見えぬ輝きの最南星《アクルックス》 (ヤットキ 夕一)
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第一章 The Amazing Ugly Duckling ~ダイユウサク~
第1R 大激論! キミの名は……



 春の天皇賞が行われたその日──あるウマ娘がレース場の片隅でひっそりと涙を流していた。

 小柄で、そして長い黒髪。
 肩を震わせ、普段は片目を隠している髪は、俯いているせいで両の眼を隠してしまいっていた。
 服装は未だに走った直後なことを示すように、そのままな様子の勝負服。
 青いドレスは袖が赤くなっており、ドレスと同色の帽子と、胸元には青い薔薇が飾られていた。
 青い薔薇──その花言葉である「奇跡」を今まさに起こしてきた彼女だというのに……彼女は一人で泣いていた。

 ──そこへ、一人のウマ娘が近づいた。
 俯いて泣くウマ娘と同じように長い髪だが、彼女とは違って癖のないまっすぐな髪だった。そして色も、黒ではなく明るい茶色──栗毛である。
 おでこが見えるくらいに、前髪を上げたその目は彼女に優しい目を向けていたが──鼻をならして小さくため息をつき──その目がキツくなった。
 そしてそのウマ娘は、彼女へ話しかける。


◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「……なんで、泣いてるの?」

 アタシは、ストレートに彼女に疑問をぶつけた。
 泣いていることに夢中で、気配に気づいてなかったみたいで、その黒髪のウマ娘はビクッと肩を震わせた。
 そして……恐る恐る顔を上げる。
 怯えたような表情で、アタシを見上げてきた。

「だ、誰……?」
「人に名前を尋ねるなら、まず自分から、じゃない?」
「う……」
 
 質問に質問で返され、ちょっとイラッとしたのが出ちゃったみたいで、その()はますます萎縮する。

「ライス、シャワー……です」
「なるほどね……」

 なんて答えたけど、知ってたわ。
 なにしろ──今さっきのレースで勝ったウマ娘だったんだから。他のレースならともかく、勝負服で走るG1は着ている服がそれぞれ違うんだから、それだけで判別がつくもの。

「で、その“春の天皇賞を制した”ライスシャワーが、なんでこんなところで小さくなって泣いているのよ」
「うぅ……」

 アタシが訊くと、切羽詰まったような表情になった彼女──ライスシャワー。
 あのねぇ、別に責めてるわけじゃないんだけど……
 辛抱強く待っていると、彼女はポツリとつぶやいた。

「……ライスは、悪役(ヒール)だから」
悪役(ヒール)? 勝ったのに?」
「──の、三連覇をライスが阻止しちゃったから。みんなが期待してたのに。それに、ブルボンさんの三冠も……」

 三連覇がかかってたのは、知ってたわよ。
 だって……去年、アタシも出走してたし。
 それでもアタシが、わざわざ彼女に声をかけたのは──気にくわなかったからよ!

「……アンタ、今日の人気は?」
「え? 2番、人気だった、けど……」

 アタシのこめかみが、ヒクつくのが自分でわかった。
 へぇ……そんな人気だったウマ娘が──なんでこんなに卑屈になってんのよ!!

「立ちなさい! ライスシャワー!!」
「は、はいぃぃぃ!!」

 アタシの大きな声で、そのウマ娘は反射的に立ち上がった。

「みんなが期待してた? それは、どこのどいつよ?」
「え? はい……?」
「そういうよくわからない“みんな”に遠慮して、アンタに期待してアンタの勝利を望んでいた人の気持ちを、無視していい訳ないでしょ!!」
「あ……」
「アンタは今日、三連覇がかかった“彼女”の次に、期待されていたんだから。胸を張りなさい!!」

 アタシは、そう言って──彼女のむき出しの肩を軽くポンと叩いた。
 放っておけないのよね、この()
 自分のことを「ライス」って言う──自分の名前が一人称なのはアタシと寮で同室の()を思い出すわ。
 それに──オフショルダーのドレスって勝負服は、色やデザインは全然違うけど、アタシと一緒。
 そして……あのウマ娘に勝ったところも、他人に思えないのよ。

「──アタシの時よりも、比べものにならないくらい、アナタに期待している人が多かったんだからね」
「え……」

 驚いたように、アタシの顔をまじまじと見つめるライスシャワー。
 うん? ひょっとして、アタシが誰だか気づいてない?
 ──っていうか、名前訊かれたけど、答えてなかったわね。そういえば。

(そもそも、顔を見ても気づかれないって……これでもグランプリウマ娘よ? アタシ)

 それもそんなに昔じゃないし。
 アタシはため息をつきながら、自分の時のことを話す。

「あの時も“彼女”は圧倒的な一番人気で、対するアタシの人気は15人中14番(ブービー)よ。その15番(ビリ)だって……」

 事情があっての最低人気。実質的に“まともに走れる中で”アタシが一番期待されていなかったってこと。
 しかもダントツの。

「……ほとんど誰も期待してなかったアタシが、“みんなが期待していた”彼女に勝ってやったの。その数少ない、期待してくれた人たちのために、ね」

 その肩に触れたとき、わずかに震えていたライスシャワーだったけど、それが収まった。

「胸を張りなさい。色んなことを言う人がいるでしょうけど……アナタの場合、少なくとも“一発屋”じゃないでしょ。菊花賞と合わせて、2つ目なんだから」

 アタシは笑みを浮かべて言う。
 ……自虐が入っていたから、ちょっと苦笑気味になっちゃったけど。

「アタシの時なんかよりもずっと多い、期待してくれた人のために……しっかり歌ってきなさい」
「は、はい……」
「もちろん、涙を拭いて、ね」

 アタシが言うと、彼女はやっと笑みを浮かべた。
 うん、これなら大丈夫そうね。
 ……まったく、本格化した後の“彼女”に勝ったウマ娘なんてほとんどいないんだから、それだけでも自信持ちなさいよ。
 アタシとライスシャワー(この娘)以外だと、一人は“彼女”と同じ名門家出身の()で、あとは外国のウマ娘。

(あとは記録上はそうなってるアレだけど……同類扱いはしたくないわよね、彼女だけは。まぁ、あのウマ娘自身、勝ったと思ってないんじゃない? もし勝ったって自慢してたら、呆れるけど)

 そう思い──アタシと同じように()()()()勝った、目の前のウマ娘に目を向けた。
 しっかりと顔を上げて立っている姿を見て、アタシはうなずいて──その場を去ろうと振り返る。
 そこへ──

「あ、あの!」
「なに?」
「お名前……聞いてなかったから…………」

 言われて、あらためて気がつく。
 ああ、さっき名乗ってなかったって思ったのに、それでも名乗り忘れるだなんて……
 というか、ここまで説明したんだから、気がついて欲しいわよね。アタシとしては。
 アタシは苦笑を浮かべながら立ち止まり──背を向けたまま、彼女に自分の名前を告げた。

「──ダイユウサク、よ」





 ──アタシの名前は、ダイユウサク

 

 男でもないのに「ユウサク」なんて名前に違和感があるかもしれないけど、アタシがウマ娘だと聞けば納得してもらえるかしら。

 

 

 アタシの親戚にはそれはそれはもの凄く有名なウマ娘がいらっしゃる。

 レースの、それも重賞でその名前が使われる──のが当たり前なくらいにとても有名な方。

 ウマ娘なら誰もが知っているんじゃないかしら。

 もっとも、その人とは遠い縁がある、程度でしかないのだけど。

 

 でも、だからこそ、親戚のウマ娘は期待されてしまうのよね。本当に過度なくらいに。

 アタシもその“過度な期待”の犠牲者の一人……いいえ、違うわね。それがあったからこそアタシの人生は、たった一度ではあったけど強烈に輝き、世の人の目に焼き付けることができたのだから。

 そしてなによりも──アタシを強烈に輝かせてくれた人に出会うことができたのだから。

 

 

 そう、アタシはいろいろ恵まれたおかげでトゥインクルシリーズで結果を残すことができたのよ。

 有名なウマ娘には『葦毛の怪物』とか『白いイナズマ』なんて異名がついたり、中には印象に残った差し脚を『弾丸シュート』なんて呼ばれるのもいるけど、アタシの異名は──

 

『世紀の一発屋』

 

 ……うん、なんかあまりいい異名じゃないわね、コレ。

 そんな異名がつくことになったアタシのウマ娘人生を、これから語ろうと思う。

 

 

 ──そんなアタシの人生は、最初っから波瀾だったらしいわ。

 というのも、これはアタシの記憶ではなく、母から聞いた話……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「だから、娘の名前はこうじゃなかったって言ってるだろ!!」

 

 その日、そこにはそんな怒号が響きわたっていた。

 

 ……なんて他人行儀な表現をしてしまったが、その声は私の声だった。

 しかし、そんな風に自分の行動が、第三者的な視線で見れば──感情任せに怒鳴るその姿がみっともないことだと理解しているから、自分の行動と認めたくなくてそんな他人行儀な表現になってしまっているのを勘弁していただきたい。

 ここは、とある市役所の市民課。

 住民である市民の皆様にとってはもっとも身近な市役所の窓口であり、市役所に来る市民の大多数はここ以外に用事がないほど。

 転入・転出の届出やら、住民票の発行。印鑑証明の登録とその発行。等々……市町村が住人個人に提供するサービスのほとんどがこの課の担当だからだ。

 だからこそ、ここには他の人の目がたくさんあるし、注目を集めてしまっている。

 

「しかしですね、現に住民票の登録はそのように……」

 

 私の剣幕に市役所の職員は戸惑いながらそう返す。

 この市民課は戸籍に関する登録もその範囲。

 実際、数年前に私の戸籍に一人の女性が増えた際にもこの課でお世話になっているし、つい最近もまた戸籍に載る名前が増えてお世話になったばかりだ。

 そしてその最近増えた名前こそが問題なのだ。

 

「だ・か・ら!! 名前が間違ってるって言ってるんだよ! ダイ()ウサクじゃなくて、ダイ()ウサクが正しいんだって!!」

 

 そう。

 私の娘──母と同じウマ娘として生を授かった彼女の名前が、こともあろうか間違えて住民登録されているのだ。

 これは彼ら公僕が犯したものとしては許されざるミスだ!

 

「そうは言いますが……」

 

 口ごもりながら困り果てている年若い窓口担当者。

 するとその背後に、ヌッとベテラン風の男性が現れた。

 

「キミ、ここは任せたまえ」

「か、課長!? しかし──」

「他にもお待たせしている市民の方々は大勢いらっしゃるんだ。ここは私が担当するからキミはそちらを」

「は、ハイ!!」

 

 若い職員はあわてて席を立ち、他の窓口へと移動した。

 空いたその席へ、ベテラン職員──課長と呼ばれていたので市民課の課長、つまりはトップなのだろう──がつく。

 だが、若手だろうがベテランだろうが関係ない。ヒラとか課長とか役職なんて私には関係ないのだ!!

 

「──お話は分かっております。お子さまの登録の名前が誤っていた、とのことですが……」

「ああ、その通りだ! 私の、愛娘の名前が、そちらの! 登録のミスで、違う名前で登録されていたんだぞ! このミスはどう落とし前──」

 

「おそれながら──」

 

 私の剣幕にひるむことなく、隙にスッと言葉を差し込んでくる市役所職員(課長)。

 そのタイミングの良さに、私は思わず言葉を途切れさせ、相手の言葉を聞くしかなくなる。

 

(──この男、デキる! さすが課長にまで登り詰めただけのことは、あるッ!!)

 

 その一瞬で、私は目の前の男の力量に戦慄さえしていた。

 そして彼は間髪をおかず、言葉をつなげる。

 

「名前の登録を()()()()()()ということで御不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳ございませんでした。部下に代わり、私が謝罪いたします。今後は、かようなミスがないよう指導を徹底して参りますので……」

 

 そう言って目の前の彼は流れるようなスムーズさで頭を下げる。

 一連の言動で私の機先は完全にそがれていた。

 

「お、おう……」

「無論、名前の登録に関しては速やかに正しいものへと訂正いたします」

 

 頭を下げたまま、彼はそう言い──

 

「──ですが、」

 

 ゆっくりと顔をあげた。かけた眼鏡の奥で、その相貌が不気味に光ったような気がした。

 そうして彼は窓口のカウンターに一枚の書類をスッと差し出す。

 んん? なんだ、これは。

 つい先日、見たような記憶があるのだが……

 

「──これは、貴方様が先日、出生届と共に提出された書類でございます」

 

 うん、なるほど。それなら確かに見覚えがあるはずだ。

 なにしろ自分自身で書いて提出したんだからな。

 

「そこに、名付けられたお子様のお名前を書く欄があるのですが──」

 

 そうそう。確かにここに、私は名前を書き……

 

 

 名前を書き……

 

 

 書いたんだけど……

 

 

 ──その名前を書く欄にはハッキリと「ダイユウサク」と書かれていた。

 

 

 

「……ダイユウサク、と書かれておられるようですが?」

 

 ……あ、うん。これは確かにそうとしか読めないね。

 確かに「ダイユウサク」だわ、これは。

 

 手書きだから仕方のないことだけど、明らかに「コ」の下の横線が突き抜けてるから「ユ」にしか見えないわ。

 その横棒も明らかな一筆書きで、加筆されたような誤魔化された形跡も一切無い。

 

「「……………………」」

 

 なんとも気まずい沈黙が流れる。

 無論、周囲には大勢の市民の皆様がいらっしゃる。

 自分の用事できた人達だろうけど、窓口で騒いでいたせいで注目を集めていてしまったし、一連の経緯は見ていた人には明らかなはずだ。

 周囲の人達も、この気まずい沈黙に気がついて「あ~、やっちまったな」という無言の言葉が我が身に刺さるのがよくわかった。

 

 そう、問題は──この後、話をどう収めるか、だ。

 

 よりにもよって窓口で大騒ぎをしてしまったせいで注目を集めてしまっている。

 人として一番正しいのは自分の非を認めて謝ってしまうことだ。

 だが──ここまで騒ぎを大きくしてしまったせいで、それは非常にみっともない。

 注目を集めてしまったことが、そのハードルを大きく上げてしまっている。

 謝るべきか、別の言葉を探すべきか──かといって、その言葉はまったく思い浮かばない。

 とっさに思いついたのは「おう、分かればいいんだよ」という言葉だったが、完全にこっちのミスなのだから、言えるわけがない。

 そもそも会話が噛み合ってないのだし、謝る以上にみっともない。

 

(くッ、ギャラリーの失笑が聞こえるようだ……)

 

 想像するだけで赤くなるくらいに恥ずかしいし、これはないだろう。

 この誤魔化し方は却下せざるをえない。

 

(だが、しかし、他には──)

 

 ほんのわずかな時間だったが、その間に頭をフル回転させて言葉を探す私。

 そうしている私の視界の片隅で、レンズの反射で表情が見えない目の前の男(市民課長)の口元が──わずかにニヤリと笑うように端が上がったように見えた。

 

(な、んだと? まさか、この男……この状況をあえて作り上げたのか!? この私を陥れたというのか!?)

 

 後発として窓口に出てきたこの男。

 彼は若手が初期対応をして防戦している間に、用意周到に切り札を準備してから出てきたのだ。

 大騒ぎをして迷惑をかけているクレイマーを懲らしめるのに、これ以上の手はなかっただろう。

 

(そうか、私は……クレイマーになってしまっていたのか…………)

 

 こういう状況になったからこそ我が身を省みてわかるその事実。

 しかし、だって仕方がないだろう?

 あんなに可愛い我が娘のために、私の考えて付けた名前が違って登録されていたんだから。感情的になるな、というのが難しいじゃないか!

 そうやって心の中で言い訳をしてみたが……無論、事態が好転するはずもない。

 いっそ、この心境を吐き出してしまいたかった。

 そう主張すれば、娘を愛する私の気持ちを理解してもらえるかもしれない。

 だが──それももちろんみっともないのだ。

 聞いている人の反応が、失笑から普通に笑いをこらえるのに変わるだけだ。少なくとも私がギャラリーだったら、そんな突然の独白を聞いたら絶対笑う。

 

(くッ、ここにいる誰かがスマホで録画していて、それをネットにあげられてしまったら……)

 

 必死に言い訳をする姿は、全世界に笑いをプレゼントすることになってしまうだろう。

 他人がそうしているのを見るならともかく、自分がそんなことの主役になるのは真っ平御免だ。

 

(かくなる上は……)

 

 もはや、私を追いつめるすべての元凶──カウンターの上に乗ったその紙へとチラッと視線を向ける。

 

(これさえなければ──)

 

 そう考えた私の体は、反射的に動いていた。

 動いた両手は紙を掴み、クシャッと丸め──飲み込んでしまおうと口の中に放り込んでいた。

 

「なッ!? なにを!?」

 

 驚いた男(市民課長)がカウンター越しにあわてて手を伸ばし、私の顔を掴んで止めようとする。

 

(おのれ、証拠隠滅を防ぐつもりか!!)

 

 ──とそのときは憤った私だったが、後になってよく考えれば、証拠隠滅よりも市役所として書類がなくなることの方が困るから、ということだろう。

 ともあれ、カウンター越しに始まったその押し問答。

 それは窓口周辺にいた人達の注目をもちろん集め──

 

「──あなた。一体なにやっているんですか?」

 

 背後から聞こえたその言葉に、私は思わず動きを止めた。

 聞き慣れたその声は、私の妻のそれ。

 突然動きを止めた私に戸惑ったのか、それとも寒気を感じさせるほどに、冷淡に怒りを静かに燃やす彼女の雰囲気に圧されたのか、市民課長も書類を取り戻すことをわすれたように動きを止めていた。

 

「あなた……」

 

 もう一度、冷たく響く彼女の声。

 振り向けば、笑顔であるもののまったく笑っていない我が妻の顔。ウマ娘である彼女の頭の上にある耳は、不機嫌さを如実に表すような動きをしていた。

 

「出しなさい?」

 

 彼女に言われ、口の中から書類を出す。

 他に置く場所が無く、仕方なくカウンターに置かれた湿った──それどころか明らかに濡れている──それを、彼女は冷たい目で一瞥した。

 一方、市民課長は若干ひきつった顔でそれを見る。さすがにそれを書類として扱いたくはないが、扱わざるを得ないのが彼のその表情の理由だろう。

 

「さて……うちの夫が、本当にご迷惑をおかけしました」

「い、いえ……」

「まったく、私に相談もなく、この子もいるから身動きが取れないのをいいことに、こそこそと動き回って相談もなしに決めてしまったんですよ?」

 

 そう、私の一存で名前を決めてしまったのだ。

 娘を見て──そのウマ娘に相応しい名前が、体に電気が走るように脳裏に浮かんだその名前を付けなければならない、そんな謎の使命感にとらわれて暴走してしまったのだ。

 誤って登録されたその名前にここまで大げさに反発してしまったのも、きっとその正体不明の使命感によるものに違いない!

 

「これは奥様……この度は、おめでとうございます」

 

 さすが市民課長。我が妻が我が子を抱いているのを見て、素早くお祝いの言葉を言っていた。

 やはり、この男は仕事ができる男だ。

 

「ありがとうございます。それで、この子の名前のことですけど……」

「……ダイコウサク」

 

 思わずボソッと言った私の言葉。それを聞き咎めた彼女の耳がピクッと動き、続いて彼女の冷たい目が向けられる。

 睥睨してから、彼女は考え込むと口を開く。

 

「そうですね。ウマ娘ですし、やはり将来はレースを走ってもらいたいから一発逆転を願って、ダイサンゲンなんて──」

 

 

「──その名前は登録できません」

 

 

 突然、無感情に──まるでコンピューターのような反応をする市民課長。

 思わず凝視してしまうが、すべての感情が抜け落ちたような無表情で、彼はもう一度同じ言葉を繰り返した。

 それを聞きながら、私は少し安堵しながら──

 

「や、やっぱりここはダイコウサクで……」

「却下」

 

 私の提案を、妻の冷たい言葉が容易く弾いた。

 そして彼女は私をジッとにらむ。

 

「あなた……この子は女の子なのよ? ダイゼンガーじゃあるまいし、人の名前の前に“ダイ”をつければなんでも許されるなんて思ってない?」

 

 力強く却下を宣言する妻に、思わず「えぇ~……」と思う。

 だって、ウマ娘の名前って、比較的性別関係ないじゃん。

 そういうものじゃないの?

 比較的よく付けられる、「なんとかオー」なんてその典型じゃないか。

 「王」なんだから王様だよ? 男じゃん。女だったら「女王」ってなるでしょ。

 場合によっては「なんとかボーイ」とかついてるよ? ボーイって男の子のことだよね? 女の子だったらガールだもんね?

 実際の王様の名前でもある「ジョージ」が名前に付いてるウマ娘だっているし。もちろんその王様、男ですから~!!

 もちろん「~ちゃん」とかついていたり、「女武人族」とか「貴婦人」とかを意味するような女性を意識した名前が付けられたウマ娘もいるけど、そういうのもひっくるめて男女どっちもあるから、ウマ娘の名前って性別関係ないと思うんだけど……

 

「し、しかし、やはり──」

 

 もう一度私が、名付けようと思った名前を推そうとすると、妻は大きくため息をつく。

 

「──わかりました。じゃあ、変更無しでお願いします」

 

「「はぁッ!?」」

 

 私と市民課長の声が思わず重なる。

 

「ちょ、ちょっとなに言ってるんだよ!?」

「あなたは黙ってて──大丈夫ですよね、課長さん?」

「そ、それは……もちろん我々は大丈夫ですが。しかしよろしいのですか?」

 

 カウンターの向こうで、驚き半分戸惑い半分の男性(市民課長)がチラチラと私の顔を伺いながら妻に確認する。

 

「ええ。だって──」

 

 そんな彼に、妻は笑顔で答える。

 

「──コウちゃんだったら男の子だけど、ユウちゃんだったら女の子でも大丈夫でしょう?」

 

 その一言で、愛する我が子──妻の腕に抱かれてすやすやと寝ているウマ娘の名前は“ダイユウサク”に決まったのだった。

 

 

 ────後日、動画配信サイトに市役所窓口で書類を口の中で証拠隠滅を試みた人の映像があがっていたらしい。

 職場で「なんか、この人に似てませんか?」と話題になったが──「いやぁ、心当たり無いなぁ」と言う以外になかった。

 




◆解説◆
The Amazing Ugly Duckling
・本章の題名。
・この章は、すでに私が書いて完結させている『ウマ娘 The Amazing Ugly Duckling』のある意味リメイクとなりますので、共通したタイトルとなりました。
・その時も書きましたが「ジ・アメイジング・アグリーダックリン」とカタカナ表記だと長いし間が抜けているのでアルファベット表記になっています。
・『The Ugly Duckling』は童話「みにくいアヒルの子」のこと。同じく童話のタイトルが入っている「シンデレラグレイ」にかけたものでした。
・リメイクにあたり、前作ではあくまでも、アニメ2期に登場したモブウマ娘の一人だったダイサンゲンが主役でしたが、今回はそのダイサンゲンではなく、そのモデルになった競走馬ダイユウサクのウマ娘の話となります。
・その影響で、前作はあくまでアニメ準拠でしたが、本作は主役と同時期のウマ娘たちを描いていることから漫画「シンデレラグレイ」準拠になっています。
・ちょっと紛らわしくて分かりづらいですが、よろしくお願いします。

【君の名は……】
・今回のタイトルは、もちろんあの有名作品から。
・旧作の第一話のタイトルから少しアレンジしたら、元ネタそのまんまになってしまった。

ダイユウサク
・本章の主人公であるウマ娘。
・勝気な笑みがよく似合うウマ娘で、茶髪(鹿毛)の長髪をおでこが出るくらいに後ろに流している。
・勝負服は赤と黄色、黒のドレスのようなデザイン。
・モチーフ馬は同名の実在馬であるダイユウサク。
・第二次競馬ブームを巻き起こしたオグリキャップによる有馬記念の有終の美を飾った翌年、1991年の有馬記念の優勝馬。
・生涯通算成績は38戦11勝、2着5回、3着2回。世間で言われる“一発屋”のイメージに反して長い期間走り続け、良い成績を収めている。
・その最も輝かしい戦績こそやはり91年の有馬記念。
・新たなスター、メジロマックイーンが大本命とされている中、誰も目にとめないだろう15頭中14番、人気オッズ137.9倍での勝利は実況だけでなく世間をビックリさせた。
・そしてそのオッズは、現在までの間(2020年開催まで)で有馬記念における単勝最高配当である。
・当時現役最強馬だったメジロマックイーンは、秋の天皇賞、ジャパンカップと負けているが、「斜行による降着で1位入線」とか「勝ったのは外国馬で、日本馬の中ではトップ」という言い訳ができない状況で鼻っ柱を叩き折った勝利はマックイーンのその後の成長にも一役買った──と信じたい。
・有馬での勝利を「まぐれ」「フロック」と揶揄する者も多いが、レコードをたたき出したその走りが、その後12年間も破られなかったところからも、決して情けないレースだったのではなく、弱い馬でもなかったのだ。

それはそれはもの凄く有名なウマ娘
・競走馬ダイユウサクの馬主の話ですが、その方の兄も馬主で──その方の所有馬の中に、あの“シンザン”がいます。
・名前が付いた重賞「シンザン記念」はゲームでも出てくるレースで、キャラによってはイベント戦にもなってますね。
・競走馬の血縁的には繋がりがないので、あくまで「遠い親戚」という位置づけになりました。
・馬主が共通=親戚というのはウマ娘でも「メジロ家」としている例もありますので、それに近いようなものだと考えてもらえれば。
・あくまで遠い親戚なのと、偉大過ぎて「あの方」とダイユウサクも明言を避けています。

ダイ()ウサク
・競走馬ダイユウサクは本来は、馬主さんは馬の母父であるダイコーターの「ダイ」と、自身の孫の名前「[幸作(コウサク)」を組み合わせて『ダイコウサク』と名付ける予定……というか名付けたつもりでしたが──
・ところが調教師の内藤氏が「コ」を「ユ」と読み間違えて『ダイユウサク』と登録してしまう。
・そんなウッカリで名付けられたダイユウサク。名前の変更も可能だったのだが……デビュー当時の成績から「孫の名前を付けるのはちょっと……」と思われたのか、変更されることなくそのまま、となった。
・本作の展開は、あくまで史実をもとにしたフィクションですので、間違えるように書いた側と読み間違えた側のどっちが悪いって話ではありません。

ダイサンゲン
・アニメ版ウマ娘2期の第3話から登場したアニメオリジナルのウマ娘の名前。
・赤と黄色、黒のドレス状の勝負服に身を包んだ彼女は、有馬記念の回想シーンで登場し、メジロマックイーンを二着に抑えて優勝した雄姿を見せる。
・その後は、トウカイテイオーの復帰戦で登場。セリフもついたが惨敗。イクノディスタスの後ろで、サイバイマンに自爆されたヤムチャのような姿勢でターフに転がっていた。
・その後、マックイーンとテイオーの直接対決になった天皇賞(春)では意味深に終始オーラを出していたが──やっぱり何も起こらずに敗北。
・──というように、明らかにダイユウサクをモデルにしたアニメオリジナルのウマ娘。
・モデル馬の名前を取り込みつつ、「ビックリ」という印象や大逆転の要素を入れたいい名前だと私も思います。
・本作のオリジナルウマ娘であるダイユウサクはこのウマ娘をイメージしていますので、私の描写力では足りないと思うので、外観的には彼女を参考にしてください。
・ちなみに──『ダイサンゲン』という競走馬が存在していました。役場ではねのけられたのはそれが原因なんじゃないでしょうか。

ダイゼンガー
・競走馬でもウマ娘の名前でもなく、スーパーロボット大戦シリーズに登場するロボットの名前。
・「第二次スーパーロボット大戦α」で初登場し、巨大な剣「斬艦刀」を武器として外連味のある戦闘ムービーと共に人気を博した。
・その名前の由来は「ダイナミック・ゼネラル・ガーディアン」という機体から「ダイゼンガー」と名付けられた……
・という設定だが、ぶっちゃけ乗り手のゼンガー=ゾンボルトからなのは明白だったり。

なんとかボーイ
・具体的にはトウショウボーイ。また、ダイユウサクと同い歳のサッカボーイがいる。
・ちなみにそのサッカボーイ。社台グループの馬なのでウマ娘の実装は絶望的。
・そのためオグリキャップが主役の「ウマ娘 シンデレラグレイ」ではモデルにしたディクタストライカというウマ娘が登場してそこを埋めている。
・本作でも第一章の主役と同年代なので今後、登場する可能性もありますが、その際には「シンデレラグレイ」のディクタストライカになると思われます。

ジョージ
・代表的なそれが付いた競走馬名と言えば、オサイチジョージ。ダイユウサクにとって運命の、あの有馬記念にも出走している馬です。
・また上の世代になりますが “気まぐれジョージ”こと宝塚記念馬のエリモジョージもいます。
・日本でも芸能人(所さんとか、キタサンの馬主の弟子だった某演歌歌手とか)にいるくらいにメジャーな名前。
・外国では英語圏でメジャーな名前で王様になった人も。特に英国王室にはジョージ6世までいらっしゃったりする。
・英国の守護聖人が「聖ジョージ」なのも原因と思われますが。

女性を意識した名前
・主に牝馬ですが、競走馬の名前はそういう名前も多いです。具体的には──
  「~ちゃん」→カレン()()()
  「女武人族(アマゾン)」→ヒシ()()()()
  「貴婦人」→サンド()()()()(ピアリス=貴婦人の意)
というのが、例に出たものの元ネタです。
・ヒシアマゾンの「アマゾン」はそっちじゃなくて「密林」の可能性もありますが。
・ちなみにサンドピアリスはダイユウサク以上の高オッズで勝利し、G1単勝最高配当(ダイユウサクは有馬記念で単勝最高配当)記録を持っている競走馬。
・1989年のエリザベス女王杯で、そのオッズはなんと430.6倍。
・サンドピアリスはウマ娘未実装ですが──馬主が一口馬主クラブなので実装は難しいかも。


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第2R 大健啖! あれが噂のオグリキャップ

 
 誕生日っていうのは、一年間365日のどの日だろうが関係なくあるわけで……


 しかし不思議なことに、ウマ娘の誕生日というのはかなり偏りがあって、3月から5月の人達ばかり。
 そんな中でアタシの誕生日の6月というのは──ウマ娘の中ではかなり遅い方なのよね。
 アタシが幼いころに体が弱かったり、体が小さかったのはそれが影響──したとは考え辛いか、さすがに。
 いくら発育が悪かったからって、育ちきるまでに十年以上かかるんだからそれを理由にするのは無理があるわよね。


 ともあれ、アタシはそんな感じで同年代のウマ娘に比べると小柄で、しかも貧相な状態で幼少期を過ごした。
 だから──正直、トレセン学園へ入学するほどの優秀さはなかった。なにしろ病弱だったし。
 そんなアタシが入学できたのは、やっぱり(ひとえ)に“遠い親戚”が絡んでいたんだと思う。
 この中央トレセン学園にも非常に強い影響力を持つ、とんでもない重鎮ウマ娘の御方が口利きをしてくれでもしないと、当時のアタシ程度のウマ娘が入学できるわけがなかったんだし。
 アタシどころか両親も知らなくてビックリしてたけどね。


 そう、当時のアタシは体が弱かった
 体も細かったし、その頃から鹿毛の茶髪も伸ばしていたけど栄養不足で艶がなくてボサボサって感じ。
 そんなだから、必死にトレーニングも頑張ったけど、ほとんど身になってなかったように感じる。
 でも──周囲の目がアタシを必死にさせていた。

(誰がどう見たって、この学園にいられるようなウマ娘じゃないでしょ、アタシ)

 その貧相な体や、それに見合った身体能力は、アタシが「コネで入学した」という噂をされるのに十分だったのよね。
 だから、そんな悪評を覆すためにもアタシは必死に努力したわ。
 体格の関係ない学力はもちろんのこと、運動だって鍛えればなんとかなる。体は急に強くはならないから、今は駄目でもいつかその努力が花開くときがあると信じて、アタシは頑張った。
 少なくとも、その頑張りだけでも周囲に認められるように、と。
 とはいえ、生まれ持ったものというものはいかんともしがたい、という冷徹な“この世の理”というものがある。
 同級生が次々とデビューしていく中、アタシはとてもデビューできるような状態ではなく──最初の一年はレースに出ることさえままならなかった。
 だから同級たちが活躍するのを、遠い世界の出来事のように眺めることしかできなかった。
 サクラチヨノオーみたいにデビューしてからすぐに勝利を重ねるウマ娘たちの空気を身近で感じ──そして自分との差を思い知らされてため息を付く。
 でも、アタシは続けた。
 続けるしかなかった。
 まだデビューさえしていない──スタートにすら立ってなかったんだから。

 そんな中、本当にアタシから遠い世界──地方のカサマツ──で活躍した同学年のウマ娘の活躍が生徒会長の目に留まって、スカウトされた。
 そうして彼女はこのトレセン学園へ転入してくることになった。
 それはあっという間に噂となって学園中に広まった。
 強いウマ娘の話があっという間に広がるのは、そう珍しいことではなかったから。

 ──その話題の彼女に初めてアタシがまともに会話したのは、食堂だったとハッキリ覚えている。



 

 このころのアタシは食堂について苦手意識を持ち始めた頃だった。

 アタシの食は健啖家が多いウマ娘はもちろん、同年代のヒトに比べても細かったのがその原因。

 食欲のない日なんかは、ほとんど残すようなこともあったんだけど──

 

「あぁ、またダイユウちゃんってば、残してる……」

 

 それを見咎めるウマ娘がいたのだ。

 アタシが食事を終えて席を立つと、近くに彼女がいると必ずそう声をかけられる。

 食器の上に残った料理を見て、彼女は悲しげな表情を浮かべていた。

 

「う……、スーパークリーク……」

 

 茶色の長い髪と、競うことを生き甲斐とするウマ娘にしては珍しく、穏やかな雰囲気を持った彼女。

 その雰囲気が、大人しさとか優しさからくるものではない、と気が付いたのは彼女がアタシに声をかけてくるようになってからだった。

 

「大丈夫? また体調悪いの?」

「そ、そんなことない。熱もないし、トレーニングもきちんとできてるし……」

「それならちゃんと食べないとダメよ? そうじゃないとせっかくトレーニングしても体がきちんと作られないんだから」

 

 彼女がアタシに声をかけてきたその理由の正体は──母性だった。

 小柄で貧相、病弱に見えるアタシの姿は、彼女の母性本能を直撃したらしい。

 同級生から「まるで娘のよう」と揶揄されるくらいに、彼女はアタシの世話を焼き始めたのだ。

 そんなに心配してくれるのは、ありがたいとは思う。

 なぜなら彼女が眉根を寄せたのは、アタシが食事を残したのを責めるのではなく、純粋にアタシの体調を心配してのこと。

 純粋に心配してくれる相手を無碍にするわけにはいかないのは当たり前。

 でも、それはそれでアタシにとっては重荷でもあった。食べたくても体が受け付けないんだから、どうしようもなかったんだから。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんなやりとりが何度も繰り返されているうちに、アタシはすっかり食堂で彼女──スーパークリークを警戒するようになってしまったのよね。

