世界樹の迷宮X X モンスターハンター (りす吉)
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プロローグ

 

 リーパーは円卓で頬杖をついたまま、にんまりとご満悦な表情を浮かべていた。

 

 彼女の目の前にあるのは巨大なパフェである。特大サイズのグラスの縁は花びらのように切り揃えられたフルーツで彩られ、中心にうず高く盛られた生クリームの上にはチェリーがちょこんとのっている。グラス越しには甘さの染み込んだスポンジとジェラードが何層も積み重なっているのが見える。

 

 そんなパフェがあるというに、リーパーはスプーンの先でクリームをつつくだけで、なかなか口に運ぼうとはしなかった。

 

「リー子さん。早く食べないととけちゃいますよ?」

 

「はうぅぅぅん! そんなことはわかっているのだわ! だけどこんな綺麗なお菓子、もったいなくて食べれないのだわぁ!」

 

 ベレーのような帽子に詰襟のついた上着をまとう紫髪紫眼の少女、ゾディアックに言われ、リーパーは駄々をこねるように顔を振ってわんわんと泣きわめいた。それにあわせて左右に結われた長髪までひらひらと揺れる。

 

 リーパーは、目立つ。

 

 とても、目立つ。

 

 整った小顔といい、華奢な肩と胸元は染み一つない美肌である。そしてAラインドレスよりも少しばかり幅のあるゴシック風のスカート姿は、まるでどこかのお嬢様といったかんじだ。

 

「あ~ん! 嘆かわしいのだわ! こんな華美なモノを壊すなんて無理なのだわぁ!」

 

「そんなこと言っても……。そもそも注文したのリー子さんじゃないですか」

 

「あっ! そうだわゾディ! 閃いたのだわ! この美しさを保つ方法があったのだわ!」

 

「い、いちいち大声出さないで下さいっ。他の人が見てるじゃないですかっ」

 

 辺りを憚るようにゾディアックは声を絞る。

 

 ここは飛行都市マギニアに世界各地から集った武具屋が身を寄せ会う大通りから、さらに一本入った裏路地に面する小綺麗なオープンカフェだ。

 

 開店したのはつい先日で、お店は大勢の客で賑わっている。エトリアからアイオリスまで古今東西の店が建ち並ぶこの一角でも、このカフェで提供されるフルーツパフェやパンケーキはとても珍しく、それにくわえて美味しいので今や市民だけでなく、冒険者までもが入り浸る人気店になっていたのだ。

 

 リーパーたちも店の噂は聞いていたが、ここ数日は迷宮に潜りっぱなしだったので店の場所さえ知らなかったのだ。

 

 見た目はともかく、彼女たちはマギニア屈指…………とまではいかないものの、中の上…………いや平均よりやや上ぐらいの実力をもつギルドのメンバーなのだ。

 

 

 マギニアは、絶海の孤島にたたずむ世界樹の謎を解き明かす冒険者たちの暮らす飛行都市である。

 

 世界樹への空路は数多の自然現象によって遮られているので地上からの探索が基本になっている。しかし、地上は地上でいくつもの迷宮が連なり、そこには凶悪な魔物まで生息している。これに対抗するため、冒険者たちはギルドというチームを組んで探索に向かうのだ。

 

 探索方針は個々のギルドに一任されているが、とりわけ実力のあるギルドはマギニアの総司令であるペルセフォネ王女から直々に強制任務が下ることもある。

 

 強制任務が与えられるのはせいぜい上から数えて十番内のギルドだが、今回はそこそこなレベルであるリーパーたちも含まれることになった。

 

 任務の内容は、垂水ノ樹海での未確認生物の捜査であったが、結局どこかのギルドが捕獲したとのことで彼女たちは大した成果を上げることなく解放されたのだ。

 

 そしてこれから休暇に入ろうという時に、風に漂う甘い香りに誘われるように偶然にカフェを見つけたというわけなのだ。

 

 

「どんな方法ですか?」

 

「聞いて驚くのだわ!」と、リーパーはふふんと鼻をならして平らな胸をはる。

 

「貴女の氷結術でこれを凍らせればいいのだわ! そうすればこの美しさを保ったまま、テイクアウトできるのだわ!」

 

「えっ!」

 

 ゾディアックは、空気中にあるエーテルと呼ばれる粒子を独自の装置で火・氷・雷のいずれかに変換し攻撃エネルギーとして射出することができる。

 

 属性攻撃という点は錬金術と似ているが、これは占星術から派生した秘術。なぜかというと、エーテルの発見者が古代の占星術師で、エーテルの量も月の満ち欠けや星の煌めきといった天文学的要素に左右されるので占星術と切っても切れない関係にあるからだ。

 

「ほらゾディ! さっさとやるのだわ!」

 

「そ、そんなしょうもない理由で占星術を使わせないで下さい!」

 

「なによそれ! 私のパフェへの想いをそんなふうに言うわけ? なによゾディ! もう絶交なのだわ!」

 

「私こそ! リー子さんとは絶交します!」

 

「おい二人とも、喧嘩はやめろ」

 

 

 ふんっ! と、互いにそっぽを向く彼女たちに呼びかけたのは、同じ円卓に腰かける白髪の少年である。

 

 二人の喧嘩を前にしながら、少年は静かにお茶をすすった。

 

 彼も同じギルドに所属する冒険者。枯木のような細い体躯に、深紫色のヘソだしの衣を重ね着している。高く盛られた白髪がつり上がった片目を隠し、皮膚は緑がかった灰色をしている。

 

 彼は名は、ミスティック。ウロビトという種族の少年であり、人間ではない。

 

 ウロビトは、地中に眠る龍脈の力を引き当て、様々な効果を引き出す方陣――魔方陣とも――を地表に現出させる力をもつ種族だ。

 

 

「絶交ってことは、一生交流を絶つってことだ。二人とも、本当にそれでいいのか?」

 

 言葉の重みを理解したのか、リーパーたちは気まずそうに眉根を寄せる。

 

 しばしの沈黙の後、リーパーが口を開いた。

 

「ま、まぁ、ゾディがいいなら仲直りしてあげてもいいのだわ」

 

 すると今度はゾディアックが遠慮がちに返答する。

 

「……私も、リー子さんが仲直りしたいならいいですよ」

 

「お詫びってわけじゃないけど、このパフェを分けてあげてもいいのだわ……」

 

「えぇ、いいんですか!」

 

「もちろんなのだわっ!」

 

 ぱっと花が咲いたような笑顔でゾディアックが振り返る。リーパーも八重歯をあらわにしてスプーンを差し出すと、二人は同時にパフェをむさぼり始め、あっという間に平らげてしまった。

 

「ふぅ。美味しかった~。でも、ちょっと物足りないのだわ」

 

「それじゃ、私の頼んだパンケーキも半分こしましょう!」

 

「いいの? ありがとう! 嬉しいのだわ!」

 

「……お前らまだ食べる気か」

 

「当然ですよ! 甘いものは別腹ですから!」

 

「おい。全部甘いものだろ」

 

「それにしても、ゾディの注文だけ遅いのだわ。私のパフェと一緒に注文したのに……」

 

「もうすぐ届くと思うんですけど……。あっ、きまし――――た?」

 

 

 突然ゾディアックの語尾がおかしくなる。その理由は他の二人からも見てとれた。

 

 一人のウェイターがこの席に近づいている。皿にのっているのはゾディアックの頼んだパンケーキ。シロップをぬられたケーキがほかほかと湯気を立てている。

 

 ところが、それを運んでいるウェイターの姿が妙なのである。背丈が赤ん坊ぐらいしかなく、両手で持った一枚の大皿を頭上にかかげて、よたよたとした頼りない足取りなのだ。

 

「あのウェイター、子供なのか?」

 

「ブラニー族なのかもしれないのだわ」

 

 皿の陰に隠れてウェイターの顔は見えない。

 

 と、そのとき横風にあおられてウェイターが姿勢を崩してしまった。普通の人間なら影響を受けない風量だが、小さなウェイターにとっては突風なみに強烈だったらしい。

 

 ケーキが皿からずり落ちそうになり、バランスを保とうと踏ん張ろうとしたはずみで小石につまずき、ウェイターはその場で転んでしまった。「なっ!」

 

 落下した皿は音をたてて割れ、皿にのっていたケーキが放物線をえがいてリーパーのスカートに命中。表面に塗られていたメープルシロップがべったりとはりついてしまった。

 

「ちょ! どうしてくれるのだ――――わ?」

 

 声を荒らげるリーパーだったが、ウェイターの顔を見下ろすなり彼女は冷水を浴びたように硬直してしまった。

 

「すみませんですニャ!」

 

 とび起きたウェイターがリーパーの前でひたすら頭を下げる。

 

 リーパーだけでなく、ゾディアックとミスティックも目を丸くする。

 

 なんとそのウェイターは、猫だったのである。

 

 二本足で立ち、エプロンに頭巾までしているが、栗色の毛並みに肉球、ふりふり揺れる尻尾に頬のお髭と、誰がどう見ても猫なのだ。

 

 

「猫が、店員さん?」

 

「しかも喋っているのだわ」

 

 そこへ、近くにいた人間の店員が駆け付けてきた。

 

「申し訳ありませんお客様! ほらっ、お前は箒を持ってきなさい! 誰かが怪我をしたらどうする!」

 

「はいですニャ店長さん! すぐに持ってきますニャ!」

 

 猫は前足を地につけると、四足走行で店内のカウンターへ駆けていった。

 

「大変申し訳ございません。お代はけっこうですし、ドレスも弁償させていただきます」

 

「弁償なんていいのだわ。それより、あの猫は何者なのだわ?」

 

 汚れを拭き取りながらリーパーが店長に訊いた。

 

 冒険者とは、未開の地を探索する者。ときに、人語を話す亜人種との遭遇や、解明不能な原理の古代兵器を発見することもある。

 

 しかし、人語を話し二本足で歩ける猫というのはこれまで見聞きしたことがなかった。

 

 

「あの猫ですが、路肩で『雇って下さい』と書いた看板を掲げていたのを見つけ、カフェの従業員として招いたのです。マギニアへは飼い主と来ていたらしいのですが、立ち寄った樹海で魔物に襲われて離れ離れになり、あの猫だけがたどり着けましたが、身銭も家もなく、当店で住み込みで働いているのです」

 

「なんだか可愛そうなのだわ……」

 

「もしかして、その飼い主さんは亡くなったのですか?」

 

「なんともいえないのです。衛士の捜査によると、襲撃現場に遺体は無かったようですが、三日以上の生存は困難とのことで既に捜査は打ち切られているのです」

 

「それじゃ、あの猫はこれからどうするんだ?」

 

「衛士による捜査が終わった以上、頼れるのはギルドしかなく、こうして依頼――クエスト――を発注する為の謝礼金を貯めている真っ最中なのです」

 

 店長の言葉に三人は黙りこくる。ギルドへのクエスト発注も無料ではできない。謝礼金が相場よりも安ければ、引き受けてくれるギルドも限られるだろう。それに、引き受けてくれたからといって飼い主が見つかる保証はない。

 

 飼い主が死亡していたり、受注したギルドの捜査が不十分であれば、あの猫の行為は報われなくなるのだ。

 

 

「店長さん、ただ今戻りましたニャ!」

 

 自分よりも大きい掃除道具を抱き締めて猫が戻ってきた。

 

「誠に申し訳ないですニャ!」

 

 店長に促されて再びリーパーに頭を下げると、猫は掃除を始める。ニャニャニャと鳴きながら両前足で箒を操り、ときどき前足で顔をこするのがなんとも猫らしい。

 

「健気な猫だな」

 

 と、ミスティック。

 

 ミスは多いらしいが仕事は一生懸命で、他の従業員とも仲良くやっているらしい。

 

 かたくなに飼い主の無事を信じており、一日も早く再会できるように食費を削ってまでお金を貯めているというのだ。

 

「お待たせしました。ご注文のケーキでございます」

 

 店長が代わりの品を運んできた。お詫びもこめられているのか、シロップやケーキのボリュームが増している。

 

「なんだか、逆に申し訳ないですね……」

 

「お代まで無料なんて、さすがに気が引けるのだわ」

 

「ミスティックさんも食べませんか?」

 

 ミスティックはケーキに目もくれず、掃除中の猫を傍観していた。どこか老成した彼の眼差しには、哀れみの光が混じっている。

 

「あんた、犬よりも猫派なのだわ?」

 

「……そういう問題じゃない」

 

「やっぱり、あの猫さんのことが気になりますよね……」

 

 またも横風に煽られて箒をひしとつかんで地面に身を屈める猫。常に高速で飛行しているわけではないが、蒼天に浮かぶマギニアは基本的に風が強いのだ。あの猫に粗相が多いのは体格だけでなく、住み慣れていない街だからという点もあるのだろう。はたして、あの猫が飼い主と再会できるのはいつになることか。

 

「あ、そうだ!」

 

 突然、ゾディアックが手を打った。

 

ゾディアックはケーキを一枚自分の皿に移すと、掃除を終えた猫を呼びつけ差し出したのだ。

 

「いけません! お客様から料理をもらうなんてダメですニャ!」

 

 口ではそう言っているものの、猫の喉はぐるぐると鳴っており、口元からは涎が溢れ出ている。

 

「猫さん。お金が必要なのはわかりますけど、ご飯はちゃんと食べなきゃダメですよ」

 

「そ、そんなこと言ってもですニャ…」

 

「なによっ。私のドレスを汚しておいたくせに、私たちの言うことがきけないわけ? 信じられないのだわ」

 

 猫はしばらく迷っていたが、ついにケーキに前足を伸ばし、肉球で持ってむしゃむしゃと食べ始めた。できたてだったからか、湯気のせいで少しむせてもいた。

 

「ゆっくり食べて下さい」

 

 他の従業員やお客に見つからないように、ゾディアックは猫の後ろにさりげなく椅子をずらした。他の二人も彼女にならって猫を囲むように椅子をずらす。

 

「ふふ。よっぽどお腹が空いていたんですね」

 

 ゾディアックは猫の額を愛でるように撫でる。ふさふさの毛並みの中に、彼女の細い指が沈む。

 

 猫は嬉そうに鳴き声を上げ、涙を浮かべながらケーキをむさぼっている。 空腹だったらしく、体格のわりに食べる勢いが凄まじい。

 

「私はゾディに賛成なのだわ!」

 

 突然、リーパ―が声を張り上げた。

 

「えっ? 私、何も言っていませんけど?」

 

「この猫を助けたいって顔に書いてあるのだわ」

 

「ニャ? ほういうほほですニャ?」

 

 ケーキをくわえながら猫がゾディアックを見上げた。

 

「僕も賛成だぞ、ゾディアック。俺達だけじゃない。事情を話せばレン兄も協力してくれるだろう。あとは、あのやかましいリーダーを納得させれば全員一致だ」

 

「ミスティックさんまで……」

 

「ねぇ、猫吉。飼い主とはぐれたって本当なのだわ?」

 

 と、リーパーが訊いた。

 

「そうですニャ。旦那さんと翼竜で来る途中で落ちて、樹海でモンスターに襲われてバラバラになったのニャ」

 

