夢現マイリトルマミー ~お嬢様学校のひねくれお姉さんが美少女ミイラを再生する話~ (みらぁまん)
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第1章 波乱の三角関係
1-1 金庫室の王女


 

 私の通う高校には、何やら花と思しき名前がついている。今時珍しい木造校舎のミッション系で、箱入り娘ばかりが通う名門女子校。そんな浮世離れした環境のためなのか、はたまた標高290mの空気が頭をぼやけさせる所為なのか、ここの生徒たちが交わす話題は淡い色恋のことばかり。その色恋というのも、特定クラスメイトや特定上級生の関係性を色々と囃し立てる、言わば恋バナごっこが関の山という有様だ。

 

「くだらない……飽きもせずよくもまあ」

 

 そんな児戯に今日も級友たちが興じているさまを、私は窓際の席から醒めた目で眺めていた。たわんだ口の端から呟くでもなく零した悪態を、前の席で本を読んでいた羽生捨子さんがやおら拾い上げる。

 

「娯楽に飢えてるからね。寮住まいの子だって居る……尼寺にだって刺激は必要さ」

 

 この女、見るからに自己陶酔タイプの気取り屋だが不思議と私とはウマが合う。親から離れたいがために祖父の地元のこの学校を受験した、私のような人間とは。

 

「くふっ……尼寺か。よく言ったものね。尼寺上等、私にはそれぐらいが丁度いいわ」

 

「相変わらず、ゆせさんは“双星の契り”には興味がないんだね。綺麗な指をしてるのに勿体ない……その辺の子のタイでも直してあげた日には見る目が変わるよ?」

 

 などと宣いながら、捨子さんが机越しに私の手を恭しく取ってみせる。

 

「こんな風に握られる日だって、いつか」

 

 ゆっくりと引き寄せられる私の手の甲にふと捨子さんの鼻先が近付く。その瞬間、私は反射的に彼女の腕を払った。

 

「いや無理無理……私そういうの痒くなるから。何なのさ双星の契りって……」

 

「詳しい由来は僕も知らないけれど、下馬評では僕とゆせさんは有力候補らしい」

 

 勘弁して欲しい。全くニコイチ好きの根明連中と来たら、捻くれ者同士おちおちつるませてもくれないらしい。結局、それきり私はえんがちょバリアーを張り巡らせたため、捨子さんも冗談をよして読書に戻った。やがて昼休みの終了を告げる鐘が鳴り響き、私は教科書を机に立てて就寝の構えに入るのだった。

 

(帰りたい……早く放課後になれ……)

 

 この学び舎での全ては空虚だ。浮かれた噂話も、中庭の人気スポットも、有難がる人は居るが私には何の価値もない。蔦の絡んだ木造校舎のようなものだ。

 

(早く家に帰って……早く癒されたい……)

 

 その一念で午後の授業をやり過ごし、私は下山のバスにそそくさと乗り込んだ。急な山道を20余分ひた走る、車両もがたついたローカル線。これに好んで揺られる生徒はそう多くない(そのための寮でもある)。私が敢えてその不便を選ぶのは、他に代え難い物が今の家に置いてあるからだ。

 

「ただいまっ」

 

 玄関に飾られた祖父の肖像画に挨拶し、靴をぽいぽいと放り出す。祖父が亡くなり空き家となったこの屋敷を、私は片付けもせずに使っている。流石に玄関などはそこら中蜘蛛の巣まみれで見られたものではないが、生活に欠かせぬ場所の掃除はそれなりにやっているつもりだ。私の部屋と水回り、そしてこれから向かう金庫室は。

 

「動かすには……ザナの葉9枚だったな」

 

 事前に用意したのは、昔エジプトの一部地域に生えていたザナという低木の葉……それを乾燥させて煎じた汁だ。真鍮製の酒器に満たしたその“ザナ茶”を携え、私は金庫室のダイヤルを捻る。分厚い鉄扉が多少の引っかかりと共に開くと、その向こうには簡素な祭壇を備えた“霊廟”がある。

 

「今宵もご機嫌麗しゅう、王女様」

 

 祭壇の上には、高貴な女性を象った金塗りの棺が安置されている。私は霊廟に踏み入ると鉄扉を後ろ手に閉め、ザナ茶の湯気を連れてその棺に歩み寄る。棺の口の部分にはスリットが設けてあり、そこに私はザナ茶をゆっくりと、注意深く注ぎ込んだ。

 

「貴女の忠実なるしもべが遊びに参りました。起きて姿をお見せください」

 

 ややあって棺の中から衣擦れの音がし、押し上げられるように蓋が開いた。

 

「ふわ……おはよう。また来てくれたのね。嬉しいわ、ゆせ」

 

 伸びをしながら現れ出たのは、棺の大きさに見合わぬ痩身の少女。螺鈿を蒔いたような肌に薄布を纏い、波打つ黒髪をたたえたその少女の名はカミラ。私が祖父から受け継いだ一族最大の秘密にして、今は私だけしか知らない、私の秘密の恋人だ。

 

「ねぇ、ゆせ。キスがしたいわ。目覚めの口づけ……貴女もしたいでしょう?」

 

 甘く揺らぐ声に誘われ、私は欲に任せかがみ込む。奪うように重ねた唇からは、現を掻き消す法悦の味がした。

 

 

《END…?》



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1-2 伽の神官

 

 私が王女カミラの“遺体”について祖父から教えられたのは、祖父が亡くなる半年程前のことだった。祖父は日本人だが、確かエジプト第何王朝だかの神官の血を引いていて、国破れてなお幾星霜もカミラの遺体を代々守り続けて来たらしい。

 

「儂はな……ゆせ、お前に神官の務めを託そうと思う。今から話すことをよくお聞き」

 

 中学3年の夏、丁度一人で遊びに来ていた私に祖父は王女の遺体の管理方法を口伝えた。満月の夜ごとに不死を司るザナの葉を3枚煎じ、その汁を棺に注ぎ入れる。これにより生命活動が維持され、カミラの肉体は滅びることがない。時には神官自ら話相手となり御心をお慰めする必要があるが、その際は煎じる葉を9枚に増やす。

 

「9枚かぁ、なんかキリ悪いね。10枚入れたら駄目? なんかリスクあるの?」

 

 私が面白半分にそう聞くと、祖父は声を一段落として次のように告げた。

 

「そうさな……10枚を超えて葉を煎じる時、それは王女を“目覚めさせる”時だ。9枚分のザナ茶で起こして差し上げられるのは肉体のみ……王女の魂は深く眠ったままなのだ。ご自分が何者なのか、何の業を背負い今日まで長らえているのか、それを王女に思い出させることは掟で禁じられておる」

 

 私が祖父に教わったのはそれだけだ。今から思うと、私が両親との別居を画策していることを知ってこの話をしたのかもしれない。祖父も祖父で変わり者、私の父とは折り合いが悪かったものだから。

 

 そんなわけで、私は自分で手入れも覚束ぬ屋敷に住み、カミラの面倒を見ている。今日は日曜日なので昼間から霊廟に入り、彼女を膝に乗せて絵本を読んでやっているところだ。

 

「“それはぼうぼう山のぼうぼう鳥が鳴いているんだよ” 兎はそう言いました。……どしたのカミラ、ちゃんと見てる?」

 

「ええ、聞いているわ。ゆせの声はとっても素敵ね。ずぅんと低くて、枯葉が舞っているように静かで……わたし、好きよ」

 

 カミラは絵なんか見ずに私の鎖骨にもたれ、うっとりと反響を聞いている。そりゃこの家の蔵書なんて大昔に目を通してるだろうけど、ちょっとは興味持って欲しい。

 

「はいはい、しゃがれ声で悪うござんしたね。こちとら生まれつきなのよ」

 

 溜息に紛れて、カミラの匂いが鼻腔をくすぐる。ミルクのような甘さの中に、思わずクラッとするような芳香が混じる独特の体臭。それが怖いほど心地良くて、私はカミラの豊かな黒髪に顔をうずめた。驚いたカミラが軽く声を上げる。

 

「きゃっ……ゆせ、わたしの髪……吸ってるの? そんなに良い匂いかしら」

 

「うん、正直たまんない」

 

 何やらスイッチの入ってしまった私は、絵本を手放すとカミラの小さな体を両腕ですっぽりと抱きすくめ、更に鼻先を擦りつける。カミラが身をよじるのに合わせて腕を深く這わせ、どこまでも密着していく。

 

「はぁ……なんだか縄で締め付けられてるみたい……生き物だから、蛇かしら……? ねぇゆせ、ちょっと苦しいわ……」

 

 いちいち例えんでよろしい。ベビードールにも似た薄衣越しにカミラの体温を感じながら、私は抗議するように彼女の剥き出しの肩口に唇を向かわせた。

 

「ひゃんっ……!」

 

 身をすくませるカミラに構わず、つるりとした左肩にキスの雨を降らせる。元々シャボン玉のように光沢を放つその肌が、熱を帯びて照り映えていく。こうしている限りは、彼女がさっきまで干からびた死体だったなんてとても思えない。ザナの葉で命を繋ぎ止めているただのミイラなのに、どうしてこんなにたまらないんだろう。

 

「ゆせ……んっ……もう、ゆせったら……絵本の続きは? 狸さんと兎さんは……あんっ……あの後どうなるの……?」

 

「狸は溺れて死んだよ。いいから黙って」

 

 私は手近なクッションを引き寄せるとカミラをその上に押し付け、更にその上から覆い被さった。冷たい金庫室の中、ふたり分の息遣いがしばし充満した。

 

 

 

「……わたし、好きよ。ゆせが好き。前までの人と違って、ゆせは毎日会いに来てくれるもの。寂しいのはもう沢山……」

 

 額に貼り付いた髪の毛を拭いながら、カミラが惚けたように言う。大半の時間寝てる癖に、寂しいなどあるものか。それともカミラも心の中で夢を見るのだろうか。例え魂を眠りに封じられていても。

 

「これからも側に居てね、ゆせ」

 

 カミラが私の頬に手を添える。私を見据えて離さないその碧き双眸は、まるでガラス玉のように虚ろだった。 

 

 

《END…?》



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1-3 モーニング・ルーティン

 

 私の朝は早い。寮があるような山奥の学校にわざわざ麓の自宅から通っているのだから、バスは当然始発だ。しかも田舎の路線バスと来ているので逃そうものなら次は来ない。よって本来、7時30分ともなればとっくに家を出ていなければならない筈なのだが、その日の私はまだ制服に腕を入れてもいなかった。

 

「やばい……やばい……くそっ……やばい……」

 

 昨夜は遅くまでカミラに構っていて、金庫室を閉めるやシャワーも浴びずに眠ってしまった。おかげで今朝、せめて人並みの身支度を整えるために時間を取られてしまい、今まさに遅刻寸前なのだ。

 

(温室のザナの木はもうスプリンクラーした……霊廟の施錠も……してある。神官のメダルは……帰ってから探す。よし!)

