コナンくんがめっちゃ見てくる (ラゼ)
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一話

 ゲームの世界に閉じ込められた……というのは、創作だと割とありがちなことだ。ソードでアートなオンラインしかり、ドットでハックなゲームしかり、オンラインゲームという概念が生まれてからはよくネタにされる展開だろう。最近ではゲームのアバターと能力を持った状態で異世界に転移──なんてのもよく見受けられる。

 

 しかし自分の身にそんなことが起こるなんて、想定している人は少ないだろう。かく言う僕もその一人であり、いまだにこの現状を受け入れられていないというのが本音である。

 

 『名探偵コナン 追想のプライベート・アイ』──このゲームは、これまでに発売されたものとは一線を画すクオリティの作品だ。大人の事情で収録できなかったサブタイや映画はあるものの、ほとんどのエピソードを収録したコナン総集編とも言える近未来型のVRゲームである。

 

 僕はその開発に携わる人間の一人で、完成間近のこのゲームを実際にテストプレイしていたのだが……『バツン』と嫌な音がしたと思ったら、ゲームの世界に入り込んで出られなくなっていたのだ。いや、正直なところ本当にゲームの中なのかも怪しいとは思っている。

 

 なにせ近未来型のVRとは言っても、脳波を読み取るだの首筋に機器を挿入するだの、そこまでイカれた仕様ではない。少なくとも、ヴァーチャルと現実を混同するほどのクオリティじゃないのは確実だ。

 

 (ひるがえ)って、いま僕の目の前に広がっている町並みはどう見ても『現実』だ。全ての質感も匂いもリアルそのもので、通行人だって『人間』だ。異様に目が大きかったりはしないし、頭身も普通で不自然な髪型でもない。アニメや漫画的な造形ではなく、ちゃんと人として成立した存在だ。

 

 それなのに、ゲームの中に入ってしまったなどと考えてしまうのは──単純明快、僕の姿が『自分』じゃないからだ。テスト用のモブキャラに近い容姿であり、特徴という程の特徴もない高校生男子アバター。

 

 元の体が特徴的かと言われればそうでもないが、とにかくこれが僕の体ではないことは確かである。元の年齢から、おおよそ十歳近く若くなった計算だろうか。

 

 そして軽く歩き回って調べたところ、地名などから『名探偵コナンの世界』という結論に至った訳だが……いったい僕はどうすればいいんだ? 本当にゲームの世界だと言うならば、どうにかして現実世界に帰りたいところだ。

 

 しかしゲームにダイブした時のあの奇妙な感覚は……なにかこう、生命に甚大な被害があったというか、ありていに言えば命がシャットダウンしたみたいな感覚だったというか。

 

 …考えると怖いのでひとまず置いておこう。というかこの体に関しても、正直あんまり考えたくない。これだけ現実感のある景色だというのに、どうも僕の体はアバターの設定を一部引き継いでいるようなのだ。

 

 まあテスト用のキャラに一々設定を詰め込んだりはしていないし、戦闘パートの調整は別の人間が担当していたので、最強のステータスを持っているとかそういう感じの幸運はなかった。

 

 ストーリーを円滑に進めるため、チートキャラ状態で確認をする……というのは個人製作のフリーゲームなどでよく取られる手法だが、この体がそんな特別性を持っているかといえば、残念ながら否だ。

 

 このゲームは犯人になることもできるし、被害者になることもある。となれば、フラグの確認や調整をするにあたって『無敵状態』なんてものは邪魔になってしまうのだ。

 

 ならば何に関してアバターの設定を引き継いでいるのかと言うと──“速度”である。フラグ管理を確認していた都合上、ちんたら進める訳にもいかなかったため、移動速度を引き上げてプレイしていたのだが……これがそのままこの体で出せるようになっているようなのだ。

 

 しかし素手で石柱を殴り砕く男もいるし、弾丸見てから回避余裕でしたな女子高生がいると考えれば、大した技能でもないだろう。というか日常生活を送るにあたって『足が速い』って、あんまりメリット感じないよね。社会人になってから全力疾走をしたことがあるだろうか? 僕はない。

 

 …まあそれはともかくだ。そろそろ現状の確認より、差し迫った危機をなんとか解決しなければならない。そう……僕はとてもお腹が減っていて、なおかつお金がないという由々しき状態なのだ。

 

 こういう時って、都合よくお金の湧き出る財布なんか持ってたりするもんじゃないの? 着の身着のままで戸籍もなさそうって、ヤバすぎて草生えるんですけど。いや、草が生えてるなら食いたいレベルでお腹が空いている。

 

 役所や警察を頼りたいところではあるが……それは最悪の最悪、餓死しかねない状態になってからにしたい。まったく身分を証明できない人間なんてのは、怪しいを通り越して拘束されかねないし。

 

 ホームレスの支援団体を訪ねるという手もあるが、あれもあれで『社会復帰の支援』という前提がある筈だ。自分が何者なのかというバックボーンは必要だし、僕には説得力のある過去がない。

 

 ──自分で言うのもなんだが、僕は割と図太い人間だ。いよいよとなれば、恥も外聞も気にせず行動できる自信がある。しかしここまで厳しい条件で生活するというのは、想像よりも遥かに難しい。

 

 日本で生きる限り、何がどうなったって食うに困るなんてことはないと思っていたが……それは戸籍という前提があってこそなのだろう。

 

 自分が生きた証という、当たり前がない恐怖はちょっとくるものがあるね。とにかく日雇い派遣にでも登録して日銭を稼ぐのが、手っ取り早い手段だとは思うのだが──それにしたって、最低限スマホがないと厳しいだろう。スマホの購入にあたっては当然のごとく身分証明となるものが必要だし、どちらにせよお金がない。

 

 なんとかスマホの本体を手に入れて、コンビニかどっかでプリペイドSIMを購入できれば……いや、電話番号の取得ができないから意味がないか。どれだけ適当な派遣会社だって、連絡手段がIP電話──その中でも、LINEなどの通話アプリしか持ち合わせていない人間を登録させることはないだろう。

 

 即日勤務可能だとか、履歴書や面接不要だとか、そういうのを謳っているサイトはあるが──ああいうのはなんだかんだで手続きに色々といるものだ。今の時代、スマホすら持っていないような人間はあんまり想定されていないものである。

 

 考えれば考えるほど手段が無いなぁ……いっそのこと、記憶喪失の振りでもして公的機関に助けを求めてみようか? 元の世界であればともかく、ここが本当にコナンの世界だというならば、記憶喪失はそれほど珍しい現象でもないだろう。言ってて意味不明だが。

 

「はぁ…」

「お兄さん、もしかして家出中?」

「へっ?」

 

 小一時間ほど噴水のある広場で思案していたところ、なにやら眼鏡の少年に声をかけられた。将来はイケメン確実の顔立ちな上、見知らぬ人間に物怖じせず近付いてくる陽キャっぷり……これはエリートのレールを敷かれた、ナチュラルボーン勝ち組ボーイですねわかります。

 

 しかしいきなり『家出中?』とはよくわからない質問である。ため息を何度も吐いていたのは自覚してるし、傍から見ればなんか困ってそうってのは子供でもわかるだろうけどさ。

 

「一時間くらい前にボクが通った時もここに居たよね? 人を待ってるにしては長すぎるし、もし待ちぼうけを食らってるならまったくスマホに触ってないのはおかしいよ」

「…それだけの根拠で家出中ってのは、ちょっと発想が飛躍しすぎじゃないかな?」

「それだけじゃないよ! お兄さん、何度もお腹が鳴ってるくらいペコペコなのにどこへも行こうとしないでしょ? すぐ近くに売店だってあるのに。つまり財布を落としたか忘れたか……それなのに焦ってる様子もないし、家へ取りに戻ろうともしてない。ダイエットする程の体型にも見えないよ?」

「お、おお……まぁ、そう、だね…?」

「服も靴も仕立てが良い上、新品みたいに綺麗ってことは、普段お金に困ってる訳でもない──つまり親と喧嘩でもして衝動的に飛び出したはいいけど、財布もスマホも忘れて困ってる……だけど、すぐに戻るのはバツが悪いってとこかな?」

「おおー! 君、子供なのにすごいね!」

「へへへ…」

「まあ全然違うんだけど」

 

 『えっ』って感じの顔をする少年。まあ今の僕の現状を言い当てられる人間なんて、超能力者くらいしかいないだろう。彼は推理が外れたのがよほど悔しかったのか、顎に手を当てて更に考え込んでいる。

 

 その仕草が幼いながらも様になっていて、ちょっと可愛い。しかしこの洞察力に高山みなみ声……あれ、もしかしてコナンくん?

 

 そんな偶然ってあるか? やっぱりここはゲームの世界で、何らかのフラグが立ったのでは……いやまあ、本当にコナンくんかどうかもまだ定かではないけども。

 

 彼が漫画的な容姿であるならばともかく、見た目は普通のお子ちゃまなのだ。青いブレザーに蝶ネクタイ、半ズボンでも着てるならまだしも、そうでもないのにパっと見で判る筈もない。

 

「まあ困ってるのは確かだけど、それを推理しようってのは無理だろうね……ああ、超能力者か魔法使いかSF作家ならいけるかも」

「じゃあさ、困ってるならボクに相談してみない? 意外と子供の方が良い考え浮かんだりするって言うよ?」

 

 困っている人を助けるのは当たり前──といった雰囲気が半分。そして好奇心が半分といったところだろうか。子供に話して解決する事でもないが、しかし彼がもしコナンくんだと言うならば話は別だ。頭の良さなんか僕とは段違いだろうし、なにか建設的な案を出してくれる可能性がある。

 

 もちろんゲームの世界だのアバターの姿だのといった、荒唐無稽な部分まで話すつもりはない。要は経歴の一切が存在しない人間が生活環境を整えることができるか、という問題をどうにかしてほしいのだ。

 

「そうだね、じゃあ少し相談に乗ってもらおうかな」

「うん!」

「あ、自己紹介がまだだったね……僕は久住直哉(くずみなおや)。親しい人にはクズって呼ばれてるよ」

「それホントに親しく思われてる?」

「もちろんさ。それで、君の名前は?」

「そ、そう……えっと……ボクは江戸川コナンって言うんだ!」

 

 あ、やっぱりそうなんだ。うーん……何か運命的なものが働いてるのか、それとも本当に偶然なのか。実はやっぱりキャラクターでしかなくて、高度なAIが僕との会話を可能にしているという線もあるんじゃないか? であれば、先にそっちを明らかにしておきたいところだ。

 

 チューリングテストという訳ではないが、もしAIならば会話のキャッチボールにも限界があるだろう。数学的な質問はAIの得意分野だから、答えが曖昧で漠然としていて意図の読めない問題を出せばボロが出るかもしれない。

 

「…相談の前に、一つだけ質問するから答えてくれるかい?」

「うん、いいよ!」

「あっちに可愛い女の子がいるのは見える? 自販機のところ」

「…? 見えるけど…」

「あの子が実は男の子だとしたら、それはどれくらいお得かな?」

「お兄さん、もしかして病院から抜け出してきたの?」

「失礼な! …まあでも、君が相談に足る人物だってのは理解したよ」

「いまので!?」

 

 うんうん、あんな抽象的な言い回し、AIには出来ないだろう。頭のおかしいやつ呼ばわりされたのは心外だが、とにかく相談するとしよう。

 

 ただ、どうぼかして話すかが問題だ……まずは『作り話』として語ってみるかな? 最悪の場合でも、冗談として誤魔化せるような感じで。

 

「そうだね、じゃあまずは……信じなくていいから、()()()()()()()っていう(てい)で話を聞いてくれるかい?」

「う、うん…」

 

 とりあえず、そうだな……二十代後半から高校生くらいに若返ったというのは、問題の解決案を出してもらうにあたって必須の説明だろう。現状を話すにあたって『あり得ない事態』という認識は持ってもらわないと、どうしても話に齟齬が出てしまう。

 

「えーっと……んー……そうだね。君は僕のこと、どのくらいの年齢に見える?」

「うーん……高校生くらいかなぁ」

「だよね。でも実はアラサーなんだ」

「そ、それは無理がありすぎない?」

「いや、肉体年齢はたぶん君の想像通りなんだよ。ただ色々あって十歳くらい若返っちゃってさぁ」

「…っ!?」

 

 …ん? 『何言ってんだコイツ』くらいの反応になるかと思っていたが、やたらと驚いてるな。どういうことだろう──あっ、そういやコナンくんってそもそも工藤新一が若返ってるんだった…! この件に関してだけ言えば、馬鹿馬鹿しい話としては片付けられない……か? もうちょっと考えて話すんだった、僕の馬鹿。

 

「あ、いや、さっきも言ったけど──取り敢えずそういう態で聞いてねって話だから」

「あ……う、うん! それで?」

「そう、それで……要は存在しない筈の人間が一人出来上がったって考えてほしいんだ。ええと──元の人脈、環境の一切を頼れないって条件で。無一文で生活環境を整えるってできそう?」

「それは……ちょっと難しいんじゃないかな」

「だよね……だから困ってるって訳だよ。これ程どうしていいかわからない状況ってのは初めてでさ」

「そっか…」

 

 与太話に近いこんな話を、真剣に考えている様子のコナンくん。ええ子や…! まあ『若返った』っていう部分が、少しばかり気になってるってのもあるだろうけど。

 

 むしろチラっと組織関連の情報を出して、養ってもらうというのはどうだろうか。案外いい手かも──いや、組織に関係してそうな見知らぬ人間を近付けるようなガバい子ではないか。

 

 ゲーム製作にあたって『名探偵コナン』は読み込んでいるし、コナンオタクを名乗れる程度には詳しい自負もある。マニアと言える程かはわからないが、何巻にどの話が収録されているかくらいはパッと出てくる。だからその知識を利用して大金を得る手段というのは、実のところいくつか思い付く。

 

 しかしいずれにしても元手がいるし、時期やタイミングがわからなければどうしようもない。烏丸蓮耶さん所有の『黄昏の館』に出向いて壁を削るというせこいやり方も浮かんだが、そもそもあの館どうなったんだろう。もし明るみに出たとしたら大ニュースとかいうレベルじゃないよね。地球上に存在する黄金のうち、何%を占めてるんだろアレ。

 

 というかまず今の時期はいつなんだ。どれだけストーリーが進んでいるかも知りたいし、そもそもここはサザエさん時空なのか? ちゃんと時間は流れているのだろうか。知りたいことが多すぎてこんがらがってきた。

 

 もし今の時期が、組織の大幹部ラムちゃんの動き出す前であれば……馬券を購入して儲けるという手段もある。単行本九十二巻の『江戸っ子探偵!?』のストーリーで、レースの情報がいくつか書かれていたからだ。

 

 『東京競馬場で行われる』『G1レースではない』『第七レースかつ、パイレーツスピリットの枠順が八番』『パイレーツスピリットの単勝倍率が百倍』──ここまでわかっていれば、前日の枠順発表を毎回確認してどのレースか特定することは可能だろう。

 

 あの回は馬の名前が『劇場版のタイトルを弄ったもの』で、印象に残っていたからよく覚えている。倍率は変動するからあれだけど、それ以外の情報でも充分だ……まあ結局のところ元手がいる訳だけど。

 

 うーん……うん、やっぱりスマホだなスマホ。戸籍や住民票、マイナンバーなどは“まとも”なところで働こうとすれば、税金の関係上必須だが──胡散臭い派遣会社程度なら問題はない。

 

 しかし連絡手段くらいは持ち合わせていなければ、最初で躓いてしまう。いっそのこと、コナンくんに『スマホ貸してください』って拝み倒してみるか?

 

 …いや、まともな神経を持ち合わせていれば普通は断るか。まあ毎日のように新鮮な死体とかちあっている人間が普通の神経かどうかは疑問だが。でも阿笠博士とか工藤優作さんなら、アシの付かない特殊なスマホぐらい用意してくれそうな雰囲気あるよね……まあちょっと犯罪チックだけど。

 

 …ん? 犯罪チック……待てよ、そう言えば──

 

「…あ」

「どうしたの? お兄さん」

「いや、少し用を思い出してさ。あー……そう、ちょっとした()()()()()()()()だったけど、付き合ってくれてありがとね。僕はもう行くから」

「ふーん……そっか。じゃあまたね、お兄さん」

 

 あ、凄い怪しまれてる感ある。ちょっと強引だったか? まあ隠したい事はあっても疚しいところはないので、変に疑われても別にいいっちゃいいんだけど。いや、でも今から行くところを知られるのはちょっと問題か? …まさか尾行とかしてこないよね。有り得なくはなさそうなのが少し怖い。

 

「じゃ、またねコナンくん」

「うん! バイバーイ!」

「…あっ」

「…?」

「──やっぱり、一つだけお願いしていいかな」

「…っ! …なーに?」

「電車賃、貸してください」

 

 ずでっとズッコケたコナンくんを支え、改めて両手を合わせてお願いする。神に誓って寸借詐欺などではないと拝み倒し、なんとか五百円玉を頂戴することができた。高校生が小学生をカツアゲしている図になっているような気もするが、背に腹は代えられん。流石にここから歩いて練馬区まで行くのはちょっとキツイ。

 

 ──じゃ、またねコナンくん。お金を返しに行った時、ちょうど殺人事件が起きてたとかだけはやめてね……うん、なんかフラグだった気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電車に乗って向かうは、練馬区にある『江古田高校』……黒羽快斗こと、怪盗キッドが通っている筈の学校だ。ここにきた目的は二つある。一つはキッドさんに脅迫という名のお願いをすること、もう一つは『小泉紅子』という魔法使いに会うことだ。

 

 前者については、『君が怪盗キッドってことは黙ってるからちょっと援助してくれませんかねぇ、げへへ…!』という相談をするため。アングラな部分を持つ彼なら、名義が曖昧なスマホの調達くらいお手の物だろう。脅迫が卑怯な手段というのは認めるが、他に頼れる人間がいないのだ。

 

 後者は……そう、彼女が『魔法使い』だから。僕の身に起こった超常現象について、科学とは別の視点で観測できないかという期待である。とはいえ『まじっく快斗』世界の小泉紅子は魔法使いだが、『名探偵コナン』世界では特別な能力を持ち合わせていないと、作者によって明言されている。こっちは望み薄と見ていいだろう。

 

 さて、時刻はだいたい四時過ぎ。一般的な高校生であれば授業が終わったかどうかくらいの時間だ。黒羽快斗が通っている高校は知っていても、流石に自宅までは知識の範囲外だ。できれば帰っていないことを願おう。

 

 目立ちたくはない──なんてことは特にないので、親戚を装って校内放送でもかけてもらえればそれでいいんだけど……まだ学校まで距離があるというのに、帰宅途中の学生をちらほら見かけるので少し遅かったかもしれない。でも明日出直すとなれば、今夜は野宿ということになる。

 

 電車賃が三百四十円だったから、残りの所持金は百六十円……飲み物が精一杯だな。やっぱり千円くらい借りときゃよかった。でもチラッと見えた限りでは、コナンくんもそんなに持ち合わせがなかったように見えたしな。たぶん小学生の常識の範疇に合わせているんだろう。

 

 …ん? いま聞き覚えのある声が聞こえたような……ぶっちゃけて言えば山口勝平の声が聞こえたような。声優にそこまで詳しい訳ではないが、仕事の都合上で知る必要があった人物くらいは覚えてる。

 

 それにコナンくんもそうだったけど、アニメの声優さんって地声も本当に『アニメ声』の場合が結構ある。特徴のある声と言い換えてもいい。だからこそ、その道に進んだという声優さんも昔は結構いたらしい。

 

 …あのイケメンが黒羽快斗くんってことでいいのかな? 少し幼い印象の女の子と一緒に歩いている……おそらくあの子が中森青子ちゃんだろう。

 

 しかしこうも容易く見つかるってのは──さっきのコナンくんとの出会いもそうだが、なにか運命力とか働いてない? 実はなんかの実験に巻き込まれてて、どう行動するかを逐一見られてるとかじゃないだろうな。

 

 はっちゃけて変なことをした瞬間に目が覚めて『はい、実験終了でーす。最低ですねあなた』とか言われたらどうしよう。いやまあ、流石にそんな技術はないと思うけど……ないよね?

 

 ──あ、女の子の方が男の子を『快斗』って呼んだ。呼ばれた方も青子って呼んだからもう間違いないだろう。となれば、ちょっくら声をかけてみるとするか。逢瀬を邪魔してごめんよ青子ちゃん。

 

「ごめん、ちょっといいかな?」

「あん?」

 

 不審人物扱いされるかなーとも思ったが、僕の見た目が高校生くらいなのが幸いしたのか、特に警戒されている様子はない。隣の彼女もはてなマークを浮かべているだけで、特に僕を怪しんではいないようだ……ありがたやありがたや。

 

 取り敢えず僕はそっと彼の耳に口を寄せ、いくつかのワードを口にし、人のいないところで話さないかとお誘いをかけた。

 

 すっと目を細めた快斗くんは青子ちゃんを先に帰らしつつ、くいっと顎で路地裏を指し示した。ちょっと怖いけど、まあ怪盗キッドって泥棒ではあっても強盗ではないからな。路地裏でボコられるようなことにはならないだろう。僕が先にそちらへ入ると、彼もすぐ後ろを追ってきた。

 

「…で? オレの正体がなんだって?」

「二代目怪盗キッドにして──怪盗淑女(ファントムレディ)と初代怪盗キッドを親に持つ、怪盗のサラブレッド……であってるよね。ああ、否定も肯定もしないで大丈夫。確信してるから」

「ほー……それをオレに聞かせて何がしたいってんだ?」

 

 もっと『ギクッ』とか『あわわ』みたいな反応をするかと思いきや、飄々とした姿勢は崩さない快斗くん。まじっく快斗のギャグ寄りな彼ではなく、名探偵コナン寄りのクールガイでミステリアスな感じ。二つの作品を比べると性格が割と違ってるんだよね。

 

「君の正体をバラされたくなければ──」

「…!」

 

 ──僕は彼の瞳を真っ直ぐ貫いて、その後に視線を下げた。そして両手の指先を地面につけ、追うように額を擦り付ける。いわゆる土下座のポーズだ。

 

「お金貸してください…!」

「脅迫か懇願かどっちだ!?」

「男の価値は頼られる回数で決まるらしいぜ。ここで一つ、男を上げてみないかい?」

「脅された回数が増えただけじゃねーか」

「あとできればスマホと、住むところも世話してほしいな。もし可能なら偽造戸籍とか……ありやせんかねぇ、旦那ぁ」

「無茶言うなよ……つーかお前はいったいどこの誰なんだ?」

「どこの誰でもない状態に、望まずなっちゃった男です。僕が存在した痕跡が一切ないから困ってるんだ……お金も恩も必ず返すから、援助してくれない? 怪盗なら多少は裏に通じてるだろ?」

「初対面の怪しい男に援助ねぇ…」

「頼むよ、ホントに…! 君が最後の頼みの綱なんだ! あとはもう、キッドの正体を新聞社に売るくらいしか…」

「やっぱり脅迫じゃねぇか!」

 

 なおも土下座を続けると、彼は『外で話すようなことじゃない』と言って家へ連れていってくれることになった。よーし、そこまでいけばこっちのもんだ。人の目を気にせず、思う存分土下座してやろう。

 

 それに時期が良ければ、さっき考えていた『競馬で一獲千金計画』が使える。『十倍にして返すから!』という、クソ野郎のお決まりムーブを実践できる貴重な機会だ。

 

 …時期といえば、そうだ。僕が知るよりもっと未来だとかいう可能性もあるのか? コナンくんが元に戻ってない以上、完結後ってことはないだろうけど。一応、怪盗キッドの活動内容で推測はできるか…? ちょっとさりげない感じに聞いてみよう。

 

「いやぁ、ほんと悪いね助かるよ」

「まだ援助するなんて一言も言ってねえぞ」

「まま、一緒に肩を並べて歩けばもう友達さ。そうだろ? 友よ」

「こんなに手を差し伸べたくないダチはいねぇよ…」

「じゃあさ、親睦を深めるために世間話でもしようぜ。んー……よし、じゃあ百円ライター豆知識でも一つ」

「どっから出てきたその話題」

「ライターを思いっきり壁や床に叩きつけると、爆発したり破裂することがあるよ!」

「なんつーどうでもいい話だ…」

「爆発といえば、ベルツリー急行で爆死しかけたことってある?」

「どんな繋げ方だ!? ──つーかそれ知ってるってことは、お前あのボウズの関係者か?」

「関係者かって言われると微妙だね。こっちが一方的に知ってて、実際に会ったのはついさっきだから……あ、でも──そう、今の僕ってあの子みたいな感じなんだよ」

「うん?」

「つまり……急に若返っちゃったみたいな? あの子みたいに小学生になったんなら、何もわからない振りして保護されるって手もあったんだけど──こんな中途半端な年齢じゃどうにもなんないんだよね」

「…そこまで知ってんのか」

「ホントに知ってる“だけ”さ」

 

 興味深そうに僕を見る快斗くん。いや、ホント知ってるだけで何が出来るって訳でもないからさ。でもまあ、これでベルツリー急行編は終わってると確認ができた……それと劇場版の事件が起きた可能性が高いってことも。

 

 怪盗キッドがコナンの正体を知ったのは映画が初出だし、コナンくん=新一くんという前提で会話しているのは、基本的に映画やゲームがほとんどだ。

 

 ふむふむと頷きながら表通りに出ようとしたら……快斗くんのスマホがプルッと鳴り出した。表情を見るに、たぶんさっき別れたばかりの青子ちゃんではなかろうか。

 

 心配になってかけてきたのかな? 良い幼馴染をもっていて羨ましい限りである……なんか電波悪くて会話出来てないみたいだけど。

 

「おい! おーい! なんだよ、電波ワリいな」

「都会の真っ只中だぜ? スマホの調子が悪いんじゃないの?」

「いや、さっきまでは普通に──」

 

 …ん? 待てよ、スマホの故障でもないのにこんな街中で通話が不安定ってことは……ちょっと嫌な予感がしてきた。えーと、ズボンの横のポケットには電車代の残りの小銭……上着のポケットには何もなしと。

 

 お尻のポケットには……あっ、眼鏡のツルが入ってる。これは阿笠博士謹製の小型盗聴器ですねわかります。ん……上着の裾にシール……やだ、発信機までつけられてるわ。

 

 ──え、ちょ、会話全部聞かれてた? おまっ、だっ……いくらちょっと怪しかったからって! 会ったばっかの人間に盗聴器と発信機つけるか普通!? 

 

 か、怪盗キッドの正体は……いや、黒羽快斗に繋がる名詞は出してないから大丈夫な筈だ。ええと、ええと……いったん深呼吸しよう。パニックになるのが一番まずい。

 

 まさかないよなと思いつつ、尾行されてないかは確認してたから、同じ電車に乗っていなかったのは確かだ。もし発信機を頼りに次の電車に乗って追いかけてきたなら、差は五分程度。

 

 追跡眼鏡の捕捉距離は半径二十キロだから、振り切った可能性はほぼゼロ…! でもちょっと急ぎ目に走ってきたし、僕と彼の歩幅差を考えると更に数分の距離は開いてる筈だ。

 

 ターボエンジン付きスケボーは……大丈夫、持っていなかった。もし盗聴器で僕と快斗くんの会話を聞いていたとしたら、まさにいま走ってこっちに向かっている最中だろう。

 

 立ち止まって会話していた時間を考えると、もうほとんど猶予はない。快斗くんは学生服を着ているから、目視された時点で正体に繋がる大ヒントになってしまう。

 

「──んじゃ、あっちに車を用意してるから行こうぜ」

「へ?」

 

 盗聴器と発信機を手のひらに乗せながらあわあわしていると、快斗くんが人差し指を口にあてながら、よくわからないことを言い出した。車なんか用意している時間はなかった筈──っとと。

 

 彼は僕の腕を掴み、僕が来た方向とは逆の方へ走り出した。いつのまにか薄い手袋を付けていて、そのまま眼鏡のツルと発信機をひったくっていった。

 

 そしてそれをトランプのカードにくっつけ、変な形の銃で打ち出し──見事に走行中の車へと貼り付けた。神業すぎて笑うわこんなん。『さっきコナンくんと会った』って情報と、僕の反応だけで察したのか? どういう想像力してるんだまったく。いや、助かったのは事実なんだけどさ。

 

「やー、なんかごめんね?」

「ごめんじゃねーよ、ったく…」

「いや、まさかちょっと話したくらいであんなの付けられるとは思わないじゃん。これに関しては僕の落ち度というより、あの子がおかしい。絶対におかしい。というか犯罪でしょ!」

「盗聴器も発信機も、他人につける程度じゃ犯罪になんねーよ」

「え、そうなの?」

「発信機の方はストーカー規制法に引っかかることもあるけどな。つっても、あのボウズが付けたんなら『ガキのイタズラ』で済まされちまうだろ?」

「くそう…! いつか少年法の改正を世間に訴えてやる…!」

「無駄に壮大だな…」

 

 彼に渡された帽子を被り、上着を脱いでパッと見の印象を変える。どこまで近付いてきていたかは不明だが、車と逆の方向へ行けばかち合うことはないだろう。取り敢えず窮地は脱したと見ていいかな…?

 

 ──しかし、借りたお金をどう返すかが問題だな……少なくとも『怪盗キッドの正体と江戸川コナンの正体を知っている』というのを知られた訳だし。

 

 封筒に五百円玉いれて、毛利探偵事務所のポストにでも突っ込んどけば問題ない……か? なんか殺人事件でも起きて巻き込まれる未来しか見えないけど。

 

 でも返さないという選択肢はない。必ず返すと約束したのだから、それを反故にするのはクズの所業だ。現在進行形で脅迫を行っている人間の言葉ではないかもしれんが。

 

 ──うーん……前途多難だなぁ、まったく。



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二話

評価、感想、ここ好きボタン等ありがとうございます。モチベーション上がるんで筆が進みますぜ兄貴。


 カプセルホテル生活二日目……窮屈な生活を強いられているが、現状を思えばベッドで寝られるだけでもありがたいだろう。

 

 あのあと快斗くんに寺井(じい)さんというご老人を紹介されたのだが、お金のみならず色々と便宜を図ってもらって大助かりだった。

 

 ちなみに寺井さんとは、劇場版『業火の向日葵』にちょろっと出てきたお爺さんだ。明言はされていないが、阿笠博士が言う『知り合いのバーテンダー』とは彼のことだろう。

 

 怪盗キッドを陰ながら補佐する超有能なお爺さんにして、初代と二代目の間に少しだけキッドとして活動していた過去もあるお方だ。快斗くんの活動も、彼なくしては相当に支障をきたすだろう。

 

 ──なし崩し的に快斗くんの家に居候でもしようかと考えていた僕だが、コナンくんのせいでそうもいかなくなった。僕は彼に顔を覚えられていて、なおかつ怪盗キッドを頼ったとも知られているのだ。

 

 となれば、僕の周囲に怪しい人間がいればそれだけで疑いの対象になってしまう。そんな危険は看過できないとのことで、必要以上の接近は禁止と言い渡されてしまった。とても悲しい。

 

 とはいっても、百万円ほどお借りできたので当分はなんとか生きていけるだろう。怪しげなスマホも頂けたので、これで働き口も探せるようになった。まあ会話も居場所も拾われてる気がするけど、別にそれで困ることもないので問題ない。

 

 それにある程度の『時期』は掴めたので、以降の金策に関してはなんとかなるかなという希望もある。快斗くんにそれとなく聞いたところ、ベルツリー急行に加えて宝石亀のエピソードも終了しているのは確認できた。

 

 そして出る作品を間違えてる空手家こと『京極真』とは、まだ対決していないとも。とすると、今は七十九巻から八十二巻までのどこかの時期という訳だ。

 

 まあ完全に巻数順に時間が流れている確証はないから、絶対ではないが……ある程度の指標にはなるだろう。ちゃんと毎日確認さえしていれば、競馬で一獲千金計画も安泰だ。

 

 あのレース……単勝で百倍なら、三連単はかなりのオッズを叩き出す筈。G1でもないレースの第七走なので、JRAの売得金は、三連単のみで言えば一億超えるかどうかだろう……つまりどんな賭け方をしても、客側の儲けが一億を超えることはない。

 

 とはいえ一着がわかっているというのは、恐ろしいアドバンテージだ。仮に十八頭立てだとしても、買うのは二百七十二通りで済む。

 

 二着と三着の人気にもよるが、単勝で万馬券なら三連単で十万馬券は確実、百万馬券も充分にあり得るだろう。競馬というのは結局のところ『取りっこ』で、詳しく説明するとキリがないが──要はオッズの高いところに多額の金を賭ければ、総取りに近い状況を生み出すこともできる訳だ。

 

 第七レースで儲けた金を、更に最終レースの『ダーケストナイトメア』にぶっこめば、まあ間違いなく億は超えてくるだろう。そしてそこまで行けば、なんとか()()()()()()()()()()()()()

 

 無戸籍の人間は存在そのものが違法──なんてことは、もちろんない。複雑な事情で戸籍がない人間というのは、日本にも一定数存在するからだ。

 

 ただしそういった人間が戸籍を得るのは、結構ハードルが高い……まあ当たり前だけど。欲しい人間にポンポンと与えてしまえば、二重国籍やらスパイやら何でもござれになってしまう。

 

 家庭裁判所に申請し、就籍するというのが一番現実的な流れだが──この際、当該人物の過去に実態があるかないかで、認められる確率が大幅に変わる。

 

 要は『こんな感じで生きてきましたよ』という話に、ちゃんと実態が伴っているかが重要なのだ。キラキラネームの人が改名する際、『通称』をどれだけ使用してきたかが重要視されるような感じである。

 

 つまり過去や経歴が不透明な人間は審査に弾かれやすく、当然ながら僕のような存在はたぶん申請が通らない。

 

 戸籍がない人間の大きなデメリットは、国が認定する資格──つまり身分証明になる類のものは、試験資格すらないという点にある。これはもう、まともに生きるのは難しいレベルだ。

 

 とはいえ『住民票』さえあればなんとか正規の仕事に就くことはできるだろうし、こっちについては戸籍のあるなし関係なく登録できる権利がある。

 

 ただし……その手続きは通常のものに比べて非常に煩雑で、時間もかかる。そしてなにより、その()()()()()()が問題だ。

 

 なんせ自治体によって無戸籍者への対応がまちまちだったりするレベルである。職員にすらよくわからないから、たらい回しに次ぐたらい回しで、住民票の取得だけで一年以上かかった例もあるらしい。

 

 しかしそれを短縮できる可能性が一つある……そう、この世の真理『金』である。もちろん賄賂とかそういったものではなく、形式に則った上での方法だ。

 

 競馬で数億円を得たとすれば、これは一時所得にあたるだろう。となれば、半分くらいは税金で差っ引かれる計算になる。控除率が約二十パーセントの癖に、大金を当てれば更に半分持っていくあたりエグい商売だよね。

 

 まあ基本的に申告制だし、ネットでやり取りでもしていなければ税務署が動くことはまずないから、払戻金の脱税は暗黙の了解なところはあるけど……僕はちゃんと納めて、それを利用しようと考えている。

 

 億単位の納税をする人間が無戸籍で住民票もないなんて事態は、まず間違いなく前例がないだろう。そして前例がないのなら作ればいい。

 

 多額の税金を納めるという『義務』を果たした人間に、行政サービスという『権利』に制限がかかるのは如何なものか──という正論を盾に陳情するつもりだ。

 

 というより、そもそも納税の手続き自体に身分証明書や住民票が必要なので、そこをどうにかせずに税を納めるのは不可能だし。

 

 これ程の金額でそういったゴタゴタを起こせば、税務署も無視はできないから、責任者を引っ張り出せる可能性は高い。

 

 前例のない事柄であれば上の采配こそが鍵を握る訳で、つまり競馬での儲けは『交渉する権利』を買うようなものだ。

 

 行政というのは杓子定規な印象であるが、実はコネやらなんやらによって大きく変わるものが一つある……それは『対応速度』だ。

 

 『結果』を特別にしてしまえば叩かれる材料になるが、承認に時間がかかるものを早めるくらいならば大した問題にはならない。実際問題、権力者の意向は優先されるのがお決まりである。結局は金…! 地獄の沙汰も金次第…!

 

 ──とまあ、先行きにある程度の目途がついたので動きやすくはなった。人間、目標があれば生活に張りが出るってもんだ。

 

 当面の目標は『完全に自立』することで、漠然とした願望としては……劇場版『ベイカー街の亡霊』で登場した仮想体感ゲーム機『コクーン』の、開発理念と設計を見たいというところだろうか。むしろ可能なら再現してみたい。

 

 『名探偵コナン』は推理モノだけあってかなり現実に則した作品ではあるが、SFチックな要素も持ち合わせている。

 

 物語の根本とも言える『幼児化』に始まり、阿笠博士の発明、三水吉右衛門の絡繰り技術、身体能力が超人じみた方達、そして僕が興味津々な『コクーン』もそうだ。

 

 それまでとは毛色の違う脚本家が製作に携わったせいか、『ベイカー街の亡霊』は他の劇場版と比較すると少し異色の作品だ。阿笠博士の発明は『金さえかければ実現できそう』な範疇に収まっているのに対し──ん? いや、そうでもないか。

 

 まあギリギリ実現できなくもないんじゃないかレベルではあるだろう。一番アレなキック力増強シューズも、パワーアシストスーツが小型化したようなものだと思えば理解できる。実際、半ズボン型パワーアシストスーツなんてものなら既に開発されてるし。

 

 対して、現実と見紛う程の世界へダイブできる仮想体感ゲームなんてのは、最低でも数世紀は先の技術レベルだろう。僕も技術者の端くれとして、そういった技術がどう再現されているのか非常に気になるのだ。

 

 小泉紅子ちゃんが魔法使いではなかったと確認も取れてしまったし、もしこの世界で終生を過ごさなければいけないのなら、人生の目標は立てておくべきだよね。

 

 それに世界観そのものが大して変わらないのならば、同じ系統の職に就くのは当然の流れともいえる。潰しのきく職業でよかったぜ。

 

 『コンピューター? なにそれ?』な世界だったら本当に退屈していただろう。結局のところ、僕は電子的な生活とゲームが好きで技術者をやっているのだから。

 

 ──たとえ世界が変わろうと、僕の生き方は変わらない。面白おかしく、幸せに楽しく過ごすのが僕の目指す『生き方』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、お金に余裕ができたならするべきことは一つ……コナンくんにお金を返すことだ。たった五百円と言うなかれ、金額の多寡にかかわらず借りた金は返すのが礼儀だ。

 

 本来であれば、本人に直接会って礼を言うのが筋ではあるが──しかし色々と問い詰められて上手く誤魔化す自信がないので、前に考えていた通り毛利探偵事務所のポストに入れておくことにした。

 

 それにコナンくんと一緒にいると、基本的に事件が起きるのは間違いないのだ。原作、映画、アニオリ、その他のメディアミックスの事件が全て起きていると仮定するなら、一日一件以上のノルマを課されている訳だし。

 

 死体と寄り添う毎日ってどんな人生なんだ? 工藤新一時代から考えればいったいどれだけの死体を見てきたんだろう。そりゃパッと見で『死後数時間ってとこか…』なんてセリフも出るってもんだ。周囲の人間のメンタルも凄いよね。

 

「毛利探偵事務所、毛利探偵事務所……おっ、あれか」

 

 一見して普通の事務所だが、やっぱりファンとしては少しだけテンションが上がるものだ。ほうほう……向かいの建物が『聞こえるか? 毛利小五郎』事件の舞台だったのかな?

 

 物語として緊迫するシーンだったのは間違いないが、読者視点だとちょっと笑えてしまったのが、ネタ化される要因となったのだろう。

 

 お、あの喫茶店がポアロか。バーボンこと安室さんは……ええと、時系列を考えるとまだ公安だとバレてないってことでいいのかな。まあどちらにしても関わる気はないので、ちゃっちゃとポストにお金と手紙を入れて帰ろう。

 

 まごまごしていると『そういえば高校生くらいの少年がポストにそれを入れていましたよ』とかいう目撃証言が都合よく量産されることになる。

 

 右よし、左よし、よっしゃ今だ──ん? わお、首輪をつけた猫が歩いてきた。おいでおいで……よーしよし、いい子だ。

 

 首輪をつけてるから半ノラかな? ちなみに僕は圧倒的に猫派である。ああ可愛い……癒されるぅ。アニマルセラピーって素晴らしい。

 

 …はて、妙に体が冷たいなこの子。首輪も冷えてるし……ん? なにかレシートらしきものが挟まっている。

 

 これは──タクシーのレシート? …おっと、文字が不自然に消えて……あ、これアレだ。少年探偵団がクール便のトラックに閉じ込められた時のやつだ。哀ちゃんのセーターがほつれて裸になるという、お茶の間を冷えさせた回。

 

 『ポアロに餌をねだりにいく』というこの猫のライフスタイルを利用し、首輪に暗号レシートを挟んで安室さんに助けを求めた……んだったよな、確か。

 

 ぽっと出の犯人ごとき、腕時計型麻酔銃とキック力増強シューズを備えたコナンくんの敵ではない……と思いきや、冷えて電圧が下がったとかいうよくわからない理由で使用不能になってたんだっけか。

 

 ドラえもん映画で、四次元ポケットが使用不可になるような感じだろうか。雪山だろうが水中だろうが普通に使えた描写はあるのに、たかが冷蔵車に乗った程度で使用不能ってどういうことなんだ。

 

 ──この事件は、哀ちゃん推し読者向けの回と思いきや……光彦くんが裸の哀ちゃんと密着するという、コ哀派の脳を破壊する物語である。

 

 というかどの読者層に向けて描いたのかよくわからない話でもある。ただただ光彦くんにヘイトが集まっただけなんじゃないか? ピカチュウとチョッパーにも二次被害が及んだともっぱらの噂だ。

 

 …それはともかく、僕がこれ持ってたらダメじゃん。元に戻しておこう……あれ? 猫ちゃんは……あ、既に隣の喫茶店で餌を貰ってる。

 

 えーと……仕方ない、印象には残ってしまうが『その子の首輪に挟まってましたよ』ってレシート渡せば問題ないだろう。

 

 確か榎本梓ちゃん、だったよね。安室さんとのカップリングを仄めかされたせいで炎上した娘。腐女子や夢女子の脳内でめった刺しにされてそうなお嬢さん。

 

「すいま──あぁぁっ!?」

「え? あ、あの……大丈夫ですか?」

 

 か、風でレシートが飛ばされた…! こんなとこで原作再現要素いらないんですけど。僕、しっかり掴んでたよね?

 

 くっ……あの風からは『必ずレシートを飛ばす』という絶対の意思を感じたぞ、ちくしょう*1。まずい、アレがないと安室さんがコナンくんたちに辿り着けなくなる。

 

 まさか少年探偵団全滅ルートなんてことはないと思うけど、もしもを考えると怖すぎる。次の日のニュースで『子供五人が凍った状態で発見され…』とか出たらトラウマってレベルじゃないぞ。

 

 ええと、ええと……そうだ、安室さんが言ってたじゃないか。『風力、方向……この周辺の建造物の立地状況を考慮に入れてシミュレーションすれば……風の流れが読めて飛ばされた先が絞り込める筈…』って。僕もそれに倣ってレシートの行方を──

 

 …探せるかっ!!

 

「どうかしたんですか?」

「あ、安室さん。えっと、この人がなにか困ってるみたいで…」

「や、その……あー…」

 

 …どうするのが正解なんだ? こういう時にさらっと解決策を導き出せる人間になりたいものだ。そういやコナン世界は切れ者でなくとも、犯人にさえなれば知力とアドリブ力と演技力が大幅に上昇するから……全身黒タイツにでもなってみるか? いやもう、焦りすぎて訳のわからないことを考えてるな。

 

 ──とにかく、安室さんを工藤邸に連れていけばなんとかしてくれるんじゃないか? もう無理やりでもいいから元の流れに繋げなければ…! 本当にコナンくんが死んじゃったら罪悪感で眠れない自信がある。

 

「不躾で申し訳ないんですが、僕と一緒にきてくれませんか? 人の命がかかってるんです」

「え?」

「その……説明が難しくて、どう言えばいいのか困ってるんですけど……とにかく付いてきてほしいんです」

「──わかった。案内してくれるかい」

「あ、安室さん? いいんですか?」

「ええ。なにやら込み入った事情がありそうですし」

「でも絶対に危ないですよ! …それに、あなたも……人の命がかかってるんなら、警察に通報した方がいいんじゃないですか?」

「あっ」

「えっ?」

「それだ…!」

「えぇ…」

 

 そうだ、普通に警察へ電話すればいいのか。当たり前すぎて逆に気付かなかった…! 原作がどうのとか考えてる弊害だな、これは。

 

 まあレシートの暗号だとか言っても取り合ってくれないだろうから、普通に被害者が助けを求めてたってことにしよう。

 

 そうと決まれば110番にお電話よっと……ん? なんだよバーボン、なんで僕の腕を掴むんだ。もう君に用はないぞ。

 

「急いでるんだろ? 警察じゃ間に合わないかもしれないし、こう見えて腕に自信もあるんでね」

「え? あ、いや」

「──それに、警察より先に僕を頼ろうとした理由も気になるし……ね」

 

 うー……頭の回転が足りないばっかりに、自分から怪しまれる要因を作ってしまった。やめて引っ張らないで連れていかないで。後は警察に任せたいんだ僕は…! あっ、彼も一応警察か。

 

「場所は近いのかい?」

「徒歩でいけなくもないですけど……じゃなくて、あの、本当にもう大丈夫で──」

 

 あぁ……車を取りに行ってしまった。今のうちに逃げた方がいいだろうか? いや、それだと余計に怪しまれる。事件に巻き込まれそうなんて冗談めかして言ったが、ズバリだったなぁ。

 

 のんきに餌を食べてるニャンコめ、君のせいだぞまったく……ん? そういえばこの子ってオスの三毛猫で、うん百万の値がつくんだっけ。

 

 …いかんいかん、そんな猫好きの風上にも置けないことを考えては……でも一応ちょっとだけ確認してみるか。おっ、やっぱりオスだね……最低百万……下手すれば一千万……あれ、借金そのまま返せるんじゃ──

 

 …くっ、やめろ僕の中の悪魔め。誘惑するんじゃない。そうだ、梓ちゃんと会話でもして気を紛らわそう。

 

「可愛いですねぇ、この猫。諭吉くんでしたっけ?」

「大尉です」

 

 バーボンまだかなー……あ、きたきた。白く輝くRX-7(セブン)がたまりませんねぇ、はい。公安ってどんだけ給料いいんだ? そういえば組織ってお給料出るのかな。出るとしても銀行振り込みはないだろうから、手渡しが原則だろう。ウォッカが『今月は多いですぜ、兄貴』とか言ってたら笑える。

 

「それで、どこへ向かえばいいんだい?」

「えーと……米花町二丁目二十一番地ですね」

「了解。警察にはもう?」

「いえ、まだです……あっ」

 

 …このスマホで警察に通報して大丈夫だろうか。いやまあ、善意の第三者だしそんな詳しく調べられるようなことはないだろうけど……うう、彼の視線が痛い。ここで通報しないという選択肢は流石にないか。

 

『もしもし警察ですか? …ええと、事件……でいいのかな。先ほど妙な紙を拾いまして。もしかしたらイタズラかもしれないんですけど、クール便のトラックに閉じ込められた上、そこで死体を発見した……ようなことを示唆する内容だったんです。たぶんいま米花町を走っているトラックのことかと……はい、ええ。紙が風で飛んでしまったので詳細はちょっとわからないんですが、もし本当なら通報した方がいいと思って……はい。車のナンバーは──』

 

 …よし。なんてやってる間に着いてしまった訳だけど。まあ毛利探偵事務所は米花町五丁目だから、車だとほんの数分の距離だ。そして、本来であれば安室さんがレシートを探して推理する展開だったのだが……そのへんすっ飛ばしちゃったから、犯人たちより先に到着してしまったようだ。

 

「ここかい?」

「そうですね。たぶんここに来るんじゃないかと」

「…へぇ。警察に話していた限りだと、そこまで推測できる要素はなかったように思えるけど」

「あ……や、実際は犯人に見られてもわからないように暗号で書かれてたので」

「なら君は、それを解き明かす頭脳を持った人物という訳だ」

「ええ。足の速さには自信があります」

「耳は遠いみたいだね…」

 

 なんかどんどんドツボにハマってる気がする。というかもうちょっと車を工藤邸から離してくれないかなぁ……なんか二階の窓から視線をビシバシ感じるなぁ……バーボン、後ろ後ろー。

 

 まあこちらからは姿を確認できないんだけど、絶対見られてる気がする。バーボンといるせいで組織の仲間と勘違いされて、FBIに拘束とかされたらどうしよう。

 

 …ん? 待てよ、FBIに保護されて証人保護プログラムで新たな戸籍をスムーズに得るという方法も……いや、ないか。保護プログラムを受ける前提として、明確な身の危険というものが必要になる。

 

 そんな危険な橋を渡るくらいなら、まだ目の前の彼に頼った方がマシだ。公安から法務省に掛け合ってくれたりしないかな? …まあそんなお願いを出来るような仲になるなら、結局は危ない橋を渡ってそうだが。

 

「そういえば僕を頼った理由もまだ聞いてなかったな。なぜ君は『警察への通報』という当然の手段を差し置いて、僕へ助力を頼んだんだい?」

「それは…」

 

 なんでコナンの登場人物は細かいことを異常に気にするんだ? そろそろ僕の頭脳じゃ言い訳を思いつかないんだけど。これじゃもう……もう……全部コナンくんのせいにするしかないじゃない。

 

「…それは?」

「暗号が書かれたレシートに書いてあったんですよ。『喫茶ポアロの安室さんを頼れ』って、コナンくんから」

「…! なるほど、あの子が…」

「きっと警察より頼りになる方なんだろうなぁと思いまして」

「──だったらなぜ最初に事情を話してくれなかったのかな?」

「『説明するのが難しくて』って最初に言ったじゃないですか。僕も少し混乱してたので…」

 

 うむ、これで矛盾もないだろう。後は彼がコナンくんに何か聞こうとしたら邪魔をしてー、コナンくんがこの前のことを聞こうとしたらはぐらかしてー……難易度高いなちくしょうめ。

 

 …まっ、未来のことは未来の僕がなんとかするだろう。責任とは自分に押し付けるものである。

 

「…」

「…」

 

 しかしなんか喋ってくれないかなー。二人っきりの車内で沈黙とか、空気が重いんですけど。猫かぶってる時は陽キャなんだから、もっと僕に気を使ってくれてもいいのよ。

 

 そうだ、よかったら好きなお酒の話でもする? 僕はライ! …とか言ったら殺されそうだな。他になんか話題でも──そういえば彼って何人とのハーフなんだろう。まだ明かされてなかった筈だが、直接聞けるなら聞いてみたいってのはあるよね。

 

「安室さんはハーフなんですか?」

「…ああ、そうだが」

「僕もピザを頼む時はハーフ&ハーフが鉄板ですよ」

「!?」

「安室さんはどこのピザが好きですか?」

「君の会話はどこに向かってるんだい?」

 

 そういや彼、混血ということで色々あったんだっけ。『…ああ、そうだが』の言葉に微妙な不快感が混ざっていたので話を逸らしたが、他になんか共通の話題あったかなぁ。

 

 『安室透』……名探偵コナンのキャラクターの中でも凄まじい人気を誇るイケメン。そして劇場版の興行収入百億を超えさせかけた『百億の男』。うーん…

 

「安室さんは百億あったらどうします?」

「君、とてもマイペースだって言われないか?」

「よく言われますけど……正直どこを指して言ってるのかわからないんですよね。あ、百億ってもちろん円ですよ」

「そういうところじゃないかな」

「おっ、クール便のトラックきましたよ」

「そういうところじゃないかな」

 

 阿笠博士の家の前にトラックが止まり、二人の男が出てきた。ちょうど僕らが停めているところの手前で、次に発進する時はこっちも車を動かさないと通れないだろう。まあ彼らが次に乗るのはパトカーだろうけど。

 

 しかし同僚が誤って人を殺してしまったからといって、『財布から金抜いたろ!』となる人間ってどういう思考回路してるんだろう。

 

 挙句の果てに『ガキ五人も追加や!』とか、日本で育ったとは思えないほどサイコパスだよね。彼の倫理観はいったいどこを彷徨ってるんだ。

 

「…? なんだお前ら」

 

 後ろの扉を開けて荷物を下ろしている彼らに近付いて、中を覗き込む。これで誰もいなかったら安室さんにめっちゃ睨まれそう。いるよね? 大丈夫だよね?

