家路を急ぐ (東大和)
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プロローグ


スポーツ小説です。よろしくお願いします。


 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 「青春」と聞いて何を思い浮かべるだろう。

 

 恋愛。勉強。唯一無二の親友との思い出も、かけがえの無い青春の1ページだ。

 

 だが、青春を語る上で、やはり部活動は欠かせない。ホームルー厶が終われば部室棟に駆け込み、過去の自分を超えんと弛まぬ努力を重ねる。友達以上の関係となった仲間とは、時には励まし合い、時にはライバルとして競い合う。流した汗と涙は自分を裏切らず、部活を通じて得られた経験は、引退した後も何物にも代え難い自信と情熱の礎となり続ける。

 

 部活動は、間違いなく青春という名のキャンバスを彩る、素晴らしい絵の具なのだ。

 

 桜舞い散る、春の1日。

 

 ここ都立緑ヶ丘高校でも、まっさらなキャンバスに自分だけの青春を描く日々が始まろうとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さん、入学おめでとうございます!」

 

 入学式を終えて、自分の教室に戻ると担任の先生が話し始めた。有り難い言葉を右から左に流しつつ、鷹野(たかの)正美(まさみ)はぼんやりと窓の外に目を向けた。緑ヶ丘高校は校舎を挟むように校庭と正門が位置している。西向きの黒板に対して、南側にある窓からは正門と、そのすぐ側にある桜が見えた。

 

 花びらが散っていくさまを見つめていると、先生が生徒の名前を呼び始めた。相川くん、井上さん、古賀くんと五十音順に呼ばれていく。

 

 そして──

 

「鷹野正美()()!」

「……はい」

 

 「さん」付けで呼ばれた鷹野は、中学生時代にすっかり低く変わり果てた声で返事をする。それを聞いた先生はびっくりしたように目を丸くして、そして慌てて笑顔を浮かべながら、自分の言葉を訂正した。

 

「あ、ごめんなさい……鷹野《くん》でしたね」

「はい……」

 

 先生は申し訳なさそうにそう言うと、すぐに点呼を再開した。それに合わせて、鷹野も目線を窓の外に戻す。何度目か分からない間違いも、高校生にもなればもう慣れた。それに、今日はそんな些細なことを気にしている余裕など無い。鷹野の胸の中は、他のことで埋め尽くされていた。

 

 点呼が終わり、先生から簡単な連絡事項が伝えられる。最初は聞き流していた鷹野も、終わりの気配が近づくにつれてそわそわと足を開いたり閉じたりし始めた。落ち着かないのは足元だけでなく、行き場を求めた手が、鷹野の生まれつき茶色がかった髪の毛をくしくしと弄り回す。目にかからないくらいまで伸びた髪の毛を触りながら、鷹野は窓の外と先生との間で視線を行ったり来たりさせた。

 

 そして、ついにその時が来る。

 

「では今日はこれで終わりにします。では皆さん、さような──」

 

 「ら」と、先生が言い終わるのと同時に、鷹野は荷物を抱えて教室を飛び出した。鷹野がいなくなった教室に、一瞬の沈黙が満ちる。だが、すぐに興奮した様子で何人かの生徒が騒ぎ出した。

 

「にゅ、入学式ランナーだ!!」

「嘘だろ……アイツ、高校3年間を孤独で過ごす気か!?」

 

 はじめは数人のものだったざわめきが、教室全体に広がっていく。

 

「あ、アイツの名前は?」

「鷹野だって。聞いたことあるか?」

「いや、無い……」

「まさか、無名の状態で入学式の日に出走?そんな馬鹿な……」

「いや、でもあの恵まれた身長と体格……きっと身体能力に自信があるんじゃないか!?」

「いや、入学式大会は身体能力だけじゃ勝てないぞ……!」

 

 ざわめきは大きなどよめきに変わり、そしていつしかクラスの中だけでなく学年、いや、学校全体へと広がっていった。噂が噂を呼び、鷹野の名前が学校全体へと広まる。

 

 その日の放課後には、鷹野の名前を知らない生徒はほとんどいない程になっていた。そして、それと同時にこんな話も広がっていく。

 

 今年の()()()は荒れる──

 

 暖かい風の吹く、入学式。部活動に青春を捧げる若人の物語が、今年も始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3年生の教室。そこにも、噂の1年生帰宅部の話が舞い込んできた。

 

 鬱陶しい。聞きたくもない話題が嫌でも耳に入ってきて、女生徒は母親親から受け継いだ、耳にかかったボブカットの金髪をかきあげてイヤホンを耳にはめた。だが、それを後ろから勢いよく外される。

 

 女生徒は苛立ち、サファイアのような碧眼で睨みつけながら振り返って犯人を睨む。そこには満面の笑みでこちらを見ている友人の笑顔があった。

 

「ねえ、今年の1年で入学式ランナー出たらしいよ」

「……で?」

「で、って……(あおい)、あんなに熱心に帰宅部やってたじゃない」

「私は帰宅部辞めた。あんなの、ただ帰ってるだけに過ぎないし。部活って名乗ってるのが馬鹿馬鹿しいわ」

「むぅ、つれないなぁ。せっかくウチの学校で()()()()入学式ランナーが出たのにぃ」

 

 その言葉に、参考書を持った少女が一瞬固まる。だが、すぐに友人をキッと睨むと、その薄い唇を小さく開いた。

 

「私にその話はしないで」

 

 葵と呼ばれた女生徒、天神(てんじん)(あおい)は、そのまま噂の1年生に興味を無くしたようで、また参考書へと集中する。葵の友人はその後も何度か葵にちょっかいを仕掛けたが、葵から反応が全くないことに飽きてしまったのか、「じゃあねー」と言って去ってしまった。

 

「……アタシは、一生懸命帰ってる葵、カッコいいと思ったけどなぁ」

「……」

 

 去り際、ポツリとそう呟いた友人の言葉に聞こえないフリをして、葵は再びイヤホンをはめる。だが、どんなに好きな音楽を大音量で流しても、最後の友人の言葉が頭から離れない。

 

「……くだらない、帰宅部なんて」

 

 葵は口の中で小さく呟く。ぎりりと奥歯を噛みしめる彼女を、窓から吹き込んだ春の風が撫でる。それを煩わしいと感じた葵は、苛立ちをぶつけるかのように、勢いよく教室の窓をピシャリと閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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ウマ耳を頭から生やした女の子を育成するゲームしてたら大学生活が終わりました。