 思わず彼女がいないのを確認してからコソコソと食事するくらいに。

 その日も、あえて混んでいない時間にずらし、周囲を見渡して彼女がいないのを確認してから食事をもらい。席に着く。

 ──同時にため息をついた。

 

「いったい何やってるんだろ、アタシ……」

 

 思わず口をついて出る愚痴。

 たかが食事をすることに、なんでこんなに神経質にならなければならないんだろ。

 そしてその“たかが食事”は日に三回もあるのだ。全寮制のこの学園では、基本的に3度の食事は、全てこの食堂でとることになるのに。

 

「でも……こんなんじゃ、身が持たないわよ」

 

 気分的には天敵を警戒して身を守りつつ食事をとるような草食動物。

 無論、そこまで警戒してもあとからスーパークリークが来てしまうことがあるので完全には防げない。

 

「そりゃあ、アタシが完食すればいいんだけど……」

 

 つぶやきながらアタシは恨めしげに、今日も盛大に盛られた食事を見つめる。

 それができれば苦労はないし、悩みもない。おまけにアタシのトレーニングにも良い影響を与えるだろうし、良いことずくめだ。

 ──それができないから、苦労も悩みも尽きないし、トレーニングも上手くいかないんだけど。

 口からは自然とため息がついて出る。もう、今日この場所に来て何度目だろうか。

 そうしていると──アタシの横で、「ドン!」と大きな音がした。

 

「──ッ!! え……?」

 

 その音に驚いてそちらに目を向け──さらにその光景にアタシは唖然とさせられた。

 そこには信じられないほどの、山盛りを越えた盛りになった料理が所狭しと並べられていたのだ。

 もう見ているだけお腹一杯。胸焼けまでしてくるよう。

 少し気持ち悪ささえ覚えるアタシの、その横の席に着いたのは──葦毛の髪のウマ娘だった。

 長い髪で、前髪が白く、頭頂部は黒くなっている特徴的な葦毛。

 その彼女は──

 

「──いただきます」

 

 そう言って手をあわせると、その大量の食事をあっという間に平らげ始めた。

 見る見るうちに消えていく料理たち。

 その速度は恐るべきもので、目の前の光景ながらとても信じられない。

 

「えぇ…………」

 

 唖然とするアタシの口から思わずこぼれた声に、彼女は一瞬だけ反応した。

 耳がピクッと動いてこちらを向き、その後、彼女はチラッとこちらへ視線を向ける。

 無言──いや、口が食べるのに忙しすぎてしゃべることができなかっただけなんだけど、彼女の目は雄弁に「やらんぞ」と語っていた。

 

(いらないわよ! ったく、もう……)

 

 こっちは通常量の食事さえ持て余しているんだから。

 その視線に思わず悪態を付きたくもなる。

 そうしているうちにアタシへの興味をなくしたのか、はたまたアタシが食事に興味がないのを悟ったのか、彼女は目の前の食事へと再び集中し──気が付けば、先ほどまであった大量の食料は、瞬く間に消え去っていた。

 さすがにそれには唖然とするしかない。

 

(世の中にはこういうウマ娘もいるのね……)

 

 自分と対極のようなそのウマ娘を思わず見つめ、我が身を省みてそっとため息を付き──驚くべきことにまだ足りなさそうにさえしている彼女を見て、ふと思いつく。

 アタシの手元には、おかずに手を付けていない食事があった。

 

(あれ? これって名案なんじゃ……)

 

 その考えに至ったアタシは、彼女がおかわりを取りに席を立つ前に、声をかけた。

 

「あの……」

「ん?」

 

 多くは語らない。クールな感じの彼女は、アタシの呼びかけに静かに振り返った。

 一度、アタシを見て、次にアタシの前にある食事を見る。

 それからもう一度アタシを見た彼女に──

 

「これ、食べない? 全然手を付けてないから──」

「いいのか?」

 

 即答だった。

 確認する彼女にアタシがうなずくと、彼女はアタシが翻意しないうちにと考えたのか、あっという間にそれをペロリと平らげてしまった。

 そのあまりに見事な食べっぷりに、アタシはついには呆れやその他いろいろな感情を放り出して、苦笑気味に微笑む。

 その視線に気が付いたのか、その葦毛のウマ娘はアタシを振り返る。

 

「ありがとう。でも良かったのか? あまり食べていないようだが」

「ああ、心配してくれてありがと。でもアタシ、食が細くてほとんど食べられないから」

「そうか。それは可哀想に……」

 

 人生のほとんどを損しているぞ、と言わんばかりに気の毒そうな目で見てくる彼女。

 そんな彼女の目が、本当に可笑しくて──アタシはつい、笑ってしまった。

 その反応に、きょとんとした彼女に対し、笑みを浮かべてさらに続ける。

 

「食べられないのは仕方がないけど、でも、残してしまうのはもったいないでしょ?」

「うん。それはそうだ。せっかくの料理なのに」

「もしよかったらアタシが、食べきれないときには、また料理を食べてくれない?」

 

 勿論、食べ残しなんかじゃなくて、手つかずのものを、ね。

 アタシが提案すると、葦毛のウマ娘は頷いて「そちらがいいのなら、是非」と答える。

 同時に、アタシの心が軽くなった。

 これで食器に料理が残っていて、それを見たスーパークリークに心配をかけることもなくなるんだから。

 

「うん、もちろんよ。これからよろしくね、えっと……アタシはダイユウサク。あなたは?」

 

 アタシが名乗って尋ねると、彼女は爽やかな笑顔を浮かべ──

 

「──ああ。オグリキャップだ」

 

 彼女が名乗った名前に、アタシは驚かされた。

 その名前こそ、カサマツから転校してきた、今話題のウマ娘の名前だったんだから。

 




◆解説◆

【あれが噂のオグリキャップ】
・今回のタイトルは、元ネタあるの? という感じですが──
・意識したのは『勇者特急マイトガイン』の第1話「あれが噂のマイトガイン」から。
・まぁ、他にもありそうなタイトルですが、私が意識したのはコレです。
・ちなみにその前は「健啖(けんたん)」ではなく「大食漢(たいしょくかん)」を使いたかったのですが、「漢」なので男性をあらわす言葉になってしまう上に読みも「ダイ」ではなく「タイ」になってしまうので諦めました。

アタシの誕生日
・ダイユウサクの誕生日は1985年6月12日。
・本作の掲載開始日はそれに合わせ、その36度目の誕生日より開始。
・1985年──といえば、茨城県民である私にとって印象深いのは「つくば科学万博」。
・当時、臨時に常磐線の駅ができたのですが、10余年後にそこを再利用したのが「ひたち野うしく駅」です。
・それにしてもこの駅名もそうですが、「つくば」の成功例にあやかりたいのか、茨城は自治体や地名とか、やたらとひらがな表記にしたがる傾向にありますね。
・当時の流行といえば──1983年の発売になりますが、初代ファミコンのファミリーコンピュータが爆発的にヒットしたころでした。
・というのも「スーパーマリオブラザーズ」が発売されたのがこの年(1985年9月13日)だったからです。
・ちなみに定着してる略称の“ファミコン”ですが、その商標登録って任天堂……ではなくシャープが持ってた時期があったりします。
・オーブンレンジのために1981年に家電部門で取ったそうなんですけど──1983年10月に娯楽用品部門でも取得。
・結局は、娯楽用品部門での商標はその後に任天堂に譲っていますが、家電部門については未だにシャープが所持中だそうな。
・娯楽用品部門の登録をファミコン発売直後にするとか闇を感じなくはないのですが……その縁があったからか後にディスクシステムも遊べる「ツインファミコン」はシャープ製でした。
・当時は「ディスクシステム外せば普通にファミコン使えるじゃん」と思ってましたが、発売元が違っていたからなんですね。シャープも“ファミコン”で稼ぎたかったと。

トレセン学園
・シンデレラグレイによれば、トレセン学園は地方にもある(カサマツトレセン学園)そうですが、今回のそれは府中にあるゲームやアニメと同じトレセン学園のこと。
・「日本ウマ娘トレーニングセンター学園」が正式名称。
・トゥインクル・シリーズでの活躍を目指すウマ娘のための教育機関で、全寮制の中高一貫校。
・東京都府中市に所在し、総生徒数は2000人弱。
・ダイユウサクはスーパークリークやオグリキャップと同じ世代なので高等部になります。

体が弱かった
・史実のダイユウサクは、生まれた直後は評価が高かったものの、成長するにしたがって体つきが変わってしまったそうで……
・虚弱体質(骨が弱く、腰の弱さも母から譲り受けてしまった)のせいで、調教がろくに行えないまま新馬時代を過ごしてます。
・そのため本作では“体が弱かった”という設定になっています。
・高等部になっても体弱いのにトレセン学園に入学するなよ、というツッコミが入りそうですが、中等部にすると同世代との絡みができなくなってしまうので、ちょっと無理のある設定になっています。
・遅かった誕生日のせい……でもあるんでしょうけど、本文中どおり、それを理由にするのはウマ娘的には厳しいかも。
・そもそも競走馬でも、その一日遅れで生まれた馬がクラシック時代に活躍してますし。

コネで入学した
・本作の“あの方”ことシンザンとの遠い親戚設定はこの状況のためです。
・というのも、↑でも解説しましたが、ダイユウサクは初期のころは乗馬転向させられそうなほど能力が低すぎて、どうやってトレセン学園に入学したという理由をつけようかと考えてしまうほどです。
・明らかに学園での底辺クラスの能力に、まぁ、ゲーム中の実況で名前呼んでもらえないモブウマ娘たちも入学しているんだからそこまで……と考えなくもなかったんですが、シンザンとの縁に気がついた時点で「これを利用しよう」と考えたのが理由。
・本章の題名が“みにくいあひるの子”である以上、ある程度いじめられないといけないので、その要素のためでもあります。

サクラチヨノオー
・シンデレラグレイで活躍し、ゲーム版でも(2021年6月現在)サポートカードが実装しているウマ娘。
・ダイユウサクと同世代で、G1朝日杯3歳ステークス(現在の朝日杯フューチュリティステークス)を制している。
・ここのシーンでは同じく新馬のG1、阪神3歳ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)を制したサッカーボーイの名前を出したかったのですが、未実装な上にシンデレラグレイでは「ディクタストライカ」というオリジナルウマ娘になっているので、あえて出しませんでした。
・本作はシンデレラグレイ準拠なので、ディクタストライカの名前を出してもよかったのですが、どうしても必要な登場でもないので、泣く泣くスルーしました。
・ちなみに「シンデレラグレイ」だと、昔の名前でも現在の名前でもないものにレース名が変わっています。それぞれ「朝日杯ジュニア(ステークス)」、「阪神ジュニア(ステークス)」という表記になってます。

ダイユウ
・さすがに競走馬の名前は長いのが多いので、様々な愛称がつくウマ娘たち。
・ダイユウサクなら──と考えて順当に浮かぶのはユウサク。
・しかしこれは完全に男性名なのでさすがにあんまりだと思ってボツ。
・結果、ダイユウとなりました。
・ちなみに家族や近い親戚からは「ユウ」と呼ばれてます。

スーパークリーク
・ダイユウサクと同年代の競走馬の魂を受け継いだウマ娘。
・もとになった競走馬は、天才ジョッキー武豊に初めてG1勝利をもたらし、彼からも特別視されている名馬。
・ウマ娘としては実家が託児所で重度の「甘やかしたがり」という性格。
・そんな面倒見の良さから、明らかに(特定部分だけでなく体そのものが)発育不良なこの頃のダイユウサクを心配している。
・ただし、コネ入学に負い目を感じて他のウマ娘と距離を置いているダイユウサクにとっては、グイグイ距離を縮めてくる彼女が苦手だったりします。
・ちょっと悪役テイストが入ってしまい、本当に申し訳ない気持ちです。
・けっして筆者はスーパークリークが嫌いではなく、むしろ好きな方ですので。
・ゲームでも「円弧のマエストロ」目当てでSSRサポカに大変お世話になってますし。

オグリキャップ
・先のスーパークリークと並び「平成三強」と呼ばれ、また第二次競馬ブームの火付け役となった伝説的アイドルホース、オグリキャップ。そのウマ娘。
・漫画シンデレラグレイでは主人公になっており、それに準拠している本作でも、彼女は当然に登場。
・史実では、ダイユウサクの有馬記念の前年を「伝説のラストラン」で有終の美を飾っており、その年の天皇賞(秋)ではダイユウサクと走っている。
・活躍時期がズレているものの、オグリとダイユウサクは同い歳なので、どうしてもつながりを持たせたかったからダイユウサクも高等部にしたという経緯があります。


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第3R  大盛況? 食堂に導かれし者たち

 彼女──オグリキャップと出会い、彼女にアタシが食べきれなかった食事をあげるようになって、アタシの周囲は変わり始めた。

 まず、スーパークリークを警戒する必要がなくなった。

 というのも、アタシとオグリキャップがテーブルを囲んでいると、さすが注目の的、他のウマ娘たちもやってくるから。

 最初は他のウマ娘たちに距離を取られていたけど、ペガサスステークスに勝ってからは集まるようになり、さすが人気者といったところよね。

 ……アタシとしては、結果を出すまで近づかなかった「ニワカ」には思うところがないわけじゃあないけど。

 

 で、さすがにそんな“注目の的”の隣で地味にいるアタシに、わざわざ声をかけるのも気が引けるようになったらしくて──完全にアタシの作戦勝ち。

 それどころか、スーパークリーク自身がオグリに興味を持って顔を出すことがあるほどだし。

 ぜひその興味をオグリに全振りしてほしいところだわ。

 とはいえ、そんなときに彼女が見せる表情は、アタシが食べない食事をオグリにあげてしまうのを見て、いいとは思っていないみたいのは相変わらず。明らかに不満げな様子でアタシのことを見てたし。

 それに後ろめたさがないとは言わないけど。

 

 もしスーパークリークが、アタシが食事を残すことを「もったいない」と咎めているのなら、今回のことで彼女の懸念はなくなったことになるから構わないでしょ、と言えるんだけど。

 でも違う。彼女が心配しているのは──たぶんアタシの体。

 心優しい彼女は、アタシが体が弱いせいで多く食べられないのを心配しているのだから、“残すこと”が変わっていない現状には、当然不満を持っていたし、アタシを心配してくれていた。

 でも──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「あ、オグリ。これ、あげるわね」

「すまないな、いつも……」

 

 アタシがサッとオグリキャップに差しだし、それを彼女が食べる姿には、さすがに口を挟めないし、オグリキャップが喜んでいる様子なのでなおさらだった。

 だからスーパークリークは口を挟まないし、アタシも“食事を残す”という罪悪感が減っていた。

 とはいえ、さすがにやりすぎたらしく……

 

「あの……ダイユウさんも食べた方がいいんじゃないですか?」

 

 スーパークリークがいないそのときに、オグリキャップの傍らにいる小柄なウマ娘が恐る恐るといった様子で言ってきた。

 短めの髪で、その左右に付けた「B」の意匠の髪留めが印象的な、どこか気弱そうな彼女──

 

「ベルノ……彼女は食が細くてあまり食べられないそうだ。本当に可哀想なことに……」

 

 悲愴なほどに表情を曇らせて、オグリキャップはアタシに同情してくる。

 まあ、このウマ娘(大食漢)の感覚からしたらそうでしょうね。

 それにアタシは苦笑気味に「あはは……」と笑って誤魔化し、彼女の傍らのウマ娘もまた──

 

「オグリちゃんと比べたら誰だって食が細いですよ」

 

 ──と、半ば呆れ顔で言う。

 彼女はベルノライトというウマ娘で、オグリキャップと同じくカサマツから転校してきたウマ娘。

 とはいえ“強さ”でスカウトされたワケじゃあないのよね。

 彼女の夢はオグリキャップのようなウマ娘をサポートすることで、その夢の実現のため、また実際にオグリキャップを助けるために、スタッフ研修生のコースへ転校してきたらしいけど。

 彼女もカサマツの学園に入ったのは自分の足で走るためだったみたい。

 でも、それをあっさりそちらへ舵をきった彼女の動力には驚かされたわ。そうして自分の人生を変えた覚悟には尊敬もするし。

 もちろん、そうさせたオグリキャップの“強さ”にも。

 でも、そういった“サポートする側”だからこそ、アタシが“食べない”ことには気になるみたい。

 すると──

 

「なんや、なんや~。アンタ、オグリを餌付けしとんのかいな」

 

 笑い声とともにからかうような声が聞こえた。

 見れば大きな声に反して、小柄なウマ娘がそこにいる。

 当のオグリと同じように葦毛の長髪。それをなびかせたそのウマ娘は豪快に笑っていた。

 

「なんや、あまり見ない顔やけど……ウチはタマモクロス。アンタは?」

「ダイユウサクよ」

 

 相手の名乗りに答えると、彼女はニヤリと意地悪い笑みを浮かべた。

 なんともイヤな予感がするけど──

 

「ほほぅ……ダイって割にはずいぶん、小さいやないか」

「む……」

 

 もう何度言われたかわからない揶揄を聞かされてうんざりしつつ、ジッと相手を見つめる。

 アンタもそうでしょうが──という念を込めて。

 自分でも貧相だって自覚はある。背だってそこまで大きくないけど──目の前のタマモクロスに比べれば、全然普通の範疇だもの。

 しかし、そのタマモクロスは──

 

「はっはっは、確かにウチは他人(ひと)様のことをとやかく言えるほど大きくないけどな」

 

 アタシの無言の返しに、タマモクロスは眉をひそめるどころか豪快に笑い飛ばしていた。

 

「チビって言われることはぎょうさんあったけど、言った覚えは数えるほどしかあらへんしな」

「でしょうね。実際、アタシの方が背が高いし」

「そうかもしれへんけど、そんな小さいこと気にすんな。そんなことしとると、背ぇ以外の成長も止まるで?」

「な──ッ!?」

 

 意趣返しとばかりにアタシの貧相な体を見て意地笑く笑うタマモクロス。彼女はアタシが反撃する前にさらに続ける。

 

「それに──」

 

 彼女は一度言葉を切り、チラッとオグリキャップへ視線を向けた。

 

「──ウマ娘なら、背ぇの高さや胸の大きさなんて関係ないやろ。比べんのなら足の速さや」

「う……」

 

 そう言われると、アタシは返す言葉もない。

 実のところタマモクロスの名前は聞いたことがあった。小柄で元気な、葦毛で強いウマ娘がいる、と。

 そしてオグリキャップについては言わずもがな。

 アタシがデビューにいたらずに棒に振った一年の間にオグリはきちんとデビューをして実績を重ねているし、タマモクロスはこんな小さい身なりでもレース経験は豊富な上、ここのところ調子が良くて連勝中と聞いている。

 アタシとの差は歴然だった。

 

「ま、焦ることないで。タユウ」

「タユウ?」

 

 タマモクロスに微笑みかけられ、アタシは戸惑った。

 その“タユウ”とは誰のことなのか──

 

「アンタのことや、ダイユウサク。ダイユウとか言いにくいし、かといってユウサクじゃあ、まるで男やからなぁ」

 

 そうやって笑い飛ばすタマモクロス。

 ちなみに、アタシの弟は──父によって幸作(コウサク)と名付けられている。母からは「紛らわしい!」とだいぶ怒られたみたいだけど。

 

「タユウなら花魁みたいやからウマ娘でも違和感ないやろ。(ダイ)の字も入ってるし丁度ええ。これからそう呼ばしてな。ウチのことはタマでええで」

「ちょ、ちょっと……」

 

 戸惑うアタシだったが、タマモクロスは意に介さず、マイペースに話を進める。

 

「アンタ、未勝利なんやろ? 名前、聞いたことあらへんからな」

「勝利どころかデビューもしてない……」

 

 アタシがため息混じりに答えると、タマモクロスは──

 

「ほう? この時期でもか? それは……苦労してんなぁ、アンタも」

 

 一度は「え?」という驚いた顔をして、改めてアタシのことを見て考えを改めたように言った。

 彼女の目からしてもアタシが“ハシる”ウマ娘には到底見えなかったらしいわ。

 

「逆に考えれば、まだウチやオグリにはもう不可能な“生涯無敗”って目が残ってるんやから、まだまだこれからやで」

 

 そう言ってタマモクロスは笑い飛ばす。

 それから、「ほな、ウチは練習あるから……」と言ってその場から離れようとする。

 しかし去り際に一度、オグリキャップを見て──

 

「オグリには負けてられへんし……ほなな!」

 

 そうつぶやくと、彼女は走り去ていった。

 それを見送るアタシとベルノライト。

 

「……まるで嵐みたいなウマ娘ですね」

「そうね」

 

 一連の様子を見ていた彼女は苦笑気味に言い、アタシも似たような表情で同意する。

 今のやりとりの中で、終始、彼女が意識していた相手──オグリキャップはといえば……未だに山盛りを遙かに越えた大盛りを前に、黙々と食事を続けており、タマモクロスの去り際に、挨拶を目礼で返すくらいに口は食べることで忙しそうだった。

 

 また、アタシは思う──

 

(花魁の「タユウ」って「太夫」だから、「(だい)」じゃなくて「太」なんだけど……)

 

 あっという間に去った彼女に出来なかったツッコミを、思わず頭の中で思わずしていた。

 「大」と「太」では大きく違うのよ。それこそ「大正」と「太正」くらいに。

 思い返せばアタシはろくな事を言われていない気もする。

 だけど──悪い気はしなかった。

 カラッとした、裏表のない彼女のさっぱりした気質のせいだろう。

 それに……体の弱いアタシは今までこの学園で友人と呼べるようなウマ娘はおらず、初めて呼ばれたあだ名だったから。

 

(小柄だけど、明るく元気で愛想もいい。思わず応援したくなるウマ娘よね)

 

 初めて目にしたタマモクロスというウマ娘を、アタシはそう評価した。

 そして思わず自分と比べる。

 体躯が恵まれなかったのは一緒だけど、健康そのものでトゥインクルシリーズで活躍する彼女のことがアタシはうらやましかった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「──そんなに、焦る必要は無いと思いますが?」

 

 タマモクロスを見送り、それに続いて食事を終えたオグリキャップがテーブルを去った直後に、残っていたウマ娘が口を開いた。

 淡い髪の色が特徴的で、それを長く伸ばしたウマ娘。

 彼女の所作はとても洗練されており、上品さを感じさせる。

 

「焦る? アタシが?」

「ええ、今の貴方の目には私も覚えがありまして……何しろつい最近まで、私も同じような目をしていたと思いますから」

 

 アタシの確認にそう言って苦笑気味に上品にほほえむ彼女。

 

「どういうこと? メジロアルダン……」

 

 アタシに声をかけてきたのはクラスメイトであるメジロアルダンだった。

 良家として有名な“メジロ家”のウマ娘で、彼女はそのエリート一族の一人。

 

(アタシみたいな、コネ入学とは違うのよね……)

 

 たった一人しかいない、とてもとてもスゴいウマ娘の遠い親戚──なだけで家は至って普通なアタシとはまったく違う生い立ち。

 その家の中でも力関係は実力主義なようだし、なにしろメジロ家のウマ娘は多い。彼女の下にも、ライアンやマックイーンという名の有望なウマ娘たちがいるという噂が聞こえてくるんだから。

 

「健康な方達の御活躍はうらやましい、ですか?」

「──ッ!?」

 

 図星を指され、思わず息を呑む。

 そんなアタシの反応をあえて無視した彼女は、さらに話を続ける。

 

「確かに、オグリさんの活躍は目覚ましいものがありますし、とても目立っていらっしゃいます」

「そうよ。この学園に来るまでに12戦10勝だなんて……」

 

 勝つのも勿論だけど、そこまでレースに出走できる丈夫な体がうらやましい。

 

「他にも、同級生でも昨年から活躍されている方は何人もいますわ。チヨノオーさんとか……」

 

 クラスメイトのサクラチヨノオーは去年のG1を取っている。

 

「さらには年明けも含めたら他にも……」

 

 メジロアルダンは、ちらっと隣のウマ娘を見る。

 短めの髪の、朴訥で生真面目といった雰囲気のウマ娘が、アルダンに付き合うようにそのテーブルについていた。

 

ヤエノムテキ……」

 

 思わず彼女の名前をつぶやく。

 彼女のデビューは年が明けてからだが、春になってその実力は早くも評価され始めている。

 声が聞こえたのか、彼女はチラッとアタシを一瞥したけど、興味をなくしてすぐに視線を戻した。

 

「でも、貴方が意識しているのは、チヨノオーさんでも、ヤエノムテキさんでも……それどころかオグリキャップさんでもないのでしょう?」

「そ、それは……」

 

 メジロアルダンは微笑みながら核心を突いてきた。

 思わずアタシが視線を逸らすと、彼女は優雅にカップに注がれた紅茶に口を付ける。

 そして──

 

「貴方のルームメイトも御活躍なされていらっしゃいますものね。それも御親戚だとか……」

 

 優雅な仕草でカップを置き、メジロアルダンはアタシをジッと見つめる。

 そしてニッコリと笑みを浮かべた。

 そんな彼女にアタシは呆れたようにため息をつく。どうやってそんな個人情報を把握したのかしら。

 

「……よく、知ってるわね」

「ええ。皆さんと御茶会でお話をすると、いろいろな話を耳にしますの。注目されている方のお話なんかは特に──」

「そっか。注目されてるんだ……あの()

 

 アタシは自分のルームメイトの顔を思い出しいて、ちょっと嬉しくなった。

 

「ヤエノムテキさんみたいに、今年になってからデビュー……チューリップ賞は残念なことになって桜花賞こそ逃してしまいましたけど、その後は勝利を重ねて、オークスへ出走するそうじゃありませんか」

 

 メジロアルダンが説明したとおり、彼女は今年になってからデビューして、着々とキャリアを積んでいる。

 同室として応援したいと思う反面──やっぱり自分と比較してしまう。

 

「ほら、そのお顔です」

「え?」

 

 お目当てのものを発見した、とばかりに喜色を浮かべるメジロアルダンに対し、アタシは驚き、そして訝しがるように彼女を顔を見ていた。

 彼女は再びカップに口を付ける。

 それから気持ちを落ち着けるかのように一息ついて、話を始めた。

 

「私もデビューしたのは、ついこの前……3月の末ですわ。ですので、貴方のように他の方の活躍を聞いて焦るという気持ちは同じでした」

 

 そうは言うけど、さすがメジロ家の御令嬢。デビュー戦でキッチリと勝利している。

 それをアタシは知っているのは──やっぱり、この時期でもまだ未出走のクラスメイトのことが気になってたから。

 そしてなによりよも──

 

「貴方と同じように、私も体が弱いので……」

 

 そう言って微笑むメジロアルダン。

 なるほど、共感していたのはこっち側からだけじゃなかったんだ、とアタシは思った。

 彼女の体が弱いのには、アタシも気が付いていた。

 とはいえ、アタシと彼女では少し違うようにも思ってる。アタシの場合は体の発育不良のように思えるし──と、自分の貧相な体と、彼女の年齢にふさわしい体つきを見比べてそう思う。

 

「ですので、繰り返すようですが貴方の気持ちはよくわかるんですのよ?」

 

 そう彼女は言ったけど、でも心情的には彼女の方が辛かったんじゃないかと思う。何しろ名門メジロ家の御令嬢なんだから。

 アタシも「コネ入学じゃないの?」とある意味で注目される存在だけど、逆に言えばそれだけ。家も普通だから成績が悪くても「ほら見たことか」と思われるだけ。

 一方、彼女はメジロ家というブランドを背負ってるようなもの。

 無様な成績はもちろん残せないし、かといってこの学園に在籍している以上は、結果を求められる。

 同学年の活躍は、アタシ以上に焦りや羨望を感じていたんじゃないかしら。

 

「だからこそ、こう思いますの。ダイユウサクさん、“貴方は貴方”ですわ」

「はい?」

 

 彼女の口から出た言葉に、真意がわからずアタシは思わず問い返していた。

 でも、彼女はそれに不快さをまったく出さずに、むしろ微笑みさえ浮かべて説明する。

 

「成長速度や伸び始める時期は、個人によってそれぞれですわ。早熟な方もいれば晩成型の方もいる。それを含めての個性と思いますし、それはレース展開のようなものですわ」

「……レース展開?」

 

 唐突に飛んだ話にアタシが訝しがると、彼女は「はい」と笑顔で答える。

 

「ウマ娘の一生というレースの中で早々と先頭に立つ“逃げ”の方もいれば、後半で実力を発揮する“差し”や“追込み”のような方もいらっしゃいます。一生の中で私たちはまだスタートして間もない序盤といったところ……“逃げ”や“先行”の方達が目立つのも仕方のないことではないでしょうか?」

「“差し”や“追込み”を得意戦法にするウマ娘が、序盤の“逃げ”や“先行”のトップを羨ましがっても仕方がないってこと?」

「その通りです」

 

 アタシが返すと彼女は“我が意を得たり”と大きくうなずいた。

 

「大事なのは、機会を逃さないこと。私見にはなりますけど、貴方の機はまだ熟していないように見ますけど……」

 

 それこそ“同じく体が弱い”と言った彼女とアタシの差。それをアタシが感じているように、彼女も理解していた。

 体が弱いものの完成した彼女──メジロアルダンはデビューし、見事結果を残した。

 対するアタシ──ダイユウサクは未だに体ができあがっていない。

 もしもそれを見極められずに焦ってデビューしたら……結果を残せずに評価を下げることになる。

 そうなるくらいなら、まずは体づくりに専念すべきだ、と彼女は言っているのだ。

 

「ですので焦る必要はありませんのよ。どんな序盤でも最終的には大きな結果が残せれば良いのですから」

 

 そう言った彼女は微笑み──それを悪戯っぽいものへと変化させる。

 

「──意外と、貴方は“差し”や“追込み”が合っていらっしゃるのではなくて?」

 

 クスクスと上品に笑うメジロアルダン。

 でも──今のアタシは今目の前のことで精一杯──レースで例えるのなら無我夢中で走ることしかできない、作戦を考える余裕なんてないようなレベルだった。




◆解説◆
【食堂に導かれし者たち】
・今回はわかりやすいですね。
・元ネタは『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』から。

ベルノライト
・漫画『シンデレラグレイ』に登場する同作のオリジナルウマ娘。
・単行本2巻は彼女が表紙。1巻オグリは当然としても、3巻がルドルフだったので、すごいウマ娘に挟まれた。
・第一話の冒頭で狂言回しを務め、その後は常にオグリキャップと共にいて見守っている。
・オグリ同様にカサマツからの転校生。カサマツ時代はそれが縁で同じチームに所属していた。
・しかし、彼女はオグリのようにスカウトされたのではなく自力で転入試験を突破している。
・というのも彼女は一度も勝てなかった未勝利ウマ娘で、勝利を目指すオグリをサポートする道へと進むことを決意。スタッフ研修生として中央のトレセン学園に転入したから。
・共に笠松から中央に行ったというのは装蹄師の三輪勝氏の役どころでしょうか。
・もしもゲームに逆輸入されたら現状(2021年6月現在)で二人しかいない「友人タイプ」での実装もあり得ますね。
・──そんなキャラだから完全オリジナル……と思いきや、モデルになった競走馬がいるとの説。
・その名は『ツインビー』。中央での出走がない笠松の地方馬。誕生日も1985年5月22日とオグリと同世代で日にちも合致する。
・髪の左右に「B」の髪飾りがついているのもそれを意識してのことか。(2つの(ツイン)「B」(ビー)
・『ベルノライト』という名前はコナミが出したゲーム「ツインビー」でお世話になるパワーアップアイテムのベルと、同作シリーズの主人公ライトから──という噂。
・シリーズを追いかけていたわけでもなく、初代をファミコンで知った身としては主人公が「ライト」というキャラの認識はほぼないのですが、それもそのはず主人公=ライトとなったのは1991年に出た第5作目「出たな!!ツインビー」から。
・しかもこの「出たな!!~」、アーケードからファミコンや後継機ではなくPCエンジンに移植されていたので、初代は知っていてもそれを知らないのも無理はなかった。
・──というかファミコンのゲームキャラで「ライト」と言えば、シリーズ初代から名前がついている『ロックマン』のライト博士の方が思い浮かぶ。
・そんなわけで「ライト=博士」という認識でいたので勘違いしがちだけど、「ツインビー」に出てくる博士はライトではなくシナモン博士。
・サポートキャラになった背景として、同作を発売したのがコナミ→コナミスポーツ→スポーツ用品店の娘という説も……
・ちなみに最初のツインビーであるアーケード版がでたのは1985年の3月5日。そのわずか2ヶ月と少しでこの名前が競走馬についてるって──偶然とも考えられないし、もちろん当時はシリーズ化するほど人気が出てない頃でしょうし、謎です。
・なお……ダイサンゲンと違い、同名の競走馬はいませんが『ベルノ()()()』という似た名前の馬はいまして、それが実はなんとキングヘイローの仔だったりします。

タマモクロス
・実装済みウマ娘の一人。現時点(2021年6月)ではサポカのみで育成はできず。
・特徴は葦毛のロングの髪。関西弁。そして何よりも体格が小さい。
・オグリのライバルの一人、しかも同じ葦毛ということで「シンデレラグレイ」では早い段階から登場している。
・で、私は同い年と勘違いしていたのですが、史実の年齢ではダイユウサク達オグリ世代よりも一つ上。
・ウマ娘のゲーム版では同級生扱いなようで、「シンデレラグレイ」でも学年が上とかいう説明はなし。
・というわけでそのあたりが自分の中でも消化しきれず、微妙な立ち位置になってます。
・タマモクロスと言えば関西弁なのですが、私自身が関西弁に詳しくないのでかなりいい加減になってます。ご容赦を。

「大正」と「太正」
・「大正」はもちろん、昭和の前の元号。
・「太正」はSEGA社が第一作を1996年にセガサターンで出した名作、『サクラ大戦』シリーズにおける元号。
・大正浪漫とスチームパンクを融合させた世界設定は秀逸。
・なんでわざわざこんな単語を出したのか? といえば──もちろん自分の書いた他作品『サクラ大戦外伝シリーズ』の宣伝です。(ぁ
・というわけで『ゆめまぼろしのごとくなり』『~2』もよろしくお願いします。
・『絶海より愛をこめて』も鋭意製作中ですので。

メジロアルダン
・現時点(2021年6月)で、公式サイトではキチンとキャラが出ているものの、まだ実装していない公式ウマ娘。
・オグリの同世代ということで「シンデレラグレイ」では先行して登場しています。
・同じメジロ家でもライアンやパーマーというよりはマックイーンに近い御嬢様系。元の競走馬がデビューが遅かったり、ケガに泣かされたせいか病弱な雰囲気を持ち、マックイーンよりも儚げな深窓の令嬢感がある。
・立場的にはマックイーンよりもライアンの方が近いと思うのですが……
・ダイユウサクとは病弱仲間ということで、理解者でもある、という立場です。

ヤエノムテキ
・オグリやクリーク、アルダンと同様にダイユウサクと同じ年に生まれた競走馬のウマ娘。
ディクタストライカ(サッカーボーイ)ブラッキーエール(ラガーブラック)とは違い、実在馬の名前を受け継いでいる。
・アニメやゲーム版よりもシンデレラグレイに先行登場し、その中のチヨノオーよりも先で真っ先に実装されている。
・シンデレラグレイ登場はオグリの転校のとき。その際は「未出走」となっており、彼女のデビューは2月27日なのでそのシーンは1月10日(オグリが現役時の笠松最後のレース)の間の扱いと思われる。
・ウマ娘としては、『剛毅朴訥武道少女』の二つ名を持ち、武道をやっているので礼儀正しい性格。ただし昔は粗暴だったという設定も……
・ストイックに研鑽に励んでいるので強者には敬意を持ち、転校してきたオグリに真っ先に好意的に接している。
・そのため本作中では、現時点で箸にも棒にもかからないダイユウサクには全く興味がない。
・それどころかコネ入学の話を耳にして「分不相応の者が……」と密かに当初は不快に感じていたものの、この一年間をひたむきに努力し続ける姿勢を見たのでそういった悪感情は無くなっている、というのが現状。
・ただし、見たところ彼女は実力主義・結果主義なのでは、実力もなく結果も出ていない現時点のダイユウサクは“敵視もしないが評価にも値しない”という興味なしという評価。

ルームメイト
・ダイユウサクのルームメイトは次話にて登場予定。
・今回は名前を出さず、とりあえずお楽しみに、ということで。
・と言っても、アルダンさんがかなりのヒントを出していますが。(笑)
・あとヒントを出すとしたら、ダイユウサクは栗東寮なので、もちろん彼女も栗東寮です。
・正直、当初はルームメイトを考えておらず、かなり適当な感じで実装済みの誰か──オグリかクリーク辺りで、と考えていたのですが、二人とももちろん公式でルームメイトがいるわけで。
・公式にウマ娘になっていない競走馬モデルだから、やっぱり未実装の──と思って探したら、いました。ぴったりのが。
・そんなわけで、さぁ! 誰でしょうか!?


