DESIGNED LIFE (坂ノ下)
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第1話 由比ヶ浜にて

 小高い砂丘の天辺から南を一望すると、果ての見えないスカイブルーに柔らかな陽光が照り返していた。

 砂浜にも海の上にも人は居ない。ただ時折、海水より淡い色をした大空に、海鳥が連れたって飛んでゆくのが目に入る。

 

「んっ」

 

 色素の薄い金色のポニーテールを揺らし、小柄な少女は瞳を細めた。いくら日射しが弱いとはいえ、ずっと見ていれば目に悪い。

 少女、安藤鶴紗(あんどうたづさ)は踵を返して砂の丘から下りていく。背には、持ち主の身長にも迫ろうかという大きな直方体のケースが背負われていた。

 そうして下りた先で鶴紗を出迎えたのは、緑のセミショートを左右で小さく纏めた少女だ。鶴紗より頭半分ほど背が高く一つだけ年長の彼女だが、年長者らしからぬ緩い空気を纏っている。

 

「鶴紗ー、何か面白いものあったかー?」

「何も。少し前に貨物船が二隻、西へ通り過ぎただけ」

「西か。横須賀発、大磯行きってところだな」

 

 さも興味なさげな様子の先輩の名は、吉村(よしむら)Thi(てぃ)(まい)

 鶴紗も梅も黒を基調としたシックな制服に身を包んでいる。この制服こそ鎌倉で、ひいては世界で名を馳せる名門ガーデン百合ヶ丘女学院に属する証。ガーデンとは、人類の敵ヒュージと戦うリリィを育てる軍事養成機関のこと。外見からは想像し難いが、二人の少女は戦う人なのだ。

 

「何もないな~。うん、今日は何もない日に違いない」

「梅様やる気なさすぎ」

「そうは言うけど、梅たちが出番ないってことは良いことなんだゾ」

「サボれるから?」

「それもある」

 

 先輩のあんまりな発言に鶴紗は口を尖らせる。

 しかし同時に、無理もないことだと思っていた。確かに今は()()()()()()()平和と言える。

 大磯海底ネストに続き、由比ヶ浜ネストの撃破。近傍の敵拠点消滅により、ここ鎌倉に面する相模湾の制海権は過半が人類側へと帰していた。近場の横須賀に海上防衛軍の有力な根拠地が存在することもあり、遊覧船や客船は無理でも、高速貨物船程度なら往来可能となっている。

 無論、完全に脅威が消えたわけではない。ヒュージはケイブと呼ばれるワームホールを通り抜けて襲ってくる。だがその頻度も規模も、以前より格段に低下していた。

 鶴紗たちが今こうして海岸まで出張っているのは、昨日近くで起きた小規模な戦闘のせい。由比ヶ浜では久方ぶりの会敵だったので、学院が用心して哨戒を行なっていたのだ。

 

「よし! 鶴紗、ちょっと早いが昼にするゾ!」

「えっ? もうすぐ交代だから、戻って食べればいいのに」

「たまには外で食うのも乙なもんだ。それに腹が減ってる時に襲われたら大変だろう」

「さっきは何もないって言ってたじゃないか」

 

 呆れる鶴紗を引き連れ、梅は砂浜から草地へ移動して都合よく見つけた木陰に陣取る。それからチャームと一緒に背負っていたリュックサックを下ろし、中身を辺りに広げていく。

 出てきたのはカセットコンロにミニサイズのヤカン、ペットボトルの水。茶色っぽい袋は恐らくコーヒーだろう。

 

「フィルターは持ってきてないから、インスタントで我慢だな」

「大荷物だと思ったら……。梅様、遠足に来たんですか」

「まあまあ、ちゃんと鶴紗の分もあるから」

「そういう問題じゃない。貰いますけど」

 

 お喋りしている内にも、梅は水をヤカンに移し替えてコンロに火を灯していた。

 お湯が沸くのを待つ間、リュックの中から今度は紐に何重にも括られた厚紙が取り出される。縛めを解き厚紙を広げて見えてきたものが梅のランチのようだ。

 

「ほら、梅の特製バインミーだ。美味いゾ~」

「バインミー? ああ、サンドイッチのことか」

 

 名前だけではピンと来ないが、実物を見て正体を知った。

 手頃な長さのフランスパンを切り開き、中にキュウリや玉葱や紅白なます、鶏肉といった具を挟む。それを何個も何個も用意してリュックに詰めてきたのだから、その手間暇には鶴紗も素直に感心した。

 受け取ったバインミーに鶴紗の口がかぶり付く。パンに含まれた米粉のもっちりした食感と、やや遅れて酢と醤油と肉汁の混ざり合ったエキスが口内に染み入っていく。

 味付けが濃い東南アジアの中でも、梅の故郷ベトナムの料理は比較的あっさりしているので、日本人の舌とも親和性が高かった。

 

「美味しい。これ醤油は魚を使ってるんだ」

「鶴紗は舌が利くなあ。鰯の魚醤だゾ」

 

 食べている途中、今度は空いてる左手にステンレスのカップを渡される。湯気立ち昇る褐色の液体には、たっぷりの砂糖とミルク代わりの練乳が注ぎ込まれていた。

 

「熱っ……けど、甘い」

 

 猫舌をひりひりさせながらも、パンから溢れんばかりの肉と野菜に噛り付いていた鶴紗。ふと、目の前で胡坐を組んで食べてる梅が、こちらをじっと見つめているのに気付く。

 

「コーヒー熱いならフーフーしてやろうか?」

「結構です。てか、ずっと見られてると食べにくい」

「いやー、美味そうに食べるなあと思って」

 

 何が楽しいのか、梅はリボンで縛った小さなツーサイドアップをぴょこぴょこと揺らしている。

 この先輩は自分たちのリーダーと同じく、人と距離を詰めるのが上手いのだと鶴紗は改めて思う。それは好ましいことだった。距離を詰められない鶴紗にとっては有り難かった。

 

「さてと。食後の昼寝といきたいところだけど。間が良いやら悪いやら」

「っ! ヒュージか!」

 

 唐突に、学院支給の携帯電話がアラームを鳴らす。着信ではなく、内蔵されているヒュージサーチャーの警告音だった。

 暢気な言動とは裏腹に、梅はすぐさま細長いケースから自らの得物を、CHARM(チャーム)を取り出し肩に担いでいた。

 遅れて鶴紗もケースのファスナーを全開にする。

 黒のフレームに鈍色の刃が煌めいた。分厚く反りの少ない刀身は、さながら鈍器のようにも見える。鶴紗の身の丈にそぐわぬこの大剣こそ、彼女が操るチャーム『ティルフィング』なのだ。

 ランチタイムの後始末は置いておき、二人は頷き合うとサーチャーの反応が示す南西へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砂浜との際に茂る草むらの中で、腹這いとなったリリィ二人が海岸線を観察している。

 反応は思ったよりも近かった。なので鶴紗たちは障害物の少ない砂浜を避け、内陸寄りで敵の捜索に当たっていた。

 

「ペネトレイ種っぽい。カウダに似てるが、形が変だな。新型か?」

 

 頭の上に葉っぱを付けた梅が双眼鏡を構えて海岸を見やる。肉眼の鶴紗でも、空に浮かぶ物体が朧げながら確認できた。

 ペネトレイ種とは、胴体後部から生成した噴流(ジェット)による推進力で高速移動を行なう飛行型ヒュージである。その高い機動力はリリィにとっても油断できない。

 しかしながら、数は一体のみ。陸地を見渡してもヒュージサーチャーでも他の敵は見当たらない。梅と鶴紗ならば遅れを取ることはないであろう状況。

 だがそれでも梅は困ったように頭を掻く。

 

「鶴紗、ここからあいつ狙って当てられる自信あるか?」

「ないです」

「梅もない。弱ったな。逃げられたら面倒だし。ワンワンが居れば話は早かったんだが」

 

 二人にとっては難敵でなくとも、取り逃がしたらどうなるか分からない。そもそも空を飛ぶという一点だけで、地上に居る者からしたら大きな脅威となり得るのだ。鎌倉の市街地にでも逃げ込まれたら厄介極まりない。

 梅は少しの間考え込んでから、鶴紗の肩を軽く叩いた。

 

「よし、梅が反対側に回り込んで追い込むから、鶴紗はここで挟み撃ちにしてくれ。多分一発じゃ墜とせないだろうから、頼むゾ」

 

 そう言ってヒュージの方を見据える梅の表情は真剣そのもの。先程までの彼女とはまるで空気が違う。この切り替えの素早さは本当に尊敬できる。

 そんな梅の引き締まった横顔を横目で見て、鶴紗は「はい」と一言返事をするだけだった。

 

「それじゃあ、行くか!」

 

 大まかな方針だけ決めると、梅はチャームを抱えて立ち上がる。反りのついた黄金色の刃。それこそが彼女専用のユニークチャーム『タンキエム』。

 おもむろにタンキエムの先端が下方向に折れ、中から砲口が顔を覗かせる。射撃戦用のシューティングモードだ。この変形機構こそチャーム第二世代以降の真骨頂。

 梅は緑と黄のストライプという、やたらと目立つオーバーニーに包まれた右足を振り上げる。そうして地面をトントンと軽く爪先で蹴ると、次の瞬間には姿を消していた。

 

 レアスキル――――リリィに備わる特殊能力。梅のそれは、瞬間移動を可能とする『縮地』であった。

 

 鶴紗もまた己のティルフィングを変形させる。

 チャームを構成するギアが駆動音を上げ、刀身が90度後ろに倒れた。すると短砲身だが堅牢な砲が姿を現す。単純明快な変形機構だが、それ故に強く扱いやすい。

 視界の先では梅が配置に到達していた。波打ち際に立ち、間髪入れず空に掲げた砲口から火を吹かす。

 三発。

 その内少なくとも二発は命中したはず。

 しかし上空のヒュージに致命傷を負った様子は認められず、向きを変えて内陸へと一直線に飛んでいく。そう、鶴紗の待ち構える方へ。

 

「でかい」

 

 ぐんぐんと近付いてくる敵影に、鶴紗は小さな声を漏らした。

 通常のペネトレイ種カウダ型はスモール級。成人した人と同程度の大きさしかない。ところがアレはカウダ型の三倍は超えている。ミドル級と見てよいだろう。

 また外見にも差異がある。カウダ型の丸みを帯びた()()みたいな姿に比べ、鋭角的でスマートな見た目をしている。例えるなら、全翼の戦闘機といったところか。それも宇宙を飛び回ってそうな未来的なデザインの。

 梅の見立て通り、新型のヒュージだった。

 

(どうする……?)

 

 ここにきて鶴紗は迷った。今この場で自身のレアスキルを使うかどうか。

 相手はたった一体。しかし新型。周囲に敵影無し。一報を入れているので学院からの増援あり。

 様々な要素を加味して思案する。

 だが間に合わなかった。

 

(早いなっ)

 

 鶴紗とて実戦経験豊富なベテランリリィ。決して判断力が無いわけではない。ただ、敵新型が想像以上に急加速して、目算が崩れたのだった。

 鶴紗はレアスキルを使用せず、即座の迎撃を選択した。右足にマギを、超常の力を込めると、靴底から薄い光が瞬き鶴紗の身体が宙へ跳ねる。

 草むらから砲弾の如く飛び上がり、肩に担いだティルフィングの引き金を引いた。

 敵はきっちり目の前だった。最善のタイミングで、大口径の砲から光の奔流が放たれる。

 バスターランチャー。ティルフィングの高出力砲がヒュージを吞み込まんと襲う。

 

「浮いた!? クソッ!」

 

 光はヒュージの下部を掠めるにとどまった。

 直前で機首を引き起こし、すんでの所で上方向に回避したのだ。

 その機動はまさしく戦闘機。鶴紗は内心で苦々しくも相手を称賛する。

 両者すれ違った後、敵機が大きく旋回を図る一方、鶴紗は空中で体を捻り体勢を整えようと試みた。幾らリリィが常人離れした力を扱えようとも、空を自由に翔ける戦闘機との空戦は流石に分が悪い。

 だが敵は待ってはくれなかった。

 灰色のメカニカルな胴体。その正面装甲がスライドし、左右合わせて八つの穴が現れる。それらは鶴紗に向けて、一斉に円筒状のミサイルを吐き出した。

 ティルフィングの砲が、今度は光ではなく実体弾を放って迎撃する。砲弾と誘爆によってミサイル群は潰したが、爆風を突き破って敵機本体が肉薄してきた。

 

(ヒュージの、目……)

 

 瞬間、目が合う。

 機首の先端に光る一つ目。鶴紗と同じ、赤い目。

 それは一瞬にも数秒にも数分にも感じられた。ただ言えるのは、確かに異形の瞳が鶴紗を見つめてきたことだった。

 直後に、無防備同然だった小さな体へ鋭い機体が突き刺さる。

 

「かはッ!」

 

 鶴紗の口から空気が抜け出た。

 僅かに掠っただけで、全身をコンクリートに叩きつけられたような衝撃が襲う。

 落ちる。落ちて地に伏す。飛びかけた意識で他人事みたいにそんなことを考えていると、体を柔らかなクッションに受け止められた。

 

「梅さまっ」

「口閉じてろ! 舌嚙むゾ!」

 

 右手にチャームを抱え、左腕で鶴紗を抱き抱え、跳躍した梅はそのまま着地の姿勢に移る。

 足の裏が大地に触れるか触れないかといったところで、梅のタンキエムが砲口を持ち上げて、真上に一発。それは急降下する敵機を物の見事に捉えた。敵は最も隙の生まれるであろう着地の瞬間を狙っていたのだ。

 地を踏み締めた直後、梅は流れるような動作で横に跳びつつ連続射撃。無論、鶴紗を抱えたままで。

 更に数発被弾して、ヒュージはボロボロと剥げた装甲を地面に振り撒いた。これには堪らず、梅たちから逃れるべく急上昇して西の空へと翔けていく。

 

「逃げられた……」

「そうだな。逃げられた」

「梅様、下ろして」

「んー、そうだなあ」

 

 遠い空に光るジェットの噴射炎を睨みながら、鶴紗が悔しさに歯噛みする。

 一方の梅は生返事をするだけで、子猫のように丸まった後輩を放そうとしない。

 結局、鶴紗が自分の足で歩き始めるのはもう少し先の話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 安藤鶴紗という人間は特段戦いが好きなわけではない。戦闘狂などと呼ばれるのも心外だ。

 だがそれでも、今日ヒュージを取り逃したのは悔しかった。そのせいで自身の所属する隊が、一緒に居た先輩が責められるのは我慢ならなかった。

 事の顛末を学院に報告する前――――

 

「梅様、ごめん。私のミスで……」

「いやあ、梅の作戦がいい加減だったなあ。ま、一緒に始末書でも書くか」

 

 含む所の無い晴れ晴れとした笑みを向けられた。胸の奥底がちくりと痛んだのは、きっと戦闘の後遺症が原因じゃない。

 そして報告後の今、始末書代わりの報告書を提出した後、二人は学院の本校舎を歩いていた。

 

「梅はこれから一時限だけ受けてくけど、鶴紗はどうする?」

「今日はもう購買寄って、寮に帰ります」

「そっかー。じゃあこれでごきげんよう、だな」

「はい」

 

 彼女たちリリィは女学生でもある。なので戦闘や訓練だけでなく、一般的な講義を受けて単位を取らねば卒業できない。

 ただしリリィの事情を鑑みて、受講の形態はかなり柔軟に対応されていた。単位の取り方について、リリィによって大きなばらつきがある。いつでも同じ時間に全員が机につくことは不可能なのだから。

 そんなわけで、梅と別れた鶴紗は講義室ではなく、学院内に設けられた購買へと足を運ぶ。

 学校の購買だと侮るなかれ。近場に娯楽が少ないこともあって、品揃えは鶴紗も満足するほどに充実していた。食料品や雑貨、衣料品等々。もっとも、ただの学校ではなく軍事施設でもあることを考慮すると、この程度は当たり前なのかもしれないが。

 とにもかくにも、手早く買い物を済ませた鶴紗は真っ直ぐ自分の部屋を目指す。その道のりは短くはない。彼女の住処(すみか)は一年生寮の新館でも、上級生寮の旧館でもないからだ。

 一人きりで歩いている内、あの戦闘でのことが自然と思い起こされる。

 

「梅様の手、大きかったな」

 

 確かに鶴紗は小柄だが、梅だって決して長身大柄なわけではない。

 にもかかわらず、あの時、ヒュージに弾かれたこの身を抱き止められた時、手も腕も胸も実物以上に大きく思えた。触れる背中に熱を感じ、包み込まれるようだった。

 

 もしも、もしもあの梅の手にもっと別の場所を触られたなら――――

 

 想像しかけたところで、鶴紗は頭の中を掻き毟るように打ち消した。これではまるで変態みたいじゃないか、と。

 

「変態は(かえで)だけで十分だっての」

 

 そう声に出して自らに言い聞かせる。

 命の危険を感じた際、人はおかしな気分になるらしい。今の自分は正にそんな状態なのだと、苦しい言い訳を頭に浮かべる。

 こんな気持ちのままで部屋に帰るのはあまりよろしくなかった。今や鶴紗も独居ではなく、同居人が居るのだから。

 心の内で珍妙な一人相撲を繰り広げていた鶴紗だが、だんだんと目的地に近付いてきた。

 本校舎の裏手、緑溢れる裏庭の中、隠れるようにひっそり佇む建物。それが鶴紗の暮らしている百合ヶ丘特別寮である。

 寮の入り口にて、鶴紗が右手中指にはめている指輪を認証装置に当てた。するとリリィの証たる指輪にマギの光が瞬き、小さな音を立ててドアがスライドする。指輪には個人認識機能も備わっているのだ。

 無論、他の寮のセキュリティはここまで厳重ではない。

 

「あら、ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 

 入り口から部屋への道中、さして親しくない顔見知り程度のリリィに挨拶され、愛想の無い返事をする。相手は特に気を悪くした様子もなくすれ違う。

 特別寮とは、ワケありのリリィが集う場所だった。

 そして鶴紗のワケとは、彼女がとある研究機関の施術を受けた強化(ブーステッド)リリィであるということだった。

 研究機関から百合ヶ丘女学院に保護され、それ以来変わらずこの寮から通い続けている。

 ギガント級ヒュージに学院から追い立てられたり、由比ヶ浜ネストを攻略した仲間たちを迎えに行ったり、横浜の技術実証隊にてその仲間たちに救われたり。様々な困難を経てきたが、概ね変わらない寮生活が続いている。

 否、一つ大きく変わった点があった。最近になって住み着きだした、鶴紗の部屋の同居人の存在だった。

 

「ふぅ」

 

 鍵を開けて玄関に入ったところで鶴紗が息を吐く。右手に提げた購買の買い物袋をどこかに置こうと見回すと、奥のベッドからこちらへ寄ってくる少女と目が合った。

 くりくりと丸い瞳。爛々と輝く瞳。背は鶴紗とそう変わらぬはずだが、その表情や仕草によってずっと幼く見える。

 

「鶴紗おかえりー!」

「ただいま、結梨(ゆり)

 

 薄紫の長髪を左右でお下げにした無邪気な少女。

 彼女が鶴紗の同居人、一柳結梨(ひとつやなぎゆり)だった。

 

 

 





ラスバレのボイスがやたらたづまいを推してくるので、たづまい長編書きました。

戦闘シーンは不得手なのですが、百合と熱いバトルの両立を目指したいと思います。




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第2話 特型ヒュージ追討指令

 一柳結梨。その名は本名とも、そうでないとも言えた。何故ならば彼女には元々名が無かったし、名付けるべき親も存在しなかったのだから。

 とある研究機関によってヒュージ細胞を基に作り出された人造のリリィ。それが結梨の正体だった。

 ひょんなことから百合ヶ丘女学院に保護された結梨だったが、鶴紗たちと同じ隊に入り、リリィとして学び、出自を明かされ一度は政府や研究機関から追われる身となった。その果てに、学院を襲うヒュージと交戦して命と引き換えにこれを打ち倒した。マギの光の中に散っていった。

 

 ――――そのはずなのだが、実際は生きていたのだ。

 

 結梨生存の事実が百合ヶ丘のリリィたちに公表されたのは、由比ヶ浜ネストが撃破されて少しばかり経った時のこと。それまでは離れた場所で匿われていたらしい。表向きは戦死扱いのままで。

 鶴紗に詳しい事情は分からないが、再び結梨が追われる事態にならないよう、理事長代行が方々(ほうぼう)に根回しをしていたのだとか。そういう事情ならば、結梨と皆の再会が遅れたのも致し方ないだろう。

 結梨の保護者代わりの少女、鶴紗たちのリーダーでもあるその少女の嬉し泣きといったら、今でも鮮明に思い出せるほどだった。かく言う鶴紗も、あの時ばかりは目頭が熱くなったのを覚えている。

 そして結梨のリリィ復帰後、暫くしたある日。

 

「鶴紗さん! 結梨ちゃんのこと、よろしくお願いします!」

 

 神妙な顔をした結梨の保護者から、そう言われて頭を下げられた。隊の皆で話し合った結果、結梨にも他のリリィと同じく相部屋での共同生活をさせるべきだと判断されたから。

 鶴紗が同居人に選ばれたのは、同じくワケありで既に特別寮に部屋を持っていたためである。

 

(よろしく、って言われてもな)

 

 当初はそんな風に思っていた鶴紗も、この生活に慣れつつあった。昔に比べて丸くなったせいだと、鶴紗自身にも自覚はある。

 

「ねえねえ、なに買ってきたの? なになに?」

 

 買い物袋を持つ右腕を揺さぶられ、鶴紗は回想に浸っていた意識を現在に戻す。

 何でもない風を装って結梨の手を制し、袋の中から本日一番のお目当てである缶詰を取り出した。

 

「今日新入荷の『EX猫缶ガーリックペッパー味』だ」

「おー。それって美味しい?」

「これから確かめる」

 

 期待半分疑問半分の結梨の前で、缶の一つを開けて用意した皿に盛り付けた。

 まず鶴紗がスプーンで一口。ゆっくりと噛み締めて味わっている内に、結梨が待ちきれないとばかりに後に続く。

 本来、猫にガーリック……すなわちニンニクは毒となる。ニンニクはタマネギの仲間で、共に猫を害する成分を含んでいるからだ。

 そんな猫たちのために、ニンニクの成分を含まずニンニクの味を再現したのがこの『EX猫缶

ガーリックペッパー味』である。購買の入荷予告の張り紙でこの品を目にした瞬間、普段は不信心な鶴紗に天啓が降りた。「猫の先駆けになれ」と。

 鶴紗は無類の猫好きだった。

 

「うん、胡椒は強過ぎず弱過ぎず。肝心のニンニク要素は、辛味はともかく香りは再現できてるな。不満はあるが、まあチャレンジ精神に免じて――」

「これ、味うすーい!」

 

 鶴紗の論評は溶けかけたバターの如く両断された。

 

「ふふっ、この妙味が分からないなんて、結梨もまだまだお子様だな」

「むーーーっ! 鶴紗だってちっちゃいじゃん!」

 

 頬を膨らませたかと思ったら、次の瞬間には口を尖らせ怒る結梨。

 毎回毎回ころころと変わる結梨の表情は見ていて飽きない。彼女が隊の皆に愛されるのも分かる気がする鶴紗であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、夕方まで講義を受けていた鶴紗は放課後になって、隊の仲間たちの元へと向かっていた。

 やがて(おごそ)かな木の表札に『一柳隊』と書かれた一室に辿り着く。

 LG(レギオン)ラーズグリーズ、通称が一柳隊。鶴紗や梅や結梨たちが所属するレギオンだ。

 レギオンとはリリィの戦闘単位、チームであり、一柳隊は現在十名で構成されている。

 

「遅れてすみません」

 

 鶴紗が中に入った時には、既に結梨を含むレギオンメンバー全員が揃っていた。一名、メンバーでない人間の姿が見えたが、その赤縁眼鏡の少女は隊の誰もが知る人物だったので、特に気には留めなかった。

 

「ごきげんよう、鶴紗さん。これで皆揃ったわね」

 

 そう言って三人掛けソファーの中央席から立ち上がったのは、さらさらの黒髪を腰まで伸ばした二年生。目鼻立ちの整った誰もが視線を奪われるような美しい少女。一柳隊副隊長の白井夢結(しらいゆゆ)である。

 

「早速ですが、先ほど軍令部作戦会議から下った指令を伝えます」

 

 夢結は改まった口調で全員に向けて話し始めた。

 百合ヶ丘の上位レギオン十三隊の隊長・副隊長に、三人の生徒会長を加えた意思決定会議のことを軍令部作戦会議と呼んでいた。主に外征先や派遣戦力など、重要な決定を下す際に開かれるものだ。残念ながら、一柳隊は会議のメンバーに含まれてはいなかった。

 

「昨日、由比ヶ浜にて梅と鶴紗さんが交戦した飛行型のミドル級ヒュージ。これを以後、ミドル級特型『ファルケ』と呼称。我々一柳隊に討伐指令が下りました」

 

 その言葉に、多くの者が何らかの反応を示す。意外な事態だからだ。当事者である鶴紗にとってはそこまでではなかったが。

 真っ先に夢結に対して疑問を投げ掛けたのは、亜麻色の髪とオッドアイの瞳が目を引く郭神琳(くぉしぇんりん)である。

 

「特型認定、随分と早いのですね。どういった理由があるのでしょうか?」

「戦闘後に学院が確認したのだけど、どこのガーデンも防衛軍もこのヒュージを目撃してないの。あれだけのサイズのものが飛んでいたら、流石に見落としは考え難い。ケイブの発生も検知できず。だとすると考えられるのは、海中を潜って離脱したか、どこかに着陸してじっと身を潜めているか」

「なるほど、それなら特型と認められてもおかしくはありませんね」

 

 神琳は夢結の答えに納得したように頷いた。

 通常のヒュージの類別から著しく外れた個体。それが特型。稀有な能力や行動様式を持つため、確認された場合は優先討伐目標に指定されるケースが多い。サイズの小さな個体でも強敵なのが、特型の厄介な点の一つである。

 

「それだけじゃないわよ~。勿論戦闘能力だって突き抜けてる。梅と鶴紗さんのチャームのコアから戦闘データを解析しておいたからね。あ、これはやり合った本人たちが一番分かってるか!」

 

 夢結と神琳の会話に補足して、唯一の部外者である眼鏡の少女が口を開いた。

 彼女は工廠科に身を置く技術者――アーセナルの真島百由(ましまもゆ)だ。リリィでもある百由はこれまでにも、様々な場面で一柳隊に助力してくれた。鶴紗もチャーム整備で何度か世話になっている。

 

「一応皆にも説明しておくと、まず機動性。加速力に上昇力、それにジェットの逆噴射による急制動。いずれも既存の飛行型ヒュージの上を行ってるわ。近年東京に出たっていうシュテルン型よりもね。もう一つはその武装。鶴紗さんに撃ってきたミサイルなんだけど、火力も速力もやっぱり従来以上。さっさと撃ち落として正解だったわね」

「百由様、つまりどれ程の敵なのじゃ?」

「レギオン総出でお迎えするような敵ってことよ、グロっぴ。あんなのと出くわして無事なんて、二人とも大したものねぇ」

 

 グロっぴことミリアム・ヒルデガルド・V(フォン)・グロピウスが要約を求めると、百由は早口の長口上をあっさり纏めてしまう。

 自惚れるわけではないが、確かに自分と梅の二人がかりで苦戦する敵をただのミドル級だとは、鶴紗にも考え難かった。

 

「ファルケとやらが脅威なのは分かりましたわ。それで、わたくしたちが派遣レギオンに選ばれた訳ですが――」

 

 続いて椅子に腰掛け長い脚を組んだリリィが口を開く。ウェーブのかかった豊かな茶髪の、日本人離れした容姿。実際彼女、(かえで)J(ジョアン)・ヌーベルはフランス出身のリリィだった。

 

「ファーストコンタクトを図ったリリィが居るのもありますが、それより一柳隊のレギオンとしての実力を高めるというのが大きいのでしょう。生徒会としても、わたくしたちへの評価は難しいのかもしれませんわ。全くもって心外な話ですけれど」

 

 楓の推測に、鶴紗も概ね同意だった。

 一柳隊は確かに個人としては優秀だし、ヒュージの討伐実績もある。それどころか由比ヶ浜ネスト撃破の功労者でもあるのだ。並のレギオンにできることではない。

 しかしながら、これまでの重要な戦闘は特殊な状況下で発生したケースが多かった。それをそのままレギオンとしての評価に当てはめるのに躊躇するのも理解はできる。

 もっとも、楓は不満タラタラなようで。

 

「このレギオンの隊長を誰だとお思いなのか。そんな試すようなことされなくとも、一柳隊はいずれ世界一のレギオンになるというのに」

「楓はこの指令に反対なの?」

「まさか! それとこれとは話が別ですわ。試されたからには受けて立たねば、リリィが廃るというものでしょう」

 

 おずおずといった様子の王雨嘉(わんゆーじあ)に問い掛けられると、楓は大仰な仕草で否定する。そしてそのまま視線を雨嘉から、口を閉じて黙していた鶴紗へと移した。

 

「それに、遅れを取ったままでは我慢ならない方もいらっしゃるでしょうし」

「さあね」

「んまっ! 素直じゃないですこと!」

 

 ここで認めるのは癪なので適当に流した。頭も気もよく回るこのお嬢様にはお見通しなのだろうが、やはり素直に認めるのは癪だったのだ。

 やがて、意見も出尽くしてきたところで、夢結の左横に立つ桃色髪の少女が声を上げる。

 

「あのっ! それでは特型ヒュージの討伐、受けるってことでいいですね?」

 

 どこか気負ってるような、どこか頼り無げな少女。先程の夢結の振る舞いと比べると余計にそう感じてしまう。

 しかし、このレギオンはそんな彼女の手で生まれたし、彼女を中心にして回っている。

 彼女は一柳梨璃(ひとつやなぎりり)。名前から分かる通り一柳隊の隊長にして、結梨の保護者替わりだったリリィである。

 梨璃は全員を、特に当事者の梅と鶴紗を見回して反対意見が出ないのを確認した。

 リリィの自治やレギオンの自治を重んじる百合ヶ丘では、最低限の出撃ノルマをこなしていれば指令に対する拒否が認められる。無論絶対ではないし正当な理由も要するが、少なくとも交渉の余地無しで頭ごなしに強制されはしない。

 これはリリィ個人の尊重というよりも、現場へ立つ者たちの判断力を重視した結果と思われる。幼稚舎から高等部まで、それだけの教育を施してきたと百合ヶ丘は自負しているのだろう。

 

「皆さん賛成みたいなので。早速今日から頑張りましょう!」

 

 背筋をピンと伸ばし目を輝かせて意欲に溢れる梨璃。大きな会議から大きな仕事を任されたのが嬉しいのだろう。

 だが些か前のめりし過ぎたようで。

 

「梨璃、まずは生徒会への返答が先でしょう」

「あ、はい、お姉様」

「それから、このヒュージは未だに所在不明なのよ? どうやって探すつもり?」

「そ、そうでした。あはは……」

 

 隣の夢結に突っ込まれて梨璃は頭を掻く。

 お姉様と呼ばれはしたが、彼女たちは実の姉妹ではない。シュッツエンゲルとシルトという擬似姉妹。学院でも戦場でも苦楽を共にする、ある意味血を分けた姉妹よりも深い絆の二人なのだ。

 

「生徒会には私から伝えておくわ。特型に関して現状できることは少ないから。目撃情報を待ちつつ、今あるデータで対策を練るぐらいね」

「はい! ありがとうございます、お姉様ぁ」

「もう……。ちゃんと分かってるのかしら」

「分かってますよぅ」

 

 困り顔から一転、梨璃の顔が大輪の華の如く綻ぶ。

 夢結は夢結で、固く引き締めていたはずの口元が緩んだ。僅かな変化だが。

 これまで人付き合いの機微とやらに疎かった鶴紗にでも分かる。あの二人の間に流れる温かい空気を。

 このレギオンに入ってよかった。恥ずかしいから口には出さないが、そう思わせるだけのものが一柳隊にはある。最近では、少しだけ羨望を覚えるまでになっていた。

 一人、お嬢様にあるまじき形相で歯軋りしている者がいるが、いつものことなので誰も気にしていない。

 

「さて、話も纏まったようだし。私は工房に帰るけど、梅と鶴紗さんは解析科から預かってるコアを返すから付いて来てねー。あと、結梨ちゃんはいつものがあるから夢結と一緒にね。グロっぴはちょっと手伝って~」

 

 突然椅子から立ち上がったかと思うと、言いたいことだけ言って、百由はレギオン控室から去っていった。

 やや遅れて「百由様! カバン、カバン!」と叫ぶミリアムが後に続く。

 

「んんっ、終わったの?」

 

 直後、テーブル上の丸皿にあるバームクーヘンを頬張っていた結梨がきょろきょろと周りを見渡した。名前を呼ばれて反応したのだろうか。それともお菓子が尽きたせいか。

 

「百由のやつ嵐みたいだなあ。じゃあ、梅たちも行くか」

「梅様も似たようなもんでしょ」

 

 連れたって席を立つ梅と鶴紗。

 

「ほら、結梨。手を拭いて支度なさい」

「分かったー」

「あっ、お姉様私も……」

「梨璃は二水(ふみ)さんや楓さんたちと敵の分析でしょう?」

「うっ、はいぃ……」

 

 先程までの甘い雰囲気とは打って変わって無情な夢結。それはそれ、これはこれということだろう。

 

「梨璃さん! そういうわけですから、手取り足取り分析して差し上げますわ~!」

「分析するのはヒュージですよ、楓さん。あ、戦闘データは百由様から頂いてますんで」

 

 両手の指をわきわきと動かす楓にやんわり釘を刺したのは、鶴紗よりも更に小柄な二川二水(ふたがわふみ)だ。彼女は愛用のタブレット端末を両手で掲げていた。早く戦術論議を始めたがってるようにも見える。

 何にせよ、一柳隊は新たな任務に向けて始動したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 工廠科にある百由の工房で、梅と鶴紗はチャームのマギクリスタルコアを受け取っていた。

 それぞれのチャームにセットされたコアは淡い輝きを放つ。こうすることで、ようやくチャームはチャームとしてまともに機能できるのだ。

 コアとはコンピュータ制御された宝玉であり、チャームの心臓とも言えるパーツ。魔法と科学の融合によって生み出された奇跡の産物だった。

 だが夢のアイテムは万能のアイテムではない。マギクリスタルコアは十代の少女でなければその真価を発揮できなかった。特に『ノインヴェルト戦術』をはじめとした連携必殺攻撃は女性にしか使えない。そんな事情があるために、今では全てのリリィが女性で構成されていた。

 

「はい、確かにコア返したからね。次は結梨ちゃんのとこだけど、二人も寄ってく?」

「そうだな、最近見てなかったし。結梨のお手並み拝見と行くか。なあ鶴紗」

「うんまあ、行きます」

 

 梅に促されるように鶴紗が同意する。同室だから、という理由だけでなく、結梨の力と状態を知っておきたいと思ったから。それは自分にも関係してくるかもしれないことだった。

 そうして百由の工房を出て工廠科内の廊下を歩く三人だが、途中でミリアムと鉢合わせした。二水と並んで一柳隊最小サイズの彼女の両手は一台の台車を押している。その顔つきは険しい。

 

「百由様! 需品科に出す申請書、忘れておったろう!」

「ごっめーん! ついさっき気付いたのよ」

「まったく、わしが書いといたからよかったものの。いつもこんな調子では困るぞい」

 

 ミリアムがその容姿とはミスマッチな口調で説教を始める。

 彼女が押してきた台車には一斗缶が二つ。それぞれグリスとオイルの文字が見える。百由の手伝いとはお使いのことだったのだ。

 

「代わりにやってくれるでしょー。私とグロっぴの仲じゃない」

「調子のいいこと言うでない!」

「フフフッ、流石は私のグロっぴ」

「人の話を……って、変なとこ触るなぁ!」

 

 百由が後ろから抱き付くように、ミリアムの小さな体をベタベタ触る。体格差があるので少々の抵抗は意味を成していない。

 百由とミリアムもまた、シュッツエンゲルの契りを結んだ擬似姉妹である。

 一見すると、同じシュッツエンゲルでも夢結と梨璃のペアとは毛色が随分違うと思われるかもしれない。しかし鶴紗からすれば、二組の姉妹に大きな差は感じられなかった。

 

 ――仲いいな。

 

 それは今しがたレギオン控室で抱いたものと似ているかもしれない。立て続けにそんな気分に陥って、自分でも意外だったが。

 

「おーい、結梨を見るんじゃなかったのか? 待ちくたびれて寝ちゃってるかもしれないゾ」

 

 梅の呆れた声に、百由はあっさりと手を離してスキンシップを中止した。それからお使いの品を自身の工房に運び込むよう頼むと、再び結梨の元へと歩き出す。

 別れ際、鶴紗はミリアムの顔が依然紅潮したままであると気付いたが、怒りのせいだと思ってやることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっそーーーい! 百由も鶴紗も梅も遅いっ!」

 

 案の定、待ちくたびれた結梨はご機嫌斜めだった。横で宥めようとしている夢結をよそに、抗議の声を広い室内に響かせる。

 

「はーい、お待たせお待たせ! いやー、梅が縮地で連れてってくれたらよかったんだけどねえ」

「うぇー。百由は重そうだから御免だゾ」

 

 結梨が待ち惚けをくらっていたこの部屋は、工廠科の中でも奥まった場所に位置している。高い天井に金属製の頑健な壁と床。隅の机に計測機械その他が置かれている以外、がらんどうで殺風景な空間。ちょうど訓練場をそのまま小さくしたような空間だった。

 

「百由、先に準備だけはしておいたけど。やることはいつも通りで良いのね?」

「オッケーよ。いつもと同じレアスキル挙動試験。異常は出ないだろうけど、それを確かめるのが目的だから飽きちゃってても我慢してね」

 

 夢結の確認を肯定してから、百由は結梨に対し優しく声を掛ける。

 失礼な話だが、鶴紗は彼女がそこまで気を遣える人間だとは思っていなかった。普段の振る舞いがずぼらに見えたから。

 しかしあの夢結が友人を続けているし、ミリアムが懐くぐらいなので、人間性というのは多面的なものなのだろう。鶴紗はまた一つ、人付き合いについて学習した。

 

「それじゃあ結梨ちゃん、まずは縮地からお願いね」

「分かった!」

 

 怒ってはいたが試験自体には前向きなのか、結梨は元気の良い返事の直後にレアスキルを発動する。

 一瞬で結梨の姿が掻き消え、部屋の端から端へと移動する。梅と同じ瞬間移動のレアスキル。それが室内を十周するまで続く。

 

「はい、お次は天の秤目!」

 

 合いの手みたいな百由の言葉に合わせ、別のレアスキルが発動する。

 結梨の右目の前に青い光の円が何枚も現れた。傍目には地味だが、当人の視力は下手な望遠鏡以上の力を得ているはず。

 

「ほい、レジスタ!」

 

 続いて指名されたのは指揮官用支援スキルのレジスタ。鶴紗の手にするティルフィングのコアが赤く輝く。梅のタンキエムや夢結のブリューナクも同様だ。

 これは周囲の味方へマギエナジーを供給して攻撃力を上げると同時に、本人に俯瞰視野を与えるなど幾つもの複合支援効果を発揮する。

 そうして一通りのレアスキルを試した後、百由が終了の合図を出した。

 

「はい、おしまい! カリスマはヒュージが近くに居ないし、ルナティックトランサーはちょっと危ないからここではなしね」

「えー、ルナティックしないの?」

「しないのよー」

「そうだ! じゃあ代わりに夢結の真似するね!」

 

 突然の宣言によって皆の顔に疑問符が浮かぶ。

 そんな中で、結梨が小さな口をアヒルのように細くすぼめた。

 

「梨璃~、ちゅっちゅっ」

「そんなことしてませんからっ!」

 

 吹き出して腹を抱える梅と百由。

 鶴紗でさえ頬を引き攣らせて耐えていた。かなりきついが。

 

「あははははっ、ひー、ひーっ……。ま、まあ、子は親の背を見て育つって言うし?」

「だから……! はあ、もういいわ。早くデータを纏めてちょうだい」

 

 夢結にせっつかれ、百由が机について計測機器の操作を始める。その間、結梨は休憩用のソファーに深く腰を沈めて待っている。

 今度は退屈を訴える声は上がらなかった。レアスキルの連続行使で流石に疲れたのだろう。最後にフェイズトランセンデンスを使ったので尚更だ。

 暫くして百由の作業が済んだ頃。

 

「結梨、寝ちゃったゾ」

「仕方ないわよ。あれだけスキル使ったら。それでいつも夢結や梨璃さんに付き添ってもらってるんだし」

 

 横になってソファーの肘掛けにもたれ掛かり、小さな寝息を立てている。そんな結梨に夢結がゆっくり歩み寄り、抱き抱えようとしたところで。

 

「私が連れて帰りますよ」

「鶴紗さん、いいの?」

「どうせ部屋一緒だし」

「なら、お願いしようかしら」

 

 鶴紗はその背中に結梨を背負う。そこまで優しく扱ったつもりはないが、体を動かされた結梨の目が覚める様子はなかった。

 

「ごきげんよう」

「ごきげんよー。協力ありがとねー」

 

 夢結と百由に見送られて試験室を後にする。梅は途中まで、と後ろから付いてきた。

 歩くたびに揺さぶられても、やはり起きない。鶴紗の首元に顔を埋めて、すぅすぅと寝入ってる。

 

「こうしてみると鶴紗のシルトみたいだなあ。夢結と梨璃が妬くゾ~」

「何言ってんっすか。親離れさせるために私のとこへ送ったんでしょ」

「てか、あの二人が子離れするためだな」

 

 言い得て妙だった。特に梨璃は過保護な傾向がある。

 だが一概に梨璃の心配性を笑うことはできないと鶴紗は思う。

 今日披露したレアスキル。あれは普通でない。レアスキルは一人につき、一つまでしか扱えないのだ。仮に何らかの方法で二つ以上身に付けても、待っているのは破滅だけ。マギに呑み込まれて狂ってしまうのだ。

 結梨が複数のレアスキルを使いこなせる理由。それが彼女の出自に起因するのは間違いないだろう。全容が分からないため、不測の事態に備えてこうして検査を続けているのだが。

 いずれにしろ、結梨のポテンシャルは計り知れない。政府に人だと認められたとしても、放っておかれるとは思えなかった。

 

(私はまだともかく、結梨を()()()()が諦めるなんて)

 

 それでも結梨の百合ヶ丘帰還後、何の音沙汰もなかった。不自然だ。

 鶴紗はあり得る答えを模索する。新しい玩具でも手に入れたのか。ろくでもないことを企んでいるのか。あるいは何かそれどころではない事態に陥ったのか。

 考え込んでいると、背中の方でもぞもぞと動きがあった。

 

「りりぃ……ゆゆぅ……」

 

 寝言だ。

 この瞬間だけは、出自もスキルも関係ないと思えた。

 更に後ろでは、梅が落ちないように結梨の背中を支えていた。

 取りあえず鶴紗は今できることをする。前を向いて寮へと進む。背中の少女を落とさぬように。

 

 

 



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第3話 箱庭の内と外

 学院本校舎の一階には広々としたラウンジが設けられている。高い天井から柔らかい照明が降り、テーブルを大きく区切るように配置された観葉植物が滞在者の目と心を癒す。

 講義と講義の狭間、もしくは放課後等、休憩や娯楽の場としてリリィたちが利用する場。今は昼の休憩を過ぎたので人影はまばら。それでも皆無ということはなく、談笑や本のページの擦れる音が聞こえてくる。

 ラウンジの壁際に近い席で、生徒会三役の一人である内田眞悠理(うちだまゆり)が自作の弁当を広げていた。生徒会の仕事が長引いたため、遅めの昼となったのだ。

 そこへ、横から紅茶の缶が差し出される。

 

「どうぞ」

「どうも」

 

 同じく生徒会三役――彼女の場合は代理だが――秦祀(はたまつり)が隣の席に腰を下ろした。腕に惣菜パンの入った紙袋を抱えて。

 

「かくれんぼ禁止の看板、追加するよう手配しておいたわ。目撃報告が上がったら、流石にねえ」

「それはお疲れ様」

 

 若干疲れが滲んだ様子の祀。彼女が代行するのはオルトリンデと呼ばれる役職で、主に学内政治や委員会を取り仕切っていた。雑務処理、という側面も否めないが。

 なお『かくれんぼ』というのは当然ながら暗喩である。元々は百合ヶ丘独自のものだったが、最近では他のガーデンでも使われているそうだ。それとももしかしたら、初めから同時発生的に生み出された暗喩なのかもしれない。

 

「ところで規律審院院長さんとしては、かくれんぼの件はどうお考えで?」

 

 祀が今度は悪戯っぽい笑みで問うてくる。

 眞悠理の役職はジーグルーネ。規律審院院長であり学内の風紀・校則を司る。百合ヶ丘女学院は明文化された校則を持たない。明文化されていないということは、管理者の権限が強大になりがちだということだ。

 ジーグルーネだから、というわけではないが、眞悠理はこの試すような問い掛けに応じることにした。

 

「そうだな……。まあ外でやるのは論外として。ただ抑圧するだけなのは逆効果だから、代替になり得るものを考えないと。例えば寮同室が希望できることをもっと周知させるとか」

 

 相手が気心の知れた同輩だけで、教職員も上級生も居ないので、眞悠理は外向けの言葉遣いではなく素の砕けた口調で喋る。

 

「お相手が居る生徒にはもう十分知れ渡ってると思うけど。それに学年が違うペアだと一般寮では同室になれないでしょう」

「学年違いねえ。だったらレギオン控室を、倉庫なり何なりの名目でもう一つ追加してみるっていうのは?」

「そんな都合よく手頃な部屋が用意できるかしら。本当に倉庫でするはめになったりして」

「……掃除用具も入れとくか」

 

 最後は半ば()()()()になりつつ、眞悠理が弁当箱の玉子焼きを箸でつつく。その玉子焼きの隣にはプチトマトやミニハンバーグ。製作者の風貌からはちょっとイメージし辛いラインナップだ。

 内田眞悠理という少女はお嬢様学校の百合ヶ丘では珍しいタイプだった。長い金髪の狭間から切れ長のツリ目を覗かせ、どんな場でも超然とした態度を取る。ひとたび戦場でチャームを持てば瞳と歯をぎらつかせる武闘派リリィ。それでいて風紀を管理するジーグルーネらしく、身だしなみは常にキッチリとしていた。

 普段から愛想も人当たりも良いため広く浅く慕われる祀と対照的に、眞悠理は一部に熱心なファンが居る。今もラウンジの離れた席で、二人の一年生が小声で何事か話しながら熱い視線を送っていた。

 しかしながら、生憎と眞悠理は年下にあまり興味が無かった。

 

「取りあえずは現状維持でしょうね。不必要に煽って火を起こすのも本末転倒だし。まあ何かあったらあった時にでも、眞悠理さんが骨を折ってくださいな」

「対症療法だな。まあそれしかないか」

「……っと、そろそろ始まるみたいね」

 

 ハムとコーンとマヨネーズの同居するパンを手にした祀が、会話を中断して目線を上げた。その先には背の高い台座に鎮座する巨大なディスプレイがある。

 眞悠理と祀の位置から距離こそあるものの、はっきりと見渡せる。二人がこの席を選んだ理由がこれだった。

 全寮制の学院でテレビは貴重な娯楽。そのはずなのだが、残念なことに娯楽としては大して機能していない。何故ならこのテレビ、国営放送ただ一局しか流さないのだから。

 ディスプレイが映し出すのは広く大きな空間だった。人の山がざわめきを生み出しながらも、どことなく陰鬱とした空気を孕んだ独特な世界だった。

 一口サイズのトマトを口内に放った上で、眞悠理もまた細めた瞳を無言で持ち上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 首都東京。

 強豪ガーデンに守られた都内中心部の地下に、巨大な空間がくり貫かれている。東京中に張り巡らされた地下鉄を避けて作るのは、さぞ難儀したことだろう。

 そうまでして築かれたこのシェルター、この国の国権の最高機関だった。もしもの時はシェルターの役割も果たすのだが、平素は人の言葉が盛んに飛び交う場。ある意味平和で、またある意味では平和でないとも言えた。

 そんなシェルター議事堂、本会議場で議員の一人が質問に立っている。

 

「――――以上のように、先の由比ヶ浜における戦闘処理についての予備費計上には疑義があったと言わざるを得ません。これは額の問題だけでなく、内容の問題でもあるのです。総理の見解をお伺いしたい」

 

 それはこの場に集った人間の中でも明らかに若い、三十代かそこらの男性だった。声はよく通り、背筋も真っ直ぐに伸びた美丈夫。席を立ち堂々質問する様は一つの()となっていた。

 

「本件予備費計上につきましては、特異生物災害対策基本法に基づく措置であります。ギガント級特型ヒュージとの交戦によるCounter Huge ARMS、通称チャームの損壊並びに百合ヶ丘女学院本校舎の破損。以上に対する補填を実施するべく、財務大臣及び所管大臣たる防衛大臣から提出された予備費使用に係る調書を閣議決定した件は、適正なものだったと認識しております」

 

 一方、質疑に答えるのは丸眼鏡を掛けた老齢の男性だった。淡々とした、原稿を読むような――実際原稿を手にしている――口調で長々と説明に終始する。

 

「一体ですよ! たった一体のヒュージとの戦闘で、一つ数億もするチャームを数十機と、ガーデンの根拠地を破壊された! 百合ヶ丘の指揮と防衛省の監督に不足があったのは明らかでしょう! ……そもそも、ガーデンへの公金投入の詳細には以前から疑義があります。本件については、百合ヶ丘女学院の理事長代行が総理とお友達であることが関係しているのでは?」

「ガーデンの装備品調達に係る補助金につきましては、防衛省防衛装備庁による厳正な審査の下で決定されます。従いまして、議員ご指摘の事実はないものと承知しています」

「総理っ! それでは答えになっていません! そんなの役人が忖度(そんたく)したに決まってるじゃあないですか!」

 

 直後、横合いから威勢の良い野次が飛ぶ。

 

「そうだっ!」

「忖度してないならしてない証拠を出せ!」

 

 野次とは本来、不規則発言である。

 しかしそこには波があった。どこか統制されている感すらあった。

 質問者の発言はなおも続く。

 

「思うに、ガーデンの諸問題はその強い独立性が原因ではないでしょうか? ヒュージへの迅速柔軟な対応のためとはいえ、ガーデンの独断専行は目に余る。良識ある国民が彼女らのことを何と呼んでいるか、総理はご存じですか? 『現代の関東軍』ですよ」

「各ガーデンに対する監督は防衛省が担っており、また重大事項に関しましては安全保障審査委員会によって慎重な審査がなされております」

「その安保審査委ですが、最近になって大掛かりな人事変更があったと聞いています。何か不都合が生じたのではないですか?」

「個別具体的な人事の詳細につきましては返答を差し控えさせて頂きます。しかし一般的に、人事においては各人の能力や適性に鑑み、適材適所の配置を行なっているものと認識しております」

 

 延々と展開される、暖簾に腕押すような問答。

 変化が生まれたのは質問内容が更に()れてからのことだった。

 

「ガーデンに内包される問題は何も予算面や軍事面だけではありません。聞くところによると、ガーデンでは男子生徒の存在しない女性ばかりの偏った環境のためか、特異な性的趣向が蔓延してるとか。教育機関としての側面もある場所で、これはいかがなものでしょう」

「……それは、同性愛が特異だと仰りたいのですか?」

 

 そのやり取りの直後、議場がこれまでにないほど騒然とする。

 

「質問者! 今のは問題発言だぞ!」

「いや、ガーデンこそ性差別の温床だ! 女子高なんぞ廃止しろ!」

「だがちょっと待って欲しい。男子校も作れば公平なのではないか?」

 

 与野党入り乱れて思い思いに言葉が飛び交う。これ以上先に進めば、手が出るのではないかと思わせるほどに。

 しかしそんな紛糾の最中でも、若き質問者は変わらぬ調子で総理を責める。

 

「総理、私とて個々人の趣向をあげつらうのは本意ではないのです。しかし、しかしですよ? リリィというただでさえ強大な力を持つ存在が、我々一般社会と著しくかけ離れた価値観や倫理観を有するとしたら、無力な市民が恐怖を抱くのは無理からぬこと。その恐怖を解消するのも政府の役目ではないでしょうか」

 

 通告に無い質問に、答弁が一時止まる。

 だが暫くすると、新たな資料が後ろから総理の手に渡された。通告に無くとも、でき得る限りの想定をしてあったのだろう。

 

「近年我が国において同性結婚が法制化されるに当たり、議論の末に同性愛に関して国民的理解が得られたものと考えています。従って議員の懸念は杞憂と言えるでしょう」

「果たして本当にそうでしょうか? 不快なことを不快と言えない、歪んだ同調圧力の結果なのでは? それに法制化の件についても、ガーデン間で留学生交換協定を結んでいる欧州からの圧力が要因でしょう」

 

 そこで質問者は一旦弁を止め、少々の間を空けてから再開させる。

 

「様々な問題を勘案した結果、やはりガーデンの独立性が諸悪の根源なのは明らか。そこで総理、私は提案いたします。全ガーデンに対し、第三者による常任監視委員を設置すべきだと」

「ただの政治将校じゃないか!」

 

 総理の答弁よりも先に、与党席から野次が飛ぶ。防衛族議員の一人だろう。彼ら防衛族にとって、リリィの保護者や親類縁者は無視できない票田なのだ。必然的にガーデン寄りの姿勢となる。

 

「繰り返し申し上げますが、ガーデンへの監督については防衛省及び安全保障審査委員会によって慎重かつ適正に実施されております。現行の体制を改める予定は、現在のところございません」

「……残念です。結局貴方は苦しい弁解と当たり障りのない一般論に終始している。総理、貴方には思想というものが無い。思想の無い者に、どうして国の舵取りができるというのでしょうか。真に国を想うなら、今すぐ職を辞すべきだ!」

 

 大袈裟なまでの身振り手振りえを交え、自信に満ち溢れた顔と言葉。それは内容の是非はともかくとして、目にした者も耳にした者も強く惹きつける何かがあった。だからこそ、今この場に立てているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 ディスプレイの向こう側の様子が一段落したところで、眞悠理は大きく溜め息を吐いた。視線は既に机上の弁当へと落ちている。

 

「ヒュージ出現から五十年。挙国一致体制なんていつまでも続けられないし、どこかでガス抜きは必要なのよ」

「そのためのショーね……。分かっちゃいるけど、虚しいな。そもそもあれ見て溜飲が下がるのか?」

「そりゃあ私だって、ああいうのを可愛い可愛い後輩たちに見せたくはないわよ。だけど私たちは知る必要がある。私たちが外からどんな風に見られているのかを」

「まあ、腐っても代議士。世情の代弁者か」

 

 祀の宥めるような言葉にも眞悠理の気は好転せず、残った弁当箱の中身を淡々と口に運んでいく。

 だが昼食を完全に終えた時点で眞悠理の調子が戻ってきた。調子というのは、論を発する舌のことだが。

 

「元はと言えば、ガーデンに独立性を与えたのは省庁の縄張り争いから遠ざけるためだろうに。今でこそ防衛省の下で納まってるが、昔は酷く揉めたそうじゃないか。『ヒュージは海から来るから海保の管轄だ』と国交省が主張したり、『ヒュージは野生動物だから』と言って農水省が横槍入れたり」

「そうね。でも国防の要を私立機関に任せるなんて、当時の政府も思い切ったものよね」

「それに、ケイブなんて代物使う連中相手にしてるんだ。東京での会議の結果なんて待ってられない。この辺りは防衛軍とも意見が一致してる」

 

 ガーデンの裁量に対する批判は極めて不服なものだった。実際に矢面に立つ身からすると堪ったものではないし、合理性にも乏しいと思える。眞悠理も合理性だけでは社会が成り立たないのは理解しているが、自分たちの手足を不必要に縛るのは容認できない。

 

「じゃあ性的趣向については?」

「それは、やましい点がないこともない」

 

 突然の話題転換に、流石の眞悠理も歯切れが悪くなる。ちょうど先程まで風紀に関して頭を悩ませていたばかりなのだから。

 とは言っても、テレビの中でされた批判を無批判で受け入れるわけではない。質問者の物言いを見る限り、どうにも誤った認識を持ってそうだった。

 

「だけどあれは、ガーデンを魔女のサバトとでも勘違いしてるんじゃないか?」

 

 確かに女の子同士で関係を持ってはいる。

 しかし不特定多数で乱痴気騒ぎを起こすような真似はしていない。自分たちはそこまで外の社会規範から外れた存在ではない。もしもそんな風に疑われているのだとしたら眞悠理としては、否、百合ヶ丘のリリィとしては甚だ心外である。

 

「ええ、同感よ。私たちは誤解されてるわ。ただちょっと戦う力があって、ちょっと女の子が好きな女の子ってだけなのに」

()()()()じゃなくて()()()だけど」

 

 祀による折角の同意だが、正すべき部分にはしっかりと突っ込みを入れるのだった。

 

「しかし、総理も総理だ。メディアには八方美人内閣だの何だの揶揄されてるが、不祥事や失言の類はただの一度も聞いたことがない。あの手の人間が一番食えないんだ。何を考えてるのか分からないから」

 

 眉をひそめた眞悠理がそう評すると、少しの間考え込んでから祀が口を開く。

 

「だけどあの時……結梨さんが百合ヶ丘に戻って来た時。安保審査委に手を入れてくれたから、今こうしてあの子が大手を振って暮らせるのよね」

「ああ。単なる善意じゃないだろうけど。確かあの総理、元外務官僚だったか?」

「理事長代行が現役で前線に出てた頃からの付き合いだそうよ。あの世代には、あの世代の人間にしか共有できないものがあるんでしょう」

 

 一度は結梨の処遇を――渋々ながらだが――百合ヶ丘に委ねた安全保障審査委員会だが、彼女のギガント級ヒュージ単独撃破を知って再び干渉してきた。そんな中での安保審査委に対する人事介入。これにより結梨は一先ずの安寧を得た。

 けれども眞悠理を含めて、それで終わったなどと思う者は生徒会には居ない。総理が理事長代行のお友達だから、と納得できるほど簡単ならどんなに良かったことか。

 もっとも、ただ不穏というだけで、結梨を狭い箱の中に隠し続けることもしなかった。レギオン復帰も認めていた。無論、代行の許可の下で。

 

「……ん?」

 

 暫く沈黙していた眞悠理が、ふと、祀の変化に気付く。

 それまでの物憂げな、彼女の魅力を更に引き上げるような大人びた様子から一変、口の隅に隠し切れない喜色を露わにしている。

 彼女の視線を追ってラウンジ端の廊下へ目を向けると、眞悠理は二人の少女に気が付いた。一人はついさっきまで、ここで話題に出されていた当人だった。

 やがてラウンジ内へと入って来た二人の前へ、すっくと立ち上がった祀が近寄っていく。ちょうど彼女らの進路に立ち塞がるかのように。

 この時点で既に眞悠理は面白そうな、もとい、悪い予感を感じていた。

 

「ごきげんよう、結梨さん鶴紗さん。休憩に来たのかしら?」

「ごきげんよー」

「ごきげんよう、祀様。次の講義まで時間潰しに」

 

 のほほんと返事をした結梨。一方でその隣の鶴紗は一瞬、身を強張らせた。

 興味の無い振りをしながらも、しっかりと観察していた眞悠理は、「あれは警戒されてるな」と見て取った。祀も気付いているはずなのだが、それよりも結梨の方に気が向いているのだろう。

 その結梨だが、目の前の祀ではなく奥にあるテレビの方をやたらと気にしている。いつもならこの時間の国営放送は、情操教育も兼ねた動物ドキュメンタリーを流すはずだった。しかし残念ながら未だに国会中継が続いている。

 

「ところで二人とも、お腹減ってない? ちょうど美味しいパンがあるのよ~。少し食べていったらどう?」

 

 ニコニコと人の良さそうな笑顔で、パンの入った紙袋を抱えて更に近付く祀。

 ところが祀と結梨の間に割り込んで、仁王立ちの如く立ちはだかる影が。

 

「駄目です」

「あの、鶴紗さん?」

「今食べたら、おやつが食べられない。それに……楓や神琳と同じものを感じる」

「えっ」

 

 眞悠理は我慢できず、笑い声をこぼした。

 相変わらず祀のアプローチはお姫様に届かず、騎士様にもガードされてるようだった。

 そうこうしている内に、ラウンジへ更に顔見知りが現れた。結梨たちと同じレギオンの二年生、夢結と梅である。

 先程までの会話を与り知らぬ夢結たちが、祀や鶴紗の元へ歩いて来る。知り合いなのだから声を掛けるのは自然なことだ。だが会話の内容を把握していたら、わざわざ火薬庫に飛び込むような真似はしなかったに違いない。

 

「ごきげんよう、祀さん。鶴紗さんに結梨も」

「ごきげんよう……。ところで夢結さん、貴方たちの隊の中で、私は一体どういった扱いなのかしら」

「はい?」

 

 夢結は思わず間の抜けた声を出す。

 

「私だって、可愛い結梨さんを愛でたいのにっ」

「ちょっとごめんなさい。状況が飲み込めないのだけど」

「ずるいわずるいわ! 一柳隊の皆で結梨さんを独占してるんでしょう!」

「元々、結梨を梨璃に託したのは貴方でしょうに……」

 

 いまいち噛み合わない応酬が展開するのを、隣の梅は楽し気に観戦している。

 だが渦中の人物はというと、しかめっ面でテレビの画面を指差した。

 

「ねえ、梅ー。ゾウもキリンも映ってないよ?」

「ん? ああ、映ってないなあ。狸や狐ばっかりだ」

「んんー? ……人しか映ってないよっ!」

「あははー」

 

 わちゃわちゃとした、おかしなやり取りを眺めていた眞悠理。そんな彼女もやがて席を立ち、喧噪の中へ入っていく。本日の生徒会としての仕事こそ終わったものの、レギオンでの活動があるからだ。特に祀は自身のレギオンを持つ隊長でもあった。

 

「皆、邪魔したわね。祀さんはちゃんと連れて帰るから」

「ちょっと、もうっ、眞悠理さんまで」

 

 外向けの口調に戻った眞悠理は祀の腕を取ってその場を後にする。

 ジーグルーネとして風紀の乱れを正せたかどうかはともかくとして、取りあえずラウンジの平和だけは守ることができた。

 

 

 



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第4話 フロントライン

 百合ヶ丘女学院の現理事長は元リリィでもある高松祇恵良(たかまつしえら)という女性だ。諸般の事情で体調を崩しがちなため、現在は弟の高松咬月(たかまつこうげつ)が代行を務めている。姉のみならず弟も第一世代リリィとして、かつてはヒュージとの戦闘に参加していた。

 ちなみに、リリィという名称は後付けのものだった。当初はマギに親和性が高いのが女性だけだと知られていなかったし、スモール級やミドル級など小粒な敵が大半だったので、咬月のような男性も矢面に立っていた。マギクリスタルコアを使いこなせる少女たちが主力となって、初めてリリィという名が生まれたのだった。

 その理事長代行に呼ばれ、鶴紗たちは理事長室の中に居た。

 横目で右を見やると、一柳隊隊長の梨璃の姿が。別に怒られるわけでも初めて会う相手でもないのに、彼女は見て分かるほどそわそわしている。原因は、梨璃の更に右に並んでいる少女だろう。

 

「おじーちゃん」

 

 開口一番、結梨から飛び出してきた言葉に梨璃はギョッとする。

 

「違うでしょ、結梨ちゃん。理事長代行先生、でしょう?」

「んー?」

 

 慌てて窘めるものの、当の結梨はよく分かってないようだった。

 鶴紗は鶴紗で「代行先生っていうのも変じゃないか」と思っていたが、余計に場がややこしくなるので黙っている。

 

(みな)忙しいのに呼び立てて、すまんのう」

 

 少女たちのやり取りを気にする様子もなく、執務机の席に座る和装で老齢の男性が語り掛ける。古風な口調で声も若干かすれていた。しかし眼鏡の奥の双眸は衰えておらず、気力の光を宿しているようだった。

 

「時に梨璃君。レギオンの活動は順調かね?」

「あ、はいっ! お姉……白井夢結様にも手伝って頂いて何とか順調です!」

「そうか、それは重畳。結梨君も、寮での共同生活には慣れたかな?」

「うん、楽しいよ」

 

 ここだけ見れば、孫娘との会話を楽しむどこにでもいる御隠居のようである。

 だが実際の高松咬月という人間は、世界屈指の名門ガーデンを率いる者として、政財界からも一目置かれる存在だ。ただの元リリィでも、ましてやただのお年寄りでもない。

 鶴紗の亡くなった父とはちょっとした知り合いだったらしい。まだ幼かったので、詳しいことは知らないが。

 

「鶴紗君。今更だが横浜での、技術実証隊での件はすまなかった」

「いえ、自分でも志願したことですから」

 

 技術実証隊とは近隣のリリィたちを集めて臨時に編成される実験部隊。スポンサーは各自治体であったり企業だったりするのだが、横浜で編成された際、複数の企業を間に介して鶴紗に声を掛けた組織があった。

 

 多国籍企業G.E.H.E.N.A.(ゲヘナ)――――

 

 鶴紗に強化を施し、結梨を生み出した張本人。元々は対ヒュージ研究機関だったが、数々の研究開発の功績によって今や世界を股に掛ける巨大企業へと伸し上がっていた。

 世間からはヒュージと戦う正義の集団と目されているゲヘナであるが、その実、裏では非人道的な実験に手を染めている。鶴紗への強化施術もまさにそうで、今こうして百合ヶ丘の生徒をやっているのは学院に()()されてのことであった。

 

「ゲヘナはともかく、もし防衛軍から出動要請があったら、受けようと思っています」

「……御父上のことかね?」

 

 代行の確認するような問いに、鶴紗は頷く。

 技術実証隊には、相手がゲヘナと知った上で参加した。防衛軍にて戦犯の烙印を押された父の汚名を僅かでも削ぐために。そしてもう一つ別の目的のために。

 しかし横浜の一件で、ゲヘナに協力しても自らの目的は達成できないと察した。それどころか目的以前に命を落としかねない。以前の自分ならともかく、今は死に急ぐつもりは失せていた。

 そこで鶴紗は防衛軍に目を付けた。各地区防衛隊からガーデンへと応援要請が入るのは、ままあることだから。

 とは言え鎌倉府防衛隊からの要請に応じることにも、問題はある。だが鶴紗はその問題は許容した。代行もここでその点を挙げることはしなかった。

 

「ちょうど良い、などと言うわけではないが、鎌倉府防衛隊から応援要請があった。正確には地元のガーデンを通して百合ヶ丘にきたのじゃが。真鶴町(まなづるまち)南西にヒュージの大群が集結しつつあるそうじゃ」

 

 真鶴町といえば鎌倉府南西部に位置する港町だ。陥落指定地域である静岡から程近く、近海にヒュージネストを抱える湯河原(ゆがわら)に隣接した、まさに最前線の土地である。

 地元のガーデンだけでは手が足りないということは、本当に大規模な群れなのだろう。

 

史房(しのぶ)君、あとは頼む」

「はい」

 

 代行から引き継いで、執務机の端の方に控えていた三年生のリリィが口を開く。

 彼女は生徒会長、出江史房(いずえしのぶ)。特務を除いた百合ヶ丘の全レギオンを統括する『ブリュンヒルデ』の役職にある。

 

「外征レギオンに貴方たち一柳隊を選んだのは、真鶴付近に例の特型ヒュージ……ファルケが目撃されたからです。戦闘になればこれと会敵する可能性は高い。まずは現地の防衛軍駐屯地で待機し、要請に合わせて、あるいは必要と判断したら戦闘行動に入ってください。なお現地が最前線であることを考慮して、移動にはガンシップを使用してもらいます」

 

 梨璃は史房からの説明の後、詳細な資料を渡される。持ち帰って隊の皆と検討しなければならない。

 そしてこの後、鶴紗の予想通り、一柳隊は真鶴外征ミッションを受けることにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結梨ちゃん見て見て。お船がちっちゃいよ?」

「おぉ~」

 

 眼下に映る相模湾の光景に、梨璃と結梨が声を上げる。

 海岸線付近を四隻の船が一本棒となって進み、更にその左右を二隻の船が護るように並走していた。真鶴港を目指す輸送船団だろう。

 一柳隊は鎌倉の空を飛んでいた。学院保有の外征用航空機、ガンシップに乗り込んで。

 機体下部に円筒形の居住用ポッドを横に二つ並べたこの飛行機は、長期間の作戦行動も想定しているため、乗員・物資を満載しない限り快適な空の旅を過ごせるようになっている。簡易とは言え、お手洗いやシャワー室までついているのだ。

 

「梨璃、結梨。あまり飛行中の機内ではしゃがないの」

「ごめんなさい、お姉様。でも私、ガンシップって今日初めて乗ったんです! ほら、今までの外征って車とかで移動してたじゃないですか」

「移動先が危険じゃない時や小規模の作戦の時は、そうなるわね」

 

 百合ヶ丘から真鶴町まで、空路ならあっという間の距離だ。だが現在、一柳隊は着陸前に真鶴上空で待機――ガンシップは垂直離着陸機だった――している。機体が巨大なので受け入れる側にも用意が要るのだ。

 やがて、駐屯地の管制から許可が出たのか、機体がゆっくりと下降し始めた。それに連れて地上の様子もはっきりとしてくる。

 分厚いコンクリートの壁に四方を囲まれた土地。飾り気の無い直方体の兵舎や簡易の倉庫が立ち並び、駐車スペースには角ばった見た目の装甲車両や大型トラックが整然と列を成す。しっかりと舗装され開けた空間はヘリポートだ。耐熱処理が施されているはずなので、ガンシップも利用できるだろう。

 ここが静岡反攻に向けた防衛軍の拠点、真鶴駐屯地。敷地の端で濃緑のブルドーザーが動き回る光景から、この基地が建設途上にあることが分かる。

 その駐屯地の中に、ようやく百合ヶ丘のリリィたちが足を下ろす……はずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えぇー!? ガンシップ降りちゃいけないんですか!?」

 

 二つあるポッドの内、片方に集合した一柳隊の中で二水の驚きと不平が響いた。

 

「正確には、不用意に駐屯地内を歩き回らないで欲しい、とのことです。ここの業務隊から申し入れがありました」

「ううっ、皆さんすみません……」

 

 レギオンを代表して駐屯地側に報告を入れてきた夢結と梨璃が、その時のことを全員に話す。

 梨璃の顔はいかにも申し訳なさそうだ。別に責任を感じる必要なんてないのに、と鶴紗は思う。

 

「まだ敷地内で工事が続いているから、邪魔してほしくないんでしょう」

「更に言えば、基地の中で万が一にでも百合ヶ丘のリリィに何かあったら、責任問題になるというわけですわね」

 

 夢結に付け加える形で楓がそんなことを言う。

 実際、リリィにとって()()があるとは普通なら思えないが。精神衛生的な保険だろうと鶴紗は受け取っておいた。

 

「勿論、街の方に行くのもナシですよねえ」

「待機中ですから」

 

 すっかり肩を落とした二水に、神琳がやんわりと引導を渡す。折角よその町に来たのだから、覗いてみたいという気持ちは好奇心旺盛な二水でなくとも理解はできる。鶴紗としてはあまり興味が無かったが。

 

「でしたら、良い機会ですわ」

 

 そう言って唐突に椅子から立ち上がった楓がポッドの中をゆっくりと歩き出した。

 何をしているのかと思いきや、よく見ると搭乗口のドアや窓の施錠を確認しているのが分かる。その後、楓は皆のちょうど中心辺りで立ち止まった。

 

「ちゃんと知っておくべきでしょう。鎌倉の防衛隊のことを。鶴紗さんなら思い当たる節があるのではなくて?」

「……流石はグランギニョルの御令嬢だな」

 

 鶴紗は諦めたように溜め息を吐いた。もっとも、いつか話す時が来るんじゃないかと思ってはいた。

 

「鎌倉府防衛隊司令部はゲヘナの息が掛かってる」

 

 鶴紗の言葉によって、梨璃の肩がビクッと震える。次の瞬間には傍らに座る結梨の手を握っていた。

 不安で硬くなった梨璃の顔に、罪悪感を覚える鶴紗。

 

「あのっ、良かったんでしょうか? 結梨ちゃんをここに連れてきて」

「今回の応援要請はわたくしたち一柳隊を名指ししたものではありませんわ。何かの罠という可能性は限りなく低いでしょう」

「それにゲヘナと通じてるのはあくまで司令部。前線の部隊は事情なんて知らないと思う。だから学院も私たちを派遣したんだろう」

 

 楓と鶴紗が相次いで否定したおかげか、梨璃の纏っている空気が柔らかくなっていく。

 

「梨璃、梨ぃ璃?」

「うっ、ううん、何でもないよ結梨ちゃん」

「梨璃、悲しい匂いがしてた」

「そんなことないよー」

 

 感情の変化が分かりやすい梨璃だが、それを一番敏感に感じ取っていたのはやはり結梨だろう。その鋭敏な感覚も、百由たちが依然として解明できない結梨の特質の一つであった。

 鶴紗が先程かけた言葉は無論、慰めなどではない。実際、ここで結梨をどうこうしようとは考えていないだろう。

 それよりも理事長室で代行が気に掛けていたのは、どちらかといえば鶴紗の方だった。気に掛けられる心当たりがあった。横浜の件が終わった後、自分から代行に相談したのだから。

 

「まあ、今回はともかく。今後は注意しましょう、というお話ですわ。それと、何事もこうして話し合うのは大切なことですから」

 

 楓の言葉が鶴紗の胸に突き刺さる。

 一瞬、本当は全て知っているんじゃないかと錯覚する。だがそれはあくまでも錯覚。後ろめたさによって生み出された錯覚に違いない。

 だがここで、一柳隊で話すには、鶴紗の抱えているものはあまりにも私情が過ぎた。

 

「さて、皆思うところもあるでしょうけど、このガンシップ周辺で待機してちょうだい。何か必要な物がある場合、可能なら駐屯地から融通してもらえるはずよ」

 

 夢結が話を区切るかのようにそう言うと、楓や鶴紗に集まっていた注目が薄れていく。

 そうして各々、限られた空間で待機中の時間潰しを探し始めた。

 

「ところでお姉様、政府の人たちは百由様や理事長代行先生が説得してくださったんですよね? それでも防衛隊に気を付けないといけないんですか?」

「そうね。防衛隊は防衛軍の部隊単位なのだけど……。二水さん、お願いします」

「はい、夢結様。えっとですね、まず陸上防衛軍の組織体系についてなんですが。防衛大臣を頂点に統合幕僚監部、その下に各方面軍と大臣直轄の陸上総軍、更に方面軍の下には各地区の防衛隊が存在するんです。鎌倉府防衛隊はこの防衛隊になりますね。防衛隊の規模は地区によって様々で、鎌倉の場合は一個旅団を基幹としています」

「ここで問題なのが、防衛隊が方面軍直轄部隊に比べて高い裁量と独立性を有している点よ。例えばガーデンへの応援要請などは、上級司令部に対して事後報告すれば事足りる。ガーデンと同じく、ヒュージとの矢面に立ってるからやむを得ないのだけど。ともかく、その独立性がゲヘナに付け入られる要因となっているのでしょう」

「へぇ~、そうだったんですか。ありがとうございます、お姉様。二水ちゃんも詳しいねえ」

「詳しいって……。梨璃さん、これ一緒に講義で習いましたよね?」

「えっ、そうだった? えへへっ」

「『えへへっ』じゃないわ梨璃。百合ヶ丘に戻ったら私が復習をつけてあげるから、覚悟しておきなさい」

「はぁい、お姉様」

「梨璃さん何でちょっと嬉しそうなんです?」

 

 鶴紗は一連のやり取りを見て、取りあえず梨璃は大丈夫そうだと安堵する。

 

「わしは隣のポッドでチャームの整備でもするかのう。時間があると分かったら、工房から色々持ってきたのじゃが」

 

 そうぼやきながらミリアムが搭乗口から外に出た。彼女もまた百由と同様、工廠科に属するアーセナルだ。居住ポッドにはある程度の整備道具も積んであるが、アーセナルにとっては物足りないのだろう。

 特にやるべきことも見つからない鶴紗は無造作に辺りを見渡す。

 ポッド一つにつき、完全武装したリリィを八人収容可能。ミリアムが抜けて九人となり、それでも多少は手狭だが、雑談や読書程度なら不自由しない。

 ふと、鶴紗は本の山から何とはなしに目に付いた雑誌を手に取る。それはティーン向けの女性誌だった。いつもの彼女が読むような代物ではない。けれども戯れに、ページを捲って流し見してみる。

 そこには恋愛のイロハについて、極々初歩的で一般論的な文章が載っていた。

 

『まず初めに重要なのは、相手を褒めること。男女問わず、自分のことを見て褒めてくれる人間には好意を抱く。反対に自分語りや自慢ばかりの人間には、誰しも抵抗感を覚えるもの』

 

 本当にありふれた、手垢のついた意見。

 しかし普段この手の本を読まない鶴紗は心の内で「なるほど」と唸る。

 

(確かにそうだ。梨璃は雨嘉のストラップを褒めて仲良くなったらしい。楓も自慢は多いけど、それ以上に他人(ひと)のこと褒めてる……気がする)

 

 人に好かれやすい、信頼されやすい人物を身近な例で挙げてみる。楓とは反りが合わないものの、その点については鶴紗も認めるところであった。

 

(褒める、ねえ……)

 

 雑誌は開いたままで、鶴紗の視線が移動する。

 談笑する二人。夢結と、梅。そんな二人を鶴紗が見つめる。

 夢結は、普段梨璃が惚気てくる通りだと思う。百人いたら百人が認める美人。鶴紗も異論は無い。もっとも、「お姉様の裸を見てるとドキドキする」などというのは要らない情報だったが。

 もう一方の梅はと言うと、夢結ほどの目の覚めるような美人でこそないが、人懐っこくて愛嬌がある。年上だが、可愛い。

 

 笑顔が可愛い。

 仕草が可愛い。

 声が可愛い。

 包容力が可愛い。

 雑なようで料理が得意なところが可愛い。

 

(……先輩たち見比べて、何やってんだ私は)

 

 おかしい。こんなことを考えるなんて。

 以前ならこれ程までに他人に執着するなんて思いも寄らなかった。一柳隊に入る前は。

 そんな風に悶えていたものだから、鶴紗はすぐ横に迫る影に気付くのが遅れてしまった。

 

「鶴紗さん」

「神琳、居たのか」

「鶴紗さんが、そのような本をご覧になるなんて」

 

 手元の雑誌のことだ。迂闊だった。

 神琳の色違いの両目が爛々と輝いている気がした。

 

「これは喜ばしいと同時に、由々しき事態でもあります。雨嘉さん」

「何? 神琳」

「家族会議を開きましょう。わたくしたちの鶴紗さんの一大事です」

「うん……うん?」

 

 話を飲み込めていない雨嘉が、いつもは表情の乏しい顔にありありとクエスチョンマークを浮かべている。無理もない。鶴紗でさえ、ろくに飲み込めていないのだから。

 

親面(おやづら)止めろ」

「その雑誌、ファッション特集を組んでいるでしょう。それもなかなか攻めた内容の」

「そう言えばそんなページもあったな。って話を聞け」

「鶴紗さん。ずばり貴方、恋をしてますね?」

「鯉は食べたことないな」

 

 話がどんどん変な方へと向かっていく。

 もはや逃走は叶わない。郭神琳という人物は穏やかな物腰から想像できぬほど、時々かなり強引になる。

 逃げられないのならば、せめてできるだけ被害を低減させようと鶴紗は試みた。

 

「是非とも応援させてください。わたくしとて恋愛事に長じてはいませんが」

「嘘つけ、絶対手慣れてるぞ」

「そうですね……。いきなり服装を弄るのは敷居が高いでしょうから、まず手始めに髪型を変えてみるのはいかがでしょう」

 

 ここに来て、鶴紗は神琳の企みを理解した。「こいつは私の髪を玩具にする気だな」と。

 

「普段のポニーテールも素敵ですが、お下げ髪もきっと似合いますよ」

「断固、断る」

「まあまあ、ここはわたくしにお任せください。決して悪いようにはしませんから」

 

 強い。神琳の押しが。

 

「助けて雨嘉」

「鶴紗、品評会のコスプレの時、助けてくれなかったよね?」

「うっ」

「それどころか神琳に加勢してたよね?」

「ぐむむっ」

 

 万事休す。

 哀れ、両脇から挟み撃ちにされた鶴紗は美容院のマネキンヘッドと化してしまう。

 

「折角の綺麗な髪なんですから、もっとお手入れしませんと」

「あ、神琳。それが終わったら次はサイドテールにするから」

 

 神琳と雨嘉の間に挟まり、諦め、うな垂れる。

 そんな鶴紗の前に、この大惨事の切っ掛けと呼べなくもない者がやって来る。

 

「おー、いいなあ。ツインテも頼むゾ」

「……梅様のせいだ」

「何でだ?」

「梅様が悪いんだ」

 

 結局、神琳たちが満足するまで解放してもらえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鶴紗たちの真鶴到着から日付が一つ変わり、まだ空の上に星の光が見え隠れする明け方の時間帯。

 真鶴駐屯地は警報や車両のエンジン音によって緊迫に包まれていた。

 それは一柳隊周辺、ガンシップでも同様だった。

 

「何で! どうして私だけ留守番なのっ!」

 

 ガンシップのポッド内、気色ばんで抗議する結梨。その相手はレギオンの隊長、梨璃だ。

 

「結梨ちゃんはこの中で待機して、もし何かあったらガンシップを守ってね」

「私も皆と一緒に戦う!」

「結梨ちゃん、戦闘では私の言うこと聞くって約束したでしょ? お願いだから、今回はここに居て?」

「いやっ、私も行くよっ!」

「お願い、お願いだから……」

 

 無論、梨璃も常に結梨を戦いから遠ざけているわけではなかった。それではレギオンにいる意味がない。

 しかし重大な戦闘には可能な限り加わらないよう取り計らっていた。本来なら、そのような局面にこそ結梨の力が求められるのだが。

 今までにも夢結や楓が、結梨の扱いについて考え直してみてはどうかと提案したことはあった。だが普段は隊長としての権威も権力も振りかざさない梨璃でも、この件だけは絶対に譲ろうとしないのだ。

 梨璃の思うところは、鶴紗にも理解できる。戦闘やレアスキルの使用自体は百由からお墨付きをもらっていた。と同時に、「複数レアスキルの同時使用は何が起こるか分からない」と警告されてもいた。

 事前に注意していても、いざ実戦になると絶対というものは保証できない。ふとした拍子に同時使用してしまうかもしれない。だからこそ梨璃は恐れ、留めようとする。

 どちらが正しい選択なのか、鶴紗には判断がつかなかった。

 

「ほら、あとで機体チェックするから結梨さんに手伝って欲しいなー。お礼にクッキーあげるから。ねっ?」

「うーっ……やる!」

 

 ガンシップ整備のため外征に同行していたアーセナルの上級生にも諭されて。そして何よりも梨璃の泣き出しそうな懇願に、結梨は不満顔ながらも()()()に同意した。

 心配していた他のメンバーも、ひとまず胸を撫で下ろして出撃の準備に取り掛かる。

 そんな中、楓が結梨たちに物言いたげな視線を送っていた。しかし結局は何も言わず、皆と同じくチャームを確認し始める。

 もうまもなく、一柳隊は最前線へと赴くことになる。

 

 

 



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第5話 真鶴会戦

 まだ夜も明けきらぬ薄闇の中、不自然なまでに流れる静寂は嵐の前の静けさか。

 相模湾に突き出る真鶴半島を東西に走る幹線道路。半島の付け根部分にて、濃緑に塗られた装甲車両の車列がじっとその時を待っている。

 八輪のタイヤを備えた車体は道路の向きに沿っているが、車体の上に載る砲塔部分は一様に横を向いていた。砲塔から伸びた砲が指し示す先には、なだらかな斜面がある。本来、道路と斜面を区切るはずのガードレールは撤去されていた。進軍にも後退にも障害になるからだ。

 そして斜面を下った先にも同様の装甲車両の姿が見える。こちらは長い列を作らず、四両一組の小隊ごとに分散して布陣していた。

 

 日本国()()()――――

 

 ヒュージ侵攻初期の戦いの後、自衛隊を再編する形で成立した()()組織。

 自衛隊時代は方面隊の下、隷下の部隊が広範な地域を守っていたが、防衛軍となってからは新たに地区防衛隊を設けて戦力を分散させている。本来なら戦力の細分化は好ましくないのだが、ヒュージという神出鬼没の敵に対抗するには必要な措置だった。

 ここ鎌倉府は首都に隣接する要地であるため防衛隊も旅団規模である。しかし多くの地区では増強連隊程度に過ぎないし、そもそも防衛隊が存在せず方面軍が直接担当している地区もあった。

 

「大隊本部より第2戦闘中隊。正面右翼より敵の進出を確認。スモール級30。中隊各車、敵が稜線を下り次第交戦を開始せよ」

 

 女性オペレーターからの指示により、斜面下の部隊が砲を右へとずらす。丸い砲口が睨む先は小高い丘陵。過去幾度となく生じた戦闘により地形の変わりつつある場所。

 やがて頂の向こう側から鈍い灰色をした獣が姿を現した。

 いや、獣などではない。金属質な全身。細長い胴体から刃のように鋭利な四つ足を生やした化け物。人類側から『バッタ』と俗称される、スモール級ファング種に属するヒュージだった。

 ファング種の群れは四本の脚をせわしなく動かして丘を駆け下りる。

 そこに爆発。

 装輪式の装甲車が、陸上防衛軍機甲科の軍馬たる機動戦闘車が、その火力を解き放ったのだ。

 直撃を受けた者は胴体から四肢がもがれ、傍に居た者は爆風に圧されて体を大きく歪ませる。

 マギを含まない通常兵器がヒュージを倒すには、大質量と衝撃をもって無理矢理に叩き潰すしかない。今のところ、それは上手くいってるようだった。

 スモール級が突進する端から、砲弾が瞬く間に飛び掛かり爆炎の華を咲かせる。

 

「大隊本部より第1、第2戦闘中隊。正面中央より敵大規模攻勢を確認。ミドル級6、スモール級60。両中隊は共同して攻勢を阻止せよ」

 

 やがて人間サイズのファング種の中に、大きな球状のヒュージが加わった。全高だけで三メートルはあるだろう。歩みは緩慢だが、長い鉤爪の如き三本の脚で確実に前線を押し上げている。

 硬い。

 増援のミドル級は砲撃を受けて脚を止めるが、多少の被弾ではなかなか墜ちない。

 戦況が膠着しつつある中、奮闘する装甲部隊に更なる凶報が舞い込んでくる。

 

「大隊本部より各中隊。ポイントG5及びG7にて大型ケイブ反応を検知。これより第17偵察戦闘大隊は遅滞戦闘へ移行する」

 

 ヒュージが移動に用いるケイブは特殊な粒子を放出するため、その発生をある程度事前に予測することが可能だった。

 ケイブのサイズにより出現するヒュージの等級も限られる。大型ケイブの場合、最大でラージ級の襲来が予想される。

 それは、現状の戦力では太刀打ちできないことを意味していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地を這うかのように低空でホバリングするガンシップから、鶴紗は眼下を見下ろした。

 白み始めた空のおかげで視界はまずまず良好。真下には背の低い草むらが広がっている。

 そこに、イヤホンとマイクが一体となったインカムから「降下開始」の指示が届く。ガンシップ機体下部、円筒形のポッドから出撃すべく、搭乗口のハッチを開いて身を乗り出した。

 下方から巻き起こる風によって、金のポニーテールが意思を持つかの如く乱れ踊る。そんな中でも視界の端に人影が落ちていくのを見逃さず、鶴紗は何の躊躇もなくその身を空中に投げ出した。

 直後、足元を中心にマギの力場を形成し、速度を減衰させて危なげなく着地する。

 鶴紗は一足先に降りていた夢結の右後方に付く。更に二人の後方には一柳隊のリリィが続々と集結し、()()で陣形を組んでから前進を開始した。

 役目を終えたガンシップは方向転換して帰投する。その場には、予備のチャームが詰まった兵装ポッドだけが物言わず鎮座していた。

 

「止まって」

 

 隊が幹線道路に差し掛かる手前で、先頭の夢結が停止を命じた。

 けたたましい発砲音と爆発音に、否が応でも戦場の実感を突き付けられる。

 

「こちら百合ヶ丘女学院所属、LG(レギオン)ラーズグリーズ。県道防衛ラインに現着。戦闘を引き継ぎます」

「第17偵察戦闘大隊、了解。これより撤退行動に移行する。現状敵戦力、前衛にミドル級10、スモール級60。後衛にミドル級4、大型ケイブ2を確認」

 

 インカムを通して防衛軍のオペレーターと夢結がやり取りする。

 

「騎兵隊の到着に感謝する。ご武運を」

 

 淡々とした、しかし最後に少しだけ感情を覗かせる女性の声。

 その後、今度は隊長の梨璃が隊内に向けて口を開く。

 

「それじゃあ楓さん、戦闘指揮をお願いします!」

「お任せください梨璃さん」

 

 隊長・副隊長が平時からレギオンの運用を司る者なら、司令塔は戦場での戦闘指揮を担う者。

 一柳隊の司令塔は楓・J・ヌーベルである。彼女を補佐する形で、あるいは隊を分ける際など、郭神琳が務めることもあった。

 

「まず初めに今回の優先行動順位を確認しますわ」

 

 楓が出発前のブリーフィングをおさらいする。

 

07:30(まるななさんまる)に開始予定の防衛軍厚木基地による空爆のため、バスター種の撃破を最優先。しかる後に発生済みのケイブを破壊。空爆実施後は残存ヒュージの掃討に移行します」

 

 続いて陣形確認と大まかな方針。

 

「フォーメーションはいつも通り、夢結様と鶴紗さんのツートップで。ただし今回は殲滅力を重視して、ミリアムさんと雨嘉さんには最初からTZ(タクティカルゾーン)に入ってもらいます」

「楓さん、レジスタを使用されるのなら、わたくしのテスタメントで支援しますが?」

「いいえ、それには及びませんわ。この程度の敵ならば必要ありません。今はわたくしと神琳さんはレアスキルを温存しましょう。例の特型もいつ出てくるか分かりませんし」

「承知しました」

 

 二人の司令塔が方針を固めると、レギオンが本格的に動き出す。

 装甲車両が立ち去った後の幹線道路を越え、主戦場を肉眼で見渡せる位置に着く。

 無造作に、丘の斜面の至る所に散乱するスモール級の残骸。立っているミドル級も体中に亀裂や弾痕を負っていた。それは先程までの熾烈な戦闘を物語る。

 

「ミドル級の後ろにスモール級の群れが隠れてますわね。まるで盾のよう。ヒュージが生意気にも陣形のつもりなのか」

「偶然、ミドル級の後ろに居たのが生き残っただけでは? ヒュージが陣形だなんて……」

「まあ、それはさておき二水さん。戦場全体の俯瞰をお願いしますわ」

 

 二水との考察を中断し、楓が敵情の更なる偵察を要求する。

 すると要求を受けた二水の両目が赤く輝いた。

 

「前衛のミドル級は、テンタクル種ディアマント型ですね。オルビオ型の装甲強化型。盾になるのも納得の硬さです。スモール級はファング種が複数種類。それらの後方、丘の向こう側に隠れてるのが問題のバスター種アニマ型です。ケイブは更にその奥ですね」

「バスター種のレーザー砲は空軍機にとっても脅威となりますわ。皆さん、確実に仕留めてくださいませ」

 

 楓の「戦闘開始」の合図により、皆がチャームを構え直す。

 真っ先に引き金を引いたのはAZ(アタッキングゾーン)レフトに位置する夢結だ。長大な刀身と大口径の砲を併せ持つブリューナクの砲撃で、ディアマントの盾からはみ出したファング種を確実に葬っていく。距離も的の素早さもお構いなしに。

 AZライトがポジションの鶴紗もまた夢結に続く。先輩に技量で劣る自覚があるので、最も手近なディアマントに狙いを絞る。右肩に担いだティルフィングは地響きの如く重厚な発砲音を上げ、球形――正確には楕円形だが――をしたディアマントの胴体を打ち砕く。

 

「大盾戦術も、リリィのレギオン相手では形無しですわね」

 

 TZセンターに立つ楓が戦況を見ながら呟いた。

 AZに加えて、指揮を執る楓を除いたTZの梅、神琳、ミリアム、雨嘉も射撃に加わっており、密度を増した砲火がヒュージの隊列を襲っていた。

 ディアマントは硬さが()()なだけあってよく耐える。だが流石に複数名のリリィから集中砲火を浴びれば堪ったものではない。防衛軍の通常兵器と違い、リリィのチャームはマギによってヒュージのマギを断ち切ることができるのだ。

 

「楓さんっ、スモール級が一斉に動きます!」

「堪えかねたネズミが飛び出してきますわね。夢結様と鶴紗さんは迎撃を! 梅様は鶴紗さんのフォローをお願いします!」

 

 レアスキル『鷹の目』によって戦場を俯瞰する二水の警告。

 ある程度両軍の距離が縮まったところで、ファング種が勝負に出てきた。脚を崩し地に伏したディアマントの後ろから、一柳隊に肉薄すべく突進し始めたのだ。

 多種多様なファング種。型によって頭部の形状など若干の差異はあるが、どのファング種も共通して高い機動性を持っていた。

 あっという間に互いの先頭同士が顔を突き合わせる。

 夢結の目の前に、三体のファング種が取り囲むように現れた。

 

 夢結様、援護――

 

 そう言いかけて、鶴紗は思い止まった。

 ブリューナクの砲身と刃が前方にスライドし、一振りの長剣と化す。射撃モードから斬撃モードへと流れるように変形する。

 そうして夢結は一切の迷いなく正面に向け地を蹴ると、ファング種の一体に吶喊した。

 それは槍。

 夢結自身が一本の槍となったよう。

 頭部一杯に広がる口を裂けるように開いたファング種へ、凶悪なまでに巨大な刃を突き入れた。

 直後に、串刺しにしたファング種ごとチャームを持ち上げて、その場で一回転。仇とばかりに夢結へ飛び掛かった左右の敵が、薙ぎ払われて大地を転がる。

 

「鶴紗ぁ! よそ見するなよな!」

 

 一連の戦闘に見惚れていた鶴紗の後方から弾が飛び、側面から迂回を図ったファング種が貫かれた。

 タンキエムを両手で保持した梅が斜め後ろに追従してくる。

 

「油断してると横からガブっとやられるゾ。夢結みたいなのは特例、真似しようものなら頭おかしくなるから」

「別に、油断はしてないですよっ」

 

 梅の軽口に返事をしつつ、近寄るヒュージに弾を撃ち込んでいく。

 鶴紗が右にチャームを向ければ、タンキエムの砲口が左を向く。鶴紗が左の敵を撃てば、タンキエムは右から迫る敵を撃つ。

 よく見ていた。鶴紗のことを。レアスキルも何も使わず、鶴紗に合わせて連携を図っていた。

 そうしている内、ヒュージの群れは当初の半分までに数を減らす。

 ファング種は確かに速い。これが市街地や森の中ならもう少し苦戦していたかもしれない。しかし射界の広い場所でなら、その脅威は減じる。頼みの綱の大盾(ディアマント)も、一柳隊の火力の前に藁の盾と化しつつあった。

 

「……頃合ですわね。これより丘陵部奥のアニマ型撃破に向かいます。梅様と鶴紗さんは先行してください。夢結様はこの場で残存ファング種の掃討を。神琳さん雨嘉さんミリアムさんは同じくファング種を撃破しつつ前進。二水さん、アニマ型の動きを注視して。梨璃さんは二水さんの護衛をお願いしますわ」

 