 この猫は飼い主を旦那さんと呼んでいるらしい。

 

 それよりも、猫たちの移動方法を聞いて三人は耳を疑った。

 

「翼竜で移動? 気球艇じゃなくて?」

 

 猫たちの世界では翼竜を飼い慣らし、その後ろ足に引っかけた縄につかまって移動しているらしい。

 

「はぐれた樹海はどんな所だった?」

 

「真っ赤なカバがいて、河の流れたところニャ」

 

 どうやら垂水ノ樹海のようだ。

 

「そこなら私たちにとって庭みたいなもんなのだわ。飼い主の捜査なら任せない」

 

「ニャニャ! 僕の依頼を引き受けて下さるのニャ! 皆さんはギルドの人たちだったのニャ?」

 

「はい。メンバーは他に二人いるんです。レンジャーさんと、ヒーローさんです。私たち五人で、猫さんの旦那さんを探しに行きます」

 

「ありがとうございますニャ!」

 

「ですが、その為には猫さんの協力が不可欠です。飼い主さんの居場所を特定する為に、はぐれた時の状況や風景を詳しく教えてほしいんですが……。お仕事はいつ終わります?」

 

「お仕事が終わるのは夕方ニャから、時間がかかりますニャ。終わったら、僕が皆さんの暮らすギルドハウスに行くから、住所を教えてほしいニャ」

 

「住所を教えただけで本当に僕たちのところに来られるのか?」

 

 ミスティックに指摘されて、猫は俯いた。

 

 正直、住所を教えたところでこの猫が無事に来られるとは思えない。

 

 

「猫さん、夕方になったら私がお店に迎えに来ますよ。ご一緒しましょう」

 

「あ、ありがとうございますニャ! 冒険者さんって、とっても親切ニャ……!」

 

 猫はうるうると瞳を潤ませ、こらえきれずに泣き出してしまった。

 

「もう。猫さんったら、泣かないで。まだ仕事中ですよ」

 

「ごめんなさいニャ! ええっと……」

 

 猫はゾディアックを見上げて、戸惑うように首を傾げた。

 

「どうしました?」

 

「ゾディアックなのだわ。この子の名前はゾディアック」

 

 猫は名前を訊こうとしていたのだった。

 

「ニャ! お嬢様はゾディアックさんニャ!」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

「ゾディの優しさに感謝なさい。それで、私はリーパーで、そっちの即身仏みたいなのがミスティックなのだわ」

 

「そう。こっちの即身仏みたいなのが……って、誰が即身仏だ!」

 

「ゾディアックさん、リーパーさん、即身……。ミスティックさん。依頼を引き受けてくれてありがとニャ!」

 

「おい。今、即身仏って言おうとしたろ?」

 

「お礼のお金を貯める為に、夕方まで一生懸命働きますニャ!」

 

「あ、ちょっと待って!」

 

 ぺこりと頭を下げて駆け出した猫を、ゾディアックが呼び止めた。

 

「猫さんのお名前は?」

 

 猫はその場で小躍りするように跳びはねながら、名乗った。

 

「アイルーですニャ!」

 

「アイルーちゃん?」

 

「そうですニャ! 僕、アイルーニャ! よろしくですニャ!」

 

 そう名乗ると、アイルーは尻尾をふりながら店内へと駆け込んでいった。

 



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前編

 

 

「ほらっ! もっと高くもっと高く!」

 

「ニャッ! ニャッ! ニャッ!」

 

「さぁ、これをつかまえてみなさい!」

 

「ニャニャニャ~~!」

 

「どうしたの! この程度で疲れていては迷宮で生き残れませんよ!」

 

「ニャニャ、ニャー!」

 

 ここはリーパーたちが暮らすギルドハウスの一室。居間ではリーパーたち三人にくわえ、金髪の男が車座になっていた。

 

「よし。俺も異論はない。明日は飼い主を探すために、垂水ノ樹海へ潜ろう」

 

 金髪の男が快諾すると、リーパーたちは胸を撫で下ろした。彼女たちはアイルーからの依頼を彼に説明し終えたところだった。

 

「よかった。レン兄さんが一緒なら安心です」

 

「でも、レン兄。あの猫からの報酬は少ない。本当にいいのか?」

 

「大事なのは金額よりもあの猫の誠意だ。その気持ちを知った以上、無視することはできん」

 

「さっすがレンジャーなのだわ! よっ! エトリアの貴婦人! スーパー淑女! ジェントルウーマン!」

 

 おだてるリーパーに、レンジャーはこらこらと叱る。

 

 レンジャーは女性と見間違うほどの美顔だが男である。それもかなり屈強な体格の持ち主で、部屋着姿の上から肩や後腕の筋肉がたくましく盛り上がっているのがよくわかる。話を聞きながら無意識に親指の付け根を押すのは、軍人時代に彼が身につけた癖らしい。そのツボを押していると心身を平静に保ち、狙撃の成功率も大幅に上がるらしい。

 

「ところで、さっきからリーダーは何をしているのだわ?」

 

「さ、さあな。なにか意味があるんじゃないか?」

 

 居間から離れたところに、こちらにお尻をむけて四つん這いになっている少女とアイル―がいる。

 

「まだトレーニング中です、休んじゃダメよ!」

 

「は、はいですニャ!」

 

 ゾディアックがアイルーを連れ帰ってからというもの、少女はどこからか取り出した猫じゃらしを片手にアイルーと戯れている。

 

 少女はアイルーの頭上に猫じゃらしを差し出し、それをつかまえようとアイルーは床を跳ねていたのだ。

 

「ちょっとリーダー。遊んでないで明日の予定を一緒に考えるのだわ」

 

「なっ! これのどこが遊びに見えるのですか!」

 

 こちらに踵を返すと、少女はびしりとリーパーに指を突き立てた。

 

「私はアイルーが迷宮で戦えるか調べているのです! これはいわば試験です!」

 

「でも、さっきはトレーニングって言ってましたよ?」

 

「そ、そんなことは言ってません!」

 

「ニャ、つかまえたニャ!」

 

 片手がお留守になった隙に、アイルーが少女の手に抱きついて猫じゃらしに触れた。

 

「なっ!」

 

「ヒーローさん、これで合格ニャ! 僕も探索に連れて行ってほしいニャ!」

 

 自分の腕がむにゅむにゅと柔らかい感触に包まれるがしかし、少女は振りほどこうとはしない。四本の足でしがみつくアイルーを見下ろし、頬を赤く染めている。

 

「リーダーったら、顔が真っ赤なのだわ」

 

「よっぽどアイルーちゃんが好きなんですね」

 

「こ、これは不意をつかれたことを恥じているのです!」

 

 翠緑色のセミロングヘアーを振り乱し、ヒーローは言い訳をする。

 

 事の発端は、アイルーが探索の同行を希望したことにある。飼い主の痕跡を探すのであればアイルーがいれば効率は上がるが、五人はアイルーに反対したのだ。一歩先に何が待ち受けているのかわからないのが世界樹の迷宮である。垂水ノ樹海は歩き慣れた迷宮とはいえ、一人――正確には一匹――を守りながら進むとなるとギルドの戦力は半減してしまう。 飼い主の情報を確認し終えた後はギルドハウスで待たせようと思っていたのだが、どれだけ言い聞かせてもアイルーは頑なに同行を希望するのだ。

 

「猫吉、迷宮はアンタが思うほどあまくないのだわ。攻撃的な魔物だっているし、ひょっとしたら食べられて死んじゃうのだわ?」

 

「大丈夫ニャ! 僕だって戦えニャスし、皆さんのお手伝いもできますニャ!」

 

 ヒーローの腕から飛び降りると、アイルーは部屋の隅に置かれていた小さなリュックサックに駆け出した。

 

 それは彼がカフェからギルドハウスに来る時に背負っていたもので、中身はマギニアに持ち込んだ装備品らしい。アイルーはリュックの中に頭を突っ込み、お尻を振りながら次々に中身を身についていく。

 

「どうですニャ!」

 

 装備を纏うと、アイルーは腰に手をあててエヘンと胸をはった。丸いゴーグルのついたレザー製の帽子とジャケット、そして前足にはどんぐりのように丸みをおびた赤いスコップ。これがアイルーの探索時の姿らしい。

 

「ほぅ。かなり丈夫な作りになっているな……」

 

 レンジャーが仔細に見ると、繊維といい繋ぎ目といい、小型の魔物の牙や爪なら十分に防げるようになっている。しかもスコップはナイフのように鋭く、表面の傷つき具合から察するにアイルーの実戦経験は相当なものらしい。これなら最低限の自衛はできるとレンジャーは判断し、四人にも伝えた。

 

「それじゃ、明日の探索はアイルーちゃんも一緒ですね」

 

「もちろん後衛だぞ。ミスティックとゾディアックの二人でアイルーを守ってやれ」

 

「了解だよレン兄。いいかアイルー、僕が最後尾だから基本的は僕の前にいるんだぞ」

 

「冒険者さんは、歩く順番が決まっているのにゃ?」

 

「ああ。職業も武器も違うから、お互いが得意な距離で戦えるようにしている。アイルーのところは違うのか?」

 

「はいニャ。旦那さんはいつも一人ニャ。誰かと一緒になっても歩く順番まで決まってないニャ」

 

「よくそれで生き残れるのだわね……」

 

「アイルーちゃんの飼い主って、職業はなんなんですか?」

 

「旦那さんは『ハンター』ニャ。大きな剣を使って戦うのニャ」

 

「大きな剣か……。剣士や武士とは違うようだな」

 

「レン兄でも知らないのか?」

 

「世界は広いんです。私たちの知らない人々だって大勢います。今は飼い主の素性よりも、明日の探索に備えて早く休むべきではありませんか」

 

 と、いつの間にかパジャマ姿でナイトキャップをかぶったヒーローがその場を仕切り始めた。姿はともかく、言うことに間違いはないので全員いそいそと就寝の準備にかかる。

 

「アイルーは私と寝なさい。飼い主について訊きたいことが山のようにあります」

 

「あれ? さっきは早く休むべきだって言ってませんでした?」

 

「本当はアイルーと一緒に寝たいだけなのだわ」

 

「だ、断じて違います!」

 

「ニャニャ……。僕、お嬢さんと同じお布団で寝るのは緊張しますニャ」

 

「だったら僕と一緒に寝よう。アイツと一緒じゃ、夜中に何をされるかわからない」

 

 ミスティックがアイルーを胸に抱くと、ヒーローに背中を向ける。

 

「し、失礼ですよミスティック! べつに私は寝てるすきに肉球をツンツンしたり、毛並みをすりすりしようだなんて考えていません!」

 

「ほら、早く寝るぞアイルー」

 

「そ、それじゃ皆、明日に備えて休もうか……」

 

「ミスティックさん、レン兄さん、お休みなさい」

 

「さ~てと早く寝るのだわ」

 

 男性陣は別室へ移動し、ゾディアックたちは居間に布団を敷いて横になる。

 

「な、なんて失礼な! 私への侮辱です! 二人もそう思いませんか?」

 

「アイルーちゃんを迎えに行ったとき、カフェの店長さんが見送ってくれたんですよ。私にアイルーちゃんをよろしくお願いしますって頼まれたんです」

 

「へぇ。優しい店長たちなのだわね」

 

「ちょ! 二人とも無視しないで下さい!」

 

「じゃ、明かりを消すますね」

 

「おやすみなのだわ」

 

「ねぇ、なんで無視するの! リーダーは私よ!」

 

 明かりが消え、部屋は闇にのまれた。マギニアに、夜の帳がおりる。吊り看板の揺れる武具屋、まばらに燈火が姿をのぞかせる街路、野犬がゴミをあさる裏路地、すべてが闇に沈みゆく。視界が黒くそまり、なにも見えなくなる。それなのに航路上にある遥か大樹だけはしっかりと認識することができた。

 

小高い連峰と遥か下方に向かって伸びる広大な森。それが切れると荒れ地が続き、そのさらに奥には天を貫くほどの大樹がたたずんている。傷ひとつない静寂の中で、大樹は周囲が闇にそまればそまるほど、より一層、その異様さをましていった。

 

 

 

 

 その翌昼。

 

 アイルーを連れた一行は、垂水ノ樹海に足を踏み入れたところだった。

 

 空気の澄んだマギニアとは異なり、ここには熱気をはらんだ湿気が漂っている。

 

 垂水ノ樹海の位置する座標は日照時間が長いため気温が高い。湿度の高さは、樹海の最下層から汲み上げられた河川の水が、そこここに設けられた噴水から吹き出しているのが原因だ。霧のように漂う水滴は木の葉から滴り落ち、上の階層から垂れ落ちた水が地層を透過して再び河川に戻るようになっている。どの噴水も石を切り出したような四角い形で最下層から最上層、つまり四階分の地層を貫くほどの高さをほこり、まるで塔のような外観をしている。

 

 噴水だけではない。垂水ノ樹海には建物の礎石や、崩れた石柱、さらにはアーチ窓のある外壁といった遺跡が苔やハイビスカスに覆われながらも残っていた。

 

 炭素調査と基石の規模から、数世紀前はこの樹海に石造りの街並みが広がり、コロッセオのような円形舞台も建てられていたと推測されている。垂水ノ樹海は、遺跡と森が融合した地下迷宮なのだ。

 

「旦那さんとは大きなカバのいる処ではぐれちゃったのニャ」

 

 カバとは『怒れる暴君』のことだろう。となると、その生息範囲である地下三階から四階を捜査しなければならない。

 

 現在一行が歩いているのは地下二階。階層は水平な地層が垂直に貫かれたような形で続いているが、各階層の位置は微妙にずれており階下にいっても陽光が遮られることはない。

 

「少しここで休憩しましょう」

 

 先頭のヒーローが足を止めたのは、足元がぬかるんだ細道を抜け、木々の間隔が広くなった小部屋に到達した頃だった。

 

 ここに来るまで何度か魔物に遭遇したが、刺激しないように距離をとってやり過ごして戦闘を避けたので消耗はしていない。順調な探索だったが、ヒーローとレンジャーの二人は言い知れぬ不安を抱いていた。

 

「どうしたんですかリーダー? 顔色が悪いですよ?」

 

「気になることがあって。……本来なら、ぬかるみの周辺は毒蜥蜴のテリトリーなのに一度も見かけませんでした」

 

「きっと先に潜ったギルドが討伐したのだわ」

 

「だとしたら戦いの痕跡が残るはずです。でも、火薬の匂いもなければ、草むらを踏み荒らした跡もありません」

 

「ニャニャ? ヒーローさん、昨日と全然雰囲気が違うニャ」

 

 アイル―と目が合ってもヒーローは理知的な顔つきを崩さない。

 

 煌びやかな髪飾りに緋色のマントを羽織った姿はどこかの貴族のようだが、背筋の伸びた落ち着いたたたずまいは武門の出を思わせる。事実、彼女の鞘や円盾に刻まれた十文字模様は、異国の危機を救った一族の末裔の証らしい。

 

「時間が経って消えたのだわよ。リーダーは考えすぎなのだわ」

 

「そうかもしれませんが……」

 

「いいや。そうじゃない」

 