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第4R 大親友♪ ふたりはルームメイト

「お~、おかえり」

 

 部屋へ戻ったアタシに、ルームメイトが声をかけてきた。

 彼女がアタシよりも先に戻っているのは久しぶりのことだったから意外に思い、少しだけ驚いた。

 

「帰ってたの? 珍しい……」

「うん。そろそろ本番も近いし、オーバーワークにならないように、ってトレーナーがね──ッ」

 

 そこまで言って、彼女は何かに気が付いたように口ごもり、「えへへ……」と苦笑いで誤魔化した。

 それでわかる。アタシに気を使ったのだ。

 今年になってデビューした彼女は、もちろんトレーナーがついていてチームに所属している。

 でもアタシには未だにそれがない。貧相な体つきに誰も期待せず、トレーナーには見向きもされていないような有様なんだから。

 

「そんなところまで気を使わなくて良いわよ、コスモ」

「そんな! 気なんて使ってないよ、ユウ」

 

 あわてた様子で首を振る彼女。その心根の優しいところは長い付き合いなのでわかってる。

 アタシと同じ鹿毛の茶髪だけど、アタシと違ってショートカットにしたウマ娘。

 彼女の名前は、コスモドリーム

 トレセン学園の栗東寮で同室のルームメイトであり──同じ祖父を持つ従姉妹でもあるの。

 だから親戚しか呼ばない“ユウ”って呼び方を彼女はこの学園内で唯一してくる相手なのよね。

 まぁ……そうやって親戚で同部屋になってるのを見て、「優遇されてる」なんてやっかむウマ娘も少なからずいるのが、つまらない問題でもあるんだけど。

 とはいえ、コネへの嫉妬は彼女──コスモへは向かわない。彼女は“あの方”の親戚じゃないから。

 だからアタシとは違い、きちんとトレセン学園に見合った実力を持っているし、事実──その結果を残し始めてる。

 

「オークス出走決定、おめでと」

「ありがとう!」

 

 アタシの賞賛にコスモは笑顔で答えた。

 彼女は今年の頭にデビューして以降、順調に勝利を重ねてる。

 そんな中、アタシ達はクラッシックレースへ参戦する年齢を迎えてるわけで、彼女は──トリプルティアラへの道を選んだ。

 とはいえ、その初戦ともいうべき桜花賞への道で、彼女はいきなり躓いてしまったんだけど……

 

「ま、桜花賞は取れなかったけど、初志貫徹ってね。それを目標に、コスモは燃えているんだよ!!」

「今度は、靴が脱げないようにね」

 

 桜花賞の前哨戦であるチューリップ賞に出走した彼女は、序盤で靴が脱げてしまい、レースを止めた

 

「ひどいなぁ、ユウは……まだそのことを言うの? コスモはもう同じ失敗をしないよ」

「絶対だからね。でも……あのときだってそのまま走ったり、靴を履き直せばよかったのに」

 

 当時を思い出しながらアタシが言うと、彼女は「いやいや……」と顔の前で手を横に振る。

 

「そんなことないよ。裸足だと蹄鉄もないから踏ん張りが効かなくて、地面を蹴る力が出ないし、かといって靴を履き直してたら時間がかかっちゃう。それこそタイムオーバーしちゃうよ」

 

 トップの入線から、大幅に遅れた“タイムオーバー”は競走ウマ娘にとって屈辱だ。

 もちろん評価はガタ落ちする。

 あのときのコスモドリームは明らかなアクシデントだったから、“レース中止”という扱いになってタイムオーバーを免れたけど。

 

「そうそう、メジロアルダンも“おめでとうございます”と伝えてくださいって言ってたわよ」

「それはありがたいけど……でも彼女、日本ダービーに出るんだよね。そっちこそおめでとうじゃないかな……」

 

 コスモはそう言って、「彼女の方がスゴいと思うけどね」と付け加えて苦笑した。

 実際、デビューからたった2ヶ月程度で出てくるのは異例だし、それを実現したほどの実力を持っている。

 

「まったく……さすがメジロ家の御令嬢だよね」

「そう、ね」

 

 メジロアルダンについて話す時のコスモドリームの目は、明らかにライバルを見る目だった。

 ダービーもオークスも、開催が一週間違うけど同じG1レース。

 二人ともそれに出場するほどのウマ娘なんだから、今後はどこかで直接対決することだって十分に考えられる。だからこその反応でしょうね。

 蚊帳の外のアタシには、それが眩しくさえ思えた。

 そんなアタシに気づいたコスモが言う。

 

「──大丈夫。ユウだってデビューしたらあっという間に追いつけるって」

「あはは……そんな才能、アタシには無いくらい分かってるわよ」

 

 いい加減、一年も学園にいるんだからそれくらい分かってる。

 入学から変わらない貧相な体つきからも明らかだし。

 

「そんなことないよ。だからデビューに向けてがんばろう! 目指す希望の(いろ)は気高いほど美しいんだよ!!」

「うん……でも、まずはトレーナーに認められてチームに入るところからよね」

 

 目を輝かせ、どこまでも前向きなコスモを誤魔化すように苦笑するアタシ。

 するとコスモは表情を曇らせ、恐る恐るといった様子で提案してきた。

 

「あの、さ……やっぱり、コスモのトレーナーさんにお願いしてみるよ。ユウのこと……」

「ダメよそれは! 絶対に」

 

 アタシは即座に拒絶した。

 それは前にもあったやりとりだった。

 どのトレーナーに見向きもされないアタシを見かねたコスモドリームが、自分のチームに入れてもらえないかと頼んでみる、とアタシに言ってきたことがあったのだ。

 

「アタシへの誹謗に、コスモを巻き込むわけにはいかないんだから」

 

 それはアタシが自分自身に課した枷だった。

 アタシがコネで揶揄されるのはともかく、“あの方”の親戚でないコスモをその騒動に巻き込みたくなかった。

 もしもアタシに実力があって、それとコスモのトレーナーに認められたというのが端から見ても明らかなら、同じチームでも構わない。

 でも現状では──明らかに実力不足。従姉妹であるコスモのコネを使ったか、コスモやそのトレーナーがアタシに忖度した、なんて思われちゃう。

 それだけは我慢なら無い。

 でも、優しいコスモはアタシのことを気遣って、自分のことは構わないから……なんて考えてしまうのよね。

 案の定、困り切った顔でアタシを見る。

 

「でも……」

「あのねぇ、コスモ。アタシはアナタと対等でいたいのよ。だからそれを受けるつもりもない。それにアタシのことはいいから、アナタは迫ったレースに集中しなさい」

 

 アタシが言うと、彼女は渋々納得した様子だった。

 そんな彼女に、アタシは笑みを向ける。

 

「他の娘を応援することだって、励みになるんだから。だから大人しく、アタシに応援されなさい」

「うん……頑張るよ。勝利を抱く明日のために、解き放つんだ。熱いコスモをね!!」

 

 アタシの言葉に、グッと拳を握りしめるコスモドリーム。

 そして彼女はアタシを振り返る。

 

「自分自身のためにも、それにユウのためにも」

 

 頷きながらそう言って瞳を輝かせるコスモ。

 その瞳は、暗い闇を貫く流星のように汚れがないものだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──そして、オークス当日。

 

 

「な・ん・で! アンタは遅れてんのよ!!」

 

 アタシの大きな声に、コスモは申し訳なさそうに答えた。

 

「しょうがないじゃないか、道に迷ったんだから」

「普通、迷う? レース場よ?」

「だって、東京レース場って来たこと無かったし、初めてだったし……」

 

 ああ、もう。なんでこの()は大事なレース当日に精神を乱すような余計な問題を起こすんだろうか。

 焦るアタシとは対照的に、コスモ自身はそこまで影響はないみたい。

 今も比較的落ち着いた様子で勝負服に着替え、もうすでにターフに立っているんだから。

 コスモドリームの勝負服は、レオタード姿に左肩や胸、膝とかにプロテクターみたいなものがついて、腰布が巻かれている──ちょっと変わったデザインのものだった。

 

 ………………いや、ちょと変わってるとかそういうレベルじゃないわよね、これ?

 

 そんな奇抜な勝負服を、走る前から着ているのには理由がある。

 普段ならレースは運動服で走って勝負服はウイニングライブで歌うときに披露するのが基本だけど、このレースは違うから。

 全員が勝負服で走ることが決まっているのがG1。

 勝負服は、ウマ娘個人個人がそれぞれの個性にあふれたものになっていて、中には一見したら走るのには適さないようなものもあるのだけど──まぁ、これ着てダンスするわけだし、みんな問題なく走ってるのよね。

 そんないつもと違う空気にアタシが少なからず緊張していると、コスモは同じチームのウマ娘たちからも声をかけられていた。

 けど、アタシのように遅刻しかけたのを怒っているウマ娘はいない。

 

(あ~、もう、余計なこと考えさせちゃってるのはアタシの方じゃない!)

 

 レースに集中させなければならないのに。アタシは自分の軽挙を後悔した。

 そんなアタシの様子に気づいたのか、コスモはチームメイトからの激励やアドバイスを受けた後、最後にアタシの方を振り返り──

 

「行ってくるよ、ユウ」

「う、うん。が……頑張りなさいよ。それに靴紐はしっかり……」

 

 ああ、また悪いイメージを思い出させるよう余計なことを言ってしまった──そんな自己嫌悪に陥るアタシ。

 対してコスモは苦笑を浮かべ──それを頼もしい晴れやかな笑みへと変えた。

 

「ユウ、このレースでコスモは、勇気の煌めきを空高く掲げてみせる。だから──絶対に目を離さないでね」

 

 そう言った彼女の目は、普段とは違う──闘う者のそれになっていた。

 




◆解説◆

【ふたりはルームメイト】
・今回のタイトルは何か意識せずに──というわけではもちろんありません。
・わざわざひらがなで「ふたりは──」としているのでバレバレですが、『ふたりはプリキュア』から。
・プリキュアといえば、テイエムプリキュアはウマ娘に実装されるんでしょうかねぇ。

コスモドリーム
・というわけでダイユウサクのルームメイトの正解は、サンキョウセッ──コスモドリームでした。
・実在馬を基にした本作オリジナルのウマ娘となります。(主人公ダイユウサクに続いて二人目)
・そのモデルの競走馬同士が実際に深い接点がある──というわけではなく、その割には妙なところで縁のある2頭なので、ウマ娘の方ではルームメイトという形になりました。
・ダイユウサクとは従姉妹同士という設定は、モデル馬はどちらもダイコーターを祖父に持つことから。ダイユウサクからだと母の父、コスモドリームからは父の父にあたる。
・同じ祖父を持ち、同じ年に生まれた2頭だが、誕生日が1日違いという奇縁もあったりする。ダイユウサクが1985年6月12日なのに対し、コスモドリームは同じ年の6月13日生まれ。
・さらには主戦騎手がどちらも熊沢重文騎手、と共通点が多い。
・おまけに──書く側の視点として、2人の活躍時期がほぼ重ならないので、両方を追う必要もない。
・親戚ということで、ダイユウサクともともと親しかったという設定にしやすく、それらの理由から、コスモドリーム以外に考えられませんでした。
・性格的にはボーイッシュなイメージ。
・というのも──この年代で「コスモ」といえば、当然「小宇宙(コスモ)」となってしまうわけで。
・さらに「ドリーム」が付くと、もはや『聖闘士星矢』しか思い浮かびません。(2番目の主題歌が「ソルジャー・ドリーム」だから)
・一時期はオリジナル扱いだからということでディクタストライカみたいに「セイントドリーム」とかいう名前まで考えたのですが、よく考えたら主役からしてダイユウサクがオリジナルウマ娘で実在馬の名前使ってるということに気が付いて、コスモドリームとして登場させました。
・聖闘士聖矢がアニメになっていたのはちょうどこの馬が活躍していたころの話。「ソルジャー・ドリーム」がリリースされたのはこのオークスと同じ年で、レースの10日前のことでした。
・そういう経緯で、コスモドリームの台詞は「ソルジャー・ドリーム」の歌詞が基になっているのがチラホラと……
・そういう事情で、こういう性格になりました。髪が短いのもスポーティなイメージにしたかったので。
・なお、そんなキャラなので、ビコー()()()()と仲がいいという裏設定があります。

彼女は“あの方”の親戚じゃない
・今まで何度か解説したように“あの方”=シンザンであり、ダイユウサクと遠い親戚の設定になっているのは馬主同士が兄弟だったから。
・馬主が違うコスモドリームとはその繋がりがないので、親戚にはなりません。
・それを考えると、設定上は“あの方”はダイユウサクの父系の親戚ということになりますね。(共通の祖父は母系だから)
・あのお父さんが役場でやたらと興奮していたのは、そういう影響もあったのかもしれませんね。

トリプルティアラ
・ウマ娘の世界での三冠で、桜花賞・オークス・秋華賞の3レース制覇を達成すること。時期的にオークスとダービーが重なる上に年齢制限でクラシック三冠との選択を迫られる。
・ぶっちゃけ牡馬、牝馬という性別がないウマ娘の世界における、現実世界での牝馬三冠のこと。
・ただし──秋華賞は1996年からで、それ以前はエリザベス女王杯がそれに該当していた。
・同年からはエリザベス女王杯は古馬にも開放されている。
・1976年の第1回エリザベス女王杯よりも前はビクトリアカップがそれに該当。
・1975年にエリザベス2世が来日したのを記念して名前を変えて新たに第1回とした。(そのためエリザベス女王杯と違ってビクトリアカップは残っていない)
・そのため、達成した競走馬の中でメジロラモーヌだけは秋華賞ではなくエリザベス女王杯(1986年)で達成している。
・もしもメジロラモーヌがウマ娘で実装すると……「トリプルティアラなのに秋華賞を取っていない」という矛盾が発生する恐れが。
・本作も史実では秋華賞が無いころの話になるのですが──まぁ、いきなり挑戦に失敗してるので、影響ありませんね。

靴が脱げてしまい、レースを止めた
・本作では、コスモドリームがチューリップ賞を「靴が脱げて」レースを止めたことになっていますが、史実では「スタート直後に騎手が落馬した」から。
・普段おとなしかったコスモドリームが、急に母の気性の荒さを発症させた──などと言われています。そんなわけで本作の彼女の母親は結構怖いという設定になってます。
・落馬をウマ娘に置き換えるのに困り、なかなか他にいい理由が見つからなかったので、このようになりました。
・なお、その後の会話の「そのまま走っても~」のくだりはバルセロナ五輪のマラソンに出場した谷口浩美選手のエピソード(「こけちゃいました」の件)が元ネタ。
・実際、谷口選手は取らずに裸足で走ることも考えたそうな……しかしゴールまでまだ距離がある(20キロメートル付近)ため靴を取りに戻って履きなおした。
・その後は激走で8位入賞。それを見た他国のコーチから「アナタが一番速かった」とまで言われたほど。
・そんなバルセロナ五輪は1992年に開催。作中のモデルになっている1988年の、その次の五輪です。
・バルセロナ五輪といえば、史上最もカッコイイ聖火の点火が印象に残ってますね。弓矢で点火とか考えた人が天才すぎる。

タイムオーバー
・旧作でも解説したのでそれをほぼ転載……
・ウマ娘(競走馬)が1位に入線してから一定の時間をおくか、制限時間を超えて決勝線(ゴール板)を踏破すること。
──以下リアル競馬の話──
・これをやってしまうと一定期間出走停止というペナルティが来る。
・2003年以前は、芝は4秒、ダートは5秒以上、勝ち馬がゴールしてから経過したら該当していたのですが、現在では距離も考慮されて区分されている。
・なお、『ウマ娘』の世界ではどうなっているのか不明なのでペナルティについては明確にせず。
・ただし“恥”であり、屈辱であることだけは間違いないということになってます。

道に迷った
・1988年のオークスに出走したコスモドリーム。
・そのときに騎乗したのは熊沢重文騎手。東京競馬場での初めての騎乗だったので、道に迷ったというエピソードがあります。
・うん? なんかどこかで聞いたような話のような気が。
・ダイユウサクはあまり責めない方がいいと思うけど……

コスモドリームの勝負服
・実在馬なものの現時点(2021年6月)では未実装で、本作オリジナルウマ娘であるコスモドリーム。その勝負服はもちろん本作オリジナル。
・そのデザインは──コスモ繋がりで『聖闘士星矢』出てくる鷲星座の白銀聖衣(シルバークロス)をモデルとしています。
・というのも原作での女性聖闘士(セイント)白銀聖闘士(シルバーセイント)鷲星座(イーグル)の魔鈴か蛇遣い星座(オピュクス)のシャイナ、あとは青銅聖闘士(ブロンズセイント)であるカメレオン星座のジュネしかおらず、事実上の3択。
・青銅&マイナーなのでカメレオン星座は即落選。鷲星座と蛇遣い星座で迷ったのですが、なんとなく鷲座に決まりました。
・蛇遣い星座は一時期流行った黄道13星座の影響で黄金聖衣(ゴールドクロス)もあるので、もしもコスモドリームが主人公だったら覚醒イベントで衣装チェンジということで、蛇遣い星座になっていたと思います。
・ちなみに仮面は聖衣(クロス)に含まれないのでつけていません。顔を隠さなければいけないという掟があるわけじゃないし、むしろウイニングライブで顔隠すとかありえないし。
・そんなわけで、私の描写はまるで足りていないので、どんな勝負服か気になる方は検索を。
・……そう、あんな格好で走ってるんです。

同じチームのウマ娘
・コスモが所属しているチームは本文中では明言はありませんが、本作オリジナルのチーム《アルデバラン》。
・無論、他のチームと同じく一等星を名前の由来にしています。
・設定ではとある一人のウマ娘を中心に、彼女を慕ったり尊敬したりするウマ娘たちが集まり、研鑽しているチームとなります。
・見に来ているのはそこに所属している中でコスモの面倒をよく見ている先輩2人。さらにもう一人が事情によって遅れていて合流予定。
・本編とはほぼ関係ないのでこちらで解説しました。
・なお、さらに関係ない話ですが、参考までに主にアニメですが既出の他のチームは──
  ☆スピカ→アニメ版主役
  ☆リギル(・ケンタウルス)→アニメのライバルチームその1
  ☆カノープス→アニメのライバルチームその2
の他にアニメ2期第5話のミホノブルボンが掲示板の前に佇むシーンで、そこにメンバー募集が貼ってあるのがカノープス以外に──
  ☆ミモザ(2枚)
  ☆アルタイル
  ☆シリウス(ゲーム版シナリオでは主人公チームの名前)
  ☆カペラ(2枚)
  ☆ベガ(アップのシーンで名前判明)
  ☆デネブ(同上)
  ☆ベテルギウス
が判明しています。(概ね画面左から)
・このシーン、ミホノブルボンのポスターに邪魔されているのと、文字が全部アルファベットで書かれている上にはっきりしないのが1枚ずつあり、2つほど不明。(ただし前者の黒いのはダンススクールのチラシっぽい)
・それらを避けて、本作ではタイトルにもなっている
  ☆アクルックス
を、そして今回はコスモドリームの所属チームとして
  ☆アルデバラン
を採用しています。
・オリジナルチームは、現時点であと二つ出て来る予定が決まってます。


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第5R 大混乱! もえあがれコスモ!!

 G1のファンファーレが高らかに鳴り響き、レース──今年のオークスが始まらんとしていた。

 アタシはメインスタンド中央のゴール前最前列という絶好の場所で観覧することになった。

 コスモのチームメイトの先輩が「コスモのルームメイトでしょ? うちのチームで見に来てる人少ないし、ここでどうぞ」と入れてくれたの。

 ほとんど話したことがない先輩だったけど、とにかく絶好の位置で見られるのは間違いないし、その話にはありがたく乗せてもらったわ。

 そして、出走するウマ娘達がゲートに入り──開くと同時に走り出した。

 

 が──

 

「ああッ!!」

 

 思わずアタシは声を上げてしまう。

 

「やっぱりまた出遅れちゃったかー」

「コスモ、スタート苦手だもんね」

 

 すぐ近くで先輩たちが苦笑しながら言う。

 

(もう! あの娘は……なにやってるのよ!!)

 

 彼女たちが言うようにコスモドリームはゲートが苦手で、スタートに失敗することがよくある。

 親戚だし同室の縁もあって、彼女のデビューからアタシはレースを見ているけど──そのデビュー戦から3戦連続で出遅れるほどに苦手。

 それでも3着、1着、3着と結果を残しているのだからスゴい……いやコレ、出遅れてなかったら全部勝ったかもしれないんじゃないの? 1着だったときは後ろに大差付けてたし。

 最近は集中的に練習してたおかげでここ2戦は出遅れなかったのに。

 

(──まったく、もったいないんだから)

 

 ともかくレースは始まった。

 スタート直後に一人が先行して、2番手争いが横一線になる。

 もちろん出遅れたコスモは後方スタート、先行争いなんて無縁の場所にいる。

 

「コスモ、落ち着いてー!!」

「レースは始まったばかりよー!!」

 

 先輩方がコスモに届けとばかりに声を張り上げる。

 確かにこのレース──オークスは2400メートルの長丁場。コスモが未体験なほどに長い。

 逆に言えば、その長い距離がスタートで出遅れたミスのダメージを和らげてくれるということでもある。

 そんなことをアタシが考えている間に、集団は第1コーナーへと進んでいた。

 そこで──

 

「あれ!?」

「なんか一人、様子がおかしくない?」

 

 なにやら先輩たちが騒ぎ始めた。

 走っているウマ娘の一人が不自然な走りになって、そのペースが格段に落ちていた。

 ──え?

 イヤな予感が頭をよぎる。

 集団は向こう正面側に差し掛かっている。正直なところ遠いし肉眼ではよく見えない。

 ただ、明らかに集団の中で一人だけ様子が変だった。

 

『おっと、これは一人、競走中止か!?』

 

 実況がそれを裏付けるように言う。

 思わずドキッとする。

 もしも、それがコスモだったら──

 

『これは競走中止だ。これは……12番、スイートローザンヌが早くも競走中止です!! 波乱の幕開けとなるか──』

 

「「「ほっ──」」」

 

 その名前がコスモドリームではないことで、アタシは他の先輩方と同じようにため息を付いた。

 負傷した()は可哀想だけど、ともあれコスモじゃなくて良かった。

 というか、スイートローザンヌって、確か3番人気じゃなかったっけ?

 コスモが出るレースだから結構詳しく調べたんだけど……うん、とにかくこのレースで有力なウマ娘の一人だったのは間違いない。

 そんなトラブルもあったけど、先頭のウマ娘がとにかく一人で逃げ、それを他が追いかける展開になった。

 

「う~ん、さっきの怪我した()を避けるのに中段走ってる()たちは余計な足を使っちゃったわね」

「これは逃げ有利かな……」

 

 先輩達の解説の通り、中盤で7バ身から8バ身のリードを保ったまま先頭のウマは快調に逃げていた。

 故障を発生させた()は前から中段くらいにいたけど、もちろん先頭を逃げるウマ娘にはまったく影響がない。

 ところで、肝心のコスモドリームはどこにいるのよ?

 え~っと……中段くらいかしら?

 たしか一番人気がアラホウトクで──その二人後ろくらいにいるみたい。

 結構良い位置にいるように見えるわね、コレ。

 でも出遅れたはずなのにこんな場所にいたら、ここまで結構足を使っちゃったんじゃないの、あの()……

 ああ、もう。さっきからあのスタート間も無くで故障したウマ娘の姿が脳裏にちらついて仕方ない。

 

(とにかくコスモ、何位でもいいから、あなたは無事に帰ってきて──)

 

 ──と、アタシはもはや祈るような気持ちで、そう思っていた。

 そうこうしている間に、いよいよレース終盤。

 第4コーナー、残り600メートルくらいで逃げていたウマ娘は完全に集団に捕まった。

 というか、ひどいくらいに団子状態で大混戦なんだけど!!

 コスモ、いったいどこにいるのよ、これ!!

 

『アラホウトクがくる! アラホウトクがきた!! アラホウトクが現在3番手──』

 

 そんなのどうでもいいのよ、コスモはどこよ!?

 まさか彼女まで怪我したんじゃないでしょうね。

 ──って冷静になれば、そんなことが起こればさっきみたいに、さすがに実況が黙っていないわよね。

 まだコスモは走ってると信じて、アタシはレースを見守るしかない。

 

(なんか横一線だし、誰が誰だか──って、居たぁぁぁッ!!)

 

 やっと見つけた──っていうか、前の方じゃないの、コレ。

 アタシがそうやって見つけたとき、コスモと目があった気がした──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 2400メートルはレースでは未体験の距離。

 確かにスタートは緊張して、つい以前みたいに失敗しちゃったけど、それでもこれだけ距離があれば十分に取り返せる。

 う~ん、ここに来るときに道に迷った影響はないと思うんだけどなぁ。

 

(あぁ、きっとユウはすごく怒ってるよね……)

 

 コスモのルームメイトはデビュー以来、一生懸命応援してくれる。

 まるで自分のことのように──未だに満足な記録が出せないもどかしさがそうさせているんだろうけど。

 もちろん、彼女自身がデビューをあきらめたわけじゃないし、コスモだってあきらめさせる気はない。

 

(いつか一緒に……大舞台で走るんだから!)

 

 そしたらきっと、お祖父(じい)ちゃんは喜んでくれるだろう。

 ともあれ、出遅れたことでスタート直後は後方からのレースになっちゃった。

 内は混んでるから外から行くしかない。

 そう思って走ったけど──前の方の誰かが怪我したみたいで、それを避けるのに、みんな少し無理をした様子。

 故障した()は内の方を走っていたみたいだけど、外側を走っていたからこっちにはそこまで影響なかったのはラッキーだったね。

 そしてコスモ自身、意識してマークしているウマ娘がいる。

 

 ──アラホウトク

 

 コスモがチューリップ杯でやらかしちゃったせいで出走さえできなかった、今年の桜花賞を制したウマ娘。

 だから今日も一番人気という期待を背負って走ってる。

 コスモの夢だったトリプルティアラを、同世代では唯一達成する可能性があるのはもちろん彼女だけ。

 だから周囲の期待は彼女に集中してるけど──

 

(もちろん……そう簡単に達成させないけどね!!)

 

 自分が逃したその悔しさを、彼女にもぶつけてやるんだから。

 そうしてマークしながら走っていると、道中でかなり差を付けて逃げていた先頭に第4コーナーでコスモやアラホウトクのいる2位集団が追いつく。

 

 そして先頭は集団に飲まれた──さぁ、ここからッ!!

 

 第4コーナーを抜けた先の直線は上り坂。

 アラホウトクも加速して坂を駆け上がり、その順位を上げていく。

 そしてコスモも負けじと加速し──正面スタンドにいるチームの先輩たちが目に入る。

 その横には──同じ時代に生まれ、同じ血を受け継いでいるコスモのルームメイトの顔。

 

(そうだ。コスモは一人で戦っているんじゃない。友情っていう彼女たちの力が、大きく加勢しているんだ!!)

 

 彼女たちの熱い視線に応えよう、いや、応えなければならない。

 自分の中の力を一気に爆発させようと全力を振り絞ったとき──ふと景色が変わった。

 

 ──真っ黒な空間

 でも完全な闇と違い、どこか安心を感じる夜のようなその空間には、無数の星が静かに輝いていた。

 そんな中にコスモは一人、ポツンと居る。

 その中でもレース中のテンションは変わらない。

 足こそ止まっているけど、闘志は燃えている!!

 

「燃え上がれ、コスモ!! どこまでも高みまでッ!!」

 

 その沸き上がるものに突き動かされるように、両足で大地を踏ん張るように立つ。

 そして広げた両手は体の前を揺らめくように動き、左手を大きく掲げた直後──爆発的に加速して駆け抜ける。

 

 

 その加速は、現実世界でも一緒だった。

 体勢を一段と低くして、一気に加速する。

 

「な、なにぃッ!?」

 

 誰が発した言葉か──ひょっとしたら前を走っていたアラホウトクだったかも──驚きの声が後ろで聞こえた。

 初めての感覚だけど、確信する。

 もう誰もコスモに追いつくことはできないって──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 最後の直線。

 大混戦の様相を呈して、横一線で走ってくるウマ娘たち。

 そんな中でようやく見つけたあの娘の姿。

 

 ──レオタードみたいな服にプロテクターみたいなのを装着したその奇抜な勝負服には、目立つから見つけやすいという点においてだけは、一応、評価しておくわ。

 

 見つけた彼女と一瞬、目があったと思った、そのとき──彼女は口に不敵な笑みを浮かべ、眼光が鋭くなった。

 そして次の瞬間──まるで羽が生えたかのように──爆発的に加速した。

 

「な、なに、今の!?」

「あ、あれはまさか──」

「知っているの、あなた?」

 

 ……なんか隣で茶番が始まったんですけど。

 

「ウマ娘の集中力が、限界を超えてその壁を破ったときに入り込む領域(ゾーン)があるらしいのよ」

「ま、まさかコスモは──」

「ええ、その限界を超えたのでしょうね。五感や第六感さえも越えた、その先へ──」

 

 え? なに、なんでこの人たち、そんなことに詳しいの?

 というか、そんなあやふやな知識を元にトレーニングしているの? 不安になるわ~。

 トレーナーがそんなオカルトじみた根拠を元に、そこを目指してるんじゃないでしょうね。

 

 するとそこへ──

 

「ほう、コスモもついにそこへ至ったのか……」

 

 二人の先輩の背後に、ヌッと長身のウマ娘が現れ、その威圧感にアタシはギョッとした。

 …………というか、本当にウマ娘よね?

 たしかに額がでるほどに後ろへ流した長い銀髪からはヒョコっと耳が出てるけど。

 切れ長の目やまとう雰囲気や風格が只者では無い感を出している。

 腕組みをして悠然と立っていたり、彼女の存在に気付いた先輩方がものすごく恐縮していたりと、なんかスゴく大物感のあるウマ娘なんですけど。

 コスモ……あなた、こんなチームにいて大丈夫なの?

 ──というアタシの心配をよそに、一気に加速したコスモは、ついに集団を抜け出した。

 

「いけー、コスモーッ!!」

 

 アタシは無我夢中で叫ぶ。

 一番人気のウマ娘は、脚が伸びない。

 他のウマ娘たちも懸命に追うが、届かない。

 そして──

 

 ──彼女はトップでゴールを切らんとそこへ迫る。

 

 早くも歓声とともにどよめきも沸き上がる場内。

 それもそのはず、彼女の人気は10番目。出走人数が多かったからそれでも真ん中くらいだったけど、彼女のトップを予想できた人なんて少なかっただろう。

 勝利を確信したアタシも歓声をあげようと──

 

『サンキョウセッツだッ!! サンキョウセッツがきたッ!! サンキョウセッツ、クラシックのタイトルを取りましたああぁぁぁッ!!』

 

「はああああぁぁぁぁぁぁぁッ!!?」

 

 その実況で、思わず歓声じゃなくて変な声出ちゃったわよ!!

 そんな実況の間に、サンキョウセッ──じゃない! コスモドリームは無事1着でゴールを切っていたわ。

 ……まったく、連呼するから伝染(うつ)っちゃったじゃないの。

 うん、一位になったのはコスモドリーム。間違いなくね。

 

「しかも……まったく、よりにもよってサンキョウセッツと間違えるなんて……」

 

 アタシは頬を膨らませ、思わず口を突いて文句が出てしまう。

 うん。アタシは彼女を一応、知ってるわ。

 なにしろコスモの出るレースだからちゃんとチェックしてたし、パドックも見たし、そもそもクラッシックのレースに出るくらいだから同学年なんだし。

 ……それ以外にもちょっと縁があってね。

 でもね、彼女──明らかに先頭にいなかったわよ?

 それにハナ差の大混戦とかならともかく、明らかに1バ身以上の差が付いた誰が見ても分かる結果なのに。

 アタシが憤然としていると、隣の先輩方も「?」という顔で放送席のある上の方を見上げている。

 

『一番人気のアラホウトク、伸びませんでした。9番のサンキョウセッ……』

 

 突然口ごもる実況。

 

『……コスモドリーム、コスモドリームか?』

 

 ──あ、やっと気が付いたわ。

 というか、今の今までサンキョウセッツが勝ったと信じて疑ってなかった感じ。

 うん、やってしまったわね、これは。

 

『いやあ、コスモドリームだったようですね、これは』

『コスモドリームですね』

『そうですね。失礼しました……』

 

 冷静にツッコむ解説者に、謝る実況。

 いや、アンタ。失礼ってレベルじゃないでしょ。

 ウマ娘にとってG1制覇っていえば一番の晴れ舞台よ?

 しかもクラシックレースで、一生に一度しか走れないレースなんだから。

 

『──いや、ビックリしました』

 

 こっちは、アンタの実況にビックリしたわ!!