 指示と同時に鶴紗は前へと駆け出した。

 インカム越しに聞いていて、内心で「大したものだ」と感心する。相変わらず指示が迅速で思い切りが良い。一角(ひとかど)の指揮官と言えるだろう。

 丘の斜面を登る途中、鶴紗は突出し過ぎたかと思ってチラと後ろに目をやる。

 

「心配しなくてもついて来てるゾ!」

「心配してないです」

 

 望む声がすぐに聞こえたので、安心して前を行く。

 足取りが軽い。心が躍る。

 自分は戦闘狂ではなかったはずだが。あるいは――

 そんな鶴紗の思考を、インカムから響く二水の叫声が中断させる。

 

「アニマ型がこっちに向かってきます!」

 

 正面、丘の頂上からこちらを見下ろすようなヒュージの姿が目に映る。

 ずんぐりとした胴体から太くて短い手足が生えていた。見た目に違わず鈍重なヒュージだ。しかしその体には長射程・高威力の恐るべきレーザー砲を隠し持つ。

 出現当初、特に開けた地形の多い大陸において、人類側から『タンクキラー』と忌み嫌われたミドル級バスター種アニマ型。

 

「逃げきれないから向かってきたのか? 潔いな!」

「ヒュージがそんなこと考えますかね」

「こっちにとっては好都合だ。今度は梅が突っ込むから、鶴紗は援護だゾ!」

「了解」

 

 そのやり取りのすぐ後に、後ろを走っていたはずの梅が掻き消える。

 前方を見れば、胴体を上下にパックリと開いたアニマ型が。体内から伸びている黒く螺旋を描いた砲身の先に、青白い光を灯している。

 砲身が鶴紗を指向した。青白い光が輝きを増し、マギの濃度が急激に跳ね上がる。

 ところが、光の放出よりも先に、アニマ型の砲身が根元から断ち切られる。直後に行き場を失ったマギが暴発し、灰色の巨体を炎が包み込んだ。

 すぐ隣に居たアニマ型は鶴紗から狙いを外し、短い足でよたよたと方向転換を図る。

 だがそれは失敗だった。頭から黄金色の刃を、ブレイドモードのタンキエムを突き立てられて、何が起きたのかも分からないまま崩れ落ちていく。

 残る二体は標的を変えず、そのまま鶴紗へレーザー砲を放ってきた。

 

「あんなのとまともに撃ち合えるか」

 

 鶴紗は前進を中断し、横っ飛びしながらティルフィングの砲を放つ。照準など定めない。気を逸らせればそれで良い。

 ヒュージの足元で着弾の土煙が舞う。一方鶴紗の後方では、光の奔流が大地を抉り、一瞬にして表面の土を消し飛ばす。外れると分かっていても、ヒヤリとした。

 冷や汗を掻いた甲斐あって、二体のアニマ型もまた呆気なく打ち倒される。一体は横合いから胴体を切り裂かれ、もう一体は至近距離から砲撃の三連射を浴びて。

 鶴紗が丘の頂上に辿り着いた時、そこで動いていたのはチャームを肩の上に担いだ梅だけだった。

 

「結局、梅様だけで片付いた」

「いや、梅だけじゃあこんなに上手くいかないゾ。あいつら的をどちらにするか、ちょっと迷ってた。ヒュージも機械じゃないってことだなー」

「本当?」

「ほんとほんと」

 

 ちょっとだけ嬉しくなる鶴紗。

 だがそんなささやかな喜びも束の間。またもや二水から焦るような通信が入る。

 

「ケイブに変化あり! これは……大きいのが来ますっ!」

 

 丘の反対側、斜面を下った先に、巨大などす黒い渦が中空に浮かぶ。距離を置いて二つ。それぞれからファング種の群れが這い出てくる。

 鶴紗たちの見ている前で、渦の奥から一本の鉄柱が伸びてきた。太く、長く、大きい。

 続いて渦から更に巨大な球体が出てきたことで、鉄柱がヒュージの脚だと判明した。

 卵形の胴体に、極太の脚が三本。全高十メートルに達する威容。

 テンタクル種アイホート型。ラージ級ヒュージが出撃したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「梅様、鶴紗さん。夢結様が向かうまで持ち堪えてくださいまし」

「夢結様のカバーにはわたくしが入りますね」

 

 楓と神琳からの相次ぐ通信を聞きつつ、鶴紗は眼下の光景を見る。

 その巨体を完全にケイブから出した二体のアイホート型。一体は鶴紗たちから比較的近い。

 同様にケイブから出てきたファング種は後方に下がっていた。味方のラージ級に踏み潰されるのを恐れてのことか。

 

「楓はああ言ってたが、別に一体ぐらい倒してもいいだろう?」

「大した自信ですね、梅様」

「梅たちならできるだろー。ほら、鶴紗もマギを全然使ってないし」

「まあ、そうですけど」

 

 指摘された通り、射撃は実弾のみだし、レアスキルも未使用だ。そうして温存した力を今こそ使うべきだと梅は言う。

 確かにその通りだった。未だ姿を見せない特型も気になるが、ケイブの破壊は優先すべき。そのためにはラージ級の存在が障害となる。

 鶴紗は決心してティルフィングの柄を握り直した。

 

「じゃあ前衛と後衛はまた交代ということで」

「よしきた。背中は任せとけ!」

 

 気持ちの良い返事を受けて、地面を蹴った鶴紗の体が丘の頂から滑るように下降する。

 マギを利用した、ごく短距離の滑空飛行だ。着地と同時に再び地を蹴り、更に敵との距離を縮める。

 小さいが重大な敵の接近に気付き、アイホートが三脚を動かして顔を向ける。薄い青色をした三つの点――三角に配置された三つの瞳が宙を跳ぶ獲物に焦点を合わせた。

 

(撃たれる)

 

 そう直感的に判断した鶴紗はレアスキルの行使を決めた。

 一度、両の瞳を閉じて、またすぐに大きく見開く。

 

 レアスキル『ファンタズム』

 

 鶴紗の脳内で幾つもの映像が可視化される。瞬間的に映っては消え、映っては消え、あらゆる可能性が提示される。

 

 直進。直撃。

 着地して伏せる。五射目で被弾。

 右に跳ぶ。三射目で被弾。

 左に跳ぶ。回避。左に。回避。左に。回避。右に。回避――――

 

 ここまでほんのコンマ数秒。

 方針が決まり、鶴紗は次の着地後に左方へ大きく跳躍する。

 それとほとんど同時にアイホートの目が瞬いた。甲高い発砲音が轟き、青色のレーザーが宙に奔る。三つの目から代わる代わるに撃ち放たれていく。

 三射目が横を掠めていった後、鶴紗は未来予測に従い右へ方向転換する。その次は左に。そのまた次は右に。

 一歩間違えれば命を落としかねない。この感覚は何度味わっても慣れることがない。慣れた時こそが、本当に死ぬ時なのだろうと鶴紗は思う。

 そうしてジグザグ機動を繰り返して遂に敵の足元に、右側面の足付近に到達した。ここならばレーザーでは狙えないだろう。

 卵形の胴体下部に向け、ティルフィングの引き金を引く。

 

「物騒な卵だ!」

 

 悪態を吐きつつひたすらに撃つ。

 振り下ろされる杭の如き足を躱し、撃ち続ける。

 反対側からタンキエムと思しき砲声も聞こえてくるが、一向に敵が倒れる気配がしない。ヒュージ特有の灰色の外皮が僅かに剥がれるだけだった。それすらもこの巨体からすれば、蚊に刺された程度かもしれないが。

 

「射撃位置に着いたよ。援護するね」

 

 今の通信は、雨嘉の声だ。

 そう気付いて数秒後には、背後の丘の上から飛んできた白の光弾がアイホートに突き刺さる……かに見えた。

 光弾は命中の寸前で、ボウっという効果音と共に掻き消えてしまった。

 

「弾かれた。ビームコートを持ってる。実弾に切り替えるね」

 

 雨嘉は動じることなく次の一手を講じる。平生から感情の分かり難い彼女だが、それに輪をかけて無感情に感じられる。だが今の鶴紗にとってはそれが頼もしく思えた。

 乾いた発砲音。今度は邪魔されることもなく敵に着弾する。脚の付け根の関節部へと。

 その一発は脚部に無視できないダメージを与えたのか、アイホートの右側面から金属の不快な金切り音が上がる。動きも鈍くなっている。

 ティルフィングの刀身を真っ直ぐに伸ばしてブレイドモードに変形させると、鶴紗は脚を駆け上って関節部まで潜り込む。この機をあの目敏い梅が逃すはずがなく、別の脚の上を同じように駆け上がっていた。

 そうして関節部にチャームの刃を突き立てる。

 装甲と装甲の継ぎ目に対する二点同時攻撃に、さしものラージ級も胴体を土の上に落とす。

 だがその胴体が上下に開き、体内から無数の触腕を繰り出してきた。

 真っ黒な鞭のように振り乱れて暴れ回る触腕。加えて体内から光弾の雨が全方位に対して吐き出される。

 

「最後っ屁だ! 一旦離れろ!」

「分かってる!」

 

 梅の警告に応じてアイホートの脚を蹴りつけ後ろに跳ぶ。襲い来る光弾はティルフィングを盾にして凌ぐ。

 しかし距離を取ったはいいが、再度の接近は困難を極めるだろう。最後っ屁は衰える気配を見せず、ますます勢いを増していた。

 鶴紗は攻めあぐねる。

 

「準備できたぞ! 巻き込まれんよう下がっとれい!」

 

 一発で聞き分けられるであろう特徴的なミリアムの声だった。

 鶴紗も梅も更に跳躍してアイホートから離れる。

 先程の狙撃と同じ方角から真っ白な光の奔流が伸びてきた。ビームコートと一瞬せめぎ合うが、容易く打ち破って巨体を触腕ごと覆い尽くす。

 振り返った鶴紗の目にも、光の中で飴細工の如く外殻をひしゃげさせるアイホートが映った。

 やや間を置いて、大爆発。

 装甲の欠片やら触腕の切れ端やらがパラパラと降り注ぐ。

 

「もう一体っ!」

 

 余韻に浸る暇もなく首を回して敵を探す鶴紗だが、不意の通信にその動きを止める。

 

「もう終わってるわよ」

 

 夢結の言葉通り、遠くに見えるアイホートの巨体は完全に沈黙していた。三本の内、二本の脚を切断されて。外殻の装甲の上半分を引き剝がされて。

 実行した本人の姿はそこには無かったが。

 

「本当だ。いつの間に……」

「ま、夢結だからな~」

 

 さも当然と言わんばかりの梅が歩み寄って来た。

 遠巻きにはまだファング種やディアマントの姿があるが、二つの大型ケイブには増援を繰り出す様子は見られない。

 大勢は決した。特型は現れなかった。

 

「皆さん、そろそろ時間ですわよ! 退避なさってくださいな!」

 

 楓の叫びがインカムから響く。

 時刻は07:25を回っていた。

 

 

 




ミリタリーものや集団戦を書ける人って、凄いと思った。




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第6話 鷹は舞い降りた

 朝日を背景にして輝く北東の空に、天を引き裂かんばかりの轟音が響き渡る。

 鶴紗と梅は丘の斜面の途中で見つけた窪地に駆け込んでいた。その場で上を見上げると、空の青色に幾本もの白煙が奔っている。

 白煙の向かう先は、生き残りのディアマント型。四体全てが回避する間も無く爆発を起こして果てる。

 

「防衛軍のF-3戦闘爆撃機ですね。スモール級やミドル級ヒュージの掃討を目的に開発された純国産の高速爆撃機です」

 

 インカム越しに二水の解説を耳にした。

 しかし空の方を見ても、鶴紗には米粒が四つあるぐらいしか分からない。二水のレアスキル、鷹の目の力だろう。

 そう時間の経たない内に、米粒が飛行機の輪郭を露わにしてきた。尾から炎を噴き出し、羽ばたくことのない固定された銀翼で宙を行く。あっという間に鶴紗たちの頭上を過ぎ去ると、スモール級ファング種の群れに紡錘形の物体を投下した。

 着弾の瞬間を確認することなく、鶴紗と梅はうつぶせの状態で縮こまったように頭も下げる。

 質量を持った物体が重力落下によって奏でる風切り音。それが途絶えると同時に、先程の爆発とは比べ物にならない大音響が炸裂した。

 大気が震え、遠く離れた鶴紗にも衝撃と熱波に襲われているように錯覚させた。

 

「街から離れてるからって、無茶苦茶やるっ」

 

 鶴紗が頭を伏せたまま愚痴を零す。

 

「ヒュージ相手に、お上品にやってられないんだろう」

 

 すると同じく隣で伏せている梅がそう言った。

 ヒュージとの激戦は、あちこちに穴ぼこがあるこの丘を見ても一目瞭然。地形を変えてしまう程に戦闘が繰り返されてきたのだ。

 やがてほとぼりが冷めた後、鶴紗は立ち上がって窪地を出た。丘の麓を見渡して、その光景に一言呟く。

 

「そうは言っても、これはねえ……」

 

 四つの広大なクレーターが爆撃の威力を物語る。辺りにはヒュージの胴体やら脚やら頭やらのパーツが散らばっていた。元の灰色は真っ黒に焦げ付いており、原形を留めているものは少ない。

 ヒュージの墓場と化した真鶴の地。だがいつまでもこのままというわけではない。

 死してマギを失ったヒュージの体はせいぜい一晩で骨となる。骨の方も、数日あれば塵と消える。元より常識では測れない存在なのだ。

 

「皆さん、一度頂上に集合しましょう。ガーデンに帰るまでが外征。油断なさらぬように」

 

 司令塔の楓に通信で促され、クレーターを見つめていた鶴紗は踵を返すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 丘の頂に九人が揃ったところで、楓は早速次の指示を飛ばす。

 

「神琳さんと雨嘉さんでケイブの破壊に向かってください。空爆でヒュージは殲滅されたと思いますが、念のため一つずつ確実に」

「はい、承知しました」

「うん、分かった」

 

 二人は肯定して斜面を降りていく。目的のものは爆心地から更に奥へと進んだ場所にあった。あの大きさなら見逃しようがないだろう。

 ラージ級以上のヒュージを通常兵器で倒せないのと同じく、大型ケイブもまた爆撃では破壊できなかった。

 

「ミリアムさんは……」

「あ~、わしはまだ無理。動けんぞい」

「そのようですわねえ。仕方ありませんわ。梨璃さんと二水さん、ついてあげてくださいな」

 

 地面に大の字で寝っ転がったミリアムが、楓に気の抜けた返事をする。左右に結った豊かな髪も、心なしか元気が無いようだ。

 ミリアムのレアスキル『フェイズトランセンデンス』は一定時間マギを無限大にする。超攻撃的なレアスキルだが、反面効果終了後は一定時間マギが枯渇してしまう。今がまさにその状態だった。

 とは言えミリアムのおかげでラージ級を一つ潰せたのだから、御の字である。

 ちなみに残りのメンバーは、神琳たちが戻るまで周辺警戒することになった。

 

「鶴紗さん。ラージ級の攪乱、お見事だったわ」

 

 警戒に立っていると、唐突に横から夢結に褒められた。

 

「見てたんですか?」

「ええ、遠目だけど。それでも動きの良さはよく分かったわ。同じAZ(アタックゾーン)として頼りにさせてもらうわね」

「……皆のフォローのお陰ですよ」

 

 真顔でそんな風に言われたらこそばゆいので、当たり障りの無い答えで流しておく。

 

「あははー。後輩が優秀だと楽ができて良いなあ」

「そうね、梅。もっと楽ができるよう、訓練に協力的だと助かるのだけど?」

「あっはっはっ」

「笑って誤魔化さないの」

 

 先輩二人の恒例とも呼べるやり取りを横目で見る。もはや様式美となっていた。安堵感さえ覚えるようだった。

 ふと、首を動かした鶴紗は後ろの方から視線が注がれていることに気付く。自分に対してではなく、夢結たちに対して。

 梅もまた、その視線を把握していたようで。

 

「んー、でもまあ、梅たちが暴れられるのも後衛がしっかりしてるからだ」

「それはあるわね。一柳隊がBZ(バックゾーン)重視なのは防御的戦術のためだけど、それがかえってAZが自由に動ける助けにも繋がってる」

「そうそう、BZもよくやってるよな!」

 

 梅が声を大にしたことで、夢結はその意図に勘付いたようだ。

 

「二水さん、鷹の目の索敵お疲れ様」

「はい」

「梨璃も、二水さんや楓さんの援護をよく果たしているわ」

「はいっ! えへへっ」

 

 視線の主がはにかんだように笑う。桃色のサイドテールをぴょこんと振って。あれはマギによって動いているらしい。自分ではあまり意識してないが、鶴紗のアホ毛も時々動くことがあった。

 

「その通りですわ! 梨璃さんは立派にBZの役目を果たしておられます。梨璃さんの可愛らしい声援を浴びれば、チャームの刃は立ち所に鋭さを増し、マギも瞬く間に回復するのです」

「ほうほう、それは便利じゃなあ。ならばわしの枯渇したマギもどうにかしてくれんかのう」

「チビッ子2号はリリィとして精進が足りないので、無理ですわ」

「何でじゃっ!」

 

 ミリアムとのお馬鹿な掛け合いの間にも、楓の姿勢と意識は警戒を怠っていないようだった。中等部時代から実績を積み重ねてきたのは伊達ではないということか。

 鶴紗は「やはりただの変態ではないな」と改めて思う。

 

「じゃあミリアムさん、これならどうかな? ぎゅ~っ」

「おおっ、梨璃の柔らかい体が密着して、これは……。あぁ~マギが回復するんじゃ~」

「んなっ!? チチチッ、チビッ子2号! そこを代わりなさぁい!」

 

 凄い変態だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、ヒュージはもう残ってないみたいです。神琳さんと雨嘉さんもケイブを破壊し終えたようですし」

 

 鷹の目で戦場監視を続ける二水が安堵の声を出した。

 俯瞰視野というものを、鶴紗も何度か体験したことがある。神琳のテスタメントによって拡大された二水の鷹の目の力を借りる、という形でだ。

 鶴紗のファンタズムも、未来幻視の副次的効果として俯瞰視野を得られはする。だがそれは限られた範囲ごとの俯瞰であり、鷹の目のように戦場全体を把握するレベルではない。仮にそんな広範囲を俯瞰できても、鶴紗みたいな前衛で生かすのは不可能だろう。

 故に楓のようなレジスタ持ちの司令塔とは別に、索敵要員が存在する意義は大きい。

 

「あっ、ちょっと待ってください。……8時の方向、ヒュージが居ました。森の中に紛れてはっきりしませんが、スモール級が10か、12」

「ふぅん。ミリアムさん、もう動けますわね?」

「うむ。でかいのはまだ撃てんが、身を守るぐらいならば」

「では念のため神琳さんたちと合流してから向かいましょうか」

 

 しかし楓の指示は二水の叫びによって妨げられる。

 

「待ってください! ヒュージが来ます! これは、飛行型。カウダ型ですっ!」

 

 声に釣られて鶴紗が南西を向くと、空の上に幾つかの影が浮かんでいた。それらは真っ直ぐ丘の上、即ち鶴紗たちの元へと向かっている。

 速い。

 ペネトレイ種カウダ型は速さが最大の武器なのだ。

 

「楓さん、そちらに合流しましょうか?」

「いいえ。神琳さんと雨嘉さんはその場で防御に徹してください。下手に動いて狙い撃ちされないように」

 

 楓は隊の合流を一旦諦め、現状での迎撃を選択する。

 

「皆さん、わたくしと二水さんを中心にリング・フォーメーションを組んでください。それから梨璃さん、ペネトレイ種との集団戦について、覚えてますわね?」

「はっ、はい! 皆で地上から弾幕を張りつつ、相手の隊列が崩れたり数が減ってから追撃、ですよね」

「上出来ですわ。梅様や夢結様ならまだともかく、他の人間がアレの機動戦に付き合うのは下策でしてよ」

 

 会話の間にも七人は陣形を組んでいく。大きく散開し、楓と二水を囲むように輪を作る。方円陣、あるいは輪形陣とも呼べるフォーメーション。

 そうして態勢を整えたところで敵を迎え撃つ。

 お椀を逆さにしたような、円錐形のヒュージが噴射炎を焚きながら向かい来る。それが十二機、楔形陣形を組んで一つの編隊と成していた。

 

 ヒュージは陣形など作らない――――

 

 そんな常識は既に過去の遺物となっていた。

 

「射撃開始!」

 

 カウダ型の頭が下へ傾いたのを察知し、楓が号令を下した。

 七つのチャームが一斉に砲火を放つ。

 グングニルとニョルニールの弾丸が、ブリューナクとタンキエムとティルフィングの大口径砲弾が、ジョワユーズの小型弾が、火箭を形成して天を衝く。

 対するカウダ型の編隊は急降下を始め、青く光る頭部の先端から同色の光弾をばら撒いてきた。

 中空で交錯する互いの砲弾。鶴紗の足元にも何発か落ちてきて地面を抉る。

 優勢なのは、一柳隊の方だった。

 楓の判断によって機先を制したお陰で、半数の敵に火を吹かせ、残りも編隊を崩して射撃を乱れさせていた。

 カウダ型の残余は降下の後に急上昇して再び高度を取る。

 

「新たなカウダ型が接近中……あぁ――」

 

 鷹の目で索敵しつつ、申し訳程度にグングニルの引き金を引いていた二水が口を開いた。が、様子がおかしい。

 

「特型、特型です! 間違いありません! 特型『ファルケ』を確認! 編隊の中央にっ!」

 

 最後まで聞くよりも先に、鶴紗は南西の空に見た。スモール級で構成された逆V字の後方を飛ぶミドル級の体躯を。全翼の戦闘機にも似た、鋭角的でスマートな機体を。

 由比ヶ浜で出会って以来、特型が再び鶴紗の前にその姿を現した。

 新たな敵編隊は更に高く高度を取っており、そこから降下を開始する。

 誰もが「同じ轍を踏むのか」と思った直後、特型の機体からミサイルが射出される。これは想定通り。チャームの弾幕で撃ち落とす。

 ところが、撃破したはずのミサイルの中から大量の鉄芯が飛び出した。鶴紗の背丈にも届こうかという長大な鉄芯が。

 それらは広範に拡散した後、シャワーの如く地上の一柳隊へと降り注ぐ。

 鶴紗は完全回避を諦めてチャームによる防御を図った。彼女のティルフィングは高い剛性を誇り、盾としても高い性能を発揮できるのだ。

 

「ぐぅ!」

 

 軽い呻き声が上がった。

 大半の鉄芯は頭上に掲げた剣身が防いでくれたものの、二本か三本はすり抜けて掠めてくる。だがリリィは常にマギの防御結界で守られているため、鶴紗も大事には至らなかった。この程度なら痣になるぐらいだろう。

 他のメンバーはというと、回避を選んだ者、防御を選んだ者、様々だった。

 梨璃と二水はこの中で一番実戦経験が浅いコンビだが、彼女らが持つグングニルは防御結界への補助機能が高い。初心者用チャームと呼ばれるだけのことはある。現に今も、二人の初心者を鉄のシャワーから守り切っていた。

 一番心配だったミリアムも目に見える負傷は負っていない。楓や二年生組などは言うまでもなかった。

 しかしせっかくのフォーメーションは大きく乱れてしまう。

 そこへ、鉄芯の後に続くべくヒュージの編隊が迫る。たった一つの獲物を目掛けて。

 

「……私かっ!」

 

 選ばれたのは鶴紗だった。取り巻きを従えた特型が機首から光弾を掃射しながら急降下してくる。

 機関銃も()()()という驚異的な発射速度で、たちまち鶴紗の周囲は着弾による砂煙で埋め尽くされた。

 結界の上から傷付く百合ヶ丘制服。千切れ飛ぶ金色の毛先。それでも何とか致命傷は免れた。

 

「見た目は派手でも、狙いは大甘ですわ! 下手に動かず防御を固めますわよ!」

「まるで楓みたいだなっ」

 

 楓に軽口を返しつつも、鶴紗は反撃の糸口を求めて空を仰ぐ。

 既にヒュージは陣形を解き、単機か二機編隊でばらばらに旋回を続けていた。そうして代わる代わるに降下と機銃掃射、離脱を繰り返し、攻勢の主導権を握って放そうとしない。

 このままではジリ貧だ。普通ならば。

 しかし幸いなことに、ここには普通でない人物が居た。

 

「梨璃、二水さん。合図をしたら、私の真上にグレネードを撃ってちょうだい」

「お姉様? ……分かりました」

「えっ? は、はいぃ」

 

 突然の夢結からの要求に、二人は困惑しながら頷いた。

 

「それから楓さんはレジスタをお願いします」

「はぁ。夢結様が何をなさるおつもりなのか、察しが付きましたわ。ここは信じると致しましょう」

 

 楓がそう言うと、この場の七人が持つチャームのコアが淡く輝いた。レジスタによってコアの出力が向上し、チャームの出力が増大していく。

 

「まずはわたくしと梅様と鶴紗さんで敵の気を引きましょう。特に梅様、訓練では見られない動きを期待させてもらいますわ」

「へいへい。うちの司令塔は人使いが荒いことで」

 

 不承不承といった調子で梅が頷く。

 遅ればせながら鶴紗にも夢結の意図が分かってきた。梅の方は、恐らく初めから察していたのだろうが。

 そうして楓による発砲を皮切りに、作戦が開始された。

 小口径ながら優れた連射性能で弾幕を張るジョワユーズ。鶴紗のティルフィングも狙いを付けず、とにかく少しでも多くの砲弾を撃ち上げていく。

 その弾幕の下で、梅が駆ける。駆けながら時折止まって砲を撃つ。縮地は使わない。気を引くのが目的だから。

 

 ヒュージの群れは空の上で舞っている。

 ぐるぐると円を描くように。

 獲物を探る猛禽類のように。

 鷹のように。

 

 そうして鷹が爪を向けたのは、あえて発砲を控えていた夢結ではなく――――

 

「変更! 鶴紗さんの上!」

 

 夢結の急な支持変更にも、梨璃と二水はよく応えた。グングニル銃口下の発射管から、気の抜けるような音と共に擲弾(グレネード)が放られた。

 そこに夢結のブリューナクの砲撃。

 空中で続けざまに撃ち抜かれた二つの擲弾が炸裂し、辺りに爆風と黒煙がもうもうと立ち込める。

 しかし特型を捉え切ることはできない。ただでさえ弾速の遅いグレネードでは無理がある。

 特型を捉えたのは、宙に漂う黒煙から飛び出してきたブリューナクの刃。

 

「ふっ」

 

 逆袈裟に振り上げられた夢結の一閃が特型の翼を斬り付けた。

 バランスを崩し、しかし機体を無理矢理に捻って旋回した特型が、夢結から逃れるようにその矛先を変える。

 鶴紗へと。

 

「って、また私かっ」

 

 急ぎティルフィングをブレイドモードに。

 この際自身に襲い掛かる光弾の掃射は無視し、横薙ぎに剣を払う。

 すれ違いざま、被弾して顔から地面に倒れ込む鶴紗と、胴体からヒュージ特有の青い体液を噴き出す特型。

 手応えはあったが、浅い。

 鶴紗の勘の通り、特型は西へと機首を傾けジェットを吹かした。

 西。それはさっきまで大型ケイブがあった方角。今はケイブは存在せず、二人のリリィが残るだけ。

 速度と高度を上げる特型を、地上から伸びる一筋の光が貫いた。

 間を空けてもう一発。更にもう一発。

 それでも特型は飛ぶことを止めず、まるで爆発するかのように炎を噴射し西を目指す。

 

「ごめん、仕損じた」

 

 謝罪の通信を入れてきたのは、狙撃を実行したであろう雨嘉だった。

 他の者は他の者で、戦場に留まったカウダ型の生き残りに対処している。後詰と言わんばかりに、追撃などさせぬと言わんばかりに、一柳隊に激しく襲い掛かってきたからだ。

 

「どうして、また……。あぁ、くそっ!」

 

 鶴紗は地に伏した状態で拳を地面に叩き付けた。

 特型に受けた傷はもう治っていた。代わりに拳が傷んだが、それもその内消えていった。

 傷は治るが痛みは残ったまま。

 

「鶴紗、駄々捏ねてないで立つんだ。まだ敵は残ってるゾ」

「でも梅様、またあいつを……」

「ああ、滅茶苦茶しぶとい奴だな。ワンワンの狙撃でやれたと思ったのに」

 

 傍らに寄って来た梅の口調は、どこか諭すような緩やかなものだった。

 

「でも梅たちだって、しぶとさでは負けてないだろ? 皆こうして無事なんだ。だからまあ、またチャンスはあるさ」

「私たちが、生きてる限り?」

「そうだ。生きてるだけでチャンスの連続だ」

 

 根拠は見出せずとも、そう言い切る梅の言葉を鶴紗は信じようと思った。どこか寂しそうな笑顔で、励まそうとしてくれたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真鶴にて一柳隊と特型ヒュージが交戦したその日の夜。

 高松咬月は学院の執務室である理事長室ではなく、彼個人の私室で執務机についていた。

 机の上、宙に浮かぶホログラフのディスプレイ。そこには『SOUND ONLY』という文字が映るのみ。

 

「横浜では派手にやったそうじゃないか」

 

 ディスプレイは咬月と同年代らしき男性の声を発している。

 

「横浜? ……おお、そうでした。横浜と言えば、倉庫区画に現れたヒュージを、外征中に偶然居合わせた我が学院のリリィたちが討伐していましたな。いや、地元ガーデンの領分を侵す真似をして申し訳ない」

 

 立て板に水の如く流れる白々しい台詞。これはお互いに想定内だ。

 

「まあ、構わんがね。君たち百合ヶ丘の()()()も、こちらの把握している内は」

「秘密主義というものは、往々にして不幸な掛け違いを生みますからな。当方でも戒めております」

 

 人助け。

 百合ヶ丘の特務レギオンによる強化リリィ救出作戦。

 それは表向きは『正義の集団』とされているゲヘナ施設への襲撃を意味していた。

 決して表沙汰にできない行為だが、内調――内閣情報調査室――にはあえて漏れるように動いている。もしも本当の意味で極秘作戦となったなら、ディスプレイの向こう側に居る人物は間違いなく百合ヶ丘女学院に対して騒乱罪を適用しようとするだろう。

 たとえどう取り繕ったとしても、それは人道を錦の御旗に掲げたテロリズムなのだから。

 

「しかし君のガーデン、本当に見事な手際だな。これでは泡を食って押さえ込もうとする連中が出てくるのも無理はない」

「大袈裟なことです。うちの生徒も含めて、リリィは年端も行かぬ子供に過ぎませぬ」

「子供、か。くっ、くくくっ……」

 

 咬月の言葉に対し、皮肉げな笑いが返ってくる。

 

「咬月君、君は常日頃から外に対してリリィのことを子供と称している。だがその実、学院内では広範な自治権を与え大人同然に尊重しているじゃないか。これは大いなる矛盾だ」

「…………」

「まったく、食えない男だよ。君は」

「お褒めに(あずか)り恐縮です」

 

 平静を保つ咬月。

 すると相手が鼻を鳴らし、なおも追及してくる。

 

「フン。その子供とやらに()()()させるとは、大した大人もいたものだ」

 

 核心を突かれる。

 だがそれはリリィに命運を託している時点で、百合ヶ丘のみならず全世界が共有する問題でもあった。

 

「いかな理由があろうとも、子供を戦渦の中に送り出すその咎は、いずれ必ず私と姉が地獄で受けることでしょう」

「……冗談だ。少なくとも現状では、君たちに任せるのが最善なのだから」

 

 ディスプレイの向こうから溜め息が聞こえてきた。

 もっとも、この程度の冗談は二人にとって軽い挨拶に過ぎない。

 やや間を置いて、咬月は本題を切り出す。

 

「時に総理、本日連絡させて頂いたのは、以前にお尋ねした安藤少将の件です」

 

 いかに有力ガーデンの長とはいえ、本来なら防衛省や安全保障審査委員会を通すべき相手。

 しかしその安保審査委に問題があったことも鑑み、二人は直接コンタクトを取っていた。

 

「こちらも気になったので調べておいた。先に結論から言うと……少将の遺体あるいは遺骨の行方は今もって不明だ」

 

 かつて静岡失陥の責で戦犯指定された陸上防衛軍少将。安藤鶴紗の父。

 

 ヒュージとの戦闘で戦死した父の亡骸を探して欲しい――――

 

 横浜技術実証隊から学院に帰還した彼女が、咬月に相談した内容がそれだった。

 戦闘の余波で遺体が行方不明になるのは往々にしてあること。だが今回のケースには当てはまらない。何故ならば、安藤少将が率いていた独立混成旅団司令部の人員は、全員遺体が確認されていたからだ。

 ヒュージの支配は基本的に点の支配でしかないため、状態さえ気にしなければ遺体の確認はそれほど難しいことではなかった。

 

「それは何とも異な事。戦犯扱いとは言え、いや、だからこそ遺体の管理は厳正になるのでは?」

「もっともだな。考えられるとしたら、軍が何らかの理由で遺体を逸失し、責任逃れでその事実を隠蔽したというところか。それにしたって逸失した理由が分からんが」

 

 話に耳を傾けつつも、咬月は別の可能性に思いを巡らす。

 しかし答えは出てこない。

 総理の言葉を疑いはしたが、軍以上に政府には隠す理由が見つからない。

 結局、調査は暗礁に乗り上げてしまったのだ。

 

(情けない……。生徒に墓参り一つ満足にさせてやれぬとは。本当に情けない)

 

 拘泥たる思いで歯噛みする。この体たらくで、一体どうして大人を名乗れるというのか。

 そんな咬月の内心をよそに、総理が話を変えてくる。

 

「今日は私の方にも言うことがある。例の人造リリィについてだ」

「一柳結梨ですな」

 

 咬月は気持ちを切り替え、身構えた。

 

「彼女の処遇に関して政府が助け船を出したこと。当然善意だと思ってはいないだろう」

「はい」

「彼女の身柄がゲヘナに渡り、万が一にでも量産化に成功したならば、この地球上で奴らに逆らえる存在はいなくなる。ヒュージを除いてな」

 

 量産化、という総理の言葉に咬月は激しく反応しそうになる。

 だが表には出さない。咬月はそこまで若くない。

 

「量産については杞憂だったようだがね。後発の人造リリィは見られないし、百合ヶ丘でも詳細は解明できていないのだろう。ならば当面の危惧は去ったと言える」

「そうですな」

「既に存在する彼女に関しては、君の所ならば戦力として上手く活用してくれることだろう」

「ご期待に沿えるよう、善処致します」

 

 結梨にレギオン復帰を認めた最大の理由がここにあった。

 本人の意思といったら聞こえはいいが、それはあくまで免罪符に過ぎない。詰まる所、総理の無形の圧力に屈してしまったのだ。

 ただ、具体的な運用にまで口を出されないのは幸いだった。その辺りは流石に理解してもらえたようだ。

 あとは一柳梨璃という少女と、彼女の仲間たちの采配に委ねるのみ。

 これもまた、大人として無責任極まる話であった。

 

「しかし、彼女には感謝もしている。彼女のお陰で身内に、安保審査委に紛れ込んでいたゲヘナの走狗を焙り出せたのだから」

「焙り出せた、ですか。受け身ばかりですな。時には攻めに転じてみるのはどうですかな?」

「ふむ。実の所、ゲヘナを押さえ付けること自体は、そう難しくはないのだよ。確かに奴らは政・官・財・軍と各界にシンパを作っているが、それ故に方々から恨みも買っている」

「であるならば、何故なさらないのでしょう?」

「難しくないからこそ、不用意にはできないんだ」

 

 そこで一旦、会話が途切れる。

 ややあって、ディスプレイから大きく息を吐き出す音がした。好物の葉巻を吸っているのだろう。

 

「君は知っているかね? 統合幕僚監部の急進派と与党(うち)の防衛族の一部が、国内全てのゲヘナ施設を接収しろとほざいているのを」

「それは、あまりにも……」

「ああ、そうだ。ふざけてる。この国で内戦でも起こす気か。維新気取りの馬鹿どもがっ」

 

 忌々しそうに、本当に忌々しそうに総理が漏らした。

 要は強権発動の前例を作りたくないのだ。後々起こり得る暴走を危惧して。今はよくても、今後急進派に迎合する政権が生まれないとは限らない。

 やるならば先にそれら急進派をどうにかする必要があるだろう。

 今やゲヘナはその関連企業も含めると、チャーム開発は勿論、医療、製薬、電子、保険といった様々な分野に進出していた。ゲヘナそのものに対する攻撃は、それら全ての分野に重大な影響を及ぼしかねない。故に慎重にならざるを得なかった。

 それが分かっているため、百合ヶ丘も公然とはゲヘナを糾弾しないし、ゲヘナもまた事を荒立てるのを嫌うのだ。

 

「それに、だ。奴らの技術、腐らせるには惜しいものがある。民生分野でもそうだ。例えば君の所の卒業生も世話になっている同性間妊娠技術だが。これは奴らの『リリィ同士で子をなせば優れたリリィが生まれるのではないか』という狂った発想に促進された面が否めない」

「そのような、『戦争が文明技術を発展させた』と言わんばかりの論には賛同しかねますな」

「フン、相変わらずそういうとこは潔癖なのだな。まあ、君はそれで良いさ」

 

 一呼吸置いて、総理の声色が僅かに変わる。

 低く、鋭く。

 

「何にせよ、ヒュージであれゲヘナであれ軍であれ、この国に仇なす者にはいつか報いを受けさせる。君の百合ヶ丘がそうならないことを、願っているよ」

 

 長い付き合いの咬月には分かる。これは単なる脅しではないと。この人物は軍もガーデンも、そして自分自身さえも、国家防衛のための()()と見なしているのだと。

 やがて二人の間に沈黙が訪れる。

 

「お互い年を取りましたな」

 

 通信を切られない内に、咬月がおもむろに口を開いた。

 

「昔は良かった。貴方は外交官として各国の調整に飛び回り、私は前線でヒュージと対していた。あの頃はただひたすら眼前の事に当たっていられた」

「……懐古は、不毛だ。昔と今では立場が違う」

「いかにも、互いに立場は違います。一国を背負うというのは、私ごとき小人(しょうじん)には想像も及ばぬほどの重責なのでしょう」

 

 ガーデンと国家。理事長代行と政府首班。昔と違ってそこには大きな隔たりがある。

 

「しかし貴方がこの国を想っているように、私もまた学院とリリィたちを想っているのだと、それだけは申し上げておきたい」

 

 返事の無いまま、ホログラフのディスプレイがプツリと消え去った。

 

 

 



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第7話 憩いの我が家

 百合ヶ丘女学院の広大な敷地には緑あふれる豊かな自然がある。校舎周りは綺麗に整えられた庭園みたいであり、奥まった所はちょっとした森のようであった。

 よく晴れた昼下がり。学院奥の森付近にある空き地に鶴紗は居た。彼女が屈み込んで見つめている先には、プラスチックの皿から一生懸命キャットフードにパクつく黒猫。一人と一匹はそこそこの付き合いになる。

 

「お前とも随分仲良くなれたニャー。最初は挨拶しただけで逃げられたニャー」

 

 同じレギオンメンバー以外の者なら目を疑うような光景だった。

 鶴紗が奇妙な猫撫で声で、食事中の黒猫に語り掛けているのだ。本人は至って真面目である。

 やがて皿の中身が完全になくなったのを確認してから、鶴紗は後ろから黒猫の体を両手でそっと抱え込む。抵抗されないと分かるや否や、そのまま胸の前で抱き締めて、草地の上に仰向けで寝っ転がった。

 

「にゃにゃにゃにゃー! にゃーにゃー!」

 

 頬を緩めた満面の笑みで喜びの奇声を発する鶴紗。同じレギオンメンバーでも目を疑いかねない光景だった。

 一方の黒猫はというと、抵抗はしないが迷惑そうに喉を鳴らしている。人間で例えるなら、諦観の表情といったところか。

 一柳隊が真鶴外征から帰還した翌日のこと。今日は講義を朝だけに留め、昼からは休みに当てていた。面倒事を先に済ませる性質(たち)のお陰で、今こうして至福の時を過ごせている。

 

「鶴紗ー、猫が離して欲しいって」

「にゃ?」

 

 鶴紗の真上に、彼女の腑抜けた顔を見下ろすクリっと丸い瞳。

 気が付けば、中腰の結梨がすぐ傍に立っていた。

 

「結梨、いつからそこに?」

「鶴紗が通じない猫語で猫を困らせてたとこから」

「そ、そう……」

 

 分かってはいたが、改めて言葉にされると少しショックである。

 

「ていうか、梨璃と夢結様の様子を見に行くんじゃなかった?」

「うん、そうなんだけど。二人から甘い匂いがしたから、気を遣って戻って来たんだ」

「そうか。結梨は偉いな」

「えっへん!」

 

 仰向けの姿勢から上体を起こした鶴紗がそう言うと、結梨は自信満々に小さな胸を張る。

 梨璃は今、夢結とマンツーマンで講義の内容の復習を行なっているはず。真鶴での外征中、そんな約束を二人がしたのを鶴紗も耳にしていた。

 それにしても、結梨が気を遣うほどの()()()()とは一体どういうことなのか。本当に復習は捗っているのだろうか。気にはなったが、馬に蹴られたくないので詮索しないことにした。

 

「ここ気持ち良いねえ。お日様の匂いも木の匂いもよくするし」

 

 結梨が鶴紗の隣に並んでペタンと座る。

 すると少しして、周りの草むらや木の陰から何匹もの猫が姿を見せた。いつの間にか近くまで寄ってきていたのだろう。

 白色に茶色に三毛に。六匹ほどの猫たちが結梨を囲むように集まった。

 結梨はやたらと動物に好かれる。猫は勿論のこと、小鳥や兎や狸や狐など。

 ある日、学院の敷地のすぐ外で熊と出くわした時は流石にたまげた。少しばかり可哀そうだが、尻を叩いて近くの山にお帰り頂いた。

 ヒュージ出現当初に「小動物が軒並みヒュージ化するかもしれない」と噂された時期がある。それが事実なら、今頃こうして心を癒すこともできなかっただろう。ただの噂で本当に良かったと思う。

 

「…………」

 

 それはともかく、猫まみれの結梨に悔しさと羨ましさを覚え、鶴紗は胸元で抱き抱えている黒猫をじっと見つめる。そうして自身の顔に近付けると、その匂いを嗅ぎ始めた。

 クンクンクンクン――――

 結梨にちょっとでも近付こうと思って。

 しかしそんな鶴紗の手の中を嫌がったのか、黒猫は結梨の方へ逃げてしまう。

 

「鶴紗、そんなに一生懸命嗅いでも洗ってない猫の匂いしかしないよ?」

「洗ってない猫なんだから、洗ってない猫の匂いがするのは当然だ」

「ふーん、そっかー」

 

 取り留めの無いやり取り。

 その間、結梨は寄って来た猫たちの頭や背中を両の手で撫でていた。最初は興味深げに熱心に。

 ところが、ふとした瞬間の後、彼女の瞳はどこか遠いところを見ていた。

 

「ねえ、鶴紗。動物が私に懐いてくるのって、やっぱり私が人と違うからかなあ」

「……どういうこと?」

「ヒュージの細胞って色んな動物の情報を持ってるんでしょ。講義で習ったよ」

 

 そんなことを言われても、鶴紗はあまり驚きはしなかった。

 出会った頃こそ生まれたての赤子みたいだった結梨だが、教わったこと経験したことを見る見るうちに吸収していったのだ。それこそ水に浸したスポンジの如く。

 彼女は決して実年齢通りの子供ではない。仕草や性格が子供っぽいのは、また別の話であるが。

 もっとも、結梨の内にあるヒュージ細胞は既に活動を完全に停止している。間違いなく彼女は人と断言できる。生物学的に。

 けれども結梨が思い巡らしているのは、そういうことではないのだろう。何となく鶴紗にも察せられた。それ故、下手に小難しく考えず、直感的に思ったままを結梨への答えとする。

 

「でも、私だって他の人とは違うけど、動物があまり懐いてくれない。だから関係ないと思う。それに猫に纏わりつかれているヒュージなんて、見たことも聞いたこともないし」

「そっかぁ」

 

 納得したのかしてないのか、傍目には分からない。だが結梨はそれ以上この話題を続けなかった。

 暫くすると、結梨が立ち上がってスカートの土を手で払う。

 

「そう言えばこの後、広夢(ひろむ)たちとお茶会するんだった」

「広夢って、ローエングリンの妹島広夢(せじまひろむ)か」

 

 どうやら結梨の交友関係は鶴紗が思っている以上に広いらしい。

 聞くところによると、彼女の保護者の梨璃も、レギオンを作る際にいつの間にかメンバーを増やしていたのだとか。かく言う鶴紗もそのメンバーの一人なのだが。

 

「子は親のするように育つ」

「えっ、なに?」

「何でもない」

 

 誤魔化しつつも、将来結梨も自分のレギオンを作ったりするのだろうか、などと気の早いことを考える。しかしそうなると「梨璃が大騒ぎするな」と想像し、密かに笑みを浮かべる。

 そんな鶴紗に結梨が一旦は背を向けた。ところが、ふと思い出したかのように振り向いて、鶴紗の赤い瞳をジッと見つめてから口を開く。

 

「前に皆と話してたんだけど。家が近い子はお休みの日、たまに帰ってるんだって。鶴紗は帰らないの?」

「ああ、結梨には言ってなかったな。私には家も家族も、もう無いから。だからここに居るよ」

「そっか」

 

 結梨は詮索などせずに、別れの挨拶をしてからこの場を離れていった。彼女には他意などないのだろう。

 結梨がいなくなると、鶴紗は一人になった。猫たちは草むらの奥へと消えたため、今度は正真正銘一人である。

 不意に、吹き荒んだ風に頬を撫でられると、一人であることをより強く実感させられた。

 一人。

 この時間にこんな場所に来る人間はそうそういない。

 そのはずだったのだが。

 鶴紗の背後、鬱蒼とした茂みがガサゴソとざわめき、緑の中から小さな緑のツインテールがひょっこりと顔を出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何で市街?」

 

 彩り溢れる花壇と広葉樹が連なる並木道で、前を進む背中に向けて鶴紗が呟いた。

 由比ヶ浜の駅から電車に揺られてやって来たのは鎌倉市街。どうしてこうなったのかというと、「暇なら遊びに行くゾ」と突然先輩に連れ出されたせいだった。

 学院への外出届は出してある。出した傍から受理されたのは、行先が鎌倉の街だったからだ。市を跨いだり鎌倉府の外だったりすると、流石にこうもあっさりとはいかないだろう。

 余談だが、昔は鎌倉市街と言えば鎌倉駅周辺を指していた。しかしそこは現在ヒュージとの戦闘の余波で廃墟同然と化している。よって今ではそこから移転してきた新市街を指すのが普通であった。

 

「こうでもしないと、街に来ることなんてないだろー?」

「まあ、そうですけど」

 

 前を行く梅が振り返って事も無げに答えた。

 百合ヶ丘のリリィが街へ遊びに行くといったら、それは大抵の場合鎌倉の街を指す。遠出をしようと思えば横浜や横須賀、あるいは更に遠くの東京になるのだろう。しかし距離的にも手続き的にも気軽なので、すぐ傍の地元を選ぶケースが数的にはずっと多い。

 そういう事情があったので、昼間から制服姿で街に繰り出しても人の目を集めなかった。百合ヶ丘の黒い制服を、鎌倉市民も見慣れていたからだ。

 

「梅様は何か用事でもあるんですか?」

「いや、特には無いな。けど外征から帰って次の朝から講義だろ? 気晴らしでもしないとなあ」

「梅様、二年の割には単位かつかつだな。去年何してたんだか」

「あーあー、聞こえな~い」

 

 両の耳をそれぞれ手で塞いでわざとらしく声を張る。そうして梅はスタスタと歩くペースを上げるのだった。

 鶴紗はどちらかと言うと、人混みが苦手である。人と話すこと自体は嫌いではないし、一柳隊の賑やかな雰囲気も好きではあるが、あまりに混み合うような場所は正直息苦しい。

 当然、市街全てに人が溢れているわけではない。中心部から離れるに連れ、雑踏音が減じて閑静な様相を呈してくる。

 今、梅と共に歩いているのは、まさにそういう比較的落ち着いた雰囲気の空間だった。大通りの並木道から外れ、小川に沿った小さな道。道路も周りの店舗も小振りだが小綺麗な印象を受ける、そんな場所。

 

「遊びに行くって張り切ってたくせに、気を遣っちゃって」

 

 わざと聞こえないような小声で零してから、鶴紗は梅の背中を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「梅ちゃんよく来たね~! ゴマみたらしも一袋おまけしちゃうよ」

「おばちゃん、いいのか?」

「この前片付け手伝ってもらったから、そのお礼。そっちの可愛いお友達と一緒に食べなよ」

「やった! ありがとなー!」

 

 

 

 

 

「ここのコーヒー屋は穴場なんだ。前に迷子を捜してた時に偶然見つけたんだよ」

「梅様、そういうことばかりしてるから単位がきついんじゃあ……」

「でも美味いだろ?」

「……梅様のコーヒーの方が好きかな」

「鶴紗は甘党だなあ」

 

 

 

 

 

「この街外れの木の枝にだな、こうしてミカンを刺しておくと、メジロが一杯飛んで来るんだゾ」

「……カラスしか来ないんだけど」

「あれー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫くの間、半ば行き当たりばったりで歩き回っていた二人だが、川縁にある小さな公園で一休みすることにした。

 砂場と滑り台と鉄棒と、あとは小さなベンチが三つばかりの、こぢんまりとした公園。その中の隅っこにあるベンチに並んで腰掛け、鶴紗は梅のお喋りに付き合っている。

 

「皆は梅のことサボり魔だのなんだの言うけど、取れる単位を全部取ってる夢結の方がおかしいんだ。あとの時間何するっていうんだよ」

「そうっスね」

「それに、的の全く同じ場所に砲弾何発も撃ち込むとか、わけが分からん。夢結を基準にするとおかしくなるゾ」

 

 相槌を打つ合間、透明なカップに入ったコーヒーに口をつける。時間が経っているため若干冷めてるが、猫舌の鶴紗にとってはちょうど良かった。

 

「また飲んでるのか。本当にコーヒー好きだな、鶴紗は」

「まあ、好きですね」

 

 自分では指摘されるほど飲んではいないつもりだった。が、客観的に見ると人より多く飲んでいるらしい。

 どうあれ好きなのは事実なので、そこは肯定しておく。

 

「昔、父さんが飲んでたコーヒーが気になってしょうがなかったから、隠れてこっそり味見したことがあった」

「それで、美味かったのか?」

「苦かった」

「あははー。そりゃ甘いの飲みたくなるわけだ」

 

 思い出補正とでも言うのだろうか。幼い時分に体験した内容は後々まで影響し得る。良きにつけ、悪しきにつけ。

 

「そういう梅様はコーラとかよく飲んでるな」

「好きだからなあ。でも、夢結がよく『体に悪いから止めなさい』って説教してくるんだ。まったく心配性だよな。世界中の人間が飲んでるんだから、そんな悪いものじゃないだろう」

「その考え方もどうなんだ」

「いや、本当心配性なんだ。梅が肉料理ばっか食ってる時も――」

 

 話している内に、鶴紗は自身の身に異常が起きていることを自覚した。

 体の内が重い。

 正確には、心臓の辺り。

 やがて、それは実体を伴う重さではなく、心の重さなのだと気付く。原因はすぐに分かった。

 

「梅様、さっきから夢結様のことばっかりですね」

「へっ? そうでもないだろ」

「そうでもありますよ」

 

 鶴紗の中で「これ以上言うな、言ってどうする」という声と「言ってしまえ、言わなきゃ分からない」という相反する声がせめぎ合う。

 理性と感情。期待と不安。それらがない交ぜとなった結果、浮き出てきたのは停滞を守ることではなく、変化への欲求だった。

 

「そんなに気になるんなら、夢結様を誘えばいいのに」

「……あ~、それはできないだろ。邪魔しちゃ駄目だ」

「邪魔って、梨璃がいるから?」

「そうだゾ。今頃きっと、勉強会にかこつけてラブラブに違いない」

 

 そう言って梅が笑う。

 鶴紗にはその笑みが、無理に作られたものに見えた。実際のところは不明だが、一度こうと決めたら何でも疑わしく思えてしまう。

 だから鶴紗は前へと踏み込んだ。

 

「梨璃に気を遣って遠慮してるんですか」

「言っただろ? 梅はこう見えて結構繊細なんだ。色々と気を遣ってるんだゾ」

「私にも、もっと気を遣って欲しい」

 

 我ながら、子供の我がままみたいな物言いだった。今でも梅に気を遣われていると分かってはいた。

 それでも鶴紗は欲を出す。我らが一柳隊リーダーの影響かもしれない。彼女の我がままで今の鶴紗があるのもまた事実なのだが。

 一方、そんな鶴紗を前に目を丸くする梅。しかし瞬きの後、すぐにいつもの調子に戻る。

 

「勿論、鶴紗も好きだゾ! 梅は皆のことが好きだからな」

「皆が好きってことは、夢結様も好きなんでしょ」

「ん、まあ……ってか話が戻ってないか?」

「だったらやっぱり、夢結様に声を掛けるべきじゃないですかね」

 

 梅がいつもの調子から、今度はだんだんと困った顔になってきた。

 いっそのこともっと困ってしまえと、鶴紗はある意味開き直った心境になる。そうなれば少しは本音を聞けるだろうと目論んで。

 

「でも鶴紗は自分に気を遣って欲しいんだろ。なのに夢結に声掛けろって……」

「だからこそ、ですよ。このままはっきりしないのはモヤモヤする」

「どうしてだ?」

「何か、嫌だ」

 

 梅の口にする()()がどの程度のものなのか知りたかった。それを知って初めて、自分の感情にも整理をつけられる気がした。

 何せ鶴紗にとって、この感情はほとんど未知のものだったから。家族に対する気持ちとも別物だろうから。

 

「う~~~ん、単純に夢結も皆も同じぐらい好き、でよくないか」

「じゃあ、もし仮に夢結様が梨璃に同じこと言ったら?」

「……うわぁ、凄く嫌だな」

「でしょ?」

 

 自分で言い出しておいて何だが、そんな光景は想像したくない。

 梅も同感だったらしく、顔をしかめて舌を出した。

 

「あ~、うん、今日のところは夢結との話は保留ってことで」

「今日は?」

「そうだ」

「ふーん。まあ、いいですよ。梅様が夢結様に告白してフラれる日を待ってるから」

「酷くないか?」

 

 台詞とは裏腹に、後輩の失礼な言葉にも意を介さないかのような、梅の屈託の無い笑み。

 もしかしたら、梅には初めから屈託など無かったのかもしれない。鶴紗があると思い込んでいただけで。

 分からない。いつも皆に見せている姿が本当の彼女なのか。分からないから、知りたいと願う。

 

「だいたいなあ。今は鶴紗とデートしてるんだから、この話はいいだろう」

「何言ってるんだか。デート中に他の人の話をして。無意識ですか」

「うっ、それは悪かったよ。お詫びに良い所に連れてってやるからさ」

「良い所?」

 

 首を傾げる鶴紗を見て、梅は自信ありげに胸を張る。

 

「ペットショップだゾ! ここより人の多い街中になるけど。猫の餌は勿論、玩具とか一杯あるから良さげなのあったら買ってやろう」

「そんなことじゃあ誤魔化されない」

「行かないのか?」

「行きます」

 

 それとこれとは話が別だと言わんばかりにベンチから立ち上がる鶴紗。梅の顔を見て「早く行こう早く案内してくれ」と目で訴える。

 すると梅はゆっくりと腰を上げた。こちらも「やれやれ」と目が語っているようだった。

 そうして二人は公園を後にしようと歩き出す。

 

「そう慌てるなって。梅より先に行っても場所分かんないだろ」

「梅様は本当、この街に詳しいな」

「勝手知ったる何とやら、だな。鶴紗もたまには街に来るんだゾ」

 

 人混みも街の喧騒も、やはり好きではない。

 けれども今日みたいな日があるのなら、本当にたまになら、足を運んでみても良いと思えた。

 

 

 



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第8話 東へ

 広い空間の簡素だが機能的な生徒会室の中、お姉様共々丸椅子に座る梨璃は、正面に座る人物の言葉をおっかなびっくり待っていた。

 

「梨璃さん、夢結さん。急な話ですが貴方たち一柳隊に――」

「すみませんでしたぁ!」

 

 梨璃による突然の平身低頭に、話を持ち掛けた出江史房は大きく目を瞬いた。

 

「急にどうしたのです」

「だってこの前、真鶴で特型逃がしちゃったじゃないですか」

 

 不甲斐なさと申し訳ない気持ちで言葉が尻すぼみになる。

 そんな梨璃の様子を見て得心がいったのか、小さく息を吐き出してから史房が口を開く。

 

「その件は既に十分報告書を書いてもらいましたから。確かにあのようなヒュージを仕留めきれなかったのは痛手です。他のヒュージを利用し指揮するような特性、あれがいずれかのネストに帰還して態勢を整えたら大きな脅威になるでしょう」

 

 戦闘で手傷を負いながらも生還してヒュージネストで修復を受けたヒュージをレストアと呼んでいた。実戦経験を積んで戦い慣れたヒュージが脅威なのは以前から知られていたこと。

 しかしあの特型の性質はその程度の話ではなかった。人間で言うところの戦術を駆使していたと言っても過言ではない。

 

「ですが、そもそも逃亡行動に出た高速飛行型のヒュージを補足するのは極めて困難です。それが慎重な個体なら、なおの事。遭遇戦などではなく、しっかりとした作戦を立てて臨む必要があるでしょう」

「はい。でも、強くなったあの特型がまたやって来て、街やリリィを襲ったらって思うと、早く何とかしなきゃ」

「その危惧はもっともですが、貴方たちだけで対処する問題でもありません。現在、特型ファルケは京都方面にて目撃情報が取れました。百合ヶ丘の他のレギオンや、他のガーデンでも情報収集に務めています。しかる後に討伐作戦を練ることになるでしょうから、ひとまず特型の件は脇に置いてください」

「はい……」

 

 百合ヶ丘の軍事を預かる史房から丁寧な説明を受けても、梨璃の表情は優れなかった。

 少々の沈黙。

 それを破ろうと話を切り替えたのは、梨璃の横で黙していた夢結だった。

 

「それで史房様、本来の御用件は何なのでしょうか?」

「ええ、本日来て頂いたのは、一柳隊に別件での外征任務を与えるためです」

 

 その言葉に、梨璃は俯きかけていた視線を上げて目をパチクリとさせた。前の外征に失敗したのに、また新たな外征任務に就かせると言われたのだから。

 

「貴方たち一柳隊には、聖メルクリウスインターナショナルスクールからの応援要請に基づき、近々実施が予定されている海上防衛軍横須賀基地での観艦式警備任務に当たってもらいます」

「警備、ですか?」

 

 梨璃が確認するように呟いた。

 

「と言っても、その主旨は観艦式に付随して開催される基地祭の警備にあります。決して手を抜けるようなものではありません。が、訓練や戦闘とも違った良い経験になるでしょう」

 

 初めは事務的で淡々としていた史房の口調がだんだんと穏やかなものになっていた。

 

「あのっ、頑張ります! あ、いえ、レギオンの皆と検討します」

「ふふっ、そうね。よく考えてちょうだい」

 

 少し元気を取り戻した梨璃に、史房が頬を緩めて笑みを浮かべる。

 厳しい人間の多い三年生の中でも、史房は下級生に優しい方であった。無論、訓練や指導には厳しいが、それも役職を考えれば当然と言える。

 

「夢結さん、良いシルトを持ったわね。大切にしてあげなさい」

「はい、心得ています」

 

 色々な意味で有名人である夢結のことを、史房も気に掛けていた。立ち入った事情なので直截的な方法は取ってこなかったが。

 そんな夢結に思い切り踏み込んだのが梨璃である。一目置かれるわけだ。

 

「大丈夫です史房様。私、お姉様に毎日一杯愛してもらってますから!」

 

 夢結が吹き出した。

 

「……夢結さん、仲が良いのは結構だけど。任務と学院生活に支障が出ない程度にね」

「違います! 言葉通りの意味です! この子に他意はありませんから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 百合ヶ丘女学院工廠科、アーセナルたちの工房が連なる一角に真島百由の工房もある。

 そこでミリアムは先輩でありシュッツエンゲルでもある部屋の主から、黒色の見慣れぬチャームを渡された。

 丸みを帯びた重厚なフレーム。前部は円筒形をしており先端に長く鋭い銛が伸び、その銛の下部に砲口が大きな口を開けていた。

 

「百由様、このチャームは何なのじゃ?」

「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれたねグロっぴ君。こいつは試作第三世代チャーム、トリアイナ! 水中のヒュージとの戦闘に特化した機体よ!」

「それはまた、使いどころが偉く限定的なチャームじゃな。しかし第三世代とは。見る限りでは第二世代機のようじゃが」

「甘い、甘いわグロっぴ。チョコレートケーキにハチミツかけるより甘いわよ。確かに見た目はロートルだけど、トリアイナには最新のクラウドマギコントローリングシステムを搭載してあるの。この三叉銛のパーツにね。まあ具体的なことは後々マニュアル使って説明するわ」

「んっ、マニュアル? ってことは……」

 

 ミリアムは一つの可能性に思い当たる。

 

「そう! グロっぴに実地テストを任せるわ!」

「やっぱりか」

 

 リリィはチャームのマギクリスタルコアを取り外し付け替えることで、別の機体を扱うことが可能となっている。

 ただ、コアのOS書き換えに多少の時間が掛かるので、戦場でのチャーム持ち替えには危険が伴う。そのため単機能の第一世代から変形機構を有した第二世代が主流となった経緯がある。

 ちなみに第三世代とは、第二世代から更に複雑化した変形・合体機構を持つ機体を指す。なのに今ミリアムが両手に抱えているトリアイナはいかにも単純な構造に見えたので、疑問が湧いたのだった。

 

「今度、一柳隊で横須賀まで行くんだって? ならちょうど良いじゃない」

「百由様は~、またそんなこと言ってからに。遠足に行くのではないんじゃぞ。というか耳が早いな。少し前に皆で任務受けることを決めたばかりなのに」

「ああ、それは梅がすっ飛んできて教えてくれたからよ。横須賀土産、何にするか聞いてきたの」

「遠足であったか」

 

 ミリアムはその時の梅の様子を想像して苦笑する。

 

「実はチャームよりも、これに使ってる対地対潜両用砲弾のテストが本命なのよねえ」

「砲弾のテストで、ついでにチャームまで開発したのか……。流石は百由様じゃのう」

「ふふふ、そう褒めるでない」

 

 半分は呆れていたのだが。

 しかし尊敬の念があるのも事実。

 こんな百由だからこそ、ミリアムはアーセナルとしてもシルトとしてもついて来てるのだ。

 

「じゃがな、そう都合よくヒュージと出くわすとは思えんぞ。近海のネストを撃破して安全になったから観艦式をやるわけじゃし。そもそも横須賀はメルクリウスのお膝元。わしらにまともな出番があるのかどうかも怪しいのう」

「ま、その時はその時で。ちょーっとばかしスモール級の一匹でも見つけて相手してきてよ~」

「んな適当な……」

 

 ミリアムの懸念をよそに、百由は椅子に座ったまま作業机の方に向き直ってチャームのパーツの研磨作業を再開した。

 暫く所在無げにトリアイナを弄っていたミリアムだが、やがて近くの壁に立て掛ける。それから作業に勤しんでいる百由の背中に目を向けた。

 

「実際、何が起きるか分からないからね。真鶴でも結構危なかったんでしょ?」

 

 不意に、背を向けたままの百由にそう言われた。

 

「わしはそうでもないぞ。鶴紗の奴は大分ボコボコにされとったがの」

「でもグロっぴは他の子たちより打たれ弱いんだから」

 

 ミリアムのレアスキルであるフェイズトランセンデンスは扱いの難しい力であった。使用後に攻撃は勿論、防御のマギも喪失するのは危険極まりない。スキルレベルがS級に達すればその心配はなくなるのだが。

 

「私も、夢結や梅みたいに傍に居られたら良かったんだけどね」

 

 その言葉に、ミリアムはハッとして百由の背中に詰め寄る。

 

「急に何を言い出すんじゃ。アーセナルが本業だと、いつも謳っておるのは百由様ではないか」

「うん、そうなんだけどね……。今更ながら、ただ待ってるのってキツいわね」

 

 ミリアムは悩んだ。百由には思う存分アーセナルとしての腕を振るって欲しい。だが今の心境でそれは難しいかもしれない。何よりミリアム自身もまた、そんな百由のことが気になってしまう。

 悩んで、立て掛けてあるトリアイナに目をやり、別の場所に立て掛けてあるニョルニールに目を移し、最後に工房の収納箱を見つめる。

 

「そうじゃ!」

 

 思い付いたミリアムは収納箱の元へ行き、中から一組のガントレットを取り出した。そうしてそれを、今度は百由の作業机に邪魔にならないように置く。

 

「これ、私が一年の時に手慰みに作ったバトルクロスじゃない」

「今度からこれを装備して出撃するぞ。あと、わしのニョルニールじゃが、百由様に整備を手伝ってもらおうかの。わしも普段から百由様の作業を手伝ってるからいいじゃろう」

 

 そう言って、椅子に座る百由の顔に合わせて少しだけ屈み込んだ。

 

「これで任務の時でも一緒みたいなもんじゃ。だから……その、あれじゃ。元気出すんじゃぞ?」

 

 次の瞬間、ミリアムの顔が引き寄せられ、唇と唇が押し付け合った。

 

「……んんっ、もゆさまぁ、こんな昼間からっ」

「すっごく元気出た」

 

 そのまま膝の上に座らされる。

 小柄な体だから、百由の顔の高さとちょうど合う。

 ついばむように三回、四回と桃色の果肉がくっついては離れ、くっついては離れ。

 

「んっ、んんんっ……はぁっ」

 

 真っ白な肌が耳まで真っ赤に染まり、パッチリと大きな瞳が柔らかく垂れる。

 そんなミリアムの腰を抱き、百由は眼鏡を外して机に置いた。

 

「可愛いわよ、グロっぴ」

「グロっぴは、やめるのじゃ」

 

 薄紫の髪から覗くおでこに、百由のおでこがぴたりと触れる。

 

「ミリィ」

「んっ」

「可愛いわよ、ミリィ」

 

 鼻先が軽く擦れ、荒げた吐息が混ざり合う。

 息が荒いのは胸が苦しいから。溶け合って一つになりたがっているかのように、二人の体は固く強く密接している。

 

 数秒か、はたまた数分か。

 

 そんな二人の時間は、工房のドアが開く機械音によって終わりを告げる。

 

「失礼します、ミリアムはこっちに……」

 

 その人物、鶴紗は数歩だけ入ってきたところで足を止めて固まった。彼女の瞳はばっちりと、とぼけようがないほどに目撃してしまう。部屋の中の光景を。

 一方、膝の上で赤くなっていたミリアムは別の意味でまた赤くなり、飛び退くように床へと下りた。

 

「たっ、鶴紗! これはじゃな……そのっ……マギ交感じゃ……」

「ミリアム、お前はこっちの仲間だと思ってたのに」

「は?」

「お前まで神琳側だったとは」

「よく分からんが誤解だと思うぞ!?」

「ドアのロックもせずに始めるってことは、つまりそういうことじゃないか」

「だから誤解じゃー!」

 

 鶴紗の顔には諦観の念が浮き出ていた。

 

「酷いわグロっぴ! 私とは遊びだったのね!」

「ええい、話をややこしくするでないっ!」

 

 百由までいつもの調子で悪ノリを始めたものだから、ミリアムは鶴紗を連れて逃げるように部屋から出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく、お主も人が悪いのう」

 

 百由のもとから自分の工房に逃げてきた――と言ってもすぐ隣だが――ミリアムから、ジト目で睨まれながらもチャームを受け取る。

 整備に出していたティルフィングの受領こそ、鶴紗が工廠科を訪れた目的だった。

 

「ん、ありがとう」

「刀身に、ちとガタがきておる。まあティルフィングはちょっとやそっとじゃ壊れんが。今回の横須賀外征から帰ってきたら取り換えた方が良いかもしれん」

「覚えとく」

 

 盾代わりにもなる頑丈なチャーム。実際、鶴紗もよく盾として使用していた。

 このティルフィング、北欧の老舗チャームメーカーであるユグドラシル社が開発した第三世代チャームである。第三世代にはよくあることだが、ブレイドモードとバスターランチャーモード以外に、もう一つ別の形態が存在した。実戦で変形させる機会はほとんど無かったが。

 

「こいつで思う存分暴れられるのも、金満百合ヶ丘様様じゃのう」

「バカ高いからな。パーツが」

 

 ティルフィングはその高価さ故に、本格配備を見送られていた。そんな機体を複数運用できるのは、百合ヶ丘が首都圏の後背を守る鎌倉府5大ガーデンの一角であるお陰と言える。

 鶴紗が保有しているティルフィングは先行量産型に当たる機体であった。

 リリィに支給されるチャームは本人の希望を基に、ガーデン側から本人の適正も鑑みて決定される。あるいはメーカーから新型機のテスターを依頼されることもある。更には楓のように、実家から専用機として持参してくる珍しいケースもあった。

 

「それで、あの試作機も持っていくのか?」

「うむ。ヒュージが出なくとも、水中用の訓練標的ぐらいあるじゃろう」

 

 鶴紗はミリアムが持ち帰った三叉銛のチャームを見ながら聞いてみた。

 

「あのバトルクロスも?」

「あれは、新しいのを作るそうじゃ。どうせならちゃんとしたものを、とな。まあ百由様なら出発までに間に合うじゃろう」

 

 ミリアムは照れ臭そうに人差指で頬を掻く。

 バトルクロスはマギを利用したリリィ用の防護アーマー。本来なら全身を覆うものなのだが、そうするとマギの消費が激しいので部分的に装着して戦うことがほとんどだ。

 ただしある程度戦い慣れたリリィやスキラー数値の高いリリィなら、自前の防御結界やチャームで防御した方が早いので、百合ヶ丘では実地テストや本当の初心者ぐらいしか使うことがなかった。

 

「成る程、これでどこでもお姉様に包まれるって寸法か」

「まだ言うかっ!」

 

 悪戯心からそんな冗談を言うと、ミリアムがツインテールを上下に揺らして抗議してきた。

 

「鶴紗よ、お主の方こそ神琳に似てきたんじゃなかろうか」

「待って、謝るから。それは絶対嫌だ」

 

 酷い言われようである。

 

「しかし、もしや……梅様と何かあったのかの?」

 

 予期せぬ問い。

 鶴紗は驚いた。顔には出さなかったが。

 

「どうしてそう思った?」

「いや、お主らの何とも言えぬ微妙な間柄は知っておるし。一柳隊でも気付いてないのは梨璃ぐらいではないか? そこへ、急に鶴紗らしくない冗談言ってくるものじゃから。もしやと思ったのじゃ」

「……大したもんだ」

「その反応は肯定と受け取るぞい」

 

 鶴紗はどう答えるべきか迷った。本来ならあまり人に話すべき内容ではない。昔の彼女なら絶対に口を閉ざしていたに違いない。

 しかし、今の鶴紗は一柳隊の仲間の一人だ。

 どうせここまで知られている。それに自身のことならともかく他人のことになれば妙に成熟した態度を見せるミリアムになら、多少は知られても悪いようにはならないだろう。そう考えて鶴紗は口を開く。

 

「梅様に踏み込んでみた」

「おお、それで?」

「結構攻めたつもりだけど、逃げられたというかはぐらかされたというか。保留だって」

「ふうむ、なかなかの難敵みたいじゃな」

 

 言葉足らずの説明。

 だがミリアムは大体察したらしく、顎に手を当て唸った。彼女のこういうところは口下手の鶴紗にとって、とても助かる。

 

「一つ聞いてみるのじゃが、お主は梅様とどういった関係になりたいのじゃ?」

「……別に、無理にでもシュッツエンゲルを結ぼうとは思わないけど」

「けど?」

「さっきの、ミリアムと百由様みたいな感じ、とか」

「それは、シュッツエンゲルよりもハードル上がっとるじゃろ、明らかに」

 

 口にしてから恥ずかしくなる鶴紗。

 だが、どうせ初めから恥ずかしい話をしてるんだからと、開き直って気にしないように努める。

 

「わしの場合は百由様の方からシュッツエンゲルのお誘いがあったから参考にならんとして。梨璃の場合はどうじゃ」

「それこそ参考にできない。押して駄目なら押して押して押しまくる、とか。私は梨璃じゃないんだから」

「まあ道理じゃな。自分は自分自身にしかなれぬ」

 

 鶴紗も夢結ほどではないが、梨璃の押しの強さに救われ好意を抱いた口である。

 しかしながら、梨璃の影響を受けているとは言っても、全く同じように振舞うのは無理だ。そうする必要も無いと思える。

 それから二人して、チャームの調整の片手間に『あーでもない、こーでもない』と語り合う。

 決して実りある議論ではなかった。むしろ途中からただの雑談と化していた。

 だがそれ故に鶴紗から羞恥心は完全に消え去っており、柄にもなく舌がよく回っていた。

 

「ははっ」

「何だ、ミリアム。急に笑って」

「いや、なに。まさかお主とこんな話をするとは思わんでな。まさに恋バナというやつじゃ」

「恋バナ? これがか?」

「おいおい、今更何を言っとるか。これが恋バナでなく、何だと言うんじゃ」

「……よく分からない」

 

 鶴紗は言われてはたと気付いたが、柄じゃないのではぐらかした。

 ここのところ、柄でないことの連続である。

 感慨を含んでそう思い返していると、工房のドアがスライドして開いた。

 

「ミリアム! ミリアム!」

 

 開くと同時に元気の良い声が響き、ドタドタと声の主が駆け寄ってくる。

 それだけでミリアムは用件を察し、部屋の隅にあるチャームの懸架台に手を伸ばして一機のグングニルを掴んだ。

 

「これ。工房で走るでない、結梨よ。お主のチャームもしっかり診といたぞ」

「ありがとう!」

 

 あっという間にミリアムとの距離を詰め、彼女の手からチャームを受け取ったのは結梨だった。

 傷も汚れもまだほとんど見られない、赤紫のグングニル。結梨が最初に相棒としたものは、由比ヶ浜におけるギガント級ヒュージとの戦いで満身創痍となったため、全くの新品を与えられていたのだ。

 その新たな相棒を、結梨は両腕で大事そうに抱き抱える。

 

「梨璃が、次は私も皆と一緒でいいって!」

「そうかそうか、そいつはよかったのう」

 

 横須賀での観艦式と基地祭の警備任務。戦闘に巻き込まれることはそうそうないだろうと、そんな判断が働いたのは明らか。

 しかし喜ぶ結梨に好き好んで水を差すつもりは、ミリアムにも鶴紗にも毛頭なかった。

 

「そうじゃ。さっきの件、結梨にも意見を聞いてみるのはどうかの?」

「意見って……」

「いやいや、そんな顔をするでない。案外核心を突いた答えを得られるやもしれんぞ。純粋な者ほど物事の本質に近付けると言うし」

 

 目を細めて訝しむ様子を隠そうともしない鶴紗だが、ミリアムには意に介した様子は見られない。

 

「なになに、何の話?」

「うむ。つかぬことを聞くが、他人に自分を好きになって欲しい時、結梨ならばどうする?」

「えーっ、ミリアムと鶴紗、そんな簡単なことが分からないの?」

 

 心底驚いたように、結梨がつぶらな瞳を一層丸くする。そしてミリアムから鶴紗の方へ向き直り、両腕を広げて抱き付いた。

 

「こうやるんだよ」

 

 鶴紗の横から、彼女の右腕にしっかりと両腕を絡ませ、いかにも当然と言うような顔。

 何か反論してやろうかと考えて、鶴紗は結局何も言葉が出てこなかった。結梨の朗らかな顔を見ている内に、そんな気も失せていったから。

 

「ちなみにそれは、誰の真似をしておるんじゃ?」

「梨璃と夢結!」

「じゃろうな」

「だろうな」

 

 ミリアムと鶴紗の声が重なった。

 正しく『子は親のするように育つ』である。最も近しい者の愛情を、結梨は確かに感じ取っていた。

 こんな結梨の姿を見ていると、梨璃たちが彼女を溺愛するのも頷けるというものだ。

 

「それでね、もっと好きになって欲しい時はどうすればいいかって言うと――」

「おっと、待つのじゃ結梨。それ以上は、いかんぞ」

「どうして?」

「梨璃と夢結様の名誉のためじゃ。それ以上は秘すべきじゃろう」

 

 先に進めようとする結梨に待ったが掛かる。一柳隊の中でも、百由が絡まなければ理知的で常識人なミリアムらしい判断だろう。

 一方で、鶴紗の意見はそれとは異なっていた。

 

「あの二人なんだから、そんな大層なことしてないでしょ」

「分からんぞ? 人は見かけによらぬもの。その場の雰囲気で盛り上がってなし崩しで……という可能性も無きにしも非ず、じゃ」

「ふーん。じゃあ結梨に確かめてみるか」

「だからやめいと言うに」

 

 ミリアムはどうあっても真相究明に反対らしい。

 鶴紗もまた半ば意地となっていた。本来、野次馬などは彼女の役回りではない。むしろ正反対の立場である。

 しかし先日梅とデートし、ついさっきミリアムとの恋バナを経たことで、多少なりとも心境に変化があったのだ。

 

「やはりお主、雨嘉似から神琳似に変わってきとるぞ」

「やめてくれ。ってか私は二人の娘なのか」

「ねーねー、するの? しないの?」

 

 結梨に腕を掴まれたまま揺さぶられ。

 結局、梨璃と夢結の名誉は守られることになるのだった。

 

 

 




今回の話もそうなのですが、次回の観艦式もアーセナルジェラシーやブルーストライクよりも前にプロット組んでるので、特に海軍関係の描写に齟齬があったら申し訳ありません。

まさかラスバレで海軍が絡んでくるとは思わなかった…




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第9話 横須賀基地観艦式(前編)

 相模湾の東端に伸びる三浦半島。更にその半島の東の端に、横須賀の街がある。

 一柳隊は今回の外征に当たり、ガンシップではなく学院職員の運転する学院保有のマイクロバスを利用していた。目的地が前線ではない上に、陸路のインフラも整っていたからだ。ヒュージが各地に出没するこのご時世、車で安全に移動できる地域はそう多くない。

 

「メルクリウスが見えてきましたよ!」

 

 窓側の席、バスの車窓から外を見ていた二水が興奮気味にそう言った。彼女の隣、バスの通路側の席に座る鶴紗も釣られて横目を向ける。

 東京湾に面したそこには、天を貫かんばかりの塔を中心に据えた白塗りの建造物が構えていた。更にその内陸外縁には一つの街が広がっていた。

 聖メルクリウスインターナショナルスクール。

 百合ヶ丘女学院と並ぶ鎌倉府5大ガーデンの一角である。

 

「私たちが警備するのはここじゃなくて、この先の防衛軍の基地なんですよね?」

 

 鶴紗から通路を挟んだ反対側の席で、梨璃が確認するよう前席の夢結に尋ねた。

 

「ええ。海上防衛軍の横須賀基地はここから更に南東。このメルクリウスは廃棄された旧海上自衛隊基地の跡地を利用して建てられたの」

「そうなんですか!? でも、その割に凄く賑やかそうですね」

「そうね……二水さん、お願いします」

「はいっ!」

 

 夢結のその一言を合図にし、二水が背筋をピンと伸ばした。シートベルトが無ければそのまま立ち上がって直立不動になっていたに違いない。

 

「ここ聖メルクリウスインターナショナルスクールは設立直後、ヒュージに家を追われた避難民を周囲に集めて保護してきたんです。それが今では一つの街。さながら城下町といったところでしょう。更にメルクリウスは超大型ガンシップ『方舟』を用いて周辺地域は勿論、北陸や西国まで外征しているんです。そういうわけで、メルクリウスは横須賀市民を始め多くの人々から尊崇の念を持たれているのですぅ!」

 

 一息に言い切った。もはや職人芸である。

 鶴紗は素直に感心した。

 

「でも、メルクリウスなら楓さんの方が詳しいですよね? 何と言っても古巣なんですから」

「そうですわね……」

 

 二水に話を振られた楓が生返事を返す。

 考え事でもしているのか。らしくない、とほんの少しだけ気に掛ける鶴紗。

 そんな乗客たちの事情はお構いなしに、マイクロバスはメルクリウスの駐車場で行き足を止めた。

 応援要請に基づく外征なので、メルクリウスの司令部の下で動くという形を取っている。あくまでも()だが。そのため横須賀基地へ向かう前にこちらに寄るのは当然だった。

 

「梨璃さん」

 

 隊長として赴く梨璃に声を掛けたのは神琳だ。

 

「応援要請と言っても、そこまで人手が逼迫しているわけではありません。百合ヶ丘とメルクリウスは友好関係にあるので、観艦式という催し物を通した、言わばガーデン同士のお付き合いみたいなものなのです」

「えっ?」

「ですから、そこまで緊張する必要はないんですよ。いつも通りで参りましょう」

「あっ、はい! ありがとうございます!」

 

 その気遣いに梨璃が笑顔で感謝を示すと、夢結も無言でペコリと頭を下げた。

 そうして一柳隊は横須賀の守護者、メルクリウスへと足を踏み入れる。そこは百合ヶ丘ともまた違う、独特の世界であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陸と同じように、海においても防衛軍の戦力は再編されていた。ヒュージとの戦闘で損耗した四つの護衛隊群を、二つの護衛艦隊として統合。それぞれの艦隊を佐世保と横須賀を母港に指定。前者は台湾や東南アジア方面との交易路を守るため、後者は首都圏の守りのため。

 残念ながら、日本列島の長い海岸線全てをカバーするのは不可能だった。

 

 ここ横須賀基地に駐留するのは第2護衛艦隊の主力。現在は観艦式に向けて、艦隊全力が集結していた。

 その艦隊旗艦の司令官室にて、五十代と思しき齢の将官が執務机の席で黙々と作業に勤しんでいる。タブレット端末を盛んに操作しつつ、机上に置かれた書類の決裁もこなす。また、机の端の方ではホログラフのディスプレイが艦外の光景を映し出していた。

 そんな彼の作業を中断させたのは、部屋の外からの呼び掛けとその来訪者であった。

 

「失礼します。司令、お迎えに参りました」

 

 挙手敬礼をする小太りで丸顔の佐官を前に、将官――第2護衛艦隊司令官は手を止めて視線を持ち上げる。

 

「ああ、艦長か。基地司令部での打ち合わせまで、まだ時間がある。そう急ぐこともないだろう」

「はっ、そのつもりであります」

 

 作業と言っても既にほとんど終わりかけていた。そのタイミングを見計らい、やって来たのだろう。

 このお国訛りの強い艦長が話好きであることは司令もよく知っていた。

 本来なら艦隊司令官には幕僚長なども付き従うのだが、上陸する場合、必要でない限りは別行動を取っている。ヒュージとの戦いが激化する中で、司令部機能の一挙喪失を防ぐための苦肉の策であった。安全圏と見なされた横須賀においても、それは徹底されている。

 

「観艦式もいよいよ明日。そのせいか、(おか)の上が何やら騒々しいですなあ」

「デモだよ。一つはいつもの環境保護団体で――」

 

 そう答えながら、司令はホログラフの映す映像をちらりと見やる。

 そこには横須賀基地の南門、すなわち基地の顔たる正門の外で、沿道沿いに並ぶ警官隊と対峙する集団の姿があった。

 

「もう一つは、憂国武士団だ」

「……リリィ脅威論者のなれの果てですか」

 

 その一団は三十人ほどの男たちで構成されており、中には武士の魂である日本刀――無論本物ではない――を腰に帯刀する者も居た。手に手にプラカードや横断幕を掲げ、口から泡を飛ばすかのようにシュプレヒコールを上げている。

 

 一昔前に提唱されたリリィ脅威論。リリィとそれを束ねるガーデンが国家転覆を図り、人間に取って代わるという思想。

 リリィが人々から英雄視される今では、そんな与太話を信じる者も少なくなった。

 当然だ。

 彼女らが普段から口にしているものは誰が作っているのか。彼女らが利用しているインフラは誰が整備しているのか。一機数千万円から数億円も掛かるチャームの補助金は誰が出しているのか。

 それを考えれば、ガーデンが国家に喧嘩を売るなど到底考えられない。例えるなら、油田を有しない国が石油の輸入先に戦争を吹っ掛けるようなものだろう。

 では何故このような思想が吹聴されたかというと、ガーデンや政府に対して政治的譲歩を要求するため。言わば条件闘争の手段として利用されたのだ。

 

 しかしながら、裏の事情などお構いなしに脅威論を掲げ続ける人間たちが居た。

 大衆の支持を得られなかった政治運動の向かう先は、先鋭化と過激化。そこに旧来から存在する復古主義などの思想が結び付き、キメラ的進化を遂げたのが憂国武士団とやらである。

 

「明日の観艦式当日にデモの許可が取れなかったから、今日やろうというわけですな」

「その通りだよ。彼らは犯罪者でも、ましてやテロリストなんかでもない。正規の法的手続きに則って行動を起こしている。それは国民の正当な権利だ。……主張の是非は別にして」

 

 ホログラフのディスプレイは映像だけでなく音声も受信している。

 そこには実際に参加している人数以上の勢いと熱意が感じられた。

 

『税金泥棒』『女尊男卑を許すな』『欧州の犬』『伝統を守れ』『箱入り』

 

 それは怒りの声だった。横須賀の防衛軍やメルクリウスのリリィ、ひいては日本政府に対する糾弾だった。

 ガーデンと市民の関係が良好な横須賀や鎌倉では考えられない。他の地域からわざわざ遠征に来たのだろう。頭が下がる行動力だ。

 なお『箱入り』というのは、反リリィ主義的な者たちが御題目の如く唱える罵倒であった。これはリリィに上流階級や富裕層の出身者が含まれていたり、あるいは上流たらんとする教育をガーデンが施していることへの揶揄である。

 要するに、世間知らずで常識知らずのポンコツお嬢様だと言いたいのだ。

 

 けれども、司令は首をひねる。

 

 前線にて命を賭け戦うリリィと、そんな彼女らに守られた場所で政争に明け暮れる大の大人。

 一体どちらの方が世間と現実が見えていないのか、と。

 

「我々が税金泥棒と呼ばれるのはまだともかくとして。リリィに対する過剰な攻撃性は、多額の公金が投入されるガーデン優遇政策への()()()()だろうね」

「ですが馬鹿にはできませんよ? 近頃彼らは極々一部の法律家と結託して、ガーデンが女子しか受け入れないのは法の下の平等に反すると、法廷闘争の構えを見せているとか」

「ふむ。確かにかつて、国公立の女子大がその合憲性を問われたことはあったが……。結局、白黒をはっきり付けられなかった。実際に訴え出る学生がほとんどいなかったからだ」

「我が国に憲法裁判所が無い以上、実際に訴訟が起きないと判断できませんからなあ」

「まあ公金入りとは言えガーデンは私立校ばかり。訴えられても負けはせんだろう。火を付けようとする側も、事を大きくして衆目を集めるのが狙いではないかな」

 

 現状、マギを扱えるのは大半が女性だが、スキラー数値の低さにさえ目を瞑れば男性も全く存在しないわけではない。

 そんな数少ない男性たちを、防衛省はアメとムチを巧みに使い分けて引き入れている。彼らはアンチヒュージウエポンと言うチャーム未満の武器を持たされ防衛軍部隊に配置されていた。

 防衛省による男性マギ保有者の勧誘に対し、ガーデンは一切干渉しない。そういった暗黙の了解がずっと守られてきた。この不文律をいたずらに乱すのは、両者の連携を阻害し安全保障にとって害悪しかもたらさない。

 それでもなお、気高い彼らは、ガーデンが女子だけで聖域を作り人々の称賛を集めるのが許せなかったのだ。男の誇りと面子にかけて。

 

「これは私が年寄りで、ジェネレーションギャップのせいで理解できないだけかもしれないが……」

 

 確かにリリィへ依存し過ぎている現状は好ましくない。彼とて防衛軍の人間なのだから。

 しかしだからといって、足を引っ張るような真似をしても何の益にもならないではないか。

 

「そもそも女子校のガーデンに女学生しか通えないのは当然なのでは?」

 

 この際、平等云々といった法思想的な話は抜きにして、司令は極めて素朴な疑問を提示した。

 

「全くですな。ガーデンに入りたがる男なんぞ、娘を持つ父親の身からすると不快極まりない話です。はっきり言って、気持ち悪いし気色が悪い」

「本当にはっきり言うね」

「誰だって、女湯に女装したおっさんが突入してきたら嫌でしょう」

「ぶっ」

 

 コップに付けかけていた司令の口が思わず吹き出した。

 

「コーヒーが零れるところだったぞ……」

「えらいすんません」

 

 謝罪しながらもワハハと豪快に笑う艦長を見て、司令は溜め息を吐き最後の書類仕事に取り掛かった。

 少々の無言。

 ややあって、手を動かしながら司令が再び口を開ける。

 

「娘さんといえば、艦長は広島の方からご家族でこっちに来たんだったね」

「ええ、そうです。幾ら陥落指定地域とは言え、向こうの呉基地は虚しい限りですよ。今や戦力と呼べるようなものは掃海隊と哨戒機ぐらいのもんです。往年の軍港都市が見る影もない」

 

 場の空気が重くなる。

 無理もない。こんな話を聞けば、海軍の軍人なら誰だってそうなるだろう。

 だからと言うべきか、艦長が努めて明るい表情を作る。

 

「ところでその娘なんですがね。メルクリウスの学祭で見かけたルルディスちゃんって()に憧れて、自分もあそこに入るなんて言い出しとるんです」

「ほう?」

「リリィが無理ならアーセナルでもって、簡単に言ってくれちゃって。困ったもんです」

 

 メルクリウスは生徒の大半を欧米出身者で占めているが、日本人が居ないわけではない。

 

「艦長は反対なのかね? 娘さんがガーデンに入ることに」

「それなんですがね……。このご時世、下手な所に行くよりも、メルクリウスみたいな強豪ガーデンでアーセナルやってた方がかえって安心できるかなと。そんな都合の良いことを考えてしまうんです」

 

 艦長は決まりが悪そうにそう答えた。

 アーセナルとはチャームの整備・開発に携わる技術者のこと。百合ヶ丘女学院のように前線での作戦参加を念頭に置くガーデンもあるが、それはどちらかというと例外。後方支援に徹するのが本来の姿だった。

 

「親が子を案じるのに、恥じ入ることは何もないさ。少なくとも、失ってから後悔するよりずっと良い」

 

 そこまで言うと、司令は机上の書類を纏めて端末も仕舞った。

 退室、そして上陸に向けての合図である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、面白いところだったなー」

 

 メルクリウスを後にして、再びバスに揺られる一柳隊。

 陽気な声で梅が称えているのは、メルクリウスの全レギオンを束ねている生徒会のこと。

 とりわけ生徒会長は一癖も二癖もある人物。同じ強化リリィとして鶴紗も名前と噂は知っていたが、実物は噂を越えていた。室内で日傘を広げたり、ミリアム以上に珍妙な口調だったり。そして何より、それらを打ち消して余りあるオーラがあった。

 ちなみに、二水はバスに戻ってきてからずっと鼻を押さえて蹲っている。命に関わるからだ。メルクリウスは彼女にとって、余りに刺激が強過ぎた。

 

「聞きしに勝る個性的なガーデンでしたね」

 

 にこにこ顔でそう言ったのは神琳だった。

 先程梨璃に優しい声を掛けたのも彼女で、その心配りは鶴紗も認めるところである。しかしそれでも思わず突っ込んでしまう。

 

「お前がそれを言うのか」

「あら、鶴紗さんはわたくしを何だとお思いで?」

「セクハラ魔人」

「それは心外ですね。ハラスメントなどわたくしが最も忌諱するものだというのに」

「どの口が言うんだ。私に謝れ、今すぐ謝れ」

 

 憮然とした調子でそう迫ると、神琳が眉を下げてわざとらしく泣き顔を作る。

 

「酷いわ、そんなこと。雨嘉さん、鶴紗さんが反抗期なんです」

「うん、そうだね……」

「雨嘉さん?」

「うん……」

「雨嘉さん、わたくしより携帯を触る方が大事なんですね」

「うん……?」

「わたくしは雨嘉さんを触る方が大事ですよ」

 

 途中で気付いた雨嘉だが、既に後の祭り。ばつが悪くなって隣の神琳から目を逸らすように窓の外へ顔を向けた。

 神琳はまた、にこにこ顔に戻っている。変わり身が早い。こうなると絶対ろくなことを考えていない。

 鶴紗は心の中で雨嘉に合掌する。

 

「あの~、何だかメルクリウスの人たちって、仲が良いと言うか、距離が近くなかったですか? 確かに外国の人ばかりでしたけど、そういうのとは多分違いますよね?」

 

 ふと、首を傾げた梨璃が疑問を口にした。

 確かにそうだ。メルクリウスのガーデン内を行き来する間、白の制服を纏ったリリィたちと何度かすれ違ったのだが、何と言うか、空気が違う。

 流石に面会相手の生徒会役員たちは別だが、それ以外の者は妙に距離が近かった。二人一組で手を繋ぐのは当たり前。腕を組んだり、肩を抱き寄せたり、長椅子に座って膝枕したり。

 あの梨璃をして、スキンシップの濃厚さに違和感を覚えるほどである。

 

「ご存じないのですかぁ!?」

 

 突然、裏返ったような声で叫ぶ二水。

 鼻血の出し過ぎでダウンしたはずだが、いつの間にか復活していた。

 

「いいですか、梨璃さん。メルクリウスには『ミンネの誓い』という独自の制度があります。これは騎士役のリリィが貴婦人役のリリィに奉仕するという形式のものなのですが。それはあくまで形式! 先程我々が目の当たりにしたように、実態は固い絆と愛で結ばれた二人がひたすら仲睦まじくするための制度なんです! 素晴らしいじゃありませんか! 我が百合ヶ丘のシュッツエンゲル制度も負けていられませんよぉ!」

「座席に鼻血を垂らすな」

 

 またもや興奮し始めた二水を、隣の鶴紗が抑えて強引に上を向かせる。

 横須賀外征が決まった途端、二水のテンションがおかしくなっていた元凶がこれだった。

 このミンネの誓い、ガーデン紹介のパンフレットに載るぐらいには有名な制度である。梨璃が知らなかったのは、受験の際に百合ヶ丘一本に絞ったせいだろう。

 

「ほら、そろそろ基地に着くわよ。切り替えなさい」

 

 引率の先生か何かのように夢結が窘める。

 窓の向こう、遠くに港が広がっていた。こちらは先に訪れたガーデンの港よりも、更に多くの船が錨を沈めている。

 大型タンカーに貨物船、今はほとんど病院船として活動している客船等々。そして勿論、観艦式の主役である防衛軍の護衛艦たちも。

 

「結梨ちゃん、今からあそこに行くからね。大きい船が一杯いるね、凄いねえ」

「おお~。あれで魚を捕りに行くの?」

「お魚も捕るかもしれないね」

 

 窓際にかじり付く結梨と、その隣から覗き込む梨璃。その絵面は姉妹か母娘か。

 

「梨璃、結梨。さっき言ったばかりでしょう」

「ごめんなさいっ、お姉様」

「梨璃、怒られた~」

「えへへ。怒られちゃったねえ」

「まったく、貴方たちは……」

 

 そうしている間にも、一行を乗せたバスは海岸沿いの大通りを進む。基地が近付くにつれ、沿道に待機する警察車両や警察官の姿が増えてくる。

 やがて分厚いコンクリート壁に囲まれた横須賀基地の西門に辿り着いた。そこで検問を受けてから、ようやく敷地に入ることができる。

 

「えっと、今日は基地司令部で打ち合わせをして、その後に警備箇所の下見。観艦式と基地祭は明日の朝からでしたね」

「ええ。私たちの担当箇所は基地東側の一号埠頭よ。間違えないようにね」

 

 隊長と副隊長による確認作業。

 そこへ、これまで不自然なほど静かだった人物が口を開く。

 

