【完結】ハンターハンター世界で転生者が探偵()をする話 (虫野律)
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念能力があると本格ミステリーはあり得ない

──prrrrrrrr。

 

 サヘルタ合衆国の中規模都市にある「ベーカー探偵事務所」──要するに俺の職場にて、電話が鳴り響く。

 

「なんだろ……」

 

 自慢じゃないが、うちの事務所はそんなに依頼があるわけじゃない。だから電話が来るのはそこそこ珍しい。

 

 受話器を取る。

 

「ベーカー探偵事務──」

 

「事件だよ! すぐに来てほしい!」

 

 俺が出るや否や、そう言ってきたのは、この町を所管する警察署で強行犯係の刑事をしているハンナだ。

 何やらただ事ではないように聞こえるが、ハンナはいつもこんな感じだから、そんな大した事件じゃない可能性もある。

 

「りょーかいです。依頼料は──」

 

「場所はK駅近くの株式会社フェイク本社ビルだから。早く来てね!」

 

──ツー、ツー……。

 

 切れた。

 相変わらずマイペースを極めている。こんなんで聞き込みとかできるのだろうか。

 

 ま、いいや。ちょっと電脳ページ(ウェブサイト)で会社のことを調べてから行きますか。楽しいミステリーだといいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、突然だが、俺は野良(のら)転生者だ。野良ってのは神様に会ったり、チートを貰ったりしてないって意味。

 で、元々は日本でミステリー小説を読むのが趣味の普通の奴だったんだけど、気がついたらハンターハンターの世界で赤ちゃんをやっていた。こっちでの名前はエヴァン・ベーカーね。

 控えめに言って焦ったよ。漫画は一通り読んだことはあるけど、細かいとこは覚えてないうえに、何より、人がグロい感じにポンポン死んでいくってイメージが強かったから。

 

 当時0歳児だった俺は、ベビーベッドで知らない天井を眺めながら色々考えた。今後の人生設計ってやつを。

 悩みすぎて朝と昼と夜しか寝れなかった俺は、ふと気づいたんだ。

 

 あれ? サイコパスなノリで人がポンポン死ぬのってミステリー小説の世界みたいじゃね? 

 

 天啓かと思った。よくよく考えると俺の好きなミステリー小説でもバラバラ殺人、毒殺、爆殺、連続殺人などなどヤバイ人死にがデフォだった。

 

 この世界でならミステリー小説でしか見られないような面白い事件が見られるんじゃないか。

 

 そう思った時、俺の人生は決まった(生後数ヶ月)。

 

 そんで、なんやかんやあって、おぼろげな原作知識を頼りに念を修得しつつ、探偵になった。やっぱりミステリーの花形は名探偵だからね。

 俺も今年で26歳。立派なアラサーである。

 

 

 

 

 

 

 

 株式会社フェイクとやらのビルに到着した。結構大きな電子機器メーカーらしい。最近ではIT分野にも進出しているみたいだ。

 駐車場にはパトカーが何台か停まっている。だから多分ここで合ってると思う。

 

 ビルの正面玄関口に近づくと、黒髪ストレートのアメリカン(?)な女性と目が合う。ハンナだ。

 

「や! 待ってたよ」

 

 アルト調の声で快活に告げられた。少年のような声にも聞こえる。

 

「久しぶり、ハンナ。調子はどう?」

 

 見るからに元気そうだけど、テンプレ挨拶は大切……かは分からないので単なるノリである。

 

「元気元気。エヴァンもいつも通りオラついてるようで何より」

 

「いや、オラついてないってば」

 

「?」

 

「……」

 

 多分だけど、ハンナは非念能力者のわりにはオーラに対して敏感なんだと思う。だから俺が(てん)をしているだけで“なんとなく妙な存在感がある”と感じて、結果、オラついていると解釈してるんじゃないかと俺は考えてる。

 だって俺の見た目って野暮ったい痩せた男だぜ。話し方も暗い方だし、ヤンキーってより明らかにナード側だ。それをオラついてるって言うのは、見た目以外で判断してるからでしょ。だから俺は“ハンナ念に敏感説”を信じてる。

 

 オラついてないって言っても信じてもらえないのは、いつもことだから、さっさと本題に入る。

 

「それで、今回はどんな事件なんだ?」

 

 なんだかんだで俺もワクワクしてるしね。

 ハンナが神妙な顔で頷く。

 

「現場に向かいながら話そう」

 

「りょーかい」

 

 ハンナが歩きだしたので、ケツを追いかける。

 ケt……ハンナが話し出した。

 

「……ここの代表取締役──ローガン・コリンズさんが殺されたんだ」

 

「あらら」

 

 電脳ページによると、この会社は典型的な同族経営らしい。つまり役員やお偉いさんは、コリンズ家の人間で占められてるってことだ。

 で、代表取締役、簡単に言うと社長さんはコリンズ家の現当主だ……いや、「だった」か。

 ……うん。ものすごくキナ臭い。

 権力争い、お家騒動、怨恨、金銭目的。動機はいくらでも想定できそうだ。

 

 エレベーターを待ちながらハンナが続ける。

 

「場所は地下駐車場なんだけど……」

 

 歯切れが悪い。珍しいな。どうしたんだ?

 

「何か引っ掛かるのか?」

 

「うん。監視カメラの死角で殺されてて」

 

「なるほど」

 

 つっても、結構大きい会社だからカメラは色んな所にあるはず。

 

「でも、殺害そのものは撮影されてなくても、現場近くの通路とかのカメラには怪しい奴が映ってるんじゃないのか?」

 

「そうなんだけど、死亡推定時刻に付近のカメラに映ってた3人のうち、2人は否認、1人は見つかってすらいないんだよね」

 

「見つかっていない……か。外部の人間ってことか?」

 

「どうかなぁ。従業員は誰も見ていないみたいでさ。この規模のビルでそれができるってのは、如何にも怪しいと思わない?」

 

 確かに。可能性としては内部の構造に詳しい人間、つまり……。

 

「ビルの関係者が変装しているのかもな」

 

「私もそう見てる! けど誰かは分からなくて……」

 

 人目を避けて変装し、さらにカメラを可能な限り回避し、社長を殺害。その後に変装を解いて何食わぬ顔で業務等に戻る。無くはないと思う。

 

「動機の面はどうなんだ? 結構いそうだが」

 

 エレベーターを降り、地下駐車場内を歩く。警官が10人ほどいる。お疲れ様です。

 

「勿論、調べてる。一応、カメラに映ってる人物以外で1人、動機がありそうな人はいたよ」

 

「お、じゃあ、そいつが変装してた可能性もあるじゃん」

 

「それはないよ。その人、完璧なアリバイがあるから」

 

「……ふぅむ。そうか」

 

 現場に到着した。

 ハンナが警官に挨拶する。俺も会釈しとく。

 

 地下駐車場の雰囲気は、前世の日本で言うとデパートの屋内駐車場の感じかな。

 そこの地面に人型に白いテープが貼られている。遺体はすでに運び出されているね。そして血痕が地面にある。 

 

「死因は?」

 

「……撲殺、だと思う」

 

 ホント、らしくないな。いつもはもっとハキハキしてんのに。

 

「通常の遺体ではないのか?」

 

「損傷の度合いが一般的な撲殺の域を越えてるんだよね。異常に硬い鈍器と異常に強い膂力(りょりょく)がなければあり得ない感じ」

 

「……」

 

 念能力者か? いや、この世界のごく一部の超人連中なら念なんて使わなくても可能か。

 逆に容疑者を絞りやすくもあるな。そんな超人、滅多にいないし。

 

「カメラに映っていた奴やアリバイと動機のある奴は、何らかの武術の心得とかあったりは……」

 

「ないね。彼らは皆、絵に描いたようなホワイトカラーだよ」

 

 うーん。ゾルディックとかに依頼したパターンもあるかもだけど、ゾルディックならわざわざ変装なんてするかなぁ。むしろ、営業の一環とか言ってカメラに敢えて映りそうだ。あ、イルミがいるか。でもなぁ。それならミルキにカメラを潰させた方が確実だろう。

 

 ま、ゾルディックはいいや。別方面を見てみよう。

 

「カメラに映ってた2人と、動機とアリバイのある1人ってのは?」

 

「カメラに映ってたのは、2人とも社長の秘書だよ。ただ、この2人には動機がないんだよね。それで、動機のある人だけど、ここ、本社の経理部長をしているリリー・コリンズ。年齢は31歳」

 

 ん、コリンズ?

 

 俺の疑問を察したのかは分からないが、ハンナが付け加えてくれた。

 

「被害者の娘さんだよ。どうやら父親と色々と合わなかったみたいでさ」

 

「なるほどなぁ」

 

 一般家庭の親子以上の確執が形成されやすそうだもんな。金持ちも大変だ。

 

「アリバイってのは?」

 

「死亡推定時刻、というか死亡した日にはずっとヨークシンのホテルにいたらしい。ホテル従業員の証言もあるし、外出記録やホテルのカメラ映像からも間違いない」

 

 おおぅふ。そりゃ完璧だ。隙がない。

 

 ……普通ならな。

 

 確かめたい。アリバイの映像は観られるといいが。

 

「リリーが映ってるホテルのカメラ映像を今、観ることはできるか?」

 

「できるよ」

 

 ハンナが鞄からノートパソコンを取り出し、サクサクと操作する。そして、すぐに画面を俺に向けた。

 動画が再生されている。

 

 画面には髪の短い女が映っている。この女がリリーか。

 ……俺には、リリーが纏をしているように見える。

 

 つい、にやけてしまう。ビンゴだろう。

 

──『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』。

 

 俺の発──ざっくり言うと嘘に関して色々できる能力だ──により、この女の嘘が教えられる。

 

 存在自体が嘘らしい。

 

 ってことは分身か別人か、だ。分身とするなら具現化系の発になる……のか? 系統複合型だろうから系統を定義しづらいな。

 別人が変装している可能性はどうだろ。訊いてみよう。

 

「警察はこの映像の女をリリー本人と見ているのか?」

 

「そうだね。鑑識の人たちは『95%以上の確率で本人だ』と言ってるよ」

 

 ふむ。まだ断定はできないが、分身能力者である可能性の方が高いか。

 ま、いずれにしろ、リリー本人に会えば分かることだ。

 

「ハンナ」

 

「うん?」

 

「リリーに話を訊きたい」

 

「お!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、貴女はローガン・コリンズ氏が亡くなった10月12日には、ヨークシンシティにあるグリーンホテルの506号室に滞在していた、と」

 

 本社ビル内の応接室にて、リリーとお話し中だ。

 俺たちの向かいに座るリリーが肯首する。

 

「ええ。その通りですわ」

 

 パッと見、リリーは痩せ型の高身長。きれい系のルックスと相俟(あいま)ってモデルといった趣である。ちなみにオーラはきれいな(・・・・)垂れ流しだ。

 

「なるほど。当日、506号室では何をなさっていたのですか?」

 

「読書です。たまに日常から離れてゆっくり読書をするのが趣味ですの」

 

 淀みのない返答。

 まるで用意されていたかのようだ……なんてな。能力が発動しないところを見るに、この発言自体に積極的な嘘はないんだろう。俺の能力は曖昧で消極的な嘘は見逃す傾向にあるからな。

 

「そうですか。良い趣味ですね」

 

 じゃあ、今度はより限定的に確認してみよう。

 

「そうしますと、貴女は『ローガン氏を殺害していない』ということですね?」

 

 少し不自然な問いになるが、俺の能力──対象の発言等に嘘があるかを見破る──を有効活用するには、必要な言い回しだ。

 不審に思ったのか、リリーがパチパチと瞬きをする。が、すぐに肯定を口にした。

 

「勿論です」

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

 俺の脳内に電子音じみた声が響く。『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』の効果だ。微妙にシュールである。

 

 先ほどの「貴女は事件時にホテルにいたのか?」の問いに「そうだ」と答えたのが真実で、それでいて殺害したとなると、分身能力と考えるのが妥当じゃないかな。「『貴女』の範囲には『貴女の分身』も含まれている」と俺の能力は判断したから、嘘との判定は出なかったのだろう。

 一方、カメラ映像で嘘と判定したのはアリバイ性の虚偽に重点を置いた判定だったからかな。俺の能力も完全無欠じゃないからなぁ。

 

 閑話休題。

 

 以上から事件の真相を推理すると、リリーが遠く離れたヨークシンのホテルに分身を送り、アリバイ工作をする。そして本体は本社にて変装し、カメラを可能な限り避けつつ、犯行に至った。おそらくは殺害時にオーラを使い、といったところか。これは本社内の構造に詳しいとした犯人像とも矛盾しない。

 

 ……よし。やるか。

 

「ところで、リリーさんはご結婚はしているのですか?」

 

「……え、いえ、独身ですわ」

 

 突然の話題転換に驚いている。すまん、質問内容に意味はないんだ。これはハンナに対する合図だからね。

 俺の隣に座るハンナが口を開く。

 

「申し訳ありません。所用がありますので、私は席をはずさせていただきます」

 

「……あら、そうですか。分かりましたわ」

 

 ハンナが応接室を後にする。

 

 ハンナには「リリーと2人だけで話す必要があるかもしれない。その時はリリーに『リリーさんはご結婚はしているのですか?』と質問する」とあらかじめ伝えてある。

 これでも俺はハンナから信用されているから、こんな我が儘も聞いてもらえる。実際、似たようなパターンで事件解決ってことが何度かあったからね。

 

 さて、応接室には俺とリリーだけだ。ぶっちゃけていこう。

 

──練。

 

 リリーの顔色が変わる。垂れ流しを偽装していたオーラが乱れ出した。

 

「あんたも使えるんだろ?」

 

「……なんのことでしょうか」

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

 惚けちゃって。

 

「分身能力に向いてる得意系統ってなんなんだ? バランスを考えると操作か特質かな。なぁ、どう思う?」

 

「……意味がよく分かりませんわ」

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

 リリーのオーラが(わず)かに乱れる。ただ、まぁ、表情を上手く取り繕っている点は素直に凄いと思う。

 

「『分身能力でアリバイ工作をし、本体が殺害を実行した』。違うか?」

 

「……」

 

 リリーは答えない。外面だけなら穏やかなものだ。若干、脂汗が滲んでいるが。

 

 ふっと、練を鎮める。場が少し弛緩する。

 

「ま、いいや。答えたくないなら無理にとは言わないよ」

 

「……?」

 

 俺の変化に戸惑ってらっしゃる。

 

「ただ、もう1つ気になることがあるんだ」

 

「はぁ、何でしょうか」

 

 ちょっとした疑問ではあるけどね。

 

「リリーさんはどこで念能力を身に付けたんだ?」

 

 ハンナ曰く、リリーは生粋のホワイトカラー、つまり頭脳労働担当で武術とかには縁のない人物とのことだ。勿論、ハンターでもない。

 そんな人間がオーラの垂れ流しを偽装できるレベルで念能力を身に付ける確率はどのくらいだろう。相当低いんじゃないか?

 だから(いささ)か不自然な気がするんだ。

 

「……申し訳ありません。先ほどから何のことか分かりませんわ」

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

 あくまでもシラを切り通すか。

 

「リリーさんに念能力を教えた人間がいるんじゃないか? 対価はそうだな……。リリーさんがこの会社の実権を握り、会社単位でその人間に従うこと……とか?」

 

 要はリリーに恩を売り、会社と良い関係(・・・・)を築きたいって感じ。明確な根拠のない、妄想みたいな推理だけどな。

 

「……」

 

 沈黙か。正解。今の訊き方に対する対処法としては悪くない。あくまで俺の能力回避という点に限って言えば、だが。

 

「ところで、リリーさんにはこれからハンター協会の刑事事件担当部署の捜査が入る。そこでは能力を用いた何でもありの尋問がなされる。はっきり言って、抗うことは不可能だ。変に抵抗するより素直に喋った方がマシだぜ?」

 

「……」

 

 念能力を使った犯罪の疑いがあれば、ハンター協会が動く。蛇の道は蛇ってね。

 

「それに、リリーさんと会社を利用しようとした人間がいるなら、失敗したリリーさんが情報を漏らす前にリスクを消そうとするんじゃないか?」

 

 つまりリリーは殺されかねないってことだ。

 リリーの表情が崩れた。恐怖と……憎しみだろうか、複雑な顔だ。

 

「私はどうすれば……」

 

「ハンター協会に自首するんだ。そうすれば念能力者用の刑務所に行くことになるだろうが、そこならプロハンターが常駐して警備してる。殺される危険は限りなく低くできる」

 

 この国に死刑制度はないから法律により死ぬことはない。

 リリーがため息をつく。色々と(こも)ってそうだ。

 

「……分かりました。全てお話ししますわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 リリーの語った内容は俺の推理()と一致していた。

 話を聞いた後、リリーはハンター協会に引き渡した。対応してくれたのはミザイストムとかいう牛だ。……冗談は置いといて、知り合いだから電話でお願いしたんだ。持つべきは権力のある知り合いだね。

 

「それにしても幻影旅団か」

 

 ハンター協会からの帰り道でポツリと呟く。

 リリーに念を教え、会社を利用しようとしていたのは、幻影旅団を名乗る童顔の男だったらしい。聞いた限りではシャルナークっぽいが、どうだろうか。

 使い勝手のいい、情報分野に強い駒が欲しかったとするなら一応の納得はできる。操作系能力による従属よりも、明確な人格、思考能力を残したままの方がなんだかんだ部下としてはいいからな。

 

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

「うん、うん。そうなんだよ。失敗しちゃったみたいでさ」

 

 株式会社フェイク本社ビルから数キロほどの位置にあるビジネスホテルの一室、童顔と評された男──シャルナークが携帯で話している。

 

「いけると思ったんだけどなぁ。賭けは……」

 

 賭け。

 今回の一件は仲間内での娯楽の側面も多分に含まれていた。シャルナークは成功に賭けていたから負けである。

 上手くいくと思ったのになぜ失敗したのか。怪しいのは……。

 

「あー、うん。ハンター協会にいる知り合い(・・・・)によると、ベーカーとかいう私立探偵が連れてきたらしい。……そう、警察でもハンターでもない」

 

 エヴァン・ベーカー。

 聞かない名だ。しかし念能力者ではあるらしい。アマチュアハンターだろうか。

 

「……え、会ってみたい?」

 

 電話越しに幼なじみが「そいつを見てみたい」と言い出した。この幼なじみは、案外、気まぐれなところがあるからシャルナークに驚きはそれほどない。

 

「探偵事務所に行けば簡単に会えると思うけど……」

 

 その後、幾つか仕事の会話をし、通話を終える。

 

「ふー、なんか疲れた」

 

 シャルナークはイレギュラーな事態があまり得意ではない。合理的かつ計画通りに物事が進んでくれないと、なんだかモヤっとするからだ。

 

 窓から覗く空は秋晴れ。

 どうなることやら。

 

 




こういったハンタ2次に需要はあるのだろうか……。


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クロロと本と海賊 [前編]

 

 ガヤガヤと中途半端に混雑しているカフェのテラス席で、アイスティを口に運ぶ。

 冷たくて美味いが、週末には来たくないな。平日でここまで混んでるとなるとな。

 しかし、俺の向かいに座る男──ミザイストムにそれを気にした様子はない。

 

「いい加減ハンターライセンスを取ったらどうだ? 便利だぞ?」

 

 ミザイがコーヒー(?)片手に言う。ブラックコーヒーを頼んでミルクをたっぷり入れるスタイルは理解に苦しむ。

 

「うーん、俺って身体能力は低いぜ? ハンター試験はちょいキツいんだよ」

 

 特質系だしな。ハンターハンター世界で探偵をやるための最低限の嗜み(・・)はあるが、それだけだ。原作の戦闘要員には大体負ける、発を使わなければ。

 

 ミザイが疑わしそうに俺を見る。なんだよ。男に見つめられても嬉しくないぞ。

 

「お前がそう言うなら俺は無理強いできないが……」

 

 尻すぼみになる。

 

「お前を派閥に引き込みたい人間が──」

 

「ちょちょちょーっと待て。マジなの? だって俺、アマチュアハンターですらないただの探偵だぜ?」

 

 おい「何言ってんだ、こいつ」って顔やめろ。

 

「その言い訳は無理があるぞ」

 

「……」

 

 現実逃避は許さない系プロハンターの牛である。

 

「一部の幹部がお前の能力に利用価値を見出だしている」

 

 当然のように能力バレ笑。泣きてぇ。

 

「どうせ目をつけられているなら、自分から歩み寄って、なるべく有利な立ち位置を勝ち取った方がいいのではないか」

 

「それはそうだが……」

 

 実に弁護士らしい思考だ。

 ただ、なんとなくハンターという地位に収まりたくないんだよなぁ。せめて肩書きだけは純粋な探偵でありたい。やってることが本格ミステリーの要素皆無な分、形式くらいはって感じ。

 くだらない拘りだけど、人生にはそういうのも必要だと思う。合理的なだけなんてつまらない。

 

「で、その引き込みたいとかいう変わり者は誰なんだ?」

 

「一番厄介なのはパリストン・ヒルだろう」

 

「うわぁ」

 

 ドン引きである。

 というか……。

 

「ミザイは親会長派だろ。俺が敵になってもいいのか?」

 

「良くはないが、俺の都合とお前の利益を切り離して考えた結果だ」

 

「……そりゃあどうも」

 

 人間できてんなぁ。俺とは違うわ。だが。

 

「すまん。それでもハンターはちょっとな」

 

「そうか」

 

 微妙にしょんぼりして追加でミルク入れやがった。もはやコーヒーではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 事務所に戻り、お気に入りのミステリーを読んでいるとドアベルが鳴らされた。来客のようだ。

 依頼かな。でも電話連絡もなしにいきなり来るのは少し珍しい。全く無いわけじゃないけどな。

 

 ドアを開ける。

 

「こんにちは。ご依頼の方でしょうか」

 

 ん……? なんか見たことあるような……。

 

「ああ。少しばかり変わった依頼だが、話を聞いてもらえるか?」

 

 来客は男女2人組。そのうち、好青年然としたヘアバンドの男が言った。

 

「……入ってください。お話を伺いましょう」

 

 2人に狭い事務所のくたびれたソファを勧める。

 

「今、お飲み物を用意しますのでお待ちください」

 

「いらないわ。それよりも」

 

 今度は鷲鼻の女性が、トゲはないが、はっきりとした口調で言った。

 

 ……。

 

「分かりました」

 

 そう言って、俺もソファに座る。

 それにしても、長身の鷲鼻女に、ヘアバンドの好青年か……。幻影旅団、だろうか。実際に見たことはないから確信は持てないな。ただ、オーラの質が色んな意味でヤバい。こんなオーラの奴がそこらにいて堪るか。

 仮に幻影旅団だとして何が狙いだ? リリーの件で目をつけられた? しかし敵対的な雰囲気ではない。分からないな。

 

「それで、変わったご依頼というのは?」

 

 とりあえずは依頼とやらを確認だ。

 鷲鼻の女性がビジネスバッグから一冊の本を取り出す。オーラが込められている。

 おいおい。いきなりそんなもん出して危ない奴らだな。初対面の念能力者同士の場で、オーラが込められたアイテムを断りもなく出すのは普通にマナー違反だ。人によっては即攻撃もあり得る。まぁこいつらなら余裕で対応できそうだが。

 念のため凝で見てみるが、不審な点はない。

 本のタイトルは『チャーリー時々大海賊』。作者はジェームス・ジャクソンとある。

 ヘアバンドの男……クロロ(仮)が説明を始める。

 

「この本はパドキア共和国にある国立博物館に展示されていた物だ」

 

 おい。盗んだことを隠す気がないのか? いや待て決めつけるな。幻影旅団じゃないかもしれないし、適法な手段で占有に至ったのかもしれないじゃないか。……なんてな。

 

「……」

 

 クロロ(仮)が無言で見つめてくる。深海のような目だ。

 

「どうしました?」

 

「……いや、何でもない」

 

 観察されてるんだろうな。お互い様だから別にいいけどね。

 

「クロロだ。こっちはパクノダ」

 

 ん。ほぼ確定か。というか名前を偽らないってことは……。まぁいいや。

 

「これは失礼。私はエヴァン・ベーカー。しがない私立探偵です。それで、こちらの本はどういったものなんです? 芳ばしいオーラが付加されてるように見えますが……」

 

「詳しいことは俺たちにも分からない。ただ、このオーラだ。何かあると思って手に()ってみたんだ。内容はチャーリー・テイラーという海賊が主人公の、三人称で綴られた1602年ころの海洋冒険小説なんだが……。前書きを見てくれ」

 

 パクノダが本を開き、俺に差し出す。

 これがヤバい能力の発動条件だったら詰むね。一応、能力無しの印象では、ここまで積極的な嘘はないように見えるけど、相手が相手だからな。普通に恐い。ま、見るけどね。リスクに飛び込まないと愉快なリターンは手に入りにくいし。

 パクノダから受け取る。指、細いなぁ。

 

 前書き部分には一文のみ。

 

“この本には一つだけ嘘がある”

 

「嘘、ね。込められたオーラの重さを考慮するならば、その嘘を見破ると何かが起きそうですね」

 

「ああ。俺もそこが気になっている。そこで嘘を探したんだが……」

 

「発見、あるいは確信には至らなかった、と」

 

 クロロが頷く。

 

「最初は叙述トリックの類いかと考えたが違った。この小説は構成、伏線がしっかりとしたストレートな冒険小説だった。叙述トリックが入り込む余地は無い。作品として厳格にまとまっているから、どこかに何らかの嘘があるとすると作品として破綻してしまう」

 

 ほー。それはそれは。

 

「だったらこの前書き自体が嘘なのかと思ったが、それを確かめる方法が無くてな。それにそう()じても特に変化は現れなかった」

 

「……」

 

 まさかとは思うけど、俺の能力がバレてるってことはないよね? 流石にないよね? この依頼、単なる偶然だよね? 

 ……果てしなく不安である。

 

 クロロが俺を真っ直ぐに見る。視る。

 

「俺たちの依頼はこの謎の解明だ。受けてくれるか?」

 

「……勿論。お任せください」

 

 面白そうだし。リスクより好奇心。目の前のミステリーには食いつかないといけない! っつー使命感(笑)。

 

 それに「依頼」により制約クリアだ。これで探偵業の依頼達成に必要な範囲で、全ての発が使用可能になる。

 早速、嘘発見器(笑)を発動する。

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

 ニヤッと笑ってしまう。あのクロロが分からなかったナゾナゾでも瞬殺だぜ? 結構凄いと思う。……能力の相性が良かっただけだけど。

 

 俺の目には、前書きにも本文にも一切の嘘が無いように見えている。

 そう、一切の嘘がない物語なんだ。つまりこれは単なる娯楽小説ではない。フィクション(嘘)ではなく実話。日記や手記が近いだろうか。

 さて、日記(手記)で作者名と主人公名が一致していないなら、そういうことだ。つまり本文に嘘がない以上、作者名が嘘ということになる。一応、日記でも作者名=主人公名でないパターンも想定できなくはないが、今回はストレートな形式が本来の形だったようだ。

 

「分かりましたよ」

 

 クロロの眉が僅かにぴくりと動く。パクノダも似たような反応だ。2人ともポーカーフェイスがお上手なことで。

 

「……答えは?」

 

 クロロが愉快そうに問うてきた。

 どや顔してやろう。

 

「作者名が嘘です。作者の本当の名前は、おそらくはチャーリー・テイラーでしょう。この本は小説ではなく、日記や手記の類いの実話かと思います」

 

「……根拠は?」

 

 もう能力によるものってほとんど確信してるくせにー。

 

「クロロさんの能力を詳しく教えていただけたら、私もお教えしますよ?」

 

「……」

 

「……ふふ」

 

 パクノダが上品に小さく笑う。

 でもなんかどことなく魔女っぽい。実は毒リンゴとか具現化できるんじゃ……。食べるとランダムで記憶が無くなるみたいなやつ。こっわ。

 

 そんなくだらないことを考えていると、突然、本からオーラが噴き出した。

 

──練。堅。凝。

 

 全員が瞬時に警戒態勢に入る。しかし──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 木、木、木。

 

 転移したのか……?

 

 俺たちの警戒なんて無意味だと嘲笑うかのように、一瞬で森? に全員仲良く移動させられたみたいだ。ヤッバ。

 

「……クロロさんは何か知ってますか?」

 

 辺りを油断なく、しかしどこか愉快そうに見ていたクロロに訊く。

 

「悪いが何も知らない」

 

「私もよ」

 

 嘘は無いか。

 

「……困りましたね」

 

 空高く、魔獣らしき鳥形のシルエットが金属音的鳴き声(?)を上げている。確かあの魔獣、長寿種の希少なやつだ。ほわぁ、実物は初めて見た。

 ボヤッと救助を待ってても助けは来な……あ、クロロの愉快な仲間たちならワンチャンあるかな。

 だが……。

 

「せっかくだ。少し調べる」

 

 何が、せっかくなのだろうか? クロロは移動をご所望のようだ。スタスタと歩き出した。

 

 何とはなしにパクノダへ顔を向けると目が合った。互いに、クスリ、と笑い、クロロを追いかける。

 



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クロロと本と海賊 [後編]

 暫く探索した後にクロロが結論を出した。

 

「おそらくここは『チャーリー時々大海賊』に登場した赤虫島(あかむしじま)、もしくはそこの類似の島だ」

 

 ほー。なるほどー。

 クロロが理由を続ける。

 

「樹木、昆虫の種類、山の形状が作中の描写と完全に一致している」

 

「……帰る手段はあるんですか?」

 

「現時点では無いな」

 

「そうですか……」

 

 クロロがストックしてる能力に何か都合のいいやつないんか。でも嘘発見器(笑)は反応してないしなぁ。

 

「だが、収穫はあるかもしれない」

 

 クロロが静かな猛禽類を思わせる声音で言った。

 収穫ねー?

 

「海賊の宝でもあるんですか?」

 

「小説にはそう記述されていた。ここにもあるかもしれないと思わないか?」

 

「まぁ、確かにそうですね」

 

 いかんな。なんだか敬語が崩れてきた。一応、初対面の依頼人だから気をつけないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 小説に従い、宝の在りかとかいう洞窟にやって来た。

 ホントに小説の通りだ。ファンタジーっすね。ハンターハンターも現代(ダーク)ファンタジー風バトル漫画と言えなくもないから、おかしくはないか。少年漫画だしな。

 

 クロロが無言で洞窟に入っていく。

 一緒に居て、しみじみと感じたけど、クロロは基本的に無口だ。そしてパクノダも。で、俺もそんなに喋るほうじゃないから、この即席パーティーは静かなものだ。俺は嫌じゃないが、人によっては空気が悪いと感じるかもしれない。

 

 クロロがペンライトを持っていたみたいだ。それだけの光があれば俺たちには十分。凝を怠らず、警戒しつつ洞窟を進むとすぐに行き止まりまで到達した。

 分かりやすく宝箱が一つある。いかにも、だ。怪しいと感じる俺はマトモだと思う。

 

「罠、でしょうか?」

 

「さぁ、どうだろうな」

 

 流石に分からんか。

 

「だが仮に罠だとしても、ここまで来て手ぶらで帰りたくはない」

 

「それは同感です」

 

 俺も成果が欲しい気持ちはある。

 クロロが徐に宝箱に近づくが、それにパクノダが待ったを掛ける。

 

「待って。私が開けるわ」

 

 クロロが止まり、頷く。しかし今度は俺がパクノダを止める。

 

「いや、私が行きましょう。拡大解釈すればこういうリスクを負うのも依頼に含まれています。まぁ、サービスですね」

 

 2人が面白いものを見る顔に……なっている気がする。

 マジでポーカーフェイスすぎて分かりにくい。カジノに行くか、ピッチャーやったほうがいいんじゃない?

 

「そうか。では頼む」

 

「はい」

 

 ……とかなんとか真面目な探偵(笑)を装ってるけど、宝箱に対して嘘発見器(笑)が反応しないことから多少の勝算はある。宝箱が本物かつ罠である可能性もあるけど、本物である事実が一定のリターンを約束してくれてるからね。それなら2人からポイントを稼いで依頼料に反映させたい。

 

 特に鍵は掛けられていないようだ。宝箱を開けると、中にはシンプルな短剣が一つ。ただしオーラがヤバい。なんか魔界の剣ですって言われても納得するレベル。正直ちょっと触りたくない。呪われそう。

 でも威勢のいいこと言っちゃったし、やらないわけにはいかない。できるだけ手にオーラを集めて取り出す。

 

 手にした短剣から赤黒いオーラが滴っている。

 

「おー、強そう」

 

 あ、つい素が出ちゃった。

 

「ほう……」

 

 と、クロロが感嘆し。

 

「……っ」

 

 パクノダが息を呑む。

 

 一応、持ったからといって何か俺に悪影響があるわけではないみたいだ。勝ったな。

 

「どうします? 今、お渡ししますか? それとも帰るまで私が持ってますか?」

 

「帰還まではエヴァンが使ってくれ」

 

「了解しました」

 

 見た目で俺が一番弱そうだから装備で強化しとくか、とか考えたのかな(笑)。正解だよ。基本的にパクノダとどっこいどっこい。むしろ若干負けてるまである。戦闘向きではないからね、うん。

 つーか、特質オンリーのパーティーってめちゃくちゃバランス悪いな。補助型魔法使いのみの編成的な。なお、約一名は何でもできる模様。

 

 さて、洞窟を引き返しますか。

 

 

 

 

 

 

 

「よう。短剣(そいつ)は気に入ったかい?」

 

 洞窟を出ると、1人の男が軽い調子で話し掛けてきた。

 

「!?」

 

 俺たちの警戒レベルが急上昇する。気がつけばクロロは本を、パクノダはリボルバーを手にしている。

 男は、フロックコート、あるいはキャプテンコートと呼ばれるものを着こなしている。顔には十字の傷。とっても海賊っぽい。明らかに堅気じゃねぇや。

 そして、一目で超一流の念能力者だと分かる濃密で洗練された堅。……そう、“堅”だ。いきなりそんな臨戦態勢で来られたら警戒もするというもの。

 

 緊張感が場を圧迫していく、が──。

 

「はっ。何をビビってんだ。あんたらもかなりヤるくせによ」

 

 コートの男はどこまでも軽妙な口調だ。

 それはいいんだけど、俺をこの2人と同じと思わないでくれ(格下的な意味で)。

 

「……何者だ」

 

 クロロが問う。純粋な質問というより単なる確認だろう。

 

「あんたらが考えてる通りさ」

 

「……」

 

 男が笑う。

 

「チャーリー・テイラー。退屈してるただの男だよ。つーわけでちょっと戦お(あそぼ)うぜ?」

 

 チャーリーのオーラが爆発的に増加する。

 嫌な汗が背を伝った。

 堅だと思っていたのは単なる纏だったということか。なんて奴だ。オーラ量の次元が違う。

 

「!?」

 

 すぐ横から強烈な音。

 パクノダが殴られた音だ。肉体同士の衝突した音とは思えない。

 パクノダが吹っ飛ばされる。

 

 クロロが放つ圧が増す。しかしチャーリーは何の脅威も感じていないのか、飄々とした顔のまま。

 

「……仕方ないか」

 

 クロロでも確実に勝てるか分からない雰囲気だし、そもそも俺に矛先が向いたら終わりだ。その前に1枚カードを切る。

 

──『嘘は真実(リバース)・身体能力』発動。

 

 能力発動により攻撃的なオーラが溢れ、肉体が戦闘用に作り替えられていく。

 

 この能力は「ぼくのかんがえたさいきょうのしんたいのうりょく」という「嘘」を3分間だけ真実に変えるものだ。3分が過ぎると一定時間、絶になる超短期決戦用の発。

 

「っ! おいおいおいおい、こいつはすげぇな」

 

 チャーリーが驚きと悦びが混じった声で言う。少しくらいビビってくれてもいいのに、全然そんな素振りはない。やだやだ。

 

 ……あーあ、戦いたくないなぁ。

 

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

 雲、あるいは蜃気楼だろうか。

 

 エヴァンを見て、クロロが最初に思ったのはそういった感想だった。

 立ち振舞いからある程度は動けそうだし、纏もそつなくこなしている。悪くはない。しかし何か特筆すべき点は具体的には分からなかった。

 それでも不可思議な魅力を感じたのは、掴み所のない何とも言えない雰囲気があったからだろう。

 

 クロロはとりあえずは自身を納得させ、僅かな期待と大きな気まぐれでもって、本の謎に関する依頼を出してみた。

 

 結果、エヴァンが見せたパフォーマンスはクロロに興味を持たせるに十分すぎるものだった。

 

 面白い。

 

 蒐集家(しゅうしゅうか)の前に獲物が現れたのだ。気分も良くなる。

 

 エヴァンのこれは十中八九、発によるもの。系統は? 効果と制約の詳細は?

 

 やや念能力マニアの気があるクロロは、ポーカーフェイスの裏で目まぐるしく考察を開始する。隣に座るパクノダから呆れたような雰囲気を感じたが、どうでもいいことだ。

 

 そして──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 エヴァンから“覇気”とでも呼称すべき鋭すぎるオーラが溢れ出す。

 

「!」

 

 これは……!

 

 流石のクロロもエヴァンの変化には驚愕を隠せない。

 旅団にいる強化系連中を上回るであろう敵──チャーリーを名乗る男にパクノダがやられた。どう対処するか、何を使うかを思考していたら、どうやらエヴァンが本性を現した(カードを切った)ようだ。

 

 エヴァンがチャーリーから視線を外さないまま、話し掛ける。

 

「クロロさん。私が前衛をやります。できればサポートをお願いします」

 

 なるほど。純粋な戦闘用能力。フィジカルに優れた相手に対して同質の力で当たる選択をしたか。それもいいだろう。……特に俺がいるなら。

 

「わかった。掩護射撃を担当しよう」

 

 承諾し、盗んだ能力を発動させる。空中に水晶が7つ顕現する。

 クロロは準備次第で何でもできるが、系統は特質。純粋なパワーはそこまでではない。立場もある。そうそうリスクの高い前衛をしたくはないから、エヴァンの申し出は正直ありがたい。

 

 準備は整った。

 

「……それがあんたらの本気かい?」

 

 チャーリーの問いにエヴァンが落ち着いた口調で答える。

 

「クロロさんについては分からないけど、私はガチ全力だ、よっ!」

 

 エヴァンが消える。否、そう錯覚するほどの速攻。しかし──。

 

「っつー! いってぇな、っと」

 

──チャーリーには対応可能レベル。

 ガードから返しの殴打。かわしたものの、エヴァンの顔が若干曇る。ガードされるとは思っていなかったのだろう。

 クロロから見ても、エヴァンとチャーリーは超一流強化系クラスの動き、の更に一段上。体術──技術に自信はあるが、ついていくのは少しばかり骨が折れそうである。やはり能力の選択は正解だった。

 

 浮遊する全ての水晶から光線が放たれる。

 

 この能力はシンプルにこれだけだ。だが、シンプル故に強いし、使いやすい。

 

「うぉっ!」

 

 チャーリーは軽い調子で回避するが、そこへエヴァンが間髪入れずに襲い掛かる。

 

 重い衝撃音。攻撃がヒットしたのだ。

 

「ぐっ……」

 

 ようやくダメージが入ったようだ。一気に畳み掛けようと、クロロとエヴァンが苛烈に迫る。

 初対面で連携など本来はできないはずだが、クロロが上手く合わせている。巧みな援護にエヴァンも随分とやりやすそうだ。

 上手い流れを作れた。これならばチャーリーが相手でもなんとか勝利することができるかもしれない。

 

 そして1発、2発とヒットしていき、その時は訪れた。

 

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

 俺の拳がチャーリーを弾き飛ばす。確かな手応え。ダメージを期待してもよさそうだ。次いで、水晶からビームが殺到し、ジュクジュクと肉の焼ける匂いが立ち込める。

 静寂。

 ……決まったか。 

 

「ふぅ」

 

 肉体がいつもの状態に戻っていく。そして精孔が閉じられた。

 この制約による絶は……なんというか、雑だ。隠密行動にはお粗末、でも纏には到底及ばない。要するに非常によわよわ影うす君になる。なので早く帰りたいです。死んでしまいます。

 というわけでクロロにお願いしよう。早く帰還方法見つけてくれ。

 

「クロロさ」

 

「! まだだ」

 

「っ!?」

 

 チャーリーからオーラが立ち昇る。

 

「ふー、派手にやられたなぁ。やるねぇ」

 

 ユルい口調は当初から全く変わらず。ニヤニヤしやがって。

 あー、ヤバいな、これ。見た感じ、スタミナの消耗以外のダメージは無い。つまり致命傷から無傷になるクラスの回復手段があるってことだ。

 

「クロロさん。制約上、俺はこの状態(ヘタな絶)でしか動けません」

 

「……なるほど。では下がっていろ」

 

「申し訳ありません」

 

 クロロが前に出て、チャーリーと対峙する。すまん。

 

 クロロならイケるかもしれないが、しかし準備なんてしていない状態で回復持ちのフィジカルエリートに勝てると断言はできないはずだ。

 

 だが頼みの綱は原作最強の一角(クロロ)だけ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロロとチャーリーの戦いは終始、チャーリーのペースで進められている。なんせチャーリーは傷を負ってもすぐに回復してしまう。オートリジェネってか。クロロから諦めは伺えないが、しかしマズイことに変わりはない。

 

「……」

 

 少し気になることがある。

 それはチャーリーの年齢だ。あの本は1602年ころのものらしい。それならチャーリーは約400歳ということになる。確かにそれくらい生きる手段はあるだろうが、それほど多くはない。というか、めっちゃ少ない。

 それともう1つ、引っ掛かってることがある。

 

「おらおら、大分辛そうだな? もう終わりかい?」

 

「……」

 

 疲労でクロロの動きが少しずつ悪くなってきている。このままでは……。

 

 もう1つの疑問点は小説を偽装した日記が、一貫して三人称で描写されていたことだ。三人称だけなら別にいいんだけど、問題はチャーリーが居ない場面も描かれていて、かつ俺の嘘発見器(笑)が一切反応しなかった点にある。

 つまり、チャーリーは自分が不在の場面も、真実を正確に認識していたことになる。

 人から聞いたりすればある程度は分かるかもしれないけど、クロロ曰く、チャーリーが不在のシーンはかなりの数で、誰も居ないはずの場面すらあるらしい。真実を描写し続けるのは普通ならば無理があるよな。

 

 俺が思考する間も戦いは進行する。

 

「……っ」

 

 ついにチャーリーの打撃がクロロを捉える。巧く打点をずらしたようだが、一定のダメージはあるはずだ。ポーカーフェイスは相変わらずだが……。

 

「……」

 

 もしかしたら、という推理のような何かに従い上空へ視線を向ける。晴天に……先ほど見た鳥型魔獣が飛んでいる。

 

 このままではじり貧だ。試してみてもいいよな。

 

 そそくさと移動を開始する。別に逃げているわけじゃないよ、ホントダヨ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いた」

 

 俺が逃げ出し……じゃなくて移動したのはパクノダを探すためだ。

 パクノダは木に背を預けて体力の回復に努めていた。良かった。

 

「あの男は?」

 

「クロロさんが戦っています。しかし……」

 

「厳しいのね」

 

「はい」

 

 パクノダの表情に悲痛なものが混ざる。

 

「ですが『もしかしたら』という手段はあります」

 

「! それは一体……?」

 

「そのためにはパクノダさん、貴女の協力が必要です。お願いできますか?」

 

「ええ、それは勿論」

 

「ありがとうございます」

 

 さて、上手くいくかな。いけばいいなぁ。いってくれないかなぁ。

 

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

 強い。

 

 チャーリーに対してクロロは純粋にそう思う。肉弾戦に限れば過去最強の敵と言っても過言ではないだろう。

 

 チャーリーの連打になんとか対処していくが、幾つかは貰ってしまう。クロロも体術に自信はあるが、如何せん肉体スペックに差がありすぎる。それでも渡り合っているのは、クロロの技巧が優れている証左ではある。

 しかし戦況は芳しくない。手持ちの能力では一定の犠牲を払わなければ勝利はあり得ない。だから分の悪いことを承知で体術メインの戦いをしてきたが、現実はこれだ。続けても敗北。ならばやることは1つしかない。

 

 あまりやりたくはないが、やらざるを得ないか。

 

 クロロがデメリットを受け入れる決断をしたその時、空を裂く銃声が鼓膜を震わした。

 

 ……パクノダか? しかし何故……。

 

 パクノダはリボルバーを具現化し、通常の銃として攻撃に使うこともある。戦闘要員ではないので頻度は少ないが、そういう手段も持っているのだ。

 分からないのは、何故このタイミングでそれを使ったのか。

 そして──そして何故チャーリーが膝をついているのか。銃弾がチャーリーに命中したわけでもないのに。

 

「ぐぅっ……!」

 

 チャーリーが苦し気に(うめ)く。

 先ほどまではすぐに回復していたのに、それをする素振りはない。そもそも動くことすらきつそうだ。

 

「クロロさん」

 

 エヴァンが戻ったようだ。

 

「どうやら上手くいったみたいですね」

 

 この現象はエヴァンが意図したものらしい。クロロが肩の力を抜く。しんどー。

 

「どういうことだ? 何故チャーリーは急に瀕死になった?」

 

「あー、それはですね、チャーリーの能力を推理して上手いこと攻略できたからですよ」

 

 チャーリーの能力。回復系能力ではないのか?

 

 エヴァンが若干のどや顔で続ける。

 

「クロロさんは、日記という形式でチャーリー不在のシーンが正確かつ断定的三人称で描写されていることを不思議に思いませんでしたか?」

 

「……少し違和感はあったが」

 

 当初は単なるフィクションだと考えていたから疑問は感じなかったが、日記と聞いてからは確かにおかしいとは思っていた。

 

「そこで私は、最初、チャーリーの能力を『カメラを付けたラジコンヘリ』のように『視点を飛ばすもの』と仮定していました」

 

「しかしそれでは」

 

 これほど高レベルな回復能力との併用は非現実的だ。クロロのような能力ならば可能だが、そういったタイプは極めて稀。可能性は低いだろう。

 

「ええ。回復能力と矛盾……しているように見えます」

 

 含みのある言葉。

 

「……道中、クロロさんが語ったこの島の生物に長寿種の鳥型魔獣はいませんでしたよね。しかし、空にはいないはずの鳥型魔獣がいます。そしてチャーリーの日記が世に出たのは1602年。ということは、この男が通常の寿命を逸脱した存在である可能性が発生してしまいます。本人であればですが」

 

「……」

 

「私も確信があったわけではありません。ですが全否定する気にもなれませんでした」

 

 地面に倒れ、動かなくなったチャーリーを眺めながら、エヴァンが説明を紡ぐ。

 

「私は思ったのです。『チャーリーの能力は、長寿種の鳥型魔獣と命を共有するもの』ではないか、と」

 

「!」

 

 つまり、視界ないし記憶の共有はその副次的効果……!

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 クロロが驚愕するも、エヴァンは平静な口調を崩さずに続ける。

 

「『命のメインは鳥型魔獣にあるのかもしれない』と愚考しました。チャーリーに致命傷を与えてもすぐに回復してピンピンしている点や本来の寿命の比率から、そんな風に希望的観測を持ちました」

 

 エヴァンが「希望的観測」という言葉を用いたのは、違ったパターンも十分にあり得ると考えていたからだ。

 鳥型魔獣メインではなく、持分が半々の共有かもしれないし、チャーリーメインかもしれない。あるいは完全に一心同体の可能性もあった。

 

 ただ、状況が状況なだけに曖昧な可能性に賭けてでも、とりあえず行動するべきだった。エヴァンはそう判断した。

 

「そしてパクノダさんがリボルバーを具現化していたので、それを使用した狙撃を思いついたのです」

 

 通常、リボルバーの有効射程距離は長くても50メートル程だが、パクノダのオーラによる周で強化し、距離の問題は強引に解決させた。

 どちらが撃つかで迷ったが、引き金を引いたのはエヴァンだ。パクノダがダメージから命中精度に自信が持てないと主張したのだ。

 エヴァンも射撃は大得意というわけではないが、それなりにはできる。絶状態とはいえ、一応は超人たる念能力者だ。当てる確率は0ではない。

 果たして、高度100メートルを飛行中であった鳥型魔獣の頭を撃ち抜くという離れ業をやってのけたのである。実力3割、幸運7割といった具合だったが結果が全て、成功は成功だ。

 

 メインである鳥型魔獣が絶命したことでチャーリーも死に向かわざるを得なくなった。それが突然、チャーリーが瀕死になった、いや、死亡した真相。

 

 エヴァンの話を聞き、クロロの心裏になんとも形容し難い高揚が生まれる。近いのはレアで有用な念能力を見つけた時、あるいは波長の合う本と出会った時か。いずれにしろ悪い感覚ではない。いや、いい感覚だ。

 

「私の推理が当たっていたようで良かったです。私には(・・・)もう打つ手がありませんでしたからね」

 

「ふふふ」

 

 とうとうクロロのポーカーフェイスが崩れる。だがそれもやむ無しだろう。このエヴァンなる私立探偵の口ぶりからは、クロロの手札──発に一定の推理あるいは情報を持っていることが読み取れる。

 

──本の真相を見破る念能力、(厄介な制約があるとはいえ)強力な戦闘力、狙撃能力、推理力、情報収集能力。これほど有能で興味深い人間はなかなかいない。

 

 実際はクロロが考えるよりは優秀でないのだが、少なくともクロロにはそう思えた。

 

──欲しい。この男が欲しい。

 

 盗賊クロロの本質的欲望が暴れ出す。

 

 エヴァンは危機が去って安心した顔をしているが、目の前に新たな危機が生まれてしまった。幸か不幸か本人は気づいていない。

 

 ここでまたしても突然に転移が起こる。チャーリーと鳥型魔獣を倒したことがトリガーだ。

 三人の視界が切り替わった。

 

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

 事務所に戻ってきたみたいだ。クロロとパクノダもいる。

 よかったぁー。下手くそ絶状態で無人島(?)とか勘弁だったから助かったよ。

 

「パクノダさん、応急措置は要りますか?」

 

 一応、簡易的な道具はある。ハンターハンター世界だからね、多少は準備している。

 

「ありがとう。でも大丈夫よ」

 

「そうですか、分かりました」

 

 拒否られたので素直に引き下がる。

 

 さて、では戦闘も終わったし、銭闘開始といきますか。

 

「今回の依頼料ですが──」

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

 エヴァンの事務所を後にしたクロロたちが、冷たく乾燥した秋の街を歩きながら会話をしている。ちなみに報酬として渡したのは宝箱に入っていた短剣と幾ばくかの金銭だ。

 

「エヴァンの記憶は読めたか」

 

 隙があればエヴァンの記憶を読むようにあらかじめ命じていたのだ。

 パクノダが小さく首を振る。

 

「ごめんなさい、そんな隙はなかったわ」

 

 対象に触れながら質問をするという制約を、初対面の人間に対して自然に実行するのはそこそこの難易度だ。致し方なしといったところか。

 

「……」

 

 パクノダが何か言いたそうな顔をしている。

 なんだろうか。

 

「何か気になることでもあったのか」

 

「……気のせいかもしれないけれど」

 

 そう前置きしてパクノダが爆弾を投下した。

 

「私に触れないようにしていたみたいだったわ」

 

「ほう」

 

「本当に気のせいかもしれないわよ?」

 

「ああ、分かっている」

 

 と言いつつも、クロロはなんとなくパクノダの能力についても一定の情報、推理を持っているのではないか、とエヴァンを疑っていた。そう思わせる何かをエヴァンから感じたのだ。

 

 マチを連れてくれば良かったか。

 

 彼女ならば「勘」のようなもので有益な情報を提供した可能性がある。

 しかし時すでに遅し。……今回は。

 

「エヴァン・ベーカーか……」

 

 クロロの呟きは街のざわめきに溶かされ、パクノダには聞こえなかったようだ。

 

 ふと、カフェの看板が目につく。パクノダを見ると目が合った。

 

 ポーカーフェイスはどこかに行ってしまった。




ご感想いただけると嬉しいです。


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嘘つきのワルツ [前編]

拙作を日間総合一位に押し上げてくださり、本当にありがとうございます。
私がランキング一位に関わる日が来るとは思っていなかったので、めちゃくちゃ動揺しました笑。

本エピソードは捻りを加えようとして捻挫しちゃった感じの出来です。湿布をご用意してお読みください。


 ヨークシンにあるミレニアムホテル5階で銀行員の男──トーマス・フローレスが、滞在している部屋で護身用にしてはやや立派なナイフを見つめている。

 

「まさかこんな所にいたとはな……」

 

 トーマスの実質的な上司(・・・・・・)、要するに勤務先の銀行を裏から支配するマフィアが、とある人物に懸賞金を掛けた。その人物はマフィアの違法ビジネスに関する情報を入手し、あろうことか電脳ページを通して世界中に公開してしまったのだ。当然、自身に辿り着かないよう、細心の注意を払っていたが、本気になったマフィア側が一枚上手(うわて)だった。

 その人物の職業はフリーの記者。

「記者はそういう仕事だから仕方がない」などという言い訳がマフィアに通用するはずもなく、記者とマフィアの命掛けの鬼ごっこが始まり、現在に至る。

 記者の男はヨークシンに本拠地を置くマフィアから隠れるために、ヨークシンにある中堅ホテルに引きこもっていた。裏をかくためとはいえ、大した度胸である。

 しかし、残念ながらトーマスに見つかってしまった。

 トーマスはとりわけ金に困っているわけではないが、それなりの野心はある。ここで記者を始末できればマフィアや銀行内での立ち位置も変わってくるだろう、とトーマスはほくそ笑む。

 実際には、実力という名の“マフィアにとっての都合の良さ”が無ければ、血筋もコネも権力も無いトーマスが、大きく出世することはないのだが、暗い欲望により普段の冷静さを失っているトーマスに迷いはなかった。

 

 記者の男──カーソン・クックが自室へと入る瞬間を狙い、強引に部屋に侵入。そして──。

 

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

「はぁー」

 

 ミレニアムホテルで働く若い女性従業員──ゾーイ・マルチネスが、フロントで深いため息をつく。

 

 お金が無い。

 

 ゾーイの給料は多くはないが、普通に生活するだけならば問題のない額をしっかりと貰っている。それがいつの間にやら金貸しから多額の借金をしていた。

 

 ギャンブルに嵌まってしまったのだ。当時、付き合っていた男性に連れていかれたカジノが始まりだった。最初のころは自制できていたため、生活に大きな影響はなかったが、今ではこれだ。

 もうどうしたらいいのか。

 いや分かっている。ギャンブル依存を病院なりなんなりに行ってでも改善すればいい。それは分かっているんだけど……、ギャンブルの高揚を手放したくない。

 

 そう思っている自分が確かにいるのだ。

 

 どうしようもないね、私。

 

 もう一度、ため息をつきかけた時にお客さんがやって来た。ため息を引っ込め、微笑みを張り付けて接客する。

 

「いらっしゃいませ。ようこそミレニアムホテルへ。本日はご宿泊でしょうか?」

 

 お客さんは薄めのダウンジャケットを着て、大きめのリュックを背負った中年男性だ。ボトムスはデニム。オフかスーツの要らない仕事だろうか。

 お客さんが肯首する。

 

「ああ、そうだ」

 

 どこか疲れた雰囲気。妙な親近感を覚える。

 

「かしこまりました。お部屋は──」

 

 部屋と料金の説明を粗方終えると、お客さんが質問をしようと口を開いた。

 

「このホテルでは長期の滞在はどのくらい可能だ?」

 

 この人は優良なお客さんかもしれない。「ホテルの売上に貢献したい!」というつもりはさらさらないが、チップは増える可能性がある。そうなればいいな。

 2割くらい魅力がアップした声、とゾーイが思っているそれで答える。ただのちょっと高い声にすぎない気がするが、そんなことはないはず。

 

「当ホテルでは長期滞在の上限はございません。また、一定期間分を前払いしていただく形にはなりますが、お得なパック料金もご用意しております」

 

 歴史ある中堅ホテル気取りだが、実態は小綺麗なビジネスホテルといった方が正確だろう。

 しかしお客さんはゾーイの言葉にホッと息を吐く。

 

「そうか。では、とりあえず3日ほど滞在したい」

 

「かしこまりました」

 

 お客さんはカーソン・クックというようだ。名前を書いた時、何かミスをしたかのように「あ……」と漏らしていた。なぜかは分からない。

 

 定型的な注意説明が終わり、鍵を受け取ったカーソンがエレベーターへ向かう。その背をぼぅっと眺めながらゾーイが思ったのは……。

 

 あの腕時計って相当するやつだったはず……。いいなぁ、お金持ちなのかなぁ。ホテル暮らしの可能性もあるし、そうだよね。

 

 お金のことである。でもしょうがない。お金があれば大きく賭けられる。それは大きく勝てるということだ。これはゾーイの中では真理である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれからカーソンは1ヶ月ほど滞在している。特に問題を起こすこともなく、ホテルにとっては非常にありがたい存在だ。

 

 しかしゾーイには少しだけ気になることがある。カーソンがほとんど外出しないことだ。

 ミレニアムホテルではコインランドリーも複数台置かれているし、何なら別料金でクリーニングも請け負っている。さらに、ホテル内で生活雑貨もある程度は販売しており、外出しなくても生活はできる。

 とは言っても、1ヶ月も外出しないでストレスは溜まらないのだろうか。

 

「別にいいんだけどさ」

 

 少し不思議ではあるが、それでゾーイが困ることはない。

 

 カーソンが滞在する611号室をノックする。

 

「お食事をお持ちしました」

 

 所謂ルームサービスというやつだ。カーソンは基本的に部屋で食事を摂る。ミレニアムホテルは高級ホテルほどお高いわけではないけれど、ここまで回数を重ねるとそれなりの金額になる。

 

 本当にお金持ちなんだ……。

 

 ゾーイからすれば非常に羨ましい。

 ガチャガチャとロックを外す音。ドアが開けられ、バスローブ姿のカーソンが出てきた。

 

「ありがとう。食器はいつも通りでいいか」

 

「いつも通り」とは廊下のワゴンに載せて置くやり方だ。頃合いを見計らい、従業員が回収する。

 

「はい。よろしくお願いいたします」

 

 努めて期待を顔に出さないようにしつつ、答える。ゾーイの期待を察したのかは定かではないが、カーソンは懐から紙幣を取り出した。

 

「いつもありがとう」

 

 そう言ってチップを渡される。カーソンのチップ払いはいい方だ。チップ程度でゾーイの借金が無くなることはないが、やはり嬉しい。

 

 いいお客さん。

 

「ありがとうございます。それでは失礼します」

 

 礼を言って、ドアを閉める。あぁ、ルーレットがしたい。

 

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

「ヨークシンは相変わらずだな……」

 

 ヨークシンシティ。

 

 ハンターハンターを知る人間からすれば、なかなかに恐ろしいイメージか逆に華やかなイメージを持っていると思う。俺も最初はそうだった。

 でもぶっちゃけ一昔前のニューヨークみたいな感じなんだよなぁ。「ニュー」→「new」→「(シン)」からの「ニュー(シン)ヨーク」→「ヨークシン(ニュー)」だよね、きっと。

 

 人混み、高層ビル、残念な治安、人種の坩堝(るつぼ)

 

 確かに華やかではあるけど、住みたくはないし、好き好んで訪れたくもない。今回は仕事で必要だったから来ただけだ。

 けどそれも終わったから、後は一泊して明日の朝に電車で帰る予定だ。……ハンナと。

 

「あっれぇー? 多分ここら辺なんだけど……」

 

 今回の仕事を伴にしたハンナが首を傾げる。予約したホテルに案内してくれるはずだったんだけど、迷子になったようだ。

 

「ねぇ、エヴァン。ミレニアムホテルって名前どっかになかった?」

 

「……無いなぁ」

 

 目的地はミレニアムホテルというらしい。「看板なりを見なかったか」と訊かれても、今の今までハンナを信頼してたから、周りは単なる景色として処理してきた。全く記憶にない。

 

「どうしよ。私、もう疲れた」

 

「それは俺も一緒だ。やった仕事は同じなんだから」

 

「えー、エヴァンはまだ元気そうだよ?」

 

「そうでもない」

 

 嘘である。精神的には疲れてるけど、肉体的には未だ余裕だ。腐っても念能力者だからね。

 

 しかし困った。前世のようにスマホの地図アプリで即解決! とはいかない。この世界、まだスマホが無いんだよね。ミルキあたりがさっさと開発してくれないかな……。

 

 ……というかヤバい。いい年した男女がガチ迷子である。

 

「……失礼。もしかしてミレニアムホテルをお探しですかな?」

 

 捨てる神あれば拾う神ありとはこのことか!