 と怒りを露わにするアタシに気がついた先輩方が──

 

「まぁまぁ、ビックリしたのはコスモの走りに、でしょ?」

「そうそう。あの直前の混戦の中だったら、間違えても仕方ないし」

「──あの奇抜な勝負服でも、ですか?」

 

 アタシのツッコみに二人は固まり、気まずそうに視線を逸らす。

 

「それはその……」

「ほら、実況席は高いところにあるから、上からの視線になってよく分からなかったんじゃないかな……」

 

 そんな感じで誤魔化す二人。

 なおも憮然とするアタシを、二人の先輩は──

 

「ほらほら、機嫌直して」

「そうよ。これからウイニングライブ、さらには祝勝会なんだから。ルームメイト、それも従姉妹がそんなじゃ、コスモちゃんも楽しめないでしょ?」

 

 そう言って“祝勝会の前祝い”と称して、レース場の売店で御馳走してくれた。

 ……うん。アタシ、他のウマ娘よりも食が細いから、あんまり事前に食べたくなかったんだけどなぁ。

 とにもかくにも、こうして今年のオークスはなんと、アタシのルームメイトのコスモドリームがとったのだ。

 そして──

 

「……ん? あれ? なんか最後はあの実況ばかり気になってたけど……ひょっとしてコスモ、G1とったってことじゃないの?」

 

 G1のウイニングライブ。その巨大な舞台を見たアタシはそんな重大なことに遅ればせながら気が付いて──親戚でもある身近な彼女が果たしたとんでもない成果に、突然、アタシの脚がガクガクし始めたのだった。

 

 

 ──なお、実況の赤坂さんはこのあとこっぴどく怒られたそうな。




◆解説◆

【もえあがれコスモ!!】
・今回のタイトルも分かりやすい……というか本文中にも出てるし。
・もちろん『聖闘士聖矢』から。特定の場面の台詞とかではなくよく出るフレーズです。
・完全に『聖闘士聖矢』回だなぁ、今回は。

スイートローザンヌ
・一応、本作のオリジナルウマ娘……扱いになるんですかね。このシーン限りのウマ娘。
・モデルは同名の実在馬。青鹿毛。
・シンボリ牧場出身で1987年の7月に3歳(当時表記)で新馬戦デビューして1着。
・その後も勝利を重ねて翌年の桜花賞に出走するもアラホウトクに敗れて4着。
・直後のG2のサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別(現在のフローラステークス)でもアラホウトクに敗れて4着。
・同レースが優駿牝馬(オークス)の優先出走権が付与されるトライアル競走で、当時は5着までに優先出走権を付与していたのでオークスにも出走登録される。
・連続4着の雪辱をアラホウトクに果たさんとしていたのだが……レースの序盤で負傷し競走中止。
・負傷は深刻で予後不良と判断されてしまう。生涯通算成績は6戦3勝。
・ウマ娘の世界は現実とは異なるので、この後、治療して見事に復活した──ということにしておきたい。

アラホウトク
・これまたモブな本作オリジナルウマ娘。
・こんな登場しているからモブ扱いになってるが、元の競走馬は立派な1988年の桜花賞馬。
・同厩舎のシヨノロマンとワンツーフィニッシュをしており、次走のサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別も同じくシヨノとワンツーフィニッシュの1位(4位も同じ馬だけど)。
・しかし、ここが彼女のピーク。以降は着順を落としていく。
・──というか、それまで1200~1600メートルで勝利を重ねた馬なのに(2000でも一勝してるけど)、2400で負けて以来、負けが込んでも2000以上のレースに出し続けるのはどうかと。明らかに距離適性があってないんじゃないだろうか。
・ともあれ同年のエリザベス女王杯で4着を最後に引退。
・まぁ、牝馬だから引退早いのも仕方ないか。↑のローザンヌみたいなことになったら大変だし。

──真っ黒な空間
・それ以降の描写は、ゲームのウマ娘で固有スキルが発動した時の演出と考えてください。
・彼女──コスモドリームの固有スキル名は【競走者(ソルジャー・)神話(ドリーム)
・その効果は──同じ星の下に生まれ、心を通わせた戦友(とも)との友情を感じたのを発動条件とし、それによって積み重ねた努力の成果が爆発的に効果を(あらわ)し、勝利を掴む走りとなる。
・──という、ゲームではありえない観客を含めたその場にいる相手が発動条件になっているスキル。
・動きのモデルはアニメの“ペガサス流星拳”を放つ前のあの動き。あのモーションから一気に駆け抜けるシーンは複数の雑兵相手に繰り出した第1話終盤の流星拳がモデルです。
・その名はもちろん、アニメ聖闘士聖矢の第2期OPテーマより。

「な、なにぃッ!?」
・聖闘士聖矢ではおなじみのセリフ。
・主に初見の技を出されたときとか、驚いたときに頻出する。
・これを言ったのはおそらくアラホウトク。
・ここまで強キャラだったのに、このセリフと共に受けた一度の敗北でその座から転がり落ちるあたりが、まさにその通りである。

壁を破ったときに入り込む領域(ゾーン)
・シンデレラグレイでタマモクロスにそのような描写がありますが──それと同じかは不明。
・今作でのこの“領域”は↑で説明した通り、演出の出る固有スキルが発動した証。
・ゲームで育成キャラが強いのはこれがあるおかげです。

スゴく大物感のあるウマ娘
・あ、コイツのことは気にしないでください。
・今後、登場予定のあるキャラなんですが、次の章以降で登場予定だったり、そこまで重要じゃない役だったりするので。
・もちろんオリジナルウマ娘ですが、非実在系ですし。
・その後、先輩二人はダイユウサクと会話しているのに入ってこないのは、彼女自身、ダイユウサクに潜在的で無意識な苦手意識があるから。決して書き忘れたんじゃあありませんよ?

その実況
・元になったレース、1988年の優駿牝馬(オークス)といえばコスモドリームの勝利とセットでこの実況。
・当日のスーパー競馬での実況を担当したの堺正幸アナがゴール直前で叫んだのは3枠()番サンキョウセッツの名。
・もちろん優勝したのは3枠()番コスモドリーム。
・一応、同じ3枠なので騎手が赤い帽子を被っていたのは共通しているのだが……
・推測にはなるが、この3枠にはもう一頭、2番人気だった7番シヨノロマンが入っており──
   赤い帽子+シヨノロマンじゃない⇒サンキョウセッツ
という思考になってしまったのではないだろうか。
・とまれ、思い込んだ堺アナは勝ったのはサンキョウセッツと信じて疑わず、サンキョウセッツの名を大きな声で連呼した。
・が……ウイニングランをする馬を見れば、ゼッケンに“9”とデカデカと書いてある。「9番のサンキョウセッ……」と言いかけたところで、サンキョウセッツが8番とそこは覚えていたのか、誤りに気が付いた。
・なお、あるサイトで「解説の大川慶次郎が「コスモドリーム!」と大きな声で訂正した」と書いてあるのがあったが、今見られる動画を見るとそんなシーンはなく、自らの誤りに気が付いた堺アナに「コスモドリームですね」と冷静にツッコんでいる程度。(おそらく90年有馬の「ライアン!」の背景とごちゃごちゃになった人の勘違い)
・ちなみにこの堺アナ御乱心の兆候はその直前にも表れており、18着のシノクロスが先頭と間違えて連呼している。
・──確かに一連のレース展開を見れば、いきなり3番人気のスイートローザンヌが故障発生して競走中止で動揺し、最後の直線では本命が馬群に消えた上に、横一線での大混戦と混乱するのもわからなくもない。
・このレースと同じような展開(有力馬に故障発生→最後の直線で大混戦)は1989年のエリザベス女王杯もそんな感じ(故障発生が最終コーナーな分、よりひどい)だったが、担当した杉本清アナはさすが「おお?なんとサンドピアリスだ! サンドピアリスが先頭!」と言ったあとは冷静に追いかける他の馬の名前を挙げたうえで、最後に「これはゼッケン番号6番サンドピアリスに間違いない!」で間違えずに実況しきった。
・その間違えなかった杉本アナがそのレースを後日、「よくわからない馬ばかりが来て焦って焦って焦りまくった」と語っており(実際、4位までが20、10、14、15番人気と不人気馬ばかり)、1988年オークスの堺アナはまさにそんな状態だったのでは? と推測される。

サンキョウセッツ
・間違えられたサンキョウセッツは9着。
・そのサンキョウセッツだが、本作では彼女のことをダイユウサクが「縁があるから」と知っている。
・それというのも競走馬サンキョウセッツの母の父は、本作で「あの方」と呼ばれているシンザン。
・それどころか母の名前もシンザンからとって「ネバーシンザン」。そんなわけで本作のウマ娘・サンキョウセッツはダイユウサクよりもよほどシンザンに近い親戚という設定です。
・そのためダイユウサクはサンキョウセッツを知っているけど、その一方で、ダイユウサクとシンザンを繋ぐ馬主の縁がない関係で“二人は親戚ではない”と複雑な関係になってます。
・そんなわけでサンキョウセッツは「あの方」のコネで入ったダイユウサクを嫌って目の敵にしており、ダイユウサクは苦手にしている、という設定になっています。
・元になった競走馬のサンキョウセッツは生涯通算成績は43戦3勝。重賞勝利は無し、と非常に地味な戦績な馬。牝馬なのですが仔にも著名な馬はできませんでした。
・成績をみると、このオークス出走が一番の華だったようです。
・でも本当にすごいのは現役で43戦も走ったことじゃないのかなぁ、と。
・1987年8月に新馬戦でデビューし、91年7月まで走り続けた。43戦も走ったのは本当にすごい。
・牡馬で比較できないけどダイユウサクもデビューの1988年からから引退の1992年までで38戦だったので。

実況の赤坂さんはこのあとこっぴどく怒られた
・実際、このレース(1988年優駿牝馬(オークス))の実況でやらかしてしまった堺アナは、この後しばらく競馬実況から離されている。
・──それが罰かどうかは知りませんけど。
・なお、この年の年末の有馬記念は実況を担当しているので、そこまで長期間干され──解説を外されたわけではない。


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第6R 大転機!? 見えた!デビューへの道

 ──コスモドリームのオークス制覇は衝撃的だった。

 確かに世の中は、次の週にある日本ダービーが注目されているけど、やっぱりオークスも大きなレース。
 桜花賞には出られなかった、ほぼノーマークの彼女が勝ったのは関係者の注目を集めた。
 コスモ自身が注目されるのは当然だけど、その影響で実はアタシ、ダイユウサクも瞬間的には注目された──という話は後になって聞いた。

 というのも、アタシとコスモは従姉妹。
 おまけに歳も同じなんだから、ひょっとしたら──ということで注目したトレーナーも居るにはいたみたい。
 でも……アタシのトレーニング巣している姿を遠巻きに見て、一目で去ったそうよ。

 ……まぁ、こういう扱いは慣れてるけど。

 ただ、そうやって注目を浴びたおかげで、余計な話が回ってきたのもまた事実だったわけで──なんてふり返れるのも、思い出として語れるくらいになってから、だけどね。

 とにかくこの時期のアタシは、このままじゃいけないと特に思い始めてた。
 オグリキャップやタマモクロスと交流ができたこと、そしてなによりもコスモの活躍。
 それをきっかけに思い始めたそんなとき──アタシはとあるチームから声をかけられたのよね。

 ……後から思えばそれが──歯車がズレる始まりだったんだけど。



「あなたの努力する姿を見て、是非チームに来てほしいって思ったの。一緒に、頑張りましょう!」

 

 トレーニングでコースを走っていたアタシが、足を止めて呼吸を整えていると、その人は歩いて近づいてきた。

 そしてさっきの言葉をアタシに言った。

 一瞬、頭が真っ白になる。

 えっと……今、この人なんて言ったっけ?

 たしかチームに……

 

「……い、いいん、ですか?」

 

 アタシの問いに笑顔で頷く彼女。

 でも──アタシはかえって戸惑った。

 自分の実力は自分が一番よくわかっている。

 今のアタシの実力は、他のウマ娘と比較して明らかに劣っている。そんなアタシが所属すれば、チームに迷惑をかけてしまうのは明らかだもの。

 でも、トレーナーは──

 

「躊躇う必要なんてないでしょう? レースに出るにはチームに所属しなくちゃいけないんだし」

 

 乗り気でアタシを勧誘し続けていた。

 

「でもアタシ、まだまだ全然実力が……」

「その実力を付けるためのトレーナーよ。それが私の仕事。確かに今のあなたの姿は、小柄で痩せすぎているように見えるけど、成長期なんだからすぐに大きくなるわ」

「そういって貰えるのは助かりますけど、でも同級生はもうとっくにデビューしているし──」

「なに言ってるの、それだけ伸びしろがあるってことでしょう? もちろん早熟な子もいれば晩成型の成長をする子もいるわ。同級生が活躍してるからって焦る必要はないわよ」

 

 すでにメイクデビューを済ませたどころか、何戦も走った同級生達ばかりになりつつある。

 そんな中で、活躍めざましいウマ娘もいる。

 アタシが思い浮かべたのはもちろん──コスモドリーム。

 ルームメイトで従姉妹。

 そしてこの前、春のG1であり、その中でも八大競走の一つに数えられるオークスを制したウマ娘。

 もっとも身近でこの栄冠を手にした彼女を意識しないはずがなかった。

 他にも、コスモ以外で初めて親しくなったウマ娘──オグリキャップ。

 彼女は中央出身ではなく、地方の笠松出身。

 そこでデビュー戦こそ2着だったものの、その後は笠松で勝利を重ね、ついには中央にスカウトされたシンデレラガールだもの。

 

(普段の姿を見ると、そうは見えないんだけどね……)

 

 食堂での大食漢ぶりや、意外と天然な性格を知っているのでつい思ってしまうけど──親しくなったから見に行った彼女が出走するレースで、アタシは震えた。

 

(コースに立った途端、まるで雰囲気が変わるんだから)

 

 さらにレースを走る姿を見て、ますます魅入られたわ。

 圧倒的な速さ、強さは見ているものを虜にする。

 

 そんな二人を間近で見ているからこそ、だからアタシは思った。「彼女たちのようになりたい」と。

 不思議と嫉妬心は無かった。その生まれ持った彼女達の才能と、自分の弱い体とを比較して無い物ねだりをする──なんて発想はなく、ただただ純粋に憧れた。

 そして幸いなことに──アタシはウマ娘達の最高峰レース、トゥインクルシリーズに入門し、その入口にいる。

 そういう自分の恵まれた環境に気がついたから、努力する気構えが変わったし──今、こうしてチャンスを与えられたのなら、素直に飛びつくわよ。

 もちろんさっきまでの言葉だって嘘じゃないわ。

 自分を冷静に客観的に見たらそう思うだろうと予測できるし、その確認は絶対に必要だった。

 それを相手は理解した上で──アタシを誘ってくれている。それならアタシの答えは決まっている。

 憧れた彼女達のようになりたい──少しでも近づきたい。

 そして、このトレーナーの言葉には一つだけ救いがあった。

 ほんのわずかながらの希望と言ってもいい。

 

 ──晩成型

 

 前に、メジロアルダンと成長型について話したときに意識し始めたそれ。

 もしもアタシがそうであるのなら、未だに芽が出ないのも無理はないだろう。

 そして近い将来にそれが芽吹き、育ち、大輪の花を咲かせられれば、今、先んじて活躍している同級生達に肩を並べることができるかもしれない。

 だからアタシは、頭を深々と下げ──

 

「よろしくお願いします」

 

 アタシはその希望にすがりつていた。

 それに彼女は笑みを浮かべて

 

「ええ、よろしくね。チーム《カストル》へようこそ」

 

 と答えた。

 アタシはそれを聞いて、ホッとする。やっと一歩を踏み出せた、と。

 

 ──でも、それはすぐに不安を抱くことになった。

 

 なぜなら、アタシの手を取りながら言った彼女が言った次の一言──

 

「──貴方はあの方の関係者なんだから、このまま終わるなんてこと、考えられないしね。それにあのコスモドリームの従姉妹でもあるなら、間違いないわよ」

 

 その言葉に、アタシの手を握るその手が、酷く冷たく感じられたのだった。

 

(──この人は、アタシのことを見ていない)

(アタシを通じて他のウマ娘を見ているだけじゃないの?)

 

 そんな疑念がアタシの頭に浮かぶが、慌ててそれを捨て去った。

 願わくば、その不安は気のせいであってほしい。

 

 でも──今のアタシには他の選択肢なんて、無かった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 翌日、トレーナーの決定と、チーム加入の手続きを済ませ、アタシは食堂へと向かっていた。

 手続きは午前中のうちに終わったから、このことをオグリキャップや友人達に報告しようと思って。

 なんだかんだで、こんな時期──ダービーも終わった6月──になってもデビューしていないアタシのことを他のウマ娘たちもやっぱり気にかけてくれている様子だし。

 

「デビューはまだでも、それに向けての光明がやっと見えてきたんだから……」

 

 アタシは一人、つぶやきながら両手をグッと握りしめる。

 そして曲がり角を曲がろうとして──

 

「「──ッ!!」」

 

 反対から来た人とぶつかりそうになった。

 相手も直前に気がついたから、どうにかぶつからずにすんだけど──

 

「──ごめんなさい、って……あら、アナタだったの? 謝って損したわ」

 

 その相手が一瞬だけすまなさそうな顔をしたけど、すぐに蔑むような表情に変わった。

 そんな顔を見て、アタシも思わず「げ……」と声が漏れてしまう。

 なぜならその顔をアタシは知っていて──

 

「……サンキョウ、セッツ…………」

「まだ、辞めずにいたのね。こんな時期なのにデビューの目処も立っていないのに。驚いたわ」

 

 長い鹿毛の茶髪の長い髪をツインテールにした彼女は、普段からつり上がっているその目をますますつり上げてアタシを睨む──というよりは、嘲り笑ってきた。

 うん……彼女は、アタシを嫌ってるのよね。

 その理由は簡単。彼女も“あの方”の親戚だから。いえ、アタシと一緒扱いするのも申し訳ないくらいで、彼女は“あの方”の直系の親戚なんだから。

 一方、アタシは“あの方”よりも上で繋がる親戚だから、血の繋がりがない。

 にも関わらず──親戚扱いで優遇されていることが、気にくわないんだと思う。

 

(アタシだって戸惑ってるのに……)

 

 突然、このトレセン学園への入学の話を持ってきたのは父で、「もう話は通ってるから」と半ば強引に叩き込まれた、というのがアタシがここに入ることになった事情。

 なんかもう、有無を言わせずに通うことになったわけだけど、入ってからはもっと愕然としたわ。なによりもアタシが“場違い”だったんだから。

 しかも──こんな感じで、やたらと風当たりは強いし。

 

「そっちは、御活躍のようで……」

「そうね。い・ま・だ・に、デビューもできないウマ娘にはわからない苦労もあるのですけども……」

 

 うわ、ホントに変なのに捕まっちゃったわ。

 早く食堂に行きたいんだけどなぁ……

 

「ところでアナタ、チームの所属が決まったんですって?」

「え……?」

 

 ちょっと待って。なんで、知ってるの?

 昨日、トレーナーが来て、午前中に手続きしたような話よ?

 それをなんで、まったく関係ないアナタが知っているのよ。

 戸惑うアタシの顔を見て、サンキョウセッツは冷笑を浮かべる。

 それは如実に、「知っている理由なんて話すわけないでしょ?」と語ってる。

 

「とんだ物好きなトレーナーもいたものねぇ。箸にも棒にもかからないようなチンチクリンを引きとろうだなんて。ああ、それとも雑用係でも探していたのかしらぁ~?」

「く……」

 

 そう言って「オホホホ……」と蔑んだ調子で高笑いするサンキョウセッツに、アタシは何も言い返せない。

 ここはトレセン学園。実力と実績がものをいう世界。

 こんな性格だけど、サンキョウセッツはとっくにデビューして勝利や結果を残して、先月はオークスに出走したくらいだもの。デビューさえしてないアタシには反論の余地もない。

 ──というか、よくもまぁ、ここまで典型的な悪役令嬢的な言い方ができるものよね。

 おまけに口元に手をかざして、典型的な高笑いまで見せてくれたわ。

 もう、なんでこんな厄介なのに──

 

「まぁ、デビュー前のアナタには、と・う・て・い、わからないでしょうねぇ。レースに勝ったり、G1の大舞台に上がるような気分は──」

 

 

「そっか、じゃあぜひ教えてよ。G1レースで実況に勝者として名前を連呼されたときの気持ちを、じっくりと──」

 

 

「「……え?」」

 

 横から聞こえた聞き慣れた声。

 そちらを見ればそこには、笑顔を浮かべた鹿毛の茶髪を短めにしたウマ娘。

 

「う……コ、コスモ……ドリーム…………」

 

 現れたコスモドリームをサンキョウセッツは忌々しく睨んだ。

 その姿に今までの勢いはなく──そこへトドメを刺す。

 

「コスモもそんな経験無いんだよね。よかったら教えてくれないかな。“オークスを制した”サンキョウセッツさん」

 

「ぷッ……」

「……クスクス……」

 

 コスモの皮肉に、周囲から思わず出た忍び笑い。

 それがアタシの耳にも届く。ということはもちろん、彼女の耳にも聞こえたのだろう。

 その顔がカーッと真っ赤になっていく。

 

「な……な……ッ」

 

 なにか言い返そうとしたサンキョウセッツの口がわなわなと動くが、言葉は見つからなかったらしい。

 それもそうよね。

 もしも誰かがあの出来事を揶揄すれば、それは関係ないのに巻き込まれたサンキョウセッツを侮辱するものだったでしょうけど。

 でも他の誰でもない、優勝したのに賞賛を簒奪されたコスモドリームには皮肉の一つや二つをいう権利はあるし、しかもアタシをイビるという状況が状況なんだから、誰もかばいもしない。

 コスモの登場に、なにも言い返せないサンキョウセッツは憎々しげにアタシを睨む。

 

「そういえば、アナタの従姉妹だったのでしたわね……」

「おかげさまで……だから、G1経験の話は彼女から聞くから、間に合ってるわ」

「くッ──」

 

 もう一度、彼女はキッとアタシを睨みつけ言外に「覚えてなさいよ!」と主張し、それから踵を返して、アタシの目的地とは逆の方向へと歩き去っていった。

 

「ほ……」

 

 ため息をついたアタシは、傍らで笑みを浮かべているコスモドリームを振り返る。

 

「ありがと。助かったわ」

「どういたしまして。でも、別にユウのためだけじゃないよ。ああいう態度をされたんじゃ、あのレースに出走したみんなの品位を疑われるからね」

 

 コスモは半ばあきれた様子で、サンキョウセッツが去っていった方を見て、ため息をついていた。

 あのレースを侮辱することを許さないのは、自分が勝ったレースだから──ではなく、そこで大怪我をしてしまったウマ娘のことを配慮してのことだと思う。

 コスモはそういう優しい子だもの。

 

「それにしても、難儀な親戚を持ったものだねぇ」

「あら、アナタもアタシの親戚なんだけど?」

「だからさ。コスモみたいな品行方正な親戚だけだったら、ユウも苦労しないのに」

「……それを自分で言う?」

 

 呆れたようにアタシが言うと──どちらからともなく笑い出す。

 うん、やっぱりこうじゃないとね。

 コスモがアタシの従姉妹で──そしてルームメイトで本当によかった。もしもサンキョウセッツみたいなのが近い親戚だったり、ルームメイトだったかと思うとゾッとするわ。

 ひとしきり笑った後、アタシは彼女に報告をした。

 トレーナーが決まり、チームに所属することになったということを。

 

「へぇ、ホントに!? よかったじゃん!!」

 

 それを聞いた彼女は、案の定、我が事のように喜んでくれた。

 満面の笑みを浮かべ、アタシの両手をとって、痛いくらいにブンブンと上下に振った。

 

「で、なんてチーム?」

「えっと確か…………」

 

 アタシが人差し指を立てて考え込むと、コスモが苦笑する。

 

「自分のチームくらい覚えておきなよ」

「うっさい、ちょっとド忘れしただけよ。そうそう、《カストル》ってチームよ」

 

 それを聞いたとき、コスモの表情が一瞬だけ陰った。

 でも、嬉しい報告を彼女にできた喜びで一杯だったアタシは、それを──見逃してしまった。

 

「たしか女性のトレーナーだったよね?」

「ええ、そうよ」

「そっか……ちょっと厳しいトレーナーだって聞くけど、頑張ってね」

「ええ、もちろんよ」

 

 アタシは自分の細腕でガッツポーズを取ってコスモにアピールする。

 

「そうだ。今から食堂に行って、みんなにも報告するんだけど……アナタも来ない?」

 

 よく考えると、コスモをつれて一緒に学食に行ったことはなかったわね。

 彼女はチームの人と一緒に食べることが多いみたいだったし、クラスも違うからアタシと同じクラスのオグリとかアルダンとかとも接点なさそうだし。

 アタシの誘いにコスモは笑顔で「うん」とうなずきかけたのだが、急になにかを思い出したように気まずい顔になってそれを止めた。

 

「あの、さ……たしか、ユウってオグリキャップと知り合いだよね?」

「そうだけど?」

「で、今からいくのって食堂だから……当然、いるよね?」

 

 食堂だからいるって、いったいどういう基準なのよ、それ。

 …………まぁ、わからなくもないけど。

 十中八九、まだ食べ終わってなければ間違いなくいるでしょうし。

 

「ええ、たぶんそうだけど……」

 

 そう答えたアタシだったけど、実は彼女を誘ったその目的の半分以上が、コスモにオグリキャップと会わせることが目的だったのよね。

 オグリキャップといえば、クラシック登録を逃したのにダービー出走の嘆願署名が集まったりして、今、話題のウマ娘。

 ダービーに出ることは出来なかったけど、強者であることは間違いない。そんな彼女にコスモを会わせてあげたかった。

 そして一方、オグリも──ダービーに出られなくて目標を失っているような感じも見受けられたのよね。

 だからオークスウマ娘であるコスモに会うことが、なにかの刺激になったら──って思ったんだけど……

 

「なら──やめておくよ」

 

 コスモは苦笑しながら、アタシの話を断った。

 

「なんで──」

「だって、今度の高松宮杯、オグリキャップも出るみたいだからね」

 

 オグリキャップ“も”という彼女の言葉。つまりはコスモは高松宮杯に出走する予定なんだ。

 それに気がついて、アタシはバツが悪そうな表情を浮かべてしまう。

 コスモは申し訳なさそうにして──

 

「だから、オグリキャップと初めて顔を合わせたら、きっと変な空気になっちゃう。せっかくユウの“良いこと”の報告会なのに」

「そ、そんな……そんなの気にしなくても…………」

「ユウがよくても、コスモが気にするの!」

 

 食い下がるアタシに、コスモはハッキリと言った。

 そしてからかうように意地悪い笑みを浮かべる。

 

「だって……ユウってば、良いお知らせを、なかなかできないでしょ? そんな数少ないチャンスを奪うのは気が引けるし……」

「あ~、あ~、そうですか。もう、言ってなさいよ……いつか、アタシの“良いお知らせ”ばっかりで、耳にタコができた~って言わせてやるわよ」

 

 アタシがそう言い返すと、コスモは優しげに笑みを浮かべ。

 ──でも、とても真剣な顔で。

 

「うん……待ってる」

 

 そう言った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そうしてダイユウサクは食堂へと去っていった。

 

 お祝いできないのはちょっと寂しいけど、でも、それは部屋に戻ってからでいいよね?

 さっきみたいに道中、変なのに絡まれなければいいけど……なんてちょっと不安に思わないわけじゃないけど。

 

(強いわけじゃないのに、敵が多いんだよなぁ、ユウは……)

 

 だから、コスモ以外に友達ができたのは本当に嬉しいよ。ずっと一緒にいて守ってあげるわけにもいかないんだから。

 少しの間、コスモのいる後ろを気にしていた様子のユウだったけど、少し離れたら軽やかな足取りで食堂の方へ向かっていった。

 そんな姿を見ながら、ふと思い出す。

 先ほど名前を聞いたときに思い出した、彼女が所属したというチームに関するウワサを──

 

「チーム《カストル》か……ちょっと不安だね」

 

 もしもトラブルに巻き込まれたら、コスモが助けてあげないと。

 と、気を引き締めてチームメイトが集まる部屋へと向かった。




◆解説◆

【見えた!デビューへの道】
・今回のタイトルは、特に明確なモデルはないのですが──
・強いて言えば、Gガンダムのドモン=カッシュが明鏡止水を会得したシーンでの「見えた! 水の一滴!!」の台詞。
・意識したのはそれくらいですかね。
・これ以後、元ネタのあるタイトルではなく、思い付きになっていくと思います。

八大競走
・クラシックの5競走の──
  桜花賞、皐月賞、オークス、日本ダービー、菊花賞
にシニアの
  天皇賞(春・秋)、有馬記念
の3競走を加えた8つの競走。
・クラシック三冠は全部入ってますが、トリプルティアラは一冠だけ入っていませんね。
・ちなみに、本作での現時点では菊花賞、天皇賞(秋)、有馬記念以外は終了しており、それぞれの勝者は元が1988年なので──
  桜花賞:アラホウトク
  皐月賞:ヤエノムテキ
  オークス:コスモドリーム
  日本ダービー:サクラチヨノオー
  天皇賞(春):タマモクロス
になっています。
・本作は一応、シンデレラグレイ準拠なので史実通りになるかはわかりませんが、参考として1988年では残りは──
  天皇賞(秋):タマモクロス
  菊花賞:スーパークリーク
  有馬記念:オグリキャップ
となります。

悪役令嬢
・まさかの登場となった本作オリジナルウマ娘、サンキョウセッツ。
・実在馬が元になる彼女ですが、ぶっちゃけ前話書いている時点では、実況ネタとしてしか考えていなかったのですが……
・前話の解説を書く際にサンキョウセッツについて調べて──シンザンの孫であることを知ってから、「なんか使えそうだな」とは思ってました。
・それでちょっと改変して、主人公の親戚の親戚なんてことになり、嫌ってるなんて設定つけたわけです。
・ところが、家柄(血統)はいいのに、ウマ娘になるような競走馬に比べると成績はパッとしないのを見て──血筋を鼻にかけて高飛車な態度でイビるというイメージが出来上がりました。
・そうすると──思い浮かぶのは、元祖悪役令嬢“シンデレラの姉”だったんですよね。
・そうなったら、これはもう悪役令嬢になってもらうしかないと思い──「シンデレラ」ではなく「みにくいあひるの子」である本作も主役をイジメる「あひるの子たち」が必要と思い、登場となりました。
・そんなわけで、サンキョウセッツには申し訳ありませんが、そんな役どころです。
・──無論、サンキョウセッツには悪意なんて抱いていません。調べているうちに好きになったくらいですし。
・目立った活躍こそありませんが、息長く走った名馬だと思っています。

ダービー出走の嘆願署名
・現実世界でも起こった署名運動。
・クラシック登録を逃して、クラシックレースへの出場権が無いオグリキャップ。
・そんなオグリキャップが毎日杯で勝ち、同レース4着だったヤエノムテキが皐月賞を制したことで、「オグリキャップがダービーに出られたら……」という声が高まることに。
・芸能人である大橋巨泉が「追加登録料を支払えば出られるようにして欲しい」と提言するなど、クラシック出走を可能にする措置を求める声が起こったが、実現しなかった。
・しかし、現在では大橋巨泉案が実現して、1992年から登録がなくとも「追加登録料を支払えば出走可能」になっている。その道を開いたことにオグリキャップの貢献は計り知れない。
・シンデレラグレイでも、史実同様に出走はかなわなかった。
・本話の冒頭で「次の週にある日本ダービーが注目されている」とあるのはこの論争が影響してのこと。

高松宮杯
・ゲームのウマ娘をやったことをある人なら気が付くと思うんですけど──「あれ? 高松宮杯ってこんな時期じゃないよね?」って。
・そう、ゲームでは3月後半開催のG1です。実際、今の開催もそうなっていますし。
・でも史実でそうなったのは2000年から。
・1996年にG1になって5月開催になり、その後そうなったのですが……それ以前はG2で1986年までは6月、87年から1996年までは7月で開催していました。
・距離も変わっており、ゲームでは完全に短距離のレースですが、当時は中距離にあたる2000メートルでした。
・私自身、シンデレラグレイは単行本派なので現時点(2021年6月)では単行本3巻までしか出てなくてそこまで話が進んでおらず、「これをどう処理したんだろう」と思っていたんですが……
・調べてみたら、ゲーム準拠ではなく史実準拠のダービー後に高松宮杯をやっていました。
・ちなみに、一コマで吹っ飛ばされたので、コスモドリームの姿はありません。
・……ちょっとホッとした。(笑)
・そういえば、シンデレラグレイでダイユウサクが出てくるとしたらラストラン前の天皇賞(秋)になるかと思いますが……ウマ娘になっていないから出てこれないでしょうね。
・だけど、アニメ版でのダイユウサク役、ダイサンゲンが出てきたら嬉しいな。


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第7R 大善戦? 敗北の高松宮杯

「──なんてことがあったのよ」

 

 食堂について自身のチーム入りを説明すると、一番喜んでくれたのはメジロアルダンだった。

 

「まぁ、おめでとうございます!」

 

 やっぱり彼女は体の弱いアタシのことを気にかけてくれていたらしく、胸の前で手を組んで、感激してくれた。

 そして──

 

「よかったわね、ダイユウちゃん……」

 

 そう言って、なぜか娘の成長に感激する母親のように片手で涙を拭っているのは、もちろんスーパークリーク。

 なんかもう、母親オーラがすごいんですけど。

 アタシの母親よりもよっぽど母親っぽいような……うん、叔母さ──コスモのお母さんよりかは間違いなく母親っぽいわね。

 あの人、どんな状況でも真後ろに立つと蹴りが飛んでくるんだもの。

 どこの世界のスゴ腕スナイパーよ。

 姉御肌で気風のいい人なんだけど、基本的に武闘派だし。うっかり“叔母(オバ)さん”なんて言ったらぶっ飛ばされかねないわ。

 

 ……うん、なんだか比べたスーパークリークに申し訳ない気持ちになってきちゃった。

 

 なんてアタシが考えていることを露知らない彼女はしみじみと言う。

 

「最近、残す量も減ってきているし。良い傾向よね」

 

 そうなのだ。

 前はとてもとても食べられなかった量のウマ娘盛りが、相変わらず全部は食べられなくても、それでも食べられる量が増えてきているのよね。

 それは喜ばしいことなんだけど……

 

「……………………」

 

 ああ、もう。オグリキャップは寂しそうな目でこっちを見ないでよ。

 確かにあげられる量は減ったけど……アナタが食べる総量からしたら、アタシがあげている分なんてほんのわずかじゃないの。

 

「オグリちゃん……私の分あげるから、我慢してね。それに……彼女の場合、たくさん食べられるようになったってことは良いことなんだからね」

「そうか……うん。確かに少ししか食べられないのは本当に、本当に残念なことだ」

 

 ベルノライトがちょっと呆れた様子でオグリキャップにフォローしてくれている。

 ああ、本当に健気だなぁ……。

 実のところ──最近、彼女を見ていて考えていたことがあったんだけど──

 

(アタシも、コスモのサポートをしたらどうかな……)

 

 小柄な体とか、アタシはベルノに共通するところが多い。

 もしもこのまま競走ウマ娘として芽が出ないのなら、オークス制覇って実績を残したコスモを応援する側に回ってもいいんじゃないかって。

 だから──さっきのサンキョウセッツの言葉は、少なからずアタシの胸に刺さった。

 とはいえ、今はトレーナーさんに誘われてチームにも入ったんだから、アタシ自身が頑張らないとね。

 

