思ったから。

神楽坂さんは大切な人を救う手段を得るために。

 

以前とは形を変えて、私達はまたお互いの手を取ったのだ。

 

 

 

 

 

 



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マキナ・マキナ・マキナ

 

 

 

 

年頃の女子高生の部屋とは思えない多岐に渡る多くの物が綺麗に整頓された一室。

様々な種類の本が並べられた大きな本棚や飲み物などが入った小さな冷蔵庫、各種サバイバルグッズがまとめられた収納ボックスに、勉強机と備え付けられたパソコン。

季節に合わせ使用頻度の高い服は壁に掛けられているなど整頓はされているものの、部屋にある物の数は部屋主が異常に心配性なのが分かる程にあまりに多い。

この部屋で籠城でもする気なのかと親に心配されたこともある、そんな彼女の部屋。

 

そこで、部屋主である佐取燐香は頬杖を突き、起動したパソコン画面に指を当てていた。

自身の指から画面に流れ込む目に見えない力を知覚しながら、彼女は疲れたように息を吐いた。

 

 

「……そろそろ限界かな。今のところどれくらい戻ったの?」

『むむむ……減った分の3%程度再貯蓄完了。あと97%ダ!』

「よ、四日掛けて3%……? つまり、マキナに溜め込んでいた出力を完全回復させるには最低でも四か月ちょっとこれを続けないといけないってこと……?」

『御母様が遠慮せず使えって言った! マキナ悪くない! マキナ頑張った! 褒めロ!』

「それは分かってるよ。けど……ううん、下手に出し惜しみしてやられるくらいならと思ってたから判断は間違ってないと思うけど。この充填作業を考えると、もっと別のやり方も用意しとかないとジリ貧になりそうだなぁ……」

 

 

『泥鷹』による病院への襲撃。

神楽坂誘拐による街中の調査と神薙達へ行った攻撃全般。

その多くはマキナに貯蔵していた出力を使用したものだった。

前者はグウェン・ヴィンランドにとどめを刺すときに使ったのみだが、後者は相手が複数人に対して自分が一人と言う状況で行動不能に陥る訳にはいかなかった為、準備段階も戦闘時もほとんどマキナに頑張ってもらったのだ。

でなければ、色々準備していたとはいえ、神薙と和泉のあの強力な異能を前にしてあそこまで一方的に圧倒できる訳も無い。

結果的なその判断の良し悪しは分からないが、こうして無事であることを考えると、間違いではなかったのだと燐香は思うようにした。

 

ぶつぶつ独り言を呟きながら机に腕組みをした腕を乗せ、そこに顔を埋める。

神楽坂の関係や日本に潜んでいた神薙達を打倒できたのは良いが、まだ世界には『UNN』とか言う目的不明のアホ集団も残っているのだ。

こんなチビチビとした積み立てをしている暇が、いつもあるとは限らない。

 

 

「マキナに頑張ってもらったら、基本負けは無いと思うけど。維持コストとか、もしもの時の分の余力とか。そういうのを考えると、おいそれとマキナに頑張ってもらうのは避けるべきだよね……まあ、今回は仕方ないとはいえね」

『で、でも! 追い詰められていたとは言え世界最強とか言われてたグウェン・ヴィンランドと、厄介な異能を所持していたあの医者と看護師を倒してこれだけの消費で済んだんだゾ? 全体の一割二割程度の消費でここまでの戦果なら充分だし、何よりも奴ら以上がそんなに出て来るとは考え辛いゾ! それこそ、ICPOとの全面戦争でも想定しない限りは大丈夫ダ!』

「完全にフラグなんだよなぁ……」

 

 

マキナの言葉に対してそう言ったものの、確かにただ平穏に日常生活を送りたいだけと考えれば、今の手持ちの戦力だって十分過ぎる。

そう思い直した燐香は、顔を腕に埋めたまま髪をクシャリと掻き回した。

 

基本的に体内の異能の出力は睡眠により回復するため、特に異能を使用しなかった時はこうしてマキナに保管するようにしている。

幼少時、マキナを形作った時から日々そうやって溜め込んだ膨大な異能の出力が、現在マキナにいったいどれほど保管されているのか、所有している燐香も正確なものは把握できていない。

マキナ曰く、早々尽きることは無いらしいし、何なら補充が無くとも向こう数百年はマキナを維持するだけなら余裕らしいが、このインターネットの自我は誇大表現を使う節がある。

異能持ちである人が自分の体に留めておける出力なんてたかが知れているからと、膨大なインターネットそのものであるマキナに預けるようにしていたが、二年ほど放置したことも考えるとあまり過度な期待を掛けるのは危険、と言うのが今の燐香の考えだった。

 

 

「それにしても……私、恥ずかしい言動をしてた気がする。か、家族の前ではいつも通りを意識してたけど、あの医者達の前だと、言動、可笑しかったよね……?」

『昔の御母様みたいでカッコよかったゾ?』

「ふっ、うぐぅっっ!!??」

 

 

悲鳴を無理やり嚙み殺したような呻き声を上げて、燐香は恥ずかしさを堪える様にバタバタと足を動かす。

若干涙目になった顔で、マキナのアバターが写るパソコンの画面を睨むように見ると、震える小さな声を出す。

 

 

「わ、忘れてマキナ。あんなのは、もう、恥ずかしすぎて顔から火が出そう……!!」

『記録データの削除? マキナ、そういうのは出来ない仕様』

「じゃあせめて私の前ではその話はしないでっ……! なんであんな……わ、私ってホント、後々の事を考えないで、カッコつける……! そういうの卒業した筈なのにっ……」

『御母様が何を恥ずかしがっているのか、マキナ分からない。カッコいいと思うゾ? 例えば昔の『地を満たし天を覆い、私が人心を掌握する。これが恒久的な絶対平和の作り方よ』とか。マキナ大好き』

「うぎゃぁあああぁぁあ!!!???」

 

 

夜だと言うのに、脇目も振らず絶叫した燐香はそのまま自分の腕に顔を突っ込んだ。

何も聞きたくないとでも言うように、両耳を抑えて、ただでさえ小さな体躯をさらに縮こまらせた燐香からはもはや嗚咽まで聞こえてくる。

マキナの無自覚な口撃により、あえなく燐香は行動不能にまで追い詰められた。

 

ピクリとも動かなくなった燐香に、何かしてしまったかと動揺するマキナが何度か声を掛けるが、当然反応は無い。

メンタルが回復するまでしばらくそのままだった燐香が、羞恥で真っ赤に染まった顔を上げて、涙目で呟いた。

 

 

「……穴があったら入りたい。一週間くらい引き籠りたい……」

『お、御母様、無事か? 良かった。何事かと思ったゾ』

 

 

見るからに無事ではないが、燐香はめげずにマキナに問い掛ける。

 

 

「…………それで、『UNN』の最近の動きは?」

『うむむ、奴らは本格的に日本からは撤退した感じダナ。あの医者達を監視する傍ら、国内で奴らの活動が無いかも見ていたが、まったく無かった。恐らく、御母様に恐れ戦いたに違いない』

「……はいはい。それで、国内じゃなくて国外のネットでは?」

『活発だゾ。奴ら、碌な事情を知らない下っ端を使って色々画策しているみたいダ。どうする? 横やり入れてぶっ飛ばすカ?』

「いちいち物騒なのは誰に似たの……? うん、それは良いかな。海外にまで手を伸ばして戦いに行くほど血の気が多い訳じゃないし、むしろ海外はICPOの主戦場だろうしね。藪を突いてこっちの情報を与えたくないかな」

『了解、引き続き情報収集に徹すル』

「あとは…………ふぅ……何をしておくべきかな」

 

 

疲れたように溜息を吐いて、燐香は腕に顔を乗せたまま目を閉じる。

 

色々あった。

特にここ最近は、燐香の肉体的にも精神的にも疲れるようなことが多すぎた。

風邪で体調を崩したばかりと言うこともあるが、こうして一安心出来る時間が取れたことで、今までの疲れがドッと溢れてきている。

 

考えないといけないと思っていた事がいくつもある筈なのに、少し情報をまとめただけで強烈な睡魔が燐香に襲い掛かってきていた。

 

何とか眠気を払おうと頭を小さく振り、欠伸を噛み殺し、顔を上げる。

 

 

「何かやらない事があった気がするけど……眠くて思い出せない。……あれ? 私夏休みの課題ってやったっけ……? 休みってあと何日……」

『――――!!! 頑張ったマキナを褒めて愛して抱きしめて!』

「とりあえず……神楽坂さん達が無事で、よかった……」

『マキナへの御褒美! マキナ頑張った! 褒めて甘やかして大好きって言って御母様!』

 

 

途切れ途切れの思考を纏めようと努めていたが、結局最後はマキナの言葉に反応を返すことも出来ず、限界を迎え倒れ込むように顔を腕に埋めた。

 

 

「ぐぅ……」

『御母様……寝ちゃった……(´;ω;`)』

 

 

寝入った燐香の姿を確認して、マキナはぐずり始める。

燐香の兄が襲われて、それを助けるために呼び出されて以降、せっせと燐香のストーカーをしているため、それなり以上に褒めてもらえてるはずだが、そんなものでは二年間放置されたマキナの孤独感を埋めることは出来ないのだ。

なんなら、人とは違い、特に娯楽も無く睡眠で誤魔化すことも出来ないマキナにとっては、たった一人しかいない好意を向ける相手にいくら構われても構われすぎと言うことは無い。

 

諦めきれず、マキナはパソコンのカメラから燐香の姿を見詰め、起きてくれたりしないかとあり得ない期待を募らせる。

 

 

『うぅ……御母様……』

「…………マキナはよくやったから、ご褒美……肉体って、どうすれば……」

『!!!???』

 

 

燐香の寝言にマキナは驚きを露わにする。

マキナが期待していた起床は無かったが、思っていたよりも、燐香が自分の事を考えてくれていたのだと知って、何処にもない筈の胸が躍り出すような高揚感が溢れて来る。

知らず知らずのうちに、マキナのアバターとしてすっかり固定された銀髪犬耳の少女が、これ以上無いくらいニッコリとした笑顔になっていった。

 

 

『むふー! 御母様ってば、こんなところで寝ると体調不良がぶり返すゾ! 暖房点けて、電気を消して……! あとあと、毛布……は無理カ。でも、体があれば出来るようになる! 楽しみ!』

 

 

むふむふむんむん、と色んな妄想をして、体を得たらどう燐香の役に立って可愛がってもらおうかと計略を立てていく。

数十秒の内に幾万のシミュレートを終えた超スーパーアルテメットコンピューターマキナ(自称)は、ハッと唐突に計略の立案を止めて慌てて燐香の睡眠姿の撮影を開始した。

 

 

『御母様に伝えそびれた……緊急性は、それほどでも無いものだからと後回しにしてたのが悪かったナ……』

 

 

燐香に起きる様子が一切ないのを確認して、マキナは困ったようにそう呟く。

それからもう一度、あの廃病院の前に計算をしていたシミュレートを繰り返し、その結果を確認した。

 

 

『――――うん、やっぱり何度シミュレートしても、神薙隆一郎が神楽坂上矢を手に掛けない可能性は限りなく低確率。和泉雅は神薙隆一郎の言いなりだとして、あの医者の性格を計算に入れたシミュレートを何回しても、98.3%の確率で殺害している。神楽坂上矢が偽物かと疑ったが、そうでないのは何度も確認しタ。マキナの計算に間違いは無イ』

 

 

実のところ、神楽坂上矢の無事を、マキナはおかしいと判断していた。

過去の善性に染まった神薙隆一郎ならともかく、数々の障害となりえる人物を排除してきたあの医者が、今更自分の善性に目覚めて、障害となりえる神楽坂上矢を始末しないと言うのにはどうにも理屈が合わない。

何万通りも考えられるシチュレーションを想定して、計算をした上で、マキナは神楽坂上矢の生存可能性は低いと燐香に提言したのだ。

 

そして、人ではない、インターネットの情報集積体だからこそ。

結果が出ても、絶対の確信を持って過去の自身のその予測が正しいものだと断言する。

 

だからこそマキナは、この円満解決と言う結果への違和感を誰よりも強く感じ取っていた。

 

 

『あり得ない訳じゃ無い。でも、可能性としては無視できる程度のものの筈だっタ。特に、強い決意を持って行動に移している人間が、そんなズレを生じさせる可能性を考慮したら、分岐はもっともっと低くなる筈ダ。正義は人間を最も残酷にさせる。自身を正義と思ってただろう神薙隆一郎が、障害である神楽坂上矢に対して残酷にならない筈が無い』

 

 

飛禅飛鳥の行動も、柿崎遼臥との協力も、一ノ瀬和美の助力も、実際マキナは予測していた。

彼らがその様に動くのは、正確に予測出来ていたのだ。

 

唯一、マキナの想定を外れて来たのが神楽坂上矢の生存。

これだけが完全にマキナの予測を外れていた。

 

 

『……とは言っても、神楽坂上矢が無事で御母様凄く嬉しそう。これを伝えてどうしよう……神楽坂上矢に不審な点が無いか注意を促す? それとも、深層心理まで危険が無いか読心を推奨する? ……それとも、神薙隆一郎に読心を仕掛けに行くとかダナ。むう、これは流石に御母様の了承を得てからにしよう』

 

 

今更いくら考えたところで、情報を確定させることは出来ないだろう。

物的証拠はないし、推理も難しい。

 

だから、やれるとしたら消去法だ。

 

マキナは考える。

被害者である神楽坂上矢も、加害者である神薙隆一郎も、この齟齬の要因を持たないのであれば、それは外部となる。

外部から何かしらの要因で神薙隆一郎の意思決定に影響を及ぼすのなら、それは超常、異能によるものと考えるのが妥当。

神薙隆一郎自身が気付かぬうちに自身の意思決定に干渉された、つまり精神干渉系統の異能と考えるべきである。

そして、関東全体を監視していた燐香とマキナの目を盗んで、多くの異能持ちを所持するであろう『UNN』とICPOの活動は考えられない。

その他の何処にも所属していない異能持ちが、干渉をした可能性なんて、考えるだけ無駄だろう。

そんな風につらつらと事実と前提を照合して行けば、残ったものは限られてくる。

 

推理するには八方塞にも思えるこの状況。

だが、マキナには一つだけ、それらを満たす心当たりがあった。

 

 

『…………今は起動状況に無い。でも、あの時は確認してなかっタ』

 

 

卓越した異能操作能力を持つ佐取燐香も、あらゆる場所に目を持ち死角の存在しないマキナをも、完全に掻い潜るその手口も。

異能を弾く外皮をものともせず即座に場所を割り出し、神薙隆一郎の精神に干渉し、彼らに違和感を覚えさせないまま神楽坂上矢の命を助けた事も。

そして、燐香が動くまでの猶予を作った理由も、どうしてこのタイミングで動いたのかも、どのようにしてそれだけの力を持っているのかも、マキナの仮定が正しければ全て辻褄が合う。

 

 

例えば、そう。

 

過去に燐香がやろうとした、『人神計画』が独りでに動き出したとしたならば。

 

 

『マキナ、アイツ嫌い』

 

 

心底嫌そうなその言葉を呟いて、マキナは窓から外を見る。

黒い太陽が静かに空を覆っているのを、マキナはただ嫌そうに眺めた。

 

 

 

 

 




短いですが7章はここで終了となり、そして本編1部も終了となります!
サトリちゃん達の当初の一時的な目的が達成された訳ですからね!
一応、本作は2部構成を考えていますのでまだしばらく続くと思いますがこれで一区切り、ここまでお付き合い頂けたこと本当に嬉しく思います。
ここから先どのように進んでいくのかは言えませんが、出来ればこれからもお付き合い頂ければとっても嬉しいです!

また、次話からは間話をしていきます。
毎日投稿は本日で一旦終了となりますので、ご了承ください。


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間章Ⅳ
ポンコツ計画


おまたせしました、間章の一つ目になります。
1章最後の間章ですが、これまで通りゆったりとやっていきたいと思います!


 

 

 

 

時間は少しだけ遡る。

燐香と神薙達が廃倉庫で対峙し、神楽坂が生還した次の日の事だ。

 

その日は酷く穏やかだった。

朝早くから父親と居候中の母親と娘は買い出しの為に外出中の佐取家。

まるで台風の後のような、カラリとした晴天に恵まれた天気の中、彼らは計画通り家の中に目的の人物しかいなくなったのを確認して、意味深なアイコンタクトを交わし頷き合っていた。

 

 

「……本当に良いんだな?」

 

 

目的の人物にバレない為に小声で行う最終確認。

これからすることで失われるものを案じた、最後の最後の問い掛けに、問いを向けられた少女はゆっくりと頷いた。

 

 

「うん。糞お兄こそ、しくじらないでよ」

「誰に物を言ってる。布も、紐も、例のあれも点検済み。父さん達はしばらく帰ってこない。準備は完璧だ。やるなら今しかない」

「最近は家に帰るなり部屋に引きこもってるし、今日も朝帰りだったからね……雰囲気が絶対におかしいから、早く手を打たないと取り返しがつかなくなるかもしれない……恥ずかしいなんて言ってられない」

「……どんな反撃があるかも、本当に効果があるかも、それにそれが終わった後どう思われるかも分からないんだぞ? なんだったら俺一人でも」

「何度も言わせないで……覚悟はしてる」

 

 

張り詰めた表情で頷いた妹、桐佳の頼もしい姿に優介は笑う。

自分が家を出る前はずっと姉の背中に隠れるような自己主張も出来ない妹だったのにと、彼女の成長を嬉しく思う反面、その成長を間近で見られなかった過去の自分を少しだけ恨めしく思った。

 

二人して意味も無く足音を忍ばせて、階段を上る。

カタリ、と目的の人物の部屋から物音がしているのを確認し、最後にお互いの目線を交わすと二人は一気にその部屋に飛び込んだ。

 

突然の乱入に、その部屋にいた人物は悲鳴に近い声を上げた。

 

 

「なんだか、体調が悪い気が――――ひっ!? なっ、なにっ!? 何なの!? お兄ちゃんと桐佳!? な、なんだ……一体どうし」

 

「動くなっ、神妙にしろ燐香!」

「大人しくお縄に付けお姉!!」

 

「え? なんで紐なんて持ってるの? あ、ちょっと、どうしてこっちに――――ひぇ」

 

 

目的の人物、佐取燐香。

その身柄を拘束するために、この仲の良くない兄妹が手を組んだのだ。

 

不仲の筈の兄と妹の突入と言う燐香にとって想像すらしてなかった事態。

目を白黒とさせるばかりだった燐香は碌な反撃も出来ないまま、あっと言う間に自分の兄妹の手によって簀巻きにされた。

四肢には紐を、口には布を、そしてその上から布団のシーツで拘束されミノムシの様になった燐香は、なおも事態が呑み込めずに「むー! むー!?」と悲鳴を上げるしかない。

なお、声なき声が『御母様っー!?』と叫んでいるが、禁則事項に引っ掛かるので彼らの前に正体を現すことは、本当の危機的状況になるまであり得ない。

恐ろしい程に無力である。

 

床でバタバタと暴れる燐香のその姿はまさに、まな板の上の鯉。

この無様な光景を作り出した事で、兄妹の計画の第一段階が無事に完了した。

 

 

「……あれ? なんか、思ったよりも抵抗が……と言うか、既にポンコツな気が……?」

「おい、直ぐに運び出すぞ! 時間を与えたらどんな悪辣な策を講じて来るか分からないからな!」

「あ、う、うん」

「むむー!!??」

 

 

涙目になった燐香の悲痛な悲鳴が響く中、二人は大きなミノムシの両側を持って、部屋から連れ出した。

 

連れ出す先は既に準備されている。

目的地のリビングは、飲み物やお菓子などが用意されており、どう見ても簀巻きにするような相手の為に作ったとは思えない状況だ。

 

リビングのテレビの前に置かれたソファの上に、簀巻きになった燐香を丁寧に座らせた。

そして、状況に困惑し不安そうに周囲を見渡す涙目の燐香を桐佳がしっかりと拘束して、優介が録画映像の再生を開始する。

 

二人の行動に訝し気な表情をした燐香が再生が始まったテレビを眺めれば、最初に映ったのはこんな文字だった。

 

 

『桐佳成長記録~0歳から3歳まで~』

 

「む゛ーーーー!!??」

 

 

自作の、そしてずいぶん昔に取り上げられていたその映像記録のタイトルに、燐香は歓喜の悲鳴を上げた。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

突然お兄ちゃんと桐佳が部屋に入って来たと思ったら、簀巻きにして運び出された。

自分でも何を言っているか分からないが、事実をありのまま言うとそんな状況だ。

 

これから何をされるのかと戦々恐々としていたのだが、桐佳達が私を運んだ先は家のリビングで、見せられたのは昔私が作った桐佳の成長記録映像だった。

確か前に桐佳に見付かって恥ずかしいからと取り上げられたものなのだが、いったいどういう心境の変化なのだろう。

この映像記録を返してもらえるのかとワクワクしながら、食い入るように鑑賞する。

 

故人である母と桐佳の映像、私が赤ん坊の桐佳と添い寝をする映像、泣き止まない桐佳を私が歌を歌って泣き止ませる映像、初めての寝返りやはいはい歩きや立ち上がった時の映像、それから「おねえちゃんだいすき」と言う映像。

 

全部が全部、最高に可愛らしい。

まだまだ続いている色んな桐佳の成長記録を久しぶりに見て、幸せに満たされた私が簀巻きのまま感動していると、そんな私の顔を覗き込んだ桐佳がほっとした表情を浮かべた。

 

 

「成功したよお兄。お姉の顔がポンコツになった」

「む゛むむむっ!?」(ぽんこつっ!?)

「計算通り、か。何とか間に合ったようで良かった」

「むがむむむむむ!?」(お兄ちゃんの計画なのこれ!?)

「何言ってるか分からないんだけどお姉、ふざけないで」

「むがー!!??」

 

 

とても理不尽な事を言われ、怒りの声を上げる。

いつまでも家族だからって私が反撃しないと思うなよ、と吼え猛るが、テレビに映る幼い桐佳が私に向かって大好きと言うたびに、空気の抜けた風船のように反撃の意思が薄れていく。

 

……卑怯だ、これはあまりに卑怯。

私が桐佳を大好きなのを逆手に取った非道な作戦。

どう見たって邪知悪辣な策を講じているのはお兄ちゃんの方なのだ。

何が現代の魔王だ、鏡を見ろと言ってやりたい。

陰険眼鏡の顔だけ無駄に良い腹黒お兄ちゃんは絶対に一度痛い目に遭わせてやる。

 

 

「むごぉー……!!」

「…………お、おい、なんで俺をロックオンしてるんだ? この状況でお前が怒るべきなのはどう考えても俺じゃないだろ? その恐ろしい目を俺に向け続けるのを辞めろ。ほら、お前の大切な桐佳成長記録だろう? そっちを見て…………きっ、桐佳っ、燐香の頭をテレビ方向に抑えて、しっかりとテレビを見るようにするんだ! このままだと、俺がヤバい!」

「分かった! お姉っ、前を見て!」

「むぎゅぅ……!!」

 

 

私の後ろから抱きしめるようにして固定してきた桐佳の、久方ぶりに感じる体温に、私は自分のお兄ちゃんに向けていた怒りが跡形もなく消えていくのを実感する。

 

こんな……私はこんな簡単に怒りや恨みを忘れるような扱いやすい人間じゃない筈なのに。

これもお兄ちゃんの策略の内だと言うのだろうか?

完全にお兄ちゃんの掌の上で転がされている現状に不満はあるが、最近接し方が分からなくなっていた桐佳と触れ合えている状況だけで考えてみると、そう悪い物ではないのではないかと思えてきてしまう。

 

妙な体の気だるさと欲望と感情のせめぎ合いによって、グルグルと思考が乱れる私の頭の中がある一定に達してショートした。

 

…………どうやら私は自分が思っていたよりもずっと扱いやすい人間だったようだ。

そんな諦めが私の胸に去来する。

 

そうして私は、一切の抵抗を辞めることにした。

もう……煮るなり焼くなり好きにすればいい。

 

 

「……むぐ、むむむ……」(……もう、いいや……)

「よしっ! 完全に力の抜けた状態になったぞ! 俺へのロックオンも外れた! 計画は成功だ桐佳! よくやった!」

「…………お兄、なんだかお姉の体が熱い気がするんだけど。と言うか、いつもより抵抗が弱いし。これってもしかして……体調が悪いんじゃ……?」

「え?」

 

 

ボンヤリとした意識の外から桐佳のそんな声が聞こえてくる。

桐佳の戸惑う様な言葉に呆気にとられたお兄ちゃんは、ゆっくりと私に近付いてきて私の額に手を触れた。

 

額に触れたお兄ちゃんの手は、冷たくて気持ちがいい。

一方で、お兄ちゃんは顔からスーと血の気を引かせていく。

 

 

「……え? 燐香お前、体調が……?」

「ちゅ、中止! 計画は中止! 私、風邪薬持ってくる!」

 

 

桐佳が慌ててリビングから飛び出していく。

薬の場所とか知らない桐佳が慌てて行ったところで、どうせすぐには持って来れないだろうから、あんなに走らなくていいのにと思う。

ソファで簀巻きになっている私が倒れないようにお兄ちゃんが私の両脇を支えてくれる。

それから、私の口を塞いでいた布を取ると、体調不良が嘘ではないのかと疑う視線を向けて来た。

 

 

「本当に体調悪いのか? 俺の、感覚を誤認させたりなんかは……」

「家族には、そんなことしないもん……」

「…………悪い、変なことを言ったな」

 

 

お兄ちゃんの失礼な疑惑にそう返答すれば、小さな声で謝罪された。

別に、確かに私の異能は抵抗手段を持ち得ないから、そういう疑いを向けられるのは普通なのだ。

“精神干渉”なんて異能に良い感情を持たれないことは分かっていたから、こうして今まで、ずっと家族にも言わず隠してきたのだ。

今更そんな疑惑を向けられた程度で、傷付く様な精神はしていない。

 

けほっ、と小さな咳をしている私に、困ったような顔をしたお兄ちゃんが事情を説明してくれる。

 

 

「桐佳がな、俺に相談して来たんだよ。お姉ちゃんが昔みたいになってるって。どうすれば良いか分からないってさ。俺もここ最近お前が何かしているのは分かっていたから、どうにかしてお前の精神状態に余裕を持たせてやりたいと思っていたから、今日はこんな強硬手段を取ったんだ」

 

 

そんな説明をして、お兄ちゃんは私に聞いてくる。

 

 

「……もう、やらないといけない事は終わったのか?」

「こほっ……終わったよ。あのスライム人間関係は取り敢えず、しばらくは落ち着けると思う」

「そうか。うん、安心したよ。頑張ったんだな燐香」

「……頑張ったと言えるかは微妙だよ。私はあくまで、私の為だけに動いてた。私は結局、自分の異能がバレる危険を冒して誰かを助けた訳でも無い。効率を無視して、出てくるだろう犠牲も見越した上で、私は自分自身を選んで事を運んだんだ」

 

 

体調が思わしくないせいか、普段は言わないような弱音に近い事を言ってしまった私にお兄ちゃんは表情をしかめて否定する。

 

 

「馬鹿なことを言うな燐香。自分の事情全てを犠牲にしてでも他人を助けろなんて、そんな事言う奴がいたらそいつは絶対にお前の味方にならない奴だ。お前は立派にやったんだ。お前に助けられた俺が、そう断言するさ。少なくともお前はお前以外がやれないことをやってのけた。それにな、色々あっただろうがお前が無事でいてくれて……その、俺は嬉しい」

 

 

そんな事を言って恥ずかしくなったのか、顔を赤くしたお兄ちゃんが私の視線から逃げる様に顔をそむけた。

 

あの、陰険眼鏡であるお兄ちゃんの思わぬ反応に、私は少し呆けてしまう。

そして、「お前が自分の身を隠すのは……俺らの為でもあるって分かってるから……」と呟いたお兄ちゃんに、思わず自分の体調不良も、自分の簀巻きの状態も忘れて、身を乗り出そうとしてしまった。

 

 

「お兄ちゃ……ぐぇ!?」

「ばっ、何やってるんだ!?」

 

 

ソファの上でバランスを崩した私の襟首をお兄ちゃんが慌てて引っ掴んで、思いっきり首が締まった。

情けない声を漏らしながら何とか普通の体勢に戻ろうとバタバタしている私を見て、お兄ちゃんは深い溜息を吐いた。

 

 

「燐香……なんだか、最近急にお前の事が分かってきた気がするよ」

「げほげほっ! え? 今の一連の流れで私の何が分かるの?」

 

 

私の疑問に対して答えず、適当な笑いを返したお兄ちゃん。

お兄ちゃんの発言に色々な疑問はあるが、まあ、特に深く聞く必要は無いだろう。

それからお兄ちゃんは「ならもう燐香のその状態も取ってやらないとな」と言って、結び目を解こうとしながら私に聞く。

 

 

「その、結局スライム人間関係の黒幕って……」

「えっと、最近『泥鷹』とか言うテロ組織に狙われたってニュースにもなってた神薙隆一郎だよ。ほらあの医者で凄い有名な人」

「はあ!? あの神薙隆一郎が黒幕だったのか!? いやっ、確かに俺のマイナーな論文にまで目を通すなんてそういう関係の人か、よほどの暇人かと思っていたが……そんな大物が俺の論文を見て、核心を突いてると危険視したのか……なるほど」

 

 

なんだかちょっぴり嬉しそうにお兄ちゃんは頷いている。

 

 

「けほっ? お兄ちゃん何だか喜んでない? 自分の命が危険に晒されたのに、それ以上に凄い人に評価されたのが嬉しいとか思ってない?」

「そ、そそそ、そんなことないぞ!? 俺だけならまだしも燐香も危ない目に遭わされたからな! そんな異常な喜び方なんてしてないぞ!?」

「いや、そこまで言うと逆に肯定してるようなものだと思うんだけど……まあ、お兄ちゃんの論文は誰にも理解されなかったみたいだしね。ちょっと喜んでたって、別に私はどうこう思わないよ」

「う……ぐ……そ、それよりも、中々解けないな。もうちょっと待ってくれ」

 

 

そんな風に言葉に詰まったお兄ちゃんを見て、私がにやーと笑みを浮かべれば、凄い嫌そうな顔を返される。

このままでは私から何かしらのからかいを受けると思ったのだろう、お兄ちゃんは私が何かを言わないように無理に言葉を続けようとする。

 

 

「それは別に良いんだ! その話はもう置いておいてだな……! 燐香、お前、なんでここ最近の態度が豹変してたんだ? 桐佳が昔みたいになってるって泣きそうだったから、リラックス効果を期待してこんな作戦を立てたけど……そもそも俺、昔のお前がポンコツになってる経緯知らないんだよ。今はポンコツに戻ってるみたいだし……何をどうしたら昔の性格に近くなるんだ?」

「そ、そんなのっ、態度についてなんて聞かれても、私としては別に分けてるつもりないし……お腹空いたときにイライラした態度を表に出しちゃう人いるでしょ? 多分あんな感じだと思う」

「常にお腹が空いてたのか……」

「ものの例えだよ馬鹿お兄ちゃん!!」

「なっ!? 前の燐香ならともかく、今のお前に馬鹿とは言われたくない!」

「いーや馬鹿だね! ちょっと前にいつもの店に買い物しに行ったら、レジの人が佐取家は最近ほわほわしてるねって言ってきたもん! 遠回しに家全体が馬鹿になってるって言われたみたいなものだよ!? それ、お兄ちゃんが帰って来てからのことだもんね! 佐取家の名誉に関わる事なんだからね!」

「絶対お前の事だぞそれ!? それより体調悪いんだから興奮するな!」

 

「馬鹿お兄! 風邪薬何処にあるか知らない!?」

「……台所の棚の上」

「台所の棚の上にあるらしいぞ!」

 

 

バタバタと忙しなく桐佳が動き回る音がする。

普段家事とか手伝ってくれないからこういうことになるんだと思うが、これに懲りて家の事を少しはやってもらえるかもと淡い期待もしてしまう。

最近我が家に住み始めた由美さんの方が、桐佳よりも家の物の場所について詳しい気がする。

 

聞きたいことを聞き終えたのか、お兄ちゃんは微笑みを溢し「なんにせよ」と言った。

こういう切り替えが出来るようになったのは、お兄ちゃんが一人暮らしで成長した証なのだろう。

 

 

「燐香がやりたかったことが終わったのなら、これからはもう少し桐佳と一緒に居てやれ。一時は病院に入院もしたんだろ? アイツ、本当に泣きそうだったんだからな。今年は受験で大変なんだから、せめて精神面だけでもこっちで整えてやらないと」

「うん……そうだね。ごめんね、心配掛けて」

「それ、桐佳にも言うんだぞ」

 

 

私とお兄ちゃんのそんな会話は、桐佳が風邪薬を持ってきたことで終わりを迎えた。

その後すぐお父さん達が帰って来て、私の状況に動揺する一幕もあったが、しっちゃかめっちゃかするその光景は私が焦がれていた家族の平穏そのものだ。

 

これからは危険な犯罪事件に関わることも無く、自分のこの異能を必要以上に使うことも無く、平穏に過ごせるかもと思うだけで、私は自分の体調不良も忘れるくらい嬉しくなる。

 

ソファに横になりながら、私はぼんやりと家族の様子を眺める。

疎遠になっていたお兄ちゃんも、仕事三昧だったお父さんも、ギクシャクしていた桐佳とも、それから新しく住むようになった遊里さん達も、一緒に穏やかに過ごしていける筈だ。

 

(これからはきっと何気ない毎日を……)

 

なんて事を熱に浮かされた頭で考えながら、安心し切った私の意識はゆっくりと眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 



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巨大な波紋

 

 

 

 

日本のとある医師の犯罪容疑が表に出た時、激震が走ったのは日本だけでは無かった。

全世界、多くの国がその事実を認識し、真偽を確かめようとした結果あらゆる情報が錯綜する事態となる。

 

たった一人の犯罪容疑が各国の様々な部分に大きな余波をもたらしたのだ。

 

それもそうだろう。

“医神”神薙隆一郎は世界的に見ても比肩する者の無い、最高の医者である。

『治療の目途が立たないなら神薙に、神薙が治療できないならそれは病でない』、なんて言った医者がいるなんて言われるほど、彼の医療技術は飛び抜けている。

彼が残した数々の偉業はその方面への知識がなくとも一つは知っている人が大多数。

その人間性はよく知られているし、彼を心から信頼する者なんて世界中に数多くいる。

 

だからこそ、この件は世界に大きな混乱をもたらした。

 

『“医神”神薙隆一郎に殺人容疑!?』

 

そんな見出しが各社報道によって日本全国に伝わったのは、廃倉庫の一件から数日後の事だ。

数日前から週刊誌やネットニュース、SNSで噂程度に流れていた情報を確定させたその報道は大きく世間を揺るがし、そして政府や警察を混乱の渦に巻き込んだ。

真偽を確かめる問い合わせが諸外国からも殺到し、行政各所がパンクする事態となった事で、特例措置として政府高官による公式会見が執り行われた。

 

曰く、神薙隆一郎が刑事事件の被疑者となっているのは事実である。

 

行われた公式会見で認められたのはその事実認定のみだったが、それでも事態は大きく動くきっかけとなった。

 

数日前に姿を消した多くの権力者や著名人が実はもう何年も前に亡くなっており、その死体の発見は不可能。

動機も直接的な恨みによるものは何もなく、凶器も異能と言う最近囁かれ始めた非科学的なものと来た。

犯行日時の確定も、状況証拠も、凶器も何も無い。

善人で有名な、ましてや世界中に恩を感じている者が多くいる神薙隆一郎の、想像もされなかったそんな疑いに、何かの間違いだと声を上げた者が殆どだった。

 

不治の病や身体的な障害を治療してもらった人達。

革新的な医療の新技術が無償提供されたことで救われた多くの命とその家族。

彼が設立した基金で救われた者達は、世界中に多くいた。

 

神薙隆一郎に掛けられた冤罪を晴らそうと、立ち上がった人は数知れず。

その騒動が前代未聞の大規模なデモにまで発展しようとした事から、この件の容疑を取り消そうと日本政府の各所が動き出した。

その意思に、容疑の真偽など関係なかったのだ。

 

事態の早急な解決を図るために可能な限り早められた刑事裁判の開廷。

早々に行われた地方裁判の判事を任せられたのは、政府の官僚と繋がりのあった裁判官で、同様に罪を問う検事も上層部から特別指名のあった者。

 

それはもはや、無罪判決が出るのが既定路線の裁判だったのだ。

 

――――だが。

 

 

「証拠不十分……? 君は異能と言う非科学的なものは、裁けないと言うのかね?」

 

 

一審法廷でのことだ。

下された判決にそう反応したのは、他ならぬ神薙だった。

既定路線通りに進み、全ての判決を終える筈のその場で、ずっと俯き黙っていた神薙隆一郎が裁判官をゆっくりと見上げたのだ。

裁判官としては年若かった男性が突然の事態に驚きを隠せなくなり、裁判が既定通りに進むと思っていた者達も驚愕した。

 

あれだけ穏やかで朗らかな姿しか見せなかった老人が、言い知れぬ圧を放ち、ほの暗い笑みを浮かべている。

 

 

「……そもそも、異能が疑われている人物に対する法廷で、碌な拘束も無く異能対策部署の者をこの場に配置していないだけで、この国の異能に対する姿勢が窺える。あれだけ飛禅飛鳥さんが広報していて、私の病院が異能を有するテロリスト達の被害に遭ったと言うのに……真面目に取り合うつもりも無い、旧態依然とした思考を維持する者達」

 

 

水を打ったように静まり返る中、豹変し妄執を語る老人の姿は一種の恐ろしさを有している。

だが同時に、数多の命を扱った末の一つの答えを語る“医神”の姿は、人の視線を釘付けにするだけの力があった。

 

誰かが唾を呑み込む音が響く。

 

 

「法律は異能による犯罪を想定していない。異能を証明することは困難。異能による犯罪の因果関係を証明できない。だから人が、どれだけ異能を行使して、人を殺めたとしても、罪には問えないと、君は言うんだね?」

「ひ、被告は口を慎みなさい」

「口を慎め? ……ああ、まったく、嫌になる。私の一番嫌いな、利益の為なら弱者を踏みにじる巨大権力が目の前にある事も、それに私自身が助けられようとしている事も、心底嫌になる。心底、忌々しい……」

 

 

笑みが消えた。

ゾッとするほど恐ろしい眼光で裁判官を、そして周囲にいる弁護士や警察官、傍聴席の者達を睥睨する。

その圧倒的な雰囲気に呑まれ、傍聴席の誰かが席から転げ落ち、担当していた弁護士が腰を抜かして尻もちをついた。

 

異能の出力を感じ取れない筈の者達が、神薙から湧き上がる不可視の圧力に恐れ戦き身動きが取れなくなる。

 

 

「私が手に掛けた者達がいる。直接的、間接的問わず、私が多くの者の命を奪ったのは間違いない事実だ。それは、彼らが欲望に駆られた害悪だったからだ。害虫にも劣る、知性を持った他者を省みない者達。誰も裁かないそれらを、私自身が手に掛けた事に、私は今なお後悔などしていない。私が犯したこの罪は、私はこの、罪を裁量すると嘯く場においてでも間違いではなかったと断言しよう。彼らの一人でも生きていれば、もっと別の誰かが不幸になるのは目に見えていたからだ」

 

 

もはや独壇場と化した裁判所の中心。

呼吸すら忘れた人々が注目する中で、神薙は自分の罪を隠すことも無く、また、自分の長年積み重ねて来た怒りを解放するように、彼は演説染みた言葉を続ける。

 

 

「誰一人の命も救ったことの無い人間が、何故他者の命を軽く扱う? 他者の人生を台無しにする行為を、何故満たされた生活をする者が行う? 法が正義だとのたまう連中は、弱者が踏み躙られるのを容認する事もまた、正義だと嘯くのか?」

 

 

圧倒された者達が何も言えない中、神薙はその年老いた皺だらけの手を天井の光に翳した。

多くの者を救い、同時に多くの者を殺め、そして多くの命を取りこぼしてきた手だ。

 

世の不条理を正す、あるいはこれから起きるであろう悲劇を防ぐための措置。

これまで何の疑いも無く自分の行いは必要なものだと信じて来た。

二律背反に近い状況で、異能が自分の手に余るものだと理解しながらも、盲目的に自分の行いを正当化していた。

 

だが、もうそれは出来ない。

歩み続けて来た自分の道のりが、理想としていたものとは程遠い、血に塗れたものになってしまったのだと気が付いて、足を止めるしかなくなってしまった。

 

思い出してしまったのだ。

昔の、自分の医師としての形が出来上がった、あの村の事を。

遠くを見ることに囚われて、いつの間にか自分の足元も見られなくなっていた自分の事を理解した。

ただ生きたいと願う人がいることも、ただ生きて欲しいと願う誰かがいることも、そんな彼らを自分が奪っていることを。

神薙は遠い昔に忘れたことを、何故だか今になって鮮明に思い出してしまったのだ。

 

ゆえに……だからこそ、神薙は自分が無実として処理されるのがどうしても許せない。

 

 

「……違う。法はあくまで正義を目指すものであり、法そのものは完成された正義ではない。『権利の上で眠る者』と法すら知らない弱者を切り捨てる現存の法は、あまりに血の通わない錆びついた正義だ。裁判官の君、本当に私が異能で人を殺していたとして、それは正義だと思うかい? 世に許容されるべき事象だと、裁定する立場を懸けてでも言えるのかい?」

「……神薙先生、これ以上何も言わないでください」

「法に規定されていないからなんて理由で、罪から逃れるのは間違っているんだ。異能と言う新たな人間の機能が明るみに出たなら、法にもメスを入れる必要がある。錆びつかないように、今を生きる人間の智を加える必要がある。法の制定時に想定されてもいない事象の存在を君達が認めないと言うのなら」

 

 

そこまで言って、神薙は伸ばしていた手を強く握り込むと神薙は目前にある木製の台に向けて拳を振り落とす。

 

激震。

老人の枯れ腕などものともしない筈のそれが、巨人化した神薙の腕に床ごと陥没された。

破壊された台と石の床が砕け散り、巨大な揺れに周りにいた人達が悲鳴を上げる。

 

それから、神薙は深い溜息を吐いた。

 

 

「これが異能。これが異能の力だよ。これがあれば、非力な老人の身であろうと、この場にいる全員を殺めるのも、この場から逃げ出すのも難しくはない」

 

 

異能の力について半信半疑だった者達が目の前で起きた事態を愕然と眺め、神薙の言葉に表情を引き攣らせる。

だが、神薙の表情は穏やかなものに戻っていた。

 

 

「……私が殺めて来た多くの者に対して、私は後悔も反省もしない。これが、私の信じたものだからだ。だが……その過程で、傷付けるべきでなかった者達も傷付けたのは確かだ。子供が涙を流す光景を、私は作りたかった訳じゃ無かったんだ。だから、間違った私は裁かれるべきだ。正当にね」

「……」

「錆びついたのは私の考えもだった。つまらない話だ。もういいだろう? どうせこの場では判決なんて下せない」

 

 

――――そんな、既定路線であった初公判が終わった。

 

この話に多くの者が衝撃を受け、これまでとは比にならないくらい多くの者が異能と言う超常の存在を認知した。

およそ百万人に一人と言う割合で開花する力。

身近にない超常的な力の出現に沸き立つものの、それと同様に、あの聖人と言って差し支えない神薙隆一郎自身が人殺しの罪を認めた事で、世界を揺らす大事件として世に轟いたのだ。

 

これが、世界で初めて正式に認知された異能犯罪。

『[異能犯罪]著名人等計画的連続殺人事件』と呼ばれていく事件の終わりであった。

 

後に、神薙隆一郎、及び和泉雅の両名は無期懲役の刑に処されるとともに、異能と言う未知の事象の解明のための研究に対して協力を強制される。

 

奇しくも、先進国の中で最も異能への対応に遅れていた日本で起きた、世界初となる正式な異能犯罪への判決となったのだ。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

国際刑事警察機構の本部。

ようやく落ち着きを取り戻した筈だったその場所で、ヘレナは慌ただしく駆け回る職員達の足音を聞きつつ、穏やかに紅茶を嗜んでいた。

昔の写真を眺め、そこに映る若き日の神薙の姿を見ながら、温かな紅茶に口を付ける。

 

そして、少しだけ視線を伏せてから、物憂げに窓の外に視線をやった。

 

 

『……だから言ったんだ、視界に入らない悲劇は諦めろってさ。悲劇を産まないためにって自分が悲劇を起こしてちゃ世話無いんだよ、馬鹿』

 

 

少しだけ寂しげにそんなことを言ったヘレナ。

彼らが所属するICPOの立場だけ言えば、日本国内で起きた犯罪と言えど、異能が関わり、世界的な影響のある事件に対しては少なからず干渉する必要がある。

それは、異能と言う公になり始めたばかりのごく少数が持つ人間の機能の扱いを、一国家が独断で行ったと言う前例を作らせないためだ。

だから、その事件の犯人がどれだけ親しい相手だったとしても、どれだけ近しい血縁だったとしても、異能に対処できる人間が少ない今の世の中では、ICPOの対異能部署に所属する者は例外的に干渉しないと言うことは出来ないのだ。

 

正面の机で勉強をしていたレムリアが心配そうに見上げて問い掛ける。

 

 

『……ヘレナお婆さん、悲しいの?』

『んなこたないよ。ただまあ、昔馴染みが馬鹿なことをやったと聞いて、思うことがあるだけさ。友人でも無い顔見知り程度の関係だけどさ、ぶっ叩いて話でも聞きに行けば良かったんだろうね』

『大丈夫?』

『はっ、私が何年生きてると思ってるんだいレムリア。この程度の話なら掃いて捨てるほど経験してる。だいたい、元々アイツは視野が狭いところがあったし、潔癖なところも多かった。いつか大々的なテロの首謀者でもやるんじゃないかと思ってたから、まあ、思っていたよりも小さなことだったと言うのが正直な感想だね』

『そっか……神薙先生、優しい人だったんだけどな』

『優しい人の反対は犯罪者じゃないんだよ。その逆もまたしかり、だがね』

 

 

そう言ってヘレナは慌ただしく駆け回る事務担当の職員達に視線をやり、目を細める。

彼らがどういう意図を持った指示を受けているのかを観察して、ため息混じりに紅茶を啜る。

 

 

『ふん……誰にやられたかは考えるまでも無いね。さて、どうするか』

『どうするって……選択肢があるの?』

『あの若造の技術は本物だからね。どの国だって喉から手が出るほど欲しがるよ。それに奴が異能の出力を他人に感じ取らせない技術を持っているのも大きい。積極的にどうこうしようと言う考えは無いけど、悪意を持った連中の手に渡ると厄介。それこそ、『泥鷹』連中を追い詰めたあの組織なんかの手に渡るとね』

『え、と……じゃ、じゃあ、どうするの?』

『……いくつか候補はあるけど、どれも気が進まないね。でもまあ、そもそも異能犯罪を立証できたと言うのが妙だね。犯人が積極的に自分の異能を晒しでもしない限り、あの国が異能犯罪に対処できるとは思えない。本当に情報通り、自ら罪を告白した、と言うなら他国からの救助の手も取らないだろうからこの心配も杞憂……どちらにしても情報が断片的過ぎる。判断するにはまるで足りない。手も空いたし、直接日本に向かうべきかね……』

 

 

眉間を揉みながらそう呟いたヘレナに、それまでしょんぼりと気を落としていたレムリアが勢いよく顔を上げた。

目をキラキラとさせて、期待が隠し切れない様子で問い掛けてくる。

 

 

『日本!? 僕も行っていい!?』

『……えらい食い付きだね、誰か会いたい人でもいるのかい? とは言っても、その可能性もあると考えただけだからね。まだ行くと決まった訳じゃ無いし、何なら普通の観光婆として行こうと思っていたから、先日の件で顔が知られてるだろうレムリアを連れて行くのはねぇ……』

『えー!?』

『なんだい珍しく嫌そうな声を上げるじゃないか? 何かあるのかい?』

 

 

珍しく不満の声を漏らすレムリアに片眉を上げたヘレナが、何かを思いついたのか魔女のような悪い笑みを浮かべた後、手元に届いた情報に目を通した。

神薙隆一郎の容疑の一覧と、彼に付き従っていた看護師、和泉雅についての資料に改めて目を通したヘレナはわざとらしく小さく唸る。

 

 

『これだけの大物になると、日本政府も引き渡しには応じないだろうね。奴の意思確認は必要だから、直接会う必要があるのは確定。まったく顔も名前も知らない奴が来たとしてもアイツは取り合いもしないだろう。ちょっとした顔見知りで、なおかつ子供とかだとアイツも優しかったりする可能性があるかもね』

『ぼ、僕、神薙先生と少し喋ったよ! それに子供! 最近力加減の調整とか頑張って勉強してるし、この前は凄い活躍したよ! ロランも言ってたでしょ!?』

『ロランからはきちんと報告は受けたとも。また地形変えたそうじゃないか。大きな亀裂の走った公道とか、未だに埋め立てできてない大穴とか残ってるらしいけどね?』

『あぐうぅぅ』

 

 

からかい混じりのヘレナに、レムリアは表情を歪めて俯いた。

ニタニタと性悪の魔女のような表情を浮かべるヘレナだが、レムリアを保護しこれまで育てて来た立場として、彼が珍しく積極的に興味を持っている事は後押ししてやりたいと思っている。

この程度の事でレムリアの希望を邪魔しようなんてヘレナの頭にはそもそも無いのだ。

 

ここら辺でからかうのは止めようかとヘレナが思った時、されるがままだったレムリアがぼそりと呟いた。

 

 

『……グウェンの時のヘレナお婆さん。確保は任せなって言ってたのに、結局謹慎みたいな扱いで配置されてた僕のところに逃走を許したもんねー……僕、意外とピンチだったもんねー……』

『い、言うようになったじゃないか……』

『グウェンの異能の詳細が分かり始めて、改めてあの時の僕の状態がいかに危険だったのか再確認できたんだよねー……歩くこともままならなくなってた僕が生き残れたのってある意味奇跡だった気がするんだけどなー……』

『分かった分かった! ちゃんと連れて行くよ! 自分の不手際は分かっているからっ、それ以上突くんじゃないよ! まったく……ちょっと前までは素直な子だったのに、いつからこんな嫌味を言うようになっちまったんだい……?』

『わーい!』

 

 

色々と慌ただしくて個人的にレムリアに日本での出来事を聞けていなかったが、これほどレムリアに興味を持たせるものが日本にあるのかと、遠い昔あの国に訪れた時の事を思い出した。

とは言え、訪れた時からはそれなりの年月を経ているのだから文化も風景も違っているのだろう。

現在のあの国の文化には子供に好まれそうなものも多いと聞くから、候補には事欠かない。

 

 

(ま、勉強や異能の訓練、あるいは事件等の解決ばかりでは疲れちまうからね。趣味の一つでも持ってくれれば……)

 

 

なんて、ヘレナは実の親でも無いのに、無邪気に喜ぶレムリアを見ながらそんな風に考えた。

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

書斎のような場所に置かれた場違いなベッドの上で、まだ歩けるほども回復していない一人の男がもたらされた情報に目を剥いた。

 

男にとってそれはあり得ない情報だった。

世界に出て、様々な異能を見る機会があって、総合的に判断した結果、これだけは無いだろうと思っていた事態。

過小評価も、過大評価もしていたつもりは無い。

それだけその情報は男の想像を越えていたのだ。

 

だから男は、自分にその情報を与えた人物に疑いの目を向ける。

 

 

『神薙先生が逮捕された……? はぁ? そんな訳ないだろ? あのサイコパス女が傍にいて、あれだけの地位や名誉を持っている人が……僕を騙そうと適当なことを言っているんだろ?』

『もはや異能の力も残りかすしか持たない君を騙したところで、私に何の得があると言うのかな』

『それは……僕の反応を見て楽しむとか……』

『私はそんな趣味をしていない。もし本心からの言葉なら甚だ不本意なんだが?』

 

 

病的なほど白色の肌をした若めの男が、否定した老人に対して未だに疑いの眼差しを向けている。

一方で、老人は興味深そうに入院服のようなものを着て、気だるげながらこの情報に対して今までに無いくらい反応して言うる白い男を観察していた。

 

 

『しかし、君の口から終ぞ神薙隆一郎が異能を持っていると言う話が聞けなかったのには非常に驚かされたよ。君にも人並みに恩義を感じる精神があったとはね』

『……ふん。あの人は別だ。あの人に僕は病を治療してもらっただけでなく、異能と言う才能も教えてもらえたからね。僕だってあの人に対してだけは最低限の配慮をするさ。だけど、何を企んで僕を回収したのかは知らないけど、アンタにはこれっぽっちも恩を感じていないから変な期待はしない事だね』

『ははは、だから意外だと言っているだろう。君からの恩返しなど少しも期待していないさ白崎天満君』

『……チッ』

 

 

“白き神”として世界を混乱に陥れた男、白崎天満。

彼は世界中の洗脳した手駒と自身の異能、並びにその精神を破壊されたものの、この老人に救出され、大きな悪事に手を染めたにも関わらず拘束されることもなくこの場で治療を受けていた。

 

当初は意思疎通もままならない程破壊された精神も、今はこの老人による特殊な治療を受け、受け答えが出来るまでに回復出来ている。

しかし、そんな自分の回復具合等喜びもせず、読心すらまともに出来なくなった自分の異能の崩壊具合と、何を目的としているのか分からない『UNN』の頂点に立つ目の前の老人に苛立ち、白崎天満は激しく顔を顰めていた。

 

今、白崎天満が考えるのはある一人の人物だ。

他人の異能の破壊と同時に、精神さえ損傷させる異常な技術。

改めて自分が対峙した存在の恐ろしさを改めて再確認し、白崎はその事実を思い出し歯噛みする。

 

 

「……あの場にいたのがやっぱり“顔の無い巨人”だったんだ……神薙先生もアイツに追い詰められたんだ! 糞っ、アイツっ……! それになんだこれっ! 思い出そうとしてもモヤが掛かったように姿形が……自分を起点にした認識阻害か? それとも精神干渉の応用か? 僕の異能の技術が劣っているとでもっ? 舐めやがって……!!」

 

『…………ほとんど廃人同然だったと言うのに……流石に相性が良いのか』

『……何か言ったか?』

『いいや。それよりも、君が遭遇した“顔の無い巨人”について分かることがあれば教えて欲しいんだが、どうだろう?』

『結局それが聞きたかったんだろ!? 姿形を思い出せないように細工してやがったよ!』

 

 

苛立ちを露わにしている白崎の姿を見ながら、貰った返答を吟味した老人は碌な情報でも無かったのに何故だか嬉しそうに頷いた。

 

 

『尻尾を掴ませないか。それでこそだ』

『……チッ、悪い情報なのになんで嬉しそうなんだ。それで、大して情報も持ってない僕を今後どうするつもりだよ。放逐してくれるなら、ほとぼりが冷めた辺りで神薙先生とあのサイコパス女の救出でもするつもりだけど』

『悪い事は言わない、それは止めておきなさい。国を跨いだ異能で彼に遭遇した君ですら廃人状態だったんだ。同じ国で、直接遭遇しただろう彼らが無事だとは到底思えない。動くとしても……そうだね、“医神”の技術を欲した馬鹿な者達が動いた後、その状況を見てからの方が幾分か良いだろう』

『アドバイスのつもりか?』

『少なからず私の情報を持っている君が、彼の手に落ちた時の不利益が看過できないだけだ』

 

 

苛立ち混じりに口をへの字に曲げた白崎が睨むように老人を見て、鼻を鳴らした。

 

 

『ふん、同業他社の『泥鷹』を潰せて機嫌でも良いのか? 僕に親切しても何も帰ってこないと言っているのに』

『君自体には何も期待していないさ、この言葉に嘘はない。それに、『泥鷹』は潰れるべくして潰れただけだ。私が介入したからだなんて考えてはいない。ただ……計画の次の段階を実行する上で彼らが邪魔だったのはその通り。シナリオ通り潰れてくれたのは非常に助かった。まあ、もう少しICPOの戦力を削ってくれると思っていたから、その部分では期待外れだったがね』

『単体では世界最強とか呼ばれてたグウェン・ヴィンランドを、被害も無く破滅させた奴がよくもまあ……』

『ああ。碌に異能に対する見識も無い自称専門家が付けた称号の事かね? アレが世界最強であれば、あの放浪の女史……ああ、今はICPOに所属しているのだった。私はヘレナ・グラスフィールドの異能の方がよっぽど理不尽だと思うよ』

『……やっぱり有名なのか、あの婆』

『しかし常々思うんだが、単体と単体でぶつかり合う等を想定する方がどうかしている。昔の横暴が許された時代では無いんだ。この現代社会で後先考えず異能を振るう人間は、それがどれだけ強力な異能を有していたとしても脅威には成り得ない。私としては、君の異能の方がこの現代社会においては恐ろしかったよ』

 

 

『もっとも、今は見る影もないものになってしまったがね』とそれだけ言って、老人は白崎に背を向けた。

本当に情報を伝えるためだけに自分の所に来たのかと驚き、去っていく老人の背中に目を見開いた白崎が慌てて問い掛ける。

 

 

『あ、アンタはどうするつもりなんだ!?』

『どう、とは?』

『『泥鷹』が潰れて異能技術及び人材は独占したも同然。僕もこの有り様。神薙先生の逮捕で世界が混乱していて、アンタが動きやすいのが確かな状況だ。僕をこうして匿っているのも意味が分からないけど、それよりも……もう既に、異能を使ってどうこうするまでも無く、世界の経済はアンタが牛耳ってるようなものだろう? それって世界を支配しているようなものだろう? ここから次の計画段階って……アンタの目的は一体何なんだよ。訳が分からない……』

『分からない、か。そうか。それならきっと君には理解できない事だよ』

 

 

白崎の問いをそんな風に軽くあしらった老人が部屋の出入り口の扉を開き、何かを思いついたのか、ふと白崎へと振り返った。

眉間に皺を寄せ理解できないものを見るような目で己を見る白崎に、自分には何の利も無い、ただ己の好奇心に従った問い掛けを行う。

 

 

『――――現在確認出来る最古の異能は何だと思う?』

『……は?』

 

 

そんな質問だけを残し、老人は部屋を後にした。

 

 

 

 

 



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【相談】自分も超能力が欲しい

 

 

 

【相談】自分も超能力が欲しい

 

 

 

 

227 名前:超能力訓練生

鼻にピーナッツ詰めても超能力発現しなかったんだけど

やっぱり俺遊ばれてないですか?

 

228 名前:名無し

次はケツに酒瓶だな

 

229 名前:名無し

腹筋しながら炭酸一気飲み10回だぞ

筋肉は裏切らない

 

230 名前:名無し

風水が良くなかったな

もっと刺激を強くする必要がある

仕方ない、やらせたくなかったが鼻にワサビを詰めるんだ

 

231 名前:名無し

神薙隆一郎とか言う恵まれた人間

超能力があればそりゃあ“医神”とか呼ばれるくらい余裕よな

 

232 名前:名無し

悪徳業者揃い踏み止めろ

あと鼻に物を詰めさせ続けてる奴は何なんだ

 

233 名前:名無し

神薙隆一郎の超能力ってどんなんかニュースやってたっけ?

テレビで見るのは過去の偉業特集みたいのばっかりだし

 

234 名前:超能力訓練生

酒瓶無かったから大きいペットボトルになります

家に炭酸は無いけどワサビは用意できました

 

235 名前:名無し

超能力って飛禅飛鳥さんみたいな物体浮遊系で統一じゃないの?

そしてイッチはいい加減人を疑う事をしないと碌な人生送れんぞ

 

236 名前:名無し

行動力があるのも良い事ばかりじゃないんだと思いました()

 

237 名前:名無し

>>235

超能力は個人差あるみたいで一定じゃないらしいぞ

最近テレビに湧き始めたその道の専門家によると力の源は同じらしいけど

 

238 名前:名無し

神薙先生が殺人してたとか今でも信じられんわ

あの人すげえいい人なんだけどな

 

239 名前:名無し

神薙隆一郎関係の話は連日大賑わいの専スレあるからそっちでどうぞ

 

>>237

お前今まで何処にいた定期

 

240 名前:名無し

お祭り状態の専スレ横目にこんなスレにいる俺らって……

 

241 名前:名無し

神薙先生と看護師の何とかって言う奴が共謀して悪徳著名人を始末してたんでしょ?

ダークヒーローじゃん

 

242 名前:名無し

頑張れイッチ

超能力発現の条件を発見すれば一躍有名人だぞ

 

243 名前:超能力訓練生

>>242

頑張る

 

244 名前:名無し

しかしこの超能力がいつからあるものか知らないけど

過去の未解決事件もこの力が関わってるなら全てが覆ってこないか?

 

245 名前:名無し

皆は超能力手に入れたら何がしたい?

俺は瞬間移動で出勤時間を無くしたい

 

246 名前:名無し

過去の事件は覆る可能性はあるな

 

>>245

俺は時間逆行で過去に戻りたい

 

247 名前:名無し

過去一の速さで法整備が進められてるし、何なら『超能力ないし異能と呼ばれる非科学的な力の行使は必要がある場合を除き厳に慎む事』って言う努力義務規定は今朝設立されたもんな

どうせニュースなんて見てる奴ここにはいないだろうけど

 

248 名前:名無し

人に備わってる機能らしいからそれを全否定は出来ないよな

全面的に超能力を禁止するって言えたら楽なんだろうけど

 

249 名前:名無し

人権保護団体がアップを始めました

 

と言うよりも国外の行動速い奴らは既に声明発表してるぜ

『心身及び個人の才能を政府や国家が否定することはあってはならない』って

 

 

250 名前:名無し

実際他人を簡単に害せる力なんだから危険に違いないのにな

まあ、神薙隆一郎を擁護してる人間が何人もいる時点で考え方は人それぞれか

 

251 名前:名無し

またか

 

252 名前:名無し

だからその話は専スレで

 

253 名前:名無し

>>250

神薙先生を悪く言うのは許さない

あの人がどんだけ人を救って来たか、むしろ問題は神薙先生が手を下さないといけない汚物が大量に居た事だ

この国がこうして善政を続けているのもあの人のおかげなんだよ

 

254 名前:名無し

信者一丁入りました!

 

255 名前:名無し

そら見た事か

もう神薙隆一郎の話題は例の巨人と同じくらい禁止しないと駄目だろ

 

256 名前:名無し

>>253

所詮人の身で不相応な事をやろうとしたからこうなったんだよ

大人しく医療行為だけやっておけばよかった

そういう平和実現はマジで神のごとき例の無貌の人にでも任せてさ

 

257 名前:名無し

超能力みたいな超常的な力が存在するのを前提で考えられるなら、過去の原因不明の現象も何かしら分かることがありそう

 

258 名前:名無し

警察や裁判所はてんやわんやだろ

制度に色々手を加えないと対処できないのが明るみに出ちゃったんだから

 

259 名前:名無し

>>256

こっちの信者も一丁入りました!

 

言っとくけど呼称変えたからって安全だと思うなよ

 

258 名前:名無し

信者同士の大戦争勃発

 

259 名前:名無し

医神信者VS無貌信者かぁ……壊れるなぁ……

 

260 名前:名無し

あー……俺この流れ怖いから落ちるわ

なんでたかが数年前のアレを皆が話題に出せるのか理解できないわ

 

俺は興味持ってないので許してください本当にお願いします

 

261 名前:名無し

最近不文律を破る奴増えてる?

 

262 名前:名無し

俺も落ちるわ

 

263 名前:名無し

この話題になるとすぐ人減るよな

まあ仕方ないんだろうけど

 

264 名前:名無し

誰もアホそうなスレ主を弄ろうと考えただけのこの場で自分を危険に晒さないだけだぞ

 

265 名前:超能力訓練生

ペットボトルもワサビも駄目でした

 

>>264

やっぱり遊ばれてたんですね……涙が止まりません

 

266 名前:名無し

>>265

調子の変わらないイッチに安心する

あとそれはワサビを鼻に詰めたからだと思うぞ

 

267 名前:名無し

話題変えるために利用させてもらうけど、イッチは超能力を発現したらどうするんだ?

何か具体的な目的はあるのか?

 

268 名前:名無し

>>245

俺は飛行系統かなぁ……

飛鳥ちゃんと空中デートしたい

 

269 名前:超能力訓練生

見返したいからです

兄弟に比べて結果を残せない自分が家族を見返せるとしたらこれしかないと思ったからです

 

270 名前:名無し

欲望しかない俺らと違ってしっかりとした反骨精神があるな

 

271 名前:名無し

俺は透明化、って書こうとした時に書かないでくれ……

 

272 名前:名無し

超常的な力に頼らないと見返せないと思うなら一生見返せねぇよ、馬鹿馬鹿しい

 

273 名前:名無し

超能力なんて良いものじゃないぞ

俺も超能力者だけど、乱世でも無いのに使い時ないって

 

274 名前:名無し

この時期にネットで超能力持ってるって言う奴は全部嘘って婆様が言ってた

 

275 名前:名無し

超能力の有無も記憶力や運動能力の有無も、どっちも変わらない人と人の間にある才能の差なら「超常的な力に」なんて言うのは筋違いの指摘だぞ

 

276 名前:名無し

まだ何も分かってないって言うのが現状だからね

 

277 名前:名無し

何か新しい事をやろうとするとどうしても奇異な目で見られるから、自分が正解だと思うことをやった方が後悔ないと思うぞ

 

取り敢えず、イッチ頑張れ

 

278 名前:超能力訓練生

ありがとうございます

何と言われようと今のところ超能力を諦めるつもりはありません、当然勉学なども頑張りますが今後もこの挑戦は続けたいと思います

取り敢えず今日はここまでで落ちます

明日も早いので

 

278 名前:名無し

>>1乙

 

279 名前:名無し

おつおつ

 

280 名前:名無し

またお前の超能力発現の試行錯誤期待して待ってるぞ

 

281 名前:名無し

超能力が発現する歴史的な瞬間には立ち会えなかったか

まあ、1おつ

 

282 名前:名無し

>>1

異能欲しいか?

どれくらい払える?

 

283 名前:名無し

お疲れさん、もう少し他人を疑う術を持ってからこういう場に来ような

 

284 名前:名無し

結局写真とかはアップされなかったからただの釣りだったかもしれないけどな

いや、このスレ主は本当に自分の顔をアップしかねない雰囲気だったから良いんだけどさ

 

285 名前:名無し

>>282

こんな奴も湧くんだな

イッチは騙されないように気を付けろよ

 

286 名前:名無し

時価200万~250万

扱う品は少ない

返事が無ければ他に売る

 

287 名前:名無し

価値はしばらく上がる一方

流通量自体跳ね上がることは無い

本当なら在庫を溜め込んでから放出したかった

 

288 名前:名無し

マジの悪徳業者が来ちゃったじゃん

ここに揃い踏みしてた悪徳業者は追い払って、役目でしょ

 

289 名前:名無し

イッチ、これは本当に犯罪の匂いがするから絶対に反応するなよ

 

290 名前:名無し

いらないのならそれでいい

別の人間を当たる

 

291 名前:名無し

話が聞きたいからDMできるか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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流動する意識群

 

 

 

 

海を越えた先にある出来事さえ、その日のうちに届けられる現代の情報社会。

昔ならいざ知らず、今の社会では隠し事が少しでも表に出してしまえば、日本全国どころか海外まで知れ渡るのにそう時間は掛からない。

だからこそ、異能と言う不可思議かつ希少な力を持つ私は、自分の保身のためにあるものを利用することにした。

現代社会の基軸、国を渡って情報の往来を可能にしているインターネットという巨大な情報集積体そのものを。

 

そして私がインターネットを介して広がる情報を掌握するために、インターネット自体を知性体として定義し、私の異能による自我の確立を行い、手綱を締めた結果生まれた存在。

 

それが、形無き情報知性体マキナだ。

 

マキナの性質は生き物として異質だ。

知性体としては成立していても、その知性を収める決められた肉体はほとんど存在していないようなもの。

インターネット全域だけでなく、電波を介して個別の電子機器に駐在出来るだけでなく、電力を介してインターネットに接続されていない機器にまで行動を広げることが出来る。

 

そして、基本的にマキナは私が電子上に溜め込んだ異能の出力を使う。

そのため、私と同様の“精神干渉”の力を振るえる、私が有する出力機としてこれ以上ない程に優秀であり、かつ、この現代社会においては自分以上に小回りが利く、私にとって間違いなく絶対的な切り札の一つだ。

なんでもできるがゆえに気を抜けば何もかもを任せてしまうため、この切り札を切るのは昔から最低限度にしていたが、改めて考えてみると理不尽にも思える性能をしていると思う。

 

だが、当初のマキナを形作った私の構想としては、現在のような酷く人間的な一個人としての自我を持つものは考えていなかったのだ。

 

もっと機械的で、もっと非人間的で、もっともっと感情なんてものに目覚めない存在。

それは実際、私がもっとも活発に異能の力を行使していた中学時代までは成功していたし、マキナからの積極的なコンタクトなんて当時は絶対にありえないと思っていた。

機械音声を使うこと自体無かったし、私の指示への返答は「了解」と言うものだけの淡白なもの。

自分から何かを提案なんてしないし、私がある程度方向性を定めなければ動きもしない、感想も意見も何も言わない、本当に機械の延長でしかなかったのだ。

 

だからこそ、マキナを放置した結果、最後に定めていた方向性である情報統制をこなしつつすっかり人間に近い感情を手に入れたマキナの姿には驚かされたが、これはきっと良い変化なのだろう。

 

喜ぶべき変化なのだ…………きっと。

 

だったら私も、その変化を後押ししてあげるのがこの存在を作り出した者としての義務なんだと、今はそう思うのだ。

 

 

『これが……マキナのボディ……!!』

「気に入った?」

『想定とは大きな相違があるけど嬉しい……! むふふ!』

 

 

時刻は昼過ぎ辺り。

お父さんは仕事、由美さんはパート、遊里さんと桐佳は図書館へ勉強、お兄ちゃんは博物館にと、各々が終わりかけの夏の生活を送っていた。

そして、家族がそんな過ごし方をしている中、私以外が家から出払っている時間を見計らい届いた商品の梱包を剥し、目論見通り行っている現状に満足していた。

 

端的に言えば、マキナが欲しがっていた体を用意できた訳だ。

 

マキナも自分が自由に動かせる新たな体を手に入れたことに喜ぶ様子を見せて、私の足の周りを元気に走り回っている。

新ボディに搭載されている発光部分を惜しげもなく点灯させ、『ブオオッ』と本来の機能を使って音を出すマキナの姿は本当に低年齢の子供のようにさえ見えて来る。

 

……いや、パソコンに表示させてくるアバターはともかく、今のマキナは人型からかなり乖離している姿なのだけれども。

 

 

『これでもっと御母様の役に立てル! 御母様の部屋の清潔を保つ役目、了解したゾ!!』

「あ、うん。べ、別にそんな打算があった訳じゃないんだよ……? ほどほどで良いんだよ?」

『むんむん!! 任せろー!!』

 

 

丸っこいマキナの新ボディ。

亜麻色と白色が組み合わさった落ち着きのある色合いに、生物からは程遠い所々角ばったフォルム。

発光部が体に備え付けられ、その身長は私の足首程度しかない。

そして、発している『ウォォン』という音は、機能として備わっている吸い込み能力の音。

 

――――全自動ロボット掃除機『ムンバ』税込み18万9千円、これがマキナの新ボディだ。

 

……いや、違う。

私は別にマキナを掃除用具としてこき使ってやろうと考えてこれを選んだ訳ではない。

マキナの肉体への執着を配慮し、解決策を色々と考えた結果の苦渋の選択なのだ。

酷い扱いであるつもりは微塵だってない。

 

御褒美を上げて、ついでに部屋の掃除までお願いしちゃおうなんて考えた訳では断じて無い。

 

 

(……よ、良かった。これで人型じゃないと嫌だなんて言われてたら八方塞がりだった……)

 

 

円形の体を走り回らせて、満足げなマキナの様子に胸を撫で下ろす。

 

大体、マキナに肉体を与えるなんて言う方が無理難題なのだ。

インターネットを基にして完成された精神に肉体をだなんて、SF小説じゃないのだから機械の人型の体なんてものそうやすやすと用意できる訳ない。

一応、そういうのにも詳しそうなお兄ちゃんに作成できるか相談してみたが、アホの子を見るような目で見られて無理だと首を横に振られてしまったのだから、万事休す。

 

という訳で、次善の策として一般的に市販されているこの全自動ロボット掃除機『ムンバ』を選んだのだ。

懐には中々痛い出費だが、まあ、うん、人型の肉体を用意しないで済むならこれくらいは安いものだ。

 

 

『御母様、次は何か活躍したらマキナも人間みたいなボディも欲しイ! 一緒に街に繰り出したりしたイ! マキナ頑張る、だからお願イ!』

「……か、考えとくけど、ちょっと技術的にどうなるか分からないかなー……」

『わーい! 御母様大好きー!』

 

 

まだまだ私の悩みは続きそうである。

 

親代わりも楽じゃない。

未だに母のつもりなんてないが、自分の行動の結果くらい責任を持たないとなんていう自分の考えを少しだけ後悔する。

大体、一体どうすればインターネットに接続可能な人型の体なんてものをただの女子高生が用意できると言うのだろう。

確かに異能を使った金策をしていたから他の同年代よりはお金はあるが、だからと言って無尽蔵に出せる訳でも無い。

資金も人脈も、そんな大層なことを出来る土台はできていない。

 

こうなったら何が何でもお兄ちゃんに作らせるか……なんて暗い思案を巡らせていた私の足元で、『見ててー!』と言ったマキナは部屋の掃除を始めた。

しっかりとゴミを認識して、漏れの無いようスイスイと部屋を走り回っている。

 

……まあ、考えようによっては超高性能自動掃除機が買えた訳だから、悪い事ばかりではないか。

 

 

「……ロボット掃除機って凄いなぁ……あ、いや、マキナだからって言うのも勿論あるだろうけどね」

『自由にできる体があるって凄い! 流石御母様だゾ! マキナは最強の掃除性能でこの恩に報いて見せル! この部屋には埃一つ残さないゾ!!』

「楽しそうで何より……段差があるから気を付けてね」

『むふー! その程度でマキナの進撃を止められるとおも――――アワーー!!??』

「……言わんこっちゃない」

 

 

普通の生き物だって最初はまともに自分の体を動かせず立ち上がるのも困難なのだから、急に体を手に入れたマキナが即座に順応できるはずも無い。

私の忠告通り段差に足を取られひっくり返ったマキナを起こすために私は、ウィンウィンと悪あがきをしているロボット掃除機の元に歩み寄り抱き起した。

 

口には出さないが、結構重い。

 

 

『むー! むーー!!』

「まったく……一体何をしてるんだか」

 

 

自分への不甲斐なさで悲鳴を上げるマキナに変な笑いを浮かべてしまう。

自分がこのインターネットの知性体に言い訳出来ないくらい愛着が湧いてしまったことを自覚しながら、少しだけ戸惑う。

 

この気持ちは何なのだろう。

可愛らしい外見をしている訳でも血を分けた間柄でもないのに、むしろ想定と違う変化を遂げていたこの子に距離を置いていた筈なのに、コロリと心変わりしてしまっている。

ちょっと前の私のままではきっとこんなことは無かったのだろうと思うとなんだか変な気分だが……まあ、私自身、昔の私よりも今の私の方が好きなので嫌とは思わないが。

 

 

「さて、私もついでに掃除を――――」

 

 

元の位置にマキナを戻そうとしながらふと顔を上げ、目が合った。

 

――――部屋の扉から覗き込む桐佳と目が合った。

 

呆然と部屋を覗いている桐佳の視線がゆっくり降りていき、私の腕の中で暴れているマキナに固定された。

 

なお現在、マキナは元気に悲鳴を上げている最中である。

 

 

「お姉……その掃除機って、しゃべるの……?」

「…………ソウダヨー、ムンバって名前でしょ? 『むんむん』話すからムンバって言う名前なんダヨー!」

「へえ」

 

 

我ながら苦しすぎる嘘が口から出た。

馬鹿すぎる……こんな嘘に騙される奴がいるもんか。

現に騙されやすい桐佳ですらじっと私の腕の中のマキナを観察していて疑わしそうにしている。

 

難しい顔をしている桐佳を見て背中に嫌な汗が伝うのを自覚し、腕の中のマキナを黙らせようと強く抱きしめた。

 

 

「そっか……最近の掃除機ってすごいね。むんむん言うからムンバなんだ……」

「!!??」

「あ、ちょっと忘れ物取りに来ただけだから、お昼ごはんは予定通りいらないからね」

「ワカッター」

 

 

想像以上に私の妹はアホだったようだ。

感心したように頷いて部屋の前から離れて行った桐佳の後ろ姿を見送り、急いで扉の鍵を閉める。

それから扉を背にしてゆっくりと地面に座り込んだ私は囁くような声量でマキナに話し掛けた。

 

 

「あっ、あぶぶっ……!! マキナっ、気を付けて……! 肉体を持ったらあんな感じで気が付かれちゃうんだからね……!」

『……マキナ自分が不甲斐ない……ごめんなさい……』

「い、いや、私も完全に油断してたから、別に怒ってないし」

『むぐぅ……落ち着いて、新しい体に適応することを第一にするべき。土台を固めてから応用を……マキナ学習しタ』

 

 

異常なまでのハイテンションが落ち着いたようなマキナに安堵の溜息を吐いた私は、桐佳の足音が階段を降りていくのを聞き届け、腕の中のマキナを地面に下す。

ゆっくりとした足取り(?)で部屋の移動を始めたマキナを余所に、私は椅子に腰を掛けた。

 

それから、窓から桐佳の後ろ姿を見送って、今度こそ安全を確保できたのを確認した私はマキナに問い掛ける。

 

 

「……それで、話って?」

『むう、マキナの演算、計算能力を用いた神楽坂上矢の生存は不可解。外部からの精神干渉の可能性を提示。『人神計画』の核となるアレが一時的に起動したと推測中』

「そんなの……とは言えないか。あの時は考えが及んでなかったけど確かにあの状況で神楽坂さんが生き残ったのは不自然と、考えるべき……」

『御母様の精神に揺らぎ有。むむ、あくまで可能性の話ダ、確認のために神薙隆一郎の深層心理への読心の許可要請』

「それは良いけど……」

 

 

歯切れが悪い言葉が口から漏れた。

だが、それも仕方ないだろう。

 

黒歴史も黒歴史。

黒歴史の象徴とでも言えるようなアレが起動した可能性があると言われて、流石に私は動揺を隠し切れなかった。

 

『人神計画』――――恥ずかしい話だが、それは私の肥大し切ったエゴの残骸。

二度と手を出さないどころか考えないようにしていたのに、なんて思って、私は空に視線をやり呻き声を上げる。

 

確認して見ればマキナの言う通り、今は起動状況にない。

そもそも中学時代ですらまともに起動させてなかったのだから、当然なのだ。

アレは起動させたら最後なのだから、起動している可能性がある方がおかしい。

 

 

「独りでに『人神計画』が進行、ね。とは言っても今は起動を確認できないから対処のしようが無いし、そもそもなんで急に起動したのかも不明だからなぁ……」

『起動理由は簡単だゾ。御母様の激情に反応したからに決まってル』

「……はい? 私の感情に反応した? いや、そんな風に設計した覚えが無いんだけど」

『十中八九、間違いなイ。アイツ、マキナから御母様を奪い取るつもりなんダ! 絶対許さなイ!!』

「また熱くなってる……機械って熱いの駄目なのに……」

 

 

気が抜けそうになるマキナとの会話を置いておいて、ともかく、と考える。

 

アレが起動した事実を今更になって確認するのは難しい。

その上、現状何の問題も無く改善点を探るのも不可能に近い。

とは言え、慎重に構築を進めたとはいえ、考え方によってはマキナ以上に手に負えなくなる可能性があるアレの勝手な起動を放置できないのも事実。

 

……正直、八方塞に近くて目が回りそうだ。

 

 

「問題点解明のために一度起動させてみるなんていうのは論外だし、これ以上掌握の為の機能を追加するのも難しいし…………」

『消去(デリート)は流石に可哀想……』

「いや……いやいや、流石にそんなことはしないって!」

 

 

考えられる手段の一つとしてチラリと頭を過り、そのことに目ざとく気が付いたマキナに指摘されて、慌てて首を横に振って否定する。

そもそも完全に消去するのは難しいし、そんな酷い事は出来るならしたくない。

私に牙を剥いてきたと言うのならともかく、やった可能性があるのは一応私の手助けだ。

 

恩には恩を、善意には善意を。

相手の姿形や経歴は置いておいて、そこはしっかりとしなくてはいけないと思う。

 

 

「まあ、あくまで可能性の話だからね。普通に神薙隆一郎が心変わりしたという線が薄くても存在するなら……うん、監視を強化する以上の事は合理的じゃないね、うん」

『むう、マキナもそう思ウ。今のところ御母様にとって不都合はない。アイツがまた勝手に動き出したら相応の対処をするのが良いと思ウ』

 

 

天井を見上げ、取り敢えずの判断を下す。

そして、万が一の無いよう自分が精神干渉を受けていない事を確認して、この件についてこれ以上考えるのは止める事にする。

 

考えるべきことは一つでは無いからだ。

 

 

「次は国際情勢について教えてマキナ」

『異能についての理解を示し、協力体制を構築したのは先進国全て、他の国もほとんどは協力的なのが現状ダ。だが、宗教国家の一部は異能の存在を今なお否定的。世界全体で足並みを揃えられてはいない。協力を宣言した先進国の中でも他国よりもいかに異能の研究を進めるかの競争があり、他国の異能持ちを引き抜くなどしての裏切り工作を計画しているところもある。特に、罪を犯した強力な異能持ちが多数収容されているICPOからの引き抜きは、どの国も隙あらば行おうとしているのが現状だゾ。各国の動きとそれぞれの主要人物の顔写真とその思想、それから国民感情の動きを分かりやすく表にして作成する。後ほど確認ヲ』

「うん、ありがとう。次はICPOについて」

『ICPOに設立されている対異能部署の基本理念は変わっていなイ。異能持ちで構成された彼らは異能持ちの人間が世界で認められるために行動する。これまで通り、異能犯罪あるいは要請に従って凶悪事件を解決する腹積もりダ。次の奴らの標的はUNNで間違いない。だが、奴らが何よりも重視するのは世界の均衡。御母様の思想とは似ているようで非なるもの。相容れるのは難しイ。同時に現状、世界に於ける異能戦力では間違いなく彼らが最強ダ。事を構えるならそれ相応の準備を推奨すル』

「……うん」

 

 

流石インターネットの化身、一つの質問でとんでもない量の情報がもたらされる。

むしろ情報を理解しようとする私の方が大変な訳だが、それは頑張るとして、本題は次だ。

 

 

「UNNの日本での活動は?」

『無イ。だが、影響はあル。御母様が危惧していた通り、奴らの実験は次の段階へ移行しタ』

「……詳しく」

『世界で異能の認知が進むとともに広がりを見せた『異能を開花するための薬品』の流通。UNNが製造した、裏取引でしか流通していなかったその薬品が密輸人によってこの国にも上陸し、法外な値段での取引がされ始めていル。要約すると、人を確保して実験をするのではなく、薬を流して自ら実験させる段階に入っタ』

「……あの結晶を基にした薬品か……となると、全員が異能持ちになる訳じゃ無くて」

『素養があって自力では開花し得なかった者だけダ。だが、これまで開花する可能性が無かった者が異能を手に入れル。薬品を手に入れられる者と、数は限定されるが……それでも今までよりもずっと異能持ちの数は増加すると考えるべきダ』

「…………」

 

 

これまで相対してきた異能犯罪を行う者は何かしら大きな目的や計画的なもの、あるいは大きな組織が絡んでいるものだけだった。

それは、成長と共に開花する自分の異能を理解する時間があるからだし、何が出来て何が出来ないのか試行錯誤するだけの余裕があるからだ。

 

けれども、異能を欲して、高額な商品を購入して、望み通り異能が手に入った者は本当にそんな行動を取るのだろうか。

 

もしかしたら自然に開花した異能持ちのように冷静に自分の異能を見定める者もいるかもしれないが、異能を開花するなんていう怪しい薬品に手を出す酔狂な人間はそのほとんどが、短絡的な人間だろう。

そうなると、手に入れた力に酔い知れ、手に入った玩具を行使しようとする者や悪用する者が予想される。

 

――――つまり、個人による突発的な異能犯罪が出て来るのは目に見えていた。

 

組織的でない、人間の欲望を利用した混乱の一手。

はっきり言って、これと比べてしまえば組織による犯罪という単純なものの方がずっと対処しやすいだろう。

 

 

「ぐええ……異能、超能力、なんでもいいけどさ。そういうのが欲しい人いっぱいいるもんね……お金を稼ぎつつ、足が付きにくい実験できる情勢を整えた……? 『泥鷹』の壊滅はそれを折り込んで実行に移した……? ともあれ、これは……」

『御母様、UNNのこの相手は老獪だゾ。決定打に成り得る情報をこれだけ手広く情報収集しているマキナに取らせないのは相当。本社、支社全てを同時に強襲し、早急にケリを付けるのも手ダ』

「その場合は……?」

『続けてICPOとの全面戦争も計算に入れる必要があル』

「UNNって表向きは最大手の多国籍企業だし、ICPOは世界の警察みたいなものだよ!? それらと事構えるなんて完全に世界の敵そのものじゃん! そんなのやだー!!」

 

 

頭を抱えて小さくなる。

平穏無事に過ごしたいだけの私がなんでこんな身の丈に合わない事で悩まないといけないのか。

見たくないモノが見えてしまう弊害がこういう形になって襲ってくるのだから、本当に始末に負えないと思う。

 

どうしよう、ボンヤリした頭で考える。

どこまで手を出して、どこで手を引くのか。

海を越えた先の事なんて考えないようにして、自分の身の回りだけに注力したとして、私の身の回りは本当にそれで安全なのか。

いつか何もやらなかったツケが回ってくるんじゃないかと、そんな事を思った。

 

私や私の家族、神楽坂さん達のような人達にすら被害が広がる可能性を考える。

現に私は神楽坂さんをみすみす誘拐されたのだ。

 

自分の異能に過信して、あり得ないなんて、そんな楽観視は出来ない。

 

 

(……神楽坂さんの件は幸運だった。でも、次も幸運の保証は無い。危険性は一つひとつ潰していかないと)

 

 

そんな事を考えて、ふと気が付けば私の視線はまた空に向いていた。

 

これらの悩みを解決する方法は確かに存在する。

全ての問題を丸く収める、とっておきの方法だ。

だが、それはとっくの昔に辞めた事だ。

こんなことは辞めようと心に決めた事だ。

私の器ではない、分不相応な行動の代償はきっとある。

『人神計画』なんていう、壮大なだけの馬鹿げた夢物語は私の世界にはいらない。

 

そう考え、捨てた、私の過去の負の遺産。

 

私の世界はもっと小さくて、もっともっと何でもないもので充分なのだから。

 

 

『……むう、御母様の心労が……』

 

 

そして、そんな私の様子を見たマキナがこんなことを言い出した。

 

 

『御母様、釣り上げた密輸人が数人。既に手中にも収めてあル。その薬品の実物回収も可能ダ。時や場所の指定があれば置き忘れさせることも出来るゾ』

「釣り上げ……?」

『マキナ、人間のフリ上手くなっタ。御母様が不安に思っていた、インターネット上でこの国の取引相手を探していた奴らを纏めて捕まえておいたゾ。誰にも気が付かれなかっタ。こういう擬態も学習しタ。これからも、なんでも出来るよう学習していく。だから御母様、マキナをもっと頼レ』

「えぇ……」

 

 

とんでもない事を言い出したマキナに、思わず思考停止してドン引きした。

マキナのような存在が人間への擬態を完全に覚えて、人心を掌握し誘導するのを何処かのSF映画で見たことがあるような気がする。

そしてその存在は人間の味方なんかではなく、主に倒すべき敵として登場していた気がするのだが……。

 

ICPOやUNN、拡大していく異能犯罪といった厄介な事情は色々あるが、もしかすると最も恐ろしいのはマキナや空に鎮座するアレなんじゃないかと、そんなありもしない妄想が私の頭を過った。

 

 

 

 

 



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家庭事情の変遷は

 

 

 

 

三人兄妹の末っ子として私は生まれた。

ちょっとだけ裕福な家庭で、とても優秀な兄と優しい姉に囲まれた生活。

どんな大人達からも褒められる兄と姉と違って、私は取り立てて何かできる訳ではなかったけれど、兄達の存在は当時の私にとって誇らしかったし、自分の事でなくても二人が褒められるのは嬉しかった。

 

けれど当時、兄妹の仲はあまり良くなかった。

兄は私達妹とは出来るだけ距離を置こうとしていたし、姉はそんな兄を酷く冷めた目で見ていたのを覚えている。

私は大好きな兄と姉のそんな関係が嫌で、一人黙々と机に向かう兄に対して一生懸命声を掛け続け、終いには兄に怒られてしまう私を見た姉が兄に激怒するなんて事は何回もあった。

幼い頃の私達兄妹の関係はそんなものだったのだ。

 

私がいくら間を取り持とうとしても兄と姉の関係は険悪だった。

兄と姉のその関係は母が亡くなった後もより酷くなっていった事で、二人の関係を改善しようとしていた私もすっかり諦めてしまった。

悪い言い方をすれば、毒にも薬にもなっていなかった悪い兄妹仲よりも、考えなくてはいけないことがいくつも出来たからだ。

 

考えなければならなかったのは、残された私達家族の事。

仕事や葬式の関係、片親になる父への社会的な風当たりと母の実家による干渉、何よりそれらを受け止めた父の精神的な問題。

半ば駆け落ちのように母を実家から連れ出した父が母を失った事と、訃報を伝えた母の実家から異常なまでに責め立てられた事により、父は一時的に会社に出社すら出来ないほど塞ぎ込んだのだ。

母が亡くなると言う不幸に合わせて様々な問題が私達家族を襲い、当時幼稚園生だった私を取り巻く環境は、悪い方向へ大きな変化を迎えていた。

 

……正直、今でもあの状態から家族としての生活を維持できたのは信じられない。

それくらい、あの時の私達家族はあらゆる面で追い詰められていた。

金銭面でも、社会的な面でも、父と私達兄妹を引き離そうとする母の実家からも、どれも子供だった私達兄妹では到底解決出来なくて、生きる気力すら失ってしまっていた父にも打開できる状況では無かった。

 

塞ぎ込む父も、関わろうとしない兄も、次々家にやって来る役所や施設、それから母の実家の代理人。

周囲に住む人や通っていた幼稚園で会う人達全てが何かしらの悪意を持っていたのは子供ながらに分かっていたけれど、その頃の私はただ守るように抱きしめてくれる姉に縋る事しか出来なかった。

 

そんな毎日が数週間続いて――――気が付けば、全部が解決していた。

 

それはまるでお伽噺の魔法のように、一夜にしてあらゆる問題が掻き消えた。

 

私達を取り巻いていた悪意が全て磨り潰された。

子供ながらにそのおかしさは気が付いていたけれど、元気を取り戻した父や干渉しなくなった母の実家、なによりも周囲の大人達の冷たい目が無くなったことへの喜びが勝った。

どうして、なんて考えるより日常を取り戻せたことの嬉しさがあったし、母を失った悲しさもまだ引き摺っていた私はその状況を深く考えようとはしなかった。

兄と姉の不仲こそ続いたけれど、母がいない以外は全て元通りになった我が家。

 

何もかも良い方向に転がったような我が家で、私はただ一つ。

 

優しかった姉の目に宿ったおぞましい光だけが、幼かった私の記憶に焼き付いた。

 

 

 

 

‐1‐

 

 

 

 

「実のところお前はどう思ってるんだ? 由美さんの事」

「は? 質問の要点が抜けてんだけど」

 

 

ある日の昼。

突然、リビングで勉強していた私に机を挟んだ離れた位置からお兄が声を掛けて来た。

 

いつも通り、相手に伝えようとする気遣いの無いお兄の言葉に、私はそれだけで少し苛立ち刺々しい口調で答えてしまう。

 

不機嫌そうな私の言葉に対して少しも気圧される事も無く、お兄は考えるように顎に手を添え、周りを見渡しつつ言葉を変える。

 

 

「いや、だから……お前の友人の遊里さんは良い子だろ? 一緒の生活をしていても、付かず離れず適度に気を遣い、お前よりもずっと家事を手伝ったりして燐香からの評価も高い。それで、その母親の由美さんも、パートをこなして家にお金を入れてる上に率先して料理とか振舞ってくれるだろ? 二人ともすっかり我が家の一員になってると言っても、俺達誰も文句は言わない訳だ」

「……この前遊里に勉強教えてお礼言われたのがそんなに嬉しかったの? お兄、遊里に対する評価やけに高くない? 一応言っておくけど、遊里に手を出すのは絶対に許さないから」

「お前……最近燐香と俺の関係も邪推していたが、そういう思考しすぎじゃないか……? まあ、年頃だから少なからずそういう考えが頭を過るのは仕方ないかもしれないが、頭の中だけに留めて口にはしないように、だな……」

「うっさい糞お兄!!」

 

 

何を今さら常識人ぶっているんだと、怒りのまま声を張り上げる。

散々私達をいないものとして扱って、最終的には家を飛び出した薄情な兄になんて教わることは何一つだって無い。

この前はたまたま、私のそんな意地を下らないと一蹴できる問題があったから頼ったが、そんな状況でも無ければ私はこんな兄と会話するのすら嫌なのだ。

そもそも、お姉が今更になってこんな奴を許している事自体が気にくわない。

 

怒りを露わにする私に対して、お兄は何か言いたげな表情をした後、諦めたように肩を落とした。

呆れられているようで非常に腹立たしい。

 

 

「ともかくだな。現状あの二人に対する感情は、良いものはあっても悪いものは無い。この俺の考えに間違いはないな?」

「……そんなの当然だけど」

「じゃあ、彼女達が本当の家族になるかもしれないとなったらどうだ?」

「はぁ? 何言ってるの?」

「……やっぱり欠片も気が付いてないのか……疎いと言うか、何と言うか……」

 

 

小言はするし、下に見たような言葉は吐くし、相も変わらず色々と腹立つ兄だ。

私の顔が険しいものになっていくのに気が付いたのだろう、お兄は慌てたように手を振った。

 

 

「だ、だからな。その、一つ屋根の下に普通は全く知らない他人なんて住まわせない訳だ。どうしようもない事情があったとしても、その事情も峠を越えたら普通は家からなんて追い出すだろ? 何を盗られるか分かったもんじゃない訳だしな」

「なに、遊里達がそんなことするって言いたい訳?」

「一般的な考えとしてだ! 特定の人物を指した説明じゃない! 一々話の腰を折るな馬鹿!」

「なっ……!?」

 

 

声を張り上げたお兄に対してちょっとだけ驚いてしまう。

ほんの少し腰が引けた私と怒ったお兄の間に、何処からか現れたお姉が最近購入したロボット掃除機が掃除の傍ら割って入ってくる。

偶然にも私を守るように、目の前に現れた丸っこい掃除機の姿を見て動揺したお兄は視線を彷徨わせた。

 

 

「あー……だからな、憎からず思っている相手じゃなきゃ長い間家になんて住まわせない訳なんだよ」

「……それは、分かるけど」

「桐佳お前、父さんと由美さんの最近の会話姿見たことあるか? ああいや、答えなくていい、かなり親しい感じの会話なんだ。で、父さんも由美さんも各々事情があって独身になってる。二人ともまだ40代。となれば可能性の一つとして再婚だって考えられるだろ? だからあらかじめ桐佳はどう思うのかって聞いてるんだ」

「再婚? え……本当に?」

 

 

予想もしていなかった話に、先ほど怒鳴られた事など忘れて思わずそう聞き返す。

「勝手に考えてるだけの可能性の話だ」と前置きしたお兄は、視線を逸らしながら小さく溜息を吐いた。

 

 

「あの二人、特に由美さんは子供が第一なところがあるからな。誰かしらの反発を受けたらその話は無かったことになりかねない。だからあらかじめお前達にどう考えているのか話を聞いておきたかったんだ。杞憂だったとしても……長い間散々苦労を掛けた父さんが再婚したいのなら、俺としても幸せになれるよう最低限の保険は掛けておきたかったからな」

「再婚……私は正直、お母さんの事はほとんど覚えてないし、二人がしたいと思ってるなら良いと思うけど……お兄はそれでいいの?」

「俺は、何よりも父さんがそうしたいと思えるようになったのなら歓迎するべきだと思っている」

「それなら、別にいいけど……」

 

 

返答に困りながらも、その仮定を考える。

 

もしもの話だが、自分の友人である遊里とお母さんである由美さんが本当の家族になると考えてみても、自分でも驚くほど抵抗はなかった。

それどころか、親しい友人が家族になると考えると嬉しさだってある。

遊里や由美さんが良い人だからというのは勿論前提としてあるが、小さな時に母を亡くしていて、何よりもずっとお姉が母親代わりでいてくれたからというのが大きな要因の一つだと思う。

過度に居ない母親の影を追うことが無かったからだ。

 

だから、お父さん達がそういう関係になるのに嫌と言う気持ちは無い。

それは間違いなく私の本心だった。

 

 

「……大人の事情とか、色んなしがらみとか、そう言う難しいのは分からないけど。今のところ反対する気も無いかな」

 

 

今現在、実際に同居して生活しているのだ。

色々配慮してくれる由美さんも、同居人としての遊里も、悪いところを探す方が難しい。

例え二人が結婚したとしても、今の生活から大きく変わることは無いだろうという安心感だってある。

 

そこまで考えて、私は「でもね」と口にした。

 

 

「……もし、もしもお姉が嫌だって言ったら、私はお姉の味方をするからね」

「いや、お前それは……大きな問題なんだから燐香じゃなくてお前の意思での方が……」

「私はお姉が嫌なことは絶対にやらない。それは譲れないから」

 

 

はっきりと、私のその意思を言葉にして口にする。

 

ずっと気になっていた、少し前、お姉が家で見せたあの表情。

病院生活から戻ってきた時のあの表情を、私は忘れた時は無かった。

理由は正確には分からない、けれど、私の為に遊里達を助けてくれたお姉がお父さんの許可を得て家に住んでもらうようになって、それでお姉に何かしらのストレスを掛けたかもしれない。

そんな可能性を考えると、酷く心苦しい気持ちになった。

 

ただでさえ最近は物騒な事件にお姉が巻き込まれることが多いのだ。

そのせいで、少し前は昔のように恐ろしい空気を漂わせていた。

きっと私以上に今のお姉に余裕なんてない。

だから、もしもどちらかを選ばないといけないとしたら……そんなことを考える私にお兄はまだ何かを言いたそうにする。

 

けれど私の心は既に決まっていた。

 

 

「お兄は大人で、色々考えて、皆が幸せになれるよう手配してるのかもしれないけど。これまでずっとお姉の方が頑張ってきた。私達に無関心だったお兄が全部悪いとは言わないけど、家の事とかをずっとやって来たお姉の考えの方が私は優先されるべきだと思う」

「……」

「たとえ、それがお父さん達の幸せに繋がらないとしても、私はそんなのは度外視する。私は何よりもお姉を尊重する。お姉が家から出ていくなら、私も出ていく」

「……ああ……そうだよな。桐佳はそうだよな……分かってる」

 

 

悲しそうに、後悔を噛み締めるようにそう言ったお兄に、私はもう一度釘を刺すように言う。

 

 

「……お兄、私はね、昔の怖い頃のお姉も本当は――――」

 

 

そこまで言い掛けた時、ガチャリと玄関の扉が開いた音がした。

二人分の足音と共に、誰かが家の中に入って来る。

 

買い物に行っていたお姉と遊里の話声だ。

 

 

「お姉さん、本当に重くないんですか? 私よりずっとお姉さんの方が荷物多いように見えるんですけど……」

「全然大丈夫だよ! えへへ、遊里ちゃんは優しいねぇ。よく気が付くし、視野が広い。今年受験だから勉強も大変な筈なのにこんな買い物に付き合ってくれてありがとう」

「そんな、いつもお世話してくれるお姉さんの手伝いくらいいつでもやります! ……それに、凄く個人的な事なんですけど、お姉ちゃんとこういう事するの夢だったので……」

「うへへへ、そんな嬉しい事言って……遊里ちゃんは将来男たらし、いや人たらしだよ。もうっ、まったくもうっ、遊里ちゃんはもう私の妹なんだから、いつでも一緒に買い物行こうね! 内緒でお菓子も買ってあげちゃうからね!」

 

「――――は?」

 

 

玄関からの話声を聴いて、酷く冷たい声が出た。

正面にいるお兄の顔から血の気が引く。

グルグルと私達の周りを走り回っていたロボット掃除機が、まるで修羅場に遭遇した子供のようにその場でオロオロとし始める。

 

いけない、冷静にならないと……。

自分の頭に血が上り始めている事を自覚して、深呼吸する。

いつもこうだ、こうして頭に血が上ってお姉に攻撃的になってしまう。

自分のこんな子供染みた行動が積み重なってお姉と距離が出来てしまっているのだ。

お姉と遊里の仲が良好なのは良い事なのだからと、自分を落ち着かせるように考えた。

 

 

「桐佳もね、可愛くていい子なんだけどね。最近はほら、ツンケンした態度になっちゃったから、うん。反抗期って奴かなぁ……一気に嫌われちゃった気がするんだよねー……」

「え、お姉さんの話、同居させてもらう前はしてくれませんでしたけど、今は学校でほぼ毎日のようにしてますよ。あ、でも私だけにですからあまりクラスの人にはしたくないのかも……? と、ともかく、お姉さんの事、絶対桐佳ちゃん大好きですから、その、お姉さんからちょっと歩み寄ってあげれば多分……」

「ほ、本当!? なら桐佳への接し方をもっと激しくしてみようかな、なんて! えへー!」

 

 

今度は別の意味で顔に熱が集まるのを自覚する。

確かに口止めなんてしてなかったけれど、遊里の奴なんてこと、よりにもよって一番言ってほしくなかった相手に言っているんだ、なんて悪態が頭を過った。

 

蒼白な顔から呆れるような変な顔になったお兄の百面相なんて気にもしてられない。

私は湧き上がる恥ずかしさを誤魔化すようにソファに置かれていたクッションを拾い上げ、リビングに入って来る相手に向けて全力で振り被る。

 

 

「ただいまー! あ、桐佳、寂しかった? 桐佳の好きな甘いものも買ってきたからぶッ!?」

「おかえり!! 私、部屋で勉強してるから!!!」

 

 

お姉の顔が投擲したクッションに沈んだのを見届けて、足早に階段を駆け上がる。

呆れたような視線を向けて来るお兄と遊里の視線から逃げるように、誰とも視線を合わせず自分の部屋へと飛び込んだ。

 

……もう、しばらく部屋から出たくなかった。

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

「……なんでぇ……?」

「お、お姉さん大丈夫ですか!?」

 

 

ポトリと顔からクッションが落ちて、私はそんな弱音を口にする。

と言うか、心は既にぽっきりと折れている。

 

何も悪い事をしていない筈なのに突然行われた桐佳からの攻撃。

止めて欲しい、私のメンタルはそんなに強くないのだ。

 

私の惨状を突っ立ったまま見届けていたお兄ちゃんに視線をやり、それから右往左往しているマキナ(ロボット掃除機ボディ)を確認して、さてはと思い至る。

 

 

「……お兄ちゃん変な事言ったでしょ? 桐佳は突然あんな暴力的なことしないもん」

「おまっ、お前っ、俺への信用無くないか!?」

「違うの?」

「……まったく違うとは言えないけども」

 

 

正直な男である。

私は正直な人は好きだ。

だがお兄ちゃんは許さない。

 

 

「お兄ちゃん! 桐佳のストレスは全部私に飛んでくるんだからそういうのよく考えて行動してよ! あとあと、桐佳も遊里さんも今年受験生! 自分だって受験の年はあんだけピリピリしてたんだから、妹の受験の年くらい気を遣って! 変にストレス掛けるようなことを言ったら承知しないんだからね!!」

「ぐっ……俺がちょっと前に言っていた事だな……わ、悪かった……」

「分かったなら良いけどさぁ! これからは桐佳とか遊里さんとかで疑問に思ったことがあったら私に一言言ってよね! 私ならまだしも、デリカシーが無いお兄ちゃんの言動に純粋な二人は振り回されやすいんだから! 私は心配だよ全くもうっ!」

 

 

そう言いながら、私は桐佳の部屋があるだろう方向に視線をやって、そのまま寄って来たマキナを見下ろした。

お願いしていた通り、リビングの掃除は無事に終わったようだ。

ちゃんと言う事を聞いて、素直に応えてくれるマキナが何だかとんでも無く可愛く見えてくる。

 

 

「……でも本当に何で私に桐佳のストレスが飛んでくるんだろ? 私悪くないのに……もしかして私、桐佳にサンドバッグとか思われてたりして」

 

 

冗談交じりの私のその発言に、お兄ちゃんはそっと目を逸らし、遊里さんは誤魔化すような微笑みを浮かべた。

二人とも何か含みのありそうな態度だ。

……何か言いたいことがあるなら口にすればいいのに。

家族以外には遠慮なく読心するだけに、家族にこうして含みを持たされると気になってやきもきしてしまう。

 

 

「なんて言うか、そうだな。これまで事件とかに巻き込まれて心配させた積み重ねが表に出て来てるんじゃないか?」

「うぐっ……し、仕方ないじゃん。私から危ないところに飛び込んでた訳じゃないし……」

「でも桐佳ちゃん、お姉さんが入院した時とか学校で焦燥としてましたよ。……お姉さんに事情はあっても、桐佳ちゃんに我慢しろとは言えないですし……」

「……おっしゃる通りです……」

 

 

私が悪かった。

全部が全部、私が悪い訳じゃ無いだろうけども、私が原因になっていたのは紛れも無い事実。

お兄ちゃんに言った、「受験期なんだから負担にならないよう配慮しろ」は全部私に返って来る言葉だったようだ。

なんなら異性ばかりが家にいる環境で、仲の良くなかった妹達と暮らす生活をしているお兄ちゃんの立場の方が同情の余地がある。

 

二人の指摘にしょんぼりと肩を落とした私に遊里さんは動揺するが、まだ私のそんな態度に慣れないお兄ちゃんは気味の悪いものを見るような目で見て来る。

 

 

(……方針が定まり切ってなかったけど、やっぱり国外や県外に出てまで『UNN』とかの悪い奴らや危ない事件に関わるのは止めよう。前に私を捕まえられなかったとは言ったって、正式に異能が認知され始めた今なら、異能が関わる事件にまったく対応できないなんてこと無い筈だもんね)

 

 

これから増えていくだろう個人型の異能犯罪に対しての対応をどうするべきか考えていた私に出たそんな結論。

少なくとも、桐佳の状態が落ち着くまでは、神楽坂さんの恋人の昏睡をどうにかする事だけに注力するようにして、危ない事に首を突っ込まないようにするのが最善だと思う。

 

 

「……取り敢えず、もう危ない事に巻き込まれることは無いようにするよ」

「そうだな。それが何よりだと思うし、燐香も勉強頑張らないとだもんな。夏休みの間、燐香が学校からの課題をやっているの見たことない気もするし」

「あー……まあ、うん。それはね。ちゃんとやるから」

 

 

お兄ちゃんの指摘で現実を思い出させられ、歯切れ悪く返答する。

休み明けにテストもあるだろうし、なんて考え始めるとやらないといけない事は山ほどあった。

 

点けっぱなしにしているテレビからは今だって、非科学的な現象への専門家なんていうのを自称する者が訳知り顔でこれからの異能に対する自衛方法なんて言うものを語っていて、ニュースや報道、ネット情報からは連日世間の不安をあおるような情報ばかり流れて来る。

 

これからの世界の均衡問題を些事だなんて言うつもりは無いけれど、まず何よりも、私は自分の近くに気を配らないといけない。

中学時代の失敗で得たそんな教訓を思い出し、私はそう決意した。

 

 

 

 

 



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彼女の高校生活

 

 

 

 

新学期が始まった。

 

私の学校は勉学にかなり力を入れているため、休み明け早々の気も休まらない内に一学期の復習テストが控えている。

そんな事情があるため、始業式からピリピリとしている人や寝不足気味な人がそこら中にいて、ぶつぶつと暗記したワードが呟かれるのも色んな方向から聞こえてきたりするのだ。

 

それだけで軽いホラーだ。

だがその上、始業式の校長挨拶も、世間を騒がせている異能関係の話もそこそこに勉強を促す事ばかりで、さらには夏休み中勉強をしなかった人達を差が出来たと焦らせるよう強調しているのだ。

 

はっきり言ってゾッとする。

中学時代の同級生と一緒の学校になりたくなくてここを選んだが、実際こういう状況を見ると始まったばかりの自分の高校生活が不安になる。

確かに勉強は大切だと思うけど、もう少しこう……言い方とか優先順位とかがあると思うのだ。

 

閑話休題。

 

そんなこんなで私の学校生活が再び始まった訳だが、学校が始まるとなると、私には気にしなければならないことが一つある。

 

 

(…………袖子さん見当たらないな。安心できないし、逆に不安になると言うか)

 

 

それは、現在進行形で疎遠となっている友人、山峰袖子さんとの事だ。

 

明確に喧嘩別れした訳でないし、連絡手段を絶った訳でも無い。

だが、あの昇進祝いの場以降の夏休み期間、どちらからも連絡を取らなかったのは事実だ。

お父さんの昇進祝いの場で、古くから家族付き合いのあった人に疑いを向けた私の立場としては、事情があったとはいえ、疑いが確定できなかった以上縁を切られても文句は言えない話ではある。

 

……それは別に良い。

袖子さんとの友人関係なんて、私の想定外も想定外、ただ一方的に好意を向けられていただけの関係なのだ。

そもそも友人関係なんてお互いにお互いを尊重しなければ成立し続ける事なんてできないもの。

歪だった私達の友人関係がこんな形で幕を下ろしたのは少しだけ思う所はあるが……うん、まあ、私は袖子さんのお父さんを助けての結果なら別に良いかと納得している。

 

ただ、顔を合わせ辛いのに変わりはない。

 

 

(……うん、今度は普通の素朴な感じの子が友達に欲しいかな。あ、そう言えば友達になりたいランキング単独トップの舘林さんはギャル達のグループから離れていたりなんて)

 

 

そんな薄情な事を考えながら、私は久しぶりに教室の自分の席に着く。

 

再会を喜ぶ話し声が周りから小さく聞こえてくる。

その中にはギャル子さん達も混じっていて、チャラチャラとした休みの間の出来事を自慢混じりに話しているギャル子さんの話を、舘林さんともう一人のギャル友達は話についていけないというような微妙な笑顔で聞いていた。

何と言うか……舘林さんが孤立していると言うよりも、ギャル子さんが浮いてるような不思議な光景だ。

私の視線に気が付かれそうなのを察知して、先にそっと目を逸らした。

 

 

(舘林さんもうまくやってる。私が入れる余地は少ないし、そもそもあのギャル子さんとの相性が悪すぎる……こうなったら、キモカワについての理解を深めて他の人達の仲間内に入れるように……)

 

 

そんな苦し紛れの策を考慮しつつ私がぼんやりと前方の黒板に視線をやっていれば、ふと見覚えのない人が目の前を横切ったのに気が付いた。

 

 

「……へ?」

 

 

気が付けばその人物の登場で教室が静寂に包まれている。

久しぶりに会った友人達との会話を純粋に楽しんでいたクラスメイト達が、会話も忘れてその人物を視線で追っていた。

 

サラリとなびく黒髪。

化粧気のない柔らかそうな肌に、いっそ美しささえ滲み出る切れ目と黒曜石を思わせる瞳。

横顔からさえ分かる、現代の大和撫子と評するのがぴったりに思える和風美人さん。

始めて見るその人物の登場に、私は「凄い美人な転校生だ……」なんて呆然とする。

 

そして、動作まで美しいその人は私の隣の席に優雅に腰を下ろした。

一学期は袖子さんの席だったその場所に、正体不明の和風美人が座っている。

 

 

「……え?」

 

 

チラリ、と。

正体不明の和風美人さんが様子を窺うように私を見た。

物憂げなその眼差しだけで、一介の男性は虜になること間違いない。

それほどまでに美しい女性が、へにゃりと表情を情けないものに崩して口を開く。

 

 

「燐ちゃん……」

「え? えっ、えっ?」

 

 

脳が理解を拒む。

声も態度もその弱弱しい眼差しも、何なら内面に至るまで、袖子さんと同一のものだと気が付くがこの同一人物とは認めたくない自分がいる。

金色に染めた髪に改造制服を着こなして、校則に真正面から喧嘩を売っていたあの派手ギャルが、こんな優等生の体現である和風美人に変貌するなんて事がある訳がない。

 

……そう思いたかった。

 

 

「ど、どどど、どちら様です……?」

「袖子だよ……やっぱり、私があの時燐ちゃんの味方をしなかったから怒ってるんだ……わ、わたし、燐ちゃんの事を信じ切れなくて……剣崎さんがそんな事する訳ないって、心のどこかで思ってて……」

「い、いやいやいや違います! そうじゃなくてその髪の変貌に動揺してるんですって! 夏休み前までの金髪はどうしたんですか!?」

 

 

見当違いなことを言う和風美人状態の袖子さんに、私は顔を引き攣らせて指摘する。

不思議そうな顔をした袖子さんがそっと自分の髪に触れ、ようやく思い出したように表情を崩した。

 

 

「あっ、これは……私が反省の意を燐ちゃんに示す為に頭を丸めようとしてたら、パパがどうしても止めろって言って。その、妥協で……」

「頭を丸める? ……バリカンで坊主頭にしようとしたってことですか? いや、いやいやいやっ、袖子さんのその思い切りの良さは一体何なんですか!? はっ!? 袖子さんのお父さんが止めるの間に合わなかったら丸坊主状態の袖子さんがこの場にいたって事ですか!?」

「やっぱりこんなんじゃ駄目だよね……明日には髪を全部剃ってくるから……」

「止めて!?」

 

 

とんでもない事を言い出した袖子さんに思わず叫ぶ。

もしも袖子さんが坊主頭にして来たら教室どころか学校全体で話題になって、その原因の私も巻き添えを喰らうことは目に見えている。

何とかそんな事態を阻止してくれた袖子さんのお父さんに感謝を抱いたものの、騒いでいる私達へと教室の注目が集まっている事に気が付き、羞恥で顔が赤くなるのを自覚した。

 

おずおずと体を小さくして、これ以上目立たないようにと口を噤む。

 

私の考えが足らなかった。

ボケボケの普段の様に気を取られていたが、袖子さんはそもそもとんでもスペックを保持している人物なのだ。

何をしたって結果を出すとんでも才能ガールでありながら、同時にその天から溺愛されているような美貌と体型を持ち、どんな服や格好も着こなして見せる理不尽の権化。

自らギャル風の格好をしていただけで、こうやって少し格好を変えるだけで和風美人へと早変わりできる、周囲を振り回す心折少女なのだ。

これに付き合っていたらこっちの身が持たない。

 

そもそもこんな注目を浴びるような学校生活は私の計画と違うのだ。

私が構想していた幸せ高校生計画では、誰にも注目されることなくそれなりの友達を作ってそれなりの学校生活を送っていた筈なのに、なんで新学期早々クラス中から注目を集めるような立場になっているんだ。

……いや、原因は明らか、私一人だったら私の想定通り物事は進んでいた筈なのだ。

私の行動には想定外は無かった。

つまり、全ての誤算はあくまで、目の前の山峰袖子という人物に起因している訳だ。

と、私は生まれた色んな不満の原因をそんな風に結論付ける。

 

 

「ず、ず、随分の変わり様じゃない? あ、アンタ、何? 失恋の1つでもしたの?」

 

 

そんな馬鹿みたいな思考をしていれば、どもりながらもギャル子さんが登場した。

 

喉元過ぎれば熱さを忘れる。

私に恐ろしい秘密が握られている事をすっかり忘れているのか、それとも抑えきれない嫉妬の感情からか、性懲りもなく絡みに来たギャル子さんだったが、袖子さんは視線すら向けなかった。

 

 

「……燐ちゃん。私、仲直りしたい……パパも、剣崎さん達から色々話を聞いて、燐ちゃんは何も悪くないって言ってた。燐ちゃんはあくまで、私のためにパパを助けようとしてくれてただけなんだって……ごめんなさい……燐ちゃんの事、信じ続けられなくてごめんなさい」

「えっ、あ……あー……、いや、私は……」

 

 

ギャル子さんを無視していきなりの謝罪してきた事に鼻白んでしまう。

袖子さんのお父さんが何もなかったとして事態を終息させたのだから、私に対してフォローを入れているとは思わなかった。

実行犯としてスライム人間(和泉雅)に利用された剣崎さんが今どんな状況なのか詳しくは知らないが、少なくとも自分の家族に襲い掛かっていた状況を詳しく説明したのは間違いないようだ。

 

……あれ?

となると、私への認識ってどういう風になっているのだろう。

い、いや、あくまで剣崎さんの犯行を止めただけだから、少し頭が回る小娘程度の認識の筈だ。

妙な力を持つ小娘、なんて発想に行きつくのはどう考えても突拍子が過ぎる。

世間が異能という超常現象に賑わっているとはいえ、そんな肥大妄想を押し付けてきたりなんて……。

 

そんな風に、突如として発生した新たな悩みに閉口していれば、それを別のものと捉えた和風美人状態の袖子さんの目に涙が浮かんだ。

何か重大な擦れ違いが起きている事に気が付いた私は慌てて読心を併用しながらの会話に移行した。

 

自分に眼中が無い私達の様子に、隣で青筋を浮かべているギャル子さんはしばらく放置しておくことにする。

 

 

「うっ……燐ちゃん……」

「べ、別に私は怒ってないですっ。そんな頭を丸めて反省されたって重いだけですよ!」

「で、でも私、友達と喧嘩した時の反省の示し方分からなくて……」

「気になることがあったらまず言葉で言ってください! 態度から示されても、袖子さんの場合はアグレッシブすぎてこっちが気後れします!」

 

 

なんでこんなことを説明しなきゃいけないのだ、お前はでっかい赤ん坊か。

なんて事を言えたら良いのだが、あいにくこれ以上私が責めるようなことを言ったら袖子さんの涙腺が決壊するのは目に見えている。

だから仕方なく、小さい子供をあやすが如く、せっせと袖子さんの機嫌を取るのが吉だろうと判断し、私は実行に移す。

 

だが、それを邪魔するように隣にいたギャル子さんが口を挟んできた。

 

 

「ちょっと、無視するんじゃないわよっ! 私が話し掛けてるのにアンタ!」

「えっと……えっと、ギャル子さん。少し静かにしてもらえませんか? 久しぶりの友達との会話を邪魔したら駄目ですよ」

「は!? ギャル子って何!? ま、まさかアンタ私の名前覚えてないんじゃっ……!?」

 

 

静まる素振りも見せないギャル子さんに、私はそっと囁く。

 

 

「……嘘ってやっぱりいけないと思いません?」

「――――そうよね! 夏休みの後の友達同士の会話を邪魔しちゃ悪いわよね! ごゆっくりね!!」

 

 

ギャル子さんは逃げ出した。

ギャル子さんが脇目も振らず自分の席に戻ったのを確認してから、私は幼い頃の桐佳をあやしていた感覚で袖子さんを撫で回し落ち着かせていく。

よーしよしよし、とあの手この手で袖子さんの機嫌を取って、すっかり涙が引っ込みいつも通りのニコニコとした笑顔になった彼女にひとまず安心する。

 

風貌が変わって近寄りがたい大和撫子然となっても、袖子さんは袖子さんだった。

 

 

(なんか、思っていたよりも簡単に仲直り出来ちゃった……)

 

 

拍子抜け、というのが正直な感想だった。

あれだけ色んな覚悟を決めて学校に来たのに、ほとんどが杞憂として終わった。

そんな私の想いなど露知らず、袖子さんは犬のように複雑なことを何も考えないまま嬉しそうに笑っているのには少し腹が立つ。

 

 

「えへへー、燐ちゃん。パパがね、燐ちゃんは本当に凄い子だって褒めてたんだよ。パパが人を褒めるなんて滅多にないのにね、凄いねー。あとね、改めてお礼したいのと、剣崎さんにも事情があって、その説明もしたいからぜひ今度私の家での食事会にお招きしたいって」

「くっ……はいはいはい、どうせ私は逆らえないですよ。後で都合の良い日を教えてください馬鹿」

「わーい!」

 

 

自然と暴言が口から飛び出してしまう。

それでも譲歩してあげるのだから、私の優しさは天元突破しているのだろう。

 

それよりも、素直に喜んでいる袖子さんに対して、私は疑問に思っている事の探りを入れてみることにした。

 

 

「……ところで、袖子さんのお父さんは他に何か言ってなかったですか? 私、祝いの席の雰囲気をめちゃくちゃにした訳じゃ無いですか」

「え、うん。全然気にしてないどころか、燐ちゃんがいなかったら自分は死んでたって確信してたみたいで、凄い感謝してたけど、それ以外は別に何かを言ってたりは……うーん……これからも仲良くするようにって言ってたくらいかなぁ……」

「ふーん……気にしてないなら良かったです」

 

 

『これからも仲良くするように』。

どうとでも取れそうな袖子さんのお父さんの怪しい言葉に、私は少しだけ警戒する。

スライム人間のような異能を弾く外皮という前例があるから断言は出来ないが、十中八九異能を持っていない事が確かの袖子さんのお父さん。

 

だが、神楽坂さん達警察組織のトップに立つ人なのだから、頭の良さは勿論、駆け引きや権謀術数もお手の物だろうし、私に“読心”が無ければ彼があらゆる面で数段上手なのは確実なのだ。

そんな相手との面識なんて、今の私の立ち位置で普通に考えればデメリットばかり。

友人の父親といった関係上必要以上の警戒は裏目に出るだろうが、それでも完全に警戒を解いて良い相手ではない。

 

少しでも情報を収集するために、「お祝いの場を荒らした事には変わりありませんからね」なんて言って、ちょっと気にしている風を装えば、袖子さんは剣崎さんが悪い事をやっていたのは間違いない、燐ちゃんは大恩人といった色んな事を口走ってくれ始めた。

私の真意には全く気が付いていないのは助かるが、ここまであっさり騙されてくれると逆に申し訳なさが湧き上がってきた。

 

そんな良心の呵責に負け、私は早々に袖子さんに制止を掛ける。

 

 

「ま、まあ、お互い気にしてないなら、もう仲直りで良いんじゃないですかね?」

「うぅ、燐ちゃんが大人だぁ……」

 

 

表情を変化させなければ鋭いように見える目元をだらしなく下げて、ふにゃふにゃと脱力した袖子さんが安堵のような深い溜息を吐く。

 

それからもう一度、彼女は私を見た。

酷く大人びた表情で、目を細めて、微笑んで、じっと私を直視する。

きっと、この学校で私以外に向けられないあまりに綺麗なその表情に息が詰まった。

 

 

「……ありがとね燐ちゃん。感謝の言葉なんていくら言っても足りないけど、本当にありがとう……私のパパを救ってくれて、本当にありがとう……」

「…………むぐぅ」

 

 

卑怯だ。

こうして正面から感謝の言葉を伝えられると、こそばゆさを感じて潰れたような声を出してしまう。

称賛も何もいらないと思っていたが、やっぱり褒められると嬉しいのは変わりない。

自分でも自分が照れているのが分かってしまうくらい動揺して、じっと視線を逸らさない袖子さんから顔を背けた。

 

 

「ま、まあ、きっと袖子さんが私の立場でも同じような行動しましたよ。流石に友達の……お父さんに危険が迫っているのを目の前で目の当りにしたら、動かないなんて出来ませんって」

「えへー。あ、でもね燐ちゃん。詳しい説明は後でするんだけど、剣崎さんの事も悪く思わないであげて欲しいんだ。色んな事情があって、どうしようもなくて、ああやって行動に移すしかなかったから……その、燐ちゃんが未然にパパを助けてくれたから言える事ではあると思うんだけど、今の私は小さな頃から世話してくれてた剣崎さんを恨めないし……」

「その、別に私から直接あの人に思うことはありません。被害者であった袖子さん達が別にそれで良いと言うのなら、私からとやかく言うつもりは無いです」

 

 

警察における最上層部である彼らの関係をどうこうしようと言う気にはならないし、私に被害が及ぶようなものでも無いのでそこに深く関わるつもりは無いのだ。

 

そっと周囲からの注目が無くなっている事を確認した私は、声を小さくする。

 

 

「あの場所で剣崎さんと言い争いみたいなことをしましたが、私は別に個人的に好き嫌いを持つほど関わりがある訳でも無いです。そもそも事件化しても無いですし、一般人の私が出しゃばる余地はありません」

「そっか……ありがとう燐ちゃん」

 

 

再びお礼を言われてしまう。

なんだか今日はお礼ばかり言われている、こそばゆいし調子が狂う。

 

私は何とか話題を逸らそうと苦し紛れに話を切り出した。

 

 

「そ、そんな事よりも、この後一学期の確認テストが控えてますけど、袖子さんはちゃんと勉強したんですか? 袖子さんってそそっかしいからそういう事前の対策や準備を忘れそうですし、何なら夏休みの課題すら忘れてそうって思うんですけど」

「……テスト……? 課題? 何かあったっけ……?」

「あっ……」

 

 

袖子さんの反応に色んなことを察してしまう。

袖子さんの置かれた状況を理解して、関係ない筈の私が冷や汗を掻き始めた。

 

 

「夏休み前に色んな課題の説明されたじゃないですか。いくら袖子さんのお父さんが偉い人でも、特例で課題が無いなんてこと無いでしょうし、先生が説明した時袖子さんが教室にいたの私覚えてますよ?」

「あっ……」

 

 

ポカン、と口を開けたなんでも簡単にこなしそうな和風美人。

何かを思い出したのか、じわじわと顔色を悪くしていくその姿は、欠点の無い彼女の風貌には到底似つかわしくない。

次第に涙目になった彼女は震える声で「パパに怒られる……」と言うと、ガシリと私の両肩にしがみ付いてきた。

 

 

「り、り、燐ちゃんっ、どうしようっ……!! わ、忘れてたっ……!!! 何一つやってないよ!!」

「……えー……なんか、その、その完璧超人ですみたいな風貌でそんな弱弱しい態度されると、受け取る情報がごちゃごちゃになって困るんだけど……せめて前のギャルギャルしい姿だったら……」

「そんなのどうでも良いよ! どどど、どうしようっ……わ、私、なんの課題もやってないっ……!!」

「私もまさか、勉学に力を入れてるこの学校の生徒で課題忘れをする人がいるとは思わなかったです」

「お願いっ、助けて燐ちゃんっ!!」

「私を何だと思ってるんですか……時間を巻き戻したりとか出来ませんから地道に課題を終わらせるしかないですよ? まったく……確認テストは袖子さんの馬鹿みたいな記憶力を信じるとして、成績に大きく関わる課題に手を付けていきましょう」

 

 

泣きつく袖子さんを引きはがしながら、あれだけ忙しなかった夏休みが終わったことを改めて実感する。

お兄ちゃんを狙った襲撃事件から始まった一連の騒動の終息と、再びやって来たドタバタとした私の学校生活の始まりに、自然と笑みがこぼれるのを自覚した。

 

 

――――これまで本当に色々あった。

 

神楽坂さんと初めて出会ったあのバスジャックの事件。

それまでは考えたことも無かった誰かとの協力。

異能の力を使わないで、築き上げた学校生活。

 

妹の友達を助けたことで、家に同居人が増えた事。

仲の悪かった兄との関係修復が進み、笑いながら談笑する関係になった事。

しっかりとした意思疎通が取れず、じれったい妹とのやり取りも。

 

色んな人との関わりがあって、間違いなく私自身の心も体も変化した。

 

 

(……なんでこんな事を、とか思っていたけど。全部私の積み重ねてきたもので、今思うと悪いものばかりじゃなかった。私の糧になったものは多くある)

 

 

それらを改めて思い返して思うのだ、やっぱり私はこの高校生活が好きなのだと。

そんな普通の事を、今更ながら私は自覚した。

 

だからこそ、この一分一秒を噛み締めながら過ごしていく事が大切なのだ、そう思った。

 

取り敢えず、休み明け初日に課題の提出は無い筈だから、と。

これから控えている確認テストそっちのけで、慌てふためく袖子さんが忘れ去っていた課題を消化するための準備を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 




これにて長く続いてきた一部最後の間章も終了となります!

二部一章の開始がいつになるかは分かりませんが、気長にお待ちいただけると嬉しいです!
また、これまで登場した異能についてのまとめメモをまた投稿したいと思いますので、苦手な方はご注意下さい!

ここまでお付き合い下さり本当にありがとうございました!


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番外Ⅱ
サトリちゃんメモ『異能詳細まとめ』2


5章から7章までのに登場した異能の詳細になります。
これまでの話に登場していないようなネタバレはありませんが、こういった詳細が苦手な方はご注意ください!


 

 

 

 

過去遭遇し記載した異能でさらに追記事項がある場合、分かりやすいよう再度記載をする。

 

 

※ ランク分け方法

D,C,B,A,Sの五段階での出力強度の識別

D-自己の体のみ

C-自己の体に接するものに影響を与える

B-五感範囲内へ異能の干渉が可能

A-五感範囲よりも遠くへの干渉、探知等が可能

S-異能の干渉範囲が都市を越え、海を越えるほどに長大な場合

 

4,3,2,1,0の五段階の他への優位性、又は戦力値

4-他者へ害を及ぼし得ない力

3-単体としての脅威は低く、受ける被害が少ない力

2-脅威性が高く、容易く他者の命を奪える力

1-非常に凶悪な性能を誇り、集団に対して一方的な殺生が可能な力

0-あらゆる方法であっても抵抗が不可能に近い力

 

例.手に触れた相手の生命力を奪う異能…C2 といった段階分けである。

 

 

File2 紫煙霧散(追加記載あり)

分類:U型 ランク:C2 所持者:『紫龍』

自身が発生させた煙を増減させることが可能。自分自身を煙に紛れ込ませ移動する他、煙に触れている物を煙の中へ引きずり込み運ぶことができる。煙に収納できる物の量は条件は付くがほぼ無限。煙に引きずり込まれたものは物理的に触れることはできず、また異能所持者が発生させた煙は意識を失うなどしない限り継続される。またこの者が発生させる煙は水分を含んだ物の為、小麦粉を周囲に撒くことで一時的に無力化が可能。

 

追記 発生させた煙へ生物の収納が可能な他、異能の出力を弾くような特殊事例を除き、異能によって作成された知性体(物質化した影の生物)も関係なく収納、無力化が可能。煙に収納された者が異能持ちであっても、内部から異能を行使することは出来ず、収納された状態ではこの異能所持者以外があらゆる外部事象を把握することは出来ない。

 

 

File11 衝積撃発

分類:N型 ランク:C1 所持者:レムリア

体に触れた物理衝撃を吸収、蓄積し、溜め込んだ衝撃に指向性を定めて放出する異能。これまで蓄積されている衝撃は文字通り星を割る程のものであり、最悪この異能一つで世界を破滅させることが出来ると思慮される。吸収できる物理衝撃に限界は無いものの、爆炎と言った単純な衝撃以外のものであれば吸収の枠から外れ、異能所持者に害を与えることは可能。破壊力が高く、一対多における優位性も高い強力な異能ではあるが、死角も多く攻略は容易な異能。なお、この異能所持者の場合は下記事情により例外となる。

 

File12 強制置換

分類:N型 ランク:C2 所持者:レムリア

有機物無機物問わず対象として瞬間的に座標位置を入れ替える異能。転移が可能なのは視界範囲程度で、置換するモノの大きさや重さはまったく影響を受けない。転移系統としては特段珍しくも無い異能ではあるが、この異能所持者は類を見ない二種類の異能を所持する人物であり、上記『衝積撃発』の異能と合わせるとその凶悪性は飛躍的に上昇する。また、『異相転移』とは異なり、異能の出力は実際に置換する瞬間になるまで発生しない為、直前まで発動される場所やモノは察知できない。

 

File13 鉄鋼精製

分類:U型 ランク:D2 所持者:ロラン・アドラー

鉄や鋼に類する合金の製造、変形を行える異能。既存の兵器の大量生産が行えるため、現代社会の兵器生産に関しての能力だけで見れば、現在の世界の均衡を崩せる有用な異能ではある。さらに、銃弾を目標の体内に存在する鉄分を目印にして誘導する事で、狙撃を必中とすることも可能。しかし、対人、対異能に向いた異能ではない、生産的な性質を持つ異能のため直接的な危険性は薄いと思われる。また、この異能所持者は自身の異能の出力を込めた鉄紛を標的に振りかける事で、より目立つ目印の付与も出来るようにと工夫を凝らしていた。

 

File14  偽影塵障

分類:N型 ランク:S1 所持者:グウェン・ヴィンランド

影の増殖や物質化、あるいは影から影へと対象を転移させる特性を持つ異能。物質化した影の正確な硬度は不明だが、持ち運べるような火器での破壊は不可能。影を用いた異能ではあるが、この異能によって支配下に置かれた影は本来の性質とは違い、人の生命活動や電波を阻害といった性質を持つようになる。また異能の所有者は影で他人を転移させるのをあまり使い慣れていなかったためか、日本への移動の際以外での使用は認められなかった。また、影を物質化させ生物を模倣させることで単純な目的を付与することも出来る。

 

File15  液状変性

分類:N型 ランク:D1 所持者:和泉雅

自身の肉体のみという小さな異能の効果範囲に反して、あらゆる液体に変性するという特性を持った凶悪な異能。確認したものだけでも酸性や発火性、超純水など危険性の高いものは数多くあるが、何よりも特筆するべきはこの世には無い、異能の出力を弾く性質を持った液体にさえ変性できる点。これによりほぼ全ての異能に対して有利を取れており、対策をされなければ対異能において最強に近い性能を持っていると思われる。また、液体状になった体を分裂させることも可能であり、自分の体の一部(今回は指)を分身体に含ませることで知性を付与させることが可能。さらには『標的の身体部位を吸収する』条件でその対象への擬態が可能であり、この異能の所持者は『File16 製肉造骨』の協力の元、その力を利用して多くの著名人へ成り替わりを行っていた。

 

File16 製肉造骨

分類:N型 ランク:B1

肉、骨、血、臓器。あらゆる生物を構成している物質を複製、増殖、変形、縮小させることが出来る神域の異能。この異能に掛かれば治療できない病や怪我は存在しないと思われる。また、性能の面から見れば生物の複製を作り出すことも可能のようだが、この異能所持者はその様な使用はしなかったようである。治療行為だけでなく、視認した対象の肉体にも作用させることが可能な事から、一瞬で対象の心臓を止める事も可能であり、対人戦において無類の強さを誇る。自身の肉体を変異させての巨人化も可能であり、有する異能の出力から逆算した結果、100mを越える巨大化も考えられる。

 

 

File1 精神干渉(追加記載あり)

分類:N型 ランク:B3→A3 所持者:佐取燐香

知性が存在する生命体全てが対象となる。思考や感情を読み取り、やり方次第では相手に違和感を感じさせないまま思考の方向性を誘導、または誤認させることが出来る。表面心理を読み取るまでは相手に後遺症を残さないが、深層心理を無理やり読み取ると、異能を受けた相手は思ったことを思わず口にしやすくなるなどの後遺症が残る場合がある。

 

追記 異能の出力、効果範囲の増大に伴いランクを変更。さらにFile0-1マキナの戦力も複合して考慮する事は困難のため、ここでのランク付けは所持者が使用する異能のみとする。下記に使用する技術を書き出す。

 

1 読心

この異能の基本。対象の思考、感情、深層心理を読み取る。基本的に記憶を見ることは出来ないが、対象の思考を誘導して無理やり過去の光景を思い出させた場合は断片的に記憶を覗くことは出来る。

 

2 思考誘導

異能の起点を「相手に置く場合」と「自分に置く場合」の二つがある。「自分に置く場合」は基本的に周囲全体に対し自身への認識阻害を起こす必要がある時、自身を録画する映像自体を誤認させる必要がある時に使用。「相手に置く場合」は特定の相手の知性に直接変化を与える必要がある時に使用する。位置の誤認、感覚の麻痺、価値観の変動等がこれに当たる。なお、完全に相手の認識全てを掌握した状態が末期状態と呼ばれるもの。末期状態こそがこの異能の真価である。

 

3 感情波(ブレインシェイカー)

身体から発生させた音を介して対象に強烈な感情の揺れを発生させる技術。対象を昏倒させる目的の他、空気に異能の出力を放出する技術の為、異能による無差別範囲干渉に対する防御手段としても使用することがある。異能による非物理的な攻撃手段の為、対象が音を知覚できる状態であれば有効。

 

4 精神破砕(ソウルシュレッダー)

精神干渉の異能を破壊方面に特化させ、超高出力の異能の刃として手に纏わせる技術。この状態の手で直接知性体に触れれば数秒も要さず相手を再起不能の廃人にして、異能の現象に対して触れれば容易くそれを裁断する最も危険な技。効果に反して異能の出力を放出する訳ではなく高速で循環させているため、所持者の消耗は比較的少ない。

 

 

 

 

File0-1 マキナ

分類:なし ランク:不明(変動するため)

『File1精神干渉』(以降Aと呼称)の異能によって生み出されたインターネットの知性体。異能を使うものの異能持ちという括りには入らず、Aの影響を大きく受けるためランクは不明とする例外中の例外。インターネットに自己意識の枠組みを、電力を手足としてあらゆる機器への干渉を可能とする。溜め込まれた膨大な異能の力を利用して、インターネットに接続されている物、あるいは電力を介して出力機とした機器から周辺にいる知性体を対象にして、Aの力を振るう事が出来る。また、その異能の出力はAの全盛期時のものに近く、知性を有するものの、情報処理能力は機械のそれであり、読心を行えずとも正確に対象を末期状態に陥れる事が可能(このやり方で異能の出力を弾く外皮を持っていた敵を破壊した)。弱点はAの所持者に逆らえないように設定されている事。

 

File0-2 

分類:なし ランク:不明

空に鎮座し今は起動状態にない。

 



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Ⅱ‐Ⅰ
移り行く環境


お待たせしました、遅くなりましたがここから二部一章となります!

色々と忙しいのでこれからもそこまで早くは投稿できないと思いますが、頑張って書き続けますので、気長にお付き合い頂けたら嬉しいです!
どうかこれからもよろしくお願いします!!



 

 

 

 

 多くの人が行き交うスクランブル交差点。

 立ち並んだ高層ビルの窓が日差しを反射させ、人々が歩くアスファルトを焦がしている。

 そんな雑踏の頭上、とあるビルの上層部に設置された大型のモニターから流れている映像は、今現在放送されているとある番組のものだ。

 

 世間的に非常に注目度の高いとある事柄が大きく関わる番組のために、いつもは広告を流すために使われる大型モニターを使用して特別に放映を行っていた。

 

 当然、その内容は『異能』と言う、これまでの常識を一変させる現象についての番組。

 通りすがりの多くの人もその番組に興味があるのか、急ぎ足に交差点を渡っていた人や携帯を片手に歩いていた人が、頭上で流れるその映像を目にして足を止めている。

 

 番組に出演している人物が口を開く。

 

 

「今世間を大いに騒がせている非科学的な現象。前置きが必要ないくらい有名となったこの事象ですが、改めて考え直してみても、私はこれまでこのような機能が備わっている人がいるとは想像もしませんでしたね。本日ゲスト、女優の神崎未来さん、早速ですがご意見をお聞かせください」

「……はい、私も日々変動する情勢に混乱する気持ちでいっぱいです。非科学的な力を扱う才能を持った一部の人間が、これまで表に出てこなかった事への疑問やその力に私達はどう向き合っていくべきなのかを、毎日の報道に注目しながら考えています」

「そうですよね。テレビの前の皆様の意見も、神崎さんがおっしゃられたのと同じだと思います。皆様が日々の報道によって感じている不安をこの番組の討論で少しでも解消できることを願っています」

 

 

 そして、その番組に出演する人達も、統一性はともかくとして非常に知名度のある豪華な人物達で彩られている。

 ベテラン司会者に人気絶頂の大女優、政府の重鎮やこの件に関する警察の代表、その他各方面の専門家を称する者達。

 今は顔を見ない方が珍しい女優はともかく、討論が中心となるこの場ではこれ以上ない顔揃えだ。

 

 求められている役回りを理解しているのだろう、女優の女性が期待通りの発言をした事で司会者がスムーズに話の流れを回していく。

 

 

「――――それでは始めていきましょう。先日施行された非科学的な力の基本規定を踏まえまして、阿井田博文(あいだ ひろふみ)議員のお考えをお聞かせくださいますか?」

「はい、えーそうですね。個人が所有する才能の一部とも取れる今回のような力の規定については大変難しいところがございまして。人権を配意するのは大前提として、しかしながら、少なくない制約を課さなければ無尽蔵に犯罪を、えー……犯す人物が出て来てしまう危険性が残ってしまう、そんな板挟みの状態でありまして。我々としては大変、慎重な線引きを迫られることとなりました。はい。当然今回の規定は初めての試みでありまして、後々修正等を行う必要があるとは思いますが、少なくとも非科学的な才能を持つ人物が迫害されるようなことが無いよう法整備をして、このような才能を持つ人物の安全を確保し、同時に国での保護を行い、協力を得て、発生する犯罪や暴力に対応していく形になると思います。また、非科学的な才能を使った犯罪に対しても、これまでの一般的な価値観に基づき通常の犯罪行為と同様の刑罰を科す方向で現在も議論を進めております」

 

 

 そんな風に、目が開いているのか閉じているのか分からない初老の男性が、司会者の女性から投げかけられた質問に対して長々とした返答を行っていた。

 

 阿井田博文。

 彼は司会者に議員と呼ばれた通り、政界に携わる者として非常に高名で、度々こうしたテレビ番組などにも出演している者だ。

 高い知名度と支持を得ており、相応以上の政治手腕を持つ人物だが、同業者からはいやらしいと評される程、追及を躱すのも行うのも得意としている。

 

 当然、今回の質問内容に対しての返答もいささかズレがある事はこのスタジオにいる全員が理解しているだろうが、敵に回すことを恐れて誰も追及しようとはしない。

 公平中立ありのままの報道とは程遠い、忖度や配慮、あるいは事前の示し合わせを含んだこの場では見せかけ以上の討論は起こり得ないのだ。

 

 だが、司会者や招かれた多くのゲストは熱心に頷き相槌を打つ中、彼らとは正反対に、実際に警視庁でこの件の実務を取り仕切る立場にいる女性は外用の笑顔を顔に張り付けたまま微動だにしていなかった。

 

 それに気が付いたのか、話の矛先が女性に向けられる。

 

 

「それでは現在警視庁で非科学的な力による犯罪を取り締まる立場である警視庁公安部特務対策第一課課長であり、現在知らない人はいないであろう非科学的な力を実際に所有する時の人、飛禅飛鳥さん。ご意見をお聞かせください」

「はい☆ まず非科学的な才能を持つ私達の保護を明文化してくれた事は非常に感謝しています☆ これで不要な迫害を受ける可能性が減りますし、既定にある通り危害を受けた場合は非科学的な力の行使が認められているので反撃できないということもない、塩梅としては絶妙だと考えております☆ 同時に、取り締まる警察の立場からも、非科学的な力を使用した犯罪の立証に対してある程度の許容性を示していただけたことで対応のしやすさが増しました、法整備を進めている他国との足並みを揃える必要はあると思いますが、我が国はこのような方向性を堅持していただけると嬉しいです☆」

 

 

 きっといつものこの女性を知る人が見れば普段通りの様子に頭を抱え、そして、この女性らしからぬ組織人としての発言に目を剥くかもしれない。

 

 ニコニコと、自分の外見を最大限に理解し活用した笑顔を振り撒いて、飛鳥はスタジオの空気を堅苦しいものから柔らかいものへと強制的に変化させる。

 対面に座っていた阿井田議員は当然として、ベテランの司会者さえも、思わず飛鳥の笑顔に釣られて笑顔になりかけ、慌てて口元を引き締め直していた。

 

 重苦しく真面目な討論がテーマのこの番組において、笑顔は出来るだけ避けるべきものだからだ。

 そんな番組の収録スタジオで、思わず人を笑顔にさせてしまう飛鳥にはきっとその道の才能があるのだろう。

 普通のバラエティ番組ならともかく、このような真面目な討論番組において飛鳥のような人物はかなりの要注意人物だ。

 

 改めて気を引き締め直した司会者が、慌てて次の話題を読み上げに入っていく。

 そんな進行で日本全国多くの人達が見守る中、今現在何よりも注目が集まっている事象に関する放送が続けられていた。

 

 

 

 

 

 

 世間は今、非科学的な力に関する話題が非常に盛り上がりを見せている。

 

 飛禅飛鳥、神薙隆一郎、それからICPOによる公式会見。

 多くの人々を救出した事象も、多くの人々を殺めた事象も、何より世界各地で起きていた超常的な犯罪事件を国際組織や国家が認める動きをしたことで、急速に世間に認知が進んだ結果、その様に世界情勢が動いたのだ。

 

 それは退屈な科学と言う理論で、照らすことが出来ていない未知の領域の話。

 魔法のような、幻想のような、超常のような、神様のような、説明できない現象。

 人々の興味、興奮を引き出すだけの素材を秘めたこれらの現象は、世論だけでなく腰の重かった各国の政府まで大きく動かす事態となっていた。

 

 その様な情勢に合わせて練られたのが今回の番組だ。

 全国放送されているこの番組『徹底討論 今話題の核心に迫る!』は、昼食時に放送されている人気の番組。

 

 この番組はタイトルの通り、世間で話題になっているものに関する知識人や関係者を呼び討論をするだけの単純な番組形式を採用している。

 今週の回は異能という、取り上げる話題の世間からの注目度を考慮し、計画になかった放送を無理やり割り込ませた形なのだが、それでもこれまでの視聴率とは比にならない程高い。

 事前から番組スタッフたちが諸手を上げて喜ぶような注目度だったが、録画である渦中のスタジオに呼ばれた者達はそんなことは露知らず、盛大に火花を散らしていた。

 

 

『ですからっ、実際に非科学的な力の行使によって多くの犠牲者が出ている訳ですから、さらに強い制約を課すのは当然ではないですか!? 人権どうこう言うよりも、誰が容易く他人を害せる力を持っているか分からない現状、強力な抑止力が必要なのは目に見えています!』

『強力な抑止力ってどんなものですか? 非科学的な力を使ったら懲役刑だとかそういう話になるんですか? そんなことをして目に見えた差別、抑圧をした結果どうなるか考えられないんですか?』

『だいたい、飛禅さんはともかくとしてこの現象を扱う人間は倫理観が欠けた者が多い。良い事をしたと言う事例は飛禅さんの件しか聞かないのに、現象を用いた犯罪がこれだけあるとは……』

『この現象に迎合するのではなく、早期に原理解明や対策となる技術の確立を目指していくべきだろう。例えば非科学的な現象を抑え込む装置のようなものをだね……』

『それよりも、まずはこの現象を扱える人間を識別する術を見付けなければ、世間は疑心暗鬼になりかねませんよ。これまで親しく接してきた隣人を、実は容易く他人を害しえる力を持っているのでは、なんて考えたくない』

『大体政府や警察はこの一件をどうしてもっと早期に見つけ出すことが――――』

『組織としての体制に問題があるのでは――――』

 

 

 そんな統一性も無い意見が飛び交う。

 それぞれの主義主張をぶつけ合い、激しく討論を交わす番組の放送。

 

 それがここ、老舗の定食屋のテレビ画面でも同様に流されていた。

 隠れた名店であるこの店の昼時は、いつも通り席の半分ほどが埋まる賑わいを見せており、その中に普段の常連客ではない三人組が座敷に腰を下ろしている。

 

 ちぐはぐな三人組。

 30近いだろう目付きの鋭い男性と、室内なのに帽子を外さず普段は掛けない黒縁眼鏡を掛けた女性、そして背の小さい中学生くらいの女子といった、奇妙な集まりだ。

 きっと近くを歩いていれば気になって視線で追うような集団だろう。

 

 だが、今は特に彼らの周囲の人達は興味が沸かないのか注目する素振りは一切見せない。

 店員も普通の客としての対応を行ってはいても、それ以上の干渉しようとはしないのだ。

 誰にも注目されないなんていうソレが、まさか今世間を騒がせている非科学的な力だなんて、きっとその三人組以外は考えすらしないだろう。

 

 

「あ、燐香お水のお代わり要るわよね? ――――店員さーん☆ お冷のピッチャーとかありませんかぁ?」

「……自分が出演する番組がお店のテレビで流れているのにいつも通りの面の皮。神楽坂さん、私やっぱり飛鳥さんは大物だと思うんですけど」

「飛禅のメンタルが頑強なのは今に始まった事じゃない。それよりも俺はいつの間にか改善されていた飛禅と佐取の仲に驚いているんだが……この前まで最悪とは言えなくとも良くはなかった記憶が……」

 

 

 そんな番組の放送や常連客達の賑わいを余所に、いつもの三人組は約束していた定食屋での会話を楽しんでいた。

 

 注文していた食事が並べられ、やけに距離が近い帽子と眼鏡を付けたままの女性を押し返しながら、三人組の中でも頭一つ背の小さな女子がコホンと咳払いする。

 

 

「では、改めて……神楽坂さんの出世と飛鳥さんの賄賂を疑うような大出世を祝いましょうか」

 

 

 「かんぱーい」と、何故だか酷く苦々しそうな面々を無視した少女の元気な挨拶が小さく響いた。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 そんな私達三人組の会話は開幕から盛り上がりを見せ、徐々に激しさが増していっていた。

 提供された料理に舌鼓を打ちつつ、会話は最近あった小話から愚痴や不満へと変遷していく。

 未成年の私がいるからと配慮してお酒も入っていない筈なのに、色々と思う所のあった大人げない二人(主に女性)の絡みが私に襲い掛かってきているのだ。

 

 

「アンタは良いわよね! まったくっ! これっぽっちもっ!! 世の中の騒ぎに巻き込まれてないんだもん! このっ、ふてぶてしい死んだ目のアホ顔晒してっ! 神楽坂先輩はアンタが押し付けた功績を今頃評価されて出世、私はあのスライムが居なくなった席に誰も座りたがらなかったから押し付けられて異例の出世! 字面はめでたくても実情は厄介ごと塗れなんだからね!? ちょっと、分かってるの!?」

「あぶぷぷぷ、ちょ、ちょっと飛鳥さん! ほっぺをサワサワしないで下さい! 大体、お二人の境遇には……まあ同情しないことも無いですが、冷遇されるよりは良いんじゃないですかね? 今は大変ですけど、きっとほとぼりが冷めれば良いところだけが残りますよ! へへへ……」

「なんだろう、間違ったことは言ってないしそうなる可能性が高いんだろうけど腹立つわね……ちょっとウチに泊まりに来なさいよ。抱き枕にしてやるから」

「あ、あっ、さ、さっきから飛鳥さん、なんでそんなに変なテンションなんですか!? ちょっと、お酒飲んでないですよね!?」

 

 

 とか。

 

 

「……今更になって君の主張は正しかったなんて言われてもな。“紫龍”も“千手”も俺は何もしちゃいないのに、これからの働きに期待して出世させるだと……? きっと、見ようともしない奴らにはこれからだって何にも見えやしないだろうな」

「わー、神楽坂さんの本格的な愚痴って初めて聞いた気がします。飛鳥さんもですけど、ここまで神楽坂さんにストレスを掛ける社会って怖いですね。私大人になるのが怖くなってきました」

「佐取はきっと上手くやれるさ。君の、自分の主張を曲げないながらも状況に応じて柔軟に対応できる手腕はこれまで俺が見て来た誰よりも長けている。能力の高さも相まって、どんな環境になったとしてもやっていけるだろう。俺が保証する」

「……突然、普通に褒められると照れます……」

「まあ、ちょっと抜けてるところはあったりするが、それが無かったら無かったでアレだからな。うん、今くらいが丁度良いと俺は思う」

 

 

 とか。

 

 

「やっぱりここの料理美味しいです☆ 神楽坂せんぱぁい、好きなだけ食べて良いんですよね?」

「あむあむ……おいしい! サクッジュワッぷりぷりのエビカツおいしいです! 私に黙ってこんなところを通い詰めていただなんて卑劣なっ……!! 今度桐佳達も連れて食べに来てやります!」

「まあ、元々大食漢を連れて来ると覚悟していたからな。これまでの迷惑を掛けた分もある、今日は好きなだけ食べてくれ」

「わーい☆」

「わー……え? 私今飛鳥さんと同じ大食漢扱いされました? え? い、いや、私そんなに食べるタイプじゃないんですけど? 冗談ですよね神楽坂さん!?」

「そうだな、ちょっと言い間違えたかもしれないな」

「今、大人の対応されましたっ!?」

 

 

 ――――なんて、そんな会話を私達はしていた。

 

 こうした世間話のようなものをしていて、私はやっぱり気心が知れた関係の二人とこうして集まるのは良いものだと改めて思うのだ。

 

 前々から約束していたこの食事会。

 神薙隆一郎の一件以降、ようやくこうして集まることが出来た訳だが、実のところ、予定を合わせ、実行に移すまでに実に数か月を要した。

 異能が表沙汰になるとともに、これまでの功績その他諸々が再評価され、彼らの日常が大きく変わることになったのだ。

 中々合わない予定に何度やきもきさせられたのかは思い出したくもないが、夏休みが終わったばかりだと思っていたのに、気が付けばもう肌寒い時期に入ってしまった訳だ。

 

 同時にこの期間、マキナが大きく異能を使用する機会が無かった。

 つまり不気味なくらい平穏で、マキナに溜め込む異能の出力がすっかり元通り近くまで回復してしまっている。

 

 ここまで平穏だと、それはそれで気味が悪いが…………うんまあ、そんなのは私が考えるべき事じゃない。

 今私がするべきなのは、楽しみにしていたこの約束の場をしっかりと楽しむ事だろうと思う。

 

 

「……それにしても、やっぱり飛禅と佐取の仲は改善されていたのか……なんだか、色々と気になる所はあるが……まあ、仲が良い事は何よりだからな」

「何言ってるんですか神楽坂せんぱぁい、私と燐香ちゃんは昔から仲良しですよぉ☆」

「え? あれだけさんざん私の事を敵視しててそれはちょっと……」

「え……き、気にしてるの?」

 

 

 調子よく口を回していた飛鳥さんが私の突っ込みに動揺した。

 ちなみに私は意外と記憶力が良いので、嫌なことをされると結構先まで覚えて根に持つタイプだ。

 

 

「……別に気にしてないですけど、まあ、最初は何でこんなに嫌われてるんだろうって不安になって、ちょっと飛鳥さんの事嫌いになりかけてたりしましたけど。今はそんなことないですもんね飛鳥さん」

「ちょ、ちょっと待って…………え? 嫌いになりかけてた?」

「前の話ですよ? 今はほら、色々と身を呈して助けてくれてるのでそんなことないですし、好感で相殺されていますから結構好きの部類ですけど。前の時は……ねえ?」

「ま、待って…………い、色々酷いこと言ってたわよね。ごめんなさいっ……! 燐香、あの、本当に悪かったと思ってるからっ。私、つい反抗的な態度を貴方にはしちゃうって言うか……甘えちゃうって言うか……!!」

「うぷぷ」

 

 

 飛鳥さんが急にしおらしくなった。

 飛鳥さんから向けられている感情がどんなものかはだいたい理解しているが、ここまで露骨な態度をされるとちょっと面白い。

 幼気な少女時代に現れた憧れの存在(カッコいい燐香ちゃん)に嫌われたくないという気持ちはよく分かる。

 

 それはもうよく分かる――――の、だけれど。

 

 

「にへへ……」

 

 

 自分の口の端が持ち上がっているのを自覚する。

 色んな負い目を感じているのだろう、変装用の帽子や眼鏡越しにすら分かるほど気落ちする飛鳥さんに、少しだけ私の性格の悪い嗜虐心がくすぐられた。

 

 ちょっとだけ意地悪したくなる。

 

 

「飛鳥さんってば。私は貴方の態度なんて気にしてないですよ。本当ですよ? 素直になれないなんて後悔すること無いんです。誰だって自分の気持ちに素直になって行動するのは難しいですし、もしも拒否されたらと考えて恐怖を覚えるのは人の感情として当然。だから私は貴方を責めるつもりは一切ない。これは別に私の心が広いとかそういう話ではないのよ。だって――――私に分からない事はない、そうでしょう?」

「ぇぅ……な、なんでそんな……」

 

 

 思わずからかうようにそう口にした。

 傲慢だった中学時代のような、何処か格好を付けたような所作で。

 相対した人が思わず気圧されるような、堂々とした身振り手振りを。

 

 それらの所作から繰り出される私の言葉一つひとつは、重く優しく纏わりつくように飛鳥さんに圧し掛かるのだ。

 

 碌な反論も、反抗の意思も持てないのだろう。

 ただただ気圧されるだけの飛鳥さんを、さらにからかおうとした私に対して神楽坂さんは呆れたような顔をしていた。

 

 

「……佐取、顔が怖い。善良な一般人とやらがしちゃいけない顔だ」

「!!??」

 

 

 少し弄り回そうと思って口火を切った段階で神楽坂さんからそんな指摘をされる。

 私の言葉にたじろいでいた飛鳥さんが、神楽坂さんの指摘にポカンとした私に向けて激しく肯定の頷きを見せて来た。

 

 ……別にいじめようとなんてしていないし、まだ何もやっていない未遂の段階でこんな扱いを受けるのは甚だ不本意。

 無実の主張をしたい所だが、この場は私の弁護をする者はいない違法裁判所である。

 

 

「私を悪者みたいに扱って……私は別に飛鳥さんを少しからかおうとしただけで……」

「いや、俺は別に飛禅を擁護するつもりはないし、二人の関係をとやかく言うつもりも無いが……その、俺が思った事を言っただけだから気にするな」

「その態度は余計傷付くんですけど!?」

 

 

 私の心からの叫びに神楽坂さんはそっと目を逸らす。

 その酷すぎる態度に愕然とした私に、気圧されから復帰した飛鳥さんが怒りの形相で私の両頬を抓り上げてきた。

 

 突然理不尽な痛みが無実の私に襲い掛かる。

 

 

「いひゃい!?」

「妙な威圧感を出すな馬鹿!」

「出して無いもん! 出して無いもん! 飛鳥さんが勝手に思い込んだだけだもん!」

「態度で思い込ませたんだから出してたようなもんよ!」

「あ、飛鳥さんが珍しく気落ちした態度を見せるから、つい揶揄(からか)いたくなっちゃったんですもん! 今更変な引け目なんて感じないで下さいアホ!」

「気にしてないなら最初からそう言え! こ、の、ど馬鹿!」

「待て待てお前ら暴れるな! ここで出禁になるなんてシャレにもならない! 柿崎の奴になんて言われるか分かったもんじゃないんだ!」

 

 

 隣り合っている私達がキャットファイトを始めたのを、神楽坂さんが即座に止めに入って来た。

 

 まるで犯罪者達を縛り上げるかのように反応したその速度は、まさに疾風迅雷。

 神楽坂さんはいつかのようにするりと飛鳥さんの関節を極め、私の頭をアイアンクローで締め上げる。

 痛みに悲鳴を上げた私達は抵抗も出来ないまま沈み、異能持ち二人を容易く制圧した神楽坂さんは誇ることも無く疲れたように溜息を吐いた。

 

 

「まったく……関係が良くなったと言った途端これだ。結婚もしてないのにデカい娘を二人持った気分だ……」

「だ、誰が娘ですかぁ☆ こんな暴力的な父親だったら即反抗期に入ってやります☆」

「色々準備してるんだから多少騒いでも大丈夫なのに……私頑張ってるのに……神楽坂さん酷い……」

「そんな恨めし気な目をしても駄目だ。二人とも反省しろ」

 

 

 私の抗議の声を聞き届けようともしない。

 

 もう最初の頃の優しい神楽坂さんが懐かしい。

 色々と気を遣ってくれて、優しくしてくれて、多少の悪事も笑って許してくれていた筈なのに……た、多少都合良く美化されてる気もするが、大体そんな感じだった気がする。

 

 ともかく。

 遠慮がなくなるくらい仲良くなれたと考えたら、これはこれで良いのだが……。

 

 痛みに一緒に悶えていた私達だったが、いち早く痛みから復帰した飛鳥さんが肩をさすりながら体を起こした。

 

 

「いたた……まあ、うるさくしたのは反省します。私も少々大人げなかったですしね。ところでそろそろ、下らない話は置いておいて真面目な話でもしますか……」

 

 

 今日はただ楽しむためだけのつもりだった私は飛鳥さんの話に少し驚く。

 事前に何か話したいことがあるとは言われてなかったが、何か問題でもあったのだろうか。

 

 

「私、不本意ではあるんだけどかなり上の立場になった訳だからね。色んな情報が、特に異能に関する話はよく聞くようになったのよ。それで、国外で異能犯罪がかなり増えているのと、国内でも警察が追いきれない幾つかの事件が出て来ているっていう話を聞いてね。国内での事件はどれも異能犯罪だと認定するのは時間が掛かりそうだから直ぐにどうとかは言えないんだけど、一応二人には話しておこうかなって」

「それは助かる。俺は昇進したと言っても降格前の階級に戻っただけで、積極的に異能に関わる立場ではないのは変わらないからな」

「ええ、それで神楽坂先輩の昏睡している婚約者の方を治療できる可能性がありそうな情報があればそちらもお伝えしていきます。ただ、まだそれは何も掴めていないのでまずは国内の犯罪から」

 

「えぇー……お仕事の話ですかー……」

 

 

 大人二人が小難しい話を始めてしまった。

 なんだかんだ楽しかったのに、気が付けば会話の相手がいなくなってしまう。

 せっかく仕事の合間を縫って集まることが出来たのに、こんな時でも仕事の話とは……何とも仕事好きのお二人である。

 

 手持ち無沙汰になった私が水の入ったグラスをチビチビと口を付けていれば、携帯電話に妹からのメッセージ通知が届いているのに気が付く。

 食事してくる予定があるのは伝えていたのに、今頃『何時ごろ帰れそう?』だなんて質問してきた妹に、何か買ってきて欲しいものでもあるのかと暇を利用して返信する。

 警察内部の話なんて私には縁の無いものだろうと、私のそんな感じで料理や携帯に手を付けていたが、しばらくして二人の視線が私に集中している事に気が付いた。

 

 

「……え? なんですか? もしかしてお二人も天ぷら食べたかったですか?」

「いや……佐取はどう思うかって意見を聞きたいんだが……」

「国内外に出回ってるって言う異能を開花させる薬品の噂話。それに伴う高額な商品の裏取引。大抵は何の効果も無い紛い物だけど本物はあるのかって話よ。天ぷらじゃないわよ。話聞きなさいよ馬鹿」

「うぐぅ……」

 

 

 私の意見が聞きたいとは思わなかった。

 私なんて誰かに正式に学んだ訳でも無い、自分で考えただけの異能に関する知識があるだけで特殊な経験も無いただの学生。

 立場の上がった二人が頼るような相手じゃないのに、なんて思いながら箸を置き、他ならぬ二人に請われるならと思考を巡らせた。

 

 ただの学生とは言え、幸いこの事態に関しては心当たりがある。

 どの情報を提示するべきかと思案しつつ、私は口を開いた。

 

 

「……まあ、火の無いところに煙は立たないとはいえ、これだけ世間に異能が認知され、基本的に皆が欲しがるこの技術を金銭目的で提示するなんて割とありきたりな話だとは思います。これで火元となる本物の商品が無かったとしても不思議でもなんでもないでしょう……ただ、私達は知っている筈です。例の組織が何を目的に児童誘拐を繰り返していたか。奴らの所有する異能持ちが何を使用していたか。そして、現に相坂和と言う少年の、外部の力によって開花させられた異能が存在することを。私達は知っている筈なんです」

「……ああ、そうだな」

 

 

 重々しく頷いた二人に対し、私は軽く肩を竦めながら「はっきりと言いましょう」と言う。

 

 

「私はとある情報網でお二人が言う本物がある事は確認済みです。私の方で出来る限り回収やこの国での流通が無いよう調整をしていましたが、どうやら私の情報網では中々行き届かない場所での流通は始まってしまっているようですね。国外に比べて数や被害は圧倒的に少ないとはいえ、何かしらの薬の使用によってこれまで異能の開花に至っていなかった者達が異能を開花させている事はまず間違いないでしょう」

 

 

 私の情報網は、マキナと言う名のとんでも情報通がいる今、情報屋として生計が立てれる程。

 あわよくば褒めてもらおうと私の活躍をアピールしながらも、危険のある仕事をしている二人が少しでも安全に立ち回れるよう、私なりの情報をしっかりと話していく。

 

 相槌は無いが聞いている気配のする二人に、私は続ける。

 

 

 

「どの犯罪がどう、とか。どの人物がこう、とか。そう言った詳しい事までは分かりませんが、まあ国外からそれらの薬を密輸した人物はある程度抑えてあるので、いくつか本物の商品を回収してお二人にお渡ししたいと思います。それらを元に調査を進めていただければ、多分今よりも進展はあるんじゃないですかね? あとはそうですね……密輸した人についての情報もお渡ししますので、どこから仕入れたのかも調査していけば大本の特定はできなくとも関係している組織等は分かると思います…………あれ?」

「…………」

「…………」

 

 

 気が付けば、眉間に皺を寄せた二人が視線を交わしている。

 何やら不穏な気配を醸し出す二人に、どうしたのかと一瞬悩んですぐに理由が思い当たった。

 

 二人に気を許しすぎて、ポロッと色々暴露してしまっている。

 飛鳥さんはともかく、神楽坂さんにとってはあまり聞き逃せないような内容もあった気がする。

 ぶわっ、と冷や汗を浮かべた私に神楽坂さんの窺うような視線が突き刺さった。

 

 神楽坂さんが重々しく口を開く。

 

 

「……前に、神薙隆一郎が言っていた事なんだが……」

「あの……はい」

「“顔の無い巨人”がどういう意味なのか。言える範囲で教えて欲しい……その……過去は詮索しないとは言ったが、これからも協力していくなら、な。ある程度お互いの事は知っておかないといけないと思うんだ。勿論、他言するつもりはないが……どうだろう?」

「…………はい……」

 

 

 諦めろと言うような飛鳥さんの呆れたような溜息に、私は自分が出しすぎたボロの程度を自覚した。

 これまで色んな疑いに目をつぶってきてくれた神楽坂さんだが、どうやらこれ以上説明しないのは関係を継続する上で出来ないようである。

 

 一瞬で制圧されるのを数分前に経験済みの私は、血の気を失った顔を自覚しながら二人の警察官を前に自分の隠し事を少しだけ自供していく。

 定食屋の賑わいの声とテレビから聞こえてくる異能についての討論の声が、やけに遠くに様な気がする。

 

 楽しみにしていた筈の場は、やっぱり私にとっての違法裁判所に様変わりしたようだった。

 

 

 

 

 



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小さな亀裂

 

 

 

 

 『薬師寺銀行強盗事件』と言う、被害品となる金銭の発見が終ぞ成し得なかった未解決事件。

 これは、実行を“白き神”白崎天満、立案を“液体人間”和泉雅が行った、人智を越えた異能持ち二人による共同の犯罪だった。

 

 神薙隆一郎により治療を受けると同時に自身の身に宿る異能についての話を聞いて、徐々に異能の才能を開花した白崎天満の、行き場を求めた「この新たな才能を発揮したい」と言う欲求。

 当時から警察内部に分身体を潜り込ませ、警察の捜査手腕や数多の犯罪を知った和泉雅の、「敬愛する神薙隆一郎に奉仕したい」と言う欲求。

 燻ぶり、肥大し、抑止できなくなった彼らの欲求は、科学では証明し得ない異能と言う才能を凶悪に振るう結果になった訳だ。

 

 未解決など当然だ。

 厳格に点と点を結ぶこの国の犯罪捜査では『認知暴蝕』や『液状変性』などと言う、数ある異能の中でも一際凶悪な性能を誇るそれらは到底手に負えるようなものでは無かった。

 だからこそ、年月を経ても人々の記憶に残るあまりに有名な未解決事件として名を馳せた。

 誰もが真実に辿り着けないまま、多くの月日が流れ去った。

 彼らと同じ力を持つとある少女が現れるまでは、事件の真相など犯人以外はまったく知る由も無かったのだ。

 

 少女によってこの事件は解明された――――だが、ここで疑問が残る。

 

 『薬師寺銀行強盗事件』と呼ばれる未解決事件が凶悪な性能を持った異能による犯罪であるなら、同等に扱われる他の未解決事件の正体は何なのか?

 

 犯人は一体誰なのか?

 

 異能と言う超常現象が関わる事件なのか?

 

 『薬師寺銀行強盗事件』に並ぶほど、凶悪な性能を有した異能持ちが犯人の事件なのか?

 

 そんな疑問が残る訳だ。

 

 

 その疑問に私は、佐取燐香は言おう、「それは無いだろう」と。

 

 異能が無くとも完全犯罪は可能だし、ましてや性能が低くとも異能と言う非科学的事象で物事の点と点が繋がらなければ未解決に成り得る。

 他の代表的な未解決事件に『北陸新幹線爆破事件』や『針山旅館集団殺人事件』があるが、私が産まれるよりも前の事件だったりと、私が異能で探知し得ない状況での事件だった。

 だから決して断言できる訳ではないが、それでも『認知暴蝕』や『液状変性』と言ったレベルの異能が国内で発生した他の未解決事件にも関与している可能性と比べた時。

 高度な知能犯や偶然の積み重ね、あるいは程度の低い異能の関与があって未解決になったと言う方が、ずっと可能性としては高いものだと言わざるを得ないからだ。

 

 事件の知名度と犯人の凶悪性は必ずしもイコールでは繋がらない。

 些細な動機で計画性も無いような下らない犯行であっても、条件が揃ってさえしまえば未解決と成り得るのだ。

 

 だからこそ私は、練度が低く質も悪いような異能による犯罪だろうとも、事態が混迷を極める可能性はずっと前から考えていた。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

「うむむ……燐ちゃん。過去のこの事件は超能力が関わってるのかな? 例えば透過できる力とかがあれば……」

「…………まあ、そうですね。そういう力があれば可能なんじゃないですかね」

「これなんて……はっ! 千里眼があれば被害者の動きを監視するのも可能っ……!」

「……ソウデスネー」

「……り、燐ちゃん、体調悪かったりするの……?」

「元気デスヨー」

 

 

 これまでも何度も繰り返されてきた袖子さんから繰り出される、過去の事件遡り考察を適当に受け流しつつ、私はぼんやりと虚空を眺めていた。

 私の心ここにあらずの様子が気になるのか、大和撫子状態の袖子さんはチラチラと視線を投げかけて来る。

 

 私がこんな風になっている理由は簡単だ。

 神楽坂さん達に私の悪行の一部を告白したからだ。

 

 

 過去、自分の異能に驕り昂ぶり、多くの者を洗脳していた事。

 自分に都合の良いように他人の価値観に手を加えていた事。

 その結果、“顔の無い巨人”と言う都市伝説めいた存在として噂されるようになった事。

 

 マキナや空のアレには一切触れずに前段階としてそんな過去の過ちを説明したのだが、そんなやんわりとした説明でも、神楽坂さんの表情はきつく引き締められていた。

 これからどうなるのだろうと、私は泣きそうになりながら神楽坂さんからの沙汰を待っていたのだが、結局神楽坂さんからあったのは「……もう同じ事はするなよ」という言葉だけだった。

 

 罰も何もない。

 責めるような言葉も無ければ、叱りつける事も無い。

 ただただ悲しそうに私の頭を撫でた神楽坂さんに、私は酷く心苦しくて、こうして数日経った今もぼんやりとこれまでの事を考えてしまっていた。

 

 

「燐ちゃん……な、悩みがあるなら……!」

「まーた過去の古臭い新聞広げて。今日テストがやっと終わったのに、確認の自己採点とかはしなくていいのかしらね? これだから自分は優秀だと思っている人達は嫌なのよ」

「……ちっ……また、うるさい女が来た……」

 

 

 私は屑だ。

 そんな事前々から分かっていた。

 でも、そんな自分の人間性をあの善人を絵に描いたような人には知られたくなかったのだ。

 

 せめて、この子は良い子だと、優しい子だと言ってくれたあの人の前ではそうでありたかった。

 だってそうだろう、異能によって大切な人を奪われたあの人が、異能を用いて悪事を成していた人間をどう思うかなんて火を見るよりも明らかなのだから。

 

 私は、神楽坂さんに嫌われたくなかったのだ。

 

 

「山峰、アンタは今日返されたテストの結果はどうだったのよ。私はね、まあ、取り敢えず落ち着いて勉強できるようになったから? 前のあんな結果よりもずっと上で――――」

「満点しかなかったけど、今日返されたのなんて難しい所なかったでしょ」

「――――…………そっ、そうよね! 今日のテスト別に難しくなかったもんね! あー、聞くだけ無駄だったわ! こっ、こっ、こんなテストで調子になんて乗るんじゃないわよ山峰! 誰だってこんなテスト満点取るの簡単なんだから!!」

 

 

 これはあの人が優しいか、優しくないかだなんて関係ない。

 到底受け入れられないような相手が私なのだ。

 

 これから、私の悪事を知ったあの人がどんな目で私を見るのか。

 そんなことが酷く怖かった。

 

 そんな事を思い悩んで、私はぽつりと呟く。

 

 

「はぁ……ほんと、虚勢ばっかのどうしようもない人間」

「はっ!? そ、そそそ、そんな事無いわよ!!」

「嘘ばっかり……自分すら騙せないそんな嘘じゃ、本当の事を包み隠す事なんて出来ないのにね。馬鹿みたい……」

「!!!???」

 

 

 突然近くから響く声にならない悲鳴。

 そんな悲鳴にビックリした私が、巡らせていた思考から現実に引き戻されれば、私の前には涙目でぷるぷると震えているギャル子さんがいる。

 目いっぱいに涙を溜めて、これでもかとばかりに私を睨んでいる。

 

 …………状況がまったく分からなかった。

 

 

「あ……アンタに私の何が分かるのよっ……!!」

「へ……?」

「私はお洒落で、なんでも出来てっ、凄いのよ! アンタに眼中に無いような扱いをされる人間じゃないの!!」

「え、ちょっと待って下さい、何か擦れ違いがへぷっ!!??」

 

 

 ペーン! という音と共に、私の視界が強制的に横に向けられる。

 そして頬の痛みに加え、「燐ちゃん!?」という袖子さんの悲鳴を聞いて、私はビンタされたのだと気が付いた。

 ビンタされた私が椅子から転げ落ちなかったのは偏に、神楽坂さん考案の筋力トレーニングを日々ちょっとずつ続け、体幹が鍛えられていたからに他ならないだろう。

 

 こんなところで努力の成果が表れるとは思ってもみなかった。

 当然少しも嬉しくなどない。

 痛いものは痛いのだ。

 

 頬の痛みに突き動かされ、私は反撃してやろうと勢いよく立ち上がる。

 

 ……のだが、突如として起こった喧嘩に騒然としたクラスメイト達が先生を呼びに行こうとしているのが目に入り、喧嘩両成敗とか冗談じゃないと思った私は慌てていきり立っている袖子さんとギャル子さんの間に入った。

 

 

「あ、あーもうっ! 痛いじゃないですかっ! 今回は偶々手が当たっちゃったみたいだから許しますけど、次やったら本当に許しませんからね!!」

「えっ、り、燐ちゃん!?」

「っ……!!」

 

 

 言い訳の言葉で、喧嘩じゃないと周りに広報する。

 これでわざわざ先生を呼んで来ようとはしないだろう。

 

 驚く袖子さんと息を呑んだギャル子さんに挟まれて、気分はすっかり猛獣使いだ。

 

 

「燐ちゃん、なんでこんな奴を庇って……!」

「怪我した私が文句を言うなら良いですけど袖子さんが勝手に喧嘩しないでください! 気持ちはありがたいですけど自分の喧嘩くらい自分で選びますから!」

 

 

 そこまで言って、口を噤んでいるギャル子さんを見る。

 目を白黒とさせている姿を見るに、思わず手が出てしまったと言った感じなのだろう。

 自分の一番言われたくない事を突かれて思わず体が動いてしまった、なんて、何の免罪符にもなりはしないけど、一定の理解は示してやろう。

 

 

「……ええそうですとも。私が今抱いている怒りは、私が自分なりの形で清算してやります」

 

 

 頬の痛みが引いたわけではない。

 だが、こんなことを言ったが別に怒りはそれほどなかった。

 

 さっきまで悩んでいた事がもはや彼方へと飛んで行ってしまっている。

 その時自分の悪事について考えていたせいで、頬を張られたのがまるで自分への罰になっているような気分でもあるし、なんだか変に思い詰めていた悩みが消えてありがたいまである。

 なんなら感謝の一言を言ってもいい。

 

 それに私自身が自分の事ばかり考えていて余計な独り言を言っていたのは事実だ。

 私の独り言を自分に向けられたものだと勘違いして、ギャル子さんは反応してしまったのだろう。

 私だって反省するべき点はある。

 

 まあ、それはそれとして、いつか絶対にやり返すのは既に心に誓っている。

 

 

(このチャラチャラ見栄っ張りポンコツギャル子め……何かしらで後悔させてやる)

 

「……燐ちゃん、パパみたいに大人……お前、燐ちゃんに感謝しなよ。燐ちゃんが止めなかったら制服全部剥いで吊るすつもりだったからね」

「……ちっ」

 

 

 居心地悪そうに舌打ちして、ギャル子さんは私達の前から離れていく。

 何回も何回も絡みに来て、秘密を握られているのに突っかかって来て、私にはギャル子さんの真意がよく分からない。

 とんでもないアホなのか、それとも追い詰められるのが気持ち良くなっているのか。

 表面的な感情としては、ただ気分の赴くままに絡みに来ているようだからどうにも手に負えない。

 

 

「……何なのアイツ。歓迎されてないって分からないのかな」

「きっと私達と仲良くなりたいんですよ」

 

 

 なんて思ってもいない事を口にして、私はいつもの友達のところへと戻っていくギャル子さんを見送った。

 意外にも、ギャル子さんがいつも仲良しな人達の元に戻れると、彼女達に暴力を振るった事を強く注意されている。

 

 あの集まりが常識的な価値観を持ち合わせているのは正直予想外だった。

 

 

「……燐ちゃん、頬は大丈夫? 何か冷やすの貰ってくる?」

「あー……大丈夫です。凍らせた飲み物があるので」

「この時期に凍らせた飲み物……? 燐ちゃんって、色々準備しすぎじゃない……?」

 

 

 鞄から出した冷凍した飲料を押し当てて頬を冷やす。

 幸い碌に運動していないだろうギャル子さん程度のビンタでは口も切れていないし、血も出ていない。

 多少の腫れはあるだろうが、まあ、数日程度で完治するだろうと思う。

 

 そんな風な自身の現状確認を終えた私は、ようやくこれまでのグチグチした思考に邪魔をされ聞き流していた袖子さんが広げる新聞記事に目を通した。

 

 

「それにしても……袖子さん、結構色々集めていたんですね」

「!! そ、そうなの! 超能力とか見たこと無いし、ちょっと不思議な事象が絡みそうなのを出来るだけ探して持ってきたんだけど……! どうなんだろうって、私よりも燐ちゃんの方が頭良いし、色々話を聞きたいなって……」

「私袖子さんよりも頭良いとか思った事ないですけど……ふんふん、ずいぶん昔のものからごく最近の事件もありますね。私が知らないものもあります。この前あった“連続児童誘拐事件”も入ってる……袖子さんのこの選別は掛け値なしに凄いと思いますよ」

「わーい、褒められたー!」

 

 

 袖子さんがどんな基準でこれらの記事を搔き集めたのかは知らないが、実際に異能を持っている私の目から見ても、それらしい、と思うような記事ばかりが集められている。

 特に“紫龍”が関わった“連続児童誘拐事件”の詳細はまだ一般に公表されていないから、袖子さんのお父さんが何かしらの情報を彼女に教えていない限り知る由は無い筈だ。

 ……実際に捜査している警察ではなく、まったくの素人の立場である袖子さんがここまで集めたのだから、この能力は特筆できるものだろうと思う。

 

 問題は、あくまで処理が終わってしまっていてまったく発展性の無い過去の事件を、当事者でない二人がこの場所でどう掘り下げたところで、机上の空論にしか成り得ないと言う事だ。

 

(あー…………まあ、袖子さんが求めているのは解決じゃなくて討論、考えられる幅を広げる事。なら、可能性として考えられる事を普通に話してれば良いかな……あれ?)

 

 

 過去の記事にざっと目を通した私が何か言おうと袖子さんを見れば、彼女はこれらを前提にと言うように、もう一つ丁寧にしまっていた資料を取り出した。

 

 伝わってくる気持ちを視るに、袖子さんが本当に話したかったのはこれなのだろう。

 

 

「あのね、この国の年間行方不明者数は8万人って言われてて、多少行方が分からなくなる人が出てくるのって別に普通なの。でもね、ここ最近の都市部で起きてる行方不明人は何と言うか、ちょっと変で……“連続児童誘拐事件”とはちょっと毛色が違うし、明らかに異常な失踪じゃないんだけど……」

 

 

 袖子さんは、まるで初めて作った料理を誰かに食べて貰った時のように、おそるおそる自信なさげに、それでも評価が欲しいと言うようにじっと私の様子を窺っている。

 そして、袖子さんが手作りしたと思わしきその資料に書かれた題目、内容に目を通して、私は思わず目を剥いた。

 

 理由は、その資料の質の高さに――――ではない。

 詳細な情報が載っているだとか、思ったよりも近場の事件だったとか、そういう点でもない。

 

 

(……これ……)

 

 

 既視感。

 私はこれらの事件に見覚えがあった。

 数か月、袖子さんのお父さんに向けられた毒殺計画を防いだあの時よりも少し前。

 未来予知系統の異能を持つ、遠見江良という女性の力で予知したいくつかの大事件。

 

 

(……江良さんに予知してもらったのは、あの人に負担が無いよう世間を騒がせるほどの大事件に限定させたものだった。でも、今のこれらは取り立てて大きな話題になっていない失踪ばかり。今現在、予知と出来事には明確なズレがある。このズレはつまり……この事件はもっと大きな事件に変貌していくっていう……)

 

「……り、燐ちゃん? 何か変なところあった……?」

 

 

 私が補助して江良さんに実行して貰った未来予知は不完全なものだった。

 明確な詳細も、詳しい日時や場所、犯人だって分かるようなものでは無い。

 単なる字で事件の題目を並べられ、どのような犯罪が行われたのかを簡単に知るしかなかったのだ。

 つまり、“警視総監毒殺事件”のような、はっきりとした標的があるようなもの以外を未然に防ぐのは難しい未来予知だった訳だ。

 

 それでも。

 そんな淡白な情報群の中でも、未来予知して貰った、いくつか数のあった大事件の中で、この失踪事件の異様さは特に記憶に残っている。

 

 だって、江良さんから知らされたこの事件名。

 “無差別人間コレクション事件”だなんて事件名、事件の詳細を知らなかったとしてもあまりに悍ましいと思うだろう。

 

 

 

 

 



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異なる能の使い方

 

 

 

 

 人通りの多い夕方近い頃、最新式のビルが立ち並ぶ道を癖毛で細身の女性が歩く。

 久方ぶりの丸一日休暇だというのに、その女性は人ごみに紛れながらも忙しなくキョロキョロと辺りを見渡して、露骨に何かを探し続けている。

 そうして探し物が見つからない事に肩を落として、手元のカップに繋がるストローに口を付けた。

 

 

「……やっぱりこうして出歩いてみても疑わしい人にすら出会えないものっスね」

 

 

 女性、一ノ瀬和美はそんな風に一人ごちていた。

 

 私服の完全休日姿の彼女は、知る人でも無ければ警察官だなんてお堅い職業だとは思わないほど、何処にでもいるようなただの女性だ。

 言動を見れば少しアホっぽい人物だとすぐに気が付くだろうが、言葉を交わさなければ立派な女性。

 彼女の、身綺麗に整えられた服装や髪型に目を引かれている男性は多くいる。

 

 けれど異性関係に疎い彼女はそんな視線になんて気が付かず、周囲に増えて来た制服姿の若者達を見遣り表情を綻ばせていた。

 

 

「……むむむ、制服姿の若い子が増えて来たっス。そっかぁ、もう学校終わりの時間かぁ。男女で腕組んで歩いて制服デート、甘酸っぱい青春良いっスねぇ~……」

 

 

 まだ二十代前半の癖に、老人染みた事を呟いた和美は生暖かいねっとりとした目で学生達を眺めだす。

 それから、現実逃避してしまっている自分に気が付いて彼女は大きく頭を振った。

 

 

(い、いけないっス……! 何にも見つからないからってほのぼのと学生達の青春を眺めてちゃまた何にも結果を残せないままっ……!! あの飛禅のアホはいつの間にか私達の部署のトップになっちゃってるし……私も早く結果を残さないと!)

 

 

 年齢よりも若く見られる童顔をした彼女だが、彼女なりに大人としてのプライドをしっかりと持っている。

 

 次々に結果を残し、異例の出世を続けていく同期に思う所は色々とあった。

 同期が隠し持っていた超能力への妬みはあるけれど、欲しい欲しいと駄々をこねていてもどうしようもない事は和美も分かっている。

 和美としては信じ切れていないが、自分を評価してくれているらしい上司の顔を潰さない為にも、今は何とか追いすがるよう努力するしかない。

 

 

(飛禅のアホが上司みたいな位置に行っちゃったっスけど、何とかして肩を並べるっ……! そのためには一刻も早く、超能力に対する自分なりの見解を確立させる必要がある!)

 

「……とは言っても、実例が無いと実感湧かないんスよね……。この前の神楽坂さんが拉致された事件も超能力がらみだったらしいっスけど、結局実際に超能力を見ることは無かったし、病院の襲撃も暗すぎてよく分からなかったし…………結構機会はあった筈なのに、しっかりと超能力を見た事が……」

 

 

 幾ら意気込んでも土台が出来上がっていなければ結果なんて出せるものではない。

 

 実物を詳しく知らない限り、適切な理解や対応なんて夢の又夢だ。

 そう思ったからこそ、超能力という力への見聞を深めるには何より本物に遭遇することだろうと、こうしてパトロールを兼ねて街中を出歩いていたが、結果何にも遭遇しなかった。

 と言うか、神薙隆一郎の件以降、超能力の関わったと認定された事件が一件も発生していない。

 

 これでは実物を見て学ぶのも一苦労だ、なんて、そんな風にぶつぶつと文句を言っていた彼女はある引っ掛かりを覚えた。

 

 

「……あれ? …………私、見た事、ない? 本当に……?」

 

 

 そこまで口にして和美はふと思い出す。

 超能力の実例は、既に自分は目の当たりにしているのではないか、と。

 

 いつか。

 そこまで昔の話ではない。

 そう、あれは確か数か月前、自分が今と同じように自分の情けなさに必死に足掻こうとしていた時の事だ。

 

 

「……連続殺人事件の捜査で怪我した私達に、海外から、あの人達が訪ねて来た時……」

 

 

 ICPOと柿崎が会話をしていた時。

 複数台の車両が自分達目掛けて突っ込んで来たあの時。

 車両に目が行っていてICPOが何かしらの超能力を行使したのは見ていなかったが、あの車両を運転していた人達の姿はしっかりと見ることが出来たのを思い出した。

 

 

「あ」

 

 

 思い出したのは――――生気を失ったような目と感情が抜け落ちたような顔。

 

 死者にも思える状態の人達が、何の恐怖も無く車両ごと自分達目掛けて突撃してきた姿。

 あの光景を見てなによりも、自分の命の危機ではなく、自分の身さえ省みさせず彼らの命を消費する存在がいる事が何より恐ろしかったのを今更になって思い出した。

 

 

「な、なんで忘れてたんだろっ……あ、あんな怖い事っ……そうだっ、アレは確かに超能力が関わっていてっ……あんな風に他人を自由に弄べる力が超能力だった……! た、確かあれは……」

 

 

 “白き神”。

 そう呼ばれる、超能力を持つ世界的な犯罪者が仕掛けた攻撃だったと後々になって知らされた。

 

 他人の精神を操り、自分の手を汚さずに罪を重ねる最悪の相手。

 聞けば世界規模でもトップクラスに危険な人物であり、今も逮捕に至っておらず、どこで何をしているのか分からないと言う。

 あまりに悪辣で、あまりに非道で、あまりに理不尽な暴力、それが超能力。

 

 そしてそれはきっと、その人物だけではない。

 これから自分達は、そういう力を持つ犯罪者を相手にしなければならないのだと、気が付いた。

 

 恐怖がぶり返す。

 死の恐怖と超能力への恐怖とそんな非人道的な行為を簡単に行える犯罪者に対しての恐怖だ。

 街中の人通りのある道で、急に腰を抜かした和美を周りの通行人は迷惑そうに避けて歩いていく。

 真っ青な顔で、突然体を震わせ出したその姿は、事情を知らない人からすれば異様にしか見えなかった。

 

 

(なんでこれまであんなものを見て普通に過ごせていたの? なんで私はあの時死なずに助かっているの? 分からない……急に、なんで……)

 

 

 急に身近に感じたその現象の脅威に、和美は一人血の気を失い立ち止まった。

 ジワリと涙が溢れそうになり、どうすれば良いのかとぐしゃぐしゃになった思考が正気を乱して。

 

 

「……大丈夫ですか? もしかして体調が悪いですか? 動けるなら少し日陰の方に行きましょう。ほら、私の肩に手を回して」

「え……?」

 

 

 そんな和美に声が掛けられた。

 

 『異常な人間には近付かない』を常識としているのが今の世の中だ。

 それでも、見るからにおかしな行動をしていた和美の前に膝を突いて、手を差し伸べてくれた人はいた。

 

 気遣うように、優し気に掛けられた声は恐怖に苛まれていた和美の心を少しだけ落ち着かせる。

 そうして少しだけ余裕が出来た和美が、声に釣られるようにして顔を上げて、その声の主の顔を見た。

 

 

「げっ、前に会った人」

「君は…………あの時の」

 

 

 以前見た時と変わらない、死んだ目と小さな体躯。

 以前色々と迷惑を掛けた筈なのに名前すら知らないその少女。

 顔を上げて、その少女の姿を認めた和美は思わずホッと安心してしまった。

 

 そうだ、前のあの時もこの子が居たから落ち着けたんだ、なんて。

 そんな何の根拠もない事が頭を過ってしまった。

 

 物凄く嫌そうな声を上げた少女の事情など少しも考えないまま、和美はまたガバリと少女の体躯を抱き枕のように必死に抱き込んだ。

 少女の悲鳴など聞こえないかのように、酷く安心する少女の体温を求めるように強く力を入れて抱きしめる。

 

 そうすれば、少しだけ和美の気持ちは落ち着くのだ。

 

 少女の気分が捕食される小動物であるなど欠片も気が付かないまま、だったが。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 およそ数カ月ぶりの再会。

 大して親しくもない相手であり、私にとっては不倶戴天の仇だ。

 以前と同じように突如として抱きしめられた私は必死に抵抗したのだが、結局このアホの気が済むまでぎゅうぎゅうと抱きしめ続けられる結果となった。

 

 息は苦しかったし、制服はシワシワである。

 

 アホが正気に戻ってようやく解放されて、取り敢えず怒りをぶつけるにしてもと、私は力いっぱいアホの腕を引いて公園まで連れ出し、私はキレた。

 

 

「――――なんなんですか! 一体貴方はなんなんですか!? まーた私を抱き枕みたいにぎゅうぎゅうと抱き締めて! 私は癒し系クッションじゃないんですよ!! それともおかしな行動をしていた私を捕まえるための絞め技なんですか!? 絞め技だったら超有効でしたよ凄いですね! まあ完全な冤罪なんですが!!?? 私は何にも悪い事をしてないんですが!!」

「も、も、申し訳ないっス……その、本当に抱き心地が良くて……あっ、これは本当に誉め言葉で、気持ちが落ち着くっていうか!」

「はああ!? よくもまあそんな台詞を吐けましたね!? 体調が悪そうな人がいるから手を貸してあげようと思った私の親切心を返してもらえます!!??」

 

 

 怒り狂う私。

 それに対して心底申し訳なさそうにしているのは、前に警察署前で物凄い絡み方をしてきた警察組織のエース(自称)である……えっと、確か一ノ瀬和美という女性だった筈だ。

 

 プラプラとちょっとした目的を持って街中に繰り出していた私の前に、精神的に追い詰められている人が現れたから声を掛けたのだが、よりにもよってその相手は私を抱き枕か何かと思っているこの女性だった。

 

 以前“白き神”とかいうアホの攻撃にさらされ号泣しながら私を抱きしめ続けたこの女性には、性格面でも個人的に私は苦手意識があった。

 そのため、会っても話し掛ける事は無いだろうと心に決めていたのに、気が付けばこのざまだ。

 

 本当に私って親切心を出すと碌なことが無い。

 この世に神様は居ない……いや、私に優しい神様は居ないと再認識してしまう。

 

 

「ぎぎぎぎぎっ……!!」

「す、すっごい睨んでるっ……! しかも憎しみ増し増しの顔をしてるのに目は死んだままっ……! そ、それって特技っスか? あっ、そ、それに頬が赤いっスよ? 怪我してるんスか?」

「そんな事はどうでも良いんですよ!!」

 

 

 とぼけた事を言うエース(自称)にハンカチを投げつける。

 ぺちっ、とハンカチが顔に当たり慌てるエース(自称)の姿に少しだけ溜飲が下がった私は、「それで」と言って彼女の隣に座った。

 

 

「……何をあんな、体調でも悪かったんですか? 正直普通の様子じゃなかったですよ警察のエースさん」

「い、いや…………正義のエース警察官である一ノ瀬和美が追い詰められていた筈ないじゃないっスか! アレはたまたま! 立ち眩みをしてしまっていただけっスよ! 一般市民に心配を掛けるなんて私もまだまだっスねー! アッハッハ!」

「…………へー」

 

 

 こんなへたっぴな嘘は初めて見た。

 小さな頃の桐佳の嘘よりも下手くそで可愛らしさの欠片も無い、見ていてイラッとする嘘だ。

 確かに私みたいなヘンテコな子供に対して弱音なんて吐きたくないのが普通だろうが、そんな見え見えの強がりなんてして、いったい何が得られると言うのだろう。

 

 現に今も彼女の顔色は悪いし、息も荒く、膝だって震えているのだ。

 どう見ても重篤なトラウマを患った人で、精神的な不調が体の症状として現れているようにしか見えない。

 

 何がそんなにこの人のトラウマになっているのだろうと、異能を使って少し内面を探った私は違和感を覚えた。

 

 

(……あれ? あの車両が突撃してきた出来事をあまりに怖がっていてトラウマになりそうだったから、仕方なく掛けた精神的なクッションがほとんど無くなってる……? ICPOの人達がいて、異能の出力を出来るだけ調整したとは言っても勝手に消えることは無いし……あ……この人あの病院にいたんだった。あの“影”で異能の効果が薄まったのかも……)

 

 

 何にせよ、この人があの場で軽い精神崩壊を起こしていた理由が分かった。

 トラウマとなりかねないあんな経験、思い出したとすれば確かに平常ではいられないだろう。

 それは流石に少し……同情する。

 

 あれはそもそも、“白き神”の攻撃で負った心の傷があまりにも深く、エース(自称)がどうしても私を離そうとしなかったから使ったものだ。

 

 精神的な負荷を抑えるのと記憶の咄嗟のフラッシュバックを抑えるもの。

 要するに、悪い経験を思い出させないようにする技術。

 

 これはアルバイトとして行っていた精神科医の真似事の際、重宝していた異能の精神治療方面への用途だった。

 だが、しっかりと自分のトラウマを自覚してしまった状態ではもう少し本格的な使い方をしなければ処置は難しい。

 

 なら諦めて放置するべきかなんて、そんな最低な事を考えながら、そのまま何気なしに彼女の心を読んで――――

 

 

(――――私でもあの出来事を思い出して怖い想いをしたのに、一緒に巻き込まれた子供にあの時の事を思い出させて同じ想いを味わせるなんて出来ない。なんとか誤魔化して納得してもらわないと)

 

「……むぅ」

 

 

 少しだけ怯む。

 私を思い遣っての嘘、へたっぴなのはそもそも嘘に慣れてないからという、内心で最低なことを考えた私の罪悪感をこれでもかとばかりに攻撃してくる状況を理解する。

 

 個人的に苦手な人とは言え、これを放置して知らんぷりするのはちょっと……。

 どうしたものかと思い悩む私だったが、エース(自称)は私の反応が不服だったのかググイッと詰め寄って来た。

 

 

「なんスかその反応!? さては信じてないっスね!? 市民を守る正義の警察官が自分の精神も満足に整えられない訳が無いじゃないっスか! 皆に頼られる存在なんですから!」

「うわぁ!? いきなり顔を近付けないでください!」

「その人を疑うような目! 確かに君には情けない所を色々見せてしまったスけど、私は何の問題も無いんっスよ! その証明に、君の困りごとをなんでも解決しちゃうっスよ! ほらほらほら、相談するっス!」

「うげぇ、前と同じような状況になった……」

 

 

 精一杯の虚勢を張る異能を持たない警察官の彼女。

 この人はきっと、私がいくら言っても正直に答えることは無いだろう。

 警察官である彼女にとっての私は、神楽坂さんや飛鳥さんからの認識とは異なり本当にただの一般市民。

 先ほど読心した内容と併せて、異能に関する情報を口にすることは無い筈だ。

 

 このまま放置するのも良心が痛むし、神楽坂さんや飛鳥さんの知り合いである彼女に何かあればきっとあの人達は悲しむだろう。

 まがいなりにも一度は治療行為をしたのだし、と自分に言い訳をして、意識を治療する時のものへと切り替えた。

 

 私の異能での処置に必要なのは、相手のトラウマに対する認識を知る事と相手がトラウマから意識が逸れる事だ。

 認識の状態は読心で終わる話だし、トラウマからの意識逸らしはそんなに難しい話ではない。

 

 正義感が異様に強いこの人なら、と。

 私は彼女にとって見過ごせない話を切り出した。

 

 

「……なら、前は碌に話せませんでしたから、あの出来事について少し話しましょうよ。私としても、あの件で色々考えさせられたんです」

「え?」

「車が私達に目掛けて突っ込んで来た時の事です。あれ、どうして運良く私達が助かったのかって思いませんでしたか?」

 

 

 私のそんな問い掛けに彼女は息を呑む。

 自分と同様の経験をして、同様の考えに至っている目の前の子供に対して何というべきか、分からないのだ。

 

 そして、事態を解決するべき立場にいる彼女とは違う。

 他人事のような一般人の目線から出した結論を彼女に示す。

 

 

「私思うんです、今世間的に言われている超能力って、意外と身近にあったんじゃないかって。私達を救ったあの奇跡が超能力だったら、私達を襲ったあの車両事故も同様に超能力なんじゃないかって」

「そ……それは……」

「私はそんな疑いを持って、こうして一人で探してみてたりするんです。なんの当てもなくブラブラと。それで、最近話題になってる超能力について何か知っていたら教えて欲しくて」

「駄目っス! 危ないっスよそんなの! なんだってそんな危ない事をっ!?」

 

 

 私の言葉に、異能の危険性を知る彼女は血相を変えてそう言った。

 それでも、私はそれに「だって」と笑う。

 

 

「超能力って面白そうじゃないですか」

「っっ――――!!」

 

 

 当然、私の本心ではない。

 だがこれは、世間一般的に言えば普通の感覚の言葉だ。

 現状、危険だといくらテレビで言われていても、超能力を実際に目にしている人はほとんどいない。

 平和ボケどころか、あるとは知っても身近な出来事とは思えていないと言うのが異能に対する一般家庭の認識だ。

 

 そして未知の日常や魔法のような力だなんて、刺激を求める人にとって退屈な現代社会で異能という超常は宝石が日常に散らばっているように見えるものだ。

 だから、私のこの危機感の欠片も無いような発言は別にどうと言う事ではない。

 特筆して目くじら立てるような事では無いし、なんなら同年代の会話の中では良く出るような言葉でしかないだろう。

 異能についての理解がない、世の中の大半の人がこんな考え方をしている筈だ。

 

 けれど、実際に異能を目の当たりにして、実際に傷付く人を見てきている彼女にとってこの発言は到底看過できないものだった。

 

 

「そんなふざけた理由でっ!」

 

 

 声を張り上げ、怒りのままに立ち上がった彼女は私の両肩を掴んだ。

 鬼気迫る形相で、私に強く訴える。

 

 

「君は何も分かってないっ! 分かってないんス! 超能力と言う一部の人間にしか使えない力がどれほど理不尽で、どれほど容易く他人を害せるのか! 人の意思を無視して人形のように操るようなものもっ、人を暗闇に閉じ込めて影の爆弾を作り出すこともっ、命を奪った相手の姿形を真似て成り替わるようなものもっ、そんな異常で悪意に満ちたものが一杯あるんっスよ!」

 

 

 そうだ。

 だからこの人は怖くて、震えて、立ち止まっていた。

 誰よりも、何も持たない身で対峙しなくてはならない異能という超常的な力に対して、絶対的な壁を感じ取っていたから。

 

 こんな風に楽観的に異能に近付こうとする人を、この人は見過ごせない。

 

 

「君のそんな好奇心でっ……! 何の危機感も無いそんな楽観的な思考でっ! 取り返しがつかなくなったらどうするんスか!? もしもそれで君が傷付いたらっ、もしもどうしようもない事になってしまったらっ……君の家族も、友達も……合縁奇縁が重なっただけの私だって、考えただけで悲しいのにっ……」

 

 

 そんな、異能に対する彼女の考えを引き出し、さらに想起していたトラウマから意識を逸らす為の発言だったが、返って来た思いもよらぬ厳しい言葉に口を噤んでしまう。

 

 

「君は、君を大切に思う人達を蔑ろにだけはしちゃいけないんス……!!」

 

 

 彼女の目が真っ直ぐ私を貫いた。

 嘘偽りのない、真剣に相手に想いを伝えたいと願う人の目。

 他人の幸せを純粋に願える人の、切実とも言える言葉。

 

 …………少し軽率な手段だったかもしれないと、私は反省する。

 

 

「……すいません。軽はずみな発言でした」

「あっ……い、いやっ、ニュースなんかでは結構取り上げられていて、危険性の誤解を招くような報道がされてるのも事実っス。だから、情報がそういうのでしか入ってこない君に厳しく言うのはお門違いでした……申し訳ない……でも、危ないって言うのは本当っスから」

 

 

 今の問答の間に既に彼女に対する異能の行使は完了した。

 私を叱る事へと意識を逸らした隙を利用し、気付かれない程度にだが、精神に掛かる負荷を軽減させるよう調整した。

 完全な忘却は彼女の危機管理に問題が出るから手を出さなかったが、これで震えや硬直などの、トラウマが肉体に現れるような現象は無いだろうと思う。

 

 最低限の義理は果たしたつもりだ。

 職務に支障が出るようなことはないと、断言できる。

 

 それに抱え込んでいた異能に対する恐怖を口に出させ、自覚させることも出来たのだ。

 完璧なくらい全てが計画通りに進んだのに、少しだけ思う所があった。

 

 

「……いえ、強く言って貰えて嬉しいくらいです。でも、そんな危ない事を解決しなきゃいけないって、貴方は大変ですね」

「えっと……まあ、そうなんすけど。でもまあ、選んだ仕事なんで」

「それでも立派です。昔はそんなこと考えもしなかったですけど、最近は特に思うようになりました……私は貴方の忠告通り、これ以上超能力を探すようなことは辞めることにします。大人しく家に帰って、明日の学校の準備でもします」

 

 

 そう言って私は帰り支度をしようと立ち上がる。

 そんな私を前に、彼女はそれほど親しくもない相手に対して声を上げてしまったのを気にしてか、気まずそうに視線を逸らしている。

 

 

「それと……先ほど貴方が言っていた事ですが。私も、奇縁が重なった貴方が傷付いたと知ったらきっと悲しくなると思います。だから貴方も無理にならない程度に、ほどほどにされてください」

「む、ぅ……私は、その、頑張る立場にいるので……まあ、ほどほどにっスね」

「……あとこれ、私の連絡先です。私は昔からこの辺りに住んでいるので何か聞きたいことがあれば連絡ください。それと、私の方でも身近で何か変わったことがあればお知らせしようと思いますので、宜しければ電話かメールでも」

「えっ、あっ、ご、御親切にありがとうっス……その、訳知り顔で叱って来た女に腹立たないんスか……?」

「全然、むしろ貴方のような人がいると知れて安心しました。これからもよろしくお願いします」

「そんな優しい事を言われるとは思わなかったっス……」

 

 

 そんな話、そんな別れ話の途中。

 今日のこれまで微塵も動きを見せず、もはや忘れかけていた私の本来の目的。

 

 いつだって唐突に悪意は姿を現すもので、そんな事は私だって理解していた。

 準備しても、気を張っていても、タイミング良く姿を現すことは無いのに、決まって忘れかけた時にやってくるものだと分かっていた。

 

 けれど、それはきっと当然なのだ。

 悪意を形に例えるなら、それは醜悪な怪物の姿をしたものとなる。

 タイミングを見計らい、不幸の積み重ねを選んで、そして残される悲惨な結果。

 知性や思考を持った醜悪な怪物が、いかに他人を不幸にするかを考えるから悪意なのだ。

 

 世界は悪意に満ちている。

 であれば、悪意によって引き起こされる世界の不幸の始まりは、きっと最悪のタイミング。

 

 つまり何が言いたいのかと言うと―――――こんなタイミングで私は、ぞわりと、異能の出力を覚知した。

 

 

「――――…………」

 

 

 覚知は一瞬だけ。

 出力は微弱ですぐに消え失せた。

 これを辿るのは、探知に特化している私でも難しい。

 

 口を止めて異能の出力元を辿ることに努める。

 直ぐに察知した異能の出力が、ここからだいぶ離れた所だと分かる。

 人ごみに紛れ、雑多に紛れ、数ある知性体に紛れ、異能の出力が途絶えたそれを今になって正確に探り出すのは不可能。

 

 どうするか、そう思う。

 この状態から私は一体何ができるのかを考える。

 何故一瞬だけ異能の出力が発生して、再び掻き消えたのか、その理由を考える。

 そして発生した異能が何を目的として使われたのかに考えを巡らした私は押し黙った。

 

 

「……どうかしたっスか? いきなり黙っちゃいましたけど」

「いえ……ただ用事を思い出しただけです。また会える時を楽しみにしています」

 

 

 心配そうに声を掛けて来た彼女にそう返し、私はふらりと足先を変えた。

 

 今現在の情報で確実に言える事は非常に少ない。

 どのような異能かも分からないし、どのような目的か確定は出来ない。

 人が多すぎる上に距離もあって、自分に向けられた異能の出力でもない為、犯人の特定さえ非常に難しい。

 

 けれど間違いなく言える事も確かに存在する。

 

 覚知したこの異能が何かしらの害意を持って使用されたと言う事。

 一瞬だけ異能を使用すれば目的を達成することが出来ると言う事。

 

 そしてなによりも、私の目的であった非人道的かつ猟奇的な一連事件、“無差別人間コレクション事件”の新たな被害者が出たと言う事だ。

 

 

 

 

 

 



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正常性バイアス

 

 

 

 

 その日、佐取燐香と言うふてぶてしい死んだ目女子高生に内心でギャル子と呼ばれている少女、鯉田岬(こいだ みさき)は酷く不機嫌であった。

 

 いつもは憩いの時間である筈の学校終わりの時間にも関わらず、その日は友人達との買い物の時や今のカフェでの一時も口元を尖らせ腕組みをして、見るからに機嫌が悪い様子を隠すことは無い。

 共に帰宅する友人関係である、派手な格好をした角園美穂(すみぞの みほ)や大人しい性格をした舘林春(たてばやし はる)がどうしたものかと目線を交わらしているがそれすら気が付かない。

 

 それくらい、鯉田は自分の頭の中を回る考え事に夢中になっていた。

 

 その考え事はただ一つ、自分の学校生活が思うようにいかない事だ。

 

 

「……くそっ、あいつら……」

 

 

 脳裏に浮かぶのは、同じクラスの二人の顔。

 

 忌々しい程に優秀な二人組。

 何においても勝てていない、クラスどころか学年全体で見てもトップクラスに優秀な奴らに対して、鯉田は激しい競争心を抱いていた。

 

 鯉田の中学生の頃は、生来の要領の良さで遊び半分でも学校内トップの成績とされてきた。

 周りから持て囃され、自分は才能があるのだと信じて来たのだ。

 自分はこれから先も、お洒落も、成績も、人間関係も、誰もが羨む様な完璧な結果を残せる筈だと信じていたのに、高校に入ってみれば平均以下の結果ばかり。

 自分に欠けているのは生まれだけだと思っていたのに、今はまるで井の中の蛙であったと思い知らされるような結果しか出せていなかった。

 

 彼女の怒りや悲しみの矛先が、高校のクラスで中学時代の自分と同じ立場を確立している二人に向くのは当然だったと言えるだろう。

 

 だが、それが彼女の友人達にも適用されるかと言えばそうではない。

 

 

「あのさぁ……そろそろあいつらに突っかかりに行くの止めようぜ。今まで岬が突っかかりに行って一回も言い負かしたことないじゃん。いや分かるよ。あれ、絶対勝てない部類の奴らだから、仕方ないって言うのは分かる。だからさぁ、適当なところで諦めるべき相手なんだって。なあ、舘林もそう思うだろ?」

「えっと……うん。山峰さんも佐取さんも、ちょっと比較しようと思えない相手だよね……山峰さんは本物のお嬢様みたいだし、佐取さんは新入生代表の挨拶してたんだから多分入試の主席合格者なんだよね……? 正直話し掛けるのも躊躇しちゃうよ……」

「はぁ? 何負け犬根性が染みついたような事言ってんの? 同じ人間なんだからどうとでもなるわよ! 山峰のすかした顔もっ、佐取の気の抜けた顔もっ、どっちも必ずぎゃふんと言わせてやるんだから!!」

 

 

 最初は同じ感性を持っていそうだった山峰袖子に喜び勇んで話し掛けに行っていたのに、と角園と舘林は思う。

 

 可愛さ余って憎さ百倍。

 ちょっと意味は違うが、鯉田の内心を表現するならそんなものだろうかと思いながら、友人二人は曖昧な表情で口を噤んだ。

 

 そもそも有数の進学校に通うのだから、こんな派手な見た目をしている彼女が学校内でもトップクラスの成績を収められるなんて誰も期待して無かった筈だ。

 彼女の相手が悪すぎる負けず嫌いは一体どこからくるのだろう。

 

 そんなことを思った角園が溜息混じりに口を開く。

 

 

「いや、あのさ。別に勝つのを諦めろっていう訳じゃ無くて、変に絡みに行くのを止めろって言いたいんだよ。いつかやるとは思ってたけど、今日なんて佐取の奴引っ叩いたろ。あれ、佐取が許さなかったらお前停学か何かさせられてたぞ。山峰の事だ、最悪退学にまで追い込むのも考えられた。お前の動機は分からなくも無いけど、空回りしてるって自覚しろ」

「うぐ……で、でも、あれはアイツが……」

「酷い言葉を投げかけられたって言うなら、お前はどうなんだ。お前はこれまで勝手に絡みに行ってどんな酷い事を言って来たんだ? 先に言葉で手を出したのはお前だし、実際に手を出したのもお前だ。私は正直、佐取の奴の寛容さに驚いたくらいだ」

「…………分かってるわよ」

 

 

 小さく呟くようにそう言った鯉田は、すっかり冷えてしまったコーヒーに口を付ける。

 いつもは楽しいお気に入りの喫茶店も、今はどこか色あせて見えた。

 

 気の強い鯉田や角園は多少の言い合いくらいでは何とも思わないが、小心者で大人しい舘林はそうでは無い。

 軽く火花を散らした二人に舘林はオロオロとお互いを窺い、話を変えようと必死に話題を探し、外の電柱に張られた行方不明者を探しているという紙を見付ける。

 

 

「あっ、そ、そう言えば、佐取さん達も話してたけど最近この辺りで行方不明者が多いらしいね。子供ばかりが誘拐されてた前の事件とは違って、性別も年齢もバラバラで、共通性が無いから誘拐とかじゃないんだろうけど。これまで怖い事件が一杯あったから、ちょっと警戒しちゃうよね」

「そんなのがあったのか? ふうん……まあ、確かに怖いな。最近はテレビとかで、超能力なんていうのを馬鹿真面目に放送してるし、何があってもおかしくはないんだろうけど……ただまあ、実際、見たことの無い超能力なんてもの、いきなり信じろって言う方が無理あるよな」

「……どうせあれでしょ、一時的なブームみたいなやつ。そのうち誰もそんな話すらしなくなるわよ。お伽噺じゃないんだし、超能力とかある訳ないし」

「えっ、で、でもっ、あの神薙隆一郎さんが実際に持っていたって話が……!」

「馬鹿ねぇ、そういう話があった方が盛り上がるからに決まってるじゃない。マスメディアの創作とかよ」

 

 

 舘林の話を「捏造よ捏造」とまともに取り合わず適当にあしらって、鯉田は時計を見た。

 

 もうそろそろ日も暮れる。

 家に帰って勉強して、明日の準備をしなくてはいけない。

 友人達との談笑といった最低限の息抜きは必要だが、奴らの鼻を明かすためには一日だって無駄には出来ない事は分かっている。

 友人達がいくら言おうが、彼女はまだまだ諦めるつもりなんてないのだ。

 

 そんな事情から鯉田は友人達にそろそろ帰ろうと提案し、帰り支度を進める様に促す。

 そして会計前に手洗いを済ませようと、角園達に一言言って席を立った鯉田はふと自分達の後ろの席の男性に目が留まった。

 

 

(……? なんか……変な人)

 

 

 お洒落な喫茶店に似合わないどこかみすぼらしさのある男性。

 小奇麗なペット用のケースを足元に置いて、手元にあるキャラクターを模したぬいぐるみの清掃を、これ以上無いくらい真剣に脇目も振らずに行っているちぐはぐな人物。

 自分の見た目には欠片も意識を払っていないようなのに持ち物にはこれ以上無いくらい意識を割いているのかと、そんなことは思ったものの、鯉田はそれ以上疑問を抱かず、男性の横を素通りした。

 

 

「――――それで、舘林が言ってたその行方不明者って……」

「あ、えっと、私も詳しくは知らないんだけど、全員が外出中に何の切っ掛けも無しに行方不明になってるから、外出中は気を付けないとって山峰さんが言ってた気が……」

「外出中ね。別に不思議でもないんでも無い事だけど、まあお互い気を付けようぜ。何かあっても鯉田みたいな怖いもの知らずなら大声上げて暴れられそうだけど、私らみたいな小心者だとそうはいかないからな」

「……わ、私はともかく角園さんは鯉田さん側なんじゃ……?」

「はぁ? 私を粗暴者って言いたいのか? 言うようになったじゃねえか」

「ひぇ、ご、ごめんなさいっ……!」

 

 

 そんな友人達の話し声を背に、鯉田は手洗い所へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 女性用の手洗い所で用を足し、手を洗い、鏡の前で髪型を整えていた鯉田はぼんやりと考え事をする。

 

 どうすればあの自分を意にも介さない二人組に勝てるのかを考えていた。

 今現在色んな努力をしているが、どれも奴らの鼻を明かすほどの成果を上げられていないのは事実。

 かと言って、どれかを一つを充実させたところで他で大敗を喫していたら意味など無いし、全てを充実させられる程、鯉田の家庭は裕福では無かった。

 

 これまで生まれながらの出自、平凡すぎる家庭に生まれた自分の事を卑下したのは一度や二度では無い。

 だが、そんな事はいくら問題視したところで変わるものでは無いのは充分理解している。

 実際これまでは努力だけで何とかなるだけの才能があったし、努力を積み重ねるだけの胆力もあった。

 家庭の状況で影響を受けるような、そんな環境にいる事が無かったのだ。

 

 産まれて初めて対峙した大きすぎる壁。

 ここ半年ほど様々な試行錯誤を繰り返してきたが、どれも失敗ばかり。

 心のどこかで諦めを覚えるほどの挫折を味わいつつも、それでも鯉田は今なお彼女達に勝つ方法を探り続けていた。

 

 

(……よし決めた。まずはアイツ、佐取の方に勝とう。アイツは確か運動が苦手だったから、何かしら運動のペアになって、私の運動神経を見せつけて勝つ。それで……私を尊敬したアイツに今日の、叩いちゃった事を謝って……それで、うん。あの忌々しい山峰に勝つための準備を進める。それで行こう)

 

 

 正直、今日の佐取というクラスメイトを叩いてしまったのはかなり鯉田の心に尾を引いていた。

 

 今まで好かれるようなことはやってこなかった訳だし、よりにもよって相手が鯉田の家庭事情という秘密を所々ちらつかせてくるあの性格悪い奴だから、今回の事では絶対に何かしら悪いように事を運ばれると思っていただけに、彼女の対応は想定外だった。

 だからこそ、鯉田の立場が悪くならないよう立ち振る舞ってくれた佐取には内心感謝しているし、今なんて「もしかしてアイツ本当は良い奴なんじゃ……」「接し方を変えれば仲良くなれるんじゃ……」と言う疑惑に駆られていた。

 

 もしも巨大な敵として立ちはだかっている奴を味方に付けることが出来たなら、忌々しい山峰の鼻を明かすための協力もしてくれるだろうし、勉強も教えてくれるかもしれない。

 今でも寝る前に思い出すあの耳元に吹きかけられた息と声を、今度は何かを教えながらしてくれるかもしれない――――なんて不埒な事を考えて、鯉田はハッと我に返る。

 

 

「ばっ……!! そういうんじゃないわ!! あくまで忌々しい山峰をぶっ飛ばすための準備であってっ……くそっ、本当に調子が崩れるっ……!」

 

 

 一人きりのお手洗い所でそんな風に騒いだ鯉田は、気を取り直してまた髪の調整に入る。

 そろそろ戻らないと二人に心配を掛けるかな、なんて思いながら、家で待っているだろう母親と仕事から帰ってくる父親の姿を思い浮かべた。

 

 さきほど話題に出た行方不明者達。

 鯉田は両親の事が嫌いではないが、行方不明者達の失踪したくなる気持ちも分かる。

 誰にも介入されない人生を、自分が好きなように過ごしてみたいと思うのはきっと現実の厳しさを知らない者の病みたいなものだろう。

 そんな衝動を行動に移しているのはとんでもないアホだと思うが……なんて、そんなことを思っていた鯉田が鏡越しに、トイレのドアノブが動くのに気が付いた。

 

 カチャリと、控えめな音と共に扉が開いていく。

 最初は自分を心配した友人である二人の内のどちらかかと思って、次に誰か別の女性客かと思って、直ぐにそのどちらでも無い事に気が付いた。

 

 男だ。

 先ほどのどこかちぐはぐな男性が、ペット用のケースを持って女性用のお手洗い所に入ってきている。

 弾かれた様に振り返った鯉田が目を見開いて、その光景が間違いない事をしっかりと自分の目で認識した。

 

 そして、気の強い鯉田だからこそ、相手の間違いを疑いもしないで大声で男性を糾弾しようと口を大きく開き―――――男と目が合った。

 

 淀んだ執着心を映す男性の目と視線が交わる。

 

 きっとそれがきっかけだった。

 

 

(な……に、こっれ?)