 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 誰よりも早く教室を飛び出した鷹野は、家に帰ることなく都内の病院へと足を運んでいた。坂を超え、赤信号に捕まりそうな時はまた別の道を進み、一切の無駄なく病院へと辿り着く。学校からおよそ30分。まだ4月とはいえ、ずっと全力でペダルを漕いでいた鷹野は、シャツを汗で湿らせていた。

 

 インナーが肌に吸い付く気持ち悪さを堪えて、早歩きで受付へと向かう。既に顔馴染みとなった看護師と軽く挨拶を交わすと、鷹野はすぐに病院の一角にある病室へと向かった。

 

 はやる気持ちを抑えて、看護師に言われた病室の前に着く。病室の扉の横にあるプレートには、「鷹野(たかの)(ゆき)」と書かれている。ここで間違いない。鷹野は扉を数回ノックした。すると、中から「はーい、どうぞ!」という元気な返事が帰ってくる。それを聞いた鷹野は、少しだけ安心した気持ちになりながら、優しく扉を開けた。

 

 部屋の中では、鷹野と同じく少し茶色まじりの長い髪をおろした少女がベッドに座っていた。ぱっちり開いた可愛らしい目がこちらに向けられ、整った顔に笑顔が浮かぶ。そんな少女に、鷹野は声をかけた。

 

「ユキ」

「お兄ちゃん!!」

「具合、良さそうだな」

「うん!ごめんね、心配かけて……」

 

 しゅんと項垂れた妹の頭を、鷹野は優しく撫でる。ユキはくすぐったそうに目を細めながら、しばらくされるがままになっていた。鷹野がホームルームから気になっていたこと、それは他でもなく妹であるユキのことだった。

 

 鷹野の1歳年下の妹であるユキは、生まれながらに体が弱く、朝起きるとなんの前触れもなしに高熱にうなされていることが多々ある。ユキは昨日、ここ最近で1番酷い40度近い熱を出して床に倒れており、慌てた両親が救急車を呼びに行く事態となっていた。昨日は1日中苦しそうにしていた彼女だったが、今日はすこぶる調子が良さそうだ。このぶんならすぐに退院できるだろう。

 

 ユキに対して、鷹野は丈夫すぎる体で生まれてきた。風邪には1回もなったことがないし、スポーツ全般もそれなりにこなせるほどの運動神経と丈夫さも持ち合わせている。この健康っぷりを分けてやりたいと思ったことは1度ではない。

 

 鷹野がユキの頭を撫でていると、彼女の手元のスマホが点灯していることに気がついた。ユキは何を見ていたのだろう。妹とはいえ、あまり詮索するのは良くないだろうか。

 

 そんなことを考えていると、逆にユキの方から、「あ、そうだ!」と言いながらスマホを突き出してきた。

 

「ねぇ、これ一緒に見ようよ!」

「これは……?」

「全国高校帰宅選手権入学式大会だよ!」

「……は?」

「全国高校帰宅選手権入学式大会だよ!」

「いや、2回言わなくても聞こえてるから……」

 

 帰宅部とは、江戸時代に子供が寺小屋に通っていた時代から続くとされている、日本で最も長い歴史を持つ部活動だ。国内での人気も高く、高校生のおよそ30%ほどの生徒が帰宅部に所属していると言われている。

 

 その競技人口の多さ故に、全国大会にもなると非常に高いレベルの帰宅が繰り広げられる。ユキも帰宅部に所属しており、今もスマホで高校生の帰宅姿を興奮しながら見ていたのだろう。ユキは動画を鷹野に見せながら、「あの選手の自転車での3丁目の交差点のコーナリングがね〜!!」と盛り上がっている。

 

 だが、鷹野は正直なところ帰宅部にそれほど強い憧れを(いだ)いていなかった。

 

「でも帰宅部って、部活なのか?上下関係も無くて緩いし、練習も厳しくなさそうだし……」

「でたー!それ、帰宅部差別だよ!!帰宅部はタフじゃないと務まらない、立派な部活なんだから!」

「え、でも帰宅部って帰ってるだけだし……というか放課後は別のスポーツをして、それから家に帰る運動部の方がよっぽどタフ──」

 

 そう言いかけたところで、ユキが「ちっちっち」と指を横に振りながら鷹野の言葉を否定する。そして、熱を帯びた口調で話し始めた。

 

「いい、お兄ちゃん?帰宅部っていうのはどの部活よりもタフでストイックなの。誰よりも速く帰る体力、ポイントの高い通学路を厳選する思考力、そしてなにより赤信号や電車のトラブルに巻き込まれない勝負感!!ただ運動神経が良いだけじゃ勝てないレベルの高い競技──それが帰宅なんだよ!!」

「……」

 

 それ、ただ帰るだけじゃ駄目なのか──そう思ったが、ユキの反感を買うと判断した鷹野は何も言わなかった。それに、ユキがこんなに楽しそうに話しているのだ。水を差すのも悪い。鷹野はむしろ、ユキの話に乗ることにした。

 

「帰宅部か。見てて楽しい?」

「うん!それに今日は入学式大会だからね!すっごく盛り上がるんだ〜」

「入学式大会?」

 

 またまた聞き慣れない用語が出てきて、鷹野はコテンと首を傾げる。ユキは兄に何かを教えるのが楽しいのか、ご機嫌な様子で口を開いた。

 

「うん、高校生の帰宅には()っつ大きな賞があってね、そのうちの1つが入学式の日の帰宅なの。入学式の日の放課後って、普通お友達作ったりするでしょ?でも、それを振り払って帰るから、『最も覚悟のある帰宅部員が勝つ』って言われてる帰宅なんだ!」

「え、帰宅部な上に今後の学校生活ぼっち路線とかそれなんて地獄……?」

「なにか言った?」

「いや、何も……」

 

 妹の冷たい視線から目を背けつつ、彼女の手元にあるスマホを覗き込む。なんとか話題を逸らせないかとあれこれ考えていると、ユキが見ている入学式ランの中継画面が切り替わり、過去の入学式帰宅の映像が流れ始めた。画面端には「〜名勝負を振り返る〜」というテロップが添えられている。よほど帰宅部界隈の記憶に残る帰宅だったのだろう。だが、それ以上に気になることが鷹野にはあった。

 