「梨璃さん、夢結様。司令部にはわたくしも同行して構いませんか?」

「楓さん? はい、大丈夫だと思いますよ」

「代表者の人数は特に指定されていません。隊長・副隊長と司令塔の三人ぐらいなら問題はないでしょう」

「お二人とも、ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海上防衛軍横須賀基地。

 観艦式警備の打ち合わせと言っても、詳細は既に詰められている。この日ここで集まったのはむしろ、確認と顔合わせの意味合いが強い。

 防衛軍に警察、府や市や政府の担当者。そして警備に参加する各レギオンからの代表者たち。

 そんな打ち合わせの終了後に一柳隊は基地内のラウンジで合流したのだが、思いがけず防衛軍の人間から声を掛けられる。

 

「やはり、楓さんか」

 

 海軍の幹部服、黒色の第一種冬季服に身を包んだ年配の将官が立ち尽くしている。どこか遠いものを見るような目で。

 

「ご無沙汰しておりますわ、アドミラル・クサカ。大使館での祝賀会以来でしょうか」

 

 将官と相対して恭しい所作で挨拶を交わす楓。

 鶴紗も他の一柳隊の面々も、目の前の光景を黙して見守っていた。何せ突然のことだったから。

 

「実戦で活躍していると、聞いてはいたが。よもや本当に第一線に立っていたとは……」

「わたくしがリリィになったのはチャームの試験運用のためでも会社の広告のためでもありませんわ。それなのに父がわたくしにチャームを持たせ続けていることが、解せませんか?」

 

 下手をすれば挑発的とも取れる楓の問いに、将官は目を細めるだけで肯定も否定もしなかった。軍の将校という立場が回答を躊躇させたのか。

 一方で楓は答えが返ってこなくとも、気に掛けた様子もなく話を続ける。

 

「父とて最初は反対していましたが、きちんと話し合って結局は認めて頂きました。ですから今、わたくしはリリィとしてこの場に立っているのです」

「認めた……認めたのか。ご息女が命を賭そうというのを」

 

 苦汁を飲み込んだかのような、微妙な声色と表情。それは彼の心情を如実に表していた。

 楓のようなケースは珍しくも何ともない。だが身近で、己の見知った者がそんな境遇にあるのだとしたら、果たして変わらず心穏やかでいられるかどうか。

 

「仰りたいことはよく理解しているつもりですわ。ですが結局は誰かが果たさなければならない。その上で、わたくしたちは己にできることを成そうとしているのです」

「できるからと言って、必ずしもその()()に貴方がなる必要はない。それでもかね?」

「少しでも見込みある者、持てる者が立ち上がるべきなのです。わたくしにはその自負があり、レギオンの(みな)もそうであると信じていますから」

 

 確信をもって示された楓の言葉は残酷なまでに正論だった。現実として、人はそうしてヒュージに対抗してきた。

 これに真っ向から反論できるのは、反論する資格があるのは、楓と同じリリィぐらいのものだろう。

 故に将官は沈黙する。

 やがて一柳隊に向け頭を下げると、部下と共に基地のラウンジから去っていく。

 軍服の後ろ姿が見えなくなって、最初に声を発したのは鶴紗だった。

 

「楓って本当にお嬢様なんだな」

「第一声がそれですの?」

 

 鶴紗と楓のそんなやり取りで緊張が解けたのか、続いて梨璃が声を掛ける。

 

「楓さん、防衛軍の人とお知り合いなんですか?」

「ええ、まあ。正確にはわたくしのお父様の、ですが」

 

 海軍の高級将校であれば、多少なりとも社交界に関わりがあってもおかしくはない。楓の父はチャームメーカー、グランギニョル社の総帥であると同時に、由緒正しいフランス貴族でもあった。

 

「先程の方は海上防衛軍第2護衛艦隊司令官、草鹿中将ですね。海自時代から水上勤務をこなされている歴戦の艦隊指揮官です」

 

 タブレット端末を参照しながら二水がそう言った。

 防衛軍の前身である自衛隊の頃から戦闘に携わり、生き残って将官に上り詰めた。それだけでも一角の人物と言える。

 

「皆さん、私的な感傷に巻き込んでしまい申し訳ありませんわ」

 

 楓が神妙な態度で謝罪する。

 けれどもそんな彼女を制止するように夢結が口を挟む。

 

「私たちの、リリィとしての在り方をはっきりさせるのは大切なことでしょう。半端な理解ではお互いに()()()となってしまう。ですからただの感傷とは思いません」

 

 そうフォローされてむず痒くなったのだろう。楓は不自然に視線を彷徨わせた後に相槌を打つ。

 こういうところは、さしものグランギニョル社御令嬢でも、普段と違って下級生らしかった。

 

 

 



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第10話 横須賀基地観艦式(中編)

「この五十年、長きに渡るヒュージとの戦いにおいて、君たち防衛軍にとって楽な状況になったことはただの一度もなかった。厳しい戦況の中、戦友が命を落とすその横で、非難とか誹謗ばかりの日々だったかもしれない。ご苦労なことだと思う。だが国家と国民の未来は、間違いなく君たちの双肩にもかかっている。たとえ日陰者の誹りを受けようとも、君たちの常日頃からの戦いが確かに命を救っているのだと、どうか忘れないで欲しい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 内閣総理大臣からの訓示を挟み、横須賀基地観艦式は予定通り実施された。

 本来なら相模湾まで出向くところを、東京湾・浦賀水道内でとどめて時間を短縮。また参加艦艇も、海上防衛軍から二十隻と在横須賀米海軍から二隻の合わせて二十二隻という小所帯。

 昼前には全ての艦艇が横須賀へと帰港していた。

 しかし本番はまだまだこれから。基地祭での警備こそがリリィたちにとっての本当の任務なのだから。

 横須賀基地東側の埠頭、係船岸壁の一角で一柳隊のリリィたちが歩哨に立っている。

 

「こんなご時世に、こんなに人が集まるなんて」

「こんなご時世だからだゾ」

 

 海を背にして基地内を見渡した鶴紗が驚きをもって呟くと、隣の梅がすぐに反応した。

 

「幾らヒュージが怖いからって、いつも隠れてジッとしてるだけじゃ息が詰まるだろ? だからたまにはこうして、人も物もお金も動かさないと」

「まあ、それは分かりますけど」

「観艦式はそのついでだなー」

「そっちがついでなのか……」

 

 基地内では防衛軍の艦船や武装の展示の他、たくさんの出店が並んで活況を呈している。

 横須賀市内は勿論、市外からも集まって来たであろう人、人、人。老若男女に家族連れ。ヒュージとの戦時下を忘れさせるには十分な光景だった。

 

「梨璃ー、海ばかり見てもつまんない!」

「もうちょっと待ってね結梨ちゃん。もうすぐ交代の時間だからねー」

 

 少し離れた所では、梨璃が駄々っ子をあやすかのように結梨の相手を務めている。

 

「あははー。お母さんは大変だなあ。早くお父さん連れてこないと」

「そっスね」

 

 カラッとした笑みで一柳母娘を見守る梅。

 そんな彼女に、鶴紗はホッとしたよな残念なような複雑な思いを抱く。つい最近、鎌倉の街であんなことがあったばかりなのに、鶴紗に対して変わらない態度で接してきたからだ。

 とは言え、それが鶴紗にとって不快なわけではない。むしろ心地好い。だから余計に複雑だった。

 

「よーし、それじゃあ結梨。ちょっと早いけど一緒に出店へ行ってみるか」

「行くー!」

 

 梅の提案に、結梨は諸手を挙げて喜ぶ。

 

「梅様、交代はまだですよ!」

「大丈夫だって~。ほら梨璃、あっち。夢結たちがこっちに来てるだろ」

「……本当だ。よく気付きましたね」

「というわけで、結梨をちょこっと借りてくゾー」

「あっ、引継ぎはお姉様たちとすれ違う時にしておいてくださいね!」

 

 そう宣言した次の瞬間には、梅の手は結梨の手を掴んで引っ張っていた。

 しかし、やたら目の良い梨璃はともかく、梅もよく気が付いたものだ。鶴紗が詰所のある方を向いても、人影が米粒程度にしか見えないというのに。

 

「よーし。結梨、まずはこういう時の定番の金魚すくいから教えてやろう」

「うっそだー。それ縁日だよ」

「そうか? じゃあリンゴ飴に綿菓子だな!」

「りんごあめ! わたがし!」

 

 盛り上がる二人は瞬く間に岸壁から遠ざかり、基地内に立ち並ぶ露店の列に向かっていった。途中で出くわすであろう夢結に説教される光景が目に浮かぶようだ。

 そんなこんなで、この場に居る人間は一時的に二人だけとなった。

 そこで鶴紗は、再び海の方へ向き直り警備に励む梨璃へと話し掛ける。

 

「全く、騒がしいな」

「あははっ。でも分かる気がします。基地の中でお祭りって、何だがわくわくするもん」

 

 先程と異なり、梨璃は楽しげに表情を緩めていた。結梨の前ではあのような態度を取っていたが、やはり内心では祭りに浮かれているのである。

 鶴紗は少々申し訳ない気持ちになった。そんな梨璃に水を差すのが。

 

「真鶴の時も思ったけどさ」

 

 鶴紗が出す声色の僅かな変化に気付いたのか、梨璃の瞳がキョトンと丸くなる。

 

「梨璃は防衛軍と一緒の任務は平気なのか?」

「えっ? どうしてですか?」

「だってあの時、結梨は下手したら防衛軍に捕まるか撃たれていたかもしれないのに」

 

 結梨がヒュージと見なされ捕獲命令を出された際、鎌倉府防衛隊が一隊を差し向けてきた。すんでの所で命令が撤回されて事なきを得たが。しかし直後のギガント級ヒュージとの戦いで結梨が死にそうな目に遭ったことを考えると、とても手放しでは納得できないだろう。

 

「うーん……でもあの時は、防衛軍の人たちも結梨ちゃんのことちゃんと知らなかったわけだし。知ってた百合ヶ丘の皆は本気で結梨ちゃんを捕まえる気はなかったはずです」

「確かに、本気なら生徒会から学院の外へ逃げられるとは思えないな」

「だから、今は平気です。結梨ちゃんに酷いことしてこないのなら」

 

 そう言い切った梨璃の顔に、鶴紗は眩しくなった。

 自分には決して真似できないと。

 

「梨璃は強いな。私には無理そうだ」

「……鶴紗さん?」

「目的のためには協力もするけど、防衛軍も政府も正直嫌いだ。父さんを戦犯扱いして。私は梨璃みたいに割り切れない」

 

 父の名誉のため、父の亡骸の行方を突き止めて墓前で手を合わせるため。そのために父を貶めた連中に手を貸すのは皮肉な話であった。

 戦う理由に一柳隊の仲間を加えたことで、そんな皮肉な現実も乗り越えることができていたが。

 それでもやはり、軍や政府に思うところがあるのは変わらない。

 鶴紗の心情をどこまで察したのかは分からないが、梨璃は掛ける言葉を見つけられずオロオロとしている。これも人の良さの表れだろう。

 

「梨璃ってさ、人を強く憎んだりできないでしょ」

「そ、そうかなあ」

 

 鶴紗は話を変えることにした。

 

「例えば梅様に夢結様を取られたら、どうする?」

「取られるって、え? どういうことですか?」

 

 要領を得ないのか、梨璃は顔にありありとクエスチョンマークを浮かべた。

 そこでまた質問を少し変えてみる。鶴紗にしては意地の悪い質問に。

 

「じゃあ私が夢結様のシルトになりたいって言ったら、どう思う?」

 

 梨璃も今度は流石に質問の意味を理解したようだ。目を大きく見開いた後、不安そうに眉を垂れ下げる。

 

「えっと、鶴紗さんはお姉様と、シュッツエンゲルになりたいんですか?」

「そうだな。夢結様のレアスキルに頼らない戦い方、射撃や剣の技、戦場での立ち回り。同じAZ(アタッキングゾーン)として学びたいことは一杯ある。正直、梨璃が羨ましい」

「あっ、で、でも……」

「ねえ、シルト代わってくれない?」

 

 本当に意地が悪い。

 梅との間に生まれたモヤモヤがそうさせるのか。だとしたら、とんだ八つ当たりだ。

 それとも単純に梨璃と夢結の関係に興味が湧いたのか。だとしたら、とんだゴシップ好きである。

 鶴紗は前に工房でミリアムに言われたことを、否定しきれなくなっていた。

 

「それは駄目っ!」

 

 必死な顔で、叫ぶように言葉を吐き出す梨璃。

 

「どうして? 私なんかじゃ夢結様に相応しくない?」

「ち、違います! そんなんじゃないです! ただ……」

 

 止めておけば良いのに、鶴紗は追い打ちをかけた。梨璃の反応の続きを見てみたくなったから。

 

「お姉様のシルトは私がいいんです。私じゃなきゃ嫌なんです。だから、そのっ」

 

 もじもじとしながら歯切れの悪い言葉と態度。

 いつもの物怖じしない、お日様みたいな梨璃とは正反対。

 そんな彼女の落差を目の当たりにし、鶴紗の中に慣れない感情が湧き起こっていた。何となく居心地の悪い、だけど決して嫌ではない不思議な気持ち。体の奥底からポカポカと温かくなる感じ。

 

(梅様のことずっとお節介だと思ってたけど。これは、分かる気がする)

 

 不器用なシュッツエンゲルと一途なシルトの間を取り持ち、見守り続けている梅。その気持ちが理解できたかもしれない。梅が二人に遠慮していることも、強く責められないと思えてきた。

 

(これが、二水の言う()()ってやつなのか)

 

 思いを新たにし、鶴紗はわざとらしい仕草で首を左右に振る。

 

「冗談」

「……冗談? 本当に?」

「本当」

「本当に本当ですか?」

「ほんと、ほんと。いつも梨璃と夢結様が惚気てくるから、その仕返し」

「そんな、惚気てなんていませんよぅ」

「無自覚か」

 

 ホッと胸を撫で下ろしているのが傍目にもよく分かる。

 一転していつもの笑顔。純粋に守りたいと思える梨璃の笑顔。

 それは結梨にも抱いた感情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やや遅れて露店の列に向かった鶴紗と梨璃は、後ほど喧騒から離れたベンチにて梅たちと落ち合った。

 

「わあ、一杯買い込みましたねえ」

 

 梨璃が感嘆の声を上げる。

 梅の傍らに置かれた紙袋には数多の収穫品。カレーパンや、在りし日の戦艦の名前を冠する焼き菓子など。横須賀名物を中心に、美味しいそうなものをとにかくかき集めたと言わんばかり。

 

「ふぉらはふぃふぃ、ふぉはふぉふは」

「梅様、食べながら喋るな」

「んぐっ、んんっ……。天葉(そらは)たちに土産で持って帰ってやりたいところだけど。こういうのはその場で食べるのが乙だからなあ」

 

 鶴紗に突っ込みを入れられた梅の手には、巨大なハンバーガー。瑞々しいレタスと分厚いトマトが重なり合い、ステーキの如くボリューミーな牛肉と共にバンズに挟み込まれている。

 梅の隣では、結梨が同じものを頬張っていた。

 

「結梨ちゃん、飲み物も飲まないと」

 

 梨璃が紅茶の入った厚紙コップを差し出した。

 だが当の結梨は食べるのに夢中。顔の輪郭が変わるぐらいにバーガーを詰め込んでいる。彼女の可愛らしい見た目と相まって、誰もがハムスターを連想するだろう。

 

「鶴紗と梨璃はもう昼飯食べたのか?」

「食べてきました。カレーを」

「ありきたりだなあ」

「ハンバーガーだってありきたりでしょ」

 

 梅の隣に座った鶴紗が憮然として答える。ありきたりと取るか王道と取るかは人それぞれだ。

 紙袋に手を突っ込み別の食べ物を取り出そうとする梅をよそに、鶴紗はふと前方からの声に意識を傾けた。

 鶴紗たちと同じく休憩中の、メルクリウスのリリィが二人。海軍の夏用軍服を彷彿とさせる白の制服を纏い、向かい側の離れたベンチに腰掛けていた。

 彼女らのやり取りは距離のある鶴紗の耳にも届いてくる。

 

「……いたっ」

「どうしたー?」

「リップ持ってくるの忘れたのよ」

「貸そうか?」

「うーん、人のリップ口に付けるのはちょっと」

「いつも直接付けてるのに」

「それはそれ、これはこれ」

 

 直後に鶴紗は横目で梨璃の様子を窺った。

 梨璃は神妙な顔つきで、瞬きも忘れて前を見つめている。彼女の大胆さと行動力を考慮すると、何を考えているかは誰の目にも明らかだろう。

 

「平和だな」

 

 鶴紗はそう呟くと、ベンチの背もたれに体重を預けて天を仰いだ。

 曇りかけてきた横須賀の空。

 何とはなしに、目に付いたすじ雲の数を数えてみる。

 

 そんな緩み切った態度を一喝するかのように、耳元に装着するインカムから声が鳴り響く。

 

「梨璃、皆。ただちに一号埠頭に集合してちょうだい」

 

 冷静な、しかし緊迫した夢結からの指示。梅も鶴紗も梨璃も、遅れて結梨もベンチから立ち上がる。

 気が付けば、メルクリウスのリリィたちは既にこの場を後にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆、揃ったわね。早速状況を説明します」

 

 東京湾を臨む岸壁に集った一柳隊総員に、シューティングモードのブリューナクを携えた夢結が口を開く。

 

「先刻、ここより南方に位置する久里浜の防衛軍観測所が浦賀水道を北上する飛行型ヒュージの大群を確認。横須賀基地を含む周辺海岸部の民間人に避難命令が下されました」

 

 そこで神琳が挙手して質問の許可を得る。

 

「大群といっても、どれ程のものなのでしょうか?」

「スモール級が600」

「……間違いありませんか?」

「現時点で確認済みの数に過ぎません。今なお増え続けています。敵主力の予想進路は、この横須賀基地です」

 

 夢結の答えに神琳の表情が更に引き締まる。梨璃や二水に至っては口をあんぐりと開けていた。

 ただのスモール級ならまだともかく、飛行型が600という数字は非常に重い意味を持つ。その機動力を以って広範囲に散られたら、対処が非常に困難だからだ。

 

「現在メルクリウスの各レギオンは基地内と周辺の民間人の避難・護衛に当たると共に、他の地域でもガンシップを用いた遊撃戦に務めています。私たち一柳隊の役割は埠頭での迎撃任務。今のところは、ですが」

 

 夢結の説明が終わる。

 その頃、基地の港湾部からは、補給作業を終えた護衛艦の各隊が沖に向けて突き進んでいた。

 

「第2護衛艦隊も迎撃に加わるんでしょうか」

「ええ。この基地を背にして防衛ラインを張るそうですわ。どうもヒュージの主力は海沿いに飛び、陸地での戦闘を避けながらここに迫っているようなのです」

 

 二水の言葉に楓が答えるが、言い終わる前に突如として轟いた大音量が邪魔をする。

 基地の内陸から白煙を上げて天に放たれる防空ミサイル。次いで、海上を行く各艦から垂直に飛び出した艦対空ミサイルが東の空を目指す。

 それから間を置いて、断続的な爆音が轟き渡る。埠頭からでは子細こそ分からないが、熾烈な戦闘が繰り広げられつつあるのは想像に難くない。

 

「ところでそんな数のヒュージ、一体どこから来たんでしょうか? まさか、太平洋のネストから?」

「そんな、あり得ませんよ。スモール級の航続距離で太平洋を渡るなんて。ラージ級やギガント級ならもしかするかもしれませんが、絶対日本に近寄る前に気付かれます」

 

 梨璃の仮定を、すぐさま二水が否定した。

 

「二水さんの言う通りですわね。それにケイブにしても、あまりに長大な距離を隔てたらマギの消費が馬鹿にならない。現実的ではありませんわ」

 

 楓はそう補足した上で、更に自論を展開する。

 

「これは仮説ですが。日本国内の、例えば甲州や静岡などのネストから出撃した群れが、ケイブによるワープで一旦海上に出てから浦賀水道まで回り込んだとしたら、発見が遅れたのも説明がつきますわ」

「ちょっと待ってください、楓さん。あんな規模のヒュージが、迂回戦術を取ったって言うんですか!?」

「あのヒュージたちの進軍路を見れば、そうだと言わざるを得ません。ケイブは事前に発生を探知できますし、兵力を展開する前にケイブごと潰されたら元も子もないでしょう。ですが海からの接近ならそれは杞憂となりますわ」

 

 驚く二水と対照的に、楓は淡々と語る。確かにケイブは厄介な代物だが、何でもありの万能道具ではない。そうでなければ、人類はとっくに敗北していただろう。

 しかし、楓のヒュージに対する物言いは、軍隊に対するそれと遜色が無いものとなりつつあった。

 

「でも、私たちにできることって、他にないんでしょうか?」

 

 遠く海上で、艦隊の交える砲火の音が激しさを増した頃、梨璃がそう漏らした。

 

「そうですね。現状、護衛艦だけでは全てのヒュージを迎撃できず、撃ち漏らしが基地や街に達してしまいます。それを水際で完全に食い止めるのは困難でしょう。何よりラージ級が一体でも加わろうものなら、艦隊全滅も十分あり得る事態です」

「そんなっ」

「一つわたくしに考えがあります。ですが、何分突飛な内容ですので……」

 

 梨璃の意思を汲み取った神琳だが、若干言い淀んでいるようだった。

 だがやがて一柳隊にもたされた情報により、神琳の躊躇はすぐに霧散する。久里浜からの「ラージ級数体の機影を認める」という情報に。

 

「迷っている場合ではないですね。楓さん、提案があります。メルクリウスや防衛軍側の賛意も必要な案ですが」

 

 そうして神琳から一柳隊に共有された案は通信を通し、メルクリウス司令部と第2護衛艦隊司令部にも伝達されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 足元にマギの力場を形成し、跳躍によって水面の上を渡る。水切りの石の如く。

 言葉にすると簡単だが、行動に移すのは中々勇気が必要だろう。しかし一柳隊は戦場において、今まさにそれを実行していた。

 先陣を切る夢結と梅に続き、鶴紗が何度目かにる大ジャンプで海面から護衛艦の後部甲板に着地した。目的地はまだここではないが、少しだけ足を止めて休息を取る。

 甲板で作業中の海軍兵士の内、何人かは信じられないものを見るように目を見開いていた。だが多くの者は一瞥もせず、自身の仕事に集中していた。ヒュージなどと戦っていれば、非常識は当たり前。彼らも第一線の兵士なのだから。

 

 ほんの一時の休息を終えると、鶴紗は再び海上に意識を向ける。

 今鶴紗が甲板にお邪魔している護衛艦。やや小振りな、のっぺりとした船体のもがみ型護衛艦から飛び降りて海面を跳ねる。

 目的地は、もがみ型より一回りも二回りも大きな艦。

 対空砲の射線に入らぬよう、高度を上げずに海面すれすれを連続ジャンプし、すぐ傍に達してから甲板上に跳び乗った。

 

「くらま型ミサイル護衛艦。対ヒュージ戦に合わせて設計開発された新世代型軍艦の一つです。増強された対空火器と、ヒュージのビームコートを解析して生まれた耐ビーム装甲が最大の特徴でしょうか」

 

 後続のメンバーも辿り着いたらしい。インカムから艦を解説する神琳の声が聞こえてきた。

 対ヒュージ戦において、水上艦艇に求められるものは索敵と防空能力、そしてスモール級ミドル級の攻撃にある程度耐えられる装甲だった。

 勝ち目のないラージ級以上が相手なら、逃げの一手。そうなると対処すべきなのは、数と機動力に勝る小型飛行ヒュージとなる。

 かつて主流だったアウトレンジ思想と船体のコンパクト化は廃れ、船体大型化と装甲強化に先祖返りしつつあった。神出鬼没のヒュージ相手に、アウトレンジで完封するという戦術は都合の良い幻想と化したからだ。

 

 鶴紗は埠頭から出発する前に神琳と楓の間で交わされたやり取りを思い出す。

 

「ヒュージがマギに惹かれる性質を利用しましょう。わたくしたちが対空火器と防御力に優れたくらま型四隻の甲板に立ち、敵戦力を誘引するのです。リリィが持つマギの防御結界なら、護衛艦の電子兵装や発砲の余波にも耐えられるでしょう」

「戦闘行動中の艦に飛び移る……。まるで壇ノ浦の八艘飛びですわね」

「護衛艦の弾薬も無限ではありませんし、ラージ級はリリィでないと対処できません。被害を抑えて勝利するには、これしかないかと」

 

 神琳の作戦はすぐに他へも伝えられた。

 メルクリウスの司令部は割とあっさり賛同してくれた。彼女らのリリィたちが民間人の護衛や他地域での戦闘に戦力を割かれていたのも大きいだろう。

 一方で防衛軍の方は大分難色を示していた。だが結局、ラージ級という抗い難い脅威を前に不承不承ながら受け入れるのだった。

 

「結梨のやつ、大丈夫かな」

 

 ティルフィングを右肩に担ぎながらも、鶴紗はこの海上には居ない少女のことを気に掛ける。

 一柳隊による八艘飛びに、結梨は連れてきていなかった。例の如く梨璃の過保護によって、基地に留められたのだ。メルクリウスのリリィたちと共に民間人を守るという、建前染みた言い付けを与えて。

 いつものように頬を膨らませて不満そうな結梨だが、意外にも大人しく引き下がった。逆に、それが鶴紗には引っ掛かっていた。

 けれども、今は気を揉んでばかりもいられない。一旦は途切れかけたヒュージの攻勢が、再度勢いを増してきたからだ。

 

「ミサイルで数を減らして、これなのか……」

「でもリッパー種ばっかだなあ。カウダは品切れか?」

 

 くらま型二番艦『いぶき』の後部甲板にて鶴紗が東の空を睨む。同じく『いぶき』に乗り移った梅は表向き楽観的な態度。二人の視界には空を埋め尽くさんばかりのヒュージが映っている。

 

「では皆さん、艦から艦への移動もあり得るものと思って臨んでくださいまし。ミリアムさんは、例の試作チャームの用意はできていますの?」

「うむ、コアの換装も済んでおるぞ。こいつの対潜砲弾が活躍する状況にはならんで欲しいがの」

「分かりましたわ。それと二水さん、今は護衛艦のレーダーから情報を貰っていますが、今後もそうだと限らないので温存を心掛けてください」

「はい。でも楓さん、くらま型の新型レーダーがあれば私の鷹の目は出番が無いと思うんですけど」

「保険ですわ。本当に、数に任せた力押しだけなら良いのですが」

 

 インカムで指示を飛ばす楓は二水と共に三番艦の『つくば』に居るはずだ。

 現在、第2護衛艦隊は横一列の単横陣を組んで後背の横須賀基地を守っている。その中心部に陣取る第5護衛隊のくらま型四隻、『くらま』『いぶき』『つくば』『いこま』の艦上に一柳隊は分乗していた。なおネームシップの『くらま』が艦隊旗艦であり、艦隊司令の座乗艦でもあった。

 一柳隊の配置完了後、時を置かずに艦隊の銃火が迸った。艦隊前方の空に弾幕が形成され、近寄るヒュージがあちらこちらで鉛玉の雨に晒される。

 くらま型はミサイル護衛艦だが、むしろ近接火器こそ当艦を特徴付けている。小型レーダー複合の20mm多銃身機銃を艦橋前方と後方に合計二基。遠隔操作式の12.7mm機関銃架を船体左舷と右舷に三基ずつ合計六基。海上防衛軍が飛行型ヒュージの接近をいかに警戒しているかが分かる。

 それでも迎撃は一筋縄ではいかなかった。

 

「リッパー種はカウダ型などのペネトレイ種に比べ、確かに足は遅いのですが」

 

 神琳の言う通り、亜音速戦闘機並みの速度を出せるカウダ型に比べ、現在艦隊に襲い掛かっているリッパー種は高速ヘリ程度の速さに止まっている。

 

「あの独特の形状が被弾面積を減らし、思わぬ抗湛性を発揮するのです」

 

 真ん中が空洞のリング状をした胴体から、鋭いブレード状の脚を四本生やすリッパー種ラマ型。

 通常の航空機ならば撃墜されるようなダメージでも、ラマ型は灰色の金属片や青い体液を飛び散らせながらも飛行を続ける。端から空力抵抗など考慮せず、マギの力で強引に飛んでいるので、多少の被弾は物ともしないのだ。

 それがまた艦隊から、弾薬と時間を無駄に浪費させることになる。

 

「ですが神琳さんの意図通り、ヒュージがこちらに集まってきましたわ。これで迎撃しやすくなるでしょう」

 

 散らばっていた敵の群れが艦上の一柳隊を目指して編隊密度を上げる。それを認めた楓が好機とばかりに気勢を上げた。

 また、四隻のくらま型も各艦の間合いを詰めていく。弾幕の密度を高めるために。同時に船体前部の砲が火を噴いた。一隻につき一門。しかし驚異的な発射速度と射撃精度で。

 固まって狙いやすくなった敵編隊に、127mmの鉄の暴力が襲い掛かる。ただの一撃でラマ型を粉砕し、破片が周囲の敵をも薙ぎ倒す。

 それでも潜り抜けてきたヒュージには、一柳隊のチャームがマギの弾丸を叩き込んでいった。

 艦橋の真上から一直線に逆落としを仕掛けたり、あるいは海面すれすれを這うように飛んだり。航空機には困難な機動で接近を図るものの、ほとんどのヒュージが空中で爆散するか東京湾へと叩き落とされる。

 

「突破していったものは無理に追わなくて結構ですわ。陸のお味方に任せましょう」

 

 何体かのラマ型は艦隊の弾幕をすり抜けていくが、楓は捨て置くよう指示した。幾らかの漏れが出るのはメルクリウスの方も織り込み済みであろうから。

 ともかく戦況は安定に向かっていた。現状を維持して敵をすり減らしていけば勝てる。

 だが『くらま』から入った通信により、その均衡が破れつつあることを知る。

 

「ラージ級が誘いに乗ってこないそうですわ。このままの進路だと、横須賀の地に上陸されるでしょう」

 

 焦ったように楓が言う。

 メルクリウスのリリィならラージ級でも問題はないだろう。伊達に鎌倉府5大ガーデンと呼ばれているわけではない。

 しかし避難の済んでいない民間人でごった返す中、戦闘の余波から守り切るのは不可能と言って良いだろう。ヒュージは撃破の瞬間、暴走したマギで爆発を起こすことがある。サイズが大きい者ほどその威力もまた大きい。

 

「それからもう一点、先程から護衛艦隊を含む防衛軍のレーダーとソナーが機能不全に陥っています。ラージ級を見つけたのは、二水さんの鷹の目ですわ」

 

 このタイミングで、ただの偶然であろうはずがない。

 横須賀沖海空戦は新たな局面に入ろうとしていたのだ。

 

 

 



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第11話 横須賀基地観艦式(後編)

 横須賀の空に砲声と炸裂音が轟き渡る。時が経ってもそれは一向に収まる気配を見せない。ただ、黒煙と炎に包まれながら海にダイブするヒュージが増えていくだけだった。

 迫るラージ級。封じられた索敵兵装。

 悪化しつつある状況に、転機の通信が入る。

 

「第2護衛艦隊司令部よりLG(レギオン)ラーズグリーズ。これより我が第5護衛隊は転進し、ラージ級側面へ展開する」

 

 答えるのは、レギオン司令塔の楓。

 

「こちらLGラーズグリーズ。アドミラル、幾らくらま型の装甲とは言え、ラージ級の熱線を浴びれば十秒も持たないのでは?」

「確かに。しかし他の艦艇や横須賀の市民に降り注ぐよりはマシだろう。これが一番被害が少なくて済む。あなた方には艦上から確実にラージ級を仕留めて頂きたい」

「我が方のリリィだけで先行する手もありますが」

「彼我の距離が大きい。敵の横須賀上陸に間に合わない可能性がある」

 

 楓は返答に迷っているようだった。

 

「これこそが、我々に今できることだ。護衛艦が国民を護らないで一体どうするというのか」

「……承知致しました。お願いしますわ、アドミラル」

 

 決断は下された。

 四隻の護衛艦は舵を切り、一斉に北西方向へと転舵する。

 単横陣から、旗艦『くらま』を先頭に縦一列の単縦陣を組み、増速しつつラージ級の予想進路へと波濤を掻き分ける。

 第5護衛隊の抜けた穴は付近のもがみ型がカバーに入っていた。

 

「迅速に片を付けます。梅様は『いぶき』から先頭の『くらま』へ移乗してください。鶴紗さんは一人になりますが、ラージ級を撃破するまでの辛抱ですわ」

「分かった。すぐに片付けてやるからな」

 

 梅が首肯し、鶴紗に目配せしてから艦を飛び下りる。彼女のレアスキルなら前を行く旗艦に移るのも容易だろう。

 その間にも、くらま型の艦砲はラージ級に向けて発砲し続けていた。

 砲撃時の爆音は勿論のこと、駐退復座機が砲身を前後させる駆動音が耳の奥にこびり付く。

 ラージ級以上に通常兵器は有効でない。マギの防御結界が、マギを含まない攻撃を通さないからだ。それは大型の艦載兵器とて例外ではない。

 しかし執拗な砲撃が敵の気を引いたようだ。

 

「ラージ級、リッパー種ジズ型が『くらま』へ進路を変えました!」

 

 艦載レーダーの代わりに鷹の目で監視を続ける二水からの通信。

 それから暫くして、遠く海上に巨大なシルエットが目に映る。

 ラマ型と同じリング状の体にブレード状の四肢。しかし頭と胴体後方左右にもそれぞれ刃を生やして剣呑さを増している。そして何より、その全長は十メートルにも達していた。

 四つあるジズ型のシルエットから、チカチカとした明滅と共にレーザーが伸びる。

 初めに放たれた四条の光芒は、護衛隊のジグザグ機動で回避されたために、波間に突き刺さって水蒸気を噴き上げるに終わった。

 ところが続く第二射に二番艦と三番艦が捉えられてしまう。『いぶき』の艦橋横に奔ったレーザーが装甲を撫で、溶かし、金属板を醜く歪ませる。『つくば』に向かったレーザーは船体左舷を襲い、前部甲板を囲む手すりと機関銃架、誘導弾のランチャーを纏めて薙ぎ払う。幸いなことに誘導弾の誘爆は免れた。

 

「あいつらは、ちょっと後輩たちには任せられないな」

「梅、合わせるわよ」

「ああ、夢結が先に出てくれ。梅の方が早いからな」

 

 あとから移乗した梅を除き、最初から一番艦『くらま』に乗り込んでいたリリィは神琳と雨嘉、そして夢結。

 その夢結が『くらま』の前甲板を蹴って宙に身を躍らせる。

 もはやチャームの銃火も届く至近距離。アステリオンのレーザーとマソレリックの機関銃弾が盛んに放たれ敵を牽制する。

 夢結の接近に対し、ジズ型は四本の脚を真横に水平に持ち上げると、リング状の胴体ごと高速回転。丸ノコの刃の如く、飛び回る羽虫を切り刻もうとする。

 そこへ砲撃。撃ったのは梅だ。

 バランスと勢いを崩した丸ノコに、真上から夢結の一太刀。今度こそ回転が止まり、ブリューナクの刃がリング状の胴体に突き立てられ、押し込まれて、抉り取るように引き抜かれる。

 単眼から光を失って力なく降下し始めるジズ型。その巨体を踏み台に、夢結は次の獲物を求めて跳んでいく。

 一方、その横を飛んでいたジズ型は夢結を追撃できない。梅に捕まったからだ。

 

「お前の相手はこっちだゾ!」

 

 敵の上に飛び乗った梅は足元にタンキエムの刃を突き立てると、そのままリング状の体の上を円を描くように駆け回る。縮地を用いて、何周か。

 それだけでジズ型の全身は金切り音の悲鳴を上げて、四肢を振り乱しながら墜ちていく。最後はやはり、梅の踏み台となって。

 

「夢結様、梅様! ジズ型が変形します!」

 

 残るヒュージの挙動の変化を察知したのか、二水が叫ぶ。

 ジズ型が二本の前脚を正面でぴったりと重ね合わせ、鋭い刃と成す。ヒュージの巨体そのものが一本の剣となったのだ。

 空を舞う大剣を前に、夢結は逃げない。正面から接触すると、ブリューナクの刃を斜めに構えて敵の刃を受け止める。

 いや、受け止めたのではない。僅かに角度をつけて受け流したのだ。

 金属同士の擦り合う不協和音が鳴り、両者の体がすれ違う。

 すれ違いざま、夢結の片手はヒュージの体を掴み、海に落ちることなく取り付いた。

 

 それは死神。

 ヒュージにとって、死神と形容するほかないだろう。

 

 ジズ型はその身を捻って暴れ回り、死神を振り落とそうとした。しかし逃れられず、至近距離から凶刃に切り刻まれ刺し貫かれていく。

 ヒュージの青い体液が空に振り撒かれる。

 そんなラージ級との戦闘は、遠く艦の上からでも視認できていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれが、初代アールヴヘイムの力なのか」

 

 『いぶき』の右舷甲板にて空を仰ぐ鶴紗が呟いた。

 空中のラージ級が瞬く間に二体、そしてもう二体も同じ末路を辿ろうとしている。

 

「やっぱり、いつもはこっちに合わせてくれてるんだ」

 

 力量の差を嘆きながら、当たり前のことを口走る。

 だがそうしている間にも、自分の仕事は忘れない。波間を縫って海面を滑るように接近してくる三体のラマ型に、射撃モードのティルフィングを向ける。

 護衛艦の射角外を取ったつもりなのか。しかし甲板から見下ろす鶴紗によって、立て続けに撃ち抜かれていく。

 海面ばかりを見ていたが、上もおろそかにはしていなかった。その証拠に、空から降ってきたミサイルにもすぐに対応できた。護衛艦の12.7mm機銃と鶴紗のティルフィングが全てを撃ち落とす。

 『いぶき』上空を覆う爆発の黒煙。その中から、大量の子爆弾が飛び散って鶴紗は目を見開いた。

 甲板に降り掛かったそれらは命中の直後、火炎と熱波で周囲の物を焼き尽くす。装甲こそ貫通できないが、船体が真っ赤に炎上する光景は凄惨の一言。

 煙に炙られながらも、鶴紗はよろめき立ち上がって首を回す。

 

 あのミサイル、どこから撃たれた?

 

 体に奔る不快な感覚。心臓を真綿で包まれたかのような底気味の悪さ。

 

「鶴紗さん! 鶴紗さん!」

 

 通信で二水が呼び掛けてくるが、返事ができない。

 ここより更に沖の方に、ラマ型の編隊に囲まれたそれを見つけた。

 全翼の翼を伸ばし、鋭角的な装甲を備える戦闘機。その赤い一つ目が鶴紗の心臓を射抜く。

 心がぞわぞわと逆立った。

 

「お前は、何なんだ」

 

 初めは取り逃がしたことへの悔恨と怒りだと思っていた。

 

「お前は何なんだよぉ!」

 

 だがこれは、そんなものではない。もっと別の、全く異質な不快感。

 あのヒュージを見ていると酷く苛立ち、恐ろしい。

 その理由を突き止めるべく、鶴紗の赤い双眸は赤い一つ目を睨み付けて離さない。

 それ故、不意に海中から飛び上がってきた円筒形に対処できなかった。

 

「たづ――」

 

 二水の声が途絶えた。

 甲板での爆発によって放り出され、冷たい海中へと沈む。

 かろうじて意識を繋ぎ止めた鶴紗が辺りを見渡した。前世紀はもっと濁っていたらしい横須賀沖も、今ではそこそこ澄んでいる。

 青い海の中で黒い影がゆらりと揺れた。それは見る間に大きくなると、巨体を真っ直ぐ突き進めて来る。輪郭はぼやけてはっきりしないが、敵であるのは間違いない。

 しかしながら、分厚い水の圧力に晒されている鶴紗にできたのは、ティルフィングを構えて盾とすることだけだった。

 

(こいつはラージ級、クラッシャー種。梅様か夢結様、呼ばないと)

 

 衝突の瞬間、敵の姿がしっかりと映り込む。

 甲殻類を模した装甲を纏い、尾びれで水を掻き分ける。頭部は兜のようで、前方には胸びれの代わりに武骨なハサミが伸びていた。

 

(マンタ、じゃない。エビなら、ロブスターか……)

 

 そんなことを考える最中、全身に叩き付けられた激しい衝撃で、鶴紗の意識は海中の闇に吞み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは過ぎ去った過去のこと――――

 

「安藤旅団長は、一兵でも多く静岡から逃がすために踏み止まって指揮を執ったのです。そのために、司令部ごと玉砕してしまった」

 

 父の率いる旅団に所属していた兵士の言葉。中等部の頃にゲヘナから解放された後、鶴紗は幾人かの人間から同じ話を聞いていた。

 玉砕と言っても、旅団全てが文字通り全滅したわけではない。逃げ切れなかったのは旅団司令部と護衛の歩兵大隊に戦車大隊。そして勿論、旅団長自身。

 

「気が付いた時には手遅れだった。一か八か突破を仕掛けるしかなかった。ですが当時の政府は静岡陥落のスケープゴートを欲していたし、防衛軍も度重なる敗戦で威信を失っていたのでそれに反対できなかったのです。その結果が、戦犯呼ばわり」

 

 ひょっとしたら、娘の自分に気を遣ってそう言ったのかもしれない。だが軍内での緘口令に背いてまで吐く嘘とも思えなかった。

 だから鶴紗は政府も軍も嫌いであった。

 

 もういいじゃないか。

 炎に巻かれ、海に沈められ、そこまでして守る必要がどこにあるのか。

 

 鶴紗の中にそんな思考が沸々と湧き上がってくる。

 たとえ艦を撃沈されても、一柳隊(みんな)だけならどうやってでも助かるだろう。なのに、死ぬような目に遭ってまで、軍の船を守らなければならないのか。

 

「もういい」

「十分だ」

「諦めろ」

 

 繰り返し、繰り返し、自分自身に言い聞かせる。これは鶴紗の中から出てきた言葉。彼女自身が訴えること。

 けれど、それだけではない。

 

「父さんは凄いね。防衛軍で皆のために戦ってるんだ」

 

 鶴紗の記憶が、薄れかけたセピア色の過去を蘇らせる。

 

「父さんは皆を守ってるんだ」

 

 幼い子供の、周りも現実も見えていない子供の戯言かもしれない。

 しかし鶴紗の心が求めているのは、本当はこちらの方だった。

 最初にできた戦う理由は、父のため。ではどうして父のために戦おうと思ったのか。父のどんなところを尊敬してたのか。

 思い出す。

 

「――――わたくしたちは己にできることを成そうとしているのです。――――わたくしにはその自負があり、レギオンの(みな)もそうであると信じていますから」

 

 ついでに余計なものまで思い出してしまった。

 鶴紗はクスッと笑う。

 そうして誰かさんの言う『できること』を見つけようとして、ふと気付く。水の中にいるはずが、妙に騒がしいことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鶴紗っ!」

 

 名前を呼ばれた。インカムはまだ生きているらしい。

 

「鶴紗、お主の土左衛門など、誰も見たくはないぞ!」

 

 幼いような老成したようなこの声は、ミリアムのものだ。先程から騒がしかった原因だろう。

 

「起きたか。足は大丈夫か? 泳げるか?」

 

 続いてすぐ後ろから梅の声。

 それを聞き、鶴紗は自分が立ち泳ぎする梅に抱えられているのだと気付いた。

 

「大丈夫、泳げます。私、どのくらい寝てました? 状況は?」

「多分五分も経ってないゾ。今はミリアムが海の中のヒュージを攻撃してる。百由が作った試作チャーム、結構役立ってるみたいだな」

 

 話を聞きつつ鶴紗は梅の手から離れ、自ら海面に浮かぶ。

 短時間とは言え気を失っておきながら、水はあまり飲んでいなかった。ということは、梅がすぐさま駆けつけて引き上げてくれたのだ。鶴紗はそう思い至り、内心で梅と梅の抜けた穴を埋めたであろう夢結に感謝する。

 

「鶴紗、お前は艦の防御に回れ」

「いや、私もあいつを倒します」

「おいおい、無理してるんじゃないのか」

「無理は、しませんよ。無理しないから梅様手伝って」

 

 鶴紗がジッと見つめてそう訴えると、梅は軽く唸って黙考する。

 二人のやり取りは肉声だ。インカムは当然使っていない。ところが二人の耳に、タイミングを計ったかのような通信が飛び込んでくる。

 

「ミリアムさんの砲撃だけでは致命打になりませんわ。鶴紗さん、まだ戦えるようなら戦闘に復帰してください。梅様は鶴紗さんの援護を」

 

 司令塔からの指示に、梅はやれやれと肩をすくめる。どこか楽しげに顔を緩めて。

 

「うちの司令塔は相変わらず人使いが荒いなあ。で、具体的にはどうすればいい?」

「梅様は『いぶき』の艦上から監視と援護射撃。鶴紗さんには撒き餌となって頂きますわ。アレを仕留めるには、引き寄せてから一撃をお見舞いしなければ」

「分かった」

 

 了承の返事をした途端、梅は海面から跳んで護衛艦の甲板へと移動する。

 一方、鶴紗は遠方の海上を見渡した。そこには移動するように断続的に立ち昇る水柱。ミリアムが持ち込んだ例のチャームが見えないはずの敵を追っていた。

 

「あやつにこのトリアイナの銛を撃ち込んでやったのじゃ。クラウドマギコントローリングシステムのお陰で、銛が奴の現在地を発信しておる。水の中でも追跡できるぞ」

 

 ミリアムが誇らしそうに言う。

 本来、クラウドマギコントローリングシステムはコアから分離したチャームのパーツにマギを届けるための共有マギ力場を構築するシステム。擬似的な二刀流を実現するのに使われている。

 百由はその効果範囲を拡大させ、発信装置の機能を組み込んだのだ。色々と制約もありそうだが、応用できればチャーム開発に大きな風穴を開けられるかもしれない。

 

「はははっ! やはりわしの百由様は天才じゃな!」

「ミリアム、あいつを私の方に誘導できる?」

「よし、やってやるぞ!」

 

 興奮気味だが思考は冷静のようだ。ミリアムの作り出す水柱が、水面下の敵を追い立てるような位置取りに変わる。

 射撃に迷いは見られない。砲弾炸裂の深度調整は自動で働いているのだろう。

 その様は正しく追い込み漁。

 獲物を捕らえる網の役割を果たすべく海に浮かぶ鶴紗だが、ふと全身に違和感を覚えた。

 

「体が、軽い……?」

 

 それは、かつて百合ヶ丘に襲来した特型ギガント級と戦った時に感じたものと同じだった。

 レアスキル『カリスマ』の力。

 

「お姉様、鶴紗さん、皆頑張ってください!」

 

 神琳のテスタメントで効果範囲を広域化しているらしい。カリスマの恩恵を一柳隊全員が受けているようだった。

 水の中でも、嘘みたいに体が動く。これならばあのラージ級とも戦える。そう確信した鶴紗は勢い良く水面下へ潜った。

 心なしか、肌を刺す海の冷たさが和らいでいる。これもカリスマの効果なのか。だとしたら、梨璃の人柄を表しているようだ。

 そんな鶴紗の視界に再び黒い影が映る。もはやミリアムの誘導は必要無い。影は鶴紗を標的と定めてぐんぐんと距離を詰めてくる。

 ラージ級の、エビを模したクラッシャー種の両のハサミが開いた。

 それを視認した鶴紗は迷わずレアスキルを発動させる。

 

 ファンタズム――――

 

 幻視した光景に従って更に深く潜る。

 直後、鶴紗の頭上を()()が奔った。目には見えないが、不自然な水の揺らめきが敵の攻撃を証明する。

 続けざまにラージ級の頭部装甲が上下に開いた。従来のクラッシャー種なら、そこに隠し持っているのは巨大な破砕機。幾枚もの回転刃で、クラッシャーの名前に違わず全てを破壊する。

 だが対峙する敵が見せたのは回転刃ではなく、無数の筒。発射管。

 大量の気泡を巻き起こしながら、発射管全門が凶器を放つ。先程艦上の鶴紗を叩き落としたのも恐らくこれだ。魚雷なのかミサイルなのか。マギを推進力とするそれは、どちらでもあるのだろう。

 

(梅様っ……!)

 

 言葉を出せない水中で強く念じた。

 ファンタズムの幻視は味方にも共有される。だから鶴紗の見た光景は艦上の梅にも見えているはず。共有は信頼が厚いほど、確度が高い。

 信頼は確かだった。

 海面の上から光の奔流が突き刺さり、水中での減衰を物ともせず鶴紗を襲う魚雷群を薙ぎ払う。タンキエムの高出力砲撃だ。

 それでも数本の魚雷が生き残り、迫る。

 鶴紗はティルフィングを眼前で構え盾とした。

 突き刺さる魚雷の爆発でガタガタと震える刀身。それは一瞬持ち堪えた後、亀裂が走り、ガラスのように砕け散った。

 

(ミリアム、お前の言う通りガタがきてたぞ)

 

 飛び散った破片が鶴紗の白い頬を切り裂き、水に濡れた制服を破る。

 それでも思考は冷静に。爆風で後ろに流されながらも、魚雷に続いて接近する敵を見つめる。

 十分に距離が詰まった時、鶴紗が前に出た。マギを利用し、水中を飛ぶように泳ぐ。カリスマがその動きを加速させる。

 鶴紗の手には砕け散ったはずのティルフィング。

 しかし砕けたのは大剣としての姿であり、そこには確かに小さく短い刃があった。

 

 ティルフィング第三の形態、ショートブレードモード。

 

 その小剣を両手で逆手に握り、突っ込んでくるラージ級の背に振り下ろす。

 瞬間、青い体液を垂れ流し、ラージ級が釣り上げられた魚の如く暴れ狂う。

 握ったチャームの柄を鶴紗は離さない。獲物の背に乗り、その獲物が海中から海面上へと飛び跳ねても。両手からチャームへマギを込め続ける。

 

 やがて、両手の握力が緩み出す直前に、鶴紗の体がティルフィングごとラージ級から引き剥がされた。

 

「やっぱり無理するんじゃないか」

「梅様が、居るから……無理じゃない……」

 

 息も絶え絶えの鶴紗は梅の小脇に抱えられたまま、動きを止めた巨体が波間に流されていくのを見届ける。

 ちょうどその頃、増援を含めた六体目のジズ型が撃破されていた。これにより横須賀基地の戦闘態勢が解かれ、警戒態勢へと移行する。

 未だ各地に散ったヒュージは残っているが、規模は小。差し当たっての脅威は取り除かれたと判断された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤焼けの光に陸地も海も照らされる中、哨戒中の隊を除く護衛艦たちが横須賀基地に錨を下ろしている。

 基地の方は慌ただしい。戦闘こそ終結したが、基地祭の片付けを含む事後処理に追われているために。

 そんな横須賀に、一柳隊は護衛艦隊に便乗して帰還した。現在は旗艦『くらま』の士官会議室に集まっている。長机にたくさんの椅子、大きなテレビモニター付きの艦内では比較的広い部屋。休憩スペース代わりに一柳隊へ開放してくれたのだ。

 各々が体を休める中、ミリアムは好奇の瞳で室内を歩き回っていた。彼女は疑問に思うままを、案内役を買って出た小太りで丸顔の艦長に問い掛ける。

 

「艦長殿! 艦長殿!」

「おう、どうした嬢ちゃん」

「艦内でやたらと見かけるこのモップは何なのじゃ? 何やら大事そうに手入れされとるようじゃが」

「そいつは海軍伝統、掃布だな」

「ソーフ?」

「そいつの扱い一つ見れば、練度や生活態度に心の有り様、兵の全てが分かる。絞った時に出てくるのは水だけじゃない。水と一緒に大和魂がドバっと出てくるんや」

「まるで意味が分からんぞい」

 

 賑やかなやり取りの一方で、艦隊司令官の草鹿中将は軍帽を脱ぎ、楓とその後ろの一柳隊へ深々と頭を下げた。

 

「あなた方のお陰で民間人とリリィから死者を出さずに済んだ。あれだけ大規模な攻撃を受けて、これは奇跡と言っても良い。ありがとうございました」

 

 わざわざ「民間人とリリィ」なんて言い方をするということは、それ以外、防衛軍からは死者が出たのだろう。

 けれどもこの場では誰も指摘しない。これもある種の気遣いだった。

 

「楓さんの言葉通り、我々にできるのは被害を最小限度に止める選択を見極めること。指揮官としては避け得ざることだ」

 

 司令は相対する楓に対して続ける。

 

「それでも昨日、あんな態度を見せてしまったのは、子に先立たれる思いを友にまでして欲しくなかったから。軍人に有るまじき振る舞いだった」

「心中お察し致しますわ。父への気遣いも、本人が知れば友諠を確かにするでしょう。感謝致します」

 

 ですが、と楓が言葉を返す。

 

「結局はどこかの誰かが傷付くのです。であるならば、傷付く者たちを一人でも多く減らしたい。わたくしたちにはそれが可能だと思っております。そうですわね、梨璃さん」

「あっ、はい! そのつもりです!」

 

 司令塔らしからぬ理想論。いつもの楓なら逆に窘める立場のはず。

 しかしリリィの存在は人々にとって希望である。希望ならば時に理想も示さねばならない。

 そしてそんな理想を大真面目に実現しようとするのが他でもない、一柳隊の隊長なのだ。

 鶴紗は机に出されたお茶請けの饅頭を頬張りつつも、楓たちの話に黙って耳を傾けていた。

 

「さて、我々はそろそろ失礼するが。あなた方はもう少し休んでいくといい。日没には基地の方も落ち着くだろう」

「そうさせて頂きますわ。こちらに一人、寝坊助さんがいるもので」

「どうか彼女にも礼を伝えて欲しい」

「承りました」

 

 司令と艦長が退出した後、楓も部屋を後にする。

 生憎と隊長の梨璃は戦闘報告書作成のために机に齧り付いていた。時折、横からお姉様の駄目出しをもらいながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、呆れましたわ」

 

 『くらま』艦内の静かだった個室に大きな嘆息がこぼれる。

 士官用の個室のベッドで天井を仰いでいるのは二水だった。

 最初こそ医務室に居たのだが、大事無いと分かってからはこちらに移されている。医務室を空ける意味合いもあるのだが、同時に艦長からの配慮でもあった。実際、当人にとっては医務室よりも気が楽なようである。

 

「倒れる寸前まで鷹の目を使い続けるリリィがどこにいますの」

「あはは、面目ありません……」

 

 戦闘中に突如として機能不全を起こした艦隊のレーダーに代わり、二水はレアスキルによる索敵に専念した。

 それは戦闘が集結し、レーダーが正常な動作を再開させても続けられ、基地への帰還途上に二水が鼻血を垂らしながら膝をついたことで終わりを迎える。

 あの時は皆、何事かと騒いだものだ。マギの大量消費と極度の疲労が原因であり、休養を取るだけで済んだのだが。

 

「でも、悔しいじゃないですか。特型の存在に気付くのも遅れて、海中のラージ級も見逃して。私は、私にできたはずのことができなかったんです。私の役目なのに」

「あのような乱戦状態で敵一体一体の判別が遅れるのは当然ですし、鷹の目で水面下まで見通すのは本来不可能。なのにあの後、その場で、俯瞰視野の焦点を水中に切り替えるなんて芸当、普通は思いついても実行できませんわ」

「あれだって、通常視野と水中視野でいちいち切り替えが必要なんですよ。それに慣れないことしたせいで、マギを無駄に消費しちゃいました」

 

 謙遜などではなく、心からそう思っているのだ。二川二水という少女はどうにも自己評価の低いところがあった。

 ベッドの傍らに立ち腕組みする楓。彼女はもう一度、今度は小さい溜め息を吐く。

 

「まあ特型をまたしても取り逃したのだけは遺憾ですが。ただそれはそれとして、横須賀基地とメルクリウスと、草鹿提督からも感謝のお言葉を頂きましたわ」

「そうですねえ。夢結様や梅様、皆さんも大活躍でしたからねえ」

「はぁ……。一応、念のため言っておきますが、勿論二水さんも含まれていますのよ?」

「えっ?」

「えっ、じゃありませんわ。いいですこと? 一度異常が起きた機器は整備点検するまで安心できないもの。そんな中で鷹の目が警戒に加わったことは、これ以上ない安心感を与えたはずですわ。貴方が艦隊を無事に帰したと言っても過言ではないでしょう」

 

 楓にそう言われて多少は自信が持てたのか。二水はベッドの上で照れ臭そうに身じろぎする。

 

「皆さんのお役に立てましたかね?」

「ええ、そうですわね」

「……楓さんのお役にも?」

 

 恐る恐るといった様子で尋ねてくる二水を見て、楓は何かを察したように口の端を持ち上げる。

 

「ははぁ、成る程ですわ。さてはチビッ子、ご褒美が欲しいんですのね?」

「はっ? いや、そういうわけでは……」

「仕方ありませんわねえ」

 

 楓がニヤリと笑った顔のままベッドの横から屈み込む。

 百合ヶ丘の制服を押し上げる豊かな胸が眼前に広がって。二水は思わず目を瞑る。

 直後に、前髪が揺れて梳かれる感覚。

 二水の頭は包み込まれるように撫でられていた。

 

「チビッ子なのだからしっかりお眠りなさい。艦を降りる時に起こして差し上げますわ」

 

 そう言われはしたが、言葉通り眠れそうにはなかった。

 二水は布団を深くかぶる。赤くなった顔を隠すため。ただし楓の手の邪魔にならないよう、おでこから上は露わにするのだった。

 

 

 



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第12話 一柳結梨の冒険

「結梨ちゃん。結梨ちゃんはメルクリウスのリリィと一緒に、基地に居る人たちを避難させてね。皆を守ることも大切な任務だよ。だから私たちと一緒じゃなくても頑張って。それからいつも言ってるけど、レアスキルは一つずつしか使っちゃ駄目だからね。絶対、絶対だよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「りり……ゆゆ……」

 

 寝返りしながら名前を呼んで。

 暫くした後、結梨の意識がまどろみから抜けていく。

 ふかふかのベッドに清潔なシーツ。天井からぶら下がる装飾の豪華な照明。小綺麗で洒落た雰囲気の部屋で結梨は目を覚ました。

 

「そっか、お泊りしたんだった」

 

 きょろきょろと辺りを見回し、昨日の出来事を思い返して独り言ちた。

 

 あの日、梨璃の言い付け通り、結梨は横須賀基地の基地祭に集っていた民間人の避難支援に従事した。

 軍の輸送ヘリやトラックは勿論のこと、民間のバス等も利用して決行された脱出作戦。基地内の避難シェルターだけではとても収容しきれないための措置である。

 結梨は一時的にメルクリウスのリリィの指揮下に入り、避難者の搭乗場所で警護に当たっていた。度々スモール級のヒュージが飛んで来たが、どれも少数ずつでの襲来だったので問題なく撃墜できた。レアスキルを使うまでもなく。

 幾度となく避難車両を見送った後、結梨もメルクリウスの車両に便乗するよう言われて脱出に加わった。そうして到着したのがここ、ガーデン・メルクリウスの校舎というわけである。

 既に夕日が差し込む時刻だったため、宿舎の空き部屋に泊めてもらったのだ。

 

「んっ、しょっと……」

 

 回想もそこそこに、結梨は借りていた白色の寝巻から黒の百合ヶ丘制服へと着替える。顔を洗い、髪を最低限整えて、宿舎の出入り口を目指す。

 その途上、出入り口前のラウンジに、結梨をこのメルクリウスまで案内してくれたリリィが待っていた。

 

「ごきげんよう、一柳さん」

「ごきげんようルルディス」

 

 よく通る声で挨拶してきたのは青みがかったロングヘアの少女。海軍礼装を思わせる純白の制服を纏った、言うまでもなくメルクリウスのリリィである。

 

「昨日はお疲れ様でした。よくお休みになりましたか?」

「うん、昨日の晩御飯も美味しかったよ」

「そうですか。それは良かった」

 

 横須賀基地の戦闘で結梨が加わったのは彼女、ルルディス・ブロムシュテットのレギオンだった。民間人から死者が出なかったのは彼女らの働きによるところが大きい。守るための戦いに長けている点は、メルクリウスが『最高のガーデン』と称される()()()だろう。

 

「それで一柳さん、今日これからのことなのですが。朝食をとられた後、すぐに原隊へ復帰されるおつもりですか?」

「うん、早く帰らないと」

「もう少し待ってもらえたらメルクリウスから車を手配できるのですが……」

「んーん、ここの人たちも忙しいでしょ。電車で大丈夫」

 

 提案を断られたルルディスは整った顔に陰りを見せる。

 仕事や立場など関係なしに、自分の身を案じられていることが結梨には分かった。人の大まかな感情が匂いとなって彼女に教えてくれるから。

 それは便利な能力だが、百合ヶ丘の人間以外に匂いの話はしないようにと、楓や神琳からは何度か言い聞かせられている。理由は、最近少しだけ分かってきた。好感情であれ悪感情であれ、他人に知られるのを嫌がる人がいるからだ。程度の差はあるが、そのような人物は結梨の身近でも見られた。

 

「ごめんなさい。まだ散発的にヒュージの目撃情報が続いているんです。付き添ってあげたいところだけど、生徒会長のレギオンが戻るまで私たちも離れられなくて」

「変なの。ルルディスが謝ることじゃないのに」

 

 出会って間もないが、結梨はこのメルクリウスのリリィについて何となく理解できていた。

 世話焼き。そして世話焼きを、知り合ったばかりの結梨にまで発揮するお人好し。一柳梨璃に似ているのだ。

 梨璃に似ている。その事実が別れを名残惜しくさせると同時に、結梨の足を急かす原因にもなっていた。

 最後の挨拶も早々に、結梨はガーデン内のカフェテリアへと向かう。

 

 メルクリウスは百合ヶ丘同様、お嬢様学校である。ただ制服の規定には緩いらしく、かなり自由に着こなしていた。

 しかしそれでも白を基調とした装いの中、百合ヶ丘の黒は目立つらしい。食事を終えた結梨の傍へ、カフェテリア内に居たリリィの何人かが歩み寄ってきた。

 

「ごきげんよう。お隣よろしいかしら」

「行きつけのお店から取り寄せたシフォンケーキがありますの。お一ついかが?」

「鎌倉から来たのね、可愛らしいお客さん。横須賀も良い街よ。引っ越しする気はない?」

 

 淑女として、気品を損なわないよう、あくまでも一人ずつ話し掛けてくるリリィたち。欧米出身者ばかりだが、皆流暢な日本語を操っている。

 中には何やら不穏な内容も交じっていたが、大方は純粋な好意だったので、結梨は気にせず貰えるものは貰っておいた。

 お腹も気分も満たしたはず。けれどもどこかしっくりこない。

 やはり一柳隊でなければ。自分は百合ヶ丘の、一柳隊のリリィだから。そんな想いが結梨を席から立ち上がらせて、カフェテリアの外メルクリウスの外へと送り出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メルクリウスと周囲に広がる横須賀新市街。そこから南に足を運べば京急本線の逸見(へみ)駅がある。

 レアスキルを用いれば労せず辿り着ける距離ではあるが、結梨はてくてくと歩いていた。さっきは急いでいたはずなのだが、無意識に梨璃の言葉を思い浮かべてレアスキルの使用を避けたせいか。それとも考え事をしていたせいか。

 

「私も、百合ヶ丘のリリィなんだ」

 

 結梨がそう反芻するのも一度や二度ではない。

 人とも他のどんな生き物とも違う出生の自分。そんな自分を規定するものが、ガーデン・百合ヶ丘女学院だった。本当の意味で、百合ヶ丘が彼女の家なのだ。

 だからこそ結梨は梨璃の言い付けが不満であった。約束したから、戦いでは言うことを聞くと約束したから守っているが。それでもやはり、皆と同じように戦わせてもらえないのは不満だった。

 

「……電池、切れてた」

 

 駅のホームに上がる階段の下で、ふと気が付いた。学院支給の携帯電話に灯りが灯らないことに。

 今日の朝か、ひょっとしたら既に昨日の夜には電池が切れていたのかもしれない。

 

「いいや」

 

 しかし気にせず制服のポケットにしまい込む。

 そのまま階段を上っていって、線路のレールを見下ろすホームに立った。

 向かい側の上り線には多くの人が並んでいたが、結梨の居る下り線は疎らである。昨日の今日であんなことがあったばかりなのだから、横須賀基地方面に向かう者が少ないのは当然だろう。

 上り線で待つ人の列が先程から妙にざわついている。電車が遅れているらしい。

 一方、結梨が乗る予定の下り車両は遠くにその頭が見えてきた。

 大重量がレールの上で揺れる振動音。

 ところがいつまで経っても構内のアナウンスは流れない。

 代わりに逸見駅に流れたのは、けたたましいサイレン音。この世界の住民ならば知らない者は居ない悪魔の警報。

 

「先程、横須賀新市街南西部の旧住宅地跡にてヒュージが確認されました。安全確保のため、安針塚(あんじんづか)~逸見間の運行を一時停止致します。京浜急行本線ご利用の皆様方には大変なご不便ご迷惑を――――」

 

 駅職員による緊急アナウンスを最後まで聞くことなく、結梨の足は動いていた。

 マギの跳躍でホームを囲うフェンスを跳び越え、着地と同時にまた跳んでいく。背中には勿論チャームケースを背負って。

 本当ならこのまま一柳隊に合流するべきだった。

 

「私は、リリィなんだ!」

 

 しかしその一念で結梨は進む。

 リリィとして、できることを果たすために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所々ひび割れが目に付く舗装路を挟み、無人の家屋が立ち並ぶ。人の気配や生活感は無く、代わりに庭の緑が好き放題に生い茂っていた。廃墟と呼ぶほど荒れてはいないが、さりとて人が戻ってくるのも躊躇われる場所。

 かつて町だった地を、シューティングモードのグングニルを両手に構えた結梨が歩く。東西に伸びる大通りに沿って。ただし時折、建物の壁に隠れながら。

 ここに来る途中、街頭スピーカーから聞こえてきた情報によると、出現したヒュージはスモール級とミドル級だけで、数も十は超えないらしい。無論、情報を全て鵜呑みにすることはできないが、ギガント級を一人で葬った結梨の脅威になるとは考え難かった。少なくとも彼女自身はそう考えていた。

 

(ここだと鷹の目は使い難い。歩いて探そう)

 

 建物の密集地では、鷹の目の俯瞰視野はその能力を発揮し辛い。ヒュージそのものではなく、ヒュージの痕跡を探す使い方もあるのだが、実戦経験に乏しい結梨にはそこまで考えが及ばなかった。

 だからと言って、無思慮に走り回って敵を求めるような真似もしない。一人で戦える自信はあるが、無謀に突っ込まないよう皆から教わっていたから。

 結梨はそうして時間を掛け、慎重に無人の町を探索していく。

 依然としてヒュージの姿は見つからない。相手も中々に慎重なようだ。

 暫く前進し続けていた結梨が不意に立ち止まり、首を大きく回して辺りを窺う。一軒の比較的状態が良い民家に目を止めて、その敷地に足を踏み入れた。

 

「お邪魔しまーす」

 

 庭の縁側の前で返事の帰ってこない挨拶をして、靴を脱いでから民家の中へ入っていく。奥の部屋まで着くと、畳の上にペタンとお尻を落として両脚も雑に投げ出すように伸ばした。

 梅がよく言っている「焦らず、休める時には休むんだゾ」という言葉。結梨は今まさにそれを実践しているのだった。

 休息の最中、ポケットの中から小袋に入ったクッキーを取り出して食べる。間にチョコレートを挟んだそれは、ちょっとしたエネルギー補給にもなった。

 美味しい。

 美味しいのだが。

 

(クッキー……)

 

 思い出すのは雨嘉が焼いてくれた美味しいクッキー。

 そして、梨璃が焼いてくれた言うほど美味しくはないクッキー。

 たった一晩しか経ってないにもかかわらず、もっとずっと離れているような感覚。

 自分で自分の匂いはよく分からない。故にこの感情を何に当てはめれば良いのか、結梨は迷っていた。

 

 一柳隊の皆に思いを馳せながら、右手の中では空になった小袋を弄る。

 そんなことをしている時だった。爆発音が耳に飛び込んできたのは。

 

「ヒュージっ!」

 

 結梨は傍に立て掛けていたグングニルを手に取って、縁側から外に出る。

 爆発音に続いて重々しい砲声や乾いた銃声。

 遠い。この住宅地跡の外ぐらいだろうか。

 周囲に気を配りながらも、結梨は足早に音の聞こえてくる方角へ。

 大通りを道なりに進んだ途中、小さな公園が目に入る。「何か居る」と気配を察知した結梨が全身を真横に捻り、道路を強く踏み締め公園に向き直った姿勢で停止する。

 

 次の瞬間、公園の塀が薙ぎ倒され、目の前に四つ足のヒュージが躍り出た。

 細長い胴体から刃のように鋭い脚を生やしたスモール級ファング種の、円筒状の頭部の先に二本の牙を光らせるピスト型。

 互いの間合いは三メートルばかり。

 結梨はすぐさまグングニルをブレイドモードに変形させる。ストックが伸び、折り畳まれていた銀色の刃が前方に展開してその切っ先を敵の方へ突き付けた。

 双方見合ったまま、動かない。

 ピスト型はスモール級だが、街中みたいに入り組んだ地形でも驚くべき機動力を発揮する厄介な相手だった。

 結梨は訓練の際に夢結から教わった話を思い出す。

 

「よく聞きなさい、結梨。デュエルにおいて基本となるのは、相手の姿勢を崩すこと。相手の足が遅いのならこちらから牽制を掛ける。相手の足がこちらよりも速いのなら、先に手を出させて受け流す」

 

 夢結の教えを実践すべく、結梨は後ろ向きに跳んだ。それから民家の塀へ器用に着地し、くるりと背を向けて駆け出した。

 ピスト型も結梨の後を追って走り出す。全長は二メートルで横幅も人よりは大きい。そんな体でありながら、民家の隙間に伸びる狭い路地を獲物目掛けて駆け抜ける。

 途中、追っ手を攪乱させようと何度も右折左折を繰り返す結梨。だが追っ手はその体と足で無人の家屋を打ち壊しながら、ぴたりと後ろに付いてくる。

 ブロック塀のコンクリート片や道路アスファルトの残骸を撒き散らすピスト型を、結梨は首だけ捻ってちらりと見やる。

 

 まだ早い。まだ隙ができていない。

 

 再び前を向いて走り、跳ねる。

 そうしている内に、結梨の視界に広めの土地と大きな平屋が映った。

 それは倉庫だった。

 おあつらえ向きにシャッターが僅かに上がっている。

 結梨はその勢いのまま、頭からシャッターの下に滑り込んだ。リリィでなければ肘やら膝やら擦りむいたことだろう。

 小さな窓から小さく光が差し込む薄暗い空間。

 そこで今度は楓の言葉を思い出す。

 

「結梨さん、いいですこと? ヒュージの類別というものは、我々人類側が大まかに等級や型を規定したに過ぎません。完全な類別が不可能なことは、特型の存在が証明していますわね。ですから、たとえスモール級やミドル級が相手でも、ゆめゆめ油断なさらぬように……」

 

 ややあって、シャッターが真ん中から突き破られた。

 ピスト型は一旦立ち止まり、鋭い足先で床を砕きながらゆっくり歩き出す。隠れた獲物を探し回るように。

 そんな四つ足の内の一本が、転がってきたドラム缶を刺し貫いた。ドラム缶ごときヒュージには何のダメージにもならない。

 しかしながら少しだけ動きに支障が出ていた。

 それを好機とばかりに、高い天井から結梨が身を投げる。

 

「てやあぁぁぁぁぁっ!」

 

 気勢を吐き出し銀の刃を振り下ろす。

 落下と体重と何よりマギを込めた一刀により、ピスト型の左前脚を見事に断ち切った。

 右前脚にはドラム缶の枷。故にピスト型は上あごを開いて自慢の牙で襲い掛かる。

 反撃は想定済みだ。結梨は斜め前に飛び込んで牙を躱すと、細長いピスト型の胴体に横から刃を突き刺した。

 機械の悲鳴か、獣の唸りか。形容し難い大音量を上げ、四つ足のヒュージは膝を突く。傷口から青い体液を滴らせ。

 

 手応えあり。

 

 だが結梨は敵から目を離さない。

 するとピスト型の青く発光する尾が震え、結梨の顔に伸びてきた。鞭のようにしなやかに、槍のように鋭く、弩のような敏速を以って。

 

 ここに来て結梨はレアスキルを使う。

 その名はゼノンパラドキサ。

 視覚で、感覚で、相手の殺意が読み取れる。強化された身体能力により、左右に首を振って尾の刺突を避けていく。

 そうして結梨はグングニルの刃を引き抜き、上段から斬り下ろす。

 胴体がザックリと裂け、ピスト型は完全に沈黙するのだった。

 

「油断、しなかったよ」

 

 立ち尽くして両肩で息をする。

 

「私、またできたんだ」

 

 しかしそれも束の間。結梨は大穴の開いたシャッターから倉庫の外へ出る。

 遮る物のない陽の光を全身に浴びた。

 その結梨の目の前に大きな球体が三つ。三本足で地面に立つ、テンタクル種オルビオ型。ミドル級だ。

 結梨はもう一度グングニルを構えた。右足を後ろに大きく引いて半身となり、顔のすぐ横で剣を真っ直ぐに保持する。霞の構え。

 マギはまだ十分残っている。消費を抑えていたから。

 

 まだ戦える。

 

 そう決意した結梨をよそに、三体のオルビオ型は続けざまに爆発で打ち据えられた。

 視線をずらすと、大通りの向こうから何人かの白服が近付いてくるのに気付く。

 白服たちの中央に位置する人物に目を引かれた。遠くからでもはっきりと分かる。黒い日傘に、黒く豊かな長髪。

 けれども一応、きちんと安全が確認できるまで、結梨はチャームの構えを維持することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如として住宅地跡に現れた白服――メルクリウスのリリィの内、先行する二人はブリューナクを構えてオルビオ型の撃破を確認すると、そのまま結梨の前を通り過ぎていった。

 遅れてやって来たリリィは、やはり目立つ。左手に日傘を差し、右手には鶴紗のティルフィングともまた違う大剣型のチャームを握っていた。身に纏う制服――はたして制服と呼んで良いのか微妙だが――は白と黒のドレス。左右に大きく距離を取って付き従うアステリオン持ちのリリィ二人が騎士だとするなら、彼女は女王か女帝といったところだろうか。

 

「そなた、ラーズグリーズのリリィか。余の城メルクリウスまで謁見に来たのを覚えているぞ」

 

 結梨の前で立ち止まった件のリリィは時代がかった口調でそう言った。

 勿論、結梨も覚えている。観艦式前日に一柳隊全員で会っていたから。

 彼女こそメルクリウスの生徒会長にして軍事指揮官、ティシア・パウムガルトナー。最初に聞こえた砲声は彼女たちによるものだろう。

 

「既にこの辺りのヒュージどもは排除した。警戒もさせている。チャームを下ろしてもよかろう」

「……うん、分かった」

 

 結梨は言われた通りに臨戦態勢を解き、グングニルの切っ先を下げた。

 

「そなた一人か。レギオンの者たちはどうした」

「横須賀基地に居ると思う」

「では何故このような場所に?」

「ヒュージを追い掛けてきた。私、リリィだもん」

 

 その答えにティシアは無言で思案しているようだった。

 だがすぐに結梨へと視線を送り、それから仰々しく口を開く。

 

「同道を許そう。余についてくるがよい」

 

 ティシアは言うだけ言うと、返事を聞かずに歩き出した。

 少しの間だけ躊躇っていた結梨だが、結局は後に続いて大通りに沿って進む。ティシアの右隣に追いついたところで、再び話し掛けられる。

 

「そなた名は何と言う?」

 

 前回はレギオンの代表者しか名乗っていなかったことを思い出す。

 

「結梨。一柳結梨」

「一柳……。確か白井夢結のシルトもそんな名だったな」

「梨璃は私に名前をくれたから、私の親なんだよ」

「そうか」

 

 詳しい経緯については聞かれなかった。()()()のリリィには慣れているのかもしれない。

 結梨は肩を並べて歩くティシアに目を向ける。長い黒髪の狭間から覗く右目を見ても、感情は窺い知れない。視線は穏やかではあるものの、それ以上のことは分からなかった。

 もっと近付いて匂いを嗅げば分かるのだろうが、仲良くなる前にそれは嫌がられるかもしれない。だから言葉を交わして知ろうと思った。

 

「私の名前、梨璃と夢結から貰ったんだ」

「ふむ、まるで親子だな。白井と一柳は夫婦(めおと)であろうか」

 

 冗談めかしたティシアの言葉に、結梨は真顔で頷く。

 

「梨璃は夢結を愛してて、夢結は梨璃を愛してるんだ。私は梨璃と夢結が好き」

 

 それを聞いた途端、ティシアの顔に初めて感情の変化が表れたようだった。僅かながら右の瞳を大きくしたのだ。

 

「何やらただならぬ空気は感じていたが、よもやそこまでの蜜月とは……。あの白井夢結が」

「夢結って有名人なんだね」

「相分かった。後ほど祝いの品を送ろう。無論、観艦式の礼とは別に」

 

 ティシアの様子を見て、結梨は彼女が喜んでいるのだと気付いた。梨璃と夢結のことを喜んでもらえたら、結梨もまた嬉しくなってくる。

 

「しかし、その好いた二人と離れて、今のそなたは一人」

「うん……」

 

 一転して気が沈む。

 結梨は歩きながら目線を下の地面に落とす。

 ただ、一柳隊の皆には言い難いことでも、直接関係の無い隣のリリィには話せる気がした。会って間もないはずなのに。

 

「私は皆と違うから、皆と同じように戦ったら駄目なんだって。梨璃が心配してるのは分かってるけど。でも、私も百合ヶ丘のリリィなのに」

 

 確かに結梨はかつて命を落としかけたことがある。

 だがリリィである限り、誰もが危険と隣り合わせなのだ。

 自分だけが特別なのは嫌だ。

 そんな思いを結梨は吐露する。

 

「そなたは(みな)と轡を並べて戦いたいと」

「うん」

「しかしそれは許されておらぬと」

「うん」

「ならばラーズグリーズから移るのも一つの手であるぞ。百合ヶ丘には事情持ちの集うレギオンが在ると聞く。余のレギオンと同じくな」

 

 前を見据えていたティシアの目が、隣の結梨を見やった。

 

「でも、やっぱり私は梨璃たちと戦いたい」

「そう請い願うのなら、もう一度、何度でも、話し合わねば」

「……分かったよ」

 

 結梨は視線を足元から前へと持ち上げる。

 元から、ここでヒュージを倒した後にそうするつもりだった。ただ踏ん切りがついたのも事実。

 今にも走り出そうとする結梨に対し、制するようにティシアの声が上がる。

 

「まあ待て。一人で先走るな。この地に横浜の魔女が潜り込んでおらぬとも限らぬぞ」

 

 結梨とティシアたちの行く大通りの先は住宅地跡の終点へと繋がっていた。ここから更に進めばメルクリウスへと帰還できる。行き違いにならないためにはその方が良いのだろう。

 

「ティシアも結構お節介だよね」

「性分だ。気にするな」

 

 一番のお節介が、きっと今も結梨の帰りを待っているはずだ。

 

 

 



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第13話 絆

 耳に押し当てた携帯電話から流れてくるのは無情な音声ガイダンス。梨璃の求める無邪気な声は微塵も聞こえてこない。

 

「……駄目、やっぱり繋がらないっ」

 

 耳から離した携帯を握り締め、梨璃は焦燥を滲ませる。

 焦燥がやがて恐怖と慟哭に変わるのは想像に難くなかった。

 

「昨晩メルクリウスに泊まられたのは確かなのですね?」

「ええ、昨日確認を取った通り。今朝方、京急本線の逸見駅に向かったところまでは確かだそうよ」

「電車に乗り込むまでの間に、何かあったと見るべきですね……」

 

 梨璃からやや離れた所で話し合っているのは夢結と神琳。二人とも表面上は平静を保っているが、梨璃の方を気にしているのは明らかだ。

 

「私も探しに行きます!」

「それはもう話し合ったでしょう。この横須賀基地にひょっこり帰ってくる可能性もあるから、誰かが残るべきだと」

「でも、もしヒュージに襲われてたらっ!」

「だからこそよ。今の梨璃を戦いの場に出すわけにはいかない。今は皆を信じましょう」

 

 夢結は両手で梨璃の両肩を包み込むように押さえ、どうにか落ち着かせようとする。

 

「夢結様、梨璃さん。わたくしはもう一度防衛軍を当たってきます。目撃情報が上がっているかもしれませんので」

「お願いします、神琳さん」

 

 夢結の返答を受け、神琳が一柳隊のために用意された控室を後にする。

 現在、この三人以外のメンバーは横須賀基地には居ない。手分けして捜索に出ているからだ。いつまでも戻ってこない結梨を求めて。

 

「やっぱり昨日の夜、ちゃんと声を聴いておけばよかったんです。ただの電池切れだって、どうして軽く考えちゃったんだろう……」

「過ぎたことを悔やんでも仕方がないわ。皆が、梅たちがきっと見つけてくれるから」

 

 横須賀基地の危機が去った翌朝のこと。

 大きな脅威こそ排除したものの、横須賀とその周辺では未だ小規模なヒュージの襲来が五月雨式に続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 横須賀基地南方に伸びる線路に沿って、鶴紗は北西方向へと走る。道中は少しばかり山がちであり、朽ちかけた石垣がレールに並行するよう続いていた。

 この辺りも一旦は放棄された土地でありながら、メルクリウスの活躍で徐々に住民が帰還しつつあった。元の姿を取り戻すにはまだまだ時が必要だが、それでも確かな前進と言えるだろう。

 

「こんなことに、なるなんてっ」

 

 アスファルトを蹴りながら、鶴紗は悔しさに唇を噛む。

 しかしながら、今のこの事態を全く予見できなかったかと言うと、それは怪しい。前々から結梨が皆と同じように任務に参加したがっていたことは分かっていた。意見する者も居た。

 だが結局、他のメンバーは梨璃の判断に任せて深く突っ込もうとはしなかったのだ。あの時、由比ヶ浜の海岸で、結梨を失った梨璃の悲しみを目の当たりにしていたから。一体誰が梨璃の過保護を責められるというのか。

 

「結局、梨璃が悲しむことになってるじゃないか」

 

 まだ結梨の反発が原因と決まったわけではない。しかし鶴紗も皆も確信を持っていた。後ろめたさ故であろうか。

 心持ち足の動きを速める鶴紗の前に、石垣から人影が滑り降りてくる。分かれて様子を見に行っていた梅だ。

 

「こっから暫くは、ヒュージと出くわさなかったゾ。……結梨も見なかったけど」

「そうですか……」

「掴まれ。一気に飛ばすゾ」

 

 そう言われて、鶴紗は梅の背中に背負ってもらう。梅のレアスキル、縮地によって移動距離を稼ぐために。

 

 一柳隊の捜索活動は横須賀基地からメルクリウスのある横須賀新市街にかけて実施されていた。

 雨嘉と鷹の目を持つ二水のコンビが視界の開けた沿岸部を担当。楓とミリアムは沿岸部と京急本線の中間地帯を捜す。梨璃と夢結、神琳は不測の事態に備えて基地に残留。そして鶴紗と梅が最も敵に遭遇する可能性の高い内陸部を当たっていた。

 最初の襲撃、横須賀沖での戦いから流れてきたラマ型は既に、ほとんどがメルクリウスと防衛軍によって討たれていた。むしろ問題なのはそれ以外。この機に乗じてケイブや陸路でやって来たヒュージたちの方だった。

 不幸中の幸いか、確認されているヒュージは少数のミドル級とスモール級のみ。ラージ級は認められず。だからと言って、決して安心できるものではないが。

 

 縮地による数舜の移動の末、二人は新たな捜索場所に辿り着く。

 この地もまた、ヒュージのせいで主たちに見捨てられた家屋が立ち並ぶ土地。先程まで駆け回っていた所よりも数段荒廃が進んでいる、廃墟と呼んでも差し支えない場所だった。

 

「ここも怪しいな。ヒュージが出るとしたら、こんな所だ」

 

 そう言って梅がタンキエムをシューティングモードで構え、廃墟群に向け歩き出す。

 一柳隊は何も当てずっぽうで動いているのではない。結梨の抱えていた不満からして、彼女がヒュージ討伐に向かう可能性は高い。そのためヒュージが出没しそうな地域を優先的に探しているのだった。

 

「鶴紗は無茶するなよな。チャームがそんなんだし」

 

 梅の忠告はもっともだ。

 鶴紗の右手に握られている今のティルフィングは短剣、ショートブレードモード。元に比べると随分頼りなく見えてしまう。

 予備のチャームを受領してコアを換装する手もあったのだが、鶴紗はこんな(なり)でも使い慣れたティルフィングを選んだ。

 それにいざとなったら、強化リリィである彼女には奥の手があった。

 

「大丈夫。ブーステッドスキルで傷も癒えたし、チャームも何とかなるから」

「それが無茶だって言ってるんだよなあ……」

 

 強化施術によって人為的に付与されるブーステッドスキル。鶴紗も持っている超回復能力のリジェネレーターをはじめ、非常に強力なものが多い。

 ただ、傷が無くなっても痛みまで無くなるほど都合良くできてはいない。体はともかく心には相応の負担が掛かる。

 しかしそれでも――――

 

「梨璃が、悲しんでたから」

 

 今にも泣き出しそうだった桃色髪の少女。

 誰よりも笑顔の似合う少女。

 そんな彼女のお節介に救われたのは鶴紗だけではないはずだ。

 

「それに夢結様だって」

「ああ、そうだな。結梨にまた何かあったら二人とも悲しむからな」

 

 梅の左後ろから続いて廃墟の中の道を歩く。

 拙い言葉で想いを表そうとする鶴紗に対し、梅は全てを察しているかのように応じる。

 

「夢結は今まで散々辛い目に遭ってきたんだから。これから先、幸せになったって罰は当たんないだろう」

「梅様……」

「梨璃だってそうだ。夢結のために、皆のためにあんなに一杯頑張って。だからご褒美があってもいいはずだ」

 

 しっかりとした足取りで前を行く梅の後ろ姿を、鶴紗はジッと見つめていた。

 考えてみれば梅と夢結の付き合いは、鶴紗と梨璃や結梨たちとの付き合いよりも長い。潜った修羅場、味わった辛酸もずっと多いだろう。

 そんな梅が何も感じていないはずがない。

 ただ、梅が冷静なお陰で、鶴紗はこうして思いの限りに動けている。

 梅はいつだって一柳隊の先輩だった。

 

「それに、結梨にだって教えてやりたいことや食べさせてやりたい物がまだまだあるんだ。今だってどこかでお腹を空かせているかもしれない。早く迎えに行ってやらないとな!」

 

 梅が力強くそう宣言する。

 鶴紗は沸々と自信が湧いてきた。ファンタズムなしでも光明が見えた気がした。「この人がここまで言い切ったのだから」と、強く信じることができた。

 

 そうして何軒もの家屋の横を通り過ぎたところ、突然くぐもったアラーム音が鳴る。二人の制服、そのポケットの中から。

 百合ヶ丘女学院支給の携帯電話に備わったヒュージサーチャーが警告を発していたのだ。

 

「梅様!」

「多分、どっかの路地だな。梅が先に行くから、離れてついて来るんだ」

 

 携帯に搭載されているサーチャーはあまり性能の良いものではない。近くにヒュージが潜んでいて、大まかな数と方角を知れるのが関の山だろう。無いよりはずっとマシではあるが。

 そういうわけで、こんな入り組んだ場所では索敵しながら戦う必要がある。

 二人は確実に、しかし迅速に終わらせるべく駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めてその子に出会った時は、ただ驚くだけだった。

 同じ時を過ごしていく内、懐かれた。お姉様も自分のことをこんな風に見ていたのかと想像する。

 運命だと思った。自分と彼女が出会ったのは。

 彼女を一度失った時、体のどこかが、目には見えないどこかがぽっかりと開いたようだった。あの感覚はよく覚えている。

 

 もう一度失ったら、その時は――――

 

「梨璃、梨璃」

 

 横から掛けられた声に、梨璃の意識が思考の渦から引き戻される。

 

「基地の中に戻りなさい。もうずっと立ちっぱなしでしょう」

 

 夢結に窘められる。少しだけ厳しい口調で。

 梨璃と夢結が立っているのは、横須賀基地の西門を出た丘の上の木陰。北西に伸びる国道がはっきりと見渡せる。

 

「お姉様……。でも、結梨ちゃんを待っててあげないと」

「それで倒れてしまったら、出迎えることもできないのよ。逆に結梨を心配させるだけ」

 

 しかし梨璃はその場から動こうとせず、口を強く結んで俯いた。

 夢結は夢結で二の句を告げられずに黙ってしまう。何と声を掛けようか考えあぐねているのか。ただ、無理に手を引っ張って連れて帰ろうとはしなかった。

 

「私、結梨ちゃんのために何かしてあげられたんでしょうか」

 

 やがて梨璃がぽつぽつと話し始めた。

 

「由比ヶ浜の戦いでも守ってあげられなかったし、お揃いの髪飾りもまだ見つけていない。私って口ばっかりで何にもできてないんです」

 

 珍しく弱気。珍しく自虐的。

 そんな梨璃に、夢結は重くなっていた口をようやく開ける。

 

「梨璃はどうして、あの子のために何かしたいと思ったのかしら」

「それは、えっと、どうしてでしたっけ」

「なら、あの子のことをどう思っているの?」

「家族……家族になりたいって思ってます。生まれなんて関係ない。結梨ちゃんと、本当の家族みたいになりたいんです」

 

 それは夢結に対する恋慕ともまた異なる気持ち。

 梨璃にとって家族とは、今も甲州で避難生活を送っている生まれながらの家族を指していた。これまでは。

 取り立てて意識したことのない家族という存在。一般的な家庭、それも幸福な家庭ならば誰だって強く意識はしないだろう。

 そこに現れた例外が結梨だった。

 

「だけどっ、その結梨ちゃんがまたいなくなったらって思うと!」

 

 胸の前で両手を握り締めるように重ね合わせ、梨璃はあの時を思い出す。

 

「またあんな思いをしたくない! またあんな思いをしたら、生きていけないっ!」

 

 閉じた瞳から滴が流れる。

 想像した結末は最悪のもの。だが一度は経験したために、それは真に迫ったものだった。

 夢結は一歩二歩と近付いて、梨璃のすぐ前までやって来る。

 けれども夢結は梨璃の涙を拭うでもなく、彼女の両肩に手を乗せて上を向かせようとする。

 

「梨璃、あの子も今の貴方と同じ気持ちだとは思わない?」

「えっ……?」

「私たちの帰りを待っている時の結梨だって、同じ不安を抱えていたはずよ」

 

 夢結の手に掴まれた肩がピクリと上下する。

 本当は分かっていた。分かっていたが、起こり得る恐怖を前に結梨の気持ちを二の次にしていたのだ。そのツケをこうして支払うはめになってしまった。

 

「家族なんでしょう? だったらあの子の想いにも、ちゃんと向き合わないと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人の光が消えて久しい荒れ果てた町の中を、頭を下げた前傾姿勢の鶴紗が走る。

 連続した砲声が鳴り、廃屋の壁を構成していたコンクリート片が宙を舞う。着弾地点は遠いはずが、その細かな破片が鶴紗の足元まで降ってきた。

 

「鶴紗ぁ! そっち行ったゾ!」

 

 インカムから響く声に、鶴紗は一番近い民家のブロック塀の横にぴったりと張り付く。

 そうして数秒後、路地裏から飛び出してきた四つ足のヒュージに横合いから組み付いた。短剣と化したティルフィングを細長い胴体に深々と差し込む。飛び出した勢いのままにヒュージを押し倒し、なおも暴れている敵の横腹に引き抜いた短剣をもう一度突き立てた。

 そのヒュージはそれで仕留めたのだが、鶴紗はすぐに立ち上がって周りを警戒する。彼女の背に、どこからかやって来た梅が背をくっつけて背中合わせとなる。

 

「梅様、こいつら……」

「腕が立つな。スモール級のくせに」

 

 民家に囲まれた通りの脇で、二人のリリィが周囲に視線を飛ばす。辺りにはアスファルトの舗装を砕く音――ヒュージの足音が不規則に鳴り響いていた。

 

 他に比べて小さいからスモール級。脅威度・低。

 それは経験則からくる人類側の判別だった。おおよそはそれで正解だった。

 しかし、人の常識がいつもいつも裏切られないとは限らない。人が勝手に決めた法則(ルール)に縛られる義理などない。彼女たちが相手取っているのは超常の存在なのだから。

 

「速さ比べなら梅も負けないんだが、こう障害物があるとちょっと厄介だな」

「それにあいつら、目が良いし耳も良い。ここは私が囮になって――」

「囮でも何でも、無策じゃ駄目だ」

 

 二人が焦っている理由は、スモール級の予想外な強さではない。結梨がこのような敵と遭遇して苦戦していないか。万が一にでもレアスキルを複合使用してしまわないか。それが憂慮の理由であった。

 

「待てよ。目が良い……目が良い……」

「梅様?」

「よっし、それじゃあ鶴紗に囮をやってもらおうか。制服のボタン、付いてるよな?」

「付いてるけど」

 

 返事をした後で、鶴紗は梅の言わんとするところを察した。

 百合ヶ丘女学院の制服はただの学生服ではない。付いてるボタンもただのボタンではない。梅はそれを利用しようと言いたいのだ。

 

 二人は手早く作戦を立てて、すぐに動き出す。

 通りを挟んだ向こう側、ブロック塀と門扉が崩れて侵入しやすい一軒の家を目標に、鶴紗が思い切り跳躍した。

 同時に、梅は周囲の家屋へ手当たり次第にタンキエムの砲弾を叩き込んでいく。

 開け放たれていた家の窓から、転がり込むように中へ飛び入る鶴紗。梅の牽制射撃のお陰か、侵入まではうまくいった。

 人の気配も生活感も無い、がらんどうの和室。

 畳の上を駆けて障子を開けると廊下が通っており、向かい側の正面には台所、左の斜向(はすむ)かいにはリビング。

 鶴紗はリビングの方へ移動した。そこは広い窓がついており、外からよく見通せる。作戦には打って付け。

 

「梅様、用意できた」

「こっちもオッケーだゾ!」

 

 簡潔明瞭な通信。

 それから時を経ず、甲高い破砕音と共に窓ガラスが砕け散る。

 長い頭部から鋭い牙をぎらつかせた四つ足のヒュージ。ファング種ピスト型が家の中に押し入ってきたのだ。

 ピスト型の顔、同心円状に配置された四つの青い瞳を睨みつつ、鶴紗はリビングから廊下へ後戻りする。

 すると、内装や内壁にぶつかり破壊しながら、敵が鶴紗の後を追う。

 逃げ込んだ先は最初に入った和室。ところが、そこにはもう一体のピスト型が待ち受けていた。

 挟み撃ち。

 和室の敵と、廊下から追ってきた敵。両方を目で確認した後、鶴紗の手が動く。ティルフィングを握る右手ではなく、拳を作っていた左手が。

 そうして開かれた拳が制服のボタンを放り投げた。

 

 次の瞬間、一面に瞬く白光。

 

 至近距離の上、狭い屋内。目くらましの閃光はより一層その効果を発揮した。

 敵の位置は覚えている。鶴紗は目を閉じたまま廊下のピスト型に肉薄し、頭部に向かってティルフィングを袈裟懸けに振るう。

 手応えを感じるや否や、続けざまに刃を繰り出し滅多切り。閃光が収まる前に確実に一体を討ち果たす。

 和室で待ち伏せしていたもう一体はと言うと、閃光弾の炸裂直後に窓から外へ退避していた。迅速果断な判断だ。

 だが轟く砲声がヒュージに逃走を許さない。

 視界の回復した鶴紗が庭に出ると、頭を撃ち抜かれたピスト型の亡骸を目にするのだった。

 