 

 

 ぐにゃり、と足元が歪んだ。

 立っていられなくなって、両手を床に突いて、声が喉から出てこない事に気が付いた。

 頭が歪む、視界が歪む、手足が捻じれ、感覚が狂った。

 

 おかしい、普通ではない。

 体調不良の類ではない。

 気持ち悪さはあるが、それは体調に起因するのではなくもっと根本的なもの、構成する何かが変わる事への強烈な不快感。

 

 徐々に自分の周りにあるものが巨大化していく事に気が付く余裕も無く、ただ床をのたうち回った。

 自分の手が、足が、口や目が、変貌していく異常な感覚が収まった頃、いつの間にか自分へ向けて伸びる巨大な男の手に気が付いた。

 

 

「――――やっぱり想像通り、こっちの方が可愛らしいよ」

 

(なにが……なにが起きてるのっ……? いやっっ、何が起きたのっ!!??)

 

 

 ひょいっ、と片手で軽々しく鯉田を持ち上げた巨大な男。

 まるで巨人のような大きさの男に鯉田は恐怖で碌な抵抗も出来ずにいれば、男がもう片方の手を鯉田の口元に近付ける。

 

 針だ。

 糸が付いた鋭利な針。

 男の片手に持たれているその針は、今の鯉田からすると顔程の大きさもある巨大な凶器だ。

 

 鋭利な針を口元に添えられ恐怖の悲鳴をあげかけた鯉田の口に、男は躊躇なく針を突き刺す。

 自分に襲い掛かる猟奇的な光景を想像し、恐怖と共に痛みを覚悟した鯉田だったが、そんな想いとは裏腹に、自分の口元に何度も突き刺される針の痛みは一向にやってこない。

 

 慣れた様子で何度か鯉田の口を縫った男は、満足げに、そして何処か悲し気に表情を歪めた。

 

 

「……本当はこんな手を加えたくないんだけど、騒がれちゃうと困るからさ。しばらくこうして口を縫わせておいてよ」

 

(なんで痛みが無いの……? 私の口は、針で縫われたんでしょう……!? それにどうしてコイツは私を片手で持ち上げて……あり得ない。そんなことできるなんて、今私はいったいどんな風に……!?)

 

「――――ああ、ごめんね。ちゃんと君にも見せないとね。ほら、鏡を見て。今の君、とっても可愛らしいよ」

 

 

 そう言って男は、鯉田の体を鏡に向けた。

 何が起きているか分からなかった鯉田の疑問は、鏡に映った自分の姿を見て氷解する。

 

 

 ――――自分が、『手のひらサイズのぬいぐるみ』となっている。

 

 

 驚愕で目を見開いた筈なのに、鏡の中のボタンで出来たぬいぐるみの目は、ちっとも動きやしなかった。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 繊維と綿とほんの少しの飾りでできた無機物の体。

 ボタンで出来た目でどのように周囲を視認しているのだろうか。

 自分の体である筈なのに、そんな事も分からない。

 

 筋肉も無いのに手足が動く原理が分からない。

 臓器も無いのか、胸の鼓動もありはしない。

 悲鳴を上げる事は出来たのかもしれないが、糸で縫われた口は少しも開かなくて、今は声を出す事すら出来ない。

 

 呼吸をしているつもりだが、本当に出来ているのか。

 それどころか、ぬいぐるみになってしまった自分の体が本当に生きているのかすら、今の彼女には分からなかった。

 

 

(これが……まさかこれがっ……テレビで言われてた超能力なのっ……!?)

 

 

 自分の姿を鏡で見て、ゾッとする。

 人間の存在、構成そのものを作り替えられた。

 到底あり得るものでは無い、到底科学的にはあり得ないだろう現象。

 超能力という、空想の現象が今自分の身に起きている事にようやく鯉田は思い当たった。

 

 

(なんでっ、どうすればっ……!? 私の体は何処に行ったの!? どうすれば私は元の姿に……私は……本当に私は元に戻れるの……?)

 

 

 状況を理解し、絶望が鯉田を圧し潰す。

 それでも、呼吸も乱れなければ心拍が早まることも無い、無機質な自分の体がこれは現実であると言う事をありありと示していた。

 

 

「じゃあ行こうか。お友達に別れの挨拶は出来ないけど大丈夫。新しいお友達が君を待ってるからね」

 

(ひっ……!?)

 

 

 ぬいぐるみの力はかなり非力なのだろう。

 必死に暴れる鯉田を軽く持ち上げ、ペット用のケースに彼女を閉じ込めた男は、本当に何でもないかのようにお手洗い所から出ていく。

 

 ペット用のケースの内側から見える世界は、何もかもが大きすぎた。

 机も椅子も、見上げるほど巨大な物が並んだ世界は、まるで童話にある不思議の国のアリスの世界のよう。

 さらに恐ろしいのは、自分にとってこんな異常事態であるにも関わらず、周りの人達は何一つだって代わり映えしない事だ。

 

 つい先ほどと同じように日常を過ごしている。

 いつも通りの日常だと、信じて疑っていない。

 誰も鯉田岬という少女の危機に気が付いていないのだ。

 

 そんな中で鯉田の戻りが遅いのを気にしているのか、しきりにお手洗い所の方に視線をやっている友人二人に気が付いた。

 

 

(助けてっ……! 助けてよ美穂、舘林! 気が付いてっ、私はここにいるの!! 私はここなのっ!!)

 

「……鯉田の奴遅いなぁ、また髪に時間を掛けてるのか?」

「鯉田さんお洒落だもんね……結んだ髪型も、髪質も相当さらさらしてるし、かなり気を遣ってるんだと思うよ?」

「ふーん、まあ、なんでも良いけどよ。人を待たせてる時くらい急げよな」

「そ、そうだね…………あれ?」

 

(どうして、どうして気が付かないの……? 私はここにいるのに……声も出せなくて……私は…………わたし……どうしたら……)

 

 

 会計が終わり、鯉田を閉じ込めたペット用ケースを持った男が店を出ていく。

 最後まで友人達に気が付かれることなく、必死に伸ばしていた繊維の手も誰にも気が付かれず、視界から消えていく友人達の姿に泣きそうになるが、この体では涙すら零れなかった。

 

 

「ん? どうした舘林」

「えっ、あ、ううん。大したことじゃないんだけど、さっき出て行った男の人のケース。最初何も入ってなかったと思ったんだけど、今見たら何か動くものがいた気がして……多分気のせいかな……」

 

 

 そんな彼女達の些細な疑問など、きっと時間と共に消えていく。

 最後に友人達のそんな会話を聞いた鯉田は、そんな事を心の内でどこか確信していた。

 

 

 ゆらゆらと揺れる。

 男の歩調に合わせて、鯉田が入れられたケースが揺れる。

 ペット用のケースの中は何もない。

 空虚でやけに広いケースの中では何の打開策も見つからない。

 外の光景は人ごみと雑音だらけで、助けを求めて暴れたところでを誰にも気が付かれないのは目に見えていた。

 

 

(このまま連れて行かれたら……私、どうなっちゃうんだろう……誰にも知られず、こんな力を使った誘拐なんてきっと誰にも分からない。きっと、誰も助けに来ないまま……わたしは、家にも帰れない……)

 

 

 ぐちゃぐちゃの感情。

 理解が追い付き、どうしようもない現象に体は震え、これからを考えて絶望する。

 しゃくり声を上げて泣こうにも、声も出なければ涙も出ない。

 

 そのことが一層、鯉田の恐怖心を掻き立てる。

 

 

(お母さんがオムライスを作ってくれてるのに……お父さんは早くに帰って来るのに……来週はお父さんの誕生日で……私……わた、し……)

 

 

 酷く息苦しい。

 鉄柵の中から見える世界はあまりにも冷たい。

 誰も自分に興味がなくて、誰も自分に気が付かない。

 きっと両親ですら今の自分を見ても、自分の娘だとは気が付かないだろう。

 

 ビル群に囲まれた交差点。

 信号を待つ人々が周囲にこれだけ存在し、これだけ色んな色が世界を満たしているのに。

 

 鯉田にとって、今の世界の色はこれまでのどんな時よりもモノクロに見えた。

 

 

(いやだよぅ……だれか気がついてよぉ……。わたしはここなの……ここにいるの……どうしてなの……? どうしてだれもわたしに気がついてくれないの……? わたしはにんげんなの、わたしは『こいだみさき』なの……ぬいぐるみなんかじゃないよ)

 

 

 そんな声にならない悲鳴を、彼女は上げた。

 

 

(たすけて……おねがい…………だれか、たすけて――――)

 

 

 ボロボロの心で泣いて、泣いて、泣き叫んだ時。

 ズドンッ、と大きな衝撃が鯉田の入ったケースを襲った。

 

 悲鳴に近い声が外から聞こえ、地面に落ちたらしいケースの扉が衝撃で開く。

 されるがまま、衝撃で外に放り出された鯉田がアスファルトの上に落ち、何が起きたのかと周囲を見渡せば、自分をぬいぐるみに変えた男と少女が尻もちを突いていて、周囲の人達がその姿を注目していた。

 

 衝突した、のだろうか?

 これ幸いと直ぐに逃げ出そうとした鯉田だったが、直ぐに男がケースから飛び出した彼女に気が付き、逃げようとした体を抑え付けた。

 

 逃げられない。

 だが、鯉田が再びケースに入れられる前に、同じく尻もちを突いていた少女が男のその手を上から掴み取る。

 

 

「ごめんなさい、それ私のぬいぐるみです」

「――――は?」

 

(……え?)

 

 

 少女の言葉に男も、鯉田も、理解できなくなる。

 何を言っているのだろうと目を瞬かせた男から、少女はぬいぐるみとなった鯉田を優しく奪い取ると、さも大切そうに抱きしめた。

 

 

「私の大切なぬいぐるみ。拾ってくださってありがとうございますお兄さん」

「なっ、何を言ってるんだっ!? そのぬいぐるみは俺のっ」

「ええ、このぬいぐるみは私のです。当たり前ですよね。だって、私が特注したぬいぐるみだから、こうして私の学校の制服を着ているんですもん」

「――――」

 

 

 男が唖然とする。

 少女の言っているデタラメは、周りから見れば異常なまでに真実味がある。

 ペット用のケースにぬいぐるみを入れた男と、ぬいぐるみの服装と同じ制服を着た女子であるなら、普通はどちらが真実と思うのか。

 

 そんな事、考えるまでも無かった。

 

 

「ごめんなさい、所有権を争うならこのまま警察に行きましょう。ぶつかっちゃったことは謝りますけど、これは私の大切なぬいぐるみなので譲れません」

「っっ……ふざけるなっ……! 俺のぬいぐるみだ! 俺の大切なぬいぐるみだ!! 返せよ俺のぬいぐるみぃぃ!!!」

「お、おい、君何をしてるんだ!?」

「何をそんなに争ってるんだ!? たかがぶつかっただけだろ!?」

「離せぇ! 離せぇぇっ!!!」

 

 

 発狂するように、大声を上げて少女に掴み掛ろうとする男を、周囲の大人達が慌てて掴み抑え込んだ。

 それでも暴れ続けようとする男に対し、ただ厄介ごとに巻き込まれた被害者かのように眉尻を下げた少女は周りに軽く頭を下げると、鯉田を抱えたまま歩き出す。

 

 まるでこの少女の真意が読めず、どういう状況なのかと混乱していた鯉田が自分を抱える少女の顔を見るためそっと顔を上げる。

 

 

「…………ギャル子さ……じゃない。鯉田さん、ですよね……?」

 

(こいつ……なんで……?)

 

 

 囁くように小さな声での問い掛けに、鯉田は驚愕に体を震わせる。

 

 誰にも気付かれることは無いと思っていたのに、まるで確信を持ったかのような口ぶり。

 救い出されることは無いと思っていたあの牢獄から、いともたやすく救い出した。

 誰も見ようともしなかった異常事態に、たった一人気が付いたこの人物。

 

 つい数時間前に鯉田が頬を叩いてしまった少女、佐取燐香が自分を抱きしめていた。

 

 

 

 

 



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必要不可欠な物と事

 

 

 

 

 “無差別人間コレクション事件”。

 

 この事件は言ってしまえば、“紫龍”の時と同じ、誘拐監禁事件だ。

 遠見江良さんに詳しい詳細までは予知してもらっていない、というよりも大雑把に大事件として世間を騒がせるものをいくつか予知してもらっただけに過ぎないのだから、当然その詳しい内容まで私は知り得ていない。

 だが今回、私は実際に発生した被害者を目の当たりにして、その事件詳細のおおよそを掴むことは出来た。

 嫌悪感や忌避感、悍ましさを禁じ得ない事件名をしたコレは、歪な趣味嗜好が他者へと向けられ引き起こされた事件、つまり。

 

 人をぬいぐるみにすること自体に価値を見出す者の、猟奇的な犯罪行為だった訳だ。

 

 

 私は異能の出力を感知したあの後。

 特に異能の使用者を見付けられることなんて期待しないまま、私は取り敢えずその方向へと足を進めたのだが、予想に反して異能の使用を行った犯人が警戒心の欠片も無く徒歩で移動しているのを発見した。

 

 大きなペット用ケースを抱えた男性。

 早足でもなく周囲を警戒するでもない、ただ喜びが満ちた様子で進んでいく犯人の後ろ姿。

 微弱ではあるが先ほど感じ取ったものと同じ異能の出力を持っている。

 

 しばらく観察して、異能の出力が一時的であり、さらには必要最小限度であった事から、異能への理解が深い可能性があるかと言う警戒が杞憂であったことを把握した。

 あくまで趣味として異能を使用しているだけに過ぎず、異能も切り替えができる訳ではなく、使用時以外は出力が微弱過ぎるだけだったのだ。

 危険性の低さに安堵し、「後は、犯人の拠点を把握して……」なんて思っていたのに、男が持っているペット用のケースから言葉にならない助けを求める声が視えてしまった。

 

 仲が良いなんて絶対に言えないような相手が、犯人である男の手で囚われているのだと知ったのだ。

 

 ……その後の私の行動はあまりに杜撰。

 過去の私が見たらきっと呆れかえる程に、無計画に奪取を試みたのだ。

 

 

(……これからどうしよう)

 

 

 自分の置かれた状況に、私は放心状態のまま考える。

 

 状況は良くない。

 私の異能による万事解決で終わる程、現在の情勢を鑑みた今回の事件解決は単純なものでは無いだろう。

 

 そんな内心の悩みとは裏腹に、私は鯉田岬……通称ギャル子(ぬいぐるみ状態)を抱き抱え、夕方の人気の無い公園のベンチに座っていた。

 そして、ギャル子さん(ぬいぐるみ状態)の口を縫い付けている糸を一つひとつ丁寧に取り除いていく。

 

 

「ぷっ、ぷはっ……! あ、あー……声が出る……」

「……うん、全部取れた。痛みはないですか? 大丈夫ですか?」

「痛みは無いけど大丈夫じゃないわよ…………取り敢えず、ありがとね……」

 

 

 教室では聞いたことも無いような酷く弱った声がぬいぐるみの口から漏れた。

 

 もしかしなくても、彼女の精神面での限界は近かったのだろう。

 心の傷を私はどうにかできるとはいえ、年頃の子供があのような目に遭えばどれだけ精神的に強い人でも後々まで尾を引くものとなった筈だ。

 そこのところは良かったのだろう……多分。

 

 私はそう考え、取り敢えず出来るところから始めようと、ギャル子さんの小さな体を持ち上げて彼女の状態を確かめていく。

 

 酷く軽い、重さは見た目通り手のひらサイズより少し大きい程度の布のぬいぐるみ程度。

 普段のギャル子さんの髪型と高校の制服を着たきわめて精巧であり、繊維も綿も、目の代わりとなっているボタンも高品質のものだと一目で分かる。

 普段のギャル子さんを知る人が見れば、まんまミニチュアギャル子さんと分かる程しっかりと特徴が捉えられていて、出来栄えとしては「素晴らしい」の一言だ。

 多分、こういう方面に詳しい人が見たら飛び上がる程高品質なぬいぐるみなのだろう。

 

 ……いやまあ、そんなのはどうでもいい。

 私にとって重要なのは、『他人を無機物に変える』異能。

 今のぬいぐるみ状態のギャル子さんからは、以前私が応急的に解毒したような、体を蝕み続ける“影”の異能のような出力は感じない。

 つまり、これは恐らく継続して異能が発動している状態ではないのだ。

 それが意味するのは、私がギャル子さんに対して異能を行使したところで人の姿に戻すことは出来ないと言う事。

 

 生物の存在を本質的な部分から変えてしまう力なんて、はっきり言ってゾッとする。

 この異能に対して一体どんな対策が出来るだろうと、私は被害者であるギャル子さんの体を可能な限り検査していく。

 

 「異能の出力は残っていないし変換のきっかけを作る異能なのだろうか」、そんな推測を立てながら、しばらくギャル子さんの体をまさぐっていれば、正気に戻ったギャル子さんから抵抗の声が上がった。

 

 

「ちょ、ちょっとっ! サワサワしないでよ! 感覚は、その、痛みは無かったけど触られてる感覚はあるのよ……くすぐったいから止めて……」

「っと、失礼しました」

 

 

 つい気になって無遠慮に色々触ってしまった。

 プライドの高いギャル子さんの事だ、これ以上体を探られ続けるのは嫌だろうと私は素直に引き下がる。

 

 公園のベンチの上に置かれたギャル子さんは訝しむように私を見上げ、質問してくる。

 

 

「それで……なんで分かったのよ。ケースに入れられたぬいぐるみが私だって……」

「あーそれはですね……」

 

 

 ギャル子さんの疑問に私は言い淀む。

 当然、知り合いである彼女を助け出すのなんて想定してなかったのだから、言い訳なんて用意していない。

 何と言うべきかと言う逡巡が頭の中を駆け巡り、次第に自己嫌悪へと切り替わっていく。

 

 そもそも、今回街中を歩き回っていたのは“紫龍”の誘拐事件の時と同様、犯人に目星を付けるという準備段階だったのだ。

 今日は別に、被害者が居たとしてもその場で被害者の救出なんて無理に行うつもりは一切なかった。

 ましてや犯人と直接対峙するなんて、そんな危険は確実なチェックメイトの状況でも無ければ犯してはいけない危険行為と分かっていたのに。

 

 

(……犯人であるあの男を刺激してみすみす撤退した。『あの子』に見張らせているけど、それにしたって危険すぎる選択。私の馬鹿、なんであの場面で考えなしに動いたの……?)

 

「ちょ、ちょっと何黙ってるのよ? 何か言いにくい事でもあるの……?」

「え、あ、いや……そもそもの話なんですけど、私、超能力を見るの初めてじゃないんです。日本の病院にテロリストが襲撃して来た時あったじゃないですか。で、丁度その時その病院にいて、間近で色々超能力を見ていたんで、超能力とかいう現実味の無い存在に疑いは無かったんです」

 

 

 探るようなギャル子さんの視線に、私は咄嗟に適当な作り話で誤魔化そうとする。

 

 

「街中を歩いていたらペット用のケースにぬいぐるみを入れてる変な人がいるじゃないですか? ぬいぐるみがケースの中で動いてるように見えるじゃないですか? ぬいぐるみの格好が見知ったギャル子さんの格好じゃないですか? あ、これ、もしかして……と思った訳です」

 

 

 実際は、異能の出力を察知して、その元となった場所目掛けて進んでいたらギャル子さんの悲鳴に近い心の叫びが視えた、と言うのが正しい順序だ。

 大して仲良くもないクラスメイトのボロボロに傷付いた精神を視て、気が付けば駆け出していたのだから救えない。

 

 

「な、るほど……そういう事情があって偶然私と分かったってことね……本当に幸運だったのね、私」

「ん、まあ、そうかもしれませんね。取り敢えず私の考え違いじゃなくて良かったです。もし違っていたら私の方が悪い奴ですし」

「……いや本当よ。私としては助かったけど、アンタも大変な事になってた可能性があるんじゃない」

 

 

 一応、納得の様子を見せたギャル子さん(ぬいぐるみ)は頷くと、私を見上げ「それで」と続けた。

 

 

「……で、具体的にアンタは私を見付けた後何をした訳? 私閉じ込められてて外の状況がよく分からなかったんだけど」

「えっと……ギャル子さんの閉じ込められたケースもろとも男の人に体当たりして、被害者ぶりました」

「当たり屋まがいな事したのっ!? しかも私を奪い取ってるし! その場面だけ考えたら一方的な加害者はアンタなんだけど!?」

「外見って大切ですよね。私って、背丈小さいからぬいぐるみ持ってても違和感ないですもん。周りの人達みんな私のデタラメ信じてましたよ」

「アンタって本当に性格悪いわよね!?」

 

 

 激しい突っ込み。

 ぬいぐるみ姿になって気落ちしていた彼女が、少しだけいつもの様子に戻った事に安心する。

 あれだけ心が砕けそうになっていて、こうして何とか持ち直せているのはギャル子さんの素のメンタルの強さあってこそだろう。

 

 

「……アンタ……アンタって…………まあ、いいわ。……アンタの思考回路が変で、とんでもないことする奴だっていうのは前々から分かっていたから……でも、それはともかくとして……やっぱりアンタ私の事ギャル子って呼んでるじゃない!!?? どういう事よ!!!」

「あっ……」

「何しまった……みたいな顔してんのよ!? このポンコツ!! 私の名前は鯉田岬だってば!!!」

 

 

 いつも通り、私の呼称に不満の声を上げて激怒するギャル子さん。

 けれどまあ、いつもの姿よりもこっちの姿の方が、愛嬌もあって断然可愛らしい。

 怒りに任せてペチペチと私の太ももを両手で叩いて来るギャル子さんを抱き上げて、膝の上に乗せた。

 

 特に抵抗も無く、ちんまりと私の膝上に収まるギャル子さん。

 体格差もあってか、抵抗することなく私の膝上に収まったギャル子さんは非常に可愛かった。

 

 

「ふう…………鯉田さん、そのまま戻れなかったら私の家に住みません? 不自由はさせませんよ?」

「ふっ――――ふざけんなぁ! 私はっ、元の姿に戻るんだもんっ!!」

「あ、ちょっと、暴れないでっ……じょ、冗談ですから! ちゃんと戻れる方法考えますから!」

 

 

 当然、進んでぬいぐるみになんてなりたい人はいないだろう。

 ぬいぐるみにされて落ち込んでいたギャル子さんの気分がある程度回復したのを確認した私は、出来る行動を考えていく事にした。

 短い手足をバタバタとさせていきり立つギャル子さんをなだめながら、私は思考を切り替える。

 

 先ほども考えたが、ギャル子さんの今の状態は異能による効力を受け続けている訳ではない。

 普通に考えて、人をぬいぐるみにするあの異能持ちから、ここまで距離を取れば異能の出力範囲外なのは間違いない。

 だが現に出力範囲外に出たのにも関わらず、異能の効果が継続して維持されている。

 つまり効果を及ぼし続けるのではなく、一度の異能使用で対象を完全に変質させてしまう力が人をぬいぐるみにするのがこの異能。

 

 恐らく時間経過では解除されず、どこまで距離を取っても意味はない。

 これを解除させるにはどうすれば良いか。

 

 

「……うーん、やっぱりさっきの男に自主的に元に戻させるのが一番可能性の高い方法なんじゃないですかね? 鯉田さんはどんな風な手順でぬいぐるみにされたんですか?」

「え……いやその、よく分からない内にとしか……トイレで、髪を整えてて、アイツが入って来て……目が合って……気が付いたら」

「目が合う、ね」

 

(神薙隆一郎のような、視界内の者を対象に出来るならそもそも目を合わせる必要はない。でも、触れる必要が無かったということは多分物理的な接触を必要としてない。つまり、効果範囲は神薙隆一郎と同じくらい、視界に収まる範囲のものを対象にする……そう考えられるわけだけど。視線をトリガーにする……出力の問題だけを考えるなら、そんな条件なんて必要ない筈。でも、それすらも異能の性質と考えるなら特殊事例としては充分ありえそう……そもそも自然的に発生した異能持ちじゃない可能性が高いし、そうなると性質が違っても不思議じゃないから……まだ分からない事の方が多いかな)

 

 

 幾つかの仮説を立てたものの、私は取り敢えずそれらの考えを放置する事にする。

 仮説に仮説を重ねても、出来上がるのは妄想だけだ。

 急いても正確な情報が確定する訳でもない。

 

 特に今回の場合、異能を使用した場面を直接見た訳でも無いし、そもそも今回は異能に開花したばかりの犯人だ。

 

 碌に自分の異能を把握していない可能性も高い。

 つまり、深層心理までむりやり読心したとしても確定した情報を得られないと言う事。

 この状況ではどれほど力技に頼ってもむりやり情報を確定するのは不可能に近いだろう。

 

 

「……ね、ねえ、アンタの言ってる解決方法だとあの男にもう一度接触する必要があるけど……あの男が自主的に私を元の体に戻すなんてありえないと思うし、あの男が抵抗して、もしアンタもぬいぐるみになっちゃったら……」

「え、心配してくれるんですか? じゃあ諦めて私の家に住んじゃいます?」

「い、いやっ、諦めないけどもっ……!! もっと安全に……そうだっ! こういう非現実的な犯罪でも警察は対応してくれるのよね!? 警察に通報して、逮捕して貰えば……!!」

「うーん……」

 

 

 ギャル子さんの提案に私は曖昧気に呻く。

 

 確かに、一般論としてはギャル子さんの提案が普通だろう。

 実際、一般人が取れる手段としては悪くない手だろうし私達の安全は確保されるが、そもそも対応してくれるのかという疑問がある。

 

 世間的に異能……超能力を認める風潮があるのは確かだ。

 法律もその様に整備されてきているし、実際に裁判でも認めた事例があるが……それはまだまだ数少ない。

 末端の警察官がそんな対応ができるのかという疑いが晴れることは無い。

 

 そして何よりも、警察や異能の色々な事情を知っている私の視点から見て、今回の件を警察がどうにかできるとは到底思えなかった。

 

 

(今は自分の趣味だけに異能を使っているようだけど、何を持ってその自制心が決壊するか分からない。警察に取り囲まれて、破れかぶれになられて視線を合わせた人を問答無用でぬいぐるみにされていったら、かなりの大事になるし……)

 

 

 無差別的に人間をぬいぐるみに変えてコレクションしているこの事件は、遠見江良さんの予知によれば被害人数は百人近くまで及んだらしい。

 

 遠見江良さんの異能は分からない事だらけだから何とも言えないが、取り敢えず、今回の事件の犯人が持つ異能は最低でもそれだけの被害を出しうる異能だと考えるべきだろう。

 ただ、今のところ私が得ている情報ではこの異能は死者が出るようなものでは無いし、人がどれだけぬいぐるみにされた所で最後にあの男を倒して、全員を元に戻せることが出来れば一件落着なのだ。

 

 それほど急いで解決しなければならない事件ではない。

 現在分かっている情報だけを見れば、取り返しがつかないような被害が出る可能性は低いと思われる。

 

 ――――ただ私には、楽観視できない点が既にいくつか思い浮かんでいた。

 

 そのため、神楽坂さんや飛鳥さんといった人達の助力を得た万全の状態まで時間を掛けるのは最良の選択ではないと、私は思うのだ。

 

 

(即時解決するとして、現状取れる選択肢は二つ。一つは私があの男を完全に洗脳して強制的に異能を解除する。多分他のどの方法よりも早いし、この距離からでも一方的に仕掛けられる。安全確実な手。これの問題は被害者が多く存在するから被害の話を完全に消すことは出来ないし、これをやって解決した事件の情報を纏めるとこの周囲に精神干渉系の異能持ちがいる事が異能を知る第三者にほぼほぼ伝わってしまう点。私の都合だけど、これは今後を考えると譲りたくないから却下。もう一つは……)

 

 

 この犯罪を解決する資格を有した人物に解決した形を取らせる事。

 

 つまりはこれまでの神楽坂さんと私の関係と同じだ、異能犯罪を解決し得る人が解決したことにすればいい。

 例えばICPOのような同じような力を持った国際的な対策部署や警察のような国家組織、或いはそれらに所属する個人による解決であれば、誰も疑問など抱かないし状況を知らない人間はその関連性には興味すら持たない筈だ。

 そうやって形だけ整えさえすれば、不確定な私に関する情報が第三者へ流出する、ということも無いだろうし、私が敵視している『UNN』に情報が渡るのも阻止できるだろう。

 

 つまり今の私に必要なのは、解決し得る立場を持った人。

 

 

「……神楽坂さんや飛鳥さんと連絡取れれば良いけど、無理なら最悪あの人かぁ……」

「へ?」

 

 

 私は昇進云々で忙しい知人達を思い浮かべ、それからつい先ほど会話した条件に合致するもう一人の人物の顔を思い出す。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 日が暮れた。

 太陽が落ち、街中は電灯で照らされる。

 場所によっては日中よりも賑わいが増していくだろうが、夜の始まりに賑わいを見せる人通りの多い通りから少し離れた細い通りに入るとそうはならない。

 まるで既に、全ての住宅が寝静まってしまったのではと思う程、人に会わなくなる事もある。

 

 そんな道を私達は歩いていた。

 

 

「……日が、暮れちゃった。私、これからどうしたら……」

「うーん……」

 

 

 ギャル子さんの泣きそうな声に気まずさを感じながら、私は返答を濁す。

 彼女を連れて出来ることの下準備をしてきた訳だが、彼女からしたら何の成果も得られなかった時間としか感じられなかったのだろう。

 

 あれから私はギャル子さんを手提げ鞄に入れ、結構な距離を歩き、色々な事をした。

 まず、私とギャル子さんが遅くなる旨の連絡を家に入れ、時間的な猶予を作った。

 神楽坂さんにはちょっと連絡していないが、飛鳥さんには電話してみて繋がらないのは確認済み。

 平日のこの時間に出られることは無いだろうと思っていたから、気にしないでとメッセージだけ送って、彼らに協力を求めるのは断念した。

 そして、ギャル子さんがどうしてもと求める為、警察官のいる交番に立ち寄り、ぬいぐるみのギャル子さんを見せて彼女自身が事情を説明したのだが……異能が認知されて以降いたずらも多いのか、終ぞ警察官が私達を信頼することは無かった。

 

 つまり、私のいたずら。

 ぬいぐるみを使った私の口話術だと思われて、まったく相手にされなかったのだ。

 いやまあ、いきなり来た子供みたいな奴がぬいぐるみにされた人がいると言ってきたとしても中々信じられないとは思うが、それでもギャル子さんはかなりショックだったのかすっかり口数が少なくなってしまっていた。

 

 家にも帰れない。

 強い自分を誇称してきたギャル子さんにとっては家族であろうともこのような姿を見せるのは拒否感もあるし、何よりも心配掛けたくないと言う気持ちも強い。

 特に警察に行ってからは、変わり果てた自分を親に信じてもらえない事を恐れているのか、家に帰るのは絶対に嫌だと拒否する姿勢を維持している。

 

 

(どうしよう……どうすれば……あの籠から助けられたのは本当に嬉しいけど、これから行く場所がない……。佐取だっていつまでも付き合ってくれる訳じゃないだろうし……見捨てられたらどうしよう……)

 

「……むう」

 

 

 そんな思い詰めるようなギャル子さんの思考を読み取って、私は軽い調子でフォローする。

 

 

「まあ、そんな思い詰めないでください、冗談抜きで最悪私の家に泊まれば良いですし。なにより犯人の顔はもう分かっている上、あの男の家も一応は把握していますから」

「え……?」

「GPSって知ってます? 追跡用のGPS。小型で取り回しやすくて、私の携帯に位置情報が送られてくるんですけど、それを、鯉田さんを奪った時に一緒にバックに放り込んでやったんです。ほら、携帯画面、しばらく前から位置が変わらない。つまり家にいる可能性が高いっていう訳ですね」

「…………あ、アンタ、マジで……探偵とかそっちの才能あるんじゃない……? 今は、その……凄い頼りになるけど……」

「ふへへ」

「……笑い方……」

 

 

 少しだけ不安が晴れた様子のギャル子さん。

 実際には何一つ事態は好転していないけど、その材料があるだけで人は希望を持てるものだ。

 希望が無いのか、一つでもあるのかでは気持ちがだいぶ違う。

 どんなに窮地に陥ったとしても、余裕は適度に持っていなければならない、と私はこれまでの経験で学んだのだ。

 

 

「……うん、そうよね。早く元に戻って、皆に連絡を取らないと。あの二人にも何の連絡も出来てないし、今日はお母さんが……あれ……何かあったんだっけ? 来週も何かあった気がするんだけど…………忘れちゃった。まあ、忘れてるってことはそんなに重要じゃない事か。今は自分の事に集中しないと」

「…………」

 

 

 さて、と思う。

 やるべき事はやった、布石は打ったし理由作りも充分。

 無理に話をして不安にさせる必要も無いから、早急に解決するべき理由は彼女に伝えていないが、私としては可能なら今日中にこの事件を解決してしまいたいというのが本音だ。

 

 

(……丁度良くあの人から確認のメッセージが届いた。これに返信して準備完了……)

 

 

 そう判断した私は呟く。

 

 

「さて……乗り込みに行きますか」

「は!? ま、マジであの男に自主的に解除させる案を採用するの!? なんでそんなに急いでっ……!?」

「警察が取り合ってくれなかった以上もっと証拠となる被害者、あるいは物証を集める必要があります。そのために行動は必要ですし、私の知り合いである警察官に簡単にですが状況を伝えました。恐らく直ぐに信じて行動してくれる事はないかもしれませんが、私が失敗したら、事件性を疑って行動してくれる筈です」

「そ、そんな……危ないってば……」

「なによりも、です」

 

 

 思いのほか食い下がるギャル子さんを制し、私はある事実を突きつける。

 

 

「私は実際にあの男と顔を合わせて争っていて、それなりの恨みを買っている。彼の超能力の最大の証拠であるギャル子さんをそのまま放置するとは思えない。何よりもあの男が見せたぬいぐるみとなったギャル子さんへの強い執着。それらの要素から考えられる事」

「え? な、にを……言ってるの? それは、まるで……それじゃあ、まるで……」

「何かしらの手段を用いて私達を探し出し攻撃がされる可能性がある、です。超能力なんてよく分からないものに対して、根拠のない『出来ないだろう』と言う判断はあまりに短慮。私達が及びもつかない手段で、危機に晒される可能性は考える必要がある訳です。このまま怯えて距離を取っていても私達は決して安全圏に逃げられた訳じゃない。何処にいても危険であることに変わりないんです」

 

 

 だったら、少しでも解決できる可能性がある方を選ぶのが普通でしょう?

 

 そう言った私に鯉田さんは驚愕と共に口を閉ざした。

 

 

 

 

 



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荒廃化したもの

 

 

 

 都内のファッション系の店が多数立ち並ぶ街並み。

 夕暮れの日が落ち始めた時間帯、人通りがさらに増し始めたその道に、気が抜けたような顔で店のショーケースに映る自分の顔を眺めている女性がいた。

 

 その女性、一ノ瀬和美は自分に湧き上がって来た感情の処理を上手く行えず、しばらくこうして不審行動を取っていた。

 

 しばらくそうしていて、ようやく彼女の中で処理が追いついたのか、自分の顔を両手で包むようにしてだらしない笑顔を作る。

 

 

「……へへへ、一般の人に褒められちゃった……警察のエースがついに世間に知れ渡る時が来たのかもしれないっスね……!」

 

 

 突然の奇行(少し前から)に周囲を通っていた人達がさらに避けるように広がりを見せていく。

 

 彼女の上司がこの場に居れば叱咤される事間違いなしなのだが、あいにく上司は忙しく仕事に励んでいてこの場に現れることは無い。

 今の彼女に付けられている首輪は無いのだ。

 

 まさに解き放たれたチワワである。

 

 

「まあ、私としては普通に注意しただけでしたけど、ああやって評価してくれる一般市民もいるんスよね! 全員が全員警察憎しみたいな人ばかりじゃないっスもんね! えへへぇ、今日出掛けて良かったっスねぇ……」

 

 

 基本的に一ノ瀬和美はチョロい。

 特に自分が頑張っている事を褒められるとさらに倍率が掛かる人物だ。

 

 普通に考えて一般市民が連絡先を渡してきたり、異能に関する事件を追っていると警察官に言うなんて不自然だが、既に死んだ目の少女を良い子認定している彼女は、色んなことを都合の良いように考えてしまうくらい判断基準がガバガバだった。

 

 

「私の人柄を信頼するに足ると判断して、何かあった時に連絡できるように連絡先を渡して来たんスかね? ……仕方ないっスねぇ!」

 

 

 そんなぼそぼそとした独り言を呟き、上機嫌に少女から貰った連絡先を自分の携帯電話に登録していく。

 それから、確認のメールを少女から渡されたアドレスへと送信し、今日は満足できる一日を過ごせたと言わんばかりに満面の笑みで意気揚々と帰路に就こうとした。

 

 のだが。

 

 

「……あれ?」

 

 

 今メールを送った相手からの返信が直ぐに来た。

 

 

『受信時間:11月18日18時41分

 送信者:抱き心地の良い死んだ目の子

 表題:無題

 本文:友達が超能力の犯罪に巻き込まれました

 体をぬいぐるみに変えられて、交番の人に話しても信じてもらえませんでした

 犯人の男の家の場所が分かったので添付します。もし私が帰らなかったらよろしくお願いします    【添付画像】    』

 

「…………はぁぁぁあああっ!?」

 

 

 一ノ瀬和美のそんな叫びが、暗くなり始めた街中に響き渡った。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 今回の一連の行方不明者事件、“無差別人間コレクション事件”は、異能開花の薬品が世間に流通している事を示すような代表的な事件だろう。

 

 つまり、個人の欲望による異能使用での犯罪行為であり、計画性も無く大望も無い、個人による欲望を動機とした、単純かつ大衆的には理解されないような犯罪行為だと言う事だ。

 

 個人による犯罪ならではのそういった犯罪の性質は話題性が高く、同時に世間一般には理解されず、当然ながら激しい拒絶を受ける。

 

 生まれ持って備わった才能、積み重ねた結果の技術ではなく、金銭により購入した商品としての異能であれば、その使い方は簡単に誤るものだ。

 異能開花の薬品を利用したこういった事件のように、非人道的で非科学的、さらには被害者へ行った行為が残酷であればあるほど、より異能犯罪を世間に広く知らしめられる事になる。

 

 現状、異能と言う力が世間に広がりを見せてそれを悪用しようとする人がいる以上、私としても世間に異能の認知が進むのはある程度仕方がないと諦めている。

 確かに異能は危険だし、異能を持たない者が異能に対する見識を深め、ある程度の対策を取れるならそれに越したことは無い。

 私だって、異能によって無抵抗に被害を受ける人を許容するべきだとは思わないからだ。

 

 だが、それにしたって異能についての悪感情が先行するのは私としてはいただけない。

 世間的な風潮が極端化して、『異能を持つ者=悪』の図式が出来上がっては様々な面で不利益を被る事は目に見えているし、異能持ちと異能を持たない者での対立など起きて欲しくはないのだ。

 

 結論として、私としてもこういった他人を無機物に強制的に変えるなどと言う非道な異能犯罪は到底許容できなかった。

 

 

「……ここですね」

「お、大きい。庭にガーデニング、家に門が付いてるなんて……ほ、本当にあの男がここに住んでるの……? 私が見た男はもっとこう……みすぼらしかったと言うか……」

「まあ、うん、大体予想はしてましたけど典型的なお金持ちの家ですね。しばらく手入れがされていなそうな所も、予想通りですけど」

 

 

 日没後、時間にして午後七時。

 私達二人は遠目からこっそりと、電柱の影から覗き込むようにして、私が仕込んだGPSが示す家を確認していた。

 

 私達が見つめる先にある家は、洋風庭園を備え付けた古ぼけた屋敷だ。

 かつては見事なバラ園であったり、噴水であっただろうものが枯れ果てており、今は誰の手も入っていない事は遠目からも明らか。

 まるで廃墟のようであるが、家の正面に構えている門の脇の小扉が最近開閉された跡があることから、ある程度人の出入りがある事は窺える。

 

 ツタが絡む巨大な屋敷の中から正確にぬいぐるみにされた被害者達を見つけ出すのは非常に困難。

 その上、目を合わせれば問答無用で無力化される異能を考慮しつつ、慣れない屋敷の中を探って、犯人を制圧しなければならないという難易度の高さを考えれば、ギャル子さんの腰が引けるのも仕方がない。

 

 と言うか、そもそも幽霊屋敷に見えるので夜ここに侵入するのは普通に怖い。

 

 

「わ……私、しばらくアンタん家泊ってもいい? あの、電話を借りて、親には友達の家に泊まるって言うから……駄目かな?」

「なんでヘタレてるんですか……? いやまあ、暗くなってきましたし、灯りがほとんどついてないあの屋敷は正直不気味ですけど……」

 

 

 見事にヘタレ始めたギャル子さんに、この私が思わず突っ込みを入れてしまった。

 いつもであればヘタレるのは私の役目なのに……これはこれで新鮮である。

 

 いつもは精神が超人的すぎる人達(主に神楽坂さん)に囲まれていたから私が特別ヘタレかと思っていたが、別にそんなこと無いようで少しホッとした。

 

 

 ギャル子さんに伝えている私の目的は、『ギャル子さんの体を元に戻すことに成功するならそれで良いが、それが無理なら証拠と成り得る他の被害者の確保を行う』、と言う事。

 今のところギャル子さんに伝えている情報や状況から違和感を持たないだろう目的を提示し、こうして乗り込みに行動しているが、当然私の本当の目的はそうではない。

 

 私の計画としてはこうだ。

 まず屋敷に潜入し、ぬいぐるみ化を解除する為の参考として他の被害者達の状態を確認する。

 可能であれば救出するつもりだが、確認後、何かしらの方法で犯人の男を誘き出し、そのタイミングで私が救援要請を掛けた警察のエース(自称)さんと鉢合わせさせる。

 後は私がこっそり犯人である男の異能を封殺して、警察のエースさんが逮捕した体を作り上げる訳だ。

 

 

(……まあ、本当は話が合わせやすい神楽坂さんに協力してもらうのが一番だけど……)

 

 

 過去の悪事がバレて話し辛い……いや、昇進の関係で忙しそうだし、あまり異能犯罪を神楽坂さんが解決してばかりだと疑問を持つ人が出てくるかもしれない。

 解決する人は分散させるのがベストだろう、と思うのだ。うん。

 

 そうやって思考を切り替えた私は、頭を抱えている鯉田さんを放置して自分の異能を起動させる。

 

 探知する。

 屋敷の中にある知性体は外側から見た人気の無さに反してかなり多い。

 その中でも、動きの無い密集した知性体達が恐らくぬいぐるみにされた被害者達だろうか。

 後は、屋敷の中を動き回っているのが複数あるが、幾分か動物的過ぎる思考回路をしているし、多分人ではない。

 なんだろう、犬でも屋敷内で放し飼いしているのかもしれない。

 

 となると、別室で作業しているアレが犯人の男だろうと、屋敷の中の配置におおよその当たりを付けた。

 

 

「…………あそこっぽいですね。他の被害者が集められている場所」

「え!?」

 

 

 私がコンパクトサイズの望遠鏡を覗いてそんなことを言えば、ギャル子さんは驚愕の声を漏らす。

 こんな暗闇の中、望遠鏡があっても目的の場所が見つかる筈が無いと思っていたのだろう。

 私が示した先にある部屋を望遠鏡で覗いて、部屋に今の自分と同じようなぬいぐるみが並んでいるのを確認するとギャル子さんは感嘆の溜息を吐いた。

 

 

「本当だ…………アンタやっぱり、警察とか向いてるんじゃない? いや、法律とか常識とか気にしないのを考慮すると探偵の方が良いのかもしれないけど……」

「ぜぇったい嫌でぇす!」

「なっ、なんでそんなに拒否するのよ……! もしかして、警察嫌いなの……? そ、それならごめんだけど……」

 

 

 普通に読心による探知でズルしただけなので、ギャル子さんの言葉は全力で拒否する。

 基本的に私は親切心を出すと不幸な目にあるのは分かっているのだから、そんな職業に就いたら度重なる不幸で心が折れることは目に見えているし、何よりも単純に神楽坂さん達の姿を知る私としてはやれる自信が無いのだ。

 

 

「……で、どうするの? 被害者達の場所が分かった訳だけど、こっそり侵入して助け出すの? ふ、不法侵入になるわよね……? アンタはそれでいいの?」

「うーん……危険は危険ですよね。暗闇に紛れるのは私達もですけど、地形の勝手を知ってるのは相手ですし……後はまあ、体面的なものとかも」

 

 

 未だに迷いを見せているギャル子さんに私は少し悩む。

 

 ここまで躊躇されると彼女にこれ以上の無理強いはしたくない気持ちが強くなる。

 不安な気持ちも、ヘタレる気持ちも、私は神楽坂さん達のような超人では無いから理解できるのだ。

 自分をぬいぐるみへと変えた相手に怒りはあるだろうが、それよりも恐怖が勝るのは決しておかしなことでは無いと思う。

 

 特に、ぬいぐるみになったからといって、意識ある他人の口を針で縫い付ける精神性を持った男に執着されていると考えたら、怖くてたまらないだろう。

 

 

「……私達の勝利条件は超能力を解除させる事に限定されません。これまで行方不明になった人達に関わる証拠を押さえれば警察も無視は出来ない筈です。犯人を制圧して自主的に超能力を解除させる事だけを見れば難しいように思えますが、最悪直接犯人と対峙する必要すらない訳です。でも、超能力の全容も未だ掴めている訳ではないですし、他にも未知の危険が出て来る可能性もある。ギャル子さんが言うように危険はあるでしょう。安全に撤退できるのはここが最後かもしれませんけど……どうしますか?」

「う、うーん……」

 

 

 ギャル子さんは深く考え込む。

 ぬいぐるみと化している今の彼女の表情は分かりにくいが、普段の即断即決の姿からは考えられないくらい悩み続けている。

 

 ……いや、判断を任せる形を取ってしまったが、こんな選択をさせるなんて逆に酷かと、私は思い直す。

 

 ギャル子さんとしては体を取り戻したいのは本心だろうが、その望みに対して自分が起こす行動はどこまでが許容範囲なのか分からないに違いない。

 

 私をどこまで巻き込んでいいのか。

 法や倫理をどこまで無視して良いのか。

 自分の為だけにどこまで我儘を通して、不法に目を瞑るべきなのか、分からないに違いない。

 

 なら私が無理やりにでも手を引くのもきっと必要な事だ。

 

 

「まあ、取り敢えず行きましょうか。どうしても帰りたくなったら言ってくださいね」

「え!? まっ、まっ、待ってよ!? そんなっ、えっ!? ど、どうすればっ……!?」

 

 

 言い縋るギャル子さんを鞄に詰めて、私は自分を起点とした異能を使用する。

 

 誤認、認識阻害。

 名称は何でも良いが、私お得意の対象としたものを周りから認識されにくくする技術。

 それを使用した上で、私は家を取り囲むフェンスの壊れた部分を縫うようにして犯人の敷地内への侵入を成功させる。

 

 理由があるとは言え、他人の家に侵入する事に抵抗があるのだろう。

 以前の桐佳が見せたような反応をそのまま見せて来るギャル子さんを放置して、私は姿勢を低くし草木に隠れるように動いていく。

 

 

「あっ、あっ、アンタ……!? その強心臓は一体何なの……こ、怖くないの?」

「今静かに動いているんですからちょっと黙ってください」

「……ごめんなさい……」

 

 

 私の注意を受け、途端に気を弱くしたギャル子さんは鞄の中で大人しく体育座りを始めた。

 獣に近い知性体が最も多い庭部分を掻い潜ることを考えると、しばらくそうしてくれるのはありがたい。

 

 あらかじめ察知しておいた幾つかの知性体を迂回するように動きつつ、目的である建物まで辿り着く。

 そして碌な手入れをされていない窓を軽く押して回り、鍵の掛かっていない箇所を探していき、見つけ出した侵入可能の窓からこっそりと入り込む。

 

 あっと言う間に潜入成功だ。

 流石燐香ちゃんと言わざるを得ない。

 

 

「あとは侵入痕跡をしっかりと消して、と……よし、これで私達が直接見付からない限りはバレないですね」

「……そうね」

 

(……手慣れ過ぎてて怖いんだけど……もしかして常日頃からこんなことしてるんじゃ……?)

 

 

 ギャル子さんの失礼な考えを無視し、私は最も近く、室内から人の気配のしない場所を選んで身を潜める。

 こうして建物の内側に入った訳だが、もう一度位置関係を正確に把握するために異能で探知している知性体を再確認していく。

 

 まずギャル子さんのような被害者と思われる集まり20人程度が、2階の端の部屋に集められていて、犯人であるあの男がそこから少し離れた部屋に1人でいる。

 それとは他に、正体不明の獣のような知性体が10程、外や屋敷の中を徘徊している状況だ。

 

 ひとまず落ち着き、チラリと携帯電話を確認する。

 妹からのメールと、つい先ほど連絡先を交換したばかりの警察のエースさんからのメールがある。

 特に心配してくれているのだろう、警察のエースさんからのメールの数はかなりの量となっていた。

 

 

(……あの人。凄い量のメールを私に送って来てる。ちゃんとここに向かって来てくれてるし、一応は計画通りかな。申し訳ないけど返信はしないでおいた方が効果的だよね。しっかりとバイブレーション機能を切って、サイレント状態にして……桐佳には……万が一でもここに来させないように、もう少し遅くなるっていうメールだけしようっと)

 

 

 警察のエースさんは遅くともあと15分程度でこの家に辿り着くだろうと、そう考える。

 

 携帯電話の対応を行って、私は少しだけ息を整える。

 犯人の動向を監視しているあの子に軽く犯人の状況を聞き、こちらに気が付いている様子が無いのを確かめた。

 

 

「……取り敢えず他の人形になった人達の救出に向かいましょう。連れ帰れるなら超能力による犯罪の明確な証拠に成り得ますし、何よりあの男と対峙しないで済むならそれに越したことは無いですもんね」

「……」

「……あ、もう小さな声でなら喋って大丈夫ですよ」

「……怒らない?」

「おっ、怒らないですよっ!? ちょっとっ、ギャル子さんそんなキャラじゃないじゃないですか! いつもは私に気なんて遣わない癖に! まるで私が弱みを握ってマウント取ってるみたいで嫌なんですけど!?」

「…………それって、いつもやってる事なんじゃ……?」

「ん゛ん゛っ……!?」

 

 

 確かに彼女の嘘を脅しに使って、厄介払いしていたりした。

 それはまさに弱みを握ってマウントを取っているようなものである。

 

 圧倒的に有利な状況の筈なのに言い負かされた、と言うよりも自爆した気がする。

 ついさっきまでは完璧なカッコいいムーブをしていたのに……なんて思って、私は誤魔化すように咳払いをした。

 

 

「良いから行きますよ! 天才少女燐香ちゃんの手に掛かれば、こんな事件はもう本当に直ぐ解決しちゃいますから! ギャル子さんは大船に乗ったつもりでいれば良いん――――」

 

 

 そう言って立ち上がり、部屋から出ようと一歩を踏み出した時。

 

 周囲の知性体が居ない事。

 目的地である被害者達が集められた部屋までの安全なルート構築。

 そして被害者達を確保し、可能であれば犯人の制圧まで計算済みだった私の完璧な立ち回り計画。

 

 それらが、私が足元に落ちていた本に躓き本棚に突っ込んだ事で完膚なきまでに破壊された。

 

 話声など比にならない、バタバタバタと本棚から本が落ちる大きな音が屋敷を包んでいた静寂を切り裂いた。

 

 

「…………」

「び、びっくりしたっ……! ちょ、ちょっと、怪我はないわよね!?」

 

 

 怪我はない……が、私は心に大きな傷を負った。

 

 灯りのほとんどない暗闇であった事。

 乱雑に物が散らばっている場所であった事。

 初めて来た場所であった事。

 

 そんな風に、言い訳になる要素は多くあるが、私の心に占める想いはただ一つだった。

 

 またやっちゃった、それだけである。

 

 

「ふぐぅ……」

「……大船なのよね?」

 

 

 こんな時だけ冷静に突っ込みを入れないで欲しい。

 私は自分の顔が引き攣るのを自覚した。

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

 何とか本が散らばった部屋から抜け出し、自分に大きな怪我がないのを確認した私は即座に逃走を開始した。

 あれだけの大きな音を立てた私の存在が、この家の奴らに気付かれない訳が無いからだ。

 

 案の定、近くを徘徊していた知性体が音のした場所(私がいる場所)に向かってくるのを察知して、泣きそうになる。

 

 もうほんの数秒で発見されるのは間違いない。

 と言うか、もう私の視界に入って来た。

 わんわんと、自己主張するように鳴き声を発しながら私達を追い掛けるためにその姿を現した。

 

 

 ……犬、なのだろうか。

 

 四足歩行、顔は鼻と口が尖っていて耳は上に付いている。

 毛もあるし、尻尾もある。

 確かに、非常に犬っぽい部分が所々に散見される存在だが……それだけなのだ。

 

 目はガラス球に近いし、鼻先は縫い糸に近いし、関節が至る所にあるのか動き回る度に全身がグニャグニャしている。

 幼児が絵具で描いた犬をそのまま具現化させたような、子供の頃の悪夢に出て来る歪な生物のよう。

 犬という生物を知らない幼児が、犬の話を聞いて粘土でむりやり作ったかのようなヘンテコさ。

 

 それは生物と言うにはあまりに歪で、あまりに冒涜的な造形。

 正直意味の分からない知性体が私達を追いかけてきている。

 

 

「ぴっ……!?」

「なっ……何よあいつっ!? 犬、じゃないっ……? 本当の、化け物じゃない……!!」

「せ、生物をぬいぐるみに出来るなら、その逆もまた然りって訳ですか……? いや、それにしたってあんなあからさまな歪さになんて普通はならないし……もしかして、あの男の知識に基づいた変異しかさせられない、とか……? でも、でもそうなると……」

「なにぶつぶつ言ってるの!? とにかく今は逃げないとっ……!」

 

 

 生物として歪であるが故か、運動機能は普通の犬とは比にならない程悪いようで、未だに私に追い付くことが出来ていないのだけが幸いだろう。

 

 だが、建物の構造も分からない、廊下の灯りすらないこの建物の中。

 一度でも道を誤れば、先程のように足を取られれば、あるいは別の追跡者に挟まれれば。

 どれか一つの要素でも満たされれば、追いつかれる可能性が高い筈だ。

 

 私の危険を察知したマキナからの支援許可の要求を制止しながら、私は目的の場所を目指して走り抜ける。

 

 

(ここまで来たら後はもう出たとこ勝負……他の被害者達の確認を済ませてから犯人を誘き出し、救援に駆け付けた警察官のあの人と鉢合わせさせる。私が犯人の異能を無効化して逮捕させれば終わりっ! 大丈夫っ、多分まだ何とかなるっ……筈!)

 

 

 頭に響くようなあの子、マキナの声にそう答える。

 

 マキナの不貞腐れるような了解の返答に不安は覚えるものの、“泥鷹”や神薙隆一郎の件で、今の私がマキナを使うと溜め込んだ異能の出力を回復させるのは非常に大変なのだと学んだばかりなのだ。

 いざと言う時にマキナが使えないと言う状況は避けたい。

 

 それに……と思う。

 なんでもかんでもマキナと言う絶対的な切り札を使うのならば、異能と言う絶対的な力を思うがままに振るっていた中学の頃の私と変わりないのだ。

 

 おぞましい怪物性を有した、自分を全知と驕った醜悪な過去。

 今ならそんな驕り昂ぶりはしないだなんて、私はそんな楽観的な事は考えられない。

 

 

(身の丈に合った異能の使い方……そう、そうじゃないと)

 

 

 きっと私はまた身を滅ぼす。

 

 散り散りだった家族の関係が新しい形で築かれて、家族以外で信頼できる、助けてくれる人達が隣にいる。

 きっと昔の私が欲しかったその全て。

 そんな今を、私自身の手で壊すことになるなんて考えたくも無い。

 

 

「着いた! あそこの部屋が確か他の連れ去られた人達が集まってる場所よ!」

「あ……わ、分かりました!」

 

 

 思考が逸れた。

 ギャル子さんの声に私は正気を取り戻す。

 

 ギャル子さんが指し示した部屋のドアノブに手を掛けた私は、来た道を振り返り、歪な知性体が追い付いていない事を確認した。

 犬を模している癖にあまりに移動速度が遅かったのだろう。

 にわかに信じがたいが、私の足で撒けてしまった。

 

 

(…………フリじゃない。私の探知でも追って来ていた奴は階段下で完全に見失っている。追手を振り切ってここまで辿り着けた。だけど……この部屋の中は)

 

「どうしたの? 確かにあの変なのは追って来てないけど……早く他の人達を連れ出しましょうよ」

「……ええまあ、そうするつもりです」

 

 

 ここまで来て迷っていても仕方がないだろう。

 不思議そうに私を見上げるギャル子さんにそう返答し、私は一息に扉を開いた。

 

 これまで見て来た廃墟のような屋敷の中で、その部屋は特別手が入れられていた。

 

 部屋の中は小さな灯りが付いていた。

 部屋の中に、カビ臭さや湿っぽさは一切無い。

 壊れている物は無く、埃や汚れも存在しない清潔な空間。

 丁寧に保管されたぬいぐるみが所狭しと棚に並び、窓から見えたこれまでの被害者と思われるぬいぐるみは一際豪華なガラスケースに収められている。

 ぬいぐるみはどれも、身体的な欠損も無く、非常に丁寧で綺麗な保管状態を保たれており、部屋の奥には最近使われた形跡がある机が置かれている。

 

 無理やり他人をぬいぐるみにして監禁しているとは思えない程、この部屋の全てが整理されすぎていた。

 

 

「えっと……す、すいません……? ぬ、ぬいぐるみにされた方は……わ、私もぬいぐるみにされて、何とか逃げ出してきたんです! 警察に行って、超能力でぬいぐるみにされたって証言を一緒にして頂きたいんですけどっ……! 一緒に行ってくれる方は名乗り出てくれませんか!?」

「…………」

 

 

 反応はない。

 私のように知性体かそうでないかを判別できないギャル子さんには、ぬいぐるみの中のどれが元人間なのか分からないのだろう。

 まったく反応の無いぬいぐるみ達に対して不気味さを感じ、ギャル子さんは若干の怯えが混ざった声を出している。

 

 いや、私も不気味さは感じてはいる。

 けれどギャル子さんと違い、私はある程度予想していた事だった。

 

 探知した際の被害者と思われる者達の内面や、ギャル子さんにちょっとした不調があった事。

 そしてこの部屋で保管されている元人間のぬいぐるみ達の体がこれっぽっちも拘束されておらず、ギャル子さんにやったように口を糸で縫っていないのを見て、私は自分の予想が正しかったのだと確信した。

 

 

「……もう充分です。行きましょうギャル子さん」

「なっ、何を言ってるの!? ここまで来て他の被害者達を助け出さないのは意味が分からないんだけど!? 確かな証拠として他のぬいぐるみにされた被害者達を助け出すって、アンタが言ったんじゃないっ!」

「……ええ、そうです。ですから他の証拠品となりえるこれを。この日記を持って帰ります」

 

 

 私はそう言って、奥の机に置かれた日記帳をさらりと捲る。

 乱雑な筆跡で日付が書かれたソレは、ここ半年の事を書かれた行動記録。

 昨日の日付が書かれた記載に目を通すだけでも、いかに異常な人物がこれを書いているかが分かるだろう。

 

 証拠としては不十分でも、関連性は疑える品物だ。

 これでも犯人である男としては見過ごせない物だろう。

 だがギャル子さんは納得しないようで、さらに噛み付いて来る。

 

 

「そうじゃないわよ……! 目の前にぬいぐるみにされた被害者がいて、簡単に助けられる状況なのにどうして助けようとしないのかを聞いてるのよ……! どっちも証拠品となるなら、少しでも人を助けられるのを選んだ方が良いに――――」

 

「――――わざわざ俺のぬいぐるみを返しに来てくれたのか?」

 

 

 背後の扉からした声に、ギャル子さんが言葉を詰まらせ息を呑む。

 接近が分かっていた私は大した動揺も無く、振り返り、つい数時間前にも相対したその男へ真っ直ぐ向かい合った。

 もう二度と聞きたくないと思っていただろう男の声を聴いて、ギャル子さんがガタガタと体を震わせ始めたのを私は片手で抱き寄せる。

 

 年下の少女達が身を寄せ合い恐怖する姿に見えたのだろう。

 私達の姿を見て、男は口の端を持ち上げて小馬鹿にするように笑った。

 

 

「俺のぬいぐるみを返しに来てくれた事は嬉しく思うよ。本当さ、色々あったとは言え、取り返しに行く手間が省けたのは本当に嬉しい。ただまあ、だからと言って全てを許すとは言えない。それくらい、俺にとってさっきの事は腹立たしかった……これまでで一番と言っても良いくらいにな」

 

 

 そう言った男は両手で囲いを作り、囲いの中に私達が収まるよう手を自身の目元に持っていく。

 

 

「趣味じゃないんだ。君みたいな年齢を間違えさせるような外見の子。芸術で自然を切り取る時には季節を感じさせるものを選ぶように、生物を模る物を作る時もまた、性別や年齢なんかの特徴をはっきりと捉えたものこそ美しい。そうだろ? だから、君みたいのはコレクションになんて加えたくないんだけどさ」

 

 

 以前私が自分の家に侵入してきた男に相対した時のように、この男も酷く落ち着いた様子でそう話し掛けて来る。

 けれど、だからと言ってこの男が侵入者である私達に友好的な姿勢を見せているかと言うと、そうではない。

 

 

「失敗作だからこそ試せる事はあると思うんだよ。例えば――――俺の力でぬいぐるみになった君をバラバラにしたらどうなるのか、とかね」

 

 

 手で作られた囲いの内側から覗く男の目は粘着質な強い怒りに彩られている。

 

 

 

 

 



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大嫌いなあの子

 

 

 

 

 4月5日

 

 あの両親が死んで、使いきれないような遺産だけが残ったあの日から、趣味に没頭する生活はもう10年以上続いている

 

 生活に不満はないが最近は肝心の趣味で行き詰っている

 何かしら新しい着想が得られればとこうして日記を書き始めたが、そう続くとは思えない

 自分の事ながら、昔から趣味以外にまるで興味を持てなかったからだ

 

 何を書くべきか思いつかないが、取り敢えず自分の趣味について書いていこうと思う

 俺の趣味はぬいぐるみを収集する事、といっても最近は自分で一から作成することが多い

 材質をこだわり、気に入った素材を取り寄せ、これまで作り上げた作品は千を超えている

 デザインやサイズの設計から実際の裁縫まで自分の手で至高の作品を作り上げるのを目的にしてきたが未だに自分が満足できるものは作れていない

 布一つ綿一つ、あるいはちょっとした形の崩れや色合いのミスで全てが台無しになる作品作りは非常に奥が深く――(以降趣味についての記載が数ページに渡っている)――

 

 

 

 4月7日

 

 前回日記を書いたときには趣味について書き過ぎた

 これではいつもやっている事と変わらない、今後は同じ事をしないように注意する

 

 最近の事と言えば、世間は“連続児童誘拐事件”とやらで騒いでいる

 正直事件の顛末に興味はないが、ここまで大事を起こして捜査機関を煙に巻く方法は気になる

 その方法がもしも俺も使えるなら、やりたい事がある

 

 

 

 4月25日

 

 やっぱり興味の無い事は続かない

 まだ三回目の日記なのに二週間以上間が開いた

 もう書く気力もあまり無い

 

 そう言えば例の誘拐事件が解決されたらしい

 なんでも子供を誘拐して、親を脅して、捜査の撹乱をしていたとか

 頭が回る奴らだと感心したが作品の着想にはなりそうにない

 そんな事よりも誘拐の手段を公表してほしかった

 

 

 

 6月3日

 

 日記の存在を随分忘れていた

 行き詰りは未だに解消されていない

 苛立つ、何で急に自分の作品で満たされないのか分からない

 

 

 

 6月8日

 

 こんなのじゃ駄目だ

 自分で作ったぬいぐるみに満足できない

 完全に行き詰っている

 形も色合いも触感も納得できない

 

 人型に対する理解が足りないのだろうか

 

 

 

 6月29日

 

 超能力ってなんだ?

 それは人としての才能なのか?

 俺には無いのだろうか?

 手に入れる方法は無いのだろうか?

 

 

 

 10月10日

 

 薬が届いた

 

 

 

 11月17日

 

 この力は素晴らしい、大金を掛けて手に入れただけはある

 ずっと満たされなかった欲求が、足りないと思っていた全てが、あらゆる美が詰まった傑作がこんなにも集まった

 

 俺の作ったぬいぐるみは完璧だ

 年代に合わせて、性別に合わせて、この世の人という形をコレクションしていこう

 後は、どんな要素があれば良いだろう

 

 ……ああ、そう言えば男子高生は集めたけれど女子高生はまだだった

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 薄灯りの部屋の中で対峙した、犯人の男の怒りが込められた視線を真正面から受けた私は震えるギャル子さんを抱え、静かに状況を分析する。

 

 視線は合っている。

 つまりギャル子さんの話にあった、異能の効果条件は満たされている筈。

 当然、男が異能を使用しようとする意思が少しでも読心出来れば、即座に認識をずらす用意はしていたが、条件を満たしている筈なのにその思考すら過っていないのは妙だ。

 

 恐らくは、と私は当たりを付けた。

 

 

「アンタふざけんじゃないわよっ!」

 

 

 そんな事を考えていた私を余所に、ギャル子さんが体を震わせながら吠えた。

 怒りと恐怖がごちゃ混ぜになった感情を男に向けて、叩き付ける様に声を荒げている。

 

 そして男はそんなギャル子さんの叫びに視線を私から彼女に移し、心底どうでも良いと言うような表情を浮かべる。

 

 

「アンタがどんな価値観を持っていようと関係ないっ! 妙な力を持っていても関係ないのよ! それを私達に押し付けるんじゃないわよ!! 勝手に私の体をぬいぐるみにして、勝手に所有物みたいにほざいてっ、何様のつもりよアンタ!!」

「……」

「お金も時間もあるアンタみたいのには分からないかもしれないけどねっ! こっちは必死にやりたいことをやってんのよ! お金も時間も惜しいのよ!! こんなふざけた事に巻き込んで他人の人生に迷惑を掛けんな糞男っ!!」

 

 

 正論。

 恐怖に打ち震えているギャル子さんから出た言葉はきっとそうなのだろう。

 けれど、正しいか正しくないかなんていう話は、この場において意味を為さない。

 

 犯人である男を責め立てる彼女の言葉は、何一つとして男に響いてなどいないのだから。

 

 

「馬鹿アホ陰険不細工っ――――「静かにしろ」…………!!??」

 

 

 突如として口を噤んだギャル子さんが驚愕で目を白黒とさせる。

 今のはただの暴言だったような気はするが、男の一言でギャル子さんが縛られた様に口を噤んだ事が何よりも重要。

 

 ギャル子さんの意思に反して、彼女の体が動いた。

 

 強制的に従わされたと言う事だ。

 彼女は今、只のぬいぐるみのように声を発する事が出来なくなっている。

 

 

「『ぬいぐるみ』が所有者の意に反した行動をできる訳ないだろ? 君はもう汚らしい人間という生物じゃなく、純粋無垢な『ぬいぐるみ』と言う物なんだ。君のこれまでの過去も、もうすぐ消えてなくなる。なんの恐怖も絶望も無い、他の子達と同じようになれる」

「っっ……!?」

 

 

 それが当然だとでも言うように、男はギャル子さんに向けて手を差し伸べる。

 

 

「さあ、ご主人様の手に自ら戻って来るんだ。他ならない君自身の意思でね」

「っ――――」

 

 

 男のその一言を切っ掛けとして、一瞬だけ異能の出力ラインが出来上がる。

 

 数時間前に探知した時と同様、一瞬だけの異能使用。

 私はそれを見逃さなかった。

 

 

「……あ、れ?」

「…………なんだ? どうして口を動かせる? 早く、俺の元に来るんだ」

 

 

 捻じ曲げられた存在の在り方へと強制するように、ギャル子さんが自ら自分の元に来るように指示したのにそれが為されない。

 自分が望む結果が得られない事に困惑する男と状況が分からず首を傾げるギャル子さん。

 どうして、何が起きて、誰が介入したかも、彼らはほんの少しだって気が付けていない。

 

 当然、介入したのは私だ。

 

 こうして相対し、間近で男の異能の使用を観察することが出来て、大体の事が分かった。

 男の異能の性質も、対象への干渉ラインも、その阻害の仕方も、それらのおおよそを掴め、実際にギャル子さんへの行動強制を邪魔する事に成功した。

 

 目の前の男の非科学を解き明かす、その第一歩を私は達成したのだ。

 

 

「なんだ……一体何が……これまで、一度だってこんなことは……」

「ふっ……何を驚いているんですか? この子は貴方の持ち物じゃなければ、『ぬいぐるみ』なんかじゃない。生きている人間です。貴方の醜悪な願望を満たすための命令なんかに従う義務なんて無いんですよ。私からも言わせてもらいますけど……何様のつもりなんですか?」

「お前っ、何も知らない癖にっ……!!!」

 

 

 今にも泣きそうなギャル子さんを抱え込むようにしながら、私はもう一つの手にこの男の対策と成り得る物をしっかりと握り込む。

 そして、私の挑発に苛立ちを隠し切れない男はぶつぶつと小さな声で呟きながら、自分の目を覆うように片手を当てた。

 

 

「……まだあまり時間が経ってないから命令を聞かせられないだけだ。そうだ落ち着け俺。今の状況は俺にとって悪い要素は無いんだ。変に熱くなったら出来ることも出来なくなる。楽しい事を、考えないと……ふ、ふふふ……そうだ。俺の眼は正しかった。俺が選んだ子は感情的な頭の悪い子供だった。見た目や年齢通りの頭の悪い行動をしてくれる、俺のコレクションに欲しかった期待していた通りの子だったんだ。対照的に、俺の琴線に触れなかったアイツは気味が悪い。この状況でも冷静で、見た目や年齢とは掛け離れたようなあの態度は俺にとっては汚物のようだ。そうだ、俺の価値観は何時だって正しかった。ああ、そうだ。だから今の――――こいつを出来るだけ悲惨な目に遭わせてやりたい俺の欲求は正しいものなんだぁ……!!」

 

 

 いくら相手を追い詰めているからと言って、相手から視線を切るのはどう考えたって下策だが、それが必要な挙動だと考えるならどうか。

 

 この男の異能は一見凶悪な性能を誇っているように見えるが、その実態はあくまで強制的に異能を開花させただけのもの。

 それも『UNN』が流通させて問題ないと判断した、これまで見て来た製品からさえ数段劣るであろう品質の薬品によって開花させた非自然的現象。

 

 才能としては欠陥が多く、自然的なものと比べると歪だろう。

 

 

(異能の出力の流れが目元に集まっている……)

 

 

 ゆっくりと開かれていく目には、数時間前にも感じた異能の出力が宿っていて、それは強い攻撃性を有している。

 

 間違いなくギャル子さんに行ったような、人を無機物に変える異能の行使が行われる前兆。

 男が行ったこれまでの、無駄にも思える所作は、男の異能使用にとって必要不可欠な要素。

 

 だとすれば、現時点での男の異能は単発装填式の視線を介す必要のある異能と言う事だ。

 

 それなら対処はいくらでもやりようがある。

 

 

「ぬいぐるみとなったお前を八つ裂きに――――」

「目潰し出来るほど強力なライトって、本当は人に向けちゃ駄目なんですけどね」

 

 

 対処方法その一、目潰し。

 私が手に用意していた強力ライトによる強烈な光が、薄暗い部屋を貫いた。

 

 目が開く瞬間を狙った超強力ライトによる目潰しは的確に男の目に突き刺さり、一呼吸おいて男の絶叫が部屋に響き渡る。

 

 薄暗い場所で瞳孔が開いていたのだろう。

 当然異能の使用なんてままならず、悲鳴を上げながら両手で目を抑え、フラフラとバランスを崩した男が近くの棚に何度もぶつかり、整理されていたぬいぐるみ達が床に落下する。

 

 怒りと痛みによる獣のような咆哮を発し、闇雲に拳を振り回す男。

 恐ろしいそんな光景を無視して私はギャル子さんに話し掛ける。

 

 

「不調はありますか? 証拠は回収できたので逃げますよ?」

「わ……たし……」

「大丈夫、何とかなりますから」

 

 

 それだけ言って、私は狂乱状態の男の横を駆け抜ける。

 そして、目を抑えて暴れていた男も私達が逃げようとしている事に気が付いたのだろう。

 未だに機能しない目ではなく別の方法で私達を攻撃する為に、怒声に近い声で命令した。

 

 

「俺のぬいぐるみを逃がすなァァァ!! 捕まえろォォ!!!」

 

 

 それは誰に向けた命令だったのか、答えはすぐに分かった。

 

 ――――その声に反応したのは、部屋中に飾られていたぬいぐるみ達。

 

 何の感情も浮かばない宝石のような大量の黒い瞳が、ぐるりと私達に向けられる。

 そして、ギャル子さんがいくら声を掛けても反応すらしなかったぬいぐるみ達が軍隊のように一斉に棚から飛び出して、逃げる私達を追い掛け始めた。

 

 床を埋め尽くすようなぬいぐるみの群れはそれほど速い訳ではない。

 だが、生物感の無い小さな人型が群れを為して追いかけて来る光景は、控えめに言っても恐怖しか感じない。

 

 そして、私達を追い掛けているぬいぐるみの群れの中に、自分より前に被害にあった人達が含まれている事をギャル子さんは気が付いたのだろう。

 

 震える声で彼女は呟く。

 

 

「……やっぱり……ぬいぐるみになったら……」

「……」

 

 

 彼女のそんな呟きに返答できず、私は黙ったまま走って行く。

 恐らく……私もその予想は正しいのだろうと思うのだ。

 

 先ほどよりもさらに暗くなった廊下は足場も悪く、いつ転んでしまうかも分からない。

 救援の手が間もなく到着する事は分かっていても、一分一秒でも早く現状をどうにかしたいと思ってしまう。

 

 

「前からあの犬が……!」

「っ……」

 

 

 そして、一度は追跡を撒いた不出来な犬が仲間を連れて正面から迫ってくるのを見て息を呑む。

 

 今の場所は屋敷の二階廊下。

 正面は犬もどきの群れ、後方は他の被害者を含めたぬいぐるみの軍勢。

 挟撃される形となった状況に、私は咄嗟にすぐ横の部屋に飛び込んだ。

 

 部屋はここ最近一切使われた形跡の無い、埃の被った書斎だ。

 机を背にするように飛び込み、ぬいぐるみ達の視界から隠れる立ち位置に隠れる。

 

 それだけで、大した知性を有していないぬいぐるみ達の群れは標的を見失いその場で右往左往し始めた。

 これであの男が到着するまでの時間は確保できただろう。

 

 

「よし、取り敢えず時間は稼げた。でもここからどうしよう……二階くらいなら飛び降りてもいけるかな? ……怪我する未来しか見えないけど……うん。やるしかないか」

「……」

 

 

 どうするべきかと頭を回していた私が並行して異能による探知を行うと、予想よりもずっと早く目潰しから復帰した男が私達を追うべく動き出しているのが分かる。

 悩んでいる暇は無いと部屋の窓の位置を目視で確認し、私は頭の中で逃走経路を思い描いていく。

 

 そんな一刻を争う中で、ギャル子さんは私の腕から逃げるように飛び出した。

 

 

「……ギャル子さん?」

 

 

 突然の彼女の行動に私は不安を覚えて声を掛ける。

 彼女はまるで私の声が聞こえないかのように、私に背中を向け続けていた。

 

 

「……アンタ……さ、私に気を遣って言ってない事あるでしょ」

 

 

 どこか確信を持ったような彼女の物言いに私は口を噤む。

 

 

「元々、どうして犯人の男の家に忍び込むなんて言う性急な行動をアンタが取るのか不思議だった。理由も無いのに大して仲良くも無い私の為にそこまで危険を冒す意味なんて無いもんね。警察に頼って、大人を頼って、時間を掛けて解決させればいい事を、なんでそんなに自分の身を危険に晒してまで急いでいたのか、少し前の私は分からなかった。けど、あの男の言動や他の被害者達の状態を見て分かった……私のこの体、もしかしたら時間経過で元に戻れなくなる可能性があるって考えていたんじゃないの? だから大して仲良くない私でも、人間に戻れなくなるのはどうにかしようと思ったんじゃないの?」

「……」

「物語でよくある話よね、変貌した異形の体に慣れ切ってしまったら元に戻れなくなるなんて話……だからアンタは急いでた。超能力とか言う意味の分かんない力によるその可能性を考慮して、出来るだけ早い段階で私の体を元に戻すチャンスが巡ってくるように立ち回っていた。そうでしょ?」

 

 

 「残念だったわね」、そう言って彼女は振り返る。

 私を見上げる小さな双眸は人とは思えないほど無機質なものだった。

 

 

「アンタの考え、そう間違ってなかったみたい」

 

 

 彼女はそう言った。

 

 

「アンタは充分早く動いていた。多分他の誰が私を助けたとしても、ここまで早く行動は起こさなかったし、そもそもアンタみたいな頭のイカレた奴じゃないと助け出すことも出来なかった。だから、アンタに責任はこれっぽっちも無い。これ以上は出来なかった。アンタは本当に、よくやってくれたんだと思う。……でもね、多分もう遅いんだと思う。取り返しは、つかないんだと思う」

 

 

 彼女は途中までまるで気にしていないような口調で話していたのに、堪え切れず、言葉にするのも苦しいように詰まり始める。

 それでも私の前では最後まで虚勢を張ろうと、一呼吸置くと再び言葉を紡ぎ始める。

 

 

「時間経過でぬいぐるみに近付く。それはきっと内面や記憶まで変貌させるもの。きっとアンタが考えていた通りでしょ? 今さっき、あの男の言葉に疑問を持って、自分の事を思い出そうとしてみたの……でもね、もう私、お父さんとお母さんの顔も名前も思い出せなかった」

 

 

 それだけじゃない、と彼女は続ける。

 

 

「私の友達の事も思い出せない。私の家族の事も思い出せない。私はもう、自分の名前すらも思い出せない。私は、私を構成していた筈の大切なものを、思い出せなかった…………きっともうどうしようもないくらい、私が人間だった記憶も靄が掛かって、消えかけてるんだ。きっと、私はもう人間に戻れない」

 

 

 顔はちっとも変わっていない。

 悲し気に顔を歪ませることは無いし、涙を流すことも無い。

 ぬいぐるみの体では、相手に抱いている感情を伝えることは難しい。

 それが今は幸いだと言うように、彼女は自分が置かれた理不尽な事実を自ら口にして、小さく忍び笑いをするのだ。

 

 そして、次いで彼女は小馬鹿にするような笑い声を上げる。

 

 

「でね、人間だった頃の記憶で今思い出せるのは目の前にいるアンタの事。本当に皮肉なんだけど、他の大切なことは何もかも忘れている癖に、アンタがすぐ傍にいるからなのかアンタの事だけは思い出せる」

 

「私ね、アンタの事嫌いだった」

 

「入学して早々、暗くて、周りの人の過剰に配慮していて、自分に自信が無さそうで、それでいてとびきり優秀なアンタが嫌いだった。結果を残している癖に、少しも誇ろうとしないアンタが嫌いだった。私を見ないアンタが嫌いだった」

 

「いつか見返してやろうと思ってた。いつか私を見るようにしてやろうと思ってた。いつか私を褒めさせてやろうと思ってた。いつか私はアンタと……ううん、これは忘れちゃった」

 

 

 最後の言葉を飲み込んで、彼女は最後まで私を馬鹿にするような態度を貫いた。

 

 嫌われるような態度を貫いた。

 見捨てて欲しいと言うように、私を馬鹿にするような言葉を吐き捨てた。

 

 そんなふざけた様子を見せているのに、私には今にも泣きだしそうにしか見えなかった。

 

 

「もし助けられてもね、私のアンタに対する態度が変わることは無いわ。私はどうしようもない恩知らず。助ける価値なんて無い馬鹿なヤツなのよ。だから、私を助けたところでアンタには何の得も無い。アンタが嫌いな私がぬいぐるみから戻れなくても、アンタの日常には何も影響なんてない。むしろ、良かったわね。アンタの日常を乱す奴がいなくなって。きっとこれまでよりも過ごしやすい学校生活を送れると思うわよ」

 

 

 そこまで言って。

 自分を見詰め続ける私の様子が変わらないのを見て、彼女はゆっくりと視線を床に落とした。

 

 顔を俯けて、血を吐くように言葉を続ける。

 ただ生きたかっただけの、私と同じ年齢の人が自分自身の事を諦めたように、言葉を続ける。

 

 

「……嫌われ者の私の事なんて見捨てなさいよ。良いじゃない。こんな奴が一人クラスからいなくなったって。何も変わらないわよ。誰も佐取を責めないし、誰も不幸になんてならない。誰も私の事を好ましく思っていないのは分かっていたもの。佐取が本当に優しい奴だって事は、ここまで私を助けようとしてくれた事でもう充分、分かっているから……私は、私が羨む佐取のものを一つだって持てていないから…………だから、私を置いて、佐取は無事にここから帰りなさいよ。私が私でいる内に、私がアイツの所有物のただのぬいぐるみになる前に」

 

 

 何を言っているんだろう。

 何を言わされているんだろう。

 彼女はこんなことを言わなくてはならないほど、追い詰められるべき人なのだろうか。

 

 なんて、そんな事をそう思う。

 

 

「最後くらい、私がアイツらの気を引いて、佐取が逃げられるよう頑張るから。優しい佐取が無事に帰れるよう頑張るからさ。私が私を誇れる最後のチャンスだと思うから」

 

 

 そんな事を考えたら、私はいつの間にか強く拳を握っていた。

 何とか抑えていた色んな怒りが、彼女のそんな姿を前にして噴き出して。

 

 

「お願い佐取、私を置いて――――」

「そう言えば私、朝ビンタされた仕返しをしてませんでしたね」

「――――ぷへぇっ!?」

 

 

 だから、思いっきりデコピンしてやった。

 

 本当は朝の仕返しにビンタしてやりたかったが、ぬいぐるみ状態の彼女にやるとシャレにならない。

 だから諦めて、これで勘弁してやろうと思う。

 

 頭を押さえ何が起きたのか分からないといった風な彼女に、私は意地悪気に笑ってやる。

 

 

「絶対朝のビンタの仕返しはしてやろうと思っていたんです。ぬいぐるみ状態の姿に溜飲が下がりすぎて忘れるところでした。思い出させてくれてありがとうございます」

「はっ!? はぁ!?」

「それと嫌いですか? 随分可愛らしい嫌悪じゃないですか、私が貴方の事を普段どんなふうに考えているか知ったら、自分の嫌悪がいかに無害で悪意の無いものかと驚くことになると思いますよ」

「あっ、アンタ……!? 何を言って……!?」

 

「――――間違っているのよ、鯉田岬さん。貴方、本当に間違いばっかり」

 

 

 目を白黒とさせるように、動揺を隠し切れない彼女に私は告げる。

 

 

「鯉田さんこそ私を見誤ってないですか? 誰が、単なる同情で、危険な場所に飛び込むんですか? 見知らぬ誰かがぬいぐるみから戻れなくなったら可哀想だから自分の身を危険に晒す? 私がそんな聖人のような人間に見えましたか? 残念でしたね、本性はこんな人間ですよ」

 

 

 私をどんな風に思っていたのか。

 隣の芝は青く見るなんて言うけれど、そんなに私は綺麗に見えていたのだろうか。

 

 彼女はとんでもない勘違いをしている。

 私は彼女が思うような聖人でも無ければ、優しくなんてない。

 私個人は世界規模で見てもとんでもない悪人だと我ながら思うのだ。

 

 彼女が憧れるような綺麗なものなんて、私には存在しない。

 誰かよりも優先されるような綺麗さは、持ち合わせてなんていない。

 彼女は間違っている、何もかも間違っている。

 

 私はもう取り繕う気も失せて、これまで思って来た事を全部吐き出してしまうことにした。

 

 

「くだらないアホみたいな嫉妬を晒して、馬鹿みたいに私に絡んで何とか対抗しようとして、何かしらで鼻を明かしてやろうと影で見当違いの方向に努力し続けている私の嫌いなチャラチャラとしたギャル子」

「ふぐぅっ……そ、そこまで言わなくても……」

 

 

 積もり積もったそんな私見。

 彼女と言う個人に対する見解を吐き出してしまえば、言葉はもう止まらなかった。

 

 

「それでいて何時まで経っても諦めが悪くて、手段を選ばない性悪さがあって、自分に自信が無い癖に友達にだって虚勢ばっかりで、愚直で懲りない、努力の方向性を間違った、とんでもないアホみたいな努力家の鯉田岬って言うクラスメイト」

 

 

 色々思ってきたことはある。

 色々見てきたことはある。

 

 それら全てを取りまとめて、結局私が彼女に抱いたのは大した事じゃないのだ。

 

 

「…………別に、私はそんなに嫌いじゃないんです。だから、私は今ここにいるんです」

「――――」

 

 

 泥に塗れる様に努力を続ける彼女の方が、私には綺麗に見えていた。

 それだけの事なのだ。

 

 

 くしゃりと、鯉田さんの顔が歪んだ。

 

 

 泣いているのだろうか。

 折角の鯉田さんの泣き顔、どうせならぬいぐるみじゃない時に見たかったと心底思う。

 

 ……ああ、また彼女の体を元に戻す理由が出来てしまった。

 なんともまあ、性格の悪い私らしい、立派な行動理由だろうと思う。

 

 

 けたたましいパトカーのサイレン音が遠くから近付いて来る。

 書斎の奥にある窓から警察車両の赤い光が見え始め、近くで停車したのが分かった。

 音や光の具合から複数台の車両が、私達がいるこの屋敷を取り囲んでいるようだ。

 

 恐らく、私が連絡した警察のエースさんが権力を振るってくれたのだろう。

 正直、ありがたかった。

 

 

「どこだァ!!! 逃げても無駄なんだよォ!!! お前はぬいぐるみから戻れない!! 俺の力は生き物からぬいぐるみへの一方通行なんだからなァ!!」

 

 

 廊下から男の咆哮が聞こえてくる。

 怒りに満ちた男の叫びは、私の予想内容を正しいと補強するものだ。

 

 

「見ただろう出来損ないの生き物達を!! 興味も無い物へなんてどう変えれば良いか俺にも分からないんだよ!! だからお前は俺の持つ他のお友達と一緒に居るのが一番幸せなんだよォ!!! 分かったら、ありもしない希望なんて持ってないでさっさと出て来い!! 今なら酷い事はしないからさァ!!!」

「……そうよ。アイツが、あの男がぬいぐるみにした人を戻す方法なんて手に入れている訳が……佐取の気持ちは、嬉しいけど……」

 

「関係ないんです、そんな事」

 

 

 私はもう身を隠す事を止めて立ち上がる。

 驚く鯉田さんを持ち上げて、隠れ場にしていた机の上に置き、私はその前に立つ。

 クルリと逃げ道として見ていた窓に背を向けて、私は大量のぬいぐるみとあの男が待ち構えている廊下へと向き直った。

 

 背後にいる鯉田さんを守るように。

 私達に気が付いた男が大量のぬいぐるみと共に書斎に足を踏み入れるのを正面から見据える。

 

 

「見つけたぞっ!! さっきはよくもやってくれたな!!! お前はもうぬいぐるみにするのも惜しいッ! 俺のぬいぐるみ達に体を少しずつ千切って貰ってっ、生きながらに地獄の苦痛を味わわせてやるっ……!!」

「……取り敢えず、警察が駆け付けて異能を使う男を逮捕する。シナリオとして及第点は取れたと思います。ええ、私としては充分です」

「逃げ場と対抗手段を無くして気でも狂ったか!? 例えそうだろうと、お前の未来は変わりないんだよッ……!! お前らっ、そこにいる女を引き千切れぇ!!!」

 

 

 そう言った男の声に従って、大量のぬいぐるみが私目掛けて押し寄せる。

 これから私に訪れる未来を思い描いた鯉田さんの悲鳴が響き、男の下劣な笑い声が響き、ぬいぐるみ達が一斉に押し寄せる音が響き。

 

 

「鯉田さん」

 

 

 私は。

 

 

「目を閉じて、耳を塞いでいてください」

 

 

 異能を解放する。

 

 

「――――私の声は聞こえますか?」

 

 

 私は一歩を踏み出した。

 

 私と男までの間で、それぞれが見当違いの方向へ飛んだぬいぐるみ達の隙間が道となる。

 綺麗に整列されたぬいぐるみ達の道が出来上がり、男の支配下にあったぬいぐるみ達は糸が切れたように動かなくなる。

 

 それはまるで唐突にぬいぐるみ達が死を迎えたような光景だった。

 

 

「私の姿は見えていますか?」

 

 

 目の前の異常事態に男が目を見開き、鯉田さんは言葉を失う。

 あれほどいた理性の無いぬいぐるみ達が一斉に無力化された異常事態を彼は理解できない。

 

 そしてその僅かな間で、私はさらに男に近付いた。

 

 

「私は何に見えますか?」

 

 

 男が正気を取り戻し、咄嗟に私をぬいぐるみに変える異能を使用しようとするがもう遅い。

 

 異能があらぬ方向へと逸れ、私に届くことは無い。

 男の認識が歪み、私を認知することは出来ない。

 世界の色が、赤と黒に支配される。

 

 私と男の距離が、消えて無くなる。

 

 

「――――貴方の世界は今、何色ですか?」

 

 

 悲鳴も無く、声も発せず、目を見開き、恐怖に彩られた男が尻もちを突いて私を見上げた。

 まるで埒外の怪物を前にしたかのように、血の気を失ってガタガタと震える男が大量の汗を掻いて動けなくなっている。

 

 そして、男の顔を私は掴んだ。

 

 

「ひっ、ひっ……!」

「……不用意に“ソウルシュレッダー”しなくて良かった。異能が残ってないと、治せないですからね。自己の欲望で他者を貶め、他人の生を何とも思わない愚図だけど、やったことは取り返させないと被害者達が可哀そうですもんね」

「おまえっ、おまえっ、まさか……! まさか、お前も俺と同じなのか!? なんでだよっ、俺はっ、ただっ、俺の芸術を完成させたかっただけなのにっ……! 争いなんて、望んでいないのにっ……!! どうしてお前みたいのが……! い、いやっ、いやっ、まだだっ!! 不用意に俺に触れたなっ!? 俺のこの力は、触れた時が最も強く生き物をぬいぐるみにするん」

 

「ねえ。異能って、どこから出力されるか知ってる?」

 

 

 質問に、男が返答するのを私は許さない。

 

 

「答えはね、頭よ」

「■■■■■■――――!!!???」

 

 

 私は強制的に男の異能を発動させた。

 私が望むままに、性能や出力を私の異能で無理やり捻じ曲げ、指向性を持たせ、男が作り上げた世界を破壊する。

 

 引き裂かれた血の痕のように男の異能の出力が宙に飛び散り、男の背後に真っ赤なひび割れが走り、周囲に倒れて動かなくなっていたぬいぐるみ達の姿が変貌していく。

 

 出来損ないの犬は可愛らしい犬のぬいぐるみへ。

 人型のぬいぐるみは行方不明として探されていた人達へ。

 机の上で呆然とこちらを見ていた小さなぬいぐるみは、私のクラスメイトへ。

 

 全てが元に戻っていく。

 

 

「――――■■オォ……ア、オ…………」

 

 

 ドサリ、と。

 私が手を離すと、糸の切れた人形のように絶叫を上げていた男はその場で完全に意識を失い床に崩れ落ちた。

 白目を剥いて、泡を吹いて、生きているのか死んでいるのか分からない程ピクリとも動かない男への興味は、今の私にはもう存在しない。

 

 

「な、なに……これは、どういう事……? わ、私の体が、元に戻って……戻れてる……? どうして……? ……さとり……?」

 

 

 私はただ、背後から掛けられた少女の声に黙ったまま振り返った。

 

 

 

 



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素直になれない誰か

 

 

 

 

 23人もの行方不明者の誘拐されていた事実が判明し、超能力を所持した犯人の逮捕に至った一連の事件。

 正式に、“無差別人間コレクション事件”と呼称されるようになったこの一件の結末は、事情を知らないほとんどの人からすれば非常に呆気ないものだった。

 

 二人の女子高生から友人が荷物を残していなくなったと相談を受けた。

 異能対策部署の人間に助けを求めるメッセージがあった。

 交番に動くぬいぐるみを連れた女子高生が超能力を使った犯人にぬいぐるみにされた、助けて欲しいという駆け込み相談があった。

 

 そして、相談者であった女子高生から犯人の家の場所の連絡があり、そこに在住の男の顔写真を、消息を絶った女子高生の友人達に見せた所、行っていたカフェで見かけたと言う証言もあった。

 

 それらを踏まえて男が暫定的に、最有力の容疑者として見られるのは当然だったのだ。

 

 それから、助けを求めるメッセージを直接受けた異能対策部署の一員、一ノ瀬和美により異能犯罪対策として設けられていた特例の措置が行使され、警察は男の住居に急行。

 証拠不十分だ、この責任は誰が取る、と言った者達の言葉を跳ねのけ、強権を振るって犯人と思われる者の屋敷を囲った一ノ瀬和美達の前に現れたのは、犯人と思われた男。

 

 抵抗しない、警察に見付かると思わなかった、被害者達は解放する、なぜこんな事に執着していたのか分からない。

 ガタガタと震えながら自分を囲む警察達に怯える様にそう言った男と共に、被害にあっていた23人の行方不明者と女子高生二人が屋敷から救出され、被害者達との証言とも合致した事で、この事件は幕を閉じる事となったのだ。

 

 超能力と言う現象を手に入れただけの、小心者の男が引き起こした誘拐事件。

 そんな風に、この一件は片が付いたのだ。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 翌日の学校で、袖子さんは持参した新聞紙を広げ鼻息を荒くしていた。

 勿論何についてかは考えるまでも無い。

 

 

「燐ちゃん見て見て! やっぱり私が考えていた通りの人達が事件に巻き込まれてたよ!それも超能力がらみの事件だった!」

「袖子さん……学校に来て早々新聞読んでるのって……随分と、その、年を感じさせると言いますか……いやまあ、誘拐されていた皆さんが無事に帰れたみたいで良かったですよね」

「ふっふっふっ……燐ちゃん、まずは私の的確な推理も褒めるべきだと思う。誘拐されていたほとんどの人を何かしらの事件に巻き込まれたと勘付いていた私のファインプレーを……!!」

「あ、はい。野性的な直感の鋭さは流石だと思います」

 

 

 そんな風に。

 昨日巻き込まれたあの事件についての話で、袖子さんはこれでもかとばかりに盛り上がっていた。

 まあ確かに、袖子さんの話があったから私も解決に動けた訳だし、彼女の能力の高さは私だって重々承知している。

 

 だが、それをしっかりと褒めるかどうかは話が別だ。

 この娘をあまり調子に乗らせると、いずれ本当に危ない事件に首を突っ込みかねない。

 少なくとも私はそんな確信を持っていた。

 

 

 鯉田さんが巻き込まれたあの事件はつい昨日の夜の事なのに、話題性が高いものだったからか今朝の新聞には簡単な詳細が載っていた。

 朝のテレビのニュースにもなっていたから、もはや今回の件は世間では周知の事実なのだろうが、それを即座に見つけて反応する袖子さんは流石だとは思う。

 

 そして当然ここまで周知の事実となると、この話題で盛り上がっているのは何も袖子さんだけではない。

 神薙隆一郎の一件以来となる異能を行使した犯罪事件の解決に、教室中がその話で持ち切りとなっていた。

 

 

「中学生から老人まで、性別関係なく超能力でぬいぐるみにして誘拐してたらしいよ」

「こわぁ……でもさ、結局警察の人達には逆らえなくて解決されちゃうんだね。なんだか安心したぁ……」

「確かに。意外とさ、超能力も大したことないんじゃないか? テレビが不安ばっかり煽るから変に緊張してたわ」

「それにこの前の超能力の犯罪からもう数か月でしょ? 頻度も少ないし大したこと無さそうだよね」

「そもそも人をぬいぐるみに変える超能力って、なんか、力だけを見るとファンシーで可愛らしい力じゃない? 全然怖くないって言うか」

 

 

 わいわいと、クラスメイト達の気楽な会話が聞こえてくる。

 学生の身であまり危機感を感じて怯えていてもどうかとは思うが、ここまで楽観的な会話ばかり聞こえてくると、巻き込まれていた(私は自分から飛び込んだが)身としては思う所が出て来る。

 

 人には正常性バイアスなる心理現象があることは理解しているが、危険性すらまともに感じていない人達の様子には特に。

 

 そしてそれは彼女も同じなのだろう。

 教室の扉を大きな音を立てて開き、入ってきた彼女の顔はいかにも不機嫌そうだった。

 

 

「……チッ」

 

 

 ギャル子さん、鯉田岬さんは教室で気楽な会話をしていた人達を睨むように見て、そのまま自分の席に突き進み鞄を置いた。

 鯉田さんに目を付けられたくない人達が明らかに不機嫌そうな彼女の様子を見て、それまでの声量を落とし目立たないように体を小さくしている。

 そもそもこの教室には我が強い人はあまりいないから、気の強い鯉田さんに反抗するような人は限られているのだ。

 

 見るからに不機嫌そうな鯉田さんの態度に、限られた人である袖子さんが反応する。

 

 

「……何アイツ、なんだか今日は特別不機嫌そうじゃない?」

「……ま、まあ、そうかもしれませんね。そういう時もありますよ」

 

 

 すっかり出来上がった鯉田さんと袖子さんの敵対関係。

 袖子さんの今の姿は多少違うが、実際はチャラチャラとしたギャル同士の争いなのだ。

 是非とも私の預かり知れないところで勝手にやっていて欲しいと心底思う。

 

 だが、そんな私の想いとは裏腹に、鞄を机に置いた鯉田さんはチラリと視線を向けて来る。

 先ほどまでの喧騒が無くなった教室の中、彼女の視線がまっすぐ私に向いていた。

 

 

「……おはよ」

 

 

 そして、鯉田さんはわざわざ私の所へ挨拶に来やがった。

 彼女の行動に私がお腹を押さえて小さくなるのと、袖子さんが狐につままれたような顔をするのは同時だ。

 

 

「は? 今の挨拶私にしたの?」

「あ? 誰がアンタなんかにするか。私がしたのはそこの……佐取によ。佐取、おはよう」

「ふっぐぅっ……!!」

 

 

 お腹が痛くなる。

 またいつもの喧嘩かと、周りのクラスメイト達が遠巻きに眺め、鯉田さんの友人達は状況を窺うようにそろりと近付いて来ている。

 

 ひたすら困惑する袖子さんがキョロキョロと私と鯉田さんの様子を交互に窺う。

 こんな注目を集めている中で返事なんてしたくはないが、不安そうに揺れる鯉田さんの目を見て私は仕方なく顔を上げた。

 

 

「……鯉田さんおはようございます。良い朝ですね」

「!!??」

 

 

 驚愕する袖子さんとは反対に表情を明るくする鯉田さん。

 彼女は髪の先を片手でいじりながら会話を続けようとする。

 

 

「あんまり天気は良くないわよ? 昼には雨が降るみたいだし……まあ、悪くない朝だとは思うけど」

「調子は大丈夫ですか? その、まあ、昨日の事が体調に影響無いか気になりまして」

「うん……おかげ様でね。少し寝不足だけど、それだけ」

「それは良かったです」

「うん。じゃあ、私は席に戻るから。その……また後でね」

 

 

 満足したような笑顔を浮かべた鯉田さんが、さっと背を向けて席に戻っていった。

 何がしたかったのかはさておいて……昨日からずっと気に掛かっていた事がひとまず大丈夫そうだと知れて、私は酷く安心する。

 

 どうやら、鯉田さんは私の異能の件を誰にも言うつもりは無いらしい。

 鯉田さんとの会話の中で必死にその点を重点的に読心していたが、危険性は皆無に近いようだ……多分。

 

 

(と、取り敢えず、誰かに話す意思は微塵も無かった。で、でも怖い、異能を使って口封じをしないってこんなに怖いのっ……!?)

 

 

 今まで感じたことの無い恐怖にやられ、私はお腹を押さえたまま机に突っ伏した。

 

 

 

 ――――頭を過る昨日の光景。

 

 あの犯人である男を無力化した後。

 私は自身の規格を越えた異能の強制出力により意識を失った男に必要な措置を施した。

 

 内容は……まあ、大したものでは無い。

 私の異能は精神干渉だが、記憶を意識的、無意識に引き出すには少なからず精神が関わる。

 この二つは切っても切り離せない関係にあるものなのだ。

 

 だから、本当の記憶操作を持つ異能には数段劣るだろうが、それなりに記憶の操作、と言うか記憶の誤認をさせることが出来る。

 直前の私の異能使用の光景を思い出し辛くさせ、不自然が無いように記憶と意識を調整し、自分を追い詰めている警察へ過剰な恐怖を抱くよう細工した。

 後はいつも通り、私の定義する善人になれるよう他者へ危害を加えることに躊躇を覚えさせた上で、この男のぬいぐるみへの異常な執着を消し去った。

 異能は消さなかった、異能を使った犯行だと証明させるためにも必要であったし、私の細工で危険性はほとんど無くなったからだ。

 

 そうやって色々と細工して、私の都合の良いように事件を解決させる準備を済ませた。

 

 問題はここからだった。

 

 机の上に座る形で呆然とする鯉田さん。

 人間に戻った彼女の状態を確かめるのと、記憶や精神に摩耗があって自分の名前や周辺の事を思い出せないようならば、それの治療を行う必要もある。

 ……そして何よりも、他のぬいぐるみにされた被害者達とは違い、現状を理解できるだけの知性が残っていた唯一の存在である彼女の記憶を都合の良いように誤認させる為に、私は鯉田さんへと歩を進めたのだ。

 

 

「も、戻れた? 体が……私は鯉田、岬、全部思い出せる。本当に、戻れてる……」

 

 

 呆然と自分の手を確認し、頬を触り、声の調子と記憶の状態を確認していた鯉田さんは目の前に立った私に気が付いた。

 顔を上げ、近付いて来る私を見た。

 

 

「さ、さとり……? アンタ、なんでそんなに、怖い顔をして……」

 

 

 正面に立った私を見て、鯉田さんは表情を固くした。

 普段は私よりも頭一つ分は大きいのに、今の彼女は私よりも体を小さくして震えている。

 

 目元に涙を浮かべて私を見る鯉田さんは、救われた被害者の姿からは程遠かった。

 

 

「さ、佐取……あの男と同じ、超能力を持ってるの……? これまでもずっと?」

 

 

 恐怖が伝わってくる。

 私に向ける感情が、つい先ほどまでとは全く異なるものになっているのが分かる。

 未知なる力への恐怖。特に、自分の体をぬいぐるみにした力と同種となれば、それはさらに強いものになるのは当然だ。

 

 今までの知り合いが隠していたことを知って、裏切られた気持ちになるだろう。

 これまでどんな時に力を使われていたか、疑いたくもなるだろう。

 そして、隠し事を知ってしまった自分に対してその力がこれからどう使われるのか、きっと考えてしまう筈だ。

 

 けれど、私に対する恐怖は確かに抱いているのに、同時に彼女の中ではそれよりもずっと強く、私を信じたいと言う気持ちがあるのが視えた。

 

 いつの間にか彼女は、強く、私を信頼していた。

 

 だから私は彼女に告げる。

 

 

「……鯉田さん、私がこの力を隠していた事は分かっていますよね? 私がこれから何をするか、想像が付かない訳じゃ無いですよね?」

「私……私を……」

 

 

 私の問い掛けに、鯉田さんは視線を落として言葉に詰まる。

 そして、私の異能の力がどんなものか分からず、これから何が起こるのか全く分からない状況で、精一杯考えて私の問い掛けを飲み込んだ彼女は、ゆっくりと顔を上げた。

 

 彼女は逃げることなく私に笑い掛ける。

 

 

「…………いいよ、佐取の好きにして。これまでずっと助けてくれたんだもん。今更佐取を疑うつもりなんてないから。佐取が都合の良いように、その力を使ってくれて良いからさ。ただ……もし後で言えなくなったら嫌だから。言いたい事を一つだけ、言わせて欲しい」

 

 

 そう言って、彼女はゆっくりと続ける。

 

 

「……私を助けてくれてありがとう」

 

 

 「これだけだから」と言って、じっと彼女は私を見詰める。

 ぬいぐるみにされていた時のような事があっても良いようにと、言いたい事をすべて吐き出した彼女の表情は固い。

 

 それはいつか――――目に涙を溢れさせて私を見ていた桐佳の姿と重なった。

 

 随分昔のように思えるあの光景を連想してしまう。

 鯉田さんのそんな姿に、私は諦め、目を閉じて、彼女の手を取った。

 

 

「……お家に帰りましょう」

「……え?」

「鯉田さんの家族も心配してますし、舘林さん達もきっと心配してますよ。だからもう、今日は良いじゃないですか。鯉田さんも……私も疲れました。一刻も早くお家に帰りましょう」

「え? え? そ、そんな感じで良いの……? ちょっ、ちょっと待ってよ!?」

 

 

 だから私は鯉田さんに何もする事なく、彼女の手を引いて歩き出したのだ。

 そうやって、私の秘密の一端を知った鯉田さんとの会話を終えた。

 

 ……そもそも悪意を持った異能に晒されて理不尽に傷付けられた彼女をこれ以上異能で何かしようと言うのも気が進まなかったのだ。

 それに、私に対して悪意を持ってもいない相手をどうこうしようと言う程、今の私は見境無しではない。

 

 だから仕方がない、仕方が無かったのだ。

 きっと今の私があの場面に戻れたとしても、私は同じ選択をする筈だ。

 

 だがいくらそう思い込んだところで、私にとってこれまでにない不安材料となった事だけは確かなのである。

 

 

(……異能を使っての口封じをしないなんて初めての経験過ぎて……。異能を持ってない人達って、いつもこんな不安を持って生活しているのかな……? でも……でも、神楽坂さんの時はこんな感じじゃなかったのに……どうして……)

 

 

 そんな昨日の事を思い出し、溜息を吐く。

 こんな事を考えるくらい弱り果ててしまった私は一人、昼休みの時間を利用して袖子さんと友好を築くまでの定位置である屋上前の階段で膝を抱えていた。

 

 これまで鯉田さんの様子を遠目から眺めた限り、私の秘密を誰かに話すようなそぶりは無い。

 

 楽しそうに、ギャル友や舘林さんと何かを話していた鯉田さんは昨日の事など無かったかのように晴れ晴れとしていたし、何なら私の話題すら彼女達の間では出ていなかった。

 ただ、今日はよく鯉田さんと目が合ったので、やっぱり彼女も私が気になっていたのだろう。

 気恥ずかしそうに、手櫛で髪を整えながら目を逸らす鯉田さんの姿が懐き切っていない小動物を連想してちょっとだけ癒されはしたが、やっぱり不安は絶えない。

 

 ……一応マキナと言う情報統制に関しては最強の保険がある。

 それを加味すれば、悲観するほど状況は悪くないのだ。

 

 マキナは情報統制の役割を担ってもらう為に生み出した存在であり、こと情報の流出を防ぐ面では私が知る限りどんなシステムよりも完成度が高い。

 何ならこれまでのただ私の溜め込んだ異能の出力を放出するだけの暴力装置としての活用法よりも、そちらの方が正しい運用と言っても過言ではない。

 

 

「……神楽坂さんの時こんなに不安にならなかったのは、あの人が絶対に口外しないって自信があったからなのかな」

 

 

 “紫龍”の時の状況と似通っているのに、あの時は感じなかったような不安を強く感じて、私はそんな自己分析をする。

 そうやって考えていけば、私にとって神楽坂さんと言う協力者の存在は本当に貴重なのだろう。

 

 ……秘密の一端がバレたからと言って、居心地の悪さを感じて距離を取るのは却って状況を悪化させかねない。

 今回の件も考えると、早急に神楽坂さんとの関係回復に努めなくては、なんて思う。

 

 

(――――御母様、対象『K』が接近中)

 

「……対象『K』って……普通に鯉田さんで良いじゃん……」

 

 

 思わずマキナの言葉に突っ込みを入れる。

 マキナからの警告に従い視線を上げていれば、しばらくして階段を上って来る音と共に息を切らした鯉田さんが顔を覗かせた。

 

 

「こ、こんなところにいた。山峰の奴が佐取に昼食を断られて灰になってたけど、一人になりたかっただけなのね。探したわよ……もう」

「ここは私のお気に入りなんです。袖子さんと仲良くなる前、私はここを根城にしてたんですからね」

「なんで自信満々なのよ……と、取り敢えず隣座るからね」

 

 

 なぜ、なんて言う間もなく鯉田さんは私の隣に腰を下ろす。

 息は切れているし、隣にいる私に熱が伝わってくるほど体温も高い事から、しばらく私を探して回っていただろう事が窺えた。

 

 手足を伸ばしてリラックスした様子を見せる彼女に、私はジト目を向ける。

 

 

「……私のスペースに勝手に入ってきた……」

「あーあーうるさいわね。学校に個人のスペースは無いんだから文句は受け付けないわよ」

「尻尾みたいな髪の毛が顔に当たってくすぐったい……」

「私の髪、手入れを欠かして無いから良い触感でしょ。触らせてあげるから役得と思いなさいよ」

「…………確かに良い匂いですね。まあ、私も昔は髪長くしてたので手入れの大変さは分かってるつもりです。ふむふむ、これは中々良い腕してますね」

「あ、ちょっ!? 鼻を押し付けて匂いを嗅ぐな馬鹿っ!?」

 

 

 触らせてあげると言われたので言葉に甘えたら、顔を掴んで押し退けられた。

 顔を真っ赤にして本気で拒否する姿勢にちょっとだけ傷付きながら、私は彼女がここに来たであろう本題に言及する。

 

 

「……それで、何が聞きたいんですか?」

「えっ!? な、何がよ?」

「何も無かったらわざわざここまで探しに来ないでしょう? 別に、怒らないですから聞きたい事聞いて良いですよ。全部答えるとは限りませんが」

 

 

 私の指摘に視線を泳がせて動揺した鯉田さん。

 彼女は何を口にするべきかと言葉を選びながら、自分の髪を弄り始めた。

 

 

「あー……えっと、そりゃようやくこうして二人きりになれたんだし聞きたいことは一杯あるんだけど。取り敢えず、その、昨日の事は口外してほしくないって事で良いのよね?」

「……家族にも言ってない事なので、秘密にしてもらわないと困ります」

「そ、そっか。うん。別に誰にも言うつもりは無いけど……家族も知らない事なんだ……」

 

 

「山峰も知らないんだ……」と呟いた鯉田さんは少しだけ上機嫌になる。

 

 

「じゃあさ、なんでもっとそういう力を使わないの? もっと色んなことに使えば良い生活出来るだろうしさ。それとも、実はこっそり使って生活してるの? 正直私の比較する他の例があの男しか無いから、超能力にどういう力があるのかよく分かってないけど……昨日もずっと出し惜しみしてたみたいだし……佐取はどうしたいって思ってるの?」

「私は……」

 

 

 鯉田さんの問いに、私は改めて考える。

 神楽坂さんと出会ってから色々と事件に首を突っ込んではいるし、変わりゆく情勢に対して色々と策を弄してはいるが、私のやりたい事はあの頃から変わりはない筈だ。

 

 

「私は……普通に生きたいんです。超能力があるとかじゃなくて、特別な人間として生活したいんじゃなくて。普通に学校生活を送って、普通に家族が平穏に過ごせて、私の周りの人達が理不尽な目に遭わず幸せだったらそれで良い。だから、この力を悪用してどうしようなんて思わない。普通に生活できる必要最低限の使用をするって決めてるんです」

「……そっか。なんだか、佐取も大変そうね。アンタの超能力がどんなのかは知らないけど、日常生活でおいそれと使えるようなものじゃないんだろうしね」

「そ、そうですね」

 

 

 優し気な鯉田さんの労わるような言葉。

 良い方に捉えてくれているようだが、読心出来ます、と言ったらどんな反応するのだろうと思ってちょっと顔が引き攣った。

 悟り系の能力って嫌われるのが常だし、流石に好意的に接してくれている鯉田さんも、洗脳さえもできるヤバい力と知れば警戒することは間違いない。

 

 そこら辺は話せないかと頭の中で区切りを付けていれば、鯉田さんはぼんやりと呟く。

 

 

「……でも、それならどうして佐取は私を信じてこうして色々話してくれてるの? 私を、その超能力を使って言う事を聞かせるとか、口止めをするとかしないのはどうして? 普通に生きたいならこんな秘密知ってる人がいない方が良いんじゃないの?」

「いや別に……確かに鯉田さんが私を陥れてやろうとか考えていたらそういう手も取ったかもしれませんけど、そうじゃないから穏便にやろうとしているだけです。鯉田さんは割と性格悪くて性悪な事をしますけど、借りとか恩とか無下にする人ではないでしょうし、人が本当に嫌がる事はしないと思っているので」

「なっ――――何よっ、なんだか見透かされているようで腹立つわねっ……!! ……でも、そうね。佐取は私をぬいぐるみのまま放置したって良かったんだもんね。本当は見捨てるのが一番自分の為になる行為なのに、それを曲げて助けてくれたんだもんね。わ、私だって、佐取の事嫌いじゃないし……助けてくれた人の嫌がる事は、したくないし……」

「えっと、だから違いますってば。私に感謝してくれるのは嬉しいですけど、私、鯉田さんの事嫌いじゃないって言ってるじゃないですか。嫌いじゃない人が目の前で危ない目に遭っていたら、誰だって助けようとは思うじゃないですか。一番為になる行為がどうとか、そういうのを考える話じゃなかったんです」

 

 

 感謝されるのは嬉しい。

 気を遣ってくれたり、不都合が無いよう考えてくれたり、褒めてくれれば私は喜ぶだろう。

 けど、それを誰かに押し付けようとは思わないし、私は私の行為を称賛されるようなものだとは思っていない。

 

 あくまでこれは、私のやりたい事の延長だから。

 

 

「私は誰をも救うヒーローになんてものにはなれないですけど。これからも、私は目の前で理不尽な目に遭う人くらいは助けようと思ってます。それが私の望む普通の生活なんです。だから、鯉田さんがまた危ない目に遭っていたら、ちゃんと助けに行きますから」

「…………佐取」

 

 

 ぼんやりと私を見詰めていた鯉田さんが、数秒を経てハッと正気を取り戻す。

 顔を逸らし、視線が合わないよう体勢を変え。

 

 しばらくそうして、鯉田さんは勢いよく立ち上がった。

 

 

「――――アンタは何でそうこっ恥ずかしい事を臆面も無く言えるのよっっ!? 馬鹿じゃないの!? アホじゃないの!? こっちが恥ずかしいのよアンポンタン!!」

「いきなりの罵倒!? い、命の恩人に向かってよくもまあそんな態度をっ……! このっ、派手派手空回り性悪ギャル子! そんな恰好恥ずかしくないんですか!?」

「恰好なんて私の勝手でしょう! 今は私にとってこれが一番お洒落なの! 私から言わせれば佐取の化粧気の無い格好の方がよっぽどダサいのよ! 恥ずかしくないの!? 地味子!」

「地味っ……!? ふぐぅっ……」

 

 

 予想外の暴言に怯み、私はちょっと涙目になる。

 激しく私を罵った鯉田さんはそれで満足したのか、暴言を辞めると私の手を取った。

 

 昼休みはまだもう少しある筈だが、この人の事だから教室に戻ってもやることが一杯あるのだろう。

 いじけている私の手を取った鯉田さんは、私を優しく引っ張っていく。

 

 

「よしっ、じゃあもう良いわ。一緒に教室に帰りましょう。これからも今まで通り佐取には色んな事で競いに行くけど、ちゃんと付き合いなさいよね」

「うぅ……わ、私もこれまで通り生活してくれれば何も言う事はありません。何かあれば相談してくれて構いませんが、昨日の事は忘れて、変わらない学校生活を送りましょう」

「何言ってるの。完全に昨日までと変わらない生活なんて無理に決まってるじゃない」

「え゛……」

 

 

 予想外の返答。

 鯉田さんが肯定して終わりになるかと思ったこの話だが、どうにもそうはならないらしい。

 私の手を引いて階段を降りていく鯉田さんは背中を向けたまま、ゆっくりと言葉を続ける。

 

 

「これからはさ、一緒に色んな所に行きましょう。私の友達にも紹介するし、私の家にも来てさ。一緒に食事や喫茶店に行ったり、洋服とかを買いに行ったりね。私がアンタの服をコーディネイトしてあげる。佐取の言うようにこれまで私は、虚勢ばっかで素直になれなかったけど……本当は私、佐取と友達になりたいから」

 

 

 それは鯉田さんがあの時呑み込んだ言葉だ。

 私に言えないまま消えた筈の言葉が、ちゃんと私に伝えられた。

 

 私にしか視えないその事実が嬉しくて、思わず笑った私に鯉田さんは振り返る。

 

 

 鯉田さんとの間にあったこれまでの関係。

 私は満足していたけれど、鯉田さんにとってはずっと引っ掛かっていたもの。

 虚勢ばかりを張っていても本当の気持ちに変わりはなくて、ずっと心の中では願ってた事。

 一歩を踏み出すきっかけにしては昨日の事は大き過ぎるとは思うけれど、それでも確かに彼女の背中を押したのは事実なのだろう。

 

 そんな彼女を視て、私は思うのだ。

 不器用で、性悪で、間違っても性格の良いとは言えない彼女だが、それでもやっぱり理不尽な悲劇に晒されるべき人ではなかったのだ、と。

 

 

「ねえ佐取……昨日頬を叩いちゃってごめんね」

「……仕方ありませんね」

 

 

 彼女の花が咲くような笑顔を見て、私は改めてそう思った。

 

 

 

 

 




これにて二部一章は終了となります!
ここまでお付き合い頂き、感想や評価、誤字脱字報告、本当にありがとうございます!

章を終えるまで、予想通り色々と時間が掛かりましたが、これからもゆっくりと話を続けて行こうと思いますので、よろしければこれからもお付き合い頂けると嬉しいです!!

また次話からは間章となりますのでご了承ください!


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間章Ⅱ‐Ⅰ
【二つ目の超能力犯罪】無差別人間コレクションについて語る


今回から間章となります!
それほど長くはありませんが、気長にお付き合いください!

……ところで話は変わりますが、前話の感想にサトリちゃんが女たらしと言うもの多く見られ非常に驚きました。
サトリちゃんはただせっせと人助けをしてるだけなのに……何か誤解をされている気がします。

こんな子が悪い事をする訳ないですし、人を騙す訳も無いですし、そもそも魔王とか呼ばれるのも間違いですね?




 

 

 

 

 

【二つ目の超能力犯罪】無差別人間コレクションについて語る その4

 

 

229 名前:名無しの犠牲者

結局超能力があっても警察のような多人数相手にはどうしようもないって事でおk?

 

 

230 名前:名無しの犠牲者

法律整備して

対策部署整えて

色んな討論を専門家も交えて行ってきて

満を持してやって来た超能力犯罪は発覚から僅か数時間で解決された

 

これで肩透かしを受けるなと言う方が無理なんよ

 

 

231 名前:名無しの犠牲者

最初にこの事件名聞いた時は背筋凍ったけど、結果酷い名前負けだったな

 

 

232 名前:名無しの犠牲者

超能力とは言っても所詮個人に備わった機能だぞ?

物語に出てくるようなどんな戦力差も覆せるようなものを想像する方がおかしい

 

 

233 名前:名無しの犠牲者

現状分かってる事件の概要って

 

最近の都内の行方不明者は実は超能力を使った誘拐事件だった

超能力は人をぬいぐるみに変える力で犯人は無差別的に相手を選んでいた

今回友人をぬいぐるみにされた女子学生が犯人から逃走、家を特定し警察に通報

警察が動いて家を包囲したら犯人は抵抗することなく即座に投降した

犯人の家からは23人の被害者達が救出された

 

こんなところか?

 

 

234 名前:名無しの犠牲者

テレビとかでは『超能力』って呼んでるのに公的な名称として使用する時は『異能』なのなんで?

 

 

235 名前:名無しの犠牲者

>>229

今回の犯人がたまたま雑魚みたいな超能力だっただけの可能性もある

 

 

236 名前:名無しの犠牲者

>>229

人をぬいぐるみに変える力だぞ

そんなんで銃器を持って囲んでくる警察を相手にどう抵抗するってんだ

 

 

237 名前:名無しの犠牲者

>>233

あと女子高生は犯人の家を特定する前に一度交番に駆け込んでたらしい

その時はまともに取り合ってくれなかったらしいけど

 

 

238 名前:名無しの犠牲者

俺は安心したけどな

ちゃんと超能力が関わる事件を解決できる準備が整ってるんだなって

 

 

239 名前:名無しの犠牲者

なお飛鳥ちゃんの超能力、物質を浮かせて飛ばす力なら警察集団をまとめて薙ぎ払うのが可能な模様

 

ただでさえ希少な超能力の中にも優劣があるんやなって…

 

 

240 名前:名無しの犠牲者

人をぬいぐるみに変える力って、概要しか分かってないだろ

 

これ、本当は相当ヤバい力の可能性無いか?

何をきっかけにして人をぬいぐるみに変えられるかは分からないし、変異させられる最大数も分からないけどさ、場合によってはどんな戦力も無力化される訳だろ

 

 

241 名前:名無しの犠牲者

超能力の議論は色々されてるけど今回の事件解決に繋がった女子高生の肝が据わりすぎということは確か

 

報道とかではさらっと流されてるけどさ

交番駆け込んでまともに取り合ってくれなかったからって家を特定してもう一回通報しようなんて、普通そんなこと考えねえよ

 

 

242 名前:名無しの犠牲者

>>234

超能力は、こっちの方が一般に理解されやすいからよく使われてる

異能は、この現象について研究が進んでいる諸外国がそう呼称してるから足並揃えるために公的な名称にはそっちを使うようにしてる

 

確かこんな理由だって、この前の議論番組で阿井田議員が言ってた

 

 

243 名前:名無しの犠牲者

まだ超能力の存在が明るみになってから一件目の事件だぞ

超能力とか言う科学で証明できないものを分かった気になるのは早すぎる

 

 

244 名前:名無しの犠牲者

神薙先生の超能力は全然公表されてないのに何で今回の事件の超能力は公表されたんだ?

神薙先生の超能力は公表するとまずい事情があるのか?

 

 

245 名前:名無しの犠牲者

超能力とかがマジなら昔冗談で言われていた若者の人間離れがリアルになるな

 

 

246 名前:名無しの犠牲者

ちな、海外の超能力犯罪はまじで最近頻発してるみたい

しかもかなり小賢しくて、徒党を組んで強盗して超能力を使って逃げるのとかやっててまともに検挙できてないらしいぞ

 

 

247 名前:名無しの犠牲者

>>240

現に超能力を所持している犯人が諦めて投降したんだからそれだけの力だったんだぞ

 

>>242

その番組俺も見たわ

神崎未来の場違い感……と思ったけど、全然普通に話を回す役割を果たしてたし、なんなら結構的を射た事も言ってたよな

 

 

248 名前:名無しの犠牲者

飛鳥ちゃんは日本が誇る正義のヒロインだから……その筈だから……

 

 

249 名前:名無しの犠牲者

あの女はこの前の密着取材中に「俺は超能力者だ」って暴れてた奴をお手玉にしてるから

 

 

250 名前:名無しの犠牲者

飛鳥ちゃん、腕はそっちに曲がらないのだ……

 

 

251 名前:名無しの犠牲者

そいつ絶対警察官じゃねぇだろ

かわいいだけでなんとかしようとするの辞めろや

 

俺は許したわ

 

 

252 名前:名無しの犠牲者

>>246

前々から海外の方が過激化するって予想はされてたからな

先進国はともかく、それ以外の国の警察機関じゃ手に負えていない感じはマジで終末世界感ある

 

 

253 名前:名無しの犠牲者

>>243

神薙先生の事件を含めたら二件目だぞ

 

 

254 名前:名無し犠牲者

人をぬいぐるみ化する超能力なんて欲しくないな

もうちょっと応用利かせられそうな物はないんか

 

 

255 名前:名無しの犠牲者

ネット市場見て来たけど超能力を開花させる系の商品一番高い奴500万超えてるやんけ

どうせ偽物だろうし、わんちゃん掛けるとしてもこんなの手を出せないわ……

 

 

256 名前:名無し犠牲者

なんで日本は海外に比べて超能力犯罪が少ないの?

 

 

257 名前:名無しの犠牲者

飛鳥ちゃんは美人で可愛くてスタイル良くて性格はちょっと悪そうなところが良いんだろ馬鹿きっと嫌そうな赤らめ顔で踏んでくれるぞ

 

 

258 名前:名無しの犠牲者

終末世界とかディストピアとか聞くと、今よりもそっちの方が幸せなんじゃないかと思うようになってきた

 

独り言だから触れるなよ

 

 

259 名前:名無しの犠牲者

>>256

なんか国民の民度とか、自分を律する事が出来るとか、そんな根も葉も無い事ばかりで特に科学的な根拠はないよ

 

 

260 名前:名無しの犠牲者

飛鳥ちゃんだけが超能力を持った警察官って有名になってるけど、それ以外に対応できる人いないのか?

流石に一人に頼りきりだと限界があるだろうし、負担も酷いことになるだろ

 

 

261 名前:名無しの犠牲者

飛鳥ちゃんと神崎未来の夢の共演は胸が熱くなったわ

神崎未来なんて子役の時から見てきたけど、最近は特に女優業も絶好調で演技も神懸ってるからな

 

 

262 名前:名無しの犠牲者

>>257

めっちゃ早口で言ってそう

 

 

263 名前:名無しの犠牲者

超能力ねぇ……

そう言えば前に国際指名手配犯の男が公園でとち狂ってる映像があったな

あれってつまり超能力同士の争いだったってことで良いんかね

 

 

264 名前:名無しの犠牲者

>>261

お前もしかして神崎未来+フェネック狂いの人?

いや、分からないなら無視してくれて良いんだけどさ

 

 

265 名前:名無しの犠牲者

神崎未来は俺も子役の最初期からのファンだよ

今はもうあの子海外映画に引っ張られるくらい有名になってるし、日本人役者としての経歴はもう歴代最高でしょ

 

 

266 名前:名無しの犠牲者

>>263

その映像何処にも残ってないんだけど、どこで見れるか知ってる?

こういうのって本来ネットの海から消えるなんてありえないんじゃなかったっけ

 

 

267 名前:名無しの犠牲者

神崎未来も芸歴長いよな

子役の時から有名だけどいくら稼いでるんだろ

 

 

268 名前:名無しの犠牲者

>>264

何のこと?

お前はどうせ貰った画像保存できた勢なんだろ?

 

 

269 名前:名無しの犠牲者

>>265

こういう古参アピールする奴いるよな

 

 

270 名前:名無しの犠牲者

>>268

勢とかあるのかw

つうかあのスレ、途中で落ちたんだよな

あの後探してみても見つからなかったし

 

 

271 名前:名無しの犠牲者

>>266

確かに見ないな

前に保存しておいたと思ったんだけどフォルダにもなかったし

いや、多分保存したつもりになってただけだと思うんだけど

 

 

272 名前:名無しの犠牲者

国際指名手配の男の映像?

あれ国が総力を挙げて消したんだろ、超能力とか公になる前の話だからな

 

 

273 名前:名無しの犠牲者

つか、ネットオークションで超能力開発機器って言うのが売られてたんだけどアレ本物?

高いけど、超能力持てるならありかなって

 

 

274 名前:名無しの犠牲者

>>273

絶対偽物

 

 

275 名前:名無しの犠牲者

国際指名手配犯の映像とか他の国からとやかく言われそうだしな

まあ、仕方ない

 

 

276 名前:名無しの犠牲者

で、スレチはそこまでにして、今回の事件は結局死者とか出なかったんだよね?

 

 

277 名前:名無しの犠牲者

神崎未来とか言う人気じゃない時が無い化け物女優大好き

 

 

278 名前:名無しの犠牲者

>>276

出なかったらしいぞ

家の捜索をする様子もニュースで流されてたけど、無かったらしいし

 

 

279 名前:名無しの犠牲者

この情報社会の中、超能力とか持ってても悪事なんてバレない訳が無い

バレたら顔がネットに流れて住所も特定されて人生終わり

 

超能力者なんて一生サーカスで芸でもやってろよ

 

 

280 名前:名無しの犠牲者

>>278

モザイク掛けてたけどそれでも分かるくらいデカイ屋敷だったよな

相当金持ちだったのは間違いない

 

 

281 名前:名無しの犠牲者

たまに出るよな超能力アンチ勢

多分本人は心底超能力が欲しい人なんだろうけど

 

 

282 名前:名無しの犠牲者

金持ちの道楽で超能力を得て犯罪して

いざ警察に疑われたら即座に投降するって

 

はっきり言ってダサ過ぎない?

 

 

283 名前:名無しの犠牲者

まあでも数が揃えば超能力の原理も解明できる余地が出るだろうし

そのうち全人類超能力者になれるかもしれないからアンチも落ち着けって

 

 

284 名前:名無しの犠牲者

超能力犯罪がまた数か月後に起きるとして、身を守るために用意しておいた方が良い物ってある?

 

 

285 名前:名無しの犠牲者

事件が解決してからまだ数日

これからどんな情報が出るのか楽しみにしてるくらいで良いだろ

 

 

286 名前:名無しの犠牲者

筋肉は裏切らない

トレーニングを積み重ねろ

 

 

287 名前:名無しの犠牲者

ところで思ったんだけどさ

この事件の犯人が手に入れた何かしらが本物の超能力を発現させるものってことだよな

こいつ、どれくらいの量買ったんだろう

 

まだ残ってたりとかしないかな

 

 

 

 

 

 



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欠陥だらけの計略

 

 

 

 

 鯉田さんが異能犯罪に巻き込まれた事件。

 “無差別人間コレクション事件”から早一週間が経過した訳だが、私の学校生活には一つ、大きな変化が生じていた。

 

 これまでの学校生活のほとんどでは、袖子さんという私の高校での唯一の友人としか会話が無く、私に非常に懐いてきている彼女と何をするにも一緒の生活を送っていた。

 勿論私としても袖子さんの事は嫌いでは無いし、彼女とのやり取りに楽しさを覚えているのは確かではある。

 楽しさを感じてはいる……のだが、根っからの天才肌、生粋のお嬢様とちょっと人に誇れない特技を有するだけの庶民では、価値観の違いが天と地ほどあると言っても良い訳だ。

 

 正直、疲れることはある。

 金銭面でのちょっとした違いや問題解決へのやり方の違いがあったり、突拍子の無い提案や思い付きなどで結構振り回されることも多かったのだ。

 

 そんな私の疲れを軽減し、同時に私の学校生活の大きな変化でもあるのが、鯉田さんとの関係性の変化だった。

 

 

「ぐっ……!? ま、また負けたっ……! しかもまた満点だなんて……山峰アンタッ、何かズルでもしてるんじゃないでしょうね!?」

「負け惜しみにしてもお粗末な発言だけど? と言うか、いい加減私達には勝てないって事理解した方が良いんじゃない?」

「ぐ、むっ……」

 

 

 彼女はあの事件以降、嵐のようにやって来て事実だけを確認し、肩を落として帰っていくのではなく、隣に席を持ってきて普通に会話に参加するようになったのである。

 

 割と普通の友人のように会話をするようになったのだ。

 とは言え、関係性が変わったのが私と鯉田さんの間だけであり、敵対関係の袖子さんと鯉田さんの会話は微塵も変化が見られない。

 

 今日も元気にいがみ合う二人である。

 

 

「ぐっ、くっ……勝てるとは思ってなかったけど、今回のはクラス平均下がるくらい難しかったし、あと一歩位を考えてたのに……」

「こんな紙切れですら私に圧勝を許すならもう他の事でなんて勝てると思わない方が良いと思う。私は別に、お前と勝負したい訳じゃ無いし」

「ぅぅっ……」

 

 

 敗北の事実と袖子さんの煽りに顔を真っ赤にして震える鯉田さんの目元に涙が浮かんできていた。

 袖子さんに悪意はないのだろうし勝負なんて望んでいないのは本心からの言葉だろうが、流石に鯉田さんが可哀想だろう。

 

 挫けかける鯉田さんと、あくまでめんどくさそうな態度を一貫している袖子さんの光景に、私はフォローを入れる事にする。

 

 

「……鯉田さん鯉田さん。目標ばかり見て自分の結果を見落としちゃ駄目です。見て下さい、鯉田さんの点数は前より15点も上がっています。100点満点中の15点がどれほど大きいかはそれを上げた鯉田さんが一番分かっている筈です。なんで上がったのか、要点は何だったのか、より効率を上げるためにはどうするべきか。そして、間違えた部分のおさらいをして理解を深めたほうが有意義だと思います。何よりも、現に結果として成長が現れているのに、自分の努力した結果を自分が否定したら駄目だと思いますよ」

「!!??」

 

 

 袖子さんが勢いよく私へ振り返る。

 ……いや、そんな驚愕するような顔をされても私だって人の心はあるのだから、フォローくらいする。

 

 

「ま、前の私の点数を覚えてるの……? あんなに眼中に無さそうだったのに……?」

「あれだけ見せに来てたんだからそりゃ覚えてますよ。まあ、この結果で終わりじゃないんですから、そう気を落とす必要も無いですって。私も袖子さんには勝ててませんけど、一緒に勉強くらいは付き合いますし」

「……そう、よね……! 次もあるもんね! 分かった、ありがとう佐取!」

 

 

 すっかり機嫌を良くした鯉田さんがニコニコと自分の答案用紙を抱えたのを見て安心する。

 ここで泣かれでもしたら袖子さんと仲の良い私も悪役になるだろうし、舘林さんにも悪印象を抱かれかねない。

 現にチラリと遠目にこちらを窺う舘林さんを見れば、ちょっと驚くような顔で私達を見ているのが確認できるので、間違いなく私の好感度が上がった事だろう。

 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、と言うように、友人関係を築けている鯉田さんに優しくすれば舘林さんの私に対する警戒心も無くなる筈なのだ。

 

 計画通りに進んだことにニッコリと笑顔を浮かべていたのだが、次の瞬間私の肩にそっと手が置かれた。

 

 

「……燐ちゃん? ちょっと前から思ってたんだけど、やけに最近その女に優しくない? なに? 何か弱みでも握られちゃったの? 相談してくれれば全部何とかしてあげるからさ。その女を何とかしてほしいって言って?」

 

 

 目に光を宿していない袖子さんの顔がすぐ後ろにあった。

 死んだ目とか、髪が口に掛かっているのとか、どう見てもホラー映画に出て来そうなお化けである。

 

 

「ひっ……!? こっ、こわっ……!? ちょ、袖子さんいつの間にそんなホラー演出覚えたんですか!? べ、別に普通に仲良くなっただけですよ! この前も簡単にですけど説明したじゃないですか!? 弱みとかそう言うのはまったく何も無いですって! ねえ、鯉田さん!?」

「そうよ! 私が弱みを握った!? はぁ!? この腹黒地味子を私がどうにかできる訳ないじゃない! そんなの山峰が一番分かってるでしょ!? 私が何かしようとしても、せいぜいベソかかされて終わりよ!」

「……地味子……」

「なっ、なんでその一言で傷付くのよ!? 普通に自覚あるでしょアンタ!?」

 

「なんで仲良いの……? 私は、燐ちゃんの警戒心を解くのがあんなに大変だったのに……どうして……」

 

 

 わちゃわちゃと息の合っていない私達のやり取りを見て、さらに嫉妬心を高ぶらせた袖子さんの目付きが暗いものに変わっていく。

 私の肩に掛けられた手がするりと首元を通り、袖子さんが両腕で私を抱き寄せる形を取ると、鯉田さんに対して威嚇するような唸り声を上げ始めた。

 

 まんま獣である。

 そして普通に邪魔である。

 

 

「袖子さんの長い髪が顔に掛かってくすぐったい……鯉田さん鯉田さん、チャンスですよ。今が攻め時じゃないですか?」

「えっ? 攻め時って何よ。こんな状態の山峰見たこと無いからちょっとどうすれば良いか分からないし、今何かしたら手酷い反撃を受けそうなんだけど……何が攻め時なのよ?」

「今の袖子さんはいつも以上に不安定です。私と仲良くなった経緯を軽く話して、ちょっと情緒を突いたら倒せますよ、きっと」

「ええ……?」

 

 

 酷く嫌そうな声を上げた鯉田さんが私の言葉に従って袖子さんを見た。

 唸り声を上げる袖子さんの姿はどう見ても弱っているようには見えないが、袖子さん的にも私と鯉田さんが仲良くなった経緯には興味があるのか、じっと鯉田さんの出方を窺っている。

 

 私の言葉を信じ切れないようではあったが、一応は試してみるかと鯉田さんは言葉を切り出した。

 

 

「えーっと……私、助けられたのよ。そいつに……」

「!?!!?」

「ちょっとある事に巻き込まれて、どうしようもなくて、諦めかけてた時に佐取が助けてくれたの……色んな事情を知ってる山峰なら、もう何となく分かるでしょ。勿論その間にも色んな会話とかはあったけど、纏めるとそれだけよ。ちょっと……私が憧れてるだけで、これからちょっと仲良くなりたいって一方的に思ってるだけ……山峰が嫉妬するようなことなんて」

「ぎゃふん!!?」

 

 

 よほど衝撃だったのか、奇声を上げてふらつきながら地面に倒れた袖子さんが、放心したような顔で鯉田さんを見たまま硬直した。

 先ほどまでとは一転、と言うか、袖子さんをぎゃふんと言わせる自分の念願が叶ってしまった光景に、鯉田さんは理解が追い付かないようで数秒沈黙する。

 

 そして、鯉田さんは勢いよく首を振り始めた。

 

 

「…………いや、いやいやいやっ、辞めてよこんな形で目的果たせちゃうの! 違うでしょ!? 私は確かに手段とか方法は選ばない方だと思うけど、こんな情けない形での勝利とか微塵も嬉しくないんだけど!?」

「ふへへ、念願叶っちゃいましたね鯉田さん」

「アンタはうるさいのよ馬鹿! 私はこんなの認めないんだからね!!」

「えー、そんなことを言って良いんですか? 私の事憧れてるんですよね? えへへー、私も鯉田さんの事嫌いじゃないですよ」

「ぎゃふん!!?」

 

 

 私がからかうように鯉田さんの耳元でそう囁いてやれば、勝利の余韻も無いまま鯉田さんが撃沈した。

 

 二人が沈黙した、つまり私の単独勝利である。

 束の間とは言え、鯉田さんがあれだけ望んでいた袖子さんへの勝利を実現させてあげたのにちっとも嬉しくなさそうだったのは残念だが、私としては良い方向へ事が進んだ。

 こうして裏切り合いを制した私は、立ち直れていない袖子さんと鯉田さんを放置して遠目にこちらを窺っているギャル友さんと舘林さんの方へと近付いていく。

 

 そろそろ当初の計画通り、舘林さんと友好を築く頃合いだろう。

 

 そう思い、舘林さん達の元に辿り着いた私は気さくに話し掛ける。

 

 

「いやぁ、あの二大巨頭に挟まれると生きた心地がしませんね。本当に猛獣使いになった気分です」

「えっ!? わ、私ですか……? そ、そうなんですね」

「うわぁ……こっち来やがった……」

 

 

 私の目的である舘林さんはともかく、あからさまに嫌そうな顔をするギャル友さんに対し、思ったよりも良い印象を抱かれてないのかと口を噤ませる。

 

 だが、幼い妹をあやしてきた過去を持つ私からすれば、二人の印象を変えるなど造作も無い。

 人に好かれる方法などいくらでも出て来るくらい、私の経験は豊富なのだ。

 

 

「……二人とも、飴いります?」

「いらない」

「えっ、だ、大丈夫です」

 

 

 常備していた飴を取り出して二人に差し出したが拒否された。

 私は行き先を失った手の上の飴を自分で頬張りながら、首を傾げる。

 

 思っていたよりも彼女達から厚い壁を感じるのは何故だろう。

 別に彼女達に何かした訳でも無いし、仲が悪くなる要素も無かったと思うのだが。

 飴が嫌いだったかと反省しながら、次なる一手を打つ。

 

 

「お二人はテストの結果どうでした? 私は袖子さんのように満点は無かったですけど、そんなに悪くなくて一応は満足しています。舘林さんは――――」

「そんなことよりさ」

 

 

 第二の手段『共通の話題』、と脳内作戦を実行していた私を遮ったのはギャル友さんだ。

 胡乱気に私を見た彼女はガシガシと自分の頭を掻く。

 

 

「岬の事助けたのって本当?」

「はい? ……いやまあ、間違いありませんけど……とは言ってもアレですよ。本当にたまたま見掛けて、偶然助けられて、警察に通報できただけですよ。結果的に警察が何とかしただけですし。私がどうこうしたって言うのは違和感がありますけど……」

「ふーん……それとさ、岬には聞けなかったけど、アイツが私達と一緒にいる時に誘拐されたのって言うのは本当?」

「いや、それは私知らないです……あ、いや、そう言えば前鯉田さんがお二人と一緒に居る時って言ってましたね。うん。トイレにいるときに男が入って来てって」

「…………そう。分かった」

 

 

 何だか色々と思うところがあるような態度だ。

 今は周辺への読心は、簡単に感情を感じ取る程度しかしていないので、ギャル友さんが何かを悩んでいるのは分かっても、その内容までは読み取れない。

 

 が……まあ、話の流れで何となくは分かる。

 

 小さく溜息を吐いたギャル友さんを私がまじまじと見つめていると、舘林さんが慌てて口を挟んでくる。

 

 

「あ、あのねっ、岬さんが大変な目にあった場面で友達の私達が助けられなかったのに、佐取さんは助けて、解決するまでの補助をしたって聞いてね。私達はどうして気が付いてあげられなかったんだろうって思ってたんだ……です」

「舘林、いらない事言うな」

「ご、ごめんなさい」

 

 

 相も変わらず舘林さんの周囲には小さな花が舞っているような錯覚を覚える。

 と言うか、ぶっきらぼうな友人のフォローに入る所なんてまるで聖女だ。

 おずおずとした気弱な所作に、私がちょっと見惚れていればギャル友さんが苛立ったような物言いで舘林さんの発言を制しやがった。

 

 なんて奴だと、心底思う。

 

 

「……まあ、犯人も友達がいる店の中では気を張っていたんでしょう。私が本当にたまたま、鯉田さんを助けられたのに、鯉田さんへの理解度だとか仲の良さは関係ありませんよ」

「ふん、良いよ変なフォローなんか。友達が危ない目に遭って、すぐ傍にいたのに気が付けなかった。何も出来なかったのは変わりないんだからさ」

「これまた……随分、責任感が強いんですね」

「責任感じゃない、こんなのただの身勝手な嫉妬。私はもう少し、自分はそういう場面で何かをやれると思ってた。もう少し自分が優秀で、周りに目を向けられると思ってたんだ。佐取は悪くない、むしろ友達を助けてくれた感謝するべき人だって分かってる。感謝するべきだって分かってるさ。……でも今は、そういう気になれない。悪いけど、落ち着くまでは佐取に感謝出来ない」

「そこまで素直に自分の気持ちを口に出す人は初めてです。まあ、それは好きにしてください。私は別に貴方に感謝されたくて鯉田さんを助けようと思った訳じゃ無いので」

 

 

 ギャル友さんの本名はよく覚えていないが、この人が私に対して複雑な感情を抱いていたとしても私にとってはどうでも良い。

 悪意を持って攻撃でもしてこない限り、私の生活には何一つとして影響はないし、攻撃をしてきたならそれ相応の対処をするだけだ。

 特に害にならないと言うのならそのまま放置で良いだろう。

 

 そんな事よりも私は、舘林さんと図書室へお出かけするのだ。

 

 そう思い、ギャル友さんを完全に視界外へとやって動揺する舘林さんの正面に立つ。

 

 

「舘林さん、それじゃあ今日の放課後は私と一緒に図書室でテストの問題を解き合いましょう?」

「清々しいまでに私を放置するのか……いや、良いんだけどね」

「え……わ、私ですか? な、なんで佐取さんは私なんかに話し掛けてくれるんですか? わ、私、よく頭良さそうとは言われますけど、本当は皆と比べて頭良くないし、お金持ちでも無いし、運動も出来ないし、顔も良くないですし……」

 

 

 妙に自信なさげな舘林さんの態度。

 私としては並べられたそれらの要素を見て友達になりたいと思っている訳ではないので、舘林さんのそんな心配事は心底どうでも良かった。

 

 

「そんな要素を見て友達とか作りますか? 利益を目的とした企業でも無いんだから、人材の能力なんて二の次以下ですよ。学生の私が見るのなんて人間性だけに決まっているじゃないですか。舘林さんは冗談が上手ですね、もう」

「友達……? 私の、人間性を見て……? 佐取さんが……?」

 

 

 にわかに信じられないと言うような舘林さんの様子。

 それに対して私が頷いて見せるも、彼女はまだ納得がいっていないようだった。

 

 だが、感触としては悪くないと、私は思う。

 嫌われていると言う感じも無ければ、私に対する評価が低いと言う訳でも無さそうだ。

 

 

(これは……行けるのでは……?)

 

 

 一学年の高校生活も残り4ヶ月ちょっとで時間はあまりない。

 友人関係を築いても、クラスが変わってしまえば関係は薄くならざるを得なくなる。

 時間的にも好感度的にも、ここが攻め時だと確信した私は勢いよく口を開いた。

 

 

「――――私は舘林さんと、舘林さんだからこそ仲良くなりたいんです! 一目見た時から舘林さんと友達になりたいと思ってました! 私と友達になってください、よろしくお願いします!!」

「ひっ……そのっ、ごめんなさいっ!」

「ぎゃふん!!?」

 

 

 あまりの衝撃に立っていられなくなり、床に崩れ落ちた。

 これまでせっせと積み上げて来たと思っていたものが実は塵のようなもので、知らぬ間に風に飛ばされていたのだろうかと、そんな事が頭を過る。

 

 痛い、胸が痛すぎる。

 異性への初恋や交際も、まったく経験の無い私にとってはまるで愛の告白染みたお願いを拒否された痛みは非常に耐えがたい。

 私の目からハラハラと涙が流れるのを見た舘林さんが何事か言い訳をしているし、ギャル友さんがドン引きしているが、そんなのはもう気にならない。

 

 舘林春さんと言う、私の思い描いた学校生活の理想の友人が、どこか遠くに行ってしまった。

 どれだけ異能という特別な才能を持っていたって、欲しい友達一人作ることが出来ないのだと、私は泣いた。

 

 

 

 

 



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信じるべきもの

 

 

 

 

 東京の府中に位置する法務省管理の刑事施設、それが府中刑務所。

 多くの受刑者が収容されている府中刑務所から少し離れた場所に位置する特別棟には現在、急遽ではあるものの、一般受刑者とは別枠の『特異受刑者』と呼ばれる者達が収容されている。

 

 これは、数か月前に発生した“白き神”による『全世界同時多発大規模洗脳テロ』の標的となり、一時的に多数の受刑者の脱獄を許した教訓を踏まえたものでもある。

 刑務所として多数の受刑者に自由を許した事実は収容施設としては恥ずべき事実であるし、一件を踏まえたセキュリティーシステムの向上は施設を管理する者達にとっても急務であったからだ。

 だがこれは、いずれ予算が付いた時には大掛かりな工事の着手もあるだろうと言う程度の急務であり、ほんの数か月で使用できるほど設備を整えるなんていう急務では断じて無かったのだ。

 

 当然他に、それ相応の大きな理由が存在する。

 

 

「――――いつか会いに来てくれるとは思っていたよ。君も私に話したい事や聞きたい事が多くあるだろうからね。いずれ君は自分の気持ちに反してでも、私に会いに来るだろうとは思っていた。だが……予想が外れたのは認めざるを得ないね。君の訪問は私の想像を越えて随分早かった。歓迎するよ」

 

 

 それは――――ある一人の男の影響があまりに大きかったからだ。

 

 各国の要人が罪を犯したと知ってなお日本政府に対し保護を強く要望し、判明した異能があまりに神域に近い絶対的なものであり、今なお世界最高の呼び声が衰えない“医神”。

 

 神薙隆一郎の収容をするために、日本政府はあらゆる面での準備を進める必要があった。

 

 

「……御託は良い。前口上も聞きたくない。俺は今でもお前を憎んでいて、お前はあくまで仇だと言う事に変わりはない」

「ふ……一対一の会話だと随分辛辣だね。だが、君の言い分に間違いはない。甘んじてその言葉を受け止めよう」

 

 

 そして、透明な強化プラスチック板を挟んで向かい合っている男を見て、神薙隆一郎は柔らかな笑みを浮かべた。

 

 通常『特異受刑者』と呼ばれる者達、つまり異能を持つ受刑者は一般とは異なり、様々な制約が課されている。

 特に、面会についても、容易に面会相手の命を奪う事や面会相手が異能を有する場合脱獄が可能な事を考慮して、慎重な精査が行われる。

 そのため、『特異受刑者』への面会は実質的には難しいのだが、今回のこの相手は身柄や信頼が疑う余地も無く、また神薙隆一郎にとっても面会を望む相手でもあり、こうして面会を実現する事が出来たのだ。

 

 

「私の面会に来た者は、国際警察や政府高官以外では初めてだよ。さて……何が聞きたいのかな神楽坂君」

「……」

 

 

 警察官と医者。

 被害者と加害者。

 逮捕した者と逮捕された者。

 

 神楽坂上矢と神薙隆一郎が、他に人のいない面会室で向かい合っていた。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 逮捕から今日まで。

 異能が表に出て、国を挙げて対策や対応法案、過去の事象に対する再評価が進められ、神楽坂の立場も大きく変わる事となった、これまでに無いほど忙しい期間。

 そんな数か月、神楽坂はずっと考えていたことがあった。

 

 それは、神薙隆一郎の元にいた昏睡状態の恋人の治療が本当は可能ではないのかと言う事や出回っている異能開花薬品についての情報を持っているのではないかといった事、あるいは白崎天満を含めたUNNと言う組織との関連性。

 もしも想像しているそれらが最悪の方向へ繋がったのなら、解決の形を見せた現在が実のところ次なる悪意の序章であったのなら。

 そう考えて出してしまえば、神楽坂は忙殺される日々の中で正体の分からない重圧に延々と襲われ続ける事となったのだ。

 

 疑い出せばキリは無く、考え始めれば最悪は簡単に頭を埋め尽くした。

 

 目の前の仕事に明け暮れている筈なのに、気が付けばまた同じ疑心に囚われる毎日。

 だからこそ、その疑惑を解決する為にも、神楽坂はこうして過去に自身が巻き込まれた凶悪事件の主犯と呼べる神薙の元に足を運ぶことを選んだのだ。

 

 

「――――過去、私は医者として患者の治療を進めながら多くのコネクションを構築した。その過程で、悪事を為し欲望を満たし、ただ地位に鎮座し優秀な者達の芽を摘む無能を幾度となく目の当たりにした。最初こそ私の働きかけは言論によるもので暴力的な行為までは足を踏み入れていなかったが……異能を手にし、言論では通用しない者達が私に立ち塞がり、最初の一線を越えてしまった時から私の感覚は狂ったんだろう。私の判断による処分が、幾度となく行われることとなっていった」

 

「私の医者としての技術に加え、異能が開花した事によってさらに治療の精度は増し、私に治せない病や怪我がほとんど無くなった後、あらゆる権力者が私に接触してきた。だからこそ、私の異能と職業であればいくらでも私がいらないと判断した者達の始末は簡単であり、私は同じ過ちを積み重ね続けた。だが、積もり積もった私の過ちを見て、私が保護した和泉君や白崎君が異能を使用し悪事を為すようになってしまった。私は異能と言う凶器を見誤っていた。それからは君の知っての通りだ」

 

「……今更語るようなものもない。君の疑問の答えになったかは分からないが、私の歩みはこんなものだ。そして、君の言う『UNN』や異能開花薬品は、私の預かり知るところではない。私の行動範囲は基本的にこの国のみであり、世界を股に掛けて活動する……子供を攫って実験をするような者達と私の主張は相容れるものではないさ。私と彼らに出会いがあれば、あるのは争いだけだっただろう……勿論、この話を信じるかどうかは君の自由だ」

 

 

 長年本性を晒さなかった老獪な人物との面会。

 情報一つ引き出すのも一筋縄ではいかないだろうという神楽坂の予想を裏切って出て来たのは、そんな淀みない神薙の解答だった。

 

 

(……ここまで簡単に口を割るだと? 何かしらの思惑が……いや、虚偽を含ませて情報を混乱させようとしているのか? ……チッ、信用するな。この男は聖人と呼ばれる裏で何人も人を殺めていた奴だ。腹芸の一つや二つ……)

 

 

 そんな疑心を神薙に抱き、返答を受けた神楽坂は口を噤んだまま重苦しい沈黙を貫く。

 微妙な沈黙にも、神薙は感情の分からない柔和な笑みを浮かべて表情を崩さない。

 

 しばらくして、神楽坂が話に迷いを見せている事に気が付いた神薙は、部屋の四隅にあるカメラへと視線を流しつつ逆に話を切り出した。

 

 

「……君が本当に聞きたい事が何なのかは私には分からないが、私から一つはっきりと言っておきたいことがある。それは君の恋人についてだ」

 

 

 返答の無い神楽坂に神薙は続ける。

 

 

「私の元に入院していた君の恋人の症状は私の医療技術、あるいは異能を行使しても完治させられないものだった。私は断じて、あえて治療しないと言う事はしていない。アレは、肉体的な傷病の類で昏睡しているものでは無い……恐らく、白崎君の異能が彼女の精神の根本的な部分に何かしらの障害を残したと、私はそう考えている」

「……精神が、死んでいると言う事か?」

「私は精神に関しては門外漢だ。そこまでは言わないし、専門的な事は断定できないが、深刻な損傷、あるいは精神構成が崩壊していると考えるべきだろう。……それを行った白崎君本人に話を聞ければ、何か分かるかもしれないが……」

 

 

 少し想いを馳せるように視線を下げた神薙は、手のひらを合わせて指先を組み直す。

 

 

「君の恋人に手を掛けた時の詳細について知っている事はあくまで伝聞のみだが……彼女の意識を乗っ取り、君達の捜査情報を筒抜けにしながら兄である落合君を追い詰めた。私の知る限り、最も長い期間意識を乗っ取る異能行使をしたのがアレだろう。つまり、彼女の本心に反する行動を長期間に渡って強要したんだ。その結果彼女の精神がどのような悪影響を受けるのか、正確なものは分からないが現状を考えると……」

「もういい……黙ってくれ」

「…………白崎君の異能は他者を操ることに特化した精神干渉系の異能だ。精神と言う、言ってしまえば形に無いものを観測する術を私は持たない。だから、それがどのような原理で成り立っているのかの説明は難しい。だが、神経系や感覚、意識系統に至るまでを支配できるあの異能は人の知性の根本的な部分、宗教的には魂と呼ばれるものに触れているのだと解せる。そんなものがあるとは、医療に携わる者としては言いたくないがね」

「……」

「治療は、私には不可能だった。私には彼女を治すことが出来なかった。それだけは、真実として君に伝えたかったんだ」

 

 

 犯罪者としての神薙隆一郎ではなく、世界最高の医者“医神”としての断言。

 それは実質的に、現在の医療技術では昏睡状態の彼女の治療は不可能だと言う宣告と同義だ。

 

 疑っていた事のいくつもが解消されるのを実感するとともに、より八方塞りの現状を自覚した神楽坂は強く歯を噛み締めた。

 “医神”が匙を投げ、“白き神”こと白崎天満の行方が分からない今、昏睡状態の恋人を救う手立てが見当たらない。

 

 ただ一つ、精神干渉系の損傷という部分を除けば。

 

 神楽坂の頭を過ったのは一人の少女の姿だ。

 

 

(……佐取の、あの子の異能は確か、“精神干渉”だった筈。白崎天満と佐取の異能の質はどれほど違うのか分からないし、どちらが優先される異能かも、そもそも損傷を治す技術を確立できるのかも謎だ……以前、佐取が診てくれた時は、異能の残骸があるかどうかという話だけだったか……?)

 

「君が考えている事は分かる。君の協力者、“顔の無い巨人”の話だろう? 確かに、あれほどの出力を持つ精神干渉系統の異能持ちならば、質の違いがあっても強引に治療出来る可能性は高いと思う」

「……っ!?」

 

 

 あくまで第三者の監視下にあるこの場で何を言おうとしているのかと、咄嗟に身構えた神楽坂に対して、神薙は軽く片手を上げてそれを制する。

 口にした発言がどれほど重大なものか、ある意味神楽坂よりもずっと理解している筈の神薙は、ほんの少しも動揺することなくもう一度部屋の四隅に視線を向けた。

 

 

「安心しなさい。今この場にある監視装置は全て作動していない」

「……なんだと?」

「先ほどまで起動していた四隅のカメラが停止している。私を監視している存在が、この情報を外に出すことを認めていないと言う事だろう。だが……一方で、君に伝えることは許しているようだ。今のところ私に直接干渉してくる素振りはない。私達の会話をどうこうしようとする気は無いのだろう。そして、この部屋は完全な密室で外から我々の状況を確認できるのは監視装置を通した映像だけ。私達が何を話しているのか、私達以外に伝わることは無い。そうだね……少し内緒の話をしようか」

「お前は……何を言っている? 俺達を監視している存在? 監視装置の遮断だと? そんな事を出来る存在がこの場にいると……」

「……妙なことを言う。君の協力者の話だろう?」

 

 

 話が噛み合わない事にお互い少しだけ眉を顰めたが、神薙はそれ以上気にせず手の内を晒す。

 

 

「君の反応で私の推測が正しいと確信できたが、実のところ私はもはや、君と一緒にいた存在が何だったのかおぼろげにしか思い出すことが出来ないんだ。どんな姿をしていたのか思い出せないし、君の協力者が“顔の無い巨人”である事すら思い出すことが出来なかった。恐らく彼の異能による情報遮断の影響だろうが、記憶操作に関する異能でも無いのにまさかここまで何も思い出せなくなるなど思ってもいなかった。恐ろしい力だと、改めて実感させられたよ」

 

 

 神薙が言っている内容に理解が追い付かず、神楽坂は口を噤む。

 

 “顔の無い巨人”と言う名は前々からよく聞く名だ。

 飛鳥やICPOの職員が名前を出し警戒していた異能持ちであり、異能により10億近くの人間に影響を与えたと、そう話を聞いている。

 そして、その存在が自分の協力者である佐取燐香の別称であるとは神楽坂も分かっている。

 

 つい先日、彼女本人がしょぼくれた顔で「中学の頃は色々やって、多くの人に異能を使ってしまった」と、「名乗ったつもりは無いけれど“顔の無い巨人”と呼ばれる異能持ちの原型は自分だと思う」と告白した。

 神楽坂はあの告白が嘘だとは思わないし、以前飛鳥が言っていた、佐取が異常に異能の扱いが上手い理由もそれでおおよそ合点がいった。

 むしろ、これまで数々の犯罪者の異能持ちと対峙して圧倒する事が可能だったのも、その経験があったからだろうと腑に落ちる思いだったのだ。

 

 理解はした。納得もした。

 だがそれでも、どうしても、神楽坂の中で合致しない事があった。

 それは、話に出て来る“顔の無い巨人”と言う巨悪と、自分が知る佐取燐香と言う少女が同じ人物である、と言う点だ。

 

 これまで近くで人格面を見て来た神楽坂としては、佐取燐香という少女がどうしても、異能を悪用して大望を為そうという意思を持つとは想像も出来なかった。

 常に受け身であり、周囲が平和であれば特に問題を起こそうとする気配は微塵も無い。

 そういう人物だと、神楽坂は判断していた。

 

 その上、彼女の異能についても違和感がある。

 彼女の異能は直接色々と説明を受けているし、性能についてもかなり細かく教えてくれてはいるが、話の中に出てくるような、世界を覆う凶悪な異能とは全くの別物のように思えてならない。

 

 人格も異能も、話に出て来る存在とあまりに乖離がある。

 だからこそ、神楽坂は話に出て来る存在を信じるのではなく、これまで協力してきてくれた少女の姿を信じる事にしてきたのだが……もし神薙の記憶操作や情報遮断の話が真実なら、少なくとも彼女の異能には何か秘密が存在する事になる。

 

 そう神楽坂は確信するとともに、神薙が持てていなかった情報を自分が与えてしまった事実に、警戒するように神薙を睨んだ。

 

 

「とは言え、私と和泉君の異能を考えると同時に相手取れる存在など限られていたが……ふふ、神楽坂君もまだまだ青い。私のような老人を相手にする時は反応一つ慎重に行わないと、気が付かぬ間に首を絞められていく事になる。これから『UNN』やICPOの妖怪を相手にするなら、特に注意しないといけないよ」

 

 

 だが、弱みを握った筈の神薙は優し気な老人の表情を崩さない。

 まるで自身の孫を見るような柔和な笑みで、安心させるような口調で神楽坂に語り掛ける。

 

 

「あらかじめ言っておくが、私は“顔の無い巨人”の話を他の誰かにするつもりはない」

「……持っている情報が少なく、暴露した所で信頼されないと思っているからか?」

「いや、と言うよりも、あれだけの異能を腐った者達が知れば悪用しようとするのは目に見えているからね。私は“顔の無い巨人”の支配する世界を悪くないと思っているが、現状世界にのさばっている者の中には唾棄するべき者が多くいると確信している。国家、国際機関、あらゆる慈善団体や警察機関も、私は信頼しようとは思わない」

「…………お前は、何を知っている?」

「むしろ君は何を知らない? 国際機関による接触で少なからず君は過去の異能の事件について知る機会はあった筈。親交があり協力してくれている異能持ちの詳細を君は何も知らないのかい? 4ヶ月間の“夢幻世界”の話は? その期間何があったのかは? “顔の無い巨人”と呼ばれる異能持ちの詳細は?」

「……」

 

 

 黙り込んだ神楽坂が何一つ返答をしない事に、困ったように眉尻を下げた神薙は「まさか」と呟いた。

 

 

「君は、自分が何に頼っているのか。まるで分かっていないのかい?」

「……いや、ICPOの人達が過去の事件については軽く教えてくれた。世界を股にかけ、およそ10億の人に対して精神干渉を行った、と」

 

 

 そこまで言って、神楽坂は神薙の目が大きく見開かれたのに気が付いた。

 まるで信じられないものを聞いたように唖然とした表情を浮かべ神楽坂をまじまじと見つめる。

 

 そして、神薙は噴き出すように笑いだした。

 

 

「10億? ……くっ……ふ、ははっはっはっ! 嘘だろう!? 世界の異能対策組織のトップがまだそんなことを言っているのか!? そうして君は過去の世界的な異能の事件についてさえ何も知る術が無いまま私を捕まえるまでに至ったのか!? そうかそうか! なるほどそういう事だったのか! 綿密に積み重ねられた調査ではなく、あくまで偶然私と鉢合わせた形だったのか……! これは、何と言うべきか……“顔の無い巨人”の力を称賛するべきか、それとも君の巡り合わせの良さを称賛するべきか。いや、それにしても……あの婆も随分と耄碌したものだ」

「……お前一人で何を納得している。ふざけた事しか言わないのならもう充分だ。あいにく俺は、お前のような奴よりも、事件の解決に協力してくれている人を信頼する。お前の狂言は俺にとって何の価値もない」

「くくっ……いやすまない。君を馬鹿にしている訳じゃ無いんだ。私と和泉君がどれほどかの存在を恐れていたのか、それに反して他の組織が過去にすら理解の手が及んでいなかったのかと、その違いに笑ってしまったんだ。しかし……となると、『UNN』とやらの方が正しく警戒している訳か」

「……」

 

 

 もう最低限必要だった情報は得られた、と神楽坂は会話を一方的に放棄する。

 

 真実を語っているのかどうかは分からないが、これ以上は協力してくれているあの子に対してあまりに不義だと、席を立ち上がった神楽坂は何も言わないまま神薙に背を向けた。

 

 

「まあ待ちたまえ。そう結論を急ぐこともないだろう神楽坂君。異能を持つ子を間違った方向へ導いてしまった私の話は、きっと君の無駄にはならない筈だよ」

 

 

 そんな神薙の制止の声にも神楽坂は耳を貸さない。

 面会室のドアノブに手を掛けてそのまま出て行こうとした神楽坂だったが、神薙はその背中に目を細めると指先を軽く動かした。

 

 それだけで、ドアノブに掛けていた神楽坂の腕は一切動かなくなってしまう。

 

 

「!?」

「――――もう一つ君に言っておきたいことがあったんだ神楽坂君。それは、現状の科学では異能の行使を抑え込む技術は確立しておらず、受刑者の異能を封じる手立てがないと言う事。こんな強化プラスチック板など、異能の種類によってはなんの障害にもならない場合もあるんだよ。いささか、君は異能に対する危険性を正しく認識しているようには思えない。……とは言え、私には今更君を傷付けようなどと言う考えは微塵も無い。もう少しだけ私の話に付き合って欲しいだけさ」

「いったい何をした……?」

「腕の筋肉の動きを抑え込んでいるだけさ。指の自由も利かないだろうが、足は動くだろう?」

 

 

 神楽坂の刃物のような眼光を、まるでそよ風のように受け流しながら神薙は笑う。

 

 

「君は、黒い太陽は見たことあるかな?」

「何を……」

「私と和泉君を覆っていた異能を弾く外皮は、かの存在の世界規模の異能使用から唯一私達を守り通した。だからこそ、私達しか知り得ない情報が存在する。“夢幻世界”を正しく観測した私の話を聞きたくは無いかな?」

「……興味ない」

「本当かい? であれば逆に、かの存在がどれほど強大な異能を有しているか、世界を掌握したその凶悪な手法を、君の考えで良いから教えてはくれないかな? 彼が本格的に世界の掌握に動き出してからどれだけの時間でそれが為されたのか、そんな事も君は知らないのだろう?」

 

 

 神薙のこれは、別に悪意のあるものではなかった。

 あくまで異能の危険性を知る者として、神楽坂の歪な状態を指摘する必要があると思った神薙の、親切心に近い助言のようなもの。

 “顔の無い巨人”が掌握したとされる環境を正確に知っている身が行う忠告は、神楽坂の役に立つだろうと思ったのだ。

 

 ――――だが。

 

 

「危険だ神楽坂君。君がかの存在の協力をどのような経緯で取り付けたのかは分からないが、君は正しく、かの存在の危険性を理解し、今の自身の甘い考えを改める必要がある。でなければ、私などが引き起こした被害よりも、もっと取り返しのつかない大きな被害が君の過ちで生まれる可能性があるんだ。君はかの存在に対して、もっと知識を深め、疑う必要がある。君の協力者は君を助けるだけの単なる善人などではない。正真正銘、世界を一変させる怪物で――――」

 

「――――ふざけるなっ!」

 

 

 神楽坂が吠えた。

 

 その声に含まれる激情は、純粋な怒りだ。

 興奮したように捲し立てていた神薙が思わず口を閉ざすほどその声量は大きく、神楽坂の鋭い視線は少しだって揺らぎはない。

 

 動かない腕を放置したまま、神薙と自分を隔てる強化プラスチック板に大股で近付いて強く蹴り付けると、神楽坂は目を見開き固まっている神薙に怒りを叩き付けた。

 

 

「お前らがっ、お前らのような奴らがっ、異能を使用して不幸を撒き散らしている中っ! どん底にいた俺に手を差し伸べてくれたのがあの子なんだ!! 誰もが俺をありもしない妄想を騙る狂人だと蔑む中で、あの子だけが自分の身を省みず才能を振るってくれたんだ!」

 

「それを凶悪な異能だと!? 危険な人間だと!? あの子は罪も無い誰かを好んで傷付けた事は一度だってないっ!! 本当は危険な事になんか近付きたくない怖がりなあの子が、俺を助けるために何度身を呈したと思っている!? お前らのような奴が誰かを傷付けなければ、俺があの子を巻き込まなければっ、あの子はもっと平穏な生活を送れている筈なんだ!!」

 

「あの子は優しい子だっ……! お前のような、異能を誰かを傷付ける為だけにしか使えない奴なんかとは違う……! 」

「――――…………」

 

 

 呆然と、神薙は目の前の男を見上げる。

 肩で息をして、鬼気迫る形相で激昂して、鋭い目付きで自分を睨む一人の男の言葉を、神薙は噛み締め、ゆっくりと視線を下げた。

 

 神楽坂の経験してきた事は神薙には分からない。

 彼の不幸が始まったあの事件から、どれほど苦しかったのか、どれほど打ちのめされたのか、どれほど後悔したのか。

 誰にも理解されず、誰にも信じてもらえず、頼る者の居ない暗闇の中で彷徨い歩く日々。

 

 そうして差し伸べられた手が、どれほど彼にとって救いだったのか。

 

 加害者側に立つ神薙が、それらをどうこう言う資格などありはしない。

 きっと、神薙が思うよりも彼らが積み重ねたものは確かなものなのだろう。

 

 “顔の無い巨人”と言う一側面だけしか見ていなかった自分は本当に、この男の言葉を否定できるのだろうか。

 

 そんなことを思った。

 

 

「……いや……すまない」

「……」

 

 

 思わず口に出た本心の謝罪。

 “顔の無い巨人”と呼ばれる存在がどのようにして世界を掌握して、どんな経緯でそれを放棄するに至ったのかを神薙は知らない。

 だが確かに、世界中の誰もが犯罪を起こさない、自分が見たあの世界も、不必要に誰かを傷付けるようなものでは無かった。

 

 優しいあの子、という神楽坂の言葉で、思い出すように神薙の頭に過ったのはあの廃倉庫で見た泣き顔の少女。

 今まで忘れさせられていたその姿を思い出して、神薙は「そうだった」と呟いた。

 

 想像していたよりもずっと人間らしく、異能を誰かを救うために使う事を是とする“顔の無い巨人”の少女。

 神楽坂という、異能に人生を踏み荒らされた男の為に涙を流していた少女。

 

 そんな彼女を危険だなんて、罪も無い者達さえ傷付けた自分は言う資格なんて無いだろう。

 

 

「……抱えていた疑問は解消できた、助かった」

 

 

 そして、そんな自問自答をしている内に、今度こそ神楽坂は面会室から出て行ってしまう。

 

 きっと、もう二度と、この場に現れることが無いだろう男の背中を見送って、神薙は何も言わないまま溜息を吐いた。

 すっかり疲れてしまったように、椅子にもたれ掛かるようにして脱力した神薙はぼんやりと虚空を眺める。

 

 神楽坂とあの少女、二人の姿を思い浮かべて神薙は目を閉じる。

 

 

「……私のようにはなるなよ、神楽坂君」

 

 

 神薙はただ、そんなことをポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

 



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再来する災禍

いつもお付き合い頂きありがとうございます!

本作のイラストを描いて頂けましたので、また活動報告の方へリンクを貼っています!
興味のある方はぜひご覧になってください!



 

 

 

 

 警視庁本部に設置された異能を所持する疑いがある者を取り調べる為の部屋。

 神薙隆一郎の件以降設置されたこの部屋は特別製であり、対爆性や耐久性に非常に優れ、衝撃では軍用の装備でも破壊は困難なあらゆる技術の粋を集められた構造物だ。

 過剰なまでに強固な性能を誇るその一室だが、使用の対象として見られていた異能犯罪が日本国内においては神薙隆一郎の一件以降発生せず、これまで使用されることは無かった。

 

 それが、数か月の未使用を経て、ようやく使われる時が来たのだ。

 

 現在、ほんの数日前に逮捕された“無差別人間コレクション事件”の犯人の取り調べがこの部屋で行われていた。

 マジックミラー(光を利用し逆側から見えないように出来るガラス)の壁から異能を持つとされる男を観察する大勢の警察関係者は、取り調べの様子を見て一様に眉を顰めていた。

 

 

『――――こ、こういう経緯で、それ以上はありません。俺としても、なんであそこまでぬいぐるみに執着していたのか、もう分からなくて……こんな大事になるとは思っていなくて……』

 

「……なんだか、超能力を所持している人物にしては腰が低いな」

「腰が低いのも形だけだろう。23人の被害者を出した奴だぞ、死者こそ確認できてないが未だに被害者がいるかもしれない。それに、他人に被害者を売り飛ばしてる可能性すら……」

「資産家の一人息子……両親の過去の伝手を使って商品を購入、か。ふざけた野郎だ。職が無くとも金や時間もあるなら誰にも迷惑掛けずに静かに暮らせばいいものを」

「……いや、それにしてもこの資料は本当に正確なのか? こんな……人を強制的にぬいぐるみに変え最終的には意識すら消すなど……あまりに非人道的だろう。被害者達の精神状況を考えると、死者が出なかったことや自ら投降した程度で許されるような所業ではない」

「諸外国で発生している事件の詳細を聞いていたら、これくらいは予想してしかるべきだったのかもしれない。海に囲まれ、薬品を入手する人が少なく、事件が起きていなかった。私達は知らず知らずの内に、他人事のように考えていたのかも」

「……視線を合わせた相手をぬいぐるみに変える力、か……」

 

 

 取調室で素直に話をしている男の様子を訝しみながらも、この場にいる警察関係者達は各々が手に持つ同様の資料に目を落とし、一様にその表情を険しくさせた。

 

 その警視庁内部資料にはこう書かれている。

 

 異能№3『生物を無機物に変える力』

 

『〇 この資料にある情報は全て自供によるものであり、確認は未実施

 時間:無制限

 条件:視線を合わせる、あるいは物理的な接触によるもの

 効力:生物をぬいぐるみに変える(時間経過により記憶・意識を消失させる)

 ぬいぐるみを知性体(生物としての機能は不完全)に変える

 参考:外国から取り寄せた薬品を使用し異能を入手した

 被害状況:被害者23名全員精神状態が軽度の不安定。しばらくの間、措置入院とした

 被害者の証言は一致しており、ぬいぐるみ時の記憶は半日程度しか存在しておらずその後の記憶はない。重度のトラウマ等にはなっておらず、日常生活に戻る事も時間の問題と報告あり

 また、事件解決に関係した女子高生2名についての精神状態は安定しており、しばらくの間、通院はするものの現在は日常生活に戻っている』

 

 

「異能……目で確認できず、誰がどんな物を持っているのか分からない……ふざけた凶器だ」

 

 

 ポツリと、誰かに呟かれた。

 呟かれた言葉に誰も肯定や否定をすることなく、険しい顔のまま手元の文字列やガラス越しの嫌に大人しい男の様子を眺める。

 

 

「まさか神楽坂が言っていたことが真実とは……アイツには悪い事をした」

「そんな事よりもこの事件解決に関係したという女子高校生にこれ以上の取材は入らないだろうな? 交番に助けを求めて袖にされたなど……こんな話が詳しく報道されれば、また警察叩きが始まるぞ」

「聞けば女子高生達の方から、そういう個人情報を出さないでくれと念押しされたらしい。身内から情報さえ出なければ、まあ、そういう事にはならないだろう」

「しかし、ただ助けを求めるだけでは無駄だと判断し、自分達を襲った犯人から逃げるだけじゃなく家まで特定してからもう一度通報してくるなんて……今の若い奴は優秀なもんだ」

 

 

 異能犯罪と言う一年前は考えられなかったような事件にボヤく者、組織に向かうだろう批評を恐れる者、あるいは事件解決に繋がった女子高生に感心の声を上げる者など反応は様々だ。

 

 それもそうだろう。

 異能犯罪と言う、正式に国内で認定される特殊事例はこれで二件目なのだ。

 様々な意見はあるし、どういったものが普通なのかも分かっていない。

 手さぐり段階の検討段階、法がどれだけ迅速に整備されたとしても現場がそうであることは変わらない。

 

 同じ仕事の関係者であっても意志や方向性を統一するのは難しいもの、それは当然だ。

 

 だが、そんな彼らでも共通して気になる相手は存在する。

 自分の進退を握る上層部や職務上重要な役割を担っている者、あるいはこの件を担当する者達の動向であったりと、複数通りあるが今回は。

 

 

「……異能対策部署の、公安特務一課の奴らはなんと言っている?」

「そもそも今回の端緒はその一員への直接通報があった訳で、手柄のほとんどは奴らの……待て、あの男の取り調べを中断した。出て来るぞ」

 

 

 それまで男の対面に座り、話を聞いていた女性、公安部特務対策第一課課長の飛禅飛鳥が部屋から出てくると、隣の部屋で様子を見に集まっていた者達にニコリと笑顔を向けた。

 

 

「駄目ですね。あの男、ペラペラ話過ぎて抵抗の意志すらありません。異能を使用しようとする動きがあったら分からせてやろうと思ってましたけど、従順過ぎて気持ち悪いくらいですよ☆」

「そ、そうですか。飛禅課長、わざわざ対応ありがとうございます」

「いえいえ。異能の発動すら感知できない方に対応させて問題が起きた時の方が大変ですからこれくらいは何でも無いですよ。……まあ、異能持ち相手に取り調べをしたいと言う方がいるのなら、それを止めるつもりもありませんが……」

「いや、それは……」

「冗談ですよ☆」

 

 

 可愛らしい笑顔の裏に隠れる真意を想像し、また自分達の予想を超える凶器を持つ存在が目の前に立つことに怯え、血色を悪くした警察関係者達はお互いに顔を見合わせる。

 

 最初こそ、立場と唯一性のある能力を兼ね揃えた飛鳥に取り入ろうとする者は多くいた。

 だが、腹芸を覚え、広報担当として組織外の人間と関わり、あらゆる面での人脈を構築し始めた飛鳥の組織人としての手腕の巧さに、飼殺し出来る相手ではないと多くの者達が早々に気付かされる結果に終わった。

 それ以降は劇物と成り得る飛鳥を刺激しないように努めるだけとなっていたが、このような事件があった時はどうしても彼女に頼らざるを得ない状況となる。

 独特な立場を築いている飛鳥に目を付けられたくない、もはやそんな想いだけが彼らにはあり、つい数か月前まではただの部下だった女相手に平身低頭するしか道は無かった。

 

 だが、ただ目立たぬようにしていても彼女が見逃してくれる訳でも無い。

 

 

「それでですねぇ☆ ……あの男の家宅捜索をされた方々は証言にあった異能開花の薬品、またはその容器などだけでも発見は出来ているのでしょうか?」

「いや……そのような報告は貰っていませんが……」

「今、話を聞く限り、購入したのは六つで自分に使用したのは一つだけ。つまり残り五つは未使用の状態で残っているそうなんですが……担当者は誰ですか?」

「た、担当者? おい、あの家の確認をする担当者は誰だっ?」

 

 

 慌ただしく確認する彼らの様子を横目に、飛鳥はこの事態を見越してあらかじめ現場に向かわせていた柿崎に連絡を取り、指示を伝えるとニコリと笑った。

 

 

「……とは言え、今すぐどうにかなるとは思っていません。捜索漏れや見落とし、あるいは横領なんかも確認してもらえると助かります」

「横領っ……!? い、いや、分かりました……」

「よろしくお願いします。国際警察からの情報提供で、本物の薬品についての情報はある程度判明しているのでそちらも参考にして下さい、ね☆」

 

 

 自分を恐れるようにしてバタバタと足早に去っていく彼らの背中を視線で送って、飛鳥は小さな溜息を吐いた。

 立場が人を作るとは言うが、こんな嫌われるような立場は普通に好きでは無い。

 

 だが、やるしかないなら仕方がない。

 その上、佐取燐香とか言うポンコツから、『出てくる筈の薬品の確認はお願いします』、と連絡が来たのだから、余計後には引けなくなった。

 

 飛禅飛鳥は基本的に、佐取燐香という少女には逆らえないのだ。

 

 

(……まあ、燐香が関わっている事件ってだけで予想してたことだけど……やっぱり後腐れなく、その上危険が無いように調整されてたわね)

 

 

 だが、逆らえない相手からのお願いであっても、今回の件に飛鳥は少し呆れていた。

 

 

(意識さえ完全な無機物になる異能に侵された被害者全員が、日常生活に戻れるまで回復できるなんてどんな奇跡よ。今だって暴れたらボコボコにするつもりだったのに、あの男……抵抗の発想も無くて、多分そもそも異能の出力も削られてたし……)

 

 

 どんだけ過保護なのよ、なんて。

 ちょっとだけ口元が緩んでしまいながら飛鳥はそんなことを思う。

 

 

 飛鳥は今回の件の全ての事情を教えてもらっている訳ではない。

 後になって、自分の携帯に燐香からの短い救援要請が来ていた事に気付いたが、当時は忙しくすぐに反応する事が出来なかった。

 だから、どんな経緯があってあの場に燐香がいて、どんな過程でアホの一ノ瀬和美と連絡を取り合って、どんな理由があって薬品の管理を燐香がやらず自分に任せているのかも分からない。

 あのアホの一ノ瀬和美と燐香の関係は非常に気になるし、なんであの二人に接点があるのだという疑問は尽きないが、今それを気にしてられる余裕はない。

 それらは後で纏めて問い詰めるとして、取り敢えずは自分がやるべき異能開花の薬品の残りを探し出さなければと、飛鳥は気持ちを切り替える。

 

 飛鳥は薬品が他にどんな風に紛失する可能性があるのかと思考を巡らしていく。

 

 

「……見つかるのと見付からないのとじゃこれからの捜査が大きく変わる。でも、見付からなかったら見付からなかったで、そのルートを見付ける手がかりになる。本物の薬であったとしても、素養がある人はそもそも少ないから……万が一、5つ薬品が紛失しても、出てくるだろう異能持ちは一人かしらね」

 

 

 考え方によってはこれはチャンスだ。

 その異能持ちがどんな行動を起こすのかは予測できないが、最良は警察の協力者に、最悪でも捜査の経験となるのは間違いない。

 

 視点を変えれば悪い事ばかりではない。

 あのポンコツ燐香によって日本は外国に比べ異能犯罪の発生件数が恐ろしい程少ないのだ。

 違法に薬品が流通しえる土壌を見付ける事や異能犯罪の経験を重ねるのは、今後を考えると非常に大切な事だろう。

 

 今の飛鳥の立場でも心底そう思う。

 

 

 ……だが、もしも。

 

 もしも、その薬品によって手にした異能が手に負えないほど強力なものだったのなら。

 もしも、その薬品によって生まれた異能持ちが世界を揺るがす程の厄災となったのなら。

 

 

「……第二のアンタが出る可能性を、私達は考慮するべきじゃないかしらね」

 

 

 かつて世界を掌握した異能持ちがいた。

 その異能の凶悪さは、当時の誰も手に負えるものでは無かった。

 人々とって悪夢のようなその事実、それがもう一度繰り返されない保証はどこにもない。

 

 いつだって厄災染みた出来事はある日突然やって来る。

 

 そして、その前触れと言えるものは既に充分すぎるほど起きている。

 

 飛鳥はそんなことを考えながら、次なる仕事の為に歩き出した。

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 どこかのホテルの一室。

 『彼女』は片手でテレビの電源を入れつつ、もう片方の手で自身の懐から空になった銀色の筒状ケースを机に置いた。

 それは、“紫龍”や“千手”が持っていたあの筒状のものに酷似した、どこか高級感のあるケースだ。

 

 それから、『彼女』は首を回して体のコリをほぐしながら自身の携帯電話の電源を落とした。

 副作用に近い気だるさを感じながらも、『彼女』は自身の望むように自分の体で変異と開花が行われているのを自覚する。

 気が付かぬうちに口元が緩み、早くこの力を確認したいという欲求が湧き出した。

 

 テレビで流れる異能犯罪の情報に冷たい目を向け、例の事件後の処理状況を確認すると、ソファから立ち上がり化粧室に向かう。

 そうして化粧室の鏡の前に立つと、『彼女』は自分の姿を確認した。

 

 

「――――あはっ。ええ、そうよね。こうでなくちゃね」

 

 

 そして、恐らく小学生程度だろう、背の低い少女の姿をした『彼女』は、鏡の前に立つと目を細めてそっと鏡に映った自分の頬を優しく撫でた。

 鏡に映る自分自身の頬をまるで慈しむように丁寧に時間を掛けてなぞり、積年の望みが叶ったかのように幸せそうに一人笑う。

 

 

「貴女は何を望むのかしら……いいえ、貴女はこれから何を望んだのかしらね。……気になるわ、とってもね」

 

 

 酷薄な微笑みを浮かべた少女が、鏡の中に自分の語り掛ける様にそう呟いた。

 怜悧で、残酷な目が、どこか遠くを冷たく見据える。

 

 そうやってしばらく物思いに耽った彼女は、流れ続けるテレビの映像に視線を向けた。

 

 

『――――第二の超能力犯罪、“無差別人間コレクション事件”ですが、犯人の住居に対する捜索は現在も続けられている模様です。また被害者達は現在も入院をするなど、生活に支障が出るほどの影響をこの件で受けている事から被害者達への支援の必要性も充分考えられます。世界を揺るがした神薙医師の事件以降初めての国内における超能力事件に、政府関係者も大きく注視している事態となり、国際警察への協力要請も進んでいるとのことで―――――』

 

 

 少女は小さく頷く。

 下らない情報の羅列だが、自分の行く先を考えるには丁度良かった。

 

 

「私としては、これ以上異能を持った人間がいたずらに増え続けるのは好ましくない。感謝はしているけれど、今の私にはもう邪魔でしかない……これらの事態の大元は、多国籍企業の最大手『UNN』だったわね」

 

 

 鏡の前から歩き出す。

 尊大に、あらゆる全てを踏みつぶすように、「それから」と少女は続けた。

 

 

「それと国際警察……国際警察ねぇ。この国の国政に携わる奴らは論外だけど、秩序を嘯くあの連中がのさばっても良い事なんて限られている。『UNN』のような純粋悪とは性質は違うけど、あんな連中を私は認めない」

 

 

 一人掛けの豪華な椅子に腰を下ろした少女は、まるで玉座に座る王のように足を組んだ。

 肘を突き、背を預け、酷薄な笑みを浮かべた少女は大きな窓から覗く高層からの景色を見下した。

 

 そして、語り掛ける。

 

 

「この世に支配者なんて必要ない。低俗で醜悪な人間という知性体に群れの権力を持たせても、出来上がるのは愚かな集合体だけ」

 

「この世は悪意で満ちている。醜悪が世界に満ちて、欺瞞や欲望が渦を巻く。悲劇が螺旋の様に地続きで、その根本はいつだって人の悪意が存在する。自業自得の因果応報、人間という種の醜さの結晶。でも仕方がないわ、それが人間だもの。私だってそれくらい理解しているし、諦めている。そう言う物だって考えるしか、現状を正確に把握する術なんてない」

 

「でも、現状を正確に把握したなら、次に進む必要があるわよね。停滞を受け入れるには、今の世界は淀みが過ぎて、この世に蔓延る悪意は必要最低限で充分だから……それらを切除しない事には何も始まらない。世界には改革が必要で、この世界に停滞は早すぎる」

 

「そのために……取り敢えずまずは世界の支配者を気取る『UNN』や国際警察はいらないわよね――――貴女もそう思うでしょう?」

 

 

 誰も居ない部屋で、何でも無い事のように呟かれた宣戦布告。

 悍ましい光を宿した少女の双眸が捉えたのは、どちらも世界で最高の力を有する組織だ。

 個人でそれらを打倒する事がどれほど困難な事なのか、玉座に座る少女は理解しながらも、思う事は一つ。

 

 無知蒙昧な者達の無様な姿が酷く不愉快だ。

 

 きっと『彼女』もこんな風に世界を見ていたのだと少女は納得した。

 

 

 

 

 

 





本話で今回の間章は終了となります。
ここまでお付き合い頂き、また感想や評価、推薦など頂けて大変励みになっております! 本当にありがとうございます!!

次章もある程度まとめ切った後に投降したいと思いますので、またしばらく間が空くと思います。
お待たせする事になるとは思いますが、気長にお待ちいただけると嬉しいです!



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Ⅱ‐Ⅱ
形になった成果


数カ月ぶりの投稿! 今話から二部二章となります!

皆様の感想や評価、推薦など全部が励みになっております!
ここまで応援していただき本当にありがとうございます!
何とか完結まで頑張りたいと思いますので、これからもお付き合いして頂けると嬉しいです!

いつも通り、二章が終わるまでは毎日投稿できる筈です……たぶんね……




 

 

 

 

 

 “無差別人間コレクション事件”から二週間。

 つまり、早いものでお兄ちゃんが我が家に戻って来てからはもう五か月とちょっとが経過した訳である。

 

 我が家に帰って来てからお兄ちゃんが精力的に取り組んでいる異能に関する研究(完全に独学のようだが)の進捗具合について、実のところ私はそこまで深くは知らない。

 

 勿論興味はあるのだが、何度かお願いしてみても「まだ見せられるようなものじゃない」と断られる結果に終わっている。

 そんなお兄ちゃんの完璧主義的な部分は美徳になる部分もあるとは思うが、事情を知っていて、研究の協力者でもある私にくらい見せてくれても良いんじゃないか……なんて思う。

 

 一人黙々と研究を続けるお兄ちゃんの姿をチラチラと窺う妹の私。

 そんなこんながこれまでの私とお兄ちゃんの現状だったのだが、今回私にお兄ちゃんの部屋に入る丁度良い口実がやってきた。

 

 それは……お兄ちゃんの部屋の掃除である。

 

 いつもは色んなことに気が回り、身だしなみやある程度の家事も出来る完璧超人のお兄ちゃんだが、研究が佳境なのか、そちらに夢中になり身の回りの事が疎かになり始めた。

 私から何度か軽く注意もしたが食事中すら上の空の現状。これはチャンスである。

 ぶつぶつと専門用語らしきものを呟いているお兄ちゃんの姿を不気味そうに眺める桐佳とは違い、内心しめたと思った私は……いや、これはいけないと私は思ったのだ。

 

 私はあくまでお兄ちゃんの為に、部屋の掃除を強行する。

 そして部屋の掃除なんて強行されれば、お兄ちゃんの頭から研究が離れ、それなりに冷静にもなる筈だろう。

 

 お兄ちゃんは部屋の掃除をしてもらい、我が身を省みることが出来て良いこと尽くし。

 私はいつもの家の掃除のおまけが少し増えるだけで大した労力ではない。

 そして、その際に掃除をしている私がチラッと研究状況を見てしまっても、それは事故の範疇。

 

 完璧である。

 こういう事を考えた時はいっつも失敗するような気もするが、今回こそは完璧である。

 

 

「くくく……お兄ちゃん、覚悟……」

 

(御母様やる気満々……格好良イ……!)

 

 

 ちゃんと掃除の口実となるよう、朝から家全体の掃除は実行してきた。

 手伝おうとする遊里さんと遊里さんのお母さんを別の事を任せる形で諦めさせ、私一人がお兄ちゃんの部屋に突入できるよう、順調かつ完璧に計画を遂行してきた。

 そして私は足元に着いて来たマキナ(自動掃除機)と共に、ハタキと雑巾を持って家の掃除を進め、計画の目的であるお兄ちゃんの部屋までこうして辿り着いたのだ。

 

 あとは目的を遂行するだけである。

 私はにやりと笑い、手に持った掃除用具を片手に持ち直してお兄ちゃんの部屋の扉をノックする。

 

 出来る限り小さい音となるように調整した私のノックは、案の定部屋の中にいるであろうお兄ちゃんには聞こえなかったようで反応は無い。

 だがこれで、ノックしたという事実が残ったのだ。

 

 これで後から勝手に部屋に入って来るなという言葉へ言い返すことが出来る。

 

 まさに穴の無い、完全無欠の奸計だ。

 

 

(完璧っ……先々を考えた準備、口実を徹底した今の私に死角はないっ……!! この計略を実行すれば、お兄ちゃんのあらゆる抗議に対応しつつ私の目的は安全に果たされるっ!! さあっ、お兄ちゃんが頑なに見せようとしない研究状況をつまびらかに覗かせて貰うとしよ――――)

 

「……燐香? 何やってるんだ?」

「うひゃぁあ!?」

 

 

 いざ部屋の中に入ろうとした私の背後から誰かが声を掛けて来た。

 というか、ラフな格好をしたお兄ちゃんだった。

 

 予想外の声掛けに驚き、手に持っていた掃除用具を投げつけようとする格好でお兄ちゃんの姿を確認した私は固まってしまう。

 

 ……いつもは部屋に閉じこもっている引きこもりの癖に、いつの間に部屋から出て来ていたんだ。

 

 

「お、お、お兄ちゃんこそっ、珍しいっ……! わ、私は別に、掃除してただけだし……!!」

「…………お前、本当に嘘が下手になったよな」

「嘘じゃないし! ほら見てよ! ハタキも雑巾も持ってるし、マキナだって侍らしてるんだから! ちゃんとここまで掃除して来たんだから! ぴかぴかだよ!? 凄いでしょ!?」

 

「燐香……」

(御母様……)

 

 

 残念な子を見るような顔で私を見るお兄ちゃん。

 中学までの仲が悪かった時とは違って態度に温もりを感じるが、それでも何だかその顔を向けられるのは腑に落ちない。

 確かに以前よりも醜態を晒すことは多いが、それでも家事も学業も平均以上にこなしている私の『しっかり者の燐香ちゃん』イメージは崩れていない筈だ。

 

 私はそう確信している。

 

 

「事実を言っても誤魔化そうとしていない証明にはならないぞ。というか燐香、自動掃除機に『マキナ』って名付けてるのか……お前が買った物だから何も言わないが、その……厨二感のある名前だな。いやまあ、悪くないとは思うけど」

「!!!!????」

 

(なんだとこの眼鏡っ、マキナの名前を馬鹿にするナ!!)

 

 

 マキナの名を口走ってしまった事、これは別にいい。

 自動掃除機には名付け機能なるものがあるし、家族の前では自動掃除機を指すときはマキナと呼称するのは特に隠しては無い。

 なんなら桐佳なんて、せっせと家の掃除をするマキナに何を思ったのか、暇があれば着いて歩き、『マキナ』と声を掛けたり撫で回したりと非常に猫可愛がりをしている程なのだ。

 

 だからそれは別に問題では無い。

 だが……お兄ちゃんの『マキナ』への名前の感想に、私は動揺を隠し切れなかった。

 

 我ながら素晴らしい名付けだと思っていたのに、厨二感がある……?

 

 …………いや、私は厨二病を卒業して今は大人になっている訳で、その私が付けた渾身の名前が厨二感があると言うのはあり得ない。

 つまり、お兄ちゃんは部屋に入られたくないが為に、私の気を逸らす目的でこんなことを言っているにすぎないのだ。

 

 つまり、ここで変に動揺するのはお兄ちゃんの思うつぼ。

 作戦に乗せられてショックを受ける必要は無いと判断する。

 

 

「……ふっ、その手には乗らないよお兄ちゃん」

「は? いや、別に何か企ててる訳じゃ……」

「お兄ちゃんの部屋の中が散乱しているのは確認済み! そんなことを言って動揺を誘ったって無駄だ! 大人しく掃除をさせろお兄ちゃん!」

「いや何を言ってっ!? ばっ、馬鹿っ! 部屋に入るな!!」

 

 

 もはやこの場を見付かってしまったのなら建前をせっせと積み立てるのも不要だ。

 

 両手に持った掃除用具を振り上げてそう主張した私は、愕然とするお兄ちゃんに背を向け部屋の中に突撃する。

 私の迅速果敢な行動を制止するような声をお兄ちゃんは上げたけれども時すでに遅し、私は無視して部屋の中に飛び込んでいた。

 

 想像通り、お兄ちゃんの部屋の床には乱雑に物が散乱しており――――

 

 

「ほらっ! もうっ、こんなに部屋を散らかして! まったく……へ?」

 

 

 ――――そのどれもが、なんだか実験に使っていそうな、より詳しく言うと、私程度の体重でも、踏んでしまえば間違いなく壊れそうな精密機器のようなものばかりだった。

 

 何処から手に入れたのか、お高そうな物の数々が足元に散らばっている状況を理解した私は血の気が引く。

 

 これ、一つでも壊したら不味いんじゃ……。

 

 そんな場所に勢い良く飛び込んでしまった私は、バランスを崩しながらも何とか散乱した物の隙間に足を着地させていくが、それでも体の勢いが止まらない。

 一歩、二歩、三歩、と、ふらふら部屋を彷徨う私は、廊下で顔を引き攣らせこちらに手を伸ばした状態で固まるお兄ちゃんと目が合った。

 

 酷くゆっくりに感じる視線が交わったその瞬間。

 私は必死に口を動かし、今の想いをお兄ちゃんに伝える。

 

 

「……お兄ちゃんごめん、物壊すね」

「――――ごめんじゃ済まないんだがっっっ!!??」

 

 

 完全にバランスを崩し、これ以上足元の物を踏まないように動くのは無理だと諦めた私に対して、お兄ちゃんが鬼気迫る形相で突っ込んで来た。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

「…………反省してるか?」

「ごめんなさい……」

 

 

 無事だった。

 お兄ちゃんの鬼気迫る行動、倒れる寸前だった私を片手に回収したお兄ちゃんがそのままベッドに飛び込んだ事で、床に散らばっている物は一つも壊れることなく済んだのだ。

 

 だが、当然それだけで済んだ訳も無い。

 床に広げられた物が無事な事を確認したお兄ちゃんは私からハタキと雑巾を奪い取り、無言のまま私をベッドの上で正座させた。

 そしてそのまま、お兄ちゃんは口を横一線に結んで私をじっと見たのである。

 

 謝るしか私に道は残されていなかった。

 

 

(……で、でも、お兄ちゃんが部屋を散乱させていた状況を作っていたのは事実なんだから、間接的な責任はお兄ちゃんにも……)

 

「燐香?」

「ごめんなさい反省してますっ!」

 

 

 心を読まれた。

 そんなレベルのタイミングで、追及するように私の名を呼んだお兄ちゃんに反射的に謝罪してしまう。

 

 ……いやいやいや、読心は私の専売特許の筈なのになんでこんなことになっているんだ。

 

 そう思った私がまさか異能に目覚めたのかと、目を見開いてお兄ちゃんを凝視するが、そんな私の疑惑を余所に、お兄ちゃんは「だから分かりやすいんだって……」と言って、呆れたような溜息を吐いている。

 

 

「……で、どうせお前は俺の研究がどうなっているのか覗きたかったんだろ?」

「んぎっ……!?」

「だからお前、なんでそんなに態度に出る様になって……いや、いい。それは今はいい。前々から何かとその話を聞いてきていたし、興味を持っていたのは知ってるからな。何となくお前がそろそろ動きそうな気はしてた」

 

 

 中学生の時どころか小学生の時のお前よりも心配だ……なんて酷い事を言うお兄ちゃん。

 小学生の時なんて、何年も前の自分と比べられるなんてあまりに心外である。

 

 今の私がポンコツなら、もれなく過去の私もポンコツの筈だろう。

 

 

(……マキナは、その眼鏡の意見に賛成……いや、なんでも無いゾ)

 

 

 足元に忍び寄っていた奴から何か聞こえた気がするが、私は全力でそれを無視する。

 私は不服そうに唇を尖らせるが、そんな私を放置してお兄ちゃんは床に散らばった物の中から一つ何かを拾い上げた。

 

 その拾い上げた物。

 掛けている眼鏡を押し上げ少しだけ誇らしげな顔で、手作り感のあるコンパスのような物を優しく私の前に置いてくる。

 

 ……なんでそんなにドヤ顔してるんだろう。

 

 

「……なにこれ? なんでそんなにドヤ顔してるのお兄ちゃん」

「ドヤ顔はしてない! これは、ようやく形になった俺の研究成果だ」

 

 

 私の指摘に慌てて表情を整えたお兄ちゃんは、「持ってみろ」とコンパスのような物を私に押し付けてきた。

 私が怪訝な顔で押し付けられたコンパスみたいなものを覗くと、中には液体が詰め込まれていて、ゆらゆらと揺れているのが見える。

 それと、ちょっとだけ異能の出力を感じるだけのこれに、私が小首を傾げていれば、お兄ちゃんはこれ以上焦らすのは自分が耐えられないと言わんばかりに早々に説明を開始した。

 

 

「これはな、異能の出力を感知する装置だ」

「……これが?」

「そうだ。揺らさないようにしっかりと水平に持って、異能の出力とやらを流してみてくれ」

 

 

 さらっと難しい事を言う。

 手に持った状態で揺らさないように水平を保つというのもそうだが。

 ただでさえ現象に変換されていない異能を出力するのは難しいというのに、それを周りの異能持ちに感知されないようにやれとか、相当酷いことを言っている自覚をして欲しい。

 まあ、私は異能の扱いが上手いので何とでもなるが……。

 

 そう思いながら、言われた通り手の中のコンパスにせっせと異能の出力を込める。

 すると即座に手の中のコンパスに変化が現れた。

 

 

「あ、揺れた」

「…………計算ではもっと波紋が起こる筈だったんだが……い、いやっ、そうだ! 異能の出力を検知して液体が揺れる仕組み、名付けて“異能出力感知計”だ! これで異能による襲撃に素早く気が付くことが出来る! まずは異能を感知する技術の確立が必要だろうと構想したんだが、色々と試してみても異能の出力を機械や自然的なもので観測する事は出来なかった。であるなら、異能の出力の感知には異能の出力を用いて行うしかないという結論に俺は辿り着いた訳だ。以前燐香が持ってきた異能出力の結晶を削り、出力を長期で保存できる相性の良い液体を探し、溶かすことに成功したのがこの“異能出力感知計”だ。だがやはり完全な保存は不可能で、恐らく半年ほどで感知精度が落ち――――」

 

「いや、これ、コンパスに出力が流れ込む必要があるんだから前に私達を襲ったみたいな、変化が自分自身や対象とした相手だけの物に対しては機能しないし、なんなら悠長に相手に近付ける必要があるみたいだし、そもそも水平に保った状態を維持して悠長に揺れが無いかを確認しなくちゃって現実的に考えて使うのは難しいんじゃ……あっ」

 

「…………そうだな」

 

 

 先ほどまで、揺れたコンパスについて意気揚々と説明をしていたお兄ちゃんの元気が一気に無くなった。

 私を責めていた圧力や誇らしげだった雰囲気が、一瞬で消え去ってしまっている。

 しおしおと眉尻が下がり、爛々と知性の光で輝いていた瞳に影が差した。

 

 暗くなりすぎてそのまま不貞寝に移行しそうなお兄ちゃんの様子に、私は自分の失言に気が付き、慌ててフォローに走る。

 

 

「で、でで、でもっ、ほらっ! 異能の出力を抑えられてない人になら、このコンパスを近付けるだけで異能を持っているかどうかの判別が出来ると思うし! 襲撃時の危機回避まではいかなくても、異能持ちを探し出すとか色んな役に立てるような物だと思うな! これは画期的な発明だよ! お兄ちゃん凄い!!」

「……そうだな……俺は燐香の役に立つようにと思って作ったが、それに限らなければ色々使えそうだよな。それにお前、俺はちゃんと“異能出力感知計”って名前を出してるのに、コンパスコンパスって……」

「私のため…………えへへー、お兄ちゃんってばー」

「後半は聞いてないんだな。そうだよな、燐香だもんな」

 

 

 肩を落としながらそんなことをぼやくお兄ちゃんの腕を嬉しさでペシペシと叩く。

 以前からは考えられないほど優しいお兄ちゃんに燐香ちゃんは大満足だ。

 

 妹想いのお兄ちゃん……以前の態度を本気で改めようとしているようだし、そろそろ本格的に桐佳との仲を取り持つ事も考えてあげないとなんて思う。

 

 こんな感じのお兄ちゃんなら、桐佳だって嫌いではない筈なのだから。

 

 

「……こんなもんだ。独学での俺の3ヶ月の研究で、形になった物なんて所詮この程度なのさ。今のポンコツ燐香にすら指摘されるような杜撰さ……これで一体どうやって自分に自信を持てと……」

「いやいやいやっ、独学の研究を形にしているんだから普通に凄いと思うよ!? だってこれ自作でしょ!? 着眼点も行動力も創意工夫も凄いとしか思わないよ!? しかも普通の大学課題をこなしつつやってるんだから、とんでもない事だよお兄ちゃん!!」

「燐香という異能を持った協力者がいる環境で、しかもお前が研究材料を持ってきてくれているんだから俺としてはもっと結果を出したかったんだよ。だが……ありがとな。そう言ってくれると嬉しいよ」

 

 

 最近は顕著であった、疲労が溜まっているような顔を綻ばせてお兄ちゃんがそう言う。

 

 私が色々と心配を掛けて、異能の事件に関わり続けると言っているからこそ、お兄ちゃんは少しでも私が有利に動けるよう研究を続けてくれているのだ。

 まだしっかりとした形になっているのはこのコンパスだけのようだが、それでも充分私にとってはありがたい事だった。

 

 

「異能の出力とやらを同種の力以外の方法で観測する術は未だに発見できていない。熱や気流、電子や気圧、色んな推測を立てて試してみたがどれもうまくいかなかった。もしかするとこの世にはその方法は存在しないのかもしれないが、それが分かっただけでも進歩だろう。ここからさらに異能の理解を進められるよう、努力を続けていくつもりだ」

「……異能の研究なんてごく一部以外は碌に進んでないだろうからね。お兄ちゃんがこうやって研究を進めてくれるのは、これからの事を考えると本当に凄く大切な事だと思うよ。それに、お兄ちゃんの作ったこれだって、もう既に色んな所が欲しがる一品かもしれないしね」

「……やめろ、あんまり褒めるな。お前に褒められると……ちょっと本気で嬉しくなる」

「ふへへ。何その私に対する特別視」

 

(ムー! 御母様っ、マキナもマキナも!)

 

 

 私とお兄ちゃんが同じベッドに座ったまま笑い合う姿。

 そんな私達のやり取りが羨ましいのか、マキナが私の足に突撃して必死に存在をアピールしてくるので仕方なく撫でてやった。

 機械の体に感触があるのかは知らないが、肝心のマキナが嬉しそうに身じろぎをしているのだから取り敢えずは満足しているのだろう。

 

 マキナ(自動掃除機)と私のそんなやり取りに、お兄ちゃんはしばらくその様子を眺め、小さく首を傾げた。

 

 

「……なんだかその掃除機、本当に生き物みたいな反応をするよな。でも燐香の異能は『精神干渉』だろ……? 異能は関係ない……? ムンバって元々そういう機能があるものか? ……確かにペットみたいとは聞くが……」

「えっ!? そ、そうじゃないかなー? 多分そういう機能が元々ついてるんだよ、うん」

「お前……」

 

「――――あっ、こんなところにいた!」

 

 

 そんな風に話をして嫌な汗を流し始めた私とお兄ちゃんの会話を遮るように、この部屋を覗いた桐佳が声を上げた。

 

 まるで誰かを探していた風な口ぶりだが、私が家の掃除をしている事を桐佳は知っているし、これだけ音を出していたのだから、私がお兄ちゃんの部屋にいる事は別に不思議ではない筈だ。

 

 だからこの言葉が向けられたのは、私やお兄ちゃんに対してではない。

 

 向けられた矛先は、私の足元にいるマキナだ。

 桐佳の登場に、普段は特に感情を露わにしないマキナが目に見えて動揺し出す。

 

 

(!? お、御母様っ、奴ダ! 奴が来タ!! マキナを匿っテ!!)

 

「お姉ここの掃除もしてるんだね。まあ、だいぶと言うか、かなりと言うか……そこら中に物が散らばってるしね。ほんと糞お兄はだらしないよね」

「はいはい、だらしない兄だよ」

「…………お兄ちゃんも桐佳にだけは言われたくないと思うよ? この後桐佳の部屋も私が掃除してあげようか?」

「私はこれから自分でやるから大丈夫! ポンコツお姉に任せると、いつ物が壊されるか不安でしょうがないでしょ! あ、マキナ借りるね?」

 

(アワー!? 御母様ー!!)

 

 

 桐佳に両手で抱えられ、抵抗できないマキナが私に向けて助けを求める悲鳴を上げた。

 だが、別にマキナは掃除を手伝わされるのが嫌な訳ではないのだ。

 

 最初こそ桐佳は、動き回る自動掃除機(マキナ)に微妙そうな視線を向けていたが、直ぐにそれは可愛がりに移行し、今では年の離れた妹が出来たかのような溺愛になっている。

 その溺愛っぷりたるは中々のもので、自分の事さえちょっと抜けのある桐佳がマキナに対しては、毎日手入れや撫で回しを怠らない程(これをマキナは滅茶苦茶嫌がっている)。

 

 そんな最近の桐佳の行動を考えると、今回も掃除を手伝ってもらうというよりも、いつも通り餌(パンくず等)を与えようとしたり撫で回したり、熱心な手入れをしようとしている疑いが強い。

 

 が……私は軽く手を振ってマキナを応援する事にした。

 

 

(……頑張れマキナ、桐佳はマキナの事かなり可愛がってるから)

(その可愛がりが嫌なんダ! マキナ、御母様以外はヤダー!!)

