TSチート異世界転生者の責任 (真っ黒オルゴール)
しおりを挟む

第一話

異世界転生チートしたい。

 

 男子たるもの誰もが思い描く夢である。億万長者になるより難易度が高いあたりが夢が夢たる理由である。

 ついでに絶世の美女にTS出来たりすると素晴らしい。何が悲しくて醜き男子に再び生まれなければならないのか、隣の芝生は青いのだ。

 生まれ変わる場所は当然のごとくファンタジーだ。中世ヨーロッパと言うのがどの程度の文明レベルかわからないが、利便性を損ねるところは魔法という言葉でうまく補っておいてもらいたい。地位はそれなりに高く、苦労の少なそうな低すぎず高すぎない、男爵か子爵ぐらいにしてもらいたい。そういう感じでよろしく頼む。

 

「(夢を見るぐらいは自由じゃないか、突拍子がないぐらいがちょうどいい)」

 

 そのまま飛べそうな浮遊感を感じながら、山田何某はそう思った。

 なんということはない、駅の一番上の階段で足を滑らせただけのことだった。別に誰かをかばって刺されたとか、悪意を持たれて突き飛ばされたとかそういうわけではない。あえていうなら残業が憎いと言ったところ。死は劇的だが、その訪れにドラマ性は必ずしも存在しないのである。

 

「(必ず死ぬというわけではないかもしれないけど)」

 

 ただ今まで感じたことのない速度で動く世界を感じながら、益体もない期待を持ち、惜しくも捨てる。直感的にこれは死ぬと理解した。

 ゆっくりと流れていく中見えるのは、駅の階段、疲れた同類の顔、自分のカバン。微かに残された時間の中で、考えたのはくだらなすぎる妄想だった。もっと家族のこととか考えれば良かったのに。

 だが全部無意味だ。どうせ消える。ろくに動けず頭を地面にたたき割られるまであと、3メートル、2メートル、50センチ、10セン―――

 

 

 

 異世界転生した。それもTS転生した。

 金糸のように美しい髪、星を閉じ込めたような瞳、年を重ねようとも伸びない背丈に不満はあるが、学生ほどの年になるころには出るどころがドカンと出ているある種の理想の美少女である。問題は惚れられた相手をすべてロリコンにしてしまうところか。

 

「可哀想にウィリアム王子。私が可愛いばかりにろりこんになってしまうなんて…」

「ろりこん、と言うものが何かは存じ上げませんが、酷い偏見をもたらす言葉と言うことはわかります」

 

 専属騎士のカナバルが極力感情を殺したであろう声色で言った。

 背の高い男である。着込んだ甲冑は分厚く重い。声はバケツのような兜ごしに聞こえてくることを考慮に入れても少々低い。年は自分より五つ程度上だったと思うが、些か老けているとかつて山田何某と呼ばれた女は思った。

 

「でも実際ウィリアム王子、絶対私に惚れてるし。前の懇親会の間はずっと話しかけてくるんだもん。ちょっと他の人とも話さないといけないなと思うと肩をつかんで離さないんだ。大丈夫かな、あれ。ウィリアム王子の許嫁、割と背が高かったけど、ちゃんと子供作れるかな」

「言葉の意味が解りましたけど絶対によそで言わないでくださいね。戦争になりますから」

 

 カナバルの言葉は言いようのない真剣味に満ちていた。そりゃそうである。

 第三の注文である貴族の家にちゃっかり生まれ、現在はエリナード子爵令嬢である。アメリア=ロア=エリナードという前世の山田何某と言う名前とは打って変わった華やかな名を与えられている。

 話題に出てきたウィリアム王子は継承権第二位のお偉いさんではあるものの、この世界は武勇に秀でれば多少の地位の低さはカバーできてしまうので、子爵令嬢に過ぎないアメリアだが、異世界転生者特有のハイスペックでお近づきになれたのだ。許嫁の公爵令嬢のどんよりとした目が恐ろしい限りだが、総合的に見てプラスである。

 ちなみに第二の注文も叶っており、世界はファンタジーだ。中世ってのがどの程度なのかは知らないが、石造りの城壁と街並み。騎士は剣を佩き、魔法使いは節くれねじれた木の杖を握っていた。およそ理想の舞台にたどり着いたと言える。問題があるとすれば。

 

「戦争になりますもなにもなっておるやないか」

 

 見下ろす町並みは火に焼かれている。城壁外はもちろんのこと、内側の街並みも、消火がすでに終わっているとはいえ焦げ痕が目立つ。

 幸いなことに住民の大半はすでに避難が済んでおり、この街、テオ砦都市にいるのはほとんどが兵卒だ。非戦闘員を養わなくてすんでいるというのは兵站的な意味でも助かった。

 こんな無理が効いたのも相手が人間じゃないからだ。ファンタジー特有のお約束、いわゆるゴブリンやオークと言った化け物、蛮族と呼ばれる者たちの軍勢が相手であり、普通の軍隊ならば絶対に引っかからないような挑発に乗ってくれるため、鬱陶しいぐらいに挑発行動を繰り返したところ避難民を逃がすことに成功したのである。

 問題なのはその挑発行動のために兵の損耗が著しいという点。アメリアが率いた軍勢は直轄領から連れてきた兵隊三十に父親であるエリナード子爵から与えられた五十。あとは一緒に行けと言っているのに残った…本当のところありがたいが、義勇軍が五十ちょい。連れてきた兵隊たちは四分の一が死亡し、さらに半分が戦闘続行が難しい怪我を負っている。実際に動けるのは三十人程度。かなりのズタボロである。現代の軍隊なら全滅判定だ。

 敵はゴブリンやオークと言った知性や力に欠陥のある戦士たちがほとんどを占める種族とはいえ、その数は優に千を超えている。城壁から見下ろした下で騒ぐ緑色の小鬼や知性の低い鬼たちは、すでに戦に勝った気でいるように見受けられる。小娘が纏う物とは思えないような分厚い甲冑越しからでも色気をごまかせないのか、石を投げてくることもなく下卑た視線でアメリアを見上げていた。

 

「敵を増やすなと言っております。もうすぐ、援軍も来るでしょう」

「希望的観測だなぁカナバル。ないでしょ、エリナード子爵軍の四分の一だぜ? 勝つには少ないが、逃げるにしては多すぎる。自分たちが逃げるのに最低限それぐらいの捨て石がいるってことだぜ。多分逃げてるよ」

「領主が土地を捨てると言いますか」

 

 カナバルの声は硬い。一般的に領主は領地を守るのに一所懸命、死力を尽くして守るものである。血と共に受け継ぐ財産を容易く捨てるというのは、仮にも子爵令嬢に軽口利いてくる程度に無礼だが真面目なカナバルには想像しにくいかもしれない。

 

「まぁ親父殿だしなぁ。時勢を誤ったりしないし、民衆にらぶらぶする人じゃないよ」

 

 アメリアは何でもないことのように軽い口調で言う。

 そんな時だ、ふと五感とは別個の感覚…いわゆる魔力を感じた。耳のあたりに刻んだ不可視の刻印を励起させ、アメリアは手で電話のポーズを取った。この世界の不便を埋める、身に刻んだ術式を繰る魔術、刻印魔術が一つ『トナルの言霊』である。

 

「もしもし?」

『お嬢様、じいにございます』

 

 電話の声は、魔力ごしにも嗄れている。こちらはカナバルとは違い本当に老けている。自分の教育係だった男なのだから当然である。

 

「おぉ、じい。どう?逃げ切れた?」

『…すでに解っておいでなのですな』

 

 じいの声は酷く沈んでいる。じいはアメリアと共に従軍することを望んでいたが、優れた魔術師であるからこそ父はそれを許さなかった。

 

『ご当主様は全軍と財産を持って寄り親のカッシーモ伯爵を頼り動き始めました。お嬢様への援軍は、カッシーモ伯爵に頼み寄越すと仰せです』

「ほぉほぉ。来るのは来年かな?」

『…絶望なさいますな。今、じいの伝手で学院より援軍を頼んでおりますゆえ。決してやけを起こしなさるな』

「あそこ中立を謳ってたと思うんだけどなぁ…でも気持ちはうれしいよ。じい大好き」

『やめてくだされ、そのような…』

 

 じいの声は昏い。今にも死にそうな声だったから励ますつもりでそんなことを言ったが、寧ろ気分を沈めてしまったようだ、末期の言葉に思われたらしい。アメリアは困ったように言う。

 

「別に大丈夫だよじい。私が心配しているのは私について来た兵隊たちのほうだよ。私はさぁ、TS異世界転生決めてるから大丈夫だけど、こいつらは普通の人間だし」

『毎度わけのわからぬことを…しかし、そうですな。最悪の場合は、お見捨てください。御身は只人達の至宝。命には価値の差があるのですぞ…なんにせよ、しばしお待ちください。まだじいの伝手がダメとは限らないのですからな』

 

 ろくでもないことを言い残し、魔法は切れた。アメリアはあきれたような、喜ぶような笑みを漏らした。

 

「(ワンチャン私が助かると思ったとたん元気になったなぁ…うれしいけど)」

 

 人に思われるというのはどういう形であれうれしい。それが最後のものとなればこそ。

 

「ログナ老師ですか?」

「うん、案の定だってさ」

 

 カナバルの表情は兜越しにでもわかるほどわかりやすくこわばった。

 

「では…本当に…」

「うんまぁ予想の範囲だよ。大丈夫大丈夫、異世界転生チートかましている私がですね、ちょちょいとなんとかして上げるからね」

 そんなことをのたまいながら、戦闘の準備をするようにアメリアは言った。

「…最後の突撃ですか」

「そんなところかなぁ。まぁ正確にはぶち抜いて逃げる。敵の後ろに向かって撤退」

「出来ますか?」

「出来るよ、兵隊たちにさんざん負担をかけたから十分な魔力が残ってる」

 

 城壁に背を向け歩き出す。手の中で魔力を弄び、生まれる白い光を握りつぶした。

 この世界の、只人が持ちうる魔力は一部を除いてそれほど大きくない。戦術的な効果をもたらす魔術は術式の複雑さ以上に魔力量の問題で部隊で運用することがほぼ必須となる。

 ただ、異世界転生をしたときのチートでアメリア個人が有している魔力量は膨大だ。一人で戦況を左右するようなものが扱える。

 問題点は魔力は一日二日で戻るものではなく、普通の魔術師でも限界まで使えば一週間は魔力が戻りきらない。最大量の多いアメリアに至っては限界まで使えば半年は戻りきらないのである。今回の戦争は援軍の望みが薄かったため、最後の望みを託せる力を温存しておく必要があった。

 

「でもさすがにこうも大きい魔術を使うとなると、指揮まではとってられないからさ。カナバル、頼むよ」

「了解いたしました。身命をかけてお努め致します」

 

 カナバルはアメリアに続き、信念を帯びた声で応じた。

 本当にありがたい、とアメリアは思った。カナバルは真面目なので、ここまで言ったからには絶対に言葉を翻すことはない。

 

「マジで頼むよ、本当にな」

 

 残った兵隊たちが、残った死力を振り絞る。このままでは本当に絞りつくすことになってしまうだろう。アメリアが、異世界転生者が何とかしない限り。

 異世界転生者はチートである。生まれながらに持つ才能で、他者の努力を踏みにじりながら生きていく。

 だからこそ、天才は天災であってはならない。自分で望んだ注文だ、こういう時に、動かなければ道理が通らないだろう?

