ガンブレイド&オーバーヒール〜無垢な元傭兵と欲望の聖女〜 (くろひつじ)
しおりを挟む

第1話:龍殺し

■ノア視点■

 

 渓谷に鎮座するのは全長二十メートルを超えるドラゴン。

 その巨体から繰り出された爪撃が振り下ろされた先には、全身を黒い服で(おお)った黒髪の青年が居た。

 彼の持つ(いびつ)な形の長剣が、ドラゴンの一撃を真正面から受け止める。

 しかし支援魔法で強化されてはいるものの、膨大な質量差には抗えずに地を削りながら後退した。

 砂煙が巻き上がる中、青年の影がゆらりと進み出て来る。

 通常ならば即死を免れない一撃を受けたにも関わらず、その体は汚れてはいるものの無傷だった。

 

 青年が持つ武器は、奇妙な形状をしていた。

 装飾の無い、無骨で大きめなリボルバータイプの拳銃。

 しかし銃口は無く、代わりに二メートルほどの刀身が伸びている。

 

 ガンブレイドと呼ばれるそれは、旧世代に作られた代物だ。

 斬撃の瞬間に炸薬を破裂させることで振動を生み、通常の武器を遥かに上回る威力を叩き出すことが出来る。

 その代わり取り扱いには熟練の技術が必要不可欠というピーキーな仕様。

 そんな時代遅れな欠陥の多い武器を、青年は巧みに使いこなしていた。

 

「この程度か、トカゲ野郎」

 

 青年は端正な顔をぴくりとも動かさず、ガンブレイドを肩に担いで言い放つ。

 不服な声色。もはや災害とも呼べるレベルの魔獣を前に、まるで期待外れと言わんばかりに。

 

「では次は、俺の番だ」

 

 砂煙に紛れるかのように突進。距離を詰め、ドラゴンの足元へ潜り込んだ。

 その砂煙を斬り裂いて振り下ろされる刀身。その鋭い一撃がドラゴンに触れる刹那にトリガーを引く。

 撃鉄が薬莢(カートリッジ)を叩いて盛大な火花を散らし、体の芯まで響く銃撃音が刀身を響かせた。

 凄まじい振動によって威力を増したガンブレイドは、まるでパンにナイフを入れるかのように簡単にドラゴンの爪を斬り裂く。

 

「ギュルグァアアア!」

 

 驚愕か、悲鳴か。凶悪な牙を剥き出しにして、ドラゴンが轟雷の如き咆哮を上げる。

 それを意に介さず、雷光のような五連撃。

 次々と振るわれる長剣。斬りつけると同時に響く重厚な破裂音は斬撃の威力を増加させ、鋼にも勝る硬さのドラゴンの両前脚を斬り裂いた。

 

「ガァアアアァァァッ⁉」

「まったく、喧しいトカゲだな……」

 

 眉間に皺を寄せながら回転式シリンダーを外側に振り出し、使い終わった薬莢(カートリッジ)をガラリガラリと地に落とす。

 流れるような手付きで新たな薬莢(カートリッジ)再装填(リロード)し、ガシャリとリボルバーを振り戻す。

 薬莢(カートリッジ)の込められたガンブレイドを再度肩に担ぎ直して、青年は大きな溜め息を吐いた。

 

「ドラゴンと聞いて期待していたが……所詮は神獣の(まが)い物か」

 

 不遜(ふそん)に言い捨て、同時に跳び退(すさ)る。

 直後、豪炎。ドラゴンの口から吹き出された炎のブレスは、しかし青年を捉えること無く地を焦がすだけに終わった。

 陽炎(かげろう)が揺らめき、その奥から青年が疾風の如く飛び出す。

 その顔に、獰猛(どうもう)な笑みを浮かべて。

 

「何だ、怒ったか? いいぞ、足掻いてみせろ!」

 

 ドラゴンはその言葉に応えるかのように立ち上がり、その巨大な翼を青年に向かって打ち付けた。

 しかし、爆音がそれを遮る。

 横一文字に薙ぎ払われたガンブレイドの刀身が、ドラゴンの翼を中頃から斬り割いた。

 赤い血飛沫が辺りに撒き散らかされるが、しかしドラゴンの眼は彼を捉えて離さない。

 攻撃の為に宙に浮いていた青年に、ドラゴンの巨木のような尻尾が迫る。

 如何(いか)に青年の理不尽な程に高い身体能力を持ってしても、空中で回避する事は不可能だ。

 為す術も無くそのまま直撃、したかのように見えた。

 しかしその実、青年は尾を足場にして再跳躍。

 身を捻りながらしなやかに跳び、笑う。

 その彼の目の前には、視界を埋め尽くすほどに巨大なドラゴンの顔。

 

「そら、こいつはどうだッ⁉」

 

 眼球を狙った刺突。中心に突き立てると同時にトリガー。

 五発分の轟音が連なり、その音が心臓の鼓動を速め、急速に心が(たかぶ)っていく。

 

「――――ルオオォォォッ⁉」

 

 悲痛な叫びを聴きながら落下、その途中で回転式シリンダーを振り出して排莢(はいきょう)

 (まば)らに散る空薬莢たち。

 それと共に落下しながらガンブレイドを素早くリロードした。

 重力に身を任せながらも岩壁のようなドラゴンの体を目掛けガンブレイドを振り回す。

 縦横無尽に振り回される刀身が再度破裂音を連ねる。

 

 鮮血が舞い、硝煙を(まと)った青年が笑う。

 

 着地、同時にリロード。

 ガチリとシリンダーを振り戻し、肉食獣の如き鋭さでドラゴンの背後に回りこむ。

 狙うは己を襲った尻尾の付け根。

 

「そ、う、ら……よっとォ!!」

 

 三撃、次いで、一閃。

 切り込みを入れた後の斬撃はドラゴンの尻尾を簡単に両断した。

 ドラゴンの大悲鳴に構わず、オマケとばかりに後ろ足を一度ずつ切り裂いてから離脱。

 自重を支えきれずバランスを崩したドラゴンは、そのまま自らが焦がした地面に倒れ伏した。

 砂煙で視界が途絶え、青年の姿を(くら)ませる。

 

「……まぁまぁ楽しかったぜ。じゃあな」

 

 揺らめく砂塵(さじん)から飛び出す黒装の青年。

 その姿は瞬時にドラゴンの首元へと移動し、刀身が陽光を反射してギラリと鈍く光った。

 

 燕のように素早く、鷹のように的確に。

 落雷にも似た響きと共に何度も斬りつけられ、魔獣の王たるドラゴンは為す術もなく首を斬り落とされた。

 

 自身の背丈よりも巨大な頭に目をやり、シリンダーを降り出して排莢。

 新しいカートリッジを詰め込んだ後、彼はようやく一息吐いた。

 

「こんな所か……オリビア、終わったぞ」

 

 先程までとは一転して柔らかな笑みを浮かべ、少し離れた岩場へと語りかける。

 その言葉に応えて、司祭(プリースト)風の服を着た銀髪紅眼の少女が姿を表した。

 純白の衣装をベースに金糸の刺繍(ししゅう)が施された法衣は、彼女の可憐な容姿をより引き立たせている。

 ビクビクと怯える様はまるで小動物のようで、小柄な身長と合わせて愛らしく見えた。

 そんな彼女――オリビアは青年と目があった瞬間、悲鳴を上げる。

 

「うわぁっ⁉ ノアさん、大丈夫ですか⁉」

「……いや、なにがだ?」

「ノアさん血まみれなんですけど⁉」

 

 言われ、青年――ノアは自身の体を見下ろす。

 確かに黒装束の上から多量の返り血を浴びており、鍛えられた腕や足が所々赤黒く染っている。

 彼女の言う通り、一見すると大怪我を追っているように見えなくもない。

 

「オリビア、これは――」

 

 事情を説明しようと声を上げるが、混乱の極地にある彼女は聞く耳を持たない。

 

「たたた大変です……! 大いなる女神よ、我が祈りを聞き届けたまえ! 願わくば彼の者に癒しの奇跡を! 極大回復魔法(エクストラヒール)!!」

「待っ……!」

 

 途端、空から純白の光が降り注ぎ、ノアの体を包み込む。

 ありとあらゆる怪我や病、体の欠損すら治してしまう最上級の回復魔法は、彼の服にこびり付いた血汚れを綺麗に消し去って行った。

 魔力の無駄遣い、ここに極まれり。

 

「これで大丈夫ですよぉぉ……」

 

 全魔力を使い果たし、魔力欠乏(けつぼう)から来る目眩(めまい)によって崩れ落ちるオリビア。

 その姿を見て、ノアは頭痛を抑えるように額に手を当てた。

 

「はぁ……またか」

「はわわー……めーがーまーわーるぅぅ……」

 

 くらくらと頭を揺らす白磁のような少女に、黒髪黒衣の青年は大きくため息をついた。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

■オリビア視点■

 

 渓谷に鎮座する全長二十メートルを超えるドラゴンを前に、黒衣の青年ノアが立ちはだかって居る。

 聖女オリビアはその光景を大岩の後ろから見守っていた。

 彼に対しては内緒で防御魔法を施しており、例えドラゴンの攻撃を受けても怪我をしない事が分かっている。

 その為彼女は普段のように、見る者全てを魅了するかのような慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。

 但し、見た目の上では、だが。

 

(あああああ! ノアさん格好いい! 二の腕の血管がえっちです!)

 

 興奮の余り鼻血を出しそうになりながらも、長年の修練で身につけた清楚な立ち振る舞いが剥がれることは無い。

 神に仕える身としてどんな時でも清らかに見えるよう徹底した教育を受けてきたのだ。

 例えその心が煩悩に満たされていようとも、傍目には女神のように佇んでいるようにしか見えない。

 

 ノアがドラゴンの一撃を受け止め、砂煙の中に消えた。

 しかしその程度でオリビアが動じることはない。

 彼の強さはオリビアが一番良く知っている。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 やがてノアが砂煙の中から無傷で歩み出てくる。

 武器を肩に担ぎ、不服そうな面立ちで。

 

「この程度か、トカゲ野郎」

 

 その言葉に宿るのは不満。

 災害レベルの魔物を前に堂々と振る舞うノアの姿に、オリビアのテンションが一段階上がる。

 

(ほあああっ! イケメン! 超イケメン! 今すぐ抱いて!)

 

 そんな事を知る由もなく、黒衣の青年は言い放つ。

 

「では次は、俺の番だ」

 

 瞬間、爆音。砂煙が斬り裂かれ、その中からノアの姿が現れた。

 ドラゴンの咆哮を意に介さずに歪な長剣を振り回す。

 連続した破裂音が聞こえたかと思うと、ドラゴンの前脚はズタズタになっていた。

 

「まったく、喧しいトカゲだな……」

 

 ガラリガラリと金属の筒を地面に落としながら嘆息する様は、正に冒険者に相応しい荒っぽさが混じっていて。

 低く甘い声と端正な顔立ちも含め、オリビアの性癖に突き刺さる。

 胸が切ない。動悸が激しい。腰の奥がきゅぅんと疼く。

 汗と硝煙の香りを纏ったまま、今すぐにでも押し倒して欲しい。

 こちらの準備は出来ている。後は本能のままに召し上がってもらうだけだ。

 

 しかし当たり前ながらそんな想いが戦闘中のノアに通じる訳もなく。

 新しい薬莢を武器に詰め終え、彼は不遜に言い捨てた。

 

「ドラゴンと聞いて期待していたが……所詮は神獣の(まが)い物か」

 

 次の瞬間、豪炎。

 ドラゴンの口から灼熱の吐息が吐き出され、剥き出しの大地を焦がす。

 渓谷を埋め尽くすほどに立ち上る焔、しかしその奥から黒衣の青年が飛び出してきた。

 その顔に、獰猛(どうもう)な笑みを浮かべて。

 

「何だ、怒ったか? いいぞ、足掻いてみせろ!」

 

(貴重なノアさんの好戦的な笑顔! 頂きました! これでまた夜の妄想が捗ります!)

 

 彼とドラゴンの戦闘は激しさを増していき、まるで吟遊詩人の歌う英雄譚のような光景を繰り広げている。

 しかしオリビアに取って、愛しいノアが怪我をする事が有り得ないのを知っている以上。

 この渓谷での一戦は彼の勇姿を目に焼きつける場でしか無かった。

 

 ドラゴンの翼を斬り裂いて、尻尾の攻撃を足場にジャンプ。その躍動的な動きは野性的な色気を感じさせる。

 

「そら、こいつはどうだッ⁉」

 

(そこだぁ! やっちゃえ私のノアさん!)

 

 ドラゴンの眼球に長剣が突き刺さり、盛大な音を立てて爆散する。

 ドラゴンの悲鳴を煩く感じながらも、ノアから目は離さない。

 落下しながら何度もドラゴンを斬りつけていき、破裂音が重なっていく。

 

 鮮血が舞い、硝煙を(まと)った青年が笑う。

 

(きゃあああ! ワイルド! イケメン! スパダリ!)

 

「そ、う、ら……よっとォ!!」

 

 ドラゴンの後ろに回り込んでノアが叫ぶ。残念ながらその姿は見えないが、直後にドラゴンの尻尾が切り飛ばされたのが見えた。

 地面に倒れるドラゴン。盛大な砂煙が舞い上がり、再びノアの姿が見えなくなる。

 その事を残念に思った次の瞬間。

 

「……まぁまぁ楽しかったぜ。じゃあな」

 

 揺らめく砂塵(さじん)から飛び出す黒装の青年。

 ノアの浮かべた肉食獣のような獰猛な笑みは、オリビアにとって今日一番の収穫だった。

 その表情を見て体の芯が熱くなり、ジリジリと欲情を炙ってくる。

 あんな顔で自分を押し倒して欲しい。荒々しく、雄々しく、けれど優しく。

 熟れきったこの身体を蹂躙(じゅうりん)してほしい。

 

(あぁもう何でもいいから! 早く! 私をめちゃくちゃにしてぇ!) 

 

 そして彼の姿はドラゴンの首元へ移動し、その太い首を斬り落とした。

 武器から小さな鉄の塊をばら撒く姿はもはや芸術品。オリビアはそれを余すことなく脳裏に焼き付け、夜のお共として利用する事を決意する。

 そしてすぐさま大岩の陰に隠れると、ノアがこちらに声を掛けてくるのを待った。

 

 この間。ノア戦闘が終わるまで、オリビアの立ち振る舞いは清楚可憐で完璧な聖女だった。

 長年に渡り培ってきた擬態は伊達ではない。

 ノアや通りすがりの人間に見られても何ら問題が無いよう、そこだけは気を張っていた。

 

「こんな所か……オリビア、終わったぞ」

 

 先程までとは一転して柔らかな笑みを浮かべ、こちらへ語りかけてくれた。

 その言葉に応えて顔を出そうとするが、彼のあどけない微笑みを見た瞬間に体中が痺れてしまい、上手く動く事が出来なくなった。

 プルプル震えながらようやく姿を現すと、そこで初めて彼の姿を見たかのように大声で叫ぶ。

 

「うわぁっ⁉ ノアさん、大丈夫ですか⁉」

「……いや、なにがだ?」

「ノアさん血まみれなんですけど⁉」

 

 こちらの言葉にノアが自身の体を見下ろす。

 返り血を大量に浴びた姿も雄々しくて素敵だが、そのままだと彼は遠慮してオリビアに寄って来なくなるのは経験済みだ。

 そこまで計算し、更には後に控える大イベントの布石として、オリビアは自身の内に眠る魔力を解放し始めた。

 

「オリビア、これは――」

 

 事情を説明しようとノアが声を上げるが、その言葉を聞く訳には行かない。

 オリビアはわざと被せるように大声で叫ぶ。

 

「たたた大変です……! 大いなる女神よ、我が祈りを聞き届けたまえ! 願わくば彼の者に癒しの奇跡を! 極大回復魔法(エクストラヒール)!!」

「待っ……!」

 

 途端、空から純白の光が降り注ぎ、ノアの体を包み込む。

 ありとあらゆる怪我や病、体の欠損すら治してしまう最上級の回復魔法は、彼の服にこびり付いた血汚れを綺麗に消し去って行った。

 

(これでよし! 計算通りに魔力も尽きました!)

 

「これで大丈夫ですよぉぉ……」

 

 演技では無く本気で目眩(めまい)を感じ、ふらりと崩れ落ちるオリビア。

 魔力欠乏による体調不良は慣れていても辛いものがある。しかし。

 

「はぁ……またか」

「はわわー……めーがーまーわーるぅぅ……」

 

 ノアがため息を吐くのを聞き、内心で両拳を突き上げた。

 彼がこの状態の自分を歩かせる訳が無い。

 つまり、不自然なく彼に抱き着く事が出来る訳だ。

 

(うぇへへ……さぁノアさん! その逞しい身体を堪能させてください!)

 

 魔力欠乏によって顔色を悪くしながらも、オリビアの心中はやはり欲望に満ちていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話:元傭兵と聖女

 

 岩肌が続く深い渓谷(けいこく)をノアは歩いていた。

 その背中では魔力欠乏で動けなくなったオリビアがぐったりとしている。

 火照った体に心地よい涼しい風が吹いているが、ノアにとっては背中に感じる温かみのせいで差程効果は無いようだ。

 しかし彼は汗をかく事も無く、背中の少女を労るように優しい足取りで進んでいく。

 先程のドラゴンは解体した後、何でも収納出来るアイテムボックスという便利な魔導具に収納してある。

 そのためオリビア以外に気を向けなくて済むのはノアにとってありがたい事だった。

 

「なぁオリビア。頼むから後先を考えてくれ」

「ご迷惑をおかけしますぅぅ……」

 

 彼女は未だに目眩(めまい)に襲われているようで、その口調は弱々しい。

 

「と言うか、やはり魔石を買おう。毎回倒れていたら危険だし、効率も悪い」

「絶対いやですぅぅ……」

 

 魔石とは、その名の通り魔力を宿した石の事だ。

 使い捨てではあるが体外に魔力をストックできる唯一の方法で、この世界で旅をする者なら大小の差はあれど必ずと言って良いほど携帯している。

 確かに高価なアイテムではあるのだが、二人はそれなり稼いでいる身だ。

 通常なら複数個の魔石を携帯していても不思議ではない。

 

 しかし、何故かオリビアが購入を(かたく)なに拒むのだ。

 理由を聞いても教えて貰えず、ノアは仕方なくそれに従っている。

 だが、今回のように早とちりで魔力を使い果たす事が多い彼女に取って、魔石は必須と言っても良いほど有用性が高い。

 その事もあってノアは度々魔石の購入を提案しているが、その度に断られて困惑してしまっていた。

 

※ここからファンタジー世界のお約束に関する説明が入ります。面倒な方は読み飛ばしてください。

 

 体内から失われた魔力を回復させる方法は大きく分けて三つある。

 一つ目は魔石から魔力を得る方法。

 二つ目は睡眠などの休憩を取り自然回復を待つ方法。

 そして三つ目が、他者から魔力を分けてもらう方法である。

 

 この世界には魔力が溢れており、例外を除く全ての生き物が魔力を宿している。

 長い年月を掛けて魔力を蓄積(ちくせき)させた生物の事を魔物と呼ぶが、その中でも知能が低いものは魔獣として分類されていた。

 人間も例外ではなく、その体内に魔力が蓄えられている。

 そして決められた手順に沿って魔力を使用する事で、魔法と呼ばれる奇跡を使用すること可能となっていた。

 だが、全ての者が強力な魔法を使えるわけではない。

 その大半は初級魔法と呼ばれる生活に便利な程度の魔法しか使えず、体内に余剰魔力を持て余している事がほとんどだ。

 オリビアのように最高級の魔法を使えるものなど、通常であれば組織の頂点に君臨できる程に稀有な存在である。

 特に神の奇跡とされる回復魔法の使い手は、世界最大の宗教である女神教の大司祭ーー最高権力者であっても何ら不思議ではない程だ。

 

 そんな彼女が魔石の有用性を知らない訳が無く、実際に昔は魔石を用いて魔力を回復していた。

 しかしノアと共に旅を始めた頃から魔石を使う事を拒み出した次第である。

 その事にノアは疑問を抱くが、その理由は未だに分かっていない。

 

※以上、説明でした。

 

 さて。ここで本題に入ろう。

 他者から魔力を分けてもらう方法には、二つのやり方がある。

 一つ。専用の魔法を使用すること。

 これは非常に高度な魔法であり、当たり前だが魔法使いではないノアに使えるような代物では無い。

 そして二つ目。対象同士の粘膜接触。

 魔力は丹田――へその下辺りに蓄積されると言われ、そこから全身へと流れていく。

 その際、粘膜同士で接触している対象にも魔力を巡らせる事が可能だ。

 魔力の譲渡は丹田に近いほど効率的に行えるため、性行為を行うのが最も効率が良いとされている。

 つまり、オリビアが魔石の使用を拒んでいるのは。

 その心の内に秘められた、乙女としての欲望が理由だった。

 

 オリビアは、ノアに恋をしていた。

 

 生まれて初めての一目惚れだった。

 目があった瞬間に体中を雷のような何かが走り回り、声を聞いた瞬間に頭の中が(とろ)け切ってしまった。

 元々住んでいた王都を出て巡礼の旅をしているのも、彼とずっと一緒にいたいから。

 清楚可憐な外見とは裏腹に、オリビアは非常に行動力に溢れた少女だった。

 

 対して、ノアは酷く鈍感な男だった。

 恵まれた容姿を持っているにも関わらず、幼い頃から傭兵として生きてきた彼にとって色恋沙汰(ざた)は他人事。

 そんなものより日銭を稼ぐ事を優先してきた為、オリビアから好意を向けられていることは分かっても、それがどのような感情かまでは理解出来ていない。

 

 しかしノアにとっても彼女は特別な存在で、彼はオリビアの願いを常に最優先にしたいと思っていた。

 優しく、清らかで、(はかな)く、美しい。

 そんな少女を何よりも(とうと)く感じ、ノアの中でオリビアは何者より大切な存在になっていた。

 

 それが愛情と呼ばれる感情である事に彼はまだ気付いていない。

 それでも、不自然な成長を遂げた純粋な青年にとって。

 オリビアと共に過ごす日々は掛け替えの無いものであり、それを失う事など許容できるはずも無かった。

 

 つまり。自分から求めることは無いが、オリビアの願いであればそれを断る事は無い訳で。

 今まで幾度となく魔力を枯渇(こかつ)させてきたオリビアに対し、彼女の要望で粘膜接触による魔力供給――という名目で体を重ね合っていた。

 彼女の想いとは裏腹に、未だに本番行為には至っていないのだが。

 精々が互いに触れ合い、キスをする程度。それ以上は、オリビアの方から誘うのは乙女の意地が阻んでいる。

 

(言えない……えっちな事をする名目が無くなるから魔石を買いたくないなんて、絶対言えない!)