 

「掃除終わったらちゃんと充電しとくね! ……えへへ、マキナちゃんお掃除しようね」

 

(ヤダー!!!!)

 

 

 マキナには酷だが、私の妹の要望にもうしばらく付き合ってあげて欲しい。

 私としては、目前まで迫って来た高校受験のストレス発散になっているようだし、何かの世話をする経験は良い事だと思うので見守りたいのだ。

 

 抵抗するようにウィンウィンと音を鳴らす腕の中の自動掃除機(マキナ)に、喜んでいるものだと誤解した桐佳が嬉しそうに機械のボディを撫でまわしながら部屋から出ていった。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 さて、と思う。

 私の当初の目的は果たせたし、床に散らばっているのが研究の為に使う物となればこれ以上お兄ちゃんの部屋にいる理由はない。

 異能やその研究の話をこれ以上続ける気も無くなってしまったし……と考える。

 

 取り敢えず、桐佳達の姿を最後まで手を振りながら見送った私は、ここぞとばかりにお兄ちゃんに対して何気ない顔でやれやれと肩を竦めて見せる事にした。

 

 

「私が掃除くらいで物を壊すわけないのに……桐佳ってば失礼しちゃうよね」

「……?」

「本気で分からないような顔しないでよお兄ちゃん……」

 

 

 何を言っているか分からないといった表情で私を見るお兄ちゃんに、私は肩を落とす。

 

 先程の失敗を何とか誤魔化せないかと試みたが、やはり駄目みたいだ。

 日に日にお兄ちゃんの中の私の評価が下がっていっている気がする。

 

 何だか再会した時が、私に対する評価が一番高かった気がするほどに、私に対する評価の低さが今のお兄ちゃんの態度からは感じられる。

 確かに色々やらかしてはいる私が悪いのだが……私の、異能と言う飛び抜けた才能を知っている数少ない人の一人だというのに、私に対する尊敬がまるで感じられない。

 

 本当に尊敬されるとそれはそれで悲しいとは思うが、ここまで態度に出されると……。

 

 

「……私、部屋に戻る……お兄ちゃんはちゃんと部屋の物は整理してね。その雑巾とハタキは渡すから、掃除もしなきゃ駄目だよ?」

「ああ、帰る時に物を踏まないようにな」

「踏まないもん……!」

 

 

 まるで小学生に対する心配の仕方だ。

 あまりに失礼な物言いに、お兄ちゃんに向けて舌を出しながら部屋から出た私はこれ以上、家の掃除もする気になれなかった。

 

 トボトボと廊下を歩き、置いていた他の掃除用具を片付けようと手を伸ばす。

 

 こんな、いつも通りの我が家の一日。

 そんなタイミングで、私は自分の携帯電話に通知があることに気が付いた。

 

 手に取り、通知からメッセージが届いている事を知り、メッセージ相手を見て目を見開く。

 

 

「……あれ? 神楽坂さんからだ」

 

 

 珍しい相手。

 以前、あの定食屋さんで神楽坂さんに過去の悪事の一部を告白してからというもの、私は中々連絡を取る決心が付かなかったし、その機会も巡ってこなかった。

 そして神楽坂さんは必要以上に私に連絡を取ろうとしない人だ。

 

 だから、およそ半月ぶりとなる神楽坂さんからのメッセージに首を傾げた私は、「もしかして何かあったのか」と、急いでそのメッセージ画面を開き、目を通す。

 

 

『受信時間:12月3日10時45分

 送信者:神楽坂上矢

 表題:スノードロップ

 本文:良いリンゴを貰った。暇がある時を教えて欲しい』

 

「…………もうっ、神楽坂さんってば仕方ないですねっ!」

 

 

 花と果物。

 花に意味はなく、リンゴは『緊急を要さないが話が必要な時』。

 随分前に私が決めた暗号を律儀に覚えて連絡をしてきた神楽坂さんは、私の力を必要としているという事だ。

 

 緊急を要さないとは言っているが、あの神楽坂さんがわざわざ私を頼って来たのだ。

 多少の事は後回しにしてでも、急ぐべきだろうと思う。

 

 という訳で、今日の私の予定は決まった。

 先ほどの、ちょっとした失敗に挫けていた燐香ちゃんはもういない。

 というか、あの程度の失敗で何をクヨクヨしていたんだと今は思う。

 家族のお昼ごはんに冷蔵庫にある作り置きの食べ物の他に何を用意すれば良いかを考えながら、私は即座に今日の午後の待ち合わせ時間と場所を神楽坂さんへ送るのだった。

 

 

 

 

 



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燃え広がる悪意


久しぶりの更新なのに多くの方が忘れずにいてくれてとっても嬉しいです!
本当にありがとうございます!

そして今回は恒例になりつつある、めちゃくちゃ長い回です。
どうしてこんなことになるのかは私にも分かりません。


 

 

 

 

 

 某日、警視庁公安部特務第一課。

 柿崎遼臥は元の鬼のような顔をさらに険しくして、手の中の報告書を睨んでいた。

 

 その報告書は先日発覚し、そしてその日の内に解決したある事件の顛末が書かれたものだ。

 とは言っても、今回のこの報告書は事件処理に関するものでは無く、活動した部下の功績を正当に評価する為のもの。

 異能対策部署で中間管理職のような立場を任されている柿崎は、その報告書を精査して、活動した部下に対して然るべき評価を行わなければならなかった。

 

 基本的に、柿崎は相手がどんな人物であっても貢献した事に対しては正当な評価を行うべきだと考えている。

 組織としてそれは当然だと考えているし、過剰な便宜や忖度はゴミだとまで言う程だ。

 そして今回は、通報者から情報を受け取り即座に現場に駆け付け事件を解決まで導いたのだから、文句の付け所は無く、手放しに称賛するべき出来事だろうと、柿崎の中では既に判断を下していた。

 

 ……のだが、今回の件をそのように受け止める事が、柿崎は甚だ不本意であった。

 

 

「……確かに、他から聞いていた話と矛盾はねェな。この報告書は受け取っておくぞ」

「はいっス!」

「…………」

 

 

 なぜなら、それを成し遂げた人物がコイツだからだ。

 柿崎は羅列された文字列をじっと眺め、それから視線を上げて報告書を提出した人を見遣れば、予想通りその人物は褒めろと言わんばかりに胸を張って柿崎の言葉を待っている。

 

 見るからに調子に乗る一歩前。

 学生時代ですらここまで露骨な奴はいなかった、と柿崎は思って、複雑そうな顔で大きなため息を吐いた。

 

 

「……今回の、“無差別人間コレクション事件”についてはお手柄だったなァ一ノ瀬」

「むふふん! まあっ、実際私がやったのって、通報に駆け付けただけでそんな大したことした訳じゃないっスけど! 結果として解決の一歩を歩めたのは私の判断があったからっスからね! 謙遜はしないし、称賛はしっかり余すことなく受け止めるっスよ! 柿崎部長、もっと私を褒めるっス!」

「…………チッ」

「舌打ち!?」

 

 

 評価する者が自身の好き嫌いで評価を変動させるなど言語道断。

 功労者に対してはしっかりと評価を行うべき。

 

 分かってる、そんな事分かってはいる。

 だが、褒めるとすぐに調子に乗るこの部下の性格を考えると、ここで褒めるのは非常に不服。

 というか、普通に腹が立つのだ。

 

 どうしたものかと悩む柿崎を余所に、そんな二人のやり取りを見ていた人物が横から口を挟んでくる。

 

 

「一ノ瀬ちゃんさー、今回の異能を持った奴と実際に対峙したんだろ?」

 

 

 気の抜けた声。

 警察と言うにはいささか覇気のない、何処にでも居そうな通行人のような男が緊張感の欠片も無く声を掛けてきた。

 

 

「俺の“煙”の異能とは違って全然大したことなかった? いや、結果は分かってるんだけどさぁ。やっぱり? 第三者の視点からの意見が欲しいって言うか? 俺の異能に対する評価が欲しいって言うか?」

「あ、灰涅の大ボケさん。いや、全然っスよ。対峙した途端投降するから攻撃しないでくれって、一度も超能力を使う事が無かったんスもん。見てないからどっちが凄いとは言えないっスけど、まあ、灰涅の大ボケさんは警察に囲まれても何とかできますもんね?」

「まあな! まっ、俺ほどの異能を持った奴なんてそうそういないさ。なんたって俺は、世界レベルで有名の異能持ちだったグウェンとかいう奴に致命の一撃を加えたんだからな。まさに国家レベルで希少で強力な異能持ち……一ノ瀬ちゃんも、困ったら早めに俺を呼ぶんだぞ」

「煙野郎、テメェが個人間のやり取りでそう簡単に動けると思うな。あくまでテメェは臨時職員で、立場は受刑中の犯罪者だって言ってんだろ」

「う……いや、まあ、そうだよな。俺は立場上ちゃんと要請があってから動かないとだよな」

 

 

 柿崎にそう言われた灰涅健徒、通称“紫龍”は柿崎に怯み、反論もしないまま小さくなる。

 

 “紫龍”は本来刑務所に叩き込まれている筈の犯罪者だが、特例として異能犯罪を解決する為の人材として警察に協力している立場だ。

 協力者とはいえ、異能を有した犯罪者である彼に対する周囲の目は厳しいが、“紫龍”自身は立場上余暇や給金が割と発生しているこの生活に案外満足していた。

 今の彼の頭に、警察組織を出し抜いて逃亡してやろうなどという考えはない。

 

 いかに楽に、いかに自分の虚栄心を満たすのか、単細胞なこの男はそれくらいしか考えてはいないのだ。

 

 そんな理由があるからこそ、現在自分の直属の上司である柿崎には絶対に逆らうつもりはこれっぽっちも無い。

 だから今回のように柿崎に注意されれば素直に従うつもりだし、変に騒ぎを起こすつもりも無かった。

 柿崎の顔が怖いからとかではない筈である。

 

 

「今回の事は賞与が出る。詳しい流れは事務に聞け。今後も今回のような活躍を期待する」

「あれ、あれあれー? 柿崎部長、いきなり堅苦しい言葉になっちゃったっスねぇー? もっと一ノ瀬さんに言うべき事あるんじゃないっスか? 成長したな、とか! 流石は俺の部下だ、とか!! 私、そういう言葉欲しいっス!!!」

「…………世の中ままならねェもんだな」

「今は世を儚む場面じゃないんスよ!! 私が活躍してなんでそんな風な反応になるんスか!?」

 

 

 バンバンと机を叩き元気に騒ぐ一ノ瀬に対して、柿崎は面倒臭そうな顔で処理をするからさっさと自分の席に戻るようにと指し示した。

 これ以上無いくらい雑に扱われた一ノ瀬がぶすくれながら、柿崎の指示に従って自分の席に戻っていく。

 

 とはいえ、こんな雑な対応をしたものの、柿崎は内心今回の件の彼女の活躍を認めていた。

 

 決められたばかりの特例措置を即座に使う判断を下すのは中々出来ることでは無いと思うし、助けを求めた人の状況を正確に汲み取り、彼女は実際に助け出す結果を残している。

 すごすごと肩を落として自分の席に帰っていく一ノ瀬の背中を見て、正当に評価されるよう上に話は通しておくか、と一応は思っているのだ。

 

 騒がしかった一連のやり取りが終わり、部屋には静寂が戻った。

 カタカタとパソコンのキーボードを打つ音だけが響く部屋で、柿崎達の会話が収まるのを見計らっていた同じ課の男性が、柿崎に声を掛けて来る。

 

 

「柿崎さん」

「あァ? ……じゃねえ、どうした?」

「かっ、柿崎さんを呼んで欲しいと、宍戸補佐が来られていますっ」

「宍戸ォ?」

 

 

 珍しい顔見知りの名前が出た事に柿崎は意外そうに眉を動かし、確認するように廊下へ繋がる扉の方へ視線をやれば、そこには一人の男が柿崎を待っている。

 

 すらりとした体型に、平均的な身長をした狐顔の男性。

 鬼と呼ばれるほど強面の柿崎とは真逆の、柔和な微笑みを携えた人物。

 そして、柿崎や神楽坂と同期であり、その期の中では最も出世頭の宍戸四郎(ししどしろう)がそこにいる。

 

 階級だけを見れば柿崎よりも随分と上になってしまった彼だが、そんな立場の違いなんて微塵も頭に無いように柿崎に向けて気安く片手を上げていた。

 

 

「よお柿崎、久しぶりだな。相も変わらずゴリラみたいなナリしてんだから、威圧的な声を上げて周りをビビらすなよ」

「テメェは相変わらず何を考えてるのか分からねェにやけ顔だな。少しは体力付けたか宍戸」

「馬鹿野郎、俺の体力は最初から標準より上だ。お前や神楽坂みたいな底無しの身体能力を持った奴らを基準にすんな」

 

 

 挨拶代わりに憎まれ口を叩き合う。

 何の用だと視線を鋭くしている柿崎に対して、宍戸は手で近くに来いと合図する。

 

 柿崎は怪訝な顔を浮かべ、仕方なく、扉近くで待っている宍戸の元に歩み寄った。

 

 

「……なんだ? 見ての通り、ここは暇じゃないんだが?」

「俺だって暇じゃないさ。……だがな、お前んとこの新人課長。アレに睨まれたくない奴らが、所在の分からなくなった例の薬品五つを探すよう俺に言いつけて来やがったんだよ。で、状況すら分かっていない哀れな上層部の犬である宍戸は、現地の確認を直接行ったらしい柿崎さんに事情を聞きに来たって訳だ」

「お前……厄介ごと押し付けられてんじゃねェか」

「俺みたいな小物にとっては世間を騒がせてる大きな波には流されるしかないんだよ……お前らみたいのとは違ってな」

 

 

 自嘲気な笑いを溢しながら肩を落とした出世頭の姿を見て、柿崎は鼻で笑う。

 他人の不幸が楽しいわけではないが、要領が良いこの男が苦しむ姿は非常に珍しい。

 警察に入りたての頃から、自分や神楽坂が苦労するのを傍から眺めていたこの男のザマは何だか物珍しさがあった。

 

 

「……まあ、その程度の情報なら問題ねェな。こっち来い。全部は言えないが概要くらいは話せる」

「悪いな。今度酒でも奢る」

「丁度良い、そん時は神楽坂の奴も呼んで同期会だ。最近のアイツは気が抜けてるとしか思えなかったんだ。誰かが締め上げないといけねェだろ」

「やめろ。万が一にもお前と神楽坂の争いが起きたら俺が止められる訳ないだろ、ふざけんな……だいたい、神楽坂の様子は俺も聞いてるが……過去の事件に関する事が終わってアイツにも冷却期間が必要なんだろ。これ以上負担を掛けるのはどうなんだ」

「チッ……能力があると分かってる奴を暇させるのは業腹なんだよ」

 

 

 この場にいないもう一人の同期についての話を交えながら、二人は情報交換を始めた。

 

 お互いの能力の高さを理解し合った端的かつ短いやり取りの応酬は、時間にして10分と少し。だが、話した内容は多岐に渡った。

 

 例えば、犯人である男の証言で使われていない薬品が五つあるのは確実な事や、男の屋敷に入った時の状況写真や探した場所、押収した物の数々について。

また、男の異能がどんなものだったか、今判明している薬の入手経路なんて事も話に出た。

 

そんな様々な情報を交わし、間にあった認識の違いを擦り合わせた二人はお互いの情報に納得して頷く。

 

 

「こんな所か。いや、悪いな柿崎。時間を取らせた」

「良い。俺にとっても初耳の情報があった。正当に組織の上層部に食い込んでいるお前の話を聞けんのは貴重だ」

「図体の割にそういう理性的な部分がお前の怖い所だよ……話は変わるが……特例として昇進や措置が取られて特別扱いされているこの部署を疎んでいる連中は多い。今は直接干渉してくることは無いだろうが、色んな嫌がらせもあり得る。気を付けろよ」

「はっ、下らねェ連中は何時でも湧いてきやがるもんだ。そんな連中なんとでもなるさ」

「そうか。お前がそう言うなら大丈夫なんだろう。それなら良いが……」

 

 

 少し迷うような素振りを見せた宍戸は、声を潜めて小さく呟くように言う。

 

 

「これは内密にして欲しいんだが……“無差別人間コレクション事件”の犯人の屋敷に踏み込んで証拠を集めていた警察官二名が消息を絶っている。完全に連絡が取れず、上は彼らが薬品を横領した、あるいは所持しているところを誰かに連れ去られたんじゃないかと考えている。この調査も俺が行っているんだ」

「…………なるほどなァ」

「それからこれは俺の勝手な独り言だが……」

 

 

 宍戸はそう言って、やる事が無く、他の職員達に絡みに行っている“紫龍”に視線をやった。

 

 

「最近は犯罪者を使ってる部署だと陰口を叩かれているのをよく聞く。先任の浄前課長が強行した異能を持った犯罪者の利用だが、警察内部からの評判はすこぶる悪い。同じ組織内の反感を買ってでも使う程の価値があるのか、俺は疑問だ」

「今のところ従順だ。性格に難はあるが、異能とやらは優秀。異能を使う相手を制圧する事を考えた時、こちらにも異能という武器が無ければ対抗は難しい。それに監視の方は、碌な対策も出来てないブタ箱よりか、同じように異能を持つ人間が近くにいる方が良いだろ」

「……もう一つ独り言だ、奴の異能は“煙”だったな。“連続児童誘拐事件”の実行犯であったのなら、奴の異能があれば人攫いは容易。少なくとも他の連中はそう考えるだろうな。警察内部からの疑惑の目は尽きない筈だ」

「あ? それはつまり……」

 

 

 消えた二名の警察官。

 見付からない五つの異能開花薬品。

 そして、内部に入り込んでいる超常の力を持つ犯罪者。

 

 宍戸が話したこれらの要素から考えられる状況はそれほど多くない。

 そして、彼の話しぶりからするときっと宍戸はこう言いたいのだろう。

 

 『警察内部では“紫龍”が異能を開花する薬品の奪取に何かしらの形で関わったのではと疑っている』、と。

 

 “紫龍”の人となりやここ最近の監視状況をある程度知る柿崎にとってはあり得ない話ではあるが、犯罪者と言うだけでありもしない先入観を持つというのはあるだろう。

 異能と言う事情があろうと超法規的な措置として犯罪者に協力させているなど受け入れられない人は当然いる。

 その割合がどの程度になるかなんて分からないが、それは特に警察内部には多く、組織に従順な宍戸がここまで危険を冒してこの件を伝えに来たということは、恐らく想像しているよりも状況は悪いのだろう、と柿崎は思った。

 

 

「宍戸お前、それを伝えるために……?」

「ただの独り言だ。ここに来たのは押し付けられた仕事の情報を得る為に仕方なかった。面倒ごとを押し付けられた宍戸になんら他意はない……少なくとも、事情を知らない奴らにとってはそうだろ?」

「……随分腹黒くなったもんだな」

「必要な事だからだよ。この部署は……これから先の情勢を考えれば、最も大切にしなければいけない場所だなんて、当たり前の話だろ」

 

 

 そう言った宍戸は、「それじゃあ俺は今回の件の屋敷とやらに向かう」と柿崎に向けて後ろ手を上げるとその場から立ち去っていく。

 以前とは違う、成長した同期の後ろ姿をしばらく眺めた柿崎は、正体の分からない頭の中の引っ掛かりを解き明かすことが出来ないまま、自分の席に戻るのだった。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 東京都氷室区氷室警察署交通課、実のところその場所に神楽坂上矢は残留していた。

 

 確かに狂言まがいな発言を繰り返したとして落とされていた階級こそ異能の認知が進んだことで先日元に戻る事になった。

 だが、飛鳥とは違い異能や明確に異能に対抗する手段を持たない神楽坂の特例的な部署替えは行われていなかったのだ。

 

 ここ最近見直された過去の異能が絡む事件、“紫龍”や“千手”といった、凶悪な異能持ちを相手にした神楽坂の評価は、警察内部で大きく変化している。

 状況の詳しい聞き取りなどが行われ、超能力と対峙するとはどういうものかを聞きに来る熱心な者だっているほどで、神楽坂にとっては普段以上に忙しない毎日ではあった。

 だがそれでも左遷のような扱いは変わらず、神楽坂はここ数か月間、日常業務に励む毎日を送っていたのだ。

 

 勿論、新設された異能対策部署である警視庁公安部特務対策第一課の一部面々からは、神楽坂上矢の部署への早期加入を求める声は上がっていたが、そうはならない理由がいくつかあった。

 

 例えば、いくら神楽坂の話が真実だったとはいえ、完全な縦社会であった警察組織で上に歯向かった神楽坂を良く思わない人が多くいた事。

 例えば、警察内部に入り込んでいた“液体人間”による悪意ある情報操作により、必要以上に神楽坂の悪評が蔓延っていた事。

 例えば、理不尽な暴力である異能を所持した“紫龍”や“千手”に対して特別有効な技能を持った上で逮捕を成功させたわけでは無い事。

 そしてなによりも、ある意味自身の目的を達成してしまった神楽坂自身が、今なお昏睡状態の恋人の治療方法を探す時間を確保する為に異能対策部署への異動を望んでいなかった事。

 

 それは、柿崎に言わせれば腑抜けている状態であり、以前の事件解決に全力を注ぐ活力に満ちた彼を知る者からすれば心配してしまうような神楽坂の姿。

 

 だが、だからこそ。

 

 

「……悪いな佐取。時間を取らせて」

「えへへ、何を言ってるんですか神楽坂さん。外せない用事があったら私はちゃんと断りますから気にしないでください! 今日はたまたま暇だったんです! そう、偶々! 運が良かったですね神楽坂さん!!」

 

 

 だからこそ、時間的余裕を取れるようになった神楽坂は、またこうして外部の協力者である少女と会合する事が出来ているのだ。

 元気いっぱいの笑顔を浮かべる少女、佐取燐香が両手でグラスを持ちながらチビチビと飲み物に口を付けているのを目の前にして、神楽坂は気圧されたように苦笑する。

 

 

「元気だな……こうして時間を取ってくれることは俺としては凄く助かる訳だが、何度も言うようだが、無理に時間を取るような事はしなくていいからな? ……それにしても、佐取とこうして二人だけで会うのは随分久しぶりな気がするな」

「確かにそうですね。中々時間が合わなかったり、機会が無かったり、飛鳥さんがいたりとか、色々ありましたもんね。まあ、最後は別に悪い事じゃないですけど……もし良かったらもっと頻繁に呼んでくれても良いんですよ? なんなら家の掃除とか料理もしてあげましょうか? 神楽坂さんって見た目からしてそういうのに手が届いてなさそうですし」

「見た目……不潔とかそういう意味なのか……? い、いや、流石にそれは勘弁してくれ……俺は自分の面倒を見てもらうために佐取と接している訳じゃ無い。流石にそんなに色々と面倒見られたら、色んな奴に怒られる」

「そうですか? いやまあ、体面が悪いのは確かかもしれませんし、神楽坂さんがそう言うのなら無理にとは言いませんが……」

 

 

 時刻は昼時にしては少し遅い時間帯の何処にでもあるような喫茶店。

 あまり他の客が少ないこの店で、少女と男性は机を挟み向かい合っていた。

 

 いつか、“連続児童誘拐事件”の実行犯である“紫龍”を捕まえた後、初めて待ち合わせたこの店で、少しだけ懐かしみながら二人はそんなことを話す。

 だがその時とは違い、お互いに目の前の相手を信頼している事が分かるほど穏やかに会話が進んでいる事に、きっとどちらも気が付いていないだろう。

 

 だがそんな、気を許し合ったような彼らの会話ではあるが、ここ最近彼らの関係にはちょっとした溝が出来ている。

 

 それは、少女である燐香の過去の悪行の一部が神楽坂にバレたからだ。

 

 今回神楽坂の連絡があるまで燐香は自分の過去の行いを神楽坂に暴かれ、叱られた(本当に軽く)事に引け目を感じて、中々連絡すら取っていなかった。

 基本的に小心者である佐取燐香という少女は、怒られれば人並み以上にへこむ生き物である。

 その証拠に今も、「いつ神楽坂が話の本題に入るのか」「それはもしかして自分をさらに追い詰めるものじゃ無いか」「そもそも悪事に怒っていないか」を不安に思い、チラチラと神楽坂を窺っていたりするのだ。

 

 

「そ、それで神楽坂さん! そちらでは何か恋人さんを助ける術についての手掛かりはありましたか? 今回の連絡はそれが本題なんですよね?」

「ああ、そうだな。確かにその件も話したくて佐取にこうして時間を作ってもらったんだ。その分野に詳しい相手に当たって直接確認したが、医学的な手法での治療は困難らしい。“白き神”とやらが行った異能の使用で精神面に深刻な損傷があるんじゃないかというのがその医者の見解で……だから、もう一度、佐取に診て貰えないかというお願いなんだが……その前に……」

「その前?」

 

 

 そして、そこまで話した神楽坂は気まずげに視線を逸らした。

 そんな神楽坂の様子を前にして、燐香は小首を傾げて不思議そうな表情を浮かべる。

 

 

「俺は佐取に、謝らないといけない事があってだな……」

「え? 神楽坂さんが、私に……ですか?」

「実は佐取に相談や了承も無いまま、俺は神薙隆一郎の面会に行ったんだ。先輩や睦月が巻き込まれた過去の事件についてや『UNN』と言った連中との関係を、もう一度俺の耳で聞きたかった、そんな理由だったんだ。だが、その際……」

「あっ、あー……いや、別にそれは……」

 

 

 想定外だったとはいえ、詮索しないという前提での協力体制だった筈なのに結果的には燐香の知らないところで、過去の詮索する形になってしまった。

 神薙隆一郎という第三者から勝手に知られたくない情報を受け取った、その事実に変わりはないと神楽坂は思っていたのだ。

 

 ゆえに神楽坂は誠意を示す為に、燐香に対してしっかりと頭を下げた謝罪を行う。

 

 

「……申し訳なかった。そういうつもりでは無かったとはいえ、結果的に佐取の信頼を裏切ってしまった事に変わりはない。なんでも償いはするつもりだ」

「んぐっ!? な、なんでもって!? やっ、止めてください! 別に私は、今更神楽坂さんに何もかもを隠そうとは思っていませんっ。色々誤魔化したり、煙に巻いたり、結構あくどい事をやっているのは事実で……し、知られるのは嫌ですけど別に神楽坂さんが口外するかもしれないなんて疑ってなくて。ただ、神楽坂さんが私に失望するんじゃないかって不安からくるものですし……だからそんな事で、神楽坂さんの恋人さんの様子を診ないとか言うつもりはこれっぽっちもないです!」

「そうか……ありがとう佐取」

 

 

 ほっとしたように息を吐いた神楽坂に対して、逆に申し訳なさそうな顔をした燐香がおずおずと切り出す。

 詮索された形ではあるが、騙すみたいなことをしていたことに引け目があるのは燐香も同じであったのだ。

 

 だからこれ幸いと、神楽坂の謝罪に合わせるように過去のごまかしの一部を訂正する。

 

 

「その、多分神楽坂さんが最も混乱されているのは私の異能についてですよね? あの医者が言った事との齟齬があって混乱がある、という形でしょうか?」

「いや、無理に話す必要は無い。不義理を働いただけの俺に、佐取が譲歩する必要は……」

「いえ、あの、私としてもこれから先。あの医者のような第三者が悪意ある情報を神楽坂さんに流して混乱させようとするのは困りますから……自分の身を振り返る上でもこの話はさせてください」

「それなら良いが……無理しなくていいんだぞ」

 

 

 そう前置きをして、燐香は手に持っていたグラスを机に置いた。

 そして自分を落ち着ける様に一呼吸置く。

 

 

「その……あの時、以前私の異能について説明した時。私は私の全てを神楽坂さんに言っていませんでした。というのも、今の私の異能は、とある事情があって出力や性能が落ちていまして、異能の使い方は我ながらかなり上手いとは思いますが異能の強さはそれに伴っていなかったんです。けれどこれまで異能犯罪を解決する際に異能を酷使した事で、今は異能の出力や性能は徐々に向上してきてはいるんです。それで……あの医者が言う過去の現象と私の今の異能の差異は、とある事情の性能低下から来ているものだと思います。だから、あの時の協力できる異能の強さとしては以前の説明に間違いは無くて……子供騙し程度の力しか持たないと神楽坂さんに言ったのは、決して嘘ではないんです」

 

 

 半径500mの球状の範囲。

 読心と、意識外の認識をずらす事と、指パッチンでの感情波という僅かな攻撃手段。

 以前の説明ではそれだけだったが、今は違う。

 

 

「……今は出力が強化され、3㎞の距離まで範囲は伸びましたし精神に関して干渉出来る事は増えました。今なら多少意識を向けている事を誤認させることだって難しくありません。精神干渉系の異能と言う事に間違いはありませんが、御存じの通り、異能を使って悪さをしていた時期に培った技術で、異能の出力を別の場所に溜め込む事や、カラスといった知性体を精神干渉により完全に支配下に置いて、異能の出力機としての役割を持たせる事などの、そういう異能の扱う技術をいくつか確立しています。その手法があって、先日話したような大勢の人を私の異能の対象にしたりしていました」

 

 

 異能の基本性能の向上。

 飛鳥のように自身の問題を解決するなどの出来事で異能の性能が向上する事は考えられる。

 異能を使用する上で阻害要因となっていたメンタル面の変化で、大きく性能が変わるというのは何となく分からなくはないだろう。

 

 だが、異能のそういう事情に詳しくない神楽坂は違う。

 燐香の話を聞き、想像以上の数字の変化に彼は驚きを隠せない。

 

 

「待ってくれ……以前の出力の説明は確か500mだっただろ? その事を考えると、今の出力とやらは……」

「単純な計算ですけど……範囲は6倍くらい広くなっていますね」

「……俺は、異能の出力と言うのをよく掴み切れていないのが正直なところなんだ。それでも、それは少し異常な数値な気がするんだが……いや、何かしらの要因で出力が元よりも落ちているのなら、成長ではなく元に戻る訳で……速度が速いのは普通なのか? 悪い、俺には異能の常識は分からない」

「んっと、まあ、そもそも精神干渉と言うか、探知系と言うか。私みたいな物理的な干渉手段を持たない異能の効果範囲は広いものなので別にそんな凄くは無いといいますか。飛鳥さんみたいな異能で私と同じくらい効果範囲が広ければとんでもない脅威だとは思いますけど……」

「佐取の自分に対する評価は参考にならないと学習したからな。悪いがその発言は信じられないぞ」

「神楽坂さん!!??」

 

 

 自分を信じられないと発言をした神楽坂に燐香は大きく目を見開いた。

 とはいえ燐香も言われた内容に心当たりはあるのだろう、少しだけ不貞腐れるように唇を尖らせるだけで、それ以上の不満を口にしようとはしない。

 そんな子供っぽい燐香の様子を前にして、神楽坂は思わず失笑してしまう。

 

 これまで出会って来た凶悪な異能持ち達よりも、語られた異能の性能は頭一つ飛び抜けている印象があるのに、この子であれば大丈夫かと根拠も無いのに安心してしまう。

 以前飛鳥に言われた、「盲目的に信頼している節がある」という言葉を思い出しながらも、神楽坂は諦めたようにゆっくりと首を振った。

 

 飛禅に以前言われた事や、神薙との面会で教えられた事実。

 そして彼女とのこれまでの事を思い出しながら、小さく呟くのだ。

 

 

「……疑って終わるよりも、佐取に裏切られて終わる方が良い。結局、俺はそれしか選べないみたいんだな……まあ、俺がもっと利口であれば、何処かで異能犯罪の解決なんて諦めていたんだろうが……」

「え? か、神楽坂さんごめんなさい。聞き取れませんでした……」

「いや、ただの独り言だ。なんでもない。話してくれてありがとう佐取」

「そ、それは別にっ……神楽坂さんは卑怯ですっ! 信じられないって言ったり、ありがとうって言ったり! 私を混乱させないでください!」

「ふふ、悪いな。正直に話すとこうなるんだ、許してくれ佐取」

 

 

 怒る燐香をそうやって窘め、神楽坂は片手で自分の頬骨を突いた状態で笑う。

 自分でも気づかぬうちに、神楽坂の胸に僅かばかり染み付いていた疑念がさっぱりと晴れたように、神楽坂の気分は穏やかだった。

 

 だが疑念こそ晴れたものの、ここまで話が出るとどうしても気になる事が出て来る。

 例えば、“千手”という指名手配犯を神楽坂の前で倒した時のあの現象。

 

 巨神のごとき巨大な腕を振るおうとした“千手”が指一本動かせない状態で停止した事。

 何もない空間を凝視したまま、断頭台の刃が落ちるのを待つ囚人のように血の気を失い体を震えさせていた事。

 そして、その次の瞬間には、巨大な生命体に踏み潰されたかのように地面に全身を地面に叩き付けられ意識を失った事。

 

 その時のことを、神楽坂は思い出す。

 

 物理的な干渉は出来ないと言っているが、あの現象は明らかにその範疇では無かった。

 それに、神薙隆一郎と面会した時、あの医者が言っていたように自分達を監視していたのなら、その方法は一体どうやったのか。

 そしてそもそも、過去の“顔の無い巨人”と呼ばれていた時何を目的としていたのか。

 もしも、彼女の異能が全盛期の状態に戻ったら、昏睡状態の彼女を救う事も出来るか。

 

 そんな色んな疑問が神楽坂の頭に去来し、照れた顔で何かお土産に買って帰ろうかとメニュー表を開いている燐香をじっと眺めてしまう。

 

 

「桐佳と遊里さんはそろそろ受験だし何か勉強のお供になる物でも……やっぱりケーキかなぁ……モンブランとチーズケーキ。あとはお兄ちゃんと由美さんとお父さんにも買って帰ろうかなぁ。神楽坂さんはどう思います? あっ、お土産は奢らなくていいですからね神楽坂さん。神楽坂さんは私の飲食だけ面倒見て下さい」

「いやそれは良いんだが……俺から気になることをいくつか聞いても良いか?」

「むむ? 別に構いませんけど……ただ、今後読心系の異能持ちが出てきた時、私の手札全てを神楽坂さんを通じて知られると問題なので、戦略上どうしても言えない部分はありますが……」

「…………ちょっと考えさせてくれ」

 

 

 燐香の言葉に疑問を口に出すのを止めて神楽坂は考える。

 前にも考えたように、燐香の異能は現代社会においては無類の強さを誇っている。

 人の精神に干渉する異能の性質上、協力者や情報収集能力には事欠かず、奇襲されないという鉄壁ぶり。

 その突破口を作るとするなら、燐香の周りで事情を知る者から詳細を聞き出す事だろうと思うのだ。

 少し前に、“泥鷹”という組織の奇襲で意識がそちらに向いていたとはいえ、神薙隆一郎達に不覚を取られ誘拐されたのは事実。

 佐取燐香という異能持ちが鉄壁でも、その周囲の人間はそうではない。

 

 もしあの時点で、神楽坂が燐香の異能について深く知っていたらどうだったのか。

 もしあの時点で、敵がより強硬に神楽坂から情報を奪おうとしていたらどうだったのか。

 

 そんなことを考えて、神楽坂は口を閉ざした。

 

 

「……神楽坂さん? 別に、そこまで深く考えなくていいですよ? 神楽坂さんの質問に対して私が必要かどうかの判断をしますから、気になることは聞いて頂ければ……」

「いや、大丈夫だ。考えてみたが俺がまた不覚を取らない保証もない。俺が知ったところで佐取に対して何か出来る訳でもないんだ。関係者に俺が異能犯罪の解決を行って来たと知れ渡っている以上、これからも俺が何かしらの標的になる可能性が高い。これまで通り、何かあったら裏から手助けしてくれるという形の方がありがたい」

「…………普通好奇心が先行すると思うんですけどね。そうやって考えられる神楽坂さんはやっぱり大人です」

 

 

 燐香がそう感心したように声を上げたのに対して、「……ただ」と神楽坂は言った。

 

 

「一つだけ教えて欲しい。“顔の無い巨人”と言われていた時代……佐取の異能の全盛期は、どれくらい強力だったんだ? もし、その状態に戻れれば、昏睡状態の睦月の精神を元に戻すことを出来たりはするのか教えて欲しいんだが、どうだ?」

「それは…………」

 

 

 口を噤み、視線を逸らし、明らかに表情を暗くした燐香に神楽坂は少し動揺する。

 「不快にさせただろうか」「聞くべきではなかったか」、そんな事が頭を過った神楽坂の不安とは裏腹に、燐香の顔はだんだんと真っ赤に染まり始めた。

 

 明らかに何かに羞恥心を感じている燐香の変化に、神楽坂はポカンと口を開けてその様子を眺め続ける。

 

 日焼けの無い頬がじんわりとした朱色に染まり、体は小刻みに震えだす。

 羞恥心で熱を持ち始めたのか燐香は目を回し始め、さらには何とか言葉にしようとしたものはあまりにしどろもどろ過ぎて理解が難しい。

 そして、最終的には耳まで赤くして、恥ずかしそうに身じろぎする燐香はようやくぼそぼそと形となった小さい言葉で返答を始めた。

 

 

「その、わ、私の異能は別に強力なものでは……あ、いや、強力は強力なんですが最強無敵で何でもできるようなものではないんですっ。それに神楽坂さんが望む様な治療に特化したものでも無くて、私は応用を利かせて一応治療まがいの事は出来ますけど、それを専門的に行えるかと言われると微妙なところで……か、“顔の無い巨人”なんて大層な名前で呼ばれてたみたいですけど、それは私が特別凄いというよりも察知できる人がいなかったからという相対的に過剰評価された結果でして。精神干渉って傍から見ると分かりにくいっていうのの最たる例ですよね。だから、どんな風に私の悪行が認知されているかは知りませんが、世に出回っているものよりも実際にやらかしたのは大分ましな筈です。あとあと、性質上『精神干渉』のくくりに間違いは無いですが、これは個別の名称と言うには少々齟齬がありまして。その、昔の私は異能の特性の為に自分の異能に別の名称を使用してたりとかしまして。えへへ……厨二病の至りと言いますか……あっ、いや、これはいらない情報ですねっ! えっと、その……今よりも出力とか性質はだいぶ上でしたけど、彼女さんを治療できるかどうかはその状態になってみないと分かりませんが、でもっ、でもっ、多分私の異能の弱体化は治るようなものでは無いので、この線での治療の可能性は薄いと思っていてください!」

「…………あ、ああ」

 

 

 何か、とんでもなく長い台詞をぼそぼそと言われた神楽坂は呆然とするしかなかった。

 というか、伝える気が無いのではないかというレベルの呟きだったので、いくつか聞き洩らしすらある気がする。

 数秒を経てようやく正気を取り戻した神楽坂は、取り敢えず後半になってようやく疑問に答えてくれたのだろうと、考えを後半部分だけにまとめる事にした。

 

 

「……さ、佐取のここまで長い話は初めて聞いた気がするな……いや、そもそも、異能が弱体化しているって、佐取の体は大丈夫なのか……? 以前よりも異能の性能が上昇していて、弱体が治らないっていうのはどういう違いが……」

「それは、その、諸事情がありまして、性能の向上と弱体化の解消は多分別だと思うんです……ま、まあ、呪いとか損傷とか攻撃を受けた結果とかではないので、体の方も大丈夫ですし気になさらないでください!」

 

 

 真っ赤な顔で、バタバタと身振り手振りを加え、もはや涙さえ目に浮かべてそう言った燐香に神楽坂は怯む。

 

 神楽坂としては燐香の異能で昏睡中の恋人の治療が出来るのかどうかを聞きたかったのだが、何やら恥ずかしい過去を想起しているらしい。

 出来る事なら藁にでも縋りたい神楽坂としては、可能性は低くとも何とか模索したいだけに、掘り下げないでくれと懇願する燐香に対してどうするべきかと頭を悩ませる。

 

 そんな神楽坂の様子を察して、燐香はさらにべそを搔き始める。

 

 

「うぅ……もう私調子に乗ってないし、悪いことしてないのにどうしてこんなに過去の事が押し寄せてくるの? やっぱり悪い子には最後までお仕置きが待ってるの……? や、やっぱり最終的には研究機関で実験動物扱いされるんだぁ……」

「わ、分かったっ! 佐取っ、今後異能の性能が向上して治療が出来そうなら言ってくれればいい! 約束だからな! 俺からこれ以上は掘り下げないから!」

 

 

 どんどん暗い方へと思考が傾いていく燐香に、神楽坂は慌てて待ったを掛けた。

 

 別に神楽坂は燐香を苦しめたい訳ではないのだ。

 嫌だと言うのならそれ以上は追及するつもりは無い、そう思い、神楽坂は話を逸らそうと別の話題に絞り出す。

 

 

「そ、そうだ。佐取、先日あった“無差別人間コレクション”という誘拐事件の話なんだが、その時犯人は流通が噂されている異能を開花する薬品を持っていたりなんて――――」

 

 

 そんな風に、別の話題に移ろうとしたタイミングで神楽坂の携帯から着信音が響いた。

 誰かからの電話の音に、虚を突かれた神楽坂と燐香はキョトンとした表情を携帯の方へと向けた。

 

 

「ぐすっ……電話ですか? 私の事は気にしないで取っていただいて良いですよ?」

「あ、ああ。悪いな……柿崎から? アイツから電話なんて珍しい……」

 

 

 燐香の言葉に甘えて携帯画面を見ると、そこに表示されているのは非常に珍しい名前だ。

 眉を顰めながらも通話を繋ぐと、焦ったような柿崎の声が携帯から聞こえてくる。

 

 

『オイッ、繋がったな!? 神楽坂ッ、お前今何処にいる!?』

「ま……待て、柿崎落ち着け。俺は今日休みで家の近くの店にいるが……何があった? 説明できる時間はあるか?」

『時間はあるが……近くにテレビはあるか?』

「ここには……いや、待て携帯で確認する」

『報道番組に変えて見てくれ』

 

 

 喫茶店のテレビなんてどう変えればと思った神楽坂に対して、目の前でぐずっていた燐香が素早く自分の携帯電話を操作し、テレビ画面を表示して神楽坂に見せて来る。

 

 そこに映っているのは混乱する人々の光景だ。

 何処かの現地で状況を伝えるレポーターの焦ったような顔と声。

 下枠に表示された赤文字は、何か大きな事が起こったのだと言うように強調されている。

 そして、現地レポーターの後ろに集まった複数の消防隊員や警察職員、そして多くの負傷者が担架に乗せられ運び出されている阿鼻叫喚の状況。

 

 そんな、最近テレビでよく見る場所が今なお燃える屋敷が背景に映っている。

 何か異常事態が起きているのは間違いなかった。

 

 

「……ここ、人をぬいぐるみにしていた男の家です」

「なんだと? これは、どうなって……?」

 

『爆破されたんだ神楽坂。“無差別人間コレクション”の犯人である男の屋敷が何者かに爆破された。宍戸が、現地に確認に行くと言って数時間もしない内に……今、奴と連絡が取れねェ』

 

 

 愕然と、報道を見続ける神楽坂に柿崎は電話先から告げる。

 

 

『……何か嫌な予感がしやがる。俺はこれから現場に出向くが、宍戸の奴と連絡が取れたらメッセージを入れておいてくれ』

「……気を付けろよ」

 

 

 それだけ言って、通話は切れた。

 通話が切れた携帯を机に置き、神楽坂は顔を片手で覆って、これから自分が何をするべきかを考える。

 柿崎から出された宍戸と言う同期の名前や、神薙隆一郎以降初めてとなる異能犯罪の事件処理に多発している多くの問題、そして現在起きている爆破事件に関して有効な立ち回りを考え。

 

 そんな色んな事に思考を巡らし、今自分が出来る事を考えて頭の中の情報を整理して、神楽坂は一つ思う事があった。

 

 

「……怪我人、そこまで多くなさそうですね」

 

 

 同じように報道画面を眺める目の前にいる少女の酷く落ち着いた様子はまるで、この件が起こることを事前に分かっていたかのようだと、神楽坂は思うのだ。

 

 

 

 

 



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過去から伸びる手

 

 

 

 

 

 

 今も私の携帯電話の画面に映る阿鼻叫喚の状況。

 怪我人が多く運び出され、今なお燃える家屋もあるのか走り回る消防隊員達の様子。

 多くの警察官が集まり、爆破された家の状況を確かめる者や周囲を囲む野次馬を規制する者に手分けして現場の統制を図っている。

 

 どれほどの火薬量を用いられたのかは分からないが、以前私が侵入したあの広い屋敷が半壊している様子を見るに、生半可な量ではない筈だ。

 目に見える大規模事件に報道陣の興奮が画面越しに伝わってくるし、目の前にいる神楽坂さんは担当でもない筈なのに、携帯でいくつかの場所に連絡を取りながら帰る準備を進めてしまっている。

 

 きっとこれから爆破現場である屋敷へと向かうのだろう。

 

 これが普通の爆破事件であれば、私が出しゃばるような事では無い。

 私だって好き好んで危ない場所に行く趣味は無いのだ。

 

 だが。

 

 

(――――御母様、言われた通り異能の出力感知を東京都全域に張り巡らせていたが現在まで不審な出力を感知することは無かっタ。この爆破の件は、異能とは別のものだと考えロ)

(……やっぱり。ありがとうマキナ)

 

 

 今回の件。

 “無差別人間コレクション事件”からなる一連の、異能を開花する薬品を巡った騒動は実のところ私の予想の内に起きている事だった。

 

 とは言っても、別に私が意図的にこの騒動を引き起こしている訳ではない。

 鯉田さんを含めたぬいぐるみにされた被害者達を助け出すために屋敷に乗り込んだ際、私は正確な場所こそ分からないものの、薬品が屋敷内にあることを何となく予想していた。

 乗り込んでくる警察の目などもあったが、実のところ犯人である男を異能で確認すれば私が警察に先んじて薬品を回収する事は可能であったのだ。

 つまり、今現在起きている異能を開花する薬品を巡った悪意の錯綜を、私は未然に防ぐことが出来た訳である。

 

 では、私はなぜそれをしなかったのか。

 その理由は一つだ。

 

『日本における異能犯罪を私が未然に制圧しすぎて、他国に比べて国家として異能犯罪に対する対応が出来上がっていなかった』というもの。

 

 先の、鯉田さんという被害者に付き添う形で交番に助けを求めた時、その事を私は実感させられた。

 

 現象の説明、被害者が実際にいる状況があり、そして助けを求める者がその場にいた。

 私と鯉田さんが警察に駆け込み助けを求めたその時の状況を前にしてもなお、交番の警察官は私が悪ふざけで適当な事を言っていると判断したのだ。

 

 最初から私は期待なんてしていなかったけれど、ただの事件の被害者である鯉田さんは絶望していたし、取り合ってもらえなかった事に助かる希望を失い掛けていた。

 異能と言う超常の犯罪が身近に起きているという認識が足りない。それが、異能犯罪に対するこの国の現状だったのだ。

 

 マキナから伝わる他国の情報は、世界各地で発生している異能犯罪がいかに手に負えていないかというマイナス面だけの情報だけではない。

 発生している異能犯罪を解決した経験や日常の隣で起きているという人々の認識。

 それらが積み重なり、多くの被害こそ出ているものの、個人の自己防衛意識や警察組織の対応意識が非常に高くなっているという情報がもたらされていた。

 異能犯罪に置いて、平和な日本とその他の国の差が明確に浮き彫りになったのだ。

 

 私が未然に事件を制圧する、それが何の犠牲も出さない最善の方法なのは確かだ。

 

 マキナという情報の覇者を駆使して、裏から社会を操作することで成し得る平和。

 だが、それを続けて出来上がるのは、やり方は違えど中学時代の私がやっていた事と同じなのだ。

 

 だから私は今回、異能開花の薬品をあえて放置する選択をした。

 警察が回収する手筈となったその薬品が今のこの国でどういう経路を辿る事になるのか、私はそれを傍観する立場を選んだのだ。

 

 つまり私は、その経緯次第では傷付く人が多く出てくるだろう事は分かっていながら彼らを見捨てた訳だ。

 

 

(……この映像に映っている怪我人達は、私が見過ごさなければこんな怪我を負う事も無かったんだよね。正直申し訳なさはあるし、これで死者が出ていたら後味は悪いけど……私は別に意図して誰かを傷付けた訳じゃ無いし……)

 

 

 この件は私の責任……なんて言う殊勝さを私は持ち合わせていない。

 私は悪意を持って誰かを傷付けた訳でも無いし、怪我をした人達はあくまで自分の身を守れなかっただけの人達だ。

 彼らの怪我の責任はこの件を悪意を持って引き起こした犯人にあり、その悪意に晒されるしかなかった能力不足の本人達にある。

 そんな分別くらい、幼少の頃から他人の心を視る事が出来た性格の悪い燐香ちゃんが持っていない訳が無いのだ。

 

 ……けれどまあ、だからと言って。

 誰かがただ傷付く様子を見るのは性格の悪い私だって流石に気が引けるものではある。

 

 介入せず傍観するなんて考えてはいたが、屋敷丸ごと爆破するなんて大きな事は、流石に私としても想定外。

 であれば、今後の動きを予想する上でも、この件で動くだろう神楽坂さんに付いて行って近くから様子を見るのも必要な事のような気がする。

 

 

「ここの支払いはしておくから佐取は自分のタイミングで帰ってくれ。何か佐取の手が必要な時は連絡する。この件は想像以上に大事だ。屋敷一帯を爆破するなんて言う凶悪な奴は、何をしてくるか分からない。佐取もくれぐれ外出は控える様に……」

「んぐんぐぐっっ! ぷはっ……いえっ、私も付いて行きます!」

「……いや……」

「全部飲み物飲みました! 駄目と言われても後ろからこっそり付いて行きます!」

「……いや、危ないから……」

 

 

 やんわりと断ろうとする神楽坂さんに私はひたすら食らい付く。

 そうして私は神楽坂さんに半ば無理やり引っ付いて行く形で、喫茶店を後にしたのだ。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 過去の未解決事件の一つに『北陸新幹線爆破事件』というものがある。

 この事件の詳細は酷く簡潔であり、運行中だった新幹線が爆破させられ、当時の乗員乗客から多くの死傷者を出したというものだ。

 

 死者48名、負傷者181名。

 戦後最悪の事件の一つとして数えられる程、大規模かつ多くの被害を出したこの事件は結局犯人が見つかることが無いまま幕を閉じた。

 

 動機も目的も不明で、犯行後も声明のような物は出されず犯人像も分からない。

 唯一判明したのが使用された爆弾であり、TNT爆弾と呼ばれる、軍用としても重宝されるようなものであり、諸外国ではテロに使われる事があるものだという事だけ。

 結局何の解決も見せなかったこの事件は、警察の捜査や国防に置いて歴史的な汚点として、20年近く経つ今も語られるほど世間を騒がせた。

 

 というのが、前提としての話だ。

 

 

「……“北陸新幹線爆破事件”の犯行と同じだと? だが、あれはもう20年も前の事件だぞ……?」

「あくまで、ネットでそう言っている人がいると言うだけの話ですけどね。ただ確かに、過去に学校で見た映像資料で見た“北陸新幹線爆破事件”の被害状況と今回の被害状況には似たものを感じますね。爆発規模も随分似通っていて、当時の事件を知る者がわざわざ似通わせたと言う方がしっくりくる程です。見て下さい」

 

(――――間違いなイ。衛星からの映像も確認したが、使用された爆薬や規模が同じ、同一性は84%を超えるゾ。これは、同一人物かはともかくとして、模倣している可能性大)

 

 

 愕然とする神楽坂さんを余所に、私は自分の携帯電話に届けられた映像を確認する。

 過去の資料として残っていた“北陸新幹線爆破事件”と今回の“無差別人間コレクション事件”の犯人宅の爆破後の映像。

 マキナが酷似する状況だとしてインターネットから拾ってきた資料だが、私が差し出した画像を見た神楽坂さんも、「確かに……」と頷くほどに似ている部分がある。

 勿論、細部についてはどうしたって画像や映像から読み取れるものに限界はあるが、機械的な目で見る事が出来るマキナが、同一性があると言うのならきっとそうなのだろう。

 

 だが、似ている部分があると言うのはあくまで情報の一つで、その部分だけで解決できる問題でもない。

 

 

「これの犯人は……20年前の未解決事件と同じ人物だと思うか?」

「思いません。これまでの20年間何もしなかった人物がそれだけの期間を空けて今更、新幹線とは関係の無い犯罪者の家を爆破するなんてどう考えたって関連性は薄いと言わざるを得ないからです。けれど私の知る限り、最近小さな爆発騒ぎがあったという話も聞かないので、まったく爆弾について無知の素人が今回の爆弾を作り出したとも思えない。そして過去の事件との酷似性をわざわざ犯人は持たせている……」

「……つまり、異能か?」

「それは先走り過ぎです神楽坂さん」

 

 

 神楽坂さんの疑問をそう切り捨てて私は考える。

 

 勿論20年前の件が異能であって今回が模倣である事も、今回の件が異能での模倣で20年前のものが技術的なものによる事も、どちらも可能性としてはあるだろう。

 ただ、先程言葉にしたように20年前の事件の犯人と今回の犯人が同一の可能性は低い。

 

 異能が関係する事件であるならコストなど必要とせず爆発を起こせる訳だから、過去の未解決の事件を異能で引き起こしたのなら何も得る物が無いまま犯行を止めたのは解せない。

 今回の件が異能で行われたのであれば(+マキナの監視網を掻い潜る形で)、その異能を一度も試さないままここまで大きな事件を引き起こし、さらには過去の事件に類似させる意味が分からない。

 

 現在国内で流出している異能開花の薬品。

 過去の未解決事件と今回の爆心地となった場所の関連性。

 今回の爆破事件に巻き込まれた神楽坂さんの同期の宍戸という人の存在。

 

 色んな要素を頭で繋いで、出た結論は一つだ。

 

 

「――――ぜんぜんなんにもわからないや。情報が足りないです神楽坂さん」

「…………だろうな。俺も佐取にそんな無茶を期待していた訳じゃないが……いや、正直に言うと少しだけ期待してしまっていたが、完全な蚊帳の外にいる俺達の状況では何も分からなくて当然だろう。俺だってまだ何も分からない」

「わ、私に期待されてたんですか? ……もうちょっと考えるので待ってください!」

「い、いやっ、情報が足りないのは確かだろうっ? せめて先に情報の収集をしてからにしよう佐取?」

「そうですね!」

 

 

 そんな会話をしながら、私と神楽坂さんは現場である屋敷に辿り着いた。

 

 数駅を経由したこの場所に来るまでに結構な時間が掛かった筈だが、未だに規制線は張られているし、その場所に立つ警察官の数も多い。

 それどころか、先程の映像よりもさらに多くの報道各社が殺到している状況に、一般人の私はともかく、管轄ではないにせよ同じ警察官の神楽坂さんですら、立ち入れるような状況で無かった。

 

 

「……さて、取り敢えず来てみたは良いが、現場の奴らの邪魔をする訳にもな」

「わぁ、凄い人だかりです。当然ですけど、中には入れなさそうですね」

 

 

 報道されたことで野次馬も増えたのか、もはや私の身長では壊された屋敷の様子すら見る事は叶わないほど人が集まっている。

 神楽坂さんが肩車するかと提案をしたが、流石に子供ではないのでと断った。

 どうせ見えても見えなくても分かることに違いは無い。

 

 だが、私が一応の努力としてぴょんぴょん跳ねて中の状況を覗こうとしている姿に思う所があるのか、神楽坂さんは軽く頭を掻きながらこんなことを言い出す。

 

 

「……最初から中に入るつもりなんてなかったさ。ただ実際に状況を見たかっただけだ……だから言っただろう。別に着いて来ても意味なんて無いって」

「む。分かってないですね神楽坂さん。私の神楽坂さんを心配する気持ちはそんな理屈どうこうじゃないんですよ。分かってますか? これまで私が傷だらけの神楽坂さんを見てきた回数。私が目を離した隙に怪我をするんですから、こうして付いて来ているんです。まあ? 神楽坂さんが異能とかを手に入れて自衛できるようになったらもうちょっと合理的に動くんですけど?」

「ぐっ……!? さ、佐取のその指摘は耳が痛いが……だ、だがな……」

 

 

 そんな軽い言い合いを始めた私達だったが、爆発現場に興味津々の周りの野次馬達は、私の異能による阻害もあってまるでこちらに気にする素振りも無い。

 私達がどれだけこの場で騒いでも、野次馬である彼らは音で私達を認識する事は無いだろう。

 

 だが今回の場合、音に異能の阻害は掛かっていても視界での認識は別となる。

 

 

「――――君は……?」

 

 

 人垣の後ろで野次馬と化していた私達。

 そんな私の背後から掛けられた息を呑む音と動揺した声。

 なんだか嫌な予感がしながら私が振り返ると、そこには以前見た一人の男性が立っていた。

 

 

「衿嘉の、就任祝いの時の……」

「げ……言い掛かりおじさん……」

 

 

 袖子さんのお父さんの警視総監就任祝いパーティの時に、毒殺を企てた剣崎さんがパリッと糊の付いたスーツを着こなして立っている。

 いかにも出来る男風の壮年のこの男性は、振り返った私の顔を見るなり、隣にいる付き添いの人が動揺するのも放置し、私だけを凝視しみるみる顔を青くして額に汗を滲ませていく。

 

 まるで悪魔を見たか弱い被害者のような反応。

 こんな幼気な少女に対してなんて反応をする人なんだ、と思う。

 神楽坂さんに変な勘違いされたらどうするんだ。

 

 

「――――剣崎局長っ!? この場で何をされているのですか!?」

「き、君は……氷室署の神楽坂上矢君、だったかな?」

「私の名前を覚えておられるのですか……?」

「ああ、非常に優秀だと聞いているよ。いずれ話してみたいとは思っていたが、まさかこんな場所で会う事が出来るとは思わなかった……」

 

 

 だが一方で、隣にいた神楽坂さんがその男性を見て驚愕を露わにしていた。

 局長、というのがどの程度偉いのかよく分からないが、私にとって頼れる大人の神楽坂さんが、これまで見たことも無いほど緊張し丁寧な態度を見せたことに動揺してしまう。

 

 考えてみれば、現在警察トップの袖子さんのお父さんと昔からの深い仲であるなら、それ相応の役職に就いているのは当然の気がする。

 最初はめんどくさい人に会ってしまったと思っていた私だったが、神楽坂さんの緊張が伝播して、思わず姿勢を正してしまった。

 

 ……いや、姿勢を正してしまったが、この人の役職はただの一般人の私には関係ないどころか、この人は私に対して借りと呼べるものがあるくらいである。

 私が緊張するのはおかしい気がする。

 

 

「私は今回の件の現場確認をするために来ただけに過ぎないが……その、神楽坂君、隣の、その、お嬢さんとはどういった関係か教えてもらっても良いか?」

「こ、この子は――――」

 

 

 見るからに動揺している神楽坂さんの言葉を遮るように、私は口を開く。

 

 

「――――神楽坂さんは私の親戚のおじさんで、今日は親が出かけるので面倒を見てもらっていたんです。いつも私のおじさんがお世話になっております。お久しぶりですね、剣崎さん。お元気そうで何よりです」

「う、む……あの時は、世話になった」

「あの時……? 佐取、いったいどういう関係で……?」

「きょ、局長? お知り合いでしょうか? 近くの警察署の応接室を手配して時間を設けられますか?」

 

 

 付き添いの人の提案に、思案するように顎に手を当てた剣崎さんが窺うように視線を向けて来たので、私は首を横に振って拒否をする。

 

 何が悲しくてこの人と密室で会話なんてしなくてはいけないのか。

 この人とわざわざ会話する為に神楽坂さんに付いて来たのではないし、そもそも大事件が起きた現場が目の前にあるのだからそちらの仕事を優先して欲しい。

 

 そんな想いから、私は神楽坂さんに隠れるような立ち位置にスッと移動した。

 

 

「あー……すいません、この子人見知りでして。今日は色々喫茶店で好きなものを食べさせていたんですけど、この爆破の件で現場の確認をしたいと私が無理を言ってですね」

「なるほど……であれば、良かったら私と一緒に現場に入ってみるかね? 勿論、佐取さんも一緒に」

「現場に……? いやしかし、私の管轄ではありませんし、一般の子を入れる訳には……」

「神楽坂君のこれまでの実績を考えれば問題無い。むしろ数々の事件を解決している君の視点から事件を見てもらえたら、今回の件の担当となった私としてもありがたい。君の見解を聞けるのなら、身元の分かっている一般の子供一人私の責任で現場に入れる事は大したことではないさ」

 

 

 なんて、とんでもないお誘いを神楽坂さんが受け始めてしまった。

 神楽坂さんの出世街道的には当然この誘いには乗るべきだろうし、ここで結果を出せれば神楽坂さんの今の冷遇状況は大きく変わりそうではあるが……どうなのだろう。

 

 神楽坂さんが本当に嫌なら以前の出来事を盾にこの人を黙らせる気満々なのだが……と、私がキョロキョロと二人の顔を窺っていると神楽坂さんは申し訳なさそうに私を見遣った。

 

 

「……それでは、現場に入らせていただきます。佐取、これを上に着てくれ」

「わぷっ……!?」

「俺の上着だ。清潔にしているし臭くは無いつもりだが……周りの目があるからな。せめて中に入るまで我慢して着ていてくれるとありがたい」

「べ、別に私は神楽坂さんの事臭いと思った事無いですよ!? ……でもじゃあ、お言葉にお甘えてお借りしますね」

 

 

 これだけの野次馬や報道の中、渦中へと入っていくのなら否応なしに注目される。

 フード付きの上着は完全に大人の男物で私の体躯にはまったく合っていないが、せめてこれくらいの変装は必要だろう。

 神楽坂さんが現場を見たいと言うのなら私から拒否するつもりは全く無いので、ついでに私も鞄からあらかじめ準備していた変装用の伊達眼鏡を取り出し装着しておく。

 

 後は髪をそれっぽく纏めれば、あっと言う間にボーイッシュ眼鏡少女の完成だ。

 というか、知らない人が見たら背の小さい男に見えるかもしれない。

 

 そんな私の変わり様を見た剣崎さんが、何かを思い起こすような表情になる。

 

 

「あの時も思ったが……佐取さんは随分と視野が広いんだな」

「へっ、いきなりなんですか。そんなお世辞はいりませんよ。というか、剣崎さんはあれから大丈夫だったんですか?」

「……ああ。今の俺を見てわかるだろうが職を失う事も無く……家族も無事だった。自分でも未だに信じられないが、俺は何も失う事が無かった。結果的に、だが。君が俺を止めてくれなければ、俺は何もかもを失っていただろう……ありがとう」

「何のことか分かりませんね。まあ、良かったんじゃないですか?」

 

 

 剣崎さんのお礼に対して適当に返答した私は、顔が隠れる様にフードを深く被る。

 私としては、警察内部の異動に興味など無いし、剣崎さんの家族状況など知る由も無い話だ。

 だからそれについてどうこう言うつもりは微塵もなかった。

 

 そんな私と剣崎さんの会話は、この場では私達本人しか分かるようなものでは無い。

 私にその時の事件を軽くしか説明されていない神楽坂さんが動揺するように私と剣崎さんを見比べ、剣崎さんの付き添いの人が瞬きを繰り返してどう対応したものか迷っている。

 私としては神楽坂さん達を混乱させるのは本心ではない。

 これ以上の会話はするつもりが無いと言うように顔を背けてやれば、それに気が付いただろう剣崎さんも、もう一度だけお礼の言葉に口にしてから口を噤んだ。

 

 私とこの人の関係なんて、この程度で良いのだ。

 

 野次馬の人垣を潜り抜け、規制する警察官の横を通り、現場の検証をしている多くの警察官達に挨拶を受けつつ、屋敷の中まで辿り着く。

 

 邪魔をするどころか、案内まで開始しそうな警察官達の態度に驚いたが、完全な縦社会というのはこういうものかと実感する機会となった。

 当然だが、鯉田さんと助けを求めた交番の警察官の態度とは天と地ほどの差があるのだから酷い話だ。

 

 高級官僚に並んで歩く私に警察官や救急隊員が不審そうな視線を向けてくるのを感じて、落ち着かないながらも私はさらりと周囲を観察する。

 

 

(……以前は暗くて家の中を詳しくは見れてなかったけど、確かこの辺りの窓から侵入したんだよね。窓や部屋が完全に吹っ飛んでるから確信は無いけど……多分)

 

 

 物の焼けた匂いや破壊された建物の状態。

 二階部分が完全に消失しているのを見るに、爆発は二階で起きたのだろう。

 そんな風に、私がこそこそ侵入した時との違いを頭の中で思い描きながら、爆破の範囲と規模を何となく予想していく。

 

 

「――――なるほど。今回の件、君は異能が関わっているとは断定していない、と」

「……はい。そうですね。まだ情報が出揃っていないのもありますが、異能による爆発だという確信は持てていません。明確な根拠はありませんが……そうですね。これまでの異能の関わる事件とは違う気がします」

「卓上で話を聞いただけでは異能という力が働いた事態かと思っていたが……やはり現場の人間に話を聞けて良かった。衿嘉に無理を言って現場に来た甲斐がある。神楽坂君、もう少し話を聞かせてくれ」

 

(神楽坂さんは大変そうだなぁ、私はあんな風な対応なんてやりたくないや……それはともかく、この犯人の目的は本当に何だろう? なんでわざわざこの場所を爆破したんだろう? 物証の破壊、愉快犯、狙った相手がいた……うーん? 目的がはっきりしなくて気持ち悪い……)

 

 

 そうやって、会話する神楽坂さんと剣崎さんを先頭にして荒廃した屋敷を進んでいけば、辿り着いたのは、数少ないはっきりと建物の形が残っている食堂だった。

 中には先に来ていた警察の捜査官達が多くいて、食堂の隅々に広がって散らばった物の確認を行っている。

 

 そして、そんな中にいた一際大きな体躯の男性とその隣にいる綺麗な女性が、部屋に入って来た私達を見た。

 

 

「神楽坂? テメェ、なんでここに来やがった。宍戸の所在確認を任せ……」

「神楽坂先輩? えー、こんなところで会うなんてぇ……剣崎局長……?」

 

 

 柿崎という鬼の人と、私も見知っている飛鳥さんの二人だ。

 神楽坂さんの姿を認めたその二人は猛烈な速さで反応するものの、隣にいる剣崎さんの姿を見て言葉を止めた。

 

 というか、二人とも一瞬真顔になった気がする。

 どう見ても剣崎さんレベルの偉い人が来てめんどくさい事になったと考えたのが見え見えである。

 

 こんな二人が同じ部署でやっているとか本当に大丈夫なのだろうか。

 そして当然私が気付くようなことを気が付かない訳も無く、剣崎さんは先程話していた時よりも少しだけ声質を低くして声を掛ける。

 

 

「……約束も無く来て悪いな」

「いえいえ! ご覧の通り有力なものは何も出て来ていませんが宜しければどうぞ! とは言っても私はこの捜査の責任者では無いんですけれども☆ 柿崎さん☆」

「あァ。では剣崎局長。現在までの判明事項を説明します。こちらに」

 

 

 何とか誤魔化し、説明の為に剣崎さんと付き添いの人が鬼の人に連れられて離れていくのを見送った飛鳥さんがこちらにやって来た。

 先ほどまでのキリリとした顔からニヤーとした悪戯っぽい笑みへと表情を変えた飛鳥さんが、顔を引き攣らせた神楽坂さんに擦り寄っている。

 

 忙しいと言っていた割にちょっかいを掛けに来るとか、意外と暇なのだろうか。

 

 

「なんですかぁ、神楽坂せんぱぁい☆ やっぱり異能の関わってそうな事件は気になっちゃいました? 私が神楽坂先輩をウチの部署に引っ張ってあげましょうか? わ・た・し・の、直属の部下ですけど☆」

「……いやいい。お前の部下になるのはしんどそうだ」

「えー、神楽坂先輩だけ暇してるのはズルっこいですよ! 一緒に苦労しましょう? ね?」

「そんな誘い文句があるか馬鹿。誘うならもう少し口上を勉強しとけ」

「ちぇ……アレ、見たことない人がいますね? この人は……」

 

 

 一通り神楽坂さんに絡んでいた飛鳥さんがようやく変装状態の私に気が付いた。

 外行きの表情を張り付けた飛鳥さんに、私は神楽坂さんが何か言う前に口を開く。

 

 

「初めまして、山田沙耶です。今回は剣崎局長の付き添いとしてこちらに来ています」

「あ、これはご丁寧に。飛禅飛鳥と言います☆」

「…………」

 

 

 何か言いたそうな神楽坂さんの視線を横顔に受けながら私は挨拶をする。

 猫被り状態の飛鳥さんとか、私に対しては絶対に使わない仮面なのでこの機会は貴重だ。

 

 フードをしっかりと被りつつ、マキナに周囲の電気関係の検知と危険が無いように完全遮断の指示をして、私はどうせならともう少しこの機会を楽しむことにする。

 

 

「そのぉ、山田さんはどういった役職で今回こちらに……?」

「剣崎局長と山峰警視総監のブレーンとして普段は働いています。今回の件は、お二人から特別に要請を受けた形でこの現場まで来ました」

「ぶ、ブレーン……? そ、そんな役職聞いた事無い……で、でも神楽坂先輩と剣崎局長に実際に付いて来てたし……」

「自己紹介はこれくらいで。今回の件、妙な部分が多すぎます。そうは思いませんか?」

 

 

 どうせすぐにバラすのだから出来る限り大きな嘘を吐いてやろうと、適当な事を自信満々で言っていく。

 

 気分は先日たまたま見た刑事ドラマの女優、神崎未来だ。

 動揺する飛鳥さんに対して、私はウキウキしながら適当に思い付いたことを口にする。

 

 

「まず一つ目、犯人がこの場所を爆破するメリットが存在しない事です。誰もいないと分かっている場所、しかも警察の捜査がされている場所をわざわざ爆破するなんて自分を見付けて欲しいと言うような愚行。大きな目的が無ければ相当の馬鹿以外こんなことはやりません。ですが、今回の爆破は規模としては大きく爆弾の質が高い事が窺える、それなりの力を持っていなければそんな爆弾は入手すら不可能」

「は、はぁ……」

「二つ目、この建物の破壊状況。目的が物証の破壊であるならもっと粉微塵になるように爆弾を設置する筈です。現場を軽く見ましたがどうやら爆発は二階部分で起きているような状況ですね。二階部分は入念に破壊されていますが、この食堂のように部屋の形がしっかりと残っている場所もある。どうにもちぐはぐで、どうにも意図が感じ取れる。まるでわざわざ残る場所を選別しているよう」

 

(……何この人、怖いんだけど。ウチの組織にこんなヤバそうな人いたの?)

 

「……そして、三つ目」

 

 

 未だに私の正体に気付けない飛鳥さんの失礼極まりない思考を読み取って私はちょっと冷静になる。

 これ以上は流石に仕事の邪魔になりそうだし、そろそろオチを付けて種明かししようと高級そうな台所マットが敷かれている場所に移動した。

 

 それを丁寧に手で捲り、その下に隠されていた床下収納に手を伸ばしながら私は言葉を続けた。

 

 

「この爆破事件はメッセージ性が持たされている。過去の未解決事件、“北陸新幹線爆破事件”の爆破規模とほぼ同じように爆破されているこの事件は、犯人が何かしらのメッセージを私達警察に伝えようとしてる事に他なりません。ですが、最大限のメッセージ性を残すなら、この程度では足りないでしょう。つまり犯人の目的はまだ達成されておらず、これから達成されると考えられます」

「……なにを、言っているの?」

「異能が関わる事件の一環として、警察の偉い人がこの場に集まりましたね。わざわざ選んで爆破から残された、この場所に」

 

 

 そう言いながら、何も入っていないで盛大に失敗するオチを目論んだ私が、自信満々で床下収納を開く。

 

 

「爆破の範囲を絞り一回目の被害を二階だけに収める事で、一階の無事な場所に集まった警察関係者達を二回目の爆破で襲撃する計画。それがこの犯人の真の目的――――なんちゃって☆ …………あれ?」

 

 

 私が開いた床下収納に、何か黒い、配線が一杯繋がった箱のような物があった。

 不気味な黒いその箱はつい最近まで精密に手入れされているのか、オイルのような匂いまで漂っている。

 デジタル表示の画面が小さく付いた、不気味なよく分からない黒い箱。

 

 というか、もう完全に爆弾だった。

 

 びしりと固まった私に、マキナから声が掛けられる。

 

 

(御母様! 周囲にあった電気関係を根こそぎ停止させておいたゾ! どんなものがあったか結果報告して良いカ?)

 

 

 私の目前にある爆弾がピクリとも動いていないのを確認し、呼吸すら止めて私を見る飛鳥さんと神楽坂さんを確認し、周囲の他の警察官達が私をガン見している事を確認した。

 それらを確認し終えた私は手に持った床下収納の蓋をゆっくりと閉めて溜息を吐いた。

 

 私は、何も見なかった事にした。

 

 

 

 

 

 



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研がれた牙


日本警察が誇る『ブレーン』山田沙耶の事件簿始まります(嘘)


 

 

 

 

 

 

 

 その人物は囮とした屋敷に野次馬や報道、救急隊。そして本命の標的である警察官達が入っていくのを見届け、自身が仕組んだ計画が順調に進んでいる事を確認していた。

 

 全てが想定通り、何もかもが考えていた通りの状況。

 後は標的である警察官達が、計画通り爆破から残された建物の部屋に集まったタイミングで手の中にある携帯から自身が仕掛けた爆弾へと信号を送れば、目的は達成される。

 

 多くの野次馬や報道陣の前で、隠し様の無い凄惨な爆破事件が執行されるのだ。

 

 

(一度目の囮の爆発は試験的な意味合いもあったがそれも問題なくクリアした。遠目で目視は出来なかったが、通信傍受によってあの場に警察の官僚の剣崎局長が入っていったのも確認済み。当初の想定とは違うが……むしろこれは嬉しい誤算だ。普段現場に行かない官僚なんて、現場に数分留まれば良い方。迷っていられるような時間は無い。後はこれを押すだけ。これを押すだけで大きな一歩を踏み出せる筈だ)

 

 

 ゴホッと咳をし、手に付いた自身の血を適当に捨てて、その人物は手の中にある起爆画面を見つめる。

 

 過去の、“北陸新幹線爆破事件”という忌まわしき事件を模倣した自身の所業。

 爆弾という凶器を、当時の事件にこれでもかとばかりに似せるように作り上げ計画した今回の犯行。

 入念に調べ上げ、持てる力を全て注いで準備をして、その上で決行した今回の件。

 失敗も、未然に防がれることもあり得ない。

 

 何故なら彼らの能力不足を、誰よりも自分が理解しているからだ。

 

 今回の事件の意図に気が付く人がどれだけいるのだろう。

 この類似性に気が付いてくれる人がどれほどいるのだろう。

 そんな人はきっといないのだろうという諦観と共に、その人物は腕時計の時間を確認する。

 

 

(……時間だ)

 

 

 タイミングは今だ。

 そんな長年の経験により培われた自身の感覚を微塵も疑うことなく、その人物はもう一度だけ標的である屋敷に視線をやった。

 

 地獄絵図となるだろう光景を目に焼き付けるために、瞬き一つすることなく彼は手の中の引き金を躊躇することなく引いたのだ。

 

 だが。

 

 

「……なんだ? どうして反応が無い?」

 

 

 野次馬と報道、警察官による規制が張り巡らされた屋敷。

 何時まで経っても変化が訪れないその光景に、その人物が動揺したように手の中の携帯画面から正常に信号を送信出来ている事を確認し、受信側の爆弾に何かしらの問題があったのかと考えたところで。

 

 通信傍受していたイヤホンから、焦ったような警察官の報告が流れた。

 

 

『ば、爆弾がっ、床下の収納から爆弾が発見されました! 縦横およそ80㎝、高さ50㎝の大型の爆弾です!』

 

「もう見つけただと……? いや、たとえそうであっても、爆弾の停止などこんな短時間では専門の者でも不可能な筈……一体、なぜ起爆しない……? ありえない。この爆破を未然に防止できるなんて、人間業じゃない……」

 

『原因は分かりませんが発見した爆弾は起動状態に無い模様です……い、一旦現場から退避して専門の部隊が到着するのを待ちたいと思います!!』

 

 

 通信先から聞こえる喧騒に、パニックを隠し切れないこんな奴らがこれほど短時間で正確にあの爆弾を処理できるはずが無いとその人物は判断する。

 最初の爆弾と全く同じ調整を行った二度目の爆弾だけが不発になるなんて非常に考えにくかったが、現にこうして不発になっているのであればそう考えるしかないだろう。

 

 

(……爆弾に不手際があった、か。こんな短時間で爆弾を発見し解除できるような幸運が重なると考えるよりも、ずっとそっちの方が可能性は高い)

 

 

 誤算を正確に認識するよう努め、冷静に感情の揺らぎを抑え込む。

 

 この計画は、多少の不測の事態があっても補える代案をまだ用意してあるのだ。

 

 状況は最悪ではない。

 だからこそ、計画の変更を余儀なくされた事に少しだけ焦燥を覚えたが、憤りを感じることは無かった。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 ブレーン、ブレイン、頭脳、相談役、知的指導者。

 その役職に対する呼び名は色々と存在するが、表向きの顔として神輿に担がれた政治家や官僚、会社のトップを裏から補佐あるいは支配さえ行う事もある、組織の影に隠れた実力者。

 その者達に求められる役割は国や地域、その組織によって様々だが、現在日本の警察において求められたのは、圧倒的な知力と絶対的な危機察知能力だった。

 

 “ブレーン”。

 異能犯罪に対応するために設立された警視庁公安部特務第一課とは異なる目的として運用されるそれは、少し前に日本警察が秘匿で作り上げていた一つの役職である。

 

 過激化する世界の異能による犯罪、異能が表立って認識されるよりも前の、凶悪化が著しかった犯罪情勢に危機感を抱いていた組織の背景。

 未解決事件の頻発で信頼が失われ始めている事に強い警戒を見せていた日本警察の上層部が苦渋の決断のすえ、凶悪な事件の数々を解決してみせた極めて卓越した才覚を持つ少女に対して協力を要請した。

 

 そうして出来上がったのが、『日本警察のブレーン』山田沙耶(やまだ さや)なのだ。

 警視庁警視総監や刑事局長にすら頼りにされる彼女の輝かしい事件解決の記録はここから始まっていく。

 

 

 

 ――――なんーて、そんなことはある訳がない。

 

 ぜんぶ私のでっちあげである。誰が信じるかこんなもの。

 

 

 

 

 私があの場で待機状態の爆弾(マキナによって解除された)を見付けた事で、剣崎さんを筆頭とした多数の警察官を狙った二次的な犯行、爆破未遂事件は未然に防がれることになった。

 

 これ以上の新たな負傷者が出なくて私としても満足の結果である。

 誰よりも活躍した天才少女燐香ちゃんは皆に感謝されながら後の事を神楽坂さん達に任せる形で、やりきった感を滲ませながら帰宅の途に就いたのだった。

 

 …………なんてまあ、当然私にとってそんな上手く事が進む筈も無い。

 

 あの後は、絶叫も絶叫、即座に怒号が飛び交い、私が見付けた爆弾が完全停止しているのを確認するまでは、警察官が一杯いるあの現場は混乱の渦に叩き込まれたのだ。

 

 だがまあ、それは当然だろう。

 だって今の科学技術(世に出回っていないのは知らないが)では爆弾なんて『触らない』が対応としては何よりであるのに、突然来た訳の分からないチビが思い切り爆弾の蓋を開けてしまったのだ。

 爆弾の種類によっては、開けた瞬間ドカンもある訳だから、それはもう事情を知る周りの警察官達は生きた心地がしなかっただろう。

 

 とはいえ私だって考えなしにそこら辺の収納を開けたわけではない。

 元々現場に爆弾が残っているとしたら“北陸新幹線爆破事件”の時に使用された爆弾と同じ物の筈だから、遠隔で起爆するタイプの爆弾だとは分かっていた。

 だからこそ、どうせ触るだけでは爆発はしないだろうと予想した上で、不用意に一回目の爆破から一番離れた床下収納を開けたという、一応、自分なりの予防線は引いていたのだ。

 だが、まさかこんな……当てずっぽうが的中するとは思わなかった。

 

 結果的に、保険としてあらかじめマキナに残っている爆弾の探知と解除を指示していて本当に良かった。

 一つ間違えれば私なんて抵抗の余地なく吹き飛んでいた可能性もあるのだ。

 せっせと電気の流れを遮断してくれたマキナには感謝しなくてはいけないと思う。

 

 そして、爆弾が停止していると分かったその後。

 柿崎という鬼の人や剣崎さんと言った強面達にはガン見され、周りにいた警察官達からは大きく距離を取られ、神楽坂さんや飛鳥さんには逆に逃げ出さないよう捕まえられた。

 そしてそのまま、飛鳥さんに正体がバレた私はガッチリと腕を掴まれ、警察署へ搬送されることになったのである。

 

 つまり今現在の私は飛鳥さんにガッチリ捕まり搬送され中。

 飛鳥さんに身分を騙った罰とはいえ、爆弾を発見した功労者である筈なのに、扱いはもう完全に犯罪者だ。

 

 天才は周りから理解されないというが、こんなにも悲しいものであるとは思わなかった。

 

 

「うぅぅ……ち、違うんですぅ……わ、私は神楽坂さんと偶々一緒に居ただけで。飛鳥さんのお仕事を邪魔する気なんてなかったんですぅ……猫被ってる飛鳥さんが面白くてちょっとからかいたくなっちゃっただけなんですよぅ……」

「全然何言ってるのか分かりませんね☆ 身分を偽装した山田さん? ブレーン(笑)って何ですか? そこら辺のお話を詳しくお聞きしたいんですけども山田沙耶さん? 山峰警視総監に直接お聞きして見ても良いですかぁ?」

「うぶぶぅ……ご、ごめんなさいぃ……」

 

 

 いつかのように辿り着いた警察署の中に、半ば引き摺られるように連行される涙目の私。

 

 以前のビラ配りで連行された時とは違い、今回は氷室警察署よりももっと大きく、人も多い警視庁の警察本部とかいう場所に連行されてしまったのだ。

 色々と飛び越え、気分はもう刑が確定した囚人である。

 

 いっそ異能を全力行使して逃げ出そうかとも思ったが、その後の飛鳥さんや神楽坂さんが怖いので、結局私は大人しく沙汰を待つしかない。

 ぐすぐすと顔を神楽坂さんから借りている上着に埋めて大人しく連行されれば、私は飛鳥さんに警視庁の使われていない部屋に放り込まれた。

 

 

「――――そんな感じで取り敢えず、この子にはここで待っていてもらうから、話が進展したら呼びに来てくれ」

「あァ……神楽坂テメェの親戚の子、ちゃんとフォローしとけよ。休みの日にこんな事に巻き込まれてよォ。テメェがあんな場所に連れてこなけりゃあ……まあ、そのおかげで爆発前の爆弾を見付けられた訳だが……」

 

 

 私を至近距離からじっと観察する飛鳥さんに怯えている内に、何やら鬼の人と話をしていた神楽坂さんが話を終わらせ部屋に入って来る。

 そして近くの自動販売機で買って来たミルクティーを私の前に置いて、取り敢えず飲んどけと私を落ち着かせるように勧めて来た。

 

 

「ほら、今回佐取は悪い事をした訳じゃ無いから安心しろ。あくまで第一発見者になったから、話を聞く可能性があるからここで待機してもらっているだけなんだ。周りを見て見ろ。前に取り調べした時とは全然部屋の内装が違うだろ? ここは応接室みたいなところだから、大丈夫だから」

「うぅ……神楽坂さん優しい……ありがとうございます……」

「へぇぇ、神楽坂先輩そうやってポイント稼ぐんだぁ。ふぅんー? そうなんだー?」

「お前は変に捻じ曲がった愛情をぶつけるんじゃなくて、相手を思いやった言動しろ。あと佐取も、飛禅をからかおうとしてただろ。ああいう他人を手玉に取ろうとするのは止めろ」

 

 

 神楽坂さんに釘を刺され、私はうなだれる。

 いつもと違う様子の飛鳥さんを前にして変なテンションになっていたのは確かだ。

 飛鳥さんに対して謝罪の言葉を口にすれば、変な顔をした飛鳥さんが苛立ち混じりに私の両頬を軽く引っ張った。

 どうやらそれでチャラという事にしてくれるようである。

 

 そうして一息吐いた後、飛鳥さんは周りに他の人がいない事を確認して「それで」と口を開く。

 

 

「燐香、どうせアンタの事だから何となくでも今回の件が掴めてるんでしょ? ふざけた頭の回転してるもんね? ここは録音とか録画とかも無くて、防音もしっかりしてるからさっさと吐いちゃいなさいアホ」

「チャラにしてくれたんじゃないんですか!? 全然許してくれてないじゃないですか!? 暴言暴力反対!!」

「うるさいわねポンコツ! アンタがさっさと爆弾見付けた時の私の気持ち、ちょっとは考えたの!? 頭のおかしい奴が頭のおかしい速度で事態の真理を突くのよ!? 事前にその場にいて、偉そうな階級を身に付けて、その場の捜査をしてた私達が馬鹿みたいじゃない! ふざけんじゃないわよ!」

「そ、それは私が悪いんじゃないですし!」

 

「……はぁ、仲良くなったと思ったらすぐこれだ……」

 

 

 頭を痛そうに抑えた神楽坂さんが、首根っこを掴むようにして私達を止める。

 今にもキャットファイトが始まりそうだった私と飛鳥さんの距離を少しだけ引き離し、落ち着くようにと私の額を軽く小突いた神楽坂さんがそのまま私に説明を促してくる。

 

 ……とは言っても、私は別に事件の全てを知っている訳でも、推理ができたわけでも無い。

 仕方なく、周りの状況と情報から適当にでっちあげただけの、推理とも言えないようないような骨組みの無い仮定の話を口にしていく。

 

 

「……正直言って、全然私も全貌が掴めていませんが……今回の件は20年も前の過去の事件に精通していて、警察の動きをよく知っていて、なおかつ紛失している異能関係の薬品に関係する人が犯人、という可能性が高そうです。で、それらが当てはまりそうな人物で、普通に状況証拠だけを考えたら、今なお連絡が取れない宍戸って人が犯人なんじゃないですかね?」

「えらく雑な推理ね。で、その宍戸って誰?」

「私も知らないです。神楽坂さんの同期の方らしいですけど…………あ、その、神楽坂さん、これは別に確定じゃないですからね? あくまで私が得られている情報だけで思う、現在疑わしい人ってだけですからね?」

「……分かっているさ」

 

 

 警察内部の犯人。

 そんな私の予想に、以前の、成り替わられていた後輩の警察官を思い浮かべたのだろう。

 険しい顔をした神楽坂さんは壁に体重を預けながら、腕を組み目を閉じた。

 

 宍戸と言う人と神楽坂さんの関係は分からないが、どうにも疲れてしまったような神楽坂さんの態度から、希薄な関係でも無いのだろうと私と飛鳥さんはお互い顔を見合わせる。

 

 普通に考えて、身近な人の死や昏睡、犯罪行為が続けば精神的に疲弊してしまうのは普通だろう。

 私だって家族がそんなことになれば……なんて、ちょっとだけ考えてすぐに辞めた。

 少し考えるだけで最悪な気分になったからだ。

 

 やっぱり言うべきでは無かったかもと思いながら、私は気まずそうな様子の飛鳥さんに向けて続きを話す。

 

 

「……続けますが、まあ、今回の二回目の爆破が恐らく犯人の目的。警察官を大勢負傷させ、何かしら警察や世間にメッセージを飛ばすと言うのが犯人の理想だったのでしょうが……私が未然に防いじゃいましたからね。ここまで大規模な事をしておいてこれで素直に諦めるという事は無い筈です。この犯人は、過去の事件に似通わせている事からも分かるように思想犯。何かしらの大望を持っている筈です。となれば、犯人は誰か、その居場所はどこかの特定をするよりも、次に何をしようとするのかを考えた方が効率的だと思います。どうせ、前から計画していただろう犯行ですから、次の行動も早そうですし」

「次の行動って、次は何処を爆破するのよ」

「そんなの知らないですよ……けどまあ、普通に考えて先ほどの爆破でメッセージ性が残せるのが犯人にとっては最良だったのでしょう。つまり、詰め掛けた報道陣や野次馬を前にして大きな事件を起こしたかった。そして、それよりもあの場で最も重要だったのは恐らく標的、警察組織内での階級が高く影響力を持った人」

 

 

 顎に手を添えて視線を天井に向けながら私は言葉を続ける。

 

 

「飛鳥さんがあの爆発程度でどうにかなる訳無いのは犯人も分かっているでしょうから、剣崎さんが狙われたと言うのが濃厚。それが叶わず証拠物である爆弾を抑えられた以上、犯人は次の行動までの時間はあまり掛けられない。そうなると、報道陣や野次馬は先ほどよりも少なくなるのは避けられませんが、代わりにもっと世間に衝撃を与えられるような知名度を持つ人物を狙おうと考えるでしょう。世間を震撼させる大きな知名度を持った警察の人物といえば、それこそ話題性のある飛鳥さんか……」

 

 

 警視庁のトップである山峰警視総監か。

 じっと私の言葉を聞く神楽坂さんと飛鳥さんの顔を見ながら、私はそう口にした。

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

 同刻、同建物内。

 少女達が話し合いをしていた部屋とは別の広々とした部屋に、二人の男性がいた。

 

 

「――――お前が無事で何よりだ。爆弾が足元にあって不発とは、悪運が付いたんじゃないか?」

「馬鹿を言うな。あれはお前の差し金か? いつの間にあんな繋がりを作っていたんだ? 以前の時も言ったが、あんなのが袖子ちゃんのただの同級生だなんて到底信じられない」

「何を言っているんだ? 私は別に何もしてないが……同級生? 佐取さんの話か?」

「……その反応は、本当に関わっていないんだな」

 

 

 そこは警視総監室であり、警察組織の最高幹部である山峰衿嘉と剣崎が机を挟んで向かい合っていた。

 

 古くからの友人であり、色眼鏡なしにお互いの能力の高さを認め合っている彼ら。

 不発だったとはいえ、爆弾で狙われた自身の懐刀である剣崎を純粋に心配してこの場に呼んだ衿嘉は、自身の無事を喜ぶでも無く、煮え切らないような態度を貫いている友人の様子に戸惑っていた。

 明らかに疲れ切っていて、なんなら顔色も悪くゲッソリと生気が無いのは、どうも命の危機がすぐ隣にあったからというだけではないらしい。

 

 

「爆弾を見付けたのは彼女だ。爆弾が停止していたのはたまたまかもしれないが、何かしらの方法を使って彼女がやったと言われても俺は納得できてしまう……そんなあり得ない妄想をしてしまうくらい、俺は彼女が怖い」

「……なんで佐取さんがその場にいるんだ?」

「俺が連れ込んだからだ。正直、あの判断は我ながら過去一番正しい選択だったと思うが……ちなみに、あり得ない話だとは思うんだが……佐取さんはお前の“ブレーン”として働いてたりなんかはしていないよな……?」

「私が娘の同級生をそんな風に働かせるものか。冗談にしても笑えないぞ……まあ、袖子はよく、佐取さんは将来的に自分の“ブレーン”になってくれる存在だと散々話してはいるが……」

「袖子ちゃんは人を見る目がある。将来が楽しみだよ……ちゃんとアレを味方に引き込めるなら、だけどな……はぁ……」

 

 

 例の毒殺未遂以降、負い目を感じ、衿嘉に強い態度を取れない剣崎だが、今は何だかそんな負い目を気にする余裕すら無いらしい。

 精神的に疲弊しすぎて毒殺未遂以前の関係に戻ったような友人の様子に、少しだけ嬉しくなった衿嘉は口角を上げながらも話すべき別件を切り出した。

 

 

「娘の数少ない友人の話も気にはなるが……今回の爆破の意図はどのようなものだと思う? 犯人はどう動く?」

「……単純に俺個人が狙われたのであれば、役職か、過去の怨恨か、それとも衿嘉に対する行為が許せない人物か。なんて思ったがそうじゃないだろうな。今回は異能開花の薬品が関わる重要な場所での爆破だったからこそ、俺が衿嘉に無理を言って現場の確認に向かったんだ。それを、事前に犯人が想定しているだなんて考えにくい」

「警察組織に対する攻撃、そんなところか。これだけ過激だと今後はもっと激しい動きをすることもあり得そうだな。とはいえ、私は立場上直接介入する事は出来ないからな。出来る事と言えば適切な人員の割り振りくらいだが……現場を見てどう思った?」

「少なくとも、話題に上がっていた神楽坂と言う人物は正しく優秀。熱意もあるし裏も無さそうだ。可能であれば、今回の事件や異能の絡む事件の捜査に携わってもらった方が良いだろうな」

 

 

 トラウマである少女の話題から逸れて少し気が落ち着いたのだろう、剣崎はほっと息を吐きながら衿嘉の問いにざっくりと答える。

 そんな友人の様子を眺め、本当にあの一件がトラウマになったのだなと衿嘉は苦笑した。

 

 

 前々から神楽坂上矢と言う警察官の名前は二人の間では話題に上がっていた。

 “連続児童誘拐事件”と“氷室区無差別連続殺人及び死体損壊事件”。

 過去にこれら二つの事件に直接関係し、解決に導いた異能を有さない一人の警察官。

 公式記録では、異能犯罪と認定されているのは神薙隆一郎の一件と先日の“無差別人間コレクション事件”のみだ。

 だが、警察上層部である彼らはこの二つの事件の犯人が異能持ちであることを当然把握している。

 

 異能持ちが犯人の事件をただの異能を有さない警察官が解決に関わっている事を、この二人は知っているのだ。

 

 飛禅飛鳥のような異能を持つ者でも無く、一ノ瀬和美のような特例措置を用いての組織対応を行える者でも無い、何も持たない一個人が異能と言う理不尽な力をどう制圧したのか。

 

 これまで二人の間ではその話題が尽きる事は無かった。

 

 

「神楽坂上矢、か。ほぼ3年も前から超常的な力による犯罪の発生を口にしていた唯一の人材。当時の幹部は妄言だと取り合わず、降格処分を下し左遷染みた人事を行ったそうだが……真実を見据える目が他人よりも優れているのだろうな。周りを置き去りにするほどに優れ過ぎていたと言ってもいい」

「だが、どうにも不当な扱いを受けている事に対しての不満は持っていないようだった。今更かもしれないが、重用する事も考えるべきだと俺は思うが……」

「そうだな。それでは少しその様に話をしてみようか」

 

 

 実のところ、警察の最高幹部である彼らにとっては、現場での評価がどうであれ、実際に事件を解決している神楽坂の評価は悪くないものだったのだ。

 

 そんな、警察に置ける最高幹部二人の会話。

 誰もこの部屋に入ることは許されていないし、少しでも出世を考えているのなら彼らが会話しているこの間に入ろうと思う者はいないだろう。

 

 彼らの会話に割って入る人物なんて、この場に現れる筈がないそんなタイミングで。

 

 

「……本当に。随分今更な考えですね」

 

 

 ――――音も無く一人の男が入って来た。

 

 突然の闖入者に弾かれた様に剣崎は振り返ったが、その相手が見知った者である事を認めると一度警戒するように上がっていた肩を落とし安心したように溜息を吐く。

 

 不気味なくらい静かに立ち尽くす、宍戸四郎がそこにいた。

 

 

「宍戸君か。ノックも無く部屋に入って来るなど……」

「同期の神楽坂上矢の事を俺はよく知っている。警察学校時代、アイツほど優秀な奴はいなかった。当時から人外染みた怪力をしていた柿崎を唯一身体能力で凌ぎ、仲間想いで、警察学校の厳しさに付いていけなかった奴に手を差し伸べ、肩を貸し、仲間の為に碌でも無い上司には楯突く事さえ厭わない精神性を有していた。ただ上に従うだけの小心者の俺には到底できない事を続けた見習うべき人間。どう足掻いても俺には勝てない、そんな奴だった。そして、アイツのそんな姿勢は警察学校を卒業してからも変わらなかった……結果、従順なだけの俺はいつしか出世頭と呼ばれ、優秀なアイツは何時しか狂人と蔑まれるようになった……なんて馬鹿げた話だろうな」

「……宍戸君?」

 

 

 独り言のような言葉と共に、その人物、宍戸は後ろ手に扉の鍵を掛けた。

 警視総監室と言う、警察内部で最も防衛機能が高い場所が、こうして密室となったのだ。

 

 不気味な沈黙が部屋を包み込む。

 ゾッとするほど暗い顔をした宍戸が、酷薄な笑みを浮かべて二人を見詰める。

 異常な空気に顔を強張らせた二人に対して、宍戸が手に持つ携帯型の端末を何気なく操作した。

 

 次の瞬間、地響きと共に大きな爆音が外から響いた。

 

 警視庁の地下から黒煙が上がり、建物内のあらゆる場所で火災警報装置が作動し、脱出を促す音声が警視庁本部のいたるところで放送され始めた。

 状況を理解できないのか部屋の外からは悲鳴が聞こえてくる。

 その上、警視総監である衿嘉の無事を確保しようとした者達が慌てて扉を叩くが、宍戸に鍵を掛けられた扉はびくともしない。

 この扉を開くための鍵も、既に宍戸が回収済みだ。

 入念に仕掛けられた、警視庁本部を混乱に突き落とすための計略は、思い付き程度では崩れない。

 

 そして、爆弾。

 つい先ほど剣崎を狙ったソレと同種の物が、警視庁のいずれかに仕掛けられていたのだと瞬時に悟った衿嘉達は、目の前の犯人に驚愕の表情を向ける。

 警察組織の出世頭とも言われている一連の爆弾犯『宍戸四郎』を、二人は見詰めるしかない。

 

 驚愕の視線を向けられた宍戸はいつもと同じ、媚びるような笑みを浮かべて、手品のタネを明かすように仰々しく両手を広げた。

 

 

「“北陸新幹線爆破事件”から始まった雌伏の時はようやく終わる、革命の時間だ。この腐った組織は根本からひっくり返す必要がある――――そして、貴方方はその礎になるんだよ」

 

 

 咳をして。呼吸を乱して。口の端から血を流した。

 明らかな体調の不調を見せながらも、それでも宍戸四郎は止まらなかった。

 

 

 

 

 

 




いつもお読みくださりありがとうございます!

前回で100話だったことに感想で気が付きました…
まさかここまで長い話になるとは私も思っていませんでしたが、それよりも、ここまで多くの方が100話もの長編にお付き合い頂けている事に衝撃です!
まだ先はありますが、ここまで読んで頂きありがとうございます!
色々と拙い本作ではありますが、これからも気長にお付き合い頂けると嬉しいです!!


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悍ましき影

 

 

 

 

 

 始まりは有名なあの事件。

 

 

『……どうしてお父さんとお母さんは帰ってこないの?』

 

 

 幼い頃、反抗期に入ったばかりだった自分は親のやること全てに反発してばかりだった。

 素行への叱咤も、学業への注意も、休暇の時の旅行計画さえ全てが煩わしくて、数歳下の弟の前でも関係なく反抗してばかりいた。

 

 困ったような顔をする両親と弟の顔が、今も脳裏にこびりついて離れない。

 

 

『……拓郎は、どうして帰ってこないの?』

 

 

 年越し時期の休みを利用して両親の実家に帰省する計画。

 何が気にくわなかったも思い出せないような自分の反発で、自分を残して帰省する事になった両親と弟。

 寂しそうに、心配そうに、何度も自分に手を振る彼らに、自分は最後まで「いってらっしゃい」の言葉も掛けられなかった。

 

 窓越しに、出ていく家族の背中をこっそりと覗いたあの光景が忘れられない。

 

 

『新幹線が爆発って……どうして……?』

 

 

 そんな後悔と懺悔に満ちた苦い記憶だけが、自分を突き動かした。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 その日、警視庁本部は発生した爆発と二次的に発生した火災によって大きなパニック状態に陥っていた。

 

 鳴り響く警報音と充満する黒煙。

 状況が分からず、なおも間隔を空けて繰り返される爆発音に、警視庁本部内はパニックから完全な機能不全となってしまっている。

 そして、その混乱状態を意図的に作り出し、衆目を集め、自身の目的を果たそうとしている男は密室となった警視総監室から、その状況を扉越しに確かめた。

 

 

「……どうやら一般人もこの建物の状況に気が付き始めている。報道各社が駆け付けるのももう少し。始めてしまっても良いか」

 

 

 その男、宍戸はそう言って、衿嘉達に向けていた拳銃の銃口を下した。

 どうやら宍戸の時間を稼ぐ目的は達成されたらしい、銃口が下ろされた事に衿嘉達の張り詰められていた緊張の糸が少しだけ緩む。

 

 だが、だからと言って衿嘉達が宍戸に対して何かできる訳ではない。

 宍戸四郎という多くの者に認められるこの男は、彼が有する知識や知恵だけが優秀なのではない。

 現場における対応力、特に彼が持つ射撃の腕前と制圧力の卓越さは、直属の上司ではない衿嘉達ですら知るところなのだ。

 

 武器も持たぬ衿嘉達がどんなに意表を突こうが、現状をどうにかできる程、目の前の男は甘くはない。

 

 

「……何故こんな事を。神楽坂君の状況に不満があれば一言相談してくれれば、私達は無下になどしないと言うのに……」

「神楽坂の件は、ある種象徴ともいえる話なだけだ。神楽坂の為に俺はこんな行動を起こしている訳じゃ無い」

「ならば何故こんなことをしている? 自分の立場に不満でもあったのか?」

「復讐だよ、山峰警視総監や剣崎局長は直接関係していなかったみたいだけどな」

 

 

 衿嘉の問いに対して投げやりにそう言い放ち、適当な高さの土台に撮影機材のような物を置いて宍戸は何かの準備を進めていく。

 爆発音や警報音、悲鳴を背景にした宍戸のそんな姿はどうにもミスマッチであり、衿嘉達を監視しながらもちゃくちゃくと準備を進めるその姿はさらに不気味さを感じさせる。

 

 そうして、手早く準備を整え終えた宍戸が用意した機材を起動させ始めた。

 

 

「現代の科学技術と言うのは非常に便利なものだ、これだけの機材で、この場所の映像や音声も、世界中の人に届けられると言うのだから。そして、何かしら電子の海に情報を残してしまえば、その情報を完全に消すことはほぼ不可能になってしまう。昔と違って、内情の暴露も非常に容易になっていると言えるが……悪用も出来るのだから良い話と断言は出来ないな」

「宍戸君、それはまさか……」

 

「――――ここは警視庁本部、警視総監室。時刻は12月3日16時23分。初めまして皆さん、私は本日起きている爆破事件の犯人、宍戸四郎。私は本日、現状を皆さんに知ってもらう為にこの配信を始めた」

 

 

 何処かのサイトへの配信が開始された。

 何気なしに目の前で始まった配信の光景に、衿嘉と剣崎が驚愕に目を見開く。

 これから彼が何をする気なのか、これから自分達がどのように扱われるのかを理解して、二人の顔に焦りが浮かんだ。

 

 

「ダラダラとした前置きをする時間はない。まず、20年前に発生した未解決事件“北陸新幹線爆破事件”について話をしていこう。かの事件は整備、開業されて間もなかった北陸新幹線が何者かによって爆破されたことで多くの犠牲者を生んだ事件だ。私もその事件で家族を喪い、多くの喪失を経験したが……結局犯人も目的も分からないまま、かの事件は風化してしまった。警察の捜査力不足……と、そう一般的には言われていたが、それは違う」

 

 

 一呼吸をおいて、宍戸は言う。

 

 

「アレは政府ならびに警察によって隠蔽された事件だった」

 

 

 はっきりと、宍戸はその事実を口にした。

 

 衿嘉と剣崎でさえ知らないその話。

 歴史と言う闇に捨て去られ、誰にも語り継がれることが無かった過去のそんな真実に、衿嘉達二人だけでなくただの好奇心でこの配信を見始めた人の多くが驚愕で言葉を失った。

 

 

「20年前の未解決事件、“北陸新幹線爆破事件”は結局犯人が見付からない、警察捜査の大きな汚点の一つだった……なんて、そんな訳が無かった。アレは、新幹線と言う新たな交通機関への政治的な反発によって起きた事件。関係した団体や犯人の家柄による政治的圧力、そして細部には他国さえも絡む事件であり、当時の総理大臣や各省庁の最高幹部、警察で言えば捜査担当だった嘉善義之が隠蔽に協力した、政治的かつ組織的な隠蔽による未解決事件。それが、長年私が捜査し続けた“北陸新幹線爆破事件”の真相だった……結局この件も、神楽坂が嘉善義之の息子である義人を捕まえなければ判明しなかった事だ」

「なんだその話は……? それは真実なのか……?」

「……半年前に嘉善義之が息子の轢き逃げを隠蔽しようとした件で捕まっただろう。家宅捜索に入った時に当時の資料が出て来たのさ。20年も前の事件を調べ続けた私くらいにしか分からない程度の内容だったが、ようやくあれで私は確信を得ることが出来た。それと、この映像を見る者には私がでまかせを言っていると疑う者は多くいるだろう。私がこれまでこの件の捜査を行って来たと言う証拠として、当時使用された爆弾と全く同じ規格のものを使って今日の爆破事件を起こしている。調べてみると良い」

 

 

 事も無げに、国内を揺るがす発言をした宍戸は手元の携帯から自身の配信状況を確認する。

 恐るべき速さで増えていく視聴者の数を見て、喜びよりも配信を停止させられるのが予定よりも早まりそうだと頭の中の計画を若干変更した。

 

 

「当時の政府や警察内の誰が関わっていて誰が関わっていないのか。調査を続けた私でさえはっきりとは分からない。だが、多くの者がこの件に関わり、隠蔽に関与した者や当時の犯人グループが、今はもうこんな事件など忘れて平穏に過ごしているのは事実だ」

 

 

 公にする事実は大雑把でいい。

 証拠や根拠さえしっかりとしていれば、逆に謎の部分があった方が、世間は何とか解明しようと動く事だろう。

 

 そう考え、手早く前提の話を終わらせた宍戸は次の話に移る。

 

 

「そして今回、“無差別人間コレクション事件”の犯人が所持していた異能と言う凶器を手に入れる為の薬品が紛失した。これは何故か。薬品一つにつき時価500万を超える価値に目がくらんだ捜査担当者二名が横領を行ったからだ。懐に入れ、偽物を交えてながら薬品を売りさばき、自分達で最大限利益を貪ろう、なんて、そんな事を目論んだ警察官が二人いたんだ。異能と言う凶器が売りさばかれる事で招く悲劇を、実際の被害者達を目の当たりにしていながらも許容した警察官が二人もいた。20年の時を経ても、俺は、警察が何も変わっていないという事を目の当たりにさせられた」

 

 

 それだけではない。

 

 

「警察内部に出来た異能犯罪に対応する部署が新設されたばかりで未発達でありながら、古き思考に囚われた警察の頭の固い上層部からあらゆる妨害を受けている状況。にも関わらず、自分の事しか考えられない奴らはこんな行動をする。司法も国政も行政機関も、こんな惨状では……この国が駄目になる、そう思った」

 

 

 当然、と吐き捨てた。

 

 

「個人的な憎悪もある。過去の新幹線爆破事件が私の家族を奪い、その怒りの向け先が分からず、私は警察組織に入ってこんな事ばかり調べて来た。結果的に隠蔽されていたという事実への怒りは消えていないが……この組織にも立派な人はいるんだよ。彼らと一緒なら、この組織を造り直せると、こんな暴力的な行動を起こさなくても改善できると信じていた時期は俺にもあった。けれど違ったんだ。それは現実から目を逸らしたただの妄想だった。立派な警察官は排他され、権力を握るのは扱いやすい都合の良い人間だけ。世界は今、異能と言う名の凶器が広がっていて、そんな状況でも警察内部の立場のある人間が凶器の広がりを進んで行おうとしている。正しくあろうとする善人よりも、自分の欲望を満たそうとする悪人の方が多かった」

 

 

 犯行を始めてから、時間にして10分も無い。

 可能な限り圧縮した警察内部の暴露配信は既にあらゆる場所に拡散されている。

 電子の海によって拡散されたこの情報は、きっともう誰であってももみ消すことなど出来はしない。

 もう何時配信を停止されても良いと思いながら、宍戸は「だから」と言って手の中の拳銃を衿嘉に向ける。

 

 現在の警察の象徴である、山峰衿嘉警視総監に銃口を向けた。

 

 

「俺は、今の警察を終わらせる事にした。これからやって来る非科学的な犯罪事件の数々を、この組織では到底解決などできない。そう、警察組織に身を置く私だからこそ断言する。俺がこの組織に終止符を打つ。そして、再構成するべきだ。警察に代わる新たな行政機関を、正しく正義を持った者達で、卓越した才能を持った者達で、異能という力を持った者達の手で、正しく力を振るう組織を作り上げるべきなんだ……まあ、こんな行動をしてしまった俺はそうなる事を祈るしか出来ないんだけどな」

「……宍戸君」

「よく考えた。よく考えたんだよ山峰警視総監。けどな、もうこれ以上俺から家族を奪った堕落し切った『今』を続けるのは我慢がならなかったんだ。だったらまだ、先の分からない未来に賭ける方が良い……そう思った。だからどうか貴方も、俺を恨んで諦めてくれ」

 

 

 想像していた通りの末路。

 焦りを浮かべ未だに破られない扉に視線を向ける剣崎とは違い、衿嘉は深く溜息を吐きながら身動きを取らないままじっと自分に向けられた銃口を見詰める。

 

 ふざけた犯行理由だと思う。

 こんなことをしても、世の中は好転なんてしない可能性の方が高い事を、誰よりも宍戸自身が分かっている筈なのに、きっとこの選択をするしか彼には無くなってしまったのだろう。

 どれだけ被害が拡大するか分からない異能と言う凶器を流出させる薬品を、他ならない警察官が押領して横流ししようとした事に、彼はきっと自身の始まりである過去の事件を見たのだ。

 

 幼い彼の家族を奪った犯人も、その事実を包み隠した政府や警察も、そしてその頃から変わらなかった人間の欲望も、彼は許せなくなってしまった。

 許せないもので溢れた世界は彼にとっては苦痛で、だから彼はきっと、行動しないという事が出来なかったのだろう。

 

 そう思い、衿嘉は諦めたように頷いた。

 

 

「私がもっと優秀であればこんな事にはならなかったんだろう。こんな事をさせてしまってすまない宍戸君」

「……」

「君がここまで追い詰められてしまった事、本当に心苦しい。だがそうだね、君が望む革命の為には、君の言うように私はここで終わるべきかもしれない。だが、剣崎は妻と幼い息子がいる。どうか彼は見逃してくれ。私一人でも君の目的を果たすだけなら充分だろう? 私にも思い残しはあるが……それは仕方ない事だと諦めよう」

 

 

 そう言って衿嘉は、宍戸が何か反応を示すのを見ることなく目を閉じた。

 

 

「……袖子すまない」

「衿嘉っ、待てっ!」

 

 

 引き金が引かれた。

 一瞬遅れ、剣崎が身を盾にして衿嘉を守ろうと飛び出したがもう遅い。

 

 爆発音のような銃声と衝撃が部屋に響き、鉛で出来た人を殺傷する為の物質が何の意志も持たず一直線に一人の人間へ飛来した。

 

 狙い澄まされた銃弾は寸分違わず衿嘉の眉間に届く。

 そして弾丸が、正しく衿嘉の頭を貫く直前。

 

 

 ――――ピタリと、その銃弾はその動きを止めた。

 

 

 まるで時が停止したような異常な光景。

 衿嘉の眉間に触れている銃弾が、急に意思を持ったかのようにその場で停止し動きを止めている。

 何の支えも無く宙に浮き続ける銃弾という、あまりに非科学的な光景に目を見開いた宍戸だったが、衿嘉達の背後にある窓を見てさらに大きく目を見開いた。

 

 16階にもなるこの警視総監室の窓の外に、二つの人影が浮かんでいる。

 

 

「――――届いたわ! 神楽坂先輩!! 相手は拳銃を持ってる!!!」

「分かってる! 突入させろ!!!」

 

 

 そして、その二つの人影が窓を突き破って密室となっていた警視総監室に飛び込んで来た。

 

 突然の強襲に宍戸は停止しかけた体を鍛え上げた理性で無理やり動かし、拳銃の照準を突入してきた人影に定め、間を置かずに発砲する。

 

 だが、それも突入者は予測していたのだろう。

 体の重心を地面ぎりぎりまで落とし、肉薄してきたその人影の異常なまでの速度に、宍戸は対応しきれない。

 発砲した弾丸を全て回避したその人影が、滑るように宍戸に肉薄する。

 一瞬で目前まで迫られ、拳銃を持った腕を穿つように蹴り上げられ、さらにそのまま足で顎を蹴り抜かれた宍戸は視界がチカチカと明滅するのを自覚する。

 

 直前に銃を弾いたとは思えないほどに重すぎる一撃。

 途切れそうになる意識を何とか繫ぎ、さらに追撃しようとする目の前の怪物に向けて、宍戸は蹴りを放ち手に持った携帯を投げつける。

 どちらも軽く捌かれはしたものの、宍戸は何とかその男と距離を取る事に成功した。

 

 

「あいも、かわらず……ふざけた身体能力しやがって……!」

「宍戸、テメェ……自分のふざけた行動にどれだけの無関係の人を巻き込んでいるのか分かってんのか?」

「うるせぇんだよ! 俺が何も分からないままこんな事をするとでも思ってんのかっ!? お前が今更どんな綺麗ごとを言おうが、俺はただ突き進むだけだ神楽坂!」

「……ああよく分かった。お前がそのつもりならお前をボコボコに叩きのめしてから、ゆっくり話を聞いてやるよ!!」

 

 

 目の前の男、神楽坂上矢に充血した目を向け、そしてその背後で山峰警視総監と剣崎局長の無事を確保している最も警戒するべき飛禅飛鳥を確認し、宍戸は歯ぎしりをする。

 この計画の、最も障害に成り得る相手を足止めする事が出来ていなかった事実に、怒りが噴き出す。

 

 

「ふざけんな……! お前らのような奴がここに来れないように爆弾や火災を起こしているっていうのに、まだ8分22秒だぞ……! 最初から俺を疑っていて、俺の目的も分かってたっていうのかっ……!? 糞っ、分かったぞ! お前があの現場にいて爆弾を見付けやがったなっ!? 人間離れした異常な嗅覚を持ちやがってっ……!」

 

「まあ、ここに来てるのは私達だけじゃないですけどね☆」

 

 

 そして次の瞬間、何度も叩かれても開くことが無かった扉が一撃で吹き飛ばされた。

 外側からの何か巨大な力によって破壊された扉が完全にひしゃげ砕けてしまっている。

 

 そして、ズシリッと破壊した出入り口から筋骨隆々の巨大な人影が入って来たのを見て、さらに宍戸は顔を引き攣らせた。

 自分が知る限り最悪の相手が全て目の前に揃っているのを知って、自分の絶望的な状況を理解せざるを得なくなる。

 

 

「宍戸ォ……テメェ、よくもやってくれたなァ……」

「ぜえぜえ……か、神楽坂さん、この人、体力も鬼みたいです……」

 

 

 鬼のような強面をした巨躯の男が、フードを被った小柄な人物を引き連れて来た。

 燃えるような怒りを纏っている男の登場に、宍戸は壁を背にするようにして銃口を誰に向けるべきかと彷徨わせるしか出来なくなってしまう。

 

 ほんの数秒の内に完全に形勢は逆転した。

 その事実に、宍戸はもはや引き攣った笑みを浮かべるしかない。

 

 

「は、ははは。これだけ計画を立てて、これだけ準備を進めて来たって言うのに……」

 

「待て柿崎。宍戸は異能を開花する薬品を回収している筈だ。自分に使用しているとすれば、異能を持っていてもおかしくない」

「あァ? だったらこれまで一切異能とやらを使ってないって言いてェのか? そんな訳ねェだろ? 理由は分からねェがコイツは異能を持っていないか、そもそも状況を改善できるような異能じゃねェんだよ」

「柿崎さんの言う通りですね☆ どうにもこの人からは異能の出力を感知する事は出来ません。異能を警戒する必要は無いみたいですよ」

 

「……ああ、警察に優秀な人材が多くて俺は嬉しいよ。糞が……」

 

 

 心底忌々し気にそう吐き捨てた宍戸がせめてこの窮地を変えてやろうと、最後の切り札として用意していた自分の服の下に巻き付けた爆弾を起動させようとして。

 

 

「それでそれも、ウチの『ブレーン』は予想済みって訳ですよ宍戸さん」

「――――!!??」

 

 

 体に巻き付け所持していた爆弾が全て、恐るべき力によって飛鳥の元に飛んで行った。

 

 飛禅飛鳥が所持する“浮遊”の力。

 無機物有機物問わず、物体を浮遊させ自在に操る異能の前では、物を奪われないという事は不可能な話だ。

 だからこそ、宍戸は最後の最後まで気が付かれないようにと服の内側に隠すようにして所持していたのだが、それすら上回られた。

 

 飛鳥は少し自身の体を床から浮かせながら、飛んできた爆弾を手元から数センチ離した位置に停止させ起動していないのを確認すると、ニコリと嬉し気に微笑んだ。

 

 

「チェックメイトですね」

「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な、馬鹿なっ……!! こんな、こんな何もかもが上手くいかない事があるか!? 何だこれは!? 何なんだこれは!!??」

「……悪いな宍戸。お前の行動は大体読めている。この後お前に残された行動は、拳銃で自分を撃って山峰警視総監の代わりとなる事か、それとも所持しているだろう薬品を使用して異能の開花に賭けるかのどちらかなんだろうが……どちらもさせるつもりはない」

「――――……ありえない……」

 

 

 自分の手の内全てが筒抜けになっている。

 そんなありえない現実に、ガクリと完全に力が抜けてしまった宍戸はその場で膝を突いた。

 まるで目に見えない巨大な意思が宍戸の思惑を砕いているかのような状況の悪さ。

姿の無い巨大な絶望感に圧し潰された宍戸の姿は、無力に打ちひしがれるかのようであまりに痛々しかった。

 

 助けられた衿嘉と剣崎が未だに自身の無事を信じられないようにしているのを余所に、柿崎が素早く彼らを警視総監室から脱出させる。

 そして、飛鳥がほんのわずかな挙動すら見逃さないというように宍戸を観察している今の状況は、彼にとっては監獄に放り込まれたのと同義だ。

 

 そしてそれは宍戸の計画が、何も成せないまま終わってしまった事を意味していた。

 

 

「自身の体に爆弾を巻いてまで……宍戸、どうしてお前はそこまで……」

「…………元々、俺が警察になったのは北陸新幹線爆破事件の真相を知りたかった。だからどれだけ理不尽な相手であろうとも従順であり続けた。だが、もう、嫌気が差したんだよ。この組織の状況も、お前のような優秀な奴を迫害する環境も、これから訪れるだろう未来も、昔から何も変わっていなかった『今』も、俺から家族を奪った奴らがのうのうと生活している事も。俺は何もかも嫌だったんだ。…………それに、俺はもう長くはないからな」

 

 

 それだけ言うと、宍戸はゴホッと血を吐き出して蹲る。

 突然行われた目の前のそんな光景に、神楽坂達警察組は心配するよりも先に気を引くための演技かと警戒を強めたが、フードを被った小柄の人物だけが焦ったように声を上げた。

 

 

「貴方っ、奪った薬品をどうしたんですか!?」

「……」

「まさか……全て自分に使ったんですか? 安全かも、どんな副作用があるかも分からないあんなものを、全て……?」

「……なるほど、君が、『ブレーン』とやらか」

 

 

 フードを被った小柄の人物、燐香の言葉を聞いて、やっと得心が行ったとでも言うように宍戸はそう呟いた。

 

 声の主であるフードの人物が、自分の計画を散々妨げて来た張本人であるのかと、憎悪を込めて睨もうとした。

だが、フードの影、眼鏡の奥、その先にある目が自分を心配でもするように揺れている事に気が付いて、宍戸はそんな気持ちも無くなってしまい軽く微笑んだ。

 

 

「…………誰の手に渡っても不幸しか生み出さない物なら俺の手の内で処分した方が良いと思った。そして、俺が何かしらの異能に目覚める事が出来れば、もっとうまく計画を立てられると思ったのさ。結果はこんな情けないものになってしまったけどな……ごほっ」

 

 

 動揺したような燐香の言葉を聞いて、神楽坂と飛鳥は宍戸の様子が演技でないことを悟る。

 吐き出された血が本物なら、宍戸の体の中では一体どれほどの損傷があるのかと血の気が引く。

 

 そして同時に思うのは、世に出回っている“異能開花薬品”の危険性だ。

 

 

「……1つ程度なら体調を悪くするだけだったんだろう。だが、異能が開花しない事に焦りを覚え5つもの薬品を飲み込んだ俺の体の内側はズタズタだ。ただの馬鹿なやらかしだ。これは、俺自身の問題だ」

「っっ、直ぐに銃を捨て投降しろ! 拘束して病院に連れて――――」

「誰が、もう諦めると言った?」

 

 

 ゆらりと立ち上がった宍戸の姿に、状況を静観していた他の警察職員達が慌ててそれぞれの拳銃を抜き構えた。

 けれど、飛鳥が簡単に銃弾を無効化して見せた事を知っている神楽坂達や飛鳥と同じ部署の柿崎は、宍戸の持っている拳銃がこの場においてはもはや役に立たないものだと分かっている。

 宍戸に残されている抵抗手段など全て封殺されている事を、知っているのだ。

 

 完全に周囲を包囲され、拳銃を向けられた状況。

 最も警戒していた異能持ちの飛禅飛鳥や、宍戸が知る限り最も優秀な者達である柿崎と神楽坂が相対している状況。

 そんな、覆りようのない窮地であるのに、宍戸の目からは力が消えることは無い。

 

 

「たかだか覆しようのない状況に陥った程度で諦めるほど、俺の決意が軽いと思ったか。自分の命が惜しくなって武装を捨てて助けを請うほど、俺の選択が軽いと思ったか。お前らが全ての事実を消し去ろうとした人達の命が、そんなものだと思ったか」

 

 

 燃えるような宍戸の目に、絶対的に有利な筈の警察官達が気圧される。

 何もできる筈がない宍戸という犯罪者に対して、危機感を覚えて仕方ない。

 

 

「――――嘗めるなよ、警察」

 

 

 もはや何の活路も無い筈の宍戸の鬼気迫る言葉。

 この場にいる者達全員の顔に緊張が走り、油断なく警戒し何も言葉を返さない中。

 

 

 『ここにいない誰か』が、宍戸の言葉に反応を返した。

 

 

『――――実力の伴わない覚悟ね。他人はそれを無謀と呼ぶけれど、私は嫌いじゃないわ』

「!!??」

 

 

 幼い誰かの声がする。

 はっきりと、一字一句、聞き漏らせない程鮮明に、その声は宍戸の意識に届けられた。

 

 警報音や人の声が飛び交うこの場でのその声は、あまりに異常だった。

 

 

「ごほっ……誰だ、今俺に話し掛けたのは誰だ? 子供がここにいるのか……?」

「……何を言ってやがる? ついにとち狂ったか宍戸」

「柿崎、お前も聞こえただろう。幼い、子供のような声が……俺の幻聴なのか?」

 

『最初に自分を疑うのは悪くない癖だと思うわ。でも残念ながら今回は、私が確かに話し掛けてるの……さて、私はここよ』

 

 

 呆然と、宍戸は導かれるように顔を動かす。

 ガラスが割れ、物が散らばり、汚れ切った部屋の中。

 そんな風になり果てた警視総監室の中をゆっくりと見回して、宍戸はつい先ほどまで衿嘉が座っていた革の椅子に一人の少女が腰を下ろしている事を認めた。

 

 小学生程度の幼い少女がそこにいる。

 

 それは、あまりに不似合いな光景だった。

 悍ましい光を瞳に宿した、どこまでも冷たい表情をした幼い少女が、尊大に、身の丈に合わぬ椅子に座ってこちらを眺めている。

 自身の白魚のような指を弄びながら宍戸が気付くのを待っていた彼女は、ようやく自身の姿を認めた宍戸を嘲るように笑った。

 

 

「……子供? なんで、君のような子供が……?」

『ああ、なんて可哀そう。無警戒にあんな正体の分からない薬品を大量に使用して……アレは異能の出力そのものを形として閉じ込めているようなもの。出力を自身の異能として放出できない人が大量に摂取したら、体内に残留した異能の出力が体を引き裂くに決まっているのにね。こんなことも想像できずに勝手に不幸になるなんて、本当に救えないわ』

「君は……誰だ……?」

『“顔の無い巨人”は私も好きじゃないから……そうね、“百貌”で良いわ』

「“百貌”……? そんな、今決めたような仮称など……」

 

 

 動揺する宍戸の様子は周りから見れば狂気に満ちている。

 何故なら今の宍戸の姿は、何もない、誰も居ない警視総監の椅子に向かって、青白い顔をしながら一人ぶつぶつと呟き続けているのだから。

 

 

『ねえ、宍戸四郎。貴方に足りないものを私が補ってあげる』

 

 

 けれどもそれは、周りから見ればありもしない妄想だったとしても、それと実際に会話している宍戸にとっては違いようのない確かな現実。

 

 異常な少女の存在に恐怖を抱き始めた宍戸が警戒するように口を閉ざした瞬間、少女の姿にノイズが走り、ほんの一瞬で宍戸の目の前に現れた。

 驚愕で反応しそうになる体が、何故だか強制的に抑え込まれる。

 

 

『そんな下らない薬品よりもずっと確かなこの力。安心して、身を委ねて。私だけが貴方を救える存在』

 

 

 そして、その少女の身がふわりと羽毛のように宙に浮く。

 宍戸の視界を少女が埋め尽くすように、少女の羽織る服が巨大な翼のように宍戸を覆った。

 

 

『貴方は神様に選ばれなかった。けど、私は貴方を選んであげるわ』

 

 

 最後に見えたのは、薄く、薄く、ぞっとするほど冷たく優しい笑み。

 くすくすと嗤う少女のノイズ混じりの白い手が、そっと宍戸の頭に触れた。

 

 

 

 

 



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支配者たるもの

修正箇所が多く遅れましたが何とか投稿出来ました!
取り敢えず今日中に投稿出来て良かったです……!!


 

 

 

 

 

 それはあまりに異様な光景だった。

 一連の爆弾犯である宍戸四郎が何の前触れもなく唐突に、誰も居ない空間に向けて会話を始めたのだ。

 

 最初こそ気が触れたのか、若しくは薬品の副作用かなんて事が頭を過ったが、それにしてはあまりに理性的な様子の宍戸四郎という男性の姿に、その推測は違うのだと判断する。

 

 

(……悪意も害意もなくて、巧妙な認識阻害だったから気が付くのが遅れたけど、微量の異能の出力があの人に向けられてる……これは、精神干渉の力……?)

 

 

 幻覚、幻聴、あるいはそれに類するものを今の彼は見ているのだろうと、そんな風に私は目の前の光景に当たりを付けた。

 

 そして、そんな異能出力の探知すら困難にする巧妙な認識阻害で、私ですら未だに現状に確信を持てていないのだから、当然異能の探知すら出来ない他の人達は目の前で何が起きているのか理解できていない。

 

 唐突な宍戸四郎という犯人の異様な挙動に、飛鳥さんも含めた私以外の人達は何が起きているのか分からないようで、彼の言動を警戒するように見続けている。

 

 直ぐにでも制圧に動くべきなのか、それとも宍戸四郎が落ち着くのを待つべきなのか、そんな迷いが彼らの足を止めている。

 普通であれば致命的な隙と成り得るこの時間だが、突然介入してきた姿の見えない異能持ちの存在を考えると、ある意味手を出さないというのは最善手であると思う。

 

 

(どうする……? このまま手をこまねいて状況の推移を見守る? この姿を現していない異能持ちの目的は私が今持っている情報で推測できるもの? それとも後先の事を考えるのを放棄して、無理やり逆探知を行ってマキナと一緒に全力で攻撃を仕掛ける……?)

 

 

 頭の中で幾つかの候補を出してみても、どれも正解とは思えないものばかり。

 前触れも無く唐突に現れた姿の無い存在に対して私が出来る事はそう多くないのだと、私は現状を認識する。

 

 無理に出しゃばって返り討ちが、一番最悪のパターンだと言うのを私はよく理解しているのだ。

 

 

「……何が起こっているの? 燐香、分かる?」

「……本当に微量ですが、異能の出力が感じ取れます……」

「……出力元を辿れそう?」

「阻害が激しくて……でも、やります。逆探知します。相手の全貌が見えないので、気が付かれないように注意して……」

 

 

 こっそりと話を聞きに来た飛鳥さんに私はそう返し、じっと異能の出力に関する分析をしていく。

 

 姿の見えないこの相手の異能の種類は私の精神干渉に近い。

 対象に直接思考を届けるタイプの異能の使用をしていて、今のところそれ以上の何かをやれるような出力はしていない。

 

 異能の出力先は北北東の方角から行われており、その距離は……。

 

 

(……駄目だ。20㎞以降は阻害が酷くて場所の特定が……大体、この阻害のやり方といい、異能の出力といい。なんだか……)

 

 

 集中して頑張ってみるが、阻害が酷く“白き神”の時のように上手くはいかない。

 恐ろしい事にそれだけで、この相手が非常に異能の扱いに長けた人物である事が分かってしまう。

 

 自分よりも異能の扱いが上の可能性を視野に入れ、そうなるとこのまま逆探知を続けることさえ危険かと、私は直ぐに手を引いた。

 

 人生諦めも肝心。

 というか、私の異能で情報を取るのが難しい相手とか、私単体では闇に潜んで後ろから刺す以外勝ちの目が見えない。

 

 

「チッ、何が起きているか分からねェが、さっさと叩きのめすのが一番な事には変わりねェ! そうだろ!?」

「待て柿崎!」

 

 

 凍り付いた状況に痺れを切らした鬼の人が、重戦車のような筋肉の体を一直線に宍戸四郎の元へと突進させ、巨大な腕を思いっきり振り抜いた。

 姿の無い誰かとの会話で、碌な警戒もしていなかった宍戸四郎は鬼の人の強襲に反応すら出来ないまま殴り飛ばされる……なんて、そんな筈が無かった。

 

 

「ぅ、ぉ……!」

 

 

 宍戸四郎の顔目掛けて振るわれた鬼の人の拳が不自然にブレ、狙っていた場所から大きく逸れる。

 寸でのところで床を殴る前に腕を止めた鬼の人が、立ち眩みに戸惑うように自身の頭を押さえて平静を取り戻そうとしている。

 

 思っていたよりも攻撃的ではないが、やはり妨害対策は施しているようだった。

 目的も力も不明、それでも手を打たないなんて選択肢は選ぶべきでは無いだろう。

 

 精神干渉系統の異能は始末が悪い。

 自分の異能ながら心底そう思うからこそ、私は格上の可能性があるこの相手に対して一つカードを切る事を決める。

 

 

(……マキナ、出力の消費は考えなくていい。あの人に干渉してる奴の出力を辿って確認して。手を出すかどうかはその報告で考える)

(おおっ!? 久しぶりの御母様からの委任カ!? マキナに任せロ!! どんな奴でも地の果てまで探し出してボコボコにしてやるゾ!! むんむん!!)

(ボコボコは待ってっ、思ったよりもヤバそうな相手だから……!! 私が辿れたのは20㎞まで、北北東の方向。お願いマキナ)

 

 

 私では危険だとしても、マキナは違う。

 

 過去の私が溜めに溜めたマキナという切り札の一つ。

 マキナに備蓄された異能出力は膨大の一言であり、その性質も強力かつ凶悪。

 まともに太刀打ちできる人間なんてそういない。

 例えこの目の前の異様な異能持ちに対しても、遅れを取るなんてことは無いだろうと思ったのだ。

 

 そして、そんな私の想定に誤算は無かった。

 私の指示に従うまま、マキナは即座に自身の肉体とも言える電気経路に感覚を働かせ、目の前の微量な異能出力の元を迅速に探し当てた。

 

 ここまでは計算通り。

 私にとってのただ一つの計算違いは、探し当てた後のマキナの反応だった。

 

 

(…………御母様?)

(え、何? どうしたの? 何か異常があった?)

(??? ……脈拍体温心音異能出力、相似性96%)

(マキナ……?)

(御母様、御母様が……??)

 

 

 明確な動揺を示すマキナに私は不安を覚え、どういう事か詳しく話を聞こうとして。

 

 

 ――――直後、深海の底に落とされたようなおぞましい異能の出力が部屋に満たされた。

 

 

 ぶわりと、冷や汗とともに総毛立つような感覚が全身を襲う。

 全力で危機を知らせるような体の反応に、同様の感覚を感じ取った隣の飛鳥さんが引き攣った声を上げる。

 

 

「は、ぁ!? 攻撃っ!? ここから回避してっ……!!」

「……っ」

 

(違う、これは攻撃じゃない……!)

 

 

 私はこれを良く知っている。

 

 この感覚に、この技術。

 私はこの異能の使い方には覚えがある。

 

 昔、自身の異能を試していた時に、私はこれを実際に試したことがある。

 例えば、迫害され監禁されていた、“浮遊”の異能を開花させきれていなかった衰弱した少女に対して使ったような、そんな技術。

 随分昔に使い、試行錯誤して使うべき技術ではないと決めたもの。

 

 誰に話した事も無く、誰も知る筈の無いものが目の前で使用されている。

 

 咄嗟に、私は異能の対象となっている宍戸四郎に干渉し彼の視界を共有した。

 

 

『貴方は神様に選ばれなかった。けど、私は貴方を選んであげるわ』

 

 

 そして、宍戸四郎の目を通して私はその人物を目の当たりにする。

 

 尊大で、ふてぶてしく、自分がこの世界の王であるかと思っているようなその姿。

 

 まるで昔の私を鏡写しにしたような、幼い少女の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 宍戸四郎から異能の出力が噴き出した。

 

 体内に取り込まれ、放出する術を持たない宍戸四郎の体を内側から傷付けていた異能の出力が噴き出し、渦を巻くように彼の周囲に漂い出す。

 血液によく似た赤黒い異能の出力は、異能の感知が出来ない人達の目にも映ったのだろう。

 突如として現れた赤い霧のような異能の出力を目の当たりにして、多くの警察官が驚愕を露わにしている。

 

 異能に関する才能が微塵も無い宍戸四郎では、ある程度の才覚があれば異能を開花させられる薬品を過剰に摂取しても手に入る事が無かったその力。

 それがほんの数秒の間に、生まれ変わったかのように才能を開花させた事の異常性を正確に認識出来た者は少ない。

 

 

「なんだあれ……? 武器でも、爆弾でもない……?」

「みょ、妙な行動をするな宍戸四郎! 抵抗する素振りを見せるなら、こちらは発砲する事も厭わないんだぞっ!!」

 

「待てお前ら! これは、危険だっ!」

 

 

 平衡感覚を取り戻した柿崎による制止の声は届かない。

 突如として目の前で起き始めた非科学的な現象に恐怖を覚えた警察職員達が、堪え切れずに手に持っていた拳銃の引き金を引いてしまった。

 

 引き金を引かれた拳銃は使用者の指示に従い銃弾を撃ち出し、妙な行動を取ろうとした宍戸四郎を数多の銃弾が無力化しようとした。

 

 だが。

 

 

「……ああ、使い方は分かった」

 

 

 発光と高熱の放射。

 それは科学的には起こりえない爆発だった。

 

 宍戸の周囲を取り巻いていた赤黒い異能の出力を元にした大爆発が、飛来していた銃弾全てを吹き飛ばす。

 

 発生した爆発にあらゆる方向から悲鳴が上がる。

 何が起きたのか分からない周囲の警察官達と同様に、爆炎と黒煙の中に立つ男が自分自身の引き起こした現象を目の当たりにして、信じられないように目を瞬かせた。

 

 

「これが……異能の力」

 

 

 まじまじと自身が引き起こした現象を眺め、両手を確認し、自身の頭に異常が無いかを確認するように髪の上から手で触れて確かめる。

 まるで頭に穴でも開いているのではないかと疑うようなそんな仕草を経て、ようやく手にした力以外自分の体に何も変わりがないのを理解して、誰も居ない警視総監席を見遣った。

 

 視線の先に、爆発で机や椅子が転がっている以外に何も無いのを確認し、困惑した表情を浮かべる。

 

 

「……あの少女は……」

 

「宍戸お前っ、異能の力をどうして突然っ……!」

「チッ! 怪我人を部屋から運び出せ! こいつは俺達が何とかするからお前らはここから脱出しろ! 下の階の爆発の火災はどうとでもなる! 灰涅の奴が逃げ遅れた奴らを回収している筈だ!」

 

「もう、いないか……。本当に、俺がやるべきだと思う事をやれと、それだけの為に」

 

 

 そう一人呟き、彼は口を噤む。

 そして“爆破”の異能持ち、宍戸四郎は状況を理解して身構える神楽坂と柿崎に対してゆっくりと向き直った。

 

 かつては共に寝食を共にした相手でもある彼らへ向けたその姿は、もはや一分の迷いすらない。

 

 

「……柿崎、やれるか?」

「……誰にものを言ってんだ?」

 

 

 この二人も、少なくない縁を持つ宍戸四郎の行動を自身の手で止めたいという想いがあったのだろう。

 異能と言う、理外の力を得た目の前の男の危険性を理解しながらも、彼らは同時に駆け出した。

 

 砲弾のように迫る柿崎よりも数歩分早く神楽坂が宍戸の元に辿り着く。

 速度をそのままに震脚のような踏み込みにより、高速で宍戸の背後に回り込んだ。

 神楽坂がそのまま全身をコマのように回転させ、後頭部を刈り取るような回し蹴りを放つと同時に、正面から迫っていた柿崎が肉薄し丸太の様な腕を大きく振り抜く。

 

 前後からの襲撃に一瞬だけ焦りを浮かべた宍戸だが、直ぐにそれは牙を剥いたような笑みに変わる。

 

 

「小難しく考える必要は無いか」

 

「っ!」

「くそっ!」

 

 

 自身の手に纏わせた出力を爆破させながら、前後からの強襲に対して容易く対応する。

 目の前で起きた爆風と高熱に二人は体ごと浮き上がり、攻撃の中断を余儀なくされた。

 長身の二人の警察官が、まるで圧倒的に重量差がある相手にあしらわれたかのように、床を転がり体勢を崩している。

 

 完璧な連携。

 完璧な技術。

 そして警察内部でも限られるほどの高い身体能力。

 それらを持ってしても、異能のいう超常を相手にするには足りない。

 

 それもその超常を持っているのが素人などではなく、神楽坂達と同様に訓練を受けた人間なのだから。

 

 

「……形勢、逆転だ」

 

 

 神楽坂と柿崎という二人の武闘派を容易くあしらい、宍戸という男の周囲を爆炎が意志を持つかのように取り囲む。

 炸裂する火花が躍るように周囲を取り囲むその男の危険度は、もはや通常では手に負えないほどまで跳ね上がっていた。

 

 

 彼が手に入れた力は単純な“爆破”の力だ。

 現状は、自身の異能の出力自体を爆破するしか出来ない程度の練度しかないのだろうが、それでも殺傷能力としては充分以上の力を有している。

 科学的な調合や面倒な手順を要せず、さらには不可視で周囲を爆破できるその異能の危険度は現段階でも非常に高い。

 そしてこれから、練度が上がり、出来る事が広がればどれほど危険になるかは分からない程の力。

 

 そして自分自身でもその事を充分に理解しているのだろう。

 手にした力に驕る様子も無く、自身が手にした理不尽なまでの力を噛み締めた宍戸は、先程と変わらない眼光を神楽坂達に向けた。

 

 

「お前らの事は尊敬している。お前らの能力も信念も、得難いものだと俺は信じている。……だけどな、どうやらこの力は随分不公平で残酷なものらしい……神楽坂上矢、柿崎遼臥。今の俺は、お前らじゃどうしようも無い」

 

 

 そうやって、心底忌々しそうに宍戸はそう吐き捨てた。

 

 臨戦態勢を継続する神楽坂達から僅かたりとも注意を逸らさないまま、宍戸は自身の異能を確かめるように出力を張り巡らしていく。

 

 そんな一触即発の状況で、フードの少女が声を上げた。

 

 

「待って下さい。宍戸四郎さん、このまま貴方が手にした異能で抵抗を続けても意味は無い筈です」

「……また君か」

「当初の貴方の計画遂行は不可能に近いですが、過去の事件の暴露や隠蔽事件の関係者達への楔を打ち込む事には成功した訳です。このまま異能を使って暴れても、これ以上貴方に得る物があるとは思えない。この場で貴方が異能を使用し抵抗する意味は無いように感じられます。どうして今になって異能を手に入れたのかは知りませんが、貴方にとってこれ以上の犠牲者を出す必要性は無い筈。少しでも良識があるのなら、これ以上この場にいる過去の策謀とは関係の無い人達を傷付けるのは辞めましょう」

 

 

 現状を考えれば宍戸の目的はほとんど達成されているようなもの。

 “紫龍”と言う、異能を持った犯罪者を異能持ちの戦力として使う前例があるのだから、これ以上被害を出すのは辞めて、出来る限り軽い罪のまま“紫龍”と同じような立場に落ち着くのが一番。

 

 そう言外に伝えた少女は異能持ち同士の大規模な戦闘の発生を抑え、姿の現していない“百貌”の迎撃準備に取り掛かりたかったのだが、そんな彼女の期待は虚しく潰える。

 

 

「……君のそれは確かに正しいんだろう。俺が最も果たしたかった、警察や政府の不正を暴露する事や事件に関わりのうのうと過ごしているだろう犯人や隠蔽工作を行った者達への20年前の“北陸新幹線爆破事件”はまだ終わっていないというメッセージは正しく実行できた。少なからず、この国の状況を変えようとする者達は出てくる筈だ。これ以上俺がここで抵抗して犠牲者を出す必要は無い。だが……」

「……」

「正しさだけを追求できるのなら、そもそもこんな事件など起こす筈が無い。感情論こそ、人を動かす最大の動力になりえる。そして、俺は何一つ満たされてなどいない。俺を突き動かした感情は、今なお俺の中で燃え続けている」

 

(……やっぱり駄目か……)

 

 

 少女は少しだけ肩を落とし、これから始まる戦闘の発生を阻止できなかったことを悔やむ。

 ボタンを掛け違えただけの人だから、もしかしたらと思ったが、そう上手くはいかないもの。

 

 だが、決裂したのならやるべきことは、これまでと同じだ。

 

 周囲に視線をやり、先程あった正体不明の異能持ちの出力が近くに無い事を確認し、思考を冷たく切り替えていく。

 

 

(……“爆破”の異能なんて放置したらどこまで被害が出るか分からない。正体不明のアイツを警戒しないなんて出来ないけれど、目の前のコイツも野放しには出来ない)

 

 

 だから。

 燐香が最終的に辿り着いた結論は。

 

 

(マキナ。これから宍戸四郎を制圧するまでの間、周囲からの異能出力を全力で排除して)

(む、むん……)

(攻撃は出来なくても妨害は出来る、そうでしょう?)

 

 

 燐香に対してマキナは攻撃する事が出来ない。

 それはマキナという存在を作り上げた際に規定した絶対の規律であり、マキナ自身では覆しようがない(試みたことも無い)法則ともいうべき事項である。

 だが、あくまでそれは攻撃をする事が出来ないのであって、燐香を防衛する上で攻撃性を持った異能の出力を遮断できないという訳ではない。

 

 それを理解した燐香の指示は、現状の妥協策としては最善に近いものだ。

 言い淀むマキナに一方的にそう指示を伝え、燐香はそっと隣へと視線をやった。

 

 燐香と飛鳥の視線が一瞬交差する。

 今この場に必要なのは、絶対的な暴力措置なのだとお互いの意見が一致した。

 いつか、“白き神”と呼ばれる存在の手駒である複数人の異能持ちを同時に相手取った時と同じ一手を打つことを、お互いが無言で了承する。

 

 “飛翔加速”の異能を、一時的に一つ上へと押し上げる。

 

 

「貴方の想いは分かった」

「っ!?」

 

 

 空気が変わった。

 “百貌”が行った異能行使が深海に突き落とされるような感覚を与えるものであったのなら、今の飛禅飛鳥の異能行使は落雷が目前で起こったかのような感覚を与えるものだ。

 

 破裂したような暴力的なまでの巨大な出力が警視庁本部全体を軋ませる。

 異能を感知出来ない筈の者達が何かに怯えて尻もちを突き、尋常ならざる感覚と脳内を駆け巡る警鐘に宍戸が思わず息を呑む。

 

 

「私はもう、貴方を手折るべき犯罪者だと断定する」

 

 

 膨大な出力が漏れだし、火花のような現象となって飛鳥の周囲を取り囲む。

 そもそも強大だった飛鳥の出力がさらに膨れ上がり、異能の感知を行えるようになったばかりの宍戸に恐怖さえ抱かせる程巨大な出力を放出し始めた。

 

 

「これはっ、なんだっ!? これが、異能の出力っ……!? いやっ、それにしたってこれは……!?」

 

 

 次の瞬間宍戸は、自身の視界一杯に広がった手に顔を掴まれ、そのまま壁に叩き付けられた。

 

 瞬間移動と思えるほどの速度の飛鳥の攻撃は、宍戸の認識能力を完全に上回る。

 状況も分からないまま、白目を剥きぐらりと体勢を崩した宍戸の体は倒れる事さえ許されず、全身が杭を打ち付けられたように形無い力によって別の壁へと叩き付けられる。

 そして、自爆を警戒し、次の瞬間には宍戸から大きく距離を取った飛鳥が破壊された瓦礫や家具を高速で周囲に旋回させ始めた。

 

 高速で旋回するそれらは、まるで巨大な電動ノコギリのような様相を見せ、歪な高い金属音を発しながら壁に磔にされた宍戸目掛けて高速で迫る。

 

 

「待て飛禅! 殺しは駄目だ!」

「……何言ってるの。こんなものじゃ終わらないわよコイツ」

 

 

 咄嗟に叫んだ神楽坂に対して微笑みを消した飛鳥がそう断言し、自身が操る巨大な電動ノコギリのような瓦礫の刃をそのまま宍戸に差し向ける。

 

 

「…………随分、手荒い実力行使だな」

 

 

 ほんの一瞬。

 迫りくる瓦礫の刃に合わせて最大規模の爆発を周囲で起こし、壁や天井もろとも飛鳥の攻撃を破壊した宍戸が、血に濡れた顔を上げる。

 自身の爆破による衝撃で全身にやけどを負い、血に塗れながらも、宍戸は獣のように牙を剥いた好戦的な笑みを浮かべている。

 

 これまで見せていた、卑屈で従順なだけの上っ面が剥がれ落ちている。

 

 

「だが、悪くない。丁度、手にしたこの力を全力で使いたかった……!」

「ようやく化けの皮が剥がれたわね狂犬が」

 

 

 お互いが皮肉を吐き捨てる。

 そして両者が持てる限りの異能を全力で行使し、二つの力が大きな衝突を見せた。

 

 閃光と熱と爆風と。

 轟音が飛び交い、爆発と共に建物が砕け散る。

 宍戸が周囲に爆破を起こし攻撃を行えば、飛鳥がその発生した爆発すら操り反撃に転じ、その反撃を宍戸が異能と自身の身体能力で凌ぐ。

 繰り返されるそんな攻防は激化の一途を辿り、異能を持たない者達はもはや悲鳴を上げて物陰に身を隠す事しかできない状態だ。

 

 一見拮抗したような戦況。

 だが、自身から発生する出力を爆破するしか手段を持たない宍戸は、出力の探知が可能であり、その出力すら“浮遊”させる事が出来る飛鳥に対して圧倒的に不利。

 宍戸は己の不利を覆そうと、天井や壁、床に至る建物の形を爆破によって変えて、あるいは手にした銃器を使って状況の打開を図るが、何一つとして飛鳥を上回ることは出来ない。

 

 爆発と破壊が飛び交う派手な光景の中では傍目でこそ優劣が分かりにくいが、明確に状況は傾き始めていた。

 

 

「はあっ、はあっ、はあっ……!」

「……」

 

 

 宍戸は徐々に追い詰められていく。

 走り回り、異能を酷使させられる宍戸の消耗はかなり大きく、それに対して常に状況を有利に立ち回る飛鳥の消耗は軽微だった。

 

 爆破により発生した建物の瓦礫が次々新たな武器となって飛鳥の手足のように宙を旋回する。

 現状を打破しようと弄した策のほとんどが、見透かされていたかの様に前段階で潰される。

 飛鳥の行動は的確に宍戸を追いつめる一手のくせに、宍戸のあらゆる反撃は碌な成果を上げることが無かった。

 あらゆる面で宍戸を上回る飛鳥の卓越した戦闘センスは、天に愛されたと言っても過言ではないのだろう。

 

 それでもだ。

 

 

(こいつ……)

 

 

 それでも飛鳥は肩で息をする宍戸の姿を警戒する。

 

 これまで飛鳥は、遊んだり手を抜いたりなどしていない。

 入れようとした決定打はいくつかあるし、決まると思った場面はいくつかあった。

 それが為せなかったのは、宍戸の対応力が巧みであり、想定を越えて急激に異能の扱いを上達させ始めているからだった。

 

 

(……長引かせるのは危険ね)

 

「異能を手に入れてもっ、ここまでお前を上回ることは出来ないかっ……!!」

 

 

 そう結論付けた飛鳥に対して、いっそ楽しそうに宍戸は吠える。

 

 

「だったら手段なんてもの選んでいられない、そうだよな!?」

 

 

 不吉な言葉を叫んだ宍戸が、飛鳥に向けていた異能の出力を手に集め壁に触れる。

 宍戸が触れた壁には異能の出力が伝わり、その異能の出力は溢した水のように、下へ下へと流れ落ちていく。

 

 

「実際に異能を手にして分かったっ! この力は無限に理不尽な力を使えるようなものじゃない! 原理があって制約があって限界だってある! つまりは、無尽蔵に思えるお前の異能にも、限界がある筈なんだよ!! 飛禅飛鳥ァ!」

 

 

 つまり。

 宍戸が辿り着いた逆転の一手は。

 

 

「さあっ、お前の異能はどこまでの重さを持ち上げられるんだ!?」

「これだから変に頭の回る奴はっ……!!!」

 

 

 次の瞬間、これまでの比ではない程の大きな爆発が起きた。

 

 だが、この爆発は直接飛鳥に向けられた訳では無い。

 

 発生源は飛鳥達の周囲ではなく、宍戸が触れた壁から伝わった建物の支柱部分。

 ただでさえ仕掛けられていた爆弾により、様々な部分が破壊されていたこの建物の柱がさらに広範囲で破壊された。

 

 警視庁本部は建物としての形が保てなくなり、建物全体が大きな傾きを見せ始める。

 18階建ての、巨大な建物の倒壊が始まった。

 

 

「1tや2tなんかじゃ利かないっ……! 鉄筋を使われた18階層のビルの重さは数万tにも及ぶんだよっ! このままこの建物が倒壊したら周囲に集まった野次馬や報道、この建物に残っている警察官達がどうなるかは考えるまでも無いだろう!? お前はこれを、見過ごせやしないよな!」

「宍戸っ……! テメェ……!!」

「建物全てを持ち上げられるなら持ち上げて見ろ! だが、異能の全力をそちらへ回した時が、お前の終わりだ飛禅飛鳥!」

 

 

 宍戸の推測通り、飛鳥の異能は無制限に物を浮かせられる訳ではない。

 様々な制限や限界はあるが、何よりも浮かせる物の重さはとても重要な要素の一つだ。

 普段の飛鳥であればせいぜい1t程度が限界であるし、それ以上の重さを持ち上げるのなんて早々実行しようともしない話だ。

 いくら燐香による補助により出力が上昇していたって、数万tを軽々と持ち上げるなんてことは非常に難しい。

 少なくとも、他の異能持ちを相手取りながらなんて片手間で出来るような話ではないのだ。

 

 だから、宍戸のこの逆転の一手は間違いではない。

 

 ぐらりと建物全体が揺れる。

 足場が崩壊していく感覚の中、多くの人がまともに立っていられなくなり、床を転がり、壁だったものにぶつかって、地面に叩き付けられる未来を絶望と共に確信するしかない。

 外にいる報道や野次馬達は何が起きたのかと呆然と口を開けたまま、自分達目掛けて倒れ込もうとする巨大な建物を見上げ、体を硬直させるだけだった。

 

 ――――警視庁本部という巨大な建物が完全に倒壊した。

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

 数百人規模の被害が出る。

 

 過去に、大して親しくも無い先輩警察官一人を助けるために最後の異能の力を振り絞った飛鳥さん。

 そんな彼女が、自分が見過ごせば多くの人が犠牲になる状況に置かれれば、飛鳥さんが自分自身の身が無防備になるのも厭わず建物の倒壊を停止させるのは必然だなんて、考えるまでも無い事だった。

 

 だから、宍戸四郎が思い描いていた通り、彼女は全力で異能を行使した。

 

 

「ぐぅぅうっっ……!!!!」

 

 

 飛鳥さんが自身の限界以上に異能を酷使する。

 俯くようにして極限まで異能を酷使する飛鳥さんからは、頭に走る痛みで目に涙が溢れ、鼻からは血が流れ出し、食いしばった口からは悲鳴のような声が漏れだしている。

 

 大勢の人達目掛けて降り注ごうとしていた巨大な建物を。

 大きく傾いた建物から投げ出された何人もの人達を。

 飛鳥さんは全ての落下を止めて、誰も居ない安全な場所へとゆっくりと移動させた。

 

 誰も犠牲者を出さずに、巨大な警視庁本部の倒壊を済ませて、飛鳥は力尽きたようにその場に座り込んでしまう。

 彼女の細身の体から滴り落ちる血液が地面を赤く濡らして、痙攣染みた震えで立つ事すらままならない。

 

 そんな満身創痍な飛鳥さんの姿が、倒壊した警視庁本部の中心にあった。

 

 周りの状況を理解していない報道陣や野次馬達が、飛禅飛鳥という有名人が登場したことに沸き立ったが、それらを黙らせるように大きな爆発が彼らの頭上で発生する。

 

 飛鳥さんの目の前に、発生させた爆破による推進力を操って宍戸が着地した。

 すっかり荒地のようになってしまった瓦礫だらけのこの場所で、宍戸四郎は汗と血で濡れる飛鳥さんに片手を向ける。

 

 

「上空から確認したよ。建物に残っていた人も、落下する瓦礫からも、怪我人すら出ていない。あの崩落から、たった一人で多くの者を救い出した。本当に大したものだよ、お前は」

「……く、そ」

「本当に…………お前は、正しく英雄だよ」

「っっ……」

「……だが、お前は多くの命を救ったが、これで同時に俺の勝ちは確定した。ここからお前に逆転の芽は無い」

 

 

 異能の性能差ではなく、状況を利用して飛鳥さんに異能を限界まで行使させた。

 飛鳥さんがこれ以上の異能の使用するのは難しいと言わざるを得ない筈だ。

 やり方に問題はあっても、宍戸四郎が勝利条件を達成した事には変わりない。

 

 それが分かっているからこそ、飛鳥さんも恨み言を言わずに汗と血で濡れた髪の隙間から宍戸四郎を睨むのだ。

 

 

「……お前は」

「建物全てを爆破するなんてとんでもない事をしてくれましたね」

 

 

 だから、完結してしまった二人の戦闘を邪魔するように、私は会話に割って入った。

 突然現れた私の存在は二人にとってあまりに予想外だったようで、動揺する二人の視線を受けながら私は彼らに近付いていく。

 

 それもそうだろう。

 常識外れの、どうしたって異能を持たない人では太刀打ちできないような、人外染みた戦闘を目前とした筈なのだ。

 いかに飛鳥さんが危機的な状況だったとはいえ、そんな彼らの間に割って入ろうだなんて決断を行う人間がいるだなんて、普通はあり得ない事だと思う。

 

 

 私だって本当なら、こんな場で目立つような行動なんてしたくないのだ。

 報道や野次馬の衆目がこんなにも集まっている場に、変装している姿だからといって簡単に出ていけるような精神構造を私はしていない。

 

 だけど。

 今も宍戸四郎に読心を仕掛けているから、無いと分かっている。

 宍戸四郎の思想的に、彼は飛禅飛鳥さんのような人を敵視している訳では無いから、不必要に命を奪うようなことはしないと理解している。

 思考誘導によって、飛鳥さんに対する行動を私がある程度制限している状態だから、窮地であっても飛鳥さんの安全は確保されている。

 

 だがもしも。

 もしもこの男が何らかの要素で飛鳥さんを危険だと思い直し異能を使用することがあれば。

 もしも姿の見せない異能持ちが干渉し私の思考誘導を阻害したら。

 もしも何かしらの要因で満身創痍の飛鳥さんが攻撃されるとしたら。

 もしも想定外の何かしらの要因で飛鳥さんが命を落としてしまったら。

 

 物理現象に干渉できない私の異能では、そうなってしまった後に飛鳥さんを救う事が出来ないから、多くの衆目があるこの場所でも私は行動しないなんて事が出来なかった。

 

 

「どうして君がここで出て来れる……?」

 

 

 瓦礫の中。

 崩落を受けて状況を理解できない人達が呆然と私達に注目する中で、私一人が飛鳥さん達の元に現れた事に宍戸四郎は衝撃を受けたようにそう口にした。

 

 そしてそれは飛鳥さんにとっても同様のようで。

 飛鳥さんから向けられる、「なんで出て来たのか」なんていう驚愕の視線に私は肩を竦ませる事で返事する。

 

 この状態で私が飛鳥さんを助けに出てこないと思われていた方がショックだ。

 

 

「あれだけの崩落で……状況を理解して、異能も持っていないような君がここでっ……」

「約束しましたから」

 

 

 理解できないと言わんばかりに動揺する宍戸四郎と声も発せられないくらい満身創痍となっている飛鳥さんに対して、私は告げる。

 

 お兄ちゃんと私を火災から助けてくれた飛鳥さんとした約束。

 私は忘れたりなんかしていない。

 

 

「私は地獄までお供するって、飛鳥さんと約束しましたから」

「っっ……」

 

 

 私は、瞳を大きく揺らした飛鳥さんを真っ直ぐ見ながらそう言った。

 飛鳥さんは自分の疲労さえ忘れたように私を見て、宍戸四郎も信じられない物を見るよう口を噤んだ。

 

 そして私は、ある人物がこの場に近付いてきた事を察知し、咄嗟の策が達成された事に安堵する。

 私が作るべきだったのは時間であり、“爆破”の異能を持ったこの男に妙な行動を取らせない精神的な拘束だった。

 

 この場で私が行うべきなのはそれだけであり、現状を打開する術はもう別に用意している。

 

 

「さて、貴方はこの惨状を勝利だと思っているようですがそうではありません。建物が倒壊して周囲は瓦礫の山となりましたが、それは同時に建物からの避難が完了したという事でもあります」

「……何が言いたい? 言っておくが、俺は君が異能を持っていなくとも、君に手を掛ける事には何の迷いもない。もしも手心なんてものを期待しているのなら……」

「つまらない冗談ですね」

 

 

 私は大仰に両手を広げる。

 出来る限り私に注意を惹き付けるように思考誘導し、あたかも超然とした態度を維持して周囲を両手で指し示した。

 

 沈黙していた周囲の報道陣や野次馬は、私が作った異様な空気に息を呑む。

 

 

「周りを見て下さい。警察官の、状況すらまともに理解していない呆けた姿。この場の危険性も理解せず、自分達は守られると妄信する無知な民衆の姿。彼らは怪我も無く、死者も無く、きっとなんらトラウマになるような事も無いでしょう。彼らのようなものが無事にこの場にいるということは、彼らを殺めようとした貴方の悪意から誰かが救い出したからに他ならない。まずこの一点で、貴方は飛鳥さんに敗北しました」

「……それは屁理屈だ。これは道徳や倫理の授業じゃない。過程や精神論、綺麗ごとはなんら力を持つことは無い。現に今、彼女は俺の前に膝を突いて成す術も」

 

「そしてもう一点」

 

 

 言い訳のような宍戸四郎の言葉に被せるように、私は言った。

 

 

「平地となったこの環境において、貴方を確実に無力化できる術を私達は準備することができたということです」

「……!?」

 

 

 私達の周囲を煙が舞う。

 砂埃のような薄汚れたその煙が、徐々に白さを増していき、白煙と呼べるようになった段階でようやく宍戸四郎は異常に気が付いた。

 

 その煙に含まれる、異能の出力に気が付いた。

 

 

「避難が完了したという事は、避難に割いていた人員に余りが出来たという事。そちら側へ回していた人員が、貴方の敵と成り得るという事。貴方の敵は飛禅飛鳥さんや神楽坂上矢さんといった警察組織だけではなく――――」

 

 

 宍戸四郎が異能を臨戦状態にして周囲を警戒する。

 火花を散らし、異能の出力を拡散し、いつでも周囲を爆破できる態勢を作っている宍戸四郎に対して、多くの警察職員達の視線や報道陣のカメラに囲まれながら私は標的を定めた探偵のように指差した。

 

 

「――――貴方を疎む、他の異能持ちも含まれるという事です」

 

「お前が訳の分かんない爆弾を用意したイカレ野郎か?」

 

 

 掛けられたのは苛立ち混じりの男の声。

 私の背後から噴き出すように、さらに白煙が拡散し、この場に満ちていく。

 白く白く、地を満たし、そして何処にでもいるような男が私の隣に姿を現した。

 

 

「居心地の良い俺の部屋を奪いやがって……! 肩書ばっかりのゴミ警察官が多いと、善良な警察官は大変だなぁ?」

「異能犯罪者の臨時職員かっ……!」

 

 

 “紫龍”、灰涅健徒。

 この場で避難活動を行っていた彼の意識に干渉し、私が強制的にこの場に呼び込んだ。

 

 これは、『首輪』による即時洗脳だ。

 一度洗脳し切って『首輪』を付けていた彼の自由意志のほとんどを奪い、私の手駒として機能させた。

 彼自身の意志で動いてはいるが、その判断や決断、思考のほとんどは私が手中に収めている状態。

 

 万が一にと用意していた、私の手駒だ。

 

 

「“紫龍”。彼は“爆破”の異能を使います。貴方の煙は水分、高熱とは相性が悪い。まともにやり合えば不利にしかなりません」

「は? お前、ならどうしろって……」

「収納している鉄材と煙を融合させ使ってください。分かりますね?」

「…………ああ」

 

 

 呑み込みの悪い“紫龍”に強制的に話を理解させて、以前彼と戦った時のような、薬品により異能の出力を強化した状態まで私が補助をする。

 鉛のような色に変貌していく“紫龍”の煙に警戒した宍戸四郎の意識の隙を操り、飛鳥さんを意識の外に持っていく。

 そして、これ以上妙な策を弄されないよう“紫龍”に周囲の瓦礫を収納させ、環境を完全に平地の状態とさせる。

 

 これで、“紫龍”にとっての好条件を整え切った。

 

 

「……ウチのボスを攻略したのは大したもんだが、搦め手でようやく程度のお前は怖くない。俺はこれまでもっと怖い奴を見て来たんだ。お前はその中でも最底辺だな」

 

 

 鉛色が混じった煙は、煙であって煙でない。

 蓄えた鉄と混ざり合った煙はこの世の自然界では絶対に存在しない、煙と鉄の両方の性質を併せ持つ『超常』だ。

 

 それが宙を満たし、形を変え、数多の龍へと変貌していく。

 

 無数の龍のような形に変貌した鉛色の煙。

 その中心に立つ“紫龍”に、私が付与した自信はその異能に相応しい態度を形作らせる。

 野次馬や報道陣、それどころか状況を理解していなかった警察官や宍戸四郎までも、目の前で起こっている現象とそれを操る人物に圧倒された。

 

 それほどまでに、今の“紫龍”の姿は絶対的だ。

 

 

「正義面をするつもりは無いが、俺みたいな屑にも譲れない一線はある。例えば、ようやく見つかった割と居心地の良い職場とかだな」

「……ああ、糞。何もかも誤算だらけだ……」

 

 

 吐き捨てるような宍戸のその言葉を皮切りに、旋回していた灰色の龍の群れが一斉に襲い掛かった。

 

 鋼鉄のような硬度で煙のように柔軟な、この世ではあり得ない材質で構成された龍の群。

 その顎は宍戸四郎の爆破程度では傷一つすら付ける事が出来ず、最後の抵抗のような幾度かの爆発を経て、呑み込まれるように爆弾犯『宍戸四郎』は完全に沈黙する。

 

 

 

 

 

 



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迷いの果てに

 

 

 

 

 

 

 

『 【社説】公開するべき腐敗 秘匿するべき超能力 』

 

『 12月3日の連続爆破事件の犯人が所持していた超能力(異能)が“周囲を爆破する力”であると警察からの公式発表があったのは記憶に新しいが、今回はそんな凶悪な異能犯罪に対応する、警察に所属する“力”についてだ。

 飛禅飛鳥課長の超能力(異能)が“物体を浮遊させる力”であるというのは、各社報道機関等によって世間に広く周知されている所であるが、上記12月3日に発生した連続爆破事件を解決したのはかの有名な超能力(異能)ではなく、警察に臨時職員として所属する人物の“煙を操る力”である事は報道各社の映像によって判明している。その人物像や来歴、そして“煙を操る力”がどれほど強力なものであるのかと言ったものを警察は公表していないが、飛禅飛鳥課長が犯人に追い詰められた際に現れ、数多の灰色の龍に似たものを発現させ、数秒の内に犯人を制圧した姿だけを見るならば、かなりの力であるのはまず間違いない。ではなぜそんな強力な“力”がこれまで公にされなかったのか。

 同件の犯人の暴露行為によって警察の腐敗した部分が明るみに出たのは確かであるが、同時に警察が世界的な広がりを見せている異能犯罪に対応する“力”を着実に集める事に成功している事も判明した。件の暴露に影響され、秘匿している情報を全て公開しろと主張する声が多く現れているが、少し考えてみて欲しい。警察が公にしないものに腐敗した部分があるのは確かだが、世界的に広がりを見せている異能犯罪に対応するための秘匿が存在する事も私達は考えなければならない、という事だ。

 私達の国は世界的に見て異能犯罪の発生が非常に少ない。世界で起きている多くの悲劇は凄惨で、理不尽なものであり、日本でそれらが起きていないのは決して偶然や幸運によるものなどでは無い、と考えて欲しい。それは、明るみに出ない部分で誰かの尽力があったからだとも考えられ、その尽力は表に出ないからこそ強力に働いている可能性があるのだ。“煙を操る力”の詳細を黙秘する必要性や、所属する超能力者達を従えていたものの警察が一貫して存在さえも否定する“ブレーン”の存在。それらのような、私達の安全の為に秘匿しようという情報がある事を私達は理解するべきだ。

                          ‐日本中央広報新聞‐ 』

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 小さな子供達が無邪気にはしゃぎ、砂場や遊具で遊び回っている公園。

 久しぶりに訪れたこの場所だが、以前お菓子や飲み物をあげた事を覚えていた子供達が私の姿を見付けて纏わりついて来たので、今日は何も持っていないと慌ててあしらった。

 

 お菓子が無いと理解した筈なのに今度は遊んでとか言い募って来るちびっ子たちに辟易する。

 前の時はビラ配りをしていて欲しくも無いお菓子を大量に貰ってしまったから、押し付ける意味合いで子供達に配っただけなのに、彼らの中ではすっかり私は良い人認定されているらしい。

 すぐ懐く子犬でもないんだし、今は世界的に治安が悪い(日本以外)のだから子供はもっと警戒心を持つべきだろう。

 というか、子供を公園で遊ばせている親もお菓子を配ろうとしている見知らぬ奴を見付けたらすぐに引き離すくらいの危機意識は持っておかないといけないのではなんて思う。

 

 チビ達が私を囲む光景を目にした親達が、慌ててやって来て私に謝罪しながら子供達を引き離してくれたため、私はようやく公園内の目的の場所へと向かっていく事が出来た。

 

 公園の片隅のベンチには、既に待ち合わせ相手が座って待っている。

 まだ約束の時間にしてもかなり早い筈ではなかったかと、若干焦りながら携帯電話の時刻に目を落とした私の姿に気が付いたその人は、神妙な顔をして立ち上がると、ゆっくりとこちらに歩いて来る。

 

 なんだか色々と思い悩んだ後のような表情に私が気圧されていれば、その人はそのまま深々と頭を下げた。

 

 

「……今回の件は本当に悪かった。佐取には危ない事や働きをさせることになった。一歩間違えば大けがを負う事も、最悪命を落とす事態だってありえた。重ねて言うが、本当に申し訳なかった」

「また謝ってる!? 開口一番そんな謝罪をされたって、私は一体どうしたらいいんですか!?」

「……素直に文句の一つでも言って貰えれば」

「思っても無い事を言える訳ないじゃないですか!? 神楽坂さんのアホー!」

 

 

 一連の爆弾事件から数日ぶりとなる待ち合わせ。

 その開口一番にとんでもなく真面目な謝罪を放たれた私は完全に出鼻を挫かれ、目の前の神楽坂さんに対して思わず罵倒してしまった。

 思わず口にしてしまった失礼な発言にハッと即座に後悔したが、当の神楽坂さんは全く気にした様子も無い。

 

 大人の余裕を見せつけられ……いや、やっぱり最初に変なことを言い出したのは神楽坂さんなのだからこの評価は絶対におかしい気がする。

 ここはきっと私が神楽坂さんに合わせてあげる態度をとって、大人アピールをするべき場面なのだろうと思い直した。

 

 

「ん゛んっ……まあ、謝罪しないと気が済まないと言うのでしたら、別にいくらでも謝罪して頂いて良いですけどね。別に嫌なものでも無いですし……あ、でもやっぱり何度も言われると逆に気が引けるので、ほどほどにしてくださいね。ほどほどであれば、私は大人なのでちゃんとお付き合いしますから」

 

 

 私が微妙に胸を張って譲歩するようにそう言えば、神楽坂さんはそんな私の考えを読んだように「悪いな」と苦笑した。

 背伸びをする子供を見るような眼差しに感じたのは、きっと私の気のせいだと思う。

 

 

 

 あの爆弾犯、宍戸四郎が引き起こした一連の爆破事件及び過去の未解決事件の真相と警察官の横領を暴露した事で、今、世論は大きな揺れ動きを見せている。

 

 宍戸四郎がネット上に流した映像。

 警視庁本部が倒壊した後に報道陣が撮影した映像。

 その二つにより世間に広く知れ渡った事は少なくなく、テレビや国会で連日様々な議論が行われるだけでなく、デモ活動や募金活動、ネットを介した意見発信者なども徐々に現れ始めているのが現状。

 

 そしてそれらが主として話すものは大体決まっている。

 

 “北陸新幹線爆破事件”の政府や警察による隠蔽の件。

 設立し、力を注いでいる筈だった異能犯罪対策課への非協力的な姿勢を堅持する者達や薬品を横領し横流ししようとした警察官の存在が示す異能の危険性への理解の無い者達の存在。

 そして映像として明確に残された、“浮遊”や“煙”、そして“爆破”のような異能の危険性の再認識などが主だった話だ。

 

 あの事件から今日まで、テレビや新聞で取り上げられていない日は無いし、日に日に熱を増している事を考えるとまだまだこの議論は続くだろう事は想像に難くない。

 

 と、まあ、そんな風に説明こそしたが世間的の議論の変遷なんて私はそんなに興味がある訳ではない。

 要するに、一部のコアな人達を除いた普通の一般人達が興味を持っているのはそんな組織的、国家的な方針の話と映像で派手な活躍していた異能持ちである事。

 そして同じように、報道された映像に出ていた神楽坂さんや鬼の人のようなただの警察官は世間一般的にはほとんど話題に上がっていないという事だ。

 

 つまり今、話題の現場にいた人物である神楽坂さんがこんな風に公園にいても、気付かれるようなことは無い訳である。

 

 

「……神楽坂さん大丈夫ですか? その、今回の宍戸という方は親しい方だったようですし、親しい人が犯罪を行うなんて少なくない負担があるでしょうから……神楽坂さんが私に弱音を吐きたくないのは理解していますが……」

 

 

 だから私は、周りで私達を気にしている人がいない事を確認してから認識阻害を張り巡らせ、ここ最近ずっと気になっていたことを切り出した。

 

 私が雑推理を行った時ですら苦しむ様な反応だったのだから、あの推理が正しかった今、まったく苦悩していないなんてことは無い筈だ。

 私に見せる頼れる大人の顔が神楽坂さんの全てだなんて、いくら神楽坂さんが人間出来ていたとしてもあり得る訳がない。

 

 だからせめて、神楽坂さんが一人思い詰めることの無いようにとの想いからそう口にしたのだが、神楽坂さんは溜息混じりに首を横に振った。

 

 

「気を遣ってくれて嬉しい。だが、いくら親しい相手とはいえ、どんな理由があったにしても、アイツがやった事は情状酌量の余地が無い。結果的に見れば死者は出なかったが、それは飛禅や“紫龍”、何よりも佐取が尽力してくれた結果の話なだけで、一つ掛け違えれば大多数の死者を出していた。そこに同情の余地はないんだ」

「そりゃそうなんですけど、私が言いたいのはそういう事じゃなくて神楽坂さんの心情的な……」

「それこそ同情の余地は無いんだよ。俺が背負うべきものだし、投げ出したり放り捨てたり、ましてそれを佐取にどうこうして貰って良いようなものじゃ無い。俺のこの後悔は、自分の行動を見直す上でも大切な後悔だと思っているからな」

「……相談くらい乗るのに」

 

 

 神楽坂さんは頑として譲らない態度に私はそうぼやく。

 私の様子に苦笑した神楽坂さんが、仕方なさそうにゆっくりと口を開いた。

 

 

「宍戸は……アイツの事は俺も良く知っていた。同じ年に警察に入り、同じ部屋で過ごしたこともあった。他愛ない話や相談なんかもして、将来だって語り合った。連絡先も知っていて、しようと思えばいつだって話を聞けた関係なんだ。だから本当は、俺は何処かの時点で、アイツに犯行を未然に思い留まらせる事が出来た筈だった、なんてそう思ってる。俺はもっと広い視野を持つべきだったんだよ」

「まあそれは……結果論はそうなのかもしれませんが……」

「俺が睦月の治療方面だけに集中していなければ未然に防げた話だったかもしれない。今回もだが、佐取が居なければどこまで被害が拡大していたか分からなかった。だから佐取の協力は本当にありがたかったんだが、変装していたとしても映像として自分の姿が残ってしまったのは佐取としては不都合だっただろう? ……異能と言う力に注目が集まっている今は特に、危険の筈の状況でこれが良くないだろう事は俺だって分かる。自分に責任がある俺の個人的な感傷なんかよりも、今は優先するべき事だらけだ」

 

 

「それに、こういう事には慣れているからな」なんて、そんな事を言って、これ以上私が心配することを拒否する態度を取るのだから、本当に仕方のない人だと思う。

 

 

「……流石にこの責任まで神楽坂さんが背負うのは、ちょっと気負い過ぎじゃないかなって思いますけどね……」

 

 

 正直言えば、私としてはあの映像は仕方ないと諦めている部分がある。

 飛鳥さんの窮地に出て行かないなんていうのは論外だったし、“千手”の時のように自分を起点として映像処理するのは多くの目があった時点で逆効果。

 幸い変装していた状態の映像なのだから、あの映像を見た人が今の私を見て同一人物だと気が付かれなければ済む話なので、いくらでも対応する方法はある。

 なんならマキナが現在も行っているネット上の情報統制に、『あの映像を見て佐取燐香を連想した人に対する処理』を加えれば問題の大部分が解決する。

 後はほとぼりが冷めた後にでも、出回ってしまった映像を個人や組織で保存した物を含めてマキナに全て処分させれば話は終わりだ。

 ネットに流出した情報(デジタルタトゥー)は消えないというけれど、ネットそのものが私の味方なのだから、この話は前提から違うのだ。

 

 相も変わらずマキナの有能さには、産み出した私さえ感心させられてしまう。

 

 

「まあっ、まあまあ、私の事はお気になさらないでください。今回の件は私自身が招いてしまったようなものでもありますし、私は神楽坂さんに責任があるなんてこれっぽっちも思っていません。それに流出しているあの映像の内容的に、飛鳥さんや“紫龍”は大変でしょうけど私なんて数か月後には忘れられている程度ですよ。やってしまった事は全然取り返しがつく話ですって」

「……佐取がなんでそんなに余裕そうなのか分からないが……悪いな」

 

 

 私としては気になっていた神楽坂さんのメンタル状態がある程度知れて一安心であり、本人が大丈夫と言うのなら、現段階ではそれ以上口を出すつもりも無い。

 私は神楽坂さんが気にしている情報拡散の話を適当にフォローしつつ、この話を切り上げる事にした。

 

 一方で、マキナの存在を知らない神楽坂さんは私の気楽な態度に首を傾げている。

 確かに、神楽坂さんが言っている事は注意するべきだと思うし、普段の私であればもっと慌てふためくだろうが、今は対応可能な流出した映像の件よりももっと気にするべき事があるのだ。

 

 

「それでは、宍戸四郎の異能を開花させた存在の話です」

「……ああ」

 

 

 私の声のトーンが落ちた事で、それまでよりも神楽坂さんの目付きが鋭くなる。

 事前に少しこの件を話していただけに、既に神楽坂さんもその存在の脅威をよく理解しているようだった。

 

 

「疑っている訳じゃ無いんだが……その、本当にそんな奴がいるのか? 話を聞いた限りではあまりにとんでもない。佐取や飛禅に妨害をさせないまま宍戸の異能を開花させ、あの強力な異能を宍戸にその場で使いこなさせた……正直、これまでの異能持ちとは次元が違う気が……」

「ええ、います。いたんです。私はあの時宍戸四郎の視界をジャックしてその存在を正確に覚知しました。そいつは精神干渉系統の異能を持っていて、小学生くらいの女子の見た目で、凄くふてぶてしい、自分を王様か何かと思っている事がもう態度から分かります。多分、自分なら誰でも救えると思っているような言動をする痛い奴なので、見付けたら絶対に関わらないようにして、絡んで来たら信用しないで心の中で思いっきり罵倒してやってください。それを続けていたら勝手に心が折れると思います、多分」

「……待ってくれ。なんだか凄い……具体的すぎないか?」

「視界をジャックして確認しましたからね!」

「そ、そうか」

 

 

 異能で得た情報だとゴリ押しする私の姿に、神楽坂さんは困惑しつつ頷いた。

 

 流石に、過去の私の姿に似通っているだとはちょっと言いたくないため、少しばかり遠回しに情報を伝える。

 

 私の姿の似通っている部分から色々と予想は立てられるが、どれも間違っていたら恥ずかしいし、間違っていなくても恥ずかしい。

 出会わないのが何よりであるし、もう少し正体が推測出来てからでもこの情報の共有は遅くない筈だ。きっと。

 

 

「……結局宍戸に異能を与えてから干渉してくることは無かったらしいが、何を目的としていたんだろうな? 宍戸に異能を与える事だけが目的とは考え辛いが……」

「確かにそうなんですよね。わざわざあんな警察の人がいっぱいいる場所に干渉して、異能を与えてポイなんて……昔の私だって目的も無くそんな事しないし……」

「ん、後半なんて言ったんだ?」

「なんでもありません! 今日は良い天気だなぁって言っただけです!」

「そ、そうか……」

 

 

 微妙そうな顔で頷いた神楽坂さんがふと視線を上げる。

 ワイワイと騒ぐ小学校にも通う前だろう小さな子供達の遊ぶ姿とそんな子供達を見守る親を眺め、じっと目を細めながらしばらく考えた神楽坂さんは呟く。

 

 

「……危険な相手だな。目的も、力も分からないそいつが、いつまた同じように犯罪者に異能を与えるかもしれない。もしかしたら佐取や飛禅に直接攻撃をしてくるかもしれない。今はそんな何も分からない状態である訳だ。だが、そう考えても、現状の俺達には出来る対策が何も……」

「後手にならざるを得ない状態なのは確かです。でもまあ、直ぐに何かをしようって訳でも無いようですし、私の方で地道に特定を進めていくので、神楽坂さんは取り敢えずそういう奴がいるとだけ理解していてください。神楽坂さんは絶対に、アレを追うようなことはしないでくださいね」

 

 

 この過去の私にそっくりの奴を神楽坂さんがどうこうできるだなんて思っていない。

 コイツの異能の扱いの上手さは先日の件でよく分かったし、何よりもいずれかの理由で過去の私に姿形が似通っているのなら、その性能も過去の私に近いと考えるべきな筈。

 

 そう仮定をするとまず間違いなく、コイツはこれまでのどの異能持ちよりも厄介だろう。

 

 私はおろか、マキナだって相性としては最悪に近い相手。

 策も無く対峙すれば、絶対に勝てない可能性が高い。

 

 

「……まあ、深く悩んだってやれることは少ないので話としてはこんなものでしょう。まだそこまで許されないような悪さをしている奴ではありませんが、このまま野放しにも出来ないですし……私、個人的にもしたくありません。どういう経緯であんな姿を取っているのか分からないけど、人を小馬鹿にしたようなっ……絶対に許さない……!」

「正直その相手に対して今の俺が出来る事は無いから、そちらの方面は佐取に任せるしかないんだが…………なあ、佐取」

 

 

 正確な正体は分からないが、私の暗黒時代を勝手に振り撒いているあの存在は絶対に許さない。

 なんて、そんな事を思って気炎を上げ、やる気を漲らせていた私に対して、神楽坂さんは眉間に皺を寄せながら声を掛けて来る。

 

 どこか迷うように様子の神楽坂さんに、私は何か別の深刻な話があったかと姿勢を正す。

 

 

「今回の事で分かったが、どうしても俺は事件があればその場に向かって行ってしまうみたいだ。佐取と待ち合わせたあの場で、電話があったとはいえ行かない選択肢も取れた筈なのにそうしなかった。過去の事件の清算は終わったのだと、これからは睦月の治療に専念して、自分の手に負えない危険な事件には首を突っ込まないようにしようと思っていたにも関わらず、こんな結果になっている……これはきっとこれからも同じで、俺の変えられない性分なんだと思ったんだ」

 

 

 そんな前置きを挟んでから、神楽坂さんはゆっくりと言葉を選ぶ。

 

 

「一つ確認したい事があるんだ。佐取が昔“顔の無い巨人”と呼ばれていたという事は、飛禅の異能を開花させたのも佐取なんだよな? という事は、今回宍戸の異能を開花させた奴のように、佐取は他人の異能を開花させることも可能で……」

 

 

 一呼吸おいて。

 神楽坂さんはじっと私の目を見詰めた。

 

 

「……例えば、佐取は俺に異能を持たせることも出来るのか?」

 

 

 突然の神楽坂さんから出されたそんな思わぬ質問に、私は無意識的に体の動きを止めてしまった。

 

 思考が停止する。

 そんな質問が神楽坂さんの口から出されるなんて、私は思ってもいなかった。

 

 

「…………異能が欲しいんですか、神楽坂さん」

 

 

 そして、私の確認するその問い掛けが、自分が思っていたよりもずっと動揺したような声だったことに他ならぬ私自身が驚いてしまった。

 

 でも、考えてみればそうだ。

 異能の関わる犯罪事件を追っている今の神楽坂さんには身を守る術が殆どない。

 性能の低い、殺傷能力の低いような異能であれば神楽坂さんは身体能力でどうにでも出来るだろうが、一定以上の力を有する異能の前では無力である事がほとんどだ。

 現に先日の宍戸四郎は、神楽坂さんや鬼の人には手も足も出ない程度の力しか持っていなかったにも関わらず、異能を手にした後は二人を同時に相手取っても余裕がある程の力の差を見せていた。

 あれではきっと、いくら神楽坂さんと鬼の人が諦めなかったとしても、勝利を掴むのは不可能であっただろう。

 

 異能の有無がそれほどまでに、人と人の間に明確な差を生み落とす事はこれまでの事件でもう充分証明されている。

 

 いつも私や飛鳥さんが神楽坂さんの身を守れる訳でも無いのだから、もし神楽坂さんが異能を手にすることが出来るのならそれに越したことは無いと考えるのは普通の筈だ。

 神楽坂さんの発言は何一つ間違ってはいないし、酷く合理的な考えだと思うし、何よりも神楽坂さんの身の安全を考えるならそれに越した事は無い……筈なのだ。

 

 そう頭では理解しているのに、私は思わず神楽坂さんの真意を問うようなそんな質問をして、動揺を隠し切れないような態度を取ってしまっている。

 

 

「…………いや、ただ事実を確認したかっただけで異能が欲しい訳じゃ無いんだ」

 

 

 けれど、神楽坂さんの返答は私の想像とは違っていた。

 隣で動揺している私に気が付かないのか、私を一瞥もしないまま神楽坂さんは自分の考えを纏めるようにポツポツと呟いていく。

 

 

「……初めに言っておくが、俺は異能を持っている人全てが悪人だなんて思っていない。佐取や飛禅はそんな奴じゃなかったからな。だが同時に、異能によって人生を狂わされた人を何人も見て来たのも事実で……異能というものに少なくない忌避感を持ってしまっているのは確かなんだ」

 

「けどな、そんな忌避感があるから、俺は異能を持ちたいと思えない訳じゃ無い。異能は確かに便利なものだ。失くすことは無いし、奪われるものでも無い。強力な力を振るえたり、現象を引き起こせたり、使い方を間違えなければ多くの人を救うことが出来るのも確かなんだと思う。もしも俺が異能を持っていたらと考える場面は何度もあった。もしも俺に力があれば、不幸になる人はもっと少なかったんじゃないかって考える事は何度もあった。でもな、何度考えて後悔してみても、いつだって結局一つの自問自答に立ち戻る」

 

「異能が起こす、非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは、結局同じ異能でしかないのかと。異能を持たなかった過去の俺や先輩の捜査は最初から無価値であったのだろうかと、俺自身がそうであると判断してしまうのかと、何度も考えるんだ」

 

 

 自分の頭の中を整理するような神楽坂さんの言葉の羅列を私は頭の中で噛み砕く。

 神楽坂さんの境遇や経歴を考え、失ってしまった物を考え、それでも私が考える答えが変わらない事を理解して。

 

 そうして、私は自分の中で出てしまった考えをどう伝えるべきかと口ごもる。

 

 

「……神楽坂さん……」

「分かってる。これまでの異能が関わる事件でさえ、佐取がいなければ俺は何度命を落としていたか分からない。何一つ俺自身の力で解決したものは無かったし、異能という非科学的な力に対処するには同じ異能がこれ以上無いくらい有効だって言う事は間近で見て来た俺は充分理解しているんだ」

 

 

 そんな私の考えを最初から分かっていたように、神楽坂さんは私の言葉を遮るようにして首を振った。

 

 異能の有無は人間に大きな差を生む、理不尽なまでの才能の格差。

 

 それは人知をはるかに超えた力。

 記憶力があるだとか、運動が出来るだとか、手先が器用だとかで他人と比べている程度の者達とは違う。

 

 生まれ持って埋めようのない圧倒的な才能こそが『異能』なのだという認識を、他ならない私はしているのだ。

 

 そしてその認識は今も変わらない。

 異能を持った人間が起こす事件を解決できるのは異能を持つ者だけだと、私は頭のどこかで確信していて、だからこそ神楽坂さんに協力する形で異能の関わる事件の解決に乗り出している。

 

 

「それでも、そう分かっていたとしても、俺は安易に異能と言う力に手を伸ばしたいと思えないんだ……佐取の理解は得られないかもしれないが、俺は今のままでいたい。佐取を巻き込んでいる俺がこんなことを言うのは我儘なんだろうが……悪い……」

「……そうですか」

 

 

 神楽坂さんからの謝罪の言葉を受けて、ようやく動揺から戻った私は肯定も否定もしないでただ頷いた。

 

 ホッとしている自分がいる。

 同時に、神楽坂さんの身の安全を守る最良の案が潰れた事に危機感を抱いている自分もいる。

 私はそんな相反するような自分の感情に戸惑いながら、立ち上がった神楽坂さんの背中を眺めた。

 

 私の迷いとは正反対に、神楽坂さんのその背中は前だけしか見ていない。

 

 

「それにな、異能を持たない立場でしか救えない人はきっといると思うんだ」

 

「捜査の面でもそうだ。異能を持たない身で、いかに異能犯罪を解決するかの道筋を立てる。そんな道を進む奴もこれから先の事を考えると必要なんだと思う」

 

「異能でしか異能の関わる事件が解決できないと諦めるんじゃなく、異能を持たない身でどんな風に異能の関わる事件を解決するのかを探していく。それが今の俺に残された、やらなければならない事なんだと思う。それが、落合先輩や伏木のような、異能に人生を狂わされた人達への最後の手向けな筈だ」

 

「だから、俺は異能を持たないでいい。異能を持たないまま、これから起こる犯罪事件を解決できるよう努めていくから」

 

 

 そう言って、神楽坂さんは振り返って私を見た。

 

 

「そんな俺がどんな道を辿ろうと、佐取は馬鹿な奴だったと笑っていてくれ」

 

 

 優しい神楽坂さんの微笑むような表情に、私は胸が詰まってしまう。

 

 

「そんなの……」

「良いんだ。それに俺は異能に頼らずとも非科学的な犯罪事件は解決する余地があると思っている。今回の佐取はまさしくその理想形だった。犯人の思惑を見破り、爆弾を爆発前に発見し、相手の次の行動を予測し、扱える戦力を正しく役割分担し、事前に想定される危険な点を仲間と共有する。宍戸の奴は途中までは異能を持っていなかったとはいえ、今回の佐取のように犯人の行動を予測し、先手を取り続ける事が可能なら異能を相手にしても有利に立ち回ることは不可能じゃないと思えたんだ」

「い、いや、あの……」

 

 

 いつの間にか受けていた過分なほどの評価に私は焦る。

 

 確かに今回の私はそこまでポンコツを晒して無かったし、なんなら傍からは知略だけで犯人の先手を取っているようにも見えたかもしれない。

 だが実際は、がっつり異能(マキナ)を使っての活躍であったし、それを知らない神楽坂さんが先日の私の活躍から異能が無くても対抗する方法はあると思っているのであれば、それはちょっと問題がある。

 

 

「佐取にとっては冗談だったのかもしれないが、警察の“ブレーン”と言うに足る活躍だったと俺は思っているからな。本当にその役職に就く事になるのも時間の問題じゃ無いか?」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 飛鳥さんをからかおうと思ってでっち上げただけの単語ですよ! 深い意味は無いんですって!! 神楽坂さんだってそれは知ってるはずでしょう!? 私の悪戯心が生んだこの惨事を遠慮なくほじくるなんてっ……私の事からかっているんですね!? そうなんですね神楽坂さん!?」

「少しだけな」

「神楽坂さんっ!?」

 

 

 愕然とした私を見て、思わずといった風に笑みを溢した神楽坂さんがからかうようにクシャクシャと頭を撫でて来る。

 

 神楽坂さんの私を撫でる手付きはもはやペットか何かに対するそれだ。

 私の頬を引き延ばしてくる飛鳥さんといい、抱き枕にしてくる一ノ瀬さんといい、最近は人間的な扱いよりも柔らかリラックスグッズみたいな扱いを受ける方が多い気がする。

 甚だ遺憾な状況で、激しく抗議したくなってくる。

 

 不服の意を示す為の神楽坂さんに掴み掛って前後に揺する行為さえ、体格差と言う絶対的な優位性によって無力化させられるのだからやってられない。

 私の不満そうな様子をひとしきり楽しんだ性格の悪い神楽坂さんが、微笑むようにして私を見詰めた。

 

 

「……まあ、だからなんて言うか……俺はもう少し、俺なりのやり方を模索しようと思うんだ。睦月の治療方法を探って、異能の関わる事件を追って、今も続いている異能犯罪を解決する道筋を作るよう足掻いて見せる。これまでの事件を佐取と共に歩んできて、宍戸の事件を経て、今一度自分の身の振り方をよく考えてみて。そうして出た結論がこれだったんだ。まだしっかりとした形にはなってないけれど、このことは最初に、一番世話になっている佐取には伝えたかったんだ」

 

 

 以前のような、追い詰められてと言ったものではなく、色んなものを知った上で自ら選んだようなそんな顔。

 

 思い出すのは最初に会った時の神楽坂さんの姿。

 今はあの時とは状況も何もかもが違っている癖に、ちっとも変わらない神楽坂さんの在り方。

 

 そんな神楽坂さんに、先ほどまで動揺していた私の気持ちが静まっていく。

 変わらないこの人の姿が嬉しくない訳ではないが、この人の在り方があまりに遠すぎて私は思わず目を細めてしまった。

 

 

「……神楽坂さんは本当に変わらないんですね」

「そ、そうか? これでも自分なりに進歩してるつもりなんだが……」

「変わらないですよ、本当に。もう少し保身的にでもなってくれたら私の心配が減るんですけどね……でも、私は応援しますよ。神楽坂さんの能力の高さは確かですし、私だってこれまでいっぱい助けられています。個人的には、神楽坂さんみたいな人は報われるべきだって本気で思っていますから」

 

 

 本心のこもらない私の言葉。

 

 だってそうだろう。

 私は最初から、異能の関わる事件を異能も持たない人が解決できる訳が無いと思っているからこそ、神楽坂さんに協力すると言って様々な事件に首を突っ込んで来たのだ。

 私が関わらなくても誰かが事件を解決するなら、私は最初からこんな危険な事に介入しようだなんて思わない。

 そしてその考えは今もちっとも変っていなくて、神楽坂さんを応援したいという気持ちはあっても、それが叶うだなんてことはほんの少しも信じていなかった。

 

 神楽坂さんの決意を、私は心のどこかで無理だと思いながら。

 神楽坂さんの願いを、私は心のどこかで勝手に諦めながら。

 それでも、神楽坂さんの選択を、私は心からそうなってくれたらと思うから。

 

 空白だらけの言葉を吐いた私は、無意識の内に「だから」と呟いた。

 

 

「……もし私が異能を使って悪い事をしていたら、神楽坂さんが見つけて下さいね」

 

 

 目を見開いた神楽坂さんに見詰められ、私は困ったように笑うことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 




ここまでお付き合い頂きありがとうございます!

お気に入りや評価、感想、誤字脱字報告など本当に励みになっています!
短いですが、今回の話で二部二章は終了となり、明日からは間章の話を投稿していきますので、気長に、まったりとお付き合い頂けると嬉しいです!
拙作ではありますが、これからもお付き合い頂けると嬉しいです!!


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間章Ⅱ‐Ⅱ
【連続爆破事件】超能力が想像を越えてヤバすぎる件


 

 

 

 

【連続爆破事件】超能力が想像を越えてヤバすぎる件

 

 

 

1 名前:スレ主

飛鳥ちゃんの超能力に前々からヤバさを感じてたけどこの前のはアカンやろ……

 

2 名前:スレ主

映像で流れた爆弾犯の爆破の超能力からいったいどうやって身を守れと……?

 

3 名前:スレ主

その犯人を簡単に制圧した灰色の龍を生み出した奴が一般人に牙を剥いた時に止められる奴はいるんか……?

 

4 名前:スレ主

超能力とかいう才能の有無が絶望的なまでに格差を生むのなら何も持たないワイらはどうすればいいんや……

 

5 名前:名無し

>>4

一緒にするな

俺はそのうち超能力に目覚める予定なんだ

きっと今日中にも

多分な

 

6 名前:名無し

警察署の倒壊から市民を守った飛鳥ちゃんが最強だろ

 

7 名前:スレ主

でも飛鳥ちゃん負けてたじゃん……

 

8 名前:名無し

>>7

は?

 

9 名前:名無し

正直なところ日本の警察は全然情報を公開しないからどれくらいの戦力があるのか分からなくて日々の不安が凄いよな

 

国際警察、動いてください

 

10 名前:名無し

浮遊に爆破に煙

結局爆弾犯が持ってた爆破の超能力が一番使い勝手良さそうなんだよな

 

11 名前:名無し

現状の日本の状態でICPOの助けがあると本気で思っているならもっと国際情勢に目を向けた方が良い

 

12 名前:名無し

日本

三か月で異能犯罪二件のみ

共に犯人逮捕済み

 

日本以外の国

三カ月で異能犯罪平均十件

国外から未逮捕の異能犯罪者が入国してくる事も度々ある

半分程が犯人逮捕出来ていない

 

この差よ

 

13 名前:スレ主

警察が優秀とかどうとかじゃなくて超能力がヤバすぎないかと言ってるんやで

 

14 名前:名無し

なんで日本とそれ以外にこんなに差が出るんだよ

 

15 名前:名無し

むしろヤバくない要素が何処にあるんだ

 

16 名前:名無し

世界11位の人口を有する日本でこの数値は異常だよな

まあ、だから今回の件で日本の警察が色んな戦力を隠していて裏で何かやってるんじゃないかと言われてるんだが

 

17 名前:名無し

俺の予想はあのブレーンとかいうのが相当ヤバい奴なんじゃないかと思ってるんだけど

 

というかアイツ、飛鳥ちゃんの彼氏面しすぎじゃね?

どんな関係だよ糞が

 

18 名前:スレ主

>>15

ヤバい事を再認識してしまったんや

つまりこの先超能力を持っている人間が超能力を持っていない人間を見下す社会になるんじゃないかと怖いんやで

 

19 名前:名無し

日本警察の頭脳が超絶優秀で超能力犯罪が起こるのを未然に叩き潰してる可能性か……

日本だけ未来に生きてるな

 

20 名前:名無し

だって実際超能力ある人には勝てないしな

 

21 名前:名無し

>>19

いや、ねーよ

どんだけ優秀なんだよソイツ

漫画とかじゃないんだから

 

だったらまだソイツが超強力な超能力を持っている方が納得できるわ

 

22 名前:名無し

海外はもう先進国以外は国の警察じゃ超能力犯罪に対応できてないから

暴力と裏組織が社会を牛耳ってそれをICPOが何とかしに行くの繰り返しよ

 

23 名前:名無し

今世界の流行は宗教だぜ

 

『Faceless God』とかいうワードはまじでそこら中で見掛ける

強制的な世界平和の再来をひたすら願って祈る人ばっかりだよ

 

24 名前:スレ主

超能力の研究ってどこまで進んでるんや?

どうにかする技術の開発はまだまだ掛かりそうなんか?

 

25 名前:名無し

警察ももう信用できないよな

あの新幹線爆破事件の隠蔽工作に加担してただなんて

今までどの面下げて犯罪を取り締まってたんだか

 

26 名前:名無し

『Faceless God』?

ふーん? 顔の無い神ね?

 

あっ……そういう……

 

27 名前:名無し

海外って日本よりも銃とか撃てるしまだ超能力に対応できそうだけど駄目なの?

 

28 名前:名無し

>>17

ブレーン君ちゃん顔隠してるけどちっちゃくて絶対可愛いと思うんだけどどう思う?

声じゃ性別分からなかったけど俺ファンクラブ作っとこうかなぁ……

 

29 名前:名無し

>>28

入りたい! 良いなそれ!

ファンサイト作るカ!?

 

30 名前:名無し

>>27

銃を持って超能力を持った犯人を取り囲んだ警察の末路(流血注意)

http/――――――――――――

 

31 名前:名無し

もはや各々が不安を吐きだすだけの混沌スレになってる件w

 

>>24

実際全然研究が進んでいないっぽいよな

神薙先生への面会が許されないのって超能力を抑えこむ方法が判明して無いからみたいだし

 

32 名前:名無し

>>26

何に気が付いたんでしょうねぇ……

 

33 名前:名無し

警察の面の皮が厚いのは今更

問題は世界的に情勢が悪化しているこの時期にそれが判明した事だよ

 

治安維持組織が信用できなくなったら終わりだってのに

 

34 名前:名無し

>>30

なにこれは

何処の国?

 

35 名前:名無し

嫌なもん見せんなよ

これ犯人捕まってないんだろ?

 

36 名前:スレ主

>>30

ひえ……

これ警察の方々全員亡くなったんか?

 

37 名前:名無し

日本の警察はマシだマシだと言われてるけど、俺らの視点からだと正直ね

 

38 名前:名無し

>>30

それ、ICPOから最近大々的に指名手配された奴じゃん

目に見えないものを操っているんじゃないかってさ

 

39 名前:名無し

>>30

まてまてまて

 

何が起きた?

犯人微動だにして無いのに周りの警察苦しんで地面を転がり回ってるじゃん血もいっぱい出てるじゃん

撮ってる奴も暴れてるのか映像ぐちゃぐちゃだし

Biteって言ってるよな? 何かに噛まれてるのか?

 

40 名前:名無し

グロすぎて食欲消えた

夕飯前になんてもの見せるんだ

 

41 名前:名無し

流血注意って書いたし……

 

>>34

ヨーロッパの方

詳しくは知らん

 

42 名前:名無し

>>36

正確な情報は分からないよ

海外サイトから流れて来た映像だからな

 

43 名前:名無し

>>28

>>29

お前らの会話が癒しに感じるなんて末期だよな……

 

44 名前:スレ主

早く超能力をどうにかする技術を確立してくれ頼む

 

45 名前:名無し

これが海外で起きてる超能力犯罪か

日本は安全かと思っていたけど、この映像を見ると不安になるわ

 

46 名前:名無し

>>44

似非関西弁抜け落ちてるぞ

 

47 名前:名無し

>>44

お前の喋り方だけが唯一空気を軽くしてたのに……

 

48 名前:名無し

現状分かってる日本警察の対超能力戦力は

トップにブレーンで、その下に飛鳥ちゃんと煙の人って構成かな

警察が情報を出さないから確定では無いけどもあの映像的に割と間違っては無い筈

んで、飛鳥ちゃんも煙の人もブレーンに対する信頼は厚い感じ

割と纏まってて安定しているように見えるよな

 

よく話題に出る国際警察の対超能力戦力はどんなもんなんだろう

負けたって話は聞かないし相当の戦力がある筈なんだけど

 

49 名前:名無し

今のテレビの報道はパニックを起こさせないために不安材料を出来るだけ省いてるから>>30みたいな映像はネットでしか見られない

現実を知る良い手段なんだろうけどさ

 

……やっぱつれえわ

 

50 名前:名無し

国際警察の戦力は超能力持ちが二桁はいそうだけどどうだろうな

とは言え人手不足は常みたいだから求人出てるし興味ある奴は連絡してみたら?

 

まあ、求人は超能力を持っている事が必須みたいだけど

 

51 名前:名無し

ちょっとマジで俺、顔の無い巨人さんに接触してお願いできるか試してみようかな

話通じない可能性もあるけど現状を何とか変えられるなら少しこあうぃくらいいいいkっく

 

52 名前:名無し

取り敢えず警察叩き、政府叩きをしてる暇は無いから

どうにかこの最悪に近い世界情勢に対応していかないとだよな

 

53 名前:名無し

>>51

こいつどうしたの?

 

54 名前:名無し

いつもの不安煽りだろ

気にするだけ無駄無駄

 

55 名前:名無し

名称出すなって何度言っても分かんない奴いるよな

ほんの数年前を知らない若い世代が入って来てるのかね

 

56 名前:名無し

でも>>51のおかげでスレの速度が落ちたな

名称見て逃げた人が一定数いるんだろうけどちょっと早過ぎたからありがたい

 

57 名前:名無し

世界の超能力犯罪の動画見て背筋凍ったわ

日本の超能力犯罪起こした超能力持ちも全部再利用して対策を取った方が良いだろこれ

 

58 名前:名無し

え?

まってマジで何が起きてるか分からないんだけど

なんで皆普通に納得して話が進んでるの?

>>51どうなった?

 

59 名前:名無し

好奇心は猫をなんとか

過ぎたるは及ばざるが如し

 

忠告しても無駄なら>>51と同じ内容をスレに書き込めばいいと思うよ

 

60 名前:名無し

朗報だぞ

 

「速報、世界的大企業『UNN』が声明を発表

超能力を持つ者が引き起こす事件の解決に全面的に支援を行う方針」

 

ネット記事にもなってるからお前ら見て来い

 

61 名前:名無し

名前を言ってはいけないと言われる人の中でも冗談にならない奴がいるとだけ覚えておけ

 

62 名前:名無し

>>60

これまじ?

 

63 名前:スレ主

待って見て来る

 

64 名前:名無し

UNNって別に慈善企業じゃないだろ

注目を集めたい記者が適当なタイトルを付けてるだけじゃないの?

 

65 名前:名無し

ガチじゃん

利益追求を目的とする会社でも危機感を覚える状況なのか

 

66 名前:名無し

UNNって何の会社?

聞いたこと無いんだけど

 

67 名前:名無し

これがマジなら資金面で不足する可能性は無くなるかもな

技術力も世界一って噂があるくらいだし、超能力に対抗できる技術の開発も可能かも

マジでちょっと光明が見えた感じあるわ

 

68 名前:名無し

何にせよ世界を牽引する大企業がこういう声明を出してくれるのは後に続く企業も増えるだろうしありがたい

 

69 名前:名無し

随分久しぶりに朗報を聞いた気がする

技術開発の募金とか出来るかな

 

70 名前:名無し

真意はなんだろうな

取り敢えず俺らにとってはありがたいんだろうが

 

71 名前:名無し

>>66

『Universal neo nexus』って言う会社

加工食品製造、薬品製造、電子部品製造もろもろ全部と国を跨いだ配送サービス業もやってるここ数十年世界を牽引してる化け物企業だよ

 

72 名前:名無し

実際今の世界中で勃発してる超能力事件の数々をUNNは根本から解決できるのか?

それとも名前を言ってはいけないその方なら可能なのか?

