メジロマックイーンの甘え方 (PFDD)
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自室で

「かっとばせーユタカー!」

 

 メジロマックイーンの声援が室内に響く。彼女が応援する野球選手がテレビ画面の向こうでバッターボックスに立ち、バットをぐるりと回して構える。

 

「よし、よく見ましたわ!」

 

 一球目は見逃し、ボール。2球目もスライダーのボール。3球目は大きく振るが読みが外れてバットの端に当たってしまった。ボールが天高く翔ぶが距離は伸びず、セカンドに獲られてしまう。

 

「あ〜……惜しかったですわよー!」

 

 球場ではないのに声を張るマックイーンに苦笑しつつ、机の上にあるコーヒーカップを取ろうとした。しかしその際、興奮する彼女の腕にぶつかってしまった。

 

「あら、ごめんなさい」

 

 顔をくるりと向けて悪びれなく謝罪する彼女に、はてさてどうしようかと考える。体を捻った際に彼女の髪とパジャマが自身の体と擦れ、稀代のステイヤーと呼ばれて久しいウマ娘が、一人の少女でもあるということを意識してしまう。

 そんな少女が、夜間、寮にも帰らずトレーナーの部屋で、そのトレーナーの膝に乗って野球観戦をしている。この状況は果たしてどういうことなのかと、トレーナー業以外ではうまく回らない頭で考える。

 自身がメイントレーナーを務めるチームシリウス、そのエースであるメジロマックイーンは今現在、実家であるメジロ家の事情によりレースへの参加は控えており、エースの座も天皇賞・春でマックイーンを下したライスシャワーへ譲ろうとしている。他のスポーツで例えれば、先発を後進に譲った中でのオフシーズンのような扱いだ。だからといって"メジロマックイーン"というウマ娘が練習を疎かにするということはなく、都合が付けばチームに顔を出して練習に参加し、ライスシャワーをヘトヘトにすることもある。

 だからこそ、チームの今後などといったことでトレーナーに相談にくるということも珍しくはないのだ。

 だが、あの春の天皇賞から少しおかしくなった。

 まずトレセン学園のトレーナーの割り当て部屋ではなく、自宅に来るということが増えた。この広くも狭くもないアパートには、チームシリウス解散危機で二人三脚で走っていた時に来ることもあるにはあったが、それは練習帰りの一時的な休憩場所だったり、チーム部屋が学校の事情で一時的に使えなくなったりしたときだけだ。ましてやこうして夜の、寮の門限を超えたタイミングなどはなかった。しかも最近は、こういう状況が頻発しているのだ。

 さすがに寮の門限を超え、しかもトレーナーとはいえ男の部屋にくるのはまずいと言ったことがあるが。

 

「あら、それでしたら大丈夫でしてよ。メジロ家の都合で寮を空ける日は伝えていますし、ドーベルとライアン、爺やにも口裏は合わせていただいてますわ。それに、トレーナーのことは信じていますから」

 

 そのような感じでアリバイを作られ、全面的な信頼の言葉をぶつけられてしまっているのだ。

 なぜそんな用意周到な真似をするのか頭を悩ませはするが、問題はまだある。

 それはマックイーンの距離感だ。テレビを見るときはトレーナーの膝を椅子にし、仕事でトレーナーがパソコンに向かう時には、キッチンからコーヒーを用意する。加えていつの間にか洗面所には歯ブラシと高級な歯磨き粉、肌ケアなどといった日用品・美容品が置かれてしまっていた。マックイーン用で元からこの家にあったものは、客人用の布団くらいだろう。しかもそれは自分用で、マックイーンには寝心地のよいベッドを使ってもらっている。

 

「別に私は布団でも……いえ、やはりこちらがいいですわ」

 

 最初は布団を希望していたマックイーンだが、元々のお嬢様としては布団の寝心地に合わなかったのだろう、すぐにベッドを占領し始めた。こちらとしては、彼女の実家のベッドの方がいいだろうに、と疑問を覚えるが、それでもトレーナーの安物ベッドをよく使うのだ。

 

「感触がいいのですわ……それに、少しは慣れておきませんと」

 

 よくわからない理由だが、彼女には必要なことなのだろうと納得し、ベッドを明け渡すことにした。

 兎も角、そのような形でマックイーンが家に入り浸ることが増え、今日も今日とて、チーム練習の帰りに実家ではなくトレーナーの家に来た彼女は、いつも通りトレーナーに背中を預け、大好きな野球観戦をしているのだ。今は試合も終わり、時間もスポーツマンの彼女にしてはよい時間だ。

 

「お風呂、いつもありがとうございますわ」

 

 後は寝るだけといった中で、試合前に用意していた風呂から上がったマックイーンが洗面所から出てきた。彼女の雰囲気に合わせた白基調のパジャマに身を包み、耳と髪、揺れる尻尾が湯気を帯びて揺れ、ペタペタとスリッパで床を歩く音と共に彼女が近づくたび、マックイーンが実家から持ち寄ったシャンプーやコンディショナー、そして彼女自身の香りを振りまいている。

 どうぞ、と彼女のお風呂上がりに合わせて用意していたホットミルクを渡すと、彼女はそれを持ったまま、またトレーナーの腕の中にすぽっと入り込んだ。

 

「まだ書類が終わっていないのですか? 偶には手早く終わらせたらいかがかしら」

 

 モニターの内容を見て苦言を呈するマックイーンに、わかったわかったと言葉で流しつつ、キーを打つ。内容自体は形式が決まっていて、残りはその一枚だけだったこともあり、作業自体はすぐに終わった。後は日課の今期のレース予定と練習状況から見るテームメンバーのコンディション確認、それにウマ娘関連のニュースをチェックだが、マックイーンをそれに付き合わせるのも悪いと思い、軽くニュースを一緒に流し見するぐらいに留めた。

 

「往年のウマ娘を振り返る……ルドルフ会長以外に、それ以前のカスケード選手やマキバオー選手……かなり昔の方の特集みたいですわね」

 

 家柄上、文武両道を当然としているマックイーンは、特集されている面々の名前もすらすらと出てきた。さすがだな、と褒めるとぱたぱたと尻尾が腹の上で揺れた。

 

「メジロ家の者として当然ですわ……けどそうして素直に褒めてくれると、嬉しいものですわね」

 

 返ってきた素直な感謝の言葉に、それはよかったと応えつつ、こそばゆくなった心中を隠すように彼女の頭を撫でた。芦毛特有の白い光沢を持った髪は、風呂上がりの影響か手に吸い付くように絡みつき、しかし髪本来の柔らかさですぐに解けてしまう。一方でウマ娘にとって敏感な器官である耳には指先ひとつ触れないように注意する。

 

「むう……そうやって子供扱いするのはよしてくださいますか」

 

 少しの間だけ気を許してくれていたマックイーンは、はたっと気づいたようにこちらの手を払い、ホットミルクを飲み干してトレーナーから離れると、そのままベッドへと腰掛けた。どうやら機嫌を損ねてしまったようで、仕方ないと自分もパソコンの電源を切り、風呂場へと向かった。

 そのまま風呂に入り、早めに上がってしまうと、やはりマックイーンはすでに横になっており、部屋の電気もキッチン以外は消されていた。

 自分も明日は早いため、電気をすべて消して布団に入ることにした。入る前に、おやすみマックイーン、と一言告げる。彼女には聞こえていないかもしれないが、それでもした方が気分がいいからだ。

 明日は朝からどのメニューからだっけか、と目を瞑って意識を落とそうとすると、不意に物音がした。

 マックイーンがトイレとかで起きたのかな、と横に寝返りをしながらぼんやりと考えていると、不意に掛け布団の一部が捲れ、背中にぴたりと温かな感触がくっついた。

 

「……私も、お休みと言い忘れてしましたわ」

 

 マックイーンだ。彼女の顔はここから見えないが、その声と香りは間違いなく彼女のものだ。しかし何故このようなことが、と思ったが、しかしその声を発するよりも前に、彼女の顔が耳元に近づき、温い吐息が鼓膜を震わせた。

 

「おやすみなさい、愛しい人(トレーナーさん)

 

 それきり、温もりが離れ、またベッドへと戻っていった。

 いつもどおりの言葉だし、ただのお休みの挨拶だ。なのにそれだけで、胸が不整脈でも起こしたようにバクバクと鳴った。眠気も一気に吹っ飛び、目も冴えてしまった。しかしその状態で起き上がるのは妙に恥ずかしく、せめて鼓動が眠りについたマックイーンには聞こえないよう、布団を被り直す。

 マックイーンがどうしてそのような行動をしたのかはわからない。だが、それがこうして心を許してくれた彼女なりの甘え方や接し方だとすれば、トレーナーである自分は慣れなければいけない。断じて、学生のウマ娘に恋したような、阿呆の如き勘違いを起こしてはいけないのだ、

 とにかく、今日は中々眠れそうになかった。

 

 

 

「……少しは気づきなさいな、バカ」

 




ゴルシ「こいつらこの後うまぴょいしたんだ!」
ライス「ゴールドシップさん!!」(無言の腹パン)

うまぴょい版は作者のトレセン学園にマックイーンが来たら書きます。


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河川敷で

今回のガチャ結果:
ゴルシ、ミホノブルボン、チケゾー×2、マヤノ、ネイチャ、ウオッカ、マチカネフクキタル!、タイキ、ダスカ

マックイーンが来なかったのでむしゃくしゃして書いた、今は反省している。


「んーいい試合でしたわ」

 

 タマ川沿いの河道を歩きながら、隣のマックイーンがぐっと背伸びをしている。陽光をちらちらと反射する芦毛の髪が川風で靡き、河川敷に設営された各種運動場から響く声にツンと突っ張る耳がぴくぴく反応していた。その様子に、いい休日になったと素直に溢すと、マックイーンも微笑みを返してくれた。

 

「ええ、ライスさんたちには感謝しないといけませんわね」

 

 季節は春風が吹く頃となり、河川敷の土手では緑が僅かずつだが萌えはじめ、花壇の花も蕾をつけていた。その若草の色合いにも負けぬ色彩がマックイーンの笑みにはあった。

 本来、この時期はウマ娘とトレーナーにとって、大阪杯や皐月賞、さらには天皇賞・春といった重要な重賞レースに向けた最終調整を行わなければいけない。チームシリウスでも、マックイーンの代わりに3度目の制覇を為そうと奮起するライスシャワーがおり、他人事ではないはずだった。しかし今日はマックイーンが休日を潰して顔を出すと、数日前にチームメンバーが知るや否や妙なことが起きた。

 

「なんか近くで野球のオープン戦がやるらしいよ。マックイーンさんって野球好きだったし、連れてってあげれば?」

「れ、練習はメニューはもうもらってるし、今日のメニューはトレーナーさんがいなくても問題ない内容だから大丈夫です、がんばります!」

「マックイーンさんだってお家の事情でストレス溜まってるのかもしれないよ? せっかくの休日なんですから、付き合ってあげてください」

「ちゃんと男見せろよ〜」

 

 なんと自分とマックイーン以外のウマ娘全員に、よく分からない理由で練習から追い出されてしまった。挙句の果てに野球のオープン戦を見てこいと誘導されて、流されるままに野球観戦となってしまったのだ。マックイーンもそのことにしばらく唖然としたが、しかしライバル球団の試合も気になるのか、数分ほどの熟考の末にオープン戦を選んだ。

 完全なオフと決まってから、マックイーンは練習着のジャージではなく、メジロの実家から引っ張り出してきたような、新品同然に見える若草色のワンピースと、寒さを気にしてかニットのカーディガンをその上に羽織って現れた。一目見るだけでお嬢様然とした服装と、それに見合う彼女自身の貴き雰囲気は、文字通り絵になるものだ。これで先程まで球場で「かっとばせー」と怒号を立てていたのだから、傍から見ればギャップは凄まじいものだろう。自分もこうしてトレーナーという深い付き合いがなければ、メジロ家のお嬢様という幻想が粉々に砕かれて意気消沈していたかもしれない。

 

「何か失礼なことを考えています?」

 

 じろりとこちらを睨むマックイーンに、表情から心を読まれたかと焦って周囲を見渡すと、家族向けに出店しているクレープ屋を見つけた。早速そのことを彼女に伝えると、目を一瞬輝かせたが、しかしすぐにヘソを曲げてそっぽを向いた。

 

「またそうやって何か誤魔化しますの? この前みんなに渡した食事メニューだって……」

 

 彼女の文句がぐだぐだと続きそうな矢先、抗議の音が彼女自身から鳴った。家でよく聞く可愛らしくも暴力的な腹の音だ。羞恥で桜色になるマックイーンの横顔に、何味がいいかと聞いた。

 

「……バナナとニンジンとバニラアイス、チョコとホイップクリームはマシマシでお願いしますわ」

 

 時間帯的にはおやつの時間ということもあり、マックイーンも我慢せずなチョイスをしてくれた。任されたと胸を叩き、近くのベンチに座って待っててくれと告げてクレープ屋に向かった。

 店主にマックイーンの分と自分用な簡単なものを一緒に頼むと、「彼女さんにですか?」とにこにこと問われた。彼女の部分は否定しつつできたクレープを受け取ると、そのまま踵を返してマックイーンの元へ走った。

 マックイーンは先程の場所から少し離れたベンチに座っていた。直ぐ側には河川敷には珍しく枝垂れ桜があり、早くも一分咲きとなってその名と同じ桜色の花で目を楽しませてくれる。そしてその側に座り、どこか一点を見つめるマックイーンは、不思議と儚さを纏っていた。そのような空気感はエースになる前のライスシャワーにはよく見受けたものだが、マックイーンもそれを持っているというのも意外に思いつつ、同時に納得していた。

 何故納得したかと、自分自身に疑問を抱きながらも、詮無きことだと思って首を振り、マックイーンの側に寄った。

 

「あら、おかえりなさい」

 

 ただいまと返しつつ彼女のご所望の品を渡す。目を輝かせて受け取ると、ありがとうございますの感謝の言葉も即座に終わらせて、すぐに頬張りはじめた。

 相変わらず甘いものに目がないんだな、と苦笑しつつ、自分用のクレープ生地を齧る。味はいたって普通だが、まだ温かいことと、陽気の下でマックイーンと一緒にという状況がいいのか、味以上に美味しく感じた。

 

「たとえみんなバラバラになっても、俺たちチームの心は一緒だからなっ!」

 

 不意に、そんな少年の叫びが聞こえた。頭を上げてみると、河川敷の草野球上で、リトルリーグの少年たちが円陣を組んでいた。一様に涙ぐんで同じようなことを言い合っているのを見ると、何が起きているのかすぐに察することができた。

 

「卒業、らしいですわね」

 

 食べるのを一時中断して、マックイーンの目が自分と同じ場所へと向けられた。いや、その方向を見れば、先程彼女が見ていたのはまさにあの景色だったのだろう。

 

「この季節ですからね。学校も終わり、最上級生は卒業して、次のステップへ進む。残った選手もまた、卒業した子達の意思を受け継ぎつつ、自分たちの世代を作る……ウマ娘にも適用される、世の条理ですわ」

 

 少年たちの円陣の中には、片足をギプス固定し、松葉杖をついた子もいた。もしかしたら最後の試合には出られなかったのかもしれない。それでも同じユニフォームを着ていることが、彼らの仲間としての証なのだろう。

 

「私もいずれ、オグリ先輩のようにドリームトロフィーリーグへと移籍することになりますわ。そうすれば、また色々と最初からになりますわね」

 

 マックイーンの口調は柔らかいが、しかし隠そうとしている揺れを感じ取れた。どうしてそのようなものが彼女が発するのかを、ただ黙って聞いて受け止める。

 

「エースはライスさんが引き継いでくれましたし、チームの和もゴルシさんが何だかんだいってまとめてくれます……後輩に託す、という意味では私はもう卒業する準備は整っているということですわね」

 

 そうは言うが、年齢的にも彼女の意欲としても、まだまだマックイーンはトゥインクル・シリーズでの活躍を続けられる。卒業を考えるにはまだ少し早いだろう。そう言うが、しかしマックイーンは首をゆるりと横に振った。

 

「卒業、いえ、ウマ娘で言えば"走らなくなる""走れなくなる"というのは、そういう穏やかなものだけではありませんわ。急な怪我や病気だって考えられますもの……その時、何を残せて、何が残るかを考えると、少し……」

 

 言葉尻が窄み、無言となるや否や、彼女はクレープに再び口をつけた。

 どうしてか、彼女にしては珍しく弱気になっているようだ。メジロ家の事業は詳しく聞けていないが、気が滅入るようなことがあったのかもしれない。それに加えて、卒業という意味の居場所から自ら去ること、そして怪我を連想というウマ娘として致命的な出来事を連想できてしまうのが、今の彼女の感情に繋がってしまったのかもしれない。

 いや、もしかしたらこの気持は、ずっと奥深くに眠っていて、周囲の雰囲気に釣られてたまたま表に出てきたのかもしれない。メジロマックイーンという女の子は、貴きをよしとし、鉄のような芯を根本に持ったウマ娘だ。常日頃の振る舞いにもそれは出ており、弱気はほとんど見ることがない。

 それでも、彼女にだって弱音を吐きたくなるときぐらいあるのを知っている。天皇賞・秋での斜行や、天皇賞・春での敗北。他にも細かなとこで彼女は気丈に振る舞う意思に、弱さをぽろぽろ零していた。

 だから、そんな時にはトレーナーの出番だ。

 

「ん……どうしたのですか?」

 

 ちょうどマックイーンが食べ終わるのに合わせて、彼女の方を向いた。

 ただ彼女の目を見つめて、大丈夫だ、と伝える。

 マックイーンが折れそうな時は、自分がいる。一人で泣きたくなっても泣けない時は、すぐ側にいって泣けられるようにする。立ち上がりたいと願った時は全力で支える。走り続けたいと思う時にはその方法を考え続ける。1人が寂しいという時は、他の子も連れて駆けていく。できる限りの全部をやって、君を支え続ける。そして何より、1人ぼっちには絶対にさせない。

 自分はそんなトレーナーだから、安心していい。

 

「……急になんですの、それ? 貴方は私の専属ではなく、チームシリウスのトレーナーでしょう? 私が卒業したら、そういう訳にもいきませんわよ」

 

 憮然とした調子でそっぽを向いたマックイーン。表情は分からないが、その耳はこっちを向いてるから、まだ聞く気はあるようだ。

 確かに自分も、先輩からシリウスを継いだ身だ。まだまだ至らない点も多く、トレーナーとしての後進もできていない。それでも、メジロマックイーンを支えたいという気持ちは本物だ。2足の草鞋大いに結構、やり甲斐がある。

 そんな苦労をするだけで、マックイーンの弱さを守れるというのであれば、トレーナーとしては上出来だろう。

 よく、トレーナーにとっても初めての担当ウマ娘は、たとえどのような形であれ、特別なものだと聞く。自分にとって、それがメジロマックイーンなのだ。

 

「…………あいも変わらず、無責任で向こう見ずで夢見がちなことを仰るのね」

 

 そう指摘されると、春の陽気にやられたのかもしれない、と自分自身の言葉に呆れを零した。だが偽りのない本音だ。

 

「……本当、こういう所が、卑怯なんですから」

 

 ぽつり、とマックイーンが何事かを呟いた。さすがにクサすぎて呆れてしまったのかと思いきや、彼女の上半身が倒れ、ポスっと自分の膝の上に乗った。紫水晶にも似た瞳が潤んでいるのがわかったが、しかしすぐに瞼が閉じられて見えなくなった。代わりにサクラ色になった頬が膨らみ、ふふんと鼻を鳴らして萎んだ。

 

「何だか私、最近夢見が悪くて寝不足が続いていますの。なのでしばらくこのまま寝かせていただけますね」

 

 拒否権を許さない調子だ。しかし、さすがに男の膝枕は寝心地が悪いだろうと懸念したが。

 

「いえ、これがいいんです。それに、支えてくれるのでしょう? これくらい"甘えさせて"くださいな」

 

 どうやら、一本取られたようだ。仕方ない、と彼女の好きにさせようとすると、マックイーンが再び口を開いた。

 

「私、実はまだお腹もちょっと空いてますの……だから、分けていただけます?」

 

 どうやら、今日は本当に春の日差しが強く、マックイーンの調子も可笑しいらしい。そういう時のウマ娘の調整もしなければならないのも、トレーナーの務めだ。

 自然とはにかみそうになる顔の表情筋を男の意地で抑えつつ、残ったクレープを小さく千切る。

 

「あーん」

 

 そうして、甘える、いや支えられ方を知った女の子に、クレープを食べさせてあげた。

 もにゅもにゅと口を動かすマックイーンに合わせて、枝垂れ桜の蕾が、またひとつ咲き始めようとしていた。

 




ゴルシ「くそっ…じれってーな アタシちょっとうまぴょいできる雰囲気にしてくる!!」
ライス「ゴールドシップさん!!」(無言の絶拳

(続きはもう)ないです


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ケーキバイキングで

前回の話を投稿した後、仕事中にふと思いました。
「あれ、なんでこんな微シリアスでオチつけるような話にしてるんだ?」
最初の話みたいなオチなしヤマなしイチャイチャ微(?)エロを書きたかったんだよっ!!