 

 ノアに恋をしているオリビアは、そうして今日も魔石の携帯を拒むのであった。

 

 そんな生物として当たり前な、しかし女神教の聖女として称えられるには(みだ)らな事を考えていると。

 

「オリビア? 何かあったか?」

 

 彼女を背負うノアから心配げな声を掛けられた。

 低く優しい声。オリビアの性癖に突き刺さるそれは、気を張っていないと聞くだけで腰が砕けそうになる。

 実際に今、不意を打たれて彼女の身体は激しく反応した。

 

「ひゃぁい!?」

「大丈夫か? さっきから返事が無かったが」

「だだだ大丈夫でしゅっ!」

 

 混乱のあまり返答を噛んでしまう高貴な聖女様。

 彼女はその清楚で麗しい外見とは裏腹に、本日も煩悩に塗れている。

 自戒しようとも本能的な欲求には抗えず、オリビアは悶々とした日々を過ごしていた。

 

 

 年頃になった恋する少女の煩悩は、想い人である青年には届かずとも。

 その関係性は(いびつ)ながらも、酷く純粋なものだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話:在り方

 

 その後、ノアは休むことなく帰路を行き、日が暮れる頃には出発地である開拓村に辿り着く事ができた。

 到着する頃にはオリビアも若干魔力が回復しており、二人で並んで村へと入る。

 

 そこは開拓民が(きょ)を構える名も無き小さな村。

 この村から「冒険者ギルド」という組織にドラゴンの討伐依頼が出され、それをノア達が引き受けたのが今回の旅の始まりだった。

 

 冒険者。別名、お人好し。

 世界中のあらゆる場所から発注される様々な内容の依頼を引き受け、人々の困り事を解決する職種。

 なのだが。元々人助けを信条とする人種が就く職種である故に、過去に重大な問題が発生していた。

 (まず)しい者から報酬を受け取らず、そのまま立ち去る冒険者が続出したのだ。

 そのせいで自身の生活に(きゅう)した冒険者達を管理する為に設立されたのが「冒険者ギルド」である。

 尚、現在は仕事の斡旋(あっせん)や新人冒険者の育成など幅広く活動している。

 

 ノア達はその冒険者ギルドへ足を運び、受付カウンターに立つ女性に声を掛けた。

 女性らしい丸みを帯びた体付き、男受けしそうな顔立ちの彼女は、ノアを見て喜色を露わにする。

 

「おかえりなさい! ドラゴンの()()()()依頼は上手く行きましたか⁉」

 

 花の咲くような笑顔で尋ねる女性に、ノアは困り果てて首裏に手を当てた。

 彼女の言う通り、今回の依頼は本当にドラゴンが渓谷に居るかの確認だ。

 それが事実だと分かれば王都に連絡し、騎士団を派遣してもらう予定だった。

 

 そもそも、いくら戦闘慣れしているとは言えたった二人の冒険者が(かな)う相手では無いし、ましてや大した実績も無い「駆け出しの冒険者」に任せるなんて論外だ。

 通常ならば遠目に見て存在を確認し、報告しに戻るだけの簡単な斥候(せっこう)依頼である。

 通常ならば、だが。

 

「それなんだが……すまん、倒した」

「……はい?」

 

 心底申し訳なさそうに告げるノアに、受付嬢が間の抜けた言葉を返す。

 それもそうだろう。ドラゴンともなれば王立騎士団が総出で立ち向かうか、或いは御伽噺(おとぎばなし)にある異世界から召喚された英雄でないと討伐出来ないほどの強大な魔物だ。

 それを歳若い二人の冒険者が討伐したと聞かされても、常識を持つ人間ならば(にわか)に信じる事は出来ない。

 しかし、ノア達が滞在した数日で彼が虚偽の申し立てをする人柄でないのも理解している。

 故に、受付嬢は対処方法が分からず混乱していた。

 

「討伐証明が分からなかったから丸ごと持って来たんだが……解体場に出したら良いか?」

「いや待ってください! ドラゴンなんて出されても困ります! せめて村の門前にしてください!」

「ああ、確かに。そちらに出しておくから細かい解体は任せた。料金は買取額から引いておいてくれ」

 

 簡単に言う彼に、受付嬢の表情が変わった。

 彼の言葉からドラゴン討伐が真実であると判断したのだろう。

 ふんわりとした雰囲気から、獲物を狙う猛禽(もうきん)類のような雰囲気へ。

 

「ノアさん。この後ちょっと時間あります? 良かったら二人で飲みに行きませんか?」

 

 媚びるような甘え声でノアの胸元に手を置き、上目遣いで見つめる。

 あわよくばこの有望株の青年を射止めたい。

 そんな思惑が見え隠れしているが、ノアの反応はやはり淡白だった。

 

「すまないが、オリビアを宿に連れて行きたい」

 

 言われ、ノアの隣で穏やかに微笑むオリビアを見遣り、受付嬢は仕方がないと言わんばかりにため息を吐いた。

 

「分かりました。では解体の手配をしておくので、どうぞごゆっくり」

「助かる。オリビア、行こう」

「え、わわ、はいっ!」

 

 ノアに手を引かれ、オリビアは耳まで赤くなりながらも何とか返答を返し、彼の後に着いて行った。

 それを見送った受付嬢は一言漏らす。

 

「……リア充爆発しろ」

 

 異世界から伝わったスラング。流行り言葉を口にし、すぐに業務用の笑顔へと戻るのであった。

 

 

 宿に戻るとまず最初に、宿主に頼んで湯を沸かして貰った。

 浴槽(よくそう)などは無いので、布を(ひた)して(しぼ)り、オリビアに手渡す。

 彼女に背を向けてベッドに座り込むと、ノアは上半身の服を脱ぎ捨てた。

 引き締まった肉体。所々に古傷があり、汗と硝煙の混ざった香りがオリビアの欲望を刺激する。

 彼女は、つい、と背中を撫で、大きく息を吸い込んで彼の匂いを堪能(たんのう)し、頬を上気させ息を荒くした。

 その顔は弛みきっており、とても人様に見せられる状態ではない。

 だが幸いな事に、この場には背を向けているノアしかいなかった。

 

 これもまた、いつもの事だ。

 オリビアの頼みで、依頼達成後は彼女に体を拭いて貰っている。

 最初は抵抗があったが、今では既に慣れきった行為である。

 勿論、ノアからは背後に居る聖女の有様には全く気付いておらず、青年の顔は安心しきった弛みが見えた。

 

 元傭兵であるノアが背中を預けるのは深い信頼の証だ。

 彼はオリビアが己に害を為さない存在だと確信仕切っている。

 (ある)いは、彼女になら命を取られても良いと思えるほどに、彼は自覚も無しにオリビアを愛していた。

 

「ノアさん。今日もお疲れ様でした」

「ああ、オリビアもな」

 

 体を拭かれ、心地良さに息を吐く。

 この瞬間を迎える度に、旅をしていて良かったとすら思える程だ。

 彼女と触れ合う事が出来る、それがノアに取っての幸せだった。

 それはオリビアにとっても同じだ。但し、理由はだいぶ異なるが。

 

 筋肉質ながらも細身な肉体。(ほの)かに香る彼の匂い。そっと手を置くと感じる火照り。

 それらを思う存分堪能しながら、ゆっくり時間をかけてノアの体を清めていく。

 無駄に体に触れ、指先でなぞりながら、それでもギリギリの所で自制する。

 まだ夕飯前だ。「お願い」したらもっと濃厚なスキンシップに応えてくれるだろうが、その場合は高確率で腰が抜けて立てなくなってしまう。

 まずは夕飯を済ませ、次に自身の体を拭き清めてから。そうでないと流石に恥ずかしいし。

 

 清洒可憐(せいしゃかれん)な聖女は、口から垂れた(よだれ)を拭い、愛しい彼の体を余すことなく堪能していった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話:魔力供給

 

 二人並んで村に着いた後。オリビアはノアと共にドラゴンの遺骸を村の入口に放り出し、改めて冒険者ギルドで報告を済ませると、ギルドに併設された酒場で夕飯を済ませた。

 それなりに美味く量も多い割に格安な食事だったが、ノアの作る絶品な手料理に慣れているオリビアにとっては若干物足りない。

 仕方なしに大好物の干したスイートベリーを口にし、不満を抑える事にした。

 

 無論、傍から見ればそんな素振(そぶ)りは一切無く、清らかで柔らかな微笑みを浮かべているようにしか見えない。

 見る者に神々しさすら感じさせるオリビアの心中は、しかしこの後の事を思って薄桃色に染まっていた。

 

(うへへ……まずは体を清めて、そしていつも通り「魔力が足りないから」ってお願いしたら……きゃー!)

 

 一方で。

 

(オリビア、また何か思い悩んでるな……後で聞いてみるか)

 

 そんな彼女に違和感を覚えたノアだったが、純真な彼ではオリビアの欲にまみれた考えに至る事など出来ず、実に見当違いな事を思っていた。

 

 

 宿で取っている部屋は一つだけ。これもオリビアが節約の為と言い聞かせ、いつもそうしている。真の理由に関しては言うまでもない。

 更には床ではなく、同じベットで眠ること。それも彼女がノアに望んだ事の一つだった。

 そうでもしないとノアは床に座り込んだままの仮眠を取るだけで済ませてしまう。

 彼の体調を気遣いつつ、それ同レベルで、愛しい人とベッドを共にしたいという打算があったのも事実だが。

 

 簡素な部屋の中で体を拭き清めた後、銀髪紅眼の少女はいつもの部屋着に着替えた。

 大きめな男物の黒いシャツ。節約のためだと言ってノアから譲り受けた一品に身を通す度、彼に包まれている気がして心が(たかぶ)る。

 神の奇跡たる魔法で常に清潔さを保ちながらも、敢えて残している彼の匂いだけは残してある。

 オリビアがシャツの襟を引き上げて深呼吸していらると、部屋のドアがコンコンとノックされた。

 着替えの間、外を見張ってくれていたノアだろう。そろそろ終わったかと思い、確認してきたのだ。

 

「もういいですよ」

 

 告げると、ゆっくりと扉が開かれた。

 部屋に入ってきたノアは、ジャケットを脱いでは居るものの、昼とほとんど同じ黒衣装。

 彼には眠る時に着替えるという習慣が無く、どんな時でもすぐに戦闘を行えるよう、武器も必ず近くに置いている。

 肌着越しでもわかる引き締まった体はまるで芸術品のように均整が取れており、薄く割れた腹筋や半袖から覗く(たくま)しい腕に、オリビアの目は釘付けになっていた。

 そして不意に我に返ると、正に聖女のような微笑みを浮かべながら両手を前に開いて伸ばした。

 

「ノアさん。魔力供給をお願いします」

 

 慈愛に満ちた表情。しかしその実、首の裏まで真っ赤に染めた少女は、(はや)る鼓動が彼に聞こえなければ良いのに、と願う。

 

「ああ、分かった」

 

 ノアはオリビアの言葉に応え、ゆっくりと優しく彼女を抱きしめた。

 温かく、柔らかな抱き心地。ふわりと香る甘い匂い。彼女の慎ましい胸がやんわりと潰れるのを感じ、その感触に己が興奮していくのが分かった。

 本能的に強く掻き抱きそうになるのを必死で自制する。

 もしかしたら壊れてしまうかもしれない。そんな恐怖が頭を過ぎり、理性を保つ事が出来た。

 愛しいと言う感情。彼が未だに理解できないもの。

 しかしそれはノアの心の底から溢れ出してくる。

 この時間が永遠に続けば良いと、無垢な青年はそう思った。

 

 一方オリビアは、心の内で悶絶していた。

 

(ふおぉぉ! いい匂い! 優しい! 胸板厚い! 尊いぃぃ! あああぁぁっ!!)

 

 自らも彼の胸元手を伸ばし、ノアの抱擁(ほうよう)を全身で余すことなく堪能(たんのう)している。

 (たお)やかで弱々しく、しかしじっくりと胸元の筋肉を撫で回し、更に昂っていく。

 呼吸が荒く、鼓動が早鐘を打つ。腰の奥がきゅうん、と(うず)いた。

 身体が彼を受け入れる準備をして行くのが分かる。

 高まる期待を抑える事もせず、そっと顔を上げ、瞳を閉じた。

 

 ノアはそれだけで、オリビアが何を望んでいるか理解した。

 いつものように彼女の(あご)に無骨な手をやり、口付ける。

 ふに、と柔らかくも確かな感触。何とも言い難い心地良さ。

 彼女を想う気持ちが強まる。やはり自分には彼女が必要なのだと、改めて実感する。

 

 触れるだけのキスは、しかし深い心の繋がりを確かめ合う行為。

 魔力が自分からオリビアへ流れていくのを感じる。

 彼女が求めてくれる。彼女は魔力供給の為に必要な儀式だと言っているが、事務的なものだったとしてもノアの心が暖かなもので満たされていく。

 もっと彼女に触れたい。そう思う。

 だがもし、自分から求めてオリビアに拒まれてしまったら。

 そう考えると踏み出す勇気は霧散してしまい、やはりいつものように口付けを交わしたまま固まってしまった。

 

 しかし無論のこと、オリビアはノアを受け入れる気満々だった。

 いっその事押し倒してくれたら。獣のような欲を剥き出しかにしてくれたら。

 そうしたら、彼女は自身を喜んで差し出す準備ができているのに。

 オリビアはいつ事に及んでも良いように、宿の部屋にいる時に下着は付けていない。

 青年から貰った古着のシャツ。オリビアは今、それしか身に付けていないのだ。

 期待に濡れる体を遮るのは使い古された薄布一枚。彼が求めるのなら、すぐにでも応じることが出来る。

 だと言うのに。彼はいつもキスで止まってしまうのだ。

 大事にしてくれているのは理解している。

 それでも、キスだけでは物足りない。

 

(早く、早く! ほら、私は準備出来てるから! 食べ頃だから!!)

 

 既に限界ギリギリまで迫っている愛情と情欲が身体の奥で燃え盛っている。

 ジリジリと焦がすように(うず)く若い性欲を持て余し、それでも、ノアの方から求めてほしいと思ってしまう。

 何度も誘惑した。ふしだらな女だと思われないようにさり気なく、自然に触れ、肌を見せ、彼の前でだけは無防備を装って。

 その健気な努力は一応効果を見せており、彼はその度に初々しい反応を返してくれた。

 その事がとても嬉しく、異性として見られている実感を得る事が出来た。

 他にも胸や脚など性的な部分に視線を感じることもある。確かに効果は出ているのだ。

 だが。

 

(今日も手を出してくれない……ぐぬぬ。ノアさんの理性は魔鉱石並か⁉)

 

 彼の胸元をさわりと撫で、抱きしめる力に吐息交じりの声を漏らし、潤んだ瞳で見上げる。

 しかし、決してキス以上のことはしてくれない。

 その事を無念に思いながらも、自分から告げてしまっては負けな気がして、キスを終えたオリビアは今日も悶々とした夜を過ごすことになった。

 

 

 ちなみに、ノアは子どもがどうやって成されるかを知らない。

 この青年は恐ろしいことに、性行為というものを全く理解していなかった。

 

 孤児であった彼は幼い頃から戦場を駆け巡っていた為、様々な常識が欠落していた。

 性知識に関しても同様である。

 傭兵仲間が下世話な話をしていた時も意味が分からず適当に話を流していたし、街の娼婦の誘いを受けても、そもそも意味が分かっていなかったのだ。

 昼にギルドの受付嬢に誘われた時も、何故夕飯に誘われたのかすら理解していなかった。

 

 オリビアに触れたい。さらにその先を求めたい。

 しかし、次とは何なのか。どのような事をするのか。

 それすら分からないほどに、ノアは純粋過ぎた。

 

 オリビアが望む、ノアの方から手を出してほしいという欲が満たされることは当分の間は無いのかもしれない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話:朝の一幕

 

 翌朝。目が覚めたオリビアは布団の中で伸びをした。

 美しい銀髪がシーツの上を流れ、彼女の愛らしい容姿を彩っている。

 紅の瞳を瞬かせ、くゆぅ、と小さくアクビ。

 ゆっくりと隣を見るが、しかしそこには既に誰もおらず、いつもの事ながら少し寂しいと感じてしまう。

 

 昨晩も彼女は夜遅くまで悶々(もんもん)としており、仕方なく眠るノアの真横で声を押し殺しながら自分を慰めていた。

 それを(うな)されていると勘違いした彼に声をかけられた時は、恥ずかしさで顔から火が出る思いだったが。

 羞恥と共に彼の優しさを思い出し、もぞもぞと身悶(みもだ)えする。

 

 すっぽりと布団の中に隠れると、まだ彼の匂いと温かみが残っていた。

 その事に動悸が高まる。若い身体が疼く。情欲が湧き上がってくる。

 駄目だ。もしかしたらノアが戻って来るかもしれない。けれど、抑えることが出来ない。

 オリビアの細くしなやかな指は、そろりそろりと彼女の秘部へと向かっていく。

 ほんの少し触れただけで身体がびくりと跳ね上がり、そこからはもう指を止められない。

 昨晩の行為を再現するかのように、オリビアは朝から自身の体を慰めていった。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 時は同じく、所変わって冒険者ギルドの裏手にある広場。

 各々が好きなように使用していいとされるその場所で、ノアは隅の方で獲物を振るっていた。

 リボルバーの先端が長い刀身となっている武器、ガンブレイド。

 実用は(おろ)か取り回すのさえ難しい形状のそれを手に、ノアは流麗に舞う。

 

 右から左へ、下から上へ。

 その動き、その剣の軌道から対人戦を意識しているのが伝わってくる。

 くるり。回っては刀身が閃き、引き金を引く度に撃鉄がガチリと鳴る。

 薙ぎ払い、斬り降ろし、突き立てる。その動作によど()みも躊躇(ためら)いも無い。

 如何にして敵を打倒するか。その為に練り上げられた動作はもはや芸術のようだった。

 

 激しい運動に汗を流すことも無く、平然とした様子で武器を背負ったホルダーへと戻す。

 そんな彼を遠巻きに見ていた他の冒険者達やギルド職員は、いつの間にか彼に見とれていた事に気が付き、我に返った。

 その中の一人、昨日受付カウンターに立っていた女性が歩み寄る。

 手には書類。ドラゴンの買取額の査定が終了したのだろう。

 ニコニコと朗らかな笑顔で近付く彼女に、ノアは不思議そうな顔を向けた。

 

「ノアさーん! ……あれ、オリビアさんはいないんですか?」

「まだ宿にいる。それより、何かあったか?」

「査定が完了したので書類をお持ちしました! ノアさん、凄いお金持ちですよ!」

 

 受け取った書類に目を通すと、総額で金貨百枚。

 金貨一枚の価値は、稼ぎの良い仕事に就いている者が三、四年かけて稼げる額だ。

 それが百枚。確かに大金ではある。

 しかしノアは同時もせず、いつも通りの無骨な表情で言った。

 

「分かった。じゃあいつものように手続きをしてくれ」

「え、あの……本当に良いんですか? いつも報酬をほぼ全額教会に寄付してますけど、今回は桁が違いますよ?」

「いいんだ。オリビアがそれを望んでいる」

「またオリビアさんですか……」

 

 冒険者として稼いだ報酬。そこから必要経費としばらく分の生活費を除いた額を、彼らは毎回王都にある大聖堂へ寄付していた。

 それはオリビアの願いであり、引いてはノアの願いでもある。

 孤児院を兼ねている教会に寄付をする事で、一人でも多くの子ども達を救いたい。

 それが聖女オリビアが冒険者となった理由である。

 

 という建前で。

 実際の所はお金が貯まってしまうと、ノアが冒険者をやる理由が無くなってしまう。

 つまりは共に旅をする事が出来なくなってしまうのだ。それだけは避けねばならない。

 聖女オリビアの心中にはそんな打算も存在していた。

 無論、建前も真実ではあるが、己の欲望が混じっている事も事実。

 恋する乙女はどこまでも(したた)かなのだ。

 

「手元に金貨一枚残れば十分だ。残りは頼む」

「はぁ……では書類を作成するので、サインをお願いしますね」

「分かった。ギルドに向かおう」

 

 無表情に告げ、ノアは受付嬢と共に冒険者ギルドへと向かった。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 オリビアが身を拭き清めてから冒険者ギルドへ向かうと、案の定ノアはそこに居た。

 彼の姿に気恥しさを覚え、顔が熱くなる。

 ともあれ合流して朝食を、と思い声を掛けようとした所で。

 

「オリビア、この書類なんだが」

 

 振り返ることも無く、いきなり話しかけられた。

 これもいつもの事。オリビアが傍に居るかどうかが彼には分かるらしい。

 理由は本人にも分からないと言っていたが、今のところその勘が外れたことは一度もない。

 その事を嬉しく思いながら、オリビアは言われた書類に目を通した。

 ドラゴンの買取査定額が金額百枚。そのうち一枚を残し、あとは全額を王都の教会に寄付するというもの。

 我がことながらおかしな方針だと内心で苦笑いをしつつ、書面に問題がない事を確認してサインした。

 

「はい、問題ありません。よろしくお願いします」

「受け付けました……お二人は本当に変わっていますね」

「これも女神クラウディア様の教えですから」

 

 オリビアがにっこりと微笑むと、ノアの心は春の陽射しを受けたように暖かみを感じた。

 やはり彼女の存在は尊い。自身の全てを賭してでも守りたいと、改めて強く思う。

 その為にも、もっと強くならねばならない。

 何があっても彼女を守れるよう、多方面に対して学ばなければと。

 

 改めて決意を固めるノアの心など知らず、オリビアは心の内で朝食に何を食べるかを真剣に悩んでいた。

 何とも欲に忠実であるが、その外面は何処から見ても聖女に相応しい(たたず)まいだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話:ノアという青年

 

 ノアという青年の最初の記憶は、戦場で大人が敵を刺し殺した場面だった。

 

 魔族と呼ばれる、青い肌に角が生えた種族。

 その魔族と人族は長きに渡り戦争をしており、そして彼はどこにでもある傭兵団の中の一人だった。

 

 親は居ないらしい。森の入口に捨てられていた所を、傭兵団の団長に拾われたと聞いた。

 それから我流で戦闘術を鍛え、戦いに関する知識を見て覚えた。

 

 傭兵団に子ども用の予備の武器などあるはずも無く、けれど、何もしないままに生活出来るほど優しい環境でもなかった。

 その結果彼は、備蓄として眠っていた身の丈に合わないサイズのガンブレイドを日夜振り回し、十歳になる頃には一端の傭兵として最前線に駆り出されるようになっていた。

 旧世代の骨董品を少年が振り回す様はごっこ遊びのようにあどけなく、しかしその殺人技術は傭兵として通用する程度には成長して行った。

 しかし、生きるために学んだ戦闘に関する技術と知識。ノアはそれ以外、何も知らない少年だった。

 

 どうしたら生き残れるか。どうしたら敵を殺せるか。敵の狙いは何なのか。味方の状態はどうなっているか。また、敵の状態はどうなっているか。

 守り方、攻め方。探り方。

 戦場の全てを把握し、常に最善と呼べる行動を取れるようになる頃には、ノアは副団長の地位に着いていた。

 そして誰もが、彼が副団長に相応しいと思っていた。

 

 ノアには戦いに関する才能があった。

 或いは、他の全てを捨てたからかも知れないが。

 覚えが早く、吸収した知識を即座に理解し、行動に移すまでの速さ。

 それが誰よりも勝っていた。

 そのお陰で傭兵団は何度と全滅の危機を(まぬが)れたし、大勝することも少なくなかった。

 仲間から頼りにされ、仲間を大切に思い、仲間と共に敵を殺す。

 そんな日常が彼の全てだった。

 

 同時に、ノアは戦闘以外のことは何も知らない。例えるならばガラスの剣のような歪さを併せ持っていた。

 読み書きは団員の一人から教えて貰っていた。数字の計算も戦いの中で自然と覚えた。

 しかしそれ以外一般教養に関しては無知。誰もが知っている当たり前の事すら、彼にとってはどうでも良い事だった。

 死なないこと、死なせないこと。

 効率良く敵を殺す方法。

 仲間と共に生き延びること。

 それ以外は興味もない、感動のない乾ききった日々がノアの日常だった。

 

 そんな殺伐とした人生を二十年ほど過ごしたある日。

 異世界から召喚された英雄とやらが、魔族の王を倒したという話を耳にした。

 王が死んだ。ならば、戦争は終わる。

 つまり、傭兵団という組織の需要が無くなってしまう。

 