 

 あ、そういえば光彦くんが低体温症になってたっけ…? 温かい飲み物でも買ってくるんだった。でも哀ちゃんの体温でリザレクションしてたから大丈夫か。

 

「失礼、中に誰か居ないか確認させてもらえませんか?」

「はあ? …誰もいねえよ──」

「い、いるぞー! 探偵の兄ちゃん!」

「助けて~!」

「この人たち殺人犯です!」

 

 おお、よかったよかった。元気な高木刑事の声が……じゃなかった、元太くんの声が聞こえる。いやまあ一緒だけど。

 

 中に子供がいたことに驚愕した犯人だったが、瞬時に思考を切り替えて『全員殺すしかないな…』と呟いた。怖すぎない? むしろこれまでの人生で殺人を犯していなかったことこそが、ちょっとした奇跡だったんじゃないだろうか。

 

 ──そしてその呟きを聞いた安室さんは、瞬時に彼の前へステップし、拳を叩き込んで犯人を地に沈めた。血を吐いたように見えたが、大丈夫か?

 

 骨が折れて内臓系に突き刺さりでもしなきゃ、殴られて吐血なんかしないよね。ええと……うん、殴られた拍子に舌を噛んだに違いない。そういうことにしておこう。

 

「──がはっ…!?」

「くくく、彼はボクシングが得意でね。君もやるかい?」

「ひっ! い、いや…」

「君が言うのか…」

 

 トラックの中にあったガムテープを拝借し、安室さんが犯人たちをグルグル巻きにしていく。手際良いなぁ……こういうこと慣れてる感じ?

 

 降りてきた少年たちの方を見ると、コナンくん以外が『誰コイツ』みたいな目で見てきた。そしてコナンくんの方はというと、超絶シリアスな顔で僕を見ている。

 

 …ええと、怪盗キッドの件じゃなくて……これはアレだな。『バーボンと一緒にいるってことは、やはり組織の…!?』って考えてる顔だね。

 

 いやさ、直前で気が付いたの。僕が安室さんと一緒にいたら、コナンくん視点だと完全に組織認定するよねって。

 

「…なんで……お兄さんがここにいるの…?」

「君が助けを呼んだからじゃないか。レシートの暗号を出したのはコナンくんだろ?」

「…っ!」

 

 見てくる。コナンくんがめっちゃ見てくる。そもそもあの暗号は『喫茶ポアロには大尉が餌をねだりにくる』という情報を知っている人間に向けて発信されたものだ。それ以外の人間が見ても、まず真に受けることはないだろう。そりゃ疑いも深くなるってもんだ。

 

 うむむ……嫌な勘違いをされるものだ。だからといって『僕は組織の人間じゃないからね』なんて言えばますます怪しいだろうし。

 

 どうしたものか──あ、そうだ。対組織センサーちゃんこと、哀ちゃんに判定してもらえばいいんじゃないか?

 

 物語が進むにつれて感度が悪くなっていくものの、目の前の男が組織の人間かどうかくらいはわかってくれるだろう。彼女にノットギルティをくだされたなら、とりあえずコナンくんも落ち着くだろう。

 

 …しかし近付こうとした瞬間、コナンくんが片腕を伸ばして彼女をかばった。フードを深く被って彼の背に隠れる哀ちゃんは、まるで組織の人間を警戒でもしているようだ。

 

 …あ、バーボンがいるからか。彼はベルツリー急行で宮野志保に扮した怪盗キッドと顔を合わせている──子供状態とはいえ、哀ちゃんを見れば何かしら勘付く可能性があるだろう。

 

 ちぇっ、タイミングが悪いな。疑われたままというのは嫌だが、しかしそれで何かデメリットがあるかと言えばそうでもない。

 

 そもそも生活圏を被らせる気もないし、今日はお金を返しにきただけなのだ。これ以降、彼らに関わることはないだろう……いや、振りじゃなくて。本当に。

 

「コナンくん、これ……助かったよ。ありがとね」

「え?」

 

 伸ばされた手を引っ張って、右手に五百円玉をギュッと握らせる。呆気にとられた彼を尻目に、僕は踵を返してこの場を後にした。そろそろ警察もくるだろうし、事情聴取はめんどくさいのでお断りだ。

 

 安室さんとコナンくんが会話したら、僕の発言の矛盾が明るみに出る可能性はあるが……まあアレコレ推測するのも、僕が居ないところでやってくれるんならどうでもいいや。

 

 ──しかし二つ目の曲がり角に差し掛かったところで、唐突に後ろから声をかけられた。振り向くとそこには、少し息を切らしたコナンくん。そして意を決したように僕へ問いかける。

 

「…お兄さんは……いったい何者なの?」

 

 何者なの? って聞かれてスムーズに答えられる人いる? しかも大人ならまだ『○○会社に勤めている○○です』とか言えるけど、僕の見た目は高校生くらいだぞ。何者って聞かれてどこどこの高校ですって、なんか違うよね。

 

 とりあえず敵じゃないことだけは伝えといた方がいいか? ここまで疑われてるなら、もう何も知らない振りしてる方が逆に怪しいだろう。

 

 『…コナンくん、僕は敵じゃないんだ。それだけは信じてくれ』とかどうだろう。実際に何一つ嘘はついてないんだから、信じてくれたっていいと思うの。よし、それでいこう。

 

「…コナ、く」

 

 痛っ、舌かんじゃった。

 

「…っ! ──コニャック…!?」

 

 なんでやねん。君の耳はいったいどうなってるんだ? 確かにそう聞こえなくもなかったけどさ。とはいえ名探偵コナンという作品において、空耳や聞き間違いは推理の根幹に関わることが多いし、仕方ないか。

 

 お前それちょっと無理あるだろ、という聞き間違いも少なくない。それを考えると、一概に彼を責めるべきではないのかもしれないな……この世界の人は鼓膜の性能がちょっと低いとかありそう。

 

 『工藤やなくて苦労や、苦労!』とか『工藤やなくてくどいや、く・ど・い!』とか『嫁にとるやなくて、強めにとる言うたんや』とか……ん? ぜんぶ服部平次のセリフやんけ!

 

「コ、コニャックじゃなくてコナンくんね、コナンくん。というかそんな聞き間違いある?」

「…」

 

 な、なんで沈黙? いや、もし本当にコニャックだったとしてもここで言う訳ないでしょ!? …想定していたよりずっと当たりが強いこの感じ……となると、『盗聴器と発信機を回収された』可能性が高いな。

 

 快斗くんが車に引っ付けた盗聴器は、首尾よくいけば追跡眼鏡の範囲外まで走り抜けて回収不能になったのだろうが──範囲内が目的地だった場合、コナンくんが追いついてしまうことも有り得た訳だ。

 

 その場合、彼は『トランプにくっついた盗聴器と発信機』を発見したってことで……すなわち『会話を聞かれていたことを僕が把握した』と気付くことになる。

 

 盗聴の事実を認識されていないなら、少しずつ泳がせて情報を探るのがコナンくん流だろう。しかし『会話を聞かれたこと』を知られているとなれば、もはや悠長に待つ意味はない。

 

 彼の性格なら直で聞いてくることも考えていたが……いや、なんか想定より更に悪い感じになってない? おのれバーボン…!

 

「…コナンくん」

「…!」

「…コニャンくん」

「っ!?」

 

 なんか逆に面白くなってきたな。とはいえ、これ以上は押しても引いても誤解が深まるばかりだろう。

 

 ま、これから関わることがなければ、最終的に『そういえばあの人って結局なんだったんだろう…』みたいに忘れ去られるに違いない。今日は不幸な遭遇が生んだ悲しい行き違いだったのだ。

 

「全てに決着がついたら……その時は楽しくお喋りでもしようね。だから今日はバイバイ、コナンくん」

「…っ! 待っ──」

 

 足の速さなんて大したメリットじゃないなんて言ってしまったが、こういう時は役に立つ。ま、安室さんが公安だとわかったら僕への疑念も少しは薄まるだろうし……コナンくんが組織に近付けば近付くほど、僕がまったく関係ない人間だと理解してくれる筈だ。その時まで彼らに遭遇しないよう気を付けていれば大丈夫だろう。

 

 …大丈夫だよね?

*1
気のせい



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三話

 ネカフェでキーボードをカタカタさせること一時間……中々に条件の合う仕事が見つからない今日この頃。まずは場所──東京からあまり離れないことが前提だ。

 

 数億円を儲け、かつそれを対外的に証明することが必要ならば、馬券を買うべきは『場外馬券場』ではなく競馬場そのものである。

 

 そしてあまり離れすぎると、なにか不測の事態があった時に馬券を買えないという最悪が考えられる……それを避けるためには東京競馬場近くに住む必要がある訳だ。まあ住むとは言っても、身分証もないし保証人もいないのでウィークリーマンションすら借りられないけど。

 

 カプセルホテルやネカフェを転々とする毎日は、いまいち気が休まらないというのが本音だ。なるべく早いとこ住居を用意しないと、精神的によろしくない気がする。ちゃんとしたホテルに泊まればリフレッシュできるんだろうけど、流石にお金がもったいない。

 

 まあホテルに泊まると殺人事件が起きそうな気がするってのもあるけど……とはいえ、この辺は米花町や杯戸町から電車で一時間くらいかかるので、原作で起きた事件には関わらなくて済むと思う。

 

 その二つの町と東京以外の道府県を除けば、コナンくんが関わる事件は驚くほど少ない……筈だ。場所が明記されていない事件もあるし、そもそも犯罪発生率が全国的に驚くほど高いので自衛の必要はあるだろうが。

 

 さて、仕事を探すにあたってのもう一つの条件だが──そう、仕事先が馬鹿みたいにブラックであることだ。ブラックというか、精査されたら一発で業務停止になるようなところと言うべきか。

 

 要は身分証が必要でなく、給料が手渡しである事が望ましい。僕の状況で口座なんか作れやしないし、身分証も用意できないし。

 

 脱税抜け道なんのその、福利厚生なんだそれのクソみたいな経営者だとありがたいのだが……しかしこれが意外と、探しても見つからないのだ。もう少し世間というのはガバガバだと思っていたが、案外そうでもないらしい。

 

 今のところ条件に合致する働き口は一つだけ……東京競馬場から少し米花町よりの、高架下に小さな事務所を構えた怪しげな派遣会社だ。メインは清掃作業員の派遣らしく、パチンコ屋の閉店後の清掃や、何かしらのイベント関連の臨時清掃員を雇い入れているらしい。

 

 その性質上、短期の日雇いが多く、だからこそ人の管理が杜撰(ずさん)なのだろう。まあ僕にとっては助かるんだけど……しかし気になるのは『イベント』である。

 

 『何かしらのイベント』=殺人事件──偏見かもしれないが、そう思ってしまうのは仕方ないだろう。

 

 例えば……そう、コナンくんがパーティー会場にいるとします。貴方は何を思い浮かべましたか? …はい、停電と殺人事件ですね。これがメンタリズムです。

 

 ──まあ贅沢は言えない身の上だし、作業場所を選べる上等な身分でもないから仕方ないけど……なんかこう、勘に引っかかるというか、フラグを踏んでいるような気がするというか。

 

 前にもそんな気分になった事があるけど、もしそれが気のせいではないとするならば、やはり怪しいのはこの体だろうか。足が異常に速くなっていることからも、今の僕にアバターの性質が表れているのは間違いない。

 

 そして当然、ゲームのアバターには『主人公』として『事件に巻き込まれやすい、関わりやすい』性質が備わっている訳だ。

 

 これが僕に影響を及ぼしているとするなら、やたらと原作キャラにかち合うのも納得がいく。しかし……もしそうだとすると、それは『運命』というものの存在を証明することにも繋がるのではないだろうか?

 

 『原因』があって『結果』が存在するのではなく、“そうあるべき”と因果が流れていくのなら、いったい人の意思にどれだけの意味があると言うのだろうか……ん? なんかちょっとカッコいいな。次に作るゲームの題材にでもしてみよっと。

 

 あ、『人の意思こそが因果を捻じ曲げる』とかどうだろう。それにプラスして流行りの要素を入れてー……うーん……『死んだらループ』とかもいいな。

 

 最近ちょっと人気が落ちてきている『ロボット』要素を逆張りで入れて、美少女ヒロインは複数が当然で……そうだ、主人公は因果を歪められた側にしよう。ロボットが出てくるんだから戦記物がいいな──ん? …ほぼマブラヴだった…

 

 ──考えが逸れた。そう、つまり……はて…? まあどうでもいっか。『我思う故に我あり』の格言通り、僕が僕である限りそんなことはどうでもいいのだ。

 

 むしろクリエイターとしての観点で言えば、非日常な運命を決定付けられるというのは悪くないかもしれない──いや、やっぱり死体だらけの日常は嫌だ。

 

 とはいえ、あれも嫌だこれも嫌だじゃ生きていけないのが現実だ。大人になるってのは何かを妥協することであり、不満を飲み込むということなのだから。

 

 ──僕はスマホを手に、件の派遣会社の電話番号を打ち込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、滞りなく派遣登録することができた僕が最初に働く場所は──神社での清掃作業であった。そんなものは神社の関係者がやるものではないのかと言う疑問はもっともだが、なにせ今はお花見シーズンである。広大な敷地を埋めつくすように、酒盛りを楽しむ人々が騒いでいるのだ。

 

 当然、誰もかれもがちゃんとマナーを守っている訳ではない。ゴミをそのままにして帰る人間の多いこと多いこと。

 

 缶、ビン、スナック菓子の袋にその他もろもろ……日本人の民度が高いって本当なのか? サッカーのワールドカップで『ジャパニーズの席にはゴミが落ちてまセーン! ファンタスティック!』とか言ってたのは嘘なのか?

 

 やってみてわかる清掃作業の面倒臭さだよね、ほんと。作業員のおばちゃんにはもっと感謝をしておくべきだったか……あと貸し出されるのが清掃用具だけってのが闇が深い。せめて作業服くらい用意してよね。

 

 『動きやすい服装でお願いします』って言われた時点で嫌な予感はしていたが、どれだけ経費をケチるんだこの会社。神社なんだからバチが当たっても知らないぞ。

 

 ──しかし神社で花見か……この時期にそれって、もはやコナンくんに会う気しかしないんだけど。

 

 確かコナンくんがベルツリー急行関連の事を話すために、ジョディ先生との密会の場所として選んだのが『花見客だらけの神社』だった筈だ。

 

 阿笠博士に、哀ちゃん含む少年探偵団も一緒にきてた覚えがある。変装したバーボンが探りを入れてくる回でもあり、物語としては結構な重要回だ。

 

 最初に出逢ったのがコナンくんだったことも含め、流石にここまで偶然が続くのは有り得ない……となれば、やっぱりこの体のせいと見た方がいいか。

 

 偶然は二回までってのが僕の持論だ。三回目は必然か、あるいは奇跡のどっちかである。奇跡なんてのはそうそう起きないから奇跡なのであって、ならばこの状況はきっと必然なのだろう。

 

 コナンくんに出逢ったことは偶然でもいい。バーボンと関わったのも、確率としてはゼロじゃない。けれど、もしここでも関わるようなことがあるのならば、それを偶然とはもう認めない。

 

 創作を元にした世界であるが故に、『お約束』というものが実際の法則として作用しているのかもしれない。ただどちらにしても平穏な生活は難しいと考えた方がいいか。

 

 だったら僕にできるのは、たった一つだ。『物語の完結を目指す』──その一点。

 

 世界そのものがコナンくんとその周囲を忖度(そんたく)しているのならば、それが解放されるのはきっと『物語』が終わった時……つまりはコナンくんが完全に工藤新一へ戻り、組織が壊滅した時だ。

 

 そしてもし『この状況』が()()()()()()()()だったのならば、そこで目が覚めるかもしれないと言う希望もある。まだこの世界を完全に現実だと認めた訳じゃないぞ、僕は。

 

 だから──……ん?

 

「スリよー! スリがいるわよ~!」

 

 あ、やっぱ原作の事件ですねこれは。あの人は『スリがいるわよオバサン』こと『矢谷郁代』……通称は確か『黒兵衛(くろべえ)』。

 

 凄腕のスリ師であり、スった証として相手の懐にわざわざ黒い五円玉を三枚入れる、なんJ民ばりの煽りカスオバサンである。一手間を増やしてまでザマァ要素を追加するとか、格ゲーで絶対に死体蹴りしてるね間違いない。

 

 まあ今日は彼女がリアル死体蹴りされるんですけどね、なんつって──……あれ……ん? 僕が何もしなかったら、そうだ、死ぬんだよなあの人。

 

 えーと……え? 僕がなんとかしなきゃいけない感じ? いや、見逃したところで罪になる訳じゃないのは理解してるが……崖に向かって全力疾走してる人を見て何もしないのはどうなのさ。

 

 あのオバサンが犯罪者だとしても、殺される程のことをしたなんてことは……あいや、殺される程のことをしたから殺されるんだけども。

 

 確か財布と一緒に車の鍵までスったせいで、被害者の息子さんが車から出られず喘息で亡くなったんだったか。子供を亡くした親の気持ちを考えると、非常に忍びない。

 

 しかし、だからといって殺人を見逃すのは……う、え、僕が助けなきゃなのか? いま正に、オバサンがジョディ先生の財布をスっているのが見える。

 

 FBIから財布を抜き取るって、何気にえげつない技術で草。いや、草生やしてる場合じゃないんだけど。

 

 …どうしよう。ここで見逃したら最後、人混みに紛れてオバサンを見失ってしまうだろう。そして次に会う時は撲殺死体だ。

 

 でも割って入ったらまたコナンくんに会っちゃうし……いや、究極的に言えばそれは問題はないんだけどさ。コナンくんだけが僕を疑ったところで、物理的に何かしてくることはないだろうし。

 

 FBIやらなんやらに告げ口をされる可能性はあるが、それにしたって何か被害を被るようなことにはならないだろう。勘違いしてる人が多いけど、FBIも公安も問答無用に人を拘束するような組織ではないのだ。多少は暗い部分があるとはいえ、どちらも公的な組織であることに変わりはない。

 

 どれだけ対象が疑わしかろうが、確証がない限り軽々(けいけい)に動くことはない筈だ。乱暴な手段に出るのは、本当に最後の最後である。

 

 それは『シャロン・ヴィンヤード』と『クリス・ヴィンヤード』が同一人物であるという謎が解けなかった、たったそれだけのことで逮捕に動いていない事実からもわかる。

 

 まあ大女優を逮捕しておいて、それが誤認逮捕だったらFBIの醜聞が知れ渡るという点を危惧したのかもしれないが……それでも、実際に僕が犯罪でもしない限りはそう怖い組織ではない。KGB(カーゲーベー)とかCIAとかだと流石に話は変わってくるが、そんなのに関わることはない……と思う。

 

 だから、ここで動くかどうかは僕のモラル次第ということになる……なんか試されてる? …僕は聖人君子という訳じゃないんだけどなぁ……ううむ……いや、流石に見殺しにするのはなぁ……なんかもっともらしい理由でもあれば『待てい!』とか言って堂々と割って入るんだけど。

 

 …ん? 待てよ……そういえば既にジョディ先生の服には、バーボンが盗聴器を付けてるのか。そしてオバサンが去っていったあと、コナンくんはジョディ先生に近況を語る。

 

 原作ではもちろんベルツリー急行やバーボンの事を話す訳だが……いや、もう話してたっけ? 流石にそこまでの詳細は覚えてないが──

 

 ()()()()()()()()()()、コナンくんに『ジョディ先生、コニャックって知ってる?』とか言われたらマズくないか?

 

 『この前バーボンと一緒にいた人が、コニャックって名乗ってるかもしれないんだ』とか言われたら……ええと……まあそれをFBIが把握することに関しては問題ない。

 

 純然たる事実として、僕は組織と繋がったりなんかしてないんだから証拠なんて存在しない。証拠がなければ、そうそう荒事に繋がったりはしないだろう。

 

 しかし『バーボンが聞く』というのはちょっとヤバい気がしないでもない……ううむ、少し彼の気持ちになって考えてみよう。

 

 やぁ、僕はバーボン。公安から組織に潜入してる、凄腕のスパイさ。ちょっと疑問に思うことがあって、まだ毛利探偵の周囲を探っているんだけど……FBIを盗聴していたらコナンくんが妙なことを言ったんだ。

 

 “コニャック”……いったい誰だ? この前の事件の話をしていたから、おそらくあの奇妙な言動の少年のことを言っているんだろうが……まさか彼が?

 

 確かに色々と変に思うところはあったが──もしコナンくんの言っていることが真実なら、まさか……僕がスパイかどうかを探るために、組織が送り込んだのか…!? あの掴みどころのない言動は全て演技…!

 

 …って感じになりそうじゃない? まかり間違ってベルモットにまで盗聴されてたら、洒落になんないんですけど。

 

 FBIも公安も、基本的なスタンスは『疑わしきは罰せず』だ。だからそこまで警戒してないし、もし尾行なんて付いた日には、最高の護衛を無料で雇ったようなもんだと思ってる。

 

 しかし、しかしだ。組織だけは絶対にダメっ…! 彼らは完全に『疑わしきは罰する*1』だ。『疑わしきは罰する*2』なのだ。微妙にルッキズム(美男美女優遇)な気配が漂っているものの、コードネームを騙っている不審人物がいれば殺害まっしぐらだろう。

 

 ………い、いま助けるぞオバハン!!

 

「待てい!」

「な、なによアンタ……離しなさいよ!」

「それは貴女が盗んだものを返してからですね……財布の確認をして頂けますか? ジョディせ──ん゛ん゛っ!! ジョ、ジョ……ジョンブル(イギリス野郎)の方」

「アメリカ人だけど!?」

「失礼、ヤンキー(アメリカ野郎)の方」

「どっちにしても失礼すぎるわよ! …あ、でも財布はないわね……これは、黒い五円玉?」

「スリの常習犯──通称『黒兵衛』の手口ですね。コナンくん、警察呼んでもらっていい?」

「…! う、うん…」

 

 『なんでここに!?』って感じの顔で驚いているコナンくん。鳩が豆鉄砲を食ったような顔がちょっと可愛い。そしてその横に居る、変装したバーボンはというと……『どうしたものか』といった表情で考え込んでいる。

 

 彼の変装は、この神社にきている花見客の顔を再現したものだ。泥酔して寝こけている男から、持ち物を拝借して変装している訳だが……実は既にその花見客は財布をスられており、黒い五円玉を懐に入れられていたのだ。つまりこの場に留まれば、彼は被害者として事情聴取を受けることになる。

 

 警察の事情聴取ってのは、たとえ被害者であっても非常に時間がかかる。その間に変装元の人間が目覚めるのは間違いないし、色々と不都合が起きるのは確実だろう。何も知らない振りをしたところで、後で財布が無いことに気付いた被害者が騒げば、それはそれでおかしな話になる訳だ。

 

 つまり、この場で彼がとる行動は──

 

「私はこのあと用事がありますから……お金と財布さえ返してもらえれば、私の被害についてはなかったことにしても構いませんよ」

「…と仰ってますが、どうしますか? 黒兵衛さん」

「だ、だから私はそんなんじゃ…」

「往生際が悪いですよ。この状況で言い逃れができると、本気で思ってます?」

「う、ぅ…」

 

 よしよし、素直にバーボンへお金を返してくれた。財布を捨てた場所も白状し、ぺたんと地面に尻餅をつくオバサン。通称で呼ばれるほどの常習犯なら、たかがスリとはいえそれなりの実刑を食らうだろう。つまりしばらくは塀の中ということになり、彼女を殺そうとする人間も手出しができなくなる。

 

 その間に犯人(仮)も思い直してくれればいいんだけど……まあそこまでは僕が考えても仕方ないか──っと。変装したベルモットが盗聴器を回収しにきた。

 

 まだなんの情報も手に入れていないだろうが、これからジョディ先生も警察に事情聴取されることを考えたら、回収できるチャンスはここしかない。

 

 鮮やかな手捌きで盗聴器を回収し、変装したバーボンと夫婦の振りをしながら消えていった……それにしても、ジョディ先生ガバガバすぎない?

 

 盗聴器付けられても気付かないし、財布をスられても気付かないし、黒い五円玉を入れられても気付かないし、盗聴器回収されても気付かないし。

 

 登場時はあんなにミステリアスで有能だったのに、いつのまにかポンコツと化してしまって……ストーリーの都合とは言え、お(いたわ)しや。

 

 …ん。コナンくんがくいくいと服の裾を引っ張ってきた。前に会った時よりは、表情から険も取れている……別に信用してくれた訳じゃないだろうが、僕という存在を測りかねているのかもしれない。

 

 僕自身、とても怪しいのは自覚しているが──それはそれとして、組織の人間だとするならば余計におかしいところは沢山ある。それに気付かないようなコナンくんではないだろう。

 

「…ねえ、お兄さん。なんでジョディ先生を助けてくれたの?」

 

 ジョディ先生に盗聴器がつけられてて、その状態で僕のことを話して欲しくなかったから──なんて言ってもなぁ。よし、じゃあ『悪事を見過ごせなかったんだ…!』ということに……いや、流石にちょっとクサいか。

 

 逆に『ふん、助けたつもりはねえよ』とかどうだ? …いや、ないない。そういうのはイケメンがやるから様になるのであって、フツメンがやると『うわぁ…』ってなるだけだ。

 

 だったら──

 

「…」

「…」

「心の中のスカッとジャパンを抑えきれなくて…」

「心の中のスカッとジャパン!?」

 

 日本人の心に住まう、水戸黄門魂と言い換えてもいいだろう。勧善懲悪ストーリーの主人公となり、フワフワな感じに悪を裁く、古き良き日本の心だ。最後に周囲の人間が何故か拍手をするのがお約束である……あれ? そういえば誰も僕を賞賛してないな。やはり嘘松は嘘松でしかないのか。

 

「やるじゃねーかお前!」

「この前の事件でコナンくんの暗号を解いたのもアナタだと聞きましたよ!」

「お兄さん、探偵さんなの?」

 

 おっ……ちびっ子たちが褒めてくれた。相手が子供とはいえ、褒められるのは嬉しいものだ。よしよし、もっと褒めるがいいちびっ子共、僕はおだてられると調子に乗るタイプだぞ。

 

 あ、そういえば哀ちゃんは──おっと、今度はジョディ先生の足に隠れている。未だにちゃんと姿を見せてくれないの、ちょっと悲しいんですけど。

 

 たぶん前の事件の時、コナンくんから何かしら伝えられたんだろう。『コニャック』というのが実際に組織に所属しているのかは知らないけど、哀ちゃんがそれを知っていようがいまいが、警戒するのは当然の話だ。

 

 でも、それはそれとしてやっぱりコミュニケーションとりたいよね。男性からも女性からも大人気の、ミステリアスでクールなビューティー……もちろん僕も彼女のファンだ。

 

 比護さん信者になったり沖野ヨーコアンチになったりで若干キャラがぶれた気もするが、それでもその魅力は衰えない。むしろ普通の少女になっていく過程って感じで微笑ましいよね。

 

 おいでおいで……ほら、怖くないよー。そう言いながらしゃがんで彼女に手を振ると、なんかジョディ先生の下半身にバイバイしてる変態みたいになった。

 

 そんなつもりはまったくなかったのに、なんかすごい変質者っぽくなったな……仕方ない、ここは気さくにジョークでも飛ばしてみよう。

 

「へーい彼女、お茶でもしない?」

「…ロリコン」

「おっと、そういうつもりはなかったんだけど…」

「…」

「じゃあ歩美ちゃん、一緒にお茶でもどう?」

「ホントにロリコンじゃないでしょうね!?」

 

 おっ、ジョディ先生の壁を越えてきた。歩美ちゃんの前に立ってジト目で威嚇してくる哀ちゃん……ふーむ……コナンくんを見る時も思うんだけど、いったいどういう原理で縮んだり大きくなったりするんだろう。

 

 一つ間違えば、骨だけ大きくなって皮膚が爆散したりするのかな? …というかホントに大きくなるのか?

 

 こればっかりは、実際に目撃しないと信じられそうにないな。蘭ちゃんがあそこまで何度も疑っておきながら、結局は疑いきれないのもわかるというものだ。人間がそう簡単に伸び縮みしてたまるかって話だよ。

 

「…なによ」

「え? ああ、ごめんごめん。えーと……どこかで会ったような気がしてさ」

「…っ!」

 

 …ん? あれ、『ナンパの常套句ね…』とかいう返しを期待してたんだけど。んん…? …興味深げにじっと見つめてたから『宮野志保かどうか確認してた』みたいに思われた……とか?

 

 頭のいい人たちって、なんでみんなして深読みするの? 確かに僕も迂闊な行動や発言をしているかもしれないが、それ以上に相手側の疑心暗鬼が酷い気がする。普通は聞き流すようなことにも意味を見出そうとする姿勢、嫌いじゃないよ。困るけど。

 

「…どこかで……会ったかしら」

「ナンパの常套句ね…」

「あなたが言い出したんでしょ!?」

 

 うーん、突っ込む哀ちゃんも可愛いものだ。それに、僕と彼女のやり取りを見てコナンくんの警戒もちょっと緩んだ気がする。よしよし、これで組織の匂いがしないことはわかってもらえたことだろう。あとは──

 

「おーい! そっち終わったのか?」

「あ……すいません、すぐやりまーす!」

 

 …そういや仕事中だったの忘れてた。警察の事情聴取だなんだとか言ったら『ふーん、じゃあ今日のバイト代は無しだね』とか普通に言われそうだな。

 

 境遇的に強く出れないのが痛いところだ。仕方ない、後のことはコナンくんたちに任せよう。ちゃんと働いた分まで無給にされたら、たまったもんじゃない。

 

「ごめん、仕事があるからまたねコナンくん」

「えっ? あ──」

 

 …あ。バーボン扮する男性が事件に関わらなかったことになったから……あれ、回りまわって高木刑事からの情報がコナンくんに行かなくなっちゃうかも。

 

 下手したら『対バーボン工藤邸訪問対策』ができなくなる…? もしかすると赤井さんとバーボンが殺し合うことに──いやまあ、映画込みだとちょいちょい仲良く殺しあってるから大丈夫か。

 

 …いや、大丈夫か? ホントに? ──警告くらいはしとくべきだろうか。

 

 振り向きかけていた体を戻して、コナンくんの耳元に口を寄せる。何故か哀ちゃんも寄ってきたが、まさかロリコンに続いてショタコンの疑いまでかけてるんじゃないだろうな。

 

「コナンくん、さっきの夫婦だけど…」

「っ、う、うん…」

「──ベルモットとバーボンの変装だったみたいだから、しばらく気を付けた方がいいよ」

「っ!?」

「…!」

 

 ──またもや同僚に大声で呼ばれたので、急いでそちらへ向かう。

 

 さて、流石にここまで発言してしまえば無関係だと言い張ることもできないだろうが……しかしこれからも関わりあうことになるならば、そもそも情報を隠す意味がない。

 

 『なぜそれを知っているか』という……ただそれだけを秘密にして、あとは全部話した方が『物語の終わり』を目指す上では正解だと、僕は思う。

 

 ──ただし、今は仕事を優先せざるを得ないのが現実の厳しいところである。目を見開いているコナンくんと哀ちゃんに小さく手を振って、僕はその場を後にした。

*1
キールとバーボンは除く

*2
ピスコとアイリッシュは含む



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四話

 毛利探偵事務所……またそこへ向かうことになるとは、人生ってよくわからないものだ。まあコナンくんに会うためには、事務所で待つか小学校前で出待ちをするかくらいしか考えつかないのでしょうがない。連絡先を知っていれば話は別だが、もちろん彼の電話番号なんて知らないし。

 

 とにもかくにも、バーボンやベルモットの名前を出した以上は、コナンくんにある程度の説明をする必要があるだろう。あまりに誤解されたままだと、どういった不都合が起きるかわからない。というか、既にFBIにマークされてる可能性だって無きにしもあらずだ。

 

 一応、少し周囲を警戒するようにはしていたが、特に誰かから尾行されているようなことはなかったと思う──まあガチの本職相手だと気付けないかもしれないから、実際のところはどうだかわからないけど。

 

 それとなく周囲を見渡しながら、米花の街並みを歩き続ける……ああ、いったいこの町でどれほどの死体が量産されたのだろう。そこら中が事故物件だらけで、逆にそれが当たり前にでもなってそうだ。その辺を歩いている普通の人々も、何回かは事件に関わっていたりするのかな。

 

 この町に長居すると、コナンくんに会う前から事件に遭うことすらありえる。流石に爆発やらなんやらは少ないだろうが、ゼロとは言えないのが悲しいところだ。

 

 初期の方にあった『テキーラさん爆死事件』の放送後にスポンサーから抗議があったせいで、爆発案件を取り扱うのは少なくなったけど……とはいえ、最近あったベルツリー急行事件だって爆発起きてるから気は抜けない。殺人現場でも目撃した日には、犯人から付け狙われることだって考えられる。

 

 まあ逃げるだけなら、この足に追いつける人類はいないだろうから問題ないけど。生物の限界は超えていないが、人間の限界はちょっとばかし超えてるし。

 

 機材が揃うのなら、自分自身を実験対象にしてみたいものである。まあそっちの分野は門外漢だが、それでも気になってしまうのは性分だろう。

 

 そもそもキック力は大したことないのに走力だけが異常というのは、物理的におかしい。となれば、何かしらの概念的な現象が起きていると仮定すべきだろう。意外とそんなところから新技術が発見できて、ゲームに流用出来たりするかもしれないなって。

 

 …おや? 向こうから一人で歩いてくる少女は──もしかして哀ちゃんか? あまり一人で出歩いている印象はないが、なにかあったんだろうか。

 

 焦っている様子はないから、事件が起きているってことはないだろうが……でもちょうどよかった。彼女にコナンくんの連絡先を聞けば、わざわざ毛利探偵事務所へ行く必要がなくなる。

 

 まあ教えてくれるかは微妙なところだが、そのくらいちょっと調べればすぐわかるんだから、拒否されても困るというものだ。

 

 そうだ、普通に声をかけるのもなんだしちょっと驚かせてみよっと。そっと気配を殺しながら回り込んで、と……小さい背中にそっと近付き、両肩を押さえながら耳元で囁く。

 

「だーれだ?」

「きゃっ!?」

 

 驚いた哀ちゃんが慌てて振り向き、僕の顔を見て目を見開く──そしておもむろに防犯ブザーのスイッチを引き抜いた。なんという冷静で的確な判断力なんだ…!

 

「──近付かないで。防犯ブザーを鳴らすわよ」

「もう鳴ってるんですけど。あ、やっ、ちょっとそこの人、違うんです、携帯に手をかけないでやめて通報しないで。哀ちゃんなんとか言って!」

「…」

 

 くそっ、上下黒っぽい服装できたのが間違いだったのか? けど、だからっていきなり犯罪者扱いすることないじゃないか。別に変なことを考えて黒コーデにした訳じゃなく、何着も買う余裕はないから、汚れが目立ちにくい色にしただけなのに。

 

 哀ちゃんに半泣きで『やめてくれ』と懇願したら、なんとかブザーを止めていただけた。この状況で本当に警察がきた場合、戸籍無し身分証無しの不審者が少女に近付いたという、ガチの案件になりかねないのだ。

 

 割と洒落になってないので、本気でお願いしたのが効いたのかもしれない。少し呆れたような表情をされたが、気のせいという事にしておこう。

 

「あのさ、いくらなんでも酷くない?」

「…」

「哀ちゃん?」

「…」

 

 黙りこみながら、じっと僕の顔を見つめてくる哀ちゃん。ここで変顔でもしたら吹き出したりするのかな……いやまあそれは冗談だけど、いったい何を測られているのだろうか。

 

 自分で言うのもなんだが、組織の人間であればこんな醜態は晒さないと思うので、そこで判断してほしいところだ。よくわからない『組織の匂い』というのもしてないだろうし。

 

「そんな警戒しなくても、何もしないって。バーボンの件だって教えてあげただろ?」

「…」

 

 うーん……あ、そっか。僕がどこまで知ってるか、彼女からしたら何もわかっちゃいないんだった。下手に口を開いて、『灰原哀』と『宮野志保』の関係性──そして『シェリー』だってことを知られたくないのかもしれない。

 

 でもそこって、僕が彼女と会話する上で前提なところあるから、すっとぼける選択肢はないな。手っ取り早く()()認識してもらうには……うん、そのままシェリーって呼べばいいか。

 

「そうだ、どこかでお話でもしない? ──いいよね、シェリー」

「…っ!」

 

 驚き……というよりは『やっぱり』という感情と、ほんの少しの諦観が感じられる。なんだか罪悪感が湧き上がってきたが、これは僕が悪いのだろうか。

 

 覚悟を決めたような表情で、僕の横を歩く哀ちゃん。いやもう、先に彼女の雰囲気をなんとかしないと、(はた)から見ればまるで誘拐犯だ。もしくは少女をイジメている男子高校生だろうか。

 

 ──なにか一発芸でもかまして雰囲気を和らげようかと考えていたら、彼女がポツリと呟いた。

 

「…コニャック」

「え?」

「組織にいた頃、そんな名前は聞いたことがなかった……構成員に関しては、私の知っている情報なんてそう多くはないでしょうけど」

「そんなコードネームを名乗った覚えはないよ?」

「江戸川くんにそう名乗ったんでしょう?」

「あれは『コナンくん』って言おうとしたら、舌を噛んじゃっただけだよ。あの子の脳内でどう変換されたかしらないけど」

「…」

「…」

「…本当に?」

「本当だし、そもそもコナンくんにも舌噛んだだけって言ったし。だいたいさ、仮にコニャックだったとしてあそこで名乗る必要ある?」

「それは…」

「そのあと『コニャンくん』って言って、単語の類似性を指摘したつもりなんだけどね」

「…っ!」

 

 急に顔を逸らした哀ちゃんが、ほんのちょっと肩を震わせた。『コニャンくん』がツボに入ったらしい……猫耳を付けたコナンくんでも想像しているのだろうか。しかしすぐに警戒を張り直し、僕の顔をキッと睨む。

 

「だったらあなたは何者なの? ──何も知らないとは言わせないわよ」

「僕が何者かは言えないけど……コナンくんが知りたそうな情報はいくつかあるから、会って話したいんだよね。だから君に声をかけたって訳」

「…」

 

 うーん、中々に警戒が緩まないな。まあ正体を言えない時点で、簡単に信用してもらえるとは思ってないけどさ。そうだ、さっき考えていた一発芸でもしてみるか? もしくはユーモアに富んだ会話で、哀ちゃんのハートをがっちり掴むという手段もある……うむ、そうしよう。

 

「──君はシェリー」

「…ええ、そうよ」

「僕はチェリー」

「でしょうね」

「この相似(そうじ)をどう見る…?」

「自虐で笑いを取ろうとして、盛大に滑ったと見るべきかしら」

「わかってるなら笑ってほしいんですけど」

「イヤよ」

 

 ひどすぎる…! あまりに辛辣な言葉をかけられ、僕はその場でうずくまった。『でしょうね』ってなんだよ、『でしょうね』って。

 

 流石にこの歳で本当にチェリーって訳じゃないけど、それでも精一杯のギャグだったのに。まったく……ん? なんか背中を優しく叩かれた。そうか、流石に言い過ぎたと反省してくれたか。

 

「シェリーの名前は、今日からあなたに譲るわ」

「いらないんですけど。というか、君のはシェリー(さくらんぼ)酒じゃなくてワインの方だろ」

「あら、よく知ってるじゃない」

「そうだ、むしろ僕のチェリーを捧げ──あ、冗談ですごめん本気でドン引かないで」

「近寄らないで、ロリコン」

「いや、キミ本当は十八歳だろ……あ、どっちにしろロリコンか」

 

 まあ十八歳をロリと定義するかどうかは微妙なところだが。宮野志保をロリ扱いすると言うのなら──脳内で彼女を思い浮かべる時、常に裸体を想像しているジンさんがロリコンということになってしまう。

 

 しかしまあ……少し皮肉が入っているとはいえ、クスクスと笑いを零してくれたのは大きな進歩だろう。辛辣な発言もツッコミと考えれば、会話する上での相性も割と良い気がする。

 

 割と簡単に警戒心が減ったのは、彼女が意外とチョロいのか──もしくは、この世界の悪人はボケ役をしないというお約束があるのかもしれない。

 

「そういえば哀ちゃん、なんで一人で帰ってたの? 低学年の一人歩きは危ないぜ」

「他の子はポアロに行ってるの。雑誌で紹介されたとかで」

「──ああ、バーボンと顔を合わせたくないのか」

「…あなたなら知ってるのかしら? あの人がまだポアロに居続ける理由」

「ん……まあ、そうだね。そもそもあの人は──」

 

 歩きながら喋っていれば盗み聞きの心配は少ないと言われているが……一応トーンを落とした方がいいだろうか。まあ哀ちゃん関連のこともバリバリに喋っているので今更だが、なんとなく気分で彼女の耳元へ口を寄せる。

 

 いったいどんな情報が出てくるのかと、哀ちゃんが真剣な表情で顔を寄せてきた──ので、僕は彼女の耳にふっと息を吹きかけた。

 

「ぅきゃぁっ!?」

 

 小さな叫び声を上げた彼女に、僕はさっきの意地悪の仕返しだと言ってどや顔を決めた。やられっぱなしじゃ悔しいもんね──痛いっ! 怒った哀ちゃんの小さい足が、僕の靴にストンプを繰り返す。やめてくれ、靴は一足しかないんだ。

 

「ま、バーボンについてはコナンくんがいる時に話すよ。悪いけど連絡とってもらってもいい?」

「…いいけど、どこで話す気?」

「そっちが決めていいよ。まあ毛利探偵事務所で話す訳にもいかないだろうし、外で話すようなことでもないから──工藤邸か阿笠博士の家がいいんじゃない?」

「…」

「あー……まあ信用はしてもらえないだろうけど、君たちに危害を加える気は一切ないし、不利益になるようなこともしない。それに僕が何も話さないままの方が、そっちからしたら気持ち悪いだろ?」

「…あなたは組織の人間には見えないけど──だからといって無関係だとは思えない。あなたが近付くことで、私たちに組織の目が向くかもしれない」

「その点は信用してもらうしかないね。ただ……この地球上で僕が何者かを知ってる人間は、どこにもいない。それだけは断言するよ」

 

 実はこの体にも過去があった……なんてことは、まず無いと踏んでいる。コナンくんと出会った時に『服も靴も新品そのもの』って言われたけど、まさにそれこそが証明だ。

 

 だってそうだろ? 『そこまで歩いてきた過去』があったのならば、街のど真ん中で()()()()()()なんてありえないのだから。

 

 …まあそんなことまで言う気はないが、しかし言わないとなれば疑われるのもまた然り。当然ながら、彼女も疑念のこもった瞳を向けてきた。

 

「あなた、()()()()んでしょう? 江戸川くんが言っていたわ……でも、それくらいで自分の痕跡を抹消できたなんて思わないことね。過去なんて、誰にも振り切れはしない──いずれ必ず追いついてくる」

「それは君自身が胸に留めておくべきことであって、僕の事情とは関係ないね」

「…それに『アポトキシン4869』の作用は若返りではなく『幼児化』。若返ったという言葉そのものが疑わしいわ」

「僕がそれを飲んだなんて、一言も言ってないけど。それと幼児化に関しては『君が作った薬』の効果だろ? ──ベルモットの存在そのものが、それ以外の効果を持つ薬……つまり『老化の停止』か『若返り』を示唆してる。そもそも君の薬は、焼け残った資料から再現した不完全な代物じゃないか」

「…そこまで知っているあなたが組織に把握されていないなんて、信じられる方がどうかしてる…!」

 

 あらやだ、情報をひけらかせばひけらかすほど信用されなくなってくわ。でも確かにそうか……情報を知っていればいるほど、組織の深いところまで潜り込んでいることの証明になってしまう。

 

 だからこれは僕を疑っているというより、組織がそこまで無能ではないという、ある種の信頼とも言えるだろう。

 

「…君の境遇を思うと、組織を恐れるのは仕方ないかもしれない……でも正直、結構ツメが甘いところはあると思うんだよね。そりゃあ一度でもターゲティングされちゃったら、安心して眠れる気はしないけどさ」

「彼等の詰めが甘いなんて、本気で言ってるの? ──だったら、あなたは組織の本当の恐ろしさを知らないだけよ」

「ええ? そうかなぁ…」

「…なによ。言いたいことがあるならハッキリ言いなさい」

「いやほら、コナンくん関連のとこなんかモロにそういうとこ出てない? 裏取引の目撃者(工藤新一)を消すために使った毒薬が『人体実験はまだしてない新薬』なとことかさ。マウスが死んだから人間も死ぬやろ! の精神は適当にも程があるぜ。しかもそのまま放置して帰るし」

「え…?」

「その状況で死体が発見されなくて、死亡届も出ていない。だってのに、君が『死亡確認』って書き換えただけでそれ以上なにも調べてないのは、詰めが甘いとしか言えないよね」

「…」

「そもそも幹部にしか与えられないコードネームを、スパイの皆さんが拝命しまくってる時点でちょっとどうかと思うし。僕が知ってるだけでもスタウト、アクアビット、リースリング、スコッチ、キール…」

「…!」

「というか組織の最上位クラス──死んだピスコさんも含めて、ラムさんあたりなんかは『幼児化』の可能性があることは知ってるのに……それを前提にして君やコナンくんを捜索したりはしてないんだよね。秘密主義を徹底しすぎて、報連相がちゃんと機能してないんじゃないの?」

「あなた……本当に何者なの?」

 

 情報を出しすぎると疑われるなら、もっと出せばいいじゃないの精神で怒涛の情報開示。とはいえ一応ちゃんと考えての発言だ。

 

 普通じゃ有り得ないレベルの情報量は、『それを知っている』というだけでただならぬ存在だと誇示できる。『知りすぎている』という危険性は、限度を超えると『なぜ死んでいないのか』に置き換わり、逆説的に当人の有能さを示す指標となるだろう。

 

「僕が何者なのかはそこまで重要じゃないと思うんだ。少なくとも、君は僕のことを悪人だって考えてないだろ?」

「…ええ」

「いま君が僕をどう思ってるかは、なんとなくわかるよ。『組織の中核に位置していた重要人物』か『組織の中心部まで潜り込めた諜報員』のどっちかって考えてるんじゃない?」

「──どっちも違うって言いたげね」

「だね。でもさっき言った通り、僕の正体は誰にも明かすつもりはないし、実際に誰一人知ってはいないよ」

「…」

「君が疑ってるのは、あくまで僕の『能力』。要は『お前如きが組織の追跡を振り切れる訳がない』って話だろ? ならそれを解消すればいい訳だ」

「…? それは…」

 

 どういうことだ──と哀ちゃんが問いかけてくる寸前、彼女のスマホに着信が入った。よしよし、そろそろ連絡がくる頃だと思ってたぜ。たぶんあの電話は歩美ちゃんからのもので、とある謎を解くにあたって助力を得ようとかけてきたものだろう。

 

 『ポアロが雑誌に載って、哀ちゃん以外がそれを見に行った』となると、ほぼ間違いなく『三毛猫の飼い主探し』のエピソードと考えられる。

 

 (くだん)の猫『大尉くん』は、最近になってポアロに餌をねだりに来るようになったものの、首輪をつけているところから見て誰かが飼っていた猫だと推測されていたのだが……雑誌に掲載されたことで『自分が飼い主』だと主張する人間が三人も現れたのだ。

 

 それぞれが自分の猫だと譲らない姿勢に、コナンくんと毛利小五郎さん、そしてバーボンが推理していくストーリーである。

 