 と、レンジャーがヒーローの推測を引き継いだ。

 

「実は、毒蜥蜴の足跡を見つけたんだが本来なら歩くはずのないエリアにまで踏み込んでいた。皆も知っているだろうが、魔物は縄張り争いをしないように自分のテリトリーを離れない。おそらく毒蜥蜴は自らの意思で居場所を離れたんだ。おそらく原因は――」

 

 レンジャーは、あぐらをかくように座って瞑想するミスティックに眼差しを向ける。彼の膝の上に腰かけているのはアイルーだ。ちょうど自分用の水筒を口につけ、喉を潤していたところだった。

 

「ニャ?」

 

 レンジャーの視線に気づいて、アイルーは小首を傾げた。

 

「アイルー。確認したいのだが、君の飼い主はマギニアへ飛竜を追って来たんだったな?」

 

「ニャ。そうですニャ」

 

「そうか。どうやらその飛竜が垂水ノ樹海に入り込んだ可能性が高い。その影響で、縄張りを捨てて毒蜥蜴は逃げたんだろう」

 

「でも、たかが魔物一匹で生態系が崩れるのだわ?」

 

「十分あり得ることだ。垂水ノ樹海には飛行タイプの魔物がいない。既に埋まっていたならともかく、空いていたスポットに外来種が侵入するとあっという間に生態系への侵入をゆるしてしまうものだ」

 

 垂水ノ樹海には、ビッグピルという鳥型の魔物が生息してはいるものの、羽が退化している。レンジャーの言うとおり、空を牛耳る魔物は垂水ノ樹海にはいないのだ。

 

「そういえば、先日の任務もここで新種を探すというものでしたね」

 

 他のギルドに先を越されたものの、新種が竜族であったという噂は人伝に耳にしていた。

 

「そこまで情報が揃うってことは、間違いなさそうですね……」

 

「毒蜥蜴だけでなく怒れる暴君も生息範囲を変えた可能性が高い。となると、これまでと異なるエリアで遭遇するかもしれない」

 

「いつもより危険性が増しているということです。皆さん、気を引き締めていきましょう」

 

 返事をする一行の中で、アイルーだけがしょんぼりと肩を落とした。

 

「どうしたの猫吉?」

 

「ごめんなさいニャ。僕らのせいで皆さんの迷宮を変えちゃったのニャ……」

 

「そんな。アイルーちゃんが悪いわけじゃないです」

 

「そうです! 貴方は悪くないの! 落ち込まないで!」

 

 ゾディアックが慰めようとした瞬間、ヒーローがゴキブリのような早さで草地を這って先回りするとアイルーの頭を撫で始めた。

 

「貴方は悪くないの。悪くないのよアイルー。さぁ、いつもの笑顔を私に見せて……」

 

 呪詛のように呟きながら、ヒーローは摩擦熱で発火するんじゃないかというほど高速でレザー帽を撫で続ける。

 

「ニャ……。ちょっと熱いのニャ、ヒーローさんもう止めてニャ!」

 

「ご、ごめんなさい! あっ、でも嫌がる顔も可愛い! フヒヒヒ……!」

 

「……おい。ヨダレ流した顔を近づけるな。瞑想できないだろ」

 

 開眼したミスティックがアイルーを抱いてヒーローに背中を向ける。

 

「ミスティック! あなただけアイルーを独り占めなんて卑怯ですよ! 恥を知りなさい!」

 

「レン兄、休憩は十分だろう。早く再開しようぜ」

 

「そ、そうだな。じゃ、行こうか皆……」

 

「ほらリーダー。さっさと隊列に戻るのだわ」

 

 鎌の切っ先で襟をつかまれて先頭に投げ飛ばされると、ヒーローは渋々前進を始めるが、時折猛獣のような形相で歯ぎしりしながら最後尾を睨んできた。

 

「リーダー。悔しいのはわかるが落ち着け。女子としてやっちゃいけない顔になっているぞ」

 

 その度にレンジャーが頭をつかんで首を前に向けるが、時間とともに頸骨をゴキゴキならしてゆっくりと後列に振り返ってくる。

 

「ちょっとリーダー、ちゃんと前を向いて歩けなのだわ!」

 

「エクソシストみたいに振り返るの止めて下さい!」

 

「さっきは真面目だったのに、ヒーローさんの顔が恐いニャ……。歯がオドガロンみたいになってるのニャ!」

 

「ごめんな。あれでもいちおう僕たちのリーダーなんだ」

 

 

 

 

 本格的な異変が現れたのは、地下三階に到達してからだった。清々しい向かい風の中に、すえたような死臭が混じっていた。生い茂る低木を踏み越えていくと遠くに陽の光を受けて金色に輝く小河が見えた。

 

 河の対岸には倒木があり、それに凭れるように通常よりも二回りも大きいサイズの怒れる暴君が倒れていた。腹部のあたりが大きく食い破られており、肋骨や臓物がはみ出ている。顎が河底に密着し、体内を流れた清流が傷の内側から流れ出ていた。腹部の補食痕の他に、死体の額には三本の爪痕が深々と刻まれている。爪は頭蓋まで達し、白子のような脳漿が割れ目からはみ出ていた。

 

「争った形跡がない。最初の一撃で勝負が決まり、一方的に捕食されたんだろう」

 

 ふと、レンジャーは空を見上げた。ヒーローも左手の盾をかまえながら彼と並び立ち、喉仏をさらして辺りを見渡している。

 

 頭上には半壊した遺跡の屋根や樹木が茂っているが、飛竜がその気になれば突き破って飛行できるだろう。嗅覚に頼れば視呈が悪くても容易に獲物の位置を特定できるはずだ。

 

 リーバ―が背中に差していた大鎌を抜く。ゾディアックの詠唱に応えるように、彼女の肩に装着された星術機――エーテルの収集機――に組み込まれた宝石が淡い光を放つ。ミスティックが開眼し、杖を握る。五人はアイル―を囲むように互いに背中を合わせ、接敵に備えながら和を乱すことなくゆっくり前進する。

 

 怒れる暴君の死体が見えなくなるまで、この陣形は崩せない。

 

 なぜなら、真新しい死体があるというに他の肉食動物が死肉を漁りにこない場合、捕食者がまだ近くにいる可能性が高いからだ。

 

「通路の途中の野営地まで行きましょう。それまで警戒を怠らないで下さい」

 

 通路からの死角であり、なおかつ人間の匂いがしみついた野営地には魔物は入り込まない。

 

 そこにたどり着ければ安全だ。

 

 一歩、二歩、三歩……。野営地までの距離は五十メートルといったところか。そのとき先頭を歩くヒーローが足を止め、五人の歩調が乱れた。

 

「これは?」

 

彼女の足元にあったのは、夜警のもつカンテラのような縦長の瓶だった。一部分がひび割れているが、まだ新しい。誰かの落とし物だろうか。

 

「導蟲(しるべむし)の瓶だニャ!」

 

 ヒーローがそれをつかみ取るなり、アイルーが叫んだ。

 

 導蟲とは蛍のように発光する蟲のことで、匂いを学習するとその持ち主のもとへ飛ぶ習性がある。アイルーの飼い主は導蟲の習性を利用して魔物を追跡しているらしく、この瓶は導蟲を飼育するものらしい。

 

「僕とはぐれるまで旦那さんは瓶をちゃんと持っていたニャ……」

 

「となると、はぐれた後で君の飼い主はここを通り、この瓶を落としたのか」

 

「違うニャ、違うニャ!」

 

 突然、アイルーが声を荒らげた。

 

「旦那さんが瓶を落とすはずないニャ! 瓶は絶対に無くさないようにしてたニャし、落としても導蟲が光って気付くのニャ!」

 

 パニックに陥ったようにおたおたと辺りを見渡した後、受け入れたくない事実から目を背けるようにアイルーは顔を伏せてしまった。

 

「お、落ち着きなさいよ猫吉っ」

 

「旦那さん……。どうして瓶を拾わなかったのニャ……」

 

 アイルーの双眸から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

 

 肩を小刻みに震わせて、口からは噛み殺した嗚咽が漏れ始める。

 

「生きていたら絶対に拾うのニャ。それなのに落ちてるなんて……。旦那さんは、ひょっとしてもう――」

 

 その言葉の先をアイルーは口にはしなかったが、最初から五人はその可能性を考えていた。

 

 つまり飼い主は既に死亡し、その遺品がここに落ちていたということを。神様でもないかぎり事実は事実として受け止めるしかないということは、中堅程度に経験をつんだ五人にはわかりきったことで取り乱す者はいなかった。

 

 大昔に、冒険者は波のような存在だと歌った詩人がいた。岸にうち寄せるように迷宮に殺到してはすぐに引いていき、いつの間にか泡になって消えてしまう、と。

 

 千差万別の想いを抱えて迷宮に挑んだ人々のうち、初心を成し遂げられる人はほんの一握り。最悪、二度と地上の土を踏めなくなる者もいる。

 

 ――知り合いの冒険者が魔物に毒液を浴びせられ失明した。

 

 ――生還したものの、FOEに遭遇したショックで廃人化した新人がいる。

 

 ――行方不明のベテランが大型昆虫の巣で保存食として肉団子にされていた。

 

 そういう話も毎日耳にしていると慣れが生じ、五人もたいていのことでは驚かなくなっていた。

 

 迷宮で誰かが命を落とす。それはこちらの大陸では日常茶飯事なのだ。

 

 しかし、今回の件に関してアイルーは大きな間違いをおかしていた。

 

「ニャ~~! 痛い、痛いニャ!」

 

「ちょ、何をしているんですかリーダー!」

 

 ヒーローがアイルーの前に屈み、頬の両髭を引っ張っていた。

 

 ぐいっと左右の手で引いてから同時に放すと、お餅のように伸びきったアイルーの顔も元通りになる。

 

「なにするのニャ!」

 

 泣きじゃぐりながらアイルーが肉球でヒーローの膝をぽかぽかと殴る。髭を引っ張られた怒りだけでなく、望みが潰えたことで彼女に八つ当たりしているようにみえた。四人がアイルーを止めようとすると、ヒーローが手で制した。

 

 ヒーローはしばらくされるがままになっていたが、やがて「このおバカっ!」と、アイルーに怒鳴った。耳をつんざくような怒声にアイルーはすくみ上がり、肉球パンチを止めてしまう。

 

「ニャ……!」

 

 見上げると額に血管が浮き出るほど怒る狂った形相で、ヒーローが睨んでいる。

 

 その形相にアイルーは蛇に睨まれた蛙のように動きを止めてしまう。

 

「よく見なさい! これは小瓶よ! ただの瓶! 蟲を飼育するための瓶でしかないの! これが見つかったからって貴方の飼い主が亡くなったことにはならないの! 余計な詮索も悲観せずに、ありのままの事実を受け入れなさい! ここで諦めたら、可能性を捨てることになるのよ!」

 

 アイルーの頬を押さえつけ、額が触れるほどの至近距離でヒーローは大音声を出した。

 

 これは励ましでも楽観論でもなく、探索における鉄則にすぎない。根拠の薄い想像や推測が不安感や恐怖心を植えつけ、それによってパフォーマンスを崩して事態が悪化することもある。大事なのは、ありのままの事実を受け入れ最善手をとること。後悔と懺悔は生還してからでも十分間に合う。

 

 アイルーは催眠術でもかけられたかのように目を丸くしていた。最初はヒーローの豹変に戸惑っていたが、次第に言葉の真意が身に染みたらしい。

 

 アイルーは掌で顔を拭うと、ヒーローを見上げた。

 

「……ヒーローさんのいう通りだニャ。僕、へんてこなことを想像しちゃってたのニャ」

 

 まだ声は震えていたが、アイルーは精一杯の笑顔をヒーローに返す。

 

「ヒーローさん、叩いてごめんなさいニャ。僕、取り乱しちゃったのニャ」

 

「いいえ。私こそお髭を引っ張ってごめんなさい。痛かったでしょう?」

 

「いいんだニャ! ヒーローさんは僕の臆病蟲を追い払ってくれたのニャ!」

 

 アイルーはその場で小躍りするように跳びはねる。

 

「そうです。その意気ですよアイルー」

 

「彼女の言う通りだ。結論が出る前に物事を決めてはいけない」

 

「そうですよ。アイルーちゃんだって、旦那さんは強いって言ってたじゃないですか」

 

 アイルーが元気を取り戻して一同も安堵しかけたその時、突如として足場が翳った。

 

 樹間を見上げれば頭上を旋回する影に陽光が遮られており、五人の姿は闇に包まれてしまう。

 

 巨大な影が空中に飛んでいるのだ。

 

 その不穏な気配に、木々にとまっていた野鳥が鳴き声をあげて一斉に飛び立っていく。

 

 影が降下してくるにつれて五人に目も開けられないほどの風が襲いかかる。両翼が叩きつけた分厚い空気の壁が押し寄せてくるのだ。

 

「あれは……!」

 

 レンジャーが帽子に付いていたゴーグルをはめて影の正体に目を向ける。

 

 それは皮膜の伸びた両前足の翼で飛行する、緑色の甲殻をもつ飛竜だった。

 

 竜族は大きく二つの種類に分けられる。

 

 まずは『偉大なる赤竜』のように四足歩行で背中から翼を生やすタイプのもの。こちらは体格は強固だが飛行力は低く、鈍重である。もう一種類が『ワイバーン』のように両前足に皮膜をもつ二足歩行のタイプで、飛行力を維持する為、体皮に鱗がなく、角や棘も少ない傾向がある。体格の観点でいえばその飛竜は前者に近いが、翼なら後者であった。つまり、強固な体格と飛行力を兼ね備えているのだ。

 

「リオレイアだニャ!」

 

 アイルーが飛竜の名を叫んだ。

 

「リオレイア?」

 

「ニャニャ! 僕と旦那さんが追っていた飛竜だニャ!」

 

 後足の爪から察するに怒れる暴君を倒したのはリオレイアだ。と同時に、数日前に捕獲任務が出されたのもリオレイアが目撃されたからなのだろう。

 

「でも、任務が解かれたってことは捕獲されたはずでは?」

 

「拘束を断ち切ったんだろう。背鰭に打たれた杭を見てみろ。ロープが引きちぎられている」

 

 リオレイアの眼光がこちらを捉えると、大地が震えるような咆哮とともに枝葉や遺跡の壁をぶち壊して飛来してきた。地上に近付くリオレイアの姿は、竜族でありながらも猛禽類のようなフォルムに近く、こちらの大陸の生物とは異なる進化を遂げたと推測できた。

 

「来るぞっ!」

 

 土石流のようなすさまじい勢いで迫り来るリオレイアの姿は、瞬きする間に大きくなる。牙の並んだ口は牛を丸飲みにできそうなほど大きく開かれており、あれで食いつかれてはひとたまりもないだろう。

 

「野営地まで逃げ切りましょう! 遅滞戦術の陣形を組みます!」

 

 抜剣したヒーローが指示を下すと、誰も喋ることなく隊列を組み直した。

 