 

 屋敷の正門からバス停まで、走ればギリギリという時間。頼る者も居ない窓際の学園生活、せめて遅刻だけはせずに座っていたい。私が足をもつれさせながら走っていると、高そうなリムジンがすぐ横を追い越して行き、道の先で止まった。

 

「そこの貴女、お急ぎならお乗りにならない? 見るに見かねますわ」

 

 後部座席のウインドウを開けてそう投げかけて来たのは、確か隣のクラスに居る有名人だった。突然のお節介に私は顔をしかめ、無視して通り過ぎようとした。だが次の瞬間、私は致命的なミスに思い至り、やむなく立ち止まって頭を垂れた。

 

「……すいません、財布だけ取りに帰っていいですか」

 

 程なく戻って来た私を拾い、リムジンは登山道を上り始める。足をうんと伸ばせる快適シートに収まり、私は有名人に再度頭を垂れ社交辞令的に謝した。

 

「……ほんとすいません。助かりました。ええと、確か社長令嬢の……」

 

「無道院紗雪ですわ。礼には及びませんことよ。わたくしも今朝はたまたま実家からの登校でしたから。幸運でしたわね」

 

 よく通る声。耳がキンとしてあまり好きじゃない。しかも折り目正しい制服に、自信に満ち溢れたロングヘアー……私には合わないタイプの真人間だ。

 

(私絶対汗臭いし隣だと臭うだろうな……窓とか開けられたら飛んでやろうかな……)

 

 私がそんなことを思いながらドア際に体を寄せていると、気を遣ってか紗雪さんは更に話を振ってくれた。

 

「いっそ、貴女も寮に入りませんこと? お父様が出資者である関係で、寮はわたくしたち生徒の自治に任されていますの。堅苦しい規則はなし、随分気楽でしてよ」

 

 成程。だがそういう同年代の気兼ねのなさが逆にしんどい人種も居る。特に私。そもそもカミラを抱えて入寮はできない。

 

「……申し訳ないけど遠慮しときます」

 

「あら残念。気が変わったらいつでもいらしてね。貴女もきっと気に入りますわ」

 

 それきり紗雪さんとは会話もなく、目立つのを嫌った私は校門の少し手前で下ろしてもらった。無事に教室のいつもの席に着きふと窓の外を見ると、紗雪さんは校門でまだ取り巻きに囲まれていた。

 

「おや、あれは無道院さんじゃないか。相変わらず凄い人気だね」

 

 音もなく前の席に着いていた捨子さんが、そう言いながら首を突っ込んで来た。息が少し上がっているところを見ると今朝はバス停ダッシュを決めたらしい。

 

「2年生にしてあのオーラと美貌、加えて人当たりの良さ……上級生からも是非ジェミニになりたいと誘いが来るのも納得だね」

 

 またジェミニ。双星の契りって奴か。聞くだに頭が痛くなって来る。

 

「……そんな気取った名前にしなくても、要はバレンタインシーズンの告白イベントでしょ? しかも同性の」

 

「いけないかい? 束の間でも暮らしを共にした仲……特別な感情だって芽生えるさ。それに双子座の神話を鑑みても……」

 

 捨子さんの舌が回り、身振り手振りの講釈が始まる。多分長くなるので、私は始業まで空を眺めていることにした。

 

(にしても星……か。宇宙と星座の本が確か子ども部屋にあったな。私はすぐ飽きちゃったけど、カミラは喰いつくだろうか。あんな半眠りの目で、星図なんて細かくて見えないかもしれないけど)

 

 どこまでも青い春空の向こうに、私は満天の星空を幻視する。同時に昨日のカミラの熱い肌の感触と、むせ返るような霊廟の空気が脳裏に蘇って来る。

 

(ああ……もう帰りたい)

 

 私の朝は終わりも早い。登校してしまえば最後、夕暮れのような気怠さと煩悩が頭を支配する。眠ってやり過ごすにはもどかしすぎる程に。     

 

 

《END…?》



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1-4 愛と欲と

 

 可愛い女の子が好きだった。麦わら帽子の似合うような清しき乙女に、抱き着いたりキスしたりするのをいつも夢に見た。その時々で一番仲の良い友達に、冗談めかしてスキンシップを仕掛けるのが好きだった。親友だからこそ許される距離感に、仄かな期待を寄せることができたから。

 

 ある時、その親友に打ち明け話をされた。好きな男の子が居るのだと。思いを告げる勇気が足りないから、親友の私にこそ分けて貰いたいのだと。彼女からの信頼を光栄に思いながらも、私は来るべき時が来たのを実感していた。

 

 もう私が彼女と以前のように親密に付き合うことはない。気軽に頬に触れることも、おどけて肩を抱くこともない。だって、彼女の体は最早彼女ひとりの物ではなくなったのだから。

 

(別に、好きってわけじゃなかった筈なんだけどな……)

 

 そう心の中で儚む度に、少し息苦しさを増した日々が始まる。きっと私は誰でも良かった。きっと自分の中にある欲望を体よく発散していただけ。だって、もし本気の思いならば、あの子のように勇気を出して打ち明ければ良かったのだから。

 

(……もう嫌だ。自分の卑しさに呆れ返るのも、中途半端に期待して勝手に傷つくのも……もう沢山だ)

 

 今の学校に入っても、やるせなさは消えなかった。むしろ、同性ばかりの閉鎖社会でロマンスの気分を満喫するクラスメイトや上級生を見るだに辟易した。

 

(何がジェミニだよ。何が双星だよ。どうせ休み中に彼氏でも出来れば、そんなお伽話おくびにも出さなくなる癖に!)

 

 そんな苛立ちが募っていたある夜のこと、私はふと思い立った。祖父に託された王女のミイラを起こしてみようと。それまでにも生命維持のためのザナ茶は与えていたが、大昔に死んだ人間の遺体がこれで本当に生き続けられるものか甚だ疑問だった。真偽を確かめるついでに、生前は絶世の美女だった王女カミラのご尊顔でも拝めれば僥倖……そんな下心もあった。

 

 9枚の葉を煎じた高濃度のザナ茶からは目を刺すような香りが立ち上っており、警戒心を煽られる。おっかなびっくりでその劇物を金庫室に持ち込み、王女の棺に注ぎ込んだ。分厚い棺の蓋には人面を模した開口部があり、そこに液体を注ぐと、蓋の裏面から伸びる無数の針状の管を通じて遺体に届けられる。この仕組みのために、普段神官は棺を開く必要がない。

 

「さて、腐乱死体が起き上がるか、それともシワシワの干し柿が寝てるだけか……」

 

 私は霊廟の壁にもたれ、効能が出るのを座して待った。数分もした頃、果たして棺の中から物音がして棺の蓋がゆっくりと押し上げられた。驚く暇もないうちに人面の蓋は脇へ落とされ、王女カミラその人の細腕が虚空を掻くのを私は見た。

 

「本当に生き返った……ミイラが!」

 

 私が見ただけでも数ヵ月は密室に放置されていた棺から、血色も鮮やかな人の腕がまろび出る。それだけで驚嘆に値するが、何より私の心を奪ったのは、やがて起き上がったカミラの美しさだった。

 

「……あら、新しい人……かしら?」

 

 少し掠れた声色を発する唇は、桜貝のように艶やか。居竦む私を見遣る目は、凪いだ海を思わせる深い碧。加えてそれらの美を散りばめたカミラの身体は、年の頃にして十代前半としか思えぬ幼さだった。

 

「貴女、震えているわ。……怖いの?」

 

 カミラは心配そうに首を傾げるが、むしろその逆だ。カミラの纏う妖艶な雰囲気……その色香にとても見合わぬカミラ自身のあどけなさにこそ、私は震えていた。

 

「あ、あなたが……カミラ王女……?」

 

 見惚れて動けぬまま、私はやっとのことで尋ねた。するとカミラは緩やかな所作で棺から這い出し、私に歩み寄って来た。

 

「……わからないの。皆わたしをそう呼ぶけれど、わたしはわたしが誰なのか、何も知らない……とてもとても寂しいの」

 

 目の前にうずくまられ、カミラと視線がかち合う。私の心臓がひとつ跳ねる。

 

「ねぇ……貴女は私の側に居てくれる? 貴女が喜ぶことなら……わたし何でもするわ。欲しければわたし自身をあげてもいい。だからお願い……ずっと側に居て頂戴……」

 

 縋るように袖を掴まれ、私の心は既に決まっていた。この幼気な少女を、この世のものとは思えぬ美しい人を、私の好きにできるなんて。ならば何を迷うことがあろうか。私が触れてもいい体は、他でもないこの霊廟にあったのだ。

 

「……本当に、くれるのね?」

 

 手を伸ばし、カミラの胸を掴む。彼女との日々はこうして始まった。

 

 

《END…?》



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1-5 桜の頃

 

 桜が咲いている。それは植樹されたソメイヨシノばかりではなく、学校へ向かう山道にも山桜の木が転々と自生している。見頃はやや過ぎるらしいが、今こうしてバスの中から眺める分にはそれなりの目の保養だ。

 

 新学期も着々と滑り出し、新しい環境にも皆慣れていく頃、私は今年度の担任の名字も覚えぬまま日々を送っていた。

 

「染井先生、だよ。ほらそこに咲いている桜、あれの名前で覚えるといい」

 

 そう言いつつ思い切り山桜を指差したのは、後ろの席で揺られている羽生捨子さんだった。私と同じ自宅通いで、バスではいつも真後ろに座って来る。座席と窓の隙間から手を伸ばされ、私は顔をしかめた。

 

「……この道にソメイヨシノは植わってないわよ。校門の並木ならわかるけど」

 

「おや、そうだったかい。これは無学を晒してしまったかな。にしても桜の品種なんてゆせさんはよく知ってるねぇ」

 

 家の植物図鑑なんかも、よくカミラに見せているから何となく覚えただけだ。まあそんなこと捨子さんに言わないけど。

 

