悪を殲ぼす金剛の棘 (ぶびっぐ)
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原初
序章:“龍の原点”


 思いついたものを殴り書きしました。悔いてはいません。


 とある龍が居た。

 

 身体のいたる所に棘を生やし、反り返った太く厚い両角を携えた、金剛の如き龍。

 

 龍は、何かを渇望していた。満たされぬ心、唸る腹わた。そして、身体の奥から溢れる欲望。それらは龍を常に苛立たせ、まだ知り得ぬ何かに駆り立てた。

 

 遂にしびれを切らした龍は、己に燻る餓えと渇きを満たす為、翼を広げて新たな地へと飛び立った。

 

 暴風が進む道を遮れば、全身の剛力に任せ嵐の主を打ち砕いた。

 

 炎塵が龍の棘を折れば、瞬く間に再生した棘を用いて炎帝を串刺した。

 

 瘴気がその身を蝕めば、構う事なく冥界の支配者を貪り喰らった。

 

 両角が黒い輝きを放ち、半身を覆う棘の一部が金剛色に染まると、龍はいつしか飢餓を忘れていた。

 

 だが龍は、まだ何かを欲していた。

 

 地底から空へ木霊する歌声に導かれ、果ての島へと辿り着いた龍は初めて、“人間”を目にした。

 

 竜や獣と比べても小柄な体躯に、武装した鎧から覗く肌。

 そして、龍を射貫く強かな眼差し。

 

 龍はその人間との闘いで、脆弱な肉体にそぐわぬ、決して折れぬ強靭な精神を見た。

 

 あの人間はきっと、私を狩る為に何処までも追いかけてくるだろう。

 そしてあの人間こそが、未だ満たされぬ何かを私に与えてくれる。

 

 大地の喉笛を咬み千切り、果ての島から飛び去った後も、龍はあの目を忘れられなかった。

 

 まるで、あの瞳の中に、己を見出したかのように。

 

 

 

 龍は人間を待ちわびていた。訪れるであろう闘いに備え、遠方の地へと翼を広げ、その人間に手を出そうとした飛竜を態々仕留める程に。

 

 そうして、龍と人間は再び相見えた。

 

 死闘に次ぐ死闘の最中、龍は今まで姿を現さなかった己の中に潜む何かを感じ、これまでに無いほど歓喜していた。

 それは強者との闘いで生じる喜びではなく、美味な肉を味わう際に感じる嬉しさでもない。龍はこの感情を、それらとは全く別の幸福であると無意識に理解した。

 

 

 

 龍は、窮地に陥っていた。

 

 角はへし折れ、爪は剥がれ。研ぎ澄まされた刃は、龍の棘を容易に断ち斬る。

 嵐の主も、炎帝も、冥界の支配者も。この人間に比べれば、取るに足らない弱者であるとさえ錯覚した。

 

 しかし人間も無傷ではなかった。飛散した棘によって鎧が削られ、至る所から鮮血を流す。

 時折口にしていた丸い種のような物も、今では底をつきたのか取り出す素振りすら見せない。

 

 龍は、噛みしめるように闘い続けた。

 

 

 

 時間にして、僅か半刻足らず。

 

 龍は、人間との闘いに敗れた。

 

 僅かな隙をついた人間によって心臓を貫かれ、老いさらばえた肉体は傷口から血を零し続ける。

 

 今瞼を閉じれば、もう二度と光を見ることはないだろう。

 

 龍は抗うことなく己の死を受け入れた。数々の強者(つわもの)を滅ぼしてきた龍は、最期に己の身をも滅ぼす事となったのだ。

 

 心残りがあるとすれば、ようやく見つけたこの感情の正体を、終ぞ理解できなかったこと。

 

 もし、私にまだ機が残されているのなら。名も知らぬこの感情を探し求めることにしよう。

 

 そんな希望を胸に抱き、龍は生を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある、小さな公園にて。

 

 取り巻きを引き連れたガキ大将こと、爆豪(ばくごう) 勝己(かつき)と、弱々しく拳を握りしめた、涙目の少年、緑谷(みどりや) 出久(いずく)が対峙していた。

 

「デクゥ~、邪魔すんじゃねえよ」

 

 掌と拳を打ち合わせ、小さな爆発を起こして脅迫する勝己。かたや脅された出久は、目に浮かぶ涙を必死にこらえ、背後にへたりこんでいる少年を庇う。

 

「こ、ここから先は、ぼくがとおさゃなへぞ…!」

 

 出久は震えた声で、勝己のアイスキャンディーを不注意により落としてしまった少年を守ろうとする。

 たとえ自分が“無個性”で非力だとしても、これ以上この少年を理不尽な暴力で傷つけさせない。

 なけなしの正義感だけが、出久を駆り立てた。

 尤も、その行動が無意味であることは、他の誰よりも出久自身が自覚しているのだが。

 

「無個性のくせにヒーロー気取りかよ、ムカつくなァ…!」

 

 言うことを聞かない出久への苛立ちが頂点ギリギリに達した勝己が、バチバチと音をたてる右手の掌を振りかざす。

 

「ッ…!」

 

 抗いようのない脅威を前に、出久はただ目を瞑るしかなかった。

 

 Boom!!!

 

 “爆破”の個性の象徴たる爆発音が鳴り響き、目の前の邪魔虫に制裁を下す。

 少々強めに撃ってしまったが、この馬鹿な幼馴染には丁度いいだろうと考え、本命である後ろの“ヴィラン”へにじりよる。

 折角買ったオールマイトのアイス棒を、わざとではなかったとはいえ落とした罪は重い。

 

 泣いて許しを乞う少年の胸ぐらを掴み、その顔面に爆破をかましてやろうとするが──

 

 ──「はな…せよ…!」

 

 往生際の悪い出久に足首を掴まれ、勝己は今度こそ怒りが有頂天に到達した。

 蹴るように出久の手を振り払い、うずくまった彼の後頭部目掛けて爆破を放とうと右手を振り下ろす──

 

 

 

 ──『グルオォォォォォ!!!!!!』

 

 だが、突如として公園に響き渡った咆哮により、勝己の両手は耳を塞ぐ為に使われた。

 

 咄嗟の判断で暴発は防いだものの、自分の行いを邪魔した不届き者に怒りの矛先が向いた勝己は、咆哮の主を探ろうと顔を上げる。

 

「あ、か、かっちゃん、あれ…!」

 

 取り巻きの一人の少年が、個性によって伸びた人差し指で公園の入口を指しながら、怯えた表情で勝己に伝える。

 

 ──そこには、悪魔のような“バケモノ”がいた。

 

 

 

 天災に牙を剥き、(あまつさ)え自然の化身たる(いにしへ)の龍を糧とする。

 

 その龍の名は、(ことごと)くを滅ぼす龍。

 

 

 

 滅尽龍 ネルギガンテである。




 息抜きに書きましたが、意外と楽しかったです。

 モンハンを始めたのはWorldからなので、過去作の仕様はあまり詳しくないです。

 古龍は基本的に人の手によって殺されることはありませんが、ゴア・マガラ骨格の古龍には、一部を除き共通して“古龍ではない生物が古龍へと成る”という生態があるように思えるので、このネルギガンテは老化と滅尽龍としての性質により死亡しました。

 因みに私のモンハン知識は、とある動画投稿者様からの借り物ですので、あまり深く突っ込まれるとボロが出ます。


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幼少期
邂逅:人間としての原点


 今回はオリキャラが一気に増えます。それでも問題の無い方はそのままお読み下さい。

 それが無理だという方は、覚悟の準備をしておいてください。
 いいですね?

追記:6/1
 文が気に入らなかったので一部変更しました。



 私は人間との闘いで敗北し、龍としての生を全うした。

 

 

 

──のだが、私の魂が滅ぶことはなかった。

 

 どういう訳か、私は“人間”として再び生を受けた。

 それも、龍としての力と姿を保持したまま。

 私の持つ他の龍と比較しても異常な剛力、再生力、食欲は、総じて“個性”と呼称される人間の能力として扱われた。

 

 人間にそのような特異な能力があったとは知りもしなかったが、同時に合点が行きもした。

 私を殺したあの人間は、自然を象徴する古の龍達にさえ引けを取らぬほどの実力を持っていた。

 私の持つ硬い棘をいともたやすく斬り伏せる鋭利な得物を駆使し、軽やかな身のこなしで繰り出される斬撃の雨を思い出せば、小気味の良い身震いが背筋を走る。

 

 しかし、それは既に過去の物である。人として暮らすこの世界には、龍として生きていた頃に跋扈(ばっこ)していた多種多様な竜や獣はおらず、ましてや天災の権化たる古の龍など影も形も無い。

 あるのは、大小様々な姿形の人間と、前世よりも小さく弱い動物だ。

 

 今世でも変わらず肉親のいない私は、慣れぬ人の姿をとり、そういった動物の肉を喰らうことで腹を満たす。他の龍を喰らったことがないからか、龍である姿の体躯は以前の半分ほどしかない。これはこれで小回りが利いて便利と言えるかもしれないが、私が本来持ち合わせていた金剛色の棘を武装するに至るまで成長させるには全くもって足りなかった。

 

 かといって、同種である人間を喰らう訳にはいかない。

 まだ幼く非力であった私を拾い、今日に至るまで育ててくれている“あの人”を失望させることはしたくない。

 

 嘗て、同種を喰らい続け、集約した龍の力に狂わされた竜がいた。

 その竜はドス黒い霧を立ち昇らせて、古の龍にすら牙を剥き、抑えきれなくなった龍の力により身を滅ぼした。

 その顛末を知る私は、共食いがいかに愚かな行為であるかを理解しているのだ。

 

 

 

 故に、同種をいたぶる者を、私は看過できなかった。

 

 目の前の少年は力を持て余し、その力を他者に振り下ろそうとした。

 それは生きる為に獲物を屠る訳ではなく、ましてや縄張りを侵した脅威たる強者を排する為でもない。

 明確に、己よりも下位の存在を嬲る為だけに力を振るおうとしたのだ。

 

「な…んだよ、トゲ野郎!!」

 

 人間の輪郭を保ちながら頭部に角と顎に牙を生やし、筋肉の膨張した四肢と尾に(その未熟さは否めないが)棘を生やした私の姿に目つきの悪い少年は慄くが、私の容姿を見るや否や委縮した他の少年二人とは違いその威勢だけは崩さない。

 

「聞くが、お前は自分の手が何の為に振るわれるべきものか、考えたことはあるか?」

 

「…は?」

 

 唐突に投げかけられた抽象的な問いかけに対し、少年は鋭い目つきのまま唖然とする。

 

「テメェ、なに言ってん──」

 

「──少なくとも私は、無抵抗の弱者を痛めつけるような者が正しいとは思えない」

 

 少年の言葉を途中で切り、心許ない語彙を使って自分の意見を述べる。

 今私が試みているのは、いわゆる“更生”というやつだ。道を踏み外してしまった、或いはそうなりそうな人を言葉で以て諭し、人としての道理を取り戻させる行い。たしかそんな意味だったか。

 

「ッ…」

 

 少年は逡巡し、その喧嘩腰な態度を改める。それは己が行ったことを自覚している何よりの証拠だ。

 

 あと一押しといったところか。

 

「自分が生まれ持った才能に、ちっぽけな産毛を生やした程度で胡坐をかくな。努力し、研鑽し、己が掴み取り昇華させたものこそ、堂々と大見得切って胸を張れ。勝ち誇ってみせろ」

 

「…!」

 

 人相の悪い目つきは変わらない。しかし、僅かに目を見開いて、何かに気が付いたような少年の顔に、私はこれまでにない手応えを感じた。

 理性という単語の発音すら聞き取らないあの子たち(・・・・・)を手なずけるのに比べれば、この少年は随分と素直だ。

 

「分かっているではないか。であれば、自ずとその償い方も分かる筈だ」

 

 偉そうに高説垂れた私だが、並べた言葉は所詮あの人からの受け売りに過ぎない。

 それでも、この少年が自分の行いを認め、改心してくれれば──

 

 

 

「……ンなもん知るか!!オレはオレが正しいと思ったことをしただけだ!!」

 

 ──あぁ、どうやら、私の早とちりだったようだ。

 

 見苦しいほどに声を荒げる少年を見て、私は結論づける。

 言葉を知らぬあの子たちよりもその様はずっと酷い。この少年は己の過ちを理解していながら、しかしそれを認めることができないのだ。

 

「……そうか。なら、報いを受けるのは必然と言えよう」

 

「は?」

 

 自分の非を認めない悪童には、相応の“おしおき”が必要だとあの人は言っていた。

 言葉が駄目なら行動で分からせる。乱暴に聞こえるだろうが一番効果的である事実は覆らない。実際に手の付けようが皆無ないたずらっ子も、これで言うことを聞くようになった。まぁ、文の頭に「ある程度は」と付くが。

 

「な、なにすんだテメェ!?」

 

 反抗的な態度を取り戻した少年を小脇に抱え、肩から生えた翼を羽ばたかせ上空へと飛び立つ。

 腕の中で暴れる少年を腕力で抑え込み、私はぐんぐんと高度を上げていった。

 

 上へ、上へ、残酷さを伴った羽ばたきの、風を切る音が続く。

 小鳥が行き交うほどの高さに連れてこられた少年は、急な上昇による重力の負荷のせいか、先程までの威勢をなくして私の身体にしがみついていた。

 

 

 

 そして、私は翼を折りたたみ、抱えた少年もろとも頭から急降下した。

 

「────!!!」

 

 少年が音の無い悲鳴をあげる。生身の人間であれば臓物が浮くような感覚に襲われ、さぞかし苦痛だろう。

 それを承知の上で行っているのだが。

 

 地面が眼前にまで到達したのを確認し、私は閉じていた翼を大きく広げる。今の私の体躯に合わぬ巨大な翼は、人を抱えた状態でも問題なく着地できるほど風を捉えやすい。

 

 私は小さく羽ばたき、徐に着地する。

 横抱きにしていた少年は、いつの間にか気を失っていた。空中で私が担ぎ方を変える際にも負荷がかかっていたから、気絶してしまうのは当然だろう。

 私は頭を打たぬようそっと地面に少年を寝かせ、彼に虐げられていた緑髪の少年に目を向ける。

 

「っぁ、えと、その…」

 

「慌てることはない。ゆっくりでいい。何か言いたいことがあるのなら、私は聞こう」

 

 何かを言い淀む緑髪の少年に対し、私は彼を落ち着かせる為の言葉を口にする。他者との関わり合いをする上で、言語という手段はやはり役に立つ。私があの人から与えられたものは、こうして活用されるのだ。

 

「あ、ありがとう…」

 

「あぁ、どういたしまして」

 

 少年としているこのやりとりも、私があの人から教わった人間として大切なことの一つである。

 

『誰かに感謝されるような人間になること。もちろん、貰った感謝を受け入れることも忘れないように、ね』

 

 あの人が私にくれたものは、何があろうと尊守すると決めた。それほどまでに私はあの人に恩義を感じているのだ。

 

「そ、それと…」

 

「? なんだろうか」

 

 私がそんな思考に耽っていると、少年から声をかけられた。

 

「かっちゃん…ぜんぜん動かないけど、大丈夫なの?」

 

 かっちゃんと呼ばれ指差された少年が気絶していることを心配したのか、緑髪の少年は不安げな声色で尋ねる。

 

「……」

 

「な、なんで黙るの?」

 

 しまった。私としたことが、加減を間違えて負荷をかけすぎた。これでは気絶というより、昏倒といった方が正しいかもしれない。

 

 弱々しく息をする少年を見て、私は胸中の焦りが膨れ上がるのを感じる。

 私は過ちを犯してしまったのか? それこそ、自分が正しいと思ってやったことが、前提からして間違っていたのか?

