運命の魔女の見えざる手 (染色体)
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捕虜ヤン・ウェンリー

「踊れ踊れ、どいつもこいつも運命の掌のうえで踊りくるうがいい」アーサー・リンチ

 

 

帝国暦488年4月 ガイエスブルク要塞

 

リップシュタット盟約のもと、貴族達はガイエスブルク要塞に参集し、作戦会議を開いていた。

ブラウンシュヴァイク公は居並ぶ貴族達にラインハルトに対する基本戦略を披露した。

「金髪の孺子をガイエスブルクまでひきずりこみ、疲労のピークにおいて決戦を強要する」

メルカッツにとっては実戦の全権を任せるとの約束を早速反故にされたも同然であったが、ともかくもブラウンシュヴァイク公の考えが自らの考えと合致していたことに安堵した。しかし、その後に続けられた言葉に対しては戸惑いを覚えざるを得なかった。

「また、その道程においてゲリラ部隊による攻撃を仕掛け、消耗を強要する。その指揮官は志願制である。我と思わんものは志願せよ」

これを聞いた血気盛んな若手貴族の盛り上がりは凄まじく、方針はもはや定まったようなものである。メルカッツや、何か言いたげであったシュターデンなどは蚊帳の外も同然だった。

 

「メルカッツ提督」

自室に去ろうとする彼を呼び止めたのはブラウンシュヴァイク公配下のアントン・フェルナーだった。

「場所を変えて少しお話を」

 

要塞内の未整備区画、貴族達があまり寄り付かない場所へと移動しながら、フェルナーは問いかけた。

「提督、公の戦略をどう思いましたか?」

メルカッツは慎重に答えた。

「戦理に合致している」

 

「公らしくない戦略だと思われたのでは?」

メルカッツは発言者の顔を見つめた。

フェルナーの顔には人を食ったような笑みが浮かんでいた。

「ついてきて頂ければわかります」

 

案内された部屋には車椅子姿の男がいた。

メルカッツはその男の顔に見覚えがあった。黒髪で、帝国においては公の場で見かけることが少ない東洋系の顔立ち。直接会ったことはないが、銀河帝国の武人としては知らないはずのない顔だった。

「ヤン・ウェンリー提督、何故ここにあなたが」

 

黒髪の男は、困ったような笑みを顔に浮かべながら応じた。

「足が弱っていて、車椅子のまま失礼します。メルカッツ提督」

 

メルカッツは、運命が、悪戯を成功させたかのようにほくそ笑むのを見た気がした。

 

 

 

帝国暦487年10月 アムリッツァ星域

 

少し過去に戻る。

同盟軍による帝国領侵攻作戦はアムリッツァにおいて終幕を迎えようとしていた。キルヒアイス艦隊の攻撃により同盟軍は既に敗走を始めていたものの、ヤン艦隊だけはいまだに戦場に留まり、味方の撤退を援護するため、帝国軍に対する組織的な抗戦を続けていた。

 

メイン・スクリーンと戦術コンピューターを交互に見比べていたオーベルシュタインは、ヤン艦隊が退路を確保すべく動いていることを洞察し、彼の忠誠心の対象に対して警告を発した。

「誰でもよろしいが、ビッテンフェルト提督を援護させるべきです」

ラインハルトはその警告を受け入れ、指示を発した。

 

ヤン艦隊はキルヒアイス艦隊に退路を塞がれた。それでも彼らは士気を保ち、しばらく勇戦を続けた。しかしヤン・ウェンリーに玉砕の考えはなかった。ヤン艦隊はは友軍の撤退を見届けた後、帝国軍に対して降伏した。

 

オーベルシュタインの進言がいま少し遅ければ、ヤン艦隊が逃れる目はあったかもしれない。あるいは、キルヒアイス艦隊に偶発的な事故でも発生したならば。そうなればこの後の歴史の流れは大きく変わっていたかもしれない。しかしそのようなことは起きず、史実としてヤン・ウェンリーは捕虜となったのだった。

 

 

ヤン・ウェンリーの矯正区生活はあまり楽しいものではなかった。

一度ラインハルトとの面会の機会があった。

ヤンはラインハルトに捕虜交換に関する要望を出し、自分の幕僚と艦隊メンバーを捕虜交換のリストに入れてもらうことに成功した。

その際、ヤンはラインハルトから配下に誘われたがそれは断っている。

フレデリカやユリアンは捕虜交換によって同盟への帰還が叶ったが、ヤンは帝国に1人取り残されることになった。これは生活能力のないヤンにとっては致命的だった。矯正区生活によってヤンの体調は急激に悪化した。そのことがラインハルトやキルヒアイスの耳に入ることはなかった。オーベルシュタインが情報を握りつぶしていたからである。