 そのまま民家から出てきた鶴紗は首を回して周囲を窺う。

 すると、何軒分も離れた二階建ての屋根の上に、タンキエムで伏せ撃ちの姿勢を取る梅を見つけた。先程の砲声は勿論彼女のものだ。

 そんな梅の下に歩み寄ろうとする鶴紗だが、不意に体を駆け巡った悪寒にその場で伏せる。ほとんど本能的、反射的な行動だった。

 

「まだっ! もう一匹!」

 

 梅の警告よりも早かっただろうか。

 横から伸びてきた一筋の光芒が鶴紗の右肩を焼いた。

 熱い。ひりひりと焼け付き今にも燃え出しそう。

 倒れた勢いを利用して路上を転がり、鶴紗は民家の敷地に逃げ込む。その最中に仰向けとなった彼女が見たのは、屋根を蹴り宙に跳ぶ梅と、同じく跳躍したピスト型との激突だった。

 

「こっのーーー!」

 

 吶喊する梅のタンキエム、その黄金色の刃がピスト型の牙と激しく火花を散らし合う。

 地上の鶴紗は自身の目を疑うような思いだった。

 

(ラージ級も軽く叩き潰せる梅様と、互角に打ち合うなんて……)

 

 よく見るとこのピスト型、脚や脇腹に装甲の継ぎ目が確認できる。それはレストアの証であった。

 スモール級のレストア。横浜での苦い記憶が蘇る。

 しかし鶴紗はすぐに考えを改めた。ここは横須賀、反ゲヘナ主義ガーデンたるメルクリウスの本拠地。奴らの差し金である可能性は低い。

 本当に偶然生き残り、修復措置を受けられたのだろう。その奇跡こそが、あのピスト型の力となっているのではないか。

 

「こんなこと、してる場合じゃないんだよ!」

 

 鶴紗の思考をよそに、屋根に着地した梅が吼えながらも再び宙に跳ぶ。ピスト型もそれに倣う。

 

「夢結は、梨璃や結梨たちと幸せにならなきゃいけないんだ」

 

 今度は正面から打ち合わず、梅の体が一瞬で敵の背後に躍り出た。

 振り向きざま、梅の眼前にピスト型の尾が迫る。だが青い光の矢の如き凶器は、首を捻っただけで躱された。

 そして振り下ろされるタンキエムによって、ピスト型が真下へ叩き落とされる。

 

「それをっ」

 

 止めを刺すべく後を追って落下する梅。

 一方、最後の力を振り絞ったのか、地に伏したピスト型は強引に頭を上に向けた。

 

「お前みたいなヒュージがっ」

 

 四つの青い瞳にマギの光が収束し、真上から落ちてくる梅へ狙いを定めて。

 

「邪魔していいわけないだろうがぁ!」

 

 放ったレーザーごと、ピスト型は梅の刃に両断された。

 

 携帯を通して、神琳から「結梨がメルクリウスに保護された」と聞いたのは、それから間もなくのことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京湾に面したメルクリウスの敷地。ひと気の無い港湾部の一角に、一柳隊が集っていた。

 押し黙った結梨に相対しているのは夢結で、夢結のやや後方に梨璃。それ以外のメンバーは遠巻きに固唾を呑んでいた。

 

 唐突に、パチッと乾いた音が鳴る。

 

 僅かに赤を帯びた結梨の頬。振り下ろされた夢結の平手。

 

「何故ぶたれたのか、分かるわね?」

 

 抑揚を抑えた夢結の声に、結梨は少々の逡巡の後、視線を伏せたまま梨璃の前に歩いていった。そうしておずおずと口を開く。

 

「梨璃、ごめ――」

「ごめんねぇ」

 

 結梨の言葉は遮られた。真正面から包まれるように抱き締められて。

 

「ごめんね、ごめんね結梨ちゃん。仲間外れは嫌だよね? 一人は辛かったよね? ごめんねぇ……」

 

 体を震わせ、声も震わせ、梨璃は絞り出すように謝罪の言葉を繰り返す。

 その思いの丈は言葉から、そして重なり合った全身から相手に伝わったようだ。結梨もまた、梨璃につられて瞳を潤ませ嗚咽を漏らし始める。

 

「もう一人にしないからねぇ。これからは一緒だよ、結梨ちゃん」

「あ……ああっ、うあっ、うううっ……!」

 

 お互いに肩を抱き合い、静かな嗚咽は程なくして慟哭へと変化した。

 この一角に、一柳隊以外のリリィは居ない。メルクリウスの配慮に感謝すべきだろう。

 そんな中、遠巻きに見守っていた内の一人である楓が前に出ていく。

 

「わたくし、前々から結梨さんを含めた戦術を幾つも組んでいましたの。梨璃さん、レギオン(みな)で話し合って、ベストな形を考えましょう。そうすれば、今よりももっと多くのものを守れるはずですわ」

「はいっ……!」

 

 涙の合間でもしっかりと返事をした梨璃に、見守る者たちに安堵が広がっていくようだった。

 結梨の抱える問題は未だ残っている。それでも彼女ら一柳隊()()は前を向いて改めて進み出したのだ。

 

 鶴紗も顔には出さずとも、ホッと胸を撫で下ろしていた。「世話の掛かる奴らだ」と言わんばかりに澄ました態度を取っていたが、胸には熱いものが込み上げている。それは先の戦いでヒュージに焼かれた右肩よりも、ずっと熱かった。

 ふと、鶴紗は隣の梅を横目で見る。

 梅の視線は梨璃たち三人の方に向いていたが、そのままの状態で鶴紗に対して口を開く。

 

「やっぱり、こうでなくっちゃな」

 

 強がるでもなく、気を遣うでもなく。極々自然に口をついて出た台詞。

 そんな風に鶴紗には感じられた。彼女に梅の真意全てを推し量ることなどできないが、少なくとも鶴紗はそう感じたのだ。

 

「梨璃が幸せで結梨が幸せで、そうなると夢結も笑顔になれる。それがきっと、一番なんだ」

「じゃあ、梅様は? 梅様は笑顔になれるの?」

「ああ、なれる。……嘘じゃないゾ? 本当にそう思ってる」

 

 鶴紗の問いに即答した。

 確かに嘘ではないのだろう。ただ、それが全てでもないように思えた。

 

「鶴紗。あの時の、鎌倉の街で保留にした答えだけどな」

「……はい」

 

 遂に来た、と鶴紗は息を呑む。

 以前、鎌倉市街でのデートの際、鶴紗は梅に「夢結への想いにケリをつけろ」と迫っていた。その時は保留にされてしまったが。

 

「梅は、今のままでいいよ。こうしてあいつらを見ていて、はっきり分かった」

「そうですか」

「こんな答えでがっかりしたか?」

「別に。梅様が呆れるほどお人好しなのは知ってたし」

「あははっ、言ってくれるなあ」

 

 物事も人の心もそう単純ではない。複雑な絡み合った感情を整理して、その上で出された答えなら、鶴紗はもう何も言うまいと決めた。

 そんな鶴紗の考えを知ってか知らずか、梅は頭の後ろで手を組み笑っている。

 屈託の無い梅の笑顔。それはいつも彼女が見せている表情のはず。

 

(綺麗……)

 

 しかし鶴紗には、その笑顔が何者よりも美しく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「ちょっ、急に何ですのチビッ子2号」

「わしはっ、わしはこういうのに弱いんじゃあ!」

「貴方、梨璃さんより泣いてますわよ……」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! よがっだぁぁぁぁ!」

 

 

 




これにて横須賀編は本当に完結。
以後は閑話を挟んでから物語が少しずつ進み始めます。

本作を書き始めた動機はたづまいの他、結梨ちゃんに色んなことをさせたいという思いがあるので、これからもちょくちょく出番があります。


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第14話 時には穏やかな日を

 一面に広がる芝生の緑。その天然のベッドに背中を預け、仰向けの鶴紗は視界に映る雲を眺める。あの雲はチャームみたいな形だとか、雲の流れが速いから風が強そうだとか。そんな益体も無いことを考えながら。

 仰向けだから、お腹は当然空を向く。そこに乗っかっている一匹の黒猫。鶴紗のお腹を愛用のクッションか何かの如く、我が物顔で占有していた。

 

「鶴紗ー」

「はい」

「そっちは四匹、梅は三匹。鶴紗の勝ちだなー」

「そっスね」

 

 やや間を空けた所で、同じように寝っ転がる梅に返事をする。

 よく見ればお腹の上以外にも、両脇と頭の近くで日向ぼっこをする猫が居た。

 百合ヶ丘女学院の敷地の中でも、校舎から程近くに位置する場所。ここで二人は時間内にどちらが多くの猫を呼び寄せるか勝負をしていた。

 有り体に言って、二人は暇を持て余していたのだ。

 

「全く、こっちから遊びに誘った時は中々乗ってこないのに」

「猫っていうのはそういうもんだって言ったじゃないか。いい加減慣れるんだな」

「分かってますよ」

 

 鶴紗が目を細め憮然とした様子で愚痴をこぼした。

 構えば逃げられ、構わなければ寄ってくる。難儀な気質だが、それでも猫好きをやめられないのが猫好きの猫好きたる所以であった。

 

「それにしても、暇だなー」

「暇ですね」

 

 しかし、日向ぼっこの邪魔をしては逃げられるため、猫と遊ぶこともできない。

 やはり暇である。

 横須賀外征から帰ってきたばかりで、街に繰り出す気分でもなかった。

 

「本当は訓練場行きたかったのに。ティルフィングも新しい刀身に換装したし」

「今日一日ぐらい休めって、学院からもうちのリーダーからも言われてるだろ? ま、横須賀であれだけ大立ち回りしたんだから当然だ」

 

 ちなみに話に出てきたリーダーこと一柳梨璃はと言うと、休暇を利用して朝から鎌倉の街へ遊びに出掛けていた。夢結と結梨との三人で。

 

「それに、結梨を入れた新しいフォーメーションや戦術を考えてるって楓が言ってたから。やっぱ訓練は明日からだな」

「でも自主練ぐらいなら……」

 

 なおも食い下がる鶴紗。

 彼女には強くなりたい理由があった。そしてそれは梅に見抜かれていたようで。

 

「特型か」

「……はい」

「まさか横須賀で出くわすなんてなあ」

 

 由比ヶ浜で、真鶴で、そして横須賀で。三度に渡って相まみえた特型ヒュージには因縁めいた何かを覚えざるを得ない。

 けれども鶴紗が感じたのはそれだけではなかった。

 

「あの特型、あいつを見てるとおかしくなるんです」

「どんな風に?」

「何と言うか、胸の中がむかむかすると言うか。自分の存在が怪しくなるような、恐怖と言うか」

「大袈裟過ぎ、ってわけでもなさそうだ」

 

 神妙な顔でぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。ちゃんと伝わっているか怪しいぐらい拙く。

 そんな鶴紗の話を、梅は切って捨てずに同じく神妙な顔になって聞いている。

 有り難かった。鶴紗自身おかしなことを言っていると自覚があったから。

 

「特型については今も学院が調べてるはずだゾ。あいつがやってきたことを考えたら分かるが、一柳隊(うち)だけでどうにかできる規模じゃあない」

「それでも、結局はあいつと直接やり合うことになる……気がする」

 

 我ながら根拠の薄弱な物言いであった。

 しかし、いつの話だったか。リリィにとっては直感も無視できない重要な力だと言われたことがある。

 言ったのは、今も隣で寝っ転がっている先輩だった。

 

「特型とやり合うにせよ、訓練にせよ、方法は皆で考えるのが良い。だから結梨たちも揃う明日、だな」

「分かりました」

 

 最後には先輩の言うことを聞いて大人しくなる。

 実の所、鶴紗は梅とこうしてゴロゴロするのも嫌いではなかった。

 

「結梨かぁ。楽しくやってるといいな。って、要らん心配だな」

 

 そう感慨深げに呟くと、梅は上体だけ起こして学院の敷地を隔てる門の方角に視線を送る。

 まだお昼過ぎ。結梨たちが街から帰ってくる時間ではない。当然、梅も分かっていて眺めているのだろう。

 ところが、「おっ」という小さな声を発したかと思うと、梅が立ち上がって芝生の中を歩き出した。

 向かう先は敷地の外から校舎へと伸びている一本の舗装路。気になった鶴紗も後に続き、程なくして二つの人影に気付く。

 

 校舎に向けて歩いてきた人影は、梅や今ここには居ない夢結と関係が深いリリィだった。

 

「あれ? 梅と鶴紗さん、ごきげんよう。横須賀から帰ってたんだ?」

「おー、ごきげんよう。昨日の晩にな。ちゃんと横須賀土産、用意してるから。あとでアールヴヘイムの控室に持ってってやるゾ」

「ありがとー! 楽しみにしてるよ」

 

 梅と親しげに言葉を交わす、金の髪を後ろで一本に縛った快活なリリィ。LGアールヴヘイムの主将、天野天葉(あまのそらは)は梅と夢結の友人であり、かつてのチームメイトでもあった。

 なお主将・副将というのは、率いるレギオンの格付けがSSランク以上の隊長・副隊長を指す慣例的な呼称のことだ。

 

「そういう天葉たちはめかし込んでるが、朝から街にでもお出掛けか?」

「いや、近場でハイキングだよ。お昼に食べた樟美のハンバーガー、美味しかったなあ」

 

 破顔して答える天葉は百合ヶ丘の標準制服ではなく、グレーのジャケットにデニムジーンズをカジュアルに着こなしている。

 そしてそんな天葉の右腕に両腕を絡めてくっついている銀髪ストレートの小柄なリリィ。江川樟美(えがわくすみ)はお揃いのジャケットにロングのプリーツスカートで上品に纏めていた。

 二人は夢結と梨璃のように、姉妹の契りを交わしたシュッツエンゲル。それも、恐らくは百合ヶ丘で最も有名な姉妹と呼べるだろう。

 

「樟美も可愛いな~。本当の妖精みたいだゾ」

「梅様、ありがとうございます」

「そうでしょう、そうでしょう。もっと褒めていいよ」

 

 樟美は礼を言いながらも、はにかんで俯いてしまう。

 一方、恥ずかしがり屋のシルトとは対照的に、天葉は我が事の如く胸を張る。

 明るく朗らかな天葉と、人見知りで儚げな樟美。華やかな容姿も相まって、二人並んだらとても絵になった。実際、彼女たちはリリィ専門誌の表紙を飾ったこともあるのだ。

 

「しっかし横須賀であれだけ大騒ぎだったのに、こっちはのんびりしてるんだな。まあ、梅はその方がいいけど」

「一応警戒はしてるんだよ。ただジタバタはしてないだけ」

 

 そこで天葉は声のトーンを落とし、話を続ける。

 

「静岡解放に向けた、嵐の前の静けさってところかな」

「……近いのか?」

「時期までは分からない。だけど良い意味で状況が変わってる。何でも湯河原や甲州から、ヒュージの数が目に見えて減ってるんだって」

 

 その話を耳にして、鶴紗は横須賀で楓が唱えた仮説を思い出す。

 曰く、特型が甲州や静岡などから戦力を掻き集めて襲撃してきたのではないか。

 今しがた聞いた天葉からの情報は、楓の仮説の裏付けとなり得るものだった。勿論、単なる偶然の可能性もなくはないが。

 

「そっか。じゃあこれから忙しくなるかもな」

「まあ、まだ様子見の段階だし、どうなるか分からないんだけどね。でも息は抜ける時に抜いておいた方がいい。貴方たち一柳隊もね」

 

 朗らかな性格とは裏腹に、天葉は幾つもの修羅場を潜り抜けてきた歴戦のリリィだ。その言葉には重みがある。

 それは天葉の戦友だった梅にも同じことが言えるはずなのだが。

 

「梅様はいつも息抜きしてるようなものなんで」

「あっははっ! 鶴紗さんも言うねえ」

 

 天葉は大きく笑った後、梅の方へと向き直る。

 

「じゃあ私たちはお暇するけど。そっちも休暇を楽しんで。あと、夢結にもよろしくねー」

 

 手をひらひらとさせてアールヴヘイムの姉妹は校舎へと歩き出した。

 アールヴヘイムは生徒会……すなわち学院運営から距離を置かれたレギオンだ。しかし同時に格付けSSSランクの、百合ヶ丘が誇るトップクラスのレギオンでもあった。軍令部作戦会議に席を持ち様々な情報に触れる機会がある。

 そんなレギオンの主将からもたらされる情報の価値は当然大きい。

 情報網の規模はコネクションによって決まる。コネクションとは、言うなれば交友関係のこと。故に人の縁というものは安易に無下にできない。今回の場合、梅と夢結の縁になる。

 

 その梅だが、天葉たちを見送ってから元来た方へと足を向けた。

 

「じゃあ戻るか」

「戻るって、さっきの芝生に?」

「ああ。アドバイスされた通り、ゴロゴロするゾ」

「まあ言われなくともゴロゴロするんですけどね」

 

 身も蓋もないことを言いつつも、鶴紗は梅の背中に続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、百合ヶ丘女学院から山を隔てた鎌倉市街地に、黒の制服を身に付けた三人の姿があった。

 街に出てきた目的の一つは、結梨の私服のレパートリーを増やすこと。これまでは主に、背格好が近い梨璃が分け与えていた。特殊な事情を抱える結梨に、以前までは百合ヶ丘から外出する許可が下り難かった事情もある。

 そのため今日は三人とも学院指定の制服姿。私服でのお出掛けは次の機会に持ち越されていた。

 

「お洋服は見つかったけど、一緒の髪飾りは見つからなかったねえ」

 

 結梨の左隣から梨璃が残念そうな声を出す。

 もう一つの目的は結梨にお揃いの髪飾りを買ってやることだった。出会ったばかりの頃に約束したまま、未だ果たされていなかったのだ。

 最初は市街中心部のデパートを当たり、その次に中心から外れた商店の列を見ていった。何軒もの店を回る途中、寄り道も沢山した。帽子を見たり本を見たり売店でおやつを食べたり。

 結局お目当ての物を見つけられなかったので、こうして街の外れをぶらぶらと歩いていた。

 

「どうするの? 何か似たデザインの髪飾りを買いに行きましょうか?」

 

 今度は結梨の右隣から夢結が尋ねる。三人は結梨を真ん中にして横一列になっていた。幸いこの辺りの歩道は人がまばらで、通行の邪魔はせずに済んでいる。

 

「ううん、やっぱりいいよ。髪飾りは」

「結梨ちゃん、本当にいいの? あんなに欲しがってたのに」

 

 梨璃は驚いて確認し直した。

 確かに寄り道の方を楽しんでいる節はあったが、それでも主目的は髪飾りのはず。結梨が病室で暮らしていた頃、せがまれた時のことは今でもよく覚えている。

 

「分かったんだ。別に同じじゃなくてもいいって。梨璃と夢結だって見た目も声も匂いも違うけど、でも一緒に居ると幸せそう」

「結梨ちゃん……」

「違うから、好きになることもあるんだね。私も、皆と違うけど好きでいていいんだよね?」

「いいのよ」

 

 真っ先に結梨に答えたのは夢結だった。

 夢結は結梨の髪の上から頬を乗せ、横から小さな肩を抱き寄せた。

 

「足りないところを補い合うため、人は一緒になる。だけど本当は理由なんて大した問題じゃないのよ。大切なのは、自分がどうしたいかということ」

「うん」

「私は結梨や梨璃たちと一緒に居たいわ」

「うん。私も皆と一緒に居たい」

 

 その素直な告白に、梨璃も結梨の肩に抱き付いた。

 ぎゅっと距離が縮まり密着する三人。

 結梨も最初は嬉しそうに顔を綻ばせていた。だがやがて両脇から挟まれて苦しくなったのか、眉を寄せて身じろぎし出す。

 

「んーーーっ! 梨璃も夢結も引っ付きすぎ!」

「ふふっ、また家出しないようにしっかり捕まえておかないと」

「そうだよ結梨ちゃん。もう離さないからね」

「もーっ、逃げないよぉ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特に目的地を定めないまま、梨璃たちは暫く鎌倉の街を散策していた。

 今は結梨が近くの広場のお手洗いへとお花を摘みに行っているので、二人は自販機傍のベンチに腰掛け待っている。

 自販機やベンチの後方にはレンガブロックを積み上げた花壇が連なっていた。

 商業施設と人の波が集まる中心部に、閑静な住宅区と緑が混ざり合う外縁部。ヒュージの侵攻によって生まれた新市街は現代建築と自然が融和する街だった。

 

「お姉様、今日はありがとうございます。付き合って下さって」

 

 梨璃は隣に座るお姉様にそう言って笑い掛けた。

 一方お姉様も釣られて微笑み返すが、すぐに口元を引き締めて表情を改める。

 

「私も楽しかったから。でも……」

「でも?」

「でも、その……あの時ぶったの、痛くなかったかしら」

 

 あの時。メルクリウスに結梨を迎えに行った時のことだ。

 まだ気にしていたのかと、梨璃の笑みが自然と深くなる。

 

「大丈夫です。お姉様の気持ち、結梨ちゃんにちゃんと伝わってますから」

「ならいいのだけど」

「それに、私もよく指導して貰ってますし!」

「もう、それと訓練とは別でしょう」

 

 お互いに笑い合って、それから穏やかな沈黙が流れ出す。

 時刻は西の空に陽が傾きかけた頃合。

 喧騒は遠く、心地好い静寂が二人の周りを包んでいる。

 そんな中で梨璃は視線を左右に走らせ様子を窺った後、意を決して口を開く。

 

「あの、お姉様。実はリップ持ってくるの忘れちゃって」

「そうなの? 迂闊ね。外出するなら肌身離さず持ってなさい」

「それで、そのっ、もしよろしければお姉様のを貸して貰えたらなーって」

「梨璃。口に触れて使用する物を使い回すのは衛生的に良くないわ」

「うっ……。それはそうなんですけど……」

 

 夢結からの手厳しい正論に、梨璃はもごもごと言葉を詰まらせてしまう。

 違う。主旨は、本当のお願いは別にある。

 しかし、よくよく考えてみると、この話の持っていき方は不自然ではないか。今更そんな躊躇が梨璃の中に生まれてきた。

 元より「当たって砕けろ」「取りあえず実行してから考える」といった性分の梨璃ではあるが、何事にも限度というものがある。彼女とて年頃の女子なのだから。

 そうやって二の句を告げるのに戸惑っていると、不意にベンチの裏から人影が伸びてきた。

 

「も~、全然駄目。夢結はにぶちんだなあ」

 

 席を外していた結梨だった。

 結梨はベンチ裏に立ったまま前のめりになり、二人の間に顔だけ割り込ませる。

 

「梨璃は夢結とチューしたいんだよ」

「ふぁあ! 結梨ちゃん!?」

 

 思わず珍妙な声が出る。

 これ以上ないというほどの図星であった。

 動揺して口を震わせる梨璃と困惑する夢結にはお構いなしに、結梨が話を続ける。

 

「さっきは皆のこと好きっていったけど、好きにも色々と種類があるんだ」

 

 そう言って結梨は夢結の頬へ軽く触れるような口づけをする。

 

「これが私の『好き』だけど、梨璃と夢結の『好き』は違うでしょ? 私、二人に素直になって欲しい。私を受け入れてくれたみたいに」

 

 結梨は二人から、ベンチから離れてどこかしらへ歩き始めた。

 そうしてある程度離れた所で振り返る。

 

「用事思い出したから、行ってくるね! そこでゆっくり待っててね!」

 

 そう声を張った後、梨璃たちから見えなくなるまで遠ざかっていった。

 この場に残された二人を、またもや静寂が包む。だが今度は長く続かない。

 

「あの子は、用事なんて無いでしょうに」

 

 照れ隠しなのだろうか、頬に手を当てて呟く夢結。口元が僅かに緩んでいる。嬉しさを隠し切れてない。

 そのすぐ傍へ梨璃が身を寄せる。本日二度目の決心と共に。

 

「お姉様……」

「梨璃」

 

 ベンチの冷たい木板の上でぴったりと隣り合い、上体と首を捻って見つめ合う。

 やがて見上げる梨璃に向かって、見下ろす夢結の顔が下りてきた。ゆっくり、恐る恐るという調子で。

 梨璃が目を瞑り、緊張から小さく唾を飲み込む。

 直後、軽く閉じていた梨璃の口に柔らかく弾みあるものが押し当てられた。

 ややあって互いに口を離すが、触れた部分から顔にかけて熱を持ったまま。冷たい風に吹きつけられると一層その熱が際立った。

 

「ごめんなさい、私もこういうこと慣れてなくて」

「慣れてたら嫌ですよぉ」

 

 そんな風に羞恥を誤魔化している内に、帰る時刻が近付いてくる。

 一旦は席を外した結梨だったが、思いの外遠くに行ってなかったのか、割とすぐに戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤焼けていた空が暗く滲んだ頃、本校舎にある一柳隊の控室にも灯りが灯っていた。時節柄、陽の落ちる時刻が早いだけで、まだそれ程遅い時間というわけではない。

 今日一日の休暇を終えて、一柳隊は今後の予定の打ち合わせのため、短時間ながら集まることになっていた。訓練メニューを軽く説明するぐらいのものだが。

 

「はぁ~……。一日オフだというのに、梨璃さんが居なければ心の洗濯にはなりませんわ」

「ここで愚痴を垂れるぐらいなら、付いて行けば良かっただろ」

「ご冗談を! あの中に割って入るなどと、わたくしそのような厚顔無恥ではありません」

「あっそ」

 

 部屋の中央、ソファの背もたれに寄り掛かって不満げな楓と、律儀に彼女の不平の相手をする鶴紗。鶴紗は似たようなやり取りを前にも交わした気がしていた。

 楓が話に上げた梨璃たちの姿はまだ無い。少々遅れて来るようだ。実際は他のメンバーが早く集合しただけなのだが。

 

「それにしても豪気じゃのう、メルクリウスは」

 

 同じく部屋の中央にある広いローテーブルの前で、腕組みしたミリアムが感心した声を出す。

 テーブルの上に並んでいるのは煌びやかな装飾の施された陶器製のティーセット。そして山と積まれた茶葉と茶菓子の箱である。

 

「ポットやカップもそうですが、茶葉もかなり上質のものですね」

「うん。大陸や台湾、こっちはインド産。海外から取り寄せた茶葉ばかりだね」

 

 山積みになった箱の内の幾つかを、神琳と雨嘉が手に取って眺めている。茶に拘りのある神琳が言うのだから間違いないのだろう。

 これらは皆、先の横須賀沖での戦いに参加した一柳隊への、聖メルクリウスインターナショナルスクールからの御礼の品だった。

 

「ティーセットにお茶の葉にお菓子。まあ妥当なチョイスではなくて? 横須賀だからといって下手に海の幸など送られても困りますし」

「私はそっちでも良かったかな」

「十人でも食べきれないほど送ってきますわよ」

「えっ」

 

 魚好きの雨嘉に、楓が忠告する。メルクリウスが古巣の彼女が言うのだから、多分間違いないのだろう。

 一方、鶴紗はお菓子の方が気になって仕方がなかった。茶葉の箱よりも更に高く積み上げられた菓子箱に、時折ちらちらと視線を送っている。

 こちらは茶と違って地元横須賀の品が中心だ。シフォンケーキや餡子の詰まった饅頭など、お茶請けにしては少しばかり豪勢なものもある。

 鶴紗は許されるのなら、今すぐにでもこの甘味の山に突入したい気分であった。全員揃ってないので流石に実行してないが。

 何も特別鶴紗の食い意地が張っているわけではない。常日頃から訓練や戦闘でエネルギーを大量消費するリリィたちにとって、糖分たっぷりのお菓子は何物にも代えがたいご馳走なのだ。甘い物が嫌いなら話は別だが、鶴紗は他の多くの女子と同じく、洋の東西を問わず甘味が好きだった。

 

「ごきげんよう。皆、早いわね」

 

 それから大して時間が経たない内に、夢結を先頭に三人が控室へ入ってきた。

 

「お帰りなさい! それで、どうでした!? 何かありましたか!? 勿論ありましたよね!?」

「あはは、別に普通だよー」

 

 興奮して詰め寄る二水に、梨璃はぎこちない笑顔で返す。この時点で何かあったと白状しているようなものなのだが、鶴紗は指摘しないでおいた。

 

「随分と物が多いけど。これは全部、メルクリウスの贈答品かしら」

「ああ、そうだ。机の上にある方は梅たち一柳隊宛だ」

「……ということは他にもあるの?」

「あるゾー」

 

 夢結の質問に答え、梅が部屋の隅へと移動する。途中、お菓子の山に目を輝かせていた結梨の手を引っ張って。

 

「こいつは結梨宛だな」

「私? なに~?」

「開けてみたらどうだ。まあ食べ物じゃないのは確かだろうけど」

 

 そこに置いてあったのは、薄いが大きい長方形の箱。

 結梨自身は中身に対して疑問符を浮かべているのだろう。一方、鶴紗は結梨個人に宛てて送られたことに疑問を持った。一瞬だけ差出人を偽装したゲヘナの謀略を想像したが、流石に危険物のチェックは学院が済ませているはずだと思い直す。

 好奇心の赴くまま箱を開けた結梨の目の前に、いかにも上質そうな布が現れる。

 

「これって、服?」

「うわー、ドレスだよ。よかったね結梨ちゃん」

 

 結梨の両手で広げられた黒と白の布地。梨璃の言葉通り、それは一着のドレスだった。箱の正体は衣装箱というわけだ。

 

「メルクリウスの現生徒会長……ティシア様は奇特なお方で、気に入ったリリィに服を贈られることがあるのですわ」

「そう……。これは、何か返礼をしなければいけないわね」

 

 楓が過去を懐かしむような呆れるような、微妙な顔で説明する。

 一方で夢結はと言うと、ドレスを掲げる結梨と盛り上がる梨璃を見つめながら、お返しの段取りを考え始めるのであった。

 

「この分だと残りも服だなー。ほれ、夢結と梨璃のだゾ」

 

 梅が更に追加で二つ、衣装箱を持ってきた。宛名は確かに二人の名前になっている。

 二つの箱は同時に開かれた。梨璃は期待に胸を弾ませるような調子で。夢結はそんな梨璃を微笑ましく横目で見ながら。

 きっちりと畳まれ収まっていたのはドレスだ。梨璃と夢結でサイズこそ違うが、同じデザインのドレス。ドレスには違いない。

 ただ、結梨のものとは趣を異にしていた。薄手で、白一色で、スカートの丈が床に届きそうなほど長い。

 誰がどう見ても明らかなその衣装の名を、この場に集った一柳隊を代表して、固まった梨璃と夢結に代わって結梨が口にする。

 

「ウエディングドレス!」

 

 後に判明するのだが、ドレスのサイズは二人の体型にほぼフィットしていた。メルクリウスに泊まった際に寝巻を借りた結梨ならともかく、二人のサイズは目視によって推測したのだろう。

 しかしそんな芸当も、今この場では気にも留められない。夢結と梨璃への贈り物を巡って一波乱も二波乱も巻き起こったからだ。

 一柳隊の休日は、最後の最後で大騒ぎの内に幕を下ろすのだった。

 

 

 



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第15話 新生一柳隊

 百合ヶ丘女学院を始めとしたガーデンは軍事養成機関であると共に、生徒に教育を施す学び舎でもある。校舎には講義室の他、予習復習に勤しむ者のために自習室が備わっていた。そこではマギやチャームやヒュージ関係の分野は勿論のこと、一般学問分野に四苦八苦するリリィの姿が多々見られる。

 自慢ではないが、鶴紗はそこそこ勉強ができる方だ。

 しかしながら、そこそこでは難儀するのがお嬢様学校たる百合ヶ丘。本日の講義終了後、自習室の一角を占める一柳隊の中に、頭を悩ます鶴紗の姿があった。

 

「分からん……」

 

 眉間に皺寄せ、机上の教科書を睨み付けている。

 

「財政に占める公債と租税の割合の推移とか、何の役に立つんだ……」

 

 レギオンの戦術、あるいはヒュージの特性について問われたらすぐに答えられる鶴紗でも、このような社会公民分野は不得手である。

 そんな彼女を隣の席からサポートしているのは、両サイドから艶やかな黒髪を垂らす雨嘉だった。

 

「えっとね、鶴紗がよく買ってる高い猫缶あるよね? 猫缶の値段の変化にも、財政は関係してくるから」

「……分からん」

 

 おずおずとフォローしようとする雨嘉だが、その努力は実を結ばない。勉強を始めてから何度かこんな展開が繰り広げられていた。

 

「ううっ、私やっぱり人に教えるの向いてない。こういうのは神琳の方が得意だよ」

「あいつは目つきと手つきが怪しいから、却下」

「そ、そうかな? 普通だと思うけど」

()()()()()()。雨嘉は騙されてるんだ」

 

 また、鶴紗たちからやや離れた所では、梨璃が悪戦苦闘を強いられている。彼女は鶴紗以上の窮地に立たされており、頭から湯気でも出そうな様子であった。

 

「梨璃さん、梨璃さーん。大丈夫ですかー?」

「大丈夫じゃないよ二水ちゃん……」

「数学はまあ、仕方がないですねえ。私も文系だから気持ちは分かります」

 

 泣き言を漏らしながら梨璃は必死に式を解いていく。

 これでも進捗がある方だった。隣に座る楓から手解きを受けていたから。そうでなければ、梨璃の頭はとうにオーバーヒートしていただろう。

 

 やがて、皆の自習が一段落付いたところで、おもむろに楓が両手をパンパンと叩いて注目を集める。

 

「皆さん、難敵ばかり相手にしては頭が煮詰まってしまいますわ。ここらで科目を変えてはいかが?」

 

 楓の提案に、二水が真っ先に食いつく。

 

「それじゃあ国際情勢概論やりませんか? 楓さんの得意分野ですし、講師になって欲しいです」

「まあ、わたくしに得意でない科目はありませんが。構いませんわ」

 

 特に反対する理由も無かったので、鶴紗も含めて皆が同意した。次の復習科目は、社会科目の中でも少々特殊なものになる。

 前世紀において、この国の教育機関は地政学や国際関係の教育をなおざりにしていた面がある。しばしば批判の的にもなっていた。

 だがヒュージ出現の戦時下で、それは改められた。取り分けガーデンでは国際情勢を重視している。留学生のリリィと交流する機会が多いからだ。

 

「まず初めに申し上げておきますが、社会科目だからといっていたずらに暗記するのは悪手ですわ。その国の中で、あるいは国同士で事が起きる時は、大抵の場合何か因果があるのです。ですから、おぼろげながらでも国の情勢と国際潮流を把握しておけば、おのずと答えが見えてくるでしょう」

 

 それができれば苦労はしない。そう思った鶴紗だが、余計な茶々を入れずに黙って続きを聞く。

 

「では梨璃さん。現状日本が特に重要視している相手はどこか、ご存じですわね?」

「えっと、ヨーロッパとアメリカです」

「流石梨璃さん! ご名答ですわ! 米国は言わずと知れた前世紀からの同盟国。昔に比べると自分たちの大陸に引きこもりがちですが、それでも世界の海上交通に彼の国が果たす役割は大なのです」

 

 世界各地にヒュージネストが存在するとは言え、広大な海を全て制圧されたわけではない。鈍足な大型ヒュージを迂回し、時折飛来する小型ヒュージを撃退するため、海軍大国の力が重要になってくるのだ。

 

「そしてもう一方の欧州連合。皆さんご承知の通り、チャーム開発とリリィ育成の最先端を行く存在ですわ。勿論、そうなれたのには訳があります」

「わけ?」

 

 まばたきしながら疑問を訴える梨璃に、楓が講義を続ける。

 

「ヒュージ出現当初はスモール級ミドル級が主体だったため、米中露といった大国は既存の軍備で()()()()()()()()()のです。その一方で、当時軍縮ムードの強かった欧州は死に物狂いで新たな力を模索せざるを得なかった。その結果が今日(こんにち)のチャーム・リリィ先進国という訳ですわ」

「へぇ~、そうなんだ~」

「ところで梨璃さん、そんな欧州連合を牽引する国も、当然ご存じでしょう? まあ聞くまでもありませんが」

「えっ。えーっと……」

 

 言い淀む梨璃に代わり、鶴紗が横から口を挟む。

 

「イギリスあたりでしょ」

「ち・が・い・ますわっ! 英国は政治的には距離を置いています! 欧州を引っ張っているのは我がフランス! ……あとスウェーデンですわね」

 

 ムキになったり冷静になったり忙しい奴だ、と鶴紗は呆れる。

 

「そう言えば両国とも大手チャームメーカーを抱えてましたね」

「その通りですわ、二水さん。お父様のグランギニョル社と、スウェーデンのユグドラシル社です」

 

 ユグドラシルと言えば、百合ヶ丘の主力採用メーカーの一つ。グングニルや鶴紗のティルフィングの開発元でもある。そういう意味では彼女ら一柳隊にとっても関係の深い企業と言えた。

 

「とまあそんな風に欧州の持つ影響力は大きいので、日本もお近付きになろうとあれこれ努力しているわけですわ」

「努力って……」

「技術交換協定や留学生交換協定。あと面白い物として、近年日本でも法制化された同性結婚などが挙げられますのよ」

「どういうことですか? それが何でお近付きに?」

 

 またもやクエスチョンマークを浮かべる梨璃に対し、待ってましたとばかりに胸を張る楓。

 ところが楓に先んじて、鶴紗と雨嘉の間からヌッと顔を出した人物が口を開く。

 

「それについてはわたくしがお答えします」

「居たのか、神琳」

「それ、心臓に悪いから止めて欲しい……」

 

 それぞれ反応を示す鶴紗と雨嘉だが、当の乱入者は気にした様子も無く話を続ける。

 

「たとえ話をしましょうか。まず、わたくしと雨嘉さんが高雄(カオシュン)で結婚します」

「ちょっ、急に何言い出すの!?」

「その後に来日したとして。日本が同性結婚を認めていなかった場合、法的にわたくしたちは赤の他人と見なされます。そうすると相続など財産権の問題は勿論のこと、どちらかが事故や急病で重篤に陥った際、面会するのにも苦労してしまうのです」

 

 雨嘉が赤くなって抗議する。

 けれどもこうなった神琳は並大抵のことでは止まらない。

 結局、雨嘉は恨みがましく細めた目で睨みつけるしかなかった。それがまた神琳にとっては逆効果なのだが。

 

「欧米出身のリリィは卒業後すぐに一緒になるケースもありますから。ちなみに法制化以前も、海外の同性婚者については夫婦として扱うと日本政府は()()していました。ですが、やはり配慮と法的保障では安心感が違ってくるのですわ」

 

 後を継いだ楓がそう補足した。

 実際、日本の同性婚法制化は欧州との関係強化のためとも、リリィの士気高揚のためとも言われている。

 鶴紗自身は結婚なんてものまで考えたことは無かった。が、士気が上がるという話は頷ける。特に楓などを間近で見ていたら。

 

「何だか話が脱線してませんかね?」

「おだまり、チビッ子! これは極めて重要なお話ですわ! ……というわけで、梨璃さん。もはやフランスでも日本でも、わたくしたちは気兼ねなく添い遂げることができますわ!」

 

 そんな風に楓が声を大にした直後、自習室の扉が音を立てて横開きに開いた。

 

「お主はちょいと気兼ねせぬか」

「何ですってぇ!? ってチビッ子2号! わたくしと梨璃さんの将来設計をぶち壊す気ですの!?」

「存在せぬものは壊せんな。それよりも百由様から言伝じゃ。結梨のレアスキル検査が終わったので、ようやく訓練に入れるぞ。夢結様と梅様は既に屋外訓練場で待っとるそうじゃ」

 

 扉の向こうから現れたミリアムが楓を軽くあしらい、用件を皆に伝える。

 それを合図にして、机の上に広げられていた教本等が一斉に仕舞われた。楓も渋々といった調子で席を立つ。

 講義と訓練の狭間の勉強会が終わりを告げる時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本校舎から北へ、山手に向かって歩いた先に百合ヶ丘の屋外訓練場がある。

 背の高い有刺鉄線フェンスに囲まれた広々とした土地。屋根と自動販売機付きの控え席。それ以外に設備らしい設備は見当たらないが、レギオン単位の大人数で訓練するにはこちらの方が都合が良かった。屋内訓練場に先約があったのも大きな理由ではあるが。

 

「来たわね」

 

 訓練場の端、控え席の長椅子に腰掛けていた夢結が一年生たちの到着を確認して立ち上がる。夢結の傍には梅と結梨の姿もあった。

 

「早速、本日の訓練についてですが。楓さんから提案があるそうです」

「はい。皆さんよろしいでしょうか」

 

 夢結に話を振られた楓が全員を見渡しながら発言する。

 

「我々一柳隊のフォーメーションと戦術を改めようと思っています。主に結梨さんの役割について」

 

 今までも、結梨は全く戦闘に参加させてもらえなかったわけではない。百合ヶ丘の国定守備範囲内での当番任務、小規模ケイブの撃破など、比較的易しいと想定される任務には出撃していた。

 これまで結梨が担っていたのはBZ(バックゾーン)中央(セントラル)。後方からの援護射撃が主な仕事だった。楓はこれを変えようと言うのだ。

 

「これからは結梨さんのレアスキルも計算に入れていきますわ。先の横須賀での戦闘データを見る限り、たとえお一人でもスキル乱用の心配は無いと判断致しました。梨璃さんも、それでよろしいですわね?」

「……はい」

 

 楓からの確認に対し、ゆっくりと、しかし力強く梨璃が首肯した。

 レアスキルの複合使用を危険視する百由の判断は未だ変わらない。それでもなお一柳隊は、そして梨璃は、結梨を信じていこうと決めたのだ。

 

「楓さん、ちょっといいですか?」

 

 手を上げて質問するのは二水。彼女もレギオン戦術に関しては非凡な才を見せる。それこそ楓が舌を巻くほどに。

 

「フォーメーションも変えると仰いましたが、結梨さんをBZから変更するんですか?」

「ええ、そうですわ。確かに一柳隊の目標はBZの更なる強化にありました。ですが、それでは結梨さんの力を十分に発揮できないのです」

 

 一柳隊は人数で言えばBZが多い。だがそれは防御を重視する戦術方針のため。雨嘉は別として、梨璃にしろ二水にしろミリアムにしろ、射撃が取り立てて上手いということはない。

 一方でAZ(アタッキングゾーン)に入るのは夢結と鶴紗、場合によっては梅も加わる。戦力的には申し分ないだろう。

 

「結梨さんに移って頂く先は、TZ(タクティカルゾーン)セントラル。具体的にはわたくしのすぐ前方ですわ」

「それは……フォーメーションのど真ん中ですね」

「二水さんの仰る通り。ど真ん中に配置するのは結梨さんに使って頂くレアスキルと、果たして頂く役割が関係してきますわ」

「それで、そのレアスキルとは?」

「ゼノンパラドキサ」

 

 楓の答えに目を瞬かせて意外そうな顔をする二水だが、それも一瞬のこと。得心がいったのか、すぐに小さく頷いた。

 ゼノンパラドキサとは、高速移動スキルの『縮地』と敵味方の行動のベクトルを視覚・感覚で察知する『この世の理』、双方の能力をサブスキルレベルで複合したレアスキルである。

 

「攻撃にも防御にも味方の支援にも活かせるこのレアスキルで、結梨さんにレギオン全体の『火消し役』を務めて頂くのです」

「今までの梅と似た立ち位置だなー」

「そうですわ梅様。結梨さんが後釜につくことで、梅様は前衛の援護や単騎駆けに専念できるというわけです」

 

 それは大役だった。楓や神琳の指揮を受けるとは言え、個人の判断が必要な場面も多々出てくるはず。

 にもかかわらず、楓は幾つもあるレアスキルからゼノンパラドキサを選び、そんな大役を任せると言う。

 

「無論、『天の秤目』にして援護特化にしたり、『Z』にして衛生要員にする選択肢もありました。ただ、ご本人とも話し合ったのですが、やはり結梨さんの真価は高いマギ出力による攻撃にあると結論付けたのですわ。それに……」

 

 そこで楓は一旦言葉を区切り、悪戯っぽくウインクした。

 

「効果が目に見えて分かりやすいゼノンパラドキサで登録しておいて、万が一他のレアスキルを使った場合はサブスキルと言い張ればよいのです」

 

 結梨が複数のレアスキルを操れる事実は極秘事項とされている。表向きには未覚醒という扱いだ。勿論、実際に結梨の戦闘を目撃した百合ヶ丘のリリィたちは真相を知っている。

 ただそれでも、悪目立ちする真似は可能な限り避けるべきだった。

 

「以上。皆さん異論が無いのでしたら、早速訓練に移りましょう」

「……無いようね。では最初にレギオン全体での遭遇戦闘訓練を。しかる後に反省点を踏まえた個別での訓練へ移行します」

 

 夢結の指示により、新生一柳隊十人による訓練が開始されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全員での連携訓練を一通りこなした後、一柳隊は各個人、あるいは少数での訓練に励んでいた。

 本日の主役とも呼ぶべき結梨はと言うと、梅から高速移動技術や体捌きなどの指導を受けている。楓の示した方針に基づいて、遊撃戦に必要な立ち回りを身に付けるためだ。

 傍から見る限りでは、指導は順調だった。

 元々、結梨は呑み込みがとても早い。この分ならば新戦術・新フォーメーションが形になるのもそう遠くないだろう。無論、だからと言って実戦ですぐに戦果を上げられるほど甘くはないが。

 

 そんな結梨の駆け回る姿を遠目に見つつ、鶴紗はシューティングモードのティルフィングを担いで夢結の方へ近付いていく。

 

「夢結様、射撃を教えて欲しいんですけど」

 

 突然の依頼に、夢結は困惑しているようだった。

 

「鶴紗さん。射撃と言っても色々あるけど、単純に射撃技術を磨きたいのかしら? 私から見て、鶴紗さんの腕はAZとしての必要水準を満たしていると思うわ」

「……いえ、高速で飛び回る的に当てたいんです」

「それは、ひょっとして特型のことを指しているの?」

「まあ、はい。そうですね」

 

 これまで三度も遭遇しながら取り逃したペネトレイ種特型ファルケ。飛行型ヒュージの撃破には射撃技術が必須になるが、従来の敵と一線を画する機動性に翻弄されているのが実情だった。

 

「飛行中の敵に弾を命中させるのは至難の業よ。一朝一夕に上達するようなものじゃない。もし鶴紗さんがあの特型を倒したいのなら、他の手段を模索すべきかもしれないわ」

「他の手段って?」

「例えば、ブレイドモードによる接近戦に持ち込むとか」

「それこそ一朝一夕で真似できないと思う……」

 

 大空を自由に飛び回る敵に斬るだの殴るだの、狙ってやれるようなものではない。夢結や梅みたいな技量の持ち主ならともかく、並のリリィには大分無理がある話だ。

 

「いえいえ、夢結様のお考えが案外最適解かもしれませんよ?」

 

 後方から突然の声と気配。

 もはや振り向かなくても状況が分かる。

 

「またお前はっ……背後霊か!」

「お褒めに与り恐縮です」

「褒めてない!」

 

 飛び退いてから神琳を威嚇する鶴紗。

 しかし鋭い視線を向けられた本人は堪えた様子もなく、夢結と夢結の後ろに避難した鶴紗に対して先程の話を再開する。

 

「飛行型が厄介なら、そもそも自由に飛行させなければ良いのです。そのような地形に追い込んだり、誘い込んだり。己が有利な戦場を選択するのは、古今東西の常道でしょう」

「そんなに上手くいくか。あいつ、人間みたいな知能があるかもしれないのに」

「下手に知能があるからこそ、通じる策もあるのですよ」

 

 神琳は妙に自信ありげに言うし、逆に鶴紗は彼女の意見に否定的。

 だがいずれにせよ、特型の居所を突き止め、なおかつこちらが戦闘の主導権を握らねばどんな策も成功は覚束ない。さもなくば机上の空論で終わるだろう。

 結局の所、個人でできることは高が知れていた。

 

 少しだけ重く、張り詰めてきた三人を包む空気。

 ところがそんな空気を、対照的に明るい声が打ち払う。

 

「夢結! 私、筋が良いって! 梅が言ってたよ!」

 

 結梨だ。

 梅と共に訓練場を駆けていた彼女がいつの間にかやって来て、夢結の左腕に飛びついていた。

 

「チャームを構えている時に抱き付いては駄目だと、前に教えたでしょ?」

「うん、分かった! それでね、梨璃もね――――」

 

 夢結に窘められても何のその。まくし立てるように喋り出す。

 その光景を黙って見ている内に自然と口元を緩めた鶴紗の横へ、やはり自信ありげな神琳が歩み寄ってきた。

 

「今のわたくしたちは、以前までの一柳隊とは違います。なのでもう少し肩の力を抜いても良いのでは?」

「……そうかもね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高架の上にずらりと連なる車の列。高速道路とは名ばかりに、牛歩の如き安全運転によりゆっくりと前に進んでいる。

 ヒュージとの戦いで負った傷を直す、戦災復旧工事による大渋滞であった。

 そんな東京地区東部を走る車列の中に、黒塗りの大型乗用車が六台、一本棒を成していた。更にその中の一台で、背広を着た老齢の男性が後部座席に深く腰を下ろしている。

 車中の老人――日本国内閣総理大臣は丸眼鏡の奥から鈍い眼光を湛えて前を見据える。視線の先にあるのは車両に備え付られたディスプレイだった。

 

「横須賀沖の戦闘報告に出てきた百合ヶ丘のレギオン、覚えているかね?」

「勿論です。LG(レギオン)ラーズグリーズ。百合ヶ丘でのギガント級特型ヒュージ討伐に参加した一隊ですね」

「そして、例の人造リリィが所属している隊でもある」

 

 ディスプレイに映っているのは、総理より一回りは年下の同じく背広姿の男性だ。彼は防衛大臣として、軍政・軍令の指揮を執ると共に、国内のガーデンを()()する立場にあった。

 

「あのレギオン、格付けはランク外だったね」

「はい。元々、百合ヶ丘は高ランクのレギオンにしか外征させていなかったのですが。近年は方針を翻しています」

「ほとんど無名だったレギオンに人造リリィを放り込む。初めはカモフラージュだと思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。咬月君め、一体幾つ隠し球を持っているのやら。頼もしい限りだよ」

 

 百合ヶ丘の実質的な長の顔を思い浮かべながら、総理が皮肉げな笑みを見せる。

 

「しかし総理。横須賀沖での戦闘に彼女、一柳結梨さんは投入されませんでした」

「ああ。出し惜しみしているのか、それとも目立つ場で戦わせたくないのか」

 

 政府から容認されたとは言え、人造リリィが極めて特殊な存在であることに変わりはない。取り分け戦闘能力に関して衆目に晒したくないのは理解できる。彼女を生み出したゲヘナが彼女を諦めたという保証はないのだから。

 

「人造人間だろうが改造人間だろうが人外の化生だろうが、制御できるのなら、その異質さは些細な問題だ」

 

 総理の言う『制御』とは、何も命令で強引に従わせることだけを指しているわけではない。

 それは何らかの報酬を対価にした契約という形もあるし、教育によって価値観を共にさせて行動を自然と誘導する手法もある。

 

「逆にただの人間でも、御せないのならばそれは害悪となり得る」

「……統幕内の急進派をリストアップして、端末に送っております。彼らに同調する青年将校たちも」

 

 防衛大臣の言葉を受け、総理は自身のタブレット端末を操作し閲覧した。

 そうして一通り目を通した後に、低く唸るような声を上げる。

 

「若いな。二十代や三十代前半ばかりじゃないか」

「あの世代は、リリィが戦うことが当たり前となった時代の者たちです。なので政府のガーデン優遇政策に強い不満を持っている。その上、自衛隊上がりの将校に対しては『小娘(リリィ)にぺこぺこと気を遣う腑抜けの老害』と侮蔑しているのです」

 

 政府がガーデンとリリィ個人を手厚く遇しているのは、彼女らのモチベーションを上げるため。そしてもう一つ。未成年の女子に武器を取らせている現実への、大人たちの罪の意識を代弁するためでもあった。

 特に自衛隊世代、年配の防衛軍将校にとってこの現実は重く伸し掛かっている。リリィの本格運用以前から戦ってきたが故に、彼らはヒュージの恐ろしさもリリィの必要性も痛いほど理解していた。それでもなお、リリィという子供を投入することに心理的抵抗があったのだ。

 彼らの心は未だ、軍人ではなく自衛官だった。その事実が、若い軍人たちとの世代間対立を生んでいるのかもしれない。

 

「また、急進派は水面下で民間の政治団体とも接触を繰り返しています」

「接触? まさか講演会や勉強会などではないだろうね」

「いえ、そこまであからさまなものでは……。少人数での、会合と称するべきでしょうか。そこで話し合われた内容も、断片的ですが調査済みです。端末をご覧ください」

 

 総理は再びタブレットに目を向ける。

 そこには統合幕僚監部の急進派と政治団体の間で意見の一致を見た主張が羅列されていた。

 

『地方自治体の締め付け強化』

『ガーデンの国有化』

『対欧従属外交の打破・自主独立外交の確立』

『元リリィからの被選挙権の剥奪』

 

 もし若い頃の総理ならば、外交官時代の彼ならば、タブレットの文章を見て目眩を覚えていただろう。

 だが今の総理が催したのは目眩ではなく、吐き気であった。

 

 こんな馬鹿げたことのために、反乱を起こそうとしているのか――――

 

 急進派が思想的拠り所としているもの。それは復古主義だった。

 前世紀において死に体と化していた復古主義。そんなものを今更掲げてきた理由は大体予想が付いた。

 自由で独特な気風のリリィと、彼女たちの肩を持つかのような政府の政策。それらが古き良き日本を尊ぶ者たちの、絹よりも繊細な心を追い詰め傷つけたのだ。リリィの生き方・在り方が、この国の精神を変えてしまうのではないかと。

 無論、根底には防衛利権をガーデンから奪い返すという即物的な動機があるはずだが。

 

「彼らはリリィの持つ力ではなく、リリィの価値観に対して脅威を感じているのでしょう」

「リリィの価値観か……。同性愛に、家族ごっこ。大いに結構じゃないか。士気を上げるためなら安いもの。過去の因習に囚われて個々のパフォーマンスを殺すのは、間抜けのやることだ」

「はい、実際多くの国民は積極的にしろ消極的にしろ、リリィを支持しています。だからこそ反対者は彼女らの影響力を恐れるのですが」

「元リリィの擁立は与党(うち)の中でも検討していたな」

 

 ヒュージ討伐の英雄であるリリィが将来政界に進出し、与党がその組織力を以ってバックアップしたならば、強力な集票役が誕生するのは確実だろう。

 しかし現状では、慎重に事が運ばれていた。

 

「脅威論者の言う『リリィに取って代わられる』だったか? 私は仮にそうなっても、別に構わないと思っている。それで国が富むのなら」

「総理、それは……」

「もっとも、本当にそんな事態になったとしたら、政治家としては無能の証明だがね」

 

 総理は自嘲気味に、起こり得る未来を想像する。

 それは諸刃の剣であった。

 確かに選挙には勝てるだろう。しかし政敵が同じことをしてきたら、不毛な人気取りの合戦と化してしまう。衆愚政治と言われても、もはや言い訳のしようがない。

 それから少々の沈黙を挟んだ後、防衛大臣が口を開く。

 

「それで、どうされますか? 現状集めた情報だけでも統幕に対するカードになりますが」

「いや、まだ弱いな。何か、決定的な何かが欲しい」

 

 車内でのやり取りが終わりに近付く頃、渋滞が解消に向かい始めた。少しずつ車列の速度が増し車間距離が広がっていく。

 首都東京とは言え、平和だった時代に比べると車の数は減っている。都市機能分散のために地方分権が進んだ現状では尚更だ。

 この街がかつての姿を取り戻すのは、いつの日のことか。あるいは永久にその日は来ないのかもしれない。

 それでも数多の思惑の下に、そこに住む人間は動いている。

 

 

 



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第16話 生徒会三役連絡会議

 広く機能的で、お嬢様学校の割には簡素な生徒会室にて。

 広い背もたれと手掛け付きの丸椅子に、猫背気味に腰掛けているのは内田眞悠理。彼女の切れ長の瞳は机上にある複数枚の紙を睨み付けていた。

 紙に書かれている内容は多少の差異こそあれど、ある意味で全て似たり寄ったり。『隣の部屋でルームメイト同士よろしくやってる』だの、『食堂で食事中に過剰なコミュニケーションを取る者がいる』だの。

 眞悠理の役職はジーグルーネ。ガーデン内の風紀を司る立場であった。故にこれも、一応仕事の内である。

 

 陳情書は愚痴を垂れる物ではないんだが――――

 

 声を大にしてそう訴えたい眞悠理であるが、胸の内に仕舞って机から視線を上に持ち上げる。

 長くて広い机の向かい側の席では、秦祀が先程の眞悠理のように視線を落として何かしらの紙を見つめていた。ただしムスッとした顔の眞悠理とは対照的に、彼女の目元と口元は緩んでいる。時折小さな笑いすら漏れるほど。

 

「楽しそうだな」

 

 眞悠理はちょっとだけ恨めしい声色で話し掛けた。

 

「良い物が届いちゃってね。学院宛に。眞悠理さんも見てみる?」

 

 意に介した様子もなく、祀が机上で片手を伸ばして何枚かの紙を渡してくる。

 紙は手紙だった。お世辞にも綺麗と言えないような字で、中には絵を添えた物もある。

 

「差出人は……鎌倉市内の幼稚園?」

「園児から応援のお便りよ。『がんばってください』とか『すごくかっこいいです』とか。やっぱり子供はいいわねえ。癒されるわ~」

「成る程、それでさっきからニヤニヤしてたのか」

 

 学院宛に届いた手紙類は学院職員を通してから生徒会に渡される。その前に危険は無いか、薬品反応などの検査が行われていた。然るべき手順を踏んだ後、然るべき物は生徒会の手で掲示されるといった寸法だ。

 個人宛の場合は当然ながら通信の秘密が守られるものの、危険物のチェックは同様に欠かせない。ガーデンは軍事養成機関でもあるからだ。

 

 現在、お昼を少し過ぎたばかり。二人は二年生だが、既に結構な数の単位を取り終えていたので、あくせくして講義に出る必要は無かった。お陰で生徒会の仕事に集中できるのだが。

 

「史房様が来られるまで時間があるし。たまにはこういう役得があってもいいと思わない?」

「これで役得になるなんて、安上がりなことだ」

「褒め言葉と受け取っておくわ」

 

 眞悠理の軽口を軽くあしらう祀。

 ところがそんな祀が急に、フッと表情を消した。

 

「まあ、嬉しいお便りばかりでもないのだけど」

「……有名だからな。百合ヶ丘は」

 

 大体の事情を察し、眞悠理は祀が新たに手にした封筒へ目を向ける。すると黙ってこちらに差し出してきたので、そのまま受け取り中身を取り出した。

 まず最初に眞悠理が注目したのは、その文章量。

 百合ヶ丘のように名を知られたガーデンになると、中には悪意の籠った贈り物も届いたりする。ただ、そういった物のほとんどが短文の罵詈雑言や脅迫だった。今回の手紙みたいな長文による非難は珍しい。

 そしてもう一つ注目すべきは、その文章を構成する文字。印刷ではなく手書き、それも相当な達筆である。

 これは只者じゃなさそうだ。覚悟半分期待半分、眞悠理は冒頭にある定型文の挨拶を飛ばし、肝心の本題部分を読み始めた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 理事長代行高松咬月氏、並びに百合ヶ丘女学院の皆様方。まずは突然このような駄文でお目汚しすることをお許しください。

 ただ弁解をさせて頂くならば、小生にはどうしても筆を執らざるを得ない義があるのです。

 単刀直入に言って、あなた方は間違っている。否、あなた方百合ヶ丘を始め、全てのガーデンが誤った道へと猛進しているのです。

 ガーデンを取り巻く現状は、異常としか言いようがありません。女子が女子と恋愛関係を持つ。あまつさえそれが臆面もなく雑誌等のメディアに取り上げられる。更にはそれを後押しするかの如き政府の悪法。

 これは天変地異の前触れでしょうか。小生は悪夢でも見ているのでしょうか。残念ながら、全て現実なのです。

 

 そもそも女性の幸福というものが、男性と結ばれて子をなし、家庭を築き、それを守っていくことにあるのは自明の理。それが古来から連綿と受け継がれてきた自然の摂理なのです。

 あなた方リリィの振る舞いはこの世の理も、この国の文化も精神も、全てを侵す行為に他ならない。あなた方は『伝統の破壊者』なのです。

 

 とは言え、リリィ本人を責めるのは酷というもの。精神疾患を患っている者を哀れみこそすれ、非難するなど外道の所業。

 では諸悪の根源はどこにあるのか。言うまでもなく、悪法を振りかざし偏向したプロパガンダを振り撒く政府と、それを垂れ流すマスコミたち。彼らこそが今この国を歪めている元凶なのです。

 歪みは正さなければならない。それが可能なのは理性という名の剣と、啓蒙という名の灯りだけ。

 

 高松咬月氏、貴方にできるのはご友人である総理大臣を諫めること。そして哀れなリリィのために環境を改善してあげては如何でしょうか。

 現状のガーデンでは、生徒は勿論のこと、教職員もほとんどが女性で構成されています。女子校という偏った環境が同性に走らせているのは明らか。昨今この世界を蝕んでいる歪んだ女尊男卑の思考の温床に違いありません。

 逆に言えば、男性の魅力を知ることで間違った性癖が矯正され、正常で健全な恋愛感情を育めるはず。男性を不快な目で見たり軽んじることもなくなるかと。

 真に生徒の未来を案じるならば、どうか閉鎖された箱庭を打ち破ってください。

 さもなくば、貴方は後世において必ず裁かれます。『歴史の大罪人』となることでしょう。

 

 また、小生は共学化と共に、防衛軍から教導官を招聘すべきだと愚考します。

 チャームとは兵器。普段ヒュージを相手にしているとは言え、人を殺めることができる兵器なのです。そんな代物を扱うことの重さと覚悟を、箱庭に閉じ籠っているリリィや元リリィの教導官が本当の意味で理解できるとは思えません。

 そこでプロの軍人に、本物の防人に、心の強さと力を持つ者の在り方を学ぶのです。

 

 以上、長々と書き連ねて失礼致しました。

 今後の皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

 

 心に刃を。大地に光を。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「何だこの怪文書……」

 

 読み終えた眞悠理の口元は痙攣の余韻の如く引きつっていた。

 事実は小説より奇なり。繰り出された文は彼女の覚悟を上回っていたのだ。何が書かれているかは分かるが、何を意味しているかは分からない。そんな文だった。

 

「差出人は都内在住の男子高校生ですって。名前も含めて、本当の素性かどうかは分からないけれど」

「代行はこれを読んで、何と?」

「ここまで気を遣わせた以上、返信せぬのは無作法じゃろうって」

「ペンフレンドかな?」

 

 何食わぬ顔の祀と話している内に、眞悠理も平静を取り戻してきた。そうして怪文書の中身について落ち着いて考え始める。

 

「悪戯だとしても、費やされた労力を思えば、かなり本気の悪戯なんだろう。だったらこちらも本気で考えなければ」

「眞悠理さん?」

 

 様子の変化に訝しむ祀だが、眞悠理は構わず続ける。

 

「まず差出人名について。流石に実名とは思えないし、実名だとしてもそれはそれで居たたまれない。この共学提案お兄さんを、仮にパトリオット氏と呼称しよう」

「えぇ……」

「それでパトリオット氏の主張だが、全体的に見ると、明治維新から敗戦にかけての日本の在り方へ回帰したがっているように思える」

 

 その間、およそ八十年。伝統と呼ぶには些か大袈裟ではある。

 だがどこの国でも自国の歴史を誇る際は大袈裟に語るものなので、その点は些細な問題だろう。

 

「まあ何にしろ、私たちリリィの恋愛や家族観に異議があるのは伝わってきたわ」

 

 祀の言う異議というのは、リリィ同士の恋愛を非難している部分だろう。

 

「しかしなあ。前世紀に国連が国際疾病分類から同性愛を除外している以上、リリィが精神疾患の患者という認識は正しくないぞ」

「彼にとっては、国連も日本政府と同じく『摂理を歪める者』なんでしょう」

「だったら欧州も米国も台湾も、パトリオット氏の敵ということになるな」

 

 眞悠理が列挙したのはいずれも同性婚を法制化している地域であった。そして同時に、日本が政治的に足並みを揃えている勢力でもある。

 

 眞悠理からすれば、同性婚法を可決するに当たって日本政府は反発を楽観視していた節がある。この国では同性愛に批判的な宗教の影響力が小さいからだ。政府の見立てはある意味では間違っていない。実際、数の上では強硬に反対した者は少なかった。

 しかし少ないからこそ、その反発は先鋭化してしまう。法の施行直後、所管省庁たる法務省法務局や婚姻届を受理する市役所にて、反対派が日本刀を振り回す事件が起きたほど。

 たとえ社会に認知され、制度として認められても、そこに住む人間全てに受け入れられるとは限らないのだ。

 

「それからガーデンの教導官や職員が女性ばかりという指摘。専門性が求められる教導官はともかくとして、職員については過去の不祥事が原因なんだが」

 

 眞悠理は資料と人伝に聞き知った十年以上昔の出来事を思い出す。

 当時どこぞのガーデンにて、男性職員が複数人の生徒の髪を撫で触っているという事実を週刊誌にすっぱ抜かれたことがある。件の職員は「向こうから誘ってきた」だの「リリィの素行調査」だの弁明したが、無論通用するはずがない。吊るし上げの果てに罷免。更にはSNS上で実名を晒されるなど、悲惨な末路を辿ってしまった。

 今現在、ガーデンの教職員の多くが女性なのは、そういったスキャンダルからの自衛という側面がある。

 もっとも最大の理由は、引退したリリィの雇用先を確保するためなのだが。

 

「ああ、あの事件ね……。髪を触られるのは同性でも嫌がる子がいるからねえ」

「よっぽど親しい仲ならともかく。そうでないなら、人との距離感を上手く測れないタイプの人間なんだろう」

 

 眞悠理はそこで一旦溜め息を挟む。

 

「大体、女子校だから同性に走るというのも乱暴だ。その理屈なら、男子校だった頃の士官学校や商船学校は男色だらけになるが、実際は違うだろう? ……いやまあ、私が知らないだけかもしれんが」

 

 頬舌になる眞悠理とは反対に、祀からの相槌はだんだんと減っていく。

 

「防衛軍からの教導官招聘についても、大分無理がある。チャームの扱いもリリィの戦術も門外漢なのに。逆に私たちが正規軍の指揮を執れないのと同じことだ。覚悟云々の精神論については論じるまでもない。恐らくパトリオット氏は軍事に明るくないんだろう」

 

 それから満を持して、この怪文書最大の怪文ポイントに迫る。

 

「最後のポエム、これ要るのか? それとも何かのメタファーなのか。例えば『心』を彼の言う文化・伝統と見なしたら、『刃』というのは――――」

「ぷふっ」

 

 途中から沈黙していた祀が突然吹き出した。

 その一方、興を削がれた眞悠理はジト目で睨む。

 

「ふふふふふっ……。止めて眞悠理さん、冷静に分析するの止めてっ」

「人が真面目に考えてるのに」

 

 ひとしきり笑った後、落ち着きを取り戻した祀が改めて口を開く。

 

「こんなの、ルサンチマンの発露に決まってるじゃない。まともに考察しなくても」

「社会心理学的な問題を全てルサンチマンで片付けるのはどうかと思うぞ。見かけに寄らず大雑把なんだな」

「そういう眞悠理さんは見かけよりも細かいわね」

 

 そこまで言われても、眞悠理には納得がいかなかった。一見すると非常に不躾な文面なのだが、彼女にはこの手紙が悪意や敵意で書かれたものとは思えなかった。下手をすれば、善意ですらあるかもしれない。ただ、思考の過程が常人には理解できないほど突飛なだけで。

 この仮定が正しいとするならば、一体どういった特異な環境・経験が彼を形作ったのか。学問の徒として大変興味深い事例であった。

 

 とは言え、いつまでも社会心理学の探求に勤しんでもいられない。今日この生徒会室に集まったのは手紙を読むためではないからだ。

 眞悠理が手にしていた怪文書を机の上に戻した時、ちょうど部屋の扉が開いて待ち人が現れた。

 

「ごきげんよう。遅れて申し訳ありません。早速始めましょう」

 

 長い茶髪を後ろで縛った三年生。生徒会三役の残りの一人。ブリュンヒルデを拝命する出江史房が到着したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レギオン関係の雑事を終えた史房が合流し、生徒会室に生徒会三役――祀はオルトリンデの代行だが――が揃ったことになる。

 

「まず最初に、先の横須賀で確認されたヒュージについて。祀さん、お願いします」

「はい」

 

 広大なテーブルの上座に着いた史房に促され、祀がタブレット端末を操作する。あとの二人も各々の端末を用いて祀に倣う。

 

「今端末に表示されているのが、一柳隊が横須賀沖で交戦したラージ級クラッシャー種マンタ型の亜種です。これは先週の頭に、露軍ウラジオ基地を襲撃して近隣のリリィに撃破された個体と同種のものと思われます」

 

 タブレットのディスプレイからホログラフの立体映像が現出する。

 ぞのヒュージはマンタ型の前ヒレ部分が巨大なハサミになっていた。また上下に開いた頭部の中には破砕機の代わりに、無数の魚雷発射管が剣山の如く生えている。

 

「特筆すべきはその火力。頭部の魚雷は勿論、両のハサミにも武装が確認されました。これと交戦した安藤鶴紗さんの報告から、一種の音波兵器ではないかと推察しています」

「これは、全ての船にとって脅威となるわね。対策は?」

「対処法としては、艦艇搭載の対潜兵器を集中投入することで、撃破は無理でも火器使用の抑制を期待できるかと。また火力が強化されている分、装甲が通常のマンタ型に比べて劣っています。これは鶴紗さんとの戦闘記録からも明らかでしょう」

 

 史房の前なので言葉遣いを改めた眞悠理の問いに、祀が答えた。

 

「幸いなことに、現時点までにこの亜種は二体しか確認されていません。近隣諸国を含めた各ガーデンには既に情報が入っています。百由さんが開発したチャーム用対潜砲弾もそうですが、今後有効な戦術が模索されていくでしょう」

 

 史房の言葉を合図にしたかのように、ディスプレイの映像が別のヒュージを映し出す。

 スモール級のファング種ピスト型。本来ならば今更取り上げるべきヒュージではないはずだった。

 

「こちらは横須賀の住宅地跡で確認された、ピスト型のレストアと思しき個体です。数は五体。いずれも一柳隊によって撃破されました。戦闘データから判断して、新種の可能性は低いと思われます。鶴紗さんの報告通り、ピスト型のレストアで間違いないかと」

 

 祀が念を押してレストアの正体を確認したのには理由がある。

 個としては能力が低いスモール級はネストに生還して傷を癒すケースが稀だった。その上、梅と互角に戦うほどの戦闘技術を身につけていたのだから、新種を疑われても仕方ない。

 この会議での祀の報告は、そんな疑いを晴らすものだった。

 

「本件レストアについても各ガーデンで情報を共有済みです。報告では、レストア以外の通常のヒュージとの連携が見られませんでした。戦い方が大きく異なるので足並みを揃え難いのでしょう。故に対処法としては、他のヒュージ群と切り離した上での各個撃破が考えられます」

 

 史房はそう言ってレストアの話を切り上げる。

 それから再びホログラフが変化して、三体目のヒュージ、全翼の戦闘機を思わせるシルエットが現れた。

 

「これ、ね……」

 

 眞悠理が目を細めて呟いた。

 現状で百合ヶ丘が抱える懸案事項の一つ。ミドル級特型ファルケ。

 行方をくらませていた特型があろうことか、またしても一柳隊の前に立ちはだかったのだ。

 

「横須賀沖上空に姿を見せた特型ですが、海戦終結よりも前に戦闘区域から逃亡、浦賀水道を南下した後に西へ転進したところまで確認できました。これは、ヒュージ群の予想侵攻経路と重なるものと思われます」

「更に言えば、横須賀沖海戦の二日ほど前に静岡方面と甲州方面でヒュージの大規模な戦力移動があったと、アルケミラ女学館並びに甲斐聖山女子高等学校からそれぞれ情報を得ています」

 

 祀の後に続いて史房が補足する。

 二人の情報を合わせて、事の次第を推測するのは眞悠理だ。

 

「つまり、この特型が他地域のヒュージを糾合して横須賀基地を襲撃したと?」

「少なくとも、百合ヶ丘とメルクリウスではそう見ています」

「……ヒュージの指揮系統については未だ不明な点が多い。その可能性も十分あり得ますね」

 

 現状で分かっているのは、ネストの管理運営を行なうアルトラ級と戦闘指揮官であるギガント級。それぐらいのものだろう。ラージ級以下の役割に関しては何らかの法則があるかも怪しいのだ。ましてや複数のネスト間での連携など、確認された事例が無い。

 

「仮に本件が特型の企図したものとして、目的は何でしょうか? ネストを手薄にし、見ようによっては無謀とも言える強襲。それだけの価値がある作戦だっとは思えないのですが」

 

 祀の疑問に答えられる者は居なかった。

 暫しの間、広い生徒会室に静寂が流れる。壁掛けの時計から聞こえてくる秒針の音は別にして。

 最初に沈黙を破ったのは、思い出したかのように言葉を発した史房であった。

 

「その特型に関して、新たな情報が入る予定です」

 

 そう言って時計にチラと視線を送る。

 それから幾ばくも経たない内に、出入り口の扉を叩く音が響いた。

 

「どうぞ」

 

 史房に促されて入室した人物は後ろ手に扉を施錠した後、空いている席に腰を下ろす。

 きめ細やかな白い肌と銀糸の如く透き通った銀髪の美しいリリィ。彼女は生徒会三役の前でも気後れすることなく、机の上で両手を組み口を開く。

 

「ごきげんよう。急かすようで申し訳ないけど、早速本題に入っても良いかしら?」

「ごきげんよう、ロザリンデさん。始めてもらって構わないわ」

 

 銀髪のリリィ、ロザリンデ・フリーデグンデ・フォン・オットーに対し、砕けた素の口調となった史房が答える。

 ロザリンデも史房と同じ三年生だった。

 

「史房さんも概要は知っていると思うけど。私たちのレギオンはゲヘナのとある施設にお邪魔した際、例の特型に関するデータを発見したの」

 

 話に合わせて、史房が端末を操り二年生二人のタブレットにデータを送る。

 ちなみに報告者であるロザリンデ自身は手ぶらだった。既に頭の中へ叩き込んでいるのだろう。

 

「元々はただのペネトレイ種カウダ型だった。それが実験を経て、ああなったというわけ」

「ロザリンデ様、姿かたちはまだともかく、幾らゲヘナといえども戦術行動や指揮能力を付与するなど可能なのでしょうか?」

 

 眞悠理の質問は想定済みだったのか、ロザリンデが小さく頷いて肯定する。

 

「それが可能だったのよ。流石に具体的な方法までは掴めなかったけどね。……ところで貴方たち、リンガ・フランカプロジェクトってご存じ?」

「はい。ヒュージ出現当初に各国の研究機関が共同で立ち上げた、ヒュージとの意思伝達手段を模索する計画ですね。多額の予算と十年近い期間を費やした末、大した成果も上げられずにプロジェクトは凍結されたはずですが」

 

 代表して祀が答えた。ここまでは一般にも知り得る範囲の情報だ。

 

「ところがその研究を引き継いで細々と続けていた者たちが居た。ゲヘナの前身に当たる研究チームね」

「……つまり、人とのコミュニケーション能力を持たせようとした結果が、知能の発達したあの特型であると?」

「そういうことよ」

 

 声色には出さずとも半信半疑といった様子の祀に対し、ロザリンデは事も無げに首肯した。

 

「実験は失敗、実験体は逃走。迷惑な話ね」

「ええ、全く。史房さんの仰る通り。それで、これ以上の情報を得るには、かつてその実験が行われていた施設を当たってみるべきね。場所は既に割り出しているわ」

「静岡の……伊豆半島北東部にある放棄された工場跡。陥落指定地域だけど、ネストやヒュージ群からは離れているのね」

 

 史房が険しい表情でタブレットのディスプレイを見つめる。

 本来、ゲヘナの施設が対象ならロザリンデのレギオンが担当するべきなのだが、今回の工場は放棄されて久しいらしい。そうなると他のレギオンにお鉢が回ってきても不思議ではない。実際ガーデンがそう判断したから、こうしてロザリンデが生徒会に話を持ってきたのだろう。

 

「分かりました。本件工場跡の調査については次回の軍令部作戦会議にて検討しましょう」

 

 タブレットに落としていた視線を持ち上げ、史房が纏めに入る。

 

「本日の連絡会議はこれで終了とします。横須賀で確認されたヒュージについてはガーデン内でも周知させてください」

 

 その言葉へ応答した後、祀と眞悠理の二人は席を立ち、各々の仕事に向かうべく生徒会室を後にする。

 部屋の中に残ったのは三役の残り一人の史房とロザリンデの、三年生二人だけとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だか中途半端なまま引き継がせるみたいで、悪いわね。こっちも別件で百合ヶ丘を離れることになるのよ」

 

 部屋の外の廊下、無人になった生徒会室に鍵をかける史房の背に、一足先に退出していたロザリンデの声が届く。

 施錠を終えた史房はくるりと振り返って、窓際の壁に寄り掛かる彼女の横に歩いていく。

 

「また遠出になりそうね。ご苦労様」

「私たちは特務ですから、ガーデンが行けと言うならどこへでも行くわ」

 

 ロザリンデの所属する隊を始め、特務レギオンは全てガーデン直属であり生徒会の指揮下にはない。ガーデンの命令で特定の任務に専従するのだが、ロザリンデのレギオンの場合、表向き衛生任務に当たることになっている。

 ガーデン直属。それ即ち、特務によって生じた責任は生徒会には無く、全てガーデンが負うことを意味していた。

 

「貴方たち生徒会の中にも、外征に思うところがある人は居るようだけど」

 

 ロザリンデが続けて語り掛ける。窓から外の光景を見つめる史房の横顔へ。

 

「これからはどうしたって外征メインになっていくわ。由比ヶ浜ネストが消え、日本全体を見ても防勢から攻勢へ移りつつある」

「そうね。でもそんな時だからこそ、無理のある侵攻は慎むべきだわ。どこのリリィも」

「まあ、もっともな話ね。だけどこればかりはガーデンによるとしか言えないわ。生徒の自治権なんて場所によってまちまちだから。ただ……」

「ただ?」

「幸いなことに、私たちはガーデンにも上司にも恵まれた。それは確かよ」

 

 はっきりとそう言い切ると、ロザリンデは別れの挨拶を済ませて史房に背を向け歩き出す。

 

 廊下の先、一人のリリィが静かに佇んでいた。

 優しい亜麻色の長い髪を持つそのリリィは近付いてくるロザリンデへ、垂れ目がちでぱっちりと大きな瞳を向ける。容姿も仕草も、ただただ柔和で淑やかだった。

 そんな彼女の前にやって来たロザリンデは少しだけ屈み込む。

 そうして二人は、口と口が触れ合う軽いキスを交わした。

 

「待たせちゃってごめんなさい」

「いいわ、ロザ。許してあげる」

 

 互いに手の指を絡ませ、握り合い、廊下の向こうへ消えていく。

 史房もまた、逢瀬の一端を見ることなく反対方向に向け歩き出していた。出歯亀は彼女の趣味ではないからだ。

 

 

 



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第17話 工廠科24時

「モユサマー、おるかー?」

「梅様、似てない」

「そうか?」

 

 工廠科、真島百由の工房前で、梅と鶴紗が機械式のスライドドアを前に気の抜けたやり取りを繰り広げている。

 講義を終えた二人はこの工房の主に、とある相談をするため足を運んでいた。が、ドアの横に設置されたインターホンに反応が無いため、不審に思い始めたところである。

 

「おかしいなー。気配はあるはずなのに」

「分厚い防音ドアなのに、気配とか分かるんですか」

「んーーー、ん? ロックかかってないゾ」

 

 梅がドアの開閉ボタンを押すと、彼女の言葉通り、金属の引き戸が低い音を立てて横にスライドした。

 勝手に開けるのはどうかと鶴紗が諫める前に、中の光景が視界に映る。故に梅を引き留める機会を逸してしまった。

 

「ま、梅様……鶴紗……」

「何だ、ミリミリ居るなら返事してくれよなー」

 

 中途半端な位置で出入り口のドアに背を向けて立つミリアム。首だけ回してこちらの方に振り返っている。彼女は百由のシルトなので、工房に出入りしているのも不思議でも何でもない。むしろ居て当たり前と言えた。

 問題は当の百由の方。鶴紗たちから見て、ミリアムを挟んだ反対側に、薄手の毛布に包まった人物が床の上に転がっている。

 黒髪のロングヘアーに赤縁眼鏡。毛布の中から顔だけ出しているので素性は分かる。ところが首から下、毛布の隙間から覗く範囲は肌色一色だった。

 要するに百由は全裸だったのだ。

 

「ミリアム、お前って奴は……」

「鶴紗、違うぞ? 前にも似たようなことがあった気がするが、誤解じゃからな?」

「酷いわ、ぐろっぴ! 私とは遊びだったのね!」

「それはもういいっちゅーんじゃ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 改めて、そこいらにあった椅子を円形に並べ、四人は工房の中で向き合って座る。言うまでもないが、工房の主は毛布を手放し制服に身を包んでいた。

 

「つまり、あまりの暑さに服を脱ぎ捨てた百由を発見して、慌てて毛布を掛けたわけだな」

「そういうことなのじゃ……」

 

 梅の確認に、疲れ切った様子のミリアムが力無く首を縦に振る。

 工廠科の工房にはチャーム製作のため、コンパクトながら鋳造炉や鍛造に用いるエアハンマーなどが設置されている。それらを稼働させ作業していれば冬でも真夏の如く暑くなるというわけだ。ましてや本当の夏であれば、その過酷さは察するに余りある。

 だからと言って、ドアにロックをかけないまま服を脱ぐのはどうかと思ったが。

 

「だって暑かったんだもーん」

「『もーん』じゃないわ!」

 

 不満げに口を尖らせる百由に対し、一瞬で気力を取り戻したミリアムが吼える。いつものシュッツエンゲル漫才であった。

 

「ぶーっ、シルトが冷たいわ。反抗期だわ」

「さて、それで二人は何か用があるんじゃないかの?」

 

 なおもブーブー言われるが、ミリアムは気にせず先を促してきた。鶴紗としても助かるところだ。

 

「実はチャームのことで相談があって」

 

 鶴紗は二人のアーセナルにぽつぽつと語り始める。

 高速飛行型ヒュージの対処法。射撃か接近戦か。チャームの改造でどうにかならないか。

 今度こそ特型を討つために、チャームの専門家へ知恵を請いに来たのだ。

 

「話は分かったわ。私も特型(あれ)の解析に関わってたし、他人事じゃないのよねえ」

 

 話を聞いている内に、百由はさっきまでとは一転して真剣な顔つきになる。やはり彼女に頼ったのは正解だったらしい。

 実際、百由はチャーム開発は勿論のこと、マギ理論やヒュージ研究にも長けた文字通りの天才。天が二物も三物も与えた稀有な存在である。その分、普段の生活面がアレなのはご愛嬌と言ったところか。

 

「夢結が勧めてきた『接近戦に持ち込め』って案、確かに一理あるのよ。どういうことかって言うと……マギインテンシティが高いから。強力なヒュージの傍ではマギ強度が高くなるからチャームの威力も上がる。ノインヴェルト戦術のパスも、ヒュージに近い場所で回した方がマギが貯まり易いでしょ。って今更説明するまでもないかぁ」

 

 周囲の反応など気にも留めず、百由は早口で捲し立てる。まるで頭の中に浮かんだ言葉を、そのまま口から垂れ流すかのように。

 

「で、あの特型、雨嘉さんのアステリオンの直撃弾に耐えたんでしょ? そうなると、より大火力のチャームを引っ張り出す必要があるんだけど。あのすばしっこいの相手に当てるのは至難の業ね。それに頭が回るようだから、ビームコートとか持ち出してくるかもしれないし」

「でも百由様、飛んでるヒュージに斬りかかるなんて余計難しい気が……」

「ふっふっふっ。そこを何とかするのが私たちアーセナルよ」

 

 鶴紗の懸念をよそに、腕組みして不敵な笑みを浮かべる百由。

 まさか、もう何か思いついたわけではないだろう。流石に今の今では。

 ところがどうやら本当にアイデアがあるらしい。良い意味で予想を裏切ってくれる。

 

「鶴紗さんの戦闘スタイルに合わせてティルフィングをカスタムしてみましょう。対飛行型……いや、対高機動ヒュージ向けのカスタムね」

「おおっ! 凄いな百由、もう閃いたのか!」

「ま、一から開発するわけじゃないからねえ」

 

 梅の称賛は軽く流された。百由はそれから改まって鶴紗の方に向き直る。

 

「今抱えている案件の合間になるから時間は掛かるけど、鶴紗さんはそれでもいい?」

「はい、お願いします」

「オッケー、決まりね。じゃあパパっと概要だけ説明しちゃうから、こっちに来てねー」

 

 急にテンションの上がった百由に促され、鶴紗は作業机の方へと付いて行く。更に後ろからは当然の如く梅とミリアムが首を覗かせてきた。

 机に広げた厚手の用紙に、百由が慣れた手つきでさらさらとペンを走らせる。手書きのティルフィングに、幾つかの注釈に、見慣れぬ小さなパーツが所々に描き込まれていった。

 全て終わるまで、僅か三分。三分間で改造図面を描き上げたのだ。

 

「カップ麺と同じぐらい早いゾ」

「週刊百由ならぬインスタント百由じゃな。わははっ!」

「そこっ! シャラップ!」

 

 百由は外野の茶々に背を向けたまま一喝するものの、すぐさま改造についての説明に入る。

 

「それでね鶴紗さん、刀身にこんな感じで小型のロケットモーターを取り付けて……」

「ロ、ロケット?」

「あとは姿勢制御や軌道変更。これは専用のスラスターなんか付けたらごてごてしちゃうから、メインのモーターとマギの操作で代用しましょう。あっ! 緊急時の急加速ブースターとか欲しい?」

「百由様、私をミサイルにでもする気ですか」

 

 大まかな方針を聞き、この場はそこで解散となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の一柳隊での訓練が終わり、入浴を済ませた後のこと。本校舎内の廊下にて鶴紗は両手で布の袋を提げたミリアムを呼び止める。

 窓の外は日が落ちてすっかり暗くなっていた。こんな時間から何をしに行くのか。大体予想はついていたが。

 

「ミリアム、どこにいくんだ?」

「百由様の所じゃ。また夜遅くまで作業のようじゃから、色々と持っていってやらんとな」

 

 呆れたように、しかしどこか誇らしげに答えるミリアムに、鶴紗は「やっぱり」と小さく頷く。

 

「私も行って良い?」

「うん?」

「今日頼み事したばかりだから……」

「おお、そうかそうか。じゃったら一緒に行こうかの。待っておくから準備してくるといいぞ」

 

 話が早い。皆まで言わずとも、ミリアムはこちらの話を快く受け入れてくれた。

 

 そういうわけで、鶴紗は百由への差し入れを手早く用意し、ミリアムと共に工廠科へと向かう。

 その途中、肩を並べて歩くミリアムの手元を横目で見る。彼女の持っている布袋はそこそこに大きいが、見た感じではそこまで重くなさそうだ。夜食用に何か軽めの食べ物でも入れているのだろう。

 

「百由様に気を遣ってもらってありがとうなのじゃ」

「別に。それよりミリアム、明日は休暇取ったって言ってたけど。まさかこのために?」

「うむ。できるだけ付き合ってやろうと思ってな。放っておいたら水分補給も忘れかねん」

「過保護なシルトだな」

 

 そんなことを話していると、よく見知った顔が二人に声を掛けてくる。

 

「鶴紗、ミリアム」

 

 遠慮がちの小さな声。特例で認められた白服。少し前まで訓練を共にしていた雨嘉だ。

 雨嘉の視線はミリアムの持つ布袋と鶴紗の持つ紙袋に注がれているようだった。

 

「おお、雨嘉か。わしらはこれから百由様の工房へ行くところじゃ」

「そう……。私も後で寄ってもいいかな?」

「ん、構わんぞ。じゃがチャームの整備を頼むなら、後回しになるかもしれん」

「うん、分かった」

 

 短く返事をすると、雨嘉は二人とすれ違ってすたすたと歩き去っていった。

 一体何だったんだと疑問に思う鶴紗だが、この時は特に深く考えず、再び工廠科へと足を動かすのだった。

 

 そうして目的地へと辿り着く。鶴紗にとっては本日二度目の工房である。

 二人一緒に立ち入るようなことはしない。まず最初にミリアムだけで様子を見に行く。彼女の強い要望で。前回の経験から、中でどんな姿をしているか分かったものではないからだ。

 偵察の結果、問題は無かったらしい。ようやく鶴紗も工房の敷居を跨ぐことができた。

 

「あら~よく来てくれたわねえ」

 

 暢気な調子の声が聞こえてくる。

 声の主は現在チャームの整備中。作業台の上に置かれたグングニルにドライバーを突き立ててフレームを固定しているところであった。

 このグングニル、学院保管の予備機なのか、誰かの整備を請け負ったのか。あるいは、ガーデンにおける百由の立場の重要性を考えると、何かの実験に用いる実証機の可能性が最も高いかもしれない。

 何にせよ、鶴紗が部屋の中に入っていくと、百由も仕事を切り上げた。

 

「いやー、二人して様子を見に来てくれるなんて、出来た後輩たちでお姉さん嬉しいわ~。お礼にチューしてあげる! チュー!」

「徹夜する前から徹夜明けのテンションなのじゃ。まあ気にせんでくれ」

 

 何故か異常に機嫌の良い百由をよそに、ミリアムが淡々と工房の中を漁っている。正確には、工房内でも百由の生活スペースと化した部分を漁っていると言うべきか。

 

「百由様ー、脱いだ洗濯物を丸めて一緒くたにするのは止めいと言ったじゃろうがー」

「あーーーっ! ぐろっぴ、私のソックス持ってどうするつもり!? あとで臭い嗅ぐんでしょ! エッチ!」

「たわけ! 今更靴下なんぞで喜ぶか! 嗅ぐなら直に嗅ぐわい!」

「あ、それもそっか」

 

 鶴紗は居心地が微妙になってきた。「二人とも徹夜明けなんじゃないのか?」と突っ込みたくて仕方がなかったが、そこはぐっと堪えた。

 

「それで百由様、夜食の類は用意しておるかの?」

 

 ミリアムが本来の目的へと話題を変える。

 すると百由は自信満々のしたり顔で机の引き出しを指差した。

 中に入っていたのは――――

 

「やはり、エナジーバーにエナジーゼリーか」

 

 引き出しを開けたミリアムが呟くようにそう言った。無論、視線にも言葉にも好意的な意味は込められていない。むしろその逆だ。

 シルトのミリアムは当然お姉様の認識を正そうとする。だがその前に、扉の向こうから三人目の来訪者がやって来る。

 

「あら雨嘉さんじゃない。ごきげんよう」

「ごきげんよう。あの、百由様。お夜食は……」

「ああ。ちょうど今、話してたとこなのよ」

 

 百由は雨嘉に向けて、細長いスティック状の固形物入りの袋とゼリー入りのパックを見せる。

 それらを目にした雨嘉の顔が強張った、ように鶴紗には思えた。

 

「百由様、こんなのばかり食べておったらいかんぞ。もっとバランスというものを考えねば」

「なによー。エナジーバーでも色々あるわよ。ほら、このサラダ味とか。こっちはツナ味」

 

 ガサゴソと引き出しを物色し、色とりどりの健康栄養補助食品を見せつける百由。何か問題があるのかと言わんばかり。

 そんな彼女に意外にも雨嘉が苦言を呈する。

 

「バーはバーです。新鮮な野菜の代用にはなりません」

「ほれ見たことか。雨嘉もこう言っておる。わしが来て正解だったな」

 

 そう言ってミリアムは自慢げなしたり顔になり、持ってきた布袋を逆さまにする。こういう仕草はシュッツエンゲルとシルトでそっくりだ。

 袋の中身が机の上にドバっと出てくる。ミリアム渾身の夜食チョイス。棒付きキャンディにロールケーキ、カステラに板チョコ。苦手な者が目の当りにしたら、口から砂糖を吐きかねない。お菓子の山だった。

 次の瞬間、また雨嘉の顔が強張った。見間違いでも気のせいでもない。普段から表情の変化に乏しい彼女だが、鶴紗も神琳ほどではないにしろ多少は読み取れるようになっていた。

 

「ミリアム、さっき自分でバランスがどうとか言ってたよね?」

「うむ。なので色々と取り揃えておるぞ」

「全部お菓子だよね?」

「う、うむ……」

「それはバランスって言わない」

 

 珍しく雨嘉が強く主張している。夜食の件に余程思うところがあったのだろうか。

 

「まあまあ、雨嘉さん。不肖ぐろっぴのことは私の顔に免じて」

「百由様、こんな食生活続けたら体を壊しちゃいますよ」

「はいぃ……」

「雨嘉、猫缶持ってきたんだけど」

「鶴紗ふざけてるの?」

「ご、ごめん……」

 

 取り付く島もない。怖い。

 鶴紗とミリアムはただでさえ小さめの体を更に縮めるのだった。

 

「……こんなことだろうと思って、これ、作ってきたから」

 

 無表情のままで、雨嘉が手提げ袋から大きなタッパーを取り出した。

 タッパーの中身は色鮮やかな具材のサンドイッチだ。瑞々しいレタスやトマトに、スライスされた玉子やハム。それらたっぷりの具をこぼれ落ちないよう綺麗に整え、大きなパンが挟み込んでいる。

 

「百由様、ミリアムと一緒に食べてください」

「いいの!? ありがとー、ありがとー!」

「鶴紗も、食べる?」

「いや、私はいいよ。もう寝るし」

 

 雨嘉の提案をお断りしつつも、ミリアムが持ってきたキャンディはちゃっかり頂いていく。

 その際、「歯磨きはしっかりね」という小さな声が聞こえてきたので、鶴紗は大人しく従おうと決めた。

 

 こうして二人のアーセナルを残し、鶴紗は工廠科を後にする。

 夜の工房が眠りに就くのは当分先になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか雨嘉があんなにムキになるなんて」

「あははっ、それは珍しいものが見れたなあ」

 

 翌日の早朝、鶴紗は梅と共に百由たちの居る工房へと向かっていた。まだ朝の食事時よりも大分早い時間帯なのは、あのアーセナルたちの様子を窺うため。昨日の様子を見ても、夜更かししている可能性が高いから。

 

「あれは絶対、神琳の影響に違いない」

「んー、まあ良い影響じゃないか?」

 

 話している間に目的地の前まで着いた。

 梅がインターホンで呼び掛けると、意外にも部屋の主から返事がすぐに返ってきた。それから少しの間を置いて、ドアが開くと同時に気だるげな挨拶が聞こえてくる。

 

「はぁ、ごきげんよう……」

「ごきげんよう。何だ、ちゃんと起きてたのか。偉いゾ~」

「でしょー……」

 

 梅の軽口に対してもノリが悪い。起きてたと言うよりも、今起きたと言った方が適切か。

 百由はフード付きの、百合ヶ丘女学院工廠科制服をちゃんと着ている。着替える機会も無かったのだろう。

 

「ミリアムは――――」

 

 梅に続いて工房内に立ち入った鶴紗が開いた口を途中で閉じる。お目当ての人物がすぐに見つかったからだ。

 工房の隅に持ち込まれたソファの上で、毛布に包まれた小さな体。起き上がってくる気配は今のところ無かった。

 

「やっぱりミリミリは泊りがけか」

「そーなのよ。で、私シャワー浴びてくるから、ぐろっぴ見ててね~」

「へいへい。梅は二限目からなんで、ゆっくりするよ」

 

 梅はそう言うと適当な椅子に座り込む。

 一方の百由は右手をひらひら振ると、ドアから外へと出ていった。工廠科には共用のシャワー室が設置されている。そこに向かったのだろう。

 アーセナルは百由に限らず夜を徹するものが少なくないので、大浴場の入浴時間を逃しがちなのだ。

 

「鶴紗は一限目からだろ? 食堂行って朝飯食べとけよー」

「じゃあ、タッパーだけ雨嘉に返してきます」

 

 工房を立ち去る前に、鶴紗は机の上に置かれているプラスチックの容器を二つ回収した。中に詰まっていたサンドイッチは影も形もない。綺麗に完食済みだった。

 

(やっぱり、食べて貰えたら嬉しいものなのかな?)