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

 カナバルにとって、カナバル=アロ=グルナン専属騎士にとって主人たるアメリア子爵令嬢は敬愛する主であると同時にやべぇやつである。

 見目は幼げながらも並ぶものなき美貌を持ち、一度聞いた言葉は決して忘れない。武勇に優れた、その身体に刻まれた刻印魔術を用いるためのもの…刻印の数は現段階をもって十七。曲りなりとも騎士としての訓練を受けたカナバルが七つであることと比べれば、その飛び抜けた才覚が理解できるだろう。

 だが、それをひっくり返すだけの奇行がある。日ごろから突飛な言動はもとより聞いたこともないような知識をそこかしこで試して回る。妙な植物を畑で育てさせる程度ならば良いのだが、鉄の筒に火薬を詰めて新兵器開発などと言って爆発させたりもした。きっちり筒に頬付けして爆発させたため、未だにアメリアの顔には魔術で修繕しきれなかった傷が残っている。眼球が零れ、顔の半分を吹き飛ばした状態から復旧させたのはさすがであるが、おかげで嫁入り話がまったくと言っていいほどない。

 ごく一部の奇行は実を結んでおり、少なからずエリナード子爵領の財政を潤したのは事実だが、この年齢まで修道院に放り込まれるなりせずにこられたのはある種の奇跡である。

 なんというかすごく目立ちたがりなのだ。黙っていても目立つぐらいの容姿と才覚を有しているにも関わらず、妙なことをしなければ生きてられないのである。

 

「よぉし! みんなー! 最後の一頑張りだ! 道を開くから騎士カナバルに続けぇ! …そろそろ疲れたし帰るぞー!」

 

 おぉ!と疲れは見えるが、兵卒たちの力強い声が帰ってくる。

 兵隊たちの武装は最小限だった。正規兵たちも分厚い鎧を脱いでおり、手にした槍と剣、そして盾ぐらいのものである。分厚い鎧を着こんだままなのは刻印魔術で身体強化を行っているカナバルだけだ。

 可能なら兵たちの鎧を放棄させることはしたくなかった。鎧なしでまともにぶつかり合うことは不可能に近い。相手がゴブリンだけでも難しいだろう。成人男性を遥かに上回る巨体と筋力を持つオークなど、望むべくもない。

 だがアメリアはそれらをすべて捨てさせた。どうせまともに戦うことなどしないのだと。機動力こそが命であり、必要なのは食料ぐらいのものであると。

 このような命令、従うのに難色を示すのは当たり前だが、兵隊たちは無邪気に信じていた。凄まじい数の死者を出しているが、戦果をしっかりと上げ、それを兵隊たちに自覚させているからこその信頼だった。民を守り、化け物たちを打ち倒したと自らを誇ることができているのだ。そのように思わせられるのは将の素質だった。

 加えてアメリア本人まで鎧を脱いでいるのが大きい。アメリアの鎧は小柄な本人に合わせて背丈は低いがその分横に分厚く、着込んでいるときはまるで卵に手足が生えたような赴きである。今はそれがなく、幼くも可愛らしく、そして凶悪な身体を晒している。

 本人の二倍以上の丈のある巨大なハルバートと堅牢なカイトシールド、腰に差した分厚いブロードソードなどの武器の類は持ったままであったが、彼女の刻印魔術を考えれば大した負担にはならないだろう。

 カナバルにもそれは要求されたが、恥ずかしい話だが、自分は鎧なしでアメリアほど戦える自信はないと拒否した。

 

「突っ込んだら走り抜けるだけだから身軽なほうがいいと思うんだけどなぁ」

「我らが魔術師は鎧を着ていても裸の兵隊たちよりも早いですよ。…というか、貴女は着てください。兵たちの目の毒です」

「お? すまんな魅惑のエロティックボディで。でも見るだけならいくらでもいいんじゃよ?サービスサービスぅ」

「ぶんなぐっていいですか?」

 

 くねくねとポーズを取り出すアメリアにカナバルは言った。バケツヘルム越しではあるが、外していても大して変わらないほどの無表情だった。

 実際本当に目に毒だった。アメリアは冗談のように言うが、豊満すぎる胸は一キロ先からでも女とわかる。兵隊たちの視線もそこに集中しているのがわかり、カナバルには不愉快だった。

 

「ええんじゃよ、ええんじゃ――てぇ!マジで殴りやがったなお前!」

「次は蹴りますからね」

 

 頭を抑えるアメリアを無視し、雑に言うとカナバルは門を見た。

 テオ砦都市は関所を始まりとした都市である。所詮は関所にすぎなかったとはいえ始まりが軍事拠点であるから防御能力はそれなりに高い。門も相応のものであり、城壁を上るなどして多少入られたりはしたが、門自体は未だに破られてはいない。本当ならばこのまま籠城戦と行きたいところだが、援軍の望みはない。

 門には北と南にあるが、こちらは北だ。向きとしては蛮族が仕掛けてきた方角であり、民が逃げて行った方角とは逆となる。そのまま突っ切れば砦都市テオの食糧事情を支えていた深い森が広がっており、その中に飛び込んでしまえば容易く発見されることはない。おりを見て逃げられる目算は高い。

 敵もよもやこちらを抜けてくるとは思うまい。敵の数は多いが、先ほどから見ていたが、かなり油断している。悪くない賭けであるとカナバルも理解していた。

 

「(問題は終わった後だが。お嬢様に落ち度はないとはいえ親のエリナード子爵が領地を捨てて逃げたなど、末代までの恥だ。御家が取り潰されるかもしれない…)」

 

 貴族の家は当主の恥が全体の恥となる。アメリアは武勇を示しているが、そういう問題ではないだろう。直近の不安にしても逃げる先はひとまずエリナード子爵が逃げ込んだカッシーモ伯爵領となるだろうが、ここまで恥をさらしたエリナード子爵は残るかどうかもわからない家の乗っ取りを恐れて自分たちの受け入れを拒否させるかもしれない。その時はもうログナ老師に期待するしかない。

 そこまで考えて思う。

 

「(もう助かったつもりなのか…)」

 

 随分と余裕があるものだと。極めて危機的な状況であるにもかかわらず、あとのことを考え始めている。

 アメリアがいればなんとかなる。そんなことを考え感じ始めている自分を戒めるようにカナバルは小さく頭を振った。

 

「さて、そろそろやるぞ、準備しろ。門ごとぶっ飛ばすぞ」

 

 いつになく硬い声色でアメリアは言う。

 確かにその通りだと、カナバルは剣を力強く握り込んだ。

 

 

 今思えば、この時彼女を信頼するべきではなかったのだ。

 

               〇

 

 アメリアが左手の親指と人差し指の付け根を噛んだ。

 身体の奥底から言葉にしがたい力が、魔力を遠慮なくくみ上げ、左腕に仕込んだ刻印に注ぎ込んでいく。

 刻印魔術はエルフたちのように即席で魔術をくみ上げることができず、精密機械の如き精度を要求するドワーフの魔術武具を作れなかった只人たちの編み出した術である。

 複雑な術式を事前に肉体に刻み込み、生体であるからある程度の精密さは要求されない。

 弱点は事前に刻んだ魔術しか扱えないこと。異物を体に仕込むことになるため、拒絶反応があること。

 

 膨大な魔力が渦巻、励起された刻印が浮かび上がり、白く発光を始めた。

 カナバルを含めた兵隊たちがそのありさまににわかに熱を帯び始めた。絶大なる力は、無条件に人の心をつかむのだ。絶体絶命の時こそ特に。

 アメリアは右腕を砲身のように向け、意識を集中しはじめた。

 装填された術式は『白槍』。戦闘的に魔術を習う者が最も初めに修得する術であり、効果はシンプルな熱衝撃波だ。しかし、同時に最も洗練された術式でもある。

 

 門を手でつかめるような錯覚ができるほどに集中できた頃、アメリアは制御を手放した。

 

「あ、ちゃんと帰還出来たらウィリアム王子によろしくいってといてくれ。アメリアちゃんのおねが――」

 

 刹那、閃光。兵隊たちには光に音が飲まれたように思えた。強烈な熱衝撃波は門を貫きその先の哀れな犠牲者を飲み込んだ。

 残ったのは焼き尽くされた城門。未だ熱を持つ石畳の街道、災害の中、かろうじて生き残った、何が起きたかわからないという顔をした蛮族たちの姿。

 破壊音はしばらく耳に届かなかった。何か一瞬アメリアが言ったような気がするが、ろくに聞き取れたものはほとんどいなかった。

 

「突撃ぃ!!突撃!突撃!聞こえてないのかぁ!!」

 

 騎士カナバルの罵声で兵たちは我に返り、雄たけびを上げて走り出した。

 それは雪崩のようだった。百にも満たない軍勢が未だになにが起きたかわからないと呆けるゴブリンを踏み潰し、鈍いオークの豚頭を切り飛ばした。

 並べられた盾はやおら立ちはだからんとしたが、隊列どころか集結すらあやうい蛮族を跳ね飛ばし、蛮族たちが自分たちが兵であることを思い出すころには只人の軍勢は半ば包囲を抜けていた。

 敵の布陣は、布陣と言うのもお粗末だが北門と南門を中心にまばらに集結している。

ゴブリンは歩幅が狭く、オークの肉体は走るのには適さない。弓を扱えるような器用さもない蛮族たちは一度距離を取ってしまえば追いつかれることはない。

 

「突撃ぃ!とつげぇき!!」

 

 馬鹿の一つ覚えのように叫びながら遮二無二立ちはだかる蛮族を斬り潰し、意識がもうろうとするころ、軍勢は森にたどり着いた。

 軍勢は隊列も怪しく森の中へと駆けこんでいく。暗い森の闇に続く者は、ほとんどいなかった。

 