 

 思えばいつもそうだった。同じ屋根の下で暮らす兄弟姉妹たちには事あるごとに迷惑をかけ、私の未熟な償いを許してもらうばかり。

 

 それに、このお仕置きは体が丈夫な弟と妹だからこそ許されるのであって、見ず知らずの少年にはあまりに過剰だ。

 

 押しつけがましいだけの独善は、非を認めない悪童よりもずっと質が悪い。どうしてそんなことも私は分からないのだ。

 

 

 

 焦燥、不安、自己嫌悪。様々な思考が錯綜する中。ふと、あの人の言葉が頭に過ぎった。

 

『自分の過ちは、自分で方を付けること。尻も拭けないようじゃいつまでも赤ん坊のままだぞ〜』

 

 そうだ。私は、教えられたことを忘れるほど愚かではない。

 

 私はあの人の教えに倣い、意識を失っている人間を起こす方法を頭の中で模索する。

 

 心臓マッサージ? いや、加減を間違えた手前、失敗を重ねる訳にはいかない。ただでさえ私は力加減が不得手なのだ。誤って肋を折ってしまえば、それこそ本末転倒である。

 

 なら除細動器? 駄目だ。見渡した限り、ここには動ける者が私と緑髪の少年しかいない。先程までいた他の少年達も、今はここにいない。それに、あったとしても使い方が分からない。

 

 まずいぞ、このままでは本当に少年の命が危ない。私は一体どうすれば……

 

 

 

 あぁ、一つあった。

 

 私は脳裏に走った解決策を実行するべく、個性によって発動していた龍の力を解き、人の姿に変化する。

 

「ってええ!? 女の子!?」

 

 緑髪の少年の驚く声が聞こえるが、事態は一刻を争う。構っている暇はない。

 私は自分の顔と気を失っている少年の顔を近づけ──

 

 ──そっと唇を触れさせた。

 

 人工呼吸。気道を確保し鼻を抑えた状態で肺に空気を送り込み、傷病者を蘇生させる術。あの人に聞いた際に『あまり気が乗らないけど…』と言われつつも教わったが、やはり役に立つことに変わりはない。

 

「……? っ!!?」

 

 元々身体が丈夫なのか、六回ほど空気を送り込むだけで少年は目を覚ました。

 ぱちりと目を開けた少年が三度瞬きをし、その目を勢いよくかっ開く。

 

「お、よかった。目が覚めたか」

 

「んな、あ、て、テメェ…!」

 

 少年はわなわなと体を震わせ、何故かその顔を真っ赤に染める。

 まだ身体に不調が残っているのだろうかと私は不安に思ったが、次の瞬間。

 

 大声と共に少年の掌から爆発が起こった。

 

 

 

「なにキスなんかしてやがんだァァ!!!」

 

 


 

 少年は私にありったけの罵声を浴びせ、逃げるようにその場から去っていった。それに続くように緑髪の少年も走り去ってしまった為、結局彼らの名前を聞くことは叶わなかった。

 

 私は彼の行動に疑問を抱きながらも、あの人から頼まれていたおつかいを済ませ、帰宅した後に私と同じく施設に住む義理の兄弟姉妹の一人に尋ねることにした。

 

「なあ、龍成(たつなり)。聞きたいことがあるのだが」

 

「ん、滅理(めつり)か。なんだ?」

 

 滅理(めつり)とは私の名前だ。施設で暮らす子供は皆等しく、あの人から名を与えられている。

 

「“きす”とはどういう意味の言葉なのだ?」

 

「は? え、急にどうした?」

 

 私より十歳年上の兄である龍成(たつなり)は、読んでいた本から目を離した。

 

「気になったので聞いた」

 

「えぇ…」

 

 答えにくいことなのだろうか…?

 

 (ページ)の間に指を挟み、龍成は顔をしかめて困惑を漏らす。そんな兄の様子を見た私は、つついてはならぬ藪に足を踏み入れてしまったのかと思い至り、発言を撤回しようと口を開いた。

 

「すまない。答えにくいのであれば取り消そ──」

 

──「なになにー? なんかあったの? メッちゃん(・・・・・)

 

 どこからともなく私の愛称を呼ぶ声がして、龍成と私はそちらに目をやった。

 

「げ、ババアが来た…」

 

「んん~? 私に向かってそんなこと言っていいのかなぁ? タッちゃん(・・・・・)?」

 

「その呼び方はやめろって言ってんだろ! この前の授業参観でも恥掻かせやがって…!」

 

「じゃあタッちゃんはどうしてババアなんて言うのかなぁ? 女性にそんな事言っちゃダメって分かるでしょ?」

 

「一世紀も生きてるんだからババアで合ってるだろうが。見た目が変わんないからって無理に若作りすんなよ」

 

「なにおう!? こんなにピチピチで綺麗なんだから別にいいでしょうが!」

 

「自分で言うことじゃないだろ、それ」

 

「“白龍(はくたつ)”先生。あの、いいだろうか?」

 

 どんどんと話題が逸れていくのを感じ、私は遮るように育ての親である白龍(はくたつ)先生に話しかけた。

 

「あぁ、はいはい。どうしたの?」

 

 激化していた言い争いを止めたことで先程までの様子が一変し、先生はいつもの優し気な雰囲気に戻る。

 

「聞きたいことがある。“きす”とは、どういう意味の言葉なのだ?」

 

「ええ!? ちょっとメッちゃん、貴方にはまだ早すぎるわ…!」

 

 早すぎる…? それは私が無知であるが故に、知るに値しないということなのか?

 いや、先生は私がたとえ如何なることを聞いても真摯に応えてくれた。私が以前人間がどのようにして繁殖するのかを聞いた時も、嘘偽りなく教えてくれただろう。(何故か声がどもっていたが)先生は私を突き放すようなことはしない。

 

 大袈裟ともいえる反応を示した先生は、我関せずといった風にそっぽを向く龍成を見て、まるでいたずらを企む義妹のような顔で彼に話しかけた。

 

「ということでタッちゃん、お兄ちゃんとして可愛い妹を導いてあげなさいな」

 

「何が“ということで”だ! ただ単に俺をからかいたいだけだろババア!! 大体、なんで滅理はいきなりそんなこと聞いてきたんだ!!?」

 

「確かに。なになに~、メッちゃんたら気になる子でも見つけたの~?」

 

「いや、実は──」

 

 私はおつかいで頼まれた店へと行く途中、偶々見かけ甚振(いたぶ)られていた少年を救け、その元凶であったカッチャン少年にややあって人工呼吸を施したことを話した。

 しかし事の経緯を話す内に、どうしてか先生の表情が氷のように冷たくなっていった。

 

「へぇ、こりゃ驚いた。滅理は“ヒーロー”目指してたんだな」

 

「ひーろー? なんだそれは、初耳だ。教えてくれ」

 

「貴方たち…本当にそういったことには無頓着なのね……」

 

 珍しく人をあだ名以外で呼んだ白龍先生は、呆れた顔でヒーローとは何かを語る。

 曰く、人々を救う英雄だとか、悪を淘汰する正義の味方だとか、そんな抽象的な言葉ばかりが出てくる。

 他者の為に己を犠牲とするのは美徳とされるが、それではその者がいつまでも消耗するだけだ。

 何かに縋るだけでしか生きられぬ者も、この人間社会には数多く居るだろう。中にはそれを当然の事と思い込み、その足元を掬われるような輩も。私はそんな奴らを生かす為だけの人柱になりたくはない。

 

「かく言う私も、昔はヒーロー紛いのことやってたんだけどね」

 

「…意外だな。アンタの性格的に、そこらへんにいる人間なんて気にも留めないで生きてきたのかと」

 

「心外だな~。私だって、身近な人が死んじゃったら気も落ち込むよ」

 

 飽くまでも、飄々とした口調で先生は話す。先生がヒーローとやらをしていたのは私も初めて聞いたが、その顔は遥か昔を懐かしむような、見たことの無い先生の一面だった。

 

「でも、誰かに感謝されるのは悪い気分じゃなかったからね」

 

 その言葉で、私は思い出した。

 

──誰かに感謝されるような人間になること──

 

 そして同時に、他ならぬこの人の教えが、私にとって何よりも大切であることを。

 

「…なら、私もヒーローになる」

 

 先生は私に多くのものをくれた。知恵や知識、安らぐ場所、美味しい肉。

 

 私の心が欲していた、未だ名も知らぬ感情。

 

 私は、誰かに寄りかかる生き方しか知らぬ愚者ではない。

 私は己の身一つで困難を乗り越え、数多の強者を屠ることができる。誇り高き龍なのだから。

 

 その誇りの為。そして何より、先生に恩を返す為。私は悪を殱ぼす英雄となろう。

 

 

 

 たとえ、この身が滅ぼうとも。

 

 


 

「おーい、メッちゃーん。戻ってこーい」

 

「またか……滅理がフリーズするのはアンタが絡んだ時な気がするんだが、コイツに何吹き込んだんだよ」

 

「失礼な。メッちゃんにはいい子に育つ為の英才教育しかしてませーん」

 

「その英才教育とやらは、箸の持ち方も態々教えなきゃいけないのか?」

 

「ぐっ……し、仕方ないじゃんか、皆んなお箸持つのへたくそだったし…タッちゃんも含めて」

 

「うっ……そりゃそうだろ、最初から綺麗に使える奴なんていないし──」

 

──「はらへった! ごはん!」

 

「あぁ、ごめんごめん。爪助(そうすけ)待たせてたんだった」

 

「はぁ…おい、滅理。早くしないとお前のケーキが爪助に食われちまうぞ」

 

「──ハッ」

 

 それはよろしくない。たとえ弟であろうと、私が自分で買ってきたケーキを食べられるのを良しとすることはできない。

 

 いそいそと皆が居るであろう食事場へと私達は向かい、しっかりと手を洗ってから席に着く。

 

「それじゃ、メッちゃんの誕生日を祝って、皆んなで“一鳴き”しましょう!」

 

「えぇぇ……またやるんですか、それ…」

 

「いいじゃんか溟人(めいと)センセー! オレは好きだぜ! 存分に声張り上げられるからな!」

 

虎兄(とらにい)は煩いから黙っててよ」

 

「あぁ、久巳(ひさみ)の言う通りだ。お前は少し声を抑えろ」

 

「まあまあ、いいじゃねェか昂獅(こうじ)の兄貴。それとも声に自信が無ェってのか?」

 

「なんだと?」

 

「煽るんじゃないよ砕己(さいき)。それに昂獅も、この机壊したらまた凍らせるからね」

 

「落ち着いて下さい麗貴(れいき)さん、折角作ったジュースが凍っちゃいます」

 

(きずき)先生、それもしかしてトマトジュースか? だったら俺は飲みたくないんだが」

 

「おれは飲む!」

 

ようすけ(熔介)おじいちゃん~、わたしおなかすいた~」

 

「ほほ。もう暫く我慢じゃぞ、銀子(ぎんこ)や」

 

 口々に騒ぎ出す兄弟姉妹達を、施設で働き暮らしている先生らが諫める。

 

「耳栓はあるからうるさいのがイヤって子は付けてね。じゃ、いくよ…!」

 

 先生は誰かの誕生日がある度に、こうやって皆んなで咆哮をすることで祝いを挙げるのだ。

 

『ガァァァァアアアアアア!!!!!!!!!』

 

『オ゛オ゛ァァァァァン!!!!!!』

 

『ヴォォォォオオウ!!!!!!』

 

『キュィェェェエ!!!!』

 

 誰よりも声に自信のある虎丸(とらまる)が率先し、それに続くように砕己が腹に響くような声を上げ、施設で最年長の兄である昂獅も唸るように喉を震わせる。気付けば築先生も意気揚々と奇声のような声を出していた。

 

『グルオォォォォォ!!!!!』

 

 私も、負けじと声を張り上げる。まだ兄達には遠く及ばないが、いつかは越えてやる腹積もりだ。

 

「はぁぁ…お耳が幸せ……」

 

「鼓膜が破れるの間違いでしょうが!」

 

 こうして、私にとって三度目の誕生日会が開かれたのだった。




 登場人物が多いと、文章と台詞を違和感なく並べるのが難しいです。
 オリキャラ達の名前や個性はいつか明かすので、それまでお待ちください。

 それと、タグ追加した方がいいですかね…?