 

 工房を出て廊下を歩きながら、この後に食堂で顔を合わせるであろう雨嘉の反応を想像する。

 鶴紗は料理が全くできないこともないが、得意というわけでもない。人に料理を振舞うこともほとんどなかった。せいぜい一柳隊の仲間にコーヒーを淹れてあげたぐらいだろうか。

 それに比べて雨嘉は料理が得意だった。一柳隊の中では梅と並んでトップの腕だ。隊内で何度も振舞われたことがあるので鶴紗もよく知っている。

 そんな彼女が作った料理の恩恵を一番受けられるのは、やはり同レギオンかつ同室の神琳だろう。丹精込めて作った料理を神琳に食べてもらい、普段は変化に乏しい顔に笑みを浮かべる雨嘉の姿が容易に想像できた。

 

 鶴紗は羨ましくなった。

 

(くそっ、神琳め……)

 

 好きな相手の手料理を身近で味わえる幸せ。平凡だが、誰でも一度は夢見るに違いない。

 鶴紗もこれまでの人生こそ平凡ではなかったが、人並みに夢ぐらい見たことはある。

 もっとも、自身の知らぬところで理不尽な憤りを向けられる神琳にとっては、堪ったものではないだろう。

 

 まだ人の声も気配も希薄な朝の廊下。

 考え事をしながら進む鶴紗の横合いから、不意に落ち着いた調子の声が掛けられる。

 

「鶴紗さん? ごきげんよう」

 

 梨璃の髪ともまた違った感じの、薄く透き通った桃色髪のリリィ。彼女は工房の一室から出てくると、鶴紗へ穏やかな微笑みを向けてくる。

 北河原伊紀(きたがわらいのり)。鶴紗とクラスは違うが、顔見知りだ。

 

「ごきげんよう。そっちも早いな」

「ええ。整備に出していたチャームを受け取りに来たんです」

 

 言われてみれば、確かに伊紀の背中には黒色のチャームケースが背負われていた。

 ただし、彼女が所持しているのはそれだけではない。肩からも結構なサイズのドラムバッグを提げている。チャームだけ受けとってこれから食堂……という様子にはとても見えなかった。

 

「一柳隊、ご活躍だそうですね。同じクラスの雨嘉さんから聞いていますよ」

「別に、そうでもないと思うけど」

 

 雨嘉の性分からして、自分から話して回ったとは思えない。横須賀での戦果が噂となり、周囲からの質問攻勢に合った結果、更なる噂になったというのが真相だろう。

 

「私も一年の身でレギオンを任されているので分かりますが。実際、大健闘されていると思いますよ? 高等部から編入された梨璃さんの下で戦われているのですから」

「まあ梨璃はね……」

 

 伊紀はレギオンの主将である。隊長ではなく主将ということは、ランクSS以上の強豪レギオンなのだ。一見穏やかな雰囲気の彼女も並のリリィではなかった。

 

「あっ、いけない。急いでるんでした。それでは鶴紗さん、ごきげんよう」

 

 台詞の割には最初と変わらず落ち着いたまま、伊紀が歩き出した。

 鶴紗は少しだけ逡巡したものの、伊紀の背中が離れていく前に口を開く。

 

「伊紀、気を付けて」

「……はい。ありがとうございます」

 

 立ち止まり、ウェーブのかかった桃色髪をふわりと回し、振り返った伊紀が微笑と共に静かに答えた。

 

 中等部時代。鶴紗がまだゲヘナの実験施設に囚われていた頃。伊紀のお姉様の、そのまたお姉様が所属するレギオンの手で、鶴紗は百合ヶ丘女学院に保護された。

 その縁があって鶴紗と伊紀は知り合っていた。

 伊紀もまた、鶴紗と同じ特別寮。

 同じ強化リリィだった。

 

 

 



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第18話 襲撃

 吸い込まれんばかりの真っ暗な空の下に、同じく真っ暗な森林が広がっている。

 辺りに人家の灯は見られない。あるのはただ広大な自然ばかり。

 ところが、今この時に限っては、自然の中に暮らしているであろう生き物の声が聞こえてこなかった。これだけの森ならば、梟の一匹や二匹住み着いていても不思議ではないというのに。

 その原因は夜空を進む金属の鳥にある。この鳥の頭上で回転する機械の翼が、夜行生物の鳴き声を掻き消しているのだ。

 

 木々のすぐ上、低空を這うように一機。そしてその後方上空にもう一機。二機一組で飛ぶ黒塗りのヘリコプターこそ金属の鳥の正体だった。

 ヘリと考えた場合、その回転翼がもたらす騒音は小さい方と言えるだろう。

 後方上空から周囲を睨むように飛ぶ機体はやや小振り。それに対して、低空を這っている機体はヘリとしては中型である。

 そんな中型ヘリの兵員室に、九人の少女たちが腰を下ろしていた。

 

「改めて確認します。当該施設において想定される警備戦力は二個分隊。武装は小銃と拳銃。ただし過去の事例から、対物ライフルや携行ロケットランチャー等の重火器を隠匿している可能性があります。強化リリィについては二名が実験対象として所属していますが、戦力としての運用は認められていません。万が一我々の迎撃を強要されたとしても、大きな脅威にはならないでしょう。また現在のところヒュージは確認できていません。ただ、先行偵察によって敷地の地下に空間が存在することが判明しました。不意の遭遇に留意してください」

 

 他の八人に対して淀み無く説明しているのは北河原伊紀であった。

 ただし、その恰好は黒を基調とした百合ヶ丘制服ではなく、濃緑の斑模様をした防衛軍野外戦闘服を纏っている。本来なら腰まで届く長い桃色髪も、今は短く結われていた。

 九人皆がそういった出で立ちなものだから、初めて見た者は困惑するだろう。しかし彼女たちは歴としたリリィである。その証拠に全員がチャームを所持していた。

 

「作戦配置ですが、当該施設から山道を下った先、街道との分岐点に監視要員として一名。南側の正面入り口に二名、北側の裏口と西側通用口に各一名。そして突入班が残りの四名となります。実際の編成はご覧の通りですね」

 

 伊紀の操作するタブレット端末から、ホログラフの立体映像が件の研究施設とその周辺地図を宙に映し出す。

 施設の周りにはやはり人家の類は無い。山と森に囲まれた、いかにも人目に憚る行為のために用意されたような場所だった。

 

 そこは三重県のとある山中の研究所。多国籍企業ゲヘナの所有する施設。

 北河原伊紀の率いる特務レギオン『ロスヴァイセ』はこの施設で実験を受けている強化リリィの保護を目的としていた。それが表向き衛生部隊とされる彼女らの真の姿。ロスヴァイセ自体もまた、全員が強化リリィで構成された集団である。

 確認済みの被験者はたったの二名だという。しかし、これは今後大勢のリリィを収容する前段階に過ぎないと百合ヶ丘は見ていた。施設に流れる電力量が不自然に大きいという調査結果が、その根拠の一つである。

 

「それでは皆さん、全力を尽くしましょう。保護対象は二人とはいえ、今後の禍根を断つことに繋がります。私たちのまだ見ぬ姉妹を救うために」

 

 伊紀らしからぬ固く緊張した声が続いていた。

 だが最後の締めを宣言し終えると、張り詰めていた表情がフッと和らいだ。

 一転して余裕が出てくる。故に伊紀は先程から気になっていた問いを投げ掛けてみる。

 

「ところでロザ姉様、そのほっぺた。また那岐(なぎ)様と喧嘩されたのですか?」

 

 伊紀の向かい側に座る銀髪――伊紀と同じように短く結わえているが――のリリィ。彼女、ロザリンデの右の頬には薄らと赤い紅葉みたいな跡が見える。気にしなければ分からない程度ではあるが、それでも近くにいると気になってしまうものだった。

 

「ああ、これは喧嘩じゃないのよ。今日学院を発つ前に、うたた寝してる那岐を見かけたからちょっとキスしようとしたの」

「はあ、それで反射的に平手が飛んだのですか。流石はデュエル世代」

「ま、その後で那岐に一杯()()()してもらったから。結果オーライね」

 

 ロザリンデが整った顔に深い笑みを浮かべる。

 彼女とその恋人との間柄は、周りの者にはよく知られていた。ロザリンデが頬に紅葉の跡を作ってくることも、一度や二度ではない。

 一見するとお淑やかで花や蝶にも例えられるが、その実、三年生の中でもかなりの激情家。下級生からは言葉より先に手が出ると恐れられるほど。もっとも、ロザリンデ曰く「そこもまた良い」のだとか。

 

「成る程。だから今日の姉様、妙に機嫌が良かったんですね」

 

 伊紀の右隣の席で相槌を打つのは薄く透き通った青い髪のリリィ。例の如く、長い髪を短く結っている。

 彼女はロザリンデのシルトであり、同時に伊紀のシュッツエンゲルでもある石上碧乙(いしがみみお)。百合ヶ丘では彼女らのような擬似三姉妹をノルンと称している。

 

「でも元はと言えば、寝込みを襲った姉様に非があるのでは?」

「それはそれ、これはこれ。貰えるものは貰っておく主義なのよ」

 

 そんな碧乙とロザリンデのやり取りに、周囲のリリィからくすくすと笑いが漏れる。作戦前の固く尖った空気というものが、そこには無かった。

 

(ふふっ。ロザ姉様と那岐様が親しくされれば、その分だけ私と碧乙姉様の時間が増えますねぇ。ふふふふふっ)

 

 若干一名、他とは違う意味で笑みを浮かべる者は居たが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的地よりも大分手前でヘリから降下し、ロスヴァイセは徒歩によって闇夜の山林に分け入っていた。

 九人のリリィと九つのチャーム。それ以外にも、予備の第一世代チャームを満載したポッドに、予備弾薬、携行食糧等々を所定の場所に隠匿しておく。作戦終了後にヘリと合流できなかったという最悪の事態を想定した、長期潜伏に向けての備えであった。

 九人は皆、頭に濃緑の鉄帽(ヘルメット)を被っている。防衛軍の装備品に似せられてはいるが、中身は全くの別物。リリィバトルクロスというリリィ専用の防具の内、フェイスアーマー型をヘルメット型に改造した新装備だった。通信装置や防御結界強化など、複数の機能が搭載されている。

 

 一定の間合いを空け散開して進軍するロスヴァイセだが、不意に主将の号令で立ち止まる。

 

「総員、これよりチャームの試射を実施します。実弾用意、三連射……射てっ!」

 

 各々の銃口から、三発の弾丸が暗がりへと吸い込まれていく。発砲音は極めて少量だった。

 

「次、弾種変更レーザー、三連射……射てっ!」

 

 続いて実体弾に代わり、夜闇に映える光芒が放たれていく。

 光学兵器は威力が高く、弾薬が嵩張らないという利点がある。その一方、マギの消費が多い上に、ヒュージの中には光学兵器を減衰させるビームコートという装備を持つ者が存在した。故に多くのチャームには、光学兵器と実体弾の切り替え機能が備わっているのだ。

 

「次、弾種変更ショック弾、三連射……射てっ!」

 

 最後に試射されたのは光学兵器でもただの実弾でもなかった。それは着弾と共に小さな稲光を瞬かせたものの、命中した木の幹に大したダメージは見られない。

 この特殊弾頭、標的に電流を流すことで一時的な激痛と筋肉麻痺を引き起こす低致死性兵器である。従来の電気銃と同系統のものであるが、射程も制圧力も大きく上回っていた。言うまでもないが、ヒュージなどには通用しない対人兵器に該当する。

 

 このショック弾頭にしろヘリにしろ、特務レギオンであるロスヴァイセは表沙汰にできない装備も保有していた。そのような装備は国からの補助金ではなく、スポンサーからの資金により開発・整備されている。

 当然のことだが、私立のガーデンには出資する民間スポンサーが付いている。百合ヶ丘の場合、それは国内外の非ゲヘナあるいは反ゲヘナ企業や資本家であった。ゲヘナは巨大企業ではあるが、それだけに敵も多く抱えていたのだ。

 

 試射によりチャームの異常が無いことを確認すると、一行は進軍を再開した。

 山麓の街道監視に一名残し、山道を登り、目的の研究所に迫る。

 

「ヒュージサーチャーに反応あり。地下空間と思われる。ただし現状で動きは無し」

 

 先頭を行くロザリンデが警告を入れる。

 警戒しつつ研究所の敷地に侵入するが、それでも動きは見られない。

 よって一行は予定通り、対象の包囲へと取り掛かった。遠巻きに三方向から接近し、監視カメラや警報装置を狙撃し無力化する。直後、マギで強化した身体能力により一気に距離を詰めていく。

 

「こちらヴュルガー(ツヴァイ)、並びに(アハト)。南側正面入り口確保」

 

 ヘルメット型のバトルクロスを通じ、碧乙からの通信が入ってきた。ロスヴァイセ副将の彼女は外周班四名の指揮を執る。

 

「ヴュルガー(ゼクス)、北側裏口確保」

「ヴュルガー(ズィーベン)、西側通用口確保」

 

 続く通信によって、取りあえずの包囲が完了したことを知る。

 ここまで警備の状況、その手薄さに関しては事前の情報通り。何かの罠ではないかと疑ってしまうほどに。

 しかしながら、被験者であるリリィがここに居るのはほぼ確実。ならば踏み込んでいくのが彼女たちロスヴァイセ。

 主将である伊紀は改まった態度で命を下す。

 

「ヴュルガー(アインス)より突入班、突入開始」

 

 制圧済みの正面出入り口より、こじ開けられたガラスの自動ドアを抜けて、四人のリリィが建物内部へ侵入を果たす。

 シューティングモードのアステリオンを構えたロザリンデを先頭に、カスタマイズされたグングニルを持つ伊紀を殿にして。

 清潔感ある真っ白なタイルの床を、四足の靴が踏み汚していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこはゲヘナの実験施設の中では比較的小規模である。

 だがそれでも他企業の施設に比べると広大であろう。ゲヘナの研究対象はヒュージやマギ、強化リリィ等であるため、予算面でも土地の面でもスケールが大きいからだ。

 

 施設の地下、武器庫の片隅に立つロザリンデは改めて周囲を見回した。

 本来なら広いはずだが、金属ロッカーやウェポンラックが立ち並んで窮屈さを感じる空間。保管されているのは自動小銃や拳銃、予備パーツに弾薬の箱。現状有する警備戦力の割に量が多かった。「今後施設の活動を拡大させていくだろう」という百合ヶ丘の読みが当たっていたのかもしれない。収容するリリィの人数が増えれば、警備の人数も増やさねばならないからだ。

 

 そんな武器庫の最奥に、両手と両足をロープで縛られた黒ずくめの男が二人転がっている。意識は無い。ロザリンデの放ったショック弾により制圧されていた。

 

(捕縛術も慣れたものね。ロスヴァイセに入ってすぐに叩き込まれたけれど。今では目を閉じていても縛れそうだわ)

 

 何やら物騒な感傷に浸りながらも、ロザリンデは男たちの所持品や身分証を確認する。

 特に不審な点は無かった。確かに本施設の保安要員だ。

 ゲヘナ・セキュリティ・サービス、略称GSS。警備会社とは名ばかりの、ゲヘナ子飼いの私兵集団である。

 

 ヒュージとの戦いの中、日本では銃刀法が改正されていた。認可を受けた一部の警備会社に限り、小銃や拳銃、猟銃といった銃器の所持が認められたのだ。

 スモール級にどうにか対抗できる程度でしかない。それでも数の上では圧倒的にスモール級が多いので、あるのと無いのとでは大分違ってくるだろう。

 

 そういった経緯で堂々と武装しているGSSだが、訓練されたリリィの襲撃に対しては力不足が否めない。

 これは彼らの装備以上に、組織体制に問題があると思われた。ゲヘナは確かに非人道的な研究を厭わぬ集団ではあるが、その本質は軍事組織ではなく研究機関。第一義はあくまで研究であり、次いで研究のための企業運営。軍事的合理性はそのまた次ぐらいであろう。

 様々な国籍の元軍人や傭兵崩れなど、個々の能力は高い。しかしあくまでも研究者たちの小間使いに過ぎないと言ったところか。

 

「こちらヴュルガー(ドライ)。地下武器庫内に重火器は確認できず。被験者は見つけたか?」

 

 ロザリンデは確認の無線を飛ばすが、帰ってくる返事はいずれも否。最優先事項である()()は未だ見つかっていなかった。

 

「そうなると、未確認の地下閉鎖箇所に居る可能性が高い。制御システムを奪ってロックの解除を試みる」

 

 分厚い金属の扉によって足止めを食らった部屋がある。そのロックを解除するため制御系、即ちこの施設の基幹コンピュータ端末を掌握する必要が出てきた。どの道、ゲヘナの情報を得るために予定されていた行動だ。

 

 目当ての物は労せず見つかった。同じ地下の一室、制御室と書かれた部屋にそれはあった。入室には生体認証を要したが、百合ヶ丘きっての技術者(アーセナル)から提供された装備で無事にクリアできた。

 企業の基幹コンピュータと言えば、大昔なら広々とした大部屋に物々しい機械群を想像することだろう。だがこの時代のそれは見た目だけで言えば極めて簡素でコンパクト。実際、ロザリンデがこの部屋の金属棚をこじ開けて見つけ出した物は、一台のタブレット端末だった。

 

「また役に立ってもらうわよ」

 

 そう呟きながら、ロザリンデは端末にマイクロサイズのカードを差し込んだ。

 そのカードも件の技術者から受け取ったもの。カードの中に組み込まれたプログラムがゲヘナのコンピュータに侵入し、少々の時間を置いて施設の制御系を乗っ取っていく。

 実行した本人は「天才様様ね」と感心しつつ、同時に末恐ろしさも味わっていた。

 そのまま暫くロザリンデが制御室で端末を操作していると、主将の伊紀が中に入ってくる。

 

「閉鎖箇所を除く施設内の制圧が完了しました」

「ご苦労様。それじゃあ扉を開けて、本命の所へ向かいましょうか」

「データの取得は済んだのですか?」

「ええ。だけどこのプログラムを使っても解析できなかったのよ。相当手ごわいプロテクトが掛かってる。何とかコピーはできたから、持ち帰って見てもらいましょう」

 

 伊紀と話しながらも、ロザリンデはロック解除の操作を終えて端末からマイクロカードを抜き取る。

 カードのお陰でロザリンデの仕事は迅速に終えられた。

 しかし早いと言えば、施設の制圧も早かった。それもそのはず。実際の警備戦力は当初の想定よりも少なく、一個分隊強の十名。これに泊まり掛けの研究員・職員十名が加わり合わせて二十名。

 たった四名の突入班とは言え、対人戦闘訓練を受けてきたロザリンデたちにとっては容易なミッションだった。敵戦力が過大な場合は包囲を敷かず、退路の確保要員以外で突入して同胞の保護を最優先するのだが、今回はそこまでする必要も無かった。

 

 彼女たちが装備するショック弾頭はあくまで低致死性兵器であり、非致死性兵器ではない。必ずしも死者が出ないとは限らない武器なのだ。

 本作戦では今のところ人死には出てないが、過去には故意でないにしろ死者を出したケースもある。

 ロスヴァイセの任務とは、そういう任務であった。

 

「あのー、ちょっと提案があるのですが」

 

 制御室を出る際、伊紀が話を切り出した。

 

「任務で使うコールサイン、他の言葉にしませんか? いえ、ドイツ語が不適当と言いたいわけではないのですが。何と言うか、大仰と言うか本格的過ぎると言うか……」

「そう? 私からしたら普通だけど。日本語だったら『百舌鳥1』『百舌鳥2』ってとこかしら」

 

 言い難いのか、言葉を選んでいるかのような伊紀。

 彼女の気持ちはロザリンデにもおおよそ理解できた。オブラートに包んでいるが、要するに中学二年生的なアレを感じたのだろう。

 何にせよ、コールサインは作戦ごとに毎回変える。他の言語にするのも良いだろう。

 しかしロザリンデはドイツ語も時々は使う気でいた。恥じらっている伊紀をまた見たいと思ったからだ。

 

「ヴュルガー(ノイン)より本隊へ。街道から山道を登る防衛軍部隊を確認。軽装甲車、高機動車、中型トラックを認める。規模は一個中隊」

 

 不意に、山麓の街道を監視している仲間から通信が飛び込んできた。

 中隊規模。ただの哨戒とは考え難い。

 三重の地区防衛隊にゲヘナの息が掛かっているという話は聞いたことがないが。

 

「ヴュルガー1、了解。外周班は引き続き警戒厳にしてください」

 

 応答した伊紀と共に、ロザリンデも歩みを早める。

 そうして例の扉の前に到着した。チャームの砲撃も寄せ付けないであろう、特殊合金の分厚い扉の前に。

 既に二人が先行して被験者に接触しているはず。にもかかわらず、保護成功の連絡が無い。

 隔壁と呼ぶべき重厚な扉を、ロザリンデは足早に抜けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来ないでっ! 来ないでよぉ!」

 

 実験施設と訓練場が一体になったかのような広々とした空間で、ロザリンデはチャームの銃口を突き付けられていた。

 相手は十四か十五歳といったところか。訓練服と思しき質素な黒衣を着ており、隈のできた両目をぎらつかせて侵入者を睨んでいる。乱れた赤毛は薄く透き通り、物々しい絵面の中でも美しく映えていた。強化リリィで間違いない。

 そしてそんな彼女の背後にはもう一人、透き通った白髪の強化リリィが床にへたり込んでいる。意識はあるようだが、先程から小刻みに震える以外、大した反応を見せていない。チャームも腕の中に抱き抱えているだけだった。

 

「私たちはこの施設の人間ではないわ。貴方たちを管でつないだり、針を突き立てたりしない」

 

 ロザリンデは赤毛のリリィの前に立って説得を試みる。アステリオンを手放し、ヘルメットも脱いだ状態で。感情を抑えた落ち着き払った声色で。

 

「くるなって言ってんだよぉ!」

 

 激昂して口調が豹変する。

 精神が不安定になりがちなのも、施術を受けたばかりの強化リリィの特徴だ。

 

「今ここで戦う必要は無いのよ。貴方たちを閉じ込めた連中がそこらに転がっていったのを、見たでしょう? ここから出られるの。誰も追ってこれないし、追ってきたら連中と同じ目に遭うわ」

 

 ロザリンデの言葉通り、実験室の隅には両手足を拘束された男たちが転がっている。警備要員二人に、白衣の研究員が三人。モルモットにチャームを持たせて悪足掻きしようと考えたのだろう。

 ちなみに、責任者らしき老齢の研究者は口から白い泡を漏らしていた。ショック弾による電流を浴びた影響か。元より高齢者や不健康な者にとっては後遺症の危険もある武器だった。

 もっとも、その程度のことはロスヴァイセならば誰も気にしない。作戦上必要な、最低限度の犠牲というわけだ。

 

「後ろの彼女、然るべき場所で治療を受けさせるべきよ。体の傷は治っても、心の傷は中々治らない。貴方だってそう。一緒に治療しないと」

 

 ガーデンで検査しなければ断言はできないが、ロザリンデには二人ともそれほど強い施術は受けていないように思えた。

 しかしながら、身体への強い施術無しでここまで精神が不安定になっているということは、それだけ日々の実験が過酷だったのだ。

 それ故にロザリンデたちは慎重に事を進めていた。強引な手を使わず、彼女らの意志を尊重する形で。時間を掛けるリスクを背負い込んででも。それこそがロスヴァイセの存在意義なのだから。

 

「……一緒に? 本当に、一緒に?」

「ええ、約束するわ。貴方たちを引き離したりしない。暮らす場所に多少の不自由はあるけれど、一緒に居られるわ」

 

 赤毛のリリィとの距離はおよそ六メートル。不測の事態を起こさぬよう、ロザリンデはそれ以上踏み込まなかった。その位置から、語り掛けていた。

 

 暫くの沈黙。

 赤毛のリリィはぎらついていた瞳を左右に彷徨わせる。小さな仕草だが、彼女が逡巡しているのは明白だ。

 その間、ロザリンデは口を閉じていた。

 白髪のリリィの小さな息遣いだけが、この広い空間内での唯一の音となった。

 やがて、ロザリンデに向けられていたチャームがゆっくりと下げられる。視線は未だ彷徨っていたが、剥き出しの敵意は収まりつつあった。

 

「行く……行きます」

 

 か細く独り言にも聞こえる声に、ロザリンデは内心で安堵する。

 しかし焦らず、ゆっくり歩いて距離を詰め、まだ力の抜けていない両肩に手を乗せる。

 

「ありがとう。でもチャームはまだ手放さないでね。ここを離れる時に役立つから」

「うん」

「もう一人の子は一人で歩けそうかしら?」

「多分、時間が経てば、大丈夫。だと思う」

 

 そこまで聞くと、ロザリンデは一旦手を離して距離を取った。

 すると赤毛のリリィは案の定、座り込んだままの白髪のリリィの傍へ歩み寄っていく。

 

 実の所、ゲヘナの施設において初めから戦闘要員として扱われる強化リリィはそう多くない。大半のリリィが嫌々実験を受けさせられており、そんな彼女らに武器を持たせても信用も期待もできないからだ。

 自分から強化に志願したり親族が研究員だったりする()()()()信用できる者は、本当に重要な施設にしか配備されない。なのでそうしたごく一部の例外を除いた場合、人間の兵士に重火器を持たせるか、設備への被害覚悟で実験体のヒュージを投入した方がまだマシだというわけだ。

 

 交渉のために外していた装備品――ヘルメットとアステリオン――を装備し直したロザリンデへ、今まで遠巻きに様子を見守っていた伊紀が耳打ちをする。

 

「先程の防衛軍部隊の件ですが。敷地外周部の地下から現れたヒュージと交戦に入りました」

「今頃出てきたの? ヒュージが?」

「はい。スモール級六体に加えてミドル級も三体交じっていたため、外周班には状況を見てヒュージ討伐に加勢するよう指示したのですが」

 

 伊紀はそこで言葉を切って一拍置いた。

 

「防衛軍部隊は単独でこれを撃破して、現在はここの周囲を包囲するように動いています」

 

 さっきまで通信機内蔵のヘルメットを外していたので初めて知ったが、まさかそのような事態になっているとは。

 ロスヴァイセが施設に侵入した際、不気味に沈黙していたヒュージ。それが今更動き出したことも気にはなる。

 だがそれ以上に、防衛軍の処理の早さが不可解だった。スモール級だけならともかく、ミドル級が存在するなら戦車や航空支援が欲しいところ。歩兵科の装備でも機関銃や対戦車火器を集中投入すれば撃破できなくもないが、それにしたって手こずるはずだ。

 

「外周班はいつでも撤退可能です。あとは、私たち」

「そうね」

 

 ロザリンデは再び二人の強化リリィの下へ近付いていく。

 白髪の方は依然として反応しなかった。そのため彼女の肩を抱いている赤毛の方に、身をかがめたロザリンデが話し掛ける。

 

「さあ、この息苦しい建物から抜け出しましょう。ちょっと荒っぽくなるけど、そっちの子は走れないのなら――」

「わっ、私、私がおぶっていく、から……」

 

 赤毛のリリィが食い気味に訴えると、ロザリンデは頬を緩めて頷いた。

 

「ヴュルガー(フィーア)(フュンフ)は彼女たちの脱出を支援してください。この地下実験場からだと、資材搬入用のエレベーターを使えば西側通用口の近くに出られます」

「了解」

「了解です」

 

 伊紀の指示で突入班も動き出す。

 時間こそ費やしたが、一番の目的である同胞の保護を不足なく達成できた。ロスヴァイセにとってはそれが何よりも重要だった。

 外の防衛軍部隊もゲヘナの応援ではないらしい。面倒事は増えてしまったが、突破自体は不可能ではないだろう。彼らの目的が研究所の制圧にあるのなら尚更だ。

 

 ところが状況はロザリンデたちの想定よりも少しばかり違っていた。その事実を、建物を揺るがしかねない爆発音と碧乙からの通信で知ることになる。

 

「こちら正面入り口! 軍の連中、撃ってきたわ!」

 

 

 



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第19話 疑念

「こちら正面入り口! 軍の連中、撃ってきたわ!」

 

 碧乙からの通信に合わせて複数の爆発音が聞こえてくる。地下実験場は頑健な造りのため振動こそないが、上の階はその限りではないだろう。

 

「ヴュルガー1より外周班へ。西側通用口まで後退、合流してください。ヴュルガー7、包囲の状況は?」

「こちらヴュルガー7、敷地外周を薄く広く包囲。西側のみ配置に穴があります」

「それは、罠の可能性がありますね。逆に包囲が最も厚いのは?」

「……南側、山道への出口前。軽装甲車を横に並べて簡易のバリケードとしています」

 

 無線による伊紀の問いに、鷹の目のサブスキル『千里眼』を持つメンバーが的確な答えを返していく。鷹の目にしろ千里眼にしろ、夜の闇は障害になり得なかった。

 

「では意表を突いて、最初に外周班が南側から突破を図ってください。その後にヴュルガー4、並びにヴュルガー5が保護対象と共に北側から突破。以後は各自、回収地点にて『トリカゴ』と合流しましょう。なお本施設包囲中の武装勢力に対し、ショック弾及びフラッシュグレネード、スモークグレネードの使用を許可します」

 

 ロザリンデは傍らで伊紀の指示に耳を傾けていた。

 一見強引な作戦ではあるが、外周班を率いる碧乙のファンタズムがあれば無謀ではない。それに正面突破という派手な真似をすれば、保護した強化リリィたちの脱出が容易になるだろう。

 後輩にしてシルトのそのまたシルトの指揮に、ロザリンデは一人満足げに頷いた。

 

「あとは……彼らの目的を可能な限り確かめるべきだと思うのですが」

「そうね、同感だわ。退散するのはもう少し後にしましょうか」

 

 自らの手で救い出したリリィたちの後ろ姿を見ながら、ロザリンデが伊紀の提案に同意する。

 リスクはあるが、不測の事態にリスクは付き物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下実験場から上階へと上がり、吹き抜けが開放的なラウンジへと移動する。

 ロザリンデはラウンジの二階部分、螺旋階段を上った先にある柱の裏に身を隠した。一階部分の様子もちゃんと把握している。あらかじめハッキングしておいた施設内の監視カメラから、ヘルメット型バトルクロスのバイザー裏に映像を送らせるよう設定したからだ。

 ちなみに伊紀は二階の更に奥にて待機している。

 

「使用火器は81mmクラスの迫撃砲。数は六門、増強してるわね」

 

 先程から五月雨式に巻き起こる爆発音を基に、ロザリンデが砲撃の正体を推測する。

 建物内に居るロザリンデからすると、些か過剰な攻撃にも思えた。外壁は勿論、窓ガラスを突き破った幾つかの砲弾は室内をも破壊していた。数も多い。推測が正しければ、通常の歩兵中隊の倍に当たる門数を使用していることになる。

 とは言え、既にヒュージと一戦してきた者たちにとっては足りないぐらいかもしれないが。

 

 やがて爆発音も振動も止み、辺りに静寂が訪れた。目的は分からずとも、押し入ってくることは分かる。

 相手は一個中隊。突入戦力は多く見積もっても一個小隊程度だろう。それ以上は包囲の維持が難しくなる。一斉に乗り込んで同士討ちを誘発する危険も冒さないはずだ。

 

 程なくして、予想通りラウンジに侵入者が現れる。濃緑の鉄帽(ヘルメット)と斑模様の戦闘服に身を包み、黒色の自動小銃を構える者たち。今はロザリンデたちも似たような恰好をしているが、あちらは恐らく()()だろう。

 侵入者たちは的確な射撃でラウンジ内の監視カメラを潰していく。

 けれどもロザリンデとてそれは想定済み。本命のカメラは二階から一階を臨むバルコニーに、目立たない形で埋め込まれていた。この時ばかりは、カメラの本来の所有者であるゲヘナに感心するのだった。

 

 バトルクロスのバイザー裏に映る映像で八人ほど確認できたところで、ロザリンデは彼らの内の一人が銃口を下に下げたことに気付く。

 

 何を――――

 

 そう疑問に思ったのも束の間。

 ロスヴァイセに制圧されラウンジの片隅に転がされていたゲヘナの人間たち。意識こそ戻ったものの、手足の拘束と電気ショックによる筋肉麻痺で身動きできない者たち。彼らに向けて、銃口から発砲炎が瞬いた。

 警備の兵や非戦闘員の区別なく、四人の人間が流れ作業の如く殺害されていく。悲鳴を上げる暇すら無い。

 それは処刑であった。

 

「行ってください」

「出るわ」

 

 伊紀の指示とロザリンデの宣言が前後して無線に流れる。

 今ので確信した。これは軍からの正規の命令でも作戦でもないのだと。であるならば、下手に遠慮する必要は無い。

 ロザリンデは柱の影から出ると、構えたアステリオンを階下の兵士たちに向ける。

 

「銃を捨てなさい」

 

 その言葉に、自動小銃の先端が一斉に上を向いた。

 彼らもゲヘナを襲うリリィと思しき集団については認知していたらしい。武器をかざしながらも、引き金を引くことなく奇妙な膠着が生まれた。

 そんな中で、先程処刑を実行した隊長格らしき男が口を開く。

 

「血迷ったか。何故我々に武器を向ける?」

「それは、こちらの目的が殺戮ではないからよ」

 

 無論、止めに入ったのは人道的な理由だけが全てではない。この状況は些か都合が悪かったのだ。

 証拠を残すような真似はしていない。だが政府は内閣調査室を通し、ロスヴァイセの襲撃を概要ぐらいは把握していた。また百合ヶ丘と関係の深いガーデンも、確証は無くとも「どのようなことをしているか」薄々察しているだろう。

 そういった事情から、このタイミングでの殺戮行為は看過できなかった。加えて言うなら、あわよくば彼らが研究所を襲った理由が分かるかもしれない。

 しかし当然ながら、事はそう簡単には運べない。

 

「対ヒュージ戦闘用意! 特火分隊前進!」

 

 隊長の号令一下、けたたましい発砲音がラウンジに轟き渡る。二階バルコニーの手すりや壁に、多数の鉛玉が傷跡を刻み付けていく。

 マギによって強化された身体能力によって、ロザリンデは再び柱の裏まで飛び退いた。

 階下の兵士たちは弾幕を展開しつつも、じりじりとラウンジから後退を図っている。牽制目的なのは明らか。案の定、彼らに代わって新たな八人が前に出てきた。

 その新手が肩に担いで構える得物は、銃と呼ぶには過大であった。鈍色の長銃身。銃身の割には短い銃床(ストック)。敢えて見た目が似た物を挙げるなら、対戦車ライフルになるだろうか。勿論中身は別物である。

 

(アンチヒュージウェポン……。でも、初めて見る型だわ)

 

 柱の影から覗き見たロザリンデは眉を顰めて訝しむ。

 スキラー数値がチャームの起動に満たない者。アンチヒュージウェポンとは、そんな者たちがヒュージと()()()()戦うための武器だった。

 

 階下から、小銃とは明らかに異なる発砲音がバルコニーを襲う。

 壁を突き破り、手すりを吹き飛ばし、ロザリンデが身を隠している極太の柱さえも圧し折らんばかりの勢い。弾頭に込められたマギにより、同サイズの通常兵器を凌ぐ威力を発揮できるのだ。

 しかしアンチヒュージウェポンは単発射撃兵器である。一発撃つと、次弾にマギを込めるため、僅かながら時間的ロスが生じてしまう。

 

(発砲が途切れない。何組かに分かれて運用してるのね)

 

 そう判断したロザリンデは躊躇なく柱から飛び出した。靴の裏に纏ったマギが反発力を生み、跳躍を爆発的なものにする。

 一瞬で天井付近まで飛び上がると、アステリオンのショック弾を兵士の肩に撃ち込んだ。

 被弾した者は痙攣を起こして崩れ落ちる。その戦果を確認するより早く、ロザリンデは懐から取り出した予備のボタンを一階に投げ放つ。

 床に落ちたボタンは直後、眩い閃光で周囲の視界を奪った。

 浮足立つ敵分隊へ、空中で更に二発の発砲。二人の兵士が床に伏す。

 落下する最中にもう一発。また一人、全身を震わせて受け身も取れずに転倒する。

 

 一階へ着地して膝を床に突くロザリンデに、兵士の一人が迫りくる。距離が近すぎるため、巨銃の銃身を掴んで棍棒代わりに横薙ぎに振るう。

 ロザリンデは左腕をかざして盾とした。マギを込められ硬質化した巨銃が少女の生身を打ち据える。

 結果、巨銃の銃床はロザリンデの腕に勝てなかった。銃全体が激しい衝撃に軋む。お礼とばかりに繰り出された蹴りで、兵士は体をくの字に曲げて宙を舞う。

 

「撃て」

 

 不意に飛び込んできたその言葉に、ロザリンデはハッとして視線を動かした。

 前方、ラウンジに隣接するエントランスの入り口付近にて、三人掛かりで運び込まれた重機関銃が矛先を向けてくる。三脚の銃架に据えられたそれは、隊長の命に従い弾を吐き出した。

 誤射を恐れたせいなのか、単射による狙撃。だがそれでも、掠めただけで人体をズタズタにし得る12.7mm弾だ。マギの防御結界により防いだが、たとえ通常兵器といえども浴び続けるのは遠慮したい。

 

(室内で重機なんてねっ)

 

 内心でそう呆れつつも、ロザリンデは胸ポケットから小さなスカーフを取り出した。持ち主のマギによってスカーフは瞬時に硬化し、布切れから鋭い刃へと変化する。

 投擲され滑空した刃は重機関銃のバレル横に命中し、給弾口と弾薬ベルトを纏めて破壊するのだった。

 

 息つく間もなくロザリンデはステップを踏んで横に跳ぶ。そのすぐ傍の空間を、マギを纏った弾丸が奔る。

 直後に弾丸と同じ方向から人影が跳んだ。マギによる跳躍ですぐさま距離を詰め、鈍色の銃身を銃剣術の如く突き出した。

 小銃からアンチヒュージウェポンに持ち替えた隊長が突撃してきたのだ。

 

「理解に苦しむな。外道どもの駆除を邪魔するとは。そもそも、お前らだって似たようなものだろうが」

 

 ロザリンデは首元に迫る突きをアステリオンのバレルで逸らし、そのまま銃身同士で競り合いに持ち込んだ。

 階級章から考えて、対峙している相手は恐らく小隊長クラス。彼はロザリンデに毒づきながらも、反撃の機会を与えないよう突きを繰り出してくる。防衛軍のマディックにしては、マギの質も操作もかなりのレベル。この分では防御結界もそれなりのものだろう。

 

「言ったはずよ。殺戮が目的ではない、と。たとえ相手が外道であれ何であれ」

「……偽善者か。殺し合う覚悟もないのなら、戦争ごっこなんざ止めちまえっ」

 

 マギクリスタルコアがなくても、チャームでなくとも、マギを込めた物体は凶器足り得る。即席の銃剣がロザリンデの胴や胸元を狙う度に、アステリオンの銃身が甲高い音を立ててそれを弾く。

 アステリオンをブレイドモードに変形する余裕は無かった。

 

 そんな中、突然バックステップで間合いを取った小隊長が巨銃の引き金に指を掛けた。

 あの攻防の最中に弾丸へマギを込めたのか。

 本気か、ブラフか。

 

 僅かばかり思考した後、ロザリンデは敵を追って前に跳んだ。強力な防御結界を持つ者にはショック弾の効果が薄い。故に直接殴り倒すのだ。

 この反応は予想外だったらしい。小隊長は一瞬だけ動揺で固まってから、ロザリンデの顔に目掛けて突きを放つ。

 的の小さい顔面を狙ったのが明暗を分けた。

 ロザリンデは首を横に振って巨銃の一撃を躱す。代わりにアステリオンの銃口を相手の胸元――正中線に突き入れる。

 間髪入れず、くぐもった呻きを漏らすその側頭部に、横から襲い掛かる銃床。

 アステリオンを銃身で握り直したロザリンデのフルスイングが、結界越しに相手の戦意を刈り取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘の余波によって瓦礫が散乱するラウンジを離れ、ロザリンデたちは施設二階の奥まった個室に移動していた。

 屋内に突入してきた敵小隊は外へ退却。また包囲を敷いていた敵本隊も、碧乙たちの強行突破を受け混乱しているらしい。

 一方で、保護した強化リリィを含め、味方は無事に包囲の突破に成功。残るはロザリンデと伊紀だけ。しかしその前に一つ用事があった。

 

「さてと。もうお話しできるわよね?」

 

 部屋の中央で椅子に腰掛けるロザリンデが口を開いた。

 床の上には、縄で手足を拘束されロザリンデに担ぎ込まれた大の男が腹這いになっている。頭への一撃で一時的に昏倒していた小隊長だ。年の頃は二十代半ば。軍人らしく黒髪を短く切り揃えている。

 小隊長が無言のまま視線を上に持ち上げたのを、ロザリンデは肯定の返事と見なした。

 

「ゲヘナに何のご用だったのかしら? まさか人道がどうとか人権がどうとかって話ではないでしょう」

 

 その問いに対し、小隊長はこれといった特徴の無い、しかしよく見ると整った顔を向けて答える。

 

「ゴミ掃除に来ただけだが? それよりも早く解放して欲しいもんだ。まああんた美人だから、レズを止めるんなら話ぐらいしてやってもいいけどな」

「初対面の相手をレズ呼ばわりなんて、随分と不躾ねえ」

「ハハッ。シラを切っても分かるんだよなあ、臭いで。まあ俺は差別主義者じゃないから、他人の趣味なんざどうでもいいが。しかし勿体ないことだ」

 

 相手をリリィと認識した上でのあからさまな挑発、安い挑発だった。

 けれどもロザリンデはそれを無意味な行為とは判断しない。こんな状況で挑発してくるのは、こちらの尋問を攪乱するためだろう。

 その一方、外の仲間からの通信で敵の包囲部隊が相当に浮足立っていることが分かっていた。撤退の気配すら見せているらしい。

 いよいよもって、この中隊が正規の命令で動いていない反乱部隊である可能性が濃厚になった。ヒュージならまだしも、まさかリリィと思しき人間と撃ち合うとは思っていなかったのだろう。士官はともかく、下の兵士たちは詳しい事情を知らされていないのかもしれない。

 だとするなら、ロザリンデたちには多少の時間的余裕があった。

 

「外道のゲヘ公どもにお優しいことだから、俺にも優しくしてくれないか。そうだな……ちょっとばかり体をさすって気持ちよーくしてくれたら、ポロっと何か喋っちまうかも。だけど、むっさいズボンっていうのは頂けない。リリィってのは皆、男を誘ってるようなスカートはいてるもんだろ?」

 

 その下卑た言い草に、ロザリンデの斜め後ろに黙って立つ伊紀が憤りを抑えるかのように顔を強張らせた。

 ロザリンデとて気持ちは同じ。ただでさえ人間相手の立ち回りは神経を使うのだ。その直後にこんな相手とお喋りするのは精神的に中々くるものがある。

 しかし同時に、ロザリンデは彼の物言いに違和感も覚えていた。どことなくわざとらしさを感じたのだ。先程チャームをぶつけ合っていた人間と同一人物ではないような。小さいが、口内に刺さった小骨のような違和感だった。

 

「どうしても話したくないのなら、手荒い真似をしなければいけないわ」

「やれやれ、チャームなんて持ち出してどうする気だ? 火遊びなら止めとけ。どうせ殺せやしないんだから」

「ふぅん、使命に忠実なのね。一本気なのは美徳でもあるけど、同時に視野狭窄でもある」

 

 アステリオンを手に持って見せたが、小隊長は相変わらず尊大で余裕綽々な態度。

 このままでは実力行使に出ても、口を割るかは微妙なところ。まず精神的に揺さぶり、しかる後に身体を責めれば成功率が上がるはず。

 

「視野を広げるには色んな人と交流するのをお勧めするわよ。例えば、外国で恋人でも作ってみたら? 少しは人生楽しくなるかもね」

「……いっちょまえな口を聞く。まるで、いっぱしの人間みたいだ」

「こう見えても自活してますから」

「ハッ! あんたらリリィは市民権を得たと勘違いしているようだが、それは政府や法務省の老人どもが勝手に言ってるだけだ。国民は認めちゃいない」

「国民ねえ……」

「俺は差別主義者じゃないから無理強いはせんが、荷物を纏めて国に帰るのをお勧めするよ」

 

 それまでの余裕そうな小隊長の雰囲気がにわかに変わる。恋人というワードが癪に障ったのだろうか。顔と口調はともかく、声は憎しみを帯びていた。

 恐らくはこちらが本性。今までの尋問ではロザリンデを煙に巻くため、わざと下品に悪ぶっていたのだろう。

 往々にして、この手の人間は口では悪人を気取っていても、本心ではそうは思っていない。心の中では自分なりの正義を持っている。

 そんな彼の正義を、本音を引き出すことがロザリンデの狙いであった。

 

「そもそもリリィがメディアに持て囃されるのも、見た目が良いからだろう。可愛い可愛いと言って犬猫を愛玩するのと何も変わらん。人間として人格を尊重しているんじゃないんだよ」

「ま、それは否定しないわ。だけど私たちには関係のないこと。こっちはこっちで仲良くするし恋人作るから、どうぞお構いなく」

「やっぱりレズじゃないか」

 

 人間、どういった言葉がどんな感情を引き起こすか分かったものではない。だからそれを知るために、会話というのは重要な役割を果たす。

 ロザリンデは頃合だと判断し、怒りに顔を歪めた男へアステリオンの銃口を向けた。

 

「それで、誰の命令で何をしに来たの?」

「ふざけるな。今の流れで、誰が言うか」

 

 拒否されたが、勿論予定通り。

 ロザリンデは斜め後ろの伊紀に目配せしてから、再び床に這う小隊長に視線を落とす。

 

「ところで『Z』っていうレアスキル、知ってるかしら。物体や人体の状態を巻き戻す能力よ。これを使えば傷はたちどころに治るし、痛みも残らない。もっとも、痛みの記憶は当然残るのだけど」

「…………」

「痛みの記憶は累積するのか。脳神経学者じゃないから、私には断言できないわ。ねえ、どう思う?」

 

 軽い調子で問い掛けるロザリンデに、一時押し黙っていた小隊長が口を開く。

 

「そんなことが、許されるはずないだろう。このテロリストどもがっ」

「それはそちらも同じでしょう。貴方たち、軍の命令で動いているわけじゃないわよね?」

 

 小隊長はまた黙る。

 

「私たち殺す覚悟なんて無いから、そこは安心してちょうだい。手足を縛ってるから自決もできないでしょ。本場のハラキリが見れないのはちょっと残念だけど。あ、喋って貰わないと困るんで口は塞がないから、舌を噛み切ったりしないでね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――以上が三重県南伊勢研究所救出作戦の概要になります」

 

 ゲヘナの研究所での大立ち回りから一昼夜と少し過ぎた早朝、百合ヶ丘女学院の理事長室。三人掛けのソファにロザリンデと共に腰掛ける伊紀が報告を行なっていた。

 

「敵将校への()()()()の結果、件の部隊は三重地区防衛隊隷下の第71歩兵連隊第3歩兵中隊を基幹とした増強中隊であることが判明しました。彼らは三重地区防衛隊司令部から、当該施設の完全破壊を命じられたとのことです」

 

 伊紀の報告を受けているのは今現在におけるこの部屋の主。執務机の席で耳を傾ける理事長代行である。

 

「うむ、ご苦労じゃった。救出した二名も含めて、リリィに被害が無かったのは重畳じゃ」

 

 代行は年齢のせいか若干掠れた声でロスヴァイセの労をねぎらった。

 

「かの部隊と戦端を開いたことは、理事会でも適正だったと判断されるはず。あのまま殺戮を見過ごしていれば、百合ヶ丘は政府だけでなく同じ反ゲヘナガーデンからも猜疑の目で見られたに違いない」

 

 伊紀とロザリンデの判断を代行は肯定する。

 特務レギオンはガーデンの命によって動く組織だが、時に現場での微妙な決断に迫られることもある。その辺りは他のリリィと似たようなものであった。

 

「して、その襲撃者たちについてじゃが。実行部隊は勿論、命じた司令部にも既に警務隊の手が伸びておる」

「それは、随分と手が早いのですね」

「特別警務隊じゃよ。以前から網を張っていたのであろう」

「創設時から『現代の憲兵隊』と賛否両論だった特警ですか」

 

 ロザリンデは警務隊の手際の良さに最初こそ驚くものの、すぐに納得する。

 確かにあの襲撃部隊の行動は稚拙が目立っていた。根回しも偽装も十分ではなかったのだろう。

 逆に言えば、それぐらい焦っていたとも考えられる。

 

「じゃが三重の司令部の更に上にいるであろう、統幕の急進派にまで辿り着くかは怪しいところじゃな」

 

 ロザリンデが相対した小隊長の言動を鑑みると、急進派から思想的な影響を受けているのは間違いなさそうだ。

 とは言え、流石に明確な証拠までは聞き取りによっても出てこなかった。

 

「ロザ姉様が持ち帰ったデータは解析科に回しています。ですが彼女たちの腕と設備を以てしても、中身を明らかにするには時間が掛かるそうです」

「ふむ。急進派はそのデータの破壊を狙ったのやもしれぬな。それ以外に動機が見当たらぬ。ゲヘナとしては、表向き平凡な施設に偽装しつつヒュージに守らせていたが、襲撃者の戦力を見誤ったらしい。その辺りは軍隊でない研究機関の限界といったところか」

 

 当然ながら、施設に居た研究員たちもデータの内容は知らなかった。彼らは軍人でも諜報員でもない。容易に口を割ることは当のゲヘナも想定済みなのだろう。

 しかしそうなると、このデータは普段の研究に援用する類のものではなく、何か別の性質を持ったデータということになる。

 

「一方で回収した新型アンチヒュージウェポンは百由様に調べて頂きました。三重の防衛隊ではこの装備を『AHW-09C 48式特火小銃改』の名で運用しています」

「聞いたことのない装備じゃな」

「地区防衛隊が幾ら独立性が高いと言っても、勝手に新型兵器を加えるなど普通はできません。ただし、装備の現地改修に関しては広く認められています。改修装備という名目で保有していたのでしょう」

 

 伊紀が手元のタブレット端末を操作しながら説明する。

 代行の机の上では、ホログラフの立体映像が長大な銃の画像を映し出していた。

 

「肝心の性能については火力、マギ充填速度、剛性、どれを取っても従来のアンチヒュージウェポンを上回っていました。ただ、ラージ級を撃破できない点は従来品と変わりありませんでしたが」

「しかしそれでもマディックにとっては強力な装備に変わりない。にもかかわらず普及していないということは……」

「はい。百由様の調査によって副作用が確認されました。この機体、使用者のマギに働きかけてマギ濃度を強引に高める機能があるため、情緒を不安定にさせてしまうのです。具体的には好戦性を増したり、反対に戦意を失ってしまったり」

 

 伊紀の話を聞き、代行は得心がいったように目を細めて頷いた。

 だがもう一つ、重要な疑問点が残っている。

 

「問題は、これをどこの何者が作ったかということじゃ。軍と関係の深いチャームメーカーが密かに急進派へ譲渡するなど、危ない橋を渡るのは考え難い。防衛装備庁の装備研究所も、監視の目を搔い潜ることは困難じゃろうて」

 

 防衛装備庁は装備品の開発・調達を一元的に担っているので、汚職を防ぐために元々監査体制が厳しい。そんな中で政府や省内の主流派の目を盗んで開発するのは流石に不可能だ。

 

「これも百由様のお言葉なのですが、開発元はゲヘナ傘下のメーカーの可能性が高いそうです」

「……真かね?」

「はい。使用されているパーツは他社製の一方、マギ向上に関わる根幹のシステムはゲヘナのものでした」

「ならば、事情が大きく変わってくる。前提からして考え直さねば」

 

 その代行の発言を皮切りにして、部屋に一時沈黙が訪れる。とは言え、考えていることは皆似たようなものだろう。

 統幕の急進派はゲヘナと協力関係にあった。それが何らかの理由で、あるいは最初から手を切る前提で、今では敵対関係に変わった。

 元から急進派はゲヘナへの強硬策を主張していたが、あれは演技だったのか、本気だったのか。本当のところは定かでないが、いずれにせよ中々に拗らせた関係なのは確かなようだ。

 やがて推測を中断するかのように、ロザリンデが沈黙を破る。

 

「悪党同士の繋がりなんて、所詮その程度のものなんでしょう。データの中身が分かれば裏付けが取れるはずです」

「うむ、そうじゃな。解析科の成果を待とう。忙しい中で迅速に働いてくれた百由君にも後で礼を言わねば」

 

 アーセナルの真島百由はチャームの開発・整備のみならず、マギ理論やヒュージ研究等、極めて多才な人物だった。ガーデンとしても彼女には頭が下がる思いだろう。

 

「君たちロスヴァイセもゆっくり休んでくれ。本当にご苦労じゃった」

 

 改めて送られた労いの言葉に、ロザリンデと伊紀はソファから立ち上がって姿勢を正すと、退室の礼を執るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 理事長室を後にした二人は人気のない広々とした廊下を歩いていた。

 

「はぁ~っ、今回は流石に疲れたわねえ」

 

 ロザリンデが歩きながらも、腕を真っ直ぐ上に上げて伸びをする。

 百合ヶ丘に帰ってきてからは多少の仮眠を除き、保護した強化リリィの対応やら報告書の作成やら事後ミーティングやら、まともに休み暇が無かったのだ。

 

「でも、あの二人の件は良かったですね。無事にうちの中等部に編入できそうです」

「そうね。落ち着いたらまた顔を見に行きましょう」

 

 左後ろから後に続く伊紀が明るい話を振ってきた。実際、そういった成果が彼女らロスヴァイセの原動力になっている。

 その一方、ゲヘナへの復讐心を上手く抑えられない者は救出作戦に参加できない。保護対象や味方さえも危険に晒しかねないからだ。

 

「そろそろ碧乙も書類仕事を済ませてるでしょうし、この後にでも伊紀から労ってあげてちょうだい」

「はい!」

「食いつきがいいわねえ」

 

 元気良く返事をされたので、ロザリンデは小さく笑う。

 碧乙とロザリンデは同室――特別寮では一人部屋や学年違いのルームメイトも許されていた――なので、こんな時は伊紀にお姉様を譲っているのだ。

 

「はぁ~。精神的に疲れちゃったから、私も癒されに行こうかしら」

 

 そう言ってロザリンデは首だけ傾け、廊下の窓に目を向けた。

 百合ヶ丘の空はまだ薄暗いが、耳を澄ませば鳥のさえずりが聞こえてくる。学院が起き出すまで、あと少しであった。

 

 

 



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第20話 西へ

 この日、鎌倉の空は灰色混じりのどんよりとした雲に覆われていた。

 昼食後の余暇。本来は憩いの時間になるはずだが、鶴紗は捜し人を求めて忙しく学院の敷地を歩き回っていた。

 本日の放課後にレギオンでミーティングを開く。その連絡のために。

 本当なら携帯を使えば済む話だった。ところが鶴紗が電話を掛けても繋がらなかったのだ。電池切れか、はたまた部屋に置き忘れたか。

 

「まったく、世話の焼ける先輩だ」

 

 一人ぶつくさ言いつつ、鶴紗は本校舎の裏手を進む。

 上級生寮の旧校舎は夢結が捜してくれていた。となると、鶴紗が担当すべきは他のどこか、心当たりのある場所だ。

 この時間、人が少なそうでゆっくりごろごろできる所。思い付く限りで一番近い場所から当たっている。

 本校舎の裏には石畳の小道が伸びており、鶴紗の住む特別寮の他にも林の木々や観賞と防災を兼ねた池など、自然と人工物が上手く調和した空間だった。

 探し人がここで昼寝を決め込んでいる可能性は高い。少なくとも鶴紗の見立てでは。

 

「……ん?」

 

 ふと、足を止める。

 小道から外れた池の畔にベンチがあった。ベンチとそこに座る人影が視界に入り、気になった鶴紗は近付いてみる。

 残念なことに、探し人ではなかった。

 

「あら、ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 

 百合ヶ丘お決まりの挨拶の言葉を掛けてきたのは、柔らかな印象を受ける亜麻色の長髪をしたリリィ。

 鶴紗はあまり話したことはなかったが、彼女はある意味で有名だった。もっとも、彼女に限らず三年生で第一線に立ち続けているリリィは皆、名が知られているのだが。

 

「もしかして、ロザにご用事?」

「いえ、そういうわけでは……」

 

 ベンチに腰掛けるリリィ――田村那岐(たむらなぎ)の傍らにはもう一人リリィが居た。

 全身をベンチの上に横たえ、上から厚手のケープを毛布代わりに掛けている。頭は那岐の膝の上。顔を那岐のお腹に向けているため、美しく長い銀髪が鶴紗の方からよく見えた。

 この曇り空の下、こんな所で寝て風邪を引かないのか。初めはそう思った鶴紗だが、すぐに心配は無用だと悟る。柔らかい膝枕に顔を沈めている姿が、いかにも暖かそうに見えたから。

 

「ちょっとうちの先輩を捜してて」

 

 鶴紗のそんな言葉に真っ先に反応したのは那岐ではなく、もう一人の方だった。膝枕の上でくるりと180度向きを変え、青い瞳で鶴紗と目を合わせてきた。

 

「何かお悩みかしら、鶴紗さん」

 

 寝ている人間を起こすほど、鶴紗は大きな声を出してはいない。かと言って相手の狸寝入りというわけでもなさそうだ。

 銀髪のリリィ――ロザリンデはベンチと那岐の上で横になったまま、鶴紗の目を覗き込むように視線を送り続けている。

 

「後輩の前よ。起きたのなら、しゃんとしなさい」

「んー、もうちょっとだけ」

 

 だらしのない態度を那岐に咎められるものの、ロザリンデは改める様子を全く見せない。それどころか首を揺らして頬をこすり付け、膝の感触を気持ち良さそうに堪能していた。ほっぺたの形がぐにゃぐにゃと変形する程に。ワールドリリィグラフィックのモデルにも負けない美貌が台無しである。

 ゲヘナから救い出してくれた恩人で尊敬していた上級生のこんな姿を目の当たりにし、正直なところ、鶴紗は残念な気持ちになるのだった。

 一方、那岐は那岐で一度だけ口で注意すると、以降はされるがまま。常日頃の彼女なら、平手が飛んでいてもおかしくないというのに。

 そこで鶴紗は以前に耳にした伊紀の話を思い出す。「任務明けの休みは大抵、那岐様がお優しくなるんですよ」という話を。

 

「それで鶴紗さんの悩み。先輩のことだったわね」

「え? まあ、はい」

「そうねえ、私からアドバイスできるのは――」

 

 考え込んでいるロザリンデを見て、鶴紗は疑念を抱く。何か勘違いしてないか。自分はただ、猫みたいに気まぐれな先輩の行方を知りたいだけなのだが。

 

「金魚みたいに口を開けているだけでは、望むものを得られない。時には自ら一気呵成に攻め込まないと」

「何の話ですか?」

「想い人をゲットする方法よ」

 

 やっぱり勘違いじゃないか、と鶴紗は叫びそうになる。

 

「私と那岐のことは話したかしら?」

「…………」

 

 問われた鶴紗は無言で記憶の糸を手繰り寄せる。

 程なくして思い出した。二人の馴れ初めを。

 

 中等部時代にゲヘナの実験施設から百合ヶ丘へと助け出されてからも、鶴紗の心と態度は荒んだまま。

 そんな鶴紗に、時々だが、ロザリンデは話し掛けていた。取り留めの無い話題の中には、那岐との逸話も含まれていた。

 

 初対面の際、ロザリンデの好みに直球ストライクだったため、西欧式の挨拶と称しキスしようとして那岐にひっぱたかれたそうだ。それ以後ロザリンデは那岐に夢中となり、猛アタックの末、友人を経て今の関係に至ったとか。

 その話を聞いてすぐの頃、鶴紗は「オットー様って、ぶたれるのが好きなんですか?」などと本人に対して質問したことがある。

 今思えば噴飯もの。思い出しただけで顔から火が出る勢いだ。どうしてあんな馬鹿なことを聞いてしまったのか。

 

(私も当時は幼く、浅はかだった)

 

 もっともロザリンデはロザリンデで、「ぶたれるのが好きなんじゃなくて、気丈で芯の強いお淑やかな女の子が好きなのよ」などと真面目に答えていたのだが。

 

「参考にさせて貰います」

 

 結局、鶴紗は当たり障りの無い答えを選択した。他に答えようが無かったとも言う。

 

「ええ、十分参考にしてちょうだい」

 

 そう言うとロザリンデは真上を向き、膝枕の上で仰向けとなった。

 目を細めてロザリンデの銀髪を手櫛で梳いている那岐。そんな彼女の亜麻色の髪を、ロザリンデが伸ばした指先にくるくると絡めて弄る。

 その光景を見て初めて、鶴紗は自分が惚気られているのではないかと気付いた。

 油断していたのだ。一柳隊においては、主にピンクヘッドとセクハラ魔人2号のせいで惚気には慣れていたが、まさかよそのレギオンの上級生にまで惚気られるとは思ってもみなかった。

 

(私ってそんなに惚気やすい顔してるのか……)

 

 割と真剣に悩みつつ、鶴紗は先輩の捜索に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ってことが昼に校舎裏であって」

「それはご愁傷様でした。でも鶴紗さん、よく考えてみてください。面倒臭がりで大雑把なロザ姉様には、手綱を握って管理してくれる那岐様のような方がお似合いだとは思いませんか?」

「伊紀、もうちょっとオブラートに……」

「鷹揚で懐の深いロザ姉様には、小まめで世話を焼いてくれる那岐様がお似合いだとは思いませんか?」

「まあ、うん、そうだな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、講義を終えた放課後、一柳隊は自分たちのレギオン控室に集合していた。軍令部作戦会議、通称13レギオン代表会議からの通達について話し合うために。

 

「なんだなんだ、また外征か? 特型絡みだったりして」

 

 控室にあるソファの手掛けに行儀悪く座り、冗談めかしてそう言うのは梅だ。

 昼間の努力もむなしく、鶴紗は結局この先輩を見つけることができなかった。梅に召集を伝えたのは、旧校舎の屋上で出くわした夢結であった。

 

「梅の言う通り、外征任務です。それも特型関係の」

「マジか」

 

 夢結があっさり肯定すると、流石に梅も驚いたらしい。丸い両目でパチクリと瞬きして手掛けから降りた。

 

「ガーデンの調査によって、特型ファルケがとある工場に由来すると分かりました。場所は静岡県の伊豆半島北東部。言うまでもありませんが、陥落指定地域です」

 

 夢結の説明を聞き、鶴紗の肩が僅かに震えた。どうにか何気ない風を装ったが、目敏い楓や神琳などには気付かれたかもしれない。

 

「その工場、今では放棄された工場跡地ですが、とある製薬会社が所有していた施設で、特型に関する情報が眠っている可能性がある。そこで我々一柳隊に調査の命令が下りました」

 

 静岡というワードに意識を持っていかれた鶴紗はそれどころではなかったが、夢結の説明に不審点を感じたらしい楓が口を挟む。

 

「夢結様、もったいぶらないでくださいな。どの道、全て知ることになるのですから」

「……そうね。回りくどい話は無しにするわ」

 

 夢結は隣の梨璃と頷き合ってから改めて話し出す。

 

「ここから先は軍令部作戦会議とは別に、生徒会から直接伝えられたことなのですが。特型ファルケはゲヘナによって生み出された実験体。とある製薬会社というのはゲヘナの関連企業。我々が調査を命じられた工場跡地には、極秘の実験場が存在する可能性があるのです」

 

 その話を受けて控室の中が一瞬ざわつく。

 

「それは、わしらのような一介のレギオンが関わる案件なのか?」

「ミーさん、それは今更ですよ。結梨さんの件といい、鶴紗さんの件といい、わたくしたち一柳隊はもはやゲヘナの問題と無関係ではありません」

 

 ミリアムの疑問に対し、神琳が取り繕うことなく真正面から答えた。

 事実だ。ここが反ゲヘナの有力ガーデン百合ヶ丘でなければ一体どうなっていたことか。それぐらい一柳隊は危ない橋を渡っていた。

 

「ですが、そんな道を選んできたのは、他でもないここに居るわたくしたち自身。……違いますか?」

「いいや、何も違わんぞ。捕まりそうになった結梨を連れ戻したのも、鶴紗を追い掛けて横浜に乗り込んだのも、全てわしらの意志じゃ」

「うん、そうだよ。皆このレギオンの仲間のためにやってきたんだから」

 

 続く神琳の問い掛けに、まずミリアムが、次いで雨嘉が力強く答える。他の者の反応も似たようなものだった。

 話の当事者である結梨がはにかんだような笑みを浮かべ、最初の動揺から落ち着いてきた鶴紗もこそばゆい気持ちになる。

 

「皆さん! ありがとうございます!」

「私からもお礼を言わせてください。ありがとうございます」

 

 梨璃と夢結が並んで仲良く頭を下げた。

 柔らかく暖かい雰囲気に包まれる控室。

 しかしながら、話はこれで終わったわけではない。

 

「それで、改めて今回の外征任務を受けるかどうか決めたいのだけど」

 

 そう言って夢結は沈黙を保っている鶴紗へと視線を向けた。

 何が言いたいのかは察しが付く。鶴紗の出身地が静岡であると、彼女の父親が静岡で無念の死を遂げたと、夢結ならば把握しているだろう。

 

「別に、私は平気ですよ。ただ調査に行くってだけだし」

「そう……。では賛成ということでいいのね」

「ちょっとした里帰りだと思っておきます」

 

 強がりで言っているわけではない。だが夢結や皆に無用な心配を掛けたくもなかったので、言い方がわざとらしくなってしまった。この辺りの塩梅はまだ慣れない鶴紗であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所を移して、百合ヶ丘の屋内訓練場。頑丈な壁と見上げるほど高い天井を持つ広大な空間で、一柳隊は訓練に精を出している。

 朝から続く曇天が遂に我慢できず雨を降らせていたが、屋根のあるこの場所なら技を磨くのに支障は無い。

 

「結局、皆が賛成して決まったが。改造の件はちと残念じゃったのう」

「私のティルフィングのこと?」

「うむ、そうじゃ」

 

 訓練場の隅でチャームの整備に勤しむ鶴紗に、隣へ腰を下ろしたミリアムが声を掛けた。

 

「百由様はやはり忙しいらしく、図面はあっても作業に取り掛かれてないのじゃ」

「仕方ない。ていうか、そもそも今回は調査だから」

「いやいや、それはフラグというやつじゃぞ。横須賀の件があったばかりじゃしな」

「止めろ。洒落にならない」

 

 手にしたドライバーでティルフィングのパーツを分解していく鶴紗。横ではミリアムが同じような作業を、鶴紗よりも手際よくこなしている。

 最後の一言はミリアムなりの気遣いなのだろう、と鶴紗は思う。腫れ物扱いせず今まで通りに接する。実際そちらの方が、遥かに気が楽であった。

 お姉様が絡むとぶっ飛んだことをしかねないミリアムも、そうでなければ常識人で思いやりのある人間なのだ。基本的には。

 

「どうせ改造しても、使いこなすにはまた訓練が必要だろうし。焦らず待つよ」

 

 鶴紗はそう言ってこの話を終わらせた。

 言葉通り、本当に全く焦ってないと言うと、嘘になるが。

 

 カチャカチャと、ティルフィングのフレームが金属音を立てる。鶴紗は無言で整備を続ける。

 隣のミリアムは巨大なハンマーの如きチャーム、ニョルニールの砲身内を清掃中。長い棒に清潔な布を巻き付けて、その棒を砲口から差し込み内部を拭き上げていく。

 砲身の掃除を終えたミリアムは分解していたニョルニールのパーツを組み立て始めた。どうやらこれで彼女の整備は終了らしい。アーセナルの腕とチャームの簡易な構造が相まって、非常に迅速な仕事であった。

 

「おっ、結梨の奴が何か始めるみたいじゃぞ」

 

 そんなミリアムが唐突に好奇の声を発した。

 手を止めて顔を上げた鶴紗の目に、演習場の真ん中辺りでチャームを構えた結梨が映る。

 赤紫のグングニル。バレル本体の上にブレイドを折り畳んで重ねたシューティングモード。その銃口を上向きにかざして結梨は静かに佇んでいる。

 

「始めるわよ、結梨」

「うん!」

 

 どこか別の場所から響いてきた機械音声越しの夢結の言葉に、結梨は元気よく返事をした。

 それから一呼吸置いて、遠く宙の中に円盤状の物体が舞う。射撃訓練用の空中標的だ。

 決して鈍くはない速度で山なりに飛ぶ的に対し、結梨のグングニルは照準の後に軽快な唸りを上げて弾を放つ。

 次の瞬間、標的は軽く揺れたものの、また元の軌道で山なりに落ちていく。グングニルの弾は訓練用の模擬弾で、円盤状の標的はホログラフを用いた立体映像だった。そのお陰で屋内でありながら射撃訓練ができるのだ。

 最初は一度に一つずつだった的だが、徐々に二つ三つと数を増していく。高度もばらばら、発射角度もまちまち。飛行速度も緩急がついている。

 しかしそんな状況においても、結梨は視線と銃口を盛んに動かして的を的確に射抜いていた。

 

「ほほぅ、大したものじゃなあ。あの訓練プログラムの設定、決して易しいものではないはずじゃが」

 

 胡坐を掻き、右手を顎の下に添え、ミリアムは感嘆して唸る。

 元々、結梨のセンスの良さは特筆すべきものだった。そこに彼女の気質、素直さやひた向きさが加われば、めきめきと上達していくのは必然と言えるだろう。

 

「何か……やっぱり梨璃に似てるよな。こういうところ」

「ん? 何のことじゃ?」

「素直で、どんどん成長してること」

 

 鶴紗は梨璃の過去を、レギオンの長としての過去、リリィとしての過去を振り返る。結梨の保護者である彼女もまた、生まれ持った素直な性格で周囲から様々な物を吸収してきたのだ。

 

「詰まるところ、結梨の力の本質は生まれなどよりも、あ奴が得た人間性に由来しているわけじゃな」

「ミリアムもたまには良いこと言うな」

「さっき控室でも良いこと言ったじゃろ!」

「そうだっけ?」

 

 わざとらしくすっとぼけてミリアムを揶揄いつつ、鶴紗はティルフィングの整備に戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広い訓練場の中に一際長い電子音が鳴る。射撃訓練プログラム終了の合図だ。さっきまで乱れ飛んでいた円盤は影も形もなくなっていた。

 

「ふぅ」

 

 結梨は構えていたグングニルの銃口を下げ、息を小さく吐き出した。

 そんな結梨の傍に、小走りの梨璃が向かう。遅れて夢結も梨璃の後に続く。

 

「凄いよ結梨ちゃん! 頑張ったねぇ!」

「50発中、命中47。上出来よ」

 

 梨璃と夢結から立て続けに褒められて、二人へ向き直った結梨は胸を張る。鼻息も自慢げに荒くなる。

 そんな結梨の頭が梨璃の手によって撫でられる。小さな円を描くように、「いい子いい子」と何度も撫でられる。

 初めは気持ち良さそうにされるがままだった。しかしやがて、結梨は体を引いて自分から梨璃の手を逃れてから、改めてグイッと梨璃へ近寄った。

 

「ん!」

「?」

「ごほうび!」

 

 結梨の不可思議な行動に首を傾げていた梨璃だが、催促されたことでその意図を理解したらしい。困ったような笑みを浮かべながら、しかしどこか嬉しそうに、結梨の右の頬へ押し当てるように口づけをする。その勢いによって、柔らかいほっぺたの肉がゴムまりみたいに弾んで揺れた。

 

「夢結も!」

「仕方ない子ね。誰かさんそっくりだわ」

 

 そんなことを言いつつも、屈み込んだ夢結が梨璃とは反対側、左の頬に軽く口づけする。結梨はくすぐったそうに身を捩った。

 

 結梨を中心とした一連の光景を遠目に眺めて、鶴紗は眩しいものを見たかの如く目を細める。

 あの三人、横須賀から帰って以降、仲睦まじさにますます磨きが掛かっていた。梨璃はともかく、夢結は訓練場ではもっと厳しかったはずだが。訓練の中身が厳しければ問題ないということなのか。

 もっとも、前みたいにすれ違うよりずっと良いので、鶴紗としては特に文句は無かった。ひょっとすると、惚気に慣れたのかもしれない。

 ところが全員が全員、鶴紗のようには受け取れないものだ。現に今も、離れた場所から結梨たち三人に熱い視線を送る者が居た。

 

「挨拶、あいさつ、アイサツ……ベーゼぐらい、フランスではただの挨拶ですわ……」

「楓さん、梨璃さんも夢結様も日本人ですよ」

 

 ぶつぶつと低く小さく言葉を羅列していく楓に、横から二水が突っ込んだ。

 だがそれでも楓の意識はどこかに行ったまま帰ってこない。聞こえない振りをしているのか、あるいは本当に聞こえていないのか。

 

「お前はよく戦った。もう休め」

 

 他人事だと思って鶴紗がそんなことを言う。勿論これも本人には聞こえていない。

 

 ふと、そこで動きがあった。

 楓の様子に気付いた結梨が梨璃と夢結の間から抜け出して、一直線に駆け出した。

 皆が不思議そうに見つめる中、結梨は楓の目の前にやって来る。そうして背伸びをし、背の高い楓のほっぺたへ飛び込むようにキスをした。

 

「楓、元気出せ!」

 

 笑顔でそう言ってのけた結梨に、流石の楓も意識を現実に引き戻した。

 

「わわわわわたくしはっ、こんなことで絆されたりしませんことよ」

「滅茶苦茶動揺してますよ」

 

 あからさまに目を泳がせる楓と冷静に突っ込む二水。

 そんな対照的な二人を興味深く見ていた結梨が、自分のことを呼んでいる人物に気付く。

 

「結梨さん、結梨さん」

「んー?」

 

 名前を呼ぶ神琳のもとへ、トテトテと歩いていく。そこで結梨は何やら耳打ちをされる。

 

「ごにょごにょごにょ、かくかくしかじか……」

「ふんふんふん、まるまるうまうま……」

 

 秘密のやり取りは程なくして終わる。

 今度はどんな悪巧みを吹き込んだのかと鶴紗は訝しむ。

 するとまたもや結梨が勢いよく駆け出して、再び楓の前に戻っていった。

 

「楓おねーちゃん、元気出して!」

 

 ほっぺたへの二度目のキス。

 楓は固まった。

 鶴紗とミリアムは吹き出した。

 確かに結梨の出生には楓の実家であるグランギニョル社が関わっている。総帥である父を説得して結梨への助け船を出させたのは楓だ。ある意味、身内と言えなくもない。

 やがて復活した楓の口から出てきたのは、訓練場の広大な空間に響き渡る慟哭であった。

 

「うっ、うあああぁぁぁ!」

 

 誰も声を掛けることができない。

 そうしてひとしきり泣いた後、楓は改めて口を開く。

 

「わたくしっ、わたくしは、お二人の子供になりますわ。梨璃さんと夢結様の子供になりますわ。……梨璃さんっ!」

「はっ、はい!」

「どうかわたくしを産んでください、梨璃さん!」

「えっ、それはちょっと……」

 

 泣きじゃくったりしたかと思ったら、熱い眼差しで梨璃に詰め寄ったり。

 いつもの空気、いつもの一柳隊。しかし当たり前だが全く同じというわけではなく、どこかが少しずつ先へと進んでいた。

 

「何やってんだ、あいつら」

 

 呆れて呟かれた鶴紗の言葉も、姦しさの中に紛れて溶けていく。

 

 

 



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第21話 陥落指定地域

 静岡とは、関東への出入り口である鎌倉府と隣接した中部地方の一地域である。北に日本アルプス、南に駿河湾を臨んだ交通の要衝であり、古くから陸海路の整備が進められてきた。加えて農業、漁業、工業、観光業とバランスよく産業が発展した、あらゆる意味で豊かな土地と言えるだろう。

 しかし、そんなもの今となっては過去の栄華。現在の静岡はネストに巣くわれ、ヒュージの跋扈する陥落指定地域なのだから。

 

「静岡が落ちたのは、海からの大型ヒュージ上陸と内陸部でのケイブ発生が同時に起きたからだ」

 

 陥落当時の状況をおさらいしているのは、他でもない鶴紗であった。ガンシップから降りた後に一柳隊で設営した仮拠点にて、周囲を警戒しつつも隊の皆が話に耳を傾けている。

 仮拠点と言っても大層なものではない。手頃なサイズのパイプテントとパイプ椅子。予備の第一世代チャームを詰め込んだチャームポッドを設置しただけの簡易陣地だった。

 

「それ、今話す必要のあることか?」

 

 鶴紗の語りに、梅が異議を唱える。険しい顔と責めるような口調で。

 しかし鶴紗は口を閉じなかった。

 元々、静岡行きが決定してから、鶴紗は周りに気を遣われている雰囲気を感じ取っていた。鶴紗の出身地である事実に、意図的に触れないようにしているらしいのだ。

 ただの自意識過剰かもしれない。

 それでもその雰囲気が居心地悪くて、鶴紗はあえて自分から静岡陥落の話を持ち出した。

 

「防衛戦当初、リリィの主力は上陸するラージ級の群れを迎え撃とうと海岸部に集まっていた。そこでの戦いは有利に進んだんだけど、突然複数のケイブが内陸の山間部に出現したんだ。あの頃はまだ、ケイブの探知技術が未熟だったから」

 

 淡々と話す鶴紗だが、そんな彼女のことを、梅が渋柿でも食ったかのような顔で見つめ続けていた。

 梅の言いたいことは鶴紗にも大体分かった。鶴紗が無理にこんな話をしていると考えたのだろう。

 確かに気分の良いものではない。だが今となっては、頑なに口をつぐむ程のことでもなかった。少なくとも、このレギオンの仲間たちの前では。

 なので鶴紗は話を続ける。

 

「県内各所から湧き出したヒュージに内陸の戦線は崩壊。静岡地区を担当していた防衛軍一個旅団は分断されて、損害を出しながら鎌倉方面に撤退していった。……最後まで残った司令部は全滅したけどね」

 

 話し終えた直後、僅かな時間だが沈黙が流れた。

 しかしややあって、神琳が鶴紗の後を引き継ぐ。

 

「その後はご存じの通り、静岡は陥落指定地域となりました。ですが東西に長いこの地はヒュージの群れも分散しており、未だ健在の街も少なくありません」

「熱海の市街が有名ですよね。陥落指定地域でありながら、自慢の温泉と旅館で今も観光業を続けています」

「そうですね、二水さん。人というのは全くもって逞しい生き物です」

 

 神琳に加わる形で二水が声を弾ませた。

 実際、ヒュージによって陥落しながらも人が残り続ける土地は多い。熱海などは陥落以前から観光客向けに空路が整備されてきたため、尚更と言えた。

 

「そろそろ出発すべきだわ。まだ正午過ぎだけど、どれだけ時間が掛かるか分からないのだから」

「はい! 皆さん、日が暮れる前に終わらせましょう!」

 

 夢結と梨璃の号令によって一時の休息は終わりを告げる。

 仮拠点はこのまま。あまり嬉しい事態ではないが、もしも調査が日を跨ぐようなら、持ち込んだ寝袋をここで広げて交代で休まなければならない。

 この仮拠点、話に上がった熱海市街から海沿いに南へ下った所にある。海岸線からやや内陸に進んだ小高い平地。鎌倉への復路はこの場所にガンシップを呼び寄せることになっていた。

 目的の工場跡地は、ここから更に内陸へ向かう必要がある。

 

 一柳隊は各々チャームを抱えて西進を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「話を蒸し返すようで何ですけど、本当に私たちで良かったんですかね?」

 

 起伏のあるデコボコ道を足早に歩きながら、隊列の最後方に位置する二水が疑問の声を上げた。

 鶴紗は二水から離れた前衛だが、辺りに人の喧騒もヒュージとの戦闘音も無いので彼女の耳にも届いている。

 

「幾ら無関係ではないと言っても、流石にゲヘナ関連の機密に触れるのはまずいんじゃあ……」

「知られるとまずい情報なら、易々とは手が出んようになっとるじゃろう」

 

 不安を覗かせる二水に対し、彼女の左前方を行くミリアムが答える。

 

「わしらの仕事はあくまでも情報収集。情報の分析や解析は解析科の仕事じゃ。そのためにこいつを持たされたんじゃからの」

 

 ミリアムは二水を安心させるようにそう言いながら、腰のベルトポーチをポンポンと叩く。中に入っているのはマイクロサイズのカード。これを差し込むことで、端末からデータを容易にコピーしたり吸い出せたりできるらしい。開発者はミリアムのお姉様、百由である。

 ちなみに同じカードを梨璃も一つ持っていた。万が一、戦闘で破損した際の備えとして。

 もっとも開発者曰く、「二階から投げ落としても米軍の空爆で焼け出されても平気!」とのことだが。

 

「まあこのような時期ですから。高ランクのレギオンはできるだけ温存しておきたいのでしょう」

 

 司令塔としてフォーメーションのセンターを務める楓がそう言った。

 文面だけ見れば自嘲にも思える台詞。しかし実際、気にしている様子は見られない。理由はどうあれ外征を任された事実を以って良しとしたのだろう。最初に特型の追討を命じられた時に比べて、心境の変化があったのか。

 

「このような時期というのは、湯河原方面での反攻作戦を指しているのですね」

「ええ。実際にネスト攻略までいかなくとも、敵地に進出して戦力の漸減ぐらい狙うのではなくて?」

 

 同じく司令塔の神琳が会話に加わってきた。彼女は円盾型のチャーム、マソレリックを構えて楓の左前方を守っている。

 

「もう一つ、生徒会やガーデンとしては湯河原や甲州が手薄の現状に、罠の可能性も考慮していると思われます。これまでの特型の行動を見れば、杞憂と切っては捨てられません」

 

 神琳の意見はもっともだ。

 しかしそれが事実なら、どちらにせよ強豪レギオンを不用意に動かしはしないだろう。当事者のレギオン自身が強く望みでもしない限り。

 

「だからこそ、わしら一柳隊のような愚連隊の出番というわけじゃな」

 

 自慢にならないことを自慢げに言うミリアム。

 そんな彼女に誰かが突っ込みを入れる前に、隊の先頭を行く夢結が声を上げる。

 

「お喋りはおしまい。見えてきたわよ」

 

 鶴紗たちの進行方向、切り立った崖を下りた先に窪地が広がっている。その中心部にある箱型の建造物が調査対象の製薬工場跡地だ。

 敷地も広いし建物自体も三階建てで中々大きい。左右を崖に挟まれ、前後には幅広の道路が伸びている。陥落以前から人家とは離れており、何かの実験施設と見た場合は悪くない立地と言える。

 

 具体的な調査のやり方を定めるべく、一柳隊は崖上で会議を持つことにした。

 その際、鶴紗の視界に何とは無しに、工場より更に向こうの景色が映り込む。

 反対側の崖を越えた先には緑の野が続いていた。目を凝らすと、鶴紗はその正体に気が付く。

 茶だ。茶畑だ。

 今は世話をする人間が居ないために荒れてはいるが、紛れもなく茶の葉っぱの緑であった。

 

「本当に、帰ってきたんだ……」

 

 意図せずして鶴紗の口から言葉がついて出た。

 この時初めて、鶴紗は故郷に足を踏み入れたことを実感したのだ。

 

 失った故郷、因縁の故郷、逃げ出した故郷――――

 

「鶴紗」

 

 横から肩を叩かれて思考を霧散させる。

 叩いてきた相手は丸い瞳を細め、鶴紗の様子を窺っているようだった。

 

「平気です」

 

 鶴紗は短くそう答えた。

 素っ気ないのはいつものこと。だからなのか、梅もそれ以上は追及してこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 崖上にはシューティングモードのアステリオンを携えた雨嘉。傍には同じくシューティングモードのグングニルを抱えた二水も居る。

 

「対象建造物周辺5キロ以内にヒュージ反応は見られません」

 

 眼下の窪地を睨みながら報告する二水だが、彼女の明るい茶髪には黒いヘアバンドとそこから斜め上に伸びた三角の布地が見える。まるで猫耳のようだった。

 勿論ただのアクセサリーではない。頭部装備型のヒュージサーチャーである。皆が持つ携帯内蔵式のものよりも精度が良い。今回の調査任務に当たってガーデンから支給されていたのだ。

 

「じゃあ私は『鷹の目』があるので、サーチャーは調査班のミリアムさんにお渡ししますね」

「うむ、預かるぞ」

「いやー、ミリアムさんの猫耳姿! この場に百由様が居なくて残念ですねえ」

「居なくて良かったわい……」

 

 げんなりとしながらも、ミリアムの顔には薄らと赤みが差していた。

 そのミリアムを含め、楓、夢結、梅、そして鶴紗の五人が調査班のメンバーだ。彼女らが実際に工場内へと立ち入ることになる。

 夢結を先頭に、調査班は崖下に向けて身を投じた。体に纏わせたマギが落下の勢いを減衰させて、五人は危なげなく着地する。

 工場の正面入り口前方には、先行して降下していた神琳が待っていた。

 

「では神琳さん、この場はお任せしますわ」

「はい、お任せください。皆さんお気をつけて」

 

 司令塔同士で言葉を交わす。神琳はこのまま建物の外に残って周辺警戒を続けるのだ。

 同じように、工場から向かって右側方を梨璃が、左側方を結梨が警戒する。二人は神琳から支援を受けられる程度に距離を取っていた。

 建物周辺の三人に加えて、崖上の雨嘉と二水の五人。彼女たちは外部からのヒュージ接近を防ぎつつ退路を確保する警戒班となる。

 このように隊を分ける時、レギオンに司令塔が二人居ると都合が良い。

 

「おーーーい! ゆーゆーっ!」

 

 遠くの方で結梨が大きく手を振っている。グングニルを持つ方とは反対の腕を、頭上に伸ばして左右に振っている。

 工場の入り口へ向かう前にそんな結梨を一瞥すると、夢結はクスリと笑って片手を軽く振るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガサゴソとミリアムが棚の中を漁るBGMを背に、鶴紗は受付カウンターの椅子の上でがらんどうのエントランスホールを見回していた。

 楓たち他の三人は上階を探索中。鶴紗とミリアムは一階を調べた後、三人が合流してくるのを待っていた。

 

「外装もそうだけど、中も跡地って割には傷んでないな」

「それはそうじゃろう。ここが放棄されてまだ四年ほどしか経っておらぬのじゃ」

 

 人が二人は収まる大きな棚にかじり付いたまま、ミリアムのくぐもった声が返事をした。

 

「静岡が陥落したのが七年前だから、その後も暫く工場を維持していたのか」

 

 鶴紗は訝しむ。

 確かに陥落指定地域でも熱海のように健在な街はある。

 だがこの工場跡地は人里から大分離れていた。そんな場所を維持するのは相当な苦労が伴うし、はっきり言って効率も悪い。

 

「よっぽど大事な物か、都合の悪い物があるんだな」

 

 鼻をフンと鳴らしながら、鶴紗がそう呟いた。この工場を操っていた者はそういう連中なのだ、と。

 ところが口に出した後、鶴紗は自分自身に愕然とした。

 幾らゲヘナの関連会社とは言え、表向きの業務に携わる人間は一般の従業員のはず。住んでいる土地に愛着を持つ人間だって存在していただろう。

 そんな人間たちの存在を、鶴紗は考慮の埒外に置いていた。あるいはひょっとすると、無意識の内にその考えを遠ざけていたのかもしれない。さもなくば、逃げていた自分自身と比較してしまうから。

 

 やがてエントランスホールの奥にある階段から足音が聞こえてきた。なので鶴紗は思考を中断して気を取り直す。

 

「やはり、二階三階にも目ぼしい物は見当たりませんわ。書類もメインコンピュータに残されたデータも、どれも表向きの内容ばかり」

「そうね。やはり地下に下りてみないと」

 

 楓と夢結、続いて梅が一階に戻ってきた。予想通り、大した収穫は無かったらしい。

 けれどもまだ本命が残っている。

 

「ミリアム、行くぞ」

「おお、分かった分かった」

「何かあったのか?」

「いいや、事務用品とか薬の試供品ばかりじゃった」

 

 鶴紗に呼ばれ、渋い顔をして棚から離れるミリアム。

 そんな彼女を最後尾に付けて一行はエントランスを後にする。現状、地下に繋がる道はエレベーターしか見つかっていなかった。

 

「それで、電気が死んでる今、どうやって下に下りるんだ?」

 

 道すがら、梅がもっともな質問をする。

 

「幸いなことに()()は二階で停止しています。ここは一階でドアをこじ開け、そのまま地下へ飛び下りましょう」

「また乱暴だなあ。梅は嫌いじゃないけど」

 

 楓の返答は至ってシンプルなものだった。シンプルが故に確実だ。

 この工場、廃棄されているとは言え元の所有者である製薬会社は今も存在している。普通ならこうして侵入していること自体が大問題と言えた。

 しかしながら、リリィの対ヒュージ活動については幅広い特例が認められている。無論、濫用したら責任を問われかねないが。今回は陥落指定地域内の廃棄施設という点もあり、ゴーサインが出ていたのだ。

 

「到着しましたわ。錠外しの棒は……見当たりませんわね。ならば、わたくしのジョワユーズを使って――――」

 

 楓が言い終わるより早く、すたすたとエレベーターの前に移動した夢結が両の手の平を扉にくっつける。そうしてそのまま左右に開いた。分厚い金属の仕切りが、いとも容易く開けられたのだ。

 

「夢結様……」

「夢結、お前……」

 

 傍でばっちり見てしまった楓と梅が何とも言えない表情をする。

 すると当人も微妙な空気に気付いたようで。

 

「……もしかして私、何かやってしまったかしら?」

「普通のリリィは素手でエレベーターの扉を開けたりしませんわ。まあ、淑女の情けで梨璃さんには黙っておいて差し上げますが」

「いやいや、梨璃のことだから『お姉様ゴリラさんみたいで素敵です!』とか言い出すゾ」

「ゴ、ゴリラ……」

 

 これには夢結も流石に言葉を失う。

 地下に落ちる前に、気分が落ちてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真っ暗闇の細い通路を五人のリリィが進む。進行方向を照らす光は、チャームの銃身上にオプション装備として外付けされたライトの灯り。構造的に装着の難しいジョワユーズを除き、四本の光の線が上へ下へと動いている。

 先頭は二年生の二人。夢結と梅が左右の壁に沿って手探りで進軍する。通路自体の幅が狭いので、二人の間隔もそう広くはない。

 後続は通路の中央を行く楓で、更に後ろにミリアムが続く。殿は後ろ向きで慎重に歩く鶴紗だ。

 今まで通ってきた範囲では、特にこれといった物は発見できなかった。

 ただこの通路、かなり深い位置にある。少なくとも地下一階というレベルではないだろう。それはエレベーターの空洞からマギを使って飛び下りた際に判明したことだった。

 

 やがて一行の目の前に壁が立ちはだかる。通路が途切れているのだ。

 

「行き止まりか?」

「いいえ、隔壁よ。まだ先に続いているはず」

「しかし、どうやって開けるんだ? こんな狭い場所で下手な真似できないだろ」

 

 梅が疑問符を浮かべると、夢結はライトと視線をきょろきょろと動かす。今度はエレベーターの扉のようにはいかないだろう。

 

「この手の施設は必ず、非常時用に独立した発電設備を備えているものじゃ」

 

 闇の中、限られた灯りで通路脇にある扉を見つけ出したのはミリアムだった。

 

「ではミリアムさん、付いて来てちょうだい」

「了解なのじゃ」

 

 そう言って夢結はミリアムを連れ、脇の扉から中へ入っていく。その際、やはりと言うべきか、多少頑丈に作られただけの扉は素手でこじ開けられてしまった。今度は誰も突っ込まなかった。

 

 暫くして、機械の駆動音と思しき重低音が響いてから、鶴紗たちが待機している通路に灯りが灯った。薄らとして陰鬱な雰囲気の灯りだが、それでも電気が通った証である。

 その後、建付けの悪くなった扉の向こうから二人が戻ってきた。

 

「さてと。これで隔壁のロックも解除されたはずじゃが」

「ロックまで? 一体どうやって……って、聞くまでもありませんでしたわね」

「うむ、百由様さまさまじゃのう」

 

 目を見開き驚く楓だが、やがて一人で納得する。

 それにしても、何と便利で都合の良い道具だろうか。こんな物が悪事に使われたら、絶対ろくなことにならない。鶴紗のみならず、誰もがそう思ったに違いない。

 

「皆、早速開けるぞ」

 

 隔壁横の四角い金属パネルの前に立ち、ミリアムが確認を取る。

 隔壁の左右に張り付く夢結と梅が首を縦に振ったことで、ミリアムの小さな手がパネルを操作した。

 すぐ上の天井にぶら下がっているランプが黄色に明滅する。次いで、小さな地響きの如き唸りを上げつつ、十センチに達するかという合金の隔壁が真上にスライドし始めた。

 

 ゆっくりと、壁の向こう側が見えてくる。

 

 思えば初めからこの施設は普通ではなかった。

 エレベーターだけで、地下へ続く階段が無い。緊急時はどうするのか。

 ヒュージの実験場ならば、物資の搬入口やヒュージ用の出入り口があるはずだった。どこか別の場所へ隠されているのか。

 

「何だよ、これは」

 

 愕然とした梅の呟きが漏れ聞こえた。鶴紗も全く同じ心境だった。

 今まで通り抜けてきた通路よりも、ずっと広大な道。地下鉄などよりも更に巨大なトンネル。それが果ての見えぬほどに延々と伸びているのだ。

 

「わたくしの方向感覚が狂っていなければ、確かこの先は相模湾のはずですが」

 

 楓のその発言は、ある可能性を示唆していた。

 まさかそんなことがあり得るのか。この施設が海岸部まで繋がっているなどと。

 

「行きます」

 

 目の前に広がる異様な光景に気後れせず、夢結が足を踏み入れた。ブリューナクの砲口を前にかざし、あちこちに目をやりながら前進する。

 続いて、夢結と死角を補い合うように梅が進み、残りの面子も戸惑いながらも新たな道を歩き出す。

 ここも照明の光が控えめなため、視界に映る光景はぼんやりとしていた。慎重に進軍すれば支障はきたさない程度だが。

 

「そう言えば、この地には陥落以前から大規模な地下シェルター建造計画が進められていたとか」

「そのシェルター建造を隠れ蓑に、ゲヘナがこの実験場を造ったと? それにしたって秘密裏に実行するには規模的に難しいと思うがのう」

「ヒュージの中には地中を自在に移動できる個体も存在しますわ。であるならば、ゲヘナがその力を活用できても不思議ではありません」

「……ヒュージを作業用重機とみなしたら、確かにこれほど効率の良いものは無いな。足も付き難い。もっとも、ヒュージを制御できることが前提の話じゃが」

 

 進軍の最中、楓とミリアムが現状で可能な推測を以って議論する。今のところは証明のしようがない、ただの推測。

 だがそんな中でも確実に言えるのは、並大抵の研究ではここまでの施設を用意するはずがないということだ。

 

 何事もなく歩みを進めていた調査班の前に、突如として難問が立ち塞がる。道が三つに分かれていたのだ。道幅は多少狭くなったものの、それでもミドル級ヒュージぐらいは楽に動き回れる大きさだった。

 

「本来なら手分けしたいところですが……」

「リスクが大きいわ。時間を掛けてでも、あまり離れ過ぎずに動くべきよ」

「ええ、夢結様に同感ですわ」

 

 夢結の警告を、楓はあっさり受け入れた。そうして首を回し、後ろに居るミリアムの顔を見る。

 