 ノアこれから先どうするかを、すぐに仲間たちと話し合った。

 傭兵団を続けるか、山賊に身を落とすか。

 いくら実績があるとは言え、戦うこと以外取り柄が無い連中が殆どだ。

 そんな中、団長が冒険者になることを提案した。

 魔物と戦うことを生業としている冒険者なら俺たちでも務まるだろうと。

 その考えにノアも賛同し、傭兵団の大半は冒険者となる道を選んだ。

 そのまま傭兵を続ける者、特技を活かして他の職業に就く者も居たが、幸いなことに盗賊に身を落とす者だけは居なかった。

 

 冒険者としての日々は新鮮だった。

 やることは傭兵と大差ない。だが、仕事を終える度に人々から感謝の言葉を告げられる。

 ありがとう。おかげで助かった。

 その言葉は、頑なで冷えきっていたノアの心を次第に溶かして行った。

 

 そんなある日、護衛依頼を受けることになる。

 貴族たちの乗る馬車の一行を護る事。それが依頼の内容だ。

 トラブルさえ無ければ暇な仕事の割に儲けは良い。比較的楽な部類の依頼だが、ノアに油断は無い。

 驕り高ぶる者から死んでいく。臆病な程に警戒するくらいでちょうど良い。

 それは彼にとっての常識で、だからこそ敵の接近に素早く対応する事が出来た。しかし。

 

 オークと呼ばれる人型の豚のような魔物。それが六匹。

 オーク自体は差程強い訳では無いが、数が多い。

 群れが相手となると同数の冒険者が必要になると言われているが、こちらは自分を含めて三人しかいない。

 多勢に無勢。しかしそんな状況で、どう戦えば対処出来るかを考えている自分に気が付いた。

 傭兵時代ならば真っ先に逃げる算段をしていた。

 だが今は共に戦う仲間だけでは無く、後ろに守るべき者達がいる。

 それが劣勢な戦闘を行う理由になっている事に驚き、しかし同時に、何としてでも守りきると決意した。

 

 まず自分が囮となり、続く二人が敵を切り崩す。

 幸いな事にオークは動きが鈍い。

 囮になっても生き残る可能性は高いだろう。

 もちろんタダで済むとは思っていないが、それでも。

 守りたいものがある。だからこそ引く訳には行かない。

 

 他の二人との打ち合わせを終えてから装備を改め、いざ駆け出そうとした時。

 一人の少女が彼を呼び止めた。

 

「お待ちください!」

 

 金糸の刺繍(ししゅう)が施された純白の法衣。

 銀色の髪は美しく、紅眼からは意志の強さを感じる。

 小柄な体を恐怖に震わせながらも、その佇まいは凛としていた。

 

「私は戦えませんが、魔法を使えます。せめて貴方に神の祝福を」

 

 手を(かざ)し、魔法を詠唱する。

 天上の女神のような歌が終えると共に、天空からノアに光が降り注いだ。

 

身体能力強化(ブースト)障壁(シールド)です。回復魔法も使えるので、サポートします」

「すまない、助かる」

 

 思いがけない支援に対して、笑みを浮かべて礼を告げる。

 守るべきものかと思っていたが、彼女は勇気を出して共に戦おうとしてくれている。

 彼女は直後、魔物に対する恐怖のためか腰を抜かしてその場に崩れ落ちたが、問題ないと判断したノアは敵に向って駆けた。

 

 魔法によって強化かれた身体は凄まじい勢いで敵との距離を縮めて行く。

 普段の何倍もの身体能力に戸惑いながらもすぐに順応し、ノアは止まること無く相棒のガンブレイドを横薙ぎに一閃。

 通常であれば剣が埋まってしまう程に分厚い脂肪を蓄えたオークの胴を、容易くするりと両断した。

 

 体が軽いのに、一撃は鋭い。心地よい高揚感を覚え、自然と笑みが浮かぶ。

 流れるように次々と魔物の群れを斬り裂いて行き、ノアが最後の一匹を殺すまでに一分もかからなかった。

 そのあまりの戦果に内心驚きながら馬車に目をやると、先程の少女が心配そうな顔でこちらを見ていた。

 軽く手を上げて応え、ガンブレイドのシリンダーを振り出して排莢(はいきょう)

 ジャラジャラと音を立てる中、薬莢(カートリッジ)再装填(リロード)しながら馬車へと向かう。

 

「大丈夫ですか⁉ お怪我は⁉」

「いや、あんたのおかげで無傷だ。すごい魔法を使うんだな」

 

 戦闘後の高揚感もあり、彼にしては珍しく微笑みを浮かべて語りかけた。

 瞬間、少女はババっとノアに背を向ける。

 よく見ると耳から首筋にかけて赤く染まり、内股を擦り合わせてモジモジとしている。

 

「どうした? 怪我でもしたか?」

「ひぃえ⁉ だだだ大丈夫ですっ!」

「……そうか? なら良いんだが」

 

 そんな彼女の反応を不思議に思い声をかけるが、大丈夫だと返されれば追求のしようも無い。

 周りを見回してみても特に被害は出ていないようだ。

 その事に安堵し、大きく息を吐き出す。

 守りきった。決して自分だけの力ではないが、それでも。

 想定とは違う流れになったものの、最良の結果を出すことが出来た事に心が暖かいもので満たされる。

 そんな中、少女が柔らかな微笑みを浮かべて聞いてきた。

 

「あの……お名前を、聞いても良いですか?」

「俺か? 俺はノアだ」

「ノアさん……私はオリビアといいます」

「……オリビアだと? まさか聖女オリビアか?」

 

 その名は確か、王都にある女神教の大司祭の名ではなかったか。

 確かに上質な法衣を(まと)っているし、噂通りの美しさと愛らしさを持ち合わせている。

 しかし見たところまだ若い。十代後半程度では無いだろうか。

 噂に聞く様々な偉業から、てっきりもっと歳が上だと思っていたのだが。

 

「はい。私は女神教会から聖女の称号を頂いております」

「そうか。すまない、無礼な態度を取った。俺は礼節が分からないんだ」

「そんな、やめてください。ノアさんは命の恩人なんですから」

 

 慌顔の前で手を振りながら慌てる彼女の姿に先程とは違う温かさを感じ、ノアは不思議そうに自分の胸に手を当てた。

 鼓動が速い。まるで戦闘時のようだ。

 しかし、彼女からは敵意を感じない。むしろ、安心感すら覚える。

 これは何だ。どうなっている?

 

 首を傾げるも答えは出てこない。

 仕方なく思考を切り替え、周囲を警戒しながらも馬車を発車させるよう御者に告げた。

 

 自覚は無いが、しかし。

 彼の中に恋心が芽生えたのは、この瞬間だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話:オリビアという少女

 

 オリビア・グレイテッドという少女は、グレイテッド伯爵家の長子として生まれ育った。

 美しく可憐な外見に愛らしい声。貴族としての教育で得た優雅な仕草。

 その少女は誰をも魅了し、幼少の頃から周りの者に愛されて育った。

 

 彼女の趣味は読書。穏やかに本を読む時間が何より好きで、特に冒険譚や恋愛をモチーフとした物語を好んで読んでいた。

 平穏な日々。それは幼い少女にとってはそれは、退屈極まりないものでしかなかった。

 勇ましい英雄。囚われた姫君。邪悪な魔法使いに、強大なドラゴン。

 それらが登場する世界はとても魅力的で、すぐにオリビアは物語の(とりこ)となった。

 

 楚々とした立ち振る舞いを見せながらも空想に(ふけ)る日々を送る中。

 十歳の誕生日に女神教会で祝福を受ける際、オリビアに魔法の才能がある事が発覚した。

 それも尋常な才能ではなく、オリビアは教会のトップである大司祭にも並ぶ程の凄まじい適性を持っていたのだ。

 

 その事実はオリビアに選択肢を与える事になる。

 貴族として退屈だが平穏な日々を送るか。

 或いは教会の司祭として女神に仕える者として生きるか。

 周りの大人は様々な見解を持ち毎夜のように話し合いを行っていたが、本人にとっては悩む理由も無かった。

 変わり映えの無い生活から抜け出すことが出来る、その一心で。

 オリビアは周囲の反対を押し切り、教会内でも最上位である聖女として生きる道を選んだ。

 

 教会での生活は劇的では無いにせよ、新鮮な刺激を得ることが出来た。

 仕事を与えられ、人々と交流し、そして読書に(いそ)しみ。日々の暮らしは(おおむ)ね満足できるものだった。

 しかし彼女の空想癖は治まる事も無く、むしろ読書によって得た知識を使ってどんどん肥大化して行く。

 この頃のオリビアは日に何度か呆と虚空を眺めるて妄想する事があり、それを目にした人々はオリビアの可憐な容姿から何らかの神秘を行っているのだろうと噂していた。

 

 そんなある日。オリビアは街の本屋で一冊の書物と出会う。

 児童書や絵本といった子ども向けの物語を(つづ)ったものではなく、もっと大人向けな分類の物語。

 テーマ自体はよくある恋物語ではあったのだが、それには非常に過激な性的描写が多々含まれていた。

 官能小説と呼ばれる書物との出会いは、オリビアにとって衝撃的な邂逅(かいこう)だった。

 書店の中で一冊を読み終えた彼女は、本を閉じながら女神教の司祭に相応しい微笑みを浮かべて、こう言った。

 

「お手数をお掛け致しますが、このお店の物語本を全て頂けますでしょうか」

 

 幸いか否か、大して金が掛かる趣味を持っていなかった彼女は日々の貯えがそれなりにあった。

 刺激に飢えていた少女は貪るように官能小説を買い求め、夜な夜な作品群の中に身を投じる想いで読書に熱中していった。

 それからというもの。年頃にまで育った少女の空想は色を変え、英雄譚から耽美的な物語へと姿を変えて行った。

 今までで一切触れたことのない世界に没入し、免疫のないオリビアはどんどんその世界に浸り切っていったのだ。

 

 その中でも特に好んだのが、身分差のある恋物語。

 貴族令嬢と冒険者がある事情から駆け落ちし、様々な困難に立ち向かいながら愛を育むというものだ。

 オリビアから見た理想の男性。彼がことある事に自身を求め、それに応じて体を重ねる妄想を膨らませる日々。

 酷く淫らで耽美的な物語を脳内で紡ぎ、その魅力的な世界に内心で身(もだ)える。

 しかし人前では清洒可憐(せいしゃかれん)(たたず)まいを崩さず、正に聖女として相応しい立ち振る舞いを見せていた。見た目だけは。

 

 理性と欲情の狭間で揺れ動くオリビアは、表面的には普段通りの日常を過ごしていた。

 礼拝に来た者に祝福を与え、ある時は治療院で神の奇跡によって傷病を癒し、ある時は教会の前で施しをあたえ、同じ教会に住む孤児達の世話をする。

 そして務めである巡礼の旅を行っていた時、運命の出会いを果たした。

 

(ほあぁっ!? え、なにあれなにあれ! 凄い格好いい!)

 

 馬車の護衛として雇った一人の冒険者。

 彼の姿は正に思い描いた理想の人物だったのだ。

 端正で油断の無い顔立ち。背が高く引き締まった体。飾り気の無い武具。

 背に負った長剣は初めて見る形をしていて、それも何処か物語の人物のようだった。

 しばし見蕩れてしまった後に挨拶を交わそうとするも、無骨で無口な彼は一度頷いた後、足早に馬車の先頭へと向かって行ってしまった。

 残念なような安心したような。

 そんな複雑な心境になりながらも、オリビアは馬車内に乗り込むと日課の妄想に耽っていった。

 

 しばらく街道を進んで居ると不意に馬車が止められ、御者から魔物が出た旨を知らされる。

 人型の豚のような魔物、オーク。

 単体では大した事はないと聞くが、どうやら六匹もいるらしい。

 慌てふためく周囲の者を他所に、オリビアは護衛の冒険者の元へと急ぎ足で向かった。

 幸いなことに自分は聖女として傷を癒す回復魔法や身体能力を高める支援魔法を扱うことが出来る。

 少しでも彼らの助けになればと思っていると、オリビアの理想を具現化した青年が魔物に向かって駆け出そうとしている所だった。

 

「お待ちください!」

 

 つい大きな声を上げて引き止める。

 黒髪に黒衣の青年は、不思議そうな顔でオリビアに振り返った。

 その姿に蕩けそうになりながらも、彼女は腹の底に力を込めて自らの役割を果たそうとする。

 

「私は戦えませんが、魔法を使えます。せめて貴方に神の祝福を」

 

 手を(かざ)し、魔法を詠唱する。

 慣れた調べを奏で、祈りと魔力を持って魔法を成す。

 聖女と呼ばれるオリビアの全力を持って、神の奇跡と呼ばれる神聖魔法を行使する。

 天空から神聖さを感じる光が降り注ぎ、彼の身を淡く包み込んだ。

 

身体能力強化(ブースト)障壁(シールド)です。回復魔法も使えるので、サポートします」

「すまない、助かる」

 

 無骨で無愛想だった青年は、穏やかな笑顔でオリビアに礼を告げた。

 低く、甘やかな声。その一言を聞いた瞬間、危機的な状況にも関わらず彼女の欲情は臨界を越え、腰砕けに座り込んでしまった。

 

(あああ……声まで理想的なんだけど!? ダメ、腰の奥が疼いちゃう……!)

 

 異常な程に心臓が高鳴り、体中から力が抜けてしまう。

 オリビアはぺたりと座り込んだまま、彼の姿を目で負った。

 

 それからの展開はまるで物語の様だった。

 獅子奮迅。彼の歪な長剣は轟音を上げながら、見る間にオークの群れを斬り裂いて行く。

 正に物語の中の英雄の如き活躍に、オリビアは眼を輝かせて興奮していた。

 

(凄い……凄い。凄い! 何あれ超格好いいんだけど⁉ あの人完璧すぎない⁉) 

 

 かつてない程に(たかぶ)る感情。

 しかし、今まで(つちか)われた立ち振る舞いを発揮しており、傍目からは清楚可憐な佇まいで不安げに彼を見守っているように見えている。

 この時ほど実家と教会の教育方針に感謝した時はなかった。

 そうでなければ、オリビアは人前で見せてはいけない状態になっていただろう。

 

 やがて一分も掛からず全ての敵を倒した後、軽く手を上げながら戻ってくる彼に慌てて声を掛ける。

 

「大丈夫ですか⁉ お怪我は⁉」

「いや、あんたのおかげで無傷だ。すごい魔法を使うんだな」

 

 そう言いながら、彼は再び優しく微笑みかけてくれた。

 その事に大きな喜びと欲情が湧き上がり、表情が崩れる寸前で彼に背を向ける。

 彼の姿、彼の声に心が魅了され切ってしまっていて、激しい劣情がオリビアの肉体を苛む。

 衝動的な欲情にモジモジと内股を擦り合わせてしまっていることに気付き、何とか普段の外面に戻ろうと呼吸を整えるが。

 

「どうした? 怪我でもしたか?」

 

 更に畳み掛けるかのように、甘い声が掛けられた。

 

「ひぃえ⁉ だだだ大丈夫ですっ!」

「……そうか? なら良いんだが。他の奴も問題ないか?」

 

 唐突の事態におかしな声を上げてしまったが、彼は特に気にした様子も無く周りに被害が無いか見渡している。

 改めて腹に力を込め、オリビアは常の微笑みを浮かべて話しかけた。

 

「あの……お名前を、聞いても良いですか?」

「俺か? 俺はノアだ」

「ノアさん……私はオリビアといいます」

「……オリビアだと? まさか聖女オリビアか?」

 

 自分の名乗りに不可解そうな声を返され、オリビアはその事に新鮮味を感じた。

 そもそも王都ではオリビアの事を知らない者はいない。

 銀髪紅眼という目立つ色合いに加え、自分でも容姿は整っている方だと思う。

 更には聖女という肩書きを持っている彼女のことを知らない方が稀なのだ。

 

「はい。私は女神教会から聖女の称号を頂いております」

「そうか。すまない、無礼な態度を取った。俺は礼節が分からないんだ」

「そんな、やめてください。ノアさんは命の恩人なんですから」

 

 改まった態度を取られ、慌てて顔の前で手を振って辞めるように頼み込む。

 そんなに大層な事をした訳でも無いし、何より彼にはそんな姿は似合わないと思ったから。

 自分の理想の彼は常に自信に溢れており、しかしオリビアに対してだけは優しいのだ。

 そんな都合の良い事を考えていると、彼は自身の胸に手を当て、首を傾げていた。

 なんだろう、と思い声を掛けようとした時には、彼は既に御者に向かって馬車を出発させるよう告げていた。

 その事を少し残念に思いながらも、まだ話す機会はあるかと気を改め、オリビアは自身の馬車へと乗り込んだ。

 

 非常に強い自覚を持ち。

 歳若い少女の欲望との戦いが始まったのは、この瞬間だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話:二人の冒険の始まり

 

 ノアは貴族たちの乗る馬車を王都ユークリアに送り届けた後、街門で護衛完了のサインを貰ってから大通りへと向かった。

 

 王都は相変わらず活気に溢れており、見渡す限りが人の群れだ。

 大通りでは様々な種族が行き交っている。

 人族に始まり、獣の特徴を持つ亜人や耳の長いエルフ、背が小さく筋肉質なドワーフや鱗のあるリザードマンなど多種多様の人々が行き交っている。

 そして道の端に並ぶ露店の数々。

 まるで祭の様に立ち並び、食べ物や装飾品など多種多様な売り物を取り扱っている。

 ノアはその中から一つの露店へと足を運んだ。

 

 そこは遥か南にある砂漠の街の特産品を扱う店で、中でも旅人に針を飛ばして襲ってくるキラーサボテンの串焼きが目に止まった。

 物珍しさもあって三本ほど購入し、隣の屋台でエール(麦酒)の入った銅製のカップも買うと、近くの樹に持たれかかってぺろりと平らげた。

 

(……後でまた、何か食うか)

 

 力仕事の後には量が足りなかったが、とりあえず腹は落ち着いた。

 串をゴミ入れに放り投げ、エールのカップは屋台に返して小銭を受け取る。

 このやり取りは店側からしても容器を再利用でき、客側は冷えたエールを飲むことが出来るという発想の下に生まれたらしい。

 ノアはその事をはじめて聞いた時、面白いことを考える奴がいるものだと思った。

 

 彼は店主に短く礼を告げると、今度は冒険者ギルドに依頼完了の報告に向かう。

 大通り沿いにある古く大きな建物で、外観は薄汚れており、他の街の冒険者ギルドと同様に酒場が併設されている。

 ギルド内に入ると、自分と同じ冒険者で溢れかえっていた。こちらも多種多様な人種が居るが、誰もが鍛え抜かれた体付きをしている。

 その中でノアは周りに目もくれずに受付カウンターへと進む。

 

(しかし、いつも賑やかな場所だな)

 

 そんな事を思いながら受付カウンターに向かうと、受付嬢がこちらに気付き笑顔を向けて来た。

 ここの受付嬢は穏やかで美人な為に人気があるらしいが、ノアにはよく分からない。

 ただ手続きをしてくれるなら誰でも良いと、そんな心持ちで受付で護衛完了の証明書を渡していた時。

 

 きぃ、と入口のスイングドアが鳴った。

 次いでギルド内が不自然に静まり返る。

 

(……なんだ?)

 

 ノアが怪訝(けげん)に思いながら振り返ると、そこには先程別れたばかりのオリビアがいた。

 冒険者ギルドには場違いな上等な祭司服、艶やかな銀髪は少し乱れ、紅の瞳は少し潤んでいる。

 彼女は息を切らしながらきょろきょろと辺りを見渡し、ノアの姿を見つけるとほっと息を吐きながら歩み寄ってきた。

 彼は意外に思いながらも彼女の方に向き直り、声を掛ける。

 

「オリビア? すまない、何か不手際があったか?」

「えぇと、そうじゃなくて……そのぉ」

 

 慎ましげな胸の前で両手を重ねて上目遣いで微笑んでいる少女の姿に、ノアは胸の鼓動が高鳴るのを感じた。

 自身の胸に手を当て、首を傾げる。

 体調が悪い訳でもないし、今は戦闘時でもない。数秒考えてみるがやはり理由が分からず、一先ず置いておくことにした。

 

「じゃあ依頼か?」

「そう、依頼です。ノアさんに依頼があるんです!」

 

 オリビアが姿勢を正して堂々と告げる。

 しかし緊張しているようで指先が微かに震えており、頬が桃色に染まっている様はとても愛らしい。

 元より美少女であるオリビアのそのような仕草に、しかし特に動じる事も無く、ノアはそのまま話を続けた。

 

「そうか。依頼内容は?」

「そのですね、えぇと……私の護衛を、お願いしたいんです!」

 

 小さな拳を握り締めて懸命に訴える少女に再び胸が高鳴る。

 

(……なんだ? 俺は体調でも悪いんだろうか)

 

 内心疑問に思うものの答えは出ない。

 しばらく悩んだ後、ようやくオリビアの言葉に答えなければと思い至った。

 

「護衛依頼か。何処までだ?」

「あっ……その、えぇとぉ……」

 

 目を泳がせて無意味に指を捏ね合せるオリビアを不思議そうに見つめる。

 それもそうだろう。護衛依頼とは旅の間の安全を確保するためにある物だ。

 まさか目的地を聞かれて言い(よど)むとは思いもよらなかった。

 どうしたのだろうかと、しばらく小動物のようにあたふたする彼女を見ていると。

 やがて銀髪の少女は意を決したように姿勢を正し、ステンドグラスを通した陽光のように鮮やかに微笑んだ。

 

「私は女神様から信託を受け、世界中を巡礼する旅に出るのです。貧しき者を救い、弱き者を助け、正しき者の後押しをする。それが聖女としての役割なのですから。

 その為の護衛を貴方にお願いしたいのです」

「……巡礼だと?」

「幸いなことに路銀は幾らかあります。立ち寄った街で冒険者として依頼を受けながら、不要な分は教会を通して皆様に届けたいと思っています」

 

 その言葉に、ノアは息を飲んで感銘を受けた。

 彼は自分一人が生きていくだけで必死だった。

 最近は余裕が出て来たものの、冒険者になって(しばら)くは一日にパン一つしか食べられない時もあった。

 過酷で孤独な日々を送り、それが当たり前だと思って生きてきた。

 自分が日常を過ごす為。その為に仕事をして金を稼ぐものだと思っていた。

 

 だが、彼女は違う。私財を投げ打ってまで見知らぬ誰かを助けたいのだという。

 そんな考えをする者に出会った事など無かった。

 なんて尊い生き方なのだろうと、彼は感動し、憧憬すら覚えていた。

 

 しかし、ノアは辛そうな表情で首を横に振る。

 

「……オリビアの事は心から尊敬する。だが俺はたくさんの命を奪ってきた。そんな奴が一緒に居るのは良くないだろう」

 

 そんな資格は自分には無いのだと、そう思った。

 傭兵として多くの者を殺した。生きる為とは言えその事実は消えない。

 この手は血に染っている。そんな人物が共にあるのは間違っていると。

 

 そんな彼に、オリビアは女神の様な笑みを返した。

 

「人は(ゆる)されるべきです。ノアさんが悔いているのなら、贖罪(しょくざい)として旅に同行してください。

 たくさんの人を救いましょう。貴方にはそれが出来るのですから」

「……俺は」

 

 ノアは一度目を(つぶ)り、拳を握り締めた。

 

「俺は戦うことしか出来ない。それでも良いだろうか」

「私は戦うことが出来ません。貴方が良いのです」

 

 彼女の言葉に救いを得た気がした。自分の過酷な人生は全て、彼女と共に行く為にあったのだと感じた。

 

「ありがとう。よろしく頼む」

「こちらこそ。よろしくお願いします」

 

 互いに笑顔で握手を交わす。

 二人の旅はこうして幕を開いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話:二人の冒険の始まり(聖女視点)

 

 王都ユークリアに馬車が着いてすぐ、オリビアは教会へ向けて駆け出した。

 自身に身体能力強化(ブースト)の魔法を使用する程の勢いで人混みに溢れ返った大通りを抜けると、人の目も気にせず一直線に走る。

 ものの数分で目的地に到着した彼女はそのまま大司教の部屋をノック。返事が返ってくるまでの数秒で乱れた息を整え、聖女に相応しい楚々(そそ)とした佇まいへと戻った。

 ガチャリとドアを開けて入ると、見慣れた初老の男性――この教会の大司教が厳格な面立ちで迎えてくれた。

 オリビアは彼を面前にして、心の中で気を引き締める。

 

「これは聖女様。もう戻られていたのですか」

「つい先程帰りました。それより大司教様、大切なお話があります」

「ほう。話とはどのような?」

 

 問われ、胸の前で祈るように両手を組み合わせ、天を仰ぐ。

 

「神託が下りました。私は本日中に旅立たねばなりません」

「なんと……⁉ どのような神託ですか⁉」

「汝、黒衣の剣士と共に諸国を巡り人々を助けよ、と。今回馬車を護衛してくれていた冒険者も黒衣の剣士。(すなわ)ち、これは女神様の(おぼ)し召しだったのでしょう」

 

 実際に彼女は夢の中で女神クラウディアから神託を受けていた。

 未だに戦争の爪痕が残る諸国を巡り、人々を助けよと。

 女神の信託を成すことはこの世で最も尊き行動であり、聖女として当然の義務。

 女神教ではそれを行うことは何よりも正しいとされている。

 

 ちなみに。神託の内容は「諸国を巡り人々を助けよ」だけである。

 また、神託を受けたのは一週間も前の事だ。

 色々と個人的な予定が詰まっていたので先延ばししていた所、ノアと運命の出会いを果たしたので急いで大司教に告げた次第である。

 また、黒衣の剣士の下りはオリビアの拡大解釈という名のこじつけに過ぎない。

 ノアと二人で旅に出る為に、神託を利用したとも言える。

 

 春の陽射しを体現したかのような可憐なオリビアは、史上の幸福を手に入れたと言わんばかりに微笑みを浮かべていた。

 大司教はその姿に神聖さを感じ、彼女と同じように祈りを捧げる仕草を取る。

 

「なんという……しかし、その旅は危険なのでは?」

「構いません。この身は既に捧げると決めております」

 

 誰に、とは言っていない。

 つまり、嘘は吐いていない。

 

「おお……聖なるかな。聖女様に幸あらん事を」

 

 感極まって涙を流す大司教に手を(かざ)しつつ、オリビアは次の目的地までの最短ルートを頭の中で思い浮かべるのだった。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 次に向かう先は冒険者ギルド。

 ノアはそこで護衛依頼の完了報告を行うはずだ。

 タイムロスはあるが、急げばまだ間に合う。

 根回しが完了していても本人を捕まえなければ意味が無いのだ。

 

 再び全力で街を駆け抜け、すぐに冒険者ギルドに到着。

 何処か威厳のある古めいた建物のスイングドアをきぃ、と開けて中へと入る。

 途端、周囲の目線が自分に向くのを感じたが、しかし今はそれ所では無い。

 息を切らしながらきょろきょろと辺りを見渡すと、受付カウンターの前にノアの姿を見つけ、ほっと息を吐きながら歩み寄った。

 

(良かった、間に合った!)