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観察:霧と雲、時々狼

 やっぱり私は、台詞のバランスを考えるよりもつらつらと文章を組み立てる方が好きです。
 それと暫くRiseやってると思うので、投稿期間が空いてしまうかもしれません。許して下さい、何でもしませんが。


 紅雷(こうらい) 白龍(はくたつ)氏が営む、特殊児童保育施設。通称、龍ノ巣(りゅうのす)

 

 職員は龍の巣の卒業生が志願して務めており、また巣立った卒業生の中にはプロヒーローとして活躍する者も多い。

 

 施設に暮らす子供達は皆何らかの事情により、親からの育児を放棄ではなく“断念”されている為、外部の者が言う“問題児”が大多数を占めている。

 

 何故、育児の放棄ではなく断念なのか。それは彼等の“個性”が深く関わってくる。

 

 改めて説明しよう。個性とは、全人口の約八割の人間が持つ特異な能力の総称である。

 人の数だけ異なった個性があると言われるほど個性の種類は多岐に渡るが、それらは大きく分けて四つに分類される。

 

 壱:個性保持者の意思に応じて、様々な種類の効果を発揮する“発動型”

 弐:胎児の頃から姿形が標準とは異なり、基本的に優れた身体機能を持つ“異形型”

 参:発動型と似ているが、明確に自身の身体の一部を変化させる“変形型”

 肆:そして、それらの特徴が複数型合わさった“複合型”

 

 これらが個性と呼ばれる能力の広義的な定義である。

 

 そんな多種多様な個性がある中、施設に暮らす子供達は総じて“複合型”の個性を持っており、その多くは突然変異(ミューテーション)による産物である。中にはその外見的特徴が原因で、産まれる際に母体の産道に深い傷を負わせてしまう事例もある。

 そうして龍ノ巣へと送られてきた子供達は、施設長の白龍氏によって、彼等の“個性”に名を与えられる。もちろん肉親との縁など()うに()っている為、下の名前だけでなく名字も貰う。

 

 そして子供達の持つ個性の概要は、強大な力を持つ“モンスター”をその身に宿している、といった風に一貫している。

 卓越した身体能力を伏せ持ちながら、火や雷、水や氷などの自然界に存在する現象や物質を用い、更には他の個性では類を見ないほどの特異な身体器官や体組織を発達させた彼等は、子供だと言い切るにはあまりにも危うい存在だと言える。

 

 特に、“龍”と名の付く個性や力を持つ子供は、他の子供達とは比較にならないほどの力を持っている傾向があり、ひとたび個性の制御を誤れば、辺りは壊滅的な被害を被る事となる。

 

 現在、龍ノ巣には八名の子供と施設長を除いた四名の職員が暮らしており、彼等の名前と個性は下記の通りである。

 

 金猿(こがねざる) 昂獅(こうじ) 18歳(男児)

 個性:金獅子(きんじし)

 荒ぶる雷獣の力と姿を宿している。

 モンスターの外見的特徴:ゴリラの上半身にライオンの下半身、左右に伸びる鈍い金色の大きな角が生えたヒヒの頭部を持つ黒い獣のような姿をしている。

 概要:圧倒的な剛力と俊敏性、気光エネルギーと呼ばれる未知の力などによる攻撃は苛烈の一言に尽きる。他の子供達の個性と比べると宿すモンスターの体躯はやや控えめだが、年長者であり個性の扱いに関して施設で暮らす子供達の中では最も洗練されている。また本人の性格もあり、一度怒ると一部の職員以外手が付けられなくなる。

 

 轟牙(ごうが) 虎丸(とらまる) 17歳(男児)

 個性:轟竜(ごうりゅう)

 絶対強者と称される竜の力と姿を宿している。

 モンスターの外見的特徴:飛行には向かない翼を持つ前脚と大きな体躯の、地上に特化した虎柄のような模様をした四足歩行をとる竜の姿をしている。

 概要:体力の続く限り繰り出される強靭な(あぎと)と爪を使った猛攻は、単純ながらも凌ぐことは難しい。彼の持つ咬合力や筋力などの高い身体能力は、(ワイバーン)の名を冠するに相応しいと言える。名の通り轟くような大声を張り上げ、外敵の聴覚を一時的に麻痺させることもできる。

 

 群青(ぐんじょう) 砕己(さいき) 15歳(男児)

 個性:砕竜(さいりゅう)

 爆ぜる黒曜石の権化たる竜の力と姿を宿している。

 モンスターの外見的特徴:群青色の外殻に身を包み、敵を殴り砕く事に特化した前脚や頭殻を緑色に染め、鎚矛(メイス)のような形状の尾部を持つ獣脚恐竜のような姿をしている。

 概要:鉱物質の硬い外殻と、それを利用した殴打は正に必砕(ひっさい)の拳。また、特殊な粘菌を共生させており、頭部の特徴的な外殻や腕部が緑色に染まっているのはその為。粘菌は強い衝撃を受けると即座に子実体を作り、まるで火薬の爆発のような爆破を起こす。

 

 黒衣(くろぎぬ) 龍成(たつなり) 14歳(男児)

 個性:黒蝕竜(こくしょくりゅう)

 命を蝕む黒き竜の力と姿を宿している。

 モンスターの外見的特徴:紫の混じる漆黒の甲殻と鱗、外套(がいとう)のような不気味な翼膜(よくまく)を纏う、“龍”に近しい形体を持つ竜の姿をしている。

 概要:現時点で特筆すべき点は外見に対する強烈な印象と、前脚よりも強靭に発達した背中の翼脚(よくきゃく)のみ。身体を動かすこともあまり得意ではないようで、普段は本を読んで静かに暮らしている。その為か、他の野性的な子供達と比べ理知的な言葉遣いが見受けられる。

 

 稲椎(いなずち) 久巳(ひさみ) 6歳(女児)

 個性:電竜(でんりゅう)

 電の反逆者たる竜の力と姿を宿している。

 モンスターの外見的特徴:飛行に適した翼の翼膜には昆虫の翅に見られる翅脈(しみゃく)のような模様があり、尾部の先端にはクワガタムシの顎に似た(はさみ)を持つ、虫と竜が混在したような姿をしている。体色は緑色。

 概要:翼や尾部、頭殻には発電器官があり、そこから生み出される電気の威力は凄まじい。しかし本人がまだ幼いこともあってか、その真価は発揮できていない様子。因みに彼女が作る緑色の電気は家庭用家電の電力には向いていない。

 

 黒創(こくそう) 滅理(めつり) 4歳(女児)

 個性:滅尽龍(めつじんりゅう)

 古を喰らう龍の力と姿を宿している。

 モンスターの外見的特徴:頭部に反り返った大角を持ち、全身の至る所から棘を生やした悪魔のような龍の姿をしている。

 概要:発達した四肢や翼、尻尾による肉弾戦が得意。半身を覆う棘には段階があり、驚異的な再生力と回復速度により破壊されようと変化を繰り返す。変化した棘は時に身体を護る鎧となり、高い殺傷力を持つ飛び道具となる等多くの特性を持つ。しかし身体の小ささ故か、本来の強みであるその棘があまり発達しておらず、他の子供達と比べると少し見劣りしてしまう。

 

 鬼惨(きしん) 爪助(そうすけ) 2歳(男児)

 個性:惨爪竜(ざんそうりゅう)

 修羅が如き貪食を秘める竜の力と姿を宿している。

 モンスターの外見的特徴:全身が筋張った赤い筋肉のような鱗で覆われ、四肢に持つ爪を上段に4本、下段に6本隠し(そな)えた狼のような竜の姿をしている。

 概要:まだまだ幼い為詳細は不明。

 

 飛道(ひどう) 銀子(ぎんこ) 2歳(女児)

 個性:爆鱗竜(ばくりんりゅう)

 火種を振りまく気高き竜の力と姿を宿している。

 モンスターの外見的特徴:身体の下部に爆鱗と呼ばれる爆発性の鱗のようなものを大量に携え、大きな体躯とそれを持ち上げるほど発達した銀翼を持つ竜の姿をしている。

 概要:鬼惨 爪助と同じく幼い為詳細は不明。

 

 また、職員となった卒業生の名前と個性も同記しておく。

 

 灼山(あきやま) 熔介(ようすけ) 92歳(男性)

 個性:熔山龍(ようざんりゅう)

 火山の化身たる龍の力と姿を宿している。

 モンスターの外見的特徴:一つの活火山と見紛うほどの巨体と、マグマ状の老廃物を排熱器官から降り注がせる火山島のような龍の姿をしている。

 概要:普段は温厚だが一度外敵を認識すれば、その圧倒的な巨体と熱量で骨すら残さず対象を排除する。また、個性を本気で発動した際における規格外の巨体は山をも削り、安々と地形を変動させる。しかし、かなりのご高齢である為か滅多に個性を見せなくなった。

 

 凍嶺(いてみね) 麗貴(れいき) 36歳(女性)

 個性:冰龍(ひょうりゅう)

 万物を凍てつかせる龍の力と姿を宿している。

 モンスターの外見的特徴:純白の鱗に剣状の尾部を持ち、冠のような角を称えた龍の姿をしている。

 概要:過冷却水と呼ばれる、凝固することなく液体のまま超低温を維持する冷水を外敵や大気に吹きつけ、氷像や氷塊を創り出す。また、氷を纏うことで防御を高めたり、武器を生成し外敵を近付けさせずに串刺しにすることもできる。黒衣 龍成や黒創 滅理と同じく四肢に加え翼を持つが、骨格の姿勢は全く異なっている。

 

 砦城(さいじょう) (きずき) 25歳(女性)

 個性:閣蟷螂(かくとうろう)

 虚城の魂たる金色の蟷螂(かまきり)の力と姿を宿している。

 モンスターの外見的特徴:金色に染まった全身の甲殻と、鮮やかな色彩の花びらのような部位を脚に持った蟷螂の姿をしている。

 概要:黄金に輝く糸を手繰り寄せ、様々な人工物を巧みに利用して攻撃を繰り出す。また、人工物を寄せ集めて造られた巨大な蠢く城を糸で操ることも可能。人工物の扱いに長けているという性質上、現代社会では無類の強さを誇る。

 

 雨司(あまじ) 溟人(めいと) 23歳(男性)

 個性:溟龍(めいりゅう)

 溟海を司る龍の力と姿を宿している。

 モンスターの外見的特徴:変色する外皮と外側が溟海の如く黒い巨大な翼膜の翼を持ち、顎から4本のヒゲを生やした、凍嶺 麗貴と類似した姿勢の龍の姿をしている。

 概要:体内で蓄えた多量の水を砲弾のように放ったり、場に設置し自身の独壇場にすることで外敵の足場を奪う。また、体内の発電器官から作られた稲妻をそのまま攻撃に転用でき、設置した水場を利用して水蒸気爆発を起こすことも可能。因みに施設の電力を賄っているのは彼である。

 

 職員の中でも最年長の灼山氏が“92歳”という高齢である為、施設長の紅雷氏はかなり年を召された老婆だと思われる方もいるだろう。

 しかし、実際の紅雷氏は見目麗しい白亜の麗人といった風貌をしており、その性格も外見に似つかわしい穏やかだが感情の起伏が強いといった、全く年を感じさせない雰囲気がある。

 

 紅雷(こうらい) 白龍(はくたつ) (女性)

 年齢:少なく見積もっても150歳

 身長:172cm

 体重:秘匿されている

 個性:不明

 

 彼女に関しては身長と凡その年齢、食べ物の嗜好など限定的な情報しか明確に判明していない。加えて彼女の持つであろう個性については全くの未知であり、異常な肉体年齢の若さとも関係しているのか否か、大変気になるところだ。

 

 今後も私は龍ノ巣の観察を続け、何かしら問題が発生すれば即座に報告する。

 

 以上、公安直属、龍ノ巣新任観察員兼卒業生、霞隠(かすみがくれ) (みずち)より。

 情報提供:特殊児童保育施設 施設長 紅雷 白龍

 

 

 

 補遺:19日が滅理ちゃんの誕生日だったので、携帯電話を贈りました。施設で暮らす幼い子達はみんな可愛かったです。

 

 


 

 今日は9月21日。一昨日の誕生日会の翌日、面識は無いが卒業生であり姉の(みずち)から贈られた連絡用機械の扱いが分からなかった私は、施設で働いている先生であり蛟の実弟の溟人(めいと)を頼ることにした。

 

「溟人。この機械の使い方を教えて欲しいのだが」

 

「ん、それって蛟姉(みずちねえ)さんから貰ったスマホ? そういう機械類は(きずき)さんに頼った方がいいと思うけど…」

 

 溟人は私の背丈に合わせて背を丸め、男にしては華奢な腕を組んだ姿勢で、私が手に持っている機械を見つめて言う。

 

「築は買い出しに出掛けている。姉や兄達は学校に行っているし、麗貴(れいき)は白龍先生と共にある事情(・・・・)で遠方に出払っている為、今はいない。だから頼める者が溟人しかいないのだ」

 

 今施設に居るのは私と溟人、弟妹の二人と彼等の面倒を見ている熔介の計五人だけだ。

 

「あー、そういえばそんな事言ってたっけ……熔介(ようすけ)さんはあの子達の相手で忙しいだろうし、僕しかいないのかぁ…」

 

 私は機械に触れるのを明白(あからさま)に避ける溟人の様子を見て、何かしら事情があるのだろうかと勘繰った。

 

「何か問題があるのか?」

 

「ええとね、さっきまで施設の電力補充で個性使ってたから、静電気を帯びちゃってて暫くの間は電子機器に触れないんだ」

 

 そういえば溟人は、この施設の灯りや細々とした設備を稼働させている一要因だったな。

 

 雷の力を動力源とした様々な機械は現代社会を形成する上で重要なものだと白龍先生に教わったが、一部の電子機器は案外脆く微量な雷に弱いようで、私の持つスマホと呼ばれる端末もそこに該当する。

 

 …これは完全に私情だが、人間の密集する都市部に私が苦手とする雷があちらこちらに点在しているというのはあまり喜ばしくない。

 今でこそ雷の性質を知っている為致し方の無いことだと割り切れるが、遥か過去の私にとって雷とは、極力関わらぬよう避けて然るべき力なのだ。

 また、私の弱点である具現化した龍の力も一部雷の力と似通った性質を持っている。

 現代ではそれに加え、雷を生み出す際には多大な燃料を必要とするらしく、燃料の過剰消費によって一部の生態系を壊滅するまで汚染し続けるような惨事も過去に起きたことがあるそうだ。

 

 その点で言えば溟人は、生物的な変換機構を介して動力たる雷を生み出せるのだから、素直に素晴らしいと思う。

 

「ごめんね、折角頼ってくれたのに……」

 

 垂れた目つきにハの字の眉を添えた溟人は自傷げに言うが、別に今すぐ使えなくともいいのだから問題はない。それに、溟人が謝らなければならぬことは無い。私が都合を汲まず迫ったというだけで、言わばこれは単なる私の身勝手なのだから。

 

「何を言う。この場所は溟人が居るからこそ成り立っているといっても……少し過言ではあるが、溟人はここを支える柱の一つなのだ。そう謙遜することはないと思うぞ」

 

「その励ましはなんだかズレてる気がするけど、まぁその、ありがとね」

 

「──ぉーい、溟人と滅理や。爪助(そうすけ)を見とらんか?」

 

 廊下で話し込んでいた私と溟人に、廊下の向こうから熔介がやって来て唐突な質問をした。

 

「いえ、5分ほど滅理とここに居ましたが見ていません。何かあったのですか?」

 

「それがの、銀子(ぎんこ)が爪助の菓子を勝手に食べちまったもんで。怒った爪助が銀子に飛びかかったんじゃが、呆気なくやられちまって。拗ねたのかどっかに行きおったんじゃよ」

 

 なるほど。爪助は施設に住む兄弟姉妹の中でも一際足の速い子だ。年老いた肉体の熔介ならば、見失ってしまうのは当然と言える。

 

「熔介さん、爪助は個性を使用していましたか?」

 

「おぉ、発動したまま跳んでったのぅ。して、それがどうかしたのか?」

 

「この“導蟲(しるべむし)”を使って足跡を辿ります。流石に施設外周の壁は越えていないでしょうが、探す手間を短縮できるので。ただでさえここの敷地は広大ですから、かくれんぼの子役が遊び終わっても見つけてもらえないなんて可哀想ですし」

 

 しるべむし…? 何だそれは、初めて見聞きしたぞ。

 溟人の口振りと、彼の腰に着けた小物入れ(ポーチ)から取り出されたランタンのような形をした虫籠を見て考えるに、人(もしくは動物)が残した足跡などを追跡する…導蟲と呼ばれる昆虫の一種なのだろうか?