「ここはチビッ子2号にお任せします」

「む、何をじゃ?」

「話の流れで分かるでしょう。わたくしたちの、次の行き先ですわ」

「何じゃと? わしに決めろと言うのか」

「蛇の道は蛇。こういった施設ではどこに端末やらデータやらがあるか、技術者の端くれとして推測してごらんなさい」

「ぬうぅ、無茶を言いよる」

 

 理不尽な要求に対する困惑と怒りで低く唸るミリアム。彼女がアーセナルと言っても、出来ることと出来ないことがある。

 

 ところが大方の予想を裏切って、五人は分岐点に引き返すことなく目的地へと辿り着けた。

 

「何でじゃ?」

 

 導いた本人が一番首を傾げていたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大学の大講義室ほどの広さの部屋に、机や機材が所狭しと列を作っている。

 肝心の機材だが、パッと見ただけでも開発された年がばらばらだと分かるだろう。大型のディスプレイから手の平サイズの携帯端末まで。様々なタイプのものが揃っている。この実験場での研究が如何に長い年月を経たか、という証左でもあった。

 

「運が良かったわい」

「運も実力の内だゾー」

 

 ミリアムの独り言に反応したのは傍に居る鶴紗ではなく、数列も離れた先に居る梅である。梅は見覚えの無い機械類を興味ありげに覗き込みながら、壊さない程度につついていた。

 実際、運が良いというのはその通りかもしれない。

 ここに来る途中、この地下施設が巨大なだけでなく、複雑に入り組んでいる事実に気が付いた。ミリアムの勘と運、どちらかが足りなかったら時間を大きくロスしていたに違いない。

 

「幾らアーセナルでも、まさかこれだけの施設で、このようなことをやるとは思いも寄らんかったぞ。鶴紗もそう思うじゃろう?」

「……そうだな」

「鶴紗」

「……何?」

 

 作業の手を止めずに何度も呼び掛けてくるミリアムに、護衛として傍らで待機する鶴紗が面倒臭そうに答える。

 

「途中から黙りっぱなしじゃったが、後悔しておるのか? ここに来たことを」

 

 そう言われて鶴紗は内心で溜め息を吐く。この小さなアーセナル、やはり自身とシュッツエンゲルが関わらない件についてはよく気が回るのだ。

 傍のミリアムと、同じ部屋に居る梅の耳には届くだろう。夢結と楓は近くの別の部屋を探索しているので聞こえないはずだが。

 

「後悔はしてるけど、意味がちょっと違う」

 

 ここまで来て隠す必要も無いと、鶴紗はおもむろに口を開いた。

 

「私は、ずっと父さんのことを捜していたんだ。今ある墓は名前だけで、何も入っていないから」

 

 ミリアムは端末を弄る作業音以外、沈黙する。

 鶴紗から顔は見えないが、梅も耳を傾けていることだろう。

 

「でも捜しているくせに、父さんの部下だった人から話を聞いたり、代行に調べてもらったり。そんなことしかしてこなかった。父さんの最期の場所、この静岡に行けば何か分かるかもしれないのに」

 

 陥落指定地域だからとか、まだ子供だったからとか。言い訳を考えれば幾らでも出てくる。

 しかし重要なのは、目を背け逃げていた自覚が鶴紗自身にある点だった。

 

「今だってもしかしたら、父さんの死に向き合うのが怖いのかも……。いや、よく分からない。自分のことなのに」

 

 死に際の詳細が分かれば、父に着せられた汚名について真実が明らかになるだろう。ひょっとすると、鶴紗がこれまで信じてきたものが偽りと化すかもしれない。

 要するに、自信が無かったのだ。胸を張り『絶対』と言い切るだけの自信が。

 しかしだからと言って、何も知らないままでは前に進めないことも理解していた。

 二つの思いが鶴紗の足取りを一層重くする。

 

「そうか。まあ自分を見失うぐらい、リリィにもよくあることじゃろう」

 

 ミリアムはそれだけ言って、また黙る。一見すると淡白だが、こういった距離の置き方も彼女の美点なのだと鶴紗は思う。

 そしてこの場に居るもう一人、梅はと言うと、沈黙を保ったままだった。

 別に鶴紗とて、急にこんな話をして慰められるとは考えていない。だが全く期待していなかったかと言うと、嘘になる。

 

「それよりミリアム、データは取れたのか?」

 

 鶴紗が誤魔化し半分で尋ねると、机にかじり付いたミリアムは背を向けた状態で左手をひらひらと振った。

 

「一応な。じゃが残っておるのはどれもこれもパッとしないデータばかりじゃ」

「そりゃあ見られて困るような物は、施設を放棄する前に処分なり移動なりするだろうな」

「あと例外はアレぐらいか」

 

 話の途中で席から立ち上がると、ミリアムは部屋の前へと歩いていく。

 その先にあるのは壁。正確には、壁に埋め込まれた長方形のパネル。金属製かプラスチック製か。いずれにせよ、あまり大仰な設備には見えなかった。

 

「これは?」

「生体認証装置。その中でも表皮からDNAを読み取れる、比較的新しいタイプじゃな」

 

 興味を惹かれた鶴紗はミリアムの後に続き、壁際までやって来た。そうして戯れに、パネルへ手を伸ばしてみる。

 

「こればかりは百由様のカードでも、どうにもできん。実験場の研究員かゲヘナの幹部でも連れてこなければ――――」

 

 手詰まり。

 

 そう言いかけたミリアムの声は、突然目の前の壁が明滅したことで遮られた。

 

「なっ、鶴紗! お主、何をしたんじゃ!」

「何もっ……! パネルを触っただけ!」

 

 後ろの方ではタンキエムを構えた梅が警戒態勢を取っている。

 数度の明滅の後、壁から放たれていた淡い光が一旦は収まった。

 しかしその直後、事務的で抑揚のない機械音声が部屋の中に響く。

 

「セキュリティクリアランス、承認。リンガ・フランカプロジェクト、ファイナルフェイズ開示」

 

 同じ文言が二度繰り返される。この時の鶴紗たちには意味がまるで理解できなかったが。

 しかし地下空間の一室に生まれた異様な空気だけは、ひしひしと身に染みていた。

 

 

 



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第22話 造られし命

 鶴紗たち調査班が地下空間に侵入していた頃、工場周辺で待機していた警戒班は問題を一つ抱えていた。

 

「それでフーミンさん、あれから対象に動きは見られましたか?」

「いえ、相変わらずです。北西3キロ先の雑木林でじっとしたまま動きません」

 

 インカムによる神琳からの通信に、鷹の目を発動中の二水が答えた。

 彼女らの懸案事項とは、少し前にヒュージサーチャーの探知外から接近してきたヒュージのことである。そのヒュージはある地点で前進を止め、以降はジッと息を潜めていた。

 スモール級ファング種バグ型。それも、たったの一体のみ。

 

「神琳さん、どうしましょう? やっつけに行きましょうか?」

 

 困り顔の梨璃が司令塔に判断を仰ぐ。

 レギオンが十全の状態なら迷うことはないのだが、今は隊を半数に分割している上に敵地の中。慎重な判断が求められていた。

 

「バグ型は周囲のヒュージのマギ密度を向上させて、火力支援や防御支援を行なう厄介な型。しかしそれ自体の戦闘能力は低い。集団戦で初めて真価を発揮できるヒュージです。なので罠の可能性を疑ったのですが」

「周囲に敵影はありませんし、携帯のサーチャーも反応しません。不気味ですね……」

 

 神琳の言葉を引き継いだ二水が当惑した声を出す。鷹の目の俯瞰視野で戦場を把握できる彼女だからこそ、余計に敵の行動が理解できなかった。

 

「神琳、いつまでも放っておくのは良くない、気がする」

「……雨嘉さんの仰る通りですね」

 

 神琳は一瞬だけ逡巡した後、もう一度口を開く。

 

「では結梨さん」

「はい」

「北西方向のバグ型を倒してください。可能な限り迅速に。何か状況に変化があれば、無線で連絡するのを忘れないでくださいね」

「うん、分かった」

 

 返事をするや否や、結梨は工場跡のある窪地から大きく跳躍し、一足飛びで崖上に到達した。

 結梨の足と戦闘能力を以ってすれば、たとえ罠でも問題なく戻ってこられるだろう。そう考えての人選だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「セキュリティクリアランス、承認。リンガ・フランカプロジェクト、ファイナルフェイズ開示」

 

 聞き慣れぬ単語が機械音声によって唱えられ、地下の一室に緊張が走る。

 鶴紗はブレイドモードのティルフィングを握り締めて不測の事態に備えていた。

 ところが、そんな鶴紗の目の前に現れたのはヒュージではなかった。ホログラフによって、幾つものディスプレイが立体映像として宙に出現したのだ。

 

「これは、あの特型?」

 

 よく見覚えのある、全翼の戦闘機型ヒュージを映した写真。ついに見つけたお目当ての資料だ。

 写真入りのものとは別のディスプレイに長々と記された文章を、鶴紗は食い入るように読み進めていく。専門用語や聞いたこともない単語があちこちに見受けられたが、代わる代わる出現するホログラフの資料を見逃すまいと目で追い掛ける。

 すぐ隣でミリアムが何やら叫んでいるが、鶴紗の耳には入ってこない。肩を揺さぶられても反応しない。

 どうしてもその資料から、特型を形作ってきたルーツから目が離せなかった。離してはいけない気がしたのだ。

 

 あの特型を生み出す切っ掛けとなったのは、ヒュージとのコミュニケーション確立に関わる計画だった。

 

 


 

 

 リンガ・フランカプロジェクト

 

 被験対象――――スモール級ペネトレイ種カウダ型

         スモール級ペネトレイ種クチハナ型

         スモール級ファング種ピスト型

         スモール級ファング種ルレット型

         スモール級リッパー種ブル型

         ミドル級テンタクル種オルビオ型  

 

         捕獲を実行した陸上防衛軍中部方面軍より計六体を受領

 

 ファーストフェイズ――――対象の意思伝達機能調査  未達成

 

              動作コミュニケーション  不明

              音声コミュニケーション  不明

              嗅覚コミュニケーション  不明

 

 セカンドフェイズ――――対象への意思伝達手段付与  未達成

 

             刺激による条件付けを利用した意思伝達  失敗

             外付けの発声機能付与          失敗

             外付けの嗅覚機能付与          失敗

 

 サードフェイズ――――対象への知的機能付与  達成

 

            脳移植による知的機能付与  成功

 

 ファイナルフェイズ――――知的機能を得た対象との意思伝達実験  未達成

 

              サードフェイズ唯一の成功例、カウダ型の逃亡により実験不可

 

 以上を以ってリンガ・フランカプロジェクトを凍結

 逃亡個体の処理の要あり

 

 


 

 

 計画のあらましを流し見して、鶴紗は更に別の資料へ視線を走らせる。

 サードフェイズの詳細資料。ヒュージへの脳移植という狂気の沙汰。

 

『ドナーは高い教養、合理的思考能力の持ち主が最適。適格者の一人を陸上防衛軍東部方面軍より受領。身体に重大な損傷有り。意識不明。されど脳組織に損傷無し。実験可能』

 

 息が止まる。

 両の目を見開いたまま、目蓋を閉じれなかった。

 この先を見てはいけない。しかし知らなければならない。

 もはや半泣きとなって掴み掛かってくるミリアムを手で押さえ付け、鶴紗は次の一文を目に入れる。

 

『ドナー、陸上防衛軍東部方面軍隷下、独立混成旅団旅団長、安藤――――』

 

 一瞬、鶴紗の視界が真っ暗闇に塗り潰された。

 そのまま意識も暗闇に溶け込んで消えてしまえば。そんなことも思ったが、しかし現実は都合良くはいかない。

 鶴紗の目の前に再び、閉塞感ある地下の部屋とホログラフのディスプレイが変わらぬ姿を現した。

 

「あ…………っ、ああっ…………」

 

 幼い頃の、おぼろげな記憶の中の父。

 強く優しかった父。責任感の強かった父。コーヒー好きだった父。

 その肖像が炎に焼き尽くされて、全身灰色をしたヒュージの姿が現れる。

 

「…………っ!」

 

 恥も外聞もなく泣き叫んでいるはずだった。

 ところが、瞳と同様に大きく開かれた鶴紗の口からは、喉の奥を詰まらせたかのような音しか出てこない。

 

 そんな時だ。インカム越しに夢結の険しい声が響いてきたのは。

 

「梅! 二人を連れて逃げて!」

 

 普段なら即座に状況を察するはずが、今の鶴紗は動かない。二本の足は地に根を張るかの如し。心は宙に漂い続け、感情をぶつける先を見い出せずに震えていた。

 だが鶴紗の事情とはお構いなしに、周りの状況は動いていく。

 

「ミリミリ、動けるな? 梅についてこい」

「りょ、了解なのじゃっ」

 

 梅が左腕で鶴紗を小脇に抱え、部屋の出入り口へと向かう。鶴紗ほどではないが動揺していたミリアムも、我に返って後に続いた。

 扉を開いて端末ひしめく空間を出た先では、夢結と楓が背中合わせでチャームを構えていた。

 

「敵襲ですわ」

「馬鹿な、ヒュージサーチャーに反応は無かったぞ!」

「何らかの妨害でしょう。ヒュージによるものか、この地下施設自体の機能か」

 

 楓とミリアムのやり取りの横で、夢結は梅の小脇に視線を送る。

 

「大丈夫なの? 鶴紗さんは」

「大丈夫じゃない。だから梅が連れていく」

「そう……」

 

 話の最中にも、長大な地下通路の薄暗い空間に、青い光がぽつぽつと浮かび上がってくる。ヒュージの目だ。未だ距離は遠いものの、五人のリリィを獲物と見定めて前後の通路を遮断するように現れる。

 

「敵の数は未知数。通路は複雑に入り組んで視界も悪い。陣形は組みますが、乱戦に陥った場合は個別にでもエレベーターを目指してください」

 

 楓の号令を合図にして、五人は伏兵の蠢く巨大通路に突破を図る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「十時の方向来ます! シュテルン型、数は3!」

 

 窪地を臨む高台に二水の精一杯の大声が轟く。

 地下とほとんど同時期に、地上でもヒュージの襲撃が起きていた。

 始まりは、結梨が遠方のバグ型を撃破した時のこと。次の瞬間、携帯内蔵式のヒュージサーチャーが一斉にアラームを鳴り響かせたのだ。

 バグ型の正体は探知機(サーチャー)の妨害役だった。

 

「続いて一時の方向から2! 三時の方向から2! 五秒の時間差を空けて突入してきます!」

 

 敵襲に勘付いた時には既に複数方向からの接近を許していた。二水の鷹の目が発動していたが、敵は効果範囲の外から一息に距離を詰めてきたのだ。ペネトレイ種シュテルン型の機動力ならば、そんな芸当も可能であった。

 

「速いし、しぶといっ。ごめん神琳、墜とし切れない」

「仕方ありません。雨嘉さんとフーミンさんは狙い撃ちされないよう、射撃位置を変えつつ応戦してください」

 

 片膝を付き、狙撃銃と化したアステリオンを抱える雨嘉。彼女と索敵要員の二水は戦闘前から崖上の高所に陣取っていた。

 しかしながら、高速飛行型のヒュージに対して地形の高さはあまり意味を成さない。それどころか下手に目立って集中攻撃を食らう事態もあり得る。故に神琳も無線で二人の身を案じた。

 だが危機に瀕しているのは窪地の中に留まっている神琳と梨璃も同じこと。二人は工場正面で合流し、互いの死角を補い合うよう背中を向け合っている。

 

「梨璃さん、弾幕を張って牽制に努めてください。すぐに結梨さんが戻ってくるはずですから」

「はい!」

 

 これまでのところ、敵は高空からレーザーや光弾を放って駆け抜けていく一撃離脱に徹していた。迎撃は困難だが、敵の照準も甘い。守りを固めれば時間稼ぎぐらいはできる。

 

 そんな梨璃たちの事情に勘付いたのか、横合いから新手の敵編隊が急降下を仕掛けてきた。

 

「梨璃さん伏せて!」

 

 別方向の敵へグングニルの銃口をかざす梨璃。自身の危険に気付けなかった彼女へ、神琳がチャームを向ける。マソレリックの多銃身が重厚な唸りを上げて、暴雨の如く多量の弾丸を吐き出した。

 マソレリックが放つ火箭は梨璃の頭上を通り越し、高度を落とした敵を絡め取る。

 星を模した頭に、頭部から伸びる鋭角的な胴体。全長三メートル程のミドル級ヒュージ、シュテルン型。

 一機のシュテルン型は真正面からガトリングの銃撃を浴び、目に灯っていた青い光を瞬く間に失った。その残骸は勢いを残して突っ込んでくるが、しゃがんだ梨璃の上から突き出された円盾に激突。軌道を逸らされて無人の大地に墜ちていく。

 

「ふぁっ、神琳さん――――」

 

 その場に屈み込んだ状態で礼を言おうとする梨璃だが、柔らかで弾力ある感触に顔を押さえ付けられる。

 神琳が梨璃の上に覆い被さっていた。もう一機のシュテルン型が弾幕を掻い潜り、目前まで迫ってきたからだ。

 前に突き出されるマソレリックは、主とその仲間の盾となる。

 しかし、そこに衝撃が襲い掛かってくることはなかった。横からの射撃を受けて敵機の軌道が外れたお陰で。

 

「戻ったぞ!」

「結梨ちゃん!」

 

 梨璃の視線の先。崖上から滑空するかのように身を踊らせた結梨。彼女の無事な姿に、梨璃は自分自身の危機も忘れて顔を綻ばせる。

 一方で、急降下からの一撃を邪魔された敵機はよろめきながらもそのまま直進。大きく旋回して体勢を立て直す。

 それと入れ替わる形で新たな敵機が接近し、空中で無防備な結梨の背中に矛先を向けた。

 ところが結梨は全身をくるりと捻ると、ノールックでグングニルの銃弾を叩き込む。

 星形の顔へまともに被弾し、シュテルン型は堪らず上昇。そこへ狙いすましたかのように一条の光が伸びて。胴体を貫かれたシュテルン型が数舜の後、高度を取り戻すこと叶わず低空で大爆発を起こす。

 

「墜とした。フーミン、次は?」

「残りのシュテルン型は全て離脱に移っています。ただ……」

 

 崖の上、片膝立ちの狙撃姿勢のまま問い掛ける雨嘉に、二水は顔を強張らせて答える。

 鷹の目を発動して赤に染まった二水の瞳が、状況の悪化を誰よりも早く掴んでいた。

 

「西へ5キロの地点からヒュージの一群が接近中。数は50。いずれも地上型。後方に発生したケイブより更に増援が出ています」

 

 それは全力の一柳隊ならともかく、隊を分けた現状では厳しい相手だった。

 

「先程の空襲は陽動。本命は陸路での侵攻ですか。あの数は、流石に分が悪いですね」

「……神琳さん! お姉様たちは絶対に戻ってきます! だからっ」

「ええ、勿論分かっていますよ、梨璃さん。わたくしたち警戒班はこれより、調査班の帰還まで工場跡出入り口を防衛します」

 

 神琳はそう宣言した後、梨璃の顔と、既に着地して戦闘態勢を取っていた結梨の顔を見回す。

 

「陣形を変更しましょう。結梨さん先頭中央、わたくしが右翼後方、梨璃さんが左翼後方へ。結梨さんは突出してきたヒュージを、足の速さを活かして順番に討ってください。わたくしたちは支援に回るので、結梨さんが迎撃の要ですよ」

「おー、任せろ!」

 

 意気揚々と返事をしてから、結梨が跳躍して陣形の先頭に移動する。

 結梨を矢の先端に見立てた楔形陣形。彼女の攻撃力とレアスキルを活用するには、単純だが効果的な陣形だ。

 

「また結梨ちゃんに頼っちゃうねえ」

「気にするな、梨璃。老いては子に従えって言うだろ?」

「まだ老いてないよ~」

 

 一緒に訓練に励んでいた梅の影響だろうか。結梨は戦闘前の軽口を叩く。無論、彼女の立ち振る舞いに過度な緊張は見られない。

 

「雨嘉さんとフーミンさんは引き続き射撃支援と索敵を」

「了解」

「はいっ!」

 

 そうした崖上との無線越しのやり取りを終えて、神琳たち警戒班は迎撃態勢を整える。

 その頃、西の方角には地面から舞い上がる砂埃が見えていた。まだ結構な距離はあるが、こちらに近付いているのは明白だ。

 

「敵先頭集団、接敵まで残り3キロ。ミドル級1、スモール級7」

 

 二水の報告と、続いて放たれたアステリオンのレーザーが、これから展開する長い撤退戦の狼煙となるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い長い、幾つものルートに枝分かれたした地下通路。電気が生きているとは言え、天井に設けられた照明はあちこち機能しておらず、場所によっては深夜の如き暗がりになっていた。

 

「夢結たちとはぐれちゃったなあ。しかもこっち、エレベーターとは逆方向だし」

 

 タンキエムを腰だめに提げて通路を前進する梅。やや遅れて、無言で歩き続ける鶴紗。

 最悪の想定通り、乱戦に持ち込まれた彼女らは他の三人とは別方向に逃げていた。

 鶴紗は自身の足で動いてはいたが、その様はさながら幽鬼のよう。自らの意思というよりは、切迫した状況によって無理矢理動かされていると言うべきだった。

 

 不意に、前を行く梅が180度向きを変え、鶴紗へ砲口を突き付けた。

 発砲。

 甲高い金切り声の断末魔。

 鶴紗のすぐ後ろで、大きな耳と巨大な下歯を持つ四つ足のヒュージ――フィープ・ピープが頭を撃ち抜かれて倒れた。

 ネズミを模したこのスモール級ヒュージこそが乱戦の元凶。これと同型の群れが地下通路に潜んでいるため、鶴紗たちはエレベーター方面に帰りたくとも帰れなかった。

 

「鶴紗」

 

 咎めるようにそう言って、しかし梅はそこでまた180度向きを変え、中断していた歩みを再開するのだった。

 

「行くゾ。どこかに他の出口があるはずだ」

 

 五人が侵入に使ったエレベーターとは別に、必ず物資搬入用の出入り口が存在するはずだった。外部からは巧妙に隠蔽されていても、内部からなら見つけられるだろう。それを目指して、梅と鶴紗は手探りでヒュージ蔓延る地下迷宮を踏破しなければならないのだ。

 

 延々と続くかと思われた脱出行だが、やがてゴールの端緒が見えてきた。

 通路の途中に現れた巨大な縦穴と、資材運搬用と思しき巨大昇降機。そしてその片隅に人員用の四人乗り小型昇降機がおあつらえ向きに用意されていた。

 

「これ、天井はちゃんと開くよな? こっからじゃ操作できないけど。ま、いざとなったらチャームでぶっ壊すか」

 

 梅は人員用の昇降機に乗り操作台を確認すると、鶴紗の手を引いて隣に乗せ、上昇のスイッチを押した。

 幸いこちらの機能も生きていた。鈍い駆動音を上げ、二人を乗せた金属の籠は地上を目指して出発する。

 鶴紗の胸ほどの高さがある落下防止用の柵が手すりを兼ねていた。それ以外に壁は無いため、昇降機からは周りの光景が嫌でも目に入る。

 弱々しい照明が要所々々に点在するだけの、薄ぼんやりとした縦穴。それは鶴紗の心と相まって、現世と地獄を繋ぐトンネルのようだった。

 何も考えられない。何も話したくない。そんな鶴紗の心境とは裏腹に、すぐ横に立つ梅は屈託無い声で喋り続けている。

 

「ここだと無線が通じないから、上に着いたら他の皆と連絡を取らないとな。夢結が付いてるから、あっちの方が先に地上に戻ってるだろ」

 

 上へ上へと引き上げられる昇降機の駆動音と、梅の話し声だけが辺りに流れていた。

 縦穴付近にヒュージの姿は無いようで。その事実がまた不気味さを際立たせる。

 

「しかし、どこに繋がっているんだか。下でかなり歩いたから、本当に海に出たりして」

 

 手すりに前のめりで寄り掛かる梅に対し、鶴紗は立ち尽くして押し黙る。

 こんな状況でも、梅は気分を害した様子も気まずい様子も見せなかった。いや、本当のところは分からない。鶴紗に他人の心は分からないし、他人にも鶴紗の心は分からない。

 そんな風に考えるなど、まるで一柳隊に入る以前の鶴紗に戻ったかのようだった。

 

 やがて縦穴の終着点が近付いてくる。頭上に広がる天井が音を立ててスライドし、薄暗い地下空間へ光が差し込んできた。

 あまりに眩い明かりに、二人が目を何度も瞬かせる。

 そうして自動で解放された天井から昇降機がせり上がり、地上の地面と同じ高さで停止した。

 降りた梅はタンキエムを構え、油断なく周囲360度を見回す。

 鶴紗たちが立っているのは、背の高い草が生い茂ったなだらかな高地だった。東を向くと、緩やかに湾曲した海岸線が遠くに映る。相模灘だ。さっきの梅の言葉通り、本当に海の傍まで辿り着いたのだ。

 

「……ああ、神琳か。夢結たちと合流できたんだな。こっちは今のところ無事だ。……分かった、そのまま北に向かって落ち合おう」

 

 地下から出たことで回復した無線にて、梅が別動隊の神琳と方針を確かめる。

 その間、鶴紗は視界に広がる濃紺の海を何とはなしに見つめていた。幼い日々の記憶におぼろげながら残っている相模の海を。記憶の中の自分は、笑っていた気がする。

 

 今と過去の境が曖昧になりかけたその時、海の濃紺から赤い光が迸る。

 直後に横から力が加わって、鶴紗の体は草むらの中に倒れ伏した。地べたから仰ぎ見た視線の先に、梅の顔がアップで飛び込んだ。

 

「バカッ! ボーっとするな!」

 

 そこで鶴紗は自分たちが撃たれかけたことに気付く。

 起き上がって辺りを見渡すと、海岸部の上空からこちらを見つめるヒュージを発見した。

 灰色の機体に赤い一つ目の戦闘機、特型ファルケが空中静止の状態から前進を開始する。

 

「早くチャームを構えろ!」

「…………」

「鶴紗ぁ!」

 

 鶴紗の右手がティルフィングのグリップを固く握る。だがその切っ先が上を向くことも、射撃形態に切り替わることもなかった。

 そうしている内に、速度を増した特型が地上に光弾をばら撒きながら、二人の頭上を翔け抜けていく。

 光弾の掃射と上空からの風圧により二人は再び地に伏した。顔や制服を土で汚しつつ、梅は鶴紗を強引に引き起こす。

 

「あのヒュージは、お前の親父さんじゃあないっ!」

 

 その言葉によって、きつく締められていた鶴紗の口が弾かれるように開く。

 

「梅様に何が分かるんだ!」

 

 否、本当は鶴紗も理解していた。

 地下で発見した資料にも『元の人格的な要素はヒュージとの融合で消え失せた』と記されていたのだ。

 だがそれでも、頭ではなく心が追い付いていかなかった。父の痕跡がこの世から全て消滅したようで、受け入れられずにいた。

 

「私にはもう、何も無いっ。親も家族も、家族との繋がりも、何も残ってない!」

 

 百合ヶ丘という新しい居場所。

 しかしそれは本当の意味で繋がりと言えるのか。家族と呼べるのか。

 普段は鳴りを潜めているものの、疑問が鶴紗の中から完全に解けることはなかった。それはレギオンにあっても例外ではない。

 

「独り……独りなんだ、私は。本当は独りなんだ……」

 

 無論、一柳隊の皆は掛け替えのない仲間だ。それは間違いない。

 けれども仲間から先に進んだものがあるだろうか。仲間とそれとは、また別種のものなのだ。

 

「たづ……っ」

 

 梅は伸ばしかけた手を伸ばせず、開きかけた口を開けない。今度は彼女が押し黙る番だった。

 

 やがて、一度は過ぎ去った特型が上空で旋回して再度の降下を図ってくる。

 特型の瞳と同じ赤いレーザーが青空に奔った。それは俯き小刻みに震える鶴紗の横顔を貫くはずだった。

 しかし鶴紗に攻撃が届くことはなく、代わりにまたもや地面へ押し倒される。

 押し倒した梅の背では制服が線状に焼き切れて、切れた跡が真っ赤に染まっていた。

 目と鼻の先に、苦悶に歪む梅の顔。それでもなお、鶴紗はチャームを構えることができなかった。自分がどうすれば良いのか、どうしたいのかが分からない。

 

 特型に集束していくマギを感じる。次弾発射の予兆だろうか。

 地面に折り重なる二人はこの上なく無防備だった。

 

 ぐちゃぐちゃになった思考の中で、鶴紗は不意に砲声を耳にする。

 

「結梨、跳びなさい!」

 

 今度は夢結の声だ。

 直後、射撃体勢に入っていた特型が下方から突撃してきた人影に進路を逸らされる。飛行の速度も大きく削がれる。

 人影は、結梨は空中でチャームを変形させると、特型へ追い打ちの射撃をお見舞いした。地上の夢結も砲撃を加えていく。

 二方向からの同時射撃は特型の動きを制限した。何発かは灰色の機体を捉え、黒煙と爆炎、そして青い体液を空に舞い散らせる。旋回でもしようものなら、たちどころに致命打を食らうだろう。

 

 結局、特型は進路をそのままに元来た海に向かって増速を始めた。形勢の変化を見て撤退を選んだのだ。

 追いすがるように射撃を続ける結梨。一方、夢結は倒れたまま起き上がってこない梅と鶴紗に駆け寄っていく。

 

「私はっ、何をやってるんだ」

 

 ようやく絞り出された鶴紗の声は消え入りそうで、相模の海に溶け込むようだった。なので必死に二人の名を呼ぶ夢結には聞こえなかっただろう。

 

 鶴紗と梅。二人が立ち上がるのは、まだ先のこと。

 

 

 



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第23話 霧中の華

 百合ヶ丘女学院、理事長室。その下座に当たる三人掛けのソファの右側に、どことなく憂鬱げな史房の姿があった。

 史房から一人分のスペースを空けた左側には、史房よりもリラックスした様子のロザリンデ。前を向けば、部屋の主が机上に浮かぶホログラフのディスプレイと込み入ったやり取りを続けている。

 部屋の主、理事長代行とディスプレイ越しに相対しているのは、代行よりも一回りほど年少の男性だった。百合ヶ丘を含む各ガーデンを監督する立場にある、防衛省のトップである。

 先程からずっと、ガーデンに投入される補助金に関する話が繰り広げられていた。その様相はお世辞にも芳しいとは言い難い。史房を憂鬱にさせている原因の一つだった。

 

「――――高松さん、貴方は気を悪くされるかもしれませんが。しかし、この国が武力というものに神経質にならざるを得ない事情はご理解頂きたい」

 

 会談の相手、防衛大臣の顔と声は真剣そのもの。双方にとって重い案件なので当然の態度だろう。

 軍事を統括するブリュンヒルデの役職柄、史房はこの大臣のことをよく知っていた。言葉遊びの類を嫌い、直截的な物言いを好む。野党やマスコミを正論という名の暴力で容赦なく殴りつける様から「マジレス大臣」と国民に渾名されている。そういう人物だった。

 

「ほう、これは防衛大臣のお言葉とは思えませんな。戦時下における軍組織とは、際限なく膨張を図ろうとするものでしょう」

「だからこそ、戒めなければなりません。『軍隊が国家を持っている』などと言われるような状況は避けなければ」

 

 代行による皮肉交じりの物言いに、防衛大臣は一歩も引かない。このようなやり取りが既に幾度となく繰り返されていた。

 

「やはり、御上(おかみ)としてはリリィが信用できぬというわけですかな? 忠を尽くすか疑わしいと」

「いいえ、それは少し違います。元より政府はガーデンにもリリィにも『犬の忠誠』などは求めていません。そんな物が役に立たないのは、過去の歴史が証明している」

「では……」

「我々のリソースが無限でないのは、高松さんもよくご存じでしょう。故に全体を考慮して見極めねばならない。優遇されるべきガーデンでも、その点は例外ではないのです」

 

 戦時とは言え、全てが軍事に優先するわけではない。それはガーデンのみならず、防衛軍も同じである。

 例えば中国地方解放の前段作戦、下関奪還作戦において。陸上防衛軍は多数の優良高速船舶の徴用を政府に要求した。栄えある一番槍をリリィだけに務めさせないために。中国地方解放の第一歩は政治的にも大きな意義を持つからだ。

 しかしながら、上陸作戦に追随できるような高速船は資源輸入へ優先的に投入されている。当然政府の答えはNOだ。

 閣僚会議において「そんなに海を渡りたいなら泳いで渡れ」と総理が言い放ったのは、彼にしては極めて珍しい放言だったので物議を醸したものである。この放言の背景には、防衛軍高官の「少女だけが命を賭しているのを座視できない」という発言があった。リリィを引き合いに出しての装備要求など、軍幹部という立場の者として、絶対に手を出してはならないことなのだから。

 

 やがて会談に終わりが到来し、立体映像のディスプレイがプツリと消えた。その瞬間を待っていたかのように、代行の口から小さな溜め息が漏れる。

 終始張り詰めた言葉の応酬が展開していたが、だからと言って今回のことで補助金が左右されるわけではない。実際の金額についてはあらかじめ事務方で大筋が纏められていた。それがひっくり返るような事態は今のところ起きてはいない。

 今日取り持たれた会談の意味とは、ある種の儀式であり牽制であった。たとえ百合ヶ丘といえども、その優遇がいつまでも続くとは限らない。立場上、大臣はそう戒める必要があったのだ。

 

「さて、待たせてしまったのう」

 

 代行は軽く咳払いしてから、ソファに座るリリィたちに視線を向ける。

 それに応じて口を開いたのは史房の方だ。

 

「代行、先の伊豆半島工場跡地調査任務の顛末は耳にされたかと思いますが」

「うむ」

「我々は今後の対応策を決めなければなりません。ですが、なにぶんあの特型は事情が事情ですから……」

 

 事情、というのはゲヘナ絡みのことである。ロスヴァイセのロザリンデが同席している理由がそれだった。特務レギオンはガーデン直轄であり、生徒会の指揮下にはないのだ。

 もっとも、ゲヘナ絡みといっても今回の件は更に事態が複雑なのだが。

 

「一柳隊が工場地下で見たというデータ。恐らく三重で私たちが回収したものと同一か、類似したものでしょう」

 

 ロザリンデが話に加わる。

 彼女たちの持ち帰ったデータはプロテクトが強固であり、今現在も解除に難航している有様だった。しかしそうなると、新たに発見された証拠の方が注目されることになる。

 

「防衛軍の急進派がゲヘナから新型アンチヒュージウェポンを受け取る代わりに、被験体のヒュージたちと命の灯を絶やしかけていた安藤少将の身柄を引き渡した。実験材料として」

「不愉快な話ね。だけど、何故わざわざ少将という大物を選んだのかしら? 詮索を招くだけでしょうに」

 

 顔を顰めながらも疑問を口にした史房。

 そんな彼女に対し、ロザリンデは平然としたまま答える。

 

「急進派にとっては釘を刺したつもりなのでしょう。これだけの大物をリスク承知で引き渡したのだから、『そちらも誠意を示せ』と」

「やっぱり不愉快だわ」

「もっとも、対価として受け取った物がお気に召さなかったのか、急進派はゲヘナと決別した。だけど私たちと襲撃がかぶったのは、流石に想定外でしょうね」

 

 回収こそできなかったが、工場跡地で発見されたデータの内容は一柳隊から報告を受けている。その内容と三重での反乱部隊の行動から、ロザリンデたちは急進派とゲヘナの思惑を推理していた。

 

「でもロザリンデさん、ゲヘナがそのデータを保管していたのは裏切られた際の保険だとして。実際に決別したのだから、流出させて急進派にダメージを負わせそうなものだけど。未だにそんな動きは見られないわ」

「あんな実験をコソコソとやってたゲヘナにとっても、諸刃の剣となるからね。それに、彼らはまだ交渉の、取り引きの余地が残っていると考えたのかもしれないわ。浅はかなことに」

「ゲヘナにしては随分弱気に思えるけど」

「弱気にならざるを得ないのよ。グランギニョルとその関連会社が資金協力を縮小して、それがじわじわと響いてきているから」

 

 史房はロザリンデからの話に目を見張る。ゲヘナとグランギニョルの不和は認識していたが、その影響が予想外に大きくなっていたからだ。

 

「総体が巨大なだけに、先立つ物も膨大なのね」

「研究資金だけでなくロビー活動にも必要でしょうし。資金の投入比率についてはゲヘナ内部の過激派と穏健派の間でも割れているのではないかしら」

「……ロザリンデさんも中々手広い情報網をお持ちのようで」

「そんな大層な代物ではないわ。ただ、彼らの施設から得られた情報や、救出してきた子たちの話を総合して分析しただけで」

 

 当人はあっさりと言い切るが、それが如何に難儀かは史房にも分かる。

 そして相手のそんな心境を知ってか知らずか、ロザリンデが話を続けていく。

 

「リリィにお話しして貰うのに、あからさまな力も小細工も必要無いの。美味しい紅茶と茶菓子さえあればね」

「そう言えるのは貴方だけよ」

 

 呆れたように史房がわざとらしく溜め息を吐いた。

 そこで話に区切りが付いたと判断したのか、再び代行の咳払いが響く。

 

「して、件の特型への対応に関してじゃが。ガーデンとしては無論、討伐の意志に変わりはない」

「はい、生徒会としても同様に考えています。ですが、一柳隊を任命したのが正しかったのかどうか、検証するべきだとは思いますが」

「うぅむ……。なにゆえ実験場の生体認証が鶴紗君に反応したのか。ゲヘナの悪趣味、特型の精神攻撃。想像はできるが、確かめる術はないか」

 

 本来ならば、一柳隊はデータを持ち帰るか、それが不可能なら事前調査だけして帰還する予定であった。まさかあのような情報が隠されているとは夢にも思わない。鶴紗の父親が被験者にされていたなどと。

 

「これはわしの勝手な思い込みかもしれんが」

 

 代行はそう前置きをした上で、重々しく口を開く。

 

「知らぬままなら、今この時は傷付かぬじゃろう。されど、やがていつか、知らなかったことを後悔する日が来る。そんな気がしてならんのじゃ」

 

 普段の代行らしからぬ、ふわりとした物言い。史房にはそのように感じられた。

 今回の件、代行にとっても応えたのだろう。生前の少将と知己であり、娘からその亡骸の行方を捜して欲しいと頼まれていた。それが最悪の形で終わったのだから無理もない。

 

「代行は引き続き一柳隊に特型討伐を任せるべきだとお考えなのでしょうか?」

「それは、彼女らの意志も確認する必要がある。判断は今少し待つべきじゃろう」

「そう、ですね……。特型は今も工場跡地に留まっています。出方を窺う時間も必要でしょう」

 

 史房も完全に納得したわけではない。だが一柳隊が討伐任務を継続したいと言うのなら、一考する余地はあると考えていた。

 しかし、因縁の相手だからとか、敵討ちをさせてやりたいとか、そういった感傷的な理由ではなく、特型が鶴紗と一柳隊に固執している素振りを見せていたから。何かに活用できるかもしれないという打算があったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自然の暖かみを感じられるコルク材のフローリングに、純白の壁。清潔な印象を受けるこの空間は、百合ヶ丘女学院に設けられた一般病棟。その一階、幾つもの病室が並ぶ廊下の片隅に鶴紗の姿があった。

 

「鶴紗ぁ」

「…………」

 

 目の前に立つ結梨が静かに呼び掛ける。

 しかし、三角に曲げた両膝を抱え込み、顔を突っ伏している鶴紗は反応しない。ただ結梨が立ち去るのをじっと待っている。

 

 周囲に他の人影は見られなかった。病棟はガーデンの軍事機関としての性質から置かれているもので、大規模な戦闘でも起きない限り、ここが賑わうような事態にはならない。実際今も、多くの病室が空き部屋だった。

 

「鶴紗、ここじゃない」

 

 返事が無くとも、結梨は構わず話し続ける。

 

「ここじゃなくて二階だよ。梅が寝てるのは」

「……っ」

 

 膝の上に伏せている鶴紗の頭がビクッと揺れた。大切な、しかし今は触れられたくない名前を耳にして。

 

「鶴紗、早く行こう。一人で寝てるだけって詰まらない。……鶴紗?」

 

 腰を屈めて覗き込むように顔を近付けてくる結梨に、観念した鶴紗が口を開ける。

 

「分かってる、分かってるよ。行かなきゃいけないってことぐらい」

「だったら行こう」

「でも、だけどっ! どんな顔して行けばいいんだ。私自身、自分のことで一杯なのに」

 

 顔を伏せたままで言葉を吐き出す。

 結梨が相手なら、口の奥に挟まる物をさらけ出すことができた。彼女の純真さと恐れ知らずのお陰だろうか。かつての梨璃を思い起こさせる。

 

「そのままでいいと思う」

「は?」

「会って、思ったままの顔をすればいいんだよ」

「そんな簡単に言って……」

 

 実際、このような状態で梅に会ったら、どんな顔をしてしまうか鶴紗には分からなかった。

 罪悪感か、逆上か。もしくはその両方か。

 ない交ぜとなった感情がどう転ぶか本人にも予測がつかない。それが恐ろしい。

 

「私は、初めて会う他人(ひと)に何て思われるか分かんないけど。でも梨璃が、私は私でいいって、私は他のものにならなくてもいいって言ってたから。だから他人(ひと)と会いたくないなんて思わない」

 

 そう言い切る結梨のことが、いつもよりずっと大きく思えて。眩しく見えて。鶴紗は彼女の顔を直視できなかった。

 

「私、先に行ってくるね」

 

 結梨が90度横を向いて歩き出した。その先にあるのは二階に続く階段のはず。宣言した通りの行動だった。

 

「どうすればいいって言うの」

 

 人の居なくなった廊下。誰にも聞こえない空間で鶴紗が独り言ちる。

 

「どうすれば……」

 

 消え入りそうな声に答える者はない。

 この時、鶴紗は独りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったよりも浅手だったのね」

「おー。寝返りする時ちょっとジンジンしただけだ」

 

 病棟の二階にて、ベッドの上でうつぶせになった梅が夢結の見舞いを受けていた。

 ベッドの掛布団は隅に追いやられ、白い患者服を着た梅の姿が露わとなっている。本人の言葉通り、傷はそこまで深刻ではないようだ。

 

「でもその割に、いつもの元気が無いようね」

「んー、そうか?」

 

 梅はそう言うと横向きになり、病室の窓の方へ顔と体を向ける。

 夕刻の近付いた百合ヶ丘の空は灰色に陰り、雨がしとしと降っていた。見る者を憂鬱にさせる薄暗さ。それはどことなく地下トンネルの暗がりを思い出させる。

 一方、窓から覗く光景に比べ、梅に宛がわれた部屋の中は対照的。灯りが室内を昼間のように照らし、ベッドサイドのチェストの上には鮮やかな花を活けた花瓶が佇む。椅子に腰掛けた夢結がリンゴの皮を果物ナイフで剝いており、彼女のすぐ横、小さなテーブルにはバナナの皮が四つ横たえられている。バナナの内、三本は先程まで見舞っていた結梨が平らげたものだった。

 

「……また、マズったんだ」

 

 暫しの沈黙の後、観念した梅が夢結に背を向けたまま、ぽつぽつと喋り始めた。

 

「鶴紗が苦しんでるのに、助けを求めていたのに、何もしてやれなかった。声すら掛けてやれなかった」

「『また』というのは?」

「夢結の時と同じようにってことだよ」

「私の場合、梅がマズったわけではないと思うけど」

 

 夢結のフォローも、梅にとっては慰めにはならなかった。むしろ逆効果だ。

 しかし梅はそんな内心を表に出さない。今は自分よりも、鶴紗のことが重要なのだから。

 

「怖かったんだ。梅が何かすることで、何か言うことで、鶴紗がどうにかなってしまうんじゃないかって。だってそうだろ? 良い方向に転がれば良いけど、もしかしたらそうじゃないかもしれない。だから、何もできなかった」

 

 夢結はリンゴを剝く手を止めて聞き入っている。

 

「その結果、鶴紗を独りにした。最悪だ。それだけは絶対やったらいけなかったのに」

 

 家族を失い、家族との繋がりを汚された鶴紗。その彼女に、梅は自己保身的な理由から手を差し伸べなかった。家族を失う痛みは理解しているはずなのに。

 

「私は、どうすりゃ良かったんだ」

 

 気が付けば一人称も変わっていた。

 過酷な戦場やどんな苦境においても仲間を支え、大きな懐に包み込んできた。その梅が、今はずっと小さく見える。

 

「どうすべきか分からないなら、やりたいようにすれば良いでしょう」

「……やりたいように?」

 

 夢結の思い掛けない答えに、梅は首を傾げて復唱した。

 

「正解が見えないのなら、せめて自分が後悔しない道を選ぶべきね」

「それが難しいんだよなあ」

「そうかしら? 確かに私には無理かもしれないけど。でもいつもの梅だったら今頃、勘に従って突っ込んでいるわよ」

「何だよ、それ。まるで梅がお気楽イノシシ娘みたいじゃないか」

 

 梅は口を尖らせ抗議を示す。本当に夢結の言う通りにできれば、どんなに楽だっただろうか。

 しかし、よくよく考えてみたら、それは梅が振舞ってきた姿そのものとも言える。皆を励まし、勇気付けて、困難の中にあって笑顔を生み出す。それは梅自身が望んだことだった。梅は皆が好きだった。

 そんな梅でも、自分だけでは救えなかった者が居た。今まさに言葉を交わしている夢結だ。その夢結からアドバイスされているのだから、何とも不思議な気分である。

 

「問題を梅に押し付けるようで心苦しいわ。だけど、貴方に任せるのが一番だと思ったの」

「買い被りだ。これまで皆を支えてこれたのは、皆が強かったから」

 

 過去の行ないを自ら否定するかの如き梅の反論。

 だが口に出してから心の内が変化する。いや、正しくは自覚したと言うべきか。「好きだから支えたい」と思ってきたことまで否定したくはないと。

 

「何をやりたいのかも、よく分かってないけど。顔を合わせてみたら分かるかもな」

 

 そう言うと梅は窓に向けていた体で天井に向き直り、仰向けの姿勢になる。寝返りの際に背中へ走る痛みは随分と和らいでいた。この病室の厄介になる時間も僅かだろう。

 視線だけ横にずらすと、夢結が何事もなかったかのようにリンゴの皮剝きを終えたところであった。料理は不得手なはずが、剝き方がやけに綺麗なリンゴの姿に、梅は自然と笑い声を上げる。

 一方で笑われた事情など与り知らない夢結。彼女は訝しげな顔を梅に向ける。だがすぐに手元へ目線を戻し、皮を脱ぎ去ったリンゴにナイフを入れようとして、やっぱり止めた。梅ならば丸ごと齧りつくという判断だろうか。その判断は正解だった。

 

「は~っ。雨、止まないかなあ」

 

 梅が上体だけ起き上がり、伸ばした手でリンゴを口に持っていく。

 そんな彼女の望みが叶うのは、翌日の朝まで待たねばならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このような時分に失礼するよ」

 

 まるでこれから散歩にでも出発するかのように気軽な声が掛けられる。

 夜が訪れた病棟の廊下に、依然として体育座りを続ける鶴紗。彼女が声に反応して顔を上げると、斜め前に大きな人影が映る。

 廊下に置かれた背もたれの無い簡素な長椅子の上、深く腰掛けた和装の大人がこちらを見ていた。

 

「代行」

 

 そう呟く鶴紗は傍目には分かり難いが、視界に映った状況に困惑していた。こんな時間のこんな場所に、ガーデンのトップが極自然に現れたのだから、無理もない。

 鶴紗が反応に困って二の句を告げないでいると、先に代行の方が口を開く。

 

「ここに来る前、結梨君と鉢合わせしてのう。その際に『理事長代行先生』と呼ばれたのじゃ。呼び方が以前と変わっておった」

 

 何の話なのかと、鶴紗は余計に困惑の度を強めた。

 そんな彼女をよそに、代行は続ける。

 

「実の所、密かに胸を撫で下ろしていたのじゃ。前の呼び方、おじいちゃんというのは些か問題があってのう。昔のことじゃが、東京のとあるガーデンで生徒に対して『東京のお父様だと思いなさい』などと抜かした輩がおってな。他にも当時はおかしな者が少なからず見受けられた。やはり、リリィを導くのはリリィであるべきじゃろう。だからというわけではないが、わしらのような第一世代をリリィと呼ぶのは不適当だと思っておる。そもそもリリィという語が何を意味するのか分かっておるのか。こんなことを言っていると、またどこからか石を投げられそうなものじゃが」

 

 饒舌だが、決して早口ではない。それは正しく昔語りのようだった。

 

「時に鶴紗君、君にはまだ特型を討とうという意志があるかね?」

 

 唐突に本題が切り出される。

 しかし鶴紗は驚かない。ガーデンが自分に対して用事があるとしたら、一つしか思い浮かばなかった。もっとも、理事長代行自らがやって来たのは予想外のことだが。

 

「分かりません」

 

 鶴紗は今の自分を取り繕わず、正直に答える。

 

「分からないけど、多分駄目なんだと思います。アレが目の前に現れた時、自分は撃てるのか。撃てなかったら、また誰かが危険な目に遭うかもしれない」

「…………」

「だから、私は、戦っちゃあいけないんだと思う」

 

 恐らくはそれが最善。自分と一柳隊の皆にとって最善の選択。

 百合ヶ丘には他に凄腕のレギオンが幾つも存在するのだから、わざわざ自分たちが出しゃばる必要は無い。少なくとも、命を賭ける程のことではない。

 

 鶴紗は思うところを素直に述べた。

 そのはずだった。

 

 ところが、どういうわけか胸の内がざわめき、やがては鈍い痛みへと変化する。

 鶴紗は上げていた顔を再び自身の膝に伏せた。胸の内に起きた異常を悟られないように。代行という聡い大人相手には無駄な行為だと、半ば諦めつつも。

 

「責任感が強いのじゃな。君の御父上もそうだった」

「父さん……?」

「前に話したと思うが、こう見えてわしも昔は前線に出ていたのじゃ。安藤少将のことも人並み以上には知っておる」

 

 そこで話に食いついた鶴紗がもう一度顔を上げた。

 

「少将は最後まで諦めずに足掻こうとした。その在り方が君にも受け継がれているのじゃろう」

 

 代行の言葉を受け、鶴紗は考えあぐねる。父ならば、あの特型を討つべきだと、責任を果たすべきだと言うのだろうか。それとも、勝てない戦を無責任に引き受けるなと言うのだろうか。

 おぼろげで薄れかけた記憶の中の父は、鶴紗に何も示してはくれなかった。

 

「しかし、しかしな」

 

 代行は椅子に腰掛けたまま、目の前で床に突き立てている杖を強く握り締める。

 

「君は、君たちは、どうか仲間を頼って支え合ってくれ。本当の意味でリリィを救えるのはリリィのみ。仲間と苦しみを分かち合い、その上で(みな)と決断して欲しい」

 

 仲間を頼る。

 自分のせいで傷付いた仲間を頼る。

 そんなことが許されるのか。鶴紗は即答できなかった。

 しかし鶴紗の返答を聞かない内に、代行は椅子から立ち上がる。

 

「さて、年寄りの長話に付き合わせて済まなかった」

 

 大人の男性としても中々の長身である代行が病室前の廊下を歩いて去っていく。

 そうして鶴紗はまたしても一人になった。かつては一人でいる時間の方がずっと多かったが、近頃ではむしろ珍しいぐらい。

 一人になると、好むと好まざるとに関わらず様々なことを考えてしまう。ヒュージのこと、家族のこと、そして一柳隊のこと。どれをとっても、はっきりとした正解を見い出せないことばかり。鶴紗は改めて自分が道に迷い続けてきたことに気付く。

 

(やっぱり、私だけじゃあ何も選べない)

 

 それはレギオンに入り、仲間を得たせいで生まれた弱さか。他者と群れたせいで臆病になってしまったのか。

 しかし代行はその仲間たちに頼れと言う。

 

(本当は頼りたい)

 

 そんな鶴紗の本音は声に出てこなかった。

 

(助けて欲しい)

 

 仲間を思うが故に、自らの意思を表すことができないでいた。

 

 

 



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第24話 決意と力

 時間の間隔が分からなくなるような真っ白な天井と壁が視界に広がる。窓から差し込む朝日によって、鶴紗は自分が一般病棟の廊下で夜を明かしたことを思い出した。

 背もたれもない簡素な長椅子がベッド代わり。少しズレたら冷たい床に真っ逆さま。幸いにして、鶴紗の寝相は良い方だった。

 持ち込んだ覚えのない毛布が鶴紗の肩まで覆いかぶさっている。ガーデンの校医か、一柳隊の誰かの仕業か。

 ともあれ鶴紗は毛布をどかして上体を起こす。

 そこで初めて気が付いた。こちらを見ている丸い瞳に。

 

「梅様……」

「やっと起きた。何で患者の方が迎えに来てるんだって話だよなあ」

 

 言葉とは裏腹に、梅は責めるような口調でもなく「アハハ」と笑う。纏っているのは飾り気の無い患者服ではなく、百合ヶ丘の標準制服。ただし黒のジャケットは羽織っておらず、ノースリーブのブラウスとスカートだけの姿だった。

 

 鶴紗は寝ていた長椅子から立ち上がって梅に相対する。しかし彼女の目を直視できず、微妙に視線を外してしまう。何から話していいものか、舌が回らず言葉が出ない。

 そんな鶴紗のすぐ横を、梅がゆっくりと通り過ぎていく。向かう先にあるのは上へと上がる階段だ。

 

「まだ朝ご飯には早いし、ちょっと風に当たりに行こうぜ~」

 

 おどけた調子でそう言う梅に、鶴紗は一瞬だけ躊躇したものの、結局は黙って付いて行った。

 

 三階建ての一般病棟の、奥行きが広く上りやすい階段を進む。

 百合ヶ丘にはこの一般病棟の他に、特別病棟なるものが存在していた。そちらは様々な事情から他と離すべきだと判断された患者が療養する場所。こことは別の、規模こそ小さいが目立たない所に設けられている。

 そんな特別病棟ならともかく、一般病棟の場合は誰かとすれ違う可能性が高かった。今は利用者が少ないとはいえ、皆無というわけでもないからだ。

 しかし、幸いと言うべきか、二人は誰とも鉢合わせしなかった。

 目的地の屋上に到着する間、鶴紗は自分よりも幾分か大きい梅の背中を黙って見つめ続けていた。言いたいことはあったはずなのに。梅に対する罪悪感やら何やらが、先程と同じように鶴紗を躊躇させてしまう。

 

「着いた。あーーーっ、気持ち良いなー」

 

 梅がドアを開け放ち、大袈裟な声を上げる。いつの間にやら屋上に到着していた。

 言われてみれば、確かに気持ちが良い。雨は夜の間に上がっており、代わりに心地好いそよ風が吹いている。未だ薄明かりといった時間帯だが、それはこの場所の風情を損なうどころか、より一層盛り立てた。

 

 ドアを通り抜けてずんずんと先を行く梅を、鶴紗が間を空けて追い掛ける。

 そうして二人は屋上の(きわ)、フェンスの傍までやって来た。

 開放的な空間に、たった二人だけ。たとえ逃げたくなっても逃げ場はない。目の前の先輩との決着を付けねばならない。

 

「鶴紗、ごめんな」

 

 先に口を開いた梅から出たのは謝罪の言葉。

 しかし鶴紗はそれをそのまま受け取れない。

 

「どうして、梅様が謝るんだ」

 

 若干の怒気も含んだ声を絞り出す。謝罪など欲してはいなかったから。

 

「鶴紗のこと助けてやれなかったし、気の利いた言葉一つ掛けてやれなかった。梅はいつもそうなんだ。普段は調子良いこと言ってるのに、本当に肝心な時には何もできない」

「そんなことっ……!」

 

 そんなことない――――

 

 とは鶴紗も言い切れなかった。

 しかし、そんな話を聞きたいわけではない。そのために病棟の屋上まで足を運んだわけではない。

 話を転換させるため、鶴紗は自分から胸の内を明かす決意をする。さもなくば、梅とすれ違ったままだと思ったから。

 

「済んだことは、もういいんだ。ただ私はあのヒュージを倒したい。私の手で。そうしないと私は子供のまま、先に進めないんだ」

 

 父を、父の存在ごと取り込んだ特型ヒュージ。そいつが人を傷付けるのなら、リリィとして娘として討たなければならない。

 代行に促され、一晩考えて出した答えがそれだった。

 だが鶴紗の答えは一人だけでは実現できない。仲間の力が無ければ。

 そして力以上に、鶴紗の決意を後押ししてくれる者を求めていた。

 

「でも、いざあいつを目の前にすると、また動けなくなるかもしれない。それが怖い」

 

 鶴紗は淡々と語っているつもりだった。ちゃんと感情を抑えられているかは怪しいと、自分でも分かっていたが。

 

「だから梅様、もし私が動けなくなった時、傍で支えて。私の新しい家族になってよ」

 

 その時、梅は半開きになった口をきつく締め直した。それからややあって、鶴紗の瞳を正面から受け止めながら再び口を開く。

 

「家族になれるかなんて、分からない。約束なんてできない。だけど傍で支える。それは絶対に、約束するからっ」

 

 それは鶴紗が心の底から望んでいた解答とは違う。しかしながら、梅ならばそんな風に答えるだろうという予感があった。

 いつもの梅に戻ったんだと、鶴紗は安堵する。だから彼女は決心した。もう一度あの特型に、置いてきた過去に向き合ってみようと。

 鶴紗にとっては十分な後押しになったのだ。

 

「……分かった、それでいいよ梅様。あとは、皆次第だけど」

「説得、だな。よし、今日の放課後にでもやってみよう」

 

 懸念の色を浮かべる鶴紗に対し、梅が力強く頷いた。

 

「大丈夫、きっと分かってくれる」

「はい」

「ただまあ、今は食堂だな。ここの病人食は勘弁だ」

 

 梅の腹から音が鳴ったことで、鶴紗はようやくクスリと笑みを見せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今日のミーティングは訓練場に集まってください!』

 

 携帯に送られてきた梨璃からのメールに従って、鶴紗は屋内訓練場にやって来た。

 見上げるほど高い天井の、だだっ広い空間。その片隅に一柳隊のメンバー十人が揃う。

 全員の到着が確認できた時点で、レギオン隊長の梨璃が勢い良く鶴紗に向き直った。

 

「鶴紗さん、もう一度静岡に行ってみませんか?」

 

 真剣な表情で見つめながら、そう言ってくる。

 しかしあまりに唐突なものだから、鶴紗は返答に戸惑ってしまった。

 

「梨璃、話の順序を考えなさい。鶴紗さんが困っているでしょう」

「あっ、私ってば。ごめんなさい」

 

 夢結に窘められて、梨璃が仕切り直す。

 

「実は私たち、梅様が入院している間に話し合ったんです。鶴紗さんが特型を倒したいのなら、お手伝いしようって。梅様にも少し前に賛成して頂きました」

 

 思いも寄らぬ話に、鶴紗は思わず口を開いてしまう。傍から見ると間抜けな顔をしているだろうと、自覚があった。

 

「ま、鶴紗さんの考えなど大体予想がつきますから。梨璃さんの優しさに免じて協力してあげますわ」

「こんなこと言ってますけど。鶴紗さんが病棟に泊まる許可取ったり、楓さん色々動き回ってたんですよ」

「お黙り、チビッ子!」

 

 楓が「余計なことを」と言わんばかりに二水の口を押さえにかかる。

 一方、梅は素知らぬ顔で鼻歌を歌っていた。

 そんな仲間たちへ、鶴紗は素直に感謝の念を表す。

 

「ありがとう」

 

 それはほとんど真顔だった。

 下手に笑顔を作っても、ろくなことにならないと分かっていたので、無理はしなかった。

 しかしそんな素っ気ない礼でも十分に伝わったようで、梅はニコニコと破顔する。楓は急に静かになって、鶴紗にそっぽを向く。

 

「楓さん! 鶴紗さんが喜んでくれて、良かったですね!」

「いえ、だから私は梨璃さんのためにやったのであって……」

「偉いぞー、楓ぇ」

「もう! 結梨さんまで、そんな……」

 

 ツンと意地を張っていた楓だが、背伸びした結梨に頭をよしよしと撫でられて、次第に口元が緩んでいった。非常に分かりやすい。

 

「では、話が纏まったところで次の段階に移りましょう。あの特型への対抗手段です」

「そうじゃな。せっかく作ったこれ、存分に役立ててくれ」

 

 和やかな空気の中、神琳とミリアムが話を進め始める。

 ミリアムの両腕にはチャームケースが抱えられていた。鶴紗のものだ。静岡から帰還後、整備ついでに改造すると言ってミリアムが持っていったのである。

 帰還直後の鶴紗はとてもそれどころではなかったので、恥ずかしながら失念しかけていたのだ。百由から提案されたティルフィング改造案の件を。

 

「私のティルフィング……ミリアムがやってくれたのか」

「いや、わしは百由様の手伝い程度じゃ。時間を掛ければわし一人でも、できないことはないかもしれんが。しかしそれでは時期を逸してしまうじゃろう」

「そっか」

「ともあれ、早速試してみるのじゃ。そのために訓練場(ここ)を集合場所にしたのじゃから」

 

 一見すると落ち着いた様子のミリアム。だが彼女の頭から伸びるツインテールの先っぽはピョコピョコと揺れている。自分と百由の作品を早く見て貰いたいのだろう。こちらはこちらで分かりやすかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広々とした訓練場の一角で、鶴紗は茶色のチャームケースを地面の上に下ろす。持ち主の身長に迫るサイズの直方体。それが鶴紗のマギ操作によって、まるで蕾が花開くように展開する。そうして中から一振りの大剣が姿を現した。

 斬るというより叩き潰すという表現がいかにも似合いそうな、武骨で巨大な片刃の剣。鶴紗愛用の第三世代チャーム、ティルフィングだ。

 見慣れたはずの機体だが、改造されただけあって細部には違いがある。刃の反対側、即ち峰の側に小さな半球状のパーツが追加されていた。それは切っ先部分と鍔の部分、二か所に取り付けられている。

 

「これが百由様の言ってたロケットモーターか」

「うむ。加えて言うなら、グリップパーツは重心を調整するために、より重く剛性の高いものに交換しておる。それと、モーターの細かな操作が必要なので、当然コアのOSも書き換え済みじゃ」

 

 傍らに立つミリアムの解説を受けながら、鶴紗はブレイドモードのティルフィングをいつものように握ってみる。

 鶴紗の両手両腕にズッシリと重量感が加わってきた。確かに以前よりも重量が増大しているようだ。

 

「モーターは変形後のバスターランチャーモードにも対応しておるぞ」

「……本当だ。でもまあ、流石にロケット噴射中の命中弾は期待できないか」

「そこは移動用や牽制用と割り切ってくれ」

 

 何度か変形機構を試し、しかる後にブレイドモードへと戻す。改造のそもそもの狙いは、飛行型ヒュージを相手取った近接戦闘にあるからだ。

 

「このティルフィングAT(アサルトタイプ)の真価は高速格闘戦にあるのじゃ。スペック上はファルケの戦闘速度にも追随し得る」

「スペック上、ね……」

「ピーキーな仕上がりになったからのう。それ故にこうして慣熟訓練をしようと言っておるのじゃ」

 

 それもそうかと納得し、鶴紗はグリップを握る両手に更なる力を込める。そうして辺りを見回し、他の一柳隊のメンバーが鶴紗のずっと後方で見守っていることを確認した。

 すると傍に立っていたミリアムもまた、後ろに幾らか下がっていく。

 そこで鶴紗がようやくティルフィングにマギを込め始めた。両の掌からグリップ、グリップから刀身、そして刀身からロケットモーターへ。一瞬にしてマギが満ちる。

 鶴紗は更にマギの操作によってモーターの点火を試みた。天井に向けて真っすぐに立てられた刀身の背に、青白い光が灯る。

 次の瞬間、鶴紗の小さな体に圧力が掛かる。ティルフィングが半球状のロケットモーターから炎を吐き出し、持ち主ごと猛進し始めたのだ。地に足を付けたままで。

 

「くうっ、これはっ!」

 

 歯を食い縛り、振り落とされないようグリップをますます強く握り込む。モーターの向きを操作して軌道を調整し、大きく旋回するように訓練場の中を翔ける。幾ら広大な空間とはいえ、放っておいたら壁に激突してしまうだろう。

 そうして何周かしたところで鶴紗は減速を掛ける。足元から巻き起こる埃が煙の如く舞い上がり、足裏が地面と激しく摩擦し下半身を更なる圧力が襲う。百合ヶ丘製の靴でなければボロ雑巾と化していたに違いない。

 やがて元の位置に帰還した鶴紗はチャームの切っ先を下げ、ミリアムの方へ向き直る。

 

「加減してこれって、本当にピーキーだな」

「出力と軌道を変えれば短時間だが空戦も可能じゃぞ。まあ、そのぐらいできんとあの特型に食らいつけんのじゃが」

「だったら、早く慣れないと」

「そうしてくれ。そのティルフィングATは単なる推進ユニットではない。使いこなせれば高度な三次元戦闘を実現できる、全く別種のチャームじゃわい。わしも百由様がここまでやるとは思わなんだ」

 

 そう言われると、鶴紗も身が引き締まる。

 あくまでも百由は百由自身のために、この作品の性能を追及したのかもしれない。アーセナルとは大なり小なり、そういうものなのだろう。

 しかし、百由が鶴紗の相談に乗ってチャームを改造してくれたのは紛れもない事実。その点は本当に感謝の念しかなかった。

 

「鶴紗さん」

 

 ミリアムと話し込む鶴紗の所に、チャームを抱えた夢結と結梨が歩いてきた。

 

「操作に慣れてきたら、戦闘訓練には私と結梨が付き合うわ」

「おー、任せろ鶴紗」

「高速戦闘の訓練は、本来なら縮地を使う梅が適任なのだけど」

 

 そこで、夢結の後ろの方から当人が声を上げる。

 

「梅はまだ病み上がりだからなー。訓練は見学だゾ」

「貴方、いつも見学しているようなものでしょう」

「いつものは見学じゃなくてサボり」

「自分で言うのね……」

 

 先輩二人のそんなやり取りから視線をずらす。

 別の場所では、楓と神琳が真剣な顔を突き合わせていた。時折身振り手振りを交え、何やら議論しているようだ。漏れ聞こえてくる言葉によると、どうやって生徒会に再びの外征を認めさせるか論じ合っているらしい。

 

 確かに、代行の言う通りであった。「仲間を頼れ」というのは正しい選択だった。

 もっとも、ここに辿り着くまでが一苦労。回り道もしたし、壁にぶつかったりもした。

 しかしいずれにせよ、仲間たちに報いるために今の鶴紗にできるのは、特型を打倒し得る牙を磨くことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真鶴・湯河原境界線。

 人類とヒュージの勢力圏を分かつこの地は普段は小康を保っている。だが、今日この時ばかりは激しい戦闘が繰り広げられていた。

 飛び交う砲声に、甲高い剣戟の音が丘陵地帯に響く。戦場のあちこちに散乱するのは大小様々な灰色の金属片だった。特筆すべきは、ヒュージの残骸が膨大な割に、力尽きた人やチャームの姿が見られない点だろうか。

 

 今、一体のヒュージが小高い丘の斜面を下ろうとしていた。全高が十メートル、卵形の胴体を持つそれはまるで何かに追い立てられるかのように、三本の脚を盛んに動かし丘の麓を目指す。

 ところが、道半ばで不意にヒュージの行き足が止まる。進路を変えようというのか、左方向へ旋回を図ろうとするが、その巨体は急には曲がれない。

 一瞬の隙を突き、ヒュージの胴体中心に向けて光の奔流が伸びる。それは卵形の体を守るビームコートを押し潰し、灰色の装甲を貫いて、この巨大な生命体の息の根を止めてしまう。

 少しの間、惰性で進み続けた後、ヒュージの残骸は丘の中腹辺りで爆散するのだった。

 

「ラージ級の沈黙を確認。周囲に敵影なし」

 

 丘から遠く離れた廃ビルの最上階、ひび割れた窓ガラスの隙間からチャームの銃身が突き出ている。先程の攻撃はそこから放たれたものだった。

 通信の後、銃身はすぐに部屋の中へ引っ込んだ。そこにはセミロングの黒髪を二つ結びに下げたリリィが片膝立ちになり、腕の中にアステリオンを抱えていた。

 

「了解、ご苦労様。(あかね)はこのまま周辺警戒を続けてちょうだい。(いち)月詩(つくし)と樟美は念のため戦場の確認。残りはチャームの状態を確かめておいて」

 

 廃ビルからの通信に答えたのは、地上に陣取るリリィの一団、その中心。薄紫のロングヘアを靡かせ、左手にアステリオンを、右手に手斧を模したチャームを持つ二刀流のリリィである。彼女はこのレギオンの司令塔だった。

 

「はぁ~っ、とんだ肩透かしですわ」

「何よ、亜羅椰(あらや)。不満でもあるわけ?」

 

 桃色髪をした長身のリリィが大袈裟な溜め息を吐きつつ肩をすくませた。

 すると司令塔のリリィはその態度を嗜めるかのように、亜羅椰と呼ばれた桃色髪をジト目で見やる。

 華麗な容姿とは裏腹に、司令塔は雄々しい戦士としての一面も持っていた。それは彼女が二振りのチャームで戦う点からも明らかだろう。

 

「だって依奈(えな)様、ギガント級が現れたって話だから、わざわざ私たちが出張ってきたんですのよ? それが蓋を開けてみればミドル級やラージ級ばかり。外征に来た甲斐がありませんわ」

 

 アックスモードのアステリオンを肩に担いだ亜羅椰が不敵に笑む。整った容貌とモデル顔負けのスタイルを備えた彼女の仕草はとても絵になっていた。

 

「まあ甲斐があるかどうかは置いといて。ギガント級の行方は気になるね」

 

 依奈の後ろから近付いてきた金髪のリリィ、天葉が話に加わってくる。

 

弥宙(みそら)、どこに行ったか調べられる?」

「ちょっと待ってください…………あった、ギガント級の目撃情報。南下して伊豆半島へ移動中のようですね」

 

 天葉が後ろの方に振り返り、工廠科の制服を纏った小柄なリリィに尋ねる。

 そうすると彼女、弥宙は腕の中に抱えたタブレット端末を操作しながら答えた。

 

「伊豆半島って、もしかして熱海?」

「いや、違います依奈様。海上を通って熱海より南に向かっています。スモール級やミドル級の群れを引き連れて」

「そう、なら良いけど……。でも妙な動きね」

「はい。まるで戦闘を避けて戦力を温存しているような」

 

 依奈と弥宙が首を傾げて疑問点を話し合う。

 ギガント級が襲来すれば、陥落指定地域でありながら人の街が残る熱海市は甚大な被害を被るだろう。しかし今回、そんな事態は避けられた。結果だけ見れば喜ぶべきなのだが、あまりに不可解。手放しで安堵してはいられない。

 

「熱海より南って言ったら、この前一柳隊が外征に向かったのもその辺りだね」

 

 天葉のその言葉に一同沈黙する。無表情になったり、困り顔で眉を下げたり、反応は様々だ。

 一柳隊が先の外征に失敗した事実は、噂レベルではあるが、彼女たちにも知られていた。そして彼女たちと一柳隊はレギオン同盟こそ結んでいないものの、そこそこの交流がある。何かしら思うところがあるのだろう。

 

「私たちに尻拭いが回ってくる可能性があるでしょうか?」

「さあ、どうだろう。ガーデンとしては、主攻は湯河原方面だからねえ」

 

 弥宙の問いに、判断がつきかねる様子の天葉。彼女は強豪レギオンの主将だが、生徒会には属していないため、確たることは言えなかったのだ。

 

「あら~残念。私、お尻を拭くのは得意ですのに」

「あんたの場合、拭くだけじゃ済まないでしょうが」

 

 亜羅椰の後ろから、緑髪ロングで目つきの鋭いリリィが突っ込みを入れる。戦場の確認……すなわち残敵の有無を確かめ、まだ息のあるヒュージに止めを刺す。その仕事を終えて戻ってきたのだ。

 

「依奈様、残敵の掃討完了しました」

「はーい。ご苦労様ね、壱」

 

 そんなやり取りの横では、いつの間にか傍に来ていた樟美が天葉の左腕に抱き付いていた。

 その一方、茶髪に立派なアホ毛の持ち主、月詩はそわそわとした様子できょろきょろと辺りを見回している。シュッツエンゲルのお姉様が合流してくるのを待っているのだ。

 やがて九人全員が揃ったところで、司令塔の依奈から指揮権を返上された天葉が口を開く。

 

「それじゃあアールヴヘイム、ガンシップとのランデブーポイントに帰投します」

 

 その宣言により、九人は戦場跡を去っていく。

 ほぐれない()()()がまだ残ってはいるが、百合ヶ丘のトップレギオンはひとまずガーデンへと帰還するのであった。

 

 

 



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第25話 根を回し道を拓く

 一柳隊のレギオン控室に沈黙が訪れる。別に何かしらの事情があってそうなったわけではなく、たまたま全員の言葉が途切れて、一時的に会話の空白が生まれただけだった。

 ところが、短いとはいえその空白がいけなかった。ソファの中央で上品にティーカップを傾ける楓から、場違いな異音が響いたからだ。否が応でも目立ってしまう。

 

「……んぐっ! ゴホッ、ゴホッ!」

 

 控室の誰もが楓に注目する。

 どうやら紅茶でむせたらしい。彼女らしくない失態である。

 

「楓よ、今お主が気を揉んでも仕方なかろう」

「別に気を揉んでなどいませんわ。わたくしは常に優雅ですから」

 

 ミリアムの諭すような言葉に対し、楓が何食わぬ顔を見せる。

 

「さっきから目が泳いでたぞ」

「あ~ら、こちらをよく見てますのね? ですが鶴紗さん、わたくしに懸想しても貴方が辛いだけだけですわ」

「アホか」

 

 やはり動じない楓に、鶴紗は目を細めて憮然とした面持ちになった。どうにも変なところで頑固な奴だ、と。

 

「楓、そわそわしてる」

「……はぁーっ。まさか雨嘉さんにまでそう言われるなんて。ええ、ええ、そうですとも。そわそわしていますわ。これが落ち着いていられますか」

 

 開き直った楓が立て板に水の如く喋り始めた。

 何の話をしているか、察することができない者はこの場には居ない。彼女らの隊長、一柳梨璃のことである。

 

「生徒会の、それもブリュンヒルデからの呼び出しとなると、まず間違いなく特型の件でしょう。そんな大事な時に梨璃さんをお一人で送り出すなんて、夢結様は一体何をお考えなのか!」

 

 眉を吊り上げ、口をへの字に曲げ、怒りを露わにする楓。そのまま地団駄でも踏みそうな勢いだ。

 

「夢結様は『用事がある』と仰っていました。こんな時だからこそ、何かしら重要なことなのでしょう。楓さんもよく分かっているのでは?」

「それは、そうですけどっ。ですがそれでも、夢結様は梨璃さんとご一緒に臨むべきでしたわ」

 

 神琳の話を理解しつつも、楓は納得できない様子であった。

 楓の行き過ぎた態度はともかくとして、梨璃一人では心配だというのは無理もない。そこは鶴紗も同感である。

 梨璃もレギオンの隊長として皆をよく纏めているが、流石に生徒会長を相手取って軍事や学内政治の話についていくのは荷が重いだろう。下手な受け答えをして立場を悪くする可能性も無くは無い。

 もっとも、生徒会長が梨璃に対して意地の悪いことをするとも考え難いのだが。

 

「梨璃だってリリィとしても隊長としても成長しているし、そう悪いことにはならないと思うゾ」

「梅様、しかし……」

 

 なおも不満げな楓だが、そこへ結梨がやって来る。ついさっきまでテーブル上のおやつ――本日の目玉はカステラだ――を頬張っていた彼女が口の中にあるものをゴクンと飲み込んで、楓のすぐ隣に座った。

 

「梨璃と夢結の心配して、偉いぞ~楓ぇ」

「もうっ、結梨さんはまた……! わたくしの方がお姉様ですのよ! 楓お姉様と呼びなさい!」

「あっ、それまだ続いてたんですね」

 

 似ていない姉妹のやり取りに、二水の冷静な突っ込みが冴え渡る。

 以降、一柳隊の中でわちゃわちゃと不規則に雑談が飛び交うのだった。

 

 そうこうしている内に、部屋の出入り口の扉が外側から開かれた。横毛付きの桃色髪の持ち主、一柳梨璃が帰還したのだ。噂をすれば影である。

 

「梨璃さん! ご無事でしたか!?」

「うん。と言うか、お話ししただけだから何ともないよ」

 

 真っ先に出入り口前へ詰め寄る楓と、そんな彼女に笑って見せる梨璃。

 ところが、笑顔だった梨璃がすぐに困惑したような表情に変わる。食い気味の楓を中心に皆が事情を問うと、梨璃は生徒会室での話を語り始めた。

 

「私たち一柳隊で、もう一度静岡へ外征できることになりました! ……ただ、そのための条件と提案を史房様から言い渡されて」

「条件と、提案?」

 

 皆が不思議そうに、梨璃の口から出てきた言葉を復唱する。

 鶴紗は閉じていた口の中の歯を強く噛み締めた。一体どんな条件を突き付けられたのかと身構えて。

 

「まず条件っていうのは、どこか別のレギオンの方たちと共同作戦を取ることです。最低でも一つのレギオンと。相手は問わないそうですが、勿論外征許可が下りるようなところでないと」

 

 条件とやらは至極真っ当で妥当なものだった。少なくとも鶴紗が身構えるようなものではない。

 外征に付き合ってくれる協力者を探す必要はあるが、それとてこの百合ヶ丘ならば全く見つからないことはないだろう。血の気の多いレギオンにも物好きなレギオンにも事欠かないからだ。

 

「それで、もう一つ。史房様から提案がありまして。作戦の内容についてなんですが……」

 

 提案された作戦を、梨璃がたどたどしく説明する。そして更にその内容を、神琳が掻い摘んで解説する。

 

「――――つまり、飛行能力を制限できる工場跡地の地下へ特型を追い込んだ上で、地上との出入り口を全て封鎖し、然る後に決戦を仕掛けると」

「はい。前回私たちが見つけられなかった海中への出入り口は、特務レギオンの人たちが爆破して塞いだそうです」

「それで、肝心の特型をおびき出すために、鶴紗さんを餌にすると」

「はっ、はい、そうです……」

 

 神琳のストレートな物言いに、梨璃が戸惑いながらも頷いた。

 最初、梨璃の説明がたどたどしかったわけだ。これは確かに話し辛いだろう。

 けれどもレギオンとして、リリィとして、一柳隊は提案された作戦を検討しなければならなかった。是か非かは別にして。

 

「地下空間なら飛行型ヒュージの機動力は上手く発揮でません。今までみたいに高空に逃げられることもないでしょう。ですが、相手の罠の中に自ら飛び込むことになっちゃいます。伏兵も更に追加しているはずです」

 

 敵の拠点に攻め入ることのリスクを二水が危惧する。古来より、攻城戦は防衛よりもずっと難しいとされてきた。火力支援の効力が薄い巨大地下施設なら尚更だ。

 

「ただ、この作戦案は一柳隊に対する助力でもあるのでしょう。既にわたくしたちは何度も特型を取り逃がしています。このままでは次の軍令部作戦会議で再度外征を任される可能性は低いはず。これを覆すには、具体的かつ勝算のある作戦プランを提示しなければ」

 

 当初から一転、真面目な顔つきになった楓が史房の意図を推察した。それはもっともらしい理屈であり、反論する者は出なかった。

 基本的に、百合ヶ丘のような強豪レギオンは余程大規模な戦闘でない限り、ガーデンに設置された司令部が細かな作戦を立てたりしない。その代わり、作戦に従事するレギオンに広範な裁量が与えられていた。個々のリリィの教育水準や戦術理解が高い証拠である。

 故に今回、ブリュンヒルデから作戦が提案されたのは異例であった。それだけ重要な作戦と見なされているのだろう。

 

「私は賛成」

 

 唐突に、賛意を示す短い言葉が上がった。他の誰でもない、当人の鶴紗から出た言葉である。

 

「前から薄々感じていたんだ。あの特型は私を狙っているんじゃないかって。だったら丁度良いだろう」

「それはまあ……。向こうもこっちを狙ってくるなら、誘いに乗ってくれる可能性は高まります。でもっ! 鶴紗さんが余計に危なくなりますよ!」

「あれを放っておく方が、私にとってもよっぽど危険だ。確実に誘い出して、確実に仕留めないと」

 

 二水の反対を、餌である鶴紗自身が抑えた。

 戦術家である二水ならば、餌の投入が作戦成功率を高めることぐらい百も承知のはずだ。しかしだからと言って、そのまま受け入れるのは彼女の性格上考え難い。

 

「何も鶴紗一人で行かせるわけじゃない。出入り口の封鎖組以外は地下へ突入するんだから、一緒に戦えばいいんだゾ」

「はあ……。ただそうするにしても、万全を期すために地上の戦力は多めに残すべきです。前回みたいに、地上と地下の両方から挟撃されたら特型どころではありませんから」

 

 梅に説得された二水は渋々といった感じで妥協案を出す。あくまでも堅実に攻めたいらしい。

 趣味である取材活動では危険な橋も平然と渡る。そんな二川二水だが、戦場での作戦立案においては話が変わってくるのだ。

 

「いずれにせよ、まずは協力して頂くレギオンを選定しなければいけませんね。幸いなことに、梨璃さんや先輩方の人望のお陰で幾つか候補は挙げられますが」

 

 神琳の言う通り、目下の課題は協力者を得て史房からの条件をクリアすることだった。たとえ関係が良好なレギオンでも、スケジュール等々の理由で都合のつかない事態があり得る。出来るだけ早く話を持っていくべきだろう。

 

「それにしても! 本当に夢結様はどこへ行かれたのか……!」

 

 既に何度目かになる楓の悪態に、答えられる者は居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は幾ばくか遡り、一柳隊の控室で会議が始まる少し前。

 レギオンの仲間たちと別行動を取る夢結が、一人廊下を歩いていた。別行動と言っても、距離的にはそれほど離れてはいない。彼女が今目指しているのは、とあるレギオンの控室だった。

 その道すがら、夢結は廊下の前方から歩いて来る二人のリリィに気付く。二人、特に黒髪を二つ結びに下げた方とはよく知る仲だった。

 

「ごきげんよう、夢結さん」

「ごきげんよーぅ!」

 

 夢結を前にして声を掛けてくる。黒髪二つ結びの二年生が穏やかに。茶髪ロングの一年生が元気一杯に。

 

「ごきげんよう、茜、月詩さん。これからお出掛けかしら?」

「ええ、お茶請けやその他諸々の買い出しに」

「あかねえとお買い物デートです!」

 

 夢結の問いに答える渡邉茜(わたなべあかね)。その茜の左腕に抱き付いている高須賀月詩(たかすがつくし)が声を大にし、顔を綻ばせて主張する。

 幾ら百合ヶ丘の購買部が巨大で良質とは言え、デートというのはどうなんだ。そう首を傾げる夢結だが、月詩の嬉しそうな様子を見ている内に、些細な問題に思えてきた。

 

 しかし、一つ困ったことがある。夢結が今から訪問先で話し合おうとしていることは、そのレギオンにおいて副将を務める茜の同席が望ましいのだ。

 夢結は事情を明かして引き留めようとも考えた。が、すぐに思い直した。シュッツエンゲルの茜と腕を絡ませて幸せに浸る月詩の姿に、自身のシルトである梨璃を重ねたから。

 

(そう言えば、あの子もちょっとしたことで大喜びしてたわね……)

 

 梨璃の誕生日での出来事、訓練の合間に挟んだ休息中の出来事、すっかり日の沈んだカフェテリアでの出来事。色々と思いを馳せている内に、夢結の頬は自然と緩んでいた。

 

「夢結さん、もしかして私たちの控室にご用事なの?」

「そうね。少し長居させて貰うかもしれないわ」

「そう」

「では、また。ごきげんよう」

 

 結局、夢結は二人とすれ違い、目的地へと歩みを再開するのだった。

 

「まあ、元々時間を掛けるつもりだったから」

 

 一人になってそう呟いて。

 お目当ての部屋の前まで辿り着いた夢結はドアノブに手を掛けた。

 

 LGアールヴヘイム。

 

 それが夢結の言う()()を持ち掛ける先である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 豪奢で優雅な調度品が適度に並び、同時に年頃の学生らしく適度に散らかった空間がある。そこには五人の学生改め、五人のリリィが思い思いに過ごしていた。ミーティングの予定も無いので、残りの者は不在である。

 

 リリィの内の一人、彼女たちのリーダーである天野天葉は一人掛けの椅子に腰掛けて、雑誌のページをパラパラと捲っていた。特に興味を惹かれる記事は無く、流し見程度に眺めるだけだが。

 

「……?」

 

 その最中、ふと違和感を覚えた天葉は読書を中断する。どこかから視線を感じて周囲を見回していると、最愛のシルトと目が合った。

 そこまでなら特段おかしなことではない。何か用事があるか、なくてもお喋りか何かしたいのだろう。

 ところがシルト――江川樟美は天葉と目が合っても次のアクションを起こそうとしなかった。ただ視線が交錯したままで、ジッとお姉様を見つめているだけ。ウンともスンとも言ってこない。

 

「樟美ー?」

 

 呼び掛けてもやはり返事がない。

 樟美が座っているのは、天葉の位置から離れた三人掛けソファの端っこ。天葉は仕方なく椅子から立ち上がってそちらに向かう。

 傍らにやって来た天葉に対し、樟美はまたジッと無言で見つめ続ける。しかし今度は彼女の小さな口が僅かに動いていた。内容はやはり聞き取れないが。

 

「もーっ、樟美ー。なにー?」

 

 仕方がないので、身を屈めて顔を近付ける天葉。

 その彼女の頬に、横から柔らかな感触が襲い掛かってきた。ふにっと弾んだのは、樟美の唇だった。

 天葉はまんまと引っ掛かったのである。

 

「あぁっ! もうっ! やったなー!」

「きゃっ」

 

 してやられた天葉はソファの上の樟美を抱き抱えると、腕の中にすっぽりと収まったシルトにキスをお見舞いする。小さな口から小さな悲鳴が漏れてもお構いなし。お返しとばかりに唇の先を何度も触れ合わせていく。

 そうして幾度目かのキスの後、二人は抱き合い見つめ合ったまま、小さく笑い合うのだった。

 部屋に他の三人が同席している状態で。

 

「私たちは一体何を見せられているの……」

 

 ローテーブルを挟んだ向かい側のソファで、げんなりとした番匠谷依奈(ばんしょうやえな)が愚痴を零す。ここアールヴヘイムでは珍しい光景ではないが、だからと言って慣れるかどうかはまた別の問題だった。

 

「あら~、お熱いですこと。壱っちゃん、私たちも~」

「寄り掛かってくるんじゃないわよ!」

 

 依奈と同じソファに座る緑髪のリリィ――田中壱(たなかいち)が肩を震わせ、しな垂れ掛かってくる桃色髪のリリィ――遠藤亜羅椰(えんどうあらや)を振りほどいた。これもまた、ここではありがちな光景である。

 

「ちょっと依奈様! 依奈様も何か言ってやってください!」

「えー? 私ー?」

 

 依奈は壱からの要求を覇気の無い態度で適当に流す。後輩たちの漫才染みたやり取りは、高みの見物を決め込むに限るからだ。

 その代わりと言っては何だが、依奈は今しがたノックされた扉の方へと歩いていく。どうやら来客らしい。

 開かれた扉の向こうに、依奈や天葉のよく知る黒髪が佇んでいた。

 

「あら? 夢結じゃないの。うちの控室まで来るなんて、どうしたの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――それで梨璃ったら、また言い付けを忘れて前に出て来るんだから」

 

 アールヴヘイム控室のソファ中央に、お客様である夢結が腰掛けていた。その位置はテーブル越しの天葉の真正面であり、同じくテーブル越しの斜め前には依奈が居る。そんな状況だった。

 

「でも、後輩なんてちょっと生意気で跳ねっ返りな方が可愛いものよ」

「別に梨璃は生意気ではないけれど。まあ、言いたいことは何となく分かるわ」

 

 依奈の言葉に少々考え込んだ後、夢結が相槌を打つ。

 かつて同じレギオンで轡を並べただけあって、気安い間柄である。

 

「そうそう後輩と言えば、聞いてよ夢結。依奈ってば、そろそろシルトを持ったらどうだって言っても、いつもはぐらかすんだから」

「ソラ、その話はいいでしょ」

「いーや、よくないね。この際だから他のシュッツエンゲルの意見も聞いてみなさい」

 

 天葉のお節介に、またしても依奈がげんなりとする。本当にお節介なだけならともかくとして、大抵の場合、惚気が付いてくるからだろう。

 

「依奈、シルトというのは良いものよ。確かに私も最初の頃は、足手纏いや重荷でしかないと思っていたのだけど。こちらに一生懸命付いて来ようとする姿を見ている内に、考えが変わってきたわ」

 

 夢結が紅茶のカップを傾けつつ、しみじみと語る。諭すようでいて、その実は惚気であった。

 自分たちの控室では言わないような台詞も、旧友たちの前では躊躇いなく吐ける。

 

「シュッツエンゲルを結んで良かったって思うのは戦闘の時だけじゃないよ。例えば、樟美が夜食のハンバーグを作ってくれる時。勿論出来上がった物も最高なんだけど、それ以上に過程が重要なんだ。あたしのために、キッチンに立ってせっせとお料理してくれる樟美の姿がね!」

 

 更に便乗する天葉。もはや取り繕うこともしない、あからさまなマウントである。

 

「分かるわ、天葉。梨璃も私のために、隠れてお菓子作りの練習をしていたことがあって」

「樟美は元から料理上手だけど、よくアレンジメニューを試行錯誤しているんだ」

 

 控室を訪れた当初は、夢結による一柳隊の近況報告で盛り上がっていたはず。それがだんだんと脱線していき、依奈への説教を経て、いつの間にかシルト談義へと変容していた。百合ヶ丘ではよくあることだ。

 

「梨璃をシルトにして本当に良かったわ」

「やっぱり樟美は世界一のシルトよね」

 

 その時、共鳴していた二人の間に綻びが生じた。

 

「は?」

「へ?」

 

 綻びはすぐに不協和音と化す。

 

「待ってちょうだい。確かに樟美さんは素敵な子よ。それは万人が認めるところだわ。でも世界一というのは物理的に無理よ」

「何がどう無理なのかな?」

「梨璃という存在がいるからよ。貴方たちには悪いけど」

「いやいやいや、夢結が自信満々なのも分かるけどさ。流石に樟美より上っていうのはないわねぇ」

 

 普段なら出てこないような言葉も、旧友で同輩で似た者同士ならばすらすらと出てくる。

 そして似た者同士だからこそ、すれ違った時の反発も大きくなるのだった。

 

「樟美は可愛らしくて気立てが良くていじらしい、非の打ち所の無い女の子なの」

「梨璃はおっちょこちょいで、たまに前のめりになってしまうところが可愛いのよ」

「樟美だって人見知りで甘えん坊なところが可愛いわ」

「貴方さっきは『非の打ち所の無い』って言ってたじゃない!」

「非じゃありませんからー! 美点ですからー!」

 

 大人げない争いから、依奈は目を逸らす。

 天葉のすぐ隣、マウント合戦の引き合いに出されている樟美は赤くなって俯いてしまった。

 一方の亜羅椰は離れた所で傍観を決め込み、にやけた顔で事の推移を眺めている。

 そして壱はというと、いつも以上にムスッとした様子で依奈の方を見つめていた。

 

「誰か何とかしてよね……」

 

 途方に暮れた依奈が投げやりに呟いた。

 その願いが届いたのか、レギオン控室の扉が再び開かれる。夢結、天葉、依奈と同じく初代アールヴヘイムのメンバーにして、二代目アールヴヘイム副将の茜たちが帰ってきたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アールヴヘイムの主将と副将、そして司令塔が揃ったところで、夢結がようやく本題を明かす。今までのお喋りはその前座であった。

 

「生徒会やレギオン会議を説得する材料集めで、一緒に外征してくれるレギオンを探していたのね」

 

 一通り事情を聞いた天葉が顎に手を当て考え込む仕草を取る。

 しかし天葉が何か言う前に、司令塔の依奈が口を開く。

 

「勝算はどれぐらいあるのかしら?」

「地下への突入が失敗した場合、二つのレギオンによる包囲戦・長期戦を考えているわ。もしそうなった場合、ガーデンがガンシップで追加の補給を認めてくれるか、五分五分といったところね。長期戦が可能ならば、勝算は十分あると思うわ」

「ふぅん……」

 

 夢結から説明を聞く依奈の瞳は普段よりも細く鋭い。防衛戦ならまだしも、敵地への外征はトップレギオンといえども慎重にならざるを得ないからだ。

 夢結としては、アールヴヘイムへの協力要請は逆転への布石であった。

 前回失敗した以上、一柳隊単独での静岡外征が再び許可される可能性は低い。ならば協力者を作るべきだが、レギオン同盟を結ぶLGエイルは地域第一主義のため、陥落指定地域への外征には反対すると思われた。

 

(アールヴヘイムとの共同作戦なら戦力的には問題ないはず。生徒会や軍令部作戦会議が、学院最高戦力の外征を簡単には認めないだろうけど。せめて彼女たちの賛意を得ておかないと)

 

 夢結の目的とは、要するに会議の前の根回しであった。若干先走った感はあるが、こういうことは遅くなるよりは早い方が良い。そう思っての行動だった。

 

「そこまで考えているのなら、私は賛成よ。ただし、ガーデンからの補給が確約されたらね」

「私も異論ありません。賛成するわ」

 

 まず依奈が、次いで茜が旗色を示す。

 

「それじゃあレギオンとしての意見は、後ほど全員で話し合ってから出すってことで。まあ期待してもいいと思うよ?」

「ええ、それでお願いするわ」

 

 天葉が最後にそう纏めると、夢結は一応の目的は果たしたと納得する。本日の狙いは確約ではなく、あくまで根回し。あらかじめ話を通しておくこと。故にこれが及第点だった。

 そもそも夢結とて一柳隊の中で話を纏めずにやって来たので、今の段階で確約を貰ってもそれはそれで困るのだが。

 

「夢結の用件は済んだよね? それじゃあ茜も戻ってきたことだし、白黒はっきりつけようか」

「ええ、望むところだわ」

「天葉さん、夢結さん、何の話?」

 

 一流のリリィは切り替えも一流なのか。纏う空気を瞬時に変えて、さっきの件を蒸し返す。

 

「もう止めなさい」

 

 結局、ドスを利かせた依奈が強引に止めに入って、ようやくシュッツエンゲル論争は収束に向かうのだった。

 もっとも、当人たちはまだ語り足りない様子である。また別の機会に続きが持ち越されることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 控室での会談から少しして、LGアールヴヘイムは正式に一柳隊への協力を約束した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから更に時を置いて、百合ヶ丘女学院軍令部作戦会議は一柳隊再度の静岡外征を認めることになる。

 

 

 



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第26話 復仇

 百合ヶ丘女学院は三方を山に、残りを海に囲まれた天然の要害だ。南方には旧市街地が存在するが、今では全ての住民が避難済み。学院は元々ヒュージ迎撃の最前線として整備されたため、避難区域を含む広大な土地を有している。

 

 そんな百合ヶ丘の敷地の一角。脇に管制塔や耐爆格納庫を備えた開けた空間から、大型の航空機が今まさに飛び立とうとしていた。

 耐熱処理の施されたコンクリート舗装を蹴って、まず一機、間を置いてもう一機。二機の大型機、ガンシップが鎌倉の空に舞い上がる。助走はほとんど必要ない。技術の発達が、垂直離着陸機の性能を引き上げていたからだ。

 

 ガンシップ二番機の翼下に吊るされた居住ポッドにて、鶴紗は雨嘉の持つアステリオンの変化に気が付く。

 