 

 ノアの凛々しい佇まいにやはり胸を高鳴らせていると、彼がゆっくりとこちらに向き直った。

 

「オリビア? すまない、何か不手際があったか?」

「えぇと、そうじゃなくて……そのぉ」

 

 彼の声に身体の深奥がきゅんと反応してしまい、恥ずかしさを隠すために胸の前で両手を重ねて聖女の微笑みを作る。

 黒衣の剣士は自分の胸に手を当てて何かを考えたあと、再度口を開いた。

 

「じゃあ依頼か?」

「そう、依頼です。ノアさんに依頼があるんです!」

 

 オリビアが姿勢を正して堂々と告げる。

 緊張から指先が微かに震え、羞恥に頬が染まるのを感じるが、微笑みは崩さなかった。

 長年(つちか)って来た技術だ。そう簡単に崩れはしない。

 

「そうか。依頼内容は?」

「そのですね、えぇと……私の護衛を、お願いしたいんです!」

 

 この機を逃せば次は無い。どのような手段を使ってでも彼を引き止める。

 そんな決意を現すかのように、小さな拳を握り締めて懸命に訴えた。

 ノアはしばらく黙り込んだ後、不思議そうに(たずね)ねた。

 

「護衛依頼か。何処までだ?」

「あっ……その、えぇとぉ……」

 

 咄嗟(とっさ)に何処までも、と答えそうになりながらも、目を泳がせながら無意味に指を捏ね合せ、何とか上手い言い訳を考える。

 

 しかし聖女として嘘を吐く訳にもいかない。

 それならばと、彼女は意を決して姿勢を正し、微笑みを深くした。

 

「私は女神様から信託を受け、世界中を巡礼する旅に出るのです。貧しき者を救い、弱き者を助け、正しき者の後押しをする。それが聖女としての役割なのですから。

 その為の護衛を貴方にお願いしたいのです」

「……巡礼だと?」

「幸いなことに路銀は幾らかあります。立ち寄った街で冒険者として依頼を受けながら、不要な分は教会を通して皆様に届けたいと思っています」

 

 嘘は、何一つ吐いていない。

 神託を受けた事は事実だし、護衛が必要なのも本当だ。

 オリビアが使える魔法は支援と回復のみ。一人で戦闘を行えない為、旅の護衛は必須である。

 改めて自分の言葉を思い返しても辻褄は合っている。大丈夫なはずだ。

 

 しかし、ノアは辛そうな表情で首を横に振った。

 

「……オリビアの事は心から尊敬する。だが俺はたくさんの命を奪ってきた。そんな奴が一緒に居るのは良くないだろう」

 

 その言葉に、オリビアは微笑みを浮かべる。

 

(良し! これなら行ける!)

 

 内心で拳を天に突き上げながら、外見は清楚可憐に振る舞うことを忘れない。

 

「人は(ゆる)されるべきです。ノアさんが悔いているのなら、贖罪(しょくざい)として旅に同行してください。

 たくさんの人を救いましょう。貴方にはそれが出来るのですから」

 

(さあ! さあさあ! これでどうだっ!?)

 

「……俺は」

 

 ノアは一度目を(つぶ)り、拳を握り締めた。

 

「俺は戦うことしか出来ない。それでも良いだろうか」

 

(きたあああ!! やった! やったぁ!!)

 

 大騒ぎしながら飛び跳ねたい気持ちを硬い意思で抑え込み、トドメの言葉を口にする。

 

「私は戦うことが出来ません。貴方が良いのです」

 

(こいこいこい! この流れならいける! 女神様、お願いしますぅ!!)

 

 手を差し伸ばして、永遠とも思える数秒間の後。

 

「ありがとう。よろしく頼む」

「こちらこそ。よろしくお願いします」

 

 互いに笑顔で握手を交わす。

 ノアの微笑みを受けてクラリと倒れそうになるが、そんな勿体ない事が出来るはずもない。

 

(あああああ!! 女神様ありがとうございます! これからも貴女様を(たた)え続けます!)

 

 心の内で悶絶(もんぜつ)し、ノアの大きく無骨な手の感触を堪能(たんのう)しながら、オリビアはかつて無い程の熱量を持って女神クラウディアに感謝の祈りを捧げていた。

 

 二人の旅はこうして幕を開いた。

 と言うより、オリビアが無理矢理幕を切り開いた。

 乙女の煩悩は止まる事無く、彼女はただ欲望のままに突き進むのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話:討伐依頼

 

 岩肌が散りばめられた大地を蹴り、間合いを詰める。

 自分の身の丈程もある巨大なバッタの一撃を躱し、ノアはその懐に潜り込んだ。

 

 切り上げ、直後、爆音。

 タイミングを合わせて引かれたトリガー。それに連動して撃鉄が降り、叩かれた薬莢(カートリッジ)が炸裂して振動を生む。

 ガンブレイドでの一撃はするりとバッタの胴へ入り込み、見事な切り口で両断した。

 

 流れるように二撃目。横薙ぎに振るった刀身が飛び掛って来ていた二匹目を斬り裂き、ノアはそのままの勢いで次の敵へ襲い掛かった。

 

 オリビアの魔法によって強化された身体能力は凄まじく、瞬く間に巨大なバッタを(ほふ)っていく。

 滞空中の敵を跳び上がりながら斬り、シリンダーを振り出して排莢。

 じゃらりと連なり落ちる空の薬莢(カートリッジ)には目も暮れず、再装填(リロード)してシリンダーを振り戻す。

 

 着地と同時に背後に向けて突き出した刀身は、巨大なバッタを容易く串刺しにした。

 ぐしゃりと音を立てて動きを止め、その個体はびくりと痙攣(けいれん)した後に動かなくなる。

 それを見届ける事もなくガンブレイドを引き抜いたノアは、背後を振り返り何度目かの安否確認を行う。

 

 その視線の先には腰の前で手を重ねたまま悠然(ゆうぜん)立ち尽くし、飛びかかるバッタを魔法の障壁で弾き飛ばしているオリビアの姿。

 傍目からするとどう見ても無事にしか見えないが、それでも彼は不安げに声を掛けた。

 

「オリビア! 無事か⁉」

「はい、問題ありません!」

 

 その返答に安堵の息を吐き、ノアは更に加速する。

 斬り飛ばす。爆散させ、蹴りつける。跳ね上げ、穿ち、斬り裂いていく。

 その様はまるで芸術のように洗練されており、鍛え上げられた肉体が躍動(やくどう)する。

 涼し気な表情。しかし、油断の無い鋭い瞳。

 ノアが内に秘めた激情を見せることは無い。

 ただ行動に移し、一刻も早くオリビアの元へと向かう為に。

 最後の一匹が動かなくなるまでに、そう時間はかからなかった。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 二人の初めての共同クエストとして小さな村に害を成す昆虫型の魔物を殲滅(せんめつ)しに来たのは良いが、実際に見てみると敵の数が多すぎた。

 そこで何と、オリビアが自ら進んで(おとり)になる事を提案して来たのだ。

 ノアは危険だと強く反対したのだが、最終的に彼女に押し切られる結果となってしまった。

 ならばせめて可能な限り速く敵を排除しようと、ノアはかつて無い程の意気込みでガンブレイドを振るっていた次第だ。

 その意気込みは結果に現れており、到着して僅かな時間で既に数十匹のバッタを(ほふ)っていた。

 

(オリビア……くそ、もっと速く!)

 

 しかしノアは己の成した結果に満足しておらず、更に先を求める。

 速く、確実に、容赦なく、躊躇(ためら)いなく。

 オリビアを守る。ただその為に、ノアはガンブレイドを振り続けた。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 一方、当のオリビアはと言うと。今日も今日とて平常運転だった。

 

(ほああああ! ノアさんのしなやかな筋肉! 真剣な顔! ああ、漏れ出す熱い吐息を余すことなく吸い込みたい!)

 

 無論のこと、今日もブレーキはぶっ壊れたままだ。

 

 彼女の魔法の実力は世界でもトップクラスに洗練されており、その障壁(しょうへき)魔法はドラゴンの一撃ですら受け止めることが出来る。

 ましてや巨大とは言えバッタ程度の一撃では、彼女に近付く事すらできない。

 そんな障壁魔法と同時に展開されているのは、オリビアのオリジナル魔法である『目標補足(ターゲット)』だ。

 特殊な術式を用いたそれは彼女にしか使用出来ず、また使用中は移動することが出来ない。

 さらに効果は非常に限定されているが、それはシンプルながら非常に強力な魔法だった。

 対象個体の情報をリアルタイムに観測できる魔法。

 これにより相手の行動を把握して常に先手を取ることが出来る他、自衛の点でもより安全性を保つことが出来る。

 ありとあらゆる情報を得る事の出来る、攻守に優れた万能魔法。

 それが『目標補足(ターゲット)』だ。

 

 という名目で作成された第一線級の超高度な魔法なのだが。

 これは実の所、オリビアが戦闘中のノアを余すことなく感じる為に作られた魔法である。

 緻密で複雑な、それこそ芸術とも呼べる術式をたった一日で作り上げたのも、全てはこの瞬間の為に。

 

(うぇへへへ! ノアさんの体温! まるで一つになったような心地よさ! 良き! 良き良き!)

 

 いつも通り清楚可憐な佇まいのまま、彼女の心は煩悩で溢れ返っていた。

 

 尚、オリビアはノアの身を全く案じていない。

 彼自身も知らないことだが、密かに自身と同じ障壁魔法を彼に向けて展開している為、仮にドラゴンの一撃に襲われようと何ら問題は無いのだ。

 故に彼女は、愛しい人の感触をただひたすらに、一心不乱に楽しむことが出来ていた。

 膨大な量の魔力を無駄遣いしながらも、オリビアは幸せな時間を堪能し続けた。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 滞りなく戦闘が終了した後。

 

「ノアさんお疲れ様です! いま()()()()()あげますからね!」

 

 怪我の一つもある訳がないノアに白々しく告げ、オリビアが魔力を練り上げる。

 

「いや待てオリビアーー」

「大いなる女神よ、我が祈りを聞き届けたまえ。願わくば彼の者に癒しの奇跡を。極大回復魔法(エクストラヒール)!」

 

 静止の声は聞こえないふりをして、オリビアは最上級の回復魔法を行使した。

 解放された魔力に導かれ、雲ひとつ無い蒼天から純白の光がノアに降り注ぐ。

 四肢欠損すら癒す奇跡の光は優しく彼を包み込み、黒衣に付着していた砂埃やバッタの返り血を跡形もなく綺麗に消え去っていった。

 

「……オリビア。俺は大丈夫だったんだが」

「ふわわぁぁ……ごめんなさいぃぃ……ノアさんが心配でぇぇ……」

 

 魔力の枯渇によって湧き上がる目眩にふらふらと揺れる彼女の肩を、ノアは優しく抱き止めながら苦笑いした。

 彼女はどんな時でも一生懸命だ。

 早とちりではあったが自分を心配してくれた事も嬉しい。

 そんなオリビアを守りたいと改めて強く想い、オリビアの膝裏に腕を入れて優しく抱き上げた。

 幸いなことに依頼を出した村までは近い。抱えて行っても差程問題は無いだろう。

 

 少し、鼓動が早い気がして、しかしそれも何処か心地よく。

 ノアは穏やかな心持ちでオリビアと共に村へと向かった。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 そしてオリビアは目眩にくらくらしながらも、この瞬間を余すこと無く堪能していた。

 彼の優しげな表情と(たくま)しい胸板、膝裏を掴む硬い腕の感触。

 仄かに届く硝煙と彼自身の香りに胸を高鳴らせ、身体を(たかぶ)らせていた。

 彼と触れ合う口実を作る為。

 ただそれだけの為に、最上級の神の奇跡を顕現させた聖女の心は今、幸せに満ちていた。

 

(あぁぁああ! 合法的に抱きつきながらノアさんを堪能出来る! 冒険者になって良かったあああ!)

 

 オリビアの煩悩は果てしなく、しかしノアがそれに気付くことは無い。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話:宿屋にて

 

 依頼を受けた村に帰り着くと、少し魔力が回復したのか、オリビアから降ろしてほしいと頼まれた。

 体調を気遣いながらもそっと彼女を下ろすと、思いのほか足取りがしっかりとしていて胸を撫で下ろす。

 そんなノアに、オリビアはある提案をしてきた。

 

「ノアさん、まずは宿を取りましょう。身体を清めたいです」

「そうか。ではそうするか」

 

 女はそういう事を気にするのだと聞いた事がある。

 自分には分からないが、オリビアが望むなら否は無い。

 ノアはいつでも彼女を支えられるよう気を配りながら、村の入口付近にある宿屋へと向かった。

 

 宿の中は暖かみに溢れており、何処か懐かしい雰囲気をしていた。

 古いながらも掃除が行き届いて、温かみに溢れている場所だ。

 カウンターに座る店主も人の良さそうな女性で、眩しいものを見るような目でニコニコと二人を迎えてくれた。

 

「すまない、部屋を二つ頼めるか?」

「一つでお願いします」

 

 ノアの言葉にオリビアがすぐさま訂正を入れる。

 不思議に思い彼女を見ると、美しい微笑みでこちらを見上げていた。

 

「オリビア。良くは知らないが、男女は別の部屋と言うのが当たり前なのだろう?」

「路銀は節約しなければなりません。私は同じ部屋で大丈夫です」

「……そうか? まあ、オリビアが言うならそうしよう」

 

 ノアは男女の機微が分からないので、オリビアの意見を尊重する事にした。

 どちらにせよ自分は壁に寄りかかって座って仮眠を取るだけだし、ベッドがあろうが無かろうが大した問題ではない。

 同じ部屋であろうと、オリビアがベッドでゆっくり眠れるのであれば何でも良かった。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 そして当然ながら、路銀は十分にあった。

 元より教会で生活するには十分な程の金額を貰っていたし、大司教から餞別(せんべつ)として金貨を数枚渡されている。

 宿代で換算するなら年単位で部屋を借りる事が出来る額だ。

 しかし、嘘は言っていない。旅をするに当たり、路銀を節約することは大事だ。

 何処で何があるか分からない以上、備えておくに越したことはない。

 

 無論のこと、それはオリビアの表向きの言い訳に過ぎない訳だが。

 

(ノアさんと! 宿で! 二人っきり! 若い男女が一つの部屋でなんでもやりたい放題っ!)

 

 期待に胸を躍らせながらも、やはり外見だけは清楚可憐に振る舞うことを忘れない。

 その清らかさに宿屋の店主も穏やかに微笑み、快く部屋を用意してくれた。

 

 部屋に着いてすぐ、オリビアは用意しもらった桶にタオルを浸した後、ぎゅっと水気を絞り取った。

 

「ノアさん、上を脱いでください。身体を清めてあげます」

「……俺か? しかし、必要ないと思うのだが」

「そんなことはありません。知らずに溜まっていた疲れを癒す効果もありますので」

「そういうものなのか……分かった」

 

 優しく微笑み(うなが)すと、ノアは首を捻りながらも了承した。

 黒のジャケットを脱いで椅子に掛け、シャツを捲り上げる。

 厚い胸板。細身に引き絞られ筋張った腕。薄く割れた腹筋。

 照明の魔導具によって照らされたノアの姿は酷く艶めかしく、オリビアは息を飲みながら彼を凝視する。 

 恋する少女の心臓は張り裂けそうな程に速まり、その目は彼の全てを脳裏に刻み込む事に必死だ。

 

「ふう……オリビア、すまないが頼む」

 

 低く甘い声。母性本能が湧き上がる無垢な笑み。

 オリビアの理性は蒸発寸前だが、長年(つちか)ってきた聖女としての姿を何とか保っていた。

 

「はい。こちらへどうぞ」

 

 ベッドの縁に腰掛けてノアを手招く。

 彼が腰掛けるとベッドがギシリと鳴き、その音にオリビアの身体がビクリと反応した。

 半裸のノアと同じベッドで二人きり。

 それだけでも淫らな妄想の種火としては十分だが、オリビアは更に先を求めた。

 

 ひたり、と熱く火照る彼の背中に手のひらを当てる。

 つい、と筋肉の起伏を指で撫で、その硬さに興奮する。

 自分の鼓動が煩い。いっそ心臓なんて止まってしまえば良いのにと思う。

 彼に触れている。ただそれだけなのに、嬉しくて恥ずかしくて、そして身体の芯が熱く(うず)いている。

 

「……オリビア? どうした?」

 

 低く甘い(ささや)き。痺れるような音色。

 その声にかくりと腰が抜けてしまい、オリビアは慌てて左手を体の横に着いた。

 欲情が湧き上がり、心をチリチリと焦がしていく。

 

「ななななんでもないです! 大丈夫ですよ⁉」

「そうか。じゃあ、頼む」

 

 ドキドキと心臓が早鐘を打つ中、絞ったタオルで彼の背中を拭う。

 広く大きな背中を上からゆっくりと。

 この至福の時間がすぐに終わってしまわぬように、ゆっくりと。

 

 最上級の回復魔法が使われた彼に汚れなどあるはずも無い。

 ましてや疲労など、溜まっているはずも無い。

 ただ彼に触れたい。彼を感じたい。ただそれだけの事だ。

 そしてそれだけの事で、少女の心は多大な幸福感と強い劣情に掻き乱されてしまう。

 

 いっそ自分から求めてしまおうか。

 彼はきっと断りはしないだろう。

 一言、抱いて欲しいと願うだけ。

 それで全てが解決する。この欲望が満たされる。

 けれど。

 

(やっぱり初めてはノアさんから来て欲しい……!!)

 

 恋心。それは何よりも強い欲望を生み、オリビアの言動を制限してしまう。

 願わくばそう。優しく、雄々しく、甘く、乱暴に。

 華奢(きゃしゃ)で繊細な身体を組み敷いて、耳元で愛を(ささや)きながら貫いて欲しい。

 どうせなら最高の初体験として生涯の想い出としたい。

 そんな願望が、オリビアを葛藤の渦へと導いていた。

 

(あああああ! 目の前に半裸で居るのに! 早く手を出してくれないと悶死するううう!!)

 

 既に瀕死状態の体に鞭を打ち、性欲をガッチリ抑え込みながらも、丁寧にノアの背中を拭き終える。

 悦ばしくも辛い時間を耐えきった、その時だった。

 

「オリビア、前はどうする?」

 

 くるりと振り返る、半裸の愛しい人。

 その色気の溢れる姿に限界を迎え、オリビアは頭から湯気が立つ思いをしながらゆっくり後ろに倒れ込んだ。

 

「オリビア!」

 

 ノアは慌ててオリビアの後頭部を抱き止める。

 少女の顔が、彼の身体に密着する。

 

(うわああああ!! やばいやばいやばいぃぃぃ!! ちか、匂いが……たくまし、あぁ、尊死するぅぅぅ!!)