そんなわけでリベンジしました。

※このSSはオチなしヤマなしの恋バナ描写です。マックイーンとこんなイチャイチャしたいという願望や、糖分とスイーツ脳を求めている方向けです。



「……着きましたわね」

 

 神妙な面持ちで呟く私服姿のマックイーンに、自分も首肯する。目の前にあるのは最近オープンしたカフェ、元2つ星パティシエだったマスターが務める、スイーツ好きには非常にホットな店だ。自他共にケーキ好きであるマックイーンとしても以前から目をつけており、家のポストに値引きチラシがないか、部屋に入る前にいつも確認するほどだ。

 今までは何かとプライベートの事情とその合間の練習で行くタイミングがなく、ベッドの上で掛け布団を噛み締め耐えていたのをよく見ていた。しかも今はレース復帰のため、過食による体重増加はトレーナーとして非常に避けたいのだ。特にマックイーンはトレーナーの家に入り浸るようになってから、とても緩やかだが、体重が増加傾向にあった。ウマ娘用の体重計の上で、片足立ちで現実に立ち向かおうとしていた姿を忘れるわけがない。

 本来ならば近寄ることすら、彼女の制限のためにはよくない。だがしかし、あることで彼女の中にあるタガが外れてしまった。

 

「あの店のケーキバイキングに当たったんだけど、誰か行く?」

 

 チームシリウスのあるメンバーが、その店が月に不定期にしか行わないケーキバイキングの優先招待券を、商店街の福引で当てたのだ。本来ならば当てた当人が行くべきだが、それは"カップル限定"という制限がかかっていた。ゴールドシップが条件にヒットしないメンバー全員を代表して「なんだぁ、てめぇ……」と混乱の源を引き裂こうとしたが、最近筋力トレーニングを中心にして鍛えていたライスシャワーによって未遂となり、すぐに取り扱いが宙ぶらりんとなってしまった。

 そこにたまたまマックイーンがチームに顔を出し、その券を視界に納めてしまった。

 

「言い値で買いますわ!!」

 

 四の五の言わさずといった勢いで、条件も見ずにその券を欲したのだ。あちゃあ、とゴールドシップが肩をすくめるのを視界に認めたが、しかし所有者当人はうーん、と悩む素振りを見せると、そのままチケットをマックイーンに渡してくれたのだ。

 

「マックイーンさんがもらってくれるんならOKです、その条件も簡単ですしね……あーあ、私もトゥインクルシリーズ終わったら彼氏作ろうかなぁ」

 

 現役のトゥインクル・シリーズウマ娘による不純異性交遊は、トレーナーとして悩ましい問題だが、とにかくマックイーンはタダ同然でバイキング券を入手し、即座にスケジュールを調整した。

 招待券の条件であるカップルについては、自分が偽装彼氏となってついていくことになった。同じ男性でも、執事の爺やさんやメジロ家の使用人の方々では年齢に差がありすぎ、マックイーン自身にこういう気安いことを頼める親しい男性が他にいなかったので、消去法となった形だ。

 念の為、本当に自分でいいのかと、前日の就寝前に聞いてみたが。

 

「……貴方以外では考えられませんわ、バカ」

 

 そういって、膝上に乗られたまま、足を抓られてしまった。

 兎に角、そのような経緯でバイキング当日になったが、もうひとつの懸念である、過食に対しては、予想が当たってしまった。

 

「ああ、あの木苺のミルフィーユ、クリームの色がすごくいいですわ! モンブランも盛り付けが……サバランも、ショコラも……ダメですわメジロマックイーン、ここで食べすぎてはまたあの夜のように……けど、こんなにも美味しそうなのに……」

 

 案の定、マックイーンが暴走一歩手前に陥ってしまった。彼女自身がまだ耐えているからマシだが、既にトレーには全種1個ずつ置かれていた。頑張って耐えているのは、食べることだけは決めていたからだろう。後はその量をどうやって制限するかだが、そこは既にある方法を取り決めていた。

 

「く……トレーナーさん……やはり、あの方法を……その、甘えるようで卑怯ですけど、お願いいたしますわ」

 

 とても、とても悔しそうな顔でマックイーンが配膳台から離れ、予め定められたテーブルへと座った。ドリンクは別注文なので2人分のストレートティーを頼み、フォークは1つだけ用意する。そしてケーキ全種はテーブルの上一面に置かれ、それぞれがスイーツとして珠玉の輝きを放ち、メジロマックイーンという乙女を誘っていた。

 

「……うう、今更ながら恥ずかしくなってきましたわ。やはり普通に食べては……」

 

 椅子に座ってから今まで興奮でピンと立っていた耳を垂らし、気恥ずかしげに顔を赤らめるマックイーンに、ダメだ、と強く否定する。そうしてフォークを取り、彼女がまず最初に選んだショートケーキにフォークの歯を通し、ひと掬い。そのまま彼女の目の前に持っていく。

 これこそ今回の苦肉の策、食事方法の制限だ。フォークをトレーナーである自分が握り、口に運ぶまでを行う。マックイーンはケーキを選ぶだけで、後はトレーナーが口元に運ぶケーキを食べるだけだ。これの利点は食べるペースを十中八九暴走するマックイーンではなく、食事量も普通な自分が握ることで、体に負荷を駆けず、かつ時間をかけて食べさせることができることだ。この方法を最初に提案してきたのはマックイーン本人であり、自分も最初は難色を示したが、どうしてもという彼女の弱気で潤んだ瞳に耐えきれず、請け負うこととなった。

 正直な話、今はそのことを後悔し始めている。

 

「え、もしかしてあれ、あーんってやつ? マジでやる人いるんだ」

「いや、すごい度胸だなあの彼氏」

 

 意外と目立っていた。彼女の口に食べ物を運んであげることは度々あったが、こうした衆目の場では初めてだった。だいたいがアパートか人通りが比較的少ない場所だ。

 改めて行うと、とても恥ずかしい。安請け合いしてしまったと後悔しているが、フォークの先のマックイーンも顔を赤らめ、ぷるぷると震え始めていた。こうなるかもしれないと予想はしていたが、当時この方法を思いついたマックイーンはケーキにばかり思考を集中してしまっていたのだろう。それこそレース出走直前の集中状態に匹敵していたかもしれない。

 さすがに不憫に思い、やはりこんなアホな方法は止めて、なんとか会話でペースを握ろうかと考えていた矢先、意を決したような表情でマックイーンが口を開いた。

 

「あ、あ〜ん……」

 

 まだ羞恥が勝っているのか、開いた口は小さい。彼女本来の口の小さなもあいまって、豆一つが入るか否か。だが彼女が覚悟を決めた以上、こちらもトレーナーとして心中するつもりだ。あーん、とこちらも口に出しつつ、そっとケーキを彼女の口元に寄せ、ちょんと生クリームの端を柔らかな唇に触れさせた。

 

「ん、あむ……ふぁ、美味しい、ですわ」

 

 するりと舌が伸びると、ケーキの欠片は彼女の口の中に絡み取られ、ぺろりと平らげられてしまった。漏れた感嘆の吐息には、生クリームと苺の香りが混じり、色香のように彼女の艶やかな表情を彩った。ほう、とこちらの様子を伺っていた。逆に自分はその様に、ようやくいつもの調子に戻ったかな、と僅かだが冷静さを取り戻せた。

 あえてゆっくりとした所作で別のケーキにフォークを刺し、あえて大きな動作で一口大にすくう。それをじっと見ていたマックイーンの喉がこくりと鳴ったのを聞くと、再び彼女の目の前にやった。

 ほら、あーん、と口にすると、はむっとマックイーンがフォークの先ごと頬張った。そして舌でクリームごと舐め取ると、顔を離して一息つく。

 

「すごく……すごく、美味しいですわ」

 

 うっとりとした表情の彼女に、心の底から安堵と喜びを抱いた。作戦がうまくいきそうなことと、メジロマックイーンという女の子を少しでも幸せにしてあげれたことが、自分自身で考えているより嬉しかった。頬が自然と緩んでしまうのが自分でもわかった。

 

「……どうせなら、食べさせあいっこしませんか?」

 

 そんな担当トレーナーの隙を見つけたとばかりに、マックイーンが微笑みながらフォークをひょいとこちらの手から盗み取ると、そのまま手近にあったケーキに刺し、そのままこちらに差し出した。

 

「ほら……あーん、ですわ」

 

 される立場になるとわかった。

 これは、かなり、恥ずかしい。

 だが、メジロマックイーンというウマ娘の担当になった以上、こういう羞恥の状況にも応えられなければならない。何より、期待と悪戯っ気を混ぜ合わせた目の輝きを向けてくる彼女に、素直に応えたいと思ってしまった。

 慣れぬことに緊張しながら口を開き、彼女の差し出したケーキを食べた。チョコレート主体だが、複数種類ごとに作られたブラックベリーのクリーム層によって複雑な酸味を持つ、上品な甘さだ。

 

「やっぱり、可愛いですわね、貴方も」

 

 そんなことを言ってきた彼女に、それは君の方だ、と答えると、目をしばし瞬き、ばっと顔を背けた。

 

「ふ、不意打ちでそういうことを言わないでくださいますか! 耐性ができないというか、耐えられないというか……とにかく、早く次を食べさせてくださいっ!」

 

 確かに自分で言っててこっ恥ずかしいが、マックイーンが気品を持ちながらも可愛らしいのは事実だ。そこを指摘するだけで、綺麗な芦毛ごと染まるような勢いで赤面されるのは意外だったが、とにかく今はこの複雑なお姫様の機嫌を取るべく、彼女の細やかな指からフォークを取り、また別のケーキを取った。

 

「…………あーん」

 

 口ではちょっとした怒りを示しつつ、しかし隠しきれない気持ちの嬉しさとを柔らかさを耳や尻尾で示す自分の担当ウマ娘に苦笑しつつ、三度甘い欠片をあげるのだった。

 

 

 

 余談だが、その日から件のカフェではカップルでケーキを食べさせあうのが流行ったらしいが、それを知るのは大分後のことだった。




ゴルシ「うまぴょいさせるべきか、させないべきか、それが問題だ」
ライス「ゴールドシップさん!」(無言のバーニング・ブレイカー

ここまで書いててなんですが、怪文書の方がいい意味で湿度高いの多くてほっこりします。今度のイベントでは是非マックイーンを引き当てたいです(フラグ設置


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お祭りで・前編

テイオー&マックイーンの限定衣装が来ました……ジュエルの貯蔵は十分か?

あと、実質前座回なのでほとんど甘みがありません、お許しください。


 東京レース場とトレセン学園のある東京府中には大国魂神社がある。旧くは武蔵国(埼玉〜神奈川の一帯)の総社として機能していたそこは、春の時期には奈良時代より連綿と続く"くらやみ祭り"と呼ばれる例大祭が行われる。祭りの行われる7日間の人出は70万人とも言われ、府中市の大イベントに数えられている。URAもその運営にガッツリ関わっており、特に祭りの中頃に行われる"こまくらべ"と呼ばれる儀礼では、G1勝者などの人気ウマ娘6名が専用の衣装を纏って旧甲州街道を練り歩く。その光景はさながら遊園地のパレードのようであり、最後には神社敷地内で設営された特設ステージでライブも行われるという力の入れようだ。一部のウマ娘にはこのくらやみ祭り・こまくらべを目標とするものもいるほどだ。

 今回はチーム・シリウスからも、春の天皇賞で"3度目の勝利"を達成したライスシャワーが選出されており、自動的にチームメンバーも運営に携わることとなったが、その内容はあまりに忙しく、中々自由時間が取れないほどだ。

 今はようやくそれも落ち着き始め、こまくらべ最後の行事であるライブまで進んでいた。

 

「しっかし、なんとか形になってよかったな」

「ええ、ライスさんもすっかり勝者の矜持が身についてきましたわね」

 

 特設ステージの舞台袖で、運営スタッフ向けのシャツと法被を纏ったゴールドシップとメジロマックイーンにうんうんと頷く。ステージを目を向ければ、日本舞踊の舞を取り入れたダンスをセンターで踊るライスシャワーが、くせっ毛の黒髪をなびかせてターンを決めていた。普段の勝負服とは打って変わって、踊りやすいようにスリットの入った白の巫女服を纏う彼女は、青いバラ模様の入ったレースと両手の神楽鈴と相まって、明るい一等星のごとき輝きを放っていた。汗を垂らしながら自然と形となった笑顔は、彼女自身の願いと、それを叶えることができた自信と自負を称えていた。

 マックイーンの言った通り、ライスシャワーはチームシリウスのエースであると同時に、"ヒーロー"として人々に受け入れられたのだ。

 

「ふう、ふう……が、頑張ってきました!」

「お疲れさまでした、ライスさん」

「おう、お疲れ。トレーナーも何か言ってやれよ」

 

 ライブの終わり、ゴールドシップに言われるまでもなく、務めを果たしてきたエースをお疲れ様の言葉をかける。体の火照りとは別の理由で赤くなったライスシャワーがはにかみ、レースに隠れたウマ耳がピコピコと上下しているのがわかる。

 そのような彼女の成長に心の底から嬉しいと思え、ついマックイーンのように手をやり、頭を撫でてしまう。一瞬戸惑ったような様子を見せたが、えへえへ、とすぐに耳を傾けてそれを受け入れてくれた。

 

「あら、汗だらけのウマ娘に対してデリカシーがないのですね」

「おう……おめーもうちょっと気をつけろよ」

 

 その様子を至極常識的な発言で咎めるマックイーンは、内容に反して口調は柔らかく、ゴールドシップも微笑んでいるが、若干口の端が痙攣しているように見えた。

 

「あ、ご、ごめんなさい! 他のお仕事もあるのに……」

 

 注意されてすぐに手を離すと、一瞬ライスシャワーが名残惜しそうにしたが、すぐに仕事のことを思い出して周囲を見回した。同じように選抜されたウマ娘たちは着替えのための仮設テントに向かっており、ここに残っているのは自分たちだけとなっていた。たしかに彼女の言う通り、まだいくつかイベントは残っている。メインステージが終わった後でも、同じステージ上で事前にエントリーしていたチームがダンスを披露したりと、神事の工程は終わってURA主体のエンターテイメントイベントが残っている。

 そうは言っても、それは自分たちが主体ではない。

 

「さってと……そろそろアタシらも自由時間だよな!?」

 

 ゴールドシップの言う通り、自分たちが主演の舞台は終わったのだ。上もそこを理解しており、ここからは通常のスタッフ中心で運営される。そのためこまくらべ参加のチームは何人かのメインスタッフを残してフリーとなっており、シリウスのメンバーもライブが開始する直前から自由時間を取っていた。あえて観客席からライブを見たり、出店の有名所を制覇しに向かっていたりと、皆祭りを謳歌している。

 そしてゴールドシップは法被を一息で脱ぐと、目にも止まらぬ速さで着替えたのか、制服の上に今度は自前の法被と売り子道具一式、そして事前に仕込んでいた焼きそばを装備していた。

 

「ライス、とりあえずこのシリウス焼きそばを売りさばくぞ! そのままついてこい!」

「ええッ! こ、これ借り物だよっ!」

「こまけーことは気にするな! 後でトレーナーが何とかしてくれるって」

 

 酷い擦り付けが行われた、巫女服のライスシャワーという物珍しさもあって、たしかにこういうのも有りだと思い、うんうんと頷いて許可を出した。ただし、あまり汚しすぎたり破ったりしてはダメだと注意することは忘れない。

 

「わーかってるって! んじゃ、アタシたちも行くなー! お前らも楽しんで……ってか、マックイーンの機嫌取れよー!」

 

 わー、と悲鳴を上げるライスシャワーを引っ張り、一陣の風となって人の群れの中へと突っ込んでいったゴールドシップ。とりあえず大丈夫かなと考えつつ、ふと何かと勘のいい彼女が妙なことを言っていたことを思い出した。

 

「……随分と、巫女服のライスさんを気に入ってましたのね」

 

 不意に、寒気が走った。その発生源に恐る恐る目を向けると、腕を組んだまま笑みを浮かべるマックイーンがいた。しかし先程までライスがいた時とは打って変わって、尻尾も左右に大きく触れ、体中から"私、不機嫌です"という言葉をオーラとして発していた。この状態に一番近いのは彼女の応援球団が33-4などの大敗を期した時や、お気に入りのケーキショップで並んでいる時、目の前で狙っていたホールケーキを買われてしまった時だろうか。

 とにかく、マックイーンの機嫌が非常に悪いというのは心情的によろしくない。もしかして巫女服を着てみたかったのかと思い、準備しようとしたが。

 

「まっっったく違いますわ!!」

 

 即否定されてしまった。マックイーンが着るのもとても似合いそうだったので残念に思ったが、ここまで臍を曲げられてはそれも望み薄だろう。

 

「とにかく、今日のお仕事はここまでなのでしょう! だったらわた……私達を労ってください!」

 

 そうは言うが、この場に残っているシリウスは既に自分とマックイーンぐらいだ。自分もこの後本部に言って、ライスシャワーの舞台衣装の貸し出し延長を事後申請せねばならず、マックイーンをそれに付き合わせるのも悪いだろう。

 

「……なんでこんな時に限って唐変木になるんですかっ」

 

 そう言うと、くるりと踵を返して仮設テントを出ていこうとした。つい、どこに行くのかと訪ねたが、細められた眼光が返ってきた。

 

「ゴールドシップさんたちを手伝ってきますわ、お仕事、頑張ってください」

 

 労いのはずのそれは、突き放すような冷たい声音を伴っていた。耳をシュンと垂らしたマックイーンはそれきりテントから出ていってしまい、残された自分は、なぜか強いショックを受けてしばらく動けなかった。次の出番待ちのウマ娘たちに声をかけられるまでそのままだったが、正気に戻ってすぐに外に出て、周囲を見回した。

 辺り一杯に人、人、ウマ娘、人、ウマ娘。自由に動くのも難しい人混みの中、いくら綺麗な芦毛を持つマックイーンと言えど、その姿を探し出すのは難しい。何よりも人々の活気の中を、マックイーンの姿がないだけで楽しいものと思えない自分がいることに驚いていた。

 はぁ、とため息を吐いて、肩を落とす。そのまま運営本部となっている社務所へと足を向け、流れるまま衣装の話を通した。だが自分で考えているよりも表情に出てしまっていたようだ。

 

「キミ、顔色が悪いね。大分仕事振っちゃったからなぁ……よし、ならこの後と……うん、明後日はフリーにしていいよ、そこならこっちの正規スタッフの方が慣れてるからね」

 

 神社側の運営スタッフにも気を使われてしまい、すみませんと謝りながら、たまらず滅気てしまう。先代のオヤジさんに叱られた時よりはマシだが、すぐに立ち直るのは難しいかもしれない。

 これは早々に引き上げた方がいいかな、と意気消沈したまま社務所を出ると、ちょうど焼きそばを売り歩いていたゴールドシップたちと目があった。

 

「はい、250円です……あれ、トレーナーさん?」

「あん、何やってんだトレーナー? マックイーンはどうしたんだ?」

 

 ライブの目玉だったライスシャワーが直接売っているということもあって、かなり大盛況になっている。しかも巫女服ともなれば、熱心なファンが彼女たちの周囲に集まっていたが、そこはゴールドシップが視線で牽制するだけで退散していた。しかしその肝心の売り子の中に、マックイーンの姿がなかった。

 2人がいなくなった後、マックイーンも2人を手伝いにいったと伝えたが、ゴールドシップは片手で頭を抱え、ライスシャワーは困惑したような表情を浮かべてた。

 

「いや、マジかよお前。そこは追いかけてやれよ。つーか何でアイツがヘソ曲げたかわかってんのかこのスットコドッコイ」

「そ、そうだよ。マックイーンさん、きっとトレーナーさんを待ってるよ!」

 

 高身長のゴールドシップにアイアンクローを決められつつ、ライスシャワーからも珍しく非難の目を向けられた。彼女の機嫌を損ねてしまったことは確かに自分が悪いが、どうして損ねてしまったのかが分からないと、どう謝ればいいかわからない。経験不足なトレーナーとしての自分が嫌になると、自分でもバカだと想う"言い訳"を伝えると、今度は落胆のため息を吐かれてしまった。両者とも、耳まで垂れ下がった徹底ぶりだ。

