うまぴよい伝説の伝説 (煮琶瓜)
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まず世界観がおかし過ぎる
時は新宇宙世紀改24113年。サングトリア惑星系の第八惑星に、一匹の牡馬が誕生した。当時としては非常に珍しいサラブレッドの白馬で、生まれた瞬間から立ち上がるまでに要した時間はその前の世界記録を八秒上回る三秒ジャスト。遺伝子改造の末に生まれた科学の申し子であったとはいえ、その偉大な記録に生み出したゲノムコーディネイター達もにわかに色めき立ったという。
この時代、競馬という概念は斜陽であった。スピードを求めるのであれば光速で飛び回る等速のマシンでドライビングテクニックを競い合うSoL-1が、生き物での競技に限定してもキャタピラレッグのタンクタイガーや巨大アオイロオオカミのフェンリル等が争う無差別級アニマルレースが存在しており、遺伝子改良の果てに生まれた優良種であったとしても外見上一般的な馬でしかないそれらが争う様を好んで見ようという者は少数派だったのだ。
それ故、界隈で話題が持ち切りになるほどに優駿で艶美さも感じさせる良馬であるとは言っても、世間的に見れば大した注目を浴びてはいないのが実情であった。
競走馬として育てられたその馬は、新馬戦の12000mという短距離で二着に三百十四馬身差の大差を付け圧勝、鮮烈なデビューを飾ると、続くアガラジコロニー杯でコースレコード、アースランド賞でもコースレコード、モンディベリー記念においてもコースレコードを更新するという異常としか言いようのない記録を打ち立てて行った。しかしそれでも一般的な知名度は皆無であったと言っていい。
彼が世間的に注目を浴びだしたのはデビュー二年目、三歳馬の時分である。その頃になると、短距離で争うスプリンターよりは長距離で戦うステイヤー気質であると周知されており、馬主である遺伝子弄津太郎もそれに合わせて参加するレースを選出するようになっていた。彼がその年、最後のレースに選んだのがこの時代の最長である42195mを最大百頭で駆け抜ける古麻螺尊杯である。
その試合を見ようと詰め掛けたたった五百万人の観客はその日、伝説を目撃した。
ゲートが開いた瞬間、飛び出したのは白い影である。四本の足を駆使した高速のストライド、一般的な歩幅を軽く十メートルは上回るその走法はまさに飛ぶという表現が相応しい。横並びになった九十一頭から一瞬で抜け出すと、そのまま堂々と先頭を飛翔して行く。有り得ない。誰かの、いや、観客全ての心が一体となった。42195mという長距離レースにおいて初手から全速力で走ろうなどというのは自殺行為である。だがその白馬の速度ときたら、まるで最後の直線で見せるようなスパートを彷彿とさせるほどだったのだ。
ある程度の距離を保って減速するというのなら分からなくもない。後半に響くかもしれないが、周囲を囲まれるリスクとは天秤に掛けられるだろう。だが、騎手も馬も完全に示し合わせたように、一切速度を緩める事はしなかった。
騒然とする場内、釣られてペースを上げてしまう二番手以下の馬達、実況と解説も困惑の色を隠し切れない。第一コーナーを曲がり、第二コーナーを曲がり、直線へ入った頃に、その場の全ての人間達はようやく理解した。あいつらはあの速度で走り切るつもりだ!
第三コーナーに入る、速度は衰えない。コーナーを抜ける時、少し足がもつれたか、一瞬だけ減速したように見えたが、ただの一歩で体勢を立て直し、短い直線でその遅れを取り戻すようにさらに加速する。なんだあれは、本当に馬なのか。実況が全ての観客の心を代弁した。
白馬が第四コーナーを曲がり、最終直線に入った時、他の馬は未だ第三コーナーを抜けきれずに居た。もはや独擅場、モニタにはずっと白い影しか映っていない。直線を進み始めたその瞬間、その馬は全ての歓声と罵声を一斉に受けながら、長いはずのその道程を星間ワープのように駆け抜けた。
ゴールイン。
その日、当たり馬券と外れ馬券が一緒くたに宇宙を飛び交った。
次の日から、白馬はにわかに注目を集め出した。ただ、それは競馬史の記録を塗り替えたからだとか、優美な姿が非常に絵になるだとか、そう言った理由ではなかった。
注目の的となったのはその無尽蔵とも思われるスタミナと耐久力である。通常のサラブレッドは全力で走り続ければ足が折れるか、そうでなくても何らかの故障を発生させる事が多い。だが彼は四万メートル以上を全速力で走り抜けた後も、多少疲労が見えてはいたが、問題なく普通に歩いて帰って行ったのだ。
この事が話題を呼び、研究のために体細胞の採取なども日課に加わる事になった。当の馬自身は非常に賢く、研究員の接触に対しては非常に穏やかな応対であったと言われている。その時に得られたデータは驚くべきもので、科学技術の水準が上がり切ったと言われる当時をして飛躍の可能性の塊と言わしめた。
そして翌年、彼と人類にとって決定的と言える事件が起きる。
四歳馬となった彼が初めての全方位螺旋重力芝十二頭立てであるアーアルンドステークスに参戦し、当然のように先頭を左回転で突き進んでいる時であった。突如、コースとして使用されていた人工衛星ホボブラーのエネルギー炉が排熱機構に深刻なエラーを発生させ、火災が発生した。通常であれば管理システムがスプリンクラーを作動させるなり空間凍結による一時的隔離を実行するなりといった措置が取られるはずであったが、運悪く、それら全てが劣化により使用不能に陥っていた。なお最終点検日は1500年前であり、法的には問題が無かったと言われている。不幸な偶然が重なった結果であると言えるだろう。
しかし、これは人類にとっては不幸どころか、大いなる幸運であったと言っていい。
試合の行われていた円筒状のコースは火災発生現場からそう離れておらず、人工知能からの警告によりレースは即座に中断、避難勧告が騎手たちに向けて発された。しかし、唯一抜きん出て並ぶ者の無かった白馬にその声が届く事はなかったのである。
次の瞬間、ゴールに向かい疾走する一人と一頭の頭上で爆発が起こり、エヅラニュウム製の重力制御板の破片が襲い掛かった。火災が広がり誘爆を始めたのだ。
人体に馬体に突き刺さる大小の瓦礫、足が止まり、騎手は投げ出され頭から叩きつけられる。そして、中継を見ていた人々は目撃した。いっとう大きく、薄い、鋭利な金属板が、白馬の頭部から臀部にかけてを唐竹割に一刀両断する様を。
死んだ。誰もがそう思っただろう。せめて首を飛ばされただけであれば治療も出来たであろうが、脳ごと体を真っ二つにされては手の施しようが無い。そうとしか考えられない状況だった。
だが見よ! その馬は! ああ、なんという事か、切断された側面が奇妙に蠢くと、己が片割れを探すようにうねり、泡立ち、互いに絡み合ったではないか!