 

「大丈夫かオリビア! 体調が悪いのか!?」

「だ……大丈夫でしゅ……それよりその、離して……」

「あぁ、すまない。咄嗟(とっさ)の事で……」

 

 頭を沸騰させながらも何とか返答し、身体を離してもらう。

 これ以上はもう、無理だ。我慢のしようが無い。

 次何かあれば、確実に一線を超えてしまうだろう。

 

「私も、その、身体を清めますので……外を見張っていてくれませんか?」

「そうか、分かった。終わったら声を掛けてくれ」

 

 ノアは手早く黒衣を着込むと、そのまま部屋から出ていった。

 

(あっぶなぁぁぁ! ノアさんガードが甘すぎない⁉ 滅茶苦茶近かったんだけど⁉)

 

 しばらくの間、オリビアは真っ赤に染まった顔に両手を当てながら、くねくねと身悶えていたのだった。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

(……なんだ? オリビアに触れた時、確かに何かを感じたが) 

 

 部屋の入口で見張りをしながら、ノアは自身の心の動きに戸惑っていた。

 オリビアが絡むと鼓動が速くなる。

 しかしそれは嫌な感じはせず、むしろ嬉しいと思う感覚で。

 無垢なる青年は、芽生えたばかりの感情の名を知らず、それでもオリビアの事を想い頬を弛めた。

 

(何でも良いか。俺はオリビアを守る。ただそれだけだ)

 

 ノアは強く拳を握りしめ、改めて決意を固めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12話:討伐報酬

 

 身を清めたオリビアと合流した後、冒険者ギルドに討伐完了報告を上げに行った。

 バッタの遺骸は全てアイテムボックスに収納しており、冒険者ギルドの解体場で取り出す予定だ。

 本来であれば討伐部位と呼ばれる箇所を切り取って提出すれば大丈夫なのだが、生憎ノアもオリビアも巨大バッタの討伐部位を知らなかった為、そのまま持って帰ってきた次第である。

 

 他の建物より若干大きいながらも古びた外見の冒険者ギルドに入ると、中は閑散としていた。

 ここに冒険者が多く居れば自分たちに依頼は来なかったので、当たり前の事ではある。

 見たところ、受付カウンターにギルド職員の青年が一人と、後は緊急依頼が張り出される掲示板の前に冒険者風の男女が一人ずつ。

 王都とは比べるまでも無い程に人が少ないが、やはり辺境の村ならこんなものなのだろうか。

 ノアは室内を一望した後、特に何かを気にする事も無く受付カウンターへと向かった。

 

「すまない、討伐完了報告に来たんだが」

「完了、ですか? 確か巨大バッタの駆除をお願いしていたと思うのですが……あの量を一日で?」

「ああ。確認を頼みたい」

 

 怪訝な表情を浮かべるギルド職員に頷く。

 

「ここで出すと処理が大変そうだが、何処か開けた場所はあるか?」

「それでしたら裏に広間がありますので、そちらにお願いします」

「分かった。オリビア、待っていてくれ」

 

 告げると、ノアはギルド職員の青年を連れて冒険者ギルドの裏へと向かった。

 言われた通り広場があったので、その隅にバッタの遺骸を積み上げる。

 その数は百は行かないまでも数十は確実に超えており、数の多さにノア自身も少し驚いた。

 一人で冒険者をやっていた頃の最大討伐数は十程度。

 オリビアを想い無我夢中に敵を斬っていたから気付かなかったが、まさかこれ程の量になっているとは思っていなかった。

 

 彼女の支援魔法の効果は凄まじい。

 身体能力が数倍に跳ね上がり、まるで枝葉を刈るように敵を倒すことが出来る。

 自分一人ではこの成果は出せなかっただろうと思い、さすがは聖女だなと改めて尊敬の念を抱いた。

 

「これで全部だ。報酬は歩合制だったと思うが……大丈夫か?」

「これは……すみません、数えてみないとはっきりとは言えませんが、この村からは払い切れない可能性がありますね」

「そうか。ならオリビアに相談してみるか」

 

 素っ気なく言うと、彼は冒険者ギルドへと戻った。

 中では先程の男女とオリビアが歓談しており、微笑む彼女の姿に温かみを感じながらも声を掛ける。

 

「オリビア。報酬の件だが、狩った数が多すぎたらしい。どうする?」

「そうですか……では私たちは食料を分けて頂きましょう。金銭は全て彼らに渡したいと思います」

「構わないが、知り合いか?」

「先程知り合いました。お二人共、私達と同じ依頼を受けていたようです」

 

 見ると、男女共に少しバツの悪そうな顔をしている。

 男の方は茶髪に青い眼。上背が高く細身で長い杖を持ち、灰色のローブと黒いマントを着込んでいる。

 魔法使いだろうか、差程鍛えているようには見えないが、その視線に油断は無い。

 対して女の方は赤髪に赤目で、オリビアの瞳より明るい色だな、と思った。

 こちらは良く鍛えられていて、片手剣と盾を手にし、革の全身鎧を身に纏っている。

 彼女が前衛を務めるのだろう。勝気な顔立ちに似合っているように思える。

 

「ごめんね、手柄を横取りしちゃって。この依頼を流しちゃうと私らは明日の飯も食えなくてさ」

「すみません、今回は聖女様の好意に甘えます。この借りはいずれ返させて頂きますので」

「気にされなくても大丈夫ですよ。私たちは巡礼の旅の途中です。困っている方々の助けになるのが私たちの使命なのですから」

 

 オリビアが穏やかに微笑みながら言う。

 ノアはその言葉に内心同意するも、自分が口を出すべきではないと思い黙っていた。

 そこへオリビアが微笑みながら声をかける。

 

「……ノアさんはどう思いますか? 彼らに渡すのは反対ですか?」

「いや、構わないだろう。こちらには余裕があるし、冒険者同士は助け合うのが基本だ」

「分かりました。ですが、一つだけ」

 

 彼女は自身の顔の前に人差し指を立て、悪戯めいた笑みを浮かべた。

 

「私たちはパートナーです。ノアさんも意見があれば言ってくれないと困ります」

 

 ノアはその言葉を不思議に思った。共に旅をしているとは言え、自分は彼女の護衛だ。

 それは決して対等な立場とは言えないだろう。

 しかし彼女はそのような関係を求めてはいないようだ。

 パートナー。そう呼ばれた事に喜びを感じ、ノアは無意識に微笑んでいた。

 

「そうだな。何かあれば言う」

「はい。約束ですからね?」

 

 花が咲くような笑顔の彼女に、また心臓がドキリと高鳴った。

 やはり何故なのか理由が分からずに小さく首を傾げるが、気を取り直して男女に向き直る。

 

「俺は食料さえ貰えれば後は構わない。飯を食うだけの貯えはあるから、報酬は持っていくといい」

「ありがとうございます。助かります」

「困った時はお互い様だ。冒険者だからな」

「そうだ、お礼と言っては何ですが……もし良ければこれをどうぞ」

 

 ノアは男が取り出した紙を受け取る。

 耐水魔法と状態保存魔法が施されたそれには、魔導都市グリモアの名前が記されている。

 しかし、肝心の店名に関してはノアが知らないものだった。

 

「これは何を売っている店なんだ?」

「評判の良いマッサージ店の無料チケットです。この一枚で二人まで使えますので、良かったら」

「そうか、ありがとう。オリビア、魔導都市に行くことがあれば立ち寄るか?」

「そうですね。良い経験になるかもしれません」

 

 微笑む彼女に気を良くしながら紙をアイテムボックスに収納し、ちょうど戻ってきたギルド職員に事の次第を伝えておく。

 

「俺たちは数日分の食料を分けてくれたらそれで良い。残りの報酬は彼らに回してくれ」

「分かりました。手続きをしておきますね」

 

 慣れた口調でそう返すと、職員の青年は数枚の紙を取り出してきた。

 

「商品引き換えの書類です。これを店で見せてください」

「そうか、分かった」

 

 このようなやり方は初めてだ。

 慣れないやり取りに普段なら不安を覚えていただろうが、オリビアと一緒なら何でも楽しく感じる。

 彼女も同じ気持ちだろうか。もしそうならば、とても嬉しく思う。

 そんな自身の想いを特に疑問を抱く事もなく受け入れ、ノアは純粋にオリビアと共に在る事に幸せを感じていた。

 

 そしてオリビアはと言うと。

 

(デートだ! 村と魔導都市でデートできる! ひゃっほぉう!!)

 

 奇しくもノアと同じく、その心は喜びに溢れていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13話:村の散策

 

 宿でオリビアが身支度を終えた後、ノア達は村を散策する事にした。

 旅の備蓄を買い込む必要があるというのもあるが、オリビアが村を見て回りたいと望んだのが大きな理由だ。

 何か困っている人がいれば助けになりたいと言う彼女に温かなものを感じながら、ノア達は村の中を散策する事に決めた。

 

 村にはノアにとって物珍しいものは特に無かった。

 しかしそれでも、何かを見つける度に楽しそうに笑うオリビアを見て居るだけで、彼は十分に楽しむことが出来ていた。

 普段は楚々としている彼女が年相応にはしゃぐ姿は何だか可愛らしくて、つい心と顔が弛む。

 

「ノアさん見てください! 干し肉を売ってますよ!」

「あぁ、王都より安いな。引換券とは別に少し買い足しておこうか」

 

「牛です! 牛がいます! ほあぁ……大きいですねぇ」

「これは立派な牛だな。毛並みも良い」

 

「んー! このパン美味しいです! やっぱり焼きたては良いですね!」

「焼きたてなんて久しぶりに食べたが、確かに美味いな」

 

「ノアさんノアさん! あそこ! ニワトリと猫が一緒に寝てますよ!」

「そうだな。家族なのかもしれないな」

 

 笑ったり、驚いたり、微笑んだり。

 こちらを振り返って無邪気に呼びかけてくるオリビアを見ているだけで、ノアは心の底から楽しいと感じていた。

 こうして二人で居られるなら、平和な時間も良いものだと思う。

 それに、オリビアにはこちらの姿の方が似合っている気がするのだ。

 ずっとこのまま、楽しげな彼女を見守っていたい。

 戦うことしか知らない青年は、戦いの無い安穏とした日常を満喫していた。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 そしてオリビアは、穏やかに微笑むノアを見てテンションがマックスになっていた。

 王都とは比べるまでも無い程に何も無い村だったが、それでも彼と一緒に見るだけで全てがとても素敵な物に見えた。

 

 つい聖女として振る舞うことを忘れてしまっていた事に気がついたのは夕暮れ時。

 日が落ちかけている事にすら気付かない程に、幸せな時間はあっという間に過ぎていった。

 

「オリビア。日が暮れてきた事だし、宿に戻るか」

「わっ! 本当ですね。そろそろ戻りま……しょう?」

 

 そしてようやく、ある事を思い出した。

 

(あああああ!? そうだ! 今日、夜、二人きりじゃん!?)

 

 宿の部屋は自分が我儘(わがまま)を言って一部屋しか借りていない。

 そしてそれは、つまり。

 

(おおお落ち着くのよオリビア! 何度も本で予習してきたんだから大丈夫! あんな事もこんな事も……え、しちゃうの? 今日? ノアさんと? ……あうぅぅ)

 

 山肌に沈んでいく夕陽にも負けないほどに顔を赤く染め、体も硬直しきっている。

 緊張で頭の中はぐちゃぐちゃだし、心臓は今にも飛び出しそうだ。

 それでも、逃げ出したいとは思わない。

 既に覚悟は決めているのだから。

 

(そう、ここで美味しく食べてもらって既成事実を作らないと!)

 

 初体験とは言え、知識は持っている。

 痛みは回復魔法で抑えらるし、心配なのは彼の獣欲を受け止めきれるか、その一点だけだ。

 けれど、ノアはきっと優しくしてくれる。

 だから大丈夫。大丈夫だと、思いたい。

 思いたいのだけれど。

 

(あああああ! ヤバい! 想像するだけで死ぬほど恥ずかしいんですけど⁉ だって、今夜ノアさんとヤるだなんて!)

 

 少し触れ合うだけでも緊張してしまうのに、いざ事に及ぶとなるとどうなってしまうのか分からない。

 だけれども。こんな千載一遇のチャンスを逃すなんて有り得ない話だ。

 その為に、せっかく日帰り出来ない依頼を選んで来たのだから。

 

「……オリビア、どうした?」

「うひゃあんっ⁉」

 

 不意に肩を叩かれ、その刺激と腰に響く甘い声にやられて腰が砕けそうになり、思わず嬌声を上げて上げてしまう。

 

「体調が悪いのか? 早く宿に戻って休んだ方が良い」

「……えぇ、そうですね。そうします」

 

 バクバク鳴る心臓を抑え、何とか言葉を返した。

 

 宿の部屋に戻り、部屋着に着替えようとした時にオリビアはある事に気が着いた。

 旅に出ることに夢中で着替えを持ってくるのを忘れてしまっていたのだ。

 下着の類は持っていたが、さすがに司祭服のまま寝るのは良くない。

 どうするかと考えたところで、彼女はある事を閃いた。

 

「ノアさん。実は着替えを持ってくるのを忘れてしまって……良ければノアさんのシャツを一枚分けてくれませんか?」

「構わないが……さすがにサイズが合わないだろう」

「むしろ大きめな方が都合が良いので。お願い出来ますか?」

「そうか。じゃあ使い古しで悪いが、これを着てくれ」

 

 何気無く渡された大きな黒いシャツを受け取り、内心でガッツポーズを取る。

 これで合法的にノアの私物、それも肌着に近い衣類を手に入れることが出来た。

 オリビアは一度ノアに部屋を出てもらい全裸になると、急いでシャツに身を通す。

 鍛えられたノアの服のサイズは彼女の身体には大きく、膝まですっぽりと覆うことが出来た。

 彼に抱かれているような感覚に酔いしれ、両手で首元を引っ張りあげ、布地に顔を当てて息を大きく吸い込む。

 そこにノアの仄かな残り香を感じ、オリビアは身をくねらせて悶えた。

 

(ほああああ! ノアさんのシャツ! ノアさんのシャツですよ!)

 

 そのまましばらく堪能。キュンキュン疼く身体を沈めようと下腹部に手を伸ばしかけたところで、ドアの前にノアを待たせっぱなしだった事を思い出した。

  

「あ、ノアさん! もう大丈夫ですよ!」

「そうか。サイズはどうだ?」

「ピッタリです!」

 

 慎ましい胸を張り、ドヤ顔で答える。

 その際、発情してぷっくり膨れた乳首がシャツに擦れて声を漏らしそうになったが、幸いな事にノアには聞こえて居なかったようだ。

 慌てて胸の前で両手を組んで重ねて隠そうとするが、あまり効果は出ていない。

 むしろ生地を押さえ付ける事で更に強調されてしまっているのだが、彼女は元よりノアもオリビアの幸せそうな表情に目を奪われて気が付いていない。

 

(んぅっ⁉ あ、やば、これ思ったより擦れて……ダメだ、ノアさんの目の前でおかしな気分になっちゃう! 早く目的を果たさないと!)

 

「ノアさん……実はお願いがあるんです」

「どうした? 何か問題でもあるのか?」

「はい。昼の一件で魔力が欠乏気味なので……」

 

 モジモジと内股を擦り合わせ、潤んだ瞳でノアを見上げながら。

 

「その……魔力供給をして、欲しいんです」

 

 精一杯の勇気を振り絞って欲望を口にした。

 はしたないと思われるだろうか。それとも軽蔑されるだろうか。

 そんな恐れが胸の内を走り回り、酷く緊張する。

 やがて、沈黙していたノアが、優しく笑いかけてきた。

 

「分かった。何をしたらいい?」

「……えっ?」

 

 魔力供給を求めるのは身体を重ね合わせる時の常套文句(じょうとうもんく)だ。

 他者から魔力を分けてもらう際は粘膜同士の接触を行うのが当たり前。

 魔力の集まる丹田、へその下に近ければ近いほど効率的となる魔力供給は、そういった行為を誘っている、と解釈するのが普通である。

 

 あるのだが。この無垢な青年はそのような知識を持っていないらしい。

 穏やかに微笑み彼に戦慄(せんりつ)しつつ、オリビアは次の一手を真剣に考え始めた。

 

(これはさすがに予想外なんですけど⁉ どうする私⁉ さすがに直接言うのは恥ずかしいし……そうだ!)

 

 両手のひらを前に伸ばし、緊張で精一杯の微笑みを浮かべながらその一言を口にする。

 

「魔力供給には接触が必要ですので、その……抱き締めて、キスをしてください」

 

 恋する乙女の欲望とプライドを天秤にかけた結果、そのような妥協案となった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14話:初体験

 

 キスを求められ、ノアは内心戸惑いを隠せなかった。

 確かにオリビアは昼の戦闘で魔力を使い果たし、己は魔力が有り余っている。

 彼女に魔力を分け与えるのは実に合理的だ。

 しかし、キスとは愛し合う者同士が行うものではなかったか。

 自分は未経験だが、そのように聞いた覚えがある。

 抱き締めるのは良い。ノアもオリビアと触れ合いたいと感じるし、その温かみを感じたい。

 だが、キスとなると、少し話が違ってくる。

 清らかな彼女を(けが)してしまう気がして、彼は強い躊躇(ためら)いを覚えた。

 

「オリビア。それは必要な事なのか?」

「必要です。絶対」

「そうか。しかし、俺で良いのだろうか」

 

 傭兵として血塗られた道を歩んできた。

 決して清らかとは言えない身だ。

 そんな自分がオリビアと口付けを交わすなど、許されない気がした。

 だが、彼女は揺るがない。眼を潤ませながらも、優しい微笑みで見上げてくる。

 

「ノアさんが良いんです。嫌ですか?」

「違う、嫌じゃない。ただ、何と言えば良いのか……」

 

 反射的に答えた後、己の心に気付く。

 愛を確かめる行為を嫌じゃないと口にした。

 その事に驚き、自問する。

 

(俺はオリビアを愛しているのだろうか)

 

 勿論嫌いではない。むしろ好意的に思っている。

 だが、そもそも愛とはどのようなものなのか、彼は知らない。

 幼い頃に孤児となった彼は親の愛すら与えられたことは無かった。

 仲間との信頼感とは違うのだろうし、オリビアに対して特別な感情を持っているのは確かだが、その感情を何と言うのかは分からない。

 もしかすると、これが愛なのだろうか。

 

 彼女を尊い存在だと思っている。

 きっとオリビアは誰をも愛し、(いつく)しみ、救いの手を差し伸べるのだろう。

 まるで女神のようだと改めて思い、場違いな事を自覚しながらも、心が温かなもので満たされるのが分かった。

 

 彼は知らない。

 無償の愛と相手を求める愛は別物だと言う事を。

 (ほどこ)しに繋がる愛と、欲を(はら)む愛は違うと言う事を。

 

 しかしそれでも、ノアは数秒ほど悩んだ末に決心した。

 彼女が求めている。ならば、断る理由などない。

 

「分かった。だが、抱き締めるというのは……」

 

 これも勝手が分からなかった。

 どうしたら彼女が喜ぶのか。どのような抱擁(ほうよう)を求めているのか。

 また数秒ほど考えたが、結論は出ない。

 そこでノアは、直接聞いてみることにした。

 

「それは、子どもに接する様に優しくか? それとも、もっと強い方が良いか?」

 

 その言葉にオリビアは瞬きを幾度か連続した後、頬を染めて答えた。

 

「強く、お願いします」

 

 上目遣いで恥ずかしそうに、しかし期待に満ちた紅い瞳を向けられ、身体の中で何かが(たかぶ)るのを感じる。

 ノアはその衝動に身を任せるように歩み寄り、オリビアの身体を引き寄せた。

 彼女の銀髪がしゃらりと流れる。

 

 柔らかく温かい。甘い香りが漂っている。

 小さく華奢(きゃしゃ)な身体は全力で抱きしめたら壊れてしまいそうで、気後れしてしまう。

 だから優しく、しかし十分な力で、彼女を抱きしめる。

 

 オリビアの吐息を胸に感じる。

 高鳴る心臓の鼓動は果たして、己のものか、彼女のものか。

 

「オリビア。これで良いだろうか。俺には勝手が分からないが、痛くないか?」

「大丈夫です。今、ノアさんを感じられて嬉しいです」

 

 腕の中で(ささや)きながら、オリビアは彼の胸板から腹筋までをなぞるように手を滑らせる。

 その感覚が(くすぐ)ったくて少し力を弛めると、オリビアは期待に満ちた紅い眼でノアを見上げていた。

 それが何を意味するかくらい、彼にも理解出来た。

 

 心臓が早鐘を鳴らす。戦闘時の様に激しく、それ以上に緊張しながらも。

 ゆっくり顔を近付けていき、優しく、彼女の唇にそっとキスをした。

 感情が溢れる。奔流に飲み込まれそうになる。

 だが、手荒な真似はせずに、あくまでも優しく。

 数秒か、数時間か。

 口付けを交わし続け、そして。

 

 すとんと。オリビアが床に座り込んだ。

 

「オリビア!? 大丈夫か!?」

 

 慌てて屈み込み彼女の顔を覗き込むと、首まで真っ赤に染めたオリビアは切なそうな表情でノアの頬に手を伸ばした。

 

「腰が抜けてしまいました……ベッドで続きをお願い出来ますか?」

「分かった。だが、大丈夫なのか?」

「まだ足りないので……お願いします」

「そうか」

 

 短く告げて彼女を抱えあげると、そのままベッドへと向かう。

 静かにベッドに横たわらせると、オリビアはふぅ、と一息吐いた。

 

「大丈夫です。来てください」

 

 その言葉に、ノアはベッドの上に腰掛け、再度顔を寄せた。

 ふわりと香る彼女の甘い香りにくらりとしながら、もう一度キスをする。

 オリビアがこちらの手を取り指を絡ませてきたので、それに応えて握り返す。

 オリビアの身体がぴくりと跳ねるが、嫌がってはいないようなので、そのまま口付けを続けた。

 どくんどくんと身体の中を血が巡り、ゆっくりと魔力が彼女へ流れて行くのを感じる。

 魔力を失っているはずなのに満たされていく感覚を不思議に思いながらも、ノア自身が魔力欠乏になるギリギリまで儀式は続けられた。

 惜しみながらも唇を離し、彼女の名を呼んだ。

 

「オリビア、終わったぞ……オリビア?」

 

 反応が無いことを不思議に思い改めて見ると、どうやら彼女は眠ってしまったようだ。

 無理もない。昼の戦闘に魔力欠乏も合わさって、よほど疲れて居たのだろう。

 村でも歩き回った事だし、無理をさせてしまったのかもしれない。

 いつの間にか昇りきっていた月の明かりに照らされ、彼女の銀色の髪が淡く煌めく。

 その様は正に女神の様で、しかしどこか可愛らしくて。

 ノアはの髪を一撫ですると布団を掛けてやると、自身は壁際に片膝を立てて座り込み、オリビアの代わりに冷たい武具を抱いて目を閉じた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15話:初体験(聖女視点)

 

 キスを求ると、ノアは戸惑った様子を見せた。

 その顔に嫌悪が浮かばなかったことに安堵し、胸を撫で下ろす。

 少なくとも嫌われてはいないようだ。

 ノアはあまり感情表現が豊かでは無いので分かりにくい所はあったが、予想通りであれば好意を持ってくれているだろう。

 幾度も微笑みを返してくれたし、物腰は柔らかく、常にこちらを気にかけてくれている。

 そこまで理解していながらも不安が消えないのは、それ程までに彼を想っているから。

 それでも、今日の機会を逃すつもりはない。

 行為に及ぶのが難しいと分かりはしたが、少しでも進展しておきたい所なのだ。

 

「オリビア。それは必要な事なのか?」

 

 拳を握りしめ、ノアが問う。

 彼も緊張しているのだろうか。それとも疑問が浮かんでいるのだろうか。

 どちらにしても、と思いオリビアは微笑みを返した。

 

「必要です。絶対」

「そうか。しかし、俺で良いのだろうか」

 

 怯えるようなノアに愛しさを感じ、同時に胸が高鳴る。

 普段は見せることの無い不安げな一面を知る事ができて、自分が彼にとって特別な存在なのだろうと実感する。

 心が、歓喜に満たされていく。

 

「ノアさんが良いんです。嫌ですか?」

「違う、嫌じゃない。ただ、何と言えば良いのか……」

 

 ノアは腕を組んで黙り込んでしまった。

 不安に心が焦がれる思いで続く言葉を待つ。

 彼は数秒ほど黙り込んだ後、やがて決意を固めた面立ちで言った。

 

「分かった。だが、抱き締めるというのは……それは、子どもに接する様に優しくか? それとも、もっと強い方が良いか?」

 

 その言葉にオリビアは驚いた。

 彼がそういった行為をした事が無いのは理解していたが、まさか異性と抱き合った事も無いとは予想外だ。

 彼の初めての相手になれる事に喜びを感じ、気持ちが更に(たかぶ)る。

 

 優しくか、強くか。そんなものは決まりきっている。

 身体も心も激しく彼を求めているのだから。

 

「強く、お願いします」

 

 改めて口にするのは恥ずかしかったが、それでもオリビアは欲望に忠実だった。

 そのまま性行為を行っても良いのに。

 そんな想いを胸に秘めて答えると、ノアはゆっくりと近づいて来て、オリビアの身体を引き寄せた。

 