 矢筒から鉄矢を抜いたレンジャーは弓を引き絞り、その隣でゾディアックが詠唱する。レンジャーの一矢目がリオレイアの口内に命中すると同時にゾディアックの雷術が発動。彼女のかざした掌から無数の紫電が立ちのぼり、やがてそれらは空中で一つに融合、大蛇のような変化をとげてリオレイアを迎撃する。

 

 雷撃による眩い衝突を受けてリオレイアが怯む。動きを止めたところでレンジャーの二矢目が放たれる。その隙を逃さずリーパーがバレエを踊るような優雅な動きとともに、握りしめた大鎌を振り抜いていく。どれも切っ先を掠めるだけの軽い斬撃だ。安全な間合いを保ちつつ、反撃されないよう連続で攻めているのだ。リーパーのスタミナが切れかけたところで三矢目が命中。後列に戻るリーパーに代わって今度はヒーローが剣で攻める。

 

 常に円盾をリオレイアに向けつつ、盾の外側から刺突を続ける。リオレイアは後ろ足で大地を蹴りつつ羽ばたくとその場で宙返りをきめて、棘の生えた尻尾をアッパーのように振り上げてきた。

 

 尾の先端に生えた棘がヒーロの頬をかすめるが怪我はない。レンジャーの四矢目がリオレイアに突き刺さったところでヒーロはリオレイアと目を合わせたまま後ろ向きに跳んで隊列に戻る。

 

 そこで、開眼したミスティックが杖を地面に突き立てた。次の瞬間、蜂蜜色の複雑明美な方陣が草地に浮かび上がる。それも音もなく、一瞬にである。方陣から発光した光は意思を持っているかのごとくうねり上がり、リオレイアの下腿に触れ、大きくも流れるような動作だったリオレイアの足腰がぎこちなくなり、ついにその場で硬直してしまう。

 

 陣内にいる者の動きを鈍らせる、麻痺の陣形である。そこへレンジャーの五矢目と、ゾディアックの二度目の雷術が放たれる。

 

 氷結呪文に弱いはずの竜族相手にあえて雷術を選ぶのは、閃光による怯みだけでなく、電流による筋肉への麻痺の助長を期待してのものであった。

 

「今です! 早く野営地へ!」

 

 各々が武器を収めると、リオレイアから背を向けてひた走る。初見の魔物を相手に、狭い通路で戦闘を継続するのは危険だ。それに探索の目的は飼い主の捜査であり、リオレイアの討伐ではない。しかし野営地まであと一歩のところで、低木に足をとられたゾディアックが転倒してしまう。

 

「ゾディ!」

 

 ヒーローが駆け寄るが、そこへ麻痺の陣形を力づくで突破したリオレイアの咆哮が響き渡る。

 

「いかん!」

 

 時間を稼ごうと数本の矢を同時に放つレンジャーだが、それらをもろともせずにリオレイアは突進してくる。

 

 早い。飛竜とは思えないほどの歩行速度だ。

 

 普通、翼を持つ魔物は歩行速度が遅いものなのだが、リオレイアはまるで違う。翼を折りたたみ、どすん、どすんと逞しい下腿を踏みならして走っている。十分にとれていたはずの距離は縮み、ほぼ眼前に迫っている。

 

「危ないニャ! 火を吹くニャ!」

 

 見ればリオレイアの牙から轟々と炎が漏れ始めていた。

 

 リオレイアは勢いをつけるように背を反らすと、喉元からせり上がってきた炎の塊を吐き飛ばす。その淀みない動作に炎の先見術は間に合わない。

 

「早く逃げてっ!」

 

 ヒーローがゾディアックを突き飛ばす。炎の塊が盾をかまえるヒーローを撃ち抜こうとした直前、音もなく駆けつけたリーパーが彼女の前に割り込んだ。

 

「集え瘴気! 纏え氷塊っ!」

 

 呪文とともに、リーパ―は死を振り撒く死神が得意とする斬撃術を放った。彼女が大鎌を振り上げた直後に爆発が生じ、黒煙が二人を包み込む。

 

「ヒーローさん、リー子さんっ!」

 

 煙が消えるとそこには膝を屈したリーパーの姿が。

 

 直前に放った『冷灰の大鎌』で炎を弱めてからしっかりとガードをきめたものの、耐熱を含む特種繊維で編み込まれたはずのドレスは焦げ落ち、熱傷のせいで鎌は握れる状態ではなくなっている。

 

「リーパーっ、なんて無茶なことを……!」

 

 立ち上がったヒーローがリーパーに肩をかすが、リオレイアは次々に火球を吐き出してくる。

 

 瀕死のリーパーを抱えたままヒーローにそれらを回避することはできない。万事休すかと思いきや、なぜかリオレイアの攻撃はすべてヒーローの位置とはかけ離れた処へ着弾している。不思議に思って肩越しにリオレイアに振り返ると、その足許には紫紺色の方陣が浮かび上がっていた。

 

 それは幻惑の方陣だった。ミスティックが新たに発動させた技だ。今、リオレイアが攻撃しているのは全て幻影なのだ。

 

「急げ、長くはもたないぞ!」

 

「感謝します!」

 

「お前たちは先に野営地へ迎ってリーパーの手当をするんだ! 俺は撹乱を続ける!」

 

「でも、こんな酷い怪我じゃ応急処置にも限界が……!」

 

「僕、火傷のお薬を持っているのニャ! 野営地でこれをお嬢さんに塗るのニャ!」

 

「急げ! 俺は後で合流する!」

 

 時間を稼ぐ為にレンジャーが木に登って高所から弓矢による狙撃を始める。

 

 一矢撃っては枝葉の間を跳んで足場を変え、さらにそこで一矢を撃ちと、同じことを繰り返す。幻惑の方陣があるとはいえ、同じ場所から攻撃を続ければリオレイアにこちらの居場所が感付かれてしまうからだ。ところがそんなレンジャーの思惑に気付かずに、リオレイアに反撃しようとする者がいた。

 

「リー子さんの仇ですっ!」

 

 怒りにかられたゾディアックである。

 

「ゾディ! 止めなさい!」

 

「ここはレン兄に任せて僕たちは野営地に行くぞ!」

 

 二人からの制止を無視して、彼女は氷結術を発動していた。周囲には靄とともに数十もの氷槍が浮かび上がり、それらが一斉にリオレイアへ発射される。音を置き去りにする速さで直進する氷槍が次々にリオレイアに命中。ところがその一斉射撃のせいでリオレイアの眼光がこちらに向いてしまう。居場所がバレてしまったのだ。

 

「火を吐くつもりならいつでもきなさい! 私には炎の先見術がある! これがあればあなたの炎なんか――」

 

 言葉の途中でゾディアックは倒れてしまう。リオレイアの振り回した尾が道脇にあった遺跡の石柱を砕き割り、飛び散った破片が彼女の頭に命中したのだ。

 

「ゾディ!」

 

「ちっ! 破陣、命脈活性っ!」

 

 舌打ちとともにミスティックは方陣を解除し、陣に吸い取られていた龍脈のエネルギーをゾディアックに分け与えた。僅かに彼女の気力は戻るが、立てる状態ではない。

 

 そして方陣が解除されたことでリオレイアの幻惑も解かれてしまった。レンジャーが狙撃を続けるが、それだけで注意を引くには限界がある。

 

 リオレイアが、ゆっくりとヒーローたちを捕捉した。

 

「ミスティックさん、二人をお願いします」

 

「お前、どうするつもりだ?」

 

「いつもと同じです」

 

 ヒーローは剣を抜くと、決闘を誓う銃士のように額の前に掲げてから、リオレイアに立ちはだかった。

 

「……わかった。後で会おうぜ」

 

「ヒーローさん、一緒に逃げなきゃダメだニャ! 死んじゃうニャ!」

 

「ご心配なく。合流するのが少し遅れるだけです」

 

 振り返るヒーローの顔には穏やかな微笑が浮かんでいた。彼女はゴキブリのように地を這う不審者ではなく、唾液を垂らしながら不気味な笑みを浮かべる変態でもない。メンバーの命を一任された、このギルドのリーダーなのだ。

 

「ヒーローさん……」

 

 と、その時、一発の銃声が轟いた。

 

「伏せなさい!」

 

 見ると樹路の奥で小銃(ライフル)をかまえた女がいた。

 

 眩い銃口炎が瞬いた。女はボルトアクションとは思えないほどの速度で小銃を連射し、リオレイアの頭部に集中放火している。

 

「他の冒険者か!?」

 

「今のうちよ!」

 

 女はその場で屈射を続け、一同に逃げる猶予を与えてくれた。

 

 ミスティックがゾディアックを、ヒーローがリーパーを背負い、野営地に駆け込んだ。

 

 四人と一匹の安全を見届けると、レンジャーが樹上から鏑矢を上空に放った。

 

 矢はひどく耳障りな音をたてて飛翔する。

 

 探索中の他の冒険者に異変を告げた後、レンジャーは猿のような素早い身のこなしで枝葉や遺跡を跳び回り、リオレイアの死角で地上に降り立つと、野営地に駆け込んだ。

 

 



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後編

 

 野営地の中央には既にテントが張られており、その入口から直線に敷かれたシートには、数人の衛士が一列になって横たえられていた。

 

 誰もが装備を脱いだ姿で体のどこかに包帯や副え木をしている。

 

 彼らの足元を駆け回って回診を続けているのは白衣のセーラー服を着た少女だ。

 

「メディック、この二人もお願い」

 

 銃の女が声をかけると、少女はころころとした丸顔をこちらに向ける。

 

 列にそってリーパーとゾディアックを寝かせると、少女が二人の容態をてきぱきと診ていく。

 

「左右の手首から肩にかけて熱傷。右頬から耳にかけても同じ傷があり。どちらの熱傷も表皮のみ。気管部から肺にかけての熱傷はないもよう」

 

 少女はリーパーの容態を羊皮紙に書き留めると次にゾディアックの上着を脱がして診察を始める。

 

「肩にひどい打ち身。肩骨にヒビが入っているおそれがおり。側頭部にも二センチほどの裂傷。石の破片が食い込んでいる……」

 

 少女はそれぞれの容態を書き留めた羊皮紙を、二人の体にテーピングする。

 

「お嬢さんはお医者さんなのニャ?」

 

「はい。私はメディックと申しまして、医師免許も……わぁ! 猫がお喋りしてる!」

 

 メディックは大きな目を爛々と輝かせてアイルーを抱き上げた。

 

「可愛いっ! 持ち帰って解剖したいぐらい!」

 

「メディック! 今は二人の治療が先よ! ドクトルマグスぅ! 貴方もこっちを手伝って!」

 

 女が声高に言うと、テントから褐色肌のドレッドヘアーの男が出ていた。

 

「お客さんか?」

 

 ドクトルマグスは医者というよりも呪術師やシャーマンといった容姿に近かったが、それでも治療ができるらしい。薬匙を取り出してゾディアックとリーパーに薬を飲ませていく。

 

「どんな薬なんだ?」

 

「ただの麻酔。治療はこれからだ」

 

「ニャ! リーパーさんの火傷の治療は僕がするのニャ!」

 

「貴方も医者なの?」

 

「旦那さんの治療をしていたのニャ!」

 

 アイルーはリュックから塗り薬を取り出してリーパーの体に塗っていく。

 

 ゾディアックの治療はメディックとドクトルマグスの二人でとりかかる。

 

 毛根よりも奥深くまで届く裂傷を洗浄してから、ピンセットで石の破片を取り除き、消毒液を染み込ませたガーゼを押し当てて包帯を巻く。打ち身の傷は氷水をあてて冷やしておく。

 

 応急処置を終えると、二人の容態を書いた羊皮紙に『応急処置済』と表記する。冒険者は『アリアドネの糸』という町へ瞬間移動できるアイテムを持っている。しかし、瞬間移動は肉体に大きな負荷がかかるので応急処置をしていないとそれに耐えられず移動後に死亡してしまう場合がある。さらに負傷者だけを送り返す場合は、負傷者が体のどこを怪我しているのか、どこまでを治療済なのかを町にいる医者に迅速に伝える為、羊皮紙に治療の過程を書き込み、負傷者の体に貼りつけておくのだ。

 

「この二人はこれでひと安心です。意識が戻ったらアリアドネの糸であの衛士たちと一緒に帰還させましょう」

 

「さすがね。頼もしいドクターたちだわ」

 

「あの……。皆さんありがとうございます。私はヒーロー。ギルド『アルシオーネ』のリーダーをしております」

 

「私はガンナー。礼なんていいのよ。それにしてもあの竜を相手にあそこまでやるなんて凄いギルドね」

 

 女は涼やかな目元を緩ませた。

 

 紺碧色のジャケットとスカートはここの気温にしては少し分厚く、厚底で内皮が羽毛で覆われたブーツは北国で使用されているものに思えた。

 

「ガンナーか。加勢にも感謝する。俺はレンジャー。あそこで君が支援してくれなきゃ被害はもっと出ていた」

 

「分隊支援は、中距離戦の要でしょ?」

 

 レンジャーの言葉に、ガンナーは悪戯っぽく笑みを浮かべてウインクした。

 

「やはり君も軍経験者か。さすがに俺も、小銃にはかなわないな」

 

「自嘲するなよレン兄。道具の威力は劣っても、動きならレン兄が勝っているぜ」

 

「あら? そっちの坊やはレンジャーの弟分さん?」

 

「坊やじゃない。ミスティックだ」

 

 ミスティックはむっつりと腕を組んで、顔を覗き込もうとするガンナーからそっぽを向いた。

 

「失礼ですけど、ミスティック君はご病気ですか? とても顔色悪いですよ? まるで即身仏みたい」

 

「だれが即身仏だっ!」

 

「失礼だぞメディック。彼はウロビト族だ。大地の力を引き出す神秘の術者なんだぞ。俺の呪術とは格が違う。敬意を払いなさい」

 

「ご、ごめんなさい」

 

「……まぁ、神秘ってのは言い過ぎだけどな」

 

 そう言いつつも、ミスティックは満更でもなさそうに鼻をこすった。

 

 そのとき、遠くから罵声が聞こえた。

 

「こら~~メディ子! 早く私を治療しろぉ~!」

 

 振り向くとテントの手前で寝ていた女性が上体を起こしていた。

 

 黒のインナー姿なので胸や括れた腰回りのボディラインがはっきりとわかる姿をしている。彼女の足下には剣と大盾、そして白銀の鎧が置かれていた。

 

「いつまで後回しにするつもりだ~~! 私が死んじゃってもいいのか、この薄情者~!」

 

「もう! リーダーったら、かすり傷くらいでメソメソしないで下さい!」

 

 大人びた容姿とは裏腹に、両腕をぶんぶん振り上げる彼女の姿はまるで子供だ。

 

「あれがガンナーさんたちのリーダー?」

 

「ええ。パラディンよ。今はあんなだけど、戦場では頼れるのよ」

 

「あの人の鎧、ガンランサーみたいだニャ」

 

「む? 猫が喋っている? 私は幻覚を見ているのか?」

 

「幻覚じゃないニャ。僕アイルーニャ」

 

「さっきから気になっていたんだけど、このアイルーって何者なの?」

 

 ガンナーがアイルーの前に屈んでまじまじと見つめる。

 

