無表情だったり男の娘だったり、無口だったり嘘がわかったりする奴らの小説 (しっけた乾パン)
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蒴波つばき(1)

 
 さて、何人の読者様の目に留まるかは分かりませんが、のんびり書きたいと思います。
 少しでも面白いと感じた人は、気軽に感想やら評価やらしちゃってくださいね!(むしろしてください。励みになります!)

 …………実は三人称の練習中だったりするので、地の文が少なくなってるかも。
 



「おはよう、穂波(ほなみ)

「あ、おはよう、つばきちゃ——って、今日もなの!?」

「落ち着いて……朝から慌てすぎ」

「右膝から大量出血しながら、そんなこと言わないでくれるかな!?」

 

 

 教室のドア近辺でそのようなやりとりを繰り広げているのは、二人の女子高校生だ。

 

 長い茶色の癖っ毛を放置し、制服をダボっと着崩した無表情系美少女——蒴波(さくなみ)つばきと、女子にしては高めの身長を持ち、巨にゅ……母性溢れる落ち着いた印象の女性——望月穂波。

 

 その両名は意図することなく、少し不思議な関係性にあった。

 簡潔に言えば、お世話する方とされる方。

 別に両親の都合とか、家が隣の幼馴染だ、なんてことではない。当然、同棲している、なんてわけでもない。

 

 ただ単純に、つばきが極度のドジっ子であり、穂波の面倒見の良さが驚異的であったことが、パズルのピースのようにカチリと噛み合ったのである。

 

 出会いから、たったの二週間程。

 それなりに人見知りをする穂波が、この子は私がいないとダメな気がする、と軽く悟る程度に彼らは打ち解けてきていた。

 

 

「……それで、今日はどうしたの?」

「えっと、いつも通り。軽く転んだ?」

「そんな、いつも通りは要らないよ……」

「まあ、そんなこともある」

 

 朝のSHRまで、まだ時間があったので穂波はつばきを連れて保健室へと向かう。

 階段を降りる際に顔を顰めていたつばきに、穂波は肩を貸す。

 華奢すぎる体格、冷んやりとしたスベスベの肌に触れ、鼓動が少し早まる。

 けれども普段の眠たげな表情を、にへらと力の抜けるような笑顔へ変えたつばきを見て、穂波に残っていた少しばかりの緊張もどこかへ行ってしまった。

 

「ありがと」

「どういたしまして」

 

 

 

 廊下を歩くこと二分ほど。

 

 

「失礼します」

「邪魔する」

 

 コンコンコン、と3ノック。

 返事がないので、ゆっくり保健室のドアを開ける。そこには、机へ突っ伏す一人の女教師の姿があった。

 

「……寝てるな」

「ね、寝てるね?」

 

 白衣を羽織ったまま、すぅすぅと寝息を立てる保健室の主。

 中高一貫校である宮益坂女子学園に通っていた二人、特に保健室常連組であるつばきにとっては、目の前で眠り続ける女性に対しての敬意など有ってないようなものであった。

 

「……唸れ、剛腕」

「つばきちゃん!?」

「ていっ」

 

 不穏な前置きに対し、放たれたのは貧弱なデコピンであった。

 世界最弱の女子高生を自称するつばきの攻撃力など、近似したらゼロになるのは目に見えているほどだ。

 

「うぐ、指がぁ……」

「つばきちゃん……」

 

 起床にたるダメージすら与えられず、寧ろ自身の指を痛める始末である。

 穂波がため息混じりに向けてくるジト目を、サラッとスルーしてつばきは保健室の棚へと向かった。

 

「危ないから、私がやるよ」

「……子供扱い?」

「子供に失礼だよ?」

「中々、辛辣なことを言う」

 

 穂波の軽口に目をパチクリとさせてから、つばきは大人しく椅子へ座った。

 時間が経ってくるにつれて、思考が冷えていく。

 アドレナリンの効果が切れ、段々と右膝の痛みを脳が理解し始めた。

 

 あちこちへと忙しく動く穂波の姿を、しばらく目で追いかけてから、つばきは言った。

 

 

「穂波」

 

 

「……どうしたの、椿ちゃん?」

 

 

「思ってたよりも、足、痛いっぽい」

 

 

「ちょっと待ってね!? 急ぐから!」

 

 

 因みに、サボり魔の養護教師が目を覚ましたのはその十数分後であった。仕事しろ、大人。

 

 

 

✳︎

 

 

 昼休みになった。

 膝の痛みは消えたぜ、いぇい。

 

 

「穂波、一緒にご飯食べよー!」

「購買売り切れちゃうから、早くね」

「……あ、うん。今、行くよ」

 

 

 小さく欠伸をする。

 頰杖をつきながら、教室の様子を見ていると結構色々なことがわかるものだ、なんてことを、つばきは一人考えていた。

 友達に呼ばれ、穂波が教室を出るときに、つばきと目が合ったのは偶然ではないだろう。尤も、それはつばきも彼女のことを意識しているという事実も指すわけだが。

 

 

 

「……お腹、減った」

 

 

 

 きゅう、と腹から可愛い音がする。

 ほんの少し顔が紅潮したのがわかって、机へ突っ伏した。

 十秒ほどしてから、つばきは顔を上げて自身の鞄を開く。

 そして、ゆっくりと首を横に傾げた。

 

「……ご飯、どこ?」

 

 弁当袋が見当たらなかった。

 珍しくコンビニで買うのではなく弁当の準備をしてきたが、慣れないことはするものではないな、とどこか他人事のように反省してから絶望する。

 

「無理。食べなきゃ、死ぬ」

 

 ガーンと効果音がつきそうなほどに、顔を青くしたつばきは、自分のポッケから財布を取り出して中身を確認する。

 漱石が二匹と樋口が一匹。

 軍資金は十分だった。

 

 

「行くか……購買(せんじょう)

 

 

 そして穂波が聞けば、卒倒しそうな戯言を宣い、つばきは席から立ち上がった。

 

 

 テクテクと眠そうな顔のまま、廊下を歩いていると視界の左隅に鮮やかなピンクが飛び込んできた。

 その正体を確信すると共に、次に来る衝撃に覚悟を固める。

 

 

「つばきちゃーん、発見!」

「ぐぇ……」

 

 

 一応足を踏ん張ったつもりだったが、ただ今、胸元へと飛び込んできた少女——(おおとり)えむの勢いには耐えられなかったようだ。

 勢いそのままに、つばきは壁へと衝突する。

 

「……えむ、痛い」

「ご、ごめんなさい……大丈夫?」

 

 普段からニパーっと眩しい笑顔を浮かべているこの少女に、暗い表情は似合わない。

 ぐだっと壁を背もたれに座り直してから、意識的に表情を緩めて、つばきは返事をした。

 

「もーまんたい」

「もー、まんたい?」

「ん、なんでもない。次、気をつけて」

「うん!」

「返事だけは、いいよね」

「えへへ……」

「褒めて、ない」

「えぇ!?」

 

 

 まあ、楽しそうならいいや。

 苦笑しながら立ち上がろうとして、つばきは気がつく。

 

 

「…………腰、抜けた」

「ごめんなさーい!?」

 

 

 

 

 

✳︎

 

 

 

「……はい、どうぞ!」

「ありがと。助かる」

「えへへっ……つばきちゃんとお昼ご飯♪ 嬉しいなっ!」

「私も……えむ、このパン一緒に食べよ?」

「え!? いいのっ!? 頂きます!」

 

 

 えむにお使いを頼み、購買で適当なものを買ってきてもらった。

 目の前には、彼女の戦利品である六つのパン。

 こんなに沢山食べられないし、漱石が居なくなったけど、えむが楽しそうだから、いいとしようかな。

 ニコニコ、モグモグとパンを食べているえむを見ていると心が和む。

 身長だけなら、そこまで変わらないけどね、と自嘲するように脳内で呟くつばきだった。

 

 

 えむの話に時々、相槌を打ちながらの昼食は中々に楽しいものである。

 勢いのよいえむの食べっぷりは、見ていて気持ちがいいというのもあった。

 結局、四つほどパンを食べてギブアップしたつばきの代わりに、えむは自分の分に加えて二つのパンをペロリと平らげてしまった。

 

 

「トイレ、行ってくる」

「はーい! 私は先に着替えてくる! 次は体育、楽しみだねっ!」

「ん、怪我しないようにね」

「……つばきちゃんの方が心配だよ?」

「天のみぞ知る……ってやつかな?」

「運頼みだったの!?」

 

 

 

 

 えむの驚く声を背にトイレへと向かう。

 ……体育か。実を言えば、運動は嫌いではない。

 

 

 

「運動神経なんて、ミリ単位ですら存在しないけど」

「……つばきちゃん?」

 

 

 ボヤいた言葉を拾ったのは、茶髪の女子生徒であった。

 今日は色んな人に会う日だなぁ、と相変わらず他人事のように捉えながら、つばきは挨拶の言葉を口にする。

 

「やっほー、みのりん」

「すっごい無表情だけど、めっちゃフランクだ!?」

「トイレ? 連れション行く?」

「女の子がそんなこと言わないで!」

「冗談だ」

 

 目の前で叫んでいる女子生徒——花里みのりは反応が良いから、つい揶揄いたくなるのだ。

 

「もう、折角こんなに可愛いのに……」

「みのりんの方が可愛いよ……って言うべき流れ?」

「口を開くと、こうなんだよね……」

「褒めるな、照れる」

「褒めてないよ!?」

「そんなことより、トイレだ」

「そんなことって言った!?」

 

 無表情のままに見えるが、少しだけつばきの表情は柔らかい。

 そのことに気がついているからこそ、みのりもつばきのことを悪く思えないのだが。

 

 用を足し、手を洗い、ハンカチで水気を取っている頃に昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。

 結局、連れションだった。

 言ったら怒られるので口にはしない。

 

「それじゃ、私、体育だから」

「……あ、うん! 頑張っ——いや、あんまり頑張らないでね?」

「サボりを推奨とは……みのりんがグレてしまった」

 

 驚愕。

 なんて表情を浮かべてみれば、待っていたのは苦笑いだった。

 

「だって、怪我しちゃうよね?」

「甘いな」

「……え?」

「私なら、いくらサボっても怪我くらいはする」

「もっとダメだよ!?」

 

 結局、最後の最後までみのりはつばきに振り回されっぱなしで会話を終えたのだった。

 

 

 

 

✳︎

 

 

 

 

「……穂波」

「あれ、つばきちゃん? どうかし——きゃああああ!?」

「……鼻血、止まんない」

「誰か、ティッシュ!」

 

 

 案の定、バスケ開始四十秒で、ボール顔面受けコースに直行でした。なんでバスケットボールってこんなにも硬いのだろうか。

 涙目で痛みを訴えるつばきの頭を撫でながら、手早く応急処置を始める穂波の姿を見た誰もが同じ感想を抱くのだった。

 

 

(((圧倒的、穂波ママ…………!)))