「それが工廠科で改造して貰ったっていうやつ?」

「うん。百由様が大急ぎで仕上げてくれたんだ」

「百由様、私のティルフィングだけでも大変だったはずなのに」

 

 青と黒を基調とした雨嘉のアステリオン。現在シューティングモードを取っているのだが、銃本体の左右に箱型マガジンらしきパーツが追加されていた。

 

「マギ・チャージ・バレット。成形炸薬弾の効果をマギを使って再現したものだって。これなら特型は無理でも、シュテルン型には通用するかも」

「だけど、成形炸薬なんて在り来たりな技術を、今更?」

「成形炸薬弾は原理上口径が大きくなりがちだから、アステリオンのサイズに合わせるのは大変なんだよ」

「あ、そっか」

 

 前回、工場跡地上空で襲撃してきたシュテルン型の編隊に、雨嘉たちは大層手を焼いたらしい。

 高機動と重装甲を併せ持った敵への対抗手段として、雨嘉が百由に依頼したのがこの新型弾というわけだ。

 

「百由様には無茶言っちゃった……。結構強引に頼んだし」

「雨嘉が強引って、ちょっと想像できないな」

 

 過去を思い返しているのか、雨嘉は俯きがちになる。

 

「私、口下手だから、鶴紗に何も言ってあげられなくて。その上、戦闘でも大して役に立てなかったのが悔しいんだ」

「役に立ってないって、そんなこと……」

「だからせめて狙撃や支援射撃ぐらい、自分の得意なことぐらい、ちゃんと全うしたい」

 

 俯きながらも、細い声ではっきりと言い切った。雨嘉が自分の意志を明確に示すことは、そう多くない。

 鶴紗は嬉しいやら気恥ずかしいやら。

 

「ありがと、雨嘉」

 

 ぶっきら棒に礼を言う。

 そんな二人の姿はよく似ていて――――

 

「似た者同士、ですね」

「居たのか、神琳」

「それは同じポッドに乗り込んだのだから、居ますとも」

 

 鶴紗と雨嘉の間に神琳が割って入ってくる。

 いつものにこやかな、鶴紗に言わせれば『油断ならない笑顔』。しかし雨嘉はそこに差異を見つけたようで。

 

「神琳、仲間外れになったみたいに感じたんだね。ちょっと可愛いかも」

「そうだったのか神琳。でも別に可愛くはないな」

「鶴紗さん、わたくしへの当たりが強過ぎません?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 熱海市と目標の工場跡地との中間地点。相模灘の海岸線から程近い平野に二機のガンシップが停まっている。

 

「では改めて、本作戦の概要を確認しますわ」

 

 縦に並んで着陸したガンシップの中間点で、2レギオン合同のブリーフィングが開かれた。音頭を取るのは一柳隊の楓・J・ヌーベルである。

 

「現在、目標建造物周辺には多数のスモール級・ミドル級ヒュージが認められています。これは本作戦のターゲットである特型ファルケが呼び寄せたものと思われますわ。更に付近には湯河原方面から転進してきたギガント級の姿も。まずはこれら地上の敵戦力を撃破した上で、本命の工場地下へと進みます」

 

 特型が呼び寄せたヒュージ群とは、甲州や湯河原のヒュージネストから引き抜いた戦力だった。今回、軍令部作戦会議がアールヴヘイムの参加を認めたのも、その事実が一助となったらしい。この地の敵が増えた分、他の方面が手薄になったからだ。

 

「まず手始めに、防衛軍の対地ミサイルによる準備砲撃でスモール級・ミドル級の群れを攻撃。次いで両レギオンが地上の掃討と制圧を実行。然る後にアールヴヘイムは周辺警戒、一柳隊は地下出入り口の確保と地下施設への突入を担当しますわ」

「ちょっといいですか?」

「はい二水さん、どうぞ」

「地下への出入り口は全て判明しているのでしょうか?」

「本作戦前に特務レギオンが偵察済みです。ヒュージの出入りが可能なのは二つ。前回梅様と鶴紗さんが発見した大型搬入エレベーターと、相模灘へと繋がる海中通路。後者は特務レギオンによって破壊されたので、わたくしたちが封鎖すべきは一つとなりますわ」

 

 加えて、前回確認されたヒュージサーチャーを妨害するバグ型の対処について。一柳隊が持ち帰ったデータから、解析科と工廠科が共同でサーチャーの改良を済ませていた。今はここに居る両レギオンの分だけだが、いずれは他のガーデンにも普及させるという。

 またそれとは別に、万が一に備えて鷹の目と目視による警戒も怠らないようにする。

 

「そして地下での目標は特型の撃破と特型関連のデータの回収。ただし戦力は分けずに一つずつこなしましょう」

 

 楓が概要説明を終える。

 

「さて、最後に何か質問はある? ……ないようね」

 

 楓の隣に立つ依奈が確認し、沈黙を以ってブリーフィング終了となった。

 あとは現地に移動して戦闘開始のタイミングを待つのみ。

 ぞろぞろとガンシップから離れようとするリリィたちに、横から声が掛けられる。コクピットから降りて待機中の、ガンシップのパイロットたちだ。

 

「皆さん、危なくなったら退いてくださいね。焦らなくても補給ならガーデンが手配してくれます。長期戦の心配は要りません」

「私たちが何度でも、弾薬でもチャームでも食糧でも運んできます!」

 

 思えばこの女性パイロットたちにも幾度となく世話になっている。

 先輩パイロットの方はアールヴヘイムの専属だが、出撃が無い時は百合ヶ丘の元アーセナルとして他の機体の整備も手伝っていた。

 鶴紗たち一柳隊を連れてきた後輩パイロットは一般社会出身である。しかし航空機操縦手登用試験を受けて入ってきただけあって、その腕は確かだ。

 

「ありがとうございます! 絶対、絶対、成功させてきますから!」

 

 梨璃が代表して、パイロットたちの激励に答える。元気一杯、素直にお礼を口にする姿は特に年上の女性から好感を持たれやすかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガンシップの着陸地点から一行は更に南下する。比較的視界の利く海沿いを通り、途中で真っ直ぐ西進して目的地へ向かう手筈になっていた。

 ここいらはまだ、ヒュージの影も形も見られない。どうやら工場跡地の周辺に戦力を集中しているようだ。戦力が十分な今、下手に散開されるよりは都合が良い。

 

 左を向けば、穏やかな相模灘。右を向けば、彼方の山林から届く草花の香り。そんな長閑な行軍だから、あちらこちらで退屈しのぎの歓談が催されている。

 

「私たちが前座ですって。壱はどう思う?」

「まあ、いいんじゃない? データを見る限り、あの特型、単純な戦闘能力はそこまで高くないみたいよ。一柳隊と因縁もあるようだし。こっちはギガント級で満足しましょう」

「あ~ら、殊勝ですこと。抜き身の刀みたいな壱っちゃんはどこに行ってしまったのか」

「あんたと一緒にするな、亜羅椰」

 

 アールヴヘイムの前衛二人が駄弁り――――

 

「弥宙、弥宙。特型がヒュージを集めたって本当かしら?」

「集めたというのは本当みたいね。ただ、方法までは分からない。ネストのアルトラ級に命令したのか、それとも土下座でもして頼んだのか」

「あははっ! ヒュージが土下座って、どうやるのよ!」

 

 同じくアールヴヘイムのアーセナルコンビが談笑に花を咲かせる。

 二水に匹敵する程に小柄でツリ目のリリィは金箱弥宙(かなばこみそら)。先程から弥宙の肩に引っ付いたり離れたりを繰り返しているのは森辰姫(もりたつき)

 すらりとした長身にメリハリのついたスタイルの辰姫が弥宙と並ぶと、両者の個性が余計に際立って見えた。さながら歳の離れた姉妹のよう。だがそう言われると、本人たちは機嫌を悪くするらしい。

 

「敵地での作戦だってのに、余裕だなアールヴヘイムは」

 

 一連の様子を遠目で見ていた鶴紗が感心半分、呆れ半分で呟いた。

 現在、二つのレギオンは一人もしくは二人組で散らばって進軍していた。散らばっているといっても、顔は見えるし声も十分届く範囲だった。それでもアールヴヘイムが九人、一柳隊が十人の大所帯なので、結構な範囲に広がっている。

 

「最初から気を張ってても疲れるだけだからなー。それにあいつら脅かすなら、巣無しのアルトラでも連れてこないと」

 

 鶴紗の横を行く梅が、これまた暢気な調子で言う。

 

「そう言えば、アールヴヘイムでユニーク機を最初から持ってきたのは壱と亜羅椰だけですね」

「残りの面子は予備機扱いでガンシップに置いてきたらしいゾ。あの二人はメンテしたばかりだから、実戦で調整したいんだと」

「本当に余裕だな。大丈夫なんだか」

 

 鶴紗とてアールヴヘイムの実力を知らぬわけではない。だがそれでも彼女らの振る舞いを目の当たりにすると、危惧を覚えざるを得なかった。

 

「鶴紗はあいつらが楽勝ムードに見えるのか?」

「それは、まあ……」

「気持ちは分かるが、実際は逆だゾ」

「逆?」

「長引いてもいいように、温存してるんだよ」

 

 梅にそう言われて、鶴紗は成る程と理解した。

 一柳隊が地下で特型を仕留め切れず、作戦が長引くことを前提にしてアールヴヘイムは臨んでいるのだ。

 それは何も、他意あってのことではないだろう。最悪の事態を想定するのは戦場において当然なのだから。

 しかし分かっていても、鶴紗は釈然としないのだった。

 

「それはそれで癪だな」

「ははっ、まあ仕方ないさ。結果で見返してやろう」

 

 ()()

 その言葉で、チャームを握る鶴紗の手に力が入る。

 結果を出すということは、あの特型ともう一度相対し、打ち倒すことを意味しているのだ。改めてその意味を噛み締める。

 

「独りで突っ走るなよ? 傍にいるって言っただろ」

 

 黙りこくって物思いに沈む鶴紗へ、そんな言葉が掛けられる。

 勿論忘れてなどいない。病棟の屋上で交わした二人の約束を。

 あの時、家族が欲しいという鶴紗の願いは残念ながら叶えて貰えなかった。しかしよくよく考えてみたら、無理もないことではある。鶴紗と梅は運命的な出会いをしたわけでもないし、何か特殊な事情を共有しているわけでもない。それで家族になれというのも難しいところだろう。

 

 だったら、どうして梅にあんなことを願ったのか。どうして梅に特別な関係を望んだのか。

 

 自分の口から吐いた願いの理由を、自分自身から生じた感情の理由を、鶴紗は導き出そうとする。

 決して誰でも良かったのではない。梅が優しいから、というのもあるだろうが、決定的な理由ではないと思われる。

 では何故か。

 我が事ながら頭を悩ます鶴紗だが、やがてその思考を中断させられる。近くの歓談が喧騒に変わりつつあったからだ。

 

「それにしても結梨ったら、ちょっとばかり見ない内に大きくなったわねぇ」

「うん。背は伸びてないけど。私も色々あったんだよ」

「経験と目的さえあれば、人は幾らでも成長し得るものよ。貴方がどんな風に大人になったか、私にも教えてくれないかしら」

 

 気が付けば、本来の隊列から離れた亜羅椰が結梨に絡んでいた。

 遠藤亜羅椰と言ったら百合ヶ丘屈指のプレイガール。大丈夫だとは思うが、一応あの二人の中へ割って入るべく鶴紗が足を向けようとしたその時、楓に先を越されてしまう。

 

「はいはい、そこまで。結梨さんの半径二メートル以内に入らないでくださる?」

「ご挨拶ねえ、尻軽さん。私は今、結梨と相互理解を深め合ってるの。邪魔しないでちょうだい」

「純真無垢な結梨さんに貴方は刺激が強過ぎますわ。わたくしというフィルターを通しなさい」

「そんなんじゃバイアスが掛かって、本質的な理解に至れないのよ」

「それはバイアスなどではなく、野蛮な獣性から身を守る鉄格子ではなくて?」

 

 互いに仁王立ちしてバチバチと火花を散らし合う。

 自称『結梨のお姉様』はどうやら過保護らしい。それとも相手が相手だからか。

 もっとも、鶴紗に言わせれば、楓と亜羅椰の諍いは同族嫌悪も同然であった。

 

「こら、亜羅椰! 隊形を乱さない!」

 

 依奈に叱られると、アールヴヘイムの問題児は渋々といった様子で、桃色髪を靡かせながら離れていった。

 

 それから暫くして、一行は目的地に到着する。正確には目的の工場跡地から距離を置いた、国道沿いの待機ポイントである。

 ここで両レギオンは防衛軍の事前攻撃を待つ。それが戦闘開始の合図だからだ。

 とは言え、先に状況だけでも確認しようと楓が二水に目配せする。

 

「……居ます。工場跡へ続く道に、スモール級が何十体も。窪地の中にひしめき合ってますね。窪地を囲む崖上にも十数体。更に建物周辺にはミドル級が三十体ばかり」

「二水さん、バスター種やシュテルン型は?」

「今のところは見当たりません。ギガント級も同じくです」

「伏せている、と見るべきですわね」

 

 鷹の目の索敵には厄介なヒュージたちの姿は捉えられなかった。

 しかし他はともかく、ギガント級などという大物はそうそう身を隠せるものではない。想定された戦場から距離を取っているのだろう。見方によっては各個撃破のチャンスとも言えた。

 

「じゃあ梨璃さん、ここで一旦お別れだね」

「はい。私たち封鎖班は搬入エレベーターに向かいます」

 

 アールヴヘイムの主将、天葉が梨璃に声を掛けた。

 梨璃、二水、神琳、雨嘉の四人がヒュージの脱出し得る唯一の出口を塞ぐ。そして残りの六人はアールヴヘイムと共に地上の敵を掃討した後、工場跡から地下へ突入する。

 

「鶴紗、気を付けてね」

「うん、そっちも」

「鶴紗さん、先輩方もいらっしゃるし、きっと上手くいきますよ」

「そうだな」

 

 雨嘉、次いで神琳と言葉を交わす。

 鶴紗としては人数的に少ない封鎖班の方が心配だが、そこは地上に残留するアールヴヘイムとも上手く協力するそうだ。

 

 そうして、梨璃たち四人は海沿いの国道を外れて北西へと出発する。最初に訪れた時は隠蔽されていたエレベーターも、今では位置をしっかりと頭に叩き込んでいた。

 

 更に時が流れる。

 この場に残ったリリィたちの多くが、遥か前方の空に視線を送る。

 依奈が懐の内ポケットにしまっていた腕時計を取り出した。

 

「5、4、3、2、……作戦開始」

 

 依奈の秒読み後、ややあって皆の視線の先に幾つもの光が瞬いた。曇り空を行くその物体たちは地上へと高度を下げて、ヒュージ蔓延る窪地の中へと突っ込んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アールヴヘイム、並びに一柳隊がヒュージ群と交戦状態に入りました」

 

 背中から掛けられた声に、理事長代行は「うむ」と短く返事をする。

 最上階付近に位置する理事長室の、一面に強化ガラスを張られた窓の際に立ち、代行は眼下の光景を眺めている。学院の運動場で、たくさんの小さな点が盛んに走り回っていた。実技訓練に精を出すリリィたちだ。一年生中心だが、その動きの精彩さは遠目からでも伝わってくるだろう。

 背を向けたままの代行に、ブリュンヒルデの史房が報告を続ける。

 

「シグルドリーヴァは予定通り、戦況の観察に移っています」

 

 LGシグルドリーヴァはロスヴァイセと同じく特務レギオンだ。陥落指定地域や新型ヒュージへの威力偵察を任務とする強行偵察レギオンである。

 だが、それはあくまで表の顔。彼女らは対ゲヘナ調査という秘匿任務を負っている。その辺りもロスヴァイセと似通っていた。

 

「一柳隊では特型の討伐が不可能と判断した場合、彼女らが動くのですね」

「いかにも。このことはアールヴヘイムにも一柳隊にも伝えておらぬ。余計なプレッシャーを掛けて焦らせぬために」

 

 当人たちには申し訳ないが、しかし保険は必要だった。それもゲヘナの秘密実験場だけあって、相応のレギオンが選ばれた。

 今回の伊豆半島外征では、合計三つのレギオンが実働状態にある。これは破格の措置と言えた。そこまで力を入れる必要が百合ヶ丘にはあったのだ。

 

 代行は本作戦の認可前に繰り広げられた通信でのやり取りを思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「報告にあった実験場のデータとやら。無事に持ち帰れば事態が動くぞ」

 

 いつになく食い気味の総理に対し、理事長代行の咬月は眼鏡の奥の瞳を細める。

 

「特型ヒュージ開発の事実を以って、ゲヘナを糾弾するのですか?」

「少し違う。実験場を提供した製薬会社は表向きゲヘナの協力会社だが、その実、ここを経由して更に複数の企業から政界にロビー活動が行われている。いわば、献金の元締めのような存在だな。この製薬会社が違法実験に関与していると分かれば、ゲヘナの抱える政界へのパイプは大きな打撃を受けるだろう」

「しかし、同時に政界も大混乱に陥ってしまう」

「それは今はいい。……で、実験に関わった統幕内の急進派を、防衛省は切らざるを得ない。つまりゲヘナ過激派と統幕の急進派、双方を一挙に抑えられるというわけだ。我々政府にとっても君にとっても、願ったり叶ったりだとは思わんかね?」

 

 咬月は総理の同意を求める言葉に暫し沈黙する。

 日本政府がゲヘナ本体への攻撃を「考慮に値せず」としているのは、国内外の産業に与える影響が大き過ぎるため。そしてもう一つ、彼らの技術を惜しんでいるため。一時の感情や薄っぺらいヒロイズムによって軽挙に走っても、破滅を早める行為にしかならないというわけだ。

 今回の件とて、ゲヘナは打撃を受けつつも尻尾切りを敢行するだろう。

 口惜しいが、それ以上は百合ヶ丘には何もできない。

 

 通信用のディスプレイを通じて静寂が流れる中、おもむろに咬月が口を開く。

 

「成る程、実験を主導したゲヘナ過激派は内部での地位を落とすでしょうな。相対的に勢力を増すのが穏健派。あなた方政府が支援してきたイルマラボのような」

「ほう……やはり気付いていたか」

「おかしいとは思っていたのです。貴方はあまりに、ゲヘナの内情に詳し過ぎる」

 

 咬月の追及を、総理は拍子抜けするほどあっさりと認めるのだった。

 

「いずれにせよ、今回の話を君は拒否しないだろう。どんな形であれゲヘナの力を削げるのだから。それは君らも望んだことだ」

「確かに、仰る通り。ですが、ここに来るまで迂遠が過ぎた。その間にどれだけの犠牲が生まれたことか。本当にここまで回り道する必要があったのでしょうか?」

 

 訴えるようなその問いに対し、答えはすぐさま返ってくる。

 

「ある」

「何ゆえに?」

「この国が一分一秒でも生き長らえるため。そのためなら何だってやってきた。憲法を捻じ曲げ、大国の靴を舐め、子供(リリィ)を戦地に追いやった」

 

 多数のための犠牲。そんなもの、当事者からしたら決して受け入れられない。

 さりとて現実を全て跳ね付けるだけの力も方策も、人類は持ち合わせていなかった。

 ならばせめて、流れる血と涙を極限まで抑えよう。それこそが高松咬月と彼の姉が百合ヶ丘に居る理由であった。

 

「ヒュージは倒します。データの回収も善処しましょう。それに見合うだけの価値があるのなら」

「価値ならば、言うまでもない。ゲヘナはともかく、統幕の急進派は喫緊の問題だ。暴発寸前と言っても良い」

「そこまでなのですか……」

「奴らは過去の自分たちを棚に上げ、ゲヘナに通じる政界をスケープゴートにするつもりだ。ゲヘナの悪事を白日の下に晒し、腐敗した政治家を諸共に叩く。リリィに奪われた国民の支持を取り戻す、乾坤一擲の博打を仕掛けようというのだよ」

 

 それは正しくクーデターだった。

 三重での襲撃事件から、こうなることは分かってはいた。だが実際に総理の口から聞かされると、咬月はやるせない思いを抱く。

 兵としての価値と栄誉をリリィに取って代わられた。その怒りや憎しみ、妬み嫉みは咬月の想像を超えていたのだ。

 

「彼らは二・二六事件の再現でも狙っているのでしょうか。相も変わらず、この国は薄氷の上に成り立っているのですな。僅かでも踏み外せば、忽ち奈落の底に落ちかねない程に」

「そうさせないために、我々政府が居る。二・二六は失敗したし、今後も成功する日は永久に来ない」

 

 虚しさでいつもの皮肉にもキレを欠く咬月。

 その一方、総理は対照的に強く確たる口調をとる。彼の瞳は何をどこまで映しているのか、咬月には危ういと同時に眩しくも見えた。

 

「だから咬月君、君らは君らの使命を果たせ」

 

 

 



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第27話 アールヴヘイム

 相模灘の海原を六隻の軍艦が列を成して進む。艦首がダークブルーの海面を掻き分けると、白い水飛沫が左右に噴き上がった。灰色の船体は水の抵抗を物ともせずに、伊豆半島の海岸線に沿う形で南へ進路を取っている。

 艦隊右翼、すなわち陸地に近い方には護衛艦が四隻、単縦陣を成す。ともすればフリゲートにも分類され得る小振りな艦だった。

 そして艦隊左翼には同じく単縦陣を組む二隻。こちらは重厚な艦橋が目立つ大型護衛艦である。

 

 合計六隻の護衛艦に、白煙が巻き起こった。前部甲板からミサイルを吐き出したのだ。

 垂直に撃ち上げられたミサイル群はある程度まで高度を稼ぐと、伊豆半島を目指して山なりに翔けていく。

 攻撃は斉射ではなく、数発ごとに攻撃範囲を区切って実施されていた。

 

「各艦、SGM(艦対地ミサイル)残弾三割を切りました」

 

 大型護衛艦――くらま型の一番艦『くらま』のCIC(戦闘指揮所)にて艦隊司令が報告を受ける。

 横須賀から出張ってきた彼ら第2護衛艦隊分遣隊の任務、それは陸地にて敵に襲い掛からんとするリリィたちの露払いであった。

 本来くらま型は四隻存在するのだが、先の横須賀沖海戦の傷のため、半数がドック入りしたままである。

 

「司令、接近して艦砲射撃を仕掛けますか?」

 

 くらま艦長からの問い掛けに、司令は少しだけ間を置いた後で首を左右に振る。

 

「いや、止めておこう。バスター種にでも反撃されて、こちらが要救助者になっては目も当てられない」

「はっ、了解」

「その代わりSGMは全て撃ち尽くしていく」

 

 いかに高価で巨大な兵器を持ち出そうとも、防衛軍が仕留められるヒュージはミドル級まで。リリィ抜きで彼らに出来ることは限られている。彼らでは主役たり得ない。

 

「しかし、これでまた『税金泥棒』と後ろ指を指されますなあ」

 

 艦長が諦観したように、それでいて悲観は感じさせない声で愚痴を言う。

 それはリリィの投入以降、あちこちで見られる問題だった。数の上ではスモール級ミドル級が圧倒的に多いのだが、やはり市井に対してインパクトを与えるのはアルトラ級やヒュージネスト撃破の報なのである。

 

「言わせておけばいいさ。逆立ちしたって、出来ることしか出来ないのだから。我々は我々の仕事をしよう」

 

 司令はそう締めくくる。

 そんな彼らの目の前には、CICの中にでかでかと浮かび上がった電子の作戦地形図。ヒュージを示す赤い光がまた幾つか消え去った。

 

 観艦式のように、後背に無辜の市民を抱えているわけでもない。

 彼らが今こなすべき仕事とは、あくまでも露払いのための準備砲撃だ。リリィへの劣等感を晴らしたり、自己満足のために自己犠牲を払うことでは決してない。

 彼ら軍人は大義に生きる志士でも正義のヒーローでもなく、国家の禄を食む公務員なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「準備砲撃予定時刻、超過。防衛軍のミサイル攻撃、終了しました」

 

 二水からの無線通信が耳に届く。彼女の言葉通り、大地を揺るがさんばかりの振動と爆音はパタリと止んでいた。

 

 二つのレギオンは前進する。

 

 前進して、やがて先程まで吹き荒れていた鉄の暴風の惨禍を目の当たりにした。工場跡へと至る道の上に、剥げた装甲や千切れた触腕など、少し前までヒュージだった灰色の物体が散らばっていたのだ。

 しかしそれでもなお、視界に映るだけでも数十のヒュージが蠢いている。

 ここから先は、彼女たちリリィの仕事であった。

 

「楓さん、準備はいいわね?」

「はい、勿論ですわ。タイミングは依奈様のよしなに」

 

 司令塔同士が確認し合う。戦場への突入について。

 この二人が良いと判断したら、そこから先は早かった。

 

「アールヴヘイム前進! 道を切り拓く!」

 

 それまでとは一転、口調も纏う雰囲気も凛々しく勇ましく。突撃の銅鑼に代わって依奈が声を張る。

 待ってましたとばかりに、二つの影が飛び出していった。マギによる爆発的な跳躍により、正面に広がる敵の群れへと迫る。

 二つの影の内、先陣を切ったのは、両刃の大型剣を中腰に構えた亜羅椰だった。彼女はスモール級ファング種が開いた巨大な口へ、稲妻の如き熾烈さを以って切っ先を突き入れた。

 

「僭越ながら、一番槍頂戴致します!」

 

 そう宣言しながら、亜羅椰はユニークチャーム『マルミアドワーズ』を引き抜き、頭部を貫かれたファング種を剣の腹で横薙ぎに叩く。すると哀れな犠牲者は隣の同族に激突し、軽い爆発を起こして沈黙するのだった。

 

 一方、亜羅椰に少しばかり遅れて接敵したもう一人、壱はやや細身の長剣を複数のファング種に向け振るう。彼女が持つ鋭角的で武骨なユニークチャーム『アロンダイト』は最小限の動きで敵の首を切り裂き、辺りに青い血を撒き散らす。しかし一滴たりとも、壱の制服に返り血が付くことはなかった。

 そんな壱に対して、一体のファング種が顔を向ける。その頭部は長く膨らんだ筒状で、金管楽器のベル――音の増幅器――を思わせた。

 フォーン型。名は体を表すという言葉通り、筒状の頭から不快な大音響と無数の光弾を吐き出した。音波攻撃で敵の聴覚や平衡感覚にダメージを与え、然る後に仕留める。それがフォーン型の戦法なのだ。

 しかし音ですら、壱を捉えることはできかった。

 

「見えてんのよ」

 

 空高く跳び上がった壱の長剣、その剣身が真ん中から上下に開き、内に仕込まれていた砲口がマギの光を放つ。放たれたレーザーは狙い違わず、フォーン型を頭上から撃ち抜いた。

 

 事前のミサイル攻撃で元々乱れていたヒュージの隊列が、二本の槍によって更に突き崩されていく。

 亜羅椰は敵の真っ只中にて大剣を踊らせる。大振りだが、パワーとスピードを併せ持った彼女の斬撃は確実にヒュージを葬っていた。チャームに負けず劣らず、彼女の長く艶やかな桃色髪も激しく振り乱れ。ヒュージの上げる火花の色と相まって、その姿は戦場に奔る紅い稲妻のようだった。

 壱も同じく、敵中で複数体のヒュージと斬り結ぶ。彼女は派手な亜羅椰とは対照的に、少ない動作で敵を斬り捨てていた。その様は紙一重。先程の台詞通り、相手の動きや攻撃が見えていた。レアスキル、この世の理が視覚と感覚から壱に警鐘を鳴らすから。

 

「壱、亜羅椰! あんた達はそのまま道路沿いに前線を押し上げなさい! 茜と月詩は崖上を押さえて! 残りは援護!」

 

 無線で矢継ぎ早に指示を出しつつも、依奈はブレイドモードのアステリオンと手斧型チャーム『グングニル・カービン』を握って後輩二人の後に続く。自身も前衛に加わるつもりなのだ。

 

 戦闘正面、切り立った崖に挟まれた隘路での攻防が激化する中、崖上でも銃火が交わされていた。

 二十メートルを超す絶壁を、数回に渡って壁面を蹴ることで登り切った月詩。彼女の眼前には、リング状の胴体から分厚い刃の両腕を生やしたリッパー種ブル型の群れが待ち構える。

 飛行型ヒュージであるブル型は月詩の頭上から急降下を仕掛けてきた。しかし月詩はそれに構わず、降下体勢に入っていない遠方のブル型へ、右手に持つグングニル・カービンの弾丸を放つ。

 月詩を狙った個体は降下の最中に、アステリオンのレーザーに呆気なく叩き落とされるのだった。

 

「月詩ちゃん、二時の方向三機、十一時の方向二機よ。あとは私が仕留めるわ」

「了解です!」

 

 シュッツエンゲルの茜から指示を受け、月詩は駆け出す。

 果敢にも迫ってくるブル型は左手のグングニルで切り払い、上空から熱線を撃ってくるブル型にはカービンが砲火を浴びせる。

 月詩のレアスキルは依奈と同様。チャーム二丁持ちを可能とする円環の御手(サークリットブレス)だ。戦い方も依奈とよく似ており、両手に攻撃用チャームを構える攻勢重視の型である。

 程なくして、近場のブル型は姉妹の共同作業で殲滅された。

 シルトを追って崖上に登った茜は道路を挟んだ向こう側の崖を見る。そこにも数体のヒュージの姿が。休むことなく、月詩と共に射撃戦を展開していく。

 アールヴヘイムが高所を押さえるのは時間の問題だった。

 

 前に出てヒュージと相対する者が居れば、後方から仲間たちを支える者も居る。

 刀身を90度後ろに倒して砲口を露わにしたティルフィング。それを肩に担ぐのは、透き通った空色の髪と抜けるような白肌が美しいリリィ。彼女、辰姫に引かれた引き金はティルフィングから高出力のレーザーを生み出した。

 ティルフィングの真骨頂、バスターキャノンの一撃は、最前線から離れた遊兵状態のヒュージに着弾するのだった。

 

「もうちょっと左……もうちょっと……」

「このぐらい?」

「そうそう。依奈様たちに当てないでよね」

 

 すぐ横で、弥宙が辰姫の肩をぽんぽんと叩いて照準を調整させていた。

 

「あっ。弥宙、ちょっとでかいのが出てきたわ!」

「あのミドル級は壱さんが片付けるから、ほっといて良いわよ。……ほら、やった」

「あっ、あーーーっ!」

 

 壱の幼馴染である弥宙と茜は、任務など公の場では()()()と呼んでいた。これは二代目アールヴヘイムの前身である壱盤隊時代、隊長である壱を立てていた頃からの習慣だった。

 

 ともあれ、有言実行。アールヴヘイムは宣言した通りに道を拓いた。立ちはだかるヒュージの群れを押し出し、あるいは薙ぎ倒し、文字通りに目的地まで繋がる経路を作り出したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地上の敵はアールヴヘイムが受け持ち、一柳隊の地下突入組はマギを温存する。

 当初の想定は以上のようになっていた。

 だが想定は想定。実際の戦闘で乱戦に陥ったら自分たちにも出番が回ってくる。内心そう考えていた鶴紗の読みは、良い意味で裏切られることとなった。

 

「何なんだ、あの戦い方……。好き勝手やってるはずなのに、補い合ってる」

「そうだな。下手に個性を殺すんじゃなくて、端から計算に入れて作戦に活かす。それがあいつらアールヴヘイムのやり方だ」

 

 疑念と畏敬の入り混じった様子の鶴紗に、横から梅がフォローを入れる。

 彼女ら一柳隊は弥宙や辰姫の更に後方からあとに続いていた。全くの無傷で。

 

「でも、そんなこと簡単にできるわけがない」

「勿論簡単じゃあない。天葉と依奈、茜に弥宙の四人が司令塔の役をスイッチしたり、分割することで状況に対応しているお陰だゾ」

 

 レギオン司令塔、即ち戦闘指揮官。その役割を戦闘の最中に切り替えるなど、まともではない。下手をすればレギオン全体が混乱して自滅しかねない行為だ。

 ところが、尋常ならざる戦法を実現させるのがアールヴヘイムだった。深い信頼に基づく結束と連携の為せる技。

 個としての力が盛んに取り上げられる彼女たちだが、真価は集団戦にこそあった。

 

「……何であれ、これで楽して入り口まで辿り着ける」

 

 鶴紗は深く考えるのを止め、自分たちの現状に意識を向け直す。

 想定の通りに事が運び、鶴紗たち六人はマギをほとんど消費していない。隊を分けた点を除けば万全の状態と言える。

 鶴紗の足取りは自然と早まった。ひび割れ朽ちた舗装のアスファルトを蹴って、遮る者の無い道を前へ前へと進む。

 

 そうして、とうとう因縁深い廃工場に到着した。流れ弾による損壊があちこちに見られるが、大よその姿は変わりない。あの時、鶴紗が己の弱さに負けて背を向けた場所だった。

 建物の周囲は既に制圧済み。今は天葉と依奈と樟美が周辺警戒に当たっている。前衛の壱と亜羅椰は更に奥地へ斬り込んでいるのだろう。

 

「さて、ざっとこんなもんだね」

「恩に着るわ、天葉」

「礼なら地面の下から帰ってきた後に聞くよ」

 

 廃工場の入り口前で、夢結と天葉が言葉を交わす。

 旧友同士の、どこか通じ合ったやり取り。

 一時期疎遠になったとは言え、かつての縁は今も確かに繋がれていた。

 

「梅も。折角ここまで御膳立てしたんだから、ヘマしないでよね」

「依奈こそ、梅たちが戻ってくるまでやられるなよー」

「誰に言ってるんだか」

 

 戦場のど真ん中に生まれた和やかな時間。それはほんの一時の出来事だったが、張り詰めた心を解きほぐす一助となった。意図してのことか、そうでないのかは分からない。しかし鶴紗はそこに、自分たちよりもずっと大きい先達の背中を見出した。

 

「天葉様、依奈様。お取込み中に申し訳ありませんが、朗報ですわ!」

 

 不意に、弾む声で亜羅椰からの通信が入る。最前線の彼女がこんな反応をするということは、戦況に変化があったに違いない。

 もっとも、変化が良い意味とは限らなかった。亜羅椰の性格を考えると、むしろ逆の可能性が高い。

 

「サーチャーに新たな反応。この大きさは、間違いなくギガント級! まったく、焦らしてくれちゃってぇ!」

 

 嬉々とした亜羅椰の報告に、一度緩んでいた皆の気が再び引き締まる。

 動物の耳を模した亜羅椰の髪飾りはヒュージサーチャーの一種だ。百合ヶ丘のリリィ全員に支給される携帯内蔵のものより精度が良い。誤報の可能性はまずないだろう。

 反応があった地点はまだ距離があるらしい。だがギガント級のサイズと火力を考慮すると、それほど余裕があるとも思えなかった。

 両レギオンは判断に迫られる。

 

「夢結、今の内にさっさと下りちゃって」

「ええ、この場はお任せするわ。私たちは邪魔にならないよう退散するから」

「工場ごとぺしゃんこになったらごめんね。その時は他の出口から帰ってきてね」

 

 天葉が気安く朗らかに一柳隊を送り出そうとする。夢結も夢結で、それに応じる。

 今回の件、言うまでもなく鶴紗と深い関わりがある。しかし彼女はアールヴヘイムのメンバーと特段密接な繋がりがあるわけではない。なので、何と声を掛けていいか考えあぐねていた。

 そんな鶴紗の目の前に、チャームを下ろした依奈がやって来る。

 

「梅のことよろしくお願いね、鶴紗さん」

「えっ……はい」

 

 突然のことに鶴紗は戸惑った。よろしくして貰うのは、自分の方なのだから。

 

「梅はねえ、()()が無いとどこかにフラフラ飛んで行っちゃいそうで、心配なのよ」

「おーい、聞こえてるゾー」

 

 梅が廃工場入り口のドアを通り抜ける寸前、依奈の方をくるりと振り返ってジト目を向ける。

 この時の鶴紗には、依奈の言わんとするところがよく分からなかった。先程一人で頭を悩ませていたことだが、自分と梅の間に特別な関係は存在しない。それで重しと呼べるのだろうか。

 分からない。

 分からないが、軽くウインクする依奈の姿には不思議な説得力が感じられるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは一つの山だった。

 お椀状の、全高が四十メートルを超す灰色の体。高さがそれだけあるのだから、麓の部分の直径は更に長大なことだろう。

 その巨体はマギの力で超低空をゆっくりと浮遊し、進路上に存在する木々や岩石を圧倒的な質量によって薙ぎ倒していく。見る者に風情を感じさせる自然の情景も、規格外の怪物に掛かれば路傍の小石も同然だった。

 一見すると、その山はあてどなく浮かんでいるだけに見える。だが全身あちこちに半球形の砲塔を生やし、砲塔から更に二連装の長砲身を伸ばしている。砲塔群は絶えず旋回を繰り返し、全周囲に砲口を光らせていた。これから起こるであろう敵襲を、手ぐすね引いて待ち構えるかのように。

 

 それはただの人間が絶対に敵わない存在。

 戦地にて小粒の同族を統べる者。

 

「居たわ、ギガント級。でも見たことないタイプね。弥宙、調べられる?」

「ちょっと待ってください……」

 

 高台から遠方を見つめる依奈が、連れてきた弥宙に確認する。弥宙は片手に抱えたタブレット端末の上で舞うように指を走らせた。

 亜羅椰からの一報を受けた後、依奈たちは工場跡のある窪地を離れてサーチャーの反応地点を偵察していた。

 わざわざ探し回る必要も無い。求めていた敵影はすぐに見つかった。見逃す方が余程難しいだろう。

 

「……該当有り。ギガント級レイザーレイ種、フォートレス型。中国地方や京都で交戦報告が見られます。レイザーレイ種の例に漏れず、火力に優れた重砲撃型のヒュージですね」

「周囲に随伴は無し。取り巻きが呆気なくやられたものだから、押っ取り刀で出てきたのかしら」

 

 口ではそう言いつつも、依奈は敵の出方を訝しんでいた。どうにも対応が場当たり的なのだ。

 通常のヒュージならばともかく、今回の親玉は高い知能と戦術を駆使する特型と聞いている。なのに現在アールヴヘイムを迎撃している敵の動きは鈍かった。

 やがて、依奈はあまり考えたくない可能性に行き着く。

 

「もしかして、地下に戦力を集中させているとか」

 

 大兵力を有しているなら、普通は地上でも抵抗を図るところ。幾ら巨大実験場とは言え、地下空間では一度に投入可能な戦力は限られているはず。指揮官である特型が戦術を理解できるなら、それが解せぬとは思えない。

 そう、特型が人間並みの知能を持っているならば。

 

「依奈様、どうしますか? 一柳隊のことは」

「まあ、無理そうなら引き返してくるでしょう。私たちは取りあえず、地上を確実に押さえるのよ」

 

 あっさり方針を決めると、依奈は踵を返して仲間との合流を急ぐ。それが一番、旧友たちの支援になると判断したからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「B型兵装を使うべきでしょう」

 

 ギガント級接近を前にした緊急ミーティングにて、真っ先に亜羅椰が意見した。

 それに対して天葉と茜、そして依奈の二年生組は渋い顔を見せる。

 B型兵装とは、マギの出力を全て攻撃に転化させるBERSERKシステムを搭載したチャームのこと。マギ結界という防御手段を失ってしまうため、禁忌指定すら受けたことのある武装であった。特に現二年生世代には忌避する者が多い。上級生の被害を間近で見てきたせいで。

 しかしながら、リスクを背負うだけの戦果を見込めるのもまた事実。

 

「ギガント級があれ一体とも限りませんし。ガンシップに予備機があるとは言え、チャームの損耗は可能な限り抑えるべきでは?」

 

 ギガント級に対して最も有効なノインヴェルト戦術はチャームに少なくない負荷を掛ける。なので亜羅椰の言う通り、損耗を抑えられる時は抑えるべきなのだ。

 実の所、B型兵装の使用はある程度織り込み済みだった。天葉たちが渋い顔をしたのは感情的な問題に過ぎない。

 

「そうね。この状況なら、ノインヴェルト戦術を使う必要性は薄いでしょう」

 

 (おもて)に出ていた感情を引っ込めて、依奈が判断を下す。

 

「亜羅椰をフィニッシュに据えてフォーメーションを組み直すわ。壱、月詩、茜、辰姫でギガント級の牽制。樟美はファンタズムで皆の支援。弥宙は亜羅椰のフォローに回って。ソラと私は状況を見ながら遊撃」

 

 迅速果断な指揮。

 未だ敵との距離はあるものの、あの巨体と火砲の前では大した猶予にはならないだろう。だからこそ、彼女らは指示を下されてすぐに動き出す。

 窪地から二十メートル程の崖を登ると、お目当てのヒュージの居場所はすぐに分かった。山林の木々を押し潰して進む姿が、遠目にもよく見えたから。

 

「目標が開けた地形に出たところで仕掛けるわ」

 

 そんな依奈の指示よりも前に、大体の配置は完了していた。牽制組の四人は前に出て、弥宙と不敵な笑みを浮かべる亜羅椰が最後尾。残りの面子は両者の中間辺りで待機する。

 

 遠く離れていても他を圧する巨体と砲の数々。それがゆっくりと、しかし確実に近付いてくる。

 ヒュージという名が表す通り、彼ら、あるいは彼女らの特質は、その大きさにあった。巨大なことがヒュージをヒュージたらしめる証だとするなら、アルトラ級に次ぐギガント級は間違いなく難敵と言えた。

 サイズの差は、それだけで脅威となる。武器を備え殺意を持つなら尚更だ。

 しかし、並の人間なら裸足で逃げ出す状況でも、九人のリリィは躊躇すらしない。その内の二名に至っては、高揚感から心が浮き立っているようだった。

 

「依奈様、来ます!」

「了解。壱、月詩、先鋒頼むわよ。戦闘開始!」

 

 前衛に立つ壱からの報に、依奈の号令が下る。

 直後、隊の右翼から壱が、左翼から月詩が前進を開始し、更に二人の後方から辰姫と茜がそれぞれ後に続く。

 対するヒュージはと言うと、山林から抜け出て開けた土地に到達した。一面が緑の茶畑だ。

 レイザーレイ種の火力を相手に、林の木々程度では遮蔽物になり得ない。ならば自分たちも存分に飛び回れる空間で勝負を挑もう。彼女たちアールヴヘイムはそんな選択をしていた。

 

「……砲塔が三つ壱っちゃんに。二つが月詩ちゃん。一つがあかねえに」

 

 不意に、無線から樟美の呟くような声が聞こえた。レアスキル、ファンタズムによる未来幻視である。

 だがこれだけでは、戦術に活かせない。樟美は決して自分から味方に指示を出したりしない。

 にもかかわらず、壱は迷いなく左に跳び、月詩は思い切り上方向に跳ね、茜は腰を深く落として身を屈めた。

 

 次の瞬間、ギガント級の体が光で瞬く。

 前方向に配置された六基十二門の連装砲が、一斉にマギの奔流を放ったのだ。

 山の如き重厚な体から繰り出される青白い輝き。十二本ものレーザーが宙を翔ける様は壮観。要塞(フォートレス)の名に恥じぬ姿であった。

 

 けれども要塞砲は敵を一人たりとも捉えられない。光は全てリリィたちに躱された。

 樟美のテレパスだ。ファンタズムは幻視した光景を脳内で味方と共有できる。互いの信頼が深ければ深いほど、その精度は高くなった。

 

「まずは私たちでギガント級の攻撃を引き付けましょう。辰姫ちゃんは可能なら、砲塔の破壊を試してちょうだい」

 

 前衛を指揮する茜の言葉で、四人は散り散りに動く。的を絞らせぬように、ある者は茶畑の中を駆け、またある者はヒュージの眼前で跳躍を繰り返し。

 その最中にもギガント級の砲塔群は絶えず発砲を続けていた。斉射を止め、砲塔一基一基が旋回して個別に敵を追尾する。まるでそれ自体が別個の生物のように。

 リリィたちは樟美から送られてくる未来幻視を頼りに、曲芸染みた機動力で光線の隙間を縫っていく。

 ふと、壱の後方から極太の光線が伸びた。辰姫のティルフィングがバスターキャノンを撃ち込んでいた。

 ギガント級の一角へ真っ直ぐに奔る大出力のレーザーだが、砲塔の一つに命中するものの、ダメージを与えられた痕跡が見られない。

 

「かたっ! こいつ硬過ぎです!」

「やっぱり防御にも相当なマギを振っているわね。……接近戦に移行するわ。破壊はできなくとも、迎撃能力を抑えるのよ」

 

 辰姫から悪態のような叫びを聞き、茜は更に距離を詰めるべく指示を出す。

 砲撃タイプなら懐が弱点。そんな風に単純にいかないのが大型ヒュージとの戦いというものだ。現に今も、周囲を飛び回るリリィたちを小うるさい羽虫の如く砲火が追い掛けている。ファンタズムによる支援と前衛の連携がなければ、とっくに負傷者が出ていたことだろう。

 

 戦局が膠着する中、中衛で戦闘を見守る依奈に通信が入る。後方の亜羅椰からだ。

 

「サーチャーに新たなヒュージ反応。ミドル級が6」

「場所は?」

「十時の方角。ギガント級の更に後ろです」

「今まで隠してたのね」

 

 ヒュージのくせに予備兵力とは生意気な。そんな思いでギガント級を見つめる依奈ではあるが、焦りは無い。予備兵力ならこちらも持っているからだ。

 

「じゃあソラ、ちょっと行って片付けてきて」

「何かあたしだけ雑じゃない?」

「こんなものよ」

「そっかー。それじゃあ行ってくる」

 

 とても戦場でのやり取りとは思えない、軽い調子で言葉を交わすと、天葉はレギオンから一人離れて大きく跳んだ。行き先は無論、話に上がった敵の増援地点である。

 上級生が浮足立ってはいけない。一年生たちを動揺させてしまうから。だからなるべく普段通りに振舞う必要があるのだが、それは専ら天葉や茜の役割だった。依奈は司令塔として、苛烈に指揮を執ることもあるからだ。

 もっとも、アールヴヘイムの一年生に対しては杞憂に過ぎないのかもしれない。

 

「五秒後、五秒間だけ月詩ちゃんがフリーになるよ」

「りょーかい! じゃあ私、突っ込むから!」

「とどめは任せなさい、月詩」

 

 樟美からの通信とテレパスに、幼馴染の月詩と壱がすぐさま答える。

 そして彼女らの思惑通り、僅かな時間だけレーザーの標的から外れた月詩が砲塔の一基に肉薄できた。グングニルの刃を突き立て、マギの防御を破って砲塔の付け根に深く刺し込む。忽ち辺りに火花が舞い散った。

 強力なヒュージのすぐ傍ではマギインテンシティも強くなる。その理論に違わず、砲撃を弾き続けてきたギガント級の体の一部に決して浅くはない刀傷が入った。

 そこへ飛び込んでくる壱の砲撃。月詩は背中に目でも付いているかのように、背後からの高出力レーザーを飛び退いて避ける。

 直後に爆炎が上がり、半球形の砲塔は砲身を含めた上半分が消し飛んでいた。

 

 すると、それまで低速ながら前進を続けていたヒュージの巨体が遂に停止する。更には巨体の背面部分、即ちアールヴヘイムを迎撃している砲塔群とは反対側の方から、まるで歪な歯車がこすれ合うような金属の駆動音が鳴り響く。

 

「最後の悪足掻きが来るわよ! 亜羅椰、そろそろ準備しておきなさい!」

 

 前に出て壱たちと合流した依奈がそう叫ぶ。

 それから間を置かず、ギガント級の背面六基の砲塔群が本体から分離した。浮遊し、砲口を手近なリリィたちに指向し、前面五基の砲塔も合流させる。合計で十一基二十二門の砲が宙に浮かび、その殺意と暴力の矛先をアールヴヘイムに向けたのだ。

 

 ヒュージとリリィ。対峙する両者の間に、僅かな静寂が流れる。それはほんの数秒だけのことだが、戦場においては奇妙と形容するに足りるだろう。

 

 そうして奇妙な静寂を破り、ヒュージのマギが解き放たれた。幾本もの青白い光線が大気を貫くように迸る。

 跳躍や疾駆によって乱れ舞うリリィたちを、同じく乱れ舞うレーザーが狙う。サイズ差もあって、その様は巨象と蟻のようだった。しかし彼女らはただの蟻ではない。象をも殺し得る、必殺の牙をその身に宿した蟻なのだ。

 浮遊砲塔群の猛攻をアールヴヘイムは凌ぎ続ける。回避に専念することで。

 砲撃を避け切れないと判断した辰姫は、ティルフィングをブレイドモードに切り替え、盾代わりとしてどうにか耐えていた。

 

「これより敵砲塔を抑えます。狙うは敵正面。私のあとに続いて!」

 

 流れ弾が茶畑を消し飛ばし、大地を抉る中で、依奈が反攻の狼煙を上げる。砲撃の隙間を縫って接近し、アステリオンの刃を最前列に浮かぶ砲塔へ叩き付けた。

 砲塔防御が更に強化されているのか、月詩の時とは違い、依奈の一太刀は通じなかった。

 けれども防御に傾注している状態では発砲できないようで、依奈は敵火力の一端を一時的に無力化せしめる。

 間髪入れず、壱、月詩、茜、そして辰姫が司令塔に倣う。そうして敵の本体への突入経路が切り拓かれた。

 浮遊砲塔は合計で十一基。未だノーマークの六基は当然のように眼前のリリィたちへ矛先を向ける。ここで撃たれれば前衛が壊滅するのは必至だろう。

 

 しかしながら、道は既に拓かれているのだ。

 

「BERSERKシステム、起動」

 

 その道を、一条の閃光が翔け抜ける。

 その手の中では、マギクリスタルコアを真っ赤に赤熱させた大剣が静かな唸りを上げる。

 

「フィニッシュも、決めさせて頂きます」

 

 大剣の刃は中央から開き、黄金色に煌めく光の刃が獲物を求めて姿を現していた。

 

「フェイズトランセンデンス」

 

 瞬時に刀身を伸長させた光の刃は瀑布の如くギガント級へ押し寄せる。山にも等しい体躯の真ん中を縦一閃。数舜の後、両断されたヒュージの断面が火花を散らし始めた。

 

 全員が距離を取って退避し、四十メートルの山が爆ぜた時、ちょうど天葉から目的達成の通信が入ってくる。

 

 リリィ、それも百合ヶ丘生え抜きのリリィというのは、幼稚舎の頃から如何にしてヒュージを殺すか叩き込まれてきた。そんな存在を五人も六人も抱えるアールヴヘイムは、正にヒュージを討つべくして討つ者たちだった。

 

 

 



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第28話 袋の鼠

 長く細い縦穴を下り、長い横穴を通り抜け、鶴紗はもう一度この場所に戻ってきた。

 ここに至るまで、陰鬱とした薄暗さと圧迫感は以前と変わりがない。だがここから先は初めて足を踏み入れた時とは違うだろう。もはや敵方にもこそこそと潜んでいる必要は無い。全力で迎え撃ってくるはずだ。

 

 実験場の入り口に当たる分厚い隔壁の前、結梨がふと疑問を口にする。

 

「どうしてこんな所に逃げ込んだんだろう?」

 

 それは当然の疑問だった。高速飛行型のヒュージがわざわざ暗い穴倉に陣取るなど、自らの強みを殺す自殺行為にも思える。

 だからこその、こちらを誘い込むための罠。そう推察していたが、本当にそれだけだろうか。特型が人の知性を備えるのならば、何か他の思惑があるのではないか。

 そもそもあの特型が鶴紗を狙う理由は――――

 

 そこで鶴紗は頭から無理矢理に思考を追い払う。あれはあくまでもヒュージなのだと、改めて自分自身に言い聞かせて。

 

「では皆様、参りましょうか。目標は一に特型の撃破、二に実験データの回収。進軍経路は前回と同じ、端末室を目指して進みます。当然待ち受ける敵の数も多いでしょうが、この地下迷宮を闇雲に探検するよりマシですわ」

 

 皆に対して方針を確認する司令塔の楓は、結梨と共に隊の中衛に位置していた。前衛が夢結と梅、後衛が鶴紗とミリアムという布陣である。こういった入り組んだ地形では、後ろも決して安心できるポジションではない。

 

 開かれた隔壁をくぐり抜けて、六人は地下実験場に足を踏み入れた。薄ぼんやりとしたトンネルの中、早速お出迎えの影がちらつく。

 

「正に袋の鼠ね」

「どっちが鼠なんだ? 梅たちか?」

 

 遠く前方を見つめる夢結に、隣から茶々が入る。

 先頭に立つ二人が対峙するのは、長大なトンネルのあちらこちらに浮かび上がる赤い光。不自然なまでに静まり返ったその光景は底気味悪く、さながら人魂のようである。

 

「決まってるわ。向こうよ」

 

 そう言って夢結はブリューナクの砲口を前に突き出すと、躊躇いなく引き金を引く。その一発は着弾と同時に噴煙の如き煙を立ち昇らせた。

 ところが煙が完全に晴れる前に、赤の人魂は消え去っていた。それどころか視界に映っていた他の光も全て、トンネルの奥へ奥へと逃げ出す始末。

 

「これは、誘われてるなあ」

「警戒しつつ、予定通りに端末室を目指すしかありません。あれと鬼ごっこなんて御免ですわ」

 

 梅の危惧はもっともだ。

 とは言えここで立ち止まるわけにもいかず、楓に促されて一行は歩き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 延々と続く地下道に、非常用電灯による半端な灯り。ここには何度来ても慣れそうにない。

 背中の上を何か細長いものが這い回るような不快な感覚に陥るのは、自分が過敏になっているからだろうか。鶴紗は内心でそう自問する。

 

 時折、進路上に赤い光が揺らめくが、リリィたちの接近に合わせて砲火を交える前に退いていく。

 そんな奇妙な光景が暫く続いた後、六人はやや広まった空間に出てきた。眼前には、大きさも形も同じ通路が三つ横並びになっている。分かれ道だ。

 前回は一番左の道を選んで端末室を発見したので、今回もそうすることになるだろう。

 ところが夢結と梅の前衛コンビは立ち止まったまま、中々分岐点に入ろうとしない。二人の後ろに続く楓もまた、先へ進むよう催促することはなかった。

 

「多いわね。少なくとも20は居る」

「天井の方にも何か隠れてるっぽいな」

「サーチャーは?」

「ダメダメ、相変わらず反応なし。やっぱこの実験場がおかしいんだろうな」

 

 夢結と梅の会話は、敵の伏兵の存在を示すものだった。それも今までのような逃げ腰ではなく、大兵力を集めて一戦仕掛けるつもりらしい。

 そこで楓がくるりと振り返り、鶴紗たちに向かって口を開く。

 

「鶴紗さん、前衛に加わってください。一気にここを制圧しますわ。ミリアムさんは後背の安全確保を」

「やるのはいいけど、その後はどうする?」

「特型が出てくれば、そちらを優先。出てこなければ、データの回収。それからこの地下空間を虱潰しにしますわ」

 

 楓の至ってシンプルな案に首肯だけすると、鶴紗は先輩たちに並んで前衛に立つ。

 

「楓、私は?」

「結梨さんは中央で待機。不利に陥った所へフォローに回ってください。あと、楓お姉様と呼びなさい!」

「分かった、楓!」

「楓お姉様、ですわ!」

 

 後ろの賑やかしに、鶴紗が「うちもアールヴヘイムのことを言えないな」と苦笑する。

 

「おーい、始めていいかー?」

「……ええ、梅様。皆様も準備はよろしいですわね? では、制圧開始」

 

 夢結をセンターに、梅と鶴紗が彼女の左右に展開して、分岐点の大広間に踏み込んだ。

 居る。鶴紗にもはっきりと分かった。これまでコソコソと逃げ回っていたヒュージたちが待ち構えている。

 長く強靭な顎に大きな前歯を光らせる四足歩行の獣。薄暗い地下というシチュエーションに相応しい、鼠のような姿。ファング種フィープ・ピープ型が広々とした空間の中に点在していた。

 積み上げられたコンテナの上に陣取る者、コンテナの影から顔を覗かせる者、分かれ道の通路のすぐ前に立ちはだかる者。いかに鼠を模していても正体はヒュージであり、いかにスモール級とは言え体長は一メートルを超す。そんな連中がそこかしこで牙を尖らせているのだから、威圧感は相当なものだろう。

 

「梅、鶴紗さん、下の敵は任せるわ」

「いいゾ。そんじゃ天井の方は夢結に任せた」

 

 たったそれだけ打ち合わせをすると、夢結が前方からの威圧を無視して真上に跳んだ。マギの力でぐんぐんと上昇し、手に持つブリューナクを発砲する。

 すると、とても地下とは思えない程に高い天井の一角から、金属片と青い液体が降ってきた。ヒュージだ。気が付けば、天井の至る所に赤い光の目玉が浮かび上がっていた。

 空中に躍り出た夢結を目掛けて、天井に巣くっていたヒュージが左右から迫る。丸みを帯びた胴体の両翼から、反りのついた刃物の如き翼を生やす。見た目こそあまり似ていないが、その所作は蝙蝠を思わせる。

 夢結のブリューナクはすぐさま変形を図った。大型のギアが回転し、折り畳まれていた砲身と刃が前方にスライドして分厚く剣呑な刃を形作る。その間、僅か一秒半。ブリューナク十八番の高速変形だ。

 夢結は右から来る蝙蝠型ヒュージを横薙ぎで片付けると、チャームを振った勢いのまま体を捻り、左の敵を返す刀で逆袈裟に斬り捨てる。下から見ていても、視界不良の地下でも分かる鮮やかな(わざ)

 二つの残骸は明後日の方向へ墜ちていき、やがて床に激突して小爆発を起こすのだった。

 

「ニフテリザ。現代ギリシャ語で蝙蝠を意味するヒュージですわ」

「蝙蝠? あんまり似てないよ」

「ふふっ。でしたら『再現する気があるのか』と、あとでヒュージを問い詰めてやりましょう」

 

 上空に向けて援護射撃を試みる楓と結梨が、右へ左へと砲口を動かしながらも、良い感じに力の抜けたやり取りを見せる。

 一方の夢結はと言うと、最初の二体を撃破した後、空中で体勢を立て直して戦闘を継続していた。宙を自由自在に飛び回るニフテリザに対し、夢結もまた滑空するように飛んで大広間の壁に着地。更にその壁を蹴って滑空を繰り返す。

 限られた空間内での芸当とは言え、それはもはや空戦と呼んでも差し支えないものだった。

 

「限定的な地下空間に、スモール級ではあるものの多数のヒュージ。辺りのマギインテンシティが上昇しているんですわ。それこそ大型ヒュージとの戦闘時並みに」

「楓も空飛べる?」

「できなくはありませんが、夢結様ほど華麗にはいきません。あれは非常に高度なマギ操作技術の賜物ですから」

「そっかぁ」

「結梨さんなら恐らくは可能でしょう。もっとも、わたくしたちが出しゃばる必要はありません。今は援護に徹しましょう」

「分かった!」

 

 最前線にはそぐわない楓と結梨の会話を背中で聞きつつ、鶴紗は前方へ意識を向ける。彼女たちが受け持つ敵も、中々一筋縄ではいきそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この実験場が現役で稼働していた頃の名残だろう。人が何人も中に入れる程のコンテナがピラミッド状に積み重ねられている。それらは表面が黒ずみ汚れているが、コンテナとしての機能面は問題ないようにも見えた。

 そのコンテナ群の天辺に、タンキエムの砲弾が炸裂する。頂に陣取っていたヒュージを狙ったものだ。

 しかし直前に飛び下りていたために難を逃れていた。近くの床に着地したヒュージは鶴紗たちを挑発するかのように、赤く光る前歯を上下に振って見せつけてくる。

 

「なあ鶴紗、知ってるか?」

「何をですか」

「蝙蝠って昔は天鼠(てんそ)とも呼んでたらしいゾ。だからあいつらも仲間意識が強いのかもな」

「単に暗い所が好きなだけでしょ」

 

 砲撃を躱されたにもかかわらず、梅は世間話でもするかのように話し掛けてくる。

 けれども、それは梅が実戦を軽んじていることを意味しない。仲間や後輩の張り詰めた気を紛らわせようとしているのだ。地上でのアールヴヘイムのやり取りとよく似た話であった。

 

「梅が回り込んで掻き乱すから、鶴紗は慌てて飛び出した奴から仕留めてくれ」

「了解。梅様、暗いから転ばないでよ」

「はははっ、転びそうになったら夢結みたいに飛んでみるかな」

 

 鶴紗の軽口に笑って返しながらも、梅は前方の敵から目を離さない。

 トントン、と床を靴の爪先で叩く音がした。それを合図に、鶴紗から見て左手に立っていた梅が消える。攻撃開始だ。鶴紗も射撃形態のティルフィングATを抱えて前に走り出した。

 それから時を置かずして、広間に分散して展開するフィープ・ピープたちが爆煙に巻かれる。首を捻って下手人を補足しようとする鼠型ヒュージだが、上手く捉えることができないでいた。

 レアスキル、縮地で射撃位置を頻繁に変えながらの高速移動。命中精度は落ちるが牽制程度ならばそれで十分だった。

 

 一方、鶴紗も自身の役割を果たすべく動く。

 梅の牽制砲撃によって堪らず跳躍したヒュージへ、肩に担いだティルフィングから砲弾を放つ。着地のタイミングを狙ったその攻撃は、標的に回避する暇を与えず、灰色の体躯を打ち据え叩き潰すのだった。

 側面に回り込んだ梅と正面から前線を押し上げる鶴紗。二人の十字砲火はその威力を存分に発揮していた。

 

「何体かは分かれ道から逃げていったゾ。残りはあのコンテナの山に隠れてる」

「分かった。今行く」

 

 鶴紗はある程度の距離を取り、横たえられた直方体に、コンテナ群に注意を向ける。

 先程の梅の砲撃は山頂部分のコンテナに大穴を穿っていた。穴の周囲も滅茶苦茶にひしゃげている。取り立てて頑丈な物質で作られたわけではないらいしい。

 コンテナの中身については、鶴紗はあまり考えたくなかった。場所が場所だけに、詮索しても碌なことにならないのは目に見えている。

 それでも目の前に存在する以上、どうしても思考の中にちらついてしまう。そして、そんな僅かばかりの動揺が僅かな隙を生み出した。

 

「来るゾっ!」

 

 焦りを色濃く滲ます梅の警告が響く。

 間合いは十分取っていたはず。梅の支援砲撃を待って、それから確実に仕留めるはずだった。

 けれども先に相手が仕掛けてきた。コンテナ同士の隙間から飛び出て、跳躍し、鶴紗の頭上から襲い掛かってきたのだ。

 ブレイドモードへの変形は、とても間に合わない。とっさに一発だけ撃てた砲弾は、敵のすぐ横を掠めるに止まった。

 鶴紗の眼前で、空中から落下してくるヒュージが牙を剥いた。ファング種最大の特徴にして最大の武器、頭部が裂けんばかりに開かれた大口が獲物を頭から飲み込もうと襲い来る。

 

「鶴紗!」

「……大丈夫っ、何とか」

 

 梅の声に、どうにか返事をする。ティルフィングを横向きにかざして盾にしたのだ。

 不意の危機からは逃れたものの、事態は依然として芳しくない。ヒュージの口をチャームで押し止めた状態で、鶴紗の両手は塞がり、足は相手に押し込まれないよう踏ん張っている。

 ほぼほぼ密着しているためヒュージも熱線の類は撃ってこない。しかし少しでも油断すれば、今は宙を空振りしている凶悪な牙が鶴紗の喉笛を切り裂くだろう。少々のことでは死なないと分かっていても、それでも背筋に嫌な汗が流れる。

 けれども、鶴紗は自棄を起こさない。

 失敗したなら、どうにかして埋め合わせをする。

 

「そうだ、モーター」

 

 鶴紗は百由に改造して貰った新生ティルフィングを早速活用することにした。マギを操作し、刀身に装着したロケットモーターに火を入れる。射撃形態でも作動できるようにしたことが、まさかこんな形で役に立つとは夢にも思わなかった。

 マギの炎を点火されたティルフィングは持ち主に握られたまま翔け始める。モーターが真横を向いているので、宙に飛び上がったのではなく床上を匍匐飛行しただけだが。しかしそれでもティルフィングに噛み付いていたヒュージは早々に振り落とされていた。

 コンテナや部屋の壁に激突しないよう、鶴紗はマギを操りモーターの角度と出力を調整する。本来、彼女はこういった細やかなマギ操作は得意ではなかったが、特訓のお陰で様にはなっていた。

 

 鶴紗が旋回を経て、元いたコンテナ群の前に戻った時、フィープ・ピープ型は既に梅の手で倒されていた。

 

「窮鼠が猫を噛んだなあ」

「うん、油断した……」

「ま、結果オーライ。それより上の方も片付いたみたいだゾ」

 

 梅に釣られて天井の方を向くと、そこにあるのは動くものが夢結しか居ない空間だった。

 先程からヒュージの破片らしき物体がバラバラと振っていたため、夢結の八面六臂ぶりは直接目にせずとも伝わってくる。

 とにもかくにも、最初の決戦には勝利し、分岐点に居座る敵は排除した。疑念をその場に残したままで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり解せませんわ」

 

 端末室の外に伸びる廊下にて、神妙な様子の楓がそう呟いた。他に音を立てるものが無い静まり返った地下空間なので、否が応でも声は響く。

 廊下には楓を含めて四人が警戒に当たっている。廊下と言っても、そこは巨大地下施設。次元が色々と違う。ミドル級ヒュージが十分活動できる程度には広い。

 だが逆に言えば、ラージ級は動き回るのに大分難儀するということを意味していた。

 

「分かれ道での戦闘以降、敵はまともに攻撃してきません。わたくしたちを見て後退するか、一撃離脱に徹するか。これではまるで消耗戦ですわ」

「追い込まれてる方が消耗戦を仕掛けるのか? ここではケイブも使えないし、増援をすぐには呼べない。奴らからしたらデメリットの方が大きいだろ」

「だから解せないのです。罠にしても、もう少しやり様があったはず。あの特型ならば」

 

 楓と梅が現状について思うところを明かし合う。それは地下空間に侵入した当初から浮かんでいた疑念であった。

 梅の言う通り、LGシグルドリーヴァが事前に設置した小型のエリアディフェンス装置によって、実験場近辺のケイブ発生は抑止されていた。なのでこの地下に増援のヒュージが直接出現する可能性は無い。文字通り袋の鼠状態なのだ。

 しかしだからこそ、一柳隊は特型の意図を量りかねていた。逃げるなら戦力を集中して一点突破を仕掛けるはずだし、迎え撃つならやはり集中攻撃を仕掛けるだろう。包囲している以上、小競り合いの繰り返しはリリィの側を利する。

 それとも地上の包囲を打ち破れるつもりなのか。しかし生憎、地上にはアールヴヘイムが居る。そう簡単に破れるようなものではなかった。

 

「取りあえずは、ミリアムさんたちのデータ回収を待ちますが」

 

 楓が首を回し、後方にある扉を一瞥してそう言った。現在、端末室にはミリアムと護衛の夢結がデータの回収作業に当たっている。

 問題はその後。予定通りに特型の所在を求めて奥に踏み入ることに、一抹の不安がないではない。

 だがそれでも、この六人に掛かれば勝算は十分だと思われた。流石に地下にまでギガント級は呼び寄せられないだろう。数に限りがあるのなら、ラージ級以下は夢結や梅、結梨たちにとって難敵ではなかった。

 

「ねえねえ、鶴紗はヒュージが居なくても空飛べるよね」

「飛んでいるというか、飛ばされているというか……」

「私も百由にグングニルを改造して貰おうかな」

「そこまで楽しいものじゃないけど。割と命懸けだし」

 

 警戒中でも、雑談程度の力は抜く。端末室の前の通路は直線で、遠くに設置式の照明を置いたので視界は利くようになっている。進軍時と違って奇襲を受ける危険は無いだろう。

 

 実際、熱線を浴びる前に敵の接近を目視で確認できた。通路の両側から挟み撃ちの形でフィープ・ピープ型がじりじりと近付いてくる。数は片側三体ずつ。スモール級といえども、通路で一度に多くの戦力は展開できないらしい。互いに邪魔し合って、持ち前の機動力を殺すからだ。

 端末室の出入り口を守る四人は二組に分かれて二方向の敵と対峙する。楓と結梨、梅と鶴紗という組み合わせで。

 戦端を開いたのは梅のタンキエムだった。腰だめに構えた砲が三点射撃を放つ。残り百メートルまで距離を縮めていたヒュージの足元に、着弾の硝煙が立ち昇った。

 するとヒュージたちは槍の切っ先の如く鋭い四つ足を動かし、元来た方へと素早く後退し始めた。

 

「また、性懲りもなく嫌がらせか」

 

 敵の動きを見て鶴紗は吐き捨てるように呟いた。フィープ・ピープ型は後ろに下がりながらも、赤く光る前歯から熱線や光弾を撃ってくる。だがそれは明らかに牽制を意図したものだった。

 リリィたちが深追いせず射撃に徹していると、やがてヒュージたちも後退する足を止めて本格的に応戦し始める。ある程度の間合いを空けて、忽ち激しい撃ち合いが勃発する。

 

 距離を詰めれば、早く決着が付いただろう。だが鶴紗も縮地使いの梅も、そうはしない。あからさまな敵の誘いには乗らなかった。

 鶴紗たちと背中を向け合っている楓たちも、それは同じ。必要以上に前には出ていない。

 鶴紗と梅、楓と結梨。二つの組を隔てる距離は二十メートルも無かった。

 ところがその僅かな隔たりの中で、突然異変が起きる。

 

「なっ……まずい!」

「梅様!?」

 

 チャームを構えていた左腕をいきなり引っ張られ、鶴紗は驚きと困惑の声を上げる。

 梅の不可解な行動の意味はすぐに分かった。さっきまで鶴紗たちが背を向けていた空間に、分厚い壁がそそり立っていたのだ。

 縮地を発動しようとして間に合わなかったのか、梅は壁の前で急停止して掴んでいた鶴紗の腕を離す。代わりにチャームで斬り付けたり砲弾を撃ち込んだ。しかし表面を傷付けるだけで、とても破壊できそうにはなかった。

 端末室の扉と楓や結梨は壁の向こう側。鶴紗と梅は分断されてしまったのだ。

 

「梅様、鶴紗さん! そちらはご無事ですか!?」

 

 壁の反対側に居るであろう楓から通信が入る。

 だが落ち着いて返事をする余裕は無い。間隔を空けて、更なる壁が天井から下りようとしていたのだから。

 梅は鶴紗を抱えて縮地を発動させる。今度は間に合った。

 一定の距離ごとに、順々に閉じていく壁。それらを六枚ほど通り抜けたところで梅は足を止める。辿り着いたのは十字路の交差点らしき場所だった。

 もう壁が下りてくる様子は見られない。壁と壁の間に閉じ込められる最悪の事態は回避できたが、仲間たちと完全にはぐれてしまった。

 

「何なんだ、これ……」

「分からない。分からないけど、ちょっとピンチだゾ。さっきのヒュージもいなくなってるし。してやられたなあ」

 

 背後の壁を振り返った鶴紗は唖然とする。

 梅も冷静ではあるが、顔の表情は若干硬くなっていた。

 

「ティルフィングのバスターキャノン、撃ってみますか?」

「止めといた方がいい。対ヒュージ用の隔壁だ。それに、こんな所であまりでかいの撃ち込んだらどうなることやら」

 

 鶴紗の提案は却下された。常識外れに広大ではあるが、ここはあくまでも地下施設なのだ。確かに、まかり間違って崩落でも起きたら堪ったものではない。

 

「――――さまっ! 梅様!」

「おお、楓か。そっちはどうなってる? 夢結たちとは合流できるか?」

「端末室とは分断されておりません。ミリアムさんの回収作業が終わり次第、こちらは四人で動けます」

 

 通信機から声を響かせる楓は無事なようだった。ただ、少しばかり状況に苛立っている様子。

 

「ですが、隔壁の突破は控えます。戻ってそちらに繋がるルートを探しますわ」

「それがいい。だけどこっちはこっちで移動するゾ。今ヒュージに囲まれたらヤバいからな」

「そうですわね……。でしたら件の搬入エレベーターの傍で落ち合いましょう。他に合流に適した場所も存じませんし」

「分かった」

 

 目的地が定まると、梅は物言わぬ隔壁に背を向けて歩き出した。しかし通信はまだ終了せず、足を動かしながら口を開く。

 

「なあ、楓。さっきの隔壁、狙ってたよな」

「当然ですわ。そもそも緊急時の隔壁閉鎖は事前に警告灯やサイレンが作動するはずですが、それがなかった。まず間違いなくあのタイミングを狙ったものです」

「これも罠っていうわけか……」

「皆様、覚えておいででしょう。何時ぞやの、百由様謹製メカヒュージをハックして暴走させたヒュージ。あれと似たようなことができるなら、施設の設備を操れても不思議ではありません」

 

 あの事件なら勿論覚えている。鶴紗は梨璃と共に非番でチャームを所持していなかったため、かなり危うい目に遭ってしまった。厄介な性質のヒュージだったが、百由のサポートと二水の機転によって討つことができたのだ。

 

「迂闊でしたわ……。このような可能性、考慮に入れるべきでした」

 

 いかにも歯噛みしていそうな楓の声を耳に入れつつ、鶴紗の思考は現状を見つめ直す。

 特型が、一度は脱走したこの実験場に立て籠もった理由。勝手知ったる何とやら、ではないが、ここでならリリィを迎え撃てると判断したのだろう。近場にあるネストを避けたのは、いずれ多くのリリィが討伐しに来るからか、それとも鶴紗を狙っているためか。

 何にせよ、事態は特型の思惑通りに進んでいるのかもしれない。

 

「袋の鼠」

 

 腹立ちと空恐ろしさが混ざる中、鶴紗の口からついて出た言葉。それは前を行く梅以外に誰も居ない通路の暗がりへ消えていく。

 

 

 



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第29話 生き足掻く命

 時折曲がり角を曲がりながら、横幅が広く天井も高い通路を二人のリリィが進む。

 間隔が疎らで明度を抑えた電灯の下、思い出したように暗がりから飛び出してくる四つ足のヒュージを一つ一つ打ち倒していく。

 この施設は元々ヒュージの実験場だった。無駄に入り組んでいるのは実験体の性能テストを行なうため、というのは外征出発前にミリアムから耳にした話であった。

 

 鶴紗は左前方を行く梅の背中に目をやる。

 前回、ここから逃げ出す時は二人きりだった。そして今も二人。

 けれども今回は前回と違い、鶴紗にも他人のことを意識できる余裕が多少はあった。

 

「梅様」

「んー?」

「今まで逃げ回っていた特型が、どうしてこんな地下に籠ったんだろう」

「うーん……。よっぽど勝算があるとか。それとももしかしたら、逃げるのを諦めて腹をくくったのかもなー」

 

 半分は他愛無い雑談のつもりで、しかしもう半分は真剣に、そんなことを尋ねてみた。

 こうして分断された現状を見るに、梅の予想の内、前者の方はもっともらしい説得力がある。少なくとも後者よりはあり得る話だろう。

 

「ヒュージが腹をくくるのか」

「知能があるなら腹もくくるし、潔くなったりもするだろう」

 

 答えになっているのか、なっていないんだか、よく分からない梅の返答。

 それを聞いた鶴紗の中に、ちょっとした悪戯心が芽生える。

 

「それじゃあ梅様も腹をくくらないと」

「梅はいつだってくくってるゾ。首以外は」

「腹をくくって、シュッツエンゲルを契るとか」

「あー、それはなぁ……」

「未練を捨てて、恋人でも作ってみるとか」

「んー、それもなー」

 

 のらりくらりとした梅の態度に、鶴紗は可笑しさが込み上げてくる。反感は湧かなかった。むしろ親近感のようなものすら覚えていた。奇妙な話だ。人付き合いの苦手な鶴紗と人付き合いの上手い梅では正反対だというのに。

 

 そうこうしている内に、取りあえずの目的地である搬入エレベーターの前に到着する。ここまでは前回の探索で一度訪れているので迷わなかった。だからこそ合流地点に選ばれたのだ。

 改めて目の前にすると、このエレベーター、やはり大きい。10tの大型トラックが丸々乗るだろうし、ラージ級ヒュージだって暴れなければ楽々運べるだろう。

 エレベーターの先にはまだ通路が続いていた。相模灘、即ち海に通じる道である。事前に特務レギオンシグルドリーヴァが海中トンネルを破壊したという話なので、海から逃げられる心配は無い。

 特型が方針転換して逃げ出そうとするならば、こちらの搬入エレベーターを通るはず。そういう意味でも、ここを合流地点に設定したのは理に適っていた。

 

 もっとも、狙いが的中し過ぎるのも考えものである。

 合流前の二人だけで出くわしてしまうとは。

 

「……案外あっさり出てきたな。いや、この時を狙ってたのか」

 

 長い通路の先に、梅が敵の影を見つける。

 鶴紗もほとんど同時に気が付いた。ぼんやりとした薄明かりから、赤い光の単眼が浮かび上がるのを見た。

 ペネトレイ種カウダ型を鋭角的でスマートにしたフォルム。体長が三メートルを超すミドル級のサイズ。

 既に幾度も目にしてきたその姿。忘れようがない。たとえ忘れたくても、忘れられるものではない。

 

「先に楓たちと合流しますか?」

「さっきみたいにまた壁を下ろされたら、縮地でも逃げ切れるか分からない。梅たちだけで仕掛けるゾ」

 

 鶴紗たちが下りるのに使ったエレベーターは人間サイズのもの。この場にある搬入用エレベーターは地上で梨璃たちが見張っている上に、物理的に開けない処置を施している。

 なので一旦退くという選択肢もあったのだが、梅は戦う方を選んだ。鶴紗も本音で言えば、望む所であった。後回しにするのは性に合わないからだ。

 

「どっちが前に――――」

「合わせていこう。そのティルフィングなら、梅にちょっとは付いてこれるだろ?」

「了解。しっかり付いていってやりますよ」

 

 射撃モードのチャームを構えた二人が前に向かって足を踏み出した。

 すると、特型の胴体前面の装甲が横にスライドし、合計八つの発射管と丸みを帯びた弾頭が顔を見せる。

 それが特型、個体名『ファルケ』との決戦を告げる鐘となるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 両腕と右肩の上で保持されたティルフィングが炎を吐き出しながら、持ち主ごと地下通路を疾駆する。炎と言っても本物の炎ではない。推進力と化したマギがチャームに取り付けられたロケットモーターを介し、赤い光として可視化したものだった。

 時に蛇行を織り交ぜながらも高速で前進するティルフィングと鶴紗は、機を見ては大口径の砲で標的を狙う。的が比較的大きい上に回避行動が取れる空間も限られているので、命中率は予想よりも悪くなかった。ただし、標的に有効打を与えているようには見えなかったが。

 

「並みの攻撃じゃあ、らちが明かないっ」

 

 焦燥を覚え始めた鶴紗に対し、砲撃の返礼が帰ってくる。後ろ向きで、しかし高速で飛行する特型が、リリィたちから逃げながらも赤いレーザーを放つ。

 弾速の極めて速いレーザーだが、対処のしようはあった。特型の単眼が動いた向きによって、ある程度の軌道を読むのだ。いざとなったら鶴紗のファンタズムもある。

 それよりも厄介なのはミサイルだろう。時折、思い出したように飛んでくるそれは誘導弾だった。従って迎撃する必要に迫られ、余計に特型との距離を詰められないでいた。

 

「どこに誘い出すつもりか知らないが、取り巻きが出てくる前に片付けるゾ」

 

 通信で指示してきたのは梅だ。彼女は小刻みに縮地を繰り返してヒュージに追い縋っている。一気に距離を縮めないのは偶然による被弾を避けるため。縮地はS級に達しない限り、あくまで高速移動であって空間転移の類ではない。故に危険と隣り合わせのレアスキルであった。

 鶴紗は梅の通信に答えようとする。が、中々思い通りにはいかない。ティルフィングのモーターで飛行――と言うよりも床のすぐ上を滑っているような状態だが――する彼女の体に思い切り風が吹き付けてくるからだ。

 それでもどうにか、鶴紗は疑問の声を上げる。

 

「でも、どうやって?」

「一度、一斉に撃ちまくってあいつの攻撃を抑え込むんだ。その隙に梅が突っ込んで叩く」

 

 それは危険な賭けだった。縮地は便利な能力だが、無敵の能力ではないのだから。一歩間違えれば逆に集中砲火を浴びかねない。

 鶴紗は即座に返答できなかった。

 けれども他に打開策が浮かばない。それに、梅にとっては分の悪い賭けではないのかもしれない。なので鶴紗は短く「分かった」とだけ答えた。

 

「チャンスはミサイルを撃ってくる直前。そこを狙う」

 

 梅の指示通り、鶴紗は引き金から人差指を離して機を窺う。遠慮なしに振るわれるレーザーの光から、身を丸めることで逃れながら。

 一方、梅は散発的ながら砲撃を続けている。しかし照準は甘め。特型の機体を捉えられずに虚しく虚空を貫くだけ。

 

 そうしている内に、特型が先に動いた。飛行の軌道を真っ直ぐ安定させ上で、機体前面の装甲をスライドさせてその牙を剥き出しにする。八機のミサイルが今にも発射管から飛び立とうと、獲物の品定めを開始したのだ。

 品定めと言っても、数秒も経たない間にミサイルの推進部に火が付くだろう。なのでそれよりも早く、二機のチャームが砲口に火を灯した。

 ティルフィングの低速・重厚な発砲とタンキエムの高速・軽快な発砲が、攻撃態勢に入っていた特型を同時に襲う。

 特型はミサイル発射を急遽取り止め、機体を捻じって回避に努める。発射管への被弾は避けたいのだろうか。

 だが無理矢理な旋回は大きな隙となる。特型が脇腹を見せた瞬間、梅の体が掻き消えた。そしてまた次の瞬間には、横薙ぎに振るわれた黄金色の刃が灰色の戦闘機を叩き落としていた。

 

「追うゾ! 畳み掛ける!」

「分かってる!」

 

 既に鶴紗は追撃するべく行動に移っていた。ティルフィングのモーターに鞭打って加速。梅に打たれ、錐揉みしながら飛んでいく特型を追い掛ける。

 

 その時だ。長かった通路に終わりが訪れる。終着点は、これまたぽっかりと開けた大部屋だった。

 隅の方、部屋の四分の一程度には水が張られており、波止場のような設備も見られる。どうやらここは相模灘に通じる海中トンネルの出口のようだ。

 とは言え今の鶴紗たちにトンネル云々は関係ない。海中への逃げ道はあらかじめ破壊済みなのだから。

 

 墜落して床の上を滑っていく特型だが、水の中に落ちる前に波止場でようやく停止した。

 追い付いた鶴紗はティルフィングをブレイドモードに変形させる。そうして、ロケットモーターで飛んで来た勢いのまま、地に落ちて動かぬ戦闘機へ頭上から斬りかかった。

 ミサイルもレーザーも、真上には撃てないだろう。機首を起こそうとする気配も無い。

 今チャームを振り下ろせば勝てる。そう確信した鶴紗の視界が、一瞬で白に染まる。特型の全身から眩い光が発せられたのだ。

 

(目潰し……っ)

 

 鶴紗は反射的に後ろへ飛び退いた。

 無事に着地し、閃光から視界が回復した彼女の目に、変化した敵の姿が映る。

 通常、ペネトレイ種は胴体後部に黒いチューブのような触腕を無数に隠している。だがこの特型には二本だけ。ただし触腕などではなく、機械の如きロボットアーム。機体後部から生えたそのアームは屈曲して機体前方まで伸び、更にアームの先端には赤い光の刃が備わっていた。

 特型が二本の刃を掲げて鶴紗に迫る。

 望む所だと、鶴紗は足元まで切っ先を下げていたティルフィングを逆袈裟に繰り出す。

 振り下ろされた赤い光刃と、振り上げられた鉛色の大剣が重なった。特型のマギと鶴紗のマギがぶつかり合い、両者を中心にして辺りを輝き照らす。

 

「なに、これ……」

「っ! 鶴紗!」

 

 思わぬ事態に、梅の必死な声が響く。

 一方で当事者の鶴紗は困惑するばかりであった。この不可思議な発光現象は勿論のこと、マギを通して特型の意思と思しきものが伝わってきたからだ。

 

 やがて、この広い空間一杯に瞬くかのようなマギの光が消えていく。

 特型は再び飛翔して、元来た通路を逆戻りしようと速度を上げる。鶴紗はティルフィングを構えたままその場から動けない。そんな彼女に代わって特型の退路を遮ろうとした梅だが、水面下から波止場に這い上がってきたヒュージたちに邪魔される。

 結局、行き止まりまで追い詰めた特型を逃すはめになってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突き当りの大部屋に、息絶えたスモール級の残骸が散乱する。金魚にも花にも似たそのヒュージは、特型と同じペネトレイ種のクチハナ型。高速で泳ぎ回る彼らは水中では厄介な相手だが、水面から陸に上がってきたところを討たれていた。まるで特型が逃げる時間稼ぎのために現れたかのように。

 そんなヒュージたちを倒したのは、ほとんどが梅の手によるものだった。鶴紗は依然、心ここに在らずといった調子で自身のティルフィングを見つめている。

 

「鶴紗」

 

 部屋に残敵が居ないことを確認した梅が歩み寄る。

 

「鶴紗」

 

 もう一度名前を呼んで、鶴紗の肩を右手で掴んだ。崩れないよう、壊れないよう、そっと触れるように。

 そこで鶴紗は手元のチャームから視線を持ち上げる。真っすぐにこちらを見つめてくる丸い瞳に、自らの視線を返す。

 

「分かったんだ。特型の意思や感情が。マギを通して」

 

 それは意思疎通と呼べるような代物ではなかった。相手の思いや感情が、朧げながらも流れ込んできた。一方通行な出来事。

 とは言え、今までのヒュージでは起き得なかったことに変わりはない。あの特型、ファルケの特異性によるものだろう。

 

「あいつは、ただ生きるために、生き残るために戦ってきた。私を狙ったのは、最初に由比ヶ浜でやり合って、次に真鶴で出くわして、それから自分のことを付け狙う敵だと認定したから。それ以上の理由なんて無かった」

 

 鶴紗が特型のマギから感じ取ったのは、死への忌避と生への執着。そのためには自身を追ってくる鶴紗と一柳隊の排除が不可欠だと判断した。

 やられる前に、やる。

 だからこうして地下空間に誘い出し、返り討ちにしようと目論んだ。

 

「あいつはやっぱり、ただのヒュージだった。父さんなんかじゃない。だってそうでしょ? 自分が助かるためだけに、この静岡に集めた仲間のヒュージを捨て駒にして。父さんとは大違いだ。父さんとは……父さんは……」

 

 これで確信が持てた。移植に使われた父の脳はヒュージに進化を促したが、ただそれだけ。ヒュージに人の魂が宿ったり、心が乗り移ったり、そのような奇跡とでも呼ぶべき事象は存在しなかった。

 自分たちがこれから討つのは、ただのヒュージ。それは本来、歓迎すべき事実のはず。

 なのに鶴紗の頬には小さな滴が流れていた。

 

「父さんはもう、どこにも居ないんだ」

 

 幼い頃に亡くなったということは勿論理解していた。だがそれでも、特型の実験資料を目にした時、絶望と共に「父の残り香が少しでもあれば」と淡い期待を抱いていた。

 ヒュージの中に、親しき者の影を見る。それはリリィとしても人としても許されざる行為なのかもしれない。そう頭の中では分かっていても、しかし鶴紗は両の瞳から流れ出る滴を止められなかった。

 

「無理に戦わなくても、梅たちに任せていいんだゾ」

 

 暫く沈黙していた梅がそう言った。

 けれども鶴紗は首を横に振る。

 

「前にも言ったけど、自分でケリを付けないと私は前に進めない」

 

 ティルフィングの柄を強く握る。頬は濡らしたままだったが、ぼやけていた視界は元に戻りつつあった。どうにか戦えそうだ。

 

「そっか。じゃあ鬼ごっこのやり直しだな」

「……それにしても梅様、こういう時は『シルトにしてやる』とか『家族になってやる』とか、嘘でもいいから言うもんじゃないの?」

「えっ、えぇー? そうか?」

「前に二水には言ってたくせに」

 

 鶴紗は気を取り直すため、発奮するため、わざとらしく責めるようなことを言ってみる。

 無論、本当は分かっている。二水ならば軽く流してくれるから、梅はそんな提案をして元気付けようとしたのだ。

 しかしこれが鶴紗だったなら、表面上はともかく内心では軽く流せるかどうか自分でも分からない。そういった心の機微を察していたから、梅は鶴紗にシルトの話をしなかった。若干自惚れが入っているが、鶴紗はそう考えていた。

 自分が面倒で執着心が強く、重い人間であることは自覚がある。だがそれは梅にも同じことが言えるのではないだろうか。ずっと一人の女性を想い続けて、口ではともかく、実際に未練を断ち切れたのか定かでない。

 

「似た者同士……」

「ん、何がだ?」

「何でもない」

 

 二人して重い。お互い似た者同士。

 だから鶴紗は彼女に惹かれたのかもしれない。

 

「それより梅様、これからどうする?」

 

 今はまだ目的を果たせていない。

 心の内を一旦引っ込めて、鶴紗が方針を確認する。

 

「夢結たちからの通信がない。向こうはまだ特型を見つけられていないんだろう。だったら私たちはもう一度エレベーターで待ち伏せしよう。あのヒュージにとって唯一の逃げ道だからな」

 

 隔壁によって迂回を余儀なくされた四人は相当な回り道をしているらしい。伏兵の襲撃もあり得る話だ。

 だが特型とて焦っている。罠を張ったはいいものの、鶴紗たちリリィを消耗させるはずが、手下のヒュージを次々に討ち取られているのだから。

 

「もう平気。行こう」

 

 鶴紗のその言葉で、二人は特型を追うべく波止場に背を向けて通路に向かう。

 どこまでも逃げるなら、どこまでも追い掛けて倒すまで。リリィとして、そして安藤鶴紗という人間としてのけじめを付けるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サーチャーにヒュージ反応です! 真っ直ぐこっちに向かってきます!」

 

 地上。

 秘密実験場の搬入エレベーター地上開口部にて。一柳隊隊長の梨璃が携帯を握り締めて張り詰めた声を上げる。

 

「……鷹の目で確認しました! 三時の方角よりシュテルン型が4! その後方から更に2! 低高度から接近中!」

 

 続いて、レアスキルの発動で両目を赤に染めた二水が高い声を張る。

 

「アールヴヘイムは、二体目のギガント級と戦闘に入ったそうです。エレベーターの封鎖はわたくしたちだけで続行しましょう」

 

 そして彼女ら封鎖班の司令塔である神琳が場を取り仕切る。

 神琳と梨璃が前に出て、二水と雨嘉がその後方に位置する布陣であった。

 

 隊を分けた中での、空からの襲撃。前回実験場を訪れた時と同じパターンだった。ただあの時と違うのは、攻撃面で重要な戦力の結梨が不在な点である。

 頼みの綱のトップレギオン、アールヴヘイムの支援も今は期待できない。この四人で乗り越えなければならないのだ。

 

「先頭の敵編隊、二機ずつ二手に分かれました!」

「前回同様、ロッテ戦術ですか。二水さん、貴方も前に出てください」

「はっ、はいぃ……」

 

 二水の報告を受けて、神琳はすぐに陣形の変更を指示する。円盾のチャーム、媽祖聖札(マソレリック)を構える神琳を中心に、梨璃と二水が扇状になるよう左右へ展開。その三人の後方に雨嘉が位置する形だ。

 高速・三次元機動が可能な敵を相手に、どれだけフォーメーションが役立つかは分からない。けれども神琳の見立てでは、これが最も有効な手段であった。三人で、後方一人の被弾を可能な限り低減させる。迎撃の要はその一人、今も口を閉じ引き締めている寡黙なスナイパーだった。

 

「よろしいかしら? 雨嘉さん」

「……うん、いける」

 

 神琳が背を向けたまま確認すると、雨嘉もまた細めた瞳で空を見つめつつ返事をした。

 そうしている間にも、左右に散った二つの敵編隊が距離を縮めてくる。と言っても、大きく迂回し両側面から梨璃たちを挟撃するのではなく、それぞれの編隊がS字を描いて互いに交差しながら突っ込んでくる。

 

「あの空戦機動、こちらに的を絞らせないつもりでしょうか?」

「そうですね……。わたくしたちは予定通り、弾幕を張りましょう」

 

 警戒する二水を促すと共に、自身もマソレリックを高く掲げる神琳。

 一呼吸置いて、三人のチャームが火箭を吐き出す。マソレリックの多銃身機関砲が、グングニル二機の実弾砲が、狙いを定めず広範囲にばら撒かれる。

 取り分けマソレリックの弾速と発射速度は驚異的だ。まるで空に網を掛けるかの如く、濃密な弾幕を形成している。

 

 だがそれでも、撃墜には及ばない。

 地上の悪足掻きを嘲笑うかのように、ヒュージたちは弾幕を物ともせず大空を自由に舞う。

 光弾を眼下にばら撒きつつ、敵編隊が一柳隊の頭上を高速で通り抜けると、リリィたちの周囲に何本もの土煙が吹き荒ぶ。マギの防御結界が無ければ、体を血みどろに引き裂かれていたことだろう。それでも梨璃や二水については、制服に多数の擦り切れを負っていた。

 

 そんな中でも、雨嘉はやはり物言わず佇んでいる。射撃形態のアステリオンを両手に抱え、銃口は空を仰ぐ。しかし先程の攻防の際、一発の銃弾も放たなかった。

 だと言うのに、神琳は雨嘉の整った横顔を一瞥しただけで通り過ぎ、敵の飛んでいった方へと配置を変える。敵編隊が旋回し、再び襲撃を仕掛けようとしていたからだ。

 梨璃と二水も黙って神琳に倣う。「神琳が問題無いと判断したなら問題無いのだろう」と言わんばかりに。

 

 やがて旋回し終えた敵編隊が再度の空襲にやって来る。

 やはり二機一組。先頭を行くヒュージがやや低空を飛び、相方のヒュージが後方上空で警戒に当たる。本来は空中戦用の戦術だが、対地攻撃にも応用できるものだった。

 

 双方の間合いが縮まる。

 名前の通りの星形をした頭部。頭部の後ろから伸びた多角錐の胴体が、青いマギの炎を噴き出し加速する。

 一柳隊に限らず、各地で数多のリリィを苦しめてきたシュテルン型。高出力のマギに支えられた高速飛行と、並の攻撃にはビクともしないタフネスさを併せ持つ。その力は重戦闘機と呼ぶに相応しい。

 再び地表を穿とうとS字飛行で奔る戦闘機群へ、銃声が立て続けに三発。

 直後、一機のシュテルン型が頭部に三つの弾痕を刻まれた。それから僅かに遅れて、弾痕が真っ赤な火柱を噴出させた。炎はヒュージを内側から焼き尽くし、弾丸の破片は灰色の機体を激しく切り刻む。

 

 敵機を射抜いたのは雨嘉だった。彼女は残る敵が頭上を通過すると同時に180度体を捻る。そうして遠ざかるジェットの噴射口を標的に引き金を引いた。

 狙われたシュテルン型は下手に旋回せず、小刻みな蛇行運動で速度を落とさず回避を図る。しかしそんな努力も虚しく胴体に被弾。ついさっき討たれた僚機と同じく、火柱を上げながら大地に墜ちていった。

 

「凄い……。百由様の新型弾も凄いけど、雨嘉さんの腕も凄い。あんな早撃ちで当てるなんて」

 

 梨璃が羨望の眼差しを惜しげもなく向ける。そういう彼女は雨嘉の右側面にて、敵の攻撃を引き付ける一助となっていた。

 初心者向けのグングニルには防御結界を補助する機能が備わっている。だがそれでも光弾の掃射をまともに浴びては無傷では済まない。梨璃の制服は更に擦り切れや破れを増やし、スカートから伸びる脚には打撲痕が見られた。

 