「そういえば何ていうチームに入ったんですか?」

 

 オグリをなだめたベルノライトがアタシに振り返りながら訊いてきた。

 

「チーム《カストル》だけど……」

「──あら? そうなのですか……そう、ですか…………」

 

 アタシの返事を聞いたメジロアルダンが意外そうな──そしてその目に憂いが生じる。

 それにアタシが少なからず不安を感じるのも無理はないと思う。

 メジロアルダンというウマ娘は、見識が広く理知的なのだから。

 

「……なにか、あるの?」

「そう、ですね……」

 

 握った拳を唇に当てて、思案するアルダン。

 話すべきか、話さないべきか──迷った様子の彼女は、意を決して口を開いた。

 

「私が聞いた話では《カストル》というチームは、《ポルックス》というチームと激しく反目し合っていると聞いています。というのも元は一つのチームを人数の関係で分かれた双子チームだったそうなのですが……いつの間にかどっちが実力が上か、どっちが正統派か、なんて争いを始めてしまったそうなのです」

「む……暖簾分けしたあとに代替わりしてトラブルになるラーメン屋のような話だな」

「お、オグリちゃん……」

 

 無表情でオグリキャップが言うが、アルダンは笑顔でそれを流す。

 それを見たベルノライトが申し訳なさそうな顔でアルダンにペコペコと頭を下げてる。

 アルダンはコホンと咳払いをしてから話を再開した。

 

「もちろん、批判しているわけではありませんよ。競いあうことは決して悪いことではありませんし、ライバルの存在が良い反応を生むことは間違いありません。ただ……この2つのチームの反目は、少々度が過ぎることもありまして……」

「──と、いうと?」

「そうですね……相手へのあからさまな妨害行為は生徒会が介入するのでもちろん防がれているそうですが……でも、生徒会の目をかいくぐるような小さな嫌がらせは後を絶たないとか。それに過剰な対抗意識から、チーム内で過酷な練習を繰り返して体を壊してしまう、なんていう方もいるそうですわ」

「そんなの、本末転倒じゃないですか!」

 

 アタシの問いに答えたアルダンの言葉に、ベルノライトが顔色を変えた。

 憤る彼女だが、それをアルダンにぶつけても全く意味がない。アルダンは苦笑気味に微笑む。

 

「それを私に言われましても……」

「あ……すみません」

「いえ、スタッフ養成科の貴方が憤る気持ちはよく分かりますわ。でも……キチンとトレーナーもついていらっしゃいますし、過度なトレーニングも反目が原因かどうかも定かではありません。あくまで噂……というだけですから」

 

 申し訳なさそうに、アルダンはアタシの方を見た。

 確かに今から入ろうとしているチームを悪く言われるのはあまり良い気持ちはしない。

 だけど、それは彼女がアタシのことを心配しているからだということはよく分かってる。

 でも──

 

「アルダンが心配してくれているのはお礼を言うわ。わざわざこの話をしてくれたのは、隠すことがアタシに不利益になるから、と思ったからでしょ?」

 

 彼女は頷くことはなかったが、ニッコリと微笑んだ。

 

「でもね……アタシには選択肢がないのよ。他に声をかけてくれたトレーナーもいないし。このチャンスを逃したくないの」

「ええ。わかりますわ……ですから私も“やめておきなさい”とは言いません」

「ありがとう、アルダン。アタシはこのチームで頑張る」

 

 アタシが力強く頷くと、彼女は大きくうなずき──

 

「私も、その努力を精一杯応援いたします。そして、レース場で一緒に走りましょうね」

 

 そう言って彼女はアタシの決意を祝福してくれた。

 それからふと、思い出したように言う。

 

「……そういえば、《ポルックス》に所属しているウマ娘の中に、オークスに出走していらした方がいましたね」

「誰ですか!?」

 

 アタシ以上の食いつきでベルノが尋ねる。

 

「ええ、あのレースで皮肉なことにある意味で有名になった方ですけど……サンキョウセッツさんですね」

 

 アルダンのその答えで、どうしてサンキョウセッツがアタシのチーム入りを知っていたのかとか、なんであんな場所で絡んできたのか、という疑問が解決した。

 

(まったく、先が思いやられるわ……)

 

 アタシは大きくため息をつき──思わずこめかみを指で押さえていた。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 チームに所属したことで、アタシに大きな変化があったのは、コスモへの応援だったわ。

 今までは彼女の走るレースを見に行ったんだけど──さすがにトレーナーがついてチームに所属したら、それも無理。

 東京ならともかく、トレセン学園から遠く離れたレース場に応援に行くのは厳しくなっちゃったのは本当に残念だった。

 そして──彼女が次に出るレース、高松宮杯の開催は中京レース場だった。

 

「本当は行きたいんだけど……」

「いいよ。今は自分を優先するべきなんだから」

 

 彼女が出発する前日、アタシは寮でコスモに謝ったけど、彼女は笑顔で「気にしないで」と言ったわ。

 今まで全部、間近で見ていた分、寂しい──というよりはなにか不安さえ感じるくらい。

 

「ユウ……いつまでも、コスモのレースに付いてくるわけじゃあないよね? そんなことできるわけがないんだから」

 

 そんな気持ちが顔に出てしまったのか、コスモは少し怒った様子でそう言った。

 

「ユウがデビューすればコスモだってできる限り応援しに行きたいよ。今までたくさん応援してくれたんだから」

 

 それが嘘偽りのない彼女の気持ちだってことは、十分に分かる。

 

「でも、二人が違う場所で走ることがあるのは当たり前だよ。かといって片方の応援のためにもう片方がレースに出ないなんてことはありえないし、常にそうなるようにレースを選ぶわけにもいかないんだから。レースに向けての特訓だってあるし」

「そんなこと、分かってるわよ……」

 

 アタシが不満そうに言うと、コスモは「わかってるならいいけど……」と納得する。

 

「だから今回は、テレビで応援してよ」

「ええ、もちろんよ。かじり付いてでも応援するわ」

「……そこは、練習の合間、程度にね。そうじゃないと学園に残る意味ないし」

 

 アタシの返しにコスモは呆れたように苦笑する。

 

「コスモこそ、体調に気をつけなさいよ。変なもの食べて体調崩したりしないように」

「うん。チームのみんなもサポートしてくれるからね。今回は──相手が相手だからね」

 

 コスモは遠い目をして虚空を睨む。

 彼女の視線の先には──きっとオグリキャップの姿が映っていることだろう。

 

「あ! そうだ!! ユウはちゃんとコスモのこと応援してよ? いくら親しいからってオグリのことも……なんて考えてないよね?」

「え? あ……もちろん、そんなこと無いわよ?」

「あ~、考えてた考えてた。コスモの方が付き合い長いんだし、同じ血を分けた従姉妹じゃないか!! ちゃんと応援してよ~」

「わかったわかった。今回はコスモのことだけ応援するから──」

 

 じゃれるコスモを手で制し、アタシはじっと見つめる。

 

「だから──勝ってきなさいよ」

「ああ。もちろんさ!!」

 

 コスモは満面の笑みで答え──旅立っていった。

 

 

 でも──

 

 

 アタシはテレビでそのレースを見ていた。

 この高松宮杯はクラシックレースと違い、同年代だけではなく上の年代の先輩方も走るレース。

 今注目のオグリキャップが出走するということもあって注目度の高いレースだったんだけど……彼女の強さを驚異に感じたウマ娘達の棄権が相次ぎ──なんと出走メンバーは8人しかいなかった。

 前走のオークスが22人で走ったコスモにとっては、かなり違和感を感じたことでしょうね。

 そして始まるレース。

 序盤は逃げのウマ娘が引っ張る中──コスモはなんと最後尾にまで落ちてしまう。

 特別出遅れたような気配はなかったんだけど……やっぱりテレビで見るレースは視覚が限られるのでわかりにくい。

 でも、中盤から終盤にかけて、コスモは順位を上げていく──が、そこに他のウマ娘達が立ちはだかった。

 

「──え?」

 

 アタシは思わず目を疑った。

 コスモの前には複数のウマ娘が併走していて隙間が無く、壁ができあがっていた。

 完全に道を塞がれたコスモ。

 それを後目に、オグリキャップはそれをかわしてぐんぐんと加速していく。

 

 そして──

 

 最後の直線でコスモがその壁を抜けたころには、その遙か先で先頭を逃げていたウマ娘が走っており──さらにその先をオグリキャップが走っていた。

 そしてそのままゴールへ。

 

 優勝──しかもレコード勝ち。

 圧倒的な強さでオグリキャップは高松宮杯を制した。

 

 友人の勝利に喜びたい気持ちだったけど、やっぱりコスモが負けたのはショックであり、残念だった。

 

 

 ──そして現地で見ていなかったアタシは、この時のコスモの気持ちを本当の意味で理解していなくて……彼女を傷つけることになってしまうのだった。




◆解説◆

【敗北の高松宮杯】
・今回のタイトルはモデルなし。
・でも、タイトルでレース結果ネタバレという、ジャンプ系アニメのあるあるです。
・次回予告があったら──そうなっていたのですが、ぶっちゃけシンデレラグレイを雑誌で追いかけている人にはバレバレですよね。
・史実調べればおおむねわかるし。


コスモのお母さん
・競走馬コスモドリームの母馬はスイートドリーム。それがイメージになっています。
・実はこの馬、「甘い夢」なんて希望あふれる可愛らしい名前を付けられたのに……後ろに立った馬を蹴り上げようとするという、まるでどこかのゴル〇13のような悪癖があった非常に気性の荒い馬だったそうな。
・おかげで種付けする種牡馬はそりゃあもう大変。
・なんとかモガミを種付けしたけど──不受胎。
・もう一度種付けするけど、うっかり蹴飛ばして怪我でもさせたら大変だ──と万が一蹴り飛ばされても損害が少ないという理由で、所有牧場の自家用種牡馬だったブゼンダイオーが選ばれ、そして生まれたのは競走馬コスモドリームです。
・そんな経緯から、「コスモのお母さんはおっかない」という設定が生まれました。

《カストル》
《ポルックス》
・主人公ダイユウサクが所属することになったチーム《カストル》と、そのライバルチーム《ポルックス》
・その名前の由来は、今回も一等星の名前から──って、実は恒星「カストル」って一等星じゃなくて二等星でした!(正確には1.6等星)
・──ただし「ポルックス」は一等星。
・つまり21の一等星の中に「カストル」は入っておりません。
・どちらもふたご座に輝く星であり、ふたご座の元になった神話にでてくる双子の英雄から名付けられ、セットで双子星とも呼ばれるのに……
・そういう経緯で、この二つのチームは双子──元は同じチームだったという設定になっています。
・もともとは一等星「ポルックス」から名前をとったチーム《ポルックス》がありました。
・しかし人数が増えてきて、トレーナーも増えてきたので暖簾分けし《カストル》が生まれます。
・最初はいいライバル関係だったのですが、徐々にいきすぎた対抗意識がエスカレートして──目の敵にするようになってしまいました。
・ちなみに──神話ではカストル(カストール)の方が兄なんですけどね。

現地で見ていなかったアタシ
・本作におけるこのときのコスモドリームの敗因が、じつはコレ。
・というのも、彼女の固有スキルを憶えておいででしょうか?
・【競走者(ソルジャー・)神話(ドリーム)】という、戦友(とも)との「友情」を感じたのを発動条件に、爆発的に能力を上げて圧倒する、というものでした。
・──そう、ダイユサクが現地にいないので、発動条件を満たさなかったんです。
・せっかく前のレースで開眼した固有スキルでしたが、その不発が大きく響きました。
・発動していればもっと早く前の壁を抜けていたし、そこからオグリを追いかけ、そこから互角以上の戦いができていた(オグリがうっかり「な、なにぃッ!?」とか言ったらコスモが勝ってた)はずなのですが……結果は御覧の通り。
・ただし、コスモ自身はスキルの不発はもちろん、固有スキルの発動条件も知りません。
・それでも出発前に、ダイユウサクに自分を見てほしいとか応援してほしいと言ったのは、無意識にその条件を求めていたからかもしれません。


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第8R 大失敗… すれ違う心

 
 ──高松宮杯は1位がオグリキャップ。コスモドリームは3位だった。

 コスモが3位だったことは今まで何度かあったし、決して悪い結果なんかじゃない。
 アタシは勝手にそう思っていた。
 そのレースを友人のオグリキャップが圧倒的な強さで制した、ということで気持ちが舞い上がっていたせいかもしれない。
 だからアタシは気が付かなかった。
 その圧倒的な強さで叩き潰された相手の気持ちに……



 その日のコスモは、どこかおかしかった。

 

 高松宮杯が開催された愛知から戻ってきたのは、開催の次の日だった。

 学園の授業も終えて、トレーニングも済ませ、アタシが寮で一息ついたとき、彼女はこの部屋に戻ってきたんだけど……

 

「……………………」

 

 彼女は部屋のドアを無言で開けた。

 ドアを開け閉めする気配でアタシはそちらを見て──

 

「あ、おかえり……お疲れさま」

「……………………」

 

 コスモドリームに声をかけた。

 でも、返事は聞こえなかった。

 それでアタシはちょっと様子がおかしいと思って首を(かし)げ──

 

(声が小さくて聞き逃しちゃったかしら)

 

 そう思った。

 そして、大きな声で返事ができないほどに疲れたんだ、と思っていた。

 だって、いつものコスモなら元気一杯だった。たとえレースに負けても「次は勝つ!」と底抜けに明るかったし、前向きだった。

 だからこそ、アタシもそう思ったわけで──

 

「約束通り高松宮杯、見てたよ。3着おめでとう。すごかったじゃない」

 

 そう労ったんだけど──コスモの反応はいつもと違った。

 いつもだったら「ありがと。でも3着じゃ負けは負けだからね。次は1位とるよ」と屈託のない笑顔を浮かべるのだけど──彼女はアタシを睨んできた。

 

「すごい? ……ユウはあのレース、本当に見てたの?

「え? ……もちろん見てたわよ」

 

 明らかに怒っている彼女の反応。

 というか、彼女から怒りを向けられたのは初めてで、正直戸惑った。

 

「一時は殿(しんがり)になっちゃったけど、きっちり追込んでたじゃないの。途中、前走者に阻まれちゃったけど、あれがなければ勝負はわからなかったんじゃ──」

 

「──わかってたよッ!!」

 

 突然の、コスモの大声。

 それに驚いて、アタシは言葉を止めていた。

 うつむき加減ながらも、強い口調──というよりももはや叫ぶように、彼女はさらに続ける。

 

「あんなの……分かり切ってるよ!! コスモじゃ……コスモなんかじゃ、オグリキャップに勝てないってッ!!」

「え……?」

 

 アタシは呆然とコスモを見るしかなかった。

 こんな彼女の姿は初めて見たから。常に明るく前向きで、けっして諦めない。それがコスモドリームというウマ娘だと思っていたから。

 

「完全に力負けだよ。コスモの力じゃ、全然、絶対にかなわない……勝てない。それをまざまざと見せつけられ、思い知らされた……それが、あの高松宮杯(レース)だったのに……ユウはいったい、どこを見ていたの?」

「そ、そんな……コスモだって力のあるウマ娘よ! オークスに勝ったんだから──」

「それはそうだよ。オークスにはオグリが出ていなかったんだからね!!」

 

 自虐的な笑みさえ浮かべ、彼女はアタシをジッと見つめる。

 そんなコスモが──アタシは怖かった。

 

「そんなこと、ないわ。コスモなら──」

「そんなことない? ああ、それはそうだよね!! オグリキャップはクラシック登録を逃したから、オークスにはどう頑張っても出られなかったもんね! でも、もしも登録していたら……なにか天の差配でダービーじゃなくてオークスに出てきていたら──」

 

 もしもの話を語るコスモの様子には、狂気じみたものさえ感じて、アタシは彼女を止めることさえできず、ただ見ていること、聞いていることしかできない。

 

「あのオークスは、誰が勝ってもおかしくなかった。最後の直線で並んだみんな、その誰が抜け出してもおかしくなかった。コスモが勝てたのは──あのとき最後に、不思議ともう一頑張りできたからでしかないんだよ。もう一回やったら、それでも絶対に勝てる自信なんてないよ! 負けるかもしれない。もしもローザンヌが怪我しなかったら……彼女が勝ったかもしれない。でも──」

 

 いろんな仮定を列挙したコスモは、絶望的な顔で最後の一つを挙げた。

 

「──もしオグリキャップが出ていたら、他の誰もが間違いなく勝てなかった」

 

「コスモ…………」

 

 彼女の断言に、アタシはさすがに戸惑う。

 でも、それが理解できないほどアタシはバカじゃない。ウマ娘として──この学園に所属して競走に携わる者として、コスモの感覚は理解できるものだった。

 それぐらいに──オグリキャップは圧倒的なのよ。

 でも、それを理解できたとしても、肯定はしたくなかった。その肯定はアタシの目の前にいる親友が勝ち取った栄冠を否定することになる。

 そしてその実力差を見せつけられたコスモが、完全に自分を見失っているのは明らかだった。

 

「ユウは、オグリと仲良いもんね! だからあのレースだってアタシじゃなくてオグリを見ていたんでしょ!? コスモと約束したのに! コスモのことを見るって……」

「そんなことないわよ。ちゃんと展開を見た上で言ってるでしょう? それがアナタにだって分かるはずじゃないの」

「分からないよ! 見ていたならユウこそ分かるはずだよ! コスモがあんな圧倒的な負け方したのに、よくも“おめでとう”だなんて言えるよね!?」

「それは……でも、3着だってスゴいって本気で思ったから──」

 

 だからアタシは彼女に安易な慰めの言葉をかけようとしてしまった。

 それが──大失敗だった。

 

「──デビューもしてないユウに何がわかるって言うんだよッ!! 本気のオグリと走ったこともないのに言うなッ!!」

 

 浅慮から出てしまったアタシの言葉はコスモの心を傷つけ──追いつめられた彼女に言わせてはいけない言葉を言わせてしまった。

 

「「ぁ…………」」

 

 お互いの口から呻くように、同じ声が出る。

 アタシはその突きつけられた言葉の重さと鋭さで絶句し──

 コスモは口をついて出た、絶対に言わないと誓ったはずのその言葉に驚いて──

 

 でも、追いつめられた彼女が吐いたその一言の切れ味は鋭く、アタシの心を確実に斬り裂いていた。

 

「「…………………………」」

 

 その後、アタシもコスモも無言だった。

 アタシ自身、もちろんショックだった。ぐうの音も出ない正論だったから。

 でも、それ以上に──彼女が今までそれを言わないように気を使っていたのは分かっていたから、それを言わせるほどにまで追い込んでしまった自分の迂闊さに気がついたから。

 コスモもコスモで、敗戦のショックで傷ついていたとは言え、越えてはならない一線を越えてしまったという自覚があったからだと思う。

 

 だからこそ、お互いに簡単に謝ることができなかった。

 

 かろうじてアタシが──

 

「…………そうね。デビューもしてないアタシが他の()のこととか、レースのことを語るなんておこがましかったわよね……ゴメン」

 

 そう言うのが精一杯。

 コスモはそれに答えず無言だったし、アタシもそれ以上──本当に悪かったはずの、彼女を追いつめたことを謝ることができなかった。

 

 ──結果、アタシとコスモはその後は言葉を交わすことなく、二人は別れて──それぞれのベッドに無言で横になった。

 

 

 その行き違いが──お互いに素直に謝ることができなかったことが、後々まで響くなんて、このときは思いもしなかった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──コスモとの初めての喧嘩は、アタシが想像していた以上に、遙かに長引いた。

 

 コスモが言ったことは、アタシにとっては心が痛かったけど、本当に正論だった。

 なにより、同い年がクラシックレースに出ていて、しかもオークスやダービーさえ終わっているような時期なのに、まだ一度たりともレースに出たことがないのは明らかに遅すぎるんだから。

 そんなアタシが、コスモの苦悩を察することができないで、彼女を傷つけたのもまた事実だったし。

 

(仲直りするには……同じ立場に。少なくともデビューして、勝利を経験しないと。彼女と対等で話すことさえできない──)

 

 当時のアタシはそう思いこんでしまい、チームでのトレーニングに没頭した。

 コスモもコスモで、苦悩があったみたい。

 あとから聞いた話だと、彼女はアタシと仲直りするには、「それこそオグリキャップに負けないくらい強くなって、ユウの言ったことを証明しないと」っていう不器用な考えに陥っていたらしくてね。

 だから夏場も休むことなくレースに出た。小倉記念にも出走して結果を残してる。

 

 ──だから、このころはお互いに朝から晩までチームの方へ顔を出し、部屋に戻っては直ぐに寝る、というのを繰り返していた。

 おかげでほとんど顔を合わさず、言葉も交わすことは……無かった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 アタシを誘ってくれた女性トレーナーの下で練習に励むアタシだったけど──でも、御世辞にも状況が好転しているとはアタシには思えなかった。

 相変わらず貧相なアタシの体。

 トレーナーが組む練習メニューに、そんな体が耐えきれず、消化しきれないことも多々あったから。

 

足が……痛い

 

 アタシがよく襲われたのはその痛み。

 最近、とくにヒドくなってるけど、なんだろ、これ。

 不安に思ったけど──チームメンバーには相談できなかった。

 相談できるくらいに親しい相手がいなかった、っていうのが大きかったんだけど……それ以上に、自分の不安要素をチームにさらして、そのせいでチームから三行半を突きつけられるのが怖かったのよ。

 だからアタシは、昼休みにオグリのテーブルに来ているベルノライトに相談した。

 スポーツ用品店が実家の彼女は知識が豊富だし、オグリキャップのサポートをしてる実績もある。なによりもスタッフ育成科でそういったことを学んでいる可能性が高いと思ったからね。

 で──

 

「成長痛じゃないですか?」

 

 彼女からはそんな答えが返ってきた。

 

「成長痛?」

「はい。私たちウマ娘の間では“ソエ”とも呼ばれますけど──」

「それがアタシに?」

「はい。たしか前にクリークさんがダイユウちゃんの食べる量が増えたって言ってましたよね?」

「たしかにそうね。ダービーが終わったあたりだったような気がしたけど……」

「私も思っていたんですけど、確かに、あの少し前からダイユウちゃんが成長してきているんじゃないかなって──」

 

 …………あの、ベルノちゃん?

 なんで成長を喜ぶどころか、恨みがましい目でアタシを見るのかな?

 それもアタシの背丈じゃなくて、明らかに胸の方も見て──

 

「──痛いのは、足なんだけど?」

「当たり前ですよ。成長痛なんですから。胸にくるわけ無いじゃないですか」

 

 露骨に不機嫌そうに言うベルノ。

 ……うん、やっぱり気のせいじゃなかったのね。

 

「とにかく──体ができあがる前兆かもしれません。そうなったらもっとトレーニング量を増やして良いと思いますけど……でも、もう少し我慢ですね」

「我慢? 体ができあがったんじゃないの?」

「痛みがあるんですから、まだ成長途中で完成していないってことです。ここで無理したら変な影響が出ちゃうかもしれませんからね」

「そっか……」

 と、納得したアタシだったけど──実のところこの痛み、本当にひどいときには練習どころじゃないレベルだったのよね。

 

 それをアタシが言うと最初は「大丈夫よ」と言っていたトレーナー。

 でも──それが長く続けばその言葉もなくなり、いつしか険しい表情を浮かべるようになっていたわ。

 つい先日は、ついに「チッ」と舌打ちするような音が聞こえ、アタシは思わず耳を疑った。

 

「──ッ!?」

 

 無意識のうちに頭の上の耳がピクッと動いてそちらを向く。

 その頃には無言で別の方を見ていたので、空耳なのかどうなのか、わからないけど。

 でも──空気は変わり始めていた。

 

 指導者がそこまで態度を豹変させれば、チームメイトの態度が変わるのも当然だった。

 最初はトレーナー同様に温かい目で見守ってくれた彼女たちも、アタシが成長痛(ソエ)や体力不足で練習に付いていけないのが分かると、態度を硬化させ始めた。

 それは今にして思えばトレーナーの態度が変わるよりも早かったかもしれない。

 でも──

 

(それも、無理もないのよね)

 

 と、アタシでも理解はできる。

 この学園に来たウマ娘たちは皆、トウィンクルシリーズに自分の夢をかけて出走し、活躍して身を立てようと考えるウマ娘ばかりなんだから。

 

(必死になるのは当たり前だし、不安要素は取り除きたいって思うわよね)

 

 チームの中に練習に付いてこられないウマ娘がいれば、それは間違いなく足を引っ張っているのだし、自分に悪影響を及ぼしている。

 今後がかかっている以上、アタシの成長を見守る義理も義務もない他のウマ娘たちにとってアタシは邪魔者以外の何者でもないのだ。

 

(だから、頑張らないと。誰にも文句を言わせないような、一人前の競走ウマ娘に、一刻も早くならないと──)

 

 それを理解していたからこそ、アタシはこの一年、誰の迷惑にもならないようにと一人でトレーニングして、迷惑がかからなくなってからチームに所属しようと頑張ってきたんだから。

 

(でも、チームに所属してしまった……)

 

 そしてなによりも、アタシの所属するチームには明確に競う相手がいた。

 チーム《ポルックス》。

 同じチームから暖簾分けしてしてできたのがアタシが所属する《カストル》で、敵対しているみたいなんだけど……そこに所属しているのがよりにもよって、アタシを目の敵にしているサンキョウセッツなのよね。

 彼女はアタシが練習についていけないのを見かけると嬉々として──

 

「──あら、落ちこぼれさん。こんなところでサボっている余裕なんてあるのかしら? ただでさえデビュー前で、他の方よりも出遅れているのに」

「こぉんなウマ娘をメンバーにするだなんて、《カストル》はよほど余裕がございますのねぇ。ああ、うらやましいですわぁ」

 

 ──なんて煽るものだから、チームメイトはサンキョウセッツを睨みつけ……それ以上に憎々しい思いを込めてアタシを見る。

 だからアタシにはトレーナーにも、チームメイトにも申し訳ないという気持ちを抱えながら練習する以外に道はなかった。

 

 ──たとえ足が痛んでいようと、無理をしてでも。




◆解説◆

【すれ違う心】
・今回、元ネタなしです。
・シリアス回なんで、一応。

あのレース、本当に見てたの?
・実は私、コレを書くにあたって、史実のレースを動画で本当に見ました。
・コスモドリームのことを調べた際には「高松宮杯は3位と健闘した」的な説明しかなかったんですけど──実際に見てみたら、2位と結構な差が付いた完敗なんですよね。
・それで今回の話が思いつたわけですけど……いや、実際のレース見てみるって結構重要だと思いました。
・本作のダイユウサクは前話の通り、もちろんレースを見ております。テレビでだけど。

オークスにはオグリが出ていなかった
・そりゃあそうだ。オークスって牝馬戦だもの。
・──という現実でのツッコミが入りそうですが、ウマ娘の世界だと全員が女性なので牝馬特別ってありえないんですよね。
・だからウマ娘なら「あのウマで八代競走完全制覇じゃ!!」と言いたいところですが、日程的に無理です。

足が……痛い
・史実のダイユウサクが3歳(以下当時の数え年表記)から4歳を棒に振ったのは、この足の痛みのせい。
・おかげでろくに調教ができなかったからデビューが遅れに遅れたと言われています。
・これには5歳まで苦しめられることになりました。
・その原因は──

ソエ
・管骨骨膜炎のこと。↑にあったダイユサクの足の痛みの原因。
・馬の前脚で発生し、管骨(第3中手骨)の前面に炎症を起こす。
・発症は若駒に多く、原因として体が成長しきっていないところで競走馬として強いトレーニングを行っているため、と言われています。
・ひどくなると関節が腫れたり、さらには骨折につながることもあるそうな。
・そんなわけで、成長痛とは違うのですが、作中では「成長痛」と言われています……
・これは、成長時期での膝の痛みということで、ヒトに起こる「成長痛」との共通点から、「ウマ娘の“成長痛”」ということで通称としてそう呼ばれている──という本作独自の設定。
・ヒトのとは違う原因だけど、通称として一緒くたにされて「成長痛」と言われているんだと思っていただければ。

胸を見て
・ベルノライトは身長146センチメートルと小柄。
・スリーサイズは資料がないのでわからないのですが、漫画で見る限りではサイレンススズカみたいにネタにされるほど無いわけではなく、平均かそれ以上あるような……
・というのも、これは私の勘違いでベルノ=小柄=胸が無い、と思い込んでいたせいで生まれたネタでした。
・そんなわけでこれは──ダイユウサクが瘦せぽっちだったのがスタイルもよくなってきたのに加え、背丈(全体の体のサイズ)も成長したので、その結果サイズが上がり──勝っていたはずの相手に並ばれて(若しくは負けて)ショックという流れです。


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第9R 大惨敗! 屈辱の“Make(負け)debut(デビュー)

 ──月日は流れ……季節は秋になっていた。

 それでもアタシとコスモの仲違いは続いたまま。
 お互いにトレーニングを遅くまでして、帰ってきては寝る生活。
 それぞれ互いに不干渉──というよりも、自分自身で勝手に決めた枷をとろうともがいてるだけだったんだけど。
 アタシの目標はデビュー。そして勝利。
 コスモの目標は──エリザベス女王杯をとること。



「ダイユウサク。アンタ、いい加減、レースに出なさい」

 

 “とうとう”というか、“ついに”というか、トレーナーに言われてしまった。

 どんなに鍛練を積もうとも、一向に伸びないアタシの記録。

 それにシビレを切らしたトレーナーの言葉に、アタシは驚きはなかった。

 心の中で沈痛そうな表情を浮かべ、

 

(それはそうよね……)

 

 と、悟りに近い境地で思ってしまう。

 なにしろ同級生達がデビューして実績を重ね、京王杯や阪神ジュニア(ステークス)といったG1を競ってから早一年が経とうとしているんだから。

 クラシックレースはとっくの昔に始まって、春には皐月賞やダービーを競い、今の話題は迫りつつあるクラッシック三冠のラスト──菊花賞を誰がとるかでもちきりだし。

 トリプルティアラだって残る一つを巡っての争いが激化。桜花賞はアラホウトク、オークスは……

 

 うん。

 そんな中で──アタシはデビュー前なんだもの。呆れるのも無理はないわ。

 

(いや、さすがにヤバいでしょ、コレ)

 

 無論、アタシが出られるメイクデビュー戦なんてとっくに無くなってる。むしろそれに出走できるのは下の世代のウマ娘達だもの。

 

(それどころか中央の、東京での未勝利戦さえ無くなってる……)

 

 まさに、気が付けば──である。

 周囲の、同じチームのメンバーたちが出走して頑張っている中、アタシはひたすらひたむきに練習し続けた。

 …………というかトレーナー、一向に成長しないアタシのこと、実はすっかり忘れていたんじゃ無かろうか。

 とにかく、気が付けば出られるレースが無くなりかけているというこの状況。

 どうしてこうなった、と聞きたいけど、答えはわかってる。

 アタシの体が弱すぎて、とても出られなかったからだ。

 だからここまでひたすらトレーニングしていて「デビューしてこい」と言われても、もちろん不安しかない。

 

(不安がなかったら、とっくにレースに出てるわよ)

 

 たとえレースに出ても、とても結果を残せるとは思えなかったからだ。

 その不安を素直にトレーナーに言ったのだけど──

 

「あのねぇ、あんた自分の年齢考えなさい? 全国探したって未勝利戦がほとんど無くなってきてるような時期なのよ。出られるところに出ないと……とりあえず、さっさとデビューくらいしておきなさいよ!」

 

 そうピシャリと、有無を言わせない様子で返された。

 

(──最近、ますます当たりが強くなってきてる)

 

 その剣幕にアタシが、思わずビクッとおびえると、その姿を見て彼女は悪いと思ったのか、急に笑みを浮かべる。

 

「大丈夫。まずはとりあえずデビューしてレースを経験するのが目的よ。もちろん結果なんて期待してないから」

 

 アタシの心はその言葉──特に後半──に安心するどころか、暗雲がかかるほどだった。

 そんな不安な心持ちで、アタシはデビュー戦を迎える事となったのである。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 デビュー戦といえば、新顔のウマ娘たちが競い合い、勝利を目指す希望に満ちたもの──というイメージ。

 でも、アタシのはそんなものからはかけ離れていた。

 

 見送りに見送り、遅れに遅れたアタシのデビュー戦は、すでに何回か走っているウマ娘たちが出るレースになったわけだ。

 京都レース場で行われた条件戦。未勝利限定でさえなく普通に勝った経験のあるウマ娘たちに混じって走る──それがアタシのデビュー戦。

 

 ──ホントもう、「なんだこれ?」と言いたいわ。

 

 だって、デビュー戦っていえば、キラキラした未来への希望に満ちたメイクデビュー戦、って考えるはずなのに──実際のアタシのデビュー戦は、すでにレースを経験したウマ娘が集うレースよ。

 同年代は未勝利限定戦もほとんど無いせいで、未勝利のウマ娘たちがギラギラした勝利への渇望に満ちたレースだった。

 

「これが、本番の競走(レース)……」

 

 初めてのゲートに入り、アタシは不安しかない。

 それを示すように、当日の天気は雨こそ降っていないけど曇天だった。

 そして過度の緊張感もあってか、当日のアタシの体調はもう最悪。

 でも、トレーナーはまったく気にした様子もなく──それどころか声もかけられなかった──完全に放置され、アタシは走るしかなかった。

 正直に言えば、アタシがこの場にいるのは“場違い”だったと思う。

 それはそうでしょ。

 だってメイクデビューの時期に勝てないと思ったから誰もスカウトしなくて、その後もチームに所属しても勝てないと思ったからデビューもせずに、今まで来たんだから。

 それが、レース経験のあるウマ娘たちに混じって走るんだから勝てるわけがない。

 冷静ならそれは分かるはずなのに──当時のテンパってたアタシには分かるはずもない。

 

「ああ、もう……」

 

 それでも出走時間は訪れ──ゲートが開く。

 頭がゴチャゴチャになっていたのに、それに反応できたのはもう奇跡だった。

 なにしろアタシはゲートでのスタートの練習さえしてなかった。だって、レースに出られるような段階じゃないって自分で思ってたし。

 戸惑いながらも開いたゲートにあわせて飛び出るのが精一杯。

 

(走らなきゃ走らなきゃ走らなきゃ走らなきゃ──)

 

 その後のことなんてよく覚えていない。

 もう無我夢中だった。

 それはもう全力で走った。

 それがアタシにできる全てであり、レース展開なんてもちろん考えられるわけがない。

 でも──

 

(なによ……これ……)

 

 全力で走るアタシの胸は苦しい。

 肺は酸素を求め、呼吸は乱れる。

 激しく動く筋肉は血の循環を促し、それに応じようと心臓が激しく鼓動する。

 体の全てが悲鳴を上げていた。

 足が痛い。

 体が異常に熱い。

 それでも走る。

 走る。

 走り続ける。

 蹄鉄のついたシューズで地を蹴る。

 前へ前へ──

 手足を必死に動かし、懸命に振る。

 

 それでも──

 

 ゴールが近づけば近づくほどにグングンと離れていく他のウマ娘たちの背中。

 どんなに走ろうともそれに追いつくことはもちろん、追い縋ることさえできない。

 そういうレベルにさえ、アタシは達していなかったんだから。

 本当にアタシが“場違い”だったのは──その実力だった。

 

 それを思い知らされ、結果を突きつけられる。

 アタシは──ぶっちぎりの最下位だった。

 

「…………ッ!」

 

 顔をうつむかせながら、アタシは全力でゴールを駆け抜ける。

 とっくに他のウマ娘たちが駆け抜けたゴールを。

 顔をあげる事なんてできなかった。

 この結果が、あまりに惨めすぎて──

 不甲斐なさに、目から滲み出る涙を見られたくなくて──

 なにより、このレースを見ている人達の目が怖くて──

 

 アタシのデビュー戦の結果はトップから13秒離された圧倒的な殿(しんがり)負け

 それはウマ娘にとって屈辱とも言うべき“タイムオーバー”という結果だった。

 

 ──でも、そのときのアタシはその屈辱だということを、本当の意味で理解できていなかったのだけど。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 タイムオーバーすることが、どれほどの屈辱なのか──それを知ったのは、このレースの結果で、トレーナーの顔色が変わったからだったわ。

 

 このレース結果は、チームの実績やトレーナーの経歴に泥を塗るようなものだったのよね。

 それはそうでしょ、「タイムオーバーするようなウマ娘のいるチーム」「タイムオーバー負けするようなウマ娘を育てたトレーナー」という目で見られるんだから。

 そしてこのデビュー戦以降、彼女は本当にアタシに対してもう態度を繕わなくなった。

 とにかく風当たりが強くて、トレーニングはさらにキツくなったし、もともと体の弱いアタシがついていけるはずもなかった。

 でも、それでもトレーナーは止めない。

 

「タイムオーバーするような落ちこぼれなんだから、人一倍努力しなければダメでしょう!?」

 

 彼女はそう言って、人目もはばからずに指導したわ。

 そしてそれをチームメイトは見て見ぬ振り──どころかそれ以上の過酷なノルマを、トレーナーの見ていないところで課したのよね。

 

「アンタのせいで《ポルックス》の連中にバカにされるのよ!!」

「タイムオーバーなんて鈍ガメのすることよ! カメ娘はこの《カストル》に必要ないんだからね!!」

「いくらコネで入学したからって、せめて一人前の、恥をかかないレベルで走ってくれませんかねぇ!?」

 

 チームメイトにまでそう言われたアタシは、もはや昼休みでさえ走るしか無く──

 

「……最近、ダイユウサクさんの姿、見かけませんわね」

「…………」

「オグリちゃん、食べ物を口に入れたまま頷かなくていいよ?」

 

 ──アタシの生活は、完全に変わってしまっていた。

 だいたい、こんな恥ずかしい走りをしたアタシが、あんな立派な走りをしているみんなの前に、どんな顔をして出ていけっていうの?