 

「しゃーない、このゴルシちゃん様が一肌脱ぐか……ライス、これ持っとけ」

「うん、強いのしてあげてね。足りないならライスがやるから」

「いや、今のお前だとトレーナーがうわらばしちまうから止めとけ」

 

 ライスに商売道具一式を預けたゴールドシップが、距離を取るように離れた。何だ何だと周囲の人々も輪を作り、奇妙な空き空間ができあがっていた。急に命に危機に関わるような悪寒を感じたが、しかしいつの間にか背後に立ったライスシャワーに服を捕まれ、逃げられないようになってしまった。

 

「さーてと……この鈍感トレーナー! ウダウダしてねーでとにかく探して謝ってこいキィィッック!!」

 

 瞬間、時速30キロの速さでゴールドシップがこちらへ駆け出し、勢いそのままにドロップキックを繰り出した。防御するしかない自分は何とかそれを受けつつ、ぐんとライスシャワーに引っ張られるまま、真後ろへと蹴り飛ばされてしまった。

 視界が急速に浮いたと思った瞬間、ごん、と何かにぶつかって止まった。目の中に星ができたのも一瞬で、何とか起き上がって後ろを見ると、どうやら境内の大樹に受け止められて、腕と腹の痛みに以外に大した怪我もなく済んだのがわかった。器用に放物線を描く形で蹴り飛ばす、いや投げ飛ばされたおかげで、祭りを楽しむ人々にぶつかることはなかったのも幸いだ。

 しかし空を飛んだのは相当目立ったらしく、出店や観光客の人たちが心配そうにこちらの様子を伺っていた。まだ視界がチカチカするが、しかし心配は掛けまいと周囲に謝りつつ、ソフトドリンクを売っている出店から一つ飲み物を買った。

 500mlの天然水。お祭り価格のそれを、キャップを外し、自分の頭の上へ勢いよくかけた。ぎょっと周囲の人が目を向くが、気にせず両手で頬を叩き、顔を上げる。ぱちくりとした店主に感謝し、体の向きを雑踏へと向き直した。

 あの強烈な蹴りで目が覚め、頭から被った水で顔を洗い、ようやく普段の自分に戻れた気がした。後でゴールドシップたちに感謝しようと記憶しつつ、雑踏の中へ走る。

 探すのは、あの綺麗な芦毛の髪と耳、そして彼女特有の気品さと残念さを兼ねた独特な佇まいだ。特にこれだけの人混みの中であれば、彼女の妙な鈍臭さが表に出てきて、どこかで立ち往生しているかもしれない。

 場所は主に甘味系の出店。りんご飴にかき氷、綿あめやチョコバナナ。目ぼしい場所を虱潰しに見て回り、敷地の外の旧甲州街道や府中街道までも走り抜ける。ウマ娘のような速さはないが、トレーナーである以上、鍛えてはいる。それでも人混みをかき分けての捜索は体力を削り、熱気もあって汗が滲んだ。

 だが、その甲斐もあって、ようやく彼女を見つけた。

 

「なんで……普段から来ている場所ですのに……ここはどこですの?!」

 

 案の定、道端で両手一杯の食べ物を抱えたマックイーンが、耳と尻尾をタレてポツンと立っていた。その姿に安堵しつつ、息を整える間もなく彼女の前へと立った。

 

「あ、あなた……っ」

 

 マックイーンが何かを言おうとする。だがそれを遮るように、ごめん、と大声で叫び頭を下げた。

 そうだ、自分のパートナーの何かを大きく傷つけてしまったのだ。なら自分はそれが何であろうと、まずは謝らなければいけなかったのだ。それがメジロマックイーンであれば尚更だ。

 彼女に、悲しい顔は似合わない。嬉しくて泣くのはいい。レースに負けての悔し涙も、時には必要だと思う。だが意味もなく、理不尽な悲しみのものは、見たくない。メジロマックイーンにそのような顔をさせるのは、トレーナーとして、1人の男として、阻止しなければいけない。

 なぜなら、自分は彼女と一心同体になると決めているのだから。

 

「……もう、そんなになって……どうせ私が怒っている理由なんて、まだ思い当たらないのでしょう」

 

 呆れた様子のマックイーンだが、その声音には先程のような重いものが感じられない。図星であるが、機嫌を治す切欠になってよかった、と顔を上げると、マックイーンが右腕に抱えた食べ物類を差し出された。

 

「ほら、こっちを持ってください」

 

 有無を言わさぬ様子に黙々と従い、両手に食べ物を抱えると、するりとマックイーンが隣に立ち、空いた右腕をこちらの左腕に絡めてきた。

 

「別に道に迷ってはいませんが、ちょっと買いすぎて疲れていましたの。なので私の片手を支えつつ、荷物持ちになりなさい。それで少しはチャラにしてあげますわ」

 

 揚げ団子を頬張りながら、上目遣いのまま調子の良い声が、人混みに消されることなく鼓膜を震わせた。先程まで垂れていた耳はこころなしか元気になって、ぴこぴこと上下している。

 機嫌はまだ6割ほどだが、それでもよくなってくれたらしい。そのことに安堵しつつ、さて残りはどうやって取り戻そうと考えつつ歩く。自分とマックイーンの歩幅は違うので、少し遅く、彼女の歩く速度に合わせる。ぐっと引っ張られるたび、彼女の体温と髪の感触が腕にまとわりつき、普段の膝上の感覚とはまた違う心地だった。

 

「とりあえず、出店を全部制覇しますわ! ……とはいっても、この時間からでは難しそうですわね」

 

 ようやくマックイーンの意気揚々とした宣言が聞けたと思ったが、しかしすぐに言葉尻が弱くなってしまった。彼女の言う通り、既に今日の終了時間は迫ってきており、人々の往来も少なくなりつつあった。

 それなら、と一つ提案する。

 明後日がシリウス全体で自由時間が取れたこと。その時に一緒に出店を回ろうと。

 

「っ……〜〜〜……そ、それは、貴方にしては、気が利きますわね」

 

 数瞬、耳と尻尾をピンと張り、顔を赤らめたマックイーンだが、一度咳をするとそう聞いてきた。埋め合わせも兼ねて、付け加えると、再び口元がヘの字になってしまった。

 

「それだけですの?」

 

 そう問われるが、しかしパッと答えは浮かばないように思えた。しかし先程のキックが頭でまだ響いているのか、ひとつの気持ちが自分の奥底にあるのに気づいた。

 マックイーンと一緒に回りたい。それだけの、一介のトレーナーがメジロ家のお嬢様に言うにしては、中々我儘な願望だ。

 

「合格、ですわ」

 

 しかし自分の懸念とは裏腹にお気に召す回答だったようで、組んだ腕の力が強まり、彼女の頭がぽふっと肩へと当たった。そのことに安堵の想いと、同時に年甲斐もない胸の高まりを感じた。

 明後日が待ち遠しい。レース以外でそう感じるのは、とても久しぶりだった。




ゴルシ「ここからホテルや境内裏でうまぴょいするのか。その謎を解き明かすため、我々は南米へと向かった」
ライス「ゴールドシップさん!」(無言の鳳翼天翔

ウマ娘世界でのくらやみ祭りがわからなかったので勝手に書きました、公式からこの辺りの情報が出たら消します。


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お祭りで・後編

 リアル事情でマックイーンの誕生日に本作を完結できなかったのは私の責任だ。
 だが私は謝らない。

追記:マックイーンはまだ来ません()


 卑怯な人だと、最近はいつも思っている。それが唯一無二とも思えるトレーナーに対しての第一の感情とは、傍から見ればどうなのかとも思うが、しかし純然たる事実だ。

 メジロマックイーンはからんころんと履き慣れない下駄を鳴らしながら、待ち合わせ場所へと向かいつつ、そんなことをぼんやりと考えていた。普段は綺麗に伸ばしている芦毛を、今日は瞳と同じ紫水晶の髪留めでまとめて、浴衣は新しい勝負服に合わせた白地にアジアンタムの柄をあしらった、可憐と呼ばれるようなセットをしている。祭りの景色の一部というには、いさかか華が有りすぎるくらいだろう。時節ではないだろうに、ここまで気合を入れなくてもと、メジロの屋敷でこのお祭り専用勝負服を用意したメジロライアンとメジロドーベルに今更ながらの文句を零しつつ、目的の場所についた。

 くらやみ祭りが行われる最中でも、通用口としてよく使われる神社の東口。その前で足を止め、周囲を見渡す。いささか早く来てしまったのか、トレーナーの姿は見当たらない。現地集合はあちらが言い出してきたことだが、それでも女性を待たせるというのはいただけない。

 

「まったく、ここは少し早く来るのがマナーでしょう?」

 

 誰かに聞かせるわけでもない呟きが、境内から鳴り響く喧騒にかき消される。それを分かって、ふう、と尻尾を揺らして、夕焼けから夜に染まろうとしている空を見上げる。地上の賑やかさによって暗がりの広がりは緩やかだが、だからこそ、祭りの熱気が際立つようだ。それはさながら、マックイーンの胸の中にいつの間にかあった"想い"に似ていた。しかも意思を持つウマ娘である自分は、それを自覚し、時に飼いならそうとして、逆に振り回されてしまう。

 その中心には、いつだって彼がいた。

 

「傍に、依りすぎるのですわ」

 

 彼への感情をひとつひとつ確かめるように、声に出す。

 ウマ娘のことを第一に考えてくれる。その信念を行動で示してきた。そういうところを、サブトレーナーのころからずっと近くで見続け、その気持に支えられてきた。

 共に走る誰かがいなくなってしまった時も、失態と期待に押し潰されそうになった時も、春の夢がこぼれ落ちた時も。

 そして、一昨日の時も。

 それが卑怯なのだ。傍にいてほしい時に傍に居てくれて、前へと走り出す切っ掛けをくれる。時には目で、時には言葉で、方法は違えど、その心にあるのはただ一途なまでの感情だ。

 だから、勘違いしてしまった。知らず知らずの内に、踏み込んではいけない心の領域に足を踏み入れてしまった。

 この気持ちには、いつ気づいたのだろうか。トレーニング中だっただろうか。それともベタに、メジロドーベルと読んでいた小説や漫画からだったろうか。

 気づけば、必要以上に彼の姿を追っていた。気づけば、トレーニングで速くなる実感を得るよりも、共にいることが嬉しくなった。気づけば、他のウマ娘だけではなく、彼と同じ人間の女性が近づくことを不機嫌に感じ、警戒心を抱き出した。気づけば、プライベートでも傍にいたいと思い始めていた。

 そのことを自覚し、それがある感情に起因するものだと理解するころには、メジロマックイーンはもう引き返せない所まで沈んでいた。

 

「自分のことながら、本当に我儘で……都合のよいウマ娘ですわね」

 

 一昨日の時も、この感情のせいで、大事なチームメンバーであるライスシャワーに嫉妬してしまった。綺麗な衣装を纏い、自分が成し遂げられなかった天皇賞・春の3勝目を成し遂げ、彼にそれを褒められた。

 それは、自分が手に入れるはずだったものだ。

 もしかしたら、彼の気持ちが、別の誰かに向いてしまうかもしれない。

 精神を常に律する"メジロのウマ娘"である自分の中で、今まで考えもしなかった暗い感情と想像が、そしてライスシャワーを祝福する彼への怒りが一度にわッと沸き立ち、爆発を抑えることもできずに、そのままぶつけてしまった。今考えれば、ゴールドシップはその感情を察していたのだろうが、止めるような素振りを見せなかった。奇妙なところで気遣いができるチームの仲間に、怒っていいのか安心していいのかわからなくなる。

 それでもあの時は、彼だけにぶつけてよかった。もしライスシャワーがあの場に残っていたら、もっとひどい言葉が溢れてしまったかもしれない。

 

「そういえば、そのことは謝っていませんでしたね……」

 

 そのことに思い当たり、ならば彼が来たら謝ろうと考えはしたが、しかし頭を振って霧散させた。

 彼は自分が理不尽な怒りをぶつけたことについても、そうだったのか、とちょっと驚くぐらいだろう。そもそも、何故そこで嫉妬なんて言葉が出てくるんだ、もしかしたらメンタル面でのトラブルがあったのか、とデリカシーのなさを発揮してくるかもしれない。そんな想像をしてしまうと、ついつい、腹の底から怒りが浮かぶ。妄想じみたもので勝手に怒りを抱くなど、それこそゴールドシップを笑えないが、しかしただ待たされているこの状況が悪いのか、泡のような怒りは消えそうにない。

 

「猪突猛進、考えなし、唐変木、ウマ娘だったら誰でもいいスケコマシ、アホの人、お人好し、人の気も知らないニブチンのサブトレーナー気質……」

 

 怒りという泡が弾けると共にあふれる罵詈雑言が、尻尾が揺れるたびに口から出る。考えうる限りのレパートリーを一つ一つが連ねていくが、しかし声自体が小さく、祭りの歓声の中に溶けてしまう。

 

「バカ……好き、大好き……愛しています」

 

 だから、この感情の最奥にあったものが、素直に吐露できた。たったそれだけで、胸が苦しくなった。

 

「……お待たせ」

「うひゃぁぁぁい!!? と、トレーナーさん!?」

 

 没頭していた思考が、急に待ち人から掛けられた声で急浮上させられてしまう。耳と尻尾が意識と共にピンと逆立ち、真っ赤になった顔を咄嗟に声のした方へ向ける。いつもの見慣れたトレーナーの呑気な表情が目の前にあり、もう一度耳と尻尾が跳ね、たまらず後ろへと下がった。

 

「だ、大丈夫か? もしかして待たせすぎて結構気が立っていたり……」

「そ、そんなんじゃありませんわ! それよりももしかして、聞こえなかったのですね?!」

「ああ、もしかして……大丈夫だよ、さすがにお腹の音もこの賑わいじゃあ聞こえないって」

「〜〜〜、もういいですわ! それよりも早く行きますわよ! この前の場所から虱潰しに行きますわよ!」

 

 肝心の所は聞かれなかったが、乙女の尊厳に関わるような勘違いをされてしまった。彼の家で料理を作ってる時など、普段からよく聞かれているような気もしたが、この場でそういうことを言うのはデリカシーがなさすぎる。これはまた激怒していいのでは、と思いつつ、気持ちはこれから始まる食い倒れツアーに向いており、一旦保留として頭の片隅に放り投げた。

 

「ああ、ちょっと待って。さっき設営を手伝った時にもらった最新版の地図があるから、先にそれを見よう」

 

 彼の提案に一旦足を止め、広げてもらったハンドサイズの地図を覗き込む。彼は今設営を手伝ってきたというが、トレーニング時の動きやすそうな上下と、スタッフ向けの法被を腰に巻いており、見るからに祭りの実行委員から抜け出してきた体だ。自分から今日は休みだと言っていた癖に、十中八九、誰かの困った時の埋め合わせをやっていたのだろう。

 普段ならばその行動を賞賛するだろうが、自分よりも仕事を優先されたような気がして、嫌な気持ちが湧きそうになった。

 そして、そのような小さなことで腹を立てる自分が、少し嫌いになりそうだ。

 

「ほら、今から神輿渡御が始まるから、ストリートに人が集まる。だからここから駅の方向へ遠回りに行けば……マックイーン?」

「……何でもないですわ」

 

 頭を振って、気持ちを楽しいことに向けようとして、地図に目を落とす。しかしそれよりも先に、地図が仕舞われてしまって、パチクリと目を瞬かせてしまった。なんですの、彼を見上げると、少し悩んでような調子で唸っており、本当にどうしたのかと心配になった。

 

「……いや、そうだな。うん、ゴールドシップにも言われたことだし」

 

 そして何かを自分の中で納得させると、改めてマックイーンへと向き直った。

 ドキリと胸が高鳴った。先代トレーナーからシゴキを受けている時や、最近では自宅に押しかけている時でも、目と目を合わせて話し合う機会などいくらでもある。けれども今日はお祭りだ、その雰囲気が、自分の恋をかき乱して、表に出しやすくしていた。

 

「マックイーン、遅れてごめん……それと、その浴衣、似合ってるよ」

 

 情けなさも混じった、不器用なハニカミで、そんなことを言ってきた。

 ああ、だから。

 こんな時に、そういうことを言わないでほしい。

 

「……だったら、今日は誠意を見せていただきたいですわ」

 

 呼吸は浅く2回。躊躇を隠しながら、左手を差し出す。いつか、あの偉大なるエースの花道を見たときのように。

 

「今日は、貴方から誘ってもらったのですから……エスコートを、お願いしてもよろしいですか?」

「……わかったよ、お嬢様」

 

 一瞬の困惑と、気恥ずかしさからの視線外し。けれどもすぐに気を取り直した調子で差し出した手を取られ、指を囲うように握られた。人とウマ娘、力の違いはあるが、それでも体格は彼の方が大きい。左手が全部隠れてしまいそうだ。

 普段は膝の上に座ってすっぽり収まるぐらいはしてるのに、ただこうして手を繋ぐ方がずっと恥ずかしくて、こそばゆい。

 

「あっ……うん、とりあえず、行こうか」

「ええっ」

 

 自分とは思えないぐらい軽やかな声が喉を震わすと、軽い力で手を引っ張られる。逆らうことなくそれについていき、彼の隣を歩く。ちらりと横目で見ると、トレーナーの横顔と、意外に大きな肩が視界に映った。普段から見慣れているはずなのに、この場の雰囲気がそうさせるのか、いつもよりずっと凛々しく見えて、カッと顔が熱くなり、すぐに視線を正面に戻す。

 昨日は勢いに任せて腕を組んだ。そのときだって、恥ずかしさより嬉しさが勝って、鼓動はまだ落ち着いたものだった。

 そのはずなのに、手を繋いでいるだけの今のほうが、胸の高鳴りが止まらない。顔の赤さが取れない。白い筈の耳が赤くなってピンと立ち続けているのがわかる。

 ああ、どうしようもない感情が渦巻いている。

 この感情の名前は"恋"と"愛"だ。

 むず痒くって、気恥ずかしくて、心地よい。

 きっと、叶わないと言われる、大切な初恋だ。

 

 

 

「見てくださいトレーナーさん、あそこはニンジン入り綿あめですよ!! ああ、あちらにはマンゴー餡のたい焼き! あ、次はあそこのメロン飴ですわ!」

 

 所狭しと存在する屋台の列の中、お菓子やスイーツを扱う店をピンポイントで探し当てながら、喜色満面のマックイーンが先を行く。それに手を引っ張られる形でついていきつつ、自分の顔にも笑みができていることに気づく。先程までのマックイーンはシリウスに初めて入部した時のような借りてきた猫に近い状態だったのに、祭りの雰囲気にすっかり呑まれてか、もしくはスイーツを食べているうちにスイッチが変わったのか、こうして積極的に次々と屋台へ突撃している。そんな普段のマックイーンに戻り始めていることに安堵した。

 それでも、先程までのマックイーンの様子が気にかかってしまう。

 いや違う、どうしても忘れられないだけだ。

 

 バカ……好き、大好き……愛しています

 

 聞こえてしまったのだ、自分のことを指してそう呟いているのを。聞くべきではなかったと思ったが後の祭り、何とか腹の音のことだと誤魔化して、祭りを楽しむ方向へ舵を切った。それでも繋いだ手からは彼女の鼓動が聞こえ、自分にもそれが伝播して、心臓が早鐘を打ち始めた。顔には出ないように気張っていたが、気づかれないか心配だった。

 薄々、気づいていた。いや、気づかないフリをしていたのだ。

 どうして一トレーナーの部屋に入り浸り、果てには言い訳をつけて泊まるようにもなったのか。常に密着するような距離感になったのか。時々妙に余所余所しくなったのか。卒業という別れに、今一度心が萎れかけてしまったのか。

 ただの自意識過剰だというのが一番穏当だ、ゴールドシップにイジりネタを提供する程度で済む。だが、本当に"恋"だとすれば話は別だ。

 ウマ娘とトレーナーの関係は、時に恋人や夫婦とは違う、しかし密接にリンクするものだ。ウマ娘は花形として輝き、トレーナーはそれを支え、時に利用する。その身体能力と領分から役割分担がしっかり分けられた関係性であり、どちらかがその役目を止めれば、パートナー解消となるいう、実はビジネスライクな部分がある。職業でいうと、アイドルとプロデューサーのそれが一番近いだろう。勿論、ほぼ引退したウマ娘は自分の専属トレーナーと結婚するということもなくはない話だが、その関係性はかなり踏み入ったものだと聞いたことがある。そういうことは先代トレーナーで扱きを受けている間に聞いているし、ウマ娘と結婚した元トレーナーとも顔見知りだ。