 最初に名乗り出たお婆ちゃんは『孫の猫が逃げ出したから似た柄のコイツで誤魔化したろ!』というやべぇお人。二人目に名乗り出たのは『高値で売れるオスの三毛猫ゲットだぜ!』などと考えているクソ野郎。猫をそんな目で見るなんてクズの証だよね、まったく。

 

 三人目のおっちゃんが本当の飼い主なのだが……そう、この知識を上手く利用すれば、哀ちゃんから一定の信用を得られるんじゃないだろうか。

 

 さっき言った通り、彼女の心配は『僕が組織を本当に欺けているかどうか』の一点に尽きる。元から関係ないので欺くもクソもないが、哀ちゃんにとってはそうじゃないからそこは仕方ない。

 

 既にコナンくんは誰が飼い主かわかっている筈なので、歩美ちゃんからの電話に意味はないのだが──ここで僕が推理する振りをして、パっと飼い主を言い当てれば有能さをアッピールできるって寸法だ。

 

 やり方がこすっからいけど、この際仕方ない。僕は電話で説明を受けている哀ちゃんにそっと近付いて、スマホを横取りする隙を窺う。

 

『それでね、誰が大ちゃんの飼い主さんだろうってみんな頭抱えてて…』

「ごめんなさい、いまちょっと立て込んでて……江戸川くんがいるならきっと解いてくれる──って、ちょっと!」

「ちょっと借りるぜー……歩美ちゃん歩美ちゃん、それ詳しく教えてくれる?」

『え? えっと……あ! クズのお兄さん?』

「そうそう。いやぁ、歩美ちゃんは今日も可愛いね」

『見えてないのに?』

「僕レベルになると声だけでわかるのさ。それよりさっきの話、僕にも聞かせてよ」

『う、うん…?』

 

 なんのつもりだと瞳で訴えてくる哀ちゃんに、僕は通話をスピーカー状態にしつつ答える。君が僕の能力を疑っているのなら、ここでスパッと推理を披露してそれを払拭してみせようと。

 

 そういう問題じゃないだろうとツッコミが入りそうな解決法だが、そういう問題じゃないことを上手くすり替えて暴論で解決するのが『名探偵コナン』の流儀である。

 

 この世界の推理ショーは、三段論法の二段目くらいから『え…?』とツッコミを入れたくなることも多い。しかしそれで上手くいくのだから、つまりはそれが正解なんだろう。

 

 『組織はそんなに甘くない』→『じゃあ僕が優秀なら大丈夫ってことだよね』→『ヨシ!』なんて、普通に考えたらちょっとアレな論法だ。

 

 しかし哀ちゃんは『そう、じゃあお手並み拝見させてもらおうかしら』とでも言うように腕組みをした。いや、本当にそれでいいのか? 僕から言っといてなんだけども。そもそも推理力があると組織を煙に巻けるってのも意味不明だし。

 

『えっとね…』

「ふむふむ……ほうほう……なるほどなるほど。オーケー、飼い主は最後に来たおじさんだね」

『えっ!? も、もうわかっちゃったの?』

 

 歩美ちゃん側の通話料金を心配しつつ推理の根拠を説明し、チラッと哀ちゃんの方を見る。ちょっと呆気にとられたような表情がキュートだ。

 

 ああ、他人の手柄を横取りするこの感覚……なんか後で痛いしっぺ返しでも食らいそうじゃない? でもちょっと気分がいいのも事実である。チラッ。

 

「ふぅ、またつまらぬ謎を解いてしまった…」

「どこの石川五ェ門よ」

 

 …ん? あれ、ルパン一味もいるの? この世界。えっと……ルパン関連は、僕らの作ったゲームには大人の事情で収録してないから……ううむ。少なくとも『ゲーム』の世界に閉じ込められたって可能性は低くなったな。まあそっちは元々ないだろうと思ってたけど。

 

「これで少しは安心できたかな?」

「…そうね。その分、余計に怪しくも見えてきたけれど」

「ま、その辺は追々(おいおい)だね」

 

 おけおけ、とりあえず交渉の場を設けるという最低限は達成できた。あとはコナンくんに色々と情報を提供して、組織の壊滅を早めると同時に、僕の生活改善も目指すとしよう。

 

 彼は組織の情報を喉から手が出るほど欲しがってて、なおかつ資産家の息子さん。僕は彼が求める情報を持っていて、しかしまともに働くこともままならない最底辺。利害は一致していると言ってもいいからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やっと阿笠博士の家に到着した……あの後スーパーでの買い物に付き合わされたと思ったら、お米やらなにやら重い物を買い込んだ哀ちゃんに荷物持ちをさせられたのだ。

 

 元の体よりは力のあるこのアバターだが、流石に腕が悲鳴をあげている。仲良くおてて繋いでとは言わないが、楽しいお喋りくらいは期待してたのになんて仕打ちだ。

 

「こんなの、車で買い出しするレベルじゃない…?」

「博士は歳だし、私はこの体だもの。ちょうどよかったわ」

「答えになってない気がする…」

 

 玄関を開けた彼女の後ろにくっついて、上がらせていただく。おお……ここが天才発明家こと阿笠博士の家か…! 正直、一番来たかったと言ってもいい場所だ。

 

 博士はゲーム開発も手がけていた筈だし、本当に多才な人物なのだろう。何か参考になる技術があれば教授して頂きたいものだ。

 

「お帰り哀くん……おや、君は?」

「あ、こんにちは──どうもお邪魔してます。コニャックです」

「ちょっと!?」

「冗談冗談」

 

 ん、博士の反応を見るに僕のことはもう話してるみたいだな。どこまでの範囲に話しているか気になってたから試してみたが……この分だと赤井さんやFBIにも話してる可能性が高いか。

 

 この家は彼に盗聴されてるから、どう話すかを考えていたのだが──さて、コニャック発言でこちらにくるか、それとも様子を窺ってくるか。

 

「あ、哀くん! いったい何を考えとるんじゃ!」

「江戸川くんと話したいことがあるんですって。それに私たちのことはほとんど知られてるみたいだし……だったらここで話す方がまだマシでしょ?」

「し、しかし…」

「コニャックってのはコナンくんが聞き間違えただけですので。僕は組織の構成員でもなんでもありませんよ……名前は久住直哉と申します」

「う、うむ……だがしかし──本当に…?」

「というより、本当に組織の人間なら工藤邸と此処はもう焼け跡になってますよ。もちろんあなた方はこの世から消え失せているでしょうし」

「そうかしら? 私にはまだ利用価値がありそうだし、江戸川くんのことを知っているのに手を出していない組織の人間だっているわよ。あなたが何かを企んでいる可能性はゼロじゃない」

「ベルモットのこと? あれはコナンくんだからじゃなくて、彼が『工藤新一』だからだよ。彼女は新一くんに、一度命を救われてるからね」

「…!」

「それと、自分の命に価値があると思って行動するのはやめた方がいい。勘違いからの早まった行動は、ただ命を落とすだけになるぜ」

「…組織には私を連れ戻したがってる人間もいるわ」

「バーボンが君を殺そうとしなかった理由は別にある。それは組織の理念とはまったく関係のないものだから……彼以外に温情を期待するのは無意味だぜ」

「…! どこまで知ってるんだか…」

 

 どう考えても組織の人間じゃね? という表情の阿笠博士。いちいち関係者に会うたびこうなるのかな…? なんか面倒になってきた。やっぱ組織を裏切ったポジで通しといた方がよかったかなぁ……いやでも、それだと犯罪者宣言してるだけだしな。それに知識の偏りが酷すぎて、それはそれで問題が出そうだ。

 

 ──雑談はひとまずおいて、さっさとこの大荷物を整理したい。ここぞとばかりに買い込んでくれちゃって、置くだけでも一苦労だ……まあ僕の分のお菓子も買ってくれたので強くは言わないけど。

 

 無駄金を使う余裕は一切ないので、嗜好品は制限していたのだが……頭脳労働には糖分が必須なのだ。今のところあんまり働かせてないけど。

 

 お米と水と食材を分けてっと。しかし大きい冷蔵庫だな……二人暮らしでこれはデカすぎないか? …ああ、でも少年探偵団とかがよく来るだろうし、キャンプとかも頻繁に行ってるから食材の保管に必要なのか。

 

 むむ、期限切れの調味料とかドレッシングがいくつかあるな……哀ちゃんてば意外とズボラ。博士は見たまんまだけど。

 

 …おっ、玄関の扉が開く音……いよいよコナンくんと話せるのかな? でもなんだか慌ただしく走ってきてるのが気になる。

 

「──博士! 灰原!」

「おかえりー……哀ちゃん、これ賞味期限切れてるぜ。君ってあんまり使わない調味料とか腐らせるタイプだろ」

「私じゃないわよ。博士が物珍しさで買って、一回だけ使ったりするから…」

「オイ灰原」

「今日のお夕飯は生姜焼き? 楽しみだなぁ」

「招待した覚えはないけど」

「オォイ!」

「なによ、騒々しいわね」

「お前なぁ…!」

 

 ん? なにやらコナンくんと哀ちゃんの間に不穏な雰囲気が。ふむふむ……どうやら哀ちゃんが『コニャックに捕まってヤバたん』的なメールを出していたようだ。

 

 彼女とコナンくんが初めて会った時といい、哀ちゃんって割と洒落にならない冗談言うよね。

 

「や、コナンくん。猫の飼い主はちゃんと割り出せた?」

「…! まさか歩美たちに指示を出してたのは…!」

「えっ?」

 

 …あ、なるほど。僕がコナンくんから横取りした手柄を、今度は少年探偵団に横取りされたようだ。なんて(したた)かなちびっ子たちだ。

 

 コナンくんが披露した筈の推理を僕が先取りして歩美ちゃんに話し、それを彼女たちが共有してコナンくんに披露するとか……もうこれパラドックスでは?

 

「えーと……じゃあ改めまして、久住直哉です。あ、子供の振りはしなくて大丈夫だよ」

「…! ──お前は……ここに何をしにきたんだ?」

「いや、敬語をやめろとまでは言ってないんだけど。僕、割と年上だぜ?」

「…ここには何をしにきたんですか?」

「そこまで他人行儀は悲しいよ…」

「どっちだよ!!」

「オーケー、もっとフランクに行こうぜコナンくん。それに僕は君を害する気も、不利益を被せる気も一切ない……神に誓ってもいい」

「神なんて信じてるようには見えねーけどな…」

「じゃあ哀ちゃんに誓おう」

「私に誓ってもらっても困るんだけど」

「じゃあ哀ちゃんが信じる阿笠博士に誓おう」

「ワシはまだ君を信用しておらんのじゃが…」

「じゃあ哀ちゃんが信じる阿笠博士が信じるコナンくんに──」

「信じさせる相手に誓ってどうすんだっつーの!」

「もー、めんどくさいなぁ……ハッ、男なら信じるものなんざ自分(テメェ)で決めなぁ!」

「だから疑ってんだよ!!」

 

 よしよし、どうも交感神経が興奮しっぱなしのようだったから、これで多少は緊張もほぐれたことだろう。逆に活性化したような気がしないでもないが、あんまり張り詰められても困るしね。

 

「さて、じゃあ挨拶も済んだところで本題に入ろうか」

「マイペースじゃのぉ…」

「いやぁ、よく言われます」

「しかしまあ、哀くんが言うように裏の人間には見えんの」

「いやぁ、よく言われます」

「じゃあ裏の人間ってことじゃねーか!」

「コナンくん、疲れない?」

「オメーのせいだよ!!」

 

 どうどう……しかし良いツッコミをする子だ。ツッコミキャラと言う訳じゃないが、内心ではよく突っ込んでるイメージあるよね。特に最後のオチとかで辛辣なセリフを言っている印象がある。

 

「さ、じゃあ交渉といこうか」

「…交渉?」

「色々と気になってることとかあるだろ? 僕はそれに答えられる限り答えようと思う」

「──っ! …今更どういうつもりだ?」

「もちろんタダって訳じゃない。見返りは求めるぜ」

「見返り…?」

「僕が君に要求することはたった一つ…」

「…!」

「家と金だ」

「二つじゃねーか」

「いやぁ、戸籍も身分証もないと想像以上に生きるのが辛くてさ」

「あれマジだったのかよ…」

「住民票だけでもさっさと取得したいんだけど、よく考えたら住民票を得るためには住居がいる訳で。でも住居を得るためには身分証と保証人がいる訳で」

「身分証を得るためには戸籍が必要……ってことか? というかまず、オメーは何者なんだよ」

「それは言えない」

「…」

「でも組織の人間ではないし、彼らに把握されてもいない。それだけは……そうだね、何に誓ってもいい。掛け値なしに真実さ」

 

 難しい表情で考え込むコナンくん。まあそうだよな……流石に怪しすぎるか。でも真実を話すわけにはいかない。それは『真実』が荒唐無稽だからってことではなく──もっと根本的な問題だ。

 

 誰がどんな状況で、いったい何を思ったのか僕は知っている。本人しか知りえない心の内すら言い当てられるなら、『物語として読んだ』という言葉に信憑性を持たせるのは難しい話じゃない。心を読める超能力者か、はたまた『読者』か。どちらかには絞られるだろう。

 

 問題は『その事実』を知った人間がどう思うかだ。いきなり“お前は漫画の登場人物だ”って言われたらどう思う?

 

 しかも目の前の相手がその漫画を読んだ『読者』で、自分のことを『よく知っている』などと言い出したら──そう、“気持ち悪い”以外の感想は出てこないと思う。

 

 どこまで知られているかもわからないのも気持ち悪いし、そもそも『それ』を言い出す無神経さが人間として無理だ。だから、どういう状況になろうが『名探偵コナン』の話を誰かにするつもりは一切ない。

 

 ──それはつまり、情報元を明かすことは絶対にできないということ。となれば、信用されるためには余計に労力が必要になるが、まあそこは仕方ないと割り切るべきだろう。それに自分で言うのもなんだが、コミュニケーション能力は高い方だし。

 

「ま、僕がどこの誰かなんて大した問題じゃないだろ? 重要なのは情報さ。君が欲しいものを僕は提供できるかもしれないし、僕が欲しいものを君なら用意できる」

「いや、家と金とか無茶言い過ぎだろ…」

「またまたぁ。君のパパやママなら、屋敷なんて右から左だろ?」

「要求上がってんじゃねーか!」

「…ダメ? …正直なとこ、カプセルホテルとかネカフェ暮らしが意外とキツくてさ。ゲームも出来ない作れないでストレス溜まるんだよね」

「…“作れない”?」

「え? ああ、一応本職だから…」

 

 変なとこに食いついてくるな……いや、どっちかっていうと僕が変なことを言ったか。でも本当に住居がないってのはキツイ──いや、自分専用のパソコンがないことが一番堪えるのだ。頼むよコナンくん……ん? なんか更に深く考え込んでる。なんだよ、僕がゲームを作ると不都合でもあるのか?

 

 …あ、そういや組織に関係する事件で、ゲームの開発者が結構絡んでたっけ…? そうだ、システムエンジニアと……あとテキーラが死んだ事件もゲーム会社が関係してて……ありゃ、かなり古いエピソードだから頭からすっぽ抜けてた。

 

「組織が板倉さんに依頼したシステムソフト……オメーと何か関係があるのか?」

「ないない、それがどんなものかも知らないって」

「…板倉さんのことは知ってるんだな」

「え? あ、いや……有名なCGクリエイターだしね」

「板倉なんて苗字はざらだ。さっきの質問ですぐ彼に思い至ったのは、組織との繋がりを元から知ってたんだろ?」

「──だったら何?」

「…っ」

 

 基本的にコナンくんのやり口は、相手の言葉尻を捕らえて追及しつつ、精神を追い詰めて自白に持っていくというものだ。となれば、途中で『そうだけど何か?』的なニュアンスを入れれば、精神的に優位に立たれることはないだろう。

 

 まあ本質的にはあまり意味がない気もするけど。『ウンコ漏らしたけど何か?』って言ってるレベルの強がりである。

 

「僕はね、直接的に組織を追い詰めるような情報は持ってないけど……その取っ掛かりになるんじゃないかなってくらいの知識はある。なぜ知ってるかは、さっきも言ったけど“言えない”。情報源としてはとても信用できないかもしれないけど、その選択は君に委ねるよ」

「…!」

「条件は提示したぜ。これ以上は譲らない……いや、最悪お金はいいから登録できる住所が欲しい。それくらいかな」

「…」

 

 …ちょっと想定が甘かったか? もう少しとんとん拍子に進むと考えていたんだけど……うーん、楽観視しすぎたか。

 

 なんだかんだでこう……もっとお人好しな面を出してくれると勝手に期待してたぜ。信じてもらうには今までの言動が怪しすぎたかな…? 悪ノリしすぎか、ちょっと反省。

 

「──いいんじゃない?」

「…灰原?」

「少なくとも、組織の人間って可能性は低いでしょう?」

「そりゃそうだけどよ…」

「様子を見る意味でも、あなたの家を貸してあげるのはどうかしら。()()()()()()()増えても問題ないでしょうし」

「待って待って、それは僕が困るよ。なんでわざわざ火の粉に降りかかっていかなきゃなんないのさ」

「あら、なぜそう思うの?」

「そりゃあだって、あの人は──むぐぐっ!!」

 

 やだ、コナンくんったら積極的……というのは冗談だが、いきなり少年に口を塞がれるとは中々に得難い体験である。しかし意外なところから援護がきたと思ったが、これはたぶんダシに使われただけだな。

 

 工藤邸に住む怪しい男性『沖矢昴』……まあ赤井秀一さんの変装だが、哀ちゃんは彼の正体に興味津々なのだ。僕がポロポロと情報を漏らすもんだから、ついでに試してみようと考えたに違いない。

 

「あのさ、哀ちゃん。彼の正体が気になるのはわかるけど、僕をダシにして情報を引き出そうとするのはやめてよね」

「さあ、何のことかしら」

 

 うーん、コナンくんの目がまた厳しくなったな。赤井さんの生存はトップシークレットだから、それも仕方ない話だけど。なんか他に餌にできそうな情報とかあったかな…?

 

 猫にマタタビ、元太くんにうな重、哀ちゃんにフサエブランド。眠りの小五郎に沖野ヨーコ、キッドに宝石、園子ちゃんにイケメン。各人、好物は様々だが……コナンくんにとってのそれはなんだ?

 

 ──ああそうだ。『謎』こそが彼の大好物だった。

 

「コナンくんは……どうしても僕が何者か知りたいみたいだね」

「んなもん当たり前だろ?」

「だったら賭けをしよう。僕の正体を君が当てられるかどうかの賭けを」

「…どういうことだ?」

「週に一回、君は僕の正体を推理して突きつける。そしてそれが正解なら、僕は嘘偽りなく答えるよ。もちろん当てずっぽうじゃなく、ちゃんと根拠を示してもらうけどね」

「それが本当だって証拠は?」

「人間、どこかに線引きは必要だろ? 何もかもが信用できないなら、君と僕の間に取引は成立しないじゃないか」

「…」

「これが最後。受け入れてもらえないなら、僕はもう帰る」

「…その権利はいま使ってもいいのか?」

「──そうだね。初回だけは取引前に応じよう……まあ情報を提供した後の方が推理の精度はあがると思うけどね」

「…少し考えさせてくれ」

 

 少しうつむいたあと僕から距離をとって、哀ちゃんや阿笠博士から何かを聞きだしているコナンくん。フィッシュ…! 見事に釣れたんじゃないか?

 

 やはり難解な謎こそが彼の好奇を誘う餌だったと言う訳だ。とはいえ、哀ちゃんや阿笠博士に僕の言動を確認したところで、正体に繋がることはないだろう。

 

 こんな超常現象じみたこと、コナンくんは絶対に認めない。ノックスの十戒しかり、探偵の推理とは『現実』という前提の上に成り立っているのだ。僕の存在は完全にルールを逸脱していると言えるだろう。

 

 ──僕に関しての情報を全て聞きだしたのか、真剣な表情でこちらへ向かってくるコナンくん。おそらく『組織の研究者』だとか、どこかの国の諜報員なんてところにあたりをつけてくるだろう。

 

「お前の正体は──」

 

 まあこんなの推理できる訳ないんだから、そもそも(かす)らせることすら無理ゲーだ。オカルトの肯定は、推理の放棄とすら言える。

 

 …卑怯なやり方だけど、ごめんねコナンくん。せめて『どうしてそう思うんだい?』と優しく問い返してあげよう。

 

「──超能力者ってのはどうだ?」

「どっ、どど、どうっ、どどどっ、どっ」

「落ち着け」

 

 …っ!? あ、合ってはないけどにじり寄ってきた…! いや、いやいやいや。とにかく──とにかく動揺したことを誤魔化さねば。

 

 答えは間違ってるんだから否定するのは当然だが……問題は『そっち系』だと確信されたら、何回目かで当てられる可能性があることだ。嘘は吐かないと言った以上、そこに関して偽るつもりはない。

 

 えーと、どうしよう。急に牛の群れの物真似がしたくなったとか……いや流石に苦しいな。コニャックの時と同じく舌を噛んだとか……いや限度あるだろ。

 

 動揺だらけの『ど』に続く言葉で、いま言っても違和感がないもの──あっ、一つあった。

 

「どど、どっ、童貞ちゃうわ!」

「聞いてねえよ!」

「いや、さっき哀ちゃんにさんざっぱらチェリー煽りされたから……つい思い出しちゃって」

「…っ!? 灰原、お前…」

「ちょ、ちょっと! 人聞きの悪いこと言わないでくれる!?」

「言ったじゃないか。『あなたはチェリーでしょうね』とか『シェリーの名前はあなたに譲るわ』とか。否定するんなら、君は嘘つきってことになるぜ」

「そ、それは……その、言ったけど…」

「灰原、おまっ…!」

「違うわよ! その……話の流れとか、あ、あるでしょう!?」

 

 ふー、なんとか誤魔化せただろうか。哀ちゃんの尊厳は犠牲になったが、まあ言ったのは事実だから仕方ない。『どんな話の流れだよ』というコナンくんの視線が彼女に突き刺さっている。

 

 そう……彼は幼い頃から蘭ちゃん一筋で、少し前に告ったはいいものの返事はまだ貰っていない状態の筈。つまりチェリー煽りは彼にも効くということだ。

 

「それで、えっと……そうそう、僕を超能力者だとか言ってたね。面白い推理だけど、どうしてそうなるんだい?」

「──根拠は二つ」

 

 呆れた様子から一転、すっと指を二つ上げて眼鏡を光らせるコナンくん。そういえば一時期のアニメでは、ピッカピッカピッカピッカとやたら眼鏡を光らせてたなぁ。どの監督の時とは言わんけど。

 

「ベルツリー急行の事件……キッドに協力してもらえたのは偶然の要素が大きかった。他に策は用意してたが、まずアイツに会えるかどうかもわからなかったからな」

「ふむふむ」

「つまり、事前にそれを知るのは不可能。だからって事後にそれを知れるかっていうと、それも難しい……経緯を知ってる人間自体限られてるし、不用意に漏らす人間もいねえからな。『組織とは関係ない』ってオメーの言葉が真実なら、ベルモットに聞いたって線も消える」

「…なるほど」

「そしてそれ以上に不可解なのが、この前のクール便の事件だ」

「…なんで?」

「暗号を見たお前は、バーボンに指示して()()()()()()()()()()()()らしいな? どこへ届ける荷物があるのか、どの順番で配達するかも不明だったあの時にそれを予測するのは絶対に不可能──それこそ未来予知でもしねえ限りな」

「あー…」

「もしオレか灰原に盗聴器を仕掛けてたとしても、声だけで状況を把握するのはかなり難しかった筈だ。犯人に気付かれないよう、全員小声で話してたからな」

「むむ…」

「それに朝からあの時まで盗聴器を付けられるような隙はなかった……もし灰原に付けてたんだとしても、あの時はパンツ一丁になってたからそれも──イデデデッ!? 何すんだオイ!」

「物知りな探偵さんも、デリカシーって言葉は知らないみたいね?」

「イツツ……ったく……ええと、そう……つまりオメーの知識は“知りすぎてる”ってよりも“知りえない事を知ってる”って言った方がしっくりくるんだ」

 

 おお…! いや……ほんとパないな。流石は平成のシャーロックホームズ。しかしハズレはハズレ、大人しく受け入れてもらおう。正直いつかは見透かされるような気がしてきたけど……ま、その時はその時か。

 

「残念だけどハズレだね」

「…」

「…」

「…ま、そりゃそうか。オレもちょっとありえねーって思ってたからな」

「だったらもっとそれっぽい答えにしときゃよかったのに…」

「存在が冗談みたいな奴にはちょうどよかっただろ?」

「あ、ひどっ!」

 

 おっ…! コナンくんがニヤリと笑いかけてくれた。これはでかい、何よりもでかい一歩だ。もしかしたらチェリー的な意味での仲間意識が芽生えたのかもしれないな。だとすると裏切ってて申し訳ないけど。

 

「…次は本気で当てにいくぜ?」

「おっと、じゃあ取引は成立ってことでいいのかな?」

「ああ。流石にお前みたいな奴が組織の仲間とは思えねぇからな…」

「チェリーがってこと?」

「ちげぇよ!」

「まあでも、悪の組織の人間がそっちの経験ないってなるとちょっと笑えるよね──あっ……んんっ! 失礼」

「なんでこっちを見るのよ」

「ちなみにジンとベルモットはそういう関係だったことがあるらしいぜ」

「オメー本当に信用させる気あんのか?」

 

 何はともあれ、これでちゃんとした家に住める…! 環境さえ整えば、腕一本で稼ぐことは難しくない。こう見えてもゲーム開発に関しては第一人者だ。スキルの多さで言えば日本一との自負もある。阿笠博士あたりに口座を貸してもらえば、何かしら自作して売ることもできるだろう。

 

「じゃ、コナンくん。パパに頼んでお家買ってくださいな……あ、家具と高性能PCは備え付けでお願いね」

「もうちょっと遠慮しろよ……つーかどんだけ手続き必要だと思ってんだ。そんなすぐって訳にはいかねーよ。それにオメーの情報にそれだけの価値があるかもまだわかんねーしな」

「えー……ちぇっ、まだしばらくは根無し草かぁ」

「ふむ……ワシの家でよければ、しばらく滞在してもらっても構わんが。新一が信用すると決めたのなら問題ないじゃろうし」

「えっ?」

「む?」

「…あの、正気ですか? こんな怪しい人物を泊めるとか」

「自分で言うのはどうなんじゃ…?」

「その、本気ならありがたいですけど……あぁっ! さすが黒ずくめの女ですら受け入れる聖人っ…!」

「喧嘩売ってるなら買うわよ」

「あのあの、阿笠博士って『コクーン』の設計に関わってるんですよね?」

「コクーン? …ああ、あの仮想体感型ゲーム機のことかのう」

「それです! できればその、あの、色々と教えて頂きたいなと!」

「うーむ……ワシも手伝ったとはいえ、あれの大部分は死んだ樫村くんが手がけたものじゃし──それに、ゲームに関する全てをノアズアークが消し去ってしまったからのう…」

「ガーン…!」

「DNA探査プログラムも含め、悪用しようと思えばいくらでも出来る代物じゃったからの。全てを消し去ったのは英断だったとワシは思うが…」

 

 …科学者にとって倫理は障害でしかないが、阿笠博士はとても人の良い御方らしい。まあ組織に追われる哀ちゃんを受け入れる時点で、おそろしく情に厚い人物だし、それも当然といったところか。

 

 しかし阿笠博士の家に滞在できるとなれば、それはもう技術者にとって天国のような毎日だろう。ぶっちゃけラッキー…!

 

「っていうか博士、私の意見は無視?」

「おお、すまんすまん。哀くんも楽しそうじゃったし、問題ないかと思ってのう」

「いやぁ、見抜かれちゃったね哀ちゃん」

「外で野垂れ死ねば?」

「あ……そうだ阿笠博士。居候の身ですし一部屋まるまる頂くのも悪いので、哀ちゃんと同部屋で結構ですよ」

「本気で追い出してほしいみたいね」

「冗談だって。いやほら、天才発明家の傍で生活できると思うとテンション上がっちゃって」

「“自称”だけどな…」

「コレ、何を言うか新一! ワシは自他共に認める天才発明家じゃ!」

 

 …しかし仲良くなるだけでも一苦労だな、まったく。まあ生活の心配がなくなったのは大きいし、加えて結構な打算もある。

 

 ──コナンくんの人脈は、はっきり言って凄まじい。そして戸籍関係が金だけでどうにかならなかった場合、次に頼るべきは『コネ』だ。

 

 警察関係者、あるいは『士業』……特に弁護士などの後ろ盾ができれば、ただの一個人がギャーギャー騒ぐのとは雲泥の差である。そうでなくとも、毛利小五郎のような有名な人間との付き合いはプラス要素に働くだろう。

 

 金でどうにかなるのは住民票までで、戸籍は流石に厳しいだろうから──次善の策くらいは用意しとかなきゃね。ではでは、これからよろしくコナンくん。



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五話

彼女に唐突に振られて、理由を必死に聞いても教えてくれず……本当に胸が苦しくなったところで、ハッと眠りから覚めて夢だと気付きました。
でも本当に夢だったのか不安になって、すぐに連絡をとろうとスマホを手に持った瞬間、そもそも彼女なんていなかったことを思い出しました。

架空の存在に対してここまで喪失感を覚えるなんて、人間の脳ってすごい。

あ、あと原作最新話付近までのネタバレ注意です。


 さて、取引に応じてくれたので情報のやり取りを行わなければならないのだが──全ての情報を開示するという訳にはいかないのが実情である。

 

『原作の流れをなぞらなければマズイ』などとは思っていないが、どの情報が何に影響するかくらいは考えて発言すべきだろう。まあ原作通りに行こうが行くまいが、彼らの優秀さを考えれば大抵のことは乗り越えられるとは思うけど。

 

 ──それでも組織を効率よく潰してもらおうと考えるならば、僕が渡す情報は『キュラソー』か『ラム』の確保に繋がるものがベターだろう。

 

 前者は劇場版に出てきた組織の人間であり、ラムの腹心かつ組織の情報を多く持つ幹部の一人だ。後者は組織の中でトップに近い地位を持つ人物で、実質的に組織を動かしている可能性が高い。

 

 彼らを捕縛するにあたっての問題は、まず両方の確保を選択するのが難しいという点にある。

 

 そう……原作でラムが自分から動き出したのは、優秀な手ゴマであるキュラソーが死んでしまったからだと僕は見ている。しかし『死』ではなく『拘束された』となると、たぶんラムは警戒して出てこなくなると思うんだよね。

 

 キュラソーは事故で記憶喪失になり、その期間中に少年探偵団に(ほだ)され、記憶を取り戻した後は組織を裏切り、そして自分の命と引き換えにちびっ子たちを救った人物だ。

 

 その点だけを見れば善人になり得る素養はあるのだろうが、それでも記憶喪失になる前のキュラソーが残忍な悪者と言うのは事実である。

 

 まあ会ったこともない人間をどうこう言うつもりはないが、重要なのは『どちらを取るか』という選択だ。ラムを優先する……つまり彼が出てくるまで傍観するとなると、キュラソーを含めた数人が死ぬのを見過ごすってことになる。

 

 一つ間違えばバーボンやキールを含むスパイ組が全滅するし、下手すりゃ巨大観覧車がパンジャンドラムと化して数百人規模のミンチが量産されるかもだ。だからコナンくんには、そこの是非を問う必要がある。

 

「それで、組織を追い詰める取っ掛かりになる情報ってのはなんなんだ?」

「…そうだね。まず二つの選択肢があって……『組織の幹部の中でもかなり情報を持ってる人物』か、更に上の『組織の中核』を確保できる可能性。ただし両方は選べない」

「…わざわざそういう言い方をするってことは、後の方にはデメリットがあるんだな?」

「だね。前者のコードネームは『キュラソー』、後者は『ラム』。でもキュラソーを確保しちゃうと、ラムを捕らえるのはかなり厳しいと思ってもらっていい。だから組織を潰したいだけなら後者を選ぶべきなんだけど…」

「…けど?」

「問題はキュラソーを放置すると、最低でも三人……多ければ数百人単位で死者が出るかもしれないってことだね」

「…! どういうことだ?」

「詳細は言えない」

「それは……お前の正体に繋がるからか?」

「限定的にイエス、かな」

「…組織と繋がりがないってのは事実なんだな?」

「イエス」

 

 顎に手を当てて考え込むコナンくん。多少の信用は勝ち取ったものの、いちいち情報の制限をしていればやはり疑いは深まってしまうだろう。仕方ないとはいえ、難しいものだ。

 

「…先にルールを決めていいか?」

「ルール?」

「情報のやり取りをする上での、オレとお前の取り決めだ」

「ふむふむ」

「まず一つ。『嘘を言わない』」

「──オーケー。嘘は言わない」

「二つ。知らないことは“知らない”で、言えないことは“言えない”で、言いたくないことは“言いたくない”で返すこと」

 

 む……『知らない』はともかく、『言えない』と『言いたくない』は同じようでいて、しかし僕の正体を推測するにあたっては割と重要な違いだ。

 

 どうするかなー……そもそも推理ゲームという時点で僕にとってはかなり不利な条件だが、それを許容したのは(ひとえ)に『有り得ない事実』が答えだからだ。

 

 当てずっぽうなら当たらなくもないが、『明確な根拠を示す』という条件を提示することで、答えを難解にしているわけだ。それでもコナンくんは頭脳を駆使し、可能性を一つずつ潰して真実に近付こうとしている。

 

 ──彼にとってはこんな駆け引きこそが、謎解きを楽しくするためのスパイスなんだろう。もちろん僕だってこういうレトロなゲームは嫌いじゃないけどね。

 

「…オーケー。ただし君が真実に辿り着いたその時は、それを誰にも言わないって約束してくれるなら」

「ああ、わかった」

「ルールはそれだけでいいのかな?」

「おう。それで……そのキュラソーって奴を捕まえる算段はついてんのか?」

「…ラムの方はいいのかい?」

「組織の情報を優先して犠牲には目を瞑れってか? そんなもん選択肢にすら入んねーよ」

「──ふっ、それが聞きたかった」

「ブラック・ジャックかオメーは」

 

 まあ彼が犠牲を無視するなんて露ほども思ってないけど、改めて口に出されると凄くカッコいいな。それになんともレスポンスがいい少年である。打てば響くとはこのことだろう。

 

「キュラソーを捕まえるって言われてもねぇ……そもそも僕が提供できるのは情報だけだぜ。それをどう活かすかは君次第さ」

「…その情報ってのは?」

「近々、キュラソーが公安に忍び込んで『ノックリスト』──組織に潜入してるスパイのリストを盗もうとしてるみたいでね。当然、そんなリストを手に入れるには公安本部への侵入が必須だ。来ることがわかってるなら打てる手はあるんじゃないかなって」

「…! 公安は組織のことを把握してるのか?」

「そりゃあ各国、公式非公式問わず組織を探ろうとはしてるさ。FBIだってそのために日本に来てる訳だし、キールを味方に付けた君ならそのくらいは想定してるだろ?」

「…“それ”を知ってる理由は?」

()()がキールのことなら、“言いたくない”だね」

「…」

 

 元々のストーリーでも公安はキュラソーを待ち構えていたが、お世辞にも準備万端とはいえず、実際に取り逃がしてしまっている。しかし組織の中でも上位かつ手強い存在がくると知れば、もうちょっと人員を増やす可能性はあるだろう。

 

「ちなみにキュラソーは女性だけど、組織の中でもバリバリの武闘派だぜ。人の知能を持った猛獣を想定するくらいでちょうどいいと思う」

「つっても、それを公安に伝える手段が…」

「バーボンを頼るといい。彼は公安から組織に潜り込んだスパイだから」

「…!」

「ま、僕の情報を鵜呑みにするわけにもいかないだろうし、彼が本当に公安かどうかは自分の目で判断しなよ」

「けど、その見極める時間が…」

「近々動くとは言っても、まだ時間はあるさ。たぶんベルモットからバーボンへ警告が入ると思うから……それを合図に警戒を強めて──って伝えればいいんじゃないかな。あ、僕の名前は出さないでね」

「ベルモットから? …いったいあいつの目的はなんなんだ? それにオレのことを組織に報告してないのも、『工藤有希子の息子』だからって理由じゃ弱い気がすんだよな…」

「彼女の目的は“知らない”。ただ組織の中で特別扱いされてるのは確かだね……推測だけでいいなら、ボスの血縁あたりじゃないかとは思ってるけど。あと組織に対して隔意があるのは確かかな──まあ彼女に関してはバーボンが情報を掴んでるみたいだから、信用を得られたら聞いてみるのも手だね」

「…」

「どしたの?」

「…『組織と関係ない』ってのと、そこまで内情を知ってるって事実が矛盾しすぎてんだよ。嘘をついてるわけでも超能力者でもねーってんなら、後は──」

「はいストップ。それはまた一週間後にね」

 

 細かいルールを決めていないからこそ、僕らの質疑応答には暗黙の了解があって然るべきだ。“聞きすぎ”は推理の否定に繋がる。全ての質問に是と否で答えてしまえば、いずれ真実に辿り着くのは間違いないのだから。線引きが曖昧だからこそ、自身で律するべきだと僕は思う。

 

 もちろんコナンくんもそれを理解してるから、僕の言葉に軽く頷くと、それ以上追及してくるようなことはなかった。そしてその後は、僕が把握している組織の構成員の情報と、人物相関図……特に誰が誰を嫌っているかや、ある程度の上下関係を伝えた。

 

 役に立つかどうかは疑問だが、しかしコナンくんなら、その心理を利用して悪辣(あくらつ)な罠を仕掛けるくらいはやってのけそうだ。彼って推理ショーで犯人を(はずかし)めるのが趣味なとこあるし。

 

「──ま、僕から出せる情報はこんなとこかな。ぜひともコナンくんには組織を壊滅させてほしいとこだね」

「…それはオメーにもメリットがあるってことか?」

「んー……そこに関しては何とも言えないかなぁ。好むと好まざるに関わらず、運命ってやつが僕を放っておいてくれない可能性もあるからね──ちょっと哀ちゃん。いま鼻で笑わなかった?」

「こんなに気障なセリフが似合わない人間っているのね…」

「む…! …ふふん、こんなので笑ってたら愛の告白を受けた時とかどうするんだい? たとえばそう、()()()クサいセリフを言われることだってあるかもしれないぜ」

「…?」

『オレがホームズでも無理だろうぜ。好きな女の心を正確に読み取るなんてことは──』

「だあぁぁ!! おまっ、なっ…!」

『オメーは厄介な難事件なん──』

「だからヤメロっつーの!」

「そんな気障な告白、受けた方はたまったもんじゃないわね」

「ぐっ…! は、灰原、オメーなぁ…!」

「あら、まさか貴方のことだったの?」

「くっ……つーか久住! いくらなんでもそれ知ってんのはおかしいだろうが!」

 

 おっと、売り言葉に買い言葉で無駄に情報を漏らしてしまった……哀ちゃんに売られてコナンくんに逸らしたとも言えるけど。まあこの程度ならいくらでも言い訳は思いつくから大丈夫だ。

 

「あんな公衆の面前で痴話喧嘩しといて、おかしいもクソもないだろ? アジア人の男女が異国の大通りで痴情のもつれ……噂にならないと思う?」

「…けどよ、あの時あっちにいなけりゃ得られるような情報でもねーだろうが」

「んー……僕は現地にいた訳じゃないけど、ちょうど爆弾事件の裏で『イギリス情報局秘密情報部』──“SIS”が、組織とごたごた起こしててね。あの時のロンドンは、ちょっとした抗争状態だったのさ」

「…っ! それは──」

「今は“言えない”だね」

「…わーったよ。けど言えるようになったら教えろよ」

 

 『ちょっとした抗争状態だった』から、色んな情報が行き交い、各組織ともアンテナが高くなっていた……という含みを持たせただけであって、今のは嘘をついた訳じゃない。頭のいい人間ってのは察しがよくて助かるね。

 

 それに世良ちゃんとメアリーママの事を言い出すと、会話を盗聴してるであろう赤井さんも穏やかではいられないだろう。家族が逆鱗という可能性もあるし、これは僕の安全という意味で『言えない』だ。

 

 それに赤井さんだって、自分のママとベルモットがディープキスをしたなんて聞きたくないと思うの。四十歳以上の女性同士でベロチュー描写とか、青山先生はいったい何を考えて描いたんだろうか……まあ声優も百合営業をする時代だし、今更か。深くは考えまい。

 

「とりあえず現状で話せる情報はこんなとこかな……役に立ったかい?」

「まぁな。あとはキッドのことだけど──」

「彼については何も話さないよ。恩人だからね」

「…犯人隠避(いんぴ)になるかもしれねーぜ?」

「『知ってることを話さない』だけじゃ罪にはならないからねぇ。そもそも君が言えた義理かい? 彼とイチャイチャ馴れ合ってる時だってあるくせに」

「イチャッ…!? も、もうちょっと言い方あんだろーが!」

 

 場合によっては腐の温床になりかねない世界だからな……コナンくんだって、いつの間にか蘭ちゃんではなくバーボンと掛け算してる可能性もある。僕はノーマルだから、変な目で見ないでよね。

 

「だいたい罪が云々(うんぬん)とか言い始めたら、毛利小五郎さんに麻酔なんか打ってる時点で『向精神薬取締法違反』とか『傷害罪』が適用されるんじゃ…?」

「あっ、ボクそろそろ帰る時間だー!」

「都合のいい時だけ子供の振りを…!」

 

 慌てて帰り支度をしながら玄関へ向かうコナンくん。まあ真実を追及するためとはいえ、彼って訴えられたらヤバいことはいくつもしてるからな。

 

 サッカーボールで気絶させた人間も両手の指じゃ足りないだろうし。スケボー爆走で道交法違反はお手のもの、サッカーボール花火なんて爆発物取締罰則に喧嘩売ってるレベルだ。通報すれば阿笠博士まで芋づる式に逮捕されるまである。

 

 ──見送るために彼の背を追ったが、阿笠博士と哀ちゃんは構う素振りもない。家族同然に出入りしてるから、いちいち見送ったりはしないんだろう。

 

「じゃね、コナンくん……あ、情報とかそういうのは抜きにしても、仲良くしてくれると嬉しいな」

「ならもうちょっと信用させる言動しろってんだよ…」

「僕の正体以外については、真摯に対応してるつもりなんだけどねぇ」

「そこが一番重要じゃねーか」

「人の正体なんてのはね、付き合っていく内に知ってくものであって、最初から決めつけるもんじゃないと思うんだ」

「バーロー、最初から怪しい奴は別だろうが」

「ま、その辺は行動で示してくよ……これからよろしくね、コナンくん」

「…おう」

「あと会話ぜんぶ赤井さんに盗聴されてたと思うんだけど、よかったの?」

「え? …あぁーっ!?」

「えぇ…」

「クソッ、灰原があんなメール寄越すから忘れちまってた…!」

「まあ君が来る前に『工藤新一=江戸川コナン』ってもう言っちゃってたけど」

「おい」

「でも薄々は勘付いてそうだったの、君だって自覚してるだろ?」

「…まあな」

「だいたいさぁ、もう少し仲間同士で連携とった方がいいと思うんだよね。FBI側に関しては、機密保持とかもあるだろうから軽々(けいけい)に君へ話すわけにもいかないだろうけど……君が事情を話してないのは、デメリットの方が大きいんじゃないの?」

「秘密ってのは、知ってる人間が多けりゃ多いほど秘密じゃなくなってくからな。FBIを疑ってるってわけじゃねぇが、あんまり吹聴する気はねーよ」

「ふーん……ま、君がそう言うんならそれが正しいんだろうね」

 

 僕は読者視点だったから『味方』を『味方』としてしか認識していなかったが、通常の人間関係において手放しで誰かを信用するのは難しい。そもそも利害が一致してるから協力してるだけであって、FBIは日本の味方ってわけじゃないしな。

 

 僕がうんうんと頷いているのを胡乱気(うろんげ)に見ながら、コナンくんは手をひらひらとさせて離れていった。『博士と灰原に手間かけさせんじゃねーぞ』とのお言葉を頂いたが、僕は子供か何かか? …去っていく彼の背を見ながら、僕はポツリと呟く。

 

「くくっ、これが二人との今生の別れとも知らずに…!」

「おぉい!?」

 

 サムズアップしながら冗談だと告げたら、コナンくんは肩を脱力させながら呆れかえった。そして僕が笑いながら小さく手を振ると、苦笑気味に振り返して彼は去っていった。

 

 ──さて、夕飯の準備でも手伝うとするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 阿笠博士の家に転がり込んでから一週間と少し経過したが、割と平穏な日々が続いていた。よくよく考えれば、名探偵コナンという作品において阿笠博士や少年探偵団が関わる事件って意外に少ないしな。

 

 アニオリでの少年探偵団編はやたらと多いが、それでも全体の割合で考えれば大した数じゃない。これは灯台下暗しってことでいいのか…?

 

 まあ生活の大部分が引きこもり状態だったから、なんのフラグも発生しなかったという解釈もできるけど。それにこの体が事件と関わりやすい性質を持っていたとしても、『聖域』はちゃんとある。

 

 たとえば『小学校』……事件そのものはいくらでも起きるが、殺人事件はほぼ起こらない。過去に事件があって、その死体が出てきたとかならともかく、リアルタイムで殺人が発生することはないのだ。殺人未遂は割とあるけど。

 

 同様に、工藤邸や阿笠邸では本筋のストーリーを邪魔するような事件が起きにくいようになっている。まあ毛利探偵事務所は、二階の事務所に入るとだいたい何かしら発生するけど。

 

 強制イベはそんなにないけど、依頼は頻繁に舞い込むからね……原作だと暇を持て余していることが多いけど、そこはゲームの都合である。

 

 ここがゲームの世界って可能性は低いにしても、事件を引き寄せる体質がアバターに準じているなら、特定の場所でマイナスの蓋然性(がいぜんせい)を期待するのは間違ってないと思う。

 

 とはいえ居候として雑用は進んで引き受けるべきだし、買い出しもそれに含まれるから外出しないのは無理だけど。

 

 スーパーまでは往復一時間もかからないものの、ここは死の街『米花町』。ヨハネスブルグを歩くぐらいには警戒して外出するべきだ。

 

 今も買い出しで家を出ているわけだが、目的地が目前に迫った頃──遂にと言うべきか、彼女たちは現れた。美少女JKが三人と、その傍らを歩く眼鏡の少年……コナンくん。

 

 普通に考えれば、蘭ちゃんと園子ちゃんと世良ちゃんの三人だろうか。コナンくんはまだこちらに気付いていないから、避けようと思えば避けられるが……もちろんそんなことはしない。友達を見つけて声もかけないなんて、そんな失礼なことってないぜ。

 

 けして『鈴木財閥のお嬢様の覚えを良くしときたい』なんて思ってはいない。『いつかスポンサーになってくれないかな』なんて思ってはいないのだ。僕は小走りで駆け寄って、精一杯の笑顔で彼の名を呼んだ。

 

「やっほー、工藤くーん!」

「バッ…! おま、ちょっ…」

 

 うーん、慌ててるコナンくんも可愛い。でも今までだって服部くんにそう呼ばれまくってんだから、そんな焦らなくとも。というか蘭ちゃん以外の人間の前では普通に工藤って呼んでるけど、他の人は気にならないのだろうか。大滝警部とかさ。

 

「あの、いまコナンくんのこと『工藤』って…」

 

 蘭ちゃんが疑問符を浮かべながら聞いてきた。後ろの世良ちゃんは『やはり』といった風な雰囲気を見せ、園子ちゃんは『誰コイツ』的な視線を隠そうともしない。庶民派のお嬢様ではあるが、それでも金持ち特有のアレな部分はあるよねこの娘……おっと、先に言い訳をしとかないと。

 

「ちゃうちゃう、工藤やなくて極道や! ご・く・ど・う!」

「余計におかしくない!?」

「ほら、コナンくんって大きくなったらベッドヤクザなイメージあるから」

「べ、べっどやくざ…?」

「それはともかく、ああ……コナンくん、少し見ない内に大きくなって」

「昨日会っただろうが──あ、会ったでしょ? 直哉兄ちゃん」

 

 コナンくんを持ち上げて、独楽みたいにくるくると回転する。『直哉兄ちゃん』だって、『直哉兄ちゃん』。ははは、こやつめ。

 

 まあベッドヤクザかどうかはともかく、犯人の追い詰め方は極道も真っ青なとこあるからね。でも足をバタバタさせて抜け出そうとしてる様子は、そんな恐ろしい一面をまったく感じさせない。

 

 しかし彼女が『毛利蘭』か……妙だな、頭に角がない。凶器にすらなりそうな、そびえ立つあの角が。現実的に考えればあの髪型はありえないだろうが、それでもマジマジと見つめずにはいられない。蘭ちゃんといえば角、角といえば蘭ちゃんなのだから。

 

「あ、あの……私の髪に何か付いてる?」

「いや、何も付いてないのが奇妙(おか)しくて…」

「どういう意味!?」

 

 顎に手を当てながら観察すること数秒、とりあえず無いものは無いのだから気にしても仕方ないか。釈然としない表情の蘭ちゃんに軽く会釈をして、隣の世良ちゃんに視線を移す。

 

 赤井さんの妹にして、哀ちゃんの従姉妹(いとこ)の女子高生。八重歯がチャームポイントで、ボーイッシュな衣装を好む女の子だ。

 

 作中でよく貧乳をネタにされるが、『名探偵コナン』の作風で“貧乳ネタ”を入れてくるのってちょっと違和感があったのをよく覚えている。そもそも貧乳弄り自体、ちょっと古臭い感じするよね。

 

 二周ぐらい回って逆に新しいような気がしなくもないが、最近はポリコレ的にあんまりそういう描写を見かけないからなぁ……でも確かに貧乳だ。というか無乳?