               〇

 

 しばらくの間、森の中を彷徨うようにして分け入り、追撃がないことを理解したのは、夜の帳が落ち、聞こえるのが兵と自分のつかれた吐息だけになっていたことにようやく気付いたからだ。

 

「小休憩とする」

 

 カナバルは倒れ込むように座り込みながらなんとか声を出した。

 兵たちも似たような有様で、みな崩れ落ちるようにして座り込んだ。だが、一時の危機を乗り越えて、どことなく安堵した雰囲気が漂っていた。

 

「(お粗末な指揮官ぶりだったな…)」

 

 終始突撃しか言っていなかった。ろくに状況を見ていられなかった。

 言い訳をするのなら、これほど大規模な戦闘は初めてであったし、訓練以外で指揮官をするのはこれが初めてだった。経験と言えばせいぜいチンピラに毛が生えたような賊の討伐だったし、指揮はアメリアがとっていた。年若さの未熟も言い訳の材料になるだろう。

 

「専属騎士がそれでは困るだろ」

 

 カナバルは自嘲し、自分と同じくおぼつかない足取りで近づいてきた兵の言葉を聞いた。

 ただその言葉は酷く困惑に満ちていた。

 

「カナバル様、ほ、報告いたします」

「ああ、どうだった? …どれほどついてこれた?」

「そ、それがなのですが、ほぼ全員です。負傷兵が二人落伍しましたが、それだけです」

「…。いや、それはおかしいだろ?」

 

 驚いてカナバルは立ち上がった。少々ふらついたが。

 無謀とは言わないが、かなり無茶な逃走劇だったはずだ。負傷兵も多く抱えていたし、しんがりを用意しない撤退戦である。少なくない数死んだはず。

 そう、しんがりがいないのだ。

 

「――待て、お嬢様はどうした?」

「あ、あのですね…っ」

 

 兵は酷くためらうように言おうとした。ただカナバルはろくに聞かずに駆けだした。

 

「しんがりは引き受ける。反転するな、その装備じゃ邪魔になるだけだからと都市に残りました!!!」

 

 あの馬鹿な女は勝手に犠牲になりやがったのだ!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

 しんがりというのは名誉ある仕事である。なんてったって死ぬ、名誉ぐらいなければやってられない。

 

「私はチートだから死なんがな!」

 

 振るったハルバートが蛮族たちをまとめて斬り潰す。

 一匹は両手をひしゃげさせ、もう一匹は胴を半ば抉られ、最後の一匹は首から上を無くしていた。

 同胞の死体を乗り越えて迫ってくるゴブリンの頭をカイトシールドで殴り砕く。花瓶でも割れるような音で頭蓋は砕け、それは盾の汚れとなった。

 濁流のように押し寄せてくる蛮族を丹念に潰す。自然に人が立ち向かえないよう、常人ならば飲み込まれるかもしれないが、伊達に異世界転生していない。余裕のよっちゃんである。

 

「ほぉら異世界転生美少女だよぉ――お前も今日からロリコンだ死ねぇ!」

 

 負傷兵を背負って逃げるカナバルたちの背を眺めながら迫りくる蛮族を薙ぎ払うこと三十分。森に入ったのを確認してからさらに三十分。日が半ば暮れだしていたが、アメリアは何ら問題なくわははと笑いながら一方的な殺戮を続けている。

 門であった場所の前には山のような死体が散乱し、ついには魅力的な美少女が恐るべき化け物であると理解したのか、周囲を囲むようにして近寄ってこなくなっていた。

 

「つまんないやつらだなぁ!」

 

 ただ、さすがに少々疲れた。アメリアはハルバートに体重を預けながら荒い息をつく。

 体力以上に魔力の消耗が著しかった。先ほど門ごと吹き飛ばした『白槍』という熱衝撃波は、膨大な魔力を消耗した。そのおかげか、残っていた魔力は全快時の十分の一程度しかなかった。あそこまで大規模な破壊を行ったことは実は今回が初めてであり、必要以上に消費してしまったのだ。

 生きているうちにそこまで魔術を撃つ経験などそうないのだ。曲りなりとも子爵令嬢、常日頃から殺し合いの練習をしているわけではない。お嬢様らしくオホホと振舞う時間のほうが長い。多少のブレは仕方がないと割り切らねばならなかった。

 

「(なんにせよそろそろ逃げ時だな、暗くなってきたし)」

 

 夜になると戦いは不利になる。なぜならばゴブリンたちは夜目が効くからだ。

 オークは只人のそれと大して変わらないが、ゴブリンは火がなくともうっすらと人影を捕らえることができるらしい。暗視の魔術は存在するが、それを行うとさらに魔力の消費が激しくなる。そうなる前に撤退すべきであった。

 包囲はなされているが、決して逃げられないわけではない。囲いの薄いところに遮二無二突っ込めば、そう悪くない確率で突破できる。オークにさえ止められなければ抜けられる。あとは重たい武器を捨てて走り去ればよいだけだ。

 

「じぃとカナバルは心配しすぎなんだよ」

 

 ふと思い呟く。

 実際、そんなにシリアスな話じゃないのだ。

 しんがりを引き受けたって死にはしない。ただいつもより疲れるというだけで、無理をすればなんとでもなる範囲だった。少なくともアメリアはそう信じていた。

 より深刻なのは兵隊たちのほうだ。

 なんといっても普通。ごくありふれた男たちだ。とてもよく戦った。頑張りすぎて四分の一も死なせてしまった。生涯の不覚だ。

 絶大なタレントに守られたアメリアとは違い、身命を賭して勇猛に戦ってくれた男たちは必ず逃がしてやらねばらなかった。彼らの献身と犠牲によって数千の民の命が守られた。命の価値を理由に犠牲にするなどあってはならなかった。

 

「(ちょいと私が無理すれば何とでもなるんだよこんなもん)」

 

 ただの効率の問題なのだとアメリアは思う。

 それにこの後だってきっと戦いは続くのだ、地獄のような戦いが。

 兵力は温存せねばならない、勇敢な者ならばなおさら。

 

「(問題はこの次だ、次。シャレにならん戦になる)」

 

 最初から考えていたことだが、蛮族たちの襲撃はこの場所だけで発生したものではないだろう。偶然と言うには規模があまりにも大きすぎる。

 これほどの規模の軍勢が自然発生し、一丸となって攻めてくるというのは考えにくいのだ。普通はゴブリンは集団の長になりたいから適当な数で分かれていくし、オークは戦果を欲して大軍勢に身を置きたがらない。大規模な部隊は末端の個人には旨みが少ないのだ。

 

「(蛮族の王が生まれたんだな、たぶん)」

 

 だから力づくでもそれらを束ねてしまえるような、強力な蛮族の王が生まれたのだ。

 蛮族の王は極まれに種族問わず生まれる変異種で、絶大な力とカリスマを持つ化け物だ。

 これが発生するたびに只人は、その文明を破壊されてきた。冗談抜きで蛮族の王が生まれるたびに只人の国は滅ぼされてきたのである。

 アメリアの住む王国もその歴史は浅く五百年程度しかない。その前の国は滅ぼされ、蛮族の王が寿命でくたばり蛮族たちが散って集団としての体裁を保てなくなった時に再び細々と只人は集まり国を再興するというのが歴史だ。

 アメリアの父であるエリナード子爵もそのように考えたのだろう。だから領地を捨てるなどと言うとんでもない行動に移ったのだ。カッシーモ伯爵領に寄ったのも一時的なものだろう。親父殿は被害の少ない土地まで兵と財産を連れて逃げ出し、国から離脱するつもりなのだ。

 まだまだ根拠は薄いが確証を得てから行動すると手遅れになる。さすがだなぁと思うと同時に甘いとも思う。

 

「なんてったってアメリアちゃんが蛮族の王もぶっ殺しちゃうからなぁ! 逃げ損だぜ!」

 

 わははと笑う。

 やるべきことはいっぱいだ。ちやほやしてくれる舞台を守らねば、バラ色の未来は訪れまい。異世界転生者はやることが多いのだ。

 そんな時だった。頭が遠い未来の責任でいっぱいになっていた時、視界が揺れた。

 

「ははっ――てぇなオイ!」

 

 頭部に凄まじい鈍痛が走った。

 ごろりと転がったのは握りこぶし台の石だった。

 一時的にアメリアの耳はきーんという高音しか聞こえなくなり、ジワリと視界に赤が滲んだ。

 

「ギャギャッ!」

 

 初めて攻撃が入ったのを見て蛮族たちは活気づき、わっと襲い掛かってきた。

 アメリアはすぐさまハルバートを構え直し薙ぎ払う。血しぶきが舞う。手足が飛ぶ、首が飛ぶ。

 これなら当たるんだろうと雑に投げつけられた投石を盾で弾く。だが、微かな視界の揺らぎが足をほんのわずかにもつれさせた。

 

「やめろやこら!殺すぞ! あ、おいこら返せ、返せっつってんだろ殺すぞ!」

 

 わずかな隙をついて飛びついて来たゴブリンを腕力で引きはがすが、そのすきにハルバートをもぎ取られた。奪ったオークの喉元に手刀を叩き込んで悶絶させるが、取り落としたハルバートは引きずるようにしてゴブリンが持ち去った。

 

「(あ、これまずいかもしれん)」

 

 一切の遠慮も躊躇もなく掴みかかってる様にわずかに恐れがよぎった。

 一時間前まで無敵のように思えた女が、何とかなるのではないかと思われてしまったのだ。

 適当に寄ってくる相手を薙ぎ払うならなんとかなる。だが完全な死兵千人はさすがに無理だ。

 ゴブリンやオークは女をどう扱う。見たこともないような美少女だ、きっと殺されはしまい。死なせはしまい、否、死なせてはくれまい、絶対に――

 

「――レーティングがあがるじゃねぇかよ!!」

 

 左手を噛み、叫んだ。

 刹那に白い光が、『白槍』が爆散し、掴みかかっていた蛮族たちをことごとく吹き飛ばした。

 ぼたぼたと焦がされた死体が降り注ぎ、畏れによる静寂が戻った。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ…」

 

 どっと疲れが吹き出し身を重くした。

 もはや強力な魔術は一つとして使えまい。気が付けば盾も奪われている。残った武装は腰のブロードソードと、隠し短剣のみ。

 一瞬の気のゆるみが状況を悪くした。もはやカナバルやログナを笑えない。鎧を着ていれば避けれた事態でもあった。

 