「あれ、この制服って俺の学校の女子じゃないか?」

「うん。緑ヶ丘高校の選手だよ。この帰宅はたしか……2年前の入学式帰宅だったかな?」

「じゃあ、今はウチの学校の3年生か」

「多分。でもこの人、最近出てこないんだよね〜。名前はたしか天神さんだっけ?あ、会ったらサイン貰ってきてよ!!」

「はは……会えたらな」

「本当に!?約束だからねっ!指切り!!」

 

 興奮気味の妹を落ち着かせるように、ユキの細い小指と自分の小指を組む。ユキは嬉しそうにニッコリ笑うと、それからも帰宅部の何たるかについて鷹野に長々と話し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 面会時間も終わりに近づいてきた頃、ずっと入学帰宅の動画を見ていたユキが、不意に口を開いた。

 

「そういえば、(じゅん)ちゃんには会った?」

「あー、そういえば会ってないな」

 

 准ちゃんとは、鷹野とユキの幼馴染にあたる女の子だ。鷹野と同い年で、幼稚園と小学校は同じ学校に通っていた。中学に上がるタイミングで彼女の親が転勤してしまい、それでお別れだったのだが、高校生になるこの時期に東京に戻ってきたらしい。それも、鷹野と同じ高校に通うとのことだから驚きだ。

 

 准と仲良くしていたユキは大喜び。なんなら鷹野が緑ヶ丘高校に合格した時よりも喜んでいたのだから、兄としては複雑である。

 

 一方、鷹野はあまり准が得意ではなかった。准はいつも強引で、当時引っ込み思案だった鷹野を無理に連れ回していたところが苦手意識を持ってしまった原因として大きい。

 

 そんな鷹野の気持ちを露知らず、ユキは楽しそうに顔を綻ばせた。

 

「いいなぁ〜お兄ちゃんは。准ちゃんと一緒の学校に通えて!」

「来年ユキも緑ヶ丘を受ければいいさ」

「うん、そうしよっかな。……学力がちょっと不安だけど」

「あはは、それは今から頑張るしかないな」

 

 鷹野がそう言ったちょうどその時、面会時間の終わりを告げる放送が流れてくる。名残惜しいが、今日はこれでお別れらしい。少し寂しそうな顔をするユキの頭に、鷹野は来たときと同じように、彼女の頭に手を置いた。

 

「すぐ退院できるよ」

「うん……」

「帰ってきたら、兄ちゃんがユキの好きなものなんでも食べさせてやるからな」

「……うん!」

 

 最後に、ユキが少し無理したような笑顔を浮かべる。鷹野はそれに少し胸を痛めながらも、寂しさを振り払って病室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




スポーツ小説です。


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NEW RUNNERS


スポーツ小説です。よろしくお願いします。


 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 妹のユキの見舞いに行った、次の日。鷹野が学校に行くと、肌を舐められるようなざわつきを感じた。下駄箱で靴を履き替えて教室に向かうまで、見ず知らずの生徒に好奇の視線を浴びせられたのだ。

 

 チラチラと見てくる生徒もいれば、まじまじと凝視してくる生徒もいる。なかには、露骨にこちらを見ながらコソコソとなにかを話している生徒までいた。

 

 いったいなんなのだろう──鷹野は首を傾げながら、2階にある自分の教室へと向かった。

 

 白いスライド式のドアを開ける。その瞬間、教室の中にいたクラスメイトが一斉にこちらを見てきた。

 

(……こうも見られると恥ずかしいな)

 

 一歩進むだけで、周りの生徒達がサーッと鷹野を避ける。それだけで、自分の席まで一本の道ができた。海を割ったモーセが見た光景もこのようなものだったのだろうか──などと思いながら、そそくさと鷹野は自分の席へと歩く。

 

 席に座っても、誰も話しかけてこない。自分から話しかけに行こうにも、前後左右の生徒は着席していないため、本格的に話し相手がいなくなってしまった。

 

(……まぁそんな日もあるか)

 

 きっと間が悪いだけだろう。そう思い、鷹野は鞄の中から単行本サイズの本を取り出す。昨日、ユキから借りた──どちらかというと「押し付けられた」、が正解だが──『帰宅部超人伝』というタイトルの本だ。あまり興味が無いのだが、妹との会話の種になるなら読んでいて損はない。ちなみに、ユキはこの本を病院で知り合ったお爺さんに貰ったらしい。そのせいか、本からはほんのりと畳の匂いが漂っているような気がした。

 

 立派なハードカバーを開くと、鷹野を遠巻きに見ていたクラスメイトが再びざわつく。だが、本に集中し始めた鷹野にその喧騒は聞こえない。

 

(3大競争は入学式、修学旅行、卒業式?帰宅部って休みの日が無いのか……?)

 

 いや、外出する以上どう足掻いても帰宅は伴う。ということは帰宅部の活動があるのは自然なことだ。帰宅部は、意外とどの部活よりも活動熱心なのかもしれない。

 

 そんなことを思いながら、パラパラとページを捲る。この時の鷹野は、自分を取り巻く環境が変わり始めるなどとは微塵も思っていなかった。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

 入学式から数日経ったある日の放課後、1年生の教室がある廊下にて。鷹野と同じクラスの男子生徒2人が、並んで歩いていた。恰幅が良く背の高い津田(つだ)と、細身の眼鏡をかけた中島(なかじま)の凸凹コンビだ。ちなみに、鷹野が入学式の日に教室を飛び出した時、最初に声を上げて騒いだのが他でもないこの2人である。

 

「なぁ、やっぱり入学式帰宅の上位ランキングに『鷹野』なんて名前無かったよな?」

「あぁ。あのスタートダッシュは良かったんだが……やっぱり3大帰宅大会のハードルは高いのかな」

「でもアイツ、世界で100部しか刷られてない、伝説の『帰宅部超人伝』を教室で読んでたぞ?やっぱり特別なランナーなんじゃ?」

「うーん……」

 

 謎が謎を呼ぶ同級生。熱心な帰宅部ファンである男子生徒2人は、湧き上がる好奇心を抑えられなくなっていた。

 

 帰宅部において入学式に出走するということ、それは「俺に友達なんていらない。高校生活のすべてを帰宅部に捧げる」という意思表示というのが暗黙の了解だ。

 

 だが、少し話すくらいは許されるだろう。なにも親友になろうとしているのではない。軽い知り合い程度なら、(こころざし)高い帰宅部の鷹野の邪魔にもなるまい。

 