 

 男の子に間違われる描写が結構あったけど、これなら納得だ。この体型で男っぽい服装をすれば、パッと見はそう見えなくもないだろう。顔が完全に美少女だから、近くに寄れば一目瞭然だけど。

 

「…なんだよ、ボクの胸に何か付いてるのか?」

「いや、何も無いのが可笑(おか)しくて…」

「失礼すぎないか!?」

「ごめんごめん、すごく可愛い娘だったからつい揶揄(からか)いたくなっちゃってさ」

「背中に話しかけるなぁ!! ボクの胸と背中が区別つかないってのか!?」

「ううん、顔が美しすぎて直視できなかったんだ」

「えっ……や、やだな、そんなことないって…」

「確かに」

「蹴っていいか?」

 

 胡散臭そうなものを見るような表情で僕を観察してくる世良ちゃん。コナンくんもそうだったけど、この世界の探偵ってホント人間観察が当然みたいなところあるよね。

 

 ──最後に園子ちゃんへ視線を移してみると、なにやらコナンくんの首根っこを引っ掴んでいた。

 

「ちょっとガキンチョ、誰よこの失礼な奴……って、な、なに? 私の顔、なんか付いてる?」

「いえ、あまりに美しかったので見惚れてしまって」

「へっ? …そ、そう? ──うんうん! アンタ見る目があんじゃない!」

「待った園子君。何か企んででもなきゃ、君に見惚れるなんてことある筈が──」

「ひどくない!?」

「くっ、なぜバレた…!」

「ホントだった!」

「あ、いや、企むってほどのもんじゃなくて……その、なんて言えばいいのかな。大金持ちのお嬢様から少しでもお金を引っ張れないもんかと…」

「本音が過ぎる!」

「ところで自己紹介はまだかな?」

「なんなのコイツぅ…」

 

 ──もうある程度この世界の技術レベルも把握できたし、僕のスキルでも充分にやっていけるのは確信している。もちろんクリエイター業においてヒット作を飛ばせるかどうかは水物だが、『知識』は財産だ。

 

 ソフトウェア特許とプログラム著作権──いわゆる知的財産になる技術が、前の世界とは違って登録されていないものがいくつかある。

 

 根本的な設計概念が違う部分も多々あったから、僕が学ぶべきものも沢山あるし、逆にこの世界へもたらすことができる技術もある。その辺、色々と利用していけば充分な利益を叩き出せるだろうが──肝心なゲーム製作費用に関しては、やはりスポンサーの有無がものを言う。

 

 フリーゲーム程度ならともかく、コクーン並みのVRゲームを製作しようと思えば、競馬での儲けなんかちょっとした足しにしかならないだろう。

 

 鈴木家はこの世界でも有数の財閥だし、バックについてくれれば嬉しいと思って彼女におべんちゃらを使ってみたのだが……うん、慣れないことはするもんじゃないな。

 

 微妙な雰囲気のまま自己紹介が始まり、三人娘が実際に『毛利蘭』『鈴木園子』『世良真純』だと確認できたわけだが──なにやら彼女たち、このままコナンくんを連れて世良ちゃんのホテルへ遊びに行くらしい。ということは、原作八十三巻の『恋愛小説家』の事件の時かな?

 

 …どうしたもんだろう。どこで誰が殺人を犯そうが、僕に関係ないなら特に気にはしないつもりだが……ちょっとした一言で悲劇が回避できるなら、口を出す程度の良識はある。

 

 ただ初対面の女子高生のお茶会についていく理由がない……というか『僕も行っていい?』とか言い出したら、絶対にドン引きされるだろう。

 

 んー……あ、そういや犯人になるかもしれない人は売れっ子小説家だったっけ。ハゲの犯人に向かってコナンくんが『この人がシャンプーなんて使うわけないよね?』などと鬼畜発言を放つ回だ。ナチュラル畜生にも程がある。

 

 まあそれはともかく、世良ちゃんは同じ階にその小説家が宿泊してるって知ってたから……その話に水を向ければ自然についていけるかもしれない。ダメだったら諦めよう。

 

「じゃ、僕はこのへんで。帰って『電話と海と私』の続きを読むんでね」

「あ、それ私も読んでる! 早く下巻が出ないかなーって…」

「うんうん、面白いよね火浦京伍の作品」

「へぇ……確かその人、ボクが泊まってる部屋のすぐ近くで缶詰めしてたよ」

「わあ、ほんと? …だったら僕もついていっていいかな。サイン貰えたら嬉しいし……あ、君らの女子会にお邪魔するってわけじゃないからさ。会えなかったらすぐ諦めるつもりだよ」

「別にいいけど……ふぅん」

「…」

 

 なにやら世良ちゃんとコナンくんに怪しまれている。ちょっと演技臭かったか? この世界の探偵って明らかに俳優適性ありそうな『役者』ばっかりだし、人一倍そういうのに敏感なのかもしれない。

 

 とはいえ、彼女たちがお喋りしてる間にちょちょっと『お話』するだけだし、コナンくんの動向と盗聴器にさえ気を付けていれば問題はない筈だ。

 

「そういやコナンくん、哀ちゃんたちは?」

「なんか用事があるとかで先に帰っちまったけど……なんも聞いてねーのか?」

「聞いてないねぇ。はて……あ、まさか僕への歓迎サプライズパーティーの準備…!?」

「遅すぎんだろ…」

「やーい、コナンくんだけ仲間ハズレー」

「小学生かオメーは」

「な、仲いいね二人とも…」

 

 蘭ちゃんが目を点にして僕らを見る。ふふふ、この一週間ちょっとで更に仲を深めた僕に隙はない。そうだ、ポスト服部平次でも狙ってみよう。いつか『せやかて工藤!』って言ってやるんだ。ちなみにかなり有名なこのセリフだが、実際に使われたことはないらしい。

 

 蘭ちゃんに指摘されたことで慌てて猫を被ったコナンくんだが、こういった際の彼を見て彼女はどう思ってるんだろうか。もし僕がこんな二面性のある子供を目撃したら、二度と『純粋な子供』という存在を信じれなくなる自信がある。

 

「というかどこで知り合ったんだい? 小学生と高校生が友達になるシチュエーションって、あんまり想像つかないけど」

「それに哀ちゃんとも知り合いみたいだし…」

「ああ、阿笠博士の家に居候してるからその関係でちょっとね。あと僕、高校生じゃなくて二十歳だから」

「えっ? ──ご、ごめんなさい! てっきり同じくらいかと思ってました!」

「いやまあ同じくらいなんだけど、設定上は二十歳ってことにしてるっていうか…」

「せ、設定上…?」

「ちょっと生まれが複雑で、無戸籍状態なんだよね。いま就籍申請はしてるけど、未成年じゃなにかと面倒だから成人ってことにしてるのさ」

「へー、ガチで怪しい奴だったわけだ…」

「…まあ、世間一般的に見ればそうだね」

「そ、園子!」

「へっ? あ……ご、ごめん、つい…」

「いいよ、気にしてないから。ただもう少し──自分の発言がどう受け取られるかは気にした方がいいと思う」

「う…」

「心の傷ってのはそう簡単に治らない。それに受けた方もそうだけど、言った自分自身が傷付くことだってある……たとえば君がいま感じてる良心の呵責がそうだ。だから僕はそれをなんとか軽くしてあげたいんだ──謝罪と賠償を受け取ることで」

「その発言で呵責が消え去ったんだけど」

『園子君、彼は自ら道化を演じることでそう仕向けたんだよ。だからお金を恵んでやるべきだ』

「ボクの真似はやめてくれないか?」

 

 いやぁ楽しい。若い女の子と会話してると、自分も若返った気分だね……ん? あ、若返ってたんだった。体格が元の体とほぼ一緒なせいか、鏡とか見ないとあんまり違いを意識できないんだよね。哀ちゃんやコナンくんみたいに、視点が大幅に低くなると違和感も凄いんだろうけど。

 

「そういや蘭ちゃんと園子ちゃんは、工藤くんと幼馴染なんだっけ? 僕も彼とは親しい間柄なんだ」

「えっ? 新一と…?」

「だよね、コナンくん」

(おい待てコラ)

(君と僕は友達。つまり僕と工藤くんも友達。そういうことさ)

(あのなぁ…)

(そういえば、コナンくんって蘭ちゃんと一緒にお風呂とか入ったりも──)

「し、新一兄ちゃん、直哉兄ちゃんとすっごく仲が良いって言ってたよ!」

「そうなんだ……新一、電話じゃ何も言ってなかったのに」

「彼がいま扱ってる難事件に、僕も少し関わっててね。探偵の守秘義務ってやつさ」

「へぇ……君の戸籍が無いのも、それと関係があるのかな?」

 

 コナン界隈でよく見るドヤ顔チックな表情で、世良ちゃんが詮索してくる。正直ドン引きである。さっき知りあったばっかの人間の、明らかに深い事情がありそうな部分に突っ込んでくるか? 普通。プライベート・アイっていうかプライバシー・アイって感じ。

 

「うわぁ…」

「なっ、なんだよ! ボク、そんなに変なこと言ったか?」

「いやさ、詮索好きのオバチャンだってもうちょっと遠慮するよ。あからさまに深い事情がありそうなのに、そこまで踏み込んで質問するのって──親友でギリ許されるくらいのレベルじゃない?」

「うっ…」

「つまり君は僕と親友になりたいと」

「そっちに(かじ)切っちゃうんだ」

「オッケー、君の気持ちは理解した」

「たぶんしてないと思う」

「まあ親友なんてなろうとしてなるもんじゃないし、まずは形から入ってみよっか!」

「ねえ聞いてる?」

「とりま愛称からだね──でも『世良』って二文字じゃ縮めて呼ぶのも難しいか。世良……世良……んー……世良、世良…」

「変に捻らなくてもそれでいいってば!」

「そう? じゃあよろしくね、世良世良んー世良世良」

「ぜんぶ拾うなぁ!」

 

 世良ちゃんをからかっている内に、目的のホテルに到着した。件の小説家の部屋番号だけ聞いてから、彼女たちと別れる。色紙を買ってくるからといって誤魔化したが、なんかコナンくんから怪しまれてる気がするなぁ……そんなに僕の演技って下手か? 人の真似は割と得意なつもりなんだけど。

 

 ──まあ盗聴器を付けられるような隙は見せなかったので、実際に近くに潜まれでもしなけりゃ大丈夫だろう。変に勘ぐられるのも嫌だし、一応サイン色紙は買っておくか。

 

 コンビニには売ってなかったので近くの文房具屋を探して購入し、ホテルへとんぼ返りして火浦京伍さんの部屋を訪ねる。

 

 でも急に見知らぬ人間が『サインください!』なんて押しかけても門前払いされるだけだよなぁ……と思っていたが、快く了承してくれた。うむ、このハゲはどうやらいいハゲのようだ。殺人を計画してはいるがいいハゲだ。

 

 …周囲にコナンくんがいないのは徹底的に確認したので、サインを書いてくれている彼にこっそりと耳打ちをしてみる。

 

「──あなたは今日、とんでもない計画を実行しようとしていますね?」

「…っ、急になんだね?」

「そう……たとえば殺人とか」

「なっ──!?」

 

 顔色変わりすぎで草生える。いやまあ、人を殺そうとする直前にそれを言い当てられれば、それも仕方ないか。まさか実行書なんて作ってないだろうし、となればその計画は彼の頭にしか存在しない筈。まだ事を起こしていない段階でそれを知っている人間なんて、本来ならいるわけないのだ。

 

「ホテルのラウンジに喫茶スペースがありましたね。よかったらそこでお話でもどうですか?」

「な、なにを…! …そもそも人を殺人鬼よばわりとは、失礼極まりない! さっさと帰りたま──」

「いま外に出てしまうと、ベルガールに扮してやってくる筈の水無月千秋さんを殺せない……ですか?」

「なっ、な…!?」

「なんにせよ、いまこの状況で殺人は悪手も悪手。僕はあなたが彼女をどう殺そうとしているかも、トリックもすべて知っています。本当に決行するというなら、逮捕は免れませんよ? 日を改めても同じことです」

 

 化け物を見るような目で僕を見てくる火浦さん。ただでさえ殺人を前に軽い緊張状態にあっただろうから、既にキャパオーバーに近いんだろう。そんな彼の肩をポンと叩いて、ラウンジへ行こうと促す。火浦さんは観念したように水無月さんに連絡をとり、編集者たちに断りを入れて部屋を離れた。

 

 ──高級ホテルに相応しい豪奢なラウンジの、ふかふかなソファーに座って彼と対面する。冷や汗をかきながら僕を見てくる火浦さんへ、さっそくとばかりに話を切り出した。

 

「──アム○ェイって知ってる?」

「帰らせてくれ」

「冗談です……さて、まず僕があなたを訪ねた理由ですが…」

「…脅迫かね?」

「まさか! まだ何もしていないあなたに対して、脅迫が成立すると思いますか?」

「む…」

「僕はあくまで助言をしにきただけですよ──()()()()()()

「う、占い? 何を言って…」

「それ以外にこの状況がありえますか? どれだけあなたを入念に調べようと、今日起こる筈だった殺人を言い当てるようなことは不可能だと思いますが」

「それは……確かにそうだが…」

「詐欺師まがいの占い師のように、考える暇を与えず騙すようなことはしませんよ。どうぞよくお考えください……普通の手段でそれを知りえる機会があったかどうか」

 

 両手を顔の前で組み、深く考え込む火浦さん。彼にとってミステリ小説は畑違いだが、それでも大物作家だ。大概のジャンルは読み込んでるだろうし、まやかしやトリックへの造詣も深いだろう。

 

 ホットリーディングなりコールドリーディングなりで、殺人計画を看破する可能性があったかを考えて……それでもなお有り得ないと結論を出すのに、そう時間はかからないと思う。

 

「…なるほど。確かにオカルトの存在を肯定しなければ、君の言動はありえないようだ」

「ご理解いただけて幸いです」

「それで、君は占いの結果を私に伝えてどうするというんだ? まさか『悪事を見逃せなかった』などと言うつもりか」

「いえ、どちらかというと『悲劇を見逃せなかった』……でしょうか。殺害の理由が勘違いというのは、なんとも心苦しいですから」

「勘違い?」

 

 この事件の発端は、彼の助手である水無月千秋さんが『愛人疑惑』をスクープされたことから始まっている。実際のところそんな関係ではなく、むしろ彼女は子供の頃から大の火浦京伍ファンだったのだ。ファンレターを送り、それに自分が書いた物語まで同封するほどに。

 

 その物語をアレンジして書き直したのが、彼の最新作『電話と海と私』なのだが──水無月さんは『大元のストーリー』を自分が書いたものだとは、火浦さんにまだ伝えていない。

 

 要はサプライズをしたかったのだろう。『ファンレターと一緒にこの物語を送ったの、実は私だったんです! 子供の頃から先生の大ファンだったんですよ!』と。

 

 物語のタイトルはアナグラムで構成されており、そしてファンレターのあて名も同様のアナグラム。つまり物語の完結でタイトル回収がなされたと同時、彼女のサプライズは完成し、ほっこりした笑い話になる筈だったのだ。

 

 しかし助手というよりもゴーストライターに近かった彼女の立場と、愛人疑惑の噴出、そして物語の核心を意味ありげに隠す態度がすべて悪い方向へと転じた結果、悲劇の殺人事件へと繋がったのだ。

 

 根拠を示しつつそれを説明していくと、彼は愕然とした表情でソファへともたれかかった。全身の力が抜けたようなその姿は、漏らしていないかちょっと気になるレベルである。

 

「そう、か……そうだったのか…」

「…もう彼女を害する気はありませんね?」

「ああ、いや……恐ろしい間違いを犯すところだった…! 君にはなんとお礼を言ったものか──」

「お気持ちだけで結構ですよ」

「し、しかしそれでは私の気が済まん!」

「ええ、ですからお気持ちだけで結構ですよ」

「え? あ、ああ、うむ…」

 

 占いの料金は『お気持ちだけで結構です』と書いてたりするけど、なんだかんだ十五分で三千円くらいはとるものだ。お気持ちって意外とお高いのである。

 

 微妙な表情で財布を取り出した彼は、諭吉さんをざっと十枚は取り出して僕に差し出した。ひゅー! ひゅー! …いや、もう一声いってみるか。言うだけならタダだし。

 

「…本当にお気持ちだけでいいんです。水無月さんを死の運命から救いだし、あなたが道を踏み外すのを防いだだけなんですから。そう……たった二人を救っただけなんです。それだけなのです…」

「…」

 

 冷や汗を掻きながら財布の中身をすべて取り出し、おおよそ三十万ほどを差し出してきた火浦さん。余裕ありそうだし、ワンチャンまだいけるか? 頑張れ売れっ子小説家!

 

「…こんな話を知っていますか? 家を建てるための地鎮祭を渋り、お祓いにきた神職の方をぞんざいに扱った男が不幸に見舞われた話ですが──」

「い、いくら払えばいいんだね」

「百万!」

「いきなり俗になるな!」

「まあ払わないと言われたらそれまでですから。余裕があるなら払ってほしいですし、お財布的に厳しいならお金は本当に結構ですよ」

「う、む…」

 

 少し悩んだあと、ふっと苦笑交じりのため息をついて、火浦さんは席を外した。ほどなくして戻ってきた彼は、厚めの封筒を僕に差し出したあと、深いお辞儀をして去っていった。いやぁ、気っ風の良い御仁だ。毛は無いけど。

 

 ふふふ、これで快斗くんにお金を返せる。いくら結果を知っているレースで儲けるつもりだといっても、物事に絶対はないのだ。

 

 借金した金でギャンブルして、もし外れたら洒落になんないしね。この金をそのまま借金の返済にあてて、残金の八十九万をレースに突っ込むとしよう。

 

 鼻歌交じりに二階のラウンジを後にして、エスカレーターをくだりホテルを出ようとしたが──出口近くのソファに眼鏡の少年を発見し、足を止める。

 

「…コナンくん? わお、もしかして僕のこと待っててくれ──」

「話は終わったのか? …占い師さんよ」

 

 …ん? いやいやいや。待て待て待て。は? 盗聴器なんて絶対に仕掛けられてなかったし、周りに彼がいなかったのも確認した。

 

 ラウンジで会話していた場所は奥まったとこで、僕が壁を背にしていたから誰かが近付いてきたらすぐにわかった筈。コナンくんがさっきのことを把握する手段なんてあるわけが──……っ! ま、まさか…!

 

「──ああそうだ。オメーがあの人に会う前から、彼に盗聴器を仕込んでおいたんだよ」

「いい加減に言っときたいんだけど、何かにつけて盗聴器つけるのやめない? しかも無関係の人間ってアンタ」

「それはともかく……超能力と占いは別枠ってわけか? なぁオイ」

「ともかくしないでほしいんですけど」

「そういや前の時から一週間以上経っちまってたな……ここで一つ答え合わせといこうじゃねぇか、久住ィデデデッ!? なにすんだテメー!」

「こっちのセリフなんだけど! 君さ、プライバシーって知ってる? こう何度も何度も盗聴されて、僕がどう思うかとか考えないの?」

「うぐっ…」

「ふんだ、もうコナンくんのことなんて知らないもんね! 変態! ストーカー! 自分のことを工藤新一だと思い込んでる異常者ー!」

「おぉい!?」

 

 よし、今のうちに逃げ──ても意味ないよなぁ、阿笠博士の家に住んでる以上。まったく、いくらなんでも赤の他人に盗聴器をつけてるとは思わなかったぜ。油断といえば油断だが、この世界の探偵のモラルハザードっぷりを舐めていたようだ。

 

「ハァ……わかったよ。『久住直哉は未来を見通す占い師。根拠はさっきの会話』……今回の答えはそれでいいのかな?」

「ああ。認めたくはねーけど、火浦さんとの会話は完全に未来予知を証明してたからな」

「なら答えは“ノー”だね」

「お前なぁ、この期に及んで…」

「君に嘘はつかないと言ったけど、火浦さんに真実を話したかどうかは別だろ? 僕は確かに彼の殺人計画を知ってたけど、『占い師』ってのは信用を得るためについた嘘さ」

「だったらなんであの人の動機も事情も計画も知ってたんだよ。それも“言いたくない”で通すつもりか?」

「…」

 

 んー……“どこまで話すか”は僕の匙加減だが、ある程度しっかりとした証拠を突き付けられてなお見苦しく言い訳をするのは、ルールを明確に決めていないとはいえ信義にもとる。まあコナンくんの盗聴も道義的にどうかとは思うが、怪しすぎる僕にも責任はあるから強く言えない。

 

「…すごく限定的ではあるけど、未来を知ってるのは認めるよ」

「…! それは、超──」

「“超能力”の定義は『念力』『テレポーテーション』『読心』『未来予知』に限定しようか。すべての超常的な能力をあてはめると曖昧過ぎる。その上で言わせてもらうけど、僕は超能力者じゃない」

「──ならオメーの正体は…」

「おっと、それはまた一週間後だね」

 

 うむ、次の答えはおそらく『時間遡行者』とか『タイムトラベラー』とかそんな感じになるだろう。それなら前に言ってしまった『僕の正体は地球上の誰も知らない』という発言にも矛盾がなくなる。誰も知らない人物が急に現れたというのも、未来からやってきたのなら当たり前のことだ。

 

 色々と情報を知っているのも、未来で得たものってことで納得もできるだろうし。詳細を知りすぎているのは、関係者の『未来の子供』だからって感じで疑われてるんじゃなかろうか。『コナンパパ…』とか呟いてやろうかちくしょうめ。

 

 まあ一週間後の推理はとりあえずそれで凌げるとして、その次……あるいは一ヶ月後あたりになるとかなり怪しい気がする。予想以上に追い詰められてて草も生えない。

 

「それとルールを一個追加するね」

「うん?」

「無断で盗聴器はつけないこと。君はちょっとモラルが低すぎる」

「…わーったよ」

「まさか僕の部屋にもつけてたりしないだろうね」

「してねーよ……けどしてたとして、なんか聞かれて困ることでもしてんのか?」

「僕は別にいいけど、たまに哀ちゃんと一緒に寝るから彼女が嫌がるだろうし…」

「…っ!? お、おまっ、嘘だろ!?」

「嘘だよ。でもいまの反応で盗聴してないのは確認できたかな」

「マジでビビった…」

 

 …ふーむ。なんかちょっと気安い雰囲気になったような……ああ、情報元がオカルティックな可能性が高くなってきたから、まだ僅かに残っていた『組織の関係者』という疑念がほぼ無くなったのか。

 

 コナンくんが真実に近付いた代償として、多少の信頼と百万円をゲット……痛し痒しってとこかね。

 

「いつかぜんぶ話すから、今はゴメンね……パパ」

「嘘だろオイ!?」

「嘘だよ」

「テ、テメー…! つーか嘘ついてんじゃねーか!」

「今のは冗談でーす」

「ガキか!」

「そのままそっくり返すよ」

 

 これで借金もなくなるし、ちょっと肩の荷が軽くなった気分だ。既に阿笠博士の名義で新規契約してるから、あの怪しいスマホも返せる。今後がどうなるかはわからないけど……ま、なるようになるか。




ハゲの人に厳しい表現がありますので、ご注意ください


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六話

そこそこの作品数を書いた経験則なんですが、男の娘について書くと感想が二倍くらいになります。あとハゲネタを入れると感想が一.五倍くらいになります。

つまりハゲた男の娘を出せば感想は三倍になる…?

あと原作でキッドさんに『令和の魔術師』とかいう肩書きが追加されたので、時間軸は令和ってことにしました。

世紀末の魔術師が令和の魔術師…?

それと今回はギャグ少なめです。


 :令和三年 五月四日

 

 素体『工藤新一』と『江戸川コナン』の同期に異常はないようだ。記憶の混濁、欠落等も確認されず。本人は毒薬の摂取による『幼児化』、解毒剤による成長に疑念は抱いていないと思われる。

 

 人間を形成するすべての情報をデータ化し、“人形”へ移し替えるという試みは、現段階で上々の仕上がりとなっている。しかし『あの御方』への施術にはまだ不安が残るため、しばらくは見送った方がいいだろう。

 

 “時の流れに逆らい、死者を蘇らせんとする我々の所業は、神であり悪魔でもある”──ベルモットの言葉は実に大仰だ。

 

 一世紀に亘るこの計画も、所詮は人類の発展の一つでしかないというのに。史に残る偉業と称えられるか、悪魔の所業だと罵られるか。そんなことは些末なことである。

 

 人間の培養と製造、人格の移植。我々の試みは、人類を新たなるステージへと押し上げる一助となるだろう。

 

 そしてこの日記を見ているであろうコナンくんへ。ここまでの記述はもちろん嘘です。ねえいまどんな気持ち? 人の日記を勝手に見るから肝を冷やすことになるんだぜ。悔い改めるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久住ィイイイ!!」

「どしたの? コナンくん」

「どうもこうもあるかっつーの! なんだこの日記は!」

「やだ、人の日記を勝手に見るなんてひどい…」

「デカデカと『コナンくん観察日記』なんて書いてるからだろうが!」

「人をからかうには、時に仕込みというものが必要なのです」

「まずからかうなって言ってんだよ!」

「なんで?」

「なんで!?」

 

 毛利探偵事務所の三階でのんびり過ごしている正午過ぎ。紅茶のおかわりを自分で淹れていたところ、なにやらコナンくんが叫び声をあげて寄ってきた。どうやら暇つぶしに書いた日記を見つけてしまったようだ。

 

 まあこれ見よがしにカバンからポロリしておいたので、詮索好きの彼なら確実に見ると踏んでのことである。

 

 普通に考えればすぐに『ありえない』と気付く内容ではあるが、この前ちょろっと漏らした『自分を工藤新一だと思い込んでる異常者ー!』という言葉が脳裏をよぎれば、一瞬だけ信じかけるくらいの効果はあっただろう。

 

 ちなみに僕が何故ここにいるかというと、前回の『推理』からちょうど一週間が経過したからだ。別の用もあったので自分から推理されにきたわけだが、やはり彼の解答は『時間移動者』であった。もちろん否定したが、流石にここまでくると次にどう答えられるかは僕にもわからない。

 

 とはいえ時間移動者じゃないと伝えた後、彼は頭をガシガシとこすっていたので、今のところ真実に至ってはいないようだ。猫みたいでちょっと可愛かったのはここだけの秘密である。

 

 コナンくんに限らず、この世界の人は『あざとい』仕草を好んで使うので、見ていて少し楽しい。欧米的というか、白人が『オーウ…』と言って肩をすくめるようなイメージだ。もちろん素でやってるっぽいので、嫌味な感じはまったくない。

 

 今日は小五郎さんが競馬、蘭ちゃんは泊まり込みで空手の稽古らしいので、コナンくんと二人きりだ。原作ではあんまり見ないけど、アニメだと蘭ちゃんの『空手の稽古』とか『合宿』の頻度ってすごいよね。

 

 アニオリはコナンくんと毛利小五郎さんの二人行動が多くなる傾向にあり、必然的に蘭ちゃんがハブられることになるのだ。あと少年探偵団メイン回のとき、哀ちゃんがハブられる確率もわりと高い……まあ後期はそうでもないが。

 

 ──というかまだ小五郎さんと顔を合わせたことがないので、実際に見てみたい的な意味で事務所を訪ねたってのもあるんだけど……残念ながら空振りに終わってしまった。

 

 憤慨しているコナンくんを宥めつつ、ちらりと腕時計を見る。時刻は十二時半……そろそろお昼ごはんの時間だ。残った紅茶を飲み干し、ティーカップを洗ってからランチのお誘いをかける。

 

「コナンくん、お昼まだだよね。どっか食べに行かない? …あ、蘭ちゃんが用意してたりするかな」

「いや、ポアロで適当に済ませるって言っといたから別にいいぜ」

「それじゃ、ちょっとお高いものでも食べに行こっか。臨時収入もあったし」

「半分くらい恐喝だったろアレ…」

「強要はしてないもんね──あ、それと阿笠博士が『夕方くらいに来てくれ』だってさ」

「オレに?」

「君に。ふふ、いったいなんだろうね」

「…ま、今日はオレの誕生日だし──どうせサプライズのお祝いってとこだろーな」

「ありゃ、気付いてたの?」

「蘭が晩飯を用意してないってことは、事前に示し合わせてたってこと。最近、元太たちも学校でこそこそ話してたし……博士の家でサプライズパーティーの準備でもしてんだろ? ──そんでオメーは足止め役ってわけだ」

「ドヤ顔でサプライズを台無しにするその姿勢、嫌いじゃないよ」

「それにさっきオメーがカバン開けたとき、プレゼント用にラッピングされた箱がチラッと見えたからな」

「コナンくん、そういうのは気付いても言わないのがマナーってやつだぜ」

「わかってるって。あいつらの前ではちゃんと驚いてやるよ」

 

 うーん、この生意気なガキ感どうしてくれようか。少年ではなく少女だったら、わからせられそうな生意気っぷりである。まあ実際には高校生なわけだから、こんな反応になってしまうのもわからなくはないけど。

 

 『やれやれだぜ…』感を放っている彼に微笑ましさを覚えつつ、僕はカバンを開いてプレゼントを取り出した。

 

「もうバレてるんなら、先に渡しとこっかな……はい、誕生日おめでとうコナンくん」

「お、おう……わりぃな」

「そこは『ありがとう』じゃないの?」

「…サンキュ」

 

 なんかそこまで照れられると、逆にこっちが恥ずかしくなってくるんですけど。照れ隠しのつもりか、少し乱暴にラッピングを破り中身を確認するコナンくん。包みから顔を出した『手帳』を手のひらに乗せて眺めている。

 

「…手帳?」

「手帳型の『小型ホログラフィ』。手帳を置いたとこから、一辺三十センチくらいの立方体の大きさまで、映像を展開できるんだ。探偵業の役に立ちそうなデータは粗方つめ込んでるし、新しく登録したい場合は撮影機能を使って取り込めるよ」

「おぉー…! …いや、めちゃめちゃ凄くねーか? これ」

「VR系は得意分野なんでね──それにプログラムは僕が作ったけど、本体部分に関してはほとんど阿笠博士が作ってくれたから」

 

 前の世界ではこんなもの作れやしなかったが、なんといってもこの世界のホログラフィ技術はパないのだ。四十年以上前の技術者が、単一方向からの投射で完全三次元のホログラムを成功させるレベルである。

 

 今は更に進化してるし、そこに博士の頭おかしい開発速度と僕のプログラミング技術を合わせれば、こんな代物も作れてしまうわけだ。

 

 ワクワクした顔で立体映像を切り替えていく彼の様子を見ると、作った甲斐があるというものだ。手帳型ではなく、もっと『それらしい』見た目に寄せることもできたが、コナンくんに合わせて探偵道具にしたってのがこだわりの一つである。

 

 ──しかしコナンくんの誕生日かぁ……僕がこの世界にきてから、今日で二十一日。今日が五月四日だから、僕は四月十四日にこの世界に出現したわけだ。最初に関わったクール便の事件の季節は『冬』の筈だから、この時点で矛盾が発生しているのは明らかである。

 

 四月とはいえ肌寒かったから、哀ちゃんが手編みのセーターを着ていたのはまだわからなくもないし、そもそも彼女が裸にならなければ事件に関わることもなかった筈だが──どうも気味が悪いというか、『定められた流れ』というものが存在するような居心地の悪さを感じる。

 

 そもそも今日が五月四日ということは、映画『時計仕掛けの摩天楼』の事件が起こっていないとおかしいのだが、そんな気配はまったくない。

 

 それに小学一年生から物語が始まってるなら、一ヶ月ちょいで八十巻分以上もの事件が起きていることになる。作中では工藤新一の失踪から半年と明言されてるから、そこも矛盾しちゃうし。やはりサザエさん時空ということなのだろうか…? ものすごく突っ込むのが怖い。

 

 現在の元号は令和三年。第一話で平成六年表記の新聞を読んでいた描写があったが、そのへんどうなってるんだろうか。『君が一年生になってからどのくらい経った?』って聞いて『三十年くらいかな』なんて返されたら、ギャグのようでいて、しかし背筋がゾッとするような返答である。

 

 僕とコナンくんが色々と話し合った日だって、本来ならイージス艦に乗っている筈の日付だ。もし『季節は流れるが一年は繰り返す』というのなら、つまり哀ちゃんは永遠のロリってことに……じゃなかった。

 

 僕だけが()()を異常と感じるなら、孤独感が尋常じゃなさそう。十年くらい繰り返したあたりで発狂しちゃうんじゃないか? よく『お前狂ってんじゃね?』と言われるのは置いといて。

 

 ──目をそらしていたい現実だが、しかしいつまでも放置していられるものでもない。だいたい『恋愛小説家』の事件だって、本来ならクール便の事件から季節が一巡するくらいの間が空いている筈なのだ。この謎をあまりに無視していては、キュラソーが公安に忍び込むという前提すら崩れそうで困る。

 

「…コナンくんは、自分がいま小学一年生だってことに何か思うことはある? なにかおかしいな……とか」

「一年生じゃなくて二年生だっての。なんかのイヤミか?」

「…ん?」

「…あん?」

「二年生?」

「二年生」

「小学二年生?」

「そうだって言ってんだろ」

 

 まさかの事実発覚…! え、じゃあ蘭ちゃんたちは高校三年生? 京極さんとかは既に高校生じゃなくなってるってことになるが……いやちょっと待て、じゃあ修学旅行編はどうなったんだ?

 

 旅行の期間中ずっと解毒薬を飲み続けるという、ガバガバのガバな行動によって、工藤新一生存説が世間に流れ──その結果ラムがバーボンに『工藤新一を調べろ』と命じ、物語が動き始めるのだが……ううむ、時系列がわからん。

 

 …ここって『名探偵コナンの世界』というよりは、その世界を現実にはめ込んで、無理やり整合性をとったような印象を受けるんだよな。誰かの意思か、あるいは()()()()()か。

 

 創作の要素が多分に入り混じったこの世界は、『元から存在していた』可能性と、『僕が発生したと同時に世界そのものも発生した』可能性の二つが考えられる。

 

 『過去の記録だけがある世界』が唐突に発生したという『世界五分前仮説』なんてのもあるし、僕の認識そのものがこの世界を形作っているという可能性はゼロじゃない。

 

 そうなると、僕は創造神ってことになるような。久住直哉は涼宮ハルヒだった…? そうだ、すべては僕の思うがままってこともありえるな。ちょっと試してみよう。

 

「──王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

「なんか変なもんでも食ったのか?」

「賞味期限切れのドレッシングを少し…」

「病院行ったほうがいいんじゃねーか?」

「そんなことより、いまとても重大なことを考えてるんだ。そう……僕は世界を創造した神だったのかもしれない」

「病院行ったほうがいいんじゃねーか?」

 

 至極真面目な相談をしたというのに、コナンくんは白けた目で僕を見てきた。それに対して苦笑で返しつつ、外出の支度を終えた彼と一緒に階段を下りる。

 

 とりあえず、修学旅行の件はあとで聞いておくとしよう……まともな神経をしていれば、子供になったり高校生に戻ったりの修学旅行なんて、敢行するとは思えないけどね。

 

 実際問題、今日は新一くんの誕生日でもあるのに、蘭ちゃんとイチャラブデートに及ぶ様子はない。

 

 つまりお誕生日デートよりも、『工藤新一の生存が知られる』とか『薬の抗体ができて、いざそれが完成した時に効果を発揮しなくなる』という、最悪の可能性の排除を優先しているわけだ。

 

 『誕生日なんだから帰ってこれない?』という連絡ぐらいは、蘭ちゃんも絶対に送っただろう……けれどコナンくんがここにいるってことは、その要望を断ったということになる。もしくは哀ちゃんが薬を渡すのを拒んだか。

 

 …ん? もしや空手の合宿って、お誕生日デートできない鬱憤を晴らすために部員をしごきまくってるんじゃ…?

 

 どちらにせよ、現実的な要素が大きいこの世界では、いわゆる『漫画的』な頭のおかしすぎる行動は自重しているように思える。

 

 ──でもそれだと、工藤新一に戻ってロンドンに行った事実と矛盾するな。『ロンドン行きてー!』って理由だけで行ってたよね、あれ。むむむ…

 

「うーん…」

「なんだよ、さっきから変だぞオメー」

「僕が変なのはいつものことさ」

「自覚あったのかよ…」

「いやさ、限定的な未来知識があるとは言ったけど……どうも怪しくなってきたというか。まあ僕がいる時点で変化があるのは当然なんだけど…」

 

 その知識を対価に色々と便宜を図ってもらってるわけだし、それがあてにならないとなれば不義理極まりない。情報を提供するだけのつもりだったが、多少は僕も能動的に動く必要があるのかもしれない……そんな風に思っての言葉だったが、なにやらコナンくんは別のことを考えてるっぽい表情だ。

 

「…ってことは──まず『あるべき流れ』があって、そこにオメーはいない“筈”だったってことでいいんだな?」

「さっきの言葉は撤回します」

「オイ」

 

 ちょっとした言葉のニュアンスも見逃さない、この観察眼よ。そこまで迂闊な発言をしたつもりはなかったんだけど、よくよく考えてみれば今のはかなり重大なヒントだった気がする。

 

 やだやだ、頭のいい人間ってのはこれだから。ジト目で見つめてくるコナンくんから顔をそらし、白々しく口笛を吹いてみる。

 

「予知じゃなくて未来人でもない……待てよ? 予知した誰かに教えてもらったか、未来人と知り合いって可能性もあるか」

「…」

「そこんとこどうなんだ?」

「…」

「おーい」

「沈黙は金なり…」

「喋ってんじゃねーか」

 

 スルースルー。こういうときは下手に発言するより、沈黙を選んだ方がいいだろう。問題があるとすれば、話し相手がいるのに十秒以上黙ってると、僕自身が落ち着かないってことくらいか。

 

「わざとらしくヒントを出されても嫌だろ? ──しばらくは黙ってることにするよ」

「…わーったよ」

「あ、そういや安室さんの件はどうなってるの?」

「『しばらく』の定義どうなってんだ」

「雄弁は銀なり…」

「オメーの弁はいいとこ鉄くずだろ…」

「…! …もしかして久住のクズとかけたのかい?」

「ちげーよ!」

「照れるな照れるな。そんじゃま、金銀鉄くず交ざった玉石混交(ぎょくせきこんこう)ってことにしておこうぜ」

「オメーの言葉は、玉なのか石なのかわかんねぇんだよな…」

「それが玉か石かなんて、状況次第で変わるもんさ。でも()いて言うなら……君たち探偵は玉に傷を付けて、その価値をよく下げる(やから)だと思うね」

「…どういう意味だよ」

「詮索好きが(たま)(きず)──なんちって」

 

 ずでっとズッコケるコナンくん……階段の途中だというのに器用なものだ。一階まで降りきったあとポアロの中を覗いてみたが、安室さんの姿はない。今日は休みなのかな?

 

 …そういやさっきの質問の答えをもらっていなかったので、チラッとコナンくんに視線を向ける。彼は得心したように頷くと、事態の進捗を話し始めた。

 

「オメーから聞いた安室さんの情報を基にして、赤井さんに調査してもらったんだけど……あの人が公安だってことはFBI側でも確認できたみてーだ」

「ふむふむ」

「そんで、安室さん(バーボン)に生存を疑われたままの状態だとかなり動き辛いんだとよ……組織の中でも、あの人の調査能力はずば抜けてるからって」

「──だから事情を説明して協力関係を結びたいとこだけど、彼ら二人の因縁がそれを難しくしてると」

「…オレに盗聴器つけてねーだろうな、オイ」

「つけてないよ。つけてても文句を言われる筋合いはないけど」

「へーへー。そんでまあ……詳しくは濁されちまったけど、仲良くするのは無理だってよ」

「どっちにしろ、FBIと公安は仲悪いしね。とはいえ相互不干渉を約束するくらいはできるでしょ?」

「ああ。多少のイザコザはあったらしいけど、一応は停戦状態だって言ってた」

 

 ふーむ……『多少のイザコザ』か。峠でのカーレースや銃撃戦をそんな風には言わないだろうし……となれば、ジョディ先生やキャメル捜査官が赤井さんの生存を認識できないまま物語が進んでるってことかな。そうとなると、いよいよ未来知識もあてにならなくなるな。

 

 ──ま、そもそも未来なんて知らない方が当たり前なのだ。役に立たなくなる前に活用できたこと自体、幸運だと思っておこう。

 

「それならよかった。さて、どこ食べに行こっか」

「昼飯だし、ラーメンなんかどうだ?」

「ラーメン? いいけど、んー……このへんだとどこが近いかな」

 

 スマホを取り出して近場のラーメン屋をググってみる……ちなみに『名探偵コナン』における検索エンジンは、回によって表記がブレブレだ。

 

 たとえば歩美ちゃんが絨毯ごと誘拐されたエピソードを例にしてみると、漫画ではパソコンの画面がぼかされていて不明、アニメでは『GOOGLE』ならぬ『GLEGLE』表記。

 

 そして映画『緋色の弾丸』では『GOOGLA』だったりと、何気に適当である。そんでもって、いま僕がググってるのはそのまま『GOOGLE』。謎だ。

 

 お、原作で出てきた『死ぬほどヤバイラーメン 小倉』が近くにある。初出では杯戸町に店を構えていたが、その後に米花町へ移転した筈だから……少なくとも、そのストーリーは終了してるってことでいいだろう。時系列が不明な以上、こういった細かいところを気にしとくべきだ。

 

「…ん? あれ、あそこにいるの……安室さん?」

「みてーだな。なんであんなとこに…」

 

 ラーメン屋に向かう途中、大通りに面したビルとビルの間、細い路地に姿を消した安室さん。そしてその後を追うように、怪しげな男性が路地に入っていった……組織のごたごただろうか? あんまり関わりたくないんだけど、コナンくんは当然の如くそちらの方へ向かった。そういうとこだぞ、そういうとこ。

 

 ──どちらにも気付かれないよう、そっと路地をうかがう……するとそこには、怪しげな男性に壁ドンをしている安室さんの姿があった。まずい、お子ちゃまには見せちゃいけない現場かもしれん。すぐに目を塞がねば。

 

「見ちゃダメだコナンくん!」

「むぐぐぐっ!? ──なんで口を塞ぐんだ! 口を!」

「あ、間違えちゃった……それよりコナンくん、安室さんが男に壁ドンしてるっ!」

「なんで嬉しそうなんだよ…」

 

 や、別に嬉しいわけじゃないんだけどね。まあどうせ本当にアレな関係なんてことはないだろうし、尾行してた男を詰問してたとかそんなとこかな。

 

 公安の敵対組織や黒ずくめの男たちがあんな杜撰な尾行するわけないし、そうなると後は……ん? あれ、じゃあもしかして『純黒の悪夢』の前日譚で出てきたパン屋さんかな…?

 

 安室さんが作るサンドイッチ──その美味しさの秘密を探ろうと、彼を何日にも渡って尾行してたパン職人。

 

 コナンくんの有名な()推理の一つ……『あの人、ほとんどのお客さんが頼むモーニングじゃなくて、サンドイッチを注文した……なぜだ?』というセリフを世に遺した回である。『普通にサンドイッチが食べたかっただけでは?』と、誰もが思ったに違いない。

 

 そういったところも含めて、アニメオリジナル回というのは、トリックも動機もセリフも無茶苦茶なことが多い。

 

 成功確率五パーセントくらいだろって仕掛けを作る犯人もいれば、数十メートル先の人間に凶器をぶん投げて殺すという、もはやトリックでもなんでもないフィジカル殺人をきめる犯人もいる。

 

 パーティー会場に居る人間全員に毒入りコーヒーを飲ませたあと、標的以外に解毒剤入りケーキを食べさせるという、トリックってなんだっけと考えさせられる回もある。

 

 ──まあそれは置いといて、さすがにここまで騒げば安室さんも気付く。隠れて見ていた僕たちとバッチリ目が合うと、彼はにっこりと笑ってこちらへ向かってきた。

 

「やあコナンくん……と、君は久住直哉くんだったかな。珍しい組み合わせだね」

「僕、LGBTに偏見はありませんよ!」

「うん、君も相変わらずだ」

「安室さんもお元気そうで。ところでそちらの方は? コソコソと貴方を尾行してましたけど」

「ここ数日ずっとつけられていてね。さすがに気になって、問いただしていたところなんだが──」

「──す、すいませんでしたぁ!」

 

 安室さんの鋭い視線に気圧されたのか、男性が勢いよく頭を下げた。そして尾行の理由などを語り始めたのだが……僕が予想していた通り、彼は例のパン職人だったようだ。

 

 美味しいサンドイッチの秘密が知りたいと懇願する彼に、安室さんは肩をすくめた後、苦笑しながらそれを了承した。

 

 そしてポアロへと向かい、実演を交えながら調理のコツを伝授している……あとなぜか僕たちもご相伴に(あずか)っている。

 

 コナンくんが当たり前のようについていったので、僕も思わず来てしまったが──うーん、サンドイッチが美味しい。ついでに一食分浮いてラッキー。

 

 …む。安室さんが目を細めて、着信中のスマホの画面を見ている。もしやベルモットからの警告だろうか……となると、数日以内にはキュラソーによる公安襲撃が発生する可能性が高い。下手すりゃ今夜ってこともある。何かを伝えるなら、もう今しかないが──どうしたもんか。

 

 コナンくんも安室さんの妙な雰囲気に気付いたようで、通話中の後ろ姿をじっと見つめている。僕はそんな彼の耳元に口を寄せ、キュラソーの件を伝えた。

 

「…コナンくん。たぶん今日の夜か、もしくは数日中かも」

「…? ──っ! …例の件か?」

「うん。あの人に助言するなら、今しかないかもね」

「マジかよ……けど信用してもらえそうな根拠が一つもねーぞ」

「え? でも君が言えば──あっ」

「…どした?」

 

 えーと……安室さんが本格的にコナンくんを『恐ろしい少年』だと考え始めるのは、『お花見スリ師事件』がきっかけで、更に『ギスギスしたお茶会』『澁谷夏子殺人未遂事件』を経て確信に至り、その能力の高さにある種の信頼すら持ち始めるわけだ。

 

 しかしお花見事件は未然に防いでしまったので、まずきっかけが一つ潰れている。そして僕の情報から安室さんの正体に行きついて、赤井さんがさっさと交渉を終えたってことは、コナンくんがバーボンの正体に至るストーリーがまるまる無くなったのかもしれない。

 

 つまり安室さんのコナンくんに対する評価は、『かなり目端の利く少年』くらいに落ち着いてるのかも。

 

「梓さん、少し急用ができてしまったので後はお願いできますか? マスターには今日のバイト代はいらないからと伝えてください」

「えぇっ!? またですかー?」

「すいません、この埋め合わせはまた後日…」

 

 おっと、このままだと普通に映画のストーリーが始まっちゃうんじゃないか? 巨大観覧車アタックもアレだが、その前の首都高レースも何気にえげつない被害が出るし、あらゆる意味でキュラソー襲来の情報はお伝えしたいとこだけど……そのタイミングが、もう今しかない気がする。

 

 ──周囲を確認しつつ、僕はコナンくんにひそひそ声で話しかけた。

 

「コナンくん、前に言ったキュラソー関連の情報……いますぐ安室さんに伝えてきた方がいいと思う」

「…けど、なんで知ってるんだって話になるし──仮に信じてもらえたとしても、あとで絶対にオレのこと調べるじゃねーか。公安が本腰いれて調べ始めたら、オレの正体なんてすぐにバレちまうだろうし……ここは頼んだ久住!」

「無茶言わないでよ。君の正体は調べれば判明するけど、僕の場合はそれすらないんだよ? 公安からしたら『密入国したスパイ』にしか見えないじゃないか」

「その証拠だって出てこねーだろ?」

「あのねぇ……僕はいま住民票の申請と就籍申請を出してるの。最終的に判断するのは法務省で、あそこと公安はズブのズブ。安室さんが『久住直哉に権利を与えるな』って言えば、僕みたいな怪しい人間の申請なんか、いつまでだって引き延ばされちゃうよ」

「だけど、オレの正体がバレるってことは『幼児化薬』の存在を知られるってことだ。あの人の洞察力なら、そこから灰原に行きつく可能性は充分にある……そうなると、あの人はどう出る?」

「…まあ優しくはあっても甘い人ではないだろうし、実情はともかく、哀ちゃんがコードネームを与えられた幹部だった以上──厳しい判断をくだす可能性は高いだろうね。現実的な落としどころは……ベルツリー急行でのやり取りを考えれば、たぶんスパイにさせるんじゃない?」

「…ああ、そんなところだろうな」

 

 もしあの人が哀ちゃんを確保したならば、その功績をもって組織での地位を上げるってのが一番あり得る。そして『話術に長けた自分なら、シェリーの利用価値を説いて助命を嘆願できる』とも考えているだろう。もちろんそのまま殺されてしまう可能性も多少は織り込み済みで。

 

 内実がどうあれ、一度でも組織に与した責任は取らせる人だと思う。つまり哀ちゃんをキールと同じような立場に……組織にとっての『埋伏の毒』にさせるってのは、割と有り得るんじゃなかろうか。

 

 というか、もしベルツリー急行で彼女を確保していたならば、確実にそういった方向に進んでいただろう。もちろんそんなやり方は違法もいいところだが、しかし違法捜査は公安のお家芸である。

 

「哀ちゃんの正体に気付く可能性っていっても、安室さんが『宮野志保』の容姿を知ってるからって話でしょ? 人の印象なんて髪型が八割って言うし、髪型変えて色も染めて眼鏡でもかければ絶対に気付かれないと思うんだけど……そもそもなんで変装とかしてないの?」

「じゃあオメーがあいつに言えよ」

「哀ちゃん変なところ強情だし……あっ、やば、安室さん行っちゃう」

「頼んだ」

「えー…」

「いま動かねーと、ヤバイくらい被害が出るんだろ? 多少のリスクはしゃあねーよ」

「…」

「…久住?」

 

 あー……なるほど。なんか違和感あると思ったら、コナンくんは『久住直哉』が自分と同じような目線で動くと感じているらしい。

 

 絶対に起こると決まったわけでもない事件に、それでも大勢の人が死ぬ可能性を潰すため、将来の不利益に目をつぶってでも行動する……そんな風に。

 

「…じゃあ工藤家が責任もって僕の面倒見るって約束してよ。コネもいっぱい持ってるだろうし……最悪、日本じゃなくてもいいから国籍と身分を得られるように」

「抜け目ねーな……まあ頼むだけは頼んでやるよ。あ、盗聴器つけてもいいか?」

「どっちが抜け目ないのさ──それと、一つだけ言っとくけど」

「…なんだ?」

「君と僕の目指すところは同じじゃないし、君の計画に僕が配慮するとは思わないでね。“コナンくんの不利益になるようなことはしない”とは言ったけど、君が僕にリスクを負わせるなら話は別だ」

「…!」

 

 ──店を出た安室さんを追って走り出す。まったく……やっとコナンくんに信用してもらえるようになったのに、今度は安室さんへ怪しさ全開ムーブをしなければならないのか。

 

 しかもさっき言った通り今回は強烈なデメリット付きで、その上『信じさせる必要がある』ってのも面倒なところだ。

 

 コナンくんには僕を『信じるかどうか』と『取引に応じるかどうか』の選択を委ねた。しかし安室さんへの情報提供は、対応を間違えると拘束される可能性すら孕んでいるのだ。

 

 『言えない』がまかり通るのは、コナンくんの善性や、彼自身にも隠し事があるからこそ。対して安室さんのバックには国家権力があって、武力を行使する権利も持っている。色々と気を遣うことが多くて嫌になるぜ。

 

「安室さーん」

「…どうしたんだい? 悪いけど、少し急いでいてね」

「あー……駐車場までで結構なんで、ちょっとお話を聞いてもらいたいなって」

「それならいいが──話というのは?」

 

 駐車場なんてそう広いものでもないし、人気(ひとけ)もないだろう。話の内容を考えれば、人目があった方が逆に安心できる。哀ちゃんのときと同様、歩きながらの会話の方が盗み聞きされにくいってのは基本だ。

 

 そしてそんな短い距離で完結する話なら、大したことでもないだろうと、安室さんも気を抜いたように耳を傾けてくれた。

 

「今日から数日中……早ければ今晩にでも、公安に組織の人間が潜り込む可能性があります。組織に潜入しているスパイの資料──『ノックリスト』を狙ってるみたいなので、確実に守り通してほしいんです」

「…っ!」

 

 優し気な青年の表情が一転、驚愕に彩られ──動揺を隠し切れず、歩みすら停止した。しかしそれもほんの一瞬のことで、瞼を一度閉じ、再度それを開いた時には、その顔に不敵な笑みが貼り付けられていた。

 

 痛いほどに刺々しい空気が発されて、哀ちゃんがいればさぞ怯えていたことだろう。これが組織の匂いってやつなのかもしれない。

 

「──その話と僕になんの関係が?」

「“ゼロ”ことバーボンにとって……いえ、バーボンこと“ゼロ”にとって、とても重要な情報かと思いまして」

「…へぇ」

 

 怖っ。ここが人目のある通りでなければ、銃を取り出して尋問されそうな雰囲気だ。ま、どんな前置きをしようが『組織の情報』と彼の正体を口にすればこうなるだろうし、核心から喋った方が話も早いだろう……でも本当に怖いな。どっかに引きずり込まれないよね?