「遠くの大陸に住む種族のようで、私たちはアイルーの飼い主を探すためにここに来たんです。そこであの飛竜に、リオレイアに襲われたんです」

 

「リオレイア? どうしてあの新種の名前を知っているの?」

 

「リオレイアも僕らの大陸にいるんだニャ。僕は旦那さんと一緒にリオレイアを追ってここまで来たんだニャ。でも旦那さんとはぐれて、僕はヒーローさんたちにお願いして旦那さんを探してもらってたんだニャ」

 

「そういうことだったの。申し訳ないわ。麻酔が効いていると油断して、私たちがリオレイアを檻から逃がしちゃったの」

 

 とうやら強制任務で新種を発見したのは、ガンナーのギルドだったらしい。

 

「ひょっとして旦那さんもここに運ばれて治療を受けたかもしれないのニャ」

 

 アイルーの言葉にメディックが腕を組んで唸る。

 

「猫さんごめんなさい。怪我人は何人もここに運びましたけど、その『旦那さん』らしい人は見かけませんでしたよ」

 

「そうですかニャ。旦那さんのことだから、きっとどこかに隠れているんだニャ」

 

 取り乱すことなく平然と言うアイルー。

 

「アイルー。申し訳ないですが、捜索を中断させて下さい。いったん帰還して体勢を立て直してから再開しましょう」

 

「もちろんだニャ! お嬢さん二人の無事が優先だニャ!」

 

 ヒーローたちが帰還の準備に取りかかる一方、ガンナーは探索の準備にとりかかっていた。

 

「私はリオレイアを追うわ。貴女たちが弱らせてくれた今がチャンスよ。研究者には悪いけど、ここで討伐しなきゃ犠牲者が増えるわ。頭にアイスショットを三発も撃ち込めば、さすがに倒せるでしょう」

 

 彼女は腰のホルスターに収めていた拳銃(ハンドガン)を取り出し、青く透き通った弾丸をカルカで銃口に押し込んでいく。

 

 その拳銃は三つの銃身を束ねた回転弾装という前時代の形だが、フレイムショットやアイスショットといった属性弾はサイズ的に先込め式の拳銃でしか撃てない。通常弾の威力や射程距離なら小銃が上だが、多種多様な魔物を倒す為には特種な弾を撃てる前時代式の拳銃が必要になるのだ。

 

「でも、ガンナーさんだけでは危険では?」

 

「私だけじゃないわ。頼れる中衛も一緒よ」

 

 と、彼女の隣でドクトルマグスが頷いた。

 

「パラディンが負傷し、メディックがここで治療を続けるとなると、彼女と行けるのは俺だけだからな」

 

 ガンナーたちの言葉にヒーローは加勢すべきか逡巡する。

 

 当初の目的は飼い主の捜査だが、ここでリオレイアを放置するわけにもいかない。ベテランであるガンナーたちと一緒なら勝率も上がるだろう。

 

 しかし、それでは飼い主の捜査が遅れてしまう。

 

「僕はヒーローに賛成だ」

 

「え? ミスティックさん? 私、何も言っていませんけど?」

 

「ここでガンナーたちと共闘すべきだって、顔に書いてあるぞ」

 

「でも、それでは飼い主の捜査に遅れてしまいます」

 

 ヒーローたちの密談中、アイルーはリーパーたちの枕元に歩み寄っていた。

 

「メディックさん、お嬢さんたちは無事なのニャ?」

 

「はい。意識を失っているだけで、マギニアに戻って治療すればすぐに全快します」

 

「それなら僕もガンナーさんと一緒に戦うニャ! 連れて行ってほしいニャ!」

 

「アイルー? 飼い主の捜査はいいのですか?」

 

「僕らが追っていたリオレイアだニャ! このままだとお嬢さんたちみたいに犠牲者が増えるニャ! 旦那さんなら絶対そんなこと望まないニャ!」

 

 アイルーは野営地の隅に埋まっていた岩まで四本足で駆け寄ると、どんぐりスコップを突き立てた。大きな岩を縦長に切り崩し、次に大樹に駆け上って枝葉を伐採して、それをしならせて器用に岩を包み込み、裏側に取ってを縛り上げると小さな盾が完成する。

 

「『荒地のまもり族』から教えてもらった道具の作り方だニャ! これで僕がリオレイアの注意を引くのニャ!」

 

 頭身は低いものの、盾を高々とかまえるアイルーの姿はとても勇ましい。

 

「ですが、ゾディアックたちのことが気がかりです。万一様態が急変したら、誰かがマギニアへ同行しないと」

 

「じゃあ、僕が残って甘党二人の傍にいる。陣の力を流し続ければ自然治癒を加速させられるだろうしな」

 

 ミスティックが欠けたことで、リオレイア討伐に向かうメンバーは四人と一匹となった。

 

 前衛がヒーロー、アイルー、ドクトルマグス。後衛はレンジャーと、ガンナー。

 

「作戦は?」

 

「リオレイアは野営地の先の広間にいる。中央が吹き抜けて噴水が建っている。最下層から伸びているひときわ大きな噴水塔だ」

 

 樹上で双眼鏡を握るレンジャーが報告すると、それと同じ状況をヒーローが小枝で地面に描いていく。

 

「まず僕がリオレイアを誘導するニャ! 逃げ回って疲れさせるのニャ!」

 

「隙ができたところで私とドクトルマグスさん、レンジャーさんで攻撃して弱らせます」

 

「私が攻撃の直前に君に巫術をかけて、戦況を有利にしよう」

 

「攻撃する箇所は?」

 

「リオレイアは翼を破壊すれば動きが鈍くなるのニャ! ヒーローさんたちで翼を叩くのニャ!」

 

「完全に動きが鈍ったところを、私がアイスショットで倒すわ」

 

「どこかで作戦ミスが起こったらどうする?」

 

「リオレイアに狙われた人は、噴水を迂回するように逃げて直撃を避けて下さい。複数で狙われた場合、全滅しないようにできるだけ散開して火球を避けましょう」

 

 作戦を終えたメンバーが立ち上がる。

 

 目指すは野営地の先、リオレイアのいる広間だ。

 

「皆さん、ご武運を!」

 

「必ず帰ってこいよっ」

 

「こらメディ子ぉ~! いつになったら私を治療するんだぁ~!」

 

 メディックとミスティックからの激励に、パラディンの叫びがまじる。

 

「もうっ! リーダーったら、貴女は加勢に行くべきポジションの人ですよ!」

 

「無理で~す! だってメディ子が治してくれないんだも~ん!」

 

「そんなかすり傷に医者なんて要りません! 他の人が優先です! まだテントの中にも怪我人がいるんですから……!」

 

 と、そんなやりとりを背中で聞きながら、ヒーローたちは野営地を出て、リオレイアの潜伏する広間へ向かうのだった。

 

 

 野営地から大広間への通路は低木に阻まれて歩きづらかった。足音をたてぬように慎重に前進していると、リオレイアのものと思われる三本爪の足跡を見つけることができた。どうやら歩いて広間へ向かったらしい。リオレイアは大広間の中央、噴水塔の傍にいた。

 

 ぐるぐると塔を歩き周り、ときおり周囲の樹木や草地に頭を擦りつけている。

 

「マーキングだ」と、レンジャーが呟いた。

 

 己の臭いを擦りつけることで、他の魔物にリオレイアの縄張りをしらしめようとしているのだ。

 

「皆さん準備はいいですね。作戦開始です」

 

「任せるのニャ!」

 

 盾をかまえたアイルーがリオレイアの背後からこそこそと近づいていく。

 

 竜に近づく猫の姿に心細くなる一同だが、アイルーは体格差など臆する様子はない。

 

 そしてスコップで石の盾を打ち鳴らしてリオレイアの注意を引き付けた。

 

「かかって来い! お前の相手は僕だニャ!」

 

 アイルーめがけてリオレイアが火球を吐く。一発。二発。三発と。しかしアイルーは軽やかに跳躍してこれらを避ける。

 

 飛び散る火の粉は盾で防ぎ、ときに噴水塔から垂れ落ちる水を浴びて盾や体温を冷やしている。

 

 その活躍に四人も舌を巻いてしまう。

 

「すごい! リオレイアが疲れ始めています!」

 

「あの猫、うちのリーダーよりも役に立ちそうだ……」

 

 頃合いを見定めた四人が広間に突入する。

 

「太古の風よ、彼女に力を与えよ」

 

 袂をめくって刺繍のされた腕を出すと、ドクトルマグスが杖の先端をヒーローに突きつける。駿足化を受けたヒーローは韋駄天の早さでリオレイアへ接近。踏み込みと同時に真っ向に切り、逆袈裟に切り上げ、返す刃でさらに一撃と、連続で切りつけていく。

 

 ドクトルマグスも杖の先端の仕込み刀を抜いて、的確に翼手の関節を突き刺していく。鱗のない皮膜は容易く破壊することができ、もう一方の翼もレンジャーの狙撃でボロボロになっていた。

 

 疲労で火を吐けないリオレイアは尾を振り回そうとするが、頭に飛び乗ったアイルーに両目を隠され混乱し、不発に終わる。

 

「ガンナーさん、今だニャ!」

 

 アイルーはガンナーに呼びかける。

 

 ガンナーは離れた処で拳銃の照星越しにリオレイアを睨んでいた。

 

「どきなさい!」

 

 ガンナーが叫んだ。

 

 アイルーが頭から飛び退く瞬間、ガンナーが引き金を引いた。

 

 放たれた三つの弾丸は翡翠色の軌跡を描いてリオレイアの頭部へ食い込んだ。瞬間、リオレイアのけたたましい絶叫が響き渡る。

 

「倒したの?」

 

 前衛三人が固まってふらつくリオレイアを見守る。

 

 レンジャーは弓を引き絞ったまま、ガンナーは拳銃を収めて小銃を構え直す。リオレイアは再度短く鳴くと、その場にゆっくりと崩れ落ちた。ずずぅんと土煙が上がり身を埋めるリオレイア。

 

 しばらく見守るが擬死の様子はみられない。

 

 全員が警戒を解き、胸を撫で下ろした。

 

「やった、やったニャ! リオレイアを討伐したニャ!」

 

「貴方のおかげよアイルーっ、野営地に戻って皆に報告しましょう!」

 

 アイルーがヒーローの胸に飛び込み、ヒーローはアイルーを抱きしめる。

 

 ドクトルマグスとガンナーも笑顔でアイルーを撫でていた。

 

 ところが、レンジャーだけは不審げにリオレイアの亡骸を見下ろしていた。

 

「どうしたんですか?」

 

「……ここまで手傷を負いながら、どうしてマーキングしていたのかと思ってな。普通の魔物なら、巣作りよりも傷が癒えるのを優先するはずだ」

 

 レンジャーはリオレイアの遺体を観察する。

 

 横向けに倒れた飛竜の姿は、今にも動きそうな躍動感が残っていた。

 

 たくましく首に肩。背鰭や鱗に覆われた背面に比べ、胸元や腹部の肉質は柔らかい。「これは……!」

 

 下腹部を見たレンジャーは身を乗り出し、慌ててぷっくりと膨らんだ下腹部に触れる。

 

 と、その瞬間、下腹部のさらに下の局部が左右に開き奥から白い球体が出てきた。

 

 粘液の糸を引いて草原に落ちてきたのは、砲丸のような大きさの卵だった。

 

「どうして巣作りをしていたのかわかった。子供を生む為だ……」

 

「ま、まずいニャ! もしかすると『雄』が来るかもしれないニャ!」

 

「リオレイアの『雄』?」

 

 ヒーローが首を傾げたその時、全身を震わせるような鋭い鳴き声が轟き、頭上を黒い影が横切った。それはリオレイアよりも一回り小さいが、より猛禽的なフォルムの赤い飛竜だった。

 

「リオレウスだニャ!」

 

「リオレウス……。そうか、リオレイアのツガイかっ!」

 

 恐ろしいほどの速度でリオレウスが降下する。地上を目指して全速飛行するような猛スピードに、レンジャーもガンナーも初弾を当てることができない。リオレウスは四人のことなど意にすることなく、倒れていたリオレイアの足元に着地する。

 

 翼をたたみ、くわえていた毒蜥蜴の肉片を差し出している。しかし、死んでいるリオレイアは動かない。

 

 リオレウスは生肉を置いて、リオレイアの額を嘴の先で優しく突き始めた。とうやら眠っているリオレイアを起こそうとしているようだが、彼女が死んでいることに気づくと空を仰いで断末魔のような悲鳴を上げるのだった。

 

「お、怒ってるのニャ……!」

 

「ヤバイぞっ!」

 

 振り返ったリオレウスの眼光には禍々しい怒りの炎が宿ってる。内面に渦巻く激しい憤怒が体を突き抜けてヒーローたちに放射されている。妻を殺したのはお前たちかという声さえ聞こえてくるかのようだった。

 

 リオレウスが火球を吐き出した。それらはヒーローたちの周囲に着弾して周囲に燃え広がる。

 

 轟々と燃えさかる炎によって逃げ道を塞がれたところで、翼を広げたリオレウスが地を蹴って飛来する。

 

 レンジャーたちが迎撃するが、それを見越しているかのようにリオレウスは高度を上げ、ヒーローたちの頭上を掠め飛ぶ。

 

 そしてすれ違い様に、垂らした尾の先を飛び道具を持つレンジャーたちを的確に振り下ろしてきた。

 

 回避しようにも周囲は火の海。ヒーローが盾で凌ぐが、破城槌のような衝撃に全身が揺さぶられる。

 

「大丈夫か?」

 

 ドクトルマグスからキュアを受け、礼を言って立ち上がろうとした瞬間、ヒーローは眩暈を起こし、その場で倒れてしまった。

 

「ヒーローっ!?」

 

 業火に包み込まれてるというに、体幹を走っていた血流が一斉に凍り付いたような寒気が走り、止めどなく冷や汗が額から流れてくる。

 

 呼吸が浅くなり、ヒーローは自分の症状を伝えることもできない。

 

「毒だニャ! リオレウスには毒があるんだニャ!」

 

「わかった、すぐに解毒する!」

 

 意識が遠のきながらもヒーローは首を横に振り続ける。

 

 私の治療は後回しにして、と。しかし毒は容赦なく彼女の体を蝕んでいた。呼吸の流れを堰き止め、体内のいたる臓器に焼きこてを押し当てるような痛みを与えていた。あまりの激痛に、ヒーローはその場で金魚のようにぱくぱくと口を開閉しながら背中を丸めて悶絶してしまった。

 

「ヒーローさん、しっかりニャ!」

 

「頑張れ、今助けるぞ!」

 

 前衛が崩れかけたところに旋回したリオレウスが戻ってくる。

 

 レンジャーたちが前衛に入れ代わって狙撃するが、リオレウスはもろともしない。

 

「僕が時間を稼ぐのニャ!」

 

「無茶だアイルー!」

 

 盾を背負って四本足で跳び出たアイルー。尻尾の攻撃ぐらいなら回避できると思ったのだ。

 