 

 

 

「これでよし、安静にしてないとダメだよ?」

「ありがと、ママ」

「やめて」

「冗談だ」

 

 

 穂波は淡々と冗談を口にするつばきの顔に、血の跡がついていないかを確認しようと、顔を近づけた。

 その距離、およそ十センチ程。

 

 眠たげに細められた菫色の瞳。

 その奥にある煌々とした輝きは、内に存在する好奇心を表現しているかのようであり、時折見せる悪戯な笑顔は穂波の心臓に悪影響を及ぼす。

 癖の強いダークブラウンの長髪は、手入れなんて碌にしていないのだろうに艶があり、柔らかでサラサラと、流れる風に揺れ動く。

 その玉肌は白く、ひんやりとした触感が心地よいことも知っている。

 人形のような美しさを顕現せし、目の前の少女に思考の全てを奪われた。

 

 たっぷり数秒間、目の前に座っている同級生に見惚れてしまったことに気がつき、穂波の頬が紅色に染まる。

 

 そこを見逃す程、つばきは優しくはなかった。

 

 

「穂波、私に見惚れてた?」

「…………っ!?」

「可愛いよ」

「ぇ……ぅ……っ!?」

「食べちゃいたいぐらい」

「ぅ、う、うるさいよっ!」

 

 

 ガバッと身を後ろへと逸らした穂波は、勢い余って尻餅をついてしまう。

 つばきは、悪ノリを続けようと身を起こし、身動きの取れない穂波の上へと覆い被さっていき……

 

 

 

「やばっ」

「……へ?」

 

 

 バランスを崩して、落下した。

 四足歩行すらまともにできないようだった。もはや足を増やすしかないのでは?

 地面が床ならば、顔面強打で鼻血が再来したのだろうが、幸いにも落下地点には超高性能なクッションが二つ存在していた。

 

 言うまでもなく……

 

 

「……ぐにゅ」

「……ひゃん!」

「おお、色っぽい」

「つばきちゃん……そろそろ、怒るよ?」

「ごめんなさい、調子乗りました。おっぱいクッションご馳走様です」

「つばきちゃんっ!!!」

 

 

 ぼふりと、顔の半分を穂波の胸に埋めたまま脱力しているつばきの姿を見て、穂波の羞恥ゲージが限界突破し、次の瞬間、必殺のグーパンチが放たれた。

 

 

 

 

 

✳︎

 

 

 

 

「…………ぅん?」

 

 

 目を開く。

 そして、彼女の髪が視界に入ったことを確認してから瞼を下ろした。

 ゆさゆさと揺れる身体、目の前にあった彼女の首筋に、ほんのり甘い陽だまりの匂い。

 

「……つばきちゃん、起きたの?」

「んー……起きて、ない」

「あははは……しょうがないなぁ」

「感謝」

 

 簡潔に言えば、つばきは穂波ママにおんぶをされたまま、帰宅中であった。

 ただ今、絶賛帰り道であることを考えると、穂波に意識を刈り取られてからは保健室で眠り続けていたのだろう、とつばきは現状の予想を立てるが実際当たっている。

 

 

「……ごめん、やりすぎた」

「え? あっ、いや……私の方こそ、つい手が出ちゃって、ごめんね? 痛かったよね」

「いや、痛いと感じる前に気絶した。体に不調はない」

「なら、よかった……よかった?」

「いや、よくはない」

「だよね……」

 

 会話は続く。

 だらだらと、つらつらと雑談をしながら、ゆっくりとゆっくりと歩みは進んでいく。

 

 

「穂波……」

「……えっと、何かな?」

「結局、なんでお前は私に見惚れてたんだ?」

「…………!?!?」

 

 平穏をぶち壊し、突如落とされた爆弾。

 動揺する穂波を逃さずに、()()が放たれる。

 

「私より、お前の方がよっぽど魅力的だと思うけどな」

「…………もうギブ、だから……やめてよぉ」

「……? 何かおかしなことを言ったか?」

 

 

 伝え忘れていた。

 

 この物語は、世界最弱の無表情女子高生が送る穏やかでゆる百合としたほのぼのラブコメディーである。

 

 

 EP 1 世界最弱の女子高生

 

 

 




 やっぱ、ママだよね。


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蒴波つばき(2)

 

 

 

 

 

「……ん、朝か。よく、寝た」

 

 

 ぐっ、と布団の上で一伸びして、起き上がった美少女こと蒴波つばきさんである。

 時刻は五時を指していた。

 空気は澄み渡り、肌着だけで眠るには少し肌寒い。

 思い切りが大事だと、ささっと制服を着て、湯を沸かす。

 インスタントコーヒーの用意が完了であった。

 

「眠気覚ましには、コーヒーが一番……」

 

 ふぅ、と一息ついてから机へと向かう。

 めちゃくちゃに広げられたノートやら、教科書やらを整頓してからシャーペンを持つ。

 

「さて、早速勉強するか」

 

 暫くの間、カリカリというシャー芯と紙面の擦れる音だけがその部屋の中に響き続けた。

 

 

 

 

✳︎

 

 

 

 

 

 

 宮益坂女学園、宮女とも略されるその高校の一年B組が蒴波つばきの所属しているクラスである。

 ガラリとドアを開け、チョコチョコと教室へと入ってきたつばきは何人かの生徒に挨拶を返してから席へと着いた。

 荷物を置き、肩を回して暫く休む。

 登校という重労働を珍しく無傷で終えたつばきは、視界の内に少々悩ましげな顔をしている友人の姿を捉えた。

 

 よっこいせ、と立ち上がりテクテクとその友人の元へと向かう。

 

 

 

「おはよう、穂波。勉強中か?」

「……ん? あっ、おはよう、つばきちゃん。えっと、授業で課題が出されてたのを忘れててね」

「穂波にしては珍しい……あ、そこ違う」

「え、どこの問題?」

「問3の(2)番。ケアレスミス」

 

 

 挨拶から五秒と経たずに、そんなことを指摘する椿。

 穂波は素直にその問題を解き直してみると、簡単な符号のミスを発見した。

 

「また、勿体ないことしてる……」

「テストじゃなくて、よかったな」

「本当にね。ありがとう、つばきちゃん……さすが学年主席って感じかな?」

「まあ、私は天才だからな」

 

 表情を変えずにそう返答するつばきの左手が、その癖っ毛の先端をクルクルと弄り始める。

 あ、コレ嘘をついてる時の顔だ、と穂波は確信した。

 

「……それで、課題? 何のこと?」

「え?」

「……?」

「今日の一限が数学に変わるって話を昨日、先生が帰りのSHRで……あ」

「成程、道理で」

「保健室で休んでたもんね……」

 

 二人でにっこり微笑み合う。

 あー、スッキリした! とでも言いたげな笑顔の後に、切り替える。

 

「やばい」

「ごめん」

 

 すぐさま自分の机へとダッシュ。

 ……しようとして、つばきは見事に足を絡まらせた。その小さな身体が前へと倒れていく。

 何もない場所で転ぶことが可能であるのが、彼女の悲しきスペックであった。

 

 

「あ、まずった」

「つばきちゃ——」

 

 流石の穂波ママも椅子に腰掛けた状態からではフォローのしようがない。

 それでもと、反射的に伸ばした手が空をきり、穂波の表情が歪む。

 

 

 そのとき、教室に神風が走った。

 目にも止まらぬ速さで、教室を横断し……

 

 

「……キャァッッチ!」

「えむちゃん!?」

「おお、生きてた」

 

 

 つばきの体を受け止めて見せたのは、天真爛漫の具現化ともいえることで有名な、ハイテンションガール、鳳えむだった。

 凄まじい程の身体能力。

 数パーセントぐらいの運動神経を私に分けてくれれば良いのにと、つばきは切に願う。

 恐らく、数パーセントでもつばきのスペックを軽く超えてくるだろう。

 

「おはようっ! 大丈夫だった、つばきちゃん?」

「おかげさまで。ありがと、えむ。おはよう」

「えへへ……よかったよぉ〜。びっくりしちゃった!」

「それは、こっち」

 

 すりすりと、椿を抱きしめたまま頬擦りをするえむを微笑ましく思ってから、つばきは自分には、あまり時間がないことを思い出した。

 

「わざわざ貧乳に頬擦りをするな……あっちの方が実りは良い」

「え゛」

 

 指を向けたつばきに表情を硬直させたのは、当然穂波ママである。

 先日知ったが、あのおっぱい本当に寝心地がいい。今度、昼寝のときに借りよう。

 

「穂波ちゃんも、おはようっ!」

「きゃっ!? えむちゃん、落ち着いて!」

「ナイススケープゴート」

「つばきちゃん!」

 

 穂波にえむが戯れついている間につばきは、自分の机へと辿り着く。

 慎重に歩けば、転ぶことなどないのである。穂波ママの怒声なんて知らない。

 

 ……さて、課題をやるか。

 

 

 

✳︎

 

 

「むぐ、もぐ……ふぅ、ご馳走様」

「お粗末様でしたっと……美味しかった?」

 

 ふふっと笑って、首を傾げる穂波。

 何を当然のことを聞いているのだろうか、この子は。

 

「穂波、嫁に来ない? 結婚しよ?」

「えっと……喜んで? なんちゃっ——」

「え、マジで。やった」

「あれ?」

「人生勝ったわ」

「えぇ!?」

 

 毎週、木曜日は穂波ママが弁当を作ってきてくれる約束をしてくれた日であるため、そのご馳走にありついていたわけなのだが、プロポーズが成立した。

 感涙し、腕を高々と天へ突き上げるつばき。因みに表示は相変わらず無表情に見えるが、穂波にはここ最近で最も喜んでいるのがよくわかった。冗談だよね? と冷汗を流す穂波だったが、正直嫌ではないと感じている自分もいて、心境は複雑の一言に尽きる。

 

「まあ、それは追々外堀を埋めるとして……穂波、転校生の話は知ってる?」

「聞き逃すには大きすぎる情報が紛れてた気がするけど……えっと、転校生?」

「正確には、復学? か。一年C組に金髪美少女が降臨なんだと」

 

 金髪、復学……と唸り始めた穂波ママ。

 何か思い当たることでもあるのかな? とぼうっと穂波の再起動を待っていると、廊下が騒がしくなってきたことにつばきは気がついた。

 

「……噂をすれば、だな」

「……あれ? 何か言った、つばきちゃん?」

「別に。それより、来た」

「来たって、何が?」

 

 転校生、とつばきが告げる前に、彼女は教室へと乗り込んで来ていた。

 

「ほ な ちゃ ん ! 久しぶりっ!」

 

 金色の塊が穂波へと抱きつこうと、こちらへ向かってくる。

 夫として、すべきことは何かと考えて一歩前へ出た。

 

「…………ぐぇ」

「あ、アレ? 誰か轢いた!?」

「何してるの、つばきちゃん!?」

 

 転校生を軽く受け止めて、私の嫁に何か用か? と口にしようと頑張ってみたのだが、現実は甘くなかったな……そんなことを考えながら、意識が落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……生ハムメロンは、違うだろ?」

「か、変わった挨拶だね?」

「……どんな夢を見てたの、つばきちゃん?」

「……ん、穂波と……誰?」

 

 つばきが保健室のベッドから起きて、声が聞こえた左側へと顔を向けると、そこには穂波ママとパツ金ツインテールの姿があった。

 一応言っておくと、夢の内容なんてものは全く覚えていない。

 

「あ、そうだった! 私は天馬咲希、ほなちゃんの幼馴染で、今までは病気で学校に来れなかったんだけど、今日から復学できることになったの! さっきは轢いちゃってごめんね? 身体、大丈夫?」

「気にするな。気絶には慣れている」

「慣れちゃダメだよ、つばきちゃん……」

 

 溜息を吐く穂波には悪いが、こればかりは仕方がないとつばきは開き直っていた。

 つばきに秘められた才能が有り、尚且つそれが最大開放でもされない限り、圧倒的で絶望的なまでの身体能力の低さとドジっ子補正が、地面へと彼女の顔面を突き飛ばすのである。

 つばきとしては、才能すら秘められていないのでは、と睨んでいるところである。

 きっと神様からの慈悲などはない。

 

「今、私の気絶事情はいい。とりあえずお前は、穂波の知り合いってことでいいのか?」

「うん! ほなちゃんといっちゃんとしほちゃんと私の四人は、いつも一緒で仲良しだったの!」

「そうだね……懐かしいなぁ」

「回想入るなよ? 私の居場所がなくなる」

 

 二人して、遠くを見つめ始めたので、先に警告をしておく。

 あはは、と誤魔化すように笑い、こちらから視線を外した咲希を見て、顔に出やすいタイプなんだろうな、と心にメモをつけておいた。

 

「それより、自己紹介か」

「そうだった!? 名前も教えてもらってないもんね……ほなちゃんはつばきちゃんって呼んでたけど」

 

 コホンと一度咳払いをして

 

「私は、蒴波つばき。一年B組で、よく穂波には、お世話になっている。運動以外なら頼ってくれていい。よろしくな」

 

 軽く微笑んで見れば、二人の頬がほんのり赤に染まり、動きが固まった。

 なんだ、コイツら。

 何か気に障ることでも言ったか?