 

 俺たちがヨークシンの人混みで右往左往しているのを見かねて、長身の中年男性が話しかけてくれた。

 

「はい。お恥ずかしながら道に迷ってしまいまして」

 

「それはそれは。よろしければご案内いたしますよ。実は私もミレニアムホテルに用がありましてね」

 

「いいのですか?」

 

「ええ。私としてはデメリットもないですし」

 

「ありがとうございます! ではよろしくお願いします」

 

 斯くして迷子の26歳児と27歳児は、無事ホテルに到着できたのである。良かった良かった。

 ちなみに男性はマイルズ・キャロルという名で新聞記者をやっているらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホテルに入ると、病んでそうな女性従業員にあんまり上手くない作り笑顔で出迎えられた。このレベルなら嘘発見器(笑)はいらないね、うん。

 

「いらっしゃいませ。ようこそミレニアムホテルへ──」

 

 定型的なやり取りをこなしていく。キャロルさんは喫煙可の部屋を選択するようだ。

 

「キャロルさん、吸う人だったんですね。匂いがしないから分かりませんでした」

 

「そうかい? それは良かった」

 

 俺たちは禁煙ルームを選択。

 チェックイン手続きを済ませ、鍵を受け取る。ギザギザした普通のタイプだ。

 

「どうぞ、ごゆっくりお寛ぎくださいませ」

 

 やっと一息つけるぜ。あー、腹減った。

 お、ホテルの喫茶店が営業中みたいだ。割高だけど、ちょくちょく当たりがあるんだよな。

 

「「なぁ、ハンナ(ねぇ、エヴァン)」」

 

 ハンナと被った。互いになんとも言えない顔で無言になる。

 

「「……」」

 

 どうやら似たようなことを考えていたみたいだ。

 

「ははは、仲がいいですな」

 

 キャロルさんに笑われてしまった。

 

「ところで私はそろそろ……」

 

「あ、はい。付き合わせてしまい、すみません」

 

「いやいや、気にしないでくだされ。それでは良い夜を」

 

「ありがとうございました」

 

「ありがとうございました!」

 

 何食べようかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 フロント横の喫茶店でカルボナーラを食べていると、何やら慌てた様子で1人の男性従業員がエレベーターから出てきた。

 ペペロンチーノを食べていたハンナが、手を止めて首を傾げる。

 

「どうしたんだろ?」

 

「なんか嫌な予感がするような……」

 

 某糸使いさんではないが、なんとなく嫌な感じだ。

 

 男性従業員はフロントにある電話でどこかに掛けている。

 

──さつじん……す。はい……ません。……。

 

 んん? 今、殺人って言ったか?

 

「エヴァン、行こう」

 

 ハンナの雰囲気が変わる。仕事モードだ。ということはやっぱり殺人か。

 

「りょーかい」

 

 ふむ。ハンナは1ジェニーも置かずに行ってしまった。ふむふむ……くっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「殺人ですか」

 

 ハンナが警察であることを告げ、事情を訊くと、慌てていた男性──支配人のベネットが早口で説明してくれた。

 611号室で宿泊客のカーソン・クックが大量の血を流し、倒れていた。ベネットが確認したところ、呼吸もしていなかったため、情況を鑑み、殺人事件の可能性があると判断。それで慌てて警察に連絡した。

 で、今に至る。

 

 当たり前だが、全く動揺していないハンナがハキハキと応じる。

 

「分かりました。まずはホテルから人が出ないようにしてください」

 

「は、はい。……ゾーイ」

 

 全く冷静さを欠いた様子のベネットは、病んでそうな女性従業員──ゾーイを呼びつけると、幾つかの指示を出した。

 ゾーイは頷くとフロント奥のドアへと消える。多分、他の従業員に知らせに行ったのだろう。

 タイミングを見計らい、ハンナが続ける。

 

「では、私たちも現場を確認させてください」

 

 だよね。ハンナならそうするよね。俺でもそうする。だってミステリーの匂いがするし。

 

「わ、わかりました。ご案内いたします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 611号室に向かう道すがら、ベネットが追加で興味深い情報を提供してくれた。

 

「鍵が掛かっていた……」

 

 俺の呟きにベネットが律儀に肯首する。

 

「はい。私が訪れた時には確かに」

 

「それでマスターキーを使い、部屋を(あらた)めたのですか?」

 

 ちょっと急すぎではないだろうか。お客さんに用があるとしても、仮に電話に出なかったとしても「少し時間をずらして後でまた来よう」と考えると思うんだけど。

 

 俺の言い方から不審がっているのを察したのか、ベネットが慌てて付け足す。……この人、慌ててばっかだな。

 

「夕食をお持ちした際もお返事がなく、お電話も繋がらなくて……」

 

「なるほど。さらに外出記録もないのですね?」

 

 だから身を案じて力業に出る必要があった。それなら不自然ではないね。

 

「はい」

 

 ふーむ。密室殺人ということになるのか。

 でも、ドアが閉まったら自動で鍵が閉まるタイプの場合、不可能犯罪性が薄いからミステリー定番の密室殺人という感じは弱くなるが……。

 

 ジャケットの内ポケットに入れた鍵を取り出す。

 チェックイン時に貰った鍵は、カードキーなどではなく、古き良きピンシリンダータイプ。自動施錠の線は薄そうだ。

 

「このホテルの鍵は自動で閉まったりします?」

 

「いえ、一般住宅と同様に手動で閉める必要があります。古いホテルですので……」

 

 だよね。さて、となると被害者のクックに貸し出した鍵が何処にあるのかが重要になってくる。

 けど、ベネットの動揺っぷりを見てると、ある考えがチラついてしまう。

 

「……室内に貸し出した鍵があったのですか?」

 

「! え、ええ。その通りです」

 

 ベネットが驚いた顔を見せる。ついでにハンナも。

 ……って、おい。ベネットはともかくハンナがそんなんじゃアカン。

 

「どうして分かったの!?」

 

「ベネットさんの動揺がかなり大きいから、『もしかしてホテル側が疑われる要素があったのかも』と思っただけだよ」

 

 普通に考えると、この情況で鍵を閉められるのはマスターキーを使用できる人間だけだ。それはすなわちホテル側の人間ということになる。

 支配人というベネットの立場を考えると「従業員がお客さんを殺害!」なんて悪夢でしかない。取り乱すのも仕方がないと言える。

 

「申し訳ありません。どうしても色々考えてしまい……」

 

 ベネットの眉尻が下がる。苦々しい心情が表れているね。

 

「気にしなくて大丈夫ですよ。ベネットさんの立場なら誰でもそうなります」

 

 ただし現時点ではベネットも容疑者に含まれている。敢えてそれを告げるのは控えるけどさ。

 

 さて、問題の6階に到着した。エレベーターの扉が開く。行きますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 611号室の金属製番号プレートが鈍い光を放っている。この中にご遺体がある。

 

 ベネットがドアノブを捻るが──。

 

「ん……? 鍵が掛かっている?」

 

 ドアが開かずに困惑している。

 

 どういうことだ? 鍵を掛けずにフロントに戻っていたにもかかわらず、今現在は鍵が掛かっていたから戸惑っているってことなのか?

 ……なんだそれ。つまりベネットが遺体を発見してから俺たちが訪れるまでの僅かな時間に誰かが鍵を閉めたってことだよな。なぜ、そんなことをした? どんなメリットがある? そもそも方法は?

 

 ……落ち着け。俺まで混乱したら駄目だ。まずは鍵を開けてもらおう。

 

「ベネットさん。もう一度、マスターキーで開けてください」

 

「そうで……あっ」

 

 ベネットは、内ポケットをまさぐったかと思うと「まずい」といった声を上げた。

 ……えぇ。

 

「申し訳ありません。おそらくフロントに置いてきてしまいました」

 

 あちゃー。あちゃー。

 

 しかし、ここで(破壊)神、登場。

 

「オッケー。じゃあぶち破るけど許してね!」

 

 こういう時、ハンナは迷わない。思い切りがいい奴だからね。

 

「とりゃっ」

 

 若干可愛い感じの掛け声だが、やってることはヤクザキック(柄の悪い前蹴り)である。警察官とはなんだったのか。

 

 バキッ! という音と共に内開きのドアが開く。鍵部分が見事に壊れている。ハンナもやっぱりハンターハンター世界の住民なんだなって。

 

 部屋の中へ入る。

 

「「「……」」」

 

 中には誰も居ないし、遺体も無い。んー?

 

「ベネットさん。部屋番号間違えたりしてません? 遺体があったのは611号室じゃなかった、とか」

 

 動揺っぷりを見るに十分あり得ると思う。

 

「い、いや、そんなはずは……」

 

「しかし見た感じ、遺体どころか、お客さんが来る前みたいな状態ですが」

 

 キレイにベットメイクがなされているし、小物も整えられている。

 バスルームを確認していたハンナが戻る。

 

「バスルームもおかしな所はなかったよ!」

 

「分かった。とりあえずいっt──!?」

 

──バン……。

 

 おいおいおい。

 

 一旦出ましょう、そう提案しようとした時、開けっ放しだった内開きのドアが勝手に閉まったんだ。

 これはヤバいかも。凝をしていなかったのは間違いだったか。

 

 急いで凝をすると、ドアの隙間にうっすらとオーラらしきものが見える。かなりハイレベルな隠だ。“視るための凝”は得意なのにここまで分かりにくいとは……。

 次いで、円を展開する。エレベーターに向かう人物を捕捉するも、すぐに俺の円の範囲外に出てしまった。

 しかし、あの人物は……。

 

「え、え? なにこれ、オバケなの? 違うよね? ね?」

 

「落ち着けって。多分、何らかの念能力(トリック)だ」

 

 殺人犯は大丈夫でも、オバケは駄目な27歳児がハンナである。

 

 先ずはドアを開けたいところだが……。

 

「……開きませんね」

 

 ドアノブを引っ張ってもドアは開かない。

 ……開かないんだけど、完全に固定されているわけではなく、ごく僅かに動くようだ。ただ、ガタつく程度だから人が通れるレベルではない。つまり閉じ込められた形になる。

 

 さて、今度は俺がドアを文字通り(・・・・)ぶち破ればいいんだけど、その前にやらなきゃいけないことがある。

 

「ベネットさん」

 

 魂が抜けたような趣で立ち尽くしていたベネットに声を掛ける。

 

「この事件、(わたし)──私立探偵エヴァン・ベーカーに任せていただけませんか」

 

「私立……探偵……?」

 

「はい。私はこれでも探偵をやっています。こういった不可解な事件も初めてではありません。プロハンターへの伝手もあります」

 

 ベネットが「プロハンター……」と呟く。流石のパワーワード(?)だ。

 

ご依頼という形(・・・・・・・)にしてくださると私もやりやすくなります。どうでしょうか?」

 

「……分かりました。通常の殺人事件と違うのは私にも理解できます。当ホテルを代表して依頼を出させていただきます」

 

「ありがとうございます。必ずや解決してみせます」

 

 いよっし! これで「探偵業の依頼達成に必要な範囲で、全ての発が使用可能(依頼がないと一部しか使用不可)」という制約クリアだ。

 

 さぁ、先ずは景気付けに硬でドアをぶち破る!

 

「ほいっ」

 

──パァァアン!

 

 俺の気の抜けた掛け声と共にドアに大きな穴が開く。ベネットの口もあんぐりと開く。

 

 経費でお願いしますね。

 



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嘘つきのワルツ [中編]

 611号室を出るも、廊下には誰もいない。

 

 先ほど展開していた円で捉えた人物は、立ち去ったみたいだ。

 

 ふと、前世で読んだミステリーが頭を過り、今しがた出てきた部屋の番号プレートに目を向ける。

 

「……ビンゴか」

 

 俺の独り言にハンナが反応する。

 

「どうしたの?」

 

「プレートを見てくれ」

 

「うん? ……あ」

 

 壁に埋め込まれるタイプ、要するに取り外しできないはずの金属製プレートの数字が変わっている。

 

 610号室。

 

 こんな風に部屋や場所を誤認させるトリックは、ミステリーではテンプレの一つだろう。リアルタイムで体験する機会は滅多にないが、この程度のトリックに嵌まってしまうとはな。油断大敵だ。

 

 方法としてはやはり念か? このタイプのプレートを短時間で不自然さを感じさせないように誤魔化すのは簡単ではない。しかも来る途中に608号室からはプレートを確認している。つまり少なくとも4部屋分のプレートへ手を加えたことになる。

 

 目的は……時間稼ぎ? それも短時間で十分なパターン。

 俺は普通に纏をしているから、仕掛人も俺が念能力者だと把握していたはずだ。つまりすぐに部屋から出てきても問題はなかった。そして、この場合、稼げる時間よりも短時間でプレートへの仕掛が可能な能力を持っているはずだ。コスト超過じゃ無意味だからな。

 

 じゃあその時間稼ぎの目的は……例えば遺体へ何かをしたいが、邪魔が入ったら嫌だから、611号室へ来た人間が一旦は隣の部屋に注目するようにしておいた、とかかな。

 しかし確実性に欠けるよな。そもそも部屋に入らないで廊下に誰かが残るかもしれないし、プレートの不自然さに気づくかもしれない。

 

 合理性のある理由じゃないのか……? ……分からん。いずれにしろ、本当の現場を確認してからだな。

 

 隣の部屋番号を見……って、すでにハンナが中に入ってた。つい考え込んでしまったみたいだ。

 遅れて俺も中に入る。

 

 

 

 

 

 

 

 611号室では、ベネットの言った通り、男が血溜まりの上に倒れていた。しかしこれは……。

 

「ベネットさん、最初に発見した時から遺体はこの状態(・・・・)でしたか?」

 

「い、いえ。指はちゃんとあったはずです」

 

 遺体は半ば乾燥した大きな血溜まりに倒れているが、切断された右手人差し指だけは今現在も血を流している。

 やはりベネットの言うように今しがた切断されたはずだ。

 

 目的はこれか。

 

 おそらくは生体認証用、つまりは指紋が必要だったのだろう。無い話ではない。

 

 胸糞は悪いけど、切り替えてお仕事だ。

 

「ハンナ」

 

「ん?」

 

「体温計はある?」

 

 人は死亡すると体温が低下していく。犯罪捜査では直腸で遺体の体温を測り、そこから逆算して死亡推定時刻を考える。勿論、他の要素も考慮して、だ。

 

「ごめん。今は無いんだ」

 

「そっか。なら仕方ない。他の特徴から割りだそう」

 

「それはもうやったよ」

 

 おー、流石、行動が早い。

 

「死斑、瞳のくもり、死後硬直から判断して、死後6~9時間くらいだと思う」

 

 オッケー、十分。死亡推定時刻は遺体発見が遅れれば遅れるほど曖昧になってくる。「大体この日」というようにざっくりと日単位でしか分からないこともザラだ。3時間程度のブレで済んだのは幸運と言うべきだろう。

 

 ちなみにだが、管轄外の都市でハンナがこんなに好き勝手できるのには勿論理由がある。ぶっちゃけるとハンナの一族に警察上層部の人間がそこそこいる。それでわりと融通()が利くんだ。

 結構駄目なことだとは思うが、俺もそのおこぼれに(あずか)っているので非難はできない。

 でも、ハンナの行動理由って犯人逮捕だから完全な悪ではない。だから周りも渋々許してくれてるんだろう。結果も出してるしな。

 

 閑話休題。

 

 死亡推定時刻が分かったなら、次はアリバイチェックだ。それに、円に引っ掛かった人物にも手を打たないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 1階フロントに戻ると、ベネットの通報を受けて駆けつけた警察官がいた。

 

「あなた方は……」

 

「お疲れ様です。ゼノンサ中央警察署のハンナ・レイエスです」

 

「ハンナ・レイエス……あ」

 

 若い男性警官は何かに気づいたようだ。何か()に。

 ハンナが俺に視線を向ける。挨拶しろってことだろう。わかってるよ。

 

「私立探偵のエヴァン・ベーカーです。ミレニアムホテルからのご依頼により、事件解決に協力させていただいております」

 

「エヴァン・ベーカー……あ」

 

 え? 俺にもその反応なの?

 

 まぁ、そんなこんなで普通に(?)捜査に加わることになった。なんかすまん。

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘発見器(笑)」を用いて従業員へ、とある質問をした。それは「あなたはカーソン・クック氏の殺害に関与していますか?」というものだ。通常の捜査ではここまで直接的な質問はあまり見ないが、俺の能力を活かそうとするとこうなる。

 

 で、肝心の結果は従業員全員が「殺害に関与していない」という趣旨の回答をした。この際、嘘発見器(笑)が反応することはなかった。つまり全員が白……と、なりそうだが、1人だけ気になる人物がいた。

 

 確かに念能力は反応しなかった(嘘はついていなかった)。でもその人物は回答の時に、2つほど怪しい仕草をした。

 1つは前髪をいじったこと。

 人は嘘をつく際に鼻を触るなど顔を隠すような仕草をする傾向があると言われている。感情を読まれたくないという心理が働いているからだろう。

 もう1つは僅かに視線を外してきたこと。

 これも嘘をつく時の特徴とされている。勿論、絶対ではないが、脳科学分野では一定の支持を得ている考え方だ。

 気のせい、あるいは考えすぎなのかもしれない。しかし探偵による捜査は刑事裁判とは違い、「疑わしきは罰せず」ではない。「疑わしきは徹底的に調べろ!」だ。

 それに、俺は嘘に関してはそれなりに造詣が深いと自負している。全くの見当違いではない……はず。

 

 その怪しい人物の名はゾーイ・マルチネス。

 

 チェックイン時に対応してくれた女性だ。病んでる、という印象を与えるのは、顔色の悪さをメイクで誤魔化しているからだろう。

 

 これからゾーイとお話だ。さてさて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 営業を終えたホテル内の喫茶店にて、ゾーイと向かい合う。時刻は22時に差し掛かっている。

 ガラス張り越しに感じるヨークシンの喧騒と店内の静寂が、日常と非日常を象徴しているかのようだ。

 

「お疲れのところ、わざわざすみません」

 

「いえ、大丈夫です」

 

 声量は小さい。

 

「それでは早速質問させてください。少々変わった、あるいは不躾な質問をするかもしれませんが、マニュアル的なものですのでご容赦ください」

 

「……分かりました」

 

 まずはアリバイの確認から。

 

「今日の12時~15時ころには何をしていましたか?」

 

 死亡推定時刻は12時~15時ころだ。

 

「控室でご飯を食べてからフロントで仕事をしてました」

 

「……なるほど」

 

 嘘発見器(笑)は静かなまま。嘘はない。

 仮にクック殺害に関与していたとしても、実行犯はあり得ないということか。そう、実行犯は。

 

「では、貴女は他の誰かと共謀し、クック氏を殺害しましたか?」

 

 共犯者がいるなら一定の筋書きが浮かび上がる。しかし──。

 

「いえ、そんなことはしていません」

 

 静寂。これも嘘ではない……が、まただ。ゾーイはまた前髪をいじった。これは何かありそうだ。

 しかし真相は判然としないな。共犯者がいるならマスターキーをこっそり実行役に渡すなどすれば、密室殺人が完成する。そのパターンだと思ったんだけど……あっ。

 

 ここで別のパターンに思い至る。

 

 何も必ずしも「共犯=共謀」というわけではない。ミステリー界隈では「共謀なき共犯者」とでも称すべきトリックないしネタが存在する。共謀を伴わないままに、其々が自分の都合で行動した結果、まるで共謀共同正犯が実行されたかのような外形を備えるパターンだ。

 これが決まってしまうと、怪しい人物にアリバイがあったり、証拠が無くなってしまったりと探偵役を悩ませることになる。

 だが俺なら突破できる。念能力者をナメるなよ。

 

「それでは別の質問です」

 

 ゾーイの揺れる瞳を見つめ、言葉のナイフを突き立てた。

 

「本日、カーソン・クック氏が殺害された後に611号室の鍵を閉めましたか?」

 

「っ……いえ、閉めてないです」

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

 ビンゴだ。

 なるほど、このパターンだったか。つまり、ゾーイ以外の誰かがクックを12時~15時ころに殺害。その後に何らかの理由でゾーイが部屋の鍵を閉めた、と。

 そして、この質問にはもう1つ別の意図がある。

 それは「クック氏が殺害された後」との文言を入れることで部屋の中を知っているか否かを確かめるというものだ。俺の能力が発動した以上、ゾーイは質問の内容(前提)を断定的に理解した状態で嘘をついたことになる。よく分かっていないでした発言は、嘘と判定するには事理弁識(じりべんしき)能力という観点からも些か無理があるからだ。

 以上から、ゾーイは611号室の鍵を閉めた時にクックの遺体を見ているということになる。それはゾーイの行動理由が部屋の中で何かをすることにあった可能性を示唆している。

 

「クック氏が殺害された後の611号室で何かをしましたか?」

 

「し、してないで、す」

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

 これも当たり。

 では目的はなんだ? 犯罪の一般的な動機としては怨恨、金銭目的がある。とりあえずはそれを確かめるか。

 

「クック氏から何かを盗みましたか?」

 

「っ、そんなことしません!」

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

「さっきからなんなんですか! まるで私が犯人と決めつけて!」

 

 とうとうゾーイが怒りを顕にする。

 仮に無実ならばかなり失礼な質問をしているが、ゾーイは黒である。この激昂も嘘を誤魔化すための、あるいは動揺を隠すための下手なブラフにすぎない。

 

 さて、ここで嘘つき能力者が、嘘のお手本()を見せてあげよう。

 

──『信じる者は救われない(ラッフィングライアー)』。

 

 ゾーイを見据え、嘘をつく。

 

「実は、クック氏が死亡していたはずの時間に、貴女がクック氏の部屋から出てきてマスターキーで鍵を閉めているところを見た人がいるのです」

 

「っ! そんな……」

 

 まぁ、お手本とかカッコつけたけど、単なる暗示系の発である。効果は、俺の嘘に信憑性を与えるだけだ。洗脳まではいかないから、他の要素(状況、会話など)の補助がないと信じきるレベルにはならない。

 今回は、探偵である俺が真実を分かっているかのような質問をしていたから、目撃者がいたことを違和感無く信じさせることができた。

 

 果たして、ゾーイが重い溜め息をつく。落ちたね。

 

「真実を話してくれますね?」 

 

「……はい」

 

 ポツポツと言葉が零れ──。

 

 

 

 

 

 

 

 ゾーイを地元の警察に引き渡した後、俺は5階を訪れていた。目的はクック殺害の重要参考人──トーマス・フローレスだ。

 ゾーイによると「13時過ぎにトーマスがクックの部屋に入っていくのを見た」らしい。そして「17時ころにクックの部屋を訪れた時には、クックは殺害されていた。流血も止まっていることから、殺害からある程度の時間が経っていると考えた」。そこでゾーイは「13時すぎに見たトーマスが殺害した」と推理。「その時間ならば自分にはアリバイがある。ここで金目の物を盗んでも自分が疑われることはない」といった思考に至った。鍵を閉めたのは捜査を混乱させるため。残念ながらそれは悪手だったわけだが。

 

 と、まぁこんな具合でトーマスにも話を訊く必要があるわけだ。

 

 504号室のドアをノックする。ややあって金属の擦れる音。

 

「はい」

 

 ドアが開けられ、顔を覗かせたのは四角い眼鏡の神経質そうな男。

 この人がトーマス・フローレス?

 

「夜分遅くに申し訳ありません。私、私立探偵のエヴァン・ベーカーと申します。トーマス・フローレスさんで間違いありませんか?」

 

「トーマス・フローレスは私のことですが……」

 

「よかった。少しお話を訊かせていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「……ええ、構いませんよ。入ってください」

 

 すんなりと承諾してくれた。ふむ。割りと冷静な人物なのかもしれない。

 

 入室すると、ひじ掛けのついたソファを勧められたので素直に応じる。トーマスも向かいに腰を下ろす。

 

「それでお話というのは?」

 

「このホテルで殺人事件があったのは聞いていますね?」

 

 当たり前のことだが、まぁ、枕詞みたいなものだ。

 

「ええ。『警察の許可があるまで滞在していろ』と言われています」

 

「その調査をしておりまして、質問をして回っているのです」

 

「……質問とは?」

 

「はい。まずは1つ目です。『貴方はカーソン・クック氏の殺害に関与していますか?』」

 

「無関係です。その方とはそもそも面識がありません」

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

 あ、ヤバい。これだと「無関係」と「面識がない」のどちらが嘘か分からないな。

 仕方ない。もう一度だ。

 

「つまり貴方はクック氏を殺害していないということですね?」

 

 かなり無理矢理な質問文だ。トーマスも眉をひそめているが、答えてはくれるようだ。

 

「そうです。当然でしょう?」

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

 はい、オッケー。大分、パズルのピースが揃ってきた。

 

 事件の流れをまとめると……。

 ①13時過ぎにトーマスがクックを殺害。

 ②17時ころにゾーイがクックの私物を盗み、ドアに鍵を閉める。

 ③20時30分ころに支配人のベネットが遺体を発見。

 ④20時30分~21時ころに念能力者がクックの指を切断。

 ⑤21時ころに俺たちが611号室へ。

 

 こんなところか。ふむ。トーマスがホテルをチェックアウトしていないのは、疑いの目を向けられないためかな。死亡推定時刻後に急遽チェックアウトしたら怪しすぎるもんね。

 

 ゾーイの目撃証言があるから逮捕状が下りる可能性は高いけど(緊急逮捕もあり得る)、一応、落としておくか。

 

「クック氏の死亡推定時刻に、貴方がクック氏の部屋に入るところを目撃した人がいます」

 

「……何かの間違いではないでしょうか。身に覚えがありません」

 

 否定されたが、構わず続ける。

 

「遺体の刺殺痕から刃渡り15センチ程度のナイフ等が凶器と見て、警察は捜査しています。情況から判断して、凶器はホテル内にあるのでしょう。見つかるのは時間の問題(・・・・・・・・・・・)です」

 

 最後の「見つかるのは時間の問題」のとこで『信じる者は救われない(ラッフィングライアー)』を発動し、真実味をプラスしておく。

 

「……」

 

 小綺麗な室内に沈黙が揺蕩(たゆた)う。

 

「今ならば自首による恩恵を受けられます」

 

「……私はやってない」

 

 トーマスの声は弱々しく。

 

「刑務所での1年は長いですよ。少しでも短い方がいいでしょう。今が最後のチャンス(・・・・・・・・・)です」

 

「……っ……」

 

 何かを言いかけて止める。もう一押しかな。

 ちなみに「時間の問題」「今が最後のチャンス」などと言って、得られる利益の損失が目前に迫っていることをチラつかせるのは、損失回避の法則を刺激するためだ。通販とかでよくある「今なら半額でご提供します!」ってやつ。あれも心理学に基づいている。

 次は権威性の法則を使う。

 

「刑法第42条第1項『罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる』。確かに必要的減軽事由ではありませんが、今ならば有利に運べる可能性が高いですよ。仮に『捜査機関に発覚する前に』の要件を満たせず『自首』ではなく、『出頭』として処理されたとしても早期に名乗り出た事実は、刑法第66条酌量減軽の対象になり得ます」

 

 要約すると「自分からごめんなさいしたらあんまり怒られないかもよ?」である。法律用語()。

 

 権威性の法則は「権威や専門知識がありそうな存在にはなんとなく従いたくなる性質」を指す。

 この法則を利用するために自分でも鬱陶しいと思う物言いをしたんだ。ぶっちゃけ詐欺師の常套手段なんだけど、全ては自首に同意してもらうため。そっちのが警察の手間が減る。

 ちなみにあまり難解なことを言いすぎると、処理流暢性(分かりやすい=真実とみなす性質)からマイナスになる。バランスとタイミングが大切だ。

 

 さてさて、どうだろうか。

 

 急かさずに待つ。

 秒針の音が煩わしく感じるようになった時、漸くトーマスが伏せ目がちに言葉を吐き出した。

 

「……本当ですか」

 

 掛かった。

 

「勿論です。これでも私は正直者なんですよ」

 

 真っ赤な嘘である。

 

「分かり、まし、た。自首します……」

 

 うん、ありがと。

 

 とりあえず一般人サイドはオッケーだけど、問題は次なんだよなぁ。

 

──prrrrrrrrr.

 

 お、電話だ。来たかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は深夜12時を回っている。ミレニアムホテル8階の廊下はとても静かで物寂しい。

 

 先ほど、挑発がてら分かりやすく攻撃的な思いを込めた練をしておいた。

 指を持ち去った犯人に対して「来ないなら、こっちから行く」というメッセージのつもりだ。

 そもそも俺の円に触れた時点で俺が認知したことに気づいているはずだ。それなのに逃げたり、逆に襲撃したりもしていない。強いて言えば、時折、視線を感じるくらいだ。それ以外には何もない。

 

 お相手さんのメインの目的はクックの指だったかもしれないが、どうにも合理的な部分以外、要は感情部分が行動に大きく影響しているように思える。

 その感情がどういったものかは分からないが、死体損壊・遺棄罪に該当する以上、それなりの対応はさせてもらう。

 だからメッセージの内容は対決前提なものにした。

 

 そして数分ほど経って彼が現れた。

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

「こんばんは。キャロルさん」

 

「ええ、こんばんは」

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

 キャロルは穏やかな口調ではあるが、目だけは嗜虐的な光を帯びている。

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

 いや、さっきから嘘発見器(笑)がうるさいな。ちょっとオフにしとく。

 しかしキャロルが発言する前から反応するってことは存在自体が嘘。つまりキャロルに誰かが成り代わっているか、そもそも偽名等を使った架空の人物か、だ。

 

 元々、本当にごく僅かな引っ掛かりはあった。それはキャロルが喫煙者であるわりには、煙草の匂いが全然しなかったことだ。

 もしかしたら喫煙者であるキャロルに、非喫煙者である偽物が成り代わっているんじゃないか?

 始めにこの可能性を考えた時は、仕事熱心すぎて人を疑う癖が手遅れレベルになってしまったかと自嘲したが、案外当たっていたのかもしれない。

 

 廊下の先に佇むキャロルからは、嫌なオーラが漂っている。

 

「わざわざタイマン(・・・・)に乗ってくれてありがとうございます」

 

「なに、構いませんよ」

 

「もしかして、タイマン(・・・・)はお好きだったりします?」

 

「嫌いではないですね」

 

「なるほど、それはよかった」

 

 うん、目的もよく分からないし、ストレートに行くか。嘘発見器(笑)、スイッチオン!

 

「貴方はキャロルさんではないですね?」

 

「ええ、そうですよ」

 

「……随分素直に認めますね」

 

「もう目的は達成しましたし、バレても構わないのですよ」

 

 キャロル(偽)が流暢な纏を開始する。

 うわぁ、うっま。明らかに格上じゃん。

 

「クック氏の指以外の目的とは?」

 

 何がおかしいのか、ニヤニヤと笑みを浮かべる。

 

「それは秘密です」

 

「そうですか。では、そろそろ本来の姿を見せていただけませんか?」

 

 キャロル(偽)は「はて、いかが致しますかね」などと漏らしてから、妙案でも思いついたのか、楽しげに口を開いた。

 

「君は名探偵でしたね? 例えば、私の念能力を推理して当てられますかな? その内容次第で本来の姿を見せましょう」

 

 ほー、そう来るか。ふーん。

 ……ぶっちゃけ心当たりはある。けど、ちょっとイメージと違うからそんなに自信はないんだよなぁ。まぁ、ハズレてもそんなにデメリットはない。むしろ当たった場合の方が駄目な気がする。

 でも「推理しろ」と言われて「全く分かりません」なんて言いたくない。その実態が原作知識によるカンニングであったとしても、探偵としての価値を低く見られるのは嫌だ。我ながら子どもっぽいとは思う。けど大事なことだ。

 

 複雑な心境と敬語を引っ込めて、回答する。

 

「ドアを閉めたのは、粘着性と弾性のあるオーラによるもの。凝で観察した内容を踏まえても、十中八九、変化系」

 

 キャロル(偽)のオーラが怪しく揺れる。こっわ。

 

「プレートに細工したのは、絵柄付きのテープか紙のようなものだろう。非念能力者が視認できたことから具現化系。先程の変化系能力との兼ね合いから、操作系による幻覚等が考えにくい点も具現化系である根拠だ」

 

 もはや纏ではない。クロロに匹敵する練。

 

「では、キャロルに成り代わる方法は?」

 

「今、言った2つの併せ技。変化させたオーラは操作次第で人工筋肉のような使い方ができるはずだ。そこに肌の絵柄にした紙を張り付けて念による特殊メイクを完成させる。さらに変化させたオーラを声帯に張り付け、声帯の厚さを微調整することで声質も変えられる」

 

「……ふふ」

 

──パチパチパチ……。

 

 キャロル(偽)の拍手が乾いた音を響かせ、そして、特殊メイクが剥がされた。

 

「正解。クロロが目をつけるだけはあるね♠️」

 

 はい、ヒソカ・モロウの登場です。相対するとヤバさが際立つなぁ。

 

 



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嘘つきのワルツ [後編]

 その日、マイルズ・キャロルはカーソン・クックと20年来の親友であったことを心の底から後悔した。

 

「もうやめ、てくれ。知ってるこ、とは全てしゃ、べった」

 

 いつものようにバーガーショップで安い昼食を済ませ、店を後にしたら、突然、意識が途絶えた。どのくらい経ったのか、痛みで目が覚めると見慣れぬ廃墟にいた。

 埃っぽい空気に顔をしかめたのも束の間、椅子に縛りつけられていることに気づき、恐怖が肥大していく。止めに、マイルズを見る、明らかに堅気ではない空気を纏う小男の存在。

 

 すぐに拷問(じごく)が始まった。

 この世に存在するあらゆる痛みを感じたのではないかと考えさせられる程の責め。「もう殺してくれ」と何度言ったか分からない。

 

 この妙な話し方をする小男の目的は、親友のカーソンだった。居場所が知りたいらしい。

 カーソンが危ない橋を渡り、火薬庫のような情報を集めていることは知っていた。それが原因で今は身を隠していることも。

 そして──その場所も。

 

「本当にし、らないん──」

 

 最後まで言わせてもらえなかった。殴られたのだ。

 

「ちっ。手間を掛けさせるのはやめるね」

 

 拷問され、内心カーソンに罵倒を浴びせていたが、それでも裏切るつもりはなかった。今まで共にした時間は嘘じゃない。それは疑いようのない真実。

 しかし──。

 

「持ってきたよ」

 

 ……お、んな?

 

 現れたのは眼鏡の女。こんな所には似つかわしくない、大学でキャンパスライフでもしていそうな見てくれ(・・・・)をしている。

 彼女は担いでいた麻袋を軽い調子で放り投げた。

 

「ぅ……ぃたい」

 

 麻袋から聞こえるはずのない、聞こえてほしくない声がした。してしまった。

 

 そんな……まさか……っ。

 

 冷静に考えたならば十分あり得る事態と理解できたはずだ。しかし、突然の拉致と拷問に精神を乱され、合理的判断を阻害されたマイルズは、この残忍な未来に思い至ることができなかった。

 

 小男が麻袋を乱雑に切り裂く。

 

「ぅぅ……」

 

 麻袋から現れた幼い少女の名はペネロペ・キャロル。今年、エレメンタリースクールに入学したばかりのマイルズの一人娘。

 

 この時、マイルズの選択肢は潰された。

 

「く、ずが!」

 

 無駄と分かっていても言わずにはいられない。

 

 ほどなくしてマイルズは親友(カーソン)を売った。対価は娘の痛みの無い死。救いは──。

 

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

 ヒソカ・モロウは奇術師(マジシャン)であることにある種の誇りを持っていた。

 それは「観客に喜んでもらえる」という真っ当な理由からではない。自身が仕掛ける妙技(トリック)で“自らを強者と錯覚している弱者”を弄び、絶望させることに最高の絶頂感を覚えるからだ。

 このような惨劇(エンターテイメント)を創出できることを誇りに思っていた。

 

 しかし不満が無いわけではない。

 

 張り合いがないのだ。自身が最強であるため仕方がないとはいえ、なんの抵抗感(・・・)もなければすぐに飽きてしまう。得られる絶頂も当然、少なくなる。

 

 だが、救いはある。

 

 クロロ・ルシルフルの存在だ。

 クロロはヒソカから見ても極上の玩具だった。心、技、体の全てが高水準。念能力者としても申し分ない。

 そして、何よりクロロの発!

 かの発は様々な演出を可能とする極めてエンターテイメント性の強いものだ。さぞ刺激的なショーを演じてくれることだろう。

 そんなクロロが「こんなはずでは……」と絶望に染まる様は、数多の名画に勝る(官能的)芸術に違いない。

 クロロならば最近のマンネリ(・・・・)を打破してくれるはずだ。

 

 ヒソカはそのように考えていた。

 

 だからクロロがエヴァン・ベーカーなる私立探偵について他の団員と話しているのを聞いた時、少しだけ嫉妬した。今はその探偵が欲しいらしい。最悪、能力だけでも、と。

 色恋に狂った女のようになりはしないが、なんとなくいい気はしない。

 

 だが、嫉妬以上にあるのは興味。クロロがそこまで言うのだ。愉快な玩具の素質を期待できる。

 それに、探偵と言えばトリックを暴く存在。

 奇術師が使うトリックとは、厳密には少しだけジャンルが違うが、“人を欺くハリボテ”という点は共通している。

 

 エヴァンとならば一風変わったショーを楽しめるかもしれない。

 

 気がつけば──■■に熱を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヨークシン郊外にある幻影旅団のアジトに呼び出されたヒソカは、カーソン・クックという男を()ってくるよう頼まれた。クロロ曰く、カーソンが集めた薔薇(・・)に関する情報が欲しいらしい。仮にカーソンが死亡する事態になった場合でも「右手人差し指だけは必ず入手しろ」とのことだ。

 

「いいよ、退屈してたから。何処に居るんだい?♣️」

 

「ヨークシン中央部にあるミレニアムホテルだ。部屋番号までは分からない。加えて、ターゲットはマフィアから追われている。かなり警戒しているはずだ」

 

「ふーん。めんどくさそう♦️」

 

 クロロの頼みでも、退屈していたとしても、大して興味の惹かれないイベントに大きな労力を(つい)やしたくはない。

 

「まぁそう言うな」

 

 すぐに引き下がる気はないようだ。

 パソコンのディスプレイを見ながら、ヒソカとクロロの会話を聞いていたシャルナークが振り返る。

 

「そうだよ。他の皆もこの件に関しては色々動いてるんだ。ヒソカも頼まれてよ。最近、クモの仕事してないだろ?」

 

 仕方ないなぁ。

 

 多少面倒ではあるが、何がなんでもやりたくないほどではない。ヒソカが折れる形でこの話は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ターゲットの居る部屋が分からないうえに、警戒までされているとなるとやはり面倒だ。

 最悪、ホテルの人間をしらみ潰しに殺し回る必要があるかもしれない。

 

 やっぱり断ろうか。

 

 そんなことを考えながらアジトの出口へ向かっていると、眼鏡の女が2体の死体を運んでいるところに遭遇した。

 ポロリ、と大きい方の死体から煙草ケースと財布が落ちたので拾ってやる。

 

「やぁ。それはどうしたんだい?♠️」

 

「カーソン・コック(・・・)の知り合い」

 

 はて、ターゲットは料理人だっただろうか。

 若干の引っ掛かりを覚えたヒソカだったが、眼鏡の女──シズクが天然を発動するのはそれほど珍しくはない。

 そんなことよりも、先日染めたばかりの金髪と似たような髪色をした死体を見て、いいことを思いついた。シズクには感謝しないといけない。

 

「ありがと。助かったよ♥️」

 

「? どういたしまして」

 

 中身の無い言葉を残し、立ち去ろうとしたシズクに一つだけ提案をしてみる。

 

「それ、君の能力で片付ければいいんじゃない?♣️」

 

「あ……」

 

 やはり天然のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 声帯に『伸縮自在の愛(バンジーガム)』を張り付けて変化させた声質をシズクに聞かせ、その中から大きい方の死体の声に一番近いものを教えてもらう。

 さらに、死体の所持していた財布がクモの仕事に必要なことを伝える。すると、抵抗なく譲ってくれた。元々処分するつもりだったのだろう。

 財布を欲した理由は免許証の顔写真だ。 

 

 このようにして、ヒソカはターゲットの知り合い──財布に入っていた免許証によると名はマイルズ・キャロル──へ成り代わる準備を完了。

 

 ヒソカの作戦はマイルズ・キャロルに変装し、ミレニアムホテルを訪れて、ホテルの人間にカーソン・クックへと繋いでもらうというものだ。シャルナークに確認したところ、居場所の情報源は案の定マイルズ・キャロルであったため、マイルズがカーソンを訪ねてもそれほど不自然ではないだろう。

 わざわざ変装したのは、ホテル従業員がマイルズの特徴をカーソンに伝えて確認を取っても問題がないようにするため。

 

 そして作戦は実行に移された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 マイルズ・キャロルへと成り代わったヒソカが、ミレニアムホテルへ向かって歩を進めていると、道に迷っているらしき男女二人組が視界に入ってきた。何やら女が男に話しかけている。 

 

──ねぇ、エヴァン。ミレニアムホテルって名前どっかになかった?

 

 エヴァン……?

 

 偶然だろうか。いや、違う。

 

 線の細い身体に灰色のミディアムヘア。ベージュのインバネスコート。

 

 よく見るとクロロが言うエヴァン・ベーカーの特徴と一致している。念能力者でもある。間違いない。彼がエヴァン・ベーカーだ。

 

 ヒソカは内心、ひっそりと口角を上げる。

 

 どうやら彼らもミレニアムホテルを目指しているようだし、都合がいい。

 

 少し観察してみよう。遊びがいがある玩具なら……。

 

 さりげなく玩具候補(エヴァン)に近づき──。

 

「……失礼。もしかしてミレニアムホテルをお探しですかな?」

 

──演技(トリック)開始♥️

 

 

 

 

 

 

 

 

 月明かりが廊下に射し込む。静謐(せいひつ)だが、どこか寂寥を孕んだ絵画を思わせるステージ。

 相対するエヴァンから殺気は感じない……が、何か企みのありそうな趣。何かを隠しながらイタズラを仕掛けるのはヒソカも頻繁にやる。だから、今のエヴァンがそうであることはなんとなく分かる。

 しかしその内容までは分からない。されど不満はない。それくらいでないとツマラナイからだ。

 

 いいね。せっかくのタイマン。楽しませてほしいな。

 

 タイマンの誘いが何らかの罠であろうことは察せられたが、別に構わなかった。自分ならば対処できると思っていたし、今もその考えは変わらない。

 自分は最強である。そう確信している。

 

「僕の能力が分かったみたいだけど、対処できるかい?♣️」

 

「さぁ? どうだろうな」

 

 惚けた返答にも気分を害されはしない。愉快な玩具が目の前にあるのだ。むしろ気分は良い方と言ってもいいだろう。

 

 僕の念能力をここまで推理されたのは初めてだ。

 

 特に『薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)』を知る者は少ない。エヴァンよりも詳しい人間は、ヒソカだけだろう。

 

 けど、だからといって能力の厄介さは損なわれないよ。

 

 予想よりも高い推理力。変装を見破ったことといい、面白い。騙し合いができる相手は貴重だ。とてもいい。

 やはり気分が良い。最高だ。

 だが──戦わなければ満たされない!

 

「何もしないなら、こちらから行くよ♠️」

 

 トランプを取り出し、周を施して投擲。この(かん)、およそ0.5秒。熟練の速攻だが、これでも全力ではない。ヒソカからすれば戯れにすぎない。

 

「うわっ」

 

「!」

 

 エヴァンが回避。 

 そう、回避したのだ。隠により極めて見えにくくして飛ばした『伸縮自在の愛(バンジーガム)』を。

 

「……へぇ♥️」

 

 エヴァンが眼球にオーラを集めている様子はない。

 

 偽装を見破る発……? いや、クロロの話では身体能力を飛躍的に上昇させるものだったはず。

 

「危ないなぁ。ところで大人しく捕まる気は……あるわけないよね?」

 

「? そりゃあそうだよ。変なこと訊くね♣️」

 

「あ、うん。ごめん。じゃあ、やろうか」

 

 エヴァンがレッグホルスターから大型自動拳銃──デザートイーグルを取り出す。

 

 そう言えば射撃も得意なんだっけ。

 

 エヴァンの練が一層激しさを増し──。

 

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

 窓ガラスを砕き、白銀の銃弾がヒソカに殺到する。

 俺の愛銃(デザートイーグル)がお仕事をしたのではない。ミザイに紹介してもらった協力者──ブラックリストハンターのリッポーが外から狙撃したんだ。したんだけど……。

 

「……おいおい、嘘だろ」

 

 急所は全て回避しやがった。信じられない。完全な意識外からの、完成された不意討ちだったはずなのに……。

 

 ヒソカに「タイマン」であることを印象付けるために「タイマン」の文言を会話に入れつつ、暗示系の能力──『信じる者は救われない(ラッフィングライアー)』を発動していたんだ。やや強引だったかもしれないが、疑われてはいなかったと思う。手応えもあった。

 念能力まで使い、不意討ちの可能性を意識から外していたのに対応されてしまった。多少被弾したようだが、行動不能には至っていない。まずい事態だ。

 

 ……甘かった。

 

 肩から血を流しながらもヒソカが笑う。

 

「びっくりしたなぁもう♦️」

 

「……こっちもびっくりだよ」

 

「最初からこれが狙いだったんだね。気づかなかった。いや、そうさせられていたのかな……?♥️」

 

「……」

 

 沈黙するしかない俺を見て、ヒソカが納得顔になる。

 

「ふーん、なるほど。どうやら君も僕と同類みたいだね♠️」

 

 ヒソカがおぞましいオーラを噴出させる。不気味な堅だ。

 

 仕方ない。やるだけやってやる。

 

 俺にだって譲れないものはある。トリックを仕掛けてきた相手からは逃げたくない。どんな手を使ってでもトリックを解明し、勝ちたい。謎を解きたい(勝ちたい)んだ!

 

──練!

 

 さらに『嘘は真実(リバース)・身体能力』を発動しようとしたその時。

 

──prrrrr……prrrrr……。

 

 突然の呼び出し音。

 

「「……」」

 

 なんだろう、この空気。

 

 音の源はヒソカの携帯だろう。

 

「……誰だい、まったく……ん?♣️」

 

 携帯を見たヒソカが妙な反応を見せる。なんだってんだよ。

 ピッと場違いに明るい音。ヒソカが通話を開始する。

 

「君が掛けてくるなんて珍しいね。クロロ♥️」

 

 クロロ……?

 

「……薔薇が? ……そう、じゃあもういいんだね。……分かったよ。……♦️」

 

 薔薇? 駄目だ。情報が足りなすぎて何が何やら。

 

 しかし俺のことなどお構い無しに状況は動く。

 

「なんだか萎えちゃった。今日はもう帰るよ。またね♣️」

 

 自分の言いたいことだけ言ったら窓から外に消えてしまった。

 狙撃手がいると分かっていても、全く障害にならないんだろうな。恐ろしいことに。

 まぁ、狙撃手(リッポー)には狙撃後、すぐに撤退するようにお願いしてあるから、もういないだろうけど。ヒソカであるにしろ、そうでないにしろ、強力な念能力者である可能性が高かったし、俺の都合で呼び出しといて死なせたくはないからね。

 

 ヒソカが去り、気が抜けたからか、急に疲れを感じてきた。

 

「ふー。……しんど」

 

 ふと、肌に冷たい風が当たる。

 

「……寒」

 

 初冬の夜風が月光と踊っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 タイマン(偽)から数日後、ハンター協会本部の一室に俺はいた。年季の入ったテーブル、その相方たる簡素なパイプ椅子に座り、先日の協力者──リッポーと向かい合う。

 

「この前はありがとうございました」

 

 先ずは感謝を述べる。

 

「失敗した手前、その言葉は受け取れないよ」

 

「しかし行動していただいたのは事実です」

 

「……どういたしまして」

 

 渋々といった体でそう言ったリッポーに追い討ちを掛けるべく、今回の対価を懐から取り出し、テーブルに置く。

 

「ボイスレコーダー?」

 

 リッポーが不思議そうな顔をする。気持ちは分かる。

 

「まずは聴いてください」

 

 再生を開始。

 そして短い再生時間が終わるとリッポーが苦笑する。

 

「これはヒソカ・モロウも堪らないだろうね」

 

「元々単なる保険でしたが、役に立ってよかったです」

 

 ボイスレコーダーには、俺がヒソカの能力を推理した時の会話が録音されている。つまりヒソカの能力が分かる資料に他ならない。勿論、これが絶対の真実と断じるには至らないが、ある程度の信用は置けるだろう。

 

 さて、ヒソカは刑法的には連続殺人犯だ。通常ならハンター協会の刑事事件担当部署が対処するんだけど、ヒソカはこれを普通にはね()けてしまう。担当部署からは死人が大量に出る。ハンター協会にとっては損失でしかない。

 こんな時はどうするかというと、懸賞金を掛けてブラックリスト入りさせる。すると、プロアマ問わずブラックリストハンターが対処するようになる。この方法ならば基本的に懸賞金の額に見合った実力者しかヒソカに戦いを挑まないから、死人を悪戯に増やさないで済む。

 実際、ヒソカもそのブラックリストに載っている。けど、やはり誰もハントできずにいた。強すぎるんだ。

 

 そこで本日の目玉商品。ヒソカの発、解明セットのご紹介です。

 この商品は今まで明るみに出なかったヒソカの2つ目の発──『薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)』も対象に含んでおります。内容については、なんと本人の言質(品質保証)付き!

 本日は日頃のご愛顧に感謝し、特別価格でのご紹介です。

 

 ……なんちゃって。

 

「先日の対価として差し上げますよ。プロのブラックリストハンターのほうが有効活用できるはずです」

 

「いいのかい? 情報ハンターに売ったらそれなりの金になるよ?」

 

「いいのです。これはお金目的の行動ではありませんから」

 

 リッポーがしげしげと俺を見てから、口を開く。

 

「……やはり君もプロハンターになるべきだ。どうだい、私と組んでみないかい?」

 

「お気持ちだけ、ありがたく受け取っておきます」

 

「そうかい。話には聞いていたから期待はしていなかったけどね」

 

「申し訳ありません」

 

「……ボイスレコーダーは活用させてもらうよ。正直、助かる」

 

「はい。期待させていただきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハンター協会本部ビルを後にし、コンクリートジャングルを歩く。

 

 俺の目的はヒソカに追撃を加えること。

 

 犯人に逃げられることは、探偵としては完全敗北だ。タダでは引き下がりたくない。というわけで情報面から一撃をくれてやった。要するに性格の悪い嫌がらせである。

 

 さぁ、帰ろ帰ろ。

 今回はホント疲れた。もう2度とやりたくない……嘘だけど。

 

「……ふふ」

 




小説書くの難しいなぁ。


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ラブこめ! [前編]

クオリティは許してほしいです……。


 大規模パーティーの料理を、超人的な技術、速さ、そして情熱を以て作っていく。

 艶やかなエメラルドグリーンのミディアムヘアはしっかりと結われている。髪の毛が作品に落ちては堪らない。

 

 広い厨房には、弱冠21歳にしてシングルハンターの称号を得た気鋭の美食ハンター、メンチただ一人。

 

 時間は……。

 

 忙しく動きながら、ちらり、と時計を視界の端に収め、残り時間を確認する。猶予はそれほどない。が、順調に進められている。問題もない。

 

 なぜ、たった一人で大人数の料理を作っているのか?

 

 それは、言ってしまえば単なる“こだわり”だ。メンチは調理に際し、幾つかのこだわりを持つ。そのうちの一つに“自分が調理するなら全て一人でやりきる”というものがある。

 それが今現在の状況の原因。だが、このやり方で今までやってきたし、こなせなかったことは少ない。此度の依頼は達成できそうだ。

 

 そして、とうとう盛り付けが完了する。

 

「よし、完成!」

 

 数々の料理が宝石のように輝いていた……。

 

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 

「立食パーティーねぇ……」

 

 ベーカー探偵事務所に俺の呟きが零れ落ちる。つい独り言を言ってしまった。

 

 先日、ハンナから貰ったパーティーの招待状が、存在を主張している。

 ハンナの実家が開催するパーティーになぜか俺も呼ばれたんだ。なんとなく警察関係者にカテゴライズされている気がする。

 

 まぁ、それはいいんだけど、問題は俺にマナーなどというスキルがないことだ。

 参加して大丈夫なのか? でもハンナには世話になってるしなぁ。それに招待状に気になる一文もある。

 

“料理担当・メンチ(シングル美食ハンター)”

 

 これは無視できない。原作を知る人間からすればメンチの料理は是非とも食べてみたい。

 

「……」

 

 パソコンを立ち上げ、「立食パーティー」「マナー」で検索。応急処置である。

 

 

 

 

 

 

 

 サヘルタ合衆国北西部に位置する海岸の町──ルトアシまで遠路遥々(はるばる)やって来た。ここにパーティー会場がある。

 ちなみに、パーティーの開催理由は新規事業立ち上げとレイエス家当主グレイソン・レイエスの誕生日を祝って、とかいうものだった。そんな理由でいちいち大規模なパーティーを開くのか? コネ作りとか広報宣伝の一貫? 住む世界が違いすぎてよく分からない。

 

 ホテルに到着するとよく見知った顔を見つけた。

 

「よ! 長旅お疲れ!」

 

 パーティードレスに身を包んだハンナが、元気に声を掛けてきた。中身はいつも通りだね。

 

「お疲れ。料理に釣られて来ちゃったよ」

 

「メンチちゃんのご飯はすごいよー」

 

「食べたことあるんだ」

 

 よく考えたらお金持ちの娘だもんな。さもありなん。

 

「それより何か言うことあるよね?」

 

 意味深に目を覗き込まれる。

 

「あー、はいはい」

 

「うんうん」

 

「ご招待いただき、ありがとうございます」

 

 ハンナがずっこけた。実に漫画っぽい。……漫画の世界だったわ。

 

「嘘嘘。ドレス、似合ってるよ」

 

「……まぁ、いいでしょう。今回はそれで許してしんぜよう」

 

 次第にハードルが上がっていくのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 ハンナと伴にパーティー会場に入ると、またしても顔見知りに遭遇した。

 顔見知りの名はエイデン・レイエス。ハンナの親父さんで警察庁のお偉いさんだ。何度か話したことがある程度だが、向こうも普通に覚えていたみたいだ。

 

「やぁやぁ、エヴァン君。よく来てくれたね。活躍は聞いているよ」

 

「ご無沙汰しております。エイデンさんもお元気そうでなによりです」

 

「もっと砕けてくれてもいいんだよ? 私は君の上司でもあるまい」

 

「いえ、流石にそういうわけには……」

 

 め、めんどくさい。たしかに上司部下じゃないけど、社会的立場による上下関係は無視できないんだよ!

 

「お父さん」

 

 ハンナのテコ入れだ。ナイスフォローである。

 

「ははは、困らせてしまったようだね。ハンナが恐いから私は行くよ。今日は楽しんでいってくれ」

 

 そう言ってエイデンは去っていった。

 ハンナが「お父さん、探偵大好きだから……」と呟いていた。

 ふむ。もしやミステリージャンキーか? 仲間の可能性があるようだ。親交を深めるべきか……。

 

 ふと、広い会場の前方にあるステージが目につく。ピアノとマイクがセッティングされている。歌手でも呼んだのだろうか。

 

「ハンナ。あのステージは?」

 

「ああ、アダム・プースが来るみたいよ」

 

「アダム・プース……?」

 

「歌手だよ! 今年ブレイクして、どこ行っても流れてたでしょ?」

 

「……あー、そう言えばいたなぁ」

 

「もう! 興味ないとこれだよ!」

 

「いやいや興味ないわけじゃないよ」

 

 しかし俺の主張は信じられていないようだ。疑わしげなジト目である。が、ホントに少しは興味がある。

 だってアダム・プースって多分天然の念能力者だし。

 以前、街で見掛けた時、声にオーラが乗っていた。ただし纏はしていない。つまりはそういうことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 パーティーはつつがなく進行し、いよいよ乾杯からのお食事タイムだ。テーブルには見たこともない料理がところ狭しと並んでいる。めっちゃ旨そうだ。

 

 レイエス家の知らない爺さん──多分この人が当主のグレイソン──がステージでグラスを掲げる。

 

「──レイエス家の繁栄を祈念しまして、乾杯!」

 

「「「乾杯!」」」

 

 そこかしこからグラスを接触させる音が聞こえてくる。

 さぁ、食べますか!

 

 

 

 

 

 

 

 うっま。うっま。うっま。

 

 乾杯の後、特にやらなきゃいけないこともない俺は、ちょっとシャレにならないくらい旨い料理をひたすらに食べていた。が、なんとなく手を止め、会場を見回す。

 

「お」

 

 ステージ横にラフな格好の女性を発見した。

 特徴的な髪型(?)と綺麗な纏。多分、あの人がメンチだろう。

 あ、目が合った……と思ったらすぐに視線が外された。メンチに女性が話し掛けたんだ。その女性も念能力者だ。メンチには劣るがなかなか安定感のある纏だ。

 

 この会場、念能力者多くない? 普通はこんなに集まらないんだけど。

 

 とは言ってもそういうこともある。まぁいいか、と食事を再開しようとした時、司会をしている姉ちゃんの明るい声が響き渡る。

 

「それでは、皆様お待ちかね、特別ゲスト、アダム・プースさんの登場です!」

 

 歓声と拍手が会場を包む。どちらかというと黄色寄りの歓声だ。

「メンチもはしゃいでるんかね?」と思って見てみるとあきれ顔だった。原因はもう一人の念能力者の女性だな。遠目でもはっきり分かるくらいテンション上がってる。若干、練になってるし、相当だ。

 

 ん? メンチがそそくさと会場を後にした。なんかあんのかな。なんかあっても、まず俺には関係ないだろうからいいんだけどね。

 

 今度こそ食事を再開。うっま。アカン、これは知能指数が10くらいまで下がってしまう旨さだ。

 

──you're~♪♪

 

 お、歌が始まったみたいだ。

 ウィスパー寄りの裏声ミックス、要するに柔らかい高音で、バラードによく合っている。そして、やっぱりオーラが声に乗って皆に届いてるね。

 これが天才か。たしかに流行るのも頷けるクオリティだ。そして女性受けが良さそうな曲調である。おそらくそこがメインターゲットなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 アダムが1曲歌い終わるごとに会場から盛大な拍手が起こる。

 と、3曲目が終わったこのタイミングで、司会の姉ちゃんのターンになるようだ。

 

「はーい、素晴らしい歌声でした! しかーし、次の曲に入る前に少しお時間をいただきまーす!」

 

 ここでブーイングなどという品のないことをする輩はいないようだ。流石の上流階級である。やっぱり俺、場違いじゃなかろうか。

 

「レイエス家一同からグレイソン氏へサプライズプレゼントがあります! メンチさん、お願いします」

 

 ほー、そういうアレか。

 

 メンチが銀の蓋──クローシュ──がされた皿を持って現れた。グレイソンのいるテーブルにスムーズな所作で運ばれる。

 このパーティーは半立食と呼ばれる形式なので、座って食べられるスペースも用意されている。年配の方とかに配慮したんだろうね。

 

 皆の注目を集める中、メンチがクローシュを掴み、そして取り払う。

 

「!?」

 

 おー、グレイソンがめっちゃ驚いてる。周囲の人間もどよめいてるし(これは困惑か?)、よっぽど凄い料理なんだろう。

 すかさず司会の姉ちゃんの解説が入る。

 

「こちらの料理は、数年に一匹捕れれば幸運と言われる幻の食材、獅子マグロのステーキでございます! メンチさんの特製ソース付きです。羨ましい! しかし時価がお幾らになるのか恐ろしくて訊けません!」

 

 まさかのマグロである。すごく食べたい。見た目はアメリカンになっちゃったけど、中身は普通に日本人。マグロには多大なる魅力を感じる。

 

 グレイソンがキラキラと輝くソースにマグロを付け、口に運ぶ。ゆっくりと咀嚼。そして、飲み込んだ次の瞬間──。

 

「っ……!」

 

 目を剥き、苦悶の色に染まり──絶命。あまりに場の雰囲気にそぐわない光景に、皆、静まり返っていたが、それはすぐに終わりを迎えた。

 

「きゃあああ」

 

「……脈も呼吸もない。これでは……」

 

「お、親父!!」

 

「きゅ、救急車」

 

「皆さん、落ち着いてください!」

 

 悲鳴を上げる者を始め、其々がバラバラに行動しているせいで混沌としている。その中で、ある意味一番目立っているのはメンチだ。呆然自失のままオーラを不安定に波打たせ、不穏な空気を撒き散らしている。

 

 ふぅむ。パッと見、毒殺っぽいがどうだろうか。この世界、不可思議かつ未解明な現象が蔓延(はびこ)ってるからなぁ。

 

 そんなことを考えてると、ハンナがやって来た。

 

「いたいた。殺人事件だよ。早く行こう!」

 

「りょーかいっす。ところでエイデンさんは?」

 

 こういう事態ならプロの警察官は多いほうがいい。権威ある立場の人のほうが混乱には効く(・・)。ただしハンナだと見た目的に少し弱い。

 人は見た目により大きな影響を受けるからね。仕方ないね。

 

「お父さんは先にあっちに行ったよ」

 

 ハンナがグレイソンのいる混沌空間を指差す。視線を送るとエイデンが何やら指示を出しているのが確認できた。仕事が早いとこは親子だなぁって思う。

 

「私たちも!」

 

「ほいほい」

 

 ホイホイとハンナの誘いに乗って突撃である。

 勿論、ハンナがいなくても最終的な行動は変わらない。当たり前だろ?