引き合った半身はまるでフィルムを逆に回すかのように臀部から癒着し、零れ落ちたはらわたも時を戻すが如く腹部へと回帰してゆく! 頭部もまた完全に、両断された事実など無かったかのように美しい左右対称へと復元した! 最後に一度嘶くと、突き刺さっていた細かな破片すらも体外へとはじき出されたではないか!
たったの数秒、それだけの時間で、白馬は元の完全な形へと戻っていた。最早先ほどの惨劇の名残は、その白い鬣に残った己の血の跡と地面を転がる騎手だったものだけ。
目撃者たちは暫く沈黙し、やがて、何が起きたか理解すると、全身全霊を持って宇宙が震えるほどの歓声を上げた。
その当時、人々は既にヘイフリック限界を乗り越え老化という現象とは縁を絶っていたが、事故や病気などといった外的要因による死者は出続けていた。不老を実現していたが、不死とは程遠い生物だったのである。
当然ながら、それらを乗り越えるための研究は日夜為されており、遺伝子研究による耐久力や耐性の獲得なども前進こそしていたが、牛歩と表現するのも烏滸がましい程の歩みの遅さであった。
そこへ颯爽と現れたのがこの白馬である。
脳の損傷すら自身の治癒能力で秒単位での回復を可能とする再生能力。彼は研究者たちが欲したそれをそのまま有していた。宇宙消防隊による救助と消火活動の後、回収された彼を人間達は人種や国家の壁を越え、当時最高の知能でもって調べ尽くす。成果の結実までさほどの時間は要さなかった。
白馬は人類をその背に乗せ、不死という新たな位階へと誘ったのだ。
クロノハーベスト 生涯成績1000戦1000勝(内レコード優勝777)
人類が精神生命体としてさらなる位階へと上がるその日まで共に歩み、前馬未踏の領域に到達したその白馬は、斜陽であった競馬界を世界から完全消滅させた。
というのが僕の転生したウマ娘のウマソウルの設定だそうです。どこから突っ込んだらいいんだろう。
死んでから出会った魔法使いを名乗る不審な少女にダーツを二回投げさせられて、当たったのが『再生』と『ウマ娘』だった僕が目を覚ますと、そこは粗末と言っていい木製の住居だった。おそらく僕は産まれたばかりの赤ん坊で、周囲からはよくやったぞとか、ウマ娘じゃないかすごいぞとか、歓声のようなものが聞こえてくる。どうやら僕の誕生は祝福されているようだった。
持ち上げられ、産声を上げた僕は、その後布の敷かれた籠のようなものに横たえられる。ゆりかご的な物だろうと認識すると同時、自然に体が動き、僕の体は勝手に両足で立ち上がった。
ああ、これウマソウルの設定の影響だなと思った時には周囲から驚愕の声が上がっていた。
この世界に於いてウマ娘は差別の対象である。ただし、差別的に優遇されるという意味で。
ウマ娘は普通の人間よりも遥かに身体能力で勝る。実際、僕の生まれた村で一番の力自慢だった田治丸叔父さんも年齢が一桁だった僕に押し合いで全く勝てなかったのだからその差はかなり大きい。そのためだろうか、ウマ娘は少なくとも僕の故郷となったこの村の近辺では働き手として大変重宝されていたし、大名様の所へ願い出れば仕官すら叶う――騎バ隊というウマ娘のみで構成された部隊が存在している――らしかった。
うん、そうなんだ。僕は明らかにウマ娘的な世界へ転生したようなのだけど、村の皆の話を聞いた感じだと、所詮農民の噂話で正確な時期の特定はできなかったものの、戦国時代とかそれくらいじゃあないだろうかと思われるのだ。
僕が数えで十となる頃だった。その頃にはもう村でも一番の働き者として畑仕事や田んぼ造りに励んでいた僕は、田治丸叔父さんのお手伝いで年貢を運ぶためにその日初めて村を出た。
と言っても、何か道中珍しい物がある訳でもなく、特に事件が起きるでもなく、目的地までは無事に到着。ほうウマ娘ですかとお上の人が品定めをする目で見てはきたけど、この子を取られては村が立ち行かなくなりますると冗談っぽく言う叔父さんに、嫌みっぽくない笑いを返す良い人だった。
どうやら身分を越えた友人であったらしい叔父とそのお役人が部屋の奥で談笑を始めてしまったので、僕は一人取り残され手持無沙汰になってしまった。勝手に帰る訳にも行かず、かといって突っ立ってるのもなんだかなぁと考えていると、ふと、道中すぐそこに川がせせらいでいたなと思いだした。
叔父に一声だけかけ川へと繰り出すと、足を流し、長く歩いた事で汗ばんだ体を冷やしていく。バスタオルでもあれば全身を洗っても良かったのだけど、そんなものは無いので我慢した。
そうしてゆっくりまったりとしていると、突然、発見ッ!! と大きな高い声が僕の頭の上の方にある白い耳に飛び込んだ。
「勧誘ッ! 我の名は第六天魔王信長! 貴様、我が配下となれ!!」
名乗りから何から全てがおかしい、どこから突っ込めばいいのだろう。振り向けば栗毛に白いメッシュの入った髪をして、頭に笠を被った少女が勝気そうな目でこちらに肉食獣のような笑みを向けていた。
この世界の戦国武将にはウマ娘が混じっている。これはどういう理由かというと、至極単純にウマ娘が人間のほぼ上位互換であるため養子に取られる場合があるのが一つ。そしてもう一つの大きな理由が、この世界のウマ娘は普通の人間の両親から予兆無く生まれて来る一代限りの突然変異である事だ。
ウマ娘が子供を産んでもウマ娘はほとんど生まれないし、ウマ娘の子供は普通に祖父や祖母に似るのである。そのため異界の魂を宿しているかいないかが普通の人間との差異であり、ウマ娘も普通に産まれた家の血統を継いでいると認識されているのだ。
ところで、ウマ娘は前世だかなんだかよく分からない異界の生物の名を持って産まれて来る。しかし、戦国の世で立場ある家柄に生まれた場合、格式に沿った命名を行わないという事は認められない。これを怠れば家臣からの信用を失うし、教養すら持たないと周囲に馬鹿にされてしまう。かと言ってウマ娘の名前を捨てさせるという事も通常起こらない。その結果。
森クロノハーベスト蘭丸
それが養子に入った僕に与えられた名前である。ねぇほんとどこから突っ込んだらいいのこの世界。
っていうか、僕、森蘭丸ポジなの? ノッブを名乗るあの子、家督継いだばっかりなんだけど。なんなら僕を勧誘した時まだ吉法師だったんだけど。尾張の大うつけだったんだけど。年代全然合ってなくない?