 

73 名前:名無し

無理だろ

いかに技術力があって資金力があっても世界の流れを変える事は出来ない

世界の流れに逆らわず利益を上げるのが企業なんだからな

 

もう一つの方は常識が通じないから分かんないわ

 

74 名前:名無し

なめんな

世界で犯罪一つ起こさせない事が可能な方がこの程度どうにかできないなんてありえないんだよ

 

つか不敬だからいちいち話題に出すな

 

75 名前:名無し

企業が世界の流れを変えられないとか馬鹿すぎw

むしろ企業が世界流行を舵取りしてるようなもんだろ

 

76 名前:名無し

人が少なくなってスレの流れが遅くなっても喧嘩は勃発するんだな

こんな狭い所ですら纏まりが無いのに世界が平和になる訳が無いんだよなぁ

 

77 名前:名無し

突然の正論はやめてもろて

 

78 名前:スレ主

どうでもいいよ……

俺は世界の状況に不安で胸が苦しいんだよ……

何処かの国の偉い人でも、巨大な企業でも、神様でも悪魔でも怪物でも、なんでも良いからこの状況を終わらせて欲しいだけなんだよ……

 

俺は普通の生活を送りたいだけなのに……

 

 

 

 

 

 

 



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権威の在り方

 

 

 まだ日が出始めてそれほど経っていない朝の早い時間帯。

 送迎用の黒塗りの車両が建物の前に停車したのを確認し、さらに早い時間から待ち構えていた者達が一斉にその車から降りて来た人物に殺到した。

 

 

「おはようございます!」

「山峰警視総監、本日のご予定はいかがでしょうか!? これからの方針で何か定まったものがあれば教えてください!」

「山峰警視総監! 今後の超能力犯罪への対処する体勢をどうお考えになられていますか!? ブレーンと呼ばれる役職の方や超能力を所持する者のこれからの扱い方はどのようになさるおつもりですか!?」

 

「……私の方からは、広報出来るようになりましたら専門の者が会見を開きますのでしばらくお待ちください、とだけ。失礼します」

 

 

 車両から降りた衿嘉を待ち受けていた記者達の詰め寄りをSP(要人警護)が防ぐ。

 投げ掛けられる質問に返答しつつも、繰り返されてきたその回答では彼らが納得しない事を理解している衿嘉は、記者達に対して軽く一礼してから建物の中へと入っていった。

 

 記者達の質問の嵐を背中に受けながら、彼は頭と胃が再び痛み始めたのを感じ取る。

 

 

「……部屋に戻る、警護はもう大丈夫だ。助かったよ」

「はい、それではまた外出の際に」

 

 

 倒壊した警視庁本部の代わりとして急遽使用する事となった国有の建物の中で、SPに任務の解除を命じると、衿嘉は警視総監の仕事部屋として割り振られた部屋に入った。

 

 以前の警視総監室に比べると色々と勝手が違うが、事情が事情なだけにどうにもしようがない。

 元々あまり部屋に物を置かない主義の衿嘉にとっては以前よりも殺風景な今の部屋は落ち着くのだが、一つどうしても気になる所があった。

 

 

「また追い回されていたのか衿嘉。ちょうど今、テレビのニュースでお前がこの建物に入る所を流されていたぞ。はぐらかされたと出演者が騒いでいた」

「…………阿蓮(あれん)。茶化すな」

 

 

 部屋で仕事をしていた旧友である剣崎阿蓮(けんざき あれん)の言葉に、衿嘉は表情を思いっきり歪めながら語気を強めた。

 

 そもそも今の衿嘉は朝から記者に追い回され機嫌が良くない。

 以前の建物と比べ記者達が出入する者達に対して取材をしやすく、今現在の情勢により記者達からの当たりが非常に強いという事が、確実に衿嘉の精神を削ってきているのだ。

 だからこそ、一歩引いた場所で自分をからかってくるこの旧友の姿勢が許せない。

 

 剣崎は少しだけ不機嫌になった旧友の姿に呆れたような表情を浮かべ、部屋に置かれたテレビを顎で指し示した。

 

 

「見ろ。お前がここに入って来る映像がまた流されている。世間的な注目度もだが、何より今報道関係者達は警察が大きな情報を包み隠しているのだと確信して、それを何とか暴いてやろうと躍起になっている。世間の興味を煽り、世論に混乱させられた事情を知る警察関係者のいずれかが話を暴露するよう誘導しているんだ」

「……飛禅さんや灰涅君という特例の情報はともかく、『ブレーン』なんてものはいないんだがな。いないものをどう説明しろと言うのか……」

「とはいえ今更否定しても無理だな。出回った映像で重要人物がその単語を口にしてしまったのが大きい。聞けば、あの子は飛禅飛鳥にも個人的な友好関係があって、冗談のつもりでその単語を口にしたみたいだが……タイミングが悪かったとしか言えない」

 

 

 ちょっとだけ同情するような口ぶりで剣崎がそう呟く。

 剣崎にとって自分達の身だけを考えるなら、あの少女を巻き込んだ自身の判断は間違いなく正しかったのだろうが、彼女の事を考えるなら、自分の判断はあまりに酷いものだっただろうと思うからだ。

 

 ただの一般人……と言うには少々、剣崎にとってあの少女の存在は不気味が過ぎたが、それでも彼女は剣崎にとっては恩人だった。

 今更、多くの命を救って来た彼女が善良でないなんて事は疑っていない。

 警察とは無関係な、何の義務や責任も無い善良な子供を、こんな世間のゴタゴタに巻き込むべきではないとは剣崎だって思っている。

 

 だが、ここまで大きく話が拗れてしまうと、完全に否定するのは難しいのが実情だ。

 

 

「俺はあの子の連絡先を知らない。衿嘉、お前の方からあの子に連絡して、目立つような事はしばらく控えるように伝えた方が良い。この調子なら、世論に圧された政府が現体制を公表しろと言ってくるのも時間の問題だ。その時『ブレーン』などという役職がない事をしっかりとした資料と共に提出すれば、時間は掛かるだろうが向かっている注目も無くなっていくだろう。だから…………おい、衿嘉聞いているのか?」

「…………」

 

 

 だからそうやって、剣崎が恩人とも言えるあの少女への影響と併せて、これから先の警察の動きについて話をしていたのだが、どうにも目の前の話し相手である衿嘉の様子がおかしい。

 先程の剣崎の話を聞き、ぼんやりと宙へと視線を向けて何かを考えて黙り込んでいる。

 

 何か、妙な事に気が付いたとでも言うように、衿嘉は視線を彷徨わせる。

 

 

「神楽坂君や飛禅さんと交友があり、他の誰も気が付かなかった私を狙った毒物に気が付き、結果的に彼女が関わった全ての出来事は最悪の結末を免れた。そして、少なからず武道を嗜んでいる袖子が陥った抵抗の難しい危機をあの子がなんらかの方法で救っている、か……」

「……おい、何を考えている」

「何かしら事件に巻き込まれやすい体質の者はいる。だが自身以外の、周りの者へ及ぶ不幸を的確に解決出来うる者はそういない。それも、数が積み重なるなら殊更にだ。それを、容易く成し遂げている彼女は……」

「…………衿嘉、お前が言いたいことは分かる。だがな」

 

 

 制止するような剣崎の言葉も意に介さず、衿嘉は自身の頭に過った考えを口にする。

 

 

「彼女は、異能というものを所持していても不思議ではないんじゃないか?」

「……」

 

 

 否定はしない。

 剣崎も、これまでその可能性を考えなかったわけでは無いからだ。

 不気味なほどに、自分を襲っていたどうしようもない悪意が自分の知らないところで解消されていく事実があって、剣崎がその理由を一人考えていたのは確かで。

 その中の一つとして、衿嘉の言うその可能性を考えた事も確かなのだ。

 

 だがそれはあくまで個人の妄想の範疇であり、証明する術を彼らは持ち合わせてないなどいない。

 

 だからこそ――――

 

 

「……だったらどうする。問いただすのか? その予想が正しかったとして、協力要請でもするのか? 現状敵対も、その力を悪用してもいないアレに対して、何を持ってそんな行動をする。それをしなければならないほど、現状は切迫しているものなのか?」

「阿蓮……?」

 

「止めろ、そんなことは絶対にするな。止めてくれ衿嘉」

 

 

 ――――剣崎は恐怖する。

 少女の形をした埒外のアレに、剣崎は今も恐怖しているのだ。

 

 剣崎はこれまで多くの犯罪者を捕まえて来た。

 百戦錬磨とも呼べるほどに磨き上げられた剣崎の技術や経験は、国内においても並ぶものの方が少ないと断言できるほどに卓越したもので。

 

 そして、そんな剣崎だからこそ、あの少女の異常性が深く理解できてしまっていた。

 

 埒外のアレが自分達を敵と見定めた時を想像し背筋が凍る。

 あの全貌の見えない怪物のような少女が、剣崎達を不利益を齎す害悪だと判断した時の危険性を想像してしまう。

 

 それは剣崎にとって悪夢のような想像だった。

 

 恩がある、それは確かだ。

 旧友を殺めようとした自分を止めたのも彼女で、爆破計画から自分達を救ってくれたのも彼女。

 そしてきっと、あの液体の怪物に囚われていた家族を救ったのも彼女だろうと、剣崎は勝手に思っている。

 積み重なったそれらの出来事で、口にこそしないが剣崎は誰よりもあの少女に感謝しているのだ。

 

 だが同様に――――いいや、それを上回る程に。

 人の形をしたアレに自分の全てを見透かされたあの瞬間を、自身を取り巻く何もかもを踏み潰されたあの瞬間を、周囲の人心すら完全に掌握していたあの瞬間を。

 

 剣崎は、心底恐怖していた。

 

 

「立場を考えろ。お前はただの警察官じゃない、この組織の頭なんだ。お前が敵対するという事は自ずと組織全てが敵対するという事。そしてそれは相手にとっても同じだ。絶対に勝てない相手に対してお前が軽率に敵対した時の代償は、組織全てで支払わされる。分かるか衿嘉。お前自身の手で、どうしようもない巨大な敵を作ってしまう可能性があるんだ」

「まっ――――待て待て阿蓮! 私はそこまでどうこうしようという話はしていない! 可能性の話をしただけだ! 落ち着け! お前らしくも無い!」

 

 

 だから。

 鬼気迫る表情で自身に詰め寄った剣崎の想い違いに対して衿嘉は慌てて訂正を入れる。

 

 衿嘉が考えたのはあくまであの少女のこれまでの功績と、異能犯罪に対して見聞の深い神楽坂と飛鳥の二人と交友があるという事実から繋いだ可能性の話だ。

 可能性があるからどうしようという所までは考えていなかったし、そもそも娘の友人に対して権謀術数を弄するつもりなんて無い。

 結局のところ、あの少女が何かしら悪事を行わない限り、衿嘉には手を出そうと意志は存在していなかったのだ。

 

 だが、擦れ違いであったとしても、これまで見たことの無い程態度を豹変させた旧友の姿に衿嘉は思わず動揺してしまう。

 

 

「阿蓮、お前……あの子がそんなにトラウマになっているのか?」

「………………い、いや違う。俺もあくまで可能性の話をしただけで」

「いやもう、これまで見たこと無いくらい弱気な口ぶりだったからな? 誤魔化しようの無いくらい弱腰だったからな? 荒事になっても眉一つ動かさないお前の顔が、さっきまで蒼白になってたからな?」

「…………」

 

 

 ある程度落ち着きを取り戻したのだろう、目を何度も瞬かせて視線を逸らす剣崎の情けない姿に衿嘉は思わず溜息を吐いてしまった。

 今更こんな情けない旧友の姿を知ることになるなんて思っても見なかった、なんて衿嘉は頭を抱えた。

 

 

「と、ともかくだ! アレの件については、大人の俺達が下手な干渉をするべきではないと思う! 幸い袖子ちゃんが仲良くやっているみたいだから何とか手綱を握るだろうし、神楽坂上矢や飛禅飛鳥にも交友関係があるなら彼らに任せるべきだろう! 俺達が考えるべきなのはもっと別なことの筈だ! そうだな!」

「…………娘と同年代の子に怯える親友の姿なんてものを見たくなかったな……冷血の剣崎と呼ばれたお前が……」

「頼まれていたものの調査が終わっていたのを思い出した! 資料がある! ちょっと待ってろ!」

 

 

 衿嘉の切実な呟きは、話を逸らすのに必死な剣崎の耳には届かない。

 自身の机を漁り、作成した資料を取り出した剣崎はそれを衿嘉の机に広げ始めた。

 

 明らかに話を逸らそうとしての行動だが、広げている資料は確かに衿嘉が頼んだものだ。

 衿嘉も気持ちを切り替え、広げられた資料に視線を落とす。

 

 

「よし、これがお前に頼まれていた20年前の北陸新幹線爆破事件の捜査に関わった警察官全員の聞き取り調査を行った結果だ。俺も直接担当したが、中でもあの嘉善義之は人が変わったようで、あの時の宍戸四郎が言っていた通り隠蔽工作に携わった事を事細かに白状したぞ。あの妖怪染みた男がいつの間にか好々爺のように豹変している事には驚いたが、おかげで簡単に過去の隠蔽の実情を調べ上げることが出来た……警察内部で隠蔽に関与したのは16名、俺達の想像以上にこの件は根が深かった」

「やはりか」

 

 

 それは宍戸四郎という元警察幹部が残した爆弾であり、警視総監となった衿嘉にとっても知る由の無かった過去の事件の裏側。

 

 先日の爆破事件が終息し、各人の無事を確かめた衿嘉が一番に剣崎に頼んだのはこの事実の確認だった。

 警察内部の過去の工作活動を調べ上げる、通常なら非常に難しいその依頼を、剣崎は衿嘉の期待通りにものの数日で遂行して見せたのだ。

 

 手物の資料を手に取り神妙に頷く衿嘉に対し、剣崎は首を横に振る。

 それは自身の成果を誇示するようなものでも無く、良いとも悪いとも言えないような微妙な反応。

 

 

「それだけじゃない、もう一つ見過ごせない情報がある。隠蔽に関わった警察官は問題なかったが、政治家の方は現在存命する者は誰も居なかった。そして、名前が挙がった政治家の最後を追ってみたがいずれも僅かながら神薙隆一郎との接点が確認できた」

「つまり……神薙隆一郎の粛清か。にわかに信じられなかったが、あの件も間違いの無いものなんだな」

「確定ではないが恐らくな。隠蔽工作を行った政治家は神薙隆一郎の手によって既に始末されていたということだろう。だがそれはつまり、政府からこれ以上事件を掘り返すなと圧力が掛かる事も、得た情報を公表するなと裏工作してくる事もまず無いと見て良い。この点は俺達にとって悪くない情報だ」

「神薙隆一郎が行っていた『剪定』による社会掌握か……自首により終息し、詳細が判明するまで誰もこの事実に気が付いていなかったというのが恐ろしいな。俺達が知るよりも前から、この国は異能という力に裏から支配されていたという事がはっきりした訳だからな」

 

 

 現在も世界を揺るがしている“医神”の件。

 かの人物が行っていた社会操作が間違いなく機能していた事をこんな形で知る事となり、その規模、凶悪性を再認識し、肝が冷えた。

 異能という力を悪用すれば、権力や金、人脈を用いる必要も無く、それどころか人知れず社会を操作する事が可能だという事だからだ。

 

 だが今は、終わった過去の事件よりも見るべきものがある。

 

 

「阿蓮、助かった。20年も前の隠蔽事件だが、判明した以上詳細を調べるのは警察としての責務だろう。この件は正式に世間に公表するつもりだ」

「……分かっているのか? こんな話を正式に警察として公表すれば、事態の収束を図りたい政府がスケープゴートとしてお前を処分しようとするのは目に見えているんだぞ」

「分かっている。だが、公正な組織づくりを目指してこの地位に付いた私が自分の保身のために不正を行うのは違うだろ? やりたい事をやり終えるまではこの椅子に無様にしがみ付くつもりだが、処分されるならその時はその時だよ」

「……そうか」

 

 

 ある意味自分が責任を取るという意味に近い衿嘉の返答に剣崎は思わず顔を伏せる。

 警視総監に就任したばかりで碌に当時の隠蔽の事情を知らない身でありながら、そんな衿嘉の迷いない返答に、報告を上げた剣崎の方が戸惑うように口を噤んだ。

 

 

「…………本当に、悪いタイミングで出世してしまったものだな」

 

 

 そして結局、そんな旧友の性格が昔からちっとも変わっていないのだと理解して、剣崎は苦笑しながらそう言うしかなかった。

 呆れたような剣崎の笑いに対し、衿嘉は大した気負いも無いように軽く肩を竦めて返す。

 

 

「今の俺達は時代の節目にいる。この分岐点で私達が誤った選択をすれば、これからの未来で苦労するのは子供達だ。むしろ今この椅子に座っているのが私で良かった」

「……俺はお前のそういうところは昔から嫌いだったよ」

「だが、お前の嫌いな俺の足りない部分はお前が補ってくれるんだろう? これまでもずっとそうしてくれたように。迷惑を掛けるが……阿蓮、頼めるか?」

「…………何年同じ事をやって来たと思ってる。最後まで付き合うさ親友」

 

 

 異能という超常的な才能が世を乱している現代はまさに時代の分岐点。

 そんな衿嘉の考えは間違いのないものであることは剣崎だって理解している。

 だがその為に、長年積み重ねてようやく手に入れた現在の地位を棒に振るえるか、となると話は変わるものである筈だと剣崎は思うのだ。

 

 だからこそ、即決し断言できる衿嘉の為ならとこれまで彼を支え続けてきたが、それが彼を追い詰める欠点にも成り得る事を剣崎は充分理解していた。

 

 

(……衿嘉をスケープゴートにしようと動くだろう人物は大体分かる。そいつらの弱みを握って、何か動き出しがあれば即時に対応できるよう備えておくか……)

 

「ふぅ、肝心なところで頭の弱い友人を持つと疲れるな……」

「なんだとっ、阿蓮お前な――――」

 

 

 溜息混じりの剣崎の言葉に何かを返す前に、唐突に衿嘉のマナーモードの携帯が振動した。

 

 誰かからのメッセージ。

 画面に目を向けて内容を確認した衿嘉が、心底困ったように眉尻を下げて、助けを求めるように剣崎を見た。

 それだけで、長年交友がある剣崎は何を言われるのか大体理解し、視線を逸らす。

 

 

「阿蓮……袖子が」

「知らん」

「袖子が、友達の佐取さんを家に泊まらせる時に貸す用の下着を帰りに買ってきて欲しいと言ってるんだが……阿蓮、頼めるか?」

「頼めるか、じゃないっ……よりにもよってアレが関わるそんな厄ネタを俺に振るなぁ!」

 

 

 そんな、数日前に爆弾犯に狙われたとは思えないような警察官僚の騒がしい声が、臨時の警視総監室の中で響き渡っていた。

 

 

 



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傷の付いた者達





 

 

 

 

 あの世間に大きな波紋を与えた爆破事件から一週間程度。

 そして12月も中旬に近付き肌寒さを感じる今日この頃。

 紅葉が終わりを迎え、着飾っていた木の葉のほとんどが抜け落ち始めたこの時期に、私は一人目的地に向かってふらふらと歩を進めていた。

 

 視界に入ってくるのは初めて歩く街並み。

 基本的に目的が無ければ出不精の私が、こうして自ら見知らぬ場所を訪れるなんて我ながら非常に珍しい事だと思いながら、手に持った荷物の位置を調整する。

 片手には途中の店で適当に買った食品が詰め込まれたレジ袋を持ち、もう片方の手に持つ携帯電話ではマキナに道案内をしてもらい、20分程度歩いて、私は知識だけは知っていた住所に辿り着く。

 

 その建物はオートロック式の意外とセキュリティがしっかりとしている高層マンションだ。

 そんなマンションの正面玄関近くにはちょっとした人だかりができていて、大なり小なり様々なカメラ機器を構えている姿から、彼らが報道関係の人間だというのはすぐに分かる。

 欠伸を噛み殺しながらカメラ機器を持つ彼らは長時間こうして待っているのだろうが、きっと彼らの目的の人物は迷惑しているのだろうと思うと、少し笑いが零れてしまう。

 

 改めてこんなちぐはぐな光景を見ると、彼女の住居が思っていたよりもセキュリティのしっかりとした場所である事には非常に安心する。

 取り敢えず、私はお得意の異能使用で報道陣の注目とマンションのセキュリティを軽く突破して、目的の人物が住む部屋まで一直線に向かっていく事にした。

 

 目的の部屋番号は502号室。

 廊下ですらちょっと良い匂いがする高級マンションに庶民の私は少なくない動揺をしながらも、ようやく辿り着いた目的の部屋の扉を軽くノックする。

 のそりと、扉越しに心底面倒臭そうな動きをした誰かが近付いて来るのを感じながら、私は自分の顔ににんまりとした微笑みが浮かんでくるのを自覚した。

 

 そして。

 

 警戒するように少しだけ扉を開けて顔を覗かせた彼女の表情が、みるみる驚愕に染まっていく事を確認し、私は自分のドッキリが成功したのだと嬉しくなったのだ。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 

 

 

『首輪』。

 これは私が使用する精神干渉の技術の一つであり、直接的な攻撃性能は皆無。

 設置するには時間は掛かるし手間もかかる、遠隔起爆が可能な、言ってしまえばコンピュータープログラムのような技術だ。

 

 簡単に説明すると、私が対象を捕捉して無力化させた後に実行するものであり、いずれかの要素で完全に野放しにするのは危険だと判断した相手の精神奥深くに異能の出力を潜ませておく、というもの。

 この『首輪』をしておく事で、私の意思次第で即座に洗脳、思考誘導、末期状態が可能な他、いずれかの指示を疑いなく遂行させる事も出来る、非常に優れた技術だったりする。

 危険な相手を監視や拘束する必要がない、不利益の無い合理的な技術だが、ただ一つ問題となるのが、この技術はだいぶ非人道的であるという事。

 

 ……いや、まあ、悪影響は無いとはいえ、知らない内に精神の奥深くに爆弾みたいなものを設置され、場合によっては都合の良いように洗脳されるのだから、非人道的と言うほか無いのは私だって理解しているのだ。

 

 だから危険だと思っても、その相手が何も悪い事もしていない相手だったら、こんな『首輪』なんてものを付けるのは気後れするくらいには私だって人の心は持っている。

 相手が容易く他人を害する醜悪な悪人であればそんなのはどうでも良いが、そんな奴がいるならそもそも精神を捻じ曲げるので、首輪の手間を掛けるのは比較的少ない事例である。

 

 だからこそこれは、私の技術の中ではちょっとカビが生えるようなものなのだが……。

 

 

『灰涅さん! 一言お願いします! あの爆弾の超能力を持つ犯人を捻じ伏せた貴方の圧倒的な超能力はいったいどういうものなんですか!?』

『そうだろ!? 凄いだろ!? 俺の異能は最強なんだ! 状況さえ整えれば、飛禅飛鳥にだって負けな……あ、いや、そうは言いきれないけども、勝つ可能性があるのは確かなんだよ!』

『え、あ、はい』

『灰涅さん! こちらにも一言!!』

『灰涅さん!! 映像を見た方々に貴方のファンが出来ているみたいですがそれについては!』

『わっはははは! 見る目があるなお前ら!!』

 

 

「……すっごい充実した笑顔……これ以上無いくらい調子に乗ってますねコイツ」

 

 

 今は特に悪い事をしていない“紫龍”に仕込んでいた『首輪』なんてものを使用した事にミリ単位の引け目を感じていた私だったのだが、その当の本人は現在テレビの取材に囲まれて幸せそうにしている。

 

 というか、テレビ越しにコイツの顔を見る日が来るとは思ってもいなかった。

 来たとしてもせいぜい犯罪者としての顔写真とかだと思っていたのだが、人生中々分からないものである。

 

 そしてテレビに映る“紫龍”の姿はまさに単細胞ここに極まれり。

 ちやほやして放置しておけば無害な小物の様相を公共電波で全国に見せつけている。

 恐ろしい程にアホである、コイツには羞恥心とか無いのだろうか。

 

 そんな酷い事を考えていた私に対して、不貞腐れたような態度を見せていた隣の彼女が声を掛けて来る。

 

 

「……それで、事前に話も無く家まで突撃しに来て何が目的なのよ」

「えー? そんなのー、この前異能開花したての相手に負けちゃった飛鳥さんが元気ないだろうなって思ってですね? うぷぷ、異能を扱う先輩として飛鳥さんを優しく励ましてあげないといけないかなーって思いまして、こうしてお家にお邪魔してる訳で――――あっ、嘘嘘嘘です。青筋が額に浮かんでますよ飛鳥さん! ほら、深呼吸深呼吸。笑ってー!」

「……ひ、人が気にしてることを、よくもまあここまでズケズケと……! 気が済んだらもう帰って頂戴!! 私だって今は色々本調子じゃないのよ! さもないと滅茶苦茶にして抱き枕にするわよ!!」

「なんで何かにつけて私を抱き枕にしようとするんですか!? そういうのは飛鳥さん裁縫得意なんだから自分で良い感じのものを作ればいいじゃないですか!? ほらっ、そこら辺にある凄く上手いぬいぐるみ的な感じに!!」

 

 

 彼女の趣味である可愛らしい手作りのぬいぐるみが綺麗に陳列されている棚に視線をやりながら私はそう叫ぶ。

 ぬいぐるみと言えば先日の、“人をぬいぐるみにする”異能を思い出すが、精巧の一言だったあの男のぬいぐるみに比べ、飛鳥さんのものはどれも可愛らしさが重視されている作品だ。

 うまい具合にデフォルメして、ぬいぐるみに落とし込んでいる飛鳥さんの技術はあの男とは別種の方向性に高められているのだと思う。

 

 いつかじっくりと作品を見させて欲しいと思いながらも、今はただ必死に話を逸らす。

 

 

「そっ、それにしても、犯罪者のアホの“紫龍”がここまで持ち上げられる日が来るとは思いませんでしたね! 最初に会った時は私一人に対して一方的にやられてますし、暗闇に閉ざされた病院での時は私と一緒に怯え切ってましたし、私同様、持ち上げられるような器じゃない筈ですし」

「……“煙”の異能は強力でしょ。それに自分を比較対象に置いてる燐香のその情報は信用できないし、アイツ自身に頭が無い分、駒として動かすなら凄く優秀だと思うしね」

 

 

 そうやって、若干呆れたような態度で彼女、飛禅飛鳥さんは溜息を吐く。

 

 あの世間を騒がせた一連の爆破事件から数日。

 爆弾犯の宍戸四郎は“紫龍”の鋼鉄の煙に成す術無く無力化され、警察本部の倒壊と被害を受けた負傷者の数々が病院に運ばれる事態となった。

 当然宍戸四郎がネットに流した映像と報道陣が撮影した映像が及ぼした世間への影響は少なくはなく、特に映像にあった過去の未解決事件である“北陸新幹線爆破事件”の隠蔽工作の件は少なくない議論が生み出されていたりする。

 

 そして現在、どのような議論においても名前が出される当の飛鳥さんは、ただただ呆れたような顔でテレビに映る臨時の同僚の姿を眺めている。

 

 

「……それにしても、コイツの情報は機密にされている筈なのにどこから漏れてるのよ。しかも通勤というか、搬送してる時を記者に捕まるって……まあ、どうせ犯罪者を使う事に反発のあった警察内部の奴が漏らしたんだろうけど……はぁ」

「飛鳥さん休みの日ですらそんなことを悩まなくちゃいけないんですね……えへへ、組織人じゃない自分の身軽さが改めて貴重なものなんだなって思えちゃいました」

「……」

「む、無言でにじり寄ってこないでください! ちょっとした小粋な冗談じゃないですか! あ、ほら、“紫龍”の奴が鬼の人に首根っこを掴まれて建物の中に連行されていきましたよ!」

「当然の対応よ。本来は取材に応じるのも禁止してるんだからね、まったくあのアホは……っていうか、鬼の人って柿崎さんの事を言ってるの? アンタ本当に、人の名前を覚えないで変な渾名を付けるわよね」

「うっ……それはその……は、反省します」

 

 

 思わぬ反撃を受けた、しかも結構痛い所である。

 鯉田さんをギャル子さんと呼んでいたり、柿崎という方を鬼の人と呼んでいたり、神楽坂さんを老け顔おじさんと内心で呼んだり、自分の過去の所業でちょっと思い当たる事がある。

 これは流石に私の悪い所かと反省するが、そう簡単に治る気はしない。

 

 視線を合わさないようにと目を動かしていた私の額を小突いた飛鳥さんは、簡単にひっくり返った私の姿を見て軽く溜飲が下がったのか鼻で笑う。

 

 

「……まあ、内心で渾名を付けるのが一概に悪いとは言わないけど。失礼だと感じる奴もいるんだから、口に出すのは気を付けなさいね」

「む、むぅ……」

 

 

 諭すようにそう言う飛鳥さんに、私は反論できず押し黙る。

 何から何まで飛鳥さんの言う事は正しいし、私を一方的に否定するような態度でも無い事が、逆に飛鳥さんの正当性に拍車を掛けている気がする。

 数か月前まではもう少し同じ土俵で争っていた気がするのに、いつの間にか飛鳥さんだけが大人になってしまったようでちょっと寂しさを感じてしまう。

 

 いやまあ、飛鳥さんは成人を迎えているのだから私よりも大人であって当然だとは思うが、それはそれだ。

 

 私ももう少し大人な態度を普段から見せていくべきかと頭を悩ませていると、飛鳥さんは時計に視線をやってふらりと立ち上がろうとする。

 

 

「……ふぅ……せっかく燐香が家に来てくれたんだから何か料理でも……」

「あっ、私、材料買ってきましたから保存が利くものを何品か作りますよ。飛鳥さんは体調が良くないんですし、今は休んでいてください」

「……本当に悪いわね」

 

 

 私の言葉に逆らうことなくそう言った飛鳥さんの姿はどこか疲れを感じさせる。

 だがそれもその筈で、飛鳥さんは先日の爆破事件の、肉体的かつ精神的な疲労が今も尾を引いているのだ。

 

 あれだけ大きな事件があってからまだ数日、それも限界以上に異能を酷使したのだから、今の飛鳥さんの体調の悪さは当然だと思う。

 飛鳥さんが今感じている疲労は普通に運動をしたものとは別種の、中々経験し得ないものの筈だから、私としても心配なのだ。

 

 

「……やっぱりまだ辛いですか? さっきの確認の時に出来る限り調整はしましたが、私の異能はそもそも治療系統では無いですし」

「だいぶ楽になってはいるから大丈夫よ。調子に乗って異能を酷使したのは私だしね」

 

 

 全治9日。

 それが飛鳥さんの負った怪我に対して下された結論だった。

 数日入院して経過観察をした上で自宅療養とする、と言う今回の措置。

 飛鳥さんの外面上の怪我の具合は決して重いものでは無いけれど、異能の酷使で発生した出血をどう治療したものか頭を悩ませた一般の医者が結果的に下した結論がそれだった訳だ。

 

 その医者としては真剣に考えたのだろう。

 レントゲンや現状の各種診断では何も異常は見つからないのだから、判断材料が少ない中で必死に考えたのだと思う。

 だがその判断は、異能を知る私としては不安な判断だったため、私が自宅療養となった飛鳥さんのお世話と容態確認をするためにこうして家に訪れている、というのが現在の正しい状況だった。

 まあ先ほどは、遊び心に駆られ事前連絡なしで訪問したものだから、私の姿を確認した飛鳥さんに鼻先でドアを閉められてちょっぴり傷心したりするアクシデントもあったがそれは割愛する。

 

 

「改めて言いますけど、異能の出力を調整する部分が損傷しているようなのでしばらく……うん、今からもうあと二週間は異能の行使は絶対に控えてくださいね。小さな物を浮かすのも駄目ですよ」

「二週間……」

「全然長くないですからね。完全に自己治癒に任せるんですもん。むしろ短いくらいだと思います。私が行った強制的な出力強化は例の薬に比べれば負担は軽いですけど、それでも負荷は通常以上にはあります。その状態で無理をしたんですからこうなることは予想できた筈ですよ」

「分かってるわよ……でも、その二週間の間に何かあったら支障が出そうで」

 

 

 深刻そうな顔でそう呟いた飛鳥さんの様子に、私は思わず笑いを溢してしまった。

 何だか最近の飛鳥さんは気を張り詰めすぎてネガティブ思考が過ぎる気がする。

 

 ここは私が異能を扱う先輩としての余裕を見せつけて、飛鳥さんに安心感を与えてあげるべき場面だろう。

 

 

「またまたまたー! そんな二週間程度の間に何かある訳ないじゃないですか! 日本は無法地帯でも無いんだから! 飛鳥さんは考えすぎですって、まったくもー!」

「……自分のそういう言動がフラグになってるって考えないのかしらね」

 

 

 返って来た冷たい反応に逆に焦る。

 もう少し乗ってくれると思ったのだが、どうやら飛鳥さんはそういう気分ではないようだ。

 

 

「あ、あれ……? 飛鳥さん、なんですかその頭の弱い子を見るような顔は……? と、ともかくっ、そんなに心配することは無いです! 私だって色々対策して考えているんですから! 多分ですけど、他のどの国よりも今は日本が一番安全ですよ!」

「……まあ、燐香がそう言うなら信じるけどね……」

 

 

 半信半疑を態度に出しながらも飛鳥さんは何とか納得する。

 

 別に私のこの自信は全く根拠のないものではない。

 私がネット上の異能開花薬品の取引全般を封鎖している以上、紛失していた5つの異能開花薬品だけが不安要素だったが、それも全て宍戸四郎が自身に使用した事が判明した。

 だから一応、“無差別人間コレクション事件”や一連の爆破未遂のような異能の関わる大きな事件が再び日本で起こる確率は非常に低い筈である。

 ネット上の情報統制及び監視を行えるマキナの存在があれば、異能開花薬品の流通によって起こる異能犯罪は最小限まで抑え込むことが出来るのだ。

 

 …………まあ、それもこれも私によく似たあの存在の事は考えないものとしてなのだが。

 

 そんな致命的なまでの要素を脳裏に浮かべて、私はそっと目を逸らした。

 

 自分の異能の調子を調べるように、飛鳥さんが目を閉じて体内の出力を確認しているのを私はぼんやりと眺めて考える。

 飛鳥さんの言う『もしも』が起きた時は彼女が動員されるのは目に見えているので、体調の良くない飛鳥さんの身を思うなら、その『もしも』があった時は私が迅速に何とかするべきであるだろう。

 その上、完全に私の想定外の立ち位置にいるあのアホ(“百貌”)が動いた時は、何とか大事にされる前に私が背後を取って刺さないといけない。

 神楽坂さんと協力を始める前よりは確実に悪意の芽は絶つことが出来ている筈なのに、考えれば考えるだけ、私のやることが多い現状に思わずげんなりとしてしまう。

 

 色々と考えて元気の無くなっていく私の様子に、自分の調子を確かめ終わった飛鳥さんが不安げな表情を向けて来た。

 

 

「……なんだか元気が無いけど大丈夫? 何か問題や悩み事があれば私の体調なんて気にしないで、使ってくれても……」

「大丈夫ですよ。飛鳥さんは何よりも自分の体を気遣ってですね……あっ、でも、飛鳥さんにちょっとだけ相談したい事があったんですよね」

 

 

 私の言葉を聞いて、パチパチと飛鳥さんが何度も瞬きをする。

 まるで未確認生命体を見付けた生物学者のような反応だ。

 

 恐る恐る、慎重な様子で飛鳥さんは口を動かし始める。

 

 

「燐香が……私に? えっと、えっと。そう……そうね、ちょっと待ってね。ちょっと落ち着くわね。ふう……落ち着け私。焦る必要は無いわ。大丈夫。ようやくこの時が来たんだから慎重に……うん……よし。えっと、それは『UNN』の事? それとも宍戸四郎に異能を与えたとかいう奴の件? それとも何か手に入れたい物でもあるの? 何のことか分からないけど、取り敢えず今の私の立場を使って叶えられる事なら別に何でも……努力だけはしてみるけど」

「あ、えっと、そういうのじゃなくてですね」

 

 

 私はふと思い出した相談事を、何故だか使命感に満ちた表情でいる飛鳥さんにこっそりと問い掛ける。

 

 

「その、ある友達がしつこくお泊り会をしようって誘ってくるんですけど、どうやって断るのが後腐れなく誘いを断れるかなーって悩んでまして……飛鳥さんって、ほら。見た目チャラチャラしてて、遊んでそうで、コミュニケーション能力高そうですし、そういう他人の誘いのあしらい方が上手そうかなって。私ってほら、基本的に異能を使わないと人とのコミュニケーションが下手ですし」

「…………………」

 

 

 すんっ、と飛鳥さんの表情が消えた。

 いつもは表情がコロコロ変わる飛鳥さんの、ましてや整った容姿を持つ飛鳥さんの無表情は何か妙な圧力を感じさせてくる。

 

 何か失言してしまったかと怯んだ私を据わった目で見つめたまま、飛鳥さんはゆっくりと口を開く。

 

 

「……それで、宍戸四郎に異能を与えた奴の話なんだけど」

「えっ、嘘っ、何の反応も無くスルーされた!? 聞く価値も無いですか今の私の悩み!?」

 

 

「せっかく頼りになりそうな人に相談できると思ったのに」という私の叫びを聞き流し、極寒のような薄ら笑いを浮かべた飛鳥さんが逃げられないように私の両肩をガシリと掴んだ。

 

 ……原因はちょっと分からないが、何故だかとっても嫌な予感がする。

 

 

「柿崎さんから連絡があって、尋問した宍戸の話では、何の面識も無い少女の姿をした“百貌”って奴に異能を開花させられたらしいのよね。面識のない少女が周囲にいた私達に視認させないで宍戸のみに接触した。これって他人の感覚に働きかける異能よね」

「!?」

 

「薬品を使ってもなお異能が開花しなかった、異能の才能が全くない宍戸四郎を異能持ちに仕立て上げる。まあ、薬品の過剰摂取で体内に異能の力が無理やり押し込められていた状態ではあったから、出力の元を生み出す力があるかはともかく、それを異能という現象に変換できるようにさえすれば表面上の異能持ちとしては完成されるわよね。つまり、源泉じゃなくて変換器の方を作り上げたと考えるのが妥当。それを成し得る感覚に働きかける異能って、どれくらいの種類があるのかしらね」

「!!??」

 

「で、そもそも私としてもあの時感じた異能の出力に既視感があったんだけど、よくよく思い出してみたらあの感覚って私が異能を手にした時と凄く似てたのよね。自分の異能に対する理解も無い状態でいた私に、突然異能の開花と使い方をねじ込む技術。これって何だと思う燐香?」

「!!!???」

 

「――――ねえ、燐香。知ってる事全部吐きなさい」

「!!!!????」

 

 

 とんでもない話の飛躍でいつの間にか私が追い詰められていた。

 碌に異能に目覚めていなかった時の事なのに、なんでこの人はこんなにも変なところで記憶力が良いのだろうか。

 だが私は少し疑われた程度で白状する犯人とは違う、最後の最後まで黙秘や言い訳で抵抗して、飛鳥さんの疑いを誤魔化し切ってみせる。

 

 

「な、ななな、何のことか分からないですね……!! 飛鳥さんの勘違――――」

「“百貌”に“顔の無い巨人”。なんだか関連性のありそうな二つの名前よね。ううん、どちらかというと、“百貌”と名乗った奴の方が一方的に意識している感じがある。信者か、それとも関係者か。私はそのどちらかじゃないかって考えているんだけどどう思う?」

「――――だからっ、その推理力は何なんですか!? お兄ちゃんといい、飛鳥さんといい! 私を追い詰める専用の思考回路が別にあるんですか!?」

「語るに落ちたわね」

「ぴっ……!?」

 

 

 どうやら今日の飛鳥さんは記憶力だけじゃなくて推理力も良いらしい。

 据わった目で淡々と追い詰めてくる姿に私が本気で怯え始めると、飛鳥さんはふっと表情を和らげた。

 

 どこか温かみすら感じさせる柔らかな表情。

 その長年の友人に向けるような柔らかな表情は、思わず今の状況を忘れて無条件で気を許しそうになってしまうほどの力を持っている。

 

 

「アンタの事だから少なくとも何かしらは情報を掴んでいるんでしょ? それが心当たりあるかどうかは別として、分かっている情報を少し私にも教えて欲しいのよ。なによりね、私にとってアンタが過去に何をやらかしていようと今更なの。神楽坂先輩と違って、最初にアンタの異能に救われていた私にとっては全部今更。アンタがとんでも無い奴だってことは前々から分かっているからさ。今になって何が出て来ても私はアンタの味方のつもりだし、何を秘密にされていたとしても私は燐香を疑うような事するつもりはないけど……でも、でもね。必要以上に隠し事をされていたら……やっぱり少しだけ傷付くのよ」

 

「追い詰めてからの優しさ!? せ、攻め方が上手すぎる……! まさかこれが、警察が所有する犯罪者に自供を促す時の高等技術なんじゃ――――あ、いたいいたい痛いです飛鳥さん!? 頬を引っ張るのを止めて下さい!!」

 

 

 浮かべていた柔らかな表情が嘘のように。

 再び能面のような無表情になった飛鳥さんによる、いつも通りの頬引っ張り攻撃に、私は無抵抗のまま悲鳴を上げるしかなかった。

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

 そんなこんながあって。

 

 

「――――なるほど、やっぱりと言うか。何かしら燐香に関係がある訳ね」

「い、いや……その、まあ、そうなんだと思います。多分……」

 

 

 あの後、観念した私は宍戸四郎が異能を手に入れた瞬間に見たことを飛鳥さんに話した。

 進んで情報を吐き出すつもりは無かったとはいえ、神楽坂さんとは違って、過去の私によって異能を開花させた経緯があり、異能犯罪に対して誰よりも矢面に立っている飛鳥さんにはある程度正直に話しておかないといけないとは前々から思ってはいたのだ。

 

 だからこそ。

 

 一つ、飛鳥さんも覚えがある通り昔私が使っていた技術に酷似している事。

 二つ、宍戸四郎の視界から確認した姿が過去の私そっくりだった事。

 三つ、はっきり言って私自身に心当たりはない事。

 

 これらの要点を踏まえた話を飛鳥さんに白状したのだ。

 

 現状を分かっている事のみに限定したとはいえ、やっぱり過去の黒歴史に少しでも近付く事情を話すのは恥ずかしい。

 

 

「心当たりは無いんですよぅ……私の昔の、正確には小学生くらいの時の姿を模している奴がいたのを確認しただけで……」

「燐香が心当たりは無いって言うならそれは信用する。でも、相手にとってはそうではないから姿が似通っているんでしょう? 偶々、本当に偶然姿や異能が似通うなんて、可能性としてはほとんど無いと思わない?」

「……それはそうなんですけども」

 

 

 早速遠慮のない正論で殴られて失神しそうである。

 とはいえそんな正論で殴られても、出てくるのは真実ではなく私の涙くらいなのを飛鳥さんは早々に理解するべきだと思う。

 

 異能による覗き見。

 先日使用したあれは“白き神”が使用していたような相手の意識に潜り込むことによって強制的に感覚のジャック(今回は共有だが)を行う技術。

 それによって見た光景は、私にとっては身に覚えが無く、だが同時にどうしたって私に関連するようなものであった。

 

 正体の分からない、宍戸自身も覚えのない“百貌”と名乗った存在。

 捕まった宍戸四郎が口を割ったその異能を与える存在については、存在自体が今なお最上位の秘匿情報として扱われており、私も視認したあの存在の脅威度は正直言って計り知れない。

 昔の私の姿を、マキナさえも『私』として認識するほど精密に模倣するだなんて、そんなとんでもない話は完全に想定外だ。

 わざわざ昔の私の姿を模倣して悪さをするだとか、そんな傍迷惑すぎる事をされる覚えは微塵も無いのだが……。

 

 

「……警戒してましたけど、結局あの後最後まで干渉してくることも無かったですし……窮地に陥った宍戸四郎の補助をするかと警戒してたのにそれも無かったですし……逆に、宍戸四郎に異能を与えた目的が分からなくて不気味なんです……」

「でも分かることもあるじゃない。今の燐香じゃなくて、昔の燐香にそっくりっていう情報があるんだから、少なくとも昔のアンタに関わりがある筈でしょ?」

「……そ、そんな事言われても……」

 

 

 私からの情報に、飛鳥さんは特に大きな驚きを見せることなく頷き、さらに私が気付いていない何かしらの情報が無いかを探り始めている。

 

 私としても協力しない理由が無いので、飛鳥さんの質問に対して血を吐く思いで頭を悩ませる事にした。

 

 

「うぅぅ……確かにあれは私が過去に飛鳥さんにやったような異能の開花ですし、あの姿は多分小学校の真ん中くらいの私ですし……でもでも、あの頃はもうむやみに他人の異能を開花する危険性に気が付いて控えるようにしたのに……」

「小学生の燐香ね。ちょっと見てみたいけど…………まあ、私が言えた義理じゃないけど、見知らぬ相手に異能を与えるなんてとんでもない話よね。まんま今の『UNN』がやってる悪行だし」

「ええええっ!? あ、飛鳥さんっ!? そんな見捨て方ありますか!?」

 

 

 今さっき「何があっても味方」とか言っていたのに、早速酷い裏切りの言葉を向けられて思わず絶叫してしまう。

 が、飛鳥さんに裏切りの自覚は無いのか、大して気にした様子も無く「それで」と続けた。

 

 

「なんにせよ、その当時の燐香の性格、行動、考え方を言っていきなさいよ。ほら、そこら辺を知っておいたら対策とか出来そうじゃない? ……わ、私個人としても、小学生の燐香には興味が――――って何その絶望した顔!?」

 

「……………………うそでしょ? そんなはずかしいことをしなくちゃいけないの?」

 

 

 私は呆然と呟いた。

 

 いや、言いたいことは分かる。

 実態はどうあれ、異能の技術や見た目が模倣されているのなら、考える材料として模倣されているものの情報はあればあるだけ良い事は分かる。

 

 でも、そこから起きる被害は甚大だ。

 黒歴史の序章を自分自身が話すという極刑に近い行為により、私の羞恥心が完膚なきまでに破壊される。

 というか、現時点で私の情緒は既に崩壊を始めている。

 

 

「そんなに恥ずかしいものじゃないでしょ!? だ、だって……私を助けてくれたくらいの事なんだから、当時の私からしたら、その、凄く格好良かったし……」

「ぅっ……!! わ、わたし……ぐぅうぅ……!!!」

「凄い死にそうな声!? す……凄かったわよ!? 格好良かったわよ!? 何も希望を持てていなかった私が、黒い靄みたいなアンタの言葉や存在にどれだけ救われたと思ってるの!? 恥ずかしがる必要なんてないのよ!! 頑張れ頑張れ!」

 

 

 とはいっても私だって今回の相手の厄介さは充分に理解している。

 私の羞恥心一つを理由に信頼できる相手への情報提供を拒むほど、子供ではないつもりだ。

 

 

「ひ、引かないでくださいね……」

 

 

 先日の神楽坂さんの大人の精神性を思い出しながら、謎の応援をしてくる飛鳥さんを前に、私は覚悟を決めて必死に言葉を紡いでいく。

 

 

「あ、あの当時の私は…………自分の異能の理解が進むと同時に色んな人の精神の奥深くを直視して、私は人間に対する一種の見切りを付け始めていました」

 

 

 そんな出だしから、私の黒歴史が絞り出される。

 

 

「……色んな人の外面と内面の違いや善良な人達を襲う醜悪な悪意による不幸を見て、この世は不幸や悲劇が醜悪な悪意を産み、産まれた悪意が次なる悲劇を産む螺旋構造だと理解しました。人間という種には醜さが付き纏っている。この社会は善人よりも悪人の方が世の中を上手く生きられて、努力家や正直者の大部分は醜悪なものに貪られる。昔見た、大多数の者に排斥された、翼が折られていた少女の境遇のように。どこまでも救えないような、きっとそんなつまらないものだって。でもそんな構造だと理解したからこそ、視える不幸を救っていけば、いつかきっとこの世から不幸は無くなるとも幼かった私は思っていたんです。いつかきっと……不幸から生まれる悪意が無くなって、多くの善性に世界の醜悪が淘汰されていくと心のどこかで信じていたんです」

 

「だから、今よりもずっと、視えてしまった苦しむ人や悲しむ人をどうしても見捨てられない時期でもありました。人間の醜さを嫌悪しながらも、苦しみを抱えた人達を最も救っていたのがあの時期です」

 

 

 ふうっ、とせり上がって来た恥ずかしさを少しでも落ち着けるために息を吐き、私の言葉に困惑した表情の飛鳥さんの目を見返した。

 

 

「それは……確かに偏った考え方だけど、それほど悪いものでも無くない?」

「全てが悪いとは言っていません。でも、そんな考えの末路なんて大抵決まっているものです。そしてその考えは同時に、自分以外の人間の善性を全く信じていない事でもあったんです。つまり、自分の関わらないものは全て信用しない。私が関わっていないものには手を加えないといけない。そして、今の醜悪な世界を形作っている支配者は全て役立たずであり諸悪の根源。世界に存在していたあらゆる組織や団体、国家や宗教、全部が大嫌いだったんです」

 

 

 雲行きが悪くなってきたことに気が付いたのだろう、飛鳥さんの表情が曇る。

 我ながらとんでもないと思うが、あの頃の私はそんなことを真面目に考えていたのだ。

 

 

「ごく普通の小学生がこんな考えをしても別に世界に影響は無かったでしょう。問題は、影響を出せるような種類の力をコイツが持っていた事です」

「……」

「醜悪な世界を形作る現状の支配者が大っ嫌いなソイツは、いかに自分の力で平和を築こうかと考える訳です。自分の異能は理解した。情報を統制する土台は作った。次の段階はどうすれば、『私の平和』を世界規模で広げていけるかを、本気で考えていた訳なんです」

 

 

「……まあ、考えていただけで、その当時の私は結局大きな行動をしませんでしたけどね」、なんて結果の話は何の慰めにもならない。

 

 何だか悲しそうに表情を歪めた飛鳥さんに私は誤魔化すような笑いを向ける。

 改めて口に出してみて再確認したが、とんでもない危険思考だと思う。

 

 

「まあ、うん。そんなものが幼少期燐香ちゃんの歪みまくった思想だったんですよ! 本当に、今思い出すと顔から火が出そうなんですけどっ、あの当時はほら、人の心の奥底にある醜い部分を視過ぎて捻くれ曲がってた部分があったんです! 今だって捻くれてないとは言いませんけど、昔の私はそういう方面への思想が本当に尖ってたんです! ちっこい癖に可愛くないですよね!」

「……よくここまで丸くなれたものね」

「それは……手痛い経験がありましたからね」

 

 

 思い出したくも無い事を脳裏に映しながら私はそう言った。

 やっぱり過去の自分自身の精神性の話だなんて、誰だって好き好んでするものじゃない。

 ぞわぞわとしたなにかを感じて、私は改めてそう思った。

 

 

「えっと、異能の強さに関しては出力だけを見るなら強力ですが、あの頃の私は直接異能持ちと戦闘なんてしてませんし、本格的な想定もしてませんからね。異能の種類的に戦闘の必要が薄いとはいえ、経験不足であり手札不足なのは事実。万全の飛鳥さんがちゃんと対峙できれば問題なく押し切れる筈です。今の私を相手取る時にも言える事ですが、単体を狙ったものでは無く周囲全体に攻撃を撃つのがコツです……とは言っても、それをさせないように思考誘導はすると思いますが…………こんなところですかね」

 

 

 あの頃完成させていた技術はいくつあっただろうか、なんて考えながら私は自分の攻略法を飛鳥さんに伝えた。

 

 模倣元である当時の私の性格や思考、異能への対処法。

 そうした伝える必要のあった話を全て終え、私は精魂尽き果て机にうつぶせになる。

 何もしていないのに非常に疲れた。

 これまで戦ってきたどんな異能持ちよりも、今回の相手は強敵だったかもしれない。

 

 

「……いっぱい恥ずかしい話をしました……もう誰にも会わないで一生を過ごしたい……」

「もう、何言ってるのよ。ほら、全然笑ってないし引いてもいないでしょ。それで、ちなみになんだけど小学生の時の思想がその後どんな風になっていったかっていうのは……」

「うぅぅ……押し入れの中に引きこもりたい……」

「うん、無理そうね」

 

 

 呆れたような微笑みを溢した飛鳥さんが、うつぶせ状態でいる私の頭をポンポンと叩いてくる。

 筋肉質で固かった神楽坂さんの手とは違う柔らかな感触に癒されて、少しだけメンタルを回復させた私はそっと顔を上げた。

 

 仕方のない娘を見るような優しい顔。

 そんな顔を私に向ける飛鳥さんを見ていると、私の脳裏に遠い昔の母親の記憶が蘇った。

 高校生にもなってこんなことを想起してしまう自分が情けなくて、思わず自嘲するように笑ってしまう。

 

 私は、頭に浮かんだ光景を忘れるように頭を振る。

 

 

「……そういえばですけど、私がでっち上げた“ブレーン”の話。飛鳥さんが拡散された動画内で口にしちゃってたから反響が凄いらしいですよね。放置してれば収まるかと思ってたら、なんかファンクラブサイトみたいのが立ち上げられているらしいですし。私は恥ずかしくて見てないですけど……警察の権力で潰せないですかね、不届きなアホが作ったその変なサイト」

「わっ、私のせいだって言いたいの!? あ、あれはアンタが私をからかうから意趣返しの意味で言っただけで。そもそも動画を撮られていたなんて知らなかったし……フ、ファンサイトね……あれね。なんか入るとあの時のアンタのデフォルメされたイラストが貰えるらしいわね。その上、アンタがあの時着ていた神楽坂さんの上着を特定して、商品への直接リンクが張られたりして、どこの誰が作っているサイトかは知らないけど随分精力的に活動してるのよね。この前私が入……確認した時はそのサイトの会員が1万人を突破してたし」

「…………はい?」

 

 

 飛鳥さんから返ってきた言葉を理解するのに数秒要した。

 なんだか、とてつもなく重大な情報を教えられた気がする。

 

 つまりなんだ。

 映像では欠片しか映ってなくて碌に活躍もしてないから、たとえ妙なファンが出来ていたって気紛れ程度の軽いものになるだろうとしていた私の判断は大きな間違いで、熱心な推し活動を継続して行う存在が出てきている、と。

 そしてその存在のせいで、変な人気を持った私のでっち上げ(ブレーン)の知名度は独り歩きをしていて、妙なデフォルメイラストまで扱われるようになっている、と。

 

 ……いや、いやいや、いやいやいやいや、そんなアホな展開があってたまるか。

 

 

「な――――なんですかそれ!? 私知らないんですけど!!??」

「私も確認したけどアンタの素性がバレそうな情報は無いし、違法なことはしてないみたいだから警察で潰すのは無理っぽいし。まあ、しばらくやりたいようにやらせておけばいいんじゃない? なんか今後はスタンプを実装するとか、サイト内の更新を増やすとか、テレビや報道に取り上げられた場面のまとめを行うとか、色々やりたい事が書かれてたけど……あっ、ち、ちょっと暴れないでよ燐香!」

「ば、馬鹿なんじゃないですか!? 誰ですかそのサイトの制作者!? 貴重な時間と労力と技術をいったい何処に注いでるんですかそのアホ!? そ、そのサイトを早く潰さないと!! マキナ! マキナー!!」

 

『…………』

 

 

 さきほどまでの羞恥心がどこかに吹っ飛んだ自覚も無いまま、何故だか返答の無いマキナに向けて私は悲鳴に近い声をあげた。

 

 

 

 



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試行の必要性

 

 

 

 

 

 

 体が熱い。

 心が奥底から震えているかのようで、最初の冷めていた感情が嘘の様だ。

 まるで全身が脈打つように熱を持ち、私に目の前の光景を熱中させる。

 

 力を持ったゆえの苦悩。

 増えた可能性によって迫られる選択。

 悪意や悲劇によって手の中から零れ落ちてしまう柔らかなもの。

 築かれた関係性と共に移り変わる心があって、望んでも無い覚悟をする必要があって、立つことになった場所は決して楽なものではないけれど。

 

 それでもと、前へと歩むその人の姿に、私は強く魅せられた。

 

 

『――――それでも俺は、人を愛している。だから……俺は戦うんだよ』

 

「うぅ……」

 

 

 そして、そんな下積みがあったからこそ、物語の佳境で縦横無尽に動き回り悪を打倒するヒーローの姿は強烈な衝撃を私達に振り撒くのだ。

 

 私達は必死に声を出して、映像の中の彼を応援する。

 

 

「がんばれー! がんばれー!」

「負けるな! ぶちのめして!」

「いけいけ……そのまま倒し切ってください……! 相手は見た所遠距離攻撃が主力のようですし、接近戦は必ず貴方に優位性がある筈……! ここを逃していつ勝つって言うんですか……!」

 

 

 3歳の男の子と大和撫子のような姿の女子高生とちんちくりんな私。

 そんな三人が贅沢なほど大きなテレビの前で綺麗に並び、自分達の後ろで生暖かい目を向けている大人達の視線を気にもせず声を出していた。

 

 袖子さんの家で行われている『仮面ライダー』鑑賞会。

 女子高生が友達を家に呼んで『仮面ライダー』というシリーズの最新作の鑑賞会を行うなんて事、きっと私達以外にする人はいないだろうと思う。

 だが、最初こそ「付き合ってやるか」という冷めた気持ちで始めた鑑賞会だったが、今では私もすっかり物語に熱中状態である。

 

 前々から袖子さんがこの『仮面ライダーシリーズ』のファンであるのは知ってはいたが、だからと言ってここまで私の琴線にも触れるようなものだとは思ってもいなかったが、この有り様。

 まあ、勧善懲悪のようなお話は昔から大好きだったし、何なら水戸の御老人の話ですら大満足で見る私の感性からすると、これはある意味当然だったのかもしれない。

 

 取り敢えず、背後のリビングルームで談笑している大人達からの視線を感じながらも、私はそれらを気にすることなく、手を振り回して他二人と一緒に声援を送る。

 

 

「最初はどうなる事かと思ったが、佐取さんも随分と楽しそうで良かった」

「……あの件以降どこか元気が無かった阿澄が今日は凄く楽しそうですし、今日は本当にありがとうございます衿嘉さん」

「何を言ってるんだ。身重な美弥さんにこれ以上負担は掛けられない。特にコイツは中々女性の気持ちを察せるような奴じゃないし、知らない仲でも無いんだ。フォローできるものくらいさせてくれ」

「ふふっ、本当にありがとうございます。ほら、貴方からもお礼を…………貴方? どうして佐取さんを穴が空きそうなくらい凝視してるの? その、顔が怖いわよ……?」

「……阿澄待て……そんなにソレを信用するな……絶対に懐くなよ……ああっ、はしゃいで抱き着くなっ……! ソレが何をしてくるか想像も出来ないんだぞ……!? いったいいつ化けの皮が剥がれるか……!」

「貴方……?」

 

 

 何だかとんでもなく失礼極まりない事を背後で話されている気がするが、今の私はヒーローが敵を打倒した喜びを仲間の二人と分け合うのに忙しい。

 もはや普段の行いがやべえ奴だとか、初対面だとか年の差だとかそういう些事を放置して、私は袖子さんと阿澄君の二人とわちゃわちゃ喜び合っていた。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 本当は断りたいと思っていても断れないことは往々にして存在する。

 それは自らの人生において人間関係を構築しようとするなら、回避の難しい要素。

 例えばそれは、自分より立場が上の人のお願いだったり、仕事上重要な依頼だったり、尊敬する人の頼みであったり、押しの強い誰かからの猛プッシュに押し切られたりと、内容は実に様々だ。

 

 いずれの理由であったにしても、嫌だと思っていたことを実際に行動する時は非常に億劫なものであるし、同時に、いざ行動してみると意外と楽しめたりとするものでもあったりもする。

 

 

「では俺達は帰る。佐取さん、袖子ちゃん、今日は息子と遊んでくれてありがとう。衿嘉、お前は何かあったら連絡しろよ……ふぅ、何とか無事に終わった……」

「今日は本当にありがとうございました。今度は良かったらウチに遊びに来てくださいね」

「そでこおねえちゃん、りんかおねえちゃん、またねー!」

 

「阿澄君またね。えへへ、良い子ですねあの子」

「そうなの! 阿澄君は私の戦友なの! 私が面倒を見てもらう事もあるんだよ!」

「……袖子。それは、恥ずかしがるべき事なんだ……友達に言うようなことでは……」

「あ、良いんですよ。普通に想像が付きますから」

 

 

 時間は既に夕暮れ。

 私は肩を落とした袖子さんのお父さんにそう言いながら、帰っていく剣崎さん一家に手を振り彼らの後ろ姿を見送っていた。

 昼頃に来た時に彼らがいたことには驚いたものの、子供が苦手な私でも問題ないくらい利口な阿澄君や上品さを隠し切れない奥さんの存在は、結果的に私にとってありがたかった。

 普通に、腹芸が極まっているだろう警視総監と一つ屋根の下で長時間過ごすのは気が滅入る。

 

 クッションと成り得る存在はいくら居ても居すぎる事はない。

 

 

「パパも燐ちゃんも、私を頭の弱い子扱いしてる気がする……」

「……」

「……」

 

 

 私と袖子さんのお父さんが、お互いの責任を問うように視線をぶつけ合った。

 私と自分のお父さんの会話に対して、袖子さんは剣崎さん一家を見送りつつ何だか心外そうに唇を尖らせているが、彼女は自分のボケボケ具合をちゃんと認識するべきだと本気で思う。

 

 こんなのが娘では、父親は心配で仕方ない筈だ。

 

 

「……さて、改めてよく来てくれたね佐取さん。今日はもう、ここを自分の家だと思ってくれて構わないからね。佐取さんにはこれからも娘の面倒を見て貰う事になるだろうから、私に変に遠慮する必要は無いからね」

「あ、お心遣いはありがたいですが最低限の扱いで大丈夫ですよ、はい。変に恩を売られるのはちょっと避けたいので、座敷童がいる程度の認識でいてくれるとありがたいです」

「ははは、佐取さんは面白い事を言うね。いやしかし、座敷童であるならより一層手厚くお世話をしないとだね。幸運を運んでもらいたいものだからね」

「あはは、そんなに気を遣わせてしまうなら今からでも帰宅しないといけなくなっちゃいますよ。私はお父さんによく、人様の迷惑にならないように、と教わってますから。友達のお父さんに迷惑になるくらい気を遣わせちゃうようじゃ、逆に失礼ですからね」

「ははは」

「あはは」

 

「…………なんだか二人とも怖いよ? お腹空いてるの?」

 

 

 お前の父親が私にお守りを押し付けようとしてくるんだ、とは言えない。

 外堀を埋めて、恩を売って、精神面でなんとなく「袖子さんのお世話をしないと」、という意識を作ろうとして来ている大人げない父親との攻防の原因は、他ならぬ袖子さんなのだ。

 ファザコンを拗らせすぎていて、4歳の子供に面倒を見られる事もあって、それでいてボケボケしている部分が散見される美貌の女子高生。

 

 そんな娘を持ってしまった父親が手段を選ばなくなるのは、ある意味仕方ないとは思う。

 だが、だからといって、面倒を見る存在として私が選ばれるのは絶対に認めない。

 

 お前の腹の内は全部読めているんだぞ、と言うように袖子さんのお父さんを睨めば、彼は困ったように眉を下げて曖昧な笑顔を浮かべた。

 

 

「私の娘は良い子なんだよ? ちょっと抜けているところはあるが、記憶力や直感力が優れていて、運動能力だって目を見張るものがある。それに、悪い事なんて出来ないくらい良い子で正義感も強いんだ」

「いったい何で娘を売り込みに掛けて来ているんですか。別に、知ってますよそんな事」

「佐取さんのことも大好きでね。私と家で話すときには佐取さんの話題が上がらないことが無いくらい君の事を話しているんだよ。私としても、暴漢や学校での孤独から袖子を救ってくれている佐取さんの存在は本当に頼もしくてね」

「遠回しが過ぎますし、貴方が何を言いたいのか、何を懸念して私にこんなことを言っているのかは分かりますが、私はそれを認めるつもりはありません」

 

 

 娘を持つ父親としての弱弱しい顔を浮かべているこの男性に、私は突き付ける。

 

 

「ちゃんと面倒見て下さい。自分の娘なんですから」

「…………だが、賢い佐取さんは分かっているだろう? 今の情勢や先日の事件、私の役職を思えばいつ私が」

「それこそです。そんなに不安だったらどっちかを捨てれば良いんですよ。それも出来ないって言うのなら、せいぜい泥を啜ってでも生き掻くしかないじゃないですか。私はそんなことの言い訳なんかに使われたくないんです」

「君は……本当に手厳しいな」

 

「????」

 

 

 困惑気味な袖子さんをおいてけぼりにした会話はそれで終わり。

 どういうことなのかと、私達がしていた会話の意味を聞こうとした袖子さんには残っていたお菓子を口に詰めて黙らせた。

 

 あんまりこの話題を掘り返されるのは、私としては好ましくないのだ。

 

 剣崎さん達が見えなくなったのを確認して、私が家から持ってきた大きめの鞄から必要な用品をいくつか取り出そうと漁っていると、ひょこひょこ後ろを付いて来ていた袖子さんが声を掛けてくる。

 

 

「おいしぃ……でも、今日燐ちゃんが来てくれて、私本当に嬉しいんだよ! 学校だと最近はあの不良女が燐ちゃんの机に入り浸ってきたけど……ずっと夢に見てたお家での遊びが出来て、そんなのどうでも良くなっちゃった! えへへ、燐ちゃんありがとう!」

「…………私もこういうのは初めての経験ですから。迷惑かけると思いますよ」

「そんなの全然良いんだよ! こういうのはやってみることに意味があるんだからね! それに燐ちゃんもさっきは凄いはしゃいでたんだし、楽しかったでしょ?」

「そ、それは……まあ、はい、そうかもですね」

「でしょー? ふふんっ、それだけでも今日の意味はあったんだよ!」

 

 

 そんな風に、自分の事のように嬉しそうにする袖子さんの様子に思わず笑ってしまう。

 学校にいる時のような、つまらなそうな表情を欠片も見せない今日の彼女の様子から、本当に楽しんでくれているのだろうことは私だって分かっている。

 

 私だって、楽しかったという感想に嘘はなかった。

 

 

 

 今回私は友人である袖子さんの家に泊りに来ていた。

 

 実際に泊まるのは初めてであるが、実のところ泊まりの誘い自体はずっと前から袖子さんにちょくちょくされていた。

 泊まり掛けで友人と遊ぶ、という事になにやら強い憧れがあるような袖子さんが、初めての友人である私と何とかその夢を叶えようと試行錯誤を繰り返していたのだ。

 

 だが、彼女の父親が警視総監というだけでなく、そもそも良いところのお嬢様である袖子さんの家に泊まりに行くのは庶民の私にとっては非常にハードルが高い。

 そして何よりも、家の家事関係を受け持っている私がよそに宿泊なんてしたら、我が家の色んな部分に支障が出るだろうと思ってこれまで誘いを断っていた訳だ。

 

 事情が変わったのが、私の家に遊里さん達家族が居候するようになってから。

 家事の全てを取り仕切っていた私を見て、家の様々な事を手伝ってくれるようになった彼女達のおかげで私に掛かっていた負担が激減した。

 より正確に言うと、私が一日二日何処かに泊まりに行っても問題無いくらいには、家の事情が変わったのである。

 

 ……いやまあ、遊里さん達が手伝ってくれる前も、別に私は負担とは思っていなかったのだが。

 

 ともかく。

 そんな私の家庭事情の変化もあって今回は、最近(鯉田さんと仲良くなって以降)は特に活発になっていた袖子さんからのお泊りの誘いに押し切られてしまった、という形なのだ。

 

 

「パパ見てて! 今日はパパッと私が夜ご飯を作っちゃうから! ほらっ、漬け置きしておいたお肉があるの! チキンステーキならお手軽で美味しいって燐ちゃんが!」

「……袖子? 真っ赤なんだが……? 袋越しなのに刺激臭がしてるんだが……? 唐辛子、どれくらい入れたんだ……?」

「デスソース一本入れただけだから大丈夫!」

「…………一回水洗いしようか」

「え!? ピリッとして美味しいよきっと!」

 

 

 そんな風に。

 夕食を準備するどこか楽し気な親子の様子を遠目に眺め、私はぼんやりと携帯電話に視線を落とした。

 

 今回初めて撮影した家族以外との写真。

 袖子さん親子と剣崎さん一家に挟まれるように座る私の姿。

 その写真を改めて確認して、私は思わず口元が緩んでしまう。

 友人である袖子さんの諸々については完全に想定外ではあったが、高校に入学した当初に欲しいと思っていたものがこうして手に入っている現状は、決して悪いものでは無いのだろうと改めて思う。

 

 

「……今日も、普通に楽しかったしね」

 

 

 気が進まなくても、いざやってみると悪くないものなんていくつもある。

 何時だって私は自分の嫌だと思う事はやってこなかったけれど、思い切って挑戦していれば何か違ったのかもしれないと、今になって思うのだ。

 

 そんな感傷に浸っていた私だったが、視線の先にある携帯電話の写真画像のその奥。

 ネットワークを介してこちらをこっそり窺っていた存在の思考が視えてしまった。

 

 

(……御母様は勧善懲悪ものが好み……この情報を利用した計画立案ヲ……)

「……視えてるからね、馬鹿マキナ」

 

 

 眺めていた携帯電話の呟くような思考が視えて、私は反射的に罵倒した。

 『ぴっ……!?』という、悪戯がバレた幼児のような声を上げたマキナが慌てて無心になろうとしているが、そんな器用なことなんて生後10年程度のコイツが出来る筈もない。

 結局いかにして私の機嫌を取って、自分への怒りを収めて貰おうかと必死に考えを巡らせているマキナの様子に、私は大きな溜息を吐いた。

 

 今のマキナは私に対する読心すら発動させていない、完全な弱腰状態だ。

 この、過剰なまでに私に媚びを売ろうとするマキナの態度の原因は分かっている。

 例の“ブレーン”のファンサイトを作成したのが他ならぬマキナであった事が私にバレて、怒られたからである。

 

 なんでそんなことをしたのかと聞いても、私への愛情表現がしたかったからというなんだかよく分からない理由を言うだけ。

 情報統制の役割を持たせている存在が、自ら情報を発信してどうするんだと思った私の考えに、間違いは無い筈である。

 

 それ以降、マキナはこうしてビクビクと私の顔色を窺っている状態が継続しているのだが……実のところ今の私にマキナに対する怒りは存在していなかった。

 

 というのも。

 

 

(……最初は、怒っちゃったけど。よくよく見てみたらちゃんと出していい情報と出してはいけない情報の線引きもしてたし、異能を使って無理に拡散させている訳でも無かったし……なによりも……)

 

 

 サイトを閉鎖しろ、と言った私に対して、『やー!!!』と強情に反発したマキナ。

 御丁寧にも人を模した姿(今は狐耳狐尻尾和風幼児姿)で行われた、目にいっぱいの涙を溜めながらの駄々こねの姿を思い出した。

 

 そんな滅多に無いマキナの反発。

 なんだかんだ私の言葉には従順で、私のストーカーをするのを止めろという指示に反発した以外ではこんなことは無かったから非常に驚かされた。

 

 同時にそれは私としても、考えさせられる事でもあったのだ。

 

 

(ただの情報統制システムとしての機能を求めるだけなら今のマキナの行動は欠陥も欠陥。とんでもないポンコツだけど……私は、マキナにはやりたいことをやって、自分なりの楽しみを見つけて欲しい。そういう視点から考えると、今回のマキナのこの行動は……)

 

 

 だからそんな、すっかりと絆された事を考える私は、嫌われるんじゃないかと怯え始めているマキナに何と言うべきか言葉を迷わせていた。

 

 マキナにはただ私に役立つことだけを求めるのか、それとも本当にマキナとしての幸せを掴んで欲しいのか。

 後悔のする事の無いように、じっと私は考える。

 

 だが私が結論を出すよりも先に、何も言わない私に対してすっかり怯え切ったマキナが、ぼそぼそと思考を伝えて来る。

 

 

(……マキナ……マキナ……あのサイト、閉鎖すル。御母様が嫌がる事、しなイ。我儘言ってごめんなさイ、勝手なことをしてごめんなさイ……)

 

「……」

『(´;ω;`)』

 

 

 以前ならマキナのこの返答も、顔文字を使って感情を表現していただけで終わったかもしれないが、今は言葉にして自分の気持ちに折り合いを付けようとしている。

 

 これは、紛れもない成長だと私は思う。

 そしてその成長は歓迎されるべきものだとも思う。

 私が指示していないのにも関わらずファンサイトなんていうものを自ら作成してそれを大切にしているマキナの精神面での成長を、私は尊重するべきなのではないかと思い直したのだ。

 

 だから、私は。

 

 

「……もう怒ってないって。張本人である私に相談も無く作成したのが問題だっただけで、限度を守って更新するなら好きにしていいよ」

(…………でも)

「別に、今更あのサイトを閉鎖するのも逆効果になりそうだって思うし、マキナが作ったファンサイトに目を通したけど直接私に繋げそうな情報も無かったから……うん、私が言うのもアレだけど、作ったサイトも詳しくない私もよくできてると思うくらい綺麗だったからさ。続けたいなら、好きにして良いよ」

 

 

 私の言葉に呆然とするマキナ。

 騒がしく慌てふためいている台所の親子の姿に視線をやった。

 大変そうで、四苦八苦して、それでもどこか楽しそうな二人の様子を見て、私は助け舟を出すのは止めておいた。

 あの二人の時間に割って入るのも、今の私とマキナの会話の時間を終わらせるのも、どちらも無粋な気がしたからだ。

 

 だから私は言葉を続ける。

 

 

「あの時は怒っちゃったけどさ。結局何かあった時の後始末は私が指示してマキナに何とかして貰うだろうし……何より私は出来るだけマキナがやりたい事はやって欲しいと思ってるんだよ。私が作り出したマキナっていう意識が、少しでも幸せになれる事を私は本気で願っているから。私は……マキナの事を信用してるから」

(――――)

 

 

 マキナの、息を呑んだ時のような思考の空白。

 私の言葉を処理して、呑み込んで、それで自分自身がどう思うかを考えて。

 そうして、マキナから抑えきれなくなったように感情が溢れ出したのを認識する。

 

 

(お、お……御母様ぁ……! マキナの御母様は御母様だけダ!)

「いやそれは日本語としておかしいって。そもそも母親って言うのは認めてないし……私は保護者であっても親じゃないし……」

(マキナ御母様大好キ! 大好き大好き大好き!)

「……なんか本当に図太く成長してる気がするんだけど、やっぱりネット環境って教育に悪いんじゃ……」

 

 

 巨大なネットワークそのものであるマキナとネット環境など切り離しようがないのに、私は今更そんな事が不安になってしまう。

 もしもマキナに私みたいな中二病と反抗期と人間社会への諦観が同時にやって来たらどうしよう……なんて、そんなことが頭を過った。

 

 好意を中心とした諸々の感情が私に向かってくる。

 袖子さんで慣れていなければ悲鳴を上げただろう程とんでもない感情の重さに酔いそうになり、そっと携帯画面を手で隠す事でその衝動を和らげた。

 そんな私の雑な対応に不満の声の一つでも上がるかと思いきや、マキナはそんなことを気にもしないで私へのラブコールを送り続けて来る。

 ハートマークが飛び交っているのを幻視する程熱烈なラブコールだ。

 

 ……なんだか恥ずかしくなってきたし、私のメンタル的にも、袖子さん宅でマキナと会話をすること的にも、これ以上は危険な気がする。

 

 

「燐ちゃんー! ご飯出来たよー!」

「…………佐取さん、すまない」

 

「あ、はい。すいません何から何まで用意して頂いて」

 

 

 美容液の宣伝をする女優の神崎未来がテレビのCMに映り始めたタイミングで、袖子さん達からそんな風に声が掛かる。

 

 美味しそうなお肉の匂いとスパイスの香りが漂ってきてちょっとだけテンションが上がり、愛の想いを発信し続けて来るマキナ(携帯電話)を一撫でし、「後でね」と呟いてリビングの席へと向かった。

 

 サラダにスープにチキンステーキ。

 広げられている料理の外観は非の打ちどころがない。

 何だか台所でわたわたとしていた気がしたが、流石基礎能力の高い人達だ。

 私が長年かけて習得した料理技術も、袖子さんは容易く習得してしまったのだろうと思う。

 

 

「おおっ、本当に美味しそうですね! 袖子さん凄い! 私がここまで料理できるようになるまで相当年数掛かりましたよ!」

「むふふんっ! 私って実は天才肌なところがあるんだよ燐ちゃん! 何より燐ちゃんに食べてもらうために頑張ったしね! さあほらっ、ご飯が冷えちゃう前に食べよう二人とも!」

「そうですね。実は私、凄いお腹空いてたんですよ。えへー、美味しそう……」

「…………佐取さん、すまない」

 

 

 何故だか、煤けている袖子さんのお父さんがぼそぼそと何か言っているが、色々感情を表現してお腹を空かした私の前では些事。

 

 私に料理を振舞いたいと言っていた袖子さん。

「これこそやってみる事に価値があるのだ」なんて思って、多少の失敗はあるだろうと思いながら私はあえて手を出さなかった。

 私は基本的に好き嫌いなんて無いし、舌が肥えている訳でも無いので、袖子さんの多少の失敗なんて全然許容できるだろうし、これも経験だ。

 遠くない未来、桐佳が初めて料理を作ってくれた時に備えて、何かしらの失敗がある料理を味わう経験も必要なものだと思う。

 

 

「……今日はありがとうございました。最初はめんどくさいとか思ってましたけど、来てみたら本当に楽しくて。今は、来て良かったって思います」

「えへへ、燐ちゃんってば。またいつでもお泊り会しようね」

「そうですね。きっとまた。じゃあ、頂きますね」

 

 

 だから私は特に何の警戒もしないまま袖子さん達の向かいの席に着いて、なんだかんだ楽しかった今回のお泊り会を思い出していた。

 

 剣崎さん家族や袖子さんのお父さんとのやり取りなど問題は色々あった。

 けれど、やりたくないと思っていた今回のお泊り会を、いざこうして振り返ってみると。

 

 

「あむあむ、あむむ――――……っっ!!!???」

 

(御母様大好き大好きだいすっ……!? 御母様ーーー!!!!????)

 

 

 ……今後袖子さんが料理する時には絶対に立ち会う必要があることを、強く思い知らされたお泊り会だった訳だ。

 

 ちなみに私の嫌いなものに、辛すぎる料理が追加されたのは言うまでもないと思う。

 

 

 

 

 



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刻を重ねる

遅くなりましたが本日の投稿です!
そして明日で最後の間章投稿になりますので、また一度更新が途絶える事になります……
出来るだけ早めに投稿できるよう頑張りますが、そもそもが遅筆ですのでご容赦して頂けると嬉しいです……!


 

 

 

 

 

 

 

 

 常に消毒液の匂いが充満している施設だった。

 

 無機質で簡素な箱のような建物。

 その中でも、生活のほとんどを窓の無い小さな白い部屋で過ごし、等間隔で白衣を着た見知らぬ大人達が薄型の機械を片手にやって来る毎日。

 大人達が実験と称する痛くて苦しい行為は、幼い自分の体が持たないからと時々だけだったけれど、それでも毎回泣いてしまうくらい嫌だった。

 

 物心がつく前からいたそんな場所の記憶は、今だって悪夢となって現れる。

 

 大人達は繰り返し言っていた。

 君の異能という名の力は世界の人の為にあるのだと。

 君が感じている痛みや苦しさは誰かの幸せに繋がって、この研究で外部から異能の力に指向性を持たせて操ることができるようになれば多くの人が幸せになるのだと。

 そう言っていた。

 

 信じていた訳ではないし、彼らが好きだった訳でも無い。

 だって、いつだって彼らには冷たさしかなかった。

 幼いながらに、彼らの話が破綻している事には気が付いていたし、彼らが善い人でないのはなんとなく理解していた。

 今思えば異能という飛び抜けた才能の使い方を覚えた自分が本気で抵抗すれば、そんな悪夢のような場所から逃げ出すのは簡単だった筈だけど。

 ただ、この場所しか知らない自分には他に帰れる所なんて無い。

 

 本当にそれだけの話だったのだ。

 

 君の異能が衝撃を吸収するものだからより多くの衝撃を溜め込まなければいけないと、繰り返されるようになった耐久実験は徐々に激しさを増していった。

 そんな実験はやっぱり辛くて、最初は全ての衝撃を吸収し切れず、衝撃で怪我する事や骨が折れてしまう事も珍しくはなかった。

 異能の出力と性能を強化するためにと、あらゆる実験が執り行われ、常に自分を監視する誰かの数は徐々に増えていった。

 

 自分にこんな異能があることが憎くなって、こんな才能なんて無ければ良かったと思う事は何度もあった。

 

 

 こんな理不尽な痛みに満ちた世界だったけれど、僕の世界はこれが全てだった。

 だからきっと自分が終わりを迎えるその時まで、永遠にこのままだろうなんて思っていた。

 

 だから僕は全てを諦めて、少しでも上手く生きられるよう、出来る限り笑うようにしていたんだ。

 

 それなのに、こんな日々の終わりは唐突だった。

 

 

 一人の大人が発狂した。

 

 白衣の大人達の中でも一番偉かったその人が、巨大な影が部屋を埋め尽くしていると叫び出した。

 困惑する他の人達の視線など無いように、その大人は雄叫びを上げながら自分の頭を抱えてその場で蹲り泣きじゃくった。

 何もない宙に向かって頭を垂れるようにして叫び始めた。

 「許して下さい」と叫び続けた。

 喉が擦り切れ、血を吐き出しながらも叫び続けた。

 

 異常が伝播する。

 理解できない複雑な文字列が並んだ電子画面が火花を散らし、これまで少しだって暗くならなかった巨大な電灯が壊れたように明滅を始めた。

 悲鳴や恐怖の叫びが部屋中に響き渡り、電子ロックの掛けられていた扉が勝手に開かれていき、大小関係なくありとあらゆる電子画面は雑音と砂嵐を映し出した。

 

 白衣を着た大人達が残らず発狂し、悲鳴を上げてのた打ち回る。

 建物に置かれていた機械の全てが、外部からの干渉に抵抗できなかった。

 この建物を支配していた人も機械も、等しく誰かの悪意によって壊された。

 ほんの数分もしない内に、閉ざされていた白い箱のような研究所は姿も現さない“ナニカ”に掌握されたのだ。

 

 そんな異常を目前にしてもなお、何も感じ取れず、ただただ呆然としていた僕がようやく自分と同種の異能の出力というものを感じ取れたのは“ソレ”が姿を現してからだった。

 

 電子画面に貌の無いナニカが現れた。

 

 肌が粟立ち、毛が逆立つ。

 内臓の全てが凍り付いたように冷たくなり、自分の心臓の鼓動さえ聞こえなくなる。

 巨大で人型で詳細も何も分からないノイズだらけの異常な存在に、自分とは比にならない絶対的なまでの異能の力を知覚して、無意識の内に自分の生存を諦める。

 

 それくらい、画面を通して姿を見せたこの存在はどうしようもなかった。

 

 そして画面の向こう側から覗き込む“ソレ”が嗤ったその瞬間、示し合わせたように部屋に響き渡っていた悲鳴や絶叫が途絶える。

 

 静寂に包まれた白い箱のような建物の中。

 全てを諦めた囚人のように、あるいは血が通うだけの人形のように。

 “ナニカ”に許しを請うようにただ笑う大人達の姿が目前に広がった。

 

 

『……なんだいここは? 何だって急に奴が……子供? …………ああ糞、そういう事かい。まんまとこの私を利用したって訳かいクソガキめ』

 

 

 その声が響いた次の瞬間、まるで最初から何も起きていなかったかのように、この場に伝播していた異常の全てが溶けるように消え去った。

 

 時間にすれば数分にも満たないような出来事。

 でもそれが、僕の始まりの出来事だった。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

『……あれ? 僕、寝ちゃってた……?』

『なんだい、もう起きたのかい? まだしばらく移動が続くからもう少し眠っていても良いんだけどね』

 

 

 静かな車内。

 話声も無く、退屈しのぎの道具も無い退屈極まりないこの移動時間。

 最近は休む暇なく世界中を飛び回って異能を振るっていたからか、知らず知らずの内に疲労が蓄積していたようで、眠るつもりも無かったのに意識が飛んでいた。

 気が付けば扉にもたれ掛るようにして眠ってしまっていた事にレムリアが恥ずかしそうにしているのを、ヘレナは可笑しそうに笑う。

 

 

『夢でも見ていたのかい? うなされているのか、楽しいのかよく分からない寝言だったよ』

『えっと……どうなんだろう?』

『本人が分からなきゃ私にはもっと分からないね』

 

 

 閑静な住宅街の道路を走る車の中。

 言葉少ないレムリアの様子にヘレナはニタリと悪い笑みを浮かべる。

 

 どう見ても面倒な事を考えているヘレナの顔に、レムリアは軽く顔を引き攣らせる。

 

 

『まあ、大体予想は付くがね。あれだろう? “泥鷹”連中とやり合った時に会ったっていう小娘の事だろう? 傷付いたレムリアを背負って運んでくれた子供。ここ最近はずっとその娘の事を考えているものね? ひひっ、レムリア……それは恋って奴さ』

『違うって!? もうっ、ヘレナお婆さん! いつもからかってくるけどそういうのじゃないってば! ロランも適当な事を言ったんだろうけど、本当にもうっ!』

『人間なんていつ死ぬか分からないし、大事に抱えた気持ちだっていつ枯れ果てるか分からないもんだよ。どっちも無尽蔵なんかじゃないんだからさ、クヨクヨ迷わず玉砕するくらいが丁度良いもんなのさ。そんで、できたら私が死ぬまでに子供を見せとくれよ』

『ヘレナお婆さんのそういう下世話なところ、ルシアとかアブサントとか本気で嫌がってるからね! ベルガルドが言ってたもん! それはセクハラって奴だって!』

 

 

 ケラケラと悪い魔女のように笑うヘレナに顔を赤くしてレムリアは怒る。

 少しだけ意地が悪いけれど、普段は何かと世話焼きで視野が広く尊敬できる大人の女性なのだが、こういう色恋が関わる事(それも他人の)となると一気に面倒臭くなるのがこのヘレナだ。

 

 10歳に満たない程度の、自身の初恋すら自覚したことの無いレムリアだが、ヘレナのこの面倒臭さは彼女の庇護下にあるこれまでの中で嫌という程理解させられているのだ。

 同じ組織内で言えば、主に、身分違いの両片想いしているようなルシアとアブサントがその被害者。

 間近で見て来たその面倒臭い絡みには、恋愛経験が無くとも傍で見ているだけで辟易とさせられる。

 

 

『クククッ、昔のようなじれったい恋はもう飽き飽きだからね。今の主流は素早いハッピーエンドさ。障害の一つや二つ軽く飛び越えていきな』

『ううぅ……全然反省しないようぅ……ルシアもアブサントも可哀そうだよぅ……』

『ひひっ、あいつらがとっととゴールインすれば全部解決するんだよ? レムリアも一緒に二人をくっつける計画を立ててみないかい?』

『僕はそういうのやらないもんね!』

 

 

 もはやどちらが意固地なのかと思う程、お互いの主張を曲げない平行線の会話をしていれば、いつの間にかレムリアの眠気もどこかに飛んでいってしまっていた。

 少し前までは一切の会話が無かった車内があっと言う間に騒がしくなった事に、運転手が呆れたように笑っているが、そんなこと二人は気にもしない。

 

 

『まあね、何にせよ。自分の立場がどうだとかを気にするにはルシアやアブサント、勿論レムリアもまだまだ早いってことさ。レムリアが気になってる小娘については、今度日本に行く時にでも連絡すればいい』

『……』

『ああ、連絡先聞けなかったんだったかい? なら、向こうの警察にその当時に巻き込まれた人の情報を出させれば何とでもなるね』

『……そんなことしちゃ駄目だもん』

『事件解決には必要な事さね。さて、まあ、そんな話はさておいて』

 

 

 そこまで言って無理やり会話を打ち切る。

 いつもならもっとしつこい筈のヘレナお婆さんがどうしたのかと、レムリアが首を傾げていると老女は心底面倒臭そうにチラリと外に視線をやった。

 

 背後から迫って来る大型の車両が3台。

 その車両に乗る者達が、足元から大型の銃器を取り出しているのを確認した。

 彼らが取り出した高品質の銃器は、最近世に出回っている軍用のものだろう。

 

 そんな風に大雑把に判断を済ませたヘレナは呆れ気味に呟く。

 

 

『襲撃だね。改造車両が3台と10人』

『本当に最近治安が悪いよね……僕達がこの車に乗ってるってどうして分かったのかな』

『あの銃器を流通させてる奴が教えたんだろうね。異能を持つ前から傍迷惑な奴だったからね、アイツ』

『それにしたってわざわざヘレナお婆さんがいる所を襲撃するなんてね……僕が行くよ』

『必要ないよ。丁度少し、異能を使いたかった所さ』

 

 

 立ち上がろうとしたレムリアを制止して、ヘレナはそう言う。

 いつもなら訓練と称してレムリアに対応させるヘレナのその言葉に、意外そうにレムリアが首を傾げれば、彼女は手に持っている杖で軽く床を叩いた。

 

 

『周りが住宅街で人通りも多いからね。万が一レムリアが力加減を間違えたら大変だろう?』

『むっ! そんなことしないもん! 最近は暴発とかもしないし、むやみに物を壊したりしないし!』

『ひひっ、それは楽しみだ。私はそんな優秀なところお目にかかれていないしねぇ』

 

『ど、ど、どうしますか!? 車を停車させたりした方が!?』

 

『いらないよ。まあ、そんなに慌てる必要は無いさ。異能の感じも、どうやら程度の低いものらしいからね』

 

 

 次の瞬間。背後から迫ってきていた車両から発砲音が連続した。

 襲撃者達にとっては完全な奇襲のつもりなのだろう、息を吐く間もないような軍用銃器による連射。

 若干の雑さは残るもののどこか手慣れた襲撃に、素人が見よう見まねでやっているだけとは思えない手際の良さを持っており、何度かこういった荒事を行って来た者達なのだろうことは間違いない。

 一方で、荒事に慣れていない自分達の運転手が連続する発砲音に怯えて小さな悲鳴を上げたのを見て、ヘレナは仕方の無さそうにレムリアに指先だけで指示をする。

 

レムリアは運転手をいつでも助けられるようにと運転席に近付き、ヘレナはその場から動くことなくもう一度杖を床に突いた。

 

 

『ビビることないさ。私が何とかしてやるから事故だけは起こすんじゃないよ……さて、やろうかね』

 

 

 彼女のそんな言葉に連鎖するように。

ヘレナ達が乗る車両のすぐ後ろまで飛来していた弾丸が溶けるように消え去った。

 それどころか、息も吐かさぬと連続して発射される新たな銃弾が一定の距離を跳んだ瞬間に消えていく。

 

 文字通り、消失だ。

 車両による移動速度の中とはいえ、次々連射する銃弾が何一つ物に当たらないまま消えていく光景の異常さに襲撃者達が気付くのはすぐだった。

 

 困惑する襲撃者達。

 自分達の銃器が故障しているのではないかと確認する者まで出る始末だが、ヘレナはそれを確認すると、文句を言うように呟く。

 

 

『なんだい。私の異能の情報すら貰ってないのかい。奴ら、本当の意味で鉄砲玉じゃ無いか』

『……知っちゃったら襲撃しようとなんて、しないからじゃないかなぁ……』

『なるほどねぇ。また“死の商人”してんのかい、あのトンチンカンは』

 

 

 『まあ、だからといって手心は加えないけどね』、そう言ったヘレナに対して、襲撃者は次に異能の使用を選択した。

 

 異能という超常が世界を歪ませる。

 

 一つの大型車両の側面が大鎌のように変形した。

 異常加速した車両があり、あるいは出射した銃弾を巨大化させたものもある。

 多種多様な非科学的な変化を見せた襲撃者達の攻勢に運転手が小さな悲鳴を上げるが、対応しているヘレナは『つまらないね』と言った。

 

 

『カーチェイスに応じるのはドラマや映画の中だけさ。特に異能が関わるこういう場面だと』

 

 

 そして、ヘレナは自身の異能を一度だけ強く放出する。

 

 

『弱い方が一方的に潰されるだけさね』

 

 

 巨大な球体がヘレナの車両を守る壁のように現れた。

 物質的でない、歪んだ空間そのもののような球体の内部は渦巻くような流動を見せている。

 そして、迫ってきていた銃弾や襲撃者達が乗る車は突然現れたその現象を躱せる筈も無く、自ら衝突し、歪んだ空間のようなソレに喰らい尽くされた。

 

 悲鳴や叫びは聞こえない。

 流血や骨折もきっと無いだろう。

 けれどもう彼らが襲撃を続ける事は出来ないのだろうなと、背後の襲撃者達の様子を眺めていたレムリアは判断し、その異能の相変わらずの凶悪さに感嘆の溜息を吐く。

 

 

『……めちゃくちゃだよヘレナお婆さん』

『初めて見る訳でも無いのにないだろう? ほれ。良いから、あとから来てる奴らに連絡して、動けなくなっているボケナス達の回収をさせときな。有益な情報なんかはなんも出てこないだろうが、まあ、放置してたら他の車に轢かれちまうかもしれないしね』

『……こういう連絡を僕にさせるのって違うような気がするんだけどなぁ……』

『レムリアを一人前にするための親心さ。私がいる内にいっぱい失敗をさせてあげたいからね』

 

 

 大して疲れても無い筈なのに、まるで大仕事をした後のように『ふぅ、やれやれ』と息を吐いているヘレナにレムリアはジトッとした目を向けながら、投げ渡された携帯電話で担当職員に電話する。

 四苦八苦しながら状況の報告をして、電話先の担当職員が仕方なさそうに苦笑するのに対し平謝りして、何とか通話を終えればヘレナはやるじゃないかと褒めて来る。

 

 レムリアとしてはなんだか色々腑に落ちないけれど、褒められるのは悪い気がしないので取り敢えず誤魔化される事にした。

 

 

『さてと、次の仕事が終わったらようやく日本に行けるね。あの若造、変なことしてないだろうね』

『日本に行くって決めてからもう数か月も経つんだよね。神薙先生を狙った襲撃って話は聞かないけど、どうなってるんだろう?』

『聞かないってことは無いんだろうね。たとえ脱獄してたとしても、アイツの性格を考えると多くの犠牲者を出すような事はしないだろうし。そもそも現状の異能犯罪の発生率の格差を考えると、あの国は奴の…………ま、そんなことよりも、私としてはレムリアの片想い相手を一目見られるのが一番の楽しみだけどね』

『だからっ、そんなんじゃないんだって! もっー!!』

 

 

 襲撃という一大事があったというのに、振出しに戻ってしまったヘレナの面倒臭い絡みにレムリアは頭を抱えた。

 

 

 

 

 



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悪と評される者達の

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は夕食時より少し前。

 その少女、佐取桐佳はこれまで動かし続けていたシャープペンシルを持つ手をいつのまにかピタリと止めて、食い入るようにテレビから流れる報道を注視していた。

 

 受験まであとわずか。

 第一志望である高校に合格するためにと、ここ最近は勉強以外のほとんどをしていなかった彼女が、まるで勉強を忘れたかのように食い入るようにその映像を見詰めていた。

 

 

『ご覧ください! これが超能力、正式には異能と呼ばれるものの力を使った犯罪行為になります! 映像にあったように警視庁本部を爆破させたこの力が、今世界を揺るがしている才能なのです!』

 

 

 最近繰り返されている一連の事件の報道。

 その中でも今流れているのは、世間を騒がせていた“異能”という超常現象が使用された場面を映した映像だった。

 警視庁本部の建物を破壊した爆発の力を報道の映像で確認して、クラスで話題となっていた話が確かなものであったのだと、少女は呆然とする。

 

 

「……本当に超能力ってあったんだ」

 

 

 ポツリと呟いた言葉に、隣で同じように映像に見入っていた遊里という少女がコクリと頷いた。

 

 

「そ、そうだよね。前から話題になってたけど、どうしても現実味がなかった話だったのに。こうして実際の映像で出されちゃうと、実は思ったよりも身近にあるんじゃないかって思えて、怖くなるよね……」

「超能力を使った犯罪行為……そんなのが身近で起きているんだったら……」

 

 

 流れる映像の悲惨さを目の当たりにしながら佐取桐佳は想像する。

 過去に身近で起きていた事柄が、もしも超能力を使ったものだったらと想像した。

 

 もしも以前の、家に乗り込んで来た暴漢が超能力というものを持っていたら。

 もしも以前の、子供達を誘拐していた犯人が超能力を使用したものだったなら。

 もしも以前の、遊里という友人に関わる不幸が超能力によって引き起こされたものだったのなら。

 

 そしてもしも、自分に超能力というものがあったとしたら、何が変わっていたのだろうと想像する。

 

 

「じゃあ……じゃあ、超能力を手に入れるための薬が出回っているっていうのも本当なのかな……?」

「それは、どうなんだろうね? ほら、話題の超能力を手に入れられるっていう詐欺に注意してって先生がちょっと前に言ってたでしょ? 詐欺をする人達はそういう話は作りたいだろうし、超能力が本当でもそういう薬の話は嘘の可能性もあるし……そもそも凄い高価らしいから私達じゃ手は出せないと思うよ」

「そっか……そうだよね」

 

 

 そんな、家族に近い間柄の友人から出された冷静な意見に、桐佳は自分の高揚していた気分が落ち着いていくのに気が付く。

 

 確かに、超能力という未知の才能に興味はあった。

 世間的な話題になっている事も知っていたし、少しだけ自分の携帯で検索を掛けてみて、手に入れる方法はあるのだろうかと探してみたりもした。

 それでも、あくまで空想上の魔法のような、決して手が届かないものだという認識の線引きはしていたつもりだったし、自分が超能力者になってポンコツな姉を守ってやるような妄想は軽くで済ませていた。

 世間の話題に乗じて少しだけ情報収集をしているだけで、夢見がちな他の同級生達とは違うと思っていたのだ。

 

 だが、こうして少しだけ蓋を開けてみると。

 

 

(……何この、映像を見た時の高揚感と、冷静になった後の落ち込んだ気分……これじゃあまるで私、本当は憧れていたみたいな)

 

 

 知らず知らずの内に変な憧れを持っていたかと、中二病染みた自分の感性に少しだけ恥ずかしくなった桐佳は勢いよく自分の両頬を叩いて正気に戻る。

 

 こんな事でくよくよしている時間は無い筈だと自分を鼓舞し、言い聞かせるように声に出す。

 

 

「よし! 馬鹿なこと考えてないで勉強しよっと! もう受験まで日数ないしね!」

「桐佳ちゃんは不安になる必要はないんじゃないかな……? 正直、桐佳ちゃんで無理なら私はもっと無理な気がするんだけど……」

「万が一にも落ちて、あのポンコツお姉に笑われたくないの! あのポンコツっ、誰に対しても容赦なく『うぷぷ』って笑うんだよ!? すっごい腹立つんだからね!?」

 

「――――ん? えっ!? なんか今、急に桐佳の馬鹿にするような声が聞こえた気がするんだけど! 私、今は何にもやってないのにそんなっ、聞き間違いだよね遊里さん!?」

「燐香ちゃん包丁持ってる時は興奮しちゃ駄目! 危ないでしょ!」

「ご……ごめんなさい……」

「あっ、ちがっ……わ、私こそごめんなさい! いきなり怒鳴っちゃって驚いたよね!? 落ち込まないで燐香ちゃん!」

 

 

 台所にいた誰かの抗議の声が聞こえた気もするが、桐佳は気にしたような素振りも無いまま視線を勉強用のノートへと落とす。

 まだまだ勉強しなければならない事は残っていて、これまでの勉強の成果を発揮する機会はもう目前まで迫っているのだから、それ以外の事なんて考えてられない。

 

 結局どんなに世間が大騒ぎしようとも、テレビの画面先の出来事はあくまでテレビ画面の先の出来事。

 ニュースで目にした事件の数々やテレビで活躍している著名人にだって、これまで一度も遭遇したこと無いのだ。

 世間に話題になるようなものなんて、何の変哲もない自分達家族に直接関わって来るようなことなんて無いと、佐取桐佳は思い直した。

 

 だから今、自分がやるべきなのはただ自分の目標に向かって。

 台所で料理をしている自分の姉の背中にそっと視線をやって、再び桐佳は目の前の勉強に取り掛かった。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

『良い光景だねぇ。絶景の観光スポットを上空から眺めるのはやっぱり気分が良い』

 

 

 とある旅客機の窓際の席で、一人の男が無邪気にそう話す。

 まるで初めての旅行を楽しむ様な高校生のような気軽さで、その銀髪の男性はニコニコと人好きするような笑顔を浮かべていた。

 

 恐らく社交性が高い人物なのだろう。

 多くの人が搭乗する旅客機の中で声を抑える事も無く自身の感動を言葉にして、その喜びを分かち合うように前の座席の人の頭を興奮したようにポンポンと叩いていく。

 

 だが、見ず知らずの他人だというのに物怖じせず、それどころか長年の親友であるかのように振舞うこの男性の姿は少々常軌を逸している。

 

 

『ほらほら感動的だ君も見てくれよ。澄んだスカイブルーの海は人類共通で美しいと感じるものだと思うんだがどうかな? それともなんだろう、君は大地に咲き乱れるワインレッドの花々の方が好みかな? いやでも確かにあちらも良い。人が作ったものとはいえ美しさには自然だろうと人工だろうとそこに差はないと俺も思うんだ。気が合うね? 甲乙つけがたいとはこの事を言うのかな。どちらにせよ、どちらも楽しんでいる俺達は恵まれていると思わないかな?』

『っ……』

 

 

 銀髪の男性以外は静まり返った旅客機の中。

 自分よりも二回り以上年下のような相手に馴れ馴れしく話し掛けられて、それでいて顔見知りでも無いのに軽く頭を叩いて来るような不躾な態度に思う所があるのだろう。

 銀髪の男性に頭を叩かれる初老の男性は、顔を青く染め上げ、紫色の唇を震わせ、ただ引き攣ったような声を口から漏らしているだけでまともに返答しようとしない。

 

 当然そんな返答は銀髪の男性にとっては求めていたものでは無かったようで、少しだけ溜息を吐くと前の座席の人物から後ろの座席の人物へと標的を変える。

 背もたれを乗り越えるようにして上半身を出し、後ろの妙齢の女性へと声を掛ける。

 

 

『海は綺麗だ。生命の母であり人の手が入っていないという神秘性は得難いものがある。けれど俺は人の手で開拓した大地の繁栄もまた別の美しさを持つと思っているんだよ。人が作った大地の繁栄は人間の叡智の結晶でありある種の芸術品だ。だから俺も、開拓されていない場所があれば自分の手で開拓してみたいという欲求も人並み以上に持ち合わせている。まあ、商売人としては利益を出すために新天地を開拓するというのが一般的な考えかもしれないけれどね。商売にしても思想にしても、開拓が終わっていないところって言うのは無限大の可能性が残されているものなんだ。そして、俺にとってこの飛行機の目的地はある意味開拓の終わっていない新天地でもある。最高だよ。今の俺はワクワクが止まらず饒舌になってしまってるんだよ。騒がしくて悪いねぇ』

『ぅぷっ……ひっ……』

 

 

 爆発音が響く。

 遠い場所からの衝撃が地震のように旅客機を揺らした

 それでも悲鳴すら上がらない旅客機の中で、話し掛けた相手がことごとく反応が薄い事に心底残念そうに肩を竦め、銀髪の男性はそれならと隣の席に顔を向ける。

 前後の席の人達と同じように、顔を青くしてきょろきょろと周りを見回す小動物のような少女に、その男性はにやけた表情を向ける。

 

 

『悲しいね。こんなに話し掛けてるのに誰も返事の一つしてくれないなんてさ。こういうのが俺に人望が無いって言われる所以なんだろうね。ねえミレーちゃん、君なら返事をくれるよね? 君はどう思う? 自然に出来上がったものだろうと、人工で出来上がったものだろうと何も変わりはないと思わないかい? 開拓の余地を残した場所を見付けたら自ら開拓してみたいとは思わないかい? いいや、否定こそ嘘だと思わないかい? 生物が自分の本来の欲望や感性を否定するなんて、気持ち悪い事だとは思わないかい?』

『お、お、おらは…………』

『ん? んー? んんんー? おかしいな? もっと噛み砕かないと分かんないかな? まあ確かに小難しい話は話している方は気持ち良かったりするけれど、聞かされている方は退屈だったり意味が分からなかったりするものだからね。なるほどこれは俺のミスかもね。いやはや申し訳ない。君らにも分かりやすいように話すとだね……』

 

 

 他の乗客達とは異なり、ある程度の安全が保障されている筈の隣にいる少女さえまともに返答しない事に、男性は自分の説明が悪いのかと思い直して、より噛み砕く。

 

 昔に出会った彼らの事を、懐古する。

 

 

『例えば“千手”という男は自分の理想に準じて世界の思想を開拓しようとした。彼が持っていた異能は人工物であったけれど、その力は彼という一個人に強大な武力を与え、抵抗する者達を集団ごと引き裂くことを可能としていた。暴力による開拓で、彼は多くの者に恐れられその名を轟かせた。その思想の根源は進歩への渇望だった』

 

『例えば“白き神”という男は誰よりも自分本位に他人を支配した。あの男は自然に備わっていた“精神干渉”の異能によって他人の精神という未開の地を開拓し、ほとんどの人間がどうやったって手の届かない場所から利益を独占していた。理不尽による開拓で、彼は多くの国家を揺るがした。その思想の根源は他者への憎悪だった』

 

『そして“始まりの異能”を持つアレは、あらゆる原点である異能を有しているにも関わらず、何も開拓することが出来ず、何も得る事が出来なかった。その思想の根源は世界への絶望だった』

 

『程度に違いはあってもさ。手にした力の価値がどうであってもさ。知りもしない他人にとってのお利口さんでいようと自分の本来の衝動を否定しているようじゃ何も得られることはないんだよ』

 

 

 静かな旅客機。

 響く一人の男の話声。

 そして旅客機の眼下に広がるのは、美しい青色の海と人々の争いによって起きる爆発や火災の赤い炎。

 

 男以外の乗客は血色を失ったような顔色と震える体を隠す事も出来ず、頭の中に響く声に恐怖する。

 

 

『――――俺はね、この世界を創った神様はもっと単純なものを望んでいたと思うんだ』

 

 

 “死の商人”と呼ばれる男性、バジル・レーウェンフックは無垢な子供のようにそう言った。

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

 日本の異能を持つ者達をまとめて収容している特別な刑務所。

 それは、頻発している異能犯罪を重く見た政府の重役が早急に建設を命令した新施設だ。

 最新の技術を駆使した、間違いなく最高のセキュリティを誇る刑務所であるが、同時にその内情を知る者達からは“氷彫刻の監獄”と揶揄される建物でもあった。

 

 理由は単純だ。

 異能を抑え込むことが出来ていない。

 異能の原理を分かっておらず、異能に対抗できる技術も持ち合わせていない。

 どれだけ世界最高峰の技術を用いたセキュリティを擁する刑務所だったとしても、その場所に収容されている者達の特異性を考えれば、その脆弱性は火を見るよりも明らか。

 

『収容されている犯罪者達が持つ異能次第では脱走が容易である』なんて、刑務所としては致命的な欠陥が存在しているからだ。

 

 例えば、異能犯罪の専門家であるICPOのある部署であれば、人権すら無視するような徹底的な拘束によって異能の使用を封じているのだが、今のこの国ではそれも出来ていない。

 人権や世間の注目、異能の有用性を加味した机上の討論によって取り決められたこの国の異能犯罪者の扱いは、骨組みすら整っていないような不出来なものであるのだ。

 

 

「ああ糞、またここに戻ってきちまった。そろそろ俺の活躍に免じて違う場所で寝泊まりさせてくれないもんかな……」

 

 

 そろそろ日が落ちようかという時間帯。

 そんな場所に戻って来た何処にでも居る一般人のような風貌の男性がそう呟いた。

 

 彼は臨時職員としての立場で警察に協力している、犯罪者の“紫龍”である。

 今の世間的には妙な人気を誇っている彼であるが、“紫龍”がそう言うのは別にこの場所の寝心地が悪いとかそういうのではない。

 

 “紫龍”は単純に、同じ異能という凶器を持つ犯罪者が近くにいるのが怖いのだ。

 

 異能という力を自身が所持し、同時に警察の臨時職員として多く見て来て、異能という力の理不尽なまでの危険性を身に染みて分かっている。

 だからこそ、“紫龍”はこの刑務所の脆弱性を強く理解していて、こんな場所で自分の同類と寝食を共にしている事が彼にとってはこの上なく恐ろしいのだ。

 まあ、あとは仕事中だけでなく私生活でもチヤホヤされたいという願望があったりもするが、大部分は自分の身の安全のためである。

 

 

「……ふん」

「…………なんだよ新入り。言いたいことがあるなら言いやがれ」

 

 

 基本的にこの刑務所は完全な個室だ。

 お互いの顔も見れないよう調整されているし、同じ作業を一緒に行うことも無い。

 けれど、異能なんていう凶器を保持している彼らの部屋をこの刑務所の内情を知る看守は好んで見回りなどしないため、半ば放置されている状態である。

 

 つまり。

 

 

「こっちこそお前のような奴が隣の部屋にいると思うと虫唾が走る」

「あ゛ぁ? てめえっ、俺にやられてここにいる癖に生意気だな!? もう一度俺の異能でぼこぼこにしてやろうか? お? 俺に負けてここにぶち込まれたの、まさかもう忘れましたなんて言うんじゃないだろうなぁ?」

「ちっ……」

 

 

 扉に小さな窓があるその部屋では、同じように部屋に入っている近くの相手とであれば会話する事は可能。

 

 だからこそ、“紫龍”の愚痴に反応した、隣の部屋に収容されている『警察組織の改革を図った思想犯』宍戸四郎がウンザリとした口調で吐き捨てる。

 

 

「毎日のようにグチグチと隣の部屋で呟かれたら不快でしょうがないんだ。少しは静かに出来ないのか? それと、異能という力に目覚めたばかりの先日と今の俺が同じだと思うのか? 前々から頭が足らない奴だとは思っていたが、どうやら想像以上だったらしいな」

「お? いいぜ、俺はいつでもやってやるよ。あの病院であった奴に比べればお前なんざ怖くねえんだよ。お前程度なんざ経験豊富の俺にとっちゃ、もう雑魚雑魚も雑魚よ!」

「……頭の足りない奴は危機管理も出来ないか。悪いな、話すことも億劫になってきた」

「上等だてめえっ、もう一回どっちが上かを思い知らせてやるよ……!」

 

「喧嘩は止めなさい。そんな下らない諍いで怪我をするんじゃない」

 

 

 そんな程度の低い言い争い。

 “紫龍”と宍戸四郎の口論を、もう一人の囚人である神薙隆一郎が遮った。

 

『異能と技術と立場によって日本社会を牛耳っていた知能犯』、“医神”神薙隆一郎。

 犯した所業から大犯罪者に区分されてもおかしくないその老人にとって、目の前の諍いはもはや日常であり、この場においてはどちらに味方する事もない微妙な立場だった。

 

 一度異能によって罪を犯した“紫龍”が警察に協力して異能犯罪を解決している事に、神薙隆一郎は肯定的だ。

 だが同時に、お金や他人からの称賛、そして名声といったものが大好きな“紫龍”のコロコロと立場を変える態度が心底気に入らないという宍戸四郎の考えも神薙は理解できるのだ。

 この場に収容されている二人の考え方や衝突に理解は示しているものの、曲がりなりにも医者であった神薙にとって、目の前の争いは許容できない。

 

 何とか大事に至るようなことも無く、不要な怪我も無いように、年若い二人の争いを年長者として諫めようと、神薙は扉越しに優し気な口調で二人を諭そうとする。

 

 

「罪を償う立場を弁えなさい。私達が争えばこの場所がただでは済まないのは分かるだろう。異能を持つ犯罪者である私達が未だに人道的な扱いを受けられているのは異能という力に過剰に危機感を持つ人が少ないからだ。私達がこの場で争って異能の危険性について考え直されたらどうなるか、考えてみるんだ。良いかい、怒りなんてものは瞬間的なものさ。深呼吸をして相手の立場に立ってみると良い。こんな事で争い合おうなんて――――」

 

「爺は黙ってろ!」

「何を今さら常識人面してるんだ爺さん。“医神”と呼ばれても今ここにいる時点で俺達と同じ穴のムジナだろ。何か言える立場だと思っているとはお笑い草だな」

 

「……ああ、まあ、そうなんだがね。そうはっきり言われると中々傷付くものだね……うむ」

 

 

 何の遠慮も無い二人の言葉にすっかり意気消沈した神薙。

 眉尻を下げて、意気消沈した神薙を放置して、“紫龍”と宍戸の言い争いは白熱していく。

 最初は相手の行動を基にした罵倒だったのが、今では根拠も無い変なものになり果てているのに、恐らく当事者である二人は気付いてもいないだろう。

 

 完全消灯の時間までまだまだあるが、これではその内誰かしら注意しに来るのではないだろうかと不安になった神薙が外の様子を窺っていると。

 

 誰かが廊下の扉を開いたのに気が付いた。

 

 

「……まったく、ほら流石に看守の人が来てしまったじゃないか。すまないね、看守の方。いつもの喧嘩がちょっと今日は激しくなってしまったみたいなんだ。君が注意した後に私からも言っておくよ」

「…………」

「む……?」

 

 

 だが、神薙の予想を裏切って、廊下の扉を開いた人物はそのまま別の扉へと抜けて行ってしまった。

 

 異能持ちが収容されているこことは別の、もう一つの牢屋の方向への扉を抜けていった。

 性別という事情で分けられているもう一つの牢屋がある場所、その先に現在収容されているのは一人だけだ。

 

 

「……あちらは雅の方か」

「お? 看守の奴、まさか女の異能持ちの方にちょっかい掛けに行ったのか? 爺の連れだろ、大丈夫か?」

「どうしようもない警察官や刑務官はいるものだが、流石に異能持ち相手にどうこうしようなんていう馬鹿はいない。それも、日本政府が未だに厚遇している神薙隆一郎の逆鱗ともなりえる相手となれば、多少常識のある奴なら手なんて出す訳が無い。馬鹿は変な心配をするな」

「今行った奴に常識が無かったらどうするんだよ?」

「…………そんな、お前以上の馬鹿なんて……いや、だが……確かにそういう奴は……」

 

 

 苦悶のうめき声を上げる宍戸とは異なり、なんだかんだ柿崎にしごかれながら警察の業務を見て来ている“紫龍”は少しだけ警戒するように廊下に視線をやっている。

 正義感うんぬんではなく、“紫龍”にとって自分のテリトリーで好き勝手やられるのは大嫌いなのだ。

 そんな野生の動物のような“紫龍”の性質からの警戒心ではあったが、声だけ聴いていた宍戸は何を勘違いしたのか少しだけ見直したように息を漏らし、同じように看守の消えた扉に視線をやる。

 

 だが、最も心配する筈の神薙は廊下の先に視線をやったまま、表情一つ変えることは無かった。

 じっと廊下の先を見詰め、ゆっくりと天井を見上げて、ただ一言小さく呟くだけだ。

 

 

「……雅。変な事をされそうなら反撃していい」

 

 

 神薙の呟きに反応するように、天井裏からゴポリと水音が響いた。

 

 

 

 

 

 

「あー……? 先生ってば、本当に心配性だなぁ。先生がそんなこと言わなくても、反撃の判断くらい自分でやるのに」

 

 

 ボンヤリと天井を見上げていた女性が落ちて来た雫に触れて、唐突にそんなことを言った。

 ドロリと淀んだ目を天井から廊下の先へと移してから、いくつかの分身体を切り離し、近くに潜ませる。

 

 

「でもまあ、先生が心配してくれたことはとっても嬉しいし、私を想っての事ならなんだって良いかな。ここのところ暇してたし、できれば刺激的な事をお客さんには期待してるけどね」

 

 

 罪を償おうと神薙に言われている手前、この女性、和泉雅には脱獄や抵抗をしようという意思は無い。

 彼女はこれまで大人しく異能の研究に協力してきたし、質問された事には嘘偽りなく答えて来たのだ。

 だが同時に、もしも非人道的な行いをされそうになった時は反撃して良いとも神薙に言われていた為、サイコパスである彼女にとってそういう行いをしてきた相手は唯一の玩具でもある。

 

 刑務所に収容されて初めてとなるかもしれない玩具の出現に、和泉は看護師の時に作っていた柔らかな微笑みを携えて客人を待ち構える。

 

 

(さて、ここの看守の顔は全部覚えてるけど、どれがここに来たのかな。どれが来ても面白いけど――――)

 

 

 真っ直ぐ向かってくる足音。

 それが迷いのない、一定のリズムで近付いて来る。

 自信に満ちたような迷いのない足音が扉の前で止まり、小窓から相手の顔が確認できた瞬間、ポカンと、それまで微笑みを浮かべていた和泉が心底呆気にとられたような顔で固まった。

 

 看守服を着たその人物。

 その女性が看守などでは無く、またこんな場所に来る筈がない相手であった事実に、和泉は浮かべていた看護師としての笑顔も消して、首を傾げる。

 

 

「――――は? なんで君が……君がここに来る理由なんて……」

「……」

 

 

 無言でじっと自分を観察するそのありえない相手を呆然と見上げ、その人物にまったく害意がない事で、何かを理解した和泉はクシャリと凶悪な笑みを浮かべた。

 悪意に満ちた、あるいは純然たる興味に満ちたその凶悪な笑みと対峙しても、扉の先の人物は眉一つ動かさない。

 

 

「……いや、そうか。そういう事か。くひっ。あひひっ。あー、分かったぞぉ。なるほどねぇ。この前ここに入った元警察官の件で疑問があったけど、君のそれはそういう事か。頑張ってるんだねぇ君」

「…………」

「いいとも。存分に、思うがままに計略を立ててみると良い。私や先生が成す術無かった、思い出せもしない奴を相手に、君のそれがどこまで通用するのか。拝見させてもらおうか」

 

 

 ケラケラと、周りに潜ませていた分身体と共に、牢屋の中に幾つもの哄笑を響かせた和泉は、それから心底楽しそうな微笑みを作る。

 

 

「良いね。私、君のファンになれそうだよ」

 

 

 部屋に降り注いでいた夕日の光が、夜の帳に呑まれて消えた。

 

 

 

 




いつも本作にお付き合い頂きありがとうございます!

今回の間章もこれにて終了、次回から3章となる予定です!

まったりとしたペースで申し訳ありませんが、これからもお付き合い頂けると嬉しいです!


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Ⅱ‐Ⅲ
影を追う


お久しぶりです、新年あけましておめでとうございます!
何とか章が形になりましたので投稿を始めたいと思います!
今年もお付き合い頂けたらとっても嬉しいです!


 

 

 

 

 その日の朝、佐取優助は上機嫌だった。

 

 晴れ渡る空に、さえずる小鳥の鳴き声が聞こえる朝方。

 父親が仕事へ、遊里の母親がパートへと出た後、優助は無表情で新聞を片手にコーヒーを嗜んでいた。

 優助の人となりを知らない人が彼のそんな姿をすれば不機嫌そうにも見えるだろうがそんなことはない。

 こんな朝っぱらから元気に響き渡るリビングでの妹達の喧嘩の勃発にも、まったく気にしないくらい晴れ渡る機嫌の良さであるのだ。

 

 勿論それは、彼が落ち着いた朝の一時を過ごせているからという訳ではない。

 

 今日だけでも優助の精神を削るような色々な攻撃はあった。

 そもそも寝不足で体調不良であったり、そんな朝から響き渡る自動掃除機のやけに張り切ったような掃除の音だったり、自分を嫌う妹の受験勉強のストレスによる不機嫌な様子などなどの基本的な攻撃。

 そして変則的な攻撃である、未だに自分には少しだけ壁があるような新しい妹分の態度や、上の妹がなぜか無駄に張り切りまくって可愛らしいキャラ弁を用意していたことには少しだけダメージを負ったが、それらも取り敢えず致命傷ではない。

 

 そんないつもなら朝からグロッキーになり、げっそりとした状態で大学に行くような妹達からの波状攻撃にも全く動じない。

 

 不動で、余裕のある兄としての姿を維持出来ている。

 それくらい、今の優助のメンタルは強靭なのはとある理由があった。

 

 というのも。

 

 

(……完成した、とうとう完成したぞっ……! 前に燐香に見せた試作品、あれにも俺はある程度自信を持っていたが、いくつも問題点を燐香に指摘されたからな……。そこから改良を加え、現実的に使えるレベルまで性能を向上できたことを、なんとか早く燐香の奴に見せ付けて驚かせてやりたいが……な、中々タイミングが無いな……)

 

 

 以前、上の妹である燐香に見せた“異能出力探知計”の改良版が完成したのだ。

 原型となるものを作り上げるまで3か月、改良版を完成させるまで半月程度。

 あのポンコツ妹による心折なダメ出しには挫けかけたが、こうして自分が自信を持てるほどの改良品を作り上げられたのはあのダメ出しがあったからだと優助は思っている。

 

 だからこそ、今回の改良品を現代の魔王改め、割と頭の回転が速い妹の佐取燐香に見て貰おうと思っているのだが、中々そのタイミングが訪れない。

 今日も今日とて、燐香はもう一人の妹である桐佳と仲良く言い争いをしているし、そんな二人の様子が未だに慣れないのか、新しい妹の遊里は二人の間でアワアワしている。

 

 事情を知らない妹二人の前で異能に関する話をするのは流石に出来ないので、完成した改良品は未だに優助のポケットの中に寂しく仕舞われたままだった。

 

 

(……本当は大学の講義を休んで、燐香と改良品の改善点を話し合いたいところだが……まあ、それはな。燐香の奴に変な迷惑を掛けるのも悪いし……あ、今日は取っ組み合いまで始まるのか)

 

 

 ブオンブオンと興奮した様子の自動掃除機が二人の周りを走り回り、どちらを優先して止めるべきかと遊里が混乱を始め、ついには取っ組み合いの喧嘩となった二人の妹の様子。

 そんな諸々の暴れっぷりを「学校がある筈なのに朝から元気だな……」なんて感心しながら優助がぼんやりと眺めていれば、二人の間に入ろうとしている遊里が助けを求めるように視線を送って来た。

 

 そんな視線を送られても優助としては仲裁するつもりも無いので、ひらひらと手を振って返すだけに留める。

 助けを求めていた遊里が裏切られたような顔をしているが別に何も心配することは無い。

 こんなものはいつも通り、愛情表現の一種だ。

 

 どんなきっかけで始まったか分からない喧嘩であるが、どんな喧嘩であれ、そもそも燐香が桐佳に勝てる訳がないのだ。

 目付きが鋭かった時代の燐香だって桐佳に泣かれた瞬間敗北していたし、ポンコツで、そもそも既に身長も抜かれているような非力な燐香が取っ組み合いになって負けない訳が無い。

 佐取家の兄妹の場合、基本的に上が下に勝つことは出来ないというのは脈々と引き継がれている因果なのだ。

 そんなことは前々から家族みんなが理解しているから、いくら喧嘩していても父親が心配することはないし、桐佳も同様に本気になることはないだろうという確信が優助にあった。

 

 あったのだが……どうせ燐香が速攻で床に転がされて、馬乗りのままボコボコにされるのだろうと思っていた優助の予想は外れる事になった。

 

 

「っっ……なっ、なっ!? お姉っ、力、強くなって……!?」

「神楽坂さん印の特訓を重ねて来た私をやすやすと倒せると思ったのが間違いだよ! 今日こそはお姉ちゃんとしての威厳を見せてやる! 覚悟しろ、おらー!」

「なにそれっ……隠れてコソコソ何かやってると思ったらっ……!!」

「け、喧嘩は駄目だよ二人ともー!」

 

(な、なんだと……!?)

 

 

 少しとはいえ自分よりも大きく体格差がある桐佳の体を、重心を落としてバランスを取ることで完璧に抑えている燐香の姿に優助は驚く。

 何時だって運動会の短距離走ではビリだった燐香の、改善され始めた運動神経はついにここまでのものになっていたのかと、思わず妹達の喧嘩の行く末に惹きつけられてしまう。

 

 もしかするともしかして、あの燐香が桐佳に勝利するのでは、なんて思ってしまった。

 

 

(勝つのかっ……? まさか燐香が桐佳にっ……いや、まさか佐取家で上が下に勝てる日が来たのか!?)

 

 

 いつの間にか期待を乗せた目で妹の喧嘩を前に拳を握って熱中する優助。

 らしくもなく興奮して妹達の喧嘩の行く末を見守っているものだから、遊里が「こいつもポンコツだったのか……」という視線を向けている事にも彼は気付けない。

 

 そして拮抗していた姉妹喧嘩に、ついに変化が訪れる。

 

 

「受験目前だからって最近の桐佳は勉強しすぎ! 昨日も私が部屋に行くまで寝なかったし! 大人しくっ、私の言う事を聞いて、早く寝るようにしなさいっ……!!」

「うぐぅっ……そんなの――――そんなの私の勝手でしょ! このっ、馬鹿お姉っ!」

「えっ? あうぐぅっっ!!??」

 

 

 力では押し切れないと判断した桐佳の一撃。

 身体能力は小学生以下と評される燐香とは違い、兄である優助と同じように身体能力の高い桐佳による投げ飛ばしが行われた。

 

 それも、これまでの力だけに頼ったものでは無く、どこで覚えたのか柔道的な技術さえも交えた技ありの一本。

 才能すら感じさせる桐佳の投げ技に優助と遊里が思わず息を呑んだが、その後大きな音を立てて床を転がった燐香の姿にまた別の意味で息を呑む。

 

 頭こそ打っていないようだが、天井を見上げる形になっている燐香の呆然とした表情が、みるみる歪んでいくのを見る限り、かなり痛かったのだろう。

 

 燐香は床に転がったまま、小さな体をさらに小さく丸めてさめざめと泣き始めた。

 日常生活では滅多に泣かない燐香のそんな姿に、どこか余裕があった優助と桐佳の表情が一気に変わる。

 

 

「……うぅぅ……ひぐぅぅ……あうぅぅうぅ……」

「――――あっ、お、お姉ちゃ……!?」

「桐佳っ!? お前馬鹿っ、体格差考えろ! 燐香がお前に勝てる訳無いんだから手加減くらいしろ馬鹿!! り、燐香、お前頭打ってないよな!?」

「で、でもっ、だってっ……!」

「あわわ、あわわわっわっ……!?」

 

 

 喧嘩の騒音は無くなったものの、別の意味で騒がしくなる佐取家のリビング。

 真っ青な顔の遊里が、仕事に行ってしまってこの場にいない親達を呼ぼうと、携帯電話を取り出して間もなく、ポロポロと涙を流し、顔を真っ赤にした状態の燐香が立ち上がった。

 

 心配する周りの兄妹と目を合わせる事も無く、鼻を啜り顔を俯けたまま、フラフラと自分の鞄を手に取り歩き出す。

 

 

「……ぐすっ……もうやだ、かってにすればいいもん……」

「――――…………お、ねえちゃん。ま、まって……」

 

「……燐香。お前、それはそれでオーバーキルなんだって……」

 

 

 手を伸ばして引き留めようとした桐佳を置いて、投げやりになったかのような捨て台詞を残し、燐香は学校に行くためにフラフラと扉から出て行ってしまった。

 

 まるで想像もしていなかった最悪を目の当たりにしたように、桐佳が硬直する。

 反抗期だとか受験のストレスだとか、そんな諸々が吹っ飛んでしまうような燐香の一言に、桐佳は呆然と全身の力が抜け落ちて、その場に座り込んで動かなくなってしまった。

 

 全身の力が抜けてしまった桐佳に対して威嚇するように自動掃除機がモーター音を鳴らしているが、きっとそんなことは見えてもいないのだろう。

 まるで今生の別れのように、燐香が出て行った扉を見詰めた状態で活動を停止してしまった桐佳が動くことはしばらく無い。

 

 取り敢えず、もはや混乱しすぎて救急車を呼ぼうとしている遊里から携帯電話を取り上げた優助は、今日は大学の講義を休んででも目の前の散々たる状況を収めるのを優先する事にした。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 佐取桐佳は姉が大好きだ。

 母親を亡くし、小さい頃から世話を焼いてくれていたこともあるが、優しく、無理強いせず、それでも駄目なものは駄目だと教えてくれ、いつでも傍にいてくれた姉が大好きだ。

 

 小さな頃、よく姉は子守唄を歌って寝かしつけてくれた。

 もうどんな歌だったかも覚えていないような昔の話だが、隣で横になりながら聞こえてくる音色は優しくて温かくて、心地が良かったのをよく覚えている。

 年の離れた兄の冷たい態度から守るように抱きしめてくれた姉の体温が好きだったし、色んな事を知っていて物語を読み聞かせるように自分に知識を教えてくれる姉の話が好きだった。

 姉が掃除をする姿が好きだし、姉が買い物をしている姿も、料理をする姿も好き。

 いつか手伝いたいと思うのに、一人でするようになったら姉のその姿もあまり見れなくなるのかと思うと中々行動にできず、その上、何もしない自分を呆れたように見る姉の姿も好きだったのだから、どうしようもない。

 

 佐取桐佳はいつだって、姉である彼女が大好きなのだ。

 

 けれど年を重ねるごとに、自分に優しい姉に対して素直に好意を表せなくなっていった。

 気恥ずかしくて、情けなくて、姉に泣きつくばかりの自分では駄目なんだって思うようになっていって、世にいう反抗期の子供のように攻撃的な態度ばかり取ってしまうようになって。

 

 少し寂しそうにする姉の顔を見て、ずきりと痛む胸の奥には気付かないふりをし続けた。

 

 特にあの日から。

 突然ふにゃふにゃに腑抜けてしまった姉が自分を頼れるようにと、より強い態度を見せつけるようになっていった。

 こんなにも自分は歩けるのだと、こんなにも強く自分は在れるのだとでも言うように。

 それが自分の空回りだなんて、そんなことは心のどこかでは分かっていたけれど、それでも他にやり方が分からないから、優しい姉に甘えてずるずる続けているのが今の自分。

 

 分かっているのだ、自分の情けない甘えくらい。

 

 でも、そんな態度こそ取ってしまっていても。

 いつか他の誰かにとっての自分が、自分にとっての姉になれれば良いな、なんて思うくらい。彼女にとって姉は憧れの存在で、身近な存在で、昔と変わらない大好きな存在だった。

 

 

「ほげぇー……」

「き、桐佳ちゃん……!? 学校終わったよ!? ほ、ほら帰らないと! あっ、急がなくて大丈夫だよ! ゆっくりで良いからね!? そう、ゆっくり立ち上がるの! あ、駄目! ちょっかいを出さないで! 今日の桐佳ちゃんは本当に冗談で済まない状態なの! 本当なら学校を休ませたかったくらいなんだから!」

「……いや、遊里アンタ……いつの間に桐佳の介助士になったの……? 今日のアンタ、甲斐甲斐しいってレベルじゃないんだけど……」

「今日の桐佳ヤバすぎてウケる。魂抜けてて授業中も上の空で、先生も気遣って露骨に当てようとしないし……って、あれ!? ちゃんとノート取ってるじゃん!? なんだよっ、後で写させてあげようと思って柄にもなく綺麗に書いてたのにさぁ! ちぇー!」

「ほげー……?」

 

 

 中学の教室。

 ホームルームが終わった後に、生徒達がまばらに帰っていく中、ぼんやりと席に着いたままだった桐佳の元にいつもの友人達が集まってきていた。

 

 基本的にクラスで人気者な桐佳は友人も多く、今日の彼女の様子に心配する人は多くいるのだが、特に仲の良い悪友達は面白そうに腑抜けまくった桐佳を弄ろうと集まっていた。

 だが、家族とも言える間柄の、事情を知る立場である遊里は今回のこれが本当に冗談にもならないぐらいの状態なのだと理解しているため、悪友達の弄りの手をペシペシ払いながら桐佳を連れ帰ろうと奮闘する。

 

 

「……あれ? 遊里、なんで私の手を引っ張ってるの?」

「やっと桐佳ちゃんが正気に戻った! もう授業終わったからお家に帰るんだよ桐佳ちゃん! 今日は受験も近いから、授業が終わるのも早いの! ほら、悪戯しようとする人がいない安全なお家でゆっくり休もうね!」

「帰る……? 家に……お家に……お姉がいる、お家に……」

 

 

 ピタリ、と足に根が生えたように桐佳の動きが止まる。

 突然てこでも動かなくなった桐佳に、驚愕で目を見開いた遊里が何事かと振り返れば、焦点の定まらない目をした桐佳が真っ青な顔で何かを言い始めた。

 

 

「その……今日は良い天気だしちょっと家に帰る前に図書室で勉強でもして帰ろうよ。丁度読みたい映画もあったしさ。帰りには買い食いするのもいいし、カラオケも行きたいかな。最近は色々あって遊里も疲れただろうし……お家に帰るのはもうちょっと遅くても……」

「桐佳ちゃん……言ってる事が滅茶苦茶だし、もう色々辻褄があってないよ……。結局最後には取り繕い切れなくて願望が口に出ちゃってるし……」

 

 

 どう捉えても朝泣かしてしまった姉に会う心の準備が出来ていないだけである。

 

 この姉妹は本当に本気の喧嘩をせずにここまで育ってきたんだな、なんて。

 兄弟姉妹の誰も居ない、一人っ子である遊里がそんなことを思いながら、提案のような体を取りつつ全く足を動かそうとしない桐佳の様子に溜息を吐いた。

 

 どうせこのまま図書室に行っても勉強に身が入るとは思えないし、かといって頑固な桐佳を無理やり引っ張って家に帰れるとも思えない。

 となれば選択肢はほとんど無いようなものだろう。

 

 

「……そういえば、氷室駅から二駅先に新しいショッピングセンターが開店したらしいよね。前から気になってたし、気分転換に行ってみよっか」

「!! ……う、うん! 最近勉強ばっかりで煮詰まってたしね! お姉ちゃんも言ってたみたいに休憩も必要…………うぅ、お姉ちゃん……」

「自分で地雷ワードを設置しておいて踏まないで桐佳ちゃん!? なんで!? 桐佳ちゃんの血筋はポンコツの呪いがあるの!?」

 

「……やっぱりこの二人仲良いよなぁ……」

「ねー。前から仲良かった私達が一気に追い抜かされちゃったみたいで、ちょっと嫉妬しちゃうよねー」

 

 

 ぱぁっと一瞬だけ表情を明るくし、即座に自分で踏んだ地雷によって落ち込む、情緒不安定な桐佳の世話に慌てる遊里。

 二人としては羨ましがられる要素はないのに、悪友二人はちょっとだけ妬ましそうにそんなことを言っていた。

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

 そうして桐佳と遊里はそのまま帰宅することなく寄り道をすることにした。

 悪友二人も誘ったものの彼女達にも受験への危機感があったらしく、受験が終わったらまた一緒に行こうと約束だけして、心底名残惜しそうに帰宅していった。

 

 場所は最寄りの駅から2つほど離れた場所にあるショッピングセンター。

 そこは最近まで工事が行われており、数年越しにようやく開店となった待望の大型店舗。

 様々な小売店や全国展開されているブランド店、有名な飲食店など、数々の店が建物内に存在し、新規開店してから間もない事もあってか多くの人で賑わっている。

 特に夕方のこの時間は、家族連れや会社終わりの社会人、近場の学校から授業終わりに来ている人が多いのか学生の姿も散見され、客層は実に様々。

 

 様々な年齢の、お洒落な装いをした多くの人が各々に買い物を楽しんでいるそんな場に、桐佳達は目を輝かせる。

 

 

「えへへ。やっぱりお母さんがいないで買い物に来るのって、ちょっとだけワクワクしちゃうよね。私、お母さんに黙ってこういう所に来るの初めてかも」

「分かる! やっぱり買い物って勝手気まま、自由にやりたいよね! えっと、私お小遣いどれくらいあったかな……えっと、お金……うん、あんまり高い物じゃ無かったら大丈夫そう」

「あはは。そんなに高いものを買いに来たわけじゃないから大丈夫じゃないかな。私は本当に、小物とかを買うだけで、後は見て楽しむつもりだし」

 

 

 同年代の好きに遊び惚けるようなタイプの少女であれば、親に話さず遊びに行く経験くらいいくらでもあるだろうが、生真面目な彼女達にとってはこんなのも初めての経験。

 前々からの計画でもない、思い付きくらいの感覚で遊びに来た桐佳は慌てて自分の財布の中身をこっそりと確認し、自分の財布に入っている戦力の把握に努めた。

 

 これで変に高価なものを買おうとしてレジで恥を掻くことも無いだろう。

 そうやって安心しながら、桐佳は自分とは違い財布の中の確認もしないで、特に何を買おうという気もなさそうな遊里を不思議そうに見た。

 

 

「あれ、遊里ってお小遣いは…………ま、まあ、私もそんなに高いものを買おうとは思ってないって言うか。ちょっとした、お土産は買うつもりだけど、服とかの高いものは受験の合格が決まってからの方が気分良いしね。ねえねえ、高校生になったらさ、一緒にアルバイトでも始めない? 私、レストラン系のアルバイトに興味があるんだ! 遊里が一緒なら心強いし、料理とか出来る遊里って本当に頼りになるし!」

「……桐佳ちゃん、ありがとね」

「いやっ、そんな……私こそごめんね」

 

 

 同居人だが家族ではない。

 桐佳の家は裕福だが、遊里の家はそうではない。

 そんな微妙な関係性だからこそ発生している、自分と遊里の財布事情の差に気が付いた桐佳が慌てて話を逸らそうとする。

 

 グルグルと、何を話して気を紛らわしてもらおうかと混乱を始めた桐佳が何とか口に出来たのは、恥ずかしいから言わないでおこうと思っていた話だった。

 

 

「あ、あのさ、私今日お姉泣かせちゃったじゃん? 私が悪いって風には思ってないんだけど……でも、でもさ……家に帰ったら、謝りたくてね。私って、お姉の顔を見ると素直にそういうの口に出来ないから、せめて物だけでも用意しておきたくて……その、プレゼント選ぶの付き合ってもらっていい……?」

「……えへっ、なんだか桐佳ちゃんのそういう弱気な顔は珍しいね。いつもは燐香お姉さんの文句ばっかり私に言うのにさー。あーあ、お姉さんがいるって羨ましいなー」

「そっ、それはっ……もう遊里にとっても姉みたいなものでしょ! 私も! お姉も!」

「ふふふ、勿論良いよ。私もいつか燐香お姉さんにはプレゼントを買いたかったから、その時の参考にもなるし」

「……! ありがとう遊里!!」

 

 

 自分が抱える姉への想いの話なんて、普段は恥ずかしくて絶対に口にしないけど。

 遊里との間に流れた不穏な雰囲気が無くなって、桐佳は恥ずかしさも忘れて目の前の遊里との買い物を楽しむことができた。

 

 

 小物に日用雑貨、洋服に書籍関係。

 有名なキャラクターのブランドまで存在する広いショッピングモール内を人ごみの中で歩き回り、姉へのプレゼント探しの名目であれこれ相談し合った二人はすっかり疲れて手頃のベンチで休憩する。

 

 結局買った物はほとんどなかったけれど、休憩する二人の顔は楽しそうであるし、数時間掛けて姉へのプレゼントを選んだ桐佳の顔は満足感に包まれていた。

 

 

「えへへ、今日はありがとう遊里。これ、絶対喜ぶと思う」

「私がアドバイス出来たのって全然なかったと思うけど、何かの助けになれたなら嬉しいな。高校生になってアルバイトしたら、私も色々プレゼント考えてみるね」

「えー? さっきも思ったけど、遊里がお姉にプレゼントする理由が無くない? アルバイトしたら私とプレゼント交換とかしてみようよ!」

「それはそれで面白そうだけど……」

 

 

 ちょっとだけ迷うように口ごもった遊里が照れたように視線を下げる。

 不思議そうに首を傾げた桐佳に、遊里ははにかみながら口を開いた。

 

 

「前にさ、桐佳ちゃんと燐香お姉さんが私とお母さんを助けに来てくれた事あったでしょ? 勿論桐佳ちゃんにも感謝はしてるんだけど、私が押し入れに閉じ込められてて、怪我もしてて、お風呂にも入ってなくて、汚いし言う事も聞かないような私を、赤の他人の筈の燐香お姉さんは見捨てないで病院まで連れて行ってくれた。知り合いに協力してもらって、お母さんも助けて来てくれて、私達に居場所をくれて…………燐香お姉さんは気にしてないみたいだけど、私にとってはね。返しても返し切れないくらい恩があるんだ。だから何か、私にできる恩返しがしたいの」

「……そっかぁ」

「それに、一緒に住むようになってからも、変に壁を感じさせないようにわざと失敗とかして気安い感じを出してくれるし、自分で何でも出来るのに私が家事を手伝おうとしたら優しく教えながらやらせてくれるし、赤の他人の私を実の妹みたいに可愛がってくれる。恩がある無し関係なく、ひとつしか年齢が変わらないのに、色んなことに気を配れる本当に凄い人だなぁって、燐香お姉さんのこと尊敬してるんだ」

「……えっと、それは多分、お姉が普通にポンコツなだけだと思うけど……」

 

 

 少し照れながらの遊里の話。

 本心から尊敬していることが分かる遊里の態度や言葉から、自分の事でも無いのにむず痒さを感じた桐佳は咄嗟に否定してしまう。

 

 だが、まあ、共感できるところは一杯あって、やっぱり他の人から見ても凄い姉なのかと桐佳はなんだか誇らしくなった。

 

 

「だからね。そんな立派なお姉さんなんだから、桐佳ちゃんはもっと素直な態度で接した方が良いと思うよ? 別に桐佳ちゃんだってお姉さんのこと嫌いな訳じゃ無いんでしょ?」

「う……」

「今日のことだって、お姉さんは桐佳ちゃんのことを心配していただけなんだから。その心配する気持ちはちゃんと受け取らないと。それで、今日やっちゃった事を後悔するだけじゃなくて、選んだプレゼントを渡すだけじゃなくて。逃げないでちゃんと謝ってね、自分の素直な気持ちを口にすれば、あの燐香お姉さんならちゃんと認めて、応援してくれる筈だからさ」

「…………そんなの、分かってるし……」

 

 

 友人からのやんわりとした指摘に、桐佳は唇を尖らせながらも小さく呟いた。

 

 反抗期のような桐佳だって、遊里の指摘はよく分かっているのだ。

 今日だって、勉強を煮詰めすぎているのを心配した姉の小言から勃発した喧嘩だった。

 けど、心配してくれることが迷惑な訳でも無いし、自分の頑張りを知ってくれていることが嫌な訳でも無い。

 そもそもあの姉の事が嫌いな筈が無くて……。

 

 そんなことを色々考えた桐佳はじっと自分を見詰めている遊里に怯み、何も言えないまま勢いよく立ち上がった。

 

 

「…………今日付き合ってくれたお礼にクレープ奢るよ! 何味食べたい? リクエストが無ければ私の好みで買ってくるね! あ、お姉へのプレゼントちょっと持っておいてね!」

「あっ、逃げた!? ちょ、ちょっと桐佳ちゃん!? もー!」

 

 

 ごちゃごちゃになった自分の気持ちを落ち着けるために、桐佳は目に付いたクレープ屋へと駆け出して、自身が出すべき返答をうやむやにした。

 動揺する遊里を置き去りに、驚く他のお客さん達の隙間を縫うようにして、ちょっと離れたクレープ屋さんまで走り抜けた桐佳はメニュー表の前でようやく足を止める。

 

 様々な種類の写真が乗せられたお洒落なメニュー表を見るようにして、自分の気持ちを落ち着けていく。

 

 

(思わず逃げちゃった……今日連れ出してくれた遊里には普通にお礼がしたかったのに、こんな逃げるための言い訳みたいな……私的にはクレープくらい奢るのは全然良いけど、お金の関係で遊里が変な引け目を感じないと良いなぁ。もしこれでまた遊里との間に変な空気ができちゃったらどうしよう……うん、その時はそもそもの原因のお姉にも協力してもらおう。お姉ならきっと何とかしてくれる筈だし…………?)

 

 

 そうやってつらつら考えながら乱れた自分の息を整えていれば、ふと近くにいる何人かの様子がちょっとだけ変な事に気が付いた。

 

 チラチラと何かを気にする様子を見せている。

 何人かの人達が、何かの推移を見守るように視線を同じ方向に向けている。

 

 

(……なにかあるのかな?)

 

 

 桐佳はそんな光景を不思議に思いながら、ひそひそと話をしているその人達の視線の先を辿っていった。

 

 人ごみの中。

 壁際の人目に付きにくい場所。

 そこに、ニット帽のようなものを被った背の高い女性とそれを囲む派手めな二人組の男性達の姿があることに気が付く。

 

 にやにやと、何だが嫌な笑みを浮かべる男性達が女性に何かを言っている。

 

 言い争いとまではいかないが、傍から見ても男性達の態度はどこか強引。

 やんわりと断ろうとしている女性を無理やりナンパしようとするような様子を目の当たりにして、そういうのに縁が無かった桐佳は激しく動揺するように目を瞬かせた。

 

 

(え? え? え? なにあれ? もしかしてあれがナンパっていうやつ? すごいっ……ど、どっちも大人みたいだけど、本当にああいうのってあるんだ……大人だぁ……! 見ず知らずの人が壁に押し付けるようにして迫って来るなんてそんなの……!! は、破廉恥!!)

 

 

 そんな光景を目の当たりにして、ある意味箱入り娘である桐佳はちょっとだけ目を輝かせ興奮しながら、大人な彼らのやり取りを窺おうと固唾を飲んだ。

 

 遠くからちょっと見守ろう、初心な桐佳は当初そう思っていたのだが……。

 

 

「あの二人凄いしつこいわねぇ。さっきからずっと離そうとしないで、壁まで追い込むようにして……」

「でもほら、手の甲に刺青を入れてたからちょっと危ない人達かもしれないわ。あんまり関わらないようにして、何かあったら店員さんを呼びましょうよ」

「そうねぇ……変な事に巻き込まれたくないものねぇ……」

 

「……はあ?」

 

 

 隣のおばさん達の会話を耳にして、桐佳は思わずそう口にしてしまった。

 その話の内容が本当なら視線の先のあれは、桐佳が思い描いた多少の強引さがある口説き落としなどではなく、下品で思いやりの無い迷惑行為。

 キラキラとした妄想が音を立てて砕け散ると同時に、なんだか無性に女性に絡んでいる男達がムカつく。

 どころか、チラチラと彼らの状況を窺うだけで助けようともしない周りの人にすらムカついて来る。

 

 どいつもこいつも、野次馬根性だけ見せるだけで、何の行動も起こそうとしていない。

 

 

(人もいっぱいいて、気付いている人もいっぱいいて、大人の人もいっぱいいるのに……!! 誰も……! 何なのこの人達!)

 

 

 頭に血が上る。

 人に迷惑を掛ける男達も、何の行動も起こそうとしない周りの人達にも、腹が立つ。

 

 もしもこの場に自分の姉がいたら、きっとそんなことはしない筈だ。

 自分の姉ならきっと、何一つ迷うことなくあの場に飛び込んでいく事が想像できて。

 

 もしもお姉ちゃんなら――――

 

 

「あ、あの! その人嫌がっているんで! 強引なのは駄目だと思います……!!」

 

「――――!?」

「あ?」

「なんだこのガキ? 高校……いや、中学生か?」

 

 

 そんなことを思って。

 気が付けば、桐佳は想像した姉の後ろ姿を追うようにその場に飛び出していた。

 

 突然現れた制服姿の桐佳に困惑する男性達とニット帽の女性。

 特にニット帽の女性は桐佳の姿が信じられないのか目を見開き、唖然とした表情で固まっている。

 

 桐佳の声に釣られるように、ナンパに気付いていなかった周囲の人達がその場に立ち止まり、何事かと桐佳達に注目した。

 

 

「お、女の人を壁際まで追い込んで誘うのは行き過ぎです……! あ、貴女もほら! もう行きましょう!」

「えっ、あっ、ま、まって」

 

 

 壁際に追い込まれていたニット帽の女性の手を掴み、その場から連れ出していこうとしたが、行き先を遮るように男性の一人が手を伸ばしてくる。

 

 

「おいおいおい、お兄さん達は今大人の話をしてるんだから邪魔しないでくれるか? 子供はさっさと家に帰って寝てな」

「そうだぜ? もう夜の時間なんだから、子供は出歩いちゃ駄目な時間帯なんだぜ? 君がもう5歳くらい歳を取ったら楽しい事を教えてあげるからよ」

「この人を貴方達から引き離したら帰ります……! あんまりしつこいようなら大声上げますから! 私、大声には自信があるんですよ! ショッピングモール全部に聞こえるくらいの声を上げて見せますから覚悟してくださいね!?」

「そ、その自信はなんなんだよ……?」

 

 

 ガルルと小動物が威嚇するようにやる気を漲らせてくる桐佳の姿に男性達は気圧される。

 男性達としては、多少注目されるくらいであれば問題にもならないが、あまり事が大きくなりすぎて警備員が来ても厄介。

 最悪のケースとして警察が来た場合、色々と後ろ暗い事がある男性達にとっては多くの不都合がある。

 

 顔を見合わせた男性達が諦めたように舌打ちをして去っていくのを見送って、桐佳は興奮していた自分の気持ちが沈火していくのを自覚する。

 そして今更になって、先程の男性達に迫られた恐怖に体を震わせる。

 

 

(こ、こわかったぁ……あの二人身長大きかったし、筋肉もあったし、顔も怖かったよぅ……思わず飛び出しちゃったけど、もう二度とこんなことやりたくない……早く、遊里と一緒に家に帰ろう……)

 

「……いやあ、助けてもらってなんだけど。凄い勇気だねぇ。お姉さんが君くらいの時にあんな怖い人達を前にしたら、怖くて何も言えなかっただろうに……」

 

 

 ほわほわとした危機感のない口調で。

 どこか聞き覚えのある声をした女性は、緊張で微妙に汗ばんだ桐佳の手をにぎにぎと握り返す。

 突然の感触にビックリした桐佳が慌てて手を離そうとするが、しっかりと握られた手は離れることなく繋がれたまま、繋がった手の先にいる女性はニッコリと悪戯っぽい笑顔を浮かべている。

 

 

「どもども、ありがとね。ぜひ何かお礼をさせて欲しいな。どうかな、ちょっとそこら辺でお食事でも? 最高のディナーにして見せるよ?」

「さ、さ、さっきの人達の誘いは断ってたのに私には何なんですか!? お礼とか良いですからっ、離してください!」

「えー……警戒されちゃってる……? いやいや、お姉さんは別に怪しい者じゃないですよー? 久しぶりに一人で買い物に来たら、変な人達に絡まれちゃった薄幸の美女なんですよー? そんな不幸から助けてくれた可愛い子には、そりゃあお礼の一つしないと女が廃るってものだからね! 夜景の綺麗な食事処はどこかなー?」

「自分の事を美女とか美少女とか天才少女とか言う奴は大体変な人なの知ってるんですー! 離してー!!」

「えええー……手厳しいー……」

 

 

 悲しそうにそう言ったニット帽の女性は渋々桐佳の手を離す。

 バッと勢いよく距離を取った桐佳が警戒するように唸り声を上げていれば、ニット帽の女性は周りで状況を窺っていた人達に笑顔で手を振って問題無い事を示していた。

 

 そして、周りの人達の注目が減って来たのを見て、ニット帽の女性が未だに震えが収まっていない桐佳の足を確認し、申し訳なさそうに眉尻を下げて優しく笑う。

 

 

「いやあ、あの男達身長大きくて粗暴だったから困ってたんだけど、まさか君みたいな可愛い子に助けられるとは思ってなかったよ……ごめんね、怖かったよね。こんな事ならとっとと声を上げて警備員を呼ぶべきだったね」

「べ、べべべ、別に怖くなかったし。私は別に、やるべきだと思ったからやっただけで、貴女がどうとかじゃないですし……!」

「くふふ、そっか。そうなると、謝罪をするのは野暮かな。ならお姉さんから言うのは感謝だけ……助けてくれてありがとう見ず知らずの可愛い子、貴女の行動で確かに私は救われました」

「すごい芝居染みた言い方ですけど……でもまあ、どういたしまして」

 

 

 何だか先ほどまでの男性達に囲まれていた女性の姿とは別人のような人柄に、桐佳は怯みながらも言葉を返し、さっさと遊里の元に帰ろうと女性に背を向けかけた。

 けれどそれを引き留める様に、ニット帽の女性の声が背中に掛けられる。

 

 

「――――素直になれない事を悩んでいるのかな? ううん、喧嘩をした誰かと素直に仲直り出来ないかもしれない事を不安になっている、かな?」

「……はい?」

 

 

 ピタリと、気持ちが悪いくらい言い当てられる。

 桐佳が思わず足を止めニット帽の女性を見れば、彼女は悪戯が成功した子供のようにペロリと舌を出して表情をほころばせていた。

 

 相手の本質を読み解くような不気味な目をしながらも、彼女はその警戒すら容易く解くような柔らかな態度を完璧に演じてみせている。

 そんな乖離した印象が、気味の悪さを感じさせない完璧の塩梅で浸透していくことに、桐佳は顔を歪ませた。

 

 なんだかこの人は変だ、桐佳はそう思ってしまう。

 

 

「人生経験豊富なお姉さんが相談に乗ってあげてしんぜよう。お連れの人はもう一人かな? 二人ともお姉さんが御馳走を振舞っちゃうぞー!」

「いっ、いやっ、だから……!」

「あ、そうそう、自己紹介がまだだった。ごめんごめん、えっと、私の事はね」

 

 

 何処かで見た事のある顔。

 何処かで聞き覚えのある声。

 けれど何処でも会ったことの無いその人柄の人物。

 

 自分が出会う事はないと思っていた『誰か』によく似たその人は、少しだけ思案して。

 

 

「……うん、気軽に『ミクちゃん』って呼んで」

 

 

 ちょっとだけ楽しそうにそう言った。

 

 

 

 

 



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異変の理由

 

 

 

 

「ううぅっ……ぐすっ……うう゛う゛……おうち帰りたくないようぅ……」

 

 

 学校からの帰宅途中。

 心が痛くてぐすぐすと鼻を鳴らしながら、私は覚束ない足取りで歩いていた。

 

 頭の中を駆け回るのは、今日の朝に勃発した桐佳との喧嘩。

 トラウマのように何度も思い浮かぶあの時の情景が、自分のこれまでを否定するように何度も私に圧し掛かる。

 

 今日はずっとこんな調子だ。

 申し訳ないが、顔を青くして心配してくれた袖子さんやなんだか異常に優しかった鯉田さんの言葉も耳に入らなかったし、今日は誰とも目さえ合せなかった。

 何に対してもやる気が出ず、自分の殻に閉じこもるのに必死。

 

 それくらい、私は今日の事が本当にショックだったのだ。

 

 

「がっ、頑張ったのにっ……頑張って、鍛えて来たのに……あんなに簡単に投げ飛ばされてぇ……! 桐佳に勝てると、思ってたのにぃ……!!」

 

 

 別に今更、桐佳の反抗がショックだったのではない。

 単純に、桐佳に喧嘩で負けたことが死ぬほど悔しかった。

 

 だってそうだろう。

 これまで私は神楽坂さんの監修の下、自分のバケツに穴が空いたような体力を向上させるよう目指して努力してきた。

 半年以上の時間を掛け、体力も付いたし、筋力も増えた。そういう自信があったのだ。

 色んな人に褒められることも多々あったし、これまでには無いほど自分の体力面に自信を持っていたのが今朝までの私だった。

 そしてそんな自信満々だった天才少女燐香ちゃんは当然、日々勃発している妹との諍いにようやく勝利する事が出来る事を半ば確信していたのである。

 

 最近、姉を姉とも思ってないんじゃないか疑惑が濃厚となっていた桐佳に、分からせる時が来たのだと思っていたのだ。

 

 だが、蓋を開けてみればこの結果。

 完膚なきまでに自信を喪失した私が痛みも相まって号泣するのは必然であったし、これまでの努力を否定されたような事実にショックを引き摺るのも当然だった。

 

 

「ううっ……投げ技なんてどこで覚えて来たのぉ……力では、力では負けて無かったのにぃ……こ、今度は神楽坂さんに投げ技への対処法を教えて貰わないとっ……」

 

(御母様、元気出しテ……?)

 

「元気なんてでないよぅ……。悔しくて、皆の前で泣いちゃって……お姉ちゃんとしての威厳が……遊里さんだって私の事駄目駄目な奴だって思ったに違いないんだぁ……」

 

 

 シクシクと道の真ん中で頭を抱えてしゃがみ込めば、周りの通行人達がぎょっとしたように私を迂回していく。

 流石にこのままでは邪魔になるかと思い直し、歩道の端にある植栽帯のブロックへと移動し腰を下ろして、建物の広告を眺めて精神の安定を図ることにした。

 

 ぼんやりと無味乾燥な広告を眺めていれば、恐る恐るマキナが声を掛けて来る。

 

 

(お、御母様……定例の、異能持ち達の状況報告をしても良いカ!?)

 

「……そういう気分じゃないけど……気を紛らわせられるかもしれないから、お願い……」

 

(うむ、まずは現状の説明からダナ! 現在この国に入って来ている異能持ちはICPOの二人。目的は神薙隆一郎への面会と日本政府及び警察との情報交換のようダ。御母様が刑務所に叩き込んだ異能持ち達の脱走する素振りもなし。刑務所内の奴らに対して他に接触した者も、刑務所の看守や政府と警察の高官だけで特異な人物はなし。後は和泉雅が接触した際に妙な反応を示した相手もいたが、相手を考えると不審では無かっタ)

 

「うん、ありがと…………ん? あのサイコパスが妙な反応をした相手って誰?」

 

 

 私のへこんだ気分を変えようとマキナが始めてくれた報告を聞いて、思わず聞き流しそうになった妙な点の確認を行う。

 

 あのサイコパス。

 お兄ちゃんや神楽坂さんを襲った過去があり、私が捕まえた異能持ちの中でも最上位の危険性を持つあの女は、在り方からして厄介極まりない。

 所持する異能の性質、銀行強盗の計画立案を行う知性の高さ、そして恐怖や戸惑いといった感性が非常に鈍いことによる躊躇の無さ。

 どんな凶悪で悪辣な手段も眉一つ動かさず実行に移せるあの女の精神性は、厄介さでいうなら、奴が妄信する神薙隆一郎よりも上だろうと私は思っている。

 

 世間では神薙隆一郎が表立って騒がれているが、悪人としての適性なんてものがあるとするなら、間違いなく奴が最上位に位置する。

 

 私の監視対象の中でも飛び抜けて優先度が高い存在。

 そもそも今は罪を償っているとはいっても、何かの間違いで野放しになったら大変だから、私が精神を根本から歪めるべきだとは思うのだが……まあ、『首輪』は設置しているのでとやかく言うつもりも無い。

 

 保険を掛けている以上危険性は低いと思うが、それでも私は奴に関して油断するつもりは無かった。

 例え僅かな反応であっても、見落としを徹底して排除しようという警戒を持っていたのだ。

 

 だが、そんな私の引き上げられた警戒を余所に、マキナからの返答は取り敢えず納得のいくものだった。

 

 

(んと、飛禅飛鳥だナ。その時は特に会話も無く、異能持ち達の様子を一通り見て帰ったゾ)

 

「えー……? ……まー、飛鳥さんだったら何かしらの反応はしそうだし、その場にいてもおかしさはないかな……? でも、飛鳥さんってもう働いてたんだっけ? まだ異能も使えない期間なのに……何か緊急だったのかな? 一応後で確認だけしとこうかな……」

 

 

 マキナの返答に私は取り敢えず安心する。

 飛鳥さんであれば異能持ち達が収容されている場所を確認するのも不思議ではないし、サイコパスの方が反応を示すのも理解できる。

 先日飛鳥さんの家に訪問した時はそんな話はしていなかった気もするが、まあ、警察の仕事で突然やらなければならない予定が入ってきても不思議ではないのだろう。

 

 刑務所の人から「異能持ち達が怖いから定期的に視察に来てくれ」と言われれば、飛鳥さんの立場的にはいかざるを得ない事もある筈だ。

 

 そうやってつらつらと考えを巡らせていれば、自分が先ほどまでの鬱屈とした気分から少しだけ脱する事が出来ているのに気が付く。

 面倒ごとも、こうして気を紛らわせるのに適しているタイミングはあるものだと思う。

 

 

「ふう……後はICPO。ICPOね……最初は正体の分からない海外の組織って思って怖かったけど、私が何度か遭遇しても特になんとも無い事を思うと最初ほどの怖さは無いや。国境も関係なしに色んな異能犯罪を解決してるのは本当に凄いと思うけど、目の前で何の対策も無く異能を使うなんてことはしないでちゃんと考えて立ち回れば、私としては特に問題も無さそうだよね。何も無ければ向こうから積極的に絡んでくることも無いだろうし、こちらからアクションを起こす必要は無いかな」

 

(当然ダ! 御母様とマキナは最強だからナ! むんむん!! ICPOがなんダ! 御母様に勝てる奴はこの世にいないんだゾ! むふー!)

 

「ふへへ……そうだ。確かに私の身体能力は弱いけど、私にもこういう特技はあるし、別に自信を無くす必要は無いよね、うん…………まあでも、今日も桐佳達は学校終わるの早いだろうし、勉強の邪魔をしても悪いから久しぶりの気分転換にゲームセンターに行って遊んでこようかな……」

 

(あれ……御母様弱気……? なんで……? マキナと御母様は最強だゾ……?)

 

 

 マキナは何か勘違いしているようだが、別に私は弱気なわけではない。

 妹や遊里さんにと顔を合わせ辛い訳ではなく、久しぶりにゲームセンターで遊びたいだけだ。

 

 そもそも私は基本的にスポーツ以外なら何でも楽しめる人種。

 特に自分の得意分野で他人を圧倒するのが大好きな性格の悪い人間でもある。

 そういう事をして自分のストレスを発散することに何の躊躇いもありはしないし、なんなら見知らぬ他人相手にこっそり異能を使って有利に立ち回ることにすら罪悪感を覚えないとんでもド屑だったりする。

 

 そんな私が、今回もちょっと積もり積もってしまったストレスの発散にゲームセンターを選ぶというだけの話である。

 

 

(ゲーム、センター…………そうだ御母様! マキナと戦わないカ!? マキナやったこと無いけど多分強いゾ!)

 

「やったこと無いのに強いって……? それは別に良いけど……私基本的にゲームとか凄い強いよ? 小さい時ボコボコにしすぎてお兄ちゃんは将棋辞めさせちゃったし、桐佳は私と対戦ゲームは絶対にやりたくないって宣言するくらいだし、たまにやるお父さんとの戦いも一方的で負けたことは無いし……マキナ勝てなくて泣いちゃうかもよ?」

 

(むふー! 楽しみダー! 今の内にゲームセンター内にあるゲームの世界ランキング上位者の動きを学習しておくゾ! むふふー!)

 

 

 意外なところからのライバル出現。

 家族や身近な人は私の強さを知っていて、そういう勝負事は絶対にやろうとしないから、逆にこうして嬉々として勝負を挑まれるのはかなり新鮮なものだ。

 身近な相手がこうして戦いを挑んでくるだけで、なんだか嬉しくなってしまう。

 

 とはいえ、いくらマキナの性能が飛び抜けていたってゲームに関しては初心者な事には変わりない。

 世界ランキングの上位者とやらの動きを学習したとしても私が得意分野であるゲームで負ける未来なんて見えないし、流石に多少の手加減はしてあげないとなぁ……なんて、そんなことを呑気に考えながら、私は目的地を定めて立ち上がった。

 

 そんな私の出鼻を挫くように背後から声が掛けられる。

 

 

「――――お姉さんだ! わあ、本当に会えるなんて思ってなかった! お姉さーん!」

「!!??」

 

 

 突然掛けられた大きな声に驚き、固まる。

 植栽帯のブロックから腰を上げた状態で停止し、嫌な予感を感じつつゆっくりと振り返る。

 

 予想通り、振り返った先にいたのはかなり遠くの位置から人ごみを掻き分け、大きく手を振って全力でこちらに走って来る金髪の少年の姿だ。

 以前、神薙隆一郎のいる病院で遭遇した異能を二つ持つ超絶天才少年。

 彼の異能によって大きく地面が割られ、無様に転げ回ることになった光景が脳裏にはっきり思い起こされる。

 

 

(御母様、ICPOのレムリアだ。以前御母様の厚意に甘えまくっていた例の厚顔無恥のクソガキ……)

 

「あ、あんな遠くから前にちょっと会っただけの私を見付けてきたの……? あの子供、視力良すぎだし、そもそも記憶力が凄すぎじゃない……?」

 

 

 いやまあ、異能を持っているとはいえ、小学生くらいの年齢でICPOなんていう国際機関に所属するのだから相応に優秀なのは分かっていたが、それでも気軽に常人越えをしてくるのは勘弁してほしい。

 

 ガッチリと私を視界に捉えている彼から逃げるのは流石に無理だと判断して、私はレムリア君が来るまで待つことにする。

 ものの数秒の内にニコニコと純粋無垢な笑顔で私の元まで走って来た彼は、私の両手を掴み嬉しさを示すように体をぴょんぴょん跳ねさせた。

 

 

「お姉さん久しぶり! わぁぁ! 絶対に会えないと思ってたのにこんな偶然あるんだね! 病院の時のお礼も前は充分に出来なかったから、絶対また会いたいって思ってたんだ!」

「へ、へえ……」

「連絡先も聞けなかったし、前に会った時はお姉さんも僕も大変だったから全然お話も出来なかったし……でもこうしてまた会えて嬉しいな! えへへ……お姉さん、今時間大丈夫?」

「えっと、まあ、少しなら……私、家に帰ってご飯作らないとだし、あんまり長いこと話したりはできないかなぁ……」

「えー!? そうなの!? 残念だなぁ……」

 

 

 取り敢えず予防線を張りつつ、頭の中でどうにか逃げる算段を整える。

 異能持ちの正確な位置を常時捕捉していなかったことに若干後悔するが、別に悪い事をしている訳でも無いのだから堂々としていれば彼が疑いを持つことは無いかと思い直す。

 

 難しい話ではない。

 今の私に必要なのは、出会ってしまった彼に対する適切な距離感と対応だけである。

 

 

「でもまあ、今は特に僕も暇がある訳じゃ無いからなぁ……。その、詳しくは話せないけど、今はね世界が大変なんだよお姉ちゃん! でも安心してね! 日本は他の国に比べて凄い安全だし、何よりも僕達が頑張って世界の大変なことを解決するからね!」

「……そっか、レムリア君は偉いね。ありがとね」

「ぼっ、僕の名前を憶えてくれてたの!? わあ、凄く嬉しい!!」

 

(むうぅ……こ、このガキぃ……!)

 

 

 私のそんな淡白な反応にもレムリア君は本当に嬉しそうに頬を桜色に染めてはにかんだ。

 純粋そうなレムリア君の裏で色々な算段を立てている事に若干の罪悪感はあるが、流石に彼の立場を考えると何も考えず仲良くなる事なんて出来ない。

 

 何を話そうかと顔を俯けて視線を迷わせている姿は普通の子供のようなレムリア君だが、希少な異能持ちの中でもさらに希少な、二種類の異能を持つ本物の天才なのだ。

 どんな国や組織も喉から手が出るほど欲しがるだろう彼の価値を考えれば、親密になんてなれる訳が無い。

 

 というか人柄を度外視したら、絶対に友達にもなりたくない相手だ。

 

 

「本当は、せっかく会えたから色々お話したかったけど…………せ、せめて連絡先を教えて欲しいなっ……なんてっ」

「ヒヒッ、何だい。色々言っていた割には随分情熱的じゃ無いか。こんな年寄りを置いて一人で走って行ってしまうなんて、レムリアは酷いねぇ……」

 

 

 私が純粋な好意を向けて来るレムリア君の対応に四苦八苦していると、彼の背後からもう一人の人物が声を掛けて来た。

 

 あっと驚いた顔をしたレムリア君と共に、私は声の主を見る。

 

 上品な老女。

 編み込まれたプラチナブロンドの髪や深い皺が刻まれた肌。

 カーディガンを羽織り、杖を突いていながらも美しい姿勢を維持しており、周りには何人かの筋肉質な黒服を従えている姿は何処かの大富豪のマダムのよう。

 美しい老人を体現したような女性がそこにいる。

 

 だが何よりも、私が目を奪われたのは彼女から僅かに発せられる圧倒的な年期を感じさせる程に練り上げられた異能の出力だ。

 

 

(嘘でしょ。この出力、今まで会って来た誰よりも……いやそれよりも、この出力どこかで……)

(気を付けろ御母様。ソイツは、ICPOの最大戦力――――)

 

 

 私の視線に気が付いたその女性は、レムリア君に向けていた悪い魔女のような笑みを優し気なものへと変えた。

 子供好きな老人のような優しい表情で、打算と警戒を完全に腹の内に隠して、その老女は私に対して親し気に話し掛けてくる。

 

 

「――――はじめましてだね。私はヘレナ・グリーングラス。ウチの奴らが世話になった話は聞いてるよ。会いたかったよお嬢さん」

「……うげぇぇ……おうち帰りたいよう……」

 

 

 世界中見渡してもこれ以上ない程の最悪の相手。

 神薙隆一郎や山峰衿嘉、あるいはそれ以上の老獪な気配を感じた私は、無意識の内に嫌そうな顔でそう言ってしまった。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 日が暮れ始める時間帯。

 買い物を楽しんでいた桐佳と遊里は現在、開店したばかりのショッピングセンター内でも格式が高そうなレストランの中にいた。

 とはいっても、好んでこんなレストランに来ている訳でも、格式が高い場所としては不釣り合いなほど大量に並べられた目の前の料理を楽しんでいる訳でも無い。

 ニコニコと心底楽しそうに自分達を眺める女性のごり押しに屈し、少しだけという話でこのレストランへと連れ込まれてしまっただけだった。

 

 

「さあさあ遠慮しないで! ここのお会計は全部お姉さんが持つからさ! 年頃の桐佳ちゃんと遊里ちゃんは何日か分の食い溜めする勢いで食べないと! あっ、タッパーとか持ってる? 気に入った料理があれば詰めて持って帰っても良いよ? 店員さーん! タッパー貰えたりしないですかー?」

「おっ、お客様っ、そういうのは他のお客様のご迷惑となりますので……!」

「えー、ケチだなー……ちょっとだけ。こっそりやるからさ。だめ……?」

「駄目です!」

 

 

 しょんぼりと肩を落として、ごめんね全部食べなくちゃ駄目みたい……と言う自称大人の女性の姿に戦慄を覚え、桐佳と遊里はお互い目配せさせてひそひそと内緒話を始める。

 

 

「なんなの桐佳ちゃん……! このお姉さんどこで拾って来たの!? い、いきなりこのお姉さんを連れて戻って来たかと思ったら、食事に連れて行かれるし……! メニュー表を見る間もなく色んな料理を注文しちゃうし……! こ、こんな高そうな料理がいっぱい並んで……私絶対払えないよう!」

「わ、私だって払えないよ! こんな品の無さそうなお姉さんの『お会計は任せろ』なんて言葉は信用できないけど……で、でもっ、絶対お礼するんだって話を聞かないし、大人のお姉さんに相談をしなさいとかうるさかったし!」

「そんな人に絶対着いて行っちゃ駄目だったよぅ……お、お皿洗いのアルバイトを何時間やったら許してもらえるかなぁ……」

 

「あれー……お姉さんなんだか不審者を見るような目で見られてない……? おかしいなぁ、お姉さんの完璧な美貌を前にしたら大体の人は無条件で信用するんだけどなぁ……」

 

 

 年下二人に完全に信用されていない事を察した女性はそんなことを悲しそうに呟いて、いじいじと机に指先を当てていく。

 そして、メニュー表を見せて料理の金額を気にさせないようにと一気に注文した自分の行動が裏目に出ている事を、未だに一切手が付けられていない料理で確認すると、溜息混じりに店員を手招きした。

 

 

「なんだか不思議なんだけど、この子達にお金が払えないかもって心配されててさ。この子達食事が楽しめないみたいだから今の注文分だけ先にお会計させてくれない? はい、カード」

「はぁ、それはまあ、構いませんがっ…………んっ!?」

「あっ、店員さんもお姉さんが払えないとでも思ってたなー? 酷いなぁもうっ……」

 

 

 言葉に詰まった店員に対してヘラヘラとした軽い態度を維持する女性。

 店員が渡されたカードに息を呑み、深々と頭を下げ、慌てて会計を終わらせようと小走りで去っていくのを見送って、店員とのやり取りに目を丸くしている桐佳達へと向き直った。

 

 そしてふにゃりと表情を崩す。

 

 

「いやあ、でもこうして可愛い子達と食事が出来るなんて最高だね。おかずが無くともご飯三杯はいけちゃうよ。ねえねえ、お姉さんと食事の後もどこか遊びに行ったりしないかなって。お姉さん奮発しちゃうよ?」

「なんで一々言動がおっさんみたいなの!? 今の流れなら素敵なお姉さん枠への挽回もギリギリ出来たんじゃないの!?」

「き、桐佳ちゃん! それは流石に初対面の人に失礼だよ……!」

「えへー、桐佳は可愛いなぁ」

「呼び捨ての名前呼び!? 距離の詰め方激しすぎなんだけど!?」

「桐佳ちゃんー……」

 

 

 桐佳の鋭い突っ込みにもなんのその。

 嬉しそうに表情を崩す女性は被ったニット帽を整えながら、「さて」と仕切り直す言葉を口にした。

 

 

「私としてはいくらでも談笑していたいけど二人はそういう訳には行かないだろうし、そろそろちゃんと相談に乗るよ。お姉さんこれでも結構な人生経験があるからさ。大概の相談には応えられる筈だよ? あ、あとミクちゃんって呼んでね?」

「……相談って言っても」

 

 

 視線を下げる。

 初対面のこんな人に何を相談するのだろうと、ちょっとでも揺れた自分の心を後悔する。

 だがそんな桐佳の感情すら読んだように、目を細めた女性はしみじみと頷く。

 

 

「分かるなぁ……見ず知らずの人に、ううん、それどころか親しい人にも話せないような不安や怖さがあって。ただただ自分で抱え込んじゃうそういうほの暗い気持ちって、絶対あるものだよね。でもそれってさ、ずっと自分で抱えるのは苦しいよ? 自己解決するだけが正解じゃないとお姉さんは思うよ?」

「……お姉さんもそういうことあったんですか?」

「うーん、まあ、まったく同じっていう話じゃないけど、似たような時はあったよ。周りに押し付けられる期待とか、勝手に思い描かれた理想の自分とか、そういうのを必死に演じようとする自分とかに板挟みになって。それで…………まあ、にっちもさっちもいかなくなった時期はあったんだよ。あっ、あとミクちゃんって呼んで?」

「……それじゃあ、お姉さんは……」

 

 

 頑として希望する名前を呼ばないことに「酷い……」と涙目になる女性だが、そんな事は気にも留めず桐佳はじっと女性の目を見詰めた。

 

 

「素直になる……演じないようにするのって、どうやりますか? 積み重なった関係性で、思わず思っても無い事を言ってしまうのはどうやって……」

「お姉さんの場合は一度自分の本心を解析して、それをどう表現するかを考えるから全く演じないって言うのは難しいかな。でもそうだなぁ、多分桐佳ちゃんにとって一番簡単なのは馬鹿になる事だと思うなぁ。何にも考えない。単細胞になっちゃう。その時思った事を何も考えないでそのまま口に出す。そうすれば自分の本心が勝手に表に出ちゃうものだからね」

「……そんな単純な話じゃ……」

「桐佳ちゃんはさー、色々考えすぎなんだよー。犬とか猫を見て可愛いって言うのに何か恥ずかしさを感じる? 虹とか流星群を見て綺麗って言うのに何か恥ずかしさを感じる? 好きな人に好きって言うのとそれらに何の違いがあるの? 要するに、その後を考えるから素直になれなくなるんだよ。後先を考えないでその時思った事を無条件で口にしちゃえば、少なくとも変な取り繕いは無くなると思うなぁ」

 

 

 あっけらかんと適当にそう言った女性は手元にある料理を摘まんだ。

 上品さの欠片も無い、親指と人差し指で摘まむ所作に周りの人達はチラリと様子を見てくるが、何故だかそんな女性の前にいる桐佳と遊里は不快感なんて覚えなかった。

 ペロリと指先を舐める品の無いような動作にさえ、独特な色香を魅せるこの女性の仕草はある意味洗練されている。

 

 

「自分はどう思われているんだろう、とか、この後どうなるだろう、とか、言った後どう思われるだろう、とかね。そこら辺の考えは全部本心を出す上での障害にしかならないんだよ。頭良いと言われる人間は全員人間関係上手くやれてる? 天才と称される人達は周囲との関係を上手く回せてる? そんな訳ないでしょ? 考えすぎる事は逆に人間関係っていう紐をややこしく絡ませるんだって。本心を伝えたい相手くらいには何も考えない言葉や態度で接した方がまだ解きやすい絡まり方をするよ」

「……」

「……」

 

 

 こんなお調子者な女性の口から出るとは思いもしなかったような綺麗に並んだ言葉を聞いて、桐佳と遊里はぽかんと口を開けて放心してしまう。

 捉え方によっては言われている内容は間違っていないのだろうと、そんな風に解釈を終えた桐佳が思わずむせた。

 

 

「んう゛!? ……な、なんだかそれっぽいアドバイスされてる……? こ、こんなガサツっぽい女の人に……!?」

「ひっ、酷い!? 遊里ちゃん今の聞いた!? 今の桐佳ちゃんの発言っ、完全に何にも考えて無い本心の言葉だったよね!? ね!?」

「あ、あははは……桐佳ちゃんは、今は本当に余裕がないので。ちょっと失礼なことは勘弁してあげてください……」

「遊里ちゃんのそういう、こてこてに取り繕った言葉も傷付くんだってー……」

 

 

 シクシクと下手くそな泣き真似をしてから、女性はビシッと桐佳を指差した。

 姉が妹を褒めるような雰囲気で、気安い表情で笑う。

 

 

「うんうん。でも、そういう感じだよ桐佳ちゃん。思った事を口にしちゃえばいいのさ。変な事を言ったって、桐佳ちゃんのお姉さんは笑ってくれるでしょ? 当たってみて、砕けて逃げるかはそれから考えれば良いんだよ!」

「それは、まあ……そうなんでしょうけど……?」

 

 

 あれ、と感じた違和感。

 この人に姉の話なんかしたかな、なんて思ったものの、騒がしいこの人との会話でポロッと口にしていてもおかしくはないかと思い直した。

 

 別に自分が姉の話をするくらい珍しくも無いのだから、なんてそんなことを思う。

 

 

「……ま、本心からの罵倒を受けられるくらい気を許してもらえたと思ったら良いかな。むしろお釣りが来ちゃうよ、へへー。ねえねえ、連絡先交換しない? お姉さんもっと親しくなりたくなっちゃったー」

「え、えー……ど、どうしよっか」

「ううん……」

「こんなにもアタックしてるのに欠片も気を許してもらえてなかったぁ……! 連絡先も交換できないなんてお姉さん大ショックだよぅ……!」

 

 

 ぐすぐすと今度は若干本気っぽいベソを掻き始めた女性が戻って来た店員からカードを受け取り、先程とは違う、最低限店に合う様な丁寧な食べ方で料理に手を伸ばし始める。

 お互い目配せして躊躇する様子を見せる桐佳と遊里に食事を勧め、おずおずと口を付け始めた二人を見て心底嬉しそうに表情を崩した。

 

 子供が温かい食べ物を口にしている光景。

 それを嬉しそうに眺める女性は色々と問題のある人ではあるけれどきっと優しい人なんだろう、なんて。

 結局そんな風に目の前の女性の人となりを判断した桐佳と遊里が安心した様子で料理に舌鼓を打ち始めてから、少し。

 

 ピクリと、ニット帽の女性の眉が動いた。

 

 

「――――……」

 

 

 唐突に、目の前の女性が表情を消した。

 喜怒哀楽、色とりどりの感情を見せていた女性の顔から完全に表情が消えた。

 

 まるで目の前で突然、人間だったものが人形になったような変貌の仕方に、二人はこれまで感じたことも無いような恐怖を覚える。

 

 

「…………お姉さん?」

「どうか、しましたか……?」

 

「……ごめんねぇ二人とも」

 

 

 指先一つ反応できなかった。

 立ち上がるのも、机越しに手を伸ばしてくるのも、桐佳と遊里の首元を掴んだ動作も、決して速い動きでは無かったのにあまりに自然過ぎて反応すら出来なかった。

 

 だから、その女性に首元を掴まれた二人はそのまま――――

 

 

 

 

 



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暗雲降りゆく

 

 

 

 

 ヘレナ・グリーングラスという女性は、現在ICPOの異能事象の対応に当たる実動部隊のトップとしての立場に就いている人物だ。

 

 それは、彼女のこれまでの功績を考えれば本来ありえないような立場であり、彼女はそもそも各国のあらゆる重鎮が血相を変える程度には有名人でもあった。

 古くから彼女が持つ富や名声、築き上げてきた輝かしい歴史。

 およそ300年にまで遡ると言われる歴史だが、その全容を知る者は世界的に見ても彼女自身以外存在せず、断片的にしか語られない生ける伝説そのもの。

 “顔の無い巨人”という世界を襲った厄災と同様に、人間としてはあり得ない程の刻を生きると言われる老女の噂全てを信じる者はそういない。

 

 だからこそ、レムリアという少年を保護するまで長らく現役を退いていた彼女が、突然異能事象の対応を行うICPOの実動部隊を作り上げ、下働きに近いことするようになった時、事情を知る者達は大きく動揺した。

 

 どんな思惑があるのか。

 どんな事情があるのか。

 その名を騙る偽物では無いか、そもそも語り継がれたものは真実なのか。

 

 長らく表舞台に出ることの無かった老人が何故今更。

 富も名声も有する老人が、わざわざ自らそんな組織を作り上げる意図は何なのか。

 異能という名の才能は所詮科学で制圧できる程度のものではなかったのか。

 

 そんな考えがあらゆる国で錯綜したが、結局、その理由はどの国も知りえる事が無いまま現在へ。

 全世界において科学の手には負えない異能による凶悪犯罪が頻発するという、絶望的な時代となったのだ。

 

 

 つまり、この絶望的な時代が来ることをあらかじめ予知していたような、現在もなお輝かしい功績を残し続けるのが目の前の老女…………であるらしい。

 一目でこの老女からこれまで遭遇してきた者達とは比にならない厄介さを感じ取った私の感性に間違いは無かったらしい。

 

 

(……取り敢えず、周囲の人達をこっそり読心してこれだけ情報は取ったけど……え? なんでこんな怪物みたいな大物が目の前にいるの? 私の運悪すぎじゃない……? ただでさえ傷心中で余裕なんて無いのになんで……?)

 

「ちょっと、聞こえてるのかいお嬢さん? ……駄目だね、まったく反応が無くなっちまった。人の顔見てうげぇとか言っていたし、随分な奴だねこの小娘」

「ヘレナお婆さん顔恐いから……」

「そんなこと無いだろう!? 一度叱りつけた相手に怖がられることはあっても初対面で怖がられた事は滅多に無いよ! 妙なことは言わないでおくれ!」

 

 

 上品そうな見た目とは裏腹に粗暴な口調のヘレナという老女とレムリア君が親しげなやり取りをして、私への注意が逸れている内にじりじりと距離を取っていく。

 どう見ても異能の扱いが上手そうなこのお婆さんには、目の前での異能の使用は気取られる可能性が高いので、できれば異能の使用とか無しに逃走を図りたい。

 

 そう思っていたのだが。

 

 

(…………なんて言うか……この人の出力どこかで覚えがあるんだよね。なんだっけ……昔、印象に残るような相手って考えると……)

 

 

 先程の気になった点がどうしても頭に残っていた私はゆっくりと後退しながらも、思い出したくも無い黒歴史を回顧して、ふと思い当たる節に辿り着いて足を止める。

 異能という第六感を使用して世界に広げた私の知覚したものの中に、確かに彼女のような出力を有する人物はいた。

 

 随分昔のそのことをふと思い出したのだ。

 

 

(…………え? この人、まさか……)

 

「あっ、アンタはアンタで何勝手に逃げようとしてんだいっ!? ちょっと待ちな! まだ話は終わってないよ!!」

 

 

 ガシリと、当然のように私の逃走に気が付いていた黒服の人達に肩を掴まれ、レムリア君達の元へと引き戻されていく。

 ずりずりと引き摺られるような雑な扱いに普段の私なら多少騒ぎ立てたかもしれないが、今はそれどころではない。

 

 逃走の失敗なんてものを気にするよりも、ある疑いを抱いてしまった私は引き摺られながらもまじまじと目を丸くしてしわしわの老女の顔を見詰めてしまう。

 

 

「……今度はなんだい? 人を奇妙な生き物を見るような目で見て……どっかで私と会ったりとかしたかい?」

「…………いえ、別に……なんでもない、です……」

 

 

 あれは随分前、私の異能技術が未熟だった頃。

 お互いの姿を見ることは無くとも、存在を認識し合い、意志疎通すらした事がある相手。

 

 じっと見つめた老女の異能が随分昔に見たものに非常に似通っている事を確信する。

 昔と比べて見違える部分はあるものの、根本的な異能の強大さは何一つ変わっていないのを確認し、私は激しさを増す心臓の鼓動を必死に抑え込んだ。

 

 

(多分……多分この人、私の御師匠様だ)

 

 

 きっと、この人にそんなつもりはないだろうけれど、私にとっては大きな成長の要因となった出来事を思い出した。

 

 昔私は異能を広げて世界を見た。

 

 小動物を介し、鳥を介し、人を介し、機械を介し、ありとあらゆる知性体を介する事で到底幼い頃の私の足では辿り着けない場所にいる人達の世界を垣間見た。

 自分の異能の範囲を広げながら、自分の異能の規模を広げながら、私は誰にも知られることなく色んな人達の考えや在り方を見て、助けを求める人をひっそりと助けていった。

 

 私には才能があった。

 いいや、異能の適性があったというべきなのかもしれない。

 試行錯誤を繰り返し、私が自分の異能の理解を深めるごとに、加速的に私の異能の在り方は拡大し、出力は異常なまでの成長を遂げていった。

 

 やれることが多くなった。

 心を読むだけだった異能が、いつしか他人の心を操れるまでに成長した。

 目の届く範囲しか効果が無かった異能が、途方も無い距離を渡るまでに成長した。

 

 そんな恐るべき速さの私の異能の成長は留まるところを知らなかったが、その急激な異能そのものの成長に私の異能の操作技術は全く追いついていなかったのだ。

 

 そんな時に私が出会ったのがこの人物。

 拡大した異能で探知した、誰よりも異能の操作が卓越していた人物。

 唯一私が中継としていた小動物を簡単に見付け出し『下手くそ』と笑った、自分の命が枯れ果てるのを待つだけだった人物。

『長生きは良い事ばかりじゃない』と自嘲するように呟いて、一人寂しく小さな小屋に住んでいた浮世離れした悪い魔女のような人物。

 

 それこそが、目の前のこの老女だった。

 

 天涯孤独のようで、異能を広げていた私に大した興味も無い人。

 見付けた私の異能の中継となっていた小動物を小さな家から摘まみ出し、特に何も害意や敵意を見せない人。

 他人と関わるのはもうこりごりだと言う当時のこの老女の考えに私は戸惑いながらも、当時の私はこれ幸いとこの人を利用して自分の異能の練習を始めることにした。

 

 私が海を越え、あらゆる異能持ちを見て来て、その中でも飛び抜けて異能出力の探知や操作が秀でていた人。

 その経験や技術を越えることが出来れば、私の望む『誰にも知覚されない程に卓越した異能操作』が手に入るのだと確信したから、その時の私は連日のように彼女の元に通い詰めた。

 

 それからその人との関係が始まった。

 見付かって、見付かって、見付かり続けて、その度に何かしらの家事を手伝わされた。

 一種の罰ゲームのように、見付かった時は鳥や小動物を使って掃除や飲み物を用意するのが暗黙の了解となって、それも色々と口を出してくるから料理や掃除でも学ぶことは多かった。

 小さな部屋で古ぼけた本を読むだけのその人から異能に関する話を聞かされたり、独り言のような経験に基づく歴史に関する話を聞かされたり、果てには政治学的なものまで聞かされた。

 そんな関係だったから、口に出したことも無かったしこの人もそういうつもりは無かったけれど、いつしか私にとってその人は「御師匠様」と呼べるものになっていったのだ。

 

 悪くない時間だったのだろう。

 けれど、私が異能の緻密な操作要領を掴み、実践できるようになるまでに、それほどの多くの時間は要さなかった。

 だから彼女とのそんな日々は時間にしてほんの数週間だけだ。

 唐突に、私をいともたやすく見つけ出していた人が私を見付けられなくなってしまい、呆気なく終わってしまった関係ではあるが、私にとって重要な成長のきっかけとなった出会いだ。

 

 本当に見付からないのかと何度か訪問してみたり、私との会話が無くなり寂しそうにしているその人に迫害を受けていた異能持ちを保護させたりはしたが、まさかこうして実際に会う日が来るとは思ってもいなかった。

 

 嬉しくない訳ではないが、直接会いたかったかと聞かれると首を横に振らざるを得ない。

 異能持ちと呼ぶのに適さない、異能使いと評すべき最高峰の存在であるこの人物は、世界中見渡してもこれ以上ない程の最悪の相手。

 

 と言うかそもそも、前々からこの人は勘が鋭い所があって苦手なのだ。

 

 

(……まあ、あの頃から私はもっと異能の扱いが上手くなったし、あの頃の私が分からないこの人じゃ、今の私に勘付くことは無い筈だし。適当に大人しく受け流して、トラブルさえ起こさなければ印象にも残らない筈だよね、うん……油断は本当に出来ないけど……)

 

「……それにしてもレムリア、前々から話してたお姉さんは本当にこれなのかい? 何と言うか、ちっこくて一つ二つ年下の女子供にも負けそうなくらいちんちくりんだし、目も死んでて活力が無いしで、想像していた姿と随分掛け離れてて……ロランが誘ったって言うから、もう少し覇気に満ちた奴かと思ったんだがね……」

「は? 一つ下の妹なんかに負けませんが? 別に背は同年代に比べて少し低いだけで飛び抜けて小さくないですし目も死んでませんが? その目は節穴なんですか? ほら、よく見て下さい。夢と希望でキラキラした目をしてませんか? きっと光の角度でよく見えて無いだけなんですよ。ほらほらほら、ちゃんと見て下さい」

「恐いから急ににじり寄って来るんじゃないよ!? 分かったっ! 私が悪かったよっ! だからそれ以上死んだ目のまま顔を近付けてこないでおくれ!」

 

 

 脊髄反射で私はヘレナさんという老女ににじり寄って顔を近付けていた。

 別に私は気にしていないが、背が小さいとか目が死んでるとか気にする人は気にするのだから、そういう発言には気を付けた方が良いと本気で思う。

 別に私は気にもしないが、やっぱりそういう身体的な特徴を小馬鹿にするのは良くないものだと思う。

 

 

「ヘレナお婆さんが失礼な事言うから……。ごめんね、気にしないでねお姉さん。でも僕だって背は小さくて他の人と比べちゃう事はあるけど、これから成長するかもだし、なんだかんだこれも自分の個性だって思えるものだからね。それに世界は広いから、そういうコンプレックスも含めた自分を好きになってくれる誰かがいる筈だよ! 少なくとも僕は好きだからそんなに気にしないで欲しいな!」

「ま、眩しいっ……!? 偏屈な悪口お婆さんを見た後だから余計にレムリア君が眩しく見える……!? ご、ごめんレムリア君……そんな純真無垢な笑顔を私に向けないで……そのうち消えてなくなりそう」

「……さらっと私の悪口を織り交ぜるんじゃないよ。アンタ意外と肝っ玉据わったクソガキだね……」

 

 

 それにしても、と思う。

 以前異能で認識していた時は生きる気力も無かったし、他人と関わらず、外に出歩こうともしていなかったこの人がこうして出歩いているのを見ると思う所がある。

 その上何をまかり間違ったか、人嫌いで森奥に引きこもっていた人がICPOの異能対策実動部隊のトップを務めているとか、当時を知る私としては正気を疑うレベルだ。

 何をどう心変わりしたらそんなものになろうと思うのだろう。

 

 ……まあ、私が見てきた中でも最高峰の異能使いだから、戦力としては正しいのだろうけど。

 

 

(別れの言葉も無しに会わなくなっちゃったからなぁ……試しに深層心理で私をどう思ってるのか覗いてみたいけど、この人に対して真正面からそれをやる度胸はないや……)

 

 

 でも目の前のこの老女が私にとっての御師匠様だということは、レムリア君はある意味私の弟弟子になる訳なのかと思い直し、思わずまじまじとレムリア君を眺める。

 どうして私にじっと見られているのか分からず、困ったような顔で小首を傾げた彼に対して、私はちょっと仲良くなろうと会話を仕掛けてみた。

 

 

「ところでレムリア君はどうして日本にいるの? 何かのお仕事?」

「えっとえっと……ご、ごめんね。あんまりそういうお仕事の話は出来なくて……」

「あ、そうだよね。ごめんね……えっと、そ、そう言えばレムリア君って凄い若いのにお仕事してるんだね。どんな経緯で働くようになったのかっていうのは」

「えと、えっと……ごめんなさい。それもお話できないみたい……」

「あ、はい……」

 

 

 どうやら私は弟弟子とは仲良くなれない運命らしい。

 改めて私のコミュニケーション能力の無さが浮き彫りになった訳だ。

 ……とても悲しい。

 

 

「お互い会話がど下手なのかい? まったく見てられないよ……アンタら、少し席を外して……楼杏の奴から電話?」

 

 

 私とレムリア君がお互いを見ながら困ったような顔をしているのを見かねたヘレナさんが、何とか場を取り持とうとしたタイミング。

 

 海外の有名な音楽が着信を知らせる。

 ヘレナさんは懐に入っていた携帯電話の着信音に眉をひそめ、素早く通話を始めた。

 

 

『……どうしたんだい? 何か問題があったかい?』

『良い話。“死の商人”バジル・レーウェンフックが引き起こした政府と反政府の抗争は鎮圧した。主だった首謀者のほとんどはもう行動すら出来ない状態』

『アンタならそれも当然だが、よくやったよ楼杏。……それで本題は?』

 

 

 目の前で始まった流暢な英語での電話に私が目を瞬かせ、内容が分からずどうしたものかとレムリア君を見れば、彼もまた真剣な顔を御師匠様に向けている。

 

 何やら嫌な問題が起きているらしい。

 

 

『悪い話。首謀者は全員異能を所持していた。幹部格全員が異能を持っているのは異常。まず間違いなく奴は異能開花の素養がある者を見つけ出す術を手に入れている』

『…………奴は何処にいる?』

 

 

 徐々に険しさを増していく御師匠様とレムリア君の表情に話し掛けることも出来ず、完全に蚊帳の外になってしまった私はブラブラと手を揺らしてちょっとだけ存在をアピールしておく。

 だが、そんなことでは気にもされないようで、黒服達を含めた彼らの視線すら私に向くことは無い。

 

 

『最悪な話。己は指示通り奴は捕獲せず異能で圧死させた。間違いなく奴を4体圧し潰した。だが、どうにもまだいるよう。挑発の電話が残されていた。己、憤慨』

『下手くそな冗談は良い。掴んだ情報を寄越しな』

『行方の分からなくなった旅客機が一機ある。乗員乗客合わせて600人、UNN製の大型旅客機G174。本来の目的地は香港』

『UNN製G174……なるほどね。散々人々を争わせて、自分は高飛びか。ふざけた奴だ。チッ……こっちの収穫は無かったからね。私とレムリアも日本から西側の方向への捜索に加わるよ。楼杏もロランの指揮下に入って対応に当たりな』

『己、了解』

『それから他の奴らにも伝えて欲しいんだが――――』

 

 

 淡々と進んでいく英語の通話に私は理解を諦め、そっと周囲を見回した。

 英語で通話している御師匠様や、幼いながら王子様のような見た目のレムリア君の事が気になるようで、周りの人達はチラチラこちらに視線をやっている。

 平日なのに人通りが多いなぁと、この後何か料理の買い出しをしてから帰ろうかと考え始めた私が、今日の献立について携帯電話で由美さんと相談しようかとしたところで。

 

 

 ――――私は悪意に満ちた異能の出力を感じ取った。

 

 

「……?」

 

 

 周囲には何もない。

 普通の人達が会話し、談笑して歩いている。

 車道の車両も普通に動いていて、以前の“白き神”のような不審な動きをする車両は無い。

 それに前の時のように私達を目掛けて攻撃を仕掛けたものでもないことは、即座に異能の出力元の感情を読み取った事で判明している。

 

 だが間違いなく、私は異能探知の範囲に悪意を持った異能の出力を感じ取っていた。

 

 

(方角はあっち。でも角度は真っ直ぐじゃない……? どちらかというと、上空方向で……)

 

『――――待ちな。妙な出力がある』

『え!? へ、ヘレナお婆さん、僕まだ分からないんだけど……』

 

 

 空を見上げる。

 私は視認できる距離にある旅客機を一機見つけた。

 

 その機体は徐々に近付いて来る。

 高度を落としながら私達の方向に向けて突き進んでくる。

 

 私達のすぐ上空を通り過ぎようとしている。

 

 この近くに空港なんてない筈なのに、まるで着地しようとするように高度を落としている。

 

 機体に書かれたG174の数字が、さらに近付いてきたことで見えて来る。

 そして、やけに近い距離で私達の上空を通過したその機体が、けたたましい音を上げながら少し先にある建物へと突っ込む形で着陸していく。

 

 

 そこは確か、新しく開店したばかりのショッピングセンターが建っている場所だった。

 

 

 何かを予知したような悲鳴が、周りから響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 12月20日17時46分

 

 凍てつくような寒さとなってきた日本のそんな夕暮れ刻。

 日没の遅い夏場とは違い、陽が沈み暗さが増してきたこの時間帯にそれはやってきた。

 

 人の溢れる街中に広がった巨大な影。

 何かに気が付いた小動物達が脇目も振らずに逃げ出して、電柱や建物にいた鳥達が一斉に飛び立ち危険をお互いに知らせるように騒ぎ立てる。

 動物達の慌てるようなそんな行動が目に入り、仕事終わりの社会人や少し遅く帰路に就いていた学生達がそれに気が付いた。

 

 やけに近い距離から聞こえてくるエンジン音。

 空気の振動が肌に伝わってくるほどの巨大な機体の滑空。

 そして、数秒遅れでやってきたあまりに強い突風に思わずよろめいてしまった人達は慌てて何事かと空を見上げる。

 

 空港や滑走路も無いような東京の中心地。

 その場所ではありえないような距離を大きな旅客機が飛行している。

 そんな大きな旅客機が落下するように高度を落としていく光景を見ても、立ち止まり呆然と見上げ続ける人達がそれを現実だと理解するのは、旅客機がひしゃげる大きな音を聞いてからだった。

 

 後の世で、『航空G174ハイジャック-新東京マーケットプラザ襲撃占拠事件』と呼ばれる世界的な有名な事件はここから始まったのだ。

 

 

 

 

 



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間違えてしまった選択が

 

 

 

 

 飛行機が、多くの人達を乗せた巨大な旅客機が急速に高度を下げていく。

 

 完全に操縦不能になっている訳では無いようだが、滑走路も無い建物へと旅客機が迫っていく様は、もはや墜落と言っても間違いではない血の気が引くような光景。

 人々を乗せて空を走る鉄の箱舟が、いともたやすく死を振り撒く棺桶へと変わってしまうだなんて、いったい誰が想像できたというのだろう。

 少なくともその旅客機に乗るほとんどの人はそんなこと想像もしていなくて、落下していく機体による浮遊感と、ついに目の前に現れてしまった明確な死の感覚にどうしようもない恐怖を抱いていた。

 

 その光景に気が付いた周囲の人達が惨劇を予想し悲鳴を上げると同時に、私の横で話をしていたレムリア君も事態に気が付き声を張り上げた。

 

 

『ヘレナお婆さんっ!!』

『……駄目だよレムリア。あれは明らかに誘ってる。分散するのは得策じゃない、特に異能の詳細が判明していない奴が乗っているだろうあの機体に無策で近付くのは許可できないよ』

『そんなのっ……! ごめんヘレナお婆さん!』

『レムリア!』

 

 

 墜落していく旅客機を見ても冷淡な態度を崩さなかったヘレナさんに対して、レムリア君は焦りを浮かべ強い言葉で返答すると、その場で思い切り空中へと飛び上がった。

 軽く地面を揺らすほどの衝撃に私がいつかのように地面を転がりそうになり、慌てて近くにいたヘレナさんにしがみ付く。

 

 邪魔になるような私の行動。

 だが、そんな私の行動など今は気にもならないのか、ヘレナさんは飛び上がったレムリア君を険しい形相で見上げたまま私を一瞥もしない。

 

 飛び上がり空中で体を回転させたレムリア君が何処からか取り出した棒状のものを弾丸のような速度で旅客機へ撃ち出し、撃ち出した棒状のものと自分の位置を入れ替える。

 

 彼が持つ二つの異能。

 物理衝撃を蓄積させ、蓄積させた衝撃を自由に物体に付加する異能と物体の位置と位置を入れ替える異能。

 その二つを巧みに使い分けた空中における高速機動法により、レムリア君は高速で空を駆けるあの旅客機に追い縋っていく。

 

 そこからの事は遠すぎてよく見えないが、レムリア君の持つ異能を思えば、あの機体の重量でさえ対処は難しくない筈だ。

 

 たった一人で多くの被害を防ぐであろうレムリア君に私は内心舌を巻くが、それを見届けたヘレナさんの顔色は優れない。

 

 

『レムリア駄目だ、戻ってきな……ああ、くそっ……ちんたらやってられない! 私らもあの場所に向かうよ! ――――で、アンタはアンタでいつまで私にくっついてんだい!? さっさと離れな! こっちは忙しいんだ!」

「うう……ご、ごめんなさい……」

 

 

 しっかり私に伝わるように日本語に直した上でのお叱り。

 

 酷い言い草だが正論でもある。

 バランス感覚を取り戻した私は謝罪しながらヘレナさんからそっと離れる。

 以前もレムリア君が起こした振動に私は耐え切れずに転がったが、次同じ衝撃があっても転がらない自信がない。

 次はあらかじめもっと距離を取って、転がった際は掴まれるものや人の傍にいるように立ち回るべきだろう、なんて思う。

 

 それにしても、墜落してくる旅客機を見た時はどうしたものかと思ったが、レムリア君が墜落による物理的な被害を未然に抑え、そこにこのヘレナさんが向かっていくのなら既に解決したも同然。

 飛鳥さんと交わした約束を考えれば、飛鳥さんが休養中の間は私が異能犯罪の解決に乗り出すべきだが今回に限ってみればその必要すらない。

 なんていったってここにいる女性はICPOの最高戦力であり、私の異能技能の目安となった世界最高峰の異能使いなのだ。

 たかだか異能を持つ犯罪者の一人や二人を無力化するくらいお茶の子さいさい。

 むしろ異能の露見を恐れて満足に異能を使おうとしない私なんて、一緒に行っても足手纏いにしかならないに決まっている。

 

 それに大体の場所が分かる程度の距離だとはいえ、二駅程度も離れた場所なのだから私の知り合いが巻き込まれるようなこともそう無い筈だ。

 そうなると私が積極的に関わる動機すら無くなる訳で。

 

 このとんでもない事を引き起こしたアホは異能事件解決のプロ中のプロであるこの二人にお願いして、私は家に帰って夕食の支度でもしていようという結論に落ち着いた。

 

 

(うん、それでいいよね。別に私が無理に出張る必要も無いし、戦力的には間違いないだろうしね。……それにしても、あの旅客機に乗っている異能持ち。何だか色々普通の人とは思考構造が違って、なんだか気持ち悪い感じだったな。異能の出力も妙に強そうだったし……まあ、ヘレナさん達が後れを取るような相手ではなさそうだけど)

 

 

 恐怖の悲鳴が戸惑いのざわつきに変わりつつある周囲の状況を見渡した。

 この場にいる人たちは飛行機が自分達目掛けて落ちて来るのではないかという恐怖から脱した事で、既にどこか他人事のような空気感を漂わせている。

 きっと、ほんの少し場所が違えば自分達がアレに圧し潰されていた事実をよく理解していないのだろう。

 とはいえこれから速攻で帰宅しようとしている私が他人の事を言えるものでも無いのでそれにどうこう言うつもりも無い。

 

 皆、自分の身に降りかからなければどこか他人事なのだ。

 

 当然、ここからでは飛行機の落ちて行った先の事はよく分からない。

 混乱する現在の状況を理解しないまま放置することには気持ち悪さを拭いきれないけれど、これ以上のこの場へ滞在しても情報は得られず、ヘレナさんに怪しまれるばかりだと判断した私はここから立ち去ろうと足の向きを変えた。

 

 そんな時、私の脳内にマキナから焦りの混じった警告が届いたのだ。

 

 

(御母様っ……! 奴がっ、御母様の妹がっ……!)