 だが、自分がそうなるとは思っても見なかった。マックイーンのことは勿論、一生涯ということになっても支えるつもりだった。しかしそれはトレーナーという、一本の境界線を敷いた上でだ。必要であればその線を超えることも吝かではないが、それは他のウマ娘相手でもやることだ。それぐらいしないといけない、いやそうして上げたくなるほどの輝きを持つのがウマ娘なのだ。

 だから、メジロマックイーンというウマ娘にも、本来はそのように対するべきなのだ。トレーナーとしては生涯支え続ける。不安を抱くようであれば、チームの皆で励まし、前に進めるように共に努力する。だが、恋という感情はそこには含まれていない、彼岸と此岸の立ち位置になるということだ。敏い彼女もそれは理解しているはずだ。

 だけど、今度は彼女からその線を越えて、河を渡り始めた。

 どうしてそのような気持ちを抱かれたのかはわからない。それを向けられて、戸惑っているという気持ちが自分の中でも強い。

 それでも、嬉しいという感情が、徐々に強くなっていることが、否が応でも自覚できてしまった。

 自分の手を引っ張り、笑顔で先を歩くマックイーンが輝いて見えた。右手いっぱいに食べ物を抱え、それを一つずつ食べていく姿が愛しく思える。射的屋で一緒に小さな箱を撃ち落とし、それがおもちゃの指輪であったことに気づいて変に意識する姿に胸が締め付けられる。神輿を見ようとする人混みに流されそうになるのを防ぐため、強引に引き寄せた体が、可憐な浴衣とアップになった髪も相まって、普段意識するよりもずっと小さなものに感じてドギマギする。

 どうやら、思ったよりもやられているようだ。いや、以前からそういう感情を、彼女に感じることはいくらでもあったのだ。昨日今日の話ではない。

 自分はチーム・シリウスのトレーナーだ。メジロマックイーン以外にも支えねばいけないウマ娘がいる。たった1人のウマ娘と恋人とかそういう関係になることで、今のバランスが崩れてしまうリスクがある。先代からこのチームを受け継いだ以上、チームを意図的に壊すような真似はできない。

 彼女の気持ちに応えることはできない。そう己の心をそう結論づけ、蓋をしようとした。それでもマックイーンの無邪気な笑顔に、感情は揺さぶられ続ける。

 そのことが辛くて苦しい。この手を離したくない。

 

 そうして自分は、とっくの昔に、メジロマックイーンという女の子にやられて(恋して)いることに、また目を逸らした。

 




ゴルシ「抱けっ!! 抱けー!! 抱けーっ!!」
ライス「ゴールドシップさん!!」(無言のビッグバンインパクト

 次回最終回、マックイーン&トレーナー完落ち編

※2021/4/11 後書き一部修正


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式場で・前編

どうして前後篇になってる上に1万字越えてるんですか?(電話猫

今回、作者の悪癖が出たので糖分なしとなります。
タイトル詐欺となりますが、ご容赦ください。


 くらやみ祭り以降、マックイーンと少し距離を置くようにした。まず、家に入り浸るのを止めさせる。トレーナーとはいえ、頻繁に独身男性の家に通うのは、メジロ家やチーム、そしてマックイーン自身の世間体へ悪影響を与える。今更すぎる理由だが、それでもマックイーンは自分の要望に従い、部屋には近づかないようになった。どうやらメジロの家での事情が変わったらしく、少し忙しくなったとのことだ。もちろん連絡は取り合うし、家の都合がつく限りはチームのサポートもしてくれた。

 こういうことをするのは、うら若き少女を預かるものの、当たり前の責務であるが、同時に我儘だと自覚していた。事情が重なったとはいえ、好意を寄せてくれるマックイーンを突き放すような真似をしている。先代、いや他のトレーナーであればもっといい方法で彼女の恋心を諦めさせるやり方が浮かんだのかもしれないが、未熟な自分にはこのような時間稼ぎ染みた方法しか考えつかなかった。そのような真意を隠してマックイーンにこの提案/最低な我儘を告げた時、彼女は目を見開き、俯いてしまった。それでも自分が理由、いや言い訳を話すと、微笑みを作った。

 

「……ちょうどこちらも忙しくなるので、しょうがないですわね」

 

 震える声で、そう肯定してくれた。

 その顔が無理に作ったものだと、ひと目で気づいた。尻尾も耳も、あまりにも分かりやすいのだ。けれども、告げた側である自分は、それを見て見ぬ振りをするしかできなかった。それが彼女のためでもある。

 名家のお嬢様と凡庸な指導者。しかも一方はスターと言われるウマ娘で、もう一方はめぐり合わせがよい、凡庸な指導者。そんな2人が恋に落ちるのは、普通はドラマや漫画の世界だけだ。彼女の約束された未来を考えれば、そういう関係になることなど烏滸がましい。

 それは彼女の夢を叶え、支えると告げた自分自身の誓いに反するのだ。

 だから、これで正しいのだ。

 そんな風に自分にそう言い聞かせながらしばらく、サブトレーナーのころのような生活をしていると、奇妙な感覚を覚えた。

 家に帰ると、誰もいない部屋に違和感を感じる。マックイーンが使っていた日用品が、使用者のいないことに抗議しているかのように目につく。暗い部屋に足を踏み入れるたびに、冷たい寂しさが足元から胸へと這い上がってくる。胸にまで到達した冷たさが、風穴を作って、心に虚無感を作り出す。椅子に座っていると、膝の上に重さと温もりがないことに気づき、仕事が捗らなくなった。

 そこまでして、ようやく自分の中にある"メジロマックイーン"というウマ娘/女の子が心の割合の多くを占めていることに気づいてしまった。気づいて、愕然として、部屋の電気も付けずに笑いたくなった。笑う代わりに、酒をしこたま買ってきて、思いっきり飲んでやって、吐いて、また飲んで、また吐いて、そのまま寝た。翌日は酷い二日酔いで動けず、自主トレの連絡だけをライスシャワーにして、もう一度寝た。

 それでようやく意識を切り替え、チームシリウスのトレーナーへと自己意識を無理やり変容させた。メジロマックイーンというウマ娘の復帰と、ライスシャワーのドリームトロフィーリーグ移籍までのプラン構築。それに他のウマ娘の出走レースとそれまでのトレーニングスケジュールと、やることはたくさんある。

 そう、多忙だと思い込む日々を、一ヶ月。その間、メジロマックイーンとは事務的な会話だけに留めた。チーム内のウマ娘たち何かあったのか聞かれたが答えを濁したが、様子が変だと同僚のトレーナーたちからも同じようなことを聞かれてしまった。何とか笑ってやり過ごし、チームを支えるトレーナーに努める。もちろん、メジロマックイーンの家の事情も考慮しつつ、秋の天皇賞に間に合うようにスケジューリングする。彼女を支えると決めている以上、メジロマックイーンの使命を達成させることは絶対だ。こういう時に何かと突っ込んでくるゴールドシップと、実は直球で聞いてくることが多いライスシャワーが何も言わず、裏側でコソコソと話していたことが気になったが、調整のことで手一杯となり、意識を割けなかった。

 そして、6月。もう夏の始まりだと言うのに、自室の寒さは余計に深まるばかりだ。何だかんだ年を取ったのか、疲れも取れないような気がした。

 そのような日々を過ごしていたある日に、唐突にゴールドシップが自分とメジロマックイーンに頼みこんできた。

 

「頼む頼む頼むよ〜! ゴールドシチーの代わりにこのバイト行ってくれよ〜!」

 

 いつものテンションで拝み倒しながら差し出してきたのは、ブライダルモデルのバイトだった。なんでも、ゴールドシチーが元々入れていたモデル仕事と、事務所の上の方からの仕事がバッティングしてしまい、しかも日程もズラすことができないということで、せめてもの形ということでブライダルモデルの方は代役を探すことになったのだ。おまけに今回の仕事で使うドレスはウマ娘用のため、人間では代わりが務まらず、事務所側の他のモデルウマ娘もその日は出払っているという間の悪さ。なのでゴールドシチーが学園の目ぼしい友人に声をかけ、一日バイトの相談しているという状況だった。

 神出鬼没のゴールドシップにも当然の如くその話がピクンと立つ耳に入り、勝手に引き受け、シリウスの面々というよりメジロマックイーン個人に頼み込んできたというのだ。メジロマックイーン個人なのは、ゴールドシップのいつもの気まぐれだろう。

 正直、気晴らし以外の目的が見いだせなかった。メジロマックイーンの方を見ても、分かりやすいぐらい困惑していたが、チームメンバーの反応は上々だった。

 

「あの、偶にはこういうこともいいと思いますよ? 最近のマックイーンさんはその……思い詰めてるような感じでしたから」

「そうそう、最近仏頂面が増えてきてるよ〜。トレーナーもですよー」

「どうせなら、トレーナーも付き添いで行ってきたらどうですか? 意外と面白いかもしれませんよ?」

 

 ライスシャワー他、チームのウマ娘にもそういうことを言われ、予想以上に顔に疲れがでていることに気付かされた。むう、と唸ってしまう。しかしそれなら、と他のウマ娘はどうなのかと聞くが。

 

「え、えーと、ライスはその、その日は用事があって……」

「私はちょっと地元に顔見せにいかなくちゃいけなくて……」

「エアグルーヴさんからお仕事を頼まれまして……」

「ちょっと空の世界いってハジケリスト共とラップ対決しなきゃいけねーからパスな」

 

 どうやらこちらも間が悪く、予定が空いている娘はいなかった。断ろうにも、ゴールドシチーには既にライスシャワーからも引き受ける旨を伝えているようなので引くに引けない状態らしい。はぁ、とひとつため息を吐いて、横目でもう一人の渦中の人物を見た。考えていることは一緒なのか、ばっちりと目が合ってしまった。

 

「…………その、いいのではないですか、トレーナーさん。こうなってしまっては、ゴールドシップさんは人を簀巻きにしてでも事を運びますよ」

 

 メジロマックイーンが、遠慮がちにこちらを伺ってきた。彼女の言うことももっともだと思いつつ、改めてバイトの条件が書かれた書類を確認する。通常はマネージャーやディレクターが仕事の範囲を越えないか同伴するらしいが、今回はそれも式場側でしか調整できなかった為、結果としてこちら側から誰か付き添いが必要なのも理解できた。実質的に拒否権なしの状況に、嵌められたのかもしれない、とゴールドシップをちらりと見るが、当の本人は早速どこかへ行く準備をしているのか、巨大なバッグに何がしかの道具を押し込もうとしていて顔が見えなかった。

 仕方ない、わかった。改めてメジロマックイーンと目を合わせ頷くと、彼女の顔に華が咲いた。

 

「ええ、楽しみですわね」

 

 ぎこちなさがあるが、それでも綺麗な笑みだ。誰もが見ても可憐だと感じるだろう。だからこそ、余計にそれを直視できなくて、再び書類に目をやった。

 誰かが、拳を握りしめる音が聞こえた。

 

 

 そして、そのような話をしてから、数日後。学園への届け出など雑多なことをこなしていると、バイトの日はすぐに訪れた。

 

「ありがとうございます! いやー、まさかあのメジロマックイーンさんに引き受けてもらえるなんて! ささ、どうぞどうぞ」

 

 今回の仕事場である郊外の専門結婚式場につくと、今回のディレクターである若い女性が自分たちを歓迎してくれた。挨拶も早々に受付での手続きと簡単な段取りの確認を終え、足早にメジロマックイーンに衣装を通してもらうためブライズルームへと案内してもらうことになった。その道すがら、ディレクターがふんふんと鼻息荒く自分たちを観察している。特にメジロマックイーンには念入りで、周囲をグルグル回りながら舐め回すようなレベルだ。他の会場で披露宴をやっているのか、着飾った一般客もいるようで、そのような人々からも奇異の目で見られているのも相まり、非常に居心地が悪かった。

 

「あ、あの、何か?」

「いやー、さすがですね。ゴールドシチーさんの輝くプロポーションも最上級ですけど,メジロマックイーンさんの均質の取れた体と持って生まれた気品さも堪りませんね! 最初はもうダメになるかと思いましたけど、最高の撮影になりそうです」

 

 うんうんと1人で納得していたディレクターに気圧されそうになるが、しかし何かあればメジロマックイーンのためにならないため、程々にしてください、と釘を刺す。ディレクターもわかってます、と軽く返すが、しかし意地の悪い顔でこちらを振り向く。

 

「ですけど、こんなに綺麗な娘のウェディングドレスが見れるんですから、トレーナーさんとしても役得なんじゃないですか。あ、いっそのこと、ウチのスタッフの代わりに新郎役やってみますか?」

「っ」

 

 ふふんと得意げに提案するディレクターに、結構です、と端的に断る。メジロマックイーンのような天性のものを持っているならともかく、自分のような素人がしゃしゃり出ても撮影の足を引っ張るだけだ。相手も本気ではなかったようで、あらら残念、と話を切った。ただ、メジロマックイーンの視線だけが、一度こっちに向き、そのまま床へと落ちた。その機微はわからないが、おそらくは新郎役有りでの撮影とは聞いていなかった辺りだろう、と考えつく。

 そこまでして、ふと思う。ただの撮影とはいえ、新郎の姿をした誰かが、メジロマックイーンの傍にいること、その光景を。

 瞬間的に怒りと苛立ちが同時に沸き立ち、ついで、何故そんなことを考えてしまったかと、頭を振って打ち消す。自分から一方的に突き放しておいて、勝手な妄想をして、その中で怒りを抱くなど、まるでバカみたいで、滑稽だ。

 

「どうしましたの、トレーナーさん?」

 

 そのような情けない自分を見透かすように、メジロマックイーンがこちらの顔を覗き込んできた。少し言葉に詰まりつつ、何でもないと答えた。

 

「そうですか……あの……いえ、何でもないですわ」

 

 自分と同じように、何かを喉に詰まらせる彼女から視線を外し、目的地にたどり着いたプロデューサーへと目を向ける。その目が妙に細められており、ふーむ、と何事かを呟いていたので、追加の用件でもあるのかと尋ねたが、いえいえと首を横に振った。

 

「大丈夫です大丈夫、ただ、そういうものだなと……さ、ここからは男性は入るの禁止です! しばらくお待ち下さいね!」

「あ、トレーナーさん……」

 

 メジロマックイーンが何かを言い終える前に、その芦毛の髪がブライズルームの扉の向こうへと消えていった。特に仕事のないただの付き添いのため、すっかり手持ち無沙汰の状態となってしまった。かといってこのまま部屋の前で待つという選択肢は、一般客やスタッフの迷惑になるので、別の場所に移ることにした。

 独り身である都合上、あまり縁のない場所ということで、せっかくだからと会場内を歩き出す。礼服やドレス姿の人々に、忙しく動き回るスタッフ。その内の何割かが今回の撮影スタッフであり、更にその中には力仕事向けのウマ娘が交じっており、芦毛と黒毛の尻尾をなびかせて、撮影会場であるチャペルに機材を運んでいた。どうせなら手伝おうかとぼんやりと考えたが、しかしその前にふと、壁に立てかけられたホワイトボードに飾られる写真を見つけた。

 それはこの式場で挙式したカップルや夫婦の写真だ。それだけならばよくあるものだ。ただ、その内の幾つかは、人間とウマ娘のものだった。光によって切り取られた笑顔は自然体のもので、皆が皆、とても幸せそうだった。

 懲りずに余計なことを考えてしまう。マックイーンも、いつかはこんな風に笑って、誰かと共に歩んでいくのかと。

 また、拳がしなる音がした。何となく下を向けば、無意識に形作っていた自分の右手があった。開いた手の中は、予想以上の力で握りしめられ、爪痕が食い込んでいた。

 

「ん、そこにいるのは……よお、久しぶりだな!」

 

 何でだ、と自分自身に煩悶とする直前、聞き知った声が聞こえた。思わず手を隠してそちらを向くと、そこには意外な顔があった。

 先代シリウストレーナー、こんな自分を後継者として育ててくれた先生だ。トレードマークのハンチング帽はなく、代わりにあまり似合っていない礼服を纏った恩師が、目をパチクリと瞬かせていた。おそらくは自分も同じような顔をしているだろう。

 先に再起動した自分が、何故ここにいるのかと尋ねた。

 

「何、姪っ子の結婚式と披露宴でな。オレがオグリの元トレーナーだからって、どうせならゲストであいつを呼んでくれって頼まれたんだよ。オレはオグリのオマケってわけだ」

 

 こういうことはよくあるんだよ、と肩をすくめる先生に、そうなんですか、と肩の力を抜く。久しぶりに自然と息ができたような気がした。肝心のオグリキャップのことを聞くと、今は式場側から用意された特製キャロットケーキを頬張りつつ、新郎新婦やゲストと写真撮影をしていて、しばらくは動けないらしい。本当に連れてきただけですねとつい口に出してしまうと、うるせぇと小突かれてしまった。

 こちらも、ゴールドシップから始まった奇妙な事情を伝えると、何だそうなのか、とわざとらしい笑みを返された。

 

「オレはてっきり、お前らが本気で結婚して式場の下見でも来たのかと思ったよ。って、今のマックイーンはまだまだ学生かつ現役だから無理だったなっ」

 

 朗らかに笑う先生に、冗談きついですよ、と何とか口元に笑みを作って返した。そう言いながらも胸が傷んだ。

 

「……どうやら、何かうまくいってないようだな」

 

 だが、自分の未熟さをこの先達はひと目で見抜いてしまった。自分の顔が強張ってしまったのがわかった。はぁーと大きなため息を一度し、先生はこちらへ背中を向けつつ、手を上げた。

 

「休憩時間で、オグリも他のやつに取られていねーんだ。少しぐらいは話を聞いてやるさ」

 

 ついてこい、というジェスチャー。一瞬躊躇ったが、しかし今自分には何もすることがないこと、何よりも先生という相手に、この胸の寂寥感を紛らわす方法を聞けないか、と縋るような思いを抱いて、その大きな背中に着いていった。

 連れられて来たのは最上階だ。第2ブライズルームと小道具部屋が中心だが、広めのエレベーターホールの先の分厚い扉の向こうは、ちょうどチャペルを上から覗けるような配置となっており、撮影スタッフの一部もここで作業を行っていた。先生は廊下にあった自動販売機で缶コーヒーを2つ買うと、その1つをこちらに投げ渡すと販売機横のベンチに腰を下ろした。冷たいブラックコーヒーの缶を開けつつ、自分はその横に立ったまま、背中を壁に預ける。

 

「んぐ……で、どうしたんだ?」

 

 そう催促されて、一度コーヒーで喉を潤してから、ゆっくりと、思い出と感情を言葉に変えていく。

 チームシリウスのメイントレーナーになってから、最初はメジロマックイーンと2人だけで再興したこと。チームにゴールドシップやライスシャワーなどといった新しいメンバーが入ったこと。新しいエースが天皇賞・春を3度勝ったこと。メジロマックイーンがしばらくレースに出られない間、ウマ娘とトレーナーという垣根を越えてしまうほどに距離が縮まってしまったこと。彼女の好意に気づいて、今一度距離を置こうとしようとしていること。

 そこまで言うと、先生は目元を手で覆いながら天を仰いだ。同時に吐き出される息には、大きな呆れが含まれているように思えた。

 

「はあ〜〜〜色々突っ込みたい気持ちはあるがよ……お前、何でマックイーンと距離を取ろうとしてるんだ?」

 

 気を取り直して、話を続けるようにと手をふる先生に、戸惑いつつも頷き、胸の内を話した。

 世間体の面から、この関係を続けるには危険であること。そしてこのままだと、チームシリウスのメジロマックイーン(エース)でも、メジロ家のメジロマックイーン(ウマ娘)でもなく、ただのメジロマックイーン(女の子)だけを見続けてしまう恐れがあったこと。

 もしそうなれば自分はシリウスのトレーナーではなく、メジロマックイーンだけのトレーナーに、下手をすればより酷いただのバカな男になってしまう。それが恐ろしい。たった1人に熱を出し、領分を越え、視線を向けた相手の未来さえ奪いかねない。何よりも、先生から託されたチームを放棄し、瓦解させるかもしれないという、自分自身への恐怖があった。

 そこまで堕ちれば、もはや自分はトレーナー失格だ。いくら一心同体を誓ったとはいえ、身を滅ぼしかねない男に、未来あるウマ娘を巻き込むわけにはいかない。

 だから先に、こちらから突き放すようなことをし始めた。それが結果としてウマ娘の、いやメジロマックイーンの為になると考えたからだ。

 

「……どこか間が抜けてるかと思ったが、そういう自分自身の機微まで抜けてるとは思わなかったぞ、ったく」

 