森家の人間として引き取られた僕の主な仕事はトップの秘書……つまり、信長様の付き人だった。そのポジションにウマ娘要る? と思ったが、僕としては万々歳で、周囲の話に付いて行けるように勉強しながらウマ娘の本能に従ってトレーニングを積んで行った。
織田家というか尾張の国は色々問題が頻発していたため、戦だ和睦だ同盟だ破棄だと色々目まぐるしく状況が変わって行ったが、評定に関して発言権がある訳でもない僕は只々自分の知識と足を鍛え上げていく事に集中した。信長様は僕のその行為を認めてくれていて、悪い顔をしていたので何か目的があるのだろうとは理解していたけれど、その厚意に甘えながら話し相手やストレスの発散の付き合いをして行き、互いに仲は深まって行ったと思う。
そしてある時、信長様が僕の待機していた部屋へ勢いよく雪崩れ込むと、低い背を精いっぱい伸ばしながら大声で叫んだ。
「出陣ッ! 戦支度をせよ、此度が貴様の初陣である!!」
ついに来たか、と流石の僕も覚悟を決めた。
稲生の戦い。僕の初めての戦は後世でそう呼ばれている。僕の出番がやって来たのはその緒戦、両軍激突のすぐ後だった。
自分に突き刺さった矢を引き抜き、痛みを堪えながらチートとしか言いようのない再生能力で傷を癒しつつ名乗りを上げる。その瞬間、戦場が静まり返り、敵軍の中から一人の女性が僕の前へと姿を現した。
柴田ミホノブルボン勝家。戦国時代に似つかわしくない戦装束を来た、後に仲間として戦場を駆け回る事になる、今はまだ敵として相対している武将だった。
柴田ミホノブルボン勝家と僕、森クロノハーベスト蘭丸が横並びになり地平を睨む。柴田側の兵の一人が弓を取り、矢を番えると柴田ミホノブルボン勝家はよろしいかと眼で問いかけて来る。是非も無し、と僕が一つ頷くと、弓の弦は引き絞られ、側の大木へ向けて矢が放たれた。その矢が木肌に突き立った瞬間、僕と柴田ミホノブルボン勝家は同時にスタートを切った。
この世界の合戦には僕の知っている歴史と比較すると特異極まりない違いが一つある。
それが一対一で行われる、ウマ娘同士の一騎打ちだ。戦場でウマ娘武将とウマ娘武将が出会うと行われるそれは、この世界の戦場に置いて大きな意味を持っている。
この一騎打ちを邪魔する事は人間の規範として許されず、挑まれれば拒否する事もまた許されない。行われている最中は全ての闘争は一時的に中断され、一瞬前まで槍で突き合っていた足軽も、弓に次矢を番えていた弓兵も、それが始まると理解した瞬間ウマ娘のために道を空け、戦場には先ほどまでとは違った熱気が充満するのだ。
始まれば両陣営とも自分の軍のウマ娘を全力で応援し、しかし妨害行為などは一切許されない。それを行えば最悪、親兄弟に至るまでの全てが処罰を受ける事になる。
そして勝敗が決まればまた戦が再開される。だが、一騎打ちの前と後ではその様相は全く違っているのだ。勝った軍の士気は絶頂に、負けた方の士気はどん底まで落ち込む事になるのである。
たかが士気だと侮り重要性を理解出来ず、ウマ娘を重用しなかった武将は全てこの世から駆逐されて来たと言う。これはそれほど重要な要素としてこの世界に君臨しているシステムなのだ。
なおこの一騎打ち、殺し合いなどの血生臭い物ではなく、ウマ娘の本能に従った脚比べ――つまりレースという形式で行われるものである。
合図が出された瞬間、僕たち二人は同時に飛び出した。周囲から上がる大きな歓声、一瞬それに怯んだ僕は足が緩み、意に介さなかったミホノブルボンに先行を許してしまう。恐らく逃げウマであろう彼女に先を行かれるのはよろしくないけれど、不思議と焦りはなかった。たぶん僕に宿るウマソウルがそうさせたのだろう。
戦場で行われる脚比べに決まったコースは存在しない。互いの兵が自然と形作る天然の道筋を本能的に察知し、共通認識とするのだ。今回のコースは左回りでほぼ蛇行も無い、現代日本で見られた競馬のそれとよく似た形になっていた。
第二コーナーを抜け、最初の直線、僕は一気に加速した。ミホノブルボンの顔に初めて表情が浮かぶ。多少ペースを上げ、簡単には抜かれまいとしたようだったが、スパート並みの速度を出した僕の脚はそれを容易く追い越した。
両軍からは驚愕と動揺、それに嘲笑と悲鳴の声がする。馬鹿な、何を考えているんだ、所詮名も無いウマ娘かそれで最後まで持つものか。だけど何も問題は無い。本当は無いのはおかしいんだけど、問題は無いのだ。僕に宿るウマソウルは次元最高の再生能力を持つチート白馬の物なのだから。
クロノハーベストは無尽蔵のスタミナを持つ白馬、ではない。彼が持っていたのは再生能力、即ち、走りながら消費量を上回る速度でスタミナを回復し続ける能力だ。
そんな馬の魂を持った僕は、つまり常時スタミナ超回復というゲーム性を完全否定するスキルを持ったウマ娘なのである。
速度を緩めず第三コーナーに入る。速度を落とさなかったせいで最短距離では曲がれなかったけれど、なんとか速度を維持しながら大回りで第四コーナーも曲がりきる。おかげでミホノブルボンがすぐ後ろまで迫って来ていた。
必死に足を前へと動かす。辛い。回復しながら走っているから痛い訳でも疲れが出ている訳でもないのに踏み出すのが辛い。時速にして50kmをゆうに超えるその一歩一歩が、本来既に人体の限界を超えているのだ。でも、チートなんてない、故障が有り得るはずなのに、何の保証もありはしないのに、ミホノブルボンは僕を追ってスパートをかけて来た。大丈夫だと分かっていても恐ろしいのに、彼女は顔色一つ変えずに追いすがってくる。尊敬の念が芽生えた。
最高速なら彼女の方が上か。スタミナ無視の全力で走っているのに追いつかれている以上、本来僕は何もかもが彼女に劣っているのだろう。だが、それでもだ。それでも勝利したのは僕だった。
ミホノブルボンが毅然とした態度で自陣に向かって帰って行く。脚比べの終わったウマ娘に即座に攻撃するのもまた御法度であるため、テンションが天元突破していた自軍の兵達もそれを素直に見送った。一方の敵方は悲惨なものである。お通夜ムードと言うのがこれほど似合う光景は見たことが無いと思うほど沈み込んでしまっていた。柴田ミホノブルボン勝家はそれだけの信頼を一身に受け、誇りとされているウマ娘だったらしい。それが名前を聞いた事も無いような、脚比べの定石すら理解していないような走りをする相手に負けたのだから、当然かもしれない。
戦端が開かれる音を背後に信長様の所へ戻り勝利の報告をすると、笑いながら喜びを隠し切れない声でこう言った。
「指示ッ! 次は南の林軍と脚比べをして参れ!」
僕、今勝って来たばっかりなんですけど?????