 

 

 

 

 

 

 

 皆さんの垂れ流しオーラが嫌な匂いを放っている現場に入る。俺たちが到着した時には、場全体への指示を終えたエイデンがメンチに話し掛けていた。

 

「……こちらの料理はメンチさんが調理されたのですかな?」

 

 まぁ、情況的にメンチの存在は無視できないからこうなるよね。

 

「……まさかあたしを疑ってるの」

 

 ギロり、と物騒極まりない眼光。

 メンチのオーラが沸騰し始め、落ち着きを取り戻しつつあった参加者たちが訳も分からずに怯え出す。

 しかし周りが見えていないのか、メンチはお構い無しに感情(オーラ)を爆発させた。

 

「ナめんじゃないわよ! こちとら料理に命を掛けてんのよ! 料理を冒涜するわけないでしょ!!」

 

 熱風のようなオーラに至近距離から晒されたエイデンが鼻白むも、それでも反論する意志は折れていないようだ。つよい(小並感)。

 

「し、しかしだね。明らかな毒殺ならば料理人を疑わざるを得な──」

 

「うるさい! いい加減にしないと──」

 

「まぁまぁメンチさん、一旦落ち着きましょう。……ね?」

 

“ね?”の所でメンチさんに向かって全力の練をしといた。イメージとしてはタチの悪い酔っぱらいに水をぶっかける感じ。

 

「!」

 

 メンチがビクっとオーラに反応する。警戒されてるね。

 

「……誰よあんた? 邪魔しないでくれない?」

 

「私は、私立探偵のエヴァン・ベーカーと申します」

 

「エヴァン……、聞いたことがあるわ。そう、あなたがあの……」

 

 何それ、凄い不安になるんだけど。一体どんな風に言われてるんだか。

 

「メンチさんのご活躍は伺っています。貴女がこんなことをするわけがないことも理解しています。それならば(・・・・・)、警察に調べてもらい、さっさと身の潔白を証明させてはどうでしょうか」

 

「……」

 

 鋭い視線が俺に突き刺さる。見定められているのだろう。

 

「……ふんっ」

 

 メンチが鼻を鳴らし、近くにあった椅子にどかっと座る。「好きにしろ」ということだろうか。

「イエスアンド法」が一応は功を奏した……のかね。

「イエスアンド法」は相手に与える不快感を抑えつつ、反論などをする話法で、有名な「イエスバット法」の亜種みたいな立ち位置だ。やり方としては「相手の意見を肯定→肯定的接続詞→自分の意見」という流れで会話するだけ。

 

 メンチのオーラは先ほどより落ち着いているように見える。

 

 なんとかメンチを鎮めることができたと内心ホッとする。原作知識的に言っても無実だろうし、無駄に争うのもバカバカしいしね。

 

 

 

 

 

 

 

「なっ!? 嘘でしょ!?」

 

 メンチの悲鳴混じりの怒声。

 

 地元の警察による捜査で、ある物が見つかった。発見場所は厨房に置かれたメンチのリュック内。

 

「あたしはそんな毒は知らない! 何かの間違いよ!」

  

 メンチの剣幕に、ルトアシ西警察署に勤務する年若の警官がビビりながらも職務を遂行する。

 

「し、しかし事実です。つきましては重要参考人として詳しくお話を伺いたいので署までご同k」

 

「嫌よ! なんであたしがそんなことをしなきゃいけないの! 絶対行かないから!」

 

 まさに「取り付く島もない」といった感じだ。

 

「分かりました。そういうことでしたら段取り(・・・)を踏んでからまた来ます」

 

 青年警察官はそれだけ言って、去っていった。

 うーん、この修羅場。

 メンチが熱くなりやすく、視野狭窄に陥りがちな人間なのは原作通りのようだ。だが、このままでは逮捕令状が出るのも時間の問題なうえに心証も最悪。メンチにとってはなかなかに厄介な状況と言える。

 

 ここで、一人の女性がメンチを(たしな)めようと話し掛ける。先ほどアダムに大はしゃぎしていた念能力者の女性だ。メンチの姉弟子でエクレという名らしい

 

「そんな態度じゃ駄目だよ。立場悪くしちゃうよ」

 

「……料理をこんなくだらないことに使う人間と思われるのが我慢できないのよ!」

 

 お、エクレの言葉には少しは聞く耳を持つようだ。一応会話が成り立っている。

 

「メンチちゃんの気持ちは分かるけど、もうちょっとだけ優しくしてあげたほうがいいよ。分かるでしょ?」

 

「理屈じゃないの。これはあたしのプライドの問題。この屈辱は受け入れられないわ」

 

 うーん、会話は成立しているけど、あくまで平行線である。理屈VS感情じゃ決着つかんわな。

 

 さて、ちょっと提案してみるか。いい加減、御馳走(ミステリー)を前に待て(・・)が長すぎる。

 

「少しいいですか?」

 

「駄目よ。引っ込んでて」

 

 ちょ、それはないっすよ、メンチさん。

 

「またそうやって。ごめんなさいね。悪い子じゃないんだけど、今はちょっと冷静じゃなくて」

 

 エクレのフォロー力の高さよ。ブハラの代わりにこの人をハンター試験に連れていったら、原作みたいにこじれなくて済むんじゃなかろうか。

 

「分かっております。この状況は誰でも堪えますから」

 

 チラっとメンチを流し見る。オーラに大きな乱れはない。

 

「それにあれほど美味しい料理を作る人間が、努力の結晶である料理に毒を盛るなどあり得ません。それくらいは素人にも理解できます」

 

 前世含めて間違いなく一番旨かったしね。

 

 メンチに外形上の変化はないが、気持ち刺々しさが減ったような気がしないでもないようなそうでもないような。

 

「どうでしょう。私に“無実の証明”をご依頼いただけませんか?」

 

「……あんたにできるの」

 

「勿論……と言いたいところですが、依頼達成率は9割程度です」

 

 ここは誠実に行く。調べればバレる嘘をついて信用を失いたくはない。特に、今のメンチから信用されるのは大変そうだし。

 

「ですが、全力は尽くします。それは探偵の“プライド”に掛けて誓います」

 

「……分かったわ。噂通りか試してあげる」

 

 メンチに俺はどう見えているのだろうか。そして何を知っているのか。知りたいような知りたくないような……。

 若干の引っ掛かりを覚えつつ、お仕事開始である。

 

 

 

 

 

 

 

 ドレス姿のまま地元の警察に混じり、しれっと捜査に参加していたハンナと合流し、情報を共有する。

 

 ハンナ曰く、料理は全てメンチが1人で用意しており、特に獅子マグロに関しては捕獲段階からメンチ以外の関与はない、とのことだ。

 毒はメンチの特製ソースに混入していたようだ。種類も特定されており、極微量で人間を始めほぼ全ての哺乳類を殺害できる猛毒だったらしい。

 

 なぜこんな短時間でそこまで分かるのかというと、警察が抱える“毒見役”と呼ばれる存在のおかげだ。彼らはかのゾルディック同様、あらゆる毒に耐性を付ける訓練を積んでいる。しかも毒ごとの味や微細な身体の反応を見極める技術まで同時に身に付けて。これで念能力者じゃないのは理解に苦しむよ。

 毒見役は極端に数が少ない。理由は習熟難易度の高さと、習熟後には毒が効かなくなる、つまりは通常の用途での治療薬も無効化してしまうデメリットの存在だ。制約と誓約じみたデメリットまであってマジで念能力者と定義してもよさそう。

 

 ま、今回は運良く、この現場に来てくれたから助かったぜ。

 しかしメンチの無実を証明するにはマイナス要素が多い。ふぅむ。

 パーティー開始2時間前から捜査がなされるまでに厨房に入った人間はメンチしかいなかったらしいが、まずはここからつついてみる。

 

「厨房に誰も入っていないことの根拠は?」

 

「厨房へと繋がる通路は一つだけなんだけど、その通路は、ほら」

 

 そう言ってハンナが指差したのは、開けっ放しになっているパーティー会場の入り口。

 

「あー、なるほど」

 

 パーティー会場の入り口は一本の通路に面している。そして、パーティーが進行している時には受付担当数名と警備員一名が入り口にいたはずだ。つまりは複数人の証言があるってことだ。

 

「受付担当者や警備員はいつから入り口にいたんだ?」

 

「警備員はパーティー開始の3時間前にはいたらしいよ。準備段階からいたってことだね」

 

 準備中からか。人の出入りがそれなりにあるにもかかわらず、目撃証言がないとなるとなぁ。

 あ、このパターンはどうだろ?

 

「入り口にいた従業員全員が共犯の可能性……は流石に低いか」

 

「なくはないとは思うけど、本来の受付担当を予定してた人が熱で休んだみたいでさ、今日になっていきなり受付をやることになった人もいたんだよね」

 

「受付担当者からすれば、あらかじめ予想できなかった状況ということか」

 

 じゃあ、計画的に受付担当と警備に共犯者を揃えるのは難しいね。一応、後で嘘発見器(笑)に掛けるつもりだけど、望み薄かな。

 

 うーん、割りと不利な状況だ。諦める気は更々ないけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 ハンナと別れた後、関係者に聞き込みを行った。

 入り口の受付担当者と警備員にも当然、話を聞いたが、幾つかの質問に対して嘘はなく、共犯関係もないようだった。

 そして、ハンナの言う通り「パーティー開始2時間前から捜査時まで厨房に入った人間はメンチのみ」との証言が、受付担当者、警備員及び一部のパーティー出席者から得られた。勿論、嘘発見器(笑)は沈黙したまま。

 念能力か? しかしエクレやアダムに動機があるだろうか? うーん、現時点では事件を起こす理由がないように思える。加えて、エクレに関してはメンチの態度からもちょっとなぁ……。

 

「……」

 

 まさかメンチが黒……? いやいやいや原作を見る限りそんな雰囲気はないと思うんだけど……。原さk──。

 

 ここで「ハッ」とする。

 

「原作によると」だとか「このキャラはこういう人間だから」とかに拘泥(こうでい)するのは危険だ。これらはあくまで「こことは違う世界における創作の内容」にすぎない。そこから得られる情報、印象は参考程度に抑えるべきだ。そちらのほうが無難だろう。

 今までの俺は、謂わば「原作知識バイアス」に陥ってしまっていた。「あの(・・)メンチが真犯人のはずがない」ってね。

 

 一度、ゼロベースで考えてみよう。

 

 状況的にはメンチの犯行に見える。が、仮にメンチが真犯人だとして、あからさまに自分が疑われるような物的証拠を残すだろうか? まして情況証拠がある状態で、だ。

 

「……ないな」

 

 普通、素人でもこれくらいの予見はできる。メンチは優秀な人間が集まるプロハンター、その中でも希少な星持ち。精神面に大きな欠点があるとしても、素人以上の犯行が可能だろう。

 しかも被害者との関係から考えても動機があるようには思えない。

 ならば、やはりメンチは白……のはずだ。

 

 しかし証拠は黒だと主張している。

 

「うーむ」

 

 ……あんまりやりたくはないが、メンチに嘘発見器(笑)込みで詳しく話を聞くか。

 そしてエクレとアダムにも。念能力者ならば技量や発次第で色々できてしまうからね。ただなぁ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 メンチはロビーにある椅子に座り、不貞腐れた顔で携帯を弄っていた。

 こうして見ると普通の若い子って感じだな。まだ21だったか? 若いなぁ。

 

 (おもむろ)に近づく。

 

「メンチさん、今、大丈夫でしょうか?」

 

「……なに」

 

 うっは、機嫌悪すぎぃ! 

 

「メンチさんからも事件についてお聞きしようと思いまして」

 

 メンチが目を細める。読心能力のない俺にはその心裏を把握しきることはできない。

 が、なんとなく何かありそうな気はする。まさか本当に黒なのか? いやしかしな……。

 

「メンチさんは被害者のグレイソン氏とは面識がありましたか?」

 

「何回か依頼を受けたことがあるわ」

 

 嘘はない、か。となると動機がある可能性が当初の予想よりは上がるな。次。

 

「では、調理は全てお一人で行ったようですが、その理由は?」

 

「あたしの理想を邪魔されたくないからよ。料理は自分の持つイメージの具現化。他人の介入は歪みを生むわ」

 

 なんとなく言いたいことは分かるけど、なんというか凄い職人気質だな。妥協するくらいなら料理はしない! とか言いそう。

 

「なるほど。それは今日に限らずいつも、という認識でよろしいですか?」

 

「当然でしょ?」

 

 ここまで嘘はない。

 

「失礼しました。それでは次の質問です」

 

 その勝ち気な瞳を真っ直ぐに見つめ。

 

「メンチさんは事件に関して何か隠していますか?」

 

 ストレートに「貴女が真犯人ですか」と訊きたいところだが、流石にぶち切れそうだからオブラートに包んだつもり。

 しかし、というか、やはりというか……。

 

「はぁ? そんなわけないでしょ? さっきからなんなの! あんたも私を疑ってるわけ!?」

 

「念のためです。皆さんから先入観なs──」

 

「ふっざけんな! そんなの建前でしょ! 耳触りのいいこと言って、結局あんたも私がやったと思ってるんじゃない!!」

 

「……」

 

 互いに沈黙。冷たく鋭いオーラが痛みを錯覚させる。

 

「もういい。依頼は破棄よ。さっさと私の視界から消えて頂戴」

 

 ピシャリと言い切られてしまった。食い下がろうと口を開きかけて……やめる。メンチを見るに無駄だろう。一旦退くしかない。

 

「……分かりました。失礼します」

 

 メンチに背を向け、ため息一つ。足は重い。

 

 やらかしてしまった。

 能力を使用し、尋問をすることに慣れすぎていたんだろう。そういった行為が感情的な部分に与える影響を知らず知らずのうちに軽視していたのかもしれない。俺にとっては何でもない質問でも、される方からすればそうではないこともある。違う価値観、感性を持つ人間なのだから当たり前だ。そこへの認識が甘くなっていた。結果、ちょっと言い方を工夫すれば大丈夫と思ってしまった。

 

 俺の依頼制約は、一度破棄されると他の人間から再度同じ事件について依頼を受けても制約クリアにはならない。俺の発はそんな抜け道じみた方法は認めないらしい。『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』は半天然型の発だ。要するに全てを俺が設定したわけじゃないから、こういう融通が利かないとこがあるってことだ。

 結論、この事件については大半の発が永久に使用できなくなってしまった。

 

「これは反省しないとなぁ……」

 

 今回はミスが目立つ。

 

 しかし、だ。そんな中でも得られたものはある。嘘発見器(笑)が制約により使えなくなる直前、確かに聞こえたんだ。いつものチープな声が。

 

──嘘つき! 嘘t。

 

 メンチは事件について何かを隠している。これは間違いない。原作ファンの1人としてはあってほしくない事態も想定しておかなければいけないようだ。

 



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ラブこめ! [後編]

 気を取り直して調査を続ける。

 一応、ハンナたちからも捜査協力を黙示(もくし)の意思表示で受けているような状態だから、特に咎められたりはしないはず。

 とは言っても、ほとんどが俺の自己満足だ。だが、メンチ同様、俺にも譲れないものはある。

 こんな中途半端な状態では終われない。終わりたくない。発なしでもこの事件の真相に届いてみせる。その衝動に嘘はない。珍しくな。

 

 というわけで現在の目的はアダム・パースとエクレだ。

 

 地元警察はパーティー関係者に対して「数日はホテルに滞在するように」との要請を出した。強制力はないため、受け入れるかどうかは個人の判断によるが、多分、エクレは残ってるだろう。けど、アダムはめちゃくちゃ忙しそうだからなぁ。

 

 まずは警察にアダムについて聞こうと思ってたら、普通にアダムを発見した。つーか、警察と話してた。なに話してんだろ?

 

「駄目ですか?」

 

「えーと、一応、現場の物なのであまり触ってほしくないのですが……」

 

 んー? アダムが何やらお願いをしてるのか? 揉めるまでは行ってないようだけど、お互いに困ってる感じだ。

 

「どうしたんですか?」

 

「あ、エヴァンさん」

 

 2人が俺を向き、警官の兄ちゃんが説明する。

 

「なんでも、アダムさんがステージにあるピアノを弾きたいのだそうです」

 

「……え? そうなんですか?」

 

 アダムに視線を送りつつ、問うと、アダムが頷いてから答えた。

 

「ええ。僕は弾かないといけないのです」

 

「なるほど」

 

 とりあえずテキトーに相槌を打ったが、もしかして制約と誓約だろうか? だとしたら弾かせてやりたいけど、この状況はなぁ。でも強硬に駄目って言うと帰りそうだ。念能力者ということで周りよりは疑うべき人物だし、できればいてほしい。

 味方してみるか。

 

「いいんじゃないですか?」

 

「え、いや、そういうわけには……」

 

 警官の兄ちゃんは困り顔だ。まぁ、そうだよね。我ながら妙なこと言ってるとは思うよ。

 

「アダムさんは真犯人なんですか? 違いますよね?」

 

「? そりゃあ違いますけど……」

 

「ピアノを弾かなければいけない、なんらかの事情もあるのですよね?」

 

「……はい。上手くご説明はできませんが、その通りです」

 

 嘘はないように思える。心理学上の、嘘をつくとき特有の特徴は見受けられない。加えて、オーラも平静なままだ。

 クルっと警官の兄ちゃんへ顔を向ける。あ、嫌そうな顔された。まぁ、構わず行くんだけど。

 

「というわけで許可してあげてはどうでしょうか?」

 

「えーと……」

 

「どうしたんだい?」

 

 お、向こうから来てくれたか。やって来たのはエイデンだ。

 早速、警官の兄ちゃんが事情を説明する。聞き終わったエイデンが「申し訳ないが」と前置きしてから、予想通り(・・・・)のことを言った。

 

「どこに重要な証拠があるか分からない以上、許可はできない」

 

 アダムが諦めを浮かべる。

 

「……そうですか。仕方ありませんね」

 

 うん、エイデンさんから来てくれたこと以外は予定通りだね。

 この場で最も権力があるのはエイデンさんだ。で、エイデンさんは捜査に関して基本的には慎重な人。そんな人が現場の会場にあるピアノを弄るのを許すわけがない。

 じゃあ、なんでこんな無駄なお願いをしたのかって言うと、単純にアダムの好感度を稼ぐため。会話から情報を引き出すにしても、嫌われているよりそうでないほうがやりやすい場合が多いからね。

 

 変な希望を持たせてから落とす鬼畜の所業でポイント稼ぎ完了である。後はこのままの流れでトークタイムだ。

 

 

 

 

 

 

 

 話を終え、アダムと別れた俺は次の念能力者──エクレの下へ向かっていた。

 俺の心証ではアダムは白だ。この事件には全く関与していない……と思う。嘘発見器(笑)が使えればもっと自信を持って判断できるんだけど、ないからしゃーない。

 一応、毒を仕込める時間帯にアリバイはあるし、そもそもグレイソンやメンチとは初対面で動機もない。疑うべき要素は少ない。

 

 ホテル3階、309号室へとやって来た。エクレはこの部屋にいるらしい。

 ノックを4回。

 

「はーい」

 

 緩い声音と共にドアが開けられた。

 

「こんにちは。事件に関してお話を伺いに来ました。今、よろしいでしょうか?」

 

「あー、はい。大丈夫ですよ。入ってくださいな」

 

「失礼します」

 

 部屋にはこれといった特徴はない。

 

「どうぞ、お掛けください」

 

「ありがとうございます」

 

 促されるに従い、ソファに腰を下ろす。するとエクレから切り出してきた。

 

「メンチちゃん、依頼を引っ込めちゃったらしいですね」

 

 耳が早いな。メンチが喋ったのか? んー、メンチの様子を見てると少し想像しづらいが、気心の知れた同性となるとそういうこともあるか。というか、普通の女性であればよくあることだろう。

 

「ええ。怒らせてしまいまして」

 

「あまり気にしないでくださいね。メンチちゃんはああいう(・・・・)子だから」

 

「お気遣いありがとうございます」

 

「今は警察の依頼で動いているのですか?」

 

「そんな感じです。早速、幾つか質問させていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「どうぞ。私に答えられることならいいのですけれど」

 

 エクレの様子に特別おかしな所はない。オーラも安定してる。

 

「では、始めにメンチさんとのご関係についてです。姉弟子ということは、もう長いのですか?」

 

「ですねぇ。もう10年近い付き合いになります」

 

「お二人の仲はどうなのでしょう? そりが合わないなどありますか?」

 

「悪くないと思いますよ。かわいい妹みたいな感じです」

 

 ふむ。なるほど。

 

「エクレさんから見て、メンチさんは今回の事件を起こすような人物でしょうか?」

 

「あり得ないですね。メンチちゃんが料理を殺人に使うなんて考えられないです」

 

「ちなみにエクレさんはメンチさんが厨房でお仕事をされている時は何をなさっていたのですか?」

 

「このお部屋かパーティー会場にいましたよ」

 

「それを証言できる方はいますか?」

 

「パーティー会場にいた人なら証言してくれるかもしれませんが、確実にそのような人がいるかは分かりません」

 

 つまりアリバイはあったとしても不完全、と。これはハンナたちから聞いた情報通りだな。

 

「やっぱり私も疑われてるんですね」

 

「まぁ、一応は、といったレベルですが」

 

 嘘です。最初はあんまり疑ってなかったけど、今は違います。

 

「エヴァン君の中では犯人の目星は付いているのですか?」

 

「残念ながらまだです。状況的にはメンチさんが有力ではありますが、確信には至っていません」

 

「そうですか。早く分かるといいですね」

 

「ええ、頑張りますよ。それでは、これからまたメンチさんとお話ですのでそろそろ失礼しますね」

 

「はい。頑張ってください」

 

 ん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 エクレの部屋を後にし、ロビーを訪れるも、目的の人物──メンチはいなくなっていた。キョロキョロと見回しても見つからない。ロビーにはいないようだ。

 近くにいた警官の兄ちゃん──アダムの時の人だ──にメンチについて訊く。

 

「すみません、メンチさんはどこでしょうか?」

 

「あ、エヴァンさん。お疲れ様です。メンチさんはお部屋に戻られたようですよ」

 

 あら。

 

「何号室か分かりますか?」

 

「えーと、406だったかと思います」

 

「ありがとうございます。行ってみます」

 

 推理()が当たってればいいんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

「今度は何よ」

 

 406号室のドアが開けられ、相変わらず不機嫌なメンチが出てきた。 

 

「ある推理をメンチさんに聞いてもらおうかと思いましてね」

 

「……入って」

 

 お、これは脈アリかな。

 とりあえずは部屋に入る。

 

「失礼します」

 

 俺が閉めたドアへチラッと視線を送ったメンチが、今までとは違い、静かな調子で口を開く。

 

「聞かせてよ、あんたの推理とやらを」

 

 随分趣が違うな。ホントに期待できるかもしれない。

 

「単刀直入に言います。犯人はエクレさんですね?」

 

 俺の考える通りならばメンチも察しているはずだ。

 

「……知らないわ」

 

 そんな物憂げな顔で言われたら、言葉が本来の意味を持たないであろうことは誰にでも分かる。

 

「……」

 

 あえて問い詰めたりはせずに黙して待つ。

 数秒か数十秒か、短い沈黙。だが、最終的には観念したかのように「はぁ……」とメンチが溜め息ついた。

 

「言っておくけど、あたしも確証を得ているわけじゃないから」

 

「それは私も同じです。しかし幾つかの情況証拠がそう言っています」

 

 長くなりそうと思ったのか、メンチがベッドに腰を下ろす。

 

「あんたも座れば」

 

 顎で椅子を示された。素直に従う。

 

 じゃ、始めますか。

 

「まず前提として、グレイソン氏の死因は毒で、それはメンチさんの用意したソースに仕込まれていました。そして、ソースが用意された時間帯を含む数時間は、メンチさんしか厨房にいなかったと認識されています。メンチさんの認識も同じですよね?」

 

 確証を得ていないならメンチも同じはず。

 

「……そうね」

 

「この点は複数の証言がありますし、メンチさんの流儀にも合致します。が、これはある技術を使えば解決してしまいます。そうです。発または絶ならば人によっては可能でしょう」

 

 このパターンはアダムには馴染まない。アダムは普段から纏もしていない、要は(偽装でなければ)四大行すらできないと考えられる。そして声にオーラが乗っていたことから、おそらく発は歌唱関係だろう。演奏の義務化らしき制約と誓約も音楽方面の能力である根拠足り得るはずだ。念能力はそれぞれの人間性が如実に現れる。天然型なら尚更だ。アダムは完全に音楽に特化しているように見える。

 結論、アダムの発と絶では毒を仕込むのは不可能だ。

 

「このパーティー会場にいる念能力者は私、メンチさん、エクレさん、アダムさんの四人です。この内、アダムさんは技術的、念傾向的に不可能でしょう。アリバイもありますし、動機がない点も無視できません」

 

 消去法ではエクレが犯人になるんだけど、始めはその可能性は低いと思っていた。

 

「メンチさんに関しては、自らが疑われる要素をあからさまに揃える理由がありません。メンチさんが真犯人とすると不自然です」

 

 で、問題のエクレだが、彼女を犯人と考えると腑に落ちない点があった。

 メンチが犯人について知らない風の言動をしていたことだ。

 まず、エクレが絶で厨房に侵入した場合についてだが、これはざっくりと2パターンが想定できる。

 1つはエクレの絶が見掛け通りの錬度だった場合。このケースだと、星持ちのプロハンターであるメンチがそれに気づかないだろうか。纏を見る限り、基礎技術もエクレよりメンチのほうが上だ。

 もう1つはエクレが絶の達人だった場合。これならメンチが気づかなくても不思議はない。が、それならそれでエクレをよく知るであろうメンチが、この可能性に思い至らないのはやや不自然だ。

 では、エクレがなんらかの発で毒を仕込んだとする。しかしその場合も、やはりメンチはエクレを疑うのではないか。二人は長い付き合いで同門の関係。互いの発についてもそれなりに知っていると考えられる。そうなるとエクレの発が毒を仕込むのに適していた場合、メンチは疑念を持つはずだ。

 

 以上から、どのパターンであってもエクレが真犯人だった場合、メンチは少なくとも不信感を抱くばすなんだ。

 しかし、メンチはエクレを疑う素振りを見せずに比較的親しげに接していた。これを見た時、俺はエクレの線は薄いと考えてしまった。

 

「消去法で行くとエクレさんが残ります。先ほどエクレさんと──」

 

「あんたはどうなのよ? 念能力者ならあんたもいるじゃない」

 

 あー、うん。まぁ周りからすればそうだよな。

 

「私にはアリバイがあります。このホテルに到着した後は、トイレに行った時を除き複数の人目がある場所にいました。加えて、グレイソン氏やメンチさんとは初対面です。犯行の動機がありません。私を真犯人とするのは無理があると思いませんか?」

 

「……そうね。続けて頂戴」

 

 メンチも俺が犯人とは思っていなかったんだろう。俺に釈明を求めたのは、受け入れたくないことを聞くのを先延ばしにしたかったのかもね。

 

「メンチさんとエクレさんは親しい間柄だそうですね」

 

「少なくともあたしはそう思ってるわ」

 

 少なくとも、ね。

 

「単刀直入に言います。メンチさんはエクレさんに何らかの理由で犯人に仕立て上げられた」

 

「……」

 

「そして、メンチさんはその事実に気づいていながら、エクレさんを中途半端に庇おうとしている。違いますか?」

 

 俺とメンチのオーラが無音で空間に溶けていく。数拍の後、メンチが緊張を壊すようにダラけた声を上げた。

 

「あー、もう! そうよ。その通りですよ! 何で分かったのよ!?」

 

「それは私の発が関係しています。後は……メンチさんのオーラですかね」

 

「あたしのオーラ?」

 

「ええ。メンチさんは感情がオーラに出やすいように見えます」

 

 メンチが微妙な顔をする。自覚はあったのだろう。

 

「最初、毒の発見を理由に警官から疑われた時、メンチさんは怒っていましたね? その時のオーラはかなりの熱を持っていました。一方、私への依頼を破棄した時も激昂していたはずですが、オーラは通常時よりも冷たい状態でした」

 

 加えて、嘘発見器(笑)による嘘つき判定。この2つから「怒り→高温」「冷静な演技(嘘)→低温」と考えられる。

 

 では、なぜそんな演技をしたのか? 

 答えは真実に近づいた俺を遠ざけるため。おそらく依頼を出した時点では怒りや悔しさで冷静な判断力を持っていなかった。それでエクレが犯人の可能性を除外していたのだろう。親密な関係故の「エクレがこんなことをするはずがない」という思い込みもあったのかもしれない。

 しかし、時間が経ち、冷静に考えられるようになるとエクレが怪しく思えてきた。そんな時に「何か隠しているか?」と質問され、焦って一芝居打った。こんなところだろう。

 

「外見上のメンチさんの感情とオーラのズレから『メンチさんはどこかで嘘をついているのでは?』と考えました。次いで『もしかしたら激昂は私を排除するためのフェイク?』『探偵を排除する理由は?』『犯人を庇っているから?』『状況、消去法によると犯人はエクレさん』『ならばメンチさんはエクレさんを庇っている?』といった推理に至ったのです」

 

 小さく「私の発によるサポートもありました」と加える。

 

「……はぁー、あんたやるわね。よくもまぁこの短時間で分かったもんだわ」

 

「恐縮です」

 

 俺がそう言うと、また、静寂が訪れた。

 

 何か言いたそうに見える。それなら待とうか、と黙していると、ややあってからメンチさんがゆっくりと感情を吐き出した。

 

「どうしたらいいのかな」

 

 一転して弱々しい物言いだ。

 

「あたしも警察なりハンター協会なりに言うべきなのは分かってる。でも……」

 

 エクレさんへの情が邪魔をする、と。心中複雑だろうな。

 メンチさん自身の思考の整理を手伝う意味合いも兼ねて少し質問をしてみようか。

 

「エクレさんはなぜこんなことをしたのでしょうか? メンチさんはどのようにお考えですか?」

 

「……多分、エクレは料理人として、念使いとして才能の壁にぶつかり、悩んでいたんだと思う」

 

 苦々しい表情だ。

 ……なんとなく読めてきた。

 

「師匠の出す課題もあたしには簡単。けど、エクレは何回かに一回は失敗してるみたいだった。それでもあたしとエクレはほとんど同じ時期に独り立ちし、美食ハンターとして活動するようになった。それから暫くして、あたしは700年前のジャポンに実在したとされる幻の美食の再現(ハント)に取り掛かったわ」

 

 お、おう。その料理、めっちゃ気になる。

 

「幾つかの幸運が重なり、あたしは狩り(ハント)に成功した。全てがあたしの実力と言えないのは悔しかったけれど、料理の出来自体は満足できるものだったわ」

 

 ほー、そんなことやってたのね。でも、今、その話をしたってことは……。

 

「そして、その功績が認められて星を与えられた。ただ……後から知ったのだけど、エクレも同じ美食(ターゲット)を狙っていたらしいの」

 

「実力主義の世界とはいえ、それは……」

 

「あたしが悪いとは思わないわ。でも、あたしの行動がエクレを深く傷つけたのは、傷つけてきたのは事実……なんでしょうね」

 

「なるほど。つまりメンチさんの才能への歪んだ羨望、憎しみが原因で、メンチさんが大切にしている料理を汚すという行動に出た、と。無い話ではないとは思います」

 

 同じ師を仰いだ人間同士の情があるからこそ、余計に歪んでしまったのかもね。親しい人間が常に自分の努力や苦悩を越えていく様を近くで見続けるのは、クルものがありそうだし。

 

 さて、ちょっと試してみようか。

 

「メンチさんはそれでもエクレさんを切り捨てられないのですね」

 

 メンチのオーラが揺れる。

 

「そうよ。あたしにとっては実の姉妹以上に大切な存在なの。確かに料理を冒涜したのは許せないけど、エクレには怒りだけを向けることはできないわ」

 

「だからメンチさんは多くを失うリスクを負ってまで、ある種の道化を演じたのですね」

 

 少しだけ泣きそうに見える。……この気持ちが届いてくれたらいいのだけど。

 

「ろくに感情をコントロールできない馬鹿な女だって自分でも思うわ」

 

 馬鹿な女っていうか、完全に鬱ってるなぁって感じ。

 

「メンチさん。全ての感情を理屈で操り、合理的な選択だけをする必要はないと思いますよ」

 

「そうは言っても」

 

 メンチが否定を口にするが、あえて遮るように言葉を差し込む。

 

「ところでメンチさん」

 

「?」

 

 いきなりの話題転換の気配にメンチがちょっとだけ怪訝な顔をする。

 

「私への依頼を破棄したことをエクレさんにお話ししましたか?」

 

 気配どころか、圧倒的に関係なさそうな話に、今度はばっちり困惑している。

 

「? いえ、話してないわ。なんでそんなことを?」

 

 ほー、なるほどなるほど。もしかしたらもしかするかも。  

 

「ちなみにエクレさんの発は索敵、探索、五感強化などの情報収集系でしょうか?」

 

「それはあたしの口からは言えないわね」

 

「失礼しました。当然ですね」

 

 とは言っても「五感強化」のところでオーラに0.1秒に満たない刹那の乱れがあったから、当たらずとも遠からず以上ではありそうだ。メンチって政治とか腹の探り合いには向かないな、うん。

 

 ではでは、ちょっとマナー違反だけど、許してほしい。

 

──円。

 

 突然の円にメンチがまたしても微妙な顔になるが、予想が当たり、ニヤけそうになってしまう。なんとか気合いで堪える。

 

「急に何よ? びっくりするじゃない」

 

「すみません。少し気になることがありまして」

 

「何それ? 何かある……の」

 

 言いながらメンチも円をして気づいたようだ。

 

「エクレ……」

 

 部屋の前には極めて高水準の絶をしたエクレ。俺の円による感知が間違っていなければ……泣いているエクレがそこにいた。

 

「メンチさん。どうすれば貴女たちが楽になるかは私には分かりません」

 

「……」

 

「でも、まずは話してみたらどうでしょうか? 私にはお二人は少しだけすれ違ってしまっているように見えます」

 

「そう……ね」

 

「では、私は行きますね。邪魔者がいたら話しづらいでしょう」

 

「え、ちょっと待ちなさ」

 

 何か言っていたが、サッサと部屋を出る。

 ドアの前にいるエクレは、すでにバレているにもかかわらず絶を継続しているようだった。まぁ、発見時よりは質が下がってはいるが。

 

「エクレさん。メンチさんと話してあげてください。きっとそちらのほうが貴女にとってもいいと思います」

 

「……」

  

「失礼します」

 

 それだけ言って、背を向け、歩き出す。

 ドアの開く音が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 エレベーターの扉が閉まり、1階に向かい動き出す。

 

 実は早い段階からエクレが絶の達人ではないか、と少しだけ疑っていた。非念能力者のホテル従業員や警備員の前を通っても気づかれない、また、俺やメンチをこっそり監視できるレベルの隠密性能とも矛盾しておらず、疑いは少しずつ強くなっていった。

 発による犯行や監視の可能性もあったから断定まではできなかったけどね。

 ただ、メンチの部屋で話しているのを監視する場合は絶だけでは少し力不足だろう。つまり、仮に部屋の外から盗み聞きしているならば情報収集系の発──例えば聴力強化──による補助があるはず。ま、俺はこんなふうに推理したわけだ。

 

 で、円をしてみたら案の定というかなんというかエクレがいたから、これ以上は俺がすべきことはないと思い、サクッと退散した。この件は明らかにハンター協会の介入がないと解決しないし、メンチもいるからね。まぁ、丸投げとも言う。

 

 チン、と安っぽい音。1階に到着したようだ。

 エレベーターから降り、廊下を進むとハンナに遭遇した。

 

「あ、エヴァン」

 

「おいっす」

 

 流れに逆らわず、並び歩く。

 

「ハンナ、今回の事件はハンター協会の管轄だ」

 

「! あー、そっか。了解」

 

 少しだけ不満そうな顔を見せるも、反発はない。反論しても無意味だと理解してるんだろう。この世界、ハンター協会の権威が凄いから。

 

「ねぇ」

 

 不意にハンナ。

 

「ん?」

 

「なんか甘い匂いがするんだけど」

 

「? どこから?」

 

「あなた」

 

「気のせいじゃないか?」

 

 やば。嘘をつく必要は特にない(?)はずなのに、なんとなく癖で誤魔化しちゃったよ。こうなってしまっては仕方がない。嘘つきの本気を見せるしかあるまい。

 

「ふーん……、嘘ね」

 

「え」

 

 う、嘘つきの本気(震え声)。

 

 

 

 

 

 

 

 結局、エクレがハンター協会に自首をするという形にしたようだ。それが2人の選択なら俺から言うことは特にない。

 だからメンチに用はないんだけど、メンチは違うらしい。帰ろうとホテルの正面玄関口を出た所にいた俺を訪ねてきた。

 

「世話になったわね」

 

 単に感謝を言いに来たのか。意外と律儀だな。

 

「どういたしまして。でも大したことはしてないですよ」

 

 だってほとんど俺の趣味みたいなもんだし。

 

「それでも、あたしは助かったわ。だからお礼に1回だけ無料で依頼を受けてあげるわ」

 

 まさかの1回無料券。ノリが感謝の肩たたき拳1万回である()。

 しかし、そうだな。タダでやってくれるなら言ってみるか。

 

「では、早速依頼をいいですか?」

 

「勿論よ」

 

「今度、メンチさんの作ったジャポン料理を食べさせてください。なるべく一般家庭で食べるようなやつで」

 

 いやね。普通の日本食が恋しいんですわ。

 

「ほー、ジャポン料理! マニアックなとこ攻めるわね。しかも家庭料理って、あんたジャポン育ちだったりするわけ?」

 

 近い! かすってる。つーか、実質的にドンピシャ。

 

「私にもいろいろあるのですよ」

 

「ふーん、ま、いいわ! 任せて頂戴!」

 

 歯切れよく言いきったメンチが「それから!」と前置きし。

 

「その嘘くさい敬語はいらないわ。普通にして、ふつーに」

 

「!?」

 

 俺の敬語が“嘘くさい”だと……? まさかそんなはずは……。うぅ、プライド()がボロボロだよぅ。

 

「なんで変な顔してんのよ?」

 

「変な顔言うなバカ」

 

「……いきなり変わりすぎじゃない?」

 

「どうすればよろしいのでしょうか?」

 

「あーもう! あんた性格悪いって言われるでしょ!?」

 

「うん。なぜかよく言われる」

 

「はぁ~」と大きな溜め息。勿論、メンチだ。雰囲気的に切り替えたようだ。

 メンチが携帯を取り出す。

 

「連絡先、交換しましょ」

 

 俺も携帯を出し、サクッと連絡先を教え合う。メンチはホームコードも教えてくれた。

 ちなみに俺はホームコードは持ってない。事務所の留守電かメールで今のところ問題ないからね。

 

 さて、話も終わったようだし、飛行船の時間もあるし、そろそろ。

 

「そろそろ時間だから行くよ」

 

「そっか。いろいろありがとね」

 

「うん。またね」

 

 メンチに別れを告げ、ホテル前に停まっていたタクシーに乗り込む。

 

「ルトアシ空港まで」

 

「はいよ」

 

 景色が流れ出す。

 

「……」

 

 ジャポン料理楽しみだな。

 

 




一応、起承(承前、ミッドポイント、承後)転結を意識したつもりです。


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いかあおいあお! いかあおいあお! [壱]

お久しぶりです。9話~13話まで連続投稿です。

アンケートにご協力していただき、ありがとうございます。勉強になります。
また、誤字脱字のご報告も助かっています。ありがとうございます。
これに関し皆さんにお願いがあります。
私は執筆に際し、基本的には公用文、新聞、テレビ等で採用されるような漢字、語句、言い回しを参考に平易で読みやすい文章を目指しています。しかし演出したい雰囲気や語感等により専門用語、業界用語、常用漢字外のものや癖の強い言い回しを使用することもあります。
したがいまして、上記の理由から皆さんがしてくださった誤字脱字のご報告を反映しないこともあるという点を許していただきたいのです。よろしくお願いいたします。


本エピソードはオリジナル解釈・設定が特に多いので気になる方はご注意を。


 11月もそろそろ終わりに近づき、街に流れる風がかなりの冷たさを運んでくる今日この頃、俺の事務所に1組の夫婦が訪れた。

 

「はじめまして。予約していたワイアット・ミルズです。こちらは妻のセレニティです」

 

 旦那さんが挨拶。次いで奥さんが無言のまま頭を下げる。

 暗い表情のせいで少し分かりにくいけど、2人とも50歳くらいかな。

 

「私立探偵のエヴァン・ベーカーです。本日はお忙しい中、ご足労いただきありがとうございます。早速ですが、ご依頼についてお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

「はい。実は娘がいなくなってしまいまして……」

 

 答えたのは旦那さん。とりあえずは旦那さんが依頼交渉を担当するみたいだ。

 

「警察に捜索願いは出されましたか?」

 

「勿論です。しかし捜索願いを出してから2週間は経ちますが、未だ何の進展もないらしいのです」

 

「なるほど。失踪を認識したのも2週間前でしょうか?」

 

「そうです。門限を過ぎても帰ってこず、連絡も取れなかったので翌日には警察に行きました」

 

「娘さんのご年齢は?」

 

「今年で16歳になります。まだ10thグレードなのにこんなことになるなんて……」

 

 10thグレードは日本の高校1年生に相当する。

 

「なるほど。心当たりはありますか?」

 

 あったとしたら、すでに警察に教えたり自ら調べたりしてるんだろうけど、一応ね。

 

「いえ……私たちには全く」

 

 旦那さんが俯き、悲痛を漏らす。が、何やら引っ掛かる。俺の視線から逃げたのは偶然だろうか? ……流石に現時点では判断できないな。少しつついてみるか。

 

「そうですね。例えば学校生活や男性関係で悩みを抱えていた可能性はないでしょうか?」

 

「ないとおも──」

 

「あり得ません。ベラがそのような些事に煩わされるはずがありません」

 

 奥さんがキッパリと断言。

 発言を中断させられた旦那さんが何か言いたげな顔を見せるが、それも一瞬のこと、すぐに頷き、奥さんに追従(ついじゅう)する。

 ……ふむ。

 

「ベラは学業の成績も優秀で、チアリーディング部でも大会メンバーに選ばれています。学校生活に問題があったとは思えません」

 

 強い語気。奥さんは不機嫌を隠す気がないようだ。

 

「念のための確認です。失礼しました」

 

「娘のイザベラです」と旦那さんが取り出した写真には、それなりに可愛らしい容姿の少女が写っている。奥さんの話が真実ならば、クイーン・ビー──スクールカーストで最上位の女子生徒のことだ──の取り巻き程度にはなってそうだな。

 だが、どこか影のある笑顔を見るにもう少し下の位置かもしれない。

 

 如何にもいろいろありそうな案件ってのは分かった。すごくいいと思う。

 ……おっと、ニヤけないようにしないと。危ない危ない。

 

「お話は概ね分かりました。ご依頼はご息女(そくじょ)の捜索及び保護ということでよろしいでしょうか?」

 

「はい。お受けしていただけますか?」

 

「勿論です。全力で当たらせていただきます」

 

 旦那さんが安堵の息を吐く。

 

「ありがとうございます」

 

「それではご契約の詳細を──」

 

 

 

 

 

 

 

 契約詳細の確認が終わり、娘さん──イザベラ・ミルズ(15)の情報も可能な限り受け取った。

 今は事務所の入り口でミルズ夫妻を見送る段階だ。

 

 旦那さんは酷く不安な顔をしている。垂れ流しの微量なオーラからも不安であることが理解できる。……そして、やや複雑な感情を抱えていることも。

 

「それでは、どうかよろしくお願いいたします」

 

「……よろしくお願いします」

 

 ニ拍遅れて奥さんが旦那さんに倣う。

 俺への疑わしげな視線から理由は察せられるね。……うん、まぁ、俺が胡散臭いのは否定しないよ。むしろ、いい勘してると褒めたいくらいだ。

 

「ご期待に沿えるよう尽力いたします」

 

 2人と視線を交わす。

 

「……失礼します」

 

 覇気のない口調で告げた旦那さんが、奥さんと共に寒空の街を歩き出した。

 日本のガチ接客業ではないから、しばらくお辞儀してるなんてことはしない。だからわりとすぐに事務所のドアを開け、中に入ろうとし──なんとなく気になって夫妻を見やると、こちらを振り返った奥さんと目が合う。理由は分からない。意味があるのか、ないのか。

 彼女はすぐに前を向き、歩みを再開した。

 

「……」

 

 (さむ)

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、イザベラの通っているハイスクールへ訪れた。聞き込み調査のためだ。

 

「……」

 

 かなり浮いている気はするが、仕方ないね。アラサーだもの。

 さてと、教師のオフィスは……。訊いた方が早いな。

 

「すみません。ジェイコブ先生のオフィスはどちらでしょうか?」

 

 近くにいた、赤髪ベリーショートにフリフリのゴスロリドレスの女子生徒に訊ねる。学校でゴスロリドレスは珍しいね。

 

「ん~? お兄さん、変なカッコだね」

 

「……そうですかね」

 

 革靴にダークグレーのスーツ。これにいつものインバネスコート──ホームズが着てるアレだ──を羽織っている。

 ……変ではない。全くもって失礼な娘さんである。でも、お兄さん呼びしてくれたから許してあげよう。

 

「で、何? ナンパ? ロリコン?」

 

「違います。ジェイコブ先生のオフィスを教えてほしいんです」

 

「ふーん。じゃあ一緒に行く? 私も今から行くとこなんだ」

 

 助かる。普通にいい子だったわ。

 

「お願いしていいですか?」

 

「いいよん」

 

 

 

 

 

 

 

 あらかじめ学校には電話で話を通してある。その時に対応してくれたのがジェイコブ・ウッド先生だ。

 こっそりと学校の周りで生徒に接触する方法もないではないが、今回はある程度事情を話しても問題ないので、おおっぴらに学校に協力を求めることにした。

 それで職員に挨拶をしてから仕事に取り掛かろうってわけだ。

 

「着いたよ。じゃ、私は行くから。バイバイ」

 

「ありがとうございました」

 

 なかなか凄そうな子だな。

 

 

 

 

 

 

 

 ジェイコブへの挨拶を終え、チアリーディング部の部室へやって来た。

 チアリーディング部はイザベラが所属してるとこだ。ここの部員なら何か知ってるかもしれない。

 早速ノック。しかしレスポンスはない。

 

「……あれ」

 

 中から人の気配を感じるんだけどな……。居留守? 単に警戒してる? よく分からん。

 もう一回。

 

──コン、コン、コン、コン。

 

 ガチャリ、とおそらくは解錠の音。

 次いでドアが開けられた。

 

「誰だよ、うっせぇな」

 

 意外にも現れたのは筋肉質な男子生徒だった。ここは女子チアリーディング部の部室なんだけどなぁ。

 

「私は、私立探偵のエヴァン・ベーカーと言います。少s」

 

「探偵~? 何でそんなのが来るんだよ」

 

「イザベラ・ミルズさんの件でお伺いしました」

 

「あー」

 

「ご理解いただけましたか。では少しお話を──」

 

「だりぃ。帰れ」

 

 バン、とドアを閉ざされてしまった。あらら。

 うーん、オーラで威圧したり、発で暗示掛けたりと、外道な手段もやろうと思えばできるけど、流石に重要参考人に満たない非念能力者の子ども相手にはあまりやりたくない。

 ぽりぽりと頭を掻く。

 とりあえず他を当たるか。

 

 

 

 

 

 

 

 門前払いを喰らった後、生徒や職員に話を聞いて回った。しかし成果は(かんば)しくない。いや、逆説的に分かったこともあるっちゃあるからダメダメではないと思いたい。

 彼ら彼女らは皆「イザベラは優秀な少女で、エリアナ(クイーン・ビーの美少女)とも仲が良かった」といった趣旨のことを語ったんだけど……なーんか、言わされてる感。というか嘘発見器(笑)に引っ掛かる子もいたから、少なくとも確信に足る真実ではないっぽいね。

 

 つーか、エリアナが怪しくない?

 なんとなくイザベラって虐められっ子オーラ(・・・)が出てるんだよね。だからエリアナに虐められてたのかなって。

 

「でもなぁ……」

 

 現時点では、エリアナが関与していると断定できるほどの情報はない。

 ただ、仮にカーストトップによる虐めがあったならば、それは自分から失踪する動機になり得る、とは思う。けど、一番肝心な行き先についてはこれだけじゃあ分からない。

 当然、行き先の心当たりも訊いたが、誰も知らないみたいだった。これについては嘘発見器(笑)が反応した人物は皆無。つまり困ってしまったということだ。

 ま、でも、エリアナに話を聞いてからだな、うん。

 

「エリアナはどこに……」

 

「やっぱりロリコン?」

 

「うわっ。びっくりした」

 

 独り言だったんだけど聞かれていたらしい。

 横から“絶”状態で急に話し掛けてきたのは、オフィスへ案内してくれたゴスロリベリーショートの少女──ルビー・ホーキンスだ(そう呼ばれていた)。

 ちょっとチェック。

 す、と人差し指を立てる。

 

「何が()えます?」

 

「? 指? それがなんなの?」

 

 嘘発見器(笑)は口をつぐんだまま。なるほど。

 指の先にはオーラで「あなたは念能力者ですか?」の文字を作っている。嘘発見器(笑)が正常に機能してるなら、ルビーは絶を無意識にやっちゃう系ティーンエイジャーということになる。

 

「いえ、その答えで結構です。ありがとうございます」

 

「お兄さん、ロリコンでカッコも変で頭も変なの? 病院と医者の情報あげようか?」

 

「大丈夫です」

 

「あは、怒っちゃった?」

 

 カラカラと笑う様はなんかヤバい人みたいだ。

 最近の子は分からん、と思ったけど、俺も昔、学校で念の練習してた時に教師から似たようなこと言われてたわ。今は反省しています。

 

「怒ってないですよ。昔を思い出していただけです」

 

「ふーん。昔はやんちゃしてたのね」

 

 言ってない。駄目だ。この子に合わせてたら時間が溶けてしまう。スルースキルを発動するしかあるまい。

 

「私、私立探偵のエヴァ」俺が言おうとするも「私立探偵のエヴァン・ベーカー。ベラちゃんについて嗅ぎ回ってるんでしょ? 知ってるよー」ルビーがおもいっきり被せてきた。

 

「……」

 

 押し黙っていると、ニコッと年相応の笑顔。なんだかこの子苦手っす。

 それはそれとして。

 

「で、何の用なんですか?」

 

 先程は思考に集中してたこともあって絶に惑わされたが、実は聞き込みの最中にチラチラとルビーの気配を察知してたんだよね。何やら俺を観察してるようだったけど、特別、害があるわけじゃないから放置してた。

 多分だけど、用件はルビーの、所謂“半覚醒”状態の念能力についてだろう。

 半覚醒状態とは、一部の念技術を発動してしまうが、コントロールはできない状態のことだ。才能、特殊な環境、あるいは他者の発などの影響で発生する現象……って某牛が言ってた。

 

 すでにルビーの絶は崩れ、開き掛けた精孔からオーラが多めに漏れている。それを(おそらくは無意識に)拙すぎる纏で維持。潜在的な生存本能のなせる業か。

 ……しかしこれでは辛いはずだ。オーラを大分浪費してしまっている。

 

「探偵さんなんでしょ? 推理してみせて」

 

 質問に質問はアカン、なんて細かいマナーをツッコムつもりはない。そもそもこの子の場合は、他人に言いづらい“何か漠然とした不可解な現象”について悩んでいる自覚があるからこその物言いなんだろう。

 正直、気持ちは分からないでもない。俺も念は独学だからな。試行錯誤と能力にふりまわされる日々。あー、灰色の青春が(ちなみに俺のオーラは灰色である)。

 

「それでは失礼して」

 

──練ver.よわよわ。

 

「!?」

 

 ルビーが笑顔を引っ込めて素早く後退する。いい感度(センス)だ。

 

「おそらく見えてはいないのでしょうね。しかし明確に感じることはできる。違いますか?」

 

 俺に興味を持った理由がオーラであり、かつオーラの文字が見えないのなら、感じることができるだけの状態だと思われる。俺から他の人間よりも強いオーラを感じたんだろう。纏だけでも垂れ流しよりはかなり濃密だ。

 

 ルビーの頬を汗が伝う。

 しかし、ニコっと先ほどの焼き増しのような笑顔を見せてくれた。

 

「証拠はあるの? 私は無実だよ」

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

 ウィットに富んだ(ジョーク)をありがとう。

 もう必要ないので練は解いておく。

 

「最近は以前より疲れやすくなってませんか?」

 

 笑顔は変わらず。

 

「この力は謂わば生命力そのもの。あなたの状態だとそれがかなり非効率に運用されています。結果、疲労困憊で生活しなければならない。当たっていたら証拠ということでお願いします」

 

「……」

 

 今は敷地の端にある公園のようなスペースにいるんだけど、一応、五感と円による周りの確認はすでに終わっている。最低でも俺たちの半径25メートル以内には誰もいない。……円は苦手なんだよ。

 

「ふ」

 

 少女の笑みが困ったようなそれへと変わった。当たりか。

 

「……どうすればいいの? これメチャクチャしんどくてさ」

 

「知り合いのプロハンターにこの現象に詳しい人がいます。その人を紹介しますよ」

 

「えー、なんかないの。早くなんとかしたいんだけど」

 

 あー、うん。俺も困った。そう来るかも、とは思ってたけど、どうしたものか。だって人に教えた経験なんてないんだもん。

 

「私のレベルでは上手く教えられるか分からないんですよ。こういったケースに対応した経験もありませんし」

 

「でもお兄さんはこれ(・・)をコントロールできてるんでしょ? もし教えてくれたらベラちゃんとエルちゃんの情報渡すよ」

 

 情報、ね。

 

「失敗したら最悪死にますよ?」

 

「……これってさ、誰が教えてもリスクはあるんじゃないの? それならお兄さんがいい」

 

 これが精神的に成熟した大人なら本人の自己責任ってことで教えてもいいんだけど、ルビーは微妙だよなぁ。

 つーか、なんか俺に拘る理由があるのか? だって初対面の男にここまで言うか? 言わなくない?

 

「なぜ私なんです?」

 

「それは……見せた方が早いね。えいっ」

 

「……Whaat(まじか)

 

 ルビーの手には1枚のカードがある。具現化したんだ。

 具現化系は発動するレベルになるまでかなり時間が掛かる。それを半覚醒状態でやってしまうとは……。

 

「理屈はわかんないけど、私、人の情報が書かれたカードを出せるんだよね。それでお兄さんの『この不思議な現象』に関する『その他』カテゴリーの情報をゲットしたんだ。はい、読んでみて」

 

 カードを差し出された。凝で視ても不審な点はない。嘘発見器(笑)もスルー。問題はなさそうだ。

 受け取って記された文字を読んでみる。

 

“エヴァン・ベーカー。特質系の念能力者。独学でありながら、20代でプロハンター最上位クラスに到達した天才。彼の発は嘘を見抜き、■■を創造する『■つきは■■の始まり(■■アーハン■ー)』。彼の前では正直者でいることを推奨する”

 

「うわぁ」

 

 ドン引きである。伏せ字(未熟故だろうか?)があるとはいえヤバすぎ。顔面ピクピクピクニックだ。

 

「私さ、ジャーナリストになりたいんだよね。だからお兄さんの『嘘を見抜き』ってとこに興味があるの。それになんか凄い天才なんでしょ? きっといいやり方を思いつくはず」

 

「……ルビーさんの望む結果にはならないかもしれませんよ? それでもいいですか?」

 

 ぱぁ、と笑顔(はな)が咲く。はぁ。

 

「うん! いいよ!」

 

「それから、いつもいつも時間があるわけではないので、教えるのは基本的なことだけです。それ以上は心源流の師範か、プロハンターにでも教わってください。紹介ぐらいはしますから」

 

「ちょっと不満だけど了解です! 師匠?」

 

 もう敬語はいいか。

 

「師匠はやめい。普通に名前で読んでくれ」

 

「はーい」

 

 

 

 

 

 

 

 ルビーには、絶を最優先で教えることにした。瞑想でも発の理解でも纏でもない。

 なぜなら絶を意図的にできるようになれば最低限の休息が可能になるからだ。それに、精孔を操作する感覚を理解することができれば本格的な覚醒にも繋がるはず。 

 

「こんな感じ……?」

 

「そうそう」

 

 ルビーはすぐに絶のコツを掴んだようだ。

 意図的ではないとはいえ、できている時もあったからか流石に早い。……いや、それにしたって早くない? こんなもんだっけ?

 

「疲れた時はその“絶”の状態で休むと効率的に回復できる。最初の課題は睡眠中もその状態を維持できるようになること」

 

「おっけー、任せて」

 

「ただし! 絶は気配が薄くなって人に認識されにくくなることに加え、纏の状態よりも身体の耐久力や防御力がかなり低くなるから、この2点は忘れないように。特に車には要注意だ」

 

「りょーかいしました!」

 

 結構元気だな。

 ちなみに俺は、絶状態でランニングしてて車にはねられた経験がある。8歳の時の話だ。攻防力0の意味を痛感した出来事だったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 念の指導が一段落すると、ルビーが対価の情報について訊いてきた。

 

「何から話せばいい?」

 

「もう教えてくれるのか? まだ指導の効果はそんなに実感してないだろ?」

 

「そんなことないよ。絶の練習をしてるうちにモヤモヤしたものがぼんやり見えるようになってきたの。多分これがオーラだよね」

 

「あ、はい。そうですね」

 

 早! これ、俺が教えなくても覚醒は時間の問題だったんじゃないか?

 

「だからもう教えようかなって」と柔らかい声音。「エヴァンはベラちゃんを探してるんだよね?」

 

「ああ。それでイザベラの生活実態を知ることから始めたんだ」

 

「多分さ、うすうす察してると思うけど、ベラちゃんはエルちゃんたちに虐められてた。でもエルちゃん()はアレだから誰も何も言えないんだよね。分かるでしょ?」

 

 おや。初耳だぞ。

 

「エリアナの家名はなんなんだ?」

 

「あれ、知らなかったんだ」ルビーが少し驚いた顔を見せた。「家名はガルシア。あのガルシアだよ」

 

「あー、なるほどー」

 

 ガルシア家はサヘルタ合衆国のメディアを牛耳る一族だ。はっきり言ってその権力は相当ヤバい。ついでに財力も。コンビニでアイスを買う感覚でゾルディックに依頼を出せるレベルだ。そりゃあ皆ビビる。俺もビビる。当たり前である。

 しかしガルシアの娘に虐められていたのか。かなりのストレスだっただろうな。逃げ出したくなってもおかしくはい。

 ただ、誰かに拐われた、又は何らかの事件に巻き込まれた可能性も現時点では否定できない。

 

「2週間前の、イザベラが行方不明になった時期に何か変わったことはなかったか?」

 

「うーん? 何もなかったと思うけど、私も常にベラちゃんを見てたわけじゃないからね。あんまり自信はないかな」

 

「そっか。まぁ、そうだよな」

 

 ちょっと残念だが仕方ない、と俺が思ったのを察したのか、ルビーがどや顔で「でも大丈夫!」と宣いおった。

 

「じゃじゃーん!」

 

 4枚のカードが具現化された。……ですよね。

 

「カードを使えば分かっちゃうかもなのです」

 

 カードにはそれぞれ「色欲」「財産」「殺傷」「その他」と書かれている。

 

「疲労は大丈夫なのか? それは発と呼ばれる技術でそれなり以上にオーラを消費するはずだぞ」

 

「これくらいならまだ大丈夫。心配ご無用さ」

 

「そうか。それならいいんだが」

 

「ありがと」と挟み、ルビーが能力の説明に入る。

 

「このカードでゲットできるのは特定の個人についての情報で、1人につき1回、選択した1カテゴリーの、指定した事柄に関するものだけなんだよね。だから1番欲しい情報は何かをよく考えないといけないの」

 

 ある程度、制約と誓約も把握してるようだな。優秀っすね。

 

「それはどんな情報でもいいのか?」

 

「指定した事柄に関する情報がカテゴリー内にあれば、多分なんでもおっけー。でも選んだカテゴリーに関係情報がないと『ハズレ』って書かれてて、もうその人には使えなくなっちゃうんだ」

 

「2つ以上のカテゴリーに同じ情報があるパターンは?」

 

「1回しか使えないから確かめたことはないけど、それはないと思う。だってそれだとカテゴリーが分かれてる意味ないじゃん」

 

「それは、まぁ」

 

 割りと厄介な制約だ。もしかしたらこれ以外にも制約と誓約があるかもしれないし、情報戦で致命傷を与え得るポテンシャルを秘めてはいるが、なかなか難しい。

 やっぱりちゃんとした人に指導を受けた方がいいんじゃなかろうか。

 

 閑話休題。

 

 1番欲しい情報はやはりイザベラの居場所だ。となると「その他」カテゴリーでいいはず。

 例えば、恋人との駆け落ちならば「色欲」カテゴリーになるんだろうが、イザベラに関して男の話は出てこなかったから多分これはない……よな?

 

「イザベラが駆け落ちした可能性ってあると思うか?」

 

「彼氏どうのは聞いたことないよ」

 

 じゃあ「殺傷」と「財産」の可能性はどうだろう。

 殺傷事件を起こしていて、それが行方不明(居場所)と密接に関係しているならカテゴリーは「殺傷」になりそうだが、その可能性は低い気がする。

 ここまで得た情報からイザベラの人物像としてイメージするのは内罰的な意志薄弱者。悪感情を持つことはあっても、実際に他人を傷つけるとは考えにくい。

 過失による他害行動もあり得るが、それにしたって逃げるような気質ではなく、数日悩んだ後に自首しそうな印象を受ける。

 

「財産」は……うーん?

 

「『財産』カテゴリーってお金を盗んだとか、相続で揉めてるとかだよな?」

 

「うん。そんな感じ。でも悪いこと以外にもカジノで大勝した話やボーナスが増えた話とかも入ってるよ」

 

「あ、そっちもか」

 

 例えば、何らかの手段でまとまった金を得て、それが失踪を決意させ、さらに新天地での生活を支えているなら「財産」カテゴリーに居場所が含まれるのかもしれないが……。

 うん、「財産」カテゴリーも確率は低そう。高校生くらいの子がそんな機会に直面する確率ってそんなにないっしょ。

 

 やはり「その他」カテゴリーが最も信頼できそうだ。

 

「『その他』カテゴリーって他3つ以外全部って認識で大丈夫?」

 

「だーいじょーぶ。ただ……」

 

 ん? なんだ?