 だからクラスでも、まるで去年に戻ったかのように、一人黙々と机に向かってた。

 

 アタシみたいな無価値なウマ娘は、とてもじゃないけど入れないわよ。あのキラキラ輝いているみんなの輪の中に……せめてレースに勝つまでは。

 

 

 そして組まれた二戦目は──福島での未勝利戦だった。

 




◆解説◆

【屈辱の“Make(負け)debut(デビュー)
・再びのネタバレタイトル。
・アニメ1期の主題歌である「Make debut!」は、ゲームでも使われて「新馬戦」を意味する言葉。
・ダイユウサクはデビュー戦のころには「メイクデビュー戦」の時期をとっくに過ぎていた。
・「Make」と「負け」をかけたのは、ウマいこと出来たなと自画自賛。

デビュー戦
・ダイユウサクのデビュー戦は1988年10月30日──4歳(当時の計算)の10月末って遅すぎッ!?
・京都競馬場の第4レース、4歳以上400万下の条件戦。1800メートルのダートでした。
・当日の天気は曇天で良馬場。ダイユウサクは11頭中、10番人気。
・……そりゃあ、こんな時期までデビューしてなかった馬が人気になるわけがない。
・しかも条件が未勝利戦でさえないんですよね。この辺りはちょうどいい未勝利戦がなかったからかと思われます。
・その結果はと言えば──後の項目で。
・実は同じ日──東京競馬場では天皇賞(秋)が開催されて、タマモクロスとオグリキャップが競ってました。
・ええ、オグリキャップは同い歳です。これくらい差があるんです。
・『ウマ娘 シンデレラグレイ』で熱い戦いが描かれている名レース。それを読みながら、その裏でダイユウサクがデビューしたのを少しでも思い出していただければ……
・このあたり、やっぱりオグリとも縁があるんだなぁ、と思ってしまいます。

反応できたのはもう奇跡
・これは“奇跡”ではなく、実はダイユウサクの才能によるもの。
・現在は調教師で、競走馬ダイユウサクが現役の時は担当厩務員だった平田修氏も「ゲートセンスは抜群でした」と評していることから、本作ではゲートが得意という設定になってます。
・実際、デビュー戦はともかく2戦目以降その後10戦くらいまで、序盤はハナ(先頭)をきったり争っていた。
・性格が、首につかまってぶら下がっても怒らないほどに、大人しく動じない馬だったそうなのでゲート内でも冷静だったのでしょう。
・本作のダイユウサクはかなり感情的で、そのあたりはモデル馬とかけ離れてしまっていますが……そのあたりは参考にしたアニメのダイサンゲンの影響ですね。

トップから13秒離された圧倒的な殿(しんがり)負け
・第4Rで“タイムオーバー”について解説しましたが──もちろん、圧倒的なタイムオーバーです。
・当時の競走馬のルールではタイムオーバーは一ヶ月の出走停止──ですが、初戦馬はタイムオーバーの適用を除外されるという規定があったので、出走停止処分は受けていません。
・おかげで2戦目は1ヶ月と開けずに出走することになります。

二戦目
・ダイユサクの2戦目は1988年11月12日。
・福島競馬場での第5レースでした。
・詳細は次回にて──


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第10R 大驚愕!? 二度目のレースは熱の中

 
 ──未勝利戦

 未だに1位を、どんなレースを制することもできず、ウイニングライブのセンターに立ったことがないウマ娘たちが集い1位を目指すという、条件付きの限定レース。

 正直、ジュニアを経てクラシック年代の秋というこの時期で未勝利っていうのは、かなり実力的には劣るのよね。
 ……もちろんアタシがそうだって自覚はあるわよ? 前走があんな結果だったし。
 でもね、前走は1位経験のあるウマ娘も走れたのよ。だから、単純に考えれば、勝ったことがないウマ娘たちしかいないんだから、実力は劣るしレース自体のレベルも下がるってことでしょ。
 アタシがむしろデビュー戦をこっちにすべきだったんじゃないかしら、と思ったのも当然よ。
 デビュー戦はある意味“無理”をしたのに、前走に比べて条件を下げたのはそうなったのはトレーナーの思惑のせいだと思う。
 未出走だったアタシがとりあえず見られるレースをすれば、デビュー戦としてまだ彼女の体面が保てるはずだった。
 でも──結果は、あの13秒のタイムオーバー殿(しんがり)負け。
 彼女にとっても屈辱で、汚名返上のためにレースのハードルを下げたんだと思う。

 ──でも、それも甘い考えだとレースの雰囲気で思い知らされたわ。

 未勝利戦っていうのは勝ったことのないウマ娘しかいないから、必ず誰かが勝利という経験を得られることができるレースでもある。
 だから、そこに希望を求めるのは確かなのよね。
 そこに希望を見るのはわかるけど──でも、当然のことながらこのレースで1着を取り、ウイニングライブでセンターをつとめる栄光を得られるのは、たった一人しかいないわけで……
 つまりは未勝利という泥沼から抜け出せるのは、このレースでも悲しいことに一人だけしかいない。
 そうなると、どうなるか……わかる?
 答えは──その1着を目指して、出走するウマ娘たちは勝利に渇望し、余計に血眼になるってこと。


 ──その上、あのレースの後で苛烈さを増したトレーニングのせいで当日のアタシの体調はもう最悪。
 さらには、あんなことがあったせいで……






 

「──はあ!? 熱がある?」

 

 アタシの二戦目のその日、トレーナーの素っ頓狂な声が部屋に響いた。

 ついでにアタシの頭にも響く。本当に勘弁して欲しい。

 発熱が分かったのは、寮を出たアタシが彼女にバッタリ出くわしたからだったんだけど……

 今はもう、本当に──何よりも休みたい。

 

 ……そう、何も考えなくていいように。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 レース場に向かおうと寮の部屋を出ようとしたアタシ。

 ベッドにはコスモの姿はない。

 彼女もエリザベス女王杯に向けてトレーニングをさらに励んでいる様子で、朝早くに起きて、夜遅くに帰ってくるのを繰り返してる。

 

(練習……しすぎじゃないかしら)

 

 そんな姿に不安を覚えなくもない。

 でも、それを軽々しく口に出すことは今のアタシにはできなかった。

 以前ならそれを言えたのに──デビュー前どころか、デビュー戦で大惨敗したようなアタシが、他のウマ娘の──それもG1ウマ娘、今年のオークスを制した彼女の練習に口出しするなんて、どんな顔してできるだろうか。

 

 ──後にして思えば、この時のアタシ達の間は完全にすれ違っていた。

 

エリザベス女王杯(エリジョ)も明日だものね……がんばって、コスモ…………)

 

 エリザベス女王杯は京都で開催される。

 アタシは、聞いてはいないけどコスモはもう向こうに出発したのかもしれない、と思った。

 そこにいない彼女に密かにエールを送り、部屋を出る。

 そうしてひっそりと廊下を歩く。

 歩いている人が少ないものあるけど、アタシに声をかける人なんて誰もいなかった。

 それはそうよね。あんな恥ずかしいレースをしたアタシを、嘲り笑う人はいても、気にかける人なんて──

 

「──ダイユウちゃん?」

 

 ──いたわ。

 誰かの顔を見るのが怖くてうつむいていたアタシは、その声に顔を上げる。

 そこにいたのは──ベルノライトだった。

 重そうな荷物を抱えた彼女は、最近会ってなかったのもあって半信半疑といった様子でアタシに声をかけたみたいだったけど──アタシの顔を見て彼女の顔色が変わった。

 

「ど、どうしたの? ひどい顔色だよ!? あの、だ、大丈夫!? ダイユウちゃん」

「べ、ベルノ……あはは……だ、大丈夫、よ。たぶん……だって、レースがあるの。福島で……」

 

 一応、がんばったけどカラ元気も出なかった。そんな自分に苦笑するしかない。

 彼女はアタシの答えを聞くなり──

 

「大丈夫なわけないでしょ!? そんな顔で!!」

 

 あわてた様子で周囲を見て──付近にいた眼鏡をかけたウマ娘へと駆け寄った。

 

「おお、これはベルノどの。慌てた様子でいったい何のようでござ──」

「あの! 体温計持ってませんか!?」

「ふむ。体調チェックは競走ウマ娘サポートの基本の基本でござりますからな。その中でもさらに基本の体温測定のために、体温計は常に肌身離さず──」

「貸してください!!」

 

 眼鏡をかけたウマ娘──体型的にきっとスタッフ育成科の娘だろうけど、説明を続けようとする彼女の話をバッサリ斬って、ベルノは迫った。

 普段、大人しいベルノだけあって彼女の気迫に驚いた顔をしたが、特に気を悪くした様子もなく、そのウマ娘は体温計を取り出してベルノに渡し──彼女は一目散にアタシのところへ戻ってきた。

 ──で、その結果がコレってわけ。

 

 測定結果を見てベルノは言葉を失い、ひょいと後ろから覗き込んだ体温計を貸してくれたウマ娘も、それを見て眉をひそめる。

 

「……ダイユウちゃん、今すぐ出走を取りやめて。ううん、この結果をURAに報告すればすぐにでも──」

「駄目。やめて……」

 

 ベルノライトは心配そうにアタシをジッと見つめて言う。

 彼女の目はアタシをベッドに縛り付けてでも寝かせ、その上で自らアタシのトレーナーに直訴しようとしかねないくらいに真剣な強い目をしていたけど……アタシは止めた。

 彼女はオグリキャップのチームに所属していて、うちのチームから見れば完全に部外者だから。

 そんな彼女が出走回避を言い出せば、下手をすると妨害行為と受けとめられかねない。

 そう説明したアタシに、「そんなの関係ないよ!」と反発したベルノ。

 でも──

 

「いえ、一理ある話でござるな。確かに他のチームからの妨害行為と見なされかねない行為でござる。測定なら自チームでもできることでござりますから──」

 

 と、体温計を貸してくれた眼鏡のウマ娘が長い説明を聞かされれば納得せざるをえない。

 とはいえ、アタシもベルノも途中からは聞いてなかったけど。

 やっぱりベルノは優しいのよね。それでも心配そうにしていたわ。

 

「アタシが自分でトレーナーに言うから……だいじょぶよ、ベルノ」

 

 精一杯笑ったつもりだったけど、そうならなかったみたいね。ベルノは不安そうな顔になっただけだったわ。

 でも、そこはそれ彼女もトレセン学園に所属するウマ娘の一人。事情はわかっているのでそれ以上の口出しが良くないと理解してくれた。

 だから、アタシは熱でボーッとしそうになりつつもトレーナーたちの部屋へと歩き出す。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

(このまま走ったら他の人に迷惑がかかるし、良い結果なんて望むべくもない)

(……というか、前回のレースも熱があったのかも……)

 

 歩きながらアタシは考える。

 前回のデビュー戦も、今回と負けず劣らず体調は絶不調だった。

 思い返してみれば、意識がボーッとしたりして集中力を欠いたのは、デビュー戦の緊張からくるものじゃあなく、熱があったからじゃないかしら。

 むしろ今日よりも酷かったような……

 ともあれ、今は目の前に迫ったレースの方が大事。

 

(こんなの、レースに出走できるような体調じゃないし、辞退するなら早めにした方が……)

 

 アタシはそう思いながら入室のノックを──する直前に言い争うような声が聞こえて、アタシの手は止まった。

 

「──明らかにうちのチームの方が実力が上ッスよね?」

「どこを見ればそんなことが言えるのかしら。まぁ、“本当の”オークスウマ娘でもいたら、話は別ですけど」

「くッ……」

「当然よ、(カストル)より優れた(ポルックス)なんていないんだから!」

「そっちの方が後にできた新興チームなんだから、そっちの方が弟でしょうが!」

 

 片方の女性の声はうちのチームのトレーナーの声だった。

 内容的に考えると相手は《ポルックス》のトレーナーでしょうね。

 まったくアタシたちのチームって、ウマ娘同士だけでなく、トレーナーも仲が悪いの?

 本当に呆れ果て──

 

「──13秒ものタイムオーバー出すような娘は、うちにはいませんけどね!!」

 

 ────ッ!!

 アタシの体がこわばり、冷や汗が背中を伝う。

 

「うちのセッツと同じ、“あの人”の関係者がそっちにもいるじゃないですか。でも……あの結果じゃあねぇ。恥ずかしくて報告してないって聞きましたけど?」

「う、うるさいわね! あの娘は──」

「えぇ! えぇ! 知ってますよ。な・に・し・ろ、アンタ自ら声をかけたんですってねぇ!! あんなカスみてぇなウマ娘にね!」

「アナタ! これ以上は──」

「なんですか? “カス”を()るから《カストル》っていうんですかぁ?」

「──ッ!! 黙りなさい!! 私だって学園の重役から『あの人の手前、デビューさせないと学園の面子がつぶれるから、頼むよ』なんて言われなかったら! それで優遇でも確約されていなかったら、()るはずがないでしょう!! あんな見すぼらしく実力もないのに一人前のウマ娘のような顔をするugly(見苦しい) duck(欠陥者)を!!」

 

 

「…………………ぇ?」

 

 アタシは、目の前が真っ暗になった。

 なに、今の話?

 あのひとは──いったいなにをいっているの?

 

「──あなたの努力する姿を見て、是非チームに来てほしいって思ったの。一緒に、頑張りましょう!」

 

 トレーナーって…………アタシの努力を認めてくれたから、誘ってくれたんじゃないの?

 

「──実力を付けるためのトレーナーよ。それが私の仕事。確かに今のあなたの姿は、小柄で痩せすぎているように見えるけど、成長期なんだからすぐに大きくなるわ」

 

 アタシを成長させてくれるんじゃ──なかったの?

 

「──もちろん早熟な子もいれば晩成型の成長をする子もいるわ。同級生が活躍してるからって焦る必要はないわよ」

 

 晩成型って話も……ウソだったの?

 

 アタシの体はガクガクと震えだす。

 体の熱が原因なんかじゃない。

 抜けていく力のせいで立っていることも辛くなって──

 

「なッ!? 優遇とか汚ねえじゃないですか!!」

「うっさい!! アンタ達に勝つためよ! そもそもアンタだって──」

 

 扉越しに聞こえる罵詈雑言。

 それはもうアタシの頭にほとんど入ってこなくて──

 足元が崩れかけた時──

 

「──どうした? 大丈夫か?」

 

 トレーナー部屋の出入口の前にいたアタシは、入ろうとしたらしい人に声をかけられて、力なく振り返ろうとし──ついに足元が崩れる。

 

「──っと、危ない!」

 

 その人はアタシのすぐ近くにいたので、とっさに支えてくれた。

 おかげで地面に倒れこんだり、どこかをぶつけたりしなくて済んだのだけど──

 

「「────っ!?」」

 

 さすがに音がして、室内では息をのむような気配がした。

 アタシが力が入らない体に鞭打って顔をあげると、彼は厳しい顔をしている。

 

「キミ、ひょっとして熱が……」

 

 彼がそう言いかけた時、ガラッと音がしてトレーナー部屋の扉が開いた。

 そして顔を出したのは──《カストル》のトレーナー。

 彼女はまず最初に目の前にいたアタシを助けた人が目に入ったらしく──

 

「なんだ、あなたなの。いいわね、お暇そうで。それも呑気にウマ娘と仲良く──」

 

 言いながら、彼が支えているウマ娘──つまりはアタシを見て、一瞬、彼女の顔が強張った。

 

「だ、ダイユウサク……あなた、まさか…………」

 

 顔色が変わる。

 その背後には言い争っていたであろう、男性トレーナーが意地悪く二ヤついている顔が見えた。

 彼女はその気配に気づいたらしく──

 

「──チームの部屋に行くわよ。アナタ、これから福島でしょ」

「え? あ……ハイ…………」

 

 そう言ってアタシの手を取ると無理矢理立たせた。

 どうにか立つことができたアタシを放置し、彼女はアタシを支えていた人──多分この人もトレーナーなんだろうな──を一瞥する。

 

「私が面倒を見ているウマ娘がお世話になったみたいで、そのことはお礼を言うわ」

「──あの、今、福島って……その()………」

「これ以上は、チームや私の仕事の話。口出ししないでくれるかしら?」

 

 有無を言わせぬ口調でピシャリと言い、彼女はアタシを引っ張るようにしてチームの部屋へと向かった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ついたのはチームの部屋。

 そこには誰もいなくて、アタシとその人の2人っきりになった。

 彼女はさっきの会話を聞いていたか、とは一切訊いてこなかった。

 ただぶっきらぼうに「用件は?」と聞いてきたので──そこで、アタシは言った。

 熱があると。

 そしてとても走れるような体調ではないと。

 けど──

 

「──走りなさい。出走取消は認めないわ」

 

 アタシの報告を聞いて、驚いて声をあげたその人はそう言った。

 冷徹なその言葉が、アタシの心胆を寒からしめた。

 彼女が下した決断は、レースへの参加だったんだから。

 

「……え?」

 

 それを聞いて、アタシは愕然とする。

 もしも直前にあんなことを聞いてなければ、知らなければアタシは憤っただろう。

 ──こんな体調で走れと?

 ──いや、おかしいでしょ?

 ──アタシ、熱あるんですけど?

 ──さすがに直前の出走取り消しは迷惑がかかるのはわかってるわよ?

 ──でも、こんな体調で走ることの方が迷惑かかると思うんですけど。

 そんな反論が頭に浮かんだのかもしれない。

 でも……今のアタシはもう、頭がモヤモヤして──それをどこか他人事のように感じていた。

 

 なぜなら──心がとっくに死んでいたから。

 

 さっき聞いてしまったアタシを勧誘した真相。

 それで目の前の彼女へのわずかに残っていた信頼は、完全に消え去った。

 アタシの体調を知ってなお、走らせるその行動こそ──アタシを道具としか見ていない、なによりの証だもの。

 そうしてアタシにできたのはもはや「走ればいいんでしょ」なんて投げやりな心境でさえない。

 それは怒りの感情があればこそ、だから。

 そんなもの()をついさっきぶっ壊されたアタシはただ機械的に──

 

「はい……わかりました──」

 

 ──と、答えるだけだった。

 そして私は向かった。

 たった一人で──福島へ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

六平(むさか)さん、それって他のレース場のこともわかります?」

 

 私──ベルノライトは隣にいるサングラスをした強面のトレーナーに声をかけた。

 六平さんも私も、関わっているのはオグリキャップというウマ娘のこと。

 彼女のトレーニングを担当しているのが六平さんで、私がサポートしているのも彼女だ。

 だからもちろん私が気にするのはオグリちゃんのことなんだけど──今日だけは違った。

 なにしろ今朝、見かけた知り合いのウマ娘がものすごく体調が悪そうにしていて、それもそのはず発熱していた。

 ダイユウサク──って、まるで男の子みたいな名前の彼女は、私やオグリキャップと同い年なのに、この前デビューしたばかりのウマ娘。

 

(オグリちゃんって今まで何戦走っていたっけ?)

 

 思わず比べてしまうが、彼女はそもそもデビューが中央(トゥインクルシリーズ)ではなく、私と一緒で地方の笠松。入学一年後に中央のトレセン学園に移籍するまでの間に12戦も走っていたんだから、まるで経験が違うのよね。

 未だに一回しかレースに出たことがない彼女。

 

(──って、競走を諦めた私でさえとっくの昔にデビューしていたんだけど。笠松で)

 

 それもそのはず、そのウマ娘は私から見ても不安になるくらいに、レースに出走できるような体つきじゃなかったんだから。

 最近は、やっと体つきが変わってきたみたいだけど──

 

(なんかちょっと悔しいのよね。勝ってた相手に抜かされるようで──)

 

 なんて思いながら、思わず胸に手を当ててしまう。

 そんな彼女が──妙にフラフラと歩いていたから、思わず呼び止めて、体調が悪いのがわかった。

 本当なら私が直訴して、出走を取りやめさせるべきだったんだけど──

 

(確かに、別のチームのメンバーが出走取り消しを求めたら、角が立つのは間違いないもんね)

 

 私は彼女とその場にいたスタッフ育成科のクラスメイトに諭された。

 そうなるとオグリちゃんにも変な影響が出かねない。

 私はそれを心配したし、ダイユウちゃん自身もそれを恐れてたみたいで、自分で言うって言ってたけど──

 

「ああ、もちろんわかるが……なんか気になるレースでもあるのか?」

 

 六平さんが怪訝そうに私の方を見る。

 ああ、誤解してる。きっとオグリちゃん関連で、ライバルとか気になるウマ娘がいるのかと思ってるみたい。

 だから私は「そうじゃなくて──」と前置きして、

 

「実は、知ってるウマ娘が出る予定のレースがあって……」

「知り合い? そりゃあ、ウマ娘が星の数ほどいるあの学園に通っていれば、知り合う可能性なんて無限にあるだろうが──」

 

 トゥインクルシリーズに出走するウマ娘がことごとく所属しているんだから当たり前。

 

「ええ、ダイユウサクって言うんですけど」

「ほう? 随分と雄々しくて勇ましい名前だな」

 

 六平さんが「はっはっは……」と愉快そうに笑う。

 ああ、もう。そんな呑気な話じゃないんだけどなぁ。

 ともあれ、私達ウマ娘の名前は時々、そういう“女性”からかけ離れた名前がつくことがある。ダイユウちゃんはその典型よね。

 

「速いのか? そいつは」

「いえ、全然……」

 

 私は思わず苦笑する。

 そして六平さんに同学年なのに最近まで未出走だったことや、未だに未勝利な彼女の経緯を説明した。

 すると親切に調べてくれて……

 

「む……これか、福島の未勝利戦で──」

 

「──え?」

 

 六平トレーナーが示したその箇所を見て、私は固まった。

 そんな私の様子に気が付いた六平トレーナーが怪訝そうに見る。

 

「オイ、いったいどうしたんだ?」

「いえ、これって……この表示ってことは、このウマ娘は出走するってこと、ですよね?」

 

 私の確認に、六平さんはうなずいた。

 

「ああ、その通りだぞ。なんの問題もなく出走を──」

「違います! 大問題です!!」

 

 私は思わず六平トレーナーの言葉を遮ってしまった。

 でも、その罪悪感を吹っ飛ばして、私は興奮して言う。

 

「このウマ娘……ダイユウちゃんは、今朝、熱があったんですよ!? それも結構な熱で──」

 

 私が告げた体温を聞いて、六平トレーナーも顔をしかめた。

 

「オイオイ、それは本当か? だとしたら無茶もいいところだぞ」

「と、止めないと!!」

「いや、それは……ここからじゃあ、それにオレたちの立場じゃあ、ソイツは無理だ……」

 

 私の言葉に、六平トレーナーは心苦しそうに、ボソッと言った。

 それで私も少し冷静になる。

 うん。確かに、六平さんが言うとおり、無理だ。

 現地の福島にいるならともかく、この場所から福島のレースにクレームを付けるなんて不可能だろう。出走しているウマ娘が高熱を出しているはずだから止めろ、なんてできるわけがない。

 もちろん、“他のチームのこと”だから。余所様のやることに、それが明確な「ルール違反」でもない限り、横槍は難しい。

 

「嬢ちゃん、残念だが……この場にいるオレたちには、無事にレースを完走するのを祈ることくらいしかできねえ」

「そう、ですよね……」

 

 思わずしゅんとしょげながら、私がつぶやく。

 そこに書かれた彼女──ダイユウサクの名前を見ながら、私は祈ることしかできなかった。

 

 そんな願いが通じたのか、彼女は無事にゴールすることはできた。

 でも、それは果たして無事と言えるのでしょうか。

 なぜならレース結果は、殿(しんがり)負け

 彼女はデビューから二戦連続で殿負けってことになっちゃったんだから。

 しかも──

 

 ──またしても7秒差というタイムオーバーだったのです。

 




◆解説◆

【二度目のレースは熱の中】
・それだけ見れば、暑い時のレースなのかな、と思えなくもないかな。という思いで付けた今回のタイトル。
・実際には11月ですからね。暑いわけがない。

未勝利戦
・本文中でも説明があったように、1着をとったことがないウマ娘限定のレース。
・ゲーム版ではメイクデビュー戦で負けると、この条件戦で走るしかない。
・現実世界の競馬では──収得賞金が0円の競走馬のみが出走できるという条件戦。
・ダイユウサクの2戦目が11月でしたが──現在(2021年)での未勝利戦のラストは旧4歳相当(現在表記だと3歳。以後の混乱防止のため、あえて旧換算にしました)の夏季開催まで。
・最近(2018年)までは9月まで「出走回数が5回以下」もしくは「前走が中央競馬の平地競走で3着以内」の条件を満たした競走馬が1回だけ出走できる競走が行われていたのですが、2019年に廃止。
・作中で出てくるように、ダイユウサクが現役のころは11月まで開催されていたのが、2001年(馬の年齢計算が変わった年)からそれが10月まで、その後しばらくして10月1週目までとなったり、だんだん短くなった。
・ダイユウサクのころは、11月の福島競馬場は4歳未勝利戦の嵐で、1日12レース中、距離を変えダート・芝を変え、半分の6レースも4歳未勝利戦をやっていたような状況。まさに未勝利馬天国。
・だから栗東所属の関西馬であるダイユウサクがわざわざ福島まで行った(前走は京都)んですね。

アタシの二戦目
・ダイユウサクの第二戦目は1988年11月12日(土)。福島競馬場の第5レースの4歳未勝利戦。今回は前回と異なり芝。距離は1800メートル。
・この時期になると4歳未勝利戦は中央ではほぼ終了で、↑で書いたように福島開催の半分が4歳未勝利戦という状況。
・しかしこれには裏があって……実は、福島の未勝利戦ラッシュは最後の駆け込み需要。12月は4歳未勝利戦はありません。
・5歳になったら? ん? キミはいつまでJRAのスネをかじる気だね? 当然、そんなものはないよ。
・──というわけで11月に勝てなければ格上挑戦するか、地方競馬移籍か、引退するしかない。
・そんな崖っぷちレースだったのです。
・そんな中でダイユウサクは14頭中13番というブービー人気。デビュー戦やあのレースと共通。

エリザベス女王杯(エリジョ)
・学園所属のウマ娘たちの中でこんな愛称がつけられてそう、ということで付けました。
・以前、トリプルティアラの項目で解説しましたが、秋華賞がなかったこの時代は、その代わりを務めた4歳牝馬対象のビッグタイトル。
・現在やゲームでは出走条件も変わっており、それ以上の年齢でも参加できるレースになっています。
・そんなエリザベス女王杯の1988年開催日は11月13日(日)でした。
・シンデレラグレイでも第44話でサクラチヨノオーが掲げた雑誌には、微かに「エリザベス女王杯」の文字と、11月13日という日付っぽいものが確認できる。
・そういうの発見すると書いている側はテンション上がったりします。

眼鏡をかけたウマ娘
・ベルノライトと同じく、スタッフ研修科に所属するウマ娘。
・シンデレラグレイの作中で、転校してきたベルノライトに初日にすごい圧で話しかけてきた3人のうちの一人。
・その中の一人をイメージしていたら、実は三人とも眼鏡をかけていたというオチ。
・初登場コマでは右にいる、黒髪「ござる」口調の太ましいウマ娘です。ぶっちゃけ、3人の誰でもよかったんだけど、真っ先に浮かんだのはこのキャラだった。
・発熱ですので真ん中の医療系(薬学?)ウマ娘が正解だったかもしれませんが、彼女がこのシーンで出てくると明らかに妙な薬を飲まされるパターンになってしまって治ったり、あやしい薬が原因で負けたってなってしまいかねないので。
・ちなみにシンデレラグレイでも3人ともに名前は不明。

《ポルックス》のトレーナー
・おそらくこれ以降の登場がないこのシーン限りのキャラ。なので今後は機会がなさそうなので裏設定を補足説明。
・《ポルックス》から《カストル》が暖簾分けした後にチームのメインのトレーナーになった。
・なので、分離前は《カストル》のトレーナーとは当時のメイントレーナーの姉弟弟子で、ライバル関係にあった模様。
・で、こっちが弟弟子。《カストル》トレーナーは当然、自分が《ポルックス》を引き継ぐと思っていたのだが──
・師匠は彼女の実力をかっていたので「劣った弟子が新チームを作れば弱小チームになってしまう」と思って逆にした。
・でも、それを不満に思った《カストル》トレーナーは、師匠が筆頭トレーナーの間は「兄弟チームでライバルチーム」という関係だったのに、代替わりしてからは徐々に対抗意識が暴走し始めてしまう。
・で、この《ポルックス》トレーナーは師匠の判断通り、実力的に劣る。チャラい上に実力低い。
・そんなわけでトレーナーの実力を見て一流ウマ娘は嫌気がさしてチームを離れ、後続のウマ娘たちには2チームの抗争に嫌気がさしているものも多く、チーム全体として上手くいっているとはいいがたい。
・一方、《カストル》は新チームなので結束は固いが、過剰な対抗意識のせいで攻撃的。それが自チーム内に向けられることも多々あり、ついていけずに辞める者も多く、そのため生き残った者同士の結束が強くなり──と排他的なチームになりつつある。

六平(むさか)さん
・シンデレラグレイに登場する、中央へ行ってからのオグリキャプのトレーナー。フルネームは六平 銀次郎。
・オグリキャップをよく理解しており、その指示で彼女もメキメキと実力を発揮している。
・レース中はベルノライトと一緒にいて解説役になることがほとんど。
・ちなみに、この週はオグリキャップはレースに出ていないので、トレセン学園で練習中かと。

とっくの昔にデビューしていた
・そうなんですよね。ベルノライトって笠松時代にデビュー戦やっていたんですよね。(シンデレラグレイ第7Rの冒頭)
・モデル馬と言われているツインビーのデビュー戦は1987年の10月なので、シナリオ的には1年以上前だったと思われます。
・ベルノライトのモデル馬と言われているツインビーって笠松で45戦10勝しているので、この辺りは深く突っ込むと整合性が取れなくなる危険があります。

レース結果は、殿(しんがり)負け
・史実の結果は先頭から7秒差をつけられた最下位。
・もちろんタイムオーバーで、今回はペナルティをくらいました。
・ただ、初戦を含めたこの2回のタイムオーバーのとき、どちらも発熱していて状態最悪。ろくに実力を発揮できなかった状態だったとか。
・その後から担当になった、当時厩務員をしていた平田修調教師は「どう考えても2回もタイムオーバーをくらう馬じゃない」という感想を持たれたそうです。
・熱を出した状態での出走はこれが元ネタ。


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第11R 大追跡→ レース場までは何マイル?

 
「……ここは………………」

 目を覚ましたアタシの視界に映ったのは、白い天井だった。
 トレセン学園栗東寮の自室とは明らかに異なるその天井に、思わずつぶやいたアタシに──

「…………やっと、目が覚めましたのね」

 聞き覚えのある、不機嫌そうな声が応える。
 アタシは体を起こそうとしたが、なかなか力が入らずに失敗する。
 それを見ていた声の主は、イライラした様子で自分のツインテールの髪をかきあげた。

「ああ、もう! アナタ、熱があるんだから、出来もしないのに無理するんじゃありませんわよ!!」
「……サンキョウ、セッツ…………」

 その顔に見覚えがあった。
 ことあるごとにアタシにキツくあたってくる相手、サンキョウセッツだった。
 今日はその言葉の切れ味がどこか鈍いのは、アタシの体調に気を使ってのことなのかしら?