ところで、脚比べに勝利し、自陣も戦に勝利したウマ娘には特別やるべき……いや、する権利を与えられる事がある。それが全軍の前での歌唱と舞踊。つまるところ、ウイニングライブである。
だが走りのトレーニングしかして来なかった僕にそんな事が出来るはずが無く、恥ずかしさもあって信長様に辞退を申し上げた所、鬼のような相貌となってしまわれた。
「莫迦者ッ!!! 勝利の舞とは兵の慰労と芸能の側面を併せ持つ、過去から積み重ねて来た文化の極みぞ! 今は出来ぬと言うのなら、今から出来るようになって見せよ! 付いて来い、手本を見せてくれようぞ!!!」
その日、信長様と一緒に舞った敦盛は兵や武将たちの何かに突き刺さったらしく、異様な熱気と盛り上がりを見せた。
気分転換に思いついたものを熱いうちに鋳造した結果がこれだよ!!
歴史に関して全く詳しくないので歴史を辿ったり改変したりするような内容ではないのでご注意ください。
一応連載にしてありますが、書きたい所だけ書く方式ですのでおそらく次話かその次くらいで終わるはず。
桁数とかがおかしいのは仕様です。
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僕と私でうまぴょいネットワークを構築
何度か戦場で勝利し、僕は織田軍の脚比べ専門のウマ娘武将として周知されるようになって行った。当初は突如として出現した僕を疎ましく思い、美しい外見に誑かされた、なんて信長様の陰口すら叩いていた人たちの評価も一変し、信長様は恐るべき鑑定眼の持ち主であると畏怖されるようになった。
脚比べ以外がパッとしない僕の評判はまずまずと言ったところで、好意的な人たちからは武芸も修めてはどうだとアドバイスされたりもしたけれど、いつの間にか騎バ隊の食費管理が僕の仕事に組み込まれていたため、流石にそれとトレーニングと座学で手一杯で無理だった。ウマ娘って平均的によく食べるから数を増やし過ぎると維持費がヤバい。トレーニング量増やすと食べる量が増えてさらにヤバい。遠征があるとさらにドン。でも物運ぶのにもウマ娘居ないと困るから人数減らせないし、仕方ないので一桁まできっちり計算して管理してやりましたとも。つまみ食いする人は特別任務で酷使してもらって、代わりに食事を増やしてあげた。泣いてた。
実際の所、戦う事が出来なくてもウマ娘がやれる事は多く、伝令とかの役目が負える僕は戦場でも暇になったりする事はなかったし、脚比べでも勝っていたためあまり好かれていない人たちからも表立った文句を言われる事はそんなになかった。まぁこれは信長様が怖かっただけかもしれないけど。ただ、その信長様が歳を重ねるごとに何かを悩んでいるような時間を長くしていったのが心配だった。
ところで、織田に仕える人間の中には僕以外にも少数ながら騎バ隊の一般ウマ娘ではなく武将として扱われているウマ娘が居る。その中の一人は手柄を上げると喜びのあまり毎度のようにう~らら~と楽しげな声を響かせてくれるのだ。ムードメーカーなその娘の名前は木下ハルウララ藤吉郎。後の豊臣秀吉である。大丈夫かこの世界。
と少し心配していたものの、なんだかんだこの木下ハルウララ藤吉郎、割と天然で秀吉ムーブをこなしていた。信長様の草履なんかは完全な善意で温めてたのを見た事がある。
清洲城の塀が破損した時の事だ。二十日経っても終わらない工事に痺れを切らした信長様が誰ぞ進めて参れと爆発した時、ハルウララは自分から名乗りを上げた……というか、丁度信長様の目線の先に居たために自分に言ってるのだと思い込み、分かりましたと飛び出して行ったのである。流石の信長様も動揺して、ちょっと様子を見て来いと僕に指示を出した。
現場に到着してみれば丁度ハルウララが班分けを提案している所だった。曰く、騎バ隊のみんなが練習で脚比べしてる時、友達と一緒だと速くなってたから仲の良い人達同士で組むと良いんじゃないかと言う。それはその人達が友と書いてライバルと読む間柄だったからなんじゃないかなぁ。あとぼっちに厳しくないそれ。
「それとね、せっかく競争するんだから一番速かった組には何か賞品をあげたいなって思ったんだけど……ウララ、あんまりお金持ってないんだ……だから、一番になった人たちにはウララが一晩付き合ってあげるね!」
言うまでも無い話だけど、ハルウララの言葉にうまぴょい的な意味合いは全く無い。本当にお酌するとか夜通しの仕事を手伝うとかそんな事だけのつもりだったようだ。
でも工員の人達のやる気は爆上がりしちゃったよね。そりゃそうなんだよ、だってウマ娘って基本美人なんだもん。ハルウララも可愛らしさで言ったらその辺りの町娘や村娘じゃあ相手にならないくらいなわけで。
班分けが終わった瞬間工事が進まなかったなんて話が嘘だったように堀は順調に直って行って、次の日の朝日が昇ると同時に最速の班が修繕を完了した。その報告を聞いた信長様も現場に駆け付け、作業に当たっていた皆に着順ごとの褒美を取らせた。
なお優勝者は飛び入り参加で休みなく働き続けた僕である。ハルウララにはきっちり一晩付き合って貰って情操教育を施しました。
桶狭間山で豪雨の脚比べをなんとか制し、堂洞城や稲葉山城でも脚のキレを見せつけて行った結果、僕は脚比べにおいては尾張において右に出るもの無しと認められるようになった。素の足の速さも最初に比べればかなりのものになっていて、僕の弱点が露呈するコースでなければ問題なく勝てるくらいには仕上がっている。
クロノハーベストは未来の馬だ。そのため走るコースはコロニー内の完璧に整えられた芝や埃一つない回廊ばっかりだった。地上に降りてレースするような機会はほとんどなく、あったとしてもやはり技術の進歩なのかなんなのか、それとも馬主側の意向なのか、悪路と言えるようなものはなかったのである。
つまりどういう事かというと、僕はダート適性がGな上、固有自己デバフスキル悪路×か何かを持ってるような状態なのである。そして脚比べの仕様上、ある程度にでも舗装されたコースを走る事なんて皆無と言っていい。そのためチート再生能力を持っているのにまともに試合になっているというおかしな事になっていた。
人間の前世を覚えているのが影響しているのか関係無いのか分からないけど、因子継承的な物も無い様子で適性の伸びを期待する事は出来ない。柴田ミホノブルボン勝家さんはダート適性が上がっているように見えるため、何がしかの上げる方法は存在すると思われるんだけど。