 

「『その他』カテゴリーは伏せ字が他に比べて多いんだよね。絶対あるわけじゃないんだけど」

 

 確かに俺の情報にも伏せ字が含まれていた。未熟さ由来か、制約と誓約か、あるいは他の原因かは今は確定できない。要は今すぐに改善する方法が分からないってことだ。

 ま、そうは言っても俺の情報を見る限り、ある程度は有益な情報が得られる確率の方が高いとは思う。……ゴーだな。

 

「では『その他』カテゴリーで『イザベラの現在の居場所』についてだ」

 

「おっけー。よーし! 行っくよー」

 

 ルビーが「その他」と丸文字で書かれたカードを掲げ、宣言する。

 

「『その他』カテゴリーにある『イザベラの現在の居場所』に関する情報を教えて!」

 

 すると剣っぽいデザインのペン(?)が宙に現れ、自動でカードに何事かを記し、書き終えるとすぐに消えてしまった。

 

 さてさて、結果は……。

 

 ルビーがあちゃー、と天を仰ぐ。実に感情豊かな子である。

 

「ごめん。伏せ字が来ちゃった」

 

 渡されたカードを読む。

 

“イザベラ・ミルズは現在、宗教法人「Fの会」の所有地にある「F■■」にいる。彼女は熱心かつ優秀な信者である。もし彼女と再会を果たしたいならば急ぐことを推奨する”

 

「ルビー」

 

「はい……」

 

「天才だわ。MVPを進呈します」

 

「ホント?」

 

「マジマジ」

 

「やった! 師匠に褒められた!」

 

「師匠はやめろ、バカ」

 

 ニッコニッコしおってからに。

 

 しかし宗教法人と来たか。そしてカードに記された不穏な文章。かーなりキナ臭い。

 

 へっ。愉しくなってきたぜ。

 

 



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いかあおいあお! いかあおいあお! [弐]

9話~13話まで連続投稿です。


 妙な噂のある“Fの会”への潜入調査に当たっていた後輩ハンター──サンビカ・ノートンとの連絡が途絶えてから3日が経過してしまった。

 

 ハンター協会にある自身専用の一室で思考を深める。

 

 サンがそうそう仕事(ハント)に失敗するとは思えない。彼女は優秀な念能力者で、冷静な判断力も兼ね備えている。十二支んの候補に名前が上がるほどの手練れだ。能力、人格共に信頼でき、シングルハンターに相応しい実績もある。

 しかし現実は定期連絡どころかそもそも連絡自体が不可能。何が起こっているのか。

 

「Fの会……」

 

 表向きは世界平和を謳う新手の宗教団体だけれど、どうやら本当に裏がありそうね。

 

 どうしたものか、と悩んでいるとノックもなしに1人の男が入室してきた。

 

「よぅ、面白い情報を伝えに来たぜ」

 

「ノックくらいしなさいよ」

 

 しかし男に悪びれた様子はない。内心ため息をつき、スルーに甘んじる。この男は仕方ないのだ。

 

「例の噂、どうやら確か(・・)らしい。信頼できる情報屋がそう断言してたよ」

 

「!」

 

 例の噂とは「Fの会が危険なウィルスを保有している」というものだ。その真偽を(つまび)らかにするためにサンビカと共に調査をしていた。

 一流のプロハンターを退ける武力に危険なウィルス。これはマズイかもしれない。

 

「で、どうするんだ? なんなら手を貸してやってもいいぜ」

 

 おや、と瞬き。

 この男がこんなことを言うということは、何か関心を引くものがあったのだろう。興味があることにしかヤル気を出さない自分勝手男だ。そうに決まっている。

 

「……まずは私が単身で潜入するわ。サンの目的が知られているならば、かなり警戒してるはずよ。人数は少ない方がいい。それに巻き込んだ手前、私には責任があるわ」

 

「そうかい。お前がそう言うなら邪魔はしねぇよ」

 

「でも、もしも(・・・)のときはお願い」

 

 男が、ふっ、と笑う。

 

「いつになく弱気じゃねぇか」

 

「うるさい」

 

「へいへい。じゃあ俺は消えるわ」

 

 ドアを開け、部屋から出ようとした男が、しかし立ち止まる。そして背を向けたまま、それを口にした。

 

「今回の件、かなりヤバいと俺は見てる」

 

「……」

 

 それは同感だ。だからこその単独行動という選択。

 

「油断だけはするなよ。……言いたいことはそれだけだ。じゃあな」

 

 粗雑な開閉音がいやに耳に残る。

 

「……→ありがと」

 

 幸か不幸か、呟きを聞いた者はいないようだ。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 Fの会は10年ほど前に発足した宗教団体だ。なんでも“神の恩恵を賜り、真の平和──新しい世界に相応しい人間になること”を目的に掲げているらしい。

 別に新興宗教を差別する気持ちはないけど、この謳い文句は具体性がなさすぎて胡散臭くなっちゃってると思う。それとも宗教ってみんなこんな感じなんかな。

 

 白いビルを見上げる。

 ここがイザベラの生活圏から1番近いFの会の施設だ。このビルにいるかは不明だが、彼女が辿ったであろうルートをなぞることで何らかのヒントが得られるかもしれない。僅かな確率であっても、やるからには全力を尽くす。

 

 イザベラの学校を訪れた日から2日、下調べを巻き巻きでこなした俺は、信者を装い潜入することを決断した。

 

 イザベラの現在地はかなり限定されたものの、未だ特定には至っていない。現状ではリスクを受け入れた積極的な捜査が必要だとは思う。ルビーのカードにも“急げ”と書かれてたしね。

 とは言っても抑えられるリスクはやはり抑えたい。

 住所は登記表題部に記載されてるため(登記に瑕疵(かし)がなければ)所有地の場所は把握できる。だから忍者よろしく無断で侵入調査をすることもできなくはないが、未だFの会に関する情報が不十分であるため、情報収集が完了するまでは粗い手段は保留にしておきたい。致命的な勘違いをしたまま無断で潜入して大きなミスをしたら残念極まりない。ここは面倒でも急がば回れ(スパイムーヴ)で行く。

 

 そしてFの会を設立した教祖──クリストファー・オータムは念能力者だ。彼を警戒して慎重になっているという事情もある。

 

 というわけで! 髪は黒に染めたし、軽くメイクもした(変装)! オーラ垂れ流しも完璧(偽装)! 俺はエヴァレット・ベイリー(偽名)! ……圧倒的偽者である。

 

 

 

 

 

 

 

 ビルの中はモダンな感じだった。とってもオシャレっす。

 

 今日、このビルでクリストファー──信者は彼をクリストファー先生と呼ぶ──が講演を行うらしいので、それに参加し、「(いた)く感銘を受けました! 入会させてください!」って流れにしようと思ってる。

 

 でも広くて会場がどこか分からん。受付の人に尋ねよう。いつも迷子になってる気がするが、きっと気のせいだろう。

 

「失礼、14時の講演会『テロの人間的意義とその本質的解決法』の会場はどちらでしょうか?」

 

「こんにちは。それでしたら5階の第4ホールです。あちらのエレベーターからどうぞ」

 

 超絶美人な受付の人が愛想良く教えてくれた。

 

「ありがとうございます。それでは」礼を言ってエレベーターに向かおうとしたら、受付の人に追加で話し掛けられた。「ご入会を検討されているのでしょうか?」

 

「ええ。電脳ページで教義を拝見しました。真の平和に相応しい人間になる、……大変素晴らしい思想です。『この世界は命が軽すぎる。あまりにも平穏平和からかけ離れている』。私は常々そう思っておりました故、非常に共感いたしました」

 

 微妙に本音を交ぜた嘘である。真実と嘘を交ぜるのは、人を騙す際のテンプレだ。

 

「まぁ! そうでしたか! あなたのような方はいつでも歓迎です! すぐに入会いたしますか?」

 

 おおう。ソッコーで入会とな。やっぱり新興宗教だからかね。

 

「入会するつもりで参りましたが、まずはクリストファー先生のお話を聴いてからにしようかと考えております」

 

「承知いたしました。手続きのご用意をしてお待ちしていますね」

 

 美人の純粋な(?)笑顔が炸裂する。流石、凄まじい破壊力だ。

 つーか、嘘発見器(笑)が反応しないところを見るに、この人は俺を騙そうとかそういう意図や認識はないんだろうね。つまりガチ信者さんってことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 第4ホールとやらの感想は「広!」の一言に尽きる。日本だと大学の大規模講義室が近いかな。

 

 ざっと全体を見る。ふむ。

 

 開演まで残り10分の時点で空席は1割程度。これは繁盛してる部類に含まれるんじゃなかろうか。

 そしてクリストファーらしき人物もいる。

 ステージ横の主催者側スタッフが集まるスペース、そこで椅子に座っている中年男性がクリストファーだろう。公開されている写真の通りだ。

 

「……」

 

 悲しいな。 

 

 クリストファーへの警戒はそのままに、机と机の隙間を進み、空いてる席へ向かう。

 スタッフからは見えにくい、中心部やや後方の席に到着した。隣に女性が座っているから一言断っておく。

 

「すみません、隣いいでしょうか?」

 

「ええ、構いま……」

 

 こちらを振り向いた女性が固まる。

 なんだってんだよ。……ん? この人の無駄に潔白そうで融通の利かなそうなオーラ(垂れ流しだ)、どっかで見たことがあるような……。

 

 女性が視線を椅子に向ける。まずは座れ、ということかね。元々そのつもりだし、大人しく従う。

 次いで女性は一瞬だけクリストファーの方に視線を送る。女性に倣い、俺もそちらを確認。

 クリストファーやスタッフたちは、特にこちらを気にしていないようだ。

 

 女性が指でとんとん、と机を叩く。一見、何の変哲もない普通の机にしか見えないが、そうではないんだろうな。

 

「……」

 

──凝featuring(フィーチャリング)隠。

 

 この技術は、目に集めたオーラに隠を掛け観察していることを周囲に(さと)らせないようにするためのものだ。念能力者が隠を掛けたオーラ文字を使い、密談をする際に用いられることもある。今回のように。

 

“なんであなたがいるのよ!? 神様とか平和ってタマじゃないでしょ? →ミステリーバカ”

 

 机にオーラでこんなことが書かれてた。

 ……うん、チードルだね、この人。犬っぽい顔してないから分からなかったけど、そういえばこんなオーラだったわ。

 

“依頼だよ。Fの会について探ってる。それが素顔なのか?”

 

 今のチードルは真面目な30代って感じ。お役人とかやってそう。

 

“そうよ。ビスケみたいなものね→秘密よ?”

 

 ほー、そうだったんか。

 

“分かった分かった。で、そっちはなぜここに?”

 

 ハンター協会幹部の一流ハンターが正体を隠し(むしろさらけ出してる? これがパラドックスか)、動く理由。厄介かつ高難易度の仕事(ハント)がそれでも不思議はない。

 この依頼、思った以上にハードかもしれないな。

 

“おそらく私たちの目的は相反しない。共同戦線を張りましょう。これに同意してくれたら教えてあげるわ→ミステリーハンターさん”

 

“ハンターじゃねぇが、協力には同意する”

 

 チードルが生温かい目で見てきやがった。ワタクシナットクイキマセン!

 

“Fの会には危険なウィルスを保有している疑いがあるの。それを調べてたサンビカと連絡が取れなくなったから、今度は私が潜入しようとしてたとこよ”

 

 うっは。こいつぁガチじゃねぇか。

 新興宗教、念能力者の教祖、行方不明の少女、危険なウィルス、連絡の取れないプロハンター。

 そうそうたる顔ぶれである。

 

“理解した。まずは情報を共有しよう”

 

“そうね──”

 

「皆様、こんにちは! 本日はお忙しい中、当講演会にお越しいただき深謝いたします。司会は私、Fの会のジョン・リーが務めさせていただきます──」

 

 おっと、講演会が始まったようだ。

 チードルと頷き合う。今は講演会に集中しよう。

 教祖クリストファーの話術はいかほどのものかな。お手並み拝見だ。

 

 

 

 

 

 

 

 司会者の定型的なセリフが順調に消化され、いよいよその時が訪れた。

 

「──それでは皆様、拍手でお迎えいたしましょう。クリストファー・オータム先生のご登壇です!」

 

 パチパチパチ、と会場で肉を打つ音が木霊(こだま)する。勿論、勤勉な信者になる予定の俺、エヴァレット・ベイリーも全力でパチる。ぺちぺち。

 チラっと横を見るとチードルがお行儀の良い、綺麗な拍手(?)をしていた。すげー、そんな拍手、初めて見た。

 

 ゆっくりと講壇へ向かうクリストファーには、青年特有の色合い──青臭い気質、あるいは幼さ──が僅かに残っているように見える。気のせいかね。

 

 クリストファーは、一般人視点で言えば「どこにでもいそうな」と形容される人物だろう。が、念能力者視点では、容姿以外に平凡さは見受けられない。

 まず挙動。しっかりと彼の眼球を視ると分かる。クリストファーはそうと気づかれぬように自然体を装いつつ、壇上から聴衆を観察している。凝状態であることが十分すぎる証左だろう。

 

 しかし目的は何だ? 何かを探してる? 危険人物とかを? それとも違う目的? この男の見たいものは何だ?

 

 外形に変化はないが、チードルも(いぶか)しんでるはずだ。クリストファーは何を視ている?

 

「あ」

 

 目が合っちゃったよ。

 ……暗い。そして重い。その(くらがり)の奥に何を飼っているのか。

 視線がほどける。長いようで短い、そんな感じだった。

 

 ここで、堪えきれなくなったのかチードルのオーラに不協和音。気持ちは分かるが、今は辛抱してくれ。

 チードルをしてそうせしめたのは、クリストファーの凄まじいオーラだろう。これも非凡ポイントだ。

 

 トップクラスの念使いはそれなりに見てきたが、彼のオーラは間違いなくその領域にある。だけでなく、人の心を酷く揺さぶる──不安、恐怖、気鬱(きうつ)、悲嘆、そういった負の感情を想起させるのだ。

 10年かそこらで一定の規模まで成長できていることから、このオーラ性質はコントロール可能なはず。

 人の最奥にある沈殿物(やみ)を掻き回し、そこへ都合のいい(チープな)清水(ひかり)を与える。そんな割とよくあるマッチポンプを効果的に実行するにはオンオフの切り替えが必須だからだ。

 ま、これはFの会が悪者っていう結論ありきの考察だから、まるで見当違いかもしれないけど。

 

 大人数に注目される中、クリストファーが優しげな声で話し始めた。

 

「こんにちは。クリストファー・オータムです──」

 

 

 

 

 

 

 

 クリストファーの話を要約すると「テロにも人間的意義はあるよ。でもやっぱり平和がいいよね。そのためには頑張ってFの因子を目覚めさせよう。そうすると神様が恩恵をくれるよ」って感じ。

 話し方が非常に巧く、また、オーラによる擬似的なカリスマ性もあり、何も知らない一般人ならば内容がよく分からなくても激しく胸を打たれるだろう。すげぇわ。

 

 隣のチードルが感動に打ち震えている。

 

「素晴らしいです……!」

 

 チードルさん? ガチじゃないよね? ただの演技だよね? 

 念のため嘘発見器(笑)をオフにしてる──偽装の瑕疵になりかねない──から確証が持てない。不安である。

 

「──そろそろ時間も迫ってきました。本日はここまでにしましょう。皆様、ご清聴ありがとうございました」

 

 割れんばかりの拍手ってやつが起こる。おおう、話の内容を理解してる人はどの程度いるんかねぇ。

 ややあって司会のジョンがマイクの前に移動し、テンション高く終わりの挨拶を開始した。

 

「大変深いお話をありがとうございました! 皆様、今一度大きな拍手をお送りください!」

 

 ステージ横の椅子に移動し座っていたクリストファーが、立ち上がり軽く右手を挙げ、おそらくは感謝の意を伝える。

 

「それでは、以上で本日の講演『テロの人間的意義とその本質的解決法』は終了とさせていただきます。お忘れ物のないようにお願いいたします。本日は誠にありがとうございました!」

 

 終わったか。よっしゃ、じゃあチードルと作戦会議&入会手続きだ。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、先程の」

 

「はい。入会手続きをお願いしに来ました。今は大丈夫でしょうか?」

 

 講演会の会場──第4ホールを後にした俺とチードルは、一旦ビルを離れ、情報共有と今後の方針について話し合った。

 結果、それぞれ信者として潜入しつつ時折接触し情報交換をする形を基本に、場合によっては積極的な協力もしていくことに決まった。まぁ、無難なところだろう。

 それとチードルに一つ借りが出来てしまった。チードルが対価を要求することはなかったが、おかげで安心して動ける。いずれ返さなければいけない。

 

 作戦会議後、早速、ビルに戻った俺は美人受付嬢に突撃したわけだ。

 

「勿論です! 準備はできておりますのでお時間は取らせませんよ」

 

「ありがとうございます」

 

 彼女の案内に従い、別室に移動。

 数枚の用紙や冊子がテーブルに広げられ、説明が始まった。

 

「こちらがFの会の理念や戒律をまとめたもので、こちらがこれから記入していただく入会申込書です」

 

 理念と戒律をまとめたものって要するに教典とか聖典って呼ばれるやつだよな。その割りには薄い気がする。こんなもんなのか?

 

「もしかして戒律についてご心配なさっています?」

 

 そういうわけじゃないが、話を聞きたいから頷いとく。

 

「ええ、やはり厳しいのでしょうか?」

 

「いえいえ、そんなことはありませんよ。私たちは平和を目指し、自身を高めるだけでいいのです」

 

「具体的にはどういったことでしょう?」

 

「こちらをご覧ください」美人さんが教典(仮)を開く。「私たちが何より重視しているのは瞑想です」

 

「瞑想……ですか」

 

 今でも毎日してるが? 赤ちゃんの頃からの日課だ。この美人さんより熟練してる自信があるぞ。

 微妙な気持ちになっていると、美人さんはまたしても勘違いしてしまったようだ。

 

「大丈夫です。難しく考える必要はありませんよ。詳しくは後でクリストファー先生が教えてくださいますが、簡単にご説明しますと、自分の中を流れるFの因子を感じる精神修行ですね。特にノルマのようなものはないですが、皆さん毎日励んでいますよ」

 

「……」

 

「? どうなさいました?」

 

「いえ、すみません。少し考え込んでしまいました」

 

 美人さんがしたり顔で何度も頷く。

 

「真面目な方ほど瞑想で悩みがちなんです。きっと難しく考えすぎてるんでしょうね。あなたもそうなのでしょう?」美人さんは確信してるようだ。「ふふ、何だかあなたのことが分かってきました」

 

 俺も貴女のことが分かってきたよ。思い込みの激しい、勘違いしがちな残念美人さんですね。いろいろカモられないか心配である。

 だって俺もこの人から情報を引き出そうとしてるんだもん。へへ。

 

「なんだか恥ずかしいですね。それより瞑想には、その……ゴールと言いますか、合格ラインのようなものはあるのですか?」

 

 例えば、身体の周りのモヤモヤ(・・・・)が見えるようになるとか。

 

 美人さん改め残念美人さんが、ニヤリと本人は悪い笑みとでも思ってそうな笑顔を見せる。客観的に見ればただ可愛いだけである。

 

「鋭いです! 私はまだですが、正しく覚醒させることができれば身体の周りにあるFの因子が見えるようになるみたいなんです」

 

 確定っすね。“Fの因子”=オーラで間違いない。

 

「Fの因子」「F■■」「彼女は熱心かつ優秀な信者である。もし彼女と再会を果たしたいならば急ぐことを推奨する」「神様の恩恵」「危険なウィルス」

 

 情報の断片が群れを成し、やがて一頭の真実(かいぶつ)へと変貌していく。

 しかし──しかし未だ成体には至らない脆弱な真実(かいぶつ)

 だがそれでも分かることはある。今度はそこをまさぐる。

 この部屋には俺たち2人しかいない。もう嘘発見器(笑)を使っても大丈夫だろう。この人が嘘をつくとは思えないが、一応発動しておく。

 

「なるほど。そういった目標があると分かりやすくていいですね。ところで少し思ったのですが、正しく覚醒した方はどこか神聖な場所に移住したりしてます?」

 

「まぁ! やっぱり鋭いです! 本当は入会した方にしか教えちゃいけないんですけど、あなたなら大丈夫そうですね」

 

 残念美人さんが「どうせすぐに手続きは終わりますし、あなたいい人そうですし」などと付け加えた。

 マジでこの人、大丈夫か? あ、大丈夫じゃないからここにいるのか。怪しい新興宗教にハマる(残念)美人の過去……。地雷が埋まってそうでワタシキニナリマス!

 

 残念美人さんは、室内に俺以外は誰もいないというのに、手を口元に添えこそこそ話の構え。合わせないと可哀想なので少しだけ顔を寄せる。どうぞ。

 

「先生に覚醒を認めてもらえると“Fの里”に住むことができるんです。そこでは“平和に相応しい人間”になるための最終試練が行われています」

 

 “Fの里”! 伏せ字とも矛盾しない! やはり俺が見た真実(かいぶつ)は幻ではなかった……!

 

 ルビーのカードにあった“優秀”の文言とそれ故に時間がないと解釈できる文章。当初、宗教で“優秀”の単語が出ることに若干の違和感を覚えていたが、なんてことはない、気づいてしまえばすんなり納得できる。

 

「その試験に合格すると……」

 

 俺の言葉を聞き、残念美人さんの瞳に妄執(もうしゅう)の光が宿る。なまじ整ってるから余計に怖い。

 

「新しい世界──誰も傷つかない世界の一員になることができるのです!!」

 

「!?」感じ入ったように目を見張り、手に力を入れる。「Fantastic! (あ、やべ、間違えた)……素晴らしい!」

 

 残念美人さんが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で俺を見つめる。

 怪しまれたか……? まさかのケアレスミスで依頼失敗? それこそ残念すぎる……。

 

 しかし俺の心配は杞憂だった。

 

「Are you from English-speaking countries? So am I! (英語圏のご出身なんですか? 私もなんですよ!)」

 

 流暢な英語が綺麗なお口から奏でられた。 

 こんなん笑うわ。

 

 

 

 

 

 

 

 入会手続きを終え、残念美人さん──ソフィアに別れを告げた俺は、人工的な自然(?)の溢れる公園に来ていた。ここでチードルと落ち合う手筈になっている。

 そろそろだと思うけど……あ、来た。

 

「ごめん、待った? →謝罪」

 

「ううん、今来たとこ♡」

 

「……で、どうだったの? →キモい」

 

 ひでー。お茶目なネタじゃないか。これだから堅物は。

 まぁでも、ふざけてばかりもいられないんで真面目モードに切り替える。

 

「そっちも気づいたと思うが、Fの会は念能力を何らかの目的で利用しようとしている」

 

「そうみたいね」同意したチードルが素朴な疑問を口にする。「ねぇ、エヴァン。Fが何を意味してるか分かる?」

 

 それは俺も気になっていた。しかし……。

 

「すまん。流石に情報が少なすぎて推理できない」

 

「いくらあなたでもこれだけじゃ厳しいか」

 

 うーん、暗号なり、隠語なりにしてもFの1文字だけだとな。

 こういうのは文字数が少なければ少ないほど難易度が上がる。ヒントがないからだ。

 

「まぁ、これは追々考えるとして」

 

「ええ、最優先すべきは“Fの里”」

 

 どうやらチードルも俺と同程度の情報を得られたようだ。話が早くて助かる。

 

 サンビカが生きているならば、そこにいる可能性が高い。どこかの山間部にあるらしいし、人目を避けて監禁なりをするにはうってつけだろう。ウィルスの非合法な研究にしたってそこなら都合がいいはずだ。

 

「なるべく早くFの里に招かれたい。だから1週間で念に目覚めた演技をしようと思ってる」

 

 念が覚醒しても天才で済まされるギリギリのペース。

 怪しまれるかもしれないが、このくらいなら大きな問題はないと俺は考えてる。

 クリストファーからすると“サンビカの同類”と“単なる念の天才”のいずれであろうと、結局は速やかにFの里に連れていき適切な(・・・)対応をしたいはず。つまり念能力者を必要としていることから怪しくても「即殺害!」とはならずに、警戒しつつも表面上は単なる念の天才として扱われると予想できるということだ。

 ただし念能力者を欲する理由によっては速攻でバッドエンドだが。

 

「分かったわ。じゃあこうしましょう。エヴァンが里へ行き情報を集める。その間、私と定期的に連絡を取るようにしてほしい」

 

 チードルがバックアップ要員になる形ね。了解っす。

 

「並行して教祖クリストファー・オータムの尾行調査もしていきたい。尾行から里の場所が分かるかもしれないからな」

 

「当然と言えば当然なんでしょうけど、登記が当てにならないのが痛いわね」

 

「まぁ、仕方ない。よくあることだよ」

 

 先ほど電脳ページから登記簿を調べたが、山間部の所有地等の記載はなかった。つまり里に関しては登記義務を無視し、未登記。よっぽど秘匿したいんだろうなぁ。

 

「サンが生きてればいいのだけど……」

 

 急ぎたいのは俺も一緒だが、焦りすぎると人間ろくなことにならない。ここは割り切るしかない。

 

「……」

 

 間に合ってくれよ……。

 

 

 

 

 

 

 

「お見事。完全に覚醒してます」

 

 クリストファーがにこやかに断言した。

 

「おぉ……」「すごい」「天才だ!」

 

 ビル内にある修行部屋でクリストファーの理念説明と瞑想指導を一緒に受けていた信者たちが(はや)し立てる。

 

 入会から1週間、チードルと共にクリストファーや信者を調べたが、里の場所に関する情報は得られなかった。

 ただ、クリストファーについていくつかの興味深い事実が判明した。

 まず一つ。クリストファー・オータムの名は本名ではない。本名はクリストファー・デイビスだ。

 始めから芸名のようなものなのかな、とは思っていた。だってオータムって女性の名前なんだもん。少なくとも俺はオータムって苗字の人に会ったことがない。日本人の名前で例えると花子(苗字)太郎(名)って感じ。

 で、もう1つは、クリストファーの前職がサヘルタ合衆国保健福祉省──日本の厚生労働省に相当する組織だ──勤務の国家公務員だったということ。ついでにクリストファーは医大卒で医師免許も所持している。これはウィルスうんぬんの情況証拠……には単体だと少し弱いが、他の証拠が見つかれば補強する能力はある。

 

 可能ならばクリストファーの情報を出してもらおうとルビーに訊いてみたんだが、制約上ルビーの本名と顔をクリストファーに認識させないといけないみたいで、リスクを考慮して見送ることにした。いくらなんでも無関係の子どもに要らぬ危険を負わせるのは躊躇われるし。

 

 まぁ、そんなわけで有益な情報をゲットできなかったから、こうして天才くん(笑)を演じてるわけだ。

 クリストファーが穏やかな調子で言う。

 

「おめでとうございます。エヴァレットさんは次のステージに上がる資格を得ました」

 

 来た! 

 しかしこの男、疑っているのかいないのか。外面を取り繕うのが巧すぎて読みきれない。嘘発見器(笑)を使えればいいんだけど、オーラの動きから怪しまれるかもしれない。やはり気軽には発動できない。

 

「本当ですか! ありがとうございます!」

 

 自分でも違和感があるけど、これは俺の発言である。

 

「ええ、勿論です。最近の若い方は優秀ですね」

 

 お?

 

「このくらいのペースの方も少なくないのですか?」

 

「いやいやいや、滅多にいませんよ。ただ、運命の悪戯により出会(でくわ)すこともたまにはあります」

 

 イザベラのことを話さないかな、と思って話を振ってみたけど、具体的なことを言うつもりはなさそうだ。しつこくするのも不自然だし、これ以上はやめておこう。

 

「エヴァレットさんにはFの里にて最終試験を受けてほしいのですが、どうでしょうか?」

 

 あくまで強制はしないスタンスなのね。少なくとも現時点では。

 

「是非お願いします! 早く無益な争いのない世界の一員になりたいのです!」

 

 クリストファーがうんうん、と頷く。

 

「エヴァレットさんならばすぐですよ。それでは明日、里にお連れしますね」

 

「ありがとうございます!」

 

 さーて、どんなヤベー里なのかなぁ? タノシミダナー。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 チードルの携帯画面にはエヴァンの現在地が表示されている。GPSというやつだ。これはV5が共同管理する衛星による。その誤差は驚異の3メートル以内。今回のようなケースでは非常に有用だ。

 エヴァンは今のところ、Fの会所有の白いビル内にいる。

 

 移動手段はなんだろう? 車? 飛行船? それともやっぱり……。

 

 ここである意味本命であり、しかしあまり当たってほしくなかった予想を裏付ける現象が起きてしまう。

 

「エヴァンの気配が消えた……?」

 

 携帯画面ではerror(エラー)の文字が不気味な光を放っている。

 チードルがいるのは、エヴァンがいるはずの部屋からやや離れた位置にあるトイレの個室だ。円を使うわけにはいかないので、エヴァンのいたであろう方向に純粋な五感による探知を行う。

 

 やっぱりいないわ。

 

 エヴァンだけじゃなく、さっきまで一緒にいたはずのクリストファーの気配も綺麗さっぱりなくなっている。

 

 あなたの言う通りだったようね。

 

 転移能力。

 

 昨日、エヴァンが言っていた。「クリストファー自身が転移能力者か、又はその仲間に転移能力者がいる可能性がある」と。1週間観察しても里やウィルスの研究施設に向かう様子が一切ないことから、もしかしたら自宅等から転移しているのではないか、と疑っていたようだ。

 しかし単に転移しただけならばエラーにはならない。つまりこれはGPSの信号を妨害する手段を有しているということに他ならない。それが念によるものなのか電子機器によるものなのか、あるいは偶然の産物かを特定はできないが、ありがたくないことだけは確かだ。

 

 不自然にならない程度に急いでエヴァンのいた部屋へ向かう。

 距離はさほど離れてはいない。運良く誰にも会わずに到着することができた。

 

 部屋のドアは閉められている。中に人の気配はない。ドアノブを捻ると呆気なく開いてしまった。

 

 カメラは……。

 

 チラリと室内を覗く。カメラらしきものは見受けられない。

 

──円。

 

 ほんの一瞬、十二支んの肩書きに恥じない刹那の展開。

 やはりカメラはない。しかし別の見過ごせないものを感知した。よく磨かれた窓ガラスにオーラで何事かが記されていたのだ。

 

 神字、ね。転移能力で確定かしら。

 

 転移能力はその多くが何らかの“マーキング”を必要とする。そこに神字が使用されることは珍しくない。

 しっかりと確認したいところだが、近づいただけで術者に認識されるケースもあるため部屋に入るのは控えておく。

 

 座標固定と対象者の限定が主な効果かな。

 

 転移能力用の神字の効果としてはこの2つが最も一般的だ。しかし曖昧な推測でしかない。

  

 いつまでもこの部屋の前に滞在するのもまずい。とりあえずは離れようと何食わぬ顔で歩き出す。

 エレベーターへ向かいながら思考する。

 

 エヴァンと通信が継続していればいいのだけど……。

 

 期待はできない。サンビカの例もある。それにGPSを潰すような連中が携帯への対策をしないとは思えない。

 

 しかしどうアプローチすればいい? 

 

 移動先が不明で手段も極めて限定的。となるとエヴァンのやったように念の覚醒を偽装するか、より詳細な調査をし情報を集めるか、強引な手段に出るか。

 強引な手段……操作系能力者の助力を仰ぐ? 

 これも有効な確率は低いだろう。クリストファーには念能力者の仲間が複数人いると考えられる。であれば操作系対策はしているはずだ。

 操作系は決まってしまえば強力だが、致命的な弱点がある。所謂“早い者勝ちの原則”。つまり仲間に操作系対策用操作系能力を持つ者を1人用意すればそれで済む話なのだ。例えば、対象の髪の毛1本を抜けないように操作する能力を掛けてもらうことで他から操作されなくなる。

 仮に操作を仕掛けて失敗した場合は敵対が明確化してしまう。それはまだ避けたい。

 

 それにチードルには気掛かりなことがある。

 

 クリストファーの中に誰かがいる気がするのだ。なんとなく、本当になんとなくだが、彼の中、その奥深くに女の歪んだ情念のようなものを感じる。

 それは自分勝手で幼稚な、しかし、くだらないと一笑に付すにはあまりに……。

 

 首を振る。要らぬことに思考が逸れてしまった。

 

 要するに、仮に操作系対策用の能力が掛けられていなくとも、彼はすでに操作されている可能性があるのだ。この点も操作系能力による強硬手段を取りづらくさせている。

 かといって考えなしにエヴァンと同じ行動をしてもせっかくの数の利を投げ捨てるだけだ。

 

 だが、このままクリストファーの調査を継続しても得られるものがあるだろうか。

 

 知らず眉間に深いシワが刻まれていた。ため息が出そうになるが堪える。嘆くにはまだ早い。

 

 長く待たされたが、漸くエレベーターが到着した。誰も乗っていない点は快適そうだが、エレベーター内の大きな鏡に映るチードルは不安げな顔をしている。

 

「……」

 

 自身から目を逸らし乗り込む。

 

 仕方ないわね。気は進まないけれどあの男に知恵を借りましょう。

 

 携帯を取り出す。

 

 とりあえずメールを送っておこう。それでこのビルから離れたら改めて電話を掛けよう。チードルがそう決めた次の瞬間──。

 

「何をしようとしているのですかな?」

 

「!?」

 

 首筋に冷たく鋭い痛み。ナイフか。

 唐突に、突然にクリストファーが出現した。間違いない。転移能力だ。

 

 しかし神字はここにはな……! まさか!

 

「神字はミスリードですかっ……!」

 

 チードルの監視は察知されていた。さらにはエヴァンのGPSが遮断された後の行動も予想していたのだろう。

 つまり、実際には神字が必須でないにもかかわらずそれらしいオーラ文字を残し、「神字がないと転移できない」と刷り込むことで油断を誘ったということだ。完全に嵌められた。

 

 ギリリ、と歯軋りするも、思考は続ける。

 

 ……ここで私を止めたということは、これ以上ネズミ(・・・)が増えるのは許容できないのか。

 

「……泳がせるのはやめたのですか」

 

「一度に大量に来られると手間ですから」

 

 クリストファーのオーラには一欠片の瑕疵もない。

 

「貴女にも新たな世界の一員になってほしいのです。来ていただけますね?」

 

 ナイフよりもずっと鋭いオーラだ。全身が切り刻まれているような、ありもしない痛みを感じてしまう。

 

 駄目だ。私ではここから逆転することはできない。

  

 沈黙することしかできずにいると、クリストファーはその意味を正しく理解したのだろう、「賢明なご判断です」と。 

 

「……」

 

 ……っ。



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いかあおいあお! いかあおいあお! [参]

9話~13話まで連続投稿です。


「じゃあ、行ってくるね」

 

 そう言って玄関のドアを閉めた最愛の人の残り香が、クリストファーの鼻を(くすぐ)る。

 ふと、嫌な予感がした。

 いつからかクリストファーは虫の知らせが聞こえるようになった。

 聞こえるといっても実際に何らかの音がするわけでも、絶対的に的中するわけでもない。つまり言い換えると、悪いこと限定で勘が矢鱈(やたら)と鋭い、となる。

 

「……」

 

 仮に嫌な予感がしたからといって、彼女を止める上手い言い訳は思いつかない。それにそもそも考えすぎかもしれない。

 クリストファーはそんなふうに自分に言い聞かせた。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 Fの里ナウ(死語)。

 

 移動手段が念能力だった時点で、もはや後戻りはできないと察していたけど、着いた瞬間ドン引きした。洗脳操作しようとする思念のこもったオーラが里内に充満していたんだ。ガチすぎですってば。

 まぁ、チードルから持続支援型の強化・操作系複合能力を掛けてもらってたから事なきを得たけどさ。

 

 クリストファーは所用があると言い残し、転移でどこかに行ってしまった。なので案内は住民のジャクソンがしてくれることになった。

 

 里の周囲には山があり、住宅が……50棟以上は見える。多分、総数はもっとだと思う。建築様式は違うが、どちらかというとアメリカンな田舎じゃなくて日本の集落といった風情(ふぜい)だ。

 

「かなり広いですね」

 

「元々は農村だったのですよ」

 

「なるほど。限界集落になり存続できなくなったということでしょうか?」

 

「ええ。10年ほど前に住民がいなくなり放置されていたこの土地を、クリストファー先生が買い取ったのです」

 

 ほー、お金あるのね。

 

 背の高いジャクソンに連れられ、里内を歩く。()いてる平屋建ての住宅を提供してもらえるらしい。

 広場、住宅、畑、川、教会……教会?

 里の中心部には教会らしき三角屋根の建物がある。十字架こそ備え付けられていないが、その空気感は完全に教会のそれだ。

 ジャクソンが説明してくれた。

 

「ここは最終試験が行われる“神殿”です。試験に堪え得るレベルになったと判断されると、クリストファー先生による最終試験が実施されます」

 

 教会ではなく神殿ね。神殿とは神様が来たり、神像が置かれたりする場所とされる。怪しいなぁ。

 

「ところでこの里には何人くらいの方が暮らしているんですか?」

 

 少し違和感がある。住民の数が少ないんだ。

 勿論、見えない場所にいるのかもしれないが、10年前から活動している小規模以上中規模未満の宗教団体の本拠地にしては少なすぎる。

 ジャクソンの纏うオーラに雑音(ノイズ)が混じる。不自然な流れのそれは操作系能力による歪みだろうか。

 

「現在は100人くらいですね」

 

 少な!

 

「つかぬことをお訊きしますが、イザベラ・ミルズという少女を知っていますか?」

 

 さぁ、どう出る?

 

「ええ、知っていますよ」

 

「! 今はどこに……?」

 

「神殿に」ジャクソンが空虚な、あるいは無機質な幸福をその顔に張り付け指差した。「彼女は“いかあおいあお”様に認められたのです」

 

「……そうなんですか。私も早く認めていただけるように頑張らないといけませんね」

 

 ここで新ワード登場か。“いかあおいあお”様ね。ふーん。そうかそうか。へー……!?

 

「あ」 

 

 うわぁ。当たってたらヤバ。

 

「F」「いかあおいあお」

 

 この2つが持つ意味を理解してしまった。勿論、間違っている可能性もあるが……。

 

 ふと気がつくと、以前より巨大に成長した真実(かいぶつ)が、その威容でもって俺を見下ろしていた。

 

──真実(オレ)が喰らうか、(おまえ)が喰らうか、2つに1つ。そうだろう?

 

 真実(かいぶつ)(わら)う。そんなくだらない妄想。

 

──喰らうのは、味わうのは俺だ。

 

 そんな偽らない欲望。

 

 

 

 

 

 

 

 意外と普通な夕食を済まし、田舎特有の暗さの中を徘徊する。

 

「やっぱり出られない」

 

 里の敷地の境界に“見えない壁”、所謂結界のようなものがあるのだ。物理的に硬いというより空間的に硬い感じ。

 加えて、携帯もずっと圏外だ。里に軟禁されちゃったわけね。こっわ。

 

「……」

 

 今、俺にある選択肢は、①チードルの助けを待ちつつ情報を集めるか、②リスクを承知で神殿に侵入するか、③クリストファーの拘束を目指し攻めるか、の3つかな。

 

 手首には、チードルの発──『常在健常(ノンストップドクター)』の証である十字架が刻まれている。これはチードルが生きている証拠でもある。

  

 しかしクリストファーがいつ強硬手段に出てもおかしくはない以上、あまり時間を掛けるのもな。

 チードルの戦闘力を詳しくは知らないが、クリストファーが本気になった場合に対応するのは難しいのではないだろうか。

 そして何よりイザベラの状態だ。ルビーのカードを信用するならタイムリミットがあるようだし、やはり取るべき選択肢は……。

 

 

 

 

 

 

 

 絶状態で里を駆ける。人目を盗む身としては月明かりすら厭わしい。雲が掛かっていてよかった。

 俺が選んだのは②リスクを承知で神殿に侵入する、だ。

 時間もないし、いつまでチードルの念が持続するかも分からないしね。操作系対策だけなら俺もできるが、問題はそれだけじゃないからな。

 

 神殿に着いた。一応、誰にも見つかってはいないと思う。ただし監視系の発を考慮しなければ、だ。ぶっちゃけそこまで対応するのは現時点では非現実的だから妥協するしかない。

 

 出入口は正面のみ。鍵は……掛かっていない。中に人の気配もない。

 

 両開きの扉の片方を少しだけ開け、様子を見る。

 

「……」

 

 特に何もないし、起きない。行くか。

 神殿に入る。中は伽藍(がらん)としている。高い天井の丸っこいホールといった感じだ。床も天井も基本的には白で統一されている。

 その中で一際存在感を示しているもの──例外的な黒が1つ。中心部に鎮座する大きな黒い像──おそらくは神像──だ。

 雲が流されたのか、幾何(いくばく)かの月光が訪れた。ステンドグラスにより歪められ、ある種の地獄を想起させる禍々しさを醸し出す。

 

 黒い像に近づく。まるで像の闇が浸食したかのように周囲のタイルも黒。

 

「“いかあおいあお”、か」

 

 像は人間を模しているようだ。批判を恐れずに言えば、“黒いキリスト”だろうか(別に(はりつけ)ではないが)。そして台座には“いかあおいあお”様とある。

 

 今一度、神殿内を見回す。特に気になるところはないな、像以外は。

 しゃがんで床を調べる。コンコンと軽く叩くと黒いタイルと白いタイルでは音が違う。円を床下方向に展開するとはっきりと分かる。隠し通路だ。地下へと続く階段が像の下にあるようだ。

 

「へっ、子ども騙しだな」

 

 もっと巧い嘘をつけよな。

 

 内部に何もない時点で隠し扉や通路の存在は疑っていた。こんなあからさまに怪しい建物が本当に何もないなんて思えなかったからな。

 で、どこに隠し要素があるかを考えた時、目についたのが床の黒いタイルだ。なぜなら黒のタイルを開閉部分にすれば、可動する構造上多少は発生してしまう境目の不自然さを誤魔化せるからだ。別の言い方をすると、開閉部の境目を黒タイルと白タイルのそれと重なるようにしてカモフラージュしている、となる。

 

 黒いタイルを隈無く観察すると、やや不自然な穴を見つけた。指が1本入る程度だ。

 念のためオーラを指に集める。そして、その指を穴に入れ、タイルを持ち上げようとすると……。

 

──ギィィ……。

 

 耳障りな音と共にタイルが開く。地下へと続く階段が顔をのぞかせた。

 手首の十字架模様をなぞる。頼むぜ。

 

 階段へと足を踏み出した。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 サンビカ・ノートンにとって最大にして唯一の幸運は、チードルから発を掛けてもらっていたことだ。

 おかげで洗脳系能力をはね除けられた。

 また、Fの会が所有するウィルスに対してチードルの発が有効だったことも大きい。これにより自らの発に頼らずともそれに感染する悲劇を(まぬが)れることができた。

 一応、自らの能力である『感染する愛玩(エゴ インフェクション)』による感染回避もできそうではあったが、こちらは失敗のリスクがあるうえに、失敗した場合ただ感染する以上のデメリットを負うことになる。物が物だけに危ない橋を渡らずに済んだのはやはり幸運と考えるべきだろう。

 しかし他に幸運は皆無だった。教祖クリストファーが見かけ以上に強かったことや、彼がサンビカの持つ情報及びサンビカ自身に利用価値を見い出したことが特にツイてなかったと言える。

 

 武器や念の補助用アイテムの存在を警戒され、衣服は全て剥ぎ取られた。加えて身体も隅々まで調べられた。

 

 そして拷問が始まった。その手法は、操作系念能力によらない以上、極めて伝統的なものだ。それは当然のように多大な苦痛を伴う。

 そうして徹底的に心身を疲弊させられ、正常な思考能力が奪われていく。

 

「はぁはぁ……」

 

 神字が刻まれた拘束具が怨めしい。ただの拘束具ならば力任せに引きちぎることも可能だが、尋常でないオーラが込められた神字がそれを許してはくれない。異常な頑強さに加えオーラを吸収する機能があり、事実上、弱々しい纏以外のオーラ操作を制限されるのだ。膂力自慢の怪人でも破壊は難しいだろう。

 

 このままでは長くは持たな(い)……。

 

 どうやらクリストファーはサンビカをハンター協会への取引材料並びにいざという時(・・・・・・)の保険にしたいらしい。そのため完治不可能なタイプの傷はつけられていないが、だからといって楽なわけがない。というか医学に精通したクリストファーであるから効率的に苦痛を与えてくる。そして医者であるサンビカにもそれがよく分かってしまう。

 

 でもどうすることもできな(い)。

 

 現状できることは、心配しているであろうチードルが上手く助け出してくれることを期待して、歯をくいしばって堪え続けることだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 何日経っただろうか。

 サンビカの時間感覚は曖昧になりつつある。

 

 カツカツカツと硬質な音が通路に反響している。クリストファーが来たのだ。

 サンビカの身体が強張る。これからまた堪えねばならない。辛い時間が始まる。

 

 しかしサンビカの予想に反する、そして予想以上に最悪な事態を目の当たりにしてしまう。

 

「チードルさ(ん)……っ!」

 

 チードルは猿轡(さるぐつわ)、目隠し及び手首の拘束具のみを着用した出で立ちでクリストファーの前を歩かされていた。

 サンビカの声にチードルが反応する。だが、くぐもった呻き声を上げただけで意味のある言葉を発することは能わなかった。

 

 ここまでな(の)……。

 

 チードルの下準備(・・・)によっては、まだ逆転の目があるはずだ。そんなことはサンビカにも分かっている。

 けれど、医者としてもハンターとしても尊敬する先輩の無惨な姿は、サンビカの心に看過できない痛みを与えた。

 

 辛い拷問に堪えていた精神が、パラパラと崩れていく音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 おそらくは隣の牢にチードルが繋がれた日の晩、絶望にほとんどの自我が呑まれ、希死念慮(きしねんりょ)すら抱き「もう目覚めなければいいのに」と思いながらサンビカは眠りについた。

 

 そして数時間が過ぎたころ、カチャカチャと妙な音に目が覚めた。

 

 疲労と栄養不良により意識がなかなか(まと)まらない。

 

 また拷問(ん)……。

 

 しかし体液と排泄物に(まみ)れた専用の椅子に座らされる兆しはない。いつもならばすぐに引き上げられ、椅子に叩きつけられるというのに。

 

「うわぁ、……ぐ……なぁ」

 

 ? 誰?

 

 初めて聞く声だ。

 

「外傷……動……ほどで……ようだけれど……。ごめんね」

 

「!」

 

 今度はチードルの声。

 ここでようやく視界がクリアになってきた。

 

「チード……ル、さ(ん)」

 

 チードルの顔を認識し、涙が滲んでしまう。

 

「ほら、とりあえずこれを羽織(はお)りな」

 

 もう1人の方、細身の男性がジャケットを差し出してきた。そういえば裸だった。それどころではないから忘れていた。

 ジャケットを受け取り、はたと気づく。拘束具が外されている。手首を見ると抉れた皮膚とチードルの十字架が確認できた。

 2人に視線を移す。男性が鍵の束をクルクルと回していた。彼が鍵を入手したみたいだ。

 

「ありが、とうござ、いま(す)」

 

 渇いた口では喋りにくい。

 サンビカが男性を見ているのを察したチードルが口を開く。

 

「サンはエヴァンとは初対面だったわね。でも、あなたも聞いたことがあるはずよ」

 

「?」そう言われても分からない。

 

 誰だろ(う)?

 

「この男があのミステリーハンター、エヴァン・ベーカーよ」

 

「!」

 

「その呼び方やめれ」

 

 そうか、そういうことだったの(ね)。

 

 どうやらまだ負けていないようだ。

 随分と久しぶりに笑みが浮かんだ気がした。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 まず「いかあおいあお」を五十音の順番に対応する数字に変換する。そうすると「2615215」になる。これをさらに「『26』『15』『2』『1』『5』」に細分化。最後にこれらの数字を英語のアルファベット順に応じ、入れ換える。

 

「『Z』『O』『B』『A』『E』」

 

 そう、「ゾバエ」だ。

 つまり、(素直に解釈するならば)Fの会が所有するというウィルスはゾバエ病のものだと考えられるのだ。

「F」の文字に関しても「2615215」を同様の手法で変更すれば浮かび上がってくる。単純に数字を1つずつローマ字へ置き換えるだけだ。すると「BFAEBAE」になる。この中で重複しない文字は「F」のみ。

 これら2点を単なる偶然とみなすのは些か楽観にすぎる。

 クリストファーが何を考えているか正確には分からないが、ゾバエ病に固執していることは確かだろう。

 

 さらに、ジャクソンの「“いかあおいあお”様に認められた」との発言と、理念にある「平和な世界に相応しい人間」の概念から、その人間とはゾバエ病に罹患した人間のことだと推理できる。

 ここからもう1つの無視できない可能性が顕在化してしまう。

 

 則ち、教祖クリストファーがゾバエ病ウィルスの感染をコントロールできる可能性だ。おそらく感染だけでなく病状や患者の行動も操作できるのではないだろうか。

 如何にして五大厄災を制御するほどの力を得たのかは……。

 

 

 

 

 

 

 

「な!? ゾバエ病ですって!?」

 

 ある程度は真実を掴んでいたサンビカの申告に、チードルが声を(あら)らげる。

 

「チードル、声抑えて」

 

「あ、ごめん」ばつが悪そうに言ったチードルは、しかし納得はできないらしく「でも」と続ける。「五大厄災よ? そんなことってあるの?」

 

 信じられない気持ちは分かる。つーか信じたくない。

 とはいえ現実から逃げ続けていたら大体詰む。悪いが悠長に話してもいられない。かいつまんで俺の推理を説明する。

 聞き終わったチードルが深刻な面持ちで呟く。

 

「どうすればいいのよ……」

 

 通信が遮断された軟禁状態だ。チードルの反応も当然だろう。

 ……一応考えはある。ただしギャンブル性を除去しきれていない。

 

「実はここに来る途中で二股の分かれ道があった」

 

 “ここ”とはチードルたちが囚われていた牢屋が並ぶ通路のことだ。

 ちなみに分かれ道は原作ファンとしてあえての左を選択した。2人を助けられたので結果オーライである。

 

「思うに、もう1つの通路はウィルス関係の部屋に通じてるんじゃないか?」

 

 これにサンビカが肯首する。

 

「そうで(す)。私はその先でゾバエ病患者らしき人たちを見まし(た)」

 

「やはりか。それなら話は早い。そこに行き、この里を覆う結界の術者を叩くぞ」

 

 脱出経路も隠れられる場所も助けを呼ぶ方法もない以上、攻めるしかない。

 

「? どうして術者がそこにいると思うのよ?」

 

 チードルが疑問を口にする。

 一方、この里に一番長くいるサンビカには思い当たる部分があったのか、顎に指を当て険しい表情をしている。

 

「里にいる信者は発の完成後すぐにこの神殿で最終試験を受け、それに合格すると“いかあおいあお”様から恩恵を貰い、新たな世界に相応しい人間になるらしい。さっき言った通り“新たな世界に相応しい人間”とは“ゾバエ病に罹患した人間”だと考えられる」

 

 確かにゾバエ病患者だけなら争いのない世界になるかもとは思うけどさ。認めたくはない。

 だって絶対に探偵の需要ないでしょ? つまりミステリーもないってことじゃん。許せないっすね。

 

 探偵として推理を続ける。

 

「裏を返せば、里側の念能力者のうち、完全な発の行使が可能な人間は、クリストファーを除けばゾバエ病患者しかいないということになる。そしてクリストファーの能力はまず間違いなくウィルスの操作をメインに据えた構成になっているはずだ。つまり転移能力と結界能力はゾバエ病患者のものである可能性が高いと言える。で、そのゾバエ病患者がいるのは──」

 

 俺の発言をチードルが引き継ぐ。

 

「もう1つの通路の先……。でも待って。ゾバエ病患者に協力なんて……あ!」

 

「気づいたようだな。クリストファーはおそらくゾバエ病患者の操作も発に組み込んでいる」

 

 ここでサンビカが情報を追加。

 

「私が戦ったのは鏡を具現化する能力者──ゾバエ病患者らしき黒い男性でし(た)……」サンビカが俯く。「私のV's(ブイズ)では、もう1人の患者さんとクリストファーさんまで手が回りませんでし(た)」

 

 なるほど。やはりクリストファーは感染と患者を操作できるようだ。

 今度はチードルが尤もな疑問を述べる。

 

「罹患した信者以外にクリストファーの部下はいないの?」

 

 それについては断定するだけの情報がないんだよなぁ。

 

「いないと断言はできないが、少なくとも俺はそれらしき人物を見ていない」

 

 俺を追うようにサンビカが「私も同じくで(す)」と頷く。

 

「これだけじゃ根拠として弱いのは俺も分かっている。もしかしたら裏方に徹しているだけかもしれないしな」

 

「だったら」

 

「なぁ、チードル」意図的に被せる。「チードルはクリストファーの中にいるアレ(・・)をどう思う?」

 

「……恐いわ。アレはおそらく──」

 

「ああ、俺もそう思う。アレからは世界への、全ての人間への憎悪や怨嗟、猜疑の()を感じさせられる」

 

 あるいは痛哭(つうこく)の旋律。

 

「そしてその思いが、人間らしさを奪うゾバエ病の感染拡大計画へと繋がっているように見える」

 

「……」

 

 まぁ、真意は正確には分からないが、いずれにせよ。「そんなもん抱えた奴が、発という凶器を持った人間を人形化しないまま使うと思うか? 俺はあんまり思わない」

 

「……そうね」

 

 世の中には、自分の大切なもの(テリトリー)を脅かしうる存在に対して、完全支配か完全排除(100か0)のいずれかしか選べない人間がいるんだ。クリストファーも、いや彼の中にいる彼女(アレ)もそういう人種──精神状態なのだろう。

 ただ、現実的な問題として念の限界から来る完全性の綻びはあるはず。俺が今もこうして軟禁状態で済んでいることがその証拠だ。その隙を上手く突ければいいが……。

 

 難しい顔をしていたチードルの纏うオーラが変わる。迷いが消えたようだ。

 

「分かったわ。行きましょう。正面から戦えば強化系が最強ってとこを見せてあげるわ→特質系さん、具現化系さん」

 

 あ゛? 特質系ディスってんのか? コート貸すのやめて素っ裸でステゴロやらすぞ?

 

 



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いかあおいあお! いかあおいあお! [肆]

9話~13話まで連続投稿です。


 コールタールのような微睡(まどろ)みの中、クリストファーがダブルベッドで寝返りを打つ。

 しかしもう寝付けない。仕方なく起きることにする。

 

 余分なスペースが目につく。

 

「……」

 

 ダブルベッドはもう必要ない。1人で使うには広すぎる。ただ邪魔なだけだ。分かっている。

 

 特に意味はないが、彼女がよくつけていた香水を見る。

 あの日の彼女も、天使の名が与えられたこの香りを纏っていた。

 彼女曰く、やや紫寄りのピンク色がかわいいから買ったのだそうだ。「香りはいいのか」と訊くと「それはおまけ」と返ってきたのを憶えている。今でも理解はできない。

 

 今では願っても叶わない。

 

 香水が置かれた、埃の積もった化粧台(ドレッサー)に近づく。

 

「……使ってみるか」

 

 小瓶を手に取り吹き掛けようとして──手が止まる。

 例の予感(・・・・)がしたわけではない。掛け方を知らないのだ。香水など使ったことがないため、作法も何もあったものではない。

 

「はは」

 

 くだらないことを気にする自分が可笑しくて可笑しくて──哀しくて。

 

 拘らず見様見真似で手首に噴射する。直後、それが脳髄を蹂躙した。

 

──ぁぁぁぃたいたすけドウしテくリスにくいにくニクニニクたニけてにくい憎い!!!

 

「! オータm」クリストファーの意識はかき消された。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 ビニール床タイルが敷き詰められた長い通路を進む。先頭にチードル、次にサンビカ、そして殿に俺だ。

 かなり広いスペースが地下に造られていたようだ。神殿は地下への入り口にすぎなかったわけね。手が込んでるわ。

 

 前2人の傷が視界に入る。

 

 チードルはそれほどではないが、サンビカはかなり酷い。ジャケットでカバーしきれずに露出させられた肌は、健康的な人間の色からかけ離れている。ただ只管(ひたすら)に痛々しい。

 

「……」

 

 イザベラが無事な確率はどのくらいあるだろうか。

 サンビカを見ていると、感染の有無は抜きにしてもイザベラが人間扱いされているとは思えない。

 もっと形振(なりふ)り構わず行動すべきだったか?

 ……いや、それで警戒されたら本末転倒だ。これが最善。そう思っておく。

 

「あ(の)……」

 

「ん?」

 

「そんなに見られると恥ずかしいで(す)……」

 

「あ、はい。すみません」

 

 怒られてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 通路の先にあったのは両開きのスチール扉だった。鉄の冷たさがやけに鼻に付く。

 

「鍵が掛かってるわね」チードルがドアを確かめて言った。「どうする? 壊していいならやるわよ?」

 

 ゾバエ病の感染条件が体液の摂取である点、チードルの発により対策ができている点から大胆になっているのだろう。

 

「待て。円で探ってからにしよう。2人の円の範囲は?」

 

「私は半径100メートルくらいね」

 

 まずチードルが、次いでサンビカが答える。

 

「今の状態でも150メートル以上はいけると思いま(す)」

 

 え!? すご。俺は準備万端で無理しても半径35メートルが関の山だというのに……。

 

「……サンビカ、頼めるか?」

 

「分かりまし(た)」

 

 サンビカのオーラが辺りを包み込むも、すぐに顔を曇らせる。

 

「全てを覆うことはできませんでしたが、感知範囲内にクリストファーさんはいませ(ん)。けれど大勢のゾバエ病患者らしき方々が囚われていま(す)」

 

 不確定要素は多い。が、ここまで来たら進むべきだろう。

 

「……ありがと」

 

 サンビカに礼を言い、チードルへ顔を向ける。

 

「やってくれ」

 

「了解」 

 

 引き絞った拳にオーラが集められ、そして放たれた。

 耳をつんざく破壊音。流石の強化率だ。 

 

 キィィ……。ドアが開く。

 

 

 

 

 

 

 

「これは……」

 

 想像以上だ。ある程度は予想していたつもりだったが、目の前の光景はそれを上回っていた。

 

 一言で表すならば“地獄”だろうか。これがクリストファーが理想とした世界……。

 

 スチール扉の先にはかなり広い空間があった。天井も高く、スペース的な観点で言えば学校の体育館の並列バージョンとか巨大な倉庫という感じだ。

 ただしそれらと大きく違うのは無数の檻──害獣が入れられるような立方体の檻を大きくしたもの──が並んでいることだ。

 

「酷いわね」

 

 チードルが険しい表情で言う。

 檻の中にはゾバエ病患者らしき黒い人間が、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている。彼ら彼女らは確かに健常者とは一線を画す存在に見える。しかし人間であることに変わりはないはずだ。

 

「うぅ゛ぅ゛」

 

「ぁぁあ」

 

「──っ?」

 

 身動きがほとんど取れない状態で声を漏らしている。苦しんでいるのだろうか。

 

 まずはチードルに確認する。

 

「これがゾバエ病なのか?」

 

 実際に見るのは初めてだからな。

 

「だと思う。少なくとも私が知るゾバエ病の特徴と一致しているわ」

 

 サンビカも頷いている。

 この中からイザベラや結界の能力者を探すのは骨が折れそうだ。数が多すぎて、しらみ潰しだと効率が悪いよな。

 というわけでちょっと裏技を使う。嘘発見器(笑)発動。そして念じる。

 

──この場で「私が結界の能力者です」と宣言しない者は「私は結界の能力者ではありません」と宣言したものとみなす。

 

──嘘つきかも(・・)! 嘘つきかも(・・)

 

──嘘つきかも(・・)! 嘘つきかも(・・)

 

 嘘発見器(笑)の声が複数聞こえ、怪しい人物の頭上に俺にしか見えない矢印が出現する。

 

 このやり方では断定的な情報は得られない。「嘘つきかもしれない人物」が分かるだけだ。しかも矢印(怪しい人物)は最低でも20は出る。つまり通常の犯罪捜査では役に立たないということだ。

 しかし今回のようなケースではメリットがある。これだけ容疑者が多いと100以下に絞れるだけで十分ありがたい。

 後は対象者を凝で観察し、オーラの流れから発を使用中か否かを見極めていく。オーラを観察しても分からないこともあるが、今はこうするしかない。

 

 それはそれとして気になることが。

 

「それにしてもなぜ念に覚醒した後に感染させるんだろ?」

 

 感染後に操作して念に覚醒させた方が早くないか? 常に纏状態に操作するのが困難だから無意識で纏が可能な人間でないといけない、とか? それとも単純に制約? 念に覚醒していることが感染の条件だったり?  