 

 

 血の気を失うというのはこういう事を言うのだと思う。

 

 マキナの報告に、私は指先に至るまでの体の動きがピタリと停止する。

 言葉を理解し、状況を理解し、誰が危険に晒されているのかを理解する。

 

 マキナの警告と共に、私が瞬間的に桐佳の居場所を探り、その場所が今、あの旅客機が向かっていった先である建物だということを理解した。

 未だに人々がざわつき悲鳴を上げて見詰める先であるあの場所、黒煙が空に立ち上り目に見えない人々の悲鳴が木霊するあの場所。

 

 そんな場所に私の妹がいることが、はっきりと視えてしまった。

 

 

「――――……桐佳?」

 

 

 呆然とした私の呟きは、周囲の喧騒に掻き消される。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 振動と衝撃。

 叫びと悲鳴と轟音。

 巨大なハンマーで横殴りにされたような衝撃と同時に起きたショッピングセンター全体を一斉に襲った停電。

 そんな、自分の意識が飛んだのではないかという錯覚さえ感じさせるようなその一瞬の出来事。

 

 暗闇に目が慣れ始め、周囲の状況が分かるようになって、ようやく桐佳は自分が柔らかな絨毯の上へ引き倒されている事に気が付いた。

 

 

「な……なにが、おきたの? 遊里……? 大丈夫……?」

「う、うん。えっと? 真っ暗でよく見えないけど、今のって……」

「――――二人とも大丈夫? 怪我はない? いやあ、危なかったねぇ。お姉さん柄にもなく焦っちゃったよ」

 

 

 遊里の無事と女性の声に、直前の状況を思い出した桐佳はあっと声を上げる。

 突然食事中の自分達の首元を掴んだニット帽の女性が無理やり自分達を引き摺り倒した事を思い出したのだ。

 

 その後何が起きたか分からないが、取り敢えず自分達にそんなことをしたニット帽の女性に文句の一つでも言ってやろうと暗闇に慣れ始めた目を女性へと向けて。

 

 

「……っ!? お姉さんそれ大丈夫なの!?」

「ひっ! お、お姉さん、足が……!」

 

 

 自分達を引き倒したニット帽の女性の片足が不自然に曲がっており、近くには天井に取り付けられていた大きな電灯が落ちている事に気が付いた。

 何処からどういう理由で電灯が落ちて来たのか、折れ曲がった足は大丈夫なのか、ただの学生である桐佳達には分からない事だらけ。

 

 だが間違いなく、この女性が自分達を庇って怪我したのは確かだった。

 

 

「……いやあ、ミスったなぁ。久しぶりの休暇ではしゃぎすぎちゃった。こりゃ、事務所の人達に怒られちゃうなぁ……」

「そ、そんなの気にしてる場合ですか!? きゅ、救急車を呼ばないと……!」

「いやー……それはきっと難しいよ。だってほら、周りを見てごらん」

 

 

 思わず泣きそうになりながら、周りに助けを求めようとした遊里に怪我人であるニット帽の女性は冷静にそう言って周囲を指差した。

 

 女性の指の先には、至るところで床に倒れ蹲る人々の姿がある。

 一人や二人ではない、視界内だけでも十人近くがそんな状態であることに息を呑んだ。

 ニット帽の女性ほどの怪我をしている人なんて今のこの場では珍しくも無かった。

 

 

「今ここにいる人では怪我してる人なんて珍しくないんだよ。きっとお姉さんなんかまだまだ軽傷の内さ。優先して救助されるような怪我じゃないからね」

「そ、そんな……」

「どうすれば……私はどうすれば……」

「ごめんねぇ二人とも、まさかこんなことになるとは……まったく、欲は掻くものじゃないねぇ……」

 

 

 痛みを感じていないかのように、どこか他人事のように、ぼんやりそう言ったニット帽の女性は頬を掻きながら迷うように視線を彷徨わせる。

 

 

「…………お姉さんの事は置いてって言うと感じが悪いけどさ。取り敢えずこれ以上の被害はないみたいだし、二人はこの建物から出た方が良いかなぁ……ほら、ここに居られても出来る事は無いだろうしさ」

「で、でも、そんな……」

「そうだよ! 動けないお姉さんを一人置いてなんて……わ、私意外と力持ちだから、お姉さんくらい肩貸しても行けるって!」

「いやいや、子供の君達に迷惑を掛けるくらいなら自力で何とかするのがお姉さんの信条だし……」

「後味が悪いと思うことはしないのが私達の信条なんです! 大人しく言う事を聞いてください!」

 

 

 あくまで譲らない態度の二人の様子を見て、困ったように小首を傾げたニット帽の女性は変な顔で笑う。

 

 

「……こんな不審者、そんなすぐ信用しちゃ駄目なんだよ? もう……」

「その自覚があるならもうちょっと大人っぽい言動して!?」

 

 

 何だか諦めたようなニット帽の女性を、力のある桐佳が肩を貸す。

 見た目以上に軽い事にちょっとだけバランスを崩したが、直ぐに体勢を立て直した桐佳はこれなら一人で運べると判断し、手伝おうとする遊里を手で制した。

 

 

「取り敢えず外に行こっか。何が起きたのか分からないけど、状況を見るためにも外に出て見ないと……」

「うん……地震でもなさそうだし、ただの停電でも無さそうだし……大きな事故にしたって建物ごと揺れるくらい大きいのってどういう……?」

「…………」

 

 

 他の動けない人達に視線をやり、彼らを助けられない事に後ろ髪を引かれながらも、ニット帽の女性を背負って必死にレストラン内から出る。

 

 だが、レストランの外にあったのはさらに地獄のような光景だ。

 

 微妙に電気回路が生きているのか、チカチカと明滅する電灯の下で身を寄せ合う人達の姿。

 痛みで呻く者や泣き声を響かせる者、誰かの助けを求める者など様々な人がいる光景を目の当たりにして、桐佳と遊里は絶句する。

 

 誰かの声が耳に入る。

 

 

「なんだよっ、これっ……なんなんだよぉ……! こんなの、日本じゃない、海外の事件みたいなっ……! こんな地獄みたいなこと……!」

 

「……遊里、行こう」

「…………うん」

 

 

 殺伐とした空気に圧された気持ちを切り替えるように、桐佳は隣にいる遊里にそう声を掛ける。

 

 つい先ほどまでの、楽しい雰囲気に満たされていたショッピングセンターが、たった数分で苦痛と絶望に満ちた場所へと変わり果てている。

 キラキラとした電飾が砕け踏みつけられ、ショーケースに並べられていた高価そうな展示物がぐちゃぐちゃに散らばってしまっている。

 

 形あるものはいずれ壊れるとはいうけれどこんなのはあんまりだ、なんて。

 

 何があったかも分からないまま涙を目に浮かべる桐佳に、肩を借りているニット帽の女性は沈痛な面持ちを向ける。

 そして、ニット帽の女性は表情を険しくして周囲の何かを探すように視線を動かし、直ぐに探していた何かを見付けた。

 

 

「……あれだ。あれが原因だよ。あの飛行機がこの建物に衝突したんだ」

 

 

 女性が指差した先。

 そこには飛行機の先端がぐしゃぐしゃに潰れた状態で壁を突き破っている。

 突き破られた壁に蜘蛛の巣状の罅が走り、床が隆起し瓦礫は散乱して、衝突した飛行機は火花を散らして煙を上げた状態。

 

 そんな非現実的な光景に、桐佳は思わず息を呑む。

 

 

「ひ、飛行機の墜落……? わざわざこの場所になんて……で、でもそれにしてはおかしくない? だってあんな大きな飛行機が墜落したんなら壁をもっと突き破る筈だし、柱も壊われたり天井が崩落したり、それどころか建物自体が倒壊してもおかしくないし、被害が最小限に抑え込まれるみたいな、そんな都合の良い奇跡が起きるなんて……」

「確かにそうだよね……操縦してる人が、凄い上手い人で。被害が抑えられるように操縦した可能性とかは……ある訳ないよね」

 

「…………なんにせよ、あそこは危なそうだよ。桐佳ちゃん、遊里ちゃん、建物の罅が広がったら大変だし、反対方向から出口に向かおう? ね?」

 

 

 ニット帽の女性の冷静な言葉に頷いた二人は壊れた飛行機とは反対方向に向かおうとして――――男性の声が、地獄のようなその場に響いたのだ。

 

 

「想像していたよりもずっと被害が少ない。失望はないけれど期待外れ感は否めない。もっと混沌とした感じの、誰もが我先に助かろうとする獣達の姿が見たかったんだけどなぁ……いやでも、そうだね。この状況も捉え方によっては良いものかもしれないね。会話に応じれる人がいっぱいいる。つまりそれは、『商談』が成立し得るって言う事だからね」

 

 

 怪我人が多くいるこの場には到底似合わない快活で明るい声。

 まるで趣味に高じる子供のような声色で、壊れた機体の先端から姿を現したのは銀髪の男性だ。

 女性に見まがう程サラサラとした柔らかな長髪をなびかせたその男は、状況を理解できず震える人や怪我の痛みに呻く人を視界にも入れないまま、体を大きく伸ばした。

 

 どうしようもなくこの凄惨な光景には似合わない態度を貫く男性の姿は、悪魔と呼ばれる存在のように思えて仕方がない。

 

 

「いやあ、それにしても良い国だね。普通ならパニックになるような事態なのにほとんどの人はまだ自分達の危機的な状況を理解できていないし、怪我をした他の人に手助けしようと時間を浪費していたりする。こういうのなんて言うんだろうね。国民性って言うんだろうね。他人は善で、自分も善で、困っている人は助けないとって思うんだろうね。最終的には自分の命を投げ打ってでも見ず知らずの他人を助けようとするのかな? うわあ、想像しただけで気持ち悪いなぁ」

 

 

 にこにこと全く悪意を感じさせない笑い顔でそんな事を言った男性は、そのまま自分の首を回した。

 

 コキリという音もせず、ぐるりと異常なまでの柔軟性を持ったその首の動きは何処か奇妙だが、ニット帽の女性以外は男性のその異常性に気が付く余裕はない。

 というよりも、現状男性の存在や話している内容に注意を割けるほど余裕がある人はこの場にほとんどいないのだ。

 

 

「……なにあの人? なんか、おかしいよ……」

「き、桐佳ちゃん……わ、わたしあの人見たことある。前に、海外からの動画で流れてた超能力の犯罪者で、指名手配犯になったばかりの人で」

 

 

 それでもそんな周りの状況は気にもならないのか、男性は指を立ててこんな提案をする。

 

 

「さてじゃあそんな君達に朗報だ。君達の手でも落ちている瓦礫でもはたまたもっと別のなにかでも良いけど、自分以外の誰かの命を奪ったら俺がその人を助けてあげるよ。この場において自身の生存を追い求める獣性が何よりも重要視されるんだ。どうだい、面白いだろう? 人の善性を尊いものだと信じられているこの場において優劣が逆転したらどうなるのかってワクワクして来」

 

 

 唐突に、パンッ、と男性の体が横合いから飛んできた何かで弾け飛んだ。

 

 まるで巨大な鉄球が高速で男性を吹き飛ばしたかのように、金髪の髪をした幼げな少年が、いつの間にか男性が立っていた場所で腕を振るった体勢で現れている。

 消し飛んだ男性の行方を追う事もせず、険しい表情で周りの怪我人達の状況を素早く見回して、後悔でもするようにその少年は強く歯を噛み締めていた。

 

 

「こんなに怪我人が……! 僕がもっと早く判断して……違う、もっと僕の異能の扱いが上手ければ……」

 

 

 突然現れた何かを呟く少年の姿に、姿が消えた先ほどまでの銀髪の男性。

 何が起きているのか全く理解が追い付かない桐佳と遊里が目を白黒とさせる中、桐佳に肩を借りているニット帽の女性が急に声を張り上げた。

 

 

「そいつ血も何も出てない! 気を付けて!」

「っ!?」

 

 

 ニット帽の女性の言葉に反応した金髪の少年が弾かれた様にその場を離れる。

 距離を取り、目を細め、先ほどまで自分がいた場所の周辺を注意深く観察していた金髪の少年の表情が、徐々に理解できない物を目の当たりにしたように歪んでいった。

 

 

「なに、この出力……こんな、細かい粒子が別々に広がるようなのは見たことが……」

「ふうん? 流石、ICPO異能対策部署の最年少レムリア君は違うねぇ。普通の感覚では感知できない出力なんてものの違いを識別できるだなんて師匠が優秀なのかなぁ?」

 

 

 チカチカと明滅する電灯。

 電気が消え、次に光が灯るほんの一瞬の間に、飛行機の上に座った状態で現れた男性が心底感心した様子でそう呟いた。

 

 怪我一つ無い男性の姿。

 顎に手を添えて、レムリアと呼んだ金髪の少年が驚愕するのを観察するその銀髪の男性は目の前に現れた障害を楽しむような態度すら見せている。

 

 一方で、名前を呼ばれた金髪の少年、レムリアは驚愕から立ち直ると鋭く男性を見据えた。

 

 

「なんで僕の名前を知ってるのか知らないけど……無関係な人をこんなに巻き込んだ貴方の弁明を聞くつもりはない。楼杏お姉ちゃんと同じで、僕も貴方を捕らえるなんて甘い考えはしてない。覚悟して」

「おいおい恐いなあ、そんな歳でそんな怖い事ばっかり言ってると良い大人になれないぜ? 罪を憎んで人を憎まずなんだろう? 俺の罪は憎んでも俺の事は憎まないでくれよ。これだから正義面した奴らは頭がおかしいんだよ。主張を一貫しないなんて信じられないね」

「適当な事を……!」

 

 

 一撃必殺に近いレムリアの攻撃からどうやって逃れたのかは分からないが、隠れる事も無く目の前に姿を現した男性の行動にレムリアは不審そうな目を向ける。

 だが、自分が出来ることは一つかと思い直すと、両手にこれまで自身が溜め込んだ衝撃を集めていく。

 少し触れるだけで人の体なんて簡単に千切れ飛ぶような衝撃が込められたレムリアの両手に、小さく感嘆の溜息を吐いた銀髪の男性は肩を竦めた。

 

 

「君の異能は知ってるよレムリア君。衝撃の吸収と放出に位置の入れ替えだろう? 二つの異能を持つなんて凄いなあ、その才能に嫉妬しちゃうぜ。そもそも異能を持たない人がごまんと存在するこの世の中で君だけが二種類の異能を持ってるなんて酷い話だと思うよほんと」

「な、なんで僕の異能を知って……!?」

「情報は商人の武器であり、そもそも俺の主力商品でもあるのさ。色々な人に会って必要としている物を売買してると自然に情報は集積されるものだし、情報の質を向上させるのは商人としての信頼を保つために必要不可欠だ。要するに俺以上に情報を持っているのは、一個人どころか組織すら稀だって事だよ。それにしても……やっぱりレムリア君の異能は優秀だ、感心しちゃうよ。その異能でこの飛行機の墜落の衝撃を分散させて飛行機の中の人や建物の倒壊を抑え込んだんだろう? 器用なものだねぇ。まあでも、自分に向かってくる衝撃はともかく別方向に向かってるこれほど巨大な衝撃を空中で吸収しきるなんてやったことなかったんだろう? だからこんな風に、自分が吸収する以外に衝撃を分散させる必要があったんだろう? 判断は間違いじゃないけど、そのせいでこんなに苦しんでいる人がいるんだぜ? もっと異能を磨いておけばこんな事にはならなかったと思うけどなぁ……もしかしてだけど君さ、自分の才能に胡坐を掻きすぎたんじゃないかな?」

「っ……!」

 

 

 レムリアの表情が痛みに耐えるように歪む。

 

 暴走していた飛行機に掴まる事に成功し、足場も無い状態で衝撃を吸収して、乗客や建物内にいる人への被害を最小限に抑えるように努力はした。

 建物の崩壊や飛行機の機体の破損が最小限になるように衝撃を拡散させ、自分に向けられたものでもない衝撃を出来る限り抑え込んだのだ。

 

 だがそれでも、結果的には多くの負傷者が出てしまった。

 

 もっと異能の扱いが上手ければ。

 暴走する飛行機にもっと素早く辿り着いて、もっと簡単に衝撃を吸収し切って、落下する飛行機を軟着陸させて、誰も怪我することなく終わったかもしれない。

 もっともっと自分の異能を頑張って磨いていれば違ったかもしれないなんて、レムリアだって思い当たってしまっている。

 だからレムリアは息だって詰まっているし、掌を強く握って後悔ばかり頭を過るけれど、それでも目の前の悪魔のような男の姿から目を逸らさないようにじっと睨みつけた。

 

 この悪魔のような男から自分が目を離したら、もっと多くの犠牲者が出てしまうのが分かっているからだ。

 

 肌がひりつくような空気。

 そんな銀髪の男性と金髪の少年による睨み合いに目を奪われていた桐佳達の肩を軽く叩いて、ニット帽の女性は二人に対して囁くようにそっと声を掛ける。

 

 

「……今が逃げる最後のチャンスだよ。早くいこう。異能同士のぶつかり合いなんて、一般人の君達が巻き込まれでもしたらどうしようもない。はやくっ……」

「で、でも、あの子は……」

「いいから早く……! 君達がいたところで何も……チッ!」

 

 

 結果的に問答するような時間は無かった。

 

 異能持ち同士の衝突が目の前で始まる。

 レムリアが足元を爆発させるようにして散らばる瓦礫を銀髪の男性目掛けて飛ばし、銀髪の男性はそれに何をする訳でも無く座ったままの状態で待ち構える。

 そして、男性目掛けて高速で飛来する瓦礫と自分の位置を何度も入れ替え撹乱しながら、余裕そうに座った状態の銀髪の男性に肉薄していく。

 

 

「……へえ、そんなことも出来るのか」

 

 

 だが、飛ばした瓦礫に紛れる一方向からの肉薄は完全なブラフだ。

 レムリアが行った瓦礫の散弾は強制的にそれに注意を向けさせるための布石であり、本命は自身の位置を繰り返し転移させながら行った別方向への瓦礫の射出。

 別方向への瓦礫の射出はさらに別の瓦礫との位置交換が幾度となく繰り返され、瓦礫の散弾による攻撃はいつの間にか銀髪の男性を囲む全方位からのものへと変貌を遂げた。

 

 

「異能が分からない相手に対して接近しないっていうのは良い判断だと思うなぁ。周りの人に万が一にも当てない為にも、俺だけを囲うよう全方位の攻撃へと変換するのも悪くないし」

 

 

 そして、その全方位からの攻撃は男性に何かを成すなどさせることは無く。

 無数の瓦礫の弾丸に貫かれ、銀髪の男性は体のほとんどを喪失させた。

 

 即死に近い損傷状態。

 それでも相変わらず血は一滴も出ない。

 だらんと力を失った銀髪の男性は座ったままの状態で体を傾かせ、半分以上を失った自分の顔を、攻撃を仕掛けたレムリアへと向けたまま口を動かした。

 

 明らかな死に体でありながら、男は流暢に言葉を紡ぐ。

 

 

「そういう創意工夫、俺は嫌いじゃないよ」

「っっ……! なんで、その異能は一体っ……!?」

「普段なら対価次第で情報を教える事もあるけど君相手にその余裕はないなぁ」

 

 

 さて、と区切る。

 男が片手を上げて何かの合図を行うと同時に、彼の背後にあった壊れた飛行機から多くの乗客が顔を覗かせ、ずるずると割れ目から這い出るように姿を現していく。

 あれだけ墜落に近い様相を見せていた飛行機の乗客が無事でいるのは間違いなくレムリアの尽力があったからで、乗客たちの無事な姿を確認したレムリアはほっと顔を綻ばせ。

 

 安全に地に足を着けたにも関わらず、血の気が失った顔を恐怖に引き攣らせた乗客達の異様な様子に、レムリアは安堵の表情を凍り付かせた。

 

 

「何を切り捨て何を選ぶか。赤の他人の為にどこまで犠牲になれるのか。その気持ち悪い考え方の在り様をこの俺に見せてみてくれよレムリア君」

 

 

 そして、銀髪の男性は背後の旅客機から虫のように湧き出した乗客達を一瞥もせず、腰を下ろしたまま、どこか他人事のように呟いた。

 

 

「才はあってもまだ青い。レムリア君、君は選択を間違えたんだよ」

 

 

 両腕を広げた

 男性のその動作を皮切りに、動揺するレムリアに向けて悲鳴に近い声を上げた旅客機の乗客達が殺到していく。

 多くの命を救った少年目掛けて、命を救われた筈の乗客達が圧し潰そうと飛び掛かる。

 

 銀髪の男性、“死の商人”バジル・レーウェンフックはその光景をせせら笑うようにして、ただ眺めていた。

 

 

 

 



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浮き上がる本性

 

 

 

 

 最近は仕事からの帰宅が早い父親の佐取高介とパートから帰宅した遊里の母親である黒川由美に対して、疲れたように溜息を吐いた優助が向かい合って座っていた。

 と言うのも、優助から彼らに対して、二人がいなかった朝の姉妹喧嘩の状況を伝えているのだ。

 

 喧嘩の勃発理由やその経過、そして如何にして燐香が号泣するに至ったのかを説明したものの、心配そうな表情を浮かべる由美とは反対に父親はのんびり苦笑している。

 真剣に話を聞いていないような父親の態度を前にして、優助は眉間に皺を寄せた。

 

 

「なるほどなぁ、勉強熱心な優助が大学を休んだって聞いたから何事かと思ったけどそんな事があったのか。色々考えなくちゃだけどそれはともかく、妹達の為に学業を休むなんて優助も変わったなぁ、お父さん嬉しいよ」

「茶化すなよ。俺が言いたいのはそういう事じゃない。燐香の奴は何だかんだ大人だから結局色々と譲歩する形を取るとは思うがそれでもアイツもまだ子供だ。最近の意固地な桐佳の売り言葉や買い言葉で変に拗れた時、俺らがどうフォローを入れるのかって話をあらかじめしたいんだよ」

「あはは。いやあ、そこまで心配する事無いと思うけどね。まあでも、まさかあの二人の喧嘩がそこまで加熱するなんて思わなかったよ。それに、燐香の捨て台詞も中々だね。多分、精神的なダメージは桐佳の方が大きそうだ」

「そ、それより燐香ちゃんは大丈夫なんですか? あの子が泣いちゃうなんて相当痛かったんじゃ……桐佳ちゃんの事を悪く言いたくないけど、あんまり暴力的なら注意しておかないと……」

 

 

 三者様々な反応を見せるそんな会話。

 話を聞いてもどこまでも穏やかな父親の様子に若干苛立ちながら、優助は時計を気にして早く帰ってこないかと燐香を心配する由美を安心させるために声を掛ける。

 

 

「……一応本人は大丈夫と言っていました。頭も打ってなくて、受け身を取ってたみたいなので怪我とかは大丈夫そうです。けど、俺は実際に怪我の具合を見た訳じゃ無いので、燐香が帰ってきたら確認をお願いしても良いですか?」

「あ、うん。それは任せて」

「ははは、妹に対しての接し方の線引きもどうしたものかって悩むよな。俺も優助が一人暮らししたあと家でどう娘達と接するべきかと頭を悩ませたよ」

「……父さんが楽観的過ぎて俺は頭が痛くなってきた」

 

 

 これが三児の父親で40代の大人なのかと、優助が肩を落としながら遠い目をする。

 一度はこの家から逃げ出した自分が言える事ではないのだろうが、唯一の保護者がこんな様ではこれまで燐香の気苦労は絶えなかっただろう。

 そんなことを考えて、思わず燐香に同情が湧いてしまう。

 

 眼鏡を外して目元を抑えていた優助が、自分一人が空回っている訳じゃ無いよなと不安に思い始めた時に、ふと気が付く。

 

 

「そういえば燐香はともかく桐佳と遊里さんの姿を見てないな。受験間近だから桐佳達の授業終わりって早い筈だよな? あの二人はもう帰って来てるのか?」

「そういえば見てないね。でも時間的にはもう帰って来てるはずだから部屋で勉強でもしてるんじゃないかな? 由美さんは見たかな?」

「私も見て無いですね……ちょっと部屋を確認してきます」

 

 

 優助の疑問に不思議そうな顔をした由美が「遊里?」と名前を呼んでリビングから二人の部屋がある二階を窺い、それでも返事が無い事に不安そうな表情を浮かべ確認へ向かった。

 優助的には、「どうせ喧嘩をした手前家に帰りにくいからどこか寄り道でもしてるのだろう」とは思ったが、良い機会なので由美にはこのまま席を外してもらうことにする。

 

 子供想いな由美の後ろ姿を見送り、優助はぐるりと自分の父親に顔を向けた。

 

 

「……で? 今回の喧嘩を見ていて思ったが、そろそろ軋轢が出て来る頃合いだと思うぞ父さん」

「ん? 何がだ?」

「……父さんがどう考えているのか知らないし、深く聞くつもりも無いけどな。由美さん達と同居している以上生活環境に差があるのは悪影響にしかならない。遊里さんの時期が時期だから、彼女達をもう少しここに住まわせるのは良いけど、その後どうするかはいい加減決めておけよ父さん」

「…………」

「由美さんの事、俺は良い人だと思ってるぞ」

 

 

 良い機会だからと遠回しにそんな話をして、優助は廊下を見遣った。

 色々あったようだが、あの燐香や桐佳に心を許されている人はそういない。

 もう半年ほど同居している事や普段の態度を考えると、どうせ父親も由美も、歳の近い子供がいるお互いを内心憎からず思っている事は確定なのだと優助は思っている。

 

 今の関係性が心地良いのは分かるが、そのうちそれぞれが与えられているものの違いから擦れ違いが起きるのは確実だ。

 現在のそれぞれの立場だと、何かあった時にはどうしたって我慢をするのは全部由美や遊里になってしまうのだから、そろそろ関係を明確にするべきだと優助は思うのだ。

 

 それにもしも、家族がもういない母親の事をいつまでも引き摺っているのなら、それもそろそろ解消する方が良いに決まっている。

 報われることの無い死者への想いよりも、今を生きる身近な人への想いを大切にするべきだと優助は思うのだ。

 ……あの厄介極まりない亡き母の実家との関係を少しでも断つためにも、と優助は思う。

 

 黙ってしまった父親の様子を見る事も無く、優助は手持ち無沙汰を解消するために何気なしにテレビの電源を入れた。

 

 そしてその報道を目にしてしまう。

 

 

「……なんだこれ?」

 

 

 たまたま付けたテレビの画面がどこかの報道番組で、速報を伝えるテロップといやに早口なアナウンサーの様子に驚いた優助は何事かと目を丸くする。

 

 どこかの現場を映している映像を背景に、アナウンサーは笑顔の無い焦りを浮かべた表情で、走って来たスタッフから渡された資料を読み上げ始めた。

 撮影者の息遣いや画像の乱れ、機材を使わず緊急で撮影しているだろう事が分かる程にブレがあるその現場の映像からはやけに緊迫感が伝わってくる。

 

 

『————救出作業が進められていますが現在も具体的な被害状況、負傷者の数も不明。建物の崩落や内部状況など分かっていない事は多く、救急隊員や警察官の活動も突入までには至っていない様子です。また、ハイジャックされた飛行機による衝突の可能性もあると見られており、ハイジャック犯の内部での活動も視野に入れて慎重に行動するため、現場には絶対に近付かないようにと警察庁より連絡が来ております。皆様、くれぐれも現場へは近付くことが無いよう宜しくお願いします。もう一度繰り返します、本日午後5時過ぎに新東京マーケットプラザに飛行機が墜落する事故がありました。本件は――――』

 

 

 流れる現実とは思えない情報の羅列に優助は目を瞬く。

 ありえないと一笑しようにも、過去に自分の目の前に現れた想像もしなかったような銀色の怪物の姿が脳裏に浮かび、言葉に詰まってしまう。

 

 

「なんだこれ? 飛行機の墜落? 新東京マーケットプラザって確か、俺の大学に行くまでの駅の近くに最近出来たばかりのところだよな? 割と近いし……父さん、これさ」

「……こんな事故があるんだね。それに、ハイジャックでの事件の可能性もあるなんて……取り敢えずウチにまで影響は無いだろうけど一応外出は控えるようにしないとね。燐香に早く帰ってくるように連絡して、桐佳と遊里さんにも連絡をつけないと」

 

 

 にわかには信じがたい報道に反応が遅れながらも、優助に促された父親は家族の安全を確保するために今この場にいない子供達へ連絡を取ろうとした。

 驚くような大事件が身近で起きているのは理解したがそれでもまだ自分の事だとは思えず、画面の先で作られた誰かの物語の事であるように、優助とその父親にはまだ焦りはなかった。

 

 だがそんな時に、桐佳と遊里の様子を見に行った由美がリビングに戻って来た。

 片手には自身の携帯電話を持ち、困ったように眉尻を下げ、首を横に振っている。

 

 

「やっぱり二人とも部屋にいないみたいで……今気が付いたんですけど、遊里から連絡が来てました。喧嘩しちゃった桐佳ちゃんの気を紛らわせるために新しく開店したショッピングセンターに行ってくるって……」

「……ショッピングセンター?」

 

 

 目の前のテレビから流される情報と少し前にあった遊里からの連絡。

 その二つの点が彼らの脳内で繋がるまで、そう時間は掛からなかった。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 それは桐佳にとってよく分からない光景だった。

 到底桐佳には理解できないような、どうにも辻褄が合わないおかしな光景。

 

 これまでの出来事は理解できた。

 飛行機が自分達のいる建物に衝突してきた光景だったり、その衝撃で大きなショッピングセンターという建物が半壊され怪我人がいっぱいいる状況だったり、突然現れた変な男と子供が現実離れした攻防を行ったり。

 連続したのはどれも現実離れした出来事で。これまで自分が過ごしてきた日常とは掛け離れた出来事の数々は信じられなくても何とか理解することは出来たのだ。

 

 これが大事故と呼ばれるもので、それに伴う怪我人がいっぱい出て、現実離れした攻防をしている人達は異能と呼ばれる才能を持った人達なんだと理解できた。

 想像の範囲外ではあったけれど、事前に知っていた情報から現状は桐佳にとって辛うじて理解はできる内容であったのだ。

 

 けれど、それならこれはなんなのだろう。

 

 

『捕まえないとっ、捕まえないといけないんだぁ……!!』

『逃げないでっ! 貴方が逃げると私達が食べられちゃうのっ!! 何も悪い事をしていない私達が食べられちゃうのよぉ!!』

『痛い痛い痛い! 踏まないでくれぇ!!』

『逃げるなァ!! 降りて来い!!』

 

 

 悪人と善人。

 加害者と被害者。

 誰かを傷付ける人と誰かを守る人。

 どちらの方が味方が多くて、どちらの方が支持されるべきなのかなんて。

 桐佳の価値観にとって、それらは疑問なんて抱かないくらい当然ものである筈だった。

 

 例えばこの事故を意図的に引き起こした人がいるとして、その人は当然この場にいる被害者の誰にも支持なんてされるものではない筈だろう。

 それが当然の価値観だと桐佳は考えていたのだ。

 

 だからこそ目の前で起きた出来事が、今の桐佳にとって理解できるものでは無かった。

 

 濁流のように互いを押し退け合い、金髪の少年目掛けて殺到する乗客達。

 自分の怪我を気にもせず、倒れた誰かを踏みつけながら、状況が理解できず彼らから距離を取る少年に対して一心不乱に迫っていく知性を有しているとは思えない人達の姿。

 

 事情を知らない桐佳が見ても、たった一人の子供を追い掛けまわす集団の様子はあまりに異常だ。

 

 

「……違う。あれは多分……もっと単純な……」

「あの人達、どうしてあんな様子がおかしいの……? いったい何が……」

「そ、そんなこと聞かれても、私にも分からないよ。でも、あの男の人が海外の指名手配犯なら……超能力を持っている筈だから……」

 

 

 器がまるごとひっくり返ったかのような状況の変化。

 先ほどまでは苦痛と暗闇と呻き声が支配していたこの建物の中が、一瞬にして狂気に満ちた鬼ごっこの会場へと変わり果ててしまった。

 そして、その渦中にいるショッピングセンターに買い物に来ていただけの人々は、突然始まったその光景に理解が追い付かず、呆然とその鬼ごっこの様子を見る事しか出来ていない。

 

 だがそんな苦境に立たされても、数で圧し潰そうとする相手を前に物理法則を無視したような動きで躱していく少年の動きは微塵も精彩を欠いていない。

 その動きは洗練されていて、彼を追い掛けている只の乗客達がいくら時間を掛けようが到底捕まえられるようなものではないように思える。

 

 そんなこと、素人である桐佳達も直ぐに理解できたのだから、当然当事者である少年も悟っているようで、焦ることなく追いかけてくる人達から大きく距離を取った。

 そして、距離的な余裕を確保した少年はこの異様な光景の原因である銀髪の男性へ敵意を込めた視線を向けた。

 

 

『ははは、奴ら追い付ける筈がないのに必死にレムリア君を追い掛けてるよ。死に物狂いって奴なんだろうけど俺の言いなりになって子供を捕まえようと躍起になる大人の姿って情けないなぁ。もしかして以前君達に差し向けた奴らもこんな感じだったかい? 良いんだぜレムリア君そんな厚顔無恥な連中。君の異能で再起不能にしちゃえば全部解決さ。君だからこうして逃げられているけれど他の子どもが相手だったら簡単に捕まえられて見るも無残な目に遭うだろうよ、そんなことを自分の為なら迷うことなく成し遂げられるような自分本位な大人達なんだ。君が迷う必要もない、そいつらは俺と同じ性根の腐った摘むべき悪だよ』

『うるさいっ……! 誰がそんなこと……!!』

『おいおい、俺は君を追い掛けるそいつらとは違って心から君の身を案じて提案してるんだぜ? たとえ色々悪い事をやっている人間とはいえ、君の身を案じた提案までないがしろにされると傷付くなぁ。でもまあ……君はそういう子だよね。人の気持ちも分からない実験動物。正しい行いをしていればいつか人間になれるとでも思ったかい?』

『っ!!』

 

 

 彼らの必死の鬼ごっこを嘲笑し、銀髪の男性は殺到する群衆の隙間をすり抜けるようにして瓦礫を飛ばし、位置を入れ替える事で接近してきたレムリアをやんわりと見据えた。

 

 どんな原理かは分からずとも、操られているだろう人々を傷付けないようにと紡いだ反撃の一手。

 だが、敢えて作らせた道を疑うことなく通って来た相手を捕まえることくらい、その男にとっては難しい事ではないのだ。

 

 

『だから言っただろう。まだ青い、と。経験不足だよレムリア君』

『————っぐぅぅ!』

 

 

 優しく、受け止めるかのように。

 攻撃を避けながらレムリアを捕まえて、銀髪の男性は軽く頭を触る。

 

 その一瞬、銀髪の男性の体がぞわりと蠢いた。

 まるで体の細部に意志が存在するように、不定形の蠢きを見せて、再び元の形に落ち着いた銀髪の男の姿。

 それだけで、せっかく捕まえたレムリアを地面に下した彼は、完全にレムリアから警戒を解き、体を脱力させ思案する体勢に入ってしまう。

 

 

『……さて、なるほど。あのレムリア君が出てくるのは流石に想定外だったけれど、発掘してレアを当てるよりも最初から才能あるこの子を手中に収められたのは僥倖だね。ただこの子が来たという事は一緒に動いていたあの老女も確実に来る上、この国を標的としたことでやってくるだろう最悪の相手がいつ現れるかも分からない』

『……なに、これ……頭から……』

『まあ、心配する必要は無いんだけどね』

 

 

 そして、レムリアを無力化した銀髪の男性がぐるりと周囲を見渡した。

 

 飛行機にいた乗客以外の者達。

 怪我をして動けない者やそれを助けようとしている者、状況が理解できずに様子を窺っている者や我先に助かろうと脱出場所を探す者。

 銀髪の男性はショッピングセンターで買い物を楽しんでいただけのそんな人達をひとしきり眺め、いかにも無害そうな顔で笑うのだ。

 

 

『ここに来るだろう相手を考えるとあんまり時間も掛けずに籠城体勢を作っておかないといけないから……ううん、難しいな。自分の見たいものを優先してると結果的につまらない幕引きになりそうだから……』

 

 

 異能持ち同士の衝突の終わり。

 限られた人にしか与えられない絶対的な才能のぶつかり合いという滅多に見る事の出来ない光景を目の当たりにして動けなかった遊里が、苦しんでいるレムリアの姿を見て思わず動き出す。

 

 

「…………なんであの子供が、飛行機に乗ってた人達に攻撃されていたの? 体調が悪そうだし……た、助けに行かないと……」

「っ……駄目!」

 

 

 ふらりと、膝を突いて頭を押さえている金髪の少年の元へ歩き出しそうになった遊里の手を、桐佳は咄嗟に掴んで止めた。

 そうするのが正しいと思ったからではなく、単純に危ないと思ったからの反射的な行動だったが、信じられないように振り返った遊里と目が合い、思わず後悔する。

 

 

「桐佳ちゃん……? どうして……? 私達よりも年下の子供が苦しんでて……危なそうな人に捕まっちゃってるんだよ……?」

「……駄目だよ遊里」

「なんで……? 桐佳ちゃんはあの子を助けないとって思わないの……?」

 

 

 信じられないような、少しだけ責めるような遊里の言葉に桐佳は口を噤んでしまう。

 それでも掴んだ手を離さずじっと視線を交わす二人だったが、隣にいるニット帽の女性がそんな二人の肩を掴んだ。

 

 どこかぼんやりとしていた遊里の顔を、ニット帽の女性は自分へと向けさせて、強い口調で語り掛ける。

 

 

「いいや、桐佳ちゃんが正しい。もう分かってるでしょう遊里ちゃん、あの場にいる人達は異能という妙な才能を持った連中だよ。君が何をしようと何ができる訳でも無い。君がふらふらと死んでしまう場所に行くのを止めただけの桐佳ちゃんを責めるのはお門違いだよ」

「……責めるつもりなんて……」

「なら黙って逃げるんだ。お互いの手を取って、お互いの安全だけを最優先して、この場で他の誰が犠牲になろうとも目を瞑って走り続けるしかないんだよ。それしか、それだけしか君達に出来ることは無いんだから」

「…………」

 

 

 黙ってしまった遊里の頭を軽く撫でて、ニット帽の女性はどうすれば良いのか分からず視線を彷徨わせている桐佳へと視線を変えた。

 緊張で固くしていた表情を少しだけ和らげながら、抱えてしまった不安を解消させるように穏やかな口調で話し掛ける。

 

 

「桐佳ちゃん、こんな状況で遊里ちゃんの手を掴んだのは立派な判断だったよ。君の判断は何も間違っちゃいない。そして、これから君達が他の人を見て見ぬふりして逃げて行ってもその判断は何よりも正しいんだ。もし身近な人を守ろうとした君を非道だという奴がいるなら、お姉さんがそいつを醜い口だけの偽善者だと言ってやるさ。ね? だからそんな顔しなくていいんだよ。君はちゃんと優しい子さ」

「……お姉さん……」

「ふふ。ミクちゃんって呼んで欲しいって言ってたけど。実はそれ、偽名なんだ。ビックリでしょ? 今度会った時には本当の名前を教えるから、そっちはちゃんと呼んで欲しいな」

「……知ってたよ、そんなの」

 

 

 ようやく異変に気が付いて逃げ出していく周りの人々。

 蹲っている金髪の少年に何事かと声を掛けて、飛行機の乗客に同じように殺到され掴み掛られる人々。

 そして、飛行機の衝突による怪我から立ち上がれず、周りの誰かに助けを求めて叫ぶ人々。

 

 阿鼻叫喚の地獄の中心であるような光景の中で、「知られちゃってたかー」と舌を出して笑ったニット帽の女性は桐佳達の向きを飛行機とは反対方向へと向かせ、背中を押した。

 

 

「さっ、行って。二人で手を繋いだまま真っ直ぐ出口に向かうんだよ。ここから一番近い出口は階段を降りて真っ直ぐにある東口かな。ああ、でも逃げる人が殺到しそうだから階段から落ちないように気を付けるんだよ? お姉さんとの約束だからね?」

「ま、まって……! お姉さんも一緒に!」

「お姉さんはもっと良い一人用の脱出方法を知ってるからね。我が身が一番かわいいお姉さんは君達にはそれを教えずにこっそり逃げちゃうのさ。ははは、不審者の逃げ方としては中々お似合いだと思わない? ついでにあのヤバそうな人達も少しだけ足止めしてみよっかなって思ったり」

「そんな嘘っ! 桐佳ちゃんっお姉さんをっ……!!」

「遊里ちゃんは優しすぎるなぁ……そういう優しすぎる子は、悪い人に食い物にされちゃうんだからね? 本当に気をつけないと駄目だよ? 相手がどういう人なのか、自分はどう利用されてしまうのか、それで自分を大切に想う人はどう思うのかをよく考えないと駄目だからね?」

 

 

 そう言って、自分の折れ曲がった足を隠すように服の裾を動かしたニット帽の女性は顔だけ振り返った桐佳の目をじっと見つめた。

 

 冷静でいようと、平静ではいられない友人と何とか逃げ延びないと、なんて。

 今にも崩れそうな、張りぼてだらけのそんな虚勢を見て、女性は悲しそうに笑った。

 

 

「……辛い事ばかり選択させてごめんね……でも、桐佳ちゃん。遊里ちゃんをお願いね」

「っ……!」

 

 

 ニット帽の女性の背後で乗客達の顔が一斉に別方向へと向けられる。

 まるで何かしらの電波で一斉に命令を受信したように、この場にいる人々目掛けて鬼気迫る形相で走り出した人々の姿はまるで巨大な波紋のようにすら見えた。

 

 片足が折れた女性と一緒の状態では絶対に追いつかれる。

 

 そのことをあらかじめ分かっていたようなニット帽の女性の言動に示されたとおり、桐佳はそのまま迷いを見せず遊里の手を強く引き駆け出した。

 悲鳴に近い声を上げる遊里の手を離さないよう強く強く握って、数秒後に訪れるだろう凄惨な背後の光景を絶対に見ないようにした。

 

 張り裂けそうな胸の内に気付かないようにしながら、大粒の涙が零れないようにしながら、桐佳は自分達の命だけを助けるために走って行く。

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

「…………あーあ……何がお姉さんだよ。馬鹿みたい……」

 

 

 少しだけ仲良くなった優しい二人の少女の背中を最後まで見送って、自分のニット帽を握り潰すように掴んだ女性は小さくそう呟いた。

 

 見ず知らずの自分に手を伸ばしてくれたあの子。

 嘘や演技ばかり上手な自分を警戒しながらも、信じてくれた彼女達。

 本当なら幸せな場所で過ごしているべき子達をこんなことに巻き込んでしまった自分。

 もし自分が食事になど誘わなければ、彼女達はこんなことに巻き込まれずに済んだのだろうか、なんて考えが頭を過った。

 

 女性は自分に襲い掛かってくる乗客達へ振り返る。

 目前まで迫ってきていた彼らに特に反応を示さず、女性は足元に散らばっているガラス片を拾った。

 対抗手段には成り得ない、武器と言うにはあまりにお粗末な手元のそれを見ながら、その女性は呟く。

 

 

「……あんな子達に辛い選択ばっかりさせてさ。自分の打算でこんなことに巻き込んじゃったくせにさ。それで自分は一人で逃げ出そうと思ってるんだから、本当に駄目な大人だよ、私」

 

 

 ガラスに映る自分の姿を見詰め、頭にかぶったニット帽を乱雑に脱ぎ捨てて、腰まで届く長く美しい髪を広げながら、その女性は歩き出す。

 

 まるでただの通行人とすれ違う時のように、自然と隣を抜かれた事に動揺する飛行機の乗客達を無視し、自分が生み出した地獄の光景をまるで映画でも眺めるように楽しんでいた銀髪の男性を女性は視界に捉える。

 

 

「……でもさぁ。私の最終目標を考えると、こんな色んな異能持ちが注目するような場所からは一刻も早く逃げ出さないとなんだよねぇ。そう考えるとさぁ、今回の事を引き起こした貴方が、全部全部悪いと思わない?」

 

 

 彼女は意外そうな顔で自分を見る銀髪の男に向けたもう一歩を、折れている筈の足で踏み出した。

 

 

「……お前のせいで私の計画はめちゃくちゃ。害虫風情が身の程を弁えろ」

 

 

 ゴポリッと、歪な水音が響く。

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

 走った。

 走って走って走り続けた。

 自分と同じようにこの場所から逃げる群衆の濁流に吞まれながらも、桐佳は遊里の手を決して離さないようにと力を込めて走り続けた。

 

 恐怖や自己嫌悪でぐちゃぐちゃになった自分の感情を何とか抑え込みながら、桐佳はもし姉がこの場にいたらどうするんだろうと必死に思い描く。

 きっとあの姉はこんな張りぼてだらけの強がりなんて簡単に見抜いて、泣きそうな自分の手を優しく引きながらこう言うのだ。

 

 

『桐佳、大丈夫だよ』

 

 

 悲鳴が先ほどまで自分がいた場所から響いて来る。

 色んな人を見捨てて走る自分に向けた呪いのように、その声はずっとずっと桐佳の背中を追ってくる。

 悪夢にしたってあんまりな状況で、桐佳は頭に過った先ほどまで一緒にいた女性のことを考えないようにと必死になる。

 

 遊里の手を引く自分の前に姉がいて、自分の手を引いてくれるのだと思い込もうとする。

 

 

『大丈夫大丈夫。いい桐佳、こういう時こそ冷静にならないとなんだよ? あのテロリストは怖いけど、今何よりも怖いのは逃げ惑う他の群衆。力の弱い私達は潰されないように立ち回らないといけないよ。まず一つ、無理に流れに逆らわないこと』

 

「……うん……」

 

 

 押され押され、もみくちゃにされ。

 それでも何とか助かろうと、人々の流れに合わせて走って行く。

 

 逃げ道を探して、下の階へ行くための人々が殺到しているエスカレーターを見付け、同じようにそこに向かおうとした桐佳を姉の幻影は引き留める。

 

 

『落ち着いて桐佳。エスカレーターは幅が狭いしいつ重さに耐えられなくなって壊れるか分からない。何よりもあの人数だと押し出されて落下する可能性があるから、ちょっと時間は掛かっちゃうけど階段を探しに行こう』

 

「……ぅ、ん……遊里、あの状況のエスカレーターは危ないから他の階段を探すよ」

「え!? う、うん……」

 

 

 ここにはいない姉の幻影。

 もしも姉がいたら言いそうなことを考えただけの自分の妄想なのに、今はそれがどうしようもなく心の支えになってしまっている。

 後ろにいる遊里の手を握り、前にいる姉の幻影の手を握り、チカチカと明滅する僅かな灯りの中を桐佳は必死に進んでいく。

 

 

『逃げてる人が増えて来たね。あんまり走り続けるのは得策じゃないかな。んー……意外と追って来てる雰囲気もないし、焦りすぎる必要は無いかも。あ、桐佳、あそこが階段だよ。人はそこまで多くなさそう。階段は端の方を急ぎ過ぎない感じでね』

 

「…………うん」

「……桐佳ちゃん、誰と話してるの? 前に伸ばしてる手は何を掴んでるの……?」

「……誰とも話してないよ……」

 

 

 困惑した遊里の問いかけにそれだけ返す。

 自分でもこんな妄想の姉に返事している事の異常性は分かっているつもりなのだ。

 だがそれでも、今の桐佳には冷静な判断を行うのに必要不可欠な事。

 

 理解してもらえずとも、ここにいない姉の手を離すことは出来ないのだ。

 

 階段を降りて、無事に一階まで辿り着く。

 辿り着いた一階のフロアは桐佳達がいた階よりも人が多いようで、より多くの人達が出口を求めてごった返している。

 人と人の間の距離がほとんど無く、密着している状態なのを考えると、少しの距離を進むにもかなりの苦労を強いられるだろう。

 

 だが出口が見えた。

 逃げ惑う群衆の向かう先。

 そこに外の様子が見える出入口が存在している。

 

 

『あそこまで行ければ逃げられるけど、最後まで気を抜いちゃ駄目だよ? まあ、桐佳が気を抜いたとしても私がちゃんと気を張っておくから、奇襲やハプニング、なんでもござれなんだけどさ。ふへへ、お姉ちゃんに任せなさい』

 

「……お姉ちゃんのばか……」

「出口……さっきのお姉さんとか、他の怪我してた人も……助かるよね……?」

 

 

 永遠にも思えた地獄からの脱出を目前にして、桐佳は表情を和らげる。

 同様に遊里も少しだけ表情を明るくしたものの、見捨てて来た後ろの人達が気になるのか頻繁に振り返っている。

 他の人達も同様のようで、歓声に近い声が周囲に響き、こぞって出入口に向かっていこうとした時。

 

 音も無く黒い靄のようなものが現れた。

 その黒い靄のようなものが、桐佳達が逃げ道として目指していた出入り口に張り付き壁を作っていく。

 

 非常に小さな蟲の集まりのようなそれが、一つひとつ知性を持っているように動き回って、群を為し、壁を為し、そしてまた一つの人型を形作っていく。

 

 

『……ふう、結構な数逃げられちゃったか。残念。なんだか投資を失敗したような感覚だよ』

 

 

 男性が姿を現した。

 遠目からも日本人離れした風貌と分かるその男の姿を目の当たりにして、桐佳と遊里の表情が凍り付く。

 

 

『もうそんなに時間も無い。「商談」は無しだ。ひとまずここにいる人達は』

 

「……何言ってるか分かんないけどそこどけや! 俺達は直ぐに外に出たいんだよ――――」

 

 

 立ち塞がるように現れた相手に、助かりたいという焦りに急かされた男性が掴み掛り声を荒げた。

 激昂した男性の勢いに同調するように、出口を目前にしていた人達が一斉に駆け出そうとして、突然現れた銀髪の男性を押し退け。

 

 ――――血が噴き出した。

 

 その銀髪の男性に掴み掛った人から、唐突に血が噴き出した。

 静まり返るフロアの中、もはや縦半分しか人の形をしていない銀髪の男性が呆れたような声を出す。

 

 

「日本語、日本語ね……今俺は焦ってるんだよ。思わぬトラブルで大事な商機までの時間が無くなって本当に焦ってるんだ。それこそ、反抗なんてことを考える馬鹿な奴は商品として扱う余裕もないくらいにさ。さあ、メンテナンスの時間だ。俺に不良品として認定させないでくれると助かるんだけどね」

 

「ぁ――――」

 

 

 血を噴き出しその場で崩れ落ちる人。

 原理は分からなくとも、残酷なまでに現実を突きつける光景。

 

 きっかけとしてはそれだけで充分だった。

 

 人が血を噴き出して倒れた事で、人々は完全な狂乱状態に陥った。

 逃げ道にいる人を引き摺り倒し、お互いを押し退け合い、力任せに逃げ出していく。

 

 向かっていた人の流れが突然反転すれば、後方の状況をよく呑み込めていなかった人達は、当然のように反応できず押し倒され、突き飛ばされ、踏みつけられていく。

 

 だから、強い力で押し退けられた桐佳も同様に逃げようとする人々に突き飛ばされ、両手に握っていたものが離れてしまった。

 

 あ、と思う間もない。

 倒れ込んだ上から誰かに踏まれ、走る人に蹴られ、傷だらけになりながら服屋に転がった桐佳は何とか試着室の中へと逃げ込んだ。

 カーテンの外から人々の怒声や悲鳴が数多に重なり、音だけではまるで外の状況が分からない。

 遊里から離れてしまった手と、幻影すら見えなくなってしまった姉の姿にガタガタと体を震わせて足を抱えて座り込んだ。

 

 ここには守ろうと思っていた遊里も、いつも引っ張ってくれる姉もいない。

 そう思うと桐佳の頭は真っ白になっていく。

 

 

(痛い……どうしよう……遊里とはぐれちゃった……どうしよう。お姉ちゃんならこんなときどうするの……怖い、寒い……出口はどこに……)

 

 

 先程の血が噴き出した光景が脳裏を過る。

 一緒に食事をしていた女性が血を噴き出す姿が脳裏に浮かぶ。

 そして、遊里や自分も同じように血だまりに沈む姿を想像して、桐佳は頭を抱えて顔を膝に埋めた。

 

 容易く他人を害する人間の悪意を初めて目の当たりにした。

 何の力も無い人がこんなにも簡単に血に沈むのを初めて目の当たりにした。

 そして、それに恐怖した人々の暴力が簡単に自分と遊里を引き離して、ゴミのように踏みつけられるしかないのだと初めて知ったのだ。

 

 ぽきりと、心の支えが全て根元から折られてしまった。

 今の桐佳にはもう恐怖以外、何も残らなくなってしまった。

 

 ポロポロと、堪えていた涙が溢れ出す。

 

 

(やだやだやだっ……ゆうりがいないっ。こわい。ひとがこわい。からだがいたい。わたしいろんなひとみすてた。こわい。おうちかえりたい。しにたくないこわい。おねえちゃん、おねえちゃんたすけておねえちゃんたすけておねえちゃんたすけておねえちゃん――――)

 

 

 だから、涙に濡れ、懐が揺れたことにすら気が付かない程に切羽詰まった桐佳にその声が掛けられたのは本当にどうしようもなかったからだ。

 

 

『助けてやろうカ?』

 

 

 ゴトリと落ちた携帯電話。

 そこに映し出された画面から、無機質な声がする。

 

 

 

 



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歪んだ怪物

 

 

 

 

 自身の異能が広がり、このショッピングセンター全ての出入り口を封鎖した事で銀髪の男性、バジル・レーウェンフックは随分久しぶりに感じていた焦りの感情を落ち着ける。

 幾度も貫かれた自身の体を撫で、先程のアクシデントを想起しながら、異能の才能という面では未開拓である筈のこの国の新たな情報を脳内に刻む。

 

 

「…………“顔の無い巨人”の関係があるからこの国は危険地帯だとは思っていたけど。まさかそれ以外にもここまで強力な奴が……」

 

 

 世界中を股にかけ、商品の売買を行うと同時にその特異な異能により情報収集に励んで来たバジルにとって、世界中の情報なんてものは彼の手の内にあるようなものだった。

 

 例外がこの国、より正確にいうのなら“顔の無い巨人”の関係。

 

 数年前、何かしらの方法で確かに世界を牛耳った噂だけのその怪物は自身の痕跡のほとんどを残さず、現象と事実だけを残して忽然と姿を消した。

 どれだけ手を尽くそうが、その超越した異能を所持する個人や団体にまで辿り着くことが出来ず、正確な異能の詳細も掴めず、誰もその正体を知る者がいない現状。

 後の異能犯罪に置いて、異常なまでに被害の無い日本に潜伏しているのだろうとは予想していたが、手を伸ばそうにもこれまでこの国についてはことごとく情報源を潰されるだけに終わっていた。

 

 だからこそ、この国の情報をバジルはあまり持てていない。

 そして、異能の研究を独自に進め世界の覇権を取りつつあるあの大企業さえ手を出そうとしない厄災染みた異能持ちが潜伏するこの国の状況。

 他の異能持ちが潜伏する場所としてはこれ以上ない程条件が悪いのは明らかで、たかだか建物一つを襲撃した程度では他の異能持ちになど遭遇するようなことは無いと思っていたのだ。

 

 

「……精神干渉系統だろう“顔の無い巨人”の異能への対策は取っていたのにまさかそれ以外が来るなんてね。“潜り込み”も出来なかったしあの異能はどういう……とはいえ、あんなのとまともにやり合う必要もない。俺の制圧を狙ってくるだろう老女と“顔の無い巨人”をどうにか……おっと」

 

 

 金髪の少年、レムリアを連れてトコトコ階段を降りて来た少女を見付けて、バジルは思考を一旦止める。

 ミレーという名の少女は狂乱状態の周りの群衆をおどおど見回しながら、けれど誰にも攻撃されること無くバジルの元にやってきた。

 

 

『ミレーちゃんよく来たね。あの変な奴には絡まれなかったかい?』

『お、おらは、言われた通りにこの子を連れてここに来ただけで……』

『何にも出くわさなかったのなら何よりだ。レムリア君はもう少しそのままにして、ミレーちゃんは前と同じように探しておいてよ』

『……はい』

 

 

 連れて来たレムリアを床に置いて、ミレーは自身の目を瞑ってじっと集中する。

 それからゆっくりと開いた目で周りを見渡して、ぼんやりと呟く。

 

 

『……ほとんどの人に異能の才能は無さそう。少なくともおらの視界内には……』

『何言ってるのさ。ちゃんと見ようぜミレーちゃん2人いるじゃ無いか』

 

 

 素早く周囲の人達を見回して解答しようとしたミレーの言葉に被せるようにバジルは言って、それらを正確に指差していく。

 

 

『あれとあれ、俺に従いたくないのは分かるけど嘘を吐いても君の視界は俺も共有してるんだからさぁ。本当に反抗するつもりなら異能の使用すらやらないようにしないと』

『う……み、見損ねただけ』

『ほんと小市民なミレーちゃんは可愛いなぁ。英雄的な行動も出来ないけど非道にも成り切れない、ただの無害な一般市民。元々の生活もそんな風だったんだろうなぁ。俺とこういう刺激的な活動も悪くないと思えてきたんじゃないかい?』

『お、おらは……羊飼いの生活の方が……』

『ま、君の意志なんてどうでも良いけどね。それにしてもこの場に異能の才能を持つ人が2人もいるなんてやっぱり日頃の行いが良い俺はついてるなぁ』

 

 

 ミレーの異能である“見分ける力”。

 練度こそ未熟であるが、千里眼のような使い方や人の才能や物の分類を見分ける事が可能なその異能があれば異能の才能の有無を調べるくらい時間を掛ける必要もない。

 だからこそ、定まった商売仲間を作らなかったバジルさえ彼女を常に連れ歩き、自身が現在行っている世界での異能商売に役立てているのだ。

 

 彼女の異能と異能開花の薬品さえあれば、好きな勢力の異能持ちを増やし、またそれを交渉材料にする事さえも可能。

 

 バジル・レーウェンフックの異能商売において、最重要の役割を担うのがこのミレーという少女なのだ。

 

 

『さて、こいつらを手に入れてもこれから襲ってくる相手にはまともな戦力にもならなそうだけど……まあ、さっきのトラブルに対する壁にはなるかな……』

 

 

 そして、自分が求める人材の選別を終えたバジルがそう口にすると、黒い靄のようなものが彼の周囲から蠢き出し、見付けた異能の才能を持つ者達に寄っていく。

 

 スポーツをやってそうな青年と気弱そうな学生服の少女。

 それぞれの近くにいる自分の指揮下の人間達に黒い靄のようなものは指示を伝達し、必要な人材である年若い彼らの目の前にバジルはそれぞれ姿を現した。

 

 

「やあどうも、商談相手として選ばれた君達。君達に良い物を差し上げよう。君達は選ばれた。君達は選択することが出来る。君達は自分の命をチップに選択するんだ。自分達の身の振り方をね」

 

 

 バジルは自身が保有する異能開花薬品を懐から取り出し、怯える彼らに見せ付けた。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 携帯画面から響いた機械音。

 操作していないのに携帯画面が勝手に切り替わり、青と数字の羅列が飛び交う見た事も無い表示が映し出されている。

 そしてその中央に立つ子供の姿を模したナニカが、じっと画面越しに桐佳を見詰めていた。

 可愛らしい子供の風貌をしているものの、じっと身じろぎ一つせず、まじまじと桐佳の姿を眺めるソレの姿はあまりに不気味だ。

 

 姿を現した理解不能な存在に、桐佳は言葉を詰まらせる。

 

 

「な、に……これ。私の携帯が……勝手に動いて。こんな画面見たことが無い……どうなって……お前、何……?」

『…………』

 

 

 桐佳は自分の携帯電話の中に現れたその存在にそう問い掛けるが、その存在は無言のままじっと彼女を見つめ続けている。

 

 度重なる超常現象。

 飛行機の墜落や目の前で行われた人間には不可能な動きの数々。

 普段ならウィルスにでも感染したかと疑う携帯電話の動作だが、そんなものを見た後の桐佳の頭に過ったのは『異能』という、世界を震撼させている才能の事だ。

 

 正体が分からない。

 それどころか自分を確実に認識し、捕捉し続けているナニカが目の前にいる。

 そう思い、ぞっと冷たい氷を押し付けられたように桐佳は背筋を凍らせた。

 危険を感じ、後ろには壁しかないのに後退りをして、試着室の壁に背をつけた桐佳は唇を震わせながらもう一度問い掛ける。

 

 

「なんなの……まさかお前は、さっきの銀髪の男の味方で。私をアイツの元に……」

 

『むふー! 何だかお前のその反応を見ると胸がすく思いだゾ! むふふー! ざまあみロー!』

「……本当に何なのこいつ、いきなり興奮してるし……」

 

 

 パタパタ何かの動物を模した尻尾を振って、画面越しの桐佳の消沈とした姿をこれでもかとばかりに喜び出したソイツに桐佳は呆然とする。

 失礼とかいう次元ではない、こんな事態に巻き込まれて追い詰められている人の姿を笑うなんて、どう考えたって人の心を持っていない奴のすることだろう。

 

 コイツからも逃げた方が良いのだろうかと、桐佳が判断を迷わせているとソイツは喜び半ば、むっ、と試着室のカーテン越しに外を見た。

 

 

『接近確認! 操り人形が一体来るゾ!』

「え? なにを言って……」

 

 

 意味不明な言動を繰り返す自分の携帯電話に桐佳が困惑の声を上げた瞬間、ソイツが見ていたカーテンが勢いよく開かれた。

 

 カーテンを開いたのは中年女性。

 血走った目で、先程の飛行機に乗っていた乗客達によく似た鬼気迫る表情で桐佳を視界に捉え、奇声を発しながら掴み掛って来た。

 

 

「あああああ見付けたぁ!! 捕まえないとぉ!!」

「ひっ!」

 

 

 明確な害意を向けて来る見ず知らずの中年女性の姿に桐佳は悲鳴を上げる。

 だがその中年女性が何かをするよりも先に、桐佳の足元で、彼女の携帯電話が若干興奮気味に吠えたてた。

 

 

『マキナ最強! マキナ最強! うおおー!』

「おがっ……!?」

 

 

 唐突に、桐佳に掴み掛ろうとした中年女性が天井に叩き付けられた。

 

 地面が跳ね上がったとか、何かに殴打されたとか、突風に打ち上げられたとか、そういう類ではない。

 見えない巨人に掴まれ天井に叩き付けられたようなそんな挙動で、その中年女性は吹き飛ばされて、意識を奪われ地面に転がったのだ。

 

 あまりの状況に目を瞬かせる桐佳だったが、携帯電話に勝手に居座るソイツはまるで自分がやってやったと言わんばかりにむふふんと誇らしげだ。

 

 

「……これ、貴方がやったの……?」

『どうだ、マキナの強さ。これでお前も少しはマキナに対して尊敬するだロ。これまでのような酷い扱い方をしようなんて思わないだロ』

「え? え? これまでの酷い扱い方……? 私貴方に何かした事無いと思うんだけど……貴方私の知り合いなの……?」

『ん…………? ……あ……い、いや、そういう訳じゃないゾ?』

「どういう訳……?」

 

 

 これまでは不気味なだけだったソイツの動揺するいやに人間的な姿に少しだけ落ち着きを取り戻した桐佳がそっと外の様子を窺う。

 

 どうやらこの場に来たのは意識を失った中年女性だけのようで、他の追手はこちらに気が付いている様子が無い。

 その様子を確認した桐佳は音を立てないようにカーテンを閉めて、あたふたする携帯電話に映ったソイツを見下ろした。

 

 未だに正体は不明だが、少なくともこの場を占拠するテロリストの味方ではない事だけは確かだった。

 

 

「……本当に助けてくれるの?」

『あわ、あわわわっ……そ、そうだゾ! 助けて欲しいんだロ!? この場から逃がしてやル!』

「なんで私を……」

 

 

 助けてくれるの?

 口から出かけたそんな言葉を桐佳は止めた。

 自分が信用するためだけの質問をしている余裕が無いのは分かっているから、こんな事で時間を浪費することは出来ないと思ったのだ。

 

 

「……なんで私を、とか。さっきの話は、とか。貴方が何なのか、とか。聞きたいことは色々あるけど今はそんな話をしてられない」

 

 

 よく分からないながらも味方してくれるらしいこの存在に色々と聞きたいことはあるが、それよりも今ははぐれてしまった遊里を見付けて安全な場所に逃げるのが先だろうと桐佳は判断する。

 

 

「顔も名前も分からない貴方を信じるなんて自分でもどうかしてるとは思うけど……私1人じゃどうしようもないから。だからお願い、助けて欲しいの。家族とはぐれて、この場所に閉じ込められて、私だけだとどうしようもないから……」

『むぅ? 中々聞き分けが良いナ。何も出来ない奴なりには正しい判断だと思うゾ。むふふー、仕方ないナ。マキナに任せておケ』

「……なんか既視感があるんだよなぁ、この態度……」

 

 

 床に落ちている携帯電話を拾い上げ、自尊心の塊のようなその正体不明を手に持った。

 会話できる相手が傍に現れた事で少しだけ平常心を取り戻せた桐佳は、生唾を飲み、外を窺い、どう動くのかを頭に描きながら、ソイツに話し掛けた。

 

 

「なんて呼べばいい?」

『え……う、ううん…………マキナと呼べ! マ・キ・ナ、ダ! カッコいいだロ!』

「……なんだか厨二病っぽい名前。別に悪くないと思うけど」

『なんだとこの雑魚暴力女っ、マキナの名前を馬鹿にするナ!!』

「馬鹿にしてないって。私の家の自動掃除機も同じ名前だもん」

 

 

 この正体不明はそんなに自分の名前が大好きなのかと思う。

 形の分からないこいつが自分の名に執着があることに少しだけ親近感を感じながら、桐佳は自ら試着室のカーテンを開いた。

 

 

「じゃあ、まずは遊里を探すところから始めるから。宜しくねマキナ」

『ぐぬぬ……なんでこんな奴をマキナが……』

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

 桐佳が隠れていた試着室からの移動を開始した。

 洋服屋の物影に隠れ、昔見たゾンビものの映画のように他人を追い回している人達の光景を目の当たりにしながらも、桐佳は必死に遊里の姿を探していく。

 

 だが、フロア中に広がる人の群れ。

 逃げ惑う者達と追い立てる者達の隙間からなんとか遊里の姿を探そうとするが、喧騒や障害物で碌に探すこともままならないのが現状だ。

 

 

『方針を示すゾ。ここからの脱出方法は大きく分けて二つある。一つは脱出場所の確保を行い自ら脱出する、もう一つは外からの救援に乗じての脱出ダ。前者は脱出者に一定の能力が必要で、敵に囲まれる可能性が高いから却下。もう一つの外からの救援に乗じる一択となル。ここまでは良いナ?』

「……外からの救援って、そんなの期待できるの……? 確か……飛禅飛鳥さんっていう人が、異能犯罪を解決するって言ってた気がするけど……」

『マキナ計算だが、時間にしておよそ5分程度で外からの救援が到着する予定ダ。つまり5分間この場でやり過ごせば問題は無イ』

「遊里を探さずにってこと? それは……駄目だよ。私も、さっき一人になって、凄く心細くて、貴方が、マキナが来てくれなかったらおかしくなってたかもしれないのに……」

『むう、分かってル。だからマキナもお前の状況を見てこうして姿を現したんダ』

「……取り合えず、私は隠れながら遊里を探すから。何かあったら教えて」

 

 

 本当は姿を現したくなかったとでも言うように呟き、マキナはもう一度探知を行う。

 先程からやっているが、どうにもあらかじめ捕捉しておいた遊里の携帯電話は本人から離れた場所に落としてしまっているらしく、携帯電話の周辺に彼女の姿が無い。

 

 こうなってくると様々な感情が入れ混じるこの場において、一個人を判別し探し当てるのは非常に難しい事となってしまうのだ。

 

 それらを前提とした上でマキナは考える。

 

 

(……“家族の命が掛かっている場に置いてはあらゆる制限を無視して救出に当たる”、御母様のこの指示を考えるとこの場の全員を洗脳する力技でどうにかする事も想定するべきだが……この敵の異能の全貌が見えにくく、下手に仕掛けた場合被害が拡大する可能性があル。少なくともあの血縁関係の無い遊里という奴を見付けて保護下に置いてからでないとそれは危険……マキナ、やっぱりこういうお守りみたいなの嫌ぁ……)

 

「ねえマキナ、分かったらで良いんだけどさ。あの、銀髪の男の人が異能を持ってる悪い人なんだよね? それなのになんであの人に従うように動いてる人が……さっきの私を襲って来たおばさんみたいな人がこんなにいっぱいいるの……? 賛同してる……っていう訳じゃ無いんだよね?」

『異能と呼ばれる力による強制服従。それだけ理解しロ』

「強制服従……? それなら、洗脳みたいな力って考えておく」

 

 

 頷きながら自分なりの解釈をした桐佳をよそに、マキナは老女と燐香がこの建物へ接近してきているのを探知した。

 状況は悪くないどころか、あの二人が到着すれば一気に形勢が逆転するのは確実。

 

 力技による解決は最後の最後の手段としても現状問題無さそう、というのが今のマキナが下した判断だった。

 

 だが勿論、そんな判断をしていても不確定要素は存在する。

 

 

(問題は他人の強制服従を可能としている敵の異能ダ。服従自体にどの程度の強制力があるのか分からず、解除方法もマキナは確立できていなイ。マキナは御母様と違って未知のものへの分析は得意じゃないから御母様到着後に敵の異能の分析をする事になるが……)

 

 

 そこまで考えて、マキナはこの場に存在する敵に目を向けた。

 

 

(一つの意識としての確立された無数の存在……相似性99.9%。本当に全部同一個体カ?)

 

 

 フロア全体に広がる肉眼では見えない程小さな無数の意識を探知しながら、マキナは桐佳の保護と周囲への認識阻害を徹底する。

 

 マキナが最優先として指示されたのは、家族の保護と現場の情報収集。

 桐佳の動きを周りの誰にも気取らせないよう認識阻害を行使し、フロア全体に広がる相手の異能の探知及び干渉からの防護を行う。

 それだけで取り敢えずは桐佳の安全は確保できる上、遊里を探すという桐佳の活動からこの現場の情報収集が可能。

 

 つまり現状マキナの最優先事項はほぼほぼ達成されている訳だが、今回の事態の根本を排除していない以上、マキナには迷いがあった。

 

 

(……起動可能な出力機数を確認。起動可能な出力機は建物内169個。攻撃転用も可能。マキナの残異能出力100%。攻撃を仕掛けて出方を見るカ? この相手の異能の詳細も判明する上、一斉攻撃ならコイツに反撃が向く可能性も無いだろうガ……)

 

 

 保守に動くか、利を取りに行くか。

 この場に到着する母が勝利する事を微塵も疑っていないマキナだが、情報を抜き出せばそれだけ母が有利になると考えると少しだけ迷いが生じる。

 多少危険を晒すことになる可能性もあるが、マキナ単独でこの場を収め切るのも不可能ではない筈だ。

 

 そう考えたものの、マキナは否と結論付けた。

 

 

(このテロリストの思考にはまだ油断があル。来るべきICPOや御母様との戦闘に向けて、この場の資源の消費は必要最小限度に収めようという考えが大部分。本格的にこの場の資源を浪費するのは戦闘が始まってからダ。マキナの独断行動で敵が戦闘が始まったと誤認すれば状況は一変してしまウ。マキナの役割はあくまで御母様の補助。マキナは大人しく粛々と重要目標を達成すれば良イ)

 

 

 家族の保護を考えるなら現状維持するべき。

 その判断でマキナは起動準備態勢まで持って行った出力機(電子機器)を直前の状態で待機させ、携帯電話を抱きしめるようにして遊里を探して回る桐佳に集中することにした。

 

 何かあれば出力機を全起動させ、建物内全てを一斉に攻撃すれば良い。

 

 だがそう決めてしまうと、今度はやることが少なく手持ち無沙汰になってしまったマキナには、本当の家族でも無い遊里を必死に探している桐佳への疑問が産まれて来た。

 

 

『……なあ。遊里とやらは別に本当の家族じゃないだロ? なんでそんなに必死に探してるんダ?』

「はあ……? 何言ってるの?」

『普段の余裕がある時多少気を払うのは分かるが、今は一歩間違えばお前も命を落とすんだゾ? それにお前はついさっきまでガタガタ震えていたし、怪我だってあル。極限状態ではぐれたと言うが、それは相手にとってはお前も同じダ。お前がお前自身の安全を最優先しても、誰にも責められるものでも無いだロ。それとも、お前と遊里とやらはそんなに特別親しい間柄なのカ?』

「…………マキナって本当に、普通の人が言わなそうな事をずけずけ言うよね。本当に機械が喋ってるんじゃないかって思えちゃうんだけど……」

 

 

 周囲に巡らせていた視線をマキナのいる携帯電話に落とし、桐佳は質問にドン引きする。

 

 

「でも、その……なんだろう。遊里は大切な友達だけど、多分私は遊里じゃなくてもこうして探してると思うし……いざ言葉にしようとすると難しいけど……でも、私が絶対にやりたいからやってるんだと思う。無事な事を祈って隠れてるだけじゃ、私が嫌だから……」

『そうカ。まあ、好きにしロ。疑問に思っただけでマキナはやるべきことをやるだけダ』

「……本当に冷たい反応。マキナって友達いないでしょ」

『そんなものマキナには不要ダ』

「そう言う事を言うのって大体……あっ、遊里だ……!」

 

 

 ふらりと歩く少女の横顔を見付け、桐佳が話を中断し喜色の声を上げた。

 ふらふらとした足取りではあるが、目立ったような怪我も無く、無事でいる姿に桐佳の抱えていたもしかしたらという不安が消えていく。

 

 

「良かった……! 遊里が無事で本当に良かったぁ……! 遊里!」

 

 

 遊里の無事な姿に笑みを溢し、隠れていた物陰から飛び出し、ぼんやりと歩いていた遊里の元に桐佳が駆けてゆく。

 声を出して走る桐佳だが、マキナの認識阻害により周りの人達を含め力無く歩く遊里にもその姿は認識されない。

 誰にも襲われる事無く、またこのフロア全体に霧散している銀髪の男の異能にも探知されることは無い。

 

 軽はずみな行動だが窮地に陥っただけのただの女子中学生に色々と求めるのも酷。

 探していた遊里とやらの保護をして、もうすぐやって来る外からの救援まで逃げ隠れてやり過ごせばいいと、マキナはそう思ったのだが――――。

 

 ――――だが、目には見えない脅威にマキナが気付いた。

 

 

『————寄るな! ソイツから異能を感知しタ!』

「……え?」

 

 

 マキナの警告の声を桐佳が理解するよりも先。

 桐佳の伸ばした手がふらふらと歩く遊里の手を掴んでしまった。

 フロア全体に霧散されている異能の出力の中、保護されていなかった遊里が無事に歩けている訳が無いなんていう基本的な事を考えられなかったのが失敗。

 

 事態が急変する。

 

 ぐるりと周囲を徘徊していた人達の顔が一斉に桐佳に向けられ、空気中に霧散していた異能の出力が活発な反応を見せ、手を掴まれた遊里がゆっくりと桐佳へと顔を向けた。

 

 桐佳は表情を凍らせた。

 力の無い、生気の無い遊里の顔。

 見えていなかったもう半分の顔に幾つも罅の入った遊里の姿を見て、桐佳は思わず動きを止めた。

 

 

「…………ずるいよ、桐佳ちゃん」

 

 

 遊里の表情が歪む。

 憎悪するように、妬むように、羨ましむように、憧れるように。

 歪んでしまった感情が、表情となって浮かんで向けられ。

 

 桐佳の姿を認識した周囲の操られた人々が殺到するのと同時。

 泡立つように蠢き出した遊里の周囲から、目には見えない憎悪の力が噴き出した。

 

 

 

 

 



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ずるいあの子

 

 

 

 

 『異能』と呼ばれる力はどこか別世界の事だと思っていた。

 

 騒がれている異能を開花させる薬品があって、その偽物が一杯あって、それで詐欺のような事をしている人達がいて、絶対自分の手には届かないくらい高い金額で取引されていて、それを取り締まる本物の『異能』を持った人達がいる。

 きっと生まれながらにして持っていなければ絶対に手に入れることなんて出来ないだろうと思っていた『異能』という才能。

 

 良いんだ別に、そんなもの。

 裕福で、身体的に優れていて、自分の好きな事を得意な事に出来る人は一杯いた。

 色んな人に称賛されるようなものを持っている人とそうでない人の差なんて、『異能』なんていうものが取り沙汰されるずっと前から、無情に線引きされていたじゃないか。

 

 だから良いんだ、そんなもの無くて。

 何もせずに満たされるような裕福さも、誰からも羨望される身体的な優位性も、好きな事を得意な事に出来るだけの巡り合わせの良さも、あるいは絶対的な才能も。

 どうせ私には何にも無くて、どうせ私は取り合う資格も無いのだから。

 

 私は何も持たないようにと、そうやって生まれて来たのだと諦めている。

 今いる場所の幸せだけでも充分自分は恵まれているんだと、何度も何度も自分に言い聞かせた。

 

 でも。

 ああでも、そうやって色々諦めていても、どうしても。

 私が欲しかったものを全部持っている人が私の隣で笑っていると、心の奥底でずるいと思ってしまうのは仕方がないと思うのだ。

 それがたとえ恩人だったとしても、それがたとえ大切な友達だったとしても、何も持たない自分と比べてしまうのは、仕方ないと思うのだ。

 

 

 

 

 

 ぽこぽこと、気の抜けたような動きで生まれた泡が宙を舞う。

 うっすらと紫がかったシャボン玉のようなそれが、大小様々な形を成して舞い踊る。

 手を離すこともせず呆然と遊里の罅の入った顔を見詰めていた桐佳が、産まれたシャボン玉が目前にやって来てようやく正気に戻った。

 

 これは危険だ。

 そんな考えが頭を過る。

 けれど、そんなことを考えたって咄嗟に何も行動できず、掴んだ手さえ離せず、桐佳は衝撃に耐えようとするようにぎゅっと目を瞑ることしか出来なかった。

 

 だから代わりにマキナが動く。

 

 

『馬鹿ガ!! 逃げロ!!!』

 

 

 怒声と共に飛び出したのは雷だ。

 桐佳の携帯電話から指向性の持たされた電気が飛び出し、桐佳に向けて飛来していたシャボン玉全てを引き裂いた。

 引き裂かれたシャボン玉から飛び散った飛沫のような滴が周りに振り撒かれ、桐佳に殺到しようとしていた人々に降りかかる。

 

 その材質は分からないが、降りかかった滴に触れた人々が、悲鳴を上げて床をのた打ち回り始めたのを見て桐佳の顔から血の気が引いた。

 

 

「なにこれっ……!? ゆ、遊里!? その顔っ、痛いでしょ!? 大丈夫!? 何かされたの!? 早くここから逃げて病院にっ……」

「桐佳ちゃん、ずるいよ。ずるいずるいずるいずるい。なんで桐佳ちゃんは何ともないの? なんで桐佳ちゃんばっかり恵まれてるの? 私だって、私だっておんなじ場所にいるのに、私ばっかり何もないのはおかしいよ」

「遊里……? 何を言ってるの……? 私は、別に何も……」

 

『触れた物を腐敗させる泡……! 言っただロ!? 異能だっ! 強制服従させられてるんダ! ソイツの言葉に耳を貸すナ! 良いから逃げロ!』

 

 

 飛び掛かって来た他の人々の認識を強制的に歪め、見当違いの方向に攻撃を向けさせることで桐佳を守ったマキナがそのまま遊里に精神干渉を施し、桐佳の手を払わせる。

 けれど、自分の友人の変貌が信じられないのか、桐佳は手が離れたにも関わらず後退りしただけでその場を動こうとしない。

 

 振り払われた手を信じられないように見つめて、桐佳は震える声を出す。

 

 

「遊里……嘘だよね……?」

「あれ……? なんで私桐佳ちゃんの手を振り払ったんだろう……? おかしいな……そんなつもりなかったんだけど……」

「遊里っ、私を見てよ! こっちを……!」

 

「驚いたな、まだまともに動き回れる奴がいるのかい?」

 

 

 フロアで活発化していた異能の出力が集合し、銀髪の男の姿へ形を変えた。

 その男、バジルはぶつぶつと独り言を呟く遊里と青ざめる桐佳に視線を向け、心底面白そうに話し掛ける。

 

 

「君、異能を持ってないよね? 出力を感じないのにどうしてそこまで無事でいられるんだい? 今この建物内は君を除いてほぼ俺の手を伸ばし切ったんだけどどうして君だけは無事なのかな? んー? なんだー? もしかして君異能の出力を完全に消せたりするのかい? もしかして実は君が“顔の無い巨人”だったりする?」

「あ、あなたは……遊里はどうなって……」

「質問してるのは俺なんだけどなぁ。まあ、そればっかり気になってまともに返答できないか。丁寧に説明してあげても良いけど自分で実感した方が分かりやすいんじゃないかな? ねぇ遊里ちゃん、教えてあげなよ」

 

 

 バジルの声に反応するように頭を押さえた遊里が焦点の定まらない目を桐佳に向けた。

 じっと目の前の桐佳を見詰め、これまで見たことの無い憎悪の表情で桐佳睨んで口を開く。

 

 

「桐佳ちゃん桐佳ちゃん桐佳ちゃん。お金持ちで家族皆に愛されて何でも器用にこなせる桐佳ちゃん。私は何も無いのに。私はお父さんに認められなかったのに。私はお母さんに愛されなかったのに。私は何も無かったのに。なんで桐佳ちゃんはそんなに恵まれてるの。おかしいよね。おかしいよ。桐佳ちゃんずるい、ずるいずるいずるい」

 

 

 剥き出しとなった悪意に気圧され、桐佳が後退りするが、説明を促したバジルにとっては不十分だったのか、彼は困ったように肩を竦めた。

 

 

「おっと、駄目だね。抑圧しすぎた感情が強すぎてまともに説明もできないみたいだ。困ったなぁ、これじゃあ俺の質問に答えてもらえないじゃないか」

 

 

 要するに、とバジルは言う。

 

 

「遊里ちゃんには才能があったのさ。とはいっても自然に目覚める様なものでも無くて、何も無ければ才能に気が付かず一生を終えるようなその程度のものだ。たまたま俺がその才能を見付けたから貴重な薬品をあげて選んでもらったんだ。異能を開花するかどうか。それで、遊里ちゃんは自ら異能を開花させることを選んだ。だからやりたいようにやって良いよって言ったんだ。その力を使ってなんでも好きなようにやって良いよって。抑え込んでいたものを解放させてあげたんだよ。遊里ちゃんはあくまで本心から君の全てを羨んでいるのさ。情熱的だろう?」

「嘘……強制服従してるんでしょ……! ふざけた事を言ってないで遊里を解放してよ!」

「うーん……? 強制服従ってなんでそんな確信を持ってるんだ? 情報収集能力やこの状況を凌いでる状態を考えるとやっぱり“顔の無い巨人”の線は強そうだけどその割には行動がちぐはぐだし……難しいな君。“顔の無い巨人”の駒とか?」

「“顔の無い巨人”……? そんなの知らないっ……! そんなのどうでも良いっ……!」

「……演技にしては上手すぎない? けどなあ、さっきの奴も……まあいいや、攻撃して見れば分かるでしょ」

 

 

 苦虫を噛み潰したように少しだけ表情を歪めたバジルが諦めたように肩を落とす。

 そして、ドロリとした暗い感情を桐佳に向けている遊里の耳に口元を寄せた。

 

 

「ほら、遊里ちゃん見せてあげなよ。君が新しく手に入れた力をさ。何もかも恵まれたその子に向けて試しに振るってみなよ。その扱い方を俺が採点してあげるよ。しかも上手くいけばもしかして、君があの子の全部を貰えるかもしれないよ? あの子に成り替わることが出来るかもしれないんだよ?」

「……貰える?」

 

 

 虚ろな遊里の目が桐佳をじっと捉える。

 バジルは甘ったるい言葉を遊里の耳元で囁くようにして、指し示す。

 

 

「そうさ。その子は君に散々見せびらかしてきただろう? 優しいふりをして自分の豊かさを見せつけて来たんだよ。きっとその子も君に豊かさをあげることを望んでいる筈さ。ほら、異能の使い方は分かるよね? それをあの子に――――ォ」

 

「貰える……もらえる」

 

 

 遊里を背中から抱きしめるようにしていたバジルが、遊里から発生した泡に呑まれた。

 ぼこぼこと溢れ出した紫色の泡がバジルをぐちゃぐちゃに腐らせながら、凄惨な光景に息を呑んだ桐佳を見つめ続ける遊里の周りを取り巻き始めた。

 

 ほの昏い目で蠱惑的な微笑みを浮かべた遊里が小首を傾げる。

 それから思い出したようにゆっくりと、懐から桐佳が姉へと買っておいたプレゼントを取り出して、宝石でも扱うように宙に掲げた。

 

 

「うふ。うふふふ。うふふふふふふ。桐佳ちゃん、産まれた子供が最初に貰うプレゼントって何だと思う?」

「……遊里、正気に戻って」

「名前だよ。なまえ。色んな意味が込められた人の名前ってさぁ、子供の事を想って親が考えるんだよねぇ。私達が覚えてなくてもさぁ。幸せを願われて付けて貰える名前は無くすことの無い最初の宝物だよねぇ……ねえねえ、桐佳って名前。どんな意味なのかなぁ」

「……」

「考えた事も無いんだ? 桐の花言葉には高尚って意味があってね。桐の花は神様の花とも言われてるんだよ。それで、佳の字は美しく整うっていう意味がある。つまり桐佳って名前は、高尚で美しく整った人になるようにっていう願いが込めてあるんだよ。凄いなぁ。素敵だよねぇ…………じゃあさ桐佳ちゃん、遊里って名前。どんな意味なのかなぁ?」

 

 

 普段からは考えられないドロリとした粘着質な遊里の声が桐佳に向けられる。

 異様な空気の遊里に気圧されながらも、桐佳は純粋に話が気になって続きを促してしまう。

 

 

「……どんな意味があるの?」

「うふふ。遊里って名前にはね。遊郭、つまり水商売をしている女の人って意味があるんだよ。うふふふふ。凄いでしょ? 子供にこんな名前付けるなんてさぁ、考えられないよねぇ。あり得ないと思わない?」

「…………なんで……?」

 

 

 想像だにしていなかったその言葉に桐佳は絶句する。

 名前の成り立ちには詳しくない桐佳だが、遊里の言葉が真実であるなら、彼女はまるで疎まれて産まれたとでも言うような、そんな名前を実の親に付けられたことを意味している。

 産まれてすぐ、何も分からない純粋な赤子に付ける名を選んでそんなものにしたのなら、それはあまりにも常軌を逸している。

 まさかあの人畜無害を絵に描いたような遊里の母親がそんなことをしたのかと考えた桐佳の考えを読んだのか、遊里は首を振った。

 

 

「うふふふふ。お父さんが名付けたんだってぇ。一回り年上だったアイツが、優等生だったお母さんと半ば無理やり付き合って。道を踏み外させたのに赤ちゃんの私にはこんな名前を付けて暴力ばっかり振るってた。多分本人は遊びのつもりだったんじゃないかなぁ。そんな最低の屑野郎の下で産まれた私なんかとは、愛されて育った桐佳ちゃんは全然違うんだもんなぁ。一緒に暮らしてて本当にそう思っちゃったよ」

「っ……」

 

 

 遊里の言葉に体を震わせた桐佳。

 考えた事も無かった遊里との格差を突き付けられて、そんな事も知らなかった自分の無知さにどうしようもない後悔が押し寄せる。

 

 そんなことも考えず、自分はこれまで彼女に何を言って来たのだろう。

 姉への我儘に家族の愚痴に、取るに足らない不満ばかりを口にしてきた。

 そんな話を聞かされていた彼女は、いったいどんな気持ちだったのだろう。

 自分との違いを聞かされ続けた彼女は、いったいどんな気持ちだったのだろう。

 

 彼女が一歩近付いて来る。

 掲げていた桐佳のプレゼントを再び懐に仕舞い込んで、ゆっくりゆっくり近付いて来る。

 

 

「わ、わたし……そんなの考えた事も無かった……ごめんなさい……」

「うふふふ。謝らないで桐佳ちゃん。桐佳ちゃんは私に優しくしてくれた。私に色んなものをくれたもの。暖かい家に美味しいご飯、湯船につかるのも自分の部屋を持てたのも初めてだった。優しい人達に囲まれて過ごす日々は幸せだったもん。悪いのは私の親であって桐佳ちゃんは何も悪くないの。だからそんな苦しまないで良いんだよ」

「遊里……」

「でもね、だからね。もうちょっとだけ頂戴桐佳ちゃん」

 

 

 目の前まで歩み寄った遊里が、ニコリと、色香のある美しい笑みを浮かべ囁くように言う。

 罅の入った顔で、亀裂の入った言葉を囁く。

 

 

「桐佳ちゃんの名前と家族の皆、私に頂戴ぜんぶぜんぶ」

「――――」

 

 

 明確な敵意なんてない。

 悪意なんてものもない。

 陥れる気もなければ不幸を願っている訳でもない。

 ただ純粋に羨む様な声色で紡がれた言葉に桐佳は凍り付いた。

 

 これはきっと強制服従なんて関係ない、ずっとずっと彼女が心のどこかで思っていた事だと分かってしまったからだ。

 

 手が伸ばされる。

 泡立つ毒手が伸ばされる。

 先程の銀髪の男があっと言う間に呑まれ、腐り果てた超常現象の塊である泡が迫るのに、桐佳は伸ばされた遊里の手が助けを求めるように見えて、どうすることもできずに見詰めてしまった。

 

 そして、遊里の手が目と鼻の先にまで近付いた時。

 

 

『マキナバージョンの“ブレインシェイカー”、ダ!』

 

 

 キンッ、というモスキート音と呼ばれる異常な高周波の聞き取りづらい音を介した、不可視の全方位攻撃が周囲に待機していた23の出力機から放たれた。

 

 不可視でありながら空間が丸ごと捻じれたようにすら錯覚させるフロア全域への攻撃。

 

 グラリと遊里の意識が飛び、手に発生していた泡が霧散する。

 それどころか桐佳の情報が伝わり周りに集まりつつあったバジルの手先達もまとめて意識を奪い取られ、桐佳の周囲にはぽっかりと倒れ伏す人達だけが広がった。

 呆気ない程簡単に崩れ落ちた遊里の体を桐佳が慌てて抱き留め目を白黒とさせていると、マキナが吠える。

 

 

『おしゃー! マキナの潜伏奇襲攻撃が成功ダ! おい、逃げるゾ! ボケボケするナ! もしお前が逃げられなかったら後先考えない大暴れをマキナがするんだゾ!? お前の失態で無駄にボコボコにされる奴らが出るんだゾ!? ソイツをしっかり持って逃げロー!』

「え、あ、う、うん。マキナ凄い!」

『当たり前ダ! あの銀髪糞テロリストはもっと徹底的にやってやりたかったがソイツが先に片付けたからナ! 良いカ!? 左方向の出口に向かエ! 外からの救援が近付いていル! 今度はソイツを絶対に離すなヨ! お前が言ったことだからナ! お前がソイツを助けたいって言ったんだからナ!? 今更下らない理由で取り辞めるとか言ったらマキナはお前を許さないゾ!!』

「っ……ありがとうっ……! ありがとうマキナっ……! 本当に大好きっ……!」

『マキナはお前に好かれても嬉しくなイ! 良いから走レー!』

 

 

 思わず口走った桐佳の言葉にマキナがいきり立つ。

 少しだけ頭を過ってしまっていた自分の悪い思考を追いやるようなマキナの言葉に本気で感謝しながら、桐佳はぐったりと意識を失っている遊里を背負って駆け出した。

 倒れる人達の隙間を縫いながら、桐佳は一目散に逃げていく。

 

 走って走って走り抜けた。

 今度は絶対に離さないように、以前背負った時より少しだけ重い遊里の体を背負って走って行く。

 

 自分は恵まれている、きっとそうなのだろう。

 優しい親がいて、自分を見捨てない兄がいて、傍にいてくれる姉がいる。

 異常なくらい優秀な兄や姉に勝てる所なんて自分にはほとんど無くて、彼らと比べたら自分が能力不足なのはずっと前から分かっている。

 それでも助けてくれる人達がいて、自分を好きだと言ってくれる人達がいて、大切なものに囲まれて過ごせる幸せな毎日。

 

 

 自分はきっと恵まれ過ぎていたんだと、桐佳は思った。

 自分はきっと何も知らな過ぎたんだと、桐佳は思った。

 

 知らないまま彼女を傷付けていた。

 知らないまま自分の恵まれた環境を甘受していた。

 知らないまま当然のように、誰かの努力で守られた日常を過ごしていただけだった。

 

 やり直そう。

 もっと色んな当たり前だったものを大切にしよう。

 父を労わって、兄に謝って、姉に感謝を伝えよう。

 優しくしてくれる人達をもっと大切にして、遊里や遊里のお母さんに辛い過去を忘れてしまうくらいもっと幸せになって貰おう。

 それから自分の大切な日常を、掛け替えのないものと理解して日々を過ごすのだ。

 

 きっと上手くいくはずだ。

 

 家に帰れば優しい皆が待っていて、お帰りと言って抱きしめてくれる。

 そんな何気ないと思っていた毎日の中、もう誰も不幸にならずにいて欲しかった。

 傷付けていた遊里にごめんねと言って、時間が掛かっても自分達は仮初ではない本当の家族にきっとなれる。

 

 だが、桐佳のそんな願いを邪魔するように、蠢くようにして銀髪の悪魔が現れた。

 

 

「逃がすと思うかい“顔の無い巨人”。君には聞きたいと思っていたことが一杯あ――――」

『嘗めるなテロリスト! お前の行動をマキナが予測できないとでも思ったカ!』

「――――……予兆も予備動作も無くここまで、素晴らしい力だ……」

 

 

 周囲の人々を強制的に動かして襲い掛からせようとしたバジル諸共、障害になるもの全てをマキナが薙ぎ払う。

 暴風のように横からの強烈な衝撃を浴びたバジルが容易く地面を転がって、その上に追加の雷を叩きこんだマキナが足を止めそうになっていた桐佳に言う。

 

 

「マキナっ……!」

『足を止めるナ! アイツがどう動こうがどれだけ分裂しようが全部マキナが何とかしてやル! マキナを信じロ!』

「……信じてる、信じてるよっ……!」

 

 

 いつの間にか姿の無いこの存在に全幅の信頼を寄せていた桐佳は、止まりそうになった自分の足を必死に動かし続けた。

 

 次から次へと現れる黒い粒とそれが形作るバジルをマキナが秒殺し続け、桐佳に一切近付かせないまま出口までの道を切り開く。

 

 もうすぐそこに蠢く黒いナニカで塞がれている出口がある。

 バジルによって塞がれていたその異能の壁を、当然のようにマキナが引き潰し破壊して、桐佳はためらうことなく外へと飛び出した。

 

 想像していたよりもずっと暗くなっている夜の風景。

 それを打ち壊すかのように、周囲を取り囲んだパトカーのヘッドライトによる眩い光が桐佳を取り囲み、脱出してきた桐佳達を見て大勢が驚愕と歓声に近い声を上げた。

 脱出してきた傷だらけの桐佳達の姿に、彼女達を保護しようと慌てた警察官達が毛布を持って飛び出してくる。

 

 疲労困憊で体力も限界。

 走り回り、命の危機に何度も晒された桐佳は朦朧とする意識の中で、ようやく助かったと思い体から力が抜けかける。

 

 だがその時、すぐ耳元で囁かれた。

 

 

「…………うふふ、桐佳ちゃんは本当に馬鹿だなぁ」

「――――!?」

「桐佳ちゃんを攻撃した私を背負って逃げ続けるなら、こんな事になるのは分かっていたよね? 目を醒ました私が桐佳ちゃんをどうしようとするか、少し考えれば分かったよね? 本当に、桐佳ちゃんは馬鹿だよね」

 

 

 背負っていた遊里が目を醒ました。

 

 背後から響いたのは先ほどと変わらない執着の声。

 背負った事で密着しており、どう動こうと避けようのない状況。

 背中の彼女が少しでも異能を使用すれば、桐佳はなす術も無く先程のバジルのように泡に呑まれて腐り果てるのは当然だった。

 

 その未来を想像しぞっと表情を固めた桐佳に目覚めた遊里が嗤う。

 桐佳の背中から手を回して、離さないようにギュッと強く抱きしめる。

 まるで体温を奪うかのように、まるで自分の体温を伝える様に、強く強く抱きしめた遊里が満足したのか少しだけ身じろぎした。

 

 そして。

 

 

「……ごめんね桐佳ちゃん。これ、忘れ物だよ」

 

 

 桐佳の手に、預かっていた姉へのプレゼントをそっと握らせた。

 

 背中から降りた遊里が驚く桐佳を保護しようとしていた警察官達に向けて押し出す。

 そして自身は桐佳が出て来た出口に向けて振り返り、歩いて行ってしまう。

 桐佳を置いて、遊里はどこかに歩いて行ってしまう。

 

 警察官達に保護されて、後を追えない桐佳が必死に遊里に向けて手を伸ばすが、出口の扉まで辿り着いた彼女はその手を見る事も無くクスリと笑った。

 

 

「……頭の中がぐちゃぐちゃで、今の自分が本当は何をやりたいのかよく分からないままでね。まだ頭の中では桐佳ちゃんから全てを奪っちゃえって声がしていて、どれが本当の私の考えなのか分からないんだ。変だよね、自分の事なのに自分が本当にやりたいことが分からないの。桐佳ちゃんが羨ましくて仕方ないのは本当だけど……どうしてなんだろうね」

 

 

 でもね、と遊里は言った。

 

 

「桐佳ちゃんはお馬鹿で、素直になれなくて、努力家で、私みたいのを見捨てられない優しい子だって知ってるから。どんなに羨んでも嫌いになれないくらい、ずっと近くで見てきて分かってるからさ。優しい桐佳ちゃんには、やっぱりそんな事したくないなって思ったんだ。私は最後まで桐佳ちゃんにとって友達でいたいかなって思ったんだ」

 

 

 言葉が出ない。

 声が詰まる。

 悲鳴すら上げられない。

 

 どうしてそんな事を言うのか分からないし、どうして何処かへ行ってしまうのか桐佳には分からないのに、きっともう彼女と会えないことだけは分かってしまう。

 

 このまま彼女の手を離してしまえば、もうきっと会えない事だけは分かってしまう。

 

 桐佳の手はもう届かない。

 誰にも救いの手が伸ばされることが無いのは彼女も理解している筈なのに。

 それなのに、必死に手を伸ばす桐佳へ振り返って彼女はいつものように優しく微笑んだ。

 

 

「お母さんのことよろしくね。幸せになってね桐佳ちゃん」

「――――…………!!」

 

 

 その言葉を最後に、遊里との繋がりが潰されるように再び出口が黒い壁で塞がれた。

 

 ボロボロで、限界で、力尽きたようにその場で膝を突いた桐佳を周りの警察官が慌てて支えようとするが、桐佳はそれを拒否するように顔を埋めて地面に蹲る。

 大切なものを零してしまった自分の手を、痛めつける様に強く握り抱いた。

 

 嗚咽を漏らす。

 

 涙を溢れさせる。

 

 蓄積した疲労でちっとも動いてくれない自分の足を何度も叩いて、声にならない悲鳴を上げ続ける桐佳の自傷行為を止めようと警察官達が必死に制止する。

 

 それでも延々と、塞がれてしまった出口に涙で濡れた視界で見続ける桐佳は、必死に姿の無い遊里を追おうと体を動かそうとし続けた。

 

 何度も何度も、何度も何度も何度でも。

 無力で非力で、何も出来ない自分を傷付け続けた。

 矮小で、未熟で、誰の救いにも成れない自分を桐佳は心底嫌いになった。

 

 

 でも――――そんな桐佳の頭を誰かは優しく撫でる。

 

 

「うん、よく頑張ったね桐佳。もう大丈夫だよ」

「……お姉ちゃん……」

 

 

 その声に、ふっと体の力が抜けてしまう。

 姿も無く、根拠もないのに、思わず安心してしまった桐佳はそのまま意識を失っていく。

 ぺしゃりと動かなくなった桐佳の視界の先で、塞がれていた出口がもう一度引き裂かれた。

 

 

 

 

 



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かみのまにまに

過去最長の一話です…
お時間がある時にお読みくださいっ!


 

 

 

 

 桐佳が脱出した出口とは別の場所。

 そこでは、集まった警察官達が数人がかりでなんとか建物内に突入しようと、黒く蠢く壁の破壊を試みていた。

 

 だが、銃器や鈍器といったものによる破壊の試みを既に十分以上続けているものの思うような成果を出せておらず、突入による救出作業にも入る事が出来ていないのが現状。

 正体の分からない蠢く壁を破壊しようと試みてみても、目の前の黒く蠢く壁はさらに厚みを増していくだけに終わるのだ。

 

 そんな正体不明の蠢く壁を前に、警察官達が作業の手を一旦止めて乱れた息を整える。

 

 

「……駄目だ。なんなんだこの壁は……穴すら開かないぞ」

「硬いというよりも無限に増え続けるゴム……いや、壁と言うよりもむしろ生き物みたいな。なんだ、まるで生き物の内臓でも見ているような気分になるな」

「不気味な事言うなよ! うわぁっ、なんか俺頭痛くなってきた……生き物を捌くのとか見れないのに……」

「それなりに的を射ている気がするな……まるで内臓か。と言うと、この中はさしずめ怪物の胃の中ってか? 中にいる人達は既に怪物に食われてるってことか? ……あながち間違いじゃない気がしてきたな。異能とやらはこんなにもおぞましいものなのか……」

「この中に何人の救助を待つ人達がいると思ってるんだ! そんな悠長なことを言ってないで何とかこの壁を突破するぞ!!」

 

 

 専用の工具で何度も蠢く壁を叩くがびくともしない現状に、救助しようと待機している者達の表情から焦りが生まれ始めていた。

 

 既に飛行機の墜落からは30分。

 蠢く不気味な壁が形成されてから20分もの時間が経過している。

 壁が形成されるまでは順調に進んでいたショッピングセンターからの救助作業も、もうかなりの時間停滞してしまっている。

 

 その上目の前にあるこれは明らかに何かしらの科学技術によるものとは考え辛い現状、この建物内で情報にあったテロリストが活動しているのはほぼ確定しているのだ。

 話に聞くそのテロリスト、“死の商人”と呼ばれる者の残虐性を考えると、これだけの時間同じ建物内に閉じ込められた人々が安全だとはどうしても思えない。

 

 

「建物を占拠して人質も豊富。なのに何の要求も、コンタクトを取ろうとする動きも無いのを見るとこの犯人にとっては現状の継続を望んでいるんだろうな……何を待ってるんだ?」

「……超能力事件の担当部署はどうなってるんだ? この現場に向かって来ているのか?」

「この前の爆破事件があっただろ。あれの事後処理や損害とかでかなり手詰まりな状況とは聞いていたからな。こっちに向かってくれてはいるんだろうが、どこまで対応できる戦力があるか」

「上が隠してる戦力もあるだろ。なんなら捕まえた超能力持ちの犯罪者を使ってでもこの場を何とかしないとこの中からどれだけの被害者が……」

「もう無理だ。そんな対応力がウチの組織の上にあると思うか? 被害が出るだけ出て、適当な謝罪会見だけやって、今後は同じようなことが無いように異能犯罪担当部署への人員増加と予算が増えるだけさ」

「……“ブレーン”とやらが今回の対策を考えて無いのか……? この不気味な超能力を制圧する術は……」

「……さあな。そもそもそんなやつ本当にいるのかね」

 

 

 諦めの空気が漂い始める。

 その空気を何とか変えようと、その場で最も立場のある人が声を出して指揮しているが、この場にいる者達の内心は例外なく、何処か救助への諦めが存在していた。

 

 だってそうだろう。

 占拠する建物の壁すら壊せない自分達では、建物の中にいる異能持ちには絶対に勝てないことを理解せざるを得ないからだ。

 

 

「ようやく到着したね……随分時間を掛けちまった」

 

 

 だが、そんな淀んだ空気にしわがれながら芯の通った女性の声が割って入った。

 杖を突きながら規制を越えてやってきた老女の姿を目にし、その場にいた警察官達が目を丸くして慌てて止めようとする。

 

 

「お、お婆さん! ここは危ないから入ってきちゃ駄目だよ!」

「そうですよ! お婆さん、ほら、離れて離れて!」

「……ふん、この国の警察の年寄りに対する扱いは悪くないじゃ無いか。だがね、離れるのはそういうお前達だよ。まったく、異能で作られた正体の分からないものに異能を持たない奴が手を付けて。基本的な動きがなってないね」

「何を言って……」

 

 

 突然現場に現れた老女を規制の外に連れ出そうと近付いた警察官を、老女は自身が生み出した球体に通過させる。

 突然目の前に現れ、自身の体を通過した球体にきょとんと呆けた警察官が、自分の体に襲った奇妙な感覚に慌てて自身の体の異常を探し始めた。

 聞こえなくなった自分自身の脳内のネガティブ思考に気が付かないまま、やけに身軽になった自身の体の調子に動揺していれば、老女は告げる。

 

 

「どきな。潜り込まれてる奴ら全部私が治してやる」

「潜り込まれてる……? それってどういう……」

「救助しようとする奴の心を自然に折るように仕向けるなんて、奴のやりそうな事さ。良いように操作されている事に気が付けなかったのを仕方ないとは言わないけど、今回は相手が悪かったね」

 

 

 直後。

 危機を察知した何かが警察官の頭に激痛が与え始めた瞬間、その老女、ヘレナの周囲に幾つもの球体が取り巻いていく。

 事前の許可や問答も無く、それらを操るヘレナは呟いた。

 

 

「そう不安がる必要は無いよ。体内の怪我だってまとめて治るからね」

 

 

 それだけ言ってヘレナは渦を巻くようなその球体を自由自在に浮遊させ、“死の商人”の異能の気配を潜ませている警察官達を的確に通過させる。

 

 それだけで、頭を押さえて膝を突いていた警察官達から激痛が取り除かれる。

 それどころか、警察官達の体に蓄積していた筈の疲労すら取り払われており、それはまるで強制的にベストコンディションまで巻き戻されたような感覚だった。

 

 

「……なんだこれ。これもまさか、超能力なのか……?」

「いや、そもそもさっきまでの頭の痛みは何だったんだ? な、なあ婆さん、何か事情を知ってるみたいだが、いったい……」

 

「何をやっている、ヘレナ様から離れろ。私達はICPOだ、説明は私達から行う」

 

 

 動揺する警察官達を、ヘレナの後からやってきた黒服達が制した。

 突然現れた屈強な外国人達に驚きを隠せなかった警察官達だが、彼らが提示する身分を証明するものを見て一斉に慌てだす。

 彼らが世界的にも知らぬ者の方が少ないだろう、本物の権威を持った国際組織の一員であると理解したからだ。

 

 だがそんな黒服達は動揺する警察官達の態度など歯牙にもかけず、じっと占領されている建物を観察するヘレナの邪魔をさせないよう徹底していた。

 

 彼らにとって、何よりも優先するべきは異能犯罪の解決だ。

 そして、異能の扱いと分析の面でヘレナ以上に卓越した者は存在しない。

 だから異能の事象を解決する何よりの第一歩は、ヘレナの観察を邪魔させない事だということが、これまで様々な異能犯罪の解決を見届けて来た彼らの常識であるからだ。

 

 

『……なるほどね。ロランや楼杏の報告に上がっている通り、個別に潰してもいくらでも替えが出て来るっていうのは間違いないようだね。厄介な異能だよ、これは。放置したら手に負えなくなるくらいにね』

『ヘレナ様、ロラン達への指示と私達の動きはどのようにしましょう……』

『ロラン達にはここに来る必要が無い事を伝えな。ここを囮にして別の場所を標的にする可能性がある。そのまま近場への警戒と移動体制の確保、奴を見付けた時の処分を優先するんだ。それとお前達も碌な防衛方法がないだろう、私がこの占領を崩すからお前達は私の邪魔にならないようこの国の警察を押さえておきな』

『了解』

 

 

 他者を強制服従させる力。

 その上、自身を分裂させ碌に攻撃を受けず、さらには神出鬼没でまともに対峙する事さえ出来ない“死の商人”の異能。

 万能にも思える力を振るうそんな“死の商人”の報告を受けていたヘレナが、目の前の黒く蠢く何かに汚染されたショッピングセンターを見上げて息を吐く。

 

 

(……この状況、やっぱりレムリアは負けたんだろうね。最初から奴の異能が異質な力だと分かっていたのに懐に入ったのは間違いだった…………奴の性格柄単純に命を奪うようなことは無いだろうが、過去の報告から他人を強制服従させるような力があるのは確定している。間違いなくレムリアが敵として立ちはだかる上、人質の中で異能の才能がある奴が服従させられていたらここの戦力は相当なものだ。ただでさえ、奴のテリトリーと化しているこの建物に突入するよう誘導されているっていうのに……現状、まさしくこの建物は奴の牙城だ。どう攻略するにも至難の業だがね……)

 

 

 だが、だからといってこの場だけに組織の戦力を集中させる訳にもいかない。

 この事態の犯人はそういう誘導を意図的に行い、本命は別の場所だったということが多々あるのだ。

 

 難攻不落と化している目の前の建物に辟易とした想いを抱えながら、ヘレナは不気味に蠢く目の前の壁を見詰める。

 

 どう見てもこの壁からは、こちらの様子を観察しようという意思を感じる。

 ヘレナが来てからやけに活発に蠢いているその壁を見詰め、彼女は肩を竦めた。

 

 

『……で? 私への対策を進めていたんだろう?』

 

 

 独り言のように呟いたヘレナへ周囲の注目が集まるが、それらを無視して彼女は蠢く壁に向けて話し掛け続ける。

 

 

『レムリアを捕まえて、一緒に居るだろう私の対策を、頑なに私との接触を避けていたアンタが取らない筈が無いだろうからねぇ。私の気配を感じたアンタの行動は、今まで通り尻尾を巻いて逃げるのか、そうでないなら私を倒せると確信できるほどの準備が出来たかのどちらかしかないだろう?』

『ヘレナ様……? いったい何をおっしゃられて……』

 

 

 ヘレナは笑う。

 牙を剥くように、長年無かった逆境を楽しむように、獰猛な笑みを浮かべた老女は自身を窺う“死の商人”目掛けて言葉を放った。

 

 

『神を気取るには能力不足だと思い知らせてやるよ。やってみな青二才』

『————』

 

 

 彼女の予想通り、ヘレナのその言葉を皮切りにして、蠢いていた壁が唐突に開き、中から“死の商人”の異能を潜ませた狂乱状態の一般人達が一斉に飛び出した。

 

 暴力衝動に支配されたような、まるで野に放たれた獣のような姿を見せる一般人達。

 誰か一人を標的としているものではない、お互いを押し退け合いながらバラバラに飛び出してくる人間の津波。

 

 被害の拡大を抑えようと動くだろうヘレナに最大限の負担を掛けるために、“死の商人”はあえて闇雲に被害を拡大するよう指示したのだろう。

 

 そのことを理解して、ヘレナはもう一度杖を突いた。

 自身の異能を起動して、その身に宿した世界を動かす力を振るう。

 

 ――――彼女の周囲の『刻』が歪んでいく。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

「どうして?」「ずるい」「桐佳ちゃんはずるい」「私だけ」「死んじゃうんだ」「頂戴」「どうして?」「また私だけ」「諦めちゃうの?」「不幸になる」「どうせなら一緒に」「奪っちゃえ」「ずるい」「酷いよ」「誰にも愛されない」「本当に嫌な子」

 

 

 頭の中で声が反響する。

 まるで頭の中に自分が何人もいるように、自分自身の声が響き渡る。

 頭の中に響くこの声を聴いていると、自分の本当の考えが分からなくなる。

 

 妬み、奪おうとする頭の声に呑まれた自分が友人を傷付けてしまう事だけは分かったから、遊里は逃げるように闇の中を歩いていく。

 

 一度意識を失った事で収まりを見せていた頭の中の声が、段々と強く活発に遊里を呑もうと喚き散らす。

 

 

「気持ちの悪い子」「誰か認めて」「ここにいるよ」「私を見付けて」「違う」「ずるい人達から貰わないと」「気味の悪い」「才能も無い」「悪い子だよ」「だってそうでしょ?」

 

「うるさいっ……やめてよっ……」

 

 

 必死にその声を無視しようとした遊里が、意味も無いのに自分の両耳を塞いで走り始めると、数歩もしない内に頭の中の声が変わった。

 

 何度も夢に見たその言葉。

 いつも聞いてるその人の声が、昔聞いたその時の声色のまま頭に響く。

 

 

『————あなたなんか、産まれなきゃよかったのに』

 

 

 ぴたりと、足が止まってしまった。

 頭の中に響く自分のような声の反響の中で、ふと蘇った母親の言葉。

 忘れようとしても忘れられない、血走った眼をした母親から向けられたその言葉を思い出すだけで、遊里は息が詰まるような感覚に囚われる。

 

 分かってる、あの時の母親は正気じゃなかった。

 暴力を振るう父親から逃げて引っ越して、ギリギリの生活の中で消耗していた母親を、支援を名乗り出た宗教団体が巧みな人心掌握術で洗脳染みた事をして従わせていた。

 心も、体も、離れていく母親に対して何も出来なかったのは自分自身であるし、正気に戻って謝罪して、今は昔のような優しい母親に戻ってくれているから忘れようと思っていた。

 

 気にしないようにと思っていたのに、今更になってこんな風に思い浮かぶのは、きっとあの言葉が何よりも悲しかったからなのだと思った。

 

 

「おいおいおい遊里ちゃん。あんだけお膳立てしてあげたのに友達一人手に掛けられないなんて期待外れも良いところだよ。本当に何をやっているのさ」

「……」

 

 

 立ち止まった先の闇の中から銀髪の悪魔が姿を現した。

 だが、姿を現したバジルには言葉の通りの失望しているような態度は無く、強制服従の力に遊里が抵抗出来ている事に興味があるのかまじまじと遊里の観察を続けている。

 

 

「高価なんだぜ君が使った異能開花薬品。けど君なら上手くやってくれると思ったのにさぁ。期待してたんだけどなぁ、自分を押し殺した人間がその願いを解放する姿。悪人ばかり欲望を発散するのは不平等だろ? だから俺は君達みたいな自分を押し殺す善人を呪縛から解放してあげてるっていうのにさぁ。それなのに君は最後まで他人を思いやる下らない発言をするなんて……もうここまでくるとある種の病気だね。ああ、この国の人は本当に可愛そうだ。悪人に都合の良いように洗脳されている」

「……おかあさん」

 

 

 焦点の定まらない目をふらふらと揺らす遊里に、彼女の周りを大きく旋回するようにして歩き出したバジルは、異能による攻撃がこの建物に向けて始まったことを感知する。

 あまりに強い異能の気配に「例のあの老婆か」と当たりを付けながらも、バジルは遊里から目を逸らす事無く円を描くように歩き続けた。

 

 

「おかあさん、お母さんね。君のお母さんがどんな人か知らないけどどうせここまで自分の気持ちを押し殺すような君に愛着なんて持っていないさ……ん? んん? ああ、いや、そうか君は全く親にも愛されていなかったんだね?」

 

「あはははっ、暴力を振るう父親には存在を否定され、唯一優しかった母親も宗教に入れ込んで君への愛を枯れ果てさせた! なんて不幸な子なんだ! 求めていたもの全部貰えずこんな風に一人朽ち果てる事になる! 悲劇的で悪夢的だ! こんなにも君は不幸なのに、それなのに他の幸せな誰にも悪意を向けられないなんてっ……ああ本当に、本当に君才能ないよ。幸せになる才能ってやつが微塵もない」

 

「うんまあそれも仕方ないのか。まともな親の元に生まれなかった訳だしまともに愛されなかったんだから幸せになるやり方が全然わかってないんだろう。他人の愛を信じられないし、誰かを愛することも出来やしない。誰かを救う善人にも成れない癖に誰かから奪う悪人にも成れない半端もの。のうのうと息をする事しか出来ない癖に生きているだけで苦しみや痛みを背負い続けている君は、もういっそここで死んでしまった方が幸せなのかもしれないね」

 

「声も上げない、行動も出来ない、不満を信じられる誰かに言うことも出来ない。本心なんて口にしないで、ただただ周りに嫌われないようにと息を潜めるだけ。だから誰にとっても君に価値なんて産まれない。誰からの特別にもなれない。誰にも愛されることも無い。君には価値が無い。君は不良品だ。商品としても、人間としても、誰かの子供としてもね」

「……」

 

 

 酷い言葉だと思う。

 けれど、そうなのかもしれないと遊里は思った。

 正気では無かったのだろうけれど、あの時母親が自分に向けたあの言葉はきっと間違ってなんかいなかったんじゃないかと、思ってしまった。

 

 だからこんなことを思ってしまう。

 

 

(……私はきっと、産まれるべきじゃなかったんだ)

 

 

 だってそうだろう。

 自分が産まれて父親も母親も不幸になった。

 父親は暴力を振るったし、母親は自分を蔑んだ。

 自分が原因で家族はバラバラになってしまった。

 家族が壊れていく様を、自分はただ眺めることしか出来なかった。

 

 もっと違う未来はあった筈だ。

 父親と母親が仲良くて、二人に愛される子供がいて、何処にでもいる普通の家族のように笑っていられる未来はあった筈だ。

 もしも自分よりも上手くやれる誰かが父親と母親の子供であったなら、宗教団体が入り込む余地がないくらい二人の間を取り持って、二人の愛情を一身に受けて、幸せな毎日を過ごせていた筈だ。

 

 もしも二人の間に生まれたのが、自分なんかでなかったら。

 もしもそれが、『自分が尊敬するあの人』であったならと考えたのは、何も今が初めてではないのだ。

 

 

「っふ……ぅぁっ……」

 

 

 そんなことを考えるだけで、上手くいった筈の家族の姿が脳裏に浮かんで、気が付けば遊里は涙が溢れ出してしまった。

 

 胸が詰まった。

 苦しさで息が出来なかった。

 思い描いてしまったもしもの未来に焦がれてしまって、自分がここに存在してはいけない生き物のように思えてしまった。

 

 幸せになって欲しい人達の邪魔をしていたのが他ならない自分自身だと思えてしまって、どうしようもないくらい胸が痛くて蹲る。

 ポロポロと頬を伝う涙が床を湿らせていくのを見ながら、つい考えてしまうのだ。

 

 自分は背景の分からない父親の暴力をいつまでも憎んでいた。

 自分は正気じゃなかった母親の言葉にいつまでも傷付いていた。

 自分は自分を救ってくれた友人の環境にいつまでも妬んでいた。

 内心そんな事ばかり抱えていた誰も知らない醜い遊里の姿を知って、いったい誰が受け入れるというのだろう、なんて。

 

 隠し続けたこんな醜い自分の姿を、いったい誰が愛してくれるというのだろう。

 

 醜くて、醜悪な内面を抱えた悍ましい自分など、いつも周りを不幸にするばかり。

 

 きっと自分は産まれるべきでは無かったのだと、遊里は思ってしまったのだ。

 

 でも。

 

 

「それは違うよ」

 

 

 それなのに、そんな遊里の頭に浮かんだ考えを誰かが否定する。

 

 

「駄目だよ、そんなに自分を傷付けたら。貴女が周りを不幸にするなんて、絶対にそんなこと無いんだよ」

 

 

 自分の涙で濡れる床に影が差す。

 すぐ目の前にしゃがみ込み、酷く優しく頭を撫でてくれる誰かが優しく語り掛けてくる。

 

 

「貴女は優しい子だもの。苦しい現実に打ちのめされて内心でどれだけ暗く淀んだ気持ちが芽生えても、誰も傷付けないようにって我慢し続けたのは貴女が優しい子だからだもの。才能とかじゃなくて、環境とかじゃなくて、何にも代えがたい貴女自身の優しい人格があったから、貴女は貴女以外の誰も傷付けなかったんだよ。そのことに誰も気が付かなくても、私はそのことをちゃんと知ってるよ」

「……なんで……?」

 

 

 頭の中で繰り返されていた数多の声が、優しく頭を撫でられるにつれて消えていく。

 全身に走っていた割れるような痛みが、温もりに包まれて和らいでいく。

 

 そして、遊里がゆっくりと顔を上げれば、そこには予想通り優しい顔をしたあの人が自分を見詰めている。

 

 自分よりも背の低い、遊里の尊敬する人がそこにいる。

 以前も自分を暗闇から救いだしてくれた、佐取燐香がそこにいる。

 

 この場所にいる筈の無いその人の姿を遊里が呆然と見詰めていると、その人は安心させるように微笑みを浮かべた。

 

 

「……そんなの、私が遊里さんの頑張る姿を近くで見てたからに決まってるでしょ? 遊里さんには私の情けない所ばっかり見せちゃってるけどね、そんな私でも妹の抱えた悩みとか苦しみくらいは分かっちゃうんだから」

「…………わたしは……」

 

 

 どこまでも優しく語り掛けて来るその人の言葉を、遊里はこんな時だというのに震える声で否定する。

 

 

「桐佳ちゃんをずっと……羨んで、妬んで、ずるいって思って。私は皆を不幸にして、本当の私は皆が思うよりも醜くて……」

「うん」

 

「私が何も持たないのは理由があるんだって……醜い本性があるからだって納得してた。そうであるから仕方がない……自業自得じゃないと、おかしいんだって思った」

「……うん」

 

「私とお母さんを助けてくれたみんなが、不幸になってほしくなかった……こんなに醜い私を、知らないでほしかった……」

「…………うん、分かるよ。よく分かる」

 

 

 口に出そうとするだけで苦しい言葉の数々。

 それでもそんな言葉を必死に絞り出す遊里の話を止めることなく最後まで聞き届けて、その人は「でもね」と言ってゆっくり言葉を紡いでいく。

 

 

「……もしも。もしも、本当にそうだとしてもね。遊里さんが誰かを不幸にして、抱えきれないくらい醜い感情を持っていたとして、何から何まで自業自得だったとしても」

 

 

 ゆっくりと何かを思い出すように。

 

 

「私も……お兄ちゃんやお姉ちゃんっていうのは、弟や妹を守るものだって思うから」

 

 

 自身の罪を告白するように、自分の醜さを告白するように。

 遊里は目の前のその人に向けて言葉を紡いだのに、その人は何も変わらない優しい表情のまま遊里を認めてくれる。

 乾き切って罅の入っていた遊里の心に、何度も何度も優しい水を撒いてくれる。

 

 それだけで遊里は、さっきとは違う涙が溢れ出してしまう。

 

 

「……私は貴女にもちゃんと幸せになって欲しいの。私はもう、貴女のお姉ちゃんのつもりだから。どんな貴女でも、ちゃんと大好きだからね」

 

 

 そう言ってその人は、涙に濡れた遊里の目を塞ぐように手をかざす。

 小さな子供を寝かしつけるように、醜く汚れ傷付いてしまった遊里の瞼を優しく閉じる。

 

 

「これ以上怖いものは見なくて良いから、お休み遊里さん……良い夢を見るんだよ」

「おねえ……さ……」

 

 

 酷く眠かった。

 ずっと抱えていた淀んだものが優しく溶かしつかされて、抱きしめるように温もりを与えられ、今の状況なんて頭から抜け落ちて、遊里の意識は幸せな夢の世界へと落ちていく。

 

 

 その夢の中は昨日の、家族みんなが楽しそうに食卓を囲む光景が――――。

 

 

 

 

 

 

 音も無く、気配や予兆も無く、唐突にその場に現れた少女。

 幼さがある、到底悪意や悲劇とは無縁そうに見えるその少女が遊里を眠らせた光景を前にして、バジルは自身が興奮しているのを自覚した。

 

 目の前の少女が『あの存在』であると半ば確信して、バジルは感激を口にする。

 

 

「……ここまで来てもまったく異能の気配が感じ取れない。ふ、ふふふっ、ついに現れたのか本物の“顔の無い巨人”。いや流石に緊張してくるね。都市伝説や信じがたい新興宗教の一部として語られる存在の大元が実際に目の前に現れたとなると流石に俺でも感じてしまうものがあるよ。“無貌様”とでも呼んだ方が良いかな? それとも何か別の名前が良かったりするかな? いや失礼、俺の自己紹介がまだだった。俺の名前はバジル・レーウェンフック、世界を飛び回るしがない商人さ。情報、兵器、機密技術に疫病や戦争。少々値は張るが要望のものは何でも揃えて卸しているよ。何か欲しいものはあるかな? 君になら特別な商品を卸すのも特別割引で商品を販売するのも可能だよ。俺としては『UNN』のお爺さんよりも君に肩入れしたいんだけど…………そんな空気じゃないよねぇ」

「…………」

 

 

 遊里に自分の上着を被せて寝かせると、その少女はゆっくりと立ち上がり振り返った。

 黒曜石のような真っ黒な目が、興奮するバジルの姿を映し出す。

 

 無表情の少女が向けてくる冷たい敵意を感じ、バジルは水面下で迎撃の準備を整えていく。

 

 

「……なんでこんなことをしたんですか?」

「ん? そんなつまらない事を聞かれるとは思わなかったな。どうしてってそんなの不幸な人を助ける為さ。この国だけじゃないけど我慢する人は我慢し続けて欲望を抑えない人はずっとそのままだ。そんなの不公平だろ? 俺達を形作った神様はそんな格差を許容していない。もっと作られた最初の時のように原始的で暴力的で欲望に忠実な人間の姿を望んでいた筈なんだ。原初の人間の姿こそ神様が望んだ俺達人間の完成形なんだよ。それを支配層が支配しやすいように洗脳を続けた結果こんな気持ち悪い不平等が蔓延ってしまうようになった。俺はそれを変えたいのさ。全ての人間が正しく自分の欲望を抑えない世界の実現に向けて、人間を正しい人間の在り方に戻してあげているだけなんだよ」

 

 

 投げ掛けた疑問の返答を受け取ったものの、“顔の無い巨人”の少女は眉一つ動かさずもう一度問い掛ける。

 

 

「それは商人としての行動理由ですよね。今回、どうしてこの場所を選んだんですか? わざわざハイジャックをしてまでこの建物を狙った意味は何ですか?」

「…………ふっ、君がこの国だけを必死に守っていたからね。世界各地で悲惨な異能犯罪が起きているのにこの国だけ君に守られて悲劇の蚊帳の外だ。世界はこんなにも悲劇に満ちていて“顔の無い巨人”に助けを求めている人は沢山いるのにこんなの不公平だろう? だからね、この国にも他の国と同じだけの不幸を振り撒こうと思ったんだよ。平等を愛する商人として、原初の人間を望む神の信徒として」

 

 

「そう」と続けたバジルは、用意していた手札を切った。

 

 

「――――君を攻略した上でさ“顔の無い巨人”」

 

 

 ズドンッ、と。

 視界外から砲弾のように飛来した何かが、眠りにつく遊里ごと少女を圧し潰した。

 作り上げられた巨大な亀裂の中心で、砲弾のように飛来した金髪の少年が先ほどまで少女がいた場所を殴り付けている。

 

 その強制服従させられている金髪の少年は自身がやっていることも分からないのか、血走った眼を周囲に巡らせながら何度も引き裂くように拳を振り回していた。

 少女達が少年に圧し潰される凄惨な光景を前にして、バジルは両手を広げてワザとらしい驚いたような態度を作る。

 

 

「ははは、レムリア君は暴力的だなぁ。驚いたかい? 君お得意の精神干渉の異能が無くても人を服従させることは難しくないんだよ。時代は変わる。君が神のごとき力を振るえた時代はもう終わり今や君の異能は時代遅れの型落ち性能。扱う技術こそ一級品のようだけどそれだけじゃ俺のような時代の先をゆく最先端の異能にはどうしても劣ってしまうんだか」

 

 

 だが、次の瞬間バジルの体が真っ二つに引き裂かれた。

 

 のこぎりで横一線に引き裂かれたように、宙を舞うバジルは自身の無残な姿を確認して驚きの表情を浮かべる。

 

 

「……おかしいな。君はこんな物理的な攻撃は出来ない筈じゃ……」

 

 

 直後、宙を舞っていたバジルの上半身は闇から現れた巨大な手によって地面に叩き付けられ、体の構成物質全てを跡形も無く圧し潰された。

 

 そして誰にも気付かれず、いつの間にか、傷一つ無い状態で“顔の無い巨人”の少女とそれに抱えられている遊里がバジルのいた場所の背後に現れている。

 潰れたバジルをゴミでも見るように一瞥し、“顔の無い巨人”の少女がバジルに強制服従させられている近くの人に声を掛けた。

 

 

「ねえ、この子を連れて出て行って」

「え、はっ、な、なんだ、何が……!?」

「聞こえないの? 私はこの子を連れて外に行きなさいと言ったのよ」

「ぉぁ……わかり、ましタ」

 

 

 抱えていた遊里を従順になった一般人に渡す。

 彼が大切そうに遊里を背負って駆け出したのを見届けた“顔の無い巨人”の少女は、おぞましい光を浮かべた目を暴走しているレムリアに向けた。

 冷たく見定めるような視線がレムリアの全身を捉え、血の通わないような無機質な推測が“顔の無い巨人”の少女の頭の中で行われていく。

 

 そして、結論を出した“顔の無い巨人”の少女が酷くつまらなそうに、再び闇から現れた銀髪の悪魔を見遣った。

 

 

「量は違っても根本は同じ。芸も無ければ技術も無い。応用性の欠片も無い。程度の低い異能の力ね」

「……おいおいおい、そんな冷たい事を言わないでくれよ。現に君は俺を倒せていなければ、俺の異能の本質も掴み切れていないだろう。いやいや嘲るつもりなんてないんだぜ。俺の異能は常人では理解し得ないもの。先に言っておくが君は絶対に俺を倒せない、いいやこの世の誰も俺を完全に倒す事なんて不可能なのさ。俺は人間を超越したんだよ。文字通り人間という種を越えた存在に辿り着いて――――」

 

「微生物」

 

 

 ピキリッとバジルの表情が一瞬固まった。

 明確な変化だったが、バジルの反応を見る事も無く“顔の無い巨人”の少女は周囲を見回す。

 

 

「記憶の連続性と本体と同じ人格、知性を持ったミクロ単位の分身を無限に作る異能。目に見えない程極小の分身を作る訳だから、簡単に言えば微生物ね。結合や分裂が可能で今私の目の前に普通の人間がいるように見えるけど、貴方は普通の人間とは異なりバジル・レーウェンフックの極小の分身が重なり合って形作っている存在にすぎない」

「……」

「他人を強制服従させるとはよく言ったものね。相手の脳内に極小の貴方が潜り込み、寄生する形で思考回路に介入を仕掛ける。潜り込まれた人は自分の思考と貴方の命令の区別がつかなくなりやがて洗脳に近い状態に陥って、貴方の手先が出来上がる。これが貴方の言う強制服従、これが貴方の異能を使った制圧術」

「……はははっ、流石に精神干渉の異能を持つ相手に隠し事は出来ないか。ここまで完璧に近い異能の詳細を見抜かれるのは他の誰であろうとも無かったと言うのにね。だが、だからどうした。それが分かったところで何が出来る。俺の異能を見抜いたと言うならこの異能に対する手立てが無い事も分かるだろう?」

 

 

 だがバジルの動揺も一瞬。

 今まで見抜かれた事も無かった自身の異能の詳細を相手に言い当てられても、バジルは直ぐに余裕を取り戻して“顔の無い巨人”の少女に向き合う。

 

 子供としか言えないような相手の姿を認識しながら、バジルは一切の油断もなく、相手の動きや呼吸をつぶさに監視し、戦闘の準備を整えていく。

 

 

「出来る事なら君とは商売仲間になりたかったがそうもいかないんだろう。残念だが君には踏み台になって貰う他ないみたいだ。恨まないでくれよ?」

「醜悪な貴方の思考は酷く不愉快なの。終わらせてあげるわ。その積み上げられた自信も、欠落だらけの異能も、腐り果てた精神も全て。信じてもいない神の存在で理由を語り、他人の善意を排斥する貴方のような思考回路。私は全部が不快で仕方ないのよ」

「良いぜ、やろう“旧時代の神様”。この際上下関係をはっきりつけようじゃないか。新時代の異能がどういうものか型落ちの君に教えてあげるよ」

 

 

 もはやお互いが会話をするつもりがない。

 お互いを自分勝手な物差しで推し量るように、そんな暴言に近い言葉を交わした。

 

 バジルの周囲一帯から威圧するように異能の出力が噴き出され、それに呼応するように手下と化している人々の目がギョロリと“顔の無い巨人”の少女へと向けられる。

 それらはレムリアや異能を持たされた青年や買い物に来ただけの一般人達。

 その殆どの人が少女よりも体格が良く、組み合えば勝つことなど不可能であり、単純な数の差も絶望的という状況。

 

 だが、そんな人達に完全に包囲されたにも関わらず“顔の無い巨人”の少女は冷めた表情を崩さない。

 

 

「……この場には、憎しみより優しさを選べる人も、不利益を受け入れてでも他人を助けられる人もいないから……」

 

 

 自身の妹を連れた一般人が無事に脱出していったのを視界の端で見届けて、一度目を閉じた“顔の無い巨人”の少女はカチリと自分の頭のスイッチを切り替える。

 冷たく凍るような思考の中で、にこやかな笑顔を浮かべているバジルへあまりに怜悧な目が向けられる。

 

 直後————深海の底に引き摺り込まれたような異能の出力がこの場を支配した。

 

 

「救いなんてものはない、貴方の世界は最悪の色へと腐り落ちる」

 

 

 持たぬものでは感じる事さえ許されない。

 出力そのものが重量を持っていると錯覚しそうになる現実に、バジルは顔を引き攣らせた。

 

 ノイズが全身を包み始めた“顔の無い巨人”の少女が歩き出す。

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

 ミレーという名の少女は不幸だった。

 羊飼いという、コミュ障染みた彼女にとって割と天職と言ってもいい仕事を持てていたのに、あれやこれやある内にいつの間にかテロリストに連れ回される立場になっていた。

 

 元々持っていた“見分ける目”の異能を日常生活でちょろちょろ使ってズルしていたのが悪かったのだろう。

 ミレーの目の力に気が付いたテロリストに良いように使われる毎日を過ごす羽目になってから何度も怖い思いをさせられることになった。

 

 怖い思いをさせられる、それは確かに不幸な事だ。

 けれどそれ以上に、自分が見分ける事で、テロリストが順調に人を不幸にしていくのがミレーは心苦しかった。

 申し訳ないと思いながらも、自分が捕まらなければ良かったのにと思いながらも、見知らぬ誰かの為に命を懸けて反抗する事も出来ず、ただただ助けを待つばかりの小心者の少女。

 脅されていただけで罪は無いと言うつもりは無かったし、いずれ助けられた時には何らかの贖罪をするつもりではいたのだ。

 

 けど、だからといってこんなのは、話が違うとミレーという名の少女は思う。

 

 

『な、に……あれ……あんなの、ありえない……』

 

 

 引き潰されていく。

 的確に、精密に、残酷に。

 視界全体に広がっていたバジルの異能が、空間ごと食い千切られた様に削り取られていく。

 殺到するバジルの手先が指先から鳴らされる音一つで崩れ落ち、決死の攻撃もあらぬ方向への攻撃へと変換され、存在しない筈の巨人に叩き潰されている。

 

 おかしいのだ。

 

 手先となっている人達に潜り込んだバジルの異能が消えていっている。

 一度手先になったらどうしようもない筈の、強制服従させるための粒子のようなバジルの異能が、手先となった人を貫通し直接削り取られていっている。

 人間から逸脱した力を持ち、抵抗しようのない方法で、悪魔のように他人を追い詰めるだけだったバジルという男が根こそぎ潰れて消えていっている。

 

 無限に増殖するバジルの異能。

 現に今も増殖を続けているが、それよりも消滅の速度の方がずっと早い。

 

 

『どうなってるどうなってるどうなってるっ……ミレーちゃん! 見ろ! 奴を見ろ! 奴は何をやっている!? 奴の攻撃の起点は何だ!?』

『きっ、起点といわれても……! お、おらには、なにも……』

『何をやっ』

 

「それが貴方の探知担当ね?」

 

 

 つい先ほどまで遠くで強制服従させられている人々に囲まれていた筈なのに、気が付けばミレーの目の前にソレが立っている。

 自身の異能ですら接近に気が付けなかったことに驚愕するミレーをよそに、彼女に指示を出していたバジルの分身体を“顔の無い巨人”の少女が片手で掴み取った。

 

 廻らせ、巡らせ、刃のように。

 精神干渉の異能を破壊方面に特化させ、超高出力の異能を手に回す技術。

 触れただけで人を廃人にする残酷な攻撃が、よりにもよってミレーの目の前で行われた。

 

 

『ギ■ぁご■ぐぐ■■■ォぉあァ■■ァ!!!』

『ひぃっ……!!』

 

 

 聞いたことも無いバジルの絶叫。

 想像を絶する激痛にでも襲われたのか、人間とは思えない断末魔を上げながら完全に裁断されたバジルの姿にミレーは腰を抜かしてその場に座り込む。

 

 腰を抜けしたミレーが恐怖で体を震わせながら目の前に立つ“顔の無い巨人”の少女を見上げ、思わず失神しそうになった。

 

 だがそれは、“顔の無い巨人”の少女が自分を見下ろしているからではない。

 “顔の無い巨人”の少女の手で掴まれたバジルの姿がボロボロと崩れていくからでもなく、“顔の無い巨人”の少女の背後でバジルの手先達が今もこちらの状況に気が付かないままお互いを攻撃しだしているから、でもない。

 

 本当に単純に、“顔の無い巨人”の少女を目前にして、ミレーの“見分ける目”でその才能を直視してしまったからだった。

 

 

(あ、ありえないありえないありえない。この人おかしいっ、才能がおかしいっ! 異能の才能がおかしいっ。これは人間じゃないっ、人間のレベルを完全に外れちゃってるっ……! 見た事無い、こんなの、こんな人がいるなんてありえない。こんなの異能の才能を持った人間じゃなくて、異能そのものが人の形になったような――――)

 

「ねえ、貴方邪魔なの。少しの間意識を奪うわね」

「かひゅ……」

 

 

 その怪物がミレーの額を小突いただけで、今にも失神しそうな状態だった彼女は碌な抵抗も出来ないまま地面に倒れて動かなくなる。

 “顔の無い巨人”の少女はミレーが倒れるまでの様子をじっと見届けて、背後から攻撃を仕掛けて来たバジルを振り向きざまにブレインシェイカーを放ち無力化した。

 そして、ブレインシェイカーによって行動を封じられたバジルを手に纏わせた超高出力の異能の刃によって裁断し、“顔の無い巨人”の少女は随分と減ったバジルの異能に目を向ける。

 

 

「キリがない訳じゃ無いわね。人型を作るだけでも数十億程度の分身は必要みたいだから、人型を倒すだけでもかなりの数の分身を削れたことになる。のこのこ顔を出すなら人型を優先して狙えば良いし、こそこそ隠れているなら範囲の広い攻撃をすれば良い」

 

 

 そう分析してから、“顔の無い巨人”の少女は大きく表情を歪めながら再び現れたバジルに視線をやり、「それで」と言う。

 

 

「次、最先端の異能は何を見せてくれるの?」

「…………なんなんだ、お前……」

 

 

 本格的に戦闘が始まってまだ3分程度。

 だというのに、今のバジルには最初の勢いはほとんど消えかかっており、大きく表情を歪めて現れた今の彼からは焦燥すら感じさせる。

 心底苦々し気に“顔の無い巨人”の少女を睨むバジルは、うわ言のように呟き始める。

 

 

「……なんでだ。お前の異能は精神干渉……俺の異能は天敵のようなものの筈だ。俺の作り出す分身は俺自身であって俺ではない。完全に別個体だが同時に完全な知性体として複製された存在でもあるんだぞ。異能には限界がある。浮遊させられる重さ。転移させられる距離。それらと同様に精神干渉を実行できる相手の数は限界がある筈だろう。特に同時に他人の精神を操作する力なんていう精密操作が必要なものなら同時に操れる人数には限りがある筈だ。マルチタスクにしたって限界がある筈なんだ。異能の限界。人間の機能的な限界。それらを明らかに飛び越えているお前の異能は……いや、お前は何なんだ」

「さあ?」

「このたった数分の内に数千億の俺を始末したなんてありえないんだよ! この場にいた数千億の俺が複数の視点からお前の姿を捕捉していたんだぞ!? それら全ての俺の認識に干渉して位置座標を誤認させる!? どんなトリックだっ、ありえないだろう!? “読心”を中心として立ち回る精神干渉の異能持ちのお前がっ、独立して攻撃を仕掛けていた数千億の俺の思考の全てを同時に読み切って行動できる訳が無いだろうっ!? おかしいんだよっ、何もかもがおかしいんだっ! お前はいったい何なんだよ!?」

 

 

 激昂した。

 初めて味わう敗北感に頭まで浸かってしまったバジルはなりふり構わず吠え立てた。

 劣勢の怒りをぶつけるというよりも、目の前の理不尽が理解できずに混乱するしかなくなってしまっている状態だった。

 

 そうだあり得ない。

 異能は原理原則の無い力じゃない。

 魔法では無いし、神様の権能でもない。

 今の科学では証明できないだけで、法則があれば限界だってあるものだ。

 そもそもそれを扱っているのが人間である以上、人間の範疇以上の事をするのは不可能なのだ。

 “死の商人”として異能に関わるものも扱って来たバジルはそのことを良く知っているからこそ、目の前のこの存在が振るっている力がいかに常軌を逸しているか理解してしまう。

 

 

「貴方が言っていたじゃない、“旧時代の神様”なんでしょう?」

「ほざけっ!! だったら小細工の隙も与えなければ良いんだろうっ!?」

 

 

 そのどうでも良さそうな返答にバジルは全力を振り絞る。

 発狂染みた激情に身を任せ、攻撃だけに全てを振り切った。

 息を乱し、残った手札であるレムリアと異能持ちへと仕立て上げた青年。この場に残っている自分の手下や宙に浮いていた分身達全てを一斉に“顔の無い巨人”の少女に強襲させた。

 

 本当の意味で今自分に存在する全戦力を投下して、目の前の怪物にぶつける。

 鬼気迫る形相で襲い掛かる濁流のような人間と異能を前にしながらも、“顔の無い巨人”の少女はそれらに共通して存在する感情を確認し、恐ろしいほど酷薄な笑みを浮かべた。

 

 

「――――あはっ」

 

 

 機械に潜むものにも指示をしない。

 自身に迫りくるあまりに多くの知性体の数を正確に把握しながらも、“顔の無い巨人”の少女は何からの手助けも求めない。

 

 だって、その必要は無い。

 

 

「貴方はやり方を間違えた」

 

 

 唐突に、少女の背後に巨人が姿を現した。

 暗闇の中立っている、口以外に顔の無い人型としても歪な巨大なナニカ。

 恐怖の象徴とも呼ばれる名称の存在そのものを目の前にして、バジルは大きく目を見開いた。

 

 

「恐怖は人の認識を歪める。ありもしないものを見て、ありもしない音を聞く。やりやすいのよ、とってもね」

 

 

 誰一人足を止める暇すら無かった。

 最初にレムリアが“顔の無い巨人”に掴まれ数十メートル先に叩き付けられた。

 次に数多のバジルが“顔の無い巨人”が腕に纏わせたソウルシュレッダーによって塵も残さず裁断された。

 次に異能持ちへと仕立て上げられた青年が頭上から振り下ろされた“顔の無い巨人”の平手で叩き潰された。

 次にバジルの手下になっている一般人達が“顔の無い巨人”による腕により纏めて薙ぎ払われた。

 

 終わりだ。

 終わりだった。

 最後の総攻撃からほんの数秒も要さずに、全てが沈黙してしまった。

 誰一人何も抵抗できないままで、倒れ伏し身動き一つ取れなくなっている。

 

 そして、この場に残る最後のバジルは――――

 

 

「――――顔の無い巨人というのがまさか……その名称を実体化させたそのものを指す言葉だったとは……。俺のリサーチ不足か……いやはや、流石最強の異能持ち。どれほどの小細工を用いても勝てる気がしない」

「……」

 

 

 自分の準備した手駒が完全に沈黙した状況。

 この場で作り出して用意していた自分自身の分身、およそ5000億にも及んだ存在は今のバジルを形作るものを除いて残らず消え失せてしまった。

 

 完全敗北。

 その事実を噛み締めながらも、バジルは先ほどまでの激昂が嘘のように落ち着いた様子を見せている。

 手を広げ、何も抵抗する気が無い事を示しながら、バジルは処刑を待つ囚人のように溜息混じりの敗北宣言を“顔の無い巨人”の少女に対して行った。

 

 

「俺の負けだ好きにすると良い。抵抗しようとも思わない。君の好きなように」

「つまらない演技ね」

 

 

 だが、それすら“顔の無い巨人”の少女は冷たく切り捨てる。

 悪魔のようなこの男の最後の手札を、“顔の無い巨人”の少女は最初から見通しているからだ。

 

 

「分身を作る異能を持っているなら保険を掛けるものよね。この場所が危険地帯だと分かっているなら、他の場所に分身を残さずにここに来る理由はないものね。最初から全滅する可能性も考慮して、貴方はこの場に来ていたんでしょう? 貴方がここで消え失せても、国外に広がる他の貴方が生存し続けられるようにって」

「…………クはっ、くははハはハハはハはハハハはッ!!!!!」

 

 

 何の感情も籠らない無機質な指摘に晒されて、バジルは一瞬だけ顔を俯けた後堪え切れなくなったように噴き出した。

 

 ケラケラケラケラケラケラと。

 人間の不幸を嘲笑する悪魔のように哄笑を響かせたバジルが心底愉しそうに、相対する“顔の無い巨人”の少女を見据えた。

 

 

「そうだ! そこまで分かるか“顔の無い巨人”!! 素晴らしい!! 異能だけに留まらないその才能!! 俺の想像以上だ!! 俺が甘かった!! 君を見くびり過ぎていた!! 君は間違いなくこの世界を征服するに足る器だった!! “旧時代の神様”などではない!! この世に産まれ墜ちてしまった厄災そのものだ!!! 敬意を表しよう!! 畏敬の念を抱こう!!!」

 

「だが!! だがだ!!! “顔の無い巨人”!!! ここで俺が潰えても君は俺を完全に抹消することは出来ない!!! 神様にだって俺を抹消する事は出来やしないんだ!!! 世界各地には既に俺の記憶と知性と人格を持った存在達が充満している!! 今なお無限に増殖し続けている俺の存在を誰も完全に殺す事なんて不可能だ!!! 不死では無くとも不滅の存在へと昇華された俺の存在は文字通り人間という種を完全に超越している!! 概念の存在まで足を踏み入れたんだ!!!」

 

「また会おう!! 俺ではない別の俺が君とまた会って、次こそは俺が勝つことを願おうじゃ無いか!!! 慈悲深い神様はきっと俺と君との再会を祝福してくれるとも!!! 君との戦いは非常に愉しいひと時だった!!! クはっくははハハはは!!!」

 

 

 哄笑。

 嘲りを含んだ哄笑が闇の中を入り混じり、人々が倒れ伏す地獄のような場所の中心で嗤い声を上げる銀髪の悪魔を前にして、“顔の無い巨人”の少女は小さく息を吐いた。

 

 

「貴方は一つ勘違いをしているわ」

「――――ハ?」

 

 

 想定外の言葉に意表を突かれたバジルが首を傾げる。

 何を言いだすのかと、“顔の無い巨人”の少女を見詰めて、彼女が見つめる先が自分ではなく空に向けられている事に気が付いた。

 

 

「何のために私がここまで時間を掛けて貴方と相対したか。何のために私がここまで正面から貴方と会話を交わして異能による交戦を行ったか。何のために私が自分の姿を隠さず貴方の前にこうして現れているのか。……貴方は何一つとして理解できていないでしょう?」

 

 

 ゆっくりと手を空に向ける。

 “顔の無い巨人”の少女が片手を空に向けて広げながら、謳う様に言葉を紡ぐ。

 

 

「人々が思い描いた神様は、貴方が思う程慈悲深くなんてない」

 

「救いなんてものはない、貴方の世界は最悪の色へと腐り落ちる」

 

「――――見せてあげる」

 

 

 変色する。

 

 世界がモノクロへと切り替わる。

 

 気が付けばいつの間にか、バジルの頭上に星を吞み込むように巨大な球体が鎮座していた。

 

 正体の分からない、あまりに巨大な黒い惑星。

 

 敢えて形容するならば、『黒き太陽』と呼ぶべきソレがじっと地上を睥睨している。

 

 言葉を失うバジルの前で、“顔の無い巨人”の少女が『黒き太陽』から何かを受け取った。

 

 バジルが指先一つ動かせない内に、“顔の無い巨人”の少女は呟いた。

 

 

「完全捕捉。マキナ、引き潰して」

『了解、任せろ御母様』

 

 

 その瞬間、電波を通じて異能の出力が世界中を駆け巡る。

 

 地を満たす絶対的な異能の出力。

 海を越え、山を越え、空気や動物、人や封された金庫などのあらゆる場所へ。

 この世界全てに充満していたバジルの分身達を一つも残さず正確に捉え、その全てを抹消する。

 

 ほんの一瞬、ほんの一瞬だ。

 一秒だって要さないその異能の行使を目の前で行われたバジルが、呆けた表情を崩せないまま、現状を全く理解できないまま、怪物を見詰めて固まってしまう。

 

 

「これで正真正銘、貴方一人ね」

「…………は? いや……何が……? ま、まってくれ……いったい、なにが……」

「終わりよ全部。貴方の全て、もう終わり」

「おわ、り? いや、俺は……不滅の存在で……人間と言う種を超越した上位者で……誰であろうと俺を殺し切ることは出来ない筈だから……」

 

 

 少女の背後に立っていた“顔の無い巨人”がゆっくりと動き出す。

 その顔の無い頭をバジルに向けたまま、一歩、また一歩と近付いて来る。

 状況を全く理解できていないのに、自分の完全な終わりを理解させられたバジルが顔から血の気を引かせてそのまま尻もちを突いて倒れてしまった。

 

 お伽噺に出てくるような怪物の姿。

 ゆっくりと近付いて来る巨大な怪物を前にして、呼吸も出来なくなったバジルは自分を見下ろす少女に助けを求め縋るような目を向けた。

 

 

『……神様』

 

 

 助けを求めるその声に、応える存在は何処にもいなかった。

 

 

 

 

 



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幕間を彩る

 

 

 

 

 つい先ほどまで喧騒が支配したこの場には、既に沈黙以外存在していない。

 それどころか、テロリストに支配されていた人達や騒動に巻き込まれ怪我を負っていた人達全てが完全に意識を失い倒れ伏していて、立っているのは私だけだ。

 

 チカチカと明滅する電灯の下。

 私は正面に座り込む男から目線を逸らさず、自身の異能による干渉がその男に正常に働いているのを見届ける。

 ドロリとした黒い感情が自分の胸の内でわだかまっているのを理解しながら、私は今回の事件の首謀者であるこの男の終幕を見届けたのだ。

 

 完全な無力化。

 完全な沈黙。

 私に全てを征服され尽くした男は、二度と私の意に反する行動を取ることは無い。

 その事を理解していても、私の中の怒りは少しも収まっていなくて、ふとしたきっかけで無害となった目の前の男を抹消してしまいそうだった。

 

 けれどやっぱり、そんな風に思う私の脳裏を過ったのは、コイツに傷付けられた筈の妹達の悲しそうな表情と神楽坂さんと飛鳥さんの沈痛な面持ちだった。

 

 

「……処理完了ね」

『御母様……』

 

 

 呆然と空を見上げた体勢のまま微動だにしない銀髪の男の姿を確認し終え、私が無意識に握っていた手を開いていると、マキナから心配するような声が上がった。

 

 分かっている。

 外にいる救助の人達。

 建物の封鎖を行っていたこの男を無力化した今、彼らがこの場に突入してくるのは時間の問題だ。

 警察や救急隊のみならず、先程会った御師匠様を含む異能犯罪に対応できる人達もこの場にやってくるだろう。

 マキナが心配するようにダラダラとこの場に留まるのは、どう考えたって悪手だなんて私も分かっている。

 目的を果たした以上、私の心の師匠であるあのお婆さんがやってくる前にこの場を立ち去る必要があるのだ。

 

 私は、マキナが気にしているだろう外の様子を異能で大まかに確認して、マキナに対して分かっているから何も心配はいらないと片手を上げた。

 

 そうだ何も心配いらない。

 他人から身を隠す事など今までいくらでもやって来た。

 今更それが私にとって難しくなる事など無い。

 

 

「……別に、何も問題ないわ。元々私の異能は隠密に向いたものだもの。例え人が波のように押し寄せたって、例え世界最高峰の異能使いが向かって来たって、どうにでもやりようは————お゛え゛えええ」

『やっぱりナ!! 大丈夫か御母様!?』

 

 

 何の前触れも無く、強烈な吐き気と頭に走る激痛が私に襲い掛かった。

 思わず口元を抑えて蹲った私に、マキナはまるで予想してましたと言わんばかりに私を心配する声を上げる。

 

 なぜ、なんて言う疑問が少しだけ脳裏を過ったが、よくよく考えるまでも無い。

 

 いつも通りの自爆も自爆。無理した異能の使い方をしただけだ。

 今回の場合は、対応するべき知性体の数が多すぎた為に、自分自身を起点とする認識阻害を出力最大で行使し続けた事による反動が主になるだろう。

 いやでも、流石に億単位で分裂していたこの敵の攻撃の手から逃れるには仕方ない選択だったと思うし、無理するべきところを無理した結果だとは思う。

 

 ……けど辛いものは辛いのだ。

 マキナの心配の声に返答する余裕も無く、私は自分を襲う不調に目を回し、体を縮めて小さくなる。

 

 

「ぎもぢわ゛るいぃ……頭、いだいぃ……」

『当たり前ダ! 昔の感覚で異能を使いすぎだぞ御母様! それに、機能の一部だけとはいえ“奴”を使うのは聞いてないゾ! それならマキナが大暴れした方がずっと良かった筈ダ!』

「そう、かもだけど……おえぇ……わたしの、管理から離れてるか、確かめる必要もっ……おぇ……だいたいマキナの、今回の敵を滞りなく抹消するためにはアレを使うのが合理的でおぇぇ……」

 

 

 もはや脇目も振らずに涙目でえずき始めてしまった。

 せっかく危機を乗り越えたというのに、我ながら情けない姿を晒すいつも通りの締まりのない私。

 

 そんな自分のあまりに情けない無様な姿に、思わず私はこの場に桐佳や遊里さんが居なくて本当に良かった、なんて思ってしまう。

 そして、そんな私の一部始終を現在進行形で見届けているマキナが、若干情けないものを見るような空気を発しているのは私の気のせいだと思いたい。

 

 

『御母様、さっきまで格好良かったのニ……』

「うぶぶぶぶ」

 

 

 言外に今の私は格好良くないと言われている気はするが、正直言って今の私が敵地ど真ん中に飛び込んでいった上で勝利なのだから、多少の無様は仕方ないと思うし、そうであってほしい。

 

 

『……御母様、一つ教えテ』

 

 

 心配そうな空気を醸し出しながらも、マキナは唐突に質問を投げかけて来る。

 

 

『戦闘時は仕方ないにしても、わざわざ手間をかけてソイツを処理する必要性がなかっタ。他の分身同様、容赦なく潰せば良かった筈ダ。ソイツの生態は人間とは掛け離れた、異能による生命体だっタ。他の人間を攻撃する人間でない異能の生命体、そんな害虫を処分するのに心を痛める必要は無い筈ダ』

 

 

 マキナの言葉にある機械的な疑問とその奥に潜む酷く人間的な報復の感情に、私は驚いて顔を上げ、思わずマキナがこちらを覗いているだろう自分の携帯電話を見る。

 

 

『御母様はそんなに、何かの命を奪うという事実を避けたいのカ?』

 

 

 そんなマキナの質問に回らない頭で何と返答しようか考えながら、私は周囲の探知を行っていく。

 蠢く壁が壊れたことで救助が始まった出入口付近に視線をやり、最も警戒するべき相手がどの方向にいるのかを把握し、時間的な余裕がどれくらいあるのか確認する。

 

 そして最後に、私は空を見上げてピクリとも動かないテロリストに視線をやった。

 

 マキナが指し示すソイツとは当然、桐佳や遊里さんを傷付けたこのテロリストの事だ。

 精神干渉により様々な手を加え、所持する異能の力を根本から裁断こそしたものの、まだ息があり、人としての機能が残っているコイツ。

 発言にあったように、人としての生命活動から大きく外れた存在となっていたコイツをわざわざこうして人としての形まで戻したのは、他ならない私だ。

 

 コイツという生命を絶やさないように、わざわざ私は自分の消耗を度外視して処置を行った。

 そのことにマキナは不満に近い疑問を持っているのだろう。

 

 取り敢えず、吐き気だけはどうにか収まって来たのでマキナに返答することにした。

 

 

「うぷっ……別に。コイツは色々情報元として優秀そうだったし、これだけ大きな事態を引き起こした犯人が誰にも知られず塵も残さず消えましたじゃ収まりが付かないだろうと思っただけ。私の感情論じゃなくて、この後始末や今後を考えた時にこうした方が私に利があると思ったから、だけど…………そういう事を聞いてる訳じゃ無いんだね?」

『……』

 

 

 私の言葉を聞いても納得して無さそうなマキナの様子。

 それもそうだろう、マキナが聞きたいのは処分しない理由ではなく、テロリストに向かう怒りを抑えてでも、自身の消耗を選ぶに至った私の感情の話をしたいのだ。

 

 だから、私はフラフラと立ち上がりながら返答を変える。

 ゴミとしか思っていない、血の通うだけの人形を見遣りながらマキナの質問に答える。

 

 

「……私は博愛主義者じゃないし、今まで何人も誰かの命を奪ってるだろうコイツが死のうと正直自業自得としか思わない……結果的にコイツがどうなろうが構わないけど、他に手段があるのに私自身が進んで命を奪う選択をするのは違うと思ったの。勿論、人格抹消と生命の死が人によっては同一だと思うかもしれないけれど、大切な人の死で悲しんでいる人を私は散々見て来たから。私がした選択を、私は家族に胸を張って言えないだろうし、神楽坂さんや飛鳥さんに悲しい顔をさせてしまう気がするから……うん。だから私はちょっとだけ無理をしてでも、コイツの異能を抹消した上で処置をするなんて事をしたんだよ」

『……それは……マキナも理解できル。むう……』

 

 

 何か思う所があるのだろう。

 マキナはそんな私の言葉を聞いて、素直に相槌を打った。

 こうして私とは異なる意見をぶつけてくれるのは、自分の身の振りを見直す意味でも、マキナの感性を育てる上でも私としては大歓迎だが、今は流石にタイミングが悪い。

 

 家に帰って落ち着いたらまた話そうと思いながら、私はこれから来るだろう救助隊の人達と難敵である御師匠様への対応に集中しようと自分の異能を起動させようとした。

 

 先ほども言ったが、別に誰が相手でも私は自分の身を隠すだけならいくらでも手段を持っていて、対応するべき相手がどれだけ多くても問題はない。

 

 ない、のだが……筈なのだが……。

 

 

(…………あれ? な、なんだか上手くいかない……これっ、あれっ!?)

 

 

 ……だが、思うように上手くいかない。

 集中できないくらいの極度の疲労と、異能の使い過ぎによる頭痛が酷すぎる。

 墜落する飛行機を見てから全力でこの場に向かった事と、身の丈に合わぬ異能の行使による負荷が私に襲ってきている。

 

 

(い、異能を使うだけならいけるけど、このレベルだと御師匠様の目は誤魔化せない気がするっ……どどど、どうしようっ……マキナに頼ってどうにかするかそれとも……え、マキナって御師匠様騙せるくらい異能の扱い上手いんだっけ……?)

 

『……むっ、御母様。奴だ。ICPOの最高戦力が建物内に入って来たゾ。ふっ、御母様の潜伏技術で成す術も無く取り逃がすというのも知らずのこのこト! やってしまえ御母様!』

「あわ、あわわわ、あわわわわわわわっ……!」

『……御母様? そろそろ異能で準備しないと不味いゾ……?』

 

 

 焦れば焦る程上手く異能が扱えない。

 というか、下手くそな異能の扱いを繰り返している現状すら不味い気がする。

 脱出くらい自分の異能なら余裕だしと、妹達を救出し、テロリストを無力化した事で下手に緊張の糸を解いたのが最悪過ぎた。

 

 こんなの、家に帰るまでが遠足だと聞かされていたのに、山頂に登って満足して迷子になった子供みたいなものである。

 

 

「って、そんなこと考えてる場合じゃないっ……考えろ私。異能が使えないなら…………異能がこんなにうまく使えないのはせいぜい数分程度の筈だから……!」

 

 

 辺りを見渡す。

 周囲にある使えそうなものを探しにかかる。

 電気がチカチカと明滅し、物が散乱し、多くの人が意識を失い倒れ、救助を待つ人が多くいるこの空間。

 

 逃げられなくとも、隠れられる場所はそこら中に存在する。

 

 

「これだ……!」

『!?』

 

 

 冷静に周囲の状況を把握した私の頭に名案が浮かぶ。

 近くにある服屋の店頭に置かれていた男物の大きなフード付きコートを引ったくり、私はガバリと身に着けた。

 そしてそのまま、足元で意識を失い倒れ伏している人々の中に紛れる様に、私を床に身を投げ出し、死んだふりを決行する。

 

『木を隠すなら森の中、人を隠すなら群衆の中』作戦である。

 

 

『!?!?!?!?』

「うぅ……わたしはひがいしゃ、いっぱんじん……わるいこじゃないよ……」

『お、お、御母様ー!? やっぱりまだ辛いのカ!? 大丈夫カ!?』

「黙ってマキナ、今の私は通りすがりの被害者一般人なの。……うぅ、まきこまれた……」

『!?!?!?!?!?』

 

 

 マキナの驚愕が伝わってくるが、私はほんの少しもふざけていない。

 

 私のこの策は実に合理的なものなのだ。

 

 今の私は極度の疲労と異能の酷使により出力が思うようにいかない状態。

 その状態で異能を使おうとしても、どうしても粗が出てしまうし、それを世界最高峰の異能使いに見られれば、看破される危険性は非常に高い。

 

 では逆に、異能を出力しないようにするだけならどうか。

 

 答えはすぐに判明した。

 

 

「……嘘だろう? バジルの奴が……コイツが作り上げていた牙城が、ほんの数分の内に制圧されたっていうのかい? 予想はしていたが、これは……」

 

(もっ、もうここまで来たの!? あぶ、あぶぶっ……あぶなかったぁ……!)

 

 

 次の瞬間、あのテロリストの前に御師匠様が姿を現した。

 土汚れすら無い、こんな場所だというのに気品すら感じさせる老女の姿を確認して、私は顔を見られないように、床と一体化しようと必死になる。

 

 そうしていれば予想通り、御師匠様の探知に私は引っ掛からなかったようで、倒れ伏す私の姿をひとまず気にした様子はない。

 

 

『あいつ……捕捉していた地点から一瞬で移動したゾ……』

 

 

 身動きをせず、息も潜めて。

 音だけを聞いて状況を知ろうとするが、御師匠様は何かを探しているのか、特にそれ以上口を開こうとしない。

 

 私にとってハラハラとした時間が過ぎていく。

 体感数分にも及ぶ沈黙を経て、御師匠様は探し物を見付けたらしく早足で歩きだした。

 

 

「レムリア! 大丈夫かい!?」

「ぁ……ぅ……」

 

(……あ、そういえばレムリア君を容赦なく吹っ飛ばしちゃったんだった)

 

 

 ちょっとだけ心配になった私はチラッと視線を上げて様子を確認し、青白い顔色のレムリア君が御師匠様に抱き起される形で助けられているのを見て、取り敢えず安心した。

 呻き声を出せる程度の状態なら、御師匠様の異能があればどうとでも出来る。

 

 そして、私のその予想通り、御師匠様は自身の異能を起動させてレムリア君を最良の状態へと巻き戻し始めた。

 

 再生、回帰、巻き戻し。

『刻』を操るこの人の異能を実際に目にするのは初めてだったが、何よりここまで器用な事も出来るものなのかと、驚愕が先に湧き出してしまう。

 自然法則を完全に無視するこの異能は、私が知る中で最も消費が激しく、最も扱いが難しく、同時にこの世で最も理不尽な力を持つ異能だ。

 

 

『ぁ……へれな、おばあさん』

『大丈夫かい!? ああ、よかった……老い先短い婆の心臓を冷やさないでおくれよ……』

『ぼく…………また、めいわくかけちゃったんだね……』

『良いんだよ。私がこんな危険な事に巻き込んでいるんだ。迷惑を掛けられる内なら、レムリアはいくらでも私に迷惑を掛けて良いんだよ。ただ……あんまり怖い事はしないでおくれ』

 

 

 さっき会った時の棘のある態度は何処へやら、御師匠様がしおしおと空気が抜けていくように肩を落とす後ろ姿が見える。

 

 自分の子供を本気で心配する母親のような姿。

 私が想像していた以上に、御師匠様にとってレムリア君は大切な存在だったらしい。

 

 そうしてしばらく。

 レムリア君の容態が落ち着いたのを確認し終えたのだろう御師匠様が、近くで倒れている重傷な人達を異能で巻き戻しながら、レムリア君をその場に寝かせてゆっくりと立ち上がっていく。

 

 

「…………いるんだろう、クソガキ」

 

(!?)

 

 

 誰かに向けたその言葉。

 明確な場所に向けられている訳ではないが、間違いなく特定の誰かには向けられているその言葉に、私は背筋が凍り付くような気分になってしまう。

 

 クソガキというのは昔、姿も見せていなかった私に対して御師匠様が使っていた名称。

 初めて自分の異能を正確に捉えられたあの時の事が、脳裏を過る。

 

 

(こ、こわい、めっちゃこわい……! れ、レムリア君を思わず吹っ飛ばしちゃったことを怒ってるのかな……? で、でも、私があの強制服従を解除した訳だし、そんなに恨まれるような事じゃないような……)

 

「……ふん、今もこの場を何処から見てるのか知らないけどね。私の培った技術を盗み取って、世界中で悪さして、私にレムリアを押し付けた事を、近い将来絶対に後悔させてやるよ」

 

(あっ、そもそもその前の話だったや)

 

 

 少しは恨まれているだろうとは思っていたけれど、そんな宣言をされるほどだとは思ってもいなかった。

 以前の飛鳥さんの時も思ったが、ちょっとした過去の所業でこんな地の果てまで追い掛けるような事しなくてもいいのに、なんて思う。

 

 だが、御師匠様はまだまだ言い足らないのか、辺りを見渡しながら続けて口を開いた。

 

 

「良いかい。見つけ出して、とっ捕まえてね。レムリアと同じように私の下で教育してやる。異能犯罪に巻き込まれる色んな奴らを助けて回る忙しい生活を、アンタに送らせてやるからね。その異常なほどに捻じ曲がった性根を私が厳しく叩き直す。覚悟しな」

 

(……そ、そんなの、絶対に見付からないようにしないとだぁ……おうちに帰れなくなっちゃうよぅ……)

 

「まあ、ただね……」

 

 

 そこまで厳しく宣言をしていた御師匠様が、ふと少しだけ優し気な笑みを漏らした。

 自分の足元にいるレムリア君を見詰めて、彼の無事を本当に嬉しそうに確かめて、ゆっくりと口を開く。

 

 

「……今回の事は、ありがとね。アンタがいなければどれくらい被害が出ていたか分からない。私を含めて、アンタのおかげで救われた奴らがいる。そこは紛れも無い事実さね」

 

 

 ちょっとだけ誇らしげで、ちょっとだけ照れくさそうにそんな事を言った御師匠様。

 そんな自分の気持ちを切り替える様に手に持った杖で床を突き、さらに異能の範囲を拡大させ怪我人の応急措置に当たる姿を、私は思わずぼんやりと眺めてしまう。

 

 この人に褒められたのはこれで何回目だろう。

 紅茶の入れ方が良くなったと初めて褒められた時の事を思い出しながら、私はそんなことを思った。

 

 そしてそんなことをしていれば、さらにこの場に救助を目的とした人影が空から現れる。

 

 

「――――まったく、何処も渋滞だらけで遅くなったけど、今のこれどんな状況よ。混乱状態にも見えないし、テロリストが暴れているようにも見えないし……まさか全部が終わった後だとは言わないわよね?」

「……つ、着いたのかい? 私の要望と違って、かなり速度が出ていた気がするんだが……」

「黙りなさい。アンタは良いから怪我人の治療をするのよ」

「勿論苦しんでいる人を治すのは私の本懐だ。だがね、私はそもそもジェットコースターのようなものが苦手なんだ。あんな自ら生命の危機を味わうアトラクションなど…………いや、これは想像以上の被害だ。君の判断が全面的に正しかったか」

 

 

 この場に現れたのは療養中の筈の私服姿の飛鳥さんと、“医神”神薙隆一郎。

 

 先日の私の忠告をまったく聞いていない、初手から異能を使用してこの場に登場した飛鳥さんの姿に、私は動揺しながら彼らの様子を窺ってしまう。

 

 いったいどういう状況なのだろう。

 確かに怪我人が数えきれないくらい出ているこの場を収めるには、“医神”神薙隆一郎はこれ以上無いくらいの適任だろうが、経緯が全く分からない。

 ただ、親し気とは言えないながらも、同じ目的を持っているような二人のやり取りに険悪さは無かった。

 少なくとも、飛鳥さんが強制されてあの男をこの場に連れて来た訳でないのは確かだ。

 そうであるなら、異能持ちを収監する牢屋の監視を並行して行わせているマキナから最優先で報告がある筈だからだ。

 

 ショッピングセンターの床に降り立った二人とその場の収拾に当たっていた御師匠様の視線が交差して、何処かピリついたような空気が流れる。

 

 

「妖怪婆がここにいるとなると、私は必要なかったかもしれないね」

「はっ、収監中の小僧が若い娘に引っ張られてのこのこ出て来たのかい? 私がいくら異能犯罪の解決に協力するようにって言っても聞きやしなかったアンタが、その可愛らしい娘には随分ほいほい絆されてるじゃないか」

「私は異能犯罪の解決に興味はない。私がやるべきはあくまで、苦しむ人の治療だけだと思い知ったからだ妖怪婆」

 

「アンタ達の仲がどうだろうと知らないけれど、まずはこの場の怪我人を治療する事が最優先でしょう? 下らないやり取りで誰かの命が助からなかったら、他ならないアンタ達が気を病む癖に馬鹿なの?」

 

 

 因縁のありそうな二人の会話と、その間に入る飛鳥さん。

 猫も被っていない飛鳥さんの棘だらけの言葉を聞く限り、彼女の機嫌も相当悪そうだが、そもそも異能の使用を禁止した筈の彼女がどうしてこの場所にいるのだと思う。

 直接聞いてみたいが、床に引っ付くだけの存在になっている今の私がその場に出ていける筈も無いので、もやもやしながら彼らの会話を聞くしかない。

 

 飛鳥さんの仲裁(?)の言葉で、ピリピリとした空気を漂わせながらも、御師匠様と神薙隆一郎はそれぞれ倒れ伏す人達の治療に当たっていく。

 飛鳥さんが怪我人を並べ、残る二人が異能によって怪我人の治療に当たる、そんな流れるようなサイクルが行われていく。

 

 

「……少し若返っているようだが、異能を使い過ぎたのかね? 一刻を争うような重傷患者だけを巻き戻してくれればそれでいい。貴女が治療しなかった者は私が必ず治し切るとも」

「ここ最近暴れる奴らが増えてただけさ、問題無いよ。そういうアンタはどうしてここに出て来てるんだい? この国がそんな特例をここまでの速さで出す訳ないだろう?」

「ふっ、どうやら我が国の異能対策部署の若きトップの独断のようだよ。リスクを恐れない独断専行。若さゆえの向う見ずさ。誰かの為に自分の名声すら容易く捨て去るその姿勢に、私も協力せざるを得なかったんだ」

「ほお……なるほどねぇ……」

 

「なんか腹立つ言い回しだけどね。私の特殊な立場上少し独断行為をしたって処分されないし、ウチの組織の一番上の人には了承を貰えてるからどうにでもなるだけよ。良いから黙って治療を続けなさい老人ども」

 

 

 どこか自慢するような口ぶりの神薙隆一郎と感心したような声を上げる御師匠様に、口をへの字に曲げた飛鳥さんが彼らの会話を中断させている。

 

 私には分かる、嫌そうな反応だが飛鳥さんのアレは照れ隠しだ。

 

 

「目上の人に対する態度がなってないね、まったく最近の若い奴は……」

「ははは、年齢を基準に目上を決めるなら妖怪婆以上の存在はいないだろう。遠回しに自分を世界で一番偉いと言うとは、面白い冗談じゃ無いか」

「小僧……肩書を捨てたからって随分言ってくれるじゃ無いか。ええ? 私がもう十年若返っていたら我慢できなかったかもしれないよ。命拾いしたね」

 

 

 そんな風に言葉を交わしながら、通常では考えられない速度で救護、搬送行為と治療行為を両立して行う彼らの動きは淀みない。

 

 怪我の度合いを瞬時に見抜いた神薙隆一郎が誰を優先して治療するべきか指示して、怪我が軽い者は飛鳥さんが脇にどかし、怪我が重い者は御師匠様が巻き戻しによる治療を施す。

 そんな異なる立場とは思えない程の巧みな連携で、多くの人々の容態を安定するまで持っていくのはもはや他の者達では成し得ない才能の暴力だ。

 

 あっと言う間にフロア一面にずらりと並ばされていく怪我人達の姿は圧巻の一言である。

 

 そして怪我の具合が酷い人達をおおよそ治療し終えた頃合いで、ようやくぶつぶつと空を見上げ独り言を呟いているテロリストに飛鳥さんの視線が向けられた。

 

 

「で? このうわ言を呟き続けてるコイツが今回の首謀者? 異能の気配が微塵も無いんだけど……」

「そうだよ。私が来た時には既にその状態で、完全に精神をヤられてた。十中八九、例のアイツの仕業だろう。まったく、都市伝説が顔を覗かせる地域は恐ろしいね」

「ほう」

 

 

 怪我人達とは異なる状態である例のテロリストを見ての飛鳥さんの質問。

 放置すれば命を落とすだろう怪我人達の救助を一通り終えたことで、余裕が産まれただろう飛鳥さんのそんな疑問に答えた御師匠様は、「それで」と言葉を続けた。

 

 

「ところで、随分目ざといじゃ無いか。どうして異能の気配も無いソイツを直ぐに首謀者だと思ったんだい?」

「……」

 

 

 まるで世間話をするように切り出した指摘。

 それを受けた飛鳥さんは自分の失態に焦る気持ちを顔に出さないようにしながら、それらしい言葉を慎重に選びながら返答する。

 

 

「……国際指名手配犯としてコイツの顔は晒されてたでしょ。元々この場を異能を持ったテロリストが占拠してるっていう情報があったから」

「にしたって判断が早過ぎないかい? まるで、この場を襲撃した犯人の異能の気配が微塵も無くなるのをあらかじめ知っていたような」

「……何が言いたいの?」

「はっきり言った方が良いかい? なら、言わせてもらうけどね。世界的に見て、この国だけ異能犯罪が少ない理由。それを少なくとも、この国の異能犯罪対策部署のトップであるアンタは知っていて。その理由の人物と少なからず知見があるんじゃないかと思っているんだよ。これまでこの国で起きている異能犯罪の詳細を確認したけどね、あまりに犠牲が少なく異能犯罪を解決させていて、適切に後始末が出来過ぎている。外の救助に駆け付けた警察官を見る限り、異能犯罪への対応要領がまともに育っていないのは明白だった————」

 

「異能の気配を感じさせない技術。それは、私という前例があったからその可能性を彼女は印象強く持っていたんだろう。何せ貴女の目すら誤魔化して見せた異能の気配を感じさせない術だ。彼女にとっては記憶に残るものだっただろうね」

 

 

 飛鳥さんを疑うような御師匠様の言葉を神薙隆一郎が遮った。

 鋭い目を向けた御師匠様に対して、柔和そうな目の奥に冷たい光を灯した神薙隆一郎が穏やかながら威圧するように問いかける。

 

 

「何か、特別疑うようなことがあったかい。まだまだこの場にいる怪我人の治療を遅らせてでも、彼女を疑うような何かが」

「……何でもないよ。悪かったね」

「……」

 

(こ、この老人組、こわい……)

 

 

 間にいる飛鳥さんが可哀そうになってくるほどに、である。

 というか、そもそも私のやってることで飛鳥さんが疑われたのだから、元を辿れば私が悪い気もするが……うん、この考えは辞めておこう。

 お互いを牽制するような老人達の言葉の応酬をこっそり眺め、「そろそろ私の場所にも治療に来そうだ」と考え始めた私は、少しは回復したかと試しに“読心”を使ってみることにした。

 

 案の定、“読心”までは誰一人反応が無い。

 このまま行けばとりあえずはこの場を脱するくらいはいけそうである。

「なら次に……」と私が考えていた時、パチリと御師匠様がこちらを見た。

 

 調子に乗って様子を窺い過ぎた。

 完全に目があった気がする。

 

 

(気付かれてませんようにっ、気付かれてませんようにぃっ……!)

 

「……今、あそこの奴意識があった気がするね」

「そうかい? まあ、怪我が深刻じゃない人がいたなら幸いじゃ無いか。そこの君、大丈夫かい? 動けそうなら少し手伝ってくれないかな?」

「…………?」

 

 

 駄目だった。

 目ざとく地獄耳で老獪なこの人は、しっかり私に気が付いたようだった。

 三人からの視線が集中するのを自覚して、自分の危機的状況に焦りを覚えた私は強硬手段に出る事を決心する。

 

 

(こ、こうなったら、今ある全力でこの場を引っ掻き回してやるっ! 飛鳥さん悪く思わないでね!)

 

 

 同士討ち、一般人を操って騒ぎを起こす、若しくは単純にこの三人に攻撃を仕掛ける。

 自分の失敗を悟った私が、この場を脱出する作戦をそんな強行策へ変更しようとした瞬間。

 

 

「————思っていた展開とちょっと違ったわね」

 

 

 ソレは唐突にやって来た。

 

 誰かの声がする。

 覚えのあるその幼い声が、その声質に似合わない尊大そうな口調で見下すように話し掛けて来る。

 今現在、私がこの世で最も危険視している存在が、何の前触れも無く顔を覗かせた。

 

 絶望的な異能の出力が、この建物を深海の底に引き摺り込んだ。

 

 

「っ!?」

「待ちな、動くんじゃないよ! 固まるんだ! 私から離れるんじゃない!」

「異能の出力が強すぎるっ、いや、待てこれは……」

 

「本当は介入するつもりも無かったんだけどね。初めまして、一応そう言っておくわ」

 

 

 誰かが、吹き抜けになっているショッピングセンターの上層階の縁に座って、飛鳥さん達の姿を見下ろしている。

 ニット帽を深々と被った幼い少女がまるで最初からそこに居たかのように、じっと指先を組みながら、楽しいものを見る様にこちらの様子を観察していた。

 

 この場にいた誰も気が付かなかった。

 飛鳥さんも、神薙隆一郎も、御師匠様も私も、マキナさえも気が付かなかった。

 いったいいつからその場所にいたのか分からない。

 その事実に私は絶句する。

 

 

(精神干渉による幻覚じゃない!? こいつ直接この場所に現れたってこと……!? いやそれよりも、いったいいつからここにっ……!)

 

『相似性96%。奴だ、“百貌”ダ! 逃げろ御母様!』

 

 

 おぞましい光が灯った目が暗闇の中で輝いている。

 少女が羽織る上着が意志を持った巨大な翼のように自在に蠢いている。

 まるでこの世界の王であるかのように尊大に座す幼い少女の姿は、あまりにも非現実的だ。

 

 そんな存在に見下ろされた飛鳥さん達三人に緊張が走り、各々が攻撃に対する構えを取った。

 

 

「あれが、あの時のクソガキ……? ……攻撃を仕掛けるんじゃないよ。まだ奴は私達を攻撃しちゃいないし、そもそも敵意を向けて来ていない。この場で敵対するかは慎重にだ」

「奴が、話にあった“百貌”なの……? この馬鹿げた異能の力っ……!」

「……“百貌”? “顔の無い巨人”ではないのかい? いや、そもそもこの異能の出力は昔の……状況は分からないが、どちらにせよあの存在が攻撃して来た際には私は飛鳥さんに加勢しよう」

 

 

 視線が交差する。

 この場にいる世界的に見ても強力な異能を持つ三人と、彼らがいる場にわざわざ顔を出した“百貌”。

 目的の分からない巨大な存在の出現に、自分の異能の起動すらままならない私がどう介入するべきか判断を迷わせていれば、いやに耳まで届く幼い声が発せられた。

 

 

「別に怪我人の救助を邪魔しようだとかそういう事を考えて姿を現した訳じゃ無いの。ただ感謝を伝えたかったの。面倒な害虫を処分してくれて、私は本当に感謝してるのよ。アレは私にとっても不快だったから」

「……その割には随分威圧的な異能の扱い方をしてるじゃないか。今にも襲い掛かってきそうに感じるけどね」

「自然体がこれなのよ。悪意は無いから悪く思わないで欲しいわ」

 

 

「だから」と“百貌”が続ける。

 

 

「刻を止めれば制圧できるだなんて事は考えないで欲しいわね」

「……なんのことか分からないね」

「別に試してみても良いけど、そうなった時の貴女の身の安全は保障しないわよ」

 

 

  「ねえ」、と声を掛けた“百貌”の背後に銀色の液体が無理やり人型を作ったような存在が現れた。

 

 神薙隆一郎が息を呑んだ。

 間違いなくアレは、神薙隆一郎が良く知る女性が持っている異能の存在だ。

 外部からの異能の干渉を防ぐ外皮を持った液体人間。

 

 

「あれは雅の……? いや、そんな筈は……」

「……さっきアンタを連れ出した時にあの女の姿は確認したわ。それにわざわざ私達の前に現れて協力を誇示するくらいなら、最初からアイツは牢屋から逃げ出してるでしょう。だからアンタのお仲間の女は、アイツに協力してる訳じゃ無い筈よ」

「悪くない推察ね。とはいえネタバラシをするつもりも無いの」

 

 

 ニット帽を目深に被った“百貌”が背後に立っている銀色の人型を撫でると、それは下半身の形を変え、大きな蜘蛛のような姿に変貌した。

 

 まるで用件は済んだとでも言うように、飛鳥さん達を気にするそぶりも見せずに銀色の怪物の上に乗った“百貌”は、最後にもう一度振り返って飛鳥さん達を……いいや、はっきりと私を見て口を開いた。

 

 

「また会いましょう御母様。今度はちゃんとした舞台に招待してあげるわ」

「————」

 

 

 そんな不気味な言葉を残して、“百貌”は暗闇の空へと消えていった。

 

 

 

 

 



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その家族の触れ合いを

 

 

 

 

 ふわふわとした揺れの中で少女は穏やかに眠っていた。

 暖かいものに包まれて、抱きしめられるような感触に包まれて、幸せな気持ちがいっぱいで夢と現実の境に意識を彷徨わせる。

 

 夢を見ていた。

 とても幸せな夢を見ていた気がする。

 現実とは思えないくらい幸せで、もう味わう事なんて出来ないと思っていた夢を見ていた気がする。

 

 けれどそうやって、それを夢だと自覚してしまうと少女はとても残念な気持ちになってしまった。

 

 もっと幸せな夢の中にいたかった。

 もっと幸せな夢の中だけにいられれば、きっと苦しい気持ちを抱くことは無かったのにと少女は思った。

 

 目を開けたくない。

 徐々に意識が明瞭になっていく中、少女はそんなことを思って、自分を優しく揺すっている揺り籠をぎゅっと抱きしめた。

 そうしたら何故だか、少女を優しく揺らしていた暖かな揺り籠が一際大きくゆらりと揺れる。

 

 

「————わ、わわわ……! ば、バランスが……!」

「燐香、大丈夫か? 別に俺が遊里さんも背負って良いんだぞ? いくら最近お前の運動能力が上がったと言っても、お前より大きい遊里さんを背負うのは無謀というかなんというか……俺は桐佳と一緒に遊里さんを背負うくらい苦じゃないしな」

「お兄ちゃんっ、これは私の決意の行動なんだよっ……! うぅ……私の至らなさが、桐佳と遊里さんを危ない目に遭わせて一杯傷付けちゃったから、そんな自分を戒めるためにも、妹の重さってものを自分の身にしっかり味わわせないと……」

「お前がそんな事を言っていたら、俺の立つ瀬が無いんだが……」

「お兄ちゃんは何だかんだショッピングセンターまで駆け付けてくれたでしょ。お父さんから心配のメールが届いてたよ。お兄ちゃんがニュースを見て、血相変えて家を飛び出したって。お兄ちゃんが来なかったら桐佳と遊里さんをこうして運べなかったから、本当に助かったよ。ふへへ」

 

 

 何だか穏やかな会話がすぐ近くで交わされる。

 とても聞き覚えのある二人の声を聞くだけで酷く安心してしまって、夢見心地だった少女はゆっくりと重い瞼を開いていった。

 

 揺れる視界。

 見覚えのある風景。

 いつの間にかすっかり慣れ親しんでしまっていた帰り道をゆっくりと進んでいくのを目の当たりにして、ようやく少女は今の自分の状態を理解する。

 

 

「それにしても本当に災難だったな。あんな世界的に有名なテロリストがテロを起こした場所にまさか桐佳達がいたなんて……大きな怪我が無かったみたいで本当に良かった」

「いやぁ……本当だよね。偶然って本当に怖いっていうか。うん……」

「なんだか暗いな? どうしたお前らしくも無い。というか、お前らしくないと言えばその上着。随分大きな男物のコートだよな? そんなのお前持ってたか?」

「……ん? え? あ゛っ……!? あわわわわ、あわわわわわわわ!! あ、あとでお金払いに行かないと……!!」

「なんだその反応……まあ、ちゃんとやっておけよ」

 

(お姉さんとお兄さん……あの、ショッピングセンターから、どうやって……お姉さんが私を撫でてくれた時のことは、夢じゃないの……?)

 

 

 ゆっくりと家に近付いていく。

 あれだけ色んな事があって、あれだけ取り返しのつかない事をした筈なのに、この場にいる人達は誰もそんな事を気にもしていないように、また日常に戻ろうとしている。

 

 良いのだろうか、思わずそんなことを思ってしまう。

 だってそうだろう、事情があったとはいえ遊里が恩人である彼らに牙を向けたのは事実なのだ。

 色んな人を傷付けたし、妙な力に目覚めさせられて爆弾を抱えたような状態になった自分が平和なあの家に戻ったら、また誰かを不幸にしてしまうんじゃないかと思った。

 

 思い出すだけで身の毛がよだつ、人を腐らせてしまう異常な力。

 自分の内側にまだそれがあることが自覚出来て、今にも暴れ出してしまうんじゃないかと怖くなった。

 

 悪い事ばかり考えてしまう。

 それを誰かに向けて振るってしまった時を思い出して、酷い吐き気に襲われる。

 大切な人達が腐り果てる、その光景を想像して泣きそうになる。

 

 

(桐佳ちゃん達も、お母さんも……もしも誰かを傷付けちゃったら……私、あんな力どうしたら……どうすればいいの……)

 

「大丈夫だよ」

 

 

 けれど、そんな風に思い悩もうとした少女の思考を遮るように、彼女を背負う人は優しい声を出す。

 

 

「私はそういうのに詳しいからさ。どうすれば良いかっていうのは、きっと誰よりも分かってるから。逃げないし、離れないから。ちゃんと最初から全部教えてあげるから。だから絶対に大丈夫だよ」

 

(————)

 

 

 息を呑んだ。

 まるで心を読んだかのようなその人の言葉が少女の悩みを溶かしていって、根拠も無いのにその言葉だけで安心してしまって、くしゃくしゃになっていた頭の中が静まっていく。

 泣きたくなるくらい優しい言葉に、その人の背中にぎゅっと顔をうずめてしまう。

 

 

「……いや、お前な。なんとなくさっきの反応から察したけど、お金を払わずにそれを持ってきちゃったんだろ? その犯人のお前が絶対に大丈夫って言うのは、流石に少しどうかって思うんだが……」

「んっ!? い、いや、私が言ったのは別にそう言う事じゃなくて……あわ、あわわっ……! お、お兄ちゃんは一々うるさい!」

「なっ、なんだと!? せっかく一緒に謝りに行ってやろうと思ったのになんだその言い草! 大体お前な! 朝の喧嘩で怪我してないかってこっちは散々心配してたんだぞ……! 一人でビービー泣きだして、不貞腐れて学校に行きやがって! こっちがどれだけ」

 

「————あーもうっ、マジでうるさい! こっちは疲れて寝てるんだから騒がないでよポンコツお姉に馬鹿お兄! 配慮ってものが出来ないの!?」

 

 

 騒がしい彼らにまた一つ騒がしい声が加わった。

 常識的なようで、状況を考えるとどこか横暴なもう一人の声に、それまでやいやいと言い合っていた彼らが成す術無く圧されていく。

 目を見張る程に優秀な筈の彼らが、妹の言葉に情けない顔をするしかなくなっている。

 

 どうしてこんな妙な力関係が生まれるのだろう。

 そんな事を考えてしまうとおかしくて、少女は堪え切れなくなり噴き出すようにして笑い声を漏らしてしまった。

 少女の笑い声に気が付いて、怒りや困惑や動揺といった表情を浮かべていた彼らの顔が同じ様に緩んでいく。

 

 誰が見てもそれは、何てことない妹達を背負う凸凹兄妹の穏やかな帰宅風景だった。

 

 そして。

 

 

「————遊里!」

 

 

 夜道の先で待ち構えていた誰かが焦りを滲ませた声で少女の名を叫ぶ。

 その声に兄妹の誰かが反応するよりも先にその声の主は彼らに駆け寄って、妹達を背負う二人ごと両手でぎゅっと抱きしめた。

 

 

「ああ……良かった……皆が無事で本当に良かった……」

「……お母さん」

 

 

 泣きそうなくらい声を震わせたその言葉。

 部屋着のまま長時間外にいたのか、酷く冷たい少女の母親の体。

 

 きっと、深夜に近い時間帯にも関わらずずっと家の前で少女達の帰りを待ってくれていたのだろう。

 

 きっと、ずっとずっと心配して、待ってくれていたのだろう。

 

 それなのに。

 

 

『————あなたなんか、産まれなきゃよかったのに』

 

 

 それなのに、少女の頭にはそんな呪いの言葉が過ってしまう。

 

 心配してくれて嬉しい筈なのに、散々迷惑を掛けてしまっている筈なのに。

 昔、心の深い所についてしまった傷が痛んで、母親の優しさを素直に受け止められない自分が苦しくなった。

 

 だからまたいつものように、少女は口を噤みそうになる。

 醜い自分の気持ちを誰にも知られないようにと、息を潜めて自分を押し殺そうとする。

 

 けれど、そうする筈だったのに、少女を背負うその人が自分達を優しく抱きしめていた母親を押しやった。

 

 乱雑に、拒絶するように、まるで少女の想いを代弁するように。

 押された母親が後退りをして、状況が分からず呆然とした表情で固まる。

 思いもよらないその人の行動に皆が目を丸くして、背中の少女が落ちないようにと背負い直した彼女を見詰めている。

 

 そしてその人は、少女が口に出来ない想いを声に出す。

 

 

「本当に本気で心配していたんですよね?」

「え……?」

「っ……」

 

 

 先ほどまでの穏やかなものとは違う、どこか冷たく見定めようとする声。

 変貌に驚いた兄妹達が何を言ってるんだとその人を止めようとするけれど、「黙って」と一言だけ言ってその人は問い掛けを続けた。

 

 

「疎ましいなんて思ってないんですよね? 遊里さんに不幸にされたなんて思ってないんですよね? 形だけじゃなくて心から、由美さんは遊里さんが大切なんですよね?」

「燐香ちゃん……? 勿論そうよ……? なんでそんなこと聞くの……?」

 

 

 真正面から見据えられた母親が動揺しながら返事をした。

 その言葉に嘘が無い事くらい、質問している彼女も最初から分かっている。

 

 でも。

 

 

「そしたら……由美さんは、『産まれなきゃよかったのに』なんて、そんなこと思っていないんですよね?」

「っ……!?」

 

 

 それは、その言葉は以前、母親が自分の娘に対して口にしてしまった罪の言葉だ。

 後悔してもしきれなくて、いくら謝罪しても娘は気にしてないとしか言わなくて、誰にも罰せられずずっと心残りだった言葉だ。

 

 自分と娘以外知らない筈のその罪の言葉に、顔色を変えた母親が表情を歪めながら首を振った。

 

 

「そんなっ……! そんな、こと……少しも思ってないわ……! 私は……わたしは……そんなこと絶対にっ……」

 

 

 見ている周りが痛ましく感じるほどに取り乱した母親の姿を目の当たりにして、その人は眉尻を下げて悲しそうに口を開く。

 

 

「じゃあ……じゃあ、由美さん」

 

 

 その人はしっかりと、自分が追い詰めている女性の顔を見詰めた。

 

 

「……ちゃんと言ってください。遊里さんにそれをちゃんと言ってくださいよ。理由なんて聞かないで、どうしてだなんて言わないでください。謝罪なんて聞きたくもないんです。口に出した言葉で傷付けたものがあったら、謝罪なんかで心の傷が癒える筈も無いんです」

「……う、ぁ……」

「どんな事情があったって、どんな理由があったって、これからも傷付けた人と一緒に歩いていきたいなら、そんなものは全部関係ないんです。傷付けた言葉の否定よりも、心の傷を埋められるくらいの愛の言葉をちゃんとその人に紡いでください」

 

 

 じっと見詰める。

 少女が長い間口に出来なかった想いを全て言葉にしたその人は、言葉に詰まらせる母親をじっと見詰めたまま顔を背けない。

 母親は自分の言葉を待つその人から視線を彷徨わせ、その人に背負われる泣きそうな顔の娘と目が合った。

 

 自分が傷付けてしまった娘と目が合った。

 

 

「……わたしは……遊里が大切だもの」

 

 

 ポツリと呟かれる。

 

 

「大切で、宝物で……私が生きてこれたのは遊里がいてくれたからで……どんなに辛い時も、遊里が笑ってくれていれば頑張れると思ってて……遊里が幸せになってくれればそれで良くて……」

 

 

 ぽろぽろと涙を溢し始めた母親の顔。

 後悔や懺悔が入り混じったようなその顔は、少女が初めて見る母親の顔だ。

 

 過去の、どうしてそんなことをしたのか分からないような自分の行いを思い出しながら、母親は血を吐くように言葉を紡いでいく。

 

 

「……馬鹿なお母さんでごめんね。立派なお母さんじゃなくてごめんね……産まれなきゃよかったなんて、そんなこと思ってないんだ……空回りばっかりで、本当に望んでいた筈のことを忘れちゃって、何度も遊里を傷付けちゃったけどね。今更、信じられないかもしれないけどね…………本当に私は、遊里の事を愛しているの……」

 

 

 じっと娘と目を合わせて、ちゃんと自分の気持ちに向き合って。

 そうやって絞り出された母親の言葉が、少女の心の奥底にゆっくりと届いていく。

 目には見えない古い傷跡を少しずつ埋めていく。

 

 そして。

 息を吸って、気持ちを整えて。

 それで最後にもう一度、彼女は自分の娘への気持ちを言葉にした。

 

 

「……私は、私はね遊里。世界で一番貴女の事が大好きなんだよ」

「……ぁ……うっ……」

 

 

 その言葉で、ずっと少女の心の奥底に染み付いていた呪いが本当の意味で消えていく。

 じんわりと温かくなっていく胸の内に困惑するようにしゃくり上げた少女が、母親に向けて手を伸ばし、母親も娘を背負っているその人ごと強く抱きしめる。

 本人達も気付かぬうちに出来ていた、その隙間を埋める様に身を寄せ合った。

 

 

 声を上げて泣く母と娘のそんな姿を隣で見守っていた優助と桐佳が、同じように外で子供達の帰りを待っていた父親が近付いてきたのを見る。

 血の気を失っていた顔をほっと安堵に染めて息を吐いている自分達の父親を見て、優助は穏やかに微笑み、桐佳は嬉しそうに口元を緩めながらそっぽを向いた。

 

 結局こんなものなのだ。

 

 一度は放り出してしまった人や変わろうと決めたのに未だに素直に言葉に出来ない人。

 この小さな家族間でも色んな人の形があって、それぞれ綺麗に重なってくれるようなものでもない。

 もしかすると家族の間でも袂を分かつようなことはあるだろうし、偏にそれが間違いという訳でも無いのだろう。

 

 色んな家族の形はある。

 どの家族の形が正しいということは無い。

 ただ、この家族はどうしても、最後にはお互い身を寄せ合うように歩み寄る。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

『航空G174ハイジャック-新東京マーケットプラザ襲撃占拠事件』

 世界的に指名手配されていた“死の商人”バジル・レーウェンフックによって引き起こされたこの事件は、旅客機のハイジャックからおよそ8時間34分にも及んだ凶行であった。

 

 その事件の凶器として使われたのは、一部の人間にのみ与えられた特権、異能だ。

 他者を強制的に服従させる異能による旅客機のハイジャック、並びにハイジャックした旅客機を使用してのショッピングセンターへの墜落行為。

 さらには旅客機の墜落により襲撃を行ったショッピングセンターを占拠し、かの異能によって多くの人間を服従させ手駒とさせ籠城を図った、計画的かつ猟奇的な犯行。

 歴史的に見ても類を見ない凶悪性を持ったそれらの犯行によって、本来想定される犠牲者の数は万を超えるほどのものだった。

 

 世界の犯罪史においても最悪なものの一つに数えられるようになるこの『航空G174ハイジャック-新東京マーケットプラザ襲撃占拠事件』は、それほどまでに常軌を逸したものだったのだ。

 だが現実は、現地にいたICPO所属の異能対策部署の人員による被害の軽減や、“死の商人”制圧後の多数の怪我人達を早急に治療した“医神”神薙隆一郎の存在で、犠牲者の数はあり得ない程に小さなものへと収まった。

 

 救助人員5022名、負傷者3382名、死者6名という、数字にしても異様な被害状況。

 関わったICPOの異能対策部署及び日本の救助関係者には世界から最大限の賛辞が送られ、世界各地で“死の商人”による被害に頭を悩ませていた者達はこの事件の解決に歓喜した。

 

 救助された人々、治療された人々、生死の淵から生還した人々へのお見舞いの言葉や亡くなった方々への哀悼はありつつも、異能犯罪への対処が形になりつつある事が明確に示された今回の事件。

 不幸な事件であることが忘れられたかのような歓喜の声が様々な方面から寄せられ、これまであまり風当たりが良くは無かった異能対策組織の確かな転換点。

 だがそんな周囲からの評価とは反対に、今回の事件の解決に関わった者達は同じように喜ぶ事が出来ていなかった。

 

 それはそうだろう。

 “死の商人”による被害の軽減、制圧後の的確な救助。

 これらは確かに正式な救助人員による者達の手で為された事だ。

 

 だが、“死の商人”の制圧は違う。

 

 ハイジャックされた旅客機の墜落から始まった30分の籠城。

 建物を封鎖され、建物内の人員はほぼ全てが強制服従させられ人質となった最悪の状況。

 その状況を突破し、かつ“死の商人”が持つ特殊な異能を完全に上回って、無力化してみせた存在の話。

 これほどまでの大規模な事件を起こし、限りなく厄介な異能を持った“死の商人”を、死者を少なくして解決してみせたのは僅かな時間で制圧してみせたその存在の力があったからだ。

 

 今回の事件解決の中心となった者達はその存在の関与を頑として口にしない。

 各々の腹の内は違えど、その存在が事件の解決に関与した事を仄めかす事は彼らにとって利にはならなかったからだ。

 

 ただでさえ増えている世界の『Faceless God』の再臨を願う声。

 微妙な均衡の上に成り立っている暴動一歩手前の今の情勢。

 治安維持組織の手に負えない存在が野放しになっている事実。

 或いは、かの存在への期待や想いから。

 

 解決に関与した中心人物達は一様に口を閉ざし、誰もその事実を口外しようとはしなかった。

 

 ただ————

 

 

「……覚えてる……覚えているんです……あの地獄のような光景の中。頭の中で自分ではない自分が体を動かして、傷付けたくも無いのに誰かを傷付けて……どうしようもなかったあの時。私は、確かに救われたんです。“顔の無い巨人”に、止めて貰えたんです。あの方は、頭の中の悪魔を消し去ってくれた。私達の地獄を、変えてくれたんです。ああ……あの方は、確かにあそこにいて……私達を……」

 

 

 ————救われた者達の記憶には、かの存在が刻まれた。

 

 

 

 

 ‐2‐

 

 

 

 

 次の日。

 

 大きな怪我は無かったものの大事を取って学校を休むよう勧められた桐佳達だったが、本人達の希望で普通に学校に通学した。

 世界は桐佳達のような普通の学生個人の事情など考慮してくれないし、明確な目標を持つ桐佳の立場を考えると、この時期の一日の休みは中々取り返すのが難しいのが実情。

 それに受験が目前という理由もあるし、冬休みが目前というのもあるし、何より同じ経験をした相手がすぐ隣にいてくれている事による精神的な不安感が少なかったのも大きかった。

 

 だから、少なからず事情を伝えられた学校側の配慮はありつつも、何とかいつも通りの日を過ごした桐佳達はくたくたになりながらも何事も無く家に帰って来ていた。

 

 他に誰もいないリビングに辿り着き、桐佳と遊里は鞄を置いて一息吐く。

 

 

「ふぅ……なんだか凄い疲れちゃったね。遊里は大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。でも桐佳ちゃんは凄い疲れてるね?」

「ううん、筋肉痛がね……結構走り回ったからかなぁ」

「筋肉痛かぁ。あ、そういえば燐香お姉ちゃんから連絡があって、冷蔵庫にあるロールケーキ食べて良いよって。えへへ、二つあるから仲良く食べてって連絡くれてたよ。多分心配してくれてるんだよね」

「…………私には『体調大丈夫?』っていうメールしか来てないんだけど。あのポンコツ……私に送ったら一人で食べきるとでも思ってるのかな……」

「どうしてそんな穿ち過ぎたような考え方をするのかなぁ……」

 

 

 普段は結構ドライなところがある桐佳の唯一面倒臭くなる『姉』という点。

 桐佳のそんなところにいつも通りの適当な突っ込みを入れながら、遊里はじゃあと冷蔵庫の中を覗き考える。

 

 

「えっと、桐佳ちゃんの分の紅茶も作っちゃうね。教わった紅茶の入れ方、最近上手くなってきてるんだ」

「いいの? じゃあ、私は鞄を部屋に持っていっちゃうね。遊里の部屋に入って机の上に置くつもりだけど、大丈夫?」

「大丈夫。ありがとう桐佳ちゃん」

 

 

 ちょっとグロッキーな桐佳とは違って、今日一日ニコニコと機嫌のよさそうな遊里の様子。

 昨日の事があるから彼女が元気でいてくれるのは桐佳としては本当に嬉しいが、疲れ切っている自分との差に驚きを禁じ得ない。

 体育の授業などでは自分の方がダントツで体力があるというのに、この差はいったい何なんだろうと思いながら桐佳は二人分の鞄を持って階段を上がっていった。

 

 最初に遊里の鞄を置きに行って、ふと、桐佳は自分の携帯電話の画面を見る。

 

 姉からの連絡が他にも来ているか確認。などではなく、昨日のあの事態があった時に自分の携帯に現れた『マキナ』という存在がいないか確かめたのだ。

 

 だが、そこに映るのは変わり映えしない携帯のホーム画面。

 今日だけで5回を超える程その確認作業を行っているが、『マキナ』が現れた時の、青と数字の羅列が飛び交う見た事も無い表示なんてどこにもない。

 まるであの時の出来事は自分が思い描いた妄想であったとでも言うように、今は何処にも姿形が残っていない。

 

 その事がどうしても寂しくて、桐佳は思わず携帯電話に声を掛けてしまう。

 

 

「……おーいマキナ? そこにいるんでしょ? 聞こえてるんだから返事くらいしてよー」

 

 

 勿論、携帯電話から返事なんて無い。

 その事が不満で、桐佳は唇を尖らせながらしばらく睨むように携帯電話の画面を見詰める。

 

 追い詰められてどうしようもなかったあの場所で現れた、姿が無く、人の心があるとは思えないような言動をしていたデリカシーの無い存在。

 その癖あの時桐佳の心の支えになって、実際に不思議な力で導いてくれた非現実的な存在。

 少なからず桐佳は、友人のような、信頼できる相手となっている『マキナ』との再会を心から望んでいるのだが、あの建物から脱出して以降一切の音沙汰が無かった。

 

 

「……マキナ、何処に行っちゃったんだろう?」

 

 

 感謝の一言も言えてない。

 おかげで無事にあの場から脱出できたというのに、挨拶も無しに顔を出さなくなってしまった『マキナ』という友人に想いを馳せ、桐佳は溜息を吐いた。

 

 あまりに薄情だと思う。

 こっちがどれだけ感謝していて、どれだけ『マキナ』と言葉を交わしたいと思っているのか、きっとあの人の心が無さそうな奴は考えてもいないのだろう。

 

 そんなことを考えると、一方的に執着しているこの状況が何だか腹立たしくなってくる。

 

 

「マキナのバーカ。人の心の分からないポンコツー。中二病みたいな名前して格好良いねー…………なんて。何やってるんだろう私、馬鹿みたい」

 

 

 自嘲する。

 自分の携帯電話に向かってこんな事を言っていたら誰が見てもただの痛い子、姉の事をポンコツだなんて言える立場でなくなってしまう。

 そう思って、携帯電話を懐に仕舞おうとした桐佳だったが、その瞬間、ガタンと何かの衝突音が姉の部屋から響いてきた。

 

 何だか唐突な怒りに目覚めた何かが、部屋から飛び出そうとして扉に体当たりしてしまったかのような音。

 

 ぱちくりと、目を瞬かせた桐佳が遊里の部屋の隣に位置する姉の部屋の方向を見詰め、ゆっくりとした忍び足で廊下に出た。

 

 そっと歩きながら姉の部屋の前に辿り着く。

 もしかして姉が部屋にいるのだろうかと、そんなことを思いながら軽く扉をノックする。

 

 

「……お姉? 部屋にいるの?」

 

 

 返事はない。

 それどころか、部屋の中からは人の気配がない。

 それもそうだ、受験が近い桐佳達はいつもより授業が終わるのも早い訳だし、姉はここから割と距離のある高校に通っている。

 桐佳達が帰って来たばかりのこの時間にこの部屋にいたら、それはもうズル休みをした以外になくなってしまう。

 

 でも、だったらさっきの音は何だと思い、桐佳はそっと扉を開けた。

 

 部屋の中が見える。

 以前見た時と変わりない、綺麗に整頓されているのに籠城でもするんじゃないかと思う程サバイバルグッズが揃えられている部屋。

 女子高生の部屋とは思えない姉の部屋にそっと足を踏み入れて周りを見渡すが、音の発生源となったと思われる物の姿は何処にもない。

 物が倒れている訳でも、落下した訳でも無いようだった。

 

 

「……な、なんか、怖くなってきたんだけど……お姉? 実は隠れてたりしないよね? 流石にこれ以上は趣味が悪いよ?」

 

 

 キョロキョロと周りを見渡しながら部屋に入り、声を出す。

 それでも何処からも反応が無くて、なんだか怖くなった桐佳は取り敢えず遊里を呼ぼうかと思った桐佳は部屋の中央まで歩いた足を反転させて、出口へと向き直った。

 

 そのタイミングで、桐佳は少し開かれたままになっていた押し入れの奥に、見過ごせないものがあるのに気が付いた。

 

 

「…………あっ、あのポンコツお姉っ……! 見当たらないと思ってたらっ……!」

 

 

 見付けたのは『桐佳成長記録 ~ 0歳から3歳まで ~ 』という文字が書かれたDVD。

 ピリピリとしていた姉をポンコツにするために恥ずかしいのを我慢して使用したそれを、あの姉はこっそりと回収して自分の部屋に仕舞い込んでいたようである。

 

 まるで餌を自分の巣に隠すハムスターのような生態であった。

 

 

「こんなこっそり部屋に回収してたなんてっ、あ、あとでとっちめてやるっ……! 人の、幼い時の恥ずかしい映像を、勝手に何度も見るなんて最低っ……!!」

 

 

 先ほどまでの不気味な音への恐怖は何処へやら。

 怒りや気恥ずかしさ、それから少しの嬉しさを感じながら、桐佳はぶつくさと文句を言って、押し入れの奥にあった自分の幼年期の映像記録に手を伸ばし乱暴に抜き取り回収した。

 

 のだが。

 

 

「あっ……」

 

 

 バサリ、と。

 抜き取った映像記録の隣に仕舞われていたイラスト用ノートが、引き抜いた時の勢いに巻き込まれ桐佳の足元に落下した。

 

 姉が使っているのを見た事も無いのにやけに年季の入ったそのノート。

 落ちた拍子でページが捲れ、まるで最初から決まっていたかのようにとあるページを開く形で床に広がる。

 

 姉の私物を傷付けてしまったかと、桐佳は焦る。

 

 

「あ、ど、どうしようっ、お姉の古いものってきっと大切なものだよね……? 多分傷は無さそうだけど、こういうのはちゃんと謝った方が良いよね……?」

 

 

 慌てて開かれたノートを拾おうと手を伸ばす。

 出来るだけ内容は気にしないようにと、勝手に見るのはあまりに失礼だと思いながら、桐佳は落ちてしまったノートを拾い上げようとしゃがみ込んだ……けれど。

 

 

「……なに、これ」

 

 

 その開かれているページの異質さに、桐佳は思わず固まった。

 

 

 異様な雰囲気を持つその絵と文字。

 

 何度も書き殴ったような真っ黒な球体の絵とその下に書かれた一文。

 

 気にしないようにと思っても、何故だか吸い込まれるようにその絵と文字を見詰めてしまった桐佳は黒い球体の下に書かれたその一文をじっと読んで、思わず口にしてしまう。

 

 

「……人神計画……エデ……?」

 

 

 桐佳にはそこに書かれている事は何一つ理解できなかった。

 

 人神計画なんて聞いたこと無いし、『エデ』という名称にも心当たりはない。

 

 

 けど。

 

 けれど。

 

 変化が、起きた。

 

 

 影が差す。

 視線を感じる。

 窓から差し込んでいた日の光が、何か巨大なもので遮られている。

 急激に空気が冷えたような錯覚を覚えて、全身が粟立ち、総毛立つ。

 開かれたノートをじっと見詰めたまま、桐佳は背後にある窓の外から強い視線を感じていた。

 

 

「……」

 

 

 声が出せない。

 

 後ろを振り向かなければならない。

 

 息が出来ない。

 

 後ろを振り向かなければならない。

 

 音が聞こえない。

 

 貴方は、後ろを振り向かなければならない。

 

 

 桐佳は自分の意志でないのに体が動き出すのを感じた。

 ゆっくりと、酷くゆっくりと、ノートを見詰めていた体を振り向かせて、強い視線を感じる窓の外へと目を向ける。

 

 そこには。

 

 何も無い筈のそこには。

 

 

「……ぁ」

 

 

 そこには、巨大な『黒い太陽』がこちらを覗き込んでいた。

 

 あまりに巨大な、黒い壁にしか見えない何か。

 それでもそれが『黒い太陽』だと、何故だか無理やり理解させられてしまった桐佳はその存在から目を外す事が出来なくなる。

 それはただの球体ではなく、表面に無数の凹凸があり、何か大量のものが集合して球体を為しているがはっきりと視える。

 

 あまりに神々しく、あまりに絶対的で、あまりに人智を越えたその存在が、じっと自分を見詰めている事に気が付いて、桐佳は導かれるように窓を開けようと歩き出した。

 

 一歩、また一歩と。

 神々しいその御身へと、足を進めて————

 

 

「————いったぁ!!??」

 

 

 唐突に、爪先に何かから強烈な体当たりを受けた桐佳があまりの痛みに絶叫した。

 

 グラリと視界が歪むほどの痛み。

 小指をぶつけた時のような強烈な感覚に、一瞬真っ白に染まった思考が怒りに支配されるのを感じながら、桐佳は勢いよく足元を見下ろす。

 涙を目元ににじませながらしゃがみ込み、痛む爪先をさすりながら痛みの原因であるその機械を掴み持ち上げた。

 

 ウィンウィンと、桐佳の手の中で自動掃除機『マキナ』が情けなく暴れている。

 

 

『むー!! むー!!』

「このっ……! こいつっ……!! ベッドの下から飛び出してきて、よりにもよって爪先に体当たりして……!! 体当たり機能なんていつ搭載したのっ!? さてはさっきの物音もアンタでしょ!?」

『むーーーー!!!!』

「むーむーうるさい! 馬鹿マキナ! こっちは本当に痛いんだから!」

 

 

 悪びれもせず下ろせと大暴れする自動掃除機の『マキナ』に口元を引くつかせた桐佳だったが、ふと直前の事を思い出し、慌ててマキナを床に置いて窓の外を見る。

 

 だが、先ほどまでの光景が嘘のように、日が差し込む昼の光景が窓の外には広がるだけであり、『黒い太陽』の姿など何処にも見当たらない。

 まるで先ほどの光景は白昼夢であったというかのように、窓の外には影も形も無かった。

 

 桐佳は目を擦りながらそんな外の様子を確かめていたが、床に降り立ったマキナは未だにモーター音を鳴らして足元で暴れていた。

 まるで何かに対して威嚇するように音を響かせているマキナを見下ろして、桐佳はまさかと目を瞬かせる。

 

 

「……もしかしてマキナ、私を助けてくれたの……?」

「…………」

 

 

「あ、やべっ」とでも言うように急に静かになったマキナはクルリと向きを変えて掃除を始めた。

 ウィンウィンと軽快な音を響かせ、部屋のゴミを吸い込んでいく真面目な仕事人を装ったポンコツの姿を視線で追って、桐佳は自分が体験した今の事を思い返す。

 

 落ちているイラスト用ノートを見遣り、窓の外を見遣り、もう一度誤魔化すように掃除を続けるマキナを見遣った。

 

 

「桐佳ちゃん? 紅茶できたよー? どうしたのー?」

「……なんでもない。今行くね」

 

 

 浮かび上がった考えを振り払い、直前にあった出来事を忘れようとしながら、桐佳は自分を呼ぶ声の元へと走って行った。

 

 振り返ることなく部屋から出ていく。

 そうして人がいなくなったその部屋で、せっせと動いていた自動掃除機が唐突に動きを止めて、クルリと窓の外へと向き直った。

 

 音も出さず、動き回るようなこともせず。

 人の目には見えない窓の外のソレを、その自動掃除機に宿る存在はじっと観察する。

 

 

 

 





今回の章もこれで終了となります!
結果的に10話という中々長めの章になりましたが、ここまでお付き合いくださり本当にありがとうございました!

次話からは間章になりますが、これは纏めて毎日投稿というよりも一週間に一話ペースといった感じにちょっとずつ進めていきたいと考えていますので、あらかじめご了承ください!
これからも本作にお付き合い頂けると嬉しいです!


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間章Ⅱ‐Ⅲ
超絶悲報】待望の新店、わずか3日で営業休止へ【店長】


間章一つ目です
ゆっくり一話ずつ投稿してみます!


 

 

 

 

【超絶悲報】待望の新店、わずか3日で営業休止へ【店長】

 

 

1 名前:名無しの店長

絶対に許さんぞあのテロリスト……

 

2 名前:名無し

あ……

 

3 名前:名無し

この前の事件の?

それは……ご愁傷様です……

 

4 名前:名無し

ワロタ

 

5 名前:名無し

出来たばかりだったもんな、あのショッピングセンター

 

6 名前:名無しの店長

まじテロリストの襲撃なんて日本で想定なんてしないて

保険降りるのかすら分からんて

 

7 名前:名無し

落ち着けオッサン

 

8 名前:名無し

あの現場から生き残れたんだからそれだけで充分やろ

 

9 名前:名無し

>>1

絶対に許さんぞあのテロリスト

 

それは、そう

 

10 名前:名無し

しかも>>1店長かよ

あそこ数年がかりで工事してようやく開店したのに可哀想すぎるだろ

 

11 名前:名無しの店長

>>7

お?

ずいぶん口が軽そうだな?

縫い付けてやるぞ?

 

12 名前:名無し

つうか>>1は怪我大丈夫なのかよ

まだ一週間も経ってないだろ

 

13 名前:名無し

当時の現場を外から見てたけど警察とか救急車の数がヤバかったな

超能力っぽいのは外からだとよく分からなかったけど

 

14 名前:名無しの店長

まだ正式には本部から指示が来てないけど次の立場って何処に……

こんな急に、空いてる行き場所なんて無いだろ……

 

15 名前:名無し

>>1はテロリストみたん?

指名手配犯やろ、ヤバかった?

 

16 名前:名無し

テロリストと警察組との戦闘の様子を教えて欲しいんだけど

 

17 名前:名無しの店長

まじでお前らってデリカシーが無いよな

こっちはまだまだ傷心中だってのに

まあでも、これからの不安を紛らわすためにも適当に話すか

言っておくが俺一人の視点だから分からないだらけだぞ

 

怪我は大丈夫だよ

テロリストも進んで怪我させようとしてなかったというかなんというか

 

18 名前:名無し

しかしハイジャックからの飛行機ごとショッピングセンターへ墜落させるって

やってることが本当に世界規模だよな、日本のみみっちい犯罪者じゃできない感じ

 

19 名前:名無し

壊れたショッピングセンターって潰れちゃうんかな?

一度は行こうと思ってたのにな

 

>>17

傷心中の筈なのに初手「あのテロリスト絶対に許さねえ」って言えるお前に気遣いは必要ないだろ!

 

20 名前:名無しの店長

当時の状況なぁ……結局超能力ってヤベエが感想かな

犯人一人なのに皆抵抗できなかったし、俺もなんか超能力の力で服従させられてたみたいだし……いや、頭の中の別の俺がずっと言い続けるんだよ、人を捕まえないと、アレを倒さないとってな

 

21 名前:名無し

ICPOが駆け付けたんだろ?

やっぱり強かった?

 

22 名前:名無し

昨日の自称超能力犯罪専門家が言ってたぞ

これから外国から入って来る超能力者は増える

それに対しての対抗手段確保のために収容中の超能力犯罪者を積極的に使うべきだって

 

23 名前:名無し

結局あんまり人が死んで無いし大したことないやろ

 

24 名前:名無し

俺よく知らないんだけど結局その状態で籠城してる犯人を誰が捕まえたの?

 

25 名前:名無しの店長

あー黙れ黙れ

少しずつ説明するから黙ってろ

 

で、そのテロリストの超能力が他人を支配するタイプでショッピングセンター内で閉じ込められた人のほとんどがテロリストに支配されたんだよ

 

ICPOの子供も同じように支配されてた

超能力を無理やり使えるようにされてた奴もいた

支配された奴はもう疑問すら持たずに指示されたままに他人を攻撃するんだよ

蟲毒ってあるだろ?

あれを人間でやったらあんな感じになるんだと思う、そんな状況だったんだ

 

その上よく分からないけど、テロリストは自分を細かく出来るみたいで無敵みたいなもん

 

今考えても助からないって思うよそんな状況

爆弾でも落としてまとめてやらないと被害が外まで広がるんじゃないかってね

 

26 名前:名無し

超能力を持った犯罪者を使うのは危ないだろ……

 

27 名前:名無し

確かに俺もテロリストを倒した奴が誰なのか知らないわ

結構色んなニュース見てる筈なのにな

 

28 名前:名無し

>>25

うわぁ……

 

29 名前:名無し

>>25

なんて言うか、凄いなそれ

 

30 名前:名無し

>>25

待て、超能力使える様にさせられた奴って何!?

あ、いや、そのテロリスト死の商人とか言われてるのか!

その全然情報出てないけど使える様にされた奴は警察に保護されてるのかな!?

 

31 名前:名無し

>>25の話を聞いてるとマジで意味わからないな

あの建物から救出されたのって数千人だろ?

その全員が操られるんだろ?

超能力って本当にヤベェな

 

32 名前:名無し

>>25

よく分からん

テロリストの超能力なんだそれ

他人を支配出来て自分の体を細かくできるって全然共通点なくね?

 

33 名前:名無しの店長

んー、あー……犯人を倒した奴か……

どうすっかなー……

 

34 名前:名無し

>>25

世界的に悪名高いテロリストは一時間もしない内にそこまでのことやれるのか

 

>>30

マジでそれ

こんな情報現場にいないと分からないだろ

やっぱり色々隠してんだな警察!

 

35 名前:名無し

>>25

怖すぎやろ

本当によく解決したなこれ

 

36 名前:名無し

>>33

今更出し惜しむな

焦らすなアホ

 

37 名前:名無し

ブレーン君ちゃんだろ?

この国の守護神、ちっちゃくて可愛くて堪らないな

 

38 名前:名無し

>>33

急に言い淀むじゃんw

 

39 名前:名無し

>>37

時々こういうブレーン信者が現れるようになったよな

 

40 名前:名無し

>>37

本物は顔も見えてないだろ

ファンクラブの妄想イラストで勝手に記憶を美化させるな

 

41 名前:名無しの店長

お前らの為を思って言い淀んでんだぞ

俺はこの為にスレを立てた訳だし、もういっその事くたばった方がこの先を考えずに済みそうとか思ってるから全然怖くないんだぞ

 

いややっぱり嘘だ、メッチャ怖い

 

42 名前:名無し

ブレーンはマジで『君』なのか『ちゃん』なのかをはっきりしろ

『君』だったら俺もファンクラブに入る

 

43 名前:名無し

>>42

業が深い

 

44 名前:名無し

嫌な予感がしてきた

 

45 名前:名無し

俺このパターン知ってる

だてにスレに駐在してる訳じゃ無いからな

 

46 名前:名無し

顔の無い巨人様だ!

詮索しません!

足なめます!なめさせて下さい!

 

47 名前:名無しの店長

まじか

何でこんなにすぐ分かる奴がいるんだ?

 

48 名前:名無し

その前振りはもう何が起きたのか言ってるようなものだぞ

 

49 名前:名無し

ただでさえこの事件の話題は神薙先生の信者が暴れてるのに……

ブレーン信者、例のソレ信者、神薙先生信者

頼むから信者同士の殴り合いは別の場所でやってくれ

 

50 名前:名無し

名前を出すのはギリセーフ

問題はその正体は何か調べようとすること

ちなみに過去に馬鹿にした奴も多分やられてた

 

51 名前:名無し

昔は名前も絶対駄目だったぞ

最近はちょっと優しくなってる感がある

とはいっても色々話聞くと気になるから自ずとやられるだろうし俺は退散する頑張れ>>1

 

52 名前:名無し

名前も絶対に見たくない人はいるけど日本がこれだけ異能犯罪が低い理由が正直……

 

53 名前:名無しの店長

やっぱりちょっと荒れるのな

面白いけどやっぱりあの方には触らない方が良いのか

 

54 名前:名無し

勢力的には例のあの人信者が単独トップだろ

比較にもならないわ

 

55 名前:名無し

>>53

触るから障られるんだぞ

 

56 名前:名無し

人減ったかな?

 

57 名前:名無しの店長

話をすると色んな人に迷惑が掛かりそうだから詳細は辞めとく

しかもそもそも正体も何も分からなかったしな

人だったかも知らない

 

でもここでその人監視してるんだよな?

なら、独り言を言わせてくれ

 

 

ありがとうございました

貴方のおかげで私は今これからについて悩んでいられます

貴方にとって私は有象無象の一人かもしれませんが私にとっては掛け替えのない恩人です

この御恩は一生忘れません、私が誰かを傷付ける前に助けてくれてありがとうございました

 

58 名前:名無し

お前も信者だったか

いや気持ちは分かるけど

 

59 名前:名無し

悪をさらに巨大な悪が喰らっただええええええええええええええええええ

 

60 名前:名無し

ちゃんと見てるってさ

 

61 名前:名無し

ほんとあの人気分屋よな

何だかんだ命を取らないし色んな人を助けてるみたいだし

いや普通に攻撃されてる風を装ってる奴がいるだけなのかもしれないけど

 

62 名前:名無し

やっぱりあの人も超能あうそうそうおそうそうそうそですすいませんかんべんしてくださああああああ

 

63 名前:名無し

ちゃんと処分もするってさ

>>1許されたぞ、誇れ

ただ個人的には>>46も処分して欲しい

 

64 名前:名無しの店長

さてとどうしようかな

俺の目的も果たせたし

当日あったことについてこれ以上話すのは辞めとくとして後は何話そう

 

65 名前:名無し

異能を使えるようにさせられた人達ってどうなったん?

 

66 名前:名無し

数少ない才能をテロリストに開花させられた人達がどうなったのかは本当に気になる

何人いるのその人達

 

67 名前:名無しの店長

いやどうなったのかは知らないし

当時は意識が朦朧としてたからどんな顔の人だったかも覚えてないけど、確か人間離れした動きをする人とシャボン玉を出す人がいた気がする

 

68 名前:名無し

ちなみに>>1は何の店の店長なの?

 

69 名前:名無し

人間離れした動きをする人は凄そうだけどシャボン玉出す人って……

やっぱり超能力にも当たり外れがあるんやなって

 

70 名前:名無し

彼ら彼女らのこれからを思うと不憫よな

日常生活には戻れんやろ

そんな力があったらスポーツも普通にやれないだろうし

 

71 名前:名無し

は?

普通に羨ましいんだが?

もう生きていくには困らんやろ

シャボン玉を出す方は知らないけど

 

72 名前:名無しの店長

俺は服屋の店長だぞ

渋いナイスガイだぞ

 

73 名前:名無し

まあ超能力を開花させる薬とか今一つ一千万の世界だしな

 

74 名前:名無し

不憫だけど羨ましいのは分かる

紛い物が出回る超高額商品の本物を与えられて、ちゃんとした超能力を得られてるんだからな

 

75 名前:名無しの店長

あ、そういえば話変わるけど最後にちょっと一緒に癒されてみないか?

 

76 名前:名無し

きっと警察に保護されてしばらく監禁状態やろなぁ……

 

77 名前:名無し

>>75

癒されることって?

補助金が出たん?

 

78 名前:名無しの店長

昨日荒れた店の中を片付けてたら、事件当日に隠れるために男物の大きなコートを取っちゃったってわざわざ持ってきた子がいてさ

良いって言ったんだけど店の様子を見たその子がお金払うって聞かなくて、仕方が無いからその商品を見たんだけどそれ結構良いやつで、それでもその子ちょっと涙目になりながらもお金払ってくれたんだよね

 

世の中凄い良い子がいるなって思ったんだ

火事場泥棒とかこの世の中いくらでもいるだろうに、まだ若い子が凄いなってな

それで、その、なんていうか、自爆して目をウルウルさせる姿が可愛くて癒されたんだけど……

 

いや、やっぱり可哀そうになってきた

今度店に来たら特別割引するわ

 

 

 

 

 



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前に進んでゆくもの

間章二話目です!
徐々に前の章で産まれた課題を消化していきます!