そんな弱点が露呈してしまった戦いが実は一つだけあった。後に三方ヶ原の戦いと呼ばれるそれは、僕にとっては唯一敗北を喫した苦い記憶になっている。
その時の僕は武田が攻めて来るヤベーぞという事で、脚比べで援護するために徳川家への援軍として派遣されていた。
徳川家に走れるウマ娘が居ないのかと言われるとそういう訳でもなかったのだけど、一番足が速かったのが徳川家康……徳川キンイロリョテイ家康だったので流石に易々と走らせるわけには行かなかったんだ。
援軍に来たはいいものの、この時のバ場はなんと積雪。僕の脚には合っていないなんてレベルじゃない。勿論練習はしているけれど、自分の持っている性質と全く噛み合わないのはかなり厳しいと思われた。
とはいえ、それでも普通の相手であれば勝てる自信が僕にはあった。無限にスタミナが使えるというのはそれだけ有利で、まともな条件で勝負するのなら普通は負けようがないだろうと自負していた。勿論、当時の武田家から代表で出て来るウマ娘が普通であるはずはなかったのだけど。
雪道が得意なサラブレッドなんて居ないだろうから条件は一緒、なんて自分のような妙なウマ娘の事を棚に上げて思っていた僕の前に、そいつはどことなくぼんやりとした表情で、しかし颯爽とした、鍛え上げられた者特有の瀟洒さを伴って現れた。僕と同じように真っ白な彼女の姿を一目見た時、僕は愕然とした。完全にその存在を失念していたからだ。
短距離、マイル、中距離、長距離、全てのレースに適性が有り、芝にもダートにも適応出来る、七色の脚を持つウマ娘。
名を、馬場ハッピーミーク信春と言った。
動揺を押し殺して僕は走った。しかし雪に足を取られ思うように速度が出せず、最終直線では雪が深くなっていた部分に足を突っ込みバランスを崩し、転びはしなかったものの失速、その隙を衝いたハッピーミークに差し切られ、結果は三バ身を付けられての惨敗。戦自体も大敗だった。味噌は出なかったらしいけど。
この時初めてレース結果が味方の死者の数に直結する恐ろしさを肌で味わった。何しろ初めての敗北で、知らぬ存ぜぬと一番に逃げ出すのも憚られたものだから、結構間近で負け戦をじっくりたっぷり凝視してしまったのだ。おかげで負けたくないのと負けられないのが混ざって暫くトレーニング量が増えた。
信長様にも直接敗北の報告をしなくちゃいけなかったんだけど、意外な事に怒られたりはせず、ただ信長様は何かを決断したようにその小さな体からの精いっぱいの低い声で是非もなしと一声だけを発した。
馬場ハッピーミーク信春にリベンジが叶ったのは長篠の戦での事になる。ただ、その時の彼女は以前と比べると明らかに憔悴していて、誰がどう見ても絶不調の状態だった。
彼女の走りには以前の戦いで見られた覇気も鋭さも無くなっていて、負けた時の僕のままでもなんとかなる程度に感じた。だからその脚比べに大差で勝ちはしたのだけれど、ハッピーミークを破ったという感覚は全く持てず、僕の中ではほとんど勝ち逃げされたような感じになってしまっている。本調子の馬場ハッピーミーク信春と脚を比べる機会は二度と無かった。
そうして時は進み、信長様は本当に第六天魔王を名乗ってみたり、延暦寺を焼いたり、京を焼いたりしていたけれど、僕が負けたあの日以降、悩んでいる様子はほとんど見られなくなっていた。代わりに時折僕の寝所を訪れては、二人でゆっくりと甘味と酒を味わうようになった。
上京に火をつけた頃には信長様も順当に年を召されて、若くは見えても壮年と言えるくらいになっている。身長は低かったけど。でも僕はウマソウルの影響かただのチート能力的な奴なのかは不明だけどどうやら歳を取らないようで、いつまでも若い容姿のままだった。おかげで人によってはウマ娘どころか妖怪扱いしてくる事もあったりする。
全体的には上手く行っていたのだと思うけど、織田家の歩んだそれは僕の知るそれと全く同じような道筋になっていて、気が付けば信長様の本来の最期の時はもう目前。あまり詳細に歴史を覚えていなかった僕では何かを変えようと行動しても何も変わらなかったから、このまま行けばもうすぐに本能寺の変だ。
僕が脚比べ以外にやっていたのは食料の管理とかくらいで何かを指揮したりはしなかったから、今まで歴史を全く違う道へ分岐させるのは難しかった。でも、この時ばかりは違う。流石に誰が攻めて来るかくらいは覚えているので先に情報をリークしてもいいし、最悪の場合でも、信長様だけ背負って逃げるくらいは今の僕なら簡単だ。ある程度整備された街道を走っていいなら僕に敵うウマ娘はもう居なくなっていたから。
その夜、明日の出発の準備を終わらせた僕の所へ信長様がやって来た。今日も飲むのかなと思い、いつも通りに酌の用意をしようと立ち上がると、信長様はそれを手で制し、ただ一言だけ告げると感情を感じさせない表情で踵を返し去って行く。
「何もしなくていい」
それがどういう意味なのか、分からないほど短い付き合いではなくなっていた。
呆然とするように、言われるまま何もせずに本能寺まで来てしまった。落ち着けない状態で茶会や酒宴を乗り越え、本当に最低限の護衛と僕だけを残して解散となる。
対局の終わりが遅くなった棋士達を見送り、護衛の人達は警備に就く。僕は後はもう寝るだけみたいな状態になったけど当然ながら寝られるはずもないため頭を真っ白にして正座していると、普段と違い遠慮がちに障子戸が開かれ、真剣な面持ちの信長様が静かに部屋へと入って来た。
信長様は一歩一歩確かめるように僕の方へ歩み寄ると、膝を付いて目線を合わせる。どこか緊張したような様子で何かを言おうとして口を開き、言葉を出せずに一度閉じ、意を決したようにもう一度開くと、いつもの威厳を出そうとしている声とは違う、可愛らしい声で僕の耳を突いた。
「頼みがある」
「なんなりと」
この期に及んで逃げたい、と言うのなら喜んで引き受ける所だったけれど、残念ながら信長様の願いはそういう事ではなかった。
「今宵、私と…………うまぴょいしてはくれまいか……」
「お前は何を言っているんだ」
敬語がどこかへ吹き飛んだ。
言うまでもなくこの時代、うまぴょいなんて動詞は存在しない。そして僕もうまぴょいと口走った事はたぶんない。泥酔した時は知らないけど、たぶんない。それをわざわざ言ったのだからつまりそういう事だろう。
「信長様も転生者だったのですね」
知ってたけど。そもそも初対面の時有り得ないタイミングで第六天魔王名乗ってたから明白だったけど。それでもその手の話はお互い避けていたため明言はして貰っていなかったのだ。