 何で式場まで来てこのアホみたいな人生相談を受けなければならないんだ、とぼやいたことに、少し腹が立った。自分は真剣に考え、決断した。これが彼女とチームのためになると。

 そのはずなのに鼻で笑われてしまった。自分の怒気が顔を現れてしまっているのがわかり、誤魔化すようにコーヒーを飲んだ。ブラックコーヒー特有の雑な苦味が、感情をセーブしてくれる。自分は冷静なのだと、心を無理やり落ち着かせる。

 

「……お前はな、今まで一方的に好きだった相手が、急に好いてくれていたことに気づいて、今更怖気づいてるだけなんだよ」

 

 だが、告げられた言葉に、頭が真っ白になった。

 

「何驚いてるんだ。お前、見習いのころからアイツのほぼ専属のような状態だったじゃねぇか。オレは課題としてお前とマックイーンに菊花賞を取るようにさせたが、同時に他のウマ娘の面倒を見るよう言ってたんだぜ」

 

 先生の言葉の通り、その最後の1年はオグリキャップの復帰を目標として、全てをオグリキャップ有マ記念に注いでいた。その間、自分は当時のチームシリウスの、オグリキャップ以外のメンバーたちを任されており、マックイーンの菊花賞獲得と並行して、コンディション維持を行っていた。結果として重賞レースなどは獲得できなかったが、誰も怪我などさせることなく、本人たちの希望もあって、他のチームへの移籍も手伝っていた。シリウスに留まらないのかと説得もしたが、当時は皆、困ったような顔で首を横に振っていた。それはまだ見習いだった自身の未熟かとも自省したものだ。

 

「オレは正式に引退した後、当時の奴らにも挨拶に行ってな。余計なお節介込みでどうしてシリウスから抜けたかも聞いたんだよ。そしたらアイツ等、なんて言ったと思う?」

 

 先生は困ったような、しかし同時に納得できたといった、力のない笑みを向けた。

 

「お前らの邪魔をしたくねーだとよ。もちろん引き抜きや専属トレーナーが見つかったってのが大半だが、どいつもこいつもそこだけは一緒だった。ああついでに、アイツらにお前らに会ったら、お幸せに、とか言伝を受けたぞ」

 

 今更すぎるけどな、と肩をすくめた。自分が最後に彼女たちに会った時、引き抜きなどの理由は自分も聞いていたが、邪魔をしたくなどという頓珍漢なことは一切言われなかった、そこも信頼の差だとは思うが、しかしそのような真意でチームを去っていたとは思いもしなかった。

 

「それだけ、お前ら2人の距離は、他のやつと違って近かったんだ。初めての担当ウマ娘に散々鈍いって言われていたオレでさえ気づいてたんだぞ? お前の目にはマックイーンしか、マックイーンにはお前しか映ってなかったんだよ」

 

 何でチームの中で専属トレーナーみたいなことやってんだか、と呆れられた。言われながら思い出してみれば、自分とマックイーンが話している時、どうにも話しかけづらそうにされていた気がする。加えて、菊花賞のためだからと、コーチングもマックイーンを優先にしてくれと、気を使われていたこともあった。当時の見習いとしては全員の状態を管理しきるには難しく、純粋に善意からのアドバイスだと思っていたが、まさかその裏側にはそのような意図があったとは、考えつかなかった。

 同時に、たしかにあの頃から、マックイーンとは距離がどんどん縮まっていた。そもそも、彼女をチームにスカウトしたのは自分だった。選抜レースで思うように結果を奮うことが出来なかったマックイーンが気になり、食事計画などのアドバイスをし、その縁からチームにスカウトすることとなった。彼女はその後、チームのエースであるオグリキャップに惚れ込み、他のチームメンバーともうまくやっていたようだが、自分よりもどこか距離があったように思えた。それはメジロ家の誇りや矜持といった、目に見えぬ線を引いていて、できる限り格好いいところだけを先輩や同期に見せるようにしていたことからも明白だった。

 思い返せば、その境界線が当時から、自分と話すときだけは揺らいでいたような気がする。それは彼女が自分には心を開いてくれている、信頼されていると受け取っていたが、そこから誰かに繋げるという気は不思議となかったことは確かだ。もしかしたら独占欲のようなものが働いていたのかもしれない、と今更ながらに気づき、これでは専属トレーナーと揶揄られても仕方ない、と猛省してしまう。

 その行動が表に出てしまい、顔が赤くなって、たまらず手で覆いながら呻いてしまう。どうしようもなく恥ずかしかった。

 

「なーに今更恥ずかしがってんだ。たくっ、そういう意味では、お前らはお似合いでもあったってことさ。チームも最悪、すぐになくなるかもしれないと、内心戦々恐々としてたんだぜ?」

 

 肩をすくめながらとんでもないことを言う先生に、即座にそんなことはない、と返した。自分たちはそのような恩知らずではないし、チームシリウスが好きだったことは事実だ。チームを託された時、プレッシャーと共に嬉しかったことは間違いないのだ。そこはメジロマックイーンも同じ気持ちだと、疑いなく言える。そのことを改めて、正面から伝えると、ビシッと鼻先を指で差された。

 

「そう、そこだよ。お前ら2人は当時から"一心同体"だった。だからこそ距離が近すぎて、好意や感情、使命感までごっちゃになってたんだよ。けど、それが言葉にできる感情だって気づいて、ようやく自分たちは違う目線もあると理解した……思春期のガキじゃないんだから、お前が先にそういうことに気づけってんだ」

 

 ぐうの音も出なかった。たしかに恋愛経験は自慢できるほどないが、常識程度には理解している気はしていた。だが今、自分自身の感情にも揺れ動かされている状態では、ヘタレや恋愛初心者の誹りを受けても仕方なかった。

 

「まったく……序でにいうが、お前が本当に怖いのはシリウスって絆がなくなることでも、メジロ家や世間体っていうでかい枠組みでもねぇ。メジロマックイーンっていう一人の女の恋心に応えきれるかっていう、テメエ自身の自信のなさだよ」

 

 ブラックにして正解だな、そう総締めくくり、座りが悪そうにコーヒー缶をすする先生。自分は逆に、手の中にある缶の口に、その奥にあるコーヒーの水面に映る自分の顔に見つめていた。

 彼女の心が怖い。そんなことにも気づけなかった自分自身に、驚きと落胆があった。なぜこんな簡単なことに気づけなかったのかと、どうして指摘された今も尚、その恐怖心に縛られているのかと。どうしたいのかも決めきれない半端者のままのかと。何よりも、こうして改めて指摘されたことで、マックイーンへ向けていた感情に名前という形が作られることに、戸惑っていることに。

 たまらず、どうしたらいいんでしょう、と声に出してしまった。自分で発音してみて、ずっと情けない、震えた声。

 ため息を吐かれた。

 

「……そんなの、人に聞くことじゃないだろうが」

 

 そして、思い切り背中を叩かれた。

 びっくりして、コーヒーを落としそうになった。たまらず席を立ち、手から滑ったコーヒー缶を空中でキャッチし、先生へ振り返る。自分に活をいれてもらう時、いつもこうしてもらっていたが、それが今だとは思わなかった。

 

「お前は、アイツをどう想っているんだ」

 

 今までになく真剣な目で見つめられ、背筋を正した。叩かれた背中がじんわりと熱を帯び、それが全身にまで伝わっていくような気がした。言葉が頭と身内に染み渡り、意味が意識を塗り替える。無理やりしていた感情の蓋が緩み、そこに仕舞っていた言葉が溢れ出してきた。

 メジロマックイーンをどう想っているか。

 それだけは、ずっと前から決まっている。

 

「男は出たとこ勝負だ。ウマ娘も人間もそこは変わらない……追い込みだろうと、差しだろうと、先行だろうと、逃げだろうと、結局は最後の踏み込みが大事だ。だからよ、色んなことを一度棚に置いて、自分の気持ちと惚れた女に全身全霊で向き合ってみろ。それが男としてオレが教える最後の教訓だ」

 

 はい、と自分でも驚くぐらいに通る声で返してしまった。先生はようやく、朗らかに笑ってくれた。

 

「ようし、ちょっとはマシな顔になったな。なら行ってこい。うまくいったら今度奢ってやるよ」

 

 そう言って、コーヒー缶を差し出される。自分もその意図を察して、自分のコーヒー缶を出し、軽くぶつけた。コン、と音がなる。軽い音だが、それで十分だ。そのままぐいと残りを飲み干すと、コーヒーの苦味が口いっぱいに広がった。甘えきっていた自分には、これでもまだ甘すぎるが、気付には十分なぐらいだ。

 缶を捨てると共に、大扉の向こう、下の階から歓声が上がった。どうやら主役が到着したらしい。

 行ってきます、と深く一礼し、駆け出す。先生の視線を受けながら、眼下のチャペルに向かうべく駆け出そうとし。

 

「お、そこのトレ……メジロマックイーンさんの付き添いさんよ、ちょうどいい所にいた!」

 

 道具置き場の一つから、ひょこりと顔を出した長身の女性スタッフに呼び止められた。帽子を深く被っているので顔は見えないが、芦毛の尻尾を持っていることからウマ娘だとわかる。知り合いに似た雰囲気の声だと思いつつ、急いでいるのでと一声返して無視しようとしたが、横から現れた、これまた顔を帽子で隠した黒髪のウマ娘に腕を掴まれ止められた。小柄な体に似合わずとてつもないパワーを持っているのか、びくともしなかった。

 

「そ、その、今新郎役さんが大事なことになって、代役を探しているんです! だからトレー……マックイーンさんの付き添いさんが、やっていただけませんか!?」

 

 こちらもどこかで聞いたことがあるような、心地の良い声音だ。だがしかし、その言葉の意味は反芻し、渡りに船だと頷く。

 すぐに着替えは済むかと聞けば、2人のウマ娘はサムズアップで答えた。

 

「おうよ、このゴル……スタッフさんが超究極剛速球でバッチリ仕上げてやる!」

「ライ……わたしも、手伝います! だから、マックイーンさんを迎えに行ってあげてください!」

 

 どこか見知った雰囲気の2人に頷き、お願いしますと返しつつ、この短い時間に、ぶつけるべき言葉を浮かべる。それは感情と想いと心、理性の中で往復し、爆発し、だが大事なことを伝えようと、徐々に研ぎ澄ましていく。

 この短くも長い時間が、自分にとって天皇賞だ。

 




(ゴルシ・ライスは暗躍中のため掛け合いなしです)

この話を書いてる際に10連回したら白マックイーン出ました、
更にその初育成で温泉券も出て、初めて温泉行けました。

・・・マックイーンからのプレッシャーが怖いんですけど(震え声


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式場で・後編

最終回です。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。

書いてる途中、自分がギップルになるかと思いました(白目


 鏡の向こうに、私/メジロマックイーンがいる。複数の白色で影を作るウェディングドレスを纏い、スターチスの髪飾りで芦毛の髪を纏め、両手にはカラーとクローバーのブーケを持っている。これが常の自分であれば、普段とまったく違う装いに興奮を隠せなかったかもしれない。けれど今は、綺麗に施してくれた化粧でも隠せないぐらいに、気持ちが沈んでいる。

 

「うーん、肌のノリもばっちり。さすが名優……て、それは違う意味ですっけ」

「けど、何かこーパッとしないわね」

 

 メイク担当の女性とディレクターがそう評する通り、花嫁のモデルと言うには、些か雰囲気が暗い。理由は分かっている、今の自分自身が後ろ向きだからだ。

 彼から、少し距離を取ろうと言われた。今のままでは世間的にまずいと。理由自体はごくごく当たり前で、正論。チームシリウスの元エースとして、誇り高く規律あるメジロ家のウマ娘として、色事にうつつを抜かし始め、節制ができていなかった己を縛るには十分だった。

 だが、メジロマックイーンの中にあった恋心は暴れまわった。どうして今更そんなこというのか、虫が良すぎやしないか、一心同体だと言ってくれたのは嘘だったのか、このわからず屋、ニブチン、もっと甘えさせろ。

 心の中で四方八方に叫ぶも、彼の何かを押し込めるような表情を見て、自分も無理やり押さえつけた。今までの彼のことを考えれば、何かの訓練か、もしくはそういう注意をどこからか受けたかだろうと。さらに運が悪いことに、メジロ家の顔役であるお祖母様に、トレーナーの自宅に通っていたことに勘付かれ始めたのに加え、家での定期検診で脚にも故障の予兆が見つかっていた。発見が早かった為、最新の医療体制で1ヶ月は安静にしていれば問題ないと言われたが、おかげで行動に制限ができ、自分から会いにいけなかった。

 彼が既に自分の復帰プランを練っていたことは、彼の膝の上で一緒にPCを見ていたから知っていた。ここに来て、故障の予兆などというもので余計な心配を掛けさせたくないという思いもあって、相談しなかった。

 だから、まず1週間、双方の指示に黙って従った。

 2週間目も、ずっと彼の背中を追いながらも、足を留めた。

 3週間がすぎると、不安が立ち込めてきた。彼に嫌われているんじゃないか、愛想を尽かされてしまったのではないか。他に気になる人でもできてしまったのではないか。メジロドーベルやライアンの持っている少女漫画を見て、ちょうどそういう場面があり、勧めてきた彼女たちをつい睨みあげてしまった。

 4週間が経つと、脚と心が疼いた。脚は、あまりに走れない機会が長いために、自身についた錆を振り払おうとし、心は彼の元に飛び込むひたすら抱きしめ噛みつきたがっていた。

 そして今日、後輩たちが作ってくれたせっかくの機会に、自分自身にヤキモキして踏み込めないでいる。たった1ヶ月近くまともに話さないだけで、言葉は躊躇し、一定の距離まで近づけるのに、そこから先には行こうとしない。本当に彼に嫌われしまっているかもしれない、そんな益体もない妄想が、喉と脚と手を縛り付けているからだ。同時に、故障というウマ娘とトレーナー、双方にとって進退に関わる事柄を黙っていたことで、彼に信じていなかったと詰られるかもしれないという不安を抱き、そうなるかもしれない現実に恐怖しているのかもしれない。

 メジロマックイーンは、自分を律する。けれどそれは、性根の部分がどうしようもなくただの少女であることを隠し守る、鎧のような意味を持っていた。

 その鎧を自ら外して/甘えているのは、彼だけだった。もちろん、今までも時々家族や友人たちの前で晒すことはあったが、自分自身の意思でその全てを取り除こうとしたのは、彼の前だけだった。

 これが恋するということなのか、愛するということか、はたまたただの思春期の勘違いかは、メジロ家の使命を第一として生きてきたマックイーンにはまだ判断がつかない。だが、メジロ家ではなく、メジロマックイーンと一心同体となるといってくれた彼とは、もっとずっと傍にいたいし、その隣と膝上と腕の中は誰にも譲りたくないという感情と心だけは、唯一無二だ。

 

「うーん、顔が強張ってますね? やっぱり、あのトレーナーさんと仲が悪かったりするんですか?」

 

 メイク担当と共に仕上がりを見ていたディレクターが、顎に手をやりながらそんなことを呟いた。その内容に、わっと雁字搦めだった感情が溢れ、反射的に振り向き喚いてしまった。

 

「そんなことはありませんわっ。ただ、その……最近、ちゃんと話せてなくて……」

「あっ……あーその、そういう」

「うーん。まぁ確かに。男女の間ですから、そういう時もありますよ。ですけど……」

 

 何かを察して口ごもる2人に、もしかしたらよい答えでもあるのかもしれない、と無根拠な期待を込めて、その先を待った。しかしその前に、ドアが叩かれ、その思考は中断されてしまった。ディレクターがはーい、とドアを開けると、明らかに狼狽えた様子の若いスタッフがいて、良くない出来事を予感させた。

 

「すみません、新郎役のジョニーさんがお手洗いに行ったきり戻ってこなくて……」

「ええ? せっかくいい顔の人だったのに……そういえば、胃が弱いっていってたわね」

「何でもウマ娘のスタッフさんからもらった差し入れで、運悪く中ってしまったようで……」

「アレ、ウチにウマ娘のスタッフなんていたかしら? まぁ、とにかくしょうがない。なら先に花嫁だけの撮影にするわ。私もそっちにいって指示を出すから、あなた達も使う小道具変えたらこっちに来て」

「わ、わかりました」

 

 テキパキと指示を出してディレクターが出ていき、部屋に残ったのは自分とメイク担当だけになってしまった。件の男性は随分と運がないな、と思いつつ、持っていたブーケを化粧台へと置きつつ、同じく残された女性に声をかけようとしたが、しかし彼女もまた慌てた様子で部屋を出ようとしていた。

 

「あの、私はどうすればよろしいでしょうか」

「すみません、ちょっと指輪と花がないんで借りてきます! 申し訳ないんですけど、もう少し待っててもらえますか?!」

「は、はぁ……」

 

 勢いに気圧されて頷くと、メイクスタッフはそのまま出ていってしまった。余裕がなかったのか、部屋のドアも開きっぱなしだ。急変してしまった状況に取り残され、すっかり手持ち無沙汰となってしまった。思わず伸ばしていた手を下ろし、ちらりと持ち込んでいた手荷物に目を落とした。

 

「……指輪なら、一応ありますけど」

 

 1人呟きを取り出したのは、結婚式場と聞いて何となく持ち込んでいた玩具の指輪だった。一月前のくらやみ祭りで偶然当てた景品だ。子供向けだったのが幸いしてか、マックイーンの指にも綺麗に嵌るサイズだ。元々は金メッキだったのだろうが、経年劣化を起こして鈍くなり、スリー・ゴールドのような色合いとなっている。遠目かつパッと見では本物と遜色ないだろうが、ちょっと目を凝らしたり、性能の良いカメラで写せば、チャチな代物だろうとわかってしまうだろう。

 今日の感情も、これと同じだ。あれだけ距離を離していたのに、このような付け焼き刃のような出来事で、もう一度それまでの2人に戻ればと願っている。加えて結婚式場に、ウェディングドレス。意識してほしい、女の子としてちゃんと見てほしいと願うのは、甘さだろう。文字通り、メッキの如き浅慮と打算だ。それがうまく行けば、いや、そもそも彼とこの場所に来れただけで嬉しかったのだ。全てが上手くいくはずがない、これでよかったのだと、頭を振る。

 これではダメですよね、とドレスのポケットへ想いと共にしまいつつ、すっかり静かになったブライズルームを見回した。このまま椅子に座って待つのがベターなのだろう。しかし1人でいるとまた悶々としてしまいそうなので、気分転換に少しだけ部屋の外に行くことにした。着慣れないウェディングドレスと専用のハイヒールだが、歩き方はドレスや勝負服での歩法を流用できるため、移動は問題ない。

 ブライズルームからひょこりと顔を出し、周囲を見渡す。先程のトラブルや披露宴の方で忙しいのか、周囲に人気はない。ふむ、とそのまま抜け出して廊下を出た瞬間、油断していたのか誰かとぶつかってしまう。相手が人間であればそのまま相手が尻もちを突いてしまうが、しかし双方ともに軽くぶつかった程度で倒れる様子もない。申し訳有りません、と頭を下げてから相手を確認すると、耳と目で驚きを示してしまった。

 

「オグリさん?」

 

 チームシリウスの元エースであり、現在ではドリームトロフィーリーグの第一線で活躍を続けるオグリキャップが、催事用だろうオレンジのドレスを纏い、自分と同じように目を瞬かせていた。ピンと立てた耳と尻尾を、状況を認識したのだろう、すぐにリラックスしたように下ろし、見知った笑みを浮かべた。

 

「マックイーンか、うん、久しぶりだな。どうしてここに?」

「私はモデルの代理を任されてまして。そういうオグリさんは?」

「わたしは北は……いや、君たちが先生と慕っていた彼に頼まれてな、ゲストとして来てたんだ」

 

 美味しいものがいっぱい食べられて役得だよ。にこやかに微笑む彼女は、以前会った時より幾分か大人びてはいたが、しかし根本的な雰囲気に変わりはなかった。あの時、有マ記念を制した、メジロマックイーンが憧れた時のオグリキャップのままだ。そのことに安堵していると、オグリキャップの表情に怪訝だと言いたげに変化した。

 

「どうにも気分が良くないみたいだが、どうしたんだ? もしかしてあまり体調がよくないんじゃないか?」

 

 どうやら、仕舞ったはずの感情が、まだ顔や耳、それに尻尾に出ていたらしい。

 

「いえ、コンディションは大丈夫です。ただ、故障の予兆のようなものが見つかりまして、安静のためあまり走れていなくて……」

「それは大事だ。サブトレーナーの指示だろう? 彼ならそう言うハズだ」

「あの人は関係ありません。それに……こんな状態で、話せるはずがないですわ」

 