 2人はそう思い、互いに頷き合う。そして、中島が鷹野に近づこうとした。その時だった。

 

「おいおいおい、まさか()()()()()()()に話しかけるつもりじゃねえだろうなぁ……」

「ヒッ……!!」

 

 不意に後ろから現れた、赤い髪の持ち主に肩を掴まれた。

 

 中島がギチギチと首だけで振り返る。そして相手の顔を見ると、目をぎょっと見開いて小さな悲鳴を上げた。

 

「き、君は……()()()()()()!!」

「ヘェ、オのこと知ってんのか……」

 

 中島に名前を呼ばれた不死鳥のケン──(おおとり)()は、ニヤリと口角を歪めると、今度は中島の胸ぐらを掴んだ。

 

「オレのこと知ってるんだろ?じゃあお前、帰宅部ファンだよなァ……?」

「は、はい、そうです……」

 

 鳳は、ヴィジュアル系バンドのボーカルのような、前髪が長く伸ばされた赤髪をかきあげると、その鋭い目つきで射殺さんばかりに中島を睨んだ。

 

「帰宅部が入学式に出走するってことは、帰宅部に全てを捧げるっていう意思表示なんだわ……お前も知ってんだろォ?」

 

 そう言う鳳の口調は、真剣に入学式の日に出走した帰宅部を思いやるようなものではない。むしろ、入学式帰宅に出走した鷹野をどこか小馬鹿にしたような口調だった。だが、中島は鳳に胸ぐらを掴まれた恐怖からコクコクと頷くしかできない。

 

「そうか、知ってたか」

「は、はい……それは、もう」

「そっか、そっかァ……」

 

 鳳は納得したようにゆっくりと息を吐く。そんな様子を見て安心したのか、中島も「あはは……」と笑った。その直後──

 

 鳳の頭突きが、眼鏡の生徒を襲った。

 

「おめェ如き雑魚がァ!!帰宅部様につけこもうなんて100万年早いんだよォ!!」

「アッ……血、血が……!」

 

 頭突きで切れたのか、中島の口からは赤い血が出ている。一緒にいた恰幅のいい生徒が慌て手駆け寄るが、今度は津田の髪の毛を、鳳が鷲掴みにした。

 

「いいかァ?これに懲りたらあの鷹野とかいう奴と話そうなんて思うんじゃァねえぞ?次やったら頭突きじゃすまねぇかもなァ!」

 

 鳳の脅迫まがいの言葉に、2人は震えながら頷く。鳳は舌打ちしてドカドカと大股で歩き出した。

 

「気に食わねえ……帰宅部で1番(つえ)えのはオレなのによォ……!!」

 

 鳳は眉間にシワを寄せて、教室の扉の側にあった掃除用具入れに蹴りを入れる。廊下中に苛立ちのオーラを撒き散らしながら、鳳は去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中島達の様子を、1人の少女が遠巻きに見つめていた。

 

「そっか、あれが()()()がハブられてた原因かぁ〜。うーん」

 

 少女は鳳が去った後も、うずくまったままの流血した中島と、それを介抱する津田を見ながら、なかを考えるようにほっぺたに手を当てた。コテンと首を傾げる様子が可愛らしい。

 

「うーん、でも私がやらなきゃ……うん、やるしかないね!」

 

 そんな少女は、かわいい仕草に似つかわしくない、決意のこもった熱い情熱を瞳に(たた)える。そして意を決したように拳を固めると、ちょこちょこと小さい歩幅で2人の男子生徒へと近づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だ、大丈夫?」

「痛いけど……血は止まったかも」

 

 中島、鳳に頭突きされた口元を拭いながら言う。津田は安心したように一息ついてから、「それにしても……」と口を開いた。

 

「不死鳥のケン……噂通り荒っぽい帰宅部だね」

「あぁ。帰りっぷりは凄いのに肝心の性格があれじゃあな」

「だな〜……応援もできないよな」

 

 帰宅部マニアの2人は全く同じことを考えているようで、互いの意見に同意しあって深く頷いた。中島が、胸ぐらを掴まれたときに落とした鞄を拾い上げる。今度こそ帰ろうとした時、後から鈴の音のように凛とした、心地よい声がかけられた。

 

「ねえ、ちょっといいかな?」

「「ん??」」

 

 2人の男子生徒が振り向くと、そこには中島達の様子を影から見ていた少女が立っていた。肩口までの伸ばした黒い髪の毛は、絹のように艶を放っている。大きく開いた目は愛くるしさを満開に湛え、桜色の小さな唇の両端は少しだけ持ち上げられて、きゅっと可愛らしい笑みを作っている。どちらかというと小柄な、しかし成熟しつつある身体のその少女の可憐さに、中島と津田は照れるよりも先に息を呑んだ。

 

「……?どうかしたかな?私の顔になにかついてる?」

「──あ、いえ、なにも!」

「うん、な、なんでもないよ!」

 

 少女に改めて声をかけられ、中島と津田は弾かれたように慌てて返事をする。そんな様子を少女が「ふふっ、良かった」なんて笑うものだから、2人はますます緊張して顔を赤くしてしまった。

 

 そんな彼らの様子など気にする素振(そぶ)りも見せず、少女は口を開く。

 

「ねえ、さっきの赤い髪の男の子って、どんな人?」

「「えっ……」」

 

 少女が、先程自分達を傷付けた奴のことを聞いてきて、2人は顔を見合わせる。だが、それも一瞬のことで、やがて中島が淡々と話し始めた。

 

「鳳健、それが彼の名前だよ。中学の頃は南中央(みなみちゅうおう)中学校の帰宅部のエースで、全国クラスの実力者だったんだ。彼の帰宅は荒いんだけど、でも誰よりも速かった。反則負けも多かったけど、その次のレースは絶対に勝つから、いつしか『不死鳥のケン』って呼ばれてたんだ」

「ふーん……でもそんなに凄いランナーなら、入学式に出走したんじゃないの?」

「できなかったんだよ。素行が悪すぎて、全国中学高校帰宅部協会から来月の競技参加を禁止されてるんだ」

 

 今度は津田がそう答えた。彼は自分の額の汗をきれいなハンカチで拭うと、やや早口で続けた。

 