 そして訪れた静寂も長く続かなかった。

 ガァン、ガァンという鉄の音が響き、包囲の一部がさっと拓けたからだ。

 拓けたその先から出てきたのは大小の人影だった。

 

「(戦士階級のオーク…)」

 

 一際大きなオークだった。

 だがそれ以上に肉体が引き締まっている。通常のオークはたるんだ脂肪が目立つ無様な生き物だ。だが、それはオークの巨体そのままに筋骨隆々とした鋼の如き肉体を晒していた。

 オークは妻と呼ぶ個人所有の女以外から生まれた子供を息子とは認識せず、仲間とも見なさない。

 他種族の腹でしか子を作れないこの蛮族たちは種族繁栄のため攫ってきた他の女を共有資産として扱い、それらから生まれたオークを雑に食わせ、一定の年齢になると雑兵として戦地に放り込む。

 そして戦果と女を持ち帰ったものだけを仲間として迎え、戦士としての教育を施すのだ。

 雑兵ですら、只人の兵士より強い。

 精鋭たるオークの戦士が他のオークたちが持つような粗末な作りとは程遠い、分厚くも造りの良いグレートソードと円盾を、まるで片手武器のように携えアメリアを睥睨していた。

 

「(んでゴブリンシャーマンかよ、しんど)」

 

 ゴブリンは悪賢く、時として魔力を扱うすべを身に着ける。

 原始的な術しか扱えず、今の只人の刻印魔術やエルフの術には遠く及ばないが、厄介だ。

 二つの人影は、死神の影のように思えた。

 一瞬の気のゆるみからすべてが崩れ、不幸は重なるようにしてやってくる。

 ガァン、ガァンと戦士階級のオークが剣と盾を打ち鳴らしている。一騎打ちの誘いだった。

 

「(マジかよ)」

 

 弱り目に祟り目。前世と同じ、自分のせいでしかない、つまらない死が目の前に迫っていた…。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話

「――それで、あんたたちは帰ってこれたわけだ」

 

 夜の帳は落ちていた。

 山脈都市グランドルフ。古より存在する山脈を利用した大都市だ。首都に上るためにはこの切り立った崖の城壁を超えるか、それともドワーフの魔術によって築かれた鉄門を通らなければならない。

 その鉄門の前に人々はいた。エリナード子爵領の避難民である。

 その数は膨大であり、審査のために全員を速やかに通すというわけにはいかなかった。

 審査は間諜対策のものがメインであるが、同時に選別でもあった。鉱物資源が潤沢で豊かとはいえ無制限に人を受け入れられるわけでもないのだから。

 無数のテントと焚き木が城門の前には並んでいる。そしてその鉄門の前に専属騎士カナバルと兵士たちは膝をついていた。

 目の前で仁王立ちにするのは少女だ。いや少女のような女だ。

 鎧に身を包んだ赤毛の女。アメリアに比べれば幾分かましだが背丈は低い。だが鋭い眼光と威圧感が侮りを許さない。

 エルデリカ=フォル=カッシーモ伯爵。齢千を超えると言われるドワーフの女貴族だった。

 

「主人のアメリアを犠牲にしてここまで逃げてきました、か」

「事実です」

 

 カナバルはただ黙して答えた。思い出そうとすると抑え込もうとしても肩が震えるのを止められなかった。

 撤退戦の後、カナバルはすぐにアメリアを救出すべく走り出そうとした。

 だが、兵の一人に止められた。この後、我々はどうすればいいのかと。

 その時カナバルは指揮官だった。アメリアに身命を賭すと誓い、それをなさねばならなかった。

 さもなければアメリアの犠牲が本当に意味がなくなってしまう。気づいたころにはもはや手遅れというべき時間が過ぎ去っていた。

 カナバルは限界まで待機した。だが、アメリアが戻ってくることはなかった。

 もはや許されたのは、負傷兵を可能な限り落伍させず、ここ山脈都市グランドルフに連れ帰ることだけだった。

 エルデリカは値踏みするようにカナバルを胡乱に眺め、蔑んだような声色で言った。

 

「亡きご主人様のために死に花捧げようとは思わなかったわけ?」

「…思いませんでした」

 

 専属騎士は主人のためだけにある存在だ。

 主人に依存する存在だが、その扱いは同格。あらゆる行動の代行が認められる、主人からすればもう一人の自分だ。

 そのため、たとえ貴族家の生まれであろうとも継承権を放棄する。最後の瞬間まで付き添う存在だ。主人と死に場所を揃えるというのは珍しくない。

 だがカナバルはそうしようとは思わなかった。

 

「なぜ? あんたはクソまじめな奴だってあの子からは聞いてたけど?」

「任務が、ありました。兵たちを撤退させなければなりませんでした」

 

 カナバルは努めて平坦な声を出そうとしたが、震えを抑えきれなかった。

 

「ご主人様の命令ならそりゃ聞かないといけないわね、ふん」

「まぁまぁ、あんまりカナバル君を責めないでやってくれ」

 

 気に入らないとばかりに鼻を慣らすエルデリカに取りなすように、場違いなほど柔和な声色で背後に控えていた男が言った。

 中肉中背で柔らかい表情をした壮年の男、コルセ=ロア=エリナード子爵。アメリアの父親である。

 戦時と言うにもかかわらずその服装は貴族然とした装飾の多いスーツのような服装だった。一応腰に懐剣を吊るしていたが、それだけだ。しゃべり方も含めて何もかもが場違いに思えた。

 なんら躊躇もなくカナバルたちを捨て石にした張本人である。

 

「専属騎士はもう一人の自分。アメリアは自分で部隊を撤退させたかったがさすがに二人にはなれなかった。だからカナバル君の意思を無視してそうした行動に出たんだ、むしろそんな命令によく従ったよ。君も一緒に死にたかったろうに」

 

 うんうん、とわかったようにエリナード子爵は頷いた。カナバルは殴りかかる自分を制するのに多大な忍耐を費やした。

 だが、怒りを覚えたのはカナバルだけではなかった。瞬時に柳眉を立ててエルデリカが怒鳴り声をあげた。

 

「別に責めちゃいないわよ。…というかね! コルセ! お前が捨て石にしたんだろうがッ! 学院の休みで偶然帰ってた娘に出撃させるとかなに考えてんのよ!」

「だって我が家にはまともに戦えるのあの子しかいなかったんだから仕方ないじゃないですか。長男は嫡子だから犠牲にできませんし、次男も長女も腑抜けですもん」

「もんじゃないわあんたが行け!」

「はははっ、一番の腑抜けは何を隠そうこの僕です」

「こんのボケがっ!」

 

 へらへらと笑うエリナード子爵をエルデリカが殴り飛ばした。

 エリナード子爵はゴロゴロと転がり、五メートルほどのところで停止した。

 エリナード子爵の御付きたちがあわあわと騒ぎ出すが、エルデリカはもはやどうでもいいとばかりに視線を切り、カナバルたちを見た。

 血が滲む程手を握り締めているのはカナバルだけではない、兵たちもだ。

 悔し気に歯を食いしばり、者によっては外聞も気にせず大の男が涙を流していた。

 無事なものはほとんどいない。負傷したものがほとんどであった。だが報告を聞く限り、落伍したものはほとんどいなかったようだ。撤退戦のあとからほとんど兵は減っていない。

 ここまでたどり着くのも、尋常な道のりではなかっただろう。

 エルデリカは大きなため息をついた。

 

「ひとまず、良く戻った。あんたたちはこのカッシーモ伯爵が預かるわ。…しばらくはゆっくり休みなさい」

 

          〇

 

 山脈都市に訪れたのはほとんどがエリナード子爵領の人間だった。

 だが他の領地から訪れたものがいなかったわけではない。バナド子爵領、ルスタ子爵領からの伝令兵がやってきていた。共にカッシーモ伯爵の寄り子である。

 内容はほとんど変わらなかった。数千に及ぶ蛮族の軍勢が出現。応戦するも敗北必死。援軍求ム、である。

 それを伝えてきた伝令兵も重症だった。片方は先日息を引き取った。

 地獄のような戦いだったのだろう。エルドリカはそうした戦いに覚えがあった。

 

「(蛮族の王、よね)」

 

 グランドルフ山脈が誇る城壁が上、カッシーモ伯爵ことエルドリカはカナバルら兵隊たちを収容させると速やかに業務に戻った。

 戦争の準備である。常備軍800人に加え、大規模な徴兵を命じていた。エリナード子爵領の人間も戦えるものを優先して審査を勧めていた。戦えない女子供、老人をないがしろにする冷酷な措置だった。

 

「伯爵様、それは余りにも無体では…」

「うるさい、それどころじゃないのよ。すぐに進めなさい」

「いやしかし、無茶苦茶が過ぎます! 徴兵にしてもこのような乱暴な集め方をすれば街のシステムが成り立たなくなります! ここは他領主からの援軍をお待ちになったほうが…!」

「さっさとやりなさい! 北部の領主はだいたいどこも同じようなもんよ! 他領地からの援軍は期待するな!」

 

 文官たちを怒鳴り飛ばし追っ払うとエルドリカは三日ぶりに一息をついた。

 執務室の机にしだれるように寄りかかり、間の抜けた声を漏らす。

 閉じられた執務室の扉の向こうで悪態をつく声が聞こえる。伯爵様が乱心なされたのだと。

 

「人を悪魔のように言うのやめなさいよね…」

 

 彼ら只人からすれば、エルドリカの決断はきっと冷酷に思えただろう。事実そうだ。だが、確信を持って言えるのだ。蛮族の王が現れたと。

 それは人の世界を再び破壊するだろう。寿命ではおよそ死ぬことのないドワーフやエルフたちはその様を幾度も目にしてきた。

 只人達はほんの数百年の間の出来事を容易く忘れてしまう。世代が変わるのだ、仕方がない。とはいえいくら何でも危機感を失うのが早すぎる。喉元通り過ぎればなんとやら、という奴だろうかとエルドリカは胸中で愚痴った。

 

「(とにかく、これで一戦耐えられるぐらいの兵力にはなる、はず。蛮族どもが進軍してくるまでは二か月ぐらい間が空くだろうし)」

 

 北部に面しているほかの伯爵や辺境伯が気になるところであるが、自分のところでできる限りのことは出来たはずだ。兵力差は如何ともしがたいが、山脈都市の防衛能力を信じるほかない。

 可能ならば一度戦って士気を砕いておきたい。理想を言うならば軍勢の中心人物を仕留めてしまいたい。蛮族は強力なカリスマを持つ人物のもとに集まる習性があり、中心人物を仕留めれば容易く瓦解する。ただ指揮を執っているからといって中心人物とは限らず傍から見て確実にこいつだと言い切ることができる状況はあまりない。