フェルナー達の接触があと数日遅れていれば、彼らは餓死したヤンと対面していたかもしれない。

 

シュトライトとフェルナーは、ラインハルト打倒のためには暗殺が最善の策と考えていた。しかしアンスバッハは、体面を気にするブラウンシュヴァイク公がそれを許す可能性は低いと考えていた。アンスバッハは、シュトライト、フェルナーに自らの腹案を話した。

夷をもって夷を制す、

それがアンスバッハの考えた策だった。ラインハルトに対して煮え湯を飲ませ、誰もなし得なかったイゼルローン要塞奪取にすら成功した叛乱軍の指揮官ヤン・ウェンリー。彼の知謀をブラウンシュヴァイク公のために利用するのである。

無論、ブラウンシュヴァイク公は叛徒の力を借りることを簡単には認めなかった。

しかしブラウンシュヴァイク公には、ライバルであるリッテンハイム侯、無愛想なメルカッツ、両者の「横槍」を封じて貴族連合の主導権を握る必要があった。手柄を認める必要のないアドバイザーの存在がそのために有用であることはブラウンシュヴァイク公も認めざるを得ないところだった。

「叛徒など、利用するだけ利用して、事が終われば闇に葬ればよいのです。成り上がりの金髪の孺子に対するに、大貴族たる公ご自身が頭を悩ます必要などありますまい」

ブラウンシュヴァイク公の扱いを心得たアンスバッハの辛抱強い説得により、ヤンをメンバーに加えた助言組織が秘密裏に設置されることになった。

 

当のヤンだったが、はじめは渋ったものの、自らの置かれた立場と、ラインハルトとの知略勝負への興味、帝国の内戦を長引かせることが同盟にとって回復の機会となること、そして自分の置かれた立場から、最終的には提案を受け入れた。

 

ラインハルトと貴族連合、その双方が叛乱軍の将官を利用するという状況がここに出現した。片やエル・ファシルの敗北者、片や英雄を。

 

 

 

場面は再びガイエスブルク要塞に戻る。

 

経緯を聞き、驚きから回復しつつあったメルカッツに、フェルナーが尋ねた。

「公の戦略の出どころがわかった今、提督はその意図をどう考えますか?」

メルカッツは答えた。

「それならば明白だ。貴族連合軍の若手貴族達は血気盛んなだけで軍事的能力に欠けている。ヤン提督、あなたはゲリラ作戦によって、彼らに対する練兵と間引き、両方を実行するつもりだ」

 

「その通りです」

ヤンは困ったような顔をして認めた。

 

無能者ならばローエングラム軍に対して敗退し戦死することになる。

仮に生き残れる程度に能力がある者がいれば、戦闘の経験と多少の分別を学んでガイエスブルクに戻ってくるだろう。

ゲリラ作戦のため失う戦力は小さく、貴族連合軍としては、少数の犠牲によって、現場指揮官の指揮能力と軍全体の統制の向上を図れるのである。

問題は失われるのが自らの係累も含めた貴族の子弟というところであるが、ブラウンシュヴァイク公はこの時点でそこまで思い至ってはいないだろう。

 

メルカッツは思った。この戦い、負けないで済む目が出てきたかもしれない、と。




前作「時の女神が見た夢」より久しぶりの投稿になります。
以前のように長編を書く時間がとれないため、冒頭部分の(しかも駆け足の)短編としての発表という形で、投稿させて頂くことにしました。
「運命の魔女〜」というタイトルで投稿を考えていた話のネタは実は別にあって、それも含めて歴史改変もの短編の連作として投稿していけたらと思っています。
次の投稿まで間が空く可能性が高いですが、読んで頂ける方はよろしくお願いします。
次の投稿として、今後の歴史年表をおまけとして載せておきます(実のところこちらが本編かも)。


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捕虜ヤン・ウェンリー(年表)

その後の歴史について


帝国暦488年/宇宙暦797年4月

・自由惑星同盟において軍事クーデター発生。救国軍事会議、自由惑星同盟を掌握。

・イゼルローン要塞駐留艦隊を中心に一部艦艇が同盟軍を離脱。

・ユリアン、ジェシカ・エドワーズの協力を得て旧ヤン艦隊メンバーと共にハイネセン脱出。反救国軍事会議活動のリーダーとしてユリアンの名が知られるようになる。

 