「もう一つの敵編隊に変化があります! 先頭機が高度を下げ、後続機は逆に高度を上げてます!」

 

 鷹の目を発動し続けている二水の新たな報告。

 しかし鷹の目に頼らずとも変化は一目瞭然だった。低空の敵はより低く、地を這うかの如し。高空の敵はより高く、機首を一杯に引き起こしてぐんぐんと高度を稼ぐ。

 分散してからの同時攻撃。そう思い至った神琳はすぐさま動く。

 

「雨嘉さん、下の敵はお任せください」

「うん、分かった」

 

 たったそれだけ。それだけ言葉を交わすと、雨嘉の前で構えていた神琳が小走りで前方に進み出た。

 腰を深く落とし、眼前にかざした円形の盾。マギの弾丸やレーザーには難無く耐える。しかしその直後、射撃兵装の直撃とは比較にならない衝撃がチャームを握る神琳の手を襲った。

 真っ向からマソレリックとぶつかり合うシュテルン型が、おたけび染みた金切り音を掻き鳴らす。本当におたけびなのか、それとも悲鳴か。あるいは単なる擦過音かもしれない。

 神琳の、土を踏み締める両足が沈み、腰から上を支える太腿が負荷を掛けられ戦慄く。

 しかしながら、神琳は耐えきった。流星と化したシュテルン型の一撃は受け止められて、無防備にも失速してしまう。

 機動力を失った戦闘機など、脆いもの。神琳に抑え込まれたシュテルン型は梨璃と二水の射撃を至近距離から叩き込まれ、再び空に輝くことなく撃墜されるのだった。

 

 そして同時に襲撃を掛けたもう一機。

 こちらは垂直同然の角度から、眼下のリリィたちに向け逆落としに落ちていく。

 待ち受ける雨嘉はアステリオンの銃口を天に掲げた。ところが思うように照準を付けられない。敵機が太陽を背にしていたからだ。

 

「くぅっ!」

 

 眩い陽光に顔を歪めながらも、雨嘉は二発の弾丸を繰り出した。

 一発は灰色の機体を掠めるに止まり、もう一発は星形の頭部に命中する。しかしそれだけでは撃破に至らない。地面との激突寸前で機首を引き起こして飛び去ったシュテルン型に、雨嘉の右肩から右腕にかけて強かに打ち付けられた。

 袖から先の素肌、彼女の出身地を思わせる雪のように白い肌が赤く腫れる。感情の表出に乏しい顔に苦悶の色が浮かぶ。

 だが雨嘉の負傷を代償にして、飛び去ったはずのシュテルン型がぐらりと揺れた。灰色の胴体に刻まれた裂傷から火花を撒き散らす。そうして小刻みに震えながら歪な軌道を描いた末、頭から丘の斜面に突っ込んでいった。

 雨嘉の手の中にあるアステリオンは、ブレイドモードに変わっていた。

 

「あっ……」

 

 よろめきバランスを崩しかける雨嘉だが、神琳の右腕によって支えられる。

 

「チャームの高速変形からの、すれ違いざまに一閃。お見事でした」

「偶然だよ。相手の軌道が少しでもズレてたら、私の腕が吹き飛んでたかも。それより神琳は腕と脚、大丈夫なの?」

「鍛えてますから」

 

 片腕で雨嘉の腰を抱き止める神琳の顔は、相変わらず涼しげだった。このまま雨嘉の体を抱き抱え、くるくる回り出しそうな余裕すらあった。

 離れた所でそんな二人を眺める二水。彼女がもしカメラを持参していたら、迷わずシャッターを切っていただろう。そのぐらい絵になる光景である。

 

 だがその時、二水や皆にとってカメラどころではない事態が訪れる。

 

「最後の敵編隊が接近中! 真っすぐこちらに向かってきます!」

 

 二水の鷹の目が異変を捉えた。後方で様子を窺っていただけの二機がここにきて参戦してきたのだ。

 シュテルン型が緊密な編隊を組んで、頭部中央からレーザーを放ってくる。しかしその標的はリリィたちから大きく外れ、後背の地面へと向けられていた。

 

「エ、エレベーターの隔壁を狙ってるっ」

 

 周りを土に囲まれた巨大な鉄蓋に攻撃が命中するのを見て梨璃が声を上げる。封鎖の解除が目的なのは明白だった。

 しかしながら、その程度で隔壁が突破されたりはしない。ヒュージ実験用の施設なのだから、並大抵の強度では務まらないのだ。

 加えて、物理的にも開かれないよう措置が施されている。ここに到着した直後、神琳たちの手によって、左右横開きの隔壁に複数個の(かすがい)を取り付けられた。鎹は当然、百合ヶ丘の工廠科から持参した特注品。これで何らかの手段で隔壁が操作されたとしても、地下との通路が口を開くことはないだろう。

 

 けれども二機のシュテルン型は愚直に攻撃し続ける。その速度はさっきまでの同型と違って低速。故に雨嘉を除いた三人の対空射撃に容易に捕まってしまう。

 全身に鉛玉を食らい、青い体液と灰色の金属片を撒き散らしながら、一直線に鉄蓋を目指す。

 神琳の中に芽生えた違和感が、悪寒に変わる。

 

「いけない、皆さん離れて!」

 

 隔壁を目指したシュテルン型は最後まで機首を上げなかった。

 閉じられた隔壁に二つの流星が飛び込んで、地を揺るがす爆炎と化した。

 

 

 



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第30話 真心

 元来た道を辿って、じめっとした地下通路の中を小走りで掛ける。金属板と石質板を重ね合わせた床材を靴の裏で踏みつけていると、劣化の進行が読み取れた。放棄されて時が経っているため無理もない。重要区画でもないので尚更だ。まさかヒュージが建築構造物の補修などはしないだろう。

 鶴紗も梅も、ティルフィングのロケットモーターや縮地は使わない。特型を追跡中とはいえ、マギの消費も伏兵の襲撃も馬鹿にならないからだ。もっとも、今のところ伏兵の心配は杞憂となっていたが。

 

「……おっ、やっと繋がった。夢結ー、そっちどうなってる?」

 

 環境のせいか、戦闘のせいか、感度不良に陥っていた無線。それがようやくまともに機能し、梅がインカムに向けて呼び掛ける。

 

「ごめんなさい、まだ特型は見つけられていないの。封鎖された隔壁を迂回していたら、かなりの回り道になってしまって」

「ま、そのための壁だからなあ。仕方ない」

「途中でスモール級の集団と五回遭遇したけど、こちらは全滅させておいたわ」

「ああ、道理で梅たちの方に来ないわけだ」

 

 納得した梅はそれから少し考え込んだ後、改めて口を開く。

 

「特型は今度こそ地下から逃げ出そうとするはずだ。梅たちがガツンとぶん殴ってやったからな。こっちは今、エレベーターに向かって追い掛けてる」

「封鎖はしていますが、急ぐに越したことはありませんわね。少々危険ですが、合流を待たずに追撃しましょう」

 

 今度は司令塔の楓が通信に答えた。

 夢結にしろ楓にしろ、少なくともインカムから届く声からは、連戦による疲弊が感じられなかった。あちらには結梨も居るので大抵の敵は問題にならないのだろう。むしろ最大の敵はこの複雑な施設構造であると言えた。

 

 はぐれた四人は心配いらない。

 元々あまり心配はしていなかったのだが、実際に確認が取れたことで鶴紗は安堵する。

 そんなちょっとした気の緩みの中で、突如として耳に飛び込んできた爆発音に目を見開く。

 

「梅様、今のは!」

「エレベーターの方からだ。急ぐゾ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下の奥深くから地上へと繋がる巨大な縦穴。まるで地獄と現世を結ぶかのようなその場所で、梅と鶴紗が到着するなり真上を見上げる。

 

「……ここからだとよく分からないが、何か居るゾ」

「さっきの爆発、多分地下じゃないと思う」

「梅も同感だ。しかしそうすると、上ってことになるが。この距離であれだけの音……」

「梅様」

「勿論、すぐ行く。出し惜しみは無しだ。いいな?」

 

 梅の確認に対して黙って頷くと、鶴紗は手にしたティルフィングAT(アサルトタイプ)にマギを込める。

 射撃形態に変形済みの大剣、その刀身部分にある噴射口が真下に向いた状態で、込められたマギが爆ぜた。否、爆ぜたかの如く噴出した。

 鶴紗の体が重力に逆らいながら、縦穴の中をぐんぐんと昇っていく。マギで全身を守られているリリィならではの強引な飛翔。前回使用した人員用の小型昇降機もあるにはあるが、悠長にそんなものを使っていられる状況ではない。

 

 鶴紗の離陸を見守っていた梅も、遅れて地上へと出発する。彼女は縮地を利用して瞬時に跳躍すると、縦穴の壁面に着地。壁の所々に存在する出っ張り部分を足場代わりにして、鶴紗と付かず離れず、段階的に穴を昇っていくのだった。

 

 やがて二人の頭上に地下空間の終わりが見えてくる。

 出入り口までまだ距離があるにもかかわらず、見えてしまった。本来閉じられているはずの隔壁から光が漏れていたからだ。

 

「あのバカ硬い壁をぶっ壊したのか!」

 

 下を振り返らず上昇する特型の姿に、砲撃を仕掛けながら梅が叫ぶ。

 それでも特型は止まることなく、僅かに開かれた生への道をひたすらに突き進む。

 

「こうなったら、鶴紗! お前の火力でっ!」

「……っ」

 

 飛行時でも射撃は可能。高出力砲(バスターキャノン)も、理論上は撃てると聞いている。

 だが百合ヶ丘での訓練でも実際に使用したことはなかった。理論上可能というだけで、推奨される使用法ではないのだ。

 その型を破るべきなのが、今。鶴紗は梅に言われるより先に、ティルフィングへマギを収束させていた。

 飛行に使用するマギと砲に回すマギの按排。そういった複雑な計算はチャームのマギクリスタルコアに搭載されたAIが代わってくれる。

 

 特型はこちらに完全に背を向け、隔壁に開けられた隙間を広げようと全火力を投射している。機首のレーザーを照射し、胴体前面からのミサイル群によって隔壁を爆炎で包んだ。攻撃がどこまで効果があったのかは不明だが、特型は一切速度を落とさず出口へ翔けていく。

 そんな敵の姿に、鶴紗は先程とは違って怒りを覚えるでもなく悲しむでもなく、使命感染みた心持ちで引き金を引いた。ティルフィングの砲口より光の奔流が流れ、特型を背後から吞み込んだ。

 バスターキャノンの光と特型の機体に起きた激しいスパークのせいで、鶴紗の視界はほとんど利かなくなってしまう。

 ただその状況でもはっきりと認識できたのは、特型が隔壁の穴から突破したことと、後を追って自身も地上へ飛び出したことぐらいである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前が白む中、隔壁をくぐり抜けた鶴紗は適当な地面に着地する。視界が不明瞭なので勘頼りだが、幸運にも彼女の両足はしっかりとした足場を得られた。

 

「鶴紗さん、ご無事ですか? 他の皆様は?」

 

 外に出て真っ先に入ってきた通信は神琳の声だった。

 

「怪我はしてないし、マギはまだある。梅様もすぐに追い付く。楓たちは遅れてる」

 

 少しずつ回復してくる視界の中、鶴紗は簡潔に現状を説明しながら辺りを見回す。

 神琳と雨嘉は決して軽くはない傷を負っていた。地下で耳にした爆音が関係しているのだろうか。

 梨璃と二水は離れた場所でヒュージと交戦中だった。スモール級ばかりで数もそう多くない。問題ないだろう。

 そして特型は――――

 

「……そうなったら、まともに逃げられないだろう」

 

 草地の中に胴体から突っ伏していた。背部の噴射口はバスターキャノンによって焼かれ、ジェット飛行に支障をきたしている。今までのような高速飛行は不可能に違いない。

 鶴紗が一歩一歩、慎重に近付き始める。すると、陸に上がった魚みたいに地べたを這っていた特型がくるりと振り向いた。

 全翼の戦闘機を模した機体が地の上を滑るように迫ってくる。飛行は無理でもマギを使って移動はできるようだ。弱っていたのは演技か。それとも追い詰められて限界以上の力に目覚めたとでもいうのか。

 

(だとしたら、人間みたい)

 

 そんな考えが鶴紗の頭をよぎる。

 しかし彼女は躊躇うことなくティルフィングをブレイドモードへ変形させた。大剣の切っ先を、再び二本のアームを展開させて光刃を掲げる特型に向ける。

 人間らしく、人間のような振る舞いをするのはもう十分に分かった。けれども鶴紗はアレを討つ。討たねばならない。

 

「お前が、ヒュージとして生きるなら!」

 

 頭上から交差するように繰り出される光刃の突き。二条の赤い光を鶴紗は跳躍して躱し、がら空きになった特型の頭へ上段からチャームを振り下ろした。

 ティルフィングの刃は斬撃の命中と同時に目が眩まんばかりの火花を飛ばす。しかし流石は特型ヒュージ。装甲を叩き割るには及ばない。鶴紗は相手の鼻っ面を踏み台に、一旦後ろへと飛び退いた。

 特型はなおも追撃してくる。地面から引き抜いた光刃をかざし、鶴紗が逃げる分だけ追い掛けて食らいつこうとする。特型の背部から伸ばされたアームは見た目以上に可動範囲が広い。ちょこまかと小さな跳躍の連続で身を躱す鶴紗を相手に、突きや袈裟斬り、逆袈裟などあらゆる攻撃が繰り出されていく。

 

「お前もっ、私を殺さないと進めないのか!」

 

 光刃の連撃をティルフィングが受け止め、あるいは弾く。スピードも手数も相手の方が上。たちまち防戦一方に陥ってしまう。

 ふとその時、飛来した砲弾が特型の横っ面を強かに叩いた。遅れて地上に到着した梅だ。

 

「くそっ、こっちはお構いなしか」

 

 けれども特型はその攻撃を脅威と判断せず、目の前の鶴紗を始末することを優先している。気を逸らせなかった梅は歯噛みした。

 あまり強力な砲撃だと、傍で相手をしている鶴紗まで巻き込まれかねない。援護するなら近接戦闘を挑むべきだろう。

 

「梅様! 待ってください!」

 

 足を踏み出そうとする梅を引き留めたのは、梨璃からの通信だった。

 

「ノインヴェルトを使いましょう。特型を確実に倒すために。空を飛べない今なら、当てられるはずです」

「でも、夢結たちはまだ地下だゾ」

「お姉様や結梨ちゃんたちは間に合います。だからそれまで――――」

「あー、分かった分かった。あいつの足留めだな」

「はいっ! お願いします!」

 

 チャームを振るいながらインカム越しのやり取りを聞いていた鶴紗は、不意にそれまでの圧力が減じたのに気付く。

 右を向けば、黄金色の刃を構えた梅の姿。彼女もまた鶴紗と同じように、頭上から下ろされる光刃をチャームによって捌いていた。

 

 一人で一本相手にするなら楽なもの。少しでもそう思った鶴紗はすぐに甘い考えを投げ捨てるはめになる。

 特型の背部から更に二本、アームが追加で伸びてきた。先端には勿論赤い光の刃がぎらついている。併せて四本になったヒュージの凶器が、頭上高くから二人のリリィを見下ろした。

 

「こりゃまたヤバそうだなあ。鶴紗、梅に任せて下がるか?」

「冗談でしょ、ここまできて。ケリはつけますよ」

 

 分かり切ったことを確認される。梅も帰ってくる返事は予想していたらしく、それ以上何も言わずに黙って口角を持ち上げた。

 直後に、ヒュージが再び動き出す。四本のアームが見た目の細さとは裏腹に激しく稼働し、四振りの刃は鶴紗と梅の両名を一度に狙う。

 そこにはもはや、技という概念は見られなかった。ひたすらに速く、ひたすらに鋭く刃を繰り出し、ただただ敵を切り刻むためにその身を使う。単純であるが故に、その猛攻は脅威となった。

 

「ぐっ……。もうちょっともってくれよ、ティルフィング」

 

 刀身を横にして盾のようにかざす。やはり防戦に逆戻りする鶴紗。

 梅も相手の攻撃をチャームでいなしてはいるが、防戦に変わりはなかった。レアスキルの縮地を使えばその限りではないはずなのだが。ノインヴェルトのための足留めという役割に徹しているのだろう。

 そうこうしている内に、事態が進む。

 

「お姉様! 早速ですけど、ノインヴェルト戦術を仕掛けます!」

「本当にいきなりね、梨璃。足留めは……大丈夫みたいね」

 

 周りを見渡す余裕がないため、鶴紗は地下で離れ離れとなった夢結たちが合流したことを無線で知った。

 その夢結は呆れたような口振りだが、どこか嬉しそうにシルトの案を了承する。

 これこそが一柳隊だと、鶴紗はヒュージと斬り結びながらも口の端に笑みを浮かべる。

 

「スタート行きます! まずは、雨嘉さん!」

 

 梨璃が抱えるグングニルの銃口から一発の弾丸が放たれた。それは敵であるヒュージではなく、味方である雨嘉のアステリオンへと飛んでいく。ノインヴェルト用の特殊専用弾だ。

 

「受け取ったよ。次は、ふーみん!」

 

 ブレイドモードの刃で光球――――マギスフィアと化した特殊専用弾をキャッチした雨嘉。彼女は受け取った勢いのまま、滑らかな体捌きで体を捻ると、緊張した面持ちの二水へとマギスフィアを投げ渡す。

 

「わっ、わわっ! こ、この距離なら私でもちゃんと取れます! 神琳さんお願いしますぅ!」

「はい、大丈夫ですよ。ヒュージはお二人が抑えてくださってます。焦らずいきましょう」

 

 肩肘を張った二水の刃がマギスフィアを放った先は、対照的に落ち着き払った神琳だった。だが神琳は台詞とは裏腹に、マソレリックを流れるような動きで振るって迅速にパスを繋げる。

 後方で安全にパス回しを行ない、堅実にフィニッシュへ至る。ノインヴェルトにおける一柳隊の基本戦術だ。勿論、戦場において不測の事態は付き物なので、想定通りに事が運ぶとは限らないのだが。

 そしてこの次は、ヒュージの上を飛び越して遠隔地へのパスとなる。

 

「取ったわ。次は、ミリアムさん。梅は私と交代する準備を」

 

 敵の妨害を避けるべく山なりに高く飛んだマギスフィアを、疾走した末にジャンプして受け取った夢結が更に繋ぐ。

 

 だがここにきて、特型の攻勢が勢いを増した。間断なく遮二無二叩き付けらえる光刃がティルフィングの上から鶴紗に衝撃を加え続ける。

 そしてついに、あまりの圧力で足元をふらつかせた鶴紗の防御が隙を見せた。

 構えたティルフィングをすり抜けて、一振りの光刃が鶴紗の左肩に突き刺さる。

 

 声は出さなかった。出せば痛みに引き摺られていく気がしたから。

 

 ただ、顔のすぐ近くから噴き出た血が鶴紗の金髪と白い肌を濡らし、視界を狭めたのが煩わしかった。

 そんな中、共に特型と斬り合っていた梅はと言うと、動じることなくチャームを振るい続けている。自身のポジションを維持し、自身の役割を全うするために。鶴紗の方に、直接は手出ししなかった。

 ならば、鶴紗もそれに答えなければならない。

 肩の傷をブーステッドスキル、リジェネレーターで治しつつ、肩から腕にかけて零れた血にマギを通わせる。マギに反応して血が湧き立ち、やがて一つの形を成す。それは小剣型の第一世代チャームによく似ていた。

 アルケミートレース。鶴紗の持つブーステッドスキルの一つ。自らの血で擬似チャームを作り上げるその技は、使い手の継戦能力を高めるものだった。

 

「それで終わり? ちょっと肩をつついただけで? こっちはまだ、やれるんだけど!」

 

 鶴紗は特型を挑発し、赤黒い小剣を投擲する。

 擬似チャームは、あくまで擬似。通常のチャームと全く同じようにはいかない。相手が特型なら尚更だ。

 けれども当の特型は目の前に飛んできた小剣を無視できなかった。アームの一本をすぐさま呼び戻し、大振りに薙いで弾き飛ばしてしまう。

 その小さな隙が転機となる。ほんの少し攻勢を鈍らせた特型へ梅が踏み込み、光刃の一つを根元のアームから叩き切った。

 これにより押され気味だった斬り合いは五分五分にまで好転していく。

 

 同じ頃、一柳隊のノインヴェルト戦術は終局へと差し掛かっていた。

 

「結梨は実戦でのノインヴェルトは初めてじゃったな。重くなっておるから気を付けるのじゃぞ」

「大丈夫だよ! 私にもパスちょうだい!」

 

 ミリアムに続く結梨は言葉の通り、六人分のマギを抱えてなお、力強くグングニルを振り抜いた。

 受け取るのは、流麗で鋭利なフォルムのジョワユーズ。

 

「うふふっ、梨璃さんと結梨さんのマギがこんなにも。わたくしどうにかなりそうですわ~」

「おい、ちょっと待て。おかしくなるのはヒュージを倒してからにしろ」

 

 わざわざ無線を通して楓が妄言を(のたま)うものだから、鶴紗は肩の痛みも忘れて突っ込んだ。

 

「では、梅様!」

「よしきた!」

 

 楓からパスが来る直前に、梅は後ろへ大きく飛び退いた。

 間髪入れず、梅に入れ替わる形で夢結が前に出る。彼女は鶴紗や梅よりも重く激しい連撃を加え、特型の光刃を押し返していく。

 

「鶴紗さん、貴方も一旦下がって」

「はい」

「フィニッシュショット、お願いするわ」

 

 夢結に促された鶴紗は迷わず特型との接近戦から離脱する。鶴紗が心配するまでもなく、夢結は一人で三本の光刃と互角に打ち合っていた。

 

 一方、鶴紗が後ろ向きに退避した先は、奇しくも梅のすぐ傍だった。

 梅と鶴紗。二人はチャームの刃を直接触れ合わせてマギスフィアを受け渡す。互いに目を合わせるだけ。敢えて言葉は交わさない。

 マギスフィアはティルフィング全体を覆うように溶け込んでいき、その刀身を淡い青の光で輝かせた。

 己を含めた十人分のマギを託され、鶴紗は地を蹴って特型の横合いから飛び込んでいく。

 すると特型の胴体装甲がスライドし、迎撃のミサイルが放たれる。至近距離のため一度大きく迂回して鶴紗に迫るが、隙を晒したことで梅によって撃ち落とされた。

 特型は尚も生き足掻く。機体後部から更に追加のアームと光刃を二本生やし、今まさに突き付けられようとするティルフィングと剣を交えた。

 しかし一柳隊のマギを宿したティルフィングは二本まとめて光刃もアームも叩き折り、勢いのままに灰色の機体を横腹から貫くのだった。

 

「爆発するぞぉ! すぐに離れるんじゃ!」

 

 通信機越しからミリアムの叫びが暴れるように響き渡る。

 夢結が、そしてティルフィングを引き抜いた鶴紗が特型から距離を取るべく跳んだ。

 その鶴紗の左足に、黒色のチューブパイプが巻き付いた。ペネトレイ種が本来持つはずの触腕。それが今更現れて、地獄へ道連れにしようと鶴紗を捕らえて離さない。

 赤い光点、特型の一つ目が自身を殺そうとする鶴紗に向けられる。全身から青白い光を漏らしながらも、一つ目にマギを収束させて最期の一撃に残る全てを注ぐ。

 

 赤い一つ目と、鶴紗の赤い瞳が視線を交錯させた。

 

 だがそれも束の間。急に足の拘束を解かれて鶴紗の体が勢いよく飛んだ。タンキエムが触腕を断ち、梅の左腕が鶴紗を小脇に抱えていた。

 抱えられながらも、鶴紗はもう一度だけ特型を振り返る。

 

「やっと、過去が終わったよ」

 

 太陽みたいに眩い光と爆発を横目にして。呟かれた言葉は父へ、特型へ、そして自分自身へ宛てたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伊豆半島。相模灘を望む海岸線に、ちょっとした余暇を楽しむリリィたちの姿が見られた。

 一柳隊の梨璃と夢結は、結梨と一緒に砂浜の蟹を追い掛けている。波打ち際から離れた木陰では、アールヴヘイムの天葉が樟美の折り畳まれた膝を枕にしている。更にミリアムと壱と亜羅椰に至っては、どこからか調達してきたスイカと木の棒でスイカ割りに興じる始末。

 一柳隊とアールヴヘイムの両レギオンは特型撃破後、残敵の掃討を特務レギオンのシグルドリーヴァに引き継いでから帰路に就いていた。現在はガンシップ発進までの間、交代で休息をとっている最中である。

 

 皆が思い思いの時を過ごす中、そんな喧騒から距離を置いた岸壁の上で鶴紗が水平線を見つめていた。

 

「父さんはこの相模の海が好きだった……気がする」

 

 そう呟いた彼女の右手には、慎ましやかな花弁を広げた名も知らぬ白い花が一輪。今この場で用意できたのはそれぐらいのものであった。

 

「結局、親父さんは最期どうなったんだ?」

「体は海に水葬にされたらしい。ミリアムが言ってた」

「……回収したデータ、覗いたのか。バレたら大ごとだなあ。礼を言っとかないとな」

「うん」

 

 斜め後ろに立つ梅の問い掛けに答える。

 本当は、水葬などという殊勝なものではないのだろう。しかし、どこか土の下に埋められて、後々辱められるような事態になるよりはマシだと、ポジティブに受け止めることにした。

 

 それから鶴紗は腰を下ろすと、持っていた花を眼下の海に落とす。風に揺られながらも花はすぐに海面に達し、穏やかな波間の中へ消えていく。その光景を暫く眺めてから、鶴紗は立ち上がって梅へと振り向いた。

 

「梅様は皆と遊ばなくて良いんですか?」

「あー、梅はなあ、さっきの戦闘で腰をやって。元気なあいつらにはついていけないんだよ」

「お婆ちゃんか」

「あははー」

 

 頭の後ろで両手を組んで朗らかに笑う梅。

 そんな彼女を見て、鶴紗は口を開くか逡巡する。今、言葉に出そうとしていることを、本当に言ってしまって良いものか。

 けれども迷ったのは僅かな時間。鶴紗は梅の目を改めて見つめ直し、開きかけていた口を開く。

 

「梅様、私のシュッツエンゲルになってよ」

「それは……また、えらくいきなりだな」

 

 言い淀みかけた梅に対し、鶴紗が畳み掛けるように続ける。

 

「これは梅様にとっても悪くない話でしょ」

「何でだ?」

「夢結様にフラれたことを内心引き摺ってる梅様を、慰めてあげるんだから」

「待て待て、別にフラれたわけじゃないゾ。最初から土俵に立ってなかっただけだ」

「自分で言うのか……」

 

 人の痛いところを敢えて突く。本来なら趣味ではないのだが、しかし、梅の煮え切らない態度が鶴紗に彼女らしからぬ言動を取らせていた。

 とは言え、決して衝動的な行為ではない。前々から考えていたことだった。

 

「まあ、そうだな……それもいいか。鶴紗で妥協してやろう」

「そうそう、妥協しとけ。人生は妥協の連続だ」

 

 雰囲気もへったくれもない告白。

 だが、自分たちはこれで良い。こういうのがお似合いだ。鶴紗は自虐でも自嘲でもなく、本当にそう思っていた。

 

「でも、他の皆が知ったらどんな顔するだろうな」

 

 楽しげにそんなことを言い出す梅を尻目に、彼女が告白をあっさりOKした理由を考えてみる。

 実は元から両想いだった。……というのはあり得ない。この先輩は未だ未練を引き摺っていたのだから。

 先程鶴紗が挑発的に口に出したように、慰め合い、傷の舐め合いをしたかったから。こちらは十分あり得る話。というよりも、恐らくこれが真実だろう。

 傷心の者同士で馴れ合い、くっつく。身も蓋もない話だが、人と人が関係を持つ動機とは、得てしてそういうパターンが少なくないのかもしれない。多分。

 

「梨璃は驚くだろうけど、他はそこまででもないか?」

 

 鶴紗はおもむろに梅のすぐ傍へと歩いて近寄っていった。

 仲間たちの反応を想像していた梅が不思議そうな視線を送る。送られた鶴紗はそれに答えず、無言のまま更に接近を図る。そうして踵を持ち上げ爪先立ちになると、互いの唇を「ふにっ」と撫でる感触がした。

 

「ふぇっ……?」

 

 不意を突かれた梅は丸い瞳を更に丸くし、いかにも豆鉄砲を食らった鳩のよう。だがすぐに彼女の表情は困惑から驚きと焦りへ変わっていく。

 

「ちょっ、おまっ、急にそういうことをなぁー」

 

 一方の鶴紗は口の端を吊り上げて「してやったり」と言わんばかり。

 

「なんだ梅様、度胸ないなあ。これぐらいミリアムや梨璃だってやってるぞ」

「あっ、このっ! 先輩をおちょくりやがってー!」

 

 背後に回り込んだ梅が鶴紗の首に腕を回して締め上げる。

 鶴紗が抵抗し、梅が押さえ付け、形ばかりの揉み合いの末に両者は仲良く草地の上に倒れ込んだ。

 

「はーっ……。しかし、梅はシュッツエンゲルになるとは言ったが、あんなことまでやるとは言ってないゾ」

「同じことでしょ。一柳隊(うち)のシュッツエンゲルを見てれば分かる」

「確かにそう言われたらそうなんだが。こりゃ参ったな」

 

 二人揃って仰向けで天を仰ぎ、軽口に笑い合う。

 ガンシップの発進時刻が近付いていた。そろそろ浜辺で騒いでいた面子も戻ってくる頃合か。それまで、もう少しの間だけ、鶴紗は梅の制服の袖を掴んで緩やかな時間を満喫することにした。

 

 馴れ合いかもしれない。傷の舐め合いかもしれない。

 だがこの相手とそうしたいと思ったのは、紛れもなく本音。偽らざる真心だった。

 

 

 



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第31話 後始末(前編)

「日本中央放送局より8時のニュースをお伝えします。今世紀最大の疑獄事件と言われる某製薬会社違法献金事件について、連日、与野党問わず多くの人物の関与が浮き彫りとなっております。これにより国会はますます混迷を深め、党内外から内閣改造、あるいは解散総選挙を求める声が強まっていくでしょう。与党のとある大物議員は『これは政治的テロだ』と怒りを露わにしており――――」

 

 

 

 

 

「先日発表された防衛省・統合幕僚監部の人事変更が波紋を呼んでいます。本件は三重地区防衛隊反乱未遂事件の引責人事とされていますが、一部では軍の将校と民間の政治団体との不適切な関係が指摘され、その火消しではないかとの憶測が上がりました。昨日、統合幕僚長は市ヶ谷での会見において――――」

 

 

 

 

 

「七年前の静岡撤退戦を再検証する与党作業部会の初会合が本日13時から開かれます。静岡陥落は守備隊指揮官の無謀な作戦強行が一因だとされてきました。しかしながら、かねてより防衛軍の一部から疑問の声が上げられており、部会ではこうした証言を改めて精査すると共に――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京から鎌倉府へと続く幹線道路の上。黒塗りの高級乗用車が数台、一本の列を成す。そして車列の前後には、戦車に準じた砲を備える装輪装甲車がガッチリと守りを固めている。

 主要道路とは言え、都市間の道は多くがエリアディフェンスの対象外だ。それでもヒュージやケイヴの発生を事前に探知する体制は整っており、周囲を強豪ガーデンに囲まれていることもあって、比較的安全な道程であると言えた。

 

 塗装も車種も全く同型である乗用車の内の一台にて、後部座席に老齢の男性が二人腰を沈めている。車中では国営放送のラジオが流れているが、二人にとっては特に目新しい情報は聞こえてこなかった。

 座席の左側に座る高松咬月は右座席の男性が口を開くのを見ると、意識をラジオ放送からそちらへと移す。

 

「政界へのパイプを失った以上、ゲヘナも当分は大人しくせざるを得ないだろう。軍の急進派も統幕から締め出された今、大したことはできまい」

 

 黒い背広を着た白髪頭に丸眼鏡の男性がそう言うと、咬月はゆっくりと頷く。

 

「我々の持ち帰ったデータが役立ったのなら重畳です。……時に総理、安藤少将の件ですが」

「借りを作ったまま辞めるというのは、気持ちが良くないのでね」

 

 咬月の問いは総理の答えによって遮られた。

 しかしながら、それにより新たな疑問が湧き出てくる。

 

「辞める、とは?」

「直に発表するが、総理の職を辞することにした。ゲヘナからの献金にはうちの人間も関わっている。というよりむしろ、数の上ではこちらの方がダメージが大きい。まあ、政権与党だから当然なのだが」

「やはり、責は問われましたか」

()()()だよ。党内での綱引きの結果の。政治の世界ではよくあることだ」

 

 結果、と総理は言った。しかしこうなることを、政界の中枢に居る人間が予想できないはずがなかった。彼は初めから職を賭すつもりでゲヘナのロビー活動を潰したのだ。半端な胆力で出来ることではない。

 

「そんなことよりも、次だ。後任の首相は防衛相が務めることになるぞ。彼は私よりも辛辣だからな。野党連中の真っ赤に茹で上がった顔が目に浮かぶよ」

 

 そう言って総理はくつくつと笑う。年甲斐もなく、まるで悪童に戻ったかのように。

 そんな旧友の姿を目の当たりにして、咬月もまた打算の無い素直な想いを吐露したくなった。

 

「ありがとうございます。これで生徒たちを守れそうです」

 

 狭い車内に座ったまま頭を下げる。

 ところが総理は左手を軽く上げて、咬月の謝意を制止した。

 

「礼を言うべきなのはこちらの方だ。君の生徒たちが居るから、リリィが居るから、我々は明日も生き長らえることができる」

 

 深々と下げられた頭。

 その横で、咬月に懐古の念が沸き起こる。けれども、あくまで懐かしむだけ。互いに過去には戻れないし、戻るべきでもないと思ったから。

 

 それから再び、音量を下げられたラジオ放送だけが車内に流れることになる。

 現在地は鎌倉に差し掛かる手前といったところだろうか。二人の目的地は鎌倉府庁だが、その前に百合ヶ丘のレギオンが一隊、護衛に合流する手筈である。

 居住区域から離れているだけあって、車窓から見える風景は山林か廃墟ばかり。それでも主要道路の復旧とメンテナンスが実施されている分、この辺りはまだ平和な方と言えた。少なくとも、ヒュージに関しては。

 

 往々にして、不測の事態というのは突然にやって来る。そして大抵の場合、それは大なり小なり理不尽を伴う。

 車外から轟く爆発音と車の急停止に、不覚にも気が緩みかけていた咬月は意識を引き締め直す。

 

「何だ! 何事か!」

「襲撃です! 伏せてください!」

 

 総理の問い掛けに、車内無線から逼迫したSPの声が返ってくる。

 窓ガラス越しに分かったのは、護衛の装甲車が黒煙を上げて沈黙していたことぐらいであった。

 

「咬月君、これは少しまずいことになったぞ」

 

 鎌倉まであと僅か。しかし未だ、そこは鎌倉ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車内から引きずり下ろされ別の車に押し込められた咬月と総理は、人の営みの気配が全く感じられない大自然の只中へと連行されていた。

 幹線道路から外れた山林の、そのまた奥。関東地方とは言え、ヒュージの襲撃やら疎開やらのせいで、このような地はそう珍しいものではなくなっていた。

 

 咬月は地べたに両膝を折り曲げて座りながら、自分たちを襲った賊を見回してみる。今、咬月たちの目の前に立っているのは六人。しかし周囲の森にもっと大勢の人間が散っているようだ。

 賊は皆が皆、年若い男だった。黒のロングコートを纏い、腰には真剣か模造品か定かでない刀を差し、手には小銃を抱えている。

 咬月の目から見ても、彼らが正規の訓練を受けた兵士でないのは明らかだった。動きからして、練度十分とはとても言えないものだった。

 それに何より、彼らの武装で護衛を排除するのは不可能である。リリィ抜きとは言え、仮にも総理大臣の護衛戦力なのだ。ヒュージの奇襲でも受けない限り、問題ないはずだった。

 

(どこかに潜んでいるのか。先程の凶行を引き起こした何かが)

 

 咬月が得も言われぬ憂慮を覚えるその横で、地べたに胡坐を掻く総理が周囲の賊に向けて声を上げる。

 

「首相の私はともかくとして、こっちの老いぼれなんか殺したって仕方がないだろう。どうせ放っておいても、その内くたばるぞ」

「とぼけたことを。その男は貴様ら政府閣僚に次ぐ、我らの優先目標の一人だ。逃がしはしない」

 

 不遜な態度で言い放つ総理に対し、答えたのは賊の一人。痩躯だが背丈が優に180を超える、日本人離れした三十代半ばの男であった。

 恐らくは彼が賊を率いているのであろう。少なくとも表向きは。

 

「ほう。いつの間にやら、咬月君も大物になったものだ」

「いやはや、照れますな」

 

 咬月は総理と軽口を叩きながらも、相手の素性を考察する。

 自分をターゲットにしているということは、ゲヘナ関連がまず疑わしい。反ゲヘナ主義ガーデンの重要人物であり、実際に強硬手段も取っている。相手にやり返されない道理はないだろう。

 しかし、ならばどうしてさっさと手を下さず、こんな山奥まで引っ張ってきたのか。その点を考えると、次にあり得るのは、この襲撃が政治的意図を持ったパフォーマンスということだ。ただ暗殺するだけでは、目標を果たしたと言えないのではないか。

 

「それで、諸君は何者で何が目的なんだ?」

 

 咬月の考察を中断させるように、総理が単刀直入に問うた。

 すると先程の長身の男が勿体ぶらずに口を開ける。

 

「我らは憂国武士団! 祖国日本の行く末を真に憂う者なり!」

 

 地に座る老人二人を前にして、逆立った黒髪を風に靡かせながら、堂々と仁王立ちする男が宣言した。

 

 憂国武士団。

 悪ふざけのような名称に反し、その歴史は意外にも長い。構成員は既に世代交代を経てリフレッシュされている。

 元々はアンチ・フェミニズムを標榜して軍の女性採用や商業施設のレディースデーを糾弾する市民団体であった。対ヒュージ戦争の激化により政府がリリィ優遇政策を打ち出すと、矛先をそれ一本に絞って今日に至っている。彼らは、今や数少なくなったリリィ脅威論者なのだ。

 ただし、主張の内容はともかく、彼らは決して暴力集団などではなかった。ゲバ棒や火炎瓶で警官を襲ったりしないし、大音量のスピーカーで常識外れの騒音を撒き散らすこともない。法を遵守する穏当な組織のはずだった。

 

(彼らを唆した者が居る。総理の護衛を手に掛けたのも、その黒幕の差し金じゃろう)

 

 四角フレームの眼鏡の奥からジッと見つめる咬月をよそに、武士たちの親玉は話を続ける。

 武士団の長なのだから、棟梁と呼ぶべきか。それとも現代風に団長と呼ぶべきか。

 

「我らの悲願は言うまでもなく、死に掛けたこの国を立て直すこと。悪政・失政を重ね続ける政府は当然だが。隣の男、高松咬月。貴様も裁かねばならない。我らの献策を袖にした報いとして」

「献策、というのに心当たりはないが。差し支えなければご教示願えぬか」

 

 低姿勢な咬月の問いに、団長は心なしか満足げな様子。やはりパフォーマンスの意味合いが強いらしい。ならば今すぐに殺されることもないだろう。

 

「貴様ら百合ヶ丘を始めとしたガーデンは道を誤っている」

「何が誤っていると言うのかね?」

「何もかも、全てだ。まず、ガーデンは私学といえども多額の税金を費やされる身。でありながら、その入学を女子のみに限っているのは公平性に著しく欠ける」

 

 何を言い出すのかと思ったら。

 咬月は内心の呆れを隠して返答する。

 

「その件については過去に国内外で散々議論され尽くしたはずじゃが。前提として、男性のマギ保有者は女性に比してマギ出力が大きく劣る。それに加えてノインヴェルト戦術を始めとした連携攻撃を使用できないのは大きな問題じゃ。ならば無理矢理に男性を連携させるより、現状で実施済みの通り防衛軍の中で戦力化した方が戦術上でも合理的じゃろう」

 

 男性のマギ保有者の扱いはガーデンと軍の間の紳士協定も存在するのだが、ここでは敢えて触れない。

 

「マディック制度を有しているガーデンも確かにある。じゃがそれは、教育や実戦の過程であわよくばリリィへ覚醒することを期待しての面が大きい。実際、マディック出身者のリリィは少なからず存在しておる」

 

 百合ヶ丘にマディック制度は無い。しかしそれは百合ヶ丘が海上からの大型ヒュージ迎撃を主任務として設置されたから。一方で市街地を守るガーデンはミドル級以下との戦闘が頻発するため、マディックを擁するガーデンが多い。

 

「そういうわけで、ガーデンが女学校なのは軍事的合理性に基づいたもの。決して君たちが邪推するような、差別的意図があるわけではない」

 

 咬月は可能な限り論理的に説明したつもりであった。それがたとえ、何度となく議論されてきた内容であっても。

 

「確かに、理には適っている。だが後付けの方便だ」

「どういう意味かね?」

 

 団長の言葉に、咬月は心外とばかりにその意を問う。

 

「リリィのみならず、教導官や一般職員、果てはガンシップのパイロットまで女ばかり。これで差別でないと、よく言えたものだな」

 

 事実である。

 ただそれは、引退したリリィの再雇用先を確保したいガーデンと、元リリィをガーデンという箱庭に纏めて留め置きたい国の、利害の一致があったから。

 とは言え、そんな裏事情まで話せないし、話したところでこの武士たちは「癒着だ」と逆上するだけだろう。

 咬月が沈黙していると、自分が論戦に勝利したと思ったのか、団長が話を移す。

 

「そもそも、だ。かつて我が国で女学校が設立された趣旨とは、男性を支え家庭を守る貞淑な良妻賢母を、大和撫子を育成するため。しかし今のガーデンの実態はその真逆だ」

「……ガーデンは、ヒュージ迎撃のための機関。政治的意図を達成するための道具ではない」

「男性の魅力を知らないから、男性を立てることを知らない。それが高じて女同士などという異常行動に走る。貴様ら教育者はそれを矯正する立場にありながら、生徒の自主性などとほざいて放置する有様。自由と無法を、履き違えるな!」

 

 咬月の反論は団長の持論に掻き消されて無視された。

 理不尽。全くもって理不尽である。

 要は彼ら武士たちが目指す理想の家庭、理想の社会実現のためには、強い女性、男性に依存しない女性の体現であるリリィとガーデンの在り方が認められないのだ。認めてしまっては、彼らの掲げてきた理念が崩れてしまう。

 更に言えば、武士団にとって味方であるはずの保守派の政治家たちまで――プロパガンダのためとはいえ――リリィを持て囃すようになった事実が、「もはや合法的な手段では世の中を正せない」と彼らを追い込んだのかもしれない。

 

 武士たちの論理は理解できる。論理は理解はできるのだが、一体全体どうしてそんな思想に行き着いたのかが分からない。咬月の若い頃の時代ですら、ここまで偏った主張は珍しい。

 

(これがジェネレーションギャップというものか)

 

 軽く身震いがした。

 高松咬月、(よわい)七十を過ぎて己の無知を知る。

 

「貴様らの学園運営には他にも問題がある。いやしくも税金を賜った身なら、有意義に使わなければならない。それが何だ? 百合ヶ丘には足湯なんて物があるらしいな?」

「そうだ!」

「上級国民がっ、ふざけているのか!」

「国民の血税を何と心得る!」

 

 団長の指摘に合わせて周りの武士たちがガヤを上げた。

 

「それは語弊がある。国からの補助金はチャームの製造費用やヒュージ撃破報酬に充てられているのじゃ。リリィたちの福利厚生施設については、後援の企業や父兄からの寄付金で賄っておる」

「そういう問題じゃない! 戦時に不謹慎だと言ってるんだ!」

 

 生徒に矛先が向かないよう抗弁する咬月だが、熱を帯びた若者はそれを切って捨てる。

 

 平行線の、議論とも言えない議論の中、咬月はある一つの可能性について確信を深めつつあった。それは当初から察してはいたが、できるならば否定したい可能性。

 この団長の主張に咬月は既視感があった。耳にしたのではなく、目にした覚えがあるのだ。

 

「……まさか、君なのか?」

「ん?」

「百合ヶ丘にあの(ふみ)を出したのは、わしと文を交わし合ったのは、君なのか?」

 

 百合ヶ丘女学院へ送りつけられた、提言書とも脅迫文とも取れる手紙。生徒会は怪文書として扱っていたが、咬月は差出人宛てに返書をしたためていた。それ以後、幾度となく文字でのやり取りを繰り返してきた。

 

「気付くのが遅い。だから『献策を袖にした』と言ったのだ」

 

 団長は口の端を吊り上げて嘲笑する。

 

「氏名や年齢を偽っていたのは分かっていた。じゃがあの話、ヒュージに襲われ家族を失ったという話も偽りなのかね?」

「あんなもの、ストーリーに箔を付ける演出じゃないか。まさか本気で信じていたのか? 耄碌したな、高松咬月」

 

 たかが文書のやり取りで他人の思想を変えられると思うほど、咬月も自惚れてはいない。ただ、尖り切った彼の態度を少しでも和らげることができるならと、僅かな期待で筆を執り続けていた。

 だがそんな咬月の行為は、目の前の若者たちを見る限り完全に無駄であったと評せざるを得ない。

 

 咬月の脳裏に、少しばかり前の光景が思い返される。

 黒煙を上げる護衛の装甲車。そのハッチから、事切れた兵士が上体を投げ出している。

 ヒュージと戦って死んだわけでもない。あれは防げた犠牲であった。咬月が彼を説得できれば助けられたかもしれない命であった。

 この歳になっても、後悔の種が尽きることはない。

 

「君たちのような未来ある若者がそこまで思い詰める事態。社会を構成する一員として、一人の大人として、慚愧(ざんき)に堪えない」

 

 咬月は自身の無力を感じながらも話し続ける。

 説得を諦めないのは、周りを囲まれ銃を突きつけられているのも理由の一つだ。しかしそれ以上に、今ここで彼らとの対話を止めてしまったら、この先彼らと言葉を交わす者がいなくなってしまう。そう危惧したためだった。

 

「じゃが、そこを曲げて頼む。このような真似は止めてくれ。こんなことをしても得をするのは――――」

 

 得をするのはヒュージぐらいのもの。そう言いかけた咬月の声は中断させられた。

 

 一瞬、白に染まる視界。口の中に滲む血の味。

 

 団長の抱えた小銃の銃床が咬月の頬を打ち付けたのだ。

 若い頃に鍛えていただけあって、一発目は耐えられた。けれども歳が歳だ。二発三発と立て続けに激しく打たれ、咬月の体がぐらりと地に沈む。

 

「苛立たしいな、その上から目線。貴様ら老人はいつもそうだ。人より早く生まれ、長く生きているだけで偉いつもりか?」

「そのようなっ、つもりはっ……」

 

 口から漏れ出た血で土を汚しながらも、咬月は言葉を紡ごうとした。

 だがそんな努力は饒舌さを増した団長の前に無に帰してしまう。

 

「もういい。もはや貴様のような輩と話す舌は無い。貴様ら両名は、人心を惑わし社会を堕落させた罪で死刑に処す。上訴は認めない。即日執行する」

 

 団長が静かに宣言すると、周りの武士たちが慌ただしく動き出す。何やら機材を準備しているようだ。一般の家庭ではまず使われないであろう大型のビデオカメラも見える。

 

「喜べ。処刑の様子は配信サイトで全世界に流れるぞ」

 

 誇らしげな様子の武士たち。

 その一方、咬月への凶行の最中にもしかめっ面で黙していた総理が眉をピクリと動かす。

 

「配信サイト? テレビ局に送り付けるのではないのかね?」

「テレビぃ? あんな情弱を丸め込むためのオールドメディアが何の役に立つ。真実は、電子の海にこそ埋もれている!」

「済まない、年寄りにも分かる言葉で話してくれ」

 

 ぼやくような総理の要求は流されて、舞台が徐々に整っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日まで続くヒュージとの戦争において、長きに渡る窮乏生活を国民はよく耐えている。一人の日本人として誇りに思う。その献身がなければ、我々はとうに滅んでいただろう。このまま一丸となって事に当たれば、必ずや勝利は我らのものとなる」

 

 山林に囲まれた即席の舞台で演説が続く。

 芝居がかった物言いに、オーバー気味な身振り手振りで、武士団の団長がカメラの向こうの視聴者たちに高説を説いている。

 総理は相変わらずのしかめっ面で、胡坐を掻き両腕も組んでいる。

 咬月は未だ口の中に鉄の味がするものの、不幸中の幸いか、目や耳や思考能力に異常は認められなかった。

 

「だがしかし! そんな国民不断の努力を無下にする者たちが居る。子供が道を踏み外した際、それを正して導くのは大人の務め。ところがどのガーデンもその務めを放棄し、政府も見て見ぬふりをする。人々のために戦いたいと望む男子が現れたとしても、ガーデンは不当に門戸を閉ざし、あろうことか留学生なんぞを入れて戦力を水増しする始末」

 

 演説の最中、咬月はふと視界に入った山林の彼方に違和感を覚えた。遠い茂みの中で何かが光った気がした。

 見間違えかどうか確かめるため、咬月は周りに気付かれないよう慎重にその場所へ目を凝らす。

 

「この国の歪み、我らが正す。だが我らだけでは力不足なのもまた事実。故にっ、心ある若者よ立ち上がれ! 立てよ若者よ! 新しい世を作るのは老人ではない!」

 

 団長の熱弁が最高潮を迎えた辺りで、咬月は先程の光が見間違えでないことを確認した。その光とは、とある()()であった。

 そこで咬月は横の方で座り込んでいる総理へ目配せをする。一度だけ。出来る限り不自然な仕草にならないように。

 すると二人の目が一瞬合った。

 あとは総理がこちらの意図を読み取ってくれると信じるだけ。咬月は運を旧友に任せた。

 

「ところで一つ確認したいのだが」

 

 唐突に声を上げた総理に対し、団長は少しの間沈黙した後、遠巻きに居る部下たちへ軽く頷いた。

 それを受けて、カメラを抱えた武士が位置取りを変える。ちょうど団長と総理の両方が映像に収まる位置だ。

 演説を終えて機嫌を直したのか、パフォーマンスに利用できると思ったのか。いずれにしろ、咬月たちにとっては都合が良い。

 

「諸君らの目的はガーデンの共学化。それで合っているな?」

「それが目的の一つだ。加えて言うなら、軍の警務隊を全てのガーデンに駐屯させて綱紀の粛正を図らねばならない」

「それで何か? マギが劣ると分かっていて、男のリリィを育成すると」

「そうだ。これは彼女たち自身のためでもある。このまま閉鎖的で歪んだ環境の下で育っては、社会へ出た時に困るだろう。男性へのまともな接し方、敬い方、尽くす喜びを知っていれば、卒業して真っ当に交際し真っ当な家庭を築く際にスムーズに事が運べる。それこそ、健全な教育機関の姿だ。確かにヒュージを倒すことも重要だが、そればかりではあまりに心が無い」

 

 人々のため、より良き社会のため、善意からの義挙であることを団長は強調する。

 善は善でも独善の類だと咬月は思ったが、しかし今はそれを指摘する時ではない。咬月の狙いは、周囲を囲んでいる武士たちの注意をなるべく穏便に集めることだった。

 ところが次の瞬間、咬月は自分の耳を疑うはめになる。

 

「諸君らは気でも触れたのか?」

 

 思いも寄らぬ総理の言葉に、隣の咬月は勿論、団長以下武士団の面々もすぐには反応できない。

 

「女子校に皆仲良く、お手々繋いで通うのは結構だがね。風呂はどうする? 一緒に女湯へ入るのかね? 最近の若者の間ではそういうのが流行っているのか。頭ぁ、おかしいんじゃないか?」

 

 自身のこめかみを人差指でトントンと叩きながら、突然の暴言。

 これに対して武士団は怒りよりも困惑が勝っているようだった。

 自分たちは銃で武装して周りを取り囲み、相手は丸腰の老人が二人。圧倒的優勢。哀れな老人たちは惨めに命乞いをするはず。それがいきなり罵声を浴びせてくるのだから、困惑するのも無理はない。

 

(総理、流石に肝を潰しますぞ)

 

 せめて敵の黒幕を引き摺り出してからでないと、無駄死にになってしまう。そう懸念する咬月だが、この事態にどこかで納得してもいた。これはこれで相手の注意を引けるので、激情家の本性を持つ旧友ならば遠慮はしないだろう。

 

「貴様……栄えある大和男児を愚弄する気か」

 

 いち早く立ち直った団長が辛うじて非難の台詞を吐き出した。

 

「その大和男児とやらが役に立たんから、婦女子が矢面に立っているんだろうが」

 

 けれども地べたに座り込んでいるはずの老人が、他の誰よりも大きく見えた。

 

「寝言は寝て言え! バカヤロー!」

 

 辺りの空気を震わさんばかりに総理が吠える。

 またも周囲はピタリと止まった。

 しかしそれも僅かな時間。やがて、武士たちが堰を切ったかのように憤怒する。

 

「女尊男卑だ! 謝罪しろぉ!」

「フェミナチ、死すべし!」

「団長! 何やってんだよ団長! 早くこの老害の首を刎ねてくれ!」

 

 静かな山林が騒然とする。

 何とか部下を収めようとする団長の試みも、怒声によって掻き消されていく。

 断罪の場は混沌の坩堝と化した。

 そんな時、咬月たちと武士たちの間に閃光が瞬いた。その場に居る者全ての視界を奪う、ぎらつくような白光が。

 

 光が薄れて視界が戻り始めた頃には、老人二人の姿は綺麗さっぱり消え去っていた。

 

 

 




Q.実際総理大臣がバカヤローとか言うんです?

A.(小声で)言います。


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第32話 後始末(後編)

「人質二名の保護を確認。制圧班は武装勢力への攻撃を開始してください」

 

 昼間でも奥地は薄暗い山林の中、豊かに生い茂る茂みに紛れ、ロザリンデは隊長からの通信を耳にした。

 直後、匍匐の姿勢から立ち上がって中腰になり、構えていたアステリオンの引き金を引く。彼女の左右遠方では、仲間のリリィたちが同じく中腰で木々を掻き分け前進する。

 

 彼女たち、LGロスヴァイセは護衛対象の車列が連絡を絶ったため、可能な範囲で捜索に当たっていた。そうして鎌倉府の境界線上で、運良く対象を補足した。

 百合ヶ丘の国定守備範囲外なので、緊急事態とは言え戦闘行動は後々問題となる。しかしそれは生徒会に骨を折って貰うとして、今は眼前の問題解決を優先する。

 

「ここからだと障害物が多い。碧乙、側面へ回り込んで」

「了解です、姉様!」

 

 シルトに無線で指示しながらも、ロザリンデは淡々と引き金を引き続ける。冬場の割に妙に緑が豊かなのは、ヒュージの跋扈で自然環境に変化が生じたせいか。しかし、その緑のお陰でここまで気付かれずに接近できたのもまた事実であった。

 

 今現在、ロスヴァイセのリリィたちは百合ヶ丘の標準制服を身に纏っていた。極秘扱いの対ゲヘナ活動でなく、公式の護衛任務だったため、それも当然だろう。

 彼女らのこの行動は、守備範囲外という事情を抜きにしても、政治的に極めてセンシティブな問題だった。

 日本を含む世界主要国は『国際紛争解決手段としてのリリィの利用を禁止する条約』を批准している。これはあくまでも国家間の紛争に関する条約なので、国内の治安活動まで縛るものではない。

 しかし、実際に反政府活動の弾圧にリリィを投入する国が現れたかと言えば、答えは否だ。少なくとも大々的に、大っぴらに実行したケースは認められていない。と言うのも、体制維持に汲々とする独裁国家ほど、ヒュージ被害が深刻であったからだ。皮肉にも、ヒュージの存在が人類同士の諍いを棚上げさせていた。

 だからこそ、たとえ相手がテロリストだとしても、リリィが人を制圧せざるを得ない状況は恥ずべきことだった。対ゲヘナ作戦と違い、白昼堂々の戦闘行為なので尚更だ。

 けれども、総理大臣と百合ヶ丘の理事長代行を襲った者たちを捨て置けば、恥で済まない事態になるのは間違いない。

 

「姉様、側面を衝きました。敵は崩れつつあります」

「ご苦労様。あとは現状を維持して。接近は不要よ」

 

 偵察・救出班を率いる隊長の伊紀に代わって制圧班を率いるロザリンデの指揮で、一人、また一人と黒衣の武装勢力が倒れていく。

 ロスヴァイセが使用しているのは低致死性兵器のショック弾頭。高齢者や健康に不安のある者にとっては危険な代物だ。ただ見たところ、敵は皆若くて精力も溢れてそうだった。

 

 しかし、ロザリンデたちロスヴァイセにとって、敵の粘り強さは予想以上であった。

 二十人ほどの武装勢力、憂国武士団は御大層な名前と裏腹に、ただの市民団体だったはず。本来なら奇襲を受けた時点で潰走していてもおかしくない。それが木々を盾にし積極果敢に小銃で撃ち返してくるのだから、奮戦と言っても過言ではないだろう。

 だが悲しいかな、彼らの武装ではリリィの防御結界は破れない。現状では勝敗は明らかだった。

 しかしながら、懸念はある。

 

「総理の捜索に当たっている防衛軍の斥候が何名か連絡を絶っているそうです。十分に注意してください」

 

 作戦開始前に聞かされた伊紀の言葉。その懸念は至極もっともだ。装甲車両を含む総理大臣護衛部隊を撃破した存在が、どこかに必ず居るはずなのだから。

 

 そして、目前の敵を全て排除し切る前に、懸念が現実となって現れた。

 山林の中、突如として銃声とは一線を画す爆発音が轟いた。

 

「十時の方角より砲撃!」

「私が向かうわ」

 

 仲間の通信へ簡潔に答えると、アステリオンを握り直したロザリンデが茂みの狭間を駆けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途中、負傷した片腕を庇いながら後退する仲間とすれ違い、ロザリンデは斜面が急となった場所に辿り着いた。そこで待っていたのはクレーターのように抉れた地面。そして、密度を増した林の奥から陽炎の如く姿を現した人影。

 先程相対した武士団と似たような黒衣だが、その顔にロザリンデは覚えがある。

 

「貴方、三重の研究所を襲った……。とっくに軍法会議で縛り首だと思ってたけど。脱柵したのね」

 

 ロザリンデの挑発的な物言いに、その若い男、防衛軍反乱部隊の小隊長兼マディックは答えない。代わりに右腕を前に突き出した。その手にはグングニルと似たフォルムの、しかし無骨な印象のチャームが握られている。

 シエルリントラボで開発されていたという、マディック用の試作機体。副作用の問題点が大きく制式化は見送られた、曰くつきの機体。以前に資料で見かけたロザリンデの記憶では、そのはずだった。

 

「それもゲヘナを襲撃した戦利品というわけ」

 

 そう呟きながら、ロザリンデはまた別の違和感を覚えていた。具体的には、彼のもう片方の腕から不自然なマギの高まりを感じたのだ。

 

 しかしロザリンデが違和感の正体を突き止める前に、マディックの男がチャームの引き金を引く前に、別の形で状況が動く。

 横合いから、武士団の団長がマディックへと駆け寄ってきた。

 

「ちゅ、中尉! あんたの言う通りにやったんだ。だから、こいつらに……こいつらリリィに思い知らせてやって――――」

 

 その時、マディックの左腕が動いた。無造作に。下から斜め上に振り上げるように。

 やや遅れて、団長の長身が糸の切れた人形のように倒れた。首から上はなくなっている。ただ歪な断面が赤黒く染まっていた。

 世界を変革しようとした団長の歩みは、この山奥の中で永遠に止まってしまった。

 

「使えない。所詮はプロ市民か」

 

 マディックがここで初めて口を開く。だがそれはあまりにも感傷に欠けるものだった。

 武士団に武器を流してテロを唆したのは、彼の属する軍の急進派で間違いないだろう。失脚させられたことに対する悪足掻きといったところか。そして総理の護衛を打ち倒したのも、このマディックに違いない。

 いとも容易く仲間を切り捨てたことに、ロザリンデも思うところはある。

 だが今、気に掛けるべきなのは、人間の首を瞬時に切断したあの左腕。それはいつの間にか一回りも二回りも肥大化し、金属のような灰色へと変色していた。

 

「……ヒュージ細胞を埋め込んだの? 自分の体に」

 

 実の所、ヒュージ細胞の人体への移植自体はゲヘナにとってそれほど難しい技術ではないらしい。ただ問題なのは術後の制御が極めて困難であるという点。ほぼ確実にヒュージ化して暴走するか、良くて肉体が壊死するか。

 故にゲヘナ過激派の間でも、胎児の段階からヒュージ細胞を埋め込んで少しずつ馴染ませる手法が取られるようになっていた。

 成長した人間への移植という時代遅れで不安定な技術に、一時はゲヘナと通じていた軍の急進派が目を付けたのだ。手っ取り早く力を得られる誘惑に抗えず。あるいはこのマディックと一部の者の暴走ということもあり得る。

 

 いずれにせよ、この場での処理が求められるのは確かだった。

 ロザリンデは通信機にて隊長の伊紀に現状を伝え聞かせる。

 

「了解、しました。対象に限り、全兵装の使用を許可します」

 

 インカムから聞こえてくる、絞り出されたような伊紀の声。

 無理もない。過失で結果として人死にが出るのと、明確な殺意を以って死に至らしめるのとでは、決定的な差があるのだ。たとえ何回経験しようとも、慣れ切ってしまうのは難しいだろう。

 

 前方にかざされた試作チャームの銃口にマギの光が生まれる。

 撃たれる前に、ロザリンデは弾種を実弾に変更したアステリオンから三連射を放つ。

 三発の弾丸は確かに目標へと命中した。が、身体をのけ反らせ大きく震わしただけで、継戦能力を奪うことはできなかった。

 それに対し、マディックの試作チャームも咆哮を上げる。放たれたのは収束したマギの弾丸。銃口よりも大きいのではないかと思わせるそれは、ロザリンデのすぐ右側の地面に着弾する。柔らかな土が耕され、舞い上がり、百合ヶ丘の制服を茶色に汚した。

 

 射撃戦は不利と判断し、盾にしていた木の幹からロザリンデが飛び出した。跳躍して斜面を上がり、山林の更に奥を目指す。

 マディックもまた敵を追って跳んだ。その鋭さ、その飛距離、先程の砲撃と同様にただのマディックという範疇を逸脱していた。

 

(それにしても、いつ埋め込んだのかしら)

 

 木々の隙間を縫うように跳躍を繰り返すロザリンデが疑問に思う。

 防衛軍から脱柵後、逃亡中に移植する余裕は流石に無いはず。ならば三重の研究所で出くわした際、既に済ませていたことになる。

 彼はあの時、何食わぬ顔を装いヒュージ細胞の暴走を押さえ付けていたというわけだ。ロザリンデたちにも気取られることなく。そこには一体、如何ほどの決心が秘められているというのか。

 

「くっ!」

 

 眼前での爆発を受け、ロザリンデは咄嗟に両腕で体を庇った。爆風が全身を撫で、吹き飛んだ木片が弾丸の如く黒の制服に突き刺さる。

 着弾地点を跳び越えた所で、後退を止めて後ろを振り返る。

 すると追ってきたマディックもまた、目の前の邪魔な大木を薙ぎ倒し、その幹を踏みつけて着地した。黒かった短髪は灰色に染まり、身体の変異は左腕から左肩まで進行している。もはやヒュージ化は時間の問題だった。

 

「急進派は失脚した。世直しごっこはもうおしまいよ」

 

 透き通った銀糸の髪に枝葉を付けたまま、白磁の肌に煤を残したまま、マディックと相対したロザリンデが言い放った。

 

「世直し? 直す必要なんてあるか、今更」

 

 今度は返事が戻ってきた。

 しかし同時に、チャームも向けられる。銃口の前に黒ずんだ球体が浮かび上がり、見る見るうちに膨張していく。銃口よりも大きく、チャーム本体よりも大きく、直径五十センチに成長したマギの塊がロザリンデの前に放たれた。

 黒のマギは地面を数センチほど削りながら、しかし真横へ軽く跳ねたロザリンデの脇を素通りする。

 続く砲撃に備えて身構えるロザリンデだが、中々その時は訪れない。代わりに、またしてもマディックの口が開かれる。

 

古町(ふるまち)事件を、知っているか?」

「……人並み程度には」

 

 古町とは、北陸地方の要衝たる新潟市の中でも、新潟駅に程近い一大商業地域である。

 二年前、そんな古町の夜の繁華街にて、非番中の防衛軍将校が柳都女学館のリリィと揉め事を起こして乱闘騒ぎへと発展した。これは将校側の()()()が発端とされている。

 件の将校は新潟県警の厳しい取り調べの上、新潟市民に白眼視された末、自殺。一方でリリィの方にはこれといったお咎めが無かった。

 事件の対処について、憂国武士団を始めとしたリリィ脅威論者たちが激しい抗議を行なったものの、世間から嘲笑を浴びるだけで終わってしまった。

 

「あの人は……先輩はお節介だが正義感の強い人だった。それが何だ? ナンパを拒絶されて逆上だと? 警察やマスコミの作ったシナリオは、あまりにふざけたものだった」

 

 怒りを押し殺すかのように、マディックは戦慄く声を絞り出す。

 あの事件、リリィであるロザリンデから見ても、確かに疑問符が浮かぶ顛末だった。

 柳都女学館と言えば、広大な新潟の地をたった一校で守っているガーデンだ。そこのリリィと地元の街で揉めた。事件の目撃者も地元の人間。取り調べに当たったのも地元の警察。これで邪推するなというのも些か無理があるだろう。

 

「嵌められたんだよ。お前らリリィと、この狂った社会に」

 

 軍とガーデン、軍とリリィの関係は元々微妙なものだった。政治レベルでの話だけでなく、現場レベルでも。古町での事件はそれが悪い意味で噴出した事例と言える。

 

「どうして俺たち軍人ばかりが、こんな目に遭わされる? 役立たずと罵られ、税金泥棒と石を投げられ。命を賭けているのは一緒だっていうのに」

 

 左腕から左肩、左肩から左半身へと。マディックを構成する体の内、既に半分近くがヒュージの灰色に侵されていた。

 間合いは十メートル足らず。無言のロザリンデはアステリオンをアックスモードに切り替える。

 

「人の善意を平気で踏み躙る……。そんな連中とヒュージのどこが違う? 何が違う!」

 

 それは逆恨みだった。しかし当人にとっては、他人の命を奪い、自身の身をヒュージに変えてでも為すべき価値のあることだった。

 

「死んで償えっ!」

 

 怒り悶えるような咆哮の後、完全にヒュージと化した。二本の腕に二本の足。人の形を保ったままで。

 ただ全身を灰色の装甲に覆われたその姿は、どこか子供向け番組のヒーローを思わせた。ひょっとすると、彼は本当はヒーローになりたかったのかもしれない。

 

「ヒュージサーチャーに反応。ヒュージと、確認されました」

「ええ。私が対処するわ」

「姉様、私も……」

「碧乙はヒュージの退路を断って。それからファンタズムで支援」

「……了解です」

 

 逃す気は毛頭なかった。

 今、この場で、自分の手でケリを付ける。さもなくば、このヒュージは他の誰かを殺すか、他のリリィの手で殺されるだろう。そうなるぐらいならばと、ロザリンデは自ら手を下すことを決意した。

 

 下半身のバネを使い、ヒュージが飛び掛かる。ロザリンデも地面を蹴って迎え撃つ。

 大型の斧へと変じたアステリオンだが、その分厚い刃は敵を捉えられない。柄の部分をヒュージの手刀に打たれて衝撃を受け、ロザリンデの体勢が揺らぐ。直後、彼女の後方にそびえる大木が幹ごと圧し折れた。たった一振りの手刀によって。

 両者は空中ですれ違った。そして着地とほとんど同時に、ヒュージが振り向きざまに黒色の光弾を撃つ。もはやチャームは不要。三本の鉤爪を生やす掌から連射した。

 忽ちロザリンデの周りを弾着の土煙が取り囲む。

 

「強い」

 

 濛々と立ち込める土煙の中、ロザリンデが小さく呟く。

 その力は怨嗟の証か。彼の心の内も、今となっては想像も及ばない。

 アステリオンの柄を握り直し、ロザリンデはレアスキル発動の機を窺う。

 

 またしてもヒュージが動いた。お次は地を這うかのような前傾姿勢で駆け出し、太く長い腕を真横に薙いで襲い来る。

 瞬足にして機敏。左右から息もつかせず繰り出される剛腕が、乾いた音を発しながら大気を切り裂く。

 アステリオンは決して剛性の高いチャームではない。なのでロザリンデがヒュージの鉤爪をいなす度、金属の軋む悲鳴が上がる。まともにぶつからず受け流していても、いつまでも続くものではない。

 長期戦は不利。ロザリンデはバックステップで一度間合いを取った後、レアスキルを発動する。

 

「フェイズトランセンデンス」

 

 全身からマギが湯水の如く湧き出る感覚。

 身体活性に、防御結界の向上。

 軽くなったその身を以って、ロザリンデがチャームを振るう。袈裟懸けに下ろされた斧が、盾代わりの左腕ごと灰色の体を打つ。

 続いて斧は横へ一閃し、ヒュージの胴を切り裂いた。幸いなことに、青い体液は派手に飛び散らず僅かに染み出すのみ。ヒュージになり立てのせいだろうか。

 明らかな致命傷を負って、ヒュージの腰から下が動きを止めた。ところが不意に右の手が伸びていき、ロザリンデの顔を正面から掴んだ。その掌に、黒い光の粒子が生じてくる。このまま撃つつもりなのだ。

 

 眼前に迫る、濃密な死の予感。

 

 しかしそれも一瞬のこと。ロザリンデはマギで強化された右足でヒュージの腹を蹴飛ばし、無理矢理に間合いを離す。

 

「大の大人が、駄々を捏ねるな」

 

 自分自身でも驚くほど底冷えのする声を出し、再びアステリオンを振るう。

 袈裟、逆袈裟、袈裟、逆袈裟。アックスモードの連撃が流れるように灰色の体を刻む。

 標的に逃げられたヒュージの右手は明後日の方向へ砲撃を放った。その直後、刀傷でずたずたになったヒュージの全身からマギの光が漏れ始める。命が尽きる寸前の、最期の輝きだ。

 光はロザリンデを巻き込んで辺りを照らしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと君たち。君たち! こんな夜遅く、こんな所を出歩いていたらいけないよ」

「……もしかして、私たちのこと言ってるのかしら?」

「そうだ。君たち中学生と高校生だろう。早くおうちに帰りなさい」

「あー、もしかしておじ様、新潟(ここ)の人じゃないの?」

「確かに三重から転属してきたばかりだが……」

「私たち、柳都のリリィなのよ。制服を知ってたら分かるんだけど。チャームも持ってるし。だからお構いなく」

「リリィって言ったって、子供には変わりないじゃないか。それが夜の繁華街をうろつくなんて。間違いが起きる前に帰りなさい」

「しつこいわねえ……。ひょっとしてナンパとか? だったらせめて、女の子に生まれ変わってから出直してきて欲しいわね」

「……君たちリリィは大人を侮っているのかもしれない。確かに君たちの力は大したものなんだろう。だけど自分だけで大きくなったと自惚れては駄目だ。いいかい? 人と言う字は互いに支え合って出来ていて――――」

 

「あの、姉様、そろそろ……」

「ああ、そうだったわ。時間を無駄にしちゃった。私たちはもう行くけど、おじ様もナンパと説教はどこかのお店でしてちょうだいね」

「……そういう態度は良くないな。そんな調子じゃあ社会で通用しない。でも、多分、それは君たち自身のせいじゃないんだろう。今までちゃんと叱ってくれる大人が居なかったんだね。だけど、世の中は決して無責任な人間ばかりじゃない。君たちのことを見てくれる大人もきっと居る。だから安心して――――」

「っ! 姉様の髪に触るな!」

 

 

 

 

 

「やれやれ。軍の将校様ともあろうお方が、セクハラに乱闘騒ぎとはね。世も末だよ」

「セクハラはないでしょう、刑事さん。髪を撫でてあげようとしただけじゃないか。乱闘云々も、こっちはただの被害者だ」

「あれが男子学生だったら、声掛けてなかったでしょ? 夜回り先生気取るなら、男の子も指導してあげないと」

「……男女がお互い興味を持つのは当たり前のことじゃないか。なのに、今のこの国はおかしいよ。欧米の顔色を窺って、おかしな性癖に気を遣って。こんなこと続けてたら、人の心は荒んでしまう。社会が壊れてしまう」

「今度は御政道をご批判ですか。と言うか、あんたいつの時代の人間だよ。今は、Lilie(リーリエ)細胞だったか? あれのお陰で同性でも妊娠出産できて、リリィが少子化の原因にもされないし、足立区も滅びない。良い時代になったなー」

「間違ってる。そんな考えは間違ってる。そりゃあ俺だって別に差別主義者じゃないから、存在自体許さないとか、日本から出ていけとか、そんなことが言いたいわけじゃない。ただ普通とは違うんだし、他人を不快にさせるんだから、人目につかないよう慎みを持てと言っている」

「うわぁ」

「例えば刑事さん、刑事さんに娘がいたとして。その子がレズの女に引っ掛かったら、どう思う? 冗談じゃないって、怒りを覚えるのが人の親だ」

「娘がもう一人増えるようなもんでしょ」

「俺は真面目に話してるんだ! だいたい、君ら警察こそ何だ。街の風紀を守るのも君らの仕事だろ。それなのにあの子らのスカートを放置して。あんなの穿いてたら、痴漢してくれってアピールしているようなものだろう」

「スカート短いからって、セクハラしちゃあいけないよ」

「だから違うって言ってるじゃないか! 茶化すのも大概にしろ!」

「はぁ……。あんたいい加減にしろよ? だーれがヒュージからこの街を守ってると思ってるんだ」

「……っ」

「リリィはヒュージを倒す。警察は治安を守る。で、あんたら軍の仕事は何なんだ? 女の子の尻を追っかけるのが、仕事かよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはマギが見せた何れかの記憶か。それともただの幻か。何にせよ、確かめる術は無い。

 確かなのは、一つの命がこの世から完全に消え去ったという事実だけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星々の輝きが雲で隠れた真っ暗闇の夜のこと。

 上級生寮である旧館の中、ラウンジには柔らかな灯りが灯っている。もう時間が遅いので人影は疎らだ。ロザリンデはそこでお目当ての人物を見つけた。ロザリンデが未だ制服姿なのに対し、その人物は既に部屋着であった。

 一人掛けの椅子の上で本のページを静かに捲る、亜麻色のロングヘアのリリィ。彼女はロザリンデの存在に気が付くと、表情を引き締めて向き直る。

 

「もうすぐ消灯時間よ、ロザ」

 

 そう窘められてもロザリンデは口を閉じたまま。羞恥を覚えているような、困っているような、微妙な顔で立ち尽くすだけ。

 そんな奇妙な態度のロザリンデを前にして、亜麻色髪のリリィ、田村那岐は小さな溜め息と共に椅子から立ち上がった。

 

 那岐がロザリンデを引き連れて訪れたのは特別寮。ロザリンデにとっては出戻ってきたことになる。

 二人は最初に寮の管理室へと足を運んだ。そこには修道服に身を包んだブロンドの女性が詰めていた。

 

「外泊許可をお願いします」

 

 那岐がそう言うと、特別寮の支配人シェリス・ヤコブセン教導官は眉を一瞬動かしただけで、驚いた様子も無く申請書類を渡す。彼女は教導官兼保険医でもあり、リリィからよくメンタル面の相談を受けている。それに加えて特別寮の担当でもあるのだから、こういう事態には慣れているのだろう。

 那岐は記入した書類を提出すると、礼をしてロザリンデと共に退出する。

 生徒会への申請書はここに来るまでに出していた。外泊申請は他の部屋、他の寮に泊まる際にも必要だった。

 

 今度こそ二人は目的の場所に到着する。それは特別寮内にあるロザリンデの部屋だ。シルトでルームメイトの碧乙は伊紀の部屋に泊まっているため不在。従って今晩は二人きりということになる。

 室内に入ってすぐは無言だった。しかし那岐がベッドに腰掛けこちらを見上げてくると、ロザリンデはようやく口を開く。

 

「今日、人を殺したわ」

 

 努めて平静な態度で言葉を紡ぐ。

 

「ヒュージ化したとは言え、元は確かに人間だったのよ。目の前で変わっていく瞬間も、見たの」

 

 ロスヴァイセの性質上、人死にを引き起こすことは、少ないがある。だが不慮の要因で結果的に死なせるのと、元から殺すつもりで殺害するのとでは訳が違う。少なくとも精神衛生上は。

 

「少し前まで喋ってた! その相手を殺したのよ!」

 

 平静を装っていたのも最初だけ。話している内に、ロザリンデは熱を帯びてくる。

 そんな彼女を黙って見上げていた那岐が両手を伸ばす。ベッドに座ったまま、そのベッドの主の腕を掴んで引っ張って、ゆっくりと抱き寄せる。

 

「お仕事お疲れ様、ロザ」

 

 ロザリンデの顔が、那岐の豊かな女性の象徴に埋もれる。

 任務帰りで入浴時間を逃し、制服のロザリンデ。部屋着で柔らかなベージュのカーディガンを羽織った、入浴済みであろう那岐。

 

「こんな姿、碧乙さんや伊紀さんには見せられないわよね」

「んっ……」

「貴方のお陰で救われた子が居ること、忘れないわ。他の誰が忘れても、私は忘れたりしない」

 

 耳から入って頭の中をくすぐるような那岐の言葉に、強張っていた体が緩んでいく。それは求めて止まない言葉であり声であった。

 昔とはすっかり立場が逆になったなと、ロザリンデは思う。悪い気は全くしなかったが。

 

「そうだ。ロスヴァイセは今度お休みを貰うのでしょう? 気晴らしに二人でどこか、旅行にでも行ってみない?」

「……水夕会は、湯河原戦の事後処理で忙しいと思ったのだけど」

朔愛(さくあ)汐里(しおり)さんに、無理を言ってみるわ」

 

 ロザリンデは那岐の胸元から顔を離す。今度は彼女の方が那岐を見上げる形になった。

 艶やかな長い睫毛の下の、ぱっちりと大きな垂れ目。その目の前では、ロザリンデも取り繕うことなく有りのままを曝け出せる。そしてそれは、那岐の方もまた同様だった。

 

「旅行も良いけど、取りあえず今はシャワーを浴びたい気分ね」

 

 百合ヶ丘の寮には部屋ごとにユニットバスが備え付けられている。ちょうど今日のロザリンデのように、大浴場の利用時間を逃したリリィのためだ。

 

「私もお風呂、入り直そうかしら」

「……っ! それはつまり、そういうお誘いと見なして良いのでしょう?」

「あら? 元気が戻ってきたみたい。なら旅行の話も御役御免ね」

「ちょっと待って、それとこれとは話が別だから」

 

 結局この日、シャワー()別々に浴びるのだった。

 

 

 



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最終話 リリィたちの羽休め

 街の中心部から離れた広大な敷地の中に、年季の入った木造建築が堂々構えている。古びてはいるが、それは同時に風格の表れでもあった。人の利用が絶えないので、手入れもきちんとされていた。

 しかしながら、その木造建築の真価は建物自体にあるのではない。真価は建物の裏手の方に湧き出ていた。

 

「温泉だーーーっ!」

 

 喜びに声を張り上げたのは、梨璃であり結梨であり二水であり梅でありミリアムであり、もしかしたら楓や神琳も交ざっていたかもしれない。

 

 彼女たち一柳隊は今、静岡県熱海市に来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルケミラ女学館とそれを支援する桜ノ杜女子高等学校、更には百合ヶ丘の外征レギオンを加えた連合部隊によって、湯河原戦線はリリィたちの勝利に終わった。前線は大きく西へと動き、伊豆半島の大部分が人類勢力下に復帰した。

 静岡全体で見れば、取り戻したのは四分の一程度。少なくとも中央部の静岡市と西部の浜松市を奪還しない限り、静岡解放が成ったとは言えないだろう。

 それでも今回の勝利は鎌倉府や東日本にとって、大きな前進に違いなかった。

 

 湯河原戦線に重大な影響を与えたと言われているのが、一柳隊やアールヴヘイムによる特型追討作戦である。特型は自身の居城たる工場跡地を守らせるため、湯河原や甲州のネストから戦力を引き抜いていた。結果、彼の地で多くのヒュージがネスト防衛に寄与することなく討たれたのだ。

 とりわけ、B型兵装とノインヴェルト戦術を駆使してギガント級を四体も葬ったアールヴヘイムの功績は大きい。

 

 そしてそんな伊豆半島の中にあり、晴れて人類に奪還された土地の一つが、一柳隊の慰安旅行先に選ばれたこの熱海の街だった。

 

「うわぁ~お部屋もお庭も広い! 眺めも素敵ですよ!」

 

 予約していた部屋に着くなり、隊長の梨璃が荷物を抱えたまま目を輝かせた。

 和室の12畳と10畳にリビングが付いた大部屋。障子の向こうには、池を備えた開放的な庭園が広がっている。

 

「梨璃、先に荷物を下ろしなさい」

「はい、お姉様!」

 

 団体客用とは言え、十人の大所帯で食べて遊んで寝ていたら、流石に多少は手狭かもしれない。だが彼女らにとっては十分満足できるもののようで。

 

「内装も、手入れが行き届いていますね」

「うん。綺麗」

 

 部屋自体や備え付けの備品を見回した神琳の言葉に雨嘉が同意する。

 高級旅館が綺麗なのは当たり前。だがこの熱海の場合、話が変わってくる。つい最近まで陥落指定地域の只中にあったのだ。

 

「これだけの設備を維持できる宿が複数存在する。熱海のネームバリューと関係各所の努力の賜物ですわね」

 

 ちゃっかり縁側のアームチェアを確保した楓の言う通り、熱海の繁栄には多大な労力が払われていた。

 ネックになるのが観光客を呼び込む手段である。これは比較的安全なルートを探してバスを走らせたり、『陥落指定地域の産業保護』を名目に国がVTOL機を運行させたり、あるいは自家用ヘリを飛ばす奇特な者たちも居た。

 いずれの手段にしろ、大なり小なり危険が伴うのは変わらない。だがそれでも、熱海の温泉街を目指す客は後を絶たなかった。多少の危険は呑み込まないと、雁字搦めで何もできなくなってしまう。長く続く戦時下における、ある種の()()()()である。

 

「ねえ! 荷物置いたし、探検しよーよ!」

 

 数名が早速くつろぎ始めた中で、元気が有り余っているかのような調子の結梨。実際、元気なのだろう。彼女にとっては慰安ではなく、遠足という表現の方が適切だった。

 

「この旅館には温泉以外にも色々とレクリエーション設備があるそうです。見回ってみるのも良いかもしれませんね」

「そうなんだ! 楽しそう!」

 

 二水の話に食いついたのは結梨と梨璃だ。やはり似た者母娘(おやこ)である。

 

「あの、お姉様。お疲れかもしれませんが……」

「……分かったわ、行きましょう。ただし入浴の時間もちゃんと考えるのよ。その後で夕食もあるのだから」

「はい!」

 

 シルトのお願いに、小言を言いながらも付き合うシュッツエンゲル。言葉と裏腹に満更でもなさそうなのは、一柳隊ならば誰もが知るところである。

 ところがそんな微笑ましい光景の中、ふと鶴紗は違和感を覚えた。違和感は直に不穏へと変わる。そう、あの楓・J・ヌーベルが大人しいのだ。梨璃たちに付いて行くと騒がずに、今もアームチェアの上で優雅に中庭鑑賞を決め込んでいた。

 意を決して、鶴紗は楓の真意を探ってみる。

 

「お前は一緒に行かなくてもいいのか?」

「そう焦らずとも、時間はまだまだありますわ。夜は長いのですから。フフッ、ウフフフフッ」

 

 悪い予感というのはよく当たるものだ。

 鶴紗と、いつの間にか傍に来ていた梅が目で示し合わせる。

 

「よーし、じゃあ楓の布団は梅と鶴紗の間だな」

「それがいい。そうしよう」

 

 楓が頬を引き攣らせた。

 

「な、何を仰いますの。梅様と鶴紗さんはシュッツエンゲルを契ったばかりでしょう? わたくしなど構わず、姉妹水入らずで過ごされてはいかが?」

「遠慮するなよ~。楓を仲間外れにはしないゾ!」

「そうそう、大人しく挟まれとけ。夜、勝手に抜け出せないぐらいに」

 

 楓はとうとう悲鳴を上げる。

 

「嫌ですわ、嫌ですわー! わたくしは梨璃さんと夢結様の間で、結梨さんのお布団で一緒に寝ますのよーーー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二水がリサーチした通り、旅館の設備はとても充実したものだった。見て回るだけでも結構な時間が経っていた。

 そんな中で一行が腰を据えたのは遊技場である。広い室内に幾つものレジャー用品を用意した、文字通り遊ぶための空間。幸い他の利用客の姿は少なかった。わざわざ()いている日を狙って予約した甲斐があったというわけだ。

 

「ミリアム! 卓球やろう、卓球!」

「ほぉう、『卓上のデアシュトゥルム』と恐れられたわしに挑むとは、良い度胸じゃ。ちと揉んでやろうかの」

 

 青の卓球台を目指して結梨が駆けていき、ミリアムが後を追って歩く。

 一方で梨璃と二水は、台は台でも機械の台に興味津々だった。

 

「凄い凄い! こんな物まであるなんて!」

「これは、アーケードゲームですか。また随分と古めかしいですねえ」

「甲州に一軒だけ、これを置いているゲームセンターがあったんだ。自機を左右に動かしながら、敵を撃って倒すんだよ」

 

 デフォルメされた戦闘機とエイリアンのシューティングゲームに、梨璃がはしゃぎ二水が感心する。

 そんな様子を隅っこの長椅子に座って眺めていた鶴紗だが、手に持っていた缶コーヒーの中身がなくなると、静かに立ち上がった。

 

「どっか行くのか?」

「ちょっと外の空気吸ってくる」

「梅も行こっと」

「どうぞ」

 

 鶴紗が賑やかな遊技場から抜け出そうとすると、その背後に梅が付く。

 

「梅、温泉はともかく、夕食の時間には戻ってくるのよ」

「大丈夫大丈夫、鶴紗はちゃんと連れてくるから」

「貴方の方が心配なのよ」

 

 念押しする夢結の声を背に、今度こそ二人は退出する。

 ここでの食事を、鶴紗は密かに期待していた。言われずとも遅れずに戻るつもりだ。そして恐らくは梅も同様だろう。

 風呂か食か、どちらか選べと言われたら、確実に後者を選ぶのがこの二人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旅館の廊下を、雰囲気ある木造床の上を黙々と歩く。

 先程鶴紗が「外の空気を吸う」と発言した件、別に他意は無い。本当に、ただ何となく外へ出たい気分になっただけだった。なのでその歩みも、のんびりとしたものである。

 

 鶴紗と梅、二人は横並びに着かず離れずの距離を保っていた。シュッツエンゲルの契りを結んで以降、普段の生活が何か劇的に変わったのかと聞かれると、微妙なところである。訓練を共にする機会が前より更に増えたぐらいだろうか。

 勿論、外征の終わりに海岸で鶴紗が告白した時のように、気分が高揚すれば()()()()()()に及ぶ場合もある。しかし、当たり前だが、常日頃からそんな態度を取っているわけではない。

 だから今この時も、以前までのような『同じレギオンの先輩後輩』な二人なのである。

 

 目的地である中庭への道中、廊下より多少開けた空間に差し掛かった。大きな花瓶から生える観葉植物に、自動販売機が二つ。あとは小さなローテーブルとソファが幾つか。ちょっとした休憩スペースだ。

 そこで鶴紗は見知った顔と鉢合わせする。

 

「ごきげんよう」

 

 ソファの上で二人分の声が重なった。発したのは、銀のロングヘアと亜麻色のロングヘアの少女だった。

 

「ごきげんよう、那岐様、ロザリンデ様」

「ごきげんよう」

 

 梅と鶴紗もお決まりの挨拶を返した。

 一柳隊が未だ私服のままであるのに対し、三年生の二人は旅館で用意された浴衣に身を包んでいた。既に温泉を楽しんできたあとなのかもしれない。

 

「奇遇ね、貴方たちも来てたなんて。さっきから旅館の中が賑やかになったのは、気のせいじゃなかったのね」

「あははー」

 

 ロザリンデの言葉に対し、梅が笑って誤魔化す。

 実際、他の客が少ないとは言え、些か騒ぎ過ぎたかもしれない。

 ところでそのロザリンデだが、すぐ隣の那岐にぴったりとくっついており、彼女の肩の上に頭でもたれ掛かっている。二人とも顔が上気して赤くなっているのは、温泉に浸かってきたせいだろう。きっと。多分。

 

「レギオンの皆と一緒なのでしょう? こんな所に二人だけで、どうしたのかしら」

 

 そう問うてくるロザリンデは那岐に寄り掛かりながら、膝の上ではお互いの手の指を絡ませたり握ったりして弄んでいる。那岐の方も、されるがままに任せていた。

 

「あー、ちょっと休憩に――――」

「デートです」

 

 梅の言葉を遮る形で、鶴紗が答えた。

 

「デートです」

 

 呆気に取られる梅をよそに。梅の腕を取って自身の腕と絡ませて。もう一度答えた。

 

「あらあら」

「ふぅん……」

 

 那岐はその大きな瞳を丸くする。

 ロザリンデは碧の瞳を細め、意味有り気な視線で見つめてくる。

 それは、いつも惚気てくる上級生へのちょっとした意趣返しのつもりだった。あまり意趣返しになっていないような気もするが、この際細かなことは脇に置いておいた。

 

 それから別れの挨拶もそこそこに、鶴紗たちは休憩スペースを後にする。半ば鶴紗が梅を引っ張るように。

 中庭へ足を向ける鶴紗の後ろの方から、残された二人のやり取りが微かに聞こえてくる。

 

「ねえ、那岐。あの子たち見てたら、当てられちゃった」

「ロザは何もなくてもそうなるでしょ」

「まあね」

 

 やはり意趣返しは不発であった。

 鶴紗は口をへの字に曲げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 庭園を臨む縁側に鶴紗たちが到着する。空はすっかり黒に染まっていた。旅館に着いたばかりの頃は、まだ爽やかなライトブルーだったはず。時が経つのがいつも以上に早い気がした。

 

「はぁーっ……」

 

 着いて早々、縁側の上に座り込んだ鶴紗は溜め息を吐いた。つい先程のやり取りを思い出してのことだった。

 

「何だってあんなこと……」

 

 自分でやっておいて、今更ながら羞恥心が湧き出てくる。人前で見せつけるような真似、本来なら鶴紗の趣味ではなかった。

 

「ははっ! まあ、やってしまったものはしょうがない。それより驚かせるなら、次はもっと凄いことやらないと」

「もうしない」

「えぇー」

「えぇー、じゃない」

 

 鶴紗とは正反対に、梅の方は余裕綽々である。

 それが気に入らない鶴紗はちょっとだけ不貞腐れた。

 

「おー、星がよく見えるなあ。流石は熱海」

 

 上体を後ろに倒して天を仰いだ梅が話題を変えた。

 確かに夜空のあちこちに、小さな灯りが点々と瞬いている。

 

「そう? 鎌倉もこんなものだった気がするけど」

「せっかくここまで来たんだから、良いように考えれば良いんだよ。何となくちょっと、得した気がするだろう?」

「何、それは」

 

 真面目に聞いて損したと言わんばかりに、鶴紗は口を尖らせる。

 

 それから特にやることもなく、星空を眺めたり、背後に広がる室内の内装を見ていたり。気のせいか、旅館内の喧騒が少しずつ大きくなっている。

 鶴紗が何とはなしに横を見ると、梅と目が合った。梅は縁側でゴロンと仰向けになり、首の後ろで組んだ両腕を枕代わりにしている。相変わらずだが、行儀が悪い。鶴紗もあまり人のことは言えないが。

 

「静岡に戻ってきて、良かったか?」

 

 いきなり、そんなことを聞かれた。

 いきなりだったので鶴紗は言葉が詰まり、すぐには返事ができなかった。

 

「……良かったかどうかなんて、分からない。第一、まだ静岡全部を取り戻してないし」

「それもそうだ」

「けど、必要なことだったのは確か。あのまま真実を知れなかったとしたら、嫌だ」

 

 低く静かな声で、しかしはっきりと答える。

 死にそうな目に遭ったし、心が張り裂けそうな出来事もあった。だがこの地に戻って来なければ、何も分からず仕舞いで終わったかもしれない。

 

「だから感謝してる。百合ヶ丘にも一柳隊にも。……あと、梅様にも」

 

 鶴紗が横目を止めて正面を向き、俯きがちにそう言った。流石に目を合わせたままでは気恥ずかしい。

 すると横から、鶴紗の体に軽い衝撃と重みが加わってくる。

 

「可愛い奴だな~、うちのシルトは」

 

 梅の腕に肩を抱かれ、頭をわしわしと盛大に撫でられる。

 いつもなら、すぐさま抜け出そうと身じろぎするところ。しかし、今この時ばかりは借りてきた猫の如く、鶴紗は背を丸めてくすぐったい感覚を受け入れていた。

 他の誰かがやって来るまでは。二人きりの間だけは。

 そんな風に考えていた矢先、鶴紗の耳に騒がしい足音が聞こえてくる。

 

「鶴紗!」

 

 背後からの、結梨のタックル。彼女はそのまま鶴紗の背中に抱き付いた。

 梅はその直前にちゃっかり離脱済みである。

 

「鶴紗! 鶴紗も卓球やろう! 私、ミリアムに勝ったんだよ!」

「ははは、大したものじゃ」

 

 結梨に激しく揺さぶられる鶴紗。後ろの方では苦笑気味に腕組みしたミリアムの姿が。

 そして気が付けば、他の面子まで揃っている。

 

「まさかミリアムが負けるなんて……」

「だから言ったでしょう? 雨嘉さん。結梨さんが勝つと」

「凄い自信だったね、神琳。本当、不思議」

「ふふふ、外したら目で月餅(げっぺい)を食べてご覧に入れましょう」

「えぇ……」

 

 立ち所に閑静な縁側が、その風情に似つかわしくない賑やかさに彩られていく。

 

「楓さん、せっかく結梨さんに『卓球のイロハを伝授して差し上げますわ~』って盛り上がっていたのに。これじゃあ立つ瀬がないですねえ」

「立つ瀬がないから、座ってますわ」

「上手いこと言いますね」

 

 いつの間に来たのだろう。鶴紗の右の方で、遠い目をして縁側に腰掛ける楓。更にその横には、庭園に私物の一眼レフを向ける二水。

 

「何だ。結局、皆こっちに来たのか」

「ああは言ったけど。やっぱり今回の旅行は貴方と鶴紗さんのお祝いも兼ねているのだから」

 

 梅の方に歩いてきたのは夢結だ。彼女の言う()()()とは無論、シュッツエンゲル誓約のことである。

 そして夢結が居るなら、当然、梨璃もまた居る。

 

「駄目だよ、結梨ちゃん。鶴紗さんが潰れちゃうよ」

 

 梨璃の言う通りだ。後ろから抱き付かれてぎゅうぎゅうと押され、前につんのめる。運動直後で上昇した結梨の体温が、背中から伝わってくるほどに。

 これには流石の鶴紗も堪らず声を上げる。

 

「あーーーっ、もうっ! 分かった、分かったから! 一旦離れろ結梨!」

 

 以前よりも活況を呈した熱海の夜が過ぎゆく。

 苛烈な戦いに身を投じるリリィの、束の間の安息。それは彼女らを日常に繋ぎ止めるための楔であり、戦火から引き戻すための標でもあった。

 

 

 






これにて本当に完結。
今までお付き合いして下さった方々、ありがとうございました。

次回長編作品としては、日常系新婚そらくす社会人編を構想しています。
しかしその前に短編作品を幾つか執筆する予定。




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