 強そうなやつを片っ端から仕留めていけばいつかは当たるだろうが、それも難しい。強大な力を持つ蛮族を相手に出来るのはエルデリカのようなドワーフやエルフ、もしくはよほど飛びぬけて強い只人に限られる。雑兵をいくらぶつけても兵力の無駄だ。

 

「こういう時にあの娘がいるのよ。コルセの奴、よりにもよって一番使えるやつを…」

 

 アメリアは齢十四にして只人の十指に入る天才的戦士だった。

 生きてさえいれば二人で強そうな蛮族を片っ端から狩って回る斬首戦術もとれた。勝率はきっと悪くなかっただろう。

 戦いには関係のないことだが、エルデリカ個人としてもアメリアの死は受け入れがたかった。あの娘に戦技を教えたのは自分だった。

 一目見て才覚があるとわかったから、継承権も低く誰も育てようとしないアメリアを引き取り、育てた。前世の知識があるとか訳の分からないことを言う子だったが、可愛いものだった。

 

「(いや…死んだとは限らない)」

 

 けれど、とエルデリカはぼそりと呟いた。

 蛮族たちとの戦いで、アメリアのような女が殺されない場合は少なくない。

 アメリアは見栄えが良い。そういった物であれば、蛮族たちは積極的に殺そうとはしない。多少無理してでも捕らえようとする。だが、その末路は悲惨だ。いっそ死んだほうがいいとまで言えるぐらいだ。

 悔しさで歯を食いしばっていた専属騎士のカナバルのことを思い出す。

 聞けば飛び出して行ってしまうだろう。だが、出会わないほうがいいとエルデリカは思う。精神の壊れたものは、見た目が変わらないからこそ、つらいのだから。

 

 ――そして事実、テオ城塞都市の撤退戦から二か月、アメリアは死んではいなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話

誤字報告ありがとうございます。


「武器返してもらっていいか?」

「―――」

「ダメ? 正々堂々とか誇り高いオーク戦士にはないのか?」

「―――」

「戦場で戦闘力を維持するのも戦士の技量的な? ああ、そうか。納得はしないが理解はした、…ッペ!」

 

 鉄の刃が嵐を生む。

 刹那のうちに鉄は弾け、幾度となく光が散った。

 鮮血が舞い、ブロードソードは刃先は幾度となくオーク戦士の肉体を捉えた。だが致命傷にはほど遠く、それどころか傷口が塞がるほうが早い。

 

「(あかんマジで強いわこいつ)」

 

 暴風の如き剣の応酬の中、アメリアは理解した。

 戦士階級のオーク、オーク戦士の振るうグレートソードは二メートルを超えながら極めて重厚な刃を持つ特大剣だ。地球の史実では扱われたことはないであろう空想の凶器は軽々と振るわれ、掠る地面を砕き抉る。さながら天災の如き有様だった。

 只人では成しえない、常軌を逸した筋肉。魔術の如き回復力。並べるべき要素はいくらでもある。加えて言うならアメリアの状態は万全からは程遠かった。

 魔力は切れかけ綻びた身体強化を維持するだけで手いっぱいだった。武装も最低限しかなかった。頭に受けた投石が原因だろう、時折焦点がずれて意識が途切れかけていた。いや、そもそも万全なら魔術で一撃だったかもしれない。

 山のような言い訳が脳裏をよぎる。勝てない言い訳が。

 だが、弱音を胸の奥にしまい込んだ。

 

「――だからどうしたッ」

 

 揺れる視界の中、敵を全力でにらみつける。

 コンマの世界で訪れる隙を、特大剣という武器ゆえの逃れられない隙を見定め、水平に構えた剣を放つ。

 渾身の水平突き。いかに強靭な回復力を持つオークであろうとも喉元を貫かれれば脳に酸素が届かなくなる。並みの鎧より堅牢な筋肉の鎧も喉にはない。厚い装甲に守られた甲冑騎士を屠る、絶死の一刀である。

 これで仕留めなければ後がない。この後、背後に控えるゴブリンシャーマンを一刀の元切り伏せ、満身創痍の肉体を引きずって包囲を突破。カナバルたちと合流しなければならない。

 常人ならば不可能だ。だが…あらゆる注文を空手形で叶えられた異世界チート転生者には、出来なければならないのだ。

 

「言い訳なんかっ、出来ねぇんだよ!」

 

 臓腑から滲み出た絶叫が、小さく吐き出された。

 稲光のような一突きだった。万全の状態でもここまで研ぎ澄まされた一撃を放てたかはわからない。

 だが、訪れたのは脳がひっくり返るような衝撃だった。

 

「っ――こほっ」

 

 ぐるりと視界が回る。回る回る。

 アメリアが認識できたのは自分の一突きが外れ、何らかの反撃を受けたと言う事実だけだった。平衡感覚や、そのほか何か大事な要素が機能不全を起こした肉体では、自身の損傷個所さえわからない。

 

「(た、立たないと…)」

 

 自分が倒れているのか立っているのかも定かではないが、アメリアはなんとか戦える状態に自身を戻そうとした。だが、何も認識できない。ねじれて赤黒く染まる視界では、何もわからなかった。

 

「(立た、ないと…)」

 

 最後まで動いていたのは聴覚だった。

 聞こえるのは勝ち鬨だろう咆哮と、下卑た蛮族たちの鳴き声。そしてぶつんっという電源が落ちるような、自身の内側からの音だけだった。

 

                  〇

 

 蛮族に捕まった女について多くを語ることはない。

 ただまれにそうした境遇から帰還するものがいる。ゴブリンの巣が殲滅されれば、一人や二人はそうした生還者が現れるのだ。

 ただ運がいいと言っていいのかわからない。そのほとんどが尋常ならざる精神状態であったり、五体満足であることは稀である。子を作るのに手足は必須ではないからだ。

 女が蛮族に捕まるというのは、死でこそないが、終わりを意味していた。

 

「……」

 

 アメリアは意識が戻った時、はじめ目を開けるのを拒絶した。

 目を開ければきっと光も届かない不衛生な地下牢で、下卑たゴブリンやオーク共がその醜悪な面構えで以って自分を弄んでいるだろうと思ったからだ。

 異世界チート転生者だって受け入れがたい現実は存在する。肉体に刻み付けて扱う刻印魔術は手足を失えば当然その個所の刻印を損失する。その状態でゴブリンやオークを薙ぎ払って脱出するのは至難であったし、さすがに足なしで走る方法は覚えていない。

 何よりも曲りなりともアメリアは女であった。相手が男か女かはわからないが、きっと結婚するだろうと思っていた。バラ色の未来が薄汚れ、萎れるようにして消えていくのは受け入れたくなかった。

 

「……んあぁ?」

 

 間の抜けた声を漏らす。

 ただシリアスな悩みを持っていたが、違和感を持つ。

 むせ返るような悪臭は感じられないし、冷たい石床の気配もない。なんだったら妙に柔らかいまである。そう、これは布団のそれだ。

 

「…ん?」

 

 恐る恐る手足の感覚を走らせるとちゃんと両腕両足が存在する。違和感はあったが、それだけだ。ここにきてアメリアはようやく目を開ける決意を決めた。

 最初に目に入ったのは天蓋だった。高級なベッドについている屋根である。

 

「……っかしいな?」

 

 思わず首をかしげる。

 その場はどこかの貴族の寝室のような作りだった。

 実際そうなのだろう。アメリアの無暗に優秀な記憶力はそこが砦都市テオの代官屋敷の一室であったことを思い出す。代官は一応貴族で戦える人間であったが、避難民の誘導を買って出た。その際の駄賃とばかりにこの屋敷をアメリアたちに任せたのである。

 籠城戦のために結局一度として使わなかったが、アメリアはこの部屋を使う予定だった。記憶が正しければ代官の娘の部屋だ。

 

「(でもワンちゃん援軍が来て助かりましたってオチじゃねぇのは確かなんだよなぁ)」

 

 じゃらりという音が手元から聞こえる。

 手足と首には分厚い枷が嵌められていた。枷の先には一抱えもあるような砲丸のような鉄丸が繋がっていた。

 下手くそとしか言いようはないが、手当もされている。ところどころ折れているのか鈍い痛みがあちこちで走るが、固定はなされているのかそこまで酷いことにはなっていなかった。致死に至らぬという意味でだが。

 ただ服装はいただけない。一応ドレスの様であったが、さながら娼婦のような露出の激しいものであった。一度は目を向けた高レーティングな結末が脳裏をちらついた。

 

「(魔力が戻ってるわけでもない、どの程度時間が経ってるかはわからないが、すぐに何をするってのは無理か)」

 

 ちらりと窓に目を向ける。

 鉄格子が嵌められているなどと言うことはない。鍵を閉めたまま金具は何らかの剛力で捻じ曲げられているようだが、外の景色は問題なく見えそうだった。

 

「よっこらせ」

 

 アメリアは重々しい鉄丸をよっこらせっと抱えるとえっちらおっちらと窓に近づいていく。異世界チート転生者であるからしてその肉体は天性のそれであったが、魔力なしには幼げ容姿の限界を超えるほどでもない。それなりの苦労を要した。

 

「(まぁ、そうだよな…)」

 

 忌々しくも窓の外は蛮族達が跋扈していた。

 砦都市テオの街並みは薄汚れたゴブリンとオークたちが満ちていた。

 ざっくり見た範囲だけでも数百のゴブリンとオークが見えた。ちらほらと怯え切った様子の只人も見える。鎖に繋がれ、さも家畜のように扱われる様は…それを認識した時点でアメリアは努めて外を見るのをやめた。文明が崩れる音を聞いたような気がした。

 その時だ、ある意味ではちょうどよかった。

 地響きのような気配が部屋に近寄ってきているのがわかった。

 音はさほどでもない。ただ高密度の何かが近寄ってくるというのは瞬時に分かった。

 ガチャリと一度鍵を開ける音が聞こえ、くぐるようにして部屋に入ってきたのは、自分と死闘を演じたオーク戦士だった。

 

「…よう」

 

 アメリアは努めて軽く声をかけた。内心を悟られないように。

 改めて見て、でかいと感じた。

 頭が天井に着きそうだった。鋼線を束ねたような体躯。油断の見られない眼差し。オークが備えるべき無駄な要素が一つもない。文献から戦士階級のオークは際立った精鋭であるということはわかっていたが、それと比較しても酷く立派だ。

 