 ところがリオレウスと対峙した瞬間、アイルーは己の不覚を悟った。リオレウスは尾を振り抜くと見せかけて、その場で軽やかに身を翻し、紅蓮の炎を吐き出したのだ。爆炎を受けたアイルーは熱風の衝撃で吹っ飛び、噴水塔のそばに転がり落ちてしまう。

 

「い、痛ててだニャ……」

 

 帽子のゴーグルは割れ、レザーの上下服は黒く焦げ、一部の毛並みがぷすぷすと燃え尽きている。

 

 よろよろと立ち上がり盾を握るが、そこへ目がけリオレウスが再び火球を吐く。

 

 爆発と同時に、アイルーが握っていたはずの盾が花火のように空高く舞い上がり、放物線を描いて落下する。

 

「アイルーっ!」

 

 黒煙に包まれてアイルーの姿を認めることはできなかったが、彼はまだ生きていた。

 

 スコップを杖にして立ち上がり、よたよたとリオレウスに歩くと注意を引こうとスコップを振り上げる。

 

「ちょっと、あのままだと死ぬわよ!」

 

「アイルー、もういい逃げろ!」

 

 ありったけの声で叫ぶが、意識が朦朧としているのかアイルーはふらふらとリオレウスに向かっている。

 

 満身創痍になりながらも己の役目をはたそうとする様は幽鬼のようで、その行軍には味方であるレンジャーすらも背筋が震えるほどだった。

 

 じりじりと接近するアイルーにリオレウスも意識を奪われている。

 

 確実にアイルーにトドメをさそうとリオレウスは歩を進め、両者の距離はゆっくりと縮まっている。

 

 このままではアイルーが殺されてしまう。自分たちの為に奮戦するあの猫を見捨てることはできない。

 レンジャーは弓をしまうと投擲用のナイフを抜いてリオレウスへと駆け出した。どうにか両者が衝突する前にアイルーをかっさらいたいが、全力で走っても間に合いそうにない。

 

「おい雄竜! 女房を殺したのこっちだ! てめぇは猫しか相手にできねえのか、このカマ野郎!」

 

 精一杯罵り、ナイフを投げようとした瞬間、レンジャーの隣を誰かが駆け抜けていった。その後ろ姿はガンナーでもドクトルマグスでもない。紅蓮の炎を突き破ってこの広間へ飛び込んだ、第三者であった。

 

「誰だ?」

 

 レンジャーは思わず歩幅を緩める。その人物はリオレウスへ疾走すると、その背中に跳び乗った。

 

 虚を突かれたリオレウスがそれを振り落とそうと暴れ始める。態勢を乱されながらも執拗にへばりつき、手にした短剣を何度も何度もリオレウスの頭頂に突き立てている。

 

「旦那さん……」

 

 見ればアイルーの瞳に光が戻っている。

 

「旦那さん? 『彼女』が君の飼い主なのか?」

 

 アイルーが旦那さんと呼んだ人物を乗せたまま、リオレウスは背中から噴水塔に体当たりをする。

 

 地響きとともに塔が揺れ、一部の壁面が崩落する。

 

 その衝撃に耐えられず、『彼女』はリオレウスの背中から落下してしまう。

 

「大丈夫かっ?」

 

「旦那さん、しっかりニャ!」

 

 レンジャーとアイルーが駆け寄ると、彼女は自力で立ち上がり、背中に差していた鉄塊のような大剣を抜いて正眼にかまえた。

 

「君がアイルーの飼い主、『ハンター』だな?」

 

 レンジャーが訊くと、彼女はこくりと頷いた。

 

 後ろに縛られた銀の長髪が馬の尻尾のように揺れ、口元には一見すると拘束具のような獅子の顎を模したマスクを着用している。

 

 黒いインナーの上に石彫りの阿修羅像のような剛毅な鎧姿だが、軽量化の為か太股や背面の装甲がなく、地肌の露出が多い。

 

 彼女が攻撃特化職であることは、レンジャーにも一目でわかった。

 

「加勢してやる!」

 

 と、新たな声に振り向くとそこには鎧姿のパラディンが。

 

「メディ子が猫の事を喋るなり、テントから飛び出しやがったんだ」

 

 パラディンが親指でぐいっとハンターを指差す。

 

 どうやらハンターはパラディンのギルドに発見され、テント内で治療中だったらしい。

 

「旦那さんがテントにいたなら教えてくれればよかったのニャ! ぷんぷんだニャ!」

 

「文句ならメディ子に言え。お前が『旦那さん』っていうからてっきり男かと思ったんだとよ」

 

 飴玉のように両頬を膨らませるアイルーを、パラディンが猫掴みして持ち上げた。

 

「ニャ? なにするのニャ?」

 

 首を掴まれ洗濯物のように揺れるアイルー。前足をじたばた伸びして暴れるが短くて届かない。

 

「邪魔だから怪我人はどいてろ。あっ、怪我人じゃなくて怪我猫か?」

 

「邪魔じゃないニャ! まだ戦えるの……、ニャ! ニャニャ~!」

 

 パラディンが投げたアイルーを後方のガンナーがナイスキャッチ。

 

「これで存分に戦えるな」

 

「君は病み上がりだろう? 大丈夫なのか?」

 

「盾が泣きべそかけないだろう」

 

「頼もしい。だが、君は大丈夫なのか?」

 

 ハンターは無言だったが体勢を立て直したリオレウスが咆哮しても、切れ長の目に怯えの色が宿ることはなかった。彼女もまた、いくつもの死線をくぐり抜けた猛者なのだろう。

 

「それに、病み上がりなのはあちらさんも同じだ」

 

 リオレウスの顎からは、頭部からの鮮血が滴り落ちていた。レンジャーは、ハンターが突き刺していた短剣の刃渡りが目測で三十センチはあったのを思い出す。それは、世界樹の迷宮において魔物の心臓を外皮から突き刺すことができるぎりぎりの長さとして知られている。

 

 どうやらハンターの暮らす世界においても、その常識は共通しているようだ。暮らす世界が違えど、魔物への知識が同じならば連係できる。

 

「動きを止めよう。私は右足をやるから、アンタは左を頼む」

 

「了解だ」

 

「足を封じたら動きが鈍る。そこへ貴女のとっておきの一撃を頼む」

 

 パラディンの指示に、頷くハンター。

 

「来るぞ!」

 

 リオレウスの突進をパラディンは右に、レンジャーは左に身をそらして避ける。すれ違いざまにパラディンは右大腿に刺突を、レンジャーは逆手にかまえたナイフを深々と突き立てた。悲鳴とともに、わずかにリオレウスの走行が鈍る。

 

 そこへ正面に待ち構えていたハンターが渾身の力で大剣を上段から振り下ろした。遠い間合いから出されたこの一撃はただの布石。空を切った大剣は地面に刺さり、ハンターは柄を握って軽やかに身を持ち上げると刺さっていた切っ先を支点に宙で一回転するようにくるりと身を翻した。流れるようなその動作の最後に大剣を抜き上げ、間合いに入っていたリオレウスの頭頂に棍棒のごとく叩きつけた。

 

 頭蓋骨を砕きわるような衝撃を受け、リオレウスはその場から大きく後退し、そして地上戦の不利を悟ったのか大きく翼を広げた。

 

「逃がすか!」

 

 目にも止まらぬ早さでレンジャーが複数の矢を同時に引き絞る。

 

「乗れ! 私が足場になる!」

 

 パラディンがリオレウスに背を向けて盾を斜めにかまえた。意図を察したハンターは助走をつけて盾に跳び乗ると、パラディンの盾を振り上げる力に合わせて盾を蹴って跳躍し、空中で抜いた大剣を狙撃に怯んでいたリオレウスにめがけて叩きつけた。

 

 響き渡るリオレウスの絶叫。ハンターが軽やかに着地をする傍ら、リオレウスは滑空するように広場の隅へ墜落する。意識を失いつつも翼が浮力を保っていたので途中までは高度を維持していたが、ある地点を境に急降下が始まり、リオレウスは草地を抉りつつ広間を囲む樹林に頭をめり込ませるようにして止まった。

 

 そこは偶然にもリオレイアの亡骸が横たわる地点のすぐ隣だった。

 

 二頭の飛竜は、向かう合う姿勢で地に埋まっていた。

 

 今度こそ、戦いは終わったようだ。

 

「旦那さん、旦那さ~ん!」

 

 ハンターめがけて、タックルするかの勢いでアイルーが抱きついた。

 

「旦那さん、よかったニャ! 心配したのニャ!」

 

 アイルーが垂れ流す涙や鼻水を気にすることなく、ハンターも彼を抱きしめる。

 

「はっ! 旦那さん、ヒーローさんを助けてあげてほしいのニャ!」

 

 いきなりアイルーが顔を上げる。ハンターの胸に顔を埋めていたので、それに合わせて鼻水がびょ~んと伸びる。汚ねぇ。

 

 アイルーが先導した先には、未だに床に伏せるヒーローの姿があった。先程よりも顔色は良くなっているが、息は荒く発汗量も多い。

 

「すまない……。薄めることはできたが、毒は抜けきっていないんだ」

 

「このヤブ医者! メディ子の劣化職! お前はロリータ要員の解毒すらできんのかっ!」

 

「リーダー、言い過ぎよっ」

 

「これは飛竜の毒だ。筋繊維や止血成分、神経を破壊する蟲や蛇のものとは違うんだよ」

 

 パラディンの叱責にドクトルマグスは顔を伏せる。彼の治療術でも、飛竜の解毒は難しいようだ。

 

「旦那さん、お願いニャ!」

 

「……君は回復術も使えるのか?」

 

 レンジャーが訊くと、彼女はヒーローの枕元に腰掛けて膝枕をした。そして腰のポーチから青色の小瓶を取り出し、彼女の口に流し込んだ。

 

「なるほど。そちらの大陸での解毒薬か」

 

「ニャ! 僕らは狩りの時、絶対に解毒薬を持って行くのニャ! それから回復薬に携帯食料も!」

 

 声量を上げるアイルーに、ハンターが静かにしなさいと唇に指を当てる。アイルーは慌てて両手を口にあてた。

 

「……アイルー?」

 

 解毒薬を飲み干すなり、ヒーローが意識を取り戻した。

 

「……こちらの方が、飼い主?」

 

 ハンターは口元を覆っていたマスクを外すと、ヒーローの額を愛でるように撫でた。

 

「ふあっ。気持ちいい……」

 

 眠るように目を瞑るヒーローに、ハンターは女神のように優しく微笑む。まるで仲の良い姉妹のようだ。無骨な装備のわりに、ハンターも根は優しいのかもしれない。

 

「ところで貴女、どうやって帰るつもり? さすがにマギニアから貴女の大陸に出る気球艇なんて無いわ」

 

 ガンナーの言葉に、ハンターは首を傾げて唸る。

 

「ひょっとして、喋れないの?」

 

「旦那さんは昔、炎妃龍の攻撃で喉を焼かれちゃったのニャ」

 

 だから仕草で返答しているのか。と、そのときレンジャーたちの足元が翳り、見上げると、上層の階層よりもさらに上空に一隻の気球艇が滞空していた。しかしその気球艇、マギニア周辺では見慣れない形状だった。船体が木造で、浮力を得る為の気球が縦に長く、それも複数で連なっているのだ。

 

「あれは……?」

 

「どうやらお迎えのようだな」

 

 気球艇の船縁から錨状のものが投下されると、それはこの大広間の地層にぶつかる直前で止まった。それには帆船の物見台のようにしっかりとした足場が設けられており、そこに乗っていたのはアイルーとそっくりな猫たちであった。

 

「『オトモダチ探検隊』だニャ!」

 

 着地した三匹はアイルーを見つけると、一斉に駆け寄ってくる。槍を持ったすらりとした長身の猫や、包丁を持った丸い奇面をつけた猫(?)、ペンギンのように丸っこい生物もいる。

 

「テトルーにガジャブー、ポワポワも来てくれたのニャ!」

 

 四匹揃うと、アイルーたちは互いに前足を取り合って和になると『ニャッ! ニャッ! ニャッ!』と声を揃えて躍り始めた。

 

「あいええええええぇぇぇ!」

 

 突如、奇声を上げてヒーローが跳ね起きた。

 

「ど、どうしたのこの子?」

 

「まさか、毒で正気を失ったのか?」

 

「ういいいひひひひひいいいぃぃぃぃ!」

 

 ヒーローがゴキブリモードで猫の和に突貫する。

 

「アイルーちゃんが増えてる! 全員、お持ち帰りぃ!」

 

「ギニャ~~! ヒーローさん恐いニャ! 動きがネルギガンテみたいになってるのニャ!」

 

「あけけけけけけけけけけぇ!」

 

 奇声を上げながら四つん這いで跳ねなが猫たちを追い回すヒーロー。彼女の発狂ぶりにガンナーたちも唖然としている。

 

「ねぇ、あの子大丈夫なの?」

 

「やはり毒の影響か……!」

 

「山田孝之の『ごっこCM』を凌駕する動きだ」

 

「落ち着けリーダー、人としてやっちゃいけない動きになっているぞ!」

 

 レンジャーが羽交い締めにするが、ヒーローは口から泡を吹きながら血走った目をアイルーたちに向けている。

 

 猫たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、中には小石を投げて応戦する猫もいた。

 

 戦場化する地上を差し置いて、猫たちに遅れて鎖を伝って気球艇から降下する人影があった。

 

 猫ではなく、全員が人間だった。太刀やハンマー、見慣れない銃火器と別々の武器を背負っており、鎧の姿もまるで違った。全員フルフェイスタイプの兜をしているので素顔はわからないが、ハンターが気さくに片手を上げているから彼女の仲間のようだ。

 

「おいロリータ、異文化交流だ。真顔でいくぞ」

 

 パラディンがヒーローの頭を小突いて正気に戻した。アイルーたちも逃走を止めて、それぞれの飼い主の元へ駆け戻る。

 

「初めまして、というべきかな」

 

 リーダー格の男は柔らかい声で言うと、こちらに歩み寄って握手を求めるように手を差し出した。

 

「ほらっ。行ってこいロリータ」

 

「わ、私がですか?」

 

「猫の依頼を引き受けたのはお前らのギルドだろ」

 

 背中を肘で突かれてヒーローが彼の手を握り返す。

 

「彼女を救ってくれたことを感謝する」

 

「いいえ。当然のことをしたまでです」

 

「我々もすぐに救助に来たかったのだが、こちらの気候や空路には慣れていなくて時間がかかってしまった。君たちがいなければ最悪の結果になっていただろう」

 

 男はヒーローから視線を外し、リオレウスたちの亡骸を見つめた。

 

「それにしても『歴戦個体』を二体同時に仕留めるとは凄い腕前だな。よかったら我々の大陸に来ないか?」

 

「えっ?」

 

 アイスリット越しに、男は冗談とは思えないほど真剣な眼差しを向けてきた。

 

「君なら、優秀な狩人になれる」

 

「ニャ! ヒーローさんたちなら大歓迎だニャ!」

 

 男だけでなく、ハンターとアイルーまで頷いていた。

 

「私が、狩人に……」

 

 一瞬。

 