 

「ほぉ…最近はそんなもんもあるのかぃ。便利になったねぇ」

 

「いえ、導蟲自体は40年前からありますが…念の為説明しますよ?」

 

 意外と古い導蟲とやらの歴史に驚きつつも、爪助の捜索をする為に必要だという導蟲への対象の匂いの刷り込みをまじまじと眺めながら、溟人の言葉に耳を傾ける。

 溟人の説明によると導蟲とは、捜索する対象の匂いを虫に覚えさせ、光を放つ虫の群れに導かれるがままに対象を探すことができるといった虫の名称のようで、何らかの原因により行方の分からなくなった施設の子供を捜索する際に用いられるらしい。

 

 そうして説明が終わり、予め所持していたという匂袋(においぶくろ)によって匂いを覚えた導蟲達の群れが、廊下に一筋の隊列を形作った。

 

「熔介さんは銀子を叱っておいて下さい。僕はこのまま爪助を探すので、発見し次第連絡します」

 

「あい、分かった。ちょいときつくしてやるかの。これっぽちも反省しておらんかったし」

 

 熔介の言葉に対し、はは…と溟人は苦笑を漏らした。如何せん銀子は腕っぷしが強い為に、こういったことはよく起きるのだ。

 

「滅理はどうする? 多分付いてきてもすることないと思うけど」

 

「弟の身を案じない姉はいないだろう。無論付いていくつもりだ」

 

 家族を第一に考え行動するのは当然だ。それに、導蟲とやらもどういったものなのか非常に気になるからな。

 

 微笑まし気に私を見る溟人と熔介を疑問に思いながらも、私と溟人は爪助とのかくれんぼの火蓋を切った。

 

 


 

 鬱蒼とした木々が集まり、まるで訪れる者をその暗闇へと誘う樹海。

 その最奥にて、薙がれた切株に腰掛ける黒い影があった。

 

「…ほう。俺にこの小娘の手引きをして欲しいと」

 

「そそ。私はそういうの苦手だし、それに忙しいからあんまり構ってあげられないんだ」

 

 唸るような渋く低い声に、場に似つかわしくないどこか気の抜けた返答が帰ってくる。

 

「他にも頼める者は居ただろう。猪突猛進の単細胞双葉(ふたバ)バアなんか、嬉々として承諾すると思うが」

 

「それを承知の上で、だよ。私はあの子に逞しく育ってほしいからね」

 

 隠し切れぬ我が子への期待を零し、白き龍は仄かに微笑む。葉の合間から降る木漏れ日が、その美しさを一段と映えさせていた。

 

「…俺に手綱を握らせる以上、一切の容赦は無いぞ」

 

「うん。頼りにしてるよ」

 

 警告ともとれる諫めの言葉は、的を得ないどこかずれた肯定と冀望(きぼう)言霊(ことだま)によって退けられた。

 

「はぁぁ……分かった。その頼み、引き受けよう」

 

「ありがとね、銀たろー(・・・・)

 

 諦観を帯びる深い溜め息を吐いた男は、その重たい腰を持ち上げる。

 明日から忙しくなりそうだ、なんて軽い言葉で流すには、あまりにも危ない要件だと言えるだろう。

 指導を頼まれた娘が持つ個性の名である“滅尽龍”は、彼が幼い頃に嫌というほど言い聞かせられた、古に仇をなす龍の名である。

 そんな危険な存在をこの手で育て、鍛え上げろというのだから、人使いが荒い所の話ではないだろう。

 

 こんなに危ない橋を渡るのは何十年ぶりだろうか。冰の龍の背に乗った“母親”の後ろ姿と太陽を重ね、日食を眺めながら黒風(くろかぜ) 銀狼太(ぎんろうた)はそう独り言ちた。




 ま~た新キャラ登場だよ…これもうわかんねえなあ
 今後書く予定があるか分からないので、霞隠(かすみがくれ) (みずち)こと“オオナズチ”の方は個性の概要をここで載せておきます。

 個性:霞龍(かすみりゅう)
 深い森の姿なき幻影たる龍の力と姿を宿している。
 モンスターの外見的特徴:紫色の外皮に小さめの翼、尾部に内側へ巻かれた(ふさ)の形をした蝸牛管(かぎゅうかん)を持ち、カメレオンのような顔に一本の角を生やした龍の姿をしている。
 概要:他の龍と名の持つ個性と比べるとその身体能力や攻撃性はやや控えめだが、最も特筆すべきは高度な擬態能力である。体内の発電器官から作られた電気を使って表皮の色彩を自在に変え、同時に発生させる濃霧とそれに含まれた五感を鈍らせる霧状の毒によって、あたかも透明になってしまったかのように思わせることができる。また、多種多様な効果を持つ毒を扱い、外敵を手玉に取り翻弄して戦う。


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再会:棘を破りて、壁に当たる

 一週間のズレはあれど日曜日には上がりましたが、それが詭弁であることは承知しています。
 しかも前日に誤爆してしまうなんて失態もプラスされて、見苦しいことこの上ない限りです。

 以後はこのようなことが起こらないよう精進いたします。


 淡い緑の蛍光色に光る導蟲の群れを追い続け、数分後。

 

 私と溟人は敷地の裏手に位置する、施設の建物とそれを囲う外壁との間にある開けた通路を歩いていた。

 

「いやぁ、爪助はこんな所よく見つけたね」

 

「故意に探そうとしなければ来ることもないだろうな」

 

 私の左隣を歩く溟人とそんな他愛のない会話を交わしながら、未だに見えてこない終着点を思うと少し呆れてしまう。

 熔介の話を聞く限り、間違いなく非があるのは銀子の方だ。返り討ちにされいじけてしまったからといって、何もこんな場所まで隠れることはないだろうに。

 

「そんなに菓子を食われたのが悔しかったのか…」

 

「まぁ、爪助は誰よりも食に対して貪欲な子だからね。このくらい拗ねちゃうのは仕方ないと……あれ? 導蟲が止まっちゃった」

 

 突然進行を停止した導蟲に溟人が疑問を示す。

 すると先程まで地面を這うようにして進んでいた導蟲達が、急に不自然な上昇を見せた。

 

「これは…」

 

 私と溟人は壁を伝う導蟲を目で追うように見上げる。

 施設の建物よりも高く(そび)え立つ、鋼鉄で造られた垂直の壁。

 

 その壁面には、(おびただ)しい数の爪痕が刻まれていた。

 

 爪痕は六本の線が全て一様に縦並びしていて、まるでこの壁を駆け上がろうと何度も爪を立てたかのようだ。

 

「上の電気柵が破れてる……そうか、電力供給で一旦停止させてたから…」

 

 外壁上に張り巡らされた雷が流れる鉄柵の一部分が、背の低い私でも視認できるほど分かり易く破られていた。

 

「なあ溟人、まさか爪助は…」

 

 私は言葉を詰まらせ、溟人の方に視界を移す。

 個性を発動したのだろう。溟人の顎から伸びた細長い四本のヒゲが、僅かな電気を帯びて周囲を探るように揺蕩(たゆた)っていた。

 

「…生体反応が無い。爪助は脱走したと見て間違いないと思う」

 

 溟人は至極落ち着いた声色で、信じ難き事実を告げる。

 あれほど無許可で外出してはならないと釘を刺されていたにも拘わらず、爪助は脱走した。

 

 あの子は人の言うことを無下にせずきっちりと守る。特に、施設からは勝手に抜け出さないよう再三言い聞かせられていた筈だ。

 ではなぜ、爪助は言いつけを破ってしまったのだろう。

 

 考え得る理由としては、理性ではなく本能で行動を起こした、とかだろうか。

 

 途轍もなく美味な肉を味わうとき、理性が溶けるような感覚に陥ることがあるのだ。思考はそこに介在せず、ただ一つ幸福(・・)のみが存在する。私は片手で数えられる程度しか体験したことがないが、それらには“考える暇もなく体が動く”という共通点があるのだ。

 

 爪助も、「施設から出てはいけない」という理性が揺らぐほどの何かに遭ったのだろうか?

 

 私はその何かを探るべく、爪助と出会った時の記憶を思い起こした。

 今から凡そ二年前。まだ一つにも満たぬ年の爪助は白龍先生に連れられて、この施設にやって来た。

 あの時の爪助の、尋常ではない様相が未だ頭に残っている。

 

 ぎょろぎょろとした目は血走り、口からはよだれをとめどなく垂らし、剥き出しの牙をがちがちと鳴らすその顔は、まるで血に飢えた獣のような形相だった。

 人としての常識をある程度理解している今だからこそ言える。

 あれは、人の子がしていい顔ではない。

 

 爪助を含めここに住む者は皆等しく肉親から見限られ、捨てられている。

 しかし、それを白状だと言って憤る者は誰一人としていない。

 他ならぬ我々が、親の下にいることを自ら拒絶し、ここにいたいと望み願ったからだ。

 

 身体の奥底から際限なく溢れる破壊の衝動を抑えきれず、その剛腕が赫く染まるまで拳を振るい続けた。

 僅か数か月で立つことを覚えると、本能のままに辺りのもの全てへ牙を剥き、暴君の限りを尽くした。

 個性を(てい)のいい発電機として酷使された結果、限界を迎えた竜の声に身を委ね、岩石を焦がす雷を生身の人間に落とした。

 

 他者を傷つけた者、他者から傷を負わされた者。ここには、そんな子供だけが集まるのだ。

 

 かく言う私も、母親の腹を突き破って産まれた。なんでも、胎内で個性を発動してしまったのだとか。

 

 そして朧げな記憶の中、今も鮮明に残っている感覚がある。人間としてこの世に産まれ落ちた私が初めて捉えたそれは、鉄を奥歯で噛んだような鈍く濃厚な“血の味”だった。

 

 爪助も私と同じなのだろうか。思えば爪助はトマトだけで作られた野菜ジュースを好んで飲む。私も一度飲んでみたことはあるが、あのどろっとした舌触りの鹹味(かんみ)は血と似ているように思える。

 

 爪助は個性を発動した状態でここへ行き付き、何処かから漂ってきた血の匂いを彼が持つ鋭敏な嗅覚で拾ってしまい、血肉にありつく為に何度も壁をよじ登って脱走を試みた。

 私は納得がいく彼の行動理由として、そう結論づけた。

 

「溟人、爪助が脱走した理由なのだが…」

 

 導き出したこの推測を伝える為に、私は思案の中で自然と俯いていた顔を上げて首を左に振る。

 

「…何をしているんだ?」

 

 すると溟人は何故か両のこめかみを人差し指で抑え、なにやらウンウンと唸っていた。

 

「電子機器が使えないから…こうやって個性で電気信号を作って…連絡を飛ばしてるんだ…」

 

「そうなのか。邪魔をしてしまって申し訳ない」

 

 途切れ途切れの言葉で話す溟人の様子を察した私は、彼の集中を乱すまいと端的に詫びの言葉を述べた。

 

 こう考えると、溟人は雷の扱いに関して施設の中で最も長けているとつくづく思う。今しているように電子機器を介さず遠方からの連絡ができる上、彼曰く「生き物が発する電気を見る」ことで如何に巧妙な隠密をしても、彼の目を欺くことは不可能だろう。先日訪れた溟人の実姉である蛟も「かくれんぼの鬼役で溟人の右に出る者はいない」と言うほどだ。

 

「…ふぅ、よし。ごめん滅理、さっき何か言った?」

 

 私の名前を呼ぶ溟人の声で、逸れ始めていた思考が我に返る。

 連絡を終えた溟人は姿勢を戻して息をつき、私の言葉を聞き返す。

 

「ああ。爪助が脱走した理由だが、血の匂いを嗅いでしまったのではないかと推測したのだ。

 溟人は爪助が人一倍食に対し貪欲だと言っていただろう? この壁から外は山の森が広がっている。爪助は恐らく、怪我を負った動物が流した血の匂いに誘われでもしたのかと考えたのだ」

 

 

 

「……いや、爪助が嗅ぎ取った血は動物のものじゃないと思う」

 

 一拍置いて出された否定の返答に、私は首を傾げた。

 

「なぜだ? ここは山の中なのだから、動物など余りあるほどいるだろう」

 

 この施設は緑豊かな山間にあると記憶している。現に私は、先日のおつかいで出発する際に改めて壁の向こうに広がる森の景色を見た。人工物があるとはいえ、それだけで動物が寄り付かぬ訳もない。

 

「20年くらい僕はここに居るけど、施設の近辺で一度も野性の動物を見たことがないんだ」

 

 溟人の確信を含んだ口調と言葉に、私の頭にはますます疑問符が浮かび上がる。千年余りの歳月を生きた私にとって、20年という僅かな時間はその現象を判断する基準足りえないのだ。

 しかし、そうはいっても溟人の経験談を否定するには筋が通らない。人が本来持つ一生の年月を考えるならば、20年は確証を持つに十分と言えよう。白龍先生は例外中の例外であるので考慮には含めない。

 

「多分、施設で暮らしたことがある人はみんなそうなんじゃないかな。滅理もこの前出掛けた時、散歩してるワンちゃんとかに吠えられたりしなかった?」

 

「そういえば…白い毛玉みたいな奴に、やたらと鳴き声を浴びせられたような気がする」

 

 確かに、言われてみればそうだ。人間としての私が肉眼で見たことのある動物は、二日前に偶々通りかかった毛糸玉のような形状をした珍妙な動物のみ。龍成の本で見たことのあるイヌやネコは今のところ会った経験がない。

 私は偏った判断基準で物事を決めつけてしまった己を少し恥じる。郷に入っては郷に従え、とは正にこのことを言うのだろう。

 

「なんとなくだけど、滅理だけじゃなく蛟姉さんとか麗貴さん、この壁を造った鋼影(こうえい)さんみたいな過剰すぎる個性を持つ人には、他の動物が近寄らないのかなって思うんだ」

 

「そうなのか…」

 

 これは新しい発見をした。動物の持つ自分よりも強大な存在から逃げるという性質は知っていたが、まさか人の姿であってもそのような風格が私に残されていたとは。自分で言っておいて若干のむず痒さはあるが、悪い気分ではない。

 

「だから爪助が嗅いだ血の持ち主は、動物じゃなくて人かもしれないんだ」

 

「……いや待て。それはつまり、爪助がその者に遭遇している可能性があるということか?」

 

 溟人は鋼鉄に刻まれた爪痕を見つめて、ゆっくりと頷く。そして、次の句を待つ私の方を向き、まるで躊躇うように重々しく口を開いた。

 

「…万が一、爪助がその人に危害を及ぼした場合……彼を“処分”しないといけなくなる」

 

 “処分”

 

 発された言葉の響きに私は、先程までの浮かれた気持ちなど消え失せ、底冷えするような不快感が体の底から這い出て来た。

 

 私の出自は決して人に褒められるようなものではない。当然だ、私を産もうとしてくれた実の母を、私自らが殺してしまったのだ。親殺しの罪は私に重くのしかかり、今でも後ろ暗い過去として引きずっている。

 

 しかしそのことに罪悪感を覚えることはあっても、どうしても償う気持ちにはなれないのだ。

 

 あぁ、今でも思い起こすだけで吐き気がしてくる。

 実の父親が、子の首を絞めるなど。

 

 十分な環境で母が出産を迎えられなかったのは誰の責任か。母が死んでしまったのも、言葉すら知らなかった私を虐げ、“処分”と言って棄て去ったのも。

 全部、あいつだったろう。

 

 私にとっての家族とは、施設に住む人々だけだ。誰一人として欠いてはならない。何者にも代え難き、大切な存在なのだ。

 爪助に己の意思を表す為の言葉を教え、人としての智を与えたのは私だ。爪助は決して、理性を持たぬ獣などではない。理不尽に存在を否定される道理はどこにもありはしない。

 

 これが、私の独り善がりだというのは分かっている。

 でも、そうだとしても……家族を失うなど、今の私には到底受け入れられないのだ。

 

 

 

 氾濫する感情の荒波が、黒い堅棘(けんきょく)となって体表に顕れる。

 全身の筋肉は怒張し、心臓の脈動がいやに頭の中で響いた。

 

「滅理? ちょ、いきなりどうし──」

 

 

 

──ヴア゛ア゛ァァァァァァァ!!!!!!!