「アタシ……レースは…………」
「あら? 結果が知りたいの? あんな無惨な結果なのに──」

 相変わらずイラついた様子で、彼女はアタシを見下ろす。
 そして、鼻で笑いながら冷酷な事実を告げた。

「おめでとうございますわね。前回と同じぶっちぎりの殿(しんがり)で、7秒タイムオーバーですわ。でも、よかったじゃありませんか。前回よりも差が6秒も縮まっていますわよ」

 パチパチと軽く手を叩くサンキョウセッツ。
 ……やっぱり、意地悪だわ。この娘。
 しかし、その手を止めた彼女は真剣な──本気で怒ってアタシを睨んできた。

「……アナタ、こんな体調でレースに出てくるなんて、いったいどういうつもりですの?」

 発熱のことを言っているのかしら?
 アタシが小首を傾げると──

「レース直後にぶっ倒れたのですわよ!? 医務室に運んで測ってみればあんな体温で………ことの深刻さがわかってるのかしら!?」

 憤然として声を荒げた彼女は、アタシに詰め寄った。

「もしもまだゴールする前、レースの真っ最中に意識を失って倒れたら、どれだけ危険だったことか──」

 ウマ娘の全力疾走は自動車並み。そんな速度で無防備に転倒、なんてことになれば骨折で済めば良い方で、倒れ方次第で命の危険さえあったと思う。
 勢い込んで言った彼女だったけど、ふとなにかに気がついて、「コホン」と咳払いをした。

「──勘違いなさらないで。アナタがどうなろうと、別に関係ありませんし、私も何の痛痒も感じません。けれど、その転倒に他のウマ娘が巻き込まれでもしたら、とんでもない大惨事になっていましたのよッ!!」

 その危険さに気づいて、アタシは顔を青ざめていた。

「チームの仲間があのレースを走っていましたの。もしも彼女を巻き込むようなことになっていたら……あなたのこと、絶対に許しませんでしたわよ!」

 そう言ってアタシを睨むサンキョウセッツ。
 彼女の怒りは十分に理解できた。

「……ゴメン、なさい…………」

 だからこそ、アタシは素直に謝った。すると──サンキョウセッツは少し戸惑った様子だった。

「……あ、あら。いつになく殊勝な様子じゃありませんか。しかし、だからといって許されることではありませんわよ!」

 そう言って調子を取り戻すと、再びプンスカと怒り出す。

「そもそも、なんなのですのチーム《カストル》は。メンバーが出走しているのにチームは誰も来ていないなんて」
「────ッ!」

 思わず体を強ばらせるアタシ。
 でも、セッツはそれに気がついていない様子だった。

「そんなだから、何の関係もない、まぁぁぁぁぁったく無関係な私が、ただ同級生だというだけでアナタの面倒を見る羽目になったのですから……本当に、本当に迷惑な話ですわ」

 不快そうに顔をゆがめ、「フン」とそっぽを向くサンキョウセッツ。
 それから足音を立てながら医務室の出入口へと向かい──

「──まだ、最終レースが終わるまでに時間はあるから、それまでせいぜい休むことですわね」

 最後にそう言い残し、部屋を出ていく。
 それを見届けるのと同時に──アタシにも猛烈な眠気が襲いかかってきて、それに抵抗することはできなかった。



 

 ──その日、オレはとあるウマ娘が気になっていた。

 

 

 トレーナー室へ向かっていたオレが見かけたそのウマ娘。

 彼女は、ある他のトレーナーが使っている部屋の扉の前で、こちらに背を向けて呆然と立ち尽くしていた。

 

「どうした? 大丈夫か?」

 

 声をかけると、悪い顔色をこちらへと向けてきた。

 同時に崩れ落ち掛けたその体を──

 

「──っと、危ない!」

 

 オレは慌てて支えた。

 それで気がついたのだが──

 

(コイツ、熱があるんじゃないのか……?)

 

 触れたときに明らかに高い体温を感じた。

 運動直後で暖まっている、という様子ではない。

 オレが改めてそのウマ娘の顔を見て──

 

「キミ、ひょっとして熱が……」

 

 ──と、言ったとき、扉が開いて女が出てきた。

 彼女はオレと同じように、この学園に所属するトレーナー。

 だが、オレを卑下するように見下して──

 

「なんだ、あなたなの。いいわね、お暇そうで。それも呑気にウマ娘と仲良く──」

 

 などと言い放った。

 その言葉に、オレは自分の胸がチクリと痛む。今のオレは担当しているウマ娘のいない状態だからだ。

 その目はすぐにオレから興味が離れ、オレが支えているウマ娘へと移り──驚愕の表情へと変わった。

 

「だ、ダイユウサク……あなた、まさか…………」

 

 明らかに様子がおかしい。

 オレに向けてきた高慢な威圧感は消え去ってしまっている。

 その女トレーナーは冷静を装いながら、オレが支えているウマ娘に厳しい目を向ける。

 

「──チームの部屋に行くわよ。アナタ、これから福島でしょ」

「え? あ……ハイ…………」

 

 その言葉に反射的に答えるウマ娘の態度には、オレは違和感さえ感じた。

 なんだろう。まるでロボットのような、自分で考える力が落ちているような……

 ──って、いや待て。ちょっと待った。

 それよりも大事なことがある。

 この女……このウマ娘の体調異変に気がついていないのか?

 正直な話、オレは扉の前に立つ後ろ姿しか見えなかったから気がつくのが遅れたが、顔色を見れば調子が悪いのは一目瞭然だぞ。

 そして今のこのトレーナーの言葉。これから福島って……コイツをレースに出させるつもりか!?

 

「私が面倒を見ているウマ娘がお世話になったみたいで、そのことはお礼を言うわ」

 

 そう言った女トレーナーを、オレは止めようと思った。

 だが──

 

「──今、福島って……その()………」

「これ以上は、チームや私の仕事の話。口出ししないでくれるかしら?」

 

 ──それを言われると部外者は何も口を挟めない。

 そうしてオレは、そのウマ娘とトレーナーの後ろ姿を見ていることしかできなかった。

 

(……だけど)

 

 その姿を見て、オレは思う。

 けっして調子がいいとは思えないその顔は悲しげに俯き──

 どこか足をかばう様に歩く姿も、今からレースを走るとは思えず──

 

 ──あの悲愴さが漂うウマ娘がとにかく気になった。

 

 アイツがどうなるか、見届けなければ気が済まない。

 その衝動にオレが頭を悩ませていると──

 

「あれ? どうしたんスか。こんなところで。担当のいないアンタはこの部屋に用事なんて──」

「あ? 悪い。聞いてなかった。この部屋への用事もたった今なくなったから安心しろ」

 

 鬱陶しくも声をかけてきた、そのチャラいトレーナーを睥睨する。

 オレが言い返して睨んだだけで気圧された様子の相手。

 先達が作り上げたチームのおかげでデカい顔してるだけで、トレーナーとして大したこともないヤツだ。

 オレは早々にそいつから興味を失い、さっきのウマ娘のことを考えながらその場から離れる。

 目指しているのは愛車のところだ。

 これから向かうのは──福島レース場。

 

(あのウマ娘の走る姿を見届けに行ってやる!!)

 

 思えば、あのウマ娘がもう気になって仕方なかったんだろう。

 オレはそう心に誓って愛車の二輪に跨り──エンジンをかけ、アクセルをふかした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──が、オレが着いたころには、福島での本日の最後のレースが終わっていた。

 

 

 うん。言いたいことはわかるが、ちょっと聞いてくれ。

 いや、だって府中から福島だよ?

 しかも福島レース場って意外とデカい福島県の北寄りにあるのな。後から調べてみたら300キロもあったんだぞ? 間に合わなくても仕方ないじゃあないか。そう思わないか?

 オレも休憩やら食事やらトイレやらに寄ったし、給油もしなければならかったからそのロスもあった。

 ……途中でオレも、間に合わないんじゃないかと思ったけど、さすがに北関東から福島県を何時間も走り続けているうちに、退くに退けなくなっちまった。

 なんか、「アイツの走りを見届けないと」という謎の使命感に突き動かされて衝動的に来ちまったしなぁ。

 ──というか、アイツって第何レースで走るのかさえ知らなかったし。

 

(まぁ、間に合わなかったのは残念だが、ツーリングみたいなもんだったと思えば……)

 

 オレは止まったままの愛車にまたがりながら、そう思い──とりあえず、この場にきた記念にトイレにでも行ってやろうとエンジンを停めた。

 そうしてレース場の中へと入った。

 これ見よがしにトレーナー免許を見せつけて、わざわざ関係者のみのところに入り込んでやった。

 それから用を足したオレが「さぁ、帰るか」とトイレを後にしつつ、今日の宿を探すのを気にしながら廊下を歩いていると──

 

「いや、困ったな……」

 

 制服を着た警備員らしき人が、ある部屋の前で立ち尽くしているのが、なぜか妙に気になった。

 ふと見れば──そこは「医務室」の前。

 

「最終レースのウイニングライブ前に医者は帰っちまったし、かといってこのままってわけにも絶対いかねえし、どうしたもんか……」

 

 頭を抱えそうなその人のことが妙に気になった。

 で、オレは──よせばいいのにその人に話しかけてしまった。

 

「なにかあったんです?」

「あ、ああ……えっとアンタは……トレーナーかい?」

「え、ええ。まあ……一応…………」

 

 思わず目をそらしながら言う。今のオレにとっては、一人前のトレーナー扱いされるのはちょっと酷だった。

 だけど、相手はそれを気にした様子もなく、「それは助かる」と興奮した様子で、それを目にしては今さら違うと否定もできなかった。

 オレは内心で──

 

(今は担当ウマ娘が一人もいなくとも、その免許を見せてこの場に入ってきたわけだし、それを主張しても問題無いだろ)

 

 ──と、考えて自分を納得させる。

 すると、相手は事情を話し始めた。

 

「ちょうどよかった。レース直後に体調を崩したウマ娘がいて、医務室で休ませていたんだが……まだ起きなくて困っていたんだ。おまけに関係者は誰もいないときてる……」

 

 なるほど、それは困るだろう。

 だが、それ以上に気になるのは──

 

「関係者が──誰もいない?」

 

 オレの問いに、警備員は半ば呆れた様子で頷いた。

 

「ああ、そうなんだ。チームには所属している様子なんだが、応援もいなければ同行者の一人もいない。それどころかいるべきトレーナーさえも帰っちまったのか、姿が見えない」

 

 その状況に「薄情なチームメイトたちだよ」と言った警備員はトレーナーもチームメイトも体調を崩した彼女を残して帰ってしまったのと勘違いしているようだ。

 トレーナーは間違いなく、チームメイトは十中八九──このレース場に最初から来ていない。そうオレは思っていた。

 おそらく件のウマ娘は──

 

「倒れた彼女に駆け寄ったウマ娘がいてな。彼女が面倒を見ていたんだが……聞けば別のチーム所属で特に仲がいいわけでもない、自チームのメンバーの面倒を見ないといけないから、とその娘も最終レースを待たずに去っちまった」

 

 さすがにここまでの状況になると、警備員はそのウマ娘を気の毒に思い、感情を移入したらしい。

 その辺り、オレはこの人に共感を感じなくもない。

 

「全レースとウイニングライブまで終われば、ここも閉めなきゃいかん。もちろん医務室に残すわけにはいかないから困っていたんだが……」

 

 そこまで説明したところで、警備員の背後にあった医務室のドアが、ガチャと遠慮がちに音を立てつつ、ゆっくりと開いた。

 

「おお、アンタ……大丈夫かい?」

 

 驚いた警備員に対し、現れたそのウマ娘は、顔色優れぬその顔で頷いた。

 ウマ娘では鹿毛と呼ばれる茶髪は長く、それを後ろに流しているのでおでこが目立つ。

 走ったままの姿なのだろう。体操服姿なせいで浮かび上がる体のラインはともかく、手足は同世代のウマ娘に比べると細いように見えた。

 そんな彼女の顔には──見覚えがあった。

 

(やっぱり、そうか……)

 

 体調不良で倒れたと聞いた辺りから「ひょっとしたら」くらいに思ったが、トレーナーがいなかったり同行者がいないと聞いてほぼ確信していた。

 

「ダイユウサクさん……でいいんだよね? 第5レースに出走していた……」

「……はい」

 

 返事をしながらしゅんとする彼女。その耳もしょげるように伏せられる。

 その反応を見るに、レース結果も倒れる前に自覚していたのだろう。一方、オレはレース場に到着してから調べたから知っている。

 彼女はそのレースで最下位だった。

 だが、今の顔色はそれを悲嘆しているのを差し引いても、余りに悪かった。

 

(このまま帰すのも、危険だな)

 

 朝見た悲愴さと今回のレース結果、そして今の酷い顔色がオレに不安を抱かせた。

 はたしてここからトレセン学園までたどり着くことができるだろうか。

 なにより、彼女は一人だ。

 

「わかった。オレが彼女の面倒見ますよ」

「「──え?」」

 

 警備員とウマ娘。二人が驚いた様子でオレを見た。

 

「ここから学園までは遠い。彼女がキチンとたどり着けるように、手配しますから」

「おお、それは助かる……」

 

 警備員もここまで関わったので気になるのだろう。

 そして心配もしていたに違いない。安心した様子で表情を崩していた。

 オレはそのウマ娘を振り返る。

 

「……無理をさせるつもりはまったくないからな。安心しろ」

 

 朝、オレに会ったということさえ覚えているかどうか。

 たとえ覚えていたとしても、どこの誰かわからないようなオレの言葉に、「はい……」と力なく頷く彼女。

 それにはさすがに──

 

(オイオイ、無防備すぎるだろ)

 

 と、不安を感じなくもなかった。

 

 

 そしてオレは身支度を整えさせた彼女とともにレース場を出て、トレセン学園に帰る──ことはできなかった。

 彼女の顔色が悪すぎて、何時間もの電車移動にさえ耐えられるかどうか不安だったからだ。

 ウマ娘のトレーナー稼業を志してそれを叶えたオレでも、さすがにウマ娘一人を背負いながら電車に乗るようなことにはなりたくなかったし、なにより帰るのを強行するのはあまりに可哀想に思えたからだ。

 もちろん一人で帰らせるのは論外。学園にたどり着けると思えないし、どこにたどり着くか分かったもんじゃない。

 

(この近くで一泊するしかないが……)

 

 そこで困ったのが──オレの懐具合だ。

 正直、ビジネスホテルだろうが部屋を二つとるのは不可能。

 そうしてオレが下した決断は──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「……あ、東条先輩ですか?」

「ええ、そうだけど……電話をかけてくるなんて珍しいわね」

 

 オレは諸々の手続きを済ませ──先輩トレーナーに電話していた。

 厳しい女性の先輩トレーナーだけど、その分、オレたちのような後輩トレーナーや担当ウマ娘の面倒見がよくて頼りになる人だ。

 今回の案件で頼るには最適だった。

 

「実は今、福島にいまして……」

「福島? なんでそんなところに……農業でも始めるつもり?」

「あの……いくら仕事ないからって、“ナントカ村”とか始めませんから」

 

 訝しがる東条ハナという先輩に、オレはここに来るまでの、そして福島のレース場でウマ娘一人を預かることになった経緯を説明した。

 

「……事情は分かったわ。福島に向かうなんて非論理的な衝動なんかは全く理解できないけど、体調不良のウマ娘を保護したのはよくやってくれたわ」

 

 そう言いながら、電話の向こうで彼女が少しイラついていて、その感情を押し殺しているのが察せられた。

 無論、オレのことにイラついているのではなく、そのウマ娘が所属しているチームとそのトレーナーに憤っているのだろう。

 

「ただ、問題が……」

「問題? いったいどうしたの?」

「いや、先輩も知っていると思いますけど、今のオレって金がないもんですから……宿泊費が足りなくて──」

 

 一瞬の沈黙。

 そして直後、ハナさんの焦った声が飛んできた。

 

「アナタまさかッ!? そのウマ娘と──」

 

「ち、違います違います!!」

 

 相手の勘違いに気がついたオレは慌てて否定する。

 

「本当に、そうでしょうね? 金がないのを理由に、一つの部屋に泊まろうだなんて──」

「あのねぇ、ハナ先輩。もしそうだったら、わざわざこうして先輩に電話する訳ないじゃないですか」

 

 オレが言うと、相手も理解したようで──

 

「う……それも確かにそうね。わかったわ。貴方のことを信じる。で、それならなんでわざわざ連絡してきたわけ?」

「一つは状況説明の担保です。なにしろオレは──あんなウワサが流れちまってる身ですから」

 

 オレが茶化すように苦笑混じりに言うと──先輩は真剣な様子で返してきた。

 

「……まだ、気にしているの?」

「オレじゃなくて周囲が、ですよ。そうでなければ今も担当ウマ娘無し、なんてことになってやしませんからね。そもそもハナ先輩だってさっき疑ったのはそれがあったからじゃ──」

「──本気で怒るわよ。貴方に関する噂が違うと確信していなければ、庇っていなかったし、今も最初から電話に出てないわ」

「……スミマセン。ありがとう、ございます…………」

 

 うん。今のはオレが圧倒的に悪かった。

 結果的にまるで相手の信用を試すようなことをしちまったし。

 

「……いいわ。気にしないで。で、他の理由は?」

「明日の朝になっても体調が戻らなかった場合には学園に連絡するよう、彼女には言いましたので、その対応をお願いしたくて──」

 

 オレがとった対応は、とりあえずそのウマ娘をビジネスホテルに宿泊させ、オレはそのまま東京へ帰ることだった。

 一部屋分の宿泊代しか捻出できないし、それにここまでバイクで来たんだから、オレが電車で帰ったらまた取りに来なければならなくなる。

 彼女には、とりあえず今日は一泊はゆっくり休み、明日起きたら体調を確認して帰れそうなら帰ること。無理そうなら学園に連絡して迎えを出してもらうなり対応してもらうように、と説明した。

 

「──了解。学園側……そうね、駿川(はやかわ)秘書あたりにつないでおくわ」

「たづなさんに? それなら、こうしてウマ娘を助け、抜かりない手続きをしたのはオレだと名前を出して説明を──」

「──今、忙しいから切るわね」

 

 ………………。

 

 信じられねえ。本当に切りやがった、あの先輩。

 まぁ、伝えるべきことは伝えたから、構わないと言えば構わないけど──

 それにしたって、多少は後輩の恋路の応援くらいしてくれたって構わないんじゃないだろうか。

 

「……ま、帰るか」

 

 オレは彼女を宿泊させたビジネスホテルから歩いて福島レース場に戻る途中だったわけで──その駐車場に停まっている愛車を見て、ホッとすると同時に「さて……」と気合いを入れる。

 赤くスマートな車体。

 ともすれば、まるで郵便屋さんのように見えなくもないそのバイクは──CT125・ハンターカブ

 そいつに跨がったオレは、東京目指して福島を後にするのだった。

 

 

 到着したのは約8時間後。

 そう──125CCは高速道路を走れないのだ。




◆解説◆

【レース場までは何マイル?】
・今回のタイトルは『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』の第1話タイトル、『戦場までは何マイル?』から。
・府中から福島レース場までだいたい186マイルくらいみたいです。

ぶっ倒れたのですわよ
・などと乱暴なお上品ではない言葉を使うサンキョウセッツ。ちょっと彼女についてまとめたいと思います。
・シンザンというすごいウマ娘が出たその家はウマ娘の中で一躍名門の仲間入りしました。
・「シンザン」の名前が入っている彼女の母親はその血を誇る性格をしていましたが、メジロ家のような家とは違って新興名門なので伝統はありません。
・だからサンキョウセッツのお嬢様言葉は時々あやしくなります。
・一方で彼女はそこまで家を鼻にかけるようなプライドの高い性格ではありませんでした。
・同じくシンザンにつながるウマ娘の同級生がいると聞いて、トレセン学園への入学を楽しみにしていました。
・その血筋にふさわしい実力を持った者──シヨノロマンの存在に喜び、励みにしました。
・しかしその一方で、実力を伴わない者──ダイユウサクには失望を覚え、ガッカリしてしまいます。
・それでもそこまで悪感情を抱いていなかったのですが、血縁意識が強くプライドの高い彼女の母親が「シンザンと直接血のつながりもないのに」とダイユウサクを目の敵にし、「アレにだけは負けるな」と、優秀なシヨノロマンをやっかみながらやたら厳しくセッツにあたります。
・釣られる形で彼女もダイユウサクに厳しい目を向けますが……ツンデレ根が優しい彼女は、心の奥では体の弱いダイユサクを心配しています。
・辛く当たるのも心配しているからなのです。
・そんな素直になれない、ちょっとポンコツな令嬢なのでした。
・実際、ダイユウサクには、そのチームメイトの方がヒドいことを言ってます。

オレ
・この章──ひいてはこの作品の主人公の一人であるトレーナー。
・現在、とある理由でウマ娘たちに避けられてしまい、担当しているウマ娘がいない状況です。
・以前、担当していたウマ娘がいたのですが──未勝利のまま引退してしまい、彼自身も未勝利トレーナーのまま。
・ちなみに趣味はツーリング。
・自動車並みの速度で走るウマ娘の気持ちと、風を切る感覚を理解したいとバイクに乗り始めたのがきっかけ。

東条先輩
・アニメ版ウマ娘に出てきた、チーム《リギル》のトレーナー・東条ハナ。
・基本的にシンデレラグレイを準拠している本作ですけど、あえての登場となりました。
・このシーンの主役である男性トレーナーの先輩にあたり、見習い時代は同じチームに所属していたので、今回のように相談する相手でもあります。
・彼女にとって同僚であるアニメ版の“トレーナー”こと《スピカ》のトレーナーも、彼から見ると先輩になります。
・そんな感じで、シンデレラグレイとアニメ、ゲームのごちゃ混ぜの世界だったのです。

ナントカ村
・福島には、アイドルが農業を始めた、今は誰も立ち入れぬ伝説の村があるらしい。
・市町村区分では“町”ですけどね、あそこ。

駿川(はやかわ)秘書
・トレセン学園理事長秘書の駿川たづな。
・緑色の帽子を被り、スーツを着た彼女は、アニメ、ゲーム、シンデレラグレイの全てに登場。ウマ娘でも共通して登場するのは限られる中、それ以外のサブキャラで全部登場しているのは珍しい。
・その割には秘書をしている先の学園理事長──秋川やよいはゲームでしか出てこない。
・この二人、頭に帽子を被っているので頭頂部が隠れており、そのせいで耳が見えないので、「実はウマ娘ではないか」と言われている。
・理事長こと秋川やよいは髪のメッシュと頭の上に乗せた猫からノーザンテースト、駿川たづなはその誕生日と服の色(緑の上着と黒タイツ)からトキノミノルではないか、という噂。
・それを知ってか知らずか、“オレ”ことトレーナーはたづなさんを意識している模様。

CT125・ハンターカブ
・世界一走っている原動機付の乗り物ことホンダのスーパーカブ。それをベースにカスタムし、オフロード仕様にしたハンターカブ。
・その“ハンターカブ”の歴史は意外と古く、海外向けに1980年代から輸出を。81年から国内販売を開始。(CT110)
・国内向けは83年に早々と販売を終えたが、海外向けには2012年モデルまで販売。
・その後は、同コンセプトを引き継いでクロスカブ(CC110)を2013年に発売。
・そして2020年にクロスカブを残しつつもCT125ハンターカブが発売された。
・シンデレラグレイの世界は「1990年ころ」を意識しているそうなのですが──これはCT125ですので、2020年に発売されたハンターカブです。
・愛車がこれになったのは作者の趣味で、乗りたいバイクだから。
・同じ理由でCT110ではなく、CT125が採用されています。あと、イメージのしやすさ。
・クロスカブはメーターが完全にカブだけど、これは変更されているのがまたいい。
・なお、別の候補としては同じくホンダのバイク、ADV150も候補に挙がりました。
・これはスクーター型なものの、アドベンチャータイプでちょっと違うのがまたいい。荷物も乗るし大好きなバイクなんです。
・ただ、これを採用できなかった理由は──

125CCは高速道路を走れない
・125CCバイクは原付二種というカテゴリーになり、二人乗りもできるのですが──高速道路(自動車専用道路)は走れません。
・なのでトレーナーは東北自動車道を通ることなく、延々と国道4号を走ったのだと思われます。行きも帰りも。
・いや、早く着き過ぎたらサンキョウセッツの出番が無くなっちゃうじゃないですか?
・──そんなわけで、ADV150が採用されなかったのがこの理由。
・ADV150はその名の通り150CCなので中型自動二輪に分類され、高速道路を走れます。
・そうすると大幅に到着時間が早くなってしまうので。
・ちなみにダイユウサクが走ったレースは史実通りに11時40分にスタートしてます。


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第12R 大潮流~ 双子星包囲網

 
 ──私は後輩からの電話を切ると、皆の視線が集まっているのに気がついた。

「ごめんなさい。大事な話し合いの最中に……」
「いや、急に呼び出したのはこっちの方だからな」

 そう言ったのは、私たちの大先輩にあたるトレーナーだった。
 サングラスをかけた、一見すると強面のその人は六平(むさか)トレーナー。口調や、なによりその風貌で誤解されがちだけど、根は優しく面倒見のいいトレーナーであり、私が尊敬する先輩の一人だ。

「その通りです、東条トレーナー。夜分に申し訳ありませんでした」

 そう言って頭を下げる──シンボリルドルフ。
 私が担当し、私のチームのリーダーでもあるウマ娘。そして学園に所属するウマ娘の代表ともいえる、生徒会会長を務めている。
 彼女は、誰もがそれを適任だと思えるほどに優秀で──かつその期待に十分以上に応えていた。

「今回の件は、我々ウマ娘だけの問題ではないと判断して貴方と、六平トレーナーにも参加していただきたく、お呼びした次第です」
「──といっても、問題提起したのはオレ達だからな。オレに関しては乗りかかった舟だが、そっちは無関係だった。完全に巻き込んじまったことに関してはすまねえと思ってる」

 ルドルフの話しを継いだ六平トレーナーが、申し訳なさそうに頭を下げた。

「そんな……頭を上げてください。今回の件は、学園全体の問題じゃありませんか」

 ルドルフから連絡を受け、概要を説明されて思ったのはそのこと。
 今回の問題が起こってしまった背景には、それを許してしまっていたことが問題だったのだから。

「むしろ、あなた方のおかげでそれに気がつけた。そうでなければ今後も続いていたかもしれない。もしそうなったらどれだけのウマ娘たちが泣くことになってしまっていたことか……」

 そう言って私はその場にいる他のウマ娘を見る。
 ルドルフ以外にいるのは2名。
 六平トレーナーが担当しているウマ娘──今回の件のウマ娘と同期だという彼女の名前はオグリキャップ。
 普段の泰然とした雰囲気から、あまり周囲の出来事に関心を持たないタイプだと思っていたので、彼女が今回の件で動いているのは意外だった。
 そして、その傍らにもう一人──彼女がここにいるのもまた意外だった。

(たしか、オグリキャップのサポートをしていると聞いているけど……)

 「B」の字の髪飾りを左右二つ付けたウマ娘、ベルノライトというスタッフ育成科の生徒だった。
 普段は引っ込み思案な様子の彼女だったが、今日の表情は強気にさえ見えた


 そして話し合いが始まって、私は彼女こそが発起人だったと知った。




 

 ──話しは少し遡る。

 

 

 私の名前はシンボリルドルフ

 ここトレセン学園に所属するウマ娘であり、ありがたいことに生徒会長という大役を仰せつかっている身だ。

 そんな私の根城ともいうべき生徒会室だが──そこに現在、来客があり、迎えているところだった。

 

「さて……今回はどのような御用向きかな。オグリキャップ……」

 

 長い葦毛が特徴で、あまり表情が豊かではなく感情の読めないウマ娘。

 彼女がこの生徒会室に来たのは初めてではないし、最初は私自ら迎え入れている。

 

(カサマツからスカウトした、という状況もあったからな……)

 

 その笠松時代の彼女のトレーナーを思い出して、少しだけ胸がチクリと痛む。

 確かにオグリキャップという、今や国民的スターともいえる逸材になったが、その一方で、彼の夢を摘んでしまったのではないか、という罪悪感は常にあったのだ。

 そのオグリキャップが、自ら生徒会室に乗り込んできたのは──

 

「また無茶を言うつもりではないだろうな? 菊花賞なら先週終わってしまっているぞ? それともまさか海外留学だとでも……」

 

 その笠松からの転入の際、オグリキャップは痛恨のミスを犯していた。

 クラシック登録を逃してしまい、彼女はクラシックレースへの参加資格を失った。皐月賞、ダービー、菊花賞というクラシック三冠はもちろん、桜花賞やオークスを含んだトリプルティアラも目指せなくなっていた。

 そしてクラシック登録の規定は非常に重く、それを逃したウマ娘はクラシックレースに出場することはかなわない。

 私のチームメイトであり、よき友人として傍らにいてくれる──今も私の横でニコニコと笑みを浮かべている──彼女、マルゼンスキーがそうであったように。

 彼女を応援する熱狂的な声──とある記者が煽った感は否めないが──によって、彼女は日本ダービーに、という強い世論が確かにあった。

 しかし結果は──門戸は開かなかった。

 

「いや、そうじゃなくて……今日は、私のことではなくて……」

 

 彼女は戸惑ったように、視線を泳がせた。

 弁の立つ、とは言い難いオグリキャップ。彼女は説明しようと努力していたようだが──さんざん迷わせた視線を傍らにいる小柄なウマ娘を頼るように向けた。

 

「私の友人のことなんだが……えっと…………ベルノ、頼む」

「オグリちゃん……」

 

 そんな様子に私は思わず苦笑してしまう。

 

「ふむ……押しの強いキミにしては珍しいな、オグリキャップ。あのときの勢いは見る影もないじゃないか……」

 

 自らこの部屋に「ダービーに出走させてほしい」と頼み込んできたこともあったのだが──

 ともかく、そんなオグリキャップに話しを振られ、少し戸惑った様子だった彼女──ベルノライトというスタッフ育成科のウマ娘は、小さく息を吐いて一歩前に出た。

 

「会長、実は……」

 

 初めて彼女が来たときは恐縮しっぱなし──という様子だったのに、今日はそのときも一緒にいたオグリキャップとは対照的に、彼女の方が落ち着いていた。

 そんな彼女の口から語られたのは、一つのレースでの件。

 本日開催された福島の第5レースに、体調不良のウマ娘が出走していた、という話だった。

 

「──彼女は、今朝出発する前に熱を計ったら、かなりの高熱がありました。もちろん出走を止めようともしたんですが……」

「なるほど。キミから横槍が入れば、彼女のチームやトレーナーの顔を潰すことになる……」

「はい。ですので彼女から自分のトレーナーに申し出て、出走しないはずだったんですが……」

 

 しかし──体調不良をおして、彼女は出走してしまった。

 そして結果は先頭から7秒も離されたタイムオーバーでの最降着──殿(しんがり)負けである。

 

殿(しんがり)……シンガリ……シンボリ……なにか、思いつきそうな…………)

 

 

「──ルドルフ? ちゃんと聞いてあげてる?」

 

 集中力が違う方向へ行きかけていた私を、マルゼンスキーが呼び戻してくれた。

 いかん。いかん。今はベルノライトの相談に集中しなければ──私は咳払いを一つして、ベルノライトを見た。

 

「ふむ……それだけかな?」

「それだけ……といいますと?」

 

 私の質問に、彼女は質問で返してきた。

 

「では……推測になるが、その話をわざわざ生徒会長である私にしたということから考えると、生徒会に動いてほしいということで間違いないかな? その悪質なトレーナーを糾弾するために」

「は、はい! 彼女の所属しているチームはあの《カストル》なんです! 《ポルックス》と対立する余りにウマ娘を潰してしまっているっていう……」

 

 私の説明に、ベルノライトは力強く頷いた。

 彼女の目的はこれでハッキリした。

 しかし──それでは余計に困る。私は眉をひそめて彼女に話す。

 

「しかし……キミの今までの話だけでは、体調不良のウマ娘が、無茶をしてレースに出走し、酷い結果を出した、というものでしかないように思えるが?」

「そ、そんなことありません! ダイユウちゃんは本当に体調が悪くて熱があって、それでトレーナーにも相談したはずなのに……それでも出たってことは、トレーナーが出走を強行したとしか思えません!!」

「……では、その証拠は?」

 

 生徒であるウマ娘達の代表ともいうべき生徒会。

 彼女たちを守るために動くのは当然だが、けっして弱くはないこの力を使うには、やはり証拠というものが必要になる。

 しかも相手はトレーナー。ウマ娘あってのトレーナーとも言えるが、ウマ娘にとってもトレーナーは必要不可欠な存在。こちらからの一方的な話で喧嘩を売っていいような相手ではないのだ。

 

「しょ、証拠? ……えっと、私以外のスタッフ養成科のウマ娘が、体温を測ったときにいました。彼女から体温計を借りて……」

「いいや、違う。それはその走ったウマ娘──キミの言うダイユウちゃんが熱があったという証明でしかない。必要なのは、そのトレーナーが担当ウマ娘の意に反して出走を強制した、という証拠だ」

「そ、それは……でも…………」

 

 彼女の狼狽える様子で、だいたい予想がついた。

 《カストル》と《ポルックス》の悪評を聞いていたので、友達を救うために糾弾したいのだろう。

 友情とは美しいものであり、その気持ちは分からないでもない。

 だが──その程度で糾弾できるのなら、あの二つのチームの問題はとっくに片が付いており、生徒会が頭を悩ませることにはなっていない。

 

「ベルノライト……だったわよね? 気持ちは分からなくもないけど、あのチームの一番の問題は、チーム本体の身のかわし方が巧妙なところなのよ」

 

 私の代わりにマルゼンスキーが説明を始めてくれた。

 

「例えば……今回の件なら、きっとあのチームのトレーナーは「選手が体調不良を隠して出走した」と言うはずよ」

「で、でもそれは──」

「ええ、あなたの言うことを信じれば嘘になるし、直感だけど、あなたは嘘を言っていないと思うわ。でも、客観的な証拠はどうかしら?」

 

 マルゼンスキーは出走表をのぞき込み、そのデータを追う。

 

「あなたの言うダイユウちゃん……この娘かしら? ダイユウサク……彼女の場合、あまりに遅いデビューと、あまりに酷い前走から焦って、体調不良を隠して走った、というシナリオを作られたら……」

「それは……説得力、あるかもしれません」

 

 ベルノライトも悔しげにそれを認める。

 マルゼンスキーの説明を聞きながら、私もデータを追いかけ、そして納得する。

 しかし、それでも義憤の志を曲げない様子のベルノライトを見て、私は口を開いた。

 

「──誤解の無いように言っておくが、我々生徒会はあの《カストル》と《ポルックス》を庇っているのではない。むしろ逆だ」

「逆、ですか? ということは……」

「ああ。キミの味方になりたいと思っている。あの二つのチームの争いに泣かされたウマ娘達も多く、なんとかしたいところなんだが……」

「なかなか尻尾をつかませてくれないのよね」

 

 事情を知っているマルゼンスキーが「うんうん」とうなずきながら補足してくれた。

 今までも、レース中を含めた争いで負傷したウマ娘もいたが、事情を聞けば結論的には「ケガをした自分のミス。チームは関係ない」となってしまう。

 対抗意識による過剰なトレーニングも「自発的なものだった」とされてしまい、チームやトレーナーにその責がいかない。

 隠蔽工作も実に巧妙でチームぐるみで誤魔化し、ときには普段敵対している《カストル》と《ポルックス》が隠蔽だけは口裏を合わせることさえあった。

 

「──では、今回もただ見ているだけ、で済ませてしまわれるのでしょうか?」

 

 バン! と、生徒会室の扉を開けて、一人のウマ娘が入ってきた。

 淡い色の長い髪の彼女を私は知っている。

 普段は温厚そうな表情の彼女が、今日ばかりは厳しい顔になっていた。

 

「アルダン? なぜここに……」

 

 驚いて声をあげたのはオグリキャップだった。

 その彼女と同い歳であるそのウマ娘はメジロアルダン。名前を知っているのはそのせいだろう。

 

「話は彼女から伺っていますわ」

 

 メジロアルダンは、ちらっとオグリキャップの傍らにいるベルノライトを見る。

 

「そして件の彼女は、私の友人でもありますから……」

 

 そうオグリキャップに答えてから、メジロアルダンは私の方を見た。

 

「あのような危険なチームを野放しにするわけにはまいりません。私達はもちろん、これから入学してくるライアンやマックイーン……次代のメジロ家を担う者たちのためにも」

 

 名門メジロ家ならではの考え方だと思う。

 メジロアルダンの下にも、メジロライアンメジロマックイーンという優秀な妹分がいて、このトレセン学園へと入学してくる予定だと聞いている。

 彼女がそれを大義名分に担ぎ出してきたということは──

 

(メジロ家を動かしたのか?)

