遊☆戯☆王:OCGワールドストーリー”深淵の烙印世界” (erugon)
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アルバスの邂逅
第一章 《教導国家ドラグマ》


アルエクが可愛いんじゃ~

 という孫を見つめる爺さんくらいの気持ちでどうぞ。



 

 

〝深淵〟

 

 ――この大陸がそう呼ばれて、幾星霜。周囲の大陸から隔絶され、交流のほとんど立たれた大地。

 

 その極北に位置する場所に、この国は存在する。

 天よりの光芒が照らすこの地には、〝ホール〟と呼ばれる謎の穴が出現し、人や物を呑みこむ現象が発生していた。

 

 しかし、ホールは人を呑みこむ厄災というだけではない。ごく稀にだが、人知を超えた恩恵、と呼ぶべきものを授けることもある。

 それは未知なる暗黒物質、またある時は超文明の遺物と思われるもの。時には生命さえも、産み落とすという。

 

 

 その恩恵を最も受ける者たちが営む国――それが《教導国家ドラグマ》である。

 

 

「信徒の皆さん、こんにちは!」

 

 凛とした、けれど温かみのある声が聞こえてくる。各所に張り巡らされた伝音管(パイプ)から、その少女の声は聞こえてきた。

 街の人々は声に耳を傾け、中には膝を付き、手を握り合わせるものもいた。

 

 この教導国家ドラグマに、国王というものは居ない。

 なだらかな丘の上に築かれた城塞都市は、中央部にあるドラグマ大聖堂から同心円状に広がっている。この国の政をつかさどるのは、その中央にいる聖職者たちだ。

 

 ホールという厄災にして恩恵を制御し、民に安寧を敷く。それがドラグマの聖職者たちの役目だ。

 

 その中でも、とりわけ重要な存在がいる。

 その身に〝聖痕〟と呼ばれる神に与えられた印を、より強く輝かせる乙女。

 その中でも、民草からの信頼厚く、またもとは一介の農民の娘だったという出自ゆえに親しまれる者――《教導の聖女エクレシア》が、大聖堂のバルコニーから、パイプを通して都市の者たちに声をかける。

 

「今日もまた、ホールよりの恵みがありました。深淵の奥に座したる神は、わたしたちドラグマの民のため、時に試練を、時に恵みをもたらしてくれています。今日も神に祈りを捧げ、昨日の悪しき行いを悔い改め、明日のための食を摂りましょう」

 

 この国の上空には、ホールという濃い紫色の穴がある。空間の裂け目、などと表現するものいるが、実態はほとんどの者が知らない。

 ただ昔からそこにあり、たびたび大きく開くということだけは知っていた。

 

「多くの者に感謝を。命あるものに激励を……」

 

 金色の髪を丁寧に結い上げたエクレシアを多くの者たちが天使や女神の化身と称するが、この声を聴けば納得する者は多いだろう。

 歴史上、初めて額に聖痕を宿した、類稀なる奇跡の少女。

 その優しげな灰黄緑の瞳をゆっくり閉じて、指を組む。

 

「ともに、神への祈りを――」

 

 一日三度の礼拝。通常の信徒であれば一日一度で済むところを、少女は朝に一度、昼に一度、そしてこの黄昏時に一度行うのだ。

 その中でも沈みゆく太陽に向けて行われるこの礼拝こそが、最も重要とされている。

 そのためエクレシアは、毎日この時刻を告げるために、パイプを通して市民たちに言葉を贈るのだ。

 

 それは時に、何でもない日常であったり、彼女が気づいた小さな幸福で会ったり。

 

「今日私は、城塞外の森に出かけました。メルフィーたちの森と、名付けられた場所なんです」

 

 傍から見れば堅苦しい祈りの時間が終わると、こうして聖女エクレシアは、少女エクレシアとしての側面を見せる。

 

「すごいもこもこの毛を持った動物たちが、いっぱい森に住んでいるんです!」

 

 楽しそうに、今日会った出来事、感心した話、様々な者を語る。

 

「彼らもまた、ホールから現れたこの世界の新たな仲間たちです。どうか皆も、あの森で暮らす子たちを、見守ってあげてください」

 

 ホールよりの恩恵、時に命すらもたらすそれに、彼女は――信徒は、感謝の祈りを捧げる。

 

「ドラグマ聖文(せいぶん)・六六六の一つ、我らドラグマの民は、我らに血と肉と服を与える者たちを慈しみ、その生に感謝せよ。どのような動物たちであっても、彼らはこの大陸で新たに暮らす仲間たち。どうか皆さんも、彼らに愛を傾けてください」

 

 ドラグマには、六六六に渡る戒律がある。その半分以上は禁足事項をしたためた者であり、中には異教徒に対する行動を定めたものなどもある。祈り方、日々の過ごし方、挨拶の方法、様々な戒律はあるが、普通に生活している分には邪魔になる者ではない。

 だが、世の中には、そうではない者たちもいる。

 たとえば、ドラグマの聖職者たちが、邪教徒と呼ぶ者たちにとっては。

 

 

   ◆

 

 

《ドラグマ王城・騎士団訓練施設》

 

 ドラグマには、国と民を守るための騎士団が存在する。祈りを捧げる手とそれを守るように両側に立つ竜を紋章としてあしらった、教導騎士団。

 その訓練施設も、もちろん城内、街の駐屯地などに存在する。

 

 その中でも、中央の騎士団総本部訓練施設は、一番規模も大きく、同時に厳しい訓練が課される。

 

「ドラグマ聖文復唱!」

 

『栄光ある教導騎士団に名を連ねし者。聖文六六六項を魂に刻み、日に一度陽光の下で唱えるべし』

 

 もしも聖文の復唱を忘れているものがいたとしても、問題ないようにと配慮されているのだ。同時に、これを唱えることで一体感を生み、帰属意識を充足させる。

 中でも騎士団にとって最も重要な部分が抜粋され、隊長の声に合わせて復唱された。

 

「第六六項。罪深き邪教の徒を慈しんではならない!」

「第六七項。罪深き邪教の徒を畏れてはならない!」

「第六八項。罪深き邪教の徒の願いを聞いてはならない!」

 

 彼らが戦うべき、殺すべき相手、邪教徒。それに対する訓戒と、邪教徒に向ける正義の意識の確認。それがこの、六六項からの聖文。

 

「第六九項。罪深き邪教の徒であるならば、奪ってよし!」

「第七〇項。罪深き邪教の徒を討つためならば、いかなる手も使うべし!」

 

 もしこれをその邪教徒とやらが聞いていれば、今すぐにでも殴りに行くところだろう。だが、彼らはそうやって国を守ってきた。

 ドラグマの持つ聖痕の力は、ただキラキラと輝かしいだけではない。ヒトの身体の中に神の力を溜め込む器のようなものなのだ。

 与えられた聖痕がどこに出るかは人それぞれだが、その輝きが強ければ強いほど、人知を超えた力を発揮する。

 

 古くはこの力を求めて争いがあり、今はこの力を守るために争いがある。教導騎士団が敵に対して徹底的な攻撃を心情とし、この聖文を読み上げるのはそのためだ。

 そんな彼らの言葉に対して、エクレシアの言葉のなんと清浄なことか。

 鍛錬を終えた騎士団たちの耳にも、エクレシアの言葉が聞こえてくる。

 

「先日、わたしの侍女を務めていた方が、涙を零しながらわたしに報告してきました。どうしましたと聞いたら、涙いっぱいの顔を笑顔にしていったんです。『お腹の中に、新しい命が宿ったのです』と。今日この後、その方を交えて祝宴を開く予定なんです」

 

 命を奪う者もいれば、慈しむ者もいる。

 そのあいまいで不自然なバランスが、時に世界を成立させることもあるのだろう。

 

「新しい命、今ある命、わたしたちに今を託していった命。全てが繋がっているのだと、わたしは改めて理解しました。多くの命溢れるこの大地。どうか皆さんも、命を慈しむ心を、忘れないでください」

 

 同時に、太陽が地平線の向こう側に沈んだ。普段ならもう少し早く終わるのだが、今日はずいぶんと話し込んでしまった。

 森に住む命たち。新たに生まれ来る命たち。それらに触れたので、少しかんきわまっていたのだろうと、彼女は思う。

 良き明日が訪れることを。そう祈りながらパイプの蓋を閉じ、バルコニーから城内に戻ろうと彼女は踵を返す。

 同時に、空気を切り裂くような音がした。

 

 

 ――爆発!

 

 

 幾重にも重なる破裂音が、地上から聞こえてくる。

 

「今の、何が……!?」

 

 市街からざわつく声が聞こえると同時に、屋根の上を渡る複数の影を見る。

 

「あれは、まさか――!」

 

 その正体に気が付いたのだろう。身を乗り出すエクレシアは、同時に自分の頭上の光の変化にも気づいた。

 まるで、この爆発に呼び寄せられたかのように、空の色が紫に染まる。

 大地が鳴動し、空が暗雲で渦巻く。

 

「これは、ホールの開口!? こんな時に、よりにもよって!」

 

 

 エクレシアの額に輝く聖痕が、それに反応するかのように強い光を放つ。

 聖痕はドラグマの神より与えられた力の結晶。だが、その出自はこのホールの向こう側。何か大きな力の到来に、聖痕が反応しているのだ。

 

「ううん、いつもと違う。こんな地上を揺らすほどの力を持つ開口は、今までには……」

 

 彼女は近くの手すりに捕まりながら空を見上げる。

 時折地上を見れば、困惑する信徒たちの姿が目に映る。

 同時に巻き上がる土煙、火の手、混乱が街を埋め尽くそうとする。

 

 どうすればいい、そう思っていた時に足音が近づいてきた。

 バルコニーには重装鎧を身に纏った者が現れ、銀髪を暴風に靡かせながら空を見上げた。刃のような鋭い視線を上空へ注ぐ人物へ、エクレシアは不安げに声をかけた。

 

「フルルドリス姉様! これは一体!?」

 

 姉様、そう呼ばれたのは、このドラグマにおけるもう一人の聖女にして騎士。

 ドラグマ最強の騎士とも名高い女性であり、その四肢それぞれに一つずつ、計四つもの聖痕が刻まれた、エクレシアとともに聖女と呼ばれる者。

 教導軍騎士団団長、邪教徒たちの最大の敵――《教導の騎士フルルドリス》だ。

 

 エクレシアからは血の繋がりはないが姉と慕われ、ドラグマを守護する騎士団員たちからは憧れを持って騎士長と称えられる女性である。

 彼女らの存在があって、後の歴史書にはこの時ドラグマは最盛期を迎えていたと記されることになる。

 奇跡の聖女エクレシア、最強の聖女フルルドリス。

 二人の見上げる先で、ホールはまるで生き物の口のように脈動する。

 

「私も聖痕に強い疼きを感じて来たんだ。どうやら、今まで見たことないことが、起ころうとしているらしいな」

「姉様も、じゃあやっぱり……」

「どうやら、特大のホールが開かれようとしているようだな」

 

 男勝りな口調だが、彼女もまた、紛れもない聖女。その身に宿した聖痕が鎧の下からも輝きを放ち、これから起こる出来事を警告する。

 

「奴らが捕虜奪還のために侵入したらしい。街の各地で爆発を起こし、騎士団を混乱させようとしている」

「捕虜の方々を、助けるために……。なら、姉様――」

「だめだ。それはできない」

 

 エクレシアの言葉を遮るフルルドリス。彼女の言いたいことが分かったのだろう。言葉にするより早く、遮った。

 シュンとするエクレシアの肩に手を置いたフルルドリスは、地上を空、両方を仰ぎ見ながら呟いた。

 

「荒れるな、これから……」

 それは後に、〝天底の使徒〟と呼ばれる――この先に続く長い、長い戦いの、始まりを齎す者が現れる瞬間でもあった。

 

 

  

 



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第二章 《ドラグマ・エンカウンター》

 

「地下壕へ避難してください! 押さないで!」

「落ち着いて移動してください。教導の信徒たちには、必ずや神のご加護を賜れることでしょう。何も心配はございません」

 

 信徒たちが、街の人々を避難させる。

 ホールから現れるものが、常に恩恵とは限らない。

 悪しき行いを神が見咎めたとき、ホールからは災厄が降り注ぐとされる。

 

 だがこれは――

 

「でも、どうして、急にホールが……」

「ホールに関してはわからないことの方が多い。けれどエクレシア。私たち聖女の役目は、いつだって変わりはない」

「そういうことです。エクレシア君」

 

 二匹の竜が並んだ図の描かれた聖典を抱える、緑髪の男性。フルルドリスに続いて現れた彼が、マントを払いながらバルコニーに出る。彼の後ろには、青いマントを付けた若い筋骨隆々の男性もいる。

 

「アディン先生、それにテオさんも!」

「夕刻のスピーチお疲れ様でした。しかし、大変なことになりましたね」

 

 ふむ、と顎に手を当てる長身の男は、《教導の天啓アディン》と呼ばれるドラグマの信徒の一人だ。しかし彼は一介の信徒とは一線を画す。

 エクレシアを含めた多くの信徒にとっては、アディンはドラグマの教典についての師であり、底なしの知識と高い洞察力から天啓の二つ名を与えられていた。

 同時に教導騎士団の参謀役であり、奇跡(ディヴァイン)と呼ばれる秘術を持って騎士たちを支援する後方部隊の指揮官でもある。

 

「何が落ちてくるかわからねぇが、いつも通りやべぇもんなら叩き潰す。それだけだろ」

「まったく、テオ君は相変わらず聖職者と言うものに向いていませんね」

 

 アディンから小言を食らったのは、《教導の鉄槌テオ》

 フルルドリスと並ぶドラグマきっての武闘派で、巨大な鉄槌(トンファー)を振り回す。フルルドリスに次ぐドラグマの重要戦力であり、エクレシアにとっては先輩であり、彼女が振るう武器の師でもある。

 

「何が出てくるかは知らねぇけど、俺たちがいれば問題ねぇだろ」

「あれを侮ってはならん」

 

 どこか、くぐもった声でテオの言葉に忠告したのは、最後に現れた者だった。

 鉄仮面をつけた長身痩躯な人物で、アディンとテオは膝を付いて頭を垂れる。

 対してエクレシアとフルルドリスは膝を付きはしないが、丁寧なお辞儀を持って迎え入れた。

 

教導の大神祇官(マクシムス・ドラグマ)》――この国にとってはドラグマの最高指導者であり、国政の最高権力者でもある。

 

 大神祇官と呼ばれる地位に至った人物は、俗世の名を捨て全てのドラグマに捧げるという風習があり、エクレシアもこの人物の名はおろか、素顔も見たことはない。

 ドラグマ聖文の第一項から、マクシムスについてのことが書かれている。

 

 そこ曰く、光貴なる神の代理者たる大神祇官(マクシムス)の、聖なる教えに背いてはならない。聖なる名を口にしてはならない。聖なる顔を目にしてはならない。聖なる体に触れてはならない。施しを拒んではならない。御前を歩んではならない。切っ先を剥けてはならない。

 

 聖なるその役に座す者、俗世の名を捨てるべし。――なんていう項目もあり、それが十数個続く。

 それだけ、マクシムスの存在は、ドラグマにおいて重要であり、誰もが尊敬する最高指導者であることに、変わりはない。

 

「もうすぐ、深淵よりの来訪者が現れる。アディン、テオ、フルルドリス、君たちはホール直下で兵とともに待機を。おそらく、君たちの全員の力を、全方位に全力で振るってもらうことになるだろう」

 

 その言葉に、テオの目つきは鋭くなる。

 

「敵さんはホールから現れるだけじゃねぇ。そっちの対処も含めてってことですな」

 

 彼の言葉に、マクシムスは肯いた。

 どうやら、今回の凶事と、先ほどの地上での爆発。狙って起こったことらしい。

 その爆発を引き起こした者が誰なのか。この場にいる全員の共通認識としてすでに知っていることなのか、誰もわざわざ口には出さない。

 

「しかしそうなると、ホールから現れる存在に対抗できる戦力が減るのは、否めませんな」

 

 アディンの指摘は正しい。

 複数の敵対者に対応するとなると、一か所の戦力は低下する。

 

「まぁ、戦力分布的には、当然の成り行きっすからね」

 

 テオのため息交じりの返答に、エクレシアは拳を握って微笑んで見せる。

 

「大丈夫です! わたしもそれなりに鍛えてますし、姉様がいますから!」

 

 それなりに、とエクレシアは称したが、それは謙遜が過ぎる。

 聖女は、同じ聖痕を持つドラグマの信徒でもその強さは桁が違う。

 特に最強と謳われるフルルドリスの力は、同じ聖女であるエクレシアはもちろん、聖痕を持っているだけの信徒たちとは次元が違う。

 アディンやテオもエクレシアから慕われる信徒であるが、戦力としてはエクレシアのほうが上と考えていい。

 

「仕方ありませんか、テオ君。我々はマクシムスの指示通り、教導軍を指揮し、一刻も早い避難と、ホール近辺の包囲を固めましょう。騎士団長の加勢に向かうのは、それからでも十分間に合うかと」

 

 聖痕の輝きの有無、それが彼らの力に大きな差をつけている。

 深淵の向こう側に存在する神からの恩恵をどれだけ多く賜ることのできるか。それが重要だった。

 アディンの言葉にうなずいたテオその二人を含め、全員にマクシムスは厳かに告げる。

 

「来訪者の名は《灰燼竜バスタード》……ドラグマの神像……テトラドラグマより、大いなる禍と告げられた」

 

 マクシムスの言葉に、彼らの中でこれから出現する敵への恐ろしさが増していく。

 そしてそれ以上に、この国を守ろうという使命感、闘志が沸き上がる。

 

「エクレシア、君はここで待機を」

「待機、ですか? わたしも参戦すれば、皆さんの負担を軽くできます!」

「そうかもしれぬ。だが、もしもの時は、ここを守る者がいなくては」

 

 その言葉に、エクレシアはしぶしぶといった様子で了承する。これから現れる存在の巨大さを想えば、一人でも戦力は多い方がいいと彼女は考えたのだ。

 だが戦力の一極集中は他方に隙を生む。それがわからない彼女ではなかった。

 

「テトラドラグマのもとに戻る。必要があれば、王城を開放し、市民を避難させよ」

 

 そう告げて、マクシムスは部屋から出る。

 そしてようやく、テオが立ち上がる。

 

「エクレシア、心配してくれるのはありがたいが、俺たちで何とかして見せるさ。だからそっちはそっちでなんかあったとき、無茶すんなよ」

 

 わしゃっ、と軽く年下の聖女の頭を撫でたテオは、バルコニーより飛び降りる。

 本来なら足を折るどころか全身に衝撃が走り死んでしまう高さであるが、ドラグマの恩恵を受ける彼らにとって、この程度の高さは造作もない。

 アディンもそれに続き、階下へと飛び出した。

 それを見送るエクレシアとフルルドリスの内、年上の女騎士は兜を装着して告げる。

 

「エクレシア、ここを頼むぞ」

「姉様、お気をつけて」

 

 バルコニーの柵を蹴って飛び上がるフルルドリス。

 むろん彼女にも羽もなければ落下傘もない。だが、彼女は全身からあふれ出る光を伴って空中を翔ける。

 

 近くの屋根にまで辿り着けば、そこを蹴ってまた大きく跳躍する。

 着地の衝撃など一切ないかのように、軽やかに街を翔ける。

 テオやアディンとは一線を画す光の力。これこそが、ドラグマ最強の力だった。

 

「どうか、皆にご加護を!」

 

 祈りの言葉とともに、三人を送り出した。

 

「さて、ここから先のためにも戦闘陣(フィールド)を展開させておかなければな」

 

 階段を下りるマクシムスは、王城の最奥にある祭壇の間に向かっていた。

 そこにあるのは、巨大な二頭の竜が相対したような彫像。

 真っ白な姿に金の装飾を施された、見ただけでも荘厳さと神々しさを伝えてくるそれに、マクシムスは膝を付く。

 二体の竜の中央には、黄金の女神像が存在した。

 

「神よ、我らに新たなる恩恵をお与えくださること、感謝いたします」

 

 彼はホールから現れるものは禍と、危険なものだと言っていた。

 そのはずなのに、彼は感謝の言葉を述べた。頭上から降り注ぐ光がより強くなり、マクシムスは顔を上げ、腕を交差させる。

 その掌に浮かび上がる、どこか怪しい紫の光の入れ墨が現れた。

 

「おお、これより我らは、新たな段階へと、その歩みを進める……」

 

 恍惚としながら、天に手を翳した。

 

「新たなる、創世記(ジェネシス)のために!」

 

 

   ◆

 

 

 バルコニーからエクレシアは、時折上空のホールを見つめる。

 その穴は次第に広がり、ついには何かが姿を現す。

 

「あれは、生物? 翼、なのかしら?」

 

 柵を掴みながら、不安を隠せないエクレシア。その視界の端で、何かが動くような気がした。

 街の各所を見渡すが、別に怪しげな影はない。

 教導軍の指揮のもと避難する住民たちのためにも、エクレシアは不安げな表情をするわけにはいかなかった。

 そんな彼女を、ゴーグル越しに見つめる眼が二つ。

 

「あのホールについては、ドラグマは関係ない……のかな?」

 

 闇夜にするりと消えていく様は、どこか気紛れな猫のような動きにも思えた。

 

 

 そのころフルルドリスたちは、ホールの真下に到達していた。

 騎士長である彼女の装備する鎧、剣、盾は全て神器とされる。霊験あらたかな装備であり、彼女が聖女たる所以でもあった。

 その剣はドラグマの紋章である二頭の竜を模した物であり、盾と鎧にも絶対防御の証として刻まれている。彼女はその四肢に聖痕を宿し、唯一神器を同時に三つも扱うことができるのだ。

 それが最前線に立ち、戦わなければならない。それほどまでに、マクシムスはあのホールから現れる存在を警戒しているのだと、彼女自身に理解させる。

 

「天の底が、開いたか」

「住民の避難は完了しているぜ!」

「フルルドリス君、テオ君、思う存分暴れてください」

 

 テオ、そしてアディンも到着している。避難指示は間に合ったようで、もうここには一般市民は一人もいない。

 さらに彼らの後ろには多数の教導軍の騎士たちが整列している。しかし、テオたちはともかく、彼ら一般兵の存在はきっと、風の前の塵芥でしかないのだろう。

 

「来るぞ!」

 

 テオの声が響く。

 重低音とともにホールから顔を見せるその正体は、巨大な竜だった。

 ホールから顔、そして首、胴体、翼をゆっくりと出した炎を纏った銀色の竜は、大地を砕きながら降り立った。

 赤々と燃える爪、とげ、背びれ、翼――まるで燃え盛る溶鉱炉のような色を持ち、高熱が待ちの家屋や家財を燃やしていく。

 

「グォォォォォォオオオオオオオッッ!!」

 

 どこか、燃やし尽くした後の囲炉裏に溜まる灰のごとき印象を持っているが、その高熱は街を燃やしていく。

 その様子は、遠く離れたエクレシアからも見えた。

 

「なんて、きれいで、悲しい、色……」

 

 ふいに、そんな言葉が、彼女の口から洩れた。

 

「ただ存在するだけで、周りの者を燃やしていく。まるで、制御の効かない劫火。全てを灰燼に帰す、灰の竜……だから灰燼竜」

 

 どこか詩曲めいた言葉を口にするエクレシア。

 だが、同じような言葉を口にするものは、同時にもう一人いた。

 

「ホールより現れたるは灰を纏った銀色の竜。生まれ来るべきではなかった落胤。ゆえに――灰燼竜バスタード」

 

 大聖堂の中心で祈りを捧げ続けるマクシムス。

 これこそが《灰燼竜バスタード》――いずれこの国の歴史に災厄の始まりとして、記録される竜の出現で会った。

 

 灰燼竜バスタードは、四肢を地に付けた状態ですら、人間の数倍の体躯を誇る。

 教導軍最強の騎士フルルドリスからして見ても、このような敵とは戦ったことがない。まるで豪邸が動いているかのような様相だ。

 後ろ足で二足歩行もできるようで、真っ直ぐに立てば大聖堂の柱に匹敵するほどだろう。

 

「こいつが走り回るだけでも、大きな脅威だな」

「早いうちに仕留めねぇと、被害がやべぇぜ!」

 

 右腕に鉄槌の神器を構えるテオ。それに同意したアディンは、天啓の由来たる聖書を開く。

 

「お行きなさい!」

 

 アディンの眼前に現れる光の円陣。マントをなびかせながら左手を振るえば、魔力の固まった砲弾が灰燼竜バスタードへ向けて飛んでいく。

 複雑な軌道を描いて飛ぶ砲弾。並の獣ならば避けることもできず滅多打ちにされる代物だが――

 

「グルゥゥ、ゴウゥ!!」

 

 灰燼竜バスタードは右腕の一閃で払う。

 強い、テオもフルルドリスも、この一撃だけでもそう確信せざるを得ない。

 巻き起こる暴風に、一般兵たちは薙ぎ倒されていく。

 

「俺が足を止める! その間にフルルドリス、アディンさん、追撃は任せた!」

 青いマントをなびかせて走り出したテオは、右手に黄金の装飾を持つ鉄槌を装着している。赤い文様が浮かび上がる右腕は、ドラグマの神の恩恵を受けている証拠。その鉄槌は敵の力を削ぎ落とす天罰の象徴。

 

「おらぁっ!!」

 

 灰燼竜バスタードは体表から高熱を発している。それこそ経っているだけで周辺の家屋が自然に発火し、溶け出すほど。

 だが、神の恩恵を受けた彼らの体表は、そのような力を受け付けない。

 むろん痛みがないわけではないが、無視して突撃するだけの防御力はあった。

 

「グォォッ!」

 

 二足歩行でがら空きの腹部に、テオの鉄鎚が叩き込まれる。

 彼の鉄鎚は触れた相手に神の力を打ち込み、敵から力を奪い取る。それを変換してテオに送り込み、今度は逆に彼を強化することも可能になる。これこそが鉄槌と呼ばれる彼の聖具を使った奇跡であった。

 たたらを踏んで数歩下がる灰燼竜バスタード。怯んだ隙を騎士団長は逃がさない。

 兜の奥で刃のような鋭い眼を光らせると、家屋の屋根を蹴って飛び掛かる。

 

「覚悟っ!」

 

 燃え盛る大気を突き抜けてフルルドリスの刃が迫る。

 刹那の時間の後に届くであろう刃に対し、灰燼竜バスタードは予想外の反応速度を見せた。赤々と燃える棘状のヒレを持つ尻尾が、鞭のように振り抜かれる。

 空中で回避はままならず、無理やり剣を叩きつけることで衝撃を和らげる。吹き飛んでいくフルルドリスの姿はエクレシアからも見えた。

 

 投石器で投げ飛ばされたかのような勢いで飛んでいく騎士だが、その盾を地面に叩きつけることで耐えきって見せる。

 盾と鎧の防御力だけではない。彼女自身の生来のタフネスもまた、灰燼竜バスタードの一撃に耐えきった要因だ。

 

「くそ! 俺の鉄鎚が効いてねぇのか!?」

 

 テオとしても、手ごたえがなかったわけではない。だが、そこまでピンピンしていると自信を喪失してしまいそうだ。

 

「巨大な体躯に対して高い反応速度、真正の竜というのは、どれもこれも強靭だな!」

 

 騎士団長であるフルルドリスは、多くの敵との戦闘経験がある。その中でもこの敵は上位を塗り替える個体になるだろう。

 大気を自らの発する炎で焼くことにより、聖痕の加護がなくては近づくことすら難しい。テオやアディンたちも聖痕を持つが、聖女ほど力を持たない者たちもいる。だが彼らでは熱には耐えても攻撃そのものには耐えられない。

 彼らが振るう聖具と呼ばれる神器を模して作り出した道具では、思うように攻撃が通らない。

 

「ここは、やはり私がどうにかするしかないな……」

 

 がらりと瓦礫をどかしたフルルドリスは、どこか楽しげに剣を構える。

 

「久しぶりに、手ごたえがあるじゃないか。灰燼竜バスタード」

 

 俄然やるきが出てきた――そういわんばかりに彼女の闘志が高まっていく。

 飛び立とうとする灰燼竜バスタードは、その口蓋に大量の熱を溜め込んでいく。

 爪や背びれの色は強まり、体内でより高い熱を生み出しているのが想像できる。

 

「テオ、次の攻撃を何とか頼む。アディンは被害を防げ、その間に私が切り込む!」

「わかりました。テオ君、死なない程度に攻撃を受けてください!」

 

 ふわりと浮き上がる灰燼竜バスタードに向けて、フルルドリスが飛び掛かる。

 騎士団長の剣が繰り出す聖なる雷の攻撃が、灼熱の爪を払いのける。

 彼女の聖痕がもたらしたものは、四つ。類稀なる膂力と速力。そして圧倒的な強靭さと刃からほとばしる雷電。最強と呼ばれる所以は、ここにある。

 

「この程度の威力では、注意を反らす程度にしかならんか……」

 

 灰燼竜バスタードの口蓋から溢れ出す灼熱の奔流は、彼女に向けて溢れ出す。

 それを、テオの鉄槌が迎え撃つ。

 

「ドラグマ……ラッシュ!!」

 

 神の力を込めた鉄槌が分裂したかのように高速で繰り出される。灰燼竜バスタードの全身を打ち続ける。大量の打撃を打ち込めば、その分敵の力を吸収できる。

 灰燼竜バスタードの熱が引いていくのとは対照的に、テオの拳は素早さを増す。

 

「これで、しまい――」

 

 だが、竜はそう簡単には落ちない。

 薙ぎ払われた尾がテオを横から、しかも鉄槌のある右ではなく、マントしかない左腕を叩く。防御用の鎧を装備しているが、それも気休め程度だ。

 流星の如く地面へと叩きつけられたテオは、瓦礫の中に横たわる。

 

「グゥゥゥ……ゴォォォォォ!!」

 

 同時に放たれる、竜の息吹。

 灼熱の竜息ははるか遠くまで届き、射線上の生物を死滅させる。これを街に直撃させるわけにはいかない。

 

「フルルドリス、どうやら、我々の目算は甘かったようです。こやつを倒すには、聖女が二人必要でしょう!」

 

 そう告げる間にも、すでに灰燼竜バスタードの攻撃態勢は整っている。

 

「これを通すわけには参りません!」

「盾よ、我らの民を守りたまえ!」

 

 灰燼竜バスタードの眼前に躍り出るフルルドリスをアディン。

 聖女は盾を、天啓の司祭は聖書を眼前に掲げると、巨大な光の円陣を創り出す。

 灼熱の竜息を受け止めると、それは遥か天の方向へと力を受け流す。テオが十分弱体化させたおかげで、二人は攻撃を受け流して見せた。

 

 だが、二度目はないだろう。

 

「グォォォォッ!」

 

 その雄叫びだけで、アディンの体は動かなくなる。

 竜の雄叫びは強烈な衝撃波と変わらない。全身に痺れが走り、石畳の上に倒れ伏す。

 

「ですが……布石はすでに、打ってあります!」

 

 天啓――その名の通り、彼は導きし者。戦闘開始時に先手の攻撃を防がれた時点で、すでにこの状況は予想できている。

 

「マクシムスの采配に、柔軟な対応をするわけですから、問題はありません!」

 

 倒れながら伸ばした指の先で、奇跡の円陣が生み出される。

 何かしようとしている。それに気づいた灰燼竜バスタードはアディンへ爪を振り下ろす。

 

「聖女エクレシアを、ここに呼び寄せる! ドラグマ・クワイレーレ」

 

 それは、天啓のアディンの秘儀。遠く離れた場所にいる同胞を自らのもとに召喚するその力で、バルコニーにいる聖女エクレシアを呼び出した。

 

「ドラグマ……ティモーリア!」

 

 出現する巨大なドラグマの紋章。二頭の竜を組み合わせたような紋章。

 それは現在もマクシムスが祈りを捧げる大聖堂の最奥に設置されたものと似ていた。

 彼女の力の発動に呼応するかのように、それは強い光を放つ。

 

 それは聖女に与えられた秘儀の証。彼女の鎚が放つ、光の防壁。

 アディンの直下を中心として描かれた奇跡の円陣。光り輝くそこから現れたのは、聖女エクレシア。彼女は自らの持つ白銀の鎚を掲げ、攻撃を防ぐ盾を創り出したのだ。

 

「おお、テトラドラグマよ、聖女に力を分け与えたもう……」

 

 これこそが、聖女の力。大聖堂の最奥より齎される力を解き放つ、最強の盾、最強の刃。

 むろんそれは、フルルドリスの剣にも宿る。

 

「アディン先生もテオさんも、街もこれ以上、壊させない!」

 

 自らの一撃を防がれた灰燼竜バスタードは、目立った動揺の色は見せない。

 もしくはそのような感情はないのか、大きく羽ばたくと同時に、上空から二人の聖女を両目で捉え、攻撃しようとする。

 

「残念だが、もう遊んでやれる時間はない」

 

 すでに準備は完了している。

 二人の聖女がそろうとき、裁きの刃は抜き放たれる。

 

「これで終わりだ……」

 

 聖痕から放たれる力によって空中を蹴ったフルルドリスは、両腕に光を宿す。

 実体のある聖剣に、そして剣無き左手に奇跡の剣を創り出す。そしてそれを下から交差するように振るう。

 彼女らに刻まれた聖痕の後をなぞるように、雷撃のバツ印を描いたそれは――

 

「ドラグマ・パニッシュメント!!」

 

 灰燼竜バスタードとフルルドリスの姿が交錯する。

 一瞬、それまでずっと大気を揺らしていた力の波動が途絶えた。

 

 だが、それがゆっくりと再開していく。ぐらりと揺れた灰燼竜バスタードの巨体。

 そこに刻まれた、絢爛とした聖痕の傷跡。

 騎士聖女フルルドリスの奥義《ドラグマ・パニッシュメント》を受けた灰燼竜バスタードは、力なく大地へと落ちていく。

 

「グォォォォオォォォオオオオオンンン…………」

 

 悲痛な雄叫びとともに、灰燼竜バスタードは墜落した。

 ザザァッ――と少し離れたところに着地したフルルドリスは、ふぅと肩の力を抜く。

 確実に技は入った。

 

 その命まで奪えたわけではないが、体の自由は確実に奪ったという自負がある。近くにエクレシアが残っているが、油断はできない。

 彼女は足早に戻ろうとした時、ふと気づく。

 

「あの竜の姿が、どこにもない?」

 

 家屋より巨大だったはずの姿が、着地地点から見えないのだ。

 建物が邪魔と言うわけではない。ほとんどの建物の屋根は灰燼竜バスタードの羽ばたきで吹き飛び、少し上に登ればあの巨体が見えないはずがない。

 しかし、忽然とその姿は消えていた。

 

「何が、どうなっている……」

 

 さすがに動揺を隠せないフルルドリス。

 その耳に風を引き裂く羽音と、機械音が聞こえてくるまで、新たな敵の襲来を気づけなかったほどに。

 

「油断が過ぎるな、フルルドリス!」

「よもやお前が来るか……シュライグ!」

 

 頭上に現れた黒い影に向けて、フルルドリスは刃を突き立てた。

 

 

   ◆

 

 

 一方、エクレシアは墜落した灰燼竜バスタードに接近しようとしていた。

 

 発していた高熱が消え、土煙が収まったとき、あの灰銀色の竜の姿はどこにもなかった。

 廃墟と化した街を駆け抜け、落下地点付近まで足を運ぶ。高熱の炎はまだ辺りで燻り、歩くたびに砂埃が舞い上がる。

 そんな世界の終わりが凝縮されたかのような場所で、彼女は見た。

 巨大な灰燼竜の代わりに、褐色の少年が一人、瓦礫の中で苦しげに蠢いていたのを。

 

「灰燼竜がいた場所に、どうして男の子が……」

 

 黒色の革のような上着を羽織り、生来であろう白髪には赤い差し色のようなものが見える。どこの国、どこの地域、どこの種族にも属さない、特徴的な恰好と容姿だった。

 少なくとも、エクレシアの知らない文化だった。

 

 黒い服には黄金色の装飾が並び、刺々しい見た目と同時に、どこか気高さを併せ持つ。額、両手、胸には白く濁った宝珠を宿し、神秘さも内包している。

 その少年の痛みに打ち震える顔はまだ幼げで、エクレシアには自分と同年代かと思えた。

 呻きながら少年が顔を上げたとき、エクレシアは思わず鎚を正面に構える。

 

 だが、少年はそれ以上動こうとはしない。目の前にいる少女が敵だと思っていないわけではないだろう。

 彼女の灰黄緑色の瞳を、少年の真紅の目が見つめる。左目は閉じられ髪に隠れ、右目だけが大きく開かれ、真っ直ぐに彼女を射貫く。

 お互い、手足は動かない。

 

「あなたは……」

「お前は……」

 

 代わりに、たどたどしいながらも、その口が動く。

 彼こそが、灰燼竜バスタードの本来の姿。

 フルルドリスに撃ち落された、天底の使徒。

 

「誰なんです?」

「誰なんだ?」

 

 少年と少女が出会うとき、教導国家ドラグマを――否、この深淵と呼ばれる隔絶大陸全てを揺るがすうねりが巻き起こる。

 

 

 後の世は、聖女エクレシアとこの褐色の少年の――数奇なる彼らの運命の巡り合わせを、《ドラグマ・エンカウンター》と言う、悲劇の始まりとして記すのだった。

 

 

 

 



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第三章 《アルバスの落胤》

 

 騎士長フルルドリスによって撃墜され、地に臥した灰燼竜バスタード。

 

 燃え尽きたその肉身の灰の中から現れたのは、白髪の中に赤い差し色を持つ髪の少年。

 褐色の肌に革製か布製か、判別しにくい黒服を身に纏ったその姿はどこか――悪魔、という表現が適切に思える容姿だった。

 

 しかし、その顔はまだ幼さが残り、身長で言えば、正確なことは判断できないが、自分とそう変わりはない。――聖女エクレシアには、そう思えた。

 体を起き上がらせようとするも、うまく立ち上がれない様子に、エクレシアは一つの確信を得た。

 

「あなたが、あの灰色のドラゴンだったんですか?」

「…………」

 

 その問いかけに、少年は口ごもり、わずかに目を逸らす。

 言葉を交わしたくないという拒否には思えなかった。

 どちらかと言うと、自分でもよく分からず、何と答えたらいいかわからない。時折様子を見に行く孤児院たちの幼子に似た、そんな様子だ。

 

 鎚を下したエクレシアは、彼の前で両膝を地に付ける。鎚は近くの瓦礫に立てかけ、少年に向けて声をかけた。

 

「わたしは、あなたを傷つけたいわけではありません。どうか、少しだけお話をしてくれませんか? 望むなら、これ以上近づきはしません」

 

 一定の距離を保ち、起き上がろうとする少年の目を真っ直ぐに見る。

 まだ警戒が解けていない様子だが、見開かれた右目には困惑と驚愕、それでいて不安と安心のような曖昧な感情が浮かび上がった。

 

「……おれは、何をしていたんだ……」

 

 その言葉に、え、とエクレシアは首を傾げる。

 

「わからないんだ。なんでこんな場所にいて、自分が何をしていたのかも……」

 

 彼の抱く困惑の――何より不安の正体は記憶の欠如だったのだ。

 どうして全身が痛むのか。

 どうして目の前の相手はこちらを警戒していたのか。

 それがわからないから、彼自身もエクレシアを警戒したのだ。

 

「おれは、誰だ?」

 

 緊張がヒトにうつるように、警戒や不信、不安も他者にうつる。

 だがエクレシアが警戒を解いたことで、それが少し和らいだ。不安と安心の両立する不安定な状況に、白髪の少年は混乱するばかりなのだった。

 

「今は、落ちついて体を休めてください。もしよろしければ、何か覚えていることがないか、わたしに話してみませんか?」

 

 あくまで優しく告げる彼女に、白髪の少年は目を伏せる。

 

「何もない。あんたに喋られることなんて、これと言って、ないんだ」

 

 本当に記憶喪失なのだろう。

 ホールからヒトが現れることなど、エクレシアは聞いたことがない。

 確かにあの穴からは、時折奇妙なものが現れる。

 教導国家で運用されるテクノロジーの一部や、テオたちが使うような聖具の一部も、ホールからの恩恵があってこそ開発できたものだ。

 特にドラグマでは禁止されているが、生命の体の一部を機械に置き換え運用するすべも、ホールからもたらされたテクノロジーの恩恵だと、彼女は聞いたことがあった。

 

「あなたはホールから落ちて来た灰色のドラゴンが変身した男の子なんです――って言われると、困っちゃいますよね……」

 

 記憶喪失のヒトが急に自分の正体はドラゴンです、なんて言われても納得しがたいに決まっている。

 何か彼の記憶を取り戻す術がないかと頭を捻るエクレシアだが、如何せん今までに出会ってきた人物の中で、そんな困った状況の者はいない。

 

「あんたは、おれが恐ろしくないのか?」

「へ? なんでですか?」

 

 突然の問いかけに、エクレシアはさほど考えることなく返事をする。だがその答えを聞いても、少年の思いつめたような顔は晴れない。

 

「おれは、ドラゴンだといわれて、何となく納得できた。おれの中には、何か大きなものが潜んでいる……」

 

 自らの胸、心臓の上に手を置く白髪の少年。マント状の服から見える、褐色の肌に爪を立てた。

 恐怖、それに近い感情が、彼の中で沸き起こっている。

 

 自分が何者なのか。

 自分の中に潜む者は何者か。

 何もわからないことに彼は恐怖し、痛みで起き上がれない体を震わせる。

 

「おれは、いったい……なんなんだ……おれは、もっと恐ろしい――」

「大丈夫です」

 

 震える褐色の指を、細く白い指が包み込む。

 それは、エクレシアの手だった。

 そっと、決した痛みを齎さない、優しい手が彼の手を握る。

 

「あなたが、どうしてここに落ちて来たのかはわたしもわかりません。でも、ホールから訪れるものは、この世界に多くの恩恵をもたらしてきました」

 

 彼女が見上げる先にある紫色の穴を、白髪の少年もまた見上げる。

 

「どうしてドラゴンの姿になれるのか。それともその逆なのか。それはまだわからないですけど、きっとあなたは大きな使命を持っているんです」

 

 力強く言い放つ聖女の言葉に、白髪の少年は返事をすることもできず聞き入っていた。

 

「わたしたちドラグマの象徴である二頭のドラゴンは、この世界の民を導く女神を守るという使命を帯びて、深淵の大地に現れました」

 

 はるか古の話。まだドラグマというものも存在していなかった時代。ホールの恩恵と啓示を受けて、最初の教導者は誕生したという。

 それを守ったのが、二体の白竜だったという。

 

「ドラゴンは世界を変え、導く存在なんです。だからきっと、あなたにも大切な使命があるんですよ!」

 

 彼女は確信しているかのように話すが、むろん何の根拠もない。

 ただ、太陽のような温かみを持った笑顔で言われれば、根拠もなく納得してしまう。

 

「痛い思いをさせてしまったのはごめんなさい。でもあなたもいけないんですよ! 街を壊してはいけません。いいですか?」

 

 ぴしっと突きつけられる指先。わざとらしく怒ったような顔をする彼女に、少年はむしろ返事に困りながら、何とか肯いた。

 

「え、あ、ああ。わかった。気を付ける」

 

 結果、エクレシアの勢いに乗せられて首肯する。

 その返事を聞くと、彼女は怒り顔から一転、優しい笑顔とともに彼の体に手を伸ばす。

 

「とりあえず、ケガをしていないか見てもらった方がいいですね。そのあとにはマクシムス様に会いに行きましょう!」

「マクシムス?」

「はい。とっても偉い人で、でもとても優しい人ですから。大丈夫ですよ、あなたのこともきっと助けてくれますから!」

 

 一切マクシムスのことを疑った様子のないエクレシア。

 そんな彼女を見れば、白髪の少年もその人物を信用できるのかもしれないと思えた。

 エクレシアは彼を担ぎ、立ち上がろうと思って肩に触れる。

 

 その時ふいに――

「あ、その前に忘れていました。わたしたち、自己紹介もしてませんね!」

 

 お互い、名前も知らずに話し込んでいた。

 奇妙な広さのあった距離感もいつの間にかゼロになり、手を取りながら喋っている。

 加えて今まさに肩を貸そうとしていた。

 なのに、名前は知らないというのは、どうも可笑しかった。

 一旦居住まいをただし、真正面で顔を剥き合わせる。

 

「こほん! では改めまして。わたしは教導国家ドラグマで、聖女と呼ばれています――」

 

 その言葉を紡ぎかけたとき、奇妙なほどに多くの足音が、彼女の背後に現れた。

 

 

   ◆

 

 

 教導国家ドラグマ王城――最奥祈祷領域。

「灰燼竜の落とし仔と、我らの聖女が出会った」

 その厳かな声は、マクシムスのものだった。

 

「テトラドラグマよ! 運命の歯車は、今、回り出した!」

 

 城の最奥、そこでマクシムスはいまだに祈りを捧げていたのだ。

 いや、一人、歓喜していた。そう言った方が正しい。

 

「我らの神徒よ。二人をここへ」

 

 交差させていた手を大きく広げ、何かを称えるように頭上を仰ぎ見る。

 

「偉大なる白邪竜(アルバス)の落胤よ、世界に――変革を……」

 

 その様子を、巨大な竜に挟まれた聖女像だけが、何も言わずに見ていた。

 

 

   ◆

 

 

 エクレシアが白髪の少年と邂逅を果たしている間。

 吹き飛ばされていたアディンとテオは、傷を負いながらも無事であった。

 

 だが、すでに新たな戦闘に駆り出され、兵士たちの指揮を執っている。

 

「奴らのスピードに翻弄されるな! 数を持って確実に押し留めろ。穴を造るな!」

「二班を後退と同時に三班を前へ。確実に押し留めつつ、援軍を待ちます!」

 

 二人の指示を受けながら、教導軍は戦っている。

 

「邪教徒たちに、これ以上我らの国家を踏みにじらせるな!」

 

 その相手は、獣人――ビーストと称するべき者たちだった。

 

 

「あらら、大変なことになってきたわね」

 

 主戦場から少し離れた家屋の上で、頂戴な狙撃銃を担いだ女獣人がいた。

 ピンク色の髪から生えたネコの耳をピクピクと動かし、腰から生える同じ色の尻尾をくるりと曲げる。

 

《徒花のフェリジット》――それがこの獣類(ビースト)種族の名前だ。

 

「まさか捕虜奪還作戦をやろうって時にホールから巨大なドラゴンが現れるなんて。ついてるんだかついてないんだか。とっさの全体招集だったけど、あのドラゴンを一撃で叩き落すとか、さすがフルルドリスね。シュライグを足止めに回して正解かな」

 

 ゴーグル越しに、彼女の眼はエクレシアたちと、それを取り巻く炎を捉えた。

 

「あの褐色の少年をドラグマに渡すのは、危険そうね」

 

 傍らに置かれた狙撃銃を手に取ると、近くで待機する仲間たちを呼び集める。

 

「聖女エクレシアのもとに向かうよ。あの子は悪い子じゃない。きちんと話をすれば、わかってくれるはずさ」

「本当にそう思ってるのかい?」

 

 上空から声がする。獣人である彼らの仲間には、鳥の力を持つ者もいる。

 

「ナーベル、不安なのはわかるわ。でも、武器を向け合うだけが戦いじゃないときだってあるのよ」

 

《ナーベル》――そう呼ばれた緑色のフードをかぶり、くちばし型のマスクをつけた小柄な獣人だ。翼があることから、彼は鳥獣族と呼ばれる獣類種族に分類される。

 この場合、フェリジットは獣族である。

 

「話はそれくらいにして、早くいきましょう。どうやら敵も、あの少年を確保したようですからね」

 

 丁寧な口調で諭してきた仲間に、フェリジットは顔を向けて肯いた。

 

「フラクトールの言う通りよ。ルガル、ケラス、ナーベル、急ぐわよ!」

 

 半人半馬と呼ばれる、下半身が馬の姿をした獣人である《フラクトール》は、両手で大型のクロスボウを担ぎ走り出す。

 粗野だとか、荒っぽいだとか、そんな評価を一般的に受ける獣人の中で、彼は特に温厚だった。

 それが戦場においても発揮されるかは別の話。冷静な判断力と迅速な行動力を持って、フラクトール――彼ら獣戦士族は戦場を駆ける。

 

 彼に続いてフェリジットやナーベル、他の仲間たちも各々の武器を手に走り出す。

 彼らの武器は、ホールよりもたらされたテクノロジーを使って生み出されたものであり、剣や土を使うドラグマに対して、遠距離攻撃を得意としていた。

 彼らが一様につける青いスカーフは、この真っ白できれいなだけのドラグマに対する、抵抗と自由の証であった。

 

 

 こうして、いくつもの陣営が、かの少年のもとに集まっていく。

 それはまるで、餌に群がる獣のように。救いを求める者のもとに現れる、救世主のように。

 

 

 

 



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第四章 《鉄獣の戦線》

「誰!?」

 

 背後に聞こえる足音に、エクレシアは鎚を手に振り替える。

 そこにいたのは、同じドラグマの紋章を刻んだ者たちだった。

 だというのに、エクレシアの表情は少し険しくなる。

 歪みそうになった顔を力づくで平常に保ったという方が正しいだろう。

 

教導の神徒(ハッシャーシーン・ドラグマ)……どうしてあなた方が……」

 

 誰だこいつら、という白髪の少年の疑問を浮かべた顔とは対照的に、エクレシアの顔は警戒に染まる。

 白い仮面で顔を隠し両腕には鋭く長い爪を持つ白衣の信徒。

 その後ろには似たような格好で、短い爪を持つ信徒がずらりと並んでいる。

 胸の前で腕を交差し、マクシムスの祈りの格好に似た姿勢を取った。

 

「聖女エクレシア。お迎えに上がりました」

 

 どこかざらついたような声は、仮面越しだからというわけではあるまい。

 口元も首からすっぽり覆う仮面で声は通りづらいだろうが、それ以上に声それ自体が、言い知れない恐怖を纏っていた。

 少なくとも、白髪の少年には、目の前の彼らが味方とは思えなかった。

 

「灰燼竜の落とし仔ともども、マクシムスのもとへとお戻りください」

「マクシムス様が、彼を……?」

 

 現在王城にて待機しているはずのマクシムスが、どうして少年のことを知っているのだろうか。

 普段ならその言葉を一欠けらも疑うことなどないのに、彼ら《教導の神徒》から告げられると、何か疑いたくなってしまう。

 エクレシアとて、飾りの聖女と言うわけではない。

 

 このドラグマという宗教団体が、国を形成し、そのうえで一切のよどみがないかなどと言われば、否と答えるだろう。

 その最たる由縁が、この教導の神徒たちだ。

 

「なんなんだ、こいつら」

 

 少年を庇うように膝を付くエクレシア。彼女は小声で少年からの問いかけに応えた。

 

「彼らは、ハッシャーシーン。わたしたち教導騎士団とは別に、この国を支える者たちです」

 

 つまり、エクレシアの味方なのだろう。……なのだろうに――なぜ彼女はこれほどまでに警戒心を捻り出しているのか。少年にはわからない。

 ただわかるのは、やはり彼らは味方ではない、ということだ。

 

「彼らの仕事は、暗殺と、裏切り者に対する粛正……。その指示は、マクシムス様本人からの、直接命令だと、聞いています」

 

 ハッシャーシーン――異国の言葉では、アサシンなどとも言うらしい彼らは、いうなればドラグマの暗部。隠密部隊、諜報機関、言い方は様々だが、最も適切なのはたった一つ。

 

『暗殺部隊』――それが正しい。

 長い爪を持つ者が部隊長であり、彼以外は一切音を出さない。

 

「現在、周辺では侵入・脱走した獣類種族たちによる襲撃が始まっています。急ぎ灰燼竜の落とし仔とともに、王城へ帰還してください」

「ま、待ってください! 彼はこの地に降り立ったばかりで、そんな一方的に行動を決めつけるなんて……」

「時間がありません。マクシムスからの命令です」

 

 淡々としたその言葉に、彼女の中で不安が溢れる。

 本当に彼らに少年を渡していいのか。

 この少年をマクシムスが求めるのは一体どういうわけなのか。

 

「彼は……ドラグマの教徒ではありません! ならば、彼がマクシムス様のもとに向かうかどうかは、彼自身が決めることです。それは、たとえ教徒ではなくとも、邪教徒で亡き者をむやみに敵視するべきではないという教義にも基づいています!」

 

 彼を、このまま連れて行ってはいけない。

 そんな誰から告げられたかもわからない予感が、エクレシアの口を動かした。

 

「聖女エクレシア。これは、命令です」

 

 ゾッ! と、エクレシアと少年の背筋に寒気が走る。

 目の前にいる男たちは、口調こそ丁寧だが決してお願いしているわけでもなければ、伝言を届けに来たというわけでもない。

 決定事項を無感情に告げ、なおかつそれを実行しようとしているのだ。

 聖文、そこに刻まれたマクシムスへの服従。それを告げている。

 その一方的な通告は、自由とは正反対の者なのだろう。

 

「――ドラグマの暗殺部隊さんは、女の子一人の口説き方も知らないのかな?」

 

 空を切り裂き飛んできた弾丸が、一番爪の長い神徒の足元に当たる。

 乾いた音が鳴り響き、神徒の踏み出そうとした足が止まる。すると、彼の口から忌々しげな声が漏れる。

 

「今のは、汚らわしき弾丸。……まさか――!」

 

 白髪の少年の足の向いている方向、つまり教導の神徒部隊と相対する方向にエクレシアが顔を向けると、そこには青いスカーフが見えた。

 

「《鉄獣戦線(トライブリゲード)》――!」

 

 それが、彼ら獣類種族が立ち上げた、反ドラグマ最大勢力。

 鉄の武器に身を包んだ獣、獣戦士、鳥獣の三種族で構成されたレジスタンスである。

 

「獣畜生ども……もう来たか」

 

 先ほどとは違い、礼儀正しさなど欠片もない声が響く。

 交差させた腕はピクリとも動かないが、神徒の仮面の奥からは、激しい憎悪のような感情が溢れる。

 彼に弾丸を撃ち込んだのは、フェリジットだ。

 彼女は、仲間たちを引き連れてエクレシアのもとにまでやってきていた。

 

「聖女エクレシアさん、どうやらお困りの状況みたいね」

 

 親しげなお姉さん――なんて印象を与える呼び掛けに、エクレシアはぽかんとする。

 

「そこのボウズが、さっきのでかいドラゴンが変身したっていう奴か」

 

 そう言ったのは、銀髪のオオカミのようなマスクをつけた男だった。

 