 

 龍と()った私は高らかに警鐘を鳴らし、両翼を大きく羽ばたかせる。

 

 身の防護など考える必要もない。私がすべきことは、棘を以て目の前の鋼鉄を突き破るのみ。

 螺旋を(えが)き、私は突進する。金属と棘が衝突する音が響き、幾つもの棘が根元からへし折れる。

 

 しかし、私が止まることはない。

 削られ、穿ち。折られ、砕く。一秒にも満たぬ僅かな(とき)の中、幾多の棘が(ついや)されてゆく。

 

 

 

 私は、鋼鉄を打ち砕いた。

 

 ひしゃげた鉄屑となった鋼鉄を尻目に、私は再び翼を広げる。私を捕らえようと押し寄せる流水は、溟人が造り出したものだ。

 既に空を掴んだ私にとって、それも無意味であるのだが。

 

 待っていろ爪助よ。お前が罪なき人に牙など剥かぬ理性ある人間であると、私が証明してやる。

 引き留める溟人の声を振り払い、私は高揚と共に快晴の空へと羽ばたいた。

 

 


 

 数分前に遡る術があるのなら、私は間違いなく自分をぶん殴っているだろう。

 

 山に広がる森林の上空を飛びながら、無価値なたらればを自分の失態に対し考えてしまう。

 一時の感情に身を任せた挙句、勝手な外出どころか施設の破壊をしでかしたなんて。

 それだけではない。馬鹿みたいに近距離で放った大声の所為で、溟人の耳に怪我を負わせてしまった。空を飛べる筈の溟人が私を追ってこないのはきっと、私に鼓膜を破られて平衡感覚が狂ったからだ。

 

 これでは白龍先生に合わせる顔がない。せめて贖罪の余地として、何が何でも絶対に爪助を見つけ出さなくては。いやそれは動機としてあまりにも不純が過ぎるぞ。

 ああ…弟を保身の為の言い訳に使おうと考えてしまうなど、私は姉として失格だ…

 …しかし、嘆き蹲っていても事態が好転しないことなど分かりきっている。解決の糸口を見つけ出すには、否が応でも行動を起こさなければならない。憂鬱な感情は一旦置いておこう。

 

 施設の近くは一通り見渡したが、竜に成った爪助の目につきやすい赤色の体はどこにも見当たらなかった。私の五感の中で比較的優れている嗅覚も、爪助のように遠くのものを嗅ぎ分けられるほど発達していないので探すには役立たない。

 

 つまりは何の成果も得られず飛び回っている訳だが……やはり駄目だ。己の無計画さに嫌気が差してならない。

 自分が作り出した不況に喘ぐなど自業自得そのものではないか。これぞ正しく“自分の首を自分で絞める”ということか。いや洒落にならんやめろその例えは今すぐ取り消せ。

 

「はぁぁぁ……」

 

 森の木々から突き出た岩山を止まり木に、愚かしく墓穴を掘った私はでかでかと溜め息をつく。

 こんなことをしている暇はないと頭では分かっていても、行動に移せるほどの気力は湧いてこないのだ。

 要はただの言い訳だが、今の私にとっては精神安定に役立つ。自分で言っておいて情けないとは思う。

 

 ──ドゥン…

 

 ふと、僅かな振動が項垂れ脱力する私の足を伝った。

 

 ……ドォン、ゴゥン…

 

 地震にしては短く弱い揺れが不規則な間隔で発生する。もしや爪助かと期待し、私は岩山の麓を見下ろした。

 

「! お前は…」

 

 蒸栗色(むしくりいろ)の刺々しい髪に、私と同じくらいの背丈。二日前、公園にて出会った“かっちゃん”少年が、今私が立っている岩山の壁に向かって爆破を放っていた。

 

「ッ! テメェは…!」

 

 私の姿を見るや否や、彼はその目つきをより一層尖らせる。

 

「ここで何をしているんだ? 今日は平日の月曜日だぞ」

 

 一般的に5,6歳以下の子供は普段幼稚園や保育園といった託児所に通っていると聞く。彼を私と同年代だと仮定するならば、こんな山奥に一人でいるのは不自然だ。

 

「…うるせぇ、お前には関係ねぇだろ」

 

 突き放すような口調と態度。余程彼は私のことが気に入らないようだ。

 

 しかしそれは当然と言える。あの時は知り得なかったが、彼が言った“キス”という言葉は人間の求愛行動を指すと聞いたのだ。他の兄と姉や先生に尋ねてもはぐらかされてばかりだったが、昨日施設に来た蛟が教えてくれた。

 

 彼が私に対し激昂したのは、人命救助の為という前提を知らず私が行ったこと自体に嫌悪感を覚えたからなのだろう。

 

「いや、そうだな…先日はすまなかった。あの時は気が動転して、あんな行動に走ってしまったのだ」

 

「見下されながらンなこと言われても許せるワケねぇだろーが」

 

 そうだった。

 

 彼に指摘され気が付いた私は、己の失態を恥じつつ岩から降りる。

 

「っオイ、急に飛び降りるんじゃねぇ。あぶねぇだろ」

 

「あっ、す、すまない…」

 

 あぁまたやってしまった…どれだけの醜態を晒せば気が済むのだ私は。これでは許しをもらうどころか、爪助を見つけるなんて夢のまた夢だ。

 

「本当に申し訳ない…自分でも己の不面目さを痛感している…」

 

 私は何がしたいのだ。住み処を壊し、家族を傷つけ、まともに謝罪もできないなんて。

 

 重ね過ぎた過ちは、膨れ上がってしまって清算しきれない。償っても償っても、その度に失敗はどんどん増えていく。そうして負の鎖が連なって絡みつき、いつかは破裂して終わる。

 まるでそれは私が愚かだと嗤った、龍の力に狂わされた竜のように。

 

 その様のなんと情けなく、見苦しいことか。

 

「本当に………ぅ」

 

「はあっ!?? オイなんでお前が泣くんだ!?」

 

 体温の籠った雫が頬を流れる。落涙など、一体いつ振りだろう。

 

 私がまだ龍であった頃は、涙など浮かびもしなかった。如何に痛みや苦しみを味わおうと、それらが泣くに至ることは無く、只々感覚が擦り切れていくだけだった。

 枯れていたのではない。元から涙を知らなかったのだ。千年に渡る孤立と孤独は、私を心なき怪物たらしめた。

 

 あいつに棄てられた三年前の私は、訳も分からず目から溢れるこれに大層驚いたものだ。

 

「ああくそ、なんでオレがお前をあやさなきゃいけねぇんだ…」

 

 そう言いつつも彼は、みっともなく嗚咽する私の背をさすって落ち着くよう促してくれる。

 彼にとって私の存在は不快極まりない筈なのに、どうしてだろう。

 

「っ、なんで、わたしをみすてない、んだ…?」

 

 涙の溜まった目にぼんやりと映る彼の顔を見ながら、おぼつかぬ口調で私は問うた。

 

「…なんか、オレに勝ったお前がそんなんだと、すっきりしねぇ」

 

 私の背中をさする左手はそのままに、右手の人差し指で頬を掻きながら彼はそう言った。

 

「それだけ、か?」

 

「あぁ」

 

「そう、か…」

 

 純粋な心配や邪な打算とかではなく、飽くまで自分の抱える気持ちの問題なのが、彼の性格ゆえなんだろうか。

 

「…ありがとう」

 

「……おう」

 

 口角をほんのりと上げて、不束ながらも礼を述べる。

 ここまで数々の体たらくを露呈させてきた私だが、感謝の心まで忘れてはいないのだ。

 

 いつの間にか涙は収まり、幾ばくか精神が軽くなったと感じる。不安や悲哀といった負の感情は、涙として吐き出すことが賢明なのだ。因みにこの知識は先生ではなく龍成から学んだ。

 

「見苦しい姿を見せてすまない、自己紹介がまだだったな。私は黒創(こくそう) 滅理(めつり)、四歳だ」

 

爆豪(ばくごう) 勝己(かつき)。個性は爆破。4歳。お前は?」

 

「同い年なのか。それと個性だが──」

 

 勝己の淡々とした言葉にどこか不自然さを覚えつつも、個性の名を言おうとしたその時。

 

 

 

──グオォォォウゥ!!

 

 獣のような咆哮が、森の中から耳に届いた。

 

「今の声は…!」

 

 あの低く唸るような叫び声は、爪助が宿す竜のものだ。

 

「オイなんだ? 今の鳴き声」

 

「私の弟の声だ。さっきまでずっと探していたんだ」

 

 早く見つけてやらなくては。爪助や私など施設に住む者が身に宿す個性は総じて強力だが、消耗が激しく長続きしない。

 特に爪助は脂肪が付きにくく、それ故に蓄えが少ないのだ。空腹のあまり人に牙を剥けてしまってはならない。

 

「爪助!! 私だ、滅理だ!! 聞こえたのなら返事をしてくれ!!」

 

 私が大声で呼びかけても、森の静寂は一向に答えてくれない。

 

 もし爪助が近くにいるのなら、何かしらの反応はある筈だ。草木が揺れ動く音や、土を踏み占める音。二度(にたび)声は出せずとも、存在を知らせる手段はある。

 だというのに、辺りはしんと静まり返ったまま動じない。不気味なまでの静けさが、森一帯を包み込んでいた。

 

 嫌な予感がする。

 

 野性の勘ともいうべき直感が、心臓を揺すぶり不安を煽る。まるで、得体の知れぬ何かが私を(おびや)かしているとさえ思えた。

 

「頼む……答えてくれ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うるせェなぁ、人様の庭でデカい声出しやがってよォ」

 

 

 

 その声を聞いた私は、全身が凍え上がるように栗毛立った。

 

 考えることも拒みたくなるような、どこまでも低く不快で、鼓膜にねばりつく男の声。幾度となく浴びせられた暴力の数々が、記憶として否応なしに呼び起こされる。

 

 私の名を呼ぶ勝己の声が、遠くのものであるかのように錯覚した。

 

 枝木を折り、土を踏み荒らしながら、声の主はこちらに近付いてくる。

 

「おォ? なんだ、お前かぁ。まぁだ生きてやがったのかぁ」

 

 その人間は紛れもなく、私を棄てた父だった。




 かっちゃんってこんな感じだっけ…

 それと、しばらくは月一くらいの投稿頻度になりそうです。多忙というより、私の器量と要領の無さが主な理由なので、調子が良ければ二週に一度まで引き上げれなくもないかもしれません。

 あとアンケートとります。


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追憶:あかいもの

 
どうも、大好物は期日ギリギリこと作者です。

前話から丁度30日の期間が空きましたが、技量はさほど変わっておりません。安心のクオリティでございます。

頭とお腹(胃腸)を痛めて作ったので、読んでいただければ嬉しいです。



 

 これは、ある夏の日に見た、夢の話だ。

 

 


 

 俺は今まで、何をやってもトップだった。

 

 他のヤツらができないことが俺にはできたし、そのことを周りの大人はもてはやした。

 派手で強い“爆破”の個性を持っていて、だがそれにかまけず自分をさらに強くしようと努力してる。読み書きだって他のヤツよりできるし、競走(かけっこ)で負けたことは一回もない。

 

 だから俺は、どんなことも俺がトップじゃないと気が済まない。

 足の速さも頭の良さも個性の強さも、ぜんぶ誰よりも上。

 

 それが俺の“個性”で、爆豪勝己の(たち)だから。

 俺は絶対に、オールマイトみたいなヒーローになる。それが俺の目標で、成し遂げる現実だと思っていた。

 

 

 

 俺よりも遥か上にいる、アイツに会うまでは。

 

 アイツが俺に近づく動きが、ほとんど見えなかった。

 悪魔みたいなバケモノの姿を見た瞬間、いつの間にかアイツが目の前にいた。

 

 アイツが言ったことに、俺は言い返せなかった。

 俺の個性が何の為にあるのか答えられず、みっともなく逆ギレした。

 

 アイツが俺の手をひっ掴んで飛び上がった時、あっさり負けを認めちまった。

 そこら辺の家より高いところに来て体の中身が浮くような感覚がしたら、いきなり地面スレスレまで落ちた。そのままぶつかると思ったら気を失って、人間になったアイツのキスで目が覚めた。

 

 フザけんな、俺を白雪姫と一緒にすんじゃねぇ。

 

 しかもそれを、デクに見られたのが俺は受け入れられなかった。

 

 俺が負けたところをあんな石ころに見られて、いつもみたいに幼稚園行くなんてムリだ。

 行ったって何も手に入りやしない。今の俺に必要なのは、己を鍛えてアイツよりも強くなることなんだ。

 

 近所の森に来たのはそれが理由だ。ここの森は探検でよく入るが、大抵は川の中流ぐらいで帰る。なんでも、それより奥は深すぎるから、行くと帰ってこれなくなるんだと。

 

 俺はそこに目を付けた。深く入ると戻れない森をトウハ(踏破)すれば、今よりも強くなれるんじゃねぇかと考えたからだ。

 イノシシだろうがクマだろうが、爆破の熱にはかなわないハズだ。森の入り組んだ地形も含めて、思う存分俺のカテ()にしてやる。

 

 

 

 そんな意気込みで森の奥に踏み入ったはいいが、イノシシどころか動物に一匹たりとも遭遇しなかった。

 