 

 私は少なからず驚いた。

 悪質なチームがいて、それがこれから入学するメジロ家の者達に危険を及ぼすかもしれない、とでも焚きつけたのだろう。

 そうしてそのメジロ家を巻き込めばどうなるか──他のウマ娘の親や親族を巻き込んで、父母会が黙っていなくなる。

 

(やってくれる……)

 

 大事(おおごと)にしてくれたメジロアルダンを、思わず厳しい目で見つめる。

 それに気がついた様子のメジロアルダンが上品に微笑んだ。

 そして私はそのまま彼女を巻き込んだベルノライトへ視線を向け──

 

「──オイオイ、会長さん。そんなにおっかない目で嬢ちゃんを見ないでやってくれ。オレが指示したんだからよ」

「六平、トレーナー……」

 

 メジロアルダンに続いて、もう一人、人が入ってきていた。

 サングラスをかけた壮年の男性。一見強面のその人は私も名前を知るベテラントレーナーだった。

 

「あなたが、黒幕でしたか」

「黒幕とはひどいな。まるで悪いことをしているようじゃねえか」

 

 私の言葉に、六平トレーナーは思わず苦笑していた。

 

「悪いことをしているのは、あの二つのチームだろ?」

「それは……」

 

 私の立場ではハッキリと断言はできなかった。

 確かにあのチームに泣かされたウマ娘は多いが──現時点では灰色なのだから。

 

「本来なら、ウマ娘のためにチームがあるべきなのに……チームのためにウマ娘が存在するようになっちまっている。そんな(いびつ)な状態は正すべきだとオレは思っている」

「それは異存ありません。しかし……」

「分かっているさ。これは生徒会……つまりはウマ娘側からだけで解決できるような話じゃない。だから父母会を動かしてことを大きくして、俺達トレーナーの問題でもあるようにする必要があったのさ」

「そういう、ことですか……」

 

 その助力を頼もしく思いつつ、六平トレーナーからの指示で、私のトレーナーにしてチーム《リギル》を担当する東条ハナトレーナーに、この場に来ていただくようお願いした。

 

 そして事情を聞いた彼女は──とある後輩トレーナーを呼び出す。

 直前に連絡を寄越したらしい彼は、なんと偶然にも件のウマ娘を保護──レース後に熱で倒れたらしい──しており、さらには重大なやりとりを聞いていた証人でもあったのだ。




◆解説◆

【双子星包囲網】
・今回のタイトルはパッと思いついたのを採用。
・双子星とは恒星“カストル”と“ポルックス”の二つをまとめて言う時の呼称。オリオン座の“三つ星”みたいなものです。
・ちなみにあの三つにもちゃんと名前がついていて、「アルニタク」「アルニラム」「ミンタカ」となっている。
・三つ全てが二等星。

シンボリルドルフ
・ゲーム版で育成も実装されているウマ娘。
・そのモデル馬は言わずと知れた史上初の七冠馬にして、トウカイテイオーの父馬でもあるシンボリルドルフ。
・ウマ娘としてもその実力は高く、こちらの世界でもクラシック三冠を達成。
・そしてトレセン学園の生徒会長であり、トップクラスの強さを誇るチーム《リギル》のリーダーを務めている。
・なお、シンデレラグレイはチームという概念は存在しているものの薄く、主人公のオグリキャップが所属しているチーム名さえ分からない状況で、ルドルフの所属チーム名も判明していない。
・が、本作ではアニメ版より《リギル》を採用し、そのトレーナー共々使っています。
・この“リギル”という名前ですが、ケンタウルス座アルファ星のことを指す恒星「リギル・ケンタウルス」からだと思われます。
・一等星には「リゲル」という星もあるのですが、まったく別の星ですし通じて「リギル」表示なので、おそらく間違いということはないでしょう。
・トップチームであるこのチームが《リギル》の名を選んだのは、おそらく3番目の明るさというよりは、一番地球に近い一等星だから。
・ちなみに明るさ1番はシリウスで、ゲームでの主人公チームに。二番目はカノープスでアニメ版のライバル(?)チームで採用。2番目というのが「G1をとっていないウマ娘」たちの集うチームだからかと。(もしくは太陽を入れると3番目だから)
・閑話休題。
・ここまで進めてきてなんだけど──このシンボリルドルフで、本作の登場人物で育成が実装されているのはオグリ、クリークに続いてやっと3人目。
・シンデレラグレイ勢が多いせいもありますけど……

菊花賞
・モデルになっている年である1988年。その菊花賞を制したのはスーパークリーク。
・これを書いている時点(2020年6月中旬)のシンデレラグレイは天皇賞(秋)が終わったあたりで、ここまで進んでいませんので結果はわかりません。
・よって、本作でも誰が勝ったかは明言しません。まぁ、他に走っているのでウマ娘になっているのは1番人気で10着に終わったヤエノムテキくらいなので、ここの結果は恐らくいじらない(変える必要がない)かと思います。
・開催日は11月6日(日)でした。ダイユウサクの第2走が11月12日(土)でこのシーンはその日なので、ほぼ一週間前ですね。

海外留学
・ウマ娘での海外留学は、実在馬の海外遠征にあたるわけで……
・実はオグリキャップも予定されていました。この年やその翌年ではなく、さらに次の年にあたるときですが。
・1990年の9月にアメリカで開催されるアーリントンミリオンステークスへの出走を予定していたのですが──
・夏前の宝塚記念出走後に両前脚は骨膜炎、右の後ろ脚に飛節軟腫を発症しために断念。
・その後の秋の不調を考えたら、回避して正解だったかと。
・もっとも、その不調にウマのことを考えないマスコミの取材攻勢が原因の一つだったのを考えると、海外に行けばまだリラックスできた、ということも言えるかもしれません。
・なにしろ競馬知識のない阿呆な取材クルーに1週間24時間見張られてあのオグリが食事をしなくなったらしいですから。あまりにひどい。
・そのアーリントン()()()()ステークス。その名前の通り、優勝賞金は100万ドル。優勝すれば百万ドルの夜景がそのまま買える計算。
・当時のレートが1ドル135円くらいなので、1億3500万円──現在の大阪杯の賞金と同じくらい……さらには現在の有馬記念の優勝賞金が3億円、と聞くとちょっとありがたみが薄れますね。
・とはいえ、その年の有馬記念の優勝賞金は1億1000万円ですので。

マルゼンスキー
・シンボリルドルフ同様に育成まで実装しているウマ娘。
・現時点(2021年6月)で実装されているウマ娘の中でモデル馬の年齢が最も年上。
・その関係で時代遅れになった死語を言う、なんてキャラになったんでしょうけど──「チョベリバ」とかは彼女のモデル馬が活躍していた昭和末期ではなく、平成前期のころの言葉なんだけどなぁ、と当時聞いていた身としては思うんですよね。昭和末期の「ナウい」とかと一緒にされるのは……
・『勇者王ガオガイガー』の獅子王凱をとあるキャラが「チョベリカチョロン」と呼んでいたので、その時期(1997年ころ)ですからねぇ。
・シンデレラグレイでは、会長と行動を共にしていて、比較的ギャグキャラ気味。
・自分のダービーに出られなかったことを語るシーンはカッコよかったのに、タコのないたこ焼きを「それってお好み焼きよね」と返すシーンでは見る影もなく……

とある記者
・シンデレラグレイのオリジナルキャラである藤井泉助。
・記者であり、オグリキャップの走りに惚れ込んで追いかけ、クラシック登録を逃した彼女をダービーの舞台へ上げようと東奔西走する。
・かくいうシンボリルドルフも、彼の言葉にのってダービー出走嘆願の署名に応じた一人でもある。
・そのモデルは「泉」の字と、ダービー出走を求めた活動から大橋巨泉と言われている。

メジロライアン
メジロマックイーン
・ウマ娘では育成が☆2なのでおなじみのメジロライアンと、みんな大好きメジロマックイーン。ここでは名前だけ登場です。
・この二人、モデル馬は二頭ともに1987年生まれで、どちらもメジロアルダンの二つ年下です。
・そしてこの二人──ダイユウサクを語る上では絶対に避けられないあの有馬記念に出走していた二人でもあります。
・メジロアルダンも、まさか自分の同級生が、二つも下の妹分たちに立ちはだかる壁になるとは思いもしなかったことでしょう。
・……だって、このころのダイユウサク、なにしろメチャクチャ弱かったし。

父母会
・まぁ、いわゆる“鬼より怖い”PTAですな。
・名門メジロ家ともなればトレセン学園のPTA的な組織に顔が利くと想像して、メジロ家のアルダンに動いてもらいました。
・ちなみにこのころのアルダン──ダービー後に骨折がわかって長期療養中です。復帰はまだまだな頃なので、時間や余裕があったのかもしれませんね。
・きっとセグウェイ(ゴルシちゃん号)を乗り回して移動していたことでしょう。


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第13R 大和解。 友情、復活の時──

 夜に福島を出発したオレは、夜半過ぎになってやっとの思いで府中に帰ってきた。
 なにしろノンストップでも7時間もかかる道のりである。
 もちろん、行きも同じ時間かかかっていたわけだが──当初の予定では福島で一泊して、休みを入れてから次の日に帰ってくる予定だった。
 しかし、事情が変わって、オレがするはずだった一泊は、押しつけられたんだか保護したんだか分からないウマ娘のものになり、休むための金がないオレは、もちろん寄るところもなくただひたすらに帰ってきたのだ。
 片道の予定が往復──7時間のはずが合計14時間の道のり。この予定変更は余りに大きかった。
 抱えた巨大な疲労感に、オレは家に着くや、さっそく眠りこけたのだが──

「──今すぐ学園に来なさい! いいわね!?」

 朝になってかかってきた先輩トレーナーである東条ハナからの電話で叩き起こされ、そのままトレセン学園に向かう羽目になった。
 オレ同様にやっと休めたとホッとしていただろう愛車を引っ張り出し、エンジンをかけて叩き起こすと──トレセン学園へと向かう。
 で、たどり着けば愛車の方は駐輪場(そこ)でゆっくりできるのだろうが、オレの方は違っていた。

 そこに居並ぶ顔に驚き──そして昨日のことを洗いざらい話すことになった。




 目を覚ますと、アタシは見たことのない天井の下にいた。

 周囲を見渡せば誰もおらず──普段、寝ている寮のそれよりも寝心地の良いベッドに自分が横になっているのに気がつく。

 

「ここは……?」

 

 アタシは疑問に思いながら体を起こす。

 少しのだるさが体に来る──けど、昨日に比べれば遙かにマシだった。

 

「昨日──って、そうよッ!!」

 

 バッとベッドから跳ね起きる。

 途端に襲い来る頭痛。

 

「うぅ…………」

 

 思わず下りたはずのベッドの横で頭を抱えた。

 まだ、体調が万全とは言い難いみたいだわ。

 そうしながら、昨日のことを思い出す。

 昨日は、私の第2戦目だった。福島レース場での第5レース……だったはず。

 そして私の記憶が確かなら──その結果は、またも最下位。

 

「はぁ……そうだったのよね…………」

 

 思わずため息が出る。

 頭痛が原因で抱えた頭だったけど、それを考えると別の原因で頭を抱えたくなるわ。

 ──で、そのあとは…………

 

「あまりよく覚えてないけど、医務室に運ばれたような……」

 

 体調が最悪で、熱のあったアタシはレース後に倒れて、レース場の医務室に運ばれて──

 

「……なんか、セッツにも会ったような気がするけど…………」

 

 果たして本当だろうか、とアタシは考え込んだ。

 だって、サンキョウセッツはオークスに出られるくらいのウマ娘よ? で、今の福島レース場って言えば、そのレースの半分が未勝利戦というような、未勝利天国なんだか未勝利地獄なんだかよく分からない状況。

 

「セッツが出るようなレースなんてあったかしら?」

 

 そう考えて思い出そうとしたが──12レースもあったその詳細を、アタシが覚えているはずもなかった。

 自身が第5レースに出る、ということだけしか覚えてなかったし。

 なにより──

 

「本当なら、棄権するつもりだったんだけど……」

 

 そのときのことを思い出して、アタシの気持ちは沈んだ。

 朝、アタシを心配するベルノライトと会って、熱を計った。

 その結果で出走すると危険と思ってトレーナーへ報告しに行き──偶然にもその本音を聞くことになった。

 熱を報告しても出走しろと言う彼女の言葉のとおりに福島まで来て──アタシは走った。

 そして、あの結果である。

 

「……アタシが走る意味、あるのかしら?」

 

 自虐的にポツリとつぶやく。

 そのレース後に倒れ、医務室で休み──最終レースが終わったところで、偶然居合わせた知らないトレーナーに面倒を見てもらって、このホテルを手配してもらったんだ。

 そうそう、そこまで思い出せた。

 

「──で、あの人、いったい誰だったんだろ?」

 

 福島レース場で会い、このホテルまで連れてきた彼。

 その人が──

 

“金がないから、一部屋しかとれなかった”

 

 ──と、言ったときは、熱でボーっとしていたアタシでさえ、さすがに焦ったわ。

 いや、もう……この人、本当にトレーナーなの? って思ったわよ。さすがに。

 適当に嘘ついて紛れ込んだヤツが、そういう目的でここに連れ込んだんだ、としか考えられなかったもの。

 そうしたら──

 

“だから、オレは今から帰るから、お前は明日、自力で帰れ。帰れないほど具合が悪いときには学園に連絡しろ。いいな?”

 

 ──とか言って、アタシをこの場においてさっさといなくなってしまった。

 さすがに呆気にとられたわ。安心した、とかいう前に。

 で、とか言いつつ戻ってくるんじゃないかと疑いながら、しばらくしてからシャワー浴びて汗を流して──

 戻ってこないって分かったから、気が抜けて……そのまま寝たんだわ。

 

「──うん、この調子なら学園まで帰れる……かな?」

 

 昨日ほどの熱っぽさは無い。

 確かに体のだるさはあるけど……それは昨日、レースを走ったせいじゃないかしら。

 一応、体は動くし、しっかりと歩くこともできる。

 そもそも、ほとんどの時間はただ電車に乗ってるだけだからね。

 アタシはホテルをチェックアウトして、昨日のうちに渡されていたお金で、学園への帰路についた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──新幹線を使ったのもあって、あっという間に学園へと戻ってきたアタシ。

 

 幸いなことに、途中具合が悪くなることもなく、トレセン学園の栗東寮にたどり着けた。

 アタシは恐る恐る顔を出す。

 だって、予定では昨日のうちに帰ってくるはずだったんだから──

 

「おや? 確か、ダイユウサク……」

 

 ほら、やっぱり寮長に見つかった。

 アタシはあわてて頭を下げる。

 

「す、すみませんでした!! 実は昨日は出走した福島で体調を崩してしまって……」

「ああ、聞いているよ。ポニーちゃん……」

 

 え? なに? ポニーちゃん?

 あ、れ……? アタシがあまりに遅すぎるから……そんなこと言われちゃったのかな?

 アタシの様子に気がついた寮長──フジキセキが少し焦った様子で「違う違う」と手を振る。

 

「不快な思いをさせてしまったのは謝るよ。すまなかった。キミのことを揶揄するつもりなんてこれっぽっちもないからね。むしろ倒れたと聞いたから心配していたんだよ。大丈夫かい?」

「え? ……は、はい。一応、良くなったので……」

「それはよかった。でも……出走するからには、キチンと体調を管理して、今後はそんな無茶はしないように。いいね?」

「はい……」

 

 寮長の忠告に、アタシは殊勝な態度で頷いた。

 すると──

 

「あら、やっと帰ってきましたのね。負け犬さん……」

 

 なんて辛辣な言葉が飛んできた。

 聞き慣れたその声は、やっぱり──

 

「サンキョウセッツ……」

 

 この調子なら、やっぱり福島で会ったのは彼女に間違いなさそう。

 

「まったく、帰らずに外泊だなんて、まるで不良じゃありませんか。これだからあなたは──」

「な~に、いきなり説教始めとんねん! アンタ、心配しすぎて昨日からこの辺、ウロウロしとったやないか……」

 

「……………………」

 

 横からのツッコミ。

 それを言ったのは、サンキョウセッツの横で意地悪くニヤニヤしている小柄な葦毛のウマ娘だった。

 思わず固まるサンキョウセッツを後目に、タマモクロスは笑顔でアタシの方を振り向いた。

 

「よ。タユウ、久しぶりやな」

「タマモクロス……」

「なんや、他人行儀やなぁ……前に言ったやろ、親しみを込めてタマと──む?」

 

 笑顔で近づいてきたタマモクロス。

 アタシがデビューしたその日、秋の天皇賞でオグリキャップと死闘を繰り広げた、体格に似合わずパワフルなウマ娘だ。

 そんな彼女は、アタシに近づいている途中で何かに気がついた様子で足を止める。

 そしてアタシをジッと見つめ──

 

「前言撤回や。やっぱりタマはあかん」

「──え?」

 

 いや、さすがに猫じゃあるまいし、アタシも“タマ”と呼ぶつもりはなかったけど──

 

「アンタ、最近、体成長したやろ?」

「は、はぁ……それは…………」

 

 それは少し前にベルノにも言われたし、自分でも自覚していることだけど、たぶんそう。

 おかげで足が痛いし……

 

「アンタは、敵や!! そんな手足長くしてスライド伸ばすなんて卑怯や。おまけにゴール判定のために胸まで大きくして……」

「いや、そんなことしてない……」

 

 手足も胸も、勝手に成長するもので、アタシの意志ではどうにもならないんですけど……

 タマモクロスはちょっと涙目になりながらアタシのことを見ている。

 一方、固まったサンキョウセッツは、気を取り直して一度「コホン」と咳払いをしてから再び口を開いた。

 

「ご、誤解なさならいでくださいます、タマモクロスさん!! 私が昨日からいたのはこちらに用事があったからで……」

美浦寮のアンタが、二日も続けてなんの用や? いい加減、素直に心配だったって言ったれや」

「──ッ!? だ、誰が心配など……」

「昨日の夜は落ち着かない様子でロビーをウロウロウロウロして、時計を見てはイラ立って……寮長にタユウが休んでから帰ってくる連絡がくるまでいたやないか。あからさま過ぎやろ」

「な──ッ!?」

 

 タマモクロスに言われて焦るサンキョウセッツ。

 えっと……それをアタシの前で言われても。

 というか、セッツって意外と──アタシが彼女の認識を少し変えようかと思ったとき、サンキョウセッツはテンパった様子でアタシの方をキッと睨んだ。

 

「か、勘違いしないことですわね、ダイユウサク!! そ、それは……あ・く・ま・で、そう! 福島レース場で会ったからですわ。あのような状態だったのですから、その相手が誰であろうと心配するのは当たり前のことッ! だから! くれぐれも勘違いなさいませんようにッ!! いいですわねッ!?」

「は、はあ……」

 

 うん……なんか憎めないというか、基本的に悪い娘じゃないのね、彼女。

 でも、やたらと強い調子で話しかけてくるけど、正直勘弁してほしい。

 ここまで帰ってこられたとはいえ、アタシの体調は万全にはほど遠い。彼女のテンションに合わせるのは無理よ。

 そんなわけで、アタシがテンション低く答えたら、サンキョウセッツは少し眉をひそめた後、それ以上は噛みついてこなくなった。

 うん……多少は気を使ってくれるのかしら。

 

「あ……そういえば……」

 

 サンキョウセッツがおとなしくなったので、余裕ができたアタシはふと顔を上げ──寮のロビーにある時計を見る。

 時刻は3時を過ぎていた。

 日曜日の3時といえば──やっぱり競走中継。そう、今日はエリザベス女王杯だもの。

 荷物を持ったまま、アタシはロビーにあるテレビの前へと踏み出した。

 

「なんや? 体調悪いなら早く部屋で休まんと……」

「病人は部屋で大人しく寝てなさい! 他の人に迷惑にならないように……」

 

 タマモクロスとサンキョウセッツが声をかけてくるが、アタシは構わずテレビの前に行く。

 すでにテレビは点いていて、番組も始まっている。

 確かに部屋にもテレビはあるけど──

 

「部屋で休んだら、寝ちゃうかもしれないからね。コスモの勇姿、見逃すわけには──」

「は? なにをおっしゃっているんですの?」

 

 アタシが苦笑混じりに言った言葉に、サンキョウセッツは怪訝そうな顔になった。

 

「──コスモドリームはエリザベス女王杯に出ませんわよ。さっきその辺に……」

 

 

「────え?」

 

 

 テレビの前で思わず固まるアタシ。

 

(コスモが……出ない?)

(エリ女に?)

(そんなはずない! だって、あんなに一生懸命、練習してたじゃないの)

(現にこの前まで夜遅くまで──)

 

 頭の中に様々な考えが浮かんでは消えていく。

 そんなアタシの目の前で、テレビ中継をする番組では出走表が映し出されていた。

 1番──

 2番──

 必死にその表を見つめ、名前を探す。しかし──

 

 

 ──そこに、コスモドリームの名前は、無かった。

 

 

 その現実を突きつけられ──アタシは愕然とした。

 手に持っていた荷物が床へと落ちて、ドンと鈍い音を鳴らす。

 

「なんで……どうして?」

「タユウ、知らなかったんか? コスモドリームなら、少し前に足を骨折してたで? エリザベス女王杯に向けて調整している最中に……」

 

 不思議そうに説明するタマモクロス。同じ栗東寮──彼女のルームメイトはスーパークリーク──なので、アタシとコスモがルームメイトで仲がいいのも知っていたのだ。

 それを私は、呆然と聞いていた。

 骨折? いったいいつよ?

 アタシはそんなことさえ気がつかずに──

 

「一緒の部屋で暮らしていたくせに、そんなことも気づきませんでしたの?」

「セッツ! 余計なこと言うな~。ホンマに素直やないな、アンタ……」

 

 あきれたようなサンキョウセッツに、それをあわてて止めようとするタマモクロス

 でも、アタシの耳にはそんな言葉は聞こえていなかった。

 落ちた荷物を掴み直すと、グッと握りしめ──アタシは駆けだした。

 

「あ! こら、ダイユウサク、キミは体調はまだ万全では……」

「そうや、寮長の言うこと聞かんと──」

「放っといてあげなさいな。ここで倒れてもベッドはすぐそこなんですから」

 

 駆けだしたアタシを見咎めたフジキセキ。そしてそれに同調したタマモクロスに対し、サンキョウセッツは冷めた様子でそう言い放つ。

 

 

 ──そして、セッツはテレビの方へと向き直っていた。

 それを半ばあきれた様子で見るタマモクロス。

 

「アンタ、用が済んだなら美浦で見ぃや」

「──戻っている間に発走したら大変ですので、こちらで見させてくださいな」

「……いい性格してんな、アンタも」

 

 そう言われても気にすることなく、サンキョウセッツは画面に映ったシヨノロマンをジッと見つめていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 寮のロビーから駆けだしたアタシが目指すのは自室だった。

 自室のドアを開け、アタシは叫ぶ。

 

「コスモッ!!」

 

 アタシの言葉で、どこか取り乱した様子だった彼女──コスモドリームは慌てて振り返り、アタシを見て驚いている様子だった。

 

「ユ、ユウ!! 大丈夫なの!? 倒れたって聞いたから心配したんだよ!!」

 

 そのまま駆け寄ってくるコスモドリーム。

 アタシの様子を確認してから、額に手をあてて熱まで確認して、「うん……今は大丈夫そうだね」と一人うなずく。

 でも、アタシはそれじゃあ収まらない。

 

「それはこっちのセリフよ! コスモが骨折したって聞いて、本当にびっくりしたのよ!!」

「あ、う……それは…………」

 

 それにコスモは気まずそうに視線を逸らし、そのまま目を泳がせた。

 

「一体どういうこと? アナタ、この前までエリ女に向けて一生懸命練習していたじゃないの!」

「ゴメンね、ユウ……実は、少し前に骨折してエリザベス女王杯への出走はやめていたんだ」

「そんな……そんな大事なこと、なんでアタシに…………」

 

 言ってくれなかったのか、そう言いかけてアタシは止める。

 そんな空気じゃなかったんだから、彼女がいえるはずがない。

 むしろ一緒に住んでおきながら、そんなことにさえアタシは気がつかなかったのか、と自分に憤りを感じていた。

 確かに、直前までお互いにすれ違うような生活をしていたし、わだかまりから接触もほとんどしないような生活をしていたけど──

 それでも、コスモの異常に気がつくことができなかった自分に悔しくて──涙が出た。

 

「う、うん……ユウが大変な時期だったからさ、言い出せなくて……一生懸命がんばってるユウに余計な負担かけたくなかったんだ」

「余計な負担なわけ、無いわよ!!」

 

 アタシは思わず──目の前のコスモを抱きしめた。

 なんでこの娘は全部抱えようとしたのか、本当に。

 あの日、アタシに「コスモのことだけを見てよ」なんて甘えてきたくせに、こういうときは甘えてこないんだから。

 

「アタシが、コスモのことを負担に思うわけ無いじゃないの」

 

 コスモを抱きしめる力を強くする。

 今まで、本当にゴメン。分かってるわ。無邪気なアナタがここまでアタシに気を使ってくれたのは、アタシが弱かったせい。

 傷ついているアナタの心に気がつかず、傷を付けてしまったせい。

 

「アナタがいたから、この一年半、がんばって来れたのよ? アナタが目標になってくれたから……どんどん立派な実績を重ねるアナタに負けられないって、アナタと一緒にトゥインクルシリーズを走りたいと思ったから、ここまで来れたのよ」

 

 今年に入ってデビューしたコスモは、勝ちを重ねてあっという間にオークスを制して、随分と遠い存在になっちゃったけど、それでも身近にいるから、その背中を見失わずに走れたんだから。

 

「血を分けた従姉妹って言ったのは、アナタの方じゃないの……なんで、こんな大事なことを黙っていて…………」

 

 涙でにじむ視界の片隅に、彼女の包帯が巻かれた足が見えた。

 本当ならもっとゴツく保護しなければならないのに、アタシにバレないようにわざと目立たないようにしたんじゃないでしょうね?

 本当にこの娘はもう……

 

「それなら! ──なんでユウはコスモのことを頼ってくれなかったんだよ!!」

「──え?」

 

 アタシに抱きしめられていたコスモが、大きな声で言った。

 

「聞いたよ? セッツに……さっき、実家から帰ってきたら、どこに行っていましたの? って怒られて──」

 

 アタシを見つめるコスモの目もまた涙を(たた)えていた。

 

「そこで初めて聞いたんだ。チームのこと、それに今回のレースのこと。熱があるのに出走を強行して、また殿(しんがり)だったって……」

 

 コスモの目は、アタシを責めていた──少なくともアタシにはそう思えた。

 なんでそんな無茶をしたんだ、と。

 

「前回の結果だって、コスモは知ってたよ。悔しい結果だったのは分かる。ユウの今の実力があんなものじゃないことくらい、コスモには分かってるよ。だから、焦って出なくても──」

「違う。違うのよ、コスモ……」

 

 アタシはその目に耐えきれずに首を横に振った。

 実際は──棄権しようとしたのに、トレーナーに認められず出走を強要された。

 そのことが口からついて出ようとしたとき──アタシは躊躇った。

 これを聞いてしまえば、コスモを巻き込むことになる。正義感の強い彼女は絶対に憤るし、勢い余って《カストル》に殴り込むかもしれない。

 もしそうなれば──彼女のチームにまで迷惑をかけることになる。

 そこまで考えたアタシは──

 

「あの競走(レース)は、アタシが自分で──」

 

 口を開いたアタシは、真っ直ぐに見つめてくるコスモの目を見た。

 相変わらず、暗い闇を貫く流星のように汚れがない、その瞳。

 それを見て──心の底で何かが輝いた。

 

(そうよ……なにやっているのよ、アタシは。そうやって相手に気を使って失敗したばかりじゃないの!!)

 

 コスモと対等になるためにレースでの勝利を、と没頭したせいで熱が出るほど体調悪化させてレースに出ることになったし、コスモの異変にも気がつかなかった。

 もしも、アタシが彼女をもっとよく見ていたなら、骨折する前に異変に気がつけたかもしれない。仮にオーバーワークがその原因なら、止められたかもしれないのに。

 コスモだって──優しいあの娘のことだから、二戦連続でのアタシの惨敗を自分のせいだと思ってるかもしれない。体調不良に気がつかなかったのを責めて。

 骨折を隠そうとしていた彼女だもの、その原因だって、アタシに気を使って絶対にエリザベス女王杯を勝とうと無理をしたのよね、きっと。

 

(お互いが、お互いのことを気にしすぎて──話せなくて、距離をとって……そして失敗したのに、また距離をとろうとするの?)

 

 同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。

 アタシがすべきことは──彼女と一緒に困難に立ち向かうこと。そのためにはなによりも──相手に何でも相談できるくらいに信用しないと。

 

(うん……コスモならきっと力になってくれる。きっと《カストル》に怒りを感じるけど、感情にまかせて無鉄砲に喧嘩をふっかけるような、思慮がない娘じゃないもの)

 

 だからアタシは──意を決して、口を開いた。

 

「違う……あれは、あの競走(レース)に出たのは──」

 

 アタシはコスモに話した。

 それはもう、最初から。

 コスモがオークスに優勝して、アタシもがんばらないとって焦ったこと。

 だからチームからの誘いに飛びついて──それが、アタシの能力や才能を見抜いたわけでも、努力を評価したわけでもなく、ただ単にアタシの“遠い親戚”を気にするお偉方に媚びを売るためだったことまで、気がついたら話してた。

 そして昨日の競走(レース)も、熱があるから棄権したいと言ったのに、出走を強要されたということも。

 

「ゴメンね、ユウ……」

 

 聞き終えたコスモは、まず謝ってきた。

 

「そんな……コスモが謝ることなんて、なにもないじゃないの」

「ううん。同じ部屋にいたのに、ユウがそんなに苦労しているのに、なにも気がつかず、なにも助けられなかった……さっき、セッツに言われたんだ。ルームメイト一人守れずに、それでも“樫の女王”か! ──って」

 

 そう言って寂しく笑うコスモ。

 オークスの頂点に立った者を指して呼ぶその称号は、決して軽いものじゃないのよね。

 特に、共にその座を争ったサンキョウセッツから言われたのだから、コスモの胸に響いたんだと思う。

 

「本当に不甲斐ないよ。ユウの力になれなかったコスモ自身も。そしてコスモの実力を見せたかったのに、耐えられなかったこの足も……」

 

 コスモがふと視線を足に向ける。

 恨みがましく睨みつけ──の目に涙がじわっと滲む。

 今頃はきっとエリザベス女王杯も発走時刻を過ぎ、結果が出ている頃かもしれない。

 なのに、その舞台にさえ立つことさえできず、こんなところにいる。

 だから──

 

「なぜ折れる! なぜ怪我する! どうしてだよ!! こんな……ユウのことを放ったらかしにするくらいに、特訓したのに……」

 

 コスモは嘆いた。

 部屋に彼女の慟哭が響く。

 アタシが黙ってそれを聞いていると、彼女は顔を上げた。

 

「きっと……(バチ)が当たったんだ。大事な、かけがえのない友を粗雑にしたから」

「そんな……」

「ユウが苦しんでいるのに気がつかなかったから。友情を大事にしないコスモに、その大切さを気づかさせるために、ね」

 

 そして力強くうなずくコスモドリーム。

 

「だからユウの言うことは信じる。あのチームも許せない! だからユウのことを守るよ。このコスモの全力をかけて……」

 

 その目にはしっかりと力が宿っていた。

 その温かい心に、アタシは心が癒される。

 あのチームに所属して──思えばチームメイトからは仲間外れにされていた。トレーナーも本気でアタシとは向き合ってくれていなかった。

 そこで心は擦り減っていたのだ。

 

「ありがとう、コスモ。でも私はもう、走るのは──」

 

 そう私が言いかけたときだった。

 突然、背後から──

 

「──それは良いことを聞きましたわ!」

 

 コスモでも、もちろんアタシでも無い、そんな大きな声が聞こえて思わず振り返った。

 その声の主の存在には、コスモもそれまで気がついていなかったようで、その人影に純粋に驚いている。

 そのウマ娘は、アタシは見慣れている──

 

「コスモドリームさん、あなたも協力していただけるなんて、百人力です」

「えっと……キミは確か…………」

「面と向かって話すのは初めてですね。メジロアルダンと申します」

 

 戸惑うコスモに対し、その人影は優雅に微笑んで一礼した。

 動きにあわせて淡い色の長い髪が揺れる。

 

「今のところ貴方とは、骨折仲間ということになりますが……」

 

 そう言ってメジロアルダンは自虐的に苦笑しながら、包帯が巻かれた足をちらっと見る。

 

「──大変失礼とは思ったのですが……なにしろ部屋の扉が開いていましたので、途中からですが、お二人の話は聞いてしまいました」

 

「「あ……」」

 

 アルダンに指摘されて、彼女のさらに後ろでは、ドアが開きっぱなしになっているのに、今更ながらに気がついた。

 ああ、アタシってば一体なにやってるのよ……

 

「安心してください、ダイユウサクさん。今の貴方の話で、確信できました……」

「確信? 一体なにを──」

「今の貴方を助け、これからこの学園に入るウマ娘たちを守り、そして──今まで泣いてきたウマ娘たちの気持ちを晴らすことができる、ということをです」

 

 そう言って微笑むメジロアルダンの笑顔は、上品さの中にウマ娘の本能とも言える強さが見え隠れしていた。

 




◆解説◆

【友情、復活の時──】
・“復活の時”はコスモはコスモでも小宇宙(コスモ)とは違うコスモが主役の某ロボットアニメの主題歌から。
・あの曲好きなんだよなぁ。

ポニーちゃん
・栗東寮の寮長、フジキセキの口癖。
・ただ……ふと思ったんだけど、馬いないのにポニーちゃんっておかしいような?
・ポニー=遅いというイメージで思わず書いちゃったけど……まぁ、深く考えないでください。

秋の天皇賞でオグリキャップと死闘を繰り広げた
・シンデレラグレイ参照。
・ただし現在(2021年6月)では単行本には収録されておらず、されるのは5巻以降くらいになるんじゃないでしょうか?
・ちなみに天皇賞(秋)と同日の京都でダイユウサクがデビュー戦だったように、この場にいるサンキョウセッツも