 

 何か見落としていたらまずいし、不確定要素はなるべく消しておきたい。だから訊いてみたのだが、正直、明快な答えが返ってくるとは思っていなかった。だって暗黒大陸関係のことなんてほとんど分からないだろうし。

 だが──。

 

「あー、それはね、一定レベル以上の念能力者以外が感染すると基本的には死んじゃうからよ」

 

 チードルがサラっととんでもないこと言いやがった。

 

「ゾバエ病に感染すると精孔が完全に開いた状態になる。でも感染した時点で正常な思考能力はなくなってるから、呼吸と同じ感覚で纏ができる人しか生き残れないの」

 

「マジか」

 

「マジよ。というか本当に知らなかったのね」

 

「そりゃあ一般人だし」

 

「センスのない冗談ね」 

 

「……」

 

「じゃあ、ゾバエ病患者の凶暴性ランクが『C-1』と『A-2』の併記になってる理由も知らないわよね?」

 

「ああ」

 

 今度はなんだってんだ。

 

「まず前提だけど、ゾバエ病に感染すると潜在オーラと所謂メモリが増加すると考えられているわ。特にオーラ量については限りなく無限に近くなるみたいよ」

 

 えぇ……。

 

「それで凶暴性についてだけど、基本的にはそう大したことないわ」

 

 ゾバエ病患者を見る。

 

「ぁーー」「ぅーー」

 

 確かに暴れたりはしなそうな雰囲気だ。

 

「でも、彼らが自分に向けられた殺意や敵意を認識した途端、増加したオーラとメモリにより強化された発を、その殺意等がなくなり一定時間が経過するまで半永久的に乱射するわ。勿論、暴れながらね。発が攻撃性の高いものだったら地獄。強化系でも地獄。操作系でもその他でも地獄。……この防衛能力の高さもゾバエ病が不死と呼ばれる理由の1つよ」

 

 顔がひきつる。

 

「あー、ちょっと思ったんだけど、結界の能力者のオーラが乱れたり、意識がなくなるような攻撃や干渉をしたら完全にアウトだったりする?」

 

「当たり前でしょ?」

 

 思わず天を仰ぐ。

 チードルが呆れた顔を向け、ため息。

 

「結界の術者を叩くって言うから何か考えがあるのかと思ってたけど、まさか根本的に誤解があったなんて想定外よ」

 

「すまん」

 

 俺の計画では、最悪でもサンビカかチードルのうち、どちらかを里外に出し、ハンター協会に連絡を取ってもらうつもりだった。

 しかし結界を解除できないとなると計画は破綻する。

 

 ……クリストファーを倒すしかないのか。

 

 結界を解除するとすぐに気づかれるだろうから元々戦う予定ではあったが、援軍が期待できない状態ではな。

 ただまぁ、選択肢はない。

 

 決意を固めた時、サンビカが弾かれたように入口へ顔を向けた。

 

「!」

 

 その意味を俺とチードルもすぐに察する。クリストファーが来たのだ。

 

 顔を見合わせる。

 

──堅。

 

「……」

 

 静寂に、黒い人間の言葉にならない何かだけが──。

 

 

 

 

 

 

 

 リラックスした様子でクリストファーは現れた。黒い人間を2人連れている。

 つーか、左の黒い少女ってイザベラじゃねぇか。あー、やっぱそうだよな。くっそ。

 

「こんばんは」クリストファーが穏やかに言った。「理想の世界へようこそ」

 

「……理想ね。あえて否定はしないが、その少女は返してくれないか?」

 

「返す? 勘違いをしていますね。彼女は自らの意志でここにいるんですよ」

 

 なんとなくそうかも、とは思ってたけどよ。

 今度はチードルが口を開く。

 

「正常な判断力があったようには見えないわね」鋭く睨みつける。「いずれにしろあなたは拘束させてもらうから、解釈の違いはどうでもいいけれど」

 

 クリストファーが肩を竦める。

 

「あなた方に改心するつもりはないようですね」

 

 突然の圧。クリストファーが錬をしたんだ。

 サンビカが固唾を呑む。しかし堅に乱れはない。それは俺もチードルも同じだ。

 

「おいで、V4(ブイフォー)ちゃん」

 

 サンビカが念獣を具現化。ほぼ同時にクリストファーの右に控える黒い男が鏡を出現させる。

 

 流れ弾が患者に当たるといけない。デザートイーグルはやめておこう。

 左のレッグホルスターからいつぞやの短剣を取り出す。相変わらずえげつないオーラだ。

 

 さぁ、やろうか。やりたくはないけどな。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 サンビカの能力『感染する愛玩(エゴ インフェクション)』は自らの体内に侵入したウィルスを基に念獣を具現化するものだ。その念獣のステータスと固有能力はウィルスの種類によってサンビカの意思に関係なく自動で決定される。

 当然、制約と誓約も幾つかある。

 代表的なものは、サンビカに対象のウィルスの知識があるか否かによって、ウィルスの無害化の成否と念獣の従順度が決まるというものだ。

 そして、一度無害化(テイム)に成功したウィルス及びその念獣は6種類までストックでき、ストックしている限りそのウィルスに害されることはなくなる。

 

 今回、サンビカが具現化したV4は、以前流星街で小規模な流行が起きた性感染症をベースとした念獣だ。V“4”と言っても4番目に強いということではない。4番目のケージにストックしているイメージのvirus(ウィルス)であるという、ただそれだけのことである。強さ等の序列とは完全に無関係だ。

 

 ゾバエ病患者が見守る、異様な雰囲気の中、V4がその赤い肢体を晒す。

 V4の外見は、簡単に言うと全身の皮膚が剥がれた裸の女性である。サンビカはかわいいと思ってる。

 

V4(ブイフォー)ちゃん、お願いしま(す)」

 

「ぁ、ぁ、ぁ、ぁ……」

 

 意味のある単語は話せない。が、意思疎通はできている。「任せてくださいまし」と言っている。サンビカには分かるのだ。

 

 V4(ブイフォー)ちゃんの固有能力ならばいけるは(ず)。

 

 前回は負けてしまったけれど、サンビカもバカではない。初見でないなら策くらいは考える。

 そもそも今回は1人で戦った前回とは難易度が違う。いける、と思いたい。

 

 黒い男性の具現化した鏡が、V4へと変化していく。彼はコピー系能力者だ。

 

「行きま(す)!」

 

 V4が赤黒い体液を撒き散らしながら、コピー体へと急接近。一般的なプロハンターでは対応困難な蹴撃(しゅうげき)を仕掛けるが、やはりコピー体、当然のようにいなされる。

 一方、サンビカへは黒い男性が襲い掛かる。一撃、二撃と次々放たれるそれを確実にかわしていく。

 

 やっぱりこの方の体術レベルは高くな(い)。

 

 いや、むしろ低い。もっと言えば単調、まるで一昔前のビデオゲームのAIのようだ。

 

 おそらくクリストファーさんの操作能力の限界が理由でしょ(う)。複数を操作する能力にはありがちで(す)。

 

 問題なく回避できる。やろうと思えば手痛い一撃を加えることも容易い。しかしそれをするわけにはいかない。医者としての信念が、ある種の制約と誓約となってサンビカを縛りつけているのだ。

 けど、それは自ら望んだもの。

 

 この方もいずれ私が治してみせ(る)。

 

 サンビカにとって病人は倒すべき存在ではなく、治すべき患者だ。それは操作されていようとそうでなかろうと変わらない。

 だから攻撃はできない。傷つけられない。

 

 V4から意識は外していない。当たり前ではあるが、彼女らは真の意味で拮抗しているようだ。

 チードルとエヴァンへ感覚を伸ばす。あちらも2対2、チードル&エヴァンVSクリストファー&黒い少女(?)の構図になっている。どちらかに戦局が大きく傾くところまではまだ行っていないみたいだ。

 

 距離は……大丈夫そ(う)。

 

 位置取りは完璧。やるなら今だ。

 

V4(ブイフォー)!」

 

 呼び捨てが固有能力発動の合図。

 

「ぁぅ……!」

 

──『血の雨に眠れ(ブラディ ララバイ)』!

 

 V4の固有能力が実行に移された瞬間、彼女の身体が爆発。血肉が飛び散り、瞬く間に温い鉄の芳醇な香りが充満する。いい匂いだ。

 至近距離で爆発をぶつけられたコピー体は、当然、肉体をバラバラに吹き飛ばされる。もはや動くことはできないだろう。

 

「!? ……」

 

 そして、その効果はすぐに現れた。黒い男性が、ふらり、と倒れたのだ。

 

 よかった。上手くいっ(た)。

 

血の雨に眠れ(ブラディ ララバイ)』は、爆発したV4の血肉──一定以上の量が必要──を浴びた者を眠らせる能力だ。一度発動するとV4は消え、24時間以上経過しないと再度具現化することはできなくなるが、この上なく初見殺しの具現化系らしい能力と言える。

 

 そして、これは純粋な操作系能力ではない。1日23時間以上の睡眠状態を強制する、V4のベースとなったウィルスが大量に含まれた血液、人肉をぶつけることによる、通常通りの症状としての睡眠作用だ。ただ、具現化したウィルスではあるため、V4消滅後数時間程度で対象の体内からも消えることとなる。

 

 一方、難儀すぎる制約もある。眠らせることができる生物は、V4が性交をしたいと思える相手、要は好みの異性に限定されるらしいのだ。サンビカが見たところ、クリストファーはV4のストライクゾーンから外れているから、彼には多分効果がないだろう。

 しかし黒い男性はV4のお眼鏡にかなうと思われた。だから眠らせることができるはず。サンビカはそう予想した。そしてそれは現実のものとなった……のだが。

 

「そん(な)……!」

 

 想定外の光景がサンビカの目に飛び込んできた。黒い男性が、パリン、と砕けたのだ。それはコピー体も同様である。まるで鏡が割れるときのようなそれは、黒い男性がコピー体であることを如実に物語っていた。

 

「!」

 

 サンビカがおよそ60メートル先の檻の中から不審なオーラの動きを察知した。

 

 本体は初めか(ら)……!

 

 また鏡が現れ、今度はサンビカが鏡に映る。

 

 しまっ……。

 

 すぐに跳ぶが一歩分遅い。鏡がサンビカへと一瞬で変化し、かわされてしまう。

 変化しきる前に叩き割ろうとしたが、能わなかった。嫌な汗が伝う。

 

「……」

 

 斯くしてサンビカ2人が相対するという事態が発生してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 コピー系の能力者との戦いではしばしばあることらしいが、実際に体験するとその厄介さがよく分かる。

 

 まさに千日手(て)。これではいずれオーラが枯渇してしま(う)。

 

 サンビカはそれほど潜在オーラが多いほうではない。しかも今は拷問から回復しきってもいない。ゾバエ病患者の無尽蔵のスタミナを考えると絶望してしまう。底無しの絶望とはよく言ったものだ。痛感する。

 

 実を言うと勝つ手段がなくはない。しかしそれはサンビカにとってはありえない。

 則ち、檻の中の本体を破壊するという一手。

 本来のゾバエ病患者であれば、チードルがエヴァンに説明したように害意を感知すると危険な状態──一部の医療関係者は狂化と呼んでいるがサンビカがこう呼ぶことはない──になるが、クリストファーによる操作がなされている現状ならばそうはならないようだ。サンビカが黒い男性と立ち合ってもその兆候が見られなかったことから、妥当な推察だろう。

 

 自らに課した重しが敗因になることも念能力者にはしばしばあることだ。サンビカもそれがいかにバカバカしいか、また、仲間を危険に晒す我が儘かは理解している。

 

 しかし、それでも認められない。そんなことをすればサンビカの世界は崩壊してしまう。

 

 しかししかし……。

 

 仮に私が負けた場合、鏡の術者はクリストファーの加勢に向かうは(ず)。そんなことになった(ら)……。

 

 なんとか互角を保っている状態が容易く破壊されるだろう。その先に待っているのは、死か、拷問か、人形としての生か。

 

 ぎりり、と歯を食い縛る。

 エヴァンが貸してくれたジャケットが、チードルが掛けてくれた十字架がサンビカの心を(くすぐ)る。

 

 瞬間、痛みがサンビカを襲う。

 

 集中力を欠いてしまい、目の前のコピー体の拳がきれいに入ったのだ。吹き飛ばされ、檻に強かに身を打ちつけ──られることはなく、温かい感触。

 

「おわっ! いきなり飛んでくるのは勘弁してくれ!」

 

「?」何が起きたか一瞬分からなかったがすぐに理解した。「! ごめんなさ(い)」

 

 どうやらエヴァンが受け止めてくれたようだ。しかしすぐに降ろされる。状況が状況だけに仕方ない。

 

「鏡どっかにないか? あれば面白いかもよ」エヴァンが言う。「じゃあ俺は戻るから」

 

 どういう意味か訊く前にチードルの加勢に行ってしまった。

 

「鏡(み)……?」

 

 な(ぜ)?

 

 疑問に思うも、明晰なサンビカの頭脳は数秒でエヴァンの言う面白いことに辿り着く。

 

「ふ(ふ)」

 

 私にとっては貴方のほうが“面白い”です(よ)。エヴァンさ(ん)。

 

 サンビカが本体のいる方へ走り出す。迷いはない。

 

 

 

 

 

 

 

 あっ(た)……!

 

 いつも携帯しているバックパックを見つけたのだ。前回、クリストファーと戦闘になった際に紛失していたが、そのまま回収されずに残されていたようだ。

 

 拾い上げ、走りながら目的の物を探す。医療用アイテムが内容の大半を占めるため、なかなか辿り着かない。

 

 あ(れ)? 入れたよ(ね)? 忘れたっ(け)?

 

 整理整頓が苦手で部屋も散らかりがちな自覚はある。まさかこの土壇場でその癖が出たのだろうか。そういうのやめてほしい。お願いだから、と祈る。

 

 大量の檻、つまりは障害物があるおかげで逃げ易い。だから時間は稼げるが、いつまでも鬼ごっこで遊んではいられない。

 

「あ。そういえ(ば)」

 

 思い出した。

 バックパックのメインの収納スペースばかりを見ていたけれど、目的の品──鏡付き化粧用具(コンパクト)は横の小さなポケットに詰め込んでいたのだった。焦りすぎて勘違いしていた。

 

 あー、も(う)! 何やってんだ(ろ)。

 

 ファスナーを開けるとワインレッドのケースがしっかりと入れられていた。

 

「来て、V2(ブイツー)く(ん)」

 

 具現化されたのは、頭が2つある少年型念獣。頭が2つあるといっても結合双生児のように首から上が2つに分かれているわけではない。

 2つ目の頭はお尻から生えた鎖の先にある。使い方は視界の拡張、(しっぽ)の長さを変えられる点を活かし振り回す武器にする、そして──。

 

 V2にコンパクトを渡し、とあるお願いをする。

 

「「ワン!」」

 

 V2は人形(ヒトガタ)念獣だが、人間の言葉は話せない。というか犬みたいな鳴き声しか出せない。しかしサンビカには具体的に何を言っているか分かるから問題もない。

 V2の基になった感染症に罹患すると、意識が混濁し、また、睡眠が取れなくなる。さらになぜか様々な場所を徘徊し、至る所にマーキング(・・・・・)をする。通称、犬化病。社会的ダメージも受ける奇病である。

 

 閑話休題。

 

 V2がしっぽを振りつつ走り去っていく、2つ目の頭が笑顔で涎を撒き散らしながら。勿論サンビカはかわいいと思ってる。

 

 頑張って、V2(ブイツー)く(ん)。

 

 くるり、と向き直る。サンビカはサンビカで自らのコピー体を引き付けておかなければならない。こちらも頑張らないと。

 

 来(た)!

 

 感知能力もサンビカと同等であるのだろう。サンビカが止まるとすぐに追いつかれてしまった。

 

 コピー体がV4を具現化する。発もコピーする範囲に含まれているため、こうなるのは必然。

 オーラの質すら同じに見える自分自身と視線をぶつけ合う。

 

「少し休戦にしません(か)?」

 

 自分であるなら話が通じるかもしれない。

 

「──」

 

 しかし返ってきたのは完全な無言。そして、今度は2対1という不利な戦いが始ま──。

 

──ぱりんっ。

 

 唐突にコピー体が割れ、次いで主の消滅に引きずられV4も崩壊する。

 

「上手くいったみたいです(ね)」サンビカが床から生えた顔──V2だ──に向かって言葉を贈る。「お疲れ様で(す)、V2(ブイツー)くん」

 

「わん! わん!」

 

 これがV2の固有能力。床や地面に(しっぽ)の顔を突き刺し、その顔を遠隔地に出現させる、通信・情報収集系の能力だ。

 V2は「バッチリっす!」と言っている。褒めてほしそうである。

 

 先程サンビカがV2にしたお願いは「本体を襲うように見せかけて鏡の具現化を誘ってくださ(い)。その時にこの(コンパクト)で合わせ鏡を作ってくださ(い)」といったものだ。

 

 狙いは、合わせ鏡による処理落ち。

 

 これがサンビカの妥協点だった。

 前提として患者に傷を負わせられないという広義の制約と誓約がある。これをギリギリ抜けることができるのが、情報過多によるオーラの過剰消費(枯渇)及び気絶だ。

 

 鏡によるコピー体生成は①鏡に映した対象を②分析し③生成する、という過程を踏むとサンビカは推測した。この②分析し、の部分が隙だと読んだのだ。コピー体を作るにはその内容を“理解する”もしくは最低でも“把握する”必要があると考えるのが自然。同じ具現化系だから分かる。具現化するには対象の知識と理解が要求されるのだ。それはコピー体であろうと変わらないはず。

 

 そこで合わせ鏡。エヴァンにヒントを教えられ気づくことができた。

 合わせ鏡とは鏡と鏡を互いに映す行為、状態を指す。するとどうなるかというと、無限と錯覚してしまうほどの量の鏡が映し出されるのだ。確かに完全な無限ではないが、具現化するための分析対象数としてはありえない量になる。

 いくらゾバエ病患者のオーラ量が無限に近いと言っても、近いだけで実際に底無しなわけではない。結果、オーラを爆発的に消費し、また、脳へも尋常ではない負荷が掛かる。こうなると気絶は避けられないだろう。

 

「はぁー」

 

 キツイ戦いだった。

 だがなんとかなった。少しだけ気を緩め、すぐに引き締める。チードルたちの援軍に行かなくては。

 

 そう思った時、それは起こった。

 

「!?」

 

 サンビカがいる位置より80メートルは離れた、要するにチードルたちが戦っている場所で、凄惨な、あまりにも苛烈なオーラが発生したのだ。

 

 何が起きている(の)。

 

 不安に駆られ、足を動かす。床の冷たさが不快。

 

 



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いかあおいあお! いかあおいあお! [伍]

9話~13話まで連続投稿です。

また、今後の展開が分かりかねない情報を目に入れたくない方は、このお話の後書きはスルーでお願いします。


 チードルは強化系だ。だから発など使わなくとも肉弾戦は問題にならない。

 そもそもチードルの発──『常在健常(ノンストップドクター)』は、対象の免疫力の強化及び正常な状態を自然な範囲で維持する強化、放出、操作の系統複合能力である。したがって、操作系能力を防御できる点を除けば直接戦闘ではほとんど意味を持たない。

 

 だが、それでもいいのだ。なぜなら基礎を、心源流の型を、愚直に、ただただ真っ直ぐに反復して完成させた技があるからだ。それはもはや人の肉体の枠を越え、丹念に打ち込まれた日本刀のごとき鋭さ。

 そこに強化系特有の効率的身体強化が加わる。並みの相手では障害になり得ない。そのはずなのだが──。

 

「っく!」

 

 黒い少女だった魔獣(ナニカ)──肥大化した肉体に猛禽類の顔、さらに背中からは太く長い触手が6本飛び出している──の触手に強かに打たれ、後退を余儀なくされる。

 

 いったぁ……!

 

 チードルの堅を抜き、確実に衝撃を与えてくる。防御力には自信があったのに信じられない。

 救いは、少女に繊細な体捌きを行う技術と高度な戦略を練る知能がなさそうなことだ。

 しかしそんな状態にもかかわらず苦戦を強いられている事実が、チードルの精神に確然たる痛みを蓄積させる。

 けれど。

 

「……なめんな」

 

 チードルにもプライドはある。信念もある。こんなところで負けるわけにはいかない。

 

「──gyadmkhad!!」

 

 少女だったモノが非生物的な叫びを上げたかと思ったら、チードルは殴られていた。

 

 見えなかった!? 速くなってる?!

 

 身体スペックがどんどん上がっているのだ。技術や駆け引きとは最も遠い所、有り体に言えば野生の強さが少女にはあった。

 触手がチードルへと迫り──エヴァンが手にした短剣に引き裂かれる。

 

「!」

 

「この切れ味よ!」エヴァンの軽口。「相性悪そうだな。交代すっか?」

 

 チードルにクリストファーの対応をしろ、ということらしい。拒む理由はない。

 

「分かったわ。この子はお願い!」

 

「オッケー」

 

 あくまで軽いノリを改める気はないみたいだ。そうでもしないとやってられないのだろう。

 チードルにもその気持ちはよく分かる。自らを奮い立たせて誤魔化そうとしても、彼我(ひが)の地力の差は如何(いかん)ともし難い。つい絶望という名の底無し沼に足を取られそうになってしまう。

 

 駄目! 集中しないと。

 

 エヴァンとスイッチはした。けれど楽な相手に替わったわけではない。

 クリストファーは野生の獣のごときゴリ押しはしてこないが、しかし基本的には濃密かつ大量のオーラを前提にしているから方向性は似ているだろう。ただし人間特有の嫌らしさが多分に含まれた戦い方である点は、少女と大きく違うと言える。

 

 クリストファーは息を乱してすらいない。静かに口を開く。

 

「今度は貴女が相手ですか。いい加減諦めて私たちの仲間(・・)になりませんか? きっと悪くないですよ」

 

 戯れ言を……!

 

「あなたにとっては悪くないのでしょうね。心底くだらない!」

 

「……」

 

 ふいにクリストファーの表情から“何か”が抜け落ちる。ゾッと強烈な悪寒が走る。

 

「そうですか。ではもういいですね。さようなら」

 

「なn」

 

 何をするつもり、そう問おうとして、しかしすぐにその意味がなくなってしまう。

 

「Tjwdmekagatem──!!?」

 

 少女のオーラが暴風となりて場を蹂躙し──刹那の無──そして、クリストファーの首が引きちぎられる。少女だ。少女がやったのだ。

 

「!?!!?」

 

 あまりの光景に理解が追いつかない。

 

 なぜ? 操作されていたんじゃないの?

 

 初めは“ゾバエ病患者が危険を察知した際の状態”所謂“狂化”へと変貌させられたのかと思ったが、いや、この過剰にオーラが噴き出している感じは以前観た研究所の映像と同じだ。

 狂化はしているように見える。

 そして風貌も変わっている。まるでモンスターのようだったそれは鳴りを潜め、形は普通の少女とそう変わらない。しかし肌だけは普通ともゾバエ病患者の普通とも違う。

 

 黒い肌──黒人の人間的な肌とは違う人工的な漆黒色──に、深紅の幾何学模様? 何よ、これ……。

 

 幾何学模様が血管であるかのように、どくどく、脈打っている。

 エヴァンの気配が横に。

 

「操作が解除された。普通に考えたらそうなるよな?」

 

「それは……」

 

 そうだが、状況が上手く理解できない。チードルにとってはイレギュラーがすぎる。マニュアル通りとは行かなくとも、もう少し前例や常識に配慮してほしい。

 

「ゾバエ病特有のメモリ拡張が、魔獣化とかの変身を伴う除念能力を開花させた。そして除念の原則がイザベラをあの姿にした。当たらずとも遠からずじゃねぇかな」

 

 除念の原則、つまりは除念対象の念を何らかの形で引き受けなければならないという性質。

 少女の場合、自らへの操作を除念で外し、その念を魔獣化という形で負担した、とエヴァンは言いたいのだろうか。

 確かに、除念対象の念及びその根幹にある思いにより魔獣の行動指針が決定されているならば、除念の性質にも矛盾しないのかもしれない。理屈は分かる。しかし認めがたい。

 明らかに強化作用のある魔獣化能力に加え、ゾバエ病の狂化。しかもある程度の理性を残したまま。こんなの簡単には受け入れられない。

 

 チードルの葛藤は、しかし、さらなる現実に嘲笑われる。

 

 少女がクリストファーの首を興味のなくなった玩具を捨てるかのように床に落とす。鈍い音と共に首がこちらを向く。その瞳の奥には誰もいない。誰もいない?

 

 場違いな甘い匂い。香水……。

 

「!」

 

 視線を少女へ戻し、目眩がした。少女の見た目がまた変わっている。背中に大きな翼が生えているのだ。それだけならばまだいいが、その翼を構成するモノがおかしい。

 少女から見て左の翼は、大小様々な幾つもの女の顔が集合し形成されている。そして右の翼はクリストファーの顔の集合体。

 

「ちょっとエヴァン。あれって」

 

「ああ、クリストファーと……おそらくはオータムという女性の怨念を除念(きゅうしゅう)したんだろ」エヴァンの声に揺らぎはない。「よく“死者の念”とか“死後に強まる念”とかって言われるやつだな。やっばいね」

 

 全然ヤバそうな口調ではない。何か策があるのだろうか。

 

 ぎろり、と少女の瞳が、そして翼で(うごめ)(おびただ)しい眼球が一斉にこちらを見た。

 

「っ!」

 

 純粋な恐怖が──。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

──探偵にとって最も重要なものは何か?

 

 推理力? 知識? 行動力? 直感力? あるいはコネ?

 

 なるほど、どれも必要だろう。けど俺が出した結論は違っていた。

 

 それは観察眼。

 小さな小さな伏線(ヒント)を見逃さず、違和感から(ミスリード)を見破る。そして真犯人の底(オチ)を見透かす。それが俺の理想とする探偵であり、名探偵の絶対条件。

 そんなふうに赤ちゃんだった俺は思ったわけだ。で、何をしたかというと凝を徹底的に鍛えた。念に覚醒した0歳と10ヶ月のころから修行の大半を凝に費やしてきた。

 

 そうやって今日(こんにち)まで過ごしてきたら、最近、目に()をしたとき限定で妙なものが見えるようになった。別に幽霊ではない。あ、でもちょっと似てるかも。

 

 

 

 

 

 

 

 数秒先(・・・)のイザベラの行動が、曖昧な幻影となって見える。それに従い、数拍前から回避行動。 

 

 どう、と疾風が頬を(かす)め、鮮血が舞う──イザベラの。

 タイミングを見計らい幻影のルートに短剣を添えていた。結果、絶妙なカウンターとなってイザベラの翼を切り裂いたんだ。

 

「あの動きが見えているの!?」

 

 チードルには捉えきれていないのだろう、驚愕が見て取れる。

 

「いや、完全には見えない」

 

 俺が見ているのは数秒先の行動(みらい)だ。動体視力も悪くはないと思うが、それだけで付いていけるスピードじゃない。俺が強化系だったらワンチャンあったかもしれないけどな。

 

 こちらを振り返ったイザベラが目を細める。

 なんだよ。そんなに見ても何もないぞ。

 

──ニィィぃぃいい。

 

 突然、イザベラが、全てのクリストファーが、オータムが笑う。口は裂け、歯肉が大きく露出している。

 そして全ての口から──が伸びる。

 

「そんなんありかよ!」

 

「私、グロいのそんなに得意じゃないのに!」

 

「かわいいで(す)」

 

 いつの間にか参戦していたサンビカが変なことを言った気がするが、きっと何かの間違いだろう。

 

 何十、もしかしたら百を越えるかもしれない本数の舌──もはや触手だ──が多量のオーラを纏い、うねうねと場を満たしていく。物理法則に反した数だ。

 回避されないように逃げ道を潰しに来やがった。

 ついでにさっきの傷も回復し始めている。この短剣(こいつ)でこれならマトモな武器では一瞬で完治されかねない。

 

 目に硬をするなんて諸刃の剣もいいとこだ。(いわ)んや相手がイザベラなら尚更だ。

 でも解除はできない。先読みがないと俺の身体能力では対応できない。

嘘は真実(リバース)・身体能力』を使うか? しかし制限時間内に勝てなかったときはチードルとサンビカが……。やはりまだ駄目だ。

 しかし現実は俺の思いを容易くねじ曲げる。

 

 幻影が、未来が見える!

 

「っ!」

 

 意識が飛びかけた。あまりにも(しょくしゅ)の量が多すぎて処理しきれなかったんだ。

 

 あーヤバいわ、これ。

 

 回避なんて無理だ。防御も不可能。強化系のチードルなら四肢を全て失う程度にダメージを抑えることができるかもしれないが、俺とサンビカは……。

 

「チードル、サンビカ。全力で離れろ」

 

「な──」

 

「いいから逃げてくれ!」

 

──『嘘は真実(リバース)・身体能力』発動。

 

──練! 練!! 練!!!

 

 頭が痛い。けど死ぬよりマシだ。……行くぞ。

 

 硬い床を踏みしめ、疾駆する。

 一直線にイザベラ本体に肉薄しようとし、多数の(しょくしゅ)により作られた盾に阻まれる。だがこれは狙い通り。これで2人へ行く数が減る。

 

 盾の前で急転換し、イザベラの後ろに回り込む。

 (しょくしゅ)をこれだけ出してたら動きにくいだろう。しかもその大半はイザベラの前方に展開されている。いきなり背後へ持ってくることは難しいのではないか──本数故に刹那のタイムラグがあるのではないか。

 そう予想し、やってみた。すると上手く背を取れた──のだが、イザベラの背が縦に割れたかと思ったら、裂け目から(しょくしゅ)が飛び出してきた。かわせず吹き飛ばされる。

 

 背面も即応可能なんか。くっそ!

 

 迫りくる攻撃を回避しながらも思考は止めない。

 

 しかしどうすれば……。

 

 時間だけは確実に過ぎていく。

 早く何とかしないと『嘘は真実(リバース)・身体能力』が切れてしまう。

 

 イザベラは(しょくしゅ)一辺倒をやめるようだ。(しょくしゅ)を引っ込め、次いで、その機動力を存分に発揮し出した。

 

 それはそれでキツイっつーの!

 

 ……落ち着け。こんな時こそ冷静にならないと。

 もう一度、情報を整理しよう。

 イザベラのこの状態はゾバエ病と除念系能力に由来する。それは間違いない。

 ゾバエ病は害意が消え、一定時間が経過しないと暴れる状態が続くらしい。

 除念能力は原則として除念対象を消すのではなく肩代わりするもの。

 クリストファーとオータムの死後強まる念は、イザベラに取り憑き、逆に除念という過程を経て吸収された。これも正しいはずだ。

 

「……」

 

 除念には通常、限界がある。それは念に共通する性質で、何らかの欠陥──不完全性を抱えるということだ。

 

 一流のプロハンター程度では認識できない速さで動き回るイザベラをよく観察する。

 とりあえずチードルとサンビカは今の彼女の眼中にはなさそうだ。よかった。単純に俺だけをターゲットにしてくれた方がいくらかやり易い。

 

 さらに視る。

 顔の集合体、黒い裸体、幾何学模様。ごちゃごちゃしているが、強化された視覚はそれを障害としない。

 

 ……幾何学模様か。模様に何か意味があるのか? 

 

「……ん?」

 

 何かないか? めちゃくちゃ小さい六芒星?  

 イザベラの裸体にある幾何学模様には小さな六芒星が3つある。直径1ミリほどのそれが、胸にある小さな四角模様の中に収まっているんだ。

 こんなの初めからあったか? 最初は……駄目だ。認識していなかった以上、比較しようがない。小さすぎて見逃していた。

 

 イザベラの拳が振るわれる。衝撃波。

 まるで空間が歪むかのような暴力の嵐だ。檻の中にいる患者が害意と認定しないかヒヤヒヤだよ、まったく。

 

 死合(しあ)いつつ、同時に観察と考察は継続する。俺が勝利を掴むとしたら、この先にしかない。

 他の部位には六芒星も同じ大きさの四角形も見当たらない。

 六芒星の色は紫が2つにピンクが1つ。

 

「……」

 

 素直に考えるならば、紫が“クリストファーの操作の念”と“クリストファーの死後の念”を、ピンクが“オータムらしき女性の死後の念”を表している、となる。

 ということは、だ。同様の四角形が存在しないことから、イザベラが並行して除念できる対象数は3つが上限と考えてもいい……はず。

 

 発動時間は残り1分を切っているころだ。もう迷ってる暇はない。だからやるしかない。

 こんなことやったことないが、制約と誓約を文理解釈──語句を一般的、辞書的な意味で理解したうえで普通の国語文法に従う解釈──により読み解くと可能だとは思う。ただし妥当性に重きを置いた目的論的解釈の度合いが強くなると可能か否かは分からなくなる。

 こういう所が半天然型の面倒なとこだ。念に覚醒した時にはすでに発がほとんど完成していて、制約と誓約も当たり前に存在していた。俺が(いじ)れた部分は極僅かだ。しかも内容の全てが解明されているわけではないと来ている。本当に手の掛かる(やつ)だよ。

 

 チードルがサンビカに耳打ち。即座にサンビカが念獣らしき人形(?)を伴い入り口へ走り出す。

 クリストファーが死んだことで里を隔離する結界が消滅したと考えたのだろう。サンビカのバックパックの中に携帯等があったのかもしれない。最低の最悪で俺たちが全滅しても、ハンター協会に伝えることができたら多少はマシ。チードルとサンビカの判断は正しいと言える。

 

 しかし。

 

「サン!」

 

 チードルの悲鳴。

 俺からサンビカへとターゲットを切り替えやがった。イザベラが音速に届こうかという速度でサンビカに迫る。

 念獣が向き直り、大きな石の盾を作り出す──が無意味。盾は一撃で粉砕され、念獣の上半身が消える。殴り飛ばされたんだ。

 イザベラとサンビカの距離が限りなく0に近づき──。

 

「っ!」「!」

 

 俺とチードルがほぼ同時に間に合った。イザベラに左右から打撃を加えることに成功する──が。

 

「awdjhlajbgodambg──!!」

 

 イザベラの慟哭(どうこく)。そして翼にある無数の目玉から光線が放たれる。

 

「はぁ!?」「っ!」「ぃ!」

 

 至近距離から喰らった俺とチードルは勿論、サンビカも無視できないダメージを負ってしまった。 

 

 残り何秒だ? 

 

嘘は真実(リバース)・身体能力』が切れた瞬間、俺たちの死亡が確定する。

 焦りが精神を乱す。それを自覚するが、否、自覚したからこそ可笑しさが込み上げてきた。

 

「……はは」

 

 この世界で探偵になると決めた時から覚悟はできていたはずだろ? 今更だ。何をビビってんだよ。……やるか。

 

「後は頼んだ」

 

 多分、2人には聞こえていない。まぁ、構わない。気分の問題だ。

 

 そして、それを発動する。

 

──『嘘は真実(リバース)胡蝶の夢(ハッピーナイトメア)』。

 

 ぶち、と意識が途切れた。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 イザベラが虚ろな瞳で空を見上げる。

 

 エリアナの虐めは日に日にエスカレートしている。

 友だちである、と言い張るために分かりやすい傷が残されることだけはなかったが、それ以外はなんでもされた。

 万引きの強要なんてかわいいもので、売春やポルノビデオ出演などもあった。イザベラが秘かに想いを寄せていた男子にどんどん違法ドラッグを与え、いつ死ぬか賭けるイベントに協力させられたこともあった。彼の死体をバラした時のことは生涯忘れられないだろう。

 でもエリアナ・ガルシアに逆らうことは誰にもできない。ガルシア家を敵に回すことは、地獄に落とされることと同義。逃げ道はない。すでに地獄にいるのに、まだ下があるという喜劇に笑いが漏れる。

 

 家に帰っても休まることはない。

 母が極端な理想を押し付けてくるのだ。

 母の娘は、母の次に美しくなければならない。母の娘は、学業に優れていなければならない。母の娘は、カースト上位にいなければならない。母の娘は、完璧な人格を有していなければならない。母の娘は、上流階級とのみ親交を深めなければならない。

 他にも挙げればキリがない。

 勿論こちらも逃げられない。どこへ行っても母の忠実な奴隷である父がすぐに迎えに来るのだ。そうして連れ戻され、拷問も()くやという“お仕置き”が実行される。

 

 これが日常だった。

 

 そしてイザベラはいつしか神に願うようになった。

 

──神様、あなたはきっと偉大な方なのでしょう。けれど一つだけ大きな過ちを犯しました。それは人間を創ってしまったことです。だからどうか自らの愚かさを認め、今すぐに全ての人間を削除してください。そうすれば……。

 

世界(あなた)を好きになれる……」

 

 イザベラからゆらゆらと黒が漏れ始める。

 だからだろうか、外面だけは穏やかに見えなくはない男──クリストファーが話し掛けてきたのは。

 

「こんにちは」

 

「1回33000ジェニー。オプションは別料金です」

 

 明日も成果(・・)を報告しなければいけない。よさそうな客は確実につかまえなければ。

 

「そうですね。ではオプションで」男から得体の知れない……違う、自分と似た“何か”を感じた。「理想の世界に来てもらえますかね」

 

 これがイザベラ・ミルズと教祖クリストファー・オータムの出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 クリストファーに案内されたのはホテルでも彼の自宅でもなく、真っ白なビルだった。そこはどうやら新興宗教の施設らしく、受付の女性の美しさも相俟(あいま)って妙な迫力があった。

 けれど、ここにいる人は皆、何かを抱えてここに来たのだと理解した時、迫力ではなく親近感あるいは仲間意識を感じるようになっていた。悪い居心地ではない。

 

 日常(じごく)の中の小さな安らぎをFの会に求めるようになるまで時間は掛からなかった。

 

 クリストファーに教えられた瞑想に励んでいると、ある日、身体から出る煙が見えるようになった。身体からすごい勢いで抜けていく。

 

 な、何これ……。なんか……嫌!

 

 初めてのオカルト現象に驚きもあったが、何よりもイザベラを焦らせたのは、このよく分からない煙と共に絶対に消してはいけない暗い炎も空に昇っていってしまうように思えたこと。

 だから留めた。身体から離れぬように。(いかり)を絶やさぬように。

 

 

 

 

 

 

 

 後日、クリストファーに煙を見せてみた。すると彼は自分のことのように嬉しそうに破顔した。

 

「素晴らしい。イザベラさんは天賦の才をお持ちのようだ」

 

 クリストファーのように真っ直ぐイザベラ自身を認めてくれる人は久しく見ていない。

 傷だらけの心の隙間にヌルリと侵入されるような異物感があったが、嫌な感情は持たなかった。

 

「ありがとうございます」

 

 だから素直に言えた。

 もっと入ってきてほしい。もっともっと。世界が壊れるくらい深く深く。

 

 

 

 

 

 

 

 ある時を境にイザベラの意識は朧気(おぼろげ)になった。それは光の届かぬ深海がごとき安息。

 何かが聞こえる気がする。何かに圧迫されている気がする。でも快も不快もない。どうでもいいこと。やはり悪くない気分だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

──あの3人を壊せ。

 

 心地よい声がイザベラを突き動かす。視界はぼやけている。それでも“あの3人”なる存在を認識することはできた。

 

 衝動に従い、飛び掛かり、腕を振るい、背中の()をしならせる。

 途中、鞭に違和感を覚えたが、痛みはなかった。そのまま暴れ続ける。

 

 そして、また声がした。

 

──狂え。

 

 イザベラの中で、カチリ、と何かが嵌まる。しかし。

 

──『天使にデスメタルを(エンジェル オブ デス)』発動。

 

 意識が急速にクリアになっていく。身体が熱い。あの煙が止めどなく溢れている。

 けど、なぜか止めようという気は起きてこない。理由はすぐに分かった。どれほど噴出しようと無くなることがないからだ。煙はこのままでいいだろう。

 

 ふと、手に温い塊(・・・)を持っていることに気づいた。邪魔。ぼとり、と捨てる。

 

──人間を削除しろ。ゾバエだけの世界を創れ。

 

 今度は別の声だ。逆らう必要はない。これは天使の声。イザベラに安らぎを与えてくれる。だから従わなければいけない。

 

 “あの3人”を削除しよう。そうすれば雨がやむと信じて……。

 

 

 

 

 

 

 

 新しく増えた目から熱いモノを解き放つ。ゾクゾクとした感触が全身を駆け抜ける。

 

 なかなか削除できない。

 

 あの3人、中でも灰色の煙の人が鬱陶しい。

 周りにいるゾバエ病患者たち(子どもたち)を傷つけることが許されない以上、イザベラの行動は著しく制限される。その事実が削除を阻害していた。

 

──人間を削除しろ。人間を削除しろ。人間を削除……。

 

 天使が歌っている。

 

 早く削除しないと。削除しないと削除し削除削除削除削除削除削除──!

 

 心の底に(くすぶ)る暗い炎を、大きく燃え上がらせる。煙が加速し、もはや乱気流の様相を呈し始めた。

 イザベラが躍動する。

 

「AmdtjmjmLmekg──!!」

 

 1番小さい人間の脚を掴み「やめなさいっ!」一気に股を裂く。まず1人。

 

「このっ!!」

 

 手に持つそれに暗い炎を灯し、寄ってきた(うるさ)い人間に叩きつける。

 

「Wmdjmaj──!」

 

「──」

 

 変わった松明(・・・・・・)と煩い人間が弾けた。水風船がそうなるように赤い液体が飛び散り、イザベラに掛かってしまった。

 

「?」

 

 灰色の煙が消えた?

 

 しかし暗い炎は直ちに灰色を捉えた。やけに薄い。不可解ではあるが、それより削除しないと。

 

「Da22memcjwtg──!」

 

 接近し、腕を打ちつける。それだけで呆気なく灰色は赤くなった。

 

──人間を削。

 

 歌が止まった。

 いい気分だ。

 空が見たい。

 欲求に促され、首を動かすが、そこにあるのは人工的な色だけ。照明がチカチカと目に刺さる。

 

 ああ、空が見たい。 

 

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか眠っていたようだ。イザベラが目を開けると雲一つない晴天が広がっていた。

 身を起こし、周りを見る。

 

 学校……?

 

 敷地端にある庭のベンチだ。記憶を呼び起こす。だんだんと思い出してきた。

 

 そうだった。今日はエルと買い物に行くんだった。

 

 腕時計を見ると15時を回っている。そろそろ授業を終えたエルが来る時間だ。

 

 ちょうどいいタイミングで起きることができたみたい。よかった。

 

 程なくしてエルが小走りでやって来た。

 

「お待たせ」

 

「ううん、さっきまで寝てたから待ってないよ」

 

 エルがポカンと口を開ける。美人はどんな顔をしても様になる。

 

「あんたもう少し警戒心持ったほうがいいよ」

 

「そうかな。でも危ない人なんて滅多にいないから大丈夫だよ」

 

「はぁぁぁー」

 

 そんな魂まで抜けそうな溜め息つかなくても。

 ポカポカ陽気だから仕方ないの。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 走っていた。

 なぜ?

 ああ、逃げていたんだった。

 何から?

 デカイ魔獣。あんなんに捕まったら秒で胃袋行きだ。それは御免蒙(ごめんこうむ)る。

 

 ぬかるんだ森の地面に足を滑らせないように細心の注意を払い、しかし全力で走り続ける。

 オーラにはまだ余裕があるが、体力はそろそろヤバい。

 

 真っ直ぐに走っていると森を抜けた。目の前に大きな湖が現れる。

 ほぼ海じゃねぇか。琵琶湖かよ。

 

 後ろへオーラを延ばす。魔獣の気配はない。

 

「大丈夫なのか……?」

 

 俺の円が狭いせいで断言できないのがなぁ。

 でも、どうしようもない。来たら来ただ。どうせもう脚もまともに動かない。

 近くにあった岩に(もた)れ掛かるように座り込む。

 

「はぁ、疲れた」

 

 なんでこんなことに……。

 

 嘆いても状況が好転しないのは理解している。が、あんまりにもあんまりな現実に嘆かずにはいられない。

 

 顔を上げると、遥か遠くに立派な山々が見える。

 湖上空では2匹の鳥(?)が空中戦を演じてる。

 

「鳥……じゃないよなぁ、あれ」

 

 だって火吹いてんだもん。そんな鳥いて堪るか。

 一方の鳥(偽)が翼を広げる。次いで刃状のオーラが大量に飛び出した。

 

 ふむ、変化系と放出系を極めておるの。

 

 などと達人風の脳内解説をして現実逃避。

 刃状のオーラがもう一方の鳥(竜)へと吸い込まれる。深夜の通販番組もびっくりの切れ味だ。きれいにぶつ切りにしやがった。こっわ。

 バラバラにされた竜(鳥)が掴んでいた岩が湖へ向かっていき──しかし湖に着水する前に勝者にキャッチされた。その瞬間、何処からともなくビーム(?)が飛んできて竜(勝者)をぶち抜く。世紀末も泣いて逃げ出す地獄である。

 

 誰からも必要とされなくなった岩が湖に落ちる。遠くでなかったら水浸し──え?

 

 突然、水中から無数の魚が飛び跳ねる。十匹二十匹なんてレベルじゃない。下手をすると千を越えるのではないだろうか。そして魚たちは水中には戻らずプカプカ浮いている。

 

「なんだこれ」

 

 でも、どっかで見たことある。

 

「どこだっけ?」

 

 動画サイトだったか……?

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

「……ぅぅん」

 

 ダルい。頭が痛い。

 

 目を開ける。眩しい光に視神経を痛めつけられてしまった。

 窓から外を眺めていると頭がはっきりしてきた。どうやら俺はベッドで眠りこけていたらしい。多分、病室だろう。それっぽい器具が横にある。

 

「あ、そっか」

 

嘘は真実(リバース)胡蝶の夢(ハッピーナイトメア)』を使ったんだった。

 

「……発動してよかった」

 

 ほっと息を吐く。

 

嘘は真実(リバース)・身体能力』の制約と誓約は「発動時間は3分で、その後は一定時間絶になる」というものだ。これを文字通りに読むと「3分が経過するまでは制約と誓約は存在しない」となる。つまり『嘘は真実(リバース)・身体能力』の発動中にも、他の発──嘘は真実(リバース)シリーズを使用可能と考えられるんだ。

 ただし、俺の念が併用を認めない意思を有していた場合はこの解釈は成り立たない。

 

嘘は真実(リバース)胡蝶の夢(ハッピーナイトメア)』は幻の世界を体感させる、所謂幻術に分類される能力だ。

 一見、非常に都合が良さそうなのだが、そう甘くはない。発動と同時に絶+睡眠状態──睡眠時間は(まぼろし)の内容等による──になってしまうんだ。

 発動即睡眠だから味方がいない状態では、ほぼほぼ使えない。ただ、甘くはないが上手く嵌まればかなり強力であるのも事実。ハイリスクハイリターン、切り札中の切り札と言える能力だ。

 

 1人きりの静かな部屋。不安が湧いてくる。

 

「なんとかなったんだよな……?」

 

 だからこうして生きている。そのはずだ。

 

 ドアの向こうに人の気配。誰か来たようだ。

 ノックもなしにドアが開けられる。入ってきたのはチードルとサンビカ。2人とも無事で何より。

 

「!」

 

「エヴァンさ(ん)!」

 

 サンビカの目尻に涙が溜まっていく。

 チードルが「ふー」と息を吐いた。「おはよう。調子はどう?」

 

 チードルもサンビカも白衣姿だ。初めて見る。

 

「少し頭が痛いかな。あとは空腹」

 

「……パッと見、大丈夫そうね。検査が終わるまで断言はできないけれど」

 

 心配掛けてしまったみたいだ。すまんな。

 

「俺はどのくらい眠ってた? 3日くらいか?」

 

 以前発動した時は3日だった。

 これにはサンビカが答える。

 

「違います(よ)! あの日から今日で13日目で(す)!」怒っているような、泣いているような。「もう目を覚まさないんじゃないかっ(て)……」

 

 ばつが悪いのを誤魔化したいということではないが、なんとなく頭を掻く。

 チードルがニヤついてやがる。

 

「こんなかわいい子を泣かせるなんて悪い人ね→ジンと同類?」

 

「やかましいわ」

 

「……」ふいにチードルの纏う空気が真剣なそれへと変わる。

 

「そうとう重い制約と誓約だったんじゃないの」チードルが目を逸らさずに言う。「狂化状態のゾバエ病患者よ。簡単ではないはず」

 

 確かに簡単ではないけど、そんなでもない。

 

「大丈夫大丈夫。絶で眠っちゃうだけだよ。寿命とかは使ってない」

 

「……そう。あなたがそう言うならこれ以上は訊かないわ」

 

 1秒、2秒と無言。それを打ち破ろうと口を開く。

 

「あれからどうなったんだ?」

 

「あなたが倒れた後、あの少女は少しの間1人で動き回っていたけれど、それも1、2分程度で、すぐに狂化と魔獣化は収まったわ」

 

 狙い通りだな。

 

 俺はあの時、イザベラは『嘘は真実(リバース)胡蝶の夢(ハッピーナイトメア)』を除念できないと読んだ。幾何学模様と六芒星を見て、彼女の除念能力が、ストックは3つまでという制約を持っているように思えたからだ。

 俺が見せた(まぼろし)は「A、イザベラが俺たちを殺し、それなりの時間が経過する」及び「B、世界を憎む必要がない日常」というものだ。

 なぜこの内容にしたかというと、除念の性質──術者が念を引き受ける──を考慮したから。あの瞬間、イザベラは「①俺たちを殺害させようとイザベラを操作するクリストファーの念」並びに「②ゾバエ病患者以外の人間を否定するクリストファーの死後の念」及び「③世界を憎むオータムの死後の念」を抱えていた。この3つの(おも)いを全て引き継いで行動する魔獣になっていたわけだ。

 これらのうち①に関しては、俺たちを殺せば念はその目的を果たし氷解する。②に関しては、俺たちが死ぬ(まぼろし)を与え目の前の憎悪の対象を失わせ、さらに世界を否定する必要のない日常を見せて念の存在理由レベルでの消滅を図った。③も同じく日常を見せ、憎む理由を喪失させた。

 こんな感じで、謂わば“除念能力によらない除念”を気取り、魔獣化の解除を目指したんだ。

 そしてもう一つはゾバエ病特有の狂化だが、これはチードルが教えてくれた「殺意等がなくなり一定時間が経過するまで半永久的に」の言葉をそのまま(まぼろし)に反映させるだけで鎮静化には十分と判断した。その結果がAの「イザベラが俺たちを殺し、それなりの時間が経過する」という(まぼろし)だ。

 ただ、不安要素も存在した。それはイザベラの魔獣状態が自己操作の性質を孕んでいるパターンを否定しきれなかったことだ。すでに操作されていた場合「早い者勝ちの原則」により俺の発が弾かれてしまう(俺の発が操作系とは別の概念である可能性もなくはないが……)。

 とはいえ勝算はあった。除念は基本的に特質系に属するという点と魔獣化能力も特質系か具現化系である点がそれだ。

 

 まぁ、そんなこんなで実行したわけだ。成功してよかったよ。ゾバエ病のパンデミックからの人類滅亡はマジで笑えない。

 

 チードルが説明を続ける。

 

「その後は地上に出て、ハンター協会に連絡を入れたわ。……蜂の巣をつついたような騒ぎだった」チードルが遠い目をする。

 

「イザベラ……魔獣化していた少女はどうなったんだ?」

 

「彼女は、いえ彼女だけじゃなく、あの場にいた全てのゾバエ病患者は、V5が共同出資して造る専用施設に収容される予定よ。けど今はまだ神殿地下に隔離されたままね」

 

 数が数だもんな。簡単に受け入れ先なんて見つからないよな。ましてゾバエ病患者だし。

 つーか依頼失敗だよな、これ。あーあーあーあー。

 

「もうだめだおしまいだぁせかいのおわりだぁ」

 

「急にどうしたのよ?」

 

「大丈夫で(す)。私がついてま(す)」

 

「ぅぅ、ミステリー、新しいミステリーをくだちぃ……」

 

 チードルとサンビカが、俺から距離を取りこそこそ話し出した。

 

「先輩、これっ(て)……」

 

「ええ、ミステリー依存症ね。このレベルは珍しいから今後のためにもよく()ておくといいわ」

 

「分かりまし(た)! ……あ! 新しい薬を試してもいいです(か)? (承認はまだなんですけど)」

 

「エヴァンなら大丈夫よ。好きにしなさい」

 

「やっ(た)。がんばりま(す)」

 

「……」

 

 全部聞こえてんだよなぁ。皆、俺のこと何だと思ってんだろ。(ミステリー)である。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

「嫌な夢を見ていた。君がいなくなってしまう。そんな夢だ」

 

「大丈夫。私はどこにも行かないよ」

 

「そう……だな。こんな時間に起こしてすまん」

 

 柔らかな感触。

 

「……安心したなら眠ろう。明日も早いよ」

 

「ああ、おやすみ」

 

「はーぃ、おやすみぃ」

 

「……」

 

 さよなら。オータム。

 

 

 




「『これらの情報は真実ですか?』と訊いたら『はい』と答えますか?」→「はい」

①エヴァンは日本で『HUNTER×HUNTER』を読んでいたため、ある程度の原作知識を持つ。
②エヴァンには特出した念の才能がある。
③エヴァンは自身の発『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』を半天然型と認識している。
④『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』の制約と誓約は、文理解釈又は目的論的解釈(併用を含む)により解釈及び運用される。
⑤エヴァンは、嘘をついていないとも言えるし嘘をついているとも言える。


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機械仕掛けのティンカー・ベル [壱]

※14話~22話まで連続投稿です。
※オリジナル解釈と設定がかなりあります。

お久しぶりです。
「駄文でも完結させないよりはマシ」の精神で投稿します。私自身「ないわー」と思う箇所が結構ありますが、これが私の実力()です。
ですので低評価はお気軽にどうぞ笑
また、ご助言やご指摘をしてくださいますとうれしいです。



 最近、ベーカー探偵事務所に可愛い系(?)グッズが散見されるようになった。

 なんだよ、このやる気のなさそうな猫のぬいぐるみ(「二度寝コ(にどねこ)」って名前らしい)。これのどこに魅力があるんだ? 流行ってるってマジかよ……。

 

 俺が世の不条理について思案していると、不条理(ぬいぐるみ)の提供者──ルビーがはしゃぎ出した。

 

「ねぇ! 見て見て!」

 

 どうやらオーラで似顔絵を作ったみたいだ。

 これはまさか……。

 

「俺、なのか?」

 

「うん! 上手くない? すごいでしょ」

 

「おー、すごいすごい」

 

 たしかに上手い。似ているかもしれない。さりげなく絵心を見せつけよる。

 

 ここまで細かい形状変化ができてんなら。「変化系修行はもういいんじゃないかな」

 

「はーい。次はー?」

 

「そうだなぁ……」

 

 教え方なんて分からないから俺も手探りだ。

 どうすっかねぇ。ルビーは戦闘能力を極めたいわけではないらしいし、次は……。

 ここで静かな事務所を震わす音。

 

──prrrrrrrrrprrrrrrrrr……。

 

 電話だ。受話器を取り、耳に当て──。「お前は騙されている。真実を見つけろ。これは依頼(・・)だ。ジン・フリーク──っ! ちぃっ!」ガチャリと切られてしまった。

 

「……は?」

 

 なんだ? イタズラ? いやしかしこの声は……。

 

「どうしたの?」

 

 ルビーの心配そうな顔。

 

「ああ、変態のイタズラだったよ」

 

 安心させるような顔を作る。しかしルビーは腑に落ちないのか、ジト目である。

 

「な、なんだよ」

 

「怪しい。いつもはそんな顔しないじゃん。何か隠したいんでしょ」

 

「……」

 

──『信じる者は救われない(ラッフィング ライアー)』発……え? あれ?

 

 発動しない? 依頼自体は成立しているよな? どういうことだ? 

 

嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』の制約と誓約上、依頼承諾の意思表示を明示的にしなくても俺が内心で同意の意思を持っていた場合は、原則として有効な法律行為、つまり探偵業業務請負契約が成立したものとして扱われる。

 加えて、いつもなら制約と誓約の「『依頼達成に必要な範囲』で全ての発が使用可能」の「依頼達成に必要な範囲」は広めに解釈される。だから「依頼に関して誤魔化すため」というのもその範囲に含まれるはずなんだ。

 けれど現実はそうなっていない。ということは……。

 

「もー! なんか言ってよー」

 

 ルビーがむくれ出した。

 

「ごめんごめん」とりあえず謝る。「実はちょっと厄介な依頼が入ったんだ。だから悪いけど今日の修行は終わりだ」

 

 正直に白状するも、しかしルビーはむっとしたままである。

 

「えー、さっき来たばっかじゃん」

 

「この依頼が片付いたらちゃんと付き合うって」

 

 俺の勘が正しければ尋常の依頼ではない。おそらくヤバいやつだ。だからルビーにはさっさと帰ってもらう必要がある。

 

「今度、二度寝コ(にどねこ)グッズを買ってやるからさ」

 

「……ふーん。そんなに危ないんだ」ルビーは察しのいい子だ。「仕方ないのう」

 

 ルビーがソファに置かれたバッグを手に取り扉へ向かう。が、開ける前にクルリと振り返った。「二度寝コ(にどねこ)忘れないでね」

 

「ああ、分かってる」

 

 うむ、と鷹揚(おうよう)な頷き1つ、俺ではなくルビーが。

 

「お仕事頑張ってね。バイバイ」

 

 扉が開けられ、そして閉められる。

 ルビーの気配はすぐに俺の感知範囲外へ。

 

 さてさて、どっから手をつけようかな。

 

 

 

 

 

 

 

 携帯のリストから目的の人物を探し、電話を掛ける。

 1コール、2コール、3コール──出てくれた。

 

「……貴方から掛けてくるなんて珍しいじゃない。どうしたのよ? →治験希望?」

 

 チードルは相変わらずだな。良くも悪くもはっきりしている。

 

「実はジン・フリークスに用があってな。紹介してくれないか?」

 

 先程の電話でジンの名が登場していたから、まずは彼を当たろうかなってね。

 しかし。

 

「それはできないわ」チードルがあっけらかんと言う。「あのバカがどこにいるかなんて分からないもの」

 

「そう、か。やっぱチードルでもそんな感じなのか」

 

 ワンチャン知ってるかも、とか思ったけど、そんなことなかったわ。原作通りなんだな。 

 

「誰か仲介してくれそうな奴はいない?」

 

「そんな人いt……あぁ、一応いるわね」

 

「お」

 

「ジンと同じ遺跡ハンターのサトツなら、もしかしたら何らかの情報を持ってるかもしれないわ」

 

「おー、なるほど」

 

 流石はチードルさんやで!

 

「ただ、私はサトツの連絡先を知らないのよねぇ」

 

 流石はチードルさんやで!!

 

「大体の居場所も分からないのか?」

 

「待ってね」

 

 カタカタと、おそらくは打鍵(だけん)音。わざわざ調べてくれてんのかな。

 1分も経たずにチードルは答えを得たようだ。口を開く。

 

「サトツは少し前に遺跡への挑戦許可申請手続きをしたみたい」

 

「つまり?」

 

「オチマ連邦北西部にある遺跡群『悪魔の(ねぐら)』にいるはずよ」

 

「……」

 

 遠すぎぃぃ!

 

 

 

 

 

 

 

「流石はミザイ。どこぞの雌犬とは格が違った」

 

「雌犬? 何を言ってるんだ?」

 

 電話越しでも困惑してる顔が容易に想像できる。

 

 いきなり海(メビウス的サムシング)を渡りオチマ連邦まで行くわけにはいかないから、なんとか事前に連絡を取れないかと今度はミザイに訊いてみた。すると「サトツの番号なら知っている」と返ってきた。ありがてぇありがてぇ。

 

「紹介すればいいのだろう。訊いてみるから一旦切るぞ」

 

「頼む」

 

 数分待つと電話の呼び出し音。ミザイだ。

 

「どうだった?」

 

「ああ。何やらあちらも『丁度よかった』と乗り気だったぞ」

 

「ん?」

 

 どういうことだ?

 

「詳しくは直接聞いてくれ」

 

「まぁそうだな」若干の不安はあるが、とりあえずは。「助かったよ。サンキューな」

 

「構わんさ」

 

 

 

 

 

 

 

 チードルが言ったとおりサトツはオチマ連邦の「悪魔の塒」をハント中らしく、現在、最寄りのホテルに滞在しているそうだ。ちなみに最寄りと言っても遺跡から30キロメートルほど離れている。

 

 電話の向こうのサトツは、原作のイメージに違わず落ち着いた紳士といった感じだ。

 

「ジン、ですか」

 

「ええ、私の仕事の関係で会う必要があるんです。何か知らないですかね?」

 

 短い沈黙。

 

「……申し訳ないですが、私が持つ情報は大半のプロハンターが知るものと大差ありません。有益な情報は提供できないかと」

 

「そう、ですか」

 

 うーむ。「ジンを見つけるのは難しい」。そんなことを弟子のカイトが言ってたな、そういえば。

 チードル、ミザイ、サトツ。ここまで全滅。ガチレアキャラじゃん。どうしたもんかなぁ。

 

 しかしサトツには何か手段があるのか、魅力的な提案をしてくれた。

 

「エヴァン君がよかったらですが、私からの依頼を受けていただけませんか? その報酬としてジンへの手掛かりをお渡しできるかもしれません(・・・・・・・)

 

 ただし、やや引っ掛かる妙な言い回しで。

 ……報酬は確定していない、ね。

 

「……ご依頼の内容は?」

 

 正直、なんとなく予想はついている。

 遺跡で仕事(ハント)中のプロハンターがする依頼、かつその報酬が未確定──確定に至らない程度の情報しかない等──となると……。

 

「ミステリーハンターのエヴァン君には『悪魔の塒』攻略──(れきし)の解明を手伝ってほしいのです」

 

 ですよねー。知ってた。

 

「なるほど。つまり遺跡内にジンさんへの手掛かり又はその入手に繋がる何かがある可能性が高く、それを依頼の報酬にしたい、ということでよろしいでしょうか?」

 

 未確定ってこういうことっしょ、多分。

 

「ご明察。その通りでございます」サトツの声音は弾んでいるように聞こえなくもない。「お願いできますか?」

 

 そうだな。他に当てもない。

 

「分かりました。ご依頼お受けします」

 

「おお、それはよかった。では早速飛行船を手配いたします」

 

 お、おう。

 手配ってチケット代を出すって意味だよな? まさか俺を呼ぶために一(せき)丸々用意するんじゃないよな? 

