樋口円香がプロデューサーの家に押しかけ女房する話 (ヘイテイ)
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樋口円香は〇〇したい。

 

 

✳︎同名でpixivでもSSを投稿しています。ハーメルンの方にも載せてみようと思いましたのでユーザー登録した次第です。

 

 

ーーーーー

 

 

 

「どうして、こんな事に…」

 頭を抱えた俺の横には、いつも通りの冷ややかな目元、いつも通り髪をピンで留めた姿に、いつも通りのパーカーを羽織る円香がいた。

 

 …いつも通りでないのは、俺の部屋に円香がエプロン姿でいるというこの状況だけ。

 

「今更なんですか、ミスター優柔不断。部屋に上がらせたのは他ならぬあなたでしょう?」

「それはそうなんだが…なあ、やっぱり今からでも…」

「拒否します。」

 

 そう言って円香は、こちらに一瞥もせず、手元だけせっせと動かしている。

 

 俺は事の発端となった事務所での一幕を思い出していた。

 

 

 

 すっかり肌寒くなったこの季節、俺は外回りがひと段落し、早く暖を取ろうと小走りで事務所に駆け込んだ。

 

「うぅ〜寒っ、ただ今戻りました!…あれ?誰もいないかな…そういえばはづきさんは今日午後に半休貰うって言ってたっけ。」

 

 いつもなら事務所にははづきさんかアイドルの誰かしらがいるのだが、はづきさんは不在。となると事務所には…

 

「お疲れ様です。…はぁ、あなたは独り言ですらも暑苦しいですね。」

「おっ、円香お疲れ様!ははっ、留守番してくれてありがとな。」

「別に。今日浅倉が補講だから、代わりにこれを渡しに来ただけ。」

「おぉ、そうだったのか…!わざわざノート持ってきてくれてありがとな。そうだ、何か飲むか?と言っても俺は…」

「知ってる、またコーヒーでしょ。ミスターカフェイン中毒者。私は結構です。」

「ははっ…まあ何だ、外も寒かったし、これがないと落ち着かなくてなあ」

 

 俺はそう苦笑いしながら、自分用のコーヒーを淹れる。外回りから帰ってきた時のルーティーンになっているし、どうにも口が寂しくなってしまうのだ。

 

「前から思っていたんですが」

「ん?」

「食生活、偏りすぎ。」

「あー…」

 

 図星だ。ここ数日、というかもうずっと、おおよそ健康的な食生活を送れていないことは自負している。

 言い訳しようにも、ゴミ箱にあるゼリー飲料とカップ麺の空容器の山が、そうはさせてくれない。円香、よく見てるな…

 

「はぁ…そんな体たらくでよく人に『体調管理をするのもアイドルとして大事なことだぞ』なんて言葉が吐けますね。」

「面目ない。」

「口だけならなんとでも」

「はい」

「ナンパ師、女たらし」

「はぃ…ってそれは関係なくないか!?そもそもナンパなんてしてないし…」

「受け手がそう捉えればそうなんです。」

「そ、そうか…ん?ってことは円香は俺に口説かれたと思ってるのか?」

「……」

「なあ、まど―」

「決めました」

「お、おう…?」

「今日、あなたの家に行きます。」

「はい!?!?!?」

 

 

 ―その後、円香は俺の仕事が終わるまで本当に待っていたらしい。途中で帰ったかと思ったが、どうやら料理の材料を買いに行っただけらしかった。

 なんだかんだと理由をつけて帰そうとしたが、そこは円香。俺との舌戦に負けるわけもなく、言いくるめられてこの状況になってしまった(親御さんにも透とは別の友達の家に寄って帰ると事前に言ってあったらしい)。円香曰く、

 

「大層な肩書を持っているあなたに倒れられると私たちの損失になりますので。」

「料理、作ってあげます。」

「…何。何か文句でも?このエプロン、お借りしますので。」

 

 とのことだ。

 円香から並々ならぬ気迫を感じたのもあるが、人の手料理を久しく食べていない俺にとっては大変魅力的な提案だったので、その欲望のままに従うことにした。

 

「円香、ちなみに何を作る気なんだ?」

「材料を見てわかりませんか?…シチューです。」

「へえ、シチューか!ははっ、ルーが見当たらなかったから見当もつかなかったよ。」

「…我が家はこれがスタンダードなんです。インスタントしか縁のなさそうなあなたにはわからなかったみたいですが。」

「そうだなあ。普段簡単な物ばかりだから、一から作るシチューはすごい楽しみだ!」

「本当にお気楽な頭をお持ちですね、ミスターポジティブシンキング。」

「はは、まあこんな性格だからな。っと、何か手伝えることはあるか?」

「…では、この玉ねぎの皮でも剥いていてください。」

「ん、了解だ!」

 

 そんなこんなで俺もいつの間にかこの状況を楽しむようになっていた。我ながら現金なものだ。

 

「よし、うまく作れたな!」

「あなたは皮むきと時間計測くらいしかしていないでしょう。」

「まあ、そうとも言うな。円香の手際が良くてほとんど何もすることなく終わっちゃったよ。ありがとな。紙皿までわざわざ買ってきてくれて、円香は本当によく気が回るよなあ。」

「……別に。一人暮らしの男性の家に複数食器があるとも思えませんでしたから。いいから自分の分を持ってあっち行って。」

 

 そういいながら円香は二人分をよそってくれた。口こそいつもの調子だけど、その行動の端々に彼女の優しさが伺える。透達にも円香はあんな感じなんだろうな、と思いながらテーブルに腰掛ける。

 

「それじゃ、改めて・・・」

「「いただきます」」

「…ん!!円香、すごく美味しいよ!」

「そうですか。まだ味覚はまともだったみたいですね。」

「はは、でも本当に美味しいよ。円香の手料理が食べられる人は幸せだな。」

「…」

 