 拍子抜けどころじゃねぇ。虫を相手にしろってのか。

 計画が上手くいかないのと、しつこく耳元で飛び回る羽虫を振り払う度に苛立ちがふくらんで、そこにあった岩に当たり散らす。

 

 ボン、ボン、ボンと、胸の煮えきらないのを吐きだすように、腕を振りまわす。

 

 かれこれ朝から4時間くらい森を歩いたが、発見できたのは岩がたたずむこの広場だけ。山の地形は探検で登り慣れてるせいで、障害物にもなりやしなかった。

 

「…クソッ」

 

 岩に残る爆破痕を見つめて口ぐせをつく。

 こんな調子じゃ、アイツを超えた強さは手に入らない。目の前の壁ごときを突破できねぇで、ヒーローになるなんざ夢のまた夢だ。

 

──お前は…

 

 ふいに、聞き覚えしかない声が降ってきた。

 

 俺は爆破した岩のてっぺんを見る。案の定、頭に生やしたツノの目立つアイツ(悪魔)がそこに居た。

 

「ここで何をしているんだ。今日は平日の月曜日だぞ」

 

 あの時と同じ平らな喋り方。俺なんか何とも思ってねぇような、まるで感じるものが無いみたいな顔と口ぶりに腹が立つ。

 

「…うるせぇ、お前には関係ないだろ」

 

 今日は平日だぁ? それを言うなら幼稚園行ってねぇのはお前もじゃねぇか。自分は特別だって言いてぇのか。

 

「いや、そうだな。先日はすまなかった」

 

 たとえ謝っても、グツグツ煮える俺の苛立ちが冷めることはない。逆にイヤミとさえ思える。

 それとまず、そもそも見下しながら謝んじゃねぇ。親に習わなかったんか。

 

「見下されながらンなこと言われても許せるワケねぇだろーが」

 

「ハッ」

 

 なぁにが「ハッ」じゃクソが。んでもって急にとび下りやがって。

 

「オイ、急にとび下りるんじゃねぇ。あぶねぇだろ」

 

 一瞬でもヒヤッとしちまった自分がムカつく。コイツがこの程度の高さで怪我するこたぁねぇってのに。

 

「あっ、す、すまない」

 

 コイツはどうやら、よっぽど人をきづかうのが苦手らしい。それが俺の言えたことじゃないのは分かってるが、どうも注意不足というか……コイツ、前会った時みたいな迫力が無い。

 

「本当に申し訳ない…自分でも己のフメンボクさを痛感している…」

 

 なんだよフメンボクって。知らねぇ言葉使うんじゃねぇ。俺が知ってんのはニュースでよく見る言葉だけだ。

 

「本当に………ぅ」

 

「はぁっ!??」

 

 コイツ、いきなりしゃがんだと思ったら泣き出しやがった。

 

「オイ、なんでお前が泣くんだ!?」

 

 あの時とはぜんぜん違うコイツの様子に、俺はうろたえてしまう。

 俺よりも下のヤツが泣いたところでどうだっていいが、コイツは別だ。俺の上にいるコイツがこんなだと、こっちまで調子が狂っちまう。

 

「ああクソ、なんで俺がお前をあやさなきゃいけねぇんだ…」

 

 俺を負かしたヤツが今、デクみてぇに泣きべそをかいてうつむいている。2本のデカいツノも失せて、数段と弱っちく見える。

 結局俺は、ガラにもなくそいつをなぐさめていた。

 

「なんで、わたしを見捨てない、んだ」

 

 泣きはらした目で俺を見つめながら、そいつはたどたどしい喋り方で言う。

 

「…なんか、俺に勝ったお前がそんなんだと、すっきりしねぇ」

 

 俺は、俺らしくないあやふやな言葉を返した。

 すっきりしねぇというか、フに落ちねぇというか……なんとなく、俺はコイツが泣くのを見たくなかった。

 

 近くで見つめ合うのが気まずくて、少し目を逸らす。形だけでも、誰かによりそったのは人生で初めてのことだ。

 

「それだけ、か」

 

「あぁ」

 

 それ以外にあるかってんだ。こちとら誰かを心配できるような余裕がねぇんだよ。お前のおかげでな。

 

「そう、か」

 

 しゃくり上げる度に上下していた肩を手でおさえて、そいつはもう一度うつむく。

 

「…ありがとう」

 

 うつむいていた顔を上げて、俺と目を合わせるそいつを見て、ドクンと、胸のあたりが動く。

 ヘタクソな笑い顔を浮かべるコイツが、俺はなんだか直視しづらいものみたいに思えた。

 

「……おう」

 

 またしてもあっけに取られちまったが、前とは違って気分は悪くねぇ。むしろ、くもり空が晴れたみたいでジョーキゲンだ。

 

「自己紹介がまだだったな。私はコクソウ メツリ、4歳だ」

 

「爆豪 勝己。個性は爆破。4歳。お前は?」

 

 だが今はコイツの、メツリの顔が見れねぇ。かろうじて返事はできたが、頭がごっちゃになってるせいで個性じゃなく何歳か聞いてるみたいになっちまった。

 

「同い年なのか」

 

 そーだよお前のほうが大人びてるけどな!

 胸さわぎがまだ落ち着かねぇ。心臓が勝手に動いてるみてぇだ。いやそれは普通のことだアホ。

 なんだ? なんで俺はコイツにまどわされる?

 もしかして、コイツの個性が悪魔みてぇだからか?

 

「それと個性だが──」

 

──『グオォォォウゥ!!』

 

 突然、メツリの声をさえぎる鳴き声が森にひびいた。

 地の底から聞こえてきたみたいな、低くおどろおどろしいうなり声だ。

 

「今の声は…!」

 

 メツリにも聞こえたらしい。若干だが、まゆ毛が動いておどろいたように見えた。何気にコイツの無表情じゃない顔は初めてだ。

 

「オイなんだ? 今の鳴き声」

 

「私の弟の声だ。さっきまでずっと探していたんだ」

 

 やっぱコイツ、悪魔の個性でも持ってんじゃねぇのか。個性は家族どうしで似るから、十分ありえそうな話だ。

 お前の弟の声、俺らより年下の人間が出せるような声してねぇぞ。

 

「ソウスケ!! 私だ、メツリだ!! 聞こえたのなら返事をしてくれ!!」

 

 座りこんでいたメツリは俺の側からかけ出し、空に向かって呼び声を上げる。

 数メートルは離れてるってのに、耳鳴りがするくらい声がデカい。そういえば、コイツの鳴き声もバケモンみてぇな声だった。

 

 広場の真ん中にさす太陽の光がメツリの日焼け肌を照らす。肌とは真反対な白い髪が、声を張る度に揺れていた。

 

「たのむ……答えてくれ!!!」

 

 ヒツウな叫びだ。どうやら、よっぽど弟を心配しているらしい。

 冷静さを手放しかけているメツリに近づき、俺は落ち着けと言おうとした。

 

 その時

 

 

 ガサッ

 

 

 ふと、メツリをはさんで向こう側のしげみから音がした。

 

 メツリと俺はつられるように、音が聞こえた方を見る。

 

──「うるせェなぁ、ヒトサマの庭でデカい声出しやがってよォ」

 

 低くつぶれた声の男が、木をかき分けながら広場に入ってきた。

 くすんだ灰色の上着に、青いズボンと黒い髪の毛。光のささないうつろな目をこちらに向けて、その男は長袖についた葉っぱを片手ではらう。

 

 誰だ?

 

 俺がそう聞こうとすると、急にメツリが頭を押さえだした。

 

「っどうした!?」

 

 思わずさっきなぐさめたのと同じような姿勢をとってしまったが、腕からのぞくメツリの顔を見ておどろく。

 耐えるように歯を食いしばり、ぎらぎらと光る目を白黒させるその顔は、まるで恐怖と怒りが混ざっているように見えた。

 

「おォ? なんだ、お前かぁ。まぁだ“生きてやがった”のかぁ」

 

 違和感のある言い方がつっかかる。メツリがこうなったのは、この男が原因なのか?

 

「誰だよテメェ!」

 

「こっちこそ誰だボウズ。こいつのダチかぁ?」

 

「ダチじゃねぇ、質問に答えろ!」

 

 跳ね返された質問は諦めて、俺は警戒をあらわに男を睨む。

 キシ感のある無表情のまま距離をつめながら、男はそのちぢれた髪を親指で掻いた。

 

 この男、どう見ても(ヴィラン)くさい。

 

「まいっかぁ。聞いてくれェボウズ、俺の話をよォ」

 

 俺はかばうようにメツリの前に立ち、腕をいつでも振るえるよう構える。もしこの男が(ヴィラン)なら、少しあぶねぇが爆破の煙で時間をかせいで逃げるつもりだ。

 

「そいつのママはな、頭は弱ェが肌がキレイでなぁ、オレはママの真っ白な脳と肌色が好きだったんだよなぁァ」

 

 ねばっこくまとわりつくような声で、男は喋る。

 なんでこの男がメツリのカアチャン(母親)のことを話すのか分からないが、その口ぶりはものすごく気持ち悪い。

 

「なのに…なのになんだよその黒い肌はよォ…個性も全ッ然違ェしよォ…!

 ……ママと似ても似つかねェナリしやがってよォ!!!」

 

 男は急に怒鳴りだし、顔をゆがませて両手を左右にピンと伸ばす。

 

「!」

 

 個性の予備動作か?

 

 俺はそう考え、いつでも爆破を放てるよう両手の肘を後ろに引く。

 

 ヴゥン

 

 安っぽい効果音が鳴って、男を中心とした何もない空間にいくつもの穴があいた。

 

「パパの言うこと聞かねェ悪ガキがよォ…躾が要るみてェだなぁァ!!」

 

 気味悪く口角を吊り上げた男は、伸ばしていた両手を前に大きく振って交差させる。

 ぽっかりとあいた真っ暗な穴から、数え切れない量の鉄線が飛び出してきた。

 

「!?」

 

 俺はとっさに右手を後ろから前へかきだすように動かし、爆破で地面をえぐって即席の盾をつくった。

 だが俺の破砕力でかきだせるのは、もろく壊しやすい土くらいだ。飛んでくる鉄線の全てを防ぐには、両手の爆破で土壁を押し返すしかない。

 

「ぐぅぅ…!」

 

 今までも個性は使ってきたが、ここまで連続して爆破したことはない。

 ビキビキと、突き刺されるような激痛が両腕に走る。

 

──グラッ

 

「ッ!!?」

 

 踏みしめる足場がなくなって、姿勢が乱れてしまう。

 地面が崩れたんだ。削られて緩くなった地面を土台にすれば、そりゃ崩れてもおかしくはない。

 

 爆破の煙幕を貫いた一本の鉄線が目の前に迫る。爆破に使い続けた腕は、すぐに動かなかった。

 

 隙につけこまれた。俺の弱さが、それを許してしまった。

 

 

 

 間に合わねぇ

 

 そう理解して俺は、ぎゅっと目を閉じた。

 

 

 

 ドシュッ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…巻き込ませてしまった」

 

「──あ…?」

 

 天幕みたいな黒とオレンジのまだら模様が、視界一面に広がっている。

 

 いや、天幕じゃねぇ。これはメツリの翼だ。

 見上げれば、口に牙を揃えたメツリの顔があった。

 

 俺はコイツに、守られたのか…?

 

「逃げてくれ勝己。これ以上、無関係な者を危険に晒したくない」

 

 包むように覆われていた二つの翼が広がると、メツリの右腕に突き刺さる鉄線が見えた。

 

「お前…右うでのそれ…」

 

「あぁ、これか」

 

 前腕に深々とめり込んだ、親指の太さくらいはある鉄の棒。

 メツリはそれを何ともないように引き抜く。空いた穴から垂れた血が手指をつたい、地面を赤く染める。

 でも、メツリの顔は一切変わらなかった。俺にはそれが、痛みすらも感じることがないように見えた。

 

「こんなもの、あの頃に比べれば気にもかからない」

 

 そう言い捨てたメツリは、右の拳を深く握って立ち上がる。

 

「うァぁ…それだ、その姿だ! ママの腹を突き破って出てきたその姿! 一時も忘れちゃいねェ、バケモンの姿だぁ!!」

 

 男はいびつな表情でわめき、身悶えしながらメツリを睨みつける。

 

 『腹を突き破って出てきた』

 

 男が言ったその言葉に、俺は疑問を抱く。字面だけでも十分おぞましいが、今はそこじゃねぇ。

 個性が発現するのは4歳前後だと記憶してる。イギョウガタ(異形型)っつう例外もあるが、メツリは人間の姿になれるから違うハズ。

 

 じゃあ一体、メツリの個性はなんなんだ?

 それに、今までのセリフからしてこの男、ひょっとしてメツリのトウチャン(父親)なのか?

 

「何をしているんだ勝己。これ(・・)は私が相手をするから、早く逃げるんだ」

 

「ことわる。お前に言いてぇことが山程あるんだよ。それに、まだ個性を聞いてねぇだろ」

 

「そんな理由で…」

 

「悪いかよ」

 

 男がメツリにとって何者なのか、メツリが探す弟はどういうヤツなのか、そもそもなんでメツリと男が敵どうしなのか。

 聞きたいこと言いたいことは重なるばかりだが、今はとにかく目の前の壁を乗り越えればいい。その後でいくらでも質問攻めしてやる。

 

「…決して死なないと約束しろ」

 

 右に立つメツリが顔をしかめながら、ぶっきらぼうに言い渡す。

 それに対し俺はニッと歯を見せて笑い、前を向いて言い捨てた。

 

「死なねーよ、安心し倒せこのトゲ野郎!」

 

 そんな軽口が言えるくらいには、腕の痛みもひいてきた。それになんだか、いつもより頭がさえてる気がする。このままの調子で(ヴィラン)男をぶっ飛ばして、さっさとシツギオートーの時間だ!