 

「下手人のコードネームは『キュラソー』……ご存知かもしれませんが、ラムの腹心です。組織にとってかなり都合の悪いことも知っているようで、それが理由かベルモットに消されかけたことがあり──しかしラムにその高い能力を見込まれ、現在では彼の手足となって動いています」

「…!」

「組織随一の身体能力に、判断力や決断力も非常に高い。知性のある猛獣が乗り込んでくると、そう考えて戦力を集めておいた方がよろしいかと。特徴は銀髪のロングヘアに、左右異色のオッドアイ……モデル並みのスタイルと美貌を持った女性です。『色彩』を利用した特殊な記憶術を持っているようで、情報源として相当な価値があります。もし捕縛でき、尋問が上手くいけば──組織を追い込む、あるいは壊滅まで手が届くかもしれません」

 

 …コナンくんや安室さんを見ていて凄いと思うのは、やはり『思考を止めない』という点だ。人間というのは虚を突かれると思考が止まり、止まらずとも鈍くなるのが普通だ。

 

 仮に立て直せたとしても、正常なそれとはほど遠い。しかし目の前の安室さんは驚愕や混乱を瞬時に呑み込み、慎重に僕の発言の意図を測ろうとしている。

 

 ──まず彼が気にするのは、発言そのものの信憑性といったところだろうか。つまり僕が組織の人間で、これが『カマかけ』である場合……と、もしくは真実である場合。

 

 そして真実ならば真実で、僕がどういった立場で話しかけているのか。そこをはっきりさせなければ、安室さんも会話のしようがないだろう。

 

 僕の発言に信憑性を持たせられるとすれば、『組織と敵対している国の諜報員』などといった嘘が必要になってくるのだが、それはそれでまたリスクに繋がる。

 

 安室さんが持っている『FBIへの敵対感情』は、なにも怨敵である赤井さんが所属しているからってだけじゃない。『他国の諜報員』なんてのは、公安にとって最大の敵だからだ。

 

 ただでさえ日本はスパイ天国だなんて言われていて、オウム関係の失態からこっち、公安の無能は揶揄されっぱなしだ。愛国心が強ければ強いほど、他国の諜報員など許容し難い存在に違いない。

 

 だから僕がそういった存在であると匂わせるのは、発言に真実味をもたせることはできても、彼から強烈に嫌われるというデメリットがあるのだ。

 

 …彼に敵対感情を抱かれるって、割と困るんだよねホント。『好きなキャラに嫌われる~』なんて俗なものではなく、公安に目を付けられるというのは、あらゆる面でマイナスの要素が発生するリスクを負うのだ。こういう言い方はアレだが、公安ってのは正義の組織とは言い難いし。

 

 特に元の世界であれば、権力のある巨悪は見逃すものの、無能のそしりを免れるために異国人をむやみやたらと摘発する、自浄作用の利かない組織──という意見も結構ある。まあ自衛隊しかり公安しかり、成果が国民の目に見えてしまったら逆にヤバイとは思うけど。

 

 この世界の公安はもうちょっと良い感じのイメージだが、それでも『正義』ではなく『秩序』を重んじるのは間違いない。目を付けられるのも困りものだが、敵対なんてされたら日本で生きていけなくなる。だからコナンくんにさっきの約束を取り付けたのは、冗談でもなんでもなくガチである。

 

「僕が伝えたいことはこれで全部ですね。質問があれば、答えられることだけ答えます」

「──君は何者なんだい?」

「ご想像にお任せします……が、『組織の人間ではない』『他国の諜報員ではない』『()()()と敵対する気は一切ない』ということだけは確かです。証明はできませんが」

「…!」

 

 わざわざ安室さんの本名『降谷零』を口にしたのは、彼が『公安である』と、僕が確証を得ているのを示すためだ。つまりこの時点で『組織の裏切り者であるかどうかを探っている』という可能性は消え去った。

 

 とはいえ『僕が組織の人間ではない』という証明になったかといえば、そうでもない。

 

 『組織の人間が裏切り者を利用して何か企んでいる』可能性がまだ残っている。加えて、他国の諜報員ではないという僕の言葉を鵜呑みにする筈もない。ただし、これで彼が『公安である』という認識を、互いが前提にして会話ができるようになったのも確かだ。一歩前進。

 

「自分の正体を明らかにするわけでもなく、敵意が無いことの証明も不可能……その上で、君から貰った情報を僕が信用するとでも?」

「どのみち動くしかないでしょう? ノックリストの存在を知られた以上、データを移動させないわけにはいかない……しかし現状はそう仕向けられているとも言え、下手に動けば逆に場所を気取られる。でも動かないのもやっぱりまずい──そう、ジレンマってやつですね」

「ああそうだ。君がそれを聞かせた時点で、僕は選択を強いられることになる」

「迂闊には動かせない……なら待ち構えるしかないのでは?」

「“確実に捕らえなければ”と強調された敵を──か。悲しいことに公安はいつも人手不足でね、()()()()()()()()()()()

「それが狙いだろうと邪推されるのは悲しいですが……でも最近になって()()()()()()()()と仲直りしたそうですし、この際、私情は排して協力されるのはどうでしょうか──……っ!」

 

 ぅえっ……視線で人が殺せるレベルで、安室さんの目が怖い。『そうか、お前は赤井秀一の犬だったか』みたいな雰囲気を感じる。

 

 本気で怒った人の雰囲気が、僕はとても苦手なのだが……そんなの通り越して、殺意に近い感情を叩きつけられるなんて初めてだ。

 

「あー……その、さっきも言いましたけど、諜報員とかそんなんじゃないので。赤井さんともまだ会ったことないです」

「“まだ”……か。語るに落ちていないか? 奴の生存は、奴の上司一人だけしか知らない筈だ。公安とFBIが『互いに手を出さない』と約束を交わした──それは確かだが、その経緯を知っている人間は非常に限られる」

「えっ? や、えー……それはですね」

「…それは?」

「…」

「…」

「コナンくんに聞きました」

 

 『久住ぃぃい!』と叫ぶコナンくんが瞼の裏に浮かぶ。だってFBI認定されていいことなんて、一つもないんだもん。盗聴器で聞いてるんなら、助けにきてくれたっていいじゃないか。一人だけ安全圏で過ごそうだなんて許されざるよ。

 

「コナンくんから?」

「ええ。そもそも赤井さんの死を偽装する一連の計画は、あの子が立てたんですよ。優秀な頭脳を持った子供です、本当に」

「…いまの君の行動に、あの子の思惑は絡んでいるのかな」

「いえ、それは関係ないです」

 

 このくらいの情報は開示しても大丈夫な筈……というか原作でも安室さんは把握してたけど、ことさらコナンくんを調べようとはしてなかった。

 

 出所(でどころ)が怪しいキュラソー関連の情報と関係ないのなら、そう詳しく調べることもないだろう。

 

 もちろん可能性はゼロじゃないから、コナンくんや哀ちゃんの正体がバレる危険もあるが──聖人君子じゃあるまいし、僕だけがリスクを負うなんてのもおかしな話だ。彼らが本当に幼い子供ってんならともかく、もうR18だって見れちゃうアダルトだしね。

 

「ふむ…」

「…」

 

 うーん……やっぱ手札が少なすぎるのが困りものだな。コナンくんのときのように、組織の情報を餌にはできないし。安室さんは自ら潜入してるんだから、僕が持ってる情報なんてほとんど知ってるだろう。

 

 僕が組織の人間ではないと証明しつつ、取引材料にもできそうな情報……まあ一つあるんだけど……それを言ってしまうと、コナンくんの計画に不確定要素が一つ生まれてしまう。

 

 ──とはいえ、さっき彼にも言った筈だ。計画に配慮はしないし、目線を同じくしているわけじゃないとも。僕は僕で、自分の利益のためにだって動く。

 

 安室さんに話しかけたことが僕にとっての譲歩で、コナンくんへの義理ならば、彼にだって何かを差し出す義務がある。

 

「…僕が組織の人間でもFBIの人間でもないと証明できて、なおかつ安室さんのお役に立ちそうな情報が一つあるんですけど……取引しませんか?」

「取引?」

「実は僕、戸籍も住民票もない怪しい人間でして。ついでに過去の一切合切を開示できないので、住民票はともかく戸籍を得るには、相当な後ろ盾が必要です」

「ここで更に信用を下げてくるのか…」

「下がり切ったらあとは上がるだけなんで」

「…つまり、僕にその後ろ盾になれってことでいいのかな?」

「後ろ盾の“一つ”ですね。いくら安室さんが働きかけてくれたって、それだけで承認されるほど甘くないでしょうし」

 

 安室さんは現場に出る人間としてはかなり上の立場だろうが、所詮は『現場に出る人間としては』だ。上の人間ってのは基本的に自ら動くようなことはそうないし、彼も全体から見ればそこまでの地位や権力は持ってないと思う。

 

 僕が戸籍を得る上で邪魔をする力はあっても、逆の場合は、強力な後押しは望めない筈。

 

「それはそうだが……どちらにせよ、よほど有益な情報でなければ取引なんてする気にはならないな」

「──赤井秀一は現在、姿を変え名を変え、普通の生活を送っています。いま敵対関係にないとはいえ、()()()()()()()()貴重な情報ですよね」

「…っ! …なるほど。組織にとって奴は、致命になり得る“銀の弾丸(シルバー・ブレット)”……生存と所在を確認していながら、泳がせたままにする可能性はまず無いだろう。そしてFBIが仲間を売るとも考えにくい…」

「ですです」

「そうなると、余計に君の正体が気になるところだが…」

「同じ問答をするつもりはありませんよ。取引をするかしないか──しないのなら僕はもう帰ります。こうやって交渉なんかしてますけど、究極的に言うなら僕にとって関係ないことなので」

「…」

 

 組織に潜入してる人をどうしても助けたい、起こりえるかもしれない大事故をどうしても防ぎたい──なんてこと、僕は思っていない。

 

 いまこの状況だって、どちらかといえばコナンくんへの義理を通しただけだ。『救えるかもしれない命を救わないのか』なんて、つまらない自問自答をするつもりもない。

 

 その日を生きるだけで精一杯の人間はいくらでもいて、そんな人たちに対する支援団体もたくさんあって、大多数の人間はそれを知ってはいるけれど、自分の贅沢より寄付を優先する人間はそういない。

 

 同じなのだ。知らない人たちが死ぬかもしれないのを許容することと、発展途上国で病死や餓死をしているであろう子供たちを救わないこと。どっちも知ってはいるし、助ける手段はちゃんとある。だけど関係ないから手を差し伸べない。

 

 偽悪的に、厭世観(えんせいかん)をもって斜に構えた考えをしてるわけじゃない。餓死、病死しかけている子供が()()()()()()、金を払えば助かるというなら、大抵の日本人は財布を出すだろう。『道徳』とはそういうものだと僕は思う。

 

 ただしどこまでが自分の『領分』なのかを決めていない人間は、自分も他人も幸せになれないとも……はぁ、なんだかシリアスなことを考えすぎて、変なボケでもかましたい気分になってきた。こんな場面でそんなことをするわけにもいかないし、困ったものだ。

 

「さぁ、どうするんだいバカボン」

「バーボンだ」

「ワハハ、間違えてしまったのだ!」

「それはバカボンのパパだ」

「…」

「…」

「…自分で振っといてなんですが、よくわかりましたね」

「…」

 

 アラサーでも通じるかは微妙な気がするけど……いやまあ、彼も一応アラサーか。ちょっとだけ緩んだ空気が彼の決断を促したのか、ふっと笑ったあと、安室さんは取引に応じた。赤井さんには申し訳ないけど、僕にも僕の事情があるんでゴメンして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふいー、疲れたぁ……なんで僕がこんな苦労しなきゃならないんだ、まったく。それにコナンくんのとこに戻ったら戻ったで、赤井さんの所在をバラしたことでなんか言われるだろうし。

 

 まあ今回はどう動いても損な役回りになってたから仕方ないか……むしろ結果的にはベターな感じに落ち着いたかも。

 

 それと、沖矢さんを動かさないようにコナンくんに頼んどいたほうがいいな。安室さんが確認する前にまた雲隠れされて、僕の信用が地に落ちるのは避けたい。そもそも信用が存在するかどうかすら怪しいけど。

 

 ──そういえば、食べてる最中だったサンドイッチはまだ残してくれているだろうか。中途半端に食欲が刺激されて、余計にお腹が空いてしまった……なんか追加注文でもするかな。

 

 ポアロって従業員は少ないのにメニューは豊富だから、色々と選べる楽しさがある。繁盛の秘訣は、意外とそんなところにあるのかもしれない。

 

「ただいまー……ん?」

「お、おう…」

 

 おや…? なにやら見慣れない美女が、コナンくんに抱き着いている。真っ昼間からオネショタとはたまげるなぁ。

 

 『鬱陶しいけどしゃあねえな』って雰囲気で、されるがままのコナンくん。ちなみに僕は、オネショタっぽく始まったのにショタオネになってしまう展開が好きだ。

 

「えーと、あなたは…?」

「あら、私のことなんてとっくに知ってると思ってたけど……そうでもないのかしら? ──なんでも知ってるコニャックさん」

 

 ん……なんだか風が吹く谷でナウなシカをやってそうなこの声は……工藤新一の母親、工藤有希子さんか。高校生の母親とは思えないほどの容姿だが、これでも三十七歳……いや、時間が進んでいるのなら三十八歳か?

 

 伝説的な女優らしいが、知名度的にはそこまで高い描写はない。まあ四年程度の活動で根強い人気を得てるから、当時は相当有名な女優だったんだろう。

 

 さて、彼女と彼女の旦那さんが僕の生命線となっている都合上、当然ながら接し方には気を使わなければならない。

 

 分かりやすいおべっかでも喜んでくれそうな印象があるし、語彙の限りを尽くしてお世辞を述べておこう……しかし『一目で工藤有希子とわかった』という分かりやすいゴマすりは、既に無理筋だ。

 

 となるとー……現状は『私のこと知らないのぉ?』みたいな雰囲気だから、僕が『あっ、まさか…!』って感じに振ろうじゃないか。

 

 すると彼女は『そう! 有名作家の妻にして大女優! 闇の男爵夫人(ナイトバロニス)よ!』って言うじゃん? そして僕が『若すぎてそうとは思えませんでしたぁ!』と返せば、『やだもー! あなたは信用できる人ね!』となるわけだ。ヨシ!

 

「あっ、まさか…!」

「そう! 世界的大作家の妻にして、伝説の大女優──」

「風の谷のナウシカ!」

「違うわよ!! 声似てるって言われるけど!」

「そういえばコナンくんも『魔女の宅急便』のキキに声がそっくりですね……親子でジブリとは、さすが工藤家」

「そんなところで褒められても困るんだけど…」

 

 しまった、ついボケてしまった。しかしなるほど、自分の声に対しての認識はそんな感じなのか。コナンくんの声に関しては、原作で高山みなみさんが登場してるから今更だが……まあそこはどうでもいいや。

 

 自己紹介を交えて軽く挨拶をし、なぜ有希子さんがここにいるのかを問う。すると『新ちゃんが怪しい男にタカられてるって聞いたから、心配になっちゃって…』とのお言葉をいただいた。実際にタカる予定のお金は、パパとママの財布から出る訳だから心配するのも当然だろう。

 

「タカってるんじゃなくて、あくまで取引ですので。情報に対価はつきものでしょう?」

「でも情報元が怪しすぎてねぇ…」

「そっちについては解決してっから、詮索する必要はねーよ」

「あら、そうなの? 新ちゃ……コナンちゃん」

「ただ他人には明かさないって約束だから、母さんにも言えねーんだ」

「そうそう、ちゃんと約束は守ってくれよ新ちゃ……コナンくん」

「お前が言い間違える要素ある?」

「それより、有希子さんがせっかく気を遣って『コナンちゃん』呼びにしてるんだから……こんなとこで『母さん』はないんじゃないかな」

「梓さんはカウンターだし、残ってる客は離れてっから問題ねーよ」

「それでもだよ。普段から気にしとかないと、ついポロっと零しちゃうかもしれないぜ──君が有希子さんを『母さん』って呼ぶのが、どういうことかわかってるのかい?」

「…っ」

「そう、有希子さんの不倫が疑われちゃうんだ」

「そっち!?」

 

 隠し子=不倫は安直かもしれないが、そう考える人はいるだろう。まあ顔の系統が父親まんまだから、勘違いされる可能性は少ないだろうけど。

 

 コナンくんの言や、僕とのやり取りを見て安心したのか、有希子さんのピリッとしていた雰囲気が緩む。危険と謎を見ればまっしぐらな一人息子だけに、心配もひとしおだったのだろう。

 

 どれだけ彼の優秀さを信頼していたとしても、親が子を守りたいという感情は当然のものだ。

 

 しかし危険はなさそうだとわかった途端、今度は怒涛の世間話が始まってしまった。女性がお喋り好きだというのは、どの年代でも共通しているが……四十手前ともなれば、もはや壊れたbotである。

 

 しかし僕も人との会話は大好きなので、コナンくんそっちのけでお喋りに興じた。ついでにパスタや飲み物を追加して、長居の準備をする。誕生会まではまだまだ時間があるし、丁度いい時間潰しになるだろう。

 

「ええ、それで初対面の哀ちゃんに怖がられちゃって…」

「ふふ、女の子には優しくしなくちゃダメよ」

「ちゃんと優しく手を差し出して言ったんですよ? 『ほら、怖くない。怯えていただけなんだよね…』って」

「ナウシカから離れてくれない?」

「あ、注文してたのきましたよ。梓さん、パスタこっちです」

「アップルパイはこっちで……はい、コナンちゃんも」

「おう、サンキュー」

「よかったら、あなたも一切れ食べる?」

「ありがとうございます。でも──アタシこのパイ嫌いなのよね」

「ジブリから離れてくれない?」

 

 一時間ほど会話を楽しんだ後、ほとんど参加していなかったコナンくんをチラリとうかがう。正直、赤井さんのことについて咎められる覚悟はしていたのだが──予想に反して、何も言ってこない。

 

 有希子さんがいるからだろうか? いや、赤井さんに変装術と料理の仕方を教えていたのは彼女の筈。部外者ってわけじゃないんだから、ここで言わない理由にはならない。

 

「…なんだ?」

「いや、怒んないのかなって」

「…」

 

 僕の質問に少し黙ったあと、後頭部をガシガシと掻いて、ちょっとふてくされた感じにジュースを飲み干すコナンくん。そして僕をジロっと見ながら口を開く。

 

 ──安室さんを追いかける前に言った僕の捨て台詞と、交わした約束の意味を、彼はよく考えてみたそうだ。

 

「戸籍もない状態で公安に睨まれるリスク……ってのを軽く見てたのは謝る。オメーにとっての『組織』への姿勢は、オレのそれとは違うんだってことを忘れてた」

「思いだしてくれて有難い限りだね。僕は人並の良識くらいは持ち合わせてるつもりだけど、わざわざ自分から首を突っ込んだりはしない……って覚えといてほしいな。もちろん必要があるなら無茶もするけどさ」

「けどそれにしたって、安室さんに伝えすぎじゃねーか? こっちの事情も考えろよな…」

「この状況で私怨を優先するほど、あの人は馬鹿じゃないよ。重要な情報ではあるけど、彼にとっては溜飲を下げる程度の価値しかない──精々、交渉(脅し)の道具になるくらいでしょ」

「充分ヤベーだろ」

「ちょっと、さっきからなんの話してるの?」

 

 …コナンくんとの関係に罅が入らなくてよかった。彼の性格的に大丈夫だろうとは思ってたけど、それでも不安だったのは確かだ。

 

 頭にハテナマークを浮かべる有希子さんに軽く説明しながら、ほっと一息ついて僕は紅茶をすすった。

 

 ──彼女が来たってことは、僕の新居を用意してくれる日が近いのかもしれないな。



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七話

オネショタ原理主義者が感想欄で暴れ回っていますね……とても悲しい。オネ優位の純愛しか認めないなんて、そんな悲しいことがありますか?

私はショタが仲間を連れてくる展開も好きですし、お姉さんに生えてショタを掘る展開も好きですし、お姉さんが裏で寝取られてビデオレターエンドになるのも好きです(燃料投下)


 コナンくんの誕生日から一夜明けて、五月五日……世間的には『こどもの日』。それに合わせたのか、今日は堤無津川(ていむずがわ)で凧揚げ大会がある。

 

 我らが少年探偵団も参加予定なのだが、凧も完成し満を持して出発する段になって気付いたことがある。博士のビートルに全員が乗るのは不可能、という点だ。

 

 歩いていけなくもない距離ではあるが、お散歩というにはちょっとばかし遠い。結構デカい凧だし、車を使うのは前提だから……面倒だけど、僕が歩いていくしかないようだ。

 

 博士は運転しなきゃだし、まさか子供の中から一人だけ歩かせるわけにもいかない。というか、もしかして遠出のたびに僕だけお留守番か? 博士、新しい車とか買ってくんないかな。

 

「すまんのう、直哉君」

「いえ、天気もいいしハイキング気分でゆっくり行きますよ」

 

 考え事をしながらのんびり歩くってのも、意外と楽しいものである。内心では『君がスケボーで行けば丸くおさまるよね』とコナンくんに念を送っているが、気付く様子はない。

 

 まあ僕がスケボーを借りるという手もあるが、正直あんな危険な乗り物を使いたくはない。操作が完全に体幹頼りの上、普通に道交法違反だし。

 

 子供だから許されてるところもあるでしょ、あれ。というか高速道路を走ってるときとか、通報されないんだろうか。

 

 ──そんな益体もないことを考えていると、コナンくんが車から降りてきた。

 

「…ま、一人だけってのもアレだしな。オレも付き合ってやるよ」

「え? じゃあ僕は車でいくけど…」

「前提を覆すな、前提を」

 

 彼の気遣いに内心で喜んでいると、子供たちが次々にビートルから降りてきた。まさか彼らも僕に付き合ってくれるのか? なんて優しいキッズ…!

 

 僕がこのくらいの年齢だったときは、ワガママの塊だったけどなぁ。仮にこんな状況に陥ったら、醜い争いを繰り広げていたことだろう……ちなみに哀ちゃんは助手席から微動だにしていない。めっちゃクール。

 

「歩美も一緒に行ってあげる!」

「へへ、ならオレも行くぜ!」

「ボクもご一緒します!」

 

 うーん、気持ちは嬉しいんだけど……これはこれで引率が大変だ。しかも彼らは普通の子供ではなく、行動力が狂気じみてる『少年探偵団』なのだ。

 

 頭のおかしいムーブがストーリーの都合上だったということを差し引いても、そのメンタルは常人と一線を画す。

 

 とはいえ、このまま僕が一人で行くと言っても聞かないだろう。うーん……あ、そうだ。コナンくんがいる状況なら、誘えば来そうなショタコンが一人いたな。

 

 あの娘ならバイクも持ってるし、ちょうどいいや。アッシーくんならぬ、アッシーちゃんになってもらおう。

 

 みんなから少し離れつつ、スマホを取り出して世良ちゃんに発信する。コナンくんに聞かれたら拒否られそうだしな……とはいえ、彼の世良ちゃんに対する警戒は、あまり意味がないともいえるけど。

 

 コナンくんが彼女を警戒してるのは、言動や行動に怪しい部分が多いからだ。しかしそれは世良ちゃんの乙女心……『自分から正体を明かすよりも、先に相手から気付いてほしい』という可愛らしい感情ゆえに、不審な行動に見えてしまっているだけだ。

 

 つまり互いの情報漏れについて、僕が気を揉む必要はないだろう。そのうち共同戦線を張る可能性は高いし、いまそうなったところで特にデメリットがあるようにも思えない。

 

 世良ちゃんは『怪しく立ち回らなければならない』という『新キャラ特有のお約束』の犠牲になったのだ。メタ的にいえば、誰が『バーボン』だったのかというミスリード要員でもある。

 

 もっというと『探偵甲子園』回に出てきた人気キャラ、南の名探偵こと『越水七槻』の再登場が不可能ゆえに、そのジェネリック版として世良ちゃんが起用されたという事情もある……いや、ジェネリック版は失礼か。むしろ属性を更に盛って、しかし見事に調和した魅力ある少女ともいえる。

 

『…もしもし』

「あ、世良ちゃん? 今から凧揚げ大会行くんだけど、君もどうかなって」

『えぇ……今からって、いくらなんでも急すぎないか?』

「ちなみにコナンくんも一緒だよ」

『…!』

 

 ──世良ちゃんは幼い頃、事件を介して工藤新一と出会っている。それは子供特有の淡い恋心と共に、彼女の大切な思い出として心の内にしまわれていたものだが……ロンドンでテレビに映ったコナンくんを目撃したとき、現在へと繋がった。

 

 それは母親であり“SIS”でもある『メアリー・世良』がベルモットと対峙し、毒薬を飲まされて幼児化した時のこと。辛くも追撃を逃れたメアリーさんは、幼児化した体で娘の下へ戻った。

 

 そしてその直後、子供の頃の姿そのままの工藤新一が──あるいは『子供に戻ってしまった』かのような彼の姿が、テレビに映ったのだ。

 

 ただの偶然だとは考えつつも、“SIS”としての調査能力を駆使して、メアリーさんはその子供……『江戸川コナン』という人物を調べた。

 

 しかし毛利小五郎と共にロンドンへ来訪した筈の子供は、その渡航記録が一切なく……代わりとでもいうように『工藤新一』の入国が確認された。

 

 更に詳しく調べれば、工藤新一の失踪時期や毛利小五郎が有名になり始める時期などが一致し、彼女はコナンくんが『同類』であると確信を得たのだ。

 

 まあ同類とはいっても、コナンくんは青少年からショタ。メアリーさんは四十代からロリババア。一緒にしないでほしいものだが。

 

 そんなこんなで、世良ちゃんと世良ママはコナンくんに近付いて色々と探っているわけだ。特に『工藤新一』としてロンドンを訪れている以上、一時的にでも幼児化を解除する手段が必ずある筈だと考えて。つまりコナンくんを餌にすれば、世良ちゃんはホイホイとやってくる筈。

 

『コナンくんもいるんだ……うん! もちろん行くよ!』

「行かせてください、だろ」

『そっちが誘ってきたのに!?』

「そんじゃま、五分後に阿笠邸ってことで」

『短い!』

「なるはやでよろしくねー、アッシ……世良ちゃん」

『いまアッシーって言わなかった?』

「言ってない言ってない。あ、あとヘルメットは二つお願いね」

『アッシーじゃないか!』

「世良ちゃん……実は今、車に一人乗れない状況なんだ。僕が上手く誘導すれば、コナンくんを君のバイクに乗せることだってできるぜ」

『…! ──君は……もしかして、ボクの目的を知ってるのか?』

「…僕はね、少女の無知につけこんで行為に及ぶような男は、心の底から下衆な人間だと思ってる。でも逆はそんなに悪いことじゃあないとも…」

『なんの話!?』

「いや、君がショタコンでコナンくん狙いだって話を」

『違ぁう!!』

 

 『十分で到着するから』という言葉を残して、電話が切られた。早くない?

 

 世良ママと世良ちゃんは組織を警戒しているのか、一定の場所に留まらず、ホテルを点々としている筈だが……いま滞在してるのが米花市内だとしても、十分は早すぎだ。ちゃんと法定速度を順守してるのか不安になる。

 

 『道路交通法違反は犯罪じゃないから』って精神の持ち主が多すぎる世界、それが『名探偵コナン』の世界である。あの阿笠博士すら、レストランの予約時間に遅れそうって理由でスピード違反起こしてるし。まあそのときは切符きられてるけど。

 

 ──通話の切れたスマホを耳から離そうとする直前、しれっと近付いてくるコナンくんが横目にチラリと見える。

 

なるほど……盗聴器はつけないと約束したが、直で盗み聞きする分には構わないと考えているのだろう。これはもう僕を怪しんでるというより、彼の悪癖のようなものだと思う。

 

 普通の友人や赤の他人相手ならこういうことはしないにしても*1……僕や赤井さん、安室さんに世良ちゃんなど、何かしらの秘密を抱えている人物を相手にすると、持ち前の好奇心が疼きだして行動を起こすのだろう。これはもう、ちょっと懲らしめてやる必要があるな。

 

「──じゃあまた今度ね、蘭ちゃん。大丈夫、僕らの関係はバレてないよ」

「…はぁ。もう突っ込まねーからな……いい加減、お前のそれも慣れてきたっての」

「…っ! ──あっ、うん……だよね。ハハ…」

「…」

「…」

「…え、おま、マジじゃねーよな? ──ちょっとスマホ見せろ久住」

「えっ? いや、プライバシーとかもあるから…」

「いいから見せろって!」

「わ、ちょ……ああっ!」

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねてスマホを奪おうとするコナンくん……僕は慌てて距離をとろうとして、ついスマホを取り落とす。

 

 素早くそれを拾った彼は、ロックがかかっていないことを確認すると、すぐさま画面に指を滑らせて待機状態を解除した。そしてそこに表示されていた『バカが見る~』という画像を目にして、再びスマホを地面に叩きつけた。

 

「久住ィイイ!!」

「あれー? 『いい加減に慣れてきた』って言ってたのに」

「ぐっ…!」

「慣れてきた頃に、一歩を先んずる。先を読んでこその名探偵だぜ、コナンくん」

「オメーの思考の先なんて読んだら、どっかイカれちまいそうだっつーの。ったく…」

「…ふぅ、うまく誤魔化せた」

「おぉい!?」

 

 というかスマホ叩きつけるって何気に酷くない? 博士の改造で頑丈になってるとはいえ、絶対に壊れないわけじゃないんだから気を付けてよね。まったく……傷一つ付いていないスマホを拾って、汚れを払い落す……え、何これ凄い。

 

 博士の恐ろしい技術力に(おのの)いていると、遠くからバイクのエンジン音が近付いてきた。十分も経ってないけど、本当に大丈夫?

 

 ビートルの後ろに止まったバイクの上には、フルフェイスのヘルメットを被った男性──ならぬ男装の麗人、世良ちゃんの姿があった。小柄ながらもジークンドーで鍛えた体、そして貧乳かつ男装のフルフェイス……こうなると、男性にしか見えないから不思議だ。

 

「お待たせ! かっ飛ばしてきたよー!」

「ぷっ、マジで来やがったぜアイツ」

「なんのイジメ!?」

「ウソウソ、ありがとね世良ちゃん」

 

 突っ込んでるときの世良ちゃんは魅力的だなぁ……なんて、そんな風に考えていると、横のコナンくんがじろりと僕を睨みつけてきた。そしてその目が『なんでコイツを呼んだんだ』と如実に語っている。世良ちゃんたら報われない女。

 

「ではでは、コナンくんは世良ちゃんのバイクへどうぞ。また後でねー」

「待てコラ……つーかどっちにしろ、お前が乗ると定員オーバーだ」

「え、なんで?」

「…子供三人で大人二人、子供は二人で大人一.五人、端数は切り上げ。子供四人と大人二人じゃ、そのビートルだとギリギリアウトだ」

「…そうなの?」

「ああ。そんじゃ、また後でな」

 

 そそくさと車に乗り込み、博士を急かして車を発進させるコナンくん。ふーむ……ビートルは五人乗りで……僕と博士と子供四人で六人……子供四人を大人換算して、すべてを合算すると四.七五人……いけるような気がするけど。

 

 いや、普通車か軽によって違うのか──元の世界じゃセーフの筈だけど、この世界だとどうなんだろう。微妙に法律とか違ってたりするから、咄嗟の判断がつかないんだよね。

 

「…僕、乗れたよね?」

「うん」

「なんで言わなかったの?」

「君とも話をしてみたかったからね。()()()が追ってる難事件に君も関わってるんだろ? ──探偵として是非……さ」

 

 そういえば世良ちゃんと初めて顔を合わせたとき、僕はコナンくんを工藤くん呼びしている。ギャグ補正もあってか、蘭ちゃんと園子ちゃんは誤魔化されてくれたが……彼女はしっかり覚えていたようだ。

 

 まあ世良ちゃんに関しては、彼女のママ以外に警戒すべき点はないから、そこまで気にしなくていいだろう。そのママにしたって、余程のことがない限り外を出歩くこともない。

 

 コナンくんとは違って、自分の陣営には……つまりSISには自身の境遇を周知させているから、あまりに怪しいムーブをし過ぎると拘束されるかもだけど。

 

 ニヤリと含み笑いをしながら、僕にメットを放り投げてくる世良ちゃん。うーん……バイクに乗るのは初めてだし、当然二人乗りも同様だ。彼女は当たり前のように危険運転をするから、少しばかり躊躇してしまう。

 

「どしたの? 早く乗りなよ」

「いや……うん。いきなりウィリーとかしないでね」

「しないって。ボクをどんな風に思ってるのさ」

 

 …うわ、目線が高いな。車の座席に比べて一.五倍くらい高い。体が剥き出しということもあって、ちょっとした恐怖を感じる。これで劇場版ムーブでもされたら、命の保障はなさそうだ。それに支えが他人の感覚頼りだから、どうも重心がぶれる。

 

「っ、とと……バイク乗るの初めてなんだけど、後ろ側ってどうすればいいの?」

「バランスを崩さないことだけ意識してくれれば、それでいいよ。よく言われるのは『荷物になりきる』とかかな」

「了解だニモ!」

「違う、そうじゃない」

「というか、これどこ掴めばいいの?」

「人によって違うけど……片手でグラブバーを掴んで、もう片方の腕を腰に回すのが一番無難だよ」

「え、でも嫁入り前の女性にそんなハレンチな…」

「昭和か」

 

 男尊女卑な考えは持ってないし、差別主義者ってわけでもないんだけど──それはそれとして、男が女性にしがみつくってちょっと情けない気分である。まあ日本で生まれ育った以上、仕方のない感覚だろう。

 

 それにしても世良ちゃん、サバサバしてるというかなんというか……もうちょっと照れてくれてもいいのよ? もし逆の立場──つまり僕が高校生だったら、大人のお姉さんを後ろに乗せるなんてシチュエーション、照れたりドキドキしたりでめっちゃ浮かれてたと思うんだよね。

 

 それを思うと、なんだか悔しいな……うむ、ここは一つ世良ちゃんをドキッとさせるセリフでも吐いてみよう。

 

「──世良ちゃん」

「なんだい?」

「いまの僕らって、どう見えてるんだろうね」

「へっ?」

「ほら、こうやって仲良さそうにくっついてるとさ……やっぱり(はた)から見ると──」

「…!」

「ホモカップルに見えちゃうのかな…」

「なんかおかしい単語がくっついてるんだけど」

「ホモに見えちゃうのかな…」

「そこじゃない!!」

 

 いやまあ、フルフェイス状態の世良ちゃんが男に見える以上、男同士のタンデムとしか思われないだろう。しかし今の彼女の言葉には、聞き捨てならない蔑視が含まれていたように思う。これは大人として、ちゃんとたしなめる必要があるな。

 

「…」

「な、なんだよ。なんで黙るんだ?」

「あのさ、世良ちゃん。令和の時代にもなってホモを『おかしい単語』扱いなんて、意識が低すぎるんじゃないの? 差別主義者と受け取られかねない発言だぜ。依頼者の事情を汲む必要がある探偵にとって、ヒューマニズムは不可欠だと思うんだ」

「ぐっ……正論なのにすごくイラっとくる…! …というか『おかしい』はボクを男扱いしてることに対してだからね?」

「君もビアンなら、もう少しマイノリティーに対して気遣いを──」

「勝手に人をレズにしないでほしいんだけど」

「え? でもすごくバリタチっぽい…」

「それこそ偏見だろ! …だいたい、そういう君こそちょっと怪しいなぁ…!」

「なにが?」

「赤の他人を擁護するために、主義主張を叫ぶ人間には見えないってこと。実は自分こそがマイノリティー(同性愛者)で、だからボクの発言に噛みついた……なんてことも考えられるんじゃないか?」

「あはは、ないない。僕は普通に女の子が好きだよ、哀ちゃんとか歩美ちゃんとか」

「許されないタイプのマイノリティー(ロリコン)だった…」

 

 いや、ただの冗談だって……照れさせるどころか、むしろ警戒されたような気がしてちょっとショック。しかも赤信号で止まった際、自分の体を抱くようにして身を引かれた。

 

 己が貧乳ゆえに、ロリコンからターゲティングされると思っての行動なら、微妙に自虐になってて草なんだ。あと世良ちゃん、ロリコンと貧乳好きは似て非なるものだし、君はロリコンからすれば嫌いなタイプだと思うぞ。

 

「や、ホントに冗談だからね? 僕は至って普通に女性が好きだよ。好みは割と細かいけど」

「ふーん……ちなみにどんな女の子が好みなんだい?」

「そうだねぇ……ボーイッシュな感じの娘が好きかな?」

「へっ? …あ、そ、そうなんだ」

「髪は短めで、ボクっ娘とかだとグッとくるかも」

「へ、へぇ…」

「あとは──明るくて自信たっぷりな感じの娘が好きかな。それと…」

「そっ、それと?」

「胸がおっきい娘!」

 

  ──ちょ、ばっ、落ちる落ちる落ちる!! いきなりウィリーとかしないって約束したじゃないか! 彼女が好みを聞いたから答えただけなのに、なんてひどいことをするんだろうか……振り落とされないよう必死にしがみついていると、ようやく一輪車状態が終了した。

 

 もし僕が落ちて後続車に轢かれてたら、いったいどうするつもりだったんだ? …あるいは、こういったギャグっぽい状況だと、本気でヤバイことにはならないという『法則』があるのかもしれない。

 

「死ぬかと思った…」

「乙女心をもてあそぶからだよ、まったく…! ──そのふざけた言動はどうにかならないのか?」

「見て、一羽だけ白い鳩が飛んでる」

「そういうとこだよ!」

 

 ──さて、こちらが会話の主導権を握り続けることで彼女の追及を避けてみたわけだが……到着したあともグイグイくるのかな? 『話しちゃっても問題ない』とはあくまでも僕の考えであって、コナンくんの了解もない状態でベラベラ話すわけにはいかないしなぁ。

 

 この時期の世良ちゃんは、そこまで核心に触れる探り方はしてこなかったと思うけど……物語が進めば進むほど、あからさまな追及が増えてくる筈だ。特に後半は哀ちゃんなんかにもグイグイいくし──まあ最新の映画だと、コナンくんからほぼ正体明かしてたけど。

 

「あ、あそこ駐車場あるよ。現地に停めるとこないだろうし、こっから徒歩でいいんじゃないかな」

「了解……っと、降りるときが一番転びやすいから気を付けなよ」

「別にアンタの手なんか借りなくたって降りられるんだからね!」

「さ、行こっか」

「無視…!」

 

 確かにくど過ぎたきらいはあるが、もう少しくらい付き合ってくれてもいいじゃないか。そんな心持ちで恨めしそうに背中を見続けてたら、さも心外といった風に彼女が口を開いた。

 

「なんでボクが悪いみたいな感じになってるんだ?」

「せっかくこっちが仲良くしようと励んでるんだから、君だって歩み寄ってくれてもいいと思うんだ。僕と親友になりたいんだろ?」

「まだそれ続いてたんだ…」

 

 呆れたように肩をすくめる世良ちゃん。しかしふと何かを思いついた素振りを見せると、ニヤリと笑いつつ、馴れ馴れしい雰囲気で僕の肩に手を置いてきた──ので、ペシッとそれを払いのけた。僕たち、まだそこまで親密じゃないよね。

 

「ひどくないか!?」

「いや、ほら。『友情を深める方法を知ってるかい? 秘密を教えあうことだよ』とかなんとか言ってきそうな顔してたから」

「すごい察してくる…!」

「『友情』ってものを、もう少し大事にしてほしいとこだね。打算は嫌いじゃないけど、利用するのは違くない?」

「う…」

「何を聞きたいかは知らないけど……やっぱり()()()ってものがさ、あると思うんだ」

「…頭でも下げろってか?」

「ううん、お金」

「友情ってなんだっけ」

「そうは言うけど、会うのもまだ二回目だぜ? ──もっと仲良くなったらロハでもいいよ」

「ちぇっ、結構ガード固いなぁ…」

 

 両手を頭の後ろに組んで、大げさにため息をつく世良ちゃん。元の世界でこんな仕草をする奴は、間違いなく痛い人間だろうが……やはりというべきか、あざとさが見事に様になっている。でも女の子がこんな体勢をとると胸が強調されそうなものだが、膨らみはほとんど見られない。お労しや。

 

 ──しかし胸元への視線には気付かれてしまったようで、先程と同様のしたり顔……いや、もっとニヤケっぷりが大きくなった表情で僕を見返してくる。

 

「友情じゃなくて色仕掛けの方が有効だったかなぁ~?」

「だね。そこの木陰でパパっと済ませちゃおっか」

「友達やめていい?」

「恋人になりたいってこと?」

「どんだけポジティブなの!?」

 

 うーん、叫ぶと見える八重歯がチャーミング。あと君が下世話なジョークを言ったから下世話に返しただけだぜ。それに僕、下ネタはあんまり好きじゃないの。

 

 しかしなんだかんだで、美少女との会話は楽しいものだ。ふざけ気味の言動はなるべく抑えめにして、楽しく雑談を交わす。

 

 そうしているうちに、堤無津川の川べり……凧揚げ大会の開催場所に到着した。コナンくんたちは既に着いていたようで、エントリーも済ませたのか凧を飛ばそうとしている。

 

 …さてと。面倒だけど僕も準備をするとしよう。もちろん凧あげの準備などではなく、これから起きるであろう殺人未遂を未然に防ぐ用意だ。事件に進んで関わるつもりはないと言ったが、流石に目の前で起こる殺人を見過ごすのも寝覚めが悪い。

 

 それに『未来の情報』を持っていることはもう知られてるんだから、コナンくんを警戒する必要がないってのも安心要素の一つだ。事件を防ごうとする行動が僕に危険をもたらすならば、また話は変わってくるけど……今回はそういったリスクもほぼない。

 

 今日起こる可能性が高いのは、原作八十四巻『凧揚げ大会』の事件だ。被害者は、既婚者でありながら妻以外の女性と関係を持ち、そのせいで方々から恨みを買って殺されかける……という背景がある。

 

 ちなみに関係を持った女性には『離婚して一緒になろう』と嘘をついていたらしく、女性はその嘘を苦にし、手首を切って意識不明の重体となっている。

 

 正直クズすぎて、助けるべきなのかもちょっと悩むレベルだ。まあ自殺未遂を起こした女性に関しては、当人だって不倫とわかっていて関係を持ったわけだから、安易に同情もできないけど。むしろそれに関しては奥さんの方に同情するね。

 

 ストーリー上で犯人として疑われていたのは『自殺を図った女性の兄』と『自殺を図った女性に片思いしていた男』と、最後に『被害者の妻』の三人が存在する。それぞれ妹の仇、思い人の仇、浮気の制裁という動機があるわけだ。

 

 実際の犯人は『片思いをしていた男』であり、トリックは『泳げない被害者を川に落として溺死させる』というものなんだけど──これがまた杜撰というかなんというか、この回に限ってはアニオリ並にガバガバなトリックなのだ。

 

 まず溺死させる方法が『川岸にある柵の内、事前に壊しておいたところまで誘導する』という、ちょっと後ろを確認されるとおじゃんになるやり方である。

 

 というか被害者にまともな空間認識能力があれば、たとえ凧を揚げることに集中していても、まず落ちることはないだろう。

 

 ましてやこんな衆人環視の中なのだから、誰かが川に落ちれば、すぐに飛び込んで助ける人だっている。いくら泳げないとはいえ、流れも穏やかな川で、救助までの間に溺死する人間はそういない。

 

 実際問題、落ちてから引き上げられるまでは精々二十秒ほど──この回は僕も監修してたから断言できる──だった。

 

 しかも助けられる直前まで水面から顔を出していたので、溺死もクソもないと思うんだけど……結果としては意識不明の重体である。

 

 このことから、本当の犯人は助けに入った脇役の方であり、シーンとシーンの間に無理やり溺れさせた説が制作陣の間で濃厚になっていた。

 

 そして犯人は、そんな生還率九十九パーセント越えのガバトリックを考案しただけに留まらず、被害者が川に落ちる直前『地獄に落ちろ…』と糸電話で伝えていたりもするのだ。

 

 常識的に考えれば、そのまま這いあがってきて『どういうことだコラァ!』って詰められること間違いなしだろう。

 

 …まあなんにせよ、今回の事件で被害者を助けるのは、そう難しいことではない。極端な話、壊されている柵の前に陣取っておけばそれで防げるわけだし。

 

 ただそういった方法で助けてしまうと、被害者が加害者の殺意に気付けないまま凧揚げ大会が終わってしまい、またそのうち殺されかける可能性が高いってことだ。

 

 だから被害者さんには『殺されかけた』という認識を正しく持ってもらわないといけない……そこまで考えてあげるなんて、僕って優しい……優しくない?

 

 ──おっと、それはそうと準備だ準備。肩から斜めにかけていたカバンを下ろし、中身を取り出す……前に、コナンくんと哀ちゃんが寄ってきた。

 

 いや、凧の方へ行った世良ちゃんから逃げてきたという見解もあるな。どっちも僕を責めるような視線で、怪しい人物を招き入れたことを非難している雰囲気だ。

 

「…どういうつもり?」

「なにが?」

「あの娘のことよ。江戸川くんのことを嗅ぎまわってるんでしょう? わざわざ呼んであげるなんて……ずいぶんとお優しいのね」

 

 …ん? はて……この時期の哀ちゃんって、世良ちゃんをそんなに警戒してたっけ? コナンくんって博士や服部くんとは割と情報共有するけど、哀ちゃんに対しては、不安がらせないようあんまり話してない筈。

 

 ──となると、彼女が世良ちゃんを警戒する要因は……幽霊ホテルの事件をコナンくんから聞いて一つ、コナンくん誘拐事件でニアミスがあったのと……ああ、そういえばベルツリー急行で世良ちゃんのことをメチャクチャ怖がってたっけ。

 

 世良ちゃんに近付かれたとき、変装したバーボンが後ろを横切ったせいで組織センサーが反応したんだ。感度ガバガバすぎない?

 

「大丈夫、あの娘はただのショタコンと思っとけばいいよ」

「ぜんぜん大丈夫じゃないわよ!」

「──ほほう」

「…なによ」

 

 ここで『コナンくん盗られちゃうねぇ』などとからかえば、返ってくるのは頬抓りか耳引っ張りである。しかしまぁ……彼女も無節操というかなんというか、フラグの乱立が著しいな。

 

 コナンくんに惚れているのかと思えば昴さんにデレを見せ、光彦くんから惚れられたかと思えば歩美ちゃんとイチャコラするし。

 

 『略奪愛』『姉妹丼』『オネショタ』『百合』と、どのルートを選んでも背徳的で禁断の恋である。ここは一人の大人として、彼女にまともな道を示すべきでは?