 むっとオグリキャップの眉をひそめられたが、事実は変わりない。距離が開き、心も離れ始め、うまく言葉も交わせない。そのような状態で生涯に関わるような相談など、できるはずがない。それだったら、自分でできる限り治し、彼にはチームの大事に専念してもらった方がマシだ。

 

「関係ない、か……そういう嘘は良くない。綺麗なのに、ひどい顔をしてる」

 

 だが、そのような強がりなど、この偉大なスターにはお見通しだったようだ。びきり、と心の蓋にヒビが入って、感情という中身が溢れた。

 

「マックイーンたちが今どういう状況なのかは、私には分からない。けれど、それは彼の信頼を裏切っているんじゃないか? 君たちが一心同体だったのは、近くで見ていたからよく知っている。たとえ一時仲違いしても……」

「そんなこと、分かっています!」

 

 たまらず、叫んでしまった。廊下中に響いて、他の人達が目を丸くしてこちらを見ていても構うものか。それでも、自分たちのことを分かった気になっている先輩に、言ってやりたかった。

 

「距離なんて離したくない! 何もかも打ち明けたい! もっと抱きしめ合いたい! けど、彼からあんな風に言われたら……彼のエースとして、耐えるしかないじゃないですか……嫌われたく、ないんですものっ!」

 

 はたと、余計なことまで吐露してしまったのに気づいた。思わず泣きそうになって、たまらず俯いて、顔に力を入れて涙を流さないように堪えた。仕事のために、ドレスを汚すわけにはいかない。代理とはいえ請け負った以上"メジロのウマ娘"として、ちゃんとやり遂げなければならない。

 

「むぅ……やはり私はこういうのは苦手だ……どうにも言葉だと、伝えにくい……北原やタマのように言い回しが浮かばないな」

 

 さてどうしたものか、とオグリキャップが腕を組むが、それどころではなかった。嫌われたくない、そんな幼稚な理由が根っこにあることに気づいてしまった。いや、そのようなことはとっくに気づいている。問題は、それを他人にぶつけてしまうまで、余裕がなくなってしまっていることだ。これでは、エースとしても、メジロ家のウマ娘としても、彼の隣にいることも不十分な、ダメなウマ娘だ。これでは、いつも自己評価が低いと指摘しているメジロライアンを笑えない。

 

「ごめんなさい、急にこんなことを言ってしまって……」

 

 心を平静に戻そうと、まずは顔を上げ謝罪した。すぐにできるのは、これしかなかったからだ。

 

「いや、そこは気にしていない。むしろ仕事の最中に余計な茶々を入れたこちらの方が……」

「マックイーンさーん、小道具は向こうで用意するので移動を……え、オグリキャップさんっ!?」

 

 オグリキャップが申し訳無さそうに耳を垂れたその時、廊下の奥から先程のスタッフが駆けてきた。すぐに傍にいるウマ娘に気づくと、そのまま彼女の傍まですり寄ってしまった。

 

「わ、わたしファンなんですっ、こんなところで会えるなんて感激です! あーサインとか書いてもらうものが〜」

「ああ、その、えぇと……」

「あ、あのスタッフさん、オグリさんが困ってますので、その辺で……」

 

 先程までの重苦しい雰囲気が霧散することを感じつつ、不意打ちでしどろもどろな対応になってしまっているオグリキャップのフォローに入る。心なし、等身が小さくなったようにすら思えるのは昔からだ。先代や周りの先輩がいない時、こういう状態のオグリキャップのガードを彼とやったこともあったな、と思い出し笑いで口元が緩むのを自覚し、胸の痛みがまた強くなるのを押さえつけた。

 

「あ、すみませんつい! そういえばお二人は、元は同じチームでしたものね! そうだ、この後マックイーンさんの撮影があるんです! よかったらオグリキャップさんも見ていきませんか? いえ、是非行きましょう!!」

「いや、私は連れを探してて……」

「ほら、マックイーンさんも! 撮影の準備はできたみたいですし、ちょっとのメイク崩れも向こうで直せますからっ」

「ちょ、ちょっとっ」

 

 調子が一気に最高潮になったのか、スタッフの女性は強引に2人を連れてエレベーターに入ってしまった。ウマ娘を引っ張れるなんてすごい女性だ、とプロの力強さに驚きつつ、閉じられるエレベーターの中で大人しくする。スタッフは念願のアイドルウマ娘へ熱心に話しかけていて、何とかスターとしての威厳と調子を取り戻したオグリキャップもまた、言葉数は少ないが、しっかりと受け答えを行っている。傍が姦しいおかげで、高ぶっていた感情/心/気持ちが改めて平静に戻っていく。これで少なくとも、モデル仕事は行えるだろう。

 

「マックイーン、今日は彼も来ているのか?」

 

 だが、不意にオグリキャップにそのようなことを聞かれ、咄嗟にはい、と答えてしまった。オグリキャップはファンに受け答えつつ、そうか、と静かに頷くと。

 

「なら、キミのトレーナーを信じろ」 

 

 そう告げた。

 エレベーターが開く。急な騒がしさが耳を震わせ、咄嗟に垂らしてエレベーターから出ると、エレベーターホールでは多くの撮影スタッフが既に待機しており、各々の担当する計器や撮影位置などを忙しなくチェックしていた。正面の大扉は既に開け放たれ、チャペルの先端にあるステンドグラスから光がこちらまで差し込んでくる。また、その上の方からも声が聞こえ、反響していることから、チャペルが複数階から構成される吹き抜け構造だと言うのを察することができた。

 自分たちが到着したことに気づいて、皆の目がこちらに向いて、わっと声が上がった。綺麗で、似合っている、一生見ていたい。そのようないっぱいの褒め言葉が、心を震わすことはなかった。

 

「ああ、お待たせしてごめんなさい。申し訳ないんだけど、すぐに撮影に……え、オグリキャップさん?!」

「私の方は気にしないでくれ、ただの見学だ。それより、仕事が押しているんだろう?」

「連れないですねぇ。そうだ、ならメインが終わった後にマックイーンさんと撮影はいかがでしょう?」

「ああ、そこは少し考えさせてくれ」

「さ、マックイーンさん、こちらへ」

 

 直ぐ側でオグリキャップとディレクターが話す中、マックイーンはそのまま他のスタッフに連れられ、チャペルの中へ踏み込んだ。わっと白い光が自分を包み、目を細めてしまった。オーソドックスな教会風の式場だ。だが、赤いバージンロードを歩いて祭壇までたどり着くと、間近で見るステンドグラスを象ったものの正体に気づいた。上の階まで伸びる3枚のそれには、ウマ耳と尻尾の生えた3体の女神が描かれていた。学園にも像がある、3女神だ。なるほど、これなら確かに、ウマ娘のモデルを探すわけだと納得すると、スタッフが小道具を持って駆け寄ってきた。

 

「すみません、これを持っていただいて、あとちょっと失礼しますね」

 

 持たされたのは、スターチス・シロツメクサ・スズランが包まれた小柄のブーケだ。更にレース生地のベールを被せられ、耳は専用の開け口から通された上で、顔は見えるように開かれた。

 

「少しムズかゆいですわね」

「あはは、慣れないと思いますが、少し我慢してくださいね」

 

 指輪はこの次の撮影で付けていただくので、とポケットに入れられた。そして軽く化粧を施し直し、さっとスタッフが祭壇から引いていく。レフ版や追加照明を用意した撮影スタッフに見下ろされ、大扉前に取り付け直したメインカメラがこちらをじいっとフレームに入れた。気合を入れるディレクターたちとは違い、見学と告げたオグリキャップはその端でじっとこちらを見つめてくる。

 ふぅ、と大きく息を吐いて、もう一度呼吸を整える。敗北を喫した際のウイニングライブのように、負の感情を一時奥底に押し込め、精一杯の笑顔を作ろう、ブーケを持ち直した。

 

「それじゃあ、撮影入りまー……」

「おーと、ここでゴルシちゃんのちょっと待ったコールだぁぁ!!」

 

 そして、どこかで聞いたことがあるような叫びと共に、大柄の女性がバージンロード前に降り立った。ズンという大きな音を立ててきた相手の正体を即座に看破し、たまらず大声を上げた。

 

「ゴ、ゴールドシップ?! どうしてここに?!」

「へっ、こんな面白イベント、このゴルシちゃんが見逃すわけがねぇ……てのは悪いな、ちょいと嘘だ」

 

 撮影スタッフに扮していたのだろう、地味な作務衣に身を包んでいたゴールドシップは、深々と被っていた帽子を外し、悪戯が成功した子供のように笑った。

 

「今日のアタシたちは魔法のバ車の運び手だ! さぁ、主役がやってくるぜ!!」

 

 その瞬間、困惑するスタッフたちの奥で、閉じられていた大扉が、勢いよく開け放たれた。

 

「マックイーン!!」

 

 そして、彼がやってきた。

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっとトレーナーさん!? これは一体……」

 

 すみません、通してください。

 それだけいって、混乱する撮影スタッフたちを押しのけ、バージンロードの先端へとたどり着く。着替えを手伝ってくれたスタッフ、いやゴールドシップはそんな自分をふふんと鼻で笑うと、その道を譲り、まるで定位置のように撮影スタッフの中に交ざった。

 

「え、何で勝手に入ってるんですか、これだと撮影が……」

「……すまない、5分ほどでいいから待っててくれないか。主役がようやく来てくれたんだ」

「オグリキャップさん……いえ、だったら……B班、カメラ回して! 上階のレフ版位置を20度変更、急いで!」

 

 背中の方では、ディレクターさんに、いつの間にかいたオグリキャップが何がしかを話していた。どうやら撮影を一時的に止めてくれるよう説得してくれたようで、後で謝罪と感謝をしようと覚えておく。

 そして、それらを全て記憶の端にメモして、一度忘れ、正面を見据える。

 今まで見てきた誰よりも綺麗な少女が、そこにいた。まとめ上げた芦毛に、純白のベール。レースで飾られたウェディングドレスは彼女を文字通りの花嫁として着飾り、施された化粧は少女の本来の美しさを補助し、大人へと羽化しようとする変化の最中をそのまま形象している。そして何よりも、今もずっと変わらない紫の瞳が、驚きで見開かれ、淡い赤の口で彩った口元が震えていた。

 

「どうして……その、格好は?」

 

 借りてきた。まずそれだけを返して、頭を下げる。

 この一ヶ月、キミを遠ざけてごめんと、まずはそのことを謝る。そのことだけは、絶対に自分に非がある。だがマックイーンが何かを言う前に、それでも、と顔を上げ、背筋を伸ばす。

 キミに伝えたいことがあるんだと、自分の中の暴れまわる感情を、一つ一つ整理し、それでも情熱だけを消さないように注意して、声に出していく。光が、いや3女神が自分を照らしたような気がした。勇気のようなものは、とっくに燃やして、彼女へと歩み寄り出した。

 

 俺は、勘違いしていたんだ。

 チームシリウスのためとか、メジロ家の使命を一緒に果たすためとか、ウマ娘として大成させるとか、そういうものの為に、キミと一緒に歩んできたんじゃない。

 キミがキミだから、一緒にいたいんだ。

 これからも、ずっと。

 マックイーン、キミが好きだ。愛している。

 本当は、初めて会った時から、キミに惹かれていたのかもしれない。けれどあの時の俺は、トレーナーとしての使命感とか、初めてのシリウスでの生活とか、ステイヤーとしての才能だとか、色々な事に流されて、キミの別のところばかり見ていた。だから、その中心を、キミ自身を見ることに覚えてしまったんだ。

 けど、今ならそれも無駄じゃないって思える。そういうことも全部引っ括めて、キミと歩んできた道だからだ。

 ああ、そうだ。

 俺はキミと生きるために、ここまで来たんだ。

 だから、許されるなら、これからもキミの傍で、共に歩んでいきたい。

 一心同体でも、唯一無二でも、言葉はいくらでもあるけど、結局ただ傍に居続けたいってことには変わりはしない。

 他の奴には絶対にキミを譲りたくない、俺だけが、キミと共にいられるんだと証明し続ける。どんな困難でも、キミがいれば越えていける。キミがもし折れるようなことがあっても、その体を背負って、どこまでも歩んでいける。

 メジロマックイーンという女の子を愛し抜き、一緒に年を取って、死が分かつその時まで、共にいたいんだ。

 もう一度言うぞ。

 愛している。

 今すぐには無理でも……俺と、結婚してください。

 

 言い終わる頃には、彼女の目の前まで来ていた。彼女の背丈に合わせ、騎士にように膝を落とし、顔を伏せ、手を差し出した。これでフラレたら盛大な自爆ショーだな、と益体もないことが身中で浮かべつつ、彼女の答えを待った。

 

「……カ」

 

 不意に、震えるような声が聞こえた。

 

「バカ、卑怯者……どうして……どうして、こういう時に、そういうことを言うんですか。ガラでもないのに格好付けて! 頼まれた仕事も滅茶苦茶にして! メジロ家の一員に……私の伴侶になるというなら、もう少しスマートになさってください……」

 

 顔を上げる。その瞬間、彼女の体が勢いよく飛び込んできた。たまらずたたらを踏んだが、何とか倒れず、意地で受け止めきった。

 メジロマックイーンが泣いていた。泣きながら、笑っていた。せっかく綺麗にしていたメイクもぽろぽろと剥がし、束ねていたブーケも宙に放ってバラけさせて、それでも自分を離さないよう、抱きしめていた。どこからか、ライスシャワー(祝福)が降り注ぎはじめ、きらきらと光を反射した、

 

「わたくしの方が、貴方のことをずっと好きだった! 愛してるの!! 貴方と共に練習している時も! 貴方と共にレースを勝った時も! 負けて涙を堪えている時も! ライブのときだって、貴方が観客席にいればすぐに見つけました! 貴方の膝の上が何よりも安心した、ずっとその胸の中で眠っていたいと想ってしまった! どれだけ甘えても、際限なく好きが溢れてたまらないの! どんなに茶化されても、遠ざけられても、貴方を嫌いになんてなれなかった!」

 

 だから、と彼女の手が強張った。そのお返しに、こちらも彼女の背で、両腕を重ねた。

 

「もう、私を離さないで……チームのエースとしてでも、メジロ家のウマ娘としてでも、何でもいいから……貴方と共に、生きたい」

 

 彼女の言葉に、頭を振る。

 お願いするのは、自分の方だ。そして、そういう理由は、二の次なんだ。

 キミは、そういうものを全部引っ括めて、メジロマックイーンだ。その全部は叶えることが当然なんだ。その上で、キミ自身を愛するんだ。

 言葉を出し切ると、彼女がそっと離れた。ようやく、同じ目線で彼女と目があった。

 揺れた瞳に、もう暗い光は見当たらない。自分のよく知るメジロマックイーンのものだ。今はそこに、熱すぎるくらいの熱が込められているのを、ぶつけられている自分自身がよく分かっている。

 

「……結婚の約束なら、こういうものが必要でしょう」

 

 片手を離して、彼女がポケットから何かを取り出した。思わず目を疑った。それは以前、くらやみ祭りで景品として手に入れたおもちゃの指輪だった。どうして持ってるんだ、とつい口に出すと。

 

「何となく持ってきてしまって……けど、今はこんな気まぐれを起こしてよかったと思うの」

 

 そう言って、彼女の手から指輪を渡され、すっと左手を差し出された。

 今の自分には、このおもちゃの指輪で精一杯だ。それに本当の結婚式でもない。だから、これは予行演習で、誓いだ。

 スリー・ゴールドと同じ輝きを今は持つ指輪を、彼女に左手薬指へ嵌めた。

 そして改めて、彼女に願う。

 

 メジロマックイーンさん、結婚してください。

「はい、喜んで……幸せにしてくださいね、あなた」

 

 そういい、彼女の顔が近づく。自分もそれに合わせて目を瞑った。

 初めてのマックイーンとのキスを、3女神は微笑みながら見下ろしていた。

 

 

 

 

「……とんでもないことをしてしまいましたわね」

 

 まったくもってその通りだと頷く。夕焼け空の帰り道だが、自分とマックイーンの顔はそれよりも尚赤くなっているはずだ。事実として自分の首から上はかつてないほど熱がこもり、マックイーンの芦毛の耳の先端は、そうとわからないぐらいに紅潮している。

 自分たちの乱入した後、それはもう大騒ぎだった。仕掛け人であるライスシャワーとゴールドシップが米だけでなく花まで投げ出し、その中で忙しなく動き続けるスタッフ、さらには騒ぎに気づいて一般客がチャペルまで来た、やいのやいのと大騒ぎだ。結局そのまま新郎の代役としてモデル撮影を続行となり、様々な人達に見られながら写真に撮られてしまった。そうして撮られている内に、ようやく頭が平静さを取り戻し初め、逃げ出したいと2人揃って顔を真赤にするころには、その場の全員での記念撮影まで進んでいた。おまけに先生たちが参加していた披露宴の夫婦まで、この突発的に始まった撮影会に乗り気になって、最後には式場の皆がワンショットに収まるようになっていた。

 そこまで終わって魂が抜けたように放心していると、今日はこのまま帰っていいと言われてしまった。さすがに迷惑をかけた以上、最低でもその分は返さないといけないだろうとマックイーンと共に片付けの参加を表明したが、ディレクターに肩をすくめられてしまった。

 

「お礼を言いたいのはこっちよ。想定よりも数倍いいものが出来上がったし、ライスシャワーっていう演出も日本で使えそうって分かってよかったわ。それに、貴方達は巻き込まれた側みたいだしね。そういうのは仕掛け人の2人に被せます」

 

 学生だからってバイトなんだから私の指揮下よーと話すディレクター。確かに、今回の一件を裏で引いていたのはゴールドシップとライスシャワーだったようだ。自分とマックイーンの様子が可笑しいと気づき、どうせなら仲直りさせるついでにくっつけてしまおうと考えた矢先、ゴールドシチーのヘルプの話が入り、雑な計画を立てたようだ。実はゴールドシチーもこの裏側の事情までライスシャワーから説明されていたようで「そういうの嫌いじゃないから、会社側のフォローは任せて」と許可をもらい、彼女の伝手で秘密裏に2人をバイトとして潜入させたようだ。こういう裏事情を「アタシは120億円を溶かしました」「ライスは火事場のバ鹿力を出し渋る悪い子です」などと書かれたホワイトボードを首から下げて正座する主犯2人から聞き、頭が痛くなったものだ。

 問題の2人は撮影の後片付けの他、チャペルの清掃を2人だけでやることになり、散らばった米粒一つ残すなと言われヒーヒー言っていた。

 同じくそれぞれの場所から先代とオグリキャップには、これからが大変だぞ、と背中を叩かれた。たしかに、マックイーンとの関係性が変わることで、チームシリウスのみならず、学園やメジロ家との付き合い方も変化していくだろう。それが良い方向にしろ、悪い方向にしろ、歯を食いしばって乗り越えなければならない苦労となるのは確実だ。今回の件の後処理も含めて、悩ましいことだ。

 

「けど……今、こうしてまた、あなたの傍に戻れて、嬉しいですわ」

 

 そういって微笑むマックイーンに、自分も同じようにほほえみ返す。2人の手は、ずっと繋がったままだ。

 式場でのひと悶着からこっち、「後で出来たもの送るわねー」の一言で追い出されるように外に出てしまい、さぁ2人きりでどうしようと思った矢先、メジロマックイーンの爺がメジロ家の専用車で迎えに来たのだ。自分は電車でだったが、彼女は実家からの登校の時と同様、お嬢様らしい送迎だったため、今日はこれで一度お開きとなると考えた。

 名残惜しいな、と互いの手を絡めて目で訴えると、爺やさんが一度咳をし、パッと手を離した。

 

「……どうやら、車両の調子が悪いようでして。トレーナー様、申し訳ないのですがお嬢様を"ご友人"のお宅まで送っていただけないでしょうか? ああ、そういえば今日はご宿泊の予定だったようです」

 

 そうして彼から言われたことに2人で目をパチクリとしていると、メジロ家の瀟洒な爺やはいつもの調子で一礼し、そのまま車に乗りこんで行ってしまった。しばらくそのまま見送っていると、気を使われてしまいましたね、とマックイーンがくすりと笑みを零した。どうやら、感謝する相手がまた1人増えてしまった。