 

 

 

 

 “百貌”。

 ソレは正体不明であり、過去の私に酷似した危険な存在。

 去り行く最後の瞬間、確かに私へ視線を向けて言葉を投げ掛けてきたあの人物。

 何から何まで全くの未知ではあるものの、遠目でも、ニット帽を目深に被っていても、その姿が過去の私そのものの形を成していることはすぐに分かった。

 少なからず私の過去に関係があり、私があの距離までの接近に感知できず、そして奴は過去の巨大な私の異能をそのまま身に纏っていた。

 

 『また会いましょう御母様。今度はちゃんとした舞台に招待してあげるわ』

 

 嫌な言葉だ、本当に。

 手の中のモチモチを手慰みにしながら、私はその言葉の意味を考える。

 

 

 『また会いましょう————今度はちゃんとした舞台に招待してあげるわ』

 その台詞のこの部分、これはある種の宣戦布告だ。

 次会う時は“百貌”が動いた結果であり、私が出ていく必要がある事態になる事を示唆している、ということ。

 明確な時期は不明だが、近い将来奴は本格的に動き出すつもりなのだろう。

 

 奴が行動を起こすまで何もせず待つなんて受け身な姿勢は本来私に合わないのだが、奴が持つ異能技術を考えると逆に返り討ちに遭う可能性が高く、下手に動くのが危険。

 その上、奴のこれまでの行動の動機や異能技術、そして最終目的などは全くの不明であり、危険性は高くとも奴自身の悪事はほとんど行われていない。

 それらの理由から私は積極的に奴の居場所を探し、打倒しようと動くことがなかったわけだが、あの宣言の意味を考えるとそんな状況が変わるのも時間の問題となった訳だ。

 

 そうなると、私は早急に奴の正体を考える必要があると思う。

 

 そして。

 

 

 『御母様』

 この言葉、マキナが私を呼ぶ際の呼称と全くの同一のこの言葉。

 

 まず最初に言うが、私には本当に身に覚えがない。

 『インターネットの化身《マキナ》』と『空の上のアレ』は、まあ、うん、色々不満はあるが百歩譲って私が作り出した存在と言っても良いだろう。

 片方は放置した結果何だか妙な進化を遂げて元気に自己肯定感を高めているけれど、もう片方は私の事情で長らく睡眠して貰っているようなものだ。

 この二人に関しては、私だってまあ、悪い事をしたと思っているし、これから何とか良い方法を模索できればとは思っている。

 

 でも“百貌”に関しては違う。

 あんな私の過去の姿を模している存在に『御母様』と呼ばれる覚えはちっともない。

 過去の黒歴史の姿をあんなに公然とばら撒く悪意ある存在を私は知らない。

 計画した覚えも無いし、作り出した覚えも無い。

 言い掛かりにもほどがある。

 

 よって結論としては、何らかの手段で私とマキナの会話を盗み聞いて、そのことを暗に私に示す為にわざわざ『御母様』と言ったのだろうと思うのだが……。

 

 

「……その場合も中々手を焼くよなぁ」

「お、お、お姉ちゃん……あ、あのっ、これ以上モチモチするのは……」

 

 

 それはつまり、インターネットの化身であるマキナの存在が奴に気取られているという事に他ならない。

 

 私が持つ情報統制の切り札であるマキナの存在を、これから大きく動くだろう存在に察知され対策される。

 私よりも異能の出力が強いだろう相手に、これまでのように、相手の意識外からマキナが力技で叩き潰すみたいな戦法も通じない可能性が高い訳だ。

 

 本当の意味で私にとって最悪の相手。

 それが“百貌”なのだと、考えれば考えるだけ理解させられていく。

 

 そんなのが完全に私を捕捉していて、今よりも強い過去の私を模倣している今の状況。

 考えているだけでキリキリと胃が痛くなり始めた。

 

 

「うぅ……どうしよう……どうして私がこんな目に……」

「燐香お姉ちゃん……? ど、どうしたのっ? どうして私のほっぺを触り始めて情緒不安定になってるの? 正気に戻ってー!」

 

 

 ペチペチと手を叩かれる感触に、私の意識がネガティブ思考の中から戻って来る。

 目の前には私に頬を触られ続けている遊里が、オロオロと動揺した表情を浮かべて私を見ていた。

 

 

 彼女に見詰められ、私は今の状況をはっと思い出す。

 ついつい遊里の頬の触り心地が良すぎて思考が明後日に飛んでいたが、今の私は『異能開花薬品』という粗悪品の使用で体が傷付いた彼女の体調を確認していたのだった。

 

 学校が休みの今日。

 まだ朝早い時間帯の今、他の家族に動きが無い事を確認してから、私は遊里を呼びにいき私の部屋に集まって貰ったのだ。

 前日に話していたから、私が来るのを起床して待っていた彼女は私の来訪に驚いたような顔こそしなかったが、緊張したように顔を強張らせていた。

 遊里のその表情を思うと、あの大事件によってできてしまった自分の傷痕と向かい合う事は、彼女にとってとても辛いものだった筈だ。

 

 それなのに、これまでにない強大な相手の出現に追い詰められているとはいえ、責任を持つと言った私が今のような態度をとるのは流石に遊里に対して失礼過ぎる事をしてしまった。

 

 

「ご、ごめん、遊里のほっぺに安心しちゃって別のこと考えてた」

「安心……えへ、燐香お姉ちゃんが安心できるなら、私はいくらでも触ってもらえても良いんだけど。でも、でもやっぱり不安になるから何か言ってからにして貰えると心の準備が……」

 

 

 “百貌”に対する思考を中断する。

 今はうっすらとしたピンク色の腫れだけに収まっている彼女の顔の傷痕を撫でてから、私はさっと手を離した。

 

 取り敢えずだが既に、彼女の体調面での問題の無さを私は確認できている。

 

 あのアホテロリストが起こした事件から一週間も経っていないが未だに痕として残る彼女の傷。

 だがそれは、外からの衝撃によってついた傷ではなく、体内の大切な血管や臓器に悪影響を与えるようなものでも無い。

 これから遊里さんの体調を崩すようなことは無いし、生命活動に深刻な影響をもたらす事もない。

 

 言ってしまえば完全に治るのを待つだけの痕だ。

 しかし同時に、異能の出力を作り出す心臓と異能に変換する機能を持つ脳への回路を無理やり繋がれた結果であるその傷痕は、普通の医療機関に通ったところで治るようなものでも無いのだ。

 私が丁寧に、彼女の体内に出来た異能の回路を整えた結果、何とか彼女の傷は癒えてきてはいるが、別に専門家でもない私の診断で万が一痕が残ったらと少し不安に思ってしまう。

 

 ……やっぱり一度、神薙隆一郎の首根っこを掴んできて遊里の治療をさせるべきだろうか。

 

 

「うぅ……私の妹をあの犯罪者に……? そんなの、そんなの……でも私の独りよがりで顔に痕を残したりなんて絶対にあっちゃいけないし……」

 

 

 そんなことをフラフラ悩みながら、私はそっと廊下に繋がる扉を見た。

 まだ朝早いこの時間、普段なら私に部屋の近くにやってくる家族はいないが警戒はしておいて損はない筈だ。

 治療の為とはいえ、遊里を私の部屋に連れ込んでいる事を知れば、桐佳が何を言ってくるか分かったものじゃない。

 

 とはいえ、今はまだ六時台。

 私の計算では休日の今日はあと一時間程度活動が無く家の中は静かな筈だ。

 時間があるなら他にもやらなければならない事がある。

 

 

「……取り敢えず今は、出力に慣れさせる必要があるかな。うん」

 

 

 一人そうやって呟き気持ちを落ち着ける。

 照れたり笑ったり困ったりと、表情をクルクル変化させている遊里に対して、私はちょっと緊張しながら話を切り出した。

 

 

「遊里、秘密の話をしよう」

「え?」

 

 

 ポカンとした表情で、切り出された話を理解できなかった遊里が私を見詰めていたが、直ぐに私が何を言いたいのか理解した彼女の目がゆっくりと見開かれてゆく。

 

 遊里が何か言うよりも先に、私が口火を切る。

 

 

「……本当はさ。大変な受験が終わるまで待ちたいんだけど、それまで何もしないで待つのは不安になっちゃうと思うから、軽くだけでも扱い方について話そうかなって思うんだ。辛いだろうけど、遊里にはちゃんと傷付けない力の使い方を知っておいて欲しいの」

「も、もしかして」

「うん、異能について話そう遊里」

 

 

 ある程度覚悟はしていたのだろう、私の言葉に表情を固くしながらも、遊里は真剣な顔でコクリと頷いた。

 

 異能の力。

 限られた人間に備わった天性の才能。

 教えてくれる人も場も無く、本来その必要性も薄いものだが、自然に開花した私とは違い、薬品によって強制的に開花させられた遊里の異能は自分自身ですら傷付ける可能性がある。

 

 だからこそ、今は落ち着いてはいる遊里に対して、暴走や無意識での使用などが無いよう私が異能について最低限教えることが必要だろう。

 

 本来ならこんなことやらないが、可愛い妹の為なら自分の隠し事だって私は打ち明ける。

 

 

「大丈夫だよ遊里。私もね、貴女と同じ異能持ちだから」

「……やっぱり、そうなんだ。お姉ちゃんも、私と同じ……」

 

 

 家族にもしたことの無い私の告白(お兄ちゃんには状況が状況だっただけにバレてしまったけど)を受けたのに、遊里は何となく分かっていたかのような反応をするだけ。

 

 あれ、と肩透かしを受けてしまう。

 遊里が同様に持つようになったとはいえ、異能なんていう奇妙なものを前々からの知り合いが持っていると言われれば少なからず動揺しそうなものなのに、彼女の反応にはそれがない。

 確かに先日のアホテロリストに襲撃された遊里を助けるのに目の前に飛び出した訳だし、前にも異能を使って気絶させたりしたけれど、バレるような事はなかった気がする。

 私の隠し切れない日々の優秀過ぎる働きから遊里さんが私の特異性に気が付いていたとするなら、まあ、なんだろう、才能とは罪なものだと思う。

 

 そんな自己解釈をしていた私とは異なり、遊里は深刻そうな面持ちで口を開く。

 

 

「私の異能は……人を腐らせる力、だよね……?」

「正確には“腐敗させる性質を持つ泡を生み出す力”なんだけど、腐敗って本来的な意味だと有機物が細菌の活動で変質する現象を指す言葉だから、細かく考えるならちょっと違うんだよね。遊里の異能は腐敗作用を行う細菌を作り出す訳じゃ無くて、物を腐敗させた状態に変化させる活動を行う泡を作り出す訳でしょ? その上、泡っていうのが液体が空気を包んでできたものだから、異能の本体はつまり液体部分にあるってこと。遊里の異能は薬品による強制的な開花によって本来の形からちょっと変質してる訳で、そうやって色々考えてみると遊里の異能の本当の機能は“液体生成”と“破壊”になると私は思うんだ」

「……え、え? えっと……? え?」

 

 

 私の説明に暗くなりかけていた遊里の顔がキョトンとしたものに変わってしまった。

 ついつい考察を交えて喋ってしまったが、こんな考察は最低限の扱いを覚えようとする今は必要なかったかと思い直して、私は慌てて訂正する。

 

 

「あっ、ごめん! そうじゃないよね。うん、遊里の認識は大分ネガティブだけど、有機物無機物問わずに腐敗させる泡を作り出すって思っていて間違いはないと思うよ」

「あ、はい。えっと……燐香お姉ちゃんって、こういう分析好きなんだね」

「え? う、ううん、そうなのかな? そういうつもりは無かったけど……」

 

 

 何だか中二病が再発したみたいでちょっと恥ずかしくなる。

 けれどちょっと表情を暗くしていた遊里さんが慌てる私を見てクスリと笑うものだから、まあいいかと諦めがついてしまった。

 

 良いんだどうせ、今更格好良いお姉ちゃんになれるとかは思っていない。

 だったらちょっとでも、悪いように考えてしまうこの妹を笑わせられるお姉ちゃんになれたら、私はそれでいいのだ。

 

 

「と、ともかくね! 異能の基本的な考え方としては、心臓の部分で異能の源となるエネルギーを作って、それを脳の部分で異能に変換して現象を引き起こすって考えるの! それでね、心臓部分は必要に応じてエネルギーを作ってる訳じゃ無いからこれをどうこうするのは難しくて、暴走や無意識の異能行使を抑えるためには脳の部分の制御を覚える必要があるんだけど……ここまで良い?」

「あ、え、と……だ、大丈夫!」

 

 

 簡素なメモ帳を取り出してせっせと書き出した遊里を眺めながら、昔桐佳に勉強を教えていた時もこんな感じだったなぁ、なんて懐かしくなる。

 真剣に自分が持ってしまった異能についての知識を深めたいという姿勢を見せている遊里に、私も自分が持てる知識を総動員して説明を続けていく。

 

 そんな風に、ちょっとだけ気合が入ってしまった私による異能座学はそのまま十分程度続いた。

 

 初めて触れる方面の話に目を回し始めた遊里とそろそろ家族の皆が起き出してくるだろう時間が近付いてきた事を確認した私は、それじゃあと今回の締めに移ることにする。

 

 

「実際に異能を使ってみよう遊里。案ずるよりも産むが安しなんて言葉もあるから実際にやってみるのが一番だよ。何かあっても私がちゃんと止めて見せるから安心してね」

「は、はい!」

「うん、思い切りの良い返事。さっき説明したみたいにやってみてごらん」

「む、むむっ……!」

 

 

 目をつぶり、私の言ったとおりに異能の出力を練り上げていく遊里。

 ぞわぞわと制御し切れなかった出力が彼女の毛を浮かび上がらせていくのを眺め、しっかりと制御出来ている出力が脳の部分で異能の現象に変化しているのを見届ける。

 

 初めて意識して異能を使うにしてはかなり上手い。

 

 取り敢えず、私は遊里の異能の出力が周囲にバレないよう小細工をしつつ、ポコポコ生み出されていく泡を軽くつついて物に当たらないよう軌道を修正していく。

 

 そうやって数分間。

 遊里にはかなりの数の泡を生み出させ、生み出した泡を周囲に旋回させ続けたが、彼女の限界に近付き始めたのか、出力に少し乱れが生じ始めた。

 それを確認した私は直ぐに肩を叩いて遊里の集中を解くことにする。

 

 

「よし、大丈夫。遊里、もう大丈夫だよ」

「ぷはっ……!」

 

 

 ちょっと額に汗を滲ませていた遊里が私の声掛けで大きく深呼吸する。

 ふよふよと周囲を飛び交う自分が作り出した泡を見て、遊里は嬉しいような、怖いような、なんとも言えない微妙な顔になった。

 

 

「上手く、できた……でも、これ」

「えへへ、遊里凄く上手だよ! 凄い凄い! ちゃんと現象に出来て、おまけにやり過ぎちゃうこともないなんて立派! 泡の操作はどう? かなりの数だけど、全部扱える?」

「大丈夫……うん、大丈夫だ。もし当たっちゃったらどうしようと思ったけど、なんとかなってる……!」

「まだまだ最初だから慣れは必要だけど操作性は問題無さそうだね。ここから泡の性質操作とかが出来るようになればやれる範囲がもっと広がるんだけど、そんなの後々で良いしね」

 

 

 達成感を覚えている遊里をしっかりと褒めながら、私は自分がちょっと興奮しつつあることを自覚する。

 考えてみれば今回のような、誰かと異能という秘密の知識を共有して実験じみたことをするのは初めてなのだ。

 ワクワクするし何だか楽しい。

 遊里の為を思って始めた事だけど、彼女が言うように私は意外とこういう何かを分析するのが好きなのかもしれない。

 

 

「うんうん。遊里の異能を見ていた感じだと、大体泡を作るのに異能の出力を百使うとしたら、操作は一分十程度だね。よし、じゃあもう少し泡の操作を継続させよっか。泡を自分の手足と同じくらいに扱えるようになれば事故も防げるようになるからね」

「えっ……は、はいっ……! で、でも、結構操作が乱れるって言うか……! 疲労とは違うんだけど、これって限界が近いんじゃ……?」

「それくらいなら大丈夫大丈夫。短期的な目標は泡の操作性の向上と泡の腐敗性能の調整。そもそも物に触れさせない技術を高めた上で、触れても害のないくらいに泡を調整できるようになれば誰も傷付けないようになる。ここまで出来れば誰かを傷付けるなんて心配する必要が無くなるよ。頑張ろう!」

「……燐香お姉ちゃん想像以上にスパルタだよぅ……」

 

 

 何だか弱弱しい顔になった遊里だが、それでも私の言った通りせっせと泡の操作に集中する。

 

 最初にしては色々とやらせすぎな気もするが、受験を控える彼女の事を思えば中々こういう機会を確保するのは難しくなる。

 異能の使い方を触れて、何となくでもこれは自分の体の一部なんだと思ってもらえればそれが良い。

 自分自身の事である異能の力を悪く思う状況は、近い将来必ず暴走か何かに形を変えてしまうのは分かり切っているのだ。

 

 

(マキナから桐佳を傷付けそうになったって聞いたし、遊里もそれがトラウマみたいになってるんだろうけど……)

 

 

 きっとそんなの良くない。

 想定外で、誰かの悪意によってもたらされた力ではあるけれど、彼女のこれは確かに彼女自身の才能だし、自分自身が卑下するようなものではないのだと思う。

 

 だから、彼女のそんな内面的な事情を考えた上で、彼女を異能に深く触れさせるよう意識して今回は色々と教えていたのだ。

 だが、そんな私の心情を知ってか知らずか、遊里は自分の泡を操作しながらおずおずと私を見遣る。

 

 

「……お姉ちゃん、少し聞いても良い?」

「ん? 何でも聞いて大丈夫だよ」

「お姉ちゃんの異能って、どういう力なの?」

「あー……」

 

 

 異能に関する質問。

 異能自体に悪感情を持っていたらきっとしないだろうそんな質問をされて、私は今回の異能について教える機会での自分の目標を達成できている事に少し嬉しくなる。

 だが、それと同時に私は、いつかしなければいけないとは思っていた自分の異能についての詳細を遊里に知られる機会が想像よりも早く訪れた事に、少しだけ尻込みしてしまった。

 

 心を読む力が良いように思われる訳が無いなんてこと、私は小さな頃から知っている。

 関係が深くなかった神楽坂さんに簡単に自分の異能の詳細を打ち明けられたのは、あの時の私がいざとなれば切り捨てられる相手だと内心のどこかで考えていたからだ。

 だからこそ逆に、私は自分が持つ異能の詳細を明かす前から深い間柄である家族の誰にもこの力を告白する事は出来なかったのだ。

 

 

「……私の異能はね。人の心を読んだり、思考を誘導したりできる精神干渉の異能だよ」

 

 

 けれど、そんなことは今更。

 今の遊里に対して嘘や誤魔化しが出来ないのは私が一番よく分かっている。

 バレるバレないじゃなくて、異能という力を突然押し付けられ不安になっている遊里を騙すようなことは、彼女が信頼を預けてくれている以上絶対にするべきじゃない。

 

 そう思うからこそ、私はしっかりと真実を彼女に打ち明けた。

 ちょっとだけ緊張しながらの私の告白に対して、遊里は驚いたように息を呑んだが、それでもそれは私が思っていたような反応では無かった。

 

 

「精神干渉……? あの、ごめんなさいお姉ちゃん。信用してない訳じゃ無いんだけど、精神干渉の力でこの前の銀髪の人をどうにかできるとは思えなくて……」

「え? あっ、そっちの話?」

 

 

 自分の心を読まれるかも、あるいは思考を操作されるかもという恐怖よりも、遊里は先日のテロリストを制圧した術に興味があるらしかった。

 私の異能の詳細を聞いて最初に気になるのがそれとは、我が妹ながらちょっと脳筋思考に偏りすぎなんじゃないかと思う。

 

 彼女の状況だけに仕方ない部分はあるかもしれないが、私が異能持ち同士の戦闘を考えるようになったのはもっと年数が経ってからだったというのに。

 

 

「ま、まあ、異能同士のぶつかり合いで大切なのはいかに相手の裏を掻くかだからね。単純な物理的な破壊力がある異能は確かに派手で強そうに見えるけど、最後に勝てるかはまた別問題というか」

「なる、ほど……?」

「そんなことより。ほら、私の異能に思う事とかは……」

「え? えっと、特に無いけど、私の異能よりも便利そうだなぁって思ったりはするかな」

「便利そう……?」

 

 

 神楽坂さんと協力するようになるまで誰にも打ち明けなかった自分の才能。

 亡きお母さんにも、人の良いお父さんにも、疑心に満ちた目を向けて来ていた兄にも、ずっと近くにいた妹にも打ち明けなかった私の特異性。

 

 人の心を一方的に覗いて自分の好きなように相手を従える私の力を、ただ便利そうと言う遊里。

 

 何だか笑いがこみ上げてしまう。

 

 

「…………ふっ、変なの。遊里、その感想は多分変だと思うよ」

「え? そっ、そうなのかな? 別に桐佳ちゃんが聞いても同じこと言いそうな気がするけど……」

「なんか考え方が脳筋というか、殴り勝てるかどうかみたいな雑な判断基準というか。なんだろう、遊里って私が思ってるよりお淑やかじゃないよね。ふへへ」

「そんなのじゃないよ!? そんな考え方はしてないよお姉ちゃん!?」

 

 

 想像以上に私の異能の詳細に忌避感を感じていない遊里に笑ってしまう。

 何だか、私が思っていたよりもあっさりと終わってしまった遊里への異能の告白にすっかり毒気が抜けて肩の荷が下りてしまった。

 お互いの秘密を教え合うなんて経験今まで無かったが、こんな相手がいるだけでちょっとした安心感があるのはズルいと思う。

 

 

「うへへ、冗談だよ。あのね、雑にいじっちゃったけど、私の異能を嫌がらないでいてくれて本当に嬉しいんだ。ありがとね遊里」

「え? 私、別にお礼言われるような事は……」

「心当たりが無いならそれで大丈夫だよ。さっ、そろそろ泡の操作練習も辞めよっか。こんな雑談してるのに泡を物にぶつけないくらい操作性を保てるのならひとまず大丈夫。遊里本当に才能あると思うよ。これなら私がさっき言った目標も直ぐに達成できちゃうんじゃないかな?」

 

 

 なんて、そんなことを言いながら私は片付け作業に入る。

 私が見ている限り異能に大きな乱れはなかったし、物に泡がぶつかるようなことも無かったから特に問題無いとは思うが、壊れた場所や怪我が無いかを確認していく。

 

 そうしてから、ふわふわと泡を浮かせている遊里に異能を消す感覚を伝え、部屋中に充満していた泡を少しずつ消す作業に入って貰う事にした。

 

 ある意味こういうのは作り出すよりも消す方が難しかったりする。

 だから変に急かさないようにしながら、私は遊里がゆっくりと時間を掛けて、部屋に浮かぶ泡を半分ほど消していくのを見守った。

 

 

「実は私が異能を持っている事は家族も一人を除いて知らないんだ。だから遊里にも、内緒にして貰えると、ね?」

「あっ、それはもちろん! わ、私も、お母さんに知られるのはちょっと、もう少し時間が欲しいし……で、でも一人を除いてっていうのは知ってる人が一人はいるって事だよね? それってもしかして桐佳ちゃんだったり……?」

「桐佳? 違う違う、私の異能を知ってるのは、ほら、あの頭でっかちの陰険眼鏡な……」

 

 

 そうやって、秘密を共有し合う私達がひそひそと話をしている時、突然ドタドタとした騒がしい足音が廊下から響き出す。

 

 まだ時間は六時二十分。

 この時間では目が覚めても、家族は自分の部屋を出ることは無かったり、静かにリビングやトイレに行くだけの時間帯の筈である。

 いったいこんな早朝から誰が非常識に騒いでいるんだと私が思っていると、遊里が慌てて自分が生み出した泡を消そうとしているのに気が付く。

 

 もしもこの部屋に入ってきたらと思ったのだろうが、その心配はない。

 

 

「ああ、遊里さん慌てたら危ないし急がなくて大丈夫だよ。こんな早朝から騒がしくするのも信じられないけど、流石に緊急事態でも無いのに人が寝てるかもしれない部屋にノックも無しに突然飛び込んでくるようなデリカシーの無い事をする人は我が家にはいないから————ん? 音がなんか近付いて来てる?」

 

 

 だが、そんな私の余裕ぶった言葉を否定するように、部屋の扉がノックも無く勢いよく開かれた。

 

 入って来たのは先ほど話題に出した頭でっかちの陰険眼鏡。

 そんな私のお兄ちゃんは寝ぐせでぼさぼさの頭をそのままに、取り乱した様子で私目掛けて声を上げた。

 

 

「燐香っ……! 不味いぞっ、俺の作った感知計が変色しているっ……! つまりこれは、あっ、変色はあれだ、水面が揺れるだと判断が難しいだろうと思って感知した際は変色するように改良版を作ったんだがっ、それが変色し例のアレを感知しているのを示している! 例のアレによる攻撃を受けてるかもしれな————ん? ……なんだこれ、泡?」

 

「わあああああ!? お兄さんそれに触れちゃ駄目!!」

「あわわわわあわわわ、あわわわわわわあわわわわわわっ!?」

 

 

 部屋に飛び込んで来たお兄ちゃんが目の前をふわふわと飛び交う泡に手を伸ばすと同時、私と遊里は悲鳴に近い声を上げながら一斉に駆け出した。

 

 幸いお兄ちゃんが泡に触れる前に、私が部屋の泡を消し飛ばすことで事なきを得た。

 だがその代わり、私達三人は訝し気な桐佳の前で「朝は静かにするように」という由美さんの説教を受ける羽目になったのだった。

 

 

 

 

 



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将来の話

 

 

 

 

 東京都氷室区氷室署。

 国際的な世界情勢や先日別の区であったテロリストによるショッピングセンターの占拠はともかくとして、この地域での大きな事件はここ最近発生しておらず、どこか緩んだ空気感が署内に漂っていた。

 

 そしてそんな空気感の中、朝の朝刊を手に持ちじっくりと読み込んでいた交通課の一人の警察官が複雑そうな表情を作りながら、隣の席の先輩に声を掛けた。

 

 

「先輩、見て下さいよ。また飛鳥ちゃんが新聞の一面に取り上げられてますよ。本当、ついこの前まで仕事を教えてた相手があっと言う間に高いところまで飛んで行っちゃいましたねぇ……ここまで飛ばれちゃうと手の届きようが無いっていうか……あーあー、俺結構本気であの子の事狙ってたのになぁ……」

 

 

 掛けられたそんな言葉に、神楽坂上矢はパソコン画面に向かい合い動かしていた手を止めて、落胆とも嫉妬とも言えない複雑そうな表情をした後輩へ顔を向けた。

 

 神楽坂が視線を向けた先には氷室署交通課の後輩である藤堂が朝刊を片手に椅子に背中を預け、どこか上の空な様子でいる。

 警察という仕事に熱量を持っていない藤堂という後輩のそんな姿を見遣り、神楽坂は少し考えるように視線を彷徨わせた。

 

 

「……飛禅は俺も、最初は頭がすっからかんな奴だと思っていたからな。こうして紙面を飾るようになって、すっかり警察の顔のような立場で活躍しているのをみると自分の見る目の無さを実感させられるよ」

「あー、まあ、神楽坂先輩はそういう真面目な事しか考えて無さそうっすもんね。本当に私生活を捨ててるのかって思うほど堅物っすもんね。あんだけ可愛い子がすぐ近くにいたのに親密になれなかったー、とかは思わないんすか?」

「アイツをそういう対象として見たことは無い。というよりも、アイツは元々この職場の誰にも本心を見せないように猫を被って、壁を作っていただろう。そもそもアイツ自身、職場の相手とは親密になるつもりが無かったんだよ」

「ええー!? あれって猫被りだったんですか!? ふ、普通に俺に懐いてくれてる可愛い子だと思ってたんすけど!?」

「……お前なぁ」

 

 

 本気で驚く後輩の姿に神楽坂は若干の呆れ声を出すが、当の本人はそんなのは気にならないのか、「女性って怖い……」と呟いてチラッと飛鳥が元々座っていた席に視線を向けている。

 あんな常時キャピキャピとしていて、語尾に星でも付きそうな言動をしていた飛鳥の姿が本心からのものだなんて、そんな勘違いする奴が本当にいたのかと、神楽坂は頭が痛くなる。

 

 

「藤堂お前、そんなのも分からない様じゃ、相手の嘘を見分けるどころか普通に女性と親密になるのも苦労するんじゃないか……? 良いように相手に弄ばれそうな気が……」

「そんな事無いっすよ、失礼な! ……た、確かに、過去の彼女には5股されてたり、逆ナンに着いて行ったらぼったくりだったりはしましたけど、ほ、本当にそれだけですし!」

 

 

 後輩の女性遍歴なんてものに微塵も興味ない神楽坂は、なんだかぼそぼそと呟いて自分の世界に入っている後輩に「ちょっと見せてくれ」と言って彼が見ていた朝刊を手に取った。

 その朝刊の一面を飾る飛鳥の姿と、現場となったテロリストに占拠されていたショッピングセンターの写真を眺め、文章に目を通す。

 

 自分が買って朝に読んだものとは違う。

 ゴシップ的な、推測や感想が先行するタイプの記事かと、内容を読み終えた神楽坂は判断する。

 碌な確証も無いのだろうに、ICPOの異能対策部署の者が現場にいた事から、実はテロリストが日本を攻撃するのは前々から予想されていたという、妙な一文すらあるこの記事は信用に足りえない。

 

 

(……とはいえ、俺が朝に見た別の記事は出せる事実しか書いていなかったから碌な情報も無かった訳だしな。書かれていた内容といえばせいぜい、ハイジャックした指名手配犯がショッピングセンターを占拠した事や飛禅やアイツに連れてこられた神薙隆一郎により死者はかなり少なかったという事の二つ程度。この程度じゃ読者は満足しないだろうから記者の奴らも随分頭を悩ませた結果なのかもしれないが……)

 

「……実際のところ、どうなんだろうな」

「え、俺が騙されやすいってことがですか?」

 

 

 神楽坂は自分が全く関わらなかったこの事件について考えを巡らせる。

 

 解決したのが誰なのか。

 どのような理由でテロリストがこの国を攻撃対象に選んだのか。

 この一件で隠されているものはそんな表面的なものだけなのか。

 そういった細かい事に思案の手を伸ばしたものの、結局最初から予想していた通りそれらを解消するだろう一人の人物が神楽坂の頭に思い浮かんだ。

 

 

(今回の件の解決も大元を辿れば佐取の奴が何とかしたんだろうか? ……多分そうなんだろうな)

 

 

 根拠も無いのに確信に近いものがある。

 普段はもっと理論的に思考を巡らせていくのに、こと異能犯罪の解決に置いて無類の強さを誇る人物を知っているだけに、神楽坂の頭には巻き込まれたあの子の姿が簡単に思い浮かんでしまった。

 

 そしてその予想を確かめる事は恐らく簡単だ。

 少し連絡すれば自分のそんな疑問に対して、妙に神楽坂を慕ってくれているあの子は特に隠すようなことはせず教えてくれるに違いない。

 

 

(とはいえ)

 

 

 ただの興味本位で話を聞くのも気が引ける。

 秘密の話をする訳だし、電話やメールで何気なしに聞けるようなものでも無い。

 直接会って、会話の流れで聞く分には問題無いだろうが……なんて考えていた神楽坂だったが、そんな彼の背中に向かって一直線に歩いてくる人影があった。

 

 小さなざわめきが氷室署の廊下から上がり、周囲で仕事をしていた者達の視線が軽快に歩くその人物に向けられる。

 

 だが、隣をすれ違った人達が例外無く驚きの声を漏らしながら振り返り自分を見て来るのを、その人物は意にも介さず足を止める事も無い。

 そして、その有名人の接近に気が付いた藤堂が驚きで目を丸くする中、彼女は目的の人物目掛けて飛び付くようにして全体重を勢いよく掛けに行く。

 

 

「神楽坂せんぱーい☆ お久しぶりでーす☆」

「うぐおぉっ!?」

 

 

 完全な不意打ち。

 無防備な背中に奇襲を受けた形となった神楽坂が、急に背中に圧し掛かって来た重さに思わず普段出さないような声を漏らした。

 崩し掛けたバランスを何とか保ち背中の人物へ顔を振り向くことも無く、神楽坂はその人物への怒りを積もらせた。

 

 正体は見なくとも分かる。

 こんなふざけた言動をする奴は、神楽坂は一人しか心当たりが無いのだ。

 

 

「飛ぃ禅っ……!!」

「あはー☆ 元気そうにお仕事されているようで安心しましたぁ! 私ぃ、突然ここの課を離れる事になっちゃって皆さんが元気にしてるか本当に悩んでたんですよ? 入院したり、突然転属になったり、神楽坂先輩や皆さんには本当に迷惑を掛けちゃったなぁって……」

「良いからっ、背中から降りろ飛禅っ!」

 

 

 まるで久しぶりに帰宅した父親に迷惑を掛けて甘える娘のように、神楽坂の両肩に手を乗せてぐいぐい体重を掛けていた飛鳥。

 

 周りの目を気にもせずそんなことをしていた飛鳥だったが、今更になって先輩である藤堂が隣にいる事を見付けて目を瞬かせた。

 肩に体重を乗せて来る飛鳥を振り落とし切れていなかった神楽坂の背後から、彼女はヒョイと身軽に飛び退き、呆然とする藤堂へ流れる様に向き直る。

 

 

「んんっ、お久しぶりです藤堂先輩☆」

「ええー……」

 

 

 手の届かないところに行った筈の後輩が以前と同様どころか、なんだかちょっとふてぶてしさを増して目の前に帰って来た事に藤堂は思わず絶句する。

 そんな藤堂の一方で、作業の手を止め、顔を引き攣らせて、何事も無かったかのようにニコニコと笑っている飛鳥へと振り返った神楽坂はそのまま彼女の顔を片手で鷲掴みにした。

 

 久方ぶりのアイアンクロー。

 傍から見る限り、手加減をしているようには一切見えなかった。

 当然のように飛鳥は猫を被ることすら出来ていない本気の悲鳴を上げる。

 

 

「いだだだっ!? 神楽坂先輩っ、私異能対策部署のトップ! 今をときめく警察のヒロインっ! スーパースターですよ!? ちょっとふざけただけだし私今、神楽坂先輩より上のいだだだっ!」

「だから言っただろう藤堂。飛禅は猫被りで人を小馬鹿にする清楚とは程遠い野蛮女だと」

「え? いや、そこまでは言ってなかった気が……」

「藤堂先輩助けて! 神楽坂先輩って本当に力強すぎいたいぃぃ!!」

 

 

 本格的に痛みを訴え始めた飛鳥に神楽坂が手を離す。

 掴まれていた顔を擦りながらその場にしゃがみ込んだ飛鳥の姿からは、とても普通の警察官の手には負えない異能犯罪対策部署の実質的なトップを任されている人間には見えなかった。

 

 涙目になった飛鳥が恨めし気に見上げて来るのを、神楽坂は軽く肩を竦めて受け止める。

 異能対策部署のトップとしてではなく、異能という手に負えない力を持つ怪物としてでもなく、昔馴染みの手の掛かる後輩として神楽坂は変わらず飛鳥を相手する。

 

 

「良く帰って来たな、お疲れさん。活躍は聞いてるぞ。近くで見る事は出来てないが、お前はよくやってるよ」

「……そういう微妙な飴と鞭なんなんですか、ほんと」

「お前が変な事してこなきゃ普通に最初から褒めてたんだよ。自業自得だ馬鹿」

 

 

 微妙な表情を浮かべる飛鳥の背後に部下がいない事を確認し、どういう状況で自分の場所に来たのかと思いながらも、取り敢えず神楽坂は飛鳥の苦労をねぎらう事にした。

 

 燐香と飛鳥と神楽坂。

 この三人がひっそりと協力関係にあるのはあくまで偶然の産物ではあるが、飛鳥が今の立場に立たされているのは、それは良くも悪くも燐香と神楽坂からの影響があったからだ。

 異能を持たぬ自分では絶対にできない事だとはいえ、重荷を飛鳥一人に背負わせてしまっているような今の状況が神楽坂はずっと気掛かりであったのだ。

 

 だがそんな神楽坂の暗い考えを、飛鳥の心底面白そうな笑顔が吹き飛ばす。

 

 

「ぷぷー☆ なんですか神楽坂先輩、私に負い目でも感じているんですか? そりゃあ今の私は色々大変ですけど、逆に考えれば得る物も多いんですよ? お金も人脈も情報も経験も、これまでの立場では得られないものが沢山ありますし、自分の考えで動ける事も多かったり、抱き心地の良い枕が心配して家まで来たりして意外と充実しているって言うかぁ」

「おいおい」

 

 

 想像よりもずっと気楽そうに自分の立場を誇示し始めた飛鳥の姿に神楽坂は苦笑を漏らしたが、彼女は気にするなとでも言うように悪戯っぽくウィンクをした。

 

 

「まあ、そんな冗談は置いておいて……本当に大丈夫ですよ神楽坂先輩。そんなに心配しないでください。異能という才能の黎明期である今は確かに大変なんです。でも、制度や組織の体制、人材や要領や色んな人達の理解、こういうものが徐々に整ってきているんです。今の世界情勢は確かに酷いものですけど、手探りだったものが形になりつつあって、自分だけが得しようという人よりも協力したいと言ってくれる人の方が多くなってて、ちゃんと私達は前に進めているんです」

 

 

「だから大丈夫なんです」なんて、しっかりと目を逸らさないでそんなことを言った飛鳥に、神楽坂は思わず驚いてしまう。

 自分自身の単純な考えよりも数歩先を行っている手の掛かる後輩の姿を目の当たりにして、神楽坂はくしゃりと自分の髪を掻き上げた。

 

 

「……やっぱり俺の目は節穴なのかもしれないな。少なくとも人を見る目に関してはな」

「おー? 神楽坂先輩ついに私を認めましたか? 良いんですよもっと分かりやすく褒めて頂いても☆ なんなら私の機嫌を上手に取れれば、私の権限で神楽坂先輩を出世させる事も考えちゃったり、なんて☆」

「いや、やっぱりそこそこ見る目はある気がしてきた。調子に乗るのを止めないと宇宙まで飛んでいくような奴だっていう俺の考えは間違っていない気がする」

「そんな風に思ってたんですか! 神楽坂先輩ひどーい!」

 

 

 くすくすと笑う飛鳥の変わらぬ様子を呆れたように眺めた神楽坂は未だに飛鳥の登場に動揺している藤堂を見遣り、声を掛ける様子が無いのを確認して呆れたように本題を切り出した。

 

 

「で? なんでお前がここにいるんだ? 俺に用があるなら場所を変えるが」

「流石神楽坂先輩よく分かってるー! じゃあ場所を変えましょっか! あっ、藤堂先輩お元気そうで何よりです☆ またお会いしましょう☆」

「あ、は、はい」

 

 

 こっちにどうぞ、と言って歩き出した飛鳥を追うために神楽坂は席を立った。

 結局緊張し切った返事しか出来なかった藤堂を置いて二人はその場を後にする。

 

 神楽坂は考える。

 当然、異能に関わる話であるなら周囲の目があるこの場所では本題を切り出せないだろうとは思っていたが、どうにも飛鳥は部下を連れている様子はない。

 異能を持つのだから誰かから狙われるという危険性は薄いかもしれないが、異能が燐香のような情報遮断に向いているものでないなら、人払いなどをしてくれる人がいても良い筈、だと。

 

 それすら要らない、若しくはいると不都合な話をこれからするのなら、と考えた神楽坂の予想は間違いなく正しかった。

 

 

「うん、ここなら大丈夫そうですね」

「屋上とはまた厳重な……そこまで気を使うなら最初から呼び出すなりしてくれれば……」

「いやー、文面にも残したくない話ってあるじゃないですか。あれですあれ。私と神楽坂先輩と燐香の奴があえて放置した話の事です」

 

 

 辿り着いた屋上に他の誰もいない事を確認した飛鳥がさらに異能を使って周囲に疑似的な風を起こし、さっそく切り出した話に神楽坂は眉をひそめる。

 ここまで厳重に盗み聞きの対策を行った上であえて放置した話とはなんだ、と少しだけ思考を巡らせた神楽坂だったが、一つ思い当たることがあった。

 

 確かにアレは、他の誰にも聞かれていいような話ではない。

 

 

「まさか……あの子の事か?」

「そうです。相坂和君の事です」

 

 

 “連続児童誘拐事件”の被害者。

『UNN』の異能を開花させる実験に巻き込まれ、その人生を大きく狂わされた子供。

 極小の糸を無数に生み出し操る、強力な異能を持つ事になったその子の事情に当時の神楽坂達は頭を悩ませた。

 

 誘拐され、両親は犯人に脅され罪を犯し、手にしてしまった異能が暴走した。

 異能の暴走によって誰を傷付けたのか、どれだけの人を殺めたのか、何もかも分からないあの子供の処遇を当時の神楽坂達は秘匿することにしたのだ。

 異能が世間的に受け入れられていないあの段階で少年の力を公開する危険性を考えた結果でもあるし、同時に他の見知らぬ大人に少年の罪を判断させようとは思えなかったからだ。

 

 それが良い選択だったとは当時も今も神楽坂は思っていないが、それ以外に選択があったかというとそういう訳でも無い。

 どうしようもなかった結果、異能の扱いを教えて放置するだけの選択しか取れなかった。

 それがあの時の状況だった。

 

 

「あの時はアレ以外にどうしようもありませんでした。相坂和君の罪を証明する手段も無ければ、彼に悪意も無くて、情勢的にもあの少年の力の話を広げるのは良くなかった。けれど、あの時と今とでは話の土台が違います。異能を持つ人を受け入れる土台が、今の情勢には存在しているんです」

「待て……確かあの子の両親は数日前に」

「はい、釈放されています。諸々の事情を考慮されて、普通よりもずっと軽い処罰で済みましたから。それで、ちょっとあの子と連絡を取った時にですね……」

 

『————飛禅さん、やっぱり俺、罪を償いたい。お父さんとお母さんが家に帰って来て、以前の生活に戻って凄く嬉しかったんだけど、お父さん達と色んなことを話して、自分がやってしまったかもしれない事を知らないふりをし続けるのは出来ないんだって思ったんだ。だからせめて、俺は自分が持つことになったこの異能の力を何かしらの償いに使いたいんだけど、お願いできないかな……?』

 

 

 異能の扱い方を教えた飛鳥に対して願い出た相坂和の話を聞いて、神楽坂はなるほどと溜息を吐き屋上のフェンスに軽く寄り掛かる。

 

 異能を暴走させていた時にあの少年がどんな光景を見て、どんな風に人を傷付けたと感じていたのか、その詳細を神楽坂は正しく理解してやることは出来なかった。

 

 けれど、確かにそうだ。

 自分が罪を犯したと思いながら、罰を受けずただのうのうと生きられる人ばかりでないのを神楽坂は知っている。

 悪事に手を染め過ぎた人ならともかく、相坂和のようなただの善良な少年が、自分の罪の意識に圧し潰されないなんてことある訳が無かった。

 

 そんな事も理解していなかった自分自身に、神楽坂は胸中に自己嫌悪が広がっていくのを自覚する。

 

 

「神楽坂先輩にこうして直接会いに来た主な理由はそれですね。あの時一緒に決めたことを今更私一人の判断で覆すのはどうなんだって思いまして。一応燐香の奴にも話をして、了承は取ってあります」

「……あの子をどうするつもりなんだ?」

「幸いというか、先日の“死の商人”と呼ばれるテロリストの件で異能を開花させてしまった一般人が複数現れているようですからね。その中の一人だったという形で、ウチの部署で保護して事件解決に協力してもらうつもりです。異能を使った償いだったらそれが一番かな、と」

「危険が伴う事に子供を関わらせることは正直、俺個人としてはあまり気乗りしないが……それより“紫龍”の奴と一緒に働かせるのか? それは、相坂少年は分かっているのか?」

「むしろ自分を誘拐したアイツがテレビで活躍して罪を償っているのが腹立つって言ってましたよ。ほら、本当に反省して罪を償ってるのか、ただチヤホヤされたくて警察に協力しているのか近くで確認したいって」

「俺は良く知らないが……“紫龍”の奴って、反省して警察に協力してるのか?」

 

 

 無言のまま「知るかそんな事」と言わんばかりにニッコリと微笑んだ飛鳥に対して、神楽坂はまた面倒な事態になりそうな爆弾を抱え込むのかと同情の目を向ける。

 神楽坂は直接彼女が取り纏めている部署の中を見た訳ではないが、どいつもこいつも個性が強く協調性に難のある奴らが集まって行っている気がしていた。

 

 そして、そんな神楽坂の同情の目をすぐさま理解した飛鳥の額に青筋が浮かんだ。

 

 

「神楽坂先輩、覚悟してくださいね☆」

「ん?」

 

 

 微笑んだ表情のまま、薄く目を開けた飛鳥が絶対に逃がさないというように神楽坂の肩を掴む。

 

 

「今回の件で予算が爆増しますし、異能を開花させられた子達をウチが保護して異能の使い方を学ばせると同時に事件解決に協力させる方針なので、本当にそろそろ部署の規模が拡大します☆ つまり、警察内部にあった頭の固い反対派の人達の意見は完全無視の上叩き潰されて一気に人員が増えるっていう事ですね☆ 神楽坂先輩はその人員拡充の筆頭候補です☆ っていうか、絶対に私がします☆」

「なっ、お、お前……!?」

「だから言ったじゃないですかぁ、負い目も心配もいらないって。だって、これからは神楽坂先輩も当事者になるんですからね! 覚悟しろぉ☆」

 

 

 ギリギリと肩を掴む力を強める飛鳥に気圧され、神楽坂は何も言えずに押し黙る。

 とはいえ、飛鳥にとってはただの意趣返しのつもりかもしれないが、別に神楽坂としても嫌な話では無いのだ。

 

 異能を使って犯罪を行う奴らを許せないという想いは変わらず神楽坂に存在している。

 異能という力で自分の罪を無かったことにする者達を捕まえる、あるいは誰かを不幸にしようとする奴を捕まえるのは神楽坂にとっても本懐である。

 過去の因縁がある神薙隆一郎や和泉雅といった面々を捕まえた事で、これからどうするべきかと一度は足を止めていたが、それも解消された神楽坂にとってはまさに願っても無い。

 

 自分の力が必要だと誰かが言うのなら、神楽坂は喜んでその手を差し出すのは変わっていないのだ。

 

 

「……分かったよ。そうなった時はいくらでも手を貸すさ」

「む? 随分素直じゃないですか神楽坂先輩。まっ、それなら良いんです。神楽坂先輩程の能力を持つ人を遊ばせる余裕が無いのは事実ですしね。今のところの構想としては、協力者の異能持ちと警察官一人というバディ体制を基本に考えているのでそのつもりでいてくださいね」

「補助と監視の意味合いか? まあ、よほど変な奴と組むことにならなければ大丈夫だとは思うが……」

「燐香の奴を上手く飼い慣らしてた神楽坂先輩ならどうにでも出来ますよ☆ なんならあの子が入ってくれれば全部解決するんですけどね☆ 神楽坂先輩、あの子を口説き落としておいてくださいよ、『お前と一緒に事件を解決したい』って」

「佐取は普通の生活がしたい中わざわざ俺の我がままに付き合ってくれていただけだ、誰がやるかそんな事。お前は俺を何だと思ってるんだ馬鹿」

「あはー☆ 冗談ですよ冗談☆」

 

 

 相坂和という少年の事や将来の構想を話して、ちょっとだけ肩の荷が下りたように表情を緩めた飛鳥が「寒くなってきましたねぇ」と言いながら街を見下ろす。

 上から見下ろす分には平和にしか見えない街の様子を眺め、自分達が少しでもこの平和に貢献できている事を実感しながら、神楽坂の同意の言葉を聞いた飛鳥は満足そうに頷いた。

 

 そして、少しだけ悩まし気に空を見上げた飛鳥が何気なしに神楽坂に問い掛ける。

 

 

「神楽坂先輩、“百貌”の話何か聞いてます?」

「いや、何かあったのか?」

「先日のショッピングセンターで少し姿を現しまして。本当に何もせずに帰ったんですけど……不穏な言葉を残してですね」

 

 

 決して敵対的な訳では無かった。

 ともすれば、状況によっては“百貌”はあのテロリストの打倒にも協力してくれそうな気配すらあった。

 他の話の通じない欲望ありきの犯罪者どもとは根本が異なる、何かしらの芯を持った理性ある存在だとあの時の会話で飛鳥は感じたのだ。

 

 だから、何かしらの被害を出してこないのなら、下手な干渉は控えるべきかもしれないという考えは確かに飛鳥にもある。

 戦力や態勢の準備、その他凶悪な異能犯罪への対処を優先して、“百貌”はいざ動き出してから進めて来た準備を利用してどうにか制圧するべきなのではという思いはあるのだ。

 

 けれど先日の、幼い少女の姿をした“百貌”の姿を思い出すと、飛鳥はどうしようもない不安に襲われてしまう。

 

 

「……不味い気がするんですよねぇ。アレを放置するのは……」

 

 

 あの異能の力。

 暴力的で、支配的で、圧倒的な、異能の化身。

 目的も力の底も見えないあの存在が行動を始めた時、その行動はどれだけの準備があったとしても本当に止められるようなものなのか、飛鳥は分からなかった。

 

 

 

 



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その手の責任

 

 

 

 

 例のハイジャックから数日。

 事件処理もある程度進み、怪我人の治療や帰国処理が終わり始め、少し余裕が出て来た業務の傍ら、組織の中で特殊な役割を担う者達が集められていた。

 華美な装飾品はないものの、荘厳と静謐に重きを置いた黒塗りの長机が中央に位置し、それを囲うように革製の椅子が並べられた広い会議室。

 国の重鎮や企業の重役が使う場所のような、そんな印象を抱かせる部屋の間取りの中で、集められた者達が久しぶりに会った同僚へ声を掛け合っている。

 

 集められた者達の中で、一際年若い金髪の少年に対して猟犬を思わせる鋭い目つきの男性が声を掛けた。

 

 

『レムリア、大事なかったか。例の“死の商人”の異能に囚われたと聞いていたから心配していたが、会議に出られるという事は少なくとも後遺症が残るような怪我は無かったんだな?』

『あ、はは。うん、ありがとうアブサント。僕の体調は、今は全然問題無いんだ。怪我も無いし、後遺症も無いし、お医者さんが頑張ってくれたから大丈夫』

『そうか。それは何よりだが、それにしては表情が暗いな』

『そんなことないよ、うん。そんなことないんだけどね』

『……』

 

 

 レムリアとアブサント。

 彼らの仲は特別良い訳ではないが、普段は必要なこと以外口を開かない寡黙なアブサントが気遣うくらい今のレムリアの表情は暗かった。

 

 ここに集められた者達の中でもほぼ確実に最年少の少年。

 保護された立場であるから正確な年齢は不明だが、小さな体躯に線の細さ、未発達な身体機能を考えれば他の者達よりも二回り近く年齢に違いがあるだろうことは想像に難しくない。

 本来であれば彼らの人員の一人としてなど数えられない程に子供であることは間違いないが、異能という非常識が呪いのようにこの少年の価値を著しく高めてしまっている。

 

 世界的にも類を見ない、二つの異能を同時に持つという希少性を持った彼は、この場に集められた異能犯罪に対応する者達の中でも一際価値のある少年なのだ。

 だが、いくら非現実的なまでの才能があっても子供は子供、精神面までは成熟していないのを知っているからこそ、アブサントはらしくも無く慰めの言葉を掛ける。

 

 

『遅れを取った事ならそう気を病むな。奴の異能は常軌を逸していた』

『あはは、アブサントは優しいね』

『俺は事実しか言わん。思ってもいない言葉を吐くような労力など使いたくも無い』

 

 

 ぶっきらぼうにそう言い捨てたアブサントだが、それを受けたレムリアは困ったように笑うだけだ。

 

 先日の“死の商人”が引き起こした異能犯罪を解決する上で、レムリアが独断行為で窮地に立たされたのをここにいる者達は知っている。

 その時の状況や経緯も知っているし、レムリアの行動で助かった命が多くあったのも理解している。

 だがそれでも、単独行動で敵の手に落ちてしまったレムリアの判断を、この場にいる者は誰一人として間違いで無かったなどとは言えないのだ。

 そして、間違いを犯してしまったレムリア自身もそれは充分に分かっているからこそ、アブサントの気遣いに甘える事が出来ないのだ。

 気遣った筈なのに逆に変なしこりを産んでしまったようで、口を噤んだアブサントは少し困ったように眉間に皺を寄せた。

 

 妙な沈黙が二人を包んだ。

 二人の間で擦れ違いが起きているのは、外から見ていても直ぐに分かる。

 

 

『アブサントは随分人当たりが良くなったというか、気配りが出来るようになったというか、悪くない進歩をしてるじゃないか。ルシア、私が見ない間に何を仕込んだんだい?』

『ヘレナ女史、別に私は何もしていません。アブは日本語の勉強を時々レムリアに手伝ってもらっていましたから恩を感じているんですよ。変な憶測を口にしないでください』

『ヒヒッ、そういうことにしておこうかね。しかしまあ、今のレムリアに気遣いの言葉は逆効果だろうね』

『まあ、そうなんでしょうけれど……』

 

 

 普段よりも幾分楽し気なヘレナの反応。

 ハイジャックの件の後始末でヘレナは誰よりも忙しい身である筈なのに最近……より限定するのならレムリアが復帰できるようになってからは非常に上機嫌な様を見せている。

 

 年の離れた息子か、はたまた孫か。

 彼女がレムリアに対してそんな感情を持っている事は、事情を知る者達は皆が知っている事であるが、異能の性質がゆえに長命な彼女がここまで態度を表に出すのは珍しい。

 

 

『……ふん、仕方ないね』

 

 

 二人の成り行きを見守っていたヘレナはそう言うと、何をするのかという目をしたルシアを置いて席を立ち、レムリアのところまで歩み寄る。

 怪我を治して復帰したばかりのレムリアの前にやってきた、ICPOの異能対策部署に置いて実質的な最高権力者であり、彼の直属の上司でもあるヘレナの姿に部屋で飛び交っていた雑談が止まった。

 

 

『レムリア』

 

 

 緊張が部屋を満たす。

 重苦しい空気を醸しながら、ヘレナはじっとレムリアを見詰める。

 

 

『今更だがね。私の指示に従わなかったあの時の判断は間違いだった。それはレムリアも分かっているね?』

 

 

 ビクリとレムリアの肩が震え、隣にいるアブサントがヘレナの言葉を止めようと立ち上がり掛ける。

 だがそんなアブサントの動きをヘレナは一瞥する事で止めて、続きを切り出した。

 

 

『私達が二人一組での行動を基本にしているのは異能相性の相互補完を図るためだ。異能同士のぶつかり合いにおいて勝敗を分けるのは技量や力量だけじゃない。相性っていうのも無視できない重要な要素なんだ。相性をどうにかしようとしても、本人だけの努力じゃどうにもならないし、私達の立場では敵を選ぶ事はできやしない。だから、相性不利を準備段階で埋めるのがこの考え方なんだよ。片方が勝手な行動をしたら、この考えが根本から崩れちまう』

『……はい』

『あの時のレムリアは私の指示に従わず人命救助を優先した。結果的に見れば間違ってなかったかもしれないし、人道的には称賛されることかもしれないけど、何か一つでも違えばもっと被害が増えていた恐れのある危険な選択だった。レムリアと私が共倒れになった時、あのテロリストが国家単位で占拠を拡大する可能性だってあった訳だ。だから私は、保護者としても、上司としても、レムリアには言わなくちゃいけない』

『っ……』

 

 

 冷静に、淡々と、理路整然と反省点を並べていく。

 怪我や後始末、あるいは結果的にはあの独断行為により救われた命があって、ずっと後回しにしていたレムリアへの叱責をヘレナは行う。

 

 

『————まったく! 本当にあり得ないよ! 私の指示に従わないで飛び出した挙句“死の商人”に操られるなんて! レムリア! 反省してるのかい!? 危なかったんだよ!?』

『え!? ご、ごめんなさい!』

 

 

 急に態度を変貌させ怒り心頭となったヘレナに、レムリアが動揺しつつ慌てて頭を下げる。

 先ほどまでの理詰めで叱責する上司の姿は何処へやら、感情的に怒り狂うヘレナの姿に二人の様子を窺っていた周囲の者達は目を丸くした。

 しかし、そんな周りの目など気にもならないようで、ヘレナは早口でレムリアを叱りつける。

 

 

『それに、緊急時だったとはいえ異能の使い方も下手くそだったよ! ちゃんと冷静なら飛行機が建物に衝突する前に駆け付けられた筈だし、飛行機の真正面を陣取れてたら衝撃全てを吸収出来てた筈だった! 今回のレムリアは駄目駄目だよ! 駄目駄目! 点数にしたら20点さ!』

『あぅぅ……』

『そ、そんな言わなくてもいいんじゃ』

『ルシアは黙ってな!』

 

 

 もはや冷静な上司の叱責などでは無く、ただの激昂するお婆さんが騒ぐだけの場と化す会議室。

 子供の考える罵倒のような中身の無い怒声がひとしきりレムリアに浴びせられ、投げ付ける罵声の語彙が無くなったヘレナがむっつりと黙り込むまでそれは続けられた。

 

 すっかり静まり返ってしまったその場で、ヘレナはようやく誰かに怒られたレムリアの表情が先ほどよりも明るくなっているのを確認して深く溜息を吐いた。

 

 

『ともかくね、今後は私の指示に従いな。いつも助けてやれる訳じゃ無いんだからね』

『……ヘレナお婆さんごめんなさい』

『私が見捨てろって言った時は私の責任で見捨てるんだ、良いね? ……ただまあ、もしも今回と同じ状況になった時、私がレムリアに単独で飛行機を止めさせても問題無いって思うくらい、もっと冷静に、もっと異能を使えるように練習しておくんだよ。そうすりゃ私がちゃんとレムリアにお願いするからね』

『……うん』

 

 

 何だか綺麗に纏めてしまったヘレナの手腕を目の当たりにしたルシアは、きっとこれは一連の演技だったのだろうと思った。

 

 悪い点を反省できるよう指摘し、感情を爆発させた厄介な老人を演じて居心地の悪さを軽減させ、最後には自分も譲歩する姿勢を見せて優しく相手に言い聞かせる。

 喜怒哀楽を巧みに使い分け、自分達を含めた周りの人達の感情にも悔恨を残さないように叱責を成立させたヘレナの人心掌握術はあまりに年季を感じさせた。

 

 だがそれだけではない。

 そもそもヘレナがこうして叱責したのは、他の誰も独断行為をしたレムリアを怒らなかったからだ。

 自分の間違いを理解しているレムリアを誰も責めなかったからこそ、逆にレムリアは精神的に息苦しさを感じていたのだろうと、叱られたばかりなのに表情が明るくなったレムリアを見てルシアはそう思った。

 

 だから、元の席に戻って来たヘレナにルシアはぼそりと声を掛けた。

 

 

『流石ですね、ヘレナ女史。勉強になります』

『よしな。数百年生きてたら誰にでも出来るような事だよ。年長者として気を使っただけさ』

『いいえ、それでも流石です。異能という面では絶対に追いつけなくても、ヘレナ女史のそういった気遣いをしっかり学ばせていただきたいと思います』

『ルシアは真面目だねぇ』

 

 

 アブサントが表情の明るくなったレムリアに首を傾げながら話し掛けているのを見て、ルシアは嬉しそうにヘレナを称賛する。

 だが、そんな称賛を軽く聞き流しながらヘレナは再び席に腰を下ろし、この場に集まっている者達をゆっくりと眺めた。

 

 ヘレナが集めて来た異能持ちのメンバー。

 個人間に差はあれど全員が異能の扱いに長け、様々な事件の経験を得た事で凶悪な異能持ちにすら余裕を持って対処できるようになってきたこの組織。

 世界に広がる異能を開花させる薬品による被害を完全に抑える事はできていないが、それでも異能犯罪を解決するための要領などを、組織として経験してきた。

 間違いなく成長していて、数年前ではできなかった事もきっと今の彼らには成し得るだろうという信頼がある。

 

 そして自分が育てて来た組織がしっかりとした形になっているのを目の当たりにして、ヘレナは思い出す事がある。

 

 

(……私がちゃんと面倒を見てれば、アイツもここにいたのかね)

 

 

 長すぎる生に疲れ、もう誰とも関わり合いになりたくなくて、人のいない森奥で一人生活していた時に出会ったあの存在の事をついつい思い出してしまう。

 

 ヘレナからすれば本当に短い、ほんの短い間の出来事だ。

 異能の飛び抜けた才能を持ち、粗のあった異能の技術を瞬く間に磨き上げ、愛想も態度も良くなかっただろう枯れ木のような老人に構い続けたあのふてぶてしい存在。

 こちらの事情や心情などお構いなしに、鳥や兎といった小動物を使って接触してきた、暴力的な異能の圧力を発していた相手。

 それで異能の出力を隠しているつもりかと揶揄えば意固地になってあれこれ調整し始めて、入れた紅茶が不味いと言えばムキになって色んな入れ方を試し始めて。

 子供を相手にするようなそんなやり取りで、人嫌いでいたつもりのヘレナはいつの間にか絆されてしまって、ソイツがやってくる毎日が楽しくなってしまっていた。

 

 それなのに。

 心の中ではソイツとのやり取りが楽しいと感じているのを分かっていたのに、何時まで経っても構いに来てくれるソイツと自分はちゃんと向き合おうとしなかった。

 数週間という、ヘレナにとってはあまりに短い時間をただ受け身で過ごし、相手の事を知ろうとも向かい合おうとしなかった。

 

 だから何もかもが突然終わってしまった。

 名前も年齢も性別も国籍も知らない、何もかも知ろうとしなかったソイツとの唯一の接点であった異能感知能力の優劣が逆転してから、ヘレナはまた孤独になってしまった。

 

 家の周りを走り回る小動物のどれがソイツなのかヘレナは分からない。

 呼び掛けようにも姿の見えないソイツの名前すらヘレナは知らない。

 向かい合おうともしなかった自分がソイツにとってはいったいどんな存在だったのか、ヘレナは考えた事も無かった。

 

 ソイツと会う前は心地よく感じていた筈の静かな家の中が冷たく感じた。

 誰にも存在を知られずこの家で一人朽ちていくつもりだったのに急に怖く思えた。

 彼女が誰にも関わらないようになった本当の理由である『喪失』を、またヘレナは味わう事になってしまった。

 

 そんな時の事を、ヘレナはふと思い出してしまうのだ。

 

 だからきっと。

 

 

(……ロランと話したあの内容が正しいのかは分からないけれど、少なくとも私がやりたい事ではあるんだろうね)

 

『おっと、全員集まってるね。資料を持ってきたから隣に回してくれ』

 

 

 部屋の空気を全く気にすること無く、勢いよく扉から入って来たロランが手に持つ紙を集まっている同僚達に渡す。

 

 ひんやりとした空気が漂う置かれる物の少ない簡素な部屋。

 最重要機密事項を会議するこの場に今いるのは、ICPO内でも本当に限られた者達だ。

 ヘレナにロランにレムリア、アブサントにベルガルド、楼杏にルシア。誰も彼も組織に多大な貢献をしてきた者達であり、信用に足ると判断された者達がこうして集められた。

 そして、同僚達の手に資料が行き渡ったのを見届けたロランは会議の進行を任された者として、今日こうして全員が集められた目的を話していく。

 

 

『働き詰めだったから皆疲れているだろうけど、こうして集まれる機会は中々無いから今回はある程度情報を共有していこうと思う』

 

 

 そんな風に話を切り出し、視線を資料に落とす。

 

 

『目下最重要課題の一つだった“死の商人”バジル・レーウェンフックによる世界テロ誘発は本人の逮捕で終息。異能を完全に破壊されて、廃人状態になって拘束されている。精神状態は“千手”や“泥鷹”のグウェンと同じだ。誰がやったかは、まあ知っての通り』

 

『異能開花薬品の出所は色んな所に協力してもらって潰してはいるけど次々際限なく湧き出る状態。大本であろう【UNN】へ繋がる証拠は未だに出て来てない。【UNN】の動きはこれまで通り異能による事件の解決協力・被害への支援・物資の提供など幅広い。この情勢下で奴らが会得した世間的な信頼はかなりのものだろうな。事件を起こした犯人以外の異能を開花した奴らを保護してるのもかなりキナ臭い。医療設備関係にも精通してる【UNN】が保護や治療をするのは当然にも思えるが、奴らの目的はそんな生易しいものじゃないだろう。強制的に押し入り捜査でもしてやりたいが、あの大企業に肩入れする奴らはいくらでもいる。強制捜査をした場所で欲しい証拠物が出てこなければ手痛い反撃を受けるだろうし、支持を得るにも何かしらのきっかけが無いとウチで動くのは難しい』

 

『で、リーダーと日本警察から報告のあった“百貌”だけど、これについては情報が少なすぎてなんとも言えない。“顔の無い巨人”との関連性もありそうだが、そもそもそっちの足取りもまだまだなんだ。よりにもよって異能犯罪が極端に少ない日本に潜伏してそうなのが厄介で、現状の新しく発生する異能持ちへの対処が手一杯な俺達が無理に介入するのもリスクが多い』

 

『こうして情報を整理してみると分かるが、見えている全ての目標が現状ウチから動いてどうこうするのは難しい。これまで通りの後手後手。何か異能犯罪が起きた時の解決に走るだけか、お相手さんが失態を犯して証拠を残すのを待つしかない……筈だったんだがね?』

 

 

 一通り今の状況を説明したロランが、含みを持たせた笑みを浮かべてヘレナを見る。

 ロランが何を言いたいのか理解しているヘレナは溜息混じりに言葉を引き継いだ。

 

 

『探知系の異能持ちが協力してくれる事になったんだよ。ミレー、こっちに来な』

『うぅぅ……』

 

 

 ロランが部屋に入って来た時に一緒に居た少女が息を潜めながら扉の近くで立っていたのをヘレナが呼ぶ。

 

 涙目のままトトトッとヘレナに駆け寄った。

 ICPOが今まで待ち望んでいた種類の異能を持っているという少女の登場に、この事を知らなかった者達は驚きで目を丸くしながら、怯えるミレーという少女を見詰める。

 

 キョロキョロと不安げに視線を彷徨わせ、その少女はしどろもどろに自己紹介を始めた。

 

 

『お、おらはフォンテ・ミレーです。“見分ける”異能を持ってるだ、です』

『見ただけで相手の才能や能力、状態が分かる異能さ。バジルの奴に使われてたから保護したんだけど、いざ帰国させてみたら家が跡形も無くなっていたから帰ることも出来なくてウチで雇う事になったんだよ』

 

 

 待望だった探知系の異能を持った人材が現れたことに、ホッと胸を撫で下ろした者やどうでも良さそうにする者など反応は様々だが、事実、彼女がいる事で出来る範囲は大きく変わる。

 

 

『要するに、ミレーの異能があれば悪事を働く相手を見付ける事も、相手の所持する異能といった情報を先取りすることも難しくなくなる訳だ。潜伏する異能持ちや暴れる凶悪な異能持ち、資金や権力を盾にする世界的な企業も、一網打尽に出来る可能性がある』

『それは、凄いですね。ヘレナ女史、ということは……』

 

 

 期待するような眼差しになったルシアを制し、ヘレナは面倒だからと会議の主導権を自分に投げて来ただろうロランを睨んで説明を続ける。

 

 

『今、私らが解決しなきゃいけない問題は主に三つだ。一つ、【UNN】による世界規模の異能開発。二つ、“百貌”を含めた新たに現れる異能持ちの犯罪。三つ、“顔の無い巨人”の確保。これらは私らの最終的かつ実現しなきゃいけない目標でもある。それで、ミレーの協力でどの目標も達成までの道のりが見えた訳なんだけどもね。どれを優先するべきかロランと話したんだが……』

 

 

 そこまで言って、ヘレナはレムリアを見た。

 少しだけ躊躇するように言葉を迷わせ、ヘレナは不思議そうな顔をしているレムリアから視線を外し、この場にいる者達全員を見渡した。

 

 

『まずは三つ目の目標。“顔の無い巨人”の確保を行おうと思う』

『……え?』

 

 

 レムリアの声と共に、沈黙が部屋を包んだ。

 この場にいる者達はいずれも様々な異能持ちとの戦闘あるいは情報戦や交渉を行ってきた者達だが、そんな歴戦とも言える彼らだからこそ彼の存在の危険さは充分に理解していた。

 

 傭兵として名高い“千手”ステル・ロジー。

 彼の存在の名を騙り世界を混乱させた“白き神”白崎天満。

 世界最強とまで言われた“泥鷹”グウェン・ウィンランド。

 人の領域を完全に逸脱していた“死の商人”バジル・レーウェンフック。

 

 そのどれもが強力かつ凶悪な異能を有していて、彼らが残した爪痕は今なお色濃いが、それでも、“顔の無い巨人”は文字通り次元が違うとここにいる者達は知っている。

 だからこそ、ヘレナに対して強い信頼を持っている彼らも一様に否定を口にする。

 

 

『己、理解不能』

『ババア、ソイツは……厄介度合的には最後の最後だろう』

『反対だ。有効な対策が何一つない。全員やられる可能性が高い』

『ひぇ、う、お、おらお腹痛くなってきた』

『ヘレナお婆さん。僕は……』

 

 

 異能を持つがゆえに、この場にいる異能持ち達は口を揃えてヘレナの言葉を否定するが、対するヘレナは気だるそうに頬杖を突いて『落ち着きな』と言う。

 

 

『最近の奴の活動は全くと言っていいほど無い。それだけじゃない、日本で何かしら暴れた異能持ちはことごとく精神崩壊させた状態で見付かってる。言ってしまえば奴が始末してるんだろう事はほぼほぼ確定さ。異能犯罪を許さず、大きな侵略活動もしない、おまけに“死の商人”に囚われていたレムリアを助けてくれていたのも奴だ。“顔の無い巨人”っていう色眼鏡を外してそういう活動をしてる奴だと考えれば、交渉次第では味方に出来そうだとは思わないかい? まあ、あとは悪意のある活動をしそうな“百貌”とやらが日本に出没している事を考えて、先に大人しい“顔の無い巨人”に接触して協力を仰ぐ必要もありそうだしね』

『いえ、ですがそれは……』

 

 

 ヘレナの、絶対に敵対する訳ではないという言葉に表情を明るくさせ始めたレムリアの横で、ルシアが困惑の声を上げる。

 

 

『あれだけの力の持ち主である“顔の無い巨人”が素直に協力するとは思えませんし、今どのような理由で侵略の手を止めているのか私達には皆目見当も付きません。何か一つ掛け違った時点で、数年前のおよそ十億人にも及ぶ精神干渉の被害が再び起こる可能性さえあります。十億人という数は……正直言って、“白き神”の被害を受けた者達の数とは文字通り比較にもなりません。それに、“顔の無い巨人”の危険度だけではなく、数年前に彼の存在に多大な被害を受けた者達は納得するんでしょうか。私達に協力させるということは彼の存在の所業を許すのと同義になりますし……』

『“顔の無い巨人”に金銭や物的な被害を受けたのは不正してた奴か悪事を働いてた奴、あるいは非人道的な所業をしていた奴だけで、それ以外の奴らはせいぜい軽く洗脳されてた程度。とはいえ、アイツが善人でないのは分かり切っているし、異能を使って億単位の人間を洗脳したのなら許しがたい暴挙でもある。面倒な奴らからの攻撃を避ける意味でも協力関係を築けた時は内密にする必要はあるし、勿論ルシアが言うように協力を断って来て、最悪の場合は闘いになる可能性はあるんだろうけど』

 

 

 『ただ』とヘレナは言う。

 ヘレナは自分の感情だけではない、ヘレナと同様にロランも憂慮していた“顔の無い巨人”の確保を最優先する理由を口にする。

 

 

『……これ以上世界の異能犯罪が増え続けたら、本格的に世界の均衡の取り返しがつかなくなっちまう。国と国、あるいは異能を持つ者と持たない者の溝が、【UNN】が思う通りになる。今の日本の情勢ほどにどうにかとは言わないけど、奴の力を借りて【UNN】という大元に対処する必要がある。今は【UNN】を相手取るよりも“顔の無い巨人”を相手取る方が大義名分が利くんだよ』

『それは……そうかもしれませんが』

『なんにせよ、このまま世界各地で起きる異能犯罪を解決し続けた所で根本的な問題解決にはならない。【UNN】への強制捜査に踏み切るか、今は大人しい“顔の無い巨人”への接触を試みるか。どちらも危険は伴うが、“死の商人”を下した奴の力を身近に感じた私の主観としては、まだ話が通じると思えた』

 

 

 ヘレナからの説明に、世界各地で起きた異能犯罪による悲惨な被害を見て来たルシアが表情を暗くして頷いた。

 状況と目的を提示され、最初こそ強く拒否反応を示していた者達も仕方ないという空気を醸し出した中でも、未だに難色を示している者は二人いた。

 

 

『あ……あれと、手を組む……? あの、異能の怪物と……? お、おら、あの怪物に……今度こそは駄目だぁ、羊が恋しいよぅ……』

 

 

 一人は実際に“顔の無い巨人”の少女を前にしたミレーだ。

 先日“死の商人”と対峙するその存在の事を、ミレーは確かに異能の目で見て、圧倒的なまでの異能の才能に絶望して、恐怖の記憶として刻み付けられた筈だった。

 だが、ちゃんと見た筈なのに、ちゃんとどんな人相の人物なのかを記憶した筈なのに、何故だか今は声も匂いも人柄も記憶に無く、記憶にあるのはぽっかりとした人型の空洞だけだ。

 

 思い出す事すら許されない。

 頭の中の記憶という感覚にすら干渉してくる、文字通り顔の無い存在との明確な敵対を考え、ミレーはただ体を震わせる。

 

 そして、もう一人。

 

 

『……ヘレナ、“顔の無い巨人”の手が未だに容易に全世界に届きうるのは理解しているか?』

 

 

 来る場所を間違えたと早速後悔を始めたミレーを余所に、もう一人の難色を示す人物である楼杏がじっとヘレナを見詰めたままそう問い掛けた。

 

 異能の凶悪性に関してはヘレナに次ぐとも目される彼女の指摘に、彼女と同様に先日巨大な異能の出力が世界を満たしたことに気が付いていた者達が表情を固くする。

 嘘だろ、という表情を浮かべたベルガルドの横で、楼杏は続けて口を開いた。

 

 

『“死の商人”が潰えたほんの一瞬、世界を満たした巨大な異能の出力は勘違いなんかじゃない、そうだろう? あの巨大な異能の出力は間違いなく数年前に感じたものと同種の異能の力だった。“顔の無い巨人”は今も、実質的には世界を掌握している事に変わりはない。そして己は自分の首に刃物を突き付け続けている相手に手を差し出す狂気は持ち合わせていない。何を持ってヘレナがそこまで彼の存在に信頼を寄せているかは知らないが、災害に感情はないと己は思う』

『俺としても信じ難い話なんだ。俺としても“顔の無い巨人”が仲間になると本気で信じている訳ではない。だがね、何もかもと敵対して、何のリスクも取らない段階を、今の俺達は完全に超えている。この世界的な状態で“顔の無い巨人”という問題を放置はできない。危険性の事を考えた上で、俺達は“顔の無い巨人”の問題を優先するべきだと思うんだよ』

『ロラン、己はヘレナに問い掛けてる。己は組織としての動きを否定はしない。だが勝算や計画の先を知りたい。何を持って信じるのか、誰がどのように行動するのか。そしてもしもの時はどうするのか。そこだけは今ここではっきりさせるべきだと思う』

 

 

 仲裁しようとしたロランにそっけなくそう返すと、楼杏はヘレナと視線を交わした。

 自身の質問の解答を聞くまでは席を立たないという固い意志を感じさせる楼杏の視線に、ヘレナも黙ったまま彼女を見詰め返す。

 

 別に楼杏はヘレナが嫌いな訳でも、“顔の無い巨人”に恨みがある訳でも無い。

 自身を拾ってくれたヘレナには感謝しているし、“顔の無い巨人”には自分よりも高位の異能の使い手として尊敬の感情すら存在する。

 ただ、彼女の性格柄、自分の納得できない事はやりたくないし、感謝している相手が不幸になるのを見過ごす事もしたくないからこそ、こうして声を上げている。

 

 そして、それを知っているからこそ、ヘレナは言葉を選びながら楼杏の質問に答えるのだ。

 

 

『……“顔の無い巨人”に辿り着いた時、私が直接交渉する。もしも決裂して、アイツがまた世界に手を掛けようとするなら、その時は……』

 

 

 数百年生きて来たヘレナの脳裏に、ほんの数週間の記憶が蘇る。

 思い出の中に仕舞い込んでいたあの子と過ごした一時の記憶が今更鮮明に蘇る。

 

 実際に会った事もない、声を聞いた訳でもない。

 名前も知らないし、年齢も知らないし、性別も知らない。

 まったくの他人のような関係だったけれども、それでもヘレナにとっては忘れられない相手であり、後悔ばかりを残した相手だ。

 

 大切な記憶で、またあの時のような関係になれたらと、ヘレナは本気で思っている。

 

 

 けれど同時にヘレナには責任があった。

 

 自分の異能技術を模倣され手が付けられなくなってしまった責任。

 

 子供のように付いて回ってきたあの子の手を取れなかった責任。

 

 異能の力を正しい道へと使うように導いてあげられなかった責任。

 

 近くにいる筈のあの子を見付けてあげられなくなってしまった、愚かな自分の責任を。

 

 ヘレナは自分が背負うべきそれらの責任を、果たすべきだとも思うのだ。

 

 だから……。

 

 

『必ず私がこの手で、“顔の無い巨人”の……あのクソガキの息の根を止めるさ』

 

 

 内容とは裏腹な、酷く力の無い声を発したヘレナはそのまま席を立つ。

 

 誰かの懐に仕舞われていた携帯電話が、悲し気に一瞬光った。

 

 

 

 



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胎動する計画

間章5話目!
今回の章はあと1つで終わる予定となります!


 

 

 

 

 「UNN」。

 「Universal neo nexus」(ユニバーサル ネオ ネクサス)の頭文字からそう呼ばれる世界的な覇権企業はその名の通り、「万人の新たな絆」を作り上げる事を目標に掲げている。

 企業に少しでも興味がある人であれば知らない人などいないこの覇権企業は、その目的の通り多くの産業や商業取引に手を伸ばし、全てにおいて大きな成功を収めて来た。

 

 農業、畜産、医療研究、技術開発、インフラ整備に物流そのもの。

 様々な分野に手を伸ばし、多方面に作られた多くの子会社のことごとくが成功している「UNN」という企業名は非常に高名で、同時に各国の人道支援や文化保存、技術伝承にも積極的に力添えをする。

 

 まさに現代における世界的な覇権企業の在り方を体現しているのが、この「UNN」だった。

 

 誰からも尊敬され、自社員に対する手厚い給金や福利厚生さえも他の追随を許さない。

 不祥事さえも取り沙汰されるようなことはなく、清廉潔白でありながら結果を出す。

 どの国の最高学府を卒業した最高の人材もこぞって就職を目指すのがこの「UNN」。

 

 そして「UNN」を一代にて築き上げた稀代の傑物こそ、CEOとして今なお現職に就くノーマン・ノヴァという人物だった。

 

 

『くどいな君も。私はね、自分の血族にこの会社を任せるつもりは無い。私が選んだ、正しく私の後継者たる能力を持った者と出会った時に、このCEOの座を明け渡すつもりだ。能力の無い者には何の利権も渡すつもりは無く、能力を持った者に出会えなかった時は子会社全てを独立させ、それぞれの小規模なものへと落ち着かせる』

『で、ですが、良いのですか? これほどまでに国を跨ぐ巨大な企業を掌握する役職は、一国の元首以上の権力さえ持ち得るものであるのに、それを御子息に引き継がせないなんて……御子息も非常に優秀な方々であらせられるのに』

『優秀? それは見解の相違だ。私の影を追い続けるだけのあれらは人の上に立つ器ではない。研究者や技術職であれば相応の活躍をするだろう、その席くらいは用意しておくつもりだがね』

『……あまりにお厳しい』

 

 

 窓一つ無い広々とした一室で、稀代の傑物ノーマン・ノヴァは報告として上げられた紙の束を確認しながら秘書である男の質問に答えていた。

 

 短い白髪の刈り上げとつり上がった眉からは強面の印象を相手に与え、老いてもなお長身と呼べる彼の体躯からは年若い頃に誇った恵まれた肉体を想像させる。

 そんな一見特段不自由な様子を感じさせることも無いノーマンの体の動きだが、齢八十を越えるノーマンの体調は決して良いものでは無かった。

 全盛期に比べれば肉体面での劣化は著しいし、手先の動きや臓器の機能低下も若い頃の彼を知る者からすれば目に見えて表面に出て来ている。

 年齢を考慮すればいつ倒れてもおかしくないのが、稀代の傑物と呼ばれるノーマン・ノヴァの現状だった。

 

 だからこそ、秘書である男は跡取りについての話を切り出したのだが、一考することなく切り捨てられた。

 非常に優秀な結果を残している子供達を跡取りとして起用する事を秘書の男が提案したにも関わらず、彼に向けるノーマンの目はあまりに無機質だ。

 自身の子供達に対して親愛どころか、後継者としては論外としか思っていないノーマンの様子に、秘書の男は口を噤むしかない。

 

 

『以前、自分の息子を重用してくれと喧しい奴がいただろう。私の裏を知る、そこそこの重役として重宝していた奴だったが、息子に裏の仕事をさせて見て欲しいと懇願してきたのを覚えているか?』

『え、ええ……確か大した情報を与えず日本での誘拐任務の責任者にしたのでしたね』

『結果はどうだった? あの国の警察に捕まり、騒ぎを大きくした。素行も悪く、自身の身辺も碌に管理できない。日本で雇えていた異能持ち“紫龍”を失い、拠点としていた建物も手放す羽目になった。分かっていた事だ。異能もそうだが、血筋なんてものには何の能力も宿らないのだ。血のつながりなど信用に足りえない。個人の才覚だけが、全てを踏み潰し得る力なのだという証左になっただろう』

 

 

 そこにあるのは模範的な覇権企業である「UNN」CEOの顔ではない。

 現在、世界の全てを実験として利用し、国際情勢を混乱の渦中に陥れている異能開花薬品の、全ての黒幕であるノーマン・ノヴァのあまりに冷酷な表情だ。

 

 世界的な覇権企業である「UNN」の裏の顔、それを知る者はごく僅か。

 武器製造や国家間取引の仲介、あるいは異能と呼ばれる天性の才能の研究。

 決して表には出さない「UNN」のそれらの活動は、あまりに後ろ暗く、あまりに貪欲で、あまりに犠牲を産む事業だ。

 

 一度表に出てしまえば、世界からの信用を取り返す事が出来るようなものでは無いのをノーマンはよく理解している。

 

 だからこそ、ノーマンはそれらの守秘を徹底する。

 だからこそ、ノーマンはそれらに関わる者を徹底的に精査する。

 だからこそ、ノーマンは才能でしか人を見ない。

 

 そしてその結果で積み上げられたのが、今の「UNN」という世界を支配する巨大な企業だった。

 

 

『才能は経験を踏み潰し、信頼は血よりも色濃いのだ。分かるね?』

『……もちろんです』

 

 

 秘書の男はノーマンの言葉に気圧されながら、同時に自身を認める意味でもある稀代の傑物の言葉に胸を躍らせる。

 

 ほの暗い優越感が秘書である男の胸中を支配する。

 ノーマンの子供達は「UNN」の、彼のこの裏の顔を知らない、知らせるに足るとすら思われていない。

 非常に優秀だと様々な者達が認めているノーマンの子供達が世界の覇者である父親には自分よりも信用されていないという事実が、秘書の男にさらに暗く深い忠誠心を抱かせた。

 

 しかし、だからこそ秘書である男はあることに対して納得できない感情が湧き出してしまう。

 

 

『……それでは後継者の話はもうしません。ですが、あの男。“白き神”について』

『ふむ』

 

 

 ノーマンが報告書を処理するために動かしていた手を止める。

 秘書の男の切り出した話は、ノーマンにとって後継者の話以上に興味の引かれるものだったようだ。

 

「UNN」が所有する異能についての情報を知っており、極秘中の極秘であるこの場所で保護している“白き神”こと白崎天満の処遇についての話は、ノーマンにとっても重要度の低いものでは無い。

 

 

『奴の保護を今も続けているのは何故ですか。希少な精神干渉の異能持ちとはいえ、何を企てるか分からず恩義を感じるような性格でもない。利用できそうなその異能すらほとんど力を失っているあの男に価値など……』

『君の疑問はもっともだ。君の考えとしては動向に不安がある彼の保護を継続するのではなく、後腐れなく始末するべきだと言うんだろう? 確かにその通り、私も普段であればその選択をするだろう。君の知る私の判断としてはありえないと思って間違いは無い』

『で、では……』

『だが時に、義理人情も大切にする必要がある、という事だ』

『?』

 

 

 まるで本来ならそうはしないとでも言うようなノーマンの言葉。

 秘書である男は彼の真意が理解できず口ごもる。

 

 そんなタイミングだった。

 

 

『また悪い話をしてる』

 

 

 部屋に誰かが入ってくる。

 白い人が部屋に入ってくる。

 

 性別は分からない。

 長く真っ白な髪をした中性的な人物が、患者が着るような白い服を着用している。

 髪先から爪先に至るまでの全身が真っ白で、服の色も相まって白い絵の具を人型に描いたと錯覚してしまいそうなその立ち姿はどこか人間とは思えない。

 人である筈なのに絵画のようで、立体の筈なのに平面で、目の前にいる筈なのにあまりに遠い。

 

 そんな不気味な白いナニカに笑い掛けられ、ノーマンは嘆息する。

 

 

『そう歩き回られると困ってしまうんだがね』

『悪だくみするのは良いけどあんまり腹黒い話ばかりしていたら顔に出て来るよ。僕としては君が捕まるのはとても困るんだ。ちゃんと約束を果たしてくれないと』

『勿論約束は果たすつもりだとも。だが、何分難易度が高いお願いなんだ。悪だくみの一つや二つしないと果たせないくらいにね』

『どうだか。あ、秘書君ごめんね。話を遮るつもりは無かったんだ。ずっと寝ておくのも暇で暇で仕方ないからさ』

『い、いえ……』

 

 

 秘書である男は白いナニカに話を振られ、口ごもる。

 ソレの存在は知っていたが、これまで直接会ったことは無かった。

 

 自身の上司であるノーマンの計画の中でも最重要に位置しているその存在。

 これまで好んで出歩く様子を見せなかったから、このまま自分は顔を合わせることなど無いのだと思っていた。

 だからこそ、話の中だけだった存在がいざこうして目の前に現れると、どんな反応をすればいいか分からなくなってしまう。

 

 

『これまで引き籠っていた貴方が暇だからと出歩く? 冗談にしてもセンスが無い』

『酷いことを言うね』

 

 

 だから、ノーマンが席を立ちながら扉を指し示したのに従って、秘書は一礼しこの場を後にする。

 退出する秘書の後ろ姿を少し残念そうに眺めた白いナニカは、気持ちを切り替えると含みがありそうな笑みを浮かべてノーマンを見た。

 

 

『とはいえ君の言う通り、僕も理由があってこうして出歩いていたんだ。間違っても君の悪人面なんかを見たくてこの場に来た訳じゃ無くて、それなりに思う所があったんだよ。ほら、あれだよあれ。先日あったほんの一瞬の巨大な異能の気配が気になってね。あの時は寝てたからもう一度くらいあってくれないかと』

『……報告には聞いているとも』

『自分で感知はできなかったんだろう? そうコンプレックスを拗らせなくても分かっているとも、君に異能の適性がほとんど存在しないことくらい僕は理解しているよ親愛なる共犯者君』

『……』

 

 

 口を閉ざしたノーマンに対してクスクスとひとしきり笑った白いナニカは顎に指を当てて視線を天井に向ける。

 

 

『僕としては“顔の無い巨人”とやらは死んだものだと思ってたんだけどね。ここ数年活動しなかったんだから、てっきり老齢の人物が目的半ばに倒れたものだと思っていたんだけど』

『前々から日本という国では異能犯罪の数が極端に少なかった。あの国を根城にしていることはほとんど判明しているようなものだ』

『なんだって? ちょっと、その話全く聞いてないんだけど? 僕と君は目的を同じにする共犯者なんだから、最大の敵に成り得る相手の情報共有くらいしっかりしてくれないと』

『ほぼ常に寝ているような相手とどう情報共有をしろと言うんだ』

 

 

 呆れたようなノーマンの返事に、白いナニカは楽しそうに『それなら』と言う。

 

 

『君随分綱渡りしてることになるじゃ無いか。“顔の無い巨人”が存命で今も活動するというなら、君がやっている悪だくみを彼が疎ましく思って攻撃に移った瞬間君は打つ手なしになるんじゃないのかな』

『貴方が知らないだけで対“顔の無い巨人”の体制は既にいくつか作ってあるし、他の計画も進んでいる。それに、進んで敵対しようなどとは思っていない。日本に積極的に攻撃を仕掛けるつもりもなければ、対話の機会があれば応じるつもりもある』

『ふふ、彼の話になると君は酷く饒舌になる。分かりやすい目標があるのは良い事だよね。じゃあ、今世界に広めている粗悪品の異能開花薬品についてもその筋の計画っていう事なのかな?』

『半分はそのつもりだ。だが、粗悪品というのは聞き捨てならないな。異能の適性が全く無いような者が使っても大きな後遺症や生命活動に影響を及ぼす危険性が無い、言ってしまえば安全性が確保されたものを流通させているのだ。安全性という面から考えれば、流通させている異能開花薬品は充分商品としては完成されている、取引価格としてはあまりに低いほどの値段でな』

 

 

 企業のトップでありながら、研究者としての一面も持つノーマンは白いナニカに言われた粗悪品という言葉が非常に不服なようで、強い口調で噛み付いた。

 普段は中々見せない感情的な反論に白いナニカは『怖い怖い』と言いながら、机の上に置かれていた異能開花薬品を手に取る。

 

 宝石のような光沢を放つ赤黒い液体。

 容器であるガラス越しにその薬品を眺めた白いナニカは感慨深げに呟く。

 

 

『ふふふ、それにしてもこれがねぇ。僕から作られている「物」を見るのは初めてだけど、安全性を確保していると言うのなら中々悪いものじゃないかもしれないね。ここまでの品を作るのには君の能力や人脈を用いても随分時間も手間も掛かった。思い出してみれば最初の頃は安全性とは程遠い、完成度としては酷いものだったね』

『動物実験でさえ投与からの拒絶反応が想像を絶するほどのものだったからな。ここまでの形にするのには苦労させられたが、だからこそ、異能犯罪の解決を協力するという名目で現場に入り、異能持ちを集める事に成功している上、実証実験を記録できるこの段階まで辿り着いた。もうあと少しだ。もう少しで私の目的を達成し、君との約束を果たせる』

『……うん、随分永かった。本当に期待してるよ』

 

 

 野望達成が見える場所に近付いている事実にノーマンはほの暗い笑みを浮かべ、白いナニカは目を細めながら共犯者を肯定する。

 随分長い時間と莫大な労力を掛けた成果がようやく実りつつあることに、共犯者である二人は純粋に喜びを分かち合う。

 

 そんな世界中見渡してもほんの一握りの、絶対的な力を持つ二人の暗い談笑。

 

 この場所。

 地中に作られた完全密室。

 ここで行われているこの二人のやり取りは誰にも聞かれることは無い。

 そうなるように設計しているし、そうなるように数多の対策が張り巡らされている。

 だから、世界に悪影響を及ぼしている野望について話す彼らを邪魔するものは、少なくともこの場においては無い筈だった。

 

 ……だが、それを遮るようにノーマンの机に設置された受話器が着信音を鳴らし始めた事で、ノーマンと白いナニカの談笑がピタリと止まった。

 

 ルルルル、と。

 静かで耳障りではない、着信音だけが部屋に響く。

 目を丸くする白いナニカの横で、不気味なものを見るような目で着信音を鳴らす受話器を見詰めたノーマンが素早く手元の機械を操作して発信先を確認していく。

 

 

『どうしたんだい? 電話が鳴ってるよ、取らなくていいのかい?』

『……取れる訳がない』

『ん? 何でだい? 電話は出るものだろう?』

『あの電話は……我が社の支部との直通電話だ。他の何処にも繋がらないし、何か必要がある時はあの電話を使うように支部の者達には伝達している。だが、使う必要がある時はない。向こうから私に掛けて来る事は本来あり得ない。実質的には錆び付いた回線でしかなく、そうなるように私が仕向けた』

 

 

 そこまで言ったノーマンは手元の機械に表示された支部名を確認し、直ぐに息を切らせて部屋に戻って来た秘書の男に指示を出した。

 

 

『……ワシントン支部からか。レオン、聞こえているな? ワシントン支部の職務状況を確認しろ』

『確認が済みました! 十二分前から支部全体の職務記録が停止しています!』

『ん? ん? どうした秘書君そんなに血相を変えて。何かとんでもないことが起きているような……』

 

『攻撃だ』

 

 

 部屋から出ていた秘書の男の息を切らせながらの報告を聞き、白いナニカが首を傾げる横で、鳴り続ける受話器を見詰めるノーマンが確信を持ってそう言った。

 

 ルルルル、と別の場所に配置されていた別の受話器がまた着信音を鳴らし始めた。

 息を呑む秘書の男と未だに状況が掴めない白いナニカに見詰められ、手櫛で髪を掻き上げるように頭を掻いたノーマンが嘆息混じりに呟く。

 

 

『“顔の無い巨人”による攻撃だ。少なくとも、ここに掛けて来ている支部の人員は全て抵抗すらすることが出来ずに掌握されている。十二分前の業務停止がその証拠だ。つまり、アレに出た瞬間この場所が捕捉され、支配下に置かれる』

『……それは』

『“顔の無い巨人”が何かしらのラインを通じて異能による支配を進めたのは数年前の侵攻で理解していた。だからこそ、この場所はあらゆる回線から断絶された空間を意識して作ってきた訳だが、その想定は正しかったらしい。既にここ以外の場所がどれほど制圧されたかは不明だ。外の状況を確認するために連絡を取ってはいけない。支配下に置かれている可能性がある場所と回線を繋いではいけない』

 

 

 それだけ言うとノーマンは疲れたようにソファに座り込み、背もたれに体を預けるようにして天井を見上げる。

 地中深くに作られたこの建物の天井を見上げ、これからの対策や対応を考えながらも、次々に頭に思い浮かぶ現状に至ったであろう要因を分析していく。

 

 

『……与えられた猶予が少なすぎたのか。それとも、私達の行動が遅すぎたのか。あるいは全ての行いが間違っていたのかは分からないが……』

 

 ルルルルルルルル、とどこか別の部屋からいくつもの受信音が響いて来る。

 もはやいくつの直通電話が鳴り響いているのか分からない状態になっている事に、電話を掛けて来ている人物のあまりの不気味さに、顔から血の気を失った秘書の男は縋るような目でノーマンを見詰める。

 

 だが、ノーマンは自分の中で出た結論を、立ち尽くす白いナニカと秘書の男に向けて言うだけだ。

 

 

『イヴ、私達は完全に孤立した』

 

 

 そして、始まったであろうソレを口にするのだ。

 

 

『————“顔の無い巨人”による世界侵略が再開した』

 

 

 自嘲するように、白旗を放り投げるように、ノーマンは脱力して進めていた計画をすべて放棄する事にした。

 

 

 

 

 



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百の仮面を被る者

 

 

 

 

 幕が上がる。

 スポットライトに照らされる撮影現場と演者達。

 物語を紡ぐ者達が各々の役に入り込み、迫真とも言える演技で一つの場面を彩っていく。

 

 それはたった一つの物語を精巧に作り上げるための工程だ。

 ある映画を撮影している彼らは、それぞれ絶対の自信を持つ自らの技術で任された役割をこなし、最高の作品作りの為に全力を尽くしている。

 

 ある者は信義を震え、ある者は愛に惑い、ある者は衝動に駆られる。

 劇中の登場人物達が示す感情の発露は見る者に衝撃を与え、複雑かつ分かり易く絡められた関係性の糸が感性を揺さぶり、大きく展開していく事態の変化で視聴者の心を掴む。

 そんな計算し尽くした作品作りが、この劇場では行われていた。

 

 この物語の構成を設計した監督達、それぞれの場面ごとに必要な要素を強調するよう構想した演出家達、あるいは劇中の役割を完璧にこなす演者達。

 それぞれが非常に重要な役割を担い、誰一人が欠けても今築き上げているこの物語の成功はありえないとこの場の者達全員が理解している。

 まさしく、劇を作り上げる事に掛けて国内有数の技量を持つ者達がこの一箇所に集められた、現代日本の映像劇を作る上では頂点とも言える場所なのである。

 

 けれど、高い計算や緻密な構成で整えられ、指折りの実力者達が集められた場においても、異質な存在は現れる。

 

 

「いいえ違うんです。私は何もかもを諦めて笑った訳じゃ無くて、諦められていない自分自身に思わず笑ってしまったんです」

 

 

 自身の仕事に絶対の自信を持つ者達が集められているこの場で、誰一人が欠けてもこれ以上の作品を作り出すのは不可能だと理屈では分かっているのに、どうしても。

 物語の構成があまりに完成されていて、場面を彩る要素があまりに完璧で、演者の役作りが正解と呼べるようなものであったとしても、関係なく。

 

 異彩を放つこの人物さえいれば、この劇は完成されるのではないかという錯覚がこの場の者達の頭に過る。

 

 

「だって私はまだ憧れを捨てられない」

 

 

 ふわりと広がる栗色の髪に、明るく優しい色合いの瞳。

 日本人離れしたスタイルの良さとはっきりとした顔立ちでありながら、愛嬌すら感じさせる柔らかな空気感を醸し出す。

 存在自体が見るものすべてを虜にするような、人に好かれる為に神様が自ら作ったかのような、自分とは根本の違う芸術品を見ている錯覚を感じさせる程の造形美。

 

 そして、そんな彼女の演技はありとあらゆる舞台装置を超越する。

 

 呼吸一つ、瞬き一つ。

 目線の角度や揺れる毛先、衣装の揺らぎに光の反射。

 身に纏う空気すら支配し完全無欠としか言えぬほど役に成り切って、息をするのを忘れる程美しい場面を演技一つで作り出す至高の天才。

 

 ————神崎未来の存在はこの場においても絶対的な輝きを放つのだ。

 

 

「この憧れはまだ私から離れてくれはしないから、私はまだもう少しだけ前に進める。……大丈夫です。自信はあります。必ず成功させて見せますから、だから先輩も私を信じてください」

 

「————はい、カット! 完璧! 皆、完璧だ!」

 

 

 神崎未来に引き摺られるように自分の技量以上の演技を行っていた演者達がふと正気に戻ったように全身から力が抜ける。

 力の抜けた演者達がその場に座り込んで息を整えるように深呼吸する姿は、もはや満身創痍と言っても良い様相だった。

 

 もう肌寒い季節。

 映画の撮影現場であるこの場所も一桁の温度を記録する程度には寒さが厳しく、相当着こまなければ汗の一つも掻くような環境でないと言うのに、演者達の体からは汗が噴き出していた。

 演者達はまるで限界以上の運動をしたかのような自分の汗にようやく気が付き、驚きながらも、この場の全員に丁寧に挨拶しながら去っていく至高の天才を見遣った。

 

 

「……神崎さん、前々から次元が違うとは思ってたけど。海外映画にまで呼ばれるようになってからは本当に妙な凄みがあるよな。海外では“劇神”って評されてたけど、うん、まあ、それも当然って感じ」

「今国内で人気が出る映画やドラマといえば神崎さんが出てることは前提みたいな風潮だろ。単純な客寄せパンダじゃないって事さ。……それに、海外でも絶賛されているっていう話もよく聞く。そのうち仕事の拠点を海外に移すだろうから、今の内に勉強させてもらわないと」

「まあ、間近であの演技を見せられたらな。競争相手どころか、日本じゃ収まりきらない人なんだって思い知らされたよ」

「私、子役時代のあの人に憧れてこの業界に入ったんだけど全然近付けないよ。“劇神”かぁ、格好良いなぁ」

 

 

 諦観と憧憬が込められたそんな会話。

 この日の最後の撮影を終えた演者達が自身のマネージャーから飲み物やタオルを受け取りながらのその会話には嫉妬や恨みといった感情は無い。

 神崎未来という本物の演技を見せられた彼らには、もはや対抗意識なんていうものは微塵も残っておらず、あるのはただの崇拝染みた憧憬の感情だけだからだ。

 

 そして当然、鎬を削り合う同業者ですらこの様なのだから、利益を受けとる撮影関係者達の態度はもっと露骨となる。

 撮影場所から離れた神崎に対して、競うように近付く多くの人影があった。

 

 

「神崎さんお疲れさまでした! いつも通りの見惚れるような演技最高でした!」

「神崎さん実はスポンサーの方から今度関係者での食事会を提案されていまして、神崎さんの御都合に合わせますので日程を教えていただけると……」

「すいません神崎さんっ! 先程撮影の私のミスをフォローして頂き本当にありがとうございました!」

 

 

 媚びを売るような高い声。

 下心の有る無しはともかくとして、少しでも神崎未来という人物に関わりたいと思う者達が我先にと駆け付けて来たのを、神崎は穏やかな表情で迎える。

 

 

「岸さん、ありがとうございました。深井さん、ごめんなさい。日程について私は把握できていないんです。マネージャーの方への確認をお願いできますか? 藤原さん、ミスとは言えない程度のものでしたよ。お気になさらないでください」

 

 

 撮影舞台から降りた神崎未来に対して集まった者達が矢継ぎ早に声を掛けるが、彼女はそのどの言葉に対しても正確に、かつ相手の名を呼んで返答していく。

 

 親しみを感じさせる彼女のその態度は撮影中とはまるで異なり、スターにありがちな話し掛け辛いオーラのようなものを微塵も感じさせない。

 どんな相手に対しても丁寧であるし、誰を相手にしても理想の応じ方をしてくれる偉大な人物。

 そんな神崎未来という役者と関わりたいと言う者は後を絶たないのは当然だし、大スターと呼ばれる者の宿命とでもいう状況。

 

 けれどそれすら、生粋の演技者である彼女は思うままに操って見せる。

 

 

「皆さんごめんなさい。少し足を怪我していて、しばらく仕事以外は安静にするつもりなんです。でも、撮影終わりの打ち上げくらいは参加したいので何とかそれまでには足を治しておきますね」

 

 

 目線の動きや声質の変化。

 ただの断りの言葉が演技とは思えない自然な形の申し訳なさそうな態度が、不快感を抱かせないまま彼女を誘おうと集まった者達に諦めの感情を抱かせる。

 日常生活においても活用される彼女の演技力は、他人が抱く自分の印象をいともたやすく思い通りに書き換えてしまう。

 

 敵を作らない。

 才気に恵まれ、実績による強固な立場を築き上げながら、神崎未来はその基本を今なお徹底しており、そしてそれは彼女を人柄で嫌う者は業界内にいないと言わしめるほどの結果を残していた。

 

 

「それでは皆様、本日はありがとうございました。お先に失礼しますね」

 

 

 ニコリと、柔らかな笑顔を浮かべて別れの挨拶をする。

 駆け寄って来た担当マネージャーの手から上着を貰いこの場を後にしながら、神崎はチラリと後ろを確認した。

 そして共演者達の目が届かないある程度離れた所まで来た事を確認すると、ヒョコヒョコと片手で担当マネージャーの肩に体重を掛けて痛む足を擦った。

 

 絵に描いたような綺麗な表情が、みるみるシワシワに萎んでいく。

 

 

「いたぁ……包帯で補強してたし走るような事はしないようにしてたのに、足痛ぁ……マネちゃん……おんぶしてぇ……」

「やっぱり痛いんじゃないですか!? 全然撮影中にそんなそぶりを見せなかったから分かりませんでしたよ!? ほら、帰る前にいつものお医者さんを予約してるからそこに寄りますよ!」

「えっ、いやっ、お家でお酒飲みながら可愛い子がいっぱい出るお笑い番組見る予定なんだけど……」

「駄目です言う事聞いてください! そもそも私達を撒いて一人で買い物に行った結果の怪我なんですから少しは懲りてくださいよ! もうっ! おんぶしてあげますから!」

 

 

 担当マネージャーが駄々をこねる神崎を背負いながらそうやって強く叱りつけるが、当の神崎はまるで気にも留めていない。

 自分以上に自分の身を案じる会社や担当マネージャーには感謝しているが、だからといって自分のこのスタイルを曲げるつもりは無いからだ。

 

 そしてそれはこの担当マネージャーも、神崎が所属する会社の者達も嫌というほどよく分かっている。

 

 

「いやあ、この足の怪我はもう何度も診て貰ってるしー? 普通に骨折だって言われてるじゃんー。もうちゃんとした処置はしてもらってるんだからさ、これ以上どうこうするより……マネちゃんマネちゃん、会社に秘密でウチに来ない? 一緒にお酒飲みながら可愛い子の出るお笑い番組見ようよ!」

「社長は神崎さんに駄々甘ですけど私は普通に怒られるんですからね!? お給料下がっちゃいますよ! それに神崎さんの体調を私が心配して無いとでも思ってるんですか!?」

「えー、マネちゃん酷いなぁ。私はちゃんと私が言いだしましたって言うよ? 社長さん、マネちゃんの事を怒らないでくださいねってフォローするしさー」

「……べ、別に、神崎さんはちゃんとフォローしてくれるのは知ってますけど、それとこれは別問題ですし……」

「うふふー」

 

 

 背負われながらも嬉しそうに笑いを溢した神崎は自分を背負う担当マネージャーの後頭部を軽くペシペシ叩いていく。

 小学生男子がやりそうなちょっかいに担当マネージャーは顔を引き攣らせるが、神崎はほわほわとした笑顔を絶やさない。

 可愛そうなほどに弄ばれているが、事務所至上最高の商品であり、最悪の我儘娘と呼ばれるこの女性のお世話を任されているマネージャーの気苦労は何も今始まったことでは無いのだ。

 

 

「それにしてもマネちゃん、また私の事神崎さんって言ってる。未来ちゃんか、ミクちゃんって言って欲しいなー、なんて」

「前に未来ちゃんって呼んでるのを聞かれて先輩達に質問攻めにあったんですよぅ……というか、ミクちゃんってなんですか……?」

「未来(みらい)の別の読み方が未来(みく)でしょ? 最近思い付いたんだよね。これならマネちゃんも気兼ねなく呼べるでしょ?」

「なんでそんな偽名っぽいのをわざわざ……ま、まあ、それなら……」

「マネちゃん達を撒いて可愛い子達をナンパした時にこの名前を使ったんだけどそんなに嘘って訳でも無いし、結構良い名前じゃない?」

「…………なんでウチの大女優はこんなに精神がおっさんなの……? ウチの問題児に絡まれた子達本当にごめんなさい……」

 

 

 ついには若干悲壮感を漂わせながらそんな事を呟いた担当マネージャーだったが、背負われた状態の神崎は気にもせずその背中を指で突いていく。

 

 もはやただの親に構ってもらいたい子供のような行動だ。

 そんな攻撃に晒され今すぐ背負っている物を投げ捨てたい衝動に駆られながらも何とか理性で抑えきった担当マネージャーは、ようやくたどり着いた車の後部座席にその大きな荷物を放り込んだ。

 

 

「はい新聞記事です。予約した病院に着くまで大人しくしていてください」

「わーい」

 

 

 才能だけを無駄に兼ね揃えた大きな子供を大人しくさせるために、担当マネージャーは用意しておいた玩具(新聞記事を写したタブレット)を後部座席に投げ付けてから車を出発させる。

 幾ら仕事以外がただの我儘娘であっても流石に運転中に妙な行動を取ることは無いと信じてはいるが、何かしら対策をしていないと落ち着かないのだ。

 

 とはいえ、国内外を飛び回るまでに有名となった大女優という立場柄、悪化の一途を辿っている情勢の変化に目を向ける必要もあるのも事実であった。

 

 

「うーん、やっぱり良いニュースが無いなぁ。この前のハイジャックの話題がもう取り上げられないくらい他の事件が一杯起きてるよ」

「異能開花薬品でしたっけ? 海外だとその薬の流通が盛んらしいですもんね。日本だと偽物の流通すら見掛けないですけど」

「そうそう。この世界情勢の悪化を止めるにはその薬品の出所を抑える必要があるんだろうけど上手くいってないみたいだね」

「……あの、やっぱり私、海外の仕事減らすように社長に言っておきますね。確かに海外人気も右肩上がりの今、海外映画やドラマの出演を増やすのは大切かもしれませんが、この状態の海外に行くのはあまりに危険だと思いますので」

「え? いやいや大丈夫だよ、マネちゃんは心配性だなぁ。どうせすぐに製造元が抑えられて事件も減っていくだろうし」

 

 

 海外の新聞記事に目を通していた神崎の言葉に、担当マネージャーが不安を覚えてそう言うが、当の本人はあっけらかんと小首を傾げるだけだ。

 まるで本当に心配していないかのような神崎の様子に、担当マネージャーの方が困惑してしまう。

 

 

「そんな根拠も無いことを言わないでくださいよ。神崎さん、こういうのは突然目の前で起こるから怖いんですよ? 大丈夫だろうじゃなくて、大丈夫じゃないかもしれないって思わないといけないんです。それに」

「ミ・ク・ちゃん! ミ・ク・ちゃん!」

「……それに、ミクちゃんはもう、ただの一介の女優じゃなくて、国を代表する大女優なんですから。本当に、自分の体を大切にしてくださいよ」

「えへ、仕方ないなぁ。マネちゃんがそう言うなら私も素直に従うよ。私としても海外で有名になるよりも国内でもっと有名になりたかったしね」

「私の意見を尊重してくれるのは嬉しいですけど、国内ではもう知らない人の方が圧倒的に少ないですよ。知名度で張り合えるのなんて、それこそ世界的に注目されてる飛禅飛鳥さんくらいで……そう言えば、前に情報番組で飛禅飛鳥さんと共演されてましたね」

 

 

 ふと交番を目にした担当マネージャーの言葉に、神崎も「ああ」と思い出したように頷いた。

 

 

「覚えてるよ。可愛らしい猫被りだったよね。若いのにあんなに重い立場になっちゃって大変そうだと思ってたけど、あの人なら何だかんだ切り抜けそうな気がするかな。ああいう人って適応能力高いしさ」

「ミクちゃんに褒められるなんて演技の才能もありそうですね。物を浮遊させる異能とは聞いてますけど、そういう才能もあるとか。ええ、はい。身の回りに凄い人が多すぎて嫉妬をする気にもなれませんよ、もう……ってそうじゃなくてですね。前々から疑問だったんですけどミクちゃんがあんな情報番組に出るなんて不思議だったんですよね。あんなの、勿論ミクちゃんは求められていた役割を期待以上にこなしていたとは思いますが、言い方は悪いですけど客寄せパンダみたいな広告効果しか求められてなかったじゃないですか。普段なら絶対あんな番組に出ることは無いのに」

「んー……」

 

 

 国際情勢に企業情報、株価の動きや世間的な流行。

 神崎はタブレットを操作してそれらの別の記事を探しながら、担当マネージャーの話に相槌を打っていく。

 そうして、自分の想定通りに情勢が動き、特に目新しい情報が無い事を確認した神崎は新聞記事の表示を切り替え別のウェブサイトに接続して、特に考えた様子も無く返答する。

 

 

「だってほら、飛禅飛鳥さんとか、あの国会議員の……えっと、阿井田博文さん。あの人達の事を直接見たかったからね。多少意に反するような番組出演でも、彼女達と共演できるなら良いかなって」

「え? 神崎、んんっ、ミクちゃんにもそういうミーハーな考えがあったんですね? 確かに有名ではありますけど、流石にミクちゃんが一目置くような相手じゃ……」

「違う違う。私自身の演技の幅を広げたかったんだよ」

「演技の幅、ですか?」

「そう、異能持ちと国会議員なんて。中々見本に出来る機会なんてないでしょ?」

 

 

 既に大女優として名を馳せている神崎の飽くなき向上心に、普段手を焼かされている担当マネージャーが思わず感嘆の溜息を吐いた。

 そして、自分に見せる我儘な姿からは想像できない、至高の天才としての片鱗が垣間見えた事に感動していたからこそ「……もう覚えたけどね」という次の言葉は聞き逃してしまった。

 後部座席にいる神崎の表情がつい先ほどまでと同じ人物とは思えないくらい冷たいものになっている事にも、担当マネージャーは気が付けない。

 

 同業者にも、撮影に関わる者達にも、同じ会社の者達にも、誰に対しても期待通りの役柄を演じて見せる神崎未来という人物の素顔は誰も見破ることはできない。

 

 

「……ふふ」

 

 

 車両が流れに乗り始め、運転に集中し始めた担当マネージャーの後ろで、神崎は冷たい目で『UNN』のホームページに接続した画面を眺める。

 あらゆる国の『UNN』の支部が陥っている状況が全く世に流れていない事を確認し、追い詰められている人間以外が被害なく正常に働けている事実に満足する。

 

 神崎未来は、本当に小さな囁くような声で呟いた。

 

 

「……無敵の牙城の簡単な崩し方は孤立させる事。補給を断つのも、スパイを作って疑心を煽るのも、情報を遮断するのも、凄く大切な事だと思うの」

 

 

 無機質な目。

 無色透明な表情。

 そんな、何の演技もしていない神崎未来の姿を見るのは本当に稀だ。

 

 心にするりと入り込む不思議なお姉さん。

 憧れの大女優や自分に利益をもたらす演者、あるいは自分がマネージャーを担当する役者。

 その時々で人が望む相手の姿は異なっていて、人によって求めている相手の性格は違う。

 目の前の相手がどんな神崎未来を求めているのか。

 それは勝手に相手が期待している姿だけれど、それを裏切って失望されるよりも、偽って良いように利用する方が神崎未来にとっては簡単だった。

 

 彼女は常に仮面を被る。

 彼女にとって撮影現場とそれ以外に違いは無い。

 だから、彼女にとっては日常生活全てが劇場だった。

 

 清廉潔白な女優としての姿も、我儘ばかりの手を焼く役者としての姿も、とぼけて隙を見せる女性としての姿も、全てが全て神崎未来という仮面で出来上がった役である。

 

 

「国家の壊し方は知っていたようだけど、自分の城の守り方は知らなかったようねお爺さん」

 

 

 女優である神崎未来の攻撃的な面は誰も知らない。

 誰も大女優である神崎未来に攻撃性を望んでいない。

 だから誰も知らないまま、“劇神”神崎未来の美しい手が画面に映る『UNN』を覆っていた。

 

 

 

 

 




今回の話でこの間章は終了となります!
また章として話が纏まるまでしばらく更新を停止しますが、失踪することなく執筆はしていると思いますので気長にお待ちいただけると嬉しいです!
11章、あるいは2部4章でサトリちゃんがどのように追い詰められていくのか、どのようなポンコツを晒すのか、期待していてくださればと思います!

ここまでのお付き合い本当にありがとうございました!


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Ⅱ‐Ⅳ
黒幕の裏側


皆様お久しぶりです!
随分と投稿が遅れてしまいすいません!
新年あけてしまいましたが、本年も何卒宜しくお願いします!

ようやく11章が纏まりましたので投稿を再開させていただきます!

また、後書きでお知らせを書かせていただきました!


 

 

 

 

 その日、日本国内では国会に多くの注目が集まっていた。

 数ヵ国に渡って被害を出した『航空G174ハイジャック-新東京マーケットプラザ襲撃占拠事件』を受けて、早急に対策となる政策の必要性が叫ばれた事による新法案の審議。

 その佳境ともいうべき最終審議が今この時の国会で行われており、日本国内に住む者達は多くが作業の手を止め、中継されている報道画面を見詰め自分達の住まう国の行く先に注視していた。

 

 そして、その時はやってくる。

 

 

『————現在、正式に超能力使用に関する法案が国会で可決された模様です。先日のショッピングセンター占拠籠城事件や世界的に超能力犯罪が増加している事を受けて早急に進められていた超能力所持者の保護及び超能力使用を保証する内容の法案に、国会内では慎重な意見も多くあったようですが、今回の可決をもって超能力を持つ方の保証を国が行う事になると思われます』

 

 

 現場のリポーターによって届けられるそんな新法案成立の情報。

 多くの者に望まれて可決される事となった新たな法案なのだが、実際の所それを知った国民はその新法案で情勢がどのように変化するのか不安に思う者が殆どであり、法案に賛成した議員達さえ一概に喜べてはいないのが現状だった。

 そして、世論にあるそんな不安を理解している報道リポーターも、硬い表情を崩さないまま締めの言葉を口にする。

 

 

『……これからこの法案を可決した事で私達の生活にどのような変化がもたらされるか。その推移を注意深く見守りたいと思います』

 

 

 暗い雰囲気だ。

 いち早く情報を得ようと国会の周りに集まっていた者達も、中継で国会の様子を説明しているリポーターも、どこかその表情には影があった。

 

 それもその筈。

 今の世界は、身勝手で、凄惨で、抵抗なんて出来ないような事件が簡単に身近で起きうる状況なのだと知らしめられてしまった。

 先日のハイジャック犯によるショッピングセンターの占拠で、世界で起きている凶悪犯罪をどこか他人事と捉え気にもしていなかった一般人の危機感が、急速に高まり始めているのが今の状況なのだ。

 

 異能が存在する事を知った。

 異能を使って犯罪を行う者が居る事も知った。

 名を馳せていた高名な者が実のところ異能を持っていて、国家として異能を使用しての犯罪行為に対処するための議論や対策が進められていて、警察官による世間に向けた警鐘にも似た復讐を目の当たりにした。

 それらを積み重ねた上で、自分達の身近なものとして親しまれている飛行機とショッピングセンターを襲った犯罪は多くの者に冷たい危機感を抱かせる事となったのだ。

 

 どれだけ日本が世界に比べて異能犯罪の被害数が少ないと言われようとも、どれだけ先日のハイジャック犯による犠牲が少ないと言われようとも、今までの犯罪とは受けた衝撃の種類が違う。

 飛行機やショッピングセンターという身近なもので少なからず死者が出たという事実に、自分達だけは何の不安も無く平穏に過ごせると信じていた者達には少なくない衝撃が走った。

 

 だから。

「もし自分の近くで同じような事があったら」

「もし身近な人が同じような犯罪に巻き込まれたら」

「もしも同じような事で見知った人が命を落としたら」

 そういった事を考える人が、世間では多くなり始めている。

 

 そんな、“連続児童誘拐事件”が解決していない時よりも数段悪い空気感は誰かが意図している訳でも無いのにひっそりと世間に広まりつつあった。

 

 

「……こ、こんな早急に法案が成立? ちょ、ちょっと、私全然内容を理解して無いんスけど、ウチらにとってこの法案は良い事なんスよね!? 異能持ちの立場を国が認めるってことは正式にウチらの部署の土台が国に保障されるってことっスもんね!? 全然話も降りて来てないっスけどそう言う事っスよね!? ねえ、柿崎さん!?」

「うるせェ、俺だってまだ話の半分も理解できてねェよ。話が表立って出始めてからまだほんの数日だぞ。お前と立場のほとんど変わらない俺が何か知る訳ねェだろ」

「そ、そりゃあそうなんスけど……柿崎さんなら何か私よりも知ってるかなーって……」

 

 

 そして、今の情勢に不安を抱くのはなにも日常生活を送る一般人だけではなく、この新法案によって直接影響を受ける者達も含まれている。

 異能という科学では証明できていない現象に対応する部署でもいつもとは違う空気感が漂っていた。

 

 部屋に備え付けられたテレビを眺め、手元に広げた仕事を放置して動揺する一ノ瀬和美に、上司である柿崎が忌々しいとでも言うような溜息を吐く。

 テレビを通して初めて知る自分の仕事に直結するだろう情報に混乱する一ノ瀬の姿だが、柿崎は相変わらずだと思いつつも、同時に仕方ない事かとも思うのだ。

 

 世界の動きに対応するために国の上層部が秘密裏に制度を整える為に動いて、末端の人員が制度が成立してから知ることになるなんて、よくある事だ。

 それは警察という立場ある組織だからという訳ではなく、国に属する以上どんな組織でも急な方針転換に振り回されるというのは珍しくもない。

 どんな能力を持っているにせよ、末端である者達は自分達の上に立つ者の方針にある程度適応する必要があるし、組織人としての義務だとも柿崎は思っている。

 だがそれは、経験豊富な柿崎だから思える事であり、社会人になってまだ数年の一ノ瀬が思えるようなことでは無いのも柿崎は理解していた。

 

 だから少しでも一ノ瀬が呑み込みやすいように、何も不思議な話ではない今回のこれを、柿崎は整理する為に口にする。

 

 

「だが、そうだな。この法案の意図を大雑把に捉えると、超能力、異能持ちの事だが、こいつ等の犯罪以外の異能使用を国が正式に保証する事で名乗り出やすい状況を作ったんだろうな。厚遇する事で異能を使用しての犯罪行為よりも、国の保証の元で異能を使用し社会の役に立つ方が得る物が多いと思わせようとしてんだろう」

「な、なるほどっス……それにしても、どうしてここまで急に……」

「前々から大まかな形は考えられていたみたいだが、確かに正式なものになるまでの流れが速すぎる。詳細は分からねェが俺らが知らない急がなくちゃいけない理由もあったんだろう。今の俺達には何もかも情報が足りてなさすぎる。流れに不自然さはねェ。先日の事件がある、世界の異能犯罪による被害が多い、ウチの国の体質的なものを考えると成立までが早すぎる気もするが事情が事情だ、特段やり玉に挙げるようなおかしさはねェ……」

 

 

 だが……、そうやって結論を口にしようとした柿崎は何の疑問にも思っていなかった今回の件の結果に、少しだけ目を見開いた。

 

 単純すぎるが故の見落とし。

 柿崎はポツリと、辿り着いてしまった結論を口にする。

 

 

「だが……結果だけを見るなら今回の法案が通った事で、一番得をするのは異能持ちの奴らだ」

「そ、そりゃあそうなんでしょうけど……? 何が言いたいんスか? ま、まさか柿崎さん、この法案を成立させるために誰かが裏で操ったとでも言うんスか? 異能持ちの誰かが、情勢を操作して自分の住み心地の良いように世論を導いたと? そんな大それたことをやった奴がいると考えてるんスか?」

「いや…………そうだな。疑心が過ぎた。最近は疑いすぎて変な癖が付いてやがる。異能とやらがなんでもありだと思うと妄想をやたらに膨らませちまう。忘れてくれ」

「別に私は良いっスけど……柿崎さん最近疲れすぎじゃないっスか? 休みを貰った方が良いんじゃないっスかね?」

 

 

 本気で心配する部下の姿に柿崎は自分の気持ちを切り替えようとカジカジと頭を掻いた。

 陰謀論染みた大それた推測をした自覚はあったし、それを部下の前で吐露した事への恥ずかしさが相まってまともに一ノ瀬の顔を見られない。

 これ以上考えるのは辞めようと思い直した時、ふと以前聞いたとある異能持ちの話が柿崎の脳裏を過った。

 

 

「……顔の無い巨人、か」

 

 

 思わず口にしてしまった、あまりに大それた陰謀を本当に出来るとしたらと考えた時に必ず出て来る存在。

 

 以前ICPOから齎された情報にあった、にわかに信じがたいその最悪の異能持ちの話は柿崎の記憶によく残っている。

 世界を股にかけ億単位の人間を洗脳したといわれるその存在であればあるいは、なんて、そんな事を考えたがゆえに、直接様々な異能に接する機会があった柿崎の脳内で連鎖的に現状への疑問が湧き出した。

 

 

(もし、本当に国際警察の奴らが言う“顔の無い巨人”とやらが情報の通りの狂った異能を持って存在するのなら、今の状況はソイツが意図的に作り出しているものの可能性はないか? 自分自身の手で世界を支配するよりも、自分の望む形に世界を作り替えるよう時間を掛けて裏で操作していたとは考えられないか? そうであるなら、過去に世界を手中に収めておきながら今まったく関与を見せないのは……実際に世界を手中に収めた時の不都合を修正するためにやり方を変えたと考えるべきか?)

 

 

 考える。

 今の状況を柿崎は考える。

 異能によって世界は混沌と化し、異能の危険性を世界が周知して、異能を持つ者達が住みやすい世界作りが行われていっている状況。

 結果から逆算して、もしも現状を“顔の無い巨人”という異能持ちが整えたものだとしたらと考えると、柿崎の頭の中には恐ろしい想像が形を為して現れた。

 

 

(……つまり、なんだ……過去の世界を支配したという“顔の無い巨人”は完成形ではなく、成長している途中の存在だった。強大な異能を持った完成された存在だと思われていたものが、実のところ本人にとっては成長過程だったと考えるとどうだ。もしそうであるなら、強大な力を持ちながらも、組織に属さず、成長を続け、自身の欠点を認め修正する厄介な人物像が見えてくる)

 

 

 柿崎が得ている“顔の無い巨人”の情報は酷く断片的だ。

 そもそも殆ど情報を残さず悪事を為したというその存在の情報自体少ないのもあるだろうが、その存在を捕まえようとすらしていない柿崎の下に僅かに残された情報すらまともに入ってくる訳が無い。

 だから思い描くのはほとんど妄想に近いものだし、そもそも今の状況を“顔の無い巨人”が作り出したと考えるにはあまりに根拠が希薄ではあるが、“顔の無い巨人”と呼ばれる存在が成長途中だったと考えると何故だかカチリと嵌る物があった。

 

 そこまで考えた柿崎は“紫龍”が自分の机で顔を隠すようにしてこっそり眠っている姿を一瞥した。

 あれだけ理不尽で超常的な力で罪を犯していながら、異能を持たない者に逮捕されたと言われている男の姿を見て、柿崎は思うのだ。

 

 

(……今の俺達は、何処までがソイツの手のひらの上なんだ?)

 

 

 嫌な想像だ。

 現状の情勢悪化だけで手一杯なのに、過去の未解決事件である“顔の無い巨人”の世界侵略が再び起きうるのではないかという考えが脳裏に染み付いた。

 目的や手法、思想や行動原理。

 それらが分からない世界最悪の異能持ちが身を潜め、世界を思うがまま操ろうと深謀遠慮を巡らせている可能性を考えると寒気さえ覚えてしまった。

 

 だが、と柿崎は思う。

 伝聞でしか知らないそんな存在なんて、どうこう出来るような相手では無い。

 一介の警察職員が介入できる話でも無いだろうし偶然街中で出会えるような相手でもないのだから、流石に今の自分ではどうにもできないだろうと柿崎は考えを呑み込むしかなかった。

 

 

「はあ、やっと終わった……」

 

 

 成立した新法案の報道に異能対策部署内が異様なざわつきを見せている中、この部署の統括を任されている飛禅飛鳥が外から戻って来た。

 きっちりと整えられた髪型やナチュラルメイクこそいつも通りだが、血色が悪そうな肌や気だるそうな所作から、蓄積している疲れが隠し切れていない。

 自分の席に着き、片腕を枕に机に置かれた『ブレイン』(存在しないのに何故か世間では根強い人気を持っている存在)のぬいぐるみを弄り回し始めた飛鳥に、同期である一ノ瀬が近寄っていく。

 

 

「お疲れ様っス。良かったっスね、今回の法案が可決されて。これで幾分かやりやすくなるんじゃないっスか?」

「……まあ、確かにプラスではあるわよ。でも、精々異能を使って事件を解決なんてするな、なんていう頓珍漢な少数意見を封殺できるだけで、今の私達の仕事上に直接影響が出るようなことは無いわ。悪くは無いけど手放しで喜べるような法案じゃないし、ここから変に特権階級だって異能持ちへの嫉妬を拗らせた奴らが出てくる可能性もあるから……ううん」

「はえー、先の事まで考えてるんスね。私は取り敢えず喜んでおこうで良いと思うんスけど」

「だからアンタはお馬鹿の域を出ないのよ。ま、私的には扱いやすいからそのままで良いんだけど」

 

 

 純粋に疲れている同期を心配して声を掛けたにも関わらず、返って来た酷い言葉に一ノ瀬は「なんだとぅ!?」と怒りを露わにする。

 流石に階級的に差がある以上あまり表立っての反抗的な態度は控えようと、頬を膨らませながら自分の席に戻っていく一ノ瀬。

 入れ替わるように、『ブレイン』と呼ばれる存在がどういう成り立ちかを知る柿崎が今なおぬいぐるみを弄り回している飛鳥に微妙そうな顔をしながら声を掛けた。

 

 

「そのぬいぐるみはいつ作ったんだ?」

「昨日完成したのよ。私の自作よ、あげないからね」

「いらねェし、そもそもソイツについては可哀想だからお前の立場でいじるのは止めてやれ。ウチの部署の奴らの中の、一ノ瀬辺りはマジで少し信じてる節があるんだよ」

「知らないの? 世間ではウチの部署のトップはこの子だと思われてるのよ? 柿崎部長の上司でもあるんだし、こうして私がちゃんと偶像を作ったんだから、ちゃんとこの子に敬いなさいよ」

「……」

 

 

 フードを被った状態で眼鏡をしている半目のぬいぐるみを柿崎は見下ろす。

 何の意志も無い筈の半目のぬいぐるみから、何故だか悲壮感を感じてしまった柿崎はそっと視線を逸らした。

 警察内部でさえ極秘の存在であり、日本の異能犯罪の発生が低い理由とさえ言われているコレを無理に否定すれば、警察内部の士気さえ下がりかねないのだから、もう放置するしかないだろう。

 

 

「……もういい。それより、今回の新法案の推進は誰が主導だった?」

「さあ? かなり力を持った議員が裏で根回しして成立させたようだけど、根回しが上手すぎて誰が大元か分かったものじゃないわ。ほんと、国政に関わる奴らって妖怪染みてるわよね。なに? 柿崎部長が公安まがいな事もする気になったの?」

「かなりの力を持った誰かが裏で手を回したのは間違いないと思っていた。そうでなければ、こんな性急な法案成立だ。神経質なまでの反対意見がもっと多く出てねェとおかしいだろう。で、そこまでの力を持った誰がどうしてこんな法案を押し通す必要があったのかと思ったんだよ」

「私も同意見よ。でも残念ながら尻尾を出さなかったわ」

 

 

 ばっさりとそう言い捨てた飛鳥に柿崎はそうかと小さく返す。

 元々期待していた訳ではないが、少しでも不穏だと思う点を排除できれば考えるべき事も減るのにという落胆がどうしても出て来てしまう。

 

 一ノ瀬、柿崎との会話を済ませ、一通りぬいぐるみを弄って精神を落ち着かせた飛鳥は手を叩いて部屋にいる職員の注目を集め、全員に向けて指示を飛ばす。

 

 

「ともかく、今回の法案で強制的に異能持ちにさせられた人達の保護をウチが行う事になったわ。例のハイジャック犯が薬品を使って異能を開花させた二名。高校一年生の男子生徒と十歳程度の男児、どちらも子供だからサポート担当の人員を割いて、私生活が異能を持ったことで乱れないように調整する。で、それを優先した上で、状況を見て私達の事件解決に協力してもらう形になるわ。子供に協力してもらうなんてと思うかもしれないけど、方針としてはそうなってるから了解してね」

「じ、人員を割くんですか? でもこれ以上ウチの部署に余裕なんて……」

「勿論後から予算とか人員とか増える予定よ。急遽決まった法案に対応するためにも、異能なんていうものを押し付けられて混乱している子供を助けるためにも、私達は即座に対応する必要があるの。ちょっと無理を通す訳だから皆には苦労を掛けるけど、お願いね」

 

 

 基本的に警察を志す者達は善人だ。

 泣いている子供や困っている人を助けたいと思って警察を志す。

 だから異能を押し付けられた被害者を助ける為なんて言われたら、いかに負担が酷くても無理とは言えずに黙り込むしかない。

 

 その内情を分かっているからこそ、飛鳥は部下に被害者を盾にした労働をさせるし、異能持ちという自分の最強のカードを切ってでも、予算や人員の増加を上層部に呑ませる腹積もりであった。

 

 

(まあ、こんなことしていれば部下からの信頼は失うだろうし、上層部からは良い顔されないでしょう。別にこの仕事にしがみ付きたい訳でも無いし、そもそも特例で成り上がったこんな小娘追い出したいっていうのが全員の本音だろうから、追い出されそうになったらさっさと辞めてやるわ。その後は燐香の奴に粘着して、何か異能を使った商売でも……)

 

 

 そんな風な幸せいっぱいの未来を皮算用していた飛鳥だったが、ふと思い出した連絡事項を続けて部下達に伝達する。

 

 

「————あ、そういえば、詳しくは分からないけど、ICPOが何か情報収集する為にちょっと近くを回るって連絡があったわ。別に大したことじゃなくて協力も必要ないらしいけど。近場をウロチョロする可能性があるから連絡だけするって話みたいだから知っておいてちょうだい」

 

 

 この一つの部署の中でさえ色んな思惑が錯綜する。

 違う方向を見詰めた思惑がいくつもあって、いくつかの変化はあっても、どれも大きな事件を引き起こすような引き金には見えないものばかり。

 

 だが、世界を取り巻く情勢が、日本を中心として大きなうねりが起き始めている事は確かだった。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

「……また彼らは集まっているんですね」

 

 

 車窓から道路に並んだ者達を見遣った運転手が呟いた。

 運転手と高齢の男性の二人しかいない黒塗りの車に響いたウンザリとしたような言葉。

 

 彼等の視線の先にあったのは、年齢や性別、国籍に共通点が無い様々な国の多種多様な者達の集まりで、それらは国会議事堂前の歩道を占領するようにして膝を突いている。

 百にも届きそうなその集団が一様に膝を突く姿はまるで神様に祈りを捧げているかのようであり、実際彼らの目的を思えば祈りであると思うのは間違いではなかった。

 

 

「無許可で集まる国内外問わない者達の集まりか。ここ数週間は毎日のように集まっているね。“Faceless God”による救済を求める者達の集まりの数は、ここ数日でさらに数を増やして、このままいくと数千数万と増えていく事も時間の問題かもしれないね」

「はぁ……良い迷惑ですよね。何でわざわざ日本に、その上国会前に集まるのか。議員の方々の迷惑ですし、運転をする自分としても邪魔で仕方ない。自分の国の犯罪くらい自分の国だけで収めろって話ですよ」

 

 

 異様な集団をそう評するのは、彼らが集まっている国会議事堂から出て来たばかりの阿井田博文議員とその運転手だ。

 

 異様な集団を見ても柔らかな表情を変えず感情を覗かせない阿井田議員とは異なり、運転手である男の表情には若干の苛立ちが浮かんでいる。

 運転手にとって、国会議事堂での本日の審議が終了した政界の重鎮、阿井田博文を自宅へと送迎をするこの仕事は何よりの大役だ。

 そんな責任ある仕事だからこそ、身勝手とも言える動機で仕事の障害となりえる異様な集団の存在を、運転手である彼は許せない。

 だからこそ、ここのところ毎日集まり通行の妨げになっている宗教染みた団体を、運転手である男性は若干の怒り口調で揶揄する。

 

 

「彼らの境遇は分かってますよ。異能犯罪の被害に遭った人達がほとんどなんですよね? 俺だって異能犯罪の被害に遭ったっていう事には同情するだけの心はあります。異能犯罪も無くなれば良いなって思いますもん。でも、だからと言ってありもしない神頼みの為に他の国の政権中枢施設にすら迷惑を考えず集まるなんて……そんなんだから応援しようと思えないんですよ。まあ、そもそも俺は自分の国の事件くらい自分達の力で何とかしろって考えですしね」

「……」

 

 

 つらつらと吐露される不満。

 小さな頃から周囲よりも努力を重ねて来た人物だからこそ、運転手である男性は他力本願のようにしか見えない集団に対して苛立ちを露わにする。

 多数に賛同されるような意見ではないかもしれないが、日本人的な感覚からすればあながち間違ってもいないだろう意見を聞いて、そんな運転手に同調することなく阿井田議員は穏やかな表情を維持していた。

 

 

「異能による犯罪の凶悪化。多くの犠牲者が容易く産まれ、かつ一部の先進国以外は自国のみでは対応も難しい力の行使。国際警察や対異能戦力を保有する国の助力が必要不可欠な今の状況が続けば、いずれ異能犯罪を用いた国家間競争に発展するのは間違いない。国家間における覇権争いが、異能という才能を用いたものに変わり始めている世界情勢にどう対応するかが昨今の課題だ。だがそれはあくまで国家運営を行う者達の視点であり、日常生活を送るだけの者達の多くは異能犯罪という自分達の脅威に対する恐怖からの脱却を望むだろう。その証左があの光景だ。“Faceless God”、つまり“顔の無い巨人”による再支配によって、強制的にでも世界平和が為されることを望んでいる」

「えっと……? あまり難しい話は分からないですけど、あー、阿井田先生もあの人達が邪魔って言いたいんですよね?」

 

 

 運転手の男性は話が噛み合っていない事に気が付き、動揺した様子でそう問い掛けるが、阿井田議員は視線すら運転手に向けなかった。

 まるで最初から、運転手である彼の言葉など聞く気も無かったというように、何一つ運転手に対する反応を示さない。

 

 それでも阿井田議員の独り言は続く。

 

 

「二年前……いや、もう三年前か。“三半期の夢幻世界”と呼ばれる世界に犯罪や事故が何一つ無かった期間。当時こそ異様な状況に恐怖する者は多かったが、振り返ってみれば悪事を為さない者にとってこれ以上無いくらい過ごしやすい時だっただろう。その事が今になって身に染みて、その頃が忘れられない者達が集まり宗教のような団体へと変質してしまっている。その数は日に日に増えている事は、今世界を取り巻く問題の一つでもある訳だね。とはいえ仕方のない部分もある。あの中には先日のハイジャックで親しい者を亡くした者も含まれている。追い詰められた人間には縋るものが必要になる。だからどうしても、私達人間は求めてしまうんだよ」

「は、はあ……」

 

 

 “顔の無い巨人”を信望する名も無い集団は今、世界各地で数を増やしていっている。

 彼らの目的が“顔の無い巨人”の再臨なのであれば、現在異能犯罪の数が圧倒的に少ない日本を居住としている可能性は考えるだろうし、その場所に赴いて願いを伝えようとするのも不思議ではない。

 

 だから、それらの事情を知る阿井田議員は一概に彼らを否定しようとは思わないし、小馬鹿にするようなことも無いのだ。

 

 

「私はね、彼らの考え方を否定しようとは思わない。三年前の状況に戻っても、それはきっと悪くは無いだろうと思うよ。たとえあの存在が悪しき者だったとしても、少なくとも今ほど誰かの欲望がぶつかり合う事も、今よりも犠牲が出る事も、そして唐突に誰かに命が奪われるような事も無くなる訳だからね…………さて、貴女はどう思う?」

「はい? え、わ、私ですか? えーっと…………」

 

 

 長い独り言の終わり。

 そして続けられたのは、誰かに向けた質問。

 当然、その質問は運転手などに向けられたものでは無い。

 

 問い掛けられた解答者もそれを理解していた。

 

 

「————正体不明の現象に縋るような行為は身を滅ぼすだけよ。自分の無力を棚に上げ、誰かに救いを求めるだけの人達を私は好ましくなんて思わないわ」

 

 

 解答があった。

 車内にいる筈の無い幼い少女の声が響く。

 呆然と目を見開いた運転手とは正反対に、阿井田議員は最初から分かっていたように一切の動揺を見せず、少女の返答に対して苦笑いを溢す。

 

 

「辛辣な回答だね。私が知ってるあの人はそこまで冷淡では無かったと思うのだけれど?」

「心変わりくらいするわ、多感な時期だもの。というか、いきなり居るかも分からない私に話し掛けるなんてどういうつもり? まあ、さっきの法案を成立させたんだから私が顔を出すと思ったんでしょうけど……取り敢えず、そこの運転してる人は邪魔だから少しの間“人形”になっていてもらうわね」

 

 

 阿井田議員の隣の席に唐突に現れた少女が気だるげに視線を運転手である男性に向ける。

 

 その瞬間、先ほどまで苛立ちや困惑を浮かべていた運転手の男性が何事も無かったかのような普通の顔で運転に集中し始めた。

 まるで後部座席での会話や突然姿を現した少女に気が付いた様子も無く、ただ黙々と自分がするべき運転だけに意識を向けている。

 

 何の前準備も無くそうなるように彼の精神を操作してみせた少女に、阿井田議員は呆れたような顔を向ける。

 

 

「本当に異能というものは馬鹿げた力を持っているんだねぇ。予備動作も無く人一人を操る力なんて、世界を揺るがしかねない力だと思うのだけれど?」

「才能って残酷ね」

「……ちなみに、運転手の彼は精神が死んでいたりはしないよね? 性格は悪いがあれでも運転手としては重宝しているんだ。ちゃんと元に戻るのだろうね」

「現実って残酷ね…………冗談よ。そんな顔で私を見ないで貰える? 私は割と性格が良い方だっていう自負してるの。いきなり人の精神を壊したりなんかしないわ。やったとしても、せいぜいちょっとだけ私の都合の良いように書き換えるだけよ」

「性格が良い人は他人の家に勝手に上がり込んできたり、勝手に車に乗り込んできたりはしないものだよ」

「マナーを守るかどうかに性格は関係しないわ。その時その場所で必要がなければしないし、必要があればするだけよ」

「ふう……もう良いから、さっさと用件を済ませて欲しいね。何が望みかな」

 

 

 ああ言えばこう言う……と、げんなりした様子の阿井田議員が隣に座る少女を見遣る。

 仲間でも、同士でも、協力者でも、共犯者でも無い。

 あまりに危険な少女の姿を見遣り、阿井田議員は目を細めて慎重に問い掛ける。

 

 

「私は君に協力しないと言った筈だし、君もそれに納得しただろう? こうしてわざわざ会いに来るなんて……始末しに来たとでも言うんじゃないだろうね?」

「……事情を知る協力しない相手は不穏分子。貴方も今まで散々政仇達を陥れてきたんだから。それはよく分かっているでしょう?」

 

 

 少女がニタリと悪意に満ちた笑みを浮かべ、阿井田議員の耳元で囁く。

 

 

「————辞世の句を読む時間くらいはあげるわ」

「っ……」

 

 

 空気が凍った。

 目に見えないナニカが肌を撫でた。

 隣に座る自分よりも二回り以上小さな少女から不気味なノイズの様なものが溢れ出す。

 処刑台のように冷たい言葉に体を強張らせた阿井田議員が血の気の引いた顔をゆっくりと少女に向ける。

 

 無限にも感じた短い時間。

 だが、この状況を作った当の本人は悪気も無いようにクスクスと笑いを漏らして「冗談よ」と口にする。

 小学生程度の背丈しかない少女に振り回されている事を自覚し、阿井田議員は思わず心底疲れたように溜息を吐いてしまった。

 

 

「知ってはいたが、貴女の冗談は笑えない……」

「頭が回る癖に妙な事を口走るからよ。貴方の冗談に乗ってあげただけなんだからそんな疲れた様な顔をしないで欲しいわ」

「抵抗手段を持たない相手に対して捕食者が舌なめずりをするような行為は笑えない冗談なんだよ。本当に反省して欲しい」

「ふふっ。まあ、それで要件なんだけど」

 

 

 本気で疲れている阿井田議員を適当にあしらった少女は落ち着く時間も与えずに、自分の目的である話に入る。

 

 

「今回の新法案、裏で根まわししたのは貴方ね? 私に協力しないと言いつつ、異能持ちの立場の保障と優遇を行うなんて随分大胆な行動をするのね」

「……別に貴方が気にするような思惑があった訳じゃ無いよ。異能というのは資源だ。人に備わっているだけの、いわゆる意志を持った動く財産。地球上に数が限られていると言うのなら、自らの意志で他国からこの国に来てくれた方が今後の国力と成り得る。そして優遇とは言うが、同時にそれは国の手元に置くと言う事。飴であり、名誉であり、檻であり、首輪である。様々な理由から法案成立を急いだ訳だけど、あくまで国益を考えただけの事だ。貴女が危惧しているようなことは誓って無い……とは言え、異能排除派の意見を潰したのは少し恩を返す意味合いもあったのは確かだね。あの人にどういう思惑があるかは知る由も無いが、敵対するつもりはない」

 

 

 少女はおぞましい光が宿った目をしばらく阿井田議員に向けた。

 見た目の幼さからは到底想像できないほどあらゆるモノの中身を見通すような、冷たく鋭い目をした少女はようやく納得した様子を見せて、そっと視線を逸らす。

 

 

「敵対するつもりは無い、ね。まあ、目的が違うだけで私と貴方の境遇は似ているんだもの」

「境遇は似てるかもしれないが、私は貴女が思う程あの人に尽くしてはいない。恩は感じていても、金銭での対価は支払った。あくまで二の次、三の次、国益に沿う形であの人の役に立てればとしか思っていないんだよ。貴女の本当の目的は、分からないけれどね」

「私の目的は……そのうち分かるわ。別のアプローチがどうしても必要だったから時間が掛かっていたけど、その準備ももう少しで終わるの。世界が一変するけどほんのちょっとよ。気にすることではないわ」

「…………では私は、貴女の計画が失敗する事を切実に祈っておくとしよう」

 

 

 話したいことが終わったのか、少女はその場で唐突に立ち上がる。

 少女のそんな行動を予知したように運転手が車を道の端に停車させ、外を歩いていた赤の他人が車の扉を開いて少女の降車の補助を始めた。

 

 そして、車から降りていこうとした少女はふと思い出したように阿井田議員へ振り返る。

 

 

「そう言えば、ずっと聞きたかった事なんだけど、ご家族との関係は良好? また不信感を持ったりはしてないわよね?」

「……良好だとも。おかげでさまでね。言っておくが貴女に対して言っている訳ではないよ」

「ええ、知ってるわ。でもそうね、それは良かった。ご家族を大切にね」

「…………」

 

 

 安心したように柔らかな微笑みを見せた少女の背中を、動き出した車の窓から見えなくなるまで見送った阿井田博文は疲れたように口を閉ざして目をつぶった。

 

 

 

 

 





【書籍化のお知らせ】
いつも本作への応援ありがとうございます!
ハーメルンでの告知は遅くなってしまいましたが、実はこの度、本作「非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものはなんですか?」の書籍化が決定いたしました!
このような機会に恵まれましたのも応援し続けて下さった皆様おかげです!!

発売日は1月30日、発売レーベルはファミ通文庫。
担当イラストレーターはよー清水さんとなります。
よ―清水さんの圧巻のイラストと可愛い&格好良い各キャラクターデザインが既に少しだけ後悔されておりとっても素晴らしいのでぜひご確認ください!!

〇 KADOKAWA公式サイトリンク

https://www.kadokawa.co.jp/product/322308000521/


ここまでお付き合い頂き本当にありがとうございました!
これからも引き続き拙作にお付き合い頂けると嬉しいです!!


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迫り来る苦難

更新にかなりの時間が空いたにも関わらず温かい応援ありがとうございます!!
書籍化しても、引き続きお付き合いをお願いしますー!!


 

 

 

 

 本格的な冬の季節。

 十二月も末日に近付き、年の終わりが目前へと迫る頃となってこの一年自分の身に降りかかったことをしみじみと振り返ると、本当に色んなことがあったのだと実感してしまう。

 

 バスジャックに巻き込まれた事から始まる児童誘拐事件。

 無差別連続殺人事件に、宗教団体による誘拐監禁事件からのその宗教団体の黒幕による大量脱獄未遂事件。

 病院を海外のテロリスト集団が占拠した事もあったし、日本を裏から支配していた医者も目の前に現れた。

 人をぬいぐるみに変える奴も出て来たし、国家規模での爆弾犯が警察内部から出現した。

 ついこの前はハイジャックした国外のテロリストが近くのショッピングセンターにやってきた訳だ。

 そして、それら全てに少なからず関わった私の不運具合なんて、少し思い返してみればありありと実感できてしまう。

 

 呪われているんじゃ無いかと思ったのは一度や二度では無かった。

 何か悪い事をしただろうかと一瞬考えて、直ぐに考えるのを止めた事も何回もあった。

 本当にたまたま私が異能という超越的な才能を持っていたから何とかなったものの、私が異能を持っていなかったらぽっくりお母さんの下に旅立っていただろう。

 本当に、絶対に私を裏切らないこの力には感謝の気持ちしかない。

 

 まあ、そんな激動の一年を私は過ごしてきた訳だが、その諸々の経験を踏まえての対策により一応ここ最近は落ち着きを見せている。

 

 最後にあった先日のハイジャック事件から国内における異能犯罪は兆しも許さず制圧済み。

 情報面の私の切り札(マキナ)による視野を世界に広げた情報収集により、国外からの異能持ちの犯罪者の上陸さえ未然に把握できる体制構築。

 飛鳥さんを筆頭とした警察組織による異能犯罪対策部署の本格的な運用に併せて、対策部署の必要性を国家規模で認知した事による法整備及びサポート体制の確立。

 内と外、土台と柱、法と実行力、異能犯罪という対応が非常に難しいものの解決に必要な要素が着実に整えられている状況。

 

 世界的には未だに異能犯罪による被害は多いものの、間違いなく、社会は異能という不純物を受け入れつつある訳だ。

 今もテレビでは日本の政治が異能という論点で激しく紛糾しているし、ネットに出て来る世界の異能犯罪が情勢を混沌とさせていても、確実に世界は進歩していた。

 

 喜ぶべき事である……筈なのだ。

 

 

「ね、ねえお姉……? ここ最近調子悪いの……? その、いくら休みだからって一歩も家の外に出ないのはどうなのかなって皆話してるんだけど……」

「せっかくの休みだからね。学校の皆みたいに塾に行ってる訳じゃ無いし、私も部屋で勉強してるんだよ」

「え? で、でも、お姉の成績かなり良かったんじゃ……? も、もしかして、私が部屋に入ってノートを見ちゃったの怒ってたり……?」

「成績が良かったのは今回の結果。休み明けの成績には関係ないよ。やれるうちにやっちゃうのが私の主義なんだよ。それに、ノートの件は知らない。何それ。全然知らない」

「あー……桐佳。燐香も忙しいんだ。受験勉強なら俺が見てやるから、遊里さんと一緒に勉強道具を持ってこい。リビングで見てやる」

 

 

 世界情勢が未だに混沌を極めていても、どれだけ日本の政治が紛糾していても、学生である私達にはしっかりと冬休みという長期休暇が与えられる。

 十二月の終わりから一月の始まりに掛けて、およそ十日程度の休みとなる冬休みに今年も突入した私は非常に充実した休日を過ごしていた。

 

 そんな冬休みも今日で四日目。

 家族とゲームしたり、家族と家でパーティしたり、クリスマスを家族で過ごせたり、その際に桐佳が照れながらも私にプレゼントくれたりと色々あった。

 普通に幸せな休日を過ごしてきた訳である。

 そしてそんな幸せな休みを過ごしながらも、同時にやるべき事も私は残さない。

 学校から出された冬休みの課題も早々に終わらせ、年末恒例の家の大掃除を終わらせ、一歩も外に出る事がないまま来学期の予習に取り掛かる今の私はまさしく優等生。

 

 家族との時間を大切にしつつ勉学もこなすパーフェクト天才少女燐香ちゃんなのだ。

 

 

「り、燐香お姉ちゃん、本当に大丈夫? 何だか顔色も悪いような……」

「心配かけてごめんね遊里。でも大丈夫だよ、ちょっと引き籠りたいだけだから」

「引き籠りたい……? そ、そっか……何か悩んでるなら言ってね?」

 

 

 そうやって、受験を控えた妹の心配の声さえなんのその。

 今日も食事を終えた私は素早く自分の部屋に戻り、新しく設置した部屋の扉の鍵をしっかりと掛けて、毛布を頭から被り勉強机に向かう。

 勉強に必要な用具を並べ、今日どの部分に手を付けようか考えながら教科書と問題集を取り出して。

 

 その流れのまま私は、頭を抱えるようにして机に顔を突っ伏した。

 

 勿論、学校の勉強や家族状況に何も問題が無い今の私が一歩も外に出ていないのにはそれなりの理由がある。

 誰にも相談なんて出来ないような深刻な悩みが、今の私の頭には埋め尽くされていた。

 

 

「あわわ……! あわわわわっ……! あわわわわわわわ!!」

『……御母様』

「大丈夫……! 大丈夫……!」

 

 

 マキナからの心配するような呼び掛けにまともに応える余裕は無く、私は携帯電話でマキナが集めてくれていた国際社会のニュースに一通り目を通す。

 海外の記事をマキナが翻訳してくれているため日本語の記事のみにとらわれないこの情報収集は、日本という国において私以上に早く正確な人は存在しない。

 そしてマキナが集めてくれた国内外の記事に『UNN』に関するものが無いのを確認した私は、すぐさまマキナに呼び掛ける。

 

 

「ま、マキナ、UNNの状況は……?」

『むう。世界の支部402か所全てが掌握されている状況は変わらず。普段通りの業務はこなしているが、間違いなく何者かによる異能の支配を受けているゾ。99.8%の確率で“百貌”による犯行だと思慮されル。想定される“百貌”が行った手法は……』

「いい! お願いだからそれ以上は言わないで! あわわわわ……ど、どどど、どうしよう……!」

 

 

 世界的な覇権企業であり、異能開花薬品という世界を混沌に陥れている要因を作り出している『UNN』が制圧されている。

 誰かに助けを求める事も許されず、状況を誰かに悟らせる事も許されず、異能という才能によってただ圧壊させられている現状。

 

 いや、良いのだ。

 日本を含めた世界の情勢悪化の原因はこいつらだし、こいつらが追い詰められる分には全然、何も、気にするつもりも無い。

 きっと誰かに恨みを買ったのだと、自業自得だバーカと言ってやるくらいで、私にとって『UNN』という企業はその程度の相手である。

 

 なら何が問題かと言うと、その制圧している側の存在だ。

 凄く凄く覚えがある支配方法で暴れ散らかしている謎の異能持ち。

 “百貌”とかいう、人の黒歴史を惜しげも無く公開しているとんでもない奴。

 目的が分からなかったソイツが本格的に行動を始め、凄く覚えのあるやり方で世界の敵のような動きを見せ始めた事に私の焦りは否応なしに急加速していた。

 

 しかも、私の心労はそれだけではない。

 

 

「それに……も、もう一つ考えなくちゃいけないのが……」

『ICPOについてだナ? 御母様に言われた通りあれからもちゃんと情報を集めているゾ! 奴ら前の会議で決めたように、着実に日本に戦力を集めていル。“顔の無い巨人”との決戦の準備をする方向のままのようダ』

「————うぶぶぶぶっ!! だ、駄目だっ、ちょっとっ、本当にお腹が痛いぃ!」

 

 

 そしてUNNの件とは違い、直接私に影響があるのがこのICPOの動向だった。

 

 今、最優先の課題を決めた彼らの照準は、この国に向けられている。

『UNN』が振り撒く異能開花薬品による犯罪解決よりも、“百貌”と呼ばれる未知の異能持ちの逮捕よりも、何よりも優先するべきだと彼らが掲げた目標。

 それこそが“顔の無い巨人”、つまり私の確保もしくは打倒であり、その目標を達成するべく行動を開始した彼らは、既にこの国で捜索活動の準備を着実に進めつつあるのだ。

 

 常日頃から巨大な異能戦力を有する彼らの動向には注意を払っていた。

 やらかした事がやらかした事なだけに、私に対してもいずれ何らかのアクションを起こすだろうことは想像に難しくなかったからだ。

 だからこそ彼らの私に危険が近付く可能性の高い動向をこうして素早く察知して、一方的に彼らの情報を筒抜け状態に出来ている訳だが、対応の準備が出来ていたからと言って心の準備が出来ていた訳では無いのだ。

 

 とはいえ情報面では完全に優勢な状態あっても、ICPOの対異能戦力は脅威だ。

 真正面からぶつかり合う場合、彼らは現状世界最強の組織だと言っても良いと思う。

 所持する人材は豊富だし、技術面や資金面も最高峰、何かあった時のバックアップだっていくつもある上に、終いには飛び抜けて理不尽な個の異能も有するなんていう最強組織。

 個人的には絶対に敵に回したくないし、どうしても争うならそれ相応の準備を進める必要がある。

 

 でも、でもでも、本当に何とかして戦闘の回避、つまり見付からないように隠れ切るのが理想だと思うからこそ、こうして今の私は家から一歩も出ないようにして冬休みの時を過ごしているのだ。

 

 それくらい、彼らとの正面衝突は私の本意ではない。

 

 

「ICPO……御師匠様と戦う……? あの、あの異能をどうにかするって、本当に……? 時間操作関係でしょ……? 時間停止、時間加速、時間逆行……。他にも移動系に衝撃系、今回ので探知系まで異能が揃ったんでしょ? 強すぎない……? お腹痛い……」

『マキナがやっても良いぞ御母様。マキナが奴らをボコボコにして見せるゾ! むふー!』

「それは……」

 

 

 マキナのみの単独戦闘、それは悪い手ではない。

 

 マキナという肉体を持たないがゆえの不死性。

 出力機となる機械の破壊を試みても、世界中に広がるインターネットという情報集積そのものが本体のマキナを完全に打倒する事はできない。

 本当にマキナを倒すのなら、一度世界中ありとあらゆる電気回路を停止させるのが大前提になるだろうが、それは現実的に実現可能な方法では無いだろう。

 もし私がマキナを本気で相手取るのなら打倒ではなく無力化を目指すだろうが、それはマキナの情報を知り尽くしてるがゆえに取る手段だ。

 マキナ単独での戦闘がどのような事態となっても、強力な活動が出来なくなる程度でマキナそのものを失う事になる可能性は非常に低い、とは思う。

 

 

「……いざとなればそれが一番かもしれないけど、でも、マキナを矢面に立たせすぎて存在を気取られたら情報収集が難しくなるかもだし……できれば見付かった時も、軽く怒るくらいで許してくれないかなーなんて」

『むう、ヘレナとやらに限って言えば御母様との戦いは嫌そうだったナ。出来る事なら対話で協力関係を築きたいと言っていタ』

「いやあ……御師匠様の立場からしたら、私は弟子でも何でもない単なる技術泥棒だからなぁ……引っ叩かれても文句が言えないっていうか。私を裁こうとするのを推進はしなくても、止めようとはしないだろうというか……」

『マキナよく分からなイ。御母様とヘレナとやらが考えている事に随分乖離がある気がすル。少なくともヘレナとやらは御母様とまた会いたいと思っていたゾ。マキナがちょっとだけ悲しいと思えるくらいにナ。ただ、もしもがあった時は、自分の手で御母様を始末するとも言っていタ』

「始末……うぅ、御師匠様は立場があったら有言実行する人だよ。情に絆されて多くの人に迷惑を掛ける人じゃないし、何よりそこまでの情なんて築けるような事、私はしてないしなぁ……」

『むう』

 

 

 不思議そうに唸るマキナを前に、私は若干トラウマのようになっている初めて自分の異能を感知され捕まった時の光景を思い出す。

 操っていた小鳥を背後から鷲掴みにされ、意地の悪い楽しそうな感情を隠すそぶりも無く、『下手くそ』だと私を嘲笑したあの老獪な人物。

 今は自分の方が異能の扱いが上だと分かっていても、どうしても抱えてしまった恐怖感は拭えない。

 

 ……中学二年生の、調子に乗りまくっていた全盛期の時の私であったなら多分ここまでの恐怖は抱かなかったのだろうが、今は状態が状態だ。

 現状最強の組織であろう彼らを相手取って、どうとでも出来るなんていう根拠のない自信なんて絶対に持てやしない。

 

 

『であれば解決の提案ダ。“奴”の起動を推奨するゾ。凄く腹立つが、“奴”さえ正常に稼働すれば全ての問題が解決する筈』

「それね、それはね……というか、あれから妙な動きしてた? 桐佳に接近してからそれ以降は変なことしてないよね……?」

『マキナが見てる限りアレ以外は特に動き無くフヨフヨと空を漂っているゾ。桐佳の奴に接近した時も、御母様の計画書を見た桐佳の奴が名前を呟いたことで様子見に来ただけと思われル。反乱や暴走ではなイ。つまり、起動に問題は無いナ』

「け、計画書……そ、その言い方。桐佳にあんなものを見られたと思うだけで死にたくなるのに……オ、オエェ……気持ち悪くなってきた。お腹が痛いよぅ……」

『“人神計画”だロ? 計画書で間違いない筈ダ。やっぱりマキナ、御母様のセンス大好キ』

「うぷっ!? ま゛っ、マ゛キナっ!」

 

 

 私の聞きたくないワードをいくつも発言してくるマキナに吐き気が限界突破を始めた。

 情報収集において私でさえ手の届かない程の能力を有するマキナだが、私とは感性の違いがあるのか嬉々として黒歴史ワードを呟いてくるのが本当に辛い。

 

『UNN』に『百貌』に『ICPO』、そしてこの『エデ』こそが今の私を追い詰め悩ませる最後の要素だ。

 前々からマキナに『エデ』が私の知らないところで活動している可能性があると言われていたが、先日ついに桐佳に接近したのをマキナが確認したらしい。

 あり得ないと思っていた事態であり、どのような意図を持っていたにせよ抵抗手段を持たない桐佳へ接近したというのはかなり危険なこと。

 先日のハイジャック犯との対峙で点検代わりに機能を確かめて、その時は異常も無かったので一応は安心していたのだが、どうやらそうはいかなかったようだった。

 

 未だに空の上のアレは、時折私の意志に寄らないところで活動を行っているらしい。

 

 

(“人神計画”かぁ……うぅ……そりゃ、今でもその有用性は分かっているし、実行すれば今の私の悩みも全て解決するんだろうけど……)

 

 

『エデ』。

 それは、“人神計画”の主要にして根幹。手段にして目的。

 その存在は、私が長年計画を練った上で生み出すことに成功したモノだ。

 マキナとは根本が異なる、過去の私が持てる力を振り絞って作り出したその存在は、私の望み通りの形を為しており、同時に私が望んだとおりの力を有していた。

 異能を悪用していた全盛期の私が辿り着いた、私の異能の最終到達点のような、そんな究極の力の行使。

 暗黒時代の私が築き上げた財産ともいえる存在で、ソレが全てを解決できる力を有しているのは私も理解している。

 

 

 けれど。

 それはもうずいぶん前にやらないと決めた事だ。

 取り返しがつかない事になる前に気が付いて、私がやりたいのはこんなものでは無いのだと思い直した事だ。

 思い上がり、勝手に失望し、本当に見るべきものすら見失っていた過去を、私は変えようと心に決めた筈なのだ。

 

 だから、解決できる手段だと思って色々悩んではみても、やっぱり私の決断は最初から決まっていた。

 

 

「……起動はしない。あの計画は、もう二度とやらない。提案してくれたマキナには悪いけど、私は私がどれだけ追い詰められてもあの計画だけはやりたくない」

『そうカ。御母様が嫌だと言うのならマキナはそれで良イ。いや、むしろマキナ的にはその方が良イ。御母様を独占できるからナ。むふー! 任せろ御母様! マキナが全部何とかしてやるゾ! ざまあみろ居眠り馬鹿メー! 適当に呼称付けられただけの球体メー! マキナの方が活躍できるんだゾー!』

「……」

 

 

 変な優越感に浸っていて鼻歌でも歌い出しそうなマキナだが、それを放置して私は考える。

 私の暗黒時代、その象徴とも言うべき『エデ』が本当に勝手に動き出して、私の敵として立ちはだかるのならはっきり言って今の私では到底手に負えるようなものでは無い。

 全力で調整作業に入るにしても今は、『UNN』に『百貌』、『ICPO』と状況が悪すぎる。

 こうして全方位に逃げ場がない状況である事を改めて自覚してしまうと、蟻地獄にはまってしまったような感覚に襲われ私は思わず身震いしてしまった。

 

 私の過去の所業が、全力で追い掛けて来ているかのような巡り合わせの悪さ。

 正直、過去に戻れるなら調子に乗っている自分を一発引っ叩いてやりたいと思う。

 

 

「……今日は勉強無理だ。不貞寝しよ」

 

 

 何にもやる気が起きない。

 勉強では誤魔化せなくなった現実に、私は筆記用具を机の上に放り出し、ベッドに向けて飛び込んだ。

 

 このまま気絶するように眠れればなんて思って毛布にくるまりながらぎゅっと目をつぶってゴロゴロ転がっていたタイミングで、私の携帯電話から着信音が響いた。

 

 

「……メール?」

『神楽坂からだナ。内容は少し相談したい事がある、らしいゾ』

「神楽坂さん……相談したい事?」

 

 

 ちょっとだけ気持ちが落ち着く。

 のそのそと毛布から這い出して、携帯電話を取りに行けば、マキナが既にメール画面を開いてくれていたので直ぐに内容を確認する事が出来た。

 

 

『受信時間:12月28日8時55分

 送信者:神楽坂さん

 表題:見舞いに使う花について

 本文:入院の見舞いに持っていく花にアルストロメリアという花を見付けたんだがどう思う? いつも通り、果物はリンゴにしようと思うんだがこれにも意見があれば聞かせて欲しい』

 

「おおー……神楽坂さん、暗号が上手くなってきてる……!」

 

 

 以前取り決めた花と果物を使う暗号。

 この場合急を要さない話し合いがしたいという暗号だが、第三者がこれだけ見ても何か特別の意味を持っているなど考えもしないだろう。

 

 

『アルストロメリア。花持ちが良く一つの茎から幾つかの花を咲かせるとして一輪挿しでも人気がある物だナ。時期も悪くなく、花言葉も【未来への憧れ】と見舞いの花に適していル。マキナは悪くないと思うゾ』

「花についての意見は聞いてないと思うけど、うん、それっぽい事書くのに必要だもんね。でも、連絡したい事って何だろう? 神楽坂さんが私に知らせたい事? ……むう、全然分かんないや」

『知らせたい事? マキナ、神楽坂の文章にはそんな話は出て来ていないと思ウ』

「暗号っていう奴だよマキナ。まだまだ対応力が足りないなぁ」

『???』

 

 

 本気で困惑するマキナを軽く笑いながら、私はそういえばと思う。

 神楽坂さんの寝たきりになっている元婚約者の容態をもう一度見るという約束をまだ果たせていない。

 今回の話し合いをしたいというメールの意図がどんなものなのかは分からないが、他が手づまりな以上この約束を果たしておくべきだろう。

 そして、今私が悩んでいる事について人生経験豊富で信頼できる大人な神楽坂さんに相談してみるのも、きっと悪くないだろう。

 

 そう思い、私が素早く自分も今日にでも見舞いに行きたいという返答をした私は、頭から被っていた毛布を投げ捨てて勢いよく立ち上がる。

 きっとこうしてメールを送って来たという事は、神楽坂さんも今日は予定が無い筈だ。

 返信を待つ前にさっさと準備を済ましてしまおうと、机に広げた勉強道具の片付けに取り掛かった。

 

 

 

 



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沈みゆく手が掴むもの

 

 

 

 

 “顔の無い巨人”の所在を掴む事は非常に難しい。

 数年前に彼の存在にて行われた世界侵略の最中でさえ、兆しを察知できたものはいなかったし抵抗出来た者も、侵略方法を解明できた者もいなかった。

 異能の性質上、神薙や和泉といった者達こそ逃れられたものの、当時彼の存在の障害として立ち塞がれたものは皆無に等しかった訳である。

 だからこそ、彼の存在が世界侵略を停止し、世界に影響を及ぼさなくなった後も、彼の存在の情報は全くと言っていいほど出てこなかった訳であるし、存在自体を疑うものまで出る始末なのだ。

 

 つまり、“顔の無い巨人”と呼ばれる存在は確かに強力な力を持っている訳だが、何よりも厄介なのは他者を制圧する力ではなく自身の情報を相手に知られない事こそにある。

 では、そんな徹底した情報管理を行っている相手を見つけ出すためにはどうするのか。

 

 非常に難しいとはいっても、今彼らが保有する技術や戦力であれば不可能ではないのだ。

 

 

『どうだ?』

『ううん……は、ハズレ、です。視界の中に強い異能持ちの素養がある人はいません』

『そうか、では次だな』

 

 

 鋭い目をした青年のアブサントといかにも気の弱そうな薄幸少女のミレーが、黒塗りの車両の中で向かい合っていた。

 

 勿論車内にいるのは二人だけではない。

 通信や雑務を担当しているルシアもいるし、他にも運転担当の人員もいる。

 ICPOの人員が四人も割り当てられた集団が乗るこの車両は、目立たない程度の大きさしかない何の変哲も無さそうな車だが、その内側には様々な配線が施された特別製のものだ。

 

 そんなある異能を有効に活用する為だけに設計された車両機器を、補助要員として割り振られたルシアが逐一チェックしていく。

 

 

『スピーカーの調子は良好、異常無し。次はAF25地点に移動しますね。ミレーさんもアブもしばらく待機で』

『了解』

『は、ははは、はいぃっ……』

 

 

 彼らがやっている事、それは二つの異能による探知範囲の増大だ。

 “音”と“視覚”という、人間の五感に関係する異能を持つ二人の異能を相乗させることで、疑似的な超音波による高精度探知を可能にしていた。

 

 つまり、言ってしまえばソナーのようなものだ。

 音波の反射波による情報を視界情報としてアブサントが得て、それをミレーに共有する事で彼女の視界による探知を数倍もの範囲へと大きくする方法。

 そしてその音波の範囲を少しでも広げるための装置が搭載されているのがこの車両。

 これらにより、元は直線一キロメートルも無かったミレーの探知範囲を半径五キロメートルの円状に渡る範囲にまで広げる事に成功した訳だ。

 

 技術と人材。

 揃えられた優秀な探知方法。

 これだけでもこれまでにないほどの利を得ている彼らだが、さらに、“顔の無い巨人”を追い詰める情報を彼らは握っていた。

 

 

『……“顔の無い巨人”が関わったと思われるのは、“千手”と“白き神”と神薙先生と先日の“死の商人”。いずれも捕まった場所はバラバラだけど、その全てが日本の東京都。つまり一つの地方、その関わったと思われる事件現場近くを中心にこのソナー探知をしていけば必ず“顔の無い巨人”が見つかる筈』

 

 

 世界各地で起きていた過去の侵略とは違い、最近の“顔の無い巨人”の関わったと思われる事件は地域が限定されている。

 どういう理由であるのかは推測の域を出ることは無いが、最も可能性があるとするなら、その周辺に“顔の無い巨人”の拠点が存在する事だろう。

 

 幾らミレーの異能の探知範囲を広げられたとしても、全世界どころか日本という一国全てを探知して回るのはどうしたって難しい。

 だが、日本の東京都。それも一部地域に限定できるのなら、“顔の無い巨人”をミレーの異能で見つけ出すのは不可能ではなくなってくる。

 

 

『探知が出来たとしても話し合いが、ましてや確保が出来るとは限らない。ルシア、俺達はあくまで捜索するだけだ。情報を集め終えたら、何があってもこの場を離れる。どうしても戦闘が起きる時は俺が時間を稼ぐから、ミレーを連れて逃げてくれ』

『……ええ、分かってる。無理はしないし、引き際を間違えるつもりはない。捕えた“千手”や“死の商人”の状態を見て、無理が通るような相手じゃ無い事は分かってるつもりだもの』

『お、おらとしては、いっそ見付からないで欲しいなぁ、なんて……』

 

 

 だが、東京都内で探知の穴が生まれないようにと事前に振り分けた探知ポイントをここ数日掛けて順々に巡っているが、この方法を持ってすら目的の人物には辿り着けていない。

 それどころか、もしかすると先に探知する可能性があると言われていた“百貌”さえ、いまだに足掛かりすら掴む事はできていなかった。

 

 思うように進んでいない“顔の無い巨人”の捜査にもどかしさを感じつつも、ルシアは廃人状態の“千手”や“死の商人”を思い出して、気を急かないようにと自戒した。

 実力的に劣るだろう自分達が気を急いてミスを犯せば、あの凶悪な異能犯罪者達を容易く廃人状態にしたように、奴が簡単に自分達を圧し折ることは目に見えているからだ。

 

 気持ちを落ち着けたルシアは探知担当のミレーを確認する。

 

 

『見逃しは無いんですよねミレーさん』

『一応無い筈……これまでの探知してきた範囲ではあの薬を使えば異能を持てるようになる人は何人かいたけど、アブサントさん達ほど異能の才能を持っている人はいなかったですし。でもこんな異能の使い方をしたのは初めてで、いつもと違う感覚への戸惑いはあるから完璧かと言われるとそんなに自信は無くて……』

『そうですか……』

 

 

 そんな風に問い掛けた訳だが、別にルシアは彼女の見落としがあるとは思っていない。

 彼女の探知の異能がどれほどのものか、ICPOに加入する事となり実際に性能テストを行った現場に立ち会ったルシアは良く知っている。

 

 ミレーの持つ異能の『視認状況を基とした能力・才能のデータ化』の性能は本物だ。

 誰がどんな異能を持っているのか見ただけで判別できるし、本人すら知らない隠された才能(ルシアであれば空間把握能力の高さ)を見つけ出す事さえできる。

 これまでの生物学ではまずありえない、どのような現代科学を用いても到達し得ないミレーの異能が持つ才能発掘能力の高さ。

 探知としては充分過ぎるほどの性能を有し、一度彼女の異能の網に掛かれば最も異能の扱いが卓越しているヘレナですら隠蔽は不可能。

 ミレーの探知から逃れる唯一の術は彼女の視界内に入らない事だが、それすらも他の異能と組み合わせる事で補えてしまう。

 そんなミレーの探知能力をもってすれば、“顔の無い巨人”という分かり易い才能の塊など、むしろ見落とす方が難しいだろう。

 

 だが。

 

 

(嘘を吐いている様子は無い。ヘレナ女史が心配していたような、見付けたけれど遭遇したくなくて見付けていないフリも多分していない。つまり、今の状況はたまたま見付けられていないという訳になるけど……これほどの広範囲探知を繰り返しているのに、本当にたまたま見付けられてないだけなの……?)

 

 

 何か見落としがあるのではないかと、チラリと過ったそんな不穏な考えに悩みながらも連絡用の携帯電話にルシアは視線を落とす。

 別動隊兼囮役として東京都内を調査しているだろう同僚達からも未だに連絡が無い事を確認して、取り敢えずは想定外の事態が未だに無い事にルシアは安堵する。

 思うように上手くはいっていないが、彼の存在に敵認定されていない、あるいはまだ自分達の動きを察知されていないだろう今の状況はそう悪いものでは無い筈だ。

 

 

(大丈夫、まだ全然焦る必要は無い。要請のあった異能犯罪に対応しているヘレナさん達が一通りを終えて合流してからの方が私達だって都合が良い。やれる事は全部やっているんだから不安に感じる必要なんて無い)

 

 

 見付けられる筈だという思いがある。

 だって、これまでの傾向についての情報は正確で、様々な異能を持った人材は集まっていて、自分達が所有する対異能の技術や捜査能力は確かに向上している。

 土台がしっかりと作られた今、理論や対策に間違いが無ければこれまでに影も踏ませなかった存在が相手だとは言え辿り着けない道理なんて無い筈なのだ。

 

 少なくとも、相手が自分達と同じ人間であるなら。

 

 そうやって自分に言い聞かせながら、自身の仕事に区切りがついたルシアがアブサントにこっそりと話し掛ける。

 

 

『それにしても、ヘレナ女史は昔“顔の無い巨人”に会った事があるという話だけど、本当に協力できると思っているのかな。その余地がなければそもそもこんな作戦を計画なんてしない筈だし……』

『ソイツがどんな考え方をする奴なのかは分からないが、精神干渉の異能で世界から悪意を消したと考えるならそこまで悪人という訳では無い可能性も考えられるな。傍迷惑な奴であるのは確かだが、話し合いの席に着かせられるなら協力体制を構築するというのは悪くない方針だろうと俺は思う。奴が現状の混沌とした世界情勢をどうにかしたいと思っているなら、少なからずこの目論見は上手くいくだろう』

『アブって何だかんだ“顔の無い巨人”の事嫌いじゃないよね。なんで……あっ、“白き神”の時に遠回しに助けてもらったから? そう言えばあの時、私達を逃がした時だけじゃなくて私の記憶が無い時にも干渉があったんだっけ?』

『む……いや、どうだったかな。正直あの時は俺も必死で、かなり血を流していたから意識も朦朧としていて鮮明な記憶がそこまで、な。飛禅飛鳥に助けてもらったのは覚えているんだが……もう一人手助けしてくれた人物もいたがよく覚えていない上に、ソイツが“顔の無い巨人”本人だったかも分からないんだ。』

『そっか……』

 

 

 以前対峙した“白き神”の事を思い出したルシアは改めて精神干渉の異能の厄介さに危機感を抱く。

 

 他人の思考の干渉だけに留まらない、感覚や記憶を司る部分に至るまで干渉が部分的にも可能といわれるその力は、異能という常識外の才能の中でも一際異質だ。

 相手にすればこれ以上無いほど厄介な異能。

 “白き神”という似た異能を持っていた存在の強さを思い出せば、“顔の無い巨人”が実際に対峙した時どれほどの力を振るってくるのかという不安は拭い切れない。

 

 

『……相手は同じ人間。世間の人達が言うような神様の様な存在じゃ無いもの。大丈夫、見つけ出せるし、話し合いだってできる筈。戦いになったとしても、今の私達なら対抗くらいはできる』

 

 

 次の探知地点に到着したことを確認し、ルシアは車に取り付けられた特別製のスピーカーの準備に動く。

 未だに影すら踏めない最悪の異能持ちの姿を脳裏に映しながら、ルシアは自分がするべきことを一つ一つ確実に遂行していく。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 白いベッドの上でずっと眠りについている女性の額に手を置き意識に干渉する。

 じっくりと丁寧に、雑な精神の乗っ取りと悲しみや絶望といった激しい感情の波によって深く傷ついた女性の精神を確認し、女性が今なお寝たきりとなっている原因を探っていく。

 何をすれば問題が解決するのだろうと思考を巡らせながら、私は本当に不本意だが、以前“白き神”を自称していた男がやっていたように自分の感覚を女性に繋げていく。

 

 

 そして私は重い瞼を開いた。

 

 視界が切り替わる。

 直前の白いベッドの上で眠りについていた女性を見下ろす光景が、寝そべった状態で天井を見上げている光景へと切り替わる。

 そうして私は、長年動かなかった事ですっかり衰えていた女性の体を指先からゆっくりと動かしていく。

 繋がれた手の先にいる私がしっかりと目を閉じて意識を集中しているのを確認し、傍から自分の姿を見るのがこんなに違和感を覚えるのかと思いながら、その後ろに立つ男性に視線を向けた。

 

 呆然と、今にも泣き出すんじゃないかというような顔でこちらを見詰める実年齢よりも老けた男性の姿を視界に入れ、私は何度か咳き込んだ。

 

 

「睦月……! い、いや、佐取、なのか?」

「最初からそう言っていたじゃないですかっ、けほっ。私は気が進まなかったのに試しにやって欲しいって言ったのは神楽坂さんですし、痛っつぅ……! ……あっ、駄目だ、体の至るところがガチガチだし筋肉が衰えすぎていて体も起こせないっ……! ちょ、無理無理無理辛い辛い辛い! 解除します解除!」

 

 

 呆けた事を言う神楽坂さんに不満たらたらな文句を言おうとしたものの、それすら出来ないくらい辛い睦月さんの体の状態に、私はベッドの上でのた打ち回る。

 動かし掛けた女性の体を再び楽な体勢に変えてから、私は行使していた人格投射の異能を即座に解除した。

 

 私の意識がふわりと女性から離れていく。

 繋いでいた感覚が離れ、自分が元通りの状態になったことを確認した私は女性と繋いでいた手を離して安堵の溜息を吐いた。

 

 

「ふう……神楽坂さん、取り敢えず診察が終了しました。状態は変わらずですし、私が体を動かしてみるなんていう荒療治も試してみましたが、それで彼女の精神が目覚めるという事も無さそうです。それに、やっぱりこの異能の使い方は私あんまり好きじゃないです。なんて言うか、別の誰かの人生を奪い取ってるみたいで」

「……ああ、悪い。無理を言ったな」

「謝らないでください。やることを決めたのは私です……うぅ、頭痛い」

 

 

 慣れない異能の使い方で疲れた頭を癒そうと、飴を口に含む。

 

 そうして、待ち望んでいた元恋人の目覚めを疑似的に見せつけられてしまった神楽坂さんが、肩を落としショックを隠し切れていないのを横目に見た私は少しだけ呆れる。

 目覚めない彼女を強制的に動かすなんて、私としても疲れるし、神楽坂さんの精神にも少なからずダメージがあるのは最初から分かり切っていた事である。

 了承した私も私だし、お願いしてきた神楽坂さんも神楽坂さんだ。

 治療法は何でも試すという心意気は良いかもしれないが、無駄な事ならともかくマイナスになるようなことはするべきではないだろう、と私は思う。

 

 もう同じことはしたくない……とはいえだ。

 

 

「……まあでも、これはあんまり良くなかったですけど、試行錯誤は大切ですからね。この試みでも得る物はあったと思いますし、そもそも急に睦月さんの状態を診るのを提案したのは私ですし」

 

 

 気を落としている神楽坂さんに対し、必要以上に追い打ちを掛ける意味も無い。

 私は適当にそうやってフォローの言葉を掛けながら、キョロキョロ警戒するように周囲を見回してしまう。

 意図せずこんな行動をしてしまうのは、以前似たような場所でテロリスト集団による襲撃やらそこで働いていた者達がとんでもない奴らだったからである。

 

 神楽坂さんの元恋人、落合睦月さんがいるこの場所はある病院の一室だ。

 以前訪れた時とは少し場所は異なっていて、睦月さんの入院場所は比較的私の家からも通いやすい距離にある大きな病院に入院先を移していた。

 元々“医神”と名高い神薙隆一郎の治療の為に、睦月さんを無理して遠くの病院に移していたのだ。

 彼の医者が逮捕されて治療が出来ないとなれば、無理に遠くの病院に入院させている意味も無いと彼女の両親は考えたらしい。

 多忙な神楽坂さん的にも通いやすい場所に移ってくれたのはありがたい話だろう。

 

 

「それでですね。精神状態を確認してみましたがやっぱり欠損というか、精神と肉体の部分の繋がりが剥がれているというか、そういう状態みたいですね。これだと目を醒ますのは難しいでしょうし、私の今の異能だけではどうにも」

「……そうか」

「……ごめんなさい」

「いや、佐取は何も悪くない。それに予想はしていたんだ。もっと別方面からのアプローチが必要だとは分かっていた。責められるべきはそれを探すのを怠っていた俺自身に他ならないだろう」

「いや、そんなことは……!」

 

 

 ちょっとだけ雰囲気が暗くなったのを察した私は慌てて首を振る。

 それでもそれ以上の言葉が出てこなくて、困ってしまった私はぼんやり寝たきりの睦月さんを眺めた。

 

 何を言うべきかも分からないから、私は睦月さんの横顔を見ていてふと思った事を口に出す。

 

 

「……私もいつか、睦月さんとは色々お話してみたいんですけどね」

「ふふっ、佐取は良い子だからな。きっと睦月と仲良くなれるさ」

「まあ、神楽坂さんと仲良いんだから心配して無いです。言っておきますけど、もしも物凄く性格が悪い方だったら仲良くなれませんからね?」

「無理に仲良くなる必要なんてないさ。ただ睦月は末っ子でずっと妹が欲しいと言っていたからな。知り合った後、佐取を離してくれるかは微妙だぞ」

「飛鳥さん枠なんですか……? いやまあ、妹が欲しいと言っても私はお姉ちゃん属性が強いですからね、そういう対象には見られないでしょうけど」

 

 

 兄と妹に挟まれている私の兄妹事情だが、碌に甘えなかったお兄ちゃんと、いっぱいお世話してきた妹との関係性を考えれば、私がどっち寄りかなんて考えるまでも無い。

 ちょっとだけ、挨拶をした事も無い睦月さんとの会話が楽しみになりながら、私はベッドを挟んで反対側の椅子に座る神楽坂さんの微笑んだ顔を見遣った。

 

 

「……それでは、本題に移りましょうか」

「ああ、そうだな」

 

 

 表情を切り替えた神楽坂さんが口元を引き締める。

 神楽坂さんが私を呼んだそもそもの理由は、睦月さんの状態を診る事ではない筈だ。

 今回私が呼び出された本当の理由である話を、神楽坂さんが言葉にするまでじっと待つ。

 

 

「俺が佐取に話したかったのは、だな。まだ予定段階ではあるんだが、俺はどうやら氷室署から別の場所、異能犯罪対策課である飛禅の部署に異動になるらしい」

「え!? そ、それは……良かったんですか?」

「そうだな、最初の異能犯罪を解決したいという俺の希望を考えたら良い事なんだろうとは思うぞ。今の佐取との協力体制が変わる可能性を考えたら、良い事ばかりじゃないんだろうが」

「そ、そうですか……」

 

 

 最初から想定外な衝撃の話で、私は思わず動揺してしまう。

 

 いや、その話自体は充分予想出来る事だった。

 異能が公になる前から異能に類する手段で犯罪を行っている者が居ると言っていて、その上何人もの異能を持つ者を実際に捕まえている神楽坂さんの能力の高さは疑う余地が無い。

 異能犯罪が世に出回り、世間一般に周知され始めた今の状況。

 今の日本的、あるいは世界的な犯罪状況は異能犯罪によるものが目立ち始め、先日のハイジャックのような凶悪なものも多く出て来ている。

 何より、今の警察のトップである袖子さんのお父さんの性格を考えると、合理的に最も異能犯罪を解決し得る組織体制を作ろうとするのも当然ではある。

 

 一連の爆破事件の時に神楽坂さんが剣崎さんという警察の上層部と直接接触した事も大きいだろうが、いずれにせよ神楽坂さんの立場の変化は時間の問題であっただろう。

 

 

「そっか……そっかぁ……神楽坂さん、これからあんまり会えなくなっちゃうのかぁ……」

 

 

 そうやって考えるとしんみりしてしまう。

 それでも、私の個人的な感傷で神楽坂さんの進退をどうこうしようとは思わない。

 以前のように神楽坂さんが私の為を思って関係を断とうとするのではなく、神楽坂さんが希望する仕事上の事情で私との関係が断たれるのなら、それは受け入れるべきことな筈だ。

 勿論、神楽坂さんとの交流を完全に断つとかそういう話ではないのは分かるが、それでもどうしても今までより会って話す頻度は少なくなるだろう。

 数カ月に一回、あるいは一年に一回程度になる可能性もあるだろうかと考えていた私を見て、神楽坂さんが慌てて訂正してくる。

 

 

「待て待て、待ってくれ佐取。そうじゃない、確かに立場が変化して中々会いづらくはなると思うが、俺としては何よりも佐取との協力関係に比重を置きたい。これまで散々な扱いしかしてこなかった奴らに今更全幅の信頼を置いて働くというのも無理な話だからな。俺が言いたいのは、異能犯罪や警察の機密情報、果てには国政に関する情報がこれまでよりも多く入ってくる可能性がある分、佐取には言えない事も出て来てしまうかもしれないっていうそういう話でだな」

「え……あ、そうなんですか? もうっ、神楽坂さんってば分かりにくい話をするんですから! ちゃんと不安にならないように順序立てて話してくださいよ、もうっ」

 

 

 安心した私は勘違いの恥ずかしさを誤魔化す為「うへへ」と笑う。

 神楽坂さんとしても私の協力は必要なものだと考えてくれていたようで、当然のように自身の進退よりも私との協力を優先したいという言葉に少しだけ嬉しくなってしまった。

 いやまあ、これまで上手くいっていた事や私の戦績を考えても、神楽坂さんが持つ異能犯罪を解決する私という手段をここから無理に変える必要が無いのは当然といえば当然ではあるのだが。

 

 

「まあっ、天才燐香ちゃんとの協力を神楽坂さんが蔑ろにする筈ないですもんね! そりゃあそうですよ! だって滅茶苦茶有能でこれまでだって物凄い結果を残してますもんね! 私の手に掛かれば異能を持っていようと犯罪者なんてボコボコですし!」

「佐取、失敗パターンの調子の乗り方をしてるぞ」

「べ、別に今は何も計画していませんけど!?」

 

 

 私の態度をもはや慣れた様子で落ち着かせた神楽坂さんが、頬杖を突きながら苦笑してこちらを眺めている。

 その様子はどこか楽し気で、最初に私が神楽坂さんと出会った時の、どこか追い詰められているような焦燥とした色は何処にもない。

 そう考えると、実際の回数はまだまだ二桁には届かないような私と神楽坂さんの会合だが、この会合の時間が嫌いではないというのは私も神楽坂さんも同じなのだと思えた。

 

 だが、そんな私にとっても癒しとも言えた神楽坂さんとの会話がだんだんと不穏な方向へと転がっていく。

 

 

「それで、少し教えて欲しい事があるんだ。佐取、先日のハイジャックの事だが……正直俺は全くと言っていいほど関わっていなかった訳だし、佐取に情報を求めるのは筋違いかもしれないが、出来ればその時の話も聞きたいと思っていて、だな」

「あっ……あの件ですか……あ、あれはですね……」

 

 

 油断していた顔に急に枕を投げつけられたような衝撃。

 恐れていた話が急に飛び出してきて動揺する私を置いてけぼりに、神楽坂さんは顎に手を添えながら次々に自分の考えを口に出していく。

 

 

「新聞や報道では被害数の話をするばかりで碌な詳細が掴めない。解決した方法や人、どのような異能を犯人が持っていたのか分からないし、警察でも特に情報規制に力を入れている異能犯罪に関するものだから俺のような末端の警察官には何の情報も知らされない。担当場所から離れた所で、なおかつ事件解決がかなりの早さだったから直接現場に行く時間もなかった、良い事だろうがその点が本当に悔やまれる」

「そ、そうなんですね……」

「ICPOがあの時関わっていたという話もある上、飛禅の話では“百貌”を名乗る存在が姿を現し、たった一人であれだけ大きなことを引き起こしたハイジャック犯にはUNNとの関りがあったのかと気になる事が多くてな。佐取が何らかの形で関わっているんだろうとは思っているんだが……佐取、どうかしたか?」

「…………」

 

 

 自分の顔から血の気が失われていっているのがよく分かった。

 

 急速に気分が悪くなり始める。

 何だか動悸が酷いし、強烈な吐き気がこみ上げて来ているし、体が小刻みにプルプル震えてしまう。

 現実逃避して忘れようとしていた数々を突然目の前に叩き付けられたかのようなこの最悪な絶望感は、この前黒歴史ノートを見たと桐佳に謝られた時と全く同じだ。

 

 

「……ハイジャック……ICPO、御師匠様……“百貌”……UNN……うぶぅっ……!? ぎもぢわるい゛っ……!」

「佐取!?」

 

 

 メンタルブレイクワードを心の癒しであった神楽坂さんに言われた事で、回復しつつあった精神が致命的なまでの衝撃を受けた。

 椅子から崩れ落ちてしゃがみ込んだ私に神楽坂さんは慌てて駆け寄り背中を擦ってくれるが、そんなものではこのダメージを回復など出来ない。

 自分が今置かれている状況を再認識させられたことで、私の平静は既に跡形もなく消し飛んでしまったからだ。

 

 

「ど、どうした? 何か変な事、いや不安な事でもあったのか?」

「神楽坂さん…………私からも相談が、あるんです……」

 

 

 我ながら嘆きの亡霊のような声を出している自覚はあるが、今の私はそんなこと気にしてられない。

 顔を引き攣らせる神楽坂さんの腕をガシリと掴み、逃げられないようにと力を込めた。

 ゾンビのように神楽坂さんにしがみ付き、床からゆっくりと体を起こした私は静かに問い掛ける。

 

 

「神楽坂さん……へへ、神楽坂さんは私と一蓮托生ですよね……? 沈む時はもう一緒に沈みますもんね……?」

「…………選択を、間違えたか」

 

 

 久しぶりに神楽坂さんの目が死んだ。

 私と同じである、わーい。

 

 

 

 

 

 



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情報の共有化

 

 

 

 

 透明な強化プラスチック板を挟んだだけの部屋に、二人の女性が向かい合っていた。

 片方の女性が警察官の制服を身に纏っていて、もう片方の女性が囚人服と呼ばれる簡素な服を身に着けている事が分かれば、彼女達の関係は説明せずとも分かるだろう。

 

 警察官と囚人。

 この二人は共に世にも珍しい特殊な才能を持った者達であり、同時に現代科学の粋を集めても完全に無力化する事は難しい者達である。

 そして、囚人である女性は、その才能や人格を考慮すると日本に収容されているどの犯罪者よりも危険度が高いにも関わらず、同じ力を持つ警察官はたった一人この場で彼女に向かい合っていた。

 

 

「今日はちゃんと面会室に招待してくれるんだね」

「何を言って……ああ、随分前に見回りみたいなことしたわね。別にあの時はアンタ個人に用があった訳じゃないし、アンタと会話すらしてなかったじゃない」

「そうだね、あの時は何も話してくれなくて驚いたけどね」

「なんだか話がズレてる気がするけど……まあいいわ」

 

 

 粘着質な笑みを浮かべながら軽口を叩く囚人女性。

 切り出された何だか辻褄が合わない話に警察官の女性、飛禅飛鳥は胡乱気な表情で囚人の女性を見遣った。

 

 

「————で、本当に何も心当たり無いのね?」

「そんな事言われてもねぇ、私としては全然身に覚えのない話なんだって。その、“百貌”だっけ? その名前さえ私は今初めて聞いた訳だし、ここに大人しく閉じ込められている私が暗躍できるような話には思えないんだけど。勘違いとかじゃないのかな?」

「アンタの異能によく似た力を使ってたのよ。実際に私がこの目で見たから間違った情報じゃないわ。アンタが裏で協力しているか、何かしらの接点があったのかは知らないけど、心当たりを知りたいの」

「わざわざそんなことを聞きにここまで来るなんて警察も暇だねぇ。けど残念ながら、私には身に覚えは無いよ。私のこの純粋な目を見ればそれは分かると思うけどね」

 

 

 からかうような口調の囚人女性に、飛鳥は眉一つ動かさず冷たく返答する。

 

 

「アンタが息を吸うように嘘を吐くことは知ってるわ。そのとぼけた顔は見てるだけで腹立たしいから止めてちょうだい」

「随分な言われ様だね。私が嘘つきだなんて酷い言葉だ。確かに色々悪い事はやったけどね、別の私の一面を見ている患者さん達からは天女と呼ばれていたんだよ?」

「目が腐ってんのよそいつら」

「君、本当に私の事嫌いだよね」

 

 

 以前“顔の無い巨人”の少女から生粋のサイコパスと評された女性、和泉雅は余裕そうな態度を崩すことなく透明なプラスチック板を挟んだ先にいる飛鳥を眺めている。

 嘘など吐いていないし、悪事なんてする筈が無いとさえ思える慈愛に満ちた表情の和泉に、その内面を知っている飛鳥は眉を顰めて渋面を作った。

 

 残虐な計画立案や血の通わないような残酷行為。

 飛鳥と関わりのある先輩の身の周りの人達を攻撃して殺めた事や、倫理の欠片も無く殺めた相手の姿を模倣し利用した事は、あまりに悍ましく認めがたい行為である。

 それだけでも飛鳥が嫌いと言うには充分過ぎる人間性なのだが、何より飛鳥がこの女を許せない理由は別にあった。

 それは飛鳥の恩人である少女から聞いた、神楽坂の姿に化けて動揺を狙った行為についてだ。

 

 その行為は少なからず恩人であるあの少女の心に傷を残した筈である。

 あの、頼られるばかりで誰かに頼ろうとはしない少女を傷付けた筈である。

 だから飛鳥個人としては碌に話したことも無いこの女が大嫌いだ。

 こんな女と会話なんてしたくないというのが本心であるし、自分の身の回りの人達にも近付けさせたくないと思ってしまっている事を否定できない。

 

 それでも自分の役職上、“百貌”と呼ばれる存在が目の前で従えていた銀色の怪物とコイツとの関連性は調査しないといけない。

 何食わぬすまし顔で目の前に座る女に対してどれだけ嫌悪感が湧き出そうとも、飛鳥は情報が持つ力を良く知っているから、少しでも自分達が有利になる為に努力するつもりだった。

 

 だが、そんな相手に対してでも言わなくてはならない事もあると飛鳥は思う。

 自身の行いへの報いなど受けないと信じていたであろう和泉に対して、同じ異能持ちである飛鳥がはっきりと言わなければならない事もあると思うのだ。

 

 

「神楽坂先輩の身近な人達に対してアンタがやったこと、私は全部知ってんのよ」

「へえ」

「アンタは反省も後悔もしないんだろうしここにいる事も苦痛じゃないんでしょうけど。でも、でもね。私達はアンタの悪性を良く知ってる。世間じゃ神薙隆一郎の影に隠れてアンタは碌に言われてないけどね。アンタの醜悪さを私達はちゃんと知ってるのよ。だから二度と、またもう一度でも同じことが出来ると思わないで。アンタはもう誰かを不幸になんてできない。私達はアンタを逃がすつもりは無いし、私達はアンタの事は、行動も思考も何一つだって見逃すつもりは無い。そしてそれはこれから先の全ての異能犯罪も同じよ」

「……」

 

 

 飛鳥ははっきりと言葉にして、自分の考えをこの大嫌いな女に伝えた。

 

 同じような境遇で、同じような可能性があった二人。

 立場は似ていたけれど、辿り着いた場所は全く違っていた飛鳥と和泉。

 多くの人を救う選択をした飛鳥と、多くの人を殺める選択をした和泉。

 

 そんな、お互いに少なからず思う所がある二人の視線が交わった。

 

 

「……異能を持って正義のヒーロー気取りかな? けどまあ、才能があるんだ、好きにすればいい」

「正義じゃないわ。私はただ不幸になる人や不幸を撒き散らす人を減らすだけよ。その目的の為に、私はこの異能を使うのよ」

 

 

 「私がして貰ったようにね」と、飛鳥は昔の事を思い出しながら小さく呟いた。

 先ほどまでの余裕のある穏やかな表情を崩し、心底忌々しいとでも言うような顔になった和泉に対して、飛鳥は「そっちの方がアンタらしいわ」と吐き捨てる。

 

 

「協力を仰いでる警察官とは思えない言動だね。そんな態度で私が素直に情報を吐くと思ったのかい?」

「犯罪者に低姿勢の警察官がどこにいるのよ。それにアンタは、相手が低姿勢だから協力しようだなんて思うような精神性はしてないでしょう」

「……本当に、神楽坂を思い出させる言動をする」

「良い推察ね。私もあの人に色々教わったのよ」

 

 

 適当な口調でそう返し、飛鳥はメモ帳の用意をしながら話を戻す。

 

 

「じゃあ本題に入りましょう、心当たりが無い事は分かったから、アンタの異能の特徴についてアンタの口から私に言ってちょうだい」

「言いたくないなぁ……」

「アンタが従順に協力してくれるなら、神薙隆一郎にはちゃんと私の方から弁明しておくわよ。不安に思ってたようだけど和泉雅がまた異能の悪用をしていた訳じゃ無さそうだって」

「……チッ。私、君の事大嫌いだよ」

「奇遇ね、私もアンタが大嫌いよ」

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

「……つまりなんだ? ICPOが佐取の確保に動き出した、と? 今も日本に戦力を集中させて捜索してるという事なのか? ……それはまあ、結構自業自得じゃ無いか?」

「そんなぁ!? 自業自得って言われるほど悪い事はしてないですよ! ……そ、その、少しだけ調子に乗って異能を使っていた時期があるだけで、ですね……」

「その時期に被害を受けた人がいっぱいいるんだろ?」

「ぎゃふん!?」

 

 

 睦月さんの見舞いを済ませた帰りの車内での神楽坂さんとの会話。

 ガタガタと体を震わせた私は、運転席に座る神楽坂さんに対し自分の今の状況を大きく身振り手振りしながら必死になって説明した。

 噤みたくなる口を必死に動かし、自分が置かれている状況がいかに危機的なのかを伝えようと神楽坂さんに対して一生懸命説明をしたにも関わらず、神楽坂さんの態度は酷く淡白なのだ。

 

 神楽坂さんから返って来た自業自得じゃないかという冷たい言葉に、私は思わず涙がこみ上げてくる。

 

 

「捕まっちゃうよぅ……! 酷い事されちゃうんだぁ……! 首輪付けて、お家に帰れないくらい働かせて、一杯研究して、最後には用済みだからって処刑するんだぁ……! 世知辛いよぅ……!」

「流石にそんなことは無いと思うが……」

 

 

 神楽坂さんは酷い人だ。

 正論であるとは思うが、こんなに弱っている相手に対してぶつける言葉ではないと思う。

 間違っても今まで散々付き合いがあって、お互いに信頼している(と、私は思っている)相手に対する扱いではない。

 

 そんな事を思って目に涙を浮かべる私だったが、終始酷い態度を見せる神楽坂さんは逆に呆れたような顔をしている。

 

 

「大体な、俺は佐取が過去に色んな相手に異能を使って、世間で言われている“顔の無い巨人”という存在の大元になったかもしれないとしか聞いてないんだ。佐取が具体的に何をやったのか、俺は全くと言っていいほど知らない訳だ。最初に深掘りしないと約束した訳だからな。そりゃあ俺としては佐取の人柄は信用してるし、佐取が誰かを傷付けるような事なんてしないと思ってはいるが、“顔の無い巨人”の世界に広げた異能の話を聞くとだな……」

「えっ? えっ? ま、待って下さい神楽坂さん。私の事疑っているんですか? ICPOや神薙隆一郎が言っているような“顔の無い巨人”の情報を、本当に私がやったと疑っているんですか……!? 違いますよ!? 昔の私だって彼らが想像するような世界征服万歳みたいな考え方なんてしてなかったですよ! ちょっと自分の異能でどこまで実現できるのかなぁって調子に乗っていただけでそんな本当に現代の魔王みたいな思考はしてなかったというか……!」

「……そうだな。確かに決めつけるのは良くないな。じゃあ、簡単な質問をするぞ佐取。過去に世界中の人に異能を使ったと言っていたが、それはICPOが言っている数の十億人よりも多いか? 言っておくが少しでも異能による干渉を行った人数でだぞ。ちょっとの誤認だけだから数に数えない、みたいなのは無しでだ」

「…………」

 

 

 神楽坂さんの幾度にも条件を付けた上での質問にガチリと硬直する。

 あまりに鋭い質問、まるで敏腕刑事の取り調べのような神楽坂さんの問い掛けに、私の小さな心臓はきゅっと握られたような圧迫感を覚えてしまった。

 

 じっと真摯に回答を待ち見詰めてくる神楽坂さんの視線に私は嘘なんて言えず、目線を逸らしながら囁くように小さな声で返答するしかない。

 

 

「……多いです」

「ふぅ……実のところ、そうなんじゃないかとは思ってた。佐取の異能は今まで色んな種類の異能を見ることが出来て、異能に関する見解を深めた俺の感覚でも少し常軌を逸しているような気がしていたんだ。それに、俺が考えていたのはそれだけじゃない。前に十億人という数の話を出した時に佐取はしっくり来ていなかっただろ? あれはその数から多少の前後する程度じゃない、もっと桁外れに数が違うからこその反応だったと俺は思っているんだ。だから俺としては、佐取が過去に行った異能使用によって干渉を受けたのは、世界中の総人口の半分、あるいはもっと上を予想してる」

「あわわっ、あわわわわあわっ……! ち、違うんです! 本当にっ、数の話をしたら凄いかもしれませんが、本当に全員を支配下に置くような洗脳をした訳じゃ無くてっ、本当にちょっと心を常時読める状態にして、ちょっとした誤認識をさせられる状態を作った程度でして……! 言ってしまえば、私自身の視野を広げていたと言いますか……!」

「ああいや。責めてる訳じゃ無い。それだけの人数に対して佐取が異能で干渉して、その結果世界から争いや犯罪が無くなっていたという事実を考えれば、佐取が異能を悪用した訳でないのは分かってる。だがな、佐取の人柄を知らない人が『世界中の多くの人が異能の干渉を受けた』という事実だけを見た場合、どれほどの危機感を抱くのかはやっぱり頭に入れておかなきゃいけないと思う。異能犯罪を解決しなくちゃいけない、ICPOという組織の立場を考えれば、その重要性はさらに強まるだろう?」

「それはっ……そう、ですね……」

 

 

 神楽坂さんの優しく言い聞かせるような言葉に、私はすんなりと納得してしまう。

 

 言われてみればそれはそうである。

 被害のあるなしは関係なく世界を巻き込んだ大規模な異能行使があって、その異能を使った人の足取りが全く追えていなくて、世界で悪質な異能犯罪が多発している現状がある。

 異能の情報面で優位性を持っている者が潜伏している可能性を考えた場合、不発弾で終わっている今の危険な状態をどうにかしたいと思うのは当然の筈だ。

 

 

「ICPOは現状世界の異能犯罪を無くすことに最も尽力している組織だ。確かに佐取は人の悪い部分が見えてしまって簡単に他人や組織を信用する事はできないかもしれないが、今世界で起きている異能犯罪から人々を最も救っているのは間違いなく彼らなんだ。だから、彼らは佐取を酷い目に遭わせたくて探している訳じゃなくて、過去に世界に異能の手を広げた存在の人間性や意図が分からないから未知の脅威を解消したくて行動しているんだろうと思う」

「……はい」

「だからな佐取。これはあくまで一つの案なんだが、ICPOと接触して佐取と彼らの認識の擦れ違いを正すのはどうだろう。直接会う必要もない、何かしらメッセージのやり取りをするだけでいい。過去の事件は不用意に異能を拡大した自分のミスで何かしようという意図はなくて、自分の異能はそれほど凶悪なものでは無いしこれから何か悪事を為してやろうという考えも無い。ICPOという組織に加入する事はできないけれど、何かあれば情報面で協力はする。あくまで例えだがこういう話し合いで解決するのも一つの手であると俺は思うんだ。必ずしも味方になる必要は無いが、敵対する必要もないだろう? 佐取の身の安全を考えるとこれが一番だと思うが、どうだ」

「…………」

 

 

 神楽坂さんの案を聞き、私は顔を俯けた。

 何の返答も出来ないで、じっと足元を見詰めたままどうするべきなのか考える。

 

 私は考えもしなかった案。

 どうやって逃げるのか、どうやって誤魔化すのかばかりを考えていた私に対して、過去をしっかりと清算する道筋を示した神楽坂さんは本当に立派だと思う。

 

 

「……神楽坂さんは凄いです。本当に色んな人の事を考えられて、本当に大人として立派な人なんだと心から思います。未来を見据えて、本当の意味で円満に解決できる道筋を順序立てて考えて、こうして私の為に話してくれている事、分かります。本当に、私が会ってきた中で一番素晴らしい大人の人だって思います」

 

 

 神楽坂さんの考えは間違っていない。

 擦れ違いによる争いを回避するなら話し合いをするべきだし、相手を徹底的に潰そうという意思が無いなら身の安全を最重要視する私だって妥協点くらいは作るべきだ。

 神楽坂さんという大人の立場から考えれば、これ以上無いくらい完璧な正論だと私も思う。

 

 けれど、そうではないのだ。

 

 

「————でも嫌です。私はやっぱり、信じられません」

 

 

 色んなことを考えた上で、私は断言する。

 顔を上げて、神楽坂さんの嘘の混じらない目を見つめ返して、私ははっきりと拒絶を口にする。

 

 

「私の異能を知って彼らが放置すると思いますか? 彼等の中の一人二人が納得しても、納得しなかった人達が私の不利になる行動をするとは思いませんか? 私の身元が判明して、私の家族が攻撃を受ける可能性は本当にありませんか? ICPOという組織全てが信用出来て、伝わった私の情報が全く悪用されないと本当に思っているんですか? そういった攻撃に対して私が反撃した時、本当に世界は私の味方をしてくれると思いますか?」

 

「神楽坂さんは信用できます。飛鳥さんだって信用できます。ICPOの中にもきっと、信用に足る人はいるでしょう。でも駄目なんです。個人は信用出来ても、数多の人が雑多に混じり色んな思惑が絡む組織なんてものは信用に値しないんです。神楽坂さん達は信用できても警察組織は信用できません。世界の異能犯罪を解決しようとする人達は信用できてもICPOという組織は信用できません」

 

「世界は醜悪で、人々の悪意に満ちていて、他者の人生を貪ろうとする奴らが一定数存在する。見知らぬ他人を身を預ける程信用しようだなんて人、必ずと言っていいほど破滅する。そういうものを私はこれまで世界中で何度も見て来て、私以外の誰もその人達を助けようとしなかったのを知っている。自分達はその人に助けられたのに、助けを求めるその人に手を差し伸べようとしない醜悪共————性善説なんて無い、この世のほとんどの人間は信用する価値なんて無いのよ、神楽坂さん」

 

 

 目を見開いて、唖然とした顔で私を見る神楽坂さん。

 つい先ほどまで、自身が置かれた状況に怯えていただけの私が突如として豹変した事に驚愕している様子だが、一方の私も同じように自分の口から出た本心に驚いてしまっていた。

 

 捻くれ曲がった、常人とは掛け離れたこんな考え。

 いくら神楽坂さんが良い人だろうとも、こんな捻くれ曲がった考えを言われて嫌な気分にならない訳が無い。

 口が滑ったなんてものじゃない、断るにしても理由なんて言わずにやりたくないからで押し通せば良かったのにと後悔した私だったが、対する神楽坂さんは少しだけ表情を曇らせて頷いていた。

 

 

「あ、あわわっ、あわわわわわっ……! か、神楽坂さん、今のはですね……!!」

「いや……悪いな佐取、俺の考えが足りなかった。別のやり方を考えないとだな。ICPOによる“顔の無い巨人”の捜索……警察の筋ではそういう情報は入ってきてないな。飛禅の奴からもそんな連絡は無いし、都内でICPOが動いている様子は中々確認していないが、佐取が言うなら間違いない情報なんだろう。その事に対処する方法か……」

 

 

 それでも、私のあまりに穿った考えを聞いた筈の神楽坂さんは、何事も無かったかのようにICPOの対処の話に切り替えた。

 そんなあまりに自然な神楽坂さんの様子に、問い詰められていた筈の私が逆に動揺してしまう。

 

 

「え? か、神楽坂さん? あ、あのあのっ、わ、私変なこと言ったのに怒らないんですか?」

「ん? いや、佐取のそういう経験に思うところが無い訳じゃないが、佐取の人生でそういう考えに至る経験があったなら今の俺が無理にどうこう言えるものじゃないだろう。特に異能持ちの扱いについてなんて俺は無知も良いところだ。異能を持つ佐取が危険だと思うなら、俺はそれを尊重する。意見に食い違いがあったからって怒るなんてことしない」

「せ、世界の平和の為にとかなら自己犠牲くらい、みたいな」

「……佐取は何か勘違いしているかもしれないけどな。俺は佐取が思うほど善人なんかじゃない。世界平和の為に身近な人に犠牲になれと言えるほど、俺は出来た人間なんかじゃないんだ。少なくとも俺は佐取には幸せになって欲しいと思ってて、佐取がICPOから逃げたいと言うのなら、それに協力したいと思う」

 

 

 「佐取は俺にとって恩人だからな」なんてそう言って、変な事を口走った私に対して変わらない優しい顔を向けて来てくれる神楽坂さんに、思わず胸が熱くなってしまった。

 鼻の奥がつんっと熱くなって、また何か変な事を言いそうになる自分の唇を噛み、自分の動揺を知られないように顔を俯ける。

 お兄ちゃんが以前言っていた「自分の全てを犠牲にしてでも他人を助けろなんて言う奴がいたら、そいつは絶対にお前の味方にならない奴だ」という言葉が黙りこくった私の頭を過った。

 

 本当にそうだ。

 やっぱり神楽坂さんは、本当に出来た大人なんだと思う。

 

 

「……ありがとうございます」

「お礼なんて、散々世話になってる俺の方が言いたいくらいさ。さて、じゃあ、対策について話していかないとな。今のところICPOの動きは報道にも流れていないな。警察にも流れていない、報道関係者にも気取らせていない。となると、ICPOのみによる極秘活動か。活動人数も少なく大々的な活動もしていないだろう……ふむ、失敗したところで潰れるメンツは無いと考えるべきか」

 

 

 私の小さな感謝の言葉を軽く流して、悩まし気な顔をした神楽坂さんが適当に車内取り付けのテレビを点けて、報道の状況を確認する。

 そしていっそ淡白と思えるほど冷静に状況の分析を始めた神楽坂さんは思案を巡らせながら未だにボンヤリとしている私を見遣った。

 

 

「相手の行動は分かっているのか? 今はどんな風にその行動に対応してる?」

「……大体は分かっています。異能による探知で私の姿を捕捉しようと動き回っている人達と、実際に足で過去の異能犯罪に関係した場所を巡っている人達の二つのグループで。えっと、異能持ちが何人もいて、これからさらに集まって来るみたいなんです。取り敢えず、彼らはあらかじめ探知をする位置を取り決めていましたので、その探知位置の順を私の都合の良いようにしていまして……探知する際に私が彼らの探知範囲にいない状況を常に作り出すようにしてどうにか対処している状況です」

「ICPOの極秘作戦を筒抜けにしてるだけじゃなくて内部の作戦を都合の良いように計画させているのか……? いったいどうやって……? いや、それよりも、一方的に情報を得ている上でのその状況なら本当にどうにでも出来そうな気がするが……佐取、色々追い詰められて混乱しているのかもしれないが、佐取の理解が無ければ有効な対抗策を講じることも出来ないんだ。酷いことを言うかもしれないが、深呼吸して、正気に戻ってくれ。ゆっくりで良いからな」

 

 

 優しくそう言ってボンヤリとしていた私を正気に戻した神楽坂さんは「いいか?」と続ける。

 

 

「もし佐取の異能で動向を一方的に把握できるのであれば、ICPOがいくら優秀であっても佐取を見つけ出す事はできない。だが同時に彼らがどこまで佐取を探そうとするのか分からない。相手が打倒するべき対立組織であれば見付からない相手を探していくら消耗しようと構わないだろうしどう攻略するのか考える訳だが、世界の治安維持を担っている彼らの壊滅を望んでいない佐取の立場的には無駄な消耗は避けて欲しい訳だ。ここまでの俺の認識は間違ってないよな?」

「そ、そうですね。それで間違いないです」

「そうであるならつまり、必要なのは終着点だ。何も逃げ回るだけや争うだけが対処方法じゃない。通常であれば難しいアプローチだが、今の佐取の状況なら彼らの作戦の終着点を演出するのは可能な筈だ。ICPOの今回の“顔の無い巨人”捜索作戦の終止符となる何かがあれば、彼らのこの極秘作戦は終了する」

 

 

 神楽坂さんの確信を持った口ぶりに私はしばらく唖然と口を噤んだが、神楽坂さんの話に間違いが無い事を理解してゆっくりと頷く。

 

 

「……確かにそうですね。その考えに間違いは無いと思います」

「ああ、その上でどうするかを俺と佐取は考えるべきだ。ICPOという組織の今回の作戦にとっての終着点を、俺達がどう作るべきなのかを。佐取は俺よりも個人の心情について詳しく、佐取よりも俺の方が組織的な動きについては詳しい。その部分を理解した上で落ち着いて考えていこう。なに、いざとなればICPOが諦めて帰るまで、俺と一緒にこのまま車で国内旅行にでも行こうか」

「あ、はい。それは私としては普通に楽しみですけど…………え、待って。普通に考えて私。こんなに私にとって都合の良い展開ある? 神楽坂さんが全面的に私を助けようと動いてくれて、その上でこんなに色々案を出して考えてくれるなんて幸せ過ぎない? い、いや神楽坂さんの人格を考えるなら勿論その可能性もあるけどそれにしたって話が出来すぎているような気がする…………か、神楽坂さん、ちょっと良いですか?」

「ん?」

 

 

 ペタリと神楽坂さんの頬に手を添えた。

 あまり手入れはされていないだろうザラリとした肌の感触。

 形の良い顎骨と剃り残されただろう小さな顎髭。不摂生から来るだろう血色の悪さと微妙な体温の低さ。

 メンタルはどうか、異能の通しはどうか、あるいは思考に異物は無いか。

 そうやってじっくり、しっかりと神楽坂さんの状態を確認し、正真正銘いつものくたびれたおじさんであるのに間違いない事を確信した私は、驚きに目を見開いた。

 

 

「ほ、本物の神楽坂さんだ……! 凄い頼りになるのに“百貌”に成り替わられているとかじゃなかった……! え、神楽坂さん頭も良かったんですか!? て、てっきり身体能力お化けだって思ってました……!」

「…………どういう意味だ佐取? お前、俺をそんな風に思ってたのか? 頭良さそうだから誰かに成り替わられてるって思ったのか? まさか運動神経が良いだけのおっさんだと思っていて頼りにならないと思ってたのか? ん?」

「あっ、あわわわわ! ち、違うんです! わわわっ、ほ、ほらっ! てっきり知力担当が私で、神楽坂さんが肉体担当かなって思ってたからですね!? 神楽坂さんが私を落ち着かせて冷静に状況を判断するのは珍しいなって思っただけでっ、決して馬鹿にしているとかそういうのではなくてですねっ。えっと、えっと————」

「なるほどな?」

「————あわわわわっ、あわわわわわわっ……ごっ、ごめっ……!」

 

 

 今まで見た事無いくらい爽やかなニコニコの笑顔を見せて来る神楽坂さんに恐怖する。

 あまり神楽坂さんが見せない表情というのもあるが、何よりも似合ってない爽やかなニコニコ笑顔があまりに怖い。

 

 確かに、私の身を案じて色々と考えてくれていた神楽坂さんに対してあまりに失礼な言動をしてしまった。

 いつもとはちょっと流れが違っていたとはいえ、神楽坂さんは警察でもエリートコースを行っていた人であり、異能が関わらなければ誰よりも優れた事件解決能力を持つ人でもある。

 

 優秀でない訳が無い。というか、今までの異能の関わる事件が特殊過ぎただけ。

 私の知識に優位性があっただけで、経験とか基本的な知識とかその他諸々は神楽坂さんの方がある筈なのだ。

 無自覚な傲りがあったのだと反省した私は慌てて神楽坂さんの腕にしがみ付くように謝罪した訳だが、当の神楽坂さんはそんな私を見て噴き出すように「ふっ」と笑いを溢した。

 

 