 

「……どうした?」

「…………はっ!? いや、なんでもないです!」

「なぜ、敬語?」

「時々、破壊力凄いよね……つばきちゃん、あんまりその顔、女の子の前でやっちゃダメだよ?」

「そんなに酷かったのか……」

 

 つばきが割と深刻なダメージを受けると同時に、予鈴が響いた。

 どうやら気を失っていたのは、ほんの少しだけだったようで、次の授業に遅れることは無さそうだった。

 

「私の顔については後々改善していくとして、教室に戻るか。天馬さん……いや、アレと被るな。咲希でいい? 付き合わせて悪かった」

「は、はいっ! いえ、こちらの方がごめんなさい!」

「気にしない、気にしない。穂波も、毎度悪いな」

「いつものことだからね。謝られるより?」

「ありがとう」

「ふふっ、どういたしまして♪」

 

 機嫌の良さそうな穂波をぼうっと見つつ、一人ごちた。

 

「敵わないな……ほんと」

 

 

 

✳︎

 

 

「……疲れたな」

「珍しく、殆どの授業で起きてたもんね。お疲れ様」

「穂波もね。下校、どうする?」

 

 つばきの名誉のために言っておくと、決して彼女は不真面目な訳ではないのである。

 純粋に身体的に体力が保たないのだ。なまじ、集中力が人並み外れてある分タチが悪い。

 つばきは、身体の不調に気づかずに思考を続けた結果、体調を大きく崩したことも少なくなかった。

 

「えっと、どうするって?」

「幼馴染と話さなくていいの?」

 

 穂波にいつもより真剣な表情でそう問いかける。

 出会ったばかりの彼女からは、どこか窮屈な印象を受けることが多く、ストレスの溜まることもしばしばであった。

 しかし、つばきと穂波が急接近するきっかけともなった一つの出来事の後から、穂波は少しずつ本来の自分を出してくれるようになっているとつばきは考えていた。

 

「……今は、いいかな」

「……そうか、なら帰ろう。荷物を少し持ってくれると嬉しい」

「はいはい、ちょっと待ってね」

 

 今は、と言えるのなら少しは進歩しているのだろう。

 できることならば、彼女らがなるべく早く復縁できますように。

 

 短く目を瞑り、そんなことを願った。

 

 

 

 

 

 



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蒴波つばき(3)



 そのうち、毎日更新は途絶えるぜ……(ストックが尽きます)
 お気に入り登録ありがとう。
 気軽に感想や評価を送ってネ!

 ということで、感謝のゆる百合を喰らうがいい。
 


 

 

 

 例の幼馴染さんが復学してから、一週間ほどが経ち……

 

 

「……ママ、デートしよう」

「誰のこと?」

「穂波、デート」

「…………いいよ。買い物?」

「服、無くなった」

「そんなことあるのかな?」

 

 

 なんて会話から数日経った。

 そして今日が、その約束の日。

 つばきと穂波は二人で、都内のショッピングモールへと買い物をする予定を立てていたのだが……

 

 

「……なぁ、嬢ちゃん一人かい?」

「おいおい、リーダー! 嬢ちゃんとか、顔に似合わなすぎっしょ!」

「うるせっ! 茶々入れんなや、アホ!」

 

 現在、キチンとおめかしをしてきたつばきの目の前には四人ほどの男が立っていた。

 

 コワモテにチャラ男に爽やか風味にスキンヘッド……キャラが濃い。

 簡潔に言ってナンパだろうか?

 デート気分でモールの最寄り駅に待ち合わせをしよう、と決めていたのが完全に裏目に出た。

 つばきは思考を回しながら、男達を傍観してから一言。

 

「…………穂波がいなくて、よかった」

 

 ボソッと呟けば、大声を上げていた主犯格らしき男性、コワモテが慣れない笑みを浮かべて近づいてくる。

 ゾクっと鳥肌が立つ感覚に、小さく身震いすると、どうやら怯えているのだと勘違いされたようで、周りの男性達から笑い声が上がる。

 

「なんか言ったかい、嬢ちゃん? まあ、いいや。お兄さん達とお茶でも——」

「しない」

 

 即答。

 次の瞬間、空気が凍った。

 そして、爆発したかのように笑い声が周りから立ち上がった。

 

「な、な……っ!」

「リーダー、振られんの早すぎてウケるわ」

「ホントそれな、君も度胸あるねぇ」

 

 ポフポフと周りにいた男性、爽やか風味勘違いフツ面男に頭を撫でられる。

 勝手に触らないで頂きたい……思ったより、悪い奴らではなさそうだが。

 

「触るな」

「ありゃ、手厳しい。俺も振られちゃった〜」

 

 テシッと、頭に載せられた手を払い落とす。

 つばきが不機嫌さを隠すことなく、男を睨むと、相手は飄々とした様子で受け流し、深追いはしてこなかった。

 

「リーダーはともかく、俺はそこそこ得意なんだけどね……ナンパ」

「論外。触れるな。汚れる」

「ははは……言うね」

 

 自称ナンパマスターやらとつばきが話を進めている場所から、少しだけ離れて残りの男達は小声で相談を行なっていた。

 

「……おい、あの子一般人だよな!?」

「メンタル強ぇ……今どきの子って、あんななんすね」

「俺たちも三、四歳しか離れてねぇだろ!?」

「……………………!」

「「なるほど、確かに!」」

 

 

 喋れよ、スキンヘッド。なぜ伝わる、その意思疎通……そんなツッコミを脳内でかましつつ、つばきはアホな男どもに手招きをした。

 周りを再び四人の男が囲んだことを確認してから、結論を簡潔に下す。

 

 

「ナンパは断る。男に、興味ない」

 

「「「「え?」」」」

 

 つばきの暴露に、男どもの驚きようといえば、まあ見事なシンクロ率であった。

 揃って目を点にした彼らに向かって、ひらひらと手を振ったつばきが追い討ちをかけるように言う。

 

「彼女がくる。消えろ」

「えぇ……」

 

 不躾な物言いにツッコミをいれる気にもならずに、男どもは困惑するのみ。

 余りにも想定外の重なった獲物の対処法に困り、男どもがナンパを諦めようとしたそのときだった。

 

「つ、つばきちゃんから、離れてください!」

「わぁ……穂波、大胆」

 

 つばきの腕を抱え込むようにして、割り込んできた穂波が、いつになく強い口調で言い放った。

 

 

 

✳︎

 

 

 

「うぅ……恥ずかしい」

「穂波、かっこよかった」

「やめて……」

「嬉しかった」

「やめて……」

「大好き」

「やめてってば!」

 

 

 珍しく、満面の笑みを浮かべるつばきと、顔を紅潮させた穂波の二人は、現在、手を繋いだ状態で買い物デートをスタートさせたところであった。

 

 手を繋いでいるのは、つばきの迷子防止対策である。

 完全に保護者と子供の関係であったのだが、そこには触れない方が身のためだ。

 

「褒めてる、のに?」

「勘違いだったけどね……」

「最初は、ナンパだった」

「え!? そうだったの?」

「ん。彼女を待ってる……って言ったら、諦めた」

「……すぐまた、そういうことを言う」

「嫌?」

「ノーコメント!」

 

 ナンパ男達へと啖呵を切った穂波だったが、彼女が乱入してきた際に彼らはあっさりと引き下がったのである。

 少し道を聞いていただけで、なんて言葉を強面のリーダーとやらが弁解する様子は見ていて面白かったのだが、一連の行動の理由については、いまいちわかっていない。

 何やら、これは壊してはいけない……なんて言葉をブツブツと呟いていた気がするのだが、どうしたのだろうか?

 

 返事と同時に少しだけ歩調が速くなった穂波に、必死についていこうとして足が絡まる。

 

「あぅ……」

 

 地面へと近づく顔面。

 あ、これ失神コースかな。

 なんとか、せめて手を先につければ……

 

 いくつかの思考が瞬間的に脳を過り、結局怖くて目を閉じる。

 しかし、つばきの想像していた衝撃はいつになってもやってこない。

 一瞬の浮遊感を覚えたのちに、ぐるりと身体の向きが変化する。

 

「あ、あぶなかったぁ……」

「……! 穂波、ありがと」

 

 少し待ってから、瞼を上げるとつばきの目の前にはふくよかな双丘。

 つまり、つばきは穂波の腕の中に収まっていた。

 先の瞬間、つばきが倒れそうになったことに前を歩いていた穂波が気がつき、つばきと繋いでいた手を彼女は全力で引き寄せた。

 その後、地面へと傾いていくつばきの身体を回して、勢いを殺すようにキャッチしたのだ。

 

 超軽量級のつばきと、穂波の神がかった対応力により成された危険回避に、周囲の人々がギョッと目をむいたのは言うまでもない。 

 

 余談だが、あまりにも脆弱なつばきと生活する内に、穂波の身体的スペックが徐々に引き上げられることになる。

 その事に穂波自身が気づくのは、秋の体力テスト頃になるのだが。

 

 

 

「やっぱ、頼りになる」

「そういいながら、胸に顔を押しつけないの……街中じゃ、流石に恥ずかしいから!」

「家なら良いと」

「違います!」

 

 

 顔を赤くした穂波は、つばきの首元を掴んであっさりと自分の身体から引き剥がす。

 不服そうな顔をしている目の前の少女に、ため息を吐きたいのは私の方だよ、と嘆息する穂波だった。

 

 

「穂波が、速度を上げるから」

「揶揄ってくるつばきちゃんが悪いよ」

「……反論、ないな」

 

 

 ごめんなさいして、和解した。

 

 

「どこに行く?」

「つばきちゃんからのお誘いだったと思うんだけど……?」

「私が、自力で服を選べると思うか?」

「あ、うん。わかった」

 

 コテンと首を傾げて即答するつばき。

 私がいなくなったら、どうするのだろうかと穂波は真面目に心配でしょうがなかった。

 

「それじゃ、今度こそ転ばずについてきてね。まずは、最初の目的の服を揃えるよ?」

「ん、了解」

 