 硬く、温かい。彼の少し汗ばんだ匂いにクラクラする。

 鍛え上げられて引き締まったノアの腕に優しく抱かれ、次第に羞恥心が薄れていく。

 その代わりに、女としての悦びと生々しい劣情が沸き上がってきていた。

 嬉しい。恥ずかしい。でももっと求めて欲しい。

 優しいだけでは無く、荒々しく抱かれたい。

 彼の鼓動は速く、しかし自分の鼓動も早鐘を打っている。

 今感じている心臓の音は、どちらのものなのだろうか。

 

「オリビア。これで良いだろうか。俺には勝手が分からないが、痛くないか?」

「大丈夫です。今、ノアさんを感じられて嬉しいです」

 

 上手く声が出せず、ノアの腕の中で(ささや)く。

 もっと触れたい。その欲求に抗わず、彼の胸板から腹筋までを指でなぞった。

 彼女を抱擁(ほうよう)する力が少し弛む。

 それに合わせて、上目遣いで彼を見上げたると、緊張した様子のノアと目が合った。

 期待に瞳が潤んでいるのが分かる。更に身体が熱くなり、芯が(うず)く。

 

 そして彼はオリビアが望んだ通りにゆっくり顔を近付けて来て、優しく、彼女の唇にそっとキスをした。

 感情が溢れてしまい、涙が零れそうになる。

 このまま押し倒して荒々しく求めて欲しい。

 だが彼は決して手荒な真似はせずに、あくまでも優しくキスをするだけだった。

 

 数秒か、数時間か。

 段々と高まる期待感、興奮、欲情。

 自分でも発情を抑えることが出来ず、つい身悶えしてしまう。

 そしてやがて感情が臨界点を超えた。

 不意に腰が抜け、すとんと床に座り込んでしまう。

 その事に慌てたノアが屈み込み、彼女の顔を覗き込んできた。

 

「オリビア⁉ 大丈夫か⁉」

 

 明らかな心配と仄かな愛情を感じる声。

 甘く切なく、胸が締め付けられるほどの愛おしさが込み上げてくる。

 たくさんの感情に押し潰され心が破裂しそうだ。

 それでもまだ、求めてしまう。

 

「腰が抜けてしまいました……ベッドで続きをお願い出来ますか?」

「分かった。だが、大丈夫なのか?」

 

 優しく(いたわ)ってくれる、そんな些細(ささい)な事からでも気遣いを感じる。

 しかし、愛しい彼の低く甘い声に身体が悦び、更にノアが欲しくなってしまった。

 魔力供給事態はもう十分だ。

 後は眠ってしまえば明日の朝には回復しているだろう。

 けれど。心がまだ満たされていない。

 この程度では満たされるはずも無い。

 

「まだ足りないので……お願いします」

「そうか」

 

 ノアは短く告げて彼女を横向きに抱えあげると、そのままベッドへと向かった。

 静かにベッドに横たわらせてくれて、オリビアはふぅ、と一息吐く。

 ドキドキする。未だかつて無い程に。

 愛する人とのキスがこんなに凄いだなんて思いもしなかった。

 唇に残る感触を惜しみ、再びノアを招く。

 

「大丈夫です。来てください」

 

 その言葉に、ノアはベッドの上に腰掛け、再度顔を寄せて来た。

 覆い被さるようにしてオリビアを捕え、優しくキスをする。

 彼に少しでも触れていたくて、自然とノアの大きな手を掴み、指を絡ませた。

 力の入らないオリビアの代わりと言わんばかりに、優しくぎゅうっと握り返してくれて、頭の中とヘソの下が熱く火照っていくのを感じる。

 

 どくんどくんと身体の中を血が巡り、ノアの魔力がゆっくりと自分の中に流れて来る。

 オリビアの身体がノア自身で満たされて行く。

 まるで一つに溶け合っているかのような感覚に、くらりと頭が(とろ)けてしまう。

 身体の奥底に注ぎ込まれる魔力の温かみは、まるで彼自身を胎内に突き入れられているようだ。

 ノアに愛されている。

 その事を実感し、興奮と幸福感が絶頂を迎えた瞬間、オリビアは意識を手放した。

 視界が暗転する寸前に彼が自分の名を読んだ気がして、彼女は満足感から微かに微笑みを浮かべていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16話:宿の朝

 

 翌朝。オリビアが目を覚ますと、ノアは既に武具の手入れを始めていた。

 慣れた手付きでリボルバーを分解し、全ての穴を一つずつ丁寧に掃除して行く。

 その様をを横になった視界でぼんやりと見やる。

 迷いの無い動作が何処か彼らしく、見ているだけで幸せな気分になった彼女は無意識ににんまりと笑みを浮かべた。

 

(あぁ……やっぱり、好きだなぁ)

 

 多幸感に満たされながらも、胸の奥がきゅぅと締め付けられる。

 ふわふわした感覚に流され、オリビアはにまにまとノアの横顔を見詰めていた。

 そして次の瞬間に昨晩の情事を思い出し、顔から火が出る勢いで赤面する。

 

(ほああああ⁉ そうだ、昨日!! ノアさんとっ⁉)

 

 触れ合った唇、甘い声、力強い腕。

 それに彼の匂いを思い出してしまった彼女は顔を枕に埋め、宿屋のシーツの上で身を(よじ)りジタバタのたうち回る。

 

(あああああ! うわあああ! なんで私! 気絶なんてもったいない事をおおお!)

 

 ただキスをしただけなのに、興奮のあまり絶頂して気を失ってしまった。

 これがもし本番だったら、今頃どうなって居たのだろうか。

 それを思って怖いような楽しみなような複雑な心境になりながら、全身が羞恥で火照っていくのを感じる。

 尚もジタバタしていると、最後にガチャリと硬質な音を鳴らした後、ノアがオリビアに微笑みかけた。

 

「起きたか。身体は大丈夫か?」

 

 まるで物語で読んだ事後のような問い掛けに、恋心が()き立てられる。

 こちらを気遣う何気ない一言。なのに、こんなにも気恥しいものなのか。

 

(声が! いつもより! 身体に響くんだけどっ⁉)

 

 ずくんと下腹が(うず)き、込み上げる羞恥心に思わず身を丸める。

 身体の芯を揺るがす甘い声に耐えるように強く自身を抱きしめるが、(すで)に身体が反応してしまっていた。

 内股を(こす)り合わせ(しず)ようとするが、劣情の炎はジリジリと燃え上がっていく。

 

(だめだめだめ! 朝からこれはヤバいですって!)

 

 自身を強く抱きしめながら、思わぬ事態に混乱するオリビア。

 そんな身も心も持て余している少女に対し、返事が無いことに疑問を抱いたノアが追い討ちをかける。

 

「オリビア?」

 

 低く甘い呼び声はオリビアの耳に官能的に(ひび)き、(たかぶ)り発情しきったその身体にトドメを刺した。

 

「ひゃぁんっ!?」

 

 体の奥深くを優しく撫でられたかのように感覚に、ついおかしな声を上げてしまう。

 その事を怪訝(けげん)に思い、自覚のない張本人は慌ててベッドサイドへ近寄ってきた。

 枕に埋められた頭の上に優しく手を置き、端正な顔を耳元に寄せて(ささや)く。

 

「すまない、体調が悪かったか。俺に何か出来ることはあるか?」

(このまま抱いてください!)

 

 心の中で叫ぶ。想いを口に出さなかったのは僥倖(ぎょうこう)だろう。

 そこは小さくも強い乙女の意思で何とか押し止めた。

 但し、次は無い。(すで)に決壊寸前の理性は放っておくだけでも崩れ落ちてしまいそうだ。

 故に彼女は、最後の力を振り絞ってノアに微笑みかけた。

 

「大丈夫です。身支度を済ませてしまうので、外で待っていてもらえますか?」

 

 完璧な演技だった。顔だけは。

 布団に隠れたままの身体、特に下腹部はとてもでは無いが人に見せられる状態では無い。

 しかし、それを(わず)かも()りとも感じさせない笑顔は、正に聖女そのものだった。

 

「そうか。何かあったら呼んでくれ」

 

 彼女の想い人は優しい微笑みと言葉を残し、ドアの向こう側へと去って行った。

 

(……とりあえず、身体を拭かなきゃ)

 

 ノアが部屋から出ていったのを見て、オリビアはもぞもぞと布団から這い出る。

 昨晩も使った()れタオルに手を伸ばした時。

 

「ぅやんっ!?」

 

 そ寝間着としていたノアのシャツに身体の膨らんだ部分が(こす)れてしまい、かなりおかしな声を上げてしまう。

 だが幸いな事に、彼が部屋に戻ってくる事は無かった。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 ノアはドアの横の壁に背を預け、自身の胸に手を当てていた。

 やはり、ただオリビアと話しただけで、激しい運動をした訳でも無いのに鼓動が速い。

 彼女と共に過ごすようになってから幾度も訪れた体調不良。しかし、何故か悪い気はしない。

 春の陽射しを浴びた時のような、暖かく穏やかな心境だ。

 となれば、これは良い事なのだろう。

 危険なことであれば長年(つちか)って来た勘が働くはずだからだ。

 

(だが……これは、なんなんだ?)

 

 ドキドキと鳴る心臓。思い出すのは昨晩の情事。

 オリビアから魔力供給を求められ、見様見真似のキスをした。

 ただそれだけの事なのに、彼女の言葉や感触が脳裏に焼き付いて離れない。

 今まで誰にも抱いたことの無い感情。

 その感覚に戸惑い、胸を強く抑える。

 

(分からないが、関係ない。俺はオリビアを守護(まも)るだけだ)

 

 彼女は何者にも代え(がた)い、尊い女性だ。

 正に聖女と呼ばれるに相応しい(たたず)まいや言動は清らかで、神聖な少女なのだ。

 我が身を()してでも守護らなけらばならない。

 その為に。更に高みを目指さなければならない。

 もっと強く、もっと鋭く、もっと速く。

 彼女に害を成す者、その全てを斬り伏せる力を得なければならない。

 そんな使命感がノアを急き立てるが、しかし焦りはしない。

 まずは出来る事から。それを徐々に増やして行くのが一番確実な道だと、傭兵時代に幾度(いくど)となく経験している。

 

 オリビアの障害となる物を取り除く力となる為に、修練を続けることを改めて強く誓うノアだった。

 

 

 尚、この時。

 とある少女が敏感になった身体を鎮めるためにひとり遊びをしていたのは別の話である。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17話:出発

 

 司祭服に着替えたオリビアが部屋から出て来るのを待って、ノア達は村の冒険者ギルドに向かった。

 建物内は昨日とは違い多くの人で埋め尽くされている。

 おそらく彼らは、村の依頼を受ける冒険者達なのだろう。

 ギルドの受付カウンターで依頼を受注する者、少し離れたテーブルで情報交換を行う者、出発前に手筈(てはず)を確認しあう者など様々だ。

 そんな中、二人は冒険者達を横目に、併設(へいせつ)された酒場兼食堂へと向かった。

 

 こちらも朝から喧騒(けんそう)に溢れかえっており、各々がテーブルに着き朝食をとっている。

 ノア達もくるくると(せわ)しなく歩き回る店員に声を掛け、二人分の代金を渡して朝食を注文し、比較的空いていた壁際の席に座った。

 ものの数分で渡されたトレイには豪華では無いが十分な量の朝食が盛り付けられている。

 小さな感謝の念を込めて、早速頂くことにした。

 

 今朝のメニューはシンプルで、オムレツとソーセージ、芋の入ったポタージュに白パンだった。

 ふわりと焼き上げられたオムレツは甘めで、塩気の効いたソーセージと良く合う。

 ポタージュは濃厚なのに後味が良く、素材の味が引き立ったスープはほんのり甘みを感じる。

 そしてどうやら自家製らしい白パンは柔らかく、もっちりとした食感は旅先では味わえない代物だ。

 それらが織り交ざった香りを楽しみながら順番に食べ進め、二人は十分もしない内に完食してしまった。

 

「オリビア。今日から魔導都市へ出発しようと思う。旅の買い出しは済んでいるが、構わないか?」

「えぇと、私は大丈夫です。すぐに出発ですか?」

「ああ。魔導都市で武具の手入れや火薬の買い足しもしたい。早めに出るとしよう」

「分かりました」

 

 簡単な打ち合わせを済ませてからトレイを返した後、念の為ギルドの方で依頼発注書を目にする。

 一応護衛依頼を探したがやはり見当たらず、取り立てて急ぎの依頼もなかった為、予定通りそのまま村を出ることにした。

 

 村の門の前で待機していた乗合馬車に乗り込むと、そこには冒険者風の青年達三人が座っていた。

 乗合馬車の専属護衛だろうか。皆茶色の短髪で顔が似ている所を見るに、兄弟なのかもしれない。

 ノアがそう考えていると、オリビアは彼らに向かって柔らかく微笑みかける。

 

「おはようございます。魔導都市までの間、よろしくお願いしますね」

「よろしくお願いします! ……あの、もしかして聖女様ですか?」

「はい。オリビアと申します」

 

 キラキラと目を輝かせる青年に彼女が答える。

 オリビアの清楚可憐な振る舞いに何故か誇らしさを感じながら、ノアは一番前の椅子に腰掛けた。

 自分が話し掛けられる事は無いだろうと思い腕を組んだ時、しかし青年達の一人が彼に声を掛けてくる。

 

「僕は冒険者のトムです、あっちの2人がタムとテム。貴方も冒険者ですか?」

「……そうだが」

「やっぱりそうですか! お名前を聞いてもいいですか?」

「ノアだ。家名は無い」

「……えぇっ⁉」

 

 黒衣の青年の名乗りに、青年達が揃って驚きの声を上げる。

 

「まさか……『残響の剣舞(ファールウィンド)』のノアさんですか⁉」

「……なんだ、それは?」

 

 珍しくパチクリと瞬かせ、ノアが(たず)ね返した。

 

「何って、ノアさんの二つ名じゃないですか! ガンブレイドを使う無敗の元傭兵『残響の剣舞(ファールウィンド)』は冒険者やってて知らない奴はいませんよ!」

「……そう、なのか?」

 

 まさか自分がそんな呼ばれ方をしていたなんて知らず、彼は少し困惑する。

 

 事実、『残響の剣舞(ファールウィンド)』の二つ名を持つノアは、現冒険者の中でも最上位の戦力を持つと言われている。

 冒険者歴は浅いものの、傭兵時代に成し遂げた偉業は吟遊詩人達によって唄い広げられ、一部では救国の英雄と並ぶ程の人気を誇っていた。

 曰く、旧時代の武器であるガンブレイドを使い、あらゆる敵を(ほふ)る黒衣の剣士。

 その姿は一陣の旋風の如く、正に一騎当千。

 らしい。

 自身ですら忘れていたような戦歴を事を熱く語られ、ノアは困ったように首裏に手を当てた。

 

「そうか。オリビアは知っていたか?」

「知っていましたけど……ノアさんは昔の話を嫌がるので黙ってました。本人が知らないとは思って居ませんでしたけどね」

 

 オリビアに話を振ると苦笑いを返された。

 どうやら知らなかったのは自分だけのようだと、ノアは何とも言えず黙って眉尻を下げる。

 

「でも何で聖女様と?」

「ああ、オリビアの巡礼の護衛をしている」

「……え? 最上位の冒険者が護衛……?」

 

 三人揃って首を(かし)げる兄弟に、ノアは訳が分からずオリビアに視線を向けた。

 

「神託が下ったのです。黒衣の青年を共に巡礼の旅に出よ、と」

「なるほど! さすが二つ名持ちの冒険者ですね!」

 

 ノアには良く分からない話だが、どうやら彼らはその一言で納得したらしい。

 揃って(うなず)く彼らの様子にオリビアがクスクスと笑い、自然とノアも穏やかな笑みを浮かべていた。

 

 

 しばらく馬車の前方の席で四人の歓談を聞いていると、御者(ぎょしゃ)席から窓越しに声を掛けられた。

 

「出発するが、大丈夫かい?」

「構わない。だが、他に客はいないのか?」

「今日は聖女様とあんただけだよ。そっちの三兄弟は専属護衛だ」

「そうか。じゃあ頼む」

 

 素っ気なく返すノアにニカリと笑い返し、御者は馬車の窓を閉める。

 すぐに馬の(いなな)きが聞こえ、ガタゴトと馬車が走り出した。

 思っていたより揺れが少なく、賑やかな三兄弟のおかげもあって、ノアは想定より快適な旅になりそうだと感じた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18話:宿場

 

夕暮れまで馬車に揺られ、ようやく本日の目的地にたどり着いた。

 街道沿いにポツンと建っているそれ程大きな物では無く、外観は少し古ぼけて見えた。

 しかし整備されているようで、周囲には魔物避けの魔導具が設置されている。

 屋根も壁もあって魔物も寄ってこない。旅の途中とう事を考えると実にありがたい場所だ

 このような中継点は街道に何ヶ所か存在しており、長旅の際は可能な限りここを使用するのが冒険者の常識だ。

 

(昔は大樹の幹に寄りかかって一晩を過ごしたりしたものだが……それに比べれば天と地ほどの差があるな)

 

 ノアは馬車から降りた後、周囲の警戒を行いながらも昔を思い出して苦笑した。

 あの頃は交代で見張りを立て、大して上手くもない飯を食い、どうでも良い話やその日の戦果に関して話たりして賑やかな夜を過ごしていた。

 今回も賑やかな旅ではあるが、一つだけ大きく違う点がある。

 ノアはその一点だけで、長い過去にも勝る想いを抱いていた。

 

(まだ慣れないが……それでも、オリビアが居るのは、何と言うか……良い旅だな)

 

 そんな素朴な感想を胸に周囲に問題が無いことを確認し終えると、ノアはオリビアを呼びに馬車へと戻って行った。

 

 

 夕食は御者と三兄弟と御者の分を合わせた七人前をノアが作った。

 どうせ自分とオリビアの二人分を作るのだから大した手間では無いと告げると、宿泊施設の前ですぐに(かまど)を組み上げて、携帯式の鍋に水を張る。

 乾燥させた豆と芋、干し肉を入れて煮込みながら香草を交ぜただけのシンプルな料理だが、それでも温かい食事と言うだけでも豪華な物だ。

 野営ともなれば場所によっては火を()く事もできない為、固くて塩辛い保存食を(かじ)るのが当たり前だった。

 当然のこと、オリビアにそんな真似はさせられない為、旅に出るに当たって携帯用の調理用具一式を買い揃えている。

 

「出来たぞ」

「手際が良すぎて手伝うことも無かったですね……いつもノアさんが作ってるんですか?」

「ああ。刃物を使う料理をオリビアにやらせる訳にもいかないからな」

 

 女神教の司祭は刃物を使ってはならない。

 女神が嫌っているから、と言う理由らしいが真偽の程は(さだ)かでは無い。

 しかし教義である以上、オリビアに刃物を使わせる訳にも行かないため、旅中はノアが料理を担当している。

 ついでに、オリビアは全く料理をしたことがないので、彼女に任せるのが怖いという理由もあるのだが。

 

「それは期待が出来ますね。俺たちは大して料理も出来ないんでお任せしても良いですか? その代わり、夜の見張りは任せてください」

 

 元々仕事の内なんですけどねと笑うトムに、一つ頷き返す。

 

「ノアさん、いつもありがとうございます。でもやっぱり私も練習したいのですが……」

「いつかな。ほら、食おう」

 

 オリビアの提案を遮ると、全員の分を取り分ける。

 干し肉の塩気が強いが、それ以外は程々に美味く出来たと思う。

 芋の茹で具合がちょうど良く、干し肉の旨みと甘みが口の中に広がる。

 香草のおかげで味が複雑になっていて、飽きずに食べ終える事が出来た。

 

 ノアは自分の食事をいち早く済ませると、食器を布で(ぬぐ)った後、少し離れた場所で武具を並べる。

 ガンブレイドと予備のナイフが二振り、それに対魔と対衝撃の魔法が込められた革の部分鎧は昔からの愛用品だ。

 ナイフの研ぎを見てからホルダーに戻し、革鎧に不具合が無いか確認。

 問題は無いようなのでそのまま着直し、ガンブレイドの拳銃部分を分解していく。

 一つ一つの部品を磨いて汚れを落とし、油をさしてパーツを組み直すと、撃鉄を起こしたりシリンダーをカラカラと回してみる。

 特に問題も無く動作確認を終えると、次はカートリッジを詰め直してシリンダーを振り戻した。

 それらは慣れた手付きで素早く行われ、オリビア達が食事を終える頃には全ての整備が完了していた。

 

「ご馳走様でした。私は念の為、周囲に魔物よけの結界を重ねがけしてきますね」

「分かった。俺も行こう」

「はい。ありがとうございます」

 

 彼女が穏やかに笑う。食事を取って緊張が溶けたのか、先程までの余所行きの表情とは違い、ノアの好きないつもの柔らかな笑みだ。

 その事に暖かな気持ちになりながら、しかし彼は表情には出さず、オリビアと共に建物の周囲を歩く。

 所々で魔導式を展開――魔法を使う際の詠唱などを行い、神聖な結界を張り巡らせる彼女に対し、ノアはふと思い付いた事を聞いてみた。

 

「オリビア。俺の二つ名なんだが……そんなに有名なのか?」

「それはもちろん。子ども達でもしっていますよ?」

「その二つ名は誰が付けたんだ?」

「救国の英雄の一人です。『魔法使い』って知ってますか?」

「あぁ。会ったことは無いが、知ってはいる」

 

 救国の十一英雄の一人である『魔法使い』

 その名の通りあらゆる魔法を使いこなし、万を超える魔王軍を一人で壊滅させたという尋常ではない偉業が残る人物だ。

 しかし面識は無いはずだが、何故そのような人物から二つ名を付けられたのだろうか。

 

「あの方は二つ名を送るのが趣味ですから。前に一度お会いした時、私も二つ名を頂きましたよ」

「ほう。どんな名前だ?」

「『神威の代行者(アスモデウス)』と。普段は聖女の通り名の方を使っていますけど」

 

 珍しく苦笑いしながら告げる彼女の言葉に、ノアは首を(かし)げる。

 

「その、なんだ。ファールウィンドとかアスモデウスとかって、どういう意味なんだ?」

「文字に表すと、こうなります」

 

 土に枝で文字を書き込んでもらいそれを見てみるが、やはり彼には意味は分からない。

 腕を組んで(うな)るノアに、オリビアは可憐な微笑みを向けた。

 

「たぶん名付け親以外、誰にも分からないと思いますよ。『魔法使い』は独特な方なので」

「そうか」

 

 その言葉に悩むのを止め、代わりとばかりなかじっとオリビアを見つめる。

 長く美しい銀髪に可愛らしい顔立ち。意志の強さと慈愛を併せ持つ(あか)い瞳。

 華奢(きゃしゃ)で小さな体躯(たいく)は少し力を込めただけで骨が折れてしまいそうだ。

 改めて見てもやはり美少女で、ふにゃりとした柔らかな雰囲気と合わさって人好きする印象がある。

 

 しかし、その心の有り様は誰よりも強い。

 弱者を助け、貧者(ひんじゃ)(ほどこ)す様は正に聖女と言える立ち振る舞いだ。

 ノアはそれをとても尊いものだと感じ、だからこそ守護(まも)りたいと思う。

 

(オリビアの周りは……暖かいな)

 

 しかし本当は、助けられているのは自分の方だ。

 彼女の優しさや気配りに心が癒され、常日頃から幸せそうに笑う姿を見て、ノアも自然と微笑んでいる事に気が付いていた。

 過度に油断する訳では無いが、無駄な緊張を溶かしてくれる。

 まるで春の陽射しのようなオリビアという少女は、やはり聖女と呼ばれるに相応しい人物だと感じていた。

 

 ふと、こちらの視線に気付いたオリビアは、照れくさそうに笑いながら淡い桜色の口を開く。

 