そうだと頷く信長様は少し恥ずかしそうに顔を赤らめてはいたけれど、表情は真剣そのものだった。どうやら本当に僕とうまぴょいしたいらしい。
「そんな事より、分かっておられるのでしょう? このままだと明智がやってきます。今のうちでしたら逃げるのも間に合うものと思いますが……」
「残留。私は逃げない、逃げる訳には行かぬのだ」
「何故です!? 歴史を変えてはいけないとでも言うおつもりですか!!」
全く意思を変えるつもりはないという口調の信長様に、つい語気が荒くなってしまった。歴史なんて未来に向かって延びて行く物であって、今を生きる僕たちが慮る様な物ではないと思う僕にとっては、分かっているのにここで死のうなんてと言うのはどうにも納得し難い。しかし、信長様はそんな僕とは対照的に、努めて平静な口調で説明を始めた。
「そうだ、変えてはいけないのだ。そんな事が大事なのだ。変えてしまっても、時空が崩壊するだとか、因果律が狂うだとか……そのような事は無い。それは確かだ」
信長様は僕と同じくチートみたいな能力を持っていて、それが分かるらしい。未来予知とか予測とか、そういう類の奴だそうだ。
それならいいじゃないか、と叫んだ僕の声を遮り信長様は言葉を続ける。
「だが、私がここで生き延びると、産まれないものがある。私には、それが耐えられぬ……」
「何が産まれなくなると言うのですか……」
それはあなたがあと数時間で死なねばならない程価値のあるものなのか、そう問うた僕の目を真っ直ぐに見つめ、数瞬の後。信長様の口は開かれた。
「トレセン学園だ」
はぁ、と僕の喉から声にもならないような音の混じった息が漏れた。
「日本ウマ娘トレーニングセンター学園だ」
「言いなおさなくても分かりますよ!?」
え、いや、それ? まず、このまま行けば生まれるんだそれ……っていうか、僕の予想をはるかにぶっちぎって行く理由過ぎて否定も肯定も出来ないんですけど。
「え……っと、そもそも、ミホノブルボンやハルウララ、ハッピーミーク……聞くところによるとライスシャワーなどもこの時代に生まれている以上、そのトレセン学園は同じ名前の別物なのでは……?」
「いや、同じ名前を持ったウマ娘はこの世界に何度も生まれて来る。数百年の間は開くようだが、今武将として、もしくは在野に燻っているウマ娘達も今の生を終えればあの時代でまた生まれる事になるだろう」
何そのシステム、ウマ娘に転生するのって各馬一回だけとかじゃないのか。実は僕以前のクロノハーベストが居たりとかしたのかなぁ。
「ウマ娘を育てる機関は私が生き延びても誕生する。だが、そうだな……例えばこのまま私が天下を取り、開国まで子孫が国を治めた場合。ウマ娘達はひたすら鍛錬に明け暮れる人間的な生活を送らない者と、普通の一般人と変わらない生活を送る者に二極化する」
ウマ娘プリティーダービーのような、意地と夢と努力と根性がぶつかり合う熱さと青春時代の甘酸っぱさが混ざり合ったあの空間には絶対にならない。信長様はこぶしを握り締めてそう語った。
「最初は私も、家臣や民を出来るだけ良い方へと導くつもりだった。だが、お前も気づいただろう、ウララめの事を」
「ハルウララですか……? 特に気になる事は……ああ、知っている歴史と同じ事をしているとは思いましたが」
「それだ」
ハルウララ、今は羽柴を名乗っている彼女はかなり天然で歴史と同じ歩みを行っている。柴田ミホノブルボン勝家さんとは喧嘩はせず、しかしただの勘違いで兵を引いて、やっぱり苦言を呈され立場を悪くしたりしていた。
「この世界にはおそらく歴史の修正力のようなものは存在しない。私が及ぼした影響はそのまま、道理の通った因果関係でしか物事を起こさない。だがウララは私が何もしなくてもそうなった。私もお前も恣意的にそうなるよう仕向けていないのにだ。これはつまり、明らかに日本史のそれとは別人であったとしても、わざと動向を変えなければ私達の知る歴史と近似の歩みを勝手に進めていくような配置に最初からなっていたのだと、私は思っている」
「それは……僕には否定も肯定も出来ません。僕に未来は見えませんから」
そうか、と信長様は呟いて、目を閉じ一度話の流れを切った。再び目を開きまた話し始めた時、表情も口調もそれまでと変わらなかったけれど、何か、僕には信長様が泣きそうになっているように見えた。
「私は出来得る限りの最善の選択肢を選び、もっと早くに天下を統一する事も出来た。だが、それは誰が生き、誰が死ぬのかを私の手で選ぶのと同じ事よ。味方と敵と割り切ればよかったのだろうか。救えぬ者は救えぬと開き直れば良かったのだろうか。私には、出来なかった。私にはその選択は重すぎたのだ」
だから逃げた。歴史通りだから仕方ない。トレセン学園が出来なくなるから仕方ない。そう自分に言い聞かせ、何も変えないという道へ逃げ進んだ。
これはきっと懺悔なんだ。元の流れの通りに進めると選択して、一番決断の必要が無い道を歩んでしまった信長様は、もう、ここで逃げて生き延びるなんて、その選択で犠牲になった人達に背を向けるような真似は出来ないんだろう。だから、たとえここで無理矢理連れて逃げたとしても、きっと自分から死にに戻ると確信できた。
とても重く、一晩あっても語り切れないだろうその話の概要だけを掻い摘んで聞いた僕が何かを言って、信長様を動かす事はもう出来ないだろう。死のうだなんて軽い覚悟で言い出す人じゃあないのはよく知っている。信長様に従っていただけの僕のスカスカな言葉じゃどうにもならない。でも、そんな頭空っぽな僕でも、一つ、話ぶりから理解出来る事があった。
「本当に、あの世界が好きだったんですね」
自分の中で他人の生死への言い訳に使えてしまうくらい。
「……どうであろうな。自分の中の気持ちを自分で汚したようなものだ。その程度の思い入れであったかもしれない」
僕は笑った。それが照れ隠しでの台詞だと分かったから。
「それで、どうなのだ。こんな私だが……うまぴょいしては貰えないだろうか」
笑みを隠さない僕に、かなり気恥しい様子で信長様は再度問いかけてくる。なので、僕も素直な気持ちを答える事にした。
「本当のことを言うと、僕もずっと、あなたとうまぴょいがしたかった」
天正十年六月二日、まだ日も登りきらぬ朝方の事である。
織田信長に反旗を翻した明智光秀の軍勢三千余りが本能寺を取り囲み、その首を獲らんと一挙に押し寄せた。