「桜の花弁をだね、バスを降りたら肩のこの辺にくっつけとこうと思うんだ。黒い制服によく映えて如何にも雅だろう?」

 

 私が返事をしなくても捨子さんは勝手に喋る。また妙な仕込みを考えているのか。

 

「捨子さんが雅とかちょっと面白すぎるからやめといて」

 

「ひどいなぁ、これでも下級生には様付けで噂される程度の人気者だよ?」

 

「はいはい。わかったから」

 

 お互い顔も見ずにそんな無駄話をしていると、やがてバスは校門前の停留所に着いた。鞄を引っ提げ降りていく生徒は、私と捨子さんの他には3、4人。やはり寮暮らしが圧倒的に多い。この前会った有名人……そう無道院紗雪さんをリーダーにさぞかし楽しくやっているんだろう。

 

(同年代ばっかの集団生活か……私は真っ先に息が詰まって死ぬな。捨子さんの冗談を聞いてる方がまだ健康的ってもんね)

 

 年嵩を仰々しく呼ぶ習慣や、校内カップルに憧れる価値観も、あの無駄に立派な寮があるからこそ生まれたに違いない。捨子さんはわかった上で楽しんでいるクチだが、やはり私には合いそうもない。

 

「おっ、あそこの人だかりは無道院さんかな。僕も負けていられないね」

 

 いや知らんがな。結局、捨子さんは舞い散る花弁を掴み損ねてプチお洒落に失敗。しかし全然めげずに次の軽口に移行し、それをその都度聞き流しているうちに私の今日も過ぎて行った。

 

 

 

「おはよう、ゆせ。……うふふふっ」

 

 帰宅してカミラを起こすと、何やらご機嫌な様子で私の腰に抱き着いて来た。

 

「……最近割とくっついて来るよね?」

 

「だって、近頃ゆせからお花の良い匂いがするんだもの。学校というのは素敵な所なのね……花々が咲き乱れる楽園なのだわ」

 

 実際は雑多な自然林とありきたりな花壇ぐらいだけどね。あと桜か。私のお腹に顔を擦りつけるカミラは、その僅かな残り香からどんな世界を描くのか。

 

「そんな良いとこじゃないわよ。因みに……今よく咲いてるのはこいつかな」

 

 植物図鑑のページを開き、ソメイヨシノの写真をカミラの鼻先に割り込ませる。すると彼女の虚ろな碧眼が丸く見開かれた。

 

「まあ! 一番好きな花だわ。ゆせはこの木のアーチをくぐって来たのね……ねぇ、もう一度嗅いでみてもいい? もっとわたしに桜のことを教えて……?」

 

 カミラは私の制服の裾を引っ掴み、甘えるように見つめて来る。艶のある唇からまろび出た息が私の頬をくすぐり、にわかに衝動を煽り立てる。

 

(駄目駄目……今日は我慢するって決めたんだから。上目遣いは駄目だって……!)

 

 カミラの肩越しに見える背中は薄衣が微かに透け、猫のようにしなやかな曲線美がまざまざと見せつけられている。思わず腰に手が回りかけたが、寸前で堪えた私は代わりに彼女の鼻を摘まんでやった。

 

「ふにゃっ?」

 

「……ミイラの癖に」

 

 私はカミラに背を向けると、持って来た座卓に教科書と参考書を並べ始めた。

 

「今日は勉強するんだから。起きてていいけど邪魔しないでよ?」

 

 そう言いながらわざわざカミラに会いに来てしまった私も私なのだが、こればかりは私の目の保養だからしょうがない。

 

「は~い、じゃあ大人しくしてるわね」

 

 カミラはクスクス笑い、私の背中にぴたりと寄り添った。大人しくの意味……ちゃんとわかってる?      

 

 

《END…?》



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1-6 死の眠り

 

 ザナの葉の魔力で呼び起こされたカミラの命には限りがある。9枚の葉を煎じて与えても、覚醒時間は持って3時間ほど。時間切れが近付くとカミラはいつも強烈な眠気を訴え、何をしていようが即座に私に退出を命じ、自分は棺に戻ってしまう。

 

「だって、眠っているわたしは干からびたミイラなんでしょう? この肌がみすぼらしく乾いていく所なんて、ゆせには一目たりとも見せたくないわ。だから……ね?」

 

 記憶がなくともやはり古代エジプトの王女、美意識とプライドは一丁前に持っているらしい。半脱ぎの生殺しで放り出される私の身にもなって欲しいもんだけど。

 

「それじゃあゆせ、おやすみなさい。また来てくれなくては嫌よ……?」

 

 蓋の隙間から名残惜しげに私を見つめながら、カミラは自らの手で棺を閉じた。音も無い霊廟にひとり残された私は、着衣を直しながら考える。

 

(確かに……ミイラ姿のカミラを見てしまったら、私は二度とここには来ないかもしれない。私が興味あるのは、今私の知っているカミラだけだ。あの体が崩れていく様なんて想像したくもない)

 

 カミラを愛するのは簡単だ。何故ならカミラは無垢で美しいから。だがそれは、外法によりこの世に現しめられた幻に過ぎない。本当のカミラの魂は、干からびた肉体の奥の奥……そこにずっと眠ったままなのだ。それこそ、一国の王女だったカミラがその生を終えた幾星霜の昔から。

 

(起きてても死んでるようなもの。それなのに、眠りに就く時はあんなにも寂しそうな顔をするんだよな……)

 

 碧く透明な瞳が最後に私だけを映す瞬間。あの別れの余韻は脳裏にこびりついてなかなか離れない。だからこそ、尚もって私は棺の中を覗き見ることはしない。お互いの慰めのためにも、それは踏み越えてはならない一線なのだ。

 

 

 

 翌朝、私は携帯のアラームに頼ることなくすっきりと目覚め、ソーセージと目玉焼きの簡単な朝食までこしらえて悠々といただいた。やはり、カミラに触れなかった明くる日は寝起きが良い。最近に珍しく余裕を持って家を出た私は、後から走って来た捨子さんを一瞥してバスに乗り込んだ。

 

「やあ、今朝は随分早いね。夜更かしはやめたのかい?」

 

「別に。単に体力の問題かな」

 

 生返事しながら揺られているうちにバスは学校に着いた。降り際、捨子さんはおもむろに鞄からチャック付きの小袋を取り出した。見ると中には桜の花弁が十数枚ばかり保存されている。

 

「ああこれかい? 肩に付けとく用の花弁だよ。道すがら拾うのは難しいから家の近くでストックを集めとくことにしたのさ。……あ、ゆせさん引いた?」

 

 露骨に渋い顔をしたのがバレたらしい。雅がどうたら言ってたやつ、まだ続いてたのも驚きだが、集めすぎじゃない?

 

「ロマンチックなきっかけさえあれば僕に話しかけたいと思ってる後輩が存在するかどうか、これでわかる」

 

 言いながら捨子さんはバスを降り、校門をくぐると同時にさりげなく花弁を右の肩口にマウント。それを落とさぬよう器用にメインストリートを歩いて行った。

 

 私はと言うと、眠気や偏頭痛と戦わずに登校するのが珍しいものだから、くっきり見えすぎる春の景色や聞こえすぎる学び舎の喧騒に早くも気疲れしていた。

 

(嫌いなものから目を逸らそうとしても、ノイズまでは遮れない。苦痛を和らげるに曖昧なまま過ごすしかないのよね……ああ、早寝なんかするんじゃなかったかな……)

 

 結局私は早寝早起きの利得を録に味わうこともなく、教室に入るや机に突っ伏すいつもの生活に戻ってしまった。予鈴も鳴り始める頃、やけに声を弾ませた捨子さんが前の席に着く音がした。

 

「なんだ、早起きの反動でおねむかい? 睡眠は浪費! 人生の可処分時間が減るよ? この分じゃゆせさん、常人の半分も生きてないことになるんじゃないか?」

 

「……うるさい。謎に機嫌よくなってんじゃないわよ……本当にうざい」

 

 手首だけもたげてファックサインを突きつけつつも、私は捨子さんの軽はずみな言葉を密かに反芻していた。

 

 私は詰まるところ、好きなもの、胸躍るものだけ見ていたいがために、生の時間を減らしているのかもしれない。きっと眠りとは短き死なのだ。棺に戻るカミラを見送り、金庫室に鍵をかけた瞬間、私の心も一度死を迎えているのだろう。再びカミラに会い、蘇るその時まで。 

 

 

《END……?》



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1-7 ゴシップ学園

 

 噂話は嫌いじゃない。私だってたまには人の陰口を叩いたり、ネットのゴシップ記事に時間を吸われたりする。だが自分がその対象になっているとわかれば話は別だ。そして今、私は自分史上稀なほど人の噂というものを憎んでいた。

 

「いやー……昨日ぐらいから校内で視線を感じてしょうがないよ。とうとう僕もミモ女的コンテンツ人間に……あはは」

 

 捨子さんの軽口も今日はどこか歯切れが悪い。先程から私がまあまあの形相で彼女を睨み付けているからだろう。

 

「……私、今週に入って10回ぐらい顔も知らない生徒にコメント求められたんだけど。羽生捨子さんとの近況について」

 

「新聞部のお嬢さんたちだろうねぇ。申し訳ない……まさか僕の行動ひとつで皆がこんなに盛り上がるなんて」

 

 今は昼休み。私と捨子さんは人目を逃れて学校の敷地の外れ……焼却炉の裏に避難中だ。手入れの甘い雑草の臭気に眉をひそめながら、私は苛立ちを主張するように金網をひとつ揺すった。

 

 事の始まりは、捨子さんが一人の後輩の仲良くなり校外デートに及んだこと。驚いたことに例の花弁作戦に引っかかり、捨子さんと近づきになろうとした脳天気な一年生が本当に居たらしい。浮かれた捨子さんはその週末にその子を寮から連れ出し、映画と買い物を楽しんだ。そこまではいい。

 

 問題は、うちのクラスでは捨子さんのお相手は私であるとの見解が多数を占めていたことだ。私はたちまちパートナーを略奪された悲劇のヒロインに仕立て上げられ、名も知らぬクラスメイトたちから同情されたり励まされたりもう散々な目に遭った。

 

「な~にが “元気を出して” よ。人のことを退屈凌ぎに利用しくさって……私は芸能人でも地下アイドルでもないっての!」

 