 

「ガキがナメてんじゃねェぞォ…! まとめて吹き飛ばしてやッから縦に並べェ!」

 

 ヴォン

 

 またしても安っぽい音が鳴って、男から見て左横の空間に穴が開く。今度の穴は1つだけだが、さっきよりも円が大きい。

 

 直感的にデカい攻撃が来ると予感した俺は構えをとるが──

 

──結局、それは不発に終わった。

 

 理由は言うまでもねぇ。飛んできた木くらい太い鉄骨を、メツリが打ち落としたからだ。

 

 鉄骨を避けようと左に跳んだ俺とは逆に、メツリはその場から一歩も動かなかった。

 なにしてんだと言いそうになった俺をよそに、大きく息を吸いこむようにメツリは背をそらした。

 

 そこからの光景は、俺の認識を青から赤に塗り替えるようだった。

 

 振り上げたと思った右手が、一瞬で地面へと吸い寄せられて。その手の進む道に触れた鉄骨は、先端ごとひん曲がった。

 

 とてつもないスピードで迫ってきたそれを、あろうことかメツリは上から叩き潰した。

 

 ドガンだとか、バゴンなんて安い音じゃ表せない轟音がして、舞い上がった土煙がメツリの姿を隠す。

 

「…ぁ」

 

 そんな喉すら震わせない声を漏らしたのは男か、もしくは俺か。

 

 煙を振り払うように大ヅノを揺らし、メツリは雲間からその形相を覗かせる。

 俺は向かい合ってすらいないのに、威圧だけで膝をつきそうになった。

 

「あああああああああ!!!!!!」

 

 そして、直接それを向けられた男が発狂するのは当然だった。

 男の叫び声でぼうっとしていた俺の意識が戻ったのは秘密だ。

 

 男は両腕の手の平を下に向けて、勢いよく前に突き出す。

 すると、川の増水で起こる鉄砲水みたいに空間の穴から色んな物体が噴き上がり、溢れ出た。

 

──ドドドドドドドド!!!

 

「ハァッ!」

 

 真正面からじゃせり負ける。万全の状態でもノされちまったんだ。

 だから俺は流れてくる物体を、受け止めるのではなくその勢いを逸らすように爆破を放った。

 

 木箱は爆破で砕いてから除けて。鉄パイプはそのまま受け流して。ドラム缶は飛び越えるように爆破して。黒い袋は蹴って飛ばして。よく分からないガラクタはとりあえず爆破しながら避けて。

 肩で息をしながら体を動かして、一心不乱に腕を振るう。メツリがどうやってこれを対処してるのか気になったが、それを確かめる暇はなかった。

 

 そうして押し寄せてくるそれらをいなし続けていると、何か、妙な手ごたえを感じた。

 

 なんだこれ。土より硬いが、岩より柔らかい。まるで、巨大な何かの骨を爆破したみたいな、変な感触だ。

 

──ドドドド、ドド…ド……

 

「っはぁ、おさまっ、た…?」

 

 なぜか急に物体の流れが止んだ。いや、それよりアイツはどうなった?

 

 俺が立っている箇所だけゴミが無いから、穴に落ちたみたいだった。

 広場を見渡そうと、背丈くらい積もったガラクタに登る。不安定な足場だから姿勢を低くして、手を付きながら頭を上げる。

 

 周りの木がほとんど折られて遮るものが無くなったせいか、照りつける太陽の光が眩しくて、思わず目を細めてしまう。

 

 あの男はどこに行った? メツリは無事なのか?

 

 そんなことを考えていると、次第に目が日差しに慣れてきて、ぼやけていた視界が明るみになる。

 

 見え──

 

 

 

「は」

 

 ガラクタの山に転がった、一つのかたまり。

 

 黒ずんでて、ごつごつしてて、とげとげしいそれ。

 

 

 

──力なく横たわったメツリの喉を、一本の槍が貫いていた。

 

「あ、あ…?」

 

 さっきまで、動いていた。俺と話していた。息を吸って吐いていた。

 なのに今は、ピクリとも動かないし、喋らないし、呼吸もしてない。

 

「手間ぁかけさせやがってよォ…知ってるかぁ? お前のママはもっと苦しかったんだぜェ」

 

 男が、メツリの腹を踏みつけながら、まるで言い聞かせるように話す。

 

「な……あ…」

 

「おォ、いたのかボウズ」

 

 音で気付かれたのか、男はこっちを向いた。

 

「安心しなぁ、こいつはまだ生きてる」

 

 ウソだ。メツリがどれだけ強くても、あれは絶対に、

 

「目をちぎっても、腹をつぶしても、喉をかっさばいても死ななかったんだからなぁ。こんくらいじゃ死にやしねぇよォ。そうだ! オレとゲームしようぜゲーム! テメェみたいなガキはそういうの好きだろォ?」

 

 メツリを隠すように男が立ちはだかり、そんなうわごとを言って笑う。

 

「ルールは至ってシンプル! これの喉から棒を引っこ抜いて、オレから見事に逃げきればボウズの勝ち! それができずに捕まったらオレの勝ち!」

 

 思考の読めない男の言動に寒気がして、俺はひゅっと息を呑む。

 捕まったらどうなるのか、それは言われなくても分かった。

 

「よォい、スタァト」

 

 男の合図と同時に飛んできた鉄線を避けようとして、ガラクタの地面に足をとられる。

 立ち上がろうにも、靴に何かが引っかかったのか地面から抜けない。

 

「おイおイ、ちッたぁ楽しませてくれよォ」

 

 男は気色悪くニタニタと笑いながら、穴から取り出した長い刃物を持って舌なめずりをする。

 

「クソが…!」

 

 両腕はとっくに限界を迎えた。体力も底をついて、逃げ道はもう閉ざされた。

 

 こんな状況だってのに、だんだん意識が薄れていく。

 

 

 

 糸がほつれて切れるように、記憶はここでプツンと途絶える。

 

 この記憶に残る、最後の光景。

 

 それは、視界(せかい)全てを塗りつぶすような、どこまでも続く(あか)だった。

 

 


 

 

 

 気付いた時には、俺はいつも通りの生活に戻っていた。

 

 

 朝に起きて、カアチャンの作ったメシを食って、車に揺られながら幼稚園に行って、他のヤツらと変わらず過ごして、昼にはまたメシを食って、体を動かして昼寝をして、家に帰ったらテキトーに時間をつぶして、夜のメシで腹をふくらせて、風呂と歯磨きを済ませたら、ベッドに入って一日を終える。

 

 休みの日も特に変わらず、ごくふつうな毎日を過ごす。

 

 

 あの日、あの時の記憶は、その生活に一切かかわってこない。

 

 だから、俺はこの記憶を“夢”だと思って、フタをした。

 

 あれは夏の暑さが見せた幻なんだと、頭に何度も言い聞かせた。

 

 

 そして時間を経るにつれ、朧げに霞んだ夢は輪郭を失っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪魔の姿を、この目で再び見るまでは。

 

 




原作キャラの脳内を妄想しながら書くのは、大変骨の折れる作業でした…

次回は視点が滅理に戻る予定です。

感想や評価は執筆エネルギーの変換効率が最も高いので、好評悪評甲乙問わずどちらもくださると跳ね上がって喜びます。


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決別:竜の呼び声

 
原作開始まで飛ばすかさんざん迷った挙句、結局このまま続けることにしました。やはり持つべきは知己。



 息がデきナい。うマく思考ガ回ラナい。首の神経を切ラれた。視界がボやけテよク見エなイ。

 

 動カナい爪助に気をトラれた。ワたしノ体も動かナイ。せメて腕さえ動カせれバ。

 

 アカ色が見えた。私ノ胸を貫イてコぼれ出た血ト同じイロ。

 

 悔シい。悲しイ。イやダ。こんナ、こんな最期なンて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『────……起きて、滅理』

 

 

 

「ッはぁっ…!」

 

 空気が肺へと通う。再び思考が回りだす。視界がじわじわと鮮明さを取り戻す。

 目に映るのは日光に照らされた晴天空。場所は変わっていない。森の広場だ。

 

 爪助は、爪助はどこだ? 今すぐ安否を確かめねば。

 

「爪、助…」

 

「おおっと無理に動いちゃダメだよ、まだ傷が治ってないんだから」

 

 痛む右掌を地面について起き上がろうとした私を、いつ現れたのか白龍先生が押し留める。

 

「先生…? なんで、ここに…」

 

 しこりのような違和感が残る首を緩慢に動かして、あやふやな問いを投げかけた。

 記憶が正しければ先生は今頃遠出の真最中である筈。夜に帰ってくると聞いていたから、ここにいるのは不自然だ。

 

「なんでもなにも、貴方と爪助を連れ戻しに急いで帰ってきたんだよ」

 

 両の人差し指で小さく円を二つ描いた先生は、その指先を上体だけ起こした私と、少し離れた所で寝息をたてる爪助に向けた。

 

 あぁ、よかった。爪助は無事だったのだな。

 

 がらくたの波に紛れて流れ出た生気の感じられない爪助を見た時、私は生きた心地がしなかった。

 せわしなく動かしていた四肢はだらんと力なく垂れ下がり、神経の制御を断たれた全身の関節はがらくたがぶつかる度にぶらん、がくん、と曲がり揺れる。

 死体のそれと同じことをする爪助を見た私は、言い表しようのない喪失感で息が詰まり、まともに動けず隙を晒した。

 結果、喉元めがけて放たれた鉄の槍によって撃ち落とされた。

 

「まったくもう、子供一人で解決しようなんて某探偵工藤じゃあるまいし。次やったらもっと怒るからね?」

 

 屈んで視線を私に合わせると、先生は眉尻の高くなった顔を見せる。

 しかしその言動とは裏腹に怒気の籠っていない先生の声は、場違いな安心を覚える私をあらわにさせていた。

 父親と呼ぶのも憚られるアイツ、私の心に横槍を刺す不安の種は、もうこの場にいない。何処へ去ったのか知らないが、もうどうでもいい。アイツは私の家族じゃないから、どうであろうと全てが他人事だ。

 

「…ごめんなさい」

 

 でも、そうやって必死に言い聞かせて、決めつけているのかもしれない。

 私が龍の記憶(前世)を取り戻したのは、この山で先生に拾われた時のこと。ちょうど一歳だったらしい。今から数えて大体三年前か。

 打ち捨てられた私を先生はその手で抱き上げ、人肌の温度を教えてくれた。寒々しい灰色の世界を照らし、灯りとなる種火を私に(もたら)した。

 今でもあの時を鮮明に思い出せる。

 

 その暖かさは、先生が初めてではなかった(・・・・・・)ことも。

 朧げながらも知っていた原初の温もり。その根源が母か父か、はたまた全く関係のない他人かを、この先も知り得ることはないだろう。

 

 けれど、私が()を取り戻したあの時まで、そのか細い命の火が消えぬようにと篝火(かがりび)に木をくべ、吹きつける風から守ってくれた誰かがいたことは、決して潰えぬ聖火のように確かなことだ。

 

「よしよし、メッちゃんはえらいね。爪助(かぞく)のためによく頑張った」

 

 先生は優しい。とげ立った私の髪なんて気にも留めず、大らかな掌で頭を撫でてくれる。

 今の私には、貰った恩を有り難く受け取ることしかできない。恩を別のものに変えて返すのは、無知で無力な私には難しい。ヒーローになることが、はたして恩返しになるのかも分からない。

 でも、足踏みしながらの拙い恩返しを、この人はきっと喜んで受け取ってくれるだろう。

 結局のところ、私は先生がくれたものを甘受することしかできないのだ。

 

 だからこそ決別しなければならない。

 心すらも棘で覆い尽くしていた自分を。弱さをひた隠し続けていた涙もろい自分を。

 それらを棘として破り捨て、再び棘を身に覆い、飛び立たねばならない。

 越えるべき関門の前で右往左往していては、いつまでたっても成長は夢物語なのだから。

 

 

 

「にしても、ずいぶんと無茶をしたね」

 

 先程とは対照に眉尻を下げて苦笑を浮かべる先生は、私の右腕に残る刺し傷を見てそう言った。

 首の穴は塞がったものの、それ以上再生に充てる体内の蓄えが無いのか、依然として右腕の傷は治らない。

 幸い流血は止まっているので放っておいても大丈夫そうだが、今は消耗した体力の方が問題だ。

 

 愚かしくも外壁の破壊をしてしまったあの時に、人間に産まれてから初めて生やした“黒い棘”。あれに体力をごっそりと持っていかれた。

 本来なら時間をかけて形成するそれを、壁の破壊に際して一気に生やしたせいで、私に残された体力は底を尽きかけている。

 まぁ、それは食事で賄えるからいいとしよう。再生力だけは自慢なのだ私は。

 初歩的な棘の生え揃えまで遠のいてしまったが、いつかは白、黒、そして金剛に至ると確信している。だから今は筋力に重きを置いて鍛えていくことにしよう。

 

「問題ない。それより先生、刺々しい髪型の少年をここで見なかったか?」

 

 広場に勝己がいないことを不思議に思った私は、あの特徴的な髪型を頭に浮かべながら聞いた。

 

「それってこの前言ってたカッチャン君? その子ならレイちゃんに任せてるよ」

 

 もし怪我を負わせてしまっていたら、という不安は先生のあっさりとした返答で無くなった。

 ちなみにレイちゃんとは麗貴のことだ。

 

「目立つような外傷はしてなかったけど、念のため回復薬は飲ませたかな」

 

「そうか…何はともあれ、無事でよかった」

 

 回復薬とは、施設の中庭で採った薬草を磨り潰して調合した液状の薬のことだ。起きていないと人は液体を飲めないから、恐らく勝己は意識があって比較的安全な状態なのだろう。

 

「はいコレ、メッちゃんの分。来てすぐに粉塵も使ったけど、それだけじゃ足りないだろうから」

 

 先生から手渡された実物の回復薬をしばし見つめて、緑色の液体が詰められた瓶の蓋をキュポッと開ける。

 熔介から回復薬の存在を教わっていたが、私は実際に飲んだことが無かった。恐る恐ると中身を嗅いでみれば、後悔するほどの苦味がひしひしと伝わってきた。

 

 飲むというのかこれを。この苦汁(にがじる)を。はっきり言って恐ろしいのだが。

 い、いや、物怖じするな私よ。龍であった頃はこれ以上に不味いものを幾度と口にしただろう。肥えた舌を叩き直すいい機会だと思えば、少しは気が楽になる…かもしれない。

 

 急造の覚悟が揺らぐ前に、粘着質なそれを一息で胃に流し込んだ。

 

「お、大胆だねぇ。どっかの誰かさんはタジタジだったのに」

 

 先生の言う“誰かさん”がどんな人物なのか分からないが、なぜか眉間をしかめて頬袋いっぱいに苦汁を溜める龍成の顔が思い浮かんだ。

 

 なるべく舌にかからぬよう飲んだおかげか苦味は感じない。

 しかし、なんだか意識がふわふわとしてきた。これは…眠気だろうか?