 真剣な顔で足を運ぶつばき。

 健気で小さなその歩幅にくすりと微笑みスピードダウン、穏やかに微笑む穂波の横顔は幸せの色に染まりきっていた。

 

 

「……穂波?」

 

 

 よって、小さなその声を聞き逃してしまったことは、仕方のないことだったのだろう。

 

 

 

 

 

✳︎

 

 

 

 

「……次はこれと、これかな」

「穂波……」

「えっと、どうかした?」

「疲れた」

 

 

 買い物開始から、約二時間ほどが経過した。

 服選びは全面的に任せると公言してしまったことで、完全なる着せ替え人形へと相成ったつばきの体力が限界を迎えた。

 精神的にもだが、それよりも先に肉体的にアウトだった。

 

「足、がくがく」

「ご、ごめんね? 私、ちょっと夢中になっちゃって」

「穂波に褒められるのは、悪くない」

 

 着る服を変えるたびに、目を輝かせてくれる彼女のおかげで、なんだかんだ楽しかったのはつばきも同じだ。

 ただ、如何せん立っている時間が長すぎた……当然ながら『つばきにとっては』という前置きが先にくるが。

 

「そ、それじゃあ、今まで来た中から私が幾つか選ぶけど……つばきちゃん、今日は何円ぐらい持ってきてる?」

「財布分は、好きにしていい」

 

 そういって、ひょいと穂波に財布を放るつばき。因みに飛距離が短く、飾り気のない長財布は床へと叩きつけられた。

 

「物を粗末に扱っちゃダメ」

「ごめん」

 

 もうっ、と叱ってくる穂波が可愛くて仕方がないつばきである。

 

「それと、あんまり簡単に他人へ財布を預けちゃダメだよ?」

「わかってる」

「ホントに? 盗まれてからじゃ遅いんだからね」

「穂波はそんなことしない」

 

 真っ直ぐなその瞳に、気圧されたように穂波はたじろいだ。

 黙ってしまった穂波に向かって、追い討ちをかけるようにつばきは言う。

 

「私は、それを知っている」

「……………………うん、ならいいよ」

 

 敵わない。

 そう感じることは、実は少なくなかった。

 

「気を取り直して、予算の確認だけど…………え?」

「どうした?」

「つ、つばきちゃん?」

「なんだ?」

「このお金、どこから持ってきたの!?」

 

 諭吉を十枚ほど入れてきたはず……なんてことを思い出しつつ、つばきは返答する。

 

「家」

「そうだけど、そうじゃない!?」

 

 

 危うく店員に店を追い出されるところであった。

 

 

 

 遠慮なく散財してくれ、との言葉通りに四つほど上下セットで服を見繕ってもらって店を出る。

 空いていた休憩用のベンチに腰掛け、つばきの体力回復を待っている間に、穂波が尋ねた。

 

 

「軍資金の出どころ、か」

「え、いや……プライベートなことだから、教えてくれなくても、全然大丈夫なんだけどね?」

「全然大丈夫って、日本語面白いな」

「それは誤魔化したいってことでオッケーなのかな?」

「そういうわけじゃない」

 

 無表情で会話を横道へ逸らそうとするつばきに、穂波は苦笑する。

 

「ただ、少し話したくない」

「……そっか」

 

 目を伏せ、自分の意思を明確にしたつばきに対して驚きながらも、穂波はどこか嬉しさを感じていた。

 下手に誤魔化されるよりも、こちらの方が心地いいと感じるのは当然のことである。

 

「一つ、言うなら」

「……?」

「私が、稼いだものだ」

「——え?」

「だから、安心して使え」

 

 前言撤回。

 やっぱり、ちょっと不安になってきた。

 いつか、聞こう。

 そう心に決めた穂波だった。

 

 

 

 体力を回復した後に、穂波の好物なのだというアップルパイを売っている店へと向かった。

 少しだけ距離があったが、穂波のためにも頑張り、見事に完走したつばきは再びテーブルに突っ伏している。

 これまた当然ながら、走ったわけではない。

 

「……美味しそうだな?」

「うん! つばきちゃんも一緒に食べよっ!」

「ああ」

 

 テンション上昇中である穂波を見ていれば、アドレナリン的な何かで身体は動きそうなので問題ない。

 無理矢理、結論づけて上半身を起こす。

 視点の高さが大きく変わり、夢中になってアップルパイを頬張る穂波の頰に、アップルパイのかけらが付いていたことに気がつく。

 

 つばきの瞳がこれでもかと輝いた。 

 

 気力だけで身体を動かして、穂波の正面に近づく。

 

「……ん? むぐっ……どうかしたの、つばきちゃん?」

 

 つばきの挙動に何か違和感を覚えたのか、首を傾げた穂波の頰へと手を添えた。

 そして……

 

「…………っと、ご馳走様」

「つばき、ちゃん……?」

 

 ぺろりと、一舐め。

 妖しげにその菫色の瞳を光らせる少女の姿に、穂波の心拍数が跳ね上がる。

 顔が火照り、手から大好きなはずのアップルパイまでもが零れ落ちる。

 まつ毛を数えられそうな距離感で、見つめ合う。

 

「美味しかったよ」

「…………っ!?」

 

 誰だ、この子を無表情だとほざいたのは。

 なんだ、この妖艶な微笑みは。

 

 思考力が低下する。

 考えがまとまらず、視界が狭まり、耳には目の前の少女の声しか届かない。

 

 そして……

 

 

「ちょ、ちょっと待ったあああああ!!」

「うひゃっ!?」

「ぐぇ……」

 

 

 突如として横から割り込んできた金色の何かに、つばきが突き飛ばされた。

 聞き覚えしかないその声と、見覚えしかない金のツインテール。

 漸く思考が現実へと浮上する。

 

「こ、こんなところで、き、キスなんて! だ、だめだよ、二人とも!」

「咲希ちゃん!?」

 

 天馬咲希、彼女の乱入に心底救われたと穂波は息を吐く。

 少し離れた場所で目を回し、ダウンしている彼女を見て、穂波は心に刻み込む。

 

 …………この子は、危険だ。

 主に私の理性的観点で。

 

 

✳︎

 

 

 

「軽い、悪戯だった」

「悪戯!? 私には、二人がキスしてるように見えたよ!?」

「穂波のお弁当を舐めただけ」

「だけ、なんて軽いものじゃなかったよ! もうやっちゃダメです!」

「わかった……」

「あははは……蒴波さん、穂波の言うことには素直なんだね」

「ママだから」

「違います!」

 

 ダウン後のつばきは穂波に背負われ、咲希、そして先に連れられていたという例の幼馴染——星野一歌が合流したことで、二人のデートの時間は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜 転章 〜

 

 

 

 

 

 

 

 それからも女子高生らしく、きゃっきゃと騒がしく買い物を続けていく彼女らを、遠くから見ていた人物が一人。

 

 

 

「そっか……もう、笑えるんだね」

 

 

 

 短い銀の髪を持つその少女——日野森志歩は、嬉しそうに……そして少し寂しそうにそう呟いて、四人に背を向ける。

 

 少し前にモール内で見かけたときは、穂波と少女が二人で手を繋いでいただけのようだったが、今は一歌と咲希も加わり"昔と同じような"笑顔を見せている。

 何故だか居た堪れない気持ちを覚えた志歩は、見つからない内に移動をしたいと路地へと入っていった。

 

 

 

 

 

 しかしそれが、間違いだった。

 

 

 物思いに耽り、志歩は自分の想像よりもずっと路地裏の奥深くへと足を踏み入れてしまっていた。

 

 

「…………あ? なんでこんなところにガキが居んだよ」

「…………別に、私がどこを通ろうと関係ないでしょ」

 

 たまたま入ったその路地で見たのは、屈強でガラの悪い男達が何かを囲むようにして集まっている様子。

 

 

「なぁ、テメェら……一人追加だ」

「……え」

 

 

 その時に、志歩はやっと気づいた。

 

 ()()()()

 何かで口を塞がれているようで、くぐもった音しか聞こえないが、それでも確かに誰かの嗚咽が聞こえる。

 

「……まさか」

 

 背筋が凍る感覚。

 あり得ない、あるはずがないと信じたくないその現実が目の前にあった。

 

 男達が、何を囲んでいたのか……わかってしまった。

 

「……っ! 誰か、たす——」

 

 叫ぼうとして口を抑えられる。

 足掻こうと手を振り回すも、一人の女子高生でしかない志歩はすぐに制圧されてしまい、身体の自由は奪われてしまう。

 

 恐怖で、涙が溢れ出る。

 

 そのときに……

 

 

 

「…………ったく、どこもかしこもギャーギャー、ギャーギャー騒ぎやがって……猿かよ、テメェら」

 

 

 

 そんな暴言と共に路地の奥から、小さな人影が近づいてきた。

 

 

 

「ああ、いや……猿よりひでぇな。後で動物園にでも行って謝って来ないと、猿に悪いか…………まあ、何でもいい。今すぐに、俺の前から消え失せろ、屑共」

 

 

 フードを深く被り、顔を見せずに現れたのは、自分よりも背の低い男性であった。

 

 男性にしては、随分と声の高い人だなと、つい場違いな考えを浮かべてしまってから、志歩は自分の置かれている状況を思い出した。

 

 男の数は優に十を超えている。

 それも、フードの少年よりずっと頑強な人ばかりだ。

 

 最寄りの男性が、躊躇うことなく少年へと殴りかかっていく。

 次の瞬間には盛大に喧嘩を売った少年が、滅多打ちにされてしまうことを想像して、思わず目を閉じてしまい……

 

 

 僅か"3秒"後。

 志歩を拘束していた幾つもの力が消えた。

 

 

「はい、おしまい。アンタら大丈夫か?」

 

 

 パンパンと手を打つ音に目を開くと、死屍累々とした光景が広がっており、その場に立っていたのは目の前の少年のみ。

 志歩の前に囚われてしまっていた女性も、自身の抵抗によって衣服が乱れてしまっていただけであり、()()大丈夫であったようだ。

 

「だい、じょうぶ……です」

「そう? ならよかった」

 

 問いかけられ、呆然としたまま、志歩がそう呟いたのを聞くと少年は放心状態であるもう一人の女性の元へと向かっていく。

 噛まされていた猿轡を解き、少しの間、少年は女性と会話をする。

 少しすると、女性は服の乱れを直し、何度も頭を下げてから、大通りへと戻っていった。

 

 女性を見送った少年がその場で大きく伸びをする……そのときに、少年の死角になる位置で倒れていた男性の一人が起き上がったことに志歩は気がついた。

 

 

「後ろっ!」

「……ガキがあああ!」

 

 反射的に声を上げる。

 男の手には、ギラリと光を反射する鋭いナイフ。

 どうしてそんなものを、と志歩が思う間もなく男は少年へと接近し……

 

 

「うるせぇっ!!」

「……は?」

 

 

 右足を軸に左回転、背後を向いた状態からの後ろ回し蹴りがナイフの脇腹を強打し、男の手からその凶器を弾きとばす。

 

「さっさと、黙れ」

 

 目にも留まらぬ、とはこのことを意味するのだろう。

 振り抜いた左足を地面へと下ろす。

 下ろした左足を今度は軸足として、高々と掲げられた右足。

 放たれた踵落としが、男の脳天を襲った。

 

 その言葉通り、男を黙らせた少年。

 深く被っていたフードが、今の激しい動きで外れる。

 そのとき志歩は、人生の中で一番と言ってもいいほどに驚愕を覚えた。

 