「(本当に私は万全の時これに勝てたか?)」

 

 そんな検討するべきでもない疑念がよぎる。

 少なくとも今なんとか出来る相手だとは思わなかった。大人と子供ほどの力の差があるだろう。じゃらじゃらとなる鎖も明確に立場を示していた。

 ただ今はそんなことよりも考えなければならないことがあった。自分は、なぜ今のような扱いを受けているのかだ。

 

「おはようございますって言っておこうかな。こっちの言葉通じねぇだろうけど」

「―――」

「起きたばっかりでさ、どういう状況なのかよくわからないんだ。説明してもらえたりする?」

「―――」

 

 オーク戦士はアメリアを見下ろしながら、何かを言った。ただ、何を言っているのかは当然のごとくわからなかった。向こうもそうだろう。

 蛮族の言語は種族ごとの声帯の構造が原因で独特の文法・発音となっている。少なくとも只人の学院にはこれを学ぶすべはなかった。

 態度から多少の意思疎通は図れるが、少しでも複雑になれば言語に頼るほかない。

 

「―――、―――」 

「え? あー、うん? はい? それお前の名前? へぇ。それが部族名な。…結構しゃべるなお前」

 

 ただそこは異世界転生チートだった。アメリアのむやみやたらに優秀な頭脳は今まで聞いた蛮族の言葉をすべて記憶していた。パターンから文法を推測し、単語を可能な限り整理して蛮族の言葉を解読しようと試みた。

 少なくない根気を要することだが、オーク戦士は寡黙な割に何事かを伝えたいのか、よくしゃべった。ただその態度は捕虜に対するものとは思えず、よりアメリアを混乱させた。

 気が付くとアメリアとオーク戦士は座り込み、日が暮れるほどまで会話を続けていた。つい先日まで死闘を繰り広げていたとは思えない対応だった。

 恐らく自身の力量に不安を覚え、能力を発揮できる何かを欲していたからだろうと、のちのちのアメリアは推測した。

 そして夜遅くなるころにはアメリアはおよその蛮族語を理解するに至っていた。

 

「――よし、話はわかった」

「そうか」

 

 オーク戦士は、ヴ・ルドガ族の大族長が息子ヴルドは大きく頷いた。一仕事終えたような様子であった。

 実際ちょっとした大仕事だった。後に学院にもっていけばしばらくはちやほやしてもらえるかもしれない。戻れればだが。

 おおよそ働いたのは私なんだがと思いながら、汗をぬぐい、長い時をかけて割り出したヴルドの伝え事を口にした。

 

「お前ことヴ・ルドガ族の大族長、城門砕きのゴルノルヴァが嫡子、巡礼者ヴルドは私ことアメリア=ロア=エリナードの戦場での雄姿に惚れ込み妻としてもらい受けたいということだなうぉおおおおあああ!??!?」

 

 悲鳴じみた絶叫が戦に疲れた砦都市テオの夜に響き渡った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話

 結婚。

 

 アメリアにとって複雑な意味合いを持つ言葉である。貴族の子女として生まれたからには遠くない未来必ずするであろうとは思っていたものの、実はあまりポジティブに考えられないお題目だった。

 もちろん淡い期待はあった。

 TS異世界転生して、絶世の美貌を持って生まれたからにはきゃっきゃうふふの恋愛を楽しみたいとは思っていた。美少女美女は当然好きだし、イケメンにちやほやされるのも嫌な気はしない。結婚ともなると夜のことを考えて複雑な気持ちになるものの、不愉快極まるとまではかろうじていかない。ぐっと我慢すれば良いかな、ぐらいに考えていた。

 だが、実際いざ始めてみるとかなり立場が邪魔して面倒くさい。平民たちは立場が理由で基本的にシャットアウトだし、同じ貴族だと身分差だけでなく派閥のパワーバランスがどうのと言う話が出てくる。自由恋愛は夢のまた夢。

 アメリアの見栄えはとても良い。自分で絶世と豪語するそれである。

 しかしながら彫像のような美しさとは少々違う。確かに容姿のそれは芸術の域ではあるが、幼い見た目に対してアンバランスな女性的な色気を持つ、なんというか犯罪的な意味での美しさなのだ。

 十人いれば九人が振り返り、一人が前かがみになる。そしてアメリアに猛アタックをかけてくるのはその一人だ。上品とは言い難い声のかけ方をするものはあとを絶たない。

 戦場において只人屈指の強さを誇るアメリアだが、曲りなりともお嬢様として振舞っている以上殴り飛ばすこともできず、子爵令嬢と言う半端な立場故軽々と追っ払うこともできない。加えてアメリアは自分は絶世の美少女だから惚れちゃうのも仕方がないしと変に許してしまうから歯止めがきかなくなる。守る専属騎士カナバルも大変だ。

 一度欲望があまりにもあけすけなさる伯爵に迫られてちょっと泣いたこともある。

 チート転生者であるアメリアだが、社交界では食い物にされる側なのだ。

 話によれば、自分に戦技を教え込んだばあ様ことカッシーモ伯爵が裏で手を回さなければ自分は今頃宰相殿の愛人だったという。ちなみに宰相殿は今年で七十歳だ。

 正直なことを言えば、結婚と口にしてくる男はアメリアにとっては恐怖の対象ですらあった。

 最近はヴィリアム第二王子とお近づきになったおかげか、妙な話は回ってこなくなったが、代わりに嫉妬がものすごい。売女と罵られることは数知れず、戦場にいる時よりも強い憎悪を感じることも多々あった。おかしいなぁ私はむしろ女の子のほうが好きなのに…。

 今までの経験を総評するに、オーク戦士ヴルドは蛮族であるにも関わらず、最も紳士的に求婚を告げてきた相手なのであった。

 

「(いやでも相手オークだし。只人じゃないし。いやそもそも敵だし。蛮族は殺せとばあ様からは習ったし実際異世界転生チートの私ががんばらなきゃ只人また滅ぶし)」

 

 益体のない考えがぐるぐると回る。

 なぜ蛮族風情にこれほどものを考えなければならないのか、はなはだ遺憾である。自分は異世界チート転生者であるぞ、控えろ控えろとアメリアは胸中で印籠を振り回した。

「――オ前、聞いてるのカ!?」

「いッてぇ!」

 

 蝋燭の火が揺れる。

 そこは薄暗い地下だった。

 代官の館には地下室が存在している。食料の保管庫だったと記憶していたが、すでに食料はすべて運び出されたのか何もない。あるのは使い古された木の机ぐらいだ。

 ほのかな蝋燭の火に照らされる人影は、アメリアを含めてすべて小柄だ。

 緑色の小鬼、ゴブリンたちだ。手に手に凶器を握り、アメリアを凝視している。

 その目は情欲に満ちている。手足を拘束され、首輪を嵌められた絶世の美少女はゴブリンたちの支配欲を刺激していた。

 その中心には些か姿の異なるゴブリンがいる。

 他のゴブリンより少々体が大きく、体つきも餓鬼じみたゴブリンにしてはがっしりとしている。特徴的なのはうっすらと身体に浮かぶ赤黒い文様だ。何かしら意味のありそうなそれは、アメリアは前世の知識はアステカに似ていると言っていた。

 ただ他のゴブリンたちとの最大の違いは目に理性の色があることだった。今は激昂して怒りの色も多分に含んでいたが。

 ヴルドというオーク戦士と共にいたゴブリンシャーマンだ。

 

「あぁ? なんだっけ? えーと」

「オ前が知っている敵の兵力ヲ話セ、首領のことモ、城壁の造りモ、全部話セ」

 

 アメリアの頭を机に叩きつけ、ゴブリンシャーマンは鷲鼻がアメリアの顔に着くぐらい顔を近づけて尋ねてきた。雑な聞き方だ、ゴブリンらしいといえばゴブリンらしい。

 アメリアは現在、尋問を受けている。

 只人の言葉を解する蛮族が希少ゆえ、蛮族から尋問らしい尋問を受けた只人は珍しいと思うが。

 

「蛮族語はわからんなぁ? ぎゃぎゃぎゃ?」

「――っ!」

 

 アメリアがあざ笑うようにゴブリンの声真似をすると再び机と額が激突し、頭の中で小さな火花が散る。

 鼻の奥に刺すような痛みを感じる。つーと鼻血が垂れてきた。

 蛮族が只人の尋問を行うことは珍しい。それは蛮人からすれば只人は食料か家畜かのどちらかであるというのもあるが、加えて知的な蛮族と言うのが極端に少ないというのもある。もちろん先ほど言ったように言語の壁の要素もある。

 ただアメリアは言語を理解しているのがばれたのでこれが行われている。とんでもない絶叫を上げてしまったがゆえに駆けつけてきたゴブリンシャーマンにばれたのである。

 我ながらアホではと思うが、急なことだったのだ、仕方がない。次から気を付けよう。

 

「舐めるなヨ、小娘。オ前、外ノ家畜ト混じってみるカ? オ前なら、二十ハ産めル。仲間モ喜ブ」

「――うぐっ」

 

 嬲るような言葉を吐くゴブリンシャーマンに、周囲のゴブリンが同調するように下卑た声を上げる。首輪を力づくで引きずられ、床に叩きつけられた。

 じゃらじゃらと鎖がなる。ゲラゲラと嗤う声が響く。

 ただアメリアは、むしろのその野卑な言葉に妙な安心感を覚えていた。

 

「(…まぁ、蛮族ってのは本来的にこういうもんなわけで)」

 

 無論のことだがアメリアは蛮族に嬲られたいわけではない。だが、敵と味方とは、只人と蛮族との関係はこうあるべきなのだ。好きだ嫌いだという関係の話ではない。

 頭の中が冴えていくのを感じる。敵に対して情を持つべきではない。

 敵意と情欲、悪感情の渦の真ん中でアメリアは顔を上げ、笑う。

 

「やってみろよクソ蛮族ども。どうせあとでぜんぶアメリアちゃんがぶっ殺すだけだ」

 

         〇

 

 尋問もさほど時間もかけずに終了した。

 せいぜい二時間ほどだろうか。普通ならあのまま筆舌しがたい拷問を受けるはずだが、せいぜい殴られる程度であっさりと済んだ。青筋を浮かべるゴブリンシャーマンはアメリアの指の一本や二本ねじ切っても不思議ではなさそうな迫力を見せていたが、実行には至らず。端的に言ってぬるかった。

 

「単にあいつがおかしいんだよあいつが。ノーマルな蛮族はあんなもんだよ」

 