 ほんの一瞬、ヒーローはアイルーたちに囲まれて魔物を討伐する生活を夢想した。アイルーと一緒に寝て、起きて、食事をして、時に肉球をつんつんしたりもして、生活を豊かにすべく魔物を狩る……。そんな日々も、悪くないかもしれない。

 

 けれど

 

「いいえ」

 

 ヒーローは首を横に振った。

 

「私たちは、冒険者なので」

 

「冒険者?」

 

「『世界樹の迷宮』が待っています。魔物狩りは『ハンター』さんにお任せします」

 

 そうかと、男は残念そうにヒーローたちに背を向け、気球艇の錨に足をのせた。

 

「ヒーローさんたちとはお別れニャ。名残惜しいのニャ……」

 

 ハンターとアイルーも彼に続いて錨へ向かう。

 

 と、その時ハンターが踵を返してヒーローの前に戻ってきた。

 

「どうしました?」

 

 ハンターは自分の胸の谷間に手を突っ込み、そこから金鎖のネックレスを外すと、それをヒーローの首に巻き付けたのだ。

 

「これは?」

 

「護石だニャ! 『精霊の加護』のついたアクセサリーだニャ!」

 

 アイルーによると、希にではあるが持ち主が受ける苦痛を半減してくれる神秘のお守りらしい。

 

「こんなアイテムを、いいんですか?」

 

 ヒーローが訊くが、ハンターは笑顔で手を振るだけだった。

 

「あの……!」

 

「冒険者さんたち、さようならニャ!」

 

 全員の搭乗を確認すると、錨はゆっくりと釣り上げられ気球艇へと戻っていく。

 

「僕、絶対に皆さんのことを忘れないのニャ!」

 

 錨が完全に戻ると、気球艇は音もなく微速前進しみるみるうちに遠ざかっていった。

 

「『私たちは冒険者なので』か……。言ってくれるね。ロリータ」

 

「ロ、ロリータじゃなくて、ヒーローです」

 

 冷やかすように言うパラディンを、ヒーローが見上げて睨む。

 

「怒るなよ。優秀な後輩がいてくれて私も嬉しいのさ」

 

「ふ~んだ。パラディンさんのことを先輩だなんて思えません」

 

「な、なんだと。リオレウス戦のときは途中退場していたくせに!」

 

「パ、パラディンさんだって途中参加だったじゃないですか! こっちは連戦だったんですよ!」

 

「連戦がなんだ! そんなことで弱音を吐くな! このパッケージ泥棒!」

 

「「「二人とも止めなさいっ」」」

 

 ガンナーとドクトルマグスがパラディンを、レンジャーがヒーローをつかまえて、遠ざける。

 

 若干騒がしくなりながらもどうにかその場は落ち着きを取り戻した。

 

 新種との連戦に、異国との交流。それらを終えて興奮が醒めるといつの間にかすっかり日が傾いていたのに気付いた。

 

 山並みのようにそそり立つ樹木が迷宮に少しづつ影を落とし、草地は消えつつある熾火のように赤く輝いている。

 

 足元の半分は既に暗がりに飲み込まれているというに、冒険者たちは残照へ消えゆく気球艇の後ろ姿をいつまでも見送っていた。

 

 



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エピローグ

 

 

 ハンターたちとの別れから数日後。

 

 アイルーの勤めていたオープンカフェにて、パフェを食べるリーパーたちの姿があった。

 

「ふぇぇん、アイルーちゃぁぁ~~ん!」

 

「もうっ。リーダーったら、いい加減に泣き止めなのだわ」

 

「寂しいのはわかりますけど、ハッピーエンドでよかったじゃないですか」

 

 ヒーローは、泣いていた。これ以上ないくらい、泣いていた。

 

 アイルーたちと別れてからというもの、ずっと泣いている。

 

 涙は枯れ果てることなく、鼻水も垂れ流し続けており、寝食も忘れて四六時中泣き喚いている。彼女を慰める為にリーパーとゾディアックはこのカフェに連れ出したのだが、いくらスプーンで口の中にクリームやフルーツを押し込んでも当人が泣き続けているので咀嚼されることなく唾液とともにボトボトと机の上にこぼれ落ちている。汚ねぇ。

 

「それに、ちゃんとお別れできてよかったじゃないですか。私たちは気絶してたからさよならも言えなかったんですよ」

 

「そうなのだわ。野営地で目覚めたら『もう全部終わりました』じゃ、損な役回りなのだわ。私だって猫吉に挨拶したかったのだわ」

 

「わかってるけど……」

 

「ピピ~」

 

 ヒーローが涙を拭いていると、彼女の頭にのっていた竜がむくりと顔を上げていた。

 

「あ、起きたのだわ」

 

「ヒーローさん、赤ちゃんがご飯をねだってますよ」

 

 ぐすぐすとべそをかく彼女に代わって、リーパーたちが口を開けた竜の口にパフェを与えていく。

 

「ピチュピチュ」

 

 と、小鳥のように鳴きながら竜は美味しそうに喉をならす。

 

 ヒーローの頭にしがみついているのは、リオレウスの赤ちゃんだ。体皮は赤いが、牙は生え揃ってはおらず、丸っこいフォルムで爛々とした目のせいもあって愛くるしい姿をしている。

 

「ピ~ピ~」

 

 満腹になったリオレウスはヒーローの頭から降りると、彼女の膝に座って丸っこい頭頂をお腹や胸に押し当ててくる。

 

「ほら、お子さんが遊んでほしいみたいなのだわ」

 

「この子をアイルーちゃんだと思えばいいじゃないですか」

 

「……ぐすっ。ぜんぜん似てない」

 

 とは言いつつも、ヒーローはどこからか取り出した猫じゃらしでリオレウスをあやしている。

 

 リオレウスは嬉しそうに短い前足を伸ばして猫じゃらしを捕まえようとしている。このリオレウスは、討伐されたリオレイアが産み落とした卵から孵ったのだ。ハンターたちの気球艇が去った後に生まれ、偶然近くにいたヒーローを母親と思い込んで懐いてしまっているのだ。

 

「それにしてもこのカフェ。お客さんが減っているのだわ」

 

 リーパーがテーブルを見回すと、閑古鳥とはいかないものの以前よりも客足はまばらになっている。

 

「店長さんもアイルーちゃんがいなくなったのが寂しくて、お店の活気もなくなったみたいですよ」

 

「なんだかんだ、猫吉ってみんなから好かれてたのだわね」

 

「でも、落ち込んでばかりもいられないから、今度猫風の肉球ケーキを作ってお客さんを取り返してみせるって意気込んでました」

 

「に、肉球ケーキ……。発想はともかく、店長は頑張るつもりなのだわね……」

 

「アイルーが頑張って帰れたのに、うじうじしていられないって言ってました」

 

「…………そうですよね。私も、落ち込んでばかりいたらダメですよね」

 

 ヒーローが立ち直りかける。だが、彼女が情緒不安定なのはアイルーとの別れだけが原因ではなかった。

 

「で、このタイミングで言いにくんだけど、リオレウスの事は決めたのだわ?」

 

「うん。私が育てる」

 

「あ、あの、ヒーローさん。ここはレンジャーさんの言う通りに、リオレウスは大人になったらハンターさんたちの大陸に放すべきじゃないでしょうか?」

 

「やだやだやだぁ~~! ピーちゃんは私が育てるんだもん! 私がお母さんだもん!」

 

 リオレウスを抱きしめるなりヒーローはまたも大音量で泣き始めた。

 

 彼女が泣き続ける二つ目の原因がこれである。

 

 懐かれたので仕方なくギルドハウスへ連れ帰ったヒーローたちであったが、今後の処理についてレンジャーと揉めていたのだ。最初はヒーローも――アイルーに会う口実でもあるが――リオレウスが成長したらハンターたちの大陸に連れていくつもりだった。

 

 しかし常に自分から離れず、泣いている自分を心細げに見上げる竜の赤ちゃんと暮らしているうちに母性が芽生えてしまい、手放せなくなっていたのだ。

 

「それに、ハンターさんの大陸に連れ帰ったら狩られちゃうかもしれないもん!」

 

「こっちの大陸にいたって野良竜と間違えられて倒されるのだわ?」

 

「野良じゃないもん! ちゃんと首輪つけるもん!」

 

「竜の首輪なんて聞いたことないのだわ!」

 

「キュワ~」

 

 当のリオレウスはというと、会話の意味などわからず大あくびをしている。遊びつかれて眠くなったのか、リオレウスはヒーローの膝上で丸まり鼻提灯を出しながら寝息を立て始めた。

 

「たしかにリオレイアたちから被害は受けたよ! でもこんな小さな子を放り出すなんてできないよ~!」

 

「今は可愛くても、成長したら初見殺し間違いなしのFOEになりますよ? それでもギルドハウスに置くつもりですか?」

 

 ゾディアックの指摘にヒーローは押し黙ったままリオレウスを抱きしめる。そこへ、断りもなく彼女たちの円卓席に腰かける者たちがいた。レンジャーとミスティックである。

 

「ただいま。ああ、疲れた。なんで王族の話ってあんなに長いんだよ」

 

「こらこら。誰かに聞かれるとこの国から追い出されるぞ」

 

 彼らはリオレイアたちの討伐、そしてハンターの救出を達成したことでギルドの代表としてペルセフォネ王女から褒美を与えられていたのだ。なぜ王女がこの件を知っていたかというと、ハンターたちが垂水ノ樹海を気球艇で通過する際、無線でマギニアと連絡を取り合っていたのが原因である。

 

 気球艇や飛行機が他国の領空に近づく場合、事前に所属国名と接近目的を告知する義務がある。これを怠ると相手国に領空侵犯の嫌疑をかけられて撃墜されても文句はいえなくなるからだ。

 

 そして、帰り際にハンター側が無線で告げたヒーローへの賛辞が偶然ペルセフォネ王女の耳に入り、褒美を貰えることになったというわけだ。本来ならヒーローが代表すべきところだが、このとおり情緒不安定なので彼らが赴いたのである。

 

「ご褒美ってなんでした?」

 

「現金だよ。ロマンがないぜ」

 

「あって困るものじゃない。素直に喜ぼう」

 

「あっ! そうなのだわ! これで皆で美味しいものを食べに行こうなのだわ!」

 

「美味しい食事か……」

 

「悪くないな」

 

「私もリー子さんに賛成っ!」

 

 声を弾ませる四人とは対称的に、ヒーローはどんよりと落ち込んでいる。

 

「リーダー。悪いが、ペルセフォネ王女にリオレウスの件を報告させてもらった」

 

「ピーちゃんのことを? 酷い! なにがなんでも私からピーちゃんを奪うつもりですか!」

 

「話は最後まで聞きなさい。ペルセフォネ王女は許してくれたよ。君がしっかり管理さえすれば、飛竜を飼ってもいいと」

 

「えっ、本当ですか!」

 

「ただし、我々に飛竜を飼う資格がないと判断されれば野生に返すとのことだ」

 

 条件付きではあったものの、そんなことは王女からの認可に比べれば些細なことだ。

 

「よ、よかったですね、リーダー!」

 

「うん! やったね! ピーちゃん! これからもお母さんと一緒だよ!」 

 

「ピ~?」

 

 リオレウスを抱きしめるヒーローであったが、リーパーたちは不安を拭いきられなかった。

 

「……本当に、大丈夫なのだわ?」

 

「僕も心配だ。よりによってコイツが母親なんて……」

 

「アーロモードには魔物と心を通わせる冒険者もいるらしい。それが本当なら、リオレウスとの共闘も可能かもしれんというのが王女の見解だ」

 

「ピーちゃん! ピーちゃん! ピっピっピっピっピ~~~~ちゃん!」

 

 ヒーローが椅子の上で立ち上がり、リオレウスを高い高いしてあやす。当初は不安を抱いていた面々であったが、意外なことにヒーローはリオレウスをまっとうな(?)竜として育て上げるのだった。周囲の反対とは裏腹に、マギニアにて飛竜に跨がる英雄談が語り継がれるようになるのはそれから数年後のことであった。

 

 



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あとがきのような、宣伝のような……

 ここから『世界樹の迷宮』と、『モンハン』とは別のゲームをクロスオーバーさせた作品が書かれています。何の作品か、読みながら当ててみて下さい(笑)



 

 

 ぽたぽたぽた……と、頭上から水滴の音がした。屋根づたいに聞こえる不規則で単調な音は、頭の奥まで響いてくる。

 

 これは、雨音だ。肌に触れる空気はひんやりと冷たく、ときおり吹くそよ風が湿った土の匂いを運んでくる。

 

 誰か窓を開けっぱなしにしたのだろうかと、混沌とした意識の中で平凡な思考が形作られる。

 

 ガンナーは寝返りをうとうとして異状に気づいた。

 

 今、自分が横になっているのは体になじんだギルドハウスのベッドの感触ではない。腰骨や肩にごつごつした異物感がある。彼女はシーツのない、木板の上に直接横になっていたのだ。

 

 ガンナーはゆっくりと目を開けて、上体を起こした。

 

 ひどい立ち眩みに襲われる。視野が周囲からじわりと狭まり完全に溶暗してしまう血の巡りが回復するのを待ってから辺りを見回すと、パニックに似た感情が沸き上がってきた。

 

 ここは、どこ?