 

「……………………女の子?」

「いや、男…………なんだけどなぁ」

 

 

 肩にかかるほどの長さの純白の髪。

 目の前の人は、美しくそして何よりも。

 

 

「可愛い……」

「やめろ、そんな目で俺を見ないでくれ……」

 

 

 とびきり可愛らしい顔をしていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 






 二人目、登場。


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黒柳奏音(1)

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………さて、ここまで来たら大丈夫だろ」

「……ありがとう。わざわざ、ここまで」

 

 黒柳奏音(くろやなぎかのん)は先程不良共に襲われかけていた女子高生——日野森志歩を治安の悪い路地裏から、人通りの多い大通りへと案内したところであった。

 

「この都市は、目に見えるところだけなら安全だ……けど、アンタがさっきまでいた辺りになると、一気に治安が悪くなる。次も救ってもらえるとは思うなよ。助かったのは、アンタの運が良かっただけだ」

「…………気をつける」

「そうしろ。じゃーな」

 

 再びフードを深くかぶった奏音は、警告をしてからすぐに路地へと戻ろうとする。

 しかし、その手を志歩が捕まえる。

 

「お礼、してない」

「いらない」

「それだと、私の気が収まらない」

「じゃあ、礼をしないのが俺へのお礼ってことにしてくれ」

「…………嫌って言ったら?」

「この手を振り解いて逃げる」

 

 

 異次元の身体能力を持つ奏音にとって、志歩の手を払い除けることなど朝飯前だ。

 事情があり、義務教育すらからドロップアウトしている奏音は、記録を残したことがないだけで、ほぼ全ての運動能力において全人類を超越している。

 

 簡単に五十メートルを3秒以内で駆け抜け、片手で街路樹を引っこ抜き、跳躍で軽々と家の屋根へと着地する生命体——それが、まさかの成長期前の十四歳。

 簡単にいえば、黒柳奏音は人間をやめているのだ。

 

 何度でも言う。

 奏音にとって、目の前の少女の手を振り解くことなど雑作もないことである。

 

(どっかで同じような目を見たことあんだよなあ……誰だっけかな?)

 

 しかし、何故だろうか。

 強硬策を取る気にならないのはどうしてなのだろうか……?

 

「…………ご飯奢る。ラーメンでいい?」

「……はぁ、濃いのは好きじゃない」

「あっさり、ね。いい店知ってるよ」

 

 結局、抵抗は口だけで手を引かれるがままに、奏音は少女の後ろをついていく。

 

 

「…………そういや、俺にビビらなかったのもアイツら以外で初めてか?」

「……なんか言った?」

「いや、大したことじゃねえよ」

 

 

 

✳︎

 

 

 

 

「フード、とらないの?」

「目立ちたくないからな……少し食いにくいが、注目されるよりはマシだ」

「そう…………本当に男なの?」

「そう言ってるだろ……この格好は、別に俺の趣味じゃねえけどな」

 

 

 カウンター席を嫌がった奏音と向かい合う形で座った志歩は、スルスルと塩ラーメンを啜る目の前の少年に疑惑の目を向けた。

 

 

「理由、聞いていい?」

「黙秘する。俺の存在自体が犯罪みたいなもんだからな」

「……聞かなかったことにする」

「助かる」

 

 思っていたよりもダーティーな答えが返ってきたことで、志歩の頬が引き攣った。

 そんな彼女の様子を気にも留めずに、奏音は速攻でラーメンを完食して席を立った。

 

「ご馳走様……気をつけて帰れよ」

「待って」

 

 流れるような動きで『さよなら』をしようとする奏音の手を、再び志歩が捕まえる。

 

「何だよ、しつけえ……」

「名前、教えてくれる?」

「……人の名を尋ねるときは?」

「……自分が、名乗ってから」

「正解」

 

 むすっとした様子の志歩は、そのまま自分の名を口にする。

 

「私は、日野森志歩……今年で高一」

「日野森…………偶然、だな。うん、そうしとこう」

「何ブツブツ言ってんの?」

「いや、何でも……自己紹介だったか」

 

 あり得ないナイナイ。絶対ない、と頭を振りつつ、思考を切り替えた。

 

「俺は、黒柳奏音。見ての通り男だ。歳は十四、小学校すら卒業してない落ちこぼれだ……もう、『よろしく』をしなくていいようにしろよ」

「心配してくれるんだ?」

「一応な」

「……そっか。じゃあ、ちょっと付き合ってよ」

 

 その『じゃあ』使い方間違えてない?

 奏音がそう問いただす前に、志歩は自分のラーメンを食べ終え、再び奏音の手を引いて店の出入り口へと歩き始めた。

 

「今は、誰かと居ないと……少しだけキツイから」

「…………はぁ、今回だけだぞ」

 

 唇を噛み締めて、言いようのない感情を押さえつけた志歩の表情を見て、その頼みを断れるほど奏音は冷酷ではなかった。

 

「……ゲーセンでも行くか?」

「……いいね」

 

 そして、完全なる初対面にして赤の他人である奇妙な二人組のお出かけが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………久々に、ここまで遊び尽くしたなぁ」

「うん、私も……」

 

 黄金色へと染まっていく空を見上げて、伸びをする。

 奏音と志歩はゲーセンに加えて映画、カラオケなどと、思いつくままに至る所へと足を運んでは楽しんだ。

 時折、抱え込んでいるであろう"何か"を忘れたように、素の笑顔を見せる志歩だったが、少し冷静になるとすぐにその表情は曇ってしまう。

 

(少し前までは、全く気にならなかったんだけどな……我ながら、どうしてこんなに絆されやすくなったんだか)

 

 

「…………そんじゃ、ここらで現実逃避の時間は終わりだ。気分を切り替えな」

「……え?」

「志歩が何を抱え込んで、何に困ってんのかなんて、知らねえし知ろうとも思わない。イジメやら、何やらなら、物理的に叩き潰しても構わないが、パッと見そんな感じはしないしな」

「…………何のこと」

 

 つらつらと言葉を並べる奏音に、疑念半分不愉快半分といった構成成分の表情を浮かべる志歩。

 つまりは、眉を顰めて睨んできている。

 精神的に大人びていると思っているものの、美人さんに睨まれた経験は少ない奏音としては普通に怖かった。 

 

「今のアンタじゃ、俺が純粋に楽しむには物足りない……迷いを晴らして、スッキリしてからまた遊びに誘え。そんときを楽しみにしてる」

「……っ!? ちょっと!」

 

 今度こそ、本当に志歩の制止を振り切って奏音は跳躍する。

 

 高く、本当に高く、空へと飛翔する小さな身体を志歩は目で追いかける。

 けれども、逆光に目が眩んだ一瞬の間に、その小さな姿を見失ってしまった。

 

 

 

「…………今の、現実だよね?」

 

 

 

 ボソリと溢した独り言に返事はなく、一人ぼっちとなった志歩の頬を涼風が撫でた。

 

 

「…………明日、咲希に挨拶でもしようかな」

 

 

 口にした。

 そのとき、志歩は小さく笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

✳︎

 

 

 

 

 

 

「……よう、聞こえてるか?」

『クロちゃん! どうしたの? 電話だなんて珍しいわね?』

「まあ、そうだな。少し耳に入れといて欲しいことがあって、電話したわ」

 

 

 建設途中のマンション、まだ骨組みしか組まれていないパンピー立ち入り禁止区内へと足を踏み入れ、その鉄骨に腰掛けながら電話をかける。

 高さとしては、普通のマンションの二十階ぐらいだろうか?

 夜風に髪が靡く。

 ネオンサインが朧げに揺れる夜の街を眺めて息を吐く。

 居心地がいい。

 ほぅっと息を吐き、ゆっくり伸びをする。

 

『それで、どうしたのかしら?』

 

 キョトンと首を傾げる彼女の姿を頭に浮かべて、少し笑ってしまう。

 早めに本題へ移るとしよう。

 

「なんつーか、大したことでもないんだが……今って家に妹さんいるか?」

 

 電話の相手は日野森雫という女性。

 恐らく今日知り合った日野森志歩の姉だと思われる彼女は、結構な有名人である。

 

 簡潔に言えば、アイドルだ。

 超絶美人の完璧な女性……日野森雫を知る多くの人間にそのような印象を抱かせる彼女だが、素の彼女は割と抜けている。

 天然で方向音痴で機械音痴、運動神経が良いわけでもなく、不器用で……けれど、努力のできる人。

 知り合って間もないが、奏音は日野森雫という女性を尊敬していた。

 

 

『しぃちゃんのことかしら? クロちゃん、しぃちゃんとお知り合いだったのね!』

「だった、というよりは、なったの方が適切だけどな」

 

 

 ビンゴ。

 世間って狭いなぁ……としみじみと感じつつ会話を進める。

 

 

「まあ、いい。志歩のこと、少し気にかけてやれ。なんか、随分と悩んでたみたいだからな」

『……あら、そうなの? しぃちゃん、今日家に帰ってきたときに鼻歌を歌ってたから、てっきり機嫌がいいのかと思ってたわ』

「気やすめ程度の息抜きには、付き合ったからな。あ、それと俺が気にかけてることは本人に言わないでくれ。ちょい、恥ずい」

『わかったわ……クロちゃん、ありがとう』

「別に、大したことはしてないけどな」

 

 

 用件は伝え終えた。

 一つ二つと雑談を交えてから、そろそろ通話を切ろうと思ったところで、背後に気配を感じ取った。

 

 

「…………おい、そこに誰か居るのか! ここは、立ち入り禁止だぞ!」

 

 

 頭の奥に響く大声に、顔を顰めて振り向くと一人の警備員の姿があった。

 こちらの顔を視認される前に、フードを深く被り直す。

 

『クロちゃん……今、どこに居るの?』

「あー、えっと……内緒かな?」

『愛莉ちゃんに伝えておくわ』

「げ、マジで……?」

『マジ』

 

 緊張感なくそんなことを話していると、後ろからの足音が近づいてきた。

 そろそろ退散するには潮時か。

 

「んじゃ、また明日」

『ええ、また明日……気をつけてね』

「おう」

 

 奏音が腰掛けていたのは鉄骨。

 工場の足場を確認しながらゆっくりと近づいてくる男性の方へと顔を向け、立ち上がる。

 プツリと電源を落としたスマホをポケットへとしまい、口を開く。

 

「お兄さん、お兄さん」

「き、君! 危ないから、そんなところで立つのは——」

「足元、気をつけてね」

 

 そして、後ろへとあっさり倒れていく。

 要するに

 

 

 

 落ちた。

 

 それもマンションの二十階ほどの高さから、頭を下にして。

 

 

 

 

「…………は?」

 

 

 

 思考を硬直させた巡回警備員を、誰が責められようか。

 

 

 

 

✳︎

 

 

 

 そうしてあれからお月様が沈み、お天道様が昇って、更に10時間ほどが経過した。

 

 

 

「奏音、正座」

「はい」

 

 

 どうも、こんにちは。

 現在、宮益坂女子学院の屋上で、足が痺れてきたなー、なんて他人事のように考えている奏音さんですよ。

 

 目の前に仁王立ちしていらっしゃるのは、桃井愛莉という名の別嬪さん。

 お小言の多いお人好しな彼女もまた、アイドルという肩書きをもつ稀有な存在である。

 

「誰の、お小言が多いって?」

「うわぁ、エスパー……超怖え」

 