 

 そうと決まればさっそく実践だ。怪訝な顔をしている彼女の前にしゃがみ込み、まっすぐに瞳を見つめ、小さな手をぎゅっと握りしめる。手ぇ冷たっ。

 

「哀ちゃん」

「…っ! な、なに?」

「手が冷たい女は心も冷たいって言うけど、ホントなのかな?」

「確認させてあげましょうか?」

「遠慮します」

「じゃあさっさと手を離しなさい」

「哀ちゃん」

「…なによ」

「逆説的に言えば、いま君の手は僕の体温で温まってきてるから……とても優しい少女になってるんじゃないかな」

「そうね。試してみる?」

「ぜひ」

「今日のあなたの枕、抜け毛が三十本くらい付いてたわよ」

「おっと、そんな傷付く嘘をつくなんて──やっぱりこの説は信用できないみたいだね」

「あら、今のは優しさで教えてあげただけよ? 元々は言う気もなかったし」

「はいはい」

「…」

「…」

「…」

「…え、う、嘘だよね?」

「嘘よ」

「くっ…!」

 

 この女っ…! 言っていい冗談と悪い冗談の区別もつかないのかっ…! なんとか懲らしめてやりたいが、下手になにかすると事案になってしまうのが痛いところだ。

 

 コナンくんが『よくやった』とでもいうように哀ちゃんの肩を叩いているのも、微妙に腹立ちポイントである。まるで普段から僕が何かしているみたいじゃないか。

 

 ──けっ、こんな奴らと一緒にいられるか! 僕は先に帰らせてもらうからな! …じゃなかった、死亡フラグは僕じゃなくて別の人間に立ってるんだった。君らのせいで準備が間に合わなかったら、どうしてくれるんだまったく。

 

「…ちょっと、なにしてるの?」

「浮き輪を膨らませてるの」

「久住、頭に付けてるのはなんだ?」

「ゴーグル」

「なぜ服を脱ごうとしてるのかしら」

「川で泳ごうかと」

「遊泳禁止の看板は見えてるか?」

「なんやて工藤!!」

「おまっ、バッ──!?」

 

 『工藤』の叫びが聞こえたのか、こちらへ寄ってくる世良ちゃん。コナンくんはあわあわしながら両手を振っている。こういうところが、まるで高校生とは思えなくて可愛いよね。とりあえず脱ぐのはやめて、ゴーグルも外し、浮き輪だけを脇に抱えたままにしておく。

 

「いまコナンくんのこと『工藤』って言わなかったか?」

「ちゃうちゃう、工藤やなくて工藤や! く・ど・う!」

「工藤じゃないか!?」

「うん、銀座にある料理屋『くどう』が美味しいって評判でさ。今度行くとき、世良ちゃんも誘おうか?」

「…ふーん……うん、そのときは誘ってくれよな!」

 

 深くは追及してこない世良ちゃん。ある程度まで巻数順に物語が進んでいるのならば、そろそろコナンくんと世良ママと引き会わせようと画策している筈。ここでわざわざ波風立てる必要はないってとこかな? まあその計画は、結局事件があってうやむやになるんだけど。

 

 ──なんて、彼女の反応から時系列を探っていると、すぐ近くで大きめの水音が聞こえた。

 

「ヤベェぞ! 奴は泳げな──」

「あ、こんなとこにちょうど浮き輪が。えいっ」

「──ぶはぁ! …はぁ……はぁ……た、助かった…」

 

 落ちてすぐに浮き輪を投げ入れたのだから、これで助からないとすれば、それはもう運命かなにかだろう。そしてそんな悲しい運命は存在しなかったようで、這う這うの体で陸へ戻ってきた不倫男。

 

 彼は息を整えようともせず、加害者である片思い男へ食ってかかった。いや、先に僕へお礼を言うべきでは?

 

 目まぐるしい展開に、哀ちゃんと世良ちゃんは目を丸くしながら諍いを眺めているが……コナンくんはというと、僕の腕を引っ張ってしゃがむように促し、不満たらたらの様子で口を開いた。

 

()()()()んなら教えとけっつーの」

「いやぁ、コナンくんも薄々気付いてるだろうけど……僕が知ってるのって『犯人』と『動機』であって、『時』と『場所』はかなり曖昧なんだよね」

「…まぁそうでもなけりゃ、あのとき世良にホテルまで案内させる意味はなかった……か。つーか、落ちる前になんとかしてやれなかったのか?」

「一回は落ちないと、自分が殺されかけたって認識しないからね。これで被害者も、相手を殺人犯として追及できるでしょ?」

「…いや、そうでもねぇみてーだぜ」

 

 …ん? …ははぁ……二人の言い争いを要約すると、犯人は『はぁ? なんか落とそうとした証拠でもあるんスか? 事故っスよ、事故』と開き直っているようだ。まあ実際、糸電話で誘導して殺そうとしたなんて意味不明だしな。殺意の証明は厳しいだろう。

 

 というか不倫がどうの仇がどうのと、事のあらましを赤裸々に言い合っているが……まさに泥沼である。なんか決定的な証拠でもあれば決着はつくんだろうけど──ええと、原作では証拠ってどうなってたっけ。

 

 …ああ、そういやコナンくんが哀ちゃんを盗聴するためにスマホを録音状態にして、そのまま紛失し、それを犯人が拾って『地獄に落ちろ…』という声が録音されるというミラクルが起きたんだった。

 

 息を吸うように盗聴する、コナンくんの悪癖あっての証拠だが──たぶん僕がモラルを説いたせいでやってないな、これ。

 

 うーん……まあ別にいいか。命の危険は去ったわけだし、ここから誰がどう裁かれたって僕には関係ない。被害者と加害者、正直どっちもどっちって印象だし。

 

 いくら意中の人が悲劇に見舞われたって、殺人という手段に訴えて復讐するのはどうかと思う。被害者も被害者で不倫男だし……人の心が移ろうのは仕方ないけど、それならそれでケジメをつけるのが筋ってもんだろう。

 

「…で、どうすんだ?」

「別にどうもしないけど」

「…? アイツが犯人で間違いないんだろ?」

「だからって証明してあげる義理も義務もないし」

「オメーなぁ…」

「だって、あんな奴らのために骨を折る必要ある? 一方は不倫して愛人を死に追いやった男、もう一方は人を殺そうとした男だぜ」

「──聞こえてんだよクソガキ!」

「勝手に人を殺人犯よばわりするんじゃないっスよ!」

 

 待て、言い合いをしていた君らがこの距離で聞こえるのおかしいだろ。誰だよこの世界の人間は鼓膜の性能が低いとか言ったの……あ、僕か。やだやだ、関わりたくないなぁ。不倫する人って嫌いなんだよね。あと語尾に『っス』て付ける人間も。

 

「お前──僕を殺人鬼って、何か証拠でもあるのかよ!」

 

 『っス』を付けろ『っス』を。自らアイデンティティーを崩すんじゃない。というかちょっと悪態をついただけなのに、妙に絡んでくるその態度がもう殺人犯なの。

 

 後ろ暗いことがあるからこそ、自分にとってマイナスになる意見を無視できず、徹底的にその芽を潰したいんだろう。ふん、僕の見た目が高校生くらいだから、凄めば委縮するとでもでも思ったのか? 馬鹿め。

 

「ひぃっ、殺さないで…!」

「なっ! こ、この──」

 

 『あの凶暴性…』『やっぱり殺そうとしてたんだ…』という声がざわざわと囁かれる。やだ、まるで主人公を陥れる悪役令嬢にでもなった気分だわ。

 

 コナンくんと哀ちゃんの、呆れたような目が心地いい。僕は弄られる側じゃなくて、弄る側でいたいのだ。さっき哀ちゃんに痛めつけられてささくれだった心が、なんとなく回復した気がする。

 

 …ん? でもよく考えると、理由があれば殺人を決行するような人物をからかってるのか……さっき怯えたのは振りだが、本当に怖くなってきた。

 

 やらないで後悔するよりやって後悔する方がいいというけれど、僕はやらかしてから後悔することが多い。ちょっと反省。

 

「えーと、証拠でしたっけ?」

「怯えてたんじゃなかったのか!?」

「克服しました」

 

 殺人未遂犯である彼の瞳に『なんなんだよコイツ…』という色が混じった。よし、これである程度は安全を確保できただろう。変人と紙一重の言動や行動は、時に身を守る盾となるのだ。

 

 特に相手が常識人であればあるほど効果的である。人を殺そうとする人間が常識人かどうかは疑問だが。

 

 ──成り行きではあるが彼の犯行を証明しなきゃならなくなったが……さっきも言った通り、物証は存在しないのだ。ただし状況証拠は割と揃ってるので、なんとなくこう、ふわっとした感じに追い詰めることはできると思う。

 

 というか、こっちにはコナンくんがいるしね。彼のやり口といったらもう、心のへし折りかたを熟知した恐ろしいものだ。あっという間に『そうさ! 俺がやったんだよぉ! 当然の報いだ!』なんて自白が飛び出るに違いない。

 

 野次馬の注目を浴びたまま移動し、僕は壊れた柵の前にしゃがみこむ。まずは意図的にほどかれたロープについてだ。偶々ほつれていた訳ではなく『作為』が存在したことを証明するのがまず一手目。わざとらしく大声をあげて、聞こえよがしに不審な部分を指摘しよう。

 

「あれれ~? おっかしいぞ~!!」

「オイ」

 

 横で『ぶふっ!』という声が聞こえたので視線を向けると、哀ちゃんが口元を押さえて震えていた。いや、君もこのネタ使ってただろ。まあ自分で言うのと人のを見るのじゃ違うか……おっと、視線が集まっているうちに推理を続けないと。

 

「彼が落ちたこの部分のロープ……切れた部分を繋ぎ合わそうとしても、長さが足りないですね」

「そ、そんなのボロボロになって落ちただけで…」

「ですが、下の方のロープは逆に余裕がありすぎます。まるでどこかから別のロープを持ってきたかのように…」

「なっ…! なにが言いたいんだよ!」

「そうですね、たとえば柵の端のほ──」

「ボク見てきたよ! 上流側の端っこのロープ、真新しい切り口があって一つだけ繋がってなかったんだ! なんでだろうね?」

「あ、はい」

「だ、だからって…」

「上流側で一つ切り取られていたなら、もう一つはおそらく下流側の──」

「そっちはボクが見てきたよ、久住君。同じように一つだけ切り取られてた……おっと、この不自然なロープ、裏側だけ日焼けあとが無いね。()()()に巻かれていたのを使ったんじゃないか?」

「あ、はい」

 

 自己主張の激しい探偵どもめ…! 『なんでだろうね?』とか『どこか』とか、そういう白々しい指摘が人の心を抉るんだぞ。案の定、犯人は脂汗をだらだらと流しながら言葉に詰まっている……が、しかし往生際が悪くなければ悪役は務まらない。彼もまた、必死に足掻こうとしている。

 

「な、なにか証拠があるのか? 決定的な証拠が!」

「疑わしきは罰せず……確かに状況証拠だけで犯行を決定付けることは難しい。ですが、何事も限度はありますよ」

「…っ!」

「まず一つ。あなたには『愛した人の仇』という明確な動機がある。そしてふた──」

「──二つ。被害者を誘導していたのがアンタだってのは、会場を撮影していたカメラに間違いなく映ってるよ。ペットボトルとタコ糸で作った糸電話もね」

「あの、世良ちゃ……くっ、み、みっ──」

「三つ目は『作為的にほどかれたロープ』だよね、直哉兄ちゃん!」

「よっ──」

「四つ目は『被害者の証言』だ。水掛け論とはいえ、捜査上で無視できるものじゃない。これだけ状況証拠が積みあがれば、物的証拠が無くても拘留くらいはされると思うよ? 起訴されるかは取り調べ次第だけど、あまり日本の警察を舐めない方がいい」

「…」

 

 あのさぁ。いや、別に目立ちたいってわけじゃないけど……それでもなんか悔しい気分。いや、もしかしてこれは……僕がお約束についていけてないってことか?

 

 『名探偵コナン』に限らず、漫画では『別々の人間が一つの言葉をわけて言う』表現が結構ある。

 

 『これは○○──』『──○○──』『──○○…!』みたいな。

 

 むしろこの状況、『アイツぜんぜん息合わねぇな…』と思われてる可能性すらある……などと思っている間に、犯人が膝から崩れ落ちて自供し始めた。

 

 悔し涙からの男泣き。『そうさ! 俺がやったんだよぉ! 当然の報いだ!』という慟哭。かと思えば、それを見た被害者が土下座して『俺が悪かったんだ、すまねぇ…』と泣き始めた。いったいなにが始まるんです?

 

 とはいえ警察を呼ぶ様子もないし、加害者と被害者で和解したんなら一件落着ってことでいいだろう。ちょうど自殺未遂女性のお兄さんに電話がかかってきて、彼女が一命をとりとめたと報告も入ったようだし。

 

 というか妹が生死の境を彷徨ってるときに凧揚げって、よく考えたらこの人もまあまあヤバイお人だな。原因をとっちめに来たといっても、優先順位ってものがあるだろうに。

 

 ま、大団円と言っていいのかはわからないけど、誰も死なずに事が終わったのは喜ばしいことだ。

 

 あと世良ちゃんの目が『君も探偵だったのか…』みたいな感じになっているが、とんだ勘違いである。

 

 『君も力士だ…』『お前がガンダムだ…』『やはり天才か…』レベルのレッテル貼りだよね。

 

 ──その後、あまり大事にならなかったこともあって凧揚げ大会は無事継続し、見事に少年探偵団の凧が優勝を飾った……なんてことはなく、原作通りきっちりと墜落して壊れていた。こういうとこはそのままなのね。

 

 つつがなく大会も終了し、行きと同じように世良ちゃんに送ってもらって『凧揚げ大会』の事件は終了した。

 

 …ちなみに彼女を呼んだのは『主要人物が増えるとどうなるのか』という実験的な意味合いも含んでいたが、特に不自然な流れを感じることはなかった。

 

 『変えられない運命』とか『歴史の修正力』とか、ありがちなものはないと考えてよさそう……かな?

 

 クール便の事件は結末が変わった訳じゃないし、恋愛小説家の事件はただのサブストーリーだし、『重要な部分は絶対に変わらない』というクソみたいな可能性がないとは言えないからね。

 

 安室さんへ警戒を促したのに、結局キュラソーに逃げられる……なんて事態にならないかと心配していたが、この分なら大丈夫か。

 

 いや、ここはあえて言っておこう──安室さんなら絶対大丈夫に決まってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凧揚げ大会のあと、博士の家でみんなとゲームをして遊んでいたのだが……ちびっ子たちがいなくなり、なんとなく寂しくなった空間で一息つく。みんなで騒いだあとの部屋って、いつもと同じはずなのに静けさを感じるよね。

 

 …さて、晩ご飯の準備でもするかな。炊事と洗濯は哀ちゃんとの持ち回りで、今日の担当は僕だ。博士はこの年まで独身だった割に、料理を含む家事全般がイマイチである。

 

 ま、そんな欠点を補って余りある開発力と技術力があるんだけどね。むしろ自分で家事を覚えるより、万能家事ロボットを作る方が手っ取り早いまである。

 

 ──薄めに味付けした野菜炒めを大皿に盛り付け、作り置いておいた煮物を小鉢にわける。ちなみに一番得意なのは中華料理だが、最初に出した日以降は禁止された。

 

 哀ちゃんいわく『塩分が多い、油使い過ぎ』だそうだ。博士の健康に気を使う、とてもいい娘である。

 

 塩分三十パーセントカットのお味噌を出汁に溶きながら、キュラソーの件について少し考える……安室さんに情報を伝えてから、もう丸一日か。

 

 どうなってるか気になるところだが、しかし僕にそれを知る(すべ)はない。『情報を提供してくれたから』なんて理由で、進捗を教えてくれるわけないしね。

 

 …おっと危ない、鯖が焦げそうになっていた。盛り付けも終えて食卓に運び終わったので、二人を呼びに行く。博士は研究に夢中で、哀ちゃんも同じく。

 

 ほっとくと研究ばっかだな二人とも……まあこの家って、大企業の開発室よりも機材が揃ってるもんなぁ。薬の製造まで可能な時点で意味不明すぎるけど。

 

「ではでは、みんな揃ったところで──(しゅ)よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事を…」

「いつからウチはカトリックになったのかしら」

「うーむ、肉が少ないのう…」

「野菜炒めに豚肉が入ってますよ、博士」

「ちょっと、なんでモモ肉じゃなくてバラ肉なの? 脂身は控えめにっていつも言ってるじゃない」

「えー、だって炒めものにモモ肉ってちょっとさぁ…」

「そうじゃ哀君、直哉君が言っておる事にも一理あるぞい」

「誰のために言ってると思ってんのよ、メタボオヤジ」

 

 ツンデレツンデレしながら、お味噌汁をすする哀ちゃん。ちょっと濃いわよとのお言葉をいただいた。まるで姑のようだが、健康食に気を使い始めるとこんな風になる人って多いよね。まだ塩分油分糖分に気を付けてるだけだが、オーガニックがどうのなどと言い始めれば危険信号である。

 

「…そういえば聞き忘れてたけど、結局あの女子高生探偵は何者なのよ」

「世良ちゃんのこと? あの娘は君の従姉妹だけど」

「ぶっ──!? げほっ、な…」

 

 むせた勢いで味噌汁を吹き出す哀ちゃん。唖然としたまま動かないので、代わりに机の上を拭いてやり、汚れた口元をティッシュで拭う……むっ、ペシリと手を叩かれた。見た目が幼いからついつい世話を焼いてしまったが、よく考えると十九歳の女子に対する行動じゃなかったな。

 

「…どういうこと?」

「いや、そのままの意味だけど。君のお母さんのお姉さんの娘さん」

「…! 私に……従姉妹? いえ、いないとは言い切れないけど──でも、何故そんな人が江戸川君のことを嗅ぎまわっているの?」

「んー……世良ちゃんの母親、つまり君の伯母さんもコナンくんと同じ状態なんだよね。彼がロンドンに行った時期に、ベルモットから例の薬を飲まされて」

「…伯母も組織の一員だったってこと? 私と同じように組織を裏切って制裁を…」

「へ? あ、違う違う。世良ちゃんのお母さんはイギリスの秘密情報部の構成員……“SIS”とか“MI6”とか言われてる人たちだよ」

 

 あまりに予想外の情報がポンポンと出てきたせいか、少し停止したあと、うつむいて深く考え込む哀ちゃん。まあこの情報は隠しておくよりも開示した方がメリットも多いし、赤井さんが今も盗聴しているとすれば、なおさら聞いておいてほしいところだ。

 

 『名探偵コナン』という作品において、味方同士の疑いあいは物語の華でもあるが、実際にそんなことされても無駄なだけだし。

 

「…色々と言いたいことはあるけど……彼女たちはなぜ工藤君まで辿りつけたの? 組織ですら、彼の正体にはまだ気付いていないのに」

「かなり昔、実際に新一くんと会ってるんだよあの二人。で、彼ってばこの前イギリスで大立ち回りしてテレビにまで出てただろ? 普通なら『そっくりさん』で片付けるだろうけど、もし自分が“縮んだ”状態なら──」

「──怪しむには充分、てことね。結局あの目立ちたがり屋さんのせいじゃない」

「味方になり得る組織へ、秘密裏にサインを出せたとも言えるぜ。実際に敵の敵ではあるし……まあ組織関連以外で信用するのは危険だと思うけど」

「…そう」

 

 お姉ちゃんっ子である哀ちゃんが、自分の血縁に対してどういう姿勢を見せるのか気になっていたが……意外とクレバーな感じだ。まあ内心までは知りようがないので、本当のとこはわからないけど。それよりも、僕に向けるジトっとした瞳が気になるところである。

 

「それよりも、あなたの情報源って本当にどうなってるの? そろそろ教えてくれたっていいと思うんだけど」

「コナンくんならある程度まで知ってるから、知りたいならあっちへどうぞ」

「どうせ工藤君には口止めしてるんでしょ」

「想像に任せるよ」

「工藤君よりも、私や博士の方があなたと一緒にいる時間は長いのに……ずいぶん扱いに差があるのね」

「や、盗聴器つけられたせいで知られたの」

 

 ──仲良く肩をガクッとさせる博士と哀ちゃん。僕の発言を嘘だと思わないあたり、コナンくんならやりかねないとは思ってるんだろう。

 

 というかちょっと気になったんだけど、哀ちゃん今『私の方があなたと仲良くなってるでしょ!』的な発言しなかった?

 

 可愛げのあるセリフともとれるが、あえてハッキリ言おう。それはない。絶対にない。だって彼女、いまだに僕のことを『あなた』か『アンタ』か『ちょっと』か『ねえ』でしか呼んでないんだぜ? これで仲良くなったなんて、ちゃんちゃらおかしいね。

 

 そもそも人を愛称で呼ばない娘だと知ってはいるが、名前すら呼ばないのはどうなの? 最も仲が良さげな歩美ちゃんですら『吉田さん』だし、かなり信頼してそうな阿笠博士でも『博士』だから、僕だって呼び捨てとか愛称で呼んでほしいなどとは思ってない。しかしもう半月を共に過ごしたというのに、まだ名前を呼ばれていないというのは些か不満が募る。

 

「…なに?」

「いやさ、一緒に過ごして仲が深まった的な雰囲気出してるけど……僕、まだ名前すら呼んでもらった覚えがないんだけど」

「え? …そ、そうだったかしら」

「この際だし『哀ちゃんが僕をなんて呼ぶのか選手権』を開催したいと思います」

「誰がエントリーするのよ」

「博士、ここは一つ素敵な感じのをお願いします」

「う、うーむ……てっきり『久住君』と呼んどるかと思っておったんじゃが、そういえばまったく聞いておらんのう」

「でも哀ちゃんって年上に『君』付けはしないですよね?」

「それもそうじゃな…」

 

 哀ちゃんの反応を見る限り、わざと呼んでなかったってわけでもなさそうだな……しかし改まって決めるとなると、なんか気恥ずかしい──そんな雰囲気を感じる。可愛い。

 

 というかアメリカに留学してたのに友人をファーストネームで呼ぶ癖がないって、もしかしてボッチだったのかな……そういえば『博士の初恋』エピソードで、留学中は嫌がらせを受けてたとか言ってたっけ。

 

 まあ生まれた時から組織と関わりがあって、留学も『させられた』ってことなら……まず友人を作ろうとも思わなかったのかもしれない。

 

 彼女に比べて僕はというと、現状はともかく、この世界に来るまでは概ね幸せな人生を送っていた。哀ちゃんの境遇を完全に理解はできないし、共感も中々に難しい。

 

 ──だからこそ、本当に仲良くなりたいのなら、こちらが一歩踏み込むべきだろう。

 

「まだ半月の付き合いだけど……それでも、僕は君を大切な友人だと思ってる」

「…!」

「だから、親しい人にだけ許してる愛称を君にも使ってほしい──……『クズ』って呼んでくれるかい?」

「それ私が非常識な人間ってことになるんだけど」

「その常識を疑うんだ…!」

「まず人間性が疑われるのよ!」

 

 うーん……しかしまあ、やっぱり哀ちゃんのキャラ的に『久住君』以外はピンとこない。いや、正直『久住君』もしっくりくるかといえば微妙だ。かといって『直哉』とか呼ぶタイプでもないし、しかし僕に『さん』付けなんてするとも思えない。中々に難しい問題である。とはいっても、決めるのは僕じゃなくて哀ちゃんだが。

 

「久住君か久住さん。直哉か直哉さん。まともな候補はそのくらいかな? さぁ、選ぶんだ哀ちゃん」

「…別にいちいち決めなくても、必要があれば適当に呼ぶわ」

「えぇ…」

 

 ぷいっと顔を背けて、食器をシンクに持っていく照れ屋な哀ちゃん。名前の呼び方すら簡単に決められないなんて、チーズ牛丼とか好きそう。よし、明日のお昼は牛丼にするか……もちろん脂身の少ない部位を使って。薄味でも出汁を濃い目にとれば、上品な感じに仕上がるだろう。

 

 苦笑交じりで哀ちゃんの背を見送る阿笠博士と、食後のお茶を飲みながら研究談義に花を咲かせ……後遺症のない集団催眠のかけかたを論じ終わったところで話を切り上げ、お風呂に入る。

 

 別になにか犯罪を考えているわけではなく、VRゲーム『コクーン』は催眠でユーザーの意識を一つにまとめていたらしいので、そこを学ばないと何も始まらないのだ。心折れそう。

 

 お風呂から上がったあとは朝食の仕込みだけ終わらせて、寝床へ向かう。ふかふかのベッドに腰掛け、リモコンで電灯のスイッチを消す……前に、ちょっと気になったので枕を確認する。うむ、抜け毛はついてないな。ほっと一安心して寝床に入り、目をつむって思考に耽る。

 

 色々と心配ごとは多いけど、とりあえずキュラソー関連のことについては──夕方にも考えていた通り、安室さんの手腕なら確実に成功させてくれるだろう。はっきり言って失敗はあり得ない。*2

 

 あ、そういえばちびっ子たちには悪いことしたなぁ。凧が壊れると知ってたなら、補強を進言しておくべきだった。今度なにかお詫びでも……そうだ、次に集まったとき面白いクイズでも出してやろうかな。*3

 

 僕もなんだかんだで馴染んだものだが、やはり帰る手段があるのなら帰りたいものだ。もし戻れたら、まず何をしようかなぁ……あっ、アツアツのピッツァが食いてぇ! ナラの木の薪で焼いた本物のマルガリータ!*4

 

 …殺人未遂やらなんやらあったが、今日も楽しい一日だった。明日はもーっと楽しくなるよね、ハム太郎!*5

*1
しないとは言ってない

*2
失敗フラグ

*3
劇場版フラグ

*4
死亡フラグ

*5
へけっ!




哀ちゃんって三人称のサンプルが少ないので、主人公くらいの年代をどう呼ばせるか悩みます。
肩書きがあれば『◯◯先生』とか『◯◯刑事』でいいんですが、それもないですし。

そもそも原作ですら、蘭ちゃんをなんて呼んでるか不明なんですよね。劇場版では二回ほど『蘭さん』、アニオリでも一回そう呼んでますが、それも本人に向けてではないですし。


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八話

今回の更新は一万字ほどの予定でしたが、アンケートの結果を尊重した結果二万五千字を越えてしまったので、時間のある時にゆっくりお読みください。


 

 凧揚げ大会から一夜明けて、五月六日の午前七時。いつも通り、目覚ましが無くともバッチリ起床。体が別人に変わったってのに、そういった性質に変化がないのは不思議だよね。

 

 習性が魂にでも刻まれているのだろうか。よく考えると、脳みそだって本来のものじゃないんだから、思考と嗜好に変化がない時点でおかしいんじゃ……いかん、考えだしたら病みかねない問題だ。顔でも洗ってさっぱりしてこよう。

 

 洗面所に到着すると、気怠そうな様子で歯を磨いている哀ちゃんの姿があった。いつも眠たそうにしているアクビ娘だが、寝起きはもはやゾンビに近い。

 

 薄紫色のネグリジェが着崩れていて、少し肩がはだけている。この衣装、どっかで見たことあるな……ソシャゲかなにかだっけ?

 

「おはよ、哀ちゃん」

「ん……おふぁよ」

「昨日の『哀ちゃんが僕をなんて呼ぶのか選手権』だけど、夢の中で『碇くん』がトップに踊りでてきたぜ」

「どっから出てきたのよ」

「ほら、哀ちゃんの声って綾波に似てるし」

「あのねぇ…」

 

 有希子さんをナウシカネタで弄っていて判明したことだが、『声優と声質が似ている』ってのはそう珍しいことでもないようだ。

 

 まあコナンくん周りだけじゃなく、普通にそこらを歩いてる人もだいたいアニメ声だからな……そういう世界ってことなんだろう。元太くんと高木刑事の声がほぼ同じという部分にツッコミが入らないのも、そのせいかもしれない。

 

 つまり『声の似た別人』が多いということになるが、声紋鑑定とか大変そうだ。大変そうだなっていうか、高木刑事と元太くんの声は鑑定して区別可能なのか? 高山みなみさんとコナンくんの声も、別人として認識されるのか興味深いところだ。

 

 呆れた様子の哀ちゃんも、似ていること自体は認めているのか反論してこない。彼女は意外と漫画、アニメ、映画などの文化に詳しいのだ。

 

 コナンくんにラムのことを尋ねられて『だっちゃ?』と返すくらいには、古い作品にも精通しているようだ。ちなみに僕は高橋留美子先生のキャラなら、女らんまが一番好きだ。もちろん男が好きというわけではないが。*1

 

 あと少年探偵団の中でゲームが一番得意なのも哀ちゃんだしね。コナンくんが一番下手というのも公式設定だが、哀ちゃんはそれを彼が『子供相手に手加減をしてるから』だと思ってるらしい。乙女フィルター恐るべし。

 

「それにしても、休みなのに珍しく早起きだね」

「…別に。たまたま目が覚めただけ」

「伯母さんの話のせいで、あんまり眠れなかったのかな?」

「…っ! …気遣いのできない男は嫌われるわよ」

「気遣いで何も言わないのと、気まずくなるのが嫌で何も言わないのは違うと思うんだよね。それに哀ちゃんってクールに見えて意外とわかりやすいし」

「──勝手に人を理解した気になってるみたいだけど、見当外れもいいところね」

「そう? お母さんのお姉ちゃんに会ってみたいなぁ……って雰囲気だけど」

「…ありえないわ。その人にとって私は、姪であると同時に……毒の林檎を用意した魔女そのもの。いったいどんな顔して会えばいいっていうの?」

「笑えばいいと思うよ」

「黙りなさい」

 

 『なんであなたはそうなのよ』と口にしながら、僕の足の甲をかかとでグリグリしてくる哀ちゃん。スリッパを脱いでいるのは、せめてもの優しさだろうか。

 

 しかし『毒の林檎を用意した魔女』とは、相変わらずポエミィな女の子だ。夕陽を見て『世界を血に染める太陽の断末魔…』などと言うだけはある。僕のキザなセリフなんて、彼女のポエムに比べれば可愛いもんだろう。

 

 朝食をとりながら哀ちゃんの機嫌も取りつつ、更にへりくだりゴマをすり肩まで揉んで、医学の教えを請う。医者になりたいってわけじゃないんだけど、コクーンの理論を理解するにはそっち系の知識も必要なのだ。なんでゲームに催眠要素がいるんだろう。

 

 まあ僕が作るゲームに催眠術を使う気はないが、理想形に近いVRゲームがどういった理屈で動いていたかを知るのは、けして無駄にはならない筈だ。

 

 しかし専門書というのは、そもそも用語を知らなければ読めたもんじゃない。いちいち言葉の意味を調べても、それの説明にもまた専門用語が使われている……というのはザラだ。

 

 その点、哀ちゃんは天才科学者で医療にも詳しいし、わかりやすく噛み砕いて教えてくれる。理系の天才肌というのは、得てして人に教えるのが苦手というイメージだが……彼女はそうでもないようだ。むしろ自分の作業を進めながらも、チラチラと僕を気にかけてくれている。意外と世話焼き。

 

 いま読んでいる本の記述は『人体の構造と機能』についてだが、これまたとても興味深い。というか人間の頑丈さが、前の世界とまるで違っている。

 

 刃物に対してはともかく、打撃や衝撃に関してはそうそう大怪我にならないのが普通らしい。蘭ちゃんや京極さんが過剰防衛でしょっぴかれないのは、そういった理由からだろうか。

 

 『気絶』という状態は実のところかなり危険なのだが、こっちではそうでもないようだ。大きな壺で後頭部をぶん殴られても、意外と死なないのがこの世界の人たちである。そういやアニオリでは、耐久力お化けみたいなオジサンもいたっけ?

 

 鈍器で後頭部を殴られて気絶して、更に別の人間に後頭部を殴られて気絶して、更に更に別の人間から後頭部を殴られて気絶して、更に更に更に別の人間から後頭部を殴られてやっと死んだオジサンが。*2

 

 ──それと『人間が瞬時に眠る麻酔薬』という、神秘的な薬品の存在も確認できた。もちろん元の世界でもそういった薬品がないわけじゃない。

 

 しかし『人を数秒で昏倒』させるような薬ともなれば、そのまま永眠する場合もあるだろうし、そうでなくとも後遺症が残るに違いない。けれどこの世界には『人体に即効性はあるが後遺症は残らない』という都合のいい薬品があるのだ。

 

 布にクロロホルムを染み込ませ、人の口に当てて眠らせるというのは、現実の世界じゃ通用しない誇張表現だが……ここではキッチリ適用されるらしい。まあそのくらい都合が良くないと、毛利小五郎さんが薬物中毒になってそうだもんね。

 

「ふー……あれ、もうこんな時間か。哀ちゃん、お昼どうする?」

「博士もいないし、適当に店屋物でも頼みましょ」

「自分が当番だからって楽するぅ…」

「作りたいなら作ってもいいわよ」

「うーん……あ、それなら米花デパート行かない? 買いたいものもあるし」

「別にいいけど……買いたいものって?」

「哀ちゃんへのプレゼント」

「…? 貰う理由が思い当たらないけど」

「日頃の感謝ってやつだよ。眼鏡とエクステ、あと帽子をプレゼントしようと思ってさ」

「なによその変装セット」

「子供の頃を組織に知られてるのに、変装してないほうがおかしいと思うんだ」

「う…」

「まあ変装なんて大仰に考えなくても、イメチェンするぐらいの気持ちでさ。それに哀ちゃんはどんな格好しても可愛いし」

「よくそんな歯が浮くようなセリフ言えるわね…」

 

 呆れたように呟いてはいるが、満更でもなさそうな様子の哀ちゃん。まあ褒められて嫌な気持ちになる女性なんて、余程のひねくれものくらいだろう。

 

 人間ってのは上辺だけの褒め言葉でも、意外と気持ちは上向いたりするものだ。いわんや、僕のは本心だからちゃんと伝わってくれただろう。

 

 この前コナンくんとの会話に上がった、哀ちゃんが変装してくれない問題を解決するために、プレゼント作戦を考案してみた所存だが……悪くない感触だ。

 

 あとは変装姿を褒めちぎれば、いい感じにイメチェンしてくれることだろう。できれば髪も染めてほしいとこだけど、子供の染髪がバレると逆に目立ちそうだから提案しないでおいた。

 

「そういや博士、知り合いの古物商のところに行くって言ってたけど……何の用なんだろ」

「証拠品として押収されてたペルシャ絨毯が返ってくるらしいわよ。いくらで売れるか相談でもしに行ってるんじゃないの? 車も買い換えたいみたいだし」

「へぇ……まあ故障ばっかりだもんね、あのビートル」

「昨日あなたが乗れなかったの気にしてたから、それもあるんじゃないかしら」

 

 博士、優しっ。というかそのうち出ていくんだから、そこまで気を使ってもらうのが申し訳ない……もし身内認定とかされてるんなら、嬉しいけども。

 

 ちびっ子たちともずいぶん仲良くなったし、この家を出たあとでも遠出の際に誘ってもらえるなら、喜んでお付き合いさせて頂きたい──ん? いや、でもほぼ百パーセント事件起こりそうだから考えものだな。

 

 …それはともかく『押収されてたペルシャ絨毯』か。歩美ちゃんが誘拐された事件で出てきた高価な品物だが、原作で返却されてたかどうかは定かじゃない。

 

 しかし取り調べ、捜査、起訴がどれだけ順調に進んでも数ヶ月はそのままだし、普通に考えれば戻ってきてはいない筈。だからこれは『時間が進んでいる』影響だろう。

 

 原作では新一くんが子供にされてから半年だが、ここでは一年以上。単純に考えて、事件と事件の間隔は二倍になっているわけだ。

 

 それとなく聞いた『解決した事件の話』と、新聞やネットで調べられる限りの事件、諸々を総合すると『アニメオリジナル』の事件はほとんど起きていないと思われる。

 

 原作にあった服部くんとコナンくんのやり取りの一つに、『ひと月に解決する事件の数は多くても五件か六件』というのがある。

 

 しかし全てのメディアミックスを踏まえて事件が起きているとすれば、その数は数百件を超える……つまり『半年』という設定と矛盾してしまう。

 

 ただし服部くんの意見を採用して、この一年での事件解決数が五十件以上百件未満だと考えるなら……アニオリ回を除き、劇場版を数え、原作で『ストーリーが進んだ』といえる回を足せば丁度そのくらいだ。

 

 ちなみに原作より事件が少ないとはいっても、犯罪発生率自体は非常に高い。でも見た目上の治安は意外と良いんだよね。

 

 それは事件の種別が『怨恨による殺人』と『思想犯の大規模テロ』、この二つに偏っているからだ。それ以外の犯罪の数は、前の世界と大して変わらない。

 

 この世界の人間は沸点が低いのか、自制心がないのか、はたまた感情の振れ幅が大きすぎるのか……なんにせよ、ちょっとしたことで殺人を起こす可能性がある。

 

 つまり人の恨みを買うような行動や言動は慎んだ方がいいだろう。それくらい怨恨による殺人事件の比率が高く、結果として凶悪犯罪の発生率も高くなっているわけだ。

 

 『探偵甲子園』に出てきた高校生探偵たちを参考にしてみると、まだ未成年の彼らですら、解決した事件の数は三桁に届く。

 

『ボクは百件くらい事件解決したよ』

『小生は三百件』

『じゃあワイ五百』

 

 ──とか言ってるからな。新一くんが解決した事件を仮に三百件ほどだとしても、高校生四人で千二百件とかどうなってんだ日本。

 

 それと事件に対する警察の姿勢だが、現場の裁量が元の世界より遥かに大きいようだ。『名探偵コナン』という作品では、警察関係者以外の人間が現場をひっかきまわすのが当たり前となっているが──元の世界で本当にそんなことをすれば、やらかした人物は逮捕されかねないし、容認した方だって始末書が何枚あっても足りないだろう。

 

 しかし毎日のように事件が起こるとなれば、手続きが簡略化され規定も緩くなるのはむしろ当然だ。じゃないと上も下もパンクするのは間違いない……意外と整合性はとれてるんだよな、警察のガバ行動も。

 

「──ねえ、ちょっと聞いてるの?」

 

 …ん? おっと、思考に沈みすぎていたようだ。お出かけの準備を終えた哀ちゃんが、指先でちょいちょいとつついてきた。

 

 手を繋ぎたいのかと思って握ってあげたら、手の甲でピシャンと払われた……地味にショック受けるなこれ。昨日の世良ちゃんは気にしていなかったが、肩に置いた手を払いのけたのは酷かったかもしれない。次に会ったとき謝っておこう。

 

「ごめんごめん、ちゃんと聞いてるって」

「…じゃあ私がなんて話しかけてたか言ってみなさい」

「『ねえ、ちょっと聞いてるの?』」

「そ・の・ま・え!」

「『ん……おふぁよ』」

「どこまで(さかのぼ)ってんのよ!」

 

 うーん、気持ちのいいツッコミだ。いまのところ、コナンくんと哀ちゃんのどちらかが相方といっていいだろう。少し離れて世良ちゃんが続くものの、メアリーママのことを考えるとあまり距離を縮めすぎるのも問題だ。

 

 公安やFBIと違って、CIAやSISはあんまり人権を尊重するイメージがない。というか国益のためなら人の命はいくらでも軽くなるって雰囲気あるし。もちろんこの世界では意外と人権派なのかもしれないが、なんにせよ軽々しく信用を置いていい組織ではないと思う。

 

「冗談だって。なんて言ってたの?」

「やっぱり聞いてなかったんじゃない……プレゼントしてくれるのは嬉しいけど、お金は大丈夫なのかって聞いたのよ」

「ああ、ちょっとした臨時収入があったから大丈夫だよ。探偵業というかなんというか……事件を未然に防いだお礼で百万貰ったのと、あとママ活で百万」

「ママ活!?」

「コナンくんのママと楽しくお話して、お茶飲んで、ちょこっと情報を提供した見返りさ」

 

 まだまだ二十代で通用する、伝説の美人女優とのお喋り。もはやこっちがお金を払うべき状況だったが、まあ約束は約束。

 

 住居の方はまだ時間がかかりそうだけど、とりあえずのお小遣いをねだったら百万円も頂けたのだ。さすが、コナンくんの養育費として小五郎さんにポンと一千万を渡しただけはある。

 

 …はて、なにやら哀ちゃんが顎に指をあてて思案している。あまりにも古臭すぎる、ステレオタイプのアクションだ。可愛い。あと心なしかウキウキしているようにも見えるが、いったいどうしたっていうんだろう。

 

「…確認したいことがあるから、少し待っててもらえる?」

「確認?」

「ええ、確かいま米花デパートでフサエブランドの新作プレセールをやってた筈…」

「…貢がないよ?」

「毎日お話してるし、毎日お茶も飲んでるし、さっきちょこっと知識を提供してあげたでしょう?」

「パパ活やめて」

「──でも定期収入があるわけじゃないんだから、ちゃんと管理しないと痛い目見るわよ」

「タカるのか心配するのかどっちなのさ……まあ大丈夫だよ、そろそろ一つ目のゲームも完成するし」

 

 半月ほど作業を続けて完成させたゲーム。そう、僕だって遊んでいたわけではないのだ。まあ一から作るのは骨だったから、博士が試験的に作っていたゲームを改良して仕上げたものだが。

 

 作業をしていて気付いたのは、ソフトウェアの優秀さが元の世界の比ではないってことだ。ハードはそこまで変わんないんだけど、製作ツールのオートメーション化が著しい。

 

 時間のかかるモデリングやジョイントの作業がかなり容易になっていて、なるほどこれなら阿笠博士一人で製作できていたのも頷ける。

 

 そもそもそれなりのゲームを作ろうとすれば、分担する作業の数はえらいことになるんだけど……これならかなりの部分を省略できるだろう。というか元の世界に持ち込んだら廃業する人間が結構出そうだ。

 

「完成したからって売れるとは限らないでしょ?」

「そりゃ売り方によるさ。というか極論で言えば、ゲームが売れるかどうかってクオリティとあんまり関係ないしね」

「…? どういうこと?」

「『売れ続ける』には面白さが必須だし、リテール版なら話はまた変わるけど、僕が売るとしたらダウンロード販売だからね。気軽に買える値段で、買い切りかつ追加コンテンツ無し……そういう系統のは、どれだけ面白かろうとそのままじゃ売れない。販売開始した瞬間、すぐに埋もれる──最終ダウンロード数ゼロだってザラだぜ」

「…つまり?」

「上手い宣伝の仕方こそが、利益に繋がる。まあ普通はその宣伝費が問題なんだけど、僕にはコナンくんがいるから」

「頼る気まんまんじゃないの」

「持つべきものは人脈お化けの友人だよね」

「そのうち友達なくすわよ…」

「不思議と良くしてくれる友人が多いんだ、僕ってやつは」

 

 『君も含めてね…』とキザったらしく続けたら、鼻で笑われた。一応『名探偵コナン』の流儀に(のっと)って、キザなセリフを偶に発信しているのだが、いまのところ頬を赤らめてくれる女性は皆無である。もっとクサイ発言だってあるのに、なんで僕だけ笑われるんだろうか。

 

 首をかしげながら玄関を施錠し、哀ちゃんと連れ立って駅の方へ向か──おうとしたら、赤い車が目の前を横切ったあとすぐに止まった。そして運転席から姿を現すキャスバルさん……もとい沖矢昴さん……もとい赤井秀一さん。

 

 ──実は僕が博士の家に居候してから今日まで、彼と顔を合わせたことはない。何回かおすそ分けに来てはいたらしいが、僕がいないタイミングばかりだったのだ。

 

 いやまあ、偶然ではなく避けられてたんだろうけど。盗聴器で確認して、僕が居ないときを見計らってたのはまず間違いない。

 

 問題は、なぜいま姿を見せたかだ。このタイミングとなれば、昨日哀ちゃんに話したメアリーママのことを聞きたいってのが一番ありそうだが……安室さんに情報を流したのがバレて『ツラ貸せよ』的な用件だったら、ちょっと怖いな。

 

「おや、お出かけですか? よければお送りしますが……どちらまで?」

「米花デパートですけど──あ、初めてお会いしますよね。久住直哉です」

「ええ、お話は伺っていますよ。沖矢昴です」

 

 ふーむ……出会い頭に一発ボケてみたいところだが、世の中には弄っていい人間と弄ってはいけない人間がいる。彼は完全に後者だ。

 

 もちろん時と場合によってはからかうのもやぶさかでないが、今は止めておいた方がいいだろう。僕はちゃんと空気を読んでふざける人間なのだ。

 

「──実は僕も米花デパートに用がありましてね。行き先が同じとは面白い偶然ですが」

「わ、それは偶然ですねぇ。僕たちお昼ご飯も兼ねてるんで、よかったらご一緒しませんか?」

「…ええ、ぜひとも」

「やったね哀ちゃん、一食浮いたよ」

「当たり前に奢らせようとしてんじゃないわよ」

「いえ、奢らせてもらいますよ。()()()()今後ともいいお付き合いがしたいですから…」

「ありがとうございます。ほら、哀ちゃんもお礼言って」

「保護者面するのやめてくれない?」

「ほら哀、僕も一緒に言ってあげるから」

「彼氏気取りはもっとやめなさい」

 

 おっ、昴さんが『クッ…』と笑いを零した。これが『ククッ…』となればそこそこ気を許してくれた証となり、『ハッハッハ!』と言わせることができれば、世良ちゃんいわく魔法使いになれるらしい。ならば僕は更なる高みを目指し、彼を爆笑させて賢者になりたいものだ。

 

 助手席に乗り込み、とりとめのない言葉を交わす。道中でなにかしら探りを入れてくるかと思っていたのだが、意外とどうでもいい雑談ばかりだった。

 

 まあ哀ちゃんがいる前で変なことは言えないか。あと強盗や殺人や爆発やテロに遭遇する可能性も考えていたが、特に問題もなく米花デパートに到着することができた。

 

 しかし米花デパートの近くに『べいかデパート』があるってのは、なんか面白いな。読み方が同じデパートが近くに二つあるとか、不便この上ないだろう。確か前者ではシェフが刺され、後者ではロックバンドのメンバーが一人死んでいた筈。

 

 コナン世界のバンドやアイドルグループ、人死に過ぎ問題。まあリアルでも方向性の違いで決裂することはよくあるし、ここはいがみ合いがそのまま殺人の理由になる恐ろしい世界だ。何かしらのグループを結成した時点で、誰かが死ぬ覚悟くらいは皆してるんだろう。

 

「お昼にはちょっと早いし、先に買い物済ませちゃおっか。昴さんはどうします?」

「よろしければ、ご一緒させていただいても?」

「ええ、もちろん。哀ちゃんもいいよね」

「…自分の用事を優先してもらって結構よ? ──本当にそんなものがあるのなら、だけど」

「ハハ、これは手厳しい」

「ほらほら哀ちゃん、そんな刺々しくしないでさ。すいません、昴さ──ハッ…! もしかして僕と二人きりがよかったから、そんな態度を…?」

「ぜひご一緒して頂けるかしら」

「ええ、喜んで」

 

 あれ、僕がお邪魔虫みたいな感じになってる。ちぇっ、いいさいいさ。人気は高いけどアンチも多い人間同士で仲良くやってりゃいいさ。従兄弟(いとこ)同士(どうし)は鴨の味*3って言うし。

 

 でもこのことわざ、字面だけ見ると、兄と弟がよろしくやってるみたいでホモホモしいな。かといって『従姉妹(いとこ)同士(どうし)』にすると百合の花が咲きそうだし。鴨の味はLGBTだった…?

 

「さて、帽子の売り場はっと…」

「帽子は髪型が崩れるし、蒸れるからイヤよ」

「わがままな……じゃあヘアアクセでいい? シュシュかリボンあたりで──」

「それも子供っぽいからイヤ」

「子供では?」

「フサエブランドのバレッタ、いま新作が出てるのよね」

「諦めてなかったんだ…」

 

 コナンくんにフサエブランドのウォレット要求したり、佐藤刑事にフサエブランドのカバンねだったり、本当にこのブランド好きだな哀ちゃん。

 

 まあその二つは結局のところ手に入れてないみたいだし、僕への言動もちょっとした冗談だろう……ん? そっちはブランドショップ……え、本気で買わせる気なの?

 

 高価な品物を子供が親にねだったり、女性が彼氏にねだったりするのはまだ理解できるけど……哀ちゃんが僕に買わせようとするのはちょっと意外だ。

 

 多少は仲良くなったと思ってるけど、所詮はただの友人である。ホステスやキャバ嬢なみの図太さがなけりゃ、恋人でもない男にブランドものを買わせるなんてこと、普通はしないだろう。

 

 フサエブランドに限らず、哀ちゃんがブランドものやトレンディなものを好んでいるのは公式設定だ。

 

 しかし実際にそういったものを数多く持っているかといえば、そんなこともなく。女性誌を見てチェックは入れているものの、基本的に購入することはない。

 

 むしろその女性誌ですら立ち読みで済ませちゃうくらいに、博士のお財布事情を気にかける良い子だ。確かアニオリの『青虫四兄弟』でそんな描写があった筈。

 

 時々、学校の帰りにコンビニでファッション雑誌を立ち読みしてたんだっけかな……アニオリ事件がほとんど起きてないから、その設定が事実になっているのかは不明だが。

 

 ──彼女が組織にいた頃、金銭的な不自由はたぶんなかっただろう。あるいは常に感じていたストレスを、高価なショッピングで発散していたのかもしれない。

 

 いずれにせよそういったものが好きなことに変わりはなく、しかし今は居候の身ゆえに散財など出来る筈もない。そんな状況の中、タカりやすそうな同居人が大金を手に入れたと聞いて、少しばかり欲望が弾けたのかもしれないな。

 

 でも楽しそうにブランドものを眺める女児と、その後ろを付いて回る高校生っぽい男子に大学生風の男性……いったい周囲からどう見られてるんだろうか。

 

 誰一人として似たところがないので、年の離れた兄弟にも見えないだろうし。というか彼女、本気で僕に買わせる気なのかな?