 あの下世話極まる校内新聞の一面を飾るのだけは御免だ。それは捨子さんも同様だと思いたかったのだが。

 

「こうなれば、いっそゆせさんもこの状況を楽しんでしまうというのは? 僕を巡って後輩くんと争ってくれても構わないよ?」

 

 この調子である。遺憾の意を込めて私が焼却炉の壁を蹴りつけると、捨子さんはビクッと身を竦ませて素に戻った。

 

「……冗談だよ。後輩くんに矛先が向かう前に、何とか噂を収めないと」

 

「何よ、意外と良識的じゃない」

 

 私が溜息交じりにそう言うと、捨子さんは「当たり前さ」と語気を強めた。

 

「凄く良い子なんだ。先のデートでも、空回りする僕を鼓舞して引っ張ってくれた。これ以上……彼女の学校生活まで僕のために煩わせるわけにはいかないよ」

 

 捨子さんも根は真人間だ。一年の頃からこのミモザ女学院でリアルを充実させたいと息巻いていたが、どうやら相手を思い遣ることもちゃんとその一環らしい。ひねくれ者同士のように思えて、捨子さんと私との間には心根の醒め加減において大きな隔たりがある。

 

(私は……こうはなれないな。他人に好意を受け止めてもらう気概なんて、とうの昔に放り捨ててしまったよ)

 

 金網にもたれ、私は家で眠っているカミラを思った。自分の名前も覚えていない赤子も同然の彼女は、生のままに己の愛着を示し、雛鳥のように庇護者に縋る。過去の神官がどんな思いでカミラに接したかは知らないが、少なくとも私は都合が良いと感じてしまった。

 

(私の手にあるのは、イージーな欲望の捌け口だけ。そういう私に自分からなったんだから……嘆くだけ不毛よね)

 

 不意に感傷に襲われた私の顔を、捨子さんが不思議そうに覗き込んで来る。数十秒は放心していたことに気付き、私は咳払いをして捨子さんに向かい合った。

 

「まあいいわ。噂が払拭できるかどうかは知らないけど、私もできる限りのことはする。お互いの平穏な日々のためにね」

 

「ゆせさん……」

 

 捨子さんが声を震わせて私の手を掴もうとするのを、私はすんでの所で躱した。

 

「なんで避けるのさ!」

 

「えっ……あんた何となく手汗かきそうだし。それに、あくまで火の粉は払うってだけだからね? 色々聞いてくる連中に逐一否定するとか、捨子さんと暫く距離を置くとか……そういう地味なことしかできないから。あんま期待しないでよ?」

 

 尤も、早めの落着を願う気持ちは私とて本物だ。捨子さんの幸運が私のためおじゃんになるのは流石に気分が悪すぎる。真面目に恋することから逃げてばかりの私が、あまつさえ人の恋路の妨げとなるなど罪の上塗りも甚だしいのだから。

 

 

《END…?》



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1-8 病みつき

 

 学校生活とは懲役期間のようなものだと私は思っている。私立ミモザ女学院……通称ミモ女においては尚のことだ。標高290mの学校から途中でフケるという選択肢はない。徒歩での下山を敢行するなら話は別だが、ふと居たたまれなくなった時に都合よく帰りのバスがあるなんてことはまずない。

 

 その日、私はクラス中からの好奇の視線を浴び続けイライラが限界を迎えていたが、結局午後まで授業を受けて行儀よく下校した。足早にバス停へ急ぐ私に、数人の野次馬が併走して来る。

 

「湊さん、辛かったら辛いと言っていいのよ? 今夜は寮にいらっしゃらない?」

 

 うるさい。いっぺん死んで来い。

 

「いいえ諦めてはいけないわ! 何としても羽生さんの心を取り戻すのよ! 私も微力ながら手助けしましてよ!」

 

 何言ってんだ馬鹿。頭沸いてんのか。放課後までこんな調子だ。お前たちからすれば私なんて、いつも教室の隅で光合成している植木のようなクラスメイトじゃないのか。こんな時だけよくそんなに絡む気になれるものだ。それとも、同じミモ女の生徒だからお友達になろうと思えばいつでもなれるとでも思っているのか?

 

「ごきげんよう。さようなら」

 

 泡立ちそうな喉の奥から乱暴にそれだけ絞り出し、私は脱出のバスに乗り込んだ。

 

(ごめん捨子さん。口で訂正するなんてやっぱ無理。ちょっと耐えられない)

 

 もしこれが寮暮らしだったら、消灯時間まで安らぐ暇はなかっただろう。考えただけでゾッとする。

 

(捨子さんに言い寄った後輩ちゃんは寮生か……今頃大変だろうな。乙女の園での最初の春、運命の出会いを夢見てただけだろうにね。心から同情するわ)

 

 生徒間の醜聞には事欠かないミモ女界隈……私と捨子さんの悲劇もニュースとしては遠からず賞味期限切れになるだろう。だが私は一日だって御免だ。そもそも脳天気な外野に週刊誌ネタの如くしゃぶり尽くされ、向こうの飽きたタイミングでポイと解放されるなんて屈辱的にも程がある。

 

「……ただいまお爺ちゃん。この家があって本当に良かったわ」

 

 這う這うの体で帰宅した私は、祖父の肖像画に最敬礼。踵を返し納屋までザナの葉を取りに行った。もう一秒でも早くカミラを起こして触れたい。その一心で支度を済ませ、金庫室の扉も開けっ放しで棺にザナ茶をぶち込んだ。

 

「ふわぁ……おはよう、ゆせ。今日は何だか……はにゃっ!?」

 

 身を起こしたカミラの脇に手を入れて勢いよく棺から引っこ抜き、あぐらをかいた脚の間にすっぽりと抱え込む。目を白黒させるカミラをよそに、私は彼女の纏った薄衣の肩紐をずらし、なだらかな稜線にむしゃぶりついた。

 

「んんぅ……どうしたのゆせ、今日はご機嫌斜めなの……? なんだか……あっ……首筋からピリピリする匂いがするわ……」

 

 勝手に嗅ぐんじゃない。私は無視してカミラのデコルテ周りに顔を思うさま擦り付け、浮き出た鎖骨に唇を向かわせる。ニキビひとつないぷるぷるの肌……産毛の感触も頬に心地良い。たまらない。そうだこれがカミラだ。過剰なストレスの反動で、完全に我慢が利かなくなっている。

 

「いいわ……ゆせが欲しいなら全部あげる。だってゆせにはずっとここに居て欲しいもの。わたしも……ふふっ……わたしもゆせにいつも触って貰いたいもの」

 

 私の首に腕を回し、カミラが吐息交じりに囁いて来る。それは全て私の望む言葉。まるで私が遠慮なく溺れられるよう、自制心を解く呪文を唱えているかのようだ。私はカミラの頭を両手で引っ掴み、彼女の唇に噛み付くような接吻を見舞った。

 

「んっ……んんんっ!……ふあぐ……っう……んちゅ……ぷあっ……ああ……ゆせ……んぐっ」

 

 呼吸を奪うように口づけを繰り返し、温かい口腔に舌を差し入れて何度も蹂躙する。カミラの小さな鼻腔から苦しい息が漏れ、抱き寄せた薄い胸が激しく上下する。

 

「はっ!……はっ!……もっと……もっと頂戴? いっそ壊れるぐらいがいい……わたしのこと……壊して欲しいの!」

 

「くっ……言われなくても……っ」

 

 いつしか私は着衣をはだけ、全身でカミラを味わわんとしていた。そして狂乱が過ぎ去った時、私は汗と涙で濡れそぼったカミラが生まれたままの姿で横たわっているのを、陶然として眺めていた。

 

 やはり私にはこれが分相応なのだろう。無条件に私を求めてくれる無垢な恋人……うじうじと感傷に浸っているには、カミラの存在は魅力的に過ぎるのだ。

 

 

《END…?》



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1-9 後輩ちゃん登場

 

 捨子さんが後輩ちゃんと交際を始めたことで、私を絡めた三角関係が勝手に噂されるようになってからはや一週間が過ぎた。所詮は当事者を置き去りにして一人歩きしている話、初動以上の発展性も見込めないし早晩沈静化するだろうと希望的に見ていた部分もあるのだが、そうはいかないのがミモ女という学校のようだ。

 

「ゆせ様……私、負けませんから!」

 

 渡り廊下で私に宣戦を布告したのは、捨子さんが引っかけた後輩ちゃんその人……名前は一条玲愛というらしい。二つ結びの髪もおぼこなかわい子ちゃんだが、周りが囃すのを真に受けてすっかり私をライバル視してしまっている。おまけに新聞部の取材で、私との対決姿勢をポロッと言葉に出してしまったというのだから質が悪い。

 

「えーっと、玲愛……ちゃん? 負けないはいいけどさ、このこと捨子さんは承知してるわけ? ちゃんと話し合った?」

 

 健気にも二年生に立ち向かう曇りなき眼差しに半ば気圧されながら私がそう尋ねると、玲愛ちゃんは威勢よく「いいえ!」とかぶりを振った。

 

「これは私とゆせ様の問題……捨子お姉様に意見を求めるなんてアンフェアです。なので引っ込んでいただいています!」

 

 成程、この件に関して捨子さんに発言権は全くないらしい。それにしてもあの捨子さんがお姉様って……面白すぎて笑っちゃうから真剣な場でやめてくれないかな。

 

「あっそ……でも私と捨子さんは別に何でもないってことぐらいは聞いてるわよね? それともお友達に乗せられて、お姉様の言い分は尊重しない方針?」

 

 思わず嫌味が混ざってしまった私の言葉に、玲愛ちゃんは眉をピクつかせ「ですからっ!」と改めて声を張った。

 

「あくまでゆせ様に対する私の気持ちの問題なんです。私と過ごしていても、お姉様のお話の中心はその日のゆせ様のことばかり……私にはそれがとても悔しい!」

 

「えっ……う~ん……?」

 

 捨子さんそりゃないよ……いくら話題に事欠いても他の女の話するのはやめようよ。玲愛ちゃん思い詰めちゃってるし……体育会系なのかさっきからやたら声でかいし。

 

「とにかく! ゆせ様がどう思っていようが私は負けません。お姉様の中で私がゆせ様以上の存在になれるまで……私はこの度の騒動でも何でも利用するつもりですので、どうぞお覚悟を。今日はそれだけお伝えしに来ました。それでは、ごきげんよう!」

 

 言いたいことだけ言って踵を返し、玲愛ちゃんはツカツカと歩き去った。何と言うか、生真面目な子なんだろうな。私が溜息をついていると、後ろの曲がり角から捨子さんが姿を現した。

 

「お~い、ゆせさん探したよ。お昼にしよう。玲愛くんの声も聞こえたような気がしたけど良ければ……お゙ぅえっ!?」

 

 柴犬のように駆け寄って来る捨子さんの鳩尾にグーパンチをくれてやり、私は現状の分の悪さを噛み締めるのだった。

 

(噂を収めようにも役立たず捨子さんは半ば蚊帳の外、玲愛ちゃんはむしろ乗っかる気満々。となると割を喰うのは……やっぱ私よね。ふざけんな!)