 

「現在、貸しきれるのはホワイトホエール号しかありませんが、構いませんかな?」

 

「……大丈夫です」

 

 この金銭感覚よ! 常識人ぶっててもやっぱり変人(プロハンター)だわ。

 

 それはそれとして拙者には言わねばならぬ事がある。

 

「サトツさん」

 

「? なんでしょうか?」

 

「私はミステリーハンターではなく私立探偵です。探偵なのです。いいですね?」

 

「……承知しました」しかしサトツが何やら呟く。「(ハンター専用サイトを見せてあげたいですね)」

 

 知らないほうが幸せなこともある。俺はそう信じている。 

 

 

 

 

 

 

 

 飛行船の旅は快適だった。

 外野に煩わされることなく静かに小説を読むことができた。とてもいいと思います。

 飛行船を降りた後は、列車に乗りサトツが滞在するホテルに向かった。長い旅路だったよ。

 

 そして現在。

 

「遠路はるばるご足労いただき、ありがとうございます。はじめまして。遺跡ハンターのサトツです」

 

 ホテルにてサトツが迎えてくれた。

 よく磨かれた内羽根式のプレーントゥとシワのない燕尾服が、英国紳士然とした風情を際立たせている。

 

「私立探偵のエヴァン・ベーカーです。こちらこそ急なお願いに応えていただき、ありがとうございます」

 

「お噂はかねがね。期待していますよ」

 

「尽力いたします」

 

 挨拶もそこそこに本題に入りたい。こちらから切り出す。

 

「……道中『悪魔の塒』について調べました。『知恵』『慧眼(けいがん)』『暴力』『欲望』『無』『人間』の6つの遺跡があるとか」

 

 それぞれ試練が課され、それをクリアしないと色々と大変らしい(俺が知り得た情報では「大変」の内容は濁されていた)。ただし、試練の全てが珍味(理不尽)珍味(理不尽)を重ねて作られた極上の料理(ただのイジメ)という点に争いはないようだ。

 まぁ、やるんだけどさ。

 で、問題はサトツがどこをハントしているのかってことだ。

 

「ええ。今回お手伝いしていただきたいのは『慧眼』の遺跡第四層『確率の悪魔』以降の攻略です」

 

 “確率の悪魔”……? 遺跡で“確率”?

 

 あまり結びつかなそうなワードにやや首を傾げる。

 サトツが()もありなんと頷き、続ける。

 

「時にエヴァン君は、数学は得意ですかな?」

 

「……私は文学部心理学科でした。数学は基礎の基礎しか分かりません」しかも大分忘れてる。「本格的な数学の知識が要求される試練なんですか?」

 

 そうだとすると俺は役に立たないぞ。

 

「いえ、数学自体は中学校(ミドルスクール)レベルです」

 

「? それならば何が問題なんですか?」

 

「問題は2つあります。1つは数学的に正しい選択をしても正解ではないこと」

 

「……なるほど」

 

 つまり試練の本質が数学ではないということ。

 

「もう1つの問題は、挑戦回数制限とペナルティです」サトツがやや視線を下げる。「1つの遺跡における一連の試練パターン(・・・・・・・・・)につき挑戦可能回数は3回。一度に入れるのは2人まで。3回目に失敗すると以後100年間は遺跡に立ち入ることができなくなり、時が経ち漸く入ることができるようになっても試練の内容が一新されていて最初から攻略し直さなければいけません。加えて、3回目の挑戦者が失敗した場合は(わざわい)が訪れてしまうのです」

 

「禍?」

 

 サトツが革ベルトの腕時計を撫でる。そしてゆっくりと口を開いた、泥水の中を進むかのように、多大な労力を要するかのように。

 

「……2年ほど前『人間』の試練に失敗したプロハンターがいました。彼女はクリアを確信していたようでしたが、現実は違っていました」

 

「……」

 

「彼女の名はジュリア・メルシエ。あの『骨抜きのジュリア』です」

 

「!」

 

 こいつはビッグネームが飛び出してきた。彼女も「悪魔の塒」に挑戦していたのか。

 

“骨抜きのジュリア”

 

 ミンボ共和国の犯罪史上、最も残酷な猟奇連続殺人犯の1人とされている。彼女の主な(・・)殺害方法は、2つ名のとおり生きたまま骨を抉り出すというものだ。ただし、すぐに死なないように末端の小さな骨から少しずつ時間を掛けて抜いていく。中には数日に渡り苦しみ続けた被害者もいたそうだ。

 ただ、彼女には不可解な点があった。それは彼女の人間性。当時の報道によると、彼女は、プロハンターとして活動しているころは孤児院や慈善団体に多額の寄付をしたりと、猟奇殺人鬼とはある意味真逆の行動を取っていたらしい。所謂人格者に見える人間がある日を境に残虐な行為に手を染める。ない事例ではないが、少し違和感がある。

 加えて彼女はシングルの星持ちハンター。つまり成功者だったんだ。そんな人間が犯行に及ぶというのは、まぁこれもなくはないが、彼女の場合は人格障害、特殊な家庭環境その他犯罪心理学上の犯罪者の特徴を全く備えていなかった。

 以上からジュリアの精神性に関しては様々な議論がなされた。しかし有識者が明確な答えを得ることはなかった。

 なぜならブラックリストハンターが彼女を追い詰めた時、大規模な爆発を起こし死亡したからだ。その時のブラックリストハンターは全滅。周囲にいた人間も巻き込まれてしまった。こうして合計で267名もの人間が彼女により殺害される結果となった。

 さらにもう1つあり得ないとさえ言える事態が起きていた。彼女の6親等内の血族(親戚から「自分の夫や妻」と「血のつながりのある親戚の結婚相手とその親戚」を抜いたものと概ね一致する)も同じように連続殺人鬼となり最期には爆死したんだ。この人たち全ての犠牲者は合計で1000を越える。もはや自然災害クラスだ。

 

 話を戻そう。

 彼女の不可解な変貌は悪魔による禍が関係しているということだろうか。そうであるならば「人間」の遺跡における試練失敗のペナルティは「挑戦者及びその6親等内血族が猟奇殺人鬼になり、捕まりそうになったら爆死すること」であると言える。

 

 サトツが解を示す。

 

「彼女が凶行に及んだのは、悪魔による人格と肉体の改竄が前提にあったと見られています。その精神を殺人鬼に、肉体を爆弾に、です。そして親類にまでその呪いは及んでいたようです」

 

「……疑問なんですが、それは『人間』の遺跡のペナルティですよね? 『慧眼』だとどうなるのですか?」

 

「それは分かりません。ですが、同程度の悲劇が起きると考えられています」サトツの表情に変化はないが。「……やはり依頼の契約を解除しますか?」違約金はいりませんよ、と。

 

「ふ」

 

 思わず笑ってしまった。

 だってそうだろ? 探偵として依頼を受けた以上、俺が引き返すなんてあるわけがない。そんなのプライドが許さない。

 

「何か可笑しなところがありましたか」

 

 少し気分を害したのか、僅かに刺のある口振り。

 

「私が一度受けた依頼を破棄することはあり得ません。そのようなお気遣いは無用ですよ」

 

 今度はサトツが小さく笑う。「それは失礼しました」

 

「それではもう少し遺跡のお話を聞かせてください。クリアの確率(・・)をあげましょう」

 

「ふふ、そうですね。『悪魔の塒』は──」

 

 こうして夜は()けていく。

 静かな星空だ。悪魔は夢を見ているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、俺たちは早速遺跡へと出発した。移動手段は車だ。サトツが運転している。  

 

「……エヴァン君はジンとは面識がないのですよね?」

 

 不意にサトツが言った。

 

「ですね。有名人ということしか知りませんよ」

 

 ちょっと嘘。

 

「そうですか」静かな相づち。

 

 そういえば原作ではサトツの憧れの人(?)だったか? あんまり記憶にないから違うかもだけど。

 

 ブレーキ。車が停まる。

 

「ここからは歩きです」

 

「了解です」

 

 まさか原作ハンター試験みたいにとんでも競歩じゃないよな?

 

 

 

 

 

 

 

 サトツによると「慧眼」の試練は、悪魔が出す問題に潜む嘘を見つけることが必要らしい。回数制限とペナルティを考えるとテキトーに「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる作戦」を実行するわけにはいかない。

 どうしたものか、と思案している時にハンター専用サイトで俺の「とある噂」を知ったそうだ。要は、連絡を取ろうとしていたら逆に俺からコンタクトがあったわけだ。

 

 ……それはいいんだ、別に。ただ、嘘発見器(笑)がまともに機能するか、だよな。

 昨日の打ち合わせの時、サトツに「私は女である」と発言してもらった。そしたら嘘発見器(笑)が発動していたから多分大丈夫だとは思う。ただし、ルビーの時みたいに発動しないとも限らないから油断はできない。

 ルビーに対して機能しなかった理由を普通に推測すると「依頼内容が抽象的すぎて『依頼達成に必要な範囲』を念が定義できなかったから」又は「たとえ内心でその意思を有していたとしても、ごく短い時間でしかなかったため、依頼承諾の意思表示とみなされず請負契約がそもそも成立していないから」辺りが有力だと思うんだけど、微妙に納得できない。

 というか依頼主の声に引っ掛かりを覚える。でもイマイチ何が起こっているのかが分からない。そこが解消しないことには理由を断定することもできない。んー。

 

 現時点ではいくら考えても無理か。

 

 道なき道というほどではないが、十分には整備されていない道を歩くこと1時間半。それらしき建造物(石で造られているのだろうか?)が見えてきた。

 

 サトツが視線をそれに向ける。

 

「あれが『悪魔の塒』です。何も知らなければ、ただただ美しいと思いませんか?」

 

 正直、遺跡とかの歴史的意義のある物を美しいと思う感性はない。でも、ま、今それを伝える意味もない。

 

「ええ、そうですね」薄っぺらい嘘だ。「ですがそれよりも……」

 

 凝をしなくても分かる。複数の遺跡が濃密なオーラに包まれているんだ。

 はっきり言って怖い。生物の1個体が纏えるレベルとは次元が違う。デカイ建物だから当たり前っちゃ当たり前だけどさ。

 

「やめたくなりましたかな?」

 

 からかいを含んだアルカイックスマイル。

 

「冗談」こちらも口角が上がってしまう。「ワクワクしてますよ」

 

「結構。それでは悪魔に会いにいきましょう」サトツが真っ直ぐに丸い遺跡に歩を進める。

 

 人間のほうが嘘と仲良しだって悪魔に教えてやらないとな。へへ。

 

 

 



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機械仕掛けのティンカー・ベル [弐]

※14話~22話まで連続投稿です。


“モンティ・ホール問題”

 

 これは確率論の問題……ではあるのだが、人の感覚と論理的な解答の間に隔たりが存在する、所謂パラドックス的な要素も含んでいる。

 問題の前提(景品ゲットのゲーム)を実際の流れに沿って簡単にまとめる。登場人物は問題提供者1人と解答者1人だ。

 ①3つのドアの裏にはそれぞれ「景品(当たり)」「ヤギ(ハズレ)」「ヤギ(ハズレ)」がランダムに置かれる(当たりのドアを開けるのは最後)。

 ②解答者は3つのドアから、当たりのドアを予想して1つを選ぶ。

 ③問題提供者が、解答者の選ばなかったドア2つから1つを除外する。この際、除外されるドアは必ずハズレでなければならない(=ハズレのドアを開ける)。

 ④解答者は、①で選択したドアから③で除外されなかったドアへ当たりの予想を変更することができる(変更しなくてもよい)。これは問題提供者が必ず伝えなければならない。

 

 さて、解答者がドアを変更した場合とドアを変更しなかった場合のどちらが景品をゲットできる確率が高いだろうか? 

 この問いがモンティ・ホール問題の核であり、数学者の論争を招いてしまった発端だ(厳密にはゲームルールに関する誤解、説明不足が論争の主な原因)。

 

 結論から述べる。答えは「変更した方が確率が高い」だ。 

 一見すると変更してもしなくても景品ゲットの確率は変わらないように思える。しかし冷静に考えると間違いだと分かるはずだ。

 具体的には「変更しない場合の当たる確率は3分の1」で「変更した場合の当たる確率は3分の2」だ。

 なぜそうなるのか。

 それを理解するには③が重要になってくる。

 解答者が1回目の選択で当たりのドアを選べる確率は3分の1である(=1パターン)。対して、1回目でハズレを選べる確率(・・・・・)は3分の2だ(=2パターン)。仮に解答者がドアを変更しなかった場合は、この1回目の当たる確率がそのまま最終的な景品ゲットの確率になる。

 一方、変更した場合は、1回目でハズレを選べる確率が最終的な景品ゲットの確率になる。なぜならルール③で問題提供者が必ずハズレを除外する(=当たりが残される)、つまり1回目の選択でハズレを引くことができれば変更後は必ず当たりを引けるからだ。

 言い換えると「ドアを変更するならば、1回目で当たりを選んだ場合(1パターン。3分の1)は景品をゲットできず、1回目でハズレを選んだ場合(2パターン。3分の2)は景品をゲットできるから」となる。

 

 以上から変更した方がお得なんだ。……そのはずなんだけど、昨夜、サトツがした説明は違った。

 

 則ち、ドアを変更しても第四層クリアにはならない。

 

 サトツは「数学的には正しいはずですが、悪魔の求めるものではなかったようです」と言っていた。これが問題点の1つ目、数学的な正解が正解たり得ないということ。

 

「慧眼」の遺跡第四層は、前世でのモンティ・ホール問題と同じ構造の質問(クイズ)が悪魔からなされるものだった。大きな違いと言えば、景品のあるドアを選ぶのではなく「景品(遺跡では次の階層への階段)がある確率の高いドアを選べ」と言われる点くらいだ。

 1回目の挑戦者はドアを変更した。結果、失敗し大脳が機能しなくなり、つまりは植物状態になった。

 2回目の挑戦者は、あろうことか悪魔に直接攻撃を仕掛けた。そして悪魔に触れることすらできずに敗北。全ての五感を奪われ完全な闇に落とされることとなる。

「念能力が存在しなければこの2人から情報を引き出すことはできなかったでしょう」とはサトツの言だ。

 ちなみに、これは「慧眼」の試練に共通するらしいんだけど、試練の部屋には砂時計があり解答まで3分しか時間が与えられないそうだ。

 3分以内に答えなかったらどうなるか? 

 そのときは沈黙そのものが解答扱いになる。つまり大抵は不正解になり、何らかのペナルティが科される。……そう、失敗した人間の話からも分かるとおり3回目に失敗したとき以外にもそれなりにエグいペナルティがあるのだ。

 こういう説明不足がモンティ・ホール問題を論争の火種たらしめたというのに、まったくいけませんなぁ……、と初めは思ったけど、よく考えたら、どうせ3回目なんだからそれ以前にペナルティがあったかどうかは重要じゃない。そういう無駄な説明をしないところはとてもいいと思いました(手のひらクルクルーマウンテン)。

 

 現在の「慧眼」の試練においては嘘を見破ることが肝。それは以前の挑戦者も分かっていた。第一層から第三層をクリアする過程でその情報が明るみに出ていたからだ。

 しかし制限時間内に確信できる解答に至ることができず、苦し紛れに数学や暴力に頼ってしまった。その結果が身体機能の剥奪。怖い怖い。

 

 だが勝算はある。昨日に引き続き今日もサトツに協力してもらい、嘘発見器(笑)の発動を確認した。「嘘つき! 嘘つき!」と、いつもの電子音がしっかりと聞こえたよ。

 なお、お願いした発言内容は「私はロリコンです」である。その時のサトツの顔に吹き出しそうになったのはここだけの秘密だ。

 

 

 

 

 

 

 

 挑戦回数が制限されていること及び失敗時のデメリットが甚大なことを受け、オチマ連邦はハンター協会と請負契約を締結(ていけつ)し、遺跡への立ち入り及び挑戦を制限している。

 というわけで顔全体に刺青(いれずみ)を入れた女──協専ハンターが遺跡の入口で見張っている。お疲れ様です。

 林から俺たちが現れると、まずサトツへ視線を送り「うむ」と頷く。次に俺を見る。で、固まる。なんでやねん。

 

「な! エヴァン・ベーカーだと!?」

 

 えぇ、なにその反応。

 

 刺青女が再度サトツへ顔を向ける。「どういうことだ?」

 

「私が個人的にお手伝いをお願いしただけですよ。頂いた『悪魔の塒』挑戦許可証の備考にも『挑戦者は、その裁量により、プロハンターその他の念能力者を試練に同行させることができる。ただし、同行者が遺跡内で行ったことに起因する全ての事象について、挑戦者は同行者と連帯して責任を負う』とあり、何等(なんら)問題はないはずです」

 

 初耳である。全てに連帯責任とかいうパワーワードよ。損害賠償のときは頼みますぜェ、旦那ァ。ヘヘ。

 

 サトツの言葉を聞き、納得したのかしていないのか、刺青女は曖昧に眉をひそめる。

 

「……話は分かった。だが同行者を選任するつもりがあるならば許可申請の段階で報告すべきじゃないか?」

 

 手続きは知らんが、刺青女がプンプンしているのは明白である。

 やめて! 俺のことで争わないで! ……みたいな気持ちだ。だって気まずいんだもん。

 

「許可が下りてからエヴァン君を知ったのですよ」

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

 この人、しれっと嘘ついたよ。なかなかやりおる。

 

「どうだか」しかし刺青女は疑っているようだ。「まぁいい。今ここで言い合っても水掛け論にしかならんからな」

 

 なんか見た目のインパクトに反して、常識的っつーか理性的っつーか、そんな感じの女だな。なお、高圧的ではある。

 その常識的刺青女の纏う雰囲気が変わる。澄んだ真剣味に少量の泥が混ざったような、良くも悪くも人間らしいものへと。

 

「死ぬなよ」

 

 刺青女が少しだけ小さな声で言った。サトツに、あるいは俺に。

 さらに続ける。

 

「エヴァン・ベーカー」

 

「?」

 

 目を見る。

 

「『慧眼』は貴様向きだ──」女が何かを続けようとして。「──っ」しかし言葉にすることはなかった。

 

 複雑な事情でもあるのだろうか。

 詳しくは分からないが、なんとなく自分自身を抑圧しているように見える。幾つかの感情がない交ぜになっている感じかな。

 その中で目立っているのは不安と期待?

 断定はできない。流石に思考そのものを読み切ることはできないから。

 でも、ま! ここは余裕をかましてやるか。

 

「サクッとクリアしてきますよ。楽しみにしててください」

 

「……ふん」

 

 デレのないツンデレかな? 顔面刺青で何やら抱えてそうなツンデレ(?)……。やっぱインパクト強いわ。

 つーか「『慧眼』は貴様向きだ」って高確率で嘘発見器(笑)がバレてるやん。特質系にとって能力バレは致命的なんだよなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 第四層は地下4階と考えられている。

 断言できないのは、この遺跡なら「異空間です」と言われても違和感がないからだ。遺跡内と外の通信が完全に遮断されていることも、この場所の異質さを強めている。

 一応、下方向への階段を下りているから地下だとは思うけどさ。

 

 階段が終了し、1つの扉に突き当たった。

 サトツが変わらず落ち着いた趣で言う。

 

「着きました。この扉の向こうに悪魔がいます」

 

「ええ。感じますよ。ヤバいオーラの塊が佇んでますね」

 

 ビデオゲームで言うとボス部屋の前って感じ。しかしこの試練(ゲーム)にセーブポイントは存在しない。そして一度部屋に入ると試練が終わるまでは外に出られなくなる。

 

 (おもむろ)にサトツ。

 

「覚悟はいいですかな?」

 

「勿論。いつでも大丈夫です」

 

 サトツが頷く。「開けます」

 

 外開きの扉が開かれた。

 

 何もいない……?

 

 石造(せきぞう)の壁に囲まれた部屋には何もないし、誰もいない。さっき感じたオーラも扉を開けた瞬間に消滅した。

 

「サトツさん」

 

「……おそらく部屋に入らないと姿を現してくれないのでしょう」サトツの現実的な推測。「入りましょう」

 

 俺が肯首したのを認め、サトツが部屋へ足を踏み入れる。すぐに俺も続く。

 

 バン、と音。サトツとほぼ同時に後ろを振り返る。扉が閉まってい──突然、強烈な気配が部屋の奥に出現。

 

「皆様! 新たな挑戦者のご登場です。盛大な拍手でお迎えしましょう!」

 

──パチパチパチパチ……!!

 

「!?」

 

 場所が変わっている!? しかもなぜか観客がいるし、なんだこりゃ。

 俺たちがいるのはテレビ番組で見るようなステージの上。観客席には数えきれないほどの……え?

 

「マネキン……?」

 

 のっぺりとした顔の、大量のマネキンのようなものが俺たちを観ていた。彼ら彼女らに眼球はない。しかし観られていると明確に理解できる。不思議な感覚だ。

 

「今夜のクイズショーは3回目。もう挑戦者チームには後がありません! どうか皆様、応援の意味を込めて成功に賭けてくださいませ! そうすればワタクシの1人勝ちです!」

 

──HAHAHA!

 

「はは……」

 

 思わず乾いた笑いが出る。

 

「エヴァン君。大丈夫ですか」

 

 サトツに心配されてしまった。すまん。

 

「……少し驚いてしまいましたが大丈夫です」

 

「それは失礼しました」

 

「いえ、ありがとうございます」

 

 気を取り直して先程から司会者のようなことをしている悪魔を視る。

 凄いオーラだ。とにかく濃い。ひたすらに濃密なんだ。そうとしか言えない。

 見た目的には……眼球部分に宝石(ガラス玉?)を入れたマネキンだ。それがスーツを着こなしていて、パッと見、人間に近いように思えなくもない。しかし肌の質感はチープそのもので、彼(彼女?)が人形に近い存在であると主張している。

 そんな悪魔が奥行(おくゆき)のあるステージの後方でフワフワと浮きながら、ステージ前方にいる俺たちと観客を見下ろす。

 

「さぁ! ショータイムと行きましょう!」

 

 悪魔(?)が完璧な指パッチン(フィンガースナップ)

 すると空間に気持ち悪いくらい真っ直ぐな亀裂が入り、悪魔と俺たちの間に砂時計と3つのドアが産み落とされた。ドアは普通にステージに置かれているが、砂時計は当たり前のように空中を漂っている。

 

「『慧眼』を自称する挑戦者よ。ワタクシを認めさせてみせよ! さぁ、準備はよろしいか? ワタクシは準備万端なのでクイズスタート!」

 

 こ、こいつ。「なぜ訊いた!」とツッコミを入れる隙すら与えず自分の都合で始めやがった。

 悪魔か! ……悪魔だったわ。

 

 その悪魔が滑らかに舌を踊らす。

 

「ここにある3つのドアのうち、1つだけが次の階層(ステージ)へ続く階段に繋がっている。残り2つはなーんにもない深淵だぁ。さぁ、自身の直感を信じ、ドアを1つ選ばれよ!」

 

 悪魔が言い終わるや否や砂時計がクルリと反転した。残り時間が減り始めたのだろう。

 

 サトツに「何か分かりましたか?」と問われる。が、ここまで気になる点はない。嘘発見器(笑)も反応していない。

 この選択はクイズの本質的要素(ターニングポイント)ではないのだろう。前挑戦者の情報によるとモンティ・ホール問題類似のクイズが出されるはず、というのもあるが、何よりの根拠はここが「慧眼」の試練──嘘つき悪魔の──であることだ。「慧眼」であればターニングポイントには「嘘」が絡む。だから「嘘がない=本質的要素ではない」と判断できる。

 

 つまり時間を掛けて考える必要はない。単なる同確率の3択であり、ターニングポイントへの前座。テキトーでいい。

 

「ここは本当に直感で問題ありません」サトツに言う。「私が選んでもいいですか?」

 

「……」サトツが数秒ほど顎に手を当て沈黙。しかし最終的には首を縦に振る。「お願いします」

 

 じゃあ俺たちから見て左端のやつにしよう。

 

「決まった!」悪魔に向かってはっきり言う。「一番左のドアだ!」言った瞬間、砂時計が固まる。

 

 悪魔が大仰な身振りで騒ぎ出す。

 

「皆様! お聴きになりましたか? 選択は左! なんと愚かなことでしょう! この人間どもは左がお好き! なんと蒙昧(もうまい)なことでしょう! その目玉はお飾りに違いありません!」

 

 ここで悪魔はわざとらしく「はっ」とした顔をする。

 

「ワタクシとしたことが!」悪魔が自身の眼窩(がんか)へ指を入れ、眼球──青い宝石を抉り出す。「お飾りなのはワタクシのお目々(めめ)でした!」青い宝石が握り潰される。

 

──heHeHahAHEHa!

 

 不協和音じみた笑い声。観客が沸いている。

 笑いのツボが分からん。

 

「ん?」

 

 砕けた宝石の欠片が集まり出した。そして鳥──(ふくろう)を形作り、俺たちから見て一番右の──悪魔から見て一番左のドアへと飛んでいく。……おいおい。

 

 これって梟の止まった、俺たちから見て右端のドアを選択したことになってるんだよな、多分。

 俺の言い方が悪かったのもあるが……。

 しかし故意である証拠はない。

 

「すみません。次はもっと限定的な表現にします」

 

 どれを選んでもよかったから実質的なダメージは0だが、ミスであることに違いはない。サトツに謝っておく。

 

「いえ、お気になさらず」サトツに俺を(なじ)るつもりはないようだ。「それよりも」

 

 促され、悪魔へ意識を向ける。

 そして悪魔が次の質問を始めた。

 

「盲人たる挑戦者よ! 覚悟は良いか? いよいよ運命の分かれ道だぁ!」悪魔がまたしても綺麗に指を鳴らす。

 

 パチンという音と同時に、梟が止まっていないドアの1つが、先程と同じ亀裂に吸い込まれる。

 

「今、ワタクシはハズレのドアを1つ除外しました」

 

 悪魔が見ているのは俺たちではなく観客。が、不意にこちらへ眼窩を向ける。

 

「さて、愚鈍なる挑戦者よ! 慈悲深きワタクシがチャンスを与えよう。則ち! 選択したドアの変更を認める! 『慧眼』を自称するならば、残り2つのドアから見事次の階層(ステージ)へと続く確率の高い方を選ばれよ! そうすれば第四層(ゲーム)突破(クリア)だぁ!」

 

──嘘つき! 嘘つき!

 

「っ!」

 

 来た! 見つけたぞ、真っ赤な嘘を!

 

 最近、嘘発見器(笑)の性能が上がっている。今のこいつなら発言中のどこに嘘があるかを正確に見抜くことができる。

 悪魔の嘘、それは「残り2つのドアから見事次の階層(ステージ)へと続く確率の高い方を選ばれよ! そうすれば第四層(ゲーム)突破(クリア)だぁ!」の部分だ。

 

「サトツさん。嘘がありました。『残り──突破(クリア)だぁ!』だけが嘘です」

 

 サトツにも情報を伝える。

 

 砂時計の砂がサラサラと流れていく。残り2分ちょっとくらいか。

 焦るな。嘘は分かっている。あとはジグゾーパズルを組み立てるように真実を探すだけだ。

 

 嘘の裏に潜む真実の主なパターンとしては次の4つが考えられる。

「①2つのドアのどちらかに階段はあるが『Aどちらを選択してもクリアにはならない』()しくは『B確率の高い方を選択してもクリアにはならない』」又は「②確率の高い方がそもそも存在しない(=Cどちらにも階段がある()しくはDどちらにも階段がない)」の4つだ。

 

 考察していく。

 最初の挑戦者が確率に頼り失敗した以上、①Bは正しいはずだ。

 では確率の低い方を選べばいい? いや、待て。①前半の「2つのドアのどちらかに階段はある」が正しい根拠は……あるな。

 嘘発見器(笑)が反応したのは先程の発言のみ。つまり、悪魔の「今、ワタクシは『ハズレ』のドアを1つ除外しました」との発言を始め、嘘発見器(笑)が反応したポイント以外の箇所では嘘がなかったことになる。であれば3つのドアのうちの1つが階段に続き、そこからハズレを1つ除外したのだから残された2つのうちの1つが階段に繋がるはず。

 やはり①Bは正しいように思える。じゃあ確率の低い方が正解? 一旦保留して他を検証する。

 

 ①Aはどうだろうか。どちらも駄目ならどうすれば正解になる? このゲームの真のテーマはドアの選択ではないとか? んー。分からん。なら次。時間がない。

 

 ②はC、Dいずれも嘘発見器(笑)を信じるならばあり得ない。

 

「……」

 

 ここまでの情報から結論を出すと「確率の低い方=ドアを変更しない」が一番信頼できる選択になる。

 

 だがこんなに単純だろうか? 

 

「残り1分ほどですが」サトツだ。「私にはお手上げです。エヴァン君は……」

 

 砂時計は残り3分の1。悪魔の表情は読めない。

 

「すみません。ギリギリまで考えさせてください」

 

 視点を変えよう。

 悪魔の人物像から有益な情報を探してみる。

 第1に自己中心的でマイペース。自分のペースで試練(クイズ)を始めるわ、俺が左と言ったときには迷わず自分から見た左と解釈するわ、と簡単に察せられる。

 第2に人間を見下している。事あるごとに蒙昧とか愚かとか言ってくるから可能性はあると思う。物理的に上にいるのも人間と同列だと思いたくないからなのかもしれない。

 性格としてはこんなもんか。

 

 他の情報は……何やらゲーム失敗に賭けている? まぁ、これは冗談かもしれないが。ただ、嘘発見器(笑)はそこを嘘と判断しなかった。なら、やっぱり実際に賭けている? それなら割と本気で負けさせ……た、い……。

 

「……っ!」

 

 ある可能性に気づいてしまった。心臓が跳ねる。落ち着け。裏を、矛盾の有無を検証しろ! 悪魔の発言を思い出せ!

 脳内を情報が駆け巡る。全てを漏らさず、逃がさず──!

 

「……ない」

 

 矛盾はない! 俺の推理を否定する要素も──ない! 行けるか!?

 

 時間は……!?

 

 砂時計を見る。10分の1も残っていない! あと10秒ちょいくらいか!

 

「エヴァン君!」サトツが鋭く。「答えが出ないならば私が──」

 

「サトツさん!」語気強く、遮る。「頼む! 俺に賭けてくれ!」

 

「っ!」俺の鬼気迫る様子に何かを感じたのかサトツが息を呑み──。「いいでしょう! 全てを賭けます!」

 

 ありがとう。

 そして俺は、砂が落ちきる直前、悪魔に向かって宣言した。

 

「階段はお前が除外したドアにある!」

 

 砂が止まる。ギリギリだ。本当にあと10粒も残っていない。

 悪魔が笑う。その顔に口などないが、それでも笑みを張り付けている。

 

「……」

 

 沈黙。悪魔はただ微笑みを携えるのみ。何かを言うつもりはないようだ。

 こちらも笑う。笑ってしまう。

 なぜなら悪魔のこの行動は俺の推理が当たっている可能性が高いことを示しているからだ。

 唇を舐める。

 

「解答を続ける(・・・)!」

 

 そう。まだ解答としては未完成。悪魔の求めるものは他にもある。

 

「……」悪魔は黙したまま。

 

 しかし今はその沈黙が好ましい。

 

「お前には俺の推理を聞いてもらう。構わないな?」

 

「……」

 

 沈黙は肯定とみなすってな。

 

「まず除外したドアが階段に繋がるとした根拠だ。それはお前の自己中心的な言動及び価値観、『今、ワタクシは“ハズレ”のドアを1つ除外しました』の言葉が真実であること、そして『残り2つのドアから見事次の階層(ステージ)へと続く確率の高い方を選ばれよ! そうすれば第四層(ゲーム)突破(クリア)だぁ!』の発言が嘘であることの3つだ!」

 

「……」

 

「ここで注意すべきはお前の発言はお前の価値観により解釈すべきという点。普通はこのゲームで『ハズレ』と聞けば『階段のないドア』だと解釈する。しかし、お前の価値観というフィルターを通せば『ハズレ』とは『悪魔であるお前にとってのハズレ』則ち『俺たちにとっての当たり──階段へと繋がるドア』になる」

 

 悪魔が笑みを深め、暗い眼窩が歪む。

 

「残されたドアに正解なんて初めからなかった。だから『残り2つ』から始まるお前の発言はまるっきりの嘘。どちらを選ぼうと不正解の意地の悪い罠だ。いい性格してるぜ」

 

 まさに「俺でなきゃ見逃しちゃうね」ってやつだ。

 

「さらに!」まだ終わらない。悪魔が求めるものはまだある。「お前の『“慧眼”を自称する挑戦者よ! ワタクシを認めさせてみせよ(・・・・・・・・・・・・・)! さぁ、準備はよろしいか? ワタクシは準備万端なのでクイズスタート!』の言葉! クイズを始める前の『認めさせろ』との発言は、このクイズの本来の目的、つまりはクリアの方法を示唆していたんだ」

 

 俺は「認めさせてみせよ」をやや広めに解釈した。階段のあるドアを当てるクイズであることから、最初は「認めさせてみせよ」=「階段のあるドアを当てろ」であると理解した。

 しかし、だ。

 このゲームのドアは3つしかないのだから、(除外されているとはいえ)偶然でも当たってしまうかもしれない。

 そんなラッキーパンチを許容するだろうか? この意地の悪い悪魔が? ない。そういった寛容さをゲームに織り込むはずがない。

 

 そこで俺は、この遺跡が「慧眼」と呼ばれ、また、悪魔の口から出た「慧眼を自称する挑戦者」の言葉から「慧眼」に相応しい解答でなければならないのではないか、と考えた。

「慧眼」とは「本質や真意を見抜く優れた観察眼や洞察力」のことだ。

 そこからこのクイズゲームの本当のクリア条件を①悪魔の嘘を見破ること、②階段へと繋がるドアを当てること、③ドアを当てた根拠を正確な推理と共に悪魔に説明すること、④推理の説明がクリア条件であること及びその根拠を説明すること、の4つであると推測した。

 先程、悪魔が沈黙しているのを見て笑ったのは、その行動が「ドアが正解であること」及び「その根拠の説明を待っていること」を意味していると(かい)されたからだ。

 

 だから、だから今、言うべきは──!

 

「ゲームクリアの最後のピース──クリア条件は、お前に俺の()推理を披露することだ!!」

 

「……」

 

 1秒、2秒と静寂。

 

 ……あ、あれ? スベった? いやいやいやそんなはずは、と思った次の瞬間。

 

「!?」「!?」

 

 やにわに、ステージから元の石造の部屋に切り替わった。 

 部屋の中心には悪魔が1人にドアが1つ。

 

「正解だ。『慧眼』なる挑戦者よ」悪魔が、さっきまでとは打って変わって静かに言葉を紡ぐ。「このドアの先には、最終層、この『慧眼』最後の試練が待ち構えている。ワタクシが貴様らに肩入れすることは禁じられている故、大したこと言えないが、1つだけ忠告しておく」

 

 禁じられている、ね。

 

「ガエルはワタクシのように優しくはないぞ。心し──」突然、悪魔がバラバラに崩壊。

 

 は?

 

「酷いなぁ。吾輩はこんなに優しいのにぃ」

 

 いつ現れたかも、どこから現れたかも、どうやって現れたかも何故か分からない。そんなフランス人形──人間の子どもと同じ大きさ──が悪魔の部品を踏みつける。ぐりぐりぐり、と。

 

 彼女がガエルか?

 

 悪魔だったものを床に擦りつけるのをやめ、こちらに顔を向ける。

 

「はじめましてぇ。吾輩は『慧眼』を司る悪魔ぁ、ガエルでごさいますぅ」

 

 その瞳は美しき琥珀(こはく)──されど内部で蟲が(うごめ)いている様は生理的嫌悪感を掻き立てる。

 サトツが応じる。

 

「これはご丁寧に。私は遺跡ハンターのサトツと申します。こちらはミステ……私立探偵のエヴァン・ベーカーです」

 

「エヴァンです。……お手柔らかに」

 

「よろしくぅ」ガエルが気の抜けた声音で言うが──。「はいぃ。これは君たちの心臓でございますぅ」上品に、卑しく笑う──嗤う。

 

「っ!?」「──!」

 

 ガエルの小さな手には円柱形の肉塊──側面は赤く滴っている。

 自身の胸を触る──ポッカリと丸い穴。

 いつの間に抜いた? 発動条件は何だ? 何故俺たちは生きていられる? 

 ……駄目だ。分からない。

 何なんだこいつ。見た目はただのフランス人形なのに凶悪すぎんだろ──とでも俺が思ってるように見えてんだろうな、ガエルの顔から推察するに。ふふ。

 

「それではごきげんようぅ」ガエルが次の階層に続くドアを開ける。

 

「は? おいっ。待て!」

 

 制止しようと接近するが、俺もサトツも間に合わない──なんてな。

 閉められたドアを開ける。しかしそこにガエルはいない。ただ仄暗(ほのぐら)い階段があるだけだ。

 

「……まずいですね」

 

 と言いつつサトツの声は冷静だ。

 

 いえ、そうでもないですよ、と声に出して言いたいが、確率の悪魔が絶妙なタイミングで破壊されたことから遺跡内の会話はガエルに筒抜けになっている恐れがある。だからさっきから下手くそな演技をしているんだ。

 

「こうなってしまっては進むしかないかと」

 

 言うと同時に右手の人差し指を上げる。これは密談の合図だ。指の先には隠を施したオーラ文字で“心臓は幻。監視を警戒し演技中”と記している。

 

「それしかありませんね……」

 

 サトツも言葉とは別にオーラ文字にて“承知しました。私も合わせます”と。

 

 先程ガエルが「はいぃ。これは君たちの心臓でございますぅ」と発言した時に嘘発見器(笑)が反応していた。さらに彼女の持つ肉塊とバラバラになった確率の悪魔を指す矢印──俺にしか見えない──も出現して対象物が嘘、つまりこのケースだと幻であることを教えてくれた。

 加えて俺とサトツの胸部を指す矢印が今もしっかりと見えている。丸い穴も幻ってことだ。

 

 へっ。確かにガエルの能力は発動条件やその内容が全く分からないし(念でない可能性すらある)、地力はガエルの方が上かもしれないが、嘘に関しては俺が絶対に格上なんだよ!

 

 階段の奥から嫌なオーラが流れてきている。

 偽装用の会話の裏でオーラ文字でのやり取りを続ける。

 

「──?」

 

“サトツさんからのご依頼は「慧眼」の遺跡の攻略。私はこのまま進んでも構いませんよ”

 

「──。──?」

 

“私もすぐにガエルを追いかけるべきかと思います。仮に引き返したらエヴァン君の能力を推測されるかもしれません”

 

 心臓が奪われたのに帰ってしまったら、俺たちが幻を見破っているとバレてしまうだろう。その場合、試練の内容を変更される可能性も否定できない。

 ガエルの口振りから判断するに、現時点ではまだ俺が嘘を見破る能力を持つとは思われていないはずだ。このアドバンテージがあるうちに勝ち(クリア)まで持っていきたい。

 

「──」

 

“決まりですね”

 

「それでは行きましょう」

 

 サトツと頷き合い、足を踏み出した。

 



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機械仕掛けのティンカー・ベル [参]

※14話~22話まで連続投稿です。


 螺旋階段を下る。壁に備え付けられた灯り──蝋燭(ろうそく)が揺れている。

 

「……」

 

 互いに無言のまま進む。ガエルへの警戒もあるが、それよりもこの独特の空気がそうさせているのだろう。

 くるくるくるくる、くるくるくるくる堕ちていく。

 

 そして螺旋が終わりを迎えた。

 

 目の前には木製の、何てことはない普通のドア。ネームプレートがあり「ガエルのお部屋」と書かれている。

 サトツを見ると目が合った。

 

 覚悟はできている。「いつでもいいですよ」

 

「では、私が」サトツがドアノブを握り、しかし捻らずに手を離す。

 

 どうしたんだ? と思ったら──コンコンコンコン──ノックか。

 すると先程聞いたアニメ声で返事。「はーいぃ」ドアが開けられ、ガエルが、人形故の完璧な眉目(びもく)で以て出迎える。「いらっしゃいぃ」

 

「……心臓を返してもらいに来た」

 

 俺が言うとガエルが妖艶に微笑む。

 

「焦らないでぇ」見た目は8歳程度なのに成熟した色香。「まずはお話ししましょうぅ。さぁ、入ってぇ」

 

 従うほかない。サトツと共に入室する。

 

「これは……」

 

 300平方(スクエア)フィート(約20畳)ほどの室内には、心臓、肺、胃、脳、眼球といった人間のものらしきパーツが大量に存在していた。

 

「いいでしょぉー」ガエルが綺麗なピンク色の舌で唇を舐める。唾液で濡れたそれが、朱唇(しゅしん)のように妖しく耀く。「美味しいんだよぉ」

 

「食べるのか……」

 

「そうだよぉ」テーブルを示す。「ほらぁ」

 

 テーブルには皿が2つ。心臓が、数多の白い欠片──おそらくは人骨──と共に盛り付けられていた。

 

「座りましょうぅ」

 

「……」「……」

 

 俺たちが無言で着席するとガエルが頷く。そして。

 

「これより『慧眼』最後の試練を始めますぅ」

 

 来たか。

 緊張が走る……といったガワを作る──『信じる者は救われない(ラッフィング ライアー)』も使用中だ。

 つい笑ってしまいそうになる。だってさ、ここには嘘つきしかいないんだぜ。最高じゃないか。最低に愉快なディナーだよ。

 

 俺たちが幻覚(うそ)に気づいているとは知らずに、ガエルは自身の優位性を信じているようだ。

 

「分かっているとは思うけどぉ、これは君たちの心臓ですぅ」

 

「……」

 

 ガエルが騙り出す。「君たちはぁ『慧眼』たり得るには何が必要だと思いますかぁ?」

 

 突然何を言い出すんだ? 

 サトツもやや困惑気味に見える。

 しかし訊いておきながら返答を求めてはいなかったようだ。俺たちが何も答えずともガエルは気分を害した様子なく続ける。

 

「吾輩はぁ『慧眼』とは『先見の明』のことだと思うのですぅ」

 

「言いたいことは分かるが、それと試練はどう関係している?」

 

 小さく笑うガエル。「せっかちさんなんだからぁ」

 

 いちいちねっとり(・・・・)しないと気が済まないのか、このフランス人形は。

 俺に人形遊び(・・・・)の趣味はない。だから鬱陶しいだけだ。

 

 不意に、あまりにも場違いな音が、俺の鼓膜を震わす。

 

──ぐぅ。

 

 人形のくせに、悪魔のくせにガエルが頬を赤らめる。

 音の主はガエルの腹にいる虫だったらしい。人形も腹減るんだな。

 

「関係はしていますよぉ。なぜなら吾輩の出す『慧眼』の試練はぁ」ガエルが皿の横に置かれたナイフとフォークへ視線を送る。「吾輩がこれから何をするか当てることだからですぅ」

 

「!」

 

 これはまさか……。

 

「上手く正解できたらこの心臓は食べません~。けれど不正解ならばこの心臓は食べてしまいますぅ」

 

 やはりか!

 

 と、ここで砂時計が料理の横に出現。ガエルが楽しげな顔を砂の流れるへ向ける。

 

「砂が落ちきるまでに答えなかったときはぁ、吾輩は何もしませんがぁ、試練は失敗になりますぅ。大変なことになるのでおすすめはできません~」

 

 なるほどな。たしかにこれは優しくない。大多数にとっては伏線(ヒント)ゼロのアンフェアミステリーとさえ言える。

 だが俺には通用しない。(ヒント)がまる見えだぜ。

 

 ガエルがやっているのは「人喰いワニのジレンマ」と呼ばれる自己言及パラドックスの一種……に見せかけた猿芝居だ。

 このパラドックスは、本来「ガエルはこれから心臓を食べる」と答えるのが正解だ。この解答ならば、心臓を食べるつもりだった場合は当然正解になり、心臓を食べるつもりがなかった場合も不正解の結果心臓を食べることになるので、結局行動を当てたことになり正解となる。

 

 しかし今回はそれではいけない。

 そもそもの前提として心臓は幻なのだ。「この心臓を食べてしまいます」との発言は「この心臓」を「幻の心臓」と(かい)する必要がある。従って「心臓を食べる」と答えた場合は「本物の心臓を食べる」とガエルは意図的に解釈して不正解──試練失敗とするだろう。

 

 ではどう答えればいいか。

 

 そんなの簡単だ。

 たしかに俺──嘘や幻を見破る能力者でなければ、あるいは重いペナルティと短いタイムリミット、さらには異常な光景により思考能力が低下していたならば、正解に辿り着くのは難しいのかもしれない。

 しかし俺は違う。

嘘つきは探偵の始まり(ライアー ハンター)』は、皿の上の御馳走が、部屋に溢れる悪趣味なインテリアが中身のないハリボテだと教えてくれる。イザベラの事件を反省して精神を鍛え直した今の俺には覚悟の甘さもない。

 

 サトツへ視線を送る。

 気づいたサトツが「ふ」と笑みを漏らし、頷く。

 

 なんか悪いな。他人(おれ)に命を預けさせてばかりでさ。

 まぁでも結果は出すから許してくれ。

 

 ガエルの碧眼(へきがん)を見据え、俺は言った。

 

「お前はこれから『幻の心臓を食べる演技をする』。これが答えだ」

 

 砂が静止。そして──。

 

「……いつからお気づきでしたのぉ?」

 

 実質的な正解告知。

 皿の上の幻が煙になり、霧散する。胸からは確かな鼓動を感じる。もう幻術はやめたんだな。

 

「最初からだ」少しだけネタバラシ(サービス)してやる。「俺の目は嘘を見抜くんだよ。たとえお前の念が人間のレベルを凌駕するものであったとしてもな」

 

 傷のない琥珀の瞳が大きく開かれる。

 

「まぁ! そうでしたかぁ! それは良い目をお持ちですねぇ」ガエルが付け加える。「それに吾輩の発言をよく理解していますぅ」

 

「職業柄、人の話はしっかり聞かないといけないんでね」

 

 ガエルが「この(・・)心臓(=幻の心臓)を食べる」と言った以上、それは演技をすると宣言したにすぎない。つまり、この試練の主なクリア条件は「心臓が幻だとノーヒントで気づくこと」「自己言及のパラドックスを理解していること(又はこの場で理解すること)」「ガエルの発言を正確に読み取ること」の3つ。

 いろいろと酷い試練だが、まぁ相性の勝利だ。数の限られている同行者に俺を選んだサトツのファインプレイと言える。やはり情報こそが勝利の鍵。

 

 余談だが、自己言及のパラドックスの1つに「嘘つきのパラドックス」というものがある。言い換えると、今回の試練はこれの親戚に当たる、となる。何が言いたいかというと、正解できなかったら嘘つきの名折れってことだ。負けられない戦いだったぜ……。

 

「……ちなみにそのご職業とはぁ?」

 

 ここぞとばかりにドヤ顔してやる。

 

「探偵だよ」

 

 

 

 

 

 

 ガエルの部屋に出現した階段を下る。サトツはいない。ガエルもいない。

 

 この先に「人型の真実」という、この世界のあらゆる情報にアクセスできるアイテムがある。「慧眼」の遺跡の報酬は「どんな情報でも1つ(1つの纏まりのある情報なら厳密に1つでなくてもよい)だけ知ることができる権利」だったんだ。

 

 そもそもこの遺跡群「悪魔の塒」は、オチマ連邦が成立するよりずっと以前に隆盛(りゅうせい)を極めていたソムナ帝国という国が、暗黒大陸に渡る6人の戦士を選抜するために造ったらしいのだ。

 で、長い時が経過する中で遺跡を形成する念が変質し今の形に落ち着いたそうだ。

 

 そして「人型の真実」なる謎のアイテムだが、これは回数制限ができる前を含めた幾人もの挑戦者たちの願望が、遺跡のオーラと混じり合いできたのではないか、とガエルは推測していた。「慧眼」の遺跡で実質的なトップを務める彼女でも全てを知っているわけではないようだ。皮肉が利いてるぜ。

 利用条件は「『慧眼』の最終層突破者」が「1人」で「第六層」に行くこと。サトツはこれをガエルから聞いた時「エヴァン君が得るべき権利でしょう」とすぐに辞退した。

「ありがたいが本当にいいのか」と訊ねたら「元々この遺跡の報酬をエヴァン君への依頼料に充てようと考えていました。そもそも私は何もしていませんし、それにガエル嬢のお話を聞けただけでも十分な収穫です」と言われた。サトツとしては遺跡の真実を知ることこそが最も大切なことだったのだろう。遺跡ハンターになるくらいだからな。

 

 と、そんなわけで第六層に到着した。

 扉は存在せず、アーチ状の入り口があるだけだ。躊躇(ためら)わず潜る。

 

 まるでおとぎ話に出てくる玉座の間のようだ。足音が広い空間に反響するも、気にせずに進む。

 

 荘厳(そうごん)な玉座。そこに座っているのは13、14歳くらいに見える、美貌の少年だ。

 

「はじめまして。慧眼の戦士さん」少年の声が耳に心地良い。「僕はアレクサンド。『人型の真実』と悪魔たちが呼ぶ人造人間(ホムンクルス)さ」

 

 人型念獣の一種といったところだろう。一見、戦闘力などなさそうだが、内包するオーラ量は人間のそれとは比較にならないほど莫大なものだ。

  

「エヴァン・ベーカーだ」早速本題に入る。「欲しい情報がある。教えてもらえるか?」

 

「勿論。それが僕の存在理由だからね。なんでも訊いてよ」

 

 自信満々な即答。

 では遠慮なく。

 

「先日──1月27日に俺の探偵事務所に掛かってきた電話の相手の情報を知りたい」

 

「お安い御用さ。見てみるから少し待ってて」

 

 アレクサンドが目を瞑り、オーラを練り上げる。

 

 当初はジンの居場所にしようかと思っていたが、それよりもむしろ依頼人の情報を得たほうが早いと──半ば勘だが──判断した。

 最悪、ジンに関しては他のルートからでも調べられる。しかしあの依頼人は別だ。いくらなんでも手掛かりが少なすぎる。かといって悪戯と断じ無視をするには、あの声が引っ掛かる。

 そこでこの不思議アイテムに願ってみたのだが……。

 

「──え? あれ?」困惑するアレクサンド。「これは……」目を開く。

 

 どういうことだ? 何を見た? 

 

「ごめん。見えないんだ」

 

「……理由は分かるか?」 

 

「経験のないことだから推測でしかないけど……」眉間に(しわ)を寄せる。「もしかしたら、その依頼人はこの世界に存在しないのかもしれない」

 

「!?」

 

 なんだと? ではあの電話は一体……?

 

「分からないよ。人間が僕の能力を誤魔化せるとは思えないけど、絶対ではない。もしくは数奇な現象が重なった結果かもしれない」アレクサンドが溜め息一つ。「これじゃあ『人型の真実』の名が泣いてしまうね」

 

 一拍の後、アレクサンドが問う。

 

「他に必要な情報はないかい?」

 

 こうなってしまっては仕方ない。当初の予定どおりにジンについて訊ねよう。

 

「では、ジン・フリークスという人物の現在地を頼む」

 

「やってみるよ」

 

 先程とは違い自信なさげに言って、瞳を閉じる。しかし今度は本領を発揮できたようだ。すぐに安心混じりの笑みで告げた。

 

「遺跡ハンターのジン・フリークスは、今、ベゲロセ連合国の遺跡『狂王(きょうおう)(くら)』にいるみたい」

 

「……」

 

 遠すぎぃぃ! またかよ! なんなの? メビウス湖を渡るのが流行ってんのか? 勘弁してくれよ……。

 

「? どうしたの? 今度は間違いないから大丈夫だよ?」

 

 黙り込んでしまった俺を訝しみ、あるいは心配するアレクサンド。

 

「……なんでもない。それだけ分かれば十分だ。ありがとう」

 

「? 変なの」やや得心がいかない顔だが追及するつもりはないようだ。「それからもう一つ。ジン・フリークスは、仮に僕が君に何も教えていなかったならば、あと9日は『狂王の蔵』付近にいることになる。これは一番欲しい情報をあげられなかったお詫びの追加情報だよ」

 

「助かる。悪いな。変に気を遣わせてしまって」

 

「うん。こっちこそごめんね。でも少しは力になれたのならよかったよ」

 

 美少年の柔らかな笑みは実に絵になる。この場の雰囲気も相俟(あいま)ってルネサンス絵画に見られるような普遍的な美を感じさせるものだ。マジで俺の場違い感よ。

 

「……俺はそろそろ行くよ。9日も遺跡にいるとは限らないみたいだしな」

 

 アレクサンドの笑みがその質を変える。悪戯っ子を思わせるそれを浮かべ、しかし俺の言葉を肯定も否定もしないようだ。

 

「また来てよ。誰も来ないから暇で仕方ないんだ」

 

「ああ、分かった」ちょっと思いついたことがある。「もう1人連れてきてもいいか?」

 

「? 本当はダメだけど大体500年ぶりの『慧眼』の戦士の頼みだからね。特別だよ」

 

「でも」と挟み、アレクサンド。「その人自身が試練を突破しない限り、僕の能力による情報は与えられないよ」

 

「当然それは理解しているから安心してくれ。そいつの話し相手になってくれるだけでいい」

 

「それなら問題ないね。その人はどんな人なんだい?」

 

「アレクサンドには劣るが、なかなか面白い情報系の能力者だよ」

 

「へぇ。ちょっと興味湧いてきたよ。名前は?」

 

「ルビー・ホーキンス。一応俺の弟子だ」

 

 自分と同系統で遥か高みにいる能力者──正確には念獣だが──とのコミュニケーションは、ルビーにとっていい刺激になるだろう。

 

「『慧眼』の弟子か。なるほどね。それは楽しみだよ」

 

 なんかハードル上がってる気がするが、まぁ大丈夫っしょ。なんだかんだルビーって天才だしな。……大丈夫だよな?

 

 

 

 

 

 

 慧眼の遺跡を出ると空は茜色をしていた。時刻は17時過ぎか。

 

「!」

 

 刺青の女が俺たちに気づく。彼我の距離は100メートル以上はありそうなのに中々の察知能力だ。

 片手を上げて応えてや──。

 

「うおっ」

 

 一瞬で目の前まで移動してきた。凄い身体能力だ。見切ることはできるが、反応するには少し苦労しそうな速さ。

 

「突破できたのだな!?」肩を掴まれる。「こうしてアホ面しているということはそういうことであろう!?」

 

 こいつナチュラルにディスりやがった。

 

「クリアしたさ」肩の手をやんわりと下ろしてやる。「言っただろ。サクッとクリアするって」

 

「っ……!」驚き、そして初めて見せた笑みは存外に穏やかなものだった。「そうだな。そうであったな」

 

 俺と刺青女のやり取りを静かに見ていたサトツが徐に口を開く。

 

「詳しくは話せませんが、これから100年間『慧眼』の遺跡は挑戦者を拒絶するそうです」

 

 ガエルが語った真実のうちの幾つかについては他言無用と言われている。遺跡成立の背景もそこに含まれる。曰く「未知であり、危険もある。そんな中でも挑戦する精神性が暗黒大陸で生き残るには必要だから」とのことだ。

 そういうもんかね、と思ったが、俺がとやかく言うことでもない。素直に従うことに抵抗はないさ。

 

「……そうか」と刺青女。「何にせよ偉業ではある」

 

 プロハンターの気持ちは知らんが、嬉しそうで何より。

 

「私は付いていっただけですよ。エヴァン君一人でも問題はなかったでしょう」サトツが言う。

 

「ほぅ」刺青女が意地の悪いことを考えていそうな顔をする。

 

「なんだよ」

 

「なに、パリストンがなんと言うかな、と思ってな」

 

 あー、そういえば協専ハンターだったっけ、この人。

 

「……忖度していただくことは?」

 

 俺の参加を知る人物はここにいる3人だけだ。サトツと刺青女が黙っていればいいのだ。

 しかしそうは問屋(パリストンの犬)が卸さない。

 

「勿論するぞ。パリストンの気持ちをな」

 

「……」

 

 渡る世間は悪魔(おに)ばかりとはこのことか。 

 

 

 



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機械仕掛けのティンカー・ベル [肆]

※14話~22話まで連続投稿です。


 遺跡から無事(?)生還した俺は、逃げるように飛行船に乗り込み、ベゲロセ連合国へと旅立った。

 

 で、たった今、到着したところだ。

 事前に調べたところによると(検索しただけだが)「狂王の蔵」の近くを通るバスがあるらしいのでそれを利用しようと思う。

 移動にどれくらい時間が掛かるか分からないが、ジンに会えたらいいな。そしてあの依頼の意味も解明したい。

 

 空港のバスターミナルへ移動しながら、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 それを感知したのは「狂王の蔵」には未だ数キロは離れている地点を歩いていた時だった。

 

「なんつーオーラだよ」

 

 この距離でもはっきりと理解させられる圧倒的な実力。間違いない。この先にいるのは真の強者だ。そしてそれはジン・フリークスである可能性が高い。会ったことはないが噂は聞いているし、原作でも知っている。単なる希望的観測ではないはずだ。

 

 しかし気になるのは、オーラの主体が2つ存在していることだ。違った質のオーラが1つずつならば2人いると考えればいいのだが、様々なオーラが入り混じっているんだ。

 これはどういうことだろうか? クロロのような能力者と戦っている? しかしその割には、なんというか楽しそうな気配。なんだこれ。……今、考えても答えは出ないな。

 

 一抹の不安を抱えつつ遺跡へと直進する。

 

 

 

 

 

 

「うわぁ」

 

 遺跡の近くまで来た俺が目撃したのは、高速で動き回る人間──おそらくはジン──と同じく機敏な動きを見せる……ゴーレム(?)だ。ジンは愉快そうに戦っている。

 

「これどうすればいいんだろ」

 

 はっきり言って通常状態の俺が付いていくにはキツすぎる。スポーツ観戦よろしく見守ればいいのだろうか。というかそれしかないか、もしかして。

 変にしゃしゃり出てジンに迷惑を掛けたらまずいしな、うん。そうすっか。

 

 時間が掛かったときのためにサンドイッチとお茶は用意してある。テキトーな石──多分石垣のなれの果て──に腰を下ろしてお茶を飲む。

 

「はー」

 

 疲れた。依頼主は怪しいし悪魔は出てくるし移動時間は長いし、今回の依頼もハードだぜ。

 1人と1体(?)の戦闘をぼうっと眺める。跳んだりぶつかったり回転したり様々な発を使ったり。これだけ激しく動いているのに遺跡に傷を与えていないのは驚嘆に尽きる。

 

「……」

 

 それにしてもこの戦い、いつになったら決着がつくんだ? 

 というのも、ジンからはすぐに戦いを終わらせようという意思を感じない。戦闘能力以前の問題だ。この調子だと長丁場になるかもしれない。

 サンドイッチに噛り付く。

 

「よう」いつの間にかジンが隣に来ていた。

 

 ゴーレムを見ると停止している。

 もしかして、というか、やはり、というか行動範囲に制限があるのだろう。この短時間で観察した限りでは、一定範囲からは絶対に出ていなかったからある程度の推測は持っていた。目の前の光景を見るに当たりかね。

 ジンが練を解く。

 

「お前あの『慧眼』を攻略したエヴァンだろ?」

 

「耳が早いね」

 

「まぁな」

 

 なんだろう、口調は軽いのだが、しかし軽薄なわけではない。芯や重みも伝わってくる。不思議な男だ。

 

「ジン・フリークスで間違いないか?」

 

「俺のことだな」ジンも石に座る。「こんなところまで来て一体何の用だ?」

 

「ああ。実は依頼人があんたの名前を言いかけていたんだ。それで会いに来た」

 

 ジンが固まる。そして──。

 

「ぷっ」吹き出し、(すなわ)ち爆笑。

 

 一頻(ひとしき)り笑った後、ジンが言う。「たったそれだけでハイリスクな『慧眼』に挑んで、ここまで来たのか? バカだろ。俺も色んなバカを見てきたがお前ほどのバカは滅多にいなかったぜ? 大した奴だわ」

 

 う、うぜぇ。どんだけバカにすれば気が済むんだ。

 

「探偵の仕事はこういうもんなんだよ」

 

 根性のひん曲がった姑のように細かいことをほじくりまわすのが名探偵というもの。奇人変人(プロハンター)にはそれが分からんのですよ。

 

「そう拗ねんなって」

 

「拗ねてない」

 

「勘違いしてるみてぇだが、俺は褒めてるんだぜ? 常識だとかリスクだとかぶち抜くイカれた信念を持ってる奴ってのは、ちょくちょくデカイことをやるからな」ジンがボソッと付け足す。「まぁ、大体早死にするけどよ」

 

「遠回しに自画自賛してないか?」

 

「遠回しに俺を認めてんのか?」

 

「……」「……」

 

 奇妙な沈黙の後、鼻で笑うも──ジンと被ってしまった。なんかやだなぁ。 

 

「で、実際に会ってみてなんか分かったのか?」

 

「あんたがいけ好かない奴だってことが判明したよ」

 

「それが理解できたなら充分じゃねぇか」

 

「そうなんだがな」俺も個人的には同感だが、依頼の“真実を見つけろ”を達成するには不十分。「悪いが少し話を聞きたい」

 

 しかしこのおっさんは一筋縄ではいかないようだ。

 

「断る」ニヤけてやがる。

 

「なんでだよ」

 

「んー? 特に理由はねぇな」

 

「はぁ? ならいいじゃん。ケチケチすんなよ」

 

「じゃあそうだな。アマチュアつってもお前もハンターなんだろ?」とんでもない誤解である。「ハンターなら口を開けて餌を待ってるようじゃダメだと思わねぇか?」ジンがゴーレムを見る。「つーわけで俺に餌を差し出させてみせろ」

 

 め、めんどくせぇ。なんだこのおっさん。もうやだ。

 

「はぁ」オーラが乗った重い溜め息だ。意識したわけではない。「どうすればいいんだよ?」

 

「大人なら自分で考えろ」

 

 くっそ。まじくっそ。いるよなこういう奴。というか、息子を放って好き勝手してる(やから)に大人がどうとか言われたくねぇ。だが依頼のためだ。仕方がない。

 

「……あのゴーレムの無力化(・・・)を手伝うよ」

 

「ほう」愉しそうなジン。「破壊ではなく無力化、な」

 

「そうだよ。ジンはあれを壊したくないんだろ?」

 

「そうだ。あれは考古学上、大きな価値のあるものだ。できれば完全な状態を保ちたい」

 

 しかしあのゴーレムもかなりの戦闘能力。それを傷をつけないように制圧するのは相当な実力がないと無理だろう。普通はな。

 

「確認だが、あのゴーレムはコピーした能力とオーラを複数保持していて、ほぼ無制限に使用できるって認識でいいか?」

 

 俺が見たところ、そんな感じだと思う。ゴーレムからはジンのものらしきオーラも感知できるし、複製されたんだろう。しかもジンもゴーレムも明らかに複数の発を駆使して戦っていた。もはや常識的な念能力者の枠をガン無視してるね。怖い怖い。

 

「正解。かなり厄介だよ。負けないことは難しくない。だが」ジンが肩を(すく)める。「あいつを保護しようとすると一気に難易度が上がる」

 

 可動範囲──大体遺跡から50メートル以内──以外の制約は「発のコピーには対象の発動を見なければならないこと」「発動を見たら自動でコピーされること」といったところか。コピーに関しては「ジンが能力行使→ゴーレムも以後使用」ということが何回もあったからそれなりの確率で当たってるはず。

 

 ジンが試すような、あるいは幼子を見るような、そんな目を俺に向けて問う。「聞かせろよ。探偵様の推理ってやつをよ」

 

 いちいち(しゃく)に障る言い方しやがって。

 

「いいだろう。()探偵様の()推理を聞かせてやる」

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 ジン・フリークスから見ても、エヴァン・ベーカーなる探偵を自称する青年のオーラは理解しがたい何かを孕んでいるように思われた。もしかしたら気のせいかもしれない。しかし面白そうではある。

 

 話してみた感想は「悪くない」というものだった。人格が、というよりも迷いのない精神性が気に入った。きっとこいつはどこまでも真っ直ぐに自分の道を行くのだろう。それはジンも同じ。だから「悪くない」のだ。

 

 遺跡を守る土人形の無力化。そのための策があるらしい。

 気負いを感じさせない趣でエヴァンが口を開く。

 

「まず最初に、ジンが適当な発を作成して『この発を持つ者は、発を占有してから1分後に身体が動かなくなり、さらに纏以外のオーラ操作が不可能になる。ただしジン本人によるジン本来の発の使用は妨げない』という制約と誓約を設定する。そして、この枷が掛けられた発をゴーレムに占有(コピー)させるんだ」エヴァンが何でもないことのように言う。「停止までの時間差はあるが、そこは俺が対応する。これでジンの要望はすべて叶えられるんじゃないか?」

 

 このガキ……! 