 

 縦長のショーケースの上の方が見えず、爪先立ちで四苦八苦してる哀ちゃん。可愛い……じゃなかった、やはりここはしっかりと(さと)すべきだろう。

 

 自分で稼げもしない状況であるならば、清貧を心がけて暮らすべきだ。ましてや他人に貢がせようなんて、言語道断横断歩道である。

 

「上の方が見えないわね…」

「それはね、子供が背伸びして付けるもんじゃないってことを意味してるのさ」

「あら、私を子供扱いする気?」

「大人の女性ってのは、自分から高価な品物をねだるなんて()()()()()真似をしないもんだよ。つまりこの棚の商品は、君に相応しくないという──」

「ちょっと持ち上げてくれる?」

「はい!」

 

 哀ちゃんを持ち上げ、棚の上部に飾られたお高い品物を見せてさしあげる。まあこっちとしても『天才科学者』に貸しができるのはそう悪いことではない。

 

 打算的な考え方だが、そもそも人脈とは打算と友情が絡み合った代物である。たとえ畑違いの分野の人間であっても、優れた人物との交友は役に立ったりするものだ。けして哀ちゃんを抱っこしたかったから貢ぐわけではない。

 

 そんな彼女の様子を見て、横の昴さんが『ホー…』と謎の声を上げている。ジンさんもたまに使う、フクロウの鳴き声風の驚き表現である。『ほう…』とどういった違いがあるのかは不明だが、青山先生的にはきっと明確な違いがあるんだろう。

 

 それと、僕の行動に口出しする様子はまったくない。恋人の忘れ形見を守りたいという責任感はあっても、父性とかそういったものとは違うようだ。

 

 まあ守りたいからといって、女性を日常的に盗聴するのはどうかと思うけど。アンチがいるのはそういうとこだぞ、そういうとこ。

 

 『意外なものを見た』という雰囲気の昴さんに、哀ちゃんを抱っこしたままソッと近寄る。ある程度は会話もできたことだし、そろそろちょっとしたジョークくらいは許されるだろう。子供一人に寄り添う男二人、何も起きない筈がなく…

 

「ふふ、こうしてると夫婦みたいですね」

「…ちなみにどちらが()で?」

「どちらかというと()でしょうか」

「なるほど」

 

 どういう感情の『なるほど』なんだろうか。彼にツッコミを期待していたわけではないが、どうでもよさげに流されるのも悲しいな。ライバルの安室さんなんかは、バカボンネタにすら乗っかってくれたんだぞ。見習いたまえ。

 

 ──哀ちゃんが呆れた表情をしているが、買いたいものは決まったようで、可愛らしいバレッタを指差している。名残惜しくも彼女を下ろし、店員さんを呼んで包んでもらう。

 

 お高いっちゃお高いが、ハイブランドってわけでもないので、今のお財布事情なら問題はない程度だ。フサエブランドは価格帯の幅が売りの一つで、富裕層向けから学生に手が届くものまで様々らしい。今回購入したのはその中間くらいかな? お値段的に。

 

「これがパパ活をされた側の気分か…」

「ママ活をした側の気分とは違ったかしら?」

「いや、哀ちゃんと有希子さんに対しては意外と同じ気分かも」

「…? どういうこと?」

「つまり大喜利(おおぎり)風に答えるとだね──」

「なんで大喜利風に答える必要があるのよ」

「パパ活の気分とかけまして、干支の十番目とときます」

「干支の十番目……(とり)? …それが私と彼女になんの関係があるのよ」

「有希子さんとママ活をしたあとの気分。君にパパ活をされたあとの気分。それは酉を見たときの気分と似てるだろ?」

「…その心は?」

「このあとワンチャン()あるね!」

「棒に当たって死ねば?」

 

 暴言が過ぎるぞ哀ちゃん。しかし昴さんが『ふっ…』と笑い声を零したので、魔法使いまで一歩前進といったところだろうか。でも『クッ…』と『ふっ…』はどちらが上なんだろう。

 

「というかもう、あらゆる意味でドン引きなんだけど」

「なにが?」

「友人の母親とか小学生にワンチャンスを期待してるところが」

「『友達の母親』ってのは、オネショタ界隈において覇権を争う程ポピュラーなんだぜ」

「友達の母親なら、年齢的にオネエサンじゃなくてオバサンじゃないの?」

「…っ!?」

「どんだけ衝撃受けてんのよ」

 

 その言葉、いつか自分がオバサンになったとき後悔するぞ…! それに友達の母親が相手の場合、ショタが高校生以下なら『オネショタ』は成立するものだ……というか、オネショタという単語が通じててちょっと草。

 

 そういう知識はどっから仕入れてくるんだ? …まあ最近はオタクと一般人の境界なんて、あってないようなものか。元々オタク用語だったものがギャル語になってるのもザラだし。

 

 ──そんなやり取りをしながら会計を終え、包まれた品物を彼女へ渡す。頭から音符マークでも出てそうな上機嫌っぷりで、お礼を言ってくる哀ちゃん。

 

 これがゲームなら好感度が大いに上がったことだろう。ちなみに僕が作っていた『名探偵コナン』のゲームに恋愛要素はほぼない。

 

 何故かって? そりゃあ原作を見れば一目瞭然だろう。そんな機能を実装したが最後、NTRだらけになっちゃうからだ。メインキャラに準レギュラー、果ては一話限りの脇役まで、決まったカップリングの多いこと多いこと。

 

 決まってない人間など、哀ちゃんや世良ちゃんや歩美ちゃんのような負け確ヒロインズくらいである。えげつねえな…

 

「…ありがと」

「どういたしまして──と言いたいとこだけど、やっぱお礼の言葉だけじゃなんか足りないよねぇ」

「肩たたき券でもあげましょうか?」

「それは阿笠博士のほうが喜ぶんじゃないかな。僕はほら、『碇くん』って呼んでもらえればそれでいいから」

「妙にこだわるわね…」

「まま、今日中に一回だけでも呼んでくれたらそれでいいよ。好きなタイミングでどうぞ」

 

 でも哀ちゃんの言う通り、夢の中の出来事だってのになんかこだわっちゃうな……ふーむ……うん、きっと僕のゴーストが囁いたに違いない。

 

 中の人的に言えば、哀ちゃんの伯母が全身義体の少佐で、お姉ちゃんはタチコマである。ゴーストが一言や二言、囁いたとしてもおかしくはない。

 

 ──なんてことを考えていると、哀ちゃんが手持ちの荷物をこちらに突き出してきた。ああ、お化粧直しか……となると、遂に昴さんと二人きりになるタイミングができたわけだ。

 

 何か言ってくるとしたらここしかないだろう。へい昴さん、何か聞きたいことあるんならお安くしとくぜ……あれ? トイレ行っちゃった。

 

 …なんでだ? 実際はトイレじゃなくて哀ちゃんを追っただけだと思うけど……その意図が掴めない。彼女の護衛とはいっても、昴さんだって四六時中彼女に付きまとってるわけじゃない。

 

 FBIの仕事を優先するときもあるし、哀ちゃんが出かける度に追いかけてるってこともない。なのに、ほんの短い時間すら彼女から目を離さないあの行動……つまり僕に話があったから付いてきたんじゃなくて、哀ちゃんを守るために付いてきたことを意味している。

 

 この半月、僕が彼女をどうこうしようと思えばいつでもできた。だから『久住直哉との外出』を警戒して出てきたって線は薄い。となると、考えられるのは……おや? なんか視線を感じるな。まさか既に厄介な状況になってるとかじゃないだろうな。

 

 それとなく周囲を窺うと、店員さん二人がヒソヒソしながらこっちを見ていた。え、なに、僕なにかした? テナントとはいえブランドショップの店員なんだから、客相手にそういう態度はどうかと思うんだけど。

 

 ええと、そんな警戒されることしたっけかな…? よし、こういうときは一度自分を客観的な視点で捉えれば答えが出たりするものだ。

 

 (はた)から見た僕の姿……低学年の女児を抱っこしながら高価な商品を物色し、パパ活だのママ活だの言いながらブランドものをプレゼントする、兄妹でもなんでもなさそうな男。

 

 …まだツーアウトってとこか? とはいえ、それでも商品を購入した以上はお客さんだ。少しばかり怪しかろうが、まさか通報まではされまい。

 

 日本人なんてのは、基本的に事なかれ主義だ。仮に通報して間違いだったとなれば、大クレームに繋がる恐れだってある。そんなデメリットを押してまで行動するなんて、普通に考えてありえない。

 

 たまたま刑事が近くにいて、たまたま店員さんに声をかけようとして、たまたまヒソヒソ話が耳に入りでもしない限り大丈夫だろう。

 

 …ん? あっ…

 

「少し話を聞かせてもらってもいいかしら?」

「ナンパなら他をあたってください」

「違うわよ!」

 

 ちょっとオコな感じで警察手帳を見せてくる美女……ふむふむ……なるほど、佐藤美和子刑事。これもこのアバターの宿命なのか、原作キャラとかち合いやすい体質はなにかと面倒である。

 

 この場合、僕が運命に思考を操作されているのか、彼女が運命に導かれているのかどっちなんだろう。考えだすとちょっと怖いよね。

 

「警察の方でしたか。なにか御用でも?」

「男性二人が小さな女の子を連れまわしてたって、少し耳に入ったのよ。パパ活とかママ活とか、いかがわしい言葉も口にしてたって聞いたけど?」

 

 うーん……どうしたもんかな。哀ちゃんはすぐに戻ってくるだろうから、その時点で誤解は問題なくとけるだろう。佐藤刑事と哀ちゃんは面識ある筈だし。

 

 しかしそれまでに『はい身分証出して』とか言われたら面倒だ。身元を確認できない人間を見ると、警察ってのは凄まじくしつこくなるらしいし。

 

 ──ま、ここは口数少なめで聞かれたことだけに答えとくか。

 

「もう一人の男性と、その女の子はどこに行ったの?」

「トイレです」

「あなたは高校生?」

「いえ」

「あら、結構若く見えるけど……じゃあ大学生?」

「いえ」

「もう働いてるってこと?」

「いえ」

「どこから来たの?」

(いえ)

「…あんまりふざけてると痛い目見るわよ」

「ふざけてるわけじゃないんですが、学生でもなければ働いてるわけでもないので…」

「適当に嘘ついても、調べたらすぐわかるのよ?」

 

 眉間を揉みながら、イライラを隠せない様子の佐藤刑事……の後ろから、慌てた様子の男性がやってくる。もしかして高木刑事かな?

 

 顔立ちは整ってるのに冴えない感じ、なんとなくとっつきやすい雰囲気だ。佐藤刑事が私服だからプライベートだとは思っていたが、デート中だったのかしら。

 

「佐藤さーん! 勝手にどこか行かないでくださいよ……あれ、そっちの人は?」

「バンかけ中よ」

「やぁ、もしかしてデートの最中だったんですか? でしたら、ぜひそちらを優先なさってください」

「お生憎さま、不審人物を放置して休暇を満喫するような刑事はいないのよ」

 

 …え? いや、本人に向かって『不審者』は失礼すぎるだろ常識的に考えて。僕が高校生に見えることを加味しても、ちょっと言葉が過ぎるんじゃないだろうか。

 

「…いくら刑事さんとはいえ、本人を目の前にして『不審人物』は失礼すぎませんか? コンプライアンスのなってない警察なんて、反社会的勢力と何も変わりないと思いますけど。権力のある人間は、常に自らを律するべきではないでしょうか」

「ぐっ…! 今どきの子は口が達者ね……とりあえずなにか、身分を証明できるものは持ってる?」

「いえ。そもそも戸籍がないので」

「…ちょっと、あなたいい加減に──」

「家庭の事情で出生届が出されてないんですよ。親も親戚もいませんし。家裁に申請は出してますので、そちらへ照会かけてもらう以外に身分の証明はできかねます」

「…本気で言ってるの?」

「調べればわかるんでしょう? 現住所と電話番号くらいは言えますから、そちらで確認を取って頂いても構いませんが」

 

 『件の女の子は灰原哀ちゃんといいます』とか『阿笠博士という方の家に居候してます』とか言った方が良かったかな?

 

 なぜか嫌がらせのような感情が沸き上がり、少し辛辣な対応をしてしまった。別に警察が嫌いだとか、この二人が嫌いってわけじゃないんだけど……いったいなんなんだこの感情は。

 

 ──ハッ! まさかカップルへ『嫉妬』しているのか? この僕ともあろうものが。そんなバカな……でもこの二人、昨日の夜あたりに一発ヤったあとみたいな雰囲気を醸し出してるんだよなぁ。ペッ。

 

「…なにしてるの?」

「あ、お帰り哀ちゃん。昴さんも」

 

 戻ってきた二人を見て『えっ』っとなる佐藤刑事と高木刑事。哀ちゃんのことはよく知ってる筈だし、間違っても騙されてパパ活させられるような子ではないと判断するだろう。

 

 確か昴さんの方も『泡と湯気と煙』の事件で、高木刑事と面識があった筈。とはいっても会話した描写はほぼゼロだったけど。

 

「ええと……一緒にいた小さな女の子ってもしかして…」

「ええ、この子のことです」

 

 オラッ、謝罪だ謝罪! …というのは冗談だが、なんとか誤解もとけたようでなによりだ。哀ちゃんへの軽い質問等はあったが、特に問題もなかったし。

 

 この状況で洒落にならない冗談を言われたらどうしようとドキドキしていたが、さすがに彼女も空気を呼んでくれたんだろう。

 

 僕が阿笠博士の家に居候しているという話が出た時点で、完全に疑いも晴れた。持つべきものは社会的信用のある知人である。

 

「ごめんなさいね、変に疑っちゃって」

「いえ、こちらこそ変にふざけてしまって」

「さっきの謝罪返してくれる?」

「それより高木刑事、連絡先を教えてもらっても?」

「へっ? 僕の?」

「ええ、少年探偵団の皆から聞いてますよ。とても優秀な方だと」

「そ、そうなのかい? いやぁ、なんか照れちゃうな…」

「車としても財布としても頼りにできるって──」

「嘘だよね!?」

「あ、もちろん刑事としてもです」

「取ってつけたように…」

 

 ガクンとうなだれる高木刑事から無理やり連絡先を頂戴し、しっかりスマホへ登録する。融通がきいて、押しに弱く、でもやる時はやってくれる刑事さん……コネとしては上々だ。

 

 『名探偵コナン』に登場する捜査一課の刑事たちは、キャリア組もノンキャリ組も優秀な人だらけだし、繋ぎを作っておいて損はないだろう。

 

 自分に社会的信用が無い分は、地位のある知人友人を作って埋めといたほうがいい。ただでさえ犯罪の多い世界だし、戸籍が無いと何かにつけて疑われやすくなるのは間違いない。そんなとき現場の刑事と顔見知りであれば、問題が大きくならずに済む可能性は高いしね。

 

「いい性格してるわねアナタ……というか、家庭の事情とか戸籍の件はやっぱり嘘だったの?」

「いえ、それは本当ですよ。色々と複雑な事情があるので、苦労してます」

「…そう。あ、そういえばまだ名前を聞いてなかったわね」

「ああ、そういえば。どうも、久住直哉と申します」

「…偽名じゃないでしょうね」

「まあまあ、そう怪しまないでくださいよ。そんなのこの子に聞けばすぐわかるでしょう? ね、哀ちゃん」

「そうね、碇くん」

「ここで!?」

「署までご同行願います」

「悪ノリやめてくれます?」

 

 くつくつと笑いながら、僕を確保する振りをする佐藤刑事。まっ、これで多少の知己は得られたと判断していいだろう。米花町に住むうえで必要なのは警察とのコネって、それ一番言われてるから。

 

「じゃ、私たちはこれで……そういえば、あなた達は車で来てるの?」

「ええ、昴さんに車を出してもらって──それがなにか?」

「ほら、昨日の夜に首都高で大事故があったでしょ? だからってわけじゃないけど、運転には気を付けることね……原因もまだわかってないみたいだし」

 

 …首都高の大事故? このタイミングでそれが起きたのなら、安室さんとキュラソーのカーチェイスの可能性がある……しまったな、ちゃんと朝のニュースをチェックしとくんだった。妖怪ウォッチの再放送なんて見てる場合じゃなかったようだ。

 

 仲良さげに去っていく二人の背中を見送り、僕は昴さんの表情を窺う。ただでさえ凄腕の捜査官な上、変装までしているのだから内心など読める筈もない──が、その大事故の原因が僕の想像通りだとすれば、彼もまた事件に関わった可能性が高い。

 

 …どういうことだ? キュラソー関連でFBIが動いているとしても、その状況で昴さんが哀ちゃんの護衛を優先する理由は? 安室さんへの警告は役に立たず、物語の通りになってしまったのか? いや、それなら彼がここにいるのはおかしい。

 

 いくつかの可能性を考えつつ、予定していたレストランへと足を運ぶ。僕が珍しく真剣な表情をしてるせいか、哀ちゃんがなにやら訝しんでいる。

 

 ふーむ……まあ考えたところで僕にできることなんてないんだけど、心構えは重要だ。いざなにかあったとき、冷静に行動できるかどうかはそこで決まる。

 

 ──ん? 非通知で着信? …僕の連絡先を知ってる人間は、そんなにいない筈だけど。取得して間もない番号だから、怪しい勧誘ってのも考え難い。

 

 画面をフリックして応答し、声は出さずに相手の反応を待つ……すると、聞き覚えのあるイケボが耳に飛び込んできた。

 

『久住君か? …僕だ、安室だ』

「…どうもです。なにか御用ですか?」

『…この通話は大丈夫かい?』

「ええ、対策はしてます」

『それは助かる。実は昨夜、君の警告通りに賊が侵入してね……戦力は整えていたつもりだったんだが──結論から言えば、逃走を許してしまった』

「あむぴぃ…」

『それはやめてくれ』

 

 もー、あんだけ言っといたのにぃ……いや、言うほどしっかりは言ってなかったっけ? よく考えたら元のストーリーでも組織の誰かが来ることはわかってたんだし、『万全』といえるくらいの準備はしてて……その上でキュラソーが上をいったのかもしれない。

 

 それともやっぱり『変えられない運命』なんてものが存在しちゃってるのか? 僕が何をしようとも大筋に変化がないというのなら、やる気なくなるってレベルじゃないんですけど。ファッキュー、デスティニー。

 

「うーん……リストの内容とかも漏れちゃった感じですか?」

『いや、そっちは守り通せたよ』

 

 おっ、じゃあスタウトさんとかアクアビットさんの尊い命は守られたのか。まあ彼らの命が救われたところで、大幅な変化があるのかどうかは不明だが……結局は似たような結末に収束するんじゃないかという疑いが捨てきれず、投げやりな気持ちが抑えられない。

 

 この分じゃ、どうせ『バーボンは裏切り者だ!』→『やっぱりちゃうかったわ』ってなるんじゃないの? そうなると、やっぱりゲームの中って説もゼロじゃないって思わさ──

 

『──だが、僕が潜入捜査官だったことは組織に知られてしまった』

 

 あ、ファッキューって言ってすみませんでした運命さん。変えられない運命どころか、原作崩壊しすぎで草。これじゃもう、組織関連の未来知識はまるっとポイしなきゃ。

 

 まあすべてが上手くいくとは思っていなかったし、上手くいったらいったで原作は崩壊してたんだから、このくらいはね。

 

 さて、となると……ああ、なるほど。バーボンが裏切り者とバレてしまったなら、彼が調査していたすべてが疑いの対象になるわけだ。過去の事件で、組織は毛利小五郎さんに『FBIの協力者』という疑いをかけていた筈。

 

 それが本格的な調査へ繋がらなかったのは、ベルモットの意向に加え、バーボンが別口のついでに担当していたからってのも大きいだろう。

 

 それがなくなったいま、毛利小五郎さんに対する疑惑の再燃……そこからコナンくんへ飛び火、ひいては哀ちゃんへと繋がる可能性もなくはない。ちょっと過剰反応な気もするが、昴さんの行動も納得できる。

 

「それで、なぜ僕に連絡を?」

『君なら何か知っているんじゃないかと思ってね』

「流石に買い被りですよ。ドラマに出てくる情報屋じゃないんですから」

『…そうかい?』

 

 …少し含みがある言い方だな。うーん……ああ、僕がコナンくんと親しくしているのは前に見られたっけ。言外に『このままじゃコナン君にまで被害が及びかねないぞ』と言ってるわけだ。

 

 僕が毛利小五郎さん関連の事件、そしてそれに対する組織の姿勢を把握していることが前提の『含み』だ。

 

 つまり軽い脅しでもあり、僕がどこまで知っているかの試しでもあり、たぶんキュラソーを取り逃がした焦りでもあるんだろう。じゃなけりゃ、それなりに切羽詰まっているであろうこの状況で僕に連絡なんかしてこない。

 

「なんにせよ、状況を説明してもらわないと判断もつきませんが」

『…昨夜の首都高の一件は、奴を追った際に起きたものだが……最後に海へと落下してから、奴の消息が掴めない。死体が上がってこない以上、生きているのは間違いないんだが…』

「もう逃げられたんじゃないですか?」

『いや、かなり大規模な警戒線を敷いている。少なくない傷も負わせた……まだ網の外側に逃がしてはいないだろう。仮に組織が救出しようとしていても、何らかの動きくらいは掴める筈だ』

「…落下地点を詳しく教えてもらえますか?」

 

 ふむふむ……なるほど、かなり広範囲に網を張っているようだ。もちろん原作でキュラソーがいた東都水族館も範囲内だが、捜索する優先順位としては低いんだろう。

 

 容姿端麗な外国人がボロボロな状態となれば、目立つなんてもんじゃない。人気のない場所や廃屋、倉庫などで回復を待っているとあたりを付け、探し回ってるに違いない。

 

 ──もし物語通りにキュラソーが『記憶喪失』に陥ってるとすれば、水族館の入口付近のベンチでポケーっとしてる筈。盲点と言えば盲点なのかな? まあ本当にそうなってるかどうかは不明だが、一応伝えるくらいはしといた方がいいだろう。

 

 ただし『推理をした』という言い訳は必要だ。安室さんに対しても、そして目の前でジッと僕を見つめている二人に対しても。とりあえずカバンからタブレットを取り出し、キュラソーが落下した地点を調べる。

 

 そして周辺の地理や潮の流れ、()()()()()()()()()()()などを調べる様子を昴さんにも見せて、考える素振りを演じた。コナンくん相手だったらこんなのすっ飛ばせるんだけど、面倒なものだ。

 

「…東都水族館はもう調べましたか?」

『水族館? そこはまだだった筈だが……そんな人目に付くところに潜伏するとは思えないな』

「根拠は後ほど説明しますので、まずは人を向かわせてもらえますか?」

『…ああ、わかった』

 

 一旦通話が切られたスマホから耳を離すと、哀ちゃんの少し不安気な表情が見て取れた。直接的な単語は一切出していないが、彼女は勘のいい子だ。組織関連のごたごただと察したのかもしれない。

 

「…いまの電話、なんだったの?」

「ああ、間違い電話だったよ」

「そんなわけないでしょ!?」

「いやぁ、自分を捜査官だと思い込んでる異常者との会話は疲れた…」

「それで誤魔化せると思ってるの?」

 

 まあ誤魔化せるとは思ってないけど。とはいえ、僕はコナン君のように『哀ちゃんを組織関連の事件から遠ざけたい』とは思っていない。

 

 彼の優しさはとても尊いものだと思うけど、哀ちゃんは生まれからして組織と無関係ではいられない人間だ。いつまでも蚊帳の外ってわけにもいかないだろうし、いつかは向き合わなきゃいけない問題でもある。

 

 そもそも彼女、コナンくんにすらまったく情報を渡してないからな。僕が彼に伝えた情報だって、哀ちゃんにとっては既知のものがいくつかあった筈だ。

 

 僕の行動によってコナンくんがますます組織へ近付いた事実を受けてなお、彼女は動かない……組織への恐怖に縛られて。

 

 哀ちゃんが持つ組織への『恐怖』とは、『自身の死』よりも『身近な人を失ってしまうこと』が比率としては高い印象を受ける。

 

 それはおそらく、組織に姉を殺されたトラウマから来てるんだろう。彼女が持つ情報をコナンくんにすべて渡せば、事態が急速に動く可能性は高い。

 

 でもそれを選ぶと、良い方にせよ悪い方にせよ『結末』が訪れる。仮初とはいえ今の平穏な生活……それを終わらせる踏ん切りが付かないってわけだ。しかしそれを責めるのは酷だし、責めるつもりもない。

 

 ただ僕は……状況を考慮して情報を絞ることはあっても、彼女の心情に配慮して情報を取捨選択するつもりはないということだ。覚悟を決める時間を待つよりも、きっと状況の方が先に動くから。

 

 そして僕は僕で、この危険な状況に対してアクションを起こす必要がある。真剣な表情で哀ちゃんを真っ直ぐ見つめて、先程から考え続けていたことを口に出す。

 

「──哀ちゃん」

「…っ、なに?」

「予定より早いけど、そろそろ阿笠博士の家を出ていこうかと考えてる」

「…! …まさか『友人を危険から遠ざけるために距離を置こう』──なんてヒロイックなこと考えてるんじゃないでしょうね」

「え? いや、君たちが危険になりそうだから先に距離を置いとこうかと…」

「ぶつわよ」

「冗談冗談、これでも友情には篤いほうなんだ。最後まで付き合うさ」

 

 ジト目の哀ちゃんをからかっていると、またもや非通知の着信が入った。大した時間も経ってないのにかかってきたってことは、やはりキュラソーは入口付近で呆けていたのかもしれない。画面をタップして耳に当てると、驚きと称賛が混じったような声で、安室さんが彼女の確保を伝えてきた。

 

「お役に立てたようでなによりです」

『…なぜ居場所がわかったのか、教えてもらってもいいかな? ──それと、君は奴が記憶喪失になっているのを知っていたのか?』

「まさか。ただ可能性の高い場所は既に手を回していたでしょうから、少し突拍子もない推理をしてみただけです」

『ほう……それはいったい?』

「以前、彼女の情報を提供した際『色彩を利用した特殊な記憶術を持っている』と話したのを覚えてますか?」

『ああ、事故現場からスマホと一緒に五色のカードを引き上げているが……それのことかな』

「ええ、それです──というか、スマホ手に入れてたんですか?」

『大した手掛かりは掴めなかったけどね。組織の幹部が持つ情報端末は“飛ばし”のスマホなんかよりもずっと秘匿性が高い……ただ、ラムに僕が待ち構えていたことをメールで知らせていたのは確認できた』

「直接対峙するつもりだったんなら、逃げられたときのこと考えて変装くらいしましょうよ…」

『…それについては判断ミスだったよ』

 

 赤井さんとかも、見せ場になると謎に変装といたりするからな……きっとコナンワールド特有のムーブなんだろう。快斗くんみたいに秒で変装できるならともかく、メイクに時間がかかる人たちは、安易に顔バリバリしないほうがいいと思うの。

 

 というか『こいつに変装してくれ!』って画像見せられただけで、完璧な変装できちゃう快斗くんっていったいどうなってんだろ。いつか教えてもらおう。

 

「まあそれは置いといて、彼女の記憶術は先天的な脳の異常構造によるものなんです」

『ふむ…』

「いくら落ちたのが海面とはいえ、高所からの落下は相当な衝撃を伴います。ましてや爆発に瓦礫と、死んでもおかしくはない状況です……頭部に大きなショックが加わった可能性は高い」

『…それだけで記憶喪失になったと考えたのかい? 根拠が少し弱すぎないかな』

「いえ、それだけじゃありません。事故現場の近くには東都水族館がありますよね? そこの新しいアトラクション『弐輪式観覧車』は、夜に美しくライトアップされます……とても強い光を放ちながら、何色にも変化して。大きさを考えれば、園内に入らずとも光は視界に映る」

『…!』

「元々あった脳の異常性に加えて、強い衝撃、朦朧とした頭に飛び込んできた強烈な閃光──元より色彩を利用した記憶術を使っていたのなら、突発的な記憶障害を起こす可能性はゼロじゃない……まあ普通なら考慮にも値しませんが、あなたが見逃すとすれば、そのくらい突飛な推理の方がいいかなと思いまして」

『…』

 

 少し間を置いたあと、ふっと笑いながら『君は恐ろしい男だ…』と口にする安室さん。やだ、コナンくんへ行く筈だった評価がぜんぶこっちにきてるわ。次回から『迷探偵クズミン』になるのかしら。ギャグマンガ枠になってページ数が減りそうだな…

 

『しかし記憶喪失とは厄介なことになった……まともな状態であれば公安の施設に送ることもできたが…』

「専門的な治療が必要な場所に移送するとなると、隠すにせよ守るにせよ難易度が跳ね上がりますね……とはいえ、記憶を取り戻してもらわないことには尋問もままならない」

『ああ』

「…真正面から迎え撃つのは無理なんですか? 公安(あなた方)だけであればともかく、他の部署を動員すれば充分に勝算はあると思いますが」

『…君は……──』

「…? すいません、なにか変なこと言いましたか?」

『──いや、なんでもない』

 

 なにやらこちらを訝しむ雰囲気を感じたが……なにかおかしいこと言ったかな。キュラソーの奪還に組織が動くとすれば、それを警察が迎え撃つってのは普通の考えだと思うんだけど。

 

 そりゃあ凄腕のスナイパーがいたり軍用ヘリを動かしたりと、恐ろしい組織だとは思うが……『警察庁』や『警視庁』といった機関の総合的な戦力は、黒ずくめの組織なんて目じゃないくらい大規模なものだと思う。桜田門組は日本を守る良いヤクザなのよ。

 

『戦力で言えば君の言う通りだろう。しかし奴らは、自らの痕跡を消すことに長けている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ふむふむ…」

『“人を裁く”というのは、意外に難しいんだよ。特に法治国家である日本ではね』

「うーん…? …あっ、なるほど」

 

 人を裁くには『罪』が必要となる。それを明確にするには時間がかかるし、痕跡を消すのが上手い組織相手に対しては、捜査も時間がかかるだろう。仮にジンさんを捕まえたとして、『なんの罪』が適用されるかという話だ。

 

 逮捕に至る経緯にもよるし、銃撃戦で死者が出たとかなら終身刑や死刑も有り得るだろう。しかしただ見つけたから捕まえたとなれば、精々が『銃刀法違反』くらいか?

 

 自白はまずないだろうし、その程度の罪であればいずれ釈放される。というか逮捕、起訴、裁判、控訴、上告……馬鹿みたいに時間がかかったりするその間に脱獄されそうだ。

 

 公安が秘密裏に捕まえたのなら、いくらでもやりようはあるんだろうけど……組織を制圧するために機動隊などを動かしてしまえば、公式の会見などを行う必要も出てくる。

 

 そうなれば、当然その一件は『正式な捜査』に切り替わってしまう。つまり『人権』が犯罪者を守る盾として機能するのだ。その時点で違法な捜査、尋問はほぼ不可能になるだろう。

 

 SNS全盛のこの時代、いくら公安といえど偽装や暗躍にも限界がある。組織を根本から潰すには、ある程度は違法な捜査にも手を染めなければならない都合上、表舞台での決着は互いに避けたいというわけだ。

 

 トカゲの尻尾を裁いてハイ終わり……そういうわけにはいかないから、公安だけで対応する必要がある──ってことでいいのかな?

 

『…君の態度に嘘は感じなかったんだが……そうなると、ますます『久住直哉』の正体が気になるところだ』

「えっ?」

『犯罪組織への対応、それについてまわる“しがらみ”。時には悪を見逃す判断も迫られる……諜報員や潜入捜査官にとって、常に向きあわなければならない問題だ。しかし君はどうも、そういった事情には疎いようだからね』

「や、だからそういうんじゃないんですって」

『…まあ今は置いておこうか。それより今日は助けられた……戸籍の件は前向きに検討しておくよ。法務省にもそれなりの伝手はある』

「あむぴ!」

『だからそれはやめてくれ』

 

 やったぜ、棚からぼたもちとはこういうことだろう。まあ政治家なみに曖昧な言い方だったから、何かあればすぐ反故にされるだろうけど。

 

 それでも大きく前進したと言えるし、場合によっては競馬の稼ぎも必要なくなるかもしれない……いや、それはそれとして億馬券は狙うけども。

 

 でも今はそこにかまけている暇はない。バーボンの裏切りによって、毛利小五郎さんの周辺がどのくらい危うくなるのか……状況によっては本当に避難する必要だってあるだろう。

 

 しかし下手に動けば逆に目立つし、FBIに護衛依頼なんてしようものなら、毛利小五郎さんへの疑惑は確定的になる。難しいものだ。

 

 哀ちゃんにも言ったが、僕はみすみす友人を見捨てるようなことはしたくない。こうなった以上は最後まで付き合うし、少しくらいは力になれることもあるだろう。

 

 それに今回の安室さんとのやりとりで、僕は多少の『発言力』を得た。原作知識による根拠の明かせない助言であっても、そう無下にはされないと思う。

 

 自分を実態以上に有能に見せるのは、後々に困ることもあるだろうが……いまこの時期に限っては、勘違いしていてもらった方が都合もいい。

 

 もしキュラソーの記憶が『観覧車』を見ることでしか戻らず、物語通りに公安が彼女を東都水族館に連れていくのなら、先程の会話を踏まえて多少の絵図は描いてみよう。

 

「もし彼女をまた東都水族館へ連れていくことになったら、ご一報いただけますか?」

『…それは奴の記憶を復活させるために、我々がそうするだろう──という意味かな』

「病院の治療で回復、あるいはカードを見せたり観覧車の光と似たものを用意するだけで記憶が戻ればいいんですが……そうでなければ『引き金となった光景』を見せるために、あなた方が動く可能性もあるのではと」

『…なるほど、ありえない話じゃない。しかしそれを君に伝える必要があるのかい?』

「表沙汰にできない以上、使える戦力は限られるんでしょう? 彼女を動かすということは、敵にとって奪還のチャンスでもあります。記憶を失った際の状況を再現するのならば、その時は夜……闇の中であれば、奴らも多少の無茶はする筈です」

『へぇ……その言い方だと、足りない手駒を君が提供してくれるように聞こえるが』

「繋ぎを作る程度であれば、協力できることもあります。()()()()()()()(じつ)を取るかはお任せしますが」

『…公安がFBIの手を借りるべきだと、そう言いたいのかい』

「ええ。それで足りなければもう一つあてもあります。もちろんその際は、公安(そちら)の方針が優先されるよう手を尽くします」

『──君は……本当に掴めない男だな』

 

 すべてを裏で片付けたいというならば、非公式に動いている組織に協力してもらえば合理的だろう。他国の機関とはいえ、元から『組織を潰すため』に潜入してきた構成員なわけだし。

 

 FBIの方は、そもそも安室さんと赤井さんの確執さえなければ、公安との協力体制はむしろ意欲的な筈。そして『もう一つ』……MI6に関しては、世良ちゃんを通してメアリーママに繋ぎを取ることが可能だ。

 

 もちろん日本に潜入していることを公安に知られるのは困るだろうが、彼女たちに関しては『アポトキシン4869の解毒剤』という餌がある。

 

 そして交渉を始めた時点でMI6の入国そのものは知られたと解釈するだろうから、彼女たちが公安に協力する際のデメリットは『どの程度の規模で潜入しているか』を公安に把握されてしまうこと……まあ構成員をすべて投入するようなことはないだろうけど。

 

 なんにせよ、交渉そのものが軽い脅しとしても機能する。いくらイギリスの秘密警察とはいえ、ここは日本。公安のホームだ。日本には他国のスパイに対する刑事罰が少ないものの、相手が密入国をしているのなら取れる手段はいくらでもある。

 

 しかし非公式ながらも協力体制を築けるのなら、彼女たちはそこに釈明の余地が生まれたと判断する筈。日本側としても、MI6を公式に拘束して英国との関係を悪くするよりは、裏で取引をする方がよほど利益になる。協力してもらえる可能性は大いにあるだろう。

 

 …なんか僕、ホントに裏のフィクサーみたいになってんな……ま、今だけの辛抱だ。通話の切れたスマホを耳にかざしたまま、二人を見る。ちなみに先程の会話、僕の方からは固有名詞を一切出していない。

 

 昴さんならともかく、哀ちゃんには何がどうなっているかの判断はつきにくいだろうが……キュラソーに関しての情報は彼女も知っている。少なくとも、組織関連のことだったのは理解できた筈。

 

「…うん、じゃあまたね光彦くん」

「そんなわけないでしょ!?」

「じゃあどんなわけだと思ってる?」

「…っ! それは…」

 

 意地悪な質問だが、さっきも考えていた通り彼女も無関係ではいられないと僕は思ってる。哀ちゃんが知っている組織の情報は、安室さんもほぼ把握しているとは思うけど……それでも彼女の力は必要だ。

 

 特にアポトキシン4869の解毒剤は、現状だと哀ちゃんしか作れないわけだし。メアリーママとの交渉材料にする以上、少しばかり多めに作ってもらう必要もある。

 

 僕の意図を察したのか、昴さんが制止しようと動いたが──僕もそこは譲れない。

 

「…彼女の“領分”を決めるのは、あなたじゃないですよ」

「…! …しかし君でもない」

「ええ、ですから選択を委ねようとしています」

「…むしろ誘導しているように見えるが」

「否定はしませんが、当事者が逃げたって何も解決しない。なにより……逃げるつもりなら、最初から証人保護プログラムを受け入れた筈です。哀ちゃんはもう知ってるんですよ、逃げてばかりじゃ勝てないって」

「…! …ええ、そうね。逃げるだけじゃ勝ちの目なんて見えてくるわけがない…!」

「…!」

 

 うむ、哀ちゃんの決心を促した歩美ちゃんの名言『逃げてばっかじゃ勝てないもん! ぜーったい!』だね。というか逃げるのが嫌だから証人保護プログラムを拒否したのに、ぜんぜん勝負しようとしないその姿勢がアンチに隙を見せてるんだぞ哀ちゃん。

 

 あと昴さん、もう関係者なのを隠す気もない感じだな……まあ元から意味深な発言ばっかしてるし、哀ちゃんだって『姉の彼氏』だったとは知らなくとも、関係者であるとはほぼ確信してただろう。

 

「というかなんの関係もない僕が付き合ってるのに、哀ちゃんが逃げるのは普通におかしい。せめて死なばもろともだよね」

「ちょっと」

「じゃなかった、せめて運命共同体くらいにはなってもらわないとだよね」

「『僕が君の盾になる』くらい言えないの?」

「時代は男女平等だぜ」

「道徳と倫理は、女性と子供を優先してるわよ」

「僕はアジア人で、ゲイで、ユダヤ教徒だ」

「ポリコレを盾にしろとは言ってないんだけど」

 

 うん、これで哀ちゃんも肩の力が抜けただろう。恐怖を克服するためには覚悟が必要だが、覚悟を持続させると精神がすり減るものだ。

 

 今すぐ身に危険が及ぶわけじゃないんだから、日常はリラックスして過ごすべきだろう。そういった配慮であれば、僕は惜しまないつもりだ。

 

「…で、やっぱりアナタも関係者だったってわけね。正体は教えてもらえるのかしら?」

「いえ、それはご勘弁を」

 

 ジトっと昴さんを見つめる哀ちゃん。別に言っちゃっても構わない気がするけど、まあコナンくんも『知っている人が少ないからこそ、秘密は秘密足りえる』って言ってたしな。

 

 それに哀ちゃんからすれば『組織へ潜入するためにお姉ちゃんをコマした男』と言えなくもない。そのへんも考慮して昴さんは黙ってるんだろう。

 

「ま、事態が動くとすれば明日か明後日あたりだろうし……今から緊張してても仕方ないでしょ。今日は今日で楽しもうぜ」

「いったいどういう神経してんのよ」

「ほら、最後の思い出になるかもだし…」

「意外と参ってたのね…」

 

 そりゃ僕だって荒事に慣れてるわけじゃないし。それでも普通の人より恐怖が少ない理由があるとすれば、まだどこかで現実じゃないことを疑ってるからだ。

 

仮に死んでも『戻れる』可能性が少しはあるんじゃないかと……そう都合よく思ってしまう自分がいるからだ。

 

 ──ま、だからといって進んで死ぬ気もない。できる限りの手は尽くすつもりだし……それに、コナンくんや哀ちゃんが死んだら悲しいもんね。できるだけ頑張ろう。

*1
TS好きはホモではないという主張

*2
死因:心臓発作

*3
従兄弟同士が夫婦になったときの相性の良さは、鴨肉の味のように良いものであるという意味



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九話

いつのまにか二年経ってて草なんだ


 

 安室さんとの電話を終え、三人でのお昼ごはんも済ませた後。哀ちゃんのおめかし&変装アイテムも揃え終わり、昴さんの車で帰路についているところだ。

 

 のんびりとしたショッピングなんて随分と久しぶりで、なんだか凄く楽しめた気がする。楽しい時間は過ぎ去るのも早く感じるものだが、今日に限ってはどうも長く感じたなぁ。まるで二年くらいデパートにいた気分だ。

 

「…にしても、ちょっと買い込みすぎじゃない? 何に使うのよ」

「変装グッズくらいは用意しとかないと、安心して平穏な日常に戻れないだろ? 今回の件が無事に終わったとしても、容姿だけはバレちゃったなんてことになったら洒落になんないし」

「この鼻眼鏡でどうやって組織を誤魔化すつもり?」

「目と鼻が見えないってのは、つまり顔立ちの半分以上は隠せてるってことさ。人間の顔なんて、五十%が誤魔化せてりゃ認識不能だよ」

「かわりに存在感が二百%になってると思うんだけど」

「ま、これはいよいよってなった時用だから大丈夫さ」

「それを使う『いよいよ』ってなに?」

「対峙してる時にいきなり鼻眼鏡なんかかけだしたら、敵も少しくらい思考停止しそうじゃない?」

 

 僕の言葉に対し、呆れたようにため息をつく哀ちゃん。なんだか馬鹿にされている気がするけど、少なくとも組織のお馬鹿さん枠に対しては有効だと思うの。ウォッカさんなら『な、なんのつもりだ!?』くらいは言いそうだし、狙撃組の二人ならスコープから目を離して二度見しそうな気さえする。

 

「で、その女性用の服は何に使うの?」

「もちろん変装さ」

「それは女装っていうのよ」

「性別まで偽れば、もう完璧だよね」

「完璧な不審人物として、警察まで敵に回しそうね…」

「『心は女です』って言っときゃ大丈夫だって」

「あらゆる方面を敵に回すのはやめなさい」

 

 まあ何事も用心しとくに越したことはないだろう。それに哀ちゃんは不格好な女装を想像しているようだが、実は『変装』に関してなら意外と上手くいく可能性もある。

 

 僕の異常な脚力を鑑みるに、この体がアバターとしての性質を備えているのは疑いようのない事実だ。それはつまり、ゲーム上で取得できる技術は同じように修得できることを示してもいる。

 

 僕が作っていたゲームは、探偵にも犯人にもなれる自由度の高いゲームであり、もちろん怪盗にだってなれる。今から怪盗キッド三世を目指すのも、絶対に不可能とは言い切れないのだ。

 

 とはいえ今から練習して『変装技術』がモノになるかといえば、それはなんとも微妙なところだ。そもそも変装ができる人物に教わらなければフラグが立たないので、有希子さんか快斗くんかベルモットあたりにお願いしなくちゃだし。それに教えてもらったところで、結局はリアルに習うのと大差ない時間がかかる可能性も大いにある。

 

 …そういや前に哀ちゃんが石川五エ門のセリフを出したから調べてみたけど、やっぱりルパン三世はこの世界にいるみたいだ。彼も世界有数の変装技術を持つ男だが、僕が教えを受けた場合って上手くいくのかな?