 そういって、俺はどんどん食べ進める。

 幾分腹の虫も落ち着いてきたところで、ふと彼女のほうに目をやると、ふとした仕草や表情につい目をやってしまう。いかん、今更ながら女性を部屋に招きいれているんだよな…変な気はくれぐれも起こさないようにしよう。

 俺は急いで別のことに意識をむけることにした。

 

「そういえば円香、シチューを白ご飯と一緒に食べるんだな。何となくパンと一緒に食べてそうなイメージだったよ。」

「は?シチューと白ご飯は一緒に食べるものでしょう。日本では既に市民権を確固たるものにしているはずですが。」

「ん、んー、そうなのか?…円香、白ご飯が好きなんだな。」

「日本人ですから。」

 

 なんだか彼女の意外な一面が見れた気がして、つい頬が緩んでしまった。

 

 

 

「ふぅ、ご馳走様!」

「ごちそうさまでした。」

 

 そうして料理に舌鼓を打った俺たちは片づけを済ませ、何を言うでもなく、ゆったりとした時間を過ごしていた。

「円香、今日は本当にありがとう。おかげで英気も十分養えたよ。」

「…いえ。私が好きでやったことですので。」

 

 そういう彼女は少し俯きながら、どこかそわそわしているように見えた。

「ん、もうこんな時間か。そろそろ送っていくよ。」

「…」

「円香?」

 

「あの」

「今日、親には友達の家に泊まるって言ってあります。」

「だから」

「―今日、泊まらせてくれませんか。」

 

 静寂が部屋の中を満たしていた。

 まるで、永遠にも思えるその瞬間。円香の頬が徐々に朱に染まっていく。伏し目がちながら、彼女の瞳の奥底にたたえる光が、決意を表しているような気がした。

 

「ま、円香。何を言って―」

「答えて。YESかNOか。」

 

 ぎゅっと拳を膝の上に握りしめ、俺の返事を聞き逃すまいと体を強張らせている円香。いつものクールな雰囲気は鳴りを潜め、年相応の高校生を見ている気がした。

 

「―答えは、NOだ。」

 

「…そうですか。」

 

「……すまない。」

 

「…なんであなたが謝るんですか。…本当、変な人。」

 

「へ、変って言うなよ…!仕方ないだろ。そんなこと、今まで誰からも言われたことなかったんだ。」

 

「…ふぅん…そうなんですか。」

 

 取り繕うように言ったその一言に、

 

「てっきり、あなたはもう何人も女性を手玉に取ってきたのかと思っていました。」

「そ、そんなわけないだろ!」

「…フッ」

 

 そういって、微かに口元を緩ませた彼女は、いつも通りになったように見えた。

 

 

 

「じゃあ、忘れ物はないか?」

「はい。」

「よし、それじゃあ行こうか。」

 

 俺たちは上着を羽織り、念のため周りに人がいないか確認し、外に出た。

 

「さっきの話の続きですが、」

「うん?」

「また、料理しに来ますので。ほっとくと、またインスタント生活になってそうだから。」

「俺、信用ないなあ…!」

「自分の行動を顧みて、信用に値するものを示せていましたか?ミスタージャンクマン。」

「それはそうなんだが…」

 

 頭を掻きながら、うーんと考えを巡らせる。

 これはきっと、円香なりに考えた優しさ、なんだろうな。わざわざ男の家に来てまで、料理を振舞うなんて、まるで―いや、それはないだろう。うん。

 とは言え、料理がおいしくて、心身ともに癒されたのは事実だ。

 

「…わかったよ。」

 

 気づいたら俺はそう答えていた。

 

「決まりですね。では、これは預かっておきます。」

 

 そう言って、彼女に手元にはキラリと光る鍵。

 

「あれ…!?それ、もしかして俺の家の合鍵か…!?」

「ええ、玄関横にこれ見よがしにほったらかしにされていましたので。こうすれば、私がいつ来るか分からないでしょう?精々生活習慣をマシにしておいてくださいね。」

「確かに予備の合鍵はあそこに置いていたけれど。でもなあ…!」

「では、ここまでで結構です。家、もうすぐ近くですし。」

「あっ、本当だ、いつの間に…」

「こんなところで立ち往生しているの、浅倉に見られてもいいんですか?」

「うっ…!それは色んな意味でマズい気がするぞ…!」

「それでは」

 

 そういって、円香は小走りで駆けていく。

 

「…はぁ。とりあえず帰ったら部屋の掃除でもしておくか。」 

 

 誰に向かって言うでもなく、俺は踵を返して帰路につくことにした。

 その夜は一層冷えた日だったが、不思議と寒さは感じなかった。

 

 

―その後、度々円香が我が家に押しかける日々が訪れるのは、そう遠くない未来だった。

 

 

 

 

 

 

 私は家の前に辿り着くと、大きく息を吸って、何度も深呼吸をした。手元には、銀色に光る楔をしっかりと握ったまま。

 そうでもしないと、この緩み切った顔を家族に見られかねない。何かの間違いで、部屋で浅倉と鉢合わせようものなら、その先は想像もしたくない。

 

 今まで、あの人に減らず口を叩くことしか出来なかった。でも、今日、やっと、形に、声に、残すことが出来た。

 今度からは、もう少し素直になれるだろうか。そうすればいつかきっと、あの人に―

 

「…ッッッッ!!!」

 

 頭の中のイメージを思い浮かべて、思わず足踏みをしてしまう。

 いやだ。こんなの、私じゃない。

 必死に思い描いていたものを頭の隅に追いやる。

 

「……ふぅ。」

「…あのレシピ本、もう一度読み返しておこう。」

 

 最後に、そう呟いた。



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