 そして、2人で手を繋いだまま、帰り道を歩き始めた。

 人混みの商店街の中、庶民の買い物に慣れない彼女を先導しつつ、今日の夕飯の材料やお泊りセットを買い、これまた彼女は慣れていない電車の中で、そこから見える夕焼けを楽しむ。電車を降りた後も、改札口でも繋ぎっぱなしだったためもたついてしまい、つい可笑しくて笑ってしまった。見慣れた河川敷までたどり着くと、2人がこの一ヶ月であったことを、掻い摘んで話し合った。一方的な想いで距離を取ったことや、怪我の予兆があったこと。もしかしたら喧嘩にまでなってしまいそうな話題でも、今だけはウマ娘の握力で握られたり、一瞬手を離して寂しがらせる程度で済んだ。

 ゆっくりと、道を歩く。これからの一生は、常にこの速度ではないだろう。ウマ娘が走るよりも速く、激しく、強くなければならない時が必ず来る。

 それでも、今こうして隣にいる彼女と一緒なら、越えていけるだろ。

 根拠のない、けれども大切な想いを、互いの胸の中にしまうと、いつの間にか家の前に着いていることに気づいた。トレセン学園から提供されるトレーナー寮とは違うが、それなりに頑張った自分だけの城。かんかんと階段を上って、部屋の前に着くと、不意にマックイーンが手を離した。どうしたんだ、と聞こうとしたが、彼女がよく浮かべる、あの甘えてくるような仕草をする時の、幸福そうな笑みを見て、何をしたいのか、何を告げたいのか、すぐに察することができた。

 翻った芦毛の髪と尻尾が、夕と夜、太陽と月の光を反射して、きらきらと彼女を彩る。それはさながら、彼女自身が輝きを放つ一等星(シリウス)のようであった。

 

「ただいま、帰りましたわ」

 

 そんな大切なウマ娘(愛するひと)に、自分は微笑み返し、胸に飛び込んできた彼女を受け止めた。

 

 おかえり、マックイーン

 

 




ゴルシ「結局さっさとうまぴょいしてればここまで拗れなかったのでは? ゴルシちゃんは訝しんだ」
ライス「ゴールドシップさん!!」(無言のポン・パンチ
パリーン
ゴルシ・ライス「「あ"っ」」



お好きなギャルゲー・エロゲーのエンディングテーマを流してください。
全体のあとがきやオマケなどは後日投稿します。

2021/4/20 エピローグ追加に伴い「Fin」表記を削除しました。


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エピローグ・学園で

(最終回詐欺となり)本当に申し訳ない
たぶん、説明中心のため、糖分はかなりカットできてると思います。
それでよろしければ、お読みください。

追伸:
 カレンチャンは来ませんでした。
 そのガチャを引いた夜、テイオーに馬乗りされ、そのまま両手で首を絞められる夢を見て起きました。



 キーンコーンカーンコーン、とお決まりの鐘の音がトレセン学園に響く。梅雨の季節、じんわりと外の雨の匂いが入り込んでくるトレーナー室にもその音は届き、昼時であることを教えてくれる。キャビネットや本棚が壁側を埋めるため、自分ひとりがちょうどいいくらいの室内で、広げていた申請書類を整え、作業机の横に置いた。先代トレーナー時代から使用しているこの校舎内のチームシリウス向けに貸し出されたトレーナー室には、チームの歴史が壁一面の書棚に納められている。その一部は展示用に改造され、今までのシリウス所属ウマ娘が獲得したトロフィーの一部が飾られていた。大多数は本人やその家族が持って帰ってしまっているが、それでも棚を飾るには十二分な証が並べられていた。

 一番上にあるのは、やはりオグリキャップの有馬記念と、ライスシャワーの3度目の天皇賞・春の盾だ。そして下段にも記念トロフィーが並ぶが、マックイーンに関わるレースで存在するのは、メジロライアンと争った菊花賞のものぐらいだ。それ以外はすべてメジロ家に置かれており、特に天皇賞の盾は、歴代のそれと共にあの屋敷のもっとも見えやすい場所で、燦然と輝いているだろう。

 何だか遠い昔の出来事のようなだな、と思いつつ、予め持ってきていたウマ娘向けの大きな弁当を部屋の真ん中にある応接用のテーブルに置くと、こんこんとドアが叩かれ、こちらの返事もなしに開けられた。

 

「お待たせしましたわ」

 

 艶やかな芦毛を揺らし、息を整えたメジロマックイーンが小さな荷物を持って入ってきた。チームの一員である彼女がここにくることは特に珍しいことではなく、すんなりと来ることができたようだ。だがチャイムが鳴ってからここまで来るのは早すぎるのでは、と温めたばかりの2人分のティーカップに、適温のお湯を入れて準備しつつ尋ねてみた。トレーナー室のある棟と教室棟の距離は、最低でも2つ渡り廊下を通らなければならないはずだ。

 

「それは、その、走ってきましたわ……こい、恋人と少しでも一緒にいたいと思うのは、卑しいでしょうか?」

 

 彼女の言うことは正しいのだろう。髪やスカートの裾はちゃんと整えたようだが、衣替えした学生服の背中は汗が滲んで肌に張り付き、ライム色のキャミソールがうっすりと浮かび上がっている。

 嬉しいけど、無茶はしないでほしいな、コケたら一大事だし。そんな風に苦笑いを浮かべて傍にあるタオルを渡すと、そんなヘマはしません、とぷりぷりと怒りつつ、彼女も簡単に汗を拭ってから、持っていた小包をテーブルの上に広げた。丁寧に折られた藍の布に包まれていたのは男性用の黒い弁当だ。こちらが用意したウマ娘用のそれよりはまだ小さいが、それでも彼女が持つには一見不釣り合いなものだ。一方で中身は不揃なものが多く、具が滲んで変色したサンドイッチや、焦げたりぐちゃぐちゃになった卵焼きとおひたし、かろうじて人参だとわかる焦げた物質があった。

 マックイーンがうぅ、と気恥ずかしげに呻くのを横目に、こちらもカップにティーバッグを入れて蓋をしつつ、持ってきていた弁当を広げた。2段重ねのそれに入っているのは栄養バランスを考えたもので、トリのササミに青じそのドレッシングを加えたカニカマのサラダ、その他脂肪となりにくいおかず類を並べている。主食は同じサンドイッチだが、卵のみやBLTと種類も揃えている。そしてマックイーンの大好きな甘味として、今日は低糖きなこのわらび餅を隅っこに用意した。ウマ娘の健康を預かるトレーナーである以上、管理栄養士と同等の知識も必要だと言われ、先代に無理やり料理を勉強させられた成果だ。

 

「うぅ、相変わらず、あなたのはちゃんと美味しそうにできてるのに……」

 

 自分の料理と比較して耳と尻尾を垂らすマックイーンに、ゆっくり勉強すればいいよ、と慰めつつ、カップの蓋を取りティーバッグを取り出す。レディグレイの香りがほわりと部屋に広がり、湿り気の臭いをかき消してくれた。箸も出して準備ができたところで古ぼけたソファーに座ると、隣にマックイーンが座る。座った際に彼女の肩やお尻と触れ合うような距離で、ちょうど彼女のぴこんと立つ耳を見下ろせる位置だった。

 

「もちろんこちらの勉強もしますわ。メジロ家のウマ娘として、殿方に遅れは取りたくありませんし……そ、それに……愛する人には、その、ちゃんとしたものを食べていただきたいですし」

 

 顔を赤くしながら、尻すぼみになる少女の言葉に、素直に嬉しさが出てきて、ならまた一緒に勉強しよう、と提案すると、パッと花が咲いた。

 

「ええっ! なら次の休日に……オホンっ、お手柔らかにお願いしますわ」

 

 お嬢様らしい言動に言い直しながら、しかし頬の緩みはそのままの彼女の同意を得て、すぐに頭の中でスケジュールを組んだ。何だかんだいって、彼女と一緒にいたいのは、自分も同じなのだ。

 そして、2人で両手を合わせて、いただきます、と声を合わせた。そのままマックイーンは箸を持つと、少し悩んでから、持ってきた弁当から卵焼きを取った。そしてそのまま自分の口には運ばず、こちらの口元に持ってきた。自分も脂身を控えた揚げ豆腐を箸で半分にして持つと、そのまま彼女の口もとまで持っていった。

 

「それでは……あーん」

 

 マックイーンが口をひな鳥のように開けたので、揚げ豆腐をその口の中に入れる。はむっ、と彼女の口が閉じられ、もきゅもきゅと形のよい唇と頬が動く。

 

「この香り、ああ、これはバターですわ……お豆腐がしっかり油の中に閉じ込められて、しつこくない。お醤油がなくても、味がしっかりついてるなんて、どうやったのですか?」

 

 それは今度来るときまでの秘密、と誤魔化して、自分も口を開けた。

 

「もう、すぐにそういう意地悪をして……はい、あーん」

 

 唇を尖らすマックイーンも、すぐに気を取り直して、摘んだままだった卵焼きをこちらの口へと入れてくれた。もぐもぐと口の中で味わい続けるが、中々味がしない。しかし不安そうに上目遣いでこちらを見るマックイーンに、これも悪い気がしないのは、大分あの気持に毒されてるせいだろう。

 恋と愛、その2つを自覚して、勢い任せに告白したあの日からおおよそ2週間経っているが、あの告白騒動の数日間はそれはややこしい事態になった。

 まず、マックイーンのウェディングドレス姿があの式場にいた一般客の手で、SNSに拡散された。レース出場を一年以上控えていた名優・メジロマックイーンの情報がいきなりネットに現れ、しかもウェディングドレスを式場で纏っているのだから、一騒動になるのは目に見えていた。すわ婚約や学生結婚、はては引退もありうるという話まで出たが、そこはメジロ家の広報担当や式場側、それにシチーや所属するモデル事務所側から、ただのアルバイトだったという正確な情報が発信され、ひとまずは落ち着いた。ただ彼女の生来の気品さや見目の良さから、純粋にモデルとしてバズり出し、正式にモデル契約を結ばないかという話も上がった。ついででその手の話題に敏感なカレンチャンなどにもライバル出現などとしばらくは警戒されてしまった。

 幸いなことにあの告白騒動は、最初は当事者たち以外には語られず、学園側にも漏れることはなかった。おかげでしばらくはマックイーンが家に何日も泊まり込み、実質同棲のような状態となってしまった。

 誓ってやましいことはしていない。

 だがそこから更に数日後、ゴールドシップがやらかした。アルバイト代として、何故か撮影されていたあの一連の写真と、同じく記録されていた動画を、チームシリウス内でぶちまけたのだ。どうやら撮影は自分が乱入した直後から行われていたようで、邪魔にならないようにと無音機能を使って行われたらしい。しかも映画やドラマの撮影よろしく、手拍子やホワイトボードで指示出しをし、音を極力立たないようにするという徹底ぶりだ。プロの技と臨機応変ぶりには舌を巻くが、被写体の身から全て余計なことをしないでくれという思いしかない。途中から降り注いでいた祝辞用の米も、上階で待機していたライスシャワーに、スタッフが用意したらしい。

 公開された内容に自分とマックイーンは羞恥で轟沈し、チームメンバーと遊びにきていたメジロライアン、ドーベルは顔を赤くしながらきゃいきゃいと騒ぎつつ、死体蹴りよろしくマックイーンをひたすら質問攻めにした。先代の言う通りわかりやすかったのか、かなり前から自分たちの関係は知られていたようで、付き合い始めたことは特に疑われなかった。だがそれはそうとして、女子というのはそういう話が大好きなのだろう。相方である自分も巻き込まれ、二人してぷるぷる震えながら質問に応えることになった。

 それ故に反応が遅れてしまった。何といつの間にか部室から抜け出したゴールドシップが、学園の屋上からその写真をバラまき出したのだ。エースの責任として普段ストッパー役をしているライスシャワーが、レース出走手続きの関係で不在なのを狙ったのだろう。元祖ゴールドシップ係だったマックイーンが下手人をマットに沈めた時には既に遅く、自分たちの関係は学園中に知られてしまった。

 

「むしゃくしゃしてやった、今は愉悦している」

 

 正座のまま、いい笑顔でサムズアップしたゴールドシップは、後から事情を聞いたライスシャワーによって天高く舞った。

 それからはひと悶着という話ではなかった。マックイーンは同期から、自分は同僚から一気に質問攻めに合ったが、やはり無自覚でそういう空気を発していたのか、ようやく付き合い出したのか、ちゃんと卒業まで待てよ、などと生暖かい声援も送られてしまった。もちろん一部のトレーナーや教師から、在学中のウマ娘と付き合うことの不道徳を説かれたが、それを承知で彼女を愛しているのだと、意地は通した。そして一番の問題、最高責任者である秋川理事長には、マックイーンと共に厳重注意と不順異性交友に該当する行為がなかったかの確認が行われたが、2人でその辺りを説明しつつ、将来を誓い合っていることを伝えた。その結果、卒業までは健全な付き合いであることを条件に、何とか認められることとなった。その許可を出してくれた時には、理事長と駒川たずな秘書が揃って上せたようになってしまっていたが、おそらくは梅雨で湿度が高く蒸していたからだろう。

 こうして学園での自分たちの関係もオープンになったが、そのおかげで告白から数日間のような触れ合いをすることは殆どできなくなった。特にマックイーンは栗東寮長のフジキセキから、今までの外泊許可の半数以上がメジロ家ではなく自分の家だったということを知られ、こっ酷く叱られた上、彼女だけ申請基準が卒業まで厳しくされることになった。共犯だったメジロライアンとドーベル、そしてあえて見逃し外泊申請の代理提出も行っていた、マックイーンの同室であるイクノディクタスも厳重注意となり、しばらく外泊申請をするのは一苦労する、と三者は一様に嘆いていたので、ひたすら謝ると同時にお詫びをしようと誓った。

 そして、メジロ家。学園から既に連絡を受けていたのだろう、自分が来るのを待っていた。自分は正装で出向き、メジロマックイーンのおばあ様、生ける伝説の1人に会った。逆光となって顔に影が落ちるメジロ家の当主は、その齢に違わぬ風格を持って、自分たちを見抜いた。

 

「弁明はあるかしら?」

 

 ただの問い。しかしそこには名家を背負う女傑の歴史と積み重ねが込められ、その全てが重圧となって自分を押し潰そうとするような錯覚を覚えた。一緒に来てくれたマックイーンが怯え、この部屋まで付き添ってくれた爺やさんもうっすらと汗をかいていた。生物の本能として、この場から逃げ出したくなる。それを意地で以て制し、歯を食いしばって耐え、最後の勇気をもらうためにマックイーンの手を握り、頭を下げた。

 

 メジロマックイーンを俺にください。一人のトレーナーとして共に生き、一人の男として彼女を幸せにします。

 

 四の五の説明するのはなしだ。弁明も何も、自分からはこれしか言うことがない。

 この6年を彼女と過ごした。これからの数十年も彼女と過ごしたい。一心同体だが、同時に手を繋ぎ合わせることができる他者。それがマックイーンと自分だ、幸と不幸を分かち合うことができる、唯一無二のパートナー。退屈な名優と、退屈なその相棒。甘え上手なウマ娘と、それを受け止めきれるよう努力するただの人。

 いくつもの言葉で形容しても、結局は"彼女の隣で、一緒に生きたい"ということに収束するのだ。

 長い沈黙の後、圧が緩み、ため息を吐いたおばあ様からは、メジロ家を背負う覚悟があるかと問われた。マックイーンと共に在れるのであれば、と頭を上げ、メジロの長から目を逸らさずに答えた。

 握った手が、強く握り返された。どうしたんだと横を見れば、薄っすらと涙を零したマックイーンが前に出て、一度深呼吸をしてから、まっすぐに目を

 

「おばあ様……不躾で、無礼であることは百も承知しています。それでも私は、この人がいいんです。この人以外ではもう、考えられません……だから、どうか」

 

 この人と共に生きることを、認めてください。

 そういって、マックイーンが頭を下げた。改めて自分も頭を下げて、おばあ様の返事を待った。最悪、自分は認められないかもしれない、そうなればメジロ家が認めるぐらいの人間になって、改めてマックイーンを迎えにいく。互いに繋いだままの手を強く握り合い、どのような罵声にも耐えれるよう、意識を強く持った。

 

「……まったく、血は争えないのね」

 

 それきり、圧が完全に消え、老婆の口元に微笑みが称えられた。

 不格好で強引な押し切りではあったが、何とかメジロ家にマックイーンとの交際を認められた。だが婚約や結婚となると話は別なようで、様々な条件を出されてしまった。トレーナーとして実績を更に重ねる以外に、婿入りに際してメジロ家の一員となることも含まれた。そこ自体は覚悟していたので問題はないが、やはり学園と同じように、清い付き合いにしろと釘を刺された。思わずマックイーン共々、咄嗟に目を横に逸してしまった。そのことに気づかれたかどうか不明だが、ため息をもう一度吐かれただけで、追求はされなかった。

 誓って、やましいことはしていないのだ。

 とにかく、色々なところに顔を出して、正式なお付き合いとなった自分とマックイーンだが、問題が発生した。

 まず、マックイーンが家に泊まれなくなった。これは健全な付き合いをしろとどこからも言われ、かつ外泊許可がほぼ取れなくなった都合上、どうしてもそうせざるを得ず、この事実を認識したマックイーンは膝から崩れ落ちた。自分もかなりショックだったが、彼女の手前顔に出すことはしなかった。代案として、外出ができるようになる朝5時30分からマックイーンが寮から自宅まで通うと提案したが、そこは彼女のトゥインクル・シリーズ復帰を目指すトレーナーとして反対した。ただでさえ1年以上のブランクがあり、また故障の前兆への対応で動くことに制限がかかる都合上、少しでも万全にする必要があったからだ。

 そこは彼女もすんなりと納得はしてくれたが、しかし自分と過ごす時間も確保し、自分に何かをしてやりたいと強請られたので、弁当を作ってくれと頼んだ。これは彼女自身に今一度栄養管理・自己管理を学ばせるというトレーナーとしての意図と、彼女の手料理を食べたいという下心があった。マックイーンの腕前は、アパートに通っていたころに何度も一緒に作ったからわかるが、ズブの素人だ。手伝わなければロクに味もしないし、下手すれば生焼けなどの危ない代物も交じる。それでも彼女が努力家だと知っているので、すぐにうまくなると信じている。ついでに、自分も彼女に料理を奮ってやりたいという気持ちを満たすため、手本という体で弁当を作り、お昼時に交換することにした。

 こうして、学園の昼時にも一緒に食べるという、会える理由ができた。もちろんマックイーンも日頃の付き合いもあるため毎日は無理だが、週3回の頻度で弁当を作り合うこととなった。

 

「今日はその、うまくできていましたか?」

 

 互いの弁当を食べ終え、反省会という形で一息つくと、マックイーンが上目遣いで尋ねてきた。食後の片付けの後、彼女の定位置が自分の膝の上なのは、あのアパートから変わらないものだ。汗と、女性特有の甘い匂いが鼻孔をくすぐり、男として色々なものを刺激してくるが、鋼の意思を持ってそれを制御する。本能という悪魔を拳で沈めつつ、良かった点と悪かった点を丁寧に教えた。

 

「やはり、まだまだですわね。花嫁修業も大変ですけど、やり甲斐がありますわ。いつか貴方の味を超えて、私のでしか満足できないようにしてあげますね」

 

 むん、と気合を入れる彼女に、婿入りだから関係ないんだよな、と無粋な言葉が浮かんだが、心の中で霧散させた。こうして健気に尽くしてくれる彼女に申し訳がないし、何よりマックイーンがエプロンを着けて、一生懸命に料理に向き合う姿は、とても尊いものだと知っているから、止める気がしなかった。

 

「むっ、何をにやけてますの。やましい気持ちでもあるんじゃないですか?」

 

 ないよ、と脱力した状態で笑うと、そんなはずありませんと言いながらマックイーンが体勢の前後をぐるりと変えて、こちらの胸元に自分の胸を押し付けると共に、細い両手で頬に触れた。そのまま摘まれ、横に伸ばされる。

 

「ほーら、にやけてますからこんなに柔らかいんですよ? ほらほら〜」

 

 彼女の思うままに頬を遊ばれてしまう。痛い痛いと返しながら、悪い気がしないのでされるがままにした。ぐにぐにっパチッ、と最後に指を離され、頬が元の戻る。きっと鏡を見れば、自分の頬が林檎のように赤くなっているだろう。

 

「ふふっライスさんなら、林檎みたいといいそうですわね」

 