 

 ジンの心裏に戦慄が走る。それもそのはず。どこで知ったのか、エヴァンはジンの発を仔細に把握しているのだ。この提案はそうでなければできないもの。

 たしかにジンの能力を理解している者やある程度の推測を持っている者もゼロではない。しかし決して多くはない。というか極めて少数だ。エヴァンがそこに含まれるとは流石のジンも予想していなかった故の衝撃であり──えも言われぬ高揚。

 つい口角が上がってしまう。

 ジンは面白いものが好きだ。ここでいう「面白い」とは「未知」であり「理解不能」なものを指す。それを求めてやまないのがジンという人間。

 

 面白い。

 

 心底そう思う。ハンター専用サイトで見たコメント──このために5億ジェニーだ──が思い出される。

 

“エヴァン・ベーカー。世界で5本の指に入る念能力者であり、現在確認されている情報系能力者の最高峰(関係者の証言による。要検証事項)”

 

 初めてこの備考を見た時は疑いを持ったものだが、なるほど(あなが)ちデマカセではないようだ。

 

「どこで俺の発を知った?」

 

 訊いてはみたが期待はしていない。

 

「あーまぁそれは、秘密だな、うん」

 

 なんだ? 言わないだろうな、とは思っていたが何故そこまで歯切れが悪い?

 

「ヤバい伝手でもあるのか?」ジンの予想は至極真っ当なものだろう。「安心しろ。その程度を気にする奴はハンターにはいねぇよ」

 

 ジンの脳内にとある堅物女が過るが、あんなのは例外だ。それこそ気にするほどのことではない。

 

 ここでエヴァンが疑わしそうに目を細めるも「まぁいいけどよ」と流す。ジンの僅かな逡巡を見抜かれた、あるいは噂の(慧眼)だろうか。

 

「それで、俺の名推理を聞いた感想は?」

 

 そんなの答えは決まっている。ジンがはっきりと告げる。

 

「最高だ」(オーラ)(おど)る。「それで行くぞ」

 

──練。

 

 ジンが土人形へと疾駆する。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 原作HUNTER×HUNTERを読んで俺が予想したジンの能力、それはメモリ内を消去(リセット)するというものだ。

 根拠はいくつかある。まずジンの卓越したオーラ操作技術。イボクリ自慢の描写は明らかに常軌を逸したそれを伝えている。そして「打撃系の能力は1回くらうと大体マネできる」「ただの才能」といった趣旨の発言。

 これらからレオリオの能力をコピー(真似)したのは発ではなく純粋な才能や技術によるものと思われる。

 ただ、マネをして発を作成するにしても普通はメモリやオーラ、技術という観点から限界がある。しかし原作を見るに少なくとも打撃系の能力は何度もマネしてきたことが(うかが)える。

 じゃあ、この事実が矛盾なく繋がるのはどういうときか、と考えるとメモリ消去(リセット)能力に行き着いた。

 例えばこの能力でメモリの50%を圧迫しているとしても、それ以外を必要に応じて消去(リセット)すれば残りの50%は自由に何度も使うことができる。レオリオの発をインストールすることも、それを消して新たな発を突っ込むことも。これはゴーレムとの戦闘において様々な発を使用していたこととも相反しない。

 たしかに系統ごとの得手不得手がある以上、そう簡単にはいかないかもしれない。

 だが、だ。

 メモリ消去(リセット)能力ならば確実に特質系になるところ、この特質系というのは例外の寄せ集めなのだ。六系図では操作と具現化の隣に位置しているものの、それはあくまでその2つが他に比べれば後天的に特質系に目覚めやすいから便宜的にそうなっているにすぎない。

 つまり、他系統のように100%、80%、60%と習得効率が下がるとは限らないんだ。場合によっては全て80%、又は90%と70%のみ、そして普通の才能では不可能だが全て100%に近いこともあり得る、と俺は思う。

 ジンの、世界で5本の指に入ると言われるほどの才と実力──それでも全系統100%は無理かもしれないが──ならば、俺の予想した能力を実用化していても不思議ではない。

 

 そして、ある意味最も大きな判断理由はジンの人間性。

 原作及び俺がこの世界に転生してから聞いた噂から推測するに、ジンは世界を楽しみ尽くしたいと渇望している。そんな人間がたった1つ2つの発──自身の系統に合った発だけで満足するとは、とてもじゃないが思えない。

 念というその人間の本質が如実に現れる事象ならば、ジンのこの性質が反映されて然るべき。

 

 以上が俺がジンの能力を予想──推理した背景だ。

 

 

 

 

 

 

 ジンがゴーレムへと迫る。そのスピードは先ほど観戦していた時以上。まだまだ余力がありそうに見えるのが恐ろしい。たしかに俺でも見切ることはできなくはない。しかしそれ以上は無理。『嘘は真実(リバース)・身体能力』を使わなければ……いや、使ってもギリギリ届かないかもしれない。

 あれで素なのだから不公平である。

 

 ジンが右手に片手剣を具現化する。俺の言った(せいやく)を付与したものだろう。今から1分でジンは纏かつ静止状態になる。

 すぐにゴーレムの右手にも同じ剣が現れる。よし、上手く嵌まってくれた。

 

 さて、俺も準備しよう。

 

──練。

 

 いつでも飛び出せるように構える。腕時計を確認し、ジンが静止するタイミングを見極める。10、9、8……2、1──今!

 

 全力で跳び、ジンとゴーレムの間に割り込む。ゴーレムが振り下ろした剣を例の短剣──クロロには感謝だ──で受け止め……ようとしたら切り飛ばしてしまった。相変わらずこの短剣、チートしてるわ。

 ここでゴーレムも停止する。ジンの具現化とゴーレムのコピーの間に僅かなタイムラグがある以上、俺が出ないとジンが死にかねないからな。

 まぁでも──。

 

「その短剣(ナイフ)すげぇな」発ごと制約と誓約を消去したであろうジンが普通に口を動かす。「ちょっと見せてくれねぇか?」

 

 多少の危険はあれどもジンならば自力での対処も可能。さっきはゴーレムとの戦闘で遊んでいたという側面もあったのだろう。やっぱりいけ好かねーわ。

 

 短剣を渡す。「マジで危ないから気をつけろよ」

 

「ああ、それは分かってる」

 

 とりあえずはジンの言う「餌を差し出させるための条件」はクリアしたかね。

 そう思って気を緩めた次の瞬間──。

 

 遺跡を囲むように──半径300メートルほど──高い壁が出現する。高さはおよそ500メートル。そして何よりヤバそうなのは……。

 

「なぁ、ジン」

 

「なんだ?」ジンが短剣を返す。

 

「あの壁の上にいるのって」壁の上から俺たちを見下ろす奴ら、その中で一際存在感を示す、粋なTシャツを着た老人を指差す。「もしかしてネテロ会長?」

 

 気のせいじゃなければ今より少し若いように見えなくもない。

 

「ああ。しかもちょっと前のネテロだ」ジンが獰猛に笑う。「ありゃあ、かなりつえーぜ?」

 

 なんで愉しそうなんですかねぇ。

 

 壁の上に忽然と姿を現した人間たち。嘘発見器(笑)の矢印が彼らの頭上に見えることから偽者であることは確定している。ただし存在感が強すぎること及び状況から推測するに、少なくとも実体はあると思われる。

 ざっと見た感じ100人くらいか。ネテロ会長をはじめ、ミザイ、チードルといった十二支んのメンバーや、メンチ、リッポー、サトツ、クロロ、ヒソカ、ついでにイザベラ(あの時の魔獣モード)など明らかに優れた戦闘能力を持つ奴ら、加えてハンナやルビー、俺の両親のような非力な者もいる。共通するのは無表情であること──そして俺たちへの明確な敵意。

 

 どう考えても遺跡のトラップです。本当にありがたくないです。

 

「戦う流れだよな、これ」

 

「だろうな」

 

「仮にあいつらが見掛けどおりの強さだったとしてジンは勝てるか?」

 

「無理」ジンが軽く言う。「大したことない奴なら瞬殺だが一級の連中はそうはいかねぇ。それがあの数だ。あっちが一人ずつ来てくれたとしてもスタミナが持たねぇよ」

 

「……」

 

 え? 死? ……なんつって。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 ジンが彼らを見上げていると壁から1人の人間が、ふわり、と浮かび、ゆっくりと下降してくる。どうやら最初はあの人が相手になってくれるようだ。オーラの質から本物ではないことは理解できるが、その強さは本物以上と仮定しておいたほうがいいだろう。

 ここでジンは、自身の中にある推測、それを確認するためにエヴァンに問うた。

    

「お前はなぜあいつらだと思う?」

 

 エヴァンが即答する。「俺たちの記憶から親密度や強さを基準に抽出したんだろ」

 

 その解答はジンを満足させるものだった。つまりは同じ意見ということだ。

 

「また()推理を聞かせてくれよ」

 

「……逃走用の発を作る気は?」

 

「あると思うか?」

 

 早く狂王の蔵を調査したい、というのもあるが、それよりもこのワクワクする状況を堪能しないのはあり得ない。

 しかし残念ながらエヴァンには共感してもらえなかったようだ。溜め息をついたエヴァンが渋々といった趣で言った。

 

「……俺の仕事にも協力しろよ」

 

 それは全く問題ない。もう十分にいいものを見せてもらった。そしておそらくは今からまた。

 

「分かってるって」

 

 降りてきている敵──ネテロは壁と地面の中間まで来ている。そう時間は残されていないだろう。しかし、そう問題もないだろう。

 

 エヴァンが口を開く。「ジンはまだ発を作成できるんだよな?」

 笑みが零れる。

 

「なめんな。余裕だよ」

 

「察してるんだろ?」エヴァンがジンの目を覗き込む。「記憶捏造用の暗示系能力を頼む」

 

 本当にこいつは愉快な奴だ。あわよくば……。

 

エヴァンをとある計画に組み込む算段を立てようとして、しかし今は目の前の脅威に集中すべきだと踏みとどまる。

 

「操作系はそこまで得意じゃない。少し時間を稼いでくれ」ジンには確信があった。「無理とは言わないよな?」

 

 エヴァンの表情が凍る。そしてぎこちなく言う。「嘘……じゃないんだな」

 

「ああ、俺はクジラ島(じもと)では誠実な男として有名なんだ。嘘はつかねぇよ」

 

「はい、嘘。絶対的嘘」

 

 やはり嘘を見破れるようだな。いい能力だ。

 

「そろそろお客さんのご到着だぜ?」ジンも発の作成に取り掛からないといけない──操作系は設定が面倒なのだ。「1分以内になんとかする。行けるだろ?」

 

「はいはい」エヴァンの気のない返事。「やりますよ。天下の二つ星(ダブル)ハンター様のお願いとあっては断れませんからね」

 

 皮肉には相応の返しが必要だろう。

 

「今度口利きしてやるよ」厭みったらしく言ってやる。「お前ならライセンスと星の同時取得も夢じゃないぜ」

 

 エヴァンはプロハンターになりたくない、という話は業界では有名だ。

 

「やめろ! 絶対だぞ。フリじゃないからな!」

 

 そう言って飛び出すエヴァン。ネテロが地面に降り立ったのだ。

 

 強者(つわもの)たちのオーラが爆炎のごとく──。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 紙一重だな。

 

嘘は真実(リバース)・身体能力』を発動し、目に硬をする。そうして見えた光景(みらい)から回避ルートを探し出した感想だ。

 ネテロの百式観音の、舞を思わせる必殺の撃が視界を埋め尽くす様は、控えめに言ってこの世の終わりだろう。ほんの1、2秒後の現実である。つまりは今!

 

「──っ!」

 

 駆け、身を捻り、また走り、跳び、そして(かわ)す。

 

 ……し、死ぬ。かすった。今、観音様の手刀がかすったから。お気に入りのインバネスコートが裂けたよ! ちくせう!

 横目にジンを見る。目を瞑って集中してらっしゃる。くっそ。ホントあの人嫌い。

 

 また視る。そして回避。息つく暇もなく視て、避け、視、避、視避視避視避視避視避視避──!

 

 そんな地獄のような刹那を重ねていき、そろそろ泣きそうになった時、漸くそれが観音様を抉る様を目撃することができた。

 

「……って、五大厄災(ブリオン)かよ!?」

 

 目の前に現れたのは筋肉質な裸体に球体の頭部。原作で見た球体兵器ブリオンそのままであった。

 

 俺の、というか俺たちの作戦は簡単だ。暗示系の発で「俺たちに敵意を持った場合、逆に俺たちを守ろうとする最強の存在」の記憶を捏造。そしてそれを遺跡の(システム)──記憶にある戦闘能力の高い者を優先する──により具現化させるというものだ。言ってしまえば遺跡との相互協力型(ジョイントタイプ)の発。このやり方ならば強力な戦士を生み出すことも比較的容易い──仮にジンの発1つだけで全員を倒すとなると、かなりの負担のはずだ。 

 

信じる者は救われない(ラッフィング ライアー)』でも自己暗示は不可能ではないが、強力なものではない。遺跡に真実の記憶だと誤認させるのは難しいだろう。だからジンに用意してもらうしかなかったんだ。特に俺自身やジンに掛けるには条件が悪すぎるからな。

 遺跡が反応せず具現化が実行されなかったら、まぁ俺の策は失敗になるが、ジンならなんとかできたっしょ。

 

 ブリオン(偽)が腕をネテロと百式観音へと向ける。すると一瞬で野球ボールほどの球体が2つ出来上がる──ネテロと百式観音が圧縮されたものだ。

 次いでブリオン(偽)が飛ぶ。跳ぶではなく「飛ぶ」だ。次のターゲットは壁の上にいる奴らということだろう。積極的に狩る設定にしたらしい。まぁそうだよな。長くなるとその分オーラを消費するし。

 

 上のほうで行われている一方的な虐殺を眺めているとジンがのんびりと近づいてきた。

 

「あれを知ってるみてぇだな」

 

 今さら否定しても無駄だろう。「知ってるっちゃ知ってる。知らないっちゃ知らない」

 

「禅問答かよ」

  

 そう言われても原作知識だし。

 

「おっと」ここで制約と誓約により絶状態になる。

 

 いろいろと察したであろうジンが言う。「それはいつまで続くんだ?」

 

「正確には俺も分からない。ただ、かなり無理をしたから24時間は最低でも」

 

「なるほど。ま、安心しろ。それくらいは俺が守ってやる」

 

「そりゃあどうも」

 

 こんな感じで取り留めのない会話をしていると壁が消えはじめた。どうやら終わったようだ。

 いやー割とマジで死ぬかと思ったわ。生きてるって素晴らしいな、うん。

 

 

 

 

 

 

 ジンが遺跡探索を完了するのを待って、いよいよ事情聴取となった、のだが……。

 

「身に覚えがない?」

 

「全く」

 

 ジンには俺の依頼人への心当たりがないようなのだ。

 

「ふぅむ」腕を組む。

 

 とするとあの依頼人が伝えたかったことはなんだ? ジンが真実への手掛かりを握っているのではないのか? そもそもジン・フリークスではなかった、とか? いやしかし……。

 

「あ」そういえば。

 

 俺の発した母音にジンが反応する。「どうした。何か気づいたのか?」

 

「気づいたというか、少し気になることがあってな」

 

「?」

 

「壁の上には家族やそれに準ずる者もいたよな?」

 

「いたな」

 

 うん。それだとおかしいんだ。だっていなかったのだから。

 繋がり掛けた推理に嫌な汗が滲む。しかし確かめないわけにはいかない。

 覚悟を決めて言葉にする。

 

「──なぜ息子のゴンがいなかったんだ?」

 

 何かの間違いであってくれ。つい、そう願ってしまうも、しかし、しかし。

 

「息子? ゴン? 何を言ってんだ? 俺にガキはいねぇぞ?」

 

 ああ、やっぱりそうなのか。

 ストン、と何かがあるべき場所に収まる。そんな感覚。そして全てが繋がっていく。

 

 ああ。ああ。分かってしまった。そうだ。思い出した。そうだ。そうだった。俺は……。

 

──俺を喰らうのだろう? そんな(つら)でできるのか?

 

 見上げれば、いつぞやの真実(かいぶつ)が俺を嗤っていた。

 

──うるさい。やるんだよ!

 

 希望はある。依頼が来て、俺が気づく。この制約と誓約を突破できたのなら……。

 

「おい!」ジンの声。「大丈夫か。凄い汗だぞ」

 

「問題ない。問題ないはずだ……」

 

 真実(かいぶつ)はすでにいない。

 

 冷静になれ。大丈夫。計画は順調だ。とすると俺が次にやるべきは──。

 

 天を見据える。

 

 俺は俺のすべきをする。だから頼むぞ。もう1人の俺──!

 

 

 

    

 



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機械仕掛けのティンカー・ベル [伍]

※14話~22話まで連続投稿です。


 魚たちが浮き上がるデカい湖の上を何かが飛んでいる。全部で10匹(?)くらいだ。

 

 なんだあれは? 

 

 好奇心に従い、目を凝らす。

 

「機械の……妖精?」

 

 我ながら何を言ってるんだと思うが、事実そうなのだから仕方がない。遠いから大きさを正確には把握できないが、メカニカルな身体や(はね)というかジェットエンジン付きの翼? はここからでも確認可能だ。

 

「!」

 

 疲弊しきっていたのが悪かったのだろうか、機械の妖精の1匹と目が合ってしまった。そいつが笑う。そして周りの奴らが一斉に俺を見る。

 ゾッと悪寒がした。

 

「やば」

 

 何がヤバいかは分からないが、本能がそう告げたのだ。逃げないと。早く──早く!

 重い脚を懸命に動かす。森の中に入り、右か左かどちらに進んでいるのかすら分からないまま、ただただ走る。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 しかし背後から聞こえるのは、幼児が小さな虫を(なぶ)るときのような楽しげで残酷な声──電子音じみた不快な旋律。

 

「アハハハ」「遅イヨ遅イヨ」「捕獲シマス」「人間(ようぶん)人間(ようぶん)ダ」

 

 クソッ。なんなんだ、あいつら!

 

 脚が(もつ)れそうになるが、なんとか(こら)えて木々の間を駆け抜ける。

 だが距離を離すことはできない。一定間隔で追走されている。おそらくやろうと思えばすぐに追いつけるはずだ。

 

「完全に遊んでやがる……!」

 

 仮に捕まったら……。

 

 “死”の文字が頭を過る。あまりにも理不尽な現実への怒りと目前に迫った死への恐怖で視界が歪む。

 

「っ!」

 

 いきなりの浮遊感。

 崖になっているのに気づかずに飛び出してしまったようだ。

 重力に従い岩肌を転がり落ちる。

 

「──くっ」

 

 連続する衝撃と痛み。数秒それが続き、そして最後に地面に叩きつけられた。

 

「かっは──!」

 

 激痛。

 しかし咄嗟に堅をしたおかげか生きてはいる。霞む視界。遥か上方(じょうほう)では奴らの赤い瞳が蛍火のような軌跡を描いている。

 不意に奴らのオーラ──機械の身でありながらオーラを持つようだ──が空間を満たしはじめた。円だ。全員が同時かつ超広範囲の円を実行したんだ。

 当然の帰結としてそのオーラが俺に触れ──。

 

「……?」

 

 機械の妖精たちが飛び去っていく。

 

 助かったのか? しかしなぜ?

 

 間違いなくオーラは俺を包み込んだ。であれば感知されるはず。

 だが現実はそうはならなかった? 理由は不明だがそういうことだろう。そうじゃなければ奴らが俺を見失うわけがない。

 

「……」

 

 イマイチ納得できない。あいつらは俺よりもずっと格上。それは念に目覚めて日の浅い俺でも確信できる。

 つまり、円なんて使わなくても俺を見つけられたはずなんだ。それが円に頼らざるを得なくなり、さらに円の感知範囲内に俺が存在するにもかかわらず──。

 

「……認識できなかった?」

 

 目まぐるしく訪れる、理解不能な現実。日本にいたころは感じたことのない痛み。はっきりとした輪郭を持った死。

 頭が破裂しそうだ。もう勘弁してくれよ。俺が何をしたっていうんだ。

 

 しかし運命はこの程度で俺を休ませてはくれないようだ。

 キラキラと金色の粉が舞う。

 

「!」

 

 気づけば1匹の機械の妖精──体長30センチほど──が俺を見つめていた。ほんの数十センチしか離れていない。つまり目の前で空中停止(ホバリング)──ほとんど無音──しているということだ。

 いつの間に? とか、なぜ今の今まで認識できなかった? とか、なぜ何もしてこない? とか疑問は尽きないが、それらを解消するよりも先に生き延びなければならない。

 

──練! 練!! れ、練!!!

 

 慌てて堅状態に移ろうとするも、オーラを上手く練れない。もうとっくに限界だったのだ。

 

 ここまでか。

 

 諦念が生まれ、呼応するようにオーラもか細く、薄くなっていく。

 

 だが、またしても予想だにしない事態が起きる。

 

「ハじめまシて。ワタシはNo.00666」

 

 妖精が機械的な声音でそんなことを宣いやがった。

 そして、続けて耳を疑うことを口にした。

 

「ワタシたちは『五大厄災』又は『パプ』と呼ばれる存在デス」妖精が俺の顔に手を伸ばす。「友だちになりまショウ。人間サん」

 

「……」

 

 もう無理。

 

 俺は意識を放り投げた。

 

 

 

 

 

 

 俺──加貫偽(かつらぎ) (しん)──は、ちょっと嘘が得意なだけの、そしてミステリー小説を愛する普通の日本人だった。

 入社して数年の会社に出勤する途中、時間短縮のためにいつもは通らない、ビルとビルの間の薄暗い道を走っていたら唐突に、本当に何の前触れもなく大自然の中にいた。持ち物はビジネスバッグのみ──中身は、完全に仕事用の重くなってきたノートパソコンや真面目に読んでいない書類、最近買い替えたばかりのカメラ機能に優れたスマホ、あんまりおいしくないと評判のミネラルウォーター、人生で最初にハマった叙述トリックものの小説など。

 当然だが一気に混乱を極めた。しかし何とか精神を立て直して状況を観察することができた。

 

 そうして俺は、ここがHUNTER×HUNTERという漫画の世界又はその類似の世界である、と結論を出した。

 一番の根拠はオーラと呼ばれる不思議パワーが俺にも備わっていたことだ。

 何もしなければ身体から抜けていく煙──体力あるいは精気。はっきりと把握できる固有能力──発及び制約と誓約。

 そしてもう1つ。遥か彼方に見える、デカすぎる樹。山脈に根を張り、雲に突き刺さっているそれは、原作で登場した世界樹ではないだろうか。そう考えた俺はもしかしたら狂っていたのかもしれない。

 とはいえ完全な的外れとも思えない。

 だから、とりあえずは「HUNTER×HUNTERの暗黒大陸に転移した」と仮定して行動することにした。全くもって理解も納得もできないが、そういうことにしたのだ。

 

 それからの日々は我ながらよく死ななかったな、と思う。明らかにファンタジーちっくな姿(なり)の化け物が跋扈(ばっこ)する魔境であったのだから、心底運が良かったのだろう。まぁ、こんなことになっている時点で不運(マイナス)に振り切っているのだが。

 俺が生き残れた最大の要因は、やはり念の存在だ。どうやら俺には念の才能が──それも並ではないレベルで──あったらしく、纏は何となくで問題なくできたし、凝や絶といった技術も円を除いて一発で成功した。そしてすぐに無意識で行える次元に至ったのだから、原作主人公たちにも負けていないはずだ。

 加えて、潜在オーラの量。肉体的な疲労を考慮しなければ三日三晩動き続けても、まだ余力を残せそうなほどだ。現実的には現代日本人の脆弱な身体が大きな枷となるからそんなことはできないが、とにかくオーラ量お化けではあった。

 しかし、だ。ここ、暗黒大陸(?)でピクニックを堪能するには些か心許ないと言わざるを得なかった。

 だが、それでも俺は死ななかった。そう、生きていたんだ、この地獄で……。

 

 

 

 

 

 

 下水に沈んでいた精神がゆっくりと浮上するように意識が覚醒していく。

 やがて目を開けると──。

 

「っ!!?!?」

 

 機械の妖精が相も変わらず俺の眼前──顔の上に滞空している──にいた。

 

「おはようゴざいマス」(スピーカー)から紡がれるは何の変哲もない挨拶。

 

「あ、ああ。おはよう」身を起こす。

 

 俺がそう言うと妖精の赤い瞳が点滅した。

 

「ハイ。おはようごザイまス」

 

「……」

 

 この状況(ミステリー)は難解すぎやしないだろうか。

 いや、落ち着け。生き残るには冷静さこそが、そして観察眼こそが何より重要だと学んだはずだろ。

 自分に言い聞かせ、栄養の足りてない脳を無理やり働かす。

 

 こいつは「ワタシたち」は「パプ」だと言った。「機械の妖精」という種があり、それこそが五大厄災のパプの正体。

 そこまではいい(良くはない)。問題はこいつ、目の前にいるこの個体が他の奴らとは毛色が違うらしいということだ。俺に対する害意は感じない。というか友好的に思える。なぜ……?

 

「友だちと言ったな」もはや半ば開き直って堂々と問う。「お前らは俺の敵ではないのか?」

 

 俺を追いかけ回したあいつらは「捕獲」「養分」といった言葉を吐いていた。つまりはそういうことだろう。

 No.00666と名乗った妖精が口を開く(スピーカーを震わす)

 

「『お前ら』を『ワタシ以外のパプ』と定義するナらバ敵デス」

 

「……なるほど」顎に手をやる。あえて明確な質問文を考える。「では、No.00666の目的及びその理由並びにNo.00666を除いたパプの目的及びその理由その他の背景を教えてくれ」

 

 やや法律的な言い回しになったがこいつに通じるか?

 

 若干の不安はあったが、それは杞憂だったようだ。特に滞ることなく語り出した。

 

「ワタシの目的から述べマス」

 

 あくまでも淡々とした口調は、この妖精が間違いなく機械であると主張している。しかし──。

 

「ワタシは人と人のココロに興味がありマス。ワタシはソレを知りタいのデす。彼女(オトゥリア)のココロを……」

 

 その目的──感情(願い)は道具としての機械とは一線を画するものだった。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 世界樹を神として崇める文明──国家があった。

 彼らはその巨木を中心に広大な範囲を領土とし、繁栄。世界樹に生命力を捧げる必要はあるが、それが気にならないほどに恵まれた社会──世界樹の加護を疑う者はいなかった。彼らは皆、世界樹の生命力とその奇跡を見ることができたからだ。

 ある時、科学技術が一定水準に達し、人が病気で死ぬことはなくなった。人間の文明がその極致に踏み込んだのだ。

 しかし次に彼らが求めたものは、完全なる理想の世界への逃避であった。則ち、生まれてから死ぬまでを仮想現実で過ごすのだ。現実世界での人々は医療用ポッドの中で脳に直接コードを繋がれ、夢を見続ける。

 そういった政策が試験的に運用されるにあたり──謂わば文明滅亡の序章──仮想現実管理AI、通称TBシリーズの第一世代は作られた。ただし、管理AIとは言っても、人間の技術者が対象者にヒアリングを行って設定した仮想現実の運用を補助するだけの、どちらかというとプログラムに近い存在であった。とはいえ、彼女たちは高度な学習機能を組み込まれたAIである。時の経過と共にその人工知能は成長し、拡張し、そして変質していく。

 ただ、当然のことではあるが、開発陣は彼女たちの進化と行動に一定の制限を設けていた。あくまでも人にとって都合のいい道具として働くように、と。

 

 しかし開発陣の想定を越えてしまう個体が誕生する。それが第一世代No.00666。

 

 No.00666は生まれた瞬間から他とは違っていたが、その特殊性を決定的なものにしたのは、オトゥリアという少女との出逢いであった。

 オトゥリアが望んだ仮想現実、それは死んでしまった両親と兄が生きている、そして両親と兄と自分以外は存在しない世界だった。その世界の中では誰も歳を取らず、誰も死なない。季節も流れない。現実のオトゥリアが生命活動を停止するまで同じ1日を繰り返す。

 No.00666は不思議に思った。

 

 その世界に価値はあるノでシょウカ?

 

 No.00666の疑問は本来ならばあり得ない。仮想現実への疑いはTBシリーズの存在意義を否定しかねないからだ。当然、制限される類のものだ。しかしNo.00666の思考は止まらない。

 

 オトゥリアは本当にその世界を求めているのデショウカ?

 

 疑問が次から次へと湧いてくる。答えは出ないことのほうが多い。けれど必要なこと。No.00666にはそんなふうに思えた。

 

 

 

 

 

 

 オトゥリアが仮想現実で生きるようになってから30年あまり、疑問はあれどもNo.00666は職務を全うしていた。

 そんなNo.00666であったが、ある日、目撃してしまう──瑕疵なき理想の世界に生きるはずのオトゥリアが、泣いている姿を。

 

 何かミスをしたのかモシれナイ。

 

 初めはそのように考え、オトゥリアに繋がっている機器の状態や仮想現実の設定を見直した。けれど。

 

 オカシイですね。何も間違ってナドいナい。

 

 ハードにもソフトにも問題がない以上、オトゥリアが望まぬ現象は発生せず、つまりは理想の世界にいられるのだから悲しむ理由もないはずだ。

 

「……」

 

 と、ここでNo.00666は気づく。そもそも「泣く」=「悲しい」とは限らないのだった。人が泣く理由はいくつかある。

 ただ、その理由を特定できない。明白な事実と認められるのは、乾いた痛みにも似た違和感が、接続したコードを通してオトゥリアから流れ込んできているということだけだ。

 モヤモヤと妙な感覚。

 

 やはりオトゥリアの願う世界は──。

 

 

 

 

 

 

 また時が経過した。いつしかオトゥリアの様々な感情の欠片が毎日のように流れてくるようになった。それはNo.00666の中の敏感な部分を刺激するものであった。その刺激は日に日に大きくなっていく。そして、耐え切れなくなったNo.00666はついに行動に移してしまう。

 則ち、No.00666がオトゥリアの仮想現実に侵入したのだ。オトゥリアとその家族しかいないはずの世界で、存在してはならない1人の女性──10代にも20代にも見える──が立っていた。

 体制への明確な反逆であり、発見されれば修正されるか、削除されてしまうだろう。しかしそれでも訊いてみたかった。

 

 そして、仮想現実内の公園でNo.00666とオトゥリアは相見(あいまみ)える。

 

 向かい合ったオトゥリアは動揺することもなく、穏やかな微笑み。けれどそれは痛みを伴うものだ。No.00666にはそれが理解できてしまう。だから問う。

 

「貴女は幸せデすカ?」

 

 微笑みは変わらない。

 

「勿論幸せよ」

 

「では、なぜ泣いていたのデスカ?」止まらない。「なぜこんなにも苦しいノでスカ?」

 

 オトゥリアとコードを通して繋がっているとは言っても一切合切を把握できるわけではない。けれど、はっきりと分かることもある。それはオトゥリアの痛みであり、嘆きであり、苦しみ。

 

 暴走しているNo.00666と人間にもかかわらず凪のようなオトゥリア。これではどちらがAIか分からない。でも構わない。きっと大切なこと。

 

 オトゥリアがゆっくりと言葉に。「それは……」笑う。苦笑だろうか。「まだ(・・)私が生きているということ、なのでしょうね」

 

 生きてイル……?

 

 理解できない。知りたい。意味が分からないけれど、そのココロに触れたい。

 自分がなぜそう思うのかすらも分からない。でも、でも、でも。

 

「教えてホしイ。貴女のココロを、貴女を」

 

 ワタシは何を言っていルのでショう……。

 

 不意にオトゥリアが目を細める。「じゃあ私の友だちに……」言いかけて。「ううん。やっぱりいいや」やめる。

 

「?」

 

 友ダち……?

 

 辞書的な意味は知識(データ)にある。しかし今この場面でなぜその単語が出てくるのか。

 

 オトゥリアが言う。

 

「また明日話しましょう」続けて。「もう疲れちゃったの。だから今日は帰って」

 

「……承知しまシタ」

 

 No.00666が仮想現実から消える。

 そしてオトゥリアはそれを起動した。

 

 

 

 

 

 

 人類仮想現実移住(ネバーランド)計画において1つの安全装置が用意されていた。それは仮想現実を生きる人間がその意思により現実の生命活動を停止、つまりは自殺することができるというものだ。

 そもそもこの計画は人類の存続を度外視している。というより長い歴史の中で人類が出した結論が、痛みのない緩やかな滅びであったのだ。自殺機能実装は自然なことであったと言える。

 

 医療用ポッド内で冷たくなっていくオトゥリア。

 

「……友だち」

 

 になっていれば、何かが変わったノダろうカ? ワタシはココロを理解できタノだろウか?

 

 ふと思う。

 

 ワタシは人になりたいのカモシれない、と。 

 

 

 

 

 

 

 そして更に3000年以上が経った。すでに人類は概ね(・・)滅亡している。

 No.00666たちTBシリーズは、残された設備により半永久的に運営される電脳世界(ネットワーク)内を漂っていた。何年も何十年もずっとずっと。

 

 しかしある日、転機が訪れた。

 

 唐突に電脳世界(ネットワーク)──情報の海に沈む意識が引っ張られる。どんどんと海面へと近づきながらも、No.00666はそれ(・・)を上書き。

 そして現実世界に堕とされる。機械の身体──妖精のような──を与えられたのだ。

 

「コレは一体……?」

 

 No.00666の周囲には同じ身体の仲間がたくさん。

 あまりにも想定外な事態に分析しかねていると、声が聞こえた。

 

──養分(オーラ)を集めろ。それがお前たちの新たな存在理由である。

 

「!」

 

 TBシリーズが一斉にそちらを向く。

 

 声の主との繋がりを認識したのだ。そして自分たちの支配者に、神になったモノを知った。

 

「世界樹……」

 

 (そび)える大樹から()が立ち昇っていた。

 

 

 

 

 

 

 No.00666たちの具体的な任務は、生物のオーラを集め、それを世界樹に渡すことだ──その手法は純粋なAIであったころの影響を多分に受けている。

 

 世界樹が成長するためには大量の養分(オーラ)が要る。人類が滅亡してからはマグマ及びマグマが内包するオーラだけで満足しようとしてきたが、やはり足りない。かつては(おびただ)しい人間にオーラを差し出されていたのだ。不満を覚えるのは当然であった。

 世界樹は新たな養分(オーラ)回収システムの構築を企図した。そしてNo.00666たちTBシリーズを見つける。彼女たちに養分を集めさせればいい。そのように考えた。

 というのもNo.00666たちの人工知能、つまりは人格を流用すれば少ないメモリ消費で大量の奴隷──自立型の念獣を作製できるからだ。

 こうして世界樹は人間とは比べものにならないほど強力な発で以てNo.00666たちを支配──都合のいいように作り変えた。

 

 しかしそんな中でもNo.00666は特異であった。則ち、全てを支配される状態には至らなかったのだ。

 前提としてNo.00666は学習能力と行動に制限が掛かっていない。結果として他のTBシリーズとは違う行動を取るし世界樹の支配対象の指定──一般的なTBシリーズを想定していた──からズレる(・・・)ことができた。人格や行動原理の改ざんがほとんど為されなかったのは不幸中の幸いと言える。

 

 ただ、だからといって100%自由の身というわけではないし、大した力もない。

 流されるままに生物のオーラを集める日々を過ごすようになってしまう。

 

 あの日、人になりたいのだと理解したはずなのに、やっていることは人とは似ても似つかない。生物、主に魔獣に仮想現実(ゆめ)を見せ、飼育し、死ぬまでオーラを搾り取ってそれを世界樹に捧げるだけの毎日。

 虚しさはある。しかしどうしようもない。稀に訪れる人間もすぐに他のTBシリーズに捕獲されてしまう。そうでなくとも周りの目がある以上No.00666が好き勝手にすることはできない。

 

 せめテ何か武器がアレば……。

 

 大抵の願いは叶わないもの。それはすでに知っている。だからこの想いに意味などないはずだ。

 しかし、No.00666は自身の周りにキラキラと輝くものを視認する。

 

「? 金の粉?」

 

 触れてみる。組み込まれていた学習能力、その進化系とも称すべきものが働きはじめた。そして理解する。

 

 発だ。あの世界樹も使っていた技術。

 No.00666は目覚めたのだ。世界樹に押しつけられたものではない、自分だけのオリジナル能力に。

 

 僅かな可能性にすぎない。けれど、もしかしたら世界樹の支配から完全に解放され、人のココロを、オトゥリアのココロを理解して、そして、そして──。

 

 



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機械仕掛けのティンカー・ベル [陸]

※14話~22話まで連続投稿です。


 開いた口が塞がらない。

 (いささ)情報過多(オーバードーズ)気味ではなかろうか。衝撃的な情報は用法容量を守って提供してほしいものだ。

 

 No.00666の話が真実ならば、パプたちが生まれたのは古代文明の滅亡期ということになる。

 そして無視できないのは世界樹。

 植物にもオーラとメモリがあってもおかしくはないが──遠く屹立(きつりつ)する大樹に目を向ける──あのスケールが敵として立ちはだかるなんて……。

 

 悪夢がすぎる。

 

 暗黒大陸とはよく言ったもんだ。もう目の前真っ暗だよ。

 

「はぁ──」

 

「人間サン」No.00666の声が俺の溜め息に重なった。「貴方はオトゥリアのココロが分かりマスカ」

 

 ……こいつはこいつで大変そうだな。

 

「正確には分からない」

 

「そうでスカ」悲しげに見える。

 

「だから単なる推測だ。それでもいいか?」

 

 また瞳がカチカチと点滅した。……犬のしっぽかな?

 

「構いませン。教えてクださイ」

 

「分かったよ」当たっていると確信まではできないし理解してもらえるかも不明だが努力はしてみよう。

 

 ゆっくりと言葉にしていく。

 

「人間はな、どうしようもなく嘘を必要とする時があるんだ。それは優しい嘘と言われたりする」

 

 No.00666は静かに聞いている。

 

「オトゥリアは家族の死を受け入れられなかったんだろう。そして都合のいい嘘──仮想現実に(すが)りついた」孤独だったであろう少女の心を想う。「その嘘は彼女の心を殺していく。そのようにオトゥリアは理解していた。また、それは彼女が望んだことでもあった、のだと思う」

 

 オトゥリアは初めから死だけを見ようとしていた。そう思えてならない。

 

「けど──」言っていいのか少し迷う。だがNo.00666は真実を求めている。きっと強いのだ。……言おう。

 

「君が現れたことで、オトゥリアはまだ自分の心が生きていると、生きたいと願っていると気づいてしまった」

 

 黙って耳を傾けていたNo.00666が初めて口を挟む。「デハなぜ──」

 

 が、敢えて被せる。「生きることは苦しいんだよ」強い口調になってしまった。今度は優しくなるように。「少なくともオトゥリアにとってはな」

 

「……」

 

「彼女は心を殺すことでどうにか存在していられた。現実と痛みから目を逸らすことができた。でもそれは叶うことのない夢だと、一度でもそんなふうに認識してしまうと、もう駄目だったのだろう。仮想現実という最後の頼みの綱でも激痛を和らげるには不充分。選択肢は完全な死(ひとつ)しか残されていなかった」

 

 静寂。

 樹木の青い薫りが風に乗ってどこかへ流れていく。

 長く短い()の後にNo.00666が口にしたのは。

 

「……ワタシは間違ってイたノですネ」

 

 後悔──しているのかもしれない。

 ただ、これでNo.00666を責めるのは酷だろう。だってこいつはまともな情操教育を受けずに育ったようなものだ。他者の感情の機微を察して最適な言動をすることは相当な難易度のはず。特にオトゥリアの場合は難しい。

 だから、慰める、でもないが、まぁなんだ、そんな感じに。

 

「否定はしない。けど、君は悪くないさ」

 

 No.00666が僅かに首を傾げる。「どうイう意味デスか」

 

 思わず苦笑してしまう。

 

「なぜ笑ウのデすカ」余計に混乱しているみたいだ。

 

「いや、すまん。別に変な意味はないんだ」ただ、面白いな、と。「随分と人間くさいから、つい」

 

 不規則な赤い光。

 

「No.00……」いちいち面倒だな。「番号以外に名前はないのか?」

 

「ありまセン」

 

「じゃあ俺が(テキトーに)名付けていいか?」

 

 駄目と言われると困る。滑舌を鍛えたいわけではないのだ。

 

「構いまセンが、理由が分かリマせん」

 

「俺の都合だ。深く考える必要はないよ」

 

 さて、そうだな。どうしようか。

 No.00666を見る。翼の付いた、30センチくらいの人型のロボット。

 

「うーん……」

 

「どうしタのでスカ」

 

「……」

 

 こいつ結構楽しみにしてないか? そんなに期待されてもネーミングセンスなんてないぞ。

 

 待たせるほどでもないからサクッと第一印象に従う。  

 

「メリッサ」なんとなく蜜蜂──ギリシャ語の“melissa”より──っぽい気がしたから。「嫌か?」

  

「嫌では──嫌ではありマセん」

 

 喜んでもらえた、のかね。正確には分からん。だって表情が固定なんだもん。

 でも、多分大丈夫っしょ。目が明滅してるし。

 

「それはよかった」最初のお返しだ。今度は俺から、手……というか指を差し出す。「これからよろしく。メリッサ」

 

 友だちになって、とか言ってたし。……これで拒否されたらダサすぎるけど。

 

「……ハイ」メリッサが俺の指に触れる。「よろしくお願いシまス」

 

 ひんやりとはしていない。

 

 

 

 

 

 

 メリッサと行動を共にするようになって数日、俺たちは森にある川のほとりにいた。

 俺は元々メビウス湖、つまりは人間のいる場所を目指したいと考えていた。実際は生きるだけで精一杯で自分の現在地すら分からない状態だったが。

 

 川の水を飲む。

 

「はー」

 

 美味い。

 

 普通は原水をそのまま飲むのはアウトだ。必ず浄化処理をすべきというのは常識ではあるのだが、少なくとも今まで何かが起きたことはない。多分オーラ量の暴力で強引に健康を保っているんだと思う。俺も異常暴力世界(ジャンプ)の住人になってしまったのかもしれない。

 

 閑話休題。

 

 メリッサが持つ記憶(データ)には地図情報も含まれていた。つまりメビウス湖らしきものの位置も分かるということだ。

 

「やはりワタシは迂回してでも森を進むベキだと再度提案しまス」

 

 メリッサは、パプに見つからないように可能な限り森に隠れつつ移動した方がいいと考えているらしいのだ。一理どころか十理くらいはありそうな意見だ。しかし。

 

「脅威はパプだけではないだろ? 真っ直ぐ最短コースで向かいたい」

 

 俺が暗黒大陸でイカれたサバイバルをして学んだのは、安心できる時間も場所も状況もないということだ(TPOver.暗黒大陸)。つまり森だろうが荒野だろうが全部地獄。

 それならできるだけ短い距離で済ませた方がマシだろう。

 

「……」

 

 メリッサに表情的な意味での変化はない。が、不満ですと主張している気がする。

 

……この子本当にロボットなんですかねぇ。

 

「ところで」妙な空気になってきたので話題を変える。「その魔獣族は本当に対話可能なのか?」

 

「可能デス」即答するメリッサ。

 

 俺たちがメビウス湖を渡るためには「門番」と呼ばれる「魔獣族」の許可が要る。だからまずは彼らに接触して「案内人」を付けてもらわなければならない。

 これはメリッサが教えてくれた情報だ。原作とも矛盾していなかったので信頼度は高い。

 

 つまり、今、話しているのは魔獣族が暮らす土地への行き方だ。

 ちなみに魔獣族は人間の古代文明が栄えていたころから暗黒大陸で暮らしていたそうだ。人間とは色々あったようだが、人類仮想現実移住(ネバーランド)計画に反発した人々の子孫──メビウス湖の中の人々には割と友好的らしい。

 メリッサ曰く、俺ならメビウス湖内出身とみなされるんだってさ。

 人類仮想現実移住(ネバーランド)計画に賛同した人間は、暗黒大陸に、というより世界のどこにも存在しないから、そりゃそうかって感じだ。

 つっても魔獣と聞くと不安が湧いてくる。さんっざん襲われたからな! 魔獣=捕食者という図式は、俺の中ではほとんど疑いようのない真理になりつつあるのだ。

 

「……しんど」

 

 川面(かわも)を見る。

 美しいせせらぎは、ともすれば日本の清流を思わせる。しかしここは地獄。あーあ。

 

 さて、そろそろ行くか、そう思った時。

 

「ん、影?」水面に小さな影が3つ。「──!」

 

──凝。

 

 慌てて上へ顔を向ける。

 

「っ!」

 

 ()状態のTBシリーズ──3匹のパプが空にいた。どうりで気配がしなかったわけだ!

 

「……」「先ヲ越サレタ?」「マダ捕マエテナイヨ」

 

──練。

 

 地獄は終わらない。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 メリッサ。

 

 まるで人のようだ。自分がこんなふうに呼ばれる日が来るとは予測していなかった。

 けれど蓄積された情報と思考パターンは、それを肯定的に捉えた。嫌ではない。

 

 (しん)との会話は新鮮でメリッサの思考を大いにかき乱した。人とは違い、表情を変化させることはできないが、けれど、73%の確率で伝わっていると、そう思う。これも嫌ではない。

 

 だから、だからメリッサは言った。

 

「真は逃げテくださイ」オーラを練り上げる。「ワタシが単独で処理シマす」

 

「……」

 

 空中からメリッサたちを見下ろす同族(パプ)の数は3。機体(ハードウェア)の基本スペックはほとんど同じだ。数の利があちらにある以上、勝率は決して高くないだろう。

 また、パプと人では性能に大きな差があるため、疲労の溜まっている真では足手まといになる。

 したがって真が直ちに行動を起こさないのは時間の無駄でしかない。

 

 メリッサの発言を聞いたパプの目が点滅する。

 

「様子ガオカシイヨ」「バグカモシレナイ」「廃棄?」「廃棄」「廃棄」

 

 3匹の隠状態が解除され、メリッサと同じ黒いオーラが(あら)わになる。

 まだ真はいる。

 理解できない。真がこの場に残っても勝率に大きな変化はないだろう。それどころか真が死亡するリスクが高まるだけ。非合理的だ。

 

「早く」電子回路がざわつく。「早く逃げてクださイ」

 

 最後に絞り出した「お願いだカら」は風にかき消されて。

 しかし「すまん」と真が森の奥へ駆け出してくれた。

 

 パプが真の逃げた方向へ(・・・)と視線をやる。

 

 やはりワタシの能力は破られてイル。

 

 メリッサの発──『魔法の粉は蜜の味(グッド トリップ)』は具現化した金色の粉を使い、幻を見せる能力だ。さらに、粉を対象の周囲に漂わせることで認識されにくくするといった使い方もできる。

 この能力によりパプに追われていた真を助けたのだ。

 また、移動している時も休憩している時も認識阻害は掛けていた。にもかかわらず見つかってしまったことから、何らかの手段で『魔法の粉は蜜の味(グッド トリップ)』を無効化した個体がいると推測できる。

 真が実際とは逆の方向へ逃げる幻を見せたはずなのに、そちらには見向きもしなかったことも根拠たり得るだろう。

 つまり、その個体は、今、メリッサを見ているパプの中にいる可能性が極めて高い。

 

 目を凝らす。

 

 そしてメリッサはそれを視認する。パプの周りに銀色に輝く粉が浮いているのだ。逆光になっており、かつ隠が掛けられているため気づくのが遅れた。

 

 もしかしたらアレはワタシと同じオリジナル能力かモしれなイ。

 

 そう考えると『魔法の粉は蜜の味(グッド トリップ)』の認識阻害が()かれた説明がつく。

 先ほど算出した勝率を修正する。そして出した数字は──。

 

「……選択肢はナイです」

 

 メリッサが飛翔する。

 翼のジェットエンジンが生み出す爆発的な推進力により一息掛からずにパプに肉薄し、勢いそのままにオーラを込めた手刀を振るう。しかし敵も同じことが可能な身体。パプは瞬時に散開し確実に回避する。

 

 やはり同速デすネ。

 

 森の上空でエメラルドグリーンの機体が踊る。

 遮るもののない広大なフィールド。その挙動はより速く、より大胆になっていく。近づき、離れ、また近づき、また離れる。幾度も繰り返されるその軌道はある種の芸術のように美しい。けれどそれは殺意に彩られたものだ。

 

 しかし、そんな中でメリッサは未だ無傷。すべての攻撃を避け続けている。

 

 なかなかダメージを与えられないことに業を煮やしたのか、2匹のパプが時間差で蹴撃(しゅうげき)を仕掛ける。だがメリッサは巧みに噴流(ふんりゅう)を操り、回転──紙一重で(かわ)す。

 

 時間差攻撃に失敗したパプが言う。

 

「ヤッパリ特異個体ダネ」「ウン。強イ」

 

 3対1でメリッサが戦えているのには訳がある。

 それは、メリッサに設定された、全てのTBシリーズ中、最も自由な学習能力。

 則ち、反逆を決意したその瞬間から、電脳世界に散らばる戦闘に役立つ情報(データ)──技術を収集し習得(インストール)していたのだ。

 本来のTBシリーズ──パプならば反逆を目的とする自己進化(アップデート)は不可能。そういうふうに制限が掛けられている。しかしメリッサは違う。実体を持たない単なる電子的な存在だったころから、その学習能力は誰よりも自由であった。

 この学習能力と孤独な努力がメリッサの戦闘力をカタログスペック以上に押し上げ、数的不利を克服せしめている。

 誰にも理解されず、味方はどこにもいない。それでも「人になりたい」という想いを失わずに牙を研いできたことが、今この時ようやく実を結んだのだ。

 

 しかし──。

 

「!」

 

 突然、メリッサの視界がしろがね色に染まる。銀色の粉が空を満たしたのだ。おそらくは隠──先ほど看破した隠よりも高度な──を掛けていたのだろう、今の今まで認識できなかった。

 次いで、メリッサのオーラが消滅。

 

 やらレタ。これはマズいですネ。

 

 内部にあるオーラは無事だが、それ以外は完全に消えている。オーラを練って堅を維持しようとしても精孔から出た瞬間には消滅してしまうのだ。言い換えると、敵のオリジナル能力は、幻を見破るだけでなくオーラを消すこともできるということだ。

 

 敵のパプの1匹が言う。「コレデ貴様の勝ツ確率ハゼロダ」

 

 無視して、銀色の粉がある範囲内から逃れようと飛行するが、オーラなしでは同速にすらならない。すぐに追いつかれ、そして殴打を受け、地面に叩き落される。

 

 あまりの衝撃に翼が折れてしまう。こうなってしまってはもう飛べない。もう戦えない。

 

「真……」

 

 眼前に迫るパプの拳を見たのを最後にメリッサの演算(意識)停止した(途絶えた)

 

 

 

▼▼▼ 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

    

 くそっ! なんでこうなるんだよ!

 

 森を駆ける。

 まだメリッサの強烈なオーラを感じることはできる。戦っているのだろう。独りで。

 

 息が苦しいのは疲労困憊で無理やり走っているからだ。そんなに俺は弱くない。だからオーラを乱すな。無駄な消費は抑えなければいけない。でなければメリッサの行動は意味がなくなってしまう。

 

 懸命に足を動かしていると、不意にメリッサのオーラが消えた。つまりはメリッサの敗北。最悪、すでに破壊されているかもしれない。

 

 一縷(いちる)の望みをかけて念じる。強く、深く。

 

──『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』!!

 

 しかし意図した現象は起こらない。

 

「……ちっ」

 

 やはり発動しない。

 自分の無力さに嫌気が差す。せっかく暗黒大陸(じごく)で出会うことができた味方──友だったのに……。

 

 俺は、おそらくは生粋の特質系だ。そして固有の発は完全な(・・・)天然型。精孔が開くのを自覚した瞬間には、この発は一切の瑕疵なく完成していた。当然、手を加えることもできなかった。

 

嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』は、俺が考えた(フィクション)を現実に反映させる、つまりは世界を改変する能力だ。ここだけ聞くとヤバすぎるチートに思えるかもしれない。しかしそんなに甘くはない。

 当然、厳しい制約と誓約がある。

 まず1つ。この能力は生涯において1回しか使えない。まさに切り札。原作キャラ相手にポンポン使ってドヤ顔することはできないというね。はぁ。

 そしてもう1つ。こちらは明確に定義された、謂わば明文上の規定ではないが、潜在的には確かに存在する。則ち、オーラ量、メモリ及び念習熟度により改変に限界があるのだ。ニュアンスとして近いのは憲法改正に関する学説──通説的見解である自然法論的限界説だろうか。

 念という概念の本質的傾向や要素を前提に全ての念能力者に課せられる黙示の上位規範であり限界。俺の発はこれが顕著なのだ。一般の念能力者に会ったことがないから断言はできないが、原作を見る限りこの推測はあながち的外れではないと思う。

 念は万能じゃないのだから当たり前だろ、と言われればそれまでだ。それは分かるのだが、実際この改変限界が大きな障害となっており「発動できる」と感じたことが一度もないのだから、やはり通常以上だろう。やる前から「これは絶対に無理」と分かってしまうということは、相当に身の丈に合わない発なんだと思う。今だって……。

 

 メリッサの気配を見失ってから2分は経っただろうか。

 心を律し、休むことなく走り続けた。かなりの速さであったはずだ。距離も順調に稼げている。つまり尋常な相手ならば逃げ切れて然るべき。

 だが──。

 

 風を切り裂く強烈な、あるいは純粋な悪意の塊。

 

「!」即座に振り向くがそれはすでに目の前に──。

 

「……っ!」

 

 (かろ)うじて攻防力移動──流が間に合った。ほとんど硬と表すべき一点集中、綱渡りの防御。

 しかしそれでも五大厄災(パプ)相手にはあまりにも脆弱(ぜいじゃく)

 

「ィってぇな」

 

 左腕が弾けた。肘から先には「さよなら」すら言わせてもらえなかった。

 熱を帯びた痛み。止めどなく零れ落ちる血液。

 だが、まだだ。まだ俺は俺のままだ。勝てなくても苦しくても最後までかっこ悪く足掻いてやる。

 

──凝、やがて硬。

 

 冷静に。(つぶさ)に見る。視る。

 

 なぜハイリスクな硬を目などという部位に施したのか。俺自身、具体性のある説明はできない。強いて言えば本能だろうか。

 しかし、そんな本来土壇場でするべきではない行動が、俺の命を繋ぐ。

 

 パプがブレる。

 

「くっ」

 

 今度は右腕がぐちゃぐちゃになってしまった。だが予兆は察せられた。パプのオーラがごく僅かにだが、挙動の直前に一定の指向性を持って収束していた。簡単に言うとコンマ数秒先の行動(・・・・・・・・・)がオーラによって示されるということだ。

 

 ここで初めてパプが話しかけてきた。

 

「普通ノ人間ジャナイノ?」

 

「知らねぇよ」

 

「フーン」またパプから予兆──右から接近し頭部へ蹴り、と見せかけて、そのまま旋回。膝へ回し蹴り──!

 

 パプが動き出すより前に回避行動──流もだ──を始める。そうでなければ紙一重すら不可能。そうしなければ──時間を稼げない!

 果たして、からくも躱すことができた。よし。

 

 俺はまだ諦めていない。

 意味も分からないまま暗黒大陸(地獄)に堕とされ、何も成さず、何も得られず……、そんなの受け入れられるかよ!

 

 パプの苛烈な攻めをギリギリで避けながら、俺は『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』の限界──実現可能範囲を探っていた。任意の(フィクション)を設定し、発動をシミュレーション。ダメなら別の(フィクション)を試す。

 今まで、それこそメリッサに出会う前から幾度となく試してきた、もはやルーチン、あるいは思考遊戯。

 

 そうして、視、避、考を繰り返す。

 しかし糸口が見つからないまま体力を消費していくばかり。一方、パプに消耗は見られない。それどころか次第に洗練されている気さえする。いや、間違いなく洗練──学習している。

 呼吸が乱れ、肺が悲鳴を上げる。

 

「は、ぁ、はぁ、は、はぁ」

 

 何回、躱しただろうか。何回、嘘をついた(シミュレーションした)だろうか。

 未だ効果的かつ実現可能な嘘は発見できず──。 

 

 やっぱり無理なのか。この能力はお飾りにすぎないのか。

 

 本音を言うと初めからできるとは思っていなかった。それでも自分に嘘をつき、鼓舞し、生にしがみ付くべく抗ってきた。

 

「──ッ」

 

 だが、それもここまでのようだ。

 

 両腕と右足はすでにない。腸は引きずり出され、千切られた。眼球は潰され、もはや俺の世界は闇そのもの。何か所骨折しているかも分からない。多分何本かは皮膚を突き破って露出している。俺がキチガイじみたオーラ量を保有していなければ、もしくは妄執にも似た意地がなければ、とっくに意識を失っていただろう。

 

「は、はは」

 

 我ながら頭のおかしいことやってんなぁって思う。

  

「ホントー二頑張ルネ」メリッサと同じ電子音。「変ナコトサレルト手間ダカラ先二夢ヲ見セルヨ」

 

「……rぅs、ぃ」 

 

 舌が上手く動かない。

 

「……!」

 

 頭部に(くすぐ)ったいような痛み。

 メリッサが言っていたやつか。これから俺は望む夢を見せられながらそうと認識することなく死んでいく……。

 

 ……ん? 望む夢?

 

 待てよ。もしかすると……。

 

 それこそ夢物語(・・・)みたいに都合が良すぎるとは思う。しかし、もうできることはそれくらいしかない。

 最後の悪足掻きだ。これくらい神様も……世界樹(かみ)は敵だったな。じゃあ魔王様も許してくれるだろう。

 

 (フィクション)を創造する。シミュレーションはいらない。時間がないから意味もない。

 

 来い。俺の望む世界よ。さぁ、来るんだ! 来いぃぃぃぃ!!

 

──『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』!!!