「帰宅部の活動停止……つまり鳳は今、()()()()()()()()()()()()()んだよ。だから学校に寝泊まりしてる」

「あぁ、だから余計にイライラしてるんだろうな」

「そっか。じゃあ、そのイライラの捌け口に君たちに暴力をふるったり、鷹野くんに話しかけるなって言い回ってるのかな?」

「多分ね。実際、鷹野君が誰とも話せないのは、鳳がさっきみたいに話しかけようとした人を次々と脅してるからなんだ。それでみんな怖がっちゃって」

「へぇ……そっか。そうなんだね」

 

 男子生徒達の話を聞いているうちに、少女の顔から笑顔が消えていく。そして、神妙な面持ちでポツリと呟いた。

 

「じゃあ、その鳳って人を()()()()()、高野くんに話しかける子も出てくるのかな?」

「黙ら、え、黙らせる?」

 

 小柄な美少女から唐突に発せられた穏やかではない言葉に、2人組がポカンと開口する。だが、放心している間にも少女が「どうかな?」とプレッシャーをかけてくるので、2人は思わず首を縦に振ってしまった。

 

 それを見た少女の顔から、ついさっきまで浮かべていた鬼気迫る迫力が失せ、代わりに人懐っこい穏やかな笑顔が戻ってきた。

 

「そうだよね。じゃあさっそくやってみようかな。ありがと、2人とも!じゃあね!」

「え、あの、ちょっと……!」

「ん?なにかな?」

 

 勢いで呼び止めた中島は、頭の中であれこれと言葉を選んで、少し間を開けてから口を開いた。

 

「その、鳳になにかしようと思ってるなら、やめたほうがいいよ」

「あはは、心配してくれてるの?」

「だって、君がなにされるか分からない……」

「ううん、大丈夫。だって……私が危なくなったら、きっと()()()が来てくれるから」

「へ……?」

 

 にっこりと、大輪の花のような笑顔を浮かべながらそう言う少女に、中島は見惚れて言葉が出なくなる。まるで恋する乙女のような、そんな華やかな輝きを放つ少女を前に、彼は口をパクパクと開いたり閉じたりするだけだ。

 

 それを会話の終わりと捉えたのか、少女は今度こそ「じゃあね!」と言って、昇降口へと続く階段を下っていった。

 

 最初からいた2人の男子生徒だけが廊下に残される。2人はしばらく黙っていたが、やがて津田が中島の肩をポンと叩いた。

 

「諦めなよ」

「……いや、無理だ」

「え、でも」

「あの娘、帰宅部に興味があるみたいだったし……もしも僕が、最速の帰宅部員だったら──」

「中島、君は……」

 

 津田は、中島の目を見て確信する。ギラついた瞳、溢れる闘志、誰よりも早く帰りたい、そして意中のあの子を振り向かせたいという願い──この男は、帰宅部になる!

 

「悪い、僕、今日は先に帰るよ」

「あぁ……車には気をつけてな」

 

 鼻を(すす)りながら、さっそく走り出した親友の後ろ姿を見送る。

 

 今年の帰宅部は荒れる──そんな予感を膨らませ、津田もゆっくりと家路についた。

 



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指差して。


幼馴染っていいよね。
ちなみに自分はリアル幼馴染とは何も起きませんでした。
現実ってそういうものです。


 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

 じゅんちゃんは、ちょっとふっくらした僕の幼馴染。

 

 いつもワガママで、僕の腕を引っ張って歩くおんなの子。

 

 

 

 

 

「じゅんちゃん……もうかえろうよ……」

「えーっ、まだあそべるよ!だってまだ、あかるいもん!!」

「でも、もうごじ(5時)だからかえらないと……」

「イヤ!じゃあ、まさちゃんだけかえりなよ!!」

「そんなぁ……」

「よつばのクローバーみ()つけるまで、かえらないもん!」

「よつばのクローバー?それってこれのこと……?」

「あっ、それ!どこにあったの?」

「じゅんちゃんの左足のとこ。あ、これ、あげようか?」

「えっ、いいの!?」

「いいよ。ほら、だからはやくかえろう?」

「うん!」

 

 

 

 

 

────────────

 

 

 

 

 

(じゅん)ちゃん、一緒(いっしょ)(かえ)ろう」

「うん!あ、正美(まさみ)ちゃんはすぐにどっか()っちゃうから、わたしが()(にぎ)ってあげる!!」

「え……どっか行っちゃうのは(じゅん)ちゃんじゃ……」

「え?なにか()ったー?」

「う、ううん……なにも」

 

 

 

 

 

────────────

 

 

 

 

 

「正美ちゃん、帰ろう?」

「うーん、もう少しみんなと遊んでから帰ろうかな」

「駄目!正美ちゃんは私と帰るの!!」

「えぇ〜まぁいいけどさぁ……」

「ホント?やった!じゃあ早く帰ろ!!」

「うん……」

「ほら、手も繋がないと!」

「……恥ずかしいよ」

「……………」

「はぁ、分かったよ〜」

「えへへ〜」

 

 

 

 

 

────────────

 

 

 

 

 

「正美ちゃん!帰るよ!」

「あ、准ちゃん、えっと……」

「?なにしてるの!早く帰って遊ぼうよ!」

「えっと、僕、これからみんなと野球しにいくんだけど……」

「えっ……」

「ごめんね、准ちゃん。今日は一緒には帰れないや」

「……昨日も一緒に帰ってくれなかったじゃん」

「あ、えっと、じゃあ一緒に野球行く?それなら一緒に──」

「そういうことじゃないの!正美ちゃんのバカっ!!」

「あ、待ってよ准ちゃん!」

「おい、まさみ!あんな太っちょなんかに構ってないで早く公園行こうぜ!」

「あ……………うん……」

 

 

 

 

 

────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅん…」

 

 窓から差し込んだ朝日が、無理矢理私を目覚めさせる。フラフラとした足取りで洗面所へ向かうと、鏡の中で()()()()()()()少女のの髪の毛がぴょこんと跳ねていた。

 

「……あとまわし」

 

 顔と歯を磨いて、朝ごはんを食べる。朝はいつもトーストだ。バターを少しだけ塗ったトーストを、小さい口にのそのそと運び込む。高校になって一人暮らしを始めてから、家にいる時間はいつも静かになった。

 

 物音のしない部屋で、トーストをかじりながら先程の夢を思い出す。小学校の時の懐かしい夢だ。あの頃は放課後が楽しみで仕方がなかった。大好きな幼馴染と一緒に帰って、日が暮れるまで一緒に遊んで、たまに夕飯も一緒に食べた。

 