「もう……また見てる。恥ずかしいからやめてください」

「すまない。つい見蕩れてしまっていた。気を付ける」

「うぅ……またそうやって……」

 

 ノアの言葉に頬を紅潮させ、視線を足元に向ける。

 目の前の頭を何となく撫でると、上目遣いで見上げられた。

 まるでキスを求めるような。いや、正にそれを求めて(うる)んだ瞳にドキリと胸が鳴る。

 

「ノアさん、その……」

「分かっている。だが、見られているぞ?」

 

 ノアが親指で背後を指し、オリビアは追うように視線を向ける。

 彼の言う通り、そこではトム達が身を隠しながらこちらを観察していた。

 

「見られるのはあまり良くないのだろう?」

「そうですね……残念ですが、また後でお願いします」

「分かった。また後でな」

 

 普段より速い己の心臓の音に小さな疑問を抱きながらも、ノアは本当に残念そうな様子のオリビアの頭を再度撫でた。

 サラリとした指触りが心地よくて何度か撫でた後、何となく気恥しさが残る空気の中、二人で仮宿の周りを歩きながら結界を張る作業に戻った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19話:襲撃

 

 結界の構築が終わると、すっかり日も暮れてしまっていた。

 二人が連れ立って街道沿いの仮宿の中に入ると、思いの外に中は広く、詰めれば二十人程横に慣れる空間となっていた。

 ノアは壁際に毛布を敷いて寝床を作ると、そちらは使わずに壁に背を預けて座り込む。

 元より旅先で横になる気はない。幾ら見張りがいようと不測の事態が起こらないとも限らないからだ。

 これは傭兵時代からの習慣で、既に身体に染み付いていた。

 

 魔導都市に着いてからの段取りを考えておこうとした時、隣にすとんとオリビアが座ってきた。

 肩が触れ合うか否かの場所。彼女は普段から距離感が近いが、今日はいつも以上に近くなっている気がする。

 

「オリビア。どうした?」

「いえ、特に何かあった訳では無いのですが……ご迷惑でしたか?」

「いや、構わない」

「良かったです」

 

 ぽわんとした雰囲気で柔らかく微笑む彼女に、釣られて笑みを返す。

 

(オリビアは、よく笑うな)

 

 ノアは昔の仲間から、あまり感情が表に出ないと言われた事がある。

 確かに物心が着く前から戦闘が続く日々で、凍てついた心が動く事は少なかったかもしれない。

 今にして思うと、戦っている時のみ感情が(にじ)み出ていたように思える。

 しかし最近、頻繁(ひんぱん)に微笑みを浮かべている自分が居ることに気がついた。

 笑っているオリビアを見ると、心の底から何かが溢れてきて、つい笑ってしまう。

 これは何なのだろうと常日頃から考えてはいるのだが、一向に答えは出ないままだ。

 

「ノアさんは、その……楽しいですか?」

「何がだ?」

「えぇと。私と旅をしていて、です」

「楽しい……俺は楽しいんだろうか」

 

 腕を組んで目を閉じ、考える。

 共に巡礼の旅に出て、自然に笑える時間が増えた。

 オリビアを見ているだけで穏やかな気持ちになる。

 見慣れたものが新鮮に感じ、良いと思うものを彼女と共有出来ると嬉しい。

 つまり、オリビアとの旅を自分は楽しんでいるのだろう。

 その事を自覚し、今度は大きく(うなず)いた。

 

「そうだな。俺はこの旅が楽しい」

「それなら良かったです!」

「オリビアは楽しいのか?」

「私は、幸せを感じています」

 

 簡易的な祈りを捧げながら、彼女は澄んだ微笑みを浮かべた。

 

「ノアさんと旅が出来て、私は幸せです」

「そうか。それは……」

 

 何故だろうか。やはり、オリビアが幸せだと、自分は嬉しいようだ。

 他人の言動に左右された事など無かったのに、彼女が絡むと途端に感情的になる。

 不可解だが、やはり嫌な気はしない。

 これが何なのか、オリビアなら知っているだろうか。

 

「オリビア。聞きたいことがあるんだが」

「ふぇ? はい、なんですか?」

「……上手く説明は出来ないんだが」

 

 前置きを告げた、次の瞬間だった。

 

「敵襲! ゴブリンの群れ、十匹以上だ!」

 

 三兄弟の一人――トムが外から駆け込んで来ながら大声を上げた。

 その言葉にいち早く反応したノアは、抱いていたガンブレイドを手に取り立ち上がる。

 彼と同時に報告を聞いた御者は酷く焦っており、視点を迷わせた後、トムと同時にノアの方へと駆けて来た。

 

「すみません、手を貸してください! 俺達三人じゃ手が回りません!」

「悪いが頼めるか⁉ 俺は魔導都市に助けを求めに行ってくる!」

「必要ない。オリビア、安全な所へ」

「うわわ、わかりました! でも支援魔法を!」

「頼んだ」

 

 ノアの言葉に対して、オリビアは魔法詠唱を歌う。

 

「大いなる女神よ、我が祈りを聞き届けたまえ! 願わくば彼の者に力を与えよ! 身体強化(エクストラブースト)!」

 

 魔導式が展開され、足元に白色に光る魔法陣が現れたかと思うと、ノアの全身が一瞬輝いた。

 身体能力を底上げする魔法。膨大な魔力を持つ彼女が使うそれは、対象者の力を数倍までに跳ね上げる。

 

「助かる!」

 

 その効果を体感し、ノアは出入口へと一直線に駆けて行った。

 

 

 

 外へ出ると、視線の先に(うごめ)く影達が見えた。

 トムが言っていたように十匹は超えている。

 

(ゴブリンの群れは普通、多くても十匹には満たないはずだ。という事は、奥に()()())

 

 ノアは慌てる事も無くアイテムボックスから使い捨ての照明用魔導具を取り出すと、前方に向かって投げつける。

 数秒ほど確保出来た視界。その先に、懸念(けねん)した魔物は居た。

 緑色の肌に耳が大きい所は通常のゴブリンと同じ。

 しかし、子ども程度の背丈しか無い周りのゴブリン達に対して、その一匹は五メートル近い大きさがあった。

 全身が太く筋肉質で、腕等は女性の胴より太い。

 ゴブリンロード。上位種と呼ばれ、冒険者ギルドから災害認定されている魔物。

 王国が一軍を上げて討伐すべき脅威度を誇る化け物がそこに居た。

 

「うわぁっ⁉」

 

 小さな悲鳴を上げたのは三兄弟の内の誰だったか。

 暗がりでは見分けが付かないな、等と悠長な事を考えながら、ノアはガンブレイドを肩に担ぐ。

 

「デカブツは俺が仕留める。小さい奴の足止めは任せた」

「は、はいっ!」

 

 返答を聞くと同時、ノアは旋風の如き速度で距離を詰める。

 闇に溶ける黒衣。そして、鈍く光る刀身。

 上段から斜めに振り下ろされたガンブレイドは、軌跡上に居たゴブリンの首を爆音と共に容易く斬り飛ばした。

 

 鮮血が舞い、硝煙と鉄錆の匂いが漂う。その中を、ノアは身を沈めて更に駆ける。

 刀身が揺らめく度に返り血を浴び、しかし止まることなく斬り進んで行く。

 

 そして、ゴブリンロードとの間に遮るものは無くなった。

 全力で地を蹴り、振り回される巨大な棍棒を避けて懐に潜り込んだ。

 伸び上がるように斬り上げ。棍棒の根元に触れる寸前に、トリガーを引く。

 炸裂音が暗闇に(ひび)き渡り、するりと刀身が滑り込んだ。

 勢いが付いていた棍棒の片割れは彼方へと飛び去り、街道の乾いた地面に突き刺さる。

 その頃には既に、黒衣の青年はガンブレイドを構え直していた。

 

 轟音。光を反射した横薙ぎの一閃は、巨大な化け物の腕を斬り飛ばす。

 

「ギャルグァァァ!?」

 

 怒りを(あら)わにして暴れ狂うゴブリンロード。

 しかし粗雑な攻撃などノアに届かず、周囲に居たゴブリンをなぎ倒す結果となった。

 その致命的な隙を突き、跳躍。

 

 自身の二倍以上大きな化け物の首を、闇夜に(とどろ)く爆発音と共に一撃で刈り取った。

 立ち上る血飛沫。月に映える刀身。闇に溶ける黒衣。

 

 ノアは勢いを緩めず、奥で弓を構えていたゴブリン達へと襲いかかる。

 一斉に放たれた矢は軌道を読んで刀身で弾き、間合いに入った瞬間に破裂音。

 数匹の胴を瞬時に斬り裂いた。

 

(あと何匹だ? 早く殲滅(せんめつ)しないと、オリビアの身に危険が及ぶ……!)

 

 守護るべき者を想いながらシリンダーを振り出して排莢(はいきょう)、じゃらりと落ちる空薬莢が地に着く前に再装填(リロード)を済ませ、ノアは更に躍動する。

 

「すげぇ!」

「なんだあの動き⁉」

「あれが『残響の剣舞(ファールウィンド)』か……!」

 

 ゴブリン達を牽制しながら三者三様に驚きの声を上げるトム達。

 その声に応える事無く、ノアは見る間に加速していく。

 乱打される大太鼓のように腹に響く轟音。

 風に舞う木の葉のように縦横無尽に走る斬撃。

 彼がガンブレイドを振る度に、敵の数が目減りしていく。

 時折散りばめられる空薬莢が宙に飛び散り、ジャラジャラと音を立てながら、鈍い輝きを放つ。

 

 その様は正に圧巻。英雄譚に歌われる者の戦いは、やはり物語のようだった。

 

 やがて最後の一匹を斬り殺し、ノアがガンブレイドの刀身に着いた血を振り落としながら静かに呟く。

 

「時間を掛けすぎた。訓練が足りないか」

 

 その言葉に、三兄弟は唖然(あぜん)とした表情で彼を見つめるのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20話:旅宿

 

 ほぼ全ての敵をノア一人で倒してしまったので、三兄弟は後始末は引き受けるからと彼に宿に戻ってもらうことにした。

 護衛依頼を受けているのに大した事が出来なかった事に関して、若干(じゃっかん)の責任感を覚えたようだ。

 トム、タム、テムは魔物から討伐部位――犬歯を切り折ると、街道の外に穴を掘って死骸を埋めていく。

 放っておくと臭いに引かれて他の魔物が寄ってくるため、倒した魔物は素材や討伐証明部位だけを残し、後は穴を掘って埋めるのが冒険者の常識である。

 しかしゴブリンロードの遺骸は特に大きく、三人で引き摺るだけでも一大事で、彼らはくたくたになりながら旅宿へと戻る事になった。

 

 旅宿の中に入ると、上半身裸になったノアの身体をオリビアが拭いている姿が目に入った。

 優しげな微笑みを浮かべながら大きなタオルで丁寧に拭う様は、まるで母と子のようだ。

 

「ノアさん、あんまり無茶はしないでくださいね」

「大丈夫だ。オリビアに問題が無さそうで良かった」

「もう……困った人です」

 

 嬉しそうに彼の上半身をワシワシと拭くオリビアと、彼女の好きなようにされているノアの二人に苦笑いしながら、三兄弟は自分たちも汚れを清めることにする。

 革鎧を脱ぎ捨て、濡らした布で武具を拭おうとした時、不意に聖女の歌声が聞こえた。

 

「大いなる女神よ、我が祈りを聞き届けたまえ。願わくば彼の者達に癒しの奇跡を……回復魔法(ヒール)

 

 その詠唱に応じ、空気中に漂い出した光が彼らの身を包み込む。

 優しい木漏れ日のような光は彼らの汚れや疲れを全て消し去っていった。

 

「皆様もお疲れ様でした。まだ痛む所があれば教えてくださいね」

「うわぁ……ありがとうございます!」

「私からのせめてものお礼です」

 

 女神のように微笑むオリビアに頭を下げて礼を告げた時、トムはある事に気付いた。

 

(……なんで、ノアさんを拭いてるんだ?)

 

 優しげに慈しむようにノアを拭き続けるオリビアに、ふとした疑問を抱く。

 自分たちと同じように魔法で清めてしまえば良いだけだと思うが、何か自分たちのような一冒険者には分からないような事情があるのだろうか。

 何にせよ、楽しそうに(いそ)しむ彼女を止める理由も無く、首を傾げながらもトムは装備の点検を始めるのだった。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

(うぇへへぇ……ノアさんの匂いを特等席で!)

 

 無論、そんな小難しい事情など何も無かった。

 オリビアは至近距離で彼の火照った身体を撫で回し、余すこと無く堪能しているだけである。

 

 (よど)みの無い手付きからは邪念など感じられず、むしろ神々しい儀式を行っているようにすら見える。

 小さな所作ですら教会で訓練していた為、その心を外から推し量ることは魔法でも使わない限り不可能だ。

 

(ありがとう女神様! 本当にありがとうございます!)

 

 心の中で感謝の祈りを上げ、(くすぐ)ったそうなノアの背筋を指で撫で上げる。

 つ、と指を動かす度に筋肉がぴくりと動き、その反応に愛おしさを感じながら、抱き着きたい衝動を何とか抑え込んでいた。

 この場にはノアの他に冒険者や御者が居る。

 下手なことをすれば噂が広がり、旅が取り止めになってしまうかもしれない。

 大胆に攻めるのは二人きりの時だけと自分の中で決まりを作り、それでも抑えきれない欲望はこうやって僅かずつ発散していた。

 

 他にも色々と。よろけた振りをして抱き着いたり、彼の手元を後ろから覗き込みながら抱き着いたり、誤って彼の使用済みのカップから白湯を飲んだり。

 思い付く限り全て、けれど不自然に思われない程度の頻度で、彼女はノアとの触れ合いを行っていた。

 

(あああ! 半裸のノアさんが目の前に! 頬擦りしたいぃぃ!)

 

 オリビアのフェチズムに突き刺さる肉体美。

 細身ながらもしっかりと筋肉の着いた背中。

 時折漏れる、安堵しきった低く甘い溜息。

 ふわりと揺れる黒髪はまるで大型犬のようで、モフモフと撫で回したくなる。

 

 しかし、我慢だ。我慢するしかない。

 他人の目が無ければ何かと理由を付けて「お願い」する所だが、生憎(あいにく)と今は旅の連れ立ちがいる。

 彼と甘い一時を過ごすにはあまりにも適していない。

 

(ぐぬぬ。今日はキスもお預けですね……)

 

 煩悩に塗れた聖女は心の中で唇を噛む。

 残念だが、仕方あるまい。

 代わりとばかりに丹念に彼の身体を拭き上げると、最後にひたりと背中に両手を付けた。

 数秒程ノアの体温を感じ、すっと手を離す。

 

「ノアさん、終わりましたよ」

「ああ。いつもすまないな」

 

 振り返り、笑いながら礼を言うノアに胸が高鳴るが、やはり外側は自然体に。

 湧き出る性愛を完全に隠し切り、オリビアは聖女の笑顔を返す。

 

「やりたくてやっている事ですから」

 

 黒いインナーを着る姿を惜しみながら、脳内で先程までの蜜月を繰り返す。

 今夜寝る時も傍に居てもらおう。

 そう決意し、彼の革鎧を手渡すオリビアだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21話:継続

 

 翌朝。いつも通り誰より早く目覚めたノアは、簡単に武具の整備を行った後に外へ出て、全員分の朝食を作り出した。

 簡素な物で、豆と芋を捏ね合わせたパンに茹で玉子、それに村で買っておいた紅茶。

 時間を掛けずに食べられて、腹持ちも良い。

 味はそれなりだが、旅の食事としては十分だろう。

 

(傭兵時代に(つちか)った経験も案外役に立つものだ)

 

 こんな質素なものでさえ、オリビアは喜んで食べてくれる。

 その光景を思い出しながらパンの表面を焚き火で(あぶ)っていると、馬車の御者が旅宿から出てきた。

 

「おはようさん。昨日はありがとな。流石に死んだと思ったわ」

「オリビアのおかげだ。俺一人ならもっと時間がかかった」

「単独でも倒せるのかよ。滅茶苦茶だなアンタ」

 

 御者は苦笑いしながら腰に提げたアイテムボックスに手を入れ、小さな箱を投げ渡してきた。

 

「命の礼には足りないが、受け取ってくれ。貴重な物だし護衛料代わりにはなるだろ」

「分かった。だが、これは何だ?」

「魔導都市で貴族の間で流行ってる香木だ。女はこれが好きらしいからな。魔導都市の宿で()いてやると良い」

「そうか。ありがたくもらっておく」

 

 小箱を自身のアイテムボックスに収納し、代わりに炙りたてのパン等を皿に移して渡してやる。

 

「今日も美味そうだな。ありがてぇ」

「出来れば早めに出よう。雲行きが悪い」

「確かにこいつぁ雨が降るかもな。食ったらすぐに準備するわ」

「頼んだ」

 

 二人して黙々と朝食を食べ進める。

 豆と芋のパンはそれなりに出来が良く、パリッとした食感の後に甘みと旨みが口の中に広がる。

 茹で玉子に塩を振ってを(かじ)り紅茶で流し込むと、ノアはすぐに旅宿の中へと戻った。

 

 壁の近くに居たオリビアは既に身支度を済ませており、こちらを見つけると嬉しそうに小走りで駆け寄ってきた。

 

「おはようございます。昨晩はお疲れ様でした」

「問題ない。外に朝食を用意してある」

「ノアさんはもう食べちゃったんですか?」

「ああ。出立の準備を終わらせるから食べてくると良い」

「むぅ。一緒に食べたいっていつも言ってるのに……」

 

 小さく(ふく)れながら言うオリビアの頭を撫でながら微笑む。

 彼女は朝が弱い訳では無いが、特段強い訳でもない。

 旅の疲れもあるだろうから起こさなかったのだが、逆効果だったようだ。

 

「次からはそうしよう。今日のところは我慢してくれ」

「分かりました。約束ですからね?」

「ああ、約束だ」

 

 互いに笑い合い、オリビアを見送った後にノアは敷いていた毛布などを片付ける。

 大した荷物を出していた訳でも無いのですぐに終わり、オリビアの後を追おうとした時、後ろからトムに声をかけられた。

 

「ノアさん。どうやったらノアさんみたいに強くなれますか?」

 

 昨晩と同じく真剣な声色。何か思うところがあったのだろう、彼の顔は切羽詰まった表情が浮かんでいる。

 ノアはその問いに数秒ほど真剣に悩み、結局一言だけ返した。

 

「日々の訓練だ」

 

 そうとしか言いようがない。

 ノアに戦いの才能は無かったが、努力を(おこた)らない才能を持ち合わせていた。

 空き時間があれば剣を振るい、敵の攻撃を躱す練習を行う。

 オリビアと出会う前はそれこそ一日中、寝る間も惜しんで訓練していたし、今でもオリビアが離れている間はそうして技術を研鑽(けんさん)している。

 

「剣を振れ。常に考え続けろ。そうすれば生き残ることができる」

 

 傭兵時代からの信条だ。それを続けてきたからこそ今のノアがある。

 生き残るため。今まではそれが第一だった。

 

「特別な事は無いんですか?」

「無い。常に備えるこたと。俺にはそれしかない」

 

 自分を。仲間を。そして何よりオリビアを守護(まも)る為に。

 決して(おご)らず油断しない。

 ノアにはそれしか出来なかったし、それをずっと続けてきた。

 それは恐らく、これからも。

 

「なるほど……簡単には行かないものですね」

「或いは、そうだな。俺には良く分からないが、魔法を学ぶのは良いかもしれない」

「……え?」

 

 きょとんとした顔のトムに、さらに続ける。

 

身体強化(ブースト)という魔法がある。それを使えれば今より強くなれるだろう」

「いや、その。ノアさんは使ってないんですか?」

「ああ。俺に魔法の才能は無いからな」

 

 オリビアと出会うまで魔法の類とは無縁だった。

 精々が魔導具――魔法を使うための魔導式が刻まれた、魔力で動く道具を使用するくらいだ。

 何でも、頭の中で魔導式を組み立て演算することにより、魔力の性質を変えて様々な効果を生み出すのが魔法、らしい。

 ノアには全く理解できなかったが、便利なものであるのは確かだ。

 

 しかしトムの言葉に込められた意味は違った。

 身体強化(ブースト)は子どもでも使える程に簡単な魔法で、ほとんどの人間が使うことができる代物だ。

 それをまさかノアが使えないとは思いもよらなかった。

 と言うことはだ。

 彼が傭兵時代に成し遂げた偉業――百対二千の兵力差がありながらも敵を殲滅(せんめつ)したり、(おとり)のはずの傭兵団だけで城塞と化した都市を攻め落としたりといった事を生身で行っていた事になる。

 

(はは……滅茶苦茶な話だな、これ)

 

 繰り返すが、ノアに戦いの才能は無い。

 物心が着いた時から続けてきた(たゆ)まぬ努力。幾度と無く乗り越えてきた死線。そして様々な傭兵達を師として得た知識。

 それらの積み重ね、努力のみでノアは形成されていた。

 

「他に聞きたいことはあるか?」

「い、いえ……ありがとうございます」

「そうか。では先に出ている」

 

 言い残し、ノアはオリビアの元へと向かった。

 様々な事柄を犠牲にして得た力。

 生きる術でしか無かったそれは、彼女と出会ったことでついに意味を成した。

 

(今までがあったからオリビアを守護(まも)る事が出来る)

 

 関わった全ての者に感謝しながら、彼は急ぎ足で馬車へ向かった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22話:魔導都市

 

 旅宿を出て数時間。出発後にぽつりぽつりと雨が降り出し、本降りになる頃に魔導都市に着く事が出来た。

 雨の降りしきる中で(そび)え立つ巨大な外壁。

 灰色の壁は所々に照明用の魔導具が設置されており、雨の中でも白色の壁をぼんやりと照らしている。

 普段は街門の前には入場許可待ちの列が出来ているのだが、今日は雨のためか人も少なく、すんなりと街に入ることが出来た。

 入口のすぐ近くにある馬車の停留所で降りて、オリビアと二人で雨避けの為に外套を羽織(はお)る。

 

 元々ノアの予備として用意していたフード付きの厚めの外套は、オリビアの姿をすっぽりと覆い隠してしまっている。

 濡れる事は無いだろうが、小さめな背丈と華奢(きゃしゃ)な体型が合わさって、特に薄暗い場所では子どもにしか見えない。

 その自覚があるのか、少し不満げなオリビアの頭に何となく手を乗せ、御者に向き直る。

 

「世話になったな」

「こっちこそ、本当に助かったぜ。アンタは俺の英雄だ」

「英雄か。荷が重い話だ」

「ゴブリンロードを倒しておいてよく言うぜ」

 

 苦笑いする御者に手を伸ばして握手を交わすと、トム達三兄弟に振り返った。

 軽く握った拳を上げ、無表情でノアが言う。

 

「お前たちも。旅の間、退屈せずに済んだ」

「一応俺たちは護衛依頼だったんですけどね」

 

 何とも言い難い表情を浮かべながらノアの拳に己の拳をぶつけるトム。

 拳を当てるのは冒険者にとってメジャーな挨拶だ。

 共に頑張ろう、お疲れ様、といった意味が込められている。

 しかし一番の功労者に(ねぎら)われ、彼は複雑な心境のようだ。

 

「俺たちは宿をとって冒険者ギルドに行く予定だが、お前たちはどうする?」

「飯を食ったらすぐに出発です」

「そうか。幸運を祈る」

「ありがとうございます! では!」

 

 雨の中で元気よく走っていく三人を見送った後、ノア達は大通り沿いにある宿屋へと向かった。

 

 