 

 目の前に出くわしたのは建物の礎石だった。

 

 おそらく木造だったのだろう、柱や壁は跡形もなく朽ち果てているが、土台となる石組は蔦に覆われながらも残っている。さらに奥に目をやれば、似たような跡地というか、廃屋が点々と見えた。

 

 ガンナーがいたのもそんな廃屋の一つだった。

 

 ただ、周囲のものよりも一際大きく、四隅に柱が残っており屋根も形を留めている。それで雨も防がれていたのだ。辺りを見回すと、廃屋の他には家畜が飼われていただろう柵に囲まれた――ところどころ破損しているが――牧草地の跡地や、石組の井戸が滑車小屋の下敷きになっているのが垣間見えた。

 

 ここは廃村だ。村全体を取り囲むように、枯れ藪がどこまでも続いている。

 

 だが、どうしてこんな所にいるのだろう。

 

 ガンナーにはとんと見当がつかない。

 

 強風が吹いて廃墟をがたがたと軋ませる。秋風のような涼やかなこの風は、とてもマギニアの気候とは思えない。もちろんそうした地域を飛ぶこともあるが巡航予定になかったはず。

 

 そもそもこんな景観の地域を、ガンナーは見たことがなかった。

 

 

 ここはマギニアではない。そしてマギニアの航路上にある国々でも樹海でもない。

 

 再び自分が眠っていた廃屋を見渡すが仲間の姿はなく、それらしい痕跡もない。理由はわからなかったが、ガンナーだけがこの廃村に来てしまったと考えるのが適当だ。

 

「どうしてこんな所に?」

 

 昨晩のことがまったく思い出せない。

 

 どこで何をしていたのか、誰かと一緒だったような気がするが頭に靄がかかってしまったかのようにはっきりしない。

 

 酒を飲み過ぎて前夜の記憶が曖昧になる経験はあるが、ここまで綺麗さっぱり記憶が途切れることはなかったし、見知らぬ場所で起きたことも一度もなかった。

 

 前向性健忘だろうかとガンナーは思った。それは以前、メディックから聞いた病名だった。事故や戦闘で頭を打って気絶した際、回復後に自分が何者か、住所はどこかといった根本的な記憶を維持したまま、ショックを受ける直前の記憶だけが抜け落ちてしまう症状だ。

 

 しかし、記憶喪失だとしてもこの場所に説明がつかなかった。

 

 記憶をたどっていると、どこからか鳴き声が聞こえてきた。雨音にかき消されるぐらいに弱々しい声量だったがガンナーは聞き逃さなかった。

 

 ガンナーは廃屋を出て声の主を探した。

 

 廃屋を何軒か通りすぎ、村の外れにあった林へ足を踏み入れる。

 

 歩くたびに腐葉土に足が沈みこむ。

 

 この林も長年手つかずだったらしく低い位置――ガンナーの帽子に触れるくらいの高さ――に枯れ木のように細い枝が伸びている。途中、幹にぶら下げられた私有地を示す古い看板が音もなく揺れているのを見つけ、その真下に、鳴き声の主はうずくまっていた。

 

 声の主は、全身濃い灰色の毛に覆われた狼だった。

 

「どうしたの?」

 

 ガンナーの声にむくりと狼が起き上がり威嚇するようにぐるると唸る。

 

 刺激しないよう、ガンナーはその場から動かずに狼を観察し、気づいた。

 

 狼の前足に、刺のついた錆びた鉄の罠が食い込んでいる。地面に設置して獲物がその上を通ると口をとざして拘束するタイプのもので、刺は深々と前足に刺さっていた。

 

 狼は長い間拘束されていたらしく、渇ききった血が黒い塊になっていた。

 

「待ってて。すぐにはずしてあげる」

 

 思わずしゃがみこみ、バネ仕掛けの罠を力づくで取り外した。狼は傷ついた前足をペロリと舐めると、その場で立ち上がる。狼はガンナーの腰くらいの背丈があり、寝そべっていたときよりも更に大きく見える。

 

「罠は他にもあるかもしれないわ。気を付けるのよ」

 

 狼は大きなお世話だと言わんばかりにぷいっと顔を背けると、ガンナーに尻を向けて林の奥へ歩き去ってしまった。

 

「まぁ。可愛くない狼ね」

 

 立ち上がって、周囲を見渡すガンナー。

 

 このまま廃村に戻っても何かわかるとは思えない。ここが何処か確認する為にも、ガンナーは探索することに決めた。なんとなくあの狼と同じ方向に進むのが癪だったので、ガンナーは逆方向にみえた曲がりくねった獣道を進むことにした。

 

 狼がいるのだから他に野生動物がいてもおかしくない。

 

 ところが歩けど歩けど野鳥一匹の姿もない。

 

「不気味ね。まるで死後の世界だわ」

 

 若干雨が強まったところで林が途切れ、枯れ藪に出くわした。

 

「狼と一緒の方がよかったかしら。足元に気をつけて進まないと……」

 

 罠があるかもしれないし、迷宮のように落とし穴がないともいえない。藪というよりも森といった方がいいような薄暗い中を歩いていると、しばらくして突然目の前がパッと明るく拓けた。

 

 前方に鉄の門があった。

 

 そして門柱の向かい側は噴水――水は渇れていたが――のある中庭で、その奥には三角形の尖塔が屹立する古めかしい館が建っていた。

 

 雨で濡れたせいか石造りの外観は暗色に染まり、上下式の窓は光を拒むかのように全て内側から木板を打ちつけられていた。

 

 

 遠雷が聞こえ、林をくぐりぬけたかん高い風が吹きつける。

 

 廃村の建物とは違いほぼ外観を保っている館なら雨風も凌げるし、ひょっとしたら住人がいてなにかしらの施しを受けられるかもしれない。

 

 雨水を吸い込んでしとどに濡れた上着や帽子もだんだんと重くなってきた。早く服を乾かして暖をとりたいところだが、ガンナーは館に向かうのを躊躇っていた。

 

 その館からは、厭な気配が伝わってくるのだ。足を踏み入れたら二度と外に出られなくなるように自分を襲うような『邪悪な住人』が住んでいるようなイメージがわいてくるのだ。

 

 そのとき、ガンナーの視界に人影が映った。

 

 真っ黒い肩掛けをしてスカーフを頭巾のように頭から被った老婆が、音もなく中庭を歩いていたのだ。

 

「あの、すみません!」

 

 こちらの声に振り返ることなく、老婆はすーっと噴水を通りすぎ玄関を開けて館に入ってしまった。

 

 人が、いた。

 

 今日、初めて誰かに会えた。その興奮にガンナーは思わず館の門を開け、ハーブが生い茂っていたであろう中庭を走り抜ける。

 

「……おじゃまします」

 

 声をかけながら玄関の扉を開けるガンナー。

 

 そして、一瞬その場に立ち竦む。

 

 暗い。

 

 雨とはいえまだ明るい時間帯なのに、異常なほど真っ暗な室内。窓が塞がれているにしても暗すぎる。これは真夜中の暗さだ。廊下の突き当たりすら見えない。

 

 しかし、このまま突っ立てっているわけにもいかない。

 

 まずはあの老婆に事情を説明しようと壁伝いに廊下を進むガンナーの鼻に、何か生臭い臭いが届いた。

 

 鉄臭さと生ゴミがすえたような、厭な臭いだ。何度か嗅いでいるうちに、これとよく似た臭いを迷宮で嗅いだことを思い出す。

 

 これは死臭だ。

 

 死体温が下がりきり、硬直を終えて溶解が始まった死体から発せられる悪臭だ。

 

 人の住む館からこんな臭いがするはずがない。住人がいたことで揺らぎかけた館への邪悪なイメージが再び甦る。

 

 やはり、この館に入ったのは間違いだったのか。しかしガンナーを閉じ込めるかのように外の雨音は急に強くなる。

 

 今更外に出るのは難しい。やはり老婆を探してみよう。逃げるのは話してからでも間に合うはずだ。

 

 

 ほとんど何も見えない暗中を手探りでそろそろと進む。

 

 廊下の突き当たりにたどり着いたとき、何かを啜るような音が聞こえた。幽かだが、ぴちゃぴちゃ、じゅるじゅるという音が聞こえる。

 

 右奥の部屋からだった。部屋の扉は開いている。廊下から覗き、目が慣れるうちに寝室であることがわかった。

 

 天涯つきのベッドに誰かが眠っており、足元に誰かが立っている。立っている人物は前屈みのような姿勢で眠っている人の膝に覆い被さっている。服装は老婆と似ているが、こちらに背中を向けているので当人なのかはわからない。

 

 声をかけようとして、ガンナーはあることに気づいて息をのんだ。覆い被さる人物の足元。そこにはシーツから滴り落ちた赤黒い液体が溜まっていたのだ。

 

 液体は床板の木目にそって廊下側に立つガンナーの爪先まで流れている。

 

「血?」

 

 聞き間違いと思いたいが、何かを啜る音はベッド側から聞こえる。しかも廊下で耳にしたときよりもはっきりと。ついにはごりごり、ぐちゃぐちゃといった何かを咀嚼する音まで聞こえ始めた。それはまぎれもない、食事をする音に他ならなかった。

 

 雷鳴が轟いた。

 

 窓に打ちつけられた板の隙間から射し込んだ雷光が、寝室を斜線状に照らし出す。光のうちの一つが、ベッドで横たわる人物の姿を浮かび上がらせた。

 

「ひっ……!」

 

 ガンナーは悲鳴を漏らしてしまった。ベッドの人物の顔に蛆が蠢いていた。落ち窪んだ眼窩は白く濁り、毛根から抜け落ちた髪が枕に付着している。

 

 鼻を衝いていた臭源はベッドの死体からだったのか。すると、それに屈んで食事をしているのは何者なのだ?

 

 ガンナーの漏らした悲鳴に応えるように、立っていた人物がゆっくりとこちらに振り向いた。

 

 目が合ったその瞬間、全身の毛がぞわりと逆立った。

 

 それは自分と同じくらいの年齢の女性に思えた。しかし普通の人間ではなかった。なぜなら彼女もベッドの死体と同じように、顔が腐っていたからだ。黒く澱んだ顔色に、頬の肉は削げ落ちて顎の骨がみえている。口元からは真っ赤な血が垂れ、生気のない目でガンナーを視認すると『あ』とも『お』ともつかない呻き声をあげながら両手を伸ばして近寄ってくる。

 

「とまりなさい、近づいたら撃つわよ!」

 

 対人戦闘の経験から反射的に警告をしたが、ガンナーにはわかっていた。

 

 半生半死――いや。

 

 これは、ゾンビというべきか。

 

 コイツは私たちとは違う。

 

 生きている人間じゃないんだ。

 

 一歩後ずさり、腰のホルスターに手を伸ばすと女の胸を狙って二発速射した。

 

 魔物だろうと化物だろうと、心臓を狙えば致命傷になるはずだ。しかし

 

「嘘でしょ……?」

 

 女は着弾時にのけぞったものの、何事もなかったかのように再接近してくる。

 

 効いていないのか、あるいは致命傷にならなかったのか。

 

 ガンナーは三連発式の拳銃(ハンドガン)の最後の一発を温存したまま、廊下へと後ずさる。

 

 予備の弾はあるが、先込め式の拳銃では再装填に時間が要る。ここは後退すべきと決断したとき、背後で破裂音がして鋭い音がガンナーの左耳を掠めた。

 

 過ぎ去った音は女の額に風穴を空ける。

 

 女の歩みが止まり、両手が落ちる。

 

 女は頸をさらしだすように頭をあちら側へかくんと倒したままベッドへ倒れた。

 

 最初は音の正体を弩と思ったが、違う。

 

 今のは拳銃だ。背後から誰かが女を撃ち倒したのだ。

 

 ガンナーはゆっくりと廊下へ振り返った。

 

 そこには奇妙な仮面の男が立っていた。顔は下顎から額まで覆う黒いマスクに隠され、一見ペスト医師のマスクに似ていたがレンズは大きく、嘴部分がない。

 

 衣服や頭の鉄鉢、膝や肘のサポーター、レースアップブーツから手袋にいたるまで黒一色で、まるで夜盗や暗殺者のような色彩だが、腰や肩に巻かれた弾帯や首に提げられた火器――それも見慣れない形状の――から察するに、彼は特殊な任務に就く兵士に思えた。

 

「……報告しろ」

 

 男が詰め寄ってきた。額が触れ合うような至近距離である。

 

「報告するんだ」

 

「……報告?」

 

 復唱したところで、室内に異変が起こった。

 

 ガンナーの背後から、樹皮が剥がれるような甲高く耳障りな音が聞こえたのだ。

 

 振り返ってみれば、倒れた女の体から黒い巨大な影のようなものが飛び出し、天高く伸びているではないか。女から飛び出した影は、黴が風呂場の壁を覆っていくように瞬く間に女を含む周囲の空間を黒く埋め尽くしていく。

 

 暗くて遮るもののない闇の中を、影は際限なく蔓延していき、寝室そのものが黒い穴のようにしか見えなくなってしまう。

 

「モールデッドに変異したか――――」

 

 男が呟き、首から提げていた火器を構える。

 

 ガンナーには何のことかわからなかったが、屍肉を食いあさっていたゾンビがより凶悪な変異を遂げていると察しがついた。

 

 びくりと、黴に覆われていたゾンビの体が動く。

 

 繭から孵るようにゆったりと身を起こした体は、先程とはまるで異なる変身を遂げていた。

 

 植物の蔦のようなものが腐りかけの体表を覆いつくし、おぞましい姿になっている。

 

 頭部も同じように黒い蔦で覆われ、目があった部分には穴のようなものが空き、歯にいたっては肉食獣のような鋭い牙に生え換わっている。

 

「……っ!」

 

 ガンナーは咄嗟に横に跳び、勢い余って衣装箪笥――らしきもの――に右肩をぶつけた。急接近したモールデッドが鋭い爪を槍のように貫いてきたのを回避する為の行動だった。

 

 モールデッドは悠然とした足取りでガンナーを追ってくる。

 

 ゾンビ状態とは移動のしかたがまるで違う。ゾンビが食欲に突き動かされている骸なら、モールデッドは明確な殺意をもって襲いにくる化物だ。

 

 ガンナーが銃をかまえた瞬間、タタタタタタタタ…………と、後ろの男が発砲した。

 

 音を聞いた時点ではそれが銃声だとは思えなかった。

 

 これほどまでに途切れずに一定の声量を保つ銃声を、ガンナーは耳にしたことがなかったからだ。

 

 それでも発砲したとわかったのは、視界の隅で銃口炎がせわしなく瞬いているのが見えたから。

 

 あびるように銃弾を受けたモールデッドは――腕で頭部を防御する点もゾンビと異なる――ヘドロのような体液をまき散らしながらその場に倒れ伏す。

 

 男は倒れたモールデッドの頭部に単発で二発撃ち込んで死亡を確認すると、音もなく廊下へ駆け戻ってしまった。

 

「待ってよ!」

 

 男の背中を追ってガンナーも廊下を走る。装備は暗色なので、明りのない館の中では少し離れただけで見失いそうになる。置いてかれまいと、ガンナーは必死で追いかける。

 

「応答せよナイトホーク」

 

 男は自分の手首を口元にあて、誰かに話しかけている様子だった。

 

「’検体’の奪取に成功したが、隊員とのコンタクトは失敗。既に死亡したものと思われる。これより集合地点に向かう」

 

『こちらナイトホーク。またアンタだけか’死神’。指定時刻に遅れるなよ』

 

 まるで気球艇の無線機越しの会話だが、通信端末があんなにも小さいわけがない。だがたしかにこの男は、死神と呼ばれたこの男は誰かと会話をしていた。

 

「死神? それがアンタの名前?」

 

「…………」

 

 死神は何も応えない。

 

 ふと死神が足を止め、ガンナーはつんのめる。

 

「どうしたの?」

 

「……銃は使えるのか?」

 

 そう訊いて、死神が前方を指差した。よく目を凝らしてみるが、濃密な闇が広がっているだけでガンナーには何も視認できない。

 

 しかし、この奥から聞こえる無数の呻き声とギシギシという何かの軋む音に厭な予感を覚えた。

 

 雷光が照らし出したのは廊下の奥に作られた椅子やテーブルを針金で固めただけの粗末なバリケード。そしてその奥で蠢く、個々の境界がわからなくなるほどのゾンビの大群であった。

 





 ここまで読んでいただきありがとうございました。後半に書いた作品は『バイオハザード』とクロスオーバーさせた作品です。

 ガン子ちゃんが死神こと『ハンク』とともに館から脱出するお話にしたいのですが、ただえさえ合わない両作品の世界観がぶち壊されそうなので完成させるのは無理でしょう……。

 それに、お客さんもいないでしょうし……。変なクロスオーバーさせずに、本編をなぞった物語を描いた方が需要ありそうですね。SWITCHで世界樹の新作が発売されたら、pixvだけでなく、こちらにも二次創作を投稿しようと思っているので、そのときはよろしくお願い致します!

 また、オリジナル作品も投稿しているので、そちらもぜひ一読下さいませ!


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