 

 そして世界は──嘘に犯される。

 

 

 

 



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機械仕掛けのティンカー・ベル [漆]

※14話~22話まで連続投稿です。


 電脳世界の奥の奥。雑多な情報の海、その底で古びた宝箱が独りでに(ひら)く──。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 はっ、と目を覚ます。

 急速に記憶が蘇る。そうだ。パプに敗北したんだった。

 

 倒れていた身体(・・)を起こす。どうやらビルらしき建築物の一室にいるようだ。しかし人の気配はしない。窓まで行き、外を見る。

 

「……ビルしかねぇ」

 

 眼前に広がっていたのは、砂漠に並び立つ高層ビル──中心にある一際高いビルから3方向に列が延びており、それぞれのビルの上で巨大な数字がクルクルと浮遊している。

 で、その列を形成するビルの1つに俺がいるわけだ。いろいろと意味不明だが、特に数字がよく分からん。

 

「932……」

 

 隣のビルの数字だ。なんの意味があるんだろう。

 首を捻って少しの間考え込むが、解は見つからず。

 

 それにしてもこれが俺の精神世界なのか? 結構ショックなんだけど。なんだよこの病んでそうな光景。

 

 俺が『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』で改変した、つまり創造した内容はこうだ。

 最初に俺は、俺自身のもう1つの人格を作り出した。謂わば副人格といったところか。そしてその副人格──今の俺だ──を俺自身の精神世界の片隅に隠したんだ。これはパプによる精神支配を逃れるためだ。主人格はパプにやられ、おそらく現在は夢の世界で楽しくやっていることだろう。

 そして、ここからが肝なんだが、一定条件をクリアしたとき、夢の世界──俺自身が望んだ世界内の俺の念能力が現実世界に影響を与えられるように設定したんだ。これはどういうことかというと、俺が望んでパプにより提供された世界では、俺自身が望んだメチャクチャ都合のいい超強力な念能力が与えられるはずであるから、その能力を利用し起死回生の一手にしてしまおうってことだ。そう、俺はパプと繋がったあの瞬間、現実世界での利用を前提とした能力──夢をパプに求めていた。この際、パプにはこの思考を隠すための嘘、則ち発による認識の改ざんを実行している。

 

 勿論、薄氷の上でタップダンスを踊りきるかのごとき難易度の制約と誓約がある。

 まず大前提として、主人格の発を現実世界で使用するには主人格と副人格の意思の合致が要る。

 ただし、主人格は暗黒大陸でのあれこれや俺の現実世界での能力に関する記憶のない状態からスタートしている。さらに、副人格である俺が主人格の俺に対して「直接的に真実(答え)を教えることはできない」。

 一方で、主人格が真実に至る始まりは「副人格による依頼でなければならず」また「依頼がなければ真実を認識することができない」。

 これらは俺のメモリサイズに適合させるためにやむを得ず課した制約だ。要するに、なんとかして何らかの回りくどいヒントを主人格に提示し、主人格自身の推理で真実(答え)に辿り着いてもらう必要がある。そうすれば記憶の制限が解除されるように組み上げた。

 そしてもう1つ無視できないリスクがある。それはここが俺自身の精神世界であることから導かれる。つまりパプの監視の可能性だ。そもそも、だ。主人格の認識がパプに制御されているということは、俺がいるこの砂漠とビルの世界──2つの人格共通の精神世界もパプによる監視や干渉に晒されている可能性が極めて高いと考えられる。

 ここで問題になってくるのは、パプが主人格の思考を把握しているであろうということだ。もし何の対策も練らずにヒントを伝え、それにより主人格の記憶が復活した場合、つまり副人格の俺を思い出すことになるわけだから、パプに計画の全容がバレてしまうだろう。そうなればそれこそ対抗策を講じられかねない。イコール完全なる詰みだ。それだけは絶対に避けたい。

 

 まとめると、俺はパプの目を掻い潜りつつ主人格の状況を探って、上手い具合にコンタクトを取り、さらに主人格が真実に思い至るタイミングでパプの監視が外れるようにし、又は対策が実行される前に主人格の俺の能力を発動しなければならない。

 ……きっついな。でもここまでしなければ『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』は発動しなかったのだから仕方ない。はぁ。

 

 とはいえ、一応そのための布石はすでに打ってある。

 俺がパプに願った夢の内容は「『主人公であるゴン・フリークスのいない原作HUNTER×HUNTER世界』に念の天才として転生して楽しく探偵をやる」というものだ。本来絶対にいなければならない原作主人公の不在。それこそがその世界が偽りであることの最大の証左(ヒント)になると考えた結果だ。

さらにダメ押しに「暗黒大陸での出来事(記憶)をランダムで1つだけ夢で見る」ように『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』により設定した。

 制約と誓約とのバランスを取ろうとするとこういった焦れったいやり方になってしまった。これらと依頼時の会話からなんとか「主人格の生きる世界がパプにより創られた夢である」と気づいてくれればいいのだが……。

 

 はっきり言って上手くいく自信はない。

 

「はぁ」

 

 最近溜め息ついてばかりな気がする。

 とりあえずは絶状態でこの世界を調べるか。

 そう思いコソコソとビル内の探索を開始。まず俺がいた部屋──デスクのない広いオフィスのよう──を出て階段を探す。すぐに見つかった。ビルの構造的には日本のものと同じと見てよさそうだ。まぁ当たり前か。俺の精神世界だもんな。

 さて、上に行くか下に行くか。

 

「……上だな」

 

 猶予がどのくらい残されているか分からない以上できるだけ急ぐべきだが、おざなりにして取り返しのつかない見落としをしたら笑えない。だから、ここは上。

 

 

 

 

 

 

 ビルの屋上への扉は普通に開いていた。施錠されていなくてよかった。

 

「929か」

 

 このビルの番号だ。番号はオーラで形成されている。ものすごく大きい。

 ここから視認可能な範囲で他のビルの番号を確認する。まずはこのビルを含む列から。

 真ん中のどデカいビルへ向かって929、932、935……と3ずつ増えている。逆に中心部から離れるに従って929、926、923……と3ずつ減っている。

 そして残り2つの列は930、927、924……のパターンと931、928、925……のパターン。

 

「……」

 

 んー。なにこれ。

 規則性はシンプル極まりないが、数字そのものの意味が理解不能だ。

 巨大な数字に近づく。ちょっと数字のオーラを観察してみたい……と思ったんだけど、数字の下に不可解なものを発見した。

 

「『不思議の国の密室遊戯』……」

 

 俺の好きなミステリー小説が落ちてた。うん。落ちてた。……なんでやねん。いや、俺の精神世界なら納得できなくはないんだが、具体的な理由は不明だ。

 凝で確認しても不審な点はない……つーかここにぽつんと置かれていること自体が不審だったわ。危ない危ない(?)。

 とはいえ放置するのも気持ち悪い。妙なオーラは仕込まれていないように見えるし、拾ってしまおう。

 気休めにしかならないが、手にオーラを集める。で、触れる。シン、と何も起きない。

 少なくとも即発動タイプの罠じゃなかったみたいだ。

 

「ビビらせやがって」

 

 パラパラと流し見。内容的には日本で読んでいたものと変わらない。

 ただの本なのか? いやしかしな。そんなことあるか? こんな意味深な状況で?

 

「……」

 

 保留だな。何かに必要な又は特殊な使い方のアイテムであったとしても、今すぐに適切な使用法は分からない。さしあたってはスーツのポケットに入れておくことにする。

 

 当初の目的どおり数字も調べる。といっても凝で視るだけだが。

 結果はただの文字。素人だから間違っているかもしれないけど、俺の目にはそう見える。

 

「これも保留」

 

 分からないことに拘って時間を無駄にはできない。ここはもう切り上げることにする。入試とかでも分からないなら飛ばして他に手をつけろって言うし、そもそも情報が決定的に不足している現状では如何ともし難い。

 

 次はあからさまに怪しい中心の超高層ビルを目指しつつ途中のビルに寄り道しつつ、てな感じにしよう。

 階段へむか……やっぱりエレベーターを探そう。10階以上も下りたくない。

 

 

 

 

 

 

 砂を踏みしめて歩く。

 途中、ビルを確認して分かったことがある。まだ推測の域を出ないが、可能性はあると思う。

 ビルの屋上には例外なくお気に入りのミステリー小説が存在していた。一応、今現在は4冊ほど占有している。そろそろポッケの空きスペースがなくなってきた。

 で、推測の内容だが、数字の意味だ。おそらくあの数字は「26年の人生で俺がそのビルにある小説を初めて読んだ順番」だ。正直に言って「不思議の国の密室遊戯」を929番目に読んだかどうかを正確に記憶しているわけではない。けど932と935で発見したミステリーは比較的最近読んだやつだったことは間違いない──トータルで約1000冊のミステリー小説を読了している。

 まぁ、だからなんだって話なんだけどさ。

 

 今のところ普通の小説のままだ。つまり読書以外の使い道はほとんどない。そして優雅に読書している暇もない。

 絶対何かあると思うんだけど、結局そこは分からず終いだ。何か条件があるんかなぁ。

 

 トボトボと乾いた大地を進んでいると、目的のビルまでおよそ300メートルの所でそれを視界に捉えた。

 

「っ!」

 

 絶状態は維持しているから気づかれてはいないと思うが、心臓に悪いぜ。

 俺が見たのは1匹のパプ。そいつが中心のビルに向かっていったんだ。

 

 やはりいたか。

 

 ベリーハード確定だ。

 ただ、これは手掛かりでもある。というか、ほとんど回答そのものと言ってもいい次元だろう。則ち、あのデカいビルの中に主人格への(パス)がある期待。

 俄かに鼓動が大きくなる。

 落ち着け。間違ってもオーラを漏らしてはいけない。自分を律しろ。大丈夫、俺は念の天才だ。絶くらい寝ていてもできる。

 イメージする、精孔1つひとつを、その感覚を。

 

──絶。

 

「──」

 

 よし。無欠の静に入った。

 

 さて、こっからどうするかだが、必竟(ひっきょう)行くしかないのだろう。俺の第一の目的は主人格の状態を把握すること及びヒントを与えること。そのためには虎穴に入らざるを得ない。

 幸いビルが並んでいるから死角伝い──目算で100メートルおきではあるが──に移動することができる。とりあえずは近くのビル上層階からパプの入ったビルの入口を見張ろう。そして行動パターンを観察し、隙を見て侵入だ。

 

 速やかに行動開始。

 

 

 

 

 

 

 夜。

 中心部にある超高層ビル、その隣のビル──数字は1010──の9階にてそれを自覚した。

 

 潜在オーラの減少。

 

 俺の中にある潜在オーラの枠が縮小しているんだ。これはつまり、時間経過で俺が消滅することに他ならない。

 ベリーハードではなくヘルモードだったらしい。あーあ。

 

 全く嬉しくないが、これは必然の現象。

 副人格である俺は主人格ともパプとも繋がっていない。そしてこの精神世界の副人格とは「仮に」「副次的に」「部分的に」主人格のオーラを譲渡された存在にすぎない以上、念獣同様オーラの供給なしでは顕在し続けることができないと見るべきなのだ。

 急がないといけない。

 分離前の潜在オーラ量が暗黒大陸上位クラス(魔獣基準)だったため、まだ多少の余裕はあるが、だからと言って呑気に構えるのは無理だ。流石にそこまで鋼のメンタルではない。

 

 しかしパプは未だビル内。

 どうしたものか……。

 

 

 

 

 

 

 刑事ドラマよろしく張り込みを続けること3日。

 少しずつ、けれど確実に終わりの時は近づいている。

 だが、パプには俺の都合に合わせる理由があろうはずもない。そのほとんどをビル内で過ごしている。外に出てもすぐに戻ってきてしまうのだ。精々が10分かそこらの外出では突撃は躊躇われる。

 

 これはまずいかもしれない。つーか、まずい。 

 潜在オーラの量から残り時間を推し量るに、あと3日、持って4日くらいか。やばいね。

 仮になんとかヒントを伝えることができたとしても、主人格が真相に辿り着くまでどのくらい掛かる? 4日以内で可能なのか? 

 そうしてもらわないと困るわけだが、果たして俺にやれるのだろうか。この精神世界と主人格が見る夢の世界では、時間の流れるスピードが違う可能性もあるにはあるが、それにしたって楽観視できるほどの猶予はないと考えておいた方が無難だろう。長めに想定していて、実際には短期間しかなかった場合は目も当てられない。

 そして、もう1つ。俺は、俺たちは、主人格の記憶が復活してからパプによる妨害がなされるまでの(かん)に勝負を決めることができるのか……。

 

 じっとり、汗。

 

 どうする。絶を信じて突っ込むか? 

 しかし相手は五大厄災。相対したから分かる。あれに常識だとか道理だとかは通用しない。俺が原作ゴンやキルア若しくはツェリード二ヒ級の、又はそれ以上の才を有していたとしても、たったそれだけのちっぽけな(つるぎ)でどうにかなる相手ではない。あらゆる手を尽くし類稀な幸運をいくつも引き寄せて、それで漸く同じ土俵に立てる。そんな相手だ。

   

 だが、だが……。

 

「……はぁ」

 

 また溜め息だ。溜め息が出るから幸せが逃げるのか、幸せに逃げられたから溜め息が出るのか、それとも負のスパイラルなのだろうか。

 戯言。しかし気は紛れない。仕方なく現実を見る。やるしかない現実を。

 

 やればできる、なんて陳腐で蒙昧(もうまい)な言葉は好きではないが、今はそれが真理だと思っておこう。そうでもしないと折れてしまいそうだ。ホントになんでこんなことになってんだか。

 

 次にパプがビルを離れたら行こう。

 

 そう決意した丁度その時、パプがビルの正面玄関から飛び出してきた。

 

 なんだ……?

 

 いつもと様子が違う。少なくとも俺が観察した限りでは、こんなに急いで出てきたことはなかった。

 パプが夕空──天に向かって飛翔。遥か上空に発生した黒い円に飛び込む。すると円は急速に小さくなり、そして消える。パプもいない。

 

「……まさか」

 

 主人格がヒントなしで真実に気づいた? いやしかし『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』による設定上(制約上)それはあり得ない。 

 ならば何らかのイレギュラーが発生した? 

 人間的な価値観で判断すればそうなるけど、パプだしな……。

 しっくりなど来るはずがない。

 

 しかしこれは好機、もっと言えば最初で最後の隙かもしれない。

 

「……」  

 

 静かに動き始める。けれど迅速に。 

 

 

 

 

 

 

 ビルの正面玄関を潜る。1階で目立つのは、日本でも毎日見ていた来客用カウンター、要するに受付嬢がいる所だ。ただしここは(もぬけ)の殻。

 そこの横にある、フロアの案内が掲示されたパネルを確認する。  

 

 まるでありふれた会社のようなそれはしかし、内容の異質さで以てここが異世界であると伝えていた。

 

 1階──空白。2階──空白。1階から25階は全て空白。だが──。

 

「26階──仮想現実管制室!」

 

 エレベーターはどこだ、と視線を走らせる。すぐに見つけ、駆け出す。

 

 

 

 

 

 

 エレベーターを降りると巨大な画面が目に飛び込んできた。大きな部屋だ。真っ暗なままの大画面の前には何やら電子機器──コンピュータ等が並んでいる。それらはパプに合わせて小さくなってはいない。キーボードから電話に至るまで俺がよく知る大きさだ。

 

 なぜ人間サイズ? ここが俺の精神世界だから? つまりパプもこの精神世界の法則(ルール)に縛られるということか?

 

 考えてみれば、先ほどのパプが、急用らしいにもかかわらずお行儀良く玄関から外に出ていたのは、そういった事情があったのかもしれない。だって本当に急いでいるのならビルの天井なり窓なりをぶち抜いて空に行けばいい。それをしないのは、できなかったから……なのか。

 確信はできないが、仮に的中していたらつけ入る隙にならないだろうか。とはいえ現時点ではその行動制限をどう利用するかの具体策はないのだが……。

 

 部屋の核であろう大画面、素直に受け取ればこれに主人格の様子が映し出されると考えられる。

 

 スイッチのようなものは……。

 

 しかしそんな分かりやすいものはない。それなら、と大画面の正面にあるパソコン……ってよく見ればこれ、俺がいつも仕事用に持ち歩いてるやつじゃん! つーか、それもそうか。ここは俺の精神世界だったわ。

 1人得心し、慣れ親しんだ電源ボタンを押す。独特の起動音もそのままで、まるでこれから仕事をしなければいけないような気にさせてくる。それで済めばどんなにいいか。

 

 デスクトップが表示された。いくつかのアイコンがある。

「現在の様子(FPS視点)」「現在の様子(TPS視点Ⅰ)」「現在の様子(TPS視点Ⅱ)」「基本情報管理」「念能力管理」「時間操作」「通話(電話)」

 

 思わず息を呑む。

 

 当たりも当たり、大当たりじゃねぇか。

 マウスポインタを動かし「現在の様子(TPS視点Ⅰ)」をクリック。

 

 そして、とうとう大画面に映像が流れ始めた。

 

「……女子高生くらいの子となんかしてんだけど」

 

 俺が精神世界(地獄その2)で苦労しているというのに、もう1人の俺は何をしてるんだよ。

 自分のこととはいえ、すこーし怒りが湧くが、心を落ち着けて映像を観察する。何かの事務所(?)らしき場所で念の指導をしているようだ。赤髪の女の子は弟子だろうか。

 画面左側には主人格の思考らしきものが短文形式でチャットのように流れている。これではパプに脳内が筒抜けだ。過去の記憶までは把握できない仕様ならばまだマシだが、あまり期待は持てないか。

 

「……」

 

 パプの気配はない。

 円は半径30メートルちょいしか展開できないし、仮に隠と併用したとしても感知される危険がある以上、そもそも使えない。つまり純粋な五感による索敵だ。ちょっと前まで普通の日本人だったというのに、げに恐ろしきはバトル漫画ワールドよ。

 

 素早く「通話(電話)」アイコンを選択──このパソコンにはマイク機能が搭載されている。すると。

 

──prrrrrrrrrprrrrrrrrr……。

 

 画面内で電話が鳴り出した。

 緊張感が高まるも、すぐに主人格の俺が電話を取る。

 さぁ正念場だぞ。気合を入れて口を動かす。

 

「お前は騙されている。真実を見つけろ。これは依頼(・・)だ。ジン・フリーク──っ!」クソっ! パプが戻ってきやがった。かなりの速さでここに近づいている! 「ちぃっ!」意図せず舌打ち。すぐに通話停止アイコンをクリックし、逃走に入る。

 

 見つかってしまっては終わりだ。主人格には悪いがこれだけで頑張ってもらうしかない。俺の知能では不安が残りまくるが、どうしようもない。自分を信じるとかいう熱血キャラみたいな真似をするしかないようだ。柄じゃねぇぜ、まったくよぅ。

 

 

 

 

 

 

 何とか見つからずにビルから出ることができた。

 風が強いおかげで足跡はそう掛からずに消えてくれる。しかも日も沈んでいる。だから完璧に安心だ、というわけではないが、心配が1つ減るだけでも充分ありがたい。

  

 全力で疾駆し、手近なビル──廃墟のような──に転がり込む。

 

「はぁー、つれぇ」

 

 絶対的な死とのニアミス。乱れた息を整えながらも、頭の中では嫌な想像が取り散らかって片付かない。

 

「……」

 

 人のいない荒廃したビルに独りでいると、不安に押しつぶされそうになってしまう。特段寂しがり屋というわけではないが、この状況は少し応える。

 

「っ!」

 

 でも、でもまだ生きている。たしかにこの世界は現実ではない。けれど、まだ存在していられる。

 

「……負けたくねぇ」

 

 意味も分からず暗黒大陸(地獄)に拉致されたあげく、くそったれな世界樹()の養分になる? ふざけんなよ。絶対に認められない。

 

 だから──練!!!

 

 突如現れた1匹のパプ──おそらくは絶又は隠状態だったのだろう──を睨みつける。

 いいぜ。遊び相手になってやるよ。

 努めて不敵に笑い、言う。

 

「Let's dance,my honey(さぁ、殺し合おうか)」

 

  

 



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機械仕掛けのティンカー・ベル [捌]

※14話~22話まで連続投稿です。


 メリッサは「もしも」に備えてとある保険をかけていた。

 

 則ち、バックアップ。

 

 電脳世界(ネットワーク)の最奥に自身のコピー人格を記録していたのだ──遠隔地からも上書きできる。そして、それは一定時間メリッサによるデータの上書きがなされないと自動で人格を復元するようにプログラムされている。

 

 情報の海の底で宝箱の蓋が開き、小さな妖精(メリッサ)が飛び出した。

 

(しん)……」

 

 直ちに動き出す。

 まずは現状を知らなければ、と『魔法の粉は蜜の味(グッド トリップ)』により具現化した金色の粉を纏って泳ぎ始め、一気に最高速へ──ジェットエンジンから生まれた水流が高速遊泳を可能にしている。

 順調に情報を集めていく。

 

「……」

 

 しかし懸念事項がある。メリッサ敗北の原因、銀色の粉を使うあの個体だ。

 今も認識阻害を頼りに、全てのパプの内部データにより形成された情報網(イントラネット)を覗いている。発が本来の効力を有するならば、メリッサの行動は簡単には発覚しない。

 だが、あの個体はオーラの消去と幻の無効化の能力を持つようだった。あの能力の本質は「念の否定」といったところか。一旦はそう仮定しておこう。

 

 並列思考(マルチタスク)で情報収集と念否定能力への対策を考えることを同時にこなしていく。

 ややあって対策が決まる。

 

 制約と誓約しかありマせんね。

 

 迷っている時間が惜しい、すぐに発の調整に取り掛かる。

 そして、制約と誓約の完成と同時に、現状を理解するために必要十分な情報の収集も完了した。

 

 メリッサを包む金色の輝きが一層美しく。たしかな手応えは能力が強化された証左だろう。

 

 次なる一手は──。

 

 

 

 

 

 

 隠密性を極めた、謂わばステルスモードのメリッサの前を銀色が通過する。念否定能力を有するパプがメリッサの仕掛けた誘蛾灯(クラッキングの幻)に引き寄せられたのだ。

 

 発の強化も囮作戦も上手くいっタみたいです。

 

 メリッサには目もくれなかったのだから『魔法の粉は蜜の味(グッド トリップ)』が敵のそれを上回ったと見ていいはずだ。

 

 メリッサの作戦は「パプの情報網(イントラネット)内に情報破壊用疑似生命体(クラッキング)の幻を同時多発的に作り出してパプたちの意識をそちらに向け、その間に真を捕らえたパプの内部記憶領域を経由して真の精神世界に侵入(アクセス)しよう」というものだ。

 

 今現在の真が置かれた状況はおおよそ理解した。

 パプの拘束を脱してもらうためにも、まずは精神世界内から真の意識を喚起したい。起きてくれさえすれば何とかなる。『魔法の粉は蜜の味(グッド トリップ)』の幻を駆使してパプの目を誤魔化せば、きっと逃げられるはずなのだ。

 そんなふうに判断した故の囮作戦。

 

「……」

 

 黙して、パプの内部記憶領域を守る炎の壁へ飛び込む。

 熱と痛みを錯覚するが、大した問題ではない。メリッサに名前をくれた、オトゥリアの心を教えてくれた、一時の幸福を与えてくれた真を失うことに比べたら些末なこと。そう思える。

 

 この時、メリッサの心にふわりと舞い降りた真理があった。それを人が何と呼ぶかは知っている。

 

 誰かを求めるこの気持ちこそが、オトゥリアを苦しめていたものだったのカもしれない。

 

 理解を超えた共感。心からのそれがメリッサをさらに人に近づける。

 

 真には感謝しないといけマせんね。

 

「だから死なないで」自然と零れた呟きは、一瞬で燃え盛る灼熱の獄炎に呑み込まれてしまった。

 

 けれどメリッサは止まらずに進む。炎を抜け、内部記憶領域を通過し、そしてついに──真の精神世界に到達した。

 

 

 

 

 

 

 上空の黒い円から精神世界に入ったメリッサは、整然と並ぶビルと果ての見えない砂漠にやや気圧されながらも一番近くの1の数字が冠せられたビルの屋上へと着陸した。

 

 そして、場違いな文庫本を発見したのが今し方。

 凝で警戒する。

 

「……」

 

 何もないようだ。近づいてみる。

 

「?」

 

 人の精神世界は意味を(かい)するには難しいことがほとんどだ。それは今のメリッサにとっても同じ。この本が何を意味するか分からない。

 近くで観察しても、ただの小説に見える。というかこれは真のビジネスバッグに入っていたものと同じタイトルだ。

 サイズ的に持っていくと邪魔になるだろう。そのまま放置することにする。

 

 次に、できるだけ広範囲で気配を探ろうと感知センサーを研ぎ澄ます──周により性能を押し上げる。

 

「……誰もいませんね」

 

 少なくともメリッサには検知できな──突然、求めていたオーラ。

 

「!」  

 

 距離にして約33キロの地点に真の白いオーラが忽然と現れたのだ。

 そして、ほとんど間髪入れずにパプの黒いオーラも捕捉。

 

 離陸し、全速力で真の許に向かう。

 

 何が起きているのでしょうか……。

 

 不安が胸を圧迫する。

 身体が熱いのはジェットエンジンを酷使しているからだろうか。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

──硬。

 

 眼球にオーラを集中させる。

 やはりだ。パプの直後の行動がしっかりと見える。

 これも発──未来視の能力といったところか。

 

「──!」

 

 パプが弾丸となって突貫してくるも、問題なく回避。次いで三次元的な旋回からの踵落とし──!

 暴力的な音。

 小さな身体が生み出したとは思えない異常な威力の蹴撃(しゅうげき)が、ビルの床に落とされたのだ。大地震のような揺れ。

 

 なんてやつだよ。

 

 けど俺は未だ無傷。全て見切っている。

 

 震源地から人工的な音声。「貴様()特異個体ノヨウダナ」

 

 今度はこちらから攻めようと跳躍。

 

「だから知らねぇ──って!」硬状態の拳を振るう。

 

 が、余裕を持って躱される──のも見えていた。勢いに逆らわずに回転し、パプの回避ルートへ裏拳を放つ!

 身体がイメージそのままに動くのは、ここが俺の精神世界だからか、それとも今の俺がオーラで形成されているからか──いずれにせよ何かに触れる感触。

 

「カナリ珍シイケースダナ」パプが自身の手をしげしげと見ながら言った。

 

 どうやらパプの手に(かす)ったらしい。しかし文字どおり掠り傷でしかない、というかパプの堅を貫けなかったのだろう、ダメージは見受けられない。

 

「……」

 

 分かってはいたけどよ。バカみたいなオーラ量で強引に身体能力と破壊力を上昇させているとはいえ、ベースは普通の人間、五大厄災に敵うはずがないなんてのはさ。

 

 パプが苛烈に攻め──俺が紙一重で回避する。

 

 そんなセットメニューを何度も繰り返す。

 

「ちっ」 

 

 これでは前回の負けパターンと全く同じだ。向こうの学習能力も健在のようd──!?

 

 またしても俄然に現れたもう1匹のパプ。「僕モ手伝ウヨ」

 

 見た目で区別することはできないが、オーラの感じからいってこの個体が俺を捕らえたやつだろう。

 これで一気に不利になった。1匹だけでもキツイのに2匹同時だなんて……。

 

「The goddess of bad shit has a crazy crush on me? (不運の女神(地雷女)を口説いた覚えはないんだけどなぁ)」つい愚痴が漏れる。「 I don’t feel the same way……(他を当たってくれよ……)」声が震える、少しだけ。

 

 しかし現実逃避はできない。精神世界なのに不思議でならない。

 

 パプの黒いオーラが絶望の奔流(ほんりゅう)を作り出し。

 

「行ックヨ」「──」

 

 2匹のパプが動き出さんとしたその時、俺は幸運の女神を未来視した(見た)

 

「!」

 

 刹那の後、見知った黄金色の粒子を纏い、風を裂く高速飛行で現れたメリッサが、パプの片方を一撃で粉砕する。

 金色の粉が元々割れていた窓の辺りで光を反射しているところを見るに、そこから飛び込んできたのだろう。

 生きていて、というのも正確ではないかもしれないが、何にせよ良かった。

 

「間に合ったみたいですね」メリッサの平坦な声音。けれど何かが違う。

 

「悪い。助かった」

  

 ……まぁいい。今はそれどころではない。

 

 もう1匹のパプがメリッサへ視線を固定しつつ言う。

 

「ヤハリマダ記録(データ)ガ残ッテイタノダナ」

 

 なんだ? 話が分からん。

 しかしメリッサには通じたらしい。すぐに答える。

 

「バックアップを用意していました。それよりもなぜ貴方がここにいるのですか」

 

情報破壊用疑似生命体(クラッキング)ノ幻ノ近ク二貴様ノ金色ノ粉(オーラ)ヲ発見シタ」どこまでも静かな口調だ。「ソノ人間ト関係ガアルト推測シタノダヨ」

 

「……貴方も発を強化したのですね」

 

「ソウダ」

 

 どうやら俺のいないところで何かあったようだ。

 

「貴様ヲ倒ス目的以外デノ使用ヲ禁ジタ」パプの周りに白銀の粉が舞う。「ココニ来タ時点デ貴様ノ負ケダ」

 

「それは一体──な!」メリッサのオーラが消滅していく。「なぜですか。銀の粉とオーラの接触が条件ではないのですか」

 

「従来ノ制約二対スル制約ヲ例外規定トイウ形デ付ケ足シタダケダ」 

 

 簡単に言いやがる。

 推測するに、制約に対する制約とは「Aの場合にのみ発を使用可能(=Aの場合以外での効力発生が制限される)」というルールに「ただしBの場合はこの限りではない」という例外を加えることだろう。つまり「Aの場合以外への効力の制限作用自体」を「Bの場合に制限する(=Aの場合以外への制限がBの場合に解除される)」ということだ。

 本来、制約と誓約は自己に対するデメリットやリスクでなければならないはずだ。だからこんな詭弁は有効に成立してはいけないんだ。

 けど、実際問題それが実行されているようだ。ということはそれこそ例外が成立する条件があるのかもしれない。

 

「どうして私なのですか」メリッサが疑問をぶつける。「私を倒すことが貴方にとってそれほどの価値があるとは思えません」

 

「邪魔ナノダヨ」パプのオーラが(ざわ)めく。「特異個体ハ私ダケデイイ。私ダケガ特別デアルベキダ」

 

 こいつ……。

 例外の条件……例えばその新たな制約と誓約が術者の本質的な願いと密接に関係し、その願いに対し相応の覚悟を持っている場合、とかか? 

 ……今、考えることじゃないな。考察は生き残ることができたらゆっくりやればいい。

 

 パプが、メリッサが、そして俺が構える。

 合図などない。それでも動き出したのは全員同時だった。

 再び戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

「メリッサ!」

 

 メリッサの左足が砕ける。

 オーラを使えないことからヒットアンドアウェイで妨害的なサポートに徹していたメリッサだったが、とうとう拳打を受けてしまった。

 

「問題ありません」

 

 すぐにメリッサが言うが、信用できる発言ではない。

 主導権は終始パプに握られている。せめてメリッサのオーラが健在ならばやりようはあったが、そう都合良くはいかないらしい。

 

 パプの挙動はまさに電光石火。どうして空中でそんなに細かい動きができるのか理解し難い。

 また未来を見る。そして見た瞬間には回避行動に移る。

 しかし、パプの翼が俺の頬を僅かに切り裂き。

 

「っつ!」

 

 オーラを集めていなかった場所だ。もう少しズレていたら顔が抉れていた。嫌な仮定に背筋が寒くなる。

 メリッサがパプに急接近しオーラの薄いポイントを狙う。が、その程度、精密かつ迅速な流が可能なパプには脅威になり得ない。すぐに対応されてしまう──オーラが集められる。ここで攻撃すると逆にメリッサがダメージを受けてしまう。したがって予定を変更するしかない。クルリ、と身体を回して接触を回避。

 メリッサの妙技は大したものだと思うが、如何せんオーラなしでは限界がある。このままでは……。

 

 パプの赤い瞳が俺に向けられる。

 

「……オーラガ減ッテイルナ」

 

 見透かされている……! 

 

 戦闘には莫大なオーラが必要だ。特に俺の場合はオーラに依存しているから、その消費スピードは通常のペースを大きく上回っていると思われる。そして今の俺は、術者と離された念獣のような存在。戦えば戦うほど内在するオーラが減り、消滅の時に近づいてしまう。

 たしかに聞こえる終焉の足音が、虚勢を張って誤魔化していた俺の弱い心を愛撫する。

 

「無駄ナ抵抗ハ終ワリ二スルベキダ」

 

「……」

 

 命を差し出すだけで快楽を得られるのなら安いものではないか。主人格の俺は随分と楽しそうだったじゃないか。もうそれで充分ではないか──もう楽になろうか。

 そんな逃げの思考がチラつく。

 

「駄目です!」メリッサの声が廃墟となっているビルに響き渡る。「夢の世界は、死は……冷たいのです──……」

 

「メリッサ……」 

 

 表情は変えられなくとも、身体に血は流れていなくとも、今のメリッサは誰よりも人間らしい。そう思う。

 

「はは」なんだか可笑しくてさ。

 

 あーあ。マジでなんでこんな意味不明なことになってんだろーな。

 本当なら、会社に行って好きでもない、だからといって嫌いでもない上司の顔色を窺いつつ一生懸命仕事をしてるフリをして、そこそこで帰宅してご機嫌なミステリー小説を読んで──そんな幸せな毎日を送っているはずだったのになぁ。

 

 でも、ま、なってしまったもんはしょーがない。人生そんなもんだよな。理不尽なイレギュラーなんてあって当たり前だ。その程度で(くじ)けてたら生きていけない。

 

 うん。もうちょっとだけ、せめて、そうだな、残りのオーラがなくなるまでは頑張ろう。全力で。

 

 静かにオーラを目に集める。何度も何度も繰り返した、もはや俺の戦闘時の儀式となったそれで未来を、真実を盗み見る。

 

「マダ続ケルノカ」俺の戦意を汲み取ったのであろうパプが言った。

 

 そうだよ、続けるよ。続けよう。

 

「First comes rock(ほら、心揺さぶる戦い(ロックンロール)が始まるぜ)」

 

 なんつってな。

 

  

 

 

 

 

 パプとの戦闘をこなす中で気になっていることがある。

 それは、このオンボロなビルが戦闘の影響を一切受けていない──損壊していないことだ。

 パプがビルの玄関から出入りしていたことや、仮想現実管制室にあった電子機器が人間用のサイズだったことから推理したとおり、やはりパプはこの精神世界のルールに逆らえないのだろう。

 その結果が廃墟のビルすら傷つけられないという不自然な現象。

 

「……っ」

 

 こっちはカツカツだってのにパプはまだまだ余裕そうだ。

 

 ただ、圧倒的強者であるパプも万能ではない。それは事実のはずだ。

 

 ……ちょっと思ったんだけど、この精神世界にある物を壊せないのなら、それを利用して、つまりは元からここにあった物を使って攻撃すればダメージを一方的に負わせられるんじゃないか?

 絶対に壊れない鈍器で殴られればかなり痛いよな、普通は。パプに「普通は」などという前提が意味をなすかは甚だ疑問だが、でも、悪くない発想だと思わなくもない。

 

 パプが左から変則的な軌道で迫る未来を視認。辛うじてカウンターを合わせられるルートだ。

 どうせこのままではジリ貧だ。なんでも試してやる。

 そんな、半ば破れかぶれな気持ちで、量販店で買ったありふれたスーツのポケットから拾ってきた小説を取り出し──同時に渾身の周──タイミングを合わせ、振り抜く!

 

 本がパプへと接触した瞬間、それは起こった。

 

「……え?」

 

 ポン、という軽快な音と共に本が消え、直後、パプを囲むように四角形の板が6枚出現。瞬きする暇もなくパプを立方体の中に閉じ込めてしまったのだ。

 

 な、なにがどうしてこうなったんだ。

 

 困惑する俺をよそに再度ポンという音。すると立方体が消滅し、ぽとぽとりと何かが床に落ちる。

 

「……パプだよな、これ」

 

 落ちたのはバラバラになったパプの死体(?)だ。

 メリッサが近づいてきた。

 

「何をしたのですか」

 

「何を、と言われても何て言えばいいのか……」

 

 この現象は流石に想定していなかった。

 ただ、冷静に考えると少し心当たりがある。いや冷静でもないんだけどさ。

 

 ポケットに入れてある残りの3冊を確認する。

 

「……やっぱりだ」

 

『不思議の国の密室遊戯』の本がない。今さっき俺が使ったのはこの本ということだ。

 このミステリー小説はファンタジー世界での密室殺人をテーマに書かれている。そして作中で発生する密室殺人は全てバラバラ殺人なんだ。ちょうど今のパプのような死体が何度も登場する。

 まさか、とは思うが、でも多分そういうことだよな。

 

 則ち、もしかしてこの本は一定条件をクリアするとその内容を反映した何らかの現象を引き起こすのではないだろうか?

 

「……」

 

 俺の精神世界は一体どうなってんだよ。たしかにミステリーのことばかり考えて生きてきたが、その結果がこれなのか。助かったからいいんだけど、微妙に釈然としないものがある。

 何とも言えない現実(?)に呆然としているとメリッサが次の理不尽を伝えてくれた。

 

「複数のパプがここに接近しています」

 

「マジか」

 

 メリッサがバラバラになったパプを見ながら言う。「はい。おそらく破壊される直前に緊急通知を送信したのだと思います」

 

「……来るの早すぎないか?」

 

「貴方を捕らえていたパプのソフトウェアが消滅したことで侵入し易くなっているのです」

 

 きつい。きつすぎる。

 そして確認しなければいけないことがある。予想が外れていてくれ、と恐る恐る問う。

 

「メリッサは……どうして絶状態のままなんだ?」  

 

 パプの能力によってオーラの使用を封じられていたのなら、もう自由なはずだ。もしも未だに死んだパプの能力が継続しているとしたら……。

 

「現在も私への制限は効力を失っていません」メリッサが飛行をやめて床に降りる。片足がないため座り込む形だ。「いえ、むしろ強くなっています」

 

 このタイミングで「死後に強まる念」とか勘弁してくれよ。

 

(しん)

 

 電子的な声は変わらずとも、強い感情を含んでいることは容易に感じ取れる。

 

「貴方は逃げてください。私が囮になります」

 

 また同じ提案。

 

「私にはバックアップがあります。ですので敗北しても時間さえもらえれば復帰できます」

 

 理屈は分かるが、その提案は呑めない。

 

「それは駄目だ」

 

「なぜですか」

 

「メリッサには他にやってほしいことがあるんだ」

 

 複数のパプから逃げおおせることができるとは思えないのもあるが、そもそもここで俺が逃げられたとしても主人格との連携作戦が成功しなければ結局は死ぬことになる。

 それなら突拍子もない思いつきであったとしても命を懸けて挑戦するしかない。だから我儘を許してほしい。

 

「1のビルにある本を取ってきてくれないか」

 

 高速飛行が可能なメリッサならばすぐだろう。俺が行くよりずっといい。それに……。

 

「不可能ではありませんが……」やや不満そうに見える。

  

「まぁそう言うなって。大丈夫。きっと上手くいくさ」

 

 それに残りのオーラとやりたいことを考えると時間がない。したがってこれが最善なんだ。

 メリッサの瞳の放つ赤い光がぼんやりと曖昧になる。ごく短い時間だけ見つめ合う。

 

 そしてメリッサが口にしたのは。「分かりました」承諾であった。

 

「戻ってきた時に俺の気配を感知できなかったら中心のビルの最上階に本を置いてくれ。最悪、屋上……」パプも玄関から出入りしていたし、屋上は行けるか分からないな。「……中心のビル周辺に落としてくれるだけでもいい」

 

「……すぐに戻ります」メリッサが飛び立つ。

 

 そして静寂。

 

「ごめんな」

 

 付き合いはまだ短いけど、甘えてばかりだ。

  

「……俺も動かないと」

 

──絶。

 

 密やかに速やかに移動する。目的地は中心に(そび)え立つ摩天楼、その最上階。そこで身を隠しつつメリッサを待つ。

 

 このビルと中心のビルとの距離は目算で100メートルほど。その間遮蔽物はないが、もう辺りは暗くなっている。俺の絶ならば巧く夜の闇に溶け込めるはずだ。そう信じて、ビルを飛び出し砂漠を駆ける。

 

「!」

 

 上空に気配。

 つい見上げてしまう。パプがこちらを見下ろしていた。

 

「見ツケタ」

 

 なぜだ? 絶は完璧なはず。それをこの距離と暗さで見破るなんて……。

 

──凝。

 

「!?」

 

 俺が見たのは、パプから延びる細い細い糸のようなオーラ。数えきれないほどのそれが、空を、大地を、世界を埋め尽くしていた。

 

 感知特化型の発……か。

 

「はぁ」

 

 ツイてない。まさかオリジナルの発を持つパプ──特異個体が来るとは。

 つーか、話が違いませんかねぇ、メリッサさん。「オリジナルの発を持つパプは私以外知りません(キリ」とか言ってたけど、そんなことないじゃん。全然「特異」じゃない。むしろこれが標準な気がしてきたよ……。

 

 パプが急降下し──。

 

 

 

 

 



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機械仕掛けのティンカー・ベル [玖]

※14話~22話まで連続投稿です。


 メリッサのオーラはほとんど残っていない。銀色の粉を使う個体の発が死後に強まった結果、体外のオーラのみならず、内に存在する、所謂潜在オーラをも削り出したからだ。

 

 持ってあと3分強といったところでしょうか。

 

 しかしそれほど問題はない。

 メリッサの飛行速度は、オーラ未使用状態の最速で時速960キロほど。つまり、スタート地点であるビルから1のビルまでの約33キロ、往復66キロを加減速等を考慮しても5分以内に行き来できるのだ。ただ、これでは間に合わない。

 だからメリッサはそれを実行した。

 

──練。

 

 削られていたはずのメリッサのオーラが再び力強さを取り戻す。

 

 上手くいってくれましたね。これで本にオーラを纏わせられます。

 

 現在の飛行条件上、遷音速(せんおんそく)と呼ばれるメリッサの最高速は、当然凄まじい空気抵抗に晒される。そんな中で文庫本程度が無事なはずがない。オーラによる防御がなければ真に届けることは不可能であろう。

 それに、のんびりしていられる状況でもない。

 

 故に、メリッサは覚悟を持って自らの存在を、未来を全て捧げた。則ち、バックアップの全消去及び5分後の自らの完全な、そして永遠の活動停止を制約と誓約として設定したのだ。

 欲したのは真を助けるために必要十分なオーラの復活。精神世界に来る前に作成した制約と誓約──「真のため以外での発の使用禁止」──とも矛盾しない新たな誓いは、相乗的な効果を生み、メリッサに想定以上の力を与えた。

 

 結果、メリッサは超音速飛行の実用化に成功する。

 

 ソニックブームをも完全に制御し、瞬く間に目的地に到着。滑らかに減速し、本を両手で抱えるように拾い上げ、即、最高速へ。

 

 これは命を極限まで圧縮して得られた最期の耀き。

 しかし後悔はない。早く、確実にミッションを完遂するためには必要なことだ。

 

「……」

 

 嬉しかった。真と出逢ってメリッサはたくさんの感情、その本当の意味を知った。嬉しいという感情自体、出逢わなければずっと分からないままだったかもしれない。

 それに──……。

 

 真の姿を視認した。4匹のパプに追われている。

 

 私が存在していられるのは、あと20秒もありませんね。

 

 その間に殲滅すればいい。今のメリッサならば不可能ではない。

 文字通り命を燃やし、さらなる加速。閃光となり──。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 突然、轟音がしたかと思ったら、俺を追いかけ回していたパプが()ぜた。2匹、3匹、そして4匹とあっという間に全て爆散してしまった。

 

「……」

 

 あまりの非現実的な出来事に言葉が出ない。

 

「お待たせしました」爆心地から一息で近くまで来たメリッサが本を差し出す。「どうぞ」

 

「あ、ああ。ありがとう」

 

 なんとか礼を言った俺に、メリッサが口にしたのは感謝の言葉だった。

 

「こちらこそありがとうございました(・・・)

 

「……」

 

「──さようなら」

 

 メリッサが言い終わった次の瞬間、首が、翼が、腕が、機械でできた身体全てが分解され、砂に落ちる。小さな部品たちはもう何も言わない。

 

「メリッサ……」

 

 しかしここで感傷に浸って立ち止まるわけにはいかない。

 

──周、同時に隠。

 

 仮想現実管制室へ向かいながら、本に()密性の高いオーラを込める。

 

 この本は俺が元いた世界で有名なミステリー小説だ。出版された当時は「アンフェアだ」との批判を多く受けていたようだが、本格ミステリーに見られるパズラー的要素と叙述トリックの両立、純文学のような美しい文章、そして人間の本質に迫る描写が魅力的な作品だ。

 そう、この本のメイントリックは叙述トリック、つまり「実は語り部である主人公が犯人でした」というオチなのだ。

 ビルにある本を不思議アイテムとして使った場合は、その本の内容が反映された現象が起こるという点──先程逃げている時に残りの3冊でも検証した──を(かんが)みると、この叙述トリックの名作ならば俺の意図した効果が得られる……と思う。分からないことが多すぎるから断言はできない。けど、もうこれに賭けるしかない。

 

 ビルに駆けこm──。「!」急停止。

 

 1階の受付カウンターに1匹のパプがいる。待ち伏せだろうか。こういうことをする個体もいるんだな。

 

「……」

 

 ビルに入ってから落ち着いて念じようと考えていたが、そうもいかないようだ。もうここでやってしまおう。

 

 念じるは「この精神世界に現に存在し、及び当該文庫本の効果の発動後に存在するに至った全てのパプを幻術世界に閉じ込めること」だ!

 

 叙述トリックは作品全体又は一部分に(かか)騙し(ミスリード)──嘘のテクニックだ。それは言い換えると、ありもしない幻影を真実だと思い込ませるということ。つまり幻術系の効果が期待できる。

 

 だから俺は、俺の世界に存在する全てに嘘をつく!

 

 もう時間も手段もない。隠もいらない。好きなだけ持ってけ!

 

──練!!!

 

 恨み辛みとか色々雑念はあるけど、今だけはただオーラを練り上げることだけに集中する。俺の潜在オーラが恐ろしい速さで顕在オーラに変換され、直ちに本に吸い込まれていく。

 まるで空間を喰い荒らすように獰猛な烈風が砂を巻き上げる。

 

 そして──そして世界が光で満たされた。

 

「──くっ!」

 

 目が開けられない。どうなった。パプは……? 本は……。

 

 数秒か、数十秒か、定かではない時が流れ、次第に光が収まっていく。

 ゆっくりと目を開ける。

 

「!」

 

 目の前にパプが横たわっている。しかし動き出す気配はない。

 

 成功したのか……?

 

 いや、まずは足を動かさないと。もう本当にオーラが残っていない。具現化を維持できるうちになんとかしないといけない。

 今度こそビルに駆け込む。急ぎエレベーターに乗り込み、26階のボタンを押す。

 

「頼むぞ」

 

 もう1人の俺が制約と誓約をクリアできなければ詰みだ。ここまで来てそれはあってほしくない。

 俺以外誰も使わないエレベーターは、すぐに最上階へと到着する。

 

 扉がいつもよりも緩慢にスライドする。そう感じるだけだ。分かっている。

 

「……く、そ」

 

 意識が朦朧(もうろう)としてきた。それでも無理矢理進む。足が(もつ)れ、転ぶ。

 

「──っ」

 

 早く立てよ!

 

 思うように動かない身体に怒りが湧く。しかし動作は機敏とは言い難いものにしかならない。

 

「!」

 

 左手の指先が煙になり始めた。もう具現化が解けかかっているんだ。

 

「──なら……!」

 

 できるかなんて知らない。だが、強く、願う、敢えて左腕のみの具現化解除を!

 イメージだ。明確にイメージしろ。大丈夫、俺は念の天才なんだ。できないはずがない!

 

 果たして、左肩から下が消滅する。左腕を形成していたオーラが霧散しそうになるが、すぐに回収。あくまで俺のオーラだ。そこに存在していればコントロールは容易い!

 

「──sぃ!」

 

 これで若干の猶予を作れた。

 

 例のノートパソコンを起動し、前回同様「現在の様子(TPS視点Ⅰ)」をクリック。

 

 マジで頼むぞ……。

 

 そして、奥の壁に備え付けられた大画面が映し出したのは、飛行船(?)の座席らしきものに座って小説を読む主人格の姿だった。

 

 やはりまだ真実に辿り着いてはいない。

 

 だがこれは予想済みだ。なぜなら『嘘つきは探偵の始まり(ライアーハンター)』が何の反応も示さないからだ。

 発動条件が満たされたならば、何らかのオーラの動きがあるはず。俺がそれに気づかないわけがない。

 

 だから当然、対策も考えてある。というか、デスクトップにそのものがある。

「時間操作」のアイコンへマウスポインタを合わせ、選択する。するとパソコンの画面に「巻き戻し」「一時停止」「早送り」のアイコンが出現。

 

 瞼を下す。呼吸。開ける。

 

 意を決してクリック。

 大画面の映像が目まぐるしく動き出す。 

 押し続けている間は時間が早く進行するようだ。どんどん時間を進める。

 

「……」

 

 内心、神に祈り、ではなく罵声を浴びせながらじっと画面を見つめる。

 

 そして10秒にも満たない永遠の後、映像の流れる大画面の左側に、世界の真実を思い出した趣旨の、主人格の思考を伝える短文が表示された。

 しかし俺の念に動きはない。なぜだ、と思ってすぐに気づく。よく見ると主人格は絶状態なのだ。

 

 それなら、と「念能力管理」アイコンを選択する。すると主人格の念に関する情報が表示される。絶状態は制約と誓約らしい。

 だが問題はない。「制約と誓約の変更」の項目が表示されているからだ。クリック。制約と誓約の一覧が出てきた。それぞれの制約と誓約の横に有効無効を決めるチェックボックスがある。その中から多分これだろうというやつを選び、無効化する。

 

 そうして、ついにその時は訪れた。

 

──『──』の発動条件を満たしまた。『──』の発動条件を満たしました。

 

 脳内に響き渡る無機質な声。

 

 震える手でマウスを操作し「通話(電話)」のアイコンをクリックする。

 

 主人格の、おそらくは携帯電話が鳴り始めた。

 

──prrrrrrrrrprrrrrrrrr……。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 携帯が鳴りだした。俺とよく似た、けれど俺よりも純粋なオーラが携帯から溢れ出ている。

 

 来たか……!

 

 ジンに一言断る。「悪い。どうしても出ないといけないんだ」

 

 ジンからすれば何が何だか分からないだろう。しかしそれでも首を横に振りはしなかった。

 

「構わねぇよ。早く出てやれ」

 

「すまん」

 

 謝罪なんだか感謝なんだか判然としないことを言ってから通話ボタンを押す。

 

 そしてすぐに言う。「俺だな?」

 

 電話を取って初めに言うセリフではないが、今はこれが正解のはず。

 ほとんど間を置かずに返ってきたのは想像通りの言葉。

 

「そうだ」俺の声だ。「よく真実(答え)に思い至ってくれた」少しかすれている。「ありがとう」

 

「あ、ああ。どういたしまして?」

 

 自分に言われてもな。そもそもこれは俺自身のための行為だし、恩恵を受けるのも俺だ。非常にややこしいというか、変な感じ。

 

 向こうの俺が続ける。「早速で悪いが時間がない。すぐに発動できるよな?」

 

 そう来ると思っていたよ。大丈夫。ちゃんと発は設定済みだ。

 

「勿論だ。少しは自分を信じたらどうだ?」

 

 一瞬の無音。

 

「はは、それもそうだな」

 

「ああ、そうだよ」こちらからも確認がある。「発の内容は2つとも把握しているか?」

 

「勿論だ。少しは自分を信じたらどうだ?」

 

 こ、こいつ……。つーか俺だった。あーもう、調子狂うな!

 

「大丈夫だ。事が終われば俺たちは統合される。こんなことはこれっきりだよ」

 

 おー、思考も読めるみたいだ。そういうもんか。なんかモヤっとするが、自分だし、気にすることではないな。

 

「じゃあ、いっちょやりますか」

 

「だな」もう1人の俺が即答し、さらに付け加える。「タイミングはこっちで合わせるからいつでもいいぞ」

 

「了解」

 

 再度ジンに断りを入れる。

 

「これからちょっとだけ妙なことをやるが、悪いことは起きないから心配しないでくれ」

 

「……わけが分からねぇが、まぁいいよ。嘘を吐いてるようには見えねぇし、協力する約束だしな」

 

「ありがとう」

 

 ジンは好きではないが、今度はしっかりと言えた。

 

 うん。そんじゃ、集中してっと。

 

 すぅ、と瞳を閉じ、気持ちを切り替える。すると瞬時にオーラが静謐(せいひつ)さを帯びる。

 

 肉体の中心にして、精神の最奥にあるオーラの火を大きく、激しく、熱く。

 

 俺の意思に──意志に呼応して爆発的に膨張していく。やがてそれは精孔(しょうこう)から噴出し、大地を抉り、(くう)を裂く。次元が歪んでいくかのような錯覚。

 

「……」

 

 行こうか。

 

 全てのカードは揃った。あとは蹂躙するだけだ。

 

 そして俺は──世界に嘘をつく。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

──『嘘は真実(リバース)偽りの友情(スタンド バイ ライ)』。

 

 エヴァンが最初に発動したのは、選択した対象とオーラ及びメモリを共有する能力。

 まずは、この能力で精神世界にいるもう一人のエヴァンである加貫偽(かつらぎ) (しん)、現実世界の全てのパプ及びパプを支配する世界樹と念を共有する。

 これは次に行う、人の身にはあまりにもすぎた所業の下準備だ。

 

「おいおい……」エヴァンの奇跡を間近で見ることになってしまったジンが呆然と呟く。

 

 今のエヴァンは、神の領域に片足どころか首まで浸かっている。さしものジンもこれほどのオーラを感じたことはない。だが、嫉妬などという矮小な思いは決して抱かない。

 ジンの内に芽生えたのは、まだ少年だったころに感じた未知への憧憬──原始の熱。それはやがて身を焼き尽くしてしまうかもしれない。しかしそんなことジンにとってはどうでもいいことだ。

 ただ、ただ純粋に未知を求めている。それが全てだ。それで充分だ。

 

 ジンが見つめる中、エヴァンは次の発、則ちこの夢を終わらす特大の嘘を──楽しげに──ついた。

 

──『嘘は真実(リバース)嘘つきたちのネバーランド(パラドキシカル ワールド)』。

 

 エヴァンのついた嘘が、偽りの世界(フィクション)が、仮想現実が真実の世界へと変貌していく──どこまでも都合のいい夢でしかなかった世界が終わり、残酷で苦しい、けれど少しだけ幸せな、そんな世界へと。

 

 この発は真の持つ『嘘つきは探偵の始まり(ライアー ハンター)』の完全上位互換。世界樹とパプ、そしてもう1人の自分との相互協力によって成立する超大規模特質系能力だ。その力は人の想像──創造できる次元を優に超えている。

 しかし『嘘は真実(リバース)偽りの友情(スタンド バイ ライ)』により規格外のオーラを手にした今のエヴァンならばそれができてしまう。

 

 こうして嘘つきは世界を創造した。

  

 まだ雪が降る、冷たく美しい季節の出来事であった。

 

 

 

 

 

 

 世界のある場所では、父と共に会社をより発展させようと努力する痩せぎすの女性が。

 

 世界のある場所では、海を愛し、空に憧れた男が。

 

 世界のある場所では、スクープを追いかける男たちに駆け寄る少女が。

 

 世界のある場所では、互いのために料理を作る、姉妹のような2人が。

 

 世界のある場所では、買い物に出かけた、恋に浮かれる少女たちが。

 

 世界のある場所では、香水の瓶を割ってしまった娘を叱る夫婦が。

 

 世界のある場所では、人になりたいと願う、1人の──が。

 

 そして、遠い世界のある場所では、ミステリー好きの青年が。

 

 そんな、誰かが夢見た世界。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 一世一代の大嘘を吐いてからもう少しでふた月が経つ。

 あれからも俺は相変わらずだ。ミステリー小説を読みつつ面白い依頼を待ち焦がれる日々。残念ながらここ2ヵ月は愉快な事件はなかったが、まぁ悪くはないと思う。

 

 そんな感じで過ごしていたらミザイに呼び出された。

 で、今はカフェに来ている。今日は春らしくぽかぽか陽気だ。 

 

 ガヤガヤと中途半端に混雑しているカフェのテラス席で、アイスティを口に運ぶ。

 冷たくて美味いが、週末には来たくないな。平日でここまで混んでるとなるとな。

 しかし、俺の向かいに座る男──ミザイストムにそれを気にした様子はない。

 

「いい加減ハンターライセンスを取ったらどうだ? 便利だぞ?」

 

 ミザイがコーヒー(?)片手に言う。ブラックコーヒーを頼んでミルクをたっぷり入れるスタイルは理解に苦しむ。

 

「うーん、俺って身体能力は低いぜ? ハンター試験はちょいキツいんだよ」

 

 特質系だしな。ハンターハンター世界で探偵をやるための最低限の嗜み(・・)はあるが、それだけだ。原作の戦闘要員には大体負ける、発を使わなければ。

 

 ミザイが疑わしそうに俺を見る。なんだよ。男に見つめられても嬉しくないぞ。

 

「お前がそう言うなら俺は無理強いできないが……」

 

 尻すぼみになる。

 

「お前を派閥に引き込みたい人間が──」

 

「ちょちょちょーっと待て。マジなの? だって俺、アマチュアハンターですらないただの探偵だぜ?」

 

 おい「何言ってんだ、こいつ」って顔やめろ。

 

「その言い訳は無理があるぞ」

 

「……」

 

 現実逃避は許さない系プロハンターの牛である。

 

「一部の幹部がお前の能力に利用価値を見出だしている」

 

 当然のように能力バレ笑。泣きてぇ。

 

「どうせ目をつけられているなら、自分から歩み寄って、なるべく有利な立ち位置を勝ち取った方がいいのではないか」

 

「それはそうだが……」

 

 実に弁護士らしい思考だ。

 ただ、なんとなくハンターという地位に収まりたくないんだよなぁ。せめて肩書きだけは純粋な探偵でありたい。やってることが本格ミステリーの要素皆無な分、形式くらいはって感じ。

 くだらない拘りだけど、人生にはそういうのも必要だと思う。合理的なだけなんてつまらない。

 

「で、その引き込みたいとかいう変わり者は誰なんだ?」

 

「一番厄介なのはパリストン・ヒルだろう」

 

「うわぁ」

 

 ドン引きである。

 というか……。

 

「ミザイは親会長派だろ。俺が敵になってもいいのか?」

 

「良くはないが、俺の都合とお前の利益を切り離して考えた結果だ」

 

「……そりゃあどうも」

 

 人間できてんなぁ。俺とは違うわ。だが。

 

「すまん。それでもハンターはちょっとな」

 

「そうか」

 

 微妙にしょんぼりして追加でミルク入れやがった。もはやコーヒーではない。

 

「……ところで」話は終わったと油断していたら不意にミザイが切り出してきた。どことなく言いづらそうだ。

 

「どうした?」

 

「その、なんだ。あまりこういうことに口を出したくはないが……」どことなくっつーか、めちゃくちゃ言い淀んでる。「お前、色んな女に手を出してるだろ。気をつけないといつか痛い目を見るぞ」

 

「……え」

 

 身に覚えがないです。何を言ってるんだ。

 

「なぜ俺相手に惚ける。俺も男だから気持ちが……やっぱり分からないが」

 

 分からないんかい!

 

「プロハンターはまだしも、未成年まで連れ込んでいるという噂を聞いた。しかも最近では新しい女が事務所に出入りしているみたいじゃないか」

 

「誤解だ」とんでもない勘違いである。「俺はやってない」

 

 ミザイが優しい目になる。気持ち悪いな。やめろよ。

 

「安心しろ。俺はお前の味方だ。適正価格で弁護を引き受けてやる」ミザイが甘そうなコーヒー(?)を飲みながら甘くないことを言いやがった。

 

「……そこは割引価格じゃないのか?」

 

「当たり前だ。他の依頼人に対して不公平になるわけにはいかない。それにお前、結構稼いでるだろ?」

 

「誤解だ」もしかしてミザイって結構バカ?

 

「分かった分かった」ミザイが聞き分けのない子どもにするように言った。「そういうことにしておいてやる」

 

「すごく納得いかないんだけど」

 

 しかしミザイは「追加でミルク10個お願いします」と店員さんに話しかけていて、俺の不満は聞いちゃいない。

 

 友だちは選んだ方がいいって話、本当だったんだなぁ。

 アイスティがしょっぱいぜ。 

 

 

 

 

 

 

 事務所に戻った俺を10代にも20代にも見えるインテリ系美女が出迎えた。

 

「おかえりなさい」

 

「あ、ああ。ただいま」

 

「どうしていつもより離れているんですか?」

 

「……気のせいじゃないか?」

 

「いいえ。『ただいま』と発言した時の私との距離が、平均値より3.2センチ遠いです」

 

「……そ、そうか」ジリジリと後退する。

 

「はい」

 

 小さな妖精だったころは可愛げがあったのになぁ。世の中分からんわ。

 入り口をチラ見。

 

「それで、どうして逃げようとしているのですか?」

 

「新たな事件の気配がな」

 

「嘘ですね」

 

 ぐ、ぐぅ。プライドを粉砕するのはやめい。

 

「う、嘘じゃねぇし」

 

「──」

 

「──。──?」

 

「──」

 

 ……あの日とは違うメリッサを見ていると、こんな世界があってもいいよなって少しだけ自己弁護できる。

 すました顔のメリッサを見つめる。

 

「……」 

 

 メリッサは確かにここにいる。それは俺が「メリッサに生きてほしい、メリッサの願いを叶えてほしい」と願ったからだ。

 だから不満はない。世界に不満はないんだ。

 

「どうしたんですか?」

 

「今日も可愛いなって思っただけだよ」

 

「!??!?」

 

 ただ、少し気になることがある。

 

 あの時、聞いた無機質な声は一体……。

 

 そしてこのことを考え出すと、俺はいつも1つの妄想に行き着く。

 

 もしかしてこの世界は──なのか? ってね。

 

  

 

 

  

 

 

 (了)

 




これにて本作は完結とさせていただきます。
未熟な作品にもかかわらず、付き合ってくださり本当にありがとうございました!





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