 宿の外観はとても綺麗で、建築されて数年も経っていないように見えた。

 ツルツルした白い壁は照明用魔導具の光を反射して輝いているし、木製のドアも艶がある。

 だが少なくともノアが十年前に魔導都市に訪れた時には既にこの宿は営業していた。

 魔導都市なだけあって何らかの魔法が使われているのだろう。

 

(不思議なものだ。魔法とはやはり、便利だな)

 

 思いながら新築のような宿のドアを開けると、その瞬間いきなり喧騒が訪れた。

 魔法で遮音してあったのだろう。外に居る時には何も聞こえなかったので少し驚いた。

 中は一階が食堂、二回が宿と別れているようで、時間帯的に客が夕飯を食べているのだろう。

 ノアも何か腹に入れたいが、それより先に部屋を取らなければならない。

 オリビアと共に受付に向かうと、奥から猫の亜人――猫耳に猫尻尾の生えた幼い少女がパタパタと走ってきた。

 

「こんばんは! えぇと、部屋は一室しか空いてないですが、大丈夫ですか?」

 

 背伸びをしながらカウンターの上の台帳を取り、中身をめくりながら聞いてくる。

 家の手伝いだろうか。この歳で様になっているのは凄いなと思いながらも、ノアは平然とした顔で答えた。

 

「構わない。二泊頼む」

「分かりました! 部屋は二階に上がって一番奥です! タオルはサービスしておきますね!」

「すまない、助かる」

 

 二枚の大きめのタオルを渡されながら濡れた外套を脱ぎ、しかし二枚ともオリビアに渡す。

 微笑みながら受け取った彼女は自身の顔や髪を拭いた後、背伸びをしながらノアの頭をワシワシと拭いた。

 その姿に少女は興味深そうな顔をしていたが、食堂の奥から呼ばれてすぐに走って行ってしまった。

 残されたノアたちは目の前の階段を上り、言われた通り一番奥の部屋に入る。

 

 豪華では無いが、中々に良い部屋だった。

 隅の方にベッドが一つあり、向かい側には文机。

 それだけの部屋だがそこそこ広さもあり、二人で滞在するには十分と言える。

 

「ふぅ。ノアさん、お疲れ様でした」

 

 部屋の中で一息吐いて、オリビアはノアに微笑みかける。

 ほんのり上気した頬が愛らしく、(きら)びやかな銀髪も合わさって正に女神のような有様なのだが、ノアは彼女の体調を気にすることで精一杯だった。

 馬車での旅とは言え、揺られっぱなしでいるのも体力を使う。

 華奢(きゃしゃ)なオリビアが疲れていないか、それが心配だった。

 

「オリビア。少し休んでいくか?」

「お腹も空いちゃいましたし、先にご飯を食べに行きましょう」

「そうか。無理はするなよ」

「もう……私も少しは鍛えてるんですからね?」

 

 不安げに言うノアに対してオリビアが頬を膨らませながら返す。

 戦う事は出来ないが、これでも一般の人よりは鍛えてある。

 たかが数日程度の旅など何ら問題は無いのだが、それでもノアに心配されること自体は嬉しく感じていた。

 

「ほら、早く行きましょう! お腹ぺこぺこです!」

 

 両手でノアの左手を引いて、無邪気に笑う。

 その様にノアは心が(たかぶ)るのを感じたが、やはりどのような感情なのかは分からない。

 だがそれを心地よいと思い、楽しそうなオリビアに笑みを返しながら、引かれるままに彼女に着いて行く事にした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23話:宿の夕飯

 

 宿の夕食は、旅の途中とは比べるまでもない程に豪勢だった。

 かと言って決して高価な物ではない。

 生野菜を盛り付けドレッシングをかけたサラダに、具材がゴロリと入ったクリームシチュー、それにオーク肉の入った肉野菜炒めと、白パンが二つ。

 あとは、別途で注文した麦酒(エール)蜂蜜酒(ミード)

 一般的な夕食のようなメニューだが、基本的に保存食しか食べられない旅路中には望むべくも無いメニューだった。

 ノア達のような旅人からすると、特に生野菜は人の生活圏に入らなければ食べることが出来ない貴重な物だ。

 有難みを感じながら、ノアはまずサラダに手を付ける事にした。

 

 彩りは鮮やかで、葉野菜やトマト、それに黒人参が生のまま盛り付けられている。

 金属製のフォークを突き刺すと固めな手応えを返してくれた。

 そのまま、口に運ぶ。

 シャキっとした葉野菜の軽やかさと瑞々しさに、黒人参のカリコリとした食感。

 次いでトマトとドレッシングの甘酸っぱさが口の中に広がる。

 胡椒と酢の香りが鼻を抜け、口の中がサッパリとした。

 

 次に選んだのは薄らと湯気の立つクリームシチュー。

 冷えきった体には嬉しい一品だ。

 ホワイトソース特有の甘い香りを嗅ぎながら木製のスプーンで中身を掻き混ぜ、まずは具無しで一口。

 甘い。それでいて深く、多数の具材の味が絡まりあった複雑な味だった。

 見たところジャガイモと人参と一口大の塊肉が入っているが、タマネギの風味も感じる。

 時間をかけて煮込んだのであろう、手間を感じるシチューだ。

 

 更に食べ進め、シチューで温まった体が次に求めたのは、肉。

 豪快に盛られた肉野菜炒めからは、異世界から伝来したショウユの香りがする。

 わざと焦がして風味を増した肉に、フォークを突き立てる。

 じゅわり、と肉汁が溢れたことに、ノアは小さく驚いた。

 ステーキならまだしも、このサイズで肉汁が出るなんて尋常ではない。

 期待を孕んで口に入れると、肉の脂と旨みが欲求を満たしてくれた。

 下処理を的確に行っているのだろう。

 臭みは無く、とても食べやすい。

 他の野菜と同時に突き刺し、咀嚼(そしゃく)して飲み込んでは次を求めた。

 

(ああ、美味いな。この店は当たりだったか)

 

 気持ち穏やかな顔付きになったノアを見て、オリビアも微笑みながら白パンをちぎって食べる。

 ふわりとした柔らかな感触。

 仄かに甘く、暖かく、香ばしい麦の香りがする。

 買い置きした物ではなく、この店で焼いているのだろう。

 保存性に特化した黒パンとは違い、味を重視した白パンをモグモグと食べ進めると、蜂蜜酒(ミード)の入った小さなジョッキを傾ける。

 

 濃厚な蜂蜜の香り。甘く蕩ける口当たりで、甘党なオリビアにとって堪らない一口だった。

 飲みやすく、アルコール度数が低いそれは女性に人気があるようで、店の大半の女性客は同じミードを頼んでいるようだ。

 オリビアは楚々とした仕草でジョッキをテーブルに戻すと、自分の前にあったシチューと肉野菜炒めの皿をノアに寄せる。

 彼は一度オリビアを見た後、黙々とそれを食べ進めた。

 

 彼女は小食な為、パンとサラダだけですぐに満腹になってしまう。

 なので食べきれない分はいつもノアに渡し、彼が食べるのを見守るのが習慣化していた。

 無言無表情ながらも、オリビアから見ると彼が喜んで居るのが分かる。

 犬系亜人のように尻尾があれば、それをブンブンと横に振っているだろう。

 

 その様がとても愛おしくて、不気味な笑い声が漏れそうになるのを硬い意志の力で押し殺した。

 

(ノアさんが! 一生懸命食べてるぅ! 可愛い! ナデナデしてペロペロしたい!)

 

 若干、息が荒い。

 衝動を完全には抑え切れておらず、何度か腕がピクリと動いていた。

 

 その様子にノアは気が付いていたが、やはり彼女は体調が優れないのだろうと思い、夕食を早く終わらせて休ませてやろうと食べる速度を上げていた。

 その様子が必死に食べているように見え、オリビアは心の内で密かにエキサイトしている。

 やがて全ての料理を食べ終えると、ノアは麦酒(エール)を一気に飲み干す。

 喉越しが最高に美味く、ふぅ、と思わず一息ついた。

 

「すまない、待たせた。行こうか」

 

 心の中でハートマークを乱舞させていたオリビアはその一言で正気を取り戻すと、優しげな微笑みを浮かべながら布巾で彼の口元を拭う。

 大して汚れていた訳でもない。ただノアに触れたいが為の行動だ。

 しかしそれがノアに伝わるはずも無く、何となく気まずそうな顔でされるがままになっていた。

 

 やがてオリビアは布巾を戻すと、テーブルに置かれたノアの大きな手に自分の手を重ねた。

 その一瞬でするすると指触りを楽しみ、何を言うでもなく立ち上がる。

 

 こういったセクハラめいたやり取りも日常的に行われているが、ノアは彼女の行動には何らかの意味があるのだろうと、その行為を受け入れていた。

 

「では戻りましょうか。体を清めなければいけませんし」

「あぁ、頼んだ」

 

 ノアが笑顔で答えると、オリビアは感情の昂りにピクリと震えた後、彼の手を取って軽い足取りで二階の自室へと戻って行った。

 

 そしてオリビアはスーパーお楽しみタイム(清拭)を堪能した後、いつもの部屋着(ノアのシャツ)に着替えて就寝。

 ノアはいつも通り壁に背を預け、ガンブレイドを懐に抱いたまま眠りに着いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24話:雑貨店アメリア

 

 翌朝には雨が止んでおり、窓の外には不思議な街光景が広がっていた。

 どの建物も奇妙な形で、滑らかな白色をしている。光沢のあるつるりとした見た目もあって、まるで角張った大きな真珠のようだ。

 その真珠は地上だけでは無く、空にもたくさん浮いている。

 ぷかりと海の泡のように並ぶそれらが居住用の家で、地上に並んでいるのは全て店舗なのだと、昔ノアは聞いたことがあった。

 街の各所に転移用の魔導具が設置されており、それを使用して家の出入りを行うらしい。

 そんな他の街とは大きく異なる街並みに、オリビアは宿の前で目を輝かせながら歓声を上げる。

 

「ノアさん! なんか浮いてますよ! ぷかぷかって!」

「あぁ、浮いているな」

 

 魔法の事に詳しくないノアからすれば、ふとした拍子に落下してくるような気がして落ち着かない光景だ。

 しかしオリビアが特に警戒して居ないことから、特に問題は無いのだろうと結論付けた。

 それに何より、オリビアが楽しんでいるならそれで良い。

 

「オリビア。今日は買い出しを行う予定だが、少し散策してみるか?」

「そうしましょう!」

「では手早く済ませるか。店はすぐ近くだ」

「はい!」

 

 テンションの高いオリビアを連れ、ノアは記憶の中の地図を頼りに歩き出した。

 店主は傭兵時代の仲間で、貴重な魔導具なども含め何でも取り扱っている店だ。

 色々な物があるからオリビアが喜ぶかもしれないな、と思いつつ、その光景を想像して若干顔が緩んでいた。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 ノアの知り合いがやっていると店に着いた瞬間から、オリビアは不穏な空気を感じていた。

 入口には「雑貨店アメリア」と書かれた看板が下げられており、明らかに女性の好みそうな華やかな装飾が施されている。

 もしやと思い警戒しながら店内に入ると、そこには予想通りに少女が立っていた。

 

 空のように澄んだ青色の髪、ラピスラズリのような瞳。

 背は低く華奢な体つきで、まるで成功な人形のようだ。

 独特なデザインのモノクロなメイド服を着ているが、幼い顔とは不釣り合いに胸がかなり大きい。

 胸元が開いたデザインのせいでそれがより強調されていて、つい目線が向かってしまいそうになる。

 頭に飾られているのは愛らしいヘッドドレス。淡いピンクの花飾りが印象的だ。

 同性から見ても魅力的な彼女を前にして、少女としてのオリビアから聖女としてのオリビアに頭を切り替えた。

 これは強敵だ。気を引き締めなければならない。

 特に胸だ。彼女は自分には無い破壊力を持っている。

 

 少女はオリビア達の姿を見ると、イタズラめいた笑みを浮かべながらこちらに歩み寄って来た。

 

「あら、久しぶりねご主人様。今日はどうしたのかしら」

「アメリア。いつものやつを頼む」

「喜んで。少し待っていてね」

 

 アメリアと呼ばれた少女は笑顔のまま一旦店の奥に入ると、何やら大きな箱を持って戻ってきた。

 カウンターに置かれたその箱の中には、ノアが使っている金属の筒や黒色火薬がぎっしり詰められている。

 しかしオリビアが気になったのはそちらでは無い。

 

「ご主人様? ノアさん、こちらの方とはどのようなご関係なんですか?」

「あぁ、彼女はアメリアだ。元傭兵仲間で……何だったか。アメリア、俺たちの関係を前に何か言ってたろ」

「ご主人様と肉奴隷よ」

 

 アメリアがクスクスと笑いながらそう言った。

 ピシリと。オリビアの表情が凍り付く。

 いま何かおかしな単語が聞こえた気がする。

 再びアメリアの全身を見る。

 華奢で顔立ちは幼いが、メイド服を押し上げる胸は大きく、アンバランスながらも非常に魅力的な少女だ。

 確かに男性はこういう女の子が好きだと聞いたことがある。

 だが、さすがに聞き間違いだろう。そう願いながらオリビアが口を開く。

 

「えぇと、どういう意味なのでしょうか」

「すまないが意味は分からない。誰かにアメリアを紹介する時はこう言えと頼まれている」

 

 ノアのその言葉に、オリビアは女神のような微笑みを浮かべたままアメリアに向き直る。

 

「アメリアさん。そのような事を吹聴するのはあまり良くないですよ?」

「将来的にはご主人様専用のぷにあなになるから大丈夫よ」

「ぷにっ……⁉」

 

 いきなりの爆弾発言にオリビアが言い淀む。

 知識としてそういう嗜好があるのは知っていたが、自ら呼称するとは思いもしなかった。

 

「アメリア。いい加減その言葉の意味を教えてくれないか?」

「あら。じゃあ今晩私の部屋に来てくれる? 全部教えてあげるわよ」

「今晩か。オリビアも一緒なら構わないが」

「ノアさん⁉」

「ご主人様の初体験が三人でっていうのも楽しそうね。私は構わないわ」

「アメリアさん⁉」

 

 予想の斜め上を行く会話にオリビアが声を荒らげる。

 彼女としては非常に珍しく、と言うよりは物心が着いてから初めて、聖女の皮が外れかけていた。

 

「あら、冗談よ。ご主人様は何も理解していないでしょうし。それに貴女も未開封でしょう?」

「みっ⁉」

 

 両手を口元に当ててくすくす笑うアメリアに、咄嗟に言い返そうとするが上手く言葉が出て来ない。

 オリビアはこのような話を他人とした事がない為、勝手が分からないでいた。

 混乱する頭の中で必死に考え、とにかく自分の想いを主張しなければと口を開く。

 

「ノアさんは私のパートナーです!」

 

 咄嗟に放たれたその言葉に、ノアの胸に暖かなものが宿る。

 オリビアからパートナーと呼ばれた。それがとても嬉しい。

 何の話をしているかは全く分からないが、二人が楽しそうにしているから問題は無いのだろう。

 無垢な青年はそのように考え、負けられない戦いに挑むオリビアに柔らかな笑みを向けていた。

 

 アメリアはその事に気が付いて居たが、オリビアは位置的に見えないようだ。

 敢えて言及せず、まるで小悪魔のように笑う。

 

「パートナー。素敵な言葉だけれど、夜の相手を出来ないのならダメじゃないかしら」

「私たちはプラトニックな関係なんです!」

「若い男女が二人きりなのよ? オリビアさんが頑張らないといけないわ」

「私だって頑張っています! 色々と!」

「あら、そうなのね。ふぅん……ねぇオリビアさん?」

 

 くすくすと笑いながら、アメリアが一つの提案をする。

 

「良かったらご主人様の事を色々と教えてあげましょうか? 昔の話とか、聞きたくない?」

「是非よろしくお願いします!」

 

 オリビアが勢いよく頭を下げる。

 それはもう清々しい程の手のひら返しだった。

 

「でしたら、主人様は店番をお願いできる? 女の子だけの秘密のお茶会をしたいの」

「俺は構わないが……オリビア、大丈夫か? よく分からないが、無理をする必要はないからな?」

「えぇ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 

 一瞬で聖女らしさを身にまとったオリビアが微笑む。

 そのいつもの表情に安心したノアはカウンターの奥に座ると、オリビアの前でしか見せないあどけない笑みを浮かべた。

 

「俺の事は気にするな。何かあったら読んでくれ」

 

 オリビアは彼の子犬のような表情を見て、思わず抱きしめそうになるのを堪える。

 すると次いで、彼はアメリアに真剣な顔を向けた。

 

「アメリア、オリビアの事を頼む」

「あら、良いの? 私がオリビアさんを襲うかも知れないわよ?」

「からかわないでくれ。アメリアがオリビアを傷付ける訳が無いだろう」

「そういう意味ではないのだけれど……まぁ良いわ。さぁ聖女サマ、こちらへどうぞ」

 

 幼い姿に似合わない妖艶な笑みを浮かべ、アメリアはオリビアの手を引いて店の奥へと姿を消して行った。

 それを見届けた後、ノアはカウンターに置かれた荷物を手に取り、真剣な顔で中身の確認を始めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25話:盗人

 

 少女たちが密会を行っている時、ノアは受け取った品物の確認を行っていた。

 黒色火薬の入った油紙の包みを手に取り、手作業で一つずつ薬莢に詰めていく。

 自身の命を預ける武器のパーツだ。ここで手を抜く訳にはいかないし、この作業を誰かに任せるつもりもない。

 一つのミスで人間は簡単に死ぬ。それを知っているからこそ、ノアは慎重に作業を進めていた。

 

(相変わらず質の良い品を揃えてあるな。さすがはアメリアだ)

 

 少しばかり値は張るが、彼女はいつも最上級に近い代物を用意してくれる。

 その点も含めて、ノアはアメリアをかなり信用していた。

 少なくとも、命を同じくらいに大事に思っているオリビアを任せるくらいには。

 

 そしてだからこそ、見逃せないものがあった。

 

「そこの男。何をしている」

 

 店の中に音も無く入り込んできた小汚い装いの男を見据え、ノアが剣呑な表情で言葉を放つ。

 

「旦那、あっしは何もしてませんぜ」

 

 愛想笑いを浮かべる男に、しかしノアは鋭い視線を向けたまま告げた。

 

「その懐に入れた物を置いておけ」

「……ちっ!」

 

 舌打ちして入り口に向かって走り出す男、その右足に。

 

「警告はしたぞ」

 

 ノアの投げたナイフが鋭く突き刺さった。

 

「うぎゃあ!」

 

 成す術もなく倒れこんだ男に歩み寄り、足で仰向けに転がす。

 その際に男の懐から黄金色の球体が転げ落ち、ノアはそれを拾い上げた。

 

「選べ。憲兵に突き出されるか、ここで腕を切り落とされるか」

「ひぃっ! か、勘弁してくだせぇ! 出来心だったんでさぁ!」

「出来心か。その割には手馴れていたな」

 

 もはや話すこともないと言わんばかりに、ノアはカウンターに置いていた大ぶりのナイフを手に取る。

 薄暗い照明を反射して鈍く光る刀身を見て、男は笑いながら両手を上げた。

 

「分かった、腕を落とされちゃ叶わん。憲兵を呼んでくれ」

 

 演技は通じないと理解したのだろう。男は先ほどまでの哀れな姿を捨て、不敵に言い捨てた。

 その姿を見てノアは一瞬考えると、ある疑問を男に投げかけた。

 

「お前に聞きたいことがある」

「何だ? 身の上話でも聞いてくれるってのか?」

「それに近いな。お前は何故この店を狙ったんだ? 一般人にはこの店の品物はガラクタにしか見えないだろう」

「そんな事か。俺は元々王宮勤めの魔術師だから、魔導具の目利きが出来るんだよ。一週間前に同僚に騙されて職を失っちまったけどな」

 

 男が苦笑いを浮かべる。その姿に嘘はないと判断したノアは、アゴに手を添えて考えた。

 ここでこの男を殺すのは簡単だし、憲兵に突き出してしまえば話はそこで終わりだ。

 だが、オリビアならどうするか。

 あの心優しい聖女なら、この男をどうするだろうか。

 

「……ちょっと待っていろ」

 

 応急処置用の包帯と廉価品の治療ポーションを投げ渡すと、店の奥に繋がっている会話用魔導具を手に取る。

 

「アメリア。前に人手が足りないと言っていたな」

「えぇ、それがどうかしたのかしら?」

「盗人を捕らえた。こいつを雇わないか?」

「ご主人様が言うなら、そのように」

 

 一秒たりとも間を開けずに返されたアメリアの言葉に、男は驚愕の表情でノアを見つめていた。

 

「おい、何を考えているんだ。俺は盗人だぞ?」

「もちろん魔導具を使った制約を行ってもらう。違えれば首が飛ぶ代物だ」

「それは使い捨ての高い魔導具だろう。なぜ俺にそこまでする?」

 

 困惑した様子の男に対して、ノアは何の感情も浮かんでいない目を向ける。

 なぜ。そう聞かれてしまえば、答えは一つしかない。

 自分としては殺してしまった方が後腐れがないように思える。

 だが、それはオリビアの望む結末ではない。

 あの心優しい聖女ならば、この男にも赦しの機会を与えるだろう。

 

「俺の決定じゃない。聖女オリビアの意思だ」

「聖女様だと? まさかお前、聖女様と知り合いなのか?」

「違う。俺は、オリビアのパートナーだ」

 

 それまでの不愛想な顔とは異なり、誇らしげに笑うノアの姿を見て。

 盗人の男は何か眩しいものを見るように目を細めた。

 

「……はは。あんた、大物か大馬鹿者かのどっちだ?」

「大馬鹿者だろうな。だが、俺はそれでいい」

 

 オリビアの命を、意志を、その在り方を守護りたい。

 それがノアの行動原理で、彼にとっての幸せな在り方だ。

 確かに男の言うように馬鹿げていて甘すぎる対応だろう。

 だが、彼女は言っていた。どのような人間にも赦しの機会は与えられるべきだと。

 血に塗れたノアを救ってくれたその言葉を、彼は決して忘れたりはしない。

 

「人生をやり直せ、俺と同じようにな」

「……すまねぇ。この恩は生涯忘れない。なぁ、あんたの名前を教えてくれないか?」

「ノアだ。家名はない」

「おいおい、まさかあんた『残響の剣舞(ファールウィンド)』か? 本物ならなんでこんな所に居るんだよ」

「俺はオリビアと共に巡礼の旅をしている。一人でも多くの人を助けるため、らしいな」

 

 旅の理由を問われればそう答えるしかない。

 ノア自身は誰かを助けようとは思っていない。

 少しばかり手助けを行う程度なら構わないが、そもそも自分には出来る事が少ない。

 だからこそ。

 

「俺がオリビアと共に在るのは、彼女の敵を全て薙ぎ払う為だ」

 

 この世は綺麗事だけで動いている訳ではない。

 真に邪悪な者もいれば、この男のように追い詰められて仕方なく悪事を働く者もいる。

 そして、自分もそちら側に分類されるべき人間だろう。

 多くの人を殺し、魔族を殺し、この命を繋いで来たのだから。

 だからこそ。

 

 オリビアの出来ない事は己が引き受けよう。

 尊き聖女の慈愛が届かない闇はこの(ガンブレイド)で撃ち払おう。

 互いの出来ない事を担当する事。

 それが出来てこそ、共に在ると言えるのだろうから。

 

〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 ノアが決意を改め、一人の男の人生を救った時。

 彼の想い人は果たして、熟練の手腕を持つアメリアから強烈な性知識を叩き込まれていた。

 マニアックなテクニックを語るアメリアの言葉を一言一句逃すまいとメモを取る彼女の表情は真剣そのもの。

 これを如何にして活用するか、話はその段階にまで踏み込んでいた。

 決戦の時は近いのかもしれない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。