 中学に上がるタイミングで私は転校したけれど、幼馴染とがいない放課後は、毎日に虚無を感じる灰色の日々だった。

 

 そんな日々も、高校に入ってようやく終わる。

 

 パンを食べ終えて、再び洗面所で歯を磨く。今度の鏡の中の私は、ニコニコと笑顔を浮かべていた。

 

 何がそんなに嬉いの?鏡の私に問いかける。彼女は答えた。決まっている。夢の中で彼に会えたこと。そして──

 

「今日こそ、あの子に会えるかも♪」

 

 鏡の中の私と、リアルな私が一緒に口を開く。2人でクスクスと一緒に笑うと、私は壁にかけられた(がく)を、うっとりと眺めた。額には、すっかり茶色く変色した四葉のクローバーが押し花へと姿を変えて収められていた。

 

 あの頃の少し太ったおんなの子はもういない。それでも、大事な思い出だけは、色あせても決して消えることなく、少女の心に残り続けている。

 

 

 

 

 

2

 

 

 

 

 

「ねぇ、鳳がまた誰かと喧嘩してるらしいよ」

「またぁ?アイツ、素行悪すぎ〜……」

「しかも、相手は1組の女子だって〜。ほら、噂のすんごいかわいい子!」

「えー、かわいそ〜」

 

 鷹野がクラスの女子がしている話を小耳に挟んだのは、6限の授業が終わっていざ帰ろうとした時だった。鷹野には相変わらず友達がおらず、今日も日中は一人で過ごしていた。理由は分からないが、鷹野が声をかけようとすると同級生は怯えたように距離を取るのだ。何日もそれが続くと、あまりいい気分がするものではない。

 

 だが、そんなことを気にしていられないほどの用事が、今日の鷹野にはあった。今日は他でもない、大事な妹のユキの退院日なのだ。

 

(今回は少し長かったな……)

 

 医者の話だと数日で退院できる予定だったが、鷹野がユキの見舞いに行った翌日に再び熱を出してしまい、今日まで入院が長引いていたのだった。

 

 だが、それも今日でおしまい。午前には母が迎えに行くと言っていたので、今頃は家にいるはずだ。自分もこんな所で油を売っている時間など無い。自転車の鍵を(あらかじ)め鞄から出しておくと、急ぎ足で教室の出口へと向かった。

 

 教室からは、出て右手側にある階段を使うのが一番早い。出口付近で噂話で盛り上がっている女生徒の脇をすり抜けるように歩くと、「あっ、ちょっと!」と後ろで誰かが人を呼ぶ声がした。

 

 自分のことではないだろう。入学してから一度も声をかけられたことが無い鷹野はそう思ったが、続く「鷹野クン!」という言葉に足を止めた。振り返ると、先程の噂話をしている2人のギャルっぽい女生徒がこちらをじっと見ている。

 

「え、自分か……?」

「う、うん……」

「ちょっとサキ!話しかけたら今度はアタシたちが……」

「ミカ……大丈夫じゃない?鳳は今いないんだし」

 

 鷹野の目の前で2人──どうやらサキとミカというらしい──が、ヒソヒソと何かを相談している。どうやらミカという女の子がが、鷹野に声をかけたサキに抗議しているようだ。だが、しばらくしないうちにミカが折れたようで、ようやくサキが鷹野に向けて口を開いた。。

 

「あー、えっとね、帰るんなら左の階段使ったほうがいいよ」

「む……それだと昇降口まで遠回りじゃないか?」

「そうなんだけどさ、ほら、今1組の方で鳳が暴れてるんだよね〜」

「鳳……えっと、誰だ、その人は?」

「えっ!?鳳のこと知らないの!?ヤバ〜……」

 

 何が「ヤバい」のかは知らないが、見ず知らずの人が暴れていたところでどうということはない。心配してくれるのはありがたいが、今の鷹野は早く帰りたい気持ちのほうが大きかった。

 

「注意してくれたのはありがたいけど……今日は(妹の退院日だから)早く帰りたいんだ。右の階段を使って帰るよ」

「え、ま、マジ?でもあの鳳だよ?キミに話しかけないようにしてるのだって──」

「サキ」

 

 何かを訴えかけたサキの肩に、ミカが手を置く。ミカの顔は、どこか諦めたようなそんな落ち着きがあった。

 

「サキ、鷹野君はやっぱり()()()()なんだよ……」

「でも、入学式の日だってランキングに──」

「鷹野クンも言ってたでしょ?『今日は(入学式の悔しさをバネにもっと成長するため、他の誰よりも1秒でも)速く帰りたいんだ』……って」

「ミカ……そうだね。鷹野クンは緑が丘高の入学式ランナーだもんね」

 

 2人は互いに頷きあうと、鷹野のために教室の出口を広く開ける。鷹野がそれに困惑してる間に、サキの方が口を開いた。

 

「鷹野クン……帰宅に水差してゴメンネ!」

「アタシ達、応援してるから!鷹野クンが誰よりも速く帰ることを!」

「え、あ、うん……?き、気をつけて帰ります?」

「「うん!」」

 

 たかが帰るだけなのに、大げさな2人だ──鷹野は首を傾げながら、教室を出た。厄介事にだけは巻き込まれないよう、ひっそりと歩いて家路を急ぐ。

 

 

 

 

 

3

 

 

 

 

 

 鳳は今日も帰ることができず学校泊になる苛立ちを、入学式帰宅に出走した鷹野に対する嫌がらせで発散していた。クラスメイトに「鷹野に話しかければぶっ潰す」と脅し回り、今日はそれをクラス内に留めず学年中に広めようとしていたのだった。

 

(気に食わねェ……)

 

 大股でドカドカと歩きながら、目的である1組の教室へと向かう。手始めに端のクラスから──そう意気込んで教室に乗り込もうとしたとき、鳳は中から飛び出してきた女子生徒と正面からぶつかった。

 

「きゃっ」

「ッ──」

 

 少女は衝突した勢いでぺたんと尻もちをつくが、鳳はよろめき、数歩下がる程度だ。非はどう見ても鳳にある。だが、鳳はわざとらしく舌打ちすると、目の前の女子生徒に怒鳴りつけた。

 

「てめえ、どこ見てやがる!!」

 

 鳳が、血走った目で少女を睨む。だが、ぶつかられた少女は臆することなく、身体を起こしてスカートの埃を払った。これまでにない相手の反応に、いつもは尊大な態度しか取らない鳳が、珍しく面食らう。

 