 同じことを思いついたのか、朗らかにマックイーンが笑み。自分も釣られて頬が緩むと、そのまま彼女と目がパッチリとあった。

 紫水晶の瞳に、吸い込まれるようだ。意識しようとしていなかった少女の輝きが、互いの目を通してこちらの奥に入ってくるような、不思議な感覚。動機が激しくなり、頬が先程とは違う意味で赤くなる。マックイーンも同様で、耳は一瞬ピンと張ったが、すぐに脱力するように垂れると、一度唾を飲み込んだようだ。毛並みのよい尻尾がくるりと自分の脚に絡み付けられ、その小さな手が胸元に置かれると、そのまま体ごとしなだれかかってくる。目はじっと合わせたまま、けれど今度は、彼女の鼓動まで伝わって、心音が同じリズムで刻みだす。マックイーンの背中と肩に、それぞれを手を置いた。彼女もそれが当然と受け入れて、ゆっくりと瞳を閉じた。紫の瞳の代わりに、潤いを保つ唇に目を引き寄せられた。

 期待に応えるべく、そっと彼女に顔を寄せる。互いの距離が、息が届く位置。紅茶の匂いが鼻にかかる。キスまで、後1秒。

 

「おーいマックイーン、そろそろ予鈴鳴るぞー」

「すみません、午後トレーニングの機材を借りたくて……」

 

 がちゃり、とノックもなしに扉が開かれた。咄嗟に開けた目で、2人で侵入者を見た。

 自分たちと同じように、目をぱちくりと瞬かせるゴールドシップ、あわわと顔を真赤にして耳と尻尾を立たせたライスシャワーだ。

 

「……ごゆるりと」

「ごごごごごめんなさーーい!!」

 

 ドアを閉めることなく、回れ右した2人が走り去った。あちゃーと頭を掻くと、腕の中で強烈な羞恥心が怒気に変わるのを認識した。恐る恐る見下ろすと、ビンとウマ耳を張ったマックイーンが、首から耳の先まで赤くなって震えていた。湯気が出ているかと錯覚するレベルでつい声をかけようとした瞬間、パッと飛び起きた。

 

「っっっっ、ゴールドシップ!! ライスシャワーさん!!!」

 

 そして、先程までの雰囲気など吹き飛ばして、目を尖らせたマックイーンが部屋を飛び出していってしまった。授業に間に合うかな、と苦笑しながら腰を上げる。自分にも午後の仕事があるので、その準備を進めようとまずは開きっぱなしのドアを閉めるようとした矢先。

 

「あなたっ」

 

 マックイーンがさっと戻ってきた。忘れ物かな、と聞こうとした瞬間、彼女の両手が自分の顔まで伸びると、そのまま引き寄せられた。そのまま、唇同士が一瞬、重なる。よくあるライト・キス、それでもこのような不意打ちをされるのは少し驚いて、反応ができなかった。

 

「……お仕事、頑張ってください」

 

 背伸びをしたまま顔を紅潮させつつ、しかし真っ直ぐにこちらを見据えていたマックイーンは、それだけを言い残して、また走り去ってしまった。その脚はとても軽やかだ。思わず自分の唇に手をやる。その感触を思い出し、一度深呼吸。

 仕事、頑張ろう。

 チームのため、メジロ家の将来のため、そして彼女と共に歩む日々のため、仕事机へと向かった。自分の両足は、今日一番の活力が満ちていた。

 そうして机に座って窓の方を見ると、いつの間にか雨は上がり、強い日差しが天使の階段となって、学園を照らしていた。

 新しい季節は、すぐそこまで来ていた。

 




ゴルシ「うまぴょいなことしたんだな?」
ライス「ゴールドシップさん!!」(無言のデトロイト・スマッシュ


ご愛読いただき、誠にありがとうございました。
まず最初に、いつも誤字修正の報告をいただき、誠にありがとうございます。
添削をいつも中途半端に行ってしまうため、本当に助かっております。
そして何より、お気に入りに入れてくれたり、さらには評価や感想を書いてくださった方、励みとさせていただきました。
本当に読者の方々に背中を押されてできた作品です。
深く感謝いたします。

正直な話、本作は最初の「自宅で」以外、全て蛇足となります。最初以外ちゃんとタイトル通り甘えている要素どこ・・・ここ・・・?
その後、調子に乗って次を書き、また次を書き、さすがに短編の範囲を超えるのはまずいと思い、
「式場で」で区切りとしました。それでも前後編で2万字超えたのは構成力不足と言わざるを得ないです。

また、作成中にマックイーンをお迎えできたことにより、彼女に対する理解度を深めると共に「ヤベぇ」という気持ちが強まりました。
やはり持ってない子で書くと、再現力がなくなってしまいます。それでももう最後は決まっていたので、今まで自分の中に溜まっていたマックイーン像に基づき、書き上げました。
そういう意味では、好意的に受け入れたことがとても嬉しかったです。
(※ゴルシとライスは言い訳できません)
このエピローグもそちらの要素が強く、受け入れていただけるか不安ですが、楽しんで読んでいただければ幸いです。

活動報告にも、本作に仕込んでいた小ネタなども掲載していますので、お時間があればそちらも御覧ください。

最後に、とても短いですがまた蛇足を用意しました。
作者からの我儘で申し訳ないのですが、一青窈「影踏み」をかけながらお読みください。





【ユメヲカケタズット先デ、影を踏む】

 老朽化で、すっかり染みだらけになったトレーナー室で 書棚に置かれた写真立てを手に取る。そこには、いつかの天皇賞のウィナーズサークルが映っており、芦毛のウマ娘と、その最愛のトレーナーが一緒になって、2つ目の秋の盾を掲げていた。
 
「マックイーン」

 懐かしいな、と知らず知らずに口元を緩めていると、窓の外から、大声で自分を呼ぶ声が聞こえた。声に釣られてダートコース用のグラウンドの方を見ると、愛する人と、新たな一等星とならんとする星たち、そしていつかの自分たちのような若いトレーナーとウマ娘が、自分を待っていた。

「今いきますわ、あなた」

 一声をかけて、トレーナー室を去る。現役のウマ娘にもそうは負けない脚をまだ持っていると自負しているが、今は走るわけにはいかない。

「かあさま、はやくいきましょうっ」

 いつか自分が袖を通していた勝負服、その名残を残す幼児向けの服をた、愛の結晶。自分によく似た芦毛の耳をぴこぴこと震わせながら、はやくはやくとこちらの手を取って引っ張り出した。
 微笑みながら、その娘と歩む速度を合わせて、長い永い道を歩く。
 夢を駆けたその先で、新しい星の影を踏むために。


End


改めて、ご愛読いただき、ありがとうございました。


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相合い傘で

仕事のストレスを完結した作品にぶつける作者のクズ。
例の如くオチなしヤマなしとなります。


 ふむ、と顎に手をやり悩んでしまう。場所はトレセン学園最寄り駅の南口、学園の定期研修の一環として3日間大井レース場まで行ってきた帰りに、運悪く夕立時と被ってしまった。ゲリラ豪雨ほどひどくはないが、傘もささずに飛び出せば、濡れ鼠からの翌日風邪になるのは容易に想像できる。自分の手持ちには折りたたみ傘もなく、加えて駅中のコンビニでは、連日のゲリラ豪雨と、同じ状況となった人々によって、ビニール傘は売り切れてしまっていた。ならばと少し濡れるのを覚悟で外のコンビニまで走ろうと考えたが、仕事用のバッグは防水仕様ではない上に、大井レース場で預かった重要書類の原本まで入っている。万が一書類が濡れてしまうことがあれば、それこそ学園に迷惑がかかるだろう。

 油断したなぁとボヤきつつ、チームシリウスの誰かに傘を持ってきてもらおうかと考えスマートフォンを取り出したが、通話アプリをタップする直前で止めた。こんなことで態々大事なチームメンバーの手を煩わせるのも酷いし、何より放課後直後のこの時間は、チームの練習時間だ。今頃はライスシャワーが事前に考案してくれた雨・重バ場時のスパート練習に費やしているだろう。スマホを取り出したついでに雨雲レーダーを起動するが、最低でも2時間はこの状態が続きそうだ。時間を潰すにしても些か長く、おまけにご同類の学生やサラリーマンが周囲のカフェをすっかり席を取っていて、場所もなかった。

 これは身を切る覚悟を決めなければいけないかな、とバスロータリーを行き交うタクシーを探し始めると、ふと見慣れた色合いが見えた。

 雨の中、かの女王と同じ特徴的なビニール傘を揺らし、そこから少しはみ出る長さの芦毛の髪をなびかせる、トレセン学園の制服のウマ娘。ウマ娘専用レーンを走っているためか、自動車からの水しぶきで白いソックスが茶色く汚れだしていた。

 そのウマ娘は、よく知っている娘だ。たまらず、彼女の名前を叫んだ。

 マックイーン、と疑問と驚愕を乗せて。

 彼女の耳がピンとこちらを向き、顔に笑みが溢れる。いつ見ても見惚れてしまうその微笑みが、次の瞬間消えた、いや、跳ねた。文字通りマックイーンがその場でステップを刻んでから、一足飛びで飛び上がったのだ。あんぐりと口を開けていると、障害物レースもかくやの勢いで柵を越え、さながら魔女の傘の如くアーチ状の傘を掲げ、スカートをもう片方の手で抑えつつ、軽やかに自分の前に降り立った。ぴちゃんと跳ねた水しぶきが、彼女のスカートと自分のズボンにシミを作った。

 

「ふぅ……お帰りなさい、あなた」

 

 大したことはしてないと言いたげな涼しい顔のまま、傘を畳んで庇の内に入ってきたマックイーンの頭をぺちんと軽くはたく。

 

「え、なんでですの!?」

 

 不要な無茶をしてはいけないと軽く叱り、持っていたハンカチで簡単に彼女の髪と顔、それにウマ耳を拭う。横風で入り込んできたものや、跳んだ拍子についてしまった水滴を取るためだ。本当は足や尻尾の方もそうしたいが、如何にチームの担当ウマ娘かつ恋仲であるとはいえ、女学生の足を触るなどということを、公衆の門前で行うことはできない。

 それと、何故彼女がここに来たかも気になった。今の時間ならライスと共にトレーニングを先導しているはずだ。その疑問を察したのか、マックイーンは得意げに尻尾を振って、もう片方の手に持っていた黒い傘を差し出した。それなりに汚れのついたそれは、自分がトレセン学園就任時に記念で買った、普段遣い用の傘だ。

 

「先日家に帰った際、これが置きっぱなしなのを見つけましたの。トレーニングもグラウンドの急なメンテナンスでできなくなり時間も空きましたし、その上このような天気でしたから……もしかしたら困っているかと思いまして……」

 

 グラウンドのメンテナンス、と聞いて怪訝な思いでスマホのメールを確認すると、学園の緊急周知で確かに届いていた。どうやらタイヤ引き用の飛行機用タイヤが経年劣化で破裂してしまい、そのゴミを撤去しているとのことだ。この雨もあり、今日一日はもうグラウンドを使えないだろう。加えてシリウスのグループチャットを見れば、ライスから自主練と、部室でのゴールドシップ主催のレクリエーションに切り替える旨が流れていた。ゴールドシップ主催ということで嫌な気配を察したのか、チームメンバーからは自主練に専念するとの声が多く上がっているが、おそらくはゴールドシップが強制参加させにいっているだろう、活発になるはずのチャットには阿鼻叫喚のメッセージが飛び交い、「マックイーンさん逃げて、超逃げて」「ライスちゃんがぁ、画面端ぃっ!」などというよくわからない改造スタンプまで貼られていた。

 とにかく、真面目な彼女がこのような時間にここに来れた理由は分かった。傘についても、マックイーンには家の合鍵を渡しているので、その有無も確認できただろう。

 しかしそれでも態々持ってくるのは、せめてSNSで確認してほしかった。すれ違いの可能性もあったし、何よりそれでマックイーンになにか、それこそ怪我や事故に合えば、自分は自ら地獄に落ちるだろう。

 ありがたく傘を受け取りつつ感謝するが、その点だけはトレーナーとして、何より彼女の男として認めるわけにはいかない。その思いを伝えると、しゅんとしょげてしまったが、しかし両手に拳を作り、上目遣いで自分を見つめてきた。

 

「連絡はその、ごめんなさい……けど……3日も、もう会っていなかったですから……」

 

 寂しかった、という言葉は声にならず、真っ直ぐに見つめてくる紫水晶の瞳でもって訴えられた。休み時間や放課後にはSNSで、それに夜は必ず電話をしていた。どんなに短くとも、おはようとおやすみだけは欠かさなかった。それでも根が甘えん坊な彼女は、直接触れ合えない時が続くのは耐えられなかったようだ。特に、正式に付き合い始めてから、その傾向はより強くなっているような気がする。男としては嬉しいが、彼女のトレーナーとしては、カツを入れなければいけないな、と思いつつも、頬が緩むのを止められなかった。

 自分もだよ、とつい返しつつ、傘を受け取る。すると喜色満面となったマックイーンがへにょりと耳を横に倒し、そのまましなだれかかってきそうなのを、肩を手で抑えて留めた。こういう場でベトベトし過ぎるのは自重すべきだからだ。

 ブスッと不満げに頬を膨らます彼女を尻目に、とりあえず一度家に寄って制服を洗わなければいけないかと考えて、傘を広げ一歩外に出る。そのままスマホを取り出し、ライスたちに自分の帰宅とマックイーンのレクリエーション参加の遅れの旨を伝えた。案の定、彼女たちはマックイーンが飛び出したのを知っていて、参加ができなくてもよいという旨を返してくれた。理解のあるチームで嬉しいやら恥ずかしいやら、複雑な気持ちになる。

 うまぴょいし過ぎるなよ、というゴールドシップのメッセージが即座に管理者権限を持つライスによって消されたのを最後にスマホを仕舞い歩こうとしたが、ふとマックイーンがまだ傘を広げていないことに気づいた。どうした、と尋ねると、彼女らしくのない、困ったような笑みを浮かべた。

 

「そのぅ……傘が、開かなくなってしまいましたわ」

 

 むむっ、と思わず呻いてしまった。確かにさっきの無茶と、抑えられていたとはいえ、ウマ娘の走行速度で開いたままの状態でここまで来たのだ。芯が風圧で曲がったり、骨が外れたりしていてもおかしくない。少し態とらしい言い方なのは気になったが、何度か手で開こうとして、フレームが軋む音が傘からすることから、開かないことは事実だろう。これで無理に開いて壊してしまったら、メジロ家から請求書が届くかもしれない。そうなれば自分の財布が軽くなるのは明白だ。できれば避けたい。

 ならばどうするか、とすぐに思いつくのが、メジロ家の爺やさんに連絡して、彼女だけでも迎えに来てもらうことだ。そう提案するが、マックイーンはふるふると首を振った。

 

「今日はドーベルが友人の方々を家に招くために先約していて、送り迎えができませんわ。私もしばらくは屋敷に用がないため、問題なかったのですが……」

 

 どうやら、間が悪かったようだ。それなら仕方ない、とちらりと自分の傘を見上げ、もうひとつ思いついていた方法を頭の中で思い浮かべ、マックイーンを見た。彼女もこちらの傘を見て、ついで自分の目をじっと見つめてくる。ふらふら揺れる尻尾から、明らかに期待しているのだと理解した。しょうが無い彼女だなぁ、と抱きしめたくなる衝動を無理やり抑えつつ、マックイーンに雨粒がかからないようにそっと傘を差し出し、期待されただろう言葉を口にした。

 その、一緒にどうだ。

 そう言ってから、気恥ずかしくて、主語が抜けてしまったことに気づいた。きっと今までの自分たちの行動や言動から、今更だと言われかねないが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 それでもマックイーンは目を輝かせて、しかしごほんと調子を一度整えると、軽やかな足取りで傘の下に入り込んだ。

 

「お願いしますわ、あなた」

 

 そのまま緩く腕を絡めて、手をにぎられた。雨で濡れたままの手は、しかしマックイーンの熱と軟さをそのままに、自分に伝えてくる。この歳で初めての相合い傘、しかも誰もが羨むだろう最愛の彼女が率先としてやってくれたことに、喜ぶべきなのだろう。しかし今はその誘惑を押しのけて、彼女の手を解いた。傘を2人の中心にしないと、彼女がより濡れてしまうのは明確だからだ。

 

「……けち」

 

 小声でそんなことを呟かれたが、鋼の意思で持ってスルーした。

 そのまま、2人で肩を寄せて帰路を歩く。ぽたぽたと五月雨は傘を打ち、濡れたアスファルトに反響するエンジン音は、梅雨の雨でも賑わう商店街の喧騒にかき消される。そこに交じる2人は傘の存在もあってか、あのメジロマックイーンとは気づかれず、ただの通行人として認識され、道行く人々のひとつになっていた。それがほどよく心地よい。

 道すがら、最初は研修の内容や、電話で話さなかったチームの様子のことなど、とりとめないのない話を彼女としていたが、どちらからともなく喋らなくなり、互いに前を向いて雨の中を歩いた。それでも意識しているのは互いだけで、ほんの数センチ離れた距離でも、彼女の温度が直に感じ取れるようだ。

 靴は雨で汚れて、内側に滲んできている。普段使わないからと整備を怠っていたツケだろう。この雨の中を走ってきたマックイーンは、自分よりも水浸しになっているはずだ。それでも嫌な顔をせず、この時間を共有してくれている。何だかんだ言って根っこからはしゃぐのが好きな彼女も、こういった雰囲気に身を委ねたいときもあるのだ。

 商店街を抜けて、住宅街にあるアパートが見えてくると、彼女の歩速が少し緩んだ。そのことに気づいて、どうしたんだと、声に出す前にその意図を察した。きっと、彼女ももう少しこのままでいたいのだ。にやけそうになる表情筋に力を入れつつ、湧き上がった悪戯心から、いっそ踊ってみようか、となどとバカげたことを言ってみた。

 むっ、と自分の意図に気づいたマックイーンがしかめ面になったが、しかし次の瞬間には、イタズラを思いついたゴールドシップのように目を細めた。瞬間、嫌な予感が背筋を這うが、それと同時にマックイーンが正面に回り込む。

 

「ええ。そういうの、偶にであれば嫌いじゃありませんわ……けど、それ以上に……」

 

 そして、自分が反応する間もなく、傘とバッグをひったくった。ぎょっと目を見開くが、その間にも自分の体を冷たい雨が襲い、垂れた髪で視界が塞がれそうになった。なんとか両手で書き上げると、傘をくるくると回すマックイーンが、得意げな顔をでこちらを覗き込んだ。

 

「そんな意地悪なことを言う彼氏が色男になるのは、もっと楽しいですわっ。ほら、大事なものなんでしょう? 捕まえてみなさいっ」

 

 くるりとステップを踏んでマックイーンが走り去ってしまった。走る速度は、人間でも追いつけるぐらいだ。

 突拍子もないことをしてくれた彼女を、ああもうと叫びつつ追いかける。スーツも靴もすっかりびしょびしょになってしまい、今度のクリーニング代が不安になる。それでも、楽しげな彼女の尻尾を追いかけるのは、不思議と腹の底から笑い声が出そうになるくらい、愉快だ。

 そんな時間もすぐに終わり、目的地の家についてしまった。マックイーンが先に玄関につき、傘を仕舞いつつ、学生服のポケットを探る。追いついた自分も一息ついてから彼女の側に立ち、彼女が取り出した合鍵で開けてくれるのを待つことにした。待つといっても数秒程度、すっかり水を吸った上着やシャツを絞ることしかやることがなかったが、ふと、彼女の傘に目についた。

 自分のものと一緒に壁に立てかけられたそれは、元の仕上がりがいいのか、気品を感じてしまう。壊れているのだから、と魔が差した時と同じ気持ちでその傘を取ってみた。そのまま手の中でくるりと回してみて、試しに開いてみた。

 

「開きました……って、あっ」

 

 傘は、特に異音を立てることなくすんなりと開いてくれた。マックイーンが耳と尻尾をピーンを逆立てているのを横目に、何度か彼女の傘を開け締めしてみる。やはり問題なく開閉でき、壊れたフレーム特有の嫌な感触もない。

 もしかして、とちらりと横を見ると、顔を真赤にしながら、所在なさげにそっぽを向くマックイーンがいた。よく見ればぷるぷると震えており、無意識に組まれた両手の指同士が遊んでいる。

 そんな彼女に、つい言ってしまった。

 最初から相合い傘がしたいって言ってくれれば、喜んでやったのに、と。

 

「〜〜〜〜っ、シャワー先にいただきますわっっ!」

 

 そのものズバリな図星を刺された彼女は、そのままいかり肩で部屋へと入ってしまった。相合い傘は本当に喜んでやったのにな、と口の中で言葉を溶かしつつ、機嫌を損ねた彼女の慰め方を考えることにした。

 梅雨の終わりの雨は、空の向こうで、少しずつ晴れ始めていた。




ゴルシ「うまぴょいは実在するッッ!」
ライス「ゴールドシップさん!」(無言の北斗有情破顔拳

(更新は今度こそ)ないです。





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