 

 それともアバターのシステムに組み込まれていないとダメなのか。気になるところだが、まあどちらにせよ出会う事すら難しい人物だ。考えるだけ無駄かな。

 

「さて到着っと……それじゃ各自、有事に備えて行動開始だね」

「私は解毒剤を作ればいいのね?」

「うん。世良ちゃんのお母さんがそれで動いてくれるかはわかんないけど、まあ用意しといて損は無いと思う……あ、昴さんはジェームズさんに話を通しておいてもらってもいいですか? いつでも公安と連携をとれるようにって」

「ええ、わかりました」

「あと連絡はコナンくん経由でお願いします」

「…彼を経由する理由は?」

「あの子にも状況を把握しといて貰った方が、色々と捗るでしょうし。それに複数の組織が協力するとしても、ちゃんと足並みを揃えるのは難しいでしょう? コナンくんなら上手く手綱を握ってくれると思うんですよね」

 

 船頭多くして船山に上るっていうし、司令塔はいたほうがいいだろう。しかし公安、SIS、FBIと、どこが司令塔になっても角が立ちそうだから──どこにも属していないコナンくんなら、実に適当な人選ではなかろうか。

 

 もちろん、通常であれば部外者のキッズにそんな重要な役割を任せることはありえない。しかしSISに関しては、まずメアリーさんがコナンくんに対して一目置いている節がある。そしてFBIはコナンくんの指示に対し、もはや拒むことを知らないレベルでガバガバだ。公安は……まあ三分の二が了承するならワンチャン頷いてくれるだろう。

 

 その辺を詰めるために昴さんともう少しお話をしたいのだが、哀ちゃんがいる状態では少しばかり話しにくい。昴さんは自分が諸々の関係者だと哀ちゃんに知られたものの、まだ赤井秀一だと伝えるつもりはないようだから、それが前提になる話を聞かせる訳にはいかないのだ。 

 

 そんな訳で後ほど改めて後で話したいと昴さんにお伝えしたところ、そのまま車の中で待っているとのお返事を頂いた。そういうことならちゃっちゃと荷物を家において、車へとんぼ返りするとしよう。

 

 先に下りて鍵を開けてくれた哀ちゃんに続き、阿笠邸へと荷物を運び込む。両手が塞がっている僕が通りやすいよう、扉を引いてくれる哀ちゃん……なんだか妙に優しい気がするのは、赤みがかった茶髪によく似合うバレッタのおかげだろうか。現金なお子ちゃまだぜ、まったく。

 

「それじゃ、僕はちょっと変装の教えを受けてくるからお留守番は頼んだぜ」

「今から教わってどうするのよ。というか、誰に習うの? 工藤君の母親はもう日本を離れたって聞いたけど」

「そりゃあ怪盗キッ──ええと……よく巷を騒がせる宝石好きな奇術師に教えてもらおうかと」

「いま言い直す意味あった?」

 

 僕とコナンくんのファーストコンタクトに関しては哀ちゃんも聞いてるみたいだし、怪盗キッドとの関係性もある程度は知っているだろう。

 

 まあそれはそれとして、無駄足を踏むであろう僕に対して白けた目を見せる哀ちゃん。そりゃあ何も知らなければ、数時間ばかり変装技術を習ったところで、付け焼き刃にすらならないと考えるのは当然だ。

 

「変装を施すくらいならオーケーしてもらえるだろうし、無駄足にはなんないでしょ。とてもじゃないけど、この状況で素顔のまま行動する気にはならないね……あ、なにか伝言あるなら受け取っとくよ」

「…? 私からキッドに?」

「ベルツリー急行で君に変装して、死亡を偽装したのは快斗くんだぜ。お礼の一言くらいは言っとくべきじゃないかな」

「いまキッドの名前言った?」

「死亡を偽装したのは怪盗くんだぜ? お礼の一言くらいは言っとくべきじゃないかな」

「ちょっと苦しいわよ」

 

 あらやだ、とんだ失言。有希子さんに『母さん』呼びするコナンくんを諫めておきながら、なんという体たらくだ……まあ下の名前がバレたくらいならセーフセーフ。哀ちゃんが吹聴するとも思えないし、だいたい既に警視総監の息子に正体バレしてるんだから問題ないよね。

 

「でも、そうね……あの時はお礼どころじゃなかったから、何も言えなかったのよね。『助かった』って伝えておいてもらえるかしら」

「それだけ? 仮にも命の恩人だぜ」

「他にどう伝えろっていうのよ」

「まあ子供のお礼だし──首筋にギュって抱きついて『ありがとう怪盗さん!』なんてどう?」

「私にまで正体バレてるじゃない」

「じゃあまず、哀ちゃんが僕の首元にギュって抱き着いてくれる? それで、僕が哀ちゃんの代わりにキッドへ抱き着けば伝わるんじゃないかな」

「悪意が?」

「気持ちがだよ」

「気持ち悪さなら届くかもしれないわね…」

 

 さて、あんまり待たせるのも悪いし昴さんのとこへ戻るか。くだらないやり取りではあったが、どこか楽し気な彼女を尻目に玄関を出る。気を張り続けるのも疲れるだろうし、こんな会話でリラックスしてもらえるなら上々といったところだ。

 

 車に近付くと、運転席で缶コーヒーを飲んでいる昴さんの姿が見えた。まずは何から話すべきだろうか……彼の家族についてとかかな? というか、それこそが話したいことに直結してるしね。とりあえず待たせたことを謝罪するため、助手席へと乗り込む。

 

 ──しかしなんだろう、この状況。知的なイケメンがクールな雰囲気を漂わせながら、運転席で佇んでいる……しかも僕の到着を待ちながらだ。さながら気分は彼ピを待たせるギャルである。

 

 それなりに仲良くもなったところだし、『秀くん』なんて呼んじゃおうかしら。いや、今から真面目な話をするってのにそんなことやってる場合じゃないか。ここは慎もう。

 

「秀くんゴメーン、待ったぁ?」

「…」

「…」

「いや、俺も今きたところだ」

「あ、ノってくれるんだ…」

 

 意外とお茶目な赤井さん。それに顔は昴さんのままだけど、変声機で変えていた声は元に戻しているようだ。それはつまり、赤井秀一として話すという意思表示だろう。

 

「冗談はおいといて、赤井さんのご家族に関してですけど…」

「──悪いが、繋ぎとしての期待はしないでくれ。俺の生存はできる限り秘匿しておきたい」

「…巻き込むことに関しては何も言わないんですか?」

「なに、心配するだけ野暮な母親だ。それにSISとして動いているなら、あまり馴れ合うわけにもいかん。妹の方は少々心配ではあるが…」

「赤井さんから頼んでもらえるなら、スムーズにいくと思うんだけどなぁ…」

「それは君がバーボンに約束したことだろう?」

 

 うーん、塩対応。ま、あの軍人然とした母親に、その母親から頭脳も戦闘力もきっちり受け継いだ優秀な妹だ。彼女たちが独自に動いていると知った時点で、そんなに心配していないのかもしれない。だいたい、小さくなった状態でも赤井さんと互角に格闘できる化け物だしな、メアリーママ。

 

 でもそういうことなら僕が動くしかないか。可能な限り恩を押し売りするような感じでいこっと……しかしこんなにサクッと断られるとは思わなかったから、ほとんど話すこと無くなっちゃったな。あとは──ああそうだ、丁度いい機会だし個人的なお願いも一応しとくか。

 

「話は変わりますが、赤井さん」

「どうした?」

「僕へ証人保護プログラムを適用してくれるなんてサプライズはありませんか?」

「ふむ……やってやれんことはない」

「ホントですか!?」

「もちろん、君の事情を全て話してくれることが条件だが」

「無理です」

「では諦めてもらう他ないな」

「むむむ…」

 

 僕の悩まし気な声を聞いて、ふっと苦笑を漏らす赤井さん……ん? もしかしてちょっとからかわれた? 気付かない内に好感度でも上がっていたのだろうか。

 

 それはそれでありがたいが、やっぱ証人保護プログラムは無理だったか。戸籍関係も何もかも一発解決する素晴らしいシステムなのだが、素性の知れないアジア人へ適用してくれるほど甘くはないようだ。

 

「じゃ、僕もボチボチ動きますんで。哀ちゃんのこと、よろしくお願いします」

「ああ、任せてくれ」

「くれぐれも彼女にバブみを感じてオギャったりしないようにお願いしますね」

「それは日本語なのか?」

 

 なんせ声がシャアさんだからな……褐色ロリに母性を感じて、あまつさえ母親になってほしかったとまで言い切った御人なのだ。

 

 褐色といえば、『名探偵コナン』には褐色のイケメンがやたらと多い気がするな──幼馴染カプ厨で褐色男スキーとは、青山先生は業の深い御方である。

 

 ──何とも言えない表情の赤井さんに挨拶をして、車を下りる。さて、それじゃあ快斗くんの家に突撃するとしよう。先に連絡すると姿を消しそうな気がするので、ここはサプライズ訪問がベターだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで快斗くんの家の前。もう夕方だし、学校帰りに多少の寄り道をしても、もう戻ってるくらいの時間だろう。もし居なかったら寺井さんの方でも訪ねてみるか。とりあえずインターホンを鳴らしてっと……おっ、出た出た。

 

「こんにちはー! 快斗くん、ちょっとしたお願いがあるんだけど聞いてくれる?」

『おう。そのままインターホンから回れ右して帰ってくれたらな』

「ありがと!」

『“おう”しか耳に入ってねえなオイ!』

 

 みだりに快斗くんの家へ近付くのは禁止されてたから、しょうがないとはいえ冷たい対応である。でも渋々ながら玄関を開けて迎え入れてくれる、そんな優しいとこ好き。

 

 まあ家の前で騒がれて『キッド』なんて単語が出るのを嫌った可能性の方が高い気もするけど。ま、なにはともあれお邪魔させてもらうか。

 

「邪魔するでー!」

「なんで関西弁なんだよ……つーか何しに来たんだ? 危ねーからあんま顔見せんなって言っただろうが。あの高校生探偵、オメーがオレのこと知ってるってのを知ってんだぞ」

「…」

「…」

「…」

「…な、なんだ?」

「あのね、快斗くん。『邪魔するでー!』って言われたら『邪魔するなら帰ってんかー』って返すの。関西じゃ常識だぜ」

「ここは東京なんだが」

「ところで『お願い』のことなんだけどさ…」

「会話のキャッチボールって知ってるか?」

 

 知ってるけど、この世界の人たちってレスポンスが異常にいいから、会話をぶん投げてどう返ってくるかをつい試してしまうのだ。コナンくんはよくツッコんでくれるし、哀ちゃんはキレのある皮肉で返してくれるし、博士とは駄洒落の相性が抜群である。

 

「で? お願いってなんだよ」

「うん、ちょっと変装技術を教えてほしくてさ」

「あのな……『ちょっと』で教えられるほど安いもんじゃねえんだよ」

「じゃあたっぷりで」

「そういう問題じゃねえよ! …つーか覚えんのにどんだけかかると思ってんだ? こっちにも都合ってもんがだな…」

「でもこっちにだって都合はあるし…」

「頼む方と頼まれる方、どっちの都合が優先されるべきだ?」

「頼む方!」

「息を吐くように嘘をつくな!」

「いたって本心からの言葉だよ」

「じゃあ()()から帰ってくれ」

「オッケー、教えてもらえたら帰るよ」

「なんで会話するだけでこんな疲れんだ…」

「キャッチボールって意外と疲れるからねぇ」

 

 ため息をつき、眉間を揉みながら変装グッズと思しきものを持ってくる快斗くん。うむ、これが人を根負けさせるということだ。

 

 とはいえ変装術なんて月単位年単位の練習で覚えるようなもんだろうし、面倒だから触りだけ教えてお茶を濁そうとしているのだろう。

 

「あ……教えてほしいなんて言っといてなんだけど、なんか一子相伝の技術みたいなのあったら流石に遠慮しとくよ」

「別に変装は『怪盗キッド』の専売特許って訳じゃねーんだぜ? やってること自体は普通の変装術と変わんねえよ」

「そうなの?」

「ああ、違うのは速さと精度くらいだな。ま、そこが一番重要なとこだけどよ」

「ふむふむ…」

 

 まあ確かに、キッド以外にもベルモットやルパン三世とか、変装の達人はいるっちゃいるか……ん? みんな犯罪者で草。

 

 とはいえ『達人』という括りを抜けば、有希子さんや赤井さんも人を騙せるレベルの変装は可能な訳だし、代名詞ではあっても専売特許ではないのかな。ただ有希子さんなんかは顔の造形にかなりの時間をかけているのに対し、快斗くんのそれは秒単位だ。いったい何が違うんだろう。

 

「──で、この超速乾性のラバースキンで顔の形をだな…」

「ほうほう……ん? …この一瞬で乾いちゃうクリーム的なもので、一筆書きみたいに顔を作るってこと? ミリ単位でズレても違和感出るよね?」

「おう」

「おうじゃなくて」

「なんて言やいいんだよ」

 

 なるほど、変装を解くときに顔バリバリで引っぺがせるのはそういうことか。しかしだ、それはつまり人間の顔の造形を一切のミスなし、かつ一瞬で作るってことだ。そんな漫画界の岸辺露伴じゃないんだからさぁ。

 

 職人技というには、少々人間の能力を逸脱しすぎな気がする……と思ったけど、素手で石柱壊したりナイフ叩き折ったり、走ってる車に追いついて持ち上げたりする人外がいる世界だったな。

 

「うーん……やっぱり一朝一夕に修得できるもんじゃなさそうだね」

「当たり前だろうが」

「まあそれはそれとして、一回デモンストレーションを見てみたいんだ」

「あん?」

「前に変装した──ほら、あの子。ベルツリー急行で変装した女の子になってもらってもいい?」

「…別にいいけどよ」

 

 さて、変装の仕方をレクチャーされ、実際に目の前でやってもらう──修得のフラグとプロセスは踏んだし、それが僕にどんな影響を及ぼすのか気になるところだ。というか目の前で見ても信じられないくらいの早業だなぁ……宴会の一発芸で披露してみせれば、大盛り上がり間違いなしだろう。

 

「──これでいいのか?」

「おぉー! あ、じゃあ甘える感じで『直哉ぁ♡』って言ってもらってもいい?」

「虚しくならねえか?」

「『わたしこれ飲みたいなぁ♡』もお願い」

「キャバクラかっつーの!」

「…」

「…な、なんだよ」

「いや、その年でキャバ嬢のおねだりを知ってるのは如何なもんかと…」

「怪盗には色んな知識が必要なんだよ。いつどこで誰にでもなれるようにな」

「ふーん……じゃあ、今ここで僕になりすますのも可能ってこと?」

 

 僕の言葉に対し、『朝飯前』とでもいうように頷く快斗くん。本当だろうか? もちろん見た目の変装に関して疑いの余地はないが……自分で言うのもなんだけど、僕の言動や行動って簡単にトレースできないと思うんだよね。彼がいったいどれ程のクオリティで僕を装えるのか、なんだか好奇心が疼いてきた。

 

「快斗くんの演技力は大したものだと思うけどぉ、この僕に変装するのは難しいんじゃないかなぁ?」

「あんだよ、その安い挑発は…」

「できないの?」

 

 安い挑発と知っていながらも、ちょっとイラッとした表情で変装しなおす快斗くん。変装時間は十秒かかったかどうかってくらい……顔を作るのもそうだが、着替えの速さが尋常ではない。目の前で見ていても信じられないくらいだ。

 

「おおー……お見事! じゃあ『久住直哉』検定を始めたいと思います」

「『お見事』と『じゃあ』の間に何があったらそうなるんだ?」

「とりあえず『久住直哉が二人に増えた』って設定でいくから、ちゃんと演技してね」

「オレはいったい何に付き合わされてるんだ…」

 

 何に付き合わされてるんだと言いつつ、ちゃんと付き合ってくれる快斗くん。演技力を疑われたプライドからなのか、それとも付き合いがいいだけなのか。まあコナンくんや哀ちゃん、世良ちゃんとかもそうだけど、くだらないお願いをしても意外と『NO』とは言わないんだよね。善人が多いって素敵。

 

「じゃあ目が覚めたら自分が二人になってたって設定で。僕もちゃんとそれっぽくするからさ」

「へーへー……んんっ! 『あ、あれ……ぼ、僕が目の前に…? ──もしかして…』」

「入れ替わってるー!?」

「いきなり設定ぶんなげてんじゃねえよ!!」

「え? いや、自分が目の前にいるんだから、増えてる可能性もあるし入れ替わってる可能性もあるでしょ?」

「ぐっ…!」

「仕方ないなぁ。じゃあ増えてるって認識はもう持ってることにしといてあげるよ」

「なんでこっちが譲歩されてるみたいになってんだ…!」

 

 僕の顔で『ぐぬぬ…』って表情されると、なんか違和感あるなぁ。というかこのアバターになってからまだ一月も経ってないのに、『僕の顔』って認識しちゃうのちょっとヤバいかな。

 

 哀ちゃんなんかは、鏡で自分を見るたびに『あなた誰?』とか思うらしいし。大人の顔とほぼ一緒やんけ、というツッコミを入れるのは無粋だろうか。

 

「ではでは、改めて始めたいと思います。こほん……あ、あれ? 僕が二人…?」

「な、なんで? いったい何が…?」

「ま、まさかハスーイのクロセロがケウェーウをシャイツしたせいで…?」

「おい、先に設定聞かせろ」

「え? 僕ならこれくらいのアドリブは簡単だと思うけど…」

 

 天を仰ぎ、両手で目を覆う快斗くん。やはり予想以上に僕の物真似は難しかったらしい。まあ簡単に模倣されちゃったら、僕のアイデンティティーが脅かされるしね。体が本来のものではないだけに、自己同一性というのは大事にしておきたいところだ。

 

「うーん……もう最初のやり取りはすっ飛ばしちゃおっか。適当にお喋りする感じで」

「くっ……うん、オッケーだぜ!」

「それにしても、快斗くんって本当にいい人だよねぇ。お金貸してくれたりお願い聞いてくれたり、もう足を向けて寝られないよ」

「ホントだよね。でも彼だって内心じゃやめてほしいと思ってる気がするなぁ」

「あー、確かに。随分と無理なお願いばっかしてるし、お礼くらいはしとかなきゃだよね」

「もしかしたら、関わらないことが何よりのお礼になるかも!」

「快斗くんへのお礼か……そうだ! 『かいとくん』の五文字であいうえお作文でも作ってみよっか」

「いやなんでそう──そ、そりゃいい考えだぜ!」

 

 動揺してて草。快斗くん、ちゃんとついてこれてる? 微妙に話し方とかも違う気がするけど。まあ和葉ちゃんに変装したときとか、一人称の『アタシ』と『ウチ』を間違えたりしてるし、やはり完全に他人になりきるのは難しいということなのだろう。

 

「『か』『い』『と』『く』『ん』──それぞれを頭文字にして、かつ感謝の念が伝わる作文かー……難しいけど、挑戦しがいがあるね!」

「『ん』って頭文字になるの?」

「意外となんとかなるもんさ。じゃあ僕が答えるから、合いの手よろしく」

「う、うん…」

 

 さて、特に何も考えてないので即興で作ってみるとしよう。えーと、快斗くん、かいとくん……うーむ……困ったな、何も思い浮かばない。ぶっつけ本番で思いつくまま言ってみるか? さっき彼にも言った通り、こういうのは意外となんとかなるもんだ。大事なのはノリと勢いである。

 

「うん、準備オッケー! これでバッチリ感謝も伝わるね。始めてくれる?」

「了解! まず快斗くんの『か』!」

「風よ!」

「快斗くんの『い』!」

「いと速き風よ!」

「快斗くんの『と』!」

()く吹きすさぶ風よ!」

「オレへの感謝は!?」

()住直哉はね、そんなツッコミを入れないよ」

「もうやめてもいいか…?」

「ん!」

 

 げんなりした様子で変装をとく快斗くん。ふふ、勝ったな……ん? そもそも今日って何しに来たんだっけ……あ、変装術を教わりに来たんだった。色々と面白くて忘れちゃってた。まあ外見の作り方と演技の仕方は教わったと言えなくもないし、出来るようになってる可能性はあるだろう。

 

「じゃあ今度は僕が快斗くんに変装してみていい?」

「あん? …ま、やるだけやってみりゃいいんじゃねえか? できるかどうかは別として。ほれ、服はこれ使えよ」

「ん、ありがと……こんな感じかな? どう?」

「ほー、上手いじゃねえか。ピカソか?」

「ううん、快斗くん」

「とりあえず人に似せるセンスは皆無だな…」

「ダメかぁ。案外いけると思ったんだけどな」

「なんでいけると思っちまったんだよ…」

 

 ゲーム的な仕様を期待して……とは言えないけど、流石に変装技術をものにするのは高望みしすぎたか。だったらここはプランB、快斗くんに変装を施してもらう方向で行こう。

 

 あわよくば流れでキッドにも参戦とかしてもらえないかな? 変装、潜入、ミスディレクション、なんでもこなせるパーフェクトプレイヤーだ。居てくれると頼もしいってレベルじゃない。

 

「それじゃ、そろそろお暇させてもらおっかな」

「やっとか…」

「明日は朝一で来るから、僕を変装させてもらってもいい?」

「あのなぁ、ちっとは人の迷惑も──……もしかして、なんかヤベーことになってんのか?」

「うん。ベルツリー急行を爆破するような奴らと、もしかしたら相対するかもしんない」

「…ったく。早めに来いよ、こっちは学校があんだからな」

「ありがと! …なんか借りてばっかでごめんね、ちゃんとお礼は考えとくからさ」

「あいうえお作文はいらねーぞ」

「あはは、ちゃんとしたお礼だって。もうすぐ大金が手に入る予定だから、期待しててよ」

「なんか近いうちに死にそうな奴のセリフだな…」

「いま言われると洒落になってないからやめて」

「…そんなにヤベー状況なのか?」

「変装で姿を変えたくなるくらいにはね。ヤバくなったら呼んでいい?」

「おう、行けたら行ってやるよ」

「それ絶対来ないやつ」

 

 まあ本気で助けてほしいサインを出したら、普通に来てくれそうなのが快斗くんである。とはいえなんの関係もない彼を巻き込むわけにもいかないので、連絡をとることはないだろう。なんだかんだで玄関前までお見送りに来てくれる快斗くんへ、手を振りながら黒羽邸をあとにする。

 

 ──とりあえず腹ごしらえをして、そのあと世良ママとコンタクトをとるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さてさて、晩御飯はどうしようかな。今から阿笠邸に戻るのも手間なので、哀ちゃんには外で食べてくると連絡済みだ。うーん、自由に外食できるくらいの余裕があるのって素晴らしい。火浦さんと有希子さんには大感謝である。

 

 そういやこの前コナンくんと行こうとしてた『ラーメン小倉』は、結局のところ行けず仕舞いだったし、今度こそ行ってみようかな。歩いて行ける距離だし丁度いい……この時期ならたぶん事件に巻き込まれることもないだろうし。

 

 あのラーメン屋では二度に渡って事件が起きるのだが、一回目の事件が終わった後、杯戸町から米花町へ場所が変わるのだ。そして今は米花町に店を構えているので、最初の事件は終わっている筈。

 

 二回目はキュラソーが出てくる劇場版より後だったと思う。三回目や四回目がおこらないとも限らないし、今のうちに行っておけば事件に会う確率も低いだろう。メンマが絶品らしいから、今から楽しみだ。

 

 …ん? お、十メートルほど先に見えるあの人物は……もしかして世良ちゃんかな? 可愛らしいくせっ毛に、後ろからでもわかるほどの貧乳。昴さんいわく女性らしいケツに、ボーイというよりボーイッシュなあの雰囲気。間違いない、彼女だ。まだ連絡もしてないのに会えるなんて、これが運命ってやつか。

 

「世良ちゃーん」

「ん? …あ、久住君! どうしたんだい、こんなところで」

 

 片手を上げて僕の呼びかけに応じながら、少し小首を傾げる世良ちゃん。笑った顔から八重歯がちらりと見えて、あざと可愛い。まあここは阿笠博士の家からちょっと離れてるし、彼女の言う通り夕飯どきに一人でうろついてるのもちょっと変か。

 

「ちょっと用事があってさ。世良ちゃんは?」

「ボク? ボクはほら、今日は外で食べようと思って」

「今日も、じゃないの? 外食ばっかだと栄養が偏るよ」

「うっ…」

 

 原作を見る限り、だいたい外食で済ませてるからなこの娘。しかも世良ママの分までお持ち帰りとかしてるし、隠す気あるんだろうか。ウィークリーマンションとか借りて自炊したほうがお金も節約できるし、世良ママもこそこそする必要なくなると思うんだけどなぁ……実は超メシマズだったりするんだろうか。

 

 

「ま、まあそれはおいといて──そうそう、昨日は誘ってくれてありがとな。事件のせいであんまり喋れなかったのは残念だったけどさ」

「だったら一緒にご飯でもどう? ちょうど近くのラーメン屋に行こうと思ってたんだ」

「近くのラーメン屋っていうと……あ、もしかして『ラーメン小倉』? だったらボクもよく行くとこだよ! 昨日行ったから、今日は別の店にしようと思ってたけど…」

「そうなんだ。じゃあ『ラーメン小倉』にしよっか?」

「『じゃあ』の使い方おかしくないか?」

「この前も行き損ねたから、二回も行きそびれるのはちょっと…」

「ま、君が行きたいならいいけどな。でも餃子ぐらいは奢ってもらおっかなー?」

「ん、オッケー。ならラーメンの方はお願いしていい?」

「ボクの方が損してるじゃないか!」

「世良ちゃんとはさ、損得抜きで付き合いたいと思ってるんだ」

「それ良いこと言ってないからね?」

「あはは、冗談冗談。ちょっとしたお願いごともあるから、今日は僕が奢るよ」

「お願いごと?」

「うん。ま、それは食べ終わった後で話すからさ」

 

 いったいなんの話だろうと、訝し気な表情を向けてくる世良ちゃん。色々とコナンくん周りの秘密を探ってるだけに、あらゆる可能性を考えているのだろう。僕自身も何か知ってる風な言動を繰り返しているので、余計に彼女の脳内をややこしくさせているのかもしれない。

 

 とはいえ今はラーメンだ。何やら考えこんでいる彼女の肩に手を置いて、さっさと行こうぜと促す。すると置いた手と僕の目を意味深に見つめ、少しの間をあけ、溌剌とした笑顔で『そうだな!』と返してくる世良ちゃん。

 

 いやぁ可愛い。これが哀ちゃんなら、置いた手を素っ気なく払いのけられたことだろう。血も涙もない女だぜまったく。

 

 …というか、あれだな。僕は昨日、世良ちゃんが肩に置いてきた手を払いのけて、『僕達まだそこまで親密じゃないよね』的な感じで情報提供を断った。しかし今日は『お願いごとがある』と言って彼女の肩に手を置いた。

 

 つまり昨日の凧揚げ大会で仲が深まったという(てい)で、情報の共有と何かの依頼をすると思われたのだろう。肩に手を置いたのは、その合図的な何かと判断したらしい。正直ただのスキンシップだったのだが、ほんとこの世界の探偵たちって深読みするよね。

 

 まあそんなこんなで取り留めのない話をしつつ歩いていたら、いつの間にか件のラーメン屋に到着していた。『マジで死ぬほどヤバイラーメン小倉』と書かれているが、ほんとに人が死んでるんだから割と洒落になってない店名である。まあ殺人事件が日常茶飯事だと考えれば、人死にが出てない店の方が珍しいのかもしれないけど。

 

 暖簾をくぐると、三人のお客さんがカウンターに座っているのが見えた。三人ともこちらにちらりと視線を向けてきたが、すぐに興味をなくしてスマホを弄り始める。おっとこれは……おそらく(のち)に起こる事件で容疑者になった三人だな。全員がこの店の常連だった筈なので、まあ出会うのも仕方ないか。

 

「ちわー! 大将、今日も来たよー!」

「オウ、いらっしゃい! …おっ、後ろにいる兄ちゃんは彼氏かい?」

「はい!」

「返事にためらいなさすぎだろ!? た、大将! ただの友達だからね! ホントに!」

「世良ちゃん。その否定の仕方だと、ただ照れてるだけに聞こえちゃうよ」

「うぐっ…!」

 

 ホント世良ちゃんって良い反応してくれるよね。恨めしそうに見つめてくる彼女を宥め、従業員の女性に促されるままカウンター席に腰を落ち着ける。うーん、ここは評判の閻魔大王ラーメンでいいかな。あとは点心をいくつか頼んでシェアして……ん? なんだろう。店の扉を勢いよく開けて、誰かが入ってきた。

 

「ちょっと失礼するわよ!」

「し、失礼しまーす」

 

 ずかずかと威勢よく侵入し、店内の様子を確認するのは二人の婦警さん。片方はいまどき珍しいツインテールで、つり目ではあるがキツイ印象はまったくない女性だ。そしてもう片方は、たれ目で気の強そうな女性──となると、もしかしなくても三池苗子さんと宮本由美さんだろうか。

 

 前者は原作でも割と後期に登場する人物であり、千葉刑事のカップリング相手として急に生えてきた女性だ。もちろんカップリング相手なので当然のように幼馴染である。最初はなんの関係もない人間同士でも、いきなり過去回想が挿入され、カップルが成立するパターンがコナン世界にはよくあるのだ。

 

 名前の由来は赤川次郎の『三毛猫ホームズ』シリーズにおける三毛猫から取っているらしい。光彦くんの名前が『浅見光彦』シリーズからだったり、割と近代の推理小説からも引っ張ってくるよね青山先生って。

 

 ちなみに浅見光彦シリーズのタイトルは『◯◯殺人事件』といった風に、地名+殺人事件というものが多いので、本棚に並べると少し物騒である。もしかして光彦くんの正体を暗示している…?

 

 それにしても三毛猫さん、特撮オタクである千葉刑事のお相手だからなのか、めっちゃオタク受け良さそうな見た目だよね。ツインテールにつり目、引っ込み思案のようでいてしっかりもしているギャップ、ついでにツンデレっぽい所もあるときたもんだ。もうこれ令和のかがみんでは?

 

 もう一人の婦警さん──宮本由美さんは、世良ちゃんの兄であり赤井さんの弟でもある『羽田秀吉』さんの元恋人だ。重要そうで意外とそうでもないようなポジションの人物だが、赤井ファミリーと関係性ができたためか、そこから一気に登場頻度が高くなった女性でもある。彼女もツン要素がやや強めのツンデレだ。

 

 そう考えると『名探偵コナン』の女性ってツンデレばっかだな。『バーカ! …でも好き』みたいな典型的なツンデレが多い印象である。ツンデレって元々は『出会ったときはツンツンしていたけど、次第にデレデレになっていく様子』を指していたはずだが、いつの間にか『普段はツンツンたまにデレ』みたいな意味になったよね。僕はどっちも好きだけど。

 

 まあそれはともかく、なんで彼女たちがここに来るんだろう。この二人が関わる事件はキュラソー関連より後の筈……あれ? ちょっと待てよ。そういやコナンくんが関わるのは事件が発生してから暫く後で、実際に事件が起きたのは一週間前とかだっけ?

 

 しまった、そこまで考えが及んでいなかった……だからってこんなジャストなタイミングで発生するのはやめてほしかったけど。またラーメン食べ損ねちゃいそう。

 

 ──なんてことをつらつら考えていると、由美さんが状況を説明し始める。物凄くざっくり言っちゃうと『不審人物を発見して二人で挟み撃ちするように追い詰めたらこの店に辿り着いた』って感じかな。

 

 とはいえ、今のところはそこまで緊迫した感じでもない。原作通りの状況だとしたら、まだこれが殺人事件だとは気付いてないんだろう。たぶんもう少ししたら高木刑事と佐藤刑事が殺人現場に到着し、死体を発見することになる筈だ。

 

 困ったなぁ……このタイミングだと、明らかに僕らも容疑者の一人になってしまう。任意同行という名の強制連行で、かなりの時間を取られることは間違いないだろう。組織関連でごたごたしてるこの状況でそれは勘弁願いたい。というか今から取り調べなんかされちゃうと、メアリーママと会う時間がなくなっちゃうし。

 

 確かこの事件は……被害者のホステスが容疑者の三人に数百万のピアスを見せびらかし、なおかつ彼らを酷くこき下ろしたことから始まってたんだっけ。

 

 元同僚のホステスを『残念ビッチ』と罵り、客のサラリーマンを『ヘタレリーマン』と見下し、コンビニで働く青年フリーターを『キモいバイトくん』と蔑む。

 

 嘲りの言葉と共に『このピアス、あんたら程度には一生かかっても手に入らないお宝だけどねぇ!』などと発言しているのだ。そら死ぬわ。

 

 犯人は青年フリーターさんなのだが、実のところ殺すつもりはなかったっぽいのがまたね。酷い侮辱をされた腹いせに、空き巣に入ってピアスを盗もうなんて考えたのが運の尽き。

 

 忘れ物を取りに戻った被害者と鉢合わせして、押し問答の末に相手を突き飛ばしたら、打ちどころ悪く死んでしまった感じだ。打撃や衝撃に強いコナン世界の人類だが、階段の角とか机の角でうっかり死ぬのはなんなんだろう。

 

 まあタフな人間しかいないワンピース世界でも、階段から落ちてしまえば死者も出る。実は階段って恐ろしい凶器なのかもしれない。

 

 ──状況の説明が終わり、誰が不審人物だったのかいざ調べんと意気込む由美さん。しかしその直前、彼女のスマホに連絡が入る。そしてその会話が続くにつれ、場の雰囲気が怪しくなってきた。

 

 ちらちらと聞こえてくる『死亡』だの『空き巣』だのといった単語が、この場にいる全員に聞こえているからだろう。外に出て喋ればいいのに。

 

 まあそもそも交通課の婦警さんだし、殺人事件の捜査なんて関わることも少ないか。いや、交通課の婦警さんでもしっかり捜査権限があるのがこの世界なんだけどさ。

 

 それなりに長かった通話が終わり、由美さんが『残念だけど、簡単に帰すわけにはいかなくなったわ』などと決め台詞っぽく宣言する。

 

 どうしたもんかなぁ……犯人を知ってるんだったら追及したらいいじゃないかって話ではある。でも実際のストーリーが一週間後なだけに、現状では推理のパーツがまったく揃ってないんだよね。

 

 『空き巣に出くわした被害者が運悪く殺された』といった前提で話が進むのだが、一週間後になるまで何が盗られたのかすら判明しないから、捜査の取っ掛かりもないし。

 

 …仕方ない、なんとか容疑者から外れるように誘導だけでもしてみるか。彼女たちが追いかけていた犯人は一人の筈だし、二人組で店に入った僕らはその時点で疑惑も薄れる筈だ。順番に持ち物検査をしている三毛猫ちゃんを横目に、由美さんへ話しかける。

 

「すいません、少しいいですか」

「なに? 悪いけど、すぐには帰せないわよ」

「婦警さんが追いかけてた犯人は一人だけなんですよね? 店主さんに確認してもらえればわかりますけど、僕ら二人でここに来たので、容疑者からは外れるんじゃないかなって。互いにアリバイも証明できますし」

「二人で? えーと、君は…」

「久住直哉と申します」

 

 僕が名乗り終えると、由美さんは後ろに佇む世良ちゃんの方へと視線を向けた。未来の義妹ということで特別扱いしてくんないかな。まあその辺の関係性を当人たちが自覚してないし、無理があるか。

 

 …そういや由美さん、不審者を追いかけてる途中で彼氏さんに会ってるんだっけ。タイミング的には容疑者の一人に入れないといけないのに、何気に見逃してんだよな。警察の教えはどうなってんだ、教えは!

 

「久住直哉君……っと。それで、後ろの彼女は──」

「彼女は世良真純。恋人です」

「なんでだよ!」

「じゃなかった。彼女は世良真純、親友です」

「ホントに思ってる!?」

「え、えーと……どっち? …あ、でもどっちにしろ、恋人とか親しい間柄での証言は信用されないのよね」

「彼女は世良真純。知り合いです」

「友達ですらなくなってるよ!?」

 

 僕と世良ちゃんのやり取りを呆れながら見ている由美さんだが、僕らを容疑者から外す気はないようだ。まあ二人組の犯人が道中で合流した可能性もゼロじゃないんだから、仕方ないか。三毛猫ちゃんも他の三人から名前と入店のタイミングを聞き終えたようで、なんとなく一息ついた感。

 

 そしてまたぞろ店の扉が開かれると、そこには佐藤刑事と高木刑事の姿があった……私服のままで草生える。由美さんなら二人のデートコースくらい把握してそうだし、近くにいるだろうからって『いま不審者追いかけてるから、近くにいるなら現場だけ見といて!』なんて連絡したのかもしれないな。

 

 というか事件発生から佐藤刑事たちが死体を発見するまでが異常に早かったし、それで間違いないだろう。イチャラブデートからのディナーからのしっぽりベッドインが邪魔されてなによりである。しかし休日だろうがなんだろうが、事件に出くわしたら捜査に参加する刑事が多いよね、コナン世界。

 

「こんばんは、佐藤刑事に高木刑事。さっきぶりですね」

「あら、久住君? もしかして五人の容疑者の一人って…」

「ええ、困ったことにそうらしいです。それでですね、このあと用事があるので事情聴取は勘弁してほしいんですが…」

「うーん……悪いけど、この状況でそれは難しいわね」

「…じゃあ犯人が見つかれば、そのまま帰っても大丈夫ですか?」

「え? ええ、そうね。でもそう簡単に見つかるとは──」

 

 おけおけ、言質はとったので後は犯人を指摘するだけだ。しかし世良ちゃんや佐藤刑事を納得させつつ、違和感のない推理をするとなると……いま揃ってるパーツだけだと難しいな。変な誘導の仕方したら、世良ちゃんがまた変な勘違いしそうだし。

 

 やだやだ、考えるのめんどくさいなぁ……となれば、ここは推理の過程を半分くらい吹っ飛ばせる『あんた、つまんない嘘つくね』作戦で言ってみるか。

 

「世良ちゃん世良ちゃん、ちょっとこっち来て」

「へ? う、うん……ちょっ、く、久住君?」

 

 容疑者三人や警察関係者によく見えるようにしながら、世良ちゃんの首筋に指を当てて顔と顔を近づける。ちょっと大袈裟にしたのは、()にこれをやる人間へのパフォーマンスも含んでいる。

 

 あと世良ちゃんなら『この行動』の意味を知ってそうだし、きっとドヤ顔で皆に話しだすのを期待してのことである。

 

「世良ちゃん、君はこの事件の犯人かい?」

「え? ち、違うに決まってるだろ? そんなの君が一番よく知って──」

 

 ちょっと慌てつつ、顔をほんのり赤くして否定する世良ちゃん。たしかにこの態勢、異性にされると恥ずかしい状態だ。しかしこれこそ、CIAなどがよく使う『嘘を見抜く方法』の一つである。もちろん僕にそんな技術はないが、傍目からじゃそんなのわかんないしね。

 

 こんな本当かどうかもわからない技術じゃ誰も納得しないが、とはいえ『こいつが疑わしい』という雰囲気に持っていくことはできる。無理やり追い詰めるための、まずは一手目である。そして世良ちゃんの表情も、何かに気づいたようなものへと変化した。

 

「じゃあ次はそちらの男性の方、よろしいですか?」

「え? わ、私かい?」

「ちょっと久住君、いったい何を…」

「──脈拍と瞳孔、呼吸の変化で偽証を見抜く。CIAなんかがよく使う技術だ……そうだよね、久住君」

 

 それそれ、そのドヤ顔を待ってました。ニヤリと不敵な笑みで八重歯をちらつかせる世良ちゃん。僕が自分で『嘘を見抜けるんですよ』なんて言っても胡散臭すぎるが、他人が言えば多少はそれも薄れるものだ。

 

 しかし彼女に限らず、探偵とはなぜ他人の行動に対してそこまでドヤれるのだろうか。その姿は、さながらトキの知識を誇るラオウのようである。

 

「し、CIA? そんな技術いったいどこで……じゃなくて! 仮にそれが本当でも、証拠として採用なんてできないわよ。ただでさえ容疑者の一人なんだから」

「別にこれを証拠にするつもりなんてありませんよ」

「じゃあどういうつもり?」

「『五人の中から犯人を探す』よりも、『一人を犯人と断定して粗探しする』する方が手っ取り早いでしょう? もちろん警察にこの結果を根拠にして捜査しろなんて言いませんよ。僕と世良ちゃんが当てにして推理するだけです」

「無茶苦茶言ってるわね……というかその娘はわかるけど、あなたも探偵なの?」

 

 …ん? 世良ちゃんと佐藤刑事って原作で面識あったっけ。高木刑事はある筈だけど、はて……ああ、そういや劇場版の『異次元の狙撃手』で顔は合わせてるのか。会話してる描写はほぼ無かった筈だが、世良ちゃんは最初の犠牲者を『探偵として調べていた』と発言している。

 

 それなら佐藤刑事のセリフも頷けるが……しかしそうなると、世良ちゃんはスナイパーライフルで狙撃されて大怪我してから、そこまで経ってないってことになる。元気すぎない? というか大丈夫なの?

 

 戦闘力の高い人間は回復力も高いのだろうかと考えつつ、佐藤刑事にどう答えたものかと思案する。僕は探偵じゃないけど、発言にある程度の説得力は持たせたいし……ここは工藤くんの親友ってことで、凄い人っぽい感じ出せないかな。

 

「ええ、こう見えて『西の名探偵』の友達の親友ですから」

「それでどう納得すればいいのよ」

「それに世良ちゃんもポスト『南の名探偵』なんて呼ばれるくらい活躍してるんですよ。とっても優秀な女の子です」

「南の名探偵? 東の工藤君と西の服部君は有名だけど、南なんていたかしら…?」

「このまえ殺人犯として捕まってました」

「そんなポストにボクを入れるなよ!!」

「まあまあ、それはともかく続けよっか。では仲西さん、少し失礼しますね」

「え? あ、ああ…」

 

 犯人に変な茶々を入れられる前に、サラリーマンのおじさんの首元へ手を伸ばす。拒否はしないであろう世良ちゃんを一人目にして、押しの弱そうなこの男性を二人目にすれば『流れ』は作れたと言っていいだろう。なんの発言権もない素人がこの状況で何か押し通そうとするなら、こういった小細工も必要なのだ。

 

「あなたはこの事件の犯人ですか?」

「いや、違うが…」

「…ええ、本当みたいですね。ではそちらの女性の方も失礼して…」

「ちょ、ちょっと! 刑事さん、こんな子供の自由にさせてるのおかしくない!?」

「いえ、逆に考えてみてください荘野さん。こんな子供を自由にさせてるんだから、それ相応の理由があるとは思いませんか?」

「は、はあ…?」

「僕の親友の友達の父親は『大阪府警本部長』。また別の親友のクラスメイトの父親は『警視総監』。それに親友の彼女の親友には世界有数の財閥の一人娘もいるんですよ」

「それ親友が凄いだけじゃないの?」

「ええ、では失礼して首筋を…」

「だ、だからアンタにそんな権利──」

「ここまで拒否されると、流石に怪しくなってくるなぁ…」

「はぁ!?」

 

 無茶苦茶言ってるのは僕の方だが、キャバ嬢さんは世良ちゃんや佐藤刑事の方を見てグッと息を詰まらせた。疑われている……と感じたのだろう。実際はそんなことないと思うけど、どちらも気の強い女性な上、殺人事件の捜査中なんかは目力が強くなる。この状況では、キャバ嬢さんも身の潔白を証明したくなるに違いない。

 

「い、いいわよ! やりなさいよ! 言っとくけど私は絶対やってないからね!」

「ご協力ありがとうございます」

 

 彼女が考えを変えない内に、パパッと確認する振りをする。そして嘘は吐いていないようだと僕が口にすれば、自然とみんなの視線は青年フリーターさんに向かう。こうなると、残った一人は疑心暗鬼で心臓バクバクだよね。まあ疑心暗鬼もクソも、犯人で間違いないんだけど。

 

 さて、まずは彼が被害者を殺した後の行動を振り返ってみよう。被害者との押し問答の際に眼鏡を落とし、レンズを踏み砕いてしまった青年フリーターさん。レンズというのは一人一人に合わせて調整されているので、警察に調べられると、誰がどこで買ったかは丸わかりだ。

 

 しかも彼が眼鏡を新調したのは最近だったから、履歴も一瞬で辿られるだろう。彼もそう判断したため、レンズを拾い集めようとしたわけだが……暗い場所で砕けたレンズを残らず拾い集めるのは至難の業だ。だから最近テレビでやっていた『ホースを簡易掃除機にする小ネタ』を実践して、細かい欠片も吸い取ったのである。

 

 しかしそれにはホースをぶんぶんと振り回す必要があり、そんな不審行動を見た三毛猫ちゃん達に目を付けられ追い回されたわけだ。ちなみに作業中は当然ながら手袋をしていて、指紋などの証拠は残していない。その手袋も追いかけられている途中でドブに捨てており、汚染が激しいためDNAの採取は不可能だ。

 

 しかし最大の物証──盗んだイヤリングは、店の中に持ち込まざるを得なかった。途中で捨てたとしても、警察に見つかれば『それが空き巣の目的だった』とバレることになる。となれば、そのイヤリングに悪いまつわりがある常連の三人が容疑者に浮上する……それを嫌って途中で捨てられなかったのだ。

 

 彼が入店した時点で持っていた怪しいものは『壊れた眼鏡とレンズ』。物証は『イヤリング』。前者はトイレのタンクに沈め、後者は醤油差しの底に沈めたのだ。そして入店の際には手袋は捨てていたため、イヤリングにはしっかり彼の指紋がついている。つまり話をそこに誘導していけば、自ずと事件は解決する筈だ。

 

 …いや待てよ? 『醤油ウンメェー!』と言いながら醤油差しの中身を飲み干す方が手っ取り早いかも……うーん……醤油の致死量ってどのくらいだっけ? 塩分の取り過ぎは体に毒というが、一度に多量を摂取するとほんとに死ぬからなぁ。流石に一瓶一気飲みはヤバそうだし、やめとくか。

 

「では最後の方も失礼して…」

「…あ、ああ」

 

 ここで拒否しても怪しすぎるし、犯人としては、僕が適当なこと言ってるっていう望みにかけるしかないだろう。もちろんそんな望みを叶えてあげる義理もないので、バッサリ切って落とすけど。

 

「あなたはこの事件の犯人ですか?」

「違うに決まってるだろ!」

「なんで殺したんですか?」

「なっ…!? ち、違うって言ってるだろうが!」

「証拠は店内にありますか?」

「ふっ、ふざけるな!」

 

 ありゃ、手を振りほどかれてしまった。まあ最低限の聞きたいことは聞けたし、あとはサクサク終わらせるとしよう。事件に至る背景や動機は店主のおっちゃんが知っているので、あとはそれを思い出させるだけだ。

 

 というか原作でもそうだが、メタ的な視点から見ると、この事件の狂言回し役はおっちゃんである。しかもめっちゃわざとらしいタイミングで重要なことを思い出したりするからな。

 

 そういえば、前にこのラーメン屋で起こった事件も、店主のおっちゃんが原因の一つだったんだよな。真の黒幕は『ラーメン小倉』の店主だった…?

 

「大将、被害者の方と彼に何か諍いってありました?」

「ん? いや、諍いって言ってもまず被害者が誰か知んねえしな」

「え? …あ、そういや名前も聞いてなかったっけ。佐藤刑事、被害者の名前くらいは話しても大丈夫ですよね?」

「え、ええ……って言っても、まだ名前くらいしかわかってないわよ? 被害者は頓田温子さん。一応、持ち物からすると近くの店でホステスをやってた可能性が高いわ」

「大将さん、聞き覚えは?」

「ああ、それなら偶に来てた姉ちゃんで間違いねぇな。けど兄ちゃんとの諍いってぇと…」

「些細なことでも結構です。馬鹿にされてたとか、マウントが酷かったとか」

 

 うーんと唸りながら考えるおっちゃん。そして十秒ほど悩んだ後、ポンと手を叩いて語りだす。この場に居る常連の三人をこき下ろし、数百万のピアスを見せびらかしていた被害者の様子を。

 

 というかこの人が警察にこの証言をするだけで事件は解決してたと思うのだが、実際に語りだしたのはコナンくんが来てからなんだよな。ちなみに最初から話さなかった理由は『いま思い出した』である。

 

「ふむふむ。それじゃあ……あの人、何かいつもと違ってたりしませんか? たとえばそう──眼鏡とか」

「なっ…!?」

「眼鏡? …あれ、そういや兄ちゃん新しい眼鏡かけてただろ? どうしたんだ?」

「い、いや、それは…」

 

 僕が唐突に眼鏡を指摘したことについて、佐藤刑事や世良ちゃん、そして高木刑事と婦警の二人も怪訝な表情をする。青年フリーターさんの動揺ぶりから見て何かあるとは察したものの、なぜそれに気が付いたんだという疑問の表情だ。もちろんその指摘は本来コナンくんがする筈だったものなので、ちょっとばかし申し訳ない。

 

「さっきの持ち物検査で、彼は眼鏡ケースを持ってましたよね? 眼鏡を普段使いしてる人がケースも持ち歩いてるって、あんまり無いですよ。老眼で眼鏡を付け替えるとか、スポーツは裸眼でやるタイプとか……あとは眼鏡を新調して、度に慣れるまでは付け替えたりする人くらいでしょうか。大将さんの話からすると、最後のパターンみたいですけど」

「でも新しい眼鏡が古いのに変わってたからって、それがこの事件に関わってるとは思えないけど?」

「一見して無関係なものでも、そこに不可解な点があるなら突き詰めていくべきです。可能性を一つずつ潰していけば、最後に残るのは真実だけ……ホームズもそんな感じのこと言ってたでしょう」

「あら、カッコいいこと言ってくれるじゃない。だったらその真実、見せてもらおうかしら」

「ええ、もちろん。ではまず考えてみましょう……“もし”眼鏡の有無が事件に関係しているなら、その理由は一体なんなのか。世良ちゃんはどう思う?」

「そうだね……事件に関わってたと仮定するのなら、まず事件発生時点では両方持ってたって考えよう。そしていま持っていない以上は、どこかのタイミングで失くしたか壊したかだ。ただその場合、被害者の家からこの店までのどこかにモノ自体はある筈…」

「じゃあ『失くした』の場合を考えようか。現場からここまでの間に落としたとすれば、それは大した証拠にならないよね? 現物を見つけたとしても、いつどこで落としたかは立証できないし」

「現場で失くしたとすれば有力な証拠になるけど……佐藤刑事?」

「少なくとも、殺害現場にはそんなもの無かったわよ。まさか空き巣が被害者の家に置き忘れたりはしないでしょうし…」

 

 僕らがする『もし』の話に対し口を挟まず、冷や汗を流し続ける青年フリーターさん。まあ苦し紛れの言い訳で『眼鏡は最近失くした』とか言っちゃったら、この店のトイレにある眼鏡が見つかった場合、反論する余地がなくなる。藪蛇になるよりかは静観を選んだらしい。

 

「なら次は『壊した』の場合ですね。佐藤刑事、現場に『眼鏡が壊れる要因』はありましたか?」

「…! ええ、あったわよ。家の中で金庫や貴金属類を漁った形跡があったから、犯人の目的は空き巣だったんだと思うけど……おそらく帰り際に玄関先で被害者と鉢合わせたんでしょうね。そこで争った形跡があったわ」

「じゃあそこで壊れたとして、フレームが歪んだりしただけなら殊更に隠す必要もない……となると?」

「…そうか! そこでもしレンズが割れたとすれば、犯人は最低でも『警察が購入先を特定できる大きさの破片』は拾い集める必要があった──いや、待てよ?」

 

 世良ちゃんが口元に手を添えて考え込む。うーん、流石は女子高生探偵だ。ちょっとヒントを口に出せば、一瞬にして思考が正解に辿り着く。ここまでいけば、原作で問題になっていた『ホースをぶんぶんと振り回す奇妙な姿』とかその辺の謎はどうでもよくなる。

 

 まず『犯人はなぜ眼鏡を隠す必要があったのか』を考えよう。実際のところ、原作でも粒状の細かな破片までは取り切れていなかっただろう。しかしそんな破片程度では、いくら警察でも購入先を特定するのは難しい。

 

 しかし犯人が欠片の本体を持っていれば話は別だ、容易に同じものであったと判別できるだろう。とはいえ本体をさっさと処分してしまえば、現場のガラス片はなんの証拠にもならない。だが結局のところ、犯人は警察に追いかけられてその機会を失ったのだ。

 

 つまり壊れた眼鏡とレンズをケースに入れっぱなしだと、現場に残っている小さなガラス片に気付かれた場合、照合された時点で物証になってしまうということだ。

 

 だからどこかに隠す必要があった……という考えにちゃんと行きついてくれたのか、世良ちゃんが不敵な笑顔で僕にアイコンタクトしてきた。やだ、もしかして通じ合ってる?

 

「なあ大将! この男の人、店に入ってからトイレに立ったりしたか?」

「ん? ああ、入ってたけどよ…」

 

 大将の答えを聞いた途端、トイレに突入する世良ちゃん。ここまでくると警察組も彼女の行動に口を挟むようなことはせず、排水溝やトイレのタンクを確認する世良ちゃんを後ろから見守っている。

 

 そしてさりげなく佐藤刑事がトイレの前に、高木刑事が青年フリーターさんの近くに、そして三毛猫ちゃんと由美さんが逃走口を塞ぐような形に陣取った。

 

 事前に示し合わせてもいないのに、よくこんな見事な連携をとれるものだ……お、タンクに沈んだレンズとフレームも見つかったようだ。世良ちゃんが嬉しそうに八重歯をちらつかせながら、佐藤刑事へ報告している。可愛い。

 

「佐藤刑事。鑑識さんに現場の地面をよく調べるように言ってもらえますか? たぶんこのレンズの小さな破片が見つかると思います」

「ええ、すぐに調べさせるわ」

「世良ちゃん、タンクに他のものはなかった? 事件の原因っぽいピアスとか」

「ううん、これだけだったよ」

 

 さて、じゃあ後は決定的な証拠を突きつけるだけだな。実はこの眼鏡だけだと、揺るがぬ証拠とまでは言えないのだ。

 

 青年フリーターさんが働いていたコンビニは、被害者の家の目の前にある。だからたまたま彼女の家の前で眼鏡を割ってしまい、それをなんとなくラーメン屋のトイレのタンクに突っ込んだ……という死ぬほど苦しい言い訳もできなくはない。

 

「そっか……まあ元から盗めてなかったって可能性もあるか。ただもし店内にあるとすれば──この辺かな?」

「…っ! ま、待っ──」

 

 彼が座っていたところにあった醤油差しの中身を、コップに移し替える。そうすると、醤油ですっかり黒ずんでしまったイヤリングが顔を出した。そして僕の行動を制止しようとしていた青年フリーターさんも、流石に観念したのかガクリと膝をつく。

 

「素早く隠す必要があった中で、指紋を残さないようにするのは難しいでしょうね……はいどうぞ、佐藤刑事」

「…まさか本当に解決しちゃうなんてね。さすが西の名探偵の友達の親友ってところかしら?」

「ええ、そんなところです。もしくはポスト『北の名探偵』でもいいですよ」

「あら、南だけじゃなくて北も空いてるの?」

「ですね。このまえ世良ちゃ──南の名探偵に殺されてたので」

「その言い方だと、まるでボクが犯人みたいじゃないか! というかボクに『南』の要素ないだろ!?」

「あれ、たしか世良ちゃんってパプアニューギニアから来たんじゃ──」

「イ・ギ・リ・ス!」

「え? アメリカ留学の帰国子女って話はどこ行ったの?」

「へっ? あっ……やっ、ま、間違えちゃった……ハハ…」

 

 世良ちゃん意外とガバガバで草。まあそもそもの話、イギリス留学をアメリカ留学って偽ってるのがまず意味不明なんだよね。SISがイギリスの秘密情報部だからといって、イギリス留学=SISに関係してるとはならんだろうに。

 

 ──まあそんなこんなで連行されていく犯人を見送った後、通常営業に戻ったラーメン小倉。どう考えても営業するような状況ではないが、そこはやっぱりコナン世界。

 

殺人事件の現場にでもなったならともかく、多少巻き込まれた程度で店を閉じたりはしないようだ。見習いたいメンタルである。

 

 …さて、このあとはSISの諜報員であるメアリーママと話すのだ。しっかり腹ごしらえしておくとしよう。





普段は次話を投稿する時に前話の感想に返信するスタイルなんですが、今回は流石に間が空きすぎたので省略させて頂きます。ですが書いていない間も送ってもらえた感想、ここ好き、高評価などとても励みになりました。ありがとうございます。

次話のプロットは出来てるので(冨樫)年内には投稿できると思います。


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