 そんな彼の様子を歯牙にもかけず、女子生徒は黒く艶のある髪を耳元までかきあげると、その整った可愛らしい顔にニコリと笑みを浮かべて──

 

「どこを見てるって……少なくとも、鳳くんみたいな負け犬ではないかな」

「なっ……!?」

 

 最大の煽り文句を吐き出したのだった。そして、その女生徒はそれだけでは飽き足らず……

 

 

「鳳くんが出られなかった入学式レースに出走した、そこの彼くらいじゃないと、私の視界には入れないかもね」

「……え、自分?」

 

 面倒ごとに巻き込まれまいと、息を潜めて脇を通り過ぎさろうとした鷹野を指差して、花のような笑顔を浮かべた。

 

 



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不運なアイツ

 

 

 

 

 

1

 

 

 

 

 

「人の話はちゃんと聞きなさい」

 

幼い頃に誰もが習う教訓だが、これを(ないがし)ろにしたことをこんなにも悔やんだことはない。そう思う程に、鷹野は面倒なことに巻き込まれていた。

 

クラスメイトの女子に「通らないほうがいい」と注意されたルートを使った結果、目の前には鋭い目つきでこちらを睨んでくる不良男子──鳳《おおとり》と、その隣でにこにこと笑みを浮かべる可愛い女子──准《じゅん》、そして自分を含めたその3人を遠巻きに見つめてくる野次馬達──一刻も早く帰りたい鷹野にとって、厄介以外の何者でもない状況が広がっていた。

 

困惑する鷹野を無視して、鳳がこちらに近づいてくる。パーソナルスペースを易易と踏み越えて、彼は鷹野に目と鼻の距離で思いっきりガンを飛ばしてきた。正直、初対面でこの距離はキツい。鷹野は思わず一歩後ろに下がる。それを見た鳳は、一瞬目を丸くして、しかしすぐに鷹野のことを鼻で笑った。

 

「フッ、入学式ランナーってのも案外ビビりなんだな」

「……はぁ?」

 

入学式ランナーとはなんのことだろう。見に覚えの無いあだ名で呼ばれて、首を傾げる。その様子が気に食わなかったのか、ついに鳳は鷹野の襟元を掴んできた。

 

(とぼ)けんなよ……出走しただろ?入学式レースによ!お俺が出られない間に、ぽっと出のお前ごときが入学式レースに出やがって!」

「は?何言ってるんだお前」

「入学式レースに出られなかったのは君が帰宅禁止のペナルティを食らってたからでしょ!」

「うるせえ!関係無いやつは黙ってろ!」

「……何言ってるんだお前ら?」

 

さっきからにこにことこちらを見てきていた准も口を挟んできて、いよいよ自分が全く知らない内容で話が進んでいく。新手のイジメか何かだろうか。

 

これ以上無駄な時間は費やしたくもない。鷹野はそっと立ち去ろうとしたが、襟元を掴まれているので当然逃してくれるはずもない。鳳が鷹野が逃げる素振りを見せたからか、「まぁ待て」と再びこちらを繋ぎ止める手に力を込める。

 

「おいおい、まさか入学式ランナーともあろう方がオレから逃げるのか?」

「無駄な時間を使いたくないだけだ」

「ッ……!オレに話しかけられるのが時間の無駄だと!?」

「そう言ってる。早く帰らないと」

 

鷹野の眼中に最初から自分など映っていない──そう受け取った鳳が激昂する。だが、鷹野ももうただ黙っているだけの穏やかな段階は過ぎている。鷹野が反撃しようと拳を握った時、廊下に凛と高い声が響いた。

 

「やめなさい」

 

語気が強い訳でもなければ、声量が大きい訳でもない。ただ、その圧倒的な威圧感だけで騒然とした廊下が静まり返る。鷹野も思わず声の主の方に振り返る。そして、声の主を見て思わず息を呑んだ。

 

一本の荒れも見つからないブロンドの髪。宝石のような碧眼。腕には輝かしい「生徒会」の腕章をつけた、人形のような美しさを備えた女を見て、しかしその美貌に釣られてではなく、鷹野は目を見開く。

 

(この人……ユキが見てた──!)

 

目の前に、入学式の放課後に妹のスマホで見た人物が立っていることに驚く。名前は確か──

 

「天神……!」

 

鳳が敵意をむき出して彼女の名前を呼ぶ。そうだ。名前は天神だ。帰宅部は辞めたらしいが、どうやら生徒会のメンバーらしい。

 

彼女は荒ぶる鳳をものともせず、涼しい顔で彼をキッと鋭い切れ目で見つめ返す。

 

「先輩をつけなさい、鳳くん。それとも帰宅禁止の期間を延ばされたいのかしら?」

「……ッ」

「そういうわけでもなさそうね。……貴方の悪名は生徒会にまで響いているわ。これ以上私の手を煩わせる前に──失せなさい」

 

天神が見せるのは、鳳のような炎を吐き出す怒りではなく、どんな熱すらも奪う絶対零度の静かな怒りだ。逆らえばどうなるか分からない──有無を言わせぬ雰囲気に、いつの間にか野次馬の大半は随分と距離が離れていた。

 

鳳も興が削がれたのか、つまらなさそうに舌打ちをして鷹野から手を離す。その時、鳳がボソリと鷹野に向かって話しかけた。

 

「……合唱コンだ。そこでお前を潰す」

「は?」

 

そう言い残し、鳳は鷹野がその真意を確かめる前に苛立ちを隠さない足取りで去っていく。鷹野が呆然とその後ろ姿を目で追いかけていると、再び天神の声が聞こえた。

 

「貴女も。あんな男に油を注いじゃだめ」

「うぅ、ごめんなさ〜い」

 

喧嘩両成敗。今度は鷹野をいざこざに巻き込んだ准が天神に怒られている。もっとも、天神も先程の氷のような怒りではなく、くどくどと長い説教を准にしている。准はしゅんと落ち込んでいたが──

 

「──全く()()()()別のクラスの子まで巻き込んで……」

「か、関係なくないです!」

「……え?」

「関係ないこと、ないです」

 

准が、弾かれたように声を上げる。それには一方的に説教をしていた天神だけでなく、隣で聞いていた鷹野も目を丸くした。准はキュとスカートの端を握り、天神と鷹野を真っ直ぐ見つめる。

 

「彼は関係あります」

「だ、そうだけど?」

 