 

 帰宅後、カミラの膝枕の上で思案してみても、クソみたいな状況は覆しようもなく思えた。今はまだギャラリーも私に同情的だが、玲愛ちゃんがあんな調子である以上あまり口をつぐんだままだと私がヒールにされかねない。それだけは嫌だ。

 

「ゆせったら、何か悩みごとなの? さっきから溜息ばかりで膝がくすぐったいわ」

 

 カミラは私の髪の毛を繕って遊びながらクスクス笑っている。王女様は呑気でいいもんだ。私は腹立ち紛れにカミラの脛の辺りを擦りながら「まあね」と返した。

 

「各々のエゴで好き勝手に動く人間の心を御するなんて到底無理だなって話よ」

 

 別にカミラに助言は求めない。ただ聞いて貰いたいだけの愚痴だったのだが、カミラからは意外な答えが返って来た。

 

「ふぅん……わたしにはよくわからないけれど、心を操るなんてゆせには簡単じゃないかしら。今、メダリオンは持ってる?」

 

「メダリオン……?」

 

 祖父から受け継いだ神官のメダルのことを言っているのだろうか。制服の胸元に仕舞っていたそれを引っ張り出して差し出してみると、カミラはメダルの表面をつつと指でなぞってみせた。

 

「……はい、これでいいわ。このメダリオンをかざして語りかければ、相手を浅い眠りに落とすことができるの。その間、その人はゆせの思うがままよ」

 

「……は?」

 

 ちょっと待って。このメダルそんな機能あったの? 衝撃の事実の発覚と共に、どこからか凝り固まった歯車の動き出す音が聞こえるようだった。

 

 

《END…?》



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1-10 催眠メダリオン

 

 私が首にかけている黄金メダルのネックレスは、エジプトの神を祀る神官の証として祖父から譲り受けた物だ。尤も私はカミラの世話以外にこれといった務めは聞かされておらず、メダルも単に手軽に持ち歩ける形見として身に着けていたに過ぎない。そのメダル……カミラ曰くメダリオンを、今私は教室の片隅で鼻息も荒く握り締めて逡巡の真っ最中だった。

 

(本当に……これを人に使うのか? そもそも催眠術なんて本当に使えるのか!?)

 

 昨夜カミラが言ったことには、神官は務めに付随して様々な権限を持っており、そのための力がメダリオンには色々と込められているらしい。カミラがアンロックした催眠機能はその内の一つなんだとか。

 

「メダルの機能なんてお爺ちゃん一言も言

ってなかった……これ、カミラは前から知ってたの? なんで今になっていきなり力を解禁する気になったのよ?」

 

 心なしか輝きを増したメダルを返され私は戸惑うしかなかったが、カミラは少し困った顔でむにゃむにゃ言うばかり。

 

「……わからないの。前から出来た気がするのだけど、どうして今までやらなかったのかしら? 不思議だわ……」

 

 曖昧な物言いだったが、とぼけているわけではないだろう。カミラには生前の記憶がない……きっと本当にわからないのだ。

 

「でも、とにかくこの力はゆせの物よ。思う存分役立てて頂戴ね!」

 

 そう言ったカミラの顔は家事手伝いを買って出た子どものように誇らしげで、私は何も言えずにメダルを受け取った。そして現在、私はこれを後輩の玲愛ちゃんに使うべきかどうか悩んでいる。

 

(玲愛ちゃん、三角関係のこと聞かれる度に“私、負けません!”って元気に返事して外野を喜ばせてるらしいからな……街宣車みたくなってるじゃない。ふざけんな!)

 

 これ以上私と玲愛ちゃんの対立構造が校内に浸透すると終いには私に爆弾が飛んで来る。既に今日、自称湊ゆせ派のクラスメイト数名に話しかけられてるし、一刻も早く玲愛ちゃんは黙らせなくては。

 

(しかしなぁ~! 多分あの子……捨子さんの言う通りめっちゃ良い子なんだよなぁ~! 真面目で一生懸命で……あんな侍みたいな子を催眠にかけて、言うこと聞かせて本当にいいの……?)

 

 私が良心の呵責に苛まれていると、お手洗いに行っていた捨子さんが前の席に戻って来た。この度の醜聞、元はと言えば捨子さんを巡る泥沼という触れ込みだったのに、本人はモジモジするだけで何の役も演じていない。玲愛ちゃんの暴走に関しても「玲愛くんは僕が言って聞くタマじゃないからねぇ……」とまるで頼りにならないのだから嫌になる。

 

(妹分を思い遣る心はあっても、行動に移せるかどうかは話が別か。全く大したお姉様ね。……あっ、そうだ)

 

 呆れついでにふと思いついた私は、昼休みを待って捨子さんを連れ出した。行き先ら誰も居ない空き教室だ。

 

「どうしたんだいゆせさん、何か内密の話かい? もしやまた玲愛くんが何か……」

 

 明かりも落ちて閑散とした室内に捨子さんの声が軽く響く。周囲に人気はない。

 

「まあ、何も言わずにこれを見てよ」

 

 私は胸元からメダルを取り出し、捨子さんの眼前に突きつけた。これは実験だ。メダルの力が如何ほどのものか、騒ぎの元凶たる捨子さんになら試してもいいだろう。

 

「えっ、ゆせさん何そ……れ…………クゥ」

 

 メダルに刻まれた太陽神の紋章が一際照り映え、捨子さんの瞳に映る。それを見るや捨子さんは静かに目を閉じ、口を半開きにして朦朧と立ち尽くしていた。どうやら催眠にかかったようだ。

 

「……即落ちね。カミラに偽りなし、か」

 

 ふらつく捨子さんを手近な椅子に座らせ、私は更なる検証に入る。眠らせた相手に命令を聞かせる実験だ。

 

「さて、羽生捨子さん。私はあなたに少々ムカついています。今更くどくど言う気はありませんが、せめてあなた自身の行動で償いをしてもらいましょう……」

 

 焦らず、飲み込みやすいよう前置きしながら語りかける。捨子さんに反応は見られないが、信じて本質の命令を言い渡す。

 

「……跪いて、私の靴にキスをしなさい」

 

 何言ってんだ私は。頭沸いてるのか。勿論命令は寸前で取り消す。それができるかどうかの検証も兼ねた実験なのだ。

 

「さあ……羽生捨子さん」

 

 私はそう促しながら机に腰掛け、ローファーの足を片方差し出してやった。すると捨子さんはゆっくりと椅子から降り、命令通り膝を折って私の前に跪いた。

 

(やった……成功だ。あ~何だか溜飲が下がる感じ。本当に靴舐められるのは御免だけど、この絵面が既に面白すぎる)

 

 捨子さんはいよいよ私のローファーに手を添え、寝てればまだしも端正な顔を近付けて口を付けようとしている。私は快感の余韻もそこそこに命令を解除しようとしたが、その時だった。ピピッと何かのピントが合う音がし、続いて乾いたシャッター音が空き教室に鳴り響いた。

 

「あわ、あわ、あわわわ……! 一大スクープ、撮ったりぃ~~~~!!」

 

 悲鳴のような快哉を叫んで、新聞部のお嬢さんが走り去っていく。半開きになったままの引き戸を見ながら、私は唖然としていた。

 

 

《END…?》



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1-11 追撃パパラッチ

 

「これで今年のミモリツァー賞はあたしがいただきって寸法よぉ~~!!」

 

 私と捨子さんのあられもない姿を盗撮した新聞部員が、喜び勇んで廊下をかけて行く。完全にしくじった。騒動を収めるための催眠実験をしていた筈が、これでは状況が更にややこしくなるだけだ。

 

「……はっ、待てこのっ!」

 

 何とか我に帰った私はパパラッチを追いかけようとしたが、催眠にかかった捨子さんは尚も私の靴にキスしようと足首を掴んで来る。切羽詰まった私は捨子さんの土手っ腹をローファーの爪先で蹴りつけた。

 

「おぶぇっ!?」

 

 ごめん捨子さん。後でたい焼きでも奢るから。撃沈した捨子さんを放置し、私は引き戸を押し退けて追跡を開始した。スカート丈を詰めてその下にジャージを穿いた特徴的な着こなし……あの子は確か、既に私に何度か取材を仕掛けて来ている新聞部の自称ニューホープだ。

 

「ふざけんじゃないわよ一年坊っ!」

 

 インコースを攻めて角を曲がると、目標はまだ十数m先をよちよち走っている。案外足が遅い。カメラを庇っている所為か。

 

「そのカメラを……寄越せーっ!」

 

「げえ~っ! ゆせ様足速っ! てやんでぇ、ここで捕まって堪るもんかい!」

 

 江戸っ子かお前は。いちいち癪に触る後輩を猛追し、私はいつしか校舎一階に下りていた。階段を出てすぐの角で、一瞬目標の姿が見えなくなる。私も続いてカーブすると、廊下の先に目標の姿はない。

 

(逃げられた?……いや、こっちか!)