・銀河帝国においてリップシュタット戦役開始。捕虜となっていたヤン・ウェンリー、貴族連合軍に協力。

 

・ローエングラム軍、ガイエスブルク要塞に向けて進軍開始。

・貴族連合軍、ゲリラ戦開始。

 

・同盟においてデモ鎮圧事件(スタジアムの虐殺)。ジェシカ・エドワーズ死亡。

 

・キルヒアイス、辺境星域の平定開始。

・リッテンハイム侯、辺境星域に遠征。

 

帝国暦488年/宇宙暦797年7月

・キフォイザー星域にてキルヒアイス艦隊とリッテンハイム艦隊、会戦開始。メルカッツ艦隊、キフォイザー星域に出現、混戦となる。リッテンハイム侯死亡。キルヒアイス艦隊、貴族連合軍艦隊双方に甚大な被害。キルヒアイス艦隊、再編成のため辺境星域より撤退。

 

・貴族連合軍によるゲリラ攻撃により、ローエングラム軍の進軍速度低下。リップシュタット戦役長期化。

・救国軍事会議、宇宙戦力復活に注力。

 

・シャイド男爵、ヴェスターラントにおける反乱により死亡。オフレッサーによる反乱鎮圧。虐殺に等しい激しい弾圧により貴族連合から人心は離れるも、影響は最小限。

 

帝国暦488年/宇宙暦797年12月

・旧薔薇の騎士連隊及びユリアン、フェザーンを経由して帝国領に潜入、ヤン・ウェンリー救出作戦開始

 

帝国暦489年/宇宙暦798年3月

・アイゼンヘルツ星域会戦。激しい戦いとなるも、ラインハルトとキルヒアイスの連携作戦によりローエングラム軍勝利。会戦中、ユリアンがヤン・ウェンリー救出に成功。ヤン・ウェンリー、貴族連合軍離脱。

 

・貴族連合軍転進作戦開始。ヤン・ウェンリーの置き土産にフェルナー達によるアレンジが加わった作戦。貴族連合軍、ガイエスブルク要塞放棄、フェザーン占領。ブラウンシュヴァイク公を宰相として、銀河帝国正統政府を名乗る。

 

・ローエングラム軍、ガイエスブルク要塞占領するも、潜伏していたオフレッサー率いる装甲擲弾兵と激しい戦闘に(狂戦士の宴事件)。オフレッサー戦死。ミッターマイヤー、ロイエンタールを庇い戦死。以降、私生活含めロイエンタールの行動が変化。

・ガイエスブルク要塞自爆。ローエングラム軍、艦隊戦力に損害多数。

 

・救出されたヤン・ウェンリー、旧ヤン艦隊メンバーと合流、イゼルローン要塞再占領。

・イゼルローン共和政府成立。エル・ファシルなどの一部辺境星系、イゼルローン共和政府に合流。

 

 

※救国軍事会議、イゼルローン共和政府、銀河帝国、銀河帝国正統政府の四者が並存する状態となる。

 

・ラインハルト、国内安定化を優先。リヒテンラーデ公との暗闘開始。

 

・救国軍事会議、イゼルローン共和政府に対して大規模艦隊戦力による遠征開始。

 

帝国暦489年/宇宙暦798年8月

・ドーリア星域会戦。ヤン艦隊、ルグランジュ艦隊に勝利

・ドーリアにおける戦いの間に、イゼルローン要塞を破壊すべく、無人機動兵器群「アルテミスの弓」が迫る(フォーク准将の策)。ユリアン、アッテンボローと協力してこれを打ち破る。

 

帝国暦489年/宇宙暦798年9月

・救国軍事会議内で再クーデター。グリーンヒル大将死亡。

 

帝国暦489年/宇宙暦798年10月

・フレデリカ、ハイネセンよりイゼルローン共和政府に逃亡。フレデリカ、救国軍事会議によってかけられていた催眠によりヤン・ウェンリー暗殺未遂を起こす。ヤン・ウェンリー負傷、長期の宇宙航行に耐えられない体となる。

・アッテンボロー、共和政府艦隊司令官に就任。ユリアン、参謀としてアッテンボローに協力。

 

帝国暦489年/宇宙暦798年8月

・ラインハルト、リヒテンラーデ公の娘と婚約。リヒテンラーデ公引退、ラインハルト、帝国宰相に就任。

 