 アメリアはあてがわれた天蓋付きのベッドの上で肘をつきながらうなるように言う。

 オークの習慣は文献で読んだ程度しか知らないが、戦場で求婚するというのはさすがに殺し合い舐めすぎではなかろうか。

 

「(とはいえ都合は良いな、滅茶苦茶いい)」

 

 他の只人とは異なり、アメリアの扱いがましを通り越してお姫様だった理由としてはわかりやすい。

 オークの言うところの妻は文献によると個人の所有物らしい。際立った戦士であるヴルドの所有物に手を出そうという者はいないだろう。最悪過酷極まる奴隷達の中で魔力の回復に努めなければならなかったことを考えれば凄まじい幸運だ。

 

「(加えて上手いことあのオークについて回れば蛮族の中心人物を探ることだって出来る。わかったら即仕留めればこの戦争は勝ちだ)」

 

 ヴルドは大族長の嫡子と言う。ついて回れば自ずと軍勢の中心人物を探れるだろう。

 蛮族の軍勢の特性からすればそいつさえ討てば軍勢は瓦解する。

 不意をみて仕留めてしまえばいい。外道の類の手であるが、割り切るべきだった。

 

「求婚すれば私がほだされるとでも思ったのか、ケッ」

 

 窓の外を見る。暗く見にくいが、鎖に繋がれ、野ざらしでうずくまる只人が見えた。

 どこから連れてきたのか。よその町から捉えてきたのか、それとも自分達の陽動が不十分で捕捉されてしまったテオの避難民か。

 余りにも無残だった。無辜の凡人たちを守るのはチート転生者の役目である。今回ばかりは手段を選べない。ただ思う。

 

「(本当に売女みたい…)」

 

 胸がずきりと痛む気がした。それが自身の尊厳が傷ついたことによる痛みなのか、それとも他の何かなのかはわからなかったが。

 必要なのはとにかく時間だった。魔力の回復を待つ時間と、怪我が治るまでの時間。それまではヴルドとの関係を維持する必要がある。

 アメリアは酷薄な笑みを浮かべて鼻で笑った。こういう時は親父殿ことエリナード子爵当主コルセが参考になる。形だけは相手が望むようにふるまってやるのだ。

 孤軍奮闘は、慣れていた。

 

「さて、方針は決まったことだしどうしたものかな。まぁ順当に話合わせときゃいいんだよな。妻って言うからにはこう恋人みたいに…みたいに?」

 

 アメリアは自分で口にして、首を傾げた。

 転生して十四年。転生前を含めるならば三十年以上。膨大なはずの人生経験の中にそれはない。

 

 ――恋人ってどういうことするんですかね?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話

本編開始前のテオ砦都市の平民の話です。


 それはいつもの朝から始まった。

 太陽に焦がされた鶏が声を上げるので、その日も決まった時間に叩き起こされる。

 毎日卵が食べられるからと母が決して少なくない銀貨を犠牲に買ってきたのだが、雄鶏なので卵を生まなかった。誰もトサカに突っ込まなかったのだから間抜けは一家相伝なのだろう。

 さっさと絞めて豪華な晩御飯にすればいいのに、生まないなぁ生まないなぁと眺めているうちに変に情が移ってしまい、その頃にはペットのような扱いになっていた。

 農家の人に言えばきっと馬鹿にされるが情が深いのも一家相伝である。でもそうでなければきっと父と母は結婚していなかっただろうし、悪いことばかりではないと思う。

 眠い目を擦りながらみんなで朝ご飯を食べる。父と母、妹と私の一家四人の食事事情は決して豊かではなかったが、不満を言うほどでもなかった。

 父はいつも通り仕事に出て行ったし、母は冬に向けたかご編みの内職の準備を進めていた。私と妹もそれを手伝って、いつかお母さんと同じような仕事をするための練習をする。

 ただ妹はちまちま仕事が嫌いなのかいつも通りすぐに飽きてしまい、見かねた母はお使いついでに私と妹を外に送り出した。

 

 ここまではいつも通り。きっと死ぬまで続く私のつまらない日常。

 今となっては恋しいけれど、決して戻ってこない日常だ。

 

「お姉ちゃん、お姫様」

 

 妹は私のスカートを握りながらうっすらと人だかりの出来た大通りを指さした。

 その日一番違ったのは、貴族のお姫様がやってきたこと。

 妹の指先では百人ぐらい? たくさんの兵隊を引き連れて、物語にできてきそうな立派な甲冑騎士を傍らに、卵みたいな鎧の小さな人影が歩いていた。

 

「お姫様?」

「うん、卵の人、お姫様」

 

 卵に手足が生えたような不格好な鎧で、お姫様なんて言葉はとても似つかないけど、顔を見れば納得する。びっくりするぐらい可愛いんだ。

 髪は金糸を束ねたみたいで、目は宝石みたいにきらきらしてる。顔の大きな傷が少し痛々しいけど、神様が丹精込めて作ったんだなというのがよくわかる綺麗な顔立ちだ。

 なるほどお姫様だ。ドレスは着てないけどあんなに綺麗なのは貴族のお姫様しかあり得ない。こんな田舎で目にすることができる御貴族様は代官様の娘さんぐらいだけど、あんな神様に贔屓されたような人はお姫様に決まってる。

 

「――あれは」「領主様の次女の――」「――自爆姫」「一番の変人が出てきたかぁ――」「――顔は滅茶苦茶いいんだけどな」「――まだ成人前だぞ」「――アメリア様――」「――でも良かったよ、長男よかよっぽど戦上手だし――」「――はぁはぁ」

 

 みんな人目をしのぶようにこそこそと話してた。品評は少々塩辛い。

 そういえば近くの森でゴブリンが見られるようになったってお父さんが言ってた。ゴブリンなんて大人の男からすれば大したことはないけれど、数が集まると農村の家畜や女を攫うって言う。私たちのテオの街はとても大きな街なので襲われることはないだろうけど、森の向こうの開拓者たちの村には連絡が取れなくなっている場所もあるとも言っていた。

 もしかしたらお姫様は怪物退治にやってきたのかもしれない。せっかく来てくれたのに好き勝手言うのはどうかと思うけど、いざという時徴兵と言って命懸けの戦場に連れていかれる平民からすれば品定めも容赦がないのは仕方がない。

 御貴族様は平民を矢弾か何かと思っている人が多いと聞くし、噂通りお姫様もろくでもない人なのかもしれない。

 

「――あ」

 

 ふとお姫様がこっちを見た。はっきりと目が合った。意地の悪いことを考えていたのかもしれない。びっくりして身をすくめたが、お姫様はなんとも気楽な動作で手を振ってきた。

 

「ほら見ろカナバル。めっちゃ可愛い子が見てる。たぶん姉妹だ」

「パレードじゃないんで手を振るのやめてもらえます?」

 

 ゆっくりと行進しながらお姫様たちは立ち去った。私の緊張など知りもしないで妹は手を振り返していた。我が妹ながら、ちょっと大物過ぎるんだ。

 

「だ、ダメでしょ、御貴族様にあんなことしちゃ」

「手を振られたのに、無視しちゃだめだよ」

 

 帰り際に妹を叱ってみたが、ごもっともなことを言われる。

 あとで聞いたけど、やっぱりお姫様は怪物退治にやってきたみたい。お父さんが言うには領主様の娘さんだけどかなりの変人で、あの顔のひどい傷も自分でやったそうだ。

 あんな綺麗なものを壊せる神経は信じられないけど、幼いのにかなりの戦上手で領内の盗賊や怪物退治であの子が出てきたら当たりなんだと言っていた。むしろ青年の長男が出てきたらはずれなんだって。…御貴族様の事情は知らないけど、幼い妹に立場を取られる長男さんはかなり可哀そうなんじゃないかと思う。

 

「でもこれで一安心ね、私ずっと心配だったのよ」

「うちには可愛いのが二人いるからな」

 

 夕食で父と母はちょっと硬いパンに豆と、最近出回ったジャガイモというもののスープを混ぜながら言う。

 質素の食事だと思うし、新しい食材が混じったと言っても質素な味だからこれが毎日続くと思うと辟易する。でも父も母も私たちを心の底から愛してくれていた、私もそうだ。

 情が深すぎて鶏一匹殺せない、それぐらいしか特徴のないつまらない家族の一日は本当に退屈だ。

 

 でもそんな退屈だけど幸せな日常は、血だらけのお姫様がテオに大急ぎで戻ってきたときに全部なくなってしまった。

 

            〇

 

 暗くて重くて肌寒い。

 凍えるように寒かった。吸い込む肺がきりきりと傷んだ。深い霧のせいだ。

 お姫様が帰ると真っ青な顔をした代官様が御触れを出した。

 

「今すぐ、最小限の家財を持ってここから逃げること。すぐにでも蛮族の大軍勢が来る」

 

 そのあとは嵐の様だった。

 怒号と当惑、悲鳴と涙。

 逃げろと突然言われても、家財は命だ。そんな簡単に捨てられはしない。それでも行かねばこの都市は怪物の群れに食い尽くされるらしい。

 父も母も、大急ぎで荷物をまとめると、あれだけ大事にしていた鶏も逃がしてしまい、私たちの手を引いて逃げ出した。

 都市の外なんてほとんど出たことがない。初めての遠出は楽しいものではなく、焼き出されるような逃避行だった。

 

「お姉ちゃんっ、お父さん、お母さん…!」

「わかってる…!」

 

 

 訳も分からないないまま必死に逃げていたが、気が付いたら父と母からはぐれてしまっていた。父と母もいっぱいいっぱいだったのだ。

 わたしも妹も子供の女の足だったから、逃げる難民の列に揉まれてどんどん遅れて行ってしまっていた。

 間抜けな話だけど、私の周りにはお年寄りや体の不自由な人だけどまだたくさん人がいて、遅れているにもかかわらず少し安心してしまっていた。

 

「ギャギャギャ」「ギギッ」「ギャギャ」

 

 でも気が付けば化け物たちの、この世のものとは思えない椅子が軋むような笑い声が背後まで迫っていた。

 

「ひぃっ」

 

 すぐ近くだ、すぐ近くまで来ている。背中に氷が差し込まれたみたいに冷えた。

 怪物たちは女の子を攫ってしまうらしい。そのあとどうするかまでは知らなかった。父も母もそのことについては詳しくは言わなかった。でも本能でわかる、こんなに悪意に満ちた声を漏らす怪物は、平民の貧相な頭では思いつかないほどおぞましいことをする――