 

 この廊下は中庭に面している。私は周りのお嬢様方がざわつくのも構わず窓を開け放ち、上履きで窓枠を乗り越えて中庭の土に降り立った。急ぎ辺りを見回すと、今まさに目標が百葉箱の中にカメラを隠そうとするのが目に入った。

 

「こん畜生そこを動くなーっ!」

 

「いいっ!? あわわ八方塞がり……!?」

 

 目論見が外れ狼狽した目標は瞬時にフリーズ。私は走り出した勢いそのままにタックルを繰り出し、にっくきパパラッチを芝生の上に押し倒した。

 

「ハァ……ハァ……こ、降参。あたしの負けですゆせ様……さあ煮るなり焼くなり好きにしやがれってんでい!!」

 

「ぜは……ぜは……ああもううるさい……わかったから、ちょっと顔貸してもらうわよ」

 

 久々の全力疾走で私の息も絶え絶えだ。体中に付いた芝を払うためにも、私たちは体育館にある小さな更衣室に向かい、そこで一息ついた。新聞部のホープこと五郎丸弥栄ちゃんは、素直に私の前でデジカメのデータを削除してくれた。

 

「いやぁ大変失礼しました。部のお姉様方の鼻を明かしたい一心でつい気が早っちまいまして。お二人の秘密の時間を邪魔するなんて野暮の極み!って奴でしたね」

 

 全然違うし、その軽い喋り方どうにかならないかな。気勢を削がれちゃうから。

 

「でも記事にしたかったな~。学年を超えて吹き荒れる恋の嵐、その狭間で営まれる二年生同士のイケナイ主従関係……大当たり間違いなしですって!」

 

 いや知らんて。しかしメダルのことを弥栄ちゃんに話す気にはなれず、事情を説明できない私に反論の術はなかった。

 

「捨子様はあの顔立ちですからね、元々一年生にもファンが居たんですが、今回のことでゆせ様に注目し始める人もチラホラって具合で! ブーム来てますぜゆせ様~」

 

「冗談やめてよ。……てかさ、他人の人間関係でよくそんなに盛り上がれるよね」

 

 かねてからの疑問をふと口にすると、弥栄ちゃんは芝だらけのジャージを下ろしながら「う~ん」と首を捻った。

 

「ゆせ様はそうでもないようですが、ここの華やかな気風に憧れて入学する人って結構居ましてね。幼稚舎から居るような生え抜きは上から伝え聞いて尚更……でも皆が皆メロドラマの主人公みたくなれるわけじゃない。人気者同士の惚れた腫れたを物語のように楽しむのが、大多数にとってのミモ女ライフでしょうねぇ」

 

「……それを支えるのが、あんたたち新聞部ってわけ?」

 

「ええ、その通りで。今回は潔く引き下がりますが、ゆせ様のことはこれからもマークさせて貰いますよ。あたしの性分ってのもありますが、記者の端くれとして矜持みたいなのもありますんで」

 

 制服の上を脱いで芝を振り落としながら、弥栄ちゃんはニカッと笑った。

 

「……そう」

 

 弥栄ちゃん、この子もきっとそう悪い子じゃないんだろう。明るくさっぱりしてて、決して人を威圧しない柔らかい子。でもごめん……私は既に決めてしまったんだ、メダルによる催眠術の使い道を。

 

「あのさ弥栄ちゃん、ちょっとこれ見て」

 

「はい、何でやんしょ……あ、れ…………?」

 

 メダルをかざし、弥栄ちゃんを眠りに落とした。更衣室のベンチに彼女を寝かせ、私は高ぶる息を整える。

 

「本当にごめんね。起きてる時はきっと謝れないと思うから、夢の中で聞いて欲しい。五郎丸弥栄さん……あなたにはひとつ、私のために働いて貰います」

 

 

《END…?》



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1-12 ペナルティ

 

 私はつくづく最低な人間だと思う。芝だらけになった服を丁度脱いで芝を落とすところだった弥栄ちゃん……彼女がその状態まま催眠にかかり、肌も露わな姿で更衣室のベンチに横たわっている。色気のない子だと安心していた癖に、こうして見ると生唾が湧いてくるのを止められない。

 

(妙な気を起こすなよ湊ゆせ……これは私の平穏を守るため。捨子さんが玲愛ちゃんと機嫌よく付き合えて、私に火の粉が飛んで来ないようにするための処置なんだから)

 

 弥栄ちゃんの頭を少し持ち上げ、私の膝の上に乗せる。私の声と息遣いが一番よく届くポジションで、夢現の弥栄ちゃんにそっと語りかける。

 

「五郎丸弥栄さん……いいですか? あなたの記者としての情熱、私はいたく感服しました。でも、あなたが校内新聞で煽り立てようとしている内容は事実とは全く異なるし……私にとって本意でもありません」

 

 高圧的にならないよう、丁寧な語り口で徐々に同調を促すよう試みる。催眠術の心得なんてないから完全にアドリブだが、弥栄ちゃんの安らかな寝顔を見るにそう間違ってもいないのだろう。ついでに髪を梳くように頭を撫でてやると、弥栄ちゃんの口角が“にへらっ”と上がった。

 

「そこでです……五郎丸弥栄さん。私は代わりのニュースを用意しました。眠りから覚めたら、今から言うことを記事にするのです。後ほど、起きているあなたにも私からお伝えしますから……焦らず落ち着いて聞いてくださいね。では、言いますよ……」

 

 新聞部が発表しようとしている記事は、大方私と玲愛ちゃんとの対立関係を大々的に打ち出すものだろう。そんな記事が出れば私が悪者になるのは必定、おちおち居眠りもできなくなる。それを避けるため、弥栄ちゃんには私に都合がよく、それでいて派手な取材結果を持ち帰って貰う。即ち、玲愛ちゃんに対する私の全面降伏だ。

 

「あなたたちの見ていない所で……厳正な話し合いなり壮絶な決闘なり色々あったのです。そこは自由に考察してよろしい。とにかく……私はこの件から手を引くということを……よくよく宣伝しておくこと。わかりましたか? わかったら“はい”と答えて」

 

「……ふぁい」

 

 しばらくは周りに追及されるだろうが、これでいい。玲愛ちゃんに動き回られて場が過熱する前に、先んじて結論を出してしまえば噂の収束は時間の問題だろう。元々私の与り知らぬ問題、私から行動を起こすのは癪だったのだが……これきりで済むなら良い落としどころだ。

 

(さて……後はもう一度メダルを見せて覚醒させるだけか。うふふ……カミラには感謝しなきゃね。まさかこんな打開策を授けてくれるなんて。帰ったらたまには甘い物でもあげてみようかな)

 

 感慨に耽る私だったが、いざ弥栄ちゃんを起こそうとした時、ひとつの懸念が生まれた。彼女は一年生……よしんば中等部からの古株だったとしても新聞部においては末端に過ぎない。恐らくやり手揃いの先輩を相手に、弥栄ちゃんが自分の取材結果をそう簡単に押し通せるものだろうか。

 

(編集を納得させるには根気が必要……その可能性を考慮して、弥栄ちゃんの心に何か埋め込んでおく必要があるかもしれないわね。例えば……ペナルティとか)

 

 昼休みはまだ半ば。歓談し戯れるお嬢様方の声を遥か遠くに聞きながら、私は更衣室のドアに鍵をかけた。

 

「……弥栄ちゃん。私、今したお願いは絶対に聞いて欲しいの。もし約束が反故になるようなら……後でひどいからね?」

 

 気持ち良さそうにまどろんでいる弥栄ちゃんの傍らに再度腰掛け、私は彼女の全身を見た。年相応にかさぶたやニキビ跡の残る、活発さを絵に描いたような肢体。あばらの浮いた脇腹にそっと手を触れると、くすぐったそうな息遣いが聞こえた。

 

「頑張らないとどんな罰があるか、先に教えといてあげる。弥栄ちゃん自身の体で覚えて……頭では、どうか忘れて欲しい」

 

 私はベンチに上がると、弥栄ちゃんに覆い被さった。だらしなく開かれた彼女の脚の間に膝を進め、折り重なるようにして無垢な寝顔を見下ろす。スカートの中に手を入れ、ピンクのショーツに手をかける。

 

「気持ち悪いだろうけど……我慢してね」

 

 私の落とした影の中で、弥栄ちゃんが身をよじり、息を弾ませる。その光景を私は忘れることはないだろう。

 

 

 それから一両日が過ぎ、私と捨子さん、そして玲愛ちゃんの三角関係を特集した校内新聞が発行された。私からの敗北宣言を伝え聞いた玲愛ちゃんによる謙虚な談話も掲載され、何もわかってない捨子さんに対するグダグダな質疑応答もおまけ程度に載った。この発表をもって本件にまつわる熱狂はピークを迎え、後は沈静化の一途を辿って行くことになる。

 

 尤も私はあれから一週間学校を休んだので、事の顛末は後から聞いたのだが。

 

 桜の季節、花弁のように降り積む自己嫌悪を残し、私による醜聞火消し作戦は完了したのだった。

 

 

《END…?》



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1-13 不貞の不貞寝

 

 感謝と負い目の違いとは何ぞや? その問いに答えられる人は案外少ないのではないだろうか。少なくとも私には、両者はなだらかに繋がっているようにしか思えない。現に、最初はカミラへの感謝のつもりだったスイーツの山を、私は自らの行いによりお詫びの品にしてしまったのだから。

 

「まあ! なんて素敵なのかしら……色とりどりで可愛らしいわ。ねぇゆせ、これは何? 何という宝物なの?」

 

 座卓に並べられたケーキ、マカロン、エクレアにシュークリーム、その他スーパーで買い求められる限りの甘味を、カミラはうっとりと見つめている。どうやら歴代の神官はカミラに駄菓子のひとつも捧げなかったと見える。まあ私も今日になるまで思い付きもしなかったわけだが。

 

「何ってお菓子だから。それ全部食べていいわよ。私はもう、部屋に戻るから」

 

 私は目も合わせずにそう言い、さっさと引き上げようとした。その後ろ髪を、カミラの無垢な視線が引き留める。

 

「……ゆせ、何だか元気がないのね」

 

「はぁ? なんでそうなるのよ。私だってたまにはあんたに構わず、一人でゆっくりしたいだけよ。変な勘繰りしないで」

 

 図星を突かれ、つい棘のある言葉を投げてしまった。カミラは何も悪くないのに。悪いのは私……カミラの授けてくれた力を利用し、まんまと後輩の体を弄んだこの私だというのに。

 

「……ごめん。とにかくそんな感じ」

 

 加速した自己嫌悪に前を塞がれ、私は身動きが取れなくなる。その背中を鏡のような目に映しているであろうカミラが、寂しそうに「わかったわ」と呟く。

 

「……わたし、ゆせの言うことは聞きたいもの。今日は我慢する」

 

 カミラの声が少しずつ震えていく。きっと涙を堪える顔も綺麗なんだろう。だが私には駄目だ。少なくとも今日は、カミラの顔をまともに見られない。

 

「でも、この綺麗なお菓子でもゆせの代わりにはならないわ。だから……だから、また来て欲しいの。お願いよ……?」

 