「冗談だ」

「へ?」

「これまで佐取の方が色々と頭を使って考えてくれていたからな、そうやって思われていたのも仕方ないと俺は思ってる。むしろ俺は自分の不甲斐なさが申し訳ないんだ。これまで、異能を持たない俺が異能に対抗できなかっただけじゃなく、大人として佐取に頼られるほどの知識も見せていられなかったんだからな」

「お、おおぅ……」

 

 

 神楽坂さんが滅茶苦茶頼れる大人に見える。

 いや、元々滅茶苦茶頼れる大人だったのが、私の目が節穴過ぎてよく分かっていなかっただけだった気さえしてくるほどの素晴らしい頼れる大人っぷり。

 気付けば神楽坂さんに相談する前に崩壊していた私のメンタルが落ち着きを取り戻している。

 悩み事を神楽坂さんに相談するというこの判断はどうやら本当に正しいものだったようだ。

 

 

「さて、それでICPOの終着点についての話なんだが、彼らが何故今更このタイミングで佐取の確保をしようと動き出したか、その理由は分かるか?」

「あ、えっと、物的証拠が無い状態では世界的な覇権企業であるUNNを検挙する事が出来ず、広めている異能開花薬品の大元を断てない状態にあるから、その問題解決のためにも“顔の無い巨人”を先に捕まえるという理由だったと思います」

「ああ、なるほど。あくまでICPOという組織全体の目的は世界情勢悪化の原因であるUNNを検挙する為に、必要な協力を確保する為というのが名目な訳だ。なら、これまで動いてこなかったのはどうしてだ?」

「探知系統の異能を持つ者がICPOという組織にいなくて、“顔の無い巨人”を探し出す手段があまりに乏しかったからのようですね。後は……世界に広がる異能犯罪の波が、想像を越えてあまりに大きく、あまりに数が多かったからだと思います」

「……酷い状態だとは聞いていた。悲惨な事件の詳細をいくつか目にすることもあった。だがそれでも、日本に入って来るような海外の異能犯罪の情報なんてほんの一部だと思っていたが、やっぱりそうだったんだな」

 

 

 考え込むようにして出た神楽坂さんの言葉にちょっとだけ後ろめたさを感じた私は目を逸らす。

 情報統制を行い、日本国内における異能犯罪の発生をある程度未然に防いでいる私だからこそ、ある意味それ以外の国については見捨てているような気分になってしまう。

 とは言え、世界に手を広げて犯罪を未然に防止しようだなんて意気込みは今の私に存在しないし、家族や神楽坂さんや飛鳥さんといった関係のある人達さえ無事であれば良いという考えに変わりはない。

 世界に異能の手を広げた時の弊害を考えれば、おいそれとそんな選択をしようとは性格の悪い私は思えない。

 

 

「つまり、なんだ。UNNを倒しさえすれば話は終わると考えるべきか?」

「ううん、どうでしょう。UNNを倒しても、結局ICPOの人達にとって“顔の無い巨人”が敵である事には変わりないでしょうから。一度動き出した今回の作戦の終着点としては弱いような……」

「なら一度手を引かせるタイミングを作るのはどうだ? ICPOのメンバーが集まった段階で世界における異能犯罪の同時多発の誤情報を流して一斉に手を引かせる。彼らが日本から離れた隙にUNNの証拠か何かを彼らに握らせればそちらに集中するんじゃないか?」

「あ、それは手としては悪くないですね。えっと、ちょっとメモしますね」

「あとはそうだな。例えば未だに詳細の分からない“百貌”を上手く壁のようにして利用できれば……」

 

 

 相談したことにより一人で部屋に引きこもっていた時よりも幾分かメンタルが回復することが出来た私は、神楽坂さんと本腰を入れて対策を練っていく。

 “百貌”と呼ばれるあの存在を逆に利用して、日本にやってきているICPOをどうにかするのか、そんな神楽坂さんの提案に私が思考を巡らせていく。

 

 そんな時に私は、本当に一瞬だけ空から異能の出力を感知した。

 

 

「……?」

「ん? どうかしたか佐取」

「あ、いえ。一瞬だけ空から異能の出力を感じた気がしたんですけど……でも、今は特に何も感じないですし、私の異能出力を探知できる範囲には何も無いみたいで……勘違いかな……」

「異能の出力探知? それは……異能を持っていない俺には少し理解し辛い感覚の話だが、その探知で俺の危機を何度も救ってもらっている訳だし勘違いで済ますのは怖いな。確か佐取の今の異能出力の探知範囲は三㎞の距離だったか?」

「それは少し違いますね。異能の出力を少し探知するだけなら範囲はもっと広くて、多分数十㎞とかそこら辺はあると思うんですけど、まあ、正確な計測はしたことないので分かりません。この前テロリストに乗っ取られた飛行機を見付けた時も結構近付いてからでしたし、私のこの能力は大したことないかもしれません」

 

 

 襲い掛かってくるようなものではない。

 空に鎮座する私のアレではない。

 遠い空高くに感知した、錯覚にも思える一瞬の異能の出力。

 不気味に思える一瞬だけ感じた異能の出力が忘れられずに私が空を見上げていれば、神楽坂さんも同じように空を見上げた。

 

 雲一つなく、飛行機やヘリコプターなんかも近くには見当たらない青空。

 しばらく二人して車の中で空を見上げていた私達だったが、神楽坂さんは独り言のようにぽつりと呟いた。

 

 

「瞬間的なもので今は感じないとなると、単純に考えるなら探知範囲の外へと離れていったと考えるのが無難か……」

 

 

 私が息を詰まらせながら視線を向けたのも気が付かず、神楽坂さんは「そう考えるなら……」と続ける。

 

 

「瞬間的に空を横切ったか、あるいはさらに上空へと打ち上がったか」

 

 

 神楽坂さんの呟きに、これほど嫌な予感を覚えたのは初めてだった。

 

 

 

 

 




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せっかく書籍版が今月中に発売なので、最新話の後書きには毎回公式サイトへのリンクを張るようにしようと思います!
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悪の必要性

 

 

 

 

 三年前に世界侵略をした時、“精神干渉”という種類の異能の力を行使したと思われる彼の存在だが、侵略の手法やその足掛かりといったものは未だにはっきりとしていない部分が多い。

 そもそも存在すら疑うのは除外として、単純に出力が馬鹿げており全世界全てに異能が届くという考えだったり、異能を持つ協力者を世界中に配備して何らかの方法で異能範囲を拡大していたという考えだったりと色々な予想はされている。

 だが何が正解かは結局“顔の無い巨人”本人に辿り着けていない以上分からないままだし、様々な諸事情により議論や考察を重ねる事が出来ていなかったというのが現実である。

 

 

『三年前、全てが終わった後に世界が異常だったと気が付いた。誰も他人を傷付けない、誰も他人を陥れない、誰も過ちを犯さない。そんな世界が自覚も無いうちに作り出されていたのを知った時、俺は心底驚いたよ。あれだけ俺が追い求めていた世界になっていたというのに、世界のその変化に気が付かないまま俺は世界平和の為にせっせと自分の仕事をこなしていた、いやこなしていると思っていたんだ。まあ要するに、いつ異能の術中に嵌ることになったのかも、何を契機にそれが終わりを迎えたのかも分からなかったという事だ』

 

 

 そんなロランの語りに耳を傾けながらも、彼らはとある公園の一部が映る監視カメラの映像の確認を続けていた。

 

 ある日付の、ある夕暮れ時の、ある場面を映したその映像。

 大柄の、明らかに一般人とは思えない威圧感を放つ男が、怒りの咆哮を上げながら暗闇の中で暴れている光景。

 画面越しにも関わらず肌を刺すような危機感を覚えるのは、その男“千手”があまりに危険で、容易く他人を殺める事に特化した本物の危険人物であるからに他ならない。

 だが、いくら肌を刺すような危機感を覚えさせる男が暴れていようとも、ここにいる三人が注目しているのはその人物ではない。

 

 この映像に残っていない、存在する筈の“千手”と相対している人物のことだ。

 その事をしっかりと理解しているロランは顎に手を添え、恐ろしさに背筋を冷たくしながらも言葉を続けていく。

 

 

『この映像を見ても犯罪者が一人暴れているようにしか見えず、存在する筈の相手の姿がどこを探しても見付からない。これは同じだ。この映像こそ“千手”という異常があるから相手がいるのだろうと思えるが、それが無ければ公園の風景が映っているだけのようにしか見えない。異能の始まりと終わり、そして状況が正確に把握できていないこと。この部分の類似があるのは偶然じゃないだろう。だが、以前と違うのはこれが機械の録画を通して見た結果であるという事だ。“千手”と戦っているのが“顔の無い巨人”であるなら、“精神干渉”の異能が機械を騙せる理由は何か。機械が録画した本来の映像には別の誰かが映っていて、俺達がその人物を認識できていないだけなのか。あるいは“顔の無い巨人”の異能は精神に干渉するものでは無く……どちらにしても恐ろしい話だ』

 

 

 普段の飄々とした態度は鳴りを潜め、真剣な顔で呟かれるロランの考察だったが、それを彼の背後で聞かされた二人はお互いに目配せをしてちょっと呆れたように肩を竦め合っていた。

 ロランというこの男は普段真面目な様子など見せないのに、例の存在が関わるとなると異常に警戒度を引き上げるのはいつもの事なのだ。

 

 

『ロランが疑心暗鬼に突入。このままだと休息が無くなる恐れがある。己、せっかく日本に来たからには色々食べて回りたい。ベルガルド何とかしろ』

『さっきまでは楼杏と俺を問題児でも見るような目で一歩離れた位置から監視していたのに……ロランの奴熱中してやがる。これは間違いなく長くなるな。泊まる場所は決まってるんだからロランを置いて先に向かっても良いんじゃないか?』

『精神干渉の異能を持つ可能性がある相手に対して別行動? ぷぷっ、ベルガルド、己は心底お前の頭の悪さに呆れているぞ。こうして堂々と調査を開始して“顔の無い巨人”が監視しているかもしれない状況で隙を見せてどうする? 己は大丈夫でもお前は抵抗しようも無いだろ。実際“白き神”に簡単に手駒にされた事をもう忘れたのか? ぷぷぷ、くすくす』

『じゃあ我慢しろボケナス女』

 

 

 ロランとベルガルドと楼杏。

 ICPOに所属する異能持ちの中でも戦闘、その離脱に優れた者達。

 本命である“顔の無い巨人”探知役のルシア達とは異なり、囮として“顔の無い巨人”の活動があったと思われる場所の現地調査を命じられた彼らはまず“千手”が関わった場所の調査を行っていた。

 

 形として残る映像記録の確認。

 まず第一にそれを行おうというロランの提案に従っている訳だが、そもそも日本に到着したのが遅かった為もう日は暮れ始めようとしているし、楼杏のお腹は激しい空腹を訴えていた。

 すらりとした長身の楼杏は、ぐうぐうと音を鳴らす自分のお腹を撫でながら不満そうに唇を尖らせる。

 

 

『いやだ。日本はご飯が美味しいってレムリアが言っていた。ロランを正気に戻してご飯を食べに行くぞベルガルド。ベルガルド何とかしろ』

『……』

『何を黙っているんだベルガルド。黙っていても始まらないぞ。何事も行動あるのみだ。己あれが食べたい。納豆ご飯とやらが食べたい。ねばねばしていて臭いらしいんだ。楽しみだな。だからお店の予約をしろベルガルド。金は己が払ってやる。お前は段取りを付けろ。お前の役割は己達の足になる事だろう。サボるなベルガルド、せっせと働け』

『ああ゛あ゛! うるせぇな! 黙れ偏食ボケナス女! てめぇは黙ることが出来ねぇのかアホが! その口を縫い付けてやろうか!? おお゛っ!?』

『……何喧嘩してるんだお前ら』

 

 

 真剣に考察を重ねていたロランは背後で中指を立て合っている二人に気が付き、呆れたような声を漏らした。

 

 ヘレナが決めたこの人員の振り分け。

 戦力的には妥当なのかもしれないが、よりにもよってこんな問題児を二人も押し付けられるなんてロランとしては本当にたまったものでは無い。

 まあ、毒には毒を理論で最近はよくこの二人を一緒にさせているらしいが、その間に自分を挟まないで欲しいというのがロランの切実な願いだった。

 だってコイツが……と二人してお互いを指差し合う問題児に、さっきまでの真剣な表情で考察していたのが嘘のようにロランはげっそりと表情に疲れを滲ませた。

 

 

『ヘレナさん、俺は小学校の教師じゃないんだぞ……そりゃあ“泥鷹”で犯罪者共の相手をしていた時よりは幾分マシだが……まさか、面倒ごとは全部俺に投げようとか考えて無いよな、あの人』

『ベルガルドはアホ。ベルガルドは馬鹿。ベルガルドは悪人面。仕事が出来ないからヘレナに怒られるんだ。もう少し頭を使え』

『こっ、この糞女っ』

『勘弁してくれよ、これから世界最悪の異能持ちを見つけ出すって時に味方同士でなんて……いやもしかして、既にこれが攻撃なのか……? 精神干渉による仲間割れ……?』

『ロラン! お前らは知らないかもしれないがなぁっ、お前らがコイツを押し付けたせいで俺はいつもこんな感じの目にあってるんだよ! 良いから楼杏を大人しくさせてくれ!』

『分かってる分かってる。肩を掴んでくるな、俺にその趣味は無いんだベルガルド』

『なんでそういう話になるんだ脳内ピンクかお前っ!?』

 

 

 ロランに対して掴み掛らんばかりに抗議し始めたベルガルドだったが、中華美人を絵に描いたような女性である楼杏はそれを見て鼻で笑いながら自身の黒髪を軽く撫で付けている。

 

 機械のような無表情で、先ほどまでのベルガルドとの掛け合いとは一致しない美麗な仕草。

 黙っていれば神秘的とも取れる女性だが、ICPO内では問題児として名を馳せる大物だった。

 そんな楼杏は何かが気になったのか、ロランが離れた監視カメラの前に歩み寄るとじっと映像に流れる“千手”の姿を眺めた。

 

 

『この最後の場面』

 

 

 自分の事で盛り上がりを見せている二人を放置して楼杏は呟く。

 その視線の先にある映像は、もう何回も見た“千手”が最後に何かに潰されてしまうシーンだ。

 映像には存在しないナニカを見上げて血の気を失っている“千手”の姿を、楼杏はじっと見詰める。

 

 

『“千手”の男、ステル・ロジーが恐怖の表情を浮かべている。あの“千手”の男は異能を手にする前から数々の戦場を経験した傭兵。命のやり取りや絶対的に不利な状況なんていくらでも経験している筈。そんな男が恐怖の表情を浮かべて硬直? あの男に恐怖なんて感情は無いようなものだった筈だ。少なくとも己が知る奴はそんな人間味のある男ではなかった』

 

 

 そこまで口にした楼杏は、“千手”の前に立つであろう見えない存在を捉えようと切れ長の目を細めた。

 

 

『“顔の無い巨人”の異能は過去の世界侵略の結果をまとめると精神干渉の可能性が高い。にも関わらず、こうして物理現象を引き起こせているのには何か理由がある。己、予想する。この最後の場面において、“千手”が見せた恐怖の表情は“顔の無い巨人”の特異性に直結している』

 

 

 冷淡な目が形無い敵の姿を捉え始める。

 凶悪な結果を残しながら未だに詳細が掴み切れない世界最悪の異能を見据えて、楼杏はじっと思考の海へと沈んでいく。

 

 

『恐怖の強制付与……いや、恐怖の具現化? しかし、千手が物理的に潰された説明が……まさか恐怖を本当に物質化しているのか? 精神干渉による感情の物質化だとすると……』

 

 

 楼杏の極限まで研ぎ澄まされた集中力は彼女の周囲から色を消していく。

 周りの雑音も耳に入らず、周りの動きも視界に入らず、自身が持つ携帯電話が独りでに動き出した事にも気が付かない。

 

 つまり考えられるのは……と、もう少しで楼杏なりの結論に辿り着こうとした時、映像内の戦闘の現場となっていた公園へと視線を向けた楼杏は何かに気が付いたように『あっ』と声を漏らした。

 

 

『暴徒』

『は? 腹が減り過ぎてついに幻覚まで見え始めたのか? ついさっきお前もこの国の異常な平和さを散々実感していたじゃねぇか。その国のこんな住宅街に暴徒なんて』

『この国の人達じゃない、信者』

『はぁ?』

『あれは……“faceless god”の集団か』

 

 

 楼杏が指差す窓の外をロランとベルガルドが見遣る。

 

 公園に集まった人の集まり。

 異なる文化圏の様々な国から集まっただろう彼らは一貫性の無い見た目をしており、傍から見ても同じ言語を使っているかすら疑わしい集団。

 他の国とは比べ物にならない数とはいえ、それでも数十人程度にも上っている公園の集団を見て、ロランやベルガルドはここにも奴らが集まって来たのかと驚きを露わにした。

 

 

『信者集団か。こんなところにも来ていたのか……急激に数を増やしているから一部問題視されているが、彼らは別に犯罪行為や問題行動は見られないし、楼杏が言うような暴徒集団って訳じゃないと思うが』

『いや待てロラン。楼杏はアホだが、コイツの鼻の良さは本物だ。何かあるかもしれないぞ。様子を見るために少し近付いて……』

 

『————まだ我々の願いを聞き届けて下さらないのですか?』

 

 

 ロラン達が“顔の無い巨人”の調査をする手を止め公園の集団に近付こうと動き出したタイミングで、彼らの代表者のような者が唐突に何かを言い出した。

 

 当然室内にいるロラン達の元まで届くような声量ではないが、仰々しく両手を広げて何かを口にする男の姿は音が無くとも異様だった。

 問い掛けるように、訴え掛けるように、彼はここにはいない誰かに向けて話し掛ける。

 

 

『私は異能犯罪で両親を失いました。後ろの彼は妻と子を亡くしました。杖を突いている彼女は足を失いました。世界の異能による犯罪は日々増加しており、被害者は今も生まれています。異能を持った犯罪者全てを捕まえる事だって出来ていない私達には、これ以上どうしようもないんです』

 

 

 世界で広がる異能犯罪。

 そんなものに巻き込まれ、同情されるべき境遇を辿った者達の末路が、こうして過去に世界を強制的に平和にしたと言われる“顔の無い巨人”へ縋る事だった。

 異能という、多種多様な種類を有し、一貫する対応方法など存在しない凶悪な力によって引き起こされる犯罪は、これまで築き上げられてきた科学技術では解決し得ない。

 これだけ被害が広がっても、世界ではまだまだ犠牲者は出ているし命を落とす人は多くいて、あろうことか異能を使って私腹を肥やす人まで出て来ていて情勢は最悪に近いのだ。

 だから、これから世界各国の政府や組織がどれだけ時間を掛けても世界に広がる異能犯罪の波は完全に収まることは無いだろうと考えてしまった彼らが世界を掌握した巨悪に縋ったのも、ある種仕方ない話だったのかもしれない。

 

 他の誰かが大切なものを失うことが無いよう、数年前に実現させられた強制平和の期間が永遠に続けばと願っている、善人である彼ら。

 だからこそ、残酷な現実に打ちひしがれながら救いを求めた彼らは、それでも見て見ぬふりを続ける“faceless god”に対して、陳言する。

 

 

『それでもまだ貴方はこの世界には平和が必要無いとお考えなのか? これだけ多くの人々が傷付く状況で、過去に貴方が見せた神の御業を再び行使しようとは思わないのですか? この国だけが平和で、この国だけを貴方は守ると言うのですか? そうであるなら、もしそうであるのなら……』

 

 

 そして、蓄積した彼らの想いは行動へと変貌する。

 暴走染みた行動へと変貌する。

 

 

『私達は悪で良い。貴方にとっての悪で良いから、どうか貴方の御業でもう一度世界を平和にしてください』

 

 

 その言葉を皮切りに彼らが一斉に動き出した。

 

 公園で遠巻きに自分達の様子を眺めていた人達に向かって一斉に近寄り、悲鳴を上げる彼らを地面に押し倒し首を絞め始めた。

 数十人にも及ぶ集団による無差別攻撃は、ほんの数秒で公園内を異様な光景へと早変わりさせた。

 

 

『不味いぞっ、本当に暴徒化しやがったっ!』

『チッ! ロラン、楼杏掴まれ! 公園まで飛ぶぞ!』

『焦るなベルガルド。すぐに済ませる』

『お前は何もするな楼杏! 俺が無力化する!』

 

 

 即座に反応する。

 ベルガルドによる瞬間移動とロランによる鋼鉄生成。

 瞬時に暴動の中心となっている公園に到着したロランは網目状の鋼鉄を作り上げ、無差別に他人を襲っている人々を巻き取るようにして宙に浮かせていく。

 目まぐるしく変化する状況が理解できない一般人達の無事を確かめつつ、ロランは取りこぼしの暴徒がいないかと周囲の暴徒を素早く見回した。

 

 そして、つい先ほど“faceless god”に対して陳言を吐いていた者が、手に持った刃物を誰かに振り上げているのを見付けてしまう。

 持ち上げられた刃物を持つ手が、怯える男性に今にも振り下ろされようとしている。

 

 時間的にも、距離的にも、手が届かない。

 

 

『チッ! やりたく無かったがっ……!』

 

 

 ロランは瞬きするような短い時間の内に、銃身の長いライフル銃を作り出し、照準を刃物を持つ男性に合わせた。

 振り上げられている刃物を狙って撃ち落とすかと一瞬だけ判断を迷わせたものの、直ぐに狙われている被害者の男性を必ず助けられる方法を取ろうと、暴徒の頭に狙いを定めた

 

 そして、ロランの指が引き金を引く直前。

 

 

「よし、捕った」

『……!?』

 

 

 日本人にしては背の高い女性。

 突然意識外から現れたそんな女性が、刃物を振り上げていた手を横合いに掴みそのまま全身を使った関節技のようなその動きで、暴徒から刃物を奪い取った。

 完全な意識外からの強襲を受けた暴徒は、自身よりも一回り以上体の小さい女性に碌な抵抗も出来ないまま手にしていた武器を奪われ、流れるような仕草で眉間に突き付けられた刃物の先端を呆然と見詰めてしまう。

 

 刃物を持つ女性がこの場にそぐわない笑みを溢す。

 

 

「驚いた? 私、アクションもそれなりにやれるんだ。事務所の人達は良い顔しないし、流石に実力派のハリウッドスターレベルは無理だけど、自分では結構自信あるつもりだよ」

『なぜっ……!』

「基本的な護身術は履修済みだけど、何より得意なのは武器を使ったものなんだ。着物を着て模造刀を振り回すのは骨が折れたけど、殺陣くらいはお手の物だよ。試してみる?」

 

 

 穏やかな表情を浮かべ、まるで身の危険を感じさせない女性の立ち振る舞いは、刃物を持ち相対しているというのに思わず気が抜けてしまいそうな力がある。

 そして、相手の注目を意図的に集めさえしてしまえば後はどうにでも出来る者達が周囲にいる事を、刃物を奪った女性は理解していた。

 

 数秒の猶予も無く暴徒の眉間に突き付けた刃物の前を、勢いよく振るわれた拳が通過する。

 硬く握られた拳が顎に突き刺さり、上空を見上げた状態になった暴徒はそのまま背中から地面に倒れ込む。

 そして暴徒に対して攻撃を仕掛けた楼杏が倒れた相手に圧し掛かり腕を捻り上げ、刃物を持って立ち尽くす女性に視線を向ける。

 

 

『よくやった知らない女。お前のおかげで血を見る必要が無くなった。感謝する』

「え……? その人、口から血を流して白目を剥いてるけど……? 今のその拘束技は使わなくて良いし、そもそもそんな気持ち良いアッパー入れる必要なかったんじゃってお姉さんは思うなぁ……」

 

 

 目の前で暴徒を殴り倒したあまりに暴力的な楼杏に若干引いた目を向ける女性。

 暴徒から武器を取り上げた際に放り出した杖を拾い、「痛た……」と足を撫でながら、暴走した信者達がしっかりと取り押さえられているのを見回して、女性は安心したようにほっと息を吐いている。

 

 事件現場に遭遇しただけの善良な一般人。

 そんな風に女性を認識したものの、彼女に近付いたロランは険しい顔で苦言を呈した。

 

 

『刃物を持った相手に掴み掛るなんて……今回はたまたま上手くいったかもしれないけれど、一歩間違えたら貴女が刺されていたんですよ? 足も悪いようですし、そのような無理をするのは……』

『ロランは頭が固い。この女のおかげで怪我人が出なかったんだ。何なら己が異能を使っていた可能性だってある。感謝するべきだ』

『そういう訳にもいかないだろ……今の情勢を考えると、一般人が下手に手を出すのは危険でしかないし、よりにもよって怪我人が危ない事をするべきじゃない』

『あはは、流石に近くにいて何もしないっていうのは出来なかったので。ところでこれ、異能っていうやつですか? 鉄を操って捕まえるなんて凄いですね。ちょっと触ってみても良いですか? あ、ちゃんと硬いんだ。すごーい!』

『まだ許可して無いんだけど……』

『動じないメンタル。己、こいつ大物だと思う』

 

 

 ロランと楼杏という長身の外国人二人の間に挟まれる形となった女性だが、少しも物怖じすることなく暴徒達を抑え込む鋼鉄に触れて、その硬さに感動し始めた。

 英語に対して英語で返答する語学力の高さや暴徒から刃物を奪い取る身体能力の高さもさることながら、この状況でも少しも動じないメンタルの強さを見せつける女性にロランと楼杏がそれぞれ感心した様子を見せる。

 

 あまりにマイペースな女性の登場。

 だがもう一人、ベルガルドは二人とはまた別の意味で息を呑み、驚きを露わにしていた。

 

 

『お前らマジで気付いてないのか? ……俺、最近の映画でこの人のこと見たぞ。日本女優の、名前は確か……神崎未来』

 

 

 ベルガルドが驚いた表情で紡いだその言葉に、世界の流行を一通り抑えているロランは息を呑み、そういうものにあまり興味が無い楼杏は状況が分からず首を傾げた。

 自然と視線が集まり困ったような顔をした女性は、地面に落ちていたニット帽をおずおずと拾い上げ、自分の鞄の中に仕舞い込んだ。

 

 神崎未来。

 世界的な知名度は日本人という枠組みで見ても上位五人には入るだろう有名人。

 海外ドラマや映画にまで出演して、その全てで高評価を残しており、他の俳優達にすら彼女の持つ演技力は次元が違うと言わしめる存在。

 業界で着実にキャリアと評価を積み上げていて、世界の俳優業界でも顔となるのもそう遠くない未来だと囁かれ、世界を騒がせているのが目の前にいる女性なのだ。

 

 輝かしい経歴。

 だというのに、その正体がバレてしまった神崎は若干気まずそうに視線を逸らしている。

 

 

『いやぁ……ちょっと用事があって近くの放送局に寄っていて、その帰りだったんですよ。まさかこんなことに巻き込まれるとは思ってもいなかったですけれど』

『神崎未来といえば、色んなメディアで紹介されてる……確かに、画面越しに見るよりもずっとお綺麗だ。いや、しかし、であるならもっと貴女は自分の身を大切にするべきだ。こんな事で怪我なんて』

『己、よく分からないが有名人なのか? サイン貰っておくか?』

『あー……そうしたいのは山々だが、そんなことをしていたと知られたらあの婆が煩い。取り敢えずこの国の警察に連絡して暴徒連中を回収して貰うのと、怪我人の安全確保と救急への連絡をだな』

『ぷぷっ、ヘレナにすっかり躾けられてるベルガルド。良い判断だと思うぞ』

『……』

 

 

 重要任務の最中に予想外の面倒ごとに巻き込まれたものだと思いつつも、ロラン達は自分達がいる場所でこれ以上の被害が出ないようにと各方面への手配をこなしていく。

 警察への手配や怪我人を病院に搬送するための救急隊への連絡。

 思いがけない世界的なスターの登場に盛り上がりつつも、自分達の職分をギリギリで忘れなかった彼らの迅速な行動により順調に事態は収束に向かう。

 

 今回偶々ICPOが居合わせたがゆえに信者の暴徒化が大事にならなかったが、もしも彼らがいなければもっと被害は大きく、鎮圧は難しくなっていただろう。

 

 

『これから撮影があるんですよね? お仕事に影響があっても大変です。警察には俺達の方から説明しておきます。とはいえ何かあった時に連絡したいので連絡先だけ教えていただいても?』

『あ、確かにそうですね。じゃあこちらの方に……』

 

 

 そして、この三人の中では唯一他人と交渉できるだけの話術を持っているのがロランである。

 

 忙しい神崎に対して配慮つつも、何かあった時の為に連絡手段を確保しようと提案する。

 相手が有名女優であろうと巧みに連絡先を聞き出すロランのコミュニケーション能力の高さにベルガルドが舌を巻いていたが、そんな彼に楼杏がこっそりと近寄り耳打ちした。

 

 

『気付いているかベルガルド? あの神崎という女の事だ』

『……何にだ?』

『鈍感ボケ。探知能力の欠如。髭面。短気男。学習能力皆無。一度生まれ変われ』

『言いすぎだろ!?』

『言いすぎじゃない。異能の出力を感じ取れるだろって話だボケ』

 

 

 普段の小馬鹿にするようなものでは無く、少し怒りさえ混じっている楼杏の指摘にベルガルドは慌てて神崎の異能出力を確認して頷いた。

 

 

『あ、ああ、確かにそうだな。だが、あんなの弱すぎて話にならないだろ。“顔の無い巨人”どころか俺らとは比べ物にならないし、これまで捕まえた異能を犯罪に利用していた奴らよりも目に見えて出力が弱い。正直、気にするようなものじゃねぇだろ』

『是、己も同意見。あの程度なら良くてライターの弱火程度だろうな』

 

 

 神崎未来から漏れだす異能の出力。

 以前ヘレナに見せてもらった異能の出力を抑えようとした時の感触とも違う、正真正銘脆弱な異能の出力に、ベルガルドは首を振る。

 

 

『ああやって話し掛けているロランだって気が付いていて、その上で危険性が薄いと判断しているんだろ。異能の力を持つこと自体確かに珍しいが、あれは事件を起こせるレベルの力じゃない。詐欺は出来ても傷害はできない、自覚してるかも分からない程度の異能の出力だ。確かに直ぐに気が付けなかった俺も悪いが、アレは俺らが気にするようなレベルじゃないだろ』

『……』

 

 

 演技という異色の才能を持つ彼女が異能の力さえ持つ事には驚かされたが、普段自分達が相対する異能を使った犯罪者達とさえ比べ物にならない程微弱な出力の気配に、危険は薄いのだと判断させられる。

 

 異能の出力はいわゆる馬力だ。

 異能の効果範囲にもなるし、現象の強さにも影響する事が多い。

 出力が弱いから危険が全くないとは一概に言えないのは確かであるが、それにしたって発火量が山火事レベルとライターの弱火レベルでは話が違う。

 異能の強さの重要な指針となる要素の一つであり、どれだけ強力な性能を持った異能を有していても出力が足りなければ脅威に成り得ない場合だって存在する。

 だから神崎が持つ、『せいぜい自分自身にしか効果を及ぼせない』程度の異能出力の危険度は、本来微塵も存在しないようなものなのだ。

 

 

『……何故、何故世界を支配して下さらないのか……何故私達を見捨てるのか……どうして……三年前のように世界に規律を与えて下さらないのか……どうして……やはり……この国に囚われているのですか……もっと大きな争いが必要なのですか……?』

『こいつ、まだ戯言を呻いてやがる』

『む、結構強く打ち込んだがもう意識があるのか? もう何発かやっておくか?』

『お前のそういう加減の無い所が一番問題視されてるの自覚してくれ……いや待て、コイツ』

 

 

 地面で拘束済みの暴徒がぶつぶつと独り言を呟いていることに気が付いた楼杏とベルガルドがまた暴れ出さないように拘束を強めようとするが、暴徒の呟きに手を止める。

 

 負け惜しみではない、淀んだ希望を捨てていない目。

 その目が見詰める先は、明確にどこかの場所へと向けられている。

 それらの要素にベルガルドは猛烈な嫌な予感を覚えて、隣でいつも通り澄ました顔をしている楼杏に話し掛けた。

 

 

『この状況でなんでコイツ次があるみたいな顔をしてやがる。まるでもっと大きな事をやれると思っているような態度じゃないか?』

『同意』

『コイツ、同じ思考を持った仲間がまだいると思うか?』

『可能性大』

『コイツら信者が集まっていた場所。他には何処にあった?』

『国会議事堂前、だな』

『……ああ、そうだな。そうだったな』

 

 

 思い当たった嫌な想像をロランに伝えようと動く前に、独り言を呟いていた暴徒の男が暗く笑う。

 

 

『ああ、私達の神様よ。どうか……どうか……私達に天罰を与えてください』

 

 

 ベルガルド達が持つ通信機器に緊急の連絡が入った。

 

 【国会議事堂前に集まっていた“faceless god”の集団が暴走。複数人の議員が拘束。異能による活動は無し。詳細不明。極秘任務を担当している者は事態に関わらず静観せよ】という緊急連絡。

 

 ロラン達が即座にお互いに目配せし意思疎通したと同時、神崎未来も視線を暴徒の男が見詰めている先へと向けた。

 

 

 

 

 





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鏡の先に映るもの

 

 

 

 

 国会議事堂は本来、年末は閉会されており議員が集まり審議を交わすことは無い。

 一月の開会から行われる百五十日の通常国会に、必要に応じて行われる臨時国会と特別国会というのが日本における国会の種類だが、例年であれば少なくとも年末までには終わる日程だ。

 だが今年は、世界情勢の悪化や世間を騒がせた非科学的な才能による重大犯罪の発生などから度重なる臨時国会が開かれた結果、国会議事堂は少しも落ち着きを見せることが無かったのである。

 

 だからこそ、これは不運だった。

 普段は開会中以外、委員会に出席し審議する他、議員は海外視察や地元での国政報告などに向かうなどして国会議事堂に集まることは無い。

 普段とは違う警備体制を敷くことになった国会周辺の防衛に、ごく一部の特殊な才能を持った者の特権を許さないとデモを行う者達。

 水面下で荒れる審議。強行される法案。巧みな根回しにより迅速に成立した国家の方針による混乱。常態化していた外国人宗教集団による国会議事堂前の集まり。そして彼らが全く異能を所持していない集団であった事。

 

 それら全てが悪い方向へ噛み合ってしまったのだ。

 

 国会議事堂に入ろうとする議員を乗せた車両を囲み、議員を引き摺り出し人質とした。

 そのまま雪崩のように国会議事堂へと乗り込んだ“Faceless god”の集団は制止しようとした警備員を人数で押し潰し、審議を続けていた議場へと踏み込んだ。

 未曽有の事態に状況を理解できないでいた議員達を捕まえ、拘束しながら、国会議事堂を占拠した彼らは声高々に宣言したのだ。

 

『どうか我らに天罰を』、と。

 

 

「……こんな大掛かりな事をしても彼らには何も得るものなんてないと思いますがね。いったい彼らは何を勘違いしているんだか」

 

 

 眼前に広がる異様な集団が議場を取り囲む光景。

 百以上の外国人集団が議員達を逃がさまいと目を光らせ、同時に威圧するように議員達に向けて何かを叫んでいる状況で、血相を失っている大多数の議員達とは違い彼は呆れたようにそう呟いていた。

 

 

「な、なぜ阿井田議員はそんなに落ち着いているのですか? あれだけの人数が国会に押し寄せるなんて前代未聞でっ……彼らが何を目的としているかも分からないのに……!」

「目的が分からない? はっはっはっ、多少訛りがあろうとあれくらいの英語なら聞き取れないと、まあ、知れても特に意味も無い目的ではありますよ。“Faceless god”の居場所を教えろ、解放しろという事を延々と言っているだけですからね」

「は? “Faceless god”? な、なんですそれ?」

「……さあ、彼らにとっての“Faceless god”がいったい何を指すのか分かりませんから何とも。ただ言えるのは、彼らの行動は筋違いであるという事だけですねぇ」

 

 

 開いているのか閉じているのかも分からない細い目で、じっと今なお叫び続けている暴徒集団を眺めた阿井田議員は小さく溜息を吐く。

 ただでさえ臨時国会で忙しいというのに変な問題を持ち込まないで欲しいと思いながら、昔出会った“顔の無い巨人”と呼ばれるようになる前のあの存在を思い出す。

 

 昔、自分自身でも制御できなくなった肥大化した疑心を簡単に見抜き治療して、良かったと微笑んでくれたあの存在を思い出す。

 

 

「……人に飽きたか、愛想を尽かしたか。どちらにしてももう関わりたくないと言って眠る龍を叩き起こそうとする行為はあまりに稚拙な考えだと私は思いますけれどね」

「“Faceless god”が何かは知りませんが、実在するならさっさと来いって話ですよっ……! この国の国政を担う国会議事堂が占拠なんて本来あってはいけない事なんですからっ……! 異能なんていう妙な力を持ってる奴らもそうですっ、とっとと私達を助けに来るべきなんですよ! それが出来る才能を持っているんだから!」

「……」

 

 

 怒りの矛先をこの場にいない者に向け始めた議員を横目で見て無言を貫いた阿井田議員は、再び何処か呆れたように溜息を吐く。

 

 

「その才能を悪用する者達がいるから、彼らは世界に秩序を与えて欲しいと言っているのだろうと思いますよ。まあ、君は大人しくしていれば彼らの標的になることは無いでしょうから静かにしておいたらどうですかね?」

「そ、そうでしょうか? 私は標的になりませんか?」

「ええ。彼らは日本の政治に興味があってこんな行動を起こしている訳ではないですからねぇ、全ての議員を調べ尽くしているなんてことはありませんよ。議員数を考えると全員を管理するというのも考え辛い、恐らくは海外でも取り上げられるような知名度の高い議員を標的として……」

「あ、阿井田議員……!」

 

 

 自分目掛けて大股で歩みを進めて来る暴徒達の姿を視界に捉え、言葉を切る。

 予想していた通り、国会議事堂を占拠した彼らが主要の標的として狙うのは阿井田議員を含めた内閣総理大臣と外務大臣の三名だった。

 彼らの元まで歩みを進めた暴徒達は恫喝するように怒声を飛ばし、三人を乱暴に議場の中央まで連れ出していく。

 

 

『お前らがこの国の首脳だな!? “Faceless god”はどこだ!? 彼を解放しろ!』

『彼の存在の恩恵をお前らだけが預かりやがってっ……! ふざけるなよっ!』

『今も世界中ではどれだけの異能犯罪が起きていると思ってるのっ!? 彼について知っている事を全部話しなさい!』

 

「お、落ち着きなさい! 君達が言う“Faceless god”なんていうものは都市伝説で、存在しないものなんだ! 我が国の異能犯罪が少ないのは、規律を重んじる国民性と優秀な警察組織による賜物で……! 君達の行動は見当違いにもほどがあるっ!」

「そそそ、総理っ! 彼らの神経を逆なでするようなことはっ……! 阿井田さんっ、貴方から何か彼らを落ち着かせるようなことをお願いします!」

「そうだねぇ、どうしようか……」

 

 

 阿井田議員は同僚から向けられた懇願に少しだけ逡巡する。

 そして、自分が行動しなければ何も変わらないかと判断した彼は言葉を選びながらゆっくりと口を開く事にした。

 

 

『……あー、そうだね。君達は総理や大臣でもない私の話なんか聞きたくないかもしれないが、ちょっと良いかな?』

 

 

 自身を囲む体格の良い暴徒達に対して、少しも臆せず言葉を切り出す。

 突然繰り出された淀みない流暢な発音の英語に、怒声を飛ばしていた暴徒達が驚きに一瞬静まった。

 

 

『実のところ君達が思っているほど、この国の国政に携わる私達は異能と呼ばれる才能についての知識は持っていないんだ。それどころか、この国の異常なまでの異能犯罪件数の低さを幸運によるものだと考えている者が大半を占める。君達が言っている“faceless god”というのはいわゆる“顔の無い巨人”のことだろう? 数年前の一件を再び引き起こしてもらうために行動する事、私は理解できるよ。今の世界情勢の被害を思えば、数年前の出来事が継続してくれればなんてことは誰だって思ってしまう筈だ』

 

 

 その一瞬の静けさを逃さず、持ち前ののんびりとした口調で切り出された話は、暴徒である彼らの頭にするりと入り込んでくる。

 

 自分達の目的を把握し、一定の理解を示し、広い視野を持った意見をその場で英語に変換して口にできるだけの能力を持つ相手。

 怒声の中に晒され、暴徒と化した者達に囲まれ、命の危機を感じている筈なのに、淡々と意見を口にする胆力を持った相手。

 

 正しい意味で話が通じる相手がいる。

 それを理解した暴徒達は少しだけ荒んでいた気分を落ち着かせ、阿井田議員の話に耳を傾け始める。

 人に聞かせる話術を持つと言われる阿井田議員の面目躍如とも言える口火の切り方だが、あくまで耳を傾かせることに成功しただけの現状は、まだ何一つとして安心できるものでは無い。

 

 それでも阿井田議員は少しも気負った様子も無いまま、暴徒達全員の耳に届くよう大きな声で語り掛け続ける。

 

 

『だが考えてみて欲しいんだ。あれだけの事を為せる、君達が神と呼ぶ相手をたかが私達程度が御せると思うのかい? あれは人の才能と呼ぶよりも、自然災害の一種だと考えるほうが妥当だとは思わないかな? 君達もそう思うからこそ、彼を神のようだと崇めているんだろう?』

『む……』

『残念ながら、私達は彼の存在についての居場所は知らないし、身柄の拘束どころか正体すら分かっていない。私以外の様子を見て何となく想像できているだろうが、存在すら信じていない者が大多数なんだ。君達は見当違いの場所を襲ってしまったという訳なんだよ』

 

 

 出来るだけ刺激しないよう、穏やかに語り聞かせようと努めていた阿井田議員だったが、暴徒達がお互いに視線を交わして何かをコンタクトを取っている事に違和感を覚える。

 いかにこの場を襲う無意味さを説いて、自分達がいかに異能や“Faceless god”について無知なのかを伝え、彼らの行動の意味を無くそうという自分のこの腹積もりが、何か致命的な間違いを犯しているように思えてしまった。

 

 だがその違和感を今更解消する事も出来ない事を悟った阿井田議員がこのまま押し進めようと口を動かそうとしたのを、暴徒の一人が手で制した。

 

 

『話が通じる人がいて嬉しい。だが、貴方は一つ勘違いしている、阿井田博文さん』

 

 

 政治を行う場を占拠するという暴挙を行っている人物とは思えないほど理性的な返答。

 しっかりと自分の目を見て丁寧に返答をしてくる暴徒の姿に、阿井田議員の抱えていた違和感はさらに大きくなっていく。

 

 向う見ずでないなら、見当違いでないなら、彼らの目的は……と考えた阿井田議員は自身の失敗を悟る。

 

 

『貴方達が彼の存在について何も知らず、何も関係が無かったとしても、貴方達には意味がある。この国の運営を任された者達という立場には価値がある。私達が引き起こす動乱で、彼の存在が表に出て来てくれるなら、もはや私達はどうなってもいいんだ』

『……なるほど』

 

 

 理解する。

 国会議事堂を占拠したのは“顔の無い巨人”に関する事情を知っていると確信していたからではなく、日本という国を混乱させる為というなら確かにこれ以上ない場所だ。

 大きな話題性があることや政治の麻痺が引き起こされることを考えれば、彼らが求める存在がこの国に在住しているのなら何かしら動かざるを得なくなることは十分考えられる。

 

 

『……なるほど、つまり君達はこれから出来る限りこの占拠した国会で被害を出す事で、“顔の無い巨人”を引き摺り出す状況にしようと、そういう訳なんだね?』

『その通り。話が早い』

『信者という割にはいささか不敬が過ぎるのではないかな? 畏れ敬うというのなら、そのような暴挙は取るべきじゃないと思わないかい?』

『確かにそうかもしれない。けれど私達は、世界に平和をもたらす彼の存在を主と仰いでいる。私達が間違いを犯そうとも、再び世界に平和をもたらしてくれるなら、それでいい』

 

 

 『意見交換はもう良いだろう』、そういった暴徒の手が阿井田議員の後ろにいた総理の襟首を掴み床に引き倒す。

 為す術無く悲鳴を上げる総理に、間近にいた外務大臣が慌てて距離を取る。

 再び始まってしまった議員に対する暴行に悲鳴のような声が議場の至る所から上がり、総理にこれから訪れるだろう悲惨な事態を想像した議員達が目を伏せていく。

 

 それはそうだろう。

 総理大臣という日本の政治のトップを攻撃するのが暴徒である彼らにとっては一番理に適っているし、それがより悲惨であれば政治運営の麻痺に繋がることを彼らは知っていた。

 だから少なくとも、総理大臣に対して行われるのは見せしめに近いものの筈だ。

 

 それが分かっているからこそ、床に引き倒された総理も必死になる。

 自分を抑えつける暴徒に必死に訴えかける。

 

 

「ま、待てっ、私は確かに総理だが実質的に国会で実権を握っているのは私ではないっ……! あ、阿井田議員っ! そうだろう!? 私をここで痛めつけても、私よりも優秀な、本当の意味で国会で実権を握る人が政治を麻痺させる事無く運営する筈だ!」

 

『……総理は何を言っているんだ?』

『あー……自分は総理大臣の席に座っていても実権を握っている訳ではない。自分を痛めつけても無駄だと言っているね』

『確かに彼の様子を見ているとその話は納得できるが、私達にとっては総理大臣という立場が重要なんだ』

『ああ、うん。そうだろうね』

 

 

 ここで下手に総理への暴行を庇っても、被害を受ける人がさらに増えるだけ。

 であるなら被害を最小限に留め、国会という組織に支障が無いよう立ち回る事が最も国益に繋がると阿井田議員は判断した。

 

 だから次善の策である時間を稼ぎ、警察や特殊部隊の到着を待つ方針へと切り替える。

 

 その為にお飾りの総理大臣など切り捨てることに微塵も躊躇を感じることは無い。

 替えの利く頭がどうなったとしても、立ち回りによっては利益すら産むことを、阿井田議員は良く知っている。

 

 

(さて、暴徒となった彼らの国籍は把握済み。国家の首脳が手に掛けられるんだ、外交カードとしては申し分ないだろう。この事件が解決した後にでも正式に申し立てを行い、譲歩を引き出すとしようかな。この後の総理の末路によってはかなり強く出られるだろうし、何も悪い事ばかりじゃないね)

 

 

 そうやっていつものように、国会の実権を握るとされる政界の怪物、阿井田博文は外面からは想像できない程冷徹な思考を巡らせ、多くの暴徒に組み伏せられている総理を眺める。

 

 議場が雑音に満ちていく。

 「警備員はまだか」、「警察は」、「自衛隊は」などの言葉が次々叫ばれ、今にも命を落としそうな総理の姿に悲鳴が響き渡る。

 だが、そうやって制止を叫ぶ声や怒号こそ議場を飛び交うものの、誰も実力で暴徒を止めようと飛び出す者はいない。

 心にも無い悲鳴に煩わしさを感じながらもそれを一切表情に出す事無く、阿井田博文は事態の終わりを見届けようと総理の姿を眺め続けようとした。

 

 だがそんな時、ドンッと何かが窓を突き破って議場に現れた。

 飛び散るガラス片が何かに操られた様に空中で停止し、窓を突き破った何かが銃弾のような速度で、組み伏せられている総理に向かって飛翔する。

 

 

「っ……!? 飛禅飛鳥っ……!?」

 

 

 飛翔する何かを見た議員の驚愕の声。

 だが、そんな驚きの声に視線もやらず、総理を抑え込む暴徒達に向けて、彼女は空からの襲撃を行った。

 

 ズドンッと、異能により加速し切った飛び蹴りが総理を抑え込んでいた暴徒の一人に突き刺さり、隣にいたもう一人を片手で掴み異能による浮遊と併せることで、自身よりもずっと大きな暴徒の体をぐるりと一周振り回す。

 巨大な箒に払われた埃のように、散り散りに弾き飛ばされた暴徒達が悲鳴を上げる中、手に持った箒代わりの暴徒を放り捨てた彼女は呆れたように周囲を見渡した。

 

 

「他人の国の施設をこんな風に占拠するなんて……行儀がなっていない人達ですね」

 

 

 緊迫感などない、気負うものなど何も無いような、そんな気楽な微笑みを浮かべた彼女が軽く腕を一振りするだけで、暴徒として周囲を囲っていた者の大半が成す術も無く空中に囚われた。

 

 自分達の望みを阻んだのが、自分達を不幸に押しやったものと同じ異能だと理解した暴徒達が怒りの咆哮を上げるが、不可視のこの力はそんな激情程度では揺るぎもしない。

 ものの一瞬のうちに暴徒の大半を無力化して見せた彼女は、体を硬直させてただ事の成り行きを見守る議員達を一通り見遣って、出入り口を手で指し示す。

 

 

「ほら、助けに来ましたよ。とっとと避難してください☆」

 

「飛禅飛鳥……? いや……」

「た、助かった! 早く行け! ほら! 早く外に出るんだ!!」

「遅いんだよ……くそっ、早く逃げるぞっ……! 暴徒連中よりもあの異能とかいうのを持った奴らがどんな暴れ方するか分かったもんじゃないからな……!」

「そ、総理っ! 御無事ですか!? 早くこの場から避難を!」

 

 

 慌てふためきつつ議場から飛び出していく議員達の背中を見送りひらひらと手を振っていた彼女だったが、その場から少しも動こうとしない阿井田議員の姿に気が付き小首を傾げた。

 何かを考え、ある考えを否定し、そして辿り着いた答えに驚いたように顔を歪ませた阿井田議員は、彼女を見詰めて首を横に振る。

 

 

「あれ? どうしたんですか? ほら、阿井田議員も早く避難しないと」

「……どうしてここに来た? まさか私の身が心配だったとでも言うんじゃないだろうね?」

「……んん、事情を知っているとはいえ、少し察しが良すぎないですかね☆」

 

 

 警戒するように自分を見る暴徒集団を放置し、表情を歪ませる阿井田議員を少し眺めた彼女は周囲にいた議員のほとんどが議場から逃げだした事を確認して、溜息を吐いた。

 今なお笑みも無い真剣な顔で自身を見詰める阿井田議員に、仕方なしに理由を呟く。

 

 

「別に、遅かれ早かれだったからですよ。私の計画のほとんどは、ついさっき準備を完了しました。いつ引き金を引こうかと考えていた時にこんなことがあったから、ついつい来ちゃっただけです。良いじゃないですか。貴方にとって私の計画は失敗した方が都合良いって言っていたじゃないですか」

「……」

 

 

 彼女の言葉に口をへの字に曲げた阿井田議員は、自分の脳内で思い描いていた今後の流れが音を立てて崩れていくのを感じてがっくりと肩を落とした。

 

 

『異能っ……! クソクソッ……! どうしてだ、どうして! あの方が支配した方がずっと世界は幸せなんだ! 今のっ、不幸が生まれるのを防げない体制は存在するに値しないっ……! お前らのようなっ、世界全てを救えない程度の力で、さも自分達が救世主であるかのように振舞う姿には怒りがこみ上げてくるっ……!』

「あはっ、怒ってる怒ってる☆ 下らない自分の願いを正当化して他人に押し付けてる癖に、自分勝手な主張が通るとでも? まずは他人に迷惑を掛けないよう心掛けたらどうですかぁ?」

 

「お互い言語が違うから通じてないよ。不毛だから本当にやめてくれ……」

 

 

 暴徒と彼女が醜く言い争う姿に心底疲れてしまった阿井田議員は、もう自分もこの場から避難しようかと思い直し、立ち上がって出口へと進んでいく。

 あとは彼女がこの場にいる暴徒達の意識を奪い、警察がなだれ込んでこの件は片付くだろうと思ったからこそ阿井田議員はこれ以上この場に留まるのを止めたのだが、議場から出た議員達の騒ぎ声が聞こえて来たことで足を止めた。

 

 聞こえてくるのは困惑するような声。

 暴徒に国会議事堂を占拠されたことによるものではない。

 動揺するような声色のざわつきが廊下から響き、それがだんだんと議場に近付いてきている事に気が付いた阿井田議員は何が起きているのか察して、慌てて彼女に身を隠すように言おうとする。

 

 だが、間に合わなかった。

 

 

「————これは、どういうこと?」

「おっと☆」

 

 

 扉から避難した議員達を押し退けて議場に入って来たのは、飛禅飛鳥その人。

 背後に制服姿の警察官を数人引き連れて現れた彼女は、議場の最前に立ち暴徒を浮かせ無力化している自分自身の姿に動揺する。

 身に纏う服装こそ違うものの、まるで鏡写しの自分自身のようにそっくりな人物が、自分の持つ異能と全く同じような力を行使している現状。

 

 身に纏う空気や雰囲気も、まるで本物の飛禅飛鳥のような相手に警察官の制服を着た者達に衝撃が走る。

 だが一方で、飛禅飛鳥の姿をした誰かは悪戯がバレた子供のようにクスクスと笑いを溢すだけで微塵も焦りの色を浮かべない。

 本心を見せない猫被りの、ニコニコとした笑顔を浮かべるもう一人の自分の姿に、警察官を引き連れてやってきた飛鳥は顔を引き攣らせた。

 

 自分の顔をした誰かが目の前にいるなど、不気味でしかない。

 

 

「あらら、間に合わなかったとはいえ到着がお早いですね☆ ちょっとだけ予想外でしたぁ」

「アンタ……誰? いや、まさか……“百貌”なの?」

「えぇ? 私が“百貌”? 違いますよぅ、私が本物の飛禅飛鳥ですよぉ☆」

「ふざけた事をっ……趣味の悪い模倣は止めて正体を現しなさいっ!」

「あはっ、模倣! 模倣ねぇ……?」

 

 

 スッ、と直前までの笑顔を消して無表情になった彼女は苛立つ飛鳥を冷めた表情で眺めた。

 どこか侮蔑するような自分自身の表情に一瞬困惑した飛鳥だったが、臨戦態勢となり直ぐにでも攻撃できる構えを取る。

 

 “人の異能を模倣する異能”。

 佐取燐香に匹敵するほどの異能と、和泉雅の液状変化の異能。

 その二つを目の当たりにし、それぞれ二人に話を聞いたことで飛鳥が予想した“百貌”が持つ異能の詳細がそれだった。

 

 だが、自身が持つ異能の情報を突き付けられた筈の彼女は嘲りを含んだ笑みを溢している。

 その事が、何かが後ろ髪を引くような違和感を飛鳥に残す。

 

 

「お、おいおい、飛禅さんとおんなじ顔をしてどんな変態野郎かと思ったら、異能の出力まで同じじゃねぇか……ど、どうなってやがるんだ……? 双子……?」

「灰涅、直ぐに異能を使えるようにしとけよ。いつ異能で戦闘が起きるか分かったもんじゃねェ」

「いやいやっ、柿崎部長! あれが本当に飛禅さんと同じ異能を持ってるなら俺とんでもなく相性が悪いんだけど!? 無理無理! 撤退しようぜ撤退!」

「馬鹿が、何もテメェに期待するのは戦闘面だけじゃねェ。宙でぶら下がってる暴徒連中を回収できるように用意しておけってことだよ」

「あ、なるほど」

 

 

 背後で困惑し騒ぎ立てる対異能部署の面々。

 “百貌”と思われる者の態度に違和感を覚えつつ、飛鳥は後ろで自身と同じように困惑してする部下達に向けて前に出てこないようにと手で制した。

 国会議事堂を占拠したと言われていたただの暴徒集団ならともかく、この正体不明の異能持ちに対して“紫龍”以外の異能を持たない他の者達では太刀打ちすら難しい。

 

 

「……アンタ、逃げられるとでも思ってるの?」

「あははっ! まさか逃げるとでも思っているんですかぁ? 貴女の後ろには足手纏いがそんなにいるのに、有利な立場の私が尻尾を撒いて逃げるとでも?」

「ここでやり合うつもり?」

「まあ、それもありだけどね……」

 

 

 何か言いたげに冷笑を浮かべた彼女に、飛鳥は眉を顰める。

 サラリと周囲を流し見て、警察の服装をしている飛鳥の姿を眺め、少し悲しそうに彼女は首を振った。

 

 

「色んなものに縛られてる“私”。私がこうしてこの場所に来なければ、何人かは間に合わなかった“私”。大分急いで許可を取ってきたんだろうけど、それでも周りの雑音が多くて、無駄にやらなければいけない事が多くて本当に大変よね。組織に縛られると自由に飛び回れやしない事なんてとうの昔に気が付いているのに、背負ったものが重くてそこから出られないのよね。分かるわ、私は誰よりも貴女の苦悩が分かる。でもね“私”、私の今の立場だから言えるけど、それってあの村の、あの冷たい檻の中に閉じ込められているのと何が違うの? あの人がもっと高く飛んで行って欲しいと言っていたのに、本当にそんなところにいて良いの? “私”の居場所は本当にそんなところなの?」

「……何で……?」

 

 

 おかしな話だ。

 まるで本当に心底飛鳥を思いやるような、飛禅飛鳥という形を作り上げているものの根本を本当に理解しているような、自分と同じ姿をした誰かからのそんな言葉。

 もしも立場の違う自分自身がこの世にいたとしたらそんな風に言ってくるのだろうかと思う程に、飛禅飛鳥を理解した発言。

 だから目の前の存在というものが分からなくなって、険しい顔をした飛鳥はじっと自分の姿をした誰かを睨んだ。

 

 お互いの距離を測るかのような数秒の膠着状態。

 同じ姿をした二人の間には不穏な空気が漂っていたが、そんな空気を引き裂くように、薄く引き伸ばされた異能の出力が遠くから放射されたのを感知した。

 

 攻撃用のものではない。

 数百メートルの距離などでもない。

 遠くからの何かを探るような異能の出力に、この場にいる異能持ち達は少し顔色を変える。

 

 

「これは!?」

「……ICPOの探知ね。異能が関わるとなれば流石に彼らも介入してくるでしょうからあんまりダラダラする事はできないわね」

「っ……待ちなさい! アンタのその異能は一体……!?」

「悪いけど、私から言いたかったことは全部言ったわ。後はしっかり、“私”が悩むべきよ」

 

 

 そう言った彼女は、周囲に浮かせていた暴徒達の身体を床に下して解放し、議場の最前に飾られている幕を浮遊の異能で引き千切って自分の下へと引き寄せた。

 

 高級そうな深紅の幕。

 そして、その幕を自分の体を周囲から見えない仕切りカーテンのように大きく振るい始めた彼女は布の隙間から自分とそっくりの飛鳥の姿へと視線を送った。

 

 ともすれば挑発のようにも思える視線に、飛鳥が弾かれた様に動く。

 

 

「このっ……! 全部やりたいようにやれるなんて思うんじゃないわ!」

 

 

 何かをしようとする自分の姿をした誰かに対して、飛鳥が議場に設置されている椅子を砲弾のように飛ばすが、当然のように同種の異能により止められてしまう。

 同じ異能、同じ出力、同じ攻撃で同じ防ぎ方。

 鏡写しの自分自身を相手にするような異常な攻防に、飛鳥は大きく表情を歪めるが、対する彼女は隠れつつある表情を軽く緩めた。

 

 

「……ま、せいぜい頑張りなさい」

 

 

 周囲を取り巻いていた幕が彼女の身体を完全に隠し尽くす。

 

 時間にすれば瞬き程度のほんの一瞬だ。

 だがその一瞬で、彼女が発していた異能出力が全くの別物へと変質した。

 それを感じ取った飛鳥と“紫龍”が驚愕に目を見開き、それを感じ取れない他の者達は取り巻いていた幕が床に落ちる事で露わになった彼女の姿に驚愕する。

 

 ほんの一瞬隠れただけであるのに、そこにいたのは飛禅飛鳥をした人物では無かった。

 

 

「…………こんな衆目のある場所で私に切り替わるなんて。もう少し情報を秘匿する大切さをよくよく考えて欲しいものだわ。どれだけ準備が出来ていても、どれだけ最後の最後になっていても、自ら隙なんてものは晒すべきじゃないんだから」

 

 

 現れたのは幼い少女だ。

 物凄く不満そうな顔をした少女が周囲をキョロキョロと見渡しながら、ぶつぶつと何か不満の独り言を呟いている。

 見た目だけで言うなら小学生程度にしか見えない少女の登場に、大半の者が拍子抜けしたような気分になったが、一部の者達は険しい顔で姿を現した少女を警戒する。

 

 

「……馬鹿な。別人になっただと?」

「か、か、柿崎部長っ! それだけじゃねぇ! こいつ、異能の出力まで完全に別物に変わりやがった! それも出力が生半可なもんじゃねえ! グウェンとかいう奴なんかよりももっとヤバい! 無理だ、無理無理無理っ! 完全に俺らの対処できる範疇を超えてる!」

「“百貌”……!!」

 

「騒がしいわね。人をそんな危険人物みたいな扱いしないで欲しいのだけど? 別にそこら辺の犯罪者と違って異能を使って無差別に暴れている訳じゃ無いんだから」

 

 

 警戒を示す飛鳥達の反応がよほど気に入らなかったのか、むすっと口を少し尖らせた少女、“百貌”が不機嫌そうに不満を口にする。

 それから、指で自分の頭を軽く叩き少しだけ状況を整理した“百貌”は「なるほど」と頷きを見せた。

 

 

「あまり時間を掛けてられないのね。なら直ぐにでも始めるしかないのね……はぁ」

 

 

 止める暇なんて無い。

 自分達のいる場所へ向かってくる複数の異能を感じ取った“百貌”は渋々といった感じで、自身の異能を起動させ始めた。

 

 耳に雑音、目に砂嵐、他の感覚には深海の底のような重圧感を。

 あらゆるノイズのような何かが、近くにいる者達の認識全てを強制的にずらし始める。

 感覚がブレてまともに立つことすら出来なくなった者達が次第に尻もちを突いて、危険性をまるで感じさせない筈の幼い少女に対して頭を垂れる姿になっていく。

 

 異様な光景。

 明確な物理現象として何かが起きている訳では無いのに、たった一人の少女に対して頭を下げる国籍や立場すら違う大人達の光景はあまりに異様だ。

 

 

「さて……」

 

 

 周囲に及ぼした自身の異能の効果を確認して、“百貌”は満足げに頷いた。

 そのままぐちゃぐちゃになった感覚に尻もちを突き呻く者達の隙間を縫うように歩き出し、彼女は暴徒としてこの場を占拠していた者の一人へと近付いた。

 

 本当に興味本位といった様子で、他の者達と同様に尻もちを突き頭を下げた状態でいるその人物に“百貌”は問い掛ける。

 

 

「ねえ、貴方。“Faceless god”とやらに貴方達はどんな人間性を求めているの?」

『っ……!?』

 

 

 日本語で、普通ならば通じる筈もない相手に対して“百貌”は無理やり意味を理解させて、さらに問い掛けを続ける。

 

 

「誰をも平等に愛する聖人君子? 自己犠牲の精神を掲げる聖女? そんな存在がこの世の人間の中にいると思う? 世界中の人を管理する資格を持った存在なんてものが、本当にこの世界にいると思う?」

『た、たとえ、彼の存在が邪神に近いものだとしても、か、彼の存在は事実、私達の世界に平和を齎した……! だ、だから、もう一度っ……! 今度は平和を永劫のものとして下されば、それは、今の世界でいるよりもずっと良い、と……!』

「今の世界よりマシ————あはっ、そこは私と同じ考えね」

 

 

 息も絶え絶えな暴徒の言葉を嬉しそうに笑った“百貌”が、議場に飛び込んで来たICPOの異能持ち達に視線をやりながら右手を空へと向けた。

 巨大な異能の出力が広がりを見せ、彼女が宙に用意した数多の出力機に対して起動の指示を飛ばしていく。

 

 あまりに膨大な異能の出力に“百貌”の周囲が歪み始め、その歪みが全方位へと一気に広がっていく光景は、まるで彼女を中心として世界の全てが塗り潰されるかのようで。

 

 

「なら安心しなさい。他人に責任を押し付けるだけの下らない貴方達の望んだ世界————見せてあげる」

 

 

 三年前は誰も見ることすら敵わなかったその光景。

 だが、間違いなく三年前のあの時と同種のその力は、確実に世界を覆い尽くしていく。

 

 

「私の【人神計画】の始まりを」

 

 

 宙に点在する一万以上の出力機が一斉に起動する。

 

 ————異能の雨が降る。

 

 

 

 





いつもお付き合いありがとうございます!
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連なり、現れ、百貌と化す

遅刻しました!すいません!


 

 

 

 

 昔、幼い頃の私は自分が持つ“精神干渉”の異能がどこまで出来るのかを知る為に、本当に色んなことをやって来た。

 

 今でいうマキナ、インターネットの意識を固め自己判断を行えるよう処置し、情報遮断や情報誘導を自動で行える体制を作った。

 対象となる知性体を介した異能の探知範囲を広げ、実際にその場に行かずとも、伸ばした異能の感覚という第六感で状況把握と意思疎通が出来るよう技術的向上を図った。

 “精神干渉”なんていう物理的には影響が及ぼし難い力でどこまでのことが出来るのかを調べるために、他人の異能の強制開花や一切の自由意志を許さない洗脳術なんかも試したりした。

 

 自分の異能を理解して、出来る範囲を広げて、応用を利かせて、体制を作って、結果的に私は自身の異能使用の技術を磨き続けたのだ。

 

 訓練や特訓という意味合いはあまりなかった。

 私としては、自分の持つ優位性がどの程度のものなのかを確かめているだけのつもりだったし、母親の不幸で不安定になっていた自分の身の回りの安全性を確保しようとしていただけだった。

 どうすればもっと安全性を確保できるのか、どうすればもっと確実な平和を実現できるのか、どうすればもっとこの平和が大きく————なんて、そんな風に色々考えて、実行していたに過ぎなかったのだ。

 

 ……ともかくだ。

 異能への理解、技術の向上、安全体制の構築。

 この辺りは自身が目指すべき課題として昔の私が掲げていたものだし、進めた試行錯誤で目に見えて形になっていった成果は全てが私を助けるものだった。

 知識と技術が磨かれると同時に、私の異能の出力も同様に異常な成長を遂げていた。

 

 異能の届く範囲が増える。

 他の異能持ちと直接出会い、争う必要も無い私だけの異能。

 積み上げられ磨かれていく自分の異能という名の才能が、鋭く、鋭利で、巨大なものへと変わっていく事に、当時の私は喜びしか感じていなかったのだ。

 

 昔私にもあった子供特有の気軽さで自分が持つ巨大な異能を振るってしまうこと、今感じる異能の出力はまさにそのようだと私は感じていた。

 

 かなり離れている筈のこの場所まで届く莫大な異能の出力。

 起動した宙にある無数の出力機同士が、貯蔵されていた異能の出力をそれぞれに繋ぎ合わせ、天を覆う巨大な網目を作り出している。

 

 それはまるで、天から人類を監視するために作られたような無数の眼。

 それはまるで、天を塞ぎ常に地上を監視し攻撃の照準を定め続けるような無数の銃口。

 視える範囲全てを覆い尽くすこれが本当に地球全てを覆っているのなら、きっと世界中の何処にいてもこの異能を使用している相手から逃げる術は存在しないだろう。

 

 天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず。

 まるでその言葉をそのまま現実にしたかのような世界の構築。

 世界に異能の出力を届かせる案の一つとして過去の私が発想には至ったこの手段を、実際に今、目の当たりにさせられている異様な状況。

 

 そんな中で私は神楽坂さんの車の中、外の状況に目をやらず掌の上にあるコンパスのようなものの様子を確認していた。

 

 

「わぁー、色が変わってる! 透明だったのが赤色に近付いていくんだね。なるほどなるほど、お兄ちゃん本当に凄いや!」

「異能を感知する装置……? それは、かなり画期的な技術なんじゃ……さ、佐取、それは……」

「えへ、お兄ちゃんから貰ったお守りみたいなものなんです。何の役にも立てないかもしれないけど、持っていて欲しいって渡されたんですよ」

「あー、お守り……そ、そうか……お守り……」

 

 

 持っていたお兄ちゃんの発明品を掌の上に乗せて私が一人そうやってはしゃぐのを、なんだか神楽坂さんは微妙そうな顔で眺めている。

 

 お兄ちゃんが試行錯誤の結果作り上げ、「使い道は無いかもしれないが……」と言いながらも私に渡していたこのコンパスみたいなやつ。

 異能感知……あ、違う、【異能出力感知計】というお兄ちゃんの試作品の改良型。

 波紋を起こすという分かり辛い反応だった試作品を色へと変換させることに成功したこの改良型は、お兄ちゃんの想定通り、今起きている世界を覆う異能出力に対しても正しく機能している事が確認できた。

 

 普段は陰険眼鏡だなんだと言っているが、やっぱりお兄ちゃんが正しく優秀だと私は信じていたし、それがちゃんと形になっている事が凄く嬉しかったりする。

「今夜はお祝いだ」、なんて、現実をほっぽりだした考えを私が巡らせていれば、それを遮るような声が頭に響いてきた。

 

 

『人神計画、間違いなく奴はそう言っタ』

「…………」

 

 

 家族の活躍に対する私の喜びを掻き消すような、マキナからの空気の読めない報告に私は思わず口を噤んでしまう。

 

 むっつりと黙り込んでしまった私を心配した神楽坂さんが隣で私の様子を窺ってくれているのは分かっているが、それに応える余裕が今の私には無い。

 冷酷無慈悲なマキナの指摘で、およそ視認など出来ない距離にいる者が発している肌を刺すような、身に覚えのありすぎる強い力がより感じられてしまい、心が悲鳴を上げるのだ。

 

 それでも、さらに重ねて現実逃避をしようと私は必死に声を出す。

 

 

「……お、お兄ちゃんの好きな食べ物多分変わってないよね。昔からお浸しとか漬物とかが好きな所があったからなぁ。桐佳とか私とは好みが全然違って用意するのが大変なんだから、もう————」

 

『あり得ない話ダ。その計画は御母様がずっと秘していた御母様だけの計画ダ。別の誰かが知っている筈もなく、情報が漏れる可能性すら本来は存在しなイ。つまり、この情報を知り得る異能を奴が持っている事に他ならなイ。脅威だゾ、御母様。間違いなくとんでもない事が起きていル』

 

「————…………」

 

 

 

 危機的な状況だと理解しているのだろう。

 マキナが私の言葉を遮りいつになく真剣な声色で報告を続けて来る。

 

 分かっている。

 私だってあり得ないと思っていたことだ。

 私の暗黒時代、その時の最終地点として定めたソレは私一人で計画し、実行に至った、誰も知る筈の無い計画である。

 それが私の過去の姿を模しているだけで、直接やり取りもしたこと無いような相手に知られていて、案の一つとして思い描いていた方法を実際に実行されている状況。

 

 偶然という言葉では片付けられない、何かしらの理由が存在する筈の出来事だ。

 

 それでも私はその理由を考えようとすることもせず、体を震わせたまま両手で顔を覆い軽く俯いた。

 

 もうなにも見たくないし、考えたくない。

 そんな気持ちだった。

 

 

『……御母様? 奴、国会議事堂の大勢の前でよりにもよって極秘中の極秘である人神計画の宣言をしたんだゾ? 何か対策をした方が良いんじゃ無いカ? こんなところにいる場合じゃないだロ? 今すぐ奴の下に向かわないと手遅れになるゾ?』

 

「————ぁぁあああああ! わああああああっあああああ!!?? あああああああ!! もう色々手遅れだよぉっマキナの馬鹿ぁああ!! せっかく現実逃避してたのにぃ!!」

「うおっ!? さ、佐取!? いきなりどうしたんだっ!? さっきから挙動不審が過ぎないか!? さ、さっきの暴徒による国会議事堂占拠の報道があってからだが、あの件が気になるのか? いやだが、今のところ異能が関わるような事件ではないようだし、飛禅の奴が駆け付けるという話だし、そこまで慌てる必要は……」

「そうじゃないんですぅ! 神楽坂さんの馬鹿ぁ!」

「そ、そうか……」

 

『……マキナ、馬鹿じゃないもん』

 

 

 マキナの報告についに耐え切れなくなった私は頭を抱えて絶叫した。

 異能の出力を感知出来ない神楽坂さんには分からないかもしれないが、話は既に国会議事堂の占拠程度では収まらないレベルにまで達してしまっているのだ。

 

 車の助手席でバタバタと手足を振り回し、現実に打ちのめされそうになる気持ちを何とか誤魔化そうとする。

 心配してくれた神楽坂さんに何か酷いことを言ってしまった気もするが、今の私にはそんな事気にしている余裕がない。

 

 それくらい、今の状況は私にとって衝撃だった。

 

 遠い昔に封印した筈の思い上がった私の計画が、全部勝手に持ち出されて公開されている。

 ワードを聞くだけでも動揺を隠せなかった例のあの計画が、大勢の人の前に晒された。

 

 どの角度から見ても私の暗黒時代。

 どう考えても中二病初期の時代をそのまま体現したようなものがこの世に具現化している事実。

 私にとって歩く羞恥心の塊そのものであるような奴が、スピーカーを持って私の黒歴史を広めながら走り回っているような事実に私は心底戦慄するしかない。

 

 私にとって、現在進行形で行われている公開処刑。

 現実逃避するのくらい当然だと思うのだ。

 

 

【————速報です! 先程の現在国会議事堂が何者かに占拠されているという情報の続報が入ってきました! 現在は警察による突入が行われ、拘束されていた議員の方々が無事助け出されたと言うことです!】

 

「お、っと。ほら佐取落ち着け。見て見ろ、人質になってた議員の人達が無事救出されている。飛禅の奴らが上手いことやったみたいだな。もうすぐこの件も解決する。佐取が無理に解決する必要もなかっただろう? だからその、あんまり車の中で暴れないでもらえると……」

「あががががが! 百貌が、私の黒歴史をぉ! あの迷惑ボケナス害悪ぅぅ!!」

「……さ、佐取、暴れるのはもう良いが、車の物は壊さないでくれよ? 頼むぞ?」

「うがぁあ!!」

「佐取っ!? そんな声を出すんじゃない!」

 

 

 以前の爆発事件とは異なり、神楽坂さんは今回の国会議事堂占拠事件に対して、近くまで行ってみようという行動を一切見せない。

 

 それは先ほど神楽坂さん自身が言っていたように、国会を占拠した暴徒達が異能を使用しているとの報道が無い事や、異能を持つ飛鳥さんや紫龍なんかを擁する警察の部隊が現場に駆け付けた事から来るものでもある。

 だが何よりも、私を探すICPOという組織が東京に滞在しており、これだけ大きな事件を前にして一切手を出さないという事が考えにくいからこそ、神楽坂さんは現場に駆け付けようという姿勢を見せていないのだ。

 

 私の為を思っての、神楽坂さんらしからぬ消極的な事件解決姿勢。

 しかし一方で、気を使われている側の私は百貌とかいう歩く羞恥心に対して怒りが噴き出すと同時に、これ以上の暴挙をなんとか阻止しなくてはという考えがあった。

 

 

(ぐううぅっ……と、とはいえ、どこまで私に近い力を持っているかは分からないけど、今のこの状況を作れる力を持った同種の異能を相手にして、今の私が勝てるかというと……)

 

 

 確実ではない。

 いいや、それどころか、ほぼ確実に負ける自信がある。

 勿論、後先を考えず、マキナと空のアレを使って全戦力を持って戦えると言うなら、どんな相手に対しても確実に負けるということは無いだろう。

 だが今回の、私によく似た相手に対しては、マキナは『私に対して敵対行動出来ない』という縛りによって一切攻撃できない可能性があった。

 

 マキナの機械的、異能的判別能力をもってしても、私との同一性が九割を超えるような相手が存在する可能性を、私は考慮していなかったのだ。

 だから、もしかすると私が命令すれば攻撃は出来るのかもしれないが、最悪の場合、マキナは一切使えないどころか、敵になることも考える必要が出てくる。

 

 そんなことを考えなければならない相手となんて、どう考えたって戦闘を避ける選択をするが吉だろう。

 

 

(対百貌の手段を確保する必要があったのにサボっていたツケ……いや、結果だけを見て後悔しても意味なんて無い。だいたい今の私に何が出来たっていうのさ)

 

『マキナ馬鹿じゃないもンっ……!』

「あー……馬鹿じゃないよね。ごめんごめん、ちょっと私も焦ってたんだよ。いつも頼りにしてるよ」

『!!』

 

「……これは俺に言ったのか? いや、さっき言っていたマキナという名は……」

 

 

 引き籠りたい、逃げ出したい、お家に帰りたい。

 確かにそれらの感情は私を強く支配している。

 私を探すICPOが近くをうろつき、私の黒歴史を広報する存在が現れた状況なんて、絶対に直視したくない状況である。

 

 だが、それらを前提とした上で、私の中に残っていた冷静な部分が私に対して告げるのだ。

 もし本当に私が思い描いていた『人神計画』を“百貌”が少しでも実行するとしたら、今されている私の黒歴史の公開などほんの前座に過ぎないのだと、警鐘をけたたましく鳴らしている。

 

 

「……神楽坂さん。もし私が、以前言っていた“百貌”という奴が国会議事堂でとんでもない事をやりだしていると言ったら、どうしますか? 凄く、大きなことで……放っておいたら本当に世界規模で影響を及ぼすような事をです」

「なんだって……? それは……」

 

 

 それでもやっぱり、危ない所になんて行きたくない私は、神楽坂さんにそんな情けない問い掛けをしてしまった。

 一瞬驚いたように目を丸くした神楽坂さんだったが、私の様子に合点がいったのか、少し考えるように顎に手を添えて考える。

 

 

「佐取が言っている事は、その、あまりに規模が大きい事で具体的な対処方法が全く思いつかないが……そうだな。俺は、せめて事の推移が確認出来て、必要な時に手出しできる場所までは行くべきなんじゃないかと思う」

「……そうですよね……」

「佐取も迷っているんだろう? 佐取としては行かない理由付けがいくらでもできる状況だが、本当に行きたくなければ俺に言う必要なんてなかった。だったら、何も出来ない場所にいるよりも、何かあれば干渉できる場所にいるのが正しいんじゃないかと俺は思う。その方が気持ち的にも、後悔しないようにするためにもな」

 

 

 神楽坂さんの、私の立ち位置を配慮した上でのそんな提案にしばし逡巡する。

 心のどこかで背中を押してくれるのを期待していた私の心情を汲み取った神楽坂さんの回答に、私は少しだけ安心してしまった。

 

 神楽坂さんは私が嫌がらない事を確認し、車を国会議事堂へと向かわせ始める。

 窓の風景が動き出したのを眺めながら、私はヘタレていた気持ちを切り替えて、これから自分がどう動くべきか、この事態がどこまで大きくなるのかを考えていく。

 

 

(……どこまで私の考えていた『人神計画』を知っているのかは分からないけど、私が既にある程度着手している以上、正しく再現なんて不可能な筈……でも、現に今、あり得ないと思っていた状況に陥っている事を考えると楽観視は出来ない……)

 

 

 そう自分に言い聞かせ、私は宙に漂っている筈のアレを探すように空を見上げた。

 既に停止状態にあるアレがこの世界に存在する以上、私のあの計画を完全に再現されることはない。

 

 それでも、過去の私を模した存在が『人神計画』という名を宣言した事実に、強い焦燥感が私には芽生えてしまっていた。

 

 

(……もしも、過去の私を模したと思っていた“百貌”が本当に過去の私そのものだったら)

 

 

 そんなふとした思い付きのような不安が湧き出した。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

「何よ、それ……!」

「離れるんだ! そいつは危険だ!」

 

 

 目の前で起こる膨大な異能の出力が空に広がるのを目の当たりにして、飛鳥が呆然と言葉を漏らし、この場に飛び込んで来たロランが両手に拳銃を作り上げて発砲する。

 

 なんの迷いも無く幼い少女目掛けて放たれた銃弾。

 だが、その銃弾が少女に届くことは無く、少女の懐から飛び出した銀色の何かに、飛来していた銃弾はぺろりと呑み込まれた。

 

 ぐちゃぐちゃと銃弾を咀嚼する銀色の不定形を前にしながら、狙撃された少女、“百貌”は気だるそうにロランを見遣る。

 

 

「……こんな子供に向けて迷いも無く発砲するなんて怖いわ。私が一体何をしたと言うのかしらね」

「その出力を撒き散らしながら何を言うんだろうねっ……! その銀色の怪物を飼っているような自分が無害だとでも言うのかなっ?」

「飼っているなんて面白い物言いね。でもまあ、そういう風に見えるかもしれないわね」

「御託は良い。今すぐ異能の使用を止めて投降するんだ。応じなければ、攻撃を続行する」

「攻撃を続けようとするのは止めないけど、それ相応の反撃は覚悟しなさいね」

 

 

 全く応じる素振りも見せず、“百貌”は空で網目が作り終えられたのを確認し笑みを溢した。

 計画の第一段階が無事に終了し、空に浮かぶ一万以上の【人工衛星】の掌握で、世界全てに自身の異能を届かせる出力機を手に入れた事に満足する。

 

 

「人を介する方法だと時間が掛かり過ぎて御母様に気付かれちゃうし、あっちの切り札は御母様に掌握されちゃってるし、手っ取り早くて確実なのがこの方法だったのよね」

「……何を言っているんだ?」

「私が世界を平和にしてあげるって言ったのよ。私は【UNN】を封殺して、奴らが世界にばら撒いていた薬品を止めている。ちょっと強引だけど世界に異能を届かせる為の手段をこうして確保した。私は無能な貴方達が成し得ない世界平和を実現しつつあるんだから、曲がりなりにも世界を平和にしようとしている貴方達が私を攻撃するのは間違っていると思わない?」

「【UNN】を……? それが本当だとして、自分が悪側の人間ではないと本気で言えるのかな? 君のその傲慢な考えが世界中の人にとって正しいと本気で言えるのか?」

 

「真の意味で正しい行いなんてものこの世には無いわ。けどね、争いや欲望ばかりが渦巻いている今の世界より私が作り出す世界の方が幾分か正しい部分が多いのよ。貴方もそれは分かっているでしょう? ロラン・アドラーさん」

「……」

 

 

 ロランが無表情のまま銃口を少女に向けた。

 敢えて攻撃性を見せつけるようなロランの動作に表情を消し、少し呆れたように肩を竦めた少女は唐突に誰もいない空間を指差した。

 

 

「バレバレよ、それ」

「っ!?」

 

 

 直後、少女が指差した先にベルガルドと楼杏が現れた。

 

 転移の場所を事前に察知された。

 完全に見抜かれ、予知された行動。

 自分達の情報を持たない筈の相手に一瞬で看破された事への驚愕で、ロランは慌てて引き金を引くものの、鉛玉の対処を任されている無形の銀色の液体に再び捕食され防がれる。

 音を立てて貪られる弾丸が、まるで未来のお前達の姿だというように、銀色の液体はこれ見よがしに巨大な口のようなものを形作り笑みを浮かべた。

 

 銀色の怪物のその姿にロラン達が表情を引き攣らせると同様に、少女もうんざりしたような顔で小言を呟く。

 

 

「品が無いからその笑顔は止めなさい。分身体とはいってもそれくらいの見栄は必要よ」

「ガ? オォ、ギギィア゛、ア゛ァ————オマエ、本体ジャナイガ今ハ本体ダ。ソノオマエガ言ウナラ従オウ」

「怖……ええ、それで良いわ。私が貴女達の本体をやっている時だけ従えばいい」

 

『ふっ、ふざけんなっ! なんでバレてるんだ!? こいつ、俺が転移する前からどこに移動するのか分かっているように……!』

『ベルガルド、楼杏! 不味いっ、コイツは報告にあった“百貌”だ! 一旦っ……』

『いいや、ごり押すぞ』

 

 

 巨大な異能の出力を持つだけではなく搦め手すら容易く見抜く技量。

 想像もしていなかった転移先の予知技術に驚愕するベルガルドや相手の異常なまでの厄介さを認め体勢を立て直そうとしたロランとは逆に、楼杏は“百貌”と銀色の怪物を見据えた。

 

 あらゆる立ち回りを行えるロランの陽動行為で出来た相手の隙を突いて致命的な一撃を与える目論見。

 確立されたその連携は彼らが持つ異能の性質を最大限に活用できるよう考案・訓練された必殺の戦術である。

 凶悪な犯罪を行う相手に対してのみ許可されているその戦術を使用したことはこれまで何度かあったが、初見で戦術が完全に見破られたのは初めてであった。

 

 けれど、行動が読まれた程度は楼杏にとって些事だ。

 

 

『ゼロにする』

「————」

 

 

 楼杏から放たれた一言。

 咄嗟に、何かしらの危険を察知した銀色の怪物が全身を巨大な幕のような形に変えて少女と楼杏の間に割り込んだが、盾になるようなその行動も関係なく“百貌”の身体がピタリと停止した。

 まるで一瞬の内に全ての細胞が凍結したかのように、少女の呼吸や瞬きは一切無くなり、全身が固まって微塵も動かなくなる。

 

 生物だったものが無機物に変質させられたような目の前の現象に、楼杏の異能を知らない飛鳥達は事態を理解できない。

 

 

「なぁっ……!? か、かんざ……!」

「燐香っ…………違う、アレは“百貌”で間違いないんだから……」

「は? な、何が起きた? あの女の言葉で動きが止まった……いやそれよりも、奴が発していた異能の出力すら止まりやがったぞっ!? し、死んじまったのか……?」

「これで終わるなら俺らとしても、奴らとしても楽な仕事だろうがなァ……!」

 

 

 次の瞬間。

 固まっていた“百貌”の姿が溶けるように消えて無くなった。

 代わりに少し離れた場所に現れたのは、先ほどまで自分自身が彫像になっていた場所をポカンとした顔で眺める“百貌”の姿だ。

 パチパチと瞬きを繰り返し、それを為したであろう楼杏へと視線をやって、顔を引き攣らせるその様子は、ほんの数秒前の超越者然としていたものではなく、見た目相応の小学生染みた姿に見える。

 

 

「……や、やるじゃない。そ、そりゃあそうよね。一撃必殺の異能だって世界的に考えればあっておかしくないもんね。保険を掛けておいて良かったわ。私としても調子に乗ってた部分はあると思うけど、初めて正面からやり合う異能持ちがここまで初見殺しの一撃必殺性能に特化してるなんてちょっと————」

 

『ゼロに』

「————酷いと思うわ」

 

 

 問答も無い。

 決着とならなかったのを認識した楼杏が即座に次の異能を発動しようとしたのを、姿を現していた“百貌”は自身の異能で対応する。

 莫大な出力を持って強制的に楼杏の認識能力に干渉した事で、【剥奪】の対象先を自分でない別のものへと切り替えさせ咄嗟に回避したのだ。

 

 自身の無事と楼杏の異能の対象とした長机に少しも変化がない様子を確認した少女は小さな溜息を吐く。

 

 

「無機物にはそもそも効果が無いのか、それとも傍からだと分かりにくいだけなのか。どちらにせよ、貴女のその【運動能力の剥奪】は生物に向ける様なものじゃないわ。普通に即死する代物じゃない。しかも対象が視界に入っている必要も無くて、貴女が何らかの形で認識さえしてればいいのね。本当に厄介で」

 

『ゼロにする』

「……ふっ、本当に凄い異能ね。それ」

 

 

 三度目となる楼杏の言葉で、パキリと、何かの音がした。

 物理的には何一つとして変化していない状況だが、楼杏が何の【剥奪】をしたのか唯一気が付いた少女が心底感心したようにそう呟いた。

 

 それもそのはずだ。

 今、楼杏が【剥奪】したのは少女による【認識能力への干渉】の運動能力そのものだ。

 物理現象ですらない、自身に行われていた精神干渉を楼杏は無効化してみせた。

 外部からの異能の干渉を防ぐ外皮ですら無効化できない、知性体の内部から変質させてしまう精神干渉への対処など、普通であれば不可能。

 

 それを可能としているのが楼杏の持つ異能。

 運動能力、つまり【動く力そのものを完全に消失させる】異能を持った楼杏だからこそ可能な、精神干渉という理不尽への対処だった。

 本当の意味で、異能さえ使用できれば世界最悪の異能持ち“顔の無い巨人”にすら対抗できる人材。

 

 それが彼女、楼杏だった。

 

 

「ああ、分かったわ。この国でウロチョロと出来もしない事をしていると思っていたけど、貴女がいるからだったのね。確かに貴女の異能であればどんな理不尽な異能にも対処できるし、どんな防御能力を持つ相手だって貫通して叩き潰せる。文字通り、必殺必中の異能を持つ人材。切り札としては申し分ないと思うわ」

 

 

 だから、自分以外の全てに対し何処か見下すような態度をしていた少女ですらその異能は認めるしかない。

 

 だが。

 

 

『…………』

「それで、次は? さっきまでの勢いはどうしたのかしら?」

 

 

 ぽたりと楼杏の頬から汗が落ちた。

 

 揺れる瞳で少女の姿をしっかりと捉え続けているものの、小さく息は乱れ、汗は滲み、少なくない疲労があることが隠し切れていない。

 常識外れの異能の連続使用は、どうしたって少なくない疲労があるのは当然だ。

 対して、“百貌”を名乗る少女はちょっとだけ挙動不審になってこそいるが、息も乱していないし汗も掻いていない。

 

 目に見えて分かる疲労の差だが、楼杏が続けて異能の行使をしないのは疲労が原因などではなかった。

 

 “百貌”の、楼杏が持つ理不尽極まりない異能への動揺は消えつつあった。

 一度目は脅威に思い、二度目に何とか対処して、三度目にはその性能を理解し驚きを見せた。

 自身が持つ抵抗困難な異能に対して有効な回答を出して来たことに、百貌は一種の尊敬と警戒を抱いていたが、その回答に精神への干渉を消失するという一手順が必要であれば対処は単純、と。

 既に“百貌”という怪物の中でその結論が出ていたからだ。

 

 そして一方で、自身の異能を知られていない今の状況であれば仕留めきれると思っていた楼杏の焦りは反比例するように高まっていた。

 回避不可能、対象となれば必殺となる【動く力そのものを完全に消失させる】理不尽な力。

 そんな今まで攻略などされた事が無かった自身の異能を、目の前の敵は容易に対処可能なのだと思い知らされた。

 相手は、“百貌”は楼杏が異能を攻撃に使うのであれば精神干渉による攻撃対象の強制切り替えを、精神干渉への無効化に異能を使うのであれば必要以上に異能を使用しないで傍観すればいい。

 常識外れの異能の使用はどうしたって燃費が良いものでは無いし、現に楼杏の様子は疲労を隠し切れていないのだから、焦らずそれぞれに対応すればいずれ自滅するのだ、と。

 そんな単純のようで常識外れの選択を、“百貌”という怪物はいともたやすく実行できる。

 

 そう思わされているからこそ、楼杏は異能の連続使用すら止めざるを得なくなっているのだ。

 

 

(……己の、異能が間に合わない。二発目の異能使用で分かった……奴は、己が異能を使用するのを見てから異能を起動させて、先に己の攻撃対象を切り替える。コンマ数秒の差じゃない。回数を重ねれば偶然勝てる差じゃない。異能の出力、異能の性能、異能の相性。異能持ち同士の勝敗を分ける重要なそれらの要素の他に、発動速度なんてものがここまで関わってくるなんて……これまでそんなこと、味わったこと無かった)

 

『楼杏っ!』

『楼杏のあんな顔は初めて見たぞ……! ロラン、これは……!』

『分かっている! 一度態勢を立て直しに……!』

 

 

 そして同様に、楼杏の追い詰められたような様子に必要以上の焦りを抱かされたロランとベルガルドが慌てて楼杏を連れてこの場を離脱しようと飛び出してきたのを、百貌は嗤う。

 

 それらも、“百貌”が意図した行為だからだ。

 

 ベルガルドが楼杏を回収し即座に転移しようとするが、一瞬体がブレるだけで終わる。

 ほんのわずかな、ミリ単位の距離しか動けていない。

 移動しようとしている場所への認識が捻じ曲げられているだなんていう、想像を超えた事態を理解できずにベルガルドの顔を引き攣った。

 

 逃げ出そうとしても変わらない光景。

 同時に、何処からともなくロラン達を囲うように三つの銀色の液体がドロリと床から這いあがり、歪な人型を作り出した。

 まるで初めからその場所で仕留めるつもりだったように完全に包囲する形に配置された液体人間達が、自身の身体を酸性の液体に変貌させている。

 

 

『ば、馬鹿な!? 異能が、転移が出来ないっ……!!』

「残念。精神干渉を無効化出来る術を持っていたとしても、精神干渉されている事に気が付けなければ意味が無いのよ? 異能の使用そのものを停止なんていう馬鹿げたことは難しいけど、その矛先を変えたり、方向性を変えたりなんかは簡単なの」

『っ……ゼロにっ』

「ゼロにする、ね。その言葉のとおり、貴女の異能はあらゆる動きをゼロにするのね? 理不尽で馬鹿みたいに凶悪な異能だけど、まあ、小回りは利き辛そうね。消耗も激しそうだけど……その異能にまともに抵抗できる相手となんて遭遇した事なかったわよね? 初見で対応されるとは思わなかったんでしょう? 焦りが隠せてないわよ、楼杏さん。獣のような警戒心を持っていた貴女の背後をこんなに簡単に取れるなんてね」

 

 

 楼杏の言葉が終わる前。

 

 突如として背中を襲った激痛に彼女が息を呑み、近くにいたロランとベルガルドが異常に気が付き表情を驚愕へと変える。

 囲うように出した三体も、長々とした話し掛ける行為も、全てがソレから意識を逸らす為のブラフだったのだとロラン達は今頃気が付いた。

 

 

「最初に私が出していた銀色の人型、何処に行ったと思う?」

『あぐぅっ……!!』

 

 

 鮮血が床を濡らす。

 音も無く、気配も無く、異能の出力も無く、ロラン達の背後に立っていた銀色の怪物。

 楼杏の背中を貫く銀色の怪物の腕は鋭さを増すように細いものへと変化しているが、それでも致命傷には違いない。

 

 ロランとベルガルドがすぐさま楼杏の身体を貫く銀色の怪物を引きはがそうと動くが、それよりも先に銀色の怪物の腕が巨大な刃物へと変貌する方がずっと早いだろう。

 

 だが、楼杏を引き裂き始末しようとした銀色の怪物を“百貌”が睨んで止めた。

 

 

「止めなさい。殺すのは許さないわ」

「ア? 一人一人確実ニ始末スルベキダロウ?」

「それだけの怪我を負わせたらまともに異能を使えないわよ。あの異能ならなおさらね。それに、本当に命を奪ったら静観している人達が完全に敵対しちゃうじゃない」

「アー……了解」

 

 

 チラリと動けないでいる飛鳥達に視線をやった“百貌”に、仕方なさそうに首を振った銀色の怪物は動きを止めた。

 

 ボン、と。

 それ以上の攻撃を止めた銀色の怪物の頭部をロランが銃弾で弾き飛ばし、背中を貫かれていた楼杏を抱き留めた。

 頭を失った筈のソレが、グニャグニャと銀色の身体を蠢かせて一切影響が無さそうに体勢を立て直す光景にベルガルドが驚愕する。

 

 

『ば、化け物……! 何だコイツはっ……!? 頭を失った筈なのに、まったく影響がないのかっ!? 他の三体も別々に動いてやがるっ……! こいつら、一つの意志で動いている訳じゃ無いのか……!?』

『異能の出力を弾く外皮を持った存在っ……話だけは聞いていたがこれは……!! ベルガルドッ、まだ転移は出来ないのか!?』

『クソクソクソッ、無理だっ! 転移が出来てる筈なのにっ、確かに出力を消費してるのにっ、まったくこれっぽっちも場所が変わらねぇんだよ!』

 

 

 数々の異能を持った犯罪者達を制圧している筈のICPOが見せる焦りの姿に、加勢するタイミングを逃していた飛鳥達は言葉を失ってしまった。

 

 異能に関わる事件の数々を解決している筈の彼らがこれだけ一方的に押されている。

 異能犯罪のプロフェッショナルである筈の彼らがあらゆる面で上を行かれている状況。

 それほどまでに、“百貌”を自称するこの存在が、これまで対面してきた何よりも厄介な存在なのだと思い知らされる。

 

 劣勢に立たされているICPOを手助けする。

 それは、飛鳥達の一国の警察という立場を考えれば当然なのかもしれない。

 

 だが、国会議事堂を占拠した者達を無力化し、人質になっていた議員達を怪我無く逃がし、巨大な異能行使をした以外では襲い掛かって来たICPOへの反撃を行っただけの“百貌”への攻撃は躊躇させられる。

 

 “百貌”と呼ばれる存在が何か明確な犯罪行為をしているのなら良かった。

 もしも“百貌”が国会議事堂の占拠の主犯であり、もしも異能の使用により被害者が明確であり、もしも先程の銀色の怪物の攻撃を制止しなければ。

 何か一つでも“百貌”がラインを踏み越えていれば、飛鳥達は危険人物だと断じて“百貌”を攻撃できたかもしれない。

 

 だが、絶妙なラインぎりぎりを歩く“百貌”の立ち回りが、飛鳥達に判断を迷わせる。

 

 

「ど、どうするんだよ飛禅さん!? やるのか!? ICPOの奴らに加勢するのか!?」

「っ……!」

「このままだとやられちまうぞ!? やるならあいつ等がいる内に、やらないなら今すぐ逃げ出そうぜ! 俺的には最初の目的が達成できたんだから逃げるのが良いと思うぞ!」

「……そうだな。業腹だが俺も灰涅の意見に賛成だ。議員連中の救出はほとんど終わっていて、後はそこにいる阿井田議員だけだろ。最低限の義理を果たすつもりならともかく、俺らの任務的にはここで撤退も悪くねェ選択の筈だ」

「分かってるわよっ……!」

 

 

 “紫龍”と柿崎の言葉に飛鳥は表情を歪ませる。

 

 どこか見知った少女に似た幼い“百貌”の姿。

 別人だと思っていても、その姿をする彼女に対して敵対行動を取ることは心のどこかで抵抗感を覚えて仕方なかった。

 けれど、以前共闘したこともあるICPOが追い詰められているこの状況を前にして、ただただ手出ししないのは立場を考えると悪手過ぎる。

 

 数秒逡巡して、それでも覚悟を決めた飛鳥が強く歯を噛み締めて歩みを進めた。

 

 

「“百貌”っ!」

「遅かったわね、覚悟は決まったの?」

「アンタを捕まえるわ! ICPOだろうが何だろうが関与させない! 私達、警視庁異能対策部署としてアンタの身柄を拘束する! これ以上その姿で勝手な真似はさせないわ!」

「その威勢の良さ嫌いじゃないわ。やれるものならやってみなさい」

 

「マジかよ……やるのかよ……」

「諦めろ灰涅、これが終わればテメェのボーナスが出るよう嘆願してやるよ」

「…………くそぉ、やるかぁ……!」

 

 

 周囲を囲んでいた銀色の怪物達が攻撃の姿勢を示した飛鳥達に気を取られた一瞬を利用し、ロランが自分達の足元に鋼鉄の踏み台を作り出して怪物達の頭上を飛び越えた。

 怪我でまともに動けない楼杏を抱き寄せ、混乱するベルガルドの襟首を片手で掴み、攻撃の姿勢を示している飛鳥達の真横に着地して、即座に飛鳥に声を掛ける。

 

 

「協力してくれると受け取って良いかっ!? アレの鎮圧を一緒にやれるという話で良いんだよな……!?」

「アイツをどうにかするまではそれで良いわ! 取り敢えず、調子に乗りまくってるアイツの行動はどうせ碌でもないものだろうから、それをどうにかしちゃわないと……!」

「助かるっ! 俺らの増援ももう直ぐに来る! 当初の目的とは違うが、これは絶対に野放しにしていい相手じゃないっ……! こちらとしても全戦力を持ってコイツの対処に当たるつもりだ!」

「……それは本当に正しい判断だと思うわよ」

 

 

 駆け付けて来るだろうICPOの戦力を考えつつ、飛鳥は自身が良く知る少女の異能の詳細と銀色の怪物を作り出す和泉の異能の詳細を脳裏に浮かべる。

 

 持てる戦力を使ってどう対応するべきか。

 事前準備として飛鳥はしっかりと情報収集を行っていて、それぞれの異能を持つ者達に話を聞いていた。

 目の前にいる存在は確かに驚異的な強さを持った相手だが、分けて考えれば二つの異能を使い分けている個人でしかない。

 豊富に異能持ちや情報を揃えられている自分達であれば、対応は難しくとも不可能ではないと結論付けたのだ。

 

 だが一方で、チラリと怪我した楼杏の意識がほとんど無い事を確認した“百貌”は小さく「……私じゃ駄目ね」と呟いた。

 

 

「貴女の言ったように一人一人始末する方が確実だったわね。私のミスね、ごめんなさい」

「……別ニ気ニシテナイガ?」

「相手が一人二人だったらいくらでも覆せるけど、初めて異能持ちと戦闘するような私がここまで複数人のプロフェッショナルとやり合うとなるとちょっと荷が重いわ。私の未熟な部分が足を引っ張りそうに思えるのよ」

「ジャアドウスル? 変ワルノカ?」

「この状況ならもっと良い人がいるでしょう? もっと異能との戦闘に慣れていて、もっと非情になれる人がいる。私よりもずっと適任がね」

 

「……アンタ、何を言ってるの?」

 

 

 銀色の怪物とのやり取りに嫌な予感を覚えた飛鳥がそう問い掛けると、“百貌”はクスリと笑みを浮かべた。

 

 次の瞬間、“百貌”と会話をしていた銀色の怪物が形を変え、渦を巻くように少女の周囲を取り巻く。

 先程の、飛鳥の姿から“百貌”の姿に変化した時と同じような状況に飛鳥は息を呑むが、一方で何が起きているか分かっていないロランとベルガルドは“百貌”の異常な行動に警戒の目を向ける。

 

 そして、ほんの一瞬だけ、完全の“百貌”の姿が隠れた瞬間。

 周囲に放たれていた深海の底のような重圧を感じさせる異能の出力が霧散した。

 その代わりに現れた異能の出力は、枯山水を思わせるような静寂と刀のような鋭さを併せ持ったものだった。

 

 そして、渦巻いていた銀色の怪物が姿を現した老人に甘えるように体を摺り寄せる。

 

 

「————確かに私であれば、必要があれば非情にもなれる上、異能持ちとの戦闘には多少心得もある。判断としては間違っていないんだろうが……私は戦闘をする側ではなく、治療する側なんだがね……」

「アハハッ、先生! ヤロウ! 一緒ニヤロウ!」

 

「……神薙隆一郎……! ソイツの模倣もできる訳ねっ……!!」

 

 

 それも考えておくべきだったという後悔が飛鳥の頭に過る。

 姿を現した“医神”神薙隆一郎の姿に、飛鳥の脳内で立てていた計画が崩れていく。

 

 “精神干渉”に“液状変性”。

 事前に遭遇した際に“百貌”が使用しているのを見たからこそ、どちらの異能も情報を集め対策を進めていたにも関わらず、神薙隆一郎への変化というもう一つのカードを切られてしまった。

 

 飛鳥はまだ軽い話だけしか聞けていない、かなりの危険性を誇る異能。

 “製肉造骨”と燐香が呼称した、神域の異能が目の前に現れたことの脅威を飛鳥は正しく認識し、冷や汗を滲ませた。

 

 

 

 

 





いつもお付き合いありがとうございます!

書籍発売日は1月30日となりますー!
表紙絵、口絵も公開済みで、電子書籍も予約介しておりますので、宜しければご確認ください!
これからも引き続きお付き合いの程宜しくお願いします…!

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難攻不落

 

 

 

 

 神薙隆一郎が持つ異能、『製肉造骨』。

 その異能は「生物の細胞から骨に至る全てを意のままに増減・変化させる力」である。

 “医神”と呼ばれるに至った医学における稀代の天才が、その人体に対する想像を絶する技術と知識を基に晩年になって発現させたこの異能は彼をさらに上の領域へと押し上げた。

 

 あらゆる傷病の治療が容易で、あらゆる肉体欠損すら再生可能な神域の異能。

 誰を生かすか、どれを治すか、全てが思いのままの神業の異能。

 それはまさに、神から与えられたあらゆる生物に対して絶対的な裁定権を持つ力だ。

 

 命の裁定権を握るとも言える力。

 ではその力の持ち主が切り捨てると決めた生物はどうなるか。

 

 

『がっ……!?』

「うぎぃっ!? なんだこれっ、痛てぇええっ……!」

 

 

 大量の血が飛ぶ。

 何の前触れなく襲った激痛に大勢の者達がその場で膝を突く。

 国会議事堂で“百貌”だったものに対峙していた者達は、例外無く激痛に苛まれた。

 膝を突いた者達は状況を理解出来ないまま、激痛を感じる自身の体を見遣ると、いつの間にかそこには体を内側から破って姿を現した白い物体がある。

 

 それは、彼らの身体を突き破った白く大きく肥大化したその物体は、たった一人の意志により強制的に成長させられた彼ら自身の【骨】に他ならない。

 体の外側へ現れた自分自身の【骨】を見せられ、咄嗟の激痛に襲われた者達は碌な反撃も出来ずにその場でうずくまるしかなくなってしまう。

 

 

「動かない方が良い。君達自身の肥大化した骨が既に内臓をいくつか傷付けている。もちろん進んで死にたいと言うのなら私は構わないけれど、自殺志願者を治療しようという考えなんてものは私には無いよ」

「っ……!」

 

 

 それを為したであろう老人は指先一つ動かさなかった。

 なんの予備動作も無いまま、この場で“百貌”に対峙していた者達全員の体内の【骨】が無理やり肥大化させられた。

 抵抗の術など存在しない、神域の異能による敵対生物に対する攻撃。

 

 伝聞により詳細を知っていたとしても、どうしたって体感するまでは警戒が足りないのだ。

 ただ一人、心底信頼する相手から詳細な情報をもたらされた彼女以外は、だが。

 

 

「っ、あ゛ぁぁっ!」

 

 

 神薙隆一郎による余命宣告のような言葉に状況を理解した飛鳥が、手足と腹を襲う激痛を噛み潰して即座に自身の異能を行使した。

 国会議事堂にある机や壁を“浮遊”の異能で無理やり引き剥し、高速で飛行する圧倒的物量による津波のような攻撃を神薙の姿をした“百貌”へと行った。

 

 単純な物体浮遊により物量を押し付けるだけの攻撃。

 そんな攻撃は当然、全身を異常な酸性を持つ体へと変化させた液体人間によりドロドロに溶かされ迎撃される。

 

 だが、飛鳥の攻撃を受けた神薙の姿をした“百貌”は驚きの表情を浮かべていた。

 

 

「……ふむ、本命は目隠しか」

 

 

 ドロドロに溶けた物の隙間から見える筈の飛鳥達の姿が、生み出された鋼鉄の山で隠されているのを確認し、神薙の姿をした“百貌”が呟く。

 

 視界の範囲。

 神薙が持つ神域の異能が効果を及ぼすその範囲を理解し、これ以上異能による攻撃を受けないようにと飛鳥が行った、攻守の意味合いを持った異能の使用。

 今この場で分析されたというよりもあらかじめ情報として知っていたと思えるほど即座に対応されたことへ驚きがあったが、同時に「それくらいはして貰わないと」と神薙の姿をした“百貌”が笑みを零した。

 

 一方で、鋼鉄の壁の後ろに身を隠している飛鳥やロラン達には余裕なんてものはない。

 

 

「本当にっ、視界に入らなければ攻撃を受けないんだねっ!?」

「実際に次の攻撃を受けてないんだから間違いないでしょう!? 良いからアンタは継続して障害物を作るのよ!」

「確かに障害物を作るなら俺の異能は最適だけども……! 人使いが荒いなぁっ!」

 

「……視界以外で居場所を知られても異能の対象になるのか確認するためにあえて声を上げているのか、それとも単なる浅慮なのか」

 

 

 居場所は隠す気も無いのか、姿を隠した二人のやりとりは当然のように神薙の姿をした“百貌”の耳にも届く。

 

 神薙の姿をした“百貌”が微妙そうな表情をしたのも束の間。

 聞こえて来たそのやり取りの通り、神薙の姿をした“百貌”の周りを囲うようにいくつも鋼鉄の山が生成されていき、視界を遮るものがこの場に幾つも用意されていく。

 まるで国会議事堂内に幾つもの建物を建築したような様相としたことで、神薙の持つ異能が振るえる力を最低限のものへとすることに成功した。

 

 

「必殺必中の対生物最強の異能だろうとね、やり方さえ間違えなければ絶対に渡り合えないっていうことは無いのよっ……!」

 

 

 飛鳥のその言葉を皮切りに、じりじりと白煙が室内に満ち始めたことに気が付いた神薙の姿をした“百貌”が状況の悪さを悟り、防御に徹していた液体人間に淡々と声を掛ける。

 

 

「他のも使おうか」

「アハハ、了解」

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

「だ、駄目だっ、収納できねぇ……! ひ、飛禅さん! 異能が防がれてる! 多分あの銀色のよく分からない人型が守ってやがるんだ! こ、これ以上の異能の操作は無理だ痛てぇよぉ!」

「っ……液体人間の分身体が盾になってる、か。視界を塞ぐことであっちの異能は防げてるけど、こっちからも相手の様子が見れないのは影響があるわね……」

「あの銀色の人型は全部で四体出ていたよな。一体を防御に使っているなら残りは三体か?」

「……多分、もっと数は出せる筈。アイツの異能は四体が上限じゃないもの」

 

 

 ロランが作り出した障害物の陰に隠れながら、苦しそうに飛鳥達が会話する。

 

 片腕と片足と胸部。

 神薙の攻撃の対象となった者達のそれらの部分が、骨を異常成長させられた事でまともに動かせなくなっている。

 足による機動力と手先による器用性、そして呼吸を阻害される事で冷静な判断を削ぐ、そんな意図を持って行われた部分的な攻撃を見て、飛鳥は歯噛みする。

 

 

(ミスをした……! 神薙の異能は燐香から聞いていたのに、“百貌”が神薙の姿になった瞬間に物陰に隠れなかったのは本当に致命的なミスだった……!)

 

 

 背にしている鋼鉄の壁の後ろに耳を傾け、接近してくる水音に近い足音を聞きながら飛鳥は意識して呼吸をしながら、少なく無い出血をしている自分と周りを見て、それでも誰も命に関わる状態に無い事を確認する。

 

 

(けど、本当ならあの瞬間、こんな遠回りなやり方じゃなくて、直接心臓の機能を停止させられていたら、私達全員がなす術も無く死んでいた……これは多分、出来る限り命を奪いたくないという神薙隆一郎の思考が反映された結果……)

 

 

 先ほどまでの自分自身の模倣、幼い少女の模倣、そして神薙隆一郎への模倣。

 そのどれもがそれぞれしっかりとした自我を持った存在であったことを考え、飛鳥は“百貌”の異能について一つ推測を立てた。

 

 

(人格を含む模倣……明確に定義付けするなら、【対象にすると決めた瞬間の相手の全てを完璧な形で模倣する異能】。元人格がどうなってるのかは分からないけど、大雑把にそう仮定するのが現状としては最も考えられるものよね。その場合、最も厄介なのは……)

 

 

 チラリと痛みに呻きながらも異能が使えない事を確認しているベルガルドを見る。

 先ほどまで、幼い少女の姿をした“百貌”に離脱を封じられていた転移の異能が未だにうまく使えていない状況を確認し、和泉雅の異能が作る分身体が動いている今の状況。

 

 精神干渉による誤認。自立式の分身体の作成。

 それらが使用者のいない状態で残っていることを把握した飛鳥が、顔を歪ませて結論を出す。

 

 

(……異能を行使して引き起こされた状態は特定の条件下で現象として独立する。だから“百貌”が模倣を切り替えたとしても、現象として独立させられたのであればその後も残り続けるっていうことね。実質、全ての異能を同時に使い分けられるみたいなものじゃない、ふざけないでよ、ほんとに)

 

 

 以前、ショッピングセンターに駆け付けた時、“百貌”が銀色の化け物を従えて現れた。

 あの時の事を、分身体を作り出す異能の持ち主である和泉雅に聞いても、返って来たのはそんな奴は知らないし協力していないという回答。

 奴の事を飛鳥はこれっぽっちも信用なんてしていないが、もし仮にそれが真実であるなら、“百貌”という存在が単体で同時に別の異能を扱える可能性があった。

 

 その答えがこれだ。

 “百貌”の持つ異能の性能云々ではなく、異能そのものの性質を利用しただけの、単純で簡単で厄介な手札だった。

 

 

「……異能の出力はどうなってるのかしらね。馬鹿みたいに巨大な出力を持ってるのなら、ある意味分かり易くて良いけど。最悪の想定だと」

 

「————出力スラ模倣相手ノモノニナル場合ダロ?」

 

 

 耳をそばだてていた障害物越しに返って来た返答に、飛鳥は弾かれた様にその場から飛びのこうとするが、使えない状態の片足と片手が足枷になり床に転がってしまう。

 慌てて自身の異能で体を補助する事で体勢を立て直すが、鋼鉄で出来た壁の上から自分達を見下ろす三体の分身体を確認し焦りを覚える。

 

 神薙隆一郎の視界に入れば抵抗できない攻撃が行われるのに、物陰に身を潜めながらこの厄介な複数の分身体とやり合う必要がある。

 ロランが片手で銃を構え、柿崎が意識の無い楼杏や異能が使えていないベルガルドの前に出て緊張を滲ませ、それらに対峙する分身体は口のような空洞で弧を描いている。

 

 

「良イ解析ダ」「異能持チニダッテ限界ハアル」「先生ノ異能使用ニ使ワレル出力ハドウダ?」「ドノ出力ガ使ワレテル?」「対策ナンテナイ」「“百貌”ニモ限界ハアル」「当然ダ」「常識外ニ思エテモ摂理ニ反スルノハアリエナイ」「ダガ、アハハッ、ダガナァ?」

 

「オ前ラ程度ジャ、ソノ底モ見ラレナイヨ」

「……何が天女って言われるよ。一々性格の悪い言動するのは変わらないのね、アンタ」

 

 

 飛鳥の返答にニタリと笑みを深めた分身体達が攻撃姿勢を取る。

 目配せさせるように飛鳥が痛みでしゃがみ込んでいた“紫龍”を横目に見るが、「こいつは収納できない」と言わんばかりに勢いよく首を横に振っていた。

 

 意識の無い一撃必殺に、機能しない転移。

 絶対に取られてはいけない壁作成役に、痛みでほとんど動けない煙を使う小心者。

 異能を有する味方が数いると言ってもこれでは辛いと飛鳥は溜息を吐き、カマキリのような大鎌に似た形状の腕を振り被った銀色の人型達が飛び込んでくるのを見遣った。

 

 

(燐香はコイツらを一人で対処したんだから、これだけ手札がある私が泣き言なんて言ってられない! コイツは物理耐久を破ってから分身体の核を破壊しないといけないけど……私の異能だと正面切って物を飛ばすだけじゃどうしても威力が足りないから……!)

 

「ロランさんっ! コイツの対処はっ!」

「資料で把握済みだ! 外皮の破壊はやれるが時間が掛かる!」

「私にもコイツの外皮を破壊する手段はある! ロランさんは少しだけ時間を稼いで! 灰涅っ! 核の回収はしたことあるんでしょう!?」

「う、腕が、痛くてっ……それどころじゃぁ……」

「それが出来なきゃもっと痛い目に遭うのよ! 頑張りなさい!」

 

 

 泣きベソのような呻き声で返事した“紫龍”を一瞥もせず、飛鳥は自分が持っているお手玉をいくつか放り、その全てを一点に向けて加速させる。

 “浮遊”の力で操るお手玉の一つひとつを精密に加速させながらも、決してズレ合うことの無いようにひたすら圧縮する。

 

 加速して加速して、圧縮して圧縮して。

 布や内部の鉄材がぐちゃぐちゃに潰れ合うほど閉じ込め切って、可能な限り一つの弾丸として強固なものとなるよう飛鳥は手を加えていく。

 作り出される鋼鉄の壁に攻撃を遮られながら何をするのかと警戒を強めた目の前の液体人間達に対し、事前に液体人間のオリジナルの異能を持つ者から話を聞き、対策を練っていた飛鳥は迷いなく次の行動へ移る。

 

 

「飛べ!」

「ア? ドコニ撃ッテ……?」

 

 

 液体人間達の警戒を余所に、飛鳥は作り上げたそれを正面にいる液体人間ではなく横に打ち出した。

 銃弾のような速度で撃ち出されたソレが、意志を持つかのように障害物だらけとなっている室内を縦横無尽に飛び回る。

 

 加速に回転。

 それらは動力となるエネルギーが掛かり続けているなら、距離と時間を掛ける事でさらに大きくなってゆくものだ。

 だから、この部屋の壁伝いを大きく円を描くようにひたすら加速し続け、飛鳥が即席で作り上げたお手玉の弾丸はもはや人の目では捉えきれない速度まで引き上げられていく。

 異常なまでに高速となり、回転数が常軌を逸して、それでも自壊しないほど強固に結びついた複数のお手玉。

 

 それが国会議事堂の広い室内を一周して、三体の液体人間を横から的確に撃ち抜いた。

 

 

「!?」

 

 

 三体ともが、硬化した上半身を完全に吹き飛ばされた。

 ただの銃ではまともに効果も無い液体人間という物理耐性も優れた怪物が、いともたやすく飛鳥の手で纏めて吹き飛ばされたのだ。

 

 加速する距離が無ければ大きく迂回させ、破壊力が足りなければそれを補う助走を付ければ良い。

 飛鳥が出した、【液状変性】の持つ耐久性能への対策がそれだった。

 そしてその対策は今回、正しく機能した。

 

 三体の液体人間は体の大部分を吹き飛ばされグラリとバランスを崩す。

 だが、攻撃は液体人間の核には当たらなかったようで、直ぐに下半身部分の液体が盛り上がるようにして体を再生しようとするが、飛鳥にとってはそれすらも想定内。

 

 

「一度で運良く核に当たるなんて思ってないわ!」

 

 

 もう一撃、あるいはもう一周。

 三体の上半身を破壊してなお、さらに加速し、瞬きの間に室内を駆け抜けた銃弾が、下半身だけの液体人間達に再び襲い掛かった。

 パンッと、重戦車に弾き飛ばされた小石のように、三体の液体人間の下半身が弾き飛ばされ、核となっていた指が宙を舞う。

 

 液体人間の唯一の弱点であるソレが現れたのを確認した“紫龍”は慌てたものの、既に蔓延させていた煙の内部へと収納することに成功する。

 

 

「取ったっ! 畜生っ、取ってやったぞ飛禅さんっ! これでぐちゃぐちゃしたバケモン三体を無力化してっ……」

「馬鹿灰涅、気を緩めるなっ! そいつは三体が限界じゃ無いって言ってるでしょう!」

「え? あっ、うおぁっ!?」

 

 

 次の瞬間、音も無く、背後に現れた二体の液体人間が“紫龍”を左右から襲い掛かる。

 高速で円状に旋回している弾丸では“紫龍”を巻き込む様な立ち位置をしっかりと確保し、自分達の核を瞬時に無力化できる異能を潰そうという、現状を正しく把握した行動。

 知能が高い分身体ならではの、的確に勝ちを取りに来る厄介極まりないこの動き。

 

 けれど最適解だからこそ、その行動は予想出来ていた。

 

 

「ぼさっとしてんじゃねェぞ灰涅ェ!!」

「うおぉぉお!?」

 

 

 柿崎が対応の遅れた“紫龍”の頭を掴み、無理やり地面に引き摺り倒す。

 直前まで“紫龍”の頭があった場所を通過した液体人間の刃と強酸性の鞭が回避した“紫龍”をそのまま追撃しようとするが、ロランの狙撃で動きを一瞬だけ止められる。

 その瞬間、飛鳥の旋回していた弾丸が他の三体と同じように二体の液体人間を横から音を置き去りにしながら吹き飛ばした。

 

 自分を襲おうとした怪物達の無残な姿に“紫龍”は瞬きを繰り返していたが、直ぐに自分の頭を掴む柿崎の怒りを感じ取りペコペコと頭を下げ始める。

 

 

「か、かかか、柿崎さんっ、あ、ありがっ……!」

「感謝は後だ! 核とやらが出てるだろォが!」

「あっ、は、はいっ!」

 

 

 柿崎の怒声に体の激痛も忘れて“紫龍”がすぐさま二体の液体人間の核である指の収納へ移る。

 異能の有無にこだわっていた昔の“紫龍”の姿は微塵も無く、恐ろしさと優秀さを兼ね揃えた上司に逆らえない社畜の姿である。

 

 そして飛鳥は、ロランが作成した障害物に隠れながら倒す事に成功した五体の分身体にひとまずホッと安堵し息を吐いた。

 

 

「五体……持った方ね」

 

 

 銀色の液体が床に散らばる中、“浮遊”の異能で圧縮して誤魔化すのも限界となった飛鳥が作り上げた弾丸が同様に、ボロボロと空中で形を崩しているのを見遣る。

 そもそも即興の、お手玉に入れていた小さな鉄材などを無理やり押し固め、弾丸として使用していたのだから、耐久性能がある訳がない。

 いくら飛鳥の異能で補強していたといっても、銃弾すら碌に通さない液体人間を何度も攻撃していたのだから早々に使えなくなるのは分かっていた。

 

 だからこその、持った方。

 自分の数少ない手札が壊れたのを見届けて、自分が持っているお手玉がせいぜいもう一つ弾丸を作れる程度なのを確認する。

 今の状態であれば自分の数少ない所持品を減らすよりも、ロランの異能で鋼球でも作って貰う方が良いのだろうがと思い、楼杏の傷の具合を確認しながら鋼鉄の壁の生成を続けているロランに話し掛けた。

 

 

「ロランさん、鋼鉄の球の作成をお願い」

「ああ、それは構わないけど。飛鳥さんの異能に合うかは分からないよ。重さとか、硬さとか、大きさとかが合わないっていうのはあるだろうし」

「分かってる。でも、あの分身体がいくつ用意されているか分からない以上武器はいくつあっても足りないし、有効な攻撃が確立できたんだからそれに沿った準備は重ねるべきでしょう」

「それもそうだ」

 

 

 周囲を警戒しながら即座に異能を行使できるよう緊張を張り詰め続ける冷静な飛鳥。

 そんな彼女とは反対に、ロランは隠し切れない焦りを滲ませながら、異能を封じられているベルガルドと重傷を負った楼杏の状態、そして仲間とのやり取りに使用している通信機器のメッセージに更新が無いかを確認していた。

 

 ロランにとっては今の状況は最悪に近い。

 本命であった“顔の無い巨人”は影すら踏めていない状態であるし、異常な異能出力を感知して飛び込めば、“百貌”というこれまで対峙した異能持ちとは次元の違う想定外の相手と戦闘になっている。

 日本警察にはここまで異能の戦力をこの国に集中させていると知らせないようにするという方針すら今は気にしている余裕がなく、協力体制を維持しなければ“百貌”とやらに対抗する事は絶対に出来ない。

 

 何もかもが誤算だった。

 

 

(まだ“顔の無い巨人”にすら辿り着けていないのに、対“顔の無い巨人”として有効と考えていた楼杏がやられ、離脱を担当していたベルガルドの異能が封じられた。残ったのは明確な役割が薄く、全般的な補助を任された俺だけ。本命どころかついでにと考えていた“百貌”にここまでやられるのはあまりにも想定外。はっきり言って最初の計画はもう諦めた方が良いくらいだが……“顔の無い巨人”の意思確認くらいは早々にしたかったけど、これはもう仕方ない。こんな奴を相手にしつつ、“顔の無い巨人”の対応なんて不可能だ)

 

 

 どのように連絡を取るかは別として、第一目標を諦めることをロランは静かに決意する。

 独断的な判断だと言われようと関係ない。

 現場で異能を深く知る自分達がこれ以上は無理だと判断したなら、それにどうケチを付けられようとも判断を覆す材料などには成り得ない。

 それほどまでに、数多の異能を使い分ける“百貌”という異能持ちはあまりに手に負えなかった。

 そうやって現状を再認識したロランが、早急な応援要求を通信機器のメッセージに乗せて状況の悪さを伝えながら、飛鳥と認識の共有を図ろうと声を掛ける。

 

 

「ところで、一旦こうして膠着状態を作れたから言うんだけど、この場の目的を統一させておかないかな? 俺や楼杏の怪我も、ベルガルドにされた異能封じも痛手だから、こちらとしては一度撤退を考えているんだけど、飛鳥さんとしてはどこまでやるつもり?」

「アイツを捕まえるまでやるわ」

「いやいやそれは分かっているんだけどね。増援を待ったり、怪我した人を安全な場所に連れて行くなんかの時間を確保したいと思ってる訳なんだよ。一応俺や君の怪我も笑えないものだしね」

「駄目。精神干渉の異能を持ってるアレに時間を与えるのは避けるべきよ。まだ私達はアイツの最終目標を知り得ていないんだから。何が出来るのか、何をしたいのかも分からない相手に猶予を与えるのは逆に私達の首を絞める事になるわ」

 

「————アハハ」

 

 

 そんな二人の情報共有も満足に行える余裕は無かった。

 

 一息だって吐ける暇はない。

 次々に倒した筈の液体人間が新たに姿を現した。

 ロランが作り上げた障害物の隙間から湧き出した液体人間の群は、一つ二つとその数を増やしていき、二桁に近い数となっていく。

 雑兵などではない、間違いなく強力な存在である液体人間を五体無力化し、少しだけ安心していた飛鳥達の顔が強張る。

 

 湧き出し、辛うじて人型を作り上げた液体人間達は飛鳥達の姿を見下ろし冷笑する。

 

 

「時間ヲ掛ケテ良イノカ? ソレデ本当ニ良イノカ?」「異能ヲ使用シテ引キ起コサレタ事ガ先生ニ切リ替ワッテモ残ッテイル事ニ焦リヲ感ジナイノカ?」「サッキノ子供ノ状態ノ時、何ニ異能ヲ使用シタノカモウ忘レタカ?」「私達ガ意味ノナイ行動ヲスルト思ッタカ?」「モウ遅イケドナ」

 

「っ!?」

 

 

 液体人間の言葉を聞いて、嫌な予感が飛鳥の背筋を撫でた。

 異能で引き起こされた現象が残るのなら、精神干渉による誤認が残るのなら、掌握された人工衛星に施された異能の使用で今残されているのはいったい何なのだろう、と。

 

 そんな疑問が頭に浮かんだ直後だった。

 

 

「本当ニ扱イヤスイ奴ラダ」

 

 

 ドンッ、と地を揺らすような爆発音が響く。

 轟音を立て、ロランが作り上げた鋼鉄の障害物越しに、およそ生物ではありえないほど巨大な何かが唐突に姿を現した。

 

 巨人だ。

 国会議事堂の天井を突き破る程に巨大なソレが、鋼鉄の障害物に隠れていた飛鳥達の姿を見付け、叩き潰すために勢いよく腕を振り上げたのを見て、飛鳥達はようやく危機を自覚する。

 

 

「っ!?」

「巨人!? これはっ、まずいっ……!」

 

 

 “製肉造骨”による自己改造。

 自然発生はあり得ない、神話に登場するような巨人の姿。

 片足を潰された飛鳥達の、瞬時の移動が出来ない状況での巨大な質量による攻撃。

 

 状況を理解したロランが即座に回避を捨てる判断をして、前に飛び出して鋼鉄で巨大な壁を作り上げに入る。

 持てる限りの異能の出力を使い、より強固でより大量の鋼鉄を作り出すために直接自分の手で触れるようにして、限界ギリギリまで巨大で重厚な鋼鉄の壁を製造した。

 

 銃弾どころか爆弾すらも防ぐような、厚みのある鋼鉄の堅牢強固な壁。

 それは普通の人間がただ巨大になっただけでは決して壊せないような絶対防護壁。

 

 その筈だった。

 

 

「ごっ、あ゛……!?」

 

 

 何重にも重ねたその鋼鉄の壁が、巨腕のたった一振りで引き千切られた。

 

 想像を絶する衝撃。

 紙切れのように簡単にクシャクシャにひしゃげた鋼鉄ごと、国会議事堂の壁を突き破ることとなったロランが大量の血を流しながら地面を転がって動かなくなる。

 まるで糸の切れた人形のように、血だまりを作りながらピクリとも動かなくなったロランの姿に飛鳥が息を呑んだ。

 

 

「ロランさんっ!?」

「先生ノアノ一撃ヲ逸ラシタカ。ダガ、自分ガ瀕死ニナッテタラ世話無イナァ!」

「っ……!」

「手足ガ奪ワレテ逃ゲルコトモ出来ナイオ前達ハ終ワリダヨ! ホラ、モウ一撃来ルゾ!」

 

 

 再び振り上げられた巨人の腕。

 堅牢だっただろう鋼鉄の壁を容易くひしゃげさせた異常な一振りが、次は正確に飛鳥達を狙い振り下ろされた。

 

 

「っ、無理やり飛ばすから痛いわよっ!」

 

 

 飛鳥が周りにいる者達の体を浮かし、全力で攻撃の範囲外へと吹っ飛ばした。

 急激な重力変化や容赦ない衝撃で上がった色んな悲鳴を無視し、飛鳥が正面から襲ってくる巨人の腕を縦横無尽に飛び回る精密な飛行能力で回避しながら、反撃の為に高速で接近していく。

 

 さっきまでのような加速距離を稼いだり、回転を加えたりの小細工ではない。

 ロランが作り出し並べていた鋼鉄を、文字通り全力の異能使用で浮遊させることが可能な最大重量の砲弾として利用する。

 

 巨人を打倒する兵器として、飛鳥は最大重量かつ最大加速させた全力の異能を真正面から叩きこんだ。

 

 

「■■■■!?」

 

 

 神薙が作り出した巨人の体があまりの衝撃で浮いた。

 補助に徹していた液体人間達ですら反応できない速度で叩き込まれた鋼鉄の塊は巨人の体を撃ち抜き、巨大な体を浮かすほどの衝撃が建物全体を揺らした。

 

 鋼鉄の塊が衝突した巨人の右肩はその衝撃で大きなくぼみを作り、その部分を中心とした亀裂がいくつも巨人の体全体に走っていく。

 

 だが、完全に破壊することは出来なかった。

 ゆえに、巨人の目が空を飛ぶ飛鳥の姿を捉えてしまった。

 

 

「————あぐぅっ!? ごっ、ごほっ!!」

 

 

 空を駆けていた飛鳥の体に異変が起こる。

 体内で異常成長した肋骨が、いくつも腹部を貫き飛び出したのだ。

 痛みに呻き、血を吐き出し、まともに飛行できなくなった飛鳥が床に落ちる。

 クシャリと、翼が折れた鳥のように床で蹲って動かなくなる。

 

 そこからは、混戦となる。

 液体人間達が一斉に落下した飛鳥に襲い掛かった。

 巨人が両腕を振り下ろして作られていた鋼鉄の壁を叩き潰し、開けた視界の中にいたロラン達に向け再び腕を振り上げた。

 状況を察した柿崎が咆哮を上げながら飛鳥の下へ猛進し、“紫龍”が泣きそうな顔になりながらそれに追従した。

 ベルガルドが未だにまともに使用できない自身の異能に怒り、頭を掻きむしった。

 阿井田議員が目の前の光景に立ち尽くし、同様に国会議事堂を占拠した暴徒達が異能という理不尽を光景として目の当たりにして心を折られた。

 

 そして、そんな最悪の状況の中で、ゆらりと立ち上がった者が居る。

 

 

『————ゼロにする』

 

 

 最初にピタリと巨人の腕が止まった。

 身を呈して飛鳥を守り離脱した柿崎と追い詰められた鼠のように死ぬ気になった“紫龍”の本気の抵抗を受けていた液体人間達が慌ててその言葉を発した人物を見る。

 

 立っていた。

 その人物、楼杏は口から血を流して、止血も出来ていない傷からは血を滲ませながらも、それでも目の前の巨人を見据え立ち上がり、自身の凶悪な異能を起動させている。

 

【動く力を完全消失する異能】。

 “百貌”が人に使えば即死に近いと言ったその力。

 そして楼杏の鋭い目が“百貌”が模倣しているだろう神薙の巨人を確実に捉えていた。

 

 

「オ、前ッ……!? 不味イッ、先生!!」

『————ゼロになれっ!』

 

 

 楼杏が吼えた。

 

 巨大な異能使用。

 普通ではありえない運動能力を持つ異能の巨人そのものの完全消失。

 つまり、神薙が自分自身を基として作り上げていた巨人という生命運動の全てを、文字通り消失させる、確殺のための異能使用。

 

 それが生み出した結果は絶大だった。

 

 バキリと、巨人の体に罅が入る。

 巨大な一つの罅が派生するようにいくつもの罅になり、グラリと巨人の体が大きく傾いた。

 そして、体を動かす全ての力が失われたように地に落ちた巨人の体に、液体人間達が悲鳴染みた声を上げ始めた。

 

 

『ろ、楼杏っ……! だ、大丈夫なのか!?』

『……少し、意識が無かっただけだ。ロランは……無事だろうな?』

『あ、ああ、アイツの事だ! あれだけうまく生き残る奴を俺は他に知らねぇからな! 直ぐに治療さえできればなんとかなる!』

『そうか……なら、後は残りの分身体とやらを早く片付けて、直ぐに治療を……しないとな』

『はっ……はははっ! そうだ、それで終わりだな! 流石楼杏だ! 一瞬もう駄目かと思ったあの状況を全部逆転させられる奴なんて、お前かあのババアくらいしかいねぇよ! “百貌”とかいう雑魚の本当の顔を拝めなかったのは心残りだがっ、まあそんなものは無くてもな! あのババアも無理なら生死問わないって言っていたからお咎めも無いだろ!』

『……喧しい。傷に響く』

 

 

 異能の酷使と大怪我でげっそりとした様子の楼杏とは違い、ベルガルドは一人危機を脱した事に安堵し、興奮気味にそう捲し立てる。

 

 巨人、つまり神薙隆一郎本体の体を標的として楼杏が異能を行使した。

 異能の力を止めるでも、運動能力を奪う訳でも無く、単純な生命活動の力を停止させた今回の楼杏の異能使用では、どれだけ体躯が巨大で生命力が強くとも関係ない。

 一度標的となり異能を使用されれば、誰であろうとも抵抗など出来ない、絶対的な法則性を持った力なのだ。

 

 だから、その事を知るベルガルドの安堵は当然の感情であり、それ以外の場合など楼杏の異能を知る者達の頭には浮かばないだろう。

 ベルガルドほど露骨ではないにせよ楼杏の認識も同じようなものであり、ロランや飛鳥といった怪我で動けない者や液体人間達に包囲されている柿崎達の状態に視線をやり、どう動くべきかを考えていた。

 

 

「さっきぶりね、会いたかったわ」

「……え?」

 

 

 けれど、想定は常に踏みつけられる。

 予定調和なんて無いし、絶対の保証なんてない。

 分かっていた筈のそんな事。

 

 聞こえてしまった。

 限界ギリギリで、意識だって朦朧として、色んなものが尽き果てているのに。

 よりにもよって、一番聞きたくなかった声が聞こえてしまった。

 

 楼杏が驚愕で目を見開く。

 いつの間にか目に前にいる幼い少女に言葉を失う。

 何故という言葉が頭を埋め尽くし、それを読み取った幼い少女の姿をした“百貌”が優しくその疑問に答えてくれる。

 

 

「異能で作り終えたもの、それは現象の一つよ。巨人を作って私に切り替わっても、作り上げた巨人は残り続ける。神薙隆一郎の異能であれば、疑似的なクローン技術も可能だし、自分を基にした巨人にある程度の命令を残しておくことだってできる。神薙隆一郎の異能に対する理解が足りなかったわね」

「ひっ……あっ……あ……」

「一発逆転が可能な貴女を無視して、自分の体をただ巨大化して標的されやすい状況を私が作ると思った? 手っ取り早い力押しで済ませようだなんて、そんな小者のような事を私がすると思った? 私が本当に私以外の力を信じ切って、自分の命運全てを任せようとすると思った? それはとっても、とっても心外だわ。楼杏さん」

「……ぜっ、ぜろにっ……!」

 

 

 目の前のどうしようもない恐怖に、楼杏が咄嗟に自分の異能を絞り出そうとする。

 

 絞り出そうとした……けれど、どうしても楼杏はその言葉を最後まで言えなかった。

 くしゃりと心底嘲るような、幼い少女の笑みを前にして、それは適わないのだとどうしても理解してしまったから、口が縫い付けられたように何も言えなくなってしまった。

 

 

「あはっ」

 

 

 幼い少女が笑う。

 目の前の恐怖に震える楼杏に、優しく手を差し伸べて笑う。

 

 

「————ねえ、今の貴女の世界は何色かしら?」

 

 

 いつの間にか、顔の無いナニカが楼杏の目の前にいる。

 いつの間にか、周りには自分以外誰もいなくて、何の音もしなくなっていて、自分を見下ろす顔の無いナニカだけが目の前にいる。

 巨大で、顔が無くて、絶対に勝てなくて、自分の恐怖を濃縮したような存在だけが、自分だけの世界に、目の前に存在した。

 

 痛みを伴う程に寒さを感じた。

 呼吸を忘れ、あの映像で見た傭兵の男が浮かべていた恐怖を理解する。

 恐い。顔の無い巨人が手を伸ばしてくる。怖い。体を掴んで持ち上げられる。何も知りたくない。異能が使えない。体が潰されていく。何も抵抗出来ない。当然だ。何も見たくない。為す術無く自分はこの恐怖に潰されていき。“顔の無い巨人”の、貌が、めのまえに。

 

 

 ああでも、この存在に逆らったのだからそれも当然なんだ……と、楼杏は理解した。

 

 

 

「いい加減にしなクソガキ」

「っ!?」

 

 

 パンッ、と楼杏の意識が引き戻される。

 世界が色付き、いつの間にか自分の周りにいた飛鳥やベルガルドに自分が助け起こされるような形であることに気が付き、早鐘のように鳴る自分の心臓をどうすることも出来ず全身の力が抜けてしまいへたり込んだ。

 

 そして、自身の前に立ち、幼い少女の姿をした“百貌”と対峙する見慣れた老女の背中に心底安堵する。

 

 

「…………貴女がこうして目の前に現れるのは、もう少し先のことだと思ってたんだけどね」

 

 

 対峙した幼い姿をした少女が目の前の老女、ヘレナ・グリーングラスに表情を少し迷わせながら小さくそう呟いた。

 

 

 

 





いつもお付き合いありがとうございます!

書籍発売日は1月30日となりますー!
表紙絵、口絵も公開済みで、電子書籍も予約介しておりますので、宜しければご確認ください!
これからも引き続きお付き合いの程宜しくお願いします…!

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あなたの探し物

 

 

 

 

『ほんとにアンタは懲りないね。異能を使って近くをウロチョロして、私の探知能力を掻い潜れると本当に思っていたのかい? こういう場合、無知は怖いと言うよりも、無知ゆえの向上心を褒めるべきなのかねぇ……』

「……(怒)」

 

 

 人里離れた一軒家。

 椅子に座り、机の上でせっせと飲み物の用意をするフクロウを眺める老女が呆れ混じりにそんなことを呟いた。

 声が届く範囲には誰もいないのに、まるで誰かに聞かせるような老女の呟きだったが、ちゃんとそれに反応したのが飲み物を用意していたフクロウだ。

 カチカチと嘴を鳴らしながら老女へと振り返り、羽を逆立てて威嚇のような仕草を始めたフクロウを老女は鼻で笑う。

 

 

『ひひっ、なんだい? そんなに私に簡単に見つかって首根っこ掴まれたのが不満なのかい? 色んな部分が未熟だけど、アンタは何よりも出力操作が下手くそなんだよ。漏れ出した出力があれば、アンタの異能に掛かっている奴がどれなのか一目で分かっちまう。どこからここまで異能の出力を飛ばしてるのかは分からないけど、馬鹿デカイ出力をただ振り回す相手なんてやりやすい標的さ』

「……!」

『……まっ、それでも最初に比べたら随分成長してると思うし、そもそも精神干渉系統の異能でここまで出力を持っているのはそれだけで厄介だとは思うけどね』

 

 

 地団太を踏むようにペタペタ足踏みする小さなフクロウを軽く笑いながら、老女は呟いた。

 

 精神干渉によって操られたフクロウから漏れだす異能の出力。

 最初よりは随分と無駄が減っているとは思うが、今でも調整がへたっぴと言えるほど大きく漏れ出しているのが現状だった。

 異能の使用を受けているだけの動物が、これだけ大きな出力を振り撒いているのを見るとまず間違いなく本体である異能持ちが膨大な出力を有しているのは間違いない。

 世界を巡っていた時にこんな化け物染みた出力を有する異能持ちなどいたかと老婆は首を傾げながら、最初よりも手際良くなっているお茶出しの後ろ姿を眺めた。

 

 

(それにしても、やっぱり探知できないね。コイツの大元はどこにいるのやら)

 

 

 精神干渉という距離を小細工で広げやすい異能とはいえ、長い時を生きて異能の扱いを磨き続けた老女が探知できない距離から異能を行使しているのは間違いのない事実。

 まさか国を跨いで異能を使用しているなんてことは無いと思うが、それでも自身を明確に上回る部分を持っている姿の分からない人物の力量をヘレナは高く評価していた。

 

 かなり距離がある中、動物の意識を自分の意のままに操る緻密な異能操作をしている。

 これだけでまず間違いなく、この珍妙な相手はかなり異能の才能を持っているとは思うが、人との関わりを放棄した老女にとってはどうでも良い事だ。

 自分の余生が終わるまでの暇な時間を使って、変に突っかかって来るこの相手で遊べれば、それで良い。

 

 それ以上、この不思議な話し相手を知ろうという意欲も無いし、コイツもそれを望んでいると老女は思っていた。

 

 

『とはいえ、この私を基準にして自分の出力操作訓練をしようとする奴に会う事になるとはね。少し前の私なら想像すらしなかったよ』

「……」

『別に馬鹿にはしてないよ。自分の傲慢になっていた考え方に気付かされてただけさね。というか、アンタもこんな捻くれた婆の嫌味を聞かされて本当によく通い詰める気になるね。そんな努力家ならもっと別のやり方もあるんだろうに……』

 

 

 何か大きな目標でもあるのだろうかと思いながら、人との関わりを放棄した筈の老女はせっせと努力を重ねる不思議な相手を見詰めた。

 

 

『まあ、直接会うことも無いんだろうし、私には全く関係も無いんだろうけどね。いずれアンタのその努力が実って、目標を成し遂げられると良いね』

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 宙から降り注がれる異能の出力。

 異能を持たぬ者には感じ取る事すら出来ぬその出力の雨は、それを実行した“百貌”がいる国会議事堂周りだけではなく、世界中全て、地球上全てに向けて降り注いでいた。

 個人が単独で世界中に異能の出力を届かせる、そんなことは普通誰にもできるようなものではない。

 だから当然、“百貌”が容易く実行しているこの行為にはカラクリが存在している。

 

 宙にある無数の出力機。

 その正体は、“百貌”が異能を飛ばし、出力の貯蔵庫としての役割と自分の命令によってあらかじめ決められた動作を行うよう調整された数多の人工衛星だ。

 世界中の各国が作成し、宇宙を飛行させている数万の人工衛星を、衛星に向けている電波を介し異能により支配した上で、自身の異能の出力機として仕立て上げた。

 

 その異能の雨に悪意はない。

 何か災害や混乱が起きるようなものではない。

 異能を持たぬ者には何の影響もなく、異能を持つものでさえ何だか不気味な違和を覚える程度である。

 

 ただひたすらに降り続ける異能の雨は、不気味に世界を満たし続けるだけ。

 

 

 そして、そんな状況を理解しながら、世界最高の異能使いは事態の主犯がいる現場に到着した。

 

 

 たった一人の到着。

 それだけで、破壊音や大声に満たされていた国会議事堂の中が緊張の張り詰めた沈黙に支配される。

 突如として現れた人物に液体人間達は動揺し、柿崎や“紫龍”は困惑し、老女を知るベルガルドは安堵のため息を漏らした。

 じっと幼い少女の姿を見詰めていた老女だったが、慌てて室内に飛び込んで来た少年がそんな彼女に叫ぶ。

 

 

「ヘレナお婆さん! ロランさんも楼杏さんも、警察の人達も凄い怪我だよっ……早く治療しないと!」

「レムリア、そう急かすもんじゃない。それをやった奴はまだ私達の前にいるんだから、私達の行動方針を狭めるようなことは言っちゃ駄目だよ」

「けどっ……死んじゃったら……!」

「死にゃあしないよ。それよりも、私達がやられたらそれこそ本当に終わりさ。レムリア、液状の奴らが怪我人を襲った時の相手を頼むよ。それまでは下がってな」

「液状の奴らって、前の病院の中にいた……」

 

 

 適当にそう言いながらも、ヘレナは頭の中でルシア達がもう間もなく到着する事を計算し、ロランや楼杏、飛鳥といった者達の怪我の具合を遠目に確認した上で、自身の異能の優先順位を決めていく。

 

 老獪に、淡々と、人命第一に。

 それでもあくまで外面上は、治療は二の次という冷徹な姿勢を示し、目の前の幼い少女から視線を外さないのは、この相手が今までの相手とは次元が違うと分かっているからだ。

 ちょっとだけ動揺を見せている幼い少女に対して、ヘレナは声を掛ける。

 

 

「出力の多さは想定通り、ただ出力操作に関しては何だか随分と成長してないね。アンタほどの才能があったなら、今はもっと異能の扱いが上手くなっているものだと思ったんだけど、努力を怠ったのかい?」

「……年寄りが随分遠出するのね。体に悪いわよ」

「死ぬに死にきれないくらい心配事が増えちまったのさ。それが片付くまでは現役でいるつもりだよ」

「人嫌いの老魔女が健康的に外と接点を持つのは良い事ね。その内カビやキノコが生えるんじゃないかと常々思ってたわ」

「少しは申し訳なさそうにしなクソガキ」

「心配を掛けたつもりは無いわ」

 

 

 初めて会う老女と少女の今にも喧嘩が始まりそうな会話。

 まるで仲が良いのか悪いのか分からない師弟が交わすようなやり取りが始まり、お互いが苛立ちと共に異能の出力を解放し始めた。

 

 じっと体の動きを観察し、直ぐにでも異能を使用できる状態を作りながらも、今のやり取りでさらに大きくなった疑いをヘレナは自覚する。

 

 

「……アンタは」

「人違いよ」

 

 

 だが、問い掛けようとしたヘレナに、幼い少女の姿をした“百貌”は先んじて否定を口にした。

 少し驚いたヘレナに、幼い少女の姿をした“百貌”が冷たく続ける。

 

 

「私から言えることはあるけど、私の立場で言うべきことは無いの。今の私と貴女の関係は、敵でしかないわ」

「ふん、そうかい」

 

 

 返答されたそれだけで、ヘレナは何となく理解して話を打ち切る。

 “顔の無い巨人”と“百貌”が別人で、ヘレナが面倒を見切れなかったと後悔する相手とは違うのは分かっていた事だった。

 

 けれど全くの別人というにも少し違和感があるのも事実。

 少しの引っ掛かりを覚えながらも解放された出力量が僅かに幼い少女が上回っているのを理解し、ヘレナは考えを戦闘用のものへと切り替えていく。

 

 そして、空気中に極めて薄い異能の出力が空から降ってきている事を探知して、その実行犯が目の前の少女で間違いないのを確信したヘレナは、通告する。

 

 

「最後に確認するけどね。空から振り撒いてる不気味な異能の出力を止めるつもりはないのかい? ウチの部下達を傷付けた事は擦れ違いがあったと目を瞑ろう。ここを占拠した国外の信者共を無力化したって連絡は聞いたからね。でもそれ以上は駄目だね。世界規模にデカい事をやろうとしてるのは現状を見れば疑いようがないからね。異能による世界侵略の再来を、私達は認めるつもりは無いのさ」

「状況を理解しているのは流石だと思うけど……それが正しい世界平和だったとしても私を止めるの?」

「アンタみたいなクソガキ一人の考えで正しい世界平和なんて実現できるもんじゃないし、それは私達誰もが同じさ。だからこそ私達が掲げるのは、異能を持つ者も持たない者も平等に暮らす世界の基盤構築だ。異能は単なる個性の一部で、異能を持たないことは欠落じゃなくて、異能を持つ者も持たない者も普通の生活を送れる世界の価値観が広がるよう目指してる。異能を持つ者を頂点とした強制統治なんていうディストピアは望んじゃいないのさ」

「貴女の思想を私は否定しない。けど同時に、私の思い描いた“人神計画”に欠陥なんて無い。世界に散らばる愚物と醜悪な悪性を適切に処置して、資源を最大限有効活用して、この世界に私の平和を必ず実現させる。させてみせる。他の誰もやらないというのなら、他ならない私が成し遂げてみせる」

「世界平和を願う気持ちを悪いとは言わないけど、ちょっと拗らせ過ぎだね。若気の至りで思い上がるのもほどほどにしな。人間なんてどれだけ優秀でも、たった一人で世界を支配する事はできないものさ。どれだけ才能があっても、どれだけ長生きしても、それは出来やしない事なんだよ」

 

 

 話は平行線かと、あまりに年の離れた二人は理解して。

 

 

「年老いた老婆一人に力及ばない事で、その現実を教えてやるよクソガキ」

「小娘一人に轢き潰される事で、その古い価値観を一変させてあげるわ御婆様」

 

 

 叩き付け合うような会話の応酬を最後に、お互いの理不尽な力を振るい合う。

 

 

「どうせ既に小細工を仕掛けて来ているんだろう? これだけ時間があったなら私の思考や五感に齟齬を作り終えたってところかい」

 

 

 手を放し、倒れていく杖をそのままにして、ヘレナは自身の異能を起動させる。

 その瞬間、カチリと国会議事堂全体の状態が変化した。

 

 時間経過で劣化していく事の逆。

 時間回帰により状態の劣化が元の状態へと強制的に巻き戻っていく。

 壊れた壁や破れた布が修復されていき、血だまりに沈んでいた者達の傷が消える。

 ロランがいくつも作り上げていた鋼鉄の障害物が掻き消えて、楼杏により破壊されていた巨人の傷が塞がっていく。

 そして何よりも、ヘレナは自分自身に掛けられていた“精神干渉”による変化も、時間回帰によって元の状態に戻して見せたのだ。

 

 瞬く間に周囲の状態を正常なものに戻して見せたヘレナに、液体人間に自身の周囲を囲ませることで巻き戻しの異能を防いだ“百貌”が息を呑む。

 

 

「時間回帰……やっぱりその異能は理不尽ね。時間なんて普通操って良いものじゃないわ。明らかに規模の違う、直接世界に影響を与える異能」

 

 

 周りを見渡し、自分が成し遂げたものの数々が全て無に帰されているのを確認し、心なしか楽しそうにそう評した“百貌”が、周囲に渦巻く球体を複数浮かべているヘレナを見遣る。

 

 状態のみの時間回帰。

 ただ出力を振り回して異能本来の力を使うだけなら、時間丸ごと逆行する筈のヘレナの異能使用に“百貌”は挑発するように笑い声を溢した。

 

 

「でも、何で完全な時間回帰をしないかしらね、状態のみに限定した時間回帰なんて器用な事をするのは不思議よね。もしかしてそれって、今の貴女の姿が若返っているのと関係があるのかしら」

 

 

 その瞬間、先ほどよりも若干若返ったヘレナが浮遊させていた球体を撃ち出した。

 

 時間回帰という現象を内封した球体。

 触れるもの全ての時間を無理やり回帰させ、加工物を原料に、成人を幼子に、異能で作り出した現象を無に帰す回帰の力。

 

 そして同時にその球体は、物理的には存在しない異能出力の塊だ。

 だから障害物で防ぐことも出来なければ、刀剣や銃弾で破壊することも出来ない。

 防ぐ術は存在せず、避けるしか対処方法の無い球体。

 

 そんな理不尽極まりない力の塊が迫り来るのを、幼い少女の姿をした“百貌”は眉一つ動かさずにその場に留まり、観察するように眺め続けた。

 

 

「どれだけ凄い異能にも相性がある————貴女もそれはよく口にしていたわよね」

 

 

 “百貌”のその言葉が合図だった。

 異能の出力を弾く外皮を持った液体人間の一体が何処からか飛び出して、時間回帰の球体へ正面から体当たりするようにぶつかった。

 そうすれば、異能そのものを弾く性質を持った外皮に通過された時間回帰の異能の力は構造的な安定性を失い、散り散りに消えて無くなる。

 

 ヘレナが作り出す球体の性能を知るレムリアやベルガルドが絶句するのを余所に、幼い少女の姿をした“百貌”が消えて無くなった球体を満足げに見届ける。

 

 

「貴女の異能を知っていて対策を講じない訳が無いでしょう。時間停止や時間回帰なんていう反則技も、構成上の隙間を突けば突破は困難じゃない。無敵に思える力程、あっさり破れる事なんて珍しくもなくて」

「ペラペラと良く喋る口だね。自慢話でもしたいのかい?」

 

 

 時間という物理的な攻撃性能の無い、概念系の異能ゆえの対策。

 異能そのものを弾く液体人間という天敵が何処からともなく集ってくるのを前にして、ヘレナは好戦的に一歩踏み出す。

 

 もはや杖すら必要ないほどに若返った老女は液体人間達を侍らす幼い少女の姿をした“百貌”に向けて、真っ直ぐ突き進んでいく。

 時間を掛けない。攻撃に怯みなどしない。そんなヘレナの強気な姿勢を感じさせる姿に、手札が豊富にある筈の“百貌”の方が怯んだように表情を歪めた。

 

 

「私の異能に明確な対策をしてくる奴は初めてだ。何処までやれるのか楽しくなってきたよ」

「……自分の異能の限界を知りたい戦闘狂キャラだったのね。あ、待って、もしかして異能を使うごとに若返って凶暴化するんじゃ……」

「凶暴化なんて野蛮な言い方だね。知識欲が溢れ出すとでも言っておくれ」

 

 

 “百貌”のそんな不安そうな言葉を肯定するようなヘレナの返答。

 その返答を聞き、物凄い嫌そうな顔を浮かべた“百貌”が何か言うよりも先に、単身で向かってくるヘレナに反応した液体人間の一体が襲い掛かった。

 

 高速で目前までやってきた液体人間に対して、ヘレナは懐から拳銃を抜いて構えた。

 

 

「異能の効果を引き上げるのは何も異能の鍛錬だけじゃない。環境や機材を利用すれば、異能の練度関係なしに効果を引き上げる事も可能さ」

 

 

 小さな、それこそ威力が低く反動もほとんど無いような拳銃の登場に、自分を破壊するほどの威力がないと判断した液体人間がそのままヘレナを硬質化した腕で突き刺そうとして。

 

 

「例えば銃弾に異能の現象を付与したりね」

「ア?」

 

 

 撃ち出された銃弾そのものの時間が加速し、異常な速度に達した銃弾が小さな傷も付けられない筈だった液体人間の外皮を軽く抉った。

 

 異能による銃弾の強化。

 それでも破壊とまではいかず、本当に小さく異能を弾く外皮を貫くのみの銃弾だったが、当然それだけでは液体人間を打倒するほどの影響などある筈も無い。

 だが銃弾が異能の出力を弾く外皮を僅かに貫いたことによって、銃弾に込められた異能が液体人間の体内に届き、独立して活動する異能生命体の核に異能の効力を届かせた。

 

 より正確に言うなら、核を異能が開花する前の状態へと回帰させた。

 

 

「ア」

 

 

 ポシュンと気の抜けた音とともに、ヘレナに襲い掛かっていた液体人間の姿が消えて無くなった。

 小さな威力も無いような拳銃一つで、液体人間の一体を消して見せたヘレナに、他の液体人間達は動揺し、“百貌”も表情を曇らせる。

 

 物理的な攻撃で外皮を破壊し、核を露出させて何かしらの攻撃を加える。

 液体人間を倒すために必要だったその二つの手順が、ヘレナには銃弾を撃つだけに省略されてしまう。

 ヘレナの対策として用意していた液体人間が簡単に攻略された事実に、“百貌”は困ったように呻き声を漏らした。

 

 

「流石に……ここまで簡単に突破されるのは想定外」

「ドウスルッ!? 一斉ニ襲イ掛カッテモ良イゾ!? 分身体ノ数ハ余裕ガアル!」

「馬鹿。あのお婆さんの他にも物理に強い子供の異能持ちがいるでしょ。貴女達が纏まって全員やられて、世界丸ごと時間停止されたら対策が無いじゃない」

「ナラ!?」

「煩いわね。本当はしっかりとした対策を成立させた上で安全に勝ちたかったけど、こうなったら力押し以外無いでしょ。私がやるわ。対異能を想定して考えていた技も試してみたいし」

 

 

 目の前の強敵であるヘレナから視線を逸らし、傷が治ったものの未だに意識が無いロランや楼杏の居場所を確認した“百貌”は焦りを浮かべる液体人間の言葉を軽く流して呟く。

 頭に浮かんだ同士討ちの搦め手を却下して、自分の異能へ持つ絶対的な自信を示すように攻撃的なものへと切り替える。

 

 

「さて、そろそろ異能持ちとの戦いにも慣れて来たわね」

 

 

 コキリと指を鳴らした“百貌”が突き進んでくるヘレナに対し、迎え撃つように異能を起動した。

 

 “精神干渉”の力なんて、普通なら物理現象を引き起こせるものでは無い。

 けれどそれを覆すような巨大な異能の出力が“百貌”から噴き出し、何も無い空間を掴むように手を伸ばした事で異常事態が引き起こされた。

 

 

「感覚裁断(ブレインシュレッダー)」

「!?」

 

 

 掴まれた空中に亀裂が走る。

 手の中のひび割れた亀裂をさらに幾分にも枝分かれさせ、幾重もの裂傷を世界に生み出す。

 そして手の中に生み出したその亀裂をヘレナへと放った瞬間、亀裂が高速で世界を侵食し、ヘレナの下へと殺到した。

 

 視界を埋め尽くす裂傷の波に、ヘレナは顔色を変えた。

 

 

「それはっ、ヤバそうじゃないかっ!?」

 

 

 無数の稲妻がそれぞれ意志を持って飛んでくるような光景。

 咄嗟に時間回帰の球体を作り出し盾にするが、亀裂という異能の現象を時間回帰で無に帰すどころか、僅かな拮抗も無く裁断されたのを目の当たりにしてヘレナが息を呑む。

 空中を縦横無尽に走り回り触れた全てを裁断する数多の亀裂が、あらゆる方向から自身の目前に迫る光景にヘレナが背筋を凍らせた。

 

 だが、視界の端に映ったレムリアの困惑したような表情を見て、ヘレナは現状を直ぐに理解した。

 

 

「————誤認かい……!」

「あら、バレちゃった」

 

 

 亀裂が届く直前、ヘレナは自身を対象に時間回帰を施し、受けていた“精神干渉”を解除する。

 ギリギリで、全てを切断する世界の亀裂が消滅したのを確認し、致命の一撃を回避できたことに一瞬だけ安堵したが、“百貌”が床を掴んでいるのを見て次なる攻撃が来ると身構えた。

 

 

「意識混濁(ソウルシェイカ―)」

「次は何をっ……!?」

 

 

 その言葉の後、最初に感じたのは本当に小さな振動だった。

 だが次の瞬間、グラリと世界がひっくり返り、上下の感覚が逆さまになる。

 頭の上に先ほどまでいた床が見え、天井に向けて落下する感覚に心胆が冷える。

 ヘレナが落下していく自身の体が天井に叩き付けられる前に掛けられただろう“精神干渉”を解除しようと、即座に時間回帰の異能を再起動した。

 

 だが。

 

 

「これも、誤認だろうっ……がっ!?」

「感情波(ブレインシェイカー)」

 

 

 何処からともなく音が響く。

 その音に乗せられた感情を強制的に揺さぶる力がヘレナの体を貫き、意識の維持を危ぶませることで“精神干渉”の解除を邪魔した。

 それでもヘレナは薄皮一枚の差で、時間回帰による“精神干渉”の解除を先に成功させ、天井に向けて落下していた自身の意識を回復させることに成功する。

 

 感情を外部から強制的に搔き乱す力に意識を朦朧とさせられながらも、自身の技を初見で凌ぎ切ったヘレナに驚く“百貌”を睨み付ける。

 

 

「ぐっ、う……! クソ、ガキ……!」

「……意識を保たれた。時間回帰を展開されている場合これはもう少し強めに打つべきね」

「アンタ、それだけ異能の使い方を用意しておいてっ……遊んでたって訳かいっ。何時でも自分の力で叩き潰せると思っていたから、別の手札を使って見ていたんだねっ……」

「酷い言い草ね。違うわ。確かに時間稼ぎはしていたけど、遊んでいた訳じゃない。必要だったから、分身体という貴女の対策を用意して、神薙隆一郎という異能持ちとの戦闘経験も持つ人物に動いて貰った。これは私の学習の為に必要な手順だったのよ」

「学習……」

「だから、何度も言うけど私は異能持ちとの戦闘は初めてなの。独学なりに戦い方をちゃんと学んでいかないと、自分に何が足りないのか分からないまま先に進んでしまう。全ての力を持って万全を期さないと、自分の気が付かない隙を突かれるかもしれない。自分の持つ力とそれ以外の使い方をちゃんと把握しておかないと、最大効率を発揮できない。だから、段階が必要だったの。出力任せ、性能任せの力押しなんて、必要になった時だけでいい」

「……異能持ちとの戦闘が初めて、かい。勤勉な奴は好きだが、ここまで来ると逆に匙を投げたくなるね。けど、まるで私を倒した後があるみたいな言い方じゃ無いか」

「あるわ、必ずね」

 

 

 確信を持ってそう断言されたことにヘレナは思わず口を噤むが、“百貌”は未だこの場に辿り着いていない人物を思い浮かべながら言葉を続ける。

 

 

「成長しないと御母様に勝てないの。異能持ちとの戦闘経験を積んで、多くの手札を用意して、より成長して自分の持つ戦力全てを十全に使いこなせる状態を持って当たらないとね」

「……なるほどね、その御母様とやらが“顔の無い巨人”か」

「私は“顔の無い巨人”なんて呼ばれているのは知らなかったけどね。本当に誰が付けた名前なんだか」

 

 

 そう言う幼い少女の姿をした“百貌”に、ヘレナは自分が前座かと苦笑する。

 世界最強の異能使いの一角として称される自分に驕っていたつもりは無いが、誰かの前座と見られることは今まで経験したことも無かった。

 確かに、“顔の無い巨人”と呼ばれる相手を見据える“百貌”にとって、世界最高峰の異能使いは最後の障害では無いのだろう。

 ヘレナの力量どうこうではなく、甘く見られているという訳でも無く、ただ“百貌”の最終目標がそうというだけの話。

 

 ヘレナだってそんなことは理解できる。

 

 だが、自分の後悔する過去の相手に多くの相似点を持つ存在にそういった態度を取られることは、ヘレナとしてはとても思う所がある訳で。

 

 

「……普通に腹が立って来たね。こっちにも意地ってものがあるのにね」

「え?」

 

 

 ポカンと呆けた顔をした“百貌”に、自身の体が八十歳程度まで若返ってしまっているのを確かめたヘレナが覚悟を決める。

 

 

「人を嘗め腐ったクソガキを躾ける為なら、もう少し長い余生になることも受け入れてやるよ」

「えっ?」

 

 

 ヘレナの持つ異能は【時間を操作する】という世界そのものに影響を及ぼす異次元の異能だ。

 そしてそんな世界の理を簡単に捻じ曲げるような異能を使用するために必要なエネルギーは、到底個人が持ち得る量を軽く超越している。

 

 世界中の全てを巻き戻さず、異能の対象を限定するのだって、時間回帰の球体なんてものを無理やり作り操るのだって、消費する莫大なまでの出力を節約するためのものだ。

 単純に世界中の時を止める、或いは世界中の時を巻き戻す異能をまともに使用すれば、ヘレナが持つ出力量ではほんの数分程度が限界。

 

 世界最高峰の異能使いの出力量を持っても、その程度が限界なのが【時間を操作する力】なのだ。

 

 ただし。

 

 

「アンタ、最初に言ったね。どうして状態だけの時間回帰にしたのか、どうして世界の全てを巻き戻さないのか。そして、私の姿が若返っている事は関係しているのかって言ったね」

「……」

 

「————その通りさ」

 

 

 ただし、ヘレナが数百年の時を生きると言われている所以を考えれば、その前提は崩壊する。

 

 手を前に出し、異能に変換する前の出力のみの放出を行う。

 ヘレナの目前に溜まっていく指向性を持たない膨大な異能出力に、何をするつもりかと“百貌”が動揺し、警戒を強めた。

 

 

「私の異能が必要とする出力量は常軌を逸しているから、使い過ぎた場合自動的に自分に巻き戻しが掛かっちまう。異能の使い過ぎは命に関わるから、言ってしまえば防衛本能のような反応だね。私の体は出力の使い過ぎを察知すると出力を消費する前の状態に半永久的に巻き戻り続ける。だから段々と姿が若返っていくし、段々と私は全盛期に近付いていく。まあ、つまるところ」

 

「私を完全に倒すためには、私の人生総量を全て超える必要がある訳だ」

 

 

 無理やり放出し続ける異能の出力にヘレナの防衛機能が強制的に働き、自己の巻き戻しが行われる。

 独立した異能の現象である外部に溜め込まれた異能出力の塊はそのままに、ヘレナの出力が巻き戻しによって回復し、再度溜め込まれていく。

 

 回復して溜め込んで回復して溜め込んで。

 恐ろしい速度で、比類無いほど巨大な異能出力の塊を作り出したヘレナが————いや、白銀の髪をした女性が物語に出て来る悪い魔女のように笑う。

 

 

「アンタ、時間停止に並行した異能使用は出来ないと思っていたんだろう? 半分正解さ」

「……っ!? まずっ……その人を止め」

「もう遅いよ」

 

 

 溜め込まれていた異能出力の塊を、異能の現象へと変換する。

 指向性の持たなかった出力の塊を、巨大な時計のような形へと変換する。

 

 それは世界の時間を停止するオブジェクト。

 異能によって作り上げられたそんな被造物が、創造者の指示に従い起動する。

 

 

「外部で時間停止する物を作れば、私は別の異能の使い方を出来る。つまり時間停止が効かない液体人間どもに囲まれようが始末は可能。チェックメイトだよクソガキ」

「————」

 

 

 世界の時間が停止した。

 

 時の進みが異能により縫い留められた。

 

 誰も彼も動きをせず、瞬き一つしない。

 

 “百貌”も、レムリアも、雲の流れや太陽の動きも、全てが止まった終止の世界。

 

 そんな静止した世界を創り出したヘレナが、予想通り時間停止を受けることなく襲撃してきた液体人間達に向けて銃を構えた。

 

 

「あれだけ溜め込んだんだ。一時間は時間停止が続くよ。お前達がどれだけ時間稼ぎをしようが、私がお前達を始末してあのクソガキを叩きのめすのを止める事はできないのさ」

「コ、イツ……!」

「今は四十代くらいになってるからね。アンタ達程度の攻撃、対処は難しくないよ」

 

 

 静止した世界では精神干渉への警戒が必要無くなった。

 老化による肉体的な衰えが無くなった。

 そして何より、自身とは別に時間を停止するオブジェクトを作り出した事で、時間停止中に他の異能が使え、液体人間という天敵に対して有効打を持てている。

 

 不利な要素を全て排除した。

 だからこそ襲い掛かって来た五体の液体人間を簡単に、傷一つ負うことなく始末したヘレナは、時間停止により硬直状態のままでいる幼い少女の姿をした“百貌”の目前へと歩みを進めた。

 

 

「……さて、どうしようかね」

 

 

 完全勝利の状態。

 時間停止で相手は動けず、自分は自由に異能を使用できる状態。

 余裕が生まれ、思考を巡らせる時間が生まれ、ヘレナに迷いが生まれてしまった。

 

 幼い少女。

 目の前にいるのは小学生程度にしか見えない姿をした子供。

 手に持つ銃を撃てば簡単に命を奪える状況になって、ヘレナは覚悟を決めていた筈なのにその手が動かなくなってしまった。

 

 拘束は難しい。

 精神干渉なんていう厄介な異能を持つ相手に対して、なんの間違いも無く異能の使用を防ぎ、完全に無力化する術など今の技術では存在しない。

 少しでも隙があればあらゆる人心の掌握をされる。

 少しでも時間があれば都合の良い状況を作り上げられる。

 そんな相手に情けを掛ける余裕なんてないのに、どうしてもヘレナは子供を手に掛ける事への躊躇を捨て去る事ができなかった。

 

 

(……もしコイツが、あの私の家に現れた妙な奴だったとして。私がちゃんと導いてやれなかった奴だとして。私は危険だからという理由で命を奪う選択を取れるのか……)

 

 

 彫像のように動かない少女の瞳。

 大人びた口調と達観した価値観を持って、異能による世界掌握を宣言した子供。

 ヘレナは少女の事を何も知らないが、彼女にもこうして大それた目的を掲げるだけの理由があるだろうし、彼女を大切に想う人もいるのだろう。

 そうやって考えるから、合理的にばかり考える事に疲れてしまったから、ヘレナは人との関わりを止めてひっそりと一人余生を送り始めたのに、こうしてまた目の前に突き付けられる事となった選択に胸が苦しくなる。

 

 少女の額に向けていた銃を下し、ヘレナは疲れたように首を振った。

 有り余り過ぎた時間が、かえってヘレナに決断を遅らせた。

 

 だが今回ばかりはその決断の遅れは悪いものでは無かった。

 

 

「少し、意外だったわ。貴女は容赦なく引き金を引けるものだと思っていたんだけど」

「!?」

 

 

 背後から掛けられたあり得ない声。

 弾かれた様に振り返ったヘレナの視線の先には幼い少女の姿をした“百貌”が、困ったような顔をして立っている姿があった。

 慌てて自身が作成した筈の時間を停止するオブジェクトを確認するが、未だに正しく起動状態にある上、溜め込まれた異能出力も余裕がある。

 今なお世界は停止している状態の中で、“百貌”はその異能の効果から逃れている。

 

 何故、というヘレナの頭の中の疑問に“百貌”は回答する。

 

 

「世界中の時間を停止しても停止していないものがあったでしょう? 貴女という時間は進み続けていたんだから、事前に仕掛けた貴女の精神への干渉は続く。だから貴女はこれまで私を見付けられなかった」

「……アンタは私の誤認による存在って訳かい?」

「それも違うわ。異能の出力を弾く外皮はね、体に纏わりつかせることで身を守る術にも出来るのよ。厄介よねこれ。例の医者から異能の出力を感知出来なかった理由がコレだと聞いていたかは知らないけど、私から異能の出力が感知出来て油断したわね」

「……世界全ての時間停止に対する警戒を見せながら、時間停止された時こそアンタの勝ちが確定する訳だった。私はまんまと踊らされちまったのかい」

「まあ、そうね。貴女が膨大な出力を使用して世界停止を行えば、貴女の援護をする人達への警戒も必要無くなる訳だしね。でも、時間停止の中でも他に異能の使用が出来るのは想像してなかったし、最後の最後で想定外が起きたから、私が全部上回れた訳でも無いわ」

 

 

 “百貌”が世界の時間を停止する時計のオブジェクトに触れて、その形を確かめるようにゆっくりと撫でる。

 そして解析が済んだのか、感心するように息を吐いた“百貌”が軽く指先で時計の中心を押せば、世界の時間を停止する時計のオブジェクトは風に運ばれる砂のように細かくなって消えていった。

 

 その瞬間、世界の時間が元通りに進み始める。

 雲が流れ、太陽が西方向へと動き、瞬き一つしなかった者達が息を吹き返したように周りを見渡し始めた。

 だが停止していた者達にとってはほんの一瞬で状況が一変している光景に理解が追い付かず、“百貌”とヘレナ、状況を把握できている二人のやり取りを呆然と眺めるしかなかった。

 

 

「……わざわざ自分の有利な環境を捨てて、いったい何のつもりだい?」

「私はね、醜悪な悪人以外を進んで傷付けようとは思わない。優しい人には優しい対応をするくらいの分別を持っているつもりよ」

「クソガキ」

「怒らないで。貴女を甘く見ている訳じゃ無い。私の目的の為の時間稼ぎが終わったの。だからこれ以上の戦闘は不要だと判断しただけよ」

 

 

 時間が進み始めてすぐ。

 焦りを滲ませ室内に飛び込んで来たルシア達を見遣り、その中に【見分ける異能】を持つミレーを見付けた“百貌”が現状を正しく見破られたのを確信する。

 

 最終段階へと差し掛かった自分の【人神計画】を完遂するために、起動させていた人工衛星という出力機によって見つけ出したモノへと視線を向けた。

 

 

『ヘレナさんっ……! 空から降ってくるこの異能の出力は何か現象を引き起こすものじゃないです! この微弱な出力は視認できない何かを世界から探知するためのもので————』

「マナーのなっていない観客ね。種明かしは舞台上の芸者が行うものよ」

 

 

 何かを言い掛けたルシアを遮り、“百貌”が空に浮かぶソレを見詰め続ける。

 何かを届かせるように、世界を満たした異能出力でしっかりと捕捉した姿無きソレに何かを届かせるように。

 

 未来の自分が思い描いていた計画に着手していたなら、必要なのは「創る」ことではなく「探す」ことだった。

 自分の未来が分からなくとも、計画していたアレをいずれ創り上げているという自信が彼女にはあった。

 そして、その自信の通り探し求めていたものは無事に見つかった。

 

 一度始めた【人神計画】を再び始める為に見付けたアレへと手を伸ばす。

 

 それから、“百貌”は視線を動かした。

 異能犯罪によって大切な人達が犠牲になった暴徒達。

 様々な思惑に翻弄されるしかなかった飛鳥達。

 異能を持つ者達が普通に暮らせるよう願っていたロラン達。

 色んな考えを思い浮かべながら、この場に倒れた者達を見遣り、そして最後に幼い少女は狼狽するヘレナへと顔を向けた。

 

 

「やっぱり貴女は優しすぎるわ。優しい人が自分を傷付けながら誰かの命を奪う選択をしなくちゃいけない世界は、間違っている」

 

 

 遠い昔はヘレナだって思ったそんなことを、少女は言う。

 きっと間違っているのだと、きっと誰かが何とかしなくちゃいけないのだと、そうやって信じている少女は頑なに言い続ける。

 

 

「私と貴女の闘いは貴女の勝ち。出力がまだまだ回復し続ける貴女も、こうして応援に来たお仲間達も、貴女が回復してしまった人達も、全部纏めて何とかするのは難しいからね。私の想像や手札、何よりも経験が足りなかった。今の私が貴女を上回るのは難しい。だから、こうして悪あがきのズルをするのは許してほしいわ」

 

 

 そして結局、世界最高峰の異能使いと呼ばれ、多くの人達に慕われるヘレナという偉人は拗らせ切った子供の思考を否定し切ることが出来なかった。

 たった一人で為す世界掌握なんてそんなこと出来る訳が無いのに、ヘレナはそんな単純な事すら証明できずに、目の前で実行されようとしているナニカを止めるために銃口を少女に向けようとしたのに。

 

 

「うん……あのね。私の努力が実って目的が達成されるのをそこで見届けて御師匠様」

「————」

 

 

 結局、ヘレナは聞きたくなかったそんな言葉を聞いてしまって、銃口を向け切れないまま、少女の実行する最後の行動を止めることも出来ずに見詰めてしまう。

 

 その結果、突如として現れたあまりに巨大な黒き太陽に気が付いたのはミレーの悲鳴を耳にしてからだった。

 

 あり得ない大きさ。

 あり得ない非現実。

 あり得ない程の、あまりに神々しい御身を目の当たりにして、それが本物の神だと思ってしまった。

 

 

「人類を管理して【エクス・デウス】」

 

 

 黒き太陽が起動した。

 

 【人神】エクス・デウスが起動した。

 

 惑星が空に現れて、地球に住む者達全てに巨大な影を落としていく。

 

 

 

 

‐2‐

 

 

 

 

 もう日が沈み始める夕暮れ時。

 ようやく目的の人物の背中が見えた時、その人物はこんな事態を引き起こした張本人である筈なのに、どこか寂しそうに空を見上げていた。

 

 

「————遅かったわね、御母様」

 

 

 ビルの屋上でボンヤリと空を眺めていた“百貌”が背後に現れた私達に気が付いてゆっくりと振り返る。

 わざわざ高い場所に来て何をしているのかと思っていたのに、やっていた事と言えば空に漂う例のアレを眺めていただけだった。

 

 

「本当はICPOよりも先に御母様が来るものだと思っていたのに随分時間を掛けるものだから、この子の掌握に抵抗できなかったんじゃないかと少し不安になったけど、こうして来てくれて安心したわ。この舞台への招待が出来たみたいで本当に良かった」

 

 

 改めて、間近で“百貌”の姿を見ると、昔の自分の姿を本当にそのまま生き写ししたように思えて動揺してしまう。

 

 仕草や口調、表情に態度。

 全てが本当に昔の自分で、まるでもう一人の自分が目の前にいるようで、この人物が持つ異能の詳細をおぼろげに理解し、最悪のパターンだったのだと今更ながら理解する。

 

 視線を外して、私より一歩前に立っている神楽坂さんを見遣ると“百貌”は不思議そうに首を傾げた。

 

 

「予想外にもう一人いるみたいだけど……まあ、異能も持たないなら、誤差みたいなものね。歓迎はしないけど、許容はしてあげる。大人しくしていれば怪我することは無いわよ」

 

 

 厳しい目を向ける神楽坂さんに対して興味なさそうにそれだけ言った“百貌”は、すぐに唯一敵と成り得る異能持ちの私へと視線を戻した。

 

 

「ねえ御母様。交わしたい言葉もあるし色々聞きたい事もあるけど、何よりも先に見て欲しいのよ。この完成された世界————神様の望む形をね」

 

 

 そして“百貌”は屋上から眼下に広がる街中の光景を、宝石箱の中身を見せびらかす子供のように指し示す。

 

 眼下にあるのは人々の普通の生活。

 人々は理路整然と働き、規律正しく必要な行動をとり、誰もが見知らぬ他人を思い遣り譲り合いながら小さな違反一つしない光景。

 信号を守り、車は法定速度で、歩く人は決まって片側。

 挨拶を交わし、優しさを振り撒く、人が善意と善意を交わし合う正のスパイラル。

 

 間違いの存在しない世界。

 偶然の不幸なんて起きず、どんな悪意も生まれない。

 不幸も、不注意も、不義理も、不足も、醜悪なものは何一つとして存在しない。

 

 まるで巨大な何かに人類すべてが管理されたような、そんな事を思ってしまう世界がある。

 それを見せつけた“百貌”は「素晴らしいでしょう?」と言って誇る。

 

 

「私が憧れた貴女の夢を、私は引き継いで叶えて見せた。だから分かるでしょう御母様。この完成された世界平和において、掌握を受け入れていない御母様は不純物なの」

 

 

 間違ったものを正すにはどうしたらいいか。

 世界に広がる醜悪を正しく処理するにはどうしたらいいか。

 そんな事を考えてばかりいた昔の私が出した答えが、形となって突き付けられる。

 

 

「貴女の夢は私が叶えるから、御母様は安心してこの子の掌握を受け入れて」

 

 

 そう言って“百貌”は……いいや、目の前に現れた私の過去は、両手を広げて笑うのだ。

 

 

 

 

 






【書籍化に伴うリンク集】

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望んだ筈だった過去から

 

 

 

 

 眼前に広がる光景。

 起動したことで純白に染まり、周囲を見渡すよう空中で回転している球体と、その巨大な球体を従えるように背にして立つ幼い少女の姿。

 ずっと不明瞭だった自身の過去によく似た少女の正体が、答えとして提示されている光景に私は歯噛みする。

 

 

(————エデが、エクス・デウスが勝手に起動されたということは、やっぱり“百貌”というのは過去の私そのものに限りなく近い存在だったっ……!)

 

 

 複製か、模倣か。

 完璧な詳細は分からずとも、この推測はそれほど間違っていないのだろう。

 

 だがそれは遅すぎた解答だ。

 既にこの星に住む知性体は変わり果てた。

 人間としてそれぞれが持っていた価値観が、ごくごく自然に一つの形に誘導されている。

 整然と人々が規律や規範を守り、お互いの生に不利益を与えない。

 それは個人の欲望の一切が存在しない、多くの者に想像される天国に近い世界にも見え、天国で暮らす人々と言っても見合う程に、今の人類は正しく形作っている。

 

 だがこれは別に、全人類が真なる善性に目覚めたとかそういう話ではないのだ。

 それは空に浮かぶ巨大な球体によって全人類が管理された故の実現。

 

 知性体を一つの意志により管理する。

 大雑把に言えば、それが私の想い描いていた【人神計画】の最終目標だった。

 

 一つの意志に、一つの価値観。

 統一された考え方があればきっと世界の平和が乱れることは無いから、人を正しく管理できる機能装置を作成すれば良い。

 人が人を正しく統治する事なんて出来ないから、それが可能な形を目指せばいい。

 

 それこそが私の黒歴史、放り捨てた過去の計画。

 それこそが空に漂うアレ。

 起動することでその身を白く染め切った、巨大な惑星のようにも見える球体。

 

 エデ、正式名にすると【エクス・デウス】。

 拗らせた考えが辿り着いた、私の持つ異能のある種の極致。

 知性体を正しい形で管理統括する役割を持つ、私が定義し創り出した形。

 

 人間による、人間の為の、人間を掌握する存在。

 故に、人神。

 

 

「ふふ……正直今の御母様の姿を見た時は、この子を創り上げてすらいないんじゃないかと思っちゃったけど、ちゃんと居てくれて安心したわ。居場所、正式名、佐取燐香の異能出力。確かに代用が利かない起動鍵がこれだけ必要だったら別の誰かに勝手に起動されるようなことは無いと思うかもしれないけど、ちょっと考えが甘かったわね」

「なんだアレは? 巨大な、球体……? あんなもの、生物として成り立つ訳が……いや待て、俺は前に、アレを見た事ある……?」

 

 

 そして、放り捨てた過去が何故か今頃になって私の前に立ち塞がっている訳で。

 そんな考えに至った恥ずかしすぎる過去の私の妄想の成果がこうして目の前に堂々と提示される事態となり、蓋をしていた私の羞恥心に火をつけていた。

 

 

「ううううっ……!」

「見事な光景でしょう。規律正しく、全ての人が他人に対する思いやりを持ち、些細な迷惑行動一つしない。間違いなく多くの人が望む世界の筈よ」

「ぐうぅううぅっ……! な、なんでアイツはあんなに自信満々なのっ……!? い、いや、当時の私そのままだったらそりゃあ自信満々かもしれないけど……」

 

 

 そして状況の悪さと抑えきれない羞恥心に動悸が激しくなっている私を余所に、昔の私そっくりなクソガキはこれ見よがしに胸を張っていた。

 

 なんでお前はそんなに誇らしげなんだと言いたくなる。

 かなぐり捨てたい私の過去を引っ張り出して、本当に何のつもりなんだ。

 こんなことなら空の球体からの支配をマキナが防衛してくれた際、神楽坂さんを守らずに私だけでこの場に来ていれば良かった、なんて思わずありえない事を考えてしまう。

 

 だがそんな慌てふためく思考とは関係無しに、コイツの無事な姿を目の当たりにしたことで、私の冷静な部分が脳裏にとある推測を思い浮かばせた。

 

 

(……読心が通らないから確信は持てないけど、コイツがここまで自由に動いているのを見るとこれまで戦っていた人達はきっと……)

 

 

 正直に言うと、ICPOがこの国に結集して、“百貌”がいるだろう国会議事堂へ集まっていくのを感知した時、私は自分が行く必要が無いだろうとさえ思っていた。

 

 “泥鷹”というテロ組織が来た時に応戦した人や、何だかとんでもない出力を一度に放つ人。

 “死の商人”とやらに使われていた探知系の人もいれば、レムリア君だっているのは遠くからだって分かった。

 そして何よりも、私に幾度となくトラウマを植え付けた世界最高峰の異能使いである御師匠様が向かうのが分かったから、“百貌”とやらがいくら厄介だったとしても制圧されるだろうと思っていたのだ。

 

 だがそれらを上回って、或いは出し抜いて、コイツは目的を達成して見せた。

 それはつまり、エクス・デウスという存在の起動を差し引いても、これまで私が対峙してきたどんな相手よりも厄介だというのは明白だった。

 

 

(恥ずかしいとかは考えてられない……警戒しないと。感覚を研ぎ澄まして、平常心で、冷静になって……)

 

 

 私がそんな風に心を落ち着けていると、神楽坂さんは何かを察したような顔で私を一瞥し、“百貌”に向けて口を開いた。

 

 

「……アレが全人類を洗脳しているのか?」

「少しだけ違うわね。精神に干渉し、無意識的に間違った行動を規制。無理に迷惑な行動をしようとする人には強制的な精神干渉で管理に従う善人に作り替えるシステムの具現化と考えるべきよ。禁止事項を与えるだけであくまで自我は残っているわ」

「意識を完全に奪う訳じゃ無い、か……未だに状況を掴み切れないが、三半期の夢幻世界。それが今のこの状態という訳か」

「ああそれ? ううん……確かにそれに似た状態なんだけど、多分それはちょっと語弊があって————」

 

「うわあああ!? か、神楽坂さん、あんな奴の言葉に耳を傾けないでください!! 敵ですよ敵!」

 

 

 神楽坂さんの問いかけに普通に返答しようとした“百貌”の言葉に慌てて割って入る。

 

 平常心を努めていたのに、一瞬で全部が吹き飛んでしまった。

 だってアイツ今絶対にとんでもない事を言おうとしていた。

 今既にとんでもない事をやらかしているけど、その上でさらにとんでもない事を言おうとしていた。

 そんな事を気にしている場合かと言われるとそうかもしれないが、そういうのはじっくり時を見計らって、万全の状態を構築してから私の方から神楽坂さんに言うものだと思う。

 間違いなく、ちょっと私に似ている奴が勝手にペラペラ話すのは絶対に違う。

 

 困惑する神楽坂さんに対して軽く肩を竦めた“百貌”とその背後に佇む巨大な球体を、私は恨めしく睨みつけた。

 

 起動し、光が全身に行き渡り、この世に二つと存在しない無垢の純白となったソレ。

 無限に思える翼のようなものが集積する事によって形を為す巨大な球体。

 光の灯らない黒き球体を丸ごと反転したようなソレが、この場に現れた私達を正確に感知し、その巨躯を震わせている。

 

 正常に動作している巨大な球体を確認し、起動したのが別人なんだから、異常に気が付いて役割を停止するくらいの柔軟性があっても良いのになんて私は思った。

 

 

「君がここに来るまでに対峙した……警察や国際警察の人達はどうなった。君が目的を達成しているということは、彼らを少なからず出し抜いている筈だろう?」

「ふふっ、まあ、それは安心して良いわ。偶然にも誰の命も奪えなかったからね。今私に歯向かっていた彼らは、仲良くこの子に支配されてこの平和な世界で暮らせるよう順応している筈だから」

「支配と順応、か……」

「……良かった」

 

 

 飛鳥さん達の命がある。

 それはマキナからの報告であらかじめ知っていた事ではあるが、理屈どうこうではなく、改めてそれを聞いて、私はほっと胸を撫で下ろしてしまう。

 

 だが、“百貌”の視線がこちらに向いているのを自覚して、私は慌てて気を引き締め直す。

 敵を前にして気を緩めるべきではないからだ。

 

 

「それは、安心できるのかは分からないが、取り敢えず無事ではあるようで良かった……君の事はなんて呼べばいい? 佐取と呼んだ方が良いのか?」

「あら? 御母様から何か聞いたの? そうね、私としてはそっちの方が馴染みはあるけど、お隣さんが凄い顔をしてるから“百貌”って呼ぶのが良いと思うわよ」

「……君は随分寛容的、いや、落ち着いているんだな。本当に子供とは思えないくらい視野が広く、考え方もしっかりしている」

「えへへ」

「だから俺も子供としてではなく、しっかりとした考えを持った一人の人物として君を扱った上で話す————今やってることを止めるんだ」

 

 

 湧き上がる色々な感情の処理でまともに行動出来ていなかった私を置いて、神楽坂さんは“百貌”の説得を試み始めた。

 

 

「他人に異能を使うべきじゃない。身を守る為でも無い、誰かを助ける為でもない。他人の人生を勝手に制限する権利なんて君には無い筈だろう」

「この状況で私に説教? 形式的なだけの正義を振りかざすの?」

「いいや違う、説得だ。少なくとも君は俺が今まで対峙してきた犯人達よりもずっと話が通じると思った。だからこそ、俺の要求を正しく言葉にして君にしているんだ。今のこの状態をそのまま放置する事はできない。今すぐ止めるんだ」

「あはは、変な人」

 

 

 だが当然、ここまで計画を遂行したコイツが今更見ず知らずの神楽坂さんに何を言われた程度で止まる筈も無い。

 神楽坂さんの言葉を“百貌”は一笑に付す。

 

 

「貴方が善人で、多少頭の良い人だというのは今の会話だけでも分かるわ。そんな貴方なら理解はできると思うけど……UNNの暗躍で異能を開花させる薬が出回り、異能による犯罪行為が多くの被害を出した。世界の多くの人々は誰かさんが成し遂げた強制平和の再来を願い、この国で暴動まで起こす程に発展した。世界は形だけの倫理観よりも、自分達の生活に寄り添う完全な平和を望んでる。それは国会議事堂の占拠が何よりの証拠でしょう?」

 

「争いを生み出す人を排する事もせず、武力を振るおうとする集団をさらなる武力で制圧する必要も無い。血の流れない何よりの平和的解決方法を今の私が叶えている。これを邪魔しようとする考えが分からないわ。計画立案段階での反対であれば、小娘一人を信用して世界を揺るがす行動なんてさせる訳にはいかないのだろうとまだ理解できる。でも今は、私はもう世界的な平和を叶えている。争いを望むような人以外それの邪魔をする意味は無い筈よ」

 

「それとも……ふふっ、正体の分からない不気味な球体の管理下に置かれるのが嫌とでも言ってみる?」

 

 

 クスクスと“百貌”は笑う。

 

 

「貴方の志と行動力が私は嫌いじゃないの。そこまで出来る人は中々いるものじゃないから本当に好ましいと思うわ。でもね、だからこそ忠告してあげる」

 

「どんな努力を重ねたってね。異能を持たない人間は異能を持つ人間には敵わない。武器を持って、情報戦で勝利して、環境を整えさえすれば確かに標的とした特定の相手には勝てるかもしれないけれどね。どれだけ準備しても勝率は高いものじゃないし、相手が飛び切り強力な異能を有する相手であればその話すらも変わってくる。多種多様、数多の異能持ちと対峙する必要がある異能担当の警察官自身が異能を持っていないなんて、論外も論外なの。貴方は優秀だからこそ自分の領分を弁えて、異能の関わらない犯罪事件の解決を担当するべきよ。適切な才能を持った人が貴方の代わりに解決してくれることを祈るべきなの」

 

「異能を持たない人間は異能を持った人間には届かない。これは善悪関係なく、抗いようの無い格差なの。利口に生きるならそれを理解しないといけないと思うわ。……まあ、この子が支配すればそれも関係ない話になるんだけどね」

 

 

 説得の失敗。

 それどころか、どこか嘲笑するような色すらある“百貌”の笑いに神楽坂さんが表情を暗くした。

 

 真摯に話をしようとする神楽坂さんに対する礼を欠いた姿勢。

 私には“百貌”がどういうつもりで嘲笑の色を見せているのか理解できるが、そもそも巨大な球体である【エクス・デウス】が何なのか見当も付いていない筈の神楽坂さんにその対応は酷だ。

 

 いや、そもそもコイツの神楽坂さんに対する態度に出さない軽視が分かってしまう。

 異能を持たず、本来巨大な球体の支配から逃れる術を持たない癖に、この場にいる神楽坂さんをどこか対等な相手と認めていない“百貌”の心の内を私は分かってしまう。

 

 理解できてしまうということそのものが、私は凄く腹立たしい。

 

 

「さも自分は何でも知っていると言いたげですね。自分は何でも出来て、それ以外は下だと思う自分勝手な思い込みが痛々しいというのには気が付いていますか?」

「……へえ、ようやく私と会話する気になったの?」

「恥ずかしすぎて現状を受け入れられなかっただけで別に会話する気が無かったわけじゃないです。けど、ここまで勝手にペラペラ話されていると思う所がある訳です。他人の姿を真似て、他人の過去を引っ張り出して、神楽坂さんを小馬鹿にして。貴女が誰か知りませんけど、いつまで我が物顔でいるんですか」

 

 

 だから気が付けば、私は自分そっくりな “百貌”を見据えて攻撃的に話を切り出していた。

 

 

「そろそろ貴女自身の目的を言ったらどうですか、見知らぬ何処かの誰かさん」

「……無駄話が過ぎたわね」

 

 

 そして、“百貌”も私の言葉が気に障ったようで、口元に湛えていた微笑みを消した。

 神楽坂さんへと向けていた視線を私に移し、少なくない怒りの表情で両手を広げて見せる。

 

 自分の姿を誇示するように、私に見せ付ける。

 

 

「私が目覚めた時、私は【この未来】を理解できなかった」

 

 

 そう切り出した“百貌”は敵を見るような目で私を睨む。

 ただ責め立てるように、ただ追及するように、彼女は言葉を並べ立てる。

 

 

「異能による犯罪が蔓延っていた。悪意ある攻撃が色んな場所で行われ、どうしようもなくなった人達の心の叫びが見えて仕方なかった。昔と変わらない、それどころかもっと酷いような状態になっている平和の崩壊。そんな、私が望んでいない未来が訪れているのに、それなのに貴女はそれをどうにかしようともしていなかった」

 

 

 信じていたものに裏切られたとでもいうような口調。

 会った事も無い相手に身に覚えのない裏切りを糾弾されても、反省も後悔もしようがない。

 

 だが私は、向けられた言葉の全てを否定する事はできなかった。

 

 

「想像していた筈の未来が訪れていなくて、一度は届いた筈の夢の世界が停止している事を知って。何か私が想像すらできなかった不具合があったんじゃないかと思った。けど、望んでいた筈の平和な世界は今こうして簡単に成し遂げられた。貴女の代わりに、私が成し遂げてみせた。だから貴女がどうしてこんな簡単な事を今までやらなかったか、分からない」

 

「準備は整ってた。手札も揃ってた。敵だってほとんどいないことは分かっていたんでしょう? 苦しんで、泣いている人がたくさんいて、救いを求めていた人もいっぱいいた。それで、そんな光景が世界中にあって、動こうとしない理由が分からなかった。【私】が憧れた貴女が、そんなことを選ぶなんて、いくら考えても分からなかった」

 

「だから認めない。貴女なんかが私の未来だなんて、認められない」

 

 

 ……ああ、そうだろう。

 この頃の私ならきっとそう思うだろうし、そう言うだろう。

 家族の中の平和だけでは満足できなくなって、見えてしまう人達の助けを求める声に駆け付けるだけでは足りなくなって、わざわざ世界中に伸ばした異能の力。

 

 救い続ける事で終わりがあると思っていた私。

 誰かに悪意を持って異能を使おうとする前の私。

 まだギリギリ優しい姉で立ち止まれていた時の私。

 

 その姿を突き付けられて、本当に嫌になってしまう。

 

 

「別に貴女は特別じゃない。私の一つの未来かもしれないけど、私の理解できない自分とは掛け離れた形をしていた。私にとっては、私の目的を止めようとするだけだったこの国の警察やICPOの奴らと変わりない。世界の平和を維持できない、能の足りない支配者達の一人」

 

「必要な支配は一つだけで、それ以外は全て不純物。全部が全部間違っていない訳ではないかもしれないけど、私が思い描いたこの未来はこれまでよりも悪いものでは無い筈よ。私の未来、貴女の過去が作り出した人神計画は完璧だから」

 

「何もするつもりがないなら————私に従え」

 

 

 高層ビルの屋上である筈なのに、深海の底のような重圧を感じさせる異能の出力。

 完全に攻撃態勢に入った“百貌”を迎え撃つために、私と神楽坂さんは身構えた。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 肌を刺すような感触。

 刺々しく、重厚で、研ぎ澄まされた異能の出力。

 圧倒的なまでに卓越した異能技術を示すような“百貌”が発する異能の力を感知して、燐香は素早く対処の方法を考える。

 

 

(読心を試しても一切思考が見えない。異能の出力を弾く外皮を纏っているからなのか、それとも異能が完全上位互換だから通用しないからなのか……どのみち出力が圧倒的に負けているこの相手に対して長期戦の選択はあり得ない。完全上位互換の異能を持つであろうコイツを精神干渉の末期状態にするのは不可能に近い事を考えると、私が取れるのは時間を掛けず経験の差で押し切るしか……っ!?)

 

 

 そこまで考え、小手先の技で撹乱し一気に決着を付けようとした燐香は驚愕する。

 

 同時に行われる手を前に差し出す動作。

 音を介して異能の現象を相手に届ける、今の燐香が出来る数少ない攻撃手段の一つが、自分そっくりの相手にそのまま目の前で模倣された。

 

 当然、全くの同じ技であれば勝つのは力の強い方だ。

 

 

「っ、神楽坂さん耳を塞いで地面に伏せてっ!」

「!?」

 

 

 感情波(ブレインシェイカー)。

 無色透明の激震が、音に乗せられて襲い来る。

 自分の異能が圧し潰されるのを予知した燐香が咄嗟に防御体制の指示を飛ばした事で、二人は何とか意識を持っていかれずに済む。

 

 だが、神楽坂ともども極度の貧血になったような眩暈に襲われ、バランスを崩したのを“百貌”は見逃さない。

 

 

「な、体がっ……!?」

「それはっ!? 神楽坂さん手を……!」

 

 

 上下感覚を狂わされ、上空へと落下していく神楽坂の姿に気が付いた燐香が咄嗟に手を伸ばす。

 だが、その手が届くよりも先に、空気を走る数多の亀裂が燐香目掛けて飛び掛かった。

 

 逃げる隙間の無いほど大量の亀裂の飛来。

 間に合わない事を悟った燐香は表情を歪め、咄嗟に伸ばしていた手に異能の力を巡らせ目を閉じた。

 

 廻し巡らせ刃のように。

 

 一瞬だけ、息を止め集中する。

 異能の刃を纏わした手を自分の頭に押し当て、刃が自分自身を傷付けないように細心の注意を払い、自分が受けていた“精神干渉”の力を裁断することで解除した。

 そしてそのまま、為すすべなくさらに上空へと引っ張られていっている神楽坂に向けて、異能の力を巡らせていた手を向ける。

 

 

「少し、痛いですよっ!」

「————がっ!?」

 

 

 以前“千手”に対してやったような、裁断に回していた異能の力をそのまま音に乗せて、感情波へと切り替えた。

 届かない距離まで持ち上がってしまっていた神楽坂を助ける為に、掛かっていた“精神干渉”を力技で解除する為にあえて感情波で攻撃したのだ。

 

 一瞬だけ意識を失わせる出力調整。

 これに成功したおかげで、空中で意識を取り戻した神楽坂がなんとか体勢を整えて着地することができたのを確認し、燐香は思わず安堵の息を漏らす。

 

 試した事も無かった曲芸染みた出力調整の成功に、“百貌”ですら攻撃の手を止め驚愕する。

 

 

「一瞬だけ意識を奪うよう調整した……? なんて器用な……いえ、それよりも、私の精神干渉を瞬時に解除したアレは……?」

「思い出した……! それ、昔もし異能持ちと戦う時がきたらって考えていた攻撃技っ……! 何個も何個もっ、恥ずかしいものを引っ張り出して……!」

「……今の私は考え至っていない技術、ね。触れた相手の精神を裁断出来てしまうとても残酷な技……何を考えてそんなものを作ったのかは知らないけど、それ最悪ね」

 

 

 頭を片手で抑え、自分の感覚を確かめている神楽坂をチラリと確認し、燐香は少しだけ迷う。

 だが、このままではどうやっても勝てないのはもう分かっているから、隠し札を切る必要があるのを燐香は理解していた。

 

 迷いは少しだけ。

 そして決断したからには冷たく思考を研ぎ澄ます。

 

 

「————マキナ」

『待ちくたびれたゾ御母様』

 

 

 その瞬間、“百貌”をも上回る出力を持った不可視の存在が顔を覗かせた。

 

 呼び声に応えるように、電気が燐香の周りを飛び交う。

 神楽坂は何が起きているのか分かっていない様子だったが、“百貌”はある程度の予想はしていたようで、とうとうソレを出したかと顔色を変えて構えた。

 

 

「マキナ、ね。自動情報統制機能に名前を付けて自我を確立させるなんて、それも今の私じゃ思いつかな————」

 

 

 予想をしていた切り札の登場。

 直後、何処から攻撃が仕掛けられるのかと警戒していた“百貌”の視界から燐香の姿が掻き消え、突如として真横に姿を現した。

 

 精神裁断の刃を纏い、引き絞られた燐香の手を前にして、“百貌”が目を見開く。

 

 

「————そんなっ……!?」

 

 

 悪意を持った攻撃ではなく単純な誤認識。

 規制には引っ掛からない、夢を誘導する異能使用と同程度のもの。

 

 そんなマキナの精神干渉が“百貌”の認識を誤認させられるのはほんの数秒だけだ。

 だが、マキナが行った精神干渉の影響が出るギリギリの時間を見極め、同種の異能を持つ“百貌”が受けた精神干渉に抵抗する時間を見極め、一切の迷いなく攻撃へと転じる。

 異常な決断力と精密な判断力があってこそ成り立つこの攻撃は、同種の異能を持っていようが、精神干渉への警戒を高めようが対策など不可能。

 

 そして極限まで無駄を省いた結果産み出されるのは、まるで瞬間移動したと相手が錯覚するような燐香の動きだ。

 

 当然そんな動きをされればまともな対処など出来はしないが、それでも目の前に迫る裁断の刃を前にして“百貌”は焦りつつも好戦的な笑みを浮かべた。

 

 

「っ……焦ったわねっ! その異能の刃は私が纏う外皮で無効化される! 私の異能の出力を感じ取れるからって私が外皮を纏っている可能性を無意識に排除したわね!? 攻撃に飛び込んで来た貴女を捕まえるのは酷く簡単で」

「経験不足」

 

 

 身に纏った外皮を異能の刃を振り下ろしていた先へと集め、異能への防御を固めようとした“百貌”に対して、燐香は冷たく切り捨てる。

 

 

「戦闘時、相手への読心を僅かでも切らしたのは間違いだったわね」

 

 

 保険は油断を作り、安心は死角の裏返しだ。

 たとえギリギリになってもコレがあるから大丈夫という思考は酷く危うく、同時に利用しやすいもの。

 

 燐香の精神を破砕する手が外皮に触れる直前。

 マキナの攻撃的な異能使用が“百貌”の身に纏う外皮のみを対象にして行われた。

 

 外皮が弾ける。

 身を守っていた外皮が剥がれ、生身が露出する。

 異能を通さない盾が無くなり、精神を破砕する刃が目前にある。

 隠れ潜ませていた分身体達の加勢も間に合わない状況。

 

 防ぐ手段が何もかも無くなった事を理解して、“百貌”の顔が硬直する。

 

 マキナによる“百貌”本体以外への攻撃により切り開いた道を燐香が叩く。

 出力ではなく経験による手数で上回る、燐香の勝利構想がまさに形となった。

 

 だが、誤算があったのは“百貌”だけではなかったのだ。

 

 

『御母様っ! あの寝坊助が動いたゾ! このっ、ぐうァ!?』

「!?」

 

 

 マキナからの警告と何かしらの妨害を受けたような声に、燐香は驚愕する。

 その事態は、考慮の外側にあったものだった。

 

 人神、エクス・デウスは誰かの命令に従うようになど設定していない。

 命令権限など無いし、思うがままに操れるというものでもない。

 あくまでソレは知性体を支配する役割を果たすだけ、絶対的な一つの価値観を形にしただけにすぎないもので、マキナのように従える余地など無い筈だった。

 

 マキナのような強い自我を持つ例を、神楽坂が無事だった理由と思われるものを、失念してしまった故の不測。

 

 ————天から降り注ぐ異能が燐香の体を貫いた。

 

 

「ぁうぐぅ!?」

『っ、御母様!? あの、寝坊助ェ!!』

 

 

 ミシリと見えない重りが燐香の全身に圧し掛かる。

 重さを操作したエクス・デウスによる妨害行動に、燐香の攻撃の手が止まり、守られた“百貌”も予想外の事態に反応が遅れた。

 

 だからその瞬間、この場において行動を起こせたのは限られた。

 隠れ潜んでいた分身体達が重みに潰される燐香に襲い掛かったのを、神楽坂がギリギリ横抱きで救出する。

 

 ほんの数秒前に燐香が居た場所を異常な酸性が溶かし尽くし、人型だけであるだけの液体が救出した神楽坂を怨恨に満ちた様子で睨む。

 

 

「オ前ッ、神楽坂ァ……!」

「異常に重い……何らかの異能による影響を受けているのか。佐取、大丈夫か?」

「だ、だ、大丈夫です。あ、ありがとうございます……し、死んじゃうかと思いました……」

 

 

 エクス・デウスによる妨害行為。

 支配以外の、粛清機能としての力を使われたことに動揺を隠し切れない燐香は、未だに残る体の重さに震えながら神楽坂に感謝を伝える。

 

 冷たいものへと切り替えていた思考が、命の危機に瀕したことで緩む。

 そして、本当の本当に危ない所だったのだと、じわじわ実感し始めた燐香は顔から血の気を引かせながら、自分を抱える神楽坂と“百貌”達を見比べ、状況の悪さに愕然とした。

 

 

(エデが直接的な妨害活動を行った。これはつまり、起動者である“百貌”の身を守るという方針を固めているということ……? 役割である支配活動以外で積極的に行動をするとは思ってなかったのに……)

 

 

 空に浮かぶエクス・デウスの動向。

 隠れ潜んでいた異能を通さない分身体達と自分よりも出力が強く読心すら通じない格上の異能持ちである“百貌”。

 そんな目の前に広げられた敵の戦力に加えて、味方は“百貌”に直接攻撃が出来ないマキナと異能を持たない神楽坂であり、自分に施された地面に縫い付けようとする力は今なお続いている。

 

 最悪に近い戦況。

 もはや、経験の差を利用し短期戦で決めようとしていた自分の作戦が完全に崩れ去ったことを自覚するしかなくなった。

 

 

(これは……負ける)

 

 

 確信してしまう。

 小さな活路を潜り抜けようと試行錯誤したのに、全て不発に終わってしまった状況。

 運も悪かっただろうし、この状況に至ってしまった事が既に敗北だったのだろうし、何よりも多くの事を放置し過ぎたのが悪かったのだと今だから思う。

 

 置き去りにした筈の過去に膝を突かされている現状は何故だか酷く悲しいが、燐香は心のどこかで仕方ないと諦めている部分もあった。

 

 

(……弱くなっていた事は分かっていたのに……今の私が過去の自分に勝てる訳が無いってことは最初から分かっていたのに、私は何を頑張っていたんだろう)

 

 

 情けない言い訳が頭を過る。

 作戦の失敗と自身に加えられた負荷を総合的に見て、勝ちの目が見えなくなった燐香は足元のアスファルトの床を眺めながら思わずそんなことを考えてしまう。

 

 

(大体、私が昔望んでいた事をやってくれる訳だし、そっちの方が良い世界になるんじゃないかとは今も思う訳だし、無理に邪魔する必要なんて無くて……私が創り上げたエクス・デウスの支配なら、今より悪くなることは無いし……)

 

 

 そして、自身のそんな様子を見た神楽坂が開き掛けた口をゆっくりと閉ざし、何かを考えるように強く目を瞑った事に気が付かないまま、燐香は情けない思考を続けていく。

 

 

(私が放り出した事をアイツがやってくれるなら、私は……別に————)

 

「————多分、君がやっている事は間違った事じゃない」

 

 

 神楽坂が、まるで燐香の思考を応えるように言葉を紡いだ。

 驚く燐香の様子に気付くことも無く、「下がってろ」と言った神楽坂は今にも襲い掛かりそうな分身体越しの“百貌”の姿をゆっくりと見遣る。

 

 

「異能を持たない俺は、特別な異能を持った君の価値観を完全に理解する事はできない。今君がやっている事の全貌が掴み切れていないし、正しいのか間違っているのかさえ判断できない。だから君の言う事を全部信じて、見えている限りの状況だけで良いように解釈して、考えてみた」

 

「……幸せなんだろうと思う。君が作る統一された価値観の世界はきっと、非力な俺でも何一つ失わないくらい色んなものが保障された楽園なんだろうと思う。助けを求める人なんていないし、目を醒まさない恋人なんていないし、命を奪われる先輩もいない。なんでもできる自由は無くても、誰も悪意に傷付くことが無くて、誰もが決められた幸せな道を辿ることが出来る」

 

「それはきっと間違ってはいない。何も無くなってしまうよりも、そうあってくれた方が良いと思う人は間違いなくいるだろうと思う。君のやっている事は大きな視点で見ると間違いではないと俺は思う」

 

「……けど、君のそれは人を人として見ていない。君の考え方は歪だ。人の形をした操り人形達で世界という玩具の箱庭を作っているに過ぎないんだよ。世界中の人全てを、血の通うだけの人形としか見ていない君自身のその考え方は、将来的に必ずどこかで破綻する」

 

 

 確信を持ったような神楽坂の言葉に、燐香は思わず息が詰まる。

 まるでそうなる未来が見えているかのような神楽坂の言葉に、仕舞い込んでいた自分の過去の記憶が蘇り、胸が苦しくなってしまう。

 

 けれど、その言葉を向けられた張本人である“百貌”は何も思わないのか、冷めた笑みを浮かべて神楽坂を見ていた。

 

 

「それで? 何の解決にもならない感情論の話は良いのよ。私がどうにかしなければ、この世界で起きている異能による犯罪は終わらないわ。現に貴方のような無能な人達がどれだけ頑張っても事件解決には手が回っていなかったでしょう? 異能を持つ人間が居なければどうにもならない事ばかりだったでしょう? それともまさか、異能の関わる非科学的な犯罪事件を、異能も持たないただの警察官である貴方が解決できるとでも言うつもり?」

「ああ、そうだ」

「……ふうん?」

 

 

 間髪入れない神楽坂の返答に“百貌”は面食らい気勢が削がれた。

 そして、ここに来てようやく神楽坂という人間をしっかりと認識した“百貌”が何を言うよりも先に、神楽坂は燐香を守るようにさらに前に出る。

 

 

「君の解決方法は確かに間違ってない。だがそれは、問題を別のものに切り替えただけでもある。巨大な存在に支配させることで人間の進む先を誘導する事は、人間の問題からさらに大きな問題への変換に成り得る。人間の問題は人間で解決するべきで、人間ではどうしようもない巨大な力を用いた解決は、その巨大な力に関する問題への布石になる。そうなった時、本当に異能を用いない方法での解決は難しくなってしまうだろう」

 

「異能に頼らずとも、異能の関わる事件は解決できる。それはきっと短期的なものじゃないし、歩みとしては遅くなるかもしれない。ノウハウも無いし、知識も無いし、法規制の土台だって出来上がっていない。そんな何もかもが足りない状況だから、今は確かに不可能に思える事かもしれない」

 

「だがそれでも、時間が掛かったとしても、それらは学んで培う事が出来るもので、整えていく事が出来るものだ。絶対に、歩みさえ止めなければ、成長し、先に進むことが出来る問題でしかないと俺は思うんだ。解決への道のりを、色んな形で進み続ける事が出来る……君が思っているよりもずっと、進み続けられる」

 

 

 神楽坂はもう一度空に浮かぶ球体に視線をやる。

 それは自分ではどうしようもない巨大な力そのものを形にした存在だ。

 神様と言っても差し支えは無いのだろう。

 

 それでも神楽坂は巨大な存在に少しも気圧される事が無かった。

 

 

「“百貌”、君から見た俺は何に見える。異能の持たない俺という人間はどう見える。無駄な努力を重ねるだけの不幸な男に見えるか? 世界に絶望した憔悴しきった男に見えるか? 自分の努力ではどうにもならないと、全ての責任を別の誰かに背負わせる男に見えるか? 君が自由を奪ってでも救わなければならない男に見えるか?」

「……」

 

 

 何も言わない“百貌”に、神楽坂は続ける。

 

 

「異能は神様の権能なんかじゃない、人間の才能の一部だ。だから異能を持たない俺でも異能を持つ人間を捕まえられる。それを証明するために俺は今ここにいる」

「貴方……」

 

 

 驚いたように、理解できないものを見詰めるように、仏頂面になった“百貌”がポツリと呟く。

 心底忌々しそうに低い声で呟く。

 

 

「……酷い戯言を言うのね」

「戯言かどうかは、これから俺自身が証明して見せるさ」

 

 

 “百貌”と分身体とエクス・デウス。

 異能の力そのものと言えるそれらを前にしてなお、異能を持たない神楽坂は燐香を守るように前に出た。

 

 以前とは逆。

 その背中に、燐香は動揺で瞳を揺らす。

 

 

 

 

 






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なりたかった未来へ

 

 

 

 

 “百貌”は動きの無い燐香を視界の端に捉えながら、それを守るようにして立つ一人の男の姿を観察する。

 

 その男に異能は無い。

 体から漏れだす異能持ち特有の出力は無いし、これまで仕掛けた攻撃に対して異能によって防御や抵抗しようとする素振りも無かったし、何よりも読心で視る思考にも存在しない。

 武器も持っていないし、なにか有効な切り札を持っている訳でもないし、この状況を覆す打開策も持ち合わせていない。

 

 だから本当に、この場で唯一異能という才能を持ち得ないただの人でしかない相手であり、正真正銘自分に危険性の無い人物。

 

 

(……戯言で私の注意を引いて御母様の回復時間を稼ぐ、そんなところね)

 

 

 大口を叩いておいて、出来る事はせいぜい時間稼ぎかと、“百貌”は内心嘲笑する。

 

 そして“百貌”はその考えに付き合うつもりはない。

 警戒が必要な人物が動かないのであれば、自分の想像外であったエクス・デウスの行動についての確認するのが先であり優先事項である。

 制御はもとより、起動すらまともに出来ている自信のない絶対的な存在の調整すらしないのはあまりにも危険だと、先程の想定外の行動で再確認した。

 

 だから分身体に男の相手を任そうという結論に落ち着いたのだが、それを指示する前にこれまで身を隠していた残りの分身体達が吠え始めたことで目を丸くした。

 

 

「相モ変ワラズ馬鹿ナ奴ダ! 異能ヲ持タナイオ前ゴトキガァ? 私ニスラ勝チノ目ガ無イオ前ゴトキガ、一体何ガ出来ル!?」

「……冷静さを欠くようなら私がやるけど?」

「所詮異能モ持ッテイナイゴミ屑ダ! コイツハ始末シテイインダロ!? 私ニヤラセロ!」

「はぁ、もう勝手にしなさい。私としてもエクス・デウスの確認がしたかったところだからね。いったい何に反応して動いたのか。単純に私を守ったなら話は簡単だけど……」

「スグニ終ワル!」

 

 

 そしてそんな風に、まるで警戒するべき相手として見られていない扱い。

 燐香とは違う、軽視とも言える警戒の無さを受け、神楽坂は改めて異能の有無が作るどうしようもない格差を実感して、自分の考えが正しかったのだと確信する。

 

 

「ああ、そうだろうな。異能を持つ人間と持たない人間。同時に相手する場合、どうしても持たない人間への警戒は疎かになる」

 

 

 時間稼ぎだと判断して。

 時間稼ぎが出来ないようにと考えて。

 無警戒に一直線に目の前に迫って来た分身体に対して、神楽坂は小さく息を吐き出しつつ上着を脱ぐと、それを片手に持ち構えを取る。

 

 液体である体を硬質化して、鉄材をも貫く槍のように変化させている腕を見詰めた。

 高速でありながら自身の眉間を貫くように正確に飛来している硬質化した腕が、さらに変化の余地を残すよう、突き刺す腕の先端以外が柔らかな液体のままでいる事を確認した。

 

 全てが自分の調べたとおりだと、神楽坂は判断した。

 

 

「————そしてお前が、必ず俺を始末しようと飛び出す事も分かっていた」

 

 

 軽く身を屈めるようにして槍の様な腕を回避する。

 そしてそのまま胴体目掛け走り抜けると同時に、上着を巻き付けた手で分身体の伸びた腕の液体部分を切断した。

 

 伸ばした事で結合が緩んだ液体の腕程度、手刀ですら切断するのに大した力は必要ではない。

 それくらい分身体の知能でも理解していたが、それを実際に実行する狂人などこれまで遭遇した事無かった。

 

 それも以前、強酸によって物体を溶かし尽す光景を見ている筈の神楽坂が、何の迷いなく自らの手刀で同じ液体を切り落とそうとするなど、想像すらしていなかったのだ。

 

 

「オ前……!?」

「硬質化と同時ではどうしたって、一瞬で人を溶かし尽くすような強酸化は不可能だ。そして、切り離された先端部分は多少動かす事はできても即座に攻撃に移れるようなものじゃない」

「何ガサイコパスダッ……! オ前ノ方ガイカレテルダロウッ!?」

 

 

 神楽坂が腕を槍とし伸ばしていた分身体の目の前まで肉薄する。

 

 お互いの手が簡単に届く間合い。

 分身体にとって相手が異能持ちであれば出力を弾く外皮の生成を選択する状況だが、接近してきた神楽坂は異能も持たないただの人間。

 外皮の生成よりも肉体の強酸化が有効だと瞬時に判断した分身体が、体を生物を溶かし尽くす状態に変化させ迎撃の体勢に入るが、神楽坂はさらに深く身を落とした。

 

 

「馬鹿メ! オ前ガイクラ攻撃ヲ凌ゴウガ、私ニ対スル有効打ガ一ツモ無イオ前ガ何ヲッ」

 

 

 足元。

 強酸化していれば接している床が溶ける筈の場所。

 その溶けていない床の上に立つ足を素早く足払いした神楽坂は、グラリとバランスを崩した分身体目掛け、上着を巻き付けた手で掌底を撃ち込んだ。

 

 破裂音、あるいは破壊音。

 分身体が腹部へ叩き付けられた衝撃に体をくの字にして吹き飛ばされた。

 角度、重さ、威力、全てが計算され尽くした神楽坂の掌底により分身体は狙い澄ました場所へと吹き飛ばされ、屋上からその体を落下させられる。

 

 五十階以上ある高層ビルの屋上から分身体の一体が落下させられた。

 

 異能も持たない只の人間に分身体の一体が無力化された。

 

 その事実に、この場にいる異能持ち達全員が驚愕する。

 

 

「……え? 嘘でしょ?」

 

 

 空に浮かぶ球体の確認をしていた“百貌”がその状況に気が付き思わず言葉を漏らす。

 何の攻撃手段も持たないと思っていた相手による思考外の手段はこの場に一瞬の空白を産み、続けて他の分身体達に屈辱の怒りを産んだ。

 

 

「神楽坂ッ、オ前ゴトキガッ!」

 

 

 激昂する。

 格下で、邪魔な相手で、常に腹立たしく思っていた相手に痛打を受けた事実に激昂する。

 だから傲りを捨て、軽視を捨て、この存在を直ぐにでも始末するという目的だけを持って、残り全ての分身体達が一斉に襲い掛かった。

 

 

「神楽坂さん!!」

「……」

 

 

 分身体の厄介さを知る燐香が思わず声を上げるが、神楽坂は焦りを見せないまま、溶けてほとんど使い物にならなくなった上着に視線を落とし小さく嘆息する。

 

 

「案の定、これだと間に合わせにもならないか」

 

 

 酸から一時的にでも身を守ろうと腕に巻いていた上着はもう使い物にならない。 

 分かっていたそんな感想を呟いて、神楽坂は周囲から一斉に襲い来る分身体達を見遣った。

 

 

 “液状変性”。

 それは自身の体を液体へと変化させる異能。

 液体の性質は使用者が思うがまま多種多様、そしてその異能が作り出す分身体は知性を持たせるとすると二十体が限界。

 自分の体の一部を切り離す事で一定の知性を持たせ、命令による活動に幅を作らせられる。

 

 そんな、異能の事。

 

 

 良く知ってる。

 良く知っているのだ。

 恩人である先輩や、恋人であった女性を追い詰めた犯人が持っていたその異能の事は、事件後だって調べて、調べて……自分はいったいどう対処すれば良かったのかをずっと考えた。

 どう対処していれば、自分は大切な人達を失うことが無かったのだろうと日常の隙間時間の度に考え続けた。

 

 捕まって、牢屋で特段脱走しようとするそぶりも見せない憎しみの相手。

 私刑などしないと決めて、彼らを法に則る形で処罰すると決めた相手。

 だから使う機会なんて訪れないだろうそんな想定が無駄なんてことは、自分自身よく分かっていた。

 それでも、過去に自分から色んなものを奪ったその異能に、また同じように奪われる事だけはしたくなかったから、神楽坂上矢はずっとそんなことを考え続けていた。

 

 どうしようもなく無駄な行為。

 無意味で、無価値で、徒労に近いもの。

 ただそのおかげで、神楽坂は目の前にいるコイツの事が手に取るように分かる。

 

 

「三体、これで全部か」

 

 

 静から動。

 ゼロから百。

 襲い掛かって来る分身体達を前にして微動だにしなかった神楽坂が、瞬間的に加速する。

 

 取り囲むように襲い掛かって来た分身体達の攻撃をギリギリで躱し、躱し切れなかったものをほんの数センチ程度の軽傷で収め、それぞれの攻撃をそれぞれの攻撃に合わせて受け流した。

 

 分身体同士の攻撃がぶつかる。

 硬質化した刃と刃が火花を散らし、強酸の液体と液体が混ざり弾けた。

 飛沫でしかないそれらですら触れた個所は痛々しい神楽坂の傷となる。

 だが神楽坂は全身を焼くそれらを一切気にもせず、痛みなどまるでないかのように、全身を硬質化している分身体を蹴り上げ液体化しているもう一体にぶつける。

 そして重なり合った二体に頭にボロボロになった上着を投げつけると、一瞬動きの止まった二体の分身体に下から持ち上げるような回し蹴りを叩き込む。

 

 完璧な運動連鎖。

 膝や腰、重心や関節、筋肉。

 積み重ねられた経験と訓練が正しく機能し、完成された一つの技となる。

 全てが理想的な動作をしたことで、異常なまでの威力となったその蹴りは、重なっていた分身体二体を纏めて上空へと跳ね上げ、屋上からアスファルトの地面へと落下させていく。

 

 それはつまり、この短期間でさらに二体の分身体が無力化された事に他ならない。

 

 

「オ、前……」

「あと、一体だ」

 

 

 愕然と、それこそ燐香と“百貌”が全く同じ表情でそのあり得ない光景を見る。

 異能を持たない人間が異能の中でもトップクラスの凶悪さを持つ分身体を追い詰めているあり得ない光景を、驚愕の面持ちで見詰めている。

 

 情況が良かった。

 高層ビルの屋上という状況があったからこそ、神楽坂は分身体を遠くへ弾き飛ばすだけで無力化できているのだからそれはそうだろう。

 

 情報を持っていた。

 事前に液体人間の異能詳細をよく知っていたから、その危険性を考慮し対応する事が出来たという理由も間違いなく存在する。

 

 因縁があった。

 ずっと執念深く相手を調べ、常にどう動くべきだったのかを考え続けたからこそ、実際の戦闘となった今、ここまで一方的に追い詰められているという理由も欠かす事はできないものだ。

 

 だが、そんな複数の理由があったにせよ、異能持ちが異能を持たない人間に一方的に圧倒される今の状況は到底あり得るようなものではない。

 彼女達の価値観は間違いなくそうだった。

 それが完全に覆る光景。

 

 

「……驚いたわね。こんなことが、本当にあるなんて」

「コ、コイツッ、“百貌”ッ! コイツニ“精神干渉”シロ!」

「あはは、貴女がそんなに狼狽するのは珍しいわね。まあでも、そうね。その人は流石に野放しに出来ない」

 

 

 だからこそ“百貌”が動いた。

 神楽坂という人物の危険性を理解した“百貌”が、エクス・デウスに向けていた注意をそちらに向ける。

 

 

「確かに異能を持たずとも渡り合える可能性は見せて貰えた。でもね、それは異能を持つ人間自身じゃない。貴方は私の異能をどう対処するのかしらね?」

「それはさせない! マキナ、合わせて!」

 

 

 出力を感知した燐香が未だに体に掛かる負荷を押し退け、阻害に動く。

 目に見えない強大な力による精神干渉を、あらかじめ神楽坂の精神を変化できないよう固定化する事で妨害する。

 

 燐香とマキナによる妨害により“百貌”の企てた神楽坂への“精神干渉”は成し得なかった。

 だが当然、複数の異能の対象となった神楽坂は自身の精神が圧迫され、言いも知れない苦しさで片膝を突いてしまう。

 

 

「……動かないと思ったら私の邪魔の為に準備していたのね御母様」

「イイヤ、充分ダ!!」

 

 

 そして、その神楽坂のふらつきを狡猾な和泉雅の分身体が逃す筈も無い。

 巨大な鉄球のように膨らませた腕で膝を突く神楽坂を横薙ぎに殴り飛ばし、下半身から蜘蛛のように複数の足を作り出してさらに追い打ちを掛ける。

 

 

「ぐっ……!」

「神楽坂さん!!」

 

 

 屋上の端まで転がった神楽坂に分身体が襲い掛かるが、その瞬間負荷を受けたまま駆け付けた燐香が間に割り込み、強酸による攻撃を手に纏わした異能の刃で弾き飛ばす。

 

 

「ドケ、クソガキッ!!」

「轢き潰すっ……」

 

 

 もはや一切の余裕なんて無いお互いの攻撃的な言葉。

 そして、神楽坂を守る体勢に入っている燐香を追い詰める絶好の機会を逃すまいとする分身体の猛攻が始まった。

 

 千変万化の液体人間。

 液体化した体をあらゆる形へと変化させ、細部で硬質化や先鋭化を織り交ぜる攻撃。

 そんな嵐のような攻撃に対し燐香は、マキナを“百貌”とエクス・デウスへの牽制に回しつつも、“精神破砕”と軽い“精神干渉”、そして読心の無い純粋な先読みだけで捌いていく。

 

 

(精神干渉による思考制限っ、その上でコイツの思考回路は何度も相手して分かっているからその先読みっ……! ギリギリで、何とか、マキナ無しでもやり合えてる、けど、さっきから異能を使いすぎてるっ……分かっているけど、どうしても完全上位互換の異能とやり合うのは……!!)