「ルガル、待ちなさい……さて、暗殺部隊さんは、どうしてその子を連れて行こうとしているのかしら?」

「《銀弾のルガル》か、徒花のフェリジットとともに、獣畜生どもの幹部二人が揃い踏みのようだな」

 

 フェリジットの質問に答えることのない神徒は、その仮面の奥から蔑んだ眼を彼らに向ける。

 

「あらあら、質問に答える余裕もないのね。誘拐はおたくの大神祇官の趣味?」

「……それ以上口を開くなメスネコ。汚い言葉で、我らのマクシムスの聖名(みな)を出すことすら汚らわしい」

 

 静かな怒りが神徒の内から溢れ出す。ピリピリとした空気が広がる中、お互いの勢力が一歩を踏み出そうとする。

 

 

「待ってください!」

 

 

 それを引き裂く、聖女の声が響いた。

 

「ハッシャーシーンも、トライブリゲードの皆さんも、待ってください!」

 

 聖女の声に、両者の足が止まる。

「トライブリゲードの皆さん、今回の捕虜奪還作戦と、灰燼竜バスタードの襲撃が被ったことが好機だと判断したのもわかります!」

 必死に呼びかけるような声に、トライブリゲードの面々は踏み出しかけた足を止めた。

「ですが、この子は……彼はただ迷ってここに来てしまっただけなんです!」

 

 エクレシアの言う彼――それが灰燼竜の落とし仔だということは、両陣営とも理解している。特にトライブリゲードのメンバーたちは、遠方からの監視と状況の観察で、それを理解していた。

 

「彼には記憶がありません。どうしてドラゴンの姿を取っていたのか。どうしてホールから落ちて来たのかも、わからないんです!」

 

 それは、短いながらもエクレシアが聞いたこと。少年について何もわからないからこそ、彼女はそれを助けたいと思った。

 

「自分で自分のことが分からず、怖くてしょうがないんです。だから彼に、わたしたちの都合を押し付けてはだめなんです!」

 

 マクシムスのもとに行こう。そう言いだした自分にそんなことを言う資格がないと、彼女もわかっている。それでもエクレシアは、とにかくこの少年を逃がさなくては。

 そんな直観に従い、言葉を紡ぐ。

 

「道に迷っている子どもがいたら、親元へ返してあげるものです。ですからどうか……彼をこの戦いに巻き込まないで……!」

 

 このままでは、多くの者が白髪の少年を不幸な戦いへと巻き込むだろう。

 そう思ったエクレシアの訴えに、トライブリゲードの者たちの闘志が薄れる。

 

「どうか、ここは退いてください。今わたしに、あなたたちと争うつもりはありません」

 

 フェリジットの考えは正しかった。

 聖女エクレシアは、むやみに闘争を望みはしない。

 たとえ相手が邪教徒と呼ばれるレジスタンスであろうと、対話の道を優先する心優し少女なのだ。

 突きつけていた銃口を降ろそうとする鉄獣たち。

 

 だが、ドラグマの者たちはそうではない。リーダーの後ろにいる者たちは、ピクリとも動かない。

 代わりにハッシャーシーンは膝を付き、聖女に頭を垂れる。

 

「聖文にも刻まれたる慈愛の心。額に輝く聖痕はまさしく聖なる神の恩寵と慈愛の賜物。分け隔てなく与える愛こそ、我らドラグマの神髄であると心得ました」

 

 つらつらと出てくる誉め言葉に、逆にエクレシアは面食らってしまう。急にどうしたのだろうという、少なからぬ違和感を添えて。

 

「聖女エクレシア、その慈愛の心はあらゆる者たちに向けられ、無垢なる心は荒れ狂う獣さえもその膝に寝かせる。その素晴らしき聖なる心は、我らドラグマの至宝に等しい」

 

 それはつまり、彼らも白髪の少年を助けることを理解してくれたということか。

 

 

「だが、邪教徒どもにまでそれを向け、庇いだてしようとする者に、聖女の資格はない」

 

 

 突如、ハッシャーシーンの交差されていた腕が開かれる。掌をエクレシアに向け、赤黒い光を放ち始める。

 

「聖痕を剥奪する――《教導神理(ドラグマティズム)》発動」

 

 彼女の目の前に現れたのは、灰燼竜バスタードが現れたホールと同じ、紫色の穴。

 その輝きがエクレシアの額に触れたとき、聖痕は激しい輝きを放つ。

 

「いやぁぁああぁっ!!」

 

 彼女の体に、激しい痛みが走る。

 聖女の証である聖痕に対して干渉する、暗殺部隊ハッシャーシーンの粛正術――それがドラグマティズム。

 彼らの主であるマクシムスから与えられた上位権限。

 ドラグマの力を奪い去る、断罪の奇跡。

 

「エクレシア!」

 

 白髪の少年は苦しみ悶える彼女に手を伸ばし、倒れ込むその体を受け止める。

 

「おい、おい! なんで……お前らの大切な人なんじゃないのか!?」

 

 少年の問いかけに、肩で息をするハッシャーシーンは仮面の隙間から鋭い眼を向ける。

 

「我らはマクシムスの元、ドラグマの秩序を司る者。聖女と雖も、聖文に刻まれたる秩序を汚す者を我々は許さない」

 

 それこそが教導の神徒。ハッシャーシーンの暗殺部隊長に、慈悲はない。

 

「あんたらには、心ってものがないのか!?」

 

 フェリジットの構えた銃が彼女の怒りの声とともに火を噴いた。

 褐色の少年とエクレシアの頭上を飛ぶ弾丸が、ハッシャーシーンたちへ迫る。

 それを腕に備えられた爪で叩き落す。

 

 だが、さらに複数の弾丸が彼を襲う。隊長の後退に合わせて部隊全体がトライブリゲードの面々から距離を取る。

 

「包囲せよ」

 

 その言葉で、ハッシャーシーンの部下たちは一斉に動き出す。

 固まっていた鉄獣たちを半包囲するように広がり、細い仮面の隙間から彼らを睨む。

 

「ケラス、あの子たちを!」

 

 フェリジットの指示で、牛のような仮面をつけた大男《ケラス》が、左手に白髪の少年とエクレシアを抱え上げる。

 

「聖女と落とし仔は我々が回収する。疾く聖なる贄となれ」

「冗談! ナーベル! ケラス! フラクトール! ルガル! 見せてやりましょうか。私たちトライブリゲードの戦いを!」

「狩れ」

 

 突撃してくる神徒たち、一番の長物を持つフェリジットを中心に、その背中をルガル、前方をケラスとフラクトールが陣取る。さらに上空を旋回するナーベルが、お手製の爆弾をポーチから取り出した。

 

「こうなったら、徹底的にやってやるだけだ!」

 

 味方を巻き込まないように調節された爆風が、神徒たちの動きを鈍らせる。そこにフラクトールのクロスボウが放たれる。

 遠距離武器を主体とするトライブリゲードの面々だが、彼らの最大の特徴はその獣の身体能力にある。

 飛び掛かってくる神徒を振り上げた後ろ足で蹴り飛ばすフラクトール。大型のランチャーをぶっぱなしながらエクレシアたちのことをその巨体で庇うケラス。

 

 その中でも、フェリジットとルガルは特に強かった。

 長物のライフルを鈍器代わりに巧みに振り回すフェリジットと、二丁拳銃の下に付いた銃剣で神徒たちを蹴散らすルガル。二つ名を持つ彼女らこそ、トライブリゲードの三幹部と呼ばれる、組織の要。

 混戦の中でも遠距離と近距離を同時に使い分けながら、神徒たちを蹴散らしていく。

 

「調子に乗るな、畜生ども」

 

 それを許さない、ハッシャーシーンが動く。

 他の者たちより長い爪は、頭領の証。フラクトールに急接近した暗殺者は、その長い爪で彼の装甲に傷をつける。

 間近で放たれたクロスボウの矢を最小限の動きで回避すると、その横っ腹を蹴って飛ぶ。地面に倒れるフラクトールを援護しようと上空から急降下するナーベルを除け、振り向きざまに爪を薙ぐ。

 投げつけられていた爆弾を両断して爆発を止めると、無視してケラスへ向かっていく。

 

「止まりやがれ、根暗野郎!」

 

 ケラスのランチャーが火を噴いた。街の石畳を吹き飛ばす砲弾。

 だが、ハッシャーシーンはトリガーが引かれたときはすでに別の地点を走っている。

 狙いが追い付かない。このままでは、確実に爪の間合いに捉えられる。

 

「フェリジット、こいつらを頼む!」

 

 抱えていた少年少女を幹部に投げると、ランチャーを鈍器代わりにして立ち向かう。

 

「無駄なことを」

「うぉぉぉっ!」

 

 豪快なスイングを跳躍して回避すると、ケラスの頭部を踏み台にしてさらに飛ぶ。

 エクレシアと白髪の少年を受け止めたばかりのフェリジットにはそれに対処する暇はなく、ルガルは周りから迫り続ける神徒の対処で対応できない。

 フェリジットがライフルの銃剣をハッシャーシーンに構えるまでに一秒とかからない。

 

 だがハッシャーシーンの爪が彼女のその美しい顔をゴーグルごと貫くのに、その半分もかからない。

 

「死ね!」

 

 冷たい刃が、薄紅色の毛を引き裂く――

 

 

 寸前。

 ハッシャーシーンの動きが止まる。ぎゅっと目をつむっていたフェリジットは恐る恐る目を開けると、カタカタと震えるハッシャーシーンの姿が見えた。

 同時に、自分の腕の中で熱を放つ白髪の少年の姿も映る。

 

 突き立てられた爪に対して掌を掲げ、見えない何かが刃と止めた。

 

「君、一体どうし――」

 

 白い光が、少年の体から天へと立ち昇る。

 それは、ハッシャーシーンの体から聖痕の光を奪い取りながら上空で翻り、少年のもとへと舞い戻る。

 

「きゃっ!?」

 

 光の波動に弾かれたフェリジットとハッシャーシーン。

 フェリジットはエクレシアの姿が腕の中になく、少年のもとに取り残されたのだと知ると、すぐに駆け寄ろうとする。

 

 だが、それをルガルが止める。よく見ろという彼の言葉に従い、ゴーグル越しに目を細めて見つめていた。

 背中から落ちたハッシャーシーンを庇う神徒たちは、震える頭領の姿に困惑しているようだった。震えながらも立ち上がる暗殺者は、次第にその震えを恐怖から怒りへと変えていく。

 

「ああぁ……これが、マクシムスの言っていた……」

 

 恐怖、怒り、感動、動揺、様々な感情を綯交ぜにしながら、彼はその名を呼ぶ。

 光の中から現れたのは、赤々とした翼と黒い毛皮、金色の角を携えた四足の獣。

 聖女を右前足に乗せたその姿は、まるで麗らかな乙女の守護獣。

 

「聖痕を額に宿した、《痕喰竜(こんじきりゅう)ブリガンド》……なんとも、忌々しい姿だ!」

 

 怒りに震えを強めるハッシャーシーン。

 すでにその心は立ち直っていた。

 

 だが、同時にトライブリゲードも態勢を立て直していた。負傷したフラクトール、ケラスはナーベルとともに下がり、フェリジットとルガルが残る。

 

「痕喰竜ねぇ。どうやら敵さんの大将は、この状況まで予想済みらしい」

「ドラグマの預言か。だからって俺たちが負ける未来がそこにあるわけでもなし!」

「その通り、徹底的に行こうか! これがあたしたちの――鉄獣の抗戦(リボルト)だ!」

 

 フェリジットの叫びに合わせて、ブリガンドが吠える。まるで、自分に任せろと言わんばかりに。

 同時に上空から舞い落ちる影が二つ。

 銀の鎧に身を包んだ最強の聖女――フルルドリス。その仮面は砕け、鎧のあちこちには損傷が見られる。

 

 それを成したのは、鳥の仮面を砕かれた片翼と機械翼のトライブリゲード最強の戦士――《凶鳥のシュライグ》

 リボルバー型の大型銃を振るうシュライグは、フルルドリスと互角の戦いを繰り広げていた。ハッシャーシーンたちの包囲を戦闘しながらに崩すシュライグ。それにつられるフルルドリス。彼女の聖剣を彼の足が抑え込み、盾に弾丸が叩きつけられる。

 

 シュライグ得意の空中戦法《鉄獣の凶襲(トライブリゲード・エアボーン)

 最強と謳われる騎士団長も追い詰める攻撃が、道を造る。

 

「行くよ! エクレシアちゃんをしっかり守りな!」

 

 彼女も連れていく。

 その判断を瞬時にしたフェリジットは、ルガルとともにブリガンドの前を走る。

 翼を広げたブリガンドはそのあとに続き、エクレシアは腕の上でぐったりとしたまま動かない。

 逃亡(それ)を許すハッシャーシーンではない。

 

「逃がすと思うな!」

 

 ルガルたちの弾幕を掻い潜り、ブリガンドの眼前へと飛び上がる。

 フェリジットたちの攻撃を完全に無視し、掠める弾丸も気に留めない。ただ怒りの赴くまま、聖女と褐色の少年だった獣を狙う。

 

「グゥゥゥッ! ゴォォォォォオオオオオォォォオオォオオッ!!」

 

 執念の一撃は、痕喰竜が額の聖痕のような跡から放った光に潰える。

 金色のツノが集めた周囲のエネルギーを変換し、光の盾を額に生み出したのだ。

 フェリジット、ルガルも広域に庇う盾。一斉に飛び掛かろうとした神徒含めて薙ぎ払う。

 ハッシャーシーンの爪を砕き、勝ち鬨の咆哮がその身を吹き飛ばす。

 

「これが、ドラゴン族の力って奴か……どっちかっていうと、こいつ獣の匂いがするけどな……」

「ルガル、今はそんなことはいいの! シュライグ、撤退だよ!」

 

 ハッシャーシーンの敗北が神徒たちの足を止め、エクレシアを連れ去られるという動揺はフルルドリスの剣先を鈍らせる。

 それを見極めたフェリジットは、ルガル、シュライグに撤退を告げる。

 

「……ぐっ! エクレシアをどこに連れていく!」

「お前たちのもとにいるよりかは安全だ。平気で仲間を傷つける者がいるような、場所よりはな!」

 

 問い詰めようとするフルルドリスを蹴り飛ばすシュライグ。彼の言葉に、彼女は何も返事を返すことはできなかった。

 教導神理――それを発動したことは知っていた。

 

 その動揺が、彼女の動きを鈍らせた。

 

 そうでなければ、たとえ実力伯仲のシュライグがいたとは言え、ブリガンドをやすやすと逃がすはずはない。

 まして、彼女やハッシャーシーンは聖痕の力により、存在するだけでドラグマの仲間たちを強化することもできる。

 それがあれば、ハッシャーシーンの爪も砕けることはなかった、はずなのに。

 

「私は、何をしているんだ……」

 

 遠く小さな点となる痕喰竜ブリガンド、そしてシュライグ。その後ろ姿を見つめるフルルドリスの肩に、神器の鎧は妙に重く、圧し掛かっていた。

 

 



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第五章 《鉄獣の血盟》

 

 教導国家ドラグマの都市の周囲は、広大な荒野、森、そして砂漠が広がる大自然となっている。

 森林地帯は先日エクレシアが出かけた時もだが、温厚な動物たちが住み付き、豊富な資源を齎している。

 だが、荒野や砂漠地帯では、多くの無法者、未知の怪物たちがはびこる危険地帯となっている。

 かつて、そこには多数の種族が暮らしていた。

 

 ドラグマの首都近くの森は今やメルフィーの森だが、周辺地域――特にまだドラグマに併合されていないような地域の森は、獣人たちの居住地になっていることも多い。

 十数年前、そこで生きる、一人の少女がいた。

 

『泥棒猫』――そう呼ばれて生きていた猫型獣人の少女が、その森にいた。背中に小さな、赤子と言ってもいい妹を背負い、窃盗で生計を立てる。

 この地域では珍しくない獣人だ。

 比較的近い都市で手に入れた食料を片手に、人目のない屋根の上でかじりつく。小さく砕いた欠片を、妹の口に差し出した。

 

「ふぅ、だんだんとこの街で商売もやりにくくなってきたかなぁ。あたしら目立っちゃうもんね」

「うー!」

 

 まだ赤子の妹。それを守るために盗みを働く少女――フェリジット。

 森の仲間たちから追放された桃色の髪の少女は、妹とともに各地をさすらいながら、その日その日を生きていた。

 

「まともに稼ぐ当てがあれば、それがいいんだけど」

 

 くるくると手元で回すナイフ。それが彼女の唯一の武器。最後の手段。妹を守り、ともに生きるための力。

 

「次の街に行こうかしら」

 

 妹を背負い、フェリジットは街を歩く。

 この街は、獣の力を持つ者たちも比較的多くいる。獣族、獣戦士族、鳥獣族――大半がいがみ合い、食料を奪い合い戦うこの三種族だがこの街はいわゆる中立地帯なのだろう。いがみ合いと睨み合いは多発するが、戦いまでは起こらない。

 

「なんだテメェは!」

 

 訂正しよう――喧嘩ならいくらでも起こる。

 ざわつく民衆の間を、フェリジットは妹を胸に抱えてすり抜けるように通っていく。

 

「おお~よしよし、狭くて苦しいね。すぐにお姉ちゃんが通り抜けてあげるからね」

 

 楽しげに笑う妹に微笑みかけながら、フェリジットは人の集まりを通り抜けた。そこで妹を背負い直すと、少し重くなった背中に一瞬引っ張られる。

 

「ちょっと詰めすぎたかな……ま、でも大量大量!」

 

 むやみやたらにヒト込みを通り抜けたわけではない。ここが街であり、商売の場所であり、客がいるのならば、金がある。

 先ほど通り抜ける間に、フェリジットは通行人の懐、ポケット、カバンの中から銭袋を抜き取っていた。それを妹と自分を結ぶ革袋の中にどんどん突っ込んでいったのだ。

 だから、少し重くなっている。

 

「すげぇ手際だな」

 

 ふいに、声をかけられる。

 

「あんただよ。ピンク色の猫ちゃん」

「あら、食事のお誘いかしら? 銀色の狼さん?」

 

 さすがに色と種族を名指しで言われたら、反応しないわけにはいかない。逆に無視すれば、余計に突っかかられることもあるからだ。

 彼女が顔を向けた先にいたのは、同じ獣類種族の男だ。

 

「ずいぶん羽振りがいい。妹さんに栄養のあるもんを食べさせたほうがいいな」

「あら、ご忠告どうも。じゃあ、あたしはこれで」

「だがその前に目立つその顔と髪を隠す布を買うのを進めるぜ。泥棒猫さんよ」

「……何あんた?」

 

 それが、最初の二人の出会い。

 

「『同胞殺し』のルガル。あんたと同じ、鼻つまみ者さ」

 

 その名前に、フェリジットは聞き覚えがあった。

 

「ああ、隣の森で、食料を奪い合って森の同族を三人殺したっていう……」

「ひどい間違いだ。三人じゃない。そいつらをやったあとに追ってきた奴らを七人やったから十人だ。過小評価だぜ」

「なかなかに狂ってるわね」

「狂ってるのはこの世界だろう。自分が生きるためにガキを売り払うクズがいる世界なんて、狂ってるに決まってる!」

 

 右腕を近くの民家の土壁に叩きつける。ピシリとヒビが広がる。相当な怪力の証だ。

 この力と心情が、同胞殺しと呼ばれる所以。なるほどと理解するフェリジットは、今度こそその場を去ろうとする。スリをやった現場に長くとどまるのはバカだけだ。

 手を振って去ろうとする彼女を、ルガルは前に立って止める。

 

「何、邪魔なんだけど」

「ちょっと面貸せよ。同じ地域の出身、ちょっと話をするくらいいいだろう」

 

 彼が示したのは、少し高い建物の屋上。獣人たる彼らの脚力なら、簡単に辿り着ける。

 そこから見えたのは、先ほどの喧騒のたまり場。

 

「あいつが見えるか? 片翼で栗毛の、顔のいい男」

 

 彼が差し抱いた双眼鏡を除くと、確かに彼の言う通り、片方の翼が根元からなくなっている少年が見えた。年のころは同じくらい。周りを図体のでかい大人たちに囲まれても、その表情は微動だにしない。

 

「彼、あなたの友達?」

「親友さ。俺が生きていられるのは、アイツの――シュライグのおかげだ」

「シュライグ……」

 

 彼の足元には、複数回殴打された後の残る男が転がっている。体格は大きく、腕はシュライグの頭と同じくらいの太さだ。

 なのに、青あざを浮かべ、折れた歯を丸出しにして倒れている。

 

「俺とシュライグ――いや、シュライグは、俺たちみたいな部族から追放されたり狙われたりしている奴らを集めて、新しい群れを作ってる。爪弾きにされた奴らがただ苦しいだけの生き方を変えたいって、言ってな」

「彼、確かあたしたちと同じ地域の出身よね」

「そうさ。俺がこの街に着た時、アイツがいた。同じ地域の、違う種族の出身の二人がここでばったり出会った。そういう意味では、あんたも同じだ」

 

 フェリジット、ルガル、そしてシュライグ。種族は違えども、地域は同じ。そして、様々な事情から追放された者同士。

 話している間に、シュライグのほうで動きがあった。並び立つ男たちを殴り倒し、周りの観衆はそれに鬨の声を上げる。

 その美しいとすらいえる容姿と相まって、まるで絵物語の戦士の戦いを見ているかのようだった。ただ一点、片方しかない背中の翼を除けば。

 

「彼、片翼なのよね」

「そうさ。『羽なし』と呼ばれた、血に刻まれた罪を背負う者さ」

 

 片翼、もしくは羽なし。それは後天的ではなく、先天的な事情によって、片方の翼しか持たない鳥獣族の者を示す。飛行能力に支障があり、鳥獣族としての格をつければ、確実に最下位を示す。

 シュライグ、この少年はその末裔なのだ。迫害されることが確定した血族、それに抗うかのように、彼は目の前の敵を殴り倒す。

 

「俺たちと一緒に来ないか? はみ出し者同士、力を合わせて戦わなければ生き残れない。それがアイツの考えだ」

 

 遠くのシュライグの視線が、フェリジットに向けられる。双眼鏡越しに見つめられたような気がして、彼女は驚きとともに双眼鏡を外す。

 

「泥棒猫中を仲間に加えたら、何盗まれるかわからないわよ」

「問題ねえよ。俺の鼻でどこまでも追いかける。シュライグの目はどんなものも見抜く。お前がそんな奴じゃねえって、俺たちにはわかるぜ」

 

 初対面であるというのに醸し出される信頼感は、動物の力を持つが故の特有なのだろう。

 

「小さいガキも何人かいるんだ。子守の手が足りなくてな」

「うちの妹の友達になれそうな子もいるのかしら?」

「沢山な」

 

 はみ出し者の共同生活。シュライグが立ち上げ、ルガルが協力したそのキャンプは、後々により多くの仲間たちを引き連れていくことになる。

 砂漠を超えた南方、鉄の国と呼ばれる機械技術の発達した国に赴いたのち、凄腕の狩人たちへと成長する彼らは、故郷の森がドラグマの侵略を受けた時に帰ってくる。

 鉄の鎧、獣の力を弾丸に変える銃を手に。

 

 鉄獣の血に刻まれた、盟約のもとに――鉄獣戦線(トライブリゲード)と名を呼ばれ。

 

 

   ◆

 

 

 ドラグマの首都から、数時間。荒野の一角に、植物と砂に覆われた古代遺跡が存在する。ここが現在の鉄獣戦線の拠点となっていた。

 故郷の森からは遠く離れた北の大地。そこでも鉄の獣たちはたくましく生きていた。

 

「少年、少年! あそこ、あの開けた場所に降りられる?」

 

 背中からかかる声に、痕喰竜ブリガンドは空中を駆けるように降下していく。

 腕の中でぐったりと眠っていたエクレシアの姿は、今は背中に乗るフェリジットの腕の中にあった。

 ルガルはその後ろに相乗りし、さらに上空をシュライグが飛んでいる。彼らに誘導され、痕喰竜ブリガンドは高度を落とした。

 

「他の奴らも集まっているな。シュライグ、案内してやってくれ」

 

 ルガルの声に、シュライグは無言で頷いた。

 彼は先に着地すると、そのあとを痕喰竜ブリガンドが追っていく。土埃を巻き上げながら空き地に着地すると、フェリジットたちが下りる。エクレシアをシュライグが受け取り、フェリジットは軽やかに着地する。

 

 それを待っていたとばかりに、巨体は金色の光を放ち、直後にその足元に褐色の少年が現れた。

 灰燼竜バスタードであり、痕喰竜ブリガンドであった少年。

 ルガルの差し出した手に起こされながら、彼はエクレシアの方へ歩き出す。

 

「エクレシア……彼女は、無事なのか……?」

 

 疲労困憊、といった様子で息を荒げる少年。だが、その気持ちは自分よりも、聖痕を奪われた聖女へと向けられていた。

 腰を下ろしたフェリジットの膝の上で、エクレシアは介抱された。

 髪を止めていた装飾品を外し、丁寧に結い上げられた髪を解く。乾いた唇に湿らせた布を当て、木陰のひやりとした風が頬を撫でる。

 

 少年の伸ばした手が彼女の手に触れた時、聖痕に似た輝きがその身の内から、エクレシアのもとに移っていく。気のせいか、幾分か彼女の顔色がよくなったようにも見えた。

 

「大丈夫、気を失っているけど、命に別条があるわけじゃない」

「そうか……それなら、よかった……」

 

 泣きそうな顔は少しずつ安堵の表情へと変わり、次第に気難しそうな顔になる。

 

「少年、あの竜の姿は、一体なんだ?」

 

 ガシャン、と音を立てたシュライグが腰を下ろす。本来なら翼のメンテナンスや負傷の手当など、するべきことはいろいろあるだろう。

 それよりもまず、彼は情報の交換を選んだ。

 ドラグマが狙う少年――その正体を知るために。

 

「わからないんだ。どうしてあの姿になったのかも、どうしてなれるのかも。最初の姿と違うのがなんでなのかも……わからないんだ」

 

 灰燼竜バスタードの姿は、トライブリゲードの面々も目にしている。灰のような色をした灼熱の竜。

 それとは打って変わって、獣のような印象を与える痕喰竜ブリガンド。黄金の角と奪い取った聖痕を宿す獣の竜。

 しかもドラグマの勢力は、その存在を予見していた。

 ご丁寧にきちんと名前まで付けて。

 

「見たところ、ハッシャーシーンの力、というか奪われたこの子の聖痕を吸収しているようにも見えたけど……」

 

 周囲の力を集める能力も見受けられた。

 聖痕の力を呑み込み、盾を創り出す力。まるでドラグマの奇跡のようで、エクレシアを守ろうとする心がそのまま形を成したかのようにも見えた。

 ルガルはシュライグの後ろで腕を組みながら聞いており、何か気づいたのか人差し指を立て、言葉を付け加える。

 

「特定の姿を持たず、その場その場で適応した形に変身する力。遠方の大陸に、召喚師とか言う、似たような力を持つ者がいると聞いたことはあるが、関係ないか?」

「それよりどうするの? その場のノリで連れて来ちゃったわけだけど、この子たち」

 

 ほぼ行き当たりばったりな勧誘となった。フェリジットの指摘に、寡黙なリーダーは少し視線を落とす。

 教導国家ドラグマより邪教徒として排斥されるビースト種族たち。

 

 彼らのレジスタンスであるトライブリゲード。そのアジトにやってきてしまった以上、エクレシアもこの少年も、ドラグマの側に返すわけにはいかない。

 だからと言って戦力として引き込むのかと言われると、それも違う。

 天を支配する猛禽の持つ眼のごとき鋭い瞳で、シュライグは真っ直ぐに少年を見た。

 

「君は、過去を持たないのだな」

 

 シュライグのゆっくりとした言葉に、少年は肯く。

 

「おれは、エクレシアに出会う以前のものが、何もない。力も、名前も、姿さえ、おれにはわからない」

「だが君は、聖女を助けた」

「あんたたちも、本当は敵なんだろう。エクレシアの」

 

 この場に、勢力という観点での味方は、少年にもエクレシアにも存在しない。ドラグマとトライブリゲード、そしてホールからの使者。敵対し、刃を交える者たちが集まっている。

 なのに、今は誰も武器を持たず、ただ言葉だけが交わされている。

 

「半分は成り行きだ。フェリジットの言葉を信頼しただけだ」

 

 シュライグの目が、若干細められながらフェリジットに向けられる。

 それに気づいた彼女は、少し肩を竦めた。

 

「オンナの勘がそう告げたのさ。ま、オトコにはわかんないだろうけど」

 

 妖艶な笑みを浮かべる彼女に、ルガルははぁとため息をつく。シュライグは少しだけ楽しそうに笑みを浮かべ、視線を白髪の少年へ戻す。

「ドラグマと戦いたいのなら、それは歓迎する。だが戦いから離れ、安息の地を求めるというのなら、砂漠を渡るという選択肢もある」

 シュライグの提案にフェリジットは驚愕とともに眉を顰める。

 

「ゴールド・ゴルゴンダを渡らせる気!? 確かに彼らの力を借りれば、渡れないことはないけど、あそこにはねぇ……」

 あてはある、つてもある、だが危険、そう言いたのだ。

「その砂漠を超えれば……」

 ちらりと、少年は聖女の姿を見る。顔色は悪く、いまだに目を覚まさないその姿を。

「彼女は、安全なのか?」

 

 自分が最も優先的に狙われている可能性だってあるというのに、少年の口から洩れた言葉は、そんな内容だった。

 それは、少年の持つ、元来の優しさの現れだ。ほんの短い間の恩義、それを忘れぬ善意が、確かに少年の根底には存在する。

 

 かつて、部族から追われた身であるシュライグにとって、その善意がどれだけ大切なものなのかは、よくわかっている。

 ルガルと出会い、フェリジットを加え、鉄獣戦線の基礎を創る中、多くの善意や悪意を見て来た。

 その中で、この混沌とした大地で小さな善意にどれだけのヒトが救われていたのか。

 シュライグは、肩に止まっている機械の鳥を一羽、少年に差し出した。

 

「こいつが案内してくれる。聖女エクレシアが目覚めたら、準備を始めるといい。ドラグマたちは、俺たちが牽きつけておいてやる」

 

 そう言ったシュライグは、踵を返して歩き出す。

 彼の心の内は、少年にはわからない。

 ただ、自分のことすら信じられぬ者を、彼は信じた。

 敵であるはずのエクレシアを、彼らは助けた。

 

 そのことに、疑いの目を向けることはない。

 

「……ありがとう。シュライグ」

 

 少年のお礼に、シュライグは背中越しに手を振って応えた。

 その様子を、物珍しそうにフェリジットは瞬きを数回しながら見ていた。

 

「シュライグがこんなに口数が多いなんて、不思議なこともあるものだねぇ。あんな饒舌で照れたシュライグ、初めて見たよ」

「そうなのか」

 

 照れていたのか? という疑問もある。それに対し、彼女は肯く。

 

「君に負けず劣らずに不愛想で言葉数が少なくてね。女の子はそれじゃあ詰まんないよ」

「……問題があるのか?」

 

 少年の返事にフェリジットは口をへの字に曲げてため息をつく。まったくこのオトコどもは、なんて呟きながら、膝の上の聖女の髪を撫でる。

 

「オンナはオトコの倍の量の時間が必要なの。短い言葉だけ並べてると、すぐに他の言葉に上書きされちゃうのよ」

「けどあんたは、シュライグの言葉を忘れないだろう?」

 

 少年の言葉に、フェリジットは頬を赤らめながら喉を詰まらせる。意外な返しが飛んできたと、ルガルは声を上げて笑った。

 

「一本取られたなフェリジット! みんなのお姉さんも寡黙なリーダーには勝てないもんなぁ」

「うるさいワン公!」

 

 フェリジットの反論にルガルはさらに笑って返す。

 それを聞いたからどうかはわからないが、ピクリとフェリジットの膝の上で眠る少女の瞼が動く。

 

「エクレシア!」

 

 少年の呼びかけに、聖女の目がゆっくりと開かれる。聖痕を失った額をさすりながら、その体をそっと起こす。

 

「あれ、あなたは灰燼竜の……あなたは、トライブリゲードさんの……」

 寝ぼけ眼の聖女は数回瞬きした後、空いている手をそっとお腹に当てる。

 

 ――ぐぅぅぅぅ…… と、音を伴って。

 

「お腹、空きました……」

 ひどく寂しそうに、そう呟いた。

 

 

   ◆

 

 

「エクレシアが攫われたんだぞ!」

 

 ガンッ! と木製の机が砕け散る。

 ドラグマの中でも、高位の信徒のみが集まる談話室。

 その中で鉄槌の称号を持つテオは、人間的にも見た目の面でも可愛い後輩の拉致という事態に対し、憤りを露わにしていた。

 

「報告じゃあハッシャーシーンの奴らが教導神理をエクレシアに適応したって話もある。あいつら、エクレシアを何だと思ってやがる!」

「エクレシア君の、広すぎる寛容主義は、元々問題になっていた話です。信徒たちからの信頼と人気の高い彼女だから許されていた点は、確かにあります」

 

 テオの言葉に、天啓の称号を持つアディンは同意しつつ、それまでの事情を語る。言外に彼に向けて落ち着けと言っているのが、言われた本人も理解できた。

 

「だからって聖痕剥奪なんて……破門と変わらねぇ……」

 

 それこそが、彼が先ほどから怒りをものにぶつけている理由なのだ。

 ドラグマという宗教国家において、破門とは命を取られるよりも重い刑だ。

 人として認められず、信徒として認められず、神の力を奪われ、栄光も矜持も誇りも奪われる。

 それがドラグマにおける破門。

 おおよそ、適用された元信徒がこの街で生きることはできない。それと同等の処置が、聖痕剥奪。

 

「だがバスタードの化身だっていう小僧を逃がし、トライブリゲードには出し抜かれた。あいつら、なのになんであんなでかい顔を……」

「マクシムスの判断です。バスタードの化身も、エクレシア君も、放置せよと」

 

 聖女エクレシア拉致の報告を受けたマクシムスは、いの一番に、一切の問答もなくそう言った。まるでこの未来が予測できていたかのように、淡々と処理した。

 

「フルルドリスが一番納得いってねぇだろうに。シュライグには出し抜かれ、妹みてぇなエクレシアがいなくなって。マクシムスはあいつらに何をさせたいんだ?」

「わかりませんが、マクシムスは預言をいただいているのです。我が天啓よりもなお高次元からの通達――それがある限り、あの方は一本の道を進み続けるのです」

 

 そうでなければ、ドラグマはここまで大きく発展してこなかった。

 城下では灰燼竜バスタード、そしてトライブリゲードとの戦いで負った傷の復興が進められている。マクシムスが出した現状最後の指示であり、現在彼は大聖堂の奥にひっそり籠って、祈りを続けている。

 

「幸い、トライブリゲードに捕まった捕虜が拷問を受けたという報告は、聞いたことがありません。捕まえていた捕虜は全員解放されていますから、人質交換ということはできないでしょうが……」

 

 その時、アディンの脳裏には地下の暗い、ドラグマの闇がよぎる。

 

「正直、どちらが獣畜生と呼ばれるに値するかは、私も測りかねます」

「エクレシアがこのままドラグマを離れるとしたら、行先は……ゴルゴンダか?」

「《大砂海ゴールド・ゴルゴンダ》――この大陸随一の大砂漠。トライブリゲードの本拠地があるなんて言う噂も聞きますが、あの砂漠以南は我々ドラグマの力も及ばない場所。確かに、行き先としては考えられますね」

 

 テオの言葉にアディンは同意した。深いしわの刻まれた眉間をさらに深くしながら、彼は窓の外を見る。

 彼に預言は聞こえない。

 だが天啓と呼ばれるほどに至る深い知識と洞察力がある。それが告げている。

 

 この先、世界は大きく荒れる。

 たった一人の少年の出現を起点としてこの大陸の歴史が動こうとしているのを、彼は感じ取っていた。

 それを告げるかのように、鐘が鳴り響く。

 

「この鐘は!」

「おいどういうことだよ、先生! こいつが何で今鳴るんだ!?」

 

 彼らが耳にした鐘は、決して時報の鐘などではない。

 五年以上前、エクレシアが聖女に叙任されたその日、同じく鳴り響いた鐘だ。

 

 

 ドラグマ王城中央の広間。

 ハッシャーシーンとその部下たちに見守られながら、幼げな少女が一人、マクシムスの前に膝を付いている。

 赤い髪を両側で三つ編みにまとめた、小さな女の子。

 彼女に向けてマクシムスは両手を交差し、祈りの構えを取る。

 

「そなたを、新たな聖女として迎える。新時代の創世のため、聖女として尽力することを、ここに誓うか?」

「誓います」

 

 幼少期の少女特有の跳ねるような声が、厳かな響きを持って広間を駆けまわる。

《ドラグマ・ジェネシス》――新たな聖女を迎え入れるこの儀式は、聖女エクレシアの破門という衝撃を、すべて吹き飛ばすに足るものであった。

 呼応するかのように天空のホールはその色を深め、大きく広がりつつあった。

 

「光貴なる神の代理者たる教導の大神祇官がそなたに告げる。そなたを、これより聖女として認め、我が教えのもとに聖業を成さん」

 

 橙色の陽光が、心臓の脈動のようにも明滅しながら、新たな聖女を照らし出した。

 

 

 



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第六章 《大砂海ゴールド・ゴルゴンダ》

 

 

 荒野の中の遺跡。燦々と輝くに太陽に照らされる一角。

 天井の無いその場所で、一人の少女が目を覚ました。

 

「お腹、空きました……」

 

 そんな、気の抜けた言葉とともに。

 

 

 体を起こした少女の髪が、肩にパサリと落ちた。金色の髪の間から、黒ずんだ痕のある額が見えた。

 

「エクレシア……」

 

 聞こえた声は、自分の真横からだった。

 そちらに顔を向けると、白い髪の間から覗く赤い瞳が自分の顔を映していた。

 

「あっ、あなたは!」

 

 驚きつつ身を乗り出したエクレシアは、頭に走った痛みに顔を歪める。背中を少しゴツゴツした手が添えられ、優しく支えられた。

 

「大丈夫か。無理しない方がいい」

 

 たどたどしい喋り方ながら自分のことを心配する様子に、エクレシアは微笑み返す。

 

「ありがとうございます。ですが、わたしは、あのあと……」

「聖痕を剥奪されて、そこの少年に助けられたのさ」

 

 彼女の言葉に返したのは、彼女の真後ろから届いた声だった。

 桃色の髪をした猫の獣人――徒花のフェリジット。トライブリゲードの幹部の一人であり、エクレシアにとっては敵対者、だったはずのヒト。

 

「どう? お姉さんの膝枕は、よく寝れた?」

 

 そこで、自分が今までどういう状態で眠っていたのか、エクレシアは理解した。

 フェリジットがエクレシアにカチューシャを返してくると、彼女はそれをぎゅっと抱きしめながら頭を下げる。

 

「そう、でしたか。それは本当に、ご迷惑をおかけしました」

 

 フェリジットだけに向けた言葉ではない。自分をここまで助けた――運んだ少年への謝辞でもあった。

 エクレシアの悲しそうな顔に、白髪の少年は逆に辛そうな顔を勢いよく横に振る。

 いささか無口で、必要以上に喋ろうとしないこの少年は、案外顔と体の感情表現は豊かだった。

 

「ハッシャーシーンが、これをやったんですよね」

 

 そっと触れた額。手甲越しであるが、光を失った額の状態は明確にわかるのだろう。

 苦しげで悲しげな顔をすると、隣の少年もまた、顔を歪める。

 

「まさか、その子を庇って聖女の聖痕を剥奪するなんて、ハッシャーシーンは何を考えているんだい?」

「わかりません。けれど、灰燼竜バスタードと呼ばれた彼をマクシムス様が欲していたということは、間違いないのですから。わたしよりも重要な案件だったのでしょう」

 

 軽く首を傾げる少年には、自分が狙われる理由がよくわからない。

 確かに灰燼竜バスタードの力は巨大だろう。放っておけばドラグマの都市一つが壊滅していたとしてもおかしくはない。

 

 だが、それも聖女フルルドリスとエクレシアが力を合わせれば止められる程度の存在。たとえ灰燼竜バスタードを兵器として運用しようなどと考えているのだとしても、戦力不足であると言わざるを得ない。

 トライブリゲードの三幹部が揃えば打倒できる程度の竜、暴走しかねない以上戦力としても考えづらいだろう。

 

「やはり、彼がホールから現れたことが、重要なんでしょうか」

「森に現れたメルフィーたちのような、異世界からの来訪者、か」

 

 それがホールの恩恵。

 何が出るかわからないギャンブルのようで、出たら出たでとんでもないオーバーテクノロジーが手に入りかねない。

 ここから少し言った場所にある砂漠は、そうして生まれたオーバーテクノロジーが生きている場所だった。

 

「何にしろ、お前たちはもう、ドラグマの都市へ戻ることは難しい」

 

 そう告げたのは、銀髪の人狼、銀弾のルガル。

 

「お前たちが望むなら、俺たちトライブリゲードで匿ってやってもいい。働いてはもらうが、戦わせるようなことはしないって約束するぜ」

 

 彼らはレジスタンス。ドラグマのやり方に異議を唱えた者。追放された聖女というのなら、たとえ昨日までは敵であっても助けない道理はない。

 

「でもね、争いから逃れ、平穏を掴みたいというのなら、砂漠を行くことを勧めるわ。そっちの子には、すでに話をしてあるから」

 

 フェリジットの言葉に、ピィッ! と少年の肩の上で機械の鳥が一声鳴く。

 

「そうだな。ホールから現れた竜……そいつの正体が何なのか。あの砂漠にはホール由来のものが多数存在し、砂漠の主に至っては、お前さんと同じホールからの来訪者だという伝説もある」

 

 ルガルの付け足す言葉に、エクレシアは感心したように肯く。

 

「自分が何者かもわからないままでいるのもいい。だが、知りたいことがあるのなら、あの砂漠を目指すのも、一つの選択肢だろうぜ」

 

 その言葉に、少年はコクリと肯く。それとは違い、エクレシアは視線を手元に落とした。ホールの秘密云々より、ドラグマからの追放者になったということが、彼女にとっては大きな衝撃だ。

 まさか自分が、破門同然の扱いを受けるとは思わなかった。

 一介の農民の娘が聖痕を宿したことで聖女と呼ばれ、ドラグマのために何年も尽くしてきた。時に邪教徒と呼ばれる者たちに向けて鎚を振るったこともある。

 

「わたしは……ドラグマの、みんなから……」

 

 ポロポロと、涙が溢れてくる。

 生まれてから、今に至るまで、ずっと信じて来たものがある。実感や実益があったかどうかは、関係ない。

 両親がそうだったからというのも理由の大半かもしれないが、祈ることが正しいことなのだと信じて、祈り続けてきた。

 家族、友人、姉と慕う者、先達、師匠――多くの者たちとともに、神の示す祝福を求めて生きて来た。

 

 それが、音を立てて崩れ去っていく。

 信じ方が間違っていたのか。それとも何か間違った行動をしたからこうなったのか。考えれば考えるほど、理解がこんがらがっていく。

 

「エクレシア……」

 

 原因の一部は自分にある。

 そう理解している少年は、心配気味にエクレシアの肩に手を伸ばした。

 乗せられた手に、彼女は自分の手を重ねる。

 離さないでと、強く少年の手を握る。まるで自分がここに存在することを、確かめるかのように、ぎゅっと。

 

「ごめんなさい、しばらく……掴んでいていいですか……?」

「……ああ」

 

 それを、拒むことはない。

 初めてエクレシアと出会い、何もわからないで不安だった彼を、エクレシアはそうして落ち着かせてくれた。

 ならば、今度は少年の番だ。

 短いながらの返事を聞くと、エクレシアの声を殺した嗚咽が、また聞こえ始める。

 フェリジットはルガルと目配せすると、お互いに肯いて立ち上がる。

 無言で泣き続ける聖女と、何も言わない少年。二人を残して、トライブリゲードの二人はそこを離れた。

 

 

 ほんの数分後――泣き疲れたのだろう。涙も出なくなったエクレシアは、再び眠るかと思われたのだが、そんなことはない。

 

 むしろ赤く腫れた下瞼はそれを許さない。

 手甲を外した彼女は目元に施された化粧が剥がれるのも構わず、豪快に拭う。それはそれで痛みにまた涙が出そうになるのだが、必死に目じりに力を入れて耐える。

 

「どうしてわたしがこうなったのか、もう気にしません! みんなとお別れすることになるのも、覚悟できました!」

 

 このほんの短い間に、彼女はもろもろの覚悟を決めたらしい。

 鼻をすすり、握っていた手をそっと離す。むしろ少年の方が名残惜しそうな顔をするが、もう大丈夫なのだと判断して腕を降ろす。

 

「あなたは、これからどちらに?」

「あの獣人……ルガルたちが言っていたように、砂漠を目指す」

 

 大砂海ゴールド・ゴルゴンダ。

 黄金色の輝きを放つ砂漠。黄金に等しき価値持つ砂漠。黄金より稀少な者たちの砂漠。

 様々な理由から黄金の砂漠と称される場所が、この荒野を抜けた先にある。

 

「わたしは行ったことはありませんが、なんでも変わった種族が住み着いて、紛争状態にあると聞きますが」

「危険は承知だ。砂漠自体が、危険の象徴みたいなものだし」

 

 少年の言葉に、確かにとエクレシアは肯いた。

 シュライグから託された鳥型のロボットは、二人をナビゲートするようにプログラムされているらしい。地面に地図を映し出し、そこに二人の現在位置を表示することができ、優秀なロボットだとわかる。

 

「ホールから得られたオーバーテクノロジーというものですね。トライブリゲードの皆さんは、わたしたちも知らない技術を持っていたんですね」

「そのホールについても、あの砂漠なら、何かわかるかもしれないんだな」

「ゴールド・ゴルゴンダは、ドラグマを除けば特に大きなホールの存在する場所、らしいですから。あなたが……あっ!」

 

 何か、エクレシアが気づいた。

 どうした? と彼女の顔を見る少年にエクレシアが少し気まずそうに目を細める。

 

「その、ずっと忘れてました……」

「何を?」

「あなたのお名前を、まだ聞いていない……というか、思い出せていなんですよね?」

「ああ。そうだった」

 

 そんなことか、と言わんばかりの少年の口ぶりに、彼女のほうが困った顔をする。

 

「だめですよ。名前というのは、生まれて一番最初に貰う贈り物なんです」

 

 姉、下手をすれば母のような口ぶりで、彼女は少年を諭す。

 

「遠い地では、相手の真実の名を唱えることは神の名を唱えるに等しいといわれるほど、名前は大切な者なんですから」

「そういうものなのか」

「それに、名前がないとなんと呼べばいいのかわかりません。あなたとか、きみとか、わたしはエクレシアと呼んでくれるのに、わたしが呼べないのは寂しいです」

 

 どうして君が寂しがるんだ、と少年は言葉がのどまで出かかるが、押し留める。

 きっと、一番寂しそうな顔をしているのは自分なのだ。そう思った。

 

 何もない、自分さえ信じられない少年が、名前を呼ばれないことで悲しい顔をする。それがエクレシアには耐えられないのだ。

 他人の寂しさを、悲しさを感じ、それを自分のものとして考える。だから彼女は、こんなにも他人に親身になれる。

 そのせいで、聖痕を剥奪される結果になったというのに。

 

「けど、ないものは、ないんだ。おれ自身が、自分が誰なのかわからない」

「なら、何か仮でも何か呼び方を……愛称とか」

「愛、称……?」

 

 何を言っているんだ、とさすがに顔を歪ませる。

 この際、灰燼竜バスタードと呼ばれていたのだからバスタードとでも呼んでもらって構わないのだが、それではエクレシアは納得しそうになかった。

 

「愛称と言われてもな……」

 

 白い前髪を弄りながら、少年はぼーっとする。一方エクレシアは真剣な表情で、少年の顔をじっと見つめていた。

 

「褐色肌、クリシュナ……何か違いますね。白い髪、アルジュナ……。この言語帯から離れましょうか……。レフコン、ヴァイス……アルバス……」

 

 聖女として学んできた、様々な知識を動員しているのだろう。

 時には他言語の言葉も用いて名前を考える。

 その中で、少年の耳に届いた言葉があった。

 

「アルバス……?」

「ホール由来のテクノロジーの言語の中で、白を意味する言葉ですよ。もしかして、気に入りました?」

「いや、そうじゃなくて、何か、聞いたことがある気がして……」

「もしかして、あなたの名前ですか!?」

 

 エクレシアの嬉しそうな声をとともに、身を彼に向けて乗り出す。

 少し背中を反らし気味に受け止めた少年は、首を横に振る。

 

「多分、違う。どっちかっていうと、誰かと一緒にいて、そう一括りに呼ばれた……あんたで言うと、ドラグマ教徒、って呼ばれた感覚、かな」

 

 不特定多数をひとまとめにする言葉。その中で最も身近なものとなると――。

 

「苗字、ですかね? じゃあ」

 

 ドラグマ教徒は、苗字を持たない。

 むろん、それはエクレシアやフルルドリス、テオたちのような教団の上位者に限られる。世俗の血縁ではなくドラグマの教徒という一団に属するという意味を込めて、自らの名前以外を捨てるのだ。

 そのため市民レベルの教徒でならば苗字を持つが、聖女と呼ばれる彼女にはない。

 教導の聖女――それこそが、彼女にとっての苗字と言えるだろう。

 

「けれど、これで一歩前進です。つまりあなたは、アルバスくんなんです!」

「アルバス……奇妙だけど、しっくりくる」

 

 小さく笑みを浮かべた少年――アルバスに、エクレシアも微笑む。

 

「これですっきりしましたね。改めて、エクレシアです。アルバスくん」

「ああ、改めてよろしく。おれは、アルバスだ。エクレシア」

 

 奇妙な話だが、名前を与えられた。

 少し浮かれているのか、今までに比べて幾分か饒舌になったアルバスと、心の底から嬉しそうにするエクレシア。

 そんな二人の様子を、遺跡の影から食事の入ったバスケットを抱えたフェリジットは、微笑ましく見守っていた。

 

 ……ぐうぅぅぅううぅうう

 

 そんな観察も、鳴り響く轟音で終わりを迎える。

 

「ああぁっ! 今のは何でもありません! 決して、わたしのお腹の音とかじゃありませんから! 確かに、お腹空いていますけど! うぅううぅう……」

「え、エクレシア?」

 

 顔を真っ赤にして両手で覆った少女に、少年は何のことかと困惑する。確かに目を覚ました瞬間にも、お腹が空いたと確かに言っていた。

 

「何を気にするんだ? 腹が減るのは当然だろう?」

「当然ですけど、当然ですけど!」

「腹が鳴るのは、食事を必要としている証だろう? きっと、ハッシャーシーンの力を受けて、体力を消耗したんだ。彼らに頼んで、食料を分けてもらってくるよ」

 

 からかう意図は何もない、本気で彼女の体調を慮っての言葉だった。

 

「アルバスくんの紳士さが辛い……」

 

 誠意ある対応だ。誠意がありすぎて、茶化してくれた方がエクレシアとしてはかえって気が楽だった。

 

「おーい、少年少女、お腹空いてない?」

 

 見計らったように出てきたフェリジットは、バスケットを二人に差し出す。

 これ以上二人だけで会話させていると、いずれエクレシアの羞恥心が限界を超えるだろうと判断してのことだった。

 

「とは言っても、あたしらも物資が潤沢ってわけでもないから。乾パンとか、干し魚とか、保存食が多いけど」

「いいえ! もらえるだけでも、ありがたいです!」

 

 気を取り直したエクレシアは、フェリジットにお礼を言いながら食事を受け取る。アルバスも言葉少なげに感謝しながら、二人は食事にありついた。

 確かに固い乾パンと、しなびた干し魚。噛んでいると味を感じてくるが、毎日これだとしたら、味気ないものだろう。

 

「トライブリゲードの皆さんは、いつもこのような?」

「いや、ここが前線基地だからって話さ。あたしらのアジトに向かえば、もう少しいいものあるけどね」

「ビースト種族の方々は、十全に暮らしていけてますか?」

「十全とは言えないね。一回満ち足りるとすぐに足りない、もっとって不平を漏らすから、半分くらいの満足であたしらは十分さ」

 

 フェリジットはそういうが、逆に言うと十全にはほど遠い、ということでもある。

 ドラグマと対立状態にある以上、ドラグマの領土内はもちろん、それ以外の地域でも暮らしにくいことはあるだろう。

 この深淵と呼ばれる大陸。大部分を教導国家ドラグマが支配する以上、その意に反する者たちの生存には厳しくなる。

 

「それでありながら、わたしを助けて下さったこと、心より感謝しています」

「気にしないの。こんな小さな女の子一人、恨み辛みで見殺しにするくらいに、あたしらは弱くありたくないだけさ」

 

 ドラグマと戦う邪教徒――そう教えられて育ってきたエクレシアにとって、こちらをニコニコと見つめる猫型獣人の存在は、異質と言えた。

 むろん、何度も彼らとは接触したことはある。

 言葉を交わしたことも、ゼロというわけではない。フェリジットとの会話は今回が初めてであるが、決してビースト種族が邪悪とは、エクレシアは思っていなかった。

 

「一体、ドラグマはこれからどんな道を進むのでしょうか」

 

 自分という聖女を斬り捨てて、ドラグマはどうなるのか。

 アルバスを手に入れて、何をしようとしていたのか。

 破門されたからこそ、考えるきっかけが生まれた。

 

 その問いの答えは――

「あたしにはわからない。けど……」

「ホールに、その答えがある」

 言葉を絞めたのはアルバスだった。

 

 ホールより現れた灰燼竜バスタード。ハッシャーシーンに剥奪されたはずの聖痕を吸収しながら変身した痕喰竜ブリガンド。

 まだ彼は、他にも違う竜の姿を持っているのだろうか。

 

「フェリジット」

「なんだい?」

「おれたちは、ゴールド・ゴルゴンダに行くよ。いろいろ、世話になった」

「なら、あの砂漠にあたしの妹がいるからさ。会ったら伝えておいて。お姉ちゃんたち元気でやってるから、って」

「わかった」

 

 ホールより現れた少年、アルバス。

 彼と出会った聖女、エクレシア。

 ホールの恵みによって維持されたこの国の行く末を見極めるために、二人は巨大ホールの直下に存在する大砂海ゴールド・ゴルゴンダへ向かう道を選ぶのだった。

 

 

   ◆

 

 

 翌朝。

 同じ遺跡群の一角で、フェリジットとエクレシアは男性陣から離れて二人で作業していた。

 