火矢をかけ、朝の空を炎で照らしだしながら兵達が突入し、負ける事など有り得ぬ戦力差でもって奥へと打ち進む。
その先で、なにか奇妙な物を見た。
それは廻り出した火に照らされ、奇妙に蠢く二つの影と、かつて聞いた事の無いような、奇怪な節の付いた声であったという。
「なんだ! 何を言っている!?」
「唄か……? しかし妙だ、このような唄などあるのだろうか?」
「うま、今ウマと聞こえたぞ、ええい、ウマ娘がぽいでどうしたというのだ!!」
兵たちは混乱した。未知なる調を前に、足が止まり、一番槍に先へ進もうという者は絶える。
「この声、聞き覚えがあるぞ! これはあのウマ娘、森蘭丸の歌声ではないか」
「ではいるのか、そこに、あの化生が!」
凡そ自分達より年上であろうそのウマ娘は、しかし、歳を感じさせぬ美貌を持ち、数十年の長きにわたり信長の傍に侍っていると言う。
その通り、全く衰えることの無い存在なのだとしたら、それはとても人間だとは思えなかった。
「あのウマ娘、やはり女怪の類であったか!!」
「ではこれは呪詛か!?」
「い、嫌だ! 俺は嫌だぞ、この戸をあけたら、きっと目ん玉を取られちまう!!」
「馬鹿な、そのような術を使うなどと聞いた事も無いぞ! ただの唄だ、そうに決まっている!」
「く、喰いたいと言っているぞ、な、中はどうなっているんだ……!?」
「そういえば、妙にこの寺、護衛の数が少なかったような……」
「馬鹿を申すな!!」
「子……子を喰うのか……!?」
「い、行け! 入れ!! 生かしておいていい存在ではないぞ!!」
「お前が行けよ!!」
怯み、怯え、完全に立ち竦んだ兵達の前で火勢が強まり、さらに影は色濃く巨大な物へと変わっていく。
一つは森蘭丸。白い、真っ白なウマ娘。ではもう一つは。
「隣で舞っているのは織田信長ではないのか!」
「や、やった、今なら恩賞も望みのままだぞ!」
「そう思うならお前が行けよ!!」
二つの声は美しく、今までに感じた事のない程に清廉で、しかし、それでもって今まで聞いた事も無い、どこか甘えたようなものだった。
それは場に全く似つかわしくなく、それが奇妙な畏れを生んでいた。
「く、来るな! 来るな!! うああああああああああああああ!!!」
「な、何をする貴様ー!!」
あまりの恐怖に錯乱する者まで現れ、徒に味方の被害を招く。それを知ってか知らずか、障子戸の奥から聞こえる唄声は鮮明さを増していった。
「なんだ……これは、本当に呪詛か……? むしろ、何かを祝うような……敬服するような響きではないか……?」
「気でも狂ったか!?」
気が付けば、一人の声が止み、片割れの声だけが辺りに響く。
いつの間にか舞う影も一つになり、それもいつしか動きを止め、どこか切なそうな声だけが兵達の耳朶を打った。
暫くして、その声も途絶え、我に返った兵達が部屋の中へと飛び込むと、その先には果たして織田の大妖、森蘭丸が背を向け立っていた。燃え盛る火炎に白い髪と肌が鮮烈に映し出され、その恐ろしさを伴う美しさを前に、勇を持って踏み込んだ兵達の気力が再び萎える。
果たしてこれに挑みかかって、無事で済むものだろうか。ごうごうと気勢を上げるあの炎は、目の前の怪物の配下であったりはしないだろうか。そんな妄想が脳裏をかすめ、ただ立っているだけの女一人に、誰も立ち向かおうとしない。
やがて、まるで今まで兵達の存在に気付いていなかったかのように、女の形をしたものはゆっくりと振り返った。美しいそのかんばせには涙が浮かび、しかし、口元は軽く弧を描いている。その化け物の腕の中に、小さな人の姿がある事に兵達は気が付いた。特徴が織田信長のものと一致すると一部は気付いたが、その事を叫ぶ間もなく、兵達に興味を示さなかった白い妖異に抱かれ、第六天魔王であったその小さな体は赫焉の中へと姿を消した。
崩落し、炎上を続ける本能寺の奥へと消えていく森蘭丸を止めようという者は、誰も居なかったという。
後に残された者達は焼け跡を必死で捜索して回ったが、その骸が二度と衆目に晒される事は無かった。間違いなく死んでいたという証言だけで証拠が何も手に入らなかった明智光秀は、そのせいで、今もまだ生きているのではないかという恐怖を最期まで抱える事となる。
なんだこれ……
「なんだろうねー、ボクもわかんないや」
トレセン学園の図書室、その一角でトウカイテイオーとそのトレーナー、それにゼンノロブロイが顔を突き合わせて一冊の本と向き合っていた。装丁は古く、多少なりとも歴史を感じさせるものなのだが、その内容は完全に意味不明だった。題名はうまぴよい伝説の伝説。
「ねーねートレーナー、うまぴょい伝説ってそんなに前からあるの?」
「いえ……そもそもうまぴょい伝説は数年前に作曲されたばかりのはずなんですけど……」
トウカイテイオーの疑問に答えたのはゼンノロブロイだった。そうなの? とテイオーがトレーナーに確認を取るが、トレーナーもおそらくそうだろうとしか答えられない。
「ふぅん、じゃあ、これって誰かが昔の本っぽく作ったって事だよね。なんでそんなことしたんだろ、ドッキリ?」
「背に番号も付いていませんし……誰かが冗談で本棚に置いたのかもしれませんね……」
なんだそんな事だったのかと納得した様子になったトウカイテイオーは、暇な人もいるもんだねと快活な声で笑う。和やかな雰囲気の中、ふとテイオーは時計を見て、はっと、自分が用事があってここに立ち寄ったのだったと思い出した。
「ああっ! もうこんな時間! カイチョーから頼まれた資料、どこに置いたっけ!?」
はいどうぞ
「分けといてくれたの? ありがとうトレーナー! じゃあボク、急いでカイチョーに届けて来るね!」
言うが早いかトウカイテイオーは騒がしく駆け出した。勢いよく飛び出したのを見送ると、廊下の方から静かに走らないと駄目ですよとたずなさんに叱られ謝る声が聞こえて来る。
「テイオーさんはいつも元気ですね……」
テイオーだからね
その返答にゼンノロブロイはクスリと笑い、それじゃあ私達は片付けをしましょうかと、テイオーが片っ端から引き抜いた本の山を検分し始めた。ちゃんと番号順に元の場所へと戻すつもりなのだろう。やったのはテイオーだが、トレーナーは頭が下がる思いだった。
本の片付けが大体終わり、残りはあの古い図書館の物では無かったらしい本、あれをどうするか。トレーナーが考えながら本を置いた机へ戻ってくると、いつの間に入って来ていたのか、トレセン学園理事長秘書、駿川たづなが件の本を広げて読みふけっていた。
たづなさん?