「……うん。考えとく」

 

 祈りのようなカミラの言葉を背中に突き刺したまま、私は霊廟の扉を閉ざした。思えば、カミラが棺に戻る前に霊廟を出るのは初めてかもしれない。

 

(あの涙声……私が愛想を尽かしたとでも思ったかな。私がもう来なくなるって、勘違いさせちゃったかもしれない。違うの……ごめんねカミラ、そうじゃないの)

 

 合わせる顔もない癖に、あげる物あげて楽になろうとして、挙げ句に泣かせた。秘密の恋人にさえここまで浅ましい態度を取れる自分自身が本当に嫌で、私は自分の部屋に這うようにして逃げ込んだ。

 

(重力を感じる……前にもこんなことがあったな。疲れて一歩も歩けないみたいに心も体も重たくて、どこにでも倒れて眠ってしまいそうな感じ。眠い……本当に眠いよ)

 

 何とか布団に潜り込み、私は制服も脱がぬまま泥のように眠った。消耗した精神を補うには、時に体の場合と比較にならぬ程の時間がかかる。カミラの泣き顔を網膜が幻視しなくなるまで……弥栄ちゃんを侮辱した事実を脳が反芻しなくなるまで……本当ならいつまででも眠り続けていたかった。

 

 しかしながら、学校を休むのには限度がある。今の私の気ままな暮らしは一定以上の学業成績と、私が自律的に生活できている実績により保証されている。親が乗り込んで来る前に嫌でも目覚めなくてはならない……結局、私の不貞寝は区切りよく一週間で終わることとなった。

 

「……うん。もう熱も下がったし、明日から行くよ。……大丈夫だって、ほんと。父さんにも伝えといて。……うん、ありがと。……はいはい私も好きよ。じゃあね」

 

 母親との電話を切り、私は凝り固まった背筋をパキパキと伸ばした。この七日間ずっとムカデかゴキブリのようにぺったんこな生活を送っていたものだから、そう狭くもない筈の子ども部屋はカップ麺の殻や飲みさしのカルピスなんかで足の踏み場もなくなっている。多分私もひどい面をしてるだろうし……まずは人間に戻ることから始めなければならないようだ。

 

(とは言えもう夕方か。えーと、身だしなみ優先でとりあえずお風呂沸かして……うん、制服もくちゃくちゃだな……アイロンかけるのめんどくさいなぁ)

 

 汗だくのパジャマを脱ぎ捨てながら、寝起きの頭で色々と算段をつけていく。外界に出るため準備を整えるこの感覚も、何だか久々で懐かしいものだ。と、私が感慨に耽りかけたその時であった。軽快なエンジン音が鳴り渡り、家の前に何やら大きめの車が停まったようだった。

 

「えっ、まさか来客? ……誰?」

 

 私の一家を除いて縁者もなかった祖父の屋敷に、今更人が訪れる機会は基本的に無い。それこそ親が私を連れ戻しに来る時ぐらい……今電話したばかりでそれも無いとは思うが、私はカーテンを細く開いて恐る恐る外の様子を窺った。

 

「あの車って、確か……」

 

 門前に止まっている車に、私は見覚えがあった。えんじ色の高そうなリムジン。あれに私はつい最近乗ったことがある。後部座席に座っているエレガントな人影を見て、心当たりは確信に変わった。

 

「……無道院さん!?」

 

 

《END…?》



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1-14 その女、無道院

 

 無道院紗雪さん。ミモザ女学院との縁は附属病院の揺り籠からという生え抜き中の生え抜きで、中等部の生徒総代を経て現在は高等部の生徒会長を務めている、我が校のスーパースターだ。お父上は理事長のご友人で、紗雪さん自身も学校の経営陣からは一目置かれているそう。

 

 以上はミモ女に居れば誰もが耳にする紗雪さんの評判で、別に何のことはない。問題は、そのスターが今我が家の門前にリムジンで乗り付けているという事実だ。

 

(寮から出て来てるってことはご実家に用があるのか……いや、それにしたって私んちに寄る必要はないでしょ。車がエンストしたとか、携帯ゲームに酔ったとか……いや、車から降りるぞ!? 本当にうちなの!?)

 

 背の高い運転手が恭しく開けたドアからしゃなりと脚を伸ばし、紗雪さんが地面に降り立った。ご苦労とばかりに運転手に会釈し、何やらキョロキョロと屋敷全体を見渡している。

 

(何か探してる……? いや、何を?)

 

 頭の動きに合わせ、紗雪さんのサラブレッドのような栗毛のロングヘアーがふりふりと揺れる。それに目を惹かれ、私は思わず彼女の行動を観察していた。実家の太さにかけては学院一の無道院紗雪が、このボロ屋敷に求めるものなどないと思うが。

 

(一週間ズル休みしてた私を責めに来たわけでもあるまいし……何なの一体。もし入って来るようなら居留守使うか……)

 

 と、私がそう思ったその時だった。紗雪さんがふと顔を上げて二階の窓に視線を移し、そこから覗いていた私と思いっ切り目が合ってしまった。

 

(うげっ! しまった……警戒なんてしてないでさっさと引っ込んどくんだったわ)

 

 私が顔をしかめる一方で、紗雪さんはパアッと笑顔になりこちらに手を振っている。もう居留守は使えない……私はその辺にあったパーカーを急ぎ引っ被ると、門を開けるべく階下へ降りて行った。

 

「ごきげんよう、湊ゆせさん。お風邪を召したと聞いていましたけれど、そのお顔を見るとかなりお悪いようですわね」

 

「ああいえ、そんな……もう大丈夫です」

 

 自分が今どんな顔色か怖くてまだ見ていないが、やつれて見えるとすればそれは不摂生な生活で肌が荒れているのだろう。とりあえず道に嵩張るリムジンを敷地内に招き入れ、玄関先で紗雪さんと話をする。

 

「それで、今日は一体どんな御用で……?」

 

 以前会った時は車の座席だったが、今目の前に立っている紗雪さんは立ち姿からして凛としていて、私はやはり気圧されてしまう。俯き加減に尋ねる私に、紗雪さんは「あら!」と可笑しそうに言った。

 

「御用とは水臭いですわね。貴女のクラスの委員長からお見舞いを言い付かりましたの。プリントの類も溜まっていますし、私には足もありますものね」

 

「そ、そうですか……ご丁寧にどうも」

 

 紗雪さんのツンと吊り上がった目に、当てつけや皮肉の色は感じられない。本当にそれだけのために山を降りて来てくれたのだろうか。確かに、わざわざバスを待つ手間のある一般の寮生よりは気軽だろうが。

 

「あっ……中、入りますか? 立ち話も何ですし、お茶ぐらいしか出ませんけど」

 

「いいえ、ここで結構ですわ。すぐ寮に戻りますのでどうぞお構いなく。これ、プリントとお手紙ですわ」

 

 ハキハキした声で渾身の社交辞令を遮られ、私は間抜けな顔でクリアファイル入りの書類を受け取った。うん、やっぱりこの人苦手だわ。私が早く家に引っ込みたい気持ちで満たされていると、不意に紗雪さんが私の肩越しに建物の裏を覗き見た。

 

「……ところで、素敵なお屋敷にお住まいですのね。古いですが風情があって。あそこに見えるのは温室ですの?」

 

「え、ああ……はい。小さなやつですが」

 

 伸びるに任せている熱帯植物と、カミラの生命維持に必要なザナの木の栽培スペースしかない、特に見所のない温室だ。

 

「……温室、見たりとかします?」

 

「いえ結構、またの機会にしますわ」

 

 忌々しい。この人の前だと不要に気を回してしまうと言うか、媚びに走ってしまう自分が居る。上に立つ者のオーラ……紗雪さんの一挙手一投足から発せられる、熟成された気高さの所為だろうか。もう用がないなら帰ってくれないかな。

 

「気を悪くなさらないでね、植物自体はわたくしも好きですのよ。特に熱帯の珍しい花や、砂漠の民がまじないに使ったような……あらいけない、そろそろお暇しないと。今度またゆっくりと拝見しますわね」

 

 結局、この人はどういうつもりで来たんだろう? 吊り目をきゅっと細めて愛嬌のある笑みを私に投げかけ、紗雪さんは車に戻って行く。栗毛の長髪がふりふりと揺れ、その後ろ姿はどこか飄々としていた。

 

「……そう言えば、この間の校内新聞、わたくしも楽しませていただきましたわ。寮の子たちには貴女のファンも増えているようですし、良ければ遊びにいらしてね。それではごきげんよう、湊ゆせさん」

 

 後部座席から手を振り、それだけ言い残して紗雪さんは去って行った。

 

「……ごきげんよう」

 

 釈然としないまま残された私は、とりあえずプリントと一緒に渡された手紙とやらに目を通す。それは捨子さんからだった。

 

「……何よ、私のこと大好きかよ」

 

 私のことが心配、早く会いたいといった旨が、気取った文体ながら健気に綴られた手書きのお手紙。私は少し和んでしまう。

 

 この分だと、別段私に対する悪評が立ってるわけでもなさそうだ。弥栄ちゃんのことは胸が痛むが、彼女にその記憶はない筈だし要は私の気持ちの問題だろう。

 

「……よし。行くか、学校」

 

 いつしか桜にも緑が混じり始める頃、開き直りを覚えた私は図々しくも復活を遂げたのだった。

 

 

《END…?》



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1-15 捲土重来を期す

 

 一週間ぶりに通学のバス停に立った私を待っていたのは、目を潤ませた捨子さんの全力の抱擁だった。

 

「ゆっ、ゆっ……ゆせさぁ~~ん!! 良かったぁ元気そうで……あの後ぱったり来なくなるから、心配してたんだよ?」

 

「わわわ、暑い、暑苦しい……! 捨子さんも変わりなくて何よりね」

 

 あの後と言うと、催眠にかかった捨子さんを私がキックで轟沈させて放置してからということになるか。通りすがりの生徒に発見され保健室に運ばれたとは聞いていたが、私は結局見舞うことなく下校してしまったので、とんだお別れになったわけだ。

 

「なんか……ごめんね捨子さん」

 

 今更申し訳なくなる私だったが、やはり催眠時の記憶は薄れるのだろう、捨子さんは「どうして?」首をかしげるばかり。

 

「僕こそいきなり倒れて申し訳ないと思ってたんだから。ゆせさん、何か大事な話があったんじゃないのかい?」

 