「うーん、あたしのお古で、本当に良かった?」

「はい、なんだかフェリジットさんに守られているみたいで、むしろ安心です!」

「くぅっ! 可愛いなぁエクレシアは! お姉ちゃんって呼んでいいんだよ!」

 

 今のエクレシアは、髪飾りは付けず、丁寧に結っていた髪は紐で軽く縛ってまとめるだけにしていた。自力では侍女たちにやって貰っていた複雑な結い方ができず、仕方なく紐で縛ることにしたのだ。

 服装も鎧は全て外し、簡素な灰色の肌着を着ている。肩からベルト止めしたハーフパンツを履き、右太ももにはナイフを一本ホルダーにいれて巻き付けてある。

 

「このナイフはね、あたしが妹と一緒に泥棒をやってるときの、唯一の頼みの綱だったの」

「フェリジットさん、泥棒さんだったんですか?」

「そうよ。毎日誰かから奪って生きる……シュライグたちが、そんな生活を変えようって誘ってくれなかったら、ここにはいなかったわ」

 

 手甲は手袋に代わり、靴も高いヒールはなく砂漠を渡るための革靴であった。

 ダークグリーンのフードケープの上にフェリジットから譲られた黒いマントを羽織り、肩掛けバッグの中には、聖女として付けていた髪飾りをしまっておく。

 前髪の青い髪飾り以外、聖女と呼ばれていたころと同じものは、何一つない。

 

「よし、さぁ、お披露目ね!」

「アルバスくん、お待たせしました!」

 

 タンッ、と遺跡の石畳を蹴って、エクレシアがアルバスの前に立つ。

 

「だいぶ、変わったな」

 

 上から下まで、視線を動かしたアルバスはそんな感想を抱いた。

 

「そういうアルバスくんに変化はありませんね。靴はわたしと同じようなものにしなくて大丈夫なんですか」

「ああ。おれの皮膚も服も、ドラゴンの鱗並みに頑丈なんだと」

 

 きっと、ドラゴンに変身できる恩恵の一つなのだろう。不思議なことだが、彼の身体だけではなくその服も含めて、竜のごとき強さを持っていた。

 

「あたしのマントと、シュライグのメカモズがあれば、うちの妹もあたしらの仲間だってことはわかってくれると思うから」

「砂漠の民には、一応気を付けておけよ。温厚な奴もいるが、少し早とちりが過ぎるところがあってな。シュライグの昔のダチっていうから会いに行ったとき、ぶっ飛ばされたんだ」

 

 苦々しく語るルガルの視線がシュライグに向くと、彼は我関せずといった様子で視線を反らす。

 

「何から何まで、ありがとうございました。フェリジットお姉さん、ルガルさん」

「ううー、心配だよぉ。ルガル、シュライグ、あたしもこの子たちに付いて砂漠に行っちゃだめ?」

「だめだ。こいつらが砂漠に向かう間、俺たちが奴らの目を引き付ける。幸いバスタードが暴れまわったおかげですぐには追ってこられない現状だからな」

 

 ルガルの言葉に、シュライグが付け足す。

 

「後ろは気にせず、砂漠を渡れ」

「ああ。あんたも、気を付けて」

 

 アルバスの言葉に、シュライグは小さく肯く。

 無感情的なところが似ている二人だが、お互い相手を慮り優しさを、そのうちに秘めているところも同じだった。

 

「行ってきます!」

「行ってくる」

 

 揃って告げた挨拶に、三幹部、さらにトライブリゲードの面々もまた、手を振ったり返事をしたり、それぞれの方法で見送る。

 直接言葉を交わすことはなくても、彼らもまたこの先の未来を動かす存在かもしれないという予感を、ひしひしと感じていたのだろう。

 ビースト種族特有の、本能という部分で。

 

 

 トライブリゲードの駐屯地から歩き出した二人は、日長一日歩き、日が落ちる頃には木々の下に交代で眠り、朝日が昇ればまた歩き出す。

 さほど遠いわけではない。

 三日も歩けば、その姿は見えてくる。

 岸壁に隔てられ、それまである程度は緑のあった大地は全て太陽を照り返す白っぽい黄色へと変わり、じりじりとした日光に熱せられている。

 

「ここが……」

「はい、この先がまさしく――」

 

 

《大砂海ゴールド・ゴルゴンダ》

 鋼鉄の砂漠の民が暮らし、覇蛇が支配する黄金の砂漠であった。

 

  

 



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第七章 《鉄獣の邂逅》

 

 トライブリゲードの潜伏する荒野を抜けて、白髪の少年と金髪の少女は、広大な砂漠の入り口に立った。

 

 切り立った崖と、深い谷によって分かたれた大砂海。

 日光の当たり方によっては黄金に輝いているように見えなくもないその場所こそ、彼らが辿り着いた目的地。

 

《大砂海ゴールド・ゴルゴンダ》

 

 ホールの秘密が眠る砂漠。

 教導国家ドラグマも手出しができない無法地帯。

 教会から追われた者が最後に辿り着く追放の地。

 呼び名は様々だが、少年アルバスと少女エクレシアは、自らの未来のためにここを訪れた。

 

「ここが、ゴールド・ゴルゴンダなんですね」

「風が乾いてる……」

 

 黒い革製の服をなびかせるアルバスは、右目を細めて砂漠の奥を見る。

 何やら煙が上がり、火花が散っているようにみえるが、それがこの砂漠では日常茶飯事。生物ならざる者たちの狂乱の宴が開かれているのだと聞いている。

 

「崖を降りていくしかないな」

「はい。気を付けて降りていきましょう」

 ――ピィ、とこの度増えた同行者も一鳴き。メカモズと呼ばれる鳥型のロボットの案内に従って、アルバスとエクレシアは断崖を伸長に降りていく。

 

「あのでかい塔は、なんだ?」

「ドラグマにいるころは、この砂漠がホールの真下にあるのだと教えられました。元々、ここにも巨大な文明を気づいた方々がいらっしゃったという話ですが……」

 

 幸い、崖にはヒトが通ることのできるような道があった。スロープ状になっていて、時間はかかるが確実に下に迎える。

 その道中、アルバスはエクレシアに尋ねたのだ。

 

「御覧の通り、現在は広大な砂漠に覆われた、遺跡になっています。原因は不明ですが、あの塔を造ったヒトビトはここを捨て、どこかに移り住んだようです」

 

 雲にも届かんばかりの高さを誇る塔は、半ばから折れて地面に横たわっている。

 その近くには、巨大建造物に負けない骨のようなものさえもあった。

 何もかもが滅び去った後のような光景。そんな印象を、二人に与えるのだった。

 

 

 この砂漠には、先住民と言っていいのか、ひとまず住人はいる。

 

 砂漠というのは熱が溜まりやすく冷めやすい。

 生物が生存するために必要な基本物質である水が圧倒的に不足する場所でもあるから、通常の生物は生息できない。

 中には特殊な進化をしたり、適応した能力を身に着けたりすることで砂漠での生存を可能とするが、エクレシアのようなただのヒトが住むには、砂漠は厳しすぎる。

 

 だが、生物ならざる体を持っていたらどうだろうか。

 それこそ、機械の体ならば、高熱だろうが極寒だろうが問題ない。

 

 ここが生物の踏み込めないほど過酷かつ危険なエリアならまだしも、住んでいない人間が皆無というわけでもないのだ。

 つまり、機械生命体にとっては、まったくもって問題ない。

 

『サクテキ、うぉっちニハンノウアリ、ハンノウアリ』

『でーたべーすショウゴウ。とらいぶりげーどノ《メカモズ》、トウロクイッチ』

『ミトウロク。シンニュウシャ』

『ミトウロク。シンニュウシャ』

 

 崖を渡る少年少女――アルバスとエクレシアを、遠くから見つめる者たちがいる。

 この砂漠の住人たち。機械のまなこで見つめる彼らには、崖を降る生体反応や機械の熱源反応が観測されていた。

 

 生体反応からアルバスとエクレシアは未登録、つまり彼らにとって初対面の相手として確認された。対してシュライグのメカモズは以前にも見たことがあったのか、登録情報と一致したことが確認される。

 メカモズの状態は、未登録者によって誘拐されてここまで連れて来られたのか。それとも逃げていたらここまで来たのか。その判断はできない。

 だがわかるのは、この砂漠は無粋な侵入者を許さないということ。

 

【エクレシア、そこ穴があるから、気を付けて】

【はい。なんだか、途中から道が荒れてきましたね……この壁も、よく見たらでっかい骨が埋まってますし、不思議な地形です。わっ、結構深い!】

 

 アルバスは岩場の穴に警戒し、先に前に進む。

 壁にぶつかった砂漠の風が、二人をあおる。バサバサと揺れるエクレシアのフードケープとマントに配慮したのか、彼はエクレシアへと手を差し出した。

 

【跳べるか?】

 

 聖痕が宿っていたころなら、それこそ荒野の断崖から砂漠に向けて跳躍しても、無事で済んだかもしれない。

 ドラグマの恩恵があるから、フルルドリスは人の身でバスタードを討ち取り、シュライグと渡り合う力を持つ。

 同じく聖痕を宿すエクレシアにも、それ相応の力はあったのだ。

 

 だが、今はそれも失われている。

 ブリガンドの姿で奪った聖痕の力は、確かにエクレシアのもとに戻った。

 黒く濁っていた彼女の額の聖痕は色を取り戻した。

 

 だが、ドラグマの神から与えられる力まで回復したわけではない。今の彼女は、多少力持ちであるくらいの、普通の街に住む女の子と、変わりないだろう。

 

【い、行きますね】

【ああ。受け止める】

【せーの、きゃっ!】

 

 彼女が飛んだ瞬間、風が強く吹き付ける。

 体がぶわりと浮き上がり、着地場所がずれる。足場の縁ギリギリ。そこにある細かい石を踏みつけ、滑る。

 

【エクレシア!】

 

 刹那の瞬間、アルバスの手がエクレシアの手を掴んだ。

 強引に手元に引き寄せ、尻餅をつきながらアルバスは彼女を地面に降ろす。

 二人はお互いを抱き寄せ下を見る。カラカラと音を立てて転がっていく石を見送ったところで、大きく安堵のため息をついた。

 先に立ち上がったエクレシアの差し出した手を握り、立ち上がりながらアルバスは彼女に問う。

 

【ケガ、ないか?】

【おかげさまで。アルバスくんには、お世話になってばかりですね】

【気にするようなことじゃない】

 

 軽くズボンの砂を払い、微笑みながら答えた彼女とともに、また再出発する。

 そんな会話を盗み聞く者たちは、ついに動き出す。

 

『カクホセヨ!』

 

 もう少しばかり時間をかけて崖から降りていくアルバスとエクレシア。

 砂漠に足を踏み入れた二人を待っていたのは、砂の中から怒涛のごとく現れた、弾丸っぽい何か。

 

「な、なんですかこれー!!」

「鉄の、塊?」

『シンニュウシャカクホー!』

『ゴヨウダー!』

『ワッパカケロー』

 

 飛び出してきたものの正体。それは弾丸のような形からヒトのような四肢を持つ形へと変形する、機械生命体《スプリガンズ》

 砂漠の侵入者に、彼らは一斉に飛び掛かるのだった。

 

 

   ◆

 

 

 大砂海ゴールド・ゴルゴンダでは常に戦いの火花が散らされている。

 巨大な砂走船が海を進むがごとく砂漠の上を走り、その甲板上から大量の弾丸――というよりミサイルを、相手の船に向けて撃ち放っている。

 むろん、本当に戦争や紛争をしているわけではない。

 暇なのだ。

 

 砂漠しかないこのゴールド・ゴルゴンダでは、スプリガンズは基本的に暇だった。やるべきことは確かにあるのだが、それに従事する義務があるわけでもない。

 となると、彼らのやるべきことは砂漠への侵入者の対策と、砂漠に埋まった財宝探しと、人間がやったら死にかねないドツキ合いくらいしか、やることがない。

 

 そんなことをやっている砂走船《スプリガンズ・シップ エクスブロウラー》のマストの天辺、そこにピンク色の髪に猫のような耳、長い尻尾をフリフリと左右に振る少女がいた。

 下半身は作業着のようなズボンを履き、上半身は胸を隠す程度の肌着を身に着ける以外の服は着ておらず、砂漠の熱さにも日光にも負けず健康的な肌を曝け出している。

 さすがに熱いのか首元には携帯扇風機を巻いているが、日焼けも気にせず周りを飛び交うスプリガンズを眺める。

 

「なんか今日はみんな元気だねぇ。なんか面白いことでもあったのかなぁ?」

 

 トライブリゲード所属メカニック《キット》――それがこの少女の名前だった。

 髪色とその尻尾からわかるように、彼女はフェリジットの妹であり、トライブリゲード随一のメカニックでもある。

 スプリガンズの船に乗る彼女は姉とおそろいのゴーグルを上げて、砂漠の入り口のほうに目を凝らす。

 

「ねぇデカモズ、なんか向こうのほう、みんな集まってる?」

「カァ?」

 

 シュライグの持っていたメカモズに比べて随分巨大なカラス型ロボットは、主人の言葉に首を傾げる。

 砂漠の陽炎のせいもあってよく見えない。スプリガンズたちはそちらに向かって飛んでいくようで、これは何かあったと彼女も感づいた。

 

「行ってみよっか! なんか面白いことが起きるかも!」

「カーッ!」

 

 相棒の同意を得たキットはスプリガンズ・シップのマストから飛び降りる。船の船尾に向けて伸びるロープに対し、彼女は背負っているスパナをひっかける。

 ジップラインの要領で降下した彼女は、今にも飛び出そうとするスプリガンズの一体の背中に飛び乗った。

 

「それじゃあ砂漠の入り口に、レッツ・ゴー!」

 

 それはそれは楽しそうに、彼女は友人たちと一緒に空を舞った。

 

 

   ◆

 

 

 砂漠の入り口に置いて大歓迎を受けたアルバスとエクレシアは、ロープでぐるぐる巻きにされた状態で、彼らの拠点である格納庫へと、運ばれていた。

 スプリガンズ・シップが他にも数隻並んだその場所には、彼らに飛び掛かった弾丸型スプリガンズの《ロッキー》以外にも様々なスプリガンズが屯していた。

 

「なんですかー!? 急にどうして縛り上げるんですかー!?」

「話通じるのか、こいつら」

 

 涙をためたエクレシアに対し、諦めたような表情のアルバス。周りを十機以上のスプリガンズたちが取り囲んでいた。

 カラフルな色彩の弾丸たちは、物珍しそうにアルバスたちを眺めていた。体の関節の隙間から黒い煤のようなものを零しながら、そっとエクレシアに近づく黄色っぽい個体。

 ジタバタと暴れるエクレシアに触れかけたところで、びくりとその手を引っ込める。威勢よく彼らを捕まえたにしては、ずいぶんと臆病な対応だ。

 

『コイツラ、ドウスルノ?』

『シンニュウシャ、ハイジョガゲンソク、とらいぶりげーどトノヤクソク』

 

 アルバスたちの頭上ではメカモズがくるくると飛んでいる。困ったように旋回しているのは、このメカモズ自体には言語機能が存在しないためだろう。スプリガンズの面々に事情を説明したくても、話ができないのだ。

 泣き出しそうなエクレシアの様子にむしろスプリガンズたちのほうが困ってしまう。

 

「おーい、スプリガンズー。何騒いでんのさー」

 

 その時、奥の方からずいぶん気の抜けた声が聞こえてきた。小さな女の子の、ずいぶんとこの場になれた者の声。火薬と機械油の匂いの充満する空間に対しては、不釣り合いな呼びかけに、カラフルな弾丸たちは一斉に振り返った。

 

「あんたら何捕まえたのさ!?」

 

 ひょこりとスプリガンズの間から頭を見せたのは――

 

「フェリジットさん?」

「にしては、小さい」

 

 フェリジットによく似た容姿の少女。

 彼女こそトライブリゲードで最も優秀なメカニック――徒花の妹《キット》である。

 

 

   ◆

 

 

 大砂海ゴールド・ゴルゴンダ。

 そこはホールの恩恵をじかに受ける場所であると言われており、スプリガンズ――その正体である煤状の不定形生命体の暮らす土地でもある。

 数年前、この地にトライブリゲードの前身となる小規模レジスタンスが訪れたことがある。

 

「あっっっつ!」

 

 ピンク色の髪の獣人――フェリジットは、目深にかぶったフーデッドケープの下で汗を拭う。隣にいるルガルは熱さに耐えかねたように舌を出す。さらにその横にいるシュライグは涼しい顔をしているが、その端整な顔からも汗がしたたり落ちる。

 

「わぁっ! 砂漠だよ砂漠! 本当に砂ばっかり! あっちの方で機械が動いているけど何かな? ねぇリズおねえちゃん!」

 

 その中で、一人だけ熱さに負けず元気いっぱいの少女がいた。

 フェリジットに似た髪色、シュライグと出会った時はまだ姉に背負われていたあの小さな少女だ。

 ずいぶんと成長し、元気に走り回る少女は砂漠に興味津々のようだった。

 

『シンニュウシャ、シンニュウシャ』

 

 そんな彼らに対し、ガサガサと音を立て、砂漠を歩いてくる者たちがいる。煤を零しながら進む。機械の集団。

 

「ずいぶんと歓迎されてるみたいだぜ、こりゃ」

「キット! 危ないから下がってなさい!」

「はーい!」

 

 ルガル、フェリジットはそれぞれの武器であるナイフや剣を構え、シュライグはおもむろに拳を構える。

 直後、機械と獣の殴り合いが始まるのだった。

 

 

「んとね、このネジが緩んでるから外れちゃったんだよ。ここをきちんと補強しないと、爆発した時に全部力が抜けてっちゃうから」

 

 いつの間にか、キットによる改造大会になっていた。

 

 元々、スプリガンズというのは、煤状の生命体だ。取り付いた機械を自由自在に動かし、自分の手足として強化改造を重ねるという習性がある。

 この砂漠には多数の種族が住み着き、砂漠に埋もれた古代文明や財宝のトレジャーハントを行うが、スプリガンズもその中の一つ。

 彼らは機械の体による無尽蔵のスタミナでそれを進めているのだが、如何せんここには壊れた機械しかない。まともなパワーアップを図ることは難しく、彼らの太く短い指では繊細な作業も難しい。

 そんな中、稀代の才能を持つキットは、彼らの改造を一手に引き受けていた。

 

「我が妹ながらタフなものねぇ」

「まっ、ガサツな姉ちゃんと一緒にいりゃあ妹はしっかりしてくるって話よ」

「誰がガサツよ!」

 

 ルガルの脇腹にフェリジットの指が突き刺さる。

 

「スプリガンズたちへの交渉は、あの子に任せよう」

 

 シュライグの一言に、ルガルもフェリジットも肯いた。

 その後、数週間かけてスプリガンズの大改造を成し遂げたキットは、彼らとの交渉を開始した。砂漠を渡り、鉄の国へ至る目的。そのための足として、彼らの力を借りること。快く承諾したスプリガンズに連れられて、トライブリゲードとなる面々は、砂漠の向こうへと辿り着いた。

 

 シュライグたちは鉄の体と武器を手に入れ、ドラグマとの戦いに際してはキットを彼らのもとに預け、自分たちは戦場へと出陣した。

 今日もキットは、姉とその仲間の帰りをこの砂漠で待っているのだった。

 

 

   ◆

 

 

「はぁ、それで捕まっていたとねぇ」

「そーなんです! ほら見てくださいこの鳥さん! メカモズさんはシュライグさんからお預かりした子なんです! あ、そうだフェリジットさんから伝言です。皆さん元気ですってお伝えしてくださいとのことでした」

「そ、ありがとう」

 

 エクレシアの必死の訴えを、スプリガンズ一体の上に寝そべりながらキットは聞いていた。

 周りでは新参者の対処をどうしようかと議論が紛糾していた。追い出すべきという側と、受け入れるべきだという側。

 

「何をそんなに言い争う理由がある?」

 

 アルバスの短い質問に、キットは大きな瞳を動かして視線を向けた。少しおどけたような調子で答える。

 

「この砂漠はさ、多くのオーバーテクノロジーの眠る大地なんだよね。スプリガンズたちもその慣れの果て、多くのトレジャーハンターがこの砂漠に挑んで、スプリガンズとしのぎを削って、敗北してきた」

 

 巨大な塔も、その一部。ドラグマ誕生よりさらに前に存在したとすらされる、古代の遺産たち。それを発掘することは、スプリガンズにとっては生きる目的と同意義であるのだ。

 

「彼らにとって、ここは大切な先祖が眠る土地でもあれば、自分たちの知的好奇心を満たす遊び場。他の種族に踏み荒らされたくないってのも、しょうがないんじゃない?」

 

 だからトライブリゲードの面々も、初めてここを訪れたときは攻撃を受けた。

 今ではキットのおかげもあって友好的な関係を結べている。たとえ獣と本体が煤である彼らでも、友情や信頼関係は成立するということなのだろう。

 

『オマエガソモソモ《メカモズ》ニキヅイテイレバ!』

『コウゲキノシジヲダシタノハオマエジャナイカ!』

「あ~あ、言い争い始めちゃった」

「た、大変です! ごめんなさいわたしたちのせいで……」

「気にしない、気にしない。あいつらいっつも爆発と激突するのが日常だから」

 

 そのうち言い争いの二体は空へと飛んでいく。

 

「仕方ない。ついて来て。二人は砂漠の向こうに行きたいなら、あたしの乗ってる船で連れてってあげるから!」

「え、ありがたいですけど、彼らは……」

「サルガッソもいないし、別にいーよ」

『イルぞ、キット』

 

 二人の手を取って走り出そうとしたキット、その前方をずいぶんと大きなスプリガンズが遮った。

 黄色い鎧状の装甲に、鋭い角。

 

「あぁ……キャプテン、ごきげんよう」

『ゴキゲンよう。キット、ソイツラが、侵入者ダナ』

「えっと、新人のトライブリゲードの一員さ? だから砂漠を超えるのに船を動かしてよ、キャプテン」

 

《スプリガンズ・キャプテン サルガス》――鋭い突起を持つ尻尾を振りながら、キットをじっと見る。

 彼こそがスプリガンズの大将。この砂漠で暮らす弾丸野郎たちの頭目である。

 

「ねぇ、いいでしょう?」

 

 猫なで声で頼むキットに、サルガスは人間で言えば鼻にあたる部分から蒸気を吹き出しながら答えた。

 

『スプリガンズ爆発の約束第一条! 強さは爆発でモッテ示すベシ!』

「爆発の約束……? ドラグマ聖文みたいなものでしょうか?」

 

 サルガスはエクレシアの言葉を気にせず続ける。

 

『第七条! 新シイ来客ニは爆発で持ってコタエルべし!』

 

 その言葉を聞いたとき、キットの顔が歪む。何かまずい咆哮に話が進んでいるらしいと、アルバスたちも理解した。

 

『スプリガァァンズッ! コォォォォォル!!!』

 

 緊急招集――頭目から発せられた言葉に、そこら中からカラフルな弾丸たちが集まってくる。その中にはロッキーのような弾丸タイプだけではなく、丸みを帯びたタイプのピード、板と円柱を組み合わせたようなタイプのバンカーと、多種多様なタイプが落ちて来た。

 それは転がってくるものもいれば飛んでくるものもいる。

 一気に周りがにぎやかになった。

 

『スプリガンズ入隊試験! コレより、コノ人間たちノ試験を開始スル!!』

『イェェェェェェェイッ!!』

「こうなったか……」

「どういうことだ?」

 

 アルバスの問いかけに、額を抑えたキットは苦々しい顔で答える。

 

「スプリガンズにとって、爆発は人生、いや煤生。探索は使命。その仲間と認めるためには相応の実力を示せって話……最近の悪戯の傾向から考えると、地獄の果てまで鬼ごっこかな」

「なんですかそれ!? 名前だけで不穏ですよぉ!」

 

『ルール説明ッ!』

 

 サルガスは楽しそうに自分の後ろにある板に手を叩きつける。周りのスプリガンズはそれに楽しそうに拍手を返す。

 アルバスたちのもとにはどこからか拾ってきた椅子がおかれ、どうぞという仕草とともに座らされた。

 

「つまり、おれたちはお前たちから一定時間逃げろ、と」

 

 サルガスの説明をざっくり、必要なことだけを告げればそれだけだ。

 アルバスとエクレシアはスプリガンズの追撃から一定時間逃げ切ったら勝ち。

 スプリガンズの一員として砂漠を渡るのはもちろん、ここでトレジャーハントをすることも許可し、必要なら協力するということ。

 ホールの謎について調べるのにも、ここを渡って別の国に向かうのにも彼らは力を貸してくれるということだ。

 

「でもあんなのから逃げるなんて無理ですよ!」

 

 エクレシアが指さしたのは、砂漠に入ったときにも爆炎を巻き上げていた巨大な砂走船。スプリガンズ・シップに意気揚々と乗り込んでいくロッキーたち。サルガスはその上で指揮をすでに執っている。

 

「その辺りは任せてよ! こいつを動かすのは初めてだけど、何とかなるでしょ!」

「初めてのものなんですか? 本当に、大丈夫、なんで、しょうか……」

 

 だんだんと不安になるエクレシア。アルバスは彼女から涙目交じりに同意を求められるのだが、彼としては肩を竦めるしかない。

 ガレージの扉を開けると、そこにあったのはサルガスの巨体を凌駕する巨大な機械。

 

「本当はね、あたしらトライブリゲードでホールの向こう側を調査するために開発していた子なんだけど、砂漠を渡るのならスプリガンズ・シップにも負けないよ」

「これで、ホールを……」

「あんたらの話だと、ホールの向こう側が知りたいんでしょ? 誰も知らないホールの向こう側。帰って来たもののいない虚無の向こう側」

 

 確かに砂漠を渡ってドラグマから派遣されるであろう追ってから逃れることは、彼らの目的の一つ。

 だがそれ以上に、アルバスがどうしてホールから現れたのか。ホールとは一体何なのか。アルバスもエクレシアも、それが知りたくてこの砂漠に来た。

 

「わかりました。アルバスくん!」

「ああ、行こう。エクレシア」

 

 舷梯(タラップ)を登った二人は、キットの説明を受けながらシートと体を固定するベルトを締める。スイッチを入れると、機体がふわりと浮き上がる。翼を広げた飛竜のようにも見えるが、シートの直下には魚のヒレのような部分があり、長い銃口が伸びている。

 間違いなく、これはトライブリゲードの戦力として開発されていたものなのだろう。

 

 それを快く差し出してくれたキットに感謝するとともに、アルバスは足元のペダルを踏む。機体後方にはスプリガンズのバンカーと同等の大きさを持つジェットが存在し、甲高い音を立てながら熱を溜め込んでいく。

 

「全フライトシステムオールグリーン! メインブースター点火を確認! 行ってらっしゃい! アルバス、エクレシア」

 

 彼女は愛用のスパナを近くのくぼみに突き刺し、思いっきり押し倒す。すると、それまで機体を固定したアンカーが外れる。

 

「《鉄駆竜スプリンド》――発射!!」

 

 鋼鉄の竜が、広大な砂漠へ羽ばたいた。

 

  

 



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第八章 《スプリガンズ・ブラスト!》

 

 

 急加速に全身を後ろに引っ張れるアルバス。髪の毛が流星の尾のように靡かせるエクレシア。今まで感じたことのない加速感をその身に受けながら砂漠を突き進む。

 

『エクスブロウラー、出航!!』

 

 同時に、スプリガンズたちの船も砂漠へと漕ぎ出した。まるで逃げ惑う魚を狙う漁船――と言ってもアルバスもエクレシアも漁船を見たことがない。

 巨大な腕を持つエクスブロウラーは、これ自体も巨大なスプリガンズなのだ。

 正確には煤状の彼らが寄り集まって巨大なエクスブロウラーを動かしている、というのが正しい。サルガス、ピード、バンカー、ロッキーのどれを見ても、彼らの機体の中にいるスプリガンズは一体だ。

 

 だが、エクスブロウラーは違う。その巨体をそれぞれ各部にあるスプリガンズの本体が操作を担当する。そのために砂海を高速で航海することもでき、巨大な腕を振り回すことも、砲塔から仲間を発射することもできるのだ。

 

「アルバスくん、右から来ます!」

「本当に撃って来た!」

 

 先にキットから聞いている、スプリガンズ・シップ エクスブロウラーは彼らにとって便利な移動手段であると同時に、外敵に対する攻撃手段でもある。

 基本的にロッキーを用いるのだが、その気になればピードやバンカー、サルガスさえも弾丸にして放つことのできる全種対応砲台が、エクスブロウラーには存在する。

 実際のところはロッキー用の砲塔があるだけで、あとの奴らは両側についている腕による投擲なのだが、それでも十分威力は高い。

 高精度の照準機能と走破性能により、あらゆる敵を追い詰め粉砕する。

 

「ま、あたしが作ったんだけどね!」

 

 という言葉を聞いたときは呆れればいいのか怒ればいいのか、アルバスに判断はつかなかった。エクレシアは手放しで褒めていたが、今は涙交じりに跳んでくるスプリガンズの方向をアルバスに必死に伝えていた。

 これがスプリガンズ・ブラスト――暇を持て余した弾丸野郎どもの暇つぶし。

 戦闘経験を積むという意味では訓練になるのだが、彼らが戦うべき相手などそうそういない。

 

 しかも、彼らの普段の相手は同族。つまり……

「くっ、容赦がない、手加減を知らないらしい……」

「砂漠のどこかに出現するホールにまで辿り着けば勝ちって話ですけど、ホールなんてありませんよ!」

 

 太陽が沈むまで逃げ続けるか、砂漠の大穴に辿り着けば勝ち。

 大穴とやらが、天空のホールと同じものなんかは判断つかないが、そこにまでつけば太陽が沈むのを待つ必要はない。

 スプリガンズの猛追を掻い潜りながら砂漠に視線を走らせるが、砂、砂、砂――砂ばかりで遠近感がおかしくなりそうだった。

 

「今度は左、いえ右からも!」

「掴まれ、加速する!」

 

 爆風を受けながら、鉄駆竜スプリンドは前に進む。

 

「これ、逃げ切ったら勝ちなんだよな」

「そ、そうですけど?」

「反撃しちゃいけない、わけじゃないよな」

「アルバスくん!?」

 

 アルバスは鉄駆竜スプリンドのブレーキを思いっきり掛けると、さらに左のスラスターを噴射。機体の方向を一気に転向する。機体下部には一門の砲塔があり、それは攻撃角度を変えるには機体ごと動かさなければならない。

 

「くらえ!」

 ――ズドドドドドドドドッ!!

 激しい炸裂音とともに、小さな弾丸が飛んでく。果てしなく武骨な音を響かせながら、鉄駆竜スプリンドはエクスブロウラーに接近、その真横を飛んでいく。

 

『旋回、旋かーい! オエー、オエー! 取ォリ舵』

 

 サルガスの号令に合わせてエクスブロウラーは方向を変える。

 その間に鉄駆竜スプリンドは距離を開く。

 ロッキーの砲撃からピードの投擲に切り替えながら攻撃を加えてくるが、十分な距離が空いたことにより到達までの間に回避が可能だ。

 

「このまま振り切って、大穴を見つけて到達するぞ!」

「はいっ……アルバスくん、ありました!」

 

 ちょうどいいタイミングで見つかってくれた。

 砂漠には珍しいどんよりとした雲の下に、その大穴はあった。アルバスが落ちて来たホールにも似た菱形の穴が砂漠にぽっかりと空いている光景は、まるで何かが菱形にくりぬいて見せたかのようにも思えた。

 言い知れない不安が頭をよぎるが、あそこがこの追いかけっこのゴールである以上、見逃すことはできない。

 

「さっさと終わらせよう。行くぞ」

 

 鉄駆竜スプリンドの舳先がそちらに向く。

 だが、それを遮るように眼前にバンカータイプのスプリガンズが落ちてくる。自立飛行を可能とするバンカータイプは飛距離が長い。

 しかもよく見れば、その両肩にロッキーとピードのタイプが乗って飛んでくるではないか。

 

「兄弟なんでしょうか、彼らは。肩車ってちょっと憧れます」

「言っている場合じゃない!」

 

 残念ながら、現在のアルバスもエクレシアも、個人的戦闘能力はほとんど持ち合わせていない。鉄駆竜スプリンドに取り付かれたら振りほどくことはできない。

 機体目掛けて落ちてくるスプリガンズを避けながら、ホールへと近づく。

 

『追イツイタぞ!!』

 

 サルガスが船から飛んでくる。キャプテン自ら飛んでくるということは、ここが正念場だと彼も理解しているのだろう。

 刻一刻と迫る巨体。これを避けることはできない。アルバスは瞬時にそう判断した。

 

「エクレシア、ベルトを外せ!」

「は、はいっ!」

 

 アルバスはガチャンとベルトを取っ払い、後部座席に身を乗り出す。だが、エクレシアは戸惑っている様でベルトを外せていない。

 

「ひ、引っ掛かっちゃって――」

「ナイフ借りるぞ」

 

 アルバスはエクレシアがフェリジットから譲られていたナイフを抜くと、ベルトを切断。彼女の体を抱えると同時にハンドルを蹴って方向を急速転換。自分たちは鉄駆竜スプリンドの巨体から飛び降りるが、サルガスに向かって機体は飛んでいく。

 二人は砂漠に転がりなら着地し、飛んでいく機体を眺める。

 サルガスは空中で避けることも叶わず、突撃してくる鉄の竜と激突。そのまま上昇していき、途中で鉄駆竜スプリンドは爆発した。

 

「あたしのスプリンドォォォォーー!!」

 

 何か悲鳴のようなものが聞こえたが、アルバスは気にしない。

 

「急ぐぞ。そう長い時間、引き付けてもいられない」

「す、すごかったですアルバスくん! 大舞台の役者さんみたいな動きですよ!」

 

 かなり危険なことを行い、さらに機体まで失ったというのにエクレシアは彼のことをすごいと称する。慣れたら危険だな、と思いつつ、嬉しいので口には出さない。

 手をつないだ二人はスプリガンズたちがやってくる前に、大穴の淵にまで辿り着いた。

 そこは本当にきれいな菱形で、見えない壁でもあるのかと思えるほどに、きれいな断面を作っている。むろん、本当に壁があるわけではない。

 

「似ているな、ホールの形に」

「でも、暗いホールというわけではありません。降りてみます?」

「ああ。スプリガンズたちが来る前に、少し調べよう」

 

 掴んだ砂を投げ入れてみると、暗さの割にそこは浅い。

 意を決したアルバスが飛び込んでみると、問題ないようでエクレシアを呼ぶ声がする。

 

「奥まで続いているらしい、行ってみる」

 

 同じく飛び込んだエクレシアは、アルバスの後を追って暗い穴を進んでいく。縦方向に降りて来たところで一度折れ曲がり、どこか先へと続いているらしい。

 

「穴の奥に、こんなものが……」

「遺跡みたいだな。多分、近くの塔に続く……」

 

 古代遺跡の一角から飛び出た穴が、ほぼ直角に折れ曲がって地上へと伸びたらしい。それを道なりに進んでいくと、石とは違う物質でできた壁に辿り着く。

 

「どうやら、ここがゴールらしい」

 

 壁に触れた時、経年劣化のせいなのか、ガラガラと崩れ落ちていく。顔を見合わせたアルバスとエクレシアは、意を決して奥へと進んだ。

 

 

 そのころ、地上の穴の付近まで辿り着いたキットたちは、見当たらない二人を探す。

 

「おーいアルバスー? エクレシアー? どこ行ったんだよー。スプリンド壊したことなら怒ってないから、出てきてよー」

 

 別にあれ一機しかないわけじゃないしー、と付け加えながら穴を見下ろす。スプリガンズは穴に降りようとはしない。ゴールに定めている割に、そこには入らない。

 このテストは度胸試しの一環だ。決して本気でこの穴に落ちるような勢いで駆け込むわけじゃない。だが、あの二人は降りて行ってしまったらしい。

 このどこに続くかもわからない縦穴に。

 

「こいつはだいぶ小さい穴だから大丈夫だと思うけど、まさかアイツに食われたりは……」

『キット、アレ』

 

 隣のロッキータイプが指差した方向を見ると、近くの塔がある。彼らの目にはいくつかのセンサーが仕込まれている。その一つがどうやら二人を捉えたらしい。

 

「行くよ、みんな」

 

 若干焦げたサルガスも他のスプリガンズも含めて塔に向かうと、その一角が開き、見知った顔が現れる。

 

「アルバス! エクレシア! もー、心配したよ」

「ごめんなさい。さっきの穴を下りたら、この中に続いていたので……」

「なるほどね。この塔、スプリガンズの皆でも壊せない代物なのに、どうやってあけたの?」

「さぁ?」

 

 アルバスは首を傾げる。地下の部分が脆くなっていたから中に入り、風の向くまま気の向くまま、歩いていたらこうして外にまで到達しただけだ。

 

「それより、こっちへ。見せたいものがある」

 

 アルバスが奥を示すと、エクレシアもニコニコと嬉しそうにキットの手を引く。

 

「多分すっごくびっくりしますよ!」

「えー、なんだよー早く教えてよー」

 

 キットはワクワクしながら手を引かれるまま進み、角を曲がる。

 そこにある扉をアルバスが開けると、言葉を失った。

 

「多分、宝物庫かなんかだろう」

 

 そこにあったのは、文字通りの金銀財宝に宝石の山。

 この砂漠がゴールド・ゴルゴンダと呼ばれるように、ここにはホールから、そして古代文明が残した宝が金の如く埋まっている。

 その一つが、この塔の中にあった。

 

「おたからだぁっ!!」

 

 同じような叫びをスプリガンズも上げ、財宝へと飛びつく。

 

『スゴイ、オマエラさいこー!』

『ミゴトだ、新入り。おおっ! これはマサカ、ペガサスのサファイヤ!?』

 

 サルガスもご満悦の様子で、様々な宝物に目を惹かれていた。アルバスは宝物庫の一角に腰を下ろし、彼らが眺める宝石を一つ手に取る。

 外ではサルガスに率いられたロッキーたちが合体し、六連装の大砲となる。

 

「こんな石ころ一つで、こんなに喜んでくれるんだな」

『メリーメーカー、ファイヤーー!!』

『ヒィヤッホォォォォ!!』

 

 とてつもないハイテンションである。それを見たキットは笑いながら答えた。

 

「そりゃあ宝石は貴重だからね。この子たちにとってはキラキラした綺麗なものっていうだけで、価値があるのさ」

「キラキラ……か。ならおれにとっては……」

 

 そう呟きながら、アルバスは足元に転がるものを手に取った。

 

「なんだこれ、宝石でも、金でもないぞ」

「え? どれどれ……え、うそ、ナニコレ!?」

 

 キットはアルバスが握っているものを見て、目を大きく見開いた。

 

「あたしこんな古代遺物見たことないよ! え、なんだろう、ねぇみんな分かる?」

 

 キットの知らない古代遺物。それにスプリガンズたちも視線を向けるが、誰もわからないと首を傾げる。どうやらここにあるのは、キラキラしたものばかりではないらしい。

 

「そういえば、こんなものもありましたよ!」

 

 ふいに、エクレシアがそう言って持ってきたの。それは、巨大な生物の頭骨。鋭い鼻先と牙を備えた、怪物いうのに相応しい形相。

 

『ヒィィィィィィィィィィィィィッ!!』

 

 それに対し、とんでもない勢いでスプリガンズが飛び退いた。

 

「どうしたんですか? ただの骨ですよ。歴史資料として価値があるなぁと思って持って来たんですけど……」

 

 ドラグマにいたころはそのようなものの収集を手伝ったという彼女に、キットが周りの反応を理解して説明する。

 

「そいつはこの砂漠の主の、幼体の骨だね。確かに珍しいと言えば珍しいだろうね。なんたってアイツは……。ちょっと待って」

 

 何かに気づいた。ガクガク震えるスプリガンズを不思議そうに見るアルバスたちに対し、キットの表情は険しくなっていく。

 

「その骨、この近くで見つけたんだよね」

「はい、隣の部屋に」

「じゃあ、この近くにアイツがいるかもしれないってわけだ……」

 

 周りで怯えるスプリガンズを他所に、彼女は砂漠を見つめる。

 

「さっきから、アイツって、誰だ」

 

 アルバスの問いかけに、キットは短い深呼吸をしてから答えた。

 

「この砂漠の主、覇蛇大公ゴルゴンダだよ」

 

 それは、ホールより現れた、砂漠の支配者。

 

 

 大地の底から、魂に恐れを叩きつける雄叫びが響き渡った。

 

  

 



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第九章 《白の烙印》

ずいぶん久しぶりの投稿となりましたが、またちまちまと上げてまいります。

本日(2022/1/15)はDIMENSION FORTHの発売ですね。

ストラクチャーデッキに11期シリーズパックと、また彼らの物語が進んだのは1ユーザーとして楽しい限りです。

どうか彼らの道行きに、幸あらんことを。


 

 砂漠の下、そのさらに下にある冥府より届くかと思わせる咆哮の後、砂漠の一部がへこんだ。

 大量の砂が地下水のたまり場に落ちることで流砂ができるという。

 それと似たような現象だが、すぐに違うとわかる。

 へこんだ部分が盛り上がり、海面から巨大な魚が跳ねるように弾け飛んだ。

 

「嘘、だろ……」

「お、おっきい、ですね……」

 

 巨大な塔の遺跡は、十分巨大だ。

 ドラグマの王城と大差ない大きさを誇るそれは、きっとここに巨大な都市があったのだろうと予想させる。

 だが、砂漠より現れたそれは、もっと巨大だった。

 先ほどエクレシアが拾ってきた頭骨と似た形をしているが、その大きさは数十倍、いや、百倍以上にもなるだろう。街一つに匹敵する巨大な紫の蛇。

 体にホールと同じ靄を抱くそれは、

 

「こいつが、この砂漠の主……覇蛇大公ゴルゴンダだよ」

 

 この砂漠の名はゴールド・ゴルゴンダ。この蛇が砂漠の主だからそう名付けられたのか、この砂漠の主だから覇蛇はゴルゴンダの名を与えられたのか。

 知るものなどもう生きてはいない。

 数多のトレジャーハンターがこの砂漠に挑む最大の理由であり、生きて帰れぬ最大の理由。

 

「早く逃げるよ! あいつは体中にホールと同じ物質を持ってる。下手に触れるとどうなるか分かったものじゃないからね!」

 

 そう言ってキット、そしてスプリガンズは持てるだけの宝を持って遺跡から外に走り出す。

 爆発と激突を娯楽とするスプリガンズですら、一目散に逃げるのだ。

 アルバスやエクレシアが何かしたところで、その動きを止める手立てなど何もないのだろう。

 まして、下手にちょっかいを懸けてこちらに意識を向けさせるなどもってのほかだ。

 

「急いで急いで! シップで逃げるよ!」

 

 これもスリルの一つ――と割り切ることなどできない。

 体中から紫色のエネルギーを放出するゴルゴンダは、一度頭を砂の中に戻した。

 しばらくその巨体が砂の中を遊泳する様子を見られるが、尻尾が近づくとおかしいことに気づいた。

 

「あいつ、尻尾がない?」

「そうだよ。ゴルゴンダはどういうわけか、尻尾の先端からホールと同質のものを放出してるんだ」

 

 キットの解説の通り、ゴルゴンダが通った後には、紫色の物質が残った。

 個体でもなければ液体でもない。霧のようにも見えるが確かな形を持ってそこに存在する。

 

「ホールと同様の物質で構成された存在……。あいつも、ホールの向こう側から現れたのか?」

 

 下顎一つがスプリガンズ・シップと同等の大きさを誇る。下手をすればこの塔ごと呑み込まれる可能性だってあった。

 

「まずい、見られてる!」

 

 アルバスの声に、その場にいた全員が顔を上げた。頭上に影が差す。雲の少ない砂漠に太陽を覆うような厚い雲はほとんど生まれない。

 ならば、答えは一つだけ。

 紫の虚ろな穴を口内に持つ覇蛇が、砂漠からその巨体を伸ばしている。そしてアリのように小さな彼らをその視界に収めた。

 

「ジャガァァァアァァァツ!!」

 

 ヘビの方向が、爆音……いや、嵐となって砂漠に吹き付ける。鎌首をもたげ、地面に向けて突っ込んでくる。余りに巨大なためにその動きが緩慢に見えるが、気づいたころにはすでに接触している。

 全速力で砂漠を走ったアルバスたちは、間一髪その牙から逃れた。

 

「うわぁぁぁっ!」

「エクレシア!」

 

 吹き飛ばされたエクレシアを抱き留め、ゴロゴロと転がるアルバス。その体をサルガスが担ぎ上げ、砂漠を必死で走っていく。

 

「サルガス……!」

『隊員をマモル。それハ、きゃぷてんノ務メだ!』

 

 すでにロッキーたち小型のスプリガンズは自力で飛んだり、バンカーのような大出力で空を飛べる個体にくっついたりして離れていく。キャプテン サルガスは乗組員の乗船を確認するために最後まで残っていた。

 そして、新たな仲間として認められているアルバスとエクレシアも、キャプテンが守るべき乗組員の一人になっているのだ。

 

『逃ゲルゾ。あいつト戦ってイイコト、何モない!』

 

 そう断言する後ろで、ゴルゴンダはもう一度首を持ち上げる。食らい付いた砂は口から零れるものもあれば、その喉の奥にあるホールに消えていくものもある。

 

「あれの巨体こそが、覇蛇大公ゴルゴンダ最大の武器だよ。しかもどうやったのか、天空に現れたホールを食らったって言うあのボス個体が、この砂漠の主さ」

「あんな大きいなんて。皆さん普段からあんなのに追われているんですか?」

「ううん。あたしは話にしか聞いたことがないよ! あんな巨大なのは初めて見たし、実際いると思ってなかったし。普段はもっと小さい、幼体しか見ない!」

『ワシは何度か遭ぐうシテいるゾ』

「キャプテンここでの生活長いもんねー」

 

 キッドの気の抜けた声がするが、たとえ小型個体でも十分な脅威とはなるのだが。

 それ以上に信じられないのは――

 

「おれを、見ていた?」

 

 サルガスに担がれながら、アルバスは覇蛇の六つの目を見る。紫に光るその眼は、眼球らしいものはなく、虹彩や瞳の位置もわからない。

 だが、見られている。それだけは、何となくアルバスにもわかった。

 

『砲雷撃戦ヨーイ! 攻撃開始とともにタイヒー!』

 

 サルガスの指示が飛んだ。同時にスプリガンズ・シップが動き出す。

 飛び乗ったサルガスを仲間たちが中に引っ張り込むと、同時に砲台からロッキーが発射される。

 様々な方向から飛んでいく弾丸たち。激突と同時に爆発を起こし、覇蛇を煙に包み込む。同時に左右のアームからも投擲、連続した爆発が砂漠に響き渡る。

 

「すごいです! これならあの蛇も――」

「だめだ。サルガス、舵を切れ!」

 

 エクレシアの歓喜をアルバスは遮った。サルガスはエクスブロウラーの舵を一気に切る。背部のブースターも前回にして加速。煙から飛び出した覇蛇の顎を寸前で回避した。

 

『ダメージナシ! カテッコナイー!』

 

 スプリガンズの一体となった魂の叫びが、真実を表していた。

 あまりにも相手が巨大すぎる。おそらく幼体のゴルゴンダならば、あの頭骨が示していたように倒すことも可能なのだろう。

 だが、街のように巨大な砂漠の主を倒す術は、あいにくとここには存在しない。

 できることは、ただひたすらに逃げること。

 

「ガォァァオアオアァァオォォァ!!」

 

 咆哮で船が揺れる。ゴルゴンダの通った後はホールと同質の存在に呑まれ消えていく。これほどの巨体が毎日動いているのだとしたら、とっくにこの砂漠は無に帰している。

 だがそうなっていないのは、通常覇蛇大公ゴルゴンダは休眠しているからに他ならない。

 頭上でいくらスプリガンズがドンパチかまそうとも、小型個体以外は起き上がることのない。しかし、アルバスたちが来てから、覇蛇が目覚めた。それはやはり異常なことなのだ。

 

「キャプテン、右から!」

 

 キットの叫びにサルガスは左舷に向けて舵を切る。全てのブースターを全速力で放出した方向転換。スプリガンズたちもそれに耐えきれず船から投げ出される者さえもいた。

 

『ウワーッ!』

「――! 離れちゃだめぇ!」

 

 ゴルゴンダに呑まれる、それを拒絶した少女がいる。むろん、エクレシアだ。

 金髪を風に揺らしながら、船の縁に捕まって手を伸ばす。見た目通り、否。それ以上に重たいスプリガンズの腕を掴んで必死に引っ張る。

 聖痕の力があれば簡単に助けられたであろう。

 けれど、今の彼女はただの少女。

 

『ダメ、ハナシテ!』

 

 それは、スプリガンズとてわかっている。自分を助けようとすれば危険だと。

 けれど、彼女はやはり聖女なのだ。

 

 

 聖女の証は、聖痕の有無ではない。

 

 

 たとえどんな者であろうと慈しむ心があるから、彼女は聖女と呼ばれるに足る少女なのだ。

 その慈愛ゆえに、聖域を追放されし者は、その志をたがえることはない。

 

「離しま……せん、から!」

「ゴァッ!!」

 

 ゴルゴンダの大きさはエクスブロウラーの数倍、数十倍。砂漠にその身を横たえた衝撃だけで、甲板上の者たちの体は跳ね上がる。

 

「きゃっ! ――ッ!」

「エクレシア!」

 

 加速するエクスブロウラーから投げ出されたその小さな体が、ゴルゴンダの顎の中へと消えていく。

 最後の力を振り絞って、掴んでいたスプリガンズを牙の外に投げ飛ばした。その体をアルバスが受け止めると、少女はふっ、と笑う。

 

「――――――――」

 

 遠くで、口が動いたのがわかる。眼前で閉じられるゴルゴンダの顎。それだけで巻き起こる風に煽られて、エクスブロウラーのマストはギシギシと音を立てる。

 

「エクレシア……」

 

 けれど、アルバスにはそのようなことは些細な微風に過ぎない。

 彼は船の後部から手を伸ばす。だが、握り返す手はない。鎌首をもたげたゴルゴンダは、狙いをもう一度エクスブロウラーに定め頭部を揺らす。

 今度こそ食らってやる、そんな意思を感じさせる。

 呆然としたアルバスは、その腕をゆっくり降ろす。隣でゴルゴンダを睨むキットは、ぐっと拳を握り絞めて何かを決意したような表情をした。

 

「絶対あの顎ばらして、エクレシアを助け出す……。あたしの友達に手を出したこと、後悔させてやるからね!」

 

 意気込んだキットは、格納庫に向かおうと踵を返す。その時――

 

「……アルバス?」

 

 彼女は気づいた。

 隣の少年から膨大なエネルギーが、熱が、漏れ出していることに。

 当の少年は、全く意に介していないようだったが。

 

「サルガス、頼みがある」

 

 静かな、落ち着いたアルバスの声が響く。ただし、反論も問いかけも許さない、そんな威圧感を持って。

 

「おれをあいつに向けて投げろ」

『……リョウカイ! 投擲、用意!』

 

 有無をいわず、サルガスは承認した。

 サルガスが用意したのは、爆発したスプリンドのシート。エンジンとウィングは壊れて存在しないが、そこだけは残っていた。シートに座ったアルバスは、シートベルトで固定することもなく、そのままエクスブロウラーのアームに捕まれる。

 ぐぐっと振りかぶり、もう一方のアームで狙いを定めた。

 

『ハッシャァァッ!!』

 

 スプリンドのシートとともに飛んでくアルバス。その眼は、焔のような赤い光を伴っていた。

 近づいてくるアルバスに、ゴルゴンダは歓喜するように鳴き声を上げる。

 同時に溢れ出すホールのエネルギー。それはスプリンドのシート、その上に立ったアルバスを包み込んでいく。

 

「エクレシアを……」

 

 炎が、その身に宿る。

 シートを燃やし、大気を焦がすその炎は、彼の背中で八の字を描く。それに重なるように横向きにも八の字を描く。

 まるで、遥か東方にてヒトの域を超えた者の背後に現れるという、光輪にも似た印象。

 だがこれは、ホールのエネルギーが集まって出来上がる焔だ。彼の両腕、額、胸の白い宝玉が光を放ち、右腕をゴルゴンダに向けて伸ばす。

 

 

「エクレシアを、返せ!!」

 

 

 ゴルゴンダの叫びが、歓喜から悲痛なものに変わる。

 アルバスから溢れる炎がゴルゴンダの身を焼いていく。痛みに体を振るうその顎の中から、一筋の光がアルバスのもとへとやってくる。

 まるでハッシャーシーンから聖痕を奪った時のように、エクレシアの体そのものが、アルバスの腕の中に納まった。

 

「アルバス、くん? わたし……」

「大丈夫。もう、アイツの好きにはさせない……!」

 

 溢れ出す焔がアルバスの体を包み込む。それはまるで火傷のような跡を彼の体に刻まれていく。だがそこに痛みはなく、むしろ心地よさすら感じる。

 砂漠に着地し、エクレシアを降ろす。威嚇するゴルゴンダへ向けてゆっくりと歩きながら、その身は巨大な火柱へと変わっていく。

 焔は次第に形を持ち、太い腕を、長い尾を、雄大な翼を、鋭い棘、並び揃った牙、全てが焔で出来上がった赤竜が、その姿を大地に君臨させる。

 アルバスの体に刻まれた烙印より生まれたる焔の竜――遠く教導の城の中で、預言者はその名を呟く。

 同時に、少年の背を見つめていた少女の口からも、その名は紡がれた。

 

 

「――《烙印竜アルビオン》」

 

 

「グォォォォォォオオオオオオォォォォンッ!!」

 ゴルゴンダの眼前を舞う烙印竜アルビオンに呼応し、共鳴するかのように、その紫の光は強さを増していく。

 ふと、ゴルゴンダの体に刻まれたホールの輝きも、また烙印のように見えた。

 

 

   ◆

 

 

 突如現れた竜に慄くキットとスプリガンズ。

 だが、呆然としている時間はない。

 

「サルガス! あたしのとっておき使うから、ハッチ開放!」

 

 キットはそう言ってエクスブロウラーの中に降りていく。サルガスは彼女の言葉に従い、船の下部にあるハッチを開いた。

 

「いっくよぉ! ベアブルム!!」

 

 そこから走り出す、黄色いクマ。

 否、クマ型機動強化外骨格、キットお手製鉄獣戦線(トライブリゲード)戦力増強試作兵装第二号。その名を――《壊撃(かいげき)のベアブルム》

 ちなみに第一号はスプリンドだ。

 砂漠を四つ足で進むベアブルムは、お互いに咆哮をぶつけ合う竜と蛇を見上げる。

 

「いやぁ、すごい光景だね。まるで神話や昔話を現実に見ている気分だよ」

 

 世界樹の物語に出てくる世界蛇なんていう単語を思い出すが、ゴルゴンダはもう生物と言っていいのかよくわからない。

 ましてあのドラゴン。アルバスの炎から出現したあのドラゴン!

 

「メカモズに記録されていた情報からある程度の事情は知ってるけど、本当に竜化するなんて、一体あの子なんなのよ……」

 

 やたらいろんなことに興味津々でリアクションが大きい聖女と、物静かで口数の少ない少年という組み合わせは、見ていて面白い。

 特に無口な少年が聖女のことを心から大切に思っているところが、ところどころ見えていてこれは確かに姉が力を貸したがるのもわかると納得できる。

 そんな保護欲掻き立てられる二人の内一人が、大切な聖女を助けたとたんに、どういうわけかドラゴンと化してしまった。

 このまま、放っておくことはできない。

 

「さて、あたしなりの抗戦(リボルト)を、やって見せないとね……」

 

 パキパキ、と指を鳴らしたキットは、ベアブルムを迷わずゴルゴンダへと突っ込ませた。

 上空を旋回する烙印竜アルビオン。

 その身が纏う炎は、灰燼竜バスタードの時とは比べ物にならない。

 あの時は羽の一部や棘の一部が熱を帯びていた。剥き出しの骨のような硬質な皮膚は固く、テオの攻撃をほとんど受け付けなかった。

 だが、今回はそのような外骨格はない。全身が炎に包まれ、まるで溶岩や炎そのものが竜の形をとっているようにも思える。

 しかし、内部の肉体はきちんと存在し、歯並びはとてもきれいだ。

 

「グゥゥ、ゴォォォォ!!」

 

 体表に半透明な膜が広がっていく。

 それは炎を纏った結界で、ゴルゴンダの咆哮を押しのけて突撃していく。茶褐色のゴルゴンダの皮膚を焼く炎の結界。だが大きさとしてはエクスブロウラーと烙印竜アルビオンの大きさはさほど変わらない。

 つまり、ほとんど痛みを与えられていない。

 

「援護するよぉ~ アルバス~!」

 

 その声は、ゴルゴンダの背中から聞こえていたことだろう。

 烙印竜アルビオンに意識を集中しているゴルゴンダは、背中を這う虫のように小さいベアブルムの存在に気づいていないらしい。

 指状の機関から放出する青白いエネルギーを爪代わりに使い、茶褐色の鱗を駆けあがる四足歩行の機械。そこにキットの姿を見出したかどうかは、わからない。

 なにせ、ゴルゴンダに向けて容赦なく、ベアブルムへの被弾を考慮せずに火球を放つからだ。

 

「うわちょっと! ナニコレ暴走中なの!?」

 

 ブリガンドに変身した時は、言葉はともかく意思疎通くらいはできたと、メカモズのデータにはあった。だが、今度の変身体はそうはいかないらしい。

 烙印竜アルビオンに移動に合わせて、ゴルゴンダの首が前に延びる。

 ゴルゴンダの首が前に傾き、道が平坦に近づくと、ベアブルムはより速く登っていく。

 

「でっかいおつむに、脳みそはほとんど詰まってないみたいだね!」

 

 登り切り、大きく跳躍したところで、肩に備えられたランチャーを構える。

 

「くらえ!」

 

 スプリガンズの技術を基にして作り上げた新型ランチャー。単体でエクスブロウラーの主砲一門と同レベルの火力を引き出すそれを、至近距離でぶっ放す。

 むろん、先ほどのスプリガンズの攻撃と同じく、焼け石に水なのだろうが。

 

「かったっ! だったら、肉弾戦でどう!」

 

 前足部分の指から光り輝く爪を創り出す、ゴルゴンダの鱗の隙間へと深くねじ込んだ。

 

「ギシャァァァァッ!!」

 

 さすがに肉を直接焼かれては痛みがあるのか、ゴルゴンダは激しく体を振るう。

 その隙を狙って、烙印竜アルビオンは顔面に飛び掛かる。目に当たる部分に牙を、爪を突き立て切り裂いていく。

 ゴルゴンダの巨体は二体を振りほどこうと地面に頭を叩きつけ、次に遺跡の塔へと激突する。振りほどかれたベアブルムは砂漠を転がり、エクスブロウラーが途中でキャッチ。烙印竜アルビオンは翼で空中に逃れ、土煙に呑まれた巨躯を見ていた。

 

「ジャゴゥ!」

 

 その真下、ゴルゴンダの大顎が突き上げて来た。

 膨大な熱量を持つその竜体を、ゴルゴンダは丸ごと噛み砕こうと顎を閉じる。

 烙印竜アルビオンは両手両足を使って顎が閉じないように抑えるが、炎の体は強靭な噛み付きに耐えきれないと軋みを上げる。

 

「まずい、やっぱり戦力差がありすぎて、どうにも……」

 

 ゴルゴンダは噛み砕くよりも烙印竜アルビオンを行動不能にすることを優先した。

 吐き出す息とともに遠心力を持って投げ飛ばし、倒れている塔に向けて投げつけた。

 エクスブロウラーの投擲をはるかに超えた勢い。砂と瓦礫に埋もれた烙印竜アルビオンの動きが、止まった。

 

「そんな、アルバス……」

 

 不安が立ち込めるキットたち。

 だが、双眼鏡を覗く眼は驚くべきものを捉えた。

 

 

 浮遊する、幼体ゴルゴンダの骨。

 その奇妙な現象に、主である覇蛇大公も動きを止めた。自分の何世代も後の子らが、一体なぜ浮かび上がっているのかと。

 その中心にいたのは、烙印竜アルビオン。このドラゴンが発する熱が、死した骸を浮かび上がらせているのだ。

 

「アルバスの体から、炎が漏れてる……」

 

 烙印竜アルビオンは両手を左右に伸ばし、その先にある骨に放出した炎を纏わりつかせていく。炎の中には金色の光も混じり、左側には白い光、右側には金色の光が纏われていく。

 そしてその光は次第に形を成し、二つの巨躯を砂漠に降り立たせる。

 

「うそ、あれって、メカモズのデータにあった……」

 

 キットの隣では、デカモズがメカモズから送られたデータを表示させる。

 そこに写っているのは、アルバスの変身体。

 

「これが、あの赤い竜の力……?」

 

 きっと眼前では、炎と光の中から生まれたのは、二体の竜だった。

 灰燼竜バスタード。

 痕喰竜ブリガンド。

 そして、アルバス本人が変身した烙印竜アルビオン。

 三体のアルバスの変身体が、この砂漠に降りたった。

 三種の咆哮を上げる竜。その翼を羽ばたかせ、ゴルゴンダと相対する。

 

 

 この光景を目にする者は、エクレシア、キットと、スプリガンズのみ。

 もしもドラグマの民が見れば、邪竜と覇蛇大公、勝った方が自らの敵となる運命を分ける一戦と捉えるだろうか。

 もしもトライブリゲードの面々が見れば、砂漠を渡るための最大の危険要素を排除できる絶好の機会と、ドラゴンたちを応援するだろうか。

 ただわかるのは、これはもう徒人(ただびと)の手が出るものではない。

 

「アルバスくん……あなたの力は、一体……」

 

 エクレシアは、誰よりも先に天空から現れるその巨体を見た。薄れゆく意識の中で伸びていく金色の角を見た。

 そして今度は、彼女を守るように目の前で焔が翼を得た。

 伸ばした手は遠く届かない。怒りに雄叫びを上げるドラゴンたちに、徒人は何もできない。――だが、ここにいるのはただ事態の収束を待っているだけの、少女ではない。

 彼女は、聖女エクレシアなのだ。

 

 

 巨体をくねらせて迫る覇蛇大公ゴルゴンダ。

 灰燼竜バスタード、痕喰竜ブリガンド、烙印竜アルビオン、全ての口蓋に熱が集まっていく。

 ドラゴンの最大の特徴、それは体の内から溢れ出すエネルギーの攻撃、ブレス。

 かの伝説の白竜に至っては、その一撃で都市一つを壊滅させる疾風の爆裂弾や、威光を放つという。

 それに匹敵するエネルギーが、彼らの中で膨れ上がる。

 

「――――――――!!!」

 

 三条の熱閃が、ゴルゴンダへと放たれた。

 

「ゴギャガァァオオォァ!!」

 

 それに対し、ゴルゴンダは体内のホールエネルギーを口内に凝縮。巨大な穴を創り出した。

 全てを呑み込む虚無の穴。光り輝く熱閃に向けてその穴を開けば、深い谷底のように全ての炎を呑み込んでいく。

 ドラゴンたちの攻撃力では、ゴルゴンダを倒すには値しないということなのか。

 

「グォォォォォォォォォンッ!」

 

 だが、彼らもまた諦めてはいない。

 一番手を名乗り出た烙印竜アルビオンが、ゴルゴンダへと突っ込んでいく。

 ホールに類する力が共鳴の音を響かせて、まるで砂漠全体に歌のように広がっていく。彼らがこうまでして戦う理由は、戦わなければならない理由は、未だ誰もわからない。

 ただ、勝たなければ生き残れない。それは確かだった

 

 鎌首をもたげたゴルゴンダは、上から烙印竜アルビオンを抑え込もうと体を伸ばす。それを追い抜かんとこちらも羽ばたく。

 その頭上に、ホールの出現に似た暗雲が立ち込めていく。

 そして、黄金色の光が、その内側で瞬いた。

 

「今度は、なんなのさ……」

 

 キットの呟きは、ゴルゴンダを襲う巨大な雷に向けられていた。ゴルゴンダそのものと遜色ない太さの雷撃。それは烙印竜アルビオンにまで被害を及ぼし、灼熱で構成されたその身を討ち貫く。

《烙印の裁き》――誰がそう呼ぶのかは、わからない。

 

 だがこれは、決して自然の雷ではない。

 

 

   ◆

 

 

 教導国家ドラグマ祭儀場。

 天に現れたホールに向けて、マクシムスが両腕を掲げている。紫電の光が走るホールに、歓喜とともに彼は自らの奇跡を行使する。

 

「今こそ、福音の時、来たれり」

 

 ドラグマ聖文の第六六六項には、こうある。

 

『福音の日来たりし時、汝らの聖なる烙印は輝き、落とし仔たるその身は天に還り、再び神の子となるだろう』

 

 ならば、これは福音の日が来たという証拠なのか。城下の信徒たちの祈りに呼応するように、彼ら身に宿った聖痕は光を放つ。

 

「さぁ、目覚めるのだ。我らの騎士よ」

 

 これは、『凶導の福音(ドラグマータ)』――マクシムスの行使する、奇跡の儀式(ディヴァイン・リチューアル)

 彼の前には、禍々しい青灰色の鎧を身に纏い、体の各所にホールの文様を刻んだ騎士が、その背に醜悪な黒い腕を携えて、膝を付いている。

 

「来たれ。《凶導(ドラグマ)白騎士(アルバス・ナイト)》」

 

 人を導くはずの神の教えは、今、禍を導く凶変へとなった。

  

 



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第十章 《凶導の福音》

ザ・ヴァリュアブル・ブックEX2発売から数週間。
少しだけ、話を進めようかと思います。

Vジャンプでは閃刀姫のストーリーコミックが展開されることが決定されましたので、今やはりOCGのストーリーに波が来ている! という嬉しさに小躍りしております。

急展開の約束された烙印世界。
どうぞ一緒に、楽しみましょう。


 

 

 今から、十年前。

 

 聖痕を宿したばかりのエクレシアが、まだ見習いのシスターであったころ。

 すでに、フルルドリスという聖女は、ドラグマの第一線で活躍していた。

 当時はさすがに騎士団長ではなく、アディンより教えを受けるドラクマの教徒であったが、すでに聖女の地位についていた。

 類稀なる剣の才覚と、聖痕がもたらす力を使い、近いうちに騎士団長に推薦されるだろうとも言われていたころ。

 

 誰よりも厳しい稽古を積み、その華奢――とは言い難い膨らみと筋肉を備えた体で並みいる男どもを薙ぎ倒す姿を、侍女に連れられたエクレシアは見ていた。

 そんな彼女は、まだ五歳ほどだった。

 教導国家ドラグマの民は、首都である王城ドラグマから、その周囲の農村部に至るまで、あらゆる人民が聖痕を宿し、ホールの恩恵に預かる。

 額に聖痕が現れたエクレシアは、片田舎の農民の娘であったが、現在は故郷から離れた首都へとやってきていた。

 このような経緯で、エクレシアは幼いころから親元を離れ、ドラグマの首都で聖女たるための勉学を積んできたのだ。そして聖女として先輩にあたるフルルドリスに挨拶をしようと、今日は侍女に連れられてきた。

 

「あ、あの、せいじょ、さま……」

 

 年のころとしては、一回りほど離れたフルルドリスは、五歳程度の少女にも、凛とした輝きを放つ一本の剣のように見えた。

 おずおずとエクレシアが差し出した手拭いを受け取ると、ふっと微笑む。

 

「ありがとう。お前がもう一人の聖女候補なのだろう。マクシムス様より聞いている」

「あっ! あの、わたし、エクレシアっていうの……いいます! ふゆゆどりゅ、あっ! ふるるどりす、さま」

「そうか、わたしは名前、フルルドリスが言いにくいなら、好きに呼んでくれて構わないし、他の呼び方でもいいぞ」

 

 ふわふわと波打つ彼女の髪を、フルルドリスは手の汗を拭ってから撫でる。汗はかいていても、息は乱していない。

 彼女と立ち会っていた教導軍の騎士たちは軒並み地面に倒れ伏していることから、彼女の強さが幼子ながらに垣間見えた。

 

「あ、えっと、じゃあ……フルルおねえちゃん!」

 

 その呼び方に、さすがのフルルドリスも虚を突かれたような顔をする。目を丸くし、しばらく返事の言葉が出てこなかった。

 代わりに、傍らの侍女がたしなめる。

 

「エクレシア様、いくらなんとお呼びしてもいいと言われましても、きちんとフルルドリス様とお呼びにならなければなりませんよ。いいですか、礼儀というものは――」

「構わないわ」

 

 その言葉に、今度は侍女が目を丸くする。

 いつも凛として、男勝りどころか遥かに上を行く強靭な精神と力を持ち合わせた聖女フルルドリスが、フルルおねえちゃんと呼ばれて、許諾した。

 

「フルルドリス様?」

「そうね。わたしがお姉ちゃんかぁ……妹を持ったことはなかったから、ちょっとわからないけれど――」

 

 その声が、妙に優しげなものに思えた。いつもの抜身の刃のような鋭さはなく、幼子をあやす聖母のような温かみさえ感じる。

 

「いい、エクレシア。よぉく見ておきなさい。わたしやあなたが聖女と呼ばれ、強くなって、大勢の力を守るために戦うために、これから何をすればいいのか」

 

 訓練用の木剣を、腰のベルトから引き抜いた。

 

「さて、教導軍の騎士の方々」

 

 立ち上がり、振り向いたフルルドリスは地面に倒れている彼らを見る。その視線に、全員がびくりと肩を震わし、背筋を凍らせる。

 

「妹に少しカッコいいところを見せたいのだけれど、お相手願えるかしら?」

 

 今まで聞いた事などない口調に、逆に全身を怖気が走る。

 おそらく、エクレシアのことを慮って、口調を変えているのだろう。もしくは本来の聖女然とした仕事するときのようにしているのだろうと、彼らは考える。

 だが、その目的が「カッコいいところを見せたい」である以上、聖女らしさなど求める気はない。

 

 求めるのは、圧倒的な実力行使。

 

「全員立てぇ! 聖女殿からのご使命であるぞ!!」

 

 半ばやけくそ気味な教官からの指示に、同じくやけくそ気味に騎士団たちは立ち上がり、木剣を構える。

 その後しばらく、フルルドリスに打倒される騎士たちの叫びが響き渡った。

 それを見たエクレシアは、姉と呼んだ女性のカッコよさに手を叩いて喜んだ。

 

 

 それから数年後、エクレシアの聖女叙任式。付き添いとして正装したフルルドリスが、彼女の後ろを歩いていく。

 普段の鎧姿のフルルドリスに見慣れていると、正装姿の彼女は違和感しかないだろう。

 銀色の髪を見事に結い上げ、普段見ることはできないその美貌を拝めるとあっては、同じ騎士団の者たちでも感嘆の息を漏らす。

 

「わたしより、フルルお姉ちゃんのほうが目立ってるみたいですね」

「やはり、鎧を着ていないのはなんだか違和感がある……視線が、刺さるようで……」

「最強の騎士様なんですからピシッとしてください! 第一、お姉ちゃんほど美しい女性は居ないと、修道女一同お墨付きなんですからね」

 

 どこか気恥ずかしそうにするフルルドリスを、エクレシアの方が諭す。

 今日は彼女の就任式なのだ。

 なのに、付き添いであるはずの自分が妙に目立ってしまっていることに、フルルドリス本人が違和感を覚えても仕方がない。

 

 けれど、エクレシアはむしろ堂々としろと思う。

 なにせ普段は鉄仮面の奥に隠され、誰よりも強い騎士が、太陽すら嫉妬し、花々すら惚れるような美貌を隠し持っているのだ。

 

「わたしのお姉ちゃんはこんなにも美しい方なんですって、今すぐドラグマ中で自慢したいくらいなんですから」

「やめてくれ……恥ずかしくて、死ぬ……」

 

 必死に歪みそうな表情筋に力を入れて制御しているため、傍から見たらいつも以上に真剣な眼差しと鉄面皮に見える。

 騎士たちにとっては立派な姿だと映るが、一番近くにいるエクレシアからしてみれば、普段は絶対見せない隙だった。

 

「でも……今日から、もうフルルお姉ちゃん、なんて気軽に呼べないんですね……」

 

 ここから先、エクレシアは聖女になる。

 聖女なりの立場というものがあるし、振る舞いもある。

 寂しそうにつぶやくエクレシアに、フルルドリスは穏やかに答えた。

 

「あまり気にする必要はないさ。わたしは、お前に姉と呼ばれて、嬉しいのだから」

 

 

「はい――――フルルドリス姉様」

 

 それは、一つのけじめなのだろう。

 聖女として多くのドラグマの民とともに歩む者としての、覚悟。同じ姉としての呼び方でも、どこか一線を敷いたような隔たりがあった。

 その日、新たな聖女が誕生した。

 

 

   ◆

 

 

 懐かしい記憶を思い出したのは、アルバスたちがゴルゴンダと遭遇するより、一週間ほど前だった。

 ドラグマ首都にある、祭儀場。

 そこに、彼女はいた。

 

 

 魔法陣の中央に立つフルルドリスは、その身に鎧をまとい剣と盾を持つ。

 彼女が聖女に就任し、騎士団長となってから、ドラグマより預けられた最高位の神器。

 特別な式典がない限り外すことのないそれらを、普段通りに装備し、マクシムスとハッシャーシーンたちの前に立つ。

 任務の通達と言うのならば、この状況は何だろうか。

 状況の中心になったフルルドリスや、彼女と同じ教導軍の騎士たちは、なにが起こるのかわからず、困惑しながら状況が推移するのを黙って見ているしかない。

 陣から離れ、待機する騎士たちのもとに向かいたいと思うフルルドリス。その隣にテオが立つと、小声で彼女に聞いてくる。

 

「騎士長よ。こいつは何の儀式なんだ? エクレシアの捜索を途中で切り上げてまで、何をしようって言うんだ……?」

「わからない。私も神器を用いた儀式など、聞き覚えがない。おそらく、アディン先生ですら知らないだろう。だが、私のことはいいから、兵士たちの許に行ってやれ」

 

 フルルドリスの直感は、何か変だと告げる。

 彼女から少し離れた場所、教導軍支援部隊の長であるアディンも、聖典片手に内心首を捻っていた。彼が知らない儀式――そんなものがあるのか、と。

 だが、実際マクシムスはそれを執り行おうとしている。

 

「全員。陣より離れよ。これより。福音を鳴らす!」

 

 マクシムスの号令に、ハッシャーシーンとその部下たちは、野太い声を上げる。

 上空に存在するホールが不気味に揺らめく中、彼はいつもの祈りの姿勢から、両腕を大きく天に広げた形をとる。

 

「今こそ、福音の時、来たれり」

 

 上空のホールに、黒雷が走る。

 それだけで、フルルドリスも、テオも、アディンも状況が自分たちの予想もできない方向へと向かっていることを理解した。

 このまま、マクシムスが何かするのを黙って見ていれば、よくないことが起きるかもしれない。

 

 

 ――マクシムスを、止めなくては!

 

 

 そんな、神の代理人たるマクシムスに、抱いてはいけないはずの不安を抱く。

 

「さぁ、皆祈りを捧げよ。我らの願いを、ホールの向こうへと届かせ、福音を響かせるのだ!」

 

 ハッシャーシーンたちが指を組み、膝を付く。

 その後ろから現れた新たに選出された赤髪の聖女が、厳かな足取りでフルルドリスの前に膝を付く。彼女については、同じ聖女であるフルルドリスですら、まともに話をしたことも聞いた事もない。

 その口元に浮かんだ薄い笑み、そして彼女を導くマクシムス。

 今までドラグマ最強の騎士として戦ってきたはずのフルルドリスの心に、初めて〝疑念〟というものが生まれた。

 

「さぁ。凶導の福音(ドラグマータ)を奏でなさい」

 

 少女の声が、虚空へ向けて伸びていく。

 同時に湧き上がる恐怖心が、ついに形を持って具現化した。

 フルルドリスの鎧に禍々しい文様を描き、黒い腕を備えた怪物となることで。

 

「な、こ、れは!?」

 

 彼女の驚愕を他所に、マクシムスは儀式を進める。

 

「さぁ、目覚めるのだ。我らの騎士よ」

 

 神器に新たな意識を宿す行いこそ、『凶導の福音(ドラグマータ)

 

 ――マクシムスの行使する、奇跡の儀式(ディヴァイン・リチューアル)

 

 彼の前には、禍々しい青灰色に変化した鎧が、体の各所にホールの文様を刻み、その背に醜悪な黒い腕を携えて膝を付いている。

 

「来たれ。《凶導(ドラグマ)白騎士(アルバス・ナイト)》」

 

 フルルドリスの神器が、正体不明の怪物へと変化した。

 

「これは、我らドラグマの、新たなる創世(ジェネシス)のための礎である」

「アアァアアアアァァアァアァァッ!!」

 

 マクシムスの宣誓に応えるように、アルバス・ナイトは咆哮を上げる。そしてハッシャーシーンたちが歓喜を持って迎え入れる中、騎士団には困惑が広がっていく。

 今、マクシムスが呼び出したこの化け物は何なのか。

 ホールの神々より与えられた神器に、何を宿らせたのか。

 なにより、内側にいる聖女はどうなっているのか。

 溢れだす疑問と不安は行き場を失い、自らの上司に状況を尋ねることさえも許さなかった。もう、自分たちが信じたドラグマの姿は、どこにも見当たらない。

 直後、アルバス・ナイトの背中に亀裂が走る。

 

「う、が、あぁぁぁぁぁっ!?」

 

 鎧の中から、フルルドリスが弾き飛ばされた。

 まるで主に嫌気がさした暴れ馬のように、神器はフルルドリスを放り捨てたのだ。

 鎧の背中はさなぎのように開かれていたが、時間を巻き戻すかの如く戻っていく。

 残ったのは、倒れた聖女と空っぽの鎧だけだった。

 なのに、アルバス・ナイトはひとりでに動き回っている。

 

「フルルドリス様!」

 

 騎士団が倒れた聖女を起こしに向かう傍らで、マクシムスは厳かな声を発する。

 傍らに膝を付いたアルバス・ナイトの肩に手を乗せて、開いた手は信徒たちへ広げる。

 

「福音はここに降り立った。我らは新たな神を迎え入れる時が来たのだ! マクシムス・ドラグマの名において宣言する! 我らは邪教徒との戦いを終わらせ、新たな時代を築くべきときに至ったのだ! 全てのドラグマの民よ。我らとともに、新たなる明日へと至るのだ!」

 

 マクシムスの張り上げる声は、街の端まで届いていた。

 この奇跡の儀式は何を示すのか、騎士団にはまったくわからない。見ていない民にとって、マクシムスが何を考えているかなど疑う暇すらない。

 ただわかるのは、今、何か取り返しのつかないことが起こったということだけだ。

 

「おい大丈夫かよフルルドリス! 何が起こった……」

「う……、テオ、アディン先生を……後で、私のもとに呼べ。お前たちの聖具は、念のため、置いてきたほうがいいな」

「え、フルルドリス? 騎士長、何を?」

 

 そこで意識が途絶えたフルルドリスは、心配する騎士たちによって医務室へと運ばれていく。

 長年愛用した剣、盾、鎧、全てをなくして、魂すら抉られるような痛みを受けながらもなお、彼女の凛とした表情だけはそのままだった。

 

 

 その夜、テオはフルルドリスから命じられていた通り、アディンを彼女の眠る私室にまで連れて来た。

 誰にも見られないようにと彼なりに気を使い、窓から転がるように飛び込んできた。

 

「ううぅ……テオ君、見つからないようにしようという意見はわかりますが、これでは逆に目立ったのでは……?」

「大丈夫だって先生、そこらへんは俺きちんとしてるからよ」

 

 腰をさするアディンに対し、テオはあっけらかんとして答える。放り捨てられた蛙のような恰好でなければ、アディンはもう少し恰好が付いただろう。

 そんな彼らを、フルルドリスが迎え入れる。

 ただし、ベッドの上から。

 

「わざわざご足労かけました、先生」

「いえいえ。フルルドリス君――いえ、聖女殿がお呼びとあれば、私はすぐに駆け付けますよ。……前置きはその辺で、あの儀式についてですね」

 

 アディンの言葉に、フルルドリスはゆっくりと肯いた。

 椅子に座ったアディンは、フルルドリスの体に手を掲げる。支援部隊の長たるアディンの回復魔術を行使しながら、彼は言葉を発した。

 

「凶導の白騎士……あの不穏な存在を見て、何も考えないわけにはいきません」

「ええ。儀式の後可能な限りあれについて騎士団の者たちに調べてもらいましたが、何も成果は得られませんでした。それどころか資料室にもハッシャーシーンの部下の目が光っているので、下手に調べられない、という状況だったそうです」

 

 ドラグマの暗殺部隊。マクシムス直轄の粛正機関。アルバス・ナイトの登場でも、彼らだけが歓喜の声を上げていた。

 

「彼らは、あの儀式について理解しているのでしょうか?」

「いいえ。それはないでしょう。ハッシャーシーンとその部下の選別方法は、私としてはとても思い出したくもないものですから」

「どういうこった、先生」

 

 テオの疑問に、アディンは顔を伏せながら答える。

 

「ハッシャーシーンが神官と呼ばれるのは、彼の使える奇跡によるものです。隷属と粛正の奇跡……それが彼の力ですよ」

「まさか、奇跡で人の意思を捻じ曲げて、従えているとでも?」

 

 フルルドリスの答えに、アディンは肯いた。

 暗殺部隊となるべく育てられた者たちが、少なからず存在する。

 彼らは幼少期からハッシャーシーンの奇跡により忠誠心と隷属の精神を植え付けられ、たとえ奇跡なくしても、揺らぐことがないように鍛えられる。

 いつしか、彼らの中から次代のハッシャーシーンが選ばれるとき、隷属と粛正の奇跡は受け継がれる。

 彼らの秘儀、ドラグマティズムと一緒に。

 

「これは、騎士団はもちろん、一般教徒には決して知られてはならないことです。中には、敵の捕虜を使って暗殺部隊に仕上げることもやってきたということですから」

「そんな、ことが……ドラグマの中で……」

 

 この事実は、いつも陽気なテオでも、動揺に値する内容だった。

 ハッシャーシーン本人なら儀式の内容は聞いているだろう。だが、その部下たちにまで周知徹底していることはない。

 そんなことをしても、意味のない者たちも多く在籍しているからだ。

 

「宗教国家というのはそういうものです。ですが、今回の儀式の内容は、あまりにも異質すぎる。六六六の聖文の最終項目を達成したかのような言動、そこになんの説明もないというは、教義として破綻している……まるで、誰も導くつもりがないかのように」

 

 アディンは自分で言っていて、これを他人に聞かれたらと顔を青くする。ハッシャーシーンの耳にでも入ったら、間違いなく教導神理の刑に処されるだろう。

 そんな彼の心配をよそに、フルルドリスは鋭い目で二人に告げた。

 

「アディン先生、テオ、手を借りたい」

 

 その言葉に、深刻そうな顔をしていたテオたちが、ニカリと笑う。

 

「おや、フルルドリス君が、ずいぶんと殊勝な言葉を言いますね」

「いつもだったら、『私に作戦がある。実行するから命令通り動け』ぐらいいいそうなのによ……いや、すいません。その状態では……」

「気に病むな。あと、これは強制できないからな。騎士団の幹部三人が揃いも揃って、何をしているのだろうな」

 

 自嘲気味に笑ったフルルドリスは、周囲の気配を探ったあとに、二人に向けて話をし始めた。

 

 

 そこから、話は早かった。

 数日の後に、準備は終えられた。

 神器や聖具は持ち出すことはできない。ハッシャーシーンたちに悟られるわけにもいかず、まして移動の妨げになってしまう。

 

「大丈夫ですかい。騎士長。手足の方は?」

「大丈夫だ。移動には差し支えないさ。あと、もう騎士長はやめろ。さっき辞任したんだからな」

 

 一般教徒のようなフード付きのコートを着込むフルルドリス、テオ、アディンの三人は街を囲む城壁付近に到達していた。

 

「気分が悪くなったりしたら、気兼ねなく言ってください。テオ君が背負います」

「俺がっすか、先生」

「すまないな。テオ」

「ま、いいっすけど」

 

 ただ、両手両足に熱を抱えたフルルドリスの顔色は、儀式以来あまりよくない。

 まるで何か病気にでもかかったように、彼女の顔は青かった。

 

「ふむ、しかしこのような恰好をするのは、一体何十年ぶりでしょうね」

「まったくだ。騎士団見習いの時の門限破り依頼だぜ」

「これから自ら追放されようと言う時に、ずいぶん余裕のようだな」

 

 周りには誰もいない。

 ドラグマータ――あの儀式以降、街全体に暗い雰囲気が漂っている。誰も口にしないが、何か街が変わっているように、皆思っているのだ。

 そのせいか、街全体に活気が薄い。いくら早朝、夜明け前と雖も、通りに人通りが少なすぎた。

 

「けど、フルルドリス本人までがこの街を脱出しようなんてな。正直、お前だけは残るんじゃねえかって、俺は思ってたくらいだけどよ」

 

 聖女として生きて来た年月がある。讃えられてきた日々がある。

 人は自らが認められる環境や、習慣を捨てにくい――捨てられないものだ。

 普通ならそうだろう。

 しかし、ここにいるのは普通の人間ではない。決して、徒人ではないのだ。

 

「奴らはエクレシアから聖痕を奪い、追放した。私にはそれだけで、疑念を抱くには十分すぎたんだ」

「かっこいいお姉ちゃんには、妹のピンチが最優先、ってことでしょう」

 

 アディンの理解に、フルルドリスは力強く肯いた。

 

「それに加えて、私の鎧と剣と盾が、あんな化け物にされたんだ。黙っていられるわけがない。全てひっくるめて、私は私の意志で、ドラグマを離れる」

 

 きっと、元から理由はあったのだろう。

 それが、エクレシアとの別れを経験して限界に達した。アルバス・ナイトの出現で溢れ出した。

 ドラグマという宗教の中枢へと近づくほどに、ずれのようなものを感じる。

 神と言う曖昧な存在、ホールという謎の領域、聖文が謳う祝福、ただの来世の安寧を願うような宗教とは違う。

 何か、大きな力を欲する者たちが創り出した団体――それがドラグマだ。

 

「ここから先は、何が敵で、誰が敵かわからない。ただ一つ言えるのは、ここにいる三人と、エクレシアと……」

「バスタードとか言うドラゴンだった少年は?」

「……彼も含めてだろう。マクシムスに抵抗する意思のある、信じられる存在だ」

 

 マクシムスが何を考えているにせよ、この世界に安寧はもたらさない。

 アルバス・ナイトから感じる邪悪な気配は、単なる直感を確信に至らしめた。

 

「トライブリゲードの面々と、協力する日がくるかもしれませんね」

「それは、当分先だろうさ」

 

 フルルドリスは、アディンの言葉に肩をすくめた。

 

「行くぞ、まずはエクレシアたちを追いかけ、砂漠方面に――」

 

 警備の目を潜り抜け、城壁の外へと飛び出した。

 着地し、その一歩を踏み出しかけた時、フルルドリスの視界は歪む。

 高熱にうなされて寝込んだ時はある。その時の感覚に近いものがあった。

 

「あ、ああ! うがぁっ!?」

 

 だが、あの時は間接に痛みを覚えることはあっても、焼けつくような痛みを全身に感じた覚えはない。

 熱の原因は、四肢にある聖痕からだった。

 

「な、なんだ、これは……」

「お、おいフルルドリス! 声を抑えられるか? バレちまうよ!」

「仕方がありません。テオ君、彼女を背負いなさい。急ぎここから離れますよ! まさか、こんなに早くとは……」

 

 フルルドリスの絶叫は、城壁付近の者たちに異常事態を気づかせる。

 わらわらと松明が集まってくる気配を感じたアディンの提案に、テオは反論もなく従う。フルルドリスには布を噛ませて声を抑えさせると、いち早く城壁から離れる。

 必死に走るアディンとテオは、トライブリゲードの本拠地があるという古代遺跡のある場所へ向けて進む。

 ドラグマで起きた異常な儀式を、彼らも感知しているはずだろう。

 藁にもすがる思いで、彼らは宿敵に頼る道を選ぶ。

 

「……うっ、ぐ、ああ……熱い、あつ……」

 

 フルルドリスを蝕んでいるものは、単なる傷跡の熱などではない。

 聖痕という、神の力を切り分けたはずものが、彼女の体を蝕んでいる。

 アルバス・ナイトへ変化した鎧を、一瞬とは言え装着していたせいなのか。

 

「それ以外に理由なんか考えられねえ。聖痕が暴走しているなんて、そんなこと……」

「そうですね。私も聖痕の暴走などと言う症状は、記録上見たことがありません」

 

 明らかな異常事態だが、ドラグマに戻るという選択肢はない。

 彼女がこうなった原因はドラグマの、ひいてはマクシムスの儀式が原因なのだ。

 神の代理人である彼が、神の剣であるフルルドリスを傷つけるようなことを行った。

 

「正直、こうしてドラグマを離れた今でも、マクシムスがあんなことをするなんて、信じられねえ」

「私もそれについては同感です。マクシムスはお優しい方です。いえ、でした。少なくとも、信者一人一人の健康を案じ、人々の安寧を願っていました」

 

 ホールの向こう側にいるという神、その次に信じられ慕われる存在こそが、マクシムス・ドラグマ。

 最上位を意味する役職名であり、その地位につくために世俗の名も顔も捨てた存在。多くのドラグマ国民から信頼と尊敬を受ける彼を、疑うのは今でも抵抗がある。

 変えようのない事実と自分の目で見た光景があってなお、長年の信心というものは覆らない。

 

「けれどよ、実際フルルドリスをどうするんすか。このままじゃあ、死んじまう」

「具体的対策案を考えるのは私の仕事ですが……」

 

 アディンですら、この状況に戸惑い、困惑し、思考が進まない。

 

「ゴールド・ゴルゴンダのほうに行ったはずのエクレシア君なら、同じ聖女の力で何かできるかもしれませんが……」

 

 ただし本当にそこにいる、という確信はない。まして、砂漠まで全力で向かったとしても、間に合うか保証がない。

 

「どうすれば……」

 

 答えのないまま、当てのない逃避行が続けられる。

 

「対象を発見。フルルドリス、アディン、テオ、粛正対象」

「ッ!? 気やがった!」

「テオ君、フルルドリス君をこちらに!」

 

 テオは振り向きざまに持っている剣を振り抜いた。街の鍛冶屋で買った、神器にも聖具にも遠い普通の鉄の塊だ。

 跳びかかってきたハッシャーシーンの部下の爪を、剣が防ぐ。

 アディンはフルルドリスに肩を貸しながら先へ進みつつ、テオを支援する魔術を行使する。二人は自らの聖痕を輝かせ、その力を行使する。

 

「邪魔すんじゃねぇ!」

「テオ君、深追いは禁物です! 一刻も早く、ここから距離を取るのです!」

 

 ハッシャーシーンの数は少ない。だがそれは、広域に探索を行っている結果であって、決して人材不足の結果ではない。

 時間をかければかけるほど、テオたちが不利になるばかりだ。

 ハッシャーシーンの仮面を叩き割って蹴り倒したところで、テオは仲間の許に駆け寄った。フルルドリスの背丈は、アディンでは運びにくい。

 テオが肩を変わると、そのまま荒れた道を駆け抜ける。

 次第に雨脚が強まり、豪雨となって三人を濡らす。

 その間もハッシャーシーン達は目ざとく三人を見つけ、襲撃を繰り返す。

 

「我が聖痕よ、盾を描け!」

 

 鋭い爪を、魔術陣が受け止めた。アディンの顔に疲労が見て取れる。

 テオと違って体力が有り余っている年齢でもない。魔術を行使すればそれだけ体力も消耗する。執拗且つ人数制限などないかのように、ハッシャーシーン達は度々襲撃を繰り返す。

 早朝に出たはずの三人を、雲の向こう側にある太陽は中天から照らそうとしている。

 だが、分厚い雲がそれを全て遮る。

 夜のように暗い道を、雨に打たれながら三人は進み続けた。

 

「くそ、どこだよここ!? トライブリゲードの拠点なんて、どこにもねえぞ!」

「どうやら、道を間違ったようですね。元々ドラグマの街の外の整備はあまりできていない。鎖国状態というのが、これほどに厄介とは……」

 

 整備されていない道、まともな標識もない荒地。何より遠征の機会自体も少ないのだから、見知らぬ土地で地図もなく彷徨うことになるのは当然だった。

 

「とにかく、どこか雨宿りできる場所を探しましょう。最低限、どこかの木の下に……」

「つってもこんな荒れた山じゃまともな樹だって……」

 

 雷鳴轟く峠を越え、その向こうに辿り着こうとした時、ピカッと光った雷が、三つの影を映し出す。

 

「ッ! 何もんだ!」

「我らの前に立ちふさがるとは、ついにハッシャーシーンが回り込みましたか!?」

 

 疲労と焦燥にかられる二人は、フルルドリスを守るように横並びになって警戒する。

 

「邪悪なる力を受け、聖痕はその性質を反転させたか」

 

 鎧の奥から、くぐもった声が聞こえる。

 三つの影は、それぞれが光る刀剣を携えていた。

 竜を人の形にしたかのような印象を、彼らには受けた。

 ドラグマとは文化圏の違うその装いは、明らかに追手のものではなかった。

 むろん盗賊や山賊の類ではなく、テオたちにとって同様の職に就いている者に――つまり戦士や騎士のような存在に思えた。

 

「間違いありません。彼らが、運命によって導かれし者たちです」

 

 中央の赤い鎧の巨人から向かって左隣には、小柄な女性のように見える者が立っていた。その周囲にはコウモリのようなものが飛び交い、何か伝えていた。

 発した声も、女性的で高い声だった。

 

「ならさっさと連れて行こう。そこのお嬢さんは、すでに限界のようだ」

 

 若い、テオと同い年くらいの印象を、向かって右の者には感じる。

 助けてくれるのか? そう思ったテオだが、アディンは警戒を緩めない。

 

「どなたか存じませぬが、名も名乗らぬ者たちを信用することはありません。このお嬢さんを欲するのなら、その理由も何もかも、洗いざらい吐いてもらわなければなりませんな」

 

 鋭い目つきの彼は、まさしく生徒を守る教師の姿だった。

 

「そうだな。名乗らぬは無礼の証。同じ、これから訪れる災厄に立ち向かう者として、そなたらに敬意を示そう」

 

 突如、雷鳴は止み、雲が割れる。

 日光が照らし出したのは、赤と、白と、青の、竜人。

 幻竜と呼ばれる、ドラゴンとはまた違う存在だった。

 

「我は相剣大師(そうけんたいし)赤霄(セキショウ)

「同じく相剣師(そうけんし)泰阿(タイア)

「同じく相剣師―莫邪(バクヤ)

 

 それは、ドラグマよりはるか離れた緑豊かな山に住む、神秘の存在。

 相剣師――彼らとの出会いを、後にアディンが記した備忘録の中で、彼はこう表現した。

 

 

龍相剣現(りゅうそうけんげん)』――と。

 

「ともに、絶望に立ち向かうときが来たのだ」

 

 



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第十一章 《烙印の絆》

パワーオブエレメンツの情報が増えてきましたね。もうほぼ出そろいましたところで、あれですよ。傷だらけの聖女様たち、力を奪われたような我らが主人公。

さてさてまたしても運営の恐ろしさが垣間見えてきたところで、もっともエモいとされる魔法カードのシーンでホッとしてください。





本当に大丈夫かなぁ、これから(遠い目)。


 

 

 空の景色が、おかしかった。

 ドラグマ領内に――いや、この深淵で生きている者たちなら誰しもが、そう思っただろう。

 いくつもの鎖状に連なったホールの輝きが、空に広がっていた。

 基本的に巨大な菱形一つが浮いている光景が、ホールの解放時に見られるだろう。

 だから、これほどにまで大量のホールが輝くところを、たとえ天啓と呼ばれるアディンですら、資料でも知らないはずだ。

 

「何が起ころうとしている……」

 

 ドラグマの教導軍と激しい戦いを繰り広げるシュライグたちトライブリゲードの面々ですら、この異常事態を、拠点から見上げていた。

 この現象が、遠く砂漠の地でも、影響を及ぼすことになる。アルバスのアルビオンへの覚醒は、時同じくして起きた。

 シュライグは遠くの空を――砂漠の方向を眺めた。

 あの少年たちはどうなっているだろうか。少しだけ、焦りに似た感情を抱きながら、片翼の戦士は眼を細めた。

 

 

   ◆

 

 

 ほぼ同時刻。

 烙印の裁き――そう呼ばれてしかるべき、巨大な雷が、覇蛇大公ゴルゴンダの肉身を焼いた。

 半ばついでのような烙印竜アルビオンにも命中し、その巨体を墜落させる。

 より巨大なゴルゴンダを倒した雷の余波、たとえドラゴンの肉体と雖も、無傷というわけにもいかない。

 この影響か、焔で構成された灰燼竜と痕喰竜が消滅していく。

 

「アルバスくん!!」

 

 墜落現場に駆け出すエクレシアとは違い、キットとスプリガンズたちは先ほどの雷の出所を探していた。

 天候を操ることなど、それこそ神の奇跡と言える所業だ。少なくとも、この砂漠に住む者たちにできる芸当ではない。

 各地で培われてきた魔法と呼ばれるような力は、この大陸の獣類たちには縁遠い存在であることもわかっている。ならば、逆に使えることが確信できるのはだれか。

 

「まさか、雷撃を操る騎士様が、近くにいるのかい?」

 

 引きつった笑みを浮かべたキット。

 彼女とて、トライブリゲードの一員だ。

 敵対者――ドラグマにどんな戦士がいるかはよく知っている。

 その中で、雷撃を操り、最強と謳われる存在が誰かは、彼女にも検討づく。

 トライブリゲード最強のシュライグのライバルにして、邪教徒殲滅の最強戦力《教導の騎士フルルドリス》――彼女以外にあり得ない。

 

『キット! アレヲミテ!』

 

 ピード型の一体が、近くの岩塊を指さした。太陽光を背負い、鋭い剣を携えた誰かが、お供を二人引き連れて立っている。

 先ほど放ったのだろう、雷の名残が剣に宿り、その周囲の砂に波紋を創り出していた。本来、雷が落ちた場所にできるのは、木の枝に似た紋様だ。決してこんな穏やかな川の情景を思い起こさせるものではない。

 ゆっくりと剣を下ろしたその剣士は、編み笠のようなものの下から、鋭い目を覗かせた。

 

「エクレシアは、どこにいる……!」

 

 かつての教導の騎士フルルドリスの凄みの利いた声に、誰一人、どの一機とて、反応することができなかった。

 

 

   ◆

 

 

 時刻は、数分前にさかのぼる。

 

 アルバス、そしてエクレシアが通った道筋をほぼほぼ辿り、フルルドリス、アディン、テオの三人は、砂漠の真ん中までやってきた。

『龍相剣現』――そう呼ぶことになる出会いから数日後。

 三人の姿は砂漠の入り口にあった。

 

「て、テオ君……水は、まだ、残っています、か?」

「ああ。残ってる、残ってるから先生。無理すんなって」

 

 アディンとテオは、今までのドラグマの装備とは違い、砂漠越えの装備をしているが、それでも高い熱と乾いた風は、体力をガリガリと削っていく。

 特に、それなりのもう若くはないアディンにとって、死活問題に等しかった。

 テオは自分の荷物にアディンの分の荷物も担いでいるが余裕そうで、どこかで拾った棒を杖代わりに突くアディンとは対照的だった。

 フルルドリスは青い基調の旅装束で、腕には紋章の刻まれたバンドを幾重にも巻いていた。これら装備はほぼすべて、相剣師たちから譲り受けたものだった。

 フルルドリスの腰に帯びた三本の剣は、本来なら神器を持って発動するところの雷撃を、機械の力を用いて発動することができる。

 相剣師たちが纏う鎧と、同等の技術で造られた武器であった。

 

「穿て、雷撃!!」

 

 そのうち一本を引き抜き、機構を展開。轟雷を解き放つ。

 それは彼女の体内で荒れ狂うエネルギーを圧縮し、それを制御する技術により巨大な雷を放つ。

 一発最大出力で華てば神器を超える威力を出すが、その内部機構は焼き尽くされ、二度と使いうことができないだろう。

 だが、それはゴルゴンダをも一撃で沈める。

 あまりにも強力な攻撃に戦慄するスプリガンズを認めた彼女は、砂山の上から見下ろしている。

 

「答えろ」

 

 ゆらりと、砂漠の陽炎を背負いながら、彼女は眼前の機械たちに問いかける。

 

「エクレシアは、どこにいる……!」

 

 広く大きな傘から覗く赤い片目は、この乾いた砂漠の中においてもギロリと見開かれている。

 あまりにも恐ろしげなその様相に、誰も答えることなどできなかった。

 

 

 ズドンッ!! と、ゴルゴンダが落ちれば、その隣に赤竜も落ちる。

 砂を巻き上げながら咆哮をあげれば、そちらにフルルドリスたちの視線も向く。

 そこに向かって走る、金髪の少女の姿も見て取れた。

 

「エクレシア!」

「あ、見つかった! ロッキーの誰か、行って!」

 

 キットは、エクレシアがドラグマから追放された身であることは知っている。だから、このタイミングで彼女を追ってきたものが敵か味方かは判別できない。

 だから、スプリガンズの一体くらいけしかけるのは、仕方のないことだった。

 

「何をする?」

 

 飛んで行ったロッキータイプは、フルルドリスに蹴り飛ばされて遠くの砂山に突き刺さった。その間に、キットは彼女の前に回り込んだ。

 

「えーっと、フルルドリスさんだよね。ドラグマの」

「そういうお前は……その耳、フェリジットの関係者か?」

「妹だよ。お姉ちゃんがお世話になってます」

 

 ぺこりと音が付きそうなお辞儀。そこにあるのは、礼儀ではない。

 時間稼ぎだ。

 

「だから、エクレシアに――あたしの友達に手出しはさせないよ!」

 

 ゴー! という彼女の号令に合わせ、三位一体のブラザーズが飛んでいく。

 アディンは疲労で動けず、テオはその守りで動けない。

 必然的にフルルドリスが一人で相手にすることになるが、騎士団長というのは鎧や剣があるからなれたものではない。

 彼女自身が強いから、騎士団長の栄誉は与えられたのだ。

 

「あんな、左目隠すお札つけてるんだっけ?」

 

 普段砂漠にいるため、最新の情報はキットは知らない。だが、往年のライバルであるシュライグがフルルドリスの片目を奪ったというのなら、その一報くらいは届くはず。

 そうではないということに、少なからずここ最近の話。

 不気味に思いながら、キットは少しでもアルバスとエクレシアのために、時間を稼ぐ。

 

 

   ◆

 

 

 砂漠を走るエクレシアは、ゴルゴンダと烙印竜アルビオンの墜落現場に到着した。

 まだ熱気があたりに立ち込めるなか、彼女は足を踏み入れる。

 暴風のように荒れ狂う熱波を超えて、真っ赤に燃える竜のもとに辿り着いた。

 

「アルバスくん、大丈夫ですか!?」

 

 砂漠の熱気より熱く、突きつけられた焔よりもなお眩しい炎が、アルバスの体を取り巻いて竜の形を取っている。

 呑み込まれたエクレシアの姿を見たアルバスが、ゴルゴンダの中から彼女を開放すると同時に覚醒した姿。その名を、烙印竜アルビオン。

 その炎は、灰燼竜バスタードの時より禍々しいものに思えた。

 だからか、エクレシアの目には、烙印竜アルビオンは苦しげに見えた。

 

「アルバスくん、わたしはもう、大丈夫です。ゴルゴンダも、先ほどの雷が、倒してくれました……もう戻っていいんです!」

 

 あれが誰の雷なのか、エクレシアには確かめなくてもわかる。

 ほぼ間違いないく、フルルドリスがここに来ている。

 自分を追ってきたのか。トライブリゲードの拠点になっている砂漠に攻勢をかけたか。それとも、アルバスを追ってきたのか。

 それはわからないが、姉と慕う彼女ならば、大丈夫だろうと思えた。

 

 決して理不尽なことはしない。

 話は聞いてくれるはず。

 

 そう思えばこそ、今この場に集中できる。

 エクレシアの言葉に、アルビオンは反応しない。トライブリゲードの面々が言うには、ブリガンドになったときは遺跡に到着すると同時に、姿は人の形に戻った。

 彼自身の意志で変身を解除ができたのか、それとも時間切れだったのかはわからない。ただ呼びかけに答え、誘導にも従った。

 意識があるのなら、ヒトの姿に戻れるはず――なのだが。

 

「グガァァン!」

 

 雷で焼けた翼を砂漠に押し付けると、その傷は炎に焼かれて癒えていく。それでも痛みが残るのか、牙をむき出しにし、苛立ちに任せて地面を足が叩く。

 砂埃は舞い上がり、小さな砂嵐となってエクレシアへ吹きつけられた。

 

「うっ!」

 

 フェリジットから貰ったジャケットが、風に靡く。両腕で顔を覆って砂を受け止めると、指の間から烙印竜アルビオンを見る。

 苦しげにのたうち回る姿に、彼女は眼を細めた。

 

「フルルお姉ちゃん――わたし、頑張ってみるね」

 

 誰よりも凛として、多くの人々を導いてきたフルルドリス。

 彼女のようにはなれない。だが、目の前の誰かを助けることは、聖痕を失った自分にもできるはずだと彼女は真っ直ぐにドラゴンを見据えた。。

 あまりにも緊急事態に直面しているせいか、フルルドリス姉様ではなく、フルルお姉ちゃんと呼んだことに気づいていなかったが、幸いもう気にする立場ではなかった。

 彼女の視線の先には、雷の痛みと、自らが放つ熱で苦しむドラゴンがいる。それを助ける以上の思考は、今の彼女にはない。

 

「アルバスくん……」

 

 理性はあるのか。言葉は通じるのか。現状なさげだと思われるが、彼女は呼びかける。

 

「心配を、かけてしまいましたね」

 

 ザク、ザクと音を立てながら、エクレシアは烙印竜アルビオンへと近づく。

 溢れる汗も一瞬で渇き、目も唇も萎びた果実のように水分を失っていく。

 この炎は、アルバスの怒りの炎なのか。

 ゴルゴンダに呑み込まれた自分を見ていた少年の顔を、エクレシアははっきり思い出せる。

 

 苦しげで、悲しげで、何もかもに絶望したように、目を見開いていた。

 途方もない恐怖が、彼を襲ったのだろう。

 そう考えれば、この炎の要因となったのは、自分の行動だった。

 

「無茶をして、ごめんなさい。ハッシャーシーンに聖痕を剥奪された時と同じで、また体が勝手に動いちゃって」

 

 スプリガンズの体は鋼鉄製だ。しかも本体はあの機械の体ではなく、煤状の物質だ。たとえゴルゴンダに噛み砕かれたとしても、隙間から這い出して生還する可能性も高い。

 けれど、エクレシアは助けた。

 

「本当に、心配をかけてしまいました」

 

 乾いた――物理的にも精神的にも――笑いが砂漠を跳んでいく。

 誰かを守りたい、助けたい一心が、彼女の心と体を動かす。

 それは彼女自身にも留められず、不利益すらも顧みない。

 おそらくは、今回のように被害を被ったことも、一度や二度ではないだろう。事実、追放の原因となったのだって、アルバスがドラグマ、トライブリゲード両陣営に利用されないようにと考えた結果だった。

 それでも、彼女は歩みを止めない。

 苦しみの咆哮が、エクレシアに鼓膜を叩く。その音に恐れることなく、烙印竜アルビオンへと近づいていった。

 

「アルバスくんがドラゴンになってわたしを助けようとしてくれたのは、もう二回目ですね」

 

 最初は、痕喰竜ブリガンドに変身した時だ。

 ハッシャーシーンに聖痕を剥奪され、トライブリゲードの面々と一緒に一網打尽にされそうになった時だ。

 奪われた聖痕を吸収し、その力を使って獣のごときドラゴンへと変身した。

 灰燼竜から痕喰竜へ。そして今、烙印竜へと変身した。それもまた、エクレシアを助けようとした想いから、彼は変身した。

 最初に現れた時の恐ろしいドラゴンという印象は、今のエクレシアにはない。

 

「思えば、迷惑かけてばかりでした。砂漠を渡るのも、何度も手を貸してくれて、スプリガンズの皆さんとのレースでも、頼ってばかりでした」

 

 砂漠に降りる時、崖の途中でお互いの手を握った。紳士的な礼儀作法はないが、確かな優しさが、そこにあった。

 スプリガンズの入団試験では、鉄駆竜スプリンドを乗り捨てるということを選択しなければ、サルガスに捕まっていたかもしれない。

 彼の機転がなければ、スプリガンズに認められることはなかっただろう。お宝を見つけて、ほんのわずかな間だけれど、一緒に騒ぐことはできなかった。

 楽しい思い出の半面、彼女の胸の内に苦々しい思いが募る。

 

「頼りない聖女で、ごめんなさい――」

 

 ハッシャーシーンや、ドラグマとトライブリゲードの対立から、彼を守ろうとした。けれど、エクレシアの力では何もできなかった。

 逆に聖痕の力を奪われ、彼が痕喰竜ブリガンドに変身する要因となり、トライブリゲードの面々含めて撤退せざるを得なくなった。

 少しでも彼の力になりたいと思って一緒に砂漠に訪れても、スプリガンズに捕まるわ、ゴルゴンダに呑み込まれるわ。

 ただ無力感が――聖痕の力を持たないただの少女でいることが、こんなにも苦しいとは、思っていなかった。

 同じ聖女であるフルルドリスのように、立派に――強くあれなかった。

 

「だから……アルバスくんから、離れないことだけが……今のわたしにできることなんだと思います」

 

 鎌首をもたげた烙印竜アルビオンは、その鋭い真紅の目でエクレシアを見る。

 キットの駆るベアブルムにも見境なく襲い掛かったその理性は、すでに失われているはずだ。

 話の通じた痕喰竜ブリガンドの時ですら知性の存在は希薄に見えたが、今の烙印竜アルビオンには明確に存在しないように思えた。

 ただ目の前の相手に吠え掛かり、食らい付く、獣を通り越した化け物の思考しか持っていないように思える。

 

 烙印の力が共鳴し、ゴルゴンダとの戦いは激化の一途をたどりかけた。

 あの落雷がなければ、きっとこの砂漠全てを燃やし尽くすような戦いが繰り広げられたことだろう。

 なのに――エクレシアは恐れない。

 

 まるであの日――《ドラグマ・エンカウンター》と呼ばれるようになる、運命の二人の出会いの日。

 まだ名もなき少年に近づいたときのように、彼女は武器を構えず歩み寄る。

 

「不甲斐ないわたしを、助けてくれて、守ってくれて、ありがとうございました」

 

 それは、弱さの告白だった。

 誰もができる者ではない、自らの力不足を見つめ直す行為だ。

 

「きっと、これからもあなたには何度も迷惑をかけると思います。たぶん、わたしは何も力になれないと思います」

 

 改めて、何もできない自分を彼女は隠さない。

 

「それでも……それでもいいのなら……」

 

 両手を烙印竜アルビオンに向けて伸ばし、ゆっくりと近づいていく。

 

「ただあなたのそばにいて、あなたの寂しさを埋めることができるのなら」

 

 それを遠目で見る妖眼の相剣師――フルルドリスは、オーバーヒートした剣を鞘に戻し、残る二本の内の一本を掴む。

 地面に倒れるスプリガン・ピードの頭を踏み台にしつつ、遠くのエクレシアを見つめていた。

 いつでも雷撃をもって烙印竜アルビオンを消し飛ばす用意はできている。

 キットは、デカモズとメカモズを腕に抱きながら二人の動向を見守る。ベアブルムは壊れている以上、助けに行くことも盾になることもできない。

 サルガッソは状況を見守っていた。他の言い方をすれば、状況が理解できずにただ黙っていた。

 そしてエクレシアは、烙印竜アルビオンの前に立ち、両手を広げた。

 あの日と同じように、アルバスとエクレシア――二人の視線が重なった。

 

「これからも、わたしと一緒に旅をしましょう」

 

 突如として、冷たい空気が二人を包み込む。

 今までの熱気が嘘のように、爽やかな風が吹き抜ける。

 深淵からはるか遠く離れた土地の風の一族、ガスタがまじないでも送り込んだのかと勘違いするほどに、爽やかで、涼しくて、そして希望をもたらすような晴れやかさを纏っている。

 

「お返事を、聞かせてもらえませんか?」

 

 周囲に立ち昇る炎の色に対し、エクレシアの顔は穏やかだ。

 同時に、変化は烙印竜アルビオンにも起きていた。

 

「おれは、きみといっしょにいたい」

 

 その体が、溶けていく。

 正確には、吹き抜けた風に乗って真紅の鱗は湯気のように消えていっているのだ。

 その下から現れたのは、夜空のような黒い鱗だった。

 体の各所に生える爪やツノ、棘、そして翼はまだ炎のような赤さを残している。

 だが、同じく赤かった髪はアルバスの白髪と同じ色になり、醸し出す雰囲気はずいぶんと穏やかなものとなった。

 

「グオォォォォオオオォンン!!」

 

 それこそが、《黒衣竜(くろごりゅう)アルビオン》――アルバスの第三形態の真の姿。

 垂れた頭はエクレシアにゆっくりと近づき、彼女は両手で受け止める。

 

 

「おかえりなさい、アルバスくん」

 

 

 ぎゅっと抱きしめると、彼女は鋭いドラゴンの頭部に頬をあてる。

 ドラゴンは低く喉を唸らせながら瞼を閉じ、エクレシアの抱擁を受け入れた。

 二人を取り巻く砂は、竜の翼の羽ばたきでどこかへと失せていった。

 

 

 その様子を見守るフルルドリスは、剣の柄から手を放す。

 目を回したスプリガンズたちから降りると、未だ警戒しているキットの隣に立つ。

 

「な、なに? やる気?」

「フェリジットの妹。お前は、名をなんと言ったかな」

「あ、あたし? あたしはキット。スプリガンズの友達、エクレシアの友達だよ」

 

 最後の言葉に、フルルドリスがふっと笑ったように、キットには見えた。

 

「ついでに言うと、あのドラゴンになった男の子は、アルバスって言うよ。記憶がないし、名前もないから、エクレシアがつけたんだってっさ」

「そうか。エクレシアの友達か……。なぁキット」

 

 ツノの装飾のついた編み笠を少し下げながら、彼女はキットに提案する。

 

「少し、エクレシアと、ドラゴンに変身する少年――アルバスと、話をさせてもらえないだろうか」

 

 彼女の言葉に、キットはゆっくりと首を傾げた。

 どういう意図で、フルルドリスはそう言っているのか。そもそも、いつもの鎧や剣はどこに行ったのか。疑問が湧いてくる。

 

「今の私は、ドラグマの聖女でも騎士でもない。そうだな……妖眼(あやめ)相剣師(そうけんし)とでもしよう。ただのフルルドリスとして、姉と呼ばれた者として、あの子と話したい」

 

 その言葉に、キットは肯いた。

 ドラグマの聖女騎士が、自らの称号を捨てでも頼んできたことだ。断る理由はないし、何よりエクレシアのためにならない。そう彼女は判断した。

 未だドラゴンの姿から戻らないアルバスを心配しつつ、キットはエクレシアに近づく。

 聖女の身に刻まれた輝く聖痕。

 少年の魂に宿った竜の烙印。

 二つの傷跡は、お互いを繋ぐ、見えるけれど見えないものを創り出す。

 いつかの時代、二人の話を聞いたものはこう名付けた。

 

 

《烙印の絆》――途切れることなき、解けることのない、確かな結び目として。

 

 

 これは、閉ざされた大地を征く、深淵なる世界に刻まれし、少年(アルバス)少女(エクレシア)の追憶の物語。

 

 その果てで起こるのは、狂乱の喜劇と救済の悲劇であった。

 そして、荘厳なる夜明けを迎えた時、物語はまた、動き出す。

  

 



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アルバスの来訪
第十二章《烙印開幕》


 

 

 アルバスが黒衣竜アルビオンの姿を得た時、時同じくしてトライブリゲードの面々はドラグマの本拠地へと突撃していた。

 獣の本能に言い知れぬ不安を抱かせた現象が、空を覆い尽くしているからだ。

 

 先日の福音の到来。

 マクシムスから全信徒へと報告されてから、ドラグマの空は巨大なホールが閉じる様子もなく占領していた。

 まるで空のホールに太陽が呑まれたように日の光も落ち込み、常に黄昏のような薄暗さを城下町にもたらしていた。

 なにより、信徒たちの不安をあおったのは凶導の白騎士の存在だ。

 禍々しい印象しか持たぬかつての神器は、日に日にその鎧を歪めていった。

 

 信徒たちがそうそう直接目にできるわけではない。だが、教会の奥底より響く獣のような叫びに、事情を理解せぬ下位の信徒たちは困惑するばかりである。

 しかも、よりによってこの混乱した状況を納めるべき教導騎士団の騎士団長と副団長、支援部隊の長であり皆の師たる者もいない。

 教導騎士団内部でも不安は立ち込め、教会の奥に引きこもったマクシムスに対し、何もすることができずにいた。

 その沈黙が破られたのが、つい今しがた。

 

「信徒の皆よ」

 

 扉を開けたマクシムスの前に、信徒たちが膝を付く。

 

「恐れることは何もない。我らドラグマの民を導く教えが、新たにホールより現れる」

 

 両腕を大きく広げ、上空を席巻するホールを彼は眺める。

 

「神託は降った。異空の果てより、デスピアが、幕を開ける」

「は?」

 

 マクシムスの言葉は、何を意味するのか。

 今まで、ドラグマの教典や教えに、デスピアなどと言う単語は一度も出たことはない。新たな教えであろうか。ホールからの来訪者であろうか。

 信徒たちは口々に相談し合うなか、その声がぴたりと止んだ。

 マクシムスの後ろに、黒い腕を備えた凶導の白騎士が現れたからだ。

 ゆらゆらと死人のように揺れるその体が、マクシムスの隣に膝を付く。どよどよっと信徒たちがざわめくのも気にせず、マクシムスはその鎧に手を翳す。

 

「さぁ、目覚めの時だ。そなたの名は――」

「貴様の野望は、果たさせない!」

 

 はるか上空から、その弾丸は放たれた。

 

 

 ――ズガンッ!!

 

 

 強烈な激突音を響かせたのは、天から舞い降りた凶鳥(フッケバイン)――シュライグ。

 彼の強襲に、信徒も騎士団もどよめく。

 何せ、シュライグに対抗できる飛行能力と火力を誇るフルルドリスは、現在不在だった。騎士団の面々も信徒たちもその真実を知らず、だからと言って逃げ出したなどとさすがにハッシャーシーンたちも公表できない。

 

 しかし、シュライグには何となく察せていた。

 このようなドラグマが異常な状況でありながら、フルルドリスが何もしないはずがない。

 ライバルゆえの信頼が、彼を動かした。

 

「さすが獣畜生ども。鼻が利くようだ」

 

 弾丸の爆発の煙が晴れた時、そこには無傷のマクシムスと、盾で受け止めたアルバス・ナイトがいた。舌打ちをするシュライグの顔にマスクはない。

 先日のフルルドリスとの死闘で砕けたマスクは、まだ新調できていなかったからだ。

 その苛立ちに歪んだ顔を、マクシムスへと向ける。

 

「その鎧、フルルドリスはどうした。この状況は何だ!」

 

 本来無口で、冷戦沈着なはずのシュライグが声を荒げた。つまり――状況は彼の予想を超えて深刻な状況だということ。

 彼の問いかけに、応えてほしいのは本人だけではない。

 答えを期待する視線が、周りからマクシムスへ集まる。

 それがわかっているのか、マクシムスは民衆たちの輪の中から、シュライグへ少しでも近い場所へと歩き出す。

 

「福音だと、我は唱えた。それは聖痕を持たぬ獣にも、肉体を持たぬ精霊にも与えられぬ、我らだけの祝福だ」

「その禍々しい鎧が、その象徴だとでもいうのか」

「我らドラグマに必要なのは、聖女の力ではない」

 

 その一言に、周囲には動揺が走る。

 これまで聖女として崇めて来た少女たちの存在を全否定するマクシムスの言葉が信じられなかったのだ。つい先日新たな聖女が生まれたという話もあったというのに、全てをひっくり返す発言に、誰もが驚きと動揺を隠せない。

 

「必要なのは、力を受ける器。福音が成就するとき、そこにあるのは歓喜の宴!」

 

 再び弾丸をぶち込もうとするシュライグに向けて、アルバス・ナイトは加速する。

 フルルドリスの鎧が元だというのなら、その両足にある飛行能力を与える力は健在だ。

 通常の腕とは別に出現した腕が抱える剣の威力は、膂力の面だけで言えばフルルドリスをも超える

 獣人特有の怪力でも抑え込むのが精いっぱいの一撃を、シュライグはその自由な飛行能力を巧みに使って抑え込む。問答無用の雷撃がない分、多少やりやすくはある。

 だというのに、決定打が掴めない。

 

「――――――ッッ!!」

 

 鉄と鉄の擦れ合うような音を響かせるアルバス・ナイトは、突如として腕を巨大化させ、剣を振り下ろしてくる。

 その一撃が、シュライグの腕を掠めた。

 余波だけで、彼の体が地面へと吸い込まれたのだった。

 

「ぐっ! これは、何か――ホールから、力を供給されいてるのか!?」

 

 地面を蹴りつけることで体勢を立て直したシュライグは、上空へと舞い上がる。遠距離から牽制の弾丸を放つが、回転しながら飛んでくる盾が打ち払う。蹴り替えせば難なく受け止められ、追撃を許さない。

 

「こんな化け物が、あいつの鎧のなれの果てだと……」

 

 困惑と怒りに震えるシュライグは、その翼を大きく広げた。

 

「こんなものの蔓延る未来を、この大陸に残させはしない!」

 銃口に力を溜め、狙いをアルバス・ナイトへ定めた。

 

「この一発が、全てを許す……脅弔弾罪(フィアー・コンドネイション)!」

 

 シュライグ自身の体が吹き飛ぶほどの威力の弾丸。鳥の形をしながら飛んでいく砲弾に、アルバス・ナイトは打ち砕かれる。

 

 ――誰もがそう思っただろう。マクシムス・ドラグマを除いて。

 

 両腕を掲げ、ゆっくりと開いていく。

 

「もったいなくも、その眼に見せてやろう。我らドラグマに福音を齎す者。全ての烙印を開く者!」

 

 突如、フルルドリスの鎧だったものが膨れ上がる。金属が捻じ曲がる音が響き、虫がさなぎから羽化しようとするように、鎧は割れる。

 

 

 

「デスピアン・クエリティス」

 

 

 昆虫のような羽が、最初に現れた。

 次に漆黒の、赤い爪や棘を備えた体が飛び出した。

 竜のような長い首と尻尾、しかし虫を思わせる細く節くれだった手足を備え、目玉のようなものが並んだ羽を震わせる。

 つるりとしたその骨格は、ともすれば美しいと称することができる。

 ただしそれは、滅びと混沌の中に生の実感と愉悦を覚えるものの感性だろう。

 

 

 その巨体が、シュライグの弾丸を打ち払った。

 

「な、なんですか、この化け物は……」

 

 本能的恐怖で震える信徒に、マクシムスは冷淡に応える。

 

「これこそが我らが福音、我らが求めた救済の具現化……」

 

 恍惚と語るマクシムスのそばで、デスピアン・クエリティスと呼ばれた存在は、教会の塔を駆けのぼる。

 羽だった部分は自在に伸び、先端にある指と爪で転がっている神器の剣と盾を取る。

 それは一つに重なり、まったく新しい矛を創り出す。カマキリの腕のような、ムカデの体のような、鋭くも禍々しい武器となる。

 同時に展開される大量のホール。そこから、あふれた輝きが、人々を包み込む。

 

「な、なんだこれ、何が!?」

「い、いやぁぁぁ!」

「マクシムス様、これは!?」

 

 聖痕を宿した人々――ドラグマの民の体が、変貌していく。

 体の一部が鎖へと変化し、さらにヒトの形を取った棘になる。顔だった場所に現れた舞踏会用の仮面が怪しく光る。

 ドラグマの民の姿が、絶望の化身へと姿を変えていく。

 それが二種類。赤と緑のマントをそれぞれ羽織っている。

 

「これこそ〝惨劇の演者(デスピアン)〟。我らの未来に福音を齎す者」

「な、なぜこんな! こんなものが、福音を……」

「そう。赤の喜劇、緑の悲劇……我らの福音だ」

 

 それはもう、人の言葉ではない。人とは違う何かの求める福音とは、それすなわち――。

 

 

 ――人々の絶望だった。

 

 

 人々の変貌はドラグマの中心部から始まり、王城全体へと広がっていく。

 

「ああ、他の獣たちもまた、福音を聞きに来たのだな」

 

 マクシムスの視線が、城下へと向けられる。

 同時にデスピアン・クエリティスと呼ばれた巨大な甲虫のような存在もまた、その顔のような部分を同じ方向へ向けたのだった。

 

「トライブリゲード、カク、認」

「げ、迎撃ヲ、しなけれバ……」

 

 信徒たちの大半――否。すでにドラグマの全てが、デスピアンへと変化していた。

 狂気そのものを形にしたかのようなデスピアンの姿に、トライブリゲードの面々は――一部始終を見ていたシュライグでも、驚愕を隠せない。

 誰何の声も、戸惑いの時間もなく、鉄獣たちの弾丸が異形の魔物を撃ち抜いた。

 

「たっく、ドラグマの奴ら! こんなに大量のホールを出現させた上にそんな化け物まで呼び込んで、何をする気なのさ!?」

 

 遠目に見ていたフェリジットが、悪態をつきながらやってくる。

 それはこっちが聞きたい、ときっと生きている信徒がいれば、思っていることだろう。

 だが、もうその信徒はいない。

 続々と増えていく悲劇と喜劇のデスピアン。

 上空に舞い上がった彼らの姿は、まるで古い伝承の黙示録に描かれる、空の彼方より現れる恐怖の軍団の襲来のように思えた。

 

「奴らを攻めたところで、まともな会話も成立しないだろうぜ。これらはマクシムス・ドラグマの独断専行のようだしな」

 

 トライブリゲードの協力者は、ドラグマの中にも少なからず存在する。

 生き残っているのは、ひそかに聖痕を持たないごく少数の人間たちだけだった。

 彼らからもたらされた話によれば、マクシムスの奇行が目立ち、まともな運営は望めなかった。

 その状況下で生まれた、デスピアンという存在。聖痕を持たなかった者は変貌を免れたが、直後デスピアン達によってその命を奪われた。

 

 ドラグマの民さえもないがしろにする行為は、まるでドラグマと言う集団そのものを軽視しているかのようだった。

 ドラグマの民は、生まれてから数年内に必ず聖痕を体に刻む。実際には力を与えられ、聖痕がどこに出るかはランダムだ。

 しかし、ほぼ間違いなくドラグマ教徒はこの聖痕を宿す施術を受ける。生き残った者はいないと、鉄獣の面々は覚悟していた。

 鉄の獣たちは、溢れる怒りをこの状況を作り出した者へと向けた。

 視線の先にいるマクシムスは、腕を広げたまま高笑いを上げていた。

 

「今こそ我らの新たな時代の始まりを告げる瞬間!」

 

 マクシムスは両腕を大きく広げ、その手に禍々しい杖を出現させる。

 

「ふははははははっ! 始まるのだ! 新たな時代、新たな生命の誕生! 新たな絶望の幕開け!! これこそが、《烙印開幕》なり!!」

 

 ホールから紫電が溢れだし、デスピアンたちの動きが活発になる。

 トライブリゲードの面々、シュライグと合流したフェリジット、ルガルは彼とともにマクシムスへと迫る。

 それを阻む、デスピアン・クエリティス。

 その翼を伸ばし、先端の腕でシュライグの銃を抑え込む。

 

「化け物が、これ以上行かせないつもりか」

「こいつら、一体一体の力はたいしたことないけど、数が多いよ!」

「それに比べて、あの虫みてーなのはけた違いだけどな!」

 

 何か、一瞬で状況を逆転されそうな恐怖が首を絞めるようにまとわりつく。

 フェリジットの弾が空を切る。デスピアンたちの体は細い鉄の塊、弾丸が当たってももろともせず、その武器を彼女らに向けて振り下ろしてくる。

 

「邪魔クセェ!」

 

 ルガルの銃剣が斬り捨てる。倒れた個体は霧のようになってホールへと吸い込まれていき、上空の輝きを一層強めた。

 尖頭の上にいるデスピアン・クエリティスは仲間――だと思える存在がいくらやられようと興味を示さず、じっとシュライグを睨みつけていた。

 周りのデスピアンたちもそれを感じ取ったのか、シュライグへは手出ししようとはしない。

 明確な敵意と闘志が、クエリティスからシュライグへと注がれていた。

 

「ガァァァァァッ!」

 

 赤黒い甲虫が吠える。右腕に持った巨大な薙刀のような武器を振り下ろす。

 

「――ッ!」

 

 シュライグの蹴りがそれを迎撃する。生物的な外見へと変化したフルルドリスの神器だが、強度に関しては何ら損なわれた様子はない。

 神器に対抗可能なヒトの技術。鉄の国で培われた最新武器と、デスピアン・クエリティスの武器の強度は拮抗する。

 拮抗するが――勝てるわけではない。

 歴戦の猛者であるシュライグは、明確に迫りつつある自分の死を自覚した。

 

「トライブリゲード全団員に告げる」

 

 全員の通信機に、シュライグの重い声が響く。

 

「ここが正念場だ。生きて、また会おう」

 

 通信が切れる。もうこれ以上、話ながら戦う余裕などかけらもない。

 ドラグマの信徒たちの居城は揺れ狂い、塔に登った怪物は歓喜に鳴く。

 

「さぁ、現れるがいい。古き王城を砕き散らし、我らの劇場が姿を見せる!」

 

 マクシムスの宣言とともに、大きな地震がドラグマを襲う。

 大地を割って現れた巨大な城に驚嘆するべき人々はもういない。

 残った命はデスピアンが全て刈り取った。

 教会騎士さえも抵抗空しく消えていった。誰も抗うことはできない。

 

『烙印城デスピア』――巨大なホールの直下に出現した毒々しい城塞の上に、マクシムスの――いや、もう誰もが信じ、敬う大神祇官の姿はそこにはない。

 

 重たい白と金の仮面を脱ぎ捨てて、そこに新たな仮面をつける。

 かの者こそ、絶望を束ねし者。

 この惨劇に至る為の脚本家。

 名を『デスピアの大導劇神(ドラマトゥルギア)

 ドラグマの神器を怪物へと変え、聖女を白髪の黒竜とともに追放する算段を取った者。今この場にフルルドリスやテオ、アディンがいないことも想定済み。

 今彼を止められるものは、誰もいないのだ。

 

「さぁ、新たなる時代を築く者よ。我らに福音を、終わりなき輪舞(ロンド)を奏でよ!」

 

 ドラマトゥルギアが両手を大きく広げてみせた時、彼の後ろには一人の小柄な……少年とも少女とも、判別できない人物がいた。

 

「デスピアの導化アルベルよ、福音の輝きを齎したまえ……」

 

 紅い髪を背中に垂らし、その顔には漆黒の歪んだ仮面をつけている。

 笑ったように見えるその仮面は、デスピアに属するもの以外が見れば、間違いなく恐怖を覚えるだろう。

 空のホールを仰ぎ見ながら、アルベルは腕を掲げる。

 その腕と、胸に収められた紅い宝石は、どこかアルバスの持つものに似ていた。

 

 ドラグマとゴールド・ゴルゴンダ、遥かに離れた場所に存在する二人に見られる一致した特徴。その真相を知る者は、ここには誰もいなかった。

 歌のようなものが聞こえる。何かを呼ぶような、何かを喜ぶような、賛美歌に似た曲調が、烙印城から鳴り響く。

 

「目覚めよ。我らの大舞台。『デスピアン・プロスケニオン』」

 

 アルベルが強く足元を蹴ったとき。それは地獄の底から現れた。

 巨大な、二頭の竜がより合わさったような形をした、像のようなもの。

 だが、それは動くことのない調度品などでは決してない。

 二頭の竜を従える、絶望の権化。デスピアンたちが舞い踊る、劇場がここに完成してしまったのだ。

 観客たちは、逃げ惑う聖痕を持たぬ民と、これから蹂躙される深淵と呼ばれる大陸に生きる者たち。

 舞台協力はドラグマの信徒たち。特にハッシャーシーン率いる暗殺部隊。

 そして主演は、デスピアの導化アルベル。

 この世界全てを嗤い飛ばす、絶望の聖人。

 その笑みが、ドラグマを包み込んだ。

 

 

「キヒヒッ!」

 

 ここに、烙印の悲喜劇が開幕する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十三章《烙印の気炎》

 

 

 大砂海ゴールド・ゴルゴンダは、おそらく砂漠ができて以来最も静かで、最も楽しげな音に包まれていた。

 ドラグマの元聖女エクレシアを追いかけて来たフルルドリスの雷撃により、巨大なホールを伴う怪物覇蛇大公ゴルゴンダが倒れた。

 そのため砂漠に住まう煤状生命体スプリガンズは、何事も憂いなく空を飛びかい、爆発し、宴に興じることができていた。

 

 その傍らで、巨大な黒竜が砂の上にその身を横たえ尻尾を曲げ、金の髪を持つ少女――エクレシアの椅子となっていた。ついでに言えば、翼を半ば広げ、燦々と降り注ぐ陽光からもその白っぽい肌を守る。

 なんとも従順な、日よけ傘になっていた。

 その対面には、気難しい顔をした銀髪の聖女が――剣士フルルドリスが砂の上にどかりと座っている。

 そして、両者の間を取るようにピンク髪の獣人――キットが座っている。スプリガンズ・キャプテンであるサルガッソが足を組み、それを椅子代わりにしていた。

 

「えっと、それでは、まずフルルドリスのほうから、話を聞こうじゃないか」

 

 彼女を仲介人として、エクレシアとフルルドリス、かつて姉妹のように過ごした者たちの話し合いが始まった。

 

「……何から言えば、いいのかな」

 

 重い口を、ゆっくり開く。彼女の後ろにはテオ、アディンがおり、それぞれ気難しい顔をしている。

 顔を見合わせた三人は肯くと、おもむろにフルルドリスが切り出した。

 

「マクシムスが乱心なされた。私にはそう思えた」

 

 嘘偽りない言葉が、彼女の口から洩れる。

 

「マクシムス様が……でも、どうして」

「お前の追放処分と、そちらのドラゴンの討伐、トライブリゲードによる亡命……あの日の戦い以後、マクシムスの様子は尋常ではなかった。私たちがお前を追うことを許さず、私の神器を使い、怪しげな術で神器に人格を与えた」

「彼はそれを、アルバス・ナイトと呼びました。禍々しい腕を持ち、神器を破滅の凶器へと変化させたのです」

「それだけじゃねえ。お前がいなくなったって言うのに、いつの間に選定したのか新しい聖女まで用意してやがった。ハッシャーシーンの奴らは誰も文句ひとつ言わねえし、意味が分からねえ」

 

 それまでの教義を無視していくような不可解な行動。いくらハッシャーシーンの行動が正当な権利に基づくものであろうと、認めがたいものであるのは変わりない。

 

「それ以上にやはり、あのアルバス・ナイトいう存在が、気がかりだ」

「アルバス……偶然、ですね」

 

 その名前に、エクレシアは思うところがある。

 

「彼は、名前を失っていました。記憶とともに、自らの名前を。だから、白を意味するアルバスを、わたしが彼にあげたんです」

 

 そう言ってエクレシアは傍らの黒衣竜アルビオンの白い髪を撫でる。今でこそこの姿だが、数分前までは燃え盛る灼熱のようだった。

 すっかり落ち着いた様子のアルビオンは、一言も話すことなく、話を聞いている。

 

「気になるのは、我々がこの砂漠に向かってから、一向に追手が現れないことでしょうか。途中まではあれほど執拗だったのに。確かに我々を追うほどの価値のあるものを持ち出してもいませんし、アルバス・ナイトがいれば戦力に困ることはない、と判断されたのでしょうが」

「だからって、俺もアディン先生もドラグマの大幹部だぜ。フルルドリスにいたっては最高戦力だ。いくら鎧も剣もないからって、トライブリゲードに対して無防備でいいのかよ」

 

 そのトライブリゲード。現在キットのほうでは連絡がついていない。

 アルバスとエクレシアに注目が行かないように波状攻撃を仕掛ける予定ではあったから、しばらく連絡なしでも不自然と言うわけではない。

 惜しむべくは、それが数日前の時点の話。現在の状況を問いただせば、今すぐにでも彼女はドラグマに向かってしまったかもしれない。

 

「一体、何を考えていらっしゃるのでしょうか」

 

 疑うまでもなく、マクシムスの行動は異常だった。

 何より、今この場にいる者たちは知る由もないが、デスピアなる奇怪な者たちを生み出す彼に、正気もなにも、もうないのだろうが。

 

「一先ず、お前が無事でよかった。問題は、一緒にドラグマに帰ろうと言える状況ではないということだな」

 

 ホッとする半面、悲しそうな顔をする。

 曲がりなりにも、あの街はこの場にいるドラクマ教徒たち全員の故郷なのだ。

 その場所が異常な状態に陥っているとあれば、気分が沈むのは当然と言えよう。

 

「お前たちは、ここまでどうしたんだ。トライブリゲードとともにドラグマを離れてから、あのバカでかい蛇に襲われるまで」

 

 フルルドリスが視線を向けたのは、彼女の放った雷に倒れたホールの化身。彼女に一度は食われかけたエクレシアは、短くも怒涛のアルバスとの日々を、彼女らに伝えた。

 未だに戻らぬ記憶、行く当てもわからぬ旅路、正体のわからぬホールという存在――言葉を発することのないアルバスに変わり、エクレシアは旅路の隅々を告げる。

 

「……お前は、まだこれからも、その少年――アルバスと一緒に旅をするのか」

「はい。ゴールド・ゴルゴンダはホールの影響を受けた砂漠と聞いていましたから、彼のことについて何かわかればと思っていたんですけど、手掛かりはあまりありません」

 

 黒衣竜アルビオンの髪を撫でながらエクレシアは言う。

 

「砂漠を超えた先にも、ホールの影響を受けている国々はあるかと思います。そちらを回ってみようかと思っています」

「砂漠の向こうか。アディン先生、鉄の国が、確か」

 

 フルルドリスの質問にアディンは額の汗を拭いながら答える。

 

「ええ。トライブリゲードの面々の武器を造った技術の出所と言われる国がありますが、他に多くの国はあります」

 

 深淵と呼ばれるこの大陸では、国としてはドラグマが最も発展していると言われている。それは人口や都市の規模という観点から見た場合だ。

 だが、技術という点では異様な発展を見せる国がある。それが鉄の国、トライブリゲードたちに技術提供をした国である。

 

「ですがフルルドリス、彼らには相剣の里へ――あの者たちの誘いがあったのではありませんか」

 

 アディンの言葉に、フルルドリスはそうだったと頷く。エクレシアは何のことかと首を傾げた。

 

「私もここに来る前に立ち寄っただけのような場所だ。このゴールド・ゴルゴンダやドラグマの周辺地域とは環境が大きく違う場所だった。高い山間の中に存在する里で、ホールに似た自然物が多数存在した」

「その場所で、我々はこの服と装備を手に入れたんです」

 

 幻竜――ドラゴンと呼ばれる者たちとはまた一線を画す、特殊な能力を秘めた個体が、この世界には存在するとエクレシアは聞いたことがある。

 相剣師とやらは、その一族なのだという。

 

「彼らの隠れ里に、我々は招かれました。このような恰好も、その相剣の里での出来事が、関係あるのです」

 

 フルルドリスたちの衣装や武器に刻まれた紋章は、聖痕の力を封じ込める作用があるが、それを開放するための武器もある。

 聖痕を封じ込める――それはトライブリゲードが使う鉄の国の武器にも似たような作用がある。

 ただ、どうして聖痕の封印を施す必要があったのか。

 その理由を、フルルドリスたちは訥々と語る。

 

 

   ◆

 

 

 赤霄たちに連れられたフルルドリスたちの姿は、薄暗いしめっけのある場所にあった。

 

『ここは?』

氷水(ひすい)と言う名の、この霊峰の力の源である地底湖の精霊たちの住処だ。我ら相剣は故あって彼女らを助け、守り、その力を借りている』

『大丈夫です。感情はわかりにくいですが、皆優しさに満ち溢れた者たちですよ』

 

 赤霄の言葉に、莫邪が補足した。

 地底湖の精霊――ドラグマとして様々な種族と戦ってきた彼女らにしてみると、敵対者の一種に該当するのは間違いない。

 まして聖痕を封印できるというのだ。ドラグマから出奔していない状況であれば、確実に敵対していたことだろう。

 

『この、水の塊は?』

『彼女らの力の結晶体だ。熱を取り除き、そなたらの聖痕――否。烙印の力を封じるものだ』

 

《烙印》

 

 その単語にフルルドリスたちは耳を疑った。

 

「私たちが出会ったのは、相剣師たちと協力関係にある者たちだ。彼女らの作り出した揺籃に入ると、それまで体を蝕んでいた聖痕の力が中和されていった」

「どういうわけか、聖痕から流れる力に、邪悪な者が紛れ込んでいました。下手をすれば、我々の肉体は、悪魔か何かに変異していたことでしょう」

 

 フルルドリスとアディンの言葉に、エクレシアは額を抑える。聖痕の輝きが弱まっているとは言え、消え去ったわけではない。

 今力をほとんど使えない彼女だが、もしかしたら何かしら暴走の危険性が残されているということだ。

 

『お前たちのそれは、聖なる証などではない。ホールの向こう側にある邪悪な存在の力を、外面だけを綺麗にして植え付けた、烙印だ』

 

 泰阿の言葉が、鋭く三人の胸に刺さる。実直な彼らしい、ごまかしのない言葉だ。

 それゆえに、彼の言うことが事実であると認めざるを得ない。

 

『なぜ、我々を助けたのだ?』

『ドラグマ……マクシムスと名乗っている奴の計画に対抗するには、戦力が必要だ』

『マクシムスを、知っておられるのですか?』

 

 赤霄の答えに、アディンは重ねて問いかける。

 

『正体はわからん。だが、ただの人間ではないはわかっている。決して神の代理人などではなく、邪悪な何かだ』

 

 強い警戒心と敵意を含んだ声だ。本気でマクシムス……ドラマトゥルギアを警戒しているからこそ、フルルドリスたちを助ける選択肢を選んだのだ。

 

『さぁ、急げ。氷水の力により、そなたの烙印を抑え、封印する』

 

 赤霄に促され、フルルドリスたちは氷水の揺籃へと飛び込む。

 冷たい水の力が、彼女らの中から烙印の呪いを浄化していった。

 そして、今に至る。

 

「彼女らはお前たちを迎え入れると言っていた。相剣の民の地、相剣門と呼ばれる山に向かうんだ。エクレシアの、烙印への対処のために」

「相剣門……ですか? そんな土地、聞いたことがありません」

 

 エクレシアの指摘に、尤もだと三人も頷く。しかし、道を教えてくれることはない。

 

「行けばわかる。私たちも決して道を理解して辿り着いたわけではない。相剣の民が導いてくれれば、辿り着けるはずだ」

 

 幻竜――つまり、幻を扱う。何か人知の及ばない力を行使したとしても、不思議ではない。

 

「聖痕。いえ、烙印の封印……そうすれば、また前みたいに戦えるんでしょうか」

 

 ぽつりとした呟きに反応したのは、アルビオンだった。

 首をもたげ、エクレシアに近づける。

 

「俺に言っていたこと、気にしているのか」

 

 大きなアルビオンの口から、エクレシアに問いかけられる。

 

「君は、戦えないからって、決して弱いヒトじゃない。おれが正気を取り戻せたのは、君のおかげだ」

「ありがとうございます。アルバスくん。でも……」

「烙印を封印したら、そのままおれが君を連れていく。逃げよう。遠くへ」

 

 端的に、一息で言い切った言葉は、抗いがたい魅力を秘めている。

 何もかも忘れて逃げる。

 それは、誰にだって訪れる魅惑の瞬間だ。

 

 何事からも解放された自由は、誰もが望む楽な道だ。

 何より、エクレシアは意地でも戦わなければならない理由があるわけではない。自分を追放した者とわざわざ戦いに戻るなど、よっぽど深い恨みつらみがなければできない。

 その点、エレクシアは追放についてある程度割り切っている。

 無理をして復讐――などする必要はない。

 

 

「それは、だめです」

 

 

 けれど、やはり彼女は、聖女だった。

 

「私がこれまで一緒に生きて来たドラグマが、何か問題を起こそうというのなら、止める義務があります。短かろうと長かろうと、一度はドラグマの聖女を名乗った身です。その責務から、逃げることはできません」

 

 きっぱりと、そう言い放った。

 武器もなく、力もなく、それでもなお彼女は聖女足らんとする。その心が、今も悲劇に見舞われているであろう誰かを助けるために、動こうとしている。

 

「やっぱり、君はすごいな」

 

 アルビオンの言葉に、え? とエクレシアは首をかしげる。

 

「おれが君を連れて行くよ。相剣門でもドラグマでも、おれが飛んで、君を連れて行く」

 

 日傘代わりにしている翼と反対の翼を開く。竜の巨体を浮かび上がらせる強靭な翼が、砂漠の砂を巻き上げた。

 

「君の進む道が、おれの飛んでいく道だ」

 

 黒竜は、聖女とともにある。

 逃げようと提案したのだって、決して冗談や試しなどではない。

 アルビオン――アルバスにとって、本気だった。本気で彼女の安全を考えれば、その選択肢がまず真っ先に上がるのは当然だ。

 彼の翼なら、歩くよりはるかに速く、はるか遠くへ辿り着ける。それこそこの大陸を離れ、ずっと遠くで暮らすことだってできるだろう。

 けれど、エクレシアは自分の責務から逃げようとはしなかった。

 本来なら追放された時点で全てなくなっているはずなのに、わざわざ自分から責任を受け取りに行く。過去に背負ったものを、無理やり自分で背負う。

 愚かしいとすらいえる行いでありながら、その場の誰もが納得する。

 

 

『だからこそ、エクレシアは聖女なのだ』――と。

 

 

 彼女の決断を、誰も否定することはない。

 

「お前たちが相剣の民の許に行っている間に、私たちはドラグマへ戻る」

「だ、大丈夫なんですか。今、ドラグマの状況は……」

「よろしくないだろう。帰れば反逆者として捕まるかもしれないが、それも覚悟の上だ」

 

 実際には、反逆者どころかそれを追求する者が誰一人として、もう残っていないのだが。今彼女らがその事実を知らないのは幸福か、それとも不幸か。

 判断は付けられない。

 ただわかっているのは、すでに多くのことが、手遅れだということだけだ。

 

「アルバス、というのだったな」

 

 フルルドリスの片目が、黒竜へ向けられる。

 

「あんた、おれがバスタードだった時に雷叩きつけて、さっきもまたやってくれたよな」

「謝るつもりはないぞ。私が君より強かっただけの話だ」

「わかってる。次は喰らってもやられないからな」

 

 強がって見せるアルビオンは、その巨体に対して子どもっぽい。

 事実中身は子どものようなもの。エクレシアを守りたいという一心で彼女と一緒にいる、無自覚なナイトなのだ。

 

「エクレシアを頼む。私の大切な、妹なんだ」

「フルル……お姉ちゃん……」

「もちろん。あんたこそ、エクレシアに心配させるようなことにならないでね」

「愚問だな」

 

 同じヒトを大切に思う、アルバスとフルルドリス。だからこそ、通じるものがある。大切な人を悲しませないために戦う覚悟も、意志も、同じ方向を向いているのだ。

 

「ここから西に迎え。相剣の民が、そこで導いてくれる」

 

 立ち上がったフルルドリスに続き、テオとアディンも立ち上がる。荷物を担ぎ、砂漠の、ドラグマ側の出口の方を見る。

 

「必ず、また会おう」

「はい。フルルお姉ちゃんも、テオさんも、アディン先生も、どうかご無事で」

 

 別れは名残惜しい。けれど、無為に過ごす時間もない。

 砂漠を離れていく三人を見送るエクレシアは、しばらくその場で動けなかった。

 零れそうな涙は、寂しさか。不安か。

 ただ彼女はぐっとこらえて、キットのことを見た。

 

「キットちゃん。お願いがあるんです」

 

 首を傾げたキットの視線は、エクレシアの視線が向く先――幼体ゴルゴンダの骨へと向かっていく。

 しばらくの沈黙の後、キットの頭にピカッとひらめくものがあった。

 

「そーいうことね。まかせよ、エクレシア!」

 

 ぐっと親指を立てた彼女は、ポーチの道具を取り出して走り出す。

 物語はまた、別れを経て動き出す。

 しばらく休息したフルルドリスたちはドラグマへ。アルバスたちは相剣門へ。

 それぞれの場所へと、向かっていくのだ。

 

 

   ◆

 

 

「どぅえきぃとぉぁぁぁぁ!」

 

 その言葉が響いたのは、フルルドリスたちと別れてから二日目。

 トライブリゲードが誇る発明家であるキットの手には、巨大な幼体ゴルゴンダの頭部、そこに装着された様々な機械が存在した。

 

「おおっ! なんて見事なハンマーですか!」

 

 それを見たエクレシアは、驚愕と歓喜に目を輝かせる。隣にいるアルバスは、首をぬっと伸ばして改造された骨を見る。

 

「前にエクレシアが使っていた奴に比べると、ずいぶん……野性味に溢れているな」

「チッチッチッ! 認識が甘いよアルバスくん。このハンマーはただのハンマーにあらず! なんてたってあたしがエクレシアのために造ったお手製武器だよ。ただ機械を取り付けただけだって言うなら、わざわざゴルゴンダの骨を使う必要なんてないのさ」

 

 非常に頑丈な素材、というだけではない。

 ゴルゴンダの骨そのものは、強度とは全く違う理由から採用されるに至った。その理由に、エクレシアもアルバスも首をかしげる。

 

「百聞は一見に如かずってね。おーい、スプリガンズの誰か。ちょっとこっち来てよ。あ、体は放置して、煤状になってね」

 

 その言葉に応えたのは、先日エクレシアにゴルゴンダから救われた個体のスプリガンズ・ロッキーだった。

 エクレシアのためになるのだろうと考えた彼は、迷わず煤状になって寄ってくる。

 キットはその体を拾い上げると、出来上がったハンマーの柄に触れさせる。

 

「さあ、行ってきな!」

 

 その言葉とともに、スプリガンズの体はハンマーの中へと吸い込まれる。

 

「え!? だ、大丈夫なんですか!?」

「スプリガンズは肉体を持たないからこそ、どんな機械にでも入れる、か」

 

 心配するエクレシアに対し、アルバスはキットの狙いが理解できた。

 ガラクタであろうと、改造品であろうと、スプリガンズが入りさえすれば、もうそれは立派な機械生命体となる。

 ゴルゴンダの骨の中で膨れ上がったスプリガンズの目が、空っぽだった骨の間から現れる。後頭部に装着されたブースターが火を噴いて、巨大なハンマーとして完成する。

 

「ゴルゴンダハンマー・ロッキーちゃん、完成だよ!」

 

 キットには持ち上げられない重量の巨大ハンマー。元来の肉体能力だけで拾い上げたエクレシアは、数度振って感触を確かめる。

 

「このハンマーに宿るということは、しばらくお友達やキットちゃんとは、お別れになってしまいますよ?」

「エクレシア、オラノコト助ケタ。今度ハオラノ番」

 

 ケタケタと笑うスプリガンズの言葉に、エクレシアも微笑んだ。

 ただ無意識に動いた体が助けただけだった。

 けれど、救った恩が、彼女の新たな力となる。今まで使っていたドラグマのハンマーと違い、結界を展開する力はない。

 だが強度と威力ならば、この機械で強化されたこちらに軍配が上がるだろう。

 

「これで、わたしも戦えます。よろしくお願いしますね。ロッキーちゃん」

「エクレシア……」

 

 彼女がなぜ新しいハンマーを求めたか。アルバスにも理解できていた。

 

「無理しなくても、良いんだぞ?」

「いいえ。自分の身は、最低限自分で守りたいんです。アルバスくんに頼ってばかりじゃ、だめですから」

 

 ゴルゴンダに襲われたとき、敵が巨大すぎるのもあるが、手も足も出せなかった。ドラグマが不穏な情勢にあると言うときに、戦う術を持たないことは危険だ。

 だからこそ、エクレシアはゴルゴンダハンマーを手にすることにしたのだ。

 予想以上に魔改造されたものが手に入ったが、それはそれで好都合。

 

「次からは、わたしも一緒に戦わせてくださいね」

 

 ゴルゴンダハンマーを担ぎながら、エクレシアはアルバスに笑みを向けた。

 彼女は聖女であると同時に、一人の戦士でもあった。その覚悟を止める理由も言葉もなく、ただアルバスは頷く。

 

「わかった。頼りにさせてもらうよ」

「はい、がんばります! ね、ロッキーちゃん」

「ウン!」

 

 彼女の強さは理解できている。あとは、どれだけ互いを信用できるか。

 むろんアルバスの中に、心配する気持ちがないわけではない。できれば彼女には危ないことはして欲しくないと思いもする。

 けれど、一方的に守られるだけで、彼女が満足であるはずはないとわかっている。お互いに守り合うからこそ、より巨大な敵にも立ち向かえる。

 トライブリゲードの面々を見て、一緒にゴルゴンダと戦って、アルバスにもそのことは理解できていた。

 彼女の存在があるから、アルバスは今の自分を保てている。

 エクレシアを守り、エクレシアに守られ、二人は今相剣の里に向かおうとしている。

 

「それじゃあ、武器も手に入ったし、乗ってくれ」

「よろしくお願いします。フルルお姉ちゃんの話だと、もっと西のほうに相剣の里はあるそうですからね」

 

 そう言いながら、彼女はポーチの中からあるものを取り出した。

 

「それ、ドラグマにいたころにつけてたやつか」

「はい。聖女のティアラです」

 

 彼女が取り出したのは、教導の聖女と呼ばれていたころに付けていた髪飾りだ。彼女を守る聖具の一種であり、これを付けるだけでも防御の魔術が働いてくれる。

 聖痕の力が殆どない今の段階では、あまり有用なものではない。

 だが、聖女としての責任を全うすると決意した以上、身の証が必要だ。

 

「わたしはまた、聖女に戻ります。そう呼ばれていたことの、その責任を果たす姿に」

 

 彼女の髪は、久しぶりに結われていた。

 出発前のフルルドリスが編み込み、キットがそれに学んだ。おかげで、この数日エクレシアにもみあげには編み込みできるようになった。

 片側だけのそれは、聖女の名残と、新しい自分を証明するものだ。

 そこに聖女のティアラが装着され、編み込みが巻きつけられた。

 

「よく似合ってる。強そうだ」

「ありがとうございます。アルバスくん」

 

 凛々しさを上乗せされたエクレシア。その姿はアルバスにもカッコよく思えた。

 

「そろそろ、行きましょう」

 

 身を低くしたアルバスの背中に、エクレシアは跨った。

 ずしっとゴルゴンダハンマーの重みが背中に乗ってくるが、ドラゴンと化したアルバス――アルビオンには多少の違いでしかない。

 ばさりと翼を広げ、空に飛び立とうとする。

 

「あ、エクレシア、待って!」

 

 そう言ったのはキットだ。彼女はカバンの中をごそごそと弄り出すと、何かを取り出す。それを、エクレシアに向けた。

 

「はいこれ。あたしの予備ゴーグル」

「え? これ、キットちゃんと同じ……」

「そう、おソロ。空を飛ぶんじゃ、目痛くなるでしょ。あたしもシュライグに運ばれたことがあるからわかるんだ」

 

 そう言って、キットはエクレシアの頭にゴーグルを止め、目を覆わせる。

 

「それと、こっちはリズ姉のおさがりだけど、ジャケット。今羽織ってるの、リズ姉の着てたやつでしょ。さっきのアルバスの放った炎でちょっと焼けてたから、交換」

「良いんですか。フェリジットさんのものを――」

 

 問いかけるエクレシアに首を横へ振って、キットは彼女の肩に自分のジャケットをかける。

 

「いいの。リズ姉のジャケットと、あたしのゴーグルが、エクレシアを守る。アルバス、聖女様をきちんとエスコートしなよ」

「言われなくてもわかっている」

「ならよし。じゃ、エクレシア。気を付けてね」

 

 そう言って、泣きそうな顔をするエクレシアの頬に軽く触れる。大きく肯いたエクレシアに、キットは笑みを返した。

 

「これが今生の別れってわけじゃないんだから。そんな顔しないの」

「わ、わかってます! でもほんと、キットちゃんにも、スプリガンズの皆さんにも、すごくお世話になって。勢いのまま出発すれば、涙なんて見せなくて済むと思ってたのに……」

「別れの挨拶くらいはさせてよ。必ずまた、元気な姿で会おうって」

「はい。約束です!」

「アルバスもだよ」

「ああ」

 

 短く答えたアルバスは、自ら尻尾をキットの前に差し出す。

 悪手の代わり、ということを理解したキットは、ぎゅっとその尻尾を握る。そこに、エクレシアが手を重ねる。

 

「いってらっしゃい」

「行ってきます」

「行ってくる」

 

 砂漠に向かう前、彼女の姉とも交わした似たようなやり取りを、アルバスたちは思い出す。

 いってらっしゃい――いってきます。

 誰かの無事を祈り、再び会えるようにという想いを込めた言葉を、三人は交わした。

 翼を羽ばたかせ、黒衣竜は舞い上がる。

 黄金の砂漠ゴールド・ゴルゴンダで、黒き竜と白き聖女が旅立っていく。

 その光景を、見送る獣の少女が、後の記録者にこう伝えた。

 

 太陽の光を浴びて、烙印の使者が西へと旅立った。

 灼熱の砂漠より熱い血潮を宿した二人の想いは、いかなる恐怖も売り払う気炎に満ちたものだった。

 

 ――と獣の少女は、後の時代備忘録の書き手に向けて、そう告げたという。

 

 

 

 大きく手を振るスプリガンズ キャプテン・サルガッソ。

 彼につられるようにエクスブロウラーが手を振って、ピードもロッキーもバンカーも、誰もが飛び上がり、爆発し、花火となって黒衣竜を見送った。

 ボロボロのベアブルムを走らせて追いかけるキットは、零れそうな涙を強引に拭って見送っていく。

 これが今生の別れではない。自分で言ったように、キットはまた会えると信じて、砂漠に残った。

 否、彼女もまた、旅立ちの時を迎えたのだ。

 

「リズ姉たちのためにも、一回行かなきゃだよね」

 

 トライブリゲードの根幹を支えるサイバネティクス技術と、対ドラグマ用弾丸の製造は、全てここから遠く離れた鉄の国と呼ばれる場所で培われた。

 相剣にて聖痕――烙印を封じたフルルドリスたちと、現在小康状態にある烙印を宿したエクレシア。

 彼女らのために自分に何ができるかと考えたキットは、自分たちの戦いを振り返る。そして、烙印を封じるということであるならば、自分たちもしているではないかと気づいたのだ。

 対ドラグマ技術の結晶体――トライブリゲードの武器がそうだ。そこに込められた特殊エネルギーこそが、ホールの力を封じる鍵なのだ。

 

「キャプテン。旅立った子分たちのために、親分が一肌脱いでみない?」

「ヒトハダ? 我々ニ肌はナイぞ?」

「そーじゃないっての!」

 

 見送るものあれば、また旅立つ者あり。

 

 



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第十四章《大霊峰相剣門》

 

 はるか上空を飛ぶアルバスの背で、ゴーグルを装着したエクレシアは遠くを眺めていた。

 フルルドリスたちが言っていた相剣の里。

 その場所を探し、前後左右を何度も振り返る。

 

「見つかりませんね、その、霊峰とやら……」

 

 そもそも、山自体がなかった。

 砂漠からすでに大地は変わり、広々とした荒原と草原の入り混じった乾いた土地の上空を、二人は飛んでいる。

 人間の足なら一週間はかかりそうな距離も、空を飛ぶ黒衣竜アルビオンにかかれば、数時間で踏破可能だ。

 しかし、その視界に霊峰など見えてこない。緑豊かな場所だったと聞いていたが、見えるのは白っぽい土がむき出しの低い山ばかりだ。

 

「フルルドリスたち、方向を間違えたのか?」

「そんなこと……アルバスくん、前、雲!」

「え!?」

 

 突如、目の前を巨大な雲が遮った。

 先ほどまでなかったはずの雲に顔から突っ込み、突き抜ける。表面は白い綿のような雲だが、中は冷たい水分の塊だ。

 視界を完全に覆い尽くした白い霞か靄を突き進む。

 

「エクレシア、大丈夫か!?」

「だ、大丈夫です! それより、この雲……」

「ああ。何か違う!」

 

 直感的に、二人も理解した。

 構成するのはただの水のようだ。だが、その中に僅かに魔術の気配を感じる。

 アルビオンにはわからないが、エクレシアにはアディンの転移魔術に似た気配を思い出していた。

 そして、雲を抜けて太陽の光を受けると、体表との温度差に、二人は体を震わせた。

 しかし、目を開けた時の光景で、そんな寒さなど忘れてしまう。

 

「うわっ! あ、アルバスくん、これ!」

「あ。ああ……どうりで、なんも見当たらないわけだよ」

 

 唖然とした二人の眼前に、巨大な霊峰が聳え立つ。

 剣のように鋭い岩と、その内部に存在する光輝く紋様の刻まれた黒石。

 緑の気配など欠片ほどもなったはずの下界に比べ、ここは豊かな青々とした草木が覆っている。

 この、深淵と呼ばれる大陸の光景とは思えない大霊峰。気候も植生も違うこの場所は、特別な力で守られた秘境――結界の内側の空間なのだと、すぐに理解できた。

 外界から閉ざされた空間。桃源郷や楽園などと呼ばれる場所なのだと、二人は思う。

 その一角に降り立てば、霊峰の中心――巨大な傘のように雲に包まれた一番高い山を見上げる形になった。

 

「間違いなく、あそこだよな」

「はい。凄く強い気配が、あの雲の向こう側からします」

 

 エクレシアの同意を受けて、アルビオンは再び羽ばたこうとする。

 その二人に向け、奇怪な影が跳びかかった。

 鎧のような甲殻を見に纏った巨大な虫が、アルビオンたちへと襲い掛かる。

 

「この個体、人食い虫!?」

「なんだ、その物騒なの」

 

 とっさに羽ばたいたアルビオンは、人食い虫から距離をとる。

 黄土色の巨大な人型の虫は、かつて深淵の大陸はもちろん、世界各地に存在したという巨大な肉食の虫だった。しかし、危険すぎるその個体は多くの種族から駆除され、幻の個体と言われるようになった。

 その一体が、この空間にいた。

 

「特別な結界で守られた空間だから、生き残りがいたんですね。人と同じ気配を漂わせて……どうやらわたしが知識として知っている人食い虫より、知能が高そうです」

「関係ない。邪魔するなら破壊すればいい」

 

 豊かな自然とは、時に危険な生物の巣窟となるものだ。深淵の大陸に相応しからざる緑に満ちた大霊峰は、虫も動物も、誰もが生きるには適した空間だった。

 

「キシャァァァ!」

 

 人食い虫が、その両手の鋭い爪を向けて飛び掛かろうとする。

 迎え撃とうとするアルビオンたちだが、それより早く人一人を丸呑みするだけの牙が、人食い虫を丸呑みにする。

 

「な、なんです、今度は……」

 

 アルビオンとエクレシアが見上げたのは、三つの頭に、尻尾の頭を加えた四つの顎を持つ巨大な獣だった。

 角を持つ獅子、竜、鳥、蛇、異なる生物を組み合わせた結果生まれる魔術の秘奥の一つ――融合獣。その到達点ともいえる存在が、二人の前に立ち塞がる。

 その名を《ガーディアン・キマイラ》

 この大霊峰相剣門を守るために放たれた、制御不能の番犬だ。

 

「しっかり捕まれ!」

「ガァオォォォン!」

 

 守護獣が叩きつけた前足で、岩山が崩れる。アルビオンも人間であるエクレシアに比べれば巨大だ。だがそれと比べてもガーディアン・キマイラは巨大だった。

 三つの首が成立するだけの巨体と、それを支える四肢に翼、羽ばたくだけで嵐が起こったような突風が吹き荒れる。

 

「こんな個体まで放し飼いだなんて、大丈夫なのか、ここの奴ら」

「お、そらくですけど……それ以上に強い人がいるから、問題ないんだと思います!」

 

 相剣――この大地に住まうエクレシアも、その存在を耳にしたことはない。アディンすら知らない、未知の文明を持つ者たち。

 大陸でもっとも国民の数が多く、発展しているとされるドラグマだが、その実鎖国的な情勢で、諸外国の事情には疎い部分が多い。

 

「でも、これだけすごい生物がいるのなら、相剣師さんたちもすごい人たちだと確信できました!」

「ああ。何とか突破して、あの山に!」

 

 追いかけてくる三つ首の化け物を振り切ろうと、アルビオンは加速する。体が小さい分旋回力は高い。ぎゅっとしがみつくエクレシアを落とさないことだけに留意して、さらに加速する。

 高速旋回、からのブレス。アルビオンの放つ炎を鬱陶しそうに払い除けたガーディアン・キマイラだが、その一瞬が目くらましとなる。

 アルビオンははるか上空へ舞い上がり、ガーディアン・キマイラの頭上をとる。

 

「エクレシア!」

「はい!」

 

 アルビオンの呼びかけに答えたエクレシアが、その背中から飛び出した。その間にアルビオンは全身に力を籠め、その身に炎を纏っていく。

 アルビオンとしての姿を確立した恩恵か。それとも別の要因なのか。理由は一先ず置いておくとして、彼にはできるようになったことがある。

 

「燃え尽きたる残滓より、その姿を現さん。我が名は、灰燼竜バスタード!」

 

 アルビオンを中心として出来上がった炎の中から、灰銀色の竜――灰燼竜バスタードがその姿を現した。

 鋼のような装甲を見に纏ったバスタードは、ガーディアン・キマイラへ向けて急降下する。頭上を取ったこの状況、さらに破壊と防御の力を高めるバスタードの姿。

 確実にガーディアン・キマイラを倒すかに思えた。

 その背に、牛の頭を見つけるまで。

 

「まだ別の頭が!」

「ブゥモモオオオオオ!」

 

 直後、背中の牛の頭が持つ口から、強烈な閃光が離れた。

 バスタードの鎧のような鱗でも、直撃のダメージは免れない。鋭い鱗と角による突撃は威力を減衰させられる。

 だが、本命は自分ではない。

 バスタードに変身する際、エクレシアはどうしたか。

 

「行きますよ、ロッキーちゃん!」

「イイェ――イ!!」

 

 ジェット噴射を始めたハンマーを、落下するエクレシアは回転しながら振るっていた。

 

「てぇぇぇい!」

 

 ガーディアン・キマイラの右頭部、鳥の頭へと叩きつける。

 

「ピギャァオウ!」

 

 二段階の攻撃に化け物も叫びをあげる。落ちてくるエクレシアをバスタードが受け止めると、そのまま旋回。次の一撃を叩きこもうと距離を調整する。

 だが、一度やられて黙っているガーディアン・キマイラではない。

 全ての顎の中に力を溜め込めば、バチバチと言う雷のような音が響く。

 

「まずい、エクレシア、しっかり捕まれ!」

 

 バスタードは自分の翼と尻尾を盾にするように体を丸めた。五つもの頭から離れる無慈悲なる殺意の光。バスタードの翼を焼き、鱗を剥がし、飛行能力を奪わんとする。

 

「ぐぅっ!」

「アルバスくん!」

 

 耐え切れなかったアルバスの体はアルビオンへと戻りつつあり、霊峰の一角へと叩き落される。

 エクレシアを守るように自らの腹を差し出したドラゴンは、土埃を上げて滑っていく。土に汚れた頭を振るえば、まだやれると上空を睨む。

 そこに舞い降りる巨大な影が、五つの異なる咆哮を上げて威嚇してくる。

 地面に降り立ったエクレシアが、ゴルゴンダハンマーを構え、片手をアルバスの額に添える。一緒に戦う、その意思を示した聖女に、黒竜は従った。

 ガーディアン・キマイラの巻き起こす突風に髪を揺らしながら、迎撃の瞬間を待つ。

 

 

「悪いな。ここにいる奴らは、どうも活きが良すぎるようだ」

 

 

 だが、その時は訪れない。二人の背後に出現した影が、ガーディアン・キマイラに向かってその赤熱の一太刀を振るう。

 

相剣斬蛇(そうけんざんじゃ)

 

 ガーディアン・キマイラの尻尾が切断されると同時に、激しく爆発した。

 刃に込められた熱がガーディアン・キマイラの魔力と反応し、爆発を起こしたのだろう。しかし問題は、減衰したとは言えバスタードの攻撃でもまともに傷つかなかった体を、一太刀で斬り捨てたその力。

 突然の一撃に驚いたガーディアン・キマイラは、すぐさまその場から離れていく。切り落とされた尻尾の頭は燃え尽きて、本体の尻尾は再生しつつある。

 だが、一度染みついた恐怖に、獣は抗えない。

 アルビオンとエクレシアをその場に残し、巨大な融合獣は飛び去って行った。

 そして、残されたアルビオンたちは、突然の援軍のほうを見る。

 

「あ、あんたは……」

 

 彼らを救ったのは、真紅の鎧に身を包んだ幻竜だ。

 

「教導の聖女、エクレシア」

「は、はい!」

「黒衣の竜、アルビオン……アルバス」

「ああ」

 

 赤い鎧の幻竜は、じっと二人のことを見る。

 そしてゆっくりと、開いている手を大霊峰の中心へ向けた。

 

「我らの大公、承影(しょうえい)が、そなたらを待っている」

 

 相剣大師-赤霄の迎えが、白と黒の一行を、大霊峰へと招き入れた。

 

 

   ◆

 

 

 赤霄につられて、アルビオンとエクレシアは山中を進む。

 道中にはエクレシアにとってつい最近見た覚えのある毛むくじゃらの小動物たちがいた。ドラグマ均衡に生息するようになった、メルフィーたちと同じ種族だ。

 

「あ! アルバスくん、見てください。メルフィーです! ここの子たちももこもこです」

「……川に流されているみたいだけど、大丈夫なのか?」

「楽しんでるようですから大丈夫そうですよ。見ているとウキウキしてきますね!」

「なごむんだよな。あ、こっち見てる」

「わたしたちとにらめっこですかね?」

 

 人食い虫やガーディアン・キマイラだけではない。大霊峰相剣門には、様々な生物が住み着いている。

 赤霄が語るところによれば、パイレンと呼ばれる金色の幻竜や、マタタビ仙狸(せんり)と呼ばれる山猫、他にも様々な生物が生息している。

 それも、氷水の力がこの山を外界から遮断し、安全域を作り出しているためだという。

 

「ドラグマの者たちも辿り着けぬこの地のことは、ほとんど知り得ぬ。ゆえに我らは長きに渡りこの地を守り、大陸を見守ってきた」

「けど、そうもいかなくなった」

 

 アルビオンの言葉に、赤霄は肯く。

 

「我らの護る氷水の長は千里眼を持つ。遠くない将来、この地に禍が訪れ、そしてこの大陸全てもその災厄に呑まれると言われている」

「だから、フルルお姉ちゃんたちの力を借りようとしたんですね」

 

 ドラグマの最高戦力である三人を味方に引き入れられれば、心強いことこの上ない。今彼女らはドラグマに戻って状況を確かめていることだろうが、一体どうなっているか。

 

「そのことについて、我らの大公から説明がある」

「大公?」

「覇蛇大公ゴルゴンダも同じ称号を持っていましたね。他の国では、貴族の爵位を示す。……とりあえず、偉い人ってことです」

 

 エクレシアの説明に、アルビオンはなるほどと頷く。要するに、相剣をまとめる長の許に向かっているということで、間違いない。

 複雑な山の道を進み、雲を抜け、荘厳な建物のそびえる山頂へと辿り着いた。

 ドラグマとは違う文化圏の建物で、木製の赤色の壁が並んでいる。山の傾斜に合わせた段々構造で、一番高い建物は一番大きな柱と門を持っている。

 

「では、大公の許に参ろうか」

「赤霄。そ奴らが氷水の予言の者たちか」

 

 建物に向かおうとした彼らに、横から声が掛けられた。

 

龍淵(リュウエン)。どうした。お前が軍議以外に関心を持つとは、珍しい」

「大陸の行く末を決める存在なのだろう。気にもする」

 

 現れたのは、赤霄とは対照的な黒い鎧を身に着けた相剣師だった。巨大且つ切れ味の良さそうな曲刀を佩いたその相剣師は、赤霄から龍淵と呼ばれた。

 

「こやつは相剣軍師-龍淵。我らの知恵袋であり、不愛想な男だ」

「黙れ調子者。しかし、これが下界の教導の聖女と、黒の竜か」

 

 顎に手を当て、ふむと龍淵は呟く。

 軍師――そう呼ばれるに足る才知の持ち主なのだろう。エクレシアとアルビオンを見る目は、決して値踏みするだけのものではない。

 二人の深淵を除くかのような鋭い視線に、エクレシアは緊張して冷や汗を垂らす。我知らずアルビオンの髪をぎゅっと掴み、龍淵の視線から隠れないようにと気を保つ。

 

「このような存在が、大陸の明日を左右すると? 何も力を持たないであろう、追放された聖女と、竜の落とし(だね)が、か」

「そこまでにしておけ龍淵。彼らは大公の客ぞ。あまり無礼を働くのは、軍師である前に相剣師であることの自覚不足だぞ」

「その相剣師が、力なき者に何を頼ろうというのだ」

 

 そう言った龍淵は踵を返し、建物の影に去っていく。

 彼がいなくなったことで、エクレシアはホッと一息つく。

 

「わ、わたし、嫌われているんでしょうか?」

 

 彼女の問いに、赤霄は首を横に振る。

 

「もともと他人に興味を持たない奴だ。愛弟子である莫邪は例外だが、それ以外には誰にでもあのような態度だ。多少力に固執している面はあるが、その実力は大師である我にも引けを取らん」

 

 大公とは、相剣師たちの長の称号だ。大師は若い相剣師たちを指導し、戦においては最前線で指揮を執る立場にある。軍師は相剣師たちの戦いにおける指揮者であり、個でも隊でもその実力を発揮できるものに限られる。

 相剣のまとめ役たる三者、未だ見ぬ承影も合わせ、その実力は計り知れない。

 

「さて、大公がお待ちかねだ。行こう」

 

 赤霄は気を取り直し、二人を一番奥の建物へと連れて行く。

 ちらりと振り返るアルビオンだが、その視線は先ほどの黒鎧を捉えることはない。

 竜の落し胤――未だに自分が何者かもわからないアルバスの存在は、彼には何に見えたのだろうか。

 

 

   ◆

 

 

 建物の中に居たのは、体型の大きい赤霄より、さらに大柄な相剣師だった。

 その傍らには鋭い角を持った赤い獣が控えており、鎧のような体表で、生物感が薄い。

 厳かな声が、空間に響く。

 

「よくぞ来た。教導の聖女エクレシア。黒衣の竜アルビオン」

「あ、あの、どうしてわたしたちのことを……?」

「すでにいくつか聞いているだろう。氷水たちの予言……。この深淵と呼ばれる大陸に迫る、ホールの脅威に対抗するために、そなたらをここに呼んだのだと」

 

 断片的には聞いている。だがまだまとまって、それも全容を把握している者からは聞いていない。

 

「教えてください。どうしてわたしとアルバスくんをここに呼んだのか。最初から最後まで、きっちり全部!」

 

 大公の巨体に怯えることなく、エクレシアは言い切った。

 その態度に、大公はゆっくりと頷く。

 

「その権利が、そなたにはあろう」

 

 彼は自らの傍らにある大剣を握り、強く地面に打ち付ける。すると、周囲に氷の膜のようなものが出来上がり、エクレシアとアルビオンを包み込む。

 

「この相剣大公-承影の名において、我ら相剣と氷水について明かそう」

 

 

 

 



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第十五章《瑞相剣究》

 

 

 アルビオンとエクレシア、二人を囲む氷に映ったのは、大霊峰相剣門だった。

 

「我ら相剣師は、この大霊峰相剣門の遥か地下、氷水底(ヒスイテイ)イニオン・クレイドルより力を受けて、この剣を持つ」

 

 氷の映像は霊峰の地下に向けてフォーカスしていき、地面を通り抜けて地底湖へと辿り着く。

 そこには相剣門の山の内側に存在する石と同じものが、空中を漂っている。相剣門外部でも浮遊する岩があったが、地底となるとその神秘性はより増してくる。

 

「氷水とは、正確にはこの霊峰を巡る力そのもののことだ。それが人格を持ち、我ら相剣と交渉し、対話することができるのは、顕現体であるコスモクロアがいるおかげだ」

「顕現体……つまりエネルギーに魂が宿った、精神生命体の一種ですね」

「その通り。それは氷と水から形を作り、今もこの地下に存在している。そして、我らは彼女らから力を借り受けているのだ」

 

 ガシャン、と承影の剣が音を立てる。

 

「我ら相剣師の剣は、氷水の鏡に自らの心の姿である〝相〟を映し、形を成す」

「〝相〟――内面を表す外見、のことですか」

「どういうことだ?」

 エクレシアは承影の話についていっているようだが、アルビオンはその長い首を傾げる。多少わかりづらいことは、承影もエクレシアも理解できていた。

 

 

「今のアルバスくんの姿は、ドラゴンですよね。でも、普段はわたしと同じ、人間です」

「でも、おれとしては今この姿、結構しっくりくるんだけど」

「それが、〝相〟です。アルバスくんの本質と外見が今一致している……かもしれないんです。心の内面が形となって現れたのが、今の姿なのかもしれません」

「そう、なのか?」

 

 アルバスとアルビオン、その姿の真実がどちらにあるのか。それは本人にすらわからない。だが、心の内側に存在したドラゴンとしての性質が今体表に現れたからこそ、人間の姿に戻らず、ドラゴンの姿を自然と感じているのだと、エクレシアは予測する。

 

「しかり。我らの剣は、心の現われである。かつては霊峰を巡る力の存在によって争いの渦中にあったイニオン・クレイドルを、我は平定した。その時より、この剣はある」

 

 ヒトの心を形にする力。

 霊峰に到達するために雲の中を通ったのは、この空間を隠すための氷水の力らしい。巨大な空間を歪めるだけの力が、心優しく正しきものの手にあり続けたということは、決してない。

 

「我ら相剣師はこの力を守るために存在する。自らの心を映した剣は、自らの心が折れぬ限り決して刃こぼれすらない。守るべきものを守る力。我ら相剣師が振るう剣は、そのための刃だ」

 

 そんな、霊峰を守り続けてきた相剣師たちが、外界に助けを求めた。

 

「ホールより来たりし者、アルバス。運命の者を導く聖女エクレシアよ。氷水の母たるコスモクロアが待っている」

 

 大きな戦いが迫りつつあることは、アルビオンもエクレシアも理解できた。

 

「ただし、その前に……」

 

 承影の視線が、傍らに控える獣へと移る。先程から唸り声一つ上げていない獣が、のっそりと起き上がった。

 

相剣瑞獣(そうけんずいじゅう)-純鈞(じゅんきん)。その相剣角(そうけんかく)は、ヒトの正邪を見極め、その心の底の性質を映し出す、氷水の力でできたものだ」

「心の底の、性質……」

「真なる姿を見せよ。黒竜」

「ヴォ――――――ッッ!!」

 

 純鈞が吠える。大気を押しのけ、相剣角が光を放つ。

 それはエクレシアの体表には金色の、アルビオンの体表には紅の輝きを作り出す。

 周囲に広がる氷の壁に、二人の姿が映し出された。

 

 

 

 気づいたとき、アルビオンの姿は、アルバスの姿に戻っていた。

 周囲は漆黒の空間で、光源などないはずなのに自分の姿がはっきりと捉えられる。

 

「ここは……?」

 

 目の前に、鏡がある。

 否、これは氷水の氷だ。触れるとひやりとして、確かな冷気を伝えてくる。

 

「おれ、こんな顔だったのか……」

 

 水面に映った自分の姿を見たことはある。だが、ここまではっきりとした像を浮かび上がらせはしないため、うすぼんやりとしか見たことはなかった。

 褐色の肌と白い髪に混じる赤い線。人間にしか見えない姿だが、その本質は――。

 

「ドラゴン、この姿が、本当のおれなのか?」

 

 一瞬鏡の表面が光ったかと思えば、そこに映るのは、アルビオンとしての姿だった。

 炎に包まれた烙印竜としての姿は、何か別のところから力を得たことで変化した姿だった。アルバス本人の力だけで変身したのは、間違いなくこの黒衣竜としての姿のみだろう。

 

「おれは、一体どうやってバスタードの姿になったんだろう……」

 

 ホールから落ちて来た時、自覚はなかったが灰燼竜と呼ばれる姿になっていた。銀色の鎧のような鱗を纏ったドラゴン。今でこそ任意で変身できるとは言え、最初はどうやったのか、見当もつかない。

 

「ブリガンドになれたのは、エクレシアの聖痕を奪い返した結果だったし……」

 

 痕喰竜は、ドラゴンと言うより獣だった。周囲にいたトライブリゲードの面々からも、何かしら影響を受けていたのかもしれないと今なら思える。

 

「おれは、結局何者なんだ」

 

 いまだ、記憶はまともに戻らない。ただ感覚的に、様々なドラゴンの姿へと変身できることだけはわかる。

 

 

「思い出したいの、そんなに?」

 

 

 問いかけの声は、自分の者ではない。

 

「――ッ!?」

 

 氷の鏡に映ったのは、自分の姿でもなければ、アルビオンとしての姿でもない。

 真紅の髪をした、自分と同じ顔をした少年。恰好は全く違うが、もし横に並べば双子と間違われることもあるだろう。

 

「正邪と心の底の性質を見極める……そう聞いたとき、どう思った? 怖いって思わなかったかい? 本当の自分が、邪悪な存在なんじゃないかって」

「お、おれは……」

「エクレシアと一緒に居て勘違いしているんじゃないか? 烙印を身に宿した君たちは、真に聖なる存在などではないと理解したほうがいい」

「烙印……やっぱり、ドラグマの力は、ホールの……」

「創り上げられた聖女なんかと一緒じゃあ、この深淵を渦巻く力を止めることなどできはしない。本当の自分を取り戻せ。お前の本質は――」

 

 パキンッ!

 その音は、ひび割れた氷の鏡からした音だった。

 

「おれが邪悪なドラゴンだったとしても、それはいいよ。でも、エクレシアのことを否定するのは、許さない」

 

 静かな怒りが、拳に乗っていた。

 

「へぇ、偽物の聖女様、そんなに気に入った?」

「エクレシアは、おれに名前をくれた」

 

 ひび割れは広がっていき、氷の鏡全域に到達しようとする。

 

「おれと一緒に旅をしたいと言ってくれた」

 

 氷の鏡が割れる。崩れ落ちる欠片の向こう側で、赤髪の少年は不敵に笑う。

 

「おれが、おれ自身を信じられなかったとしても、おれはエクレシアを信じる!」

 

 それこそが、アルバスの正邪の証明だった。

 

「お前が誰かは知らない。でも、エクレシアは、偽物なんかじゃない!」

 

 自分の本質を知らない少年にとって、聖女を信じる心こそが唯一の拠り所だ。

 

「これが、そなたが恐れる邪悪であり、そなたの信じる正義の在り方なのか」

 

 声は、前からではなく後ろからした。

 振り向いたアルバスの目に、承影の姿が映った。

 

「相剣の大公。大地の力の守護者か」

「何者かは知らぬ。だがこの少年の心に入り込む邪悪な気配は、我らの敵だと確信できるな」

 

 砕けかけた鏡に向けて、承影は自らの剣を突きつける。

 

「気を付けた方がいいよ? そいつはあんたが思ってるほど、綺麗な存在じゃない」

「そなたの評価は聞いていない。この少年の――アルバスとともに戦うかは、信じるに値するかは我ら自身が決めることだ」

 

 承影の宣言に、赤髪の少年はニヤッと笑う。

 

「そう。じゃあ試して見なよ。この異空の魔王相手にさ」

 

 彼が指を鳴らしたとき、空間が拡張されていく。

 広々とした青空と、同時に眼下に広がるのは見たことない石造りの街。ドラグマとは建築様式の異なる尖頭の建物が多いこの場所を、アルバスは見たことがない。

 

「なんだ、ここ……」

「我らの心のうちに描かれた異次元の空だ。夢のようなものだが、ホールを介して奴が見た世界が映し出されているのだろう」

 

 承影のほうを向くと、彼は空を見上げていた。なんだと思いアルバスもそちらを見た時、驚くべき光景が目に入る。

 

「な、なんだよ、あれ……」

「遥か古の異次元において、魔界を統べ、人界を屠り、天界に牙を剥いた魔神の王がいたという。体躯は空を埋め尽くさんばかりに巨大で、天使、人、獣も竜も力を合わせて抗った末、滅ぼすことはできずに異界の狭間に封印したという」

 

 それは、ホールから伝わってきた情報の一部だ。実際に承影も見るのは初めてで、封印された魔神の王が、このような場所にいるはずはない。

 

「天に聳える禁忌の魔神……その力を奪うためにまず名を奪われ、天の大岩に繋がれた」

 

 ゆえに、その体は生物よりも岩石に近いものとなった。だからと言って力が失われているわけではない。この世界の天使たちは、存在を恐れ彼の者をこう呼ぶ。

 

「――天獄の王」

「オォォォォォォォッ!!」

 

 あまりにも巨大すぎる存在が、眼のようなものを備えた腕を振り下ろしてくる。

 これが夢だとわかっていても、アルバスは警戒どころか逃走を選びたくなる。

 街一つが落ちてくるのと変わらない。そんな状況で、承影は真っ直ぐに天獄の王を見上げている。

 

「どうやら、あれをどうにかせねば、そなたの夢から我らは覚めることができぬようだ」

「あいつが何をしたのかは知らないけれど、戦うしかないってことかよ!」

 

 やけくそ気味に叫ぶアルバスは、両腕を交差させ、体内の力を放出する。

 

「金色の角を持つ盾の獣とならん。我が名は、痕喰竜ブリガンド!」

 

 アルバスは自らの体を金色の角を持つ獣竜へと変える。鳥と竜、二つの特性を備えた翼を広げれば、天獄の王が振り下ろす拳へと向かっていく。

 

「盾よ!!」

 

 両の角の間にある、羊のごとき後ろ向きの角と、サイのごとく前方に向かう角。その全ての頂点から放たれた光が、盾となって空中で天獄の王の掌を受け止めた。

 眼科で逃げ惑う住民たちの姿が目に入る。彼らは上空の出来事にあっけにとられ、逃げるのを忘れてしまう。

 

「承影!!」

 

 痕喰竜の呼びかけに、相剣の長は素早く応える。

 

「甲纏竜よ、我が身に宿れ!」

 

 承影の姿に、金色のワームタイプのドラゴンが重なる。ガイアームと呼ばれる種族であり、一部の種族に力を貸し与える、稀有なドラゴンである。

 その翼を得たことで、承影は加速する。

 

「夢想の空間とは言え、これほどの存在を引き摺り込むとは……侮りがたし!」

 

 あの赤髪の少年はなんなのか。承影にも結論は出ていない。だが、目の前の相手を相手にする必要があることはわかっている。

 承影はその指を切り裂き、天獄の王の攻撃を止めさせる。その隙に掌の下から現れたブリガンドは、両前足の爪に光を集める。

 固い盾は殴りつければ鈍器となる。鋭い盾の頂点は、時に槍を超える一撃を作り出す。

 それは、鉄獣の凶襲――シュライグの得意とした戦術にも似た力を持つ。

 

「おれがあいつの注意を引き付ける! 承影はあいつを倒せる一撃を!」

「承知した!」

 

 ブリガンドの言葉に、承影は頷く。夢の世界だというのに、下の住人を守ろうとした少年は、こんどは自らが囮になるように天獄の王に向けて飛ぶ。

 咆哮を上げ、天獄の王の視線を集め、はるか上空で方向転換。その頭に向けて爪と牙を突き立てる。

 

「うぉぉぉっ!!」

 

 自らに盾があるから、引き付け役になるのは当然だろう。そんな心理から、彼は囮を買って出ている。決して打算的に引き受けているわけではない。

 そうしなければならないという――どこか自殺願望にも似た自己犠牲と闘争本能が、彼にその道を選ばしているのだ。

 

「こいつの攻撃くらい止められなきゃ、エクレシアを守れない!」

 

 危険だと思う反面、承影には思えた。

 

「世界を変えるのは、常に死地へと飛び込む者だ」

 

 文字通り命がけ。絶望に立ち向かうのであれば、それを跳ね除ける気概がなくては。

 

「ならば、それに我らも答えよう」

 

 刀身に赤熱を宿し、左手で逆手に構えた彼は、空中を蹴って天国の王の額へと迫る。

 

日夕(にっせき)昏明(こんめい)(とき)、その刃在るがごとく。斬られたる者、己が状を()ることなし――」

 

 ブリガンドの攻撃を払いのける天獄の王の胸部。心臓があるであろうその厚く硬い胸部へ向けて、承影は相剣を振るう。

 

相剣(そうけん)殪業(えいごう)!」

「――――――――――――ッッ!!」

 

 長大な剣が、世界ごと天獄の王を切り裂いた。まるでガラスのように半透明な光の刃は、天獄の王の体をすり抜けるようにして通過する。

 自らの体から魔力が血のように吹き出すその瞬間まで、斬られたことにすら気づけない。これが、承影の刃の一撃だった。

 

「これが、大公の力……」

 

 夢想の世界が崩れ始める。

 天獄の王自身はまだ戦えると言わんばかりに空いている手を承影に向けようとするが、彼は反撃の用意すらしない。

 

「異界の彼方で眠れ。魔神の王よ。そなたが現われるべき世界は、ここではない」

 

 静かに佇む彼の目の前で、世界が砕ける。否。元に戻る。

 ブリガンドの姿はアルビオンに戻り、離れていたはずの承影との距離もすぐ近くになっている。先ほどまでのこと全ては夢の話。疲れすら存在しない。

 ゆっくりと、承影はアルビオンのほうを向く。

 

「記憶を持たぬ者よ。そなたの本質は過去になし。今聖女とともに歩んだ時の中にある。その心、純粋にして清らかなりしこと。そして勇あること。この承影が見極めた」

 

 その宣言とともに、氷水の鏡が完全に消えた。直後、世界は元の建物に戻っていた。

 

 

 

 目を開けた時、エクレシアとその傍らに瑞獣が控えているのを認識する。どうやら、彼女の方が先に戻ってきていたらしい。

 アルビオンはエクレシアのそばに寄る。すると瑞獣が恭しく首部を垂れた。答えるように、アルビオンもその鎌首を下げる。

 視線を承影に戻すと、彼は膝を付いていた。僅かに下がった視線が、アルビオンの視線とかち合った。

 

「瑞相剣究は終わりを迎えた。氷水の長が、そなたらを待っている」

 

 彼は床に手を付くと、そこに魔術陣が描かれる。荘園の尾の装飾や、建物に描かれた紋章と同じ形の陣で、転移系の術だった。

 

「遥か地下、地底湖のコスモクロアの言葉を聞け。彼女らは大地を巡る力の結晶体。ドラグマの地に現れる脅威と戦うための力を、授けてくれるだろう」

「ドラグマ……なぁ、承影」

「如何にした?」

 

 アルビオンは、承影に尋ねる。

 

「おれたちは、瑞相剣究の中で、赤い髪のおれを見ただろう。あれは、なんだ……?」

「……我にもわからぬ。ただあの瞬間、外部からの影響がそなたにあったのは確かだ。天獄の王との戦いも、そのせいだ。だがあのような中でエクレシアのことを信じたそなたを見られたのだから、怪我の功名と言えようが……」

 

 明らかに、尋常な存在ではなかった。アルバス――アルビオンには理解できた。

 承影も瑞獣を通して見ていたのだろう。彼にもわからないとなると、一体何だったのか。ドラグマに現れるという脅威――何か関係があるのか。

 今の彼には、わからないことだった。

 

「さぁ、行け。時間は、あまりない」

 

 その言葉を最後に、承影の姿が消える。

 正確には、その場から消えたのはエクレシアとアルビオンだ。

 自分たちを包む光が消えた時、地上の光が隙間から差し込む場所に降り立った。光を反射する氷の鏡、浮遊する岩塊。その中心に、黒ずんだ氷の精霊がいた。

 

「あれが、コスモクロアか。じゃあここは……」

「ここが、氷水底イニオン・クレイドルなんですね」

 

 神秘なる地底世界が、そこには広がっていた。

 



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断章《トライブ・ドライブ&赫の烙印》

DARKWING BLAST、もうすぐ発売ですね。
とても暑い日が続きますが、皆様どうお過ごしでしょうか。
公式からの供給でテンションアップダウン激しい日々です。

「復烙印」→え、ちょ、ま、誰?
「赫の聖女カルテシア」→あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!
「スプライト・ダブルクロス」→お願い早く助けてに来て……
「決戦のゴルゴンダ」「鉄獣の死線」→おぉしゃぁぁぁぁッ!!

などと、こちらは心臓に悪い展開が続いており、どう文章化しようか、悩むところです。

DARKWING BLAST、PHOTON HYPERNOVA、そして第11期最終弾と、物語は佳境へと至っております。

皆様、どうぞ一緒に彼らの旅路を見守っていきましょう。





 

 時間は、アルバスたちが旅立った直後まで、巻き戻る、

 

 

 砂漠では、キットがチラリと、ドラグマの首都がある方角を見た。

 最近あちらの空は常にホールの輝きに包まれた紫色で、不気味な雰囲気を漂わせている。

 幸い砂漠に実害はない。砂漠の主である超大型ゴルゴンダもいなくなり、自由な砂漠ライフを満喫できている。

 その傍らで、キットは金づちを振るい、溶接し、折り曲げ、接続し、半壊していたベアブルムを再構築していく。

 修理用や予備として用意していた分のパーツを加えて作業を進める。エクレシアのハンマー作成と並行して行っていたが、こちらは少しまだ時間がかかるようだった。

 

「キット、ベアブルム、直サナイのか?」

「まぁ、そうしようかとも思ったんだけどさ。あんなデカいのが来ちゃうと、パワー重視しても意味ないかなって思えて。機動力重視の装備に改造しちゃおっかなって。移動手段としては残しておいてもいいけど」

 

 まるで一人で三人分の動きをこなすかのように、キットは道具を使ってベアブルムをどんどんバラし、どんどん改造していく。

 スプリガンズもそれを手伝わされているようで、何かを運んだり、支えたり忙しそうだ。彼女の傍らを、メカモズが旋回する。

 

「こいつも、コッチに残っテいるんだナ」

「うん。だけどちょっと改造してね。メカモズバージョン2.0」

「変わったヨウには見エナイが?」

「ちっちっちっ、中身が違うのさ。外見的にもアンテナが増えてる。名付けてメルクーリエ!」

 

 名前を呼べば、それに改造されたメカモズはピィと鳴く。

 

「通信機能を追加して、ドラグマに向かわせるつもり。お姉ちゃんたちと、連絡がつかなくてさ……」

 

 もし、この事をエクレシアたちに伝えていたら、彼女らはどうしただろうか。トライブリゲードの面々を助けることを優先しようとしたか。それとも自分たちの行くべき場所を目指したか。

 結果はわからないが、余計な心配をさせたくはなかった。

 

「と言っても、あたしらも砂漠を離れるから、実際に通信ができるのは、まだまだ先だろうけどね」

 

 ホールからもたらされる技術や文献では、なんでも星の真裏まで離れていても言葉を交わせる技術があるのだとか。残念ながらそんなものを現実化できるような技術も資材もない。

 今はメカモズを介した通信で限界だ。

 

「だから、この子とはもう一度お別れ。お姉ちゃんや、シュライグを頼んだよ」

 

 新メカモズことメルクーリエは、アルバスたちについてはいかなかった。もともと砂漠まで案内と、トライブリゲードの仲間の証明に使うために貸し与えられたのだ。

 本来の主、シュライグのもとに戻るのも自然な話。

 しかし、これでしばらくアルバスたちの様子を知ることも、連絡を取ることも難しくなる。

 尤も、相剣門とやらが簡単に連絡を取れる場所なのか、疑問はあった。

 なるほどな、とサルガスたちが納得している傍らで、キットは額の汗を拭う。

 

「でっきた! 名付けてスプリガンズパック! 飛行システムとベアブルムの攻撃システムを両立させた、新装備! ゴルゴンダがいなくなって、新しいテクノロジーを発掘できたからこその、新システムだよぉ!」

 

 すりすりと頬ずりをするキット。これは、今までのトライブリゲードの装備とは全く違う。

 弾丸に聖痕を封印する力を宿した彼らの武器とは違い、特殊なエネルギーを爪の先から放出して攻撃手段に変えるベアブルムのシステムとともに、飛行用アイテムとしての役割を持っていた。

 逆の腕にはスプリンドの武器を加工して作った、ホールのエネルギーを放出する武器まである。

 

「絶対王とか言う文献、役に立ったよ。ホール様様だね」

 

 様々な技術が、ホールを通して流れ込んでくる。今回彼女が作ったバックパックのデータも、ホールから流れ込んできた資料の中にあった。

 

「すごく強い人型機械に関する資料とかもあったけど、さすがにあれはあたしが手に負えるようなものじゃないからな」

「メちゃクちゃ巨大ナ、神サマみたいナ奴だっタナ」

「プロジェクトネガロなんたらってのね。ま、再現不可能な以上、実現不可能ってね」

 

 作業場から外に出て伸びをした彼女を、砂漠の熱い太陽が迎え入れる。

 徹夜で作業した疲れ目に、太陽光が飛び込んできた。

 

「つぅぁぁぁぁぁ……さて、そろそろ出かけようか。キャプテン」

「鉄ノ国へ、出発するノダナ」

「うん。聖痕を封印するって言うのなら、同じ力を持つものがあった方が便利だからね。鉄の国の大将から、ちょこっと拝借しに向かうとしようよ」

 

 彼女が見ている方向は、ドラグマとは全く逆方向の地平の彼方。

 そこに、トライブリゲード達が力を手に入れた鉄の国があり、そこまたホールの恩恵を受ける場所だ。

 

「新しい仲間ノためダ。エクスブロウラー、進路ヘンコー!!」

 

 こうして、スプリガンズはキットとサルガスに率いられて砂漠を渡る。

 目指すははるか遠くの活火山。

 そこには、大昔にホールより飛来したという、謎の円盤が存在していた。

 そして、その円盤を守るように、そして盛り上げるようにして存在する者たちも、また活動しているとのことだった。

 

 

   ◆

 

 

 時間は、瑞相剣究を終えた直度まで進む。

 

 

 鋭く天にそびえる尖頭の上。

 そこにいる少年は、退屈そうに足をブラブラと振っている。

 

「振られちゃった。さすが、聖女様の魅力値は高いなぁ」

 

 ケラケラと笑う姿は、どこか狂気的だ。

 遥か下の地上から聞こえる爆発音を全く気にせず、自分の目の前に展開された小さなホールを覗き込んでいる。

 

「相剣の結界も頑丈だし。ま、固いけれど、突破できないわけじゃない。ドラマトゥルギアと一緒にやれば――」

 

 ――ズガァァァッ!!

 

 さすがに、無視せざるを得なくなった。

 

「うるさいなぁ、さすがトライブリゲードってところだけど、そろそろねぇ」

 

 少年は懐に仕舞っていた仮面を取り出すと、赤髪をかき上げながら装着する。

 笑ったような形をした仮面を被れば、たとえ彼自身の表情はわからずとも、その狂気的な雰囲気が増していく。

 頭上の巨大ホールを見上げて両手を掲げると、何かを掴んだような動作をする。

 

「我――赫の烙印なり」

 

 そのまま、背中から落ちていく。

 地面に叩きつけられれば、どんな猛者であろうとただでは済まない。潰れ、砕け、死を待つだけ。

 しかし、その背に翼があるのなら、彼は飛ぶ。たとえその羽ばたきがもたらすものが、死の風であろうとも気にすることはない。

 なぜならば、彼こそは絶望の使者。

 世界の悲劇を笑う者。

 

『デスピアの導化アルベル』なのだから。

 

「絶望と融け合い今一つとなる――赫灼竜マスカレイド!」

 

 彼の姿は、真紅の翼と漆黒の鱗を持つ竜へと変貌する。頭部には兜のように変化した仮面をかぶり、全身から高熱の炎が溢れ出している。

 赤々とした姿は煌々と大地を照らす太陽や、優しく闇を照らす焚火の炎ではなく、森や山を焼き尽くす災害の炎に見える。

 赤髪のドラゴンは、必死にデスピアンと戦うトライブリゲードへと迫る。

 

「絶望の赫灼よ、希望を焼け!」

 

 巨大な咆哮――トライブリゲードの面々も、デスピアの投入した新戦力に気づく。

 先に巨大な敵を片付けたほうがいい。そう判断した彼らは一斉に武器を赫灼竜マスカレイドへと向けた。すぐさま、引き金が引かれようとした

 

 ――次の瞬間、彼ら全員が炎に包まれる。

 

「な、なんだこの炎は!?」

「な、いつの間に、こんな力を、俺たちに……」

 

 攻撃の意志、抵抗の意志を焼き尽くす絶望の使者。

 それこそが、赫灼竜マスカレイド。

 

「なぁんだ。鉄獣っていうくらいだから、熱には強いと思ったのに。溶けちゃった」

 

 赤黒の竜は細長い舌をチロリと回すと、上空に視線を送る。

 そこには自分を睨む片翼の戦士がいる。

 

「アルバスと同じような力と雰囲気だが、邪悪そのものか」

「ああ、お兄さんあいつのこと知ってるの?」

「知っているからこそ、お前はここで破壊する!」

 

 凶鳥のシュライグ。その必殺の凶襲を、迷うことなく使用するに至った。

 彼の跳び蹴りが、マスカレイドの腹部を蹴り付け、地面へと叩きつける。万全状態のフルルドリスですら行動不能に陥らせ、数日間の療養を必要とさせる一撃だ。間違いなく決まったとシュライグは確信する。

 だが、瓦礫の名から何ともなさそうなマスカレイドが姿を見せた。

 

「ひっどいなぁ。痛くないわじゃあないんだよ?」

「……正真正銘の、バケモノどもが……」

 

 攻撃は命中した。だが、どうも相手は特殊な回復能力を持つらしいと理解する。面妖なことだと理解しながら、動揺する精神を落ち着かせた。

 一瞬、シュライグは瞼を閉じた。

 拭いされない絶望が迫りつつあることを、鳥肌の立つその身で感じ取る。

 下手をすれば、トライブリゲードの面々全員が、ここで死ぬ可能性だってある。

 しかし、彼は今はすこぶる冷静だった。

 

「覚悟なら、とうに出来ている」

 

 静かに言い放つ同時に、右腕を天に掲げる。全身から溢れた力が、彼の頭上に太陽のような光を作り出す。

 しかし、それは本来の太陽とは違い、灰褐色の光を放つ。

 まるで彼の翼のようなその色は、彼の鳥獣としての誇りそのもの。

 かつて鳥獣族の代表的なメスだけの種族であるハーピィ族を守るために、帝王不在期の風属性をまとめ上げた希少なオスが編み出した、究極の奥義があった。

 時代を超え、場所を超え、シュライグもまた、その一撃を放つ覚悟を決めていた。

 

「おいおい、何をする気なのさ!」

 

 問いかけ方とは裏腹に、マスカレイドは楽しそうだった

 

「受けるがいい。貴様らの大好きな、神の名を持つ我らの翼を」

 

 シュライグが放つのは、自らの命を引き換えにする、神鳥の名を冠するその一撃――否、()()

 

 

「ゴッドバードアタック、発動!」

 

 

 その身に焔を纏ったシュライグは、高笑いを上げるドラマトゥルギアとクエリティス目掛けて、力強く羽ばたいた。

 

「上等じゃないかぁ!!」

 

 すべては、不確かな明日の自由な空のために。

 直後、烙印城のすぐ真横で巨大な爆発音が響き渡る。

 

 

 真紅の炎の中で、歓喜の笑い声だけが止むことはなかった。

 

 

 



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第十六章《相剣暗転》

今回は少し早めにストックを放出したいと思います。

またしばらく、発売したパックの数が増えるまで、お休みをいただきますのでご了承ください。


 

 

 氷水底イニオン・クレイドル。

 相剣門の遥か地下に存在する地底湖に辿り着いたアルビオンとエクレシアは、そこに存在する謎の生命体から歓待されていた。

 

「ようこそ、コスモクロアの見出したる存在たち」

「烙印を宿した聖女。竜の力を宿した孤児(みなしご)よ。絶望の使徒たちと戦うために、よく参られた」

 

 二人を迎え入れたのは、見目麗しい水が滴る美少女たちだった。

 とはいっても、人間ではない。その体は水と氷で構成され、半透明なため向こう側が透けて見える。

 彼女らの周りには氷でできたコウモリのようなものが飛び交い、水面から溢れ出す水の球体が何かを映し出す。

 

「これ、わたしたちですか? 今までの旅を、こうやって見ていたんですね……」

 

 コスモクロアが見出した、という単語の意味を、エクレシアは理解した。遠見の魔術、千里眼などと呼ばれる力に類似したものを、氷水は使えるらしい。

 それで何を見極めたのかはわからないが、ここの長が二人に用があるということだ。

 

「案内するね。こっちに来て」

「あ、ありがとうございます。えっと……」

「アクティだよ。よろしくね」

 

 柔和な笑みを浮かべたアクティ。蝶々のような髪飾り型の氷を付けた氷水は、アクティという個体名があった。

 彼女は水面を滑るようにして移動しながら、二人を案内する。

 そんな状況を、梁状の氷柱の上に立つ、大きな靴が特徴的な氷水が見下ろす。

 

「彼女はティノーラ。二人に興味津々なの」

「興味……? さんざん、おれたちのことはその水の球で見ているんじゃないのか?」

「実際に見るのと遠見越しで見るのとは、全く違うものよ」

 

 そう答えたのは、周囲に水の球体を浮かべた氷水。背丈より長い三つ編み型の氷の髪を持つ氷水。

 

「私はトレモラ。コスモクロア様の次に長命な氷水で、多くのことを観測してきたものからの言葉よ」

 

 アクティが好奇心の強そうな妹なら、こちらのトレモラはしっかり者のお姉さんという雰囲気だった。何となくエクレシアはフルルドリスのことを思い出す。

 

「私たち氷水は、普段決して相剣のものたち以外と接触はしない。ただ黙って、この土地の力と母を守るだけ。けれど、初めてあなたたちという例外が現れた」

 

 だから、トレモラはもちろん、無口で先ほどから一言も発することなく黙って着いてくるティノーラも、アルビオンたちに興味が湧いて仕方がない。

 

「どうしてあなたたちなの? この先の戦いはどうなるの? 黒衣の竜、あなたは何者なの?」

 

 氷水から向けられた質問に、アルビオンはビクリとなる。未だに自分でも理解してない疑問を、他人からぶつけられるのは、やはり見えない恐怖にかられるのだった。

 ドラグマに降り立った時、マクシムス・ドラグマはアルバスを連れてくるようにとハッシャーシーン・ドラグマに命令を出したという。

 現在乱心の最中にあるマクシムス。彼がアルバスを求めた理由は、未だにわからない。

 ただ、いいことではないのは、確かだ。

 何か答えようとしたアルビオンだが、その前に滝の前に辿り着く。アクティたちの視線は、彼から滝へと移った。

 

「母よ、稀人が参った」

「お母さん、あんまり無理しないでね」

 

 トレモラ、アクティはそう言って一歩下がる。すると、目の前の滝は凍り付いた。凍てついた滝の裏に隠された空間が広がっている。アルビオンは首を巡らして後ろを見ると、ティノーラたちは少し離れた位置から、行けと指を差し示した。

 そして彼に軽く手を振ると、アクティたちと一緒に水底へと消えていく。

 首を戻したアルビオンは、滝の裏の洞窟へと歩を進めた。

 

「ようこそ。白と黒の稀人」

 

 空間の向こうから、声が聞こえて来た。少し狭い洞窟を抜けた先は、広く開けた空間だ。そこに、黒く淀んだような体をした、巨大な氷水がいた。その傍らには、白さの目立つ、幼い氷水がいた。

 

「私は氷水帝コスモクロア。この氷水を収め、育む者です」

 

 優し気な声が、二人の耳朶を打つ。では、こちらの白くて小さいのは。

 

「さ、エジル、ご挨拶なさい。次代の氷水帝としての役割を、全うするのです」

 

 母親に諭される幼子――その関係性がよく見える。会話の内容から、彼女が新しいここの長となるべき個体なのだろう。

 

「初めまして。わたしはエクレシアです。お名前、聞かせてもらえますか?」

 

 膝を曲げ、視線を落としたエクレシアが、白い氷水に微笑みかける。

 人見知りの少女そのもののような氷水は、母の足をぎゅっと抱きしめる。

 そして、か細い声で答えた。

 

「エジル……」

「エジルちゃんですね。こちらはアルバスくんと言うんです。ほら、アルバスくん、こっちに来てください!」

 

 彼女の誘いにアルビオンは肯くと、顎を地面に擦るようにして近づく。彼女の視線を合わせたことをまねてみせたのだが、むしろ不気味になったとは気づいていない。

 エジルはアルビオンの姿に怯え、コスモクロアのドレスの影に隠れてしまう。

 

「逃げられた」

「ドラゴンの顔は、さすがに刺激が強すぎたんでしょうか」

 

 しょんぼりとするアルビオンの額を、エクレシアの手が優しく撫でる。

 怯えてしまったエジルの頭をコスモクロアが撫でていると、その視線が二人に向く。

 

「ごめんなさい。私たちが精霊と同じ存在と言っても、心まではすぐには成熟できないのです。まともな歓迎もできず、失礼を」

「いいえ。構いませんよ。少し人見知りしているだけですよ。ねっ」

 

 そう言ってエクレシアはエジルへと手を振った。精霊の幼子は、ぎこちなく彼女に手を振り返す。精霊というが、仕草そのものは人間と変わらなかった。

 

「それで、どうしてわたしたちを、ここへ」

 

 話の本題に、さっそく彼女は取り掛かる。

 エクレシアからの質問に、コスモクロアは視線を落とした。

 

「状況はよくありません。これを」

 

 コスモクロアが手を掲げると、そこには水の球体が出現する。そして、映ったのは想像を絶する光景だった。

 

「なに、これ!?」

「ドラグマの街か……? でも、崩れ去ってる」

 

 美しい大理石のような街並みが、廃墟と化していた。代わりに中心部から聳え立つ巨大な禍々しい城が、我が物顔で居座っている。その周りには、なにかが浮遊する。

 

「彼らはデスピア。ホールの彼方より現れし絶望の化身。そして烙印の根源」

 

 そう言われたとき、エクレシアの額が鈍く輝く。痛みのようなものを彼女も覚えたのか、顔を歪ませて、強く抑える。

 

「デスピアの出現が、アルバス、あなたの焔を暴走させました」

「……おれのあの姿は、こいつらの影響だったのか」

「そして烙印を宿した聖女よ。その額の力が未だ烙印へと染まっていないのは、一度はアルバスが奪い、獣の竜へと変化した影響でしょう。わずかな変質が、デスピアの力を防いでいたのです」

 

 痕喰竜への変身の際に、一度アルバスは彼女の聖痕を取り込んだ。そのおかげで何か影響に晒されずに済んだらしいと、二人は理解する。

 ただ、一刻も早い封印処理が必要だ。

 

「封印を施しながらですが、聞いてください」

 

 コスモクロアはそう前置きして、エクレシアの額に手を伸ばした。ひやりとした感触が伝わり、同時に聖痕が抵抗するかのように加熱する。

 その熱に、エクレシアは顔をしかめた。

 

「大丈夫。意識を私の手に集中して。烙印の中の邪悪な力を浄化し、あなたへの力に変えます」

 

 痛みに歯を食いしばるエクレシアに、アルビオンは右手を差し出す。

 震える足を支えるように尾を椅子にして、腕をひじ掛けにする。彼女の手がアルビオンの指を掴み、ぎゅっと握る。

 

「大丈夫だ。おれも一緒だ」

「はい……耐えてみせます……!」

 

 首筋に汗を垂らしながら、封印処理は進む。その間も、コスモクロアは話し続けた。

 

「私の千里眼でも、見える範囲には限界があります。しかし、一つわかっているのは、稀人たるあなた方こそが、デスピアを止める鍵であるということ」

 

 稀人――外部から来たりし異邦者。もしくは流れ者。つまり現在のアルバスであり、それにつられるようにして追放されたエクレシアが、該当する。

 常に稀人とは文化風習に変化を与え、痛みを代償に改革を行うこともある。

 コスモクロアが求めているのは、そういう役割なのかもしれない。

 

「おそらく、デスピアはまもなくここに至るでしょう。自分たちの聖痕――烙印を封じる力を持つ、私を滅ぼしに」

「けど、ここには結界があるだろう?」

「今のドラグマの者たちを抑えられるほど、私に力は残っていません」

「……どういうことだ?」

 

 コスモクロアの言葉に、アルビオンは訝しむ。

 そして、先ほど逃げてしまった幼い氷水の姿を、視界に捉えた。ここまで案内した氷水の少女たちの姿を、同時に思い出す。

 

「次代の長とは、そういうことか」

「はい。この子は、私が消えた後の後継者です」

「あなたは他の氷水に比べても、体色が黒ずんでいる。一方で、エジルは白く透明だ。その色の違いが、寿命の差なんだな」

 

 氷水は、通常の生命体とは命の構造が違う。精霊に近い存在であるため、老いることはない。代わりに、その命数が定められている。

 

「ええ。私は、長く生き過ぎました。全ての力と知恵を、この子に託すつもりです」

「デスピアの出現で、急いでいるんだな」

 

 アルビオンの指摘に、コスモクロアはゆっくり頷いた。

 

「私の力では、もうここを守れない。全てを託し、消える母を、この子は恨むでしょう」

 

 そう言って、エジルの頬を撫でる。言葉を理解し来ているのかいないのか。

 アルビオンにはわからないが、ただ自分の知らない母の愛情というものが、精霊にも存在しているのだと思うと胸の奥が熱くなる。

 羨ましいと思うとともに、守らなくては、と思えてしまう。

 初対面で、まだ出会って数分だというのに。

 守らなくては――そんな感情を抱いたことで、アルビオンは気づく。

 きっと、エクレシアも同じだったのだろう。ただの同情かもしれなくても、ただの気紛れかもしれなくても、その優しさに自分は救われたのだ。

 

「デスピアの目的は、なんなんだ。ドラグマを滅ぼしてまで、何を?」

「目的など、ないのかもしれません」

「え?」

 

 その疑問は、アルビオンだけではない。封印中のエクレシアからも漏れる。

 

「彼らは、絶望を振りまくことそのものを目的にしている。ならそこに、確かな目的意識などないのかもしれません」

 

 それはあまりにも、荒唐無稽と言うか、無計画というか。

 

 

 まるで、子どもが理由もなく虫を踏みつぶすことに、どこか似ていた。

 

 

「だからこそ、厄介なのです。この世界に絶望を振りまき、何をするのか。目的が判明しない以上、先手を打つことができない」

 

 軍事作戦があるのなら、その目的が明確だ。阻止するには待ち伏せなり伏兵なりを配置するという手段がある。

 犯罪行為であればその計画を事前に察知することで逆に踏み込んで捕らえることができるだろう。

 けれど――明確な進むべき方向性のないものを、先回りして止めるのは不可能だ。

 

「しかし、一つ確信できることがあります。……アルバス」

「……おれか?」

「ええ。あなたは、デスピアの力に、似通ったものを持っている。周囲の物質やエネルギーを取り込むことで姿形を変える。その力が何なのか、私も見通せはしません。だからこそ、あなたはデスピアたちにとって予想の付かない異物と言えるでしょう」

 

 デスピアが何を望み、何を成そうとしているのかはわからない。

 しかし、対抗する存在が、今コスモクロアの前にいた。

 彼らと同じ気配、力を持っていることを、彼女は理解していた。残念ながら当の本人に自覚はないらしいが。

 

「あなたの竜化の力は、非常に危険なものです。できることなら今すぐ封印してしまいたいと思うほどに――」

「だい、丈夫です!」

 

 まだ封印を施している最中のエクレシアが、顔を上げた。汗を垂らすその顔を、笑顔にしてアルビオンを見る。

 

「アルバスくんは、とても優しいヒトです。だから、大丈夫です。きっと、この大陸に迫る絶望を、払いのける希望になります」

 

 それは、何の根拠もない言葉だ。

 そもそも、デスピアたちが何なのかすら、まともにわかっていない。

 コスモクロアが言うには、アルバスも彼らと似たような存在だという。ならば、これから先、彼が脅威となるかもしれない。

 そんなことを、予想できないエクレシアではない。

 だというのに、この言葉は出て来た。

 

「約束したんです。もっと、旅を続けましょうって」

 

 それは、砂漠でのひと時の会話だ。

 

「烙印の力に包まれていた時、それでも彼は戻ってきてくれました。どんな姿になっても、優しいアルバスくんはそのままなんです。だから」

 

 烙印の竜から、黒衣の竜へと変わっていったあの瞬間、エクレシアは確信したのだ。

 アルバスは、決してその心を失うことはない――と。

 

 

「一緒に絶望を乗り越えましょう!」

 

 

 聖女は、聖痕の輝きを宿しながら立ち上がった。

 額に刻まれた烙印の邪気は消え、ゴルゴンダハンマーを担いだ彼女の顔は、闘志や生気に満ち溢れている。

 これが、稀人の姿。たとえ何が立ち塞がろうとも、進むことを辞めぬものの在り方なのだ。瞼に当たる部分を閉じたコスモクロアは、おもむろに頷く。

 

「……その通りですね。私も、知らず知らずの間に自らの生む絶望に飲まれかけていたのかもしれません」

 

 絶望を見る者は、また絶望へ誘われる。

 狂気の集団への恐怖が、この氷水の長すら浸食しようとしていた。

 だが、稀人の心がそれを照らした。

 今なら思える。

 

 

 絶望に、立ち向かう時が来たのだ――と。

 

 

 希望へ光輝こうとする氷水の地底湖。

 その一角に現れた紫色の菱形の奥で、赤い髪の少年が笑う。嗤う。哂う。

 

「アァルーバス~」

 

 赫灼の焔より、絶望の使徒がやってくる。

 

 

   ◆

 

 

 同時刻、大霊峰相剣門、外縁部。

 氷水の力で生まれた霧の壁の近くに、相剣軍師の姿があった。

 

「奇妙な気配を感じて来てみれば。なるほど、ホールが一つ」

 

 彼の目の前には、小さな紫色の炎が浮かんでいた。

 それはホール開放の兆し。

 その向こう側からやってくるのは、絶望の使徒たちだ。

 腰に佩いた曲刀を引き抜くと、ホールへ向けて構える。断ち切ってやろうかと気を高める龍淵だが、ふと手を止めた。

 すでにホールは開かれている。そこから、鋭い爪が姿を見せた。

 

「なんともまた禍々しい気配が現れたかと思ったが、神の従僕は仕える相手を変えたのか? 白かった時の姿の方が、清潔そうだったぞ」

「獣より自らを賢いと思っているトカゲモドキが粋がるな。自分より猛き存在にこびへつらう、臆病者め」

 

 現れたのは、真っ赤な頭をした長身の人型だった。ただし、その爪は剣のように長く、体をくねらせるその動きは、おおよそ人間のものには思えない。

 木の実のような凹凸の無い顔は、覗き穴なのかなんなのか、黒い部分が中心に入っているだけで、表情らしいものはない。ただ強烈な悪意と敵意が染み出している。

 その気配は、かつてエクレシアから聖痕を剥奪した、ハッシャーシーン・ドラグマとよく似ていた。否――彼そのものだった。

 

「改めて、ご挨拶。我らはデスピアの凶劇(アドリビトゥム)。閉ざされし霊峰に住まう絶望を抱えし者よ。我らデスピアが、貴様を祝福しよう」

 

 奇怪な姿勢で礼をするアドリビトゥム。その動きはどこか道化師(ピエロ)染みているが、面白さより恐ろしさしか感じない。龍淵の自らの相剣を掴む手に力が入る。

 

「いつまで、その地位に甘んじるのだ?」

「……何を?」

 

 お互い、今日であったのは初めてだ。

 だが、それぞれに独自の情報収集能力がある。相剣には氷水の千里眼があるように、アドリビトゥムたちにはドラマトゥルギアの予言がある。お互いの素性を理解したかのような会話は、この状況ではあまりにも不釣り合いに見えた。

 

「我らは知っている。貴様は心の内を自ら隠した。大公に叶わぬと知った貴様は、ただ己の力を磨きながら、牙を隠し続けることを選んだのだ」

「黙れ……」

「わざわざ剣を持たぬ弟子を育て、いずれ大公を超えんとする目標を掲げながら、惰性で日々を過ごす軍師よ。貴様に野心と野望がまだあるというのなら――」

「黙らんか!」

 

 龍淵の剣が抜かれた。放たれた波動が、アドリビトゥムの体に吸い込まれるように飛んでいく。それを相手は右肩に掛けられたマントを翻すことで弾いた。

 肩で息をする龍淵の姿を見て、表情のないアドリビトゥムは喉を震わして嗤う。

 

「考え方を変えればいい。むろんそれは、貴様がこれ以上相剣の責務を果たし続ける意味があるのか、などと言うきれいごとの問答ではない」

 

 その鋭い爪が、龍淵の心臓を指差す。突如、彼の体を赤黒い炎が包む。熱はない、しかし、何かが燃やされていく。燃やしてはいけない、何かが。

 

「貴様が大公-承影より強いのかどうか。それだけだ」

「我が、承影より……」

「強き者がどうして弱き者の下につかねばならぬ? 我らデスピアに対抗しようとする承影に任せて、この先未来はあるか? そなたの弟子に、道はあるか?」

「莫邪の、道……」

 

 龍淵の視線が逸れる。いくら自分が嘲られても感情の乗った反応はあまりない。だが、莫邪の話になったとたん、行動に感情が乗り始める。

 何か考え込むような龍淵に、アドリビトゥムは続けた。

 

「貴様の希望を、掴みとるがいい」

 

 その兜を震わした龍淵は、どこかへ向けて跳び上がる。

 アドリビトゥムは悠然と、大霊峰を闊歩し始める。その足が踏みしめた緑豊かな大地は腐り果て、死んでいく。

 

 

 今、相剣の輝きは、暗転する。 

 

 




前回は、そう言う場ではない、おこがましいかと思い普段通りの投稿、返信となるようにしましたが、ちょっとやっぱり堪えられなかったので。

ここは二言だけ。



あなたの全てに感謝を。


この物語は必ず最後まで描き切ります。


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第十七章《烙印の使徒》

お久しぶりです。twitterで「@erugon_cerrarto」として宣伝を始めましたので、もしかしたら新弾発売のころには、何か考察なんかを呟いたりするかもしれません。

どうなるかわからないストーリーが続いていますが、いつか彼らが幸せになることを願って、作成を続けていきたいと思います。



 

 

 大霊峰に、邪悪な気配が漂った。

 相剣師たちの居城にいた承影は、閉じていた目を開き傍らの相剣を掴む。

 

「赤霄、ここを頼むぞ」

「はっ。大公もお気をつけて」

 

 純鈞とともに赤霄は、地下へと潜っていく承影を見送る。大公自らが動く。それは事態の深刻さを物語っている。泰阿、莫邪への相集をかけた赤霄だが、やってきた泰阿から聞いたのは、莫邪の姿が見えないという報告だった。

 

 

 

 同じころ、コスモクロアもまた、その気配と直面していた。

 

「同時に二か所に、デスピアの気配……。私のところには、あなたが来ましたか」

「やぁやぁ初めましてコスモクロア。そして、ようやく会えたね。アルバスゥゥ! そっちの聖女ちゃんも元気そうで何よりだね」

 

 仮面の奥の顔が、ケラケラと笑う。現れた赤い髪の少年は、嬉しそうにアルビオンの――アルバスのことを見ていた。

 

「どういう、ことですか……? アルバスくんと同じ、魔力の気配が、彼からも……」

「ふふっ、さすがは聖女様。敏感だねぇ。大丈夫、すぐにわかるから」

 

 何が楽しいのかわからないが、そう言って少年は笑い声をあげる。

 

「俺はね、アルベルっていうんだ。アルバス、覚えてるかい? アルベルだよ」

 

 両手を広げて、まるで胸に飛び込んで来いと言わんばかりの姿勢だ。親愛の情のようなものがあるのか、ないのか。アルビオンにはわからない。

 ただ、一つ。

 

「おれは、お前のことを何も覚えてない……」

 

 現実で出会った記憶はない。だが、夢の出会いと本能が覚えている。

 

「お前が危険なんだってことくらいはわかる!」

 

 翼を広げ、臨戦態勢となる。この場にはコスモクロアもエクレシアもいる。目の前の少年が何者であろうと、対処できる戦力があると確信できる。

 なのに、冷や汗が止まらない。

 

「いいね、いいね! その気持ちの高ぶり、最高だよアルバス!」

 

 そう言いながら、彼は仮面に手を掛けた。外したその下に見えたのは、アルバスとよく似た顔だった。

 

「俺が、もう一人……?」

「アルバスくんとそっくりな……兄弟……?」

 

 アルビオンとエクレシア、二人の呟きを吹き飛ばすような勢いでアルベルの体が邪悪な気配と、膨大な熱量が解き放たれた。

 

「だから、俺も昂っちゃおうかな!!」

 

 直後、アルベルと名乗った少年の背中に、竜の翼が広がった。

 再び仮面を装着した時、暗色の炎がその身を包み込む。

 

「赫灼竜マスカレイド!」

 

 その姿は、ドラグマの――今はデスピアの拠点となった場所に現れた、悪魔の竜の姿だった。仮面越しの大きな目をアルビオンたちに向け、鋭い牙を見せる。

 

「遊んであげるよ。あのトライブリゲードとかっていう獣たちと、同じように!」

「トライブリゲード……みんなに……彼らに何をした!?」

「遊んだだけさ! ただ、ゲームに負けた方が絶望するって言うだけのゲームさ!」

 

 地底湖の中で、アルベルの変身態であるマスカレイドが翼をはためかせる。周りに飛び散る炎は氷水の泡を砕き、氷を解かそうと燃やしていく。

 エクレシアに届くものはアルビオンの翼が払い、紅い目を鋭くして睨みつける。

 

「エクレシアに何をしようとしてるんだ、お前!」

「くはっ! そんなにその女が大事なのかい? じゃあ、そいつを汚したとき、お前はどんな絶望を浮かべてくれるのかなぁ?」

 

 マスカレイドが加速する。膝に備えた十字の鎧は、鋭い剣にもなっている。それをエクレシアに突き立てようとしていた。

 

「串刺しにしたら、真っ赤に染まるだろうな!」

 

 アルビオンが庇うより早く、刃は届く。

 

「舐めないで、ください!」

 

 ガァァァン! と、鈍い音が響く。煤を振りまく骨鎚が、マスカレイドの膝を砕く。

 

「大丈夫か、エクレシア」

「はい。これでも、訓練は長年続けていましたから」

 

 重たそうなゴルゴンダハンマーを、エクレシアは片手で堂々と構える。両目に当たる部分からはスプリガンズ・ロッキーの煤が目を開いていた。彼の気合が高まる度に、鉄駆竜スプリンドのスラスターをリサイクルしたブースターを熱く吹かせる。

 押し返されたマスカレイドは、仮面の下で口の端を震わせる。

 

「……やるじゃないか。教導の聖女エクレシア」

「いいえ。わたしは、教導の聖女ではありません」

 

 その言葉に、アルビオンもマスカレイドも僅かに首を震わす。

 どういう意味だとエクレシアを見るアルビオン。何が言いたいと目を細めるマスカレイドに、彼女は堂々と宣言する。

 

 

「わたしは、白の聖女エクレシアです!」

 

 

 白とは、何にも染まらぬ、何ものでもない色のことだ。

 記憶もなく、名前もなく、何もない真っ白なキャンバスのようだったアルバス。彼を助け、導き、伴に旅をした。今ここにある彼女に、所属する国家もなければ、守るべき教えはない。

 だが、育った街に住む者たちを助けたいと願う心はそこにある。

 ゆえに、相剣師たちは彼女を聖女と呼ぶ。

 そして、エクレシアもまた、自らを『白の聖女』と名乗るのだ。

 

「白の聖女……へぇ、アルバスだけの聖女ってこと? いいね、そういう関係」

 

 少し顔を赤くするエクレシアだが「その通りです」と強く頷く。

 

「そうです! わたしは、アルバスくんとともに絶望を払う者です!」

 

 力強い宣言に、マスカレイドは竜の口角をにやりと歪めた。

 

「思ったより、楽しめそうだね。俺一人で来なくてよかった」

 

 その言葉に、アルバスは気づく。

 

「コスモクロア! さっき二か所にデスピアの気配があるって言ってたよな!」

 

 アルビオンの問いに、氷水の母は小さく肯く。

 

「大霊峰の入り口付近に、結界を破った気配がしました。おそらく別のデスピアが、そこから侵入したのでしょう。大量のデスピアが、そちらに」

 

 敵は、今目の前にいる者だけではない。どこかにまだ別動隊がいる。

 アルビオンはエクレシアのほうを見ると、彼女と目を合わせる。

 

「エクレシア、そっちを頼む。多分相剣師たちが対処すると思うけど、戦力は多い方がいいだろう」

「でも、それだとあのアルベルというヒトを……」

「あれはおれが対処する。あいつ一人なら大丈夫だ。氷水のやつらだって、黙ってやられるわけはないだろうし」

「その通りです」

 

 アルビオンの言葉に応えるように、コスモクロアは足元に手を置いた。

 

「起きなさい、氷水艇キングフィッシャー」

 

 湖底から現れたのは、鳥か魚を思わせる形をした、巨大な精霊だった。氷水艇、その名の通り小さな氷水の個体が乗り込み、まるで船頭のように指示を出す。

 姿形は違えど、スプリガンズ・シップを二人は思い出した。

 

「氷水の守護獣、愚かなる絶望の使徒を、葬りなさい」

 

 アルビオンやマスカレイドより巨大なキングフィッシャーは、悠然とマスカレイドの前に進み出る。

 

「見たとおりだ。おれは大丈夫だ。だからエクレシア、君は上に」

「……わかりました。必ず、無事で会いましょう!」

「ああ。コスモクロア、彼女を地上へ!」

 

 アルビオンの言葉と同時に、コスモクロアはエクレシアを転移させる。すでに相剣師たちも動いているはず。そう考えれば、地上も地下も戦力は十分だ。

 

「なんだいアルバス。好きな女の子に、自分がやられる惨めな姿は見せたくないってことかな?」

「なんとでも言ってろ。お前は、ここで仕留め――」

 

 動き出そうとした時、アルバスの体に炎が宿る。燃え上がる炎が全身に回り、黒い鱗をさらに黒く染めようとする。叫び声を上げかけたアルバスへ、黒い手が伸びる。

 

「動かないで」

 

 直後、コスモクロアの放つ冷気が炎を抑え込む。悶えていたアルビオンは痛みが取り払われたのを確認すると、鋭くマスカレイドを睨む。

 

「さっきの炎、そういう目的だったか」

「さすがは我らデスピアの力に対抗しうる氷水の女王。俺の炎も一瞬かぁ」

 

 人間の姿であれば、肩をすくめていたことだろう。至極残念そうに振舞いながら、その声の裏には言い知れない余裕と、嗜虐心が蠢ている。

 

「でも残念だなぁ。もうこの地底湖は……氷水は絶望の浸蝕を受けているのだから」

 

 マスカレイドの言葉が合図だったかのように、氷水の領域で爆発が起こる。

 アルビオンとコスモクロアがそちらの方向を向いたとき、アクティたちを襲う何者かが、二振りの剣を振るった瞬間を見た。

 

 

   ◆

 

 

 氷水の間で流行っている遊びがあった。

 相剣師の一人が持ってきた小さな筒に、氷水の少女たちは口をつけ、ぷぅっと息を吹き込んだ。

 すると、水が泡となって膨らんでいき、空中にふわふわ浮かぶ。そして彼女らが発する冷気に触れると、凍って水晶のようになる。

 シャボン玉――と言うのだと黒い相剣師は言っていた。

 

「どうして私たちに? おもしろいからいいけど」

「戯れだ。莫邪にでもと持ってきたものだが、お前たちの方が楽しめそうだったから」

 

 それだけ言って、シャボン玉ストローを置いていった。

 なんでもホールから落ちて来たもので、包み袋の言語を読み解いてみたら単なるおもちゃだということに脱力したとも言っていた。

 

「ありがとう、黒い相剣師」

「ごみを渡して喜ばれてもな」

 

 そんな、ぶっきらぼうなことを、彼は言っていた。

 それからずっと、氷水の少女たちはシャボン玉が大好きだった。

 

 その黒い相剣師が、弟子であるはずの少女の剣を左手に、自らの剣を右手に持って、自分たちの前に立っている。その背に、赤黒い炎を従えて。

 

「邪魔だ。精霊もどき」

 

 氷水の力で生まれた氷の妖精たちが、襲撃者、相剣師-龍淵を迎え撃つべく跳びかかる。だが、彼の振るう曲刀の一撃と、蛇腹剣の乱舞は、悉く妖精たちを斬り捨てる。

 

「どうして? どうしてあなたが私たちを襲うの?」

 

 力を求めることを諦めなくなった剣士は、それまでの過去全てを捨てて、ともに霊峰を守り続けた戦友を斬り捨てた。倒れたアクティからの問いかけに、龍淵は重たい口をゆっくりと開いた。

 

「世界は、絶望に沈むのだ。俺は……力ある者は、その中でも生き残り続ける!」

 

 バシャ、バシャと水を蹴る音を立てながら、龍淵はコスモクロアへとゆっくり近づく。倒れたアクティが落としたシャボン玉ストローを踏みつけて、砕け散った氷の妖精たちを蹴り飛ばして、おもむろに自らの相剣と、莫邪の相剣を重ね合わせる。

 

「二つに分かたれし〝相〟よ。今一つに重なり、あるべき力を示さん! 共鳴(シンクロ)せよ、己が野望の許に!」

 

 黄色と青の二つの炎が、二重螺旋を描いて地底湖の天井を貫いた。明らかに、本来龍淵が持ち得ていた力の範囲ではない。

 明らかに、何か別の力が彼の内側に存在している。

 本人はそれを自覚しているのか、していないのか。ただ己の野望の赴くままに、刃を一つに重ね合わせた。

 

「我は……そう、大邪。この力は七曜万象を征する者なれば――」

 

 彼の手に、相剣はない。代わりにその尾は黒い炎を纏いながら巨大な武器へと変わる。彼の変化の要因を、氷水の女王は瞬時に把握する。

 

「己の相剣を分割し、弟子に与えていたのですか? 自らの心の現れを、隠すために?」

 

 コスモクロアは、龍淵の行動をそう分析した。

 相剣とは本来氷水の力によって自らの心から作り出した剣だ。それを分割、それをまた戻し、自らの体内に戻す。これはまるで魂を直したり壊したりを繰り返す、非常に危険な行為だ。

 それを龍淵はやってのけた。その結果なのか。彼の剣の代わりに尻尾が節くれだった剣へと変えてしまった。魂の在り方を変えることで、肉体そのものを変える。非常に危険だが、成長や多少の特訓では得られない進化を果たす。

 

「我こそ、相剣(そうけん)大邪(たいじゃ)-七星龍淵(しちせいりゅうえん)なり」

 

 周りにある氷塊や岩塊を砕きながら尻尾を振るう龍淵――七星龍淵は、巨大な精霊であるキングフィッシャーを見上げる。

 

「くはははっ、散れ」

 

 飛び上がった七星龍淵の拳が、キングフィッシャーを殴り飛ばす。

 十倍以上あるはずの体格差をもろともしない一撃が、キングフィッシャーを岸壁に叩きつけた。衝撃に身じろぎするコスモクロアだが、その場から動かない。

 否――動けない。

 体のほとんどが黒くなり、透明度を失った体は、もうまともに動く力すら残っていない。キングフィッシャーを作り出したことこそが、彼女の最後の抵抗なのだ。

 

 

 アルビオンはそちらを向くと、七星龍淵を止めようと翼を広げた。

 

「おっと、お前の相手は俺だよ。アルバスゥ!」

 

 その前に、マスカレイドが立ち塞がる。

 二対二――数的優勢はなくなった。翼を広げたアルビオンとマスカレイドは空中でぶつかり合い、お互いの火炎をぶつけ合う。

 

「どうして、おまえらはここに……」

「深淵と呼ばれたこの大陸。ホールの奥の神を崇拝する面白い奴らがいたんだ。お前も見ているだろう、ドラグマの奴ら」

「……さぁな。ほとんど話す暇もなかったからな!」

 

 ただ、自分の敵であるということだけは何となくわかった。そして今目の前の相手は、ドラグマの連中より危険な相手だということはわかる。

 

「この大霊峰は大陸のエネルギーの循環地点だ。膨大な力を氷水たちは制御し、相剣師たちはそれを操ることで守っている。砂漠を超えた先の鉄の国っていうところで採れるエネルギーと同質なのは、こちらで制御しきれなかった分があちらに漏れているんだろう。多分スプリガンズみたいな面白い種族がいると思うぞ」

「お前、スプリガンズのことも、知って……」

「見てたからな。ホールの向こう側から」

 

 マスカレイドが、また笑った。鋭く長い尻尾の一撃がアルビオンを叩き落すと、彼の顔を足で踏みつける。

 

「本当に可笑しな話だよ。この大陸にはもう、未来はないんだから」

「どういう、意味だ……」

「絶望の使徒がこの地に降り立った。そんな世界に何を求めようって言うんだい!?」

 

 どこか嬉しそうに語るマスカレイドは、明らかにこの状況を楽しんでいる。

 何が楽しいのかアルビオンには全く分からないが、ただ一つ――アルベルと名乗った少年を止めなくてはいけない。

 それが、自分の使命のように思えた。

 

「絶望が降りかかるっていうのなら、焼き尽くすだけだ!」

 

 アルビオンの体に、真紅の炎が宿る。その上からマスカレイドの黒炎が体を焼くが、彼は傷みに堪えながら翼を広げる。

 

「我、烙印竜アルビオン!」

 

 ホールの影響を受けた暴走ではない。自らの意志で制御した力が、黒衣竜の姿を烙印竜へと変えた。

 

「白の烙印よ、痕喰竜の力をここに!」

 

 身から溢れ出した炎が竜の形を取る。ゴルゴンダやガーディアン・キマイラ、天獄の王と対峙した時のように、アルビオンは自らの分身を作り出した。

 ブリガンドの形をした焔はマスカレイドに跳びかかると、アルビオンの上から遠ざけた。起き上がりざまに火炎弾を放つが、マスカレイドの翼から離れた火球が打ち消した。

 

「いいね、ただ暴れ回っているだけじゃない。きちんと力が制御できるようになってきたじゃないか!」

「褒められても、何も嬉しくない!」

 

 さらにバスタードも作り出して追撃しようとするアルビオンだが、その腕を何かが掴む。

 

「な!? これは……」

 

 そこにあるのは、小さなホールだ。

 まるで鎖のように連なったそれはアルビオンの体に纏わりつき、首を縛り上げ、翼を折り、足を引っ張る。

 同じようにブリガンドの炎にもまとわりつくと、卵をひもで切るような勢いで、かき消される。

 

「は、なせ……! この、鎖を……」

 

 暴れ回るアルビオンだが、予想以上に拘束の力は強い。水面へと叩きつけられた勢いで、烙印竜の炎が解けていく。ただ水に浸かったからではない。

 体から、力が抜けていく。

 次第に身動きが取れなくなりはじめ、口を開かないように縛られる。

 

「よくここまで力を育てた。アルバス」

「何、言って」

 

 かろうじて開く口から問いかけるも、マスカレイドは――アルベルへと戻った少年は答えない。

 代わりに、唯一残した翼を広げながら、両手を頭上へ広げた。

 

「さぁ、失烙を印す刻が来た!」

 

 歓喜に打ち震えながら、終焉の到来を伝えたのだった。

 



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第十八章《氷水呪縛》

 

 

 氷水艇 キングフィッシャーは頑強だった。

 七星龍淵の一撃を食らいながらも、他の妖精たちとは違い砕けない。

 邪悪に染まったかつての味方の向こう側に砕かれた同胞たちの姿を認めると、咆哮を上げた。

 シカやトナカイに似た角を振り回し、七星龍淵を睨む姿は、怒りに震える聖獣にも見える。オーロラのような光線を纏いながら、邪悪に染まった相剣師を迎撃する。

 

「そう来なくてはな!」

 

 七星龍淵は武器を持たない。だがその代わりとなる強力な尾を持っている。

 キングフィッシャーの突撃に対し、七星龍淵は尻尾の蛇腹剣を振るって対抗する。

 全身に漲る黒炎は氷水の聖地を砕き、溶かし、焼き払う。イニオン・クレイドル全体が戦いの衝撃で揺れ、崩壊しかけている。

 その中で、七星龍淵は笑っていた。

 

「はははっ、いいな。今、俺は生きていることを、確かに実感している!」

 

 力を求める性ゆえか、彼は楽しむ。強くなることより、蹂躙することを選ぶ。その姿に、もう大霊峰を守る軍師としての姿はない。

 

「闇に堕ちたか、龍淵!」

 

 キングフィッシャーの喉元を狙った一撃を、相剣大公-承影の相剣が受け止めた。

 イニオン・クレイドルに衝撃が走る。最強の相剣師と、最凶の相剣師となった軍師。二人の刃は離れ、お互いに数歩下がる。

 承影はキングフィッシャーとコスモクロアを守るように右手を広げ、左手に相剣を持つ。一方で七星龍淵は拳闘士の如く拳を構え、尻尾を第三の腕として揺らす。

 

「承影よ、ようやく来たか。お前を待っていたんだ」

「待っていただと?」

「ああ。今こそ知れ。最強の幻竜が誰なのか。何が本当に正しいものであるか」

「力――と言いたいのか? たとえお前が私をここで打ち負かそうと、それはお前の正しさの証明にはならない。ただお前の傲慢さと弱さを知らしめるだけだ!」

「力なき者の言葉など、ただの戯言よ! 承影、貴様に見せてやろう。そして憶念(おくねん)せよ! 我が力!!」

 

 七星龍淵の体表で蠢く赤黒い炎が一掃燃え上がる。

 

「これは、相剣の力ではない。何よりも禍々しい、絶望の使徒の力か!」

「承影……龍淵の中に、大きな絶望が垣間見えます。ですが、彼の本心は――」

 

 コスモクロアの言葉が、承影に届けられようとする。だが、それより早く七星龍淵の刃が二人を狙う。

 本来なら、二つの相剣を取り戻した龍淵と雖も、大公-承影には勝てない。勝てていれば今頃彼が大公の地位についている。

 勝てなかったからこそ、自らの野心を切り離し、弟子である莫邪に己の剣と偽って与えたのだ。

 そして軍師と言う立場に甘んじ、心の内を隠す日々を過ごした。

 

「ははははっ! これが、これがデスピアの焔! 幻竜の鱗すら焼く、大いなる力!」

 

 ホールの向こう側に由来する力なのか。本来ならば炎に強い幻竜が苦しみ、氷水の力でも浄化できない。

 その尾に宿る力の出所も、辿れば氷水に類する。異なる力同士を共鳴させることで、より大きな力へと変えているのだ。

 デスピアのアドリビトゥムが起こした気紛れの訪問は、盛大な突発劇(アドリブ)を生み出し、大きな混乱を招いた。

 

「そのような、邪悪な力に!」

 

 承影は七星龍淵に向けて駆け出す。大剣をまるで棒切れのように高速で振るう承影に、七星龍淵は両腕と尻尾を使って対抗する。

 たたらを踏んで交代する七星龍淵だが、決して怯えた様子はない。

 

「さすがだ、承影。これだけの力を手に入れてなお、お前に勝てる確信が持てない!」

「ならば、その尾を引き千切り、お前の不安を証明してみせよう!」

「いいや。それは無理だ」

 

 激しいつばぜり合いをする承影と七星龍淵。

 彼の視線は、承影の後ろ――コスモクロアに向いていた。

 

「莫邪、やれ」

 

 その瞬間、承影は理解した。

 七星龍淵となるために莫邪の剣を取り込んだのなら、彼女は今どうしているのか。

 師匠の突然の変貌に絶望しているか。それとも混乱して何もわからず、どこかに隠れているのか。

 

 否――ここにいた。

 

 相剣でもなければ、ドラグマの勢力が使うような神器でも、トライブリゲードの面々が使うような特別な武器でもない。

 ただ一般的な鉄の塊の小太刀を手に、コスモクロアの傍らに立っていた。

 

「し、師匠の……龍淵様の、教えならば……」

 

 震える声と体で、小太刀を支えている。逆手に持ったそれを、コスモクロアへと突き立てようとしていた。

 歩くことすらままならない彼女に、避ける術はない。

 

「――やめないか!」

 

 承影は七星龍淵を蹴り飛ばし、その反動で莫邪の許に飛ぶ。

 右手を翳して小太刀を受け止めると、ぎりぎりでコスモクロアには届かせない。

 痛みに顔をしかめるが、致命傷と言うわけではない。突き刺さったままでも強引に振り払えば、刀は引き抜け、莫邪の軽い体は押し飛ばされる。

 莫邪は小太刀から手を離しながら後退すると、体全体を震わせた。自分が何をしていたのか、彼女も理解している。無機質な刀の落ちる音が、妙に響く。

 状況を理解しているからこそ、彼女も認めたくないのだろう。その想いが、体の動きに現れている。両手で顔を覆いながら喉を震わしていた。

 

 

 時代を遡れは、数年前。

 ある一人の少女は、自らの才に苦しめられていた。

 相剣師は、己の相を剣に出来なければ、相剣師足り得ない。

 その点で、少女莫邪は出来損ない――落ちこぼれと言っていい存在だった。

 自らの相剣を持たない。

 それはこの地に住まう幻竜にとっては、種族失格の烙印を押されるに等しい存在だ。

 自らの心を鍛え、己と向き合う中で相剣は生まれいずるもの。成し得なければ、その先に待つのは一族からの追放か、誇りなき生涯か。

 

『自らの相を、見出せずにいるのか。娘』

 

 幼い莫邪に声をかけたのは、漆黒の鎧を見に纏う誰もが知る相剣師――龍淵だった。

 

『龍淵、様……。私は……剣を創ることが、できません。相剣師に、なれません』

 

 涙ながらに零した言葉は、誰にも言えないごく単純な言葉だった。

 どうすればいいと周りに聞くこともできず、周りも聞こうとはしない。ただ心が限界に達しようとしていた莫邪は、初対面に等しい龍淵に心の内を漏らした。

 

『氷水の輝きを内に秘めた幻竜か。ただの幻竜である我々とは、多少構造が違うのかもしれん。そのせいで魔力の循環が、体内で阻害されているのか』

 

 仮説を立てながら莫邪のことをじろじろと見る彼に、莫邪は何か気恥ずかしくなってくる。

 

『あ、あの、そんな、まじまじと見られると、困ります……』

『何を己惚れておる。お前が相剣を宿し得ない理由は定かではない。だが、訓練の様子を見ていてもまだまだ未熟。その程度の気概で、相剣師足り得ると思うな』

 

 龍淵の言葉に、莫邪は仮面の奥の眉を顰めた。

 相剣を宿せないのは、修行が足りないからだと思ったことはない。少なくとも、誰よりも泥良くしてきた。先達からも、相剣大公からさえもお墨付きをもらった自分の修行への姿勢に、偽りなどない。

 それでもなお、龍淵はだめだという。

 

『ただの相剣師になる程度のなら、それでいい。だがお前は、相剣を宿せてもいない落ちこぼれだ。それが〝頑張った〟程度の修行で、何事をなせるというのか』

 

 その言葉に、莫邪に反論はなかった。

 当然のことだと、彼女自身も理解している。――しているが、改めて突きつけられると、少しだけむかっ腹が立つ。

 

『私が鍛えてやる。お前を、相剣師に相応しい存在にしてやる』

 

 突然の言葉に、莫邪は薄い目を見開いた。苛立ちは、一瞬にして消えていた。

 なぜ――そう思いながらも、龍淵の申し出を断る理由はなかった。

 翌日から始まった龍淵の指導。厳しく、容赦なく、ただ相剣師になるための鍛錬が始まった。そして数か月後、朝に目を覚ました時、傍らに彼女の相剣はあった。

 水色の蛇腹状の剣。相剣の中でも珍しい形状変化を行う剣だ。

 そうして、相剣師-莫邪は生まれた。

 

『龍淵様! 見てください! 私も、私もついに……!』

 

 涙ぐみながら報告した時、龍淵の手は、そっと彼女の頭を撫でた。賞賛の言葉もなく、労いの言葉もない。だけれど、莫邪にはなによりも大きな褒美に思えた。

 父親のような師匠である龍淵とともに、この大霊峰相剣門を守る。

 莫邪は、そんな未来を、夢見ていた。

 決して、彼のことを疑うことなどなく。

 

 

 ――疑う必要など、なかったのに。

 

「莫邪……莫邪!」

 

 その名を大公が呼ぶ。

 呼ばれればすぐに駆け付け答える、まじめな少女だ。まだ若いとは言え、相剣師としての才能はあると思っていた。

 立派な剣を作り出し、これから先の未来を泰阿や他の若い世代とともに支えていくと思っていた。

 

 ……それが、このようなことをしでかすとは。

 

「承影! 心を乱してはいけません。それでは龍淵の……」

 

 大公は牙をむき出しにして、原因となった相手の名を叫ぶ。コスモクロアの忠告も、今の彼は届かない。

 

「龍淵! そこまでして貴様は――!」

 

 振り向いた承影の目の前で、キングフィッシャーが彼の盾になる。七星龍淵の尾である蛇腹剣が、氷でできた体を貫いた。

 

「キングフィッシャー……!」

「終わりだ。承影」

 

 眼前に迫る七星龍淵の拳を、避ける時間はなかった。

 砕け散るキングフィッシャーの欠片を抜けて、七星龍淵の拳が承影を殴りつけた。

 

「ぐぅぉ……」

 

 強烈な打撃は、承影の体をイニオン・クレイドルの湖面へ叩きつける。

 

「承影、様……!」

 

 莫邪の声が震えた。

 自分が何をしたいのか。何をしたのか。全て理解しているからこそ、目の前で躱される拳と剣の応酬に、もうどうすればいいのかわからない。

 是非を問う思考もなく、ただ言われたことをこなすだけの混乱の迷宮へと陥った彼女の姿に、むしろ承影が怒りを放つ。

 

「こんな……こんなことをさせるのが、あの龍淵だというのか!?」

「力を手に入れたのだ。全てを征する力だ。私が長きに渡りくすぶり続けた、本来得るはずだったもの。今までできなかったことができるのは、気分がいい」

「莫邪に……お前の弟子に……娘に、誇りなき行いをさせてまで得るものなのか!」

 

 承影の激昂が、倒れた姿勢ながら力強く地下空間に響く。

 しかし、七星龍淵は静かに首を横に振る。

 

「血の繋がらぬ小娘を、多少育てたというだけの話だ。その全ては、我が力を隠す器として必要だったのだ!」

 

 鋭い蹴りが、承影の体を転がす。水を跳ね上げ、泥に汚れ、赤と青の鎧は黒ずんでいく。起き上がろうとするその胸を、巨大な足が踏みつけた。

 

「惨めだな、承影。コスモクロアを守り、莫邪を助けようなどと欲をかき、結果今私の足の下に転がっている」

「黙れ……あの誇り高き龍淵が、そのようなことを、口走るはずがない!」

 

 必死に起き上がろうとする承影だが、七星龍淵はさらに力を込める。

 

「お前の知る龍淵など、最初からこの世のどこにも……」

「いた! 私は知っている! 莫邪を助け、そのために苦心し、師として新たに学ぼうとしていた、お前の姿を!」

 

 胸部を圧迫されながらなお、承影は叫ぶ。

 

「お前は龍淵ではない! 我らの軍師が、貴様のような卑怯者であるはずもなし! デスピアの絶望が、その魂から肉体を奪ったのだ!」

「……妄想も、大概にするのだな!」

 

 勢いをつけた踏みつけが、承影の鎧にヒビを入れた。

 

「ぐ、ごぉぉ……!」

 

 単純な膂力ですら、上回ることが難しい。体形では大きな差があったはずの承影と龍淵だが、七星龍淵となった彼との差は縮まっていた。

 鎧の隙間から、僅かに血が零れた。

 

「終わりにしてくれよう、承影。お前を屠ったあとは、コスモクロアを。そしてお前たちが見出した希望とやらも、消し飛ばしてくれる。そのあとは、デスピアどもを蹴散らしてくれる!」

 

 今の龍淵の力は、確かにデスピアの影響を受けて手に入れた力だ。だが、心の内は、龍淵自身が隠していたものなのかもしれない。

 だから、彼はデスピアすらも手に掛けようとしている。

 力を手に入れたことの驕りか。それとも、彼の野望ゆえか。

 

「龍淵……!」

 

 呼びかける友の声も、もう彼には届かない。

 

 

   ◆

 

 

 ホールの形状を変化させた鎖に囚われたアルバスは、翼を広げたアルベルに見下ろされていた。

 抜け出そうともがくのだが、もがけばもがくほど強く締め付けられる。

 

「何を、するつもりだ……なんで氷水を襲いに来た!?」

「吠えるなよ、アルバス。痛くしないからさ」

 

 倒れるアルバスの額を撫でるアルベル。不気味な笑い声の混じる声で、彼は静かに語り掛ける。

 

「烙印の力……ホールの向こう側に存在する俺たちの力は、重ね合わせることでより強くなる。俺とお前の力を重ねれば。神代の力を再現することさえ可能なんだ。知ってたか?」

「知るかそんなこと……」

「つれないなぁ。氷水の襲撃だけど、簡単さ。俺たちの力を阻害する要因は、潰しておくに限るだろ?」

 

 肩をすくめたアルベルは、その翼を広げて、赫いオーラを放出する。それはマスカレイドへと変化するときに使った、アルバスと同じ、竜化の力だ。

 

「光も影も、全てを呑み込む闇の絶望。我ら烙印の使徒は、全てを喰らい、全てを呑み込む……全てを焼き尽くす! 我が名は――」

「ぐっ! が、あぁぁぁあああ!!」

 

 アルビオンの姿が、アルバスへと戻っていく。竜化の力が失われ、黒衣竜は黒衣の少年へとその姿を変えた。

 体が小さくなったことで縛り付けていたホールの鎖は解かれたが、動けないアルバスはバシャッ! と音を立てて水面に落ちた。焼けるような痛みに起き上がれず、震える体でなんとか頭だけを動かして、その姿を見た。

 

 溢れ出した真紅の炎が、氷水の地底湖を枯らしていく。

 全てを焼き尽くし、原初の塵へと返すであろう焔。炎に包まれたアルベルはその身に灰銀の鱗を纏い、真紅の角と爪を得る。灰燼竜バスタードに似ているが、全く違う。

 枯れた水底を踏みしめる四つ足の竜は、まさしく神代の業火の化身。

 

「その……姿は……」

「――神炎竜ルベリオン!!」

 

 超高熱の嵐を纏いながら現れた神炎竜ルベリオンに、承影、コスモクロア、七星龍淵すら戦いの手を止めてしまう。

 もっとも、すでに承影は龍淵の足元に倒れ伏した状態だったが。

 

「ほう。これがデスピアの力か。なかなかに、いい熱ではないか」

 

 感心する七星龍淵。傷を負い踏みつけられた承影が、七星龍淵の見せた一瞬の隙をついて踏みつける足から脱出する。

 コスモクロアを庇うように前に立ち、手元に自らの相剣を呼びつける。

 肩で息をし、震える腕で剣を構える。彼らは揃って目の前の光景に戦慄を覚えた。

 

「これほどの禍々しい存在が、この時代にあろうとはな……」

「私たちの地底湖が、穢れていく……」

 

 ルベリオンの放つ熱は、イニオン・クレイドルから豊かさを刻一刻と奪っていく。循環する大地のエネルギーは乱れ、大霊峰全体が揺れ動く。

 地上にも邪悪な気配がはびこっているのは、この戦いの余波で霊峰全体の結界が弱まったせいだろう。デスピアの軍勢が攻め込んできているのは、コスモクロアには見えていなくてもわかった。

 

「承影、私のことはもういいのです。残っている氷水の者と、相剣師たちを守ることに全力を注ぐのです」

「何を言うか! 氷水はそなたなしには成り立たぬ! デスピアと戦うためにも、その力は……」

「もういい加減終わりなよ、おじさんたち?」

 

 この先のことを考える相剣と氷水の長に対し、神炎の竜がニヤリと笑ったように見えた。同時に、背後から高熱の炎が荒れ狂い吹き出した。

 

「来たれ、我が化身、マスカレイド!」

 

 それは、烙印竜アルビオンの力に似ていた。自らが発した炎が新たな分身を作り出す。神代の炎が赫灼竜の姿を取ったのだ。

 デスピアの導化アルベル。その姿がアルバスに酷似しているように、その力もまた似通っていた。だが、炎の熱量は――けた違いだ。

 

「全て、燃え尽きろ!」

 

 ルベリオンは大きく息を吸い込むと、その口蓋に炎を集める。マスカレイドもその仮面の下で炎を集め、一気に吐き出した。

 

赫焉(かくえん)神尽火滅弾(リベリオン・バースト)!!」

 

 赫。あまりにも(あか)

 緋色の炎が、承影とコスモクロアを呑み込む。ファイヤー・ボールなどというごく小規模の火炎とは、次元が違う。

 伝説に謳われる真紅眼の黒竜の炎さえも上回る一撃が、二人へ迫る。

 承影は剣を振るい、コスモクロアは氷の盾を広げる。必死に抵抗しようとする二人を座嗤うかのように、赤色の炎が焼き尽くす。

 

「承影! コスモクロア!」

 

 アルバスの叫びが、地底湖に響く。

 本来炎には強いはずの竜と氷の精霊だ。なのに、ルベリオンとマスカレイドの炎は、彼らの魂すら焼き尽くさんとする。

 焦げた鎧、砕けた体が、炎の消えたあとから現れる。膝を付く承影と、崩れ落ちそうになるコスモクロアの姿に、アルバスは怒りと嘆きを覚える。

 

「もうやめろアルベル! なんでこんなことを!!」

「……さぁ、なんでかな」

「ふざけるな!」

「ふざけちゃいないさ。それに、俺がやめたって、地上の奴らは止まらない。もしかしたら、エクレシアちゃんはもう――」

「お前――!!」

 

 浅い湖底を蹴って、アルバスは走り出す。右手に掴んだ石を振りかぶるが、ルベリオンは巨大だ。前足を軽く振るうだけで、少年の小さな体など吹き飛んでいく。

 泥をはね上げ、残った炎に焼かれ、湖の中へと落ちていく。

 

「ごぼぉ……!」

 

 全身に走る痛みが、体の動きを止める。案外深い地底湖の底へ、彼の体は引きずり込まれていく。

 決して魔神王のいる沼地などではないが、冷たい水は彼の体から力を奪う。

 

「アルバス……!」

 

 承影の呼びかけにも答えられない。そもそも、彼はアルベルに力を奪われたばかりなのだ。ドラゴンになる力を失い、立ち上がれたのも最後の気力を振り絞ってのこと。

 

「なんだ。私がとどめを刺すまでもなかったな」

「あれ? 意外とアルバスに対してこだわる? じゃあさ、こだわりついでにそこの二人始末したら、その後どうする? 有言実行ってやつ、する?」

「ふんっ、手加減してもらえるなどと、思っていないだろうな」

 

 すでに、承影とコスモクロアのことなど眼中にないと言わんばかりの会話だ。

 七星龍淵の意識すら、すでに承影には向いていない。先程言った通り、デスピアとも戦う気なのだろうか。

 事実、もう承影に抵抗する力が残っていないのだから、無視しても構わないのだ。

 

「それでは、やるとするか」

 

 そう言って、七星龍淵の手には軍師としての相剣が現れる。その刃は、承影の胸に突き刺さる。起き上がろうとした彼を、正面から貫いた。

 

「……ぐっ!?」

「こいつが倒れた瞬間が、開始の合図としよう」

「いいねぇ。相剣大公さーん、ちょっとぐらいは、耐えてくれよ?」

 

 あまりにもあっけない留めが、承影の命を削っていく。すでに炎に焼かれた身。治療もなしで永らえる体ではない。

 

「承影、なんということに……」

 

 その場から動けないコスモクロアに、承影を庇って後退するような真似はできない。

 ただ倒れまいとする彼に寄り添おうというように、少しずつ近づくことしか――。

 

「母様……」

 

 その声に、彼女は振り向いた。

 離れていたと思っていた、足元に真っ白な氷水――エジルがいた。泣きそうな顔で見上げてくる少女へ、コスモクロアは微笑んだ。微笑んで、その顔を承影のほうに向けた。

 鋭く、決意と覚悟を固めた表情で。

 

「コスモクロア、そなたは、エジルとともに離れよ……。我が命に掛けて、希望を」

「いいえ。承影。希望を守るためならば、私と、あなたの力が必要です」

 

 倒れそうになった承影の肩を、コスモクロアが支える。

 その様子に、七星龍淵は首を横に振った。

 

「邪魔立てするな。精霊の母よ。今更多少の抵抗で何が変わるわけでもない」

「いいえ、変わります。私は、私の子らのために、今この場に満ちる絶望を、希望へ変えてみせます!」

 

 力強いコスモクロアの言葉は、すでに死期の近い精霊のものとは思えなかった。まして、感情が希薄とされる精霊には似つかわしくない、裂帛の意志がある。

 その気迫に、僅かに七星龍淵の足が後退した。

 そんな彼を無視するように振り向いたコスモクロアは、もう一度エジルのことを見る。

 

「エジル、あなたを残していく母を、許してください」

「母様?」

 

 エジルの頭にそっと手を置いたコスモクロアは、開いている手に光を宿す。

 

「さようなら。私の最後の娘」

 

 その一言が、合図だった。

 

「――龍淵!」

「――わかっている!」

 

 ルベリオンも、七星龍淵も、何かこれはまずいと直感で理解する。

 その体を、剣を放り捨てた承影が掴んで止めた。

 

「なっ!? 承影、貴様、まだこれほどの力を!」

「この際だ、龍淵ごと焼き尽くして――」

「やめぬか、この狂人め!」

 

 振りほどこうとする二体を、彼はしっかり掴んで離さない。

 そんな承影の剣は、ゆっくりと湖の底へと向かっていく。

 

「我が刃、我が心、剣に映したる相を、そなたへ託そう!」

「この大陸を呑み込まんとする絶望を払う希望、黒衣の内に秘めし力に光明を!」

 

 彼女の手から、光が湖に放たれた。そして、イニオン・クレイドルが凍てついていく。

 地底湖の水の全てが、分厚い氷に閉ざされていく。かろうじてルベリオンの存在する空間だけは凍結を免れているが、それ以外の全てが鏡のような氷に包まれた。

 

「このような子供だましが!」

 

 七星龍淵の蹴りが、承影の体を突き飛ばす。同時に突き刺さっていた剣が抜け、大量の血が流れだす。

 湖面に倒れ込む承影は、傷を抑えながら視線をコスモクロアへと向けた。そんな彼の体に、精霊たちの母はそっと手を添えた。

 

「……すまぬ、あの日々を、守れなかった……」

「謝らないでください。希望は、子どもらに託しました」

 

 倒れた承影のそばで、コスモクロアは膝を折る。その体に、細かいヒビが生まれ始めていた。

 

「母、様!」

 

 エジルにも、何が起こっているのかわかるのだろう。

 力を使い切った精霊は、生物のように屍へと変わるわけではない。幻竜である承影の姿もまた、薄れ、揺らぎ始めている。

 

「嘆くことはない。我ら幻の存在は、ただ世界の循環へと、還るだけだ」

「承影、様……」

 

 彼に向けて、傍らに来た莫邪が手を伸ばす。罪悪感に呑まれそうな彼女の肩に、承影はそっと手を置いた。

 

「お前の師は、立派な相剣師だ。決して、お前に不義を働くことも、裏切るようなものではない。お前は、誇りをもって、龍淵の育てた相剣師として生きるのだ」

 

 最後の瞬間まで、彼は相剣師たちの長であろうとする。その亡骸を、七星龍淵は尾を鞭のようにして叩き潰した。直後、光の粒となって、空を舞っていく。

 

「エジル。どうか、嘆きながら生きるのではなく、笑いながら生きてください。きっと……希望を抱きながら、生きていける時が来ますから。ね?」

 

 コスモクロアは、小さな精霊(むすめ)の伸ばす手に自らの手を重ねようとする。

 ヒビ割れた微笑みが、エジルの目の前に広がっていた。

 

「大丈夫、あなたは、ひとりじゃ――」

 

 バキンッ――。

 

 真っ黒に染まったコスモクロアの体が崩れ去る。

 伸ばしかけたエジルの手を取ることなく、パラパラと崩れていく。

 首が取れ、腕が折れ、最後に胴体が零れていく。

 

「あ、うあ、あ、あああ、ああああああああああああん!!!」

 

 エジルの泣き叫ぶ声が、凍てついたイニオン・クレイドルの氷を吹き飛ばす。

 砕け散ったガラス片のように氷は宙を舞い、ルベリオンの炎を、七星龍淵の眼光を反射する。その間を、光となった承影の欠片が舞っていく。

 

「承影様……承影様! いやっ、いやぁ! いやぁぁぁぁ!!」

 

 若い相剣師の慟哭が、波紋を作り出す。

 精霊と幻竜、全ては幻の中へと帰っていく。

 ただ一つ――帰らぬものが、湖底より浮上する。その気配に、七星龍淵の背筋が凍る。

 

「なんだ? この気配はっ!」

「くくっ! そうだよな、死ぬはずがないよな!?」

 

 氷水の悲しみは、小さな精霊の心に呪縛となって絡みつくだろう。

 だが、その鎖を断ち切る刃を、彼女の母は、守り人は残していった。

 

 

「そうだろ? アルバスゥゥゥゥゥッ!!」

 

 

 右手に承影の剣を、左手にコスモクロアの光を握った黒衣の少年が、地底湖の水をまき上げながら浮上した。

 

 その瞳は、絶対零度(アブソルート・ゼロ)を思わせる怒りに満ちていた。

 

 



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第十九章《烙印断罪》

 

 

 大霊峰相剣門地上。

 そこにはエクレシアの姿のほかに、相剣師の赤霄、泰阿、そして純鈞の姿があった。

 同時に、空を覆い尽くすのは悲劇と喜劇のデスピアン。そしてそれを率いるのはデスピアのアドリビトゥム。

 

「ハッシャーシーン・ドラグマ……ですか?」

「……お気づきのようで。聖女様」

 

 慇懃な礼をするアドリビトゥムだが、その正体にエクレシアは心当たりがあった。

 自分の額から、聖痕を剥奪した張本人。

 

「まさか、聖痕を奪還され、さらに封印まで施されるとは、思いませんでした」

「ハッシャーシーン……その姿は、一体……?」

 

 ケラケラと笑うハッシャーシーン・ドラグマ――否、デスピアの使徒の一人、アドリビトゥムは体を複雑にくねらせながらエクレシアと対峙する。

 

「聖痕を奪ったあの瞬間が、つい先ほどのことのように思い出せる……痛みに叫ぶ汝の声を、我が耳はまだ覚えているぅぅ」

 

 恍惚とした声を漏らすアドリビトゥムの姿に、エクレシアは顔をしかめた。仮面のせいで表情はわからないにしても、笑っていることだけは何となくわかる。

 ドラグマの暗部、ハッシャーシーン。その存在が、どうしてこれほどまでに醜悪な姿になったのか。

 

「その姿は、デスピアの力の恩恵、とでもいうべきものなんでしょうか」

「その通りだかつての聖女。この赤き姿こそ、我らの本来あるべき姿」

 

 仮面をかぶった状態であるため表情はわからない。

 だが、一つ分かることがある。

 

「ハッシャーシーン、あなたのその喋り方や態度、そちらが、素の姿なのですね」

「くははっ? 本当とは何か? 我らが聖痕と偽った烙印がもたらした喜劇の到来。真実などなんの意味もない。世界はただ、悲劇を享受するのだから!」

「会話が成立している気がしませんね。……赤霄さん」

 

 エクレシアは後方からやってきた相剣師に声をかける。彼に続く泰阿、純鈞を肩越しに一瞥したエクレシアは、アドリビトゥムにすぐ視線を戻す。

 

「ドラグマの不届き者がお手数をおかけします。あの上から来る者たちを、お願いできますか」

「気にするな聖女よ。それに、無理に一人で戦おうとする必要もない」

 

 相剣を構えた赤霄と泰阿が、彼女の隣に並ぶ。

 幻竜の巨体ゆえに身長差は大きいが、ともに戦う仲間であることに変わりない。

 上空に出現した大量のホールから、悲喜劇のデスピアンは舞い降りてくる。そこに向けて、それぞれの相剣を構えた。

 

「参るぞ!」

 

 走り出した幻竜たちの刃が、絶望を切り裂いていく。

 

 

 エクレシアの後ろに、純鈞が待機する。彼女に向けてアドリビトゥムはハッシャーシーンのころより鋭く長く、恐怖を呼び起こす爪を向ける。

 

「偽りの聖女よ。そなたの歩む道は絶望で舗装されているぞ」

 

 加速、突き出された爪に対し、エクレシアはゴルゴンダハンマーを構えた。

 

「ロッキーちゃん!」

「マカセテ!」

 

 ブースターを点火したゴルゴンダハンマーを振るえば、鈍い音を立てて弾かれた。

 

「烙印の力をほとんど失いながら……」

「これが、キットちゃんとスプリガンズさんたちの力です!」

 

 エクレシアの強烈な一撃は、確かにドラグマの聖痕の力に起因する。しかし、ハンマーを振るう技術それ自体は、エクレシア自身が培ってきた特訓の成果だ。

 今までの神器のハンマーは盾を生み出し、他の仲間の力を増幅させることも可能としていた。

 だが、ゴルゴンダハンマーはその強度こそが武器。さらに鋭い形状が一撃の威力を高め、近づくデスピアンを吹き飛ばす。

 

「純鈞ちゃん!」

「ヴォウゥ!!」

 

 地面に落ちたデスピアンを、純鈞の爪が押さえつける。その巨体で踏みつぶし、塵へと変えす。

 デスピアンの消滅に、エクレシアは少しだけ顔をしかめた。

 

「気づいているのかい、聖女様。その雑兵たちの、本来の姿」

「……どういう意味です?」

「目を逸らすのはやめるがいいのさ」

 

 キキキ、と笑うアドリビトゥムに、エクレシアは眉間に皺を寄せた。

 

「デスピアンという存在は、ドラグマの民たちなのでしょう。烙印が解放され、その力に呑まれた結果の姿が……」

「理解できているのなら、話は早い」

 

 爪の先端を、アドリビトゥムはエクレシアに向ける。何か、咎めるように。

 

「救わないのか? お前の民を」

 

 その問いかけは、悪魔の問いかけだった。

 ドラグマの聖女であるのなら、彼女は怪物に変えられた民を助けるために奮闘する以外の道はない。

 ドラグマの聖女ではないというのなら、自分の責任を放棄することになる。たとえ追放されたとしても、彼女は未だ聖女のティアラを付けているのだから。

 

「救いますよ」

「ほう」

 

 アドリビトゥムにとって、その断言は意外なものだった。

 今、目の前でデスピアンの一体が消滅した。アドリビトゥムが問い返す前にデスピアンが複数体彼女に向けて突撃するが、それをゴルゴンダハンマーは殴り飛ばし、塵へと還す。

 デスピアンの体の構造が、すでに肉体ではなくホールのエネルギーで構成されているため、通常の生物のように物質として残ることはない。

 しかし、エクレシアがそのことに声を荒げることはない。

 

「救うと? 救うと言いながら、今お前はデスピアンを消滅させた。矛盾しているぞ」

 

 その指摘に、エクレシアは首を横に振る。怒りをにじませた、悲しい目をアドリビトゥムへ向けていた。

 

「救います。たとえ、わたしがどんな罪を背負ったとしても……ドラグマの民を、怪物のままにはさせません!」

 

 それが、彼女の覚悟だった。コスモクロアからドラグマの状況を見せられた時、否――マクシムスが乱心していると聞いたときから、すでに覚悟はできていただろう。

 かつて聖女と呼ばれたゆえに、その責務を果たす。

 

「ハッシャーシーン、あなたがこれから何を言おうと、わたしが耳を貸しはしません。ドラグマがこの大陸の脅威となってしまったのなら、わたしはドラグマを――デスピアを終わらせます!」

「……ハッシャーシーンではなく、アドリビトゥムと呼んでいただけると嬉しいが、デスピアを終わらせると。くくっ!」

 

 さりげなく名前を訂正したアドリビトゥムは、笑い声をもらす。

 何か、得体のしれない悪寒がエクレシアの背を走る。目の前の存在の危険性を理解しているとはいっても、その恐怖を克服できているわけではない。

 

「我らの聖女へ、全ての絶望に、祝福あれ」

 

 アドリビトゥムは背後にホールを出現させると、その中へと倒れ込んだ。

 直後、エクレシアの眼前へと姿を現す。

 

「そなたの血で、祝杯を」

「あげません!!」

 

 同時に、ゴルゴンダハンマーは火を噴いた。

 

 

   ◆

 

 

 同時刻、教導国家ドラグマ跡地。

 現、烙印劇城デスピア。

 ドラグマの王城の会った場所へ到達したフルルドリスたちが見たのは、地獄絵図だった。そう断言できるのは、崩れ去った王城を見たからではない。

 代わりに地獄の底から生えて来たと思えるような烙印劇城が居座っているからではない。

 無人の街を駆け抜けたフルルドリスたちを、突如として出現した大量のデスピアンと骸骨たちが囲んだ光景こそが、地獄だと理解させた。

 上空には、彼女らを見下ろすように見覚えのある仮面の主がいた。

 

「マクシムス……」

「マクシムス? そのような仮初の名で呼ぶのはやめてくれないか。フルルドリス」

 

 厳かな、だがどうにも調子の外れた言葉が返ってきた。

 今までの彼女らが知るマクシムス・ドラグマであれば、このようなふざけた調子はなかった。しかし、たったそれだけの違いで、上空の存在がもう味方ではないと示していた。

 

「デスピアのドラマトゥルギア――それが私の真なる呼び名だ」

 

 彼の自己紹介に合わせて、怪物へと変えられたドラグマの民たちが、フルルドリスたちへと近づく。

 それはまるで屍が列をなして近づいてくるかのよう。凶悪なる気配を纏った存在に導かれた葬列。それが割れた先に存在するのは、骸の従者を従える白髪の聖女だった。

 

「おい、あの嬢ちゃん。確かエクレシアの後釜に据えられた聖女だろ?」

「ええ、赤い髪ではないですが、顔は同じですね」

 

 相剣の衣装に身を包んだテオとアディンは、お互いの背中を庇いながら視線を聖女へ向かわせる。

 どこか死に装束を思わせる格好の聖女は、薄く微笑むだけで生気を感じない。言い知れない不気味さを感じながら、アディンはドラマトゥルギアへと問いかけた。

 

「かつてマクシムスだった者、ドラマトゥルギア。問いに答えていただきたい!」

「かつての我が国の賢者アディン、よかろう。そなたの問いに答えよう」

 

 ドラマトゥルギアは持っている杖をアディンへ向ける。

 かつてのドラグマの在り方ならば、マクシムスへ問いかけることなど許されなかった。ましてこれは問答だ。教えに背く行為、聖痕を剥奪されたとしても文句は言えない。

 だが、今は敵対する存在同士。彼も気兼ねなく問いかける。

 

「ドラグマは……力なき人間を、獣たち、精霊たち、ドラゴンたちから守るために設立されたものだったはず。だが、あなたがたは最初からこの光景を作り出すことを前提として、ドラグマを創られたのか!?」

 

 人間には、ビースト種族のような種族的特徴もなければ、身体能力もない。

 スプリガンズたち機械のような合体能力も修復能力、変形能力もない。

 ドラゴンたちのような特別な力も肉体も持たず、精霊のような神秘も持ち合わせていない。

 大陸最弱の種族、それが人間だ。

 その人間が生きていくために、ホールの恩恵は必要だった、他種族との戦い、縄張り争い、同盟、裏切り、和平、開戦、数多の手練手管を弄して、人間はこの大陸の覇権に指をかけるまでにいたった。

 

「当然のことを。聞かずともわかることを聞くのは、君らしくないだろう。アディン」

 

 まるで教師が生徒に教え諭すような言い方だ。もっとも、ほんの数週間前までは、その関係性で正しかったのだろうけれど。

 

「では、マクシムス――ドラグマ黎明の時より生き続けるあなたの目的は、最初からこの地獄絵図だったと」

「はぁっ!? 先生、そりゃどういう意味だよ!?」

 

 ドラグマ黎明期――つまり何百年も昔から、マクシムスはマクシムスであったということか。問いかけるテオに、アディンは頷く。

 

「マクシムスの仮面の下は、誰も知らない。そして私が調べた限りでも、マクシムスの位を得た者の存在は見つけられなかった。聖文によって調べること自体が禁忌とされていた結果、私もこの年になるまで確信は持てませんでしたが」

 

 ハッシャーシーン誕生に関わる秘密も知っていたアディンだ。多くのことに精通するということは、ドラグマの秘密も多く知っていることになる。

 彼はその事実を、ずっと胸に秘めて来たのだ。

 

「ただの人間ではないのでしょう。あなたは」

「ああ。長きに渡り、数多の聖女を見て来た。あと三つで、六百六十六の魂が集い、全ての儀式が完遂するときが、ようやく訪れたのだ」

「聖女の魂……フルルドリス君やエクレシア君の魂が目的だというのなら、なぜ彼女らを一時は逃がしたのですか!? 何故、そのような不可解なことを!」

「魂は、抑圧に抗い、自らの信念を貫かんとするときにこそ輝くものだ。反逆と逆転が人の心を動かすのなら、今そなたらの心は大いに動いている」

 

 人間の感情は、様々な要因によって変化する。ドラマトゥルギアが求めたのは、怒りと正義に溢れた最高潮の時の魂なのだ。

 今のフルルドリスの心境は、デスピアンという怪物に呑み込まれた故郷の姿に怒りを燃やし、ドラマトゥルギアという邪悪な存在を倒す正義に打ち震えている。周りを囲む敵の存在に決して臆することなく、鋭い目を向けていた。

 

「つまり、この状況は、全てあなたの予想通りと」

「もちろん。私の脚本通りに、君たちはここへ舞い戻ってきた」

「そして、わたしとともに魂をプロスケニオンへ捧げるのですよ」

 

 口を開いたのは、あの白髪になった聖女だった。

 

「お前は……」

白聖骸(アルバス・セイント)を纏う者。呼びたければ、アルバス・セイントでもクエムとでも、そう呼んでください」

 

 クエム――それがこの聖女の名前というわけではないらしい。だが――

 

「クエム……ですと?」

 

 その名前に、アディンは引っ掛かる何がを感じた。膨大な知識を持つ彼が、いつかどこかで聞いた名前の一つに、その名があったはず。

 しかし、思い出す悠長な時間はない。

 

「誰だって構わねえ。このふざけた光景を終わらせるには、どうせテメェら全員ぶっ飛ばさなきゃいけねえんだろう?」

 

 血気盛んに問いかけたテオは、その両手にナックルダスタータイプの剣を一つずつ握る。今までの聖具とは違う、攻撃的な武器だ。

 

「そうですね。テオ君の言う通り、考えるのは後回しにしましょう」

 

 アディンは握っていた杖の端を掴むと、仕込み杖の刃を解き放つ。どちらも相剣師たちに誂えて貰った特別な武器だ。相剣師としての修行が間に合わない彼らのために誂えた、相剣門の鉱石を使った武器である。

 

「さぁ行け、フルルドリス!」

「私たちが、あなたの道を切り開きます!」

 

 相剣大公-承影より与えられし彼らの号は、(けん)(えん)の相剣師。二人一組でその力を大公から認められたわけだが、二人ともさほど気にしてはいない。

 されど、その名に込めた大公の想いは聞き及んでいる。

 軒轅の名を持つ者――それは道を開き、後に続く者の標にならんとする者を言う。

 

「頼んだぞ、二人とも。私は、ドラマトゥルギアとか名乗る怪物(あく)を討つ!」

 

 相剣師たちより当たえられた武器を手に、かつてドラグマだった相剣師たちは走り出す。

 

「うおりゃぁっ!」

「てぇいっ!」

 

 武器がトンファーからナックルへ。聖典による補助から刀による格闘戦へ。大きく戦い方が変わらざるをえなかった二人だが、その動きに微塵の迷いも無駄もない。

 もともとお互いに騎士団のトップに立つ存在。多少武器が変わろうが、彼らが戦闘のエキスパートであるということに変わりはない。

 ロートルに両足首が突き刺さったアディンですら、その動きは精錬の極み。巧みな剣捌きはデスピアンたちを寄せつけず、骸の従者も切り払う。

 アルバス・セイントと名乗った少女は大きく飛び上がり町の一角へと昇っていく。

 彼女かドラマトゥルギアが指示を出しているのだろう。次々と迫るデスピアンたちが、二人への到達を阻もうとする。

 

「先生!」

「お任せあれ!」

 

 アディンは剣を地面へ突き立てる。

 たとえ武器が変わろうと、その能力までがなくなったわけではない。

 跳びかかってこようとしたデスピアンたちが、空中でアディンの放つ衝撃波に触れると、動きが止まる。

 聖典を用いた術による強化や転移を得意としていたが、相剣の武器を手に入れたことで、彼は結界術に磨きがかかった。

 デスピアン達に攻撃を押し留めると、その隙をテオが縫う。

 

「ぶち抜いてやるぜ!!」

 

 目にも止まらぬラッシュ、ラッシュ!

 拳の連射がデスピアン達を次々と撃ち抜いていく。神器がないため相手の力を吸収することは叶わないが、消滅していくデスピアン達の力を凝縮し、拳に込めることで次の一撃を強化する。

 

「走れ、フルルドリス!」

 

 テオの放つ光が、フルルドリスの眼前に敵のいない空間を作り出した。

 アディンの力が敵の動きを封じ、テオの拳が敵を砕く。さらに砕いた敵が消滅する力を利用した光により、フルルドリスの動く空間を作り出す。

 徹底的に彼女をサポートすることを選べたのは、長年の信頼と実績故。

 

 

 ――フルルドリスなら、やってくれる。

 

 

 彼女を信じる想いは道へと変わり、最強の騎士長は駆け抜ける。

 しかし、デスピアとて黙ってやられているわけがない。悲喜劇のデスピアンたちは自らの斧や鎖を妖眼の相剣師へ向けて振るう。

 その全てを彼女の剣は防ぎ、足を止めることなく、速度を緩めることなくその場で斬り捨て、駆け抜ける。

 たとえ聖痕――烙印を封じ神器を持たず、全体的に力が制限された状態でありながら、彼女はやはりドラグマ最強の騎士。多少の妨害をもろともせず、むしろ準備運動の代わりとでも言うように薙ぎ払う。

 

「おお、さすがはフルルドリス。その力こそ最強の聖女と呼ばれるに足る由縁! 見事な魂の輝きが見える!」

 

 ドラマトゥルギアは歓喜に沸いていた。

 アディンとの問答で、彼が聖女の魂を集めていることはわかっている。

 あと三つ、フルルドリス、エクレシア、そしてアルバス・セイント。ちょうど、今の時代に聖女は三人いる。

 

「自分たちから追放して、それでもまだあの子を利用するというのだな……」

 

 怒りが湧きおこる。純粋無垢な彼女を傷つけ、利用しようとする魂胆。それに悪びれることもなければ、罪悪感の欠片すらもないデスピアの者たち。

 フルルドリスに、手加減する理由など欠片もない。

 

「邪魔を、するな!」

 

 機能を展開した剣から、雷撃が放たれる。悲喜劇のデスピアンを吹き飛ばし、ドラマトゥルギアまでの道を遮る個体が消え失せる。

 覇蛇大公すら一撃で沈めた、ドラグマ最強の三人がもたらす雷撃。雷光の騎士の力は、砂漠から戻った今も問題なく健在だ。

 体表に雷を纏ってさらに加速すると、浮遊するドラマトゥルギアへと肉薄する。

 そして、大上段から剣を振り下ろす。

 

「これは、断罪の一撃だ!」

 

 全てのドラグマの民に変わり、妖眼の相剣師は剣を振るう。

 デスピアの――凶導の指導者を討つ一撃が、確かに決まった。

 周りのデスピアたちの声は嘆きへと変わり、その動きが停止する。

 

「やったぜフルルドリス!」

「よくぞ決めてくれました。さすがは最強の騎士!」

 

 口々に喜び讃える仲間に、フルルドリスは微笑む。着地した彼女は、歓喜の声を上げる二人に力強く肯いた。

 お互いの健闘を称えるアディンとテオは、ニカッと笑いながら手を叩き合わせた。

 

「二人の援護があったからだ。さて、まだやることは残っているのだ、油断せずに行こうか」

 

 崩れ落ちるドラマトゥルギアのほうへ視線を戻そうとしたとき、彼女の両側を何かが通り抜けた。

 

「え……?」

 

 真っ黒な腕が、大切な二人の仲間に向けて伸びている。

 目の前に広がる光景は、赤と黒に塗りつぶされていた。

 

 

 そのあと、何を叫んだのか。

 フルルドリスは、自分でもわからなかった。

 

 

 



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第二十章《アルバ・ストライク》

ここ数日の誤字報告ありがとうございました。わたくしも気を付けながら投稿しますが、またありましたら遠慮なくご指摘ください。
龍淵のキャラに対して少し思うところがあってなかなか投稿できなかったわけでありますが、この際割り切って現状のまま行こうということで、本日投稿させていただきます。



マジで龍淵さんどうしたのあの格好……。


 

 

 水を滴らせたアルバスが、湖底から浮上する。

 その手に相剣を、氷水の光を宿し、両腕、額、胸の宝珠を輝かせる。

 少年は、禁断の言霊を唱えた。

 

「烙印……融合!」

 

 両目を真っ赤に染めて、髪を魔力で逆立てて、失われたはずの力を開放する。

 アルベルに奪われた力、それは休めば戻るような容易いものではないはずだ。

 しかし、相剣大公-承影と氷水帝コスモクロアの魔力を宿したアルバスは、己の心の在り方を剣と氷に映し出した。

 いうなれば、今彼の全身そのものが、相剣師たちの使う相剣のような状態なのだ。

 彼を包み込むのは炎ではなく水。

 それは凍てつきながら四肢を、翼を、牙を形成していく。

 二足歩行となった黒衣竜アルビオン。白銀と赤い差し色の髪を振り回し、承影の兜飾りに似た角を創る。背中から次々と生える氷柱は翼となり、白亜の鎧をまとった幻竜へと至らせる。

 

「託された希望。二つの力を一つにして、絶対零度の刃となる!」

 

 託された。

 相剣師と、氷水、二つの種族の長から、アルバスは託された。

 大切なものを守り抜く、剣となれ。希望を担う、翼を広げよ。

 彼らの心に応えるために、少年は今一度――竜となる。

 

 

「――氷剣竜(ひけんりゅう)ミラジェイド!!」

 

 

 出現した四本の氷の剣は、その切っ先を七星龍淵へと向けていた。

 

「く、くくく、ははははっ!」

 

 圧倒される七星龍淵。対してこの状況。ルベリオンは笑っていた。

 

「すごいよアルバス! 竜化の力を俺が奪ったのに、まだドラゴンになれた! ああいや違う、幻竜だ。俺が天使の力を宿して悪魔になったのなら、お前は異次元に通じる力を宿すことで幻竜になった!」

 

 相剣師と氷水、そのどちらも力の源は、このイニオン・クレイドルの地下から溢れる大地の力だ。それはホールの力を封じるこの世界を巡る異次元のエネルギー。

 ホールと対極にありながら、よく似たエネルギーだった。

 

「それでこそアルバスだ! ああ、その力を俺が飲み込めば……」

「恍惚としているところ悪いが、奴の指名は俺だ。邪魔立ては許さん」

 

 氷の壁が立ち並ぶイニオン・クレイドルにおいて、驚愕から立ち直った七星龍淵は、寒さなどなんするもの。その動きを一切鈍らせてはいない。

 睨みつけるミラジェイドに臆することなく、その尻尾と剣を構える。

 

「龍淵、あんたに……後悔はないのか」

 

 ふいに、アルバス――ミラジェイドが問いかける。

 

「後悔……?」

「おれは、トライブリゲードのヒトたちと一緒に戦っていればと、もっと力があればと思うんだ」

 

 ほんのわずかな邂逅だ。一日二日、相剣師とは半日にも満たない時間しか、ともに過ごしてはいない。

 けれど、アルバスは思う。もっと力があれば、彼らを守れたのではないか、と。

 傍らで倒れる承影。崩れ去ったコスモクロア。そのそばで泣く莫邪とエジル。

 多くの悲しみ、苦しみが蔓延する世界に、彼は立っている。

 

「トライブリゲードのヒトたちが、どうなったのか、無事なのか、生きているのか。そんな不安を吹き飛ばせるくらいの力があったらって、思うよ」

「そうだ。力こそが全てを成し得る。恐怖も、苛立ちも、全て力がねじ伏せる!」

 

 七星龍淵の言葉に、間違いはない。あらゆる事柄が弱肉強食であるというのなら、力を求める彼の持論に間違いはない。

 けれど――。

 

「だけど、力があったとしても、あんたみたいな未来が待っているのなら、おれは力なんて欲しくない!」

 

 アルバスの目に映るのは、孤独となった龍淵の姿だ。

 弟子も、盟友も、守るべき友も失った七星龍淵。その姿は酷く惨めで、醜く思える。

 

「あんたにだけは、もう奪わせない。絶対に、ここで止める!」

 

 覚悟の咆哮も、七星龍淵を揺るがせることはない。

 

「後悔はないかと問うたな。あるはずもなし! 我は力を手に入れ、頂へと至る!!」

「なら、その頂から、蹴り落とす!」

 

 ミラジェイドは自らの左右に浮遊する氷の剣を手で掴むと、七星龍淵に向けて加速する。背中の翼から吹き出す七色の光は、キングフィッシャーが纏っていたオーロラの輝きに似ている。

 虹の軌跡を残しながら接近してきたミラジェイドに、七星龍淵は両手に作り出した相剣で対抗する。

 奇しくも二刀流、手数は互角か。

 高速の剣技の乱舞。本来ならば一人一つしか持てない相剣というものでありながら、七星龍淵はまるで長年二刀流の特訓をしたかのように、巧みに刃を振るっている。

 

「けれど、ついていける。おれは負けない!」

「やりおるわ。だが、我が真なる相剣はこの尾にあることを忘れたわけではあるまい!」

 

 一瞬で何十合という剣戟を重ねたところから、つばぜり合いを行う二体の幻竜。その内黒き幻竜は自らの尾を突き立てんとする。

 

「尻尾が、どうしたって!?」

 

 一方で、白亜の幻竜も己の尻尾を振るう。長大で太い尻尾はそれだけで武器となる。キングフィッシャーの巨体を生み出すコスモクロアの魔力。その力を受けたミラジェイドの体は全身が氷でありながら鋼より硬く、剣の如く鋭いのだ。

 七星龍淵の尾を弾き、お互いの距離を開かせる。

 竜化したとは言え、アルバスの剣技が自分と互角に渡り合える状況に、七星龍淵は一つの仮説を立てた。

 

「その剣技……なるほど承影の記憶と力を取り込んだか」

「ああ。大公の心が、お前を倒せと叫んでいる!」

 

 アルバスの進化態は、取り込んだ力を何かしら受け継いだような印象を持つ。

 ブリガンドは、エクレシアの聖痕を取り込んだことで彼女と同じようなバリアを展開する力を持っていた。

 アルビオンの場合は、ゴルゴンダやエクレシアの力と言うわけではなく、ホールの烙印が他の物質に力と形状を与える力を、そのまま発展させたようなものになった。

 そして、ミラジェイドは承影のような剣の力を持っている。

 その肉体、技を模倣し、発展し、ミラジェイドは二刀を振るっている。七星龍淵の目には、ミラジェイドの背後で相剣を構える承影の姿が見えたことだろう。

 

「楽しめそうだな、小僧!」

「その余裕、へし折ってやる!」

 

 同時に、ミラジェイドは空に舞い上がる。

 自由飛行能力を持つミラジェイドの三次元的な猛攻を、七星龍淵は確実に捌く。

 これは技量と言うより、経験値によってなせる行動だ。

 相手の動き、技を見極め、確実に対処する。相剣軍師と呼ばれる知恵者は、決して頭脳だけの体いらずではない。

 何合にも及ぶ剣戟。

 それは七星龍淵の実力を示す、文句のつけようのない証拠だった。

 

「はぁぁぁっ!」

「うぉぉぉっ!」

 

 いつしか、二人の刃を砕いた。本来なら心が折れることさえなければ砕けぬ相剣も、かりそめに作り出されたものでは砕ける。ミラジェイドの剣もまた、相剣師たちが使うものとは構造が違うのだ。

 七星龍淵が尻尾の剣を素早く突き出すと、ミラジェイドはとっさに生成した剣を盾にして事なきを得る。何度も再生することができるのは、ミラジェイドの強みだった。

 

「ぐっ!」

「どうした、剣の勢いが鈍ったな!」

 

 ただし、体力や集中力の問題は、別の話である。

 いくら承影とコスモクロアの力を得ようとも、生来の技量差まではすぐには埋まらない。ドラゴンの体を取り戻しても、剣の斬り合いは七星龍淵が上を行く。

 ならば、どうするか――。

 

「砂漠を渡る鋼の翼、氷の刃に宿り、悪を討て!」

 

 承影にもコスモクロアにもない、アルバスだけの力が勝機を創る。

 ミラジェイドが頭上に手を掲げると、そこには鉄駆竜スプリンドを象った氷が生まれた。アルバスとエクレシアが乗り回したキットお手製モービル。かの鉄竜を模した氷が生まれると、それはまるで生きているかのように動き出す。

 

「いっけぇ!!」

 

 さらには氷の礫を飛ばし、七星龍淵の尻尾を迎撃した。

 

「なっ!? なんだこの力は……!」

 

 困惑するのは七星龍淵だけではない。傍観していたルベリオンも、思わず身を乗り出すようにして氷の刃を凝視する。

 

「アルバスの戦いの経験が、ミラジェイドの武器になって形成された? 氷水の奴らがずっとアルバスたちの旅路を見守っていたからか……?」

 

 ルベリオンの予想をミラジェイドは聞いているのか、聞いていないのか。

 この際理屈など、彼は気にしない。ともかく次の攻撃を作り出す。

 

「深淵の大陸に現れし灰の竜、氷の刃に宿りて、竜を喰らえ!」

 

 次に形成されたのは、灰燼竜バスダートの氷だ。スプリンドが鋭利な簇のような氷なら、こちらは厚く武骨な斧のような氷だった。

 重い一撃を受け止めた反動でよろめく七星龍淵だが、彼は歴戦の戦士だ。自由自在に動き回る氷の刃を見切ると、最小限の動きで回避する。

 そして枯れかけの大地を蹴って走り出すと、ミラジェイドへと肉片する。

 

「あまり、調子に乗るな!」

 

 鋭く突き出される尻尾。その一撃にキングフィッシャーも倒れた。

 だが、氷水の力を宿した氷剣竜に、彼の刃は届かない。

 

「鉄の獣とともに戦う金色の竜、氷の刃に宿りて、輝く盾となれ!」

 

 今度はブリガンドの力を持った氷の塊が創り出される。

 それはミラジェイドの左腕に保持され、楯かナックルダスターのようにして突き出される。ブリガンドの光の防壁と同じものが形成されると、七星龍淵の刃を弾いた。

 

「バカな! こやつ、他の形態の力を――」

「これが、承影とコスモクロアが与えてくれた力と、おれの力だ!」

 

 氷の翼から光のジェットを噴射し、七星龍淵を振り払う。尻尾の一撃を牽制に叩き込み、隙の生まれた間に第四の刃を作り出す。

 

「光に導かれし烙印の竜、氷の刃に宿りて、焔となれ!」

 

 固く凍結した氷の刃に、熱く燃え滾る烙印の炎が宿る。

 冷と熱、本来交わることなどない力が一つとなり、アルビオンを模した刃が出現した。

 

「行けっ!」

 

 鋭い鎌のごとき刃を高速回転させて放つ。

 達人の投げナイフが確実に目標に突き刺さるように、氷の刃も七星龍淵の肩鎧へと飛び込んだ。

 

「ちぃっ!」

 

 しかし、傷は浅い。あくまで鎧を傷つけた程度だ。

 それでもミラジェイドは恐れも驚愕なく、攻撃の手も緩めない。

 

「あんただけは、倒す!」

 

 舞い上がるミラジェイド。その腕を左右に広げれば、四つの氷の刃を柄として、新たに刀身が生み出されていく。

 大霊峰の岩と同じ、黒い氷柱の中に赤い光を持っている。それはホールにも関わる烙印の力を宿したものこそが――

 

「烙印の剣……!」

 

 放たれた冷気が、イニオン・クレイドルをさらに凍てつかせる。七星龍淵は自分の周りの水が凍てついていくのも構わず、尻尾で薙ぎ払う。

 ここからが、相剣師としてのアルバス――ミラジェイドの本当の攻撃だ。

 

「承影に勝ったというのだ。こんなところで、貴様に負けていられるか!」

 

 七星龍淵の体表から黄色と青の炎が立ち上がる。

 七星龍淵へと覚醒した際にも放出していた、彼の相だ。両手それぞれに握った仮初の刃、力強く振り回す尻尾の刃。

 三つの刃を全て、ミラジェイドへと突きつける。

 

「絶望染まりて、(みち)暗く。力(おお)ければ、幻神に勝つ!」

 

 烙印の力が、七星龍淵の両手から尻尾へと集まる。全ての力を、この一撃に込めようというのか。

 地に伏せるような体勢を取った七星龍淵は、両手両足で地面をしっかり掴む。

 龍淵とは、深淵を望むが如く、巨龍が()している様を意味する。

 知恵が回り、深淵を望むが如く絶望を覗き、覗き返された彼には相応しい名前だったのかもしれない。

 

「――相烙(そうらく)劉閃(りゅうせん)!」

 

 彼の今の構えは、地に臥せた龍。全身のバネと筋肉を使って放たれる突撃は、天より振る流星の如く。

 承影の奥義が力を集め、巨体を切り裂くことに特化していたが、こちらは一点集中、目の前の敵を屠ることに重点をおいていた。

 

「行くぞ、バスタード、ブリガンド、スプリンド、アルビオン!」

 

 対して、突きつけられる四本の氷の刃。相対する邪悪なる一撃を迎撃するために全ての刃を結集する。

 

 

 (おお)いなる揺篭(ゆりかご)の上で、深淵の落とし仔は対峙する。

 

 

 これから訪れる戦いの定め、勝ったとしても終わらぬ脅威――絶望に閉ざされた深淵の大地の地下深くで、彼らは吠えた。

 

「おれは、絶対に、絶望なんてしない!!」

「全ての希望は、我が砕く!!」

 

 終わりなき戦いの幕開けに、刃が解き放たれる。

 飛び上がる七星龍淵へと氷の刃は突撃し、その尻尾の先端と衝突した。威力は互角、せめぎ合う刃と刃は削れあい、光の欠片が宙を舞う。

 衝撃波に大地は揺れ、氷は砕け、全てが滅び去らんとする。

 跳んでくる魔力の波動に、ミラジェイドの体は仰け反っていた。

 

「ぐぎいぃぃっ!」

「砕けるがいいっ!」

 

 それでも、ミラジェイドはさらに魔力を高めていく。

 ただし、込めるべきは刃ではなく、自らの腹の内。丹田に集中する。

 幻竜であろうと、彼の姿は今もなおドラゴン。

 その最大の力は、口腔より放たれる竜息(ブレス)だ。飛び散り、粉のように舞う氷を牙の間へ吸い込み、光り輝く力に変える。

 

 ――氷炭(ひょうたん)相愛(そうあい)

 

 この世にあるはずがないものの例え。または、性質が逆のもの同士が助け合うことの例えだ。

 炭の火で氷は溶けて、氷の溶けた水で炭の火が消えるという意味から、氷と炭が愛し合うことはできないということ。

 逆に、氷のとけた水で炭の火を消して燃え尽きるのを防ぎ、炭の火は氷を本来の姿である水に戻すという意味から、性質が反していても互いに助け合って本質を保つことができるということを示す場合もある。

 ホールに由来するアルバスという少年と、その力を封印する氷水に由来する相剣の力。異なる力が一つとなるその様は、まさしく氷炭相愛。

 この一撃こそ、彼の本当の相剣。吹き荒れる竜の息吹が、邪悪を貫く刃となる。

 それは、伝説の白竜に並ぶ威光。

 

 

「――白焉(はくえん)氷鍛相藍弾(アルバ・ストライク)!!」

 

 

 空間を貫く藍白色の光が放たれた。

 氷の力、剣の力が烙印の力で一つとなってドラゴンのブレスを形成している。烙印の剣を砕け散らせた七星龍淵へ、アルバ・ストライクは迫りゆく。

 回避の隙は無い。氷鍛相藍弾は、無数の氷剣がまるで一本の剣になったかのように高密度に束ねられた刃の塊だ。

 

「うぉぉぉぉぉっ!!」

 

 氷鍛相藍弾が、彼の胸を貫く。

 直後、余波で降り注ぐ氷剣の欠片が、全身を傷つける。

 

「ぐぅぉぉぁおぉぉぁぁあああ!」

 

 空中にダイヤモンドダストをまき散らしながら、七星龍淵は倒れた。

 抵抗もなく、反撃もなく。

 強力無比なる、彼の掲げる強き力が、絶望に染まった相剣師を蹂躙した。

 

「グォォォォォォッ!!」

 

 勝利の咆哮を上げる氷剣竜ミラジェイド。

 その雄叫びは、どこか物悲しさを伴っていたことを、倒れ行く七星龍淵だけが知っていた。その体は、熱い氷へと閉ざされる。

 

 

   ◆

 

 

 アルバ・ストライクが命中する前、ほんの刹那。

 

 

 迫りくる自らの死を前にして、七星龍淵の視線はミラジェイドでもルベリオンでもない方向へ向かっていた。

 

「……莫邪」

 

 彼の視線と心は、すでに幻へと還った盟友がいた場所にある。そこに力なく膝を折り、泣き崩れていた弟子へ彼の意識は向いていた。

 

「この絶望に染まる世界に、お前を残していくか」

 

 ふと、そんな言葉が漏れる。自分でも予想していない言葉の登場に、七星龍淵ははっとする。まだ、そんな心が自分にあったのか、と。

 気づけば、彼はミラジェイドの刃にその身を晒していた。

 文字通り、両手を広げるように、ぶつけていた相剣を捨てるように。

 

「やれ、アルバス! 穿て、我が相を!!」

 

 その直後、アルバ・ストライクは彼の体を貫き、全身を氷の刃で切り裂いた。

 敗北した七星龍淵の体からは、氷が溶けるように赤黒い魔力が抜けていく。

 デスピアの力によって作り出された鎧は砕け、莫邪から奪い取り戻した相剣の力は抜けて、体が萎びたように縮んでいく。

 一切の抵抗もなく倒れたその姿に、莫邪は顔を上げた。

 

「龍淵……様!」

 

 莫邪の呼びかけに、七星龍淵――相剣軍師-龍淵は、何も答えない。

 答える力すら残っていないと言った方が、正しいか。

 ただ、その顔は弟子の方へ向いていた。小さく口元は動くか、声は出ない。ほんの少しだけ浮いた手は空を切り、地面へ落ちる。

 そんな龍淵の最後を見ないようにしたのは、アルバスなりの配慮だったのか。師匠に駆け寄り、涙を零す莫邪から目を逸らすように、もう一人の敵へと首を向けた。

 

「終わったよ。承影、コスモクロア……」

 

 邪悪に染まった相剣師は討たれた。

 だが、犠牲は大きすぎる。相剣師の大公-承影。氷水の帝であるコスモクロア。二つの勢力の長を失ってなお、戦いは終わっていない。

 

「だから、後はおれの問題だ」

 

 アルバスの言葉に同意するかのように、なによりこれからが本番だとでも言いたげに、ルベリオンはその足で地面を叩く。

 

「すごかったよアルバス! 氷剣竜ミラジェイド。二つの力を合わせることで、他の竜化より強い力を使える……いいなぁ。その力」

「アルベル……」

「そろそろさ、やろうぜ。同じ烙印の力を司る者同士、この世界の絶望の向こう側で、一緒に生まれ変わろう」

「いい加減、お前の誘い文句は聞き飽きた!」

 

 ミラジェイドの裂帛とともに、周囲の水が氷の剣へと変わる。

 七星龍淵とあれだけの戦闘を繰り広げた後でも、氷の刃は鋭いままだ。

 このイニオン・クレイドルに満ちる魔力が、ミラジェイドに力を与えてくれる。

 

「お前が、お前たちがここに来なければ……」

「ふっ、俺たちデスピアは、呼ばれたから来たんだ。責任なら神様気取りのあの大神祇官に言いな」

 

 責任転換したいわけではないだろう。

 しかし、コスモクロアが言っていた。絶望に染めることそれ自体が、デスピアの目的なのだと。

 彼らにとって、その行為は悪意ある行動ではない。人間が日常的に空気を吸い、物を食べ、何かに祈るのと変わらない。

 絶望こそが、彼らの神。

 

「さぁ、世界に見せつけよう。俺たちの合体を! 俺とお前の、烙印融合!!」

「させると思うな!」

 

 さらなる進化を測ろうとするルベリオンに、ミラジェイドは突撃する。

 ルベリオンの牙と、ミラジェイドの相剣がぶつかり合う。直後、赤黒い炎と青白い冷気が渦を巻く。

 ぶつかり合う魔力は紫電を生み出し、余波が大地を崩壊させる。

 神々の頂上決戦もかくやと言わんばかりの激突。

 

「凍って砕けろ……白焉のアルバ・ストライク!!」

「絶望に染まれ、赫焉のリベリオン・バースト!!」

 

 全てを凍てつかせ貫く、青白き反撃の息吹。

 対するは神代の業火を呼び起こす、暴虐の緋撃(ひげき)

 反発する異なる魔力。その二つがぶつかり合うことで新たな魔力を生み出していることに、ミラジェイドは気づけていなかった。

 



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第二十一章《ドラグマトゥルギー》

 

 

 氷水底イニオン・クレイドル。

 神代の業火を纏うルベリオンと、相剣と氷水の力を受け継いだミラジェイド。

 二体のドラゴンの激闘は、地底湖の形状を変化させるほどのものになった。

 ぶつけ合う炎と氷。数合に及ぶ激突をもってしても、決着はつかない。

 

「いいぞ、いいよアルバス! 昂ってきたじゃないか!」

「うるさい! おれは、お前を絶対に……」

 

 舞い上がった水蒸気の壁を突き抜けて、ルベリオンがミラジェイドへ跳びかかった。

 

「感じるだろう? 戦いの楽しみ、喜びを! 認めろよ、相手の敗北が一歩ずつ近づくにつれて昂る気持ちをさぁ!」

「黙れ……」

 

 ルベリオンの両腕が、ミラジェイドの肩を掴む。お互いの高熱と低温がせめぎ合い、水蒸気が空間を満たす。

 

「気持ちいいだろう!? 俺を殺す感覚が!!」

「黙れって言ってんだろ!」

 

 烙印の剣が放たれる。遠隔操作によって自由自在に動く氷の刃がルベリオンを狙う。だが神炎竜の激しい羽ばたきはそれだけで熱風を起こし、ミラジェイドの放つ刃を吹き飛ばした。

 同時に吹き出した炎が赫灼竜を作り出し、命中しそうなものは相殺する。

 

「その気持ちが最高潮に達している時に悪いが、そろそろ次の段階に進む時だ」

「何っ!?」

 

 突然、冷静な声となる。アルベル――ルベリオンは下から食い込むように体を捻ると、ミラジェイドは逃げるように上に距離を取ろうとする。

 それは、傍からみればまるで赤いエネルギーと白いエネルギーが渦を巻いて一つにまとまろうとしているかのように見えた。

 魔法の用語で、このエネルギーの重なり合いを融合と呼ぶ。

 

「見せてやろうぜ。俺とお前の、烙印融合!」

「そんなこと、させる訳が――ッ!?」

 

 ルベリオンに変身する際、アルバスは竜化の力を奪われた。そして現在は承影とコスモクロア、相剣と氷水の長たちの力を取り込むことで為し得た。

 その力、全てがルベリオンとの間、中心に向けて引きずり込まれるような感覚がある。

 

「なんで、抗え、ない……!?」

「大きな力に、俺もお前も逆らえない。俺たちのあるべき姿へと至るために、生まれ変わろうぜ。一緒に」

「やめろ……! おれは、まだ――」

「全てを捨てて、いこうぜ」

 

 ルベリオンの腕が、ミラジェイドの体に触れる。強い力で抱きすくめられ、炎と氷が交わり、一つの巨大なエネルギー体を作り出す。

 対消滅するようにぶつかり合いながら一つの光となり、新たな太陽を生み出していく。

 

 

 地底湖での戦いは、地上にも大きな影響を齎していた。

 大地は鳴動し、浮遊するデスピアンに対し、地上に足を付くエクレシアたちは苦戦を強いられる。

 その中でも、ホールの短距離ワープを用いるアドリビトゥムの動きはまるで幻影を相手にしているようだった。

 

「このままでは少しずつ戦力が削られてしまいます! どうにかあの赤と緑のデスピアンを一掃しないと……」

「ガーディアン・キマイラや霊峰に住む獣たちだけでは対応しきれぬか……泰阿!」

「異次元より華の騎士を呼び寄せるか。しかしその隙も……」

 

 赤霄、泰阿も奮戦するが、数の暴力というものには苦戦する。

 エクレシアも鎚を豪快に振るうが、アドリビトゥムは簡単には倒れてくれない。

 そんな彼女らの激闘に水をさすかのように、地底湖から衝撃が走り抜ける。

 それは、霊峰の大地を二つに割った。そこから、巨大な太陽のような火の玉が現れる。中に何かいる、その気配だけははっきりと感じ取れる。

 

「なっ!? 相剣門の大地が、砕け――!」

「まさか、アルバスくんに、何か……!!」

 

 青ざめるエクレシアを嘲笑するように、目の前にホールを抜けてアドリビトゥムが飛び出した。

 

「始まるぞ! 全ての希望を絶望へと変えて、深淵はこれより獣の闊歩する混沌へと変わり果てる!」

 

 振り下ろした爪と、ゴルゴンダハンマーがぶつかり合う。激しく火花が散り、エクレシアは歯を食いしばって攻撃を耐える。

 

「そんなこと、させません! フルルお姉ちゃんたちが、必ずドラグマを止めます! アルバスくんが、必ずアルベルを止めます!」

「そのような戯言は、いつまでも客は聞き入れない。見ろ、あの太陽を」

 

 太陽とは、炎ではない。

 あれは二つの力がぶつかり合った時に発する光で構成された存在だ。

 炎と氷――相反するはずの力は融け合いながら深淵の空に姿を見せる。

 

「白と赫――異なる色が交わる時、最後の扉は開かれる」

 

 その声は、アルバスのものに思えるが、同時に全く違うものにも聞こえる。

 浮かび上がった太陽から、その腕が姿を見せる。後ろ足が殻を突き破るかのように伸ばされ、翼はまとわりつくエネルギーを吹き飛ばす。

 赤熱し、漆黒の身に緋色の鱗を纏うドラゴン。

 

白赫(はっかく)交わりて、滅びとなす――我は深淵竜アルバ・レナトゥス」

 

 真紅のルベリオン。

 ミラジェイドの姿はなく、アルベルの進化態しか、太陽の中にはいなかった。

 巨大な咆哮がイニオン・クレイドルから大霊峰にまで響き渡り、巨大なホールを背にして舞い上がる。

 それは、まるで滅びが世界を包み込むような光景だった。邪竜となった太陽に、全てが焼かれていく光景を、この場にいた誰もが幻視した。

 

「全てが上手くいく。そんな夢幻の理想の未来が、来ると思っていたのか!?」

「きゃっ!」

 

 怒り、もしくは嘲りを含んだアドリビトゥムの叫びとともに爪が振るわれ、エクレシアの両足は地面を離れた。純鈞がすぐに受け止め、追撃のデスピアンたちを薙ぎ払う。

 痛みに顔を歪めながら、エクレシアは無事だった。

 

「夢でも幻でもありません。わたしは、わたしの願う未来を諦めない!」

「……その気高さこそ、まさしく聖女たるが由縁。なら、その心を砕き折る絶望を、我らがドラマトゥルギアはお示しになる。さぁ、絶望を振りまけ、アルバ・レナトゥス! 我らの神をお迎えに上がるのだ!」

 

 アドリビトゥムは歓喜に打ち震えながら、上空を睥睨する。

 舞いがったアルバ・レナトゥスの姿に、同じく地上にいる者たちの視線は釘付けとなっていた。幻視した未来から、眼を離せないのだろう。

 恐ろしいものほど見たくなってしまう。そんな心境であったかもしれない。

 

「この気配、アルバス……くん?」

 

 エクレシアには、アルバ・レナトゥスの内部にその存在を感じ取っていた。

 巨大な力に呑み込まれた少年の意識が、少しずつ薄れていくのもわかる。

 

「アルバスくん!!」

 

 起き上がり、駆け出した聖女に、アルバ・レナトゥスの視線が向いた。

 

「ああ、その絶望に染まろうとしている顔。もうあと一押しだね」

 

 気配はあれど、アルバスの声はない。

 

「その声、アルベルですね! アルバスくんを、彼を離しなさい!」

「いやだよぉ。どうしてアルバスを俺が離さなくちゃいけない? 俺たちの間に割って入るなよ。無粋って奴だぜぇ?」

「ふざけ、ないで! ロッキーちゃん!!」

「スラスターゼンカーイ!!」

 

 飛び上がるエクレシア、それに続くロッキー。爆炎を加速装置にしてアルバ・レナトゥスへと飛び上がる。

 

 

 ……だめだ、逃げろ、エクレシア!

 

 

 声ではない言葉が聞こえる。驚愕に顔を染めるエクレシアを、アルバ・レナトゥスは睨み腕を振り上げる。

 

「少し座ってなよ」

 

 本当に、軽く腕を振るった程度だった。それだけで、エクレシアの体は吹き飛ばされる。声を上げることもできず、焼け焦げた大霊峰の地面を転がっていった。

 

「聖女殿!」

「純鈞、泰阿、周りのザコはいい! 奴に刃を集中させる!」

 

 大量のデスピアン、そしてアドリビトゥムの相手をしていた赤霄が、仲間に向けて声を上げた。生真面目なる泰阿、聖邪を見極める純鈞、そして多くの相剣師、見習いも導く赤霄の攻撃目標が、一気にアルバ・レナトゥスへと集中する。

 

「それだけじゃあ、物足りないなぁ」

 

 アルバ・レナトゥスの左右に、ルベリオンをはじめとする様々な幻影が生まれる。まるで烙印竜アルビオンや、ルベリオンの力と似ているが、大きく違う点が一つ。

 生まれた幻影が、アルバ・レナトゥスの形を取ると、本体へと戻っていくことだ。

 アルビオンやルベリオンが体外にエネルギーを放出して分身を創っていたが、アルバ・レナトゥスは違う。放出したエネルギーを再度取り込むことで、己の力を何倍にも増幅させている。

 

「喪失と向き合え、深淵ヲ臨ムガ如ク(ディープ・オブ・ヴェルサス)!」

 

 逃げろ、などと誰も言う暇はない。アルバ・レナトゥスの放った輝きは、大霊峰相剣門の大地を抉り削り、仲間であるはずのデスピアンたちごと破壊する。

 赤霄、泰阿、純鈞ら相剣師までもが、放たれた一撃に撃退された。

 唯一倒れたままだったエクレシアだけが、攻撃を受けずに済んでいた。

 ただ、起き上がった彼女が見たのは、相剣門上空に出現した巨大なホールだった。

 

「さぁ席につき私語は慎め。これより、我らの悲喜劇の幕が上がる!」

 

 アドリビトゥムの言葉は、狂気に満ち溢れながらも世界の行く末を示している。これから先、巻き起こるのは大衆のための悲劇と、絶望のための喜劇であるのだ。

 

「聖女たる心もまた、周りの影響が――時間と場所、そして聴衆の存在失くしては成立しない」

「一体、何を言っているんです……」

 

 傷つき、起き上がることもままならないエクレシアが吠える。対してまるで合いの手でも受けたかのように、アドリビトゥムは声の調子を上げていく。

 

「そなたがするべき役割を、我らは示そう。ここはそなたの表舞台、我らが大導劇神の脚本役、そなたが全うするときこそ、そなたの教導の聖女役(ドラグマトゥルギー)は完遂する!」

 

 頭上で交差する両腕を、大きく広げた。

 

「汝、六百六十六の魂の一つとなりて、深淵の獣の聖女に至らん」

 

 広げられたホールの向こう側、そこには傷つき捕らわれたフルルドリスの姿があった。

 

「あれは――お姉ちゃん!!」

「エクレシアよ。全ては喪失された。追放されし聖女たちの、断罪が待っている」

 

 その言葉は、ホールから姿を見せたドラマトゥルギアのものだった。

 

「…………――――!!」

 

 もう一度エクレシアは彼女の名を呼ぶ。

 けれど、最強の聖女は答えることなく、暗闇の中へと消えていった。

 

 

   ◆

 

 

 少し、時間は遡る。

 

 ドラグマの王城跡に突入したフルルドリスたちは、見事に大神祇官より大導劇神へと変貌したドラマトゥルギアを討伐に至った。

 至った――はずだった。

 今、フルルドリスの目には、赤黒い爪に腹を貫かれた、アディンとテオの姿が映っている。

 

「アディン先生……テオ……?」

 

 震える手を伸ばそうとした時、自分の両脇を通っている腕の存在に気づく。

 全身を鳥肌が走り、怒りで食いしばった歯が砕けそうになる。予備の剣まで抜き放って斬り捨てようとしたのだが、それより早く爪は主の許に戻っていく。

 倒れ伏す軒轅の相剣師。彼らを助けている余裕は、フルルドリスにはなかった。

 目の前に現れた、漆黒の怪物と相対するためには、全神経をそちらに注がなくてはならなかった。

 

「何者だ、お前は……」

「ふるるどりす、見ツケタ」

 

 酷く鈍い声が、漆黒の怪物――デスピアン・クエリティスから発せられる。

 聞いているだけで怖気が襲ってくるが、それよりも意識を裂くべきは目の前の相手だ。

 怪物の背には白い服を纏う、白髪の聖女もいる。

 

「貴様、アルバス・セイントとか言ったか。その怪物は何なんだ」

「あら、つれないヒト。あなたのかつての相棒を、怪物だなんて」

「相棒……まさか、アルバス・ナイト、いや、私の神器か!?」

「そう、せーかい。あなたが大切に大切に使って、力を溜め込み、ドラマトゥルギアが変質させた、ホールの鎧。真なる名を、デスピアン・クエリティス」

 

 白髪の聖女アルバス・セイントの答えに、フルルドリスの顔は青ざめる。アルバス・ナイトになったときですら特大の嫌悪感を抱いたものだが、今はその領域を超えている。

 目の前にいる存在は、絶対に破壊しなくてはならない。そう思えるほどに、彼女の心臓は早鐘を打ち、魂が伝えてくる。

 

「この子、ずっとあなたを探していたの。その途中で片翼の鳥さんを蹴っ飛ばしたり、そこに転がってる奴らを刺したり、いろいろやんちゃしちゃったの。でももう大丈夫ね! なんてったってあなたからこっちに来てくれたんだもの!」

 

 嬉しそうにするアルバス・セイントの下で、クエリティスは体表に纏わりついている布状のものを引き剥がす。

 それはドラマトゥルギアの姿形を写し取った者で、先ほど彼女が斬ったのはこのクエリティスが化けた姿だったのだ。

 強固な鎧ゆえに、フルルドリスの一撃は致命傷足り得なかった。

 そのゆるみが、仲間の負傷という最悪な形で帰ってきた。

 しかも、この怪物はシュライグを倒したとのたまっている。

 

「許さんぞ、貴様らだけは、絶対に!」

 

 フルルドリスの体表から、高圧の雷が放出された。地面に波紋を作り出し、周囲、体表に雷撃を纏う。空気を叩く音が響き、独特の匂いが蔓延する。

 体表を紫電が走り、剣の切っ先には黄金の雷が集まる。

 

「砕け散れ!」

 

 その加速力は、まさしく弾丸の如く。

 自らの体に纏った紫電の力が彼女を加速させた。デスピアン・クエリティスを叩き潰そうと威力、速度、どちらも強化している。常人なら、追いつく道理などない。

 

「あらあら、さすがクエリティス。昔の主様の動き、ちゃんとわかってるのね」

 

 シュライグを捕らえる速度を持つデスピアン・クエリティスの腕は、フルルドリスの一撃も止めていた。

 神器と同等の強度は彼女の剣を受け止め、雷を通さない。漆黒の鎧に跨る聖女はその余裕の笑みを崩さず、フルルドリスを見下ろしている。

 

「守るべき民も、救うべき教義もない。何もかも失った哀れな聖女フルルドリス。あなたの魂に、安寧を」

 

 その杖を彼女へ向けると、にこりと微笑む。

 

「そんな仕草で――!?」

 

 突如、フルルドリスの体の自由が奪われる。四肢に刻まれた聖痕は、コスモクロアによって浄化されている。烙印の力ではない。

 目の前の存在から放たれる波動が、フルルドリスの体を地面に縫い付けていた。

 

「な、ぜ……動け……ない?」

「クエリティスは絶望の使徒。その力の前に、ホールの力を持たぬ存在は、あらゆる抵抗を許されない。さぁ、私の力を上げるわ。クエリティス」

「ふるるどりす、待ッテタ、ヤット、会エタ!」

 

 その身に、赤黒いオーラが纏われる。アルバス・セイントから放たれた光がデスピアン・クエリティスを強化しているのだ。それだけではない。周りのデスピアンたちも、自分たちの大将へ力を注ぐ。

 

「さぁ、喰らいなさい。六百六十四番目の魂を、我らのプロスケニオンへ!」

「なめ、るなぁ!!」

 

 だが、こんな状況でも、フルルドリスの魂は抗うことを辞めない。

 デスピアン・クエリティスの放つ波動を振りきり、その身から雷撃を放つ。

 アルバス・セイントごと吹き飛ばさんとする一撃に、デスピアン・クエリティスは彼女の愛用していた武具が変化した槍を掲げる。

 

「ガァァァッ!!」

 

 全身に纏った波動を放つ絶望の化身。大地を抉る雷撃を、絶望の波動がかき消していく。

 ピシッ! と、フルルドリスの持つ機械剣が割れる。彼女の放つ出力に耐えられないのはもちろん、押し退けて来た絶望の波動を受け止めるだけの耐久値も、もう残っていないなかった。

 

「ぐ、あ、あああっ!!」

 

 被っていた傘が吹き飛んだ。

 剣は砕け、体は地面へ投げ出される。地に放り出された四肢をデスピアン・クエリティスは逃がさないと伸びる翼で捕まえると、人形のように彼女を掲げる。

 

「離、せ! お前が、かつて私の神器だったというのなら、あるべき姿を……取り戻せ!」

「何を言っているの、この姿こそ神器のあるべき姿。聖痕が全て烙印であるように、神器とはそれすなわち全て絶望の使徒なのよ」

「……そんな、ことは……!」

 

 断じてない――ドラグマの教義は人々を救い、安寧を齎した。聖女としての闘いの日々は人々の幸せを作り出した。そう信じる彼女の言葉は、決して他人に非難されようと折れるものではない。

 だが、その言葉が途切れる。

 地下より現れた巨大な二頭の竜を象った石像――テトラドラグマ。今やその姿は絶望を集約する大舞台、デスピアン・プロスケニオンへと変貌していた。

 

「テトラドラグマが、そんな……こと……」

「あら、そう言えば、これを見るのは初めてだったかしら」

 

 地下から現れた紫色の禍々しいそれは、頂点部分にある筒状の物体を左右に開く。その中にあるのは、無数の針。閉じ込められたものへあらゆる苦痛を与え、その血を絞り出し、全ての命を吸い尽くす拷問の代名詞――鋼鉄の乙女(アイアン・メイデン)

 充血した怒りの眼を向けるフルルドリスにアルバス・セイントは臆することなく微笑み返す。

 

「大丈夫よ。全ては、ホールの彼方の、我らの神の御心のままに」

 

 傷つき、囚われた聖女フルルドリスの姿がホールに向けて晒される。ホール越しにエクレシアの許に届いたのは、その瞬間だった。

 彼女の側からも、エクレシアが手を伸ばしているのが見えていただろう。

 それを嘲るようにデスピアのドラマトゥルギアがホールの前に浮遊し、両手を広げている。抗いようのない敗北が、すぐ真後ろに迫っていた。

 しかし、体は思うように動かない。心が震えることも、魂が沸き立つこともない。

 ただ静かに、断罪の瞬間を待っていた。

 大舞台に備えられた最大の舞台装置、その中へ放り込まれたフルルドリスは声を発することすらない。

 呼びかけてくる最愛の義妹へ、言葉を届けることもできない。

 

「ごめんね、エクレシア」

 

 ただそれだけしか、口に出来なかった。彼女の言葉は、エクレシアには届かない。

 

 

「フルルおねーちゃぁぁぁぁぁあああん!!!」

 

 

 呼びかける声に、心が答えない。デスピアン・クエリティスが触れた箇所から、彼女の心を蝕むような力が流れ込んできていた。

 全ての抵抗は、終焉を迎えた。鈍い音を立てて、絶望の門は閉じる。

 武器も持たず、仲間も連れず、ただエクレシアはホールへ向けて飛び込む。最愛の義姉を助けるために、ホールを飛び越えて、彼女の姿はドラグマへと辿り着く。

 

「これで、六百六十五」

 

 アルバス・セイントの嬉しそうな声だけが、劇場に響き渡る。

 



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