「あっ……すみません、つい懐かしくて……」
懐かしい?
その言葉に、たづなは恥ずかしそうに顔を赤らめると、いたずらを白状させられる子供のような調子で言い淀みながら告白した。
「実はこの本、私が書いたものなんです……以前ゴールドシップさんに持って行かれて以来、行方が分からなくなっていたんですけど」
ゴールドシップの仕業だったのか、とトレーナーが納得すると、たづなははにかみながら本を抱え、戻ってきたゼンノロブロイとトレーナーに、回収してもいいかどうか問いかける。持ち主の手に返るのならば何の問題も無いし、落とし物にでも届ければいいのかと悩んでいたくらいだったので大丈夫ですと二人で返事をすると、たづなはほっとした様子でお礼を言い、図書室を静かに出て行った。
「……たづなさん、意外な趣味があったんですね……」
馬鹿にした様子でなく、むしろ感心したような、興味津々といった声色でゼンノロブロイは言う。他にもあるならもっと読みたい、そこからはそんな感情を読み取る事が出来た。
その時、ふと閃いた!
このアイディアは、トウカイテイオーとのトレーニングに活かせるかもしれない!
トレセン学園の廊下を少しだけ早足で駿川たづなは歩いていた。まだ陽が落ちるまで時間があり、多くの生徒は校内活動を行っている。その活発な様子に自然と顔が綻んだ。
近くの教室内では赤点回避のために鉛筆に賽の目を書き込むスペシャルウィークがエルコンドルパサーに技の練習に誘われ、別の教室ではマヤノトップガンがナイスネイチャに嘘を吹き込まれて瞳を輝かせている。
窓から見える練習用の芝の上には全力で競争したのだろうウオッカとダイワスカーレットが転がり、その上を止まり切れなかったサクラバクシンオーが通過して行く。踏まれはしなかったようだが中々のスリルだな、とその光景をナカヤマフェスタが見つめていた。
別のコースではえいえいウェーイマーベラスむんと謎の掛け声が響き、その後ろからもう~らら~とどこか楽しそうな声が聞こえている。その横ではキングヘイローがカワカミプリンセスに教えを説き、ユキノビジンとゴールドシチーがお互いに尊敬のまなざしを片両想いに向けあっているのが見えた。
なにやら騒がしい理科室を覗けば謎の大鍋をかき混ぜるスイープトウショウが居て、スーパークリークがそれを微笑ましそうに見守り、ゴールドシップは何か得体のしれない物体をこっそり鍋に投入し、それを見咎めたビコーペガサスとバンブーメモリーに悪は許さんと戦いを挑まれている。その横では我関せずとマンハッタンカフェが虚空に向かって何事か話しかけていた。
玄関を出ればヒシアケボノの作ったお菓子をあまり変わらない表情で戴くミホノブルボンと、それに対してもっと美味しそうに食べるのだと噛み付くシンコウウインディが居て、通りすがりのオグリキャップはそれを羨ましそうに見つめてお腹を鳴らしている。
さらに少し歩くと、校内に設置されたベンチにもたれ掛かったまま舟をこぎ始めたセイウンスカイを、隣に座るニシノフラワーが起こそうとしてそっと肩を揺するのが見えた。するとバランスが崩れたのかはたまたわざとか、セイウンスカイの頭はニシノフラワーの膝にその重みを預ける形になってしまう。すこし驚きながらも今日くらいは仕方がないですねと嫋やかに笑うと、ニシノフラワーは慈しむ様にセイウンスカイの頬を軽く撫で、それを見ていたアグネスデジタルはあまりの尊さに大往生を果たし、近くに居たタマモクロスにそうはならんやろとツッコまれながら運ばれて行った。
むこうの方ではマチカネフクキタルの占いを受けたツインターボが猛ダッシュで駆けて行くところで、それを見たタイキシャトルが何かあるのかと明るい笑顔で追いかける。そんな光景を背にテイエムオペラオーがメイショウドトウに自分の美しさを語りながら、自信とはこういう事だと見せつけていく。
休憩室を覗けば蛍光色に発光するアグネスタキオンのモルモット君の横でライスシャワーのお姉さまとカレンチャンのお兄ちゃんが妹談議に花を咲かせ、ハッピーミークのトレーナーは他のトレーナーと温泉へ行く約束を交わしていた。
今日もトレセン学園は平常運転、世は全て事も無し。そう思いながら歩むたづなの耳に、中庭の方から何かが発する轟音と、聞き慣れた高笑いが飛び込んで来た。
あの人はまたぞろ何かやらかしたのか。仕方のない人ですねえと大きくため息を吐くと、その顔に笑みを浮かべ、たづなは中庭へと駆けて行った。
この話の製作時間の半分は調べ物で出来ています。歴史物書ける人の知識凄すぎません?
思い付きで書き始めた一発ネタの集合体でしたが、書いててすごく楽しかったです。
何を書いてもネタバレになるのであらすじがまともに書けなかったのだけ辛かったですが。
アプリ版テイオーかわいい。
ターボ師匠の育成実装早くしてやくめでしょ。
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