 そんな時にぞっとするほど冷たい空気が雪崩みたいに押し寄せて、気が付けば視界はすべて霧に包まれていた。

 この辺りはよく冷える土地柄だし、川もあるから霧ぐらいでる。でもこんな夕方なのに前も見えないような霧に包まれるようなことはなかった。

 

「突撃ィッ! ぶっ殺せぇ!」

 

 気迫に満ちた声に続いて心臓が止まりそうなほど大きな鬨の声が響いた。

 地響きのような足音の群れが何も見えない霧の中に轟き、鉄の音が弾けた。

 

 別の意味でぞっとした。兵隊たちと怪物の戦いに巻き込まれたのだ。

 悲鳴と怒号、鉄と鉄がぶつかる音が周囲を覆っていた。いろいろなことがおこりすぎて、もはや何がなんだかわからなかった。

 

「まともに斬り合うな! 盾で跳ね飛ばして踏み殺せ! オークは相手にしないで避けて通れ! どうせ追いつけない!」

 

 お姫様のものだろう声が聞こえる。思えばこの霧はお姫様の魔法だったのかもしれない。そうならばきっとお姫様は私たちを助けに来たことになる。

 ただお姫様の声は確かに可愛いけど、殺気と言えばいいんだろうか、声で殴りかかるような気迫が入っていて怪物に負けないぐらい怖かった。

 

「お姉ちゃんっ、お姉ちゃんっ」

「あ、あ…う、うん」

 

 妹は凍り付く私の手を必死になって引いていた。

 行先はわからないけど、ここにいるよりかはずっとましなはず。

 這うように、かき分けるように霧を進む。行先はわからない、でもお姫様や兵隊、怪物たちの声が聞こえないほうだ。どれも恐ろしいことには変わりない。

 必死になって進んで、進んで、いつしか霧が途切れていた。日が暮れるほど進んだから気が付かなかったんだと思った。

 恐ろしい声も随分遠くなっていて、夜気に満ちた藪に私たちはいた。

 

「はぁ…」

 

 私たちは気が抜けて、腰が抜けてしまった。

 この時私たちはぐるぐると霧の中を迷っていて大した距離を進んでいなかったし、お姫様たちが撤退したから霧が消えたということに気が付いていなかった。

 怖い時間は終わったのだと、勘違いしてしまっていたんだ。

 

「お姉ちゃ――」

 

 ごんっという音がして視界が傾いだ。

 妹の悲鳴は途中までしか聞こえなかった。聞きたくもなかった。

 耳鳴りが響く耳に入ってくるのはあの椅子が軋むような鳴き声。目に入ったのは汚らしい緑色の禿げた小人のような怪物たち。

 …なんでなにも悪いことしてないのに、こんな目に合うんだろうね。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話

 うっすらとした蝋燭の明かりの中、羊皮紙が細い指先でめくられる。

 山脈都市グランドルフは戦支度に追われて昼夜もない騒がしさで満ちている。ただ城の執務室まではその喧騒は届かない。

 エルデリカのめくる羊皮紙は放った斥候達の報告書である。どんな些細な情報でもと命じていたためその量は膨大だったが、目を通さないわけにはいかない。元々有利な戦ではないのだ、見落としは許されなかった。

 

『テオ砦都市難民のおよそ半数が山脈都市グランドルフに近日中に到着予定。三割が移動中に脱落。残りは蛮族に捕捉された模様』

 

 テオ砦都市に関する報告だ。斥候達も正確に数を数えている余裕はないからざっくりだが、おおよそ外れてはいない。

 この数字が報告にあるのは別に領民を心配しているという人道的な理由ではない。蛮族にとって捕らえた只人は糧食にもなりうるから数えているだけだ。戦争が長期化すれば蛮族たちは只人を使って増えることもある。そんなろくでもない理由からだった。

 

「(よく七割も逃がしたものね…)」

 

 コルセのことだからろくな情報も与えずに送り出しただろうに。

 テオ砦都市はエリナード子爵領の大きな都市では最北端だった。つまり最も早い段階で敵とぶつかったのだろう。カナバルの話によれば義勇兵を得ていたようだが二百も届かない手勢で逃げる難民を守るのは至難の業だ。

 

「ほめてはあげないわよ、あんたはそれができて当然だし、自分を捨て駒にするなんて…親不孝よ」

 

 私はあんたの親じゃないけどね、と目を伏せながら羊皮紙を伏せる。

 ちょうどそのころだ、執務室の扉が叩かれた。

 入るように告げるとぬっと長身の青年が入ってきた。

 燻ったような短い金髪。整った顔立ちだが何かに疲れたように胡乱に開かれた目。

 肉体は鍛え込まれているが色白で、身を包む貴族然とした服の襟のボタンをすべてきっちりと締めてその色を隠しているように見えた。

 テル=ロア=エリナード。エリナード子爵家嫡男にしてアメリアの実兄だ。

 

「…お呼びと聞き、参上しました」

「ん、よく来たわね。逃げるかと思ったわ」

 

 あんまりな言い様ではあるが、あのコルセが跡継ぎと目する息子である。

 正直なことを言えばエルデリカはこの男のことをよく知らない。ただ事前に聞いた話でわかっていることはある。

 曰く、妹のアメリアの才覚に心折られた青年。

 気持ちはわからなくなかった。戦技を教えたエルデリカからしてもいくら只人がドワーフやエルフでは考えられないような効率で技術を修得するとはいえアメリアのそれは気色が悪い領域に入っていた。…信じられるだろうか、あいつは弓を触った当日中に二百メートルを当然のように当てるようになったのだ。そんな奴が身内にいたら自信も無くするだろう。

 本人の能力は少なくとも極端に劣るわけではない。学院には通わなかったようだが、アメリアの教育係であるログセなどの優秀な家庭教師に教わっている。盗賊退治などの実戦もほどほどに積んでおり、決して無能と言うわけではないはずだ。

 …なんにせよろくな噂ではない。コルセ同様に何かと理由をつけてグランドルフを離れる当日までのらりくらりとやられるのではないかと勘ぐっていた。

 

「…オレも親父のやり方すべて賛成しているわけじゃありませんよ」

 

 テルは微かに怒りの色を目に宿したが、抑揚の少ない口調でそう言った。

 領民も領地も丸ごと捨てるコルセの選択は貴族としては唾棄を通り越して狂気のそれである。多くの場合貴族家の嫡男は跡取りを外されることを恐れてイエスマンになりがちだが、さすがにその程度の良識はあったかとエルデリカは息をついた。

 これなら話を進めることができる。

 

「そう、安心したわ。あいつは頭は良いけどちょっと気合の入った外道だから困るのよね」

「…オレに何をお求めで?」

「今、山脈都市グランドルフは大規模な徴兵を行っていることは知っているわね? でも、それじゃ全然足りないのよ。特に質がね」

 

 山脈都市グランドルフは大都市だ。徴兵を完了すれば蛮族には及ばないまでも相当な大兵力となるだろう。しかし、職業軍人とも言える精鋭兵とはその能力は著しく落ちる。

 ただ城壁に籠って戦うならば頭数としては十分だ。だが、打って出るとなれば話は変わる。身を守る城壁のない戦場で十分な能力を発揮することを望むのは難しい。

 

「…エリナード子爵領軍は親父に従いますよ。…まさかと思いますが」

「別にコルセをぶっ殺して軍権奪えとまでは言わないわよ。でも百人弱の素人交じりだけど戦意旺盛な兵がいるのよ。正規教育を受けた騎士付きの」

 

 エリナード子爵領軍はすぐにでもいなくなるだろう。エルデリカはそれを止めることはできない。貴族的な常識をかなぐり捨てたコルセは貴族的な命令は聞かないし、二百近い職業軍人を物理的に制止すれば内輪もめで被害が出かねない。ただ、例外はあった。

 

「…。…アメリアの手勢ですか」

「そう。あれは一部エリナード子爵領軍っていってもコルセの命令なんてそうそう聞かないでしょ。アメリアが連れてきた兵と義勇軍の練度は不安だけど戦意旺盛な理想的な兵隊よ、正義のためならば死ぬでしょう。それにカナバルは正規教練を受けた騎士よ、使わない手はない」

 

 カナバルはアメリアと一緒にいるからパッとしないが、正規の訓練を受けた騎士である。

 王国において騎士とは魔術と戦技を高い水準で治めた者しか得られない名誉称号だ。

 一代限りではあるが、相当な武功を立てるか、王国最難関の一つである騎士学院を卒業せねば得られない立派な爵位だ。

 二十前後で資格を得ているカナバルは相当な使い手だ。…それにアメリアについて回って未だ無事と言うあたりが有能さの補強となる。

 

「あんたに貴族としての矜持があるなら、アメリアの手勢を率いて武勇を示しなさい」

 

 試すように言う。

 領地領民を捨てるなど貴族にとって末代までの恥。親の恥を雪ぐのは子の役目だ。

 この特大の汚点を消すにはアメリアの武勇ですら足りない。コルセからすれば潰れる国での面子など価値はないと言ったところだが、お前はどうだ?

 テルはしばし目を伏せた。そして聞き取れない何事かを押し殺すように呟き、尋ねてきた。

 

「…オレである理由を教えてください」

「あんたは仮にもエリナード子爵の嫡男だから。一応エリナード子爵領軍の枠組みに入るアメリアの部隊を率いるのが一番スムーズだからよ。さすがに私が命令するのは難しい」

「…親父への意趣返しってだけじゃないんですね」

「なくはない。クソ腹立つからね。でも違う…そうね、あんたが必要なのよ」

 

 あんたが必要。エルデリカはあえてその言葉を使った。人づての話でしかなかったあやふやな推測だが、テルに必要なのはそういう言葉だと思った。

 実際その言葉は暗い影のように重々しいテルの気配に小さくない動きをもたらした。

 拳を静かに握り込み、歯を強く噛む。目は目蓋の下でとめどなく蠢いていた。

 蝋燭の蝋がじっとりと受け皿に伝い、固まり始めるほどの時間が過ぎるころ、テルはゆっくりと頷いた。

 

「…親父にはオレから言います。伯爵様と事を構えずに逃げられるなら親父も了承すると思いますから」

「わかった。頼んだわよ」

 

 ぬっと重たい影を引きずるようにしてテルは執務室を後にした。

 エルデリカは重たいため息を付きながら執務室の大きな椅子に身を沈ませた。

 これでまた一つ負けの要素を削ぐことができた。貴族の役目も果たさず逃げるコルセからぶんどれるものはこれが限界だろう。それはともかく。

 

「…断られるかと思ったけど、話ほど腑抜けじゃないかもね」

 

 噂は当てにならないものだと、ぐっと伸びをした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。