 ふんっ、と鼻息荒くこちらへジト目を向けてくる原因は、当然ながら昨日のアレである。

 

「ったく、本当に告げ口したのな」

「クロちゃんが反省しないからよ?」

 

 愛莉から視線をずらして隣の美女——ツーンとすました顔の雫に文句を言ってみれば、そんな反論が返ってきた。

 うむ。ジト目の雫とは、中々レアだな。堪能しておこう。

 

「なるべく、人様に迷惑をかけないようにはしてんだけどな? 昨日のはちょっとイレギュラーだ」

「アンタのは普通に犯罪なのよ!」

「それ言ったら、今ここに俺が居るのもアウトなんですが」

「バレなきゃいいのよ」

「すげぇ暴論。さっきの話どこ行った?」

 

 あっさりと流したが、現在地は女子校であり、黒柳奏音という人物は男である。

 現在、奏音は暑っくるしいフードコートを脱いだ紙装甲モード——割と肌色面積の多い淡い水色のワンピース姿に変身済みであり、白髪を一つに結んだ姿に男の要素は一つも見られない。

 しかし、一応奏音は男なのである。

 

 大事なことなので、二回言った。

 

「愛莉は、犯罪云々ってことより、貴方を心配していただけでしょ。幾らクロの身体が丈夫だとしても、気をつけるに越したことはないんだから」

「はぁ……たかが50メートル程度の落下で死ぬほど柔じゃねえ…………なんて、考え方を改めろってことか?」

「そういうこと……え、それ、本当に大丈夫だったの?」

「まあな」

 

 えっへんと薄い胸を張ってみせると、頰を引き攣らせて困惑するコイツもアイドル。薄くていいんだよ。それが正常だ、ボケ。

 名前は、桐谷遥。

 クールビューティー的な雰囲気を出してるくせに、笑顔の破壊力がエゲツない女子高生。

 

 そして、最後は——

 

 

「まあまあ、奏音ちゃんも怪我がなかったんだし、お説教もこれぐらいにしてあげようよ? 気分を切り替えて、今日の練習を頑張ろう!」

「そうだ、そうだ! みのりんの言う通り! さっさと練習しろ、()()()()()()()()()()

「喧しい!」

「顔が怖いぜ、愛莉ちゃん」

「アンタのせいよ!?」

 

 

 雫、愛莉、遥……アイドルを一度引退したこの三人を惹きつけ、その心に再び火を灯した張本人。

 

「……いつもながら、元気だな?」

 

 呆れたように声をかければ、ただひたすらに、諦めが悪く頑張り屋な茶髪の少女が言う。

 

「もっと、もっと練習して、もっともっと上手になって、早く皆に追いつきたいから!」 

 

「「「…………!」」」

 

「もっと、もっと頑張らないとね!」

 

 

 花里みのりは、向日葵のような明るさの笑顔を携えそう言った。

 

 

 

 

 伝え忘れていた。

 

 

 この物語は、地球最強生命体である男の娘が送る波乱と奮起に満ちたマネージャー的ゆるゆるラブ?コメディーである。

 

 

 足、痺れそうなんで、そろそろ正座解いていいですかね?

 

 

 

 EP2 世界最強の男の娘

 

 

 

 

 

 

 



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黒柳奏音(2)



 評価、お気に入り登録ありがとうございます!
 励みになるので、助かります。

 では、最強系男の娘編 二話目です。


 

 

 

 

 

 少しだけ、過去の話をするとしよう。

 

 ある所に、見窄らしい少年がおりました。

 あるとき少年は両親に捨てられました。

 この少年にはお金がありませんでした。

 この少年には居場所がありませんでした。

 この少年に残されたのはその身一つだけだったのです。

 

 けれども、少年にはそれだけで十分でした。

 小汚い少年は路地裏へと追いやられます。

 追いやられたその先で、少年は初めて拳を振るいました。

 

 三人ほどの大男が一人の男を殴っていました。

 気持ち悪い、気色悪いと暴言を吐き、暴力を振るう男達の姿を見た少年は、初めて殺意を覚えました。

 

 そして、そのとき……

 少年は自らの強さを知ったのです。

 

 それは、圧勝でした。

 それは、蹂躙でした。

 それは、紛れもなく度の過ぎた暴力でした。

 

 拳を振り、血に伏した男を足蹴にし、返り血を浴びて、少年は笑いました。

 『ざまあみろ』と、心の底から笑いましたら。

 

 ひとしきり笑ってから、少年は自らの頰に何かが伝っていることに気がつきました。

 温かく、しょっぱいそれは涙です。

 どうして泣いているのかが、少年には分かりませんでした。

 

 泣きました。

 笑った後、ひたすら少年は涙を流し続けました。

 

 その涙は、ある瞬間に止まります。

 時間感覚もわからなくなったころ、少年の身体を強く抱きしめた人がいました。

 

 それは、先程少年が助けた男性でした。

 男は涙をこぼし続ける少年を抱きしめて、その涙が止まるまで少年の背中を撫で続けました。

 

 

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 

 

 

「ただいま、マスター」

 

 

 自宅として利用し始めてから、五年間は既に経過しているであろう元喫茶店のドアを開け、そう呟いた。

 奏音の恩人が残し、託してくれたその場所は路地裏深くに存在しており、誰も寄り付くことのない安住の地であった。

 

 返事を待つことはない。

 そんなものが返ってこないことは、わかりきったことだ。

 あの人が今どこにいるかはわからない。

 消息不明と言っても過言ではないだろう。

 

 奏音はなんとなく、あの人に自分が再び会うことはないのではないか、と確信めいた予感を覚えていた。

 

 あの日、自分は生まれ変わった。

 

 生きる意味を与えてもらえた。

 生きる術を与えてもらえた。

 

 それでいいじゃないか。

 何も、それ以上を求む理由はない。

 

「さて、風呂を沸かして……飯は作り置きがあるからオッケー。軽く見回りをしてから、今日は休むか」

 

 これからの予定をボソボソと呟きつつ、クローゼットへ目を向けた。

 自分の身体にフィットする様々な系統の服が幾つも置いてある。

 それらは全て、自分で作ったものだった。

 

「寝巻き、どこに置いたかな……?」

 

 全てが女物である服の山へと手を伸ばし、奏音は苦笑する。

 

「やべぇ……スペースもうねえじゃん」

 

 それは、繋がり。

 自分と彼を紐づける恩義の証。

 

 

 

 

 

『あら、中々上手になったじゃないの。ナデナデしてあげる!』

 

『可愛くできたから! 一回だけ、一回だけ来て頂戴!』

 

『あら? その服、気に入ってくれたのね♪ 作りがいがあっていいわ〜!』

 

 

 

 

 他人に合わせず、自己を貫く彼へと送る賞賛と敬意。

 何より、彼が喜んでくれたことが奏音にとっても喜びであったから。

 

 

「新しいクローゼット、用意しないとな」

 

 

 だからこれからも、黒柳奏音は服を作り、そして着続ける。

 

 

 

✳︎

 

 

 

「1、2、1、2……雫、指先まで意識して! みのりは動きが雑! そんなんじゃ、呆れられちゃうわよ!」

 

 宮益坂女子学院、その屋上にて桃井愛莉の檄が飛ぶ。

 不法侵入の常連である奏音は、彼女らのダンスの練習風景を胡座をかいて眺めていた。

 

「…………ッ! こうっ、かしら……!」

「うぅ……む、難しい」

「コラ、みのり! 泣き言、言わないの! 雫、良くなってるからそのまま最後まで!」

 

 頰を紅潮させ、汗を滴らし、息を切らす美少女達……そう書き表すと、犯罪臭すげぇな。

 大丈夫? 通報されたら捕まらない、俺? まあ、走って逃げ切れるからいいけど。

 

「クロ、水飲む?」

「ごめんなさい。通報はやめてください……って、水?」

「何考えてたの、今」

 

 絶対零度の視線を向けてきたのは桐谷遥。

 ジト目の彼女に苦笑いを返しつつ、手渡されたペットボトルの蓋を開ける。

 

「有り難く頂きます」

 

 飲み口に口が触れないように天然水を喉へと流し込む。

 自分が思っていた以上に、喉が乾いていたようで生き返るような至福感を覚えた。や、別に死んでたわけじゃないですよ?

 

「…………口、つけないんだ?」

「…………そこ、深堀する?」

「私は、別にどっちでも良かったけど」

「俺もそこまで意識はしねぇよ」

 

 間接キスだのと騒ぐ年頃でもない……いや、中学生ってそういうことに敏感だったりすんのか?

 

「この前みのりに言ったら、顔真っ赤になっちゃってね」

「虐めてやんなよ……ファンだろ、一応」

「友達を弄るのに、理由が必要?」

「……その返答はズルいだろ」

「……ズルいって、何が?」

 

 マジかよ、無自覚ですか。

 意識したこっちが恥ずかしくなるパターンじゃねぇか。

 サラッと自分を弄ってきた遥、そのことが彼女に友達認定されていることを示しているのに気がついた奏音の頰が少し緩む。

 

「何でもない」

「…………へえ?」

 

 じっと奏音の顔を見つめる遥。

 その視線から逃れるように顔を背ける奏音。

 二人の間に奇妙な沈黙が出来上がること十数秒……沈黙は第三者によって破られる。

 

 

「そこっ! 思春期の男女みたいな雰囲気出してないで、練習するわよ!」

「……ッ!? う、うん……今、行くね」

「え、俺も?」

「当然でしょ?」

 

 嘘やん……それと愛莉さん? 思春期の男女ってのは、ただの事実だと思います。

 

 

 

 

 わん、つー わん、つー 

 

 トントンタンッと。

 

「意外と、簡単?」

「出たわね、化け物運動神経」

 

 足捌きのテンポを掴み、振り付けをある程度覚えてから数分。

 なんとなくコツ的なものがわかった気がした。

 

 他の奴らの息が上がっているが、当然ながらこの程度でバテる奏音ではない。

 

 愛莉が軽い嫌がらせに可愛らしい振り付けのあるダンスの完コピをさせてみるも、羞恥判定がバグっているらしい奏音は、あっさりと、そして割とノリノリでそのダンスを踊りきってしまう。

 

 最後の〆となるポージング、クルッとターンして、右手を親指〜中指までをピンと伸ばした状態でオデコの位置へ持っていき、くるりと手首を裏返す。

 左手は腰へと置き、上半身を少し倒して上目遣い気味にして完成。

 左目のウインクはサービスである。

 

 

 なんか、普通に可愛くてドキッとしたのが癪だった愛莉と遥だった。

 純粋無邪気組の雫とみのりは、奏音の元へと寄って行き、その完成度を賞賛し始めるほどだ。

 

 

「…………というわけで、運動に関して言えば努力は必要ねぇし、やることもないので俺は寝ます」

「サボらずに、練習を見てもらえないかしら?」

「やだよ。めんどい」

 

 即答である。

 

「……私もクロちゃんに練習を見てもらいたいわ」

「仕方ないなぁ!」

 

 即答である。

 

「対応の差が露骨なのよ!」

「愛莉ちゃん、グーはダメだよッ!?」

「どうせ効かないんだから、いいでしょうが! 一発殴らせなさい!」

 

 まあ、今回ばかりは愛梨のグーパンチも甘んじて受け入れておこう。

 大した痛みでもないしな。

 

「冗談、冗談……愛莉も雫と同じぐらい魅力的だとは思ってるよ?」

「…………そ、そういうお世辞はいらないわよ」

 

 真っ赤に頰を染めた愛莉が、チョロくて心配です。

 決して嘘をついたわけではないのだが、ここまでわかりやすい反応をされると、こちらが気まずくなるのでやめて頂きたい。

 

「…………私は?」

「へ?」

「……やっぱり、何でもない」

 

 ……可愛いとこあるじゃないですか、遥さん。

 

 

✳︎

 

 

「愛莉、これで今日の練習は終了だろ? 汗でも拭いとけ」

「はぁ、はぁ…………うん、ありがとう」

 

 時間はあっという間に過ぎていき、完全下校時刻は迫ってきている。

 遥に愛莉は比較的余裕がありそうだが、雫とみのり……特にみのりの体力消費はかなり激しいだろう。

 仰向けに大の字でねっ転がっているので、とてもわかりやすい。ヘソ出すな、アホ。

 

 愛莉へとタオルを投げ渡してから、みのりの水筒を持って彼女の元へと近づいていく。

 しゃがみ込み、目の前でぷらぷらと水筒を振ってみると自分の状況を理解したようで、みのりは勢いよく起き上がった。

 

「あいたっ!?」

「何してんの?」

 

 当然、その頭をごつんと水筒へぶつけるわけであり、みのりはこちらに向かって抗議の視線を向けてくる。俺って今悪くないよね? 