帝国暦490年/宇宙暦799年2月

・皇帝誘拐事件。銀河帝国正統政府、エルウィン・ヨーゼフ確保。

・救国軍事会議、銀河帝国正統政府と事実上の同盟関係に(長引いた内乱による消耗で、銀河帝国の軍事力は救国軍事会議-銀河帝国正統政府の同盟と拮抗)。

・カザリン・ケートヘン1世即位。

 

・ラインハルト、イゼルローン共和政府と秘密裏に接触。

 

帝国暦490年/宇宙暦799年4月

・ラインハルト、銀河帝国正統政府(フェザーン)に対する遠征を宣言。

・イゼルローン共和政府、同盟辺境解放作戦開始。ユリアン、辺境解放作戦において参謀として頭角を表す。

 

帝国暦490年/宇宙暦799年6月

・ラインハルト、フェザーン占領

・エルウィン・ヨーゼフ及び銀河帝国正統政府残党は救国軍事会議と合流

 

帝国暦490年/新帝国暦1年/宇宙暦799年11月

・ラインハルト、フェザーンにおいて戴冠、皇帝に。キルヒアイス、帝国宰相就任。ゴールデンバウム王朝滅亡。

 

帝国暦491年/新帝国暦2年/宇宙暦800年3月

・オーディンにおいてキルヒアイス暗殺未遂事件。地球教徒による犯行であることが判明。

 

・銀河帝国において地球教徒に対する弾圧開始。

 

帝国暦491年/新帝国暦2年/宇宙暦800年5月

・ワーレン、地球制圧。義手となる。

 

※各勢力において戦争準備が進む。

 

帝国暦491年/新帝国暦2年/宇宙暦800年12月

・ラインハルト、自由惑星同盟領への親征を宣言。ラインハルトの体調不良により出征は後ろ倒しに。

 

帝国暦492年/新帝国暦3年/宇宙暦801年2月

・イゼルローン共和政府、同盟領解放作戦開始(銀河帝国と暗黙の共闘体制。その上で帝国軍より先にハイネセンの解放を目指す)

 

・ビュコック前司令長官、軍務復帰。救国軍事会議に協力する形で帝国軍に対して防衛にあたる。

・銀河帝国正統政府残党、帝国軍に対してゲリラ戦実施

 

帝国暦492年/新帝国暦3年/宇宙暦801年4月

・シヴァ星域会戦。イゼルローン共和政府艦隊、救国軍事会議アーサー・リンチ提督の艦隊に対して勝利。リンチ死亡。

・ランテマリオ星域会戦。ラインハルト、ビュコック提督率いる同盟艦隊に対して勝利。ビュコック死亡。一部艦艇が戦場より離脱し、イゼルローン共和政府軍に合流。

 

※各星系国家の自由惑星同盟からの離脱相次ぐ

 

帝国暦492年/新帝国暦3年/宇宙暦801年5月

・イゼルローン共和政府軍、帝国軍、偶発的な戦闘(フォーク准将の策動、その裏に地球教残党)

 

・帝国軍、共和政府軍、マル・アデッタ星域において会戦。ラインハルト、会戦中に発熱により倒れる。メルカッツ率いる銀河帝国正統政府残党軍、会戦に乱入。ユリアン、ブリュンヒルトに侵入。ラインハルト、ユリアンと会見、休戦成立。メルカッツ死亡。

 

 

・銀河帝国軍、共和政府軍共同によるバーラト星系攻略作戦

・ヨブ・トリューニヒト、姿を現し、最高評議会議長として講和を呼びかけ

 

帝国暦492年/新帝国暦3年/宇宙暦801年6月

・ルビンスキー死亡。ハイネセンにおいて大規模爆発事件、及び地球教徒によるラインハルト襲撃発生。地球教残党(ド・ヴィリエ一党)壊滅。

 

・バーラトの和約成立

自由惑星同盟解体、星系国家の緩やかな連合として星系国家共同体(CIS:Commonwealth of Independent Stars)成立

 

帝国暦492年/新帝国暦3年/宇宙暦801年7月

・ラインハルト死亡

・キルヒアイス、アンネローゼと婚姻、皇帝に即位

 

帝国暦493年/新帝国暦4年/宇宙暦802年1月

・銀河帝国/星系国家共同体各国家の協議体として銀河連盟成立(初代事務総長ヨブ・トリューニヒト)

 

※二大国による熱戦時代の終結。

※唯一の超大国銀河帝国と中小星系国家による「五十年の平和」の時代到来。




年表に項目追加、一部記述修正しました


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