「それならもういいの。そっちは一件落着したんでしょ? 新聞部の取材にまで応じて貰って……気を遣わせて悪かったわね」

 

 捨子さんから昨日届いたお見舞いの手紙には、弥栄ちゃん経由で新聞部にもたらされた私の声明により、この度のスキャンダルが収束に向かっている旨も記載されていた。私が相談もなしに勝手にしたことに対して、話を合わせてくれた捨子さんの人の良さには頭が下がる思いだ。

 

「いいんだよそんなの。いやぁ~、“涙を飲んで私の親友を玲愛さんにお預けします” なんてコメントを聞いた日にはもう僕も舞い上がってしまって! 思いの丈をインタビューで話したつもりだよ」

 

 すっかり上機嫌の捨子さん。手紙に同封されていた記事の切り抜きを見るに、随分とライター泣かせの支離滅裂な受け答えをしたようだが、感激のあまり気が動転していたと思ってあげよう。とにかく、これで捨子さんは晴れて公式に玲愛ちゃんのお姉様になったと言えそうだ。誰に認められての“公式”なのか甚だ訝しいが。

 

 山桜もだいぶ散った山道をバスに揺られ、捨子さんの話に生返事するいつもの登校風景がつつがなく過ぎていく。果たして校門前に降り立った私たちを待っていたのは、憮然とした顔の玲愛ちゃんだった。

 

「ごきげんよう、お姉様。……ゆせ様も、お体の具合はもうよろしいようで」

 

 玲愛ちゃん、捨子さんへの挨拶もそこそこに私の方を睨むのは勘弁してくれないかな。年下の殺気に怯む私を庇うように、捨子さんが間に入ってくれる。

 

「こらこら玲愛くん、ゆせさんに嫉妬するのはもうよそうって言ったじゃないか。僕の機嫌はともかく、僕の親友の気持ちは汲んでもらえないかな?」

 

 などと捨子さんらしからぬかっこいい台詞まで飛び出す始末。一年以上つるんでてメアドすら交換してない仲を親友と言うかどうかは個人の解釈に委ねるけど。

 

「……わかりました。お姉様がそう仰るなら。ですが! これだけは言います!」

 

 急に声を張った玲愛ちゃんに、道行く生徒がびっくりしている。後から聞いたのだが、彼女、中等部ではバレー部の名アタッカーだったらしい。体育会系怖い。

 

「私、あんな新聞で決着がついたなんて思っていませんから。先輩であるゆせ様が身を引かれた手前、私も大人の対応をせざるを得ませんでしたが……正直! そのやり口が気に喰わない!」

 

 少し予想はしていた。噂を収めるだけならまだしも、この侍のような後輩ちゃんの溜飲を下げるには、あの曖昧な幕切れでは不十分かもしれないと。むしろ私への敵対心が前より増していないか?

 

「ま、まあまあ玲愛くん、人目もあるし……あまり怒ると可愛い顔が台無しだよ?」

 

 既にタジタジの捨子さんが、苦し紛れに玲愛ちゃんの二つ結びの髪を触ろうとする。お馬鹿……今そんなことしたら。

 

「お姉様ッ!! 茶化すおつもりなら引っ込んでいてください!!」

 

「ごめんなさい!!」

 

 案の定ライオンに吠えかかられ、捨子さんは私の後ろに隠れた。おいお姉様。

 

「とにかく! 私は譲られた勝利など受け取りません。今はゆせ様のご意向通り捨子お姉様をお預かりしておきますが、我々の天王山は年度末のジェミニ祭です。そこで白黒はっきりするまで、私は貴女に挑戦し続けます。そのことをゆめお忘れなく。では、ごきげんよう!」

 

 またも言いたいことだけ言い尽くして、怒りの玲愛ちゃんはメインストリートの人波へと消えて行った。

 

「……ふう。凄いでしょ、僕の妹分」

 

「いや、やかましいわ」

 

 後ろで胸を撫で下ろしている捨子さんに同情半分幻滅半分で、私は未だ平穏には程遠い前途に思いを馳せずにはいられなかった。策士策に溺れる……ではないけれど、目先の事態収拾に囚われ小細工を弄したことで、私は更に深い墓穴を掘ったのかもしれない。

 

 だが、今この時ばかりは学校での面倒事は忘れようと思う。何故なら、私は今日の放課後にもっと重大な責務を抱えているのだから。

 

 即ち、あれからまだ会っていないカミラへのご機嫌伺いである。

 

 

《END…?》



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1-16 鳥は帰る

 

 砂漠で育つザナの木は、その涼やかな姿に反して強靱だ。気持ち程度の栄養剤を与えておき週2回の水やりさえ怠らなければ、虫も付かせず葉を茂らせる。唯一気を付けなければならないのは、葉が落ちて生気を失う前に無駄なく摘み取り、その魔力を封じ込めたまま乾燥させ茶葉にすることだ。

 

 私はこの度一週間引き籠もっていたため、今育てている三株はそこそこの枚数の葉を落としてしまっていた。

 

「あちゃ~……ごめんお爺ちゃん。またストックを減らしちゃった」

 

 貧乏性が働き悔やんでしまうが、実のところザナ茶を作るための在庫が枯渇する心配はまずもってない。生前の祖父の口ぶりからの推測だが、恐らく歴代の神官で私ほど頻繁にカミラを起こす者は居なかったのだ。その証拠に、屋敷の納屋に貯蔵されている茶葉の量はおびただしいことになっている。栽培スペースの狭さを考えると、祖父も含めた皆が皆、収穫した葉の大半を使うことなく貯め込み続けていたのだろう。

 

 そんな事情を鑑み、私はひとつの確信を持っていた。私の先祖たちはカミラを畏れ敬いはしても、進んで彼女の孤独を埋めようとはしなかったに違いない……と。

 

(神官の仕事は、基本的に薄いザナ茶をカミラに与えて生命を維持させることだけ。しかもその時だって、棺の中を見ずに済むよう細工が整ってる。きっと古代の王家にとって……王女カミラは忌むべき存在だったのね。例えお役目でも、叶うことなら相見えず一生を終えたいと願うほどに)

 

 専用の釜で茶葉を煮沸しながら、私はカミラのガラス玉のような瞳を思った。あの空虚な双眸が幾星霜も映して来たのは、人間たちの畏怖の表情だったのだろうか。

 

 ならば私はどうだ? カミラと対峙する私は、あの魔性を前にどんな顔を晒す?

 

(カミラを愛するのは容易い。何故ならカミラは美しいから。例えどんな本性が眠っていようとも、今どうしようもなくカミラに惹かれている私が全てだわ。そしてそれはきっとカミラにとっても同じこと……)

 

 悠久の時を空しく過ごして来たカミラに、私はきっと希望を与えてしまった。カミラを求め、必要とする者がこの世に居る……そんなほんのささやかな希望を。

 

 ならば私はその責任を取ろう。どんな後ろめたい気持ちを抱えていても、どんなささくれを心身に負っていても、必ずカミラの元へ帰って来よう。己の愛欲を満たす器としてカミラを利用することを決めた私の、これが精一杯のまごころという奴だ。

 

(ええ、そりゃもう開き直りですよ。でも雀の涙ほどもない私の誠意なんかより、カミラを泣かせないことの方が大事だと思うから。今はそれでいい)

 

 湯気をくゆらせるザナ茶を携え、私は金庫室のガタつくドアをくぐる。霊廟の床には、この前私が置いて行ったスイーツたちがあちこち潰れて散乱している。それらを踏み越え、私は久々に棺の前に立った。

 

「ねぇカミラ、私……卑怯かな」

 

 問いかけながら酒器を傾け、棺の開口部にザナ茶を注ぎ込む。液体が棺内の管を通ってミイラ遺体に浸透していく間、私の心臓は祈るように早鐘を打っていた。

 

「お願い……出て来て。カミラ……」

 

 冷たい棺の上に頬をつけ、祈るように突っ伏す。すると、中からコトリと音がし、微かに私の名を呼ぶ声が聞こえた。

 

「……ゆせ? ……ああ、ゆせなのね」

 

 ハッとして私が身を離すと、果たして棺の蓋がゆっくりと押し上げられ、隙間からまろび出た華奢な腕が……小麦色の柔肌に螺鈿を蒔いたような艶のある細腕が、せがむように宙を掻いた。

 

「カミラ……待たせたわね」

 

 私は棺の蓋を脇へ下ろすと、カミラのその手を恭しく取って静かに口づけた。棺の中に身を横たえているカミラは、碧い水面のような瞳を波立たせて私に応える。

 

「ゆせ……わたしね、ずっと考えてたの。雛鳥には親鳥が居て、子どもの元には父や母が帰って来るでしょう? でも……だったらわたしには誰が居るの? わたしは、わたしが誰なのか何も知らない……だからわたしは誰の帰りを待てばいいのかもわからない。それはとてもとても寂しい……って」

 

 私の手に縋り、カミラが身を起こす。溜まっていた涙が目尻からこぼれ出て、代わりに私の姿が瞳いっぱいに映る。

 

「でもね、今やっとわかったわ。わたしはこれから……ゆせのことを待っていればいいのね。ゆせのことを思いながら毎夜眠りに就く……例えそれが永遠の眠りになったとしても、ゆせを思えば怖くないのだわ」

 

 カミラは待ちきれないように私の首に手を回し、甘い声でささやきかけて来る。その声の中に、何だかこっちまで涙が出て来るような揺らぎを感じて……私はカミラの細い体を抱き締めた。

 

「ごめんカミラ。私、カミラのこと一人にしないから。どんなことがあっても、最後にはカミラの所に帰って来る。約束する」

 

 そう、どんなことがあっても。例え他の誰に心を移し、己の欲に呆れ果てようとも、私は私自身をカミラに縛ろう。このいつ果てるとも知れない蜜月……夢現の毎日が続いていく限り、ずっと。

 

「ありがとう……愛してるわ、ゆせ」

 

「カミラ……」

 

 私の首筋に鼻先を埋めているカミラが、吐息混じりに睦言をささやく。産毛を掠める唇の感触から、カミラ自身の劣情が伝わって来る。

 

「ねぇキスして……強く、抱いて……?」

 

「カミラ……っ!」

 

 互いの熱で霊廟を甘く満たしなから、溶け合うように口づけを交わす。もどかしく絡め合った指に、私たちは確かに永遠を見たのだった。

 

 

《END…?》



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