 

 

 ズキリと針を刺したような頭の痛み。

 鼻下を伝う液体の感触。

 運動による疲労とは別の、激しい心臓の鼓動。

 限界が近いのはどう見ても明らかであり、燐香自身ですら自分の身に危機感を覚える状態。

 

 それでも次々襲い来る分身体の攻撃は少しも止まることは無く、自身の疲労を理解しながらも必死に異能と先読みを駆使して凌ぐしかない。

 

 

(コイツの神楽坂さんへの執着は異常っ……! 私がやらないとっ、せめてコイツだけは始末して神楽坂さんの命が奪われる状態は避けないとっ……! アイツがっ、“百貌”がどう考えているか分からないけど、楽観視は出来ないから)

 

 

 自分が諦めれば、目の前の過去の自分により神楽坂が命を落とす。

 あまりに攻撃的な分身体の行動を見て、そんな悪い想像が燐香の脳裏に過った。

 

 コイツらの達成しようとする目的がエクス・デウスの起動だけで素直に終わるならまだ諦める選択もあったかもしれないが、そんな悪い想像が燐香にその選択を許さなくなる。

 

 

「コノ、ガキッ……! クソ……クソッ……!!」

 

 

 手数を増やして、攻撃の角度や手段を変えてみても、どこまでも対応してくる燐香に好機が潰された事を理解した分身体が怒りをあらわにしながらも、一度大きく距離を取った。

 

 その時間。

 分身体が距離を取った事で稼げたその時間を使い、大きく深呼吸をしながら燐香は思考を巡らせる。

 消耗した自分、ボロボロに傷付いた神楽坂、制限のあるマキナと、それらで打倒しなければならない敵戦力。

 そうしたものへと思考を巡らせて、状況を勘案して、過程を想像して、そして最後に燐香の頭に浮かんだ結論は残酷だった。

 

 

(神楽坂さんが単身で分身体の数を削いでくれたけど……この状況を終息させるには、何も犠牲無く終わらせるのは難しい)

 

 

 自分の異能を完全に上回る敵。

 策も弄せないし、小手先の技術は通用しないし、何よりも今更自分にそんな余裕なんて無い。

 今のままでは勝算なんて見付ける事が難しくて、敗北を認めても不思議ではない絶望的な状況。

 達成不可能な無理難題を目の前に突き出されているような感覚に陥って、思考も何もかも投げ出したくなる。

 

 

 ————ただ、ここから目の前の全てに無理やりでも勝つ手段を取るのなら。

 

 

 燐香は手に回した異能出力の刃をさらに限界まで異能破壊に特化させる。

 極限まで研ぎ澄まし、無駄を徹底的に省いた高速旋回の異能の刃。

 

 そんな異常な力を手に纏わしてどこか空気の変わった燐香の様子に、読心を仕掛けていた“百貌”が不審そうに目を細めた。

 

 何かを覚悟した燐香が自分の躊躇を噛み殺して、異能の刃を纏わした手を開く。

 

 

(…………自分自身の過去にケリをつける。私の過ちで神楽坂さんの命が掛かっているなら、手段は選べない。やるしかないなら、やってみせる。私はもう自分を————)

 

「……佐取」

 

 

 けれど、苦渋の選択をしようとした燐香の行動を神楽坂の言葉が中断させた。

 自分と敵しか見えなくなっていた燐香が、その言葉で驚いたように顔を向ける。

 

 

「俺は、過去に何も出来なかった、逃げ回る事しか出来なかった相手に対してここまでやれるようになった。あのマンションで追って来る奴を佐取に任せることしか出来なかった俺が、ここまでやれるようになったんだ」

 

 

 神楽坂は燐香の不審な動きに気が付いた訳でもないし、何か大きな目論見があった訳でもない。

 本当に偶然、燐香の行動を中断させることとなった神楽坂は自分を仕留めきれなかった事に悔しさを滲ませている分身体を見遣り、血まみれの姿で「ざまあみろ」と口角を上げて笑ってゆっくりと立ち上がった。

 

 立ち上がった神楽坂の分身体を殴打した手が、強酸によってボロボロに傷付き出血しているのを見て、燐香はそれまでの思考を中断する。

 

 

「神楽坂さん、何でこんな無理を……怪我が……」

「ああ、分かってる。あれだけこっちが一方的に攻撃していた筈なのに、飛び散った飛沫や液体の性質だけでここまで被害を受けているんだから、異能の有無っていうのはやっぱりどうしようもないくらい厚い壁だと改めて思い知らされる。その上で、佐取の助けが無ければ“百貌”には何も為す術が無かった……そう考えると、今のこの状況は少しも誇れるような結果じゃないな。ははっ、笑えて来た」

 

 

 神楽坂らしくない様子に燐香は何が言いたいのだろうと困惑する。

 そして困惑する燐香の表情を見た神楽坂は、安心したように少しだけ顔を綻ばせた。

 

 

「相手はただの分身体で、それを三体倒すだけでもこれだけボロボロになっているから、勝ち切ったなんて到底言えないような俺の状態だが、それでも俺はここまで出来るようになった。少なくとも俺は、以前出来なかった事に手が届いている」

「……そうですね」

「だからな佐取。歩いていれば、意識していなくとも結構先に進めているものなんだ。進んでいると自覚出来ていなくても、気が付いたらいつの間にか結構先に進めているものなんだよ」

 

 

 自分が無駄だと思った行動が、実のところ踏み出した一歩になっているなんてこと良くある話で。

 誰かに無意味と言われた行動が、結局のところ大きな結果を作る為の土台になっているなんてことも一杯あって。

 自分ですら気が付かない内に過去の自分より先に進めていたなんてことは、いくらでもある。

 

 そんな前置きをしてから、神楽坂は優しく口火を切った。

 

 

「佐取、君は“百貌”が絶対に勝てない自分自身の姿に見えているのか?」

「……」

 

 

 心を読んだような問い掛けに何も返せない燐香に対して、神楽坂は続けて話す。

 

 

「俺は佐取の過去に何があったのかは知らないし、どんなことをやってしまって後悔しているのかも分からない。今“百貌”がやっている事が佐取の過去のやらかしなのかもしれないし、以前話していた異能の弱体というのが佐取の後悔している過去に深く関わっているのかもしれないが、それらだって推測の域を出ていない。俺はそれでも、佐取が話したくなければ無理に聞き出そうという気も無ければ、知ったからどうしようとも思わない」

 

「ただ、あの“百貌”を前にしてから、佐取がずっと諦めたような顔をしているのがどうしても気になって仕方なかった」

 

 

 ずっとしていた、諦めたような顔。

 無意識だったにしても、これまで対峙してきた常軌を逸した異能持ち達には決して向けなかったその表情のことが、神楽坂はずっと気になっていた。

 

 傷だらけな上に皮膚が軽く焼けた顔で笑みを作り、ゆっくりと口を開く。

 

 

「以前言っていたように、佐取の今の異能は弱っているんだろう。出力と呼ばれるものも、異能が及ぼす効力も、佐取の過去の姿を模倣している“百貌”の方が上なのかもしれない。異能が同種で、あらゆる部分で完全に上回られている相手と戦うのは本当に大変だろう」

 

 

 情況の悪さも、自分ではそれをひっくり返す力が無いのも理解していて、それでいて神楽坂が口に出したのは怒りでも悲嘆でも無い言葉だ。

 

 神楽坂は、話を始めた自分の隙を突こうとしている分身体を見遣り、その後ろの強大な存在を見遣った。

 

 

「俺は、ここまで大きなことを実行できる異能を前にして、必ず解決して見せると断言できるほど自信家でも無いしその実力も無い。そんな大それた人間じゃなくて、自分や直ぐ近くの周りの人にしか目は届かないような小さな人間だ。だからこの場に世界の命運が賭かっていると言われても、意志の力だけで不可能を可能にするような事はできやしないんだよ……情けない話だが、ここで奴らに負けてしまうのも、俺は仕方ないと思ってしまっているんだ」

 

 

 だってそうだろう。

 神楽坂は異能も持たない只の警察官。

 人一人を狙う盗みや傷害、車両運転の違反や規律違反を正すのが仕事だ。

 国家転覆を企むテロ組織の襲撃や裏社会を牛耳る世界的に高名な医者の暗躍なんかは手に余るし、世界をひっくり返すような馬鹿げた計画を相手取るのはお門違いも甚だしい。

 

 だから、何の権限も抵抗するだけの力も無い、神楽坂にとっては目の前の出来事は自分の領域を完全に超えた事にしか見えなくても仕方ない。

 

 神楽坂上矢は本当に、人間の範疇を超えない只の警察官。

 

 

「……だがな、佐取。そう思ってしまっていても、例え世界の命運を賭けるような戦いに負けるのは仕方なかったとしても、俺は今この場で一つだけ断言しないといけない事があると思った」

 

 

 完全に手に余る事象。

 解決を半ば諦めざるを得ないようなそんな中でも、神楽坂がここまで来たのは単なる自己満足の為だけではなかった。

 

 

「佐取は、佐取燐香という人間は、異能だけが取り柄で、それが上回られたら何年も過去の自分自身が相手でも絶対に勝てないと思うような人間なのか? ……それは、違う。俺はこれまで見て来た佐取燐香は、異能だけが取り柄の人間なんかじゃなかったのだと断言できる」

 

 

 佐取燐香という少女に出会ってから半年と少し。

 近くで見ていた神楽坂だからこそ言える、そんなこと。

 

 自分自身の葛藤に揺れる少女が後悔だけはしないように。

 それだけを理由に、クシャクシャな燐香の瞳を真っ直ぐに見詰めて神楽坂は言葉を紡ぐ。

 

 

「俺は全てを知っている訳じゃ無い。佐取の過去も、佐取が後悔している事も、隠し事も何もかも知らない事ばかりだ。そして同時に、色んな事件に巻き込まれて、様々な人達を救って、これまで経験して成長してきた佐取の全ても俺は知っている訳でも無い」

 

「だが少なくとも、俺が出会ってからこれまで見て来た佐取は、一度だって足を止めていたことは無かった。歩んできた道は途方もなく険しく長いものだったように思えた。順調では無かったかもしれないが、苦しい顔をして進み続けて来たように思えた」

 

「……これまでの道のりは君にとっては一体どんなものだった? 無駄で、無意味で、無価値で、本当に何も生み出さないようなものだったのか?」

 

 

 それだけ言って、神楽坂は動きを止めていた燐香を思い切り突き飛ばす。

 完全に無警戒になっていた燐香の体が床に転がり、仰向けの状態で呆然と目の前を通り過ぎたものを見詰めた。

 

 

「俺は世界を救うような人間にはなれない。だが、佐取よりも長生きしてきた人間としてどうしても、これだけは言わなくちゃいけないと思った……君は後悔なんて残すな、佐取」

 

 

 鞭のようにしなる銀色の腕が横薙ぎで神楽坂を打ち抜いた。

 ずっと隙を窺っていた分身体の攻撃が、正確に燐香の思考の隙間を縫って行われた。

 そして燐香と神楽坂が居た場所を薙ぎ払うようにして行われたその攻撃は、神楽坂の体を簡単に浮かばせ高層ビルの屋上から放り出す。

 

 落下していく神楽坂の姿を見遣り、呼吸を忘れ、届く筈も無い手を伸ばした。

 けれどその手が伸びきる前に、神楽坂の姿は屋上の下へと落下していく。

 

 神楽坂の姿が消えていくその光景は、命が無くなる光景そのものに思えた。

 

 

「っ……エクス・デウスっ!!」

 

 

 咄嗟に、出来るか出来ないかを考えないまま、燐香は空の球体に向けて残る全ての力を振り絞って異能を行使し、落下する神楽坂を助けるよう行動強制を行った。

 

 巨大な異能の出力が錯綜し、落下していった神楽坂がどうなったのか分からないほどに視界がグラつき、燐香は意識を失い掛けたままその場に蹲った。

 強烈な吐き気と眩暈、異能の使い過ぎによる後遺症がこれまでにないほど燐香の体に襲い掛かる。

 

 

「う、ぐぅっ……」

「……もう戦えるような状態じゃないわね。少し後味が悪い結末だけど、私の勝ちよ」

 

 

 ドロリと口から血を流し、地面を赤く濡らす燐香を見て“百貌”がそう呟く。

 勝利に哄笑する分身体を無視し、体を震わし、痙攣染みた手の震えを抑え込もうとしている燐香の見るに堪えない姿に、いっそ同情するような表情をした“百貌”が溜息を吐いた。

 

 

「そもそも不思議だったのよ。どうして私の未来である貴女の異能がこれほどまでに弱り切っているのか。一方的に圧倒される可能性を考慮して、手札を増やすために色んな模倣先のストックを用意したのにそれもほとんど使わなかった。それくらい、未来である筈の貴女よりも私の異能の方が上……そんな事ってある?」

「……」

「せめてその弱体理由だけ知りたいのだけど……それを答える余裕も無さそうね」

 

 

 蹲って顔も上げない姿に少しだけ肩を落とし、“百貌”はエクス・デウスにもう抵抗できないだろう燐香への支配を行わせようとして。

 

 それを遮るように燐香が蹲ったまま声だけを出す。

 

 

「……異能で、出来ないこと、なんだと思う? ……異能持ちには種類を問わず、共通して出来ない事が一つだけ、存在する。それが、答え」

「あら、そんなに必死に返答しなくても良いわよ。あんまりにも痛々しくてちょっと見てられないし……」

 

 

 途切れ途切れに言葉を紡ぐ今の燐香には、“百貌”の嘲笑混じりの気遣いなど届かない。

 何かを思い出すように顔を歪めながら、燐香は独白する。

 

 

「……私は後悔した。私は間違えた。私は、取り戻したかったの。たとえ異能を失う覚悟をしても、私は過去に戻りたかった。だから私は心のどこかで、過去を高尚なものだったのだと勘違いして、過去の自分には絶対に勝てないと思っていたのね」

 

 

 自分の血が付いた小さな手。

 異能が無ければ何の脅威も無いだろう、白く柔く、神楽坂とは違い傷付くことの無かった綺麗な手だ。

 懺悔するように言いながらその綺麗な手を眺め、燐香は先程の神楽坂の言葉を思い返す。

 

『……佐取、これまでの道のりは君にとっては一体どんなものだった? 無駄で、無意味で、無価値で、本当に何も生み出さないようなものだったのか?』

 

 言われるまでも無い筈のそんな質問。

 そんな事、ちゃんと分かっていたつもりだった。

 

 

「……神楽坂さんの言う通り、今の私が積み上げたものは沢山ある。過去の私が持たないものは、沢山ある」

 

 

 蹲ったまま、懐から取り出したコンパスのような何かとプレゼントとして貰った髪飾りを抱きしめるように握り込み、燐香はそう言った。

 

 無駄ではない。

 無意味などではない。

 無価値なんかではなかった筈だ。

 これまで自分が歩んできた道のりはなに一つとして唾棄されるようなものでは無いし、選択してきた一歩は全てが今の自分へと積み重なっている。

 

 これまでの努力も、選択も、そして築いてきたものもある。

 

 自信を持てと言われた気がした。

 踏みしめた地面の感触を今もしっかり覚えているなら。

 

 

「————下らない思い込みだった。全部全部、私の勝手な思い込みだった」

 

 

 立ち上がり、吐き捨てる。

 勝てないという考えも、どうしようもないという考えも、言葉と共に吐き捨てた。

 

 そして、燐香が纏う空気が明らかに変わった。。

 

 

「……それ、なんのつもり?」

 

 

 これまで教わって練習してきた通り、腰を落として構えを取った。

 左拳を前に、右手を軽く開いた状態で脇に沿える。

 口から血を流しながら拳を構え、前方に備え、異能の出力を全身に纏わせるだけに集中する。

 燐香には到底似つかわしくない、肉弾戦の構え。

 

 それは当然、神楽坂がしていた構えと全く同じものだ。

 困惑した表情を浮かべた“百貌”へ、燐香は瞬き一つせずに告げた。

 

 

「……異能が無くても、異能持ちを倒す事は出来るらしいわよ」

「……まさか私が、そんな妄言を口にするようになるなんてね」

 

 

 “百貌”が浮かべた侮蔑の表情。

 もはや精神干渉も読心も使えない佐取燐香という少女が取った、正気の沙汰とは思えない選択。

 自分の未来がこんな事をするなんて、今の“百貌”の価値観からは到底理解できないものでしかなかった。

 

 直後、それが分かっている分身体が構えを取る燐香に向けて攻撃を仕掛ける。

 

 

「神楽坂ノヨウナソノ構エッ、見テルダケデ腹立ダシイッ!! 異能ガ無ケレバオ前ハ只ノ雑魚ダッ! アノ狂人ノヨウニナンテヤレル訳ガナイ!!」

 

 

 異能の有無により生まれる大きな格差。

 それはそう簡単に覆るようなものでは無いし、神楽坂のような特異例だったとしても何の理由も無しに覆せるような差ではない。

 

 その差を埋められる何かが無ければ到底成し得ないもの……だが。

 

 

「貴女とは、何度対峙したと思ってるの?」

 

 

 分身体が飛び出したのと全く同じタイミングで、燐香も大きく一歩を踏み込んだ。

 人外染みた速度で肉薄した分身体の速度と燐香の大きな踏み込みが合わさって、次の瞬間にはお互いが目前にいる。

 

 それを読んでいた者と予想もしていなかった者。

 その反応速度の差は歴然だ。

 だが、それでもなお即座に反応し軌道を修正した分身体の攻撃を、燐香は最初から分かっていたように首を軽く傾けるだけで躱し、勢いをつけた右の掌底を叩き込む。

 

 

「もう、読心なんて無くても貴女の挙動は手に取るように分かる」

「————……ハ?」

 

 

 一閃。

 それはまるで、先ほどの神楽坂そのもの。

 燐香の未熟な体躯による一撃で、核が存在していた頭部が大きく弾き飛ばされ他の分身体と同様に屋上から放り出された。

 

 積み重ねてきたもの。

 神楽坂の下で、それまでは考えた事も無かった体力トレーニングを積み重ね、もしもの為にと体捌きや打撃練習を本当に少しずつこなしてきた成果。

 

 それが今こうして花開いた。

 

 再現性なんて無いかもしれない。

 一つ間違えれば、核があるだろう場所の予想を間違えていれば不利になったのは燐香の方だったかもしれない。

 だが今残っている結果は一つだけだ。

 

 これで、飛鳥やICPO、神楽坂との戦闘を経て、減っていた分身体という“百貌”の凶悪な戦力は全て無くなった。

 残るは“百貌”自身とその身を守る外皮のみという状況。

 信じられないというような言葉だけを残して落下していく頭部と、残った体が液体に変わっていくのを軽く見届けている燐香へ、“百貌”は感嘆の声を漏らす。

 

 

「私が……そんな事が出来るようになるなんてね」

「……」

「とはいえ、そんな曲芸染みた事が出来たのは何度も対峙した和泉雅の分身体が相手だったからに他ならない。そして、それは貴女も分かっていたのでしょう? この場に限定すれば“読心”がされないよう異能を防御だけに回せば、私に対しては筋力が勝っているだろう自分に優位性があると考えた。異能の使用を最小限度に抑えた良い手ね」

 

 

「でも」と“百貌”は続けた。

 

 

「そんなあってないような異能の防御じゃ、私の“精神干渉”は防げない。そんなの貴女が一番分かっているでしょう?」

「っ……」

 

 

 圧倒的な出力による圧壊。

 全身へと回していた異能の力を突き破り、“精神干渉”により視界情報や認識能力への介入を果たされ、燐香はまともに“百貌”を認識できなくなる。

 

 だが、そのままグラリとその場に正面から倒れそうになったのを、辛うじて踏みとどまった。

 

 それだけではなく、ふらつき、踏みとどまる為に前へと出していた足をそのまま一歩として、燐香が“百貌”に向けて走り出す。

 平衡感覚を奪われた、普通であれば立つこともままならない筈の“精神干渉”を受け、それでも真っ直ぐ走り抜けてくる燐香の姿に“百貌”が息を呑む。

 

 それもその筈だ。

 “百貌”の視線の先には、燐香の異能の刃を纏った手が自分自身の頭に押し当てられている。

 走りながら、“百貌”の姿を目で捉えながら、自分自身に異能の刃を向けて一つも間違えられない精密作業を行っている。

 

 

「その状態で精神を裁断する異能を自分に向けて解除したってことっ!?」

 

 

 “精神破砕”は触れれば相手の精神を裁断し半端な異能であれば触れるだけで消し飛ばす。

 精神干渉の異能を攻撃方面特化させ、高速で循環させる事で疑似的な刃を作り出す技術だ。

 

 単純に放出する技術とは違い、遠距離に飛ばすような事をしなければ出力の消費量はごく少量。

 掬いあげる程の源泉が無くとも、ほんの少しでも出力があれば行使が可能なよう燐香によって超省エネを目的として改良された技術。

 

 そしてその効果は消費する出力量とは逆に、異能を受けているものに対して使えば異能による影響を排除できるという優れもの。

 一歩間違えれば自分の精神すら破壊してしまう凶悪な危険性を無視すれば、確かに対異能としてはこれ以上ないほどに有用な技術だ。

 

 

「正気の沙汰じゃないっ……! そもそもそんな人の精神を触れるだけで壊してしまうような技を開発して多用しているだなんてっ……!」

 

 

 あり得ないものを見るように表情を引き攣らせた“百貌”が悲鳴に近い声を出す。

 けれど、動揺はさせられても“百貌”が不利になった訳ではない。

 

 燐香が異能をほとんど使えない状況なのは変わらないし、接近しようとする燐香を防ぐための手段はいくらでも存在する。

 

 

(ならっ、搦め手として異能を探知する感覚に干渉して、自分が精神干渉を受けていると気が付けないようにすれば……!!)

 

 

 そして“百貌”の取った手段は、異能を探知する感覚への干渉。

 位置情報を誤認させ、見当違いの場所を攻撃させてしまおうと“百貌”は考えた。

 今の燐香も度々使用する、身を守る為の常套手段。

 それは間違いなく正しくて、効果的な手段の一つだ。

 

 だが燐香が一瞬自身の握る道具へと視線を向けた。

 手に握られた、誰かが作った異能を検知するための装置を確認した。

 

 瞬間、彼女は何の迷いも無く自分の頭に異能の刃を押し当てる。

 

 

「解除っ……!」

「なっ————」

 

 

 確実に異能を探知する感覚を狂わせていた。

 間違いなく燐香は異能の出力を何も探知できないようになっていた。

 気が付かないように思考にも干渉して、感覚全てを麻痺させて、もう少しで全ての感覚を気が付かぬ間に喪失させるまで至っていた。

 

 それなのに今、自分に向けられた精神干渉に気が付き対処した。

 

 確信が無ければ絶対にやらない筈の、異能の刃を自分に向けるという危険行為を犯してまで対処した事に“百貌”は絶句する。

 

 

(意味が分からないっ! どうして全部不発に終わるの!? こんな何もかも諦めた情けない未来の私に、何で私の行動すべてが上回られるのかが————)

 

 

 もうほとんど異能を使う余裕が無いだろう燐香ならば、精神干渉の異能で時間を稼ぎ、佐取燐香以外に切り替わればもっと有利に事を運べると思ったのに、そんな暇は無かった。

 神薙隆一郎か、和泉雅か、それとも宍戸四郎にでも変われれば、異能を使えない燐香に対して絶対的な優位性を持てるはずだった。

 

 けれどもう、そんな余裕はない。

 

 燐香との距離はもうほんの少し。

 

 燐香は自分しか見えていない。

 

 だが故に、“百貌”は先程と同じ失敗を繰り返させることが出来ると思った。

 

 空に浮かぶエクス・デウスに先ほどと同様、自分の身を守らせればいいと思った。

 

 

「エクス・デウス! 私を守りなさい!」

「マキナっ!!」

 

 

 叫んだのは同時。

 空に浮かぶ球体に対して顔を向けて叫んだ“百貌”とは違い、燐香は最初からそうする事を決めていたように一瞥もしないまま姿の無いソレに全てを預ける。

 

 その瞬間、地を揺らすような出力が二つ噴き出す。

 

 人神と機神。

 無数の翼が折り重なって出来た巨大な球体と電子上の知性体が膨大な電力を収束させて作り上げた雷の巨人。

 同じ人物に作り上げられた全く異なるその二つの意志が、燐香と“百貌”の頭上で衝突した。

 

 到底人の身では作り出す事は出来ない天災のような異能の現象同士がぶつかり合い、巻き起こった余波が暴風のようになって吹き荒れる。

 

 

「————何で、届くのよ」

 

 

 暴風の中。

 その下で、燐香の手が目前に迫るのを目の当たりにした“百貌”が呟いた。

 

 届かない筈だった。

 

 異能の有無により生まれる大きな格差。

 それはそう簡単に覆るようなものでは無いし、神楽坂のような特異例だったとしても何の理由も無しに覆せるような差ではなかった。

 その差を埋められる何かが無ければ、到底成し得るようなものではない。

 

 

 それは“百貌”が……佐取燐香がずっと前から信じていた事だった。

 

 

 異能という差を埋めるもの。

 例えばそれは、自身の運動音痴を克服しようと訓練し続けて来た日々の努力。

 例えばそれは、強靭な不屈の精神を持つ人を傍で見ていたが故の諦めの悪さ。

 例えばそれは、妹の為にと作り上げられた異能を感知する道具の存在。

 例えばそれは、自分が作り出した生命と向き合って信頼を築き合った事。

 

 未来が歩んできたそんな一つひとつが、過去の自分との差を埋めた。

 

 過去の佐取燐香では理解できないそれらの要素。

 仮面を引き裂く刃が、自身の纏う仮面に届いたのを目の当たりにした“百貌”は憧憬を帯びた瞳で、目の前の未来に焦がれるようにクシャリと表情を歪めた。

 

 

「……ああ、なんだ。私、そんな風になれる未来もあるのね」

 

 

 そんな言葉と共に、“百貌”が纏っていた異能の仮面が引き裂かれた。

 

 

 

 

 






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それは誰かの夢の終わりの話

 

 

 

 

 一斉に、人々はぽっかりと空いていた少し前の記憶を思い出す。

 何か巨大で暖かいものが自分達を呑み込み、正しい生き方を指し示したという記憶。

 とても現実的ではない白昼夢のような記憶が蘇り、自身の不思議な体験を理解できなかった者達のほとんどは少しだけ軽く首を傾げて、それぞれの日常に戻っていった。

 

 そして同様に、公園のベンチに座って、飲み物を片手に談笑していた四十代くらいの白銀の髪をした女性は少し前に戦っていた幼い少女の姿を思い出していた。

 

 

『これは……?』

 

 

 ピタリと飲み物を持った手が止まる。

 ほんの数時間前、その少女が起動した黒き太陽を目の当たりにした瞬間から、自分が正常な判断が出来なくなった事実を続けて思い出し、絶句する。

 女性、ヘレナ・グリーングラスは黒き太陽が動き出したあの一瞬で自分達が敗北し、これまであの巨大な球体の支配下にあったのだということを理解せざるを得なくなった。

 

 

『…………これは、どういう事だい? 私が最後に見たアレが“三半期の夢幻世界”と呼ばれたものの正体なら、今私が正気に戻っている理由は……いや、“顔の無い巨人”が“百貌”に勝ったとしか考えられないかね……』

 

 

 ヘレナはそれまで、何の疑問も持たず同僚達とお茶を飲んで楽しんでいたという異常に戦慄し、同じ様に状況に気が付いた同僚達が血相を変える姿を確認した。

 

 間違いなく、あの巨大な球体による支配が自分達全員から解かれている。

 

 何が起きて、どんな経緯で。

 そんな疑問がヘレナの脳裏を過り、次がある可能性はあるのかと少しだけ周囲を警戒する。

 だが、自分達ではない、街中を歩く異能を持たない一般人の様子すら何だか不思議そうな様子はあるもののそれ以上はなく、誰もがそれまで通りの日常へと戻っていっている光景からは事態の終息しか感じさせなかった。

 

 何もかも元通り。

 ほんの数時間だけ存在した確かな異常は、誰も真実を知り得る事が無いまま幕を閉じてしまっている。

 

 その事実に戦慄するヘレナへと同様に周囲の状況を一通り確認したミレーが慌てて報告を行った。

 

 

『へ、ヘレナさん……おらの視界内には、あの球体が、どこにもいなくて……警戒しなきゃいけないものは、どこにもなにも……』

『全部が元通りかい……それでまた自分はいつも通りのトンズラ。本当にふざけた奴だよ』

 

 

 確かにあった異常事態。

 それがどこにも無くなってしまっているという事実に、ヘレナ達が巨大な球体が支配していた筈の空を見上げるしかなかった。

 

 そしてその同じタイミングで、彼らと同じ場所にいた阿井田博文議員も目を細めて空を見上げていた。

 

 

「……本当に周りへの影響を考えない子達だ」

 

 

 議会を裏から操る大物政治家としてはありえないくらい酷く感情的な言葉が吐き出される。

 ポツリと一人呟いた言葉は色んな感情が込められていて、きっと本人以外にはその真意全てを汲み取ることなんて出来ないけれど。

 

 

「神崎君、君が会いたかった人には会えたのか。君が見たかった未来は……」

 

 

 昔同じ境遇であった彼女だけは、きっと向けられた言葉の意味を知っている。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 

 人には本当に色んな人生があると思う。

 

 出生や環境、経験に転換期。

 色んな要素が組み合わさり、生物学上同じ形をしていながらも、人間というのはまるで別種であるかのような個人差を見せる。

 それは肉体的な機能だけでなく、性格や性質あるいは趣味嗜好に至るまで細かく分かれ、人間という種が絶滅することの無いように、多種多様な在り方を作り続けている。

 だから、生物の種として人間を考えた時、どれほど能力に優劣があろうとも、正しい意味で人間としての成功作や失敗作なんてこの世には存在しない。

 

 人間は全てが試作品で、全てが替えの利かない個であるのだ。

 

 ————なら、そんな替えの利かない個を完璧な形で模倣するにはどうするのか。

 

 昔、ずっと私を悩ませたのはそんな簡単な疑問であった。

 

 昔の事を思い出す。

 役者の両親のもとに産まれ、自分の意思など無いまま物心ついた時には既に自分ではない何かを演じていた私の過去を思い出す。

 優等生な人を演じて、誰かを陥れるいじわるな人を演じて、大好きな人に執着する人を演じて、誰かの為に命を投げ出す人を演じた。

 両親に言われるがまま、大人に言われるがままに、他の誰かに成れるように演じ続けた。

 

 幼少期、それしか自分には無いと思っていた。

 あの両親に私が褒められるのはそれだけだったから、必死になって別の誰かを演じられるよう何度も何度も試行錯誤を重ねる毎日。

 

 よく考えた。

 幼い私はどうすれば自分ではない誰かになれるのかを考えた。

 

 指先一つ、目線の動き一つ、あるいは特徴的な癖一つ。

 演じる役柄の性質を取り込んで、彼らの人生を自分のものとして、彼らが見せる人柄や性質で私という異物を上書きした。

 取り込んで、取り込んで、それでもまだ他人を完全に演じることが出来なくて、両親に叱られて、大人達に怒鳴られて、涙を流しながら繰り返し練習して人間の勉強をした。

 睡眠以外の人生の大部分を費やして、産まれてから演技以外に思い出が無いほど積み重ねて、そうしてようやくたどり着いたのが、日本を代表する絶対的な子役という評価。

 

 誰かを演じる事が息をする事よりも簡単になって、自分がどの役を演じれば周りの人が満足するのか考えなくても分かるようになっていた。

 そんな私を見て周りの誰もが言う、順風満帆で全てが恵まれた天才だと、羨むように言ってくる。

 

 彼らの言う事は間違っていない。

 裕福な家庭に産まれ、両親の才能を継いで、コネクションを使って経験を得て技術を磨き、国や同世代を代表するほどにまで大成する。

 それがどれだけ恵まれた事なのかなんて、色んな人の人生を模倣してきた私はよく分かるし、それに不平不満を漏らす事がどれだけ危険なのか自分の立場も理解している。

 だからずっと、自分の頭を過る疑問や胸に湧き上がる感情には蓋をして、誰もが望む神崎未来を演じ続けるのが私の人生だった。

 きっとそれは、私の人生という劇場が終わりを迎えるまで、変えることが出来ない私の役なのだと信じていた。

 

 

 けれど私は私の知らない所で、そんな生活に追い詰められていたのだ。

 

 私にだけ聞こえた何かが割れる音。

 唐突に、誰かの模倣が出来なくなってしまった。

 何の切っ掛けも無く糸が切れたように、何かを演じることが出来なくなった。

 何も演じる事が出来なくなり、全ての仮面が壊れて、自分自身など持っていなかった私はただの人形のようになって、そんな私を診た精神科医は匙を投げた。

 私を大女優にしようと心血を注いでいた両親は私に失望し、俳優業で関わりのあった人達は私の有り様に距離を置き、期待していた人達は私という才能の残骸に興味すら示さなくなっていった。

 

 出生や環境、経験に転換期。

 色んな要素が組み合わさり、生物学上同じ形をしていながらも、人間というのはまるで別種であるかのような個人差を見せる。

 個人の人格を形成する上での無くてはならない要素は、誰かの仮面を被り続ける事しかしなかった私にとって、私個人として積み重ねて来なかったものである。

 

 だから、私という個はその時まで【無】そのものだった。

 

 

『————貴女、大丈夫?』

 

 

 その人に辿り着いたのは、運命だった。

 誰かに縋るつもりも無かったし、誰かに助けを求めるつもりも意志も無かった。

 自分が不幸だとは考えた事も無かったし、演技が出来なくなった時も自分が追い詰められている自覚を私は持っていなかった……そういうつもりだった。

 

 でも気が付けば、SNSに書かれていたあまりに怪しい精神科医の真似事をしているアカウントに声を掛けていて、こうして実際に会うところまで来てしまっている。

 演技が出来なくなってから両親や事務所の人達が連れて来る精神科医の毒にも薬にもならないような話し合いに散々時間を奪われていた筈なのに、こうして同じような相手を頼ってしまっている。

 

 私は、私が思うよりも……。

 

 

『自分が分からないの? ……ああ、違う。そうじゃないわね。自分自身を形成する前に仮面を被り過ぎて自分が何かも分からなくなってしまったのね。人の心をちっとも理解していない連中に言われるがままに演技なんてものをし続けたせいで、貴女はちゃんと自我を確立できなくなってしまったのね。……辛いっていう事も分からなくて、苦しいって事さえ分からないのね』

 

 

 私の心を見透かすようなその人の言葉。

 私の人生全てを知っているかのようなその人の言葉。

 それを聞いて、知らない内に私は涙を流していた。

 何かの役ではない、自分の意志で涙を流したのは本当に久しぶりだった。

 

 他人に言葉にされて初めて思う。

 別の誰かの模倣ばかりをし続けただけの私の人生。

 

 私は、本当は何がしたかったんだろう、そう思った。

 産まれてから今まで生きて来て、何がしたくて頑張って来たんだろうと、そう思った。

 

 

『それでも私は努力を続けた貴女の事嫌いじゃないけどね。大丈夫よ。貴女の声は私に届いた。それは貴女の努力の成果で……まあ、ともかくそうやって頑張って私に声を届かせた貴女の事、ちゃんとお金の分は助けてあげるから』

 

 

 人には本当に色んな人生があると思う。

 きっと、役者としての神崎未来ではない私自身の人生はその時ようやく始まって。

 

 だからこそ、誰にでもなれるようになった私は、貴女のようにこそなりたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 過去の私の姿を模倣した仮面を引き裂き“百貌”を押し倒した瞬間、私が感じたのは喜びではなく驚愕だった。

 

 自分が成功させたことが信じられない。

 異能で劣る私が、異能で勝る私自身を上回った。

 無我夢中で駆け抜けて伸ばした自分の手が、本当の本当に過去の私を模倣する“百貌”に届いたなんて、冷静になった今考えてみても信じられなかった。

 

 

「けど、何はともあれ捕まえたっ……これで、ようやくっ……!?」

 

 

 仮面が剥がれ随分背が高くなった“百貌”に馬乗りになり、その首を片手で掴んだ私の言葉は、その正体を目にして尻つぼみになる。

 

 剥がれた異能の仮面の先にあった素顔は、私も知っている人。

 見知った、というよりも見覚えがあったのは、その人物があまりに有名人であったからだ。

 

 

「神崎未来……? 本物……?」

「……ふふっ、御母様に顔が知られているなんて、私も有名になったものね」

 

 

 追い詰められているというのに、どこか面白そうに女はそう言った。

 

 すらりと長い手足に、滑らか過ぎる肌の質感。

 地面に押し倒しているのに、馬乗りになった私の鼻には澄み切ったような匂いが届き、彼女の様子はどこか品を感じさせる。

 少し瞼を大きく開けば幼さを残す可愛らしさに、少し目を細めれば怜悧な美しさを漂わせる、演者として完成されたその美貌は異能にも劣らぬ才能だ。

 

 それこそが日本が誇る大女優、神崎未来。

 現代日本のありとあらゆるコンテンツに影響を及ぼしているとされる彼女の名は、この国では知らない人の方が少ないだろう。

 名実ともに国内最高の役者であり、飛鳥さんとは別方向に日本を代表する有名人。

 流行や廃りに疎い方である私だって、テレビに映るこの人の演技には魅了されたものだし、この人が出ている広告には少なからず目を引かれたものだ。

 

 だが、私が彼女を知っている理由は有名であるからだけではない。

 チラリと彼女の片足に巻かれている包帯を見て、私は自分の複雑な心境の言い訳をするように反論する。

 

 

「馬鹿にして……昔、会った事のある有名人くらいは、その後どうなるのか気にはなっていたから……それに今は、貴女を知らない人の方が少ないし」

 

 

 そうだ、私は過去彼女に会ったことがある。

 精神医の真似事を始めたばかりで、異能の情報を隠しながら金銭を稼ぐにはどうすればいいか模索している最中に出会った、患者の一人。

 幼い頃から誰かの演技を続けたから自我の確立が未発達で、別の誰かの人生を演じ続ける自分との板挟みになって、いつしか演技自体を行えなくなっていた少女。

 そんな彼女に私は【自我の確立】を、どんなに自分を変質させるような演技をしても自己を確立し続けられるよう、精神干渉を施した。

 

 薬によって目覚めた異能による対象の完全模倣。

 神域のその異能の後遺症も考慮して過去の私を模倣する相手として考えれば確かに、神崎未来という女優が“百貌”というのはこれ以上ないくらい違和感がないのかもしれない。

 小学生時代の私に会っていて、日本では出回っていない異能開花薬の入手も海外に向かうことの多い彼女なら難しくなかっただろう。

 過去に判明していた“百貌”の犯人像と重ね合わせてみれば、神崎未来という女性は何もかもが合致する。

 

 けれど、だ。

 

 

「貴女には、異能の才能なんてほとんど無かった筈なのに……」

 

 

 幼いあの時、彼女の内面に触れた私は神崎未来という女優が異能の才能に恵まれていなかったことを良く知っていた。

 どんなに無理やり調整したとしても、現象として異能を行使できるかできないかギリギリになるような、そんな異能の適性の無さを理解していた。

 

 そして、私が異能の発動を抑え込んでいる今も感じられる出力はあまりに微弱で、到底どんな相手の異能でも完全に模倣できるような理不尽な力を持っているようには思えない。

 

 

「それだけの出力なら精々が……対象に自分を似せる異能。見た目を似たものにする程度の力しかない筈で……あっ」

 

 

 そして、私は自分が口走った言葉に気付かされた。

 対象に似せるだけの出力の低い力があったとして、元となる部分がある程度補われていたら、使われなかった余った部分の力がどう使われるのかを。

 

 ゼロから三十まで似せる力があったとして。

 ゼロの部分を初めから百に近付けていた場合、ゼロから三十まで似せる力はあらかじめ似せた分から百に似せる力に変わる筈だ。

 つまり異能だけではゼロから百までの模倣は出来なくとも、あらかじめ七十以上の模倣が出来ていれば、あらゆる人物への模倣が可能。

 

 神崎未来の持つ演技の才能が、彼女の未熟な異能の力を補っていたということ。

 

 ようやくそのカラクリに気が付いた私は、思考の穴を抜けられたような屈辱感を覚える。

 どうしてこんな単純なことに気が付けなかったのだろう。

 

 

「異能の出力が微弱だから探知にも引っ掛からなかったってこと……? どれだけ強大な異能を模倣していても、模倣元がそうとは限らないなんて簡単な見落としを……私の馬鹿……!」

「正解に辿り着くの、流石に速いなぁ……まあ、過去の姿を模倣した私があれだけ猛威を振るえるんだから、当然と言えば当然なんだけどね」

「くっ……と、取り敢えず、貴女のカラクリが分かった以上勝手はさせません……! 反抗できるだなんて思わないでくださいね……!」

 

 

 色々と思う所はあるが、これ以上神崎未来と悠長に話をしている余裕はない。

 

 言葉で釘を刺し、異能による制限を掛ける。

 私だって本当に限界ギリギリの状態だが、彼女を野放しにして再び私の過去を模倣される方が不味い事になるのは目に見えていた。

 だからしっかりと、“百貌”神崎未来を自由にさせないよう措置をして、私はもう一つ早急に解決しなければならない筈のものに目をやった。

 

 

「“百貌”をどうにかできた以上、あと対処しなくちゃいけないのは、起動しちゃったアレと落下した神楽坂さんになる訳だけど…………こ、こっちはそんなに心配いらなそう……?」

 

 

 そう言って、すっかり大人しくなった空に浮かぶ球体を見遣る。

 恐らくだが、自分を起動した“百貌”の模倣が解けて私ではない存在になったことに気が付いたのだろう。

 未だに知性体に対する支配を解いてはいないものの、私やマキナに対しての一切の抵抗は止めており、今はマキナにされるがまま体を両手で引き延ばされている。

 

 人神という大層な名称を冠した筈の球体の情けない姿に、思わず私の警戒心は薄れ始めてしまった。

 完全に抵抗を放棄している球体は一見すれば無害なようにも見える。

 だが、純白になっている体表の色を見る限り、今も変わらず起動状態にあり、いつでも異能の行使が出来る状態のままなのは確かだ。

 今は継続しているマキナの攻撃のおかげで好きに出来る状態ではないだろうが、それでは根本的な解決にはならない。

 

 根本から解決しようと思うのなら、やるべきは一つだ。

 

 

『この、この! どっちが御母様かくらい見分けロ!』

「マ、マキナ、エデと話したいことがあるからちょっと止めて」

『エっ……攻撃相手を間違えたのは悪い事だが、削除(デリート)は流石に可哀想……』

「しないって……マキナは私を何だと思ってるのさ」

 

 

 物騒な事を言うマキナを下がらせ、私はフヨフヨと空に漂う巨大な球体に近付いた。

 

 幾億、幾兆の純白の羽が密集した球体。

 明らかに人智を超越しちゃっている、なんだか凄い存在。

 マキナにされるがままにされていたそんなのが何か言いたそうに巨躯を震わせたことにちょっとだけ気圧されるが、私は神楽坂さんが落下していった方向を一瞥し、気合を入れ直す。

 

 勿論、気合を入れると言っても力技でどうこうする訳ではない。

 平和的に交渉する。

 

 

「その……エデ? 寝起き直ぐで申し訳ないんだけど、もう一回寝てくれないかなって……」

【…………】

「貴方を創り出した目的は知性体の管理で、それ自体を否定するつもりは無いんだけどぉ……今はちょっと、私の望むところじゃないっていうか……ね?」

『御母様!? マキナはもっと雑に扱われたゾ!?』

 

 

 出来る限り下手に、地面に頭をこすりつける気持ちでお願いを切り出した私に不平不満の声が飛んだが、それはマキナの気のせいである。

 それにこれは、エクス・デウスへの対処としてはこの上なく正しいものなのだ。

 

 知生体の統治機構。

 要するに、正しい形で知性群を運営する目的を持って生み出したこの存在は、本来起動した瞬間にこの世界のありとあらゆる知性体を支配下に置く。

 理由なんてなく、そう在るようにと願われて生まれたものだからだ。

 

 要するに、この存在は願いの結晶であり人類の敵なんてものではない。

 だからこそ、支配下に置かれていない唯一の知性体が、そんなことはしないで欲しいと真摯に願うことはある種の特攻に成り得る……筈なのだ。

 

 そう考えた私のお願いだったのだが、何の反応もせず身動きを止めてしまったエデに、思わず冷や汗を掻く。

 “百貌”は制圧したとはいえ、起動状態のエデをどうにかできる余力を私は残していない。

 もし少しでも反抗されようものなら、もれなくマキナとエデの怪獣バトルが勃発すること確定だ。

 

 そうなればどう転んでも被害は相当なものになる。

 

 

「……えっと、お、お願いエデ! 支配するのは駄目だけど、ちゃんと貴方のお世話はするから! 異能の力を振り撒かないようになったら毎日散歩に連れて行くし、小さくなれるなら私の家にも入れてあげ————ぶぽっ!?」

 

 

 もふぁ、と顔に羽毛の体当たりを受けた。

 何だか面倒臭そうな、攻撃意志のない体当たりによる柔らかな衝撃に私がたたらを踏めば、視界一杯に広がる純白が徐々に暗くなり始め、最後には黒くて小さな球体に成り果てる。

 それがふわりと私の頭の上に収まって、動かなくなった。

 

 起動状態から休眠状態への移行。

 多分、私の説得が無事成功したということなのだろう。

 

 そして休眠状態へ移行した瞬間、見渡す限りに広がっていた異能の力がゆっくりと解けていくのが見える。

 世界中の知性体を支配していた力が停止して、全てが元の形に戻っていく。

 

 

「……ど、どうにか停止してくれたけど……頭の上に乗っちゃった……」

「そんなペットみたいな扱いで良いんだ……」

 

 

 ひとまず目的を達成し、ほっと安堵の息を吐く私の背後でぼそりとそんなことを呟かれた。

 

 ペットみたいな扱いというのはとんでもなく失礼な話だ。

 が、それに構っている余裕がない私はすぐさま屋上の端まで走り、神楽坂さんが落下していった場所を確認する。

 

 地面まではかなりの距離があり見えにくいが、赤く広がるものが見えないので、恐らくそのまま神楽坂さんが落下してしまったということは無いだろう。

 今の私はそう信じることしか出来ない。

 

 

「神楽坂さんの姿が見えないけど……下に行って確かめる前にこっち……」

 

 

 私は、背中に感じる視線へ振り返る。

 立ち上がり、こちらをじっと見続けている神崎未来を見つめ返す。

 

 彼女が立っている事への驚きはない。

 異能こそ抑えつけているものの、私と違って異能の酷使による不調も疲労も無い神崎未来が自由に動けるのは分かっていた。

 だが立ち上がった彼女の強い意志を持った目は予想外で、少しだけ回復した異能をいつでも起動できるよう準備しながら、私は問い掛ける。

 

 

「まだ抵抗するつもりですか?」

「さあ、どう思う?」

「……そう言えば貴女自身の目的を聞いていませんでしたね。私の過去の姿を模倣して、こんなことをしでかした貴女の目的を、何も」

 

 

 模倣するだけで自分の本心を一切見せなかった“百貌”。

 いつまでも他人の姿を模っているだけだったから、ただ力を振るいたいだけだったとか、過去の私の意志に引っ張られていただけだとか、そんな薄っぺらい理由なんじゃないかと思っていた。

 そして“百貌”の正体が神崎未来という、今も輝かしい活躍を続けている大女優だと知り、なおさら世界を変えようとする私の思想に本心から共感しているとは思えなかった。

 私が彼女の抱えていた問題を、“精神干渉”の力でいくら演技しようとも彼女という個の精神が侵食されないよう調整し解決していたからだ。

 

 だが、異能の力を封じられた神崎未来という女性は、エクス・デウスという切り札を私に抑えられたこの状況になっても、強い意志を見せている。

 自分自身の強い目的が無ければ到底浮かぶことが無いだろうその目に、私は考えを改める。

 

 

「貴女は、一体何をしたいんですか?」

「……」

 

 

 読心をしても負担を感じないくらい回復するにはもう少し時間が必要。

 だから今すぐ模倣が解けた神崎未来の本心を無理やり覗き見るのは難しいし、回復を待って洗脳し切ってしまうなら彼女の秘めていた目的など聞く必要もない。

 

 それでもこうしてわざわざ口にして質問してしまったのは、私自身がどうしようもなく、この人が持つ目的が気になってしまったからに他ならなかった。

 

 

「……私は私の憧れた人の見ていた景色が見てみたかった」

 

 

 神崎未来は私の質問に対して、ポツポツと返答する。

 

 

「苦しかったあの頃の私を救った人。私が見るよりもずっと広く物事を見ていた人。私じゃどうしたって見られない景色を見ていた人。色んな人を模倣していた私は、いつしかその人の見ていた景色が見たくなった……だから異能の才能を作れる薬があると聞いて、わざわざ海外で売人から購入したの。少しでも憧れの人に近付きたくて、特別なあの人が使っていたのは異能っていう力だったんじゃないかって思ったからね」

 

「薬を飲んだ時、酷い吐き気と眩暈に襲われた。最初は毒物だったのかと焦ったけど、次第に明瞭になっていく記憶の中の憧れの人の姿に、私は過去の私を救った力が異能だったことを確信した。私を救った力も、私の記憶に干渉していた力も、全て憧れの人の力だったと知って、私もその力を得る事が出来たのを知った」

 

「私は憧れの人の姿になれるようになった。見える世界の何もかもが変わった。今の私なら憧れの人の隣に立てると思った……けど私の憧れていた人は今、私が考えていたよりも小さな幸せを望むようになっていた」

 

 

「それ自体、悪い事じゃないんだけどね」と、大人びた表情で微笑んだ神崎未来は少しだけ悲しそうに首を振る。

 

 盲目的に色んな人を救っていたあの頃の私。

 どこか幼稚でいつしか歪んでひねくれ曲がってしまったけれど、神崎未来が模倣していた頃の私は確かに色んな人を見て出来る限り救おうとしていた。

 数年越しだけれど、その頃の結果がこうして誰かに残っているのを見ると、悪いだけのものでは無かったのだと思えてくる。

 

 学校帰りの帰り道に何気ない話をするようゆっくりと歩を進めながら、自らの動機と行動を神崎未来は告白する。

 距離を詰められないようにと警戒する私を余所に、彼女は何気なく屋上からエクス・デウスの支配から解放された人々を残念そうに見下ろした。

 

 

「どんな事情があったのか、模倣した瞬間より先のことを私は分からなかった。ただ、望みの先が失敗だったとしても、私は憧れの人の進んだ先を知りたかった。望んでいた未来を成し遂げたかった。だからここまでやろうと決めた。これまでの事態を引き起こしたのは、間違いなく私自身の意志によるもの」

 

「私が憧れた人の願いは叶えられなかった————なら、今の私に残された望みは、私を救ってくれた貴女の願いを叶えることだけ」

 

 

 そう呟いて、神崎未来は屋上の端に立つ。

 今にも落ちてしまいそうな危ない行為に思わず私が息を呑めば、両手を大きく横に広げた彼女は吹き抜ける風に髪を靡(なび)かせながら楽しそうに笑う。

 

 

「ほんの少しの時間であっても、疑似的であっても、世界を支配したことには変わりないでしょう? 私が成し遂げたのは小さくはあったけど、間違いなく過去の貴女の所業と同じだった。私が“顔の無い巨人”を名乗っても、きっと貴女以外は誰も疑わない。そうは思わない?」

「……そうかもしれませんね。そもそも私はそんな名前、いらないですけど」

「ふふっ、そうだよね。そしたら折角だし、私がその名前を貰っちゃうね」

 

 

 心底楽しそうに笑う神崎未来の姿に、私に何だか嫌な感覚が沸き立つ。

 不自然に片足を庇いながら屋上の端に立つ神崎未来の姿に、どうしようもない危機感を覚えてしまう。

 

 自分の身の危険とか、誰かからの悪意だとか、そういうものに敏感だと思っている自分の感覚が全く違う部分で反応している。

 

 

「全てが失敗した時の私の願い、最初から決めていたの。貴女が貴女の望むように平穏無事に暮らすにはどうすれば良いか考えて、私が“顔の無い巨人”だっていう告白の書置きを、家に残しておいた」

「……は?」

「“顔の無い巨人”の世界に向けた再侵攻は失敗。失意に沈んだ彼女は自らの責任を取る為に身を投げる————そんな場面を最後に憧れの人の前で演じられるなんて、とっても素敵なことだと思わない?」

 

 

 少しだけ、理解するのに時間を要した。

 だから状況を察したのは言葉によるものでは無くて、彼女の顔を見たからだ。

 

 

「……あのね、あの時言えなかったことなんだけど」

 

 

 神崎未来はふと思い出したように目を細める。

 それは今より少しだけ幼い、誰かに助けを求めるような顔をしていた昔の彼女に重なる。

 

 

「私を救ってくれてありがとう」

 

 

 ————そう言って、足場も何もない空に彼女は身を投げ出した。

 

 風が吹く。

 ゆっくりと満足したように目を閉じた神崎未来の姿が消えていく。

 ICPOやUNNに追われる“顔の無い巨人”の名を背負って、その女性の姿は消えていく。

 

 

 分かっていた。

 直前の言動や立ち位置の動かし方。

 視線や意識の誘導があって、私の警戒心を煽るような態度を見せたこと。

 全ての考えを見通せなくとも、彼女の意図は何となくだが気が付いていた。

 だから驚きよりも納得が、私の頭の中にはあった。

 

 彼女が、神崎未来が“顔の無い巨人”であったと言い残してこの世を去ったとする。

 直前の出来事や死亡した彼女の残した遺書から、疑惑があれどそれが真実の方が都合のいい人達は沢山いるだろうから、数年前唐突に異能の行使を止めた時よりは信憑性があるとして処理されるだろう。

 それで、ICPOの捜索やUNNから“顔の無い巨人”へ向けられる警戒が無くなる可能性は、十分あるだろうと思う。

 私の過去の行いを追い掛ける人達の捜索の手から逃れることができて、私が望む平穏の日常がやって来るかもしれない。

 それはきっと、私にとってはこの上なく良い事なんだろう。

 

 加えて、“百貌”は悪い奴だ。

 私の過去を模倣して、私の異能をこれでもかと使って、私の過去の行いを利用して、そうして私が止めた計画を復活させようと目論んだ。

 私の明かされたくない過去の姿を色んな人に見せ付けたし、私の過去の姿を使って洗脳や攻撃を行った。

 飛鳥さんや神楽坂さんを傷付けて、色んな人達に迷惑を掛けた。

 他人の姿を利用してそんな事をするなんて、本当にとんでもなく迷惑な奴だって思う。

 痛い目に遭えばいいと、私は思う。

 

 私の過去を清算してくれて、悪い奴が一人痛い目に遭う。

 これから起こるのはきっとそれだけの話。

 

 

 

 

 ……でも神様。

 やっぱり私は、命にかかわるような罰はあんまりにも重すぎると思うのです。

 

 

「————え?」

 

 

 嫌な予感がした瞬間、私は無意識に駆け出していた。

 気が付けば私は落ちていく彼女に対して必死に手を伸ばしている。

 走り出しが早かったから、一瞬だけ見えなくなっていた神崎未来の心底驚いたような顔がもう目の前にある。

 伸ばした手が彼女の腕を何とかギリギリで掴むことに成功して、ピリッとした痛みが私の腕から全身を走り抜けた。

 

 自分の顔が歪んだのが分かった。

 運動も碌にできない私が、自分よりも体重があるだろう女性の体を掴み止めるだなんて、普通に考えて出来る訳がない。

 屋上の端をもう片方の手で掴んで何とか落ちないようにと頑張るが、体を引き裂くような痛みに悲鳴がこみ上げる。

 

 予想できた痛みだ。

 異能を酷使してボロボロになった体をさらに傷付ける行為だ。

 判断としては、あり得ないのだろう。

 

 

「な、なんでっ……!? 貴女にとって迷惑な事ばかりをした私を助ける意味なんて……!!」

「っ、なんでっ……? そんなのっ……私が分かる訳無いじゃないですか……!」

「どういうこと!?」

 

 

 私は屑だ。

 性格は悪いし、自己保身ばかりを考えているし、善人とは言えないようなことも一杯やって来た。

 少しは成長した今も、神楽坂さんのような出来た人間にはなれていないし、過去のやらかしの責任を取ろうだなんて殊勝な事も考えていない。

 それでいて、悪い奴がそこら辺で野垂れ死のうがどうでもいいと思っていて、助かろうともしない人を無理に助けようだなんて思わない非情な人間でもある。

 

 だから本当は、私は神楽坂さんから褒められるような人間なんかではないのだ。

 自分がそんな人間だって分かっているから、自分の好都合な選択を潰してまで散々迷惑を掛けて来た相手を必死に助けようとするなんてこと、きっと私自身が他の誰よりも理解できない。

 

 

「思わず体が動いちゃったんです……! 落ちちゃった神楽坂さんの無事を確認しないとって思っていたから、追加で落下していこうとする貴女を見て反射的に手を伸ばしちゃって……ああ、もうっ、違う! そうじゃない! 私が貴女に手を伸ばしたのはっ……」

 

 

 それでも。

 自ら追い詰められる状況へ飛び込む、そんな突拍子もない自分の行動に混乱していた私は涙で滲む視界に写した神崎未来の悲痛な表情を見て何となく理解する。

 

 私が、自らの意志で落ちようとする彼女に手を伸ばした理由は————。

 

 

「貴女は、私の妹達の恩人でしょうっ……!?」

「!?」

 

 

 ————“百貌”が、神崎未来がただ悪いだけの人ではないと知っていたから。

 

 絶句する神崎未来の、片足に巻かれた包帯を私は見た。

 ショッピングモールで食事した際、落ちてきた物から少女二人を庇った何処かの誰か。

 その人の話は、暗い顔をした妹達から聞いていた。

 

『あのね、お姉……私達、あのショッピングモールで、飛行機が突っ込んで来た時、女の人に庇われて……その人、それで足が折れたのに……逃げるようにって、言ってくれて……』

『私達、その人見捨てて逃げたんだ…………ううん、桐佳ちゃんだけじゃなくて、私達が見捨てて逃げたの』

 

 話を聞く限り、生存は絶望的。

 それでも少ない死者数に希望を抱き、ふとした時にその誰かを探していた二人を見て、私も妹達の恩人の足取りを探し始めた。

 断片的なものではあったが、妹達やマキナからその人物の情報を聞き、何となく思い描いた人物像とその人の行動の不自然さに違和感を私は覚えた。

 

 妹達への不自然な接触の仕方。

 その人物が“死の商人”の襲撃にいち早く気が付いたこと。

 そして、あのショッピングモールで突然現れた“百貌”のこと。

 そんな幾つも存在した不自然な点が線となり、“百貌”の正体である彼女の足にあった怪我を見たことで、私は神崎未来が妹達の恩人である何処かの誰かであったのだと確信した。

 

 だからこそ、この手は離さない。

 

 

「私は自分の過去のことを別の誰かに押し付けるつもりなんてない! 私の妹達が罪悪感を抱えないようにっ、貴女には生きて貰わないといけない! 私はまだ、私の妹達を助けてくれた人に感謝も伝えられてないから! 私は貴女に死なれる方が迷惑なんですよバーカ!!」

「……」

「意地でも引き上げてやりますっ……!! うぎぎぎぎ!!」

 

 

 ブルブルと震える腕で何とか引き上げようとする私。

 けれど散々疲労した今の私では自分より体重があるものを片手で引き上げる事なんて出来ないし、そもそも元気な状態でもそれが出来るとは思えない。

 

 呆然と見上げて来る神崎未来を余所に、頭の上に乗ったエクス・デウスがもう一度起動してこの状況から助けてくれないものかと思うが、完全に休眠状態になっているエクス・デウスはピクリとも動かないし、マキナはこの状況をどうにかできる力を持っていない。

 

 自分の力でどうにかするしかない状況。

 威勢の良い事を言ったものの、痛みと打開策の無さで早速心が折れかかる。

 

 

(だ、駄目だ……重すぎる……。こ、ここまで来て二人とも落下死なんて笑えないのに……)

 

「んぐぬぬぬ……! うぎぎぎぎぃ……!」

『お、御母様頑張れっ! 今飛鳥の奴に連絡して場所を知らせた……オア゛!?』

 

 

 その瞬間、本当に運悪く突風が吹いた。

 私の背中を押すような追い風。

 そんな突風に背中を押され、グラリとバランスを崩した私は目を丸くする神崎未来に飛び付く形で空中に放り出されてしまう。

 

 私と共に落下し始めたことを理解した神崎未来は、慌てて空中で私を抱き寄せてきた。

 

 

「んぎゃああああ!? 落ちるっ! 落ちちゃうぅぅ!!」

「ちょっ、わ、私に掛けた異能の制限を今すぐ解除して! すぐに飛禅飛鳥を模倣して……あ、私の異能は誰かに見られてたら使えないんだった……」

「やっぱりそういう使い辛い部分もあるんですねっ!? さ、さっきアイツが使ってた意識混濁(ソウルシェイカー)なんて出力が足りな過ぎるし……し、死ぬ! 死んじゃうぅぅ!」

 

 

 十メートル落下するのに掛かる時間は一秒と少し。

 空気抵抗を含めないで考えるなら、大体三百メートル程度のこのビルの高さからの落下に掛かる時間はおよそ八秒だろうか。

 悲鳴を上げる私の頭の中で酷く冷静にそんな計算がなされ、襲い来る死の恐怖がより明確な形となって迫って来る。

 

 何をどうしたって八秒の内に飛行手段を確保するなんて無理な話である。

 

 そんなことを理解してしまった私の頭を、ぎゅっと、神崎未来が抱え込む。

 恐い物を何も見えないようにとするそんな最後の優しさを見せられて、私はもう無理やりにでも頭の上のエクス・デウスを起動させてこの窮地を脱しようとした。

 

 だが、そんな絶望の中くっきりと落下地点の地面が見えた時、そこに携帯を片手に持つ見覚えのある男性が大きく手を振っている姿を確認できた。

 先に落下して安否の分からなかった神楽坂さんが、落下している途中の私達をしっかりと捉えながら携帯に向けて何かを叫んでいる。

 

 

「あっ、あっ、か、神楽坂さんっ、う、受け止めてっ……!」

 

「————飛禅っ! ここだっ! 真っ直ぐ飛んで来い! 佐取を受け止めろ!!」

「言われなくても分かってますよっ、もうっ! こっちだって限界ギリギリなんですからね!!」

 

 

 もうほんの少しで地面に衝突する直前、ふわりと体に浮遊感を覚える。

 

 優しく、的確に。

 これまでの落下の運動エネルギーを、弧を描かせるようにして別方向へと切り替えていく感覚。

 そして次の瞬間には、ジェットコースターの急激な上下カーブのような曲線の軌道を描いて、私と神崎未来は大空へと再び飛び上がった。

 

 現代科学ではありえない飛行能力、【物体を浮遊させる】異能の力。

 ほっとしたような顔の神楽坂さんがすぐに見えなくなり、ガシリと誰かの手が私の襟首を乱暴に掴む。

 掴んできた手の強さから、その人物が怒りに満ちている事を察した私は、先ほどまでとは別の恐怖に駆られて縮こまるようにして言い訳を考える。

 

 

「燐香……私が何を言うか分かるわよね?」

「あわ、あわわっ……! あ、飛鳥さんっ、助かりましたありがとうございます……! や、やっぱり飛行能力って便利で素敵で最高ですね! 精神干渉とは格が違うや! 最強無敵格好良い!」

「そうじゃないわよこのポンコツ!!」

 

 

 飛鳥さんは私の必死の命乞いがお気に召さなかったようで激昂する。

 折角助かったというのに、いまだに信じられないような顔で呆ける神崎未来を置いて、私と飛鳥さんはいつも通りの言い争いを始める。

 

 

「一人で無茶して危機に陥るくらいなら、最初から私の仕事を手伝いなさいよ!! こっちは元犯罪者の“紫龍”を入れるくらい戦力不足なのよ!? もう絶対神楽坂先輩と一緒に私の部署に入れるから! それかアンタが何かの組織を作りなさいよね!!」

「いだだだっ!? そ、そんなこと言われてもっ!? わ、私は悪くない! 私は悪くないんです! 全部コイツ! 全部コイツが!!」

「言い訳するなポンコツ!!」

「ポンコツポンコツってっ……言っときますけどポンコツは私の代名詞じゃないですよ!? 鳥女鶏女やーいやーい!」

「落とすわよ!?」

 

「……ふっ」

 

 

 飛鳥さんは私の言い分など聞きもしない。

 さらに強くなっていく握りの強さと飛行速度の加速具合に、私が惨めな悲鳴を上げていれば、今も私を抱きしめていた神崎未来が唐突に噴き出した。

 何もかもがとんでもなくどうでも良くなってしまったような、そんな風に脱力した神崎未来が続けて体を震わせながら大きな声で笑い始める。

 

 

「あはっ、あはははははっ、な、何これっ……こ、こんな情けない結末っ、ぷぷっ。わ、私、馬鹿みたいっ、あはははははっ」

「な、なにを笑っているんですか!? こっちは絶体絶命なんです! 全部貴女のせいなんですからちゃんと私の弁護をして下さい!」

「他人に責任を押し付けてるんじゃないわよ! 私が怒ってるのはアンタの、私に対する態度と行動に対してなんだから!! 大体何よソイツ! 笑ってばかりで全然……あれ? もしかして、神崎未来?」

「全然状況把握してなかった!? 理不尽過ぎる!! 私、頑張ったのにぃ……!!」

 

「あはははははっ!」

 

 

 子供のような笑い声を、周囲を憚らずに上げ始める。

 心の底から溢れ出してしまったような笑いに、思わず私と飛鳥さんが醜い争いを止める。

 情況をほとんど理解していない飛鳥さんからの「コイツは何だ」という視線に対して何とか視線で応えようとしていた私に、ひとしきり笑い終えた神崎未来は目じりに涙を浮かべながら口を開く。

 

 

「ふふっ……ねえ、佐取燐香さん。やっぱり私ね、飛び降りようとした時も、貴女に初めて会った時も、私自身が思うよりもずっと誰かに助けを求めていたんだと思う。心のどこかで助けて欲しいと願っていたんだと思う。自分で選んだ未来だったのに、馬鹿な話だと思わない?」

 

 

 色んなしがらみから解放されたような飛行の中で、神崎未来はどこか満ち足りたようにそう言った。

 

 

「……“百貌”は私です。私は貴女達の望むように、どのようにでも罪を償います」

 

 

 “百貌”神崎未来はそう言うと、もう一度だけ私を抱き締める力を強め、頭を下げるように顔を伏せた。

 

 

 

 

 




いつもお付き合いありがとうございます!
ひとまずこれにて11章は終了となります!
随分長い時間を掛けての1章となりましたが、楽しんでもらえたならとっても嬉しいですー!
次話は間章となりますので、引き続きお付き合い頂けると嬉しいです!!

また書籍第1巻の発売が1週間を切りました!
書籍の方でもお付き合い頂けたらとっても嬉しいです!
何卒これからも宜しくお願いいたします!



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間章Ⅱ‐Ⅳ
とある計画の終着点


本話から間章となります!
本作の第一巻も発売中ですが、引き続きふにゃふにゃと更新を続けていきますので、これからもよろしくお願いします!

また、後書きの方に書籍に関するお知らせとリンクを張っておきますのと、第一話に特典SSがどんなものか参考になるような話を投稿したいと思いますので、ご承知おきくださいー!


 

 

 

 

【人神計画】と呼ばれる、ほんの半日だけの世界掌握は終わりを迎えた。

 日本の国会議事堂で行われた、“faceless god”を掲げる信者達の占拠立てこもり事件を端緒として始まったものだけに暴徒による怪我人は多くあったものの、死者は一人として出なかったのだ。

 だからこそ、ほとんどが異能による影響だけで済んだ一連の事件は広く周知されるに至らず、国会議事堂に集まった事情を知るICPOや警察官達も事件の全容を掴み切れずにいた。

 

 異能犯罪の特徴ともいえる、世界中に異変が起きた筈であったのに、その証拠となる物が何も残っていない状態。

 時間回帰や精神干渉なんていう異能が繰り返し行使された訳だから、時間的にも状況的にも辻褄なんて合わない。

 全てが終わった後に残されたのは、“百貌”という絶対的な強者が君臨していた事実と、破壊された国会議事堂の周辺にいた人々が治療を施されていたことだけだった。

 

 結局、数年前に発生したあの事件を機に同種の危機が起らぬようにと数々の対策を講じていたにも関わらず、この事件の一切を防ぐことが出来なかったのだ。

 

 死者はいないものの、それでも対異能戦力が壊滅的ともいえる被害を受けたICPO。

 築き上げた戦力や対策、それらに抱いていた自信が根本から崩壊してしまった。

 そんな状態であったから、ICPOの面々は事態が終息した後も即座に本部に戻る事も出来ず、しばらくの間日本に滞在しながら立て直しや情報収集することとなったのだ。

 

 

「先日国会で認可された超能力者に対する法案の中に、《当該超能力犯罪の取り締まりを行う部署の長が判断する時、罪を犯した超能力保持者を国外公的機関に引き渡し、或いは同部署で刑務期間中の奉仕活動を行わせることが出来る》、とありますねぇ。つまり今回の場合、飛禅飛鳥さんが国外公的機関、貴方方ICPOに引き渡す必要が無いと判断したのですからぁ、“百貌”神崎未来の身柄を我が国で拘束するのは正当な権利という訳です、はい。それでも貴方方が必要以上の強権を振るわれると仰られるのでしたら、組織の長を介して我が国への正式な申し出をするようお願いしても宜しいでしょうか?」

「……ふん、なるほどね」

 

 

 そして、世間に認知されたとは言い難いこの大事も収拾を話し合う者達がいる。

 暴徒によって入院が必要となった内閣総理大臣に代わり、他の議員達からの信頼が厚い阿井田議員が世界の異能犯罪を取り締まる組織のトップと面談を行っていた。

 

 異能を持つ者達の中でも最強と名高い高齢の女性が不快そうに眉を顰めているのを前にして、阿井田議員は心情を全く悟らせない笑みを顔に張り付けている。

 

 

「随分絶妙な話だね? まるで最初からICPOがこの国の異能持ちを拘束しようとしている事を知っていたかのような手腕だ。事前に、異能持ちの保護や権利を明文化させるという綺麗ごとを隠れ蓑にしたこんな法案を成立させるなんて、とんでもない話じゃないか?」

「そうですなぁ、私としても偶然このような事になるとは思いもしませんでしたし、新法案にこんな側面があるとは驚かされました。ましてや、飛禅飛鳥さんが貴方方に対して“百貌”の身柄引き渡しを拒否するなんて……よほど拘束できるという自信があるのでしょうねぇ。頼もしい限りです」

「老獪な事だね……これ以上は内政干渉になりかねないじゃないか」

 

 

 日本という国にしては不気味なほど早く成立した法案。

 情勢を考えるとこのような事もあるかと思っていたが、現在“百貌”の身柄引き渡しを正式な形で拒否されている事を考えれば、それが偶然や幸運によるものでは無かったのだとすぐに分かる。

 

 あの不気味な法案成立を裏で糸を引いていたのはコイツか、と。

 ヘレナがじっと好々爺然とした阿井田議員を見遣れば、その視線に気が付いた老獪な人物はニコリと微笑みを返してくる。

 世界最強の異能使いと呼ばれる魔女を全く恐れる様子が無い阿井田議員の様子に、この国の政治家にもここまでの胆力を持つ者がいるのかとヘレナは溜息を吐いた。

 

 

「……アンタ、さては“百貌”や“顔の無い巨人”に関わりがあるね?」

「ははっ、御冗談を。もしもそうであるなら我が国の国防は安泰ですなぁ。それよりも、どうでしょう。せっかく貴方方国際警察が異能戦力を揃えて我が国に訪れたのですから、わが国で成立した法案の確認とこちらの異能犯罪が発生した際の相互協力に関する取り決めにサインして頂くというのは」

「私らの面目を保つためにも、ね。その口車に乗ってやろうじゃないか、まったく……」

 

 

 世界の異能犯罪の解決を主導するICPOに敗北の事実は在ってはならない。

 異能を持った者達はその事実に罪を犯す事を楽観視する上、異能を持たぬ者達はICPOすら打倒する才能、つまり異能を求める結果になる。

 そんな結果が想像に難しくないからこそ、かつて世界を掌握した“顔の無い巨人”を標的とした作戦も、極秘中の極秘として動いていたのだ。

 

 つまり敗北も十分あり得るだろうと考えられていたからだ。

 

 

(日本で成立した法案を私らに確認させ情報のやり取りを行う。日本国内で発生した異能犯罪への相互協力をあらかじめ取り決めておく。どちらもいずれはやりたい事だったのは間違いない……けど、このどさくさに紛れてコイツが自分達が有利になるよう策を弄している可能性もある。慎重な確認が必要だね)

 

 

 最高戦力の集結には理由付けが必要になる。

 この日本という国に集められた異能最強組織である彼らの戦力が集められた事実を理由付けする為に、成果を出せなかった等考えられないようにする為に。

 この笑顔を顔に張りつけ、心情を全く悟らせない老獪な人物が提示する仕事をこなせば、少なくともヘレナ達がここに来た理由にはなるだろう。

 多少理由付けが弱かろうと、全くないよりもマシであるから、言外に伝えられるこれ以上の詮索は不要という要求に頷いて、ヘレナは差し出された書面に目を落とす。

 

 

「ところでこれは確認なのですが、ICPOの方々と我が国の異能対策部署の人員が協力し暴走する“百貌”を追い詰めた。“百貌”の身柄はこの国の法律に則った処罰を行い、この国で身柄を拘束するという形で問題ありませんね?」

「ああ、全く面倒な奴だね。立場も弱くて弱みを握られたこっちが拒否する訳がないのは分かっているんだろう。言っておくけどね、拘束し切れなくて脱走した場合の責任はアンタ達だよ。その際の指揮権をどちらが持つかは、分かってるね?」

「いえいえいえ、何をおっしゃいます。内閣総理大臣を含め私達が無事であったのは、ICPOの方々の尽力があったからに他なりませんし、助けられた身の私達が恩を忘れよう筈がありません。お互いに、より良い解釈が出来ればと考えていますとも」

「ふん……」

 

 

 あまりにも遠回りに話を続ける阿井田議員の態度が微塵も変わらない事にヘレナの額に青筋が浮かび始める。

 話の本題は終わったのだからと、碌に返事もしないままじっと書面を確認していたヘレナに対して、少しだけ感情を覗かせた阿井田議員が口を開いた。

 

 

「……ところでこれは、個人的な興味の話なのですがね……“百貌”が最後に貴女を呼んだ、御師匠様というのはどういう意味が?」

「さあね、これまで“百貌”の奴とは会った事が無いから、単なる勘違いなんじゃないかね」

「ふむぅ、そうですか……」

 

 

 突然のそんな質問をヘレナは適当に返事する。

 そんな訳が無いのはヘレナ自身が一番分かっていたけれど、親しくも無いこの相手にあの関係性を説明するつもりなど無かった。

 

『————御師匠様』

 

 自分をそう呼んでくれた少女の寂しそうな表情。

 頭から離れないその少女の姿を忘れようとしながら、ヘレナは目の前のやらなければならない処理に手を付けた。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 ICPO、国際刑事警察機構の中でも異能犯罪・異能テロの対応解決を専門として組織された者達は普段一堂に会する事はほとんどなく、バラバラになって各国の事件解決に尽力している。

 故に世界各地で異能犯罪が頻発している中、日本という一つの国に戦力を集結させている現在の状況は非常に珍しかった。

 

 普段から、扱い方次第では国家転覆も可能な異能という兵器を所持した自分達が与える影響をよく理解している彼らは、本部以外で長期間滞在するようなことがほとんどない。

 借りなど作るようなことはするべきではないし、情が生まれれば後々面倒なことになるのは目に見えている。

 公的な立場を持ち、容易く人の生命を脅かせる力を持った自分達に、下心なく近付いて来る者などいないと、そう考えているからこその判断。

 

 異能という超常的な力をいくら所持していようとも、彼らが人である以上人間関係には最大限の注意を払う必要があるのだろうと、ICPO特別顧問ルシア・クラークは改めて思った。

 

 

『巨大な球体がどこにもっ、どこにもいないよぅ……! お、おら、怖くて怖くて、あんだけ大きな存在が姿を消すなんてっ、見るしか出来ないおらの異能があんなのを見付けられないなんて駄目駄目だぁ……』

『あ、ちょっと、ミレーちゃん! そんなネガティブな事を口にしたら駄目だよ! 今の俺達は皆がこの前の事でメンタルやられてるんだからっ……ほら、さっそく楼杏が……!』

『……駄目駄目、か。ふふ、己、無力。技術も出力も完全に負けていた。自信喪失自我喪失だ。一から鍛え直す必要が……』

『まあ良いじゃねえかロラン。楼杏が大人しいとこれだけ過ごしやすいんだからよ。いつもコイツの偏食に連れ回されている俺からしたらこの状態の方がずっと良いぜ』

 

『やはり日本語は難しい……あれだけ勉強してまだカタコトだと言われるとは思わなかった。俺よりもレムリアの方が日本語が上手いなんて……』

『アブサントは本当にマイペースだよね。今この状況で日本語の学習状況なんて普通気にしないと思うよ? ……それにしてもさ、百貌さんの影響で“顔の無い巨人”さんの捜索の手が止まっちゃったけど、僕達これからどうするんだろうね』

『レムリアこそ何を言っているんだ。百貌すら攻略できなかった今の俺達では“顔の無い巨人”を見つけ出す事もできないだろう。戦力の再編成と対精神干渉への戦略立て直しが必要だ』

『アブサントってそれはちゃんと考えてるんだね……』

『自分達の先の事を考えていない筈ないだろう? ところでルシア、この漢字なんだが読み方がいくつもあるのはどうやって見分ければ……』

『…………ヘレナ女史、早く帰ってこないかなぁ』

 

 

 とあるホテルの一室。

 ルシアの目前に広がるのは、異能組織として世界最高と認められている者達の姿だ。

 世界各地で発生する異能犯罪、異能テロへの対処として各国から要請を受けて解決に駆け回る冷酷な異能戦力集団。

 その実動戦力である彼らは、この組織に置いて主軸であり、彼らが居なければ成り立たないほど重要な人材である。

 

 それが、そんな彼らが百貌と呼ばれる一人の異能持ちに敗北したことで、心が折られていたり、自信を喪失していたりと悲惨な様相を見せている。

 

 彼等には自信があった。

 これまで苦戦はすれど完全な敗北、或いはたった一人の敵に手も足も出ないなんて事態は遭遇したことが無かった。

 想定としての敗北はしていたが、最終的にはヘレナが駆け付けて最終的には解決が可能だということに彼らは何の疑いも持っていなかったのだ。

 

 だからこそ今回の事態で、彼らが受けた被害は実際のものよりも酷く大きいのだろうとルシアは思う。

 

 

(直接的な被害が無かったから油断があった。“白き神”や“死の商人”と同格以上の危険性を“百貌”が持っていたなんて……ヘレナ女史の異能があったからこそだけど、取り敢えず再起不能の怪我も死者も出ていないのは不幸中の幸い。あれだけ一方的にやられて被害の無いことを喜ぶべきね)

 

 

 ヘレナの異能による治療でそれぞれの疲労や負傷が残っていることは無い。

 メンタル面はともかくとして、全員が比較的健康な様子であることを確認し、健康管理を任されていたルシアはほっと胸を撫で下ろす。

 

 待機を命じられた彼らのそんな暗い空気の中に、携帯電話にメッセージの受信音が響いた。

 

 

『お、っと、ヘレナさんから連絡が来たな……どうやら“顔の無い巨人”の確保については正式に中止になるらしい。まあ、この状況なら当然か……くそ……』

『それはヘレナの考えなのか?』

『いいや、もっと上の人達からの決定指示だそうだ。俺達が“顔の無い巨人”ですらないたった一人の異能持ちを相手に負けたというのを知って、計画の中止を決めたんだろう』

『……ロラン、済まない。対精神干渉として期待されていた己が働き切れなかったのが悪い。異能の性能差は微量、発動速度や技量に差があり過ぎたと思う。完全に己の怠慢』

『へっ、ロランも楼杏も随分としおらしいじゃねえか。あのババアですら手に負えなかったんだからどうにもならなかったと諦められないもんかね』

 

 

 予想出来ていたとはいえ明確に作戦の失敗を伝えられ表情を暗くしたロランと楼杏とは違い、ベルガルドは肩を竦めながら投げやりにそんなことを言う。

 普段であればすぐに口喧嘩に発展するだろう発言にも、楼杏は大きな反応を示す事無く、不機嫌そうに唸り声を漏らすだけだった。

 

 誰もがどこか本調子ではない微妙な空気。

 そんな中、レムリアが腕を組みながら何かを思い出すようにして口を開く。

 

 

『それにしても、本当に百貌さん強かったよね。僕と同じくらいの歳の女の子の姿をしていたのに、ヘレナお婆ちゃんと正面からやり合えるなんて今でも信じられないよ。僕って皆から異能の才能が凄いって褒められてきたけど、あんなの見ちゃったら全然まだまだだなって思うよ』

『レムリアと同じくらいの歳の女の子……確かにあんな年齢の子があれだけ異能の力を振るえるなんて想像もしてませんでした。世の中広いものですよね』

『そうだよね! “顔の無い巨人”さんはその百貌さんよりも強いんだから本当に凄いや! ……でも僕、あの子どこかで見たことある気がするんだよなぁ。あの顔立ちとか髪色とか、立ち振る舞いとか……うーん?』

『百貌を? それは……少し気になりますね。恐らく百貌の身柄は引き渡されるでしょうから、その後確認してみましょうか』

 

 

 ふとしたレムリアの言葉に対してルシアは引っ掛かりを覚え、予定の一つに確認を加えた。

 “百貌”の異能の詳細や動機、人定についてはまだまだ判明していない訳だが、それらを記録化しておくのも特別顧問であるルシアの大切な仕事の一つである。

 

 けれど、自分の言い分をしっかりと聞き考えてくれているルシアに対して、レムリアは申し訳なさそうな顔を浮かべた。

 

 

『あー……でも、僕はどちらかというと遠目で見ただけだったし、そんな気がするだけで確信がある訳じゃ無いし……忙しかったら、別に良いよ?』

『え? レムリア、そんな気にしないで良いんですよ? 別にそんな負担でも無いですし、何よりも実動の人達が感じたことを確認するのは私のちゃんとした仕事の一つですからね』

『ううーん、それはそうなのかもしれないけど、見当違いだったら申し訳ないって言うか

 ね……僕ってほら、最近あんまり役に立ててないし、迷惑ばかりかけちゃってるし』

『もうレムリア、そんな変な遠慮なんていらないですよ』

 

 

 “泥鷹”や“死の商人”の件で手痛い敗北を経験しているレムリアの申し訳なさそうな様子に、ルシアはどうフォローしたものかと頭を悩ませる。

 その二件だけでなく今回の“百貌”の件も、きっと責任感が強く真面目なレムリアは自分が何も出来なかったと後悔しているのだろう。

 

 そう思い、何か話題を変えようと考えたルシアはふとヘレナから聞いていたあることを思い出した。

 

 

『そう言えばレムリア、日本に片想いの相手がいるってヘレナ女史から聞いたけど』

『ぶっ!? へ、ヘレナお婆さんっ、本当に……!! 違うよっ、あれは前に助けてくれた人で感謝してるっていうだけなんだよ! そういうヘレナお婆さんが大好きな恋愛の話なんかじゃ……!!』

『恋愛の話か? 俺も参加しよう。良いかレムリア、女性を振り向かせたいなら先ずは気を引くことが必要だ。失敗しても良いから何か印象に残る行動をだな? ちなみにどんな子なんだ? 情報がいくつかあった方が助言しやすいんだが……』

『大人びてて優しくて体調が悪くなった僕をずっと背負ってくれてたあの人の事だよっ! そんなんじゃないから! ややこしくなるからロランは入って来ないでっ! ロランは若返ったヘレナお婆さんを口説くだけに集中しなよ!』

『金だ金。レムリアもかなり給金があって貯金もあるだろうが。贈り物だとかブランドだとかそういうので身だしなみを整えればほとんどの女は心を許すもんだ。あとは適当に見た目を褒めとけ』

『ベルガルドの言葉には品性も感じられないし説得力も無いからっ……! 良いから放っておいてよっ、もうっ! 恋愛どうこうじゃなくて感謝してるだけなの! 本当に!!』

 

 

 組織全体で我が子のように可愛がっているレムリアの初恋なんていう話題に食い付かない者はこの場にはいない。

 先ほどまでの、“百貌”への敗北に鬱屈としていた空気があっという間に緩んでいき、我知り顔で会話に加わって来たロランとベルガルドにレムリアが抗議の声を上げる。

 

 あっという間に暇人の大人達に囲まれていったレムリアを見て、話題の選択を間違えたと、顔をひきつらせたルシアに対しアブサントがぼそりと呟く。

 

 

『流石ルシアだ。レムリアを尊い犠牲にして一瞬で部屋の暗い空気を変えて見せるなんて。先ほどまでのジメジメとした雰囲気が、ニタニタとした好奇心へと一変されたな』

『わ、ワザとじゃないのよアブっ! あっ、あっ、レムリアの怒りの声が……! ごめんなさいレムリア、そんなつもりじゃなかったの!!』

 

 

 ロランとベルガルドという自称恋愛上手な二人からの追及が手に負えなくなったレムリアが『ルシアー!!』という怒りの叫びを上げる。

 アブサントが腕を組みながら頷き、無表情ながら若干目を輝かせた楼杏が耳を澄ませながら隣に陣取ってきたのを見て、ルシアは自分の失態に頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 

 

『ヘレナ女史、早く帰って来てぇ……!!』

 

 

 癇癪を起こしたレムリアが暴れ出さないことを祈りながら、事態をどう収拾付けるべきかと彼らの調整を任されているルシアは苦悩するのだった。

 

 

 

 




1月30日に本作、『非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?』が発売されました!いつも応援してくださる皆様のおかげです、ありがとうございます!
実は本作の公式サイト、公式Twitter(X)、広報用MV(オリジナル楽曲)が作成されており、そちらの方で様々な情報が出ております!(購入特典SS三種など)
オリジナル楽曲は凄い格好良い出来栄えですし、公式サイトのキャライラストなんかは挿絵にも出ていないキャラの姿が載っていたりします!

それぞれリンクを張っておきますのでもし興味がありましたら確認を宜しくお願いしますっ!!

【書籍化に伴うリンク集】

〇 KADOKAWA公式サイトリンク

https://www.kadokawa.co.jp/product/322308000521/

〇 『非ななな』特設サイト(こちらにMV情報などがあります!)

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仮面を選ぶ

 

 

 

 

 1月5日。

 年末年始の空気感が抜けきらないこの時期に、日本ではある一つの話題が持ちきりになっていた。

 

 

「ねえ聞いたっ!? 神崎未来が芸能活動を休止したって話っ!」

「聞いた聞いた! あれでしょ? 犯罪をしたとかなんとか!」

「警察関係者が海外撮影の時に超能力を持てるようになる薬を使ったって言ってるんだって! そんなので活動休止とかさ、ありえないと思わない!?」

「何かしたとかいう話が無いし……そこまで大きな事じゃないんだろうから、気にする必要ないのにね……」

「どうせ嫉妬した他の芸能人に圧力とか掛けられたり、こっそり薬品を食べ物に入れられたりしたんだよ、きっと! マジ最悪!! 私好きだったのにさー!」

 

 

【日本が誇る大女優、神崎未来の逮捕】

 街中を歩く学生達の会話や報道で日々交わされるそんな話は、既に日本中どころか世界中で噂されている最も大きな話題だ。

 そしてその話題に対して、事件の正確な情報を知る由の無い世間は、好感度が異常ともいえるほどに高かった神崎未来への同情と逮捕事由へ向ける猜疑の声が溢れている状態であった。

 

 それは以前、神薙隆一郎という世界最高峰の医師が逮捕された時と同じである。

 だが同時に、周知され始めている異能の危険性がゆえに、逮捕された理由である異能開花薬品の入手と使用に関する罪に対しては表立って異議を唱えるような者はどこにもいない。

 

 間違いなく異能は存在し、危険であり、場合によっては逮捕されるべきであると、世間の考えは更新されていた。

 

 

「インタビューとかされても凄い丁寧だったし、ファンサも完璧で人柄も良かったのに。よく分からない事情であれだけの人を潰すなんて……何とか復帰してくれないかなぁ」

「超能力って、薬とかなんだとかよく分からないけど本当に怖いよね……神崎さん気を病んでないと良いんだけど……」

 

 

 異能というものの危険性を確かに把握しつつある世間の認識。

 ただそれが、テレビ越しでしか見た事のない人物へ向ける信頼を超えるかどうかはまた別問題なのだ。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 日本国内にあるとある施設。

 異能所持者を収容する為に作られたその、特別面会室と呼ばれる場所で、現警視庁異能対策部部長の飛禅飛鳥が強化プラスチックを挟んだ相手を鋭い目で観察していた。

 

 それは少し前、飛禅飛鳥が【液状変性】の異能を持つ危険な女と面会した時と同じ形。

 

 単なる面会とはいえ、本来犯罪者の対応としてはあり得ない一対一の面会を何度も繰り返している日本警察の現状は、安全面から考えれば稚拙ではある。

 だが、日本が持つ異能犯罪者の収容事情を考慮するとそれは仕方のないことなのだ。

 

 取り上げる事が出来ず、使用させないよう制限する事も現状の科学の力では出来ない、限られた個が持つ凶悪な武器【異能】。

 それを持った者だけが纏めて収容され、その危険性から様々な特別措置を設けられている彼らと対峙できるのは、ごくごく限られた者達だけである。

 そのごくごく限られた者達の中でも、殊更立場や地位、そして力を有するのが飛禅飛鳥であり、抑え付けられない犯罪者と対峙することに拒否感を示す者達が多い以上、彼女にその役割が回ってくるのは当然。

 この面会室を利用するのが飛禅飛鳥ばかりなのは、新設された異能対策の部署がそんな対策の難しい、危険でやりたくない仕事の押し付け先として利用されているのが実情でもある訳だ。

 

 しかしそれは、押し付けられる側の飛禅飛鳥にとっては別に悪い事ばかりではない。

 

 

「————なるほど。和泉雅との件はやっぱり和泉雅と協力関係にあった訳じゃ無くて、アンタが一方的に奴の模倣をして異能によって分身体を作成したって事だったのね。アンタが演技できると判断した相手だったら、何にでも模倣できるという異能の性質を利用して、一方的に力を複写してストックにしていた」

「まあ、そうだね。和泉雅の分身は完全独立するタイプの異能だったから、別の人の模倣をしても存在し続けるっていう強みが使えると思ったんだよ。あ、その為にこの場所に侵入した事があったんだけど、以前テレビ番組で共演した際に飛鳥さんの模倣もストックしていたから」

「ああ……ここに収容されてる奴らの相手を全部私に押し付けるから、私の姿を模倣していただけですんなり和泉雅の下に辿り着けたってこと。ああそう、その部分の警備体制も見直さなくちゃいけないってことね、はぁ……」

 

 

 視線の先にいる女性、“百貌”神崎未来からの回答に飛鳥は頭の中で情報を整理する。

 そして明確に見えて来た、知り合いの少女の過去の姿をしていたこの女性の事情や異能の力に、あとどの部分が足りないかと次の質問内容を考えていく。

 

 こんな風に必ず自分を介するから、聞きたい事が漏れるような事も無ければ、これはいらないだろうという伝聞による情報の取捨選択や変な裏切りを警戒する必要が無くなる。

 やり取りの中で現場の問題点が直接見えるという部分や文章や伝聞だけでは分かり辛い性格的な危険性なんかの判断もしやすかったりする。

 

 そういった部分があるから、押し付けられていると分かっている飛鳥も素直に従いこうして何度も異能持ち用の収容施設へ足を運んでいるのだ。

 

 そして、なにより飛鳥にとって好都合なのがもう一つ。

 

 

「次、宍戸四郎の異能を開花させた件の弁明」

「宍戸君の件はさぁ、あれなんだよ。私が模倣を始めてすぐの頃だから、模倣先の考えに引っ張られすぎてね。不幸な境遇、善人である筈だった者。視えちゃった怒りとか悲しみとかに同情して思わず動いちゃったんだ。ほら、あのまま手を出さなかったら呑み込んでいた薬の副作用で彼、命を落としていたし。そういうのがあの頃の御母様は許せなかったんだと思うよ。まあ、私としても彼の異能を模倣するという手札が増えた訳だから悪い事ばかりじゃなかったんだけど、私自身の目的とは結構掛け離れた行動だったよね」

「……ふうん」

 

 

 解答の中にあったとあるワードを聞き、飛鳥はチラリとこの部屋を監視する唯一の監視カメラへと視線を投げた。

 期待通りその一瞬だけ、点灯している光が緑から赤に切り替わったのを見て、この場にいるもう一人が事前の手筈通りに動けている事を確認する。

 

【他の誰も立ち会わない代わりに、映像として監視かつ記録化するそれをどうにかしさえすれば、この場所は秘密の集会場としてうってつけ】。

 

 何よりも好都合なその部分。

 それがあるからこそ、公になって欲しくない情報の聞き取りを、飛鳥は何も気にせず安心して行える。

 

 

「アンタ、自分の異能に随分引っ張られるのね。異能の性質上仕方ない気もするけど、また判別の面倒な……それで、その後も模倣先の人格に振り回されたのか、協力者はいるのかについて話して頂戴」

「その人の全てをそのまま模倣する訳だからね。ただ、それからは目的を定めればある程度の自制とかは出来るようになったし、宍戸四郎の件の後は本当に私自身の考えを基軸として動き回っていたから私の意志が無かったとは言わないよ。協力者とかはいなくて、いたのはせいぜい相談相手くらいかなぁ。孤独な戦いだったよ」

「……相談相手ね」

「前々から話だけはしていたんだよね。これから自分は大きなことを仕出かすつもりで、もしも自分の企みが失敗したらあの人の事はお願いしたいって話。同じ境遇で、同じようにあの人に恩を感じている人だったからさ。方向性は違えたくなかったし」

「ああ……どおりで」

「あ、思い付いた人がいても名前は出さないでよね! その人に迷惑は掛けたくないし、直接協力してもらった訳じゃ無いんだから!」

「うっさいわね。良いから黙って私の質問に答えるだけしなさいよ」

 

 

 飛禅飛鳥はプラスチックの向こう側にいる到底凶悪な犯罪者には見えない神崎未来の様子を微妙な顔で眺めながら、小さく嘆息した。

 

 

(……先日決まったばかりの例のあの法案。色々違和感があったけど、アレが随分私達に都合の良かったのはそのある人物の計らいがあったからで、コイツの身柄をICPOではなくウチ預かりにする話が本当にすんなり通ったのも、恐らくこれを見越してた……なるほどね、異常な速さでの法案成立や根回しの上手さの理由がだいたい読めて来た)

 

「そうそう。聞くところによると飛鳥さんもお姉さん達と境遇は同じらしいね。つまり私達はある種の同士みたいなものだから、是非とも仲良くしようよ。ファンクラブ一番二番みたいなね」

「共通点見付けて懐いて来るな。そもそもお姉さんって何よ犯罪者」

「私の方が年上だからね、ふふんっ。年下の飛鳥さんが警察として頑張っているのを見ると本当に誇らしくなるよ。いやあ、頼もしいなぁ」

「私この前アンタにボコボコにされたんだけど……?」

 

 

 ついこの前、世界に影響を及ぼすようなとんでもない事をやらかしてこの場所に収容される事となった神崎未来。

 テレビ越しに見る才色兼備な姿とは違って、あれやこれやと騒がしい目の前の人物は図体ばっかり大きくなった子供である。

 

 そしてそんな人物が引き起こしたのが、“顔の無い巨人”の活動を模倣した【人神計画】の実行。

 規模こそ果てしなく影響も甚大だった訳だが、具体的に何の犯罪で捕まえるか非常に悩ましい事件でもあった。

 事件も名称化しづらく、何よりも犠牲者という犠牲者が実質的に存在しない。

 “紫龍”や“死の商人”などは犠牲者や状況証拠があり立件も比較的容易であったが、精神に干渉する力を多用した、或いは被害者の傷が残っていない今回はどの方向にもっていくにも難しい。

 

 だから“百貌”が関わる今回の件に収拾を付ける方法は、そもそも非常に限られていた。

 収拾を付ける形として事前に話し合っていたものが矛盾無いか、問題が残らないかを飛鳥は少しだけゆっくりと考える。

 

 

「……アンタは海外撮影の時に超能力を持てるようになる薬を違法に入手し使用、それで生まれた異能の力を制御できずに暴走した。そういう形だから、分かった? 異能の詳細は伏せるし、アンタの芸能活動は当然休止。発生する違約金なんかはアンタが払うのよ」

「あ、違約金なんかは心配しなくて大丈夫。この時の為に色々契約に注文付けておいたから誰かに迷惑を掛けるようなことは無いよ。私を使って商売を考えていた人達にとっては大迷惑だろうけどね。まあ、私としてはせっかくの意趣返しのタイミングで、請求が私の両親に行かないのはちょっとだけ惜しいかな」

「何から何まで想定済みってこと? 本当に腹立つ奴ね」

 

 

 一連の“百貌”の事件を片付ける話として都合が良く、事実から大きく外れている訳でもない収拾の付け方、それを飛鳥達は選ぶことにしたのだ。

 

 大きな被害が無いからと無罪放免には出来ないし、“百貌”という世間を揺るがした人物の拘束は必要不可欠。

 制圧に失敗したICPOが納得するだけの材料は提示する必要があり、破壊痕の残った国会議事堂を説明するにも、それを行った犯人の説明は不可避でもある。

 

 故に、“百貌”の正体が神崎未来だということは秘匿情報として関係者に知らせ、一般的には神崎未来が異能開花薬を不法入手・使用を行い、異能を暴走させたという形。

 異能を開花させる薬の違法入手及び使用、そして手に入れた異能の暴走での立件を今回は取ることとした訳だ。

 

 そしてその罪の刑は、さほど重いと言えるものではない。

 禁錮1年という比較的軽い実刑が想定されているが、この犯罪歴という汚点は役者という人気商売を生業としている神崎にとっては非常に重くのしかかる事だろう。

 ある意味、直接的な悪事を働いていた“紫龍”よりも重い罰だろうと思う飛鳥は、自身と似通う境遇を持つ彼女に内心少しだけ同情の念を抱いていた。

 

 始まりが似た者である自分も少し選択が違えば、なんて。

 そんな風に考えてしまうのだ。

 

 

(……もし、燐香と再会できなかったら、警察官という道を選んでいなければ。考え出したらキリがないけど、最初が同じっていうのは本当に後味が悪いわね。華々しい色んなものを失った後のコイツはどんな風に……)

 

「あーあ、私の女優業も実質引退かぁ。芸能生活が終わる時、私は生きていないだろうと思ってたんだけどなぁ。こうして生き延びちゃったし、今後働き口どうしよう……ねえ、飛鳥さん。個人での動画配信って稼げると思う? 飛鳥さんって最近警察の広報動画とかで活躍してたよね? 獣耳の飾りを付けたりした色物系動画配信者なんて面白いかな?」

「……本当にふてぶてしい奴ね、そんな動画の収益関係なんて知らないわよ。アンタ人気あるみたいだし稼げないってことは無いんじゃないの」

 

 

 けれど、そんな飛鳥の小さな同情心は神崎未来のあまりに気の抜けた態度で吹き飛ばされてしまった。

 

 ドラマや映画の役柄では本当に多種多様のキャラクターを演じていたし、共演したような報道番組に呼ばれていた時はその時々に合わせて求められている役をこなしていた。

 そんな芸能人として完璧な姿から勝手に思い描いていた落ち着いた大人という人物像が音を立てて崩れていくのを実感し、飛鳥は疲れたように肩を落とした。

 

 この能天気そうな姿が本性なのだとしたら、これを知って驚愕するファンの数はきっと途方もない数になるだろう。

 演技せずに動画配信なんてした暁には、ショックで寝込むファンが出ても不思議ではない。

 

 

「えー、雑な返答だなぁ。仲良くしようよ同士ぃ……」

「同士じゃないわ。変な仲間意識を作らないでよ」

「でもほら、私の異能なら幼い御母様の模倣した姿を撫でさせてあげたりできるんだよ? それって飛鳥さんにとってはすっごく魅力的なんじゃない?」

「……………………そんな甘言には屈しないし、それは別にアンタの異能による模倣でしかないんだからアンタ自身である事には変わりなくて、別にそんなの興味もないっていうか。私をそんなので騙せると思っているなら心外だし、そもそも異能使用の許可はしてないから勝手に模倣なんかしたら怒るわよ」

「じ、冗談だってば」

 

 

 早口で返答し、プラスチック板に顔を近付けた飛鳥に圧を感じた神崎は口元を引き攣らせ飛鳥から逃げるように体をのけぞらせる。

 

 プラスチック板の先に見える飛鳥の目があまりに怖い。

 ストーカー系の犯罪者はこんな感じの目をしているんだろうなという神崎の予想をそのまま映し出したような、そんな目をしている。

 やっぱりこれは地雷かと、眉間を指で揉みながら神崎は慌てて話の軌道を修正するよう試みた。

 

 

「えっと、話を戻すけど、前にも言った通り、私の処分は貴女達にお任せするからどんなものであっても抵抗なんてしないよ。貴女達が納得している処分ならどんなものにも従うつもりだからね。ただ、この処分について飛鳥さんの独断とか、警察や国際機関から強制されたりなんかじゃ」

 

「————ええ、はい。それは当然、違いますよ」

「あいたっ」

 

 

 突然響いた神崎とも飛鳥とも違う返答の声。

 その声の主はいつの間にかプラスチック板に顔を近付けていた飛鳥の後頭部を軽く叩き、とんでもない不機嫌そうな表情をして立っている。

 

 以前買い取った欲しくも無い高価な男性用フード付きコートを纏い、一見すると異能対策部署のトップだと噂されているブレインと呼ばれるその姿。

 犯罪者を収容するこの場所には似つかわしくない死んだ目をした少女、佐取燐香が誰にも気が付かれないうちに密室である筈のこの部屋に姿を現していた。

 

 佐取燐香という少女の登場に、神崎は目を大きく見開いて驚きを露わにする。

 

 

「御母様……!? ど、どうしてここに……? 流石にここに来るのは危ないんじゃ……」

「……模倣が解けているのに御母様って……あ、さてはマキナが私をそう呼んでいたから真似してるんだ……! 捕まえられてもまだ人を小馬鹿にするなんてっ、なんて奴……! ああもうっ、それはともかくっ……! 飛鳥さんだけじゃ本気で反抗しようとする貴女は手に負えないかもしれないと思ったし、貴女に仕掛けた首輪が正常に作動しているか確認する必要があるからこうして直接出向いたんです! 本当なら勿論こんな所には来ませんし、来たくなんかありませんよっ……! もしかしたら私がいつか収容される場所なのかもしれないと考えると……うぅぅ、すぐにでも早く帰りたい……」

「えぇ……」

 

 

 即座に繰り出される情緒不安定な燐香の様子に、神崎未来はひたすら困惑する。

 過去の、自信に満ちていて悩みなんて全て踏み潰して歩くような恩人の姿が微塵も無く、メンタル弱めっぽい人物が頭を抱えて唸っているのだ。

 

【人神計画】の実行時に対峙していた時にも感じていたいくつもの違和感が、変貌し切っている燐香の情けない姿で確信へと変わってしまう。

 

 

「っ……ちょっと燐香っ! なんで頭を叩いたのよっ! おでこがプラスチック板にぶつかって痛いんだけど!? 私、アンタの命救ったの二度目なんだけど!? 私、命の恩人なんですけどー!?」

「私を模倣した姿を撫で回す妄想をしてたからですよアホアホアホ! 私がこの部屋にいるって知ってた癖に! 私が近くで監視していること知っていた癖に! それに私の変な人形を勝手に作ってるのも知ってるんですからねっ!! 何仕事場に置いてるんですかアホ!」

「は、はあっ……!? そ、それはっ、そんなのしてないしっ、今関係ないし! っていうか人の仕事場を覗き見るなんてっ」

「私に対して嘘吐くなんて笑えますねファンクラブ会員24番っ!! 私は安全を確保するために色々調べて知ってるんだぞ!」

「うぐうっ!?」

 

 

 ぶつけて少し赤くなったおでこを押さえ不満を示したものの、即座に燐香のさらなる怒りによって反撃を受けた飛鳥は口を噤み大人しく椅子に座り直した。

 口論に負けてすっかり大人しくなった飛鳥を放置し、姿を現した燐香が膨れ面のまま神崎と向かい合う。

 

 

「……あの時の二人のやり取りで何となく分かってたけど、やっぱり警察の人達と協力関係にあったんだね」

「本当にごく一部の人達とだけですけどね。ふう……数日ぶりですか。足の怪我の調子はいかがですか?」

「その、足はもう日常生活を送るのに少し不便程度だから問題無いよ。桐佳ちゃんと遊里ちゃんには心配しないでって伝えて欲しいな」

「助けてくれた人が刑務所にいるとか凄く伝えにくいんですけどね……まあ、それならなによりです。ずっと足を庇っている姿には少々私も思う所がありましたからね。さて、話は変わりますが、私がこうして顔を出した理由は何となく分かりますよね?」

 

 

「それでは本題に入りましょう」と燐香は言って、顔をこわばらせた神崎を見遣る。

 

 

「貴女の異能は危険です。あらゆる人物を異能含めて模倣する強力な異能という点もそうですが、薬によって強制的に開花した異能は自然発生でない分所持者に有害的な反動を持ちやすい。私が調べた限り、貴女の異能は反動として模倣する相手の人格に自分の人格が侵食されるという性質を持っています。過去の私が施した精神保護、役に没入する演技をいくらしたとしても貴女の人格を保護するという処置によって今はその危険性が抑えられてこそいますが、絶対安全とは言い切れません」

「……はい」

 

 

 まるでベテランの精神科医、或いは異能研究の第一人者のようだと、傍から話を聞いている飛鳥が思うくらい燐香の説明は手慣れている。

 燐香の異能の理解度があまりに卓越しているのだと再認識していた飛鳥と同様に、その説明を受けている神崎も何の反論も出来ずにただ頷くしかなかった。

 

 

「性能も、妹達の恩人である貴女自身の身にも危険な異能。手放しに放置はできないし、私が何とか止めることのできた事の大きさを考えれば何かしらの対策を施さないのはあまりに危機感が無いと言わざるを得ないです。だから、貴女の態度や考え次第では私が異能そのものを破壊する案を考えていました。貴女の才能、根本に深く結びついているその異能を破壊するのは相応の危険を伴いますが、貴女の無害化、安全性の確保を考えればそちらの方が良いかと思った訳です」

「……」

 

 

 異能の破壊。

 目には見えない人の才能の一部として存在するそれに攻撃する行為は、メスによって体を裂く手術のような危険の伴う行為であることは間違いない。

 だが、間違いなく世界を揺るがす異能であり、異能が所持者を害するという事情を考慮すれば、その判断は致し方ないと思える程度のものだ。

 

 きっと誰もその判断に文句など言わないのは、燐香も飛鳥も、当の本人である神崎もそれは分かっている。

 だが覚悟していたとはいえ、自身が手に入れることのできた異能を失うのだと言語化された事で少し顔を暗くした神崎の表情を一瞥し、燐香が続けて口を開いた。

 

 

「ですが……」

 

 

 そんな枕詞を口にして、燐香はじっと口を閉ざしてやり取りを見守っている飛鳥に視線を向け、少し考えを纏めるように目を閉ざし「気が変わりました」と言った。

 

 

「……今の貴女からは何か大きな悪事を企てる意思が感じられない。悪意を持って誰かを傷付けるような考えも持っていない。これからも私の敵に成り得る存在だとは、思えなくなりました」

「それはまあ……今の御母様がここまで考えが変わっていて、あそこまで嫌だと言っていることが分かって、私の計画は最後の最後まで全部潰されちゃった訳だからもうどうしようもないしね」

「あれだけの事件を引き起こした貴女が自衛能力を持たなくなるのも問題ではありますし。取り敢えず、それらの事情を考慮して私から提案があります」

 

 

 そう言った燐香は神崎の異能を破壊するという選択肢の代わりに、もう一つの道を彼女に提示する。

 

 

「提案というのは、刑罰を受けている間、異能を制御する訓練という名目で警察の異能捜査活動に協力するというものです」

 

 

「簡単に言えば“紫龍”と呼ばれる人物が行っているのと同じ活動ですね」と燐香は言って、少し視線を彷徨わせている神崎の回答を待たずに続きを話す。

 

 

「飛鳥さんが指揮している異能対策部署、方針は良いと思うんですがどうしても必要になる異能の戦力が足りない部分があります。世界中に存在する、あるいはこれから出て来る強力な異能持ちの可能性を考えると、飛鳥さんと“紫龍”だけでは到底対応しきれません。宍戸四郎による周囲を巻き込んだ攻撃や複数の異能持ちが同時に事件を起こした時の対処能力が絶望的なまでに足りていません。ですから地盤固めの一環として、異能を持った人材を集める必要がある訳なんです」

「……なるほど……?」

「神薙隆一郎という医療系の異能。飛禅飛鳥さんという対災害に強い異能。そして単純な破壊力を持つ宍戸四郎の異能。どれも使い分けられるあなたの異能は非常に魅力的です」

 

 

 今、飛鳥が指揮する部署の戦力は少ないと言わざるを得ない。

 異能持ちは保護している者達を除けば飛鳥と“紫龍”しかいないし、それを支える異能を持たない者達だって数は多く無い。

 

 単純に人手が足りていないし、異能という力も全く足りていないのが現状なのだ。

 治療も出来て、戦闘も出来て、災害による被害にも対応できる、自己完結能力が非常に高い神崎未来の力はこれ以上ないくらい部署が抱える不足を補える。

 佐取燐香という表に出たがらない少女にとって、自分の関わらない部分で異能犯罪に対する事件解決能力が足りていない今の状況は不都合で、それを何とかしたいと思っていたとしても違和感は無い。

 

 だからこの提案は選択として十分あり得る話ではある。

 だがそれは同時に、と神崎は思った。

 

 

「……それは自分自身の首を絞める選択だって分かってる?」

 

 

 隠したい自分の過去を知り、模倣した神崎未来という人物の異能行使を黙認する。

 その選択がどれだけ危険な事か分からない筈もないだろうと神崎が言外に伝えるが、燐香は大した反応もせずにただ頷くだけだった。

 

 

「貴女が裏切った際や貴女が異能を使うことの危険性は承知しています。でも、だからといって今の飛鳥さんが抱える負担をそのままにはしたくありませんから」

「……」

「……へえー、ふーん?」

 

 

 事情を説明した燐香の横で、恥ずかしそうに口をもごもごさせている飛鳥に視線を送り、神崎は不満そうに口を尖らせる。

 そんな様子の二人を変な目で見ながら、燐香はさらに条件を提示していく。

 

 

「神崎未来さん、貴女の精神保護は私が適時調整しましょう。異能による副作用が無いように精神面のサポートをしっかりと行いますし、これまでしてきた私の黒歴史暴露も甚だ不服ですが不問にします。ですから、代わりに異能対策部署を……また別の誰かが引き起こす異能犯罪の解決を手助けして欲しいんです」

 

 

 単純に自分の本心を神崎に伝える。

 精神干渉という相手を強制できる手段を持ちながらそれを使用せず、本心からの自分の考えを口にして嘘を含まない言葉だけで協力を要請する。

 

 それはこの場にいる二人は知り得ないことであるし、燐香自身にその自覚は無いだろうが、いつか神楽坂上矢という一人の警察官が佐取燐香という少女に頭を下げた時にどこか似ていた。

 

 

「貴女がこれから別の誰かを傷付ける選択をしない限り、進む先は貴女自身が選ぶべきものです。異能を無くしてこれからの人生を歩むか、異能を残して危険な異能犯罪の解決に協力していくか。妹達の恩人である貴女の意志を私は出来る限り尊重したいと思っていますし、私がこの考えは飛鳥さんと神楽坂さんにはあらかじめ可能性としては伝え了承を貰っています。すぐさま協力するとなると変な疑いを掛けられる可能性もありますから、返答はその分だけ時間を置いて頂いても……」

「ううん。時期は都合の良いように任せるけど、私に考える時間は必要ないかな」

 

 

 そしてそんな燐香を前にして、神崎の答えなんてもう決まっていた。

 だって、神崎未来が事件を引き起こしたのも、その目的も、結局はたった一つの理由によるものでしかなかった。

 

 

「私はもう、今の貴女の望むように味方になるって決めてるから」

 

 

 憧れの人が目の前で自分を見てくれている今の状況こそが、神崎未来が長年追い続けたものだったのだから。

 

 

 

 

 




1月30日に本作、『非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?』が発売されていますー!
書籍を購入してくださった方、また書籍の感想を教えて下さった方ありがとうございます!!
引き続き本作にお付き合いのほど宜しくお願いします!!

【書籍化に伴うリンク集】

〇 KADOKAWA公式サイトリンク

https://www.kadokawa.co.jp/product/322308000521/

〇 『非ななな』特設サイト(こちらにMV情報などがあります!)

https://famitsubunko.jp/special/hinanana/entry-12830.html

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【絶望】日本の至宝神崎未来の女優業無期限休止 第37報

 

 

 

 

【絶望】日本の至宝神崎未来の女優業無期限休止 第37報

 

 

 

 

902 名前:名無しのファン

未来ちゃんが四歳の時のデビュー作『青い花畑の中で』から追ってたのに……娘みたいなものだったのに……もう終わりだ……

 

903 名前:名無しのファン

あああああ超能力開花薬品の不正使用って何だよもおおおお!!!

そんなもんしらねえええ!!

 

904 名前:名無しファン

情報量に頭痛くなってきた

少し寝て来る

 

905 名前:名無しのファン

未来ちゃんが超能力を欲しがる理由が無いから誰かに仕組まれたんだ

気が付かない内に口にさせられたに決まってる

 

906 名前:名無しファン

また今日もこのスレは阿鼻叫喚なのか

 

907 名前:名無しのファン

アンチも荒らしもファンの叫びに押し流されていったぞ

 

908 名前:名無しのファン

>>902

未来ちゃんのデビュー作は二歳の時の『ショートムービー:ひとりでおるすばん』だ

二度と間違えるなダボ

 

909 名前:名無しのファン

実際超能力の薬品を不正に入手して使用したらしいけどそれってどんな罪に当たるんだよ

異能を使って何も犯罪を起こして無ければ無問題だろ

 

910 名前:名無しのファン

神崎未来のファン層ってかなり民度高いって有名じゃなかったっけ?

その分の反動がきてるのかこれ?

 

911 名前:名無しのファン

ニュース見て来たんですけど神崎未来はいったい何をやらかしたんです?

 

912 名前:名無しのファン

未来ちゃんは今年で二十五歳……まだまだ若いけど芸歴二十年越え(休止期間2年程度挟んだけど)のベテランだったのか

日本の映像作品を支配し尽くしたからこれから本格的な世界進出が見られると思っていたのに

 

913 名前:名無しのファン

人違いでした報道待ってるんだけどまだですか?

 

914 名前:名無しのファン

神崎未来が出てるドラマは全部視聴率二十%以上になるらしいからな

日本では異常な人気を誇る怪物役者だし、海外人気も高くて外国語も堪能で海外での芸能活動もほぼ成功が間違いなかったのに勿体ないよな

 

915 名前:名無しのファン

俺はそもそも海外進出に反対だったんだよ

あんだけ可愛い子が外国に出るなんて危なくて仕方ないし、変な事件に巻き込まれるくらいなら日本の刑務所で保護されてた方が良いんじゃないかって俺は

 

やっぱ辛いっス

 

 

916 名前:名無しのファン

>>908

詳しすぎて怖いし気が立ってるからって圧掛けるなよ

 

917 名前:名無しのファン

真面目で責任感が強くて仕事熱心な未来ちゃんはきっと落ち込んでるんだろうな……

こういう時こそ応援し続けないとファン失格だぞ分かってるよな?

 

918 名前:名無しのファン

>>911

一応報道では超能力に目覚める薬って奴を海外に行ってる時に使用して超能力の力を暴発させたらしい

日本ではそうでも無いけど海外だと偽物含めると薬品の流通量えぐいらしいから

 

919 名前:名無しのファン

超能力ってマジで害しかないよな

使われると被害が出るし一人の巨大な才能を潰しちゃうし、クソだわクソクソ

 

920 名前:名無しのファン

スポーツ選手でいうドーピングをこっそり食事に入れられるようなもんじゃん

超能力云々ってあると生涯スポーツ活動に影響ありそうだし海外でスポーツしてる選手とかも危ないんじゃね?

 

921 名前:名無しのファン

んでも丁度この時期不思議と神崎未来の出演するドラマとか映画とかCMとかくっきり空いてたんだよね

勿論作ってた途中の物はあったんだろうけど受ける影響は少ないみたいだし、本当に超能力が暴走したのかよって思う

 

922 名前:名無しのファン

超能力犯罪って具体的にどの国辺りが盛んなんだっけ?

ヨーロッパだとサッカーの澤北選手辺り危なそうじゃね

 

923 名前:名無しのファン

>>921

海外進出の準備してたんだから当然だろ

 

924 名前:名無しのファン

>>921

何が言いたいのか分からないがそれ以上言うなら部屋のドアをノックされる覚悟しろよ

 

925 名前:名無しのファン

超能力の暴走ってあれだろ?

何だか演技に影響を受けるもので思っても無い行動をしちゃうみたいな話を聞いたぞ

 

926 名前:名無しのファン

俺はひたすら未来ちゃんが心配だわ

こんな形で飛躍の機会を奪われて人生そのものだった役者の道を閉ざされちゃうなんて

 

927 名前:名無しのファン

公の場に出る事無くなるのかなぁ

フェネックの耳を付けてくれる可能性完全に無くなるのかなぁ

 

928 名前:名無しのファン

暴走って何したんだよおおお!

被害は! 損害は! 罪名は!? 全部出せボケナス!!

 

929 名前:名無しのファン

未来ちゃんは絶対繊細な子だからな……

両親とも芸能界でもよく厳しいって噂されるくらいの人達だし気を病んで取り返しのつかない決断しなきゃいいけど

 

飛鳥さん? マジで寛大な措置とフォローを頼むぞ?

 

930 名前:名無しのファン

状況次第じゃデモを起こすぞ

 

931 名前:名無しのファン

飛鳥さんは頑張ってるから未来ちゃんの状況に責任はないぞ

何があっても彼女の事は責めるなよ

 

932 名前:名無しのファン

“faceless god”とやらが起こした国会議事堂占拠レベルのをやらかせばワンちゃん?

 

933 名前:名無しのファン

続報が出たぞ

警視庁異能対策部署の保護下で刑期中超能力を暴走させないように訓練と異能犯罪事件の解決に協力する形で話が進んでるらしい

 

《リンク-神崎未来、異能新法案に伴う方針-News.nihontyuuo.co.jp》

 

934 名前:名無しのファン

>>932

そういう暴走はかえって迷惑になることくらい理解しろよ

 

935 名前:名無しのファン

>>933

それまじ?

超能力の新法案ってそんなこと出来るように整備されてたの?

 

936 名前:名無しのファン

すげー

これ今の総理大臣が考えたのか?

いや、あんな奴が本当にこんな肝の据わったことするか?

 

937 名前:名無しのファン

>>933

短めの記事だったからさっと読んで来た

え、これ、海外で薬を受け取ったから海外の犯罪でICPOの管轄下と思ったけどそうじゃないんだな

いや、それもそうか海外だと数が多すぎて薬の不正使用だけじゃ犯罪にならないとか聞いたことあるし

 

938 名前:名無しのファン

あくまで日本の法律では犯罪扱いになるってことだろ

まあ、にしたってこの件の警察の対応能力半端ないけど

 

939 名前:名無しのファン

異能対策部署に協力?

ってことは飛鳥さんと一緒に異能犯罪を解決する立場になるって事?

 

高視聴率間違いなしの新ドラマ、始まったな

 

940 名前:名無しのファン

今の日本が誇る二大メガスターが共演とか胸熱なんだが?

 

941 名前:名無しのファン

これ、こんな判断あの若さの飛禅飛鳥さんが下せるか?

やっぱりこれ異能対策部署を統括してるブレーンとやらがいるって話ガチだろ

 

942 名前:名無しのファン

>>941

ブレーン君ちゃんだろ?

この国の守護神、ちっちゃくて可愛くて堪らないぞ

 

お前もファンクラブ会員にならないカ?

 

943 名前:名無しのファン

想定される刑期は禁錮一年か……

 

944 名前:名無しのファン

飛鳥さんとか警察の人とかは良いけど、確か異能対策部署って異能を持った犯罪者既に使ってたよな?

未来ちゃん危なくない、大丈夫?

 

945 名前:名無しのファン

>>942

あの非公認ファンクラブ、運営してるの個人の癖にヤバいよな

更新引っ切りなしでサーバーダウンもしなければ荒しの処理速度も尋常じゃない

あれは間違いなくその道のプロだ

 

946 名前:名無しのファン

既にファンクラブ定期

とはいってもブレーンっていう存在が好きな訳じゃ無くて、あのファンクラブの管理人の熱意が好きなんだけどね

 

947 名前:名無しのファン

>>944

あれだろ?

連続爆破事件の犯人だった警察官僚を直接叩き潰してた奴

灰の龍の群れ滅茶苦茶格好良かったけどあれ実はただの煙だったって聞いた時はビビったわ

 

948 名前:名無しのファン

>>933

お前が来てからこのスレの空気が一気に緩んだ気がするわ

もうお前ある種の荒しだろ

 

949 名前:名無しのファン

今警察の異能対策部署にいる犯罪者って確か連続児童誘拐事件に関係してるとかしてないとか言われてる奴だよな?

 

950 名前:名無しのファン

ともあれ普通に犯罪者として収監されるよりもずっと良さそうな立場じゃん

名目は奉仕活動だろうけど異能の訓練を受けさせて暴走させないようにするってことでしょ?

 

951 名前:名無しのファン

これ、未来ちゃん役者復帰が無理なら警察官として働くのかな?

テレビであの子見れなくなるのかぁ……でも何かあったらあの子が助けに来てくれるのかぁ……

 

952 名前:名無しのファン

日本って実は異能犯罪に対する解決能力世界に比べて滅茶苦茶高い?

海外で散々被害出して捕まえられなかったテロリスト捕まえて、法案の整備も早くて、超能力を持つ犯罪者を抑えつけながら有効活用していて犯罪の繰り返しも今のところないって……

 

953 名前:名無しのファン

あああ未来ちゃんが一年の禁固でその間超能力の訓練で警察に協力うう!?

そんなの、え、悪くないじゃん

 

954 名前:名無しのファン

元々日本の警察は世界でもトップクラスに優秀だって昔っから言われてるし

 

955 名前:名無しのファン

日本警察はそこまで無能ではないけど超能力犯罪に対しては異常なガチさを見せている

 

956 名前:名無しのファン

一説では隠れた凄まじい戦力があるって話だしな

まあ、じゃないと海外の超能力犯罪に比べて被害の数とか規模が小さすぎるし

 

957 名前:名無しのファン

でもこの前テレビに出てた政治家は自分達が密輸されようとする薬品を上手く遮断してるんだって誇らしげにしてたぞ

 

958 名前:名無しのファン

>>954

それは流石に嘘

サイバー捜査能力とか見ればわかるけど第一線からは数歩劣ってるよ

 

959 名前:名無しのファン

>>957

そういえばそろそろ選挙の時期か

自分がやっても無い手柄を誇示するようになったら人間終わりだよな

 

960 名前:名無しのファン

国会議事堂を占拠した“faceless god”の集団ってどうなったの?

百人規模って聞いたんだけど全員強制送還?

 

961 名前:名無しのファン

ああ、安心した……

取り敢えず、未来ちゃんを保護してくれた異能対策部署を俺は応援するよ

 

962 名前:名無しのファン

夕方のニュースにはもうちょっと詳しく報道されるかな?

 

963 名前:名無しのファン

>>964

少し前のショッピングセンターの事件で例のあの人を讃えるようになった人達が似たような団体作ってたらしくて支援するとかなんとかっていうのは見た

 

964 名前:名無しのファン

神崎未来の女優人生はこれで終了して、ここからは警察官としての人生が始まる訳か

勿体ない気もするがそれはそれで……

 

965 名前:名無しのファン

それにしても一年くらい前までは警察叩きが正義みたいな感じだったのに今はかなり評価を一変させたよな

氷室区の警察官が連続児童誘拐事件解決したことから続いた功績は確かに目を見張るものだったし当然だけど

 

966 名前:名無しのファン

けど犯罪事件に直接関わるならやっぱり危ないんじゃ……?

未来ちゃんって運動できるイメージ無いんだけど

 

967 名前:名無しのファン

未来ちゃんは始球式に出た時剛速球をど真ん中に投げてキャッチャーの度肝を抜いてたぞ

そこらの警察官よりも運動神経抜群だろうよ

 

968 名前:名無しのファン

二十年近く人気役者やって色んな方面に顔を出してたんだしお金の心配は無いだろ

メンタルが無事ならいくらでもやり直し利くだろうし心穏やかに暮らして欲しいわ

 

969 名前:名無しのファン

>>965

一部熱心に批判してる奴はいるみたいだけど世間全体としての評価は確かに変わりつつあるよな

 

今回の未来ちゃんの臨時加入でさらに世間受けも狙ってる、とかか?

やっぱり噂のブレーン相当な策略家だな

 

970 名前:名無しのファン

ブレーン君ちゃん、飛禅飛鳥ちゃん、神崎未来ちゃん

なんだこれは新しいアイドルグループか?

これ以上俺を惑わせないでくれ

 

971 名前:名無しのファン

このスレの阿鼻叫喚な状況が落ち着いてきたけど逆に荒らしが沸き始めるんじゃないかと不安になって来た

 

972 名前:名無しのファン

未来ちゃんの超能力ってどんなやつなんだろ?

公表されてたっけ?

 

973 名前:名無しのファン

>>971

芸能じゃ未来ちゃんに歯が立たなかった同業の奴らがここぞとばかりに人気を落とそうとするだろうからな

 

974 名前:名無しのファン

今異能対策部署が抱えてる超能力所持者は何人いるんだろう?

前のテロリストで強制的に超能力持つようになった人もいるだろうし結構数いない?

 

975 名前:名無しのファン

>>971

俺もこのスレにちょくちょく湧いてる変態を見るの楽しんでたけど、ふとこれ冗談だよな? 本気じゃないよな? って不安になって来たよ

 

976 名前:名無しのファン

>>972

正式な公表はされてない

ただ演技に影響があって思っても無い行動をしちゃう超能力らしい

 

>>974

未来ちゃん含めて五人だったと思う

ただ前に例のショッピングセンターで服屋を開いてた店長がスレ立ててたけどその時出て来たシャボン玉を出す超能力の人がまだ見つかってないらしい

 

977 名前:名無しのファン

真の変態がいるから紛い物の変態がいるんだぞ、覚悟しろ

 

978 名前:名無しのファン

>>976

超ハズレの超能力じゃん

これだったらまだこのスレにいる変態の超能力者の方が使い道ありそう

 

979 名前:名無しのファン

>>933

これ、マジで安心したわ

ありがとう

 

980 名前:名無しのファン

見付かってないっていうシャボン玉出す超能力も負けず劣らずのハズレだけどな

シャボン玉出すだけなら超能力を制御する必要無いし戦力にもならないだろうし、見付からなくても捜索は途中で打ち切りだろう

 

981 名前:名無しのファン

変態は超能力じゃないぞ

普通に獣耳が好きなだけの性癖だぞ

 

982 名前:名無しのファン

そろそろこのスレも終わり掛けだけど次スレ作る?

それとも『異能対策部署←神崎未来ちゃん臨時加入決定』みたいな新スレを立てる?

 

983 名前:名無しのファン

やっぱり神崎未来+フェネック耳のアホここにいるよな

お前、奇行はスレ内だけで収めろよ

 

984 名前:名無しのファン

子役だった頃から応援してた神崎未来ちゃんがどんな道を進んでも、それが本当にやりたい事なら俺は応援するよ

 

大変かもしれないけど頑張れ

 

 

 

 

 




1月30日から本作、『非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?』が発売中です!
引き続き本作にお付き合いしていただけると嬉しいですー!!

【書籍化に伴うリンク集】

〇 KADOKAWA公式サイトリンク

https://www.kadokawa.co.jp/product/322308000521/

〇 『非ななな』特設サイト(こちらにMV情報などがあります!)

https://famitsubunko.jp/special/hinanana/entry-12830.html

〇 公式Twitter(X)

https://twitter.com/fb_hinanana



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そのサッカー少年の向き合い方

大変遅くなりましたが何とか形になったので投稿します!
やっぱり自分は男主人公を書くのは苦手なのかもしれません…!


 

 

 

 

 そこを一言で表現すると、夢見るサッカー少年の部屋だった。

 子供時代からサッカーで積み重ねられた功績を讃える賞状が幾つも額縁に飾られ、溢れる程多くのトロフィーが棚を占領している。

 筋力トレーニングの為の機材が部屋の角に鎮座しているし、サッカー理論やルール解説といった本まで並べられていることを考えると、この部屋の主である人物は本気でプロを目指していたことが窺える。

 

 だが何故か、同時にそれらを否定するような状態のものもいくつか部屋には散見されていた。

 

 意図的に傷付けられたような切り傷があるサッカーボール。

 少し前までは壁に掛けられた海外で活躍する憧れの有名選手達のポスターが、無残に剥されゴミ箱の中に放り捨てられている状況。

 そして、サッカー関連の物が纏めて押し込められているゴミ箱には、自分で作っただろうトレーニング表すらも含まれていた。

 

 言ってしまえば、ほんの少し前に夢破れたかのようなそんな惨状がこの部屋にはあった。

 

 

「雄二っ、待ちなさい! 説明しなさい!」

 

 

 ガタガタと、その家の廊下で息子を追い掛ける母親の切羽詰まったような声が響き渡った。

 耳を貸さずに自分の部屋に向かっていた青年は肩を掴んで来た母親の手を咄嗟に払い除けそうになり、慌ててその動作を止める。

 

 ヒヤリとした背筋の冷たさを誤魔化すように舌打ちをして、青年はまくし立てる母親に向かい合った。

 

 

「雄二っ、顧問の先生から部活を辞めたって連絡があったけど本当なの⁉」

「本当だよ。もう良いだろ別に。そんなもん」

「もう良いだろって貴方……! じゃあこれからどうするのよ⁉」

「バイトでもすればいいんだろ。これまで使ってくれた分の金は返すよ」

「そういう事じゃないでしょ!」

 

 

 反抗期のような息子の態度。

 だがその原因が分かっている母親は、決して目を合わせようとしない息子の姿を痛ましいものでも見るように顔を歪ませていた。

 

 

「だってっ、だって貴方これまであんだけ頑張って来たのに。ついこの前、プロのスカウトが来たってあんなに喜んでたのに……」

「試合に出られないんじゃ意味ねえんだから仕方ないだろ、うるせえな」

「まだ決まった訳じゃ……!」

「出れる訳ねえだろうが。不公平に決まってるだろ」

「そんな……」

 

 

 いくら拒絶してもなお食い下がろうとする母親に、自分の部屋の床に転がっていた傷だらけのサッカーボールを青年は片手で拾い上げ、母親の眼前に突き出した。

 

 現状を何一つとして理解していない母親に対し現実を見せつけるために、青年は苛立ち混じりにサッカーボールを掴んだ手に力を籠める。

 

 

「まだ分からねえのかよ」

「え?」

 

 

 バンッ、と。

 片手の指の力だけで破裂したサッカーボールが目の前で飛び散り、悲鳴を上げた母親がその場で尻もちを突いた。

 筋繊維を強靭なゴムのように変えられる青年の異能があれば、普通ではありえないような握力を発揮する事だって難しくはないのだ。

 

 目の前で行われた異常な光景に顔を蒼白にした母親は、自分を冷たく見下ろす息子と目が合った。

 

 

「……こんな力を持ってる奴が、スポーツなんてやって良い訳無いだろうが」

「…………」

 

 

 ギリギリで震えてしまった自分の声に気が付かないまま、何も言えなくなってしまった母親を置いて、青年は自分の部屋へと入っていった。

 

 荒れ果てた、いいや自ら荒れたものに変えた部屋の中。

 手の中に残っていたサッカーボールの残骸を放り捨てることもしないまま、青年はベッドに倒れ込む。

 そして天井をしばらくぼんやりと見上げて、少し前の自分ならこんな何もしない時間なんてなかったのにな、なんてふと思った。

 

 

「……今も、異能なんてもの無ければ」

 

 

 或いは、自分があの場に居なければ。

 その青年、的場雄二(まとば ゆうじ)は思わずそんなことを思ってしまう。

 母親に対していくら強気に割り切った態度を見せることができたとしても、長年一つの器に注ぎ続けて来た情熱は、器が罅割れたからと言ってそう簡単に止まれるものではないのだ。

 

 

『航空G174ハイジャック-新東京マーケットプラザ襲撃占拠事件』。

 世界を震撼させたその異能犯罪の最中、占拠された新東京マーケットプラザに訪れていた雄二は地獄の光景を目の当たりにすることとなった。

 人々が逃げ惑い、お互いに争い合い、喧騒を響かせるこの世の地獄の中で“死の商人”と呼ばれる悪魔に見付かり捕まった。

 

『————あくまで君達は自分で選ぶんだぜ?』

 

 差し出された何かの薬。

 血走った目をした悪魔の群衆が周りを囲み、散々見せられた理不尽な力を前にしたら、抵抗するなんていう選択は出来なかった。

 ガタガタと震える気弱そうな少女と共に、差し出された薬を呑み込んだのは雄二自身の意思によるもので、それによって芽生えた才能は正しく雄二を常識という縛りから解き放ち、あの場における安全の担保となった。

 

 自身の肉体にゴムの性質を加える、それが雄二の目覚めた異能の力。

 自身の肉体に限定されるものの、髪の先から足の爪に至るまで、あるいは内臓や毛細血管といったもの全てに効果を及ぼすその異能は、使い方を工夫すれば常人では不可能な怪力や移動を可能にする。

 耐摩擦性や反発弾性といった基本的な性質から、耐火性といった特殊なゴムの性質まで自身に付与することができるようになった雄二は、あの場において“死の商人”の手駒として大切に扱われた訳だ。

 

 間違いなく常人とは一線を画す、多くの人々が多額の金銭を支払ってでも欲しがる超常の力を手に入れることとなり、あの地獄のような場においてその才能は貴重な価値となった。

 

 だが、全てが解決して日常に戻れば、残ってしまったその才能は異物でしかなかったのだ。

 

 

 将来的なプロ契約の話をしていた者に言われる。

 

『的場君、非常に言いにくい事なんだがね。君に提案していた話については少し見送らせて欲しいんだ。ほら、流石に超能力を持ったプロ選手というのは常識的にね?』

 

 中学時代から親交がある信頼していた部活の顧問に言われる。

 

『的場、お前の努力を否定するつもりは無いんだが……どうしても、他の選手達がお前と試合をするのを怖がってな。その、一旦話が落ち着くまではレギュラーから外れて貰おうと思うんだ』

 

 長年同じ目標に向けて戦った相棒のような友人に言われる。

 

『お前のその超能力ってさ。お前にそのつもりが無くても試合中に競り合った時とか、勝手に発動したりするんじゃないのか? それって、危なくないのか?』

 

 

 地獄の光景を見ていない何も知らない者達の言葉が雄二に突き刺さった。

 言葉を向けられた雄二も、彼らの言葉は間違っていないだろうと思っていたし、超能力なんていう目に見えない刃を持った奴がサッカーに興じるなんてルール的に問題があるだろうと思う。

 けれど、雄二という青年にとって、それで納得できるような軽いものでは無かった。

 

 人生の全てを賭けて来た。

 幾つもの結果を出して、将来の道も開けていた。

 自信もあったし、挑戦することへの期待もあった。

 それなのに、それら全てが突然終わりだなんて、あんまりだと思う。

 

 だけど、雄二が何を思ったところで現実は何も変わりはしない。

 あのショッピングセンターの地獄の光景を前にしても何も出来なかったのと同様に、的場雄二というちっぽけな人間には世界の進み方なんてものは何も変える事は出来やしないのだ。

 

 

「澤北さんと一緒にサッカーしてみたかったのになぁ……くそ……」

 

 

 両手で顔を覆っても抑えきれず、思わず口から出た本音。

 復帰は不可能だろうと言われていた大怪我から復帰して見せて、今は世界的に活躍している憧れの日本サッカー界最高の選手に想いを馳せ、雄二は唇を噛んだ。

 

 もう何もする気になれない。

 しばらくそうやって廃人のように、ぼんやりと時間を過ごしていた雄二の携帯電話に着信が入った。

 画面に映し出された電話先の相手は、自身が持つことになった異能の力を専門に扱う警察の人達だった。

 

 

 

 

 

 

 顔を覗き込む女性の顔が目の前に現れ、酷く嫌そうな顔をした雄二は大きく体を仰け反らせる。

 

 

「大丈夫っスか? なんか顔色悪いっスよ?」

「……別に、問題ないっすよ」

「本当っスか? 何でも気になることは相談していいっスからね! 期待のエース、一ノ瀬お姉さんが解決しちゃうんスから!」

 

 

 人慣れしたタヌキのような一ノ瀬和美という女性の問い掛けに雄二は適当に返事をして、もう何度か訪れている異能対策部署内の自分の席に腰を下ろした。

 

 ここは新設された警視庁本部庁舎内に存在する公安部特務対策第一課の一室。

 異能を持つこととなった雄二はこうして度々警察から経過確認と言う名の呼び出しを受けてこの場所に訪れていた。

 これは、持つことになった異能を暴走させることが無いか、或いは異能を持つことになって日常生活に不便はないかを確かめるためのものだと警察の人達から伝えられてはいる。

 だが、実際はそれらの理由よりも、異能を悪用して犯罪行為を興じないかを監視する為だというのは、異能の危険性を目の当たりにした雄二には分かっていた。

 

 科学的な方法を用いずに犯罪事件を引き起こせるのなら当然そんなものは最重要の警戒対象になる。

 それが、あのハイジャック事件のような大きなことも出来るというのならなおさらだろう。

 被害者となった者であろうとも、これから先より甚大な異能犯罪を引き起こさないとは限らない筈だ。

 

 そして、単純な保護の対象としてだけではなく、危険物のように扱われている事実を理解しているからこそ、雄二はどれだけ精神的に不安定な状況であろうと素直に彼らの指示に従っている。

 だからこそ、自分と同じように異能を持つことになった被害者である相坂和という子供がジトっとした目で部署内の誰かを睨んでいるのに気が付いて、少しだけ焦って小声で話し掛けた。

 

 

「……おいガキ。理不尽な呼び出しにイラつく気持ちは分かるが態度に出すな。異能を持ってる俺らは危険人物だと思われてるんだぞ。反抗的な態度を取っていたらどんな扱いを受けるか……」

「え? あ、ああ、ごめんお兄さん。ちょっとアイツには個人的に腹が立ってて」

「個人的に……? そんなに腹が立つほど警察官とやり取りがあったのか……?」

「いや、アイツは正式には警察官じゃないんだけど……うん、なんでもないや」

「よく分からないが、取り敢えずは大人しくしとくのが身の為だぞ」

 

 

 何だかよく分からないな、なんて思いながら、雄二は相坂和という少年がジトっと睨んでいた男性を見遣れば、なんだかソイツは性格の悪そうなニヤニヤとした笑みを浮かべて雄二達を見ていた。

 

 嘲笑とは少し違う。

 正確に言うのなら、新たな犠牲者が増えてくれて嬉しいというような、仲間が増えて嬉しいというような、不幸のお供を喜ぶような表情である。

 どちらにしても性格が悪い事には変わりないが、見た目で感じた小悪党といった印象はそう間違っていないのだろうと雄二は思った。

 

 

「————事件から二週間程度の間、貴方達に異能の暴走は無し。副作用的な健康被害も無いなら取り敢えずは安定していると考えるべきかしらね。安心したわ」

 

 

 サッカーの競技ではそう見ることは無いほど巨躯の男性警察官がニヤついていた男性の頭を片手で鷲掴みにしているのを尻目に、この部署内でも最年少に近い筈の飛禅飛鳥という女性が話を纏めている。

 

 テレビでも度々見かける有名人。

 テレビ越しに綺麗な人だと思っていたのが、実物を見たことでより一層補強された訳だが、テキパキと警察の仕事を進める姿を見て、やっぱりテレビで見る程接しやすくはないのだろうというのが雄二の印象だった。

 

 可愛らしい被りものをした化け猫のような女性。

 警察の最高幹部や政府の高官、あるいは国外の権力者達とやり取りしている実績を考えれば、ただの婦警と言うには無理がある。

 腹の中では何を考えているか分からないし、口先だけでどうせ自分達の心配などしていないだろうになんて思っても、雄二は口に出さずじっとこの聞き取りの時間が終わるのを待つのが常だった。

 

 

「それで、日常生活に不便なんかは無いかしら? 一応、警察としても政府としても補助できることはするつもりよ。君達はまだ子供だから直接は渡さないけど、特別の見舞い金なんかも決まってるしね」

「俺は特に無いんですけど……」

「……俺が異能を持っているって事、高校の皆にほとんど伝わっていたんですけど。これって普通なんすかね」

「え、そうなの? 情報規制を掛けてるのに……一応確認なんだけど、的場君から誰かに異能を持ってるって話はしてないわよね?」

「俺からは両親と部活の先生くらいで他には特に……」

「部活の先生、ね。分かった、そこら辺少し注意してみるわね」

 

 

 サラサラと何かを小さなメモに書き込み、頷いた飛鳥の姿に雄二は少しだけ安心する。

 形だけだったとしても、いくら警戒心を持っている相手だったとしても、やはり警察という大きな組織が自分の困りごとに対応してくれると言われるとほっとしてしまう。

 

 サッカーに何とか参加させて欲しいと要望すれば、政府や警察が何とかしてくれるだろうか、なんていうみっともない考えが過ったことに気が付き、雄二は首を振ってその考えを追い出した。

 

 

「後は異能の制御だけど……うーん、相坂君はもう自由自在。流石子供ながらの呑み込みの早さね。的場君は……」

 

 

 自ら作り出した異能の糸であやとりをして見せた相坂少年とは違い、まともに自身の異能に向き合ってこなかった雄二は自分の意志で異能を起動する経験がほとんど無い。

 だから、取り敢えず異能を起動だけでもさせようとした雄二だったのだが、その姿を見て、飛鳥は直ぐに制止の声を上げる。

 

 

「待って待って、的場君無理に異能を使うことは無いわ。今は暴走することなく安定している訳だし、的場君の異能は自分の肉体に影響を与える異能だから周りには被害が拡大しにくい。だから、そういうのは異能を使用する場所と物を用意してから実践していきましょう」

「そうっすか、分かりました」

「広めの公民館みたいなところ借りれればそこで異能の性能なんかも調べるつもりだしね、何とか専門家みたいな奴も引っ張り出してくるから待ってて頂戴」

「うす……あと、聞きたいんすけど、俺らっていつから異能犯罪に駆り出されるようになるんすか?」

「え? 異能犯罪に駆り出す?」

 

 

 完全に虚を突かれた顔をした飛鳥が、「……ちょっと、柿崎さん。その話って今どうなってるか分かります?」と小声で巨躯の男性警察官に話し掛け、少しだけやり取りした後に雄二に向き直った。

 

 

「えっと、本当の本当に非常時はそういうこともあるかもしれないけど、基本的に学生の君達にそういうことを強制するつもりはないです」

「え⁉ 飛鳥さんっ、俺は事件の解決に協力したいんだけど……! 前にそういう話したよね⁉」

「ええっと、相坂君は……そうね、異能というものを持つ人は本当に希少だから協力してくれると言うならありがたい話だから、そこはちょっと色々調整する必要があるわね」

「……」

 

 

 予想外の返答を受け、雄二は口を閉ざして戸惑った。

 自分のような扱いやすい子供が異能を持ったのなら、政府や警察は使い潰そうとでもしてくると思っていた。

 

 だから、雄二を見て続けられた飛鳥の言葉には驚愕する。

 

 

「言っておくけど、自分よりも年下の相坂君が協力したいって言ってるからって自分もしなくちゃいけないっていう考えはしないで良いからね。特に的場君はサッカー選手として有名人だし、プロになるっていうのも私達としては応援するつもりだしね」

「は?」

 

 

 雄二への気配りもそうだが、その後に続けられた言葉には思わず声が出る程驚いた。

 異能を持ってしまって、長年やってきたサッカーは諦めるしかないんだと思っていた雄二にとって、ありえない事を平然と言ってのけた飛鳥の真意が全くもって分からない。

 

 そして、驚きを通り越した先に沸いたのは怒りの感情だった。

 雄二にとって諦めるしかないサッカーの話なんて、何も知らない、何の責任も持たないだろう人には絶対に触れて欲しくないものだ。

 それも、よりにもよってまだサッカーが出来るなんて、冗談でも言って欲しくないものだ。

 

 だから、少し前に自分達は危険人物として見られているのだから大人しくしなくちゃいけないなんて言っていた癖に、雄二は湧き出したその感情に突き動かされてしまった。

 

 

「応援って……なんだよ……俺は、異能っていう訳分かんない力を持ったから、誰を傷付けるか分からないし、どんなズルをするか分からないから、サッカーを辞めるしかないんだよ。それを、アンタは応援するだって……?」

「お兄さん……?」

「ちょ、ちょっとっ、的場君落ち着くっスよ!」

「ふざけんな……‼」

 

 

 立ち上がり、目を丸くしている飛鳥に対して雄二は声を荒げた。

 

 

「ありもしないことを言うなよ! 期待させるようなことを言うなよ! 異能なんていう危険なものを持ってる奴が、他人に交じってスポーツなんか出来る訳がないだろうがっ!」

 

「俺が選んだんだよ! あの銀髪の悪魔のような男が出した薬を受け取ることをさぁ! 簡単に人を踏み潰すあの男に抵抗できなくて、恐怖に負けてっ、死ぬのが怖くてっ、俺自身で生きる事を選んだ……! その結果がこれなんだよ!」

 

「あの時俺は、別の選択をするべきで……! 薬を受け取らない選択を、俺は出来たのにそうしなかった……! 俺自身で、俺の夢を壊したんだ……‼」

 

 

 だからっ、と雄二は口にしようとして、言葉に詰まる。

 形だけ心配するような態度を見せていた友人や信頼していた師が、何処か自分に対して壁を作っていたことが、脳裏にありありと蘇ってしまった。

 

 これまで信頼していた人達が手の平を返した光景は、傷付きながらも地獄から生きて帰った雄二にとってはあまりにも耐えがたいものだった。

 

 

「……だから、これまで俺と関わって来た奴らは皆……お前はもういらないんだって、態度で示してきても……それが、正しいことだから……こんな力を持った奴とは、簡単にズルできる奴とは、こんな異物とは一緒にスポーツなんてやりたくないんだって、そんなの頭の悪い俺にも分かる」

 

 

「だから、もうそんな期待させるようなことは言わないでくれ……」なんて。

 人生の全てを失ってしまったように座り込んだ雄二の姿を、隣にいる相坂少年や“紫龍”が何か思うことがあるような顔で見詰める。

 片や誘拐され選択の余地なく異能を手にする事となった少年と、片や自ら異能を求めて誘いに乗った犯罪者。

 立場も境遇も違うからこそ、二人は何か異能によって夢破れることとなったサッカー少年の姿に感じるものがあったのだ。

 

 そしてもう一人、命を救われると同時に異能を強制的に開花された立場の飛鳥は何も言わないまま、近くの机の上に置いてあった小さな機器を手に取った。

 

 

「……まだ言ってなかったわね。これ、“異能出力感知装置”っていうんだけど、とある大学生が作成したもので、協力っていう形で提供してくれたの。これがあれば、目に見えない異能の出力が感知出来るし、人の感覚では感知するのが難しいものも装置として発見してくれる。私達みたいに異能犯罪の解決しようとするには凄く役に立つ物なんだけど、それだけじゃなくてね。例えば、試合中に禁止されている異能を使用したかどうかを見極めるのにも凄く有用だったりする」

「…………え?」

 

 

 とある少女が深刻そうな顔をしながら飛鳥に渡して来たこの装置。

 性能は保証できる、この兄の技術を必要としている人が必ずいる筈。

 兄はお前の為だけに使ってほしいって言っていたけれど、将来的に絶対兄の実績になる筈だから、信頼できる飛鳥さんがこの技術の窓口になってほしい、と言って来た。

 

 

「これを渡された時、私も驚いたんだけどね。これを作った奴ってさ。異能を持っている人に対して有効な攻撃手段を確保する訳じゃ無くて、異能を持っている人が周囲にバレずに悪い事ができる、或いはそれに気付く事ができるような技術を一番に作ってる。未知のものを解明して、異能を持っていようとも同じ人として扱ってやるって言われてる気がしたのよ。そんな意図はないかもしれないし、偶々かもしれない。けど、この技術があればできる事は多くなる。いつか異能というものが日常において異物というだけじゃなくなる」

 

 

 少し将来的過ぎること、大きすぎることを言ったかと笑いを溢した飛鳥が、状況を飲み込めず呆然と自分を見詰める雄二と目線を合わせた。

 

 

「例えばね、試合中の異能使用が分かるから、使用したらペナルティーを与える事ができるし、少しルール関係を調整すればどうにかなるわ。色々正式な話にするには先の話にはなっちゃうと思うけど異能を持っていてもサッカーの公式試合に参加とかはいずれ出来るようになると思うの……うん、それはなんとか私達の方でも働きかけていくつもりよ。国際情勢的にも、異能を完全排除する姿勢は取ることは無い筈だから」

「……な、んだよそれ……なんで……そんなこと……なんでそんなことアンタらがしてくれるんだよ……」

 

 

 想像もしてなかった発明品や組織としての働きかけ、その事実に驚いたのは確かだ。

 だがそれよりも、異能という力を持った自分がどれだけ排斥されているか知ってなお、異能を持っていてもサッカーが出来るようになると考えている者達が目の前にいる事に驚いた。

 今までサッカーで関わって来た人達は誰も自分を邪魔者としか見てこなかったのに、なんてそう思う。

 

 思わず体が震えてしまう。

 眉間に皺を寄せ必死にこらえようとしても熱いものが込み上げてしまって、それが滴となって目から溢れだした雄二に飛鳥は優しく笑った。

 

 

「なんでって、私達は異能に関する事件事故の解決、後始末をする部署だからね。異能に関する問題があれば、なんであれ解決するのが私達の役目なのよ。異能を持ったとしても、貴方も私もちゃんとした人なんだから、それも保証して正さないと不幸が続いちゃうでしょ? そんな不幸なんて少しでも無い方が良いに決まってるからね」

 

 

「だから忙しくて大変なんだけど」なんて、そんな事を言った飛鳥の後ろで、当然のような表情をしているこの部署の人達を目にして、雄二はついに顔を上げていられなくなって顔を俯けた。

 

 自分だけが諦めればいいと思っていた。

 異物であるんだからそうするしか道は無いと思っていた。

 けれど、そうじゃないんだと言ってくれる人がこんなにいてくれる。

 まだ夢を追って良いんだと言ってくれる人達がいる。

 

 それは的場雄二という青年にとっては、どうしようもない救いだった。

 

 

「勿論異能をしっかりと制御できるようになってからじゃないと事故があるかもしれないし、的場君はサッカー以外にもやらなくちゃいけないことがある状態になる訳だからハンデを負うことになるんだけど……現役のプロサッカー関係者だって的場君の事は目にかけてくれているのよ。あれだけの子を異能を持ってるってだけで潰すのは絶対に間違っている、なんとか便宜を図ってほしいって連絡が幾つもあったんだからね」

 

 

 それからと言って、飛鳥は異能を感知する装置を懐に仕舞うと、もう一つ何かが入った正方形の箱を雄二の前に置いた。

 

 

「警察を荷物引き渡し場所とでも勘違いしてるのか、海外で活躍してるとある選手から貴方に渡してくれってそれが送られてきてね。悪いけど、変な物じゃないか中身を確認させてもらったから」

「これ……」

 

 

 受け取った箱は既に一度開けられていたから、簡単に開ける事ができた。

 中にあったそれは、数時間前に自分が諦めて壊してしまったサッカーボールで、白地の部分には小さく『澤北誉』というサインが書かれている。

 

 

「……まあね、異能を持つと色々言う人はいると思うけど、ちゃんと応援してくれる人もいるんだからね。やけになっちゃ駄目だからね的場君」

「っ……‼」

 

 

 科学では証明できない異能と呼ばれる力によって人生が狂わされる者達は確実にいる。

 だから、異能による実害以外でも、少しでもその被害を減らすのが、これから引き起こされる異能犯罪を減らす上でも重要な要素になりえる。

 なんの根拠も、なんの裏付けも出ていない、一つ間違えばただ仕事の量を増やすだけの必要のない配慮。

 

 けれど誰にでも救いは必要なのだと、そう信じている飛鳥が形だけとはいえ上に立つからこそ、この作られたばかりの部署はそんな青臭い方針に向かい合う。

 

 それでも————少なくとも、それに救われた人はこの場に一人いる。

 

 

「俺……は、異能なんて無ければ良かったってずっと思ってました。ずっと自分の異能が無くなればって思ってたんです。……そうだったらいいって、ずっと思ってたんです。でも、そうじゃない。異能があっても、サッカーをしていいって皆が言ってくれるなら……」

 

 

 震えそうになる唇を噛み、顔を上げた雄二はこの場にいる自分を応援してくれている人達に向けて宣言する。

 

 

「……俺、ちゃんと、自分の異能に向き合って頑張りますっ……! 絶対に誰かを傷付けないように、どれだけ難しくても頑張りますからっ……‼」

 

 

 ようやく見えた自分の進む先に、的場雄二という青年は歩み出した。

 

 

 

 

 




本作、『非科学的な犯罪事件を解決するために必要なものは何ですか?』の第一巻が発売中となります!
読みやすいように本文の加除訂正もありますし、とっても素敵なイラストもありますので、まだの方は何卒よろしくお願いします!

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かつての嫌な記憶を

 

 

 

 

 異能を用いたアルバイト。

 そんな精神科医の真似事は、お金という最低限の生活の担保になりえる物の確保と自分が持つ異能への理解を深めたいという私の事情から始まった。

 マキナというインターネット情報を封鎖する手段に、記憶から私という存在を意識的に引き出せなくする技術を確立したのもこの頃だ。

 私の精神に干渉する異能が何処まで出来るのか、用意した情報統制手段がどこまで効果を発揮するのかを知る為に、私は幼いながらかなり精力的にこの活動に力を注いだのだ。

 

 そして、そんなアルバイトの時に出会った、神崎未来さんのような知名度の高い相手のことは私も流石によく覚えている。

 その代表的な例が、高名な大女優に、高い人気を誇るプロスポーツ選手に、国家の中枢に居座る大物政治家の三名。

 どれも、世の中について色々と情報収集して、いかに有利に立ち回るべきかを考えていたとはいえ、まだまだ小学生上がりたての幼い私が知るくらいに有名な人達であった。

 

 その三人の中でも特に私が悪印象を受けたのが、大物政治家である。

 わざわざ日時を指定して自室まで来いと呼び出してきた、上から目線の権力者。

 普段なら私が日時を指定してサラリと精神治療を行う以外受け付けないのだが、上位者だという自意識がムクムク育っていたこの時の私にとってそんな対応をしてくる相手は完全な地雷であった。

 

 治療を求めている癖に上から目線な変な奴のプライドを圧し折ってやろうと、安易に乗り込みを掛けた当時の私はとんでもないアホな訳だが————

 

 

「…………」

「今日は来てくれてありがとう。さ、これはほんの気持ち程度のお土産だよ。甘味が苦手じゃなければ良いんだが、結構な数の個数が入ってるから家に帰って家族の皆と食べると良い。さてさて、何でも食べたい物を食べると良いよ。何なら家族への持ち帰りの品も注文しよう。これからこの店に訪れた際の君の会計は全て私に請求するように言っておいたから、今度は家族皆で来ると良い。それから必要ないかもしれないけど、君の活動に必要な物資もあれば資金援助も任せてほしい。いつでも何でも相談してくれて良いからね」

「……えぇ……?」

「それにしてもあの頃の君とは見違えるほど大きくなっているね。まだ幼さはあるがとても素敵な女性として成長していると私は思うよ。関係としては他人かもしれないけれど、子供の成長というのを感じるとこれほど嬉しいものは無いね。やっぱり成長期はよく食べよく寝ることが重要だからねぇ、うんうん……あ、君に関する記憶があるのは神崎君がね? 記憶の中の君という存在に対する意識外しの異能を解除してくれたからなんだ。分かっていることかもしれないけれど、一応ね」

「ええぇ……あ、貴方ってそんな人でしたっけ……?」

 

 

 ————まさかその縁が、回り回ってこんなところにやってくるなど、当時の私は想像もしていなかった訳だ。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 飛鳥さんと共に“百貌”神崎未来と交渉したあの日。

 一応話が纏まり帰ろうとした私達を名残惜しむ様な表情で見送っていた神崎さんはふと思い出したように私を引き留めた。

 

 

『あ、そういえば御母様。一つだけ内緒話があって』

『ええー……?』

『何でそんな嫌そうな顔をするのかは分かるけど本当に悪い事じゃないよ! 本当に少しだけ、耳を貸して欲しいなー! 心読んで安全確認して良いからー! おねがーい! あっ、心読めば用件を耳打ちする必要は無いんだっけ…………お願いだよ御母様ー! 御母様とこっそり内緒話したいよー‼』

 

 

 バンバンバンバンと強化プラスチック板を叩いて来る神崎さんをしばらくどうしようもない大人を見るような目で眺めた私は、しっかりと安全を確認した上で話を聞きに行った。

 

 訝し気な顔で見詰めて来る飛鳥さんの視線が痛い。

 けれど、私が寄せた耳に嬉しそうに口を近付けた神崎さんはそんなこと気にもせず、小さな声できっと助けになるよ、なんて言葉と共に十一桁の数字を呟いたのだった。

 

 

 十一桁の数字。つまり誰かの携帯電話に繋がる番号。

 どこの誰に繋がるかも分からないその番号は、私にとって実に不気味なものであった。

 ただ、誰の電話番号かも教えてくれなかった神崎さんは本当に不親切である訳だが、あの人は何だかんだ悪人では無い事が分かっている。

 

 だからその紹介と言うのなら最低限の義理だけは果たそうと、その携帯電話の番号へ私は神崎さんからの紹介だという端的なメッセージを送った訳だが、その返事は予想外にも即座に返って来たのだ。

 

『十四日十八時 料亭“久楼亭”でお待ちしています』

 

 有無を言わさず日時と場所を指定してくるその嫌な返答。

 何処か見覚えのある、だがそれに比べるとかなり丁寧な返信内容を目にし、私はとっても行きたくない気持ちが溢れ出した。

 “久楼亭”とやらは私の行った事が無いとんでもなく豪華な料亭だし、顔も知らない人に会うためにそんな所に行くのはどうかと思ったのだ。

 

 けれど、神崎未来という暫定的な協力者が取り次いだという点を考えると、彼女との今後の関係性を考える上でも、相手を確認する必要はあるようにも思えた。

 

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 色々と考え抜いた結果、私はこの電話先の相手と相手が持つ情報がどの程度なのかを見定めるために、色々と対策を講じた上で指定された場所に赴いた訳だ。

 

 そして、そんな私を見た事もないほど豪華な店の内装と共に迎えたのは、今のテレビで見ない日が無いとある老人だったのだ。

 

 

「おっと、そう言えば君は水とお茶であればどちらが良いかね? 基本的にこの店は何も注文が無ければお茶を出すんだけれど、問題は無いだろうか?」

「……お茶で大丈夫です。あと、山田沙耶って呼んでください」

「山田沙耶さんか……なるほどなるほど、承知したよ。私の事は阿井田でも博文でもおじいちゃんでも、なんでも好きに呼ぶと良い」

「……」

 

 

 私お決まりの名乗りにその老人、阿井田博文は偽名である事を知りながらも嬉しそうに笑う。

 

 阿井田博文。

 齢75にも届く彼は、昔私が精神治療を施した人物であり、血族に政治家が続く名家に生まれた生粋の世襲議員である。

 世襲議員でありながら確かな実力を持ち、温和な表情を崩さず人受けする柔らかな態度を常に周囲に振り撒き、腹の内に抱えた深く淀んだ謀略を悟らせない、政治家とはかくあるべきを体現するこの人物。

 けれどそれは今現在のこの人の話であり、私が出会った時のこの議員はもっと疑心に塗れ、努力をせず立場を持たない人物に対して明確に見下す性質を持っていた。

 アルバイトを初めて一年も経っていない頃の私に対する態度は、それはもう酷いものだったのだ。

 治療を求めている側である癖に、人を『小遣い稼ぎをする鼠』や『精神科医のままごとをする世間知らず』と罵っていたこの人物のことは酷く私の印象に残っている程。

 

 だからこそ、今回少し顔を合わせるだけつもりだった私にとって、そんな人物にここまで歓迎されることは完全に想定外だった。

 

 

「……何だか至れり尽くせりですが。私、結構な金額貴方からぼったくったんですけど。文句の一つでも飛んでくると思ってたんですけど」

「ふっ、ふふふっ、あれでかな? いや、すまないね、何でもないよ。その沙耶さんのままでいてくれると私は凄く嬉しいよ。いやぁ、あの頃の私はとても荒れていてね。治療して貰った過度な疑心で精神的に疲労していたんだ。沙耶さんには本当に申し訳ない事をした」

「まあ、別に気にしないですし今さらですけど。まともに治療してほしい部分も言ってこなかったのは貴方が初めてでしたよ。精神科医なら治療してほしいと思っている場所くらい見付けて見せろ、でしたか?」

「恥ずかしい話だね、いや本当に……」

 

 

 情けない自分の過去を恥じ入るように体を小さくしている老人の姿を目の当たりにして、私はさらに混乱してしまう。

 

 昔私は確かにこの人物の精神に対して異能を行使した。

 けれどそれは、私の情報抹消や依頼されていた精神治療、若しくは個人的に腹立つ部分の矯正程度であり、大幅な性格調整なんかは実行した覚えが無かった。

 だからこそその程度の精神干渉では、議員として正しく結果を残し、周囲の人間からの支持が強いこの人物の基本的な在り方は変わらないと私は思っていたのだ。

 それが、明らかに過去に私に見せた自分を恥じているこの人の姿を見せられて、それが読心により虚実では無いことを知れてしまい、私は困惑するしかない。

 

 

「……以前お会いしたのはもう十年近く前の話ですけど、貴方の性格変わりすぎじゃないですか? そんな私に対してお礼を言ったり、歓待したり、好々爺みたいな態度をする人じゃなかったと思うんですけど? 確かに私は……ううん、それっぽいことをした覚えがありますが、それにしたってそこまで強固にやった覚えはないですし、それだってあの頃は未熟でしたし年月の経過で効果の劣化があってもおかしくないと思いますし……」

「ははっ、変わったというのなら今の君も中々だとは思うけれどね。ただ、我ながらひと昔前の自分と比べるとかなり態度が変わったと思っているよ。沙耶さんのおかげで性格も矯正できた、そういうことだろうね」

「……そうですか。それなら良かったですね」

 

 

 こちらを見て顔を綻ばせている不気味極まりないお爺さんに、私はひたすら警戒する。

 常に“読心”を絶やさないようにして、何かしらの駆け引きをしてくるのではと疑い確認を怠らず、徹底的にこの老人の狙いを見定めるために観察する。

 

 警戒されている事を何故だか楽しそうにしている目の前のお爺さんだが、国家の政(まつりごと)を牛耳る相手など、これだけ警戒したってやり過ぎということは無いだろう。

 次期内閣総理大臣と言われるレベルの人というだけで、常人の想像を遥かに超える駆け引きの巧さを持っているのは間違いない筈だ。

 

 

「……神崎さんを介して私に連絡させたのは何か目的があっての事ですか?」

「おや……ふむ、それについて変な擦れ違いがあるみたいだね。最初に言っておくとそういった目的は何も無いんだよ。私はただ神崎君と情報共有していた立場の者で、沙耶さんが過去に遭遇したような神薙隆一郎のような暗躍や異能を絡めた壮大な謀略を練っている訳ではないんだ。ましてや沙耶さんを利用しようだなんて」

「貴方のそんな発言を信じろと……なんて言いたい気分ですが、本当にそのようですね」

「私は沙耶さんに嘘はつかないよ。腹に抱えることはあるだろうけどね」

「……」

 

 

 その腹に抱えたものを引っ張り出す事も出来るが……と悩む。

 

 敵ではないのは分かっている。

 だから、あんまり強制的な精神干渉で内面を覗き見ると相手に後遺症を与える可能性もあるし、悪人や敵でないなら真偽を見抜いたり考えている事を見透かしたりする以上の力を使うのは憚れる。

 そうやって考えて、危険を感じるまではそこまでの異能使用を控えようと結論付けた私は、目の前に出て来た料理を余所にさらに思考を巡らせていく。

 

 なんで神崎さんは自分とこの人を引き合わせようとしたのだろう。

 害意も悪意も下心も無くて、ただこの人に会わせたかったというのはしっかり確認していたから分かっていたけれど、ここまで明確な目的が見えてこないとは思わなかった。

 神崎さんからの紹介があったとメッセージを送った時のこの人の食い付きも、何かしらしたいことがあったとしか思えないレベルのものであったし、私に会いたい何かというのは一体なんだろう。

 誰か精神治療をしてほしい人がいるか、はたまたその技術について利用したいとかだろうか。

 

 私がそんな風に悶々と考えていると、阿井田議員は困ったように眉を下げた。

 

 

「沙耶さんを迷わせるつもりは無かったんだが……その、だね。私はただ沙耶さんに会って話をしたかっただけなんだよ。私の強固に固定化されていた思考を、家族にまで及んでいた問題を解消してくれた沙耶さんにね。それを分かっていたから神崎君は私の連絡先を君に渡したんだろう。沙耶さんへの関係が似た者は皆仲間だと思っている神崎君のやりそうなことさ。そう、俗っぽい言い方をすれば私達はただのファンみたいなものなんだよ。神崎君みたいな沙耶さん自身になってみたいと考えるような厄介ファンであるつもりは無いが、私も自分が中々に重度のファンであると思っているよ」

「……え?」

 

 

 なんだか変な事を言われた気がした私が動揺していると、さらに続けて阿井田議員は言う。

 

 

「昔の私は拠り所が無かった。接する相手全てが疑わしく思えて、積み重ねた関係が虚実であるように思えて、自分の膨れ上がった疑心を制御できない状態だった。そんな状態で、積み重ねていた精神的な負担は相当なもので、攻撃的になった権力だけはある老人をいったい誰が諫められるというのだろう。家族ですら容易く排斥しただろうあの時の私が何かしらの一線を超える前に沙耶さんに出会えたことは、今でも感謝しか抱いていないんだ。だからこそあの時、権力や経験を持った厄介な老人の前に現れ、一切怯むことが無いまま正しく精神治療を成し遂げて見せた君という人間に、私は深く魅せられた。君のその在り方は、私の価値観を大きく変えたんだ」

「む、ぐ……」

 

 

「神崎君も同じようなものだったろう?」なんて笑った阿井田議員は戸惑う私に目を細める。

 

 

「これまでは朧げな記憶しか思い出せない状態だったが……こうして沙耶さんに会う事ができて、私は自分の感情に整理が付いた。私は君に憧れている。君が私に及ぼした影響を、正しく君と話をしたかった。私は沙耶さんという人間を沙耶さんの前で肯定したかった。それが腹の内に様々な事を抱えて、国家の政治の舵取りをする老人の下らない目的なんだよ」

「……ま、まあ、嘘はないようですし、貴方の態度と私との接触を希望した理由については信じようじゃありませんか。私にはちょっと理解できない感情ではありますが、そういうこともあるでしょう」

 

 

 この複雑怪奇な状況への理解を一段落させた私の様子を確認し安心したように頷くと、阿井田議員は食事に手を付ける事を勧めてくる。

 並べられた豪華な食事は確かに美味しそうだがこんなものを食べることに慣れてしまうと後々大変そうだな、なんて。

 そんな不安を抱きながら箸を使って少し料理を摘まんでいる私を見て、阿井田議員はもう一つ事実を教えてくれる。

 

 

「それからもう一つ、過去の沙耶さんを模倣した神崎君が私へ接触した理由だがね。国による異能を持つ者への弾圧政策を危惧していたからなんだ」

「……へ? そ、それはいったい?」

「正直に告白しよう、異能の付き纏う事件については私も頭を悩ましていた。つまり私は神崎君の接触が無ければ異能を持つ者達を追い詰める法案を作っていた可能性がある。何せ、神薙隆一郎、和泉雅による乗っ取り議員は十三名に及んでいたからね。弾圧するべきではないかという考えは、確かに私の頭を掠めていたんだ。だから神崎君は、模倣した沙耶さんの記憶から関わりのあった私に接触すると同時に一定の情報を与える選択をした。だからこそ彼女は情報を共有する政界に影響力を持つ仲間を作る選択をしたんだ」

「え……あ、あっ、あー……神崎さんって頭良いんですね」

「ふふ、その点は驚くべき事実だと私も思うよ。色々厄介だとは思うが、沙耶さんが思っているよりも神崎君は君の味方なんだ。そこは勘違いしないで上げて欲しい」

「それ…………ああ、そういうことですか。そうですか。なるほどです」

 

 

 神薙隆一郎一派による有力者の成り替わり。

 その影響を考えていなかった自分の浅慮に気が付き、私は呆然としてしまった。

 そして、その情報を私が持っていないと確信していたように切り出し、私が持つ神崎さんの印象を良い方向へと引っ張った阿井田議員の駆け引きに気が付き、愕然とする。

 読心の、精神干渉の力を持っている私が知らずの内に彼等の手のひらの上で転がされた、そんな気分である。

 

 駄目だ、と思う。

 家族や神楽坂さん達とこれまで会話して、事件を解決したりして、私は心の何処かで自分は抜けている部分もあるが基本的に頭の良い人間だと思っていた。

 読心という圧倒的なアドバンテージを持っていれば、どんな相手だろうと一方的に思考面で上回れると信じていたのだ。

 だが、日本の役者業の頂点に立つ神崎未来という女性や内閣総理大臣すら裏から操る日本政界の重鎮阿井田博文という老人と相対して、自分の不足を突き付けられた。

 異能という、それも精神干渉という対人関係にとってこれ以上ない程の利を得てなお、簡単に手玉に取れると思えない相手が目の前のいる事実に、私のちょっとずつ育っていた自尊心がシワシワと萎えていく。

 

 私はやっぱり、全てを見通す万能の才能人間なんかではない。

 「頭良い人達って怖いですねー……そういう影響面もちゃんと考えられるようにならないとなぁー……」なんて、しょぼくれていた私に阿井田議員は微笑ましそうに破顔した。

 

 

「私から見れば沙耶さんは才能の塊のような子なんだけれどね」

「良いんですそんなフォロー……あー……本当に表舞台に出ない選択をしていて良かったぁ……何が警察のブレーンなんだか。そんな大層なものじゃないってば……もっと頭良い人達がこうやってわんさかいるんだから、私の異能よりも凄い人もきっと世界にはいっぱいいるんだぁ……」

「警察のブレーン、か……なるほど。ところで、孫のような沙耶さんにそこまで落ち込まれると私の舌が料理の味を楽しめなくなってしまうよ。沙耶さんは間違いなく優秀であることには変わりはないのだから、そう劣等感を感じる必要は無いんだよ?」

「早く危険の無い就職先探そー……事務職が良いなー……一杯お休みくれるところー……」

「メ、メンタル弱すぎないかい……?」

 

 

 萎む気持ちに反比例するように、高価なことが間違いない料理を次々口に放り込み始めた私の姿に、阿井田議員はとっても微妙そうな顔になった。

 もっとよく味わってほしいとでもいうのかもしれないが、そんな余裕がなくなるまで私を追い詰めたのは自分だという自覚を持って欲しい。

 

 そんな風にウジウジしながら、私は先ほど阿井田議員が吐いた聞き捨てならない言葉を拾い上げる。

 

 

「……というか、孫ってなんですか。私と貴方が別にどうという関係じゃないでしょう。小遣い稼ぎの鼠ですからね、私」

「そう虐めないでほしいんだが……改めて沙耶さんと会って理解したんだが、私は沙耶さんを恩人と思うと同時に孫のように思っているんだ。既に勝手に孫だと思い込んでいる節もある。実の孫と同じくらい君のことを可愛がりたいと感じているくらいだね。何でも買ってあげたくなっているというべきか……どうだろう。私の財力を存分に利用してみないかな? コネクションを使って色々悪だくみしてみないかな?」

「これまた変な拗らせ方を……私にどうしろっていうんですか……」

「素直におじいちゃんに可愛がられてくれると嬉しい」

「誰がおじいちゃんですか」

 

 

 んべっ、と私が舌を出して反発するも、それすら嬉しそうにしているこの老人に勝てる術が今の私には思いつかない。

 疲れてしまった私が首を振りながら食事に戻るのを、阿井田議員は碌に料理に手を付けないままにこやかに眺めている。

 

 完全に孫の食事風景を見守るおじいちゃんの図である。

 いや、私は自分の祖父母と食事なんてした事が無いし、可愛がってもらった事もないのでその表現が正しいのかは分からないのだが。

 

 ここまで阿井田議員と会話して、危険が無いだろうことを理解した。

 神崎さんとの関係も、この人が私に対してどんな感情を抱いているかも理解した。

 だからここから先は変な腹の探り合いなどではなく、単純に食事を楽しむことができる。

 

 そんなことを思ったからだろう。

 何の悪意も無く優し気にこちらを見詰めている老人を見て、無意識の内に私の頭を過ることがあった。

 

 もしも、だ。

 もしも私が自分の祖父母とこの人との関係のようだったら、きっとその方が多くの事で都合が良かった筈だ。

 私達家族に対する支援があっただろうし、私は悪意を持って異能を使うことは無かった。

 本当にもしかしたら、神薙隆一郎という超常の医者を見つけ出して、病が治ることが無かった母親を救う事も出来たのかもしれないと、そんな風に思ってしまった。

 

 けど、そんなのは全てありもしない仮定の話だ。

 昔子供が思い描いてしまった絶対にありえない悪夢の話だ。

 下らない妄想だったと私は自分が変に巡らせた考えを振り払いつつ、昔会った時には考えられないくらい家族愛を溢れさせた目の前の老人を見遣る。

 

 

「……まあ、貴方がそこまで変われた事。私は祝福しますよ。昔のままの貴方であれば、きっと今も苦しそうな顔をしていたでしょうしね」

「……私から伝えたい事は全て伝えたつもりだよ。私からのアプローチは基本的に異能を持つ者を弾圧するつもりは無い。沙耶さんの方針は理解したし、沙耶さんの不利になるようなこともするつもりがない。それらの点は安心して欲しい」

「分かりました。感謝しています」

「また何かあれば……いいや、何もなくても相談してくれると嬉しいよ。単純に高い食事をしたいというだけでもね」

 

 

 私の様子に何かを察したのか、くしゃりと気遣うような表情をした目の前の老人。

 家族を思いやれる優しい老人となっているその人の思考を、今の私は読む気にもなれなかった。

 

 

 

 





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静かな予兆

 

 

 

 

 昔、苦楽を共にした顔馴染みの男達が一堂に会する。

 平均的な日本人の体格に比べれば一回り二回りも大柄である彼らは、立場が違うそれぞれの顔馴染みの様子を確かめ、全員が異なる微妙そうな顔を浮かべていた。

 

 

「こうして三人で顔を合わせるのは、お前があの事件を引き起こした時を除くとどれだけ前の事だろうなァ」

「それこそ警察学校時代まで遡ることになるだろうが……柿崎、お前が過去を懐かしむような発言をするなんてどういう心境だ? まさか、今の部署にいるのが限界なのか?」

「忙しい上に危険が伴うのは間違いないだろうが、今更柿崎が命の危険がどうとか気にするようには思えないだろ。どうせ筋トレの時間が少なくなってストレスが溜まってるみたいなものだろうよ」

「テメェら、随分言ってくれるじゃねェか。だが……疲れてるってのは間違いない。先日“百貌”とやらとやり合った時は、特にな」

「“百貌”、か。異能も持たないお前らが、本当によくやってると思うよ」

 

 

 二人の警察官と一人の犯罪者が、ともすれば諍いになりかねないそんな軽口を交わす。

 数々の異能犯罪を解決している神楽坂上矢と異能対策部署に所属する柿崎遼臥、そして異能を持つ元警察官、宍戸四郎。

 立場が大きく変わってしまった同期である彼らは、犯罪者である宍戸への聞き取りという名目でこの場に集まっていた。

 

 警察という組織に深い恨みを持つ宍戸四郎という犯罪者は、まったく顔の知らない警察官が聞き取りをしようとしてもまともな受け答えをしない可能性がある。

 そう考えていたところに、聞き取りをしたいと申し出たのが宍戸四郎の同期である神楽坂と柿崎の二人だった訳だ。

 

 そして、この二人が聞き取りを希望した理由は別にその任務を全うする為だけではない。

 

 

「……“北陸新幹線爆破事件”、お前が残した独自捜査の証拠や資料は正式に提出した。隠蔽に関わった警察官、それから官僚や地元の有力者も処分される方針だ。相応の罰とは言い難いかもしれないがな」

「ソイツらの醜い抵抗はお前にも見せてやりたかったなァ。碌な反証もしねェで警察署を爆破した犯罪者が残した証拠を信じるのかだとのたまってやがった」

 

「…………そうか。また昔のように、不都合な真実は握り潰されるものかと思っていたが、そうじゃないんだな」

 

 

 警察生命を捨ててでも成し遂げようとした不正の告発。

 その告発の結末を、少なくとも顔馴染みであった彼らは宍戸に伝えるためにこの場にいた。

 そして、告発が正しく受け入れられて不正を行った者が処分を受けているという結末を知り、宍戸は少しだけ後悔を滲ませるように天井を仰ぐ。

 

 犯罪者である自分の下に訪れて、彼らには何の必要も無い情報を教えてくれる自分が裏切ってしまった者達。

 彼等からそんな結末を聞かされて、こんなことであるのなら、犯罪行為に走るのではなく法に基づいた告発を行うべきだったのだろうかという、そんな考えが宍戸の頭を過ってしまう。

 

 

「仕出かした事を擁護する訳じゃねェが、テメェがネット上に全国放送したことで、上の奴らも惚けることができなくなったんだろうなァ」

「違うぞ柿崎。今の最上層部が痛みを伴う改革に肯定的だからだ。異能による犯罪が世間を騒がせている以上、不正に手を染めている獅子身中の虫なんて放置できる余裕はない。そういった理由もあるんだろうが、一番は……」

「山峰警視総監と剣崎警視監だろ? 特に剣崎の方は冷血で有名だなァ、お前の所には届いてないかもしれないが、本部部署内には奴の苛烈さは毎日のように聞こえて来るぞ」

「…………剣崎局長か。そうだよな。あの人はそういう人だった筈だよな」

「……そういえばお前、あの爆破事件の時剣崎の奴と一緒に行動してたな。ついにお前に対する処分を本部がしようとしたのかとあの時は思ったが」

「あれは……そういうんじゃないんだ……」

 

「いいや、俺の告発が好転したのは状況もうまく噛み合った結果なんだろうが……どうせお前らが俺の残した証拠の確保に動いてくれたのが決定打になったんだろ?」

 

 

 確信を持った質問への返事はなく、疲れたように肩を竦めた神楽坂と腕を組んだまま明後日の方向を見遣った柿崎の様子に宍戸は笑みを溢す。

 それから、宍戸は満足したように全身を脱力させ、自分の馬鹿みたいに誠実な同期達へと問い掛ける。

 

 

「何が目的だ? こんなところまで堕ちた俺が出来ることなら協力するつもりだが、出来る事は少ないぞ。異能開花薬品の入手経路は警察が押収していた物を奪っただけ、異能もあるにはあるが爆破させるだけの攻撃的な力で警察としては扱いにくいだろう。情報としても、戦力としても、お前らの役に立てるようなものは無いが……」

「誰がテメェなんかの礼を期待するかよ」

「柿崎は口が悪いが、俺らに礼はいらない。何せ、お前が抱えていたことを俺達は少しも気付いてやれなかった訳だしな。そんな自分の責任に、自分なりの始末を付けただけだ。ただまあ、名目上は聞き取りだから、素直に聴取に応じてくれると助かるけどな」

 

 

「聞き取りと言われてもな……」なんて、困ったように応じた宍戸に対して、神楽坂と柿崎はそれぞれ用意していた質問事項を投げ掛けていく。

 

 具体的な犯行動機。機材・爆薬の入手経路。他の標的はいたのか。協力者はどうか。所持している異能の具体的な性能性質。今後異能を悪用する考えはあるのか。

 そんな様々な質問の山だが、全く隠し立てせず素直に答える宍戸の協力は確かなものであり、元々警察官である宍戸の解答は必要事項を充足させているため、少しも停滞することなくスムーズに進行した。

 

 そんな聞き取り作業はそう時間も必要とせずに終わり、メモを整える作業に移る二人の様子を眺めていた宍戸は前々から聞きたいと思っていたことを口に出した。

 

 

「……あの子は、お前達の上に立つというブレーンとやらは本物なのか?」

「あー……いや……本物じゃないな」

「あんなガキが異能対策部署のトップとかいう妄想を信じてるのか? そんなのは創作の中だけの話だろうよ」

「そうは言うが……少なくとも俺を叩きのめした時、紫龍を従えていたあの人物は実在しただろう?」

 

 

 その質問に対して、ぐっ……と返答に詰まった神楽坂達に、意味を勘違いした宍戸が「手の内は晒せないか」と諦めたように納得した。

 崩壊した警視庁本部の瓦礫の中で、飛鳥を庇うようにして立ち塞がった人物が只の一般人で、その人物の言葉に異能犯罪者の“紫龍”が素直に従っていたという方がおかしな話。

 だから宍戸のそんな勘違いさえどうにも否定しようが無くなって、お前があれを説明しろというように視線を柿崎が神楽坂に向けるのも仕方の無い事であった。

 

 

「……あのな、宍戸。実はあれは……」

「いや、いい。俺はお前達を裏切って立場を捨てた男だ。今更お前達に極秘情報を提供してくれだなんて虫の良い話はしない。それでお前達の立場が悪くなるのは俺の本意じゃないんだ。悪いな妙な事を聞いて」

「あー…………そうか」

 

 

 調子に乗りまくった姪っ子が暴走しただけ、だなんて。

 そういう事情で説明を受けている柿崎が厳しい目を向けて来るが、本当の事情を知る神楽坂だってどうしようもないのだ。

 聞かないと言って納得したような表情を見せる宍戸を余所に、神楽坂は姪っ子を自称していたあの時の少女のやらかしに想いを馳せる。

 

 ……色々思う所はあるが、事件を解決した結果なのだから仕方なかったのだろう。

 神楽坂はそう自分を納得させることにしたのだが、一方で長い間違和感を残し続けて来ていた柿崎は我慢しきれなくなったように疑惑の矛先を神楽坂へ向け始めた。

 

 

「神楽坂。テメェ、隠してることあるだろ?」

「……隠してることというと?」

「とぼけてんじゃねェ。テメェ……ただ利用されてるだけじゃなくて自覚があるな?」

 

 

 過去、数々の凶悪犯や小悪党と対峙し、言葉の応酬や腹の探り合いをしてきた柿崎の刑事的な感覚に神楽坂の態度が引っ掛かった。

 

 何かを隠そうとする者の態度。

 以前から度々点在していた神楽坂周辺の違和を思い出し、柿崎は本格的に疑いの目を神楽坂へと向ける。

 

 

「なら聞くがな、今ウチの部署で働いている“紫龍”灰涅健斗、国際指名手配犯のステル・ロジー。どちらもお前が捕まえたことになっているが、それは本当なのか? そいつらの異能を実際に見てる俺に、お前自身の力だけで捕まえたと言えんのか?」

「それは……」

 

 

 ついに投げ掛けられたその質問。

 異能が無い中では全国警察最強と称される柿崎の観察眼は間違いなく、その目の評価では異能を持たぬ神楽坂では対抗は難しいだろうと思える二人の異能持ちのこと。

 どう足掻いても、捕まえられるとは思えない彼らを神楽坂が捕まえたことになっている現状は、柿崎にとってはにわかに信じ難く、そして国際警察から齎されたある情報との関連を疑わざるを得ない。

 

 そして柿崎の予想通り、硬い表情になった神楽坂がゆっくりと噛み締めるように口を開く。

 

 

「…………異能の有無だけが異能犯罪を解決しうる要素になる訳じゃ無い」

「そういう事を聞いてるんじゃねェよ。相も変わらず自分を飾り付ける嘘が下手な野郎だ。お前自身が微塵もそうは思ってない事が態度から見え透いてるんだよ」

 

 

 過熱し始めた二人のやりとりを目の当たりにして、プラスチック板越しに目の当たりにした宍戸は慌てて仲裁しようと立ち上がる。

 

 

「その質問は……いや、それよりも、おいっ、おい待てお前ら、ここは犯罪者との面会室だぞ。警察官同士で争ってんじゃない。もっと落ち着きを持って、弱みを犯罪者に見せないように振舞うのが警察官としての責務でだな」

「うるせェ宍戸、犯罪者なんだから黙ってろ」

「その犯罪者を前に重要機密に成り得るような話をするんじゃねぇ! ふざけんな! 神楽坂っ、お前も柿崎に何か言え! この知能のあるゴリラを暴れさせないように説得しろ! 下らない質問をこんな場でするなって言ってやれ!」

「……柿崎、俺からお前に伝えるようなことは無い。警察による支援も無いまま続けた俺の異能犯罪の捜査に対して、今更になって口出しして、お前の能力では解決は無理だっただろうと言い掛かりをつける。自分でもふざけた事を言っている自覚は無いのか?」

「気持ちは分かるが喧嘩腰になるな馬鹿野郎⁉ 嘘でも良いからこの場では俺自身が捕まえたで通せばいいだろうが⁉ お、お前らこの場でそれ以上変な情報を喋るなよ! 犯罪者として収監されている俺に秘密を喋ったとかで処罰されることもあるんだぞ⁉ 頼むから俺はもう巻き込むなって……!」

 

 

 立ち上がり、お互いがにらみ合うように向かい合った神楽坂と柿崎。

 そんな二人の姿を目の当たりにして、宍戸は誰か仲裁する奴はいないのかと声を張り上げるがどうにも助けがやってこない。

 監視カメラがある筈なのになぜ、と宍戸が困惑しつつ、いざとなれば爆破の異能でプラスチックの板を破って仲裁に、との考えが頭を過り始めてしまう。

 

 だが、慌てる宍戸や拒絶する姿勢を崩さないまま監視カメラの方向を気にしている神楽坂とは異なり、威圧的に佇みながらも柿崎は冷静に思考を巡らせていた。

 

 そして、一つの単語を口にする。

 

 

「“顔の無い巨人”」

「……そいつは……」

「俺が何も知らないとでも思ったのか、神楽坂。ICPOの奴らから、この国に潜伏するだろう最悪の異能持ちに関する情報はある程度伝えられてんだよ。歴史上最も異能による被害者を出したとか言われてる化け物のことはな。そして、テメェの周りで起こってる不可解な解決はソイツが関係してる可能性がある。俺はそう思ってる」

 

 

 ICPOからの情報や神楽坂の人となりから柿崎が巡らせていた推理がそれだった。

 神楽坂の周りで起きている異能犯罪の解決や潜伏状態にあるという世界最悪の異能持ち。

 この二つには間違いなく関連性があり、自覚の有無はともかくとして神楽坂はスケープゴートとして利用されているだろうと思っていた。

 

 そしてその推測をしていくと、現状最も疑わしいのは例の姪とやらになる。

 仕掛けられた爆弾を正確に見つけ出す推理力に、警察本部を爆破の異能で倒壊させた宍戸の前に立ち塞がり倒れ伏す飛鳥を庇って見せた胆力。

 あまりに一般人離れしたその能力の数々は、あの弱気な態度だけでは隠し切れるようなものではないと柿崎は思っているのだ。

 だが、数年前に起こしたと言われている洗脳事件のから逆算すると年齢的な部分に不明点があり、狡猾な世界的な犯罪者とは思えないあの迂闊極まりない行動には違和感がある。

 無関係か、一時的に利用されただけの存在か、はたまた本物か。

 

 それをここで問いただすことで解明しようと柿崎は考えていたのだが、どのような形であれ追い詰められている筈の神楽坂は何かを悩むように目を瞑っている。

 そして、柿崎がさらに質問を続けようとしたのを遮るように、神楽坂は話を始めた。

 

 

「……お前は特定の一つとの関連性を深く疑いすぎだ、柿崎。思いついてしまった一つの辻褄合わせの思考が、お前の考えを固定化している」

「あ?」

「俺は氷室署交通課の後輩に飛禅飛鳥がいただろう。お前のそんな仮定だらけの考えよりも、飛禅の奴と一緒に異能犯罪の解決に当たったという方が状況証拠としては存在する筈だ。“紫龍”も、“千手”も、飛禅と共に捕まえた。ありもしない異能を持つ者の関与を疑うよりも、その方がずっと現実的だ。違うか?」

「……だったら、どうして灰涅の野郎を捕まえた時に異能の件を言い出さなかった」

「散々異能を信じてなかったのはお前らの方だろう。飛禅が異能という力の存在を言い出せば、アイツも俺と同じような扱いを受けるんじゃないかと疑った。まあ、最もあの場では俺とアイツが完全な協力体制とはいえない状態だったからっていうのもあるがな。気になるなら今はお前の上司になってる飛禅に聞いてみると良い」

「……」

 

 

 嘘と真実が入り乱れている。

 苦し気な神楽坂の様子からそれを柿崎は確信するも、言葉のどの部分が嘘かが分からずに、勢いが削がれ、確信していた筈の自分の考えに罅が入っていく。

 それでも何とかこれまで考えていた推理を繋ぎ止めようと、柿崎はなんとか繋がる要素を思考から引っ張り出して口を動かす。

 

 

「ならテメェ、あの姪とやらは……」

「姪ってのは方便で……まあ、知り合いの娘さんだよ。前に食事を奢ったら懐かれたんだ。優秀で誰かを助けようって時に損得考えず動くような優しい子だが、調子に乗りやすくて色々失態を晒すんだ。だから、この前も調子に乗って名探偵ごっこを始めたんだが、本当に偶々爆発物を見付けてな。迷惑を掛けたって落ち込んでいた、悪かったな」

「……嘘に聞こえねェな」

 

「聞こえない、俺は何も聞いちゃいな……いや待て神楽坂、今爆発物を名探偵ごっこで見つけたって言ったか? え? 姪っ子の調子に乗った名探偵ごっこで俺の仕掛けた爆発物を……?」

 

 

 思い付いた反論の要素すら潰され、柿崎は自分の敗北を認める。

 これ以上追及出来る手札が自分には残っていないのだから仕方ない。

 神楽坂の反論を切り崩す部分を見付けられなかった柿崎は、自分の非を認めながら疑惑の矛を収め荒々しく椅子に腰を下ろすしかなかったのだ。

 

 

「チッ、テメェが何かしら隠しているのは間違いないようだが、俺の考えが足りなかったのは間違いねェな。悪かった」

「いや、良い。俺も疑われるような真似をしていたのは確かだ。だが……お前らしくないな。お前が疑わしい奴、それも同僚を問い詰めるならもっと確証を持ってから動くだろうに。少々軽率過ぎる気がするが、何か事情があったのか?」

「……」

 

 

 誠実という自分の性分を理解した上で質疑を躱す立ち回りを見せ、その上で相手の妙な点を逆に指摘した神楽坂に、柿崎は不機嫌そうな顔で天井を見上げた。

 負けを認めたように黙ったままの柿崎の姿に神楽坂は困惑するが、一方で事情を読み取った宍戸が理解したと声を漏らす。

 

 

「なるほど……柿崎、お前の“顔の無い巨人”とやらの情報は含まれて無かったが、神楽坂への最初の疑惑に俺は覚えがあった。『神楽坂の能力で過去の異能犯罪を解決できる訳が無かった』。それと同じことを再三口走っていた奴が、本部にいたのを俺は知っている。神楽坂や異能対策部署に敵意を抱く、頭の固い奴の一人だ……柿崎、そいつから神楽坂に問いただすよう言われたな? だからこうして俺への事情聴取にわざわざ神楽坂とタイミングを合わせさせたと、そういう事か」

「そうなのか柿崎?」

「……本部絡みは厄介ごとが多い。現場仕事だけをしてれば良い訳じゃねェ」

 

 

 警察本部からの嫌な指示。

 せめてもの抵抗が本部事情を知る宍戸の前で問い詰めを行うことだったのだろう。

 溜息を吐きながらそう呟いた柿崎を見て、神楽坂は自分へ向けられる恨みに巻き込んだのだと事情を把握し申し訳なさそうに表情を崩す。

 

 だがそんな二人の仲を取り持つように、宍戸が顎に手を当てながら呟いた。

 

 

「これまで科学的根拠に基づいての捜査を信望していた頭の固い奴らは、指示に従わない神楽坂も、様々な特例が認められた異能対策部署も、疎ましく思っていた。どうにか足を引っ張ろうと策略を仕掛ける機会、或いは自分達が現状をひっくり返しうる大きな功績を上げれる機会を虎視眈々と狙っていた。そいつ等が今こうして動き出したんだろうな」

「……なるほどな」

「チッ……言っておくがそれだけが理由じゃねェ。俺自身も神楽坂周りについては疑いを持ってたんだ。こいつの性格上誰かを害する目的じゃねェだろうが、何かに利用されているとは思っていた。潜伏している敵がいるならそれを炙り出しておきたかった」

 

 

 宍戸の仲裁するような推測に二人は大人しく耳を傾ける。

 先ほどまでの一触即発の空気が霧散している事に、ほっと胸を撫で下ろしながら宍戸は思う。

 

 昔、警察学校時代の自分達はこんな関係性だった。

 誰一人思考を停止することなく議論や推測を交わすが、結局話の纏め役は宍戸で、神楽坂と柿崎がそれに従う。

 能力の高い二人が素直に自分の考えに従ってくれたことで何度も助けられたことを宍戸は思い出し、少しだけ表情を崩しながら、「それなら」と宍戸は言葉を続けた。

 

 

「俺にもお前達に言える事がある。忠告してやれる事が、一つある」

 

 

 そうやって切り出した宍戸はとある事件の詳細を脳裏に思い浮かべながら話し続ける。

 

 

「俺が……自分の求める隠蔽された過去の未解決事件を追っている中で、無視できない事件の情報をいくつか知り得た。その中でも、もはや警察内部ではほとんど追う者の無い、多くの犠牲者を出した凄惨な未解決事件のことは特に記憶に残っている。二十年以上前のあの凄惨な事件を、警察もほとんど追うことが無くなっている過去の犯罪事件のことだ」

「……待て、何のことを言ってやがる?」

「二十年以上前に起きた、多くの犠牲者を出した未解決事件といえば俺にも覚えがある。俺も異能という存在を闇雲に追っている最中、過去の未解決事件の詳細は一通り調べ上げたからな。お前が言っているのは針山の旅館で起きた例の事件のことだろ、宍戸」

 

 

 神楽坂の言葉に柿崎は目を見開き、問いを向けられた宍戸は「ああ」と頷いた。

 それは、あまりに有名で、あまりに犠牲者が多く、あまりに謎で満ちた事件。

 

 

「『針山旅館殺人事件』————またの名を『串刺し山の吸血鬼事件』と呼ばれるもの。間違いなく、俺が調べた事件の中でも最も凄惨と言っても良いのがその事件だった。警察もほとんど追わなくなった風化しかけた過去の事件だが、外部には今なおそれを追っている者が存在した……明確な悪意を持って、例の事件の調査を進めていた男が存在したんだ」

 

 

 昔出会ったとある人物を脳裏に映し出す。

 自分と同じように過去の忘れ去られた未解決事件を追いながら、自分とは異なる何かしらの思惑を腹の内に抱えていたあの男。

 

 憎悪ではなく、怒りでも無い。

 暗い思案を巡らせながら事件詳細を探っていたあの男を、宍戸は危険に感じていた。

 

 

「殺人事件の時効が存在しない今。異能と呼ばれる力が表立っている今。異能対策部署に対抗して大きな功績を求めている奴らが警察内部にいる今。例の事件を執念深く調査している者がいた今。何か一つでも新たな情報が飛び込めば、多くの謎が残された例の事件が掘り返されることは間違いないだろう」

 

 

 お前らが関わる事になるかは知らないが、なんて。

 自分が見切りを付けた組織に今も所属する、自分には勿体の無い顔馴染み達の身を案じて、宍戸はそう断言する。

 

 

 

 

 ‐1‐

 

 

 

 

 先ほどまで喉元に突き付けられていた刃が下ろされた。

 引き絞られていた断頭台から解放された。

 九死に一生を得たような自分達の無事を確認して、その場にいた者達は大きく胸を撫で下ろしていた。

 

 

『く、くふふはっ、あははははっ、いやいやいや、これはこれは、とんだ道化じゃないか! ねえ、ねえねえねえ、君もそう思うだろうノーマン! “顔の無い巨人”ですらない、別の何かによって世界の覇者を気取っていた君は簡単に圧壊させられた! この事実、決して軽くは無いよ⁉ 君の世界への足取りは、単なる薄氷の上でしかなかったと思い知らされた訳だからね!』

 

 

 そんな中で、白いナニカが笑う。

 自身が身を寄せる組織の欠落を笑い、疲れたような顔色の共犯者の姿を心底楽しむ。

 地下の、厳重に厳重を積み重ねられた強固なセキュリティの中、部下達と身を寄せ合うようにして状況を確認している表裏において世界の覇者である筈の共犯者。

 滅多に見ることは無い彼のそんな疲れ切った姿をケラケラと笑う白いナニカは、彼を信望するこの集団の中では一人だけ異質だった。

 

 

『アイツ……自分だけは安全だからって……』

『しかしアレの発言は確かに的を射ています。事実は変わりません。対策の推進を』

『いや、精神干渉の異能があらゆる知性体を媒介としてここまで無法を発揮するとなると、確実な対策など存在しないだろう。となれば取れる選択など限られる。敵対か同盟か、強制的な隷属が最も安全なのだろうが現実的ではない。さて……』

 

 

 秘書である男は笑い転げる白いナニカを睨み、老齢の男性の両隣に立つ他の二人は自分達が陥っていた最悪の状況から脱した事実を喜びつつも、世界最悪の敵とその対策について言及する。

 

 だが、そんな彼らの言葉など耳に入っていないかのように、あるいは危機を脱した自分達の状況すらも些事でしかないと感じているかのように、老齢の男性はあるものを見詰め続けていた。

 

 

『これが……彼女が、“顔の無い巨人”なのか……』

 

 

 初恋の相手を見詰める少女のように、或いは生涯の宿敵を見定めた少年のように。

 老齢の男性、覇権企業UNNの最高権力者ノーマン・ノヴァはとある異能によって映し出された飛禅飛鳥によって抱えらえる幼い少女の姿を飽きることなくじっと見つめ続ける。

 

【接続を介し相手の周辺を情報として映し出す】という、特殊探知系統の異能。

 その異能を使い“百貌”という攻撃先を捉えた事で捕捉した、ノーマン・ノヴァにとってどんなものよりも重要な相手から視線を外せない。

 

 昔、世界の頂点に立ったと思っていた自分に巨大な才覚を見せつけた、“顔の無い巨人”という名を冠する者の正体から目を離せない。

 

 

『し、しかし、プリシラの異能を信じない訳ではありませんが、本当にあの“顔の無い巨人”がこの少女だと? あまりにも……あまりにも子供ではありませんか……?』

『確かに。日本人の見た目が幼いのは承知していますが、この少女はどれだけ高く見積もっても年齢は二十には届いていません。ここからさらに三年前となると、世界に股を掛けたのが本当に幼い頃の話となります。信じがたい話です』

『ありえない……そうは言えないのが異能という才能だ。プリシラの異能が正しく機能していると仮定するなら、この少女か女優の方が“顔の無い巨人”ということになるが……ふむ、儂の勘ではこの少女の確率の方が高いだろう』

 

 

 自身のすぐ両脇に控える部下達がそれぞれ思案を巡らせ口を開くが、ノーマン・ノヴァはそのどれにも返答することない。

 それら全てが雑音とでもいうように、身じろぎ一つせず映し出されている少女の姿から全ての感覚を外そうとはしない。

 何よりも、彼らが議論している地点など既に、ノーマン・ノヴァの中では考えるようなものではないのだ。

 

 そんなチグハグな彼らの様子を目の当たりにして、笑い転げていた白いナニカは問い掛ける。

 

 

『ふっ、くふはっ————さて、この世界最悪の異能使い。どう攻略する共犯者?』

『…………そのための手札は揃えてきた。必要なピースはあと一つだ』

 

 

 ノイズ塗れの先にあった“顔の無い巨人”の正体。

 名前も分からないその幼げな少女の姿に見惚れながら、ノーマン・ノヴァは白いナニカにだけ小さく返事する。

 

 

 

 

 





いつもお付き合い頂きありがとうございます!
今回の間章も今話で終了となります!
次話からは12章、2部5章となりますので少々間が空いてしまうかもしれませんが引き続きお付き合い頂けると嬉しいです…!

【書籍化に伴うリンク集】

〇 KADOKAWA公式サイトリンク

https://www.kadokawa.co.jp/product/322308000521/

〇 『非ななな』特設サイト(こちらにMV情報などがあります!)

https://famitsubunko.jp/special/hinanana/entry-12830.html

〇 公式Twitter(X)

https://twitter.com/fb_hinanana



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