 

「……まったくはしたないわよ、みのり?」

「うぅ……恥ずかしい」

「可愛いおへそですな?」

「「訴えるわよ?」」

「雫様、コイツら止めてくれない?」

 

 辛辣コンビに対抗するために、天然お嬢様へと顔を向けるとそこにあったのは

 

「…………おへそ」

 

 自分の服を少しだけ上へと引っ張り、自分のへその形を真剣な顔で見ている彼女の姿。

 

「何してんの、お前?」

「何してんのよ、雫!?」

 

 やっぱ、天然が一番怖いわ。

 心からそう思った瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 練習の時間は終わり、女性陣が着替えに行くと屋上には不法侵入者である奏音ただ一人が取り残された。

 今見つかったら、割と普通に問題である。

 

「さてと、降りるか」

 

 一言呟き、フードコートを羽織る。クソ暑いな、このやろう。

 周囲を確認し、誰もいないことを確認した。

 そしてポケットに手を突っ込むと、奏音はひょいと屋上の柵を飛び越えた。

 

 落下する。

 重力に従い加速。地面が近づいていく。

 着地の寸前に校舎の壁面に取り付けられているパイプを掴み、ピタリと空中で体を静止させた。

 音を発さないように意識して、地面へと降り立つ。

 

「……跡は、ついてないよな?」

 

 パイプに凹みができていないことを確認してから、人に見つからないよう気をつけて校外へと向かう。

 幸い、小さな林と言えるほど緑の豊かさを持つこの高校には人の目の届きにくい場所が多く存在する。

 

 木々の間を縫うように疾走し、その勢いのまま学内を囲む塀を飛び越えたところで、ようやく奏音は一息つくことができた。

 

 

「……校門は、向こうか?」

 

 

 まずはアイツらと合流しないとな、なんてら呟きながら奏音は校門へ向かう。

 ゆっくり歩いていくと、丁度ピッタリ待ち人達が校舎から出てきたところであった。

 

 

「お待たせ」

「いや、そうでもない。忘れ物はないな?」

「大丈夫よ」

「大丈夫だよ!」

「主に心配なのは、お前らなんですがねぇ……」

 

 

 声をかけてきた遥に頭を振り返答する。

 雫とみのりは本当に忘れ物をしていないのだろうか……不安だ。

 

「それじゃ、帰りましょ?」

「そうだな…………誰の家から行く?」

 

 どうせ、今日も同じことになるんだろうな……と若干死んだ目で四人を見る奏音。

 

 その視線の先に

 

「「「「私は最後でいいよ(わよ)」」」」

「……毎日やってて、飽きないのか? その譲り合い」

 

 どこか恐怖を覚えるような笑顔——目が笑っていないそれを浮かべる四人の姿があった。

 

 あら、やだ。この子達、怖い。

 

 

 結局公正なるジャンケンの結果、雫→愛莉→みのり→遥の順に家へと送ることになった。

 なぜ、彼女たちが真剣にジャンケンをしているのか察することのできない奏音からすれば、ここまで無駄だと思う時間はないだろう。

 

 何はともあれ、これで漸く奏音の請け負った()()()()()のスタートである。

 

 

 

 

 

 

✳︎

 

 

 

 

「……今日も一日お疲れ様、クロ」

「こっちのセリフだ。遥はブランク的なもんはないのか? いや、案外引退からそこまで期間は空いてねぇのか……」

「そうだね……それに、ある程度のトレーニングは習慣として続けてきたから」

 

 雫、愛莉、みのりの三人を順番に、無事家へと送り届けた奏音は、最後の一人を迅速に家へと届けるべく、全力で疾走していた。

 

 

 そう、()()である。

 

 

 遥をお姫さま抱っこした状態で、都市内に数多に存在する飾り気のないコンクリートの巨塔を足場に、弾丸のような速度で跳躍していくその様は、さながら何処ぞの赤き蜘蛛男の如く。

 この下校方法、持ち方の人数的な都合で最後に残った一人だけが堪能できるスペシャルコースとなっていた。

 

「随分と真面目さんだな」

「…………クロがそんなこと言っちゃうの?」

「あ?」

「わざわざ、私たちが危なくないように家まで送り届けてくれるクロが、真面目じゃないわけないでしょ?」

「…………それが、仕事だ」

「給料は無しだから、ボランティアだね」

 

 友達などいなかった奏音がアイドルを目指す彼女らに協力することになったきっかけはたった一つ。

 

 方向音痴の日野森雫が、趣味である散歩の途中に路地裏へ迷い込み襲われかけた。

 

 妹が妹なら、姉も姉である。

 や、順序的には逆なんですがね?

 

 最初の接点はただそれだけだった。

 そこから愛理に出会い、みのりに出会い、そして遥に出会った。

 後にツンツン時代と称される警戒心大の奏音を絆し、築いていた心の壁をぶち壊したのはこの四人だった。

 

 幾つもの偶然が重なって、幾つもの奇跡が重なって、奏音は彼女らアイドルグループ『MORE MORE JUMP!』のマネージャーとなったのである。

 

 その、結成秘話はいつか機会があれば語るとして……

 

 

「……ペース上げるわ。あと三分で届けてやるよ、お嬢様」

「見た目が可愛いから、保護欲の方が勝っちゃうんだよね?」

「うっせぇ、黙れ」

「声も可愛いし、本気でアイドル目指さない?」

「断固拒否する」

「ふふっ、残念」

 

 

 

 

 本日も、東京の夜を黒が舞う。

 

 

 

 

 『ボディーガード』兼『マネージャー』

 

 

 

 それが、今の黒柳奏音の役職であり

 

 

 そこが、いつかの少年が手にした彼だけの居場所であった。

 

 

 

 

 

 



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黒柳奏音(3)




 テスト週間に入りましたので、一旦お暇をもらいます。
 ここまでで、オリ主登場編の前半戦が終了となります。
 時間が出来次第、書き進めていきますのでそんな感じで……


 

 

 

 

 

 

 

「……服が見たい? やだよ、めんどい」

「そこを何とか! 私、奏音ちゃんの着てる服のこと、すっごい可愛いと思ってて!」

「そりゃ、どうも。今度適当にくれてやるよ。クローゼット圧迫して困ってんだ」

「え、ホント!?」

「ほんと、ほんと。持ってきてやるから、ウチに見に来る話は無しな」

「えぇ〜!?」

 

 いちいちリアクションの大きいみのりとの会話は楽しいが、素直に疲れる。

 耳元で叫ぶ彼女の顔を無造作に掴み、ポイッとそこら辺の芝生へ投げてから、黒柳奏音はボヤくのだった。

 

 

「…………どうせ、最終的には押し切られるんだろうなぁ」

「私の扱い雑すぎない!?」

 

 

 ——三時間程前。

 

 

 特に予定のなかった奏音は、休日である今日も練習をするというみのりに付き合う形で、都内の自然公園にやってきていた。

 

 本日の格好は紺色のロングスカートと白のブラウス。シンプルだが、それ故に上品さが際立つ奏音の自信作である。

 完全プライベートであり、顔を隠す必要のない本日は相棒である黒色のフードコートは持ってきていない。

 

 

 ストレッチを入念に行ってから、体幹メインの補強運動。

 アップに1キロ程のジョギングをしてから、発声練習。

 更に2キロ程走って、発声練習。

 それからダンスの練習に入るのだが、みのりの様子を見ていると気がつくことが幾つかある。

 

 まず、振り付けの覚えがいい。

 作業的にステップを暗記するのではなく、部分的に分けて解析し、キチンと一つ一つを自分の武器にできていることは、素直に称賛に値する。

 動きのキレはまだまだ、だけどな。

 

 次に好感が持てたのは声の持つ勢いだ。

 技量的にはまだまだなのだとしても、所々で光るその存在感は、いつかみのりの長所になり得るだろう。

 

 褒めっぱなしで終わるつもりは、当然ない。

 コイツ、余りにも体力がなかった。

 休憩時間に芝の上で大の字になっている彼女を見下ろし、単純にそう思う。

 

 

 恐らく、みのりはこれまで、憧憬の念のみでアイドルを目指してきた。

 そんな彼女は、それこそアイドルの模倣……つまり振りコピなどは、幾度なくやってきたのだろうが、そもそもの身体能力——基礎の強化に力を入れてこなかったのだ。

 

 

「奏音ちゃんの基準に合わせたら、全人類が体力ない認定になっちゃうよね!?」

「そうだな」

「否定しないのが、奏音ちゃんらしい……」

「事実ですから」

 

 というか、ナチュラルに心読むのやめてくれますかね? 

 

「それにしても、だ。自分の体力のなさは自覚しておけ。愛莉や遥は見ての通り、雫だって努力家だ。アイツらに追いつくってのが、どんだけ大変なことなのか、覚悟してんだろ?」

「……うん」

 

 神妙な顔をするみのり。

 クソ似合わねえし、気に食わない。

 一度息を吐き、パンッと手を鳴らす。

 そして、ニヤリと笑顔を浮かべて奏音は言った。

 

「だから……()()()()()()、頑張らないと、だな?」

 

 目を丸くしたみのりは、やがて破顔して大きく頷いた。

 勢いそのままに起き上がり、練習を再開させようとするみのりの首根っこを掴み、座らせる。

 

「ちょっと、待て」

「ぐぇ……」

 

 抗議の視線を苦笑いで受け止めて、口を開く。

 

「頑張るのと無茶、ヤケクソは別物だ。練習メニュー以上の運動は絶対に厳禁。練習量を増やしたいときは、愛莉か遥に相談しろよ?」

「はーい……って、奏音ちゃんは相談に乗ってくれないの?」

「素人に何を求めてんだ、お前は」

 

 適材適所、この言葉って結構良いこと言ってると思う。各自が各自の在るべき場所で、在るべき様に、成すべきことを成す……この思想が、凡ゆることに於いて最善であるような気がするのは自分だけなのだろうか。

 

 まあ、いい。

 とりあえず言いたいことは一つだけ。

 服を作ることと身体能力以外の取り柄は、奏音にないのである。

 

「俺用の体力トレーニングでもするか? 死ぬぞ?」

「あははは…………遠慮しときます」

「だろ?」

 

 頰を引き攣らせるみのりに肩をすくめてみせてから、奏音はみのりの隣に座る。

 そうして、大きく伸びをして言った。

 

「しばらくは休憩だ。雑談でもしようぜ」

「……うん!」

 

 そして、5分後。

 みのりの興味は奏音の自宅へと移り、奏音はこのときの選択を若干後悔するのであった。

 

 

 

✳︎

 

 

「……わぁ! すごい、喫茶店みたい!」

「まあ、元々バーを経営してたらしいし、あながち間違いでもない」

 

 結局、押しに押されて自宅に連れてきてしまった。

 だってこの子、凄いしょんぼりしたのがわかりやすいんだもの。

 雫然り、遥然り……愛莉には世話になってるし……もしかして、全員に甘かったりするのだろうか?