 気付かぬ内に催眠作用の霧を撒かれていたのか…? あの男ならそれぐらいのことはしそうだ。まだ近くに潜んでいるかもしれない。

 

「先生、急に眠気が…」

 

 微睡む意識をこらえて言う。先生に眠たそうな様子は見られないが、警戒に越したことはない。

 

「えっ? …あ、ごめんメッちゃん、もしかしたら渡した回復薬ネムリ草入りのやつだったかも」

 

「ねむりぐさ…?」

 

「苦味が薄まるから子供用の薬には少量入れてるんだけど……そりゃ疲れてたら眠たくなっちゃうよね、ごめん…」

 

──あぁ、だから爪助は寝ていたのか。

 

 若干の焦りが見える先生を見て、どこか冷静な部分の私はそう思った。

 ネムリ草とやらが文字通りに眠りを誘う草なら、体力を消耗した今の私には毒だ。

 まったく心臓に悪い。いくら悪気が無いとはいえ、もう少し落ち着いて行動すればいいだろうに。いやその焦りの元凶が言うのはお門違いか。

 

 抗えぬ睡魔のゆりかごの中。最後に映ったのは、申し訳なさげな先生の紅い眼差しだった。

 

 


 

 翌朝。起きて早々に昨日の分の食事と風呂を済ませた私は今、急速な湯冷めを感じていた。

 

 高い体温を日常的に維持する私がなぜそんなことになっているかというと、両手足が氷に縛られた状態で空を飛んでいるからだ。行き先はとある樹海だそうで、先生曰くそこには私の師となる人物が住んでいるとのこと。

 背中と腰を凍らされている為、翼も尾も生やさせてくれない。無理矢理にでも生やそうものなら、麗貴によって氷の檻が更に厳しくなるだろう。

 

 そう。私は今、麗貴に凍らされた格好で空輸されていた。どんなに傷みやすい生ものでも安心だ。私は野菜じゃない。

 だがまぁ、施設の設備を壊してしまう問題児にはこれ(身じろぎすら許されないガチガチの状態)が妥当だ。納得はいかずとも理解はできる。麗貴も「溟人(しょくいん)の前で堂々と脱走した悪ガキにはそれがお似合いさ」と言っていたし、今は我慢するのみ。この冷たさと鼻の痒みは罰なのだ。なんともまぁ可愛らしい罰だな。

 

 ちなみに壁は築が直してくれている、らしい。

 らしいというのも何分(なにぶん)急ぎ足で施設を発ったので、人づてに聞いただけで直接目にはしていないのだ。「腕が鳴ります」と言っていたそうだが、築が作れる物の分野は些か広すぎるような。裁縫に料理ときて、建築までも扱うとは。衣食住が揃ってしまった。

 そういえば、スマホは無事だろうか。森では持っていなかったし、爪助の捜索中に部屋へ預けた記憶もない。恐らく壁付近に落ちてはいると思うが、壊れたりしていないだろうか。

 

『グルルア』

 

 氷の鎖で私を背中に繋いだ麗貴がこちらに振り向き、喉を鳴らして目的地へ到着した旨を伝える。

 ようやく存分に鼻を掻ける。と思ったのも束の間、今度は鼻水が垂れてきた。氷の仮面越しでも分かり易くぎょっとした麗貴は、鼻水で汚れるのは御免だと言わんばかりに氷の鎖を解いて、口先だけで器用に私を地面へと降ろした。

 

 うう、氷漬けとの温度差で頭痛が痛い……頭()()いとはなんとも違和()()じる文章だな。

 

 身に覚えのある鈍痛をこらえつつ、唐突だが話は三日前に遡る。

 

 


 

 

 

 ヒーローになると誓ったはいいが、私はその方法を知らなかった。思考を巡らせど答えは一向に掴めず、一日の終わりに差し掛かる時頃。

 

 浴槽から立ち込める湯気に曇った、風呂場の天窓。その磨り硝子に浮かぶ月をぼうっと眺めていると、喉が渇いていることに気が付いた。

 風呂場に入った時は左を差していた時計の短針も、今や真上に達しそうだ。

 軽い眩暈を覚えながら湯舟を脱し、脱衣所へ繋がる扉を開く。あがる前に水を切れという龍成の教えは、すっかり頭から抜けていた。

 

「あれ、メッちゃんたらまだ入ってたの?」

 

 脱衣所には先生が居た。こんな時間まで風呂に入り浸っていた私が言うのもなんだが、入浴時間の遅さが気になる。それほどまでに忙しいのだろうか? 普段はそんな様子を一片たりとも見せはしないが。

 私はそんなことを考えながら、入り口に敷かれた足ふきマットを踏みつけた。

 

 服の裾に手を回していた先生は、脱ぎかけていた服をやや不自然に着なおしていた。

 

「せんせ…」

 

 回らない呂律で呼びかけようとするも、急激な眩暈に思わず転びそうになる。

 まずい、頭まで回らなくなってきた。

 

「ちょ、大丈夫?」

 

 駆け寄ってきた先生に抱きとめられ、私は自分がのぼせたのだと理解した。当たり前といえば当たり前だが、湯に浸かっているだけで駄目になる体に、少し嫌気が差した。

 

「少し…のぼせてしまった」

 

「少しどころじゃないよ、体めっちゃ熱くなってる。急いで冷やさないと」

 

 そう言って先生は私を背負った。自分の服が濡れることも気に留めずに。

 

「私の部屋が冷房効いてるから、そこまで運ぶね」

 

「う…」

 

 仄かに香る白髪(はくはつ)の匂いに鼻をくすぐられながら、受け答えにならない言葉を返した。

 

 

 

「はいコレ、さっきレイちゃんがくれためっちゃ冷える袋。どう? 冷たすぎたりしない?」

 

 部屋に顔を見せた麗貴が先生に何か寄こしていたが、あれは氷嚢(ひょうのう)だったのか。

 手渡された袋をうなじにのせ、その冷たさに驚いてびくつきながらも言葉を返そうと口を開く。

 

「…大丈夫」

 

 ならよかった、と笑顔で返した先生は、飲み水を取りに冷蔵庫へと向かった。必要最低限の明かりであるからか、物が足に引っかかってこけそうになっている。

 そんな先生の様子を見ながら、漠然としたありがたさを感じ入る。入浴を中断させてしまったことを謝っていないのに、先生はなんの義憤も抱かず尽くしてくれている。湯気まみれの私を背負って、こうして部屋まで運んでくれるほどだ。

 龍成だったらここまでしてくれないだろう。それも(ひとえ)に昔の私が龍成にくっつきまわって離れなかったからだが。爪助と銀子を世話した身として、あの時の龍成の心労がよく分かった。

 

「九月でもまだまだ暑いからねー。地球温暖化はデタラメだって言う人いるけど、あれ絶対ウソだよね」

 

 先生らしい軽妙な話を聞きながら、貰った冷水入りのペットボトルを飲み干す。

 冷たい感覚が身に染みる。これが溟人の言っていた美味しい水というやつか。

 

「…」

 

 脱衣所で言いそびれてしまったことを口に出そうと、私は氷嚢を首から離した。

 

「アイス食べる? ちょっと食べづらいやつだけど美味しいよ。あっでも歯磨きは忘れないようにね」

 

「……先生。もう一つ、聞きたいことがある」

 

 夕方のように、はぐらかされないだろうか。そんな懸念を振り払って、私は先生と向き合う。

 

「?」

 

 控えめに首を傾げた先生の目を見つめる。

 どこまでも紅い瞳は揺るぎなく、私の言葉を寛容に待っていた。

 

「私はヒーローになる。しかし、どうすればヒーローになれるのか分からない。だから教えてくれないか」

 

 先生のおかげで熱が払われた頭をもたげ、私は改めて宣言した上で問う。

 

「ヒーローとは、何を志す者なのか」

 

 私が知りたいのは、免許の取り方でも個性の鍛え方でも人との接し方でもない。もっと簡潔で、根源的なもの。

 ヒーローを“英雄”たらしめる、心の在りようだ。

 

「そうだねぇ…」

 

 持っていたチューブ状のアイスを机に置いて、椅子に座った先生は頬杖をつく。

 暫くの静けさを挟み、緋色の目は私を見返った。

 

「“英雄とは、自分のできることをした人である”。昔の人の言葉だけど、的を得てると思うんだ」

 

 その言葉を頭の中で反芻する。

 自分のできること。私にしかできないことには、何があるだろう。

 

 溟人と麗貴が有する、水や雷、氷などの自然物を操る力。

 植物が好きな熔介のように、何らかの分野に対する熱量。

 衣服や家具を自力で作り出す、築のような手先の器用さ。これら全てが私には無いものだ。

 純粋な身体能力には一定の自信を寄せているが、かといって筋力は昂獅(こうじ)に匹敵するほどではないし、飛行も久巳(ひさみ)ほど長けている訳ではない。速さだって、爪助と銀子に振り回され追いかけるばかりだ。

 取り柄である他より優れた再生力も、まず棘が無ければ話にならない。戦闘に()けるほとんどの動きが棘の破壊を前提としたものばかりでは、今の私が誇れるものは何もない。

 

「そう卑屈にならないの。メッちゃんにしかないこともあるよ」

 

 まるで私の思考を見透かしているかのような先生の言葉に驚く。

 

「声に出ていただろうか」

 

「顔に書いてたね」

 

 顔に…? 確認しようにも鏡がない。ぺたぺたと頬を触ってみるが、手触りには何も違和感などない。

 

「っはは、例えの話だよ。落ち込んだ顔してたってことさ」

 

 先生は綻ばせた顔の口元を隠すように、そっと鼻先に指の節を触れさせる。

 のぼせた頭だからか、私は妖しげなその姿に魅入ってしまった。

 

「私はメッちゃんの力を、メッちゃんの次によく知ってるからね」

 

 一度隠された紅い瞳を再び覗かせた先生の、どこか含みのある言い方が不思議だった。

 

「何度折れても何度破られても、再び飛び立ち上がって棘を剥く。そんな不倒の精神は、“滅理”が思い描くヒーローにとって、いちばん大切なんじゃないかな」

 

「私が思い描く、ヒーロー…」

 

 私は自身の右腕に目を凝らす。

 物を掴むことに特化した人間の腕。それはまだ細く、棘を生え揃わせるには心許ない。

 腕だけではない。顎も翼も体躯も未熟さの塊だ。身の丈に合わない両角は、伴わない実力を浮き彫りにする弱さの証でしかない。

 そんな非力の権化とも言える今の私だが、こう捉えることもできる。

 

 成功していないからこそ、失敗に頓着しない。

 財産でも権力でも信頼でも、一度出来たものが崩れてしまわないかという不安は必ず生まれる。

 積み上げてきた成果が崩れ去ることを、人は誰しも恐れるのだ。それは私も例外ではない。

 しかし。何も得ていないのであれば、そんな不安とは無縁の身だ。

 失い頽敗(たいはい)することを失敗というのだから、失うものが無ければそれは失敗とはいえないのだ。

 

「大丈夫、メッちゃんならできるさ。百年でも五百年でも千年でも、私は見守ってるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 右腕から目線を戻し、私は樹海の最奥に佇む影を睨みつける。

 

 心を入れ替えるのは、棘を破り捨てると同じようにはいかない。過去の栄光に足を捕られて、どうしても今を卑下してしまう。

 一度は失敗に挫けた。己の失態に嫌気が差した。

 だから、もう二度と立ち止まってなるものか。蹲って泣くものか。

 何かを成し得るその時まで、私は苦渋を味わい続けよう。

 愚直の化身のような私には、それが一番性に合っている。

 

 樹々の騒めきに身を強張らせ、()でたる黒狼に気炎を巻く。

 

 肉を食い破る牙。空を掌握する翼。数多の強者を捻じ伏せた腕。そして、尽くを威圧する大角。

 今ほど心強く思うことはないだろう。私の身体に巡る血を熱するように、心臓は早鐘を()いた。

 

「…娘。名を名乗れ」

 

 紫混じりの銀髪を陽に反射させ、男は鋭い眼光を突きつける。

 

「私は黒創滅理! (くろ)を創り(ことわり)を滅する、誇り高き紅雷の子龍(こりゅう)だ!!」

 

 角の重みは、いつしか無くなっていた。

 

 


 

 

 

 

 

 

 所変わって時戻り、すっかり夕焼けた空。

 

 寝こけた少年を交番に届け終え、麗貴は腰の職員用ポーチに手を入れる。

 取り出したのは、ヒーローだった頃によく使っていた仕事用の携帯端末。やたらと充電量の多いそれを久方振りに点けて、今回の下手人である男の素性を調べる。

 名前の上に添付された顔写真と記憶を照らし合わせ、この地域周辺の(ヴィラン)情報をHN(ヒーローネットワーク)で探る。男の情報は容疑者リストに記載されていた。

 

 

異空(いそら) (おさむ)25歳男性

身長:174cm

血液型:A

指紋サンプル:未

個性:ストレージ ── 物体を固有の異空間に出し入れできる

【概要】

・自身のみが干渉可能な異空間を持ち、中空に出現する穴を通して現実世界と物体の交換をする。

・対象となる物体はあらゆる固体,液体,気体であり、物理的な形を持たない音や光は対象外。

・微生物を除いた全ての生命体は異空間を認識できず侵入は不可能。

・穴は光を遮断する為、視覚のある生命体は空間にぽっかりと空いた真っ暗な穴から物体が飛び出したり、または吸い込まれたりする様子を視認する。

なお、死骸は生命体として認識されず、異空間への出入りが可能

 

 

 線が引かれた箇条に麗貴の目は留まった。

 男はその性質を利用し、殺害した女性の死体を運び、施設の建つ●●山へ投棄していたようだ。

 死体が発見されなければ罪には問われない。男の犯行も容疑止まりであったらしく、証拠を確認しようにも、山は白龍の領域である為警察の立ち入りが許されていない。龍ノ巣などと言われ煙たがられるぐらい施設への風当たりは強い。だから公安が観察員と称してエージェントを送り出したのだ。麗貴たち施設の職員にとっても、出処不明な人骨や服に度々困らされていた。

 これだけだと只の胸糞悪い事件で終わるが、麗貴はこの件に関して一つの突っかかりを覚えていた。

 

 爪助が脱走したのは、投棄された死体の腐臭を嗅いでしまったからだ。腐肉食のハイエナじゃあるまいし、スカヴェンジャーの真似事などしないでほしいところだが、そこではない。

 死骸が対象なら、なぜ爪助は今生きているのか。だがこれには答えがある。

 どうやら、爪助は“仮死状態”であったらしく、その為異空間への出入りができたのだと。

 

 麗貴にはそれが理解できなかった。爪助のそれは普通の仮死状態ではない。他者の個性が誤認するほど、ほぼ死亡している(・・・・・・)のと変わらないくらい精度が高い擬死だ。僅か2歳の子供ができる芸当ではない。そう進化した生物ならまだしも、“個性”は人間の持つ身体機能の延長に過ぎないのだ。

 それが防衛本能として組み込まれているのか、はたまた臨死体験などの偶然に依るものか。当の本人は「言われたことを聞いた」だの「声がした」だのと言っていたが、言葉の乏しい説明では理解に及ばない。

 

 あの人なら分かるだろうか。麗貴は思考の先を白龍に投げて、端末の電源を落とした。

 




オドガロン(爪助)の仮死設定は捏造です。過酷な瘴気の谷を生き延びる能力とこじつけました。
実際、あそこの主はガロンじゃないですしね。
何か意見がありましたら、感想にてお書きください。
こんな感じで捏造した設定やらを今後も小出しにするかもしれません。どうかお慈悲を


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