肩をすくめてこちらに目配せする天神。そんな天神の問いかけを、准の祈るような眼差しを、鷹野は一蹴した。

 

「さぁ。知らないですね」

「えっ……」

「だいたい、さっきの男の子もそこの女の子も今日初めて会いました」

「ッ……!?」

 

准の顔が、段々と赤くなる。目尻に少し涙が浮かんでいる為、怒っているようにも悲しんでいるようにも見えるが、そんなことは鷹野には関係ない。

 

「……ばか」

 

准がそう呟くが、それは徐々に放課後の喧騒を取り戻した廊下では、鷹野には届かず虚空に溶ける。結局、そのまま准は鷹野達に背を向けて走り去っていってしまった。残されたのは天神と鷹野だけだ。

 

自分まで説教されては堪らない。鷹野は先手を打つ。

 

「先に言っておきますけど、自分は巻き込まれただけですよ」

「知ってる。見てたから。えっと、鷹野君、だよね」

「へぇ、生徒会っていうのは新入生の顔と名前が一致するんですね」

「……入学式に出走する新入生の噂なんて嫌でも耳に入るわ」

「入学式に出走?なんですか、それ」

 

この人も変なことを言う。だが、話を振ってきた当の天神は、鷹野よりも不思議そうな顔をしていた。

 

「えっ、あなた、帰宅部じゃないの?」

「いえ、帰宅部ですけど……あっ!」

 

妹が見ていた動画、それはこの天神という先輩が帰宅している映像だった。そして、彼女が出ていたレースは確か「全国高校帰宅選手権入学式大会」とかいう名前だった気がする。

 

「あの、もしかして自分──入学式レースに出走したことになってます?」

「……自覚なかったの?」

 

彼女の反応を見て確信する。自分はどうやら知らぬうちにとんでもないことをしでかしていた。大きくため息を吐いた鷹野を見て、天神がクスリと笑う。

 

「なんだ。じゃあ鷹野君は本気の帰宅部って訳じゃないんだね」

「もちろんです。そんなのになる気もしませんし」

「だから鳳のことも知らないんだ。彼、帰宅界隈では結構有名なのよ?」

「知りませんよ、そんな奴。あの日は入学式どうこうじゃなくて、妹が入院してたから早く見舞いに行っただけですし」

「妹さんが……そう。──私と同じね」

「えっ?同じ?」

「あ、ううん、なんでもないの」

 

何が同じなのか。鷹野は気になったが、天神にはぐらかされてしまう。そういえば、天神は有名な帰宅部員だったはずだ。妹が知っているくらいなのだ。さぞ実力者なのだろう。手土産でも持って変えれば喜ぶだろうか。妹のためならなんだってする──鷹野は思い切って口を開いた。

 

「あの、先輩は帰宅部なんですよね。妹が動画見てました。よければ妹の名前でサインでも……」」

「やめて」

「え」

 

帰ってきたのは、先程まで天神が鳳に向けていた冷たい眼差しだ。鷹野は人の感情に敏感ではない方だが、それでも今目の前の先輩が怒っていることは容易に察せられる。鷹野がゴクリと息を呑むのと同じくして、天神が口を開く。

 

「帰宅部なんてくだらないわ。あんな誰の迷惑も顧みずに帰るだけの部活……」

 

天神の口から、怨嗟のような言葉が並べられていく。彼女の目線はこちらを向いているが、憎しみはこちらには向けられている気がしない。どこか遠く、鷹野など眼中に無いかのようにも感じた。

 

「とにかく、鷹野君に帰宅部になる気が無いのが分かってよかったわ。変に絡まれる前に、部活に入ったらどうかしら。入りたい部活とかはないの?」

「無いわけではないですけど……」

 

質問に対して、鷹野は歯切れ悪くそう返す。天神がそんな鷹野に不思議そうな視線を送るが、鷹野はそれから逃げるように目を逸らした。

 

「えっと、自分、早く帰りたいので」

「えっ?あぁ、引き止めてしまってごめんなさいね」

「いえ、それでは……」

 

足早に廊下を立ち去り、ようやく学校を出る。何かを振り切るように、鷹野は駐輪場へと向かった。

 

部活に入れるのであれば、とうにそうしている。それができればと、何度考えたかはもう分からない。

 

駐輪場まではほんの十数メートル。

 

もしかしたら──という願いを込めて、鷹野は思いっきり脚に力を込めて駆け出した。その瞬間、そこにピシリという不安な感覚が響いた。

 

(……)

 

今更嘆いたところで、()()がどうにか なるわけではない。駐輪場に着くまでのたったこれだけの距離で痛む足に、期待などしない。自分の自転車の鍵を回して、サドルに跨る。

 

──運が悪かったのだ。

 

そう自分に言い聞かせて、鷹野は自転車のペダルを踏み込んだ。思い出した不安を胸に、鷹野は今日も家路を急ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー……ん?」

 

鷹野が家に着くと、玄関に見慣れない靴が置いてあった。茶色のローファーで、サイズ的には女子のものだろう。妹のユキは、学校にはスニーカーで登校しているので、彼女のものではない。友達でも遊びに来ているのだろうか。退院したばかりの妹に来客というのも考えにくいが、ユキは身内びいきを抜きにしても人付き合いが上手いと感じることがある。学校ではよほど人気者なのだろう。

 

こういう時、身内というのは水を差す要因でしかない。友達と遊んでいるときに兄フラなど最悪だろう。リビングにいた母親に「ただいま」と告げる。いつもは「おかえり〜」とだけ返してくる母親だが……

 

「あ、正美、お客さん来てるよ〜!」

「……知ってる」

 

ユキの客をなぜ自分に知らせるのか。不思議に思いながらも、ユキのために買ってきたケーキを冷蔵庫にしまい、2階にある部屋へと向かう。

 

階段を上り、ユキの向かいにある自分の部屋のドアノブに手をかける。だが、阻むように背後でガチャリと音が響いた。ユキか、客が部屋から出るのだろう。鷹野は、反射的に振り返る。そこには──

 

「あっ」

「……は?」

 

先程廊下であったばかりの、別のクラスの女子がいた。鷹野はポカンと口を開ける。目の前の女子は、顔を赤くしてパタパタと手で顔を仰ぎ始めた。

 

「えっと、その、お邪魔してるね、正美ちゃん!」

「……学校の女子……不審者……110番でいいのか?」

 

混乱した鷹野の口から漏れたのは、通報の準備だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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