 

 驚愕の表情を浮かべる奏音をみのりが怪訝そうな顔で見ていた。

 

「まあ、いい。さっさと入れ、紅茶かコーヒーどっちがいい?」

「えっと、じゃあ紅茶で!」

「あいよ……ああ、そうだ。色々準備してる間に風呂入ってこい。汗びっしょりじゃ、時期に冷えるぞ」

「えっ!? 私、今もしかしてすっごい汗臭い!?」

「チェックしてやろうか?」

「紛れもなくセクハラだ!?」

 

 まあ、ここまで連れてくる際にお姫様抱っこという密着状態になっているため、今更だけどな……とは流石に口にしなかった。そのくらいの礼儀は弁えている。

 

 一言述べるなら、思っていたよりも肉付きがよかったことの衝撃が強くてあまり覚えていないから、そんなに匂いは気にならなかったよ? ぐらいだろうか。

 

「とりあえず、風呂場まで案内するから着いて来い。着替えはダボっとしたやつを用意してやるから、それで我慢しろ」

「……覗かないよね?」

「誰が覗くか……」

 

 軽口を返しつつ、手招きをして風呂場へとみのりを連れて行く。

 一応、風呂が洗ってあることを確認してから、湯沸かしのボタンを押した。

 シャンプーやリンス、ボディーソープに拘りがないことを聞いてから、脱衣所にみのりを押し込み、その場を後にする。

 

 

 

「採寸が出来りゃな……最悪でもスリーサイズを知ってたら、楽だったが仕方ない。漁りゃ、着れそうなやつも出てくるだろ」

 

 

 そんなことを呟きながら、奏音はみのりに似合いそうな服を適当に見繕い始めた。

 

 

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 

 

 

「……………………むぅぅぅ」

「悪かったよ……忘れてた」

「……わ、忘れてたで済むほど、軽い問題じゃないんだけど!?」

「しゃあねーだろ。ウチに女物の下着は無い」

 

 要するに、『すーすー、するんだけど!?』とのことだった。

 初めて見たわ、ノーパン女子高生。

 

「誰のせいかな!?」

「深く考えずに、洗濯機に下着ぶち込んだ過去の自分を恨め」

「うぅ…………」

 

 目の前で顔を真っ赤にして、半泣きになっているみのりからスッと目を逸らして、自分用のコーヒーを一口。

 ふぅ、と息を吐く。

 

「一人で、落ち着くのはズルいと思います!」

「紅茶をどうぞ」

「ありがとう、とっても美味しいよ!」

「次はミルクティーでも飲む?」

「飲むよ!」

 

 キレ気味の高評価に、律儀だなぁと感心してしまう。

 打てば響く、とはこのことか。

 みのりとの会話はこれだから面白い。

 

 ノーパンの影響もあり、みのりが現在着ているのは、私服とは到底言えない黒色のドレスだった。

 何を思って自分がこの服を生み出したのかは、正直わからない。社交界的な何かが出てくる映画でも見たのだろう。

 

 気をつけなければ裾に足を取られてしまいそうな(けれども、そのお陰で絶対領域の防御力は上がっている)黒のドレス自体は、みのり様の御眼鏡に適ったようで、機嫌はプラマイでギリギリマイナスぐらいだろう。

 しょうがないね、ノーパンだもの。

 どうでもいいけど、ノーパンってノーパソに似てない?

 

「……すごい、どうでもいいこと考えてなかった?」

「バレた?」

「うん」

 

 やだ、怖い。照れちゃう。

 

「で、本題は服だっけ?」

「今は正直、何よりも下着が欲しいよ……」

「買ってくれば?」

「鬼なのかなぁ!?」

「冗談。流石の奏音さんも、ノーパンで外を歩けとは言わねえよ」

 

 何の調教プレイだ、それ。

 まあ、現在進行形で現役女子高生アイドルを、路地裏深くの家に連れ込んでノーパンにして、自分の作った服を着せてるんですけどね?

 

 …………過去最高に、それもぶっちぎりで犯罪くせぇな。

 

「…………」

「顔赤くなってるけど、大丈夫?」    

「あ、うん。だ、大丈夫、だよ?」

 

 下手に意識したら恥ずかしくなってきたんですけど。コーヒー飲もう、コーヒー。

 それから、気分を落ち着けるために愛莉に叱られていたときのことを思い出そう。

 

 お小言の多い彼女の様子を思い出せば、少しは気も紛れ…………あれ?

 

「え、今度は急に顔が青くなってる!? どうしたの? お腹痛いの? 大丈夫?」

「だ、大丈夫……うん、大丈夫……多分」

 

 え、やばくない?

 これ、愛梨か遥にバレたらぶち殺される気しかしないんだけど。

 

「な、なぁ、みのり?」

「……どうしたの? 何か私にできることある?」

 

 心配そうな顔をするみのりに、奏音は極めて真摯に一つ提案をする。

 

「お嬢さん、僕と一緒に君のパンティーを買いにお出かけをしないかい?」

「セクハラ禁止!」

 

 鋭い右ストレートが、奏音の顔面へと突き刺さる。

 

 

 

✳︎

 

 

 

「…………ということで、好きなだけ持ってけ。女物の下着なら、今から買ってきてやるから」

「奏音ちゃん……って、最初からそうしてくれたら、私こんなに恥ずかしい思いしなくてよかったよね!?」

「まあ、若干気まずいからな。この見た目なら、世間体的にアウトじゃないのが救いだわ…………紐パンでも買ってきてやろう」

「流石に、私も怒るからね!?」

「冗談だ」

 

 

 ひらひらとみのりへと手を振り、フードコートを手に取って家から出る。

 家を出てしっかり施錠したことを確認してから、全力で上方向へと跳躍した。

 

 入り組んだ路地裏を形成するビルの壁面を壁ジャンプの要領で二、三回蹴り飛ばし、屋上へと降り立つ。

 高所から辺りを見渡すこと数秒間。

 最寄りのコンビニを見極め、飛び降りる。

 監視カメラの位置は頭に叩き込んである上に、一応フードも深く被っている。

 人物特定はされないように心がけてはいるのである。

 電柱の上へと降り立った奏音は、下に誰もいないことを確かめてから、地上へと降り立った。

 路地裏での生活に慣れている奏音だが、根は慎重派であるためその確認は怠らない。

 

 ……そもそも、奏音が自宅を構えるこの路地裏地域は『不良狩り』がよく出没するとの噂が幾度となく流れたこともあり、そこら辺で群れている屑共は基本的に近寄ることがない。

 そのこともあり、ここら一帯の人通りは皆無に等しいわけである。

 ぶっちゃけてしまえば、『不良狩り』こと黒柳奏音の縄張りであるこの地域だけは、治安がよかったりするのだ。

 

 

「……サイズは、まぁ適当でいいだろ。早めに買って、早めに戻るか」

 

 独り言を零しつつ、コンビニへ入る。

 割とすぐに見つかった女性用の下着、ついでにお菓子を幾つか見繕って会計へ向かった。

 

 特に違和感を与えることなく会計を終えてから、お釣りを財布に放り込む。

 コートのポケットに財布をしまってから、店の外へと出て行こうとした数秒前に、奏音の左腕が掴まれた。

 

 

「……ねぇ、クロ? 貴方、どうして女物の下着を買おうとしてるの?」

 

 

 心臓が止まった。

 

 

「あははは…………遥さんじゃないですか」

 

 

 終わったよ

 僕の人生

 これっきり

 どうしてあなた

 コンビニ居んの?    かのん。

 

 

「って、短歌詠んでる場合じゃねぇよ!?」

「店内だから、静かに」

「はい」

 

 正論パンチにより、秒で黙らされた奏音だった。

 

「……それで、何やってるの?」

「ええと、その。アレがああして、そうなりまして」

「何がどうして、どうなったの……?」

 

 遥も思わず苦笑いの説明だったが、この悪足掻きともいえる時間稼ぎが功を奏することになる。

 

「遥? その子、知り合い?」

「うん。杏とは初対面だと思うけど」

 

 話に割って入ってきたのは、遥の幼馴染にして、彼女の親友である白石杏だった。

 サバサバした性格で、誰とでも打ち解けることのできる杏はすぐに、店内でもフードを外すことのない奏音の素顔に興味を持った。

 

「へぇ〜、初めまして、私は白石杏。遥の幼馴染で、神高の一年生だよ。そっちは?」

「……ッ、……コホンッ、えっと()()()()()()()()。遥さんには少し前にお世話になってから、良くしてもらっています」

 

 フードを取って、穏やかに微笑みつつ発されたほんの少し高めで、柔らかい声。

 意図して出された女性よりの声に違和感を持つ相手は、そう多くない。

 

「…………ちょっと、遥! この子、凄い可愛いじゃん! こんな知り合いがいるなら、もっと早く教えてくれたら良かったのに!」

「別にいいでしょ、ってそんなに抱きついたら、かの……コホン。カノが困るでしょ?」

 

 危なかった、と冷や汗をかきつつ遥は奏音に抱きついた杏を引き剥がす。

 遥の両手が塞がったことを確認した奏音。

 ここからの奏音の動きは迅速かつ、無駄のない完璧な脱走術であった。

 

「……いえ、大丈夫ですよ。ただ、少し急いでいますので、私はこれで」

 

「あ、コラッ! カノ!」

「え? どうかしたの、遥?」

「…………! 逃げられたッ!」

 

 ペコリと一礼してから、店外へと飛び出すと同時に加速。

 一瞬にして、その姿を遥達の視界から消したのである。

 

 中々に親密そうであった二人がどのような関係にあるのか、わからなくなった杏であった。

 

 

 

 

 

 〜転章〜

 

 

 

 

 

「…………それじゃ、また遊ぼうね、杏」

「うん! バイバイ、遥」

 

 

 今日は久々に遥と遊べて楽しかったなぁ。

 当然だけど、ASRUNとして活動していた頃よりも自分の時間が増えたみたいで、今日のように二人で遊ぶ回数も少しだけ増えた。

 お陰で、財布が軽くなってるのが悩み所なんだよね。

 

「にしても、カノちゃんか……瑞稀と同じタイプってわけでも無さそうだけど…………男の子だったよね?」

 

 独り言に返事はない。

 自分の中で確認するように口にしただけだった。

 

「まあ、わざわざ言いふらすことじゃないし、可愛かったのも事実だから、気にすることでないのかな? それより、早く家に戻らないと!」

 

 最後に一言、口にする。

 

「かわいいかわいい義弟が、首を長くして待ってるだろうからね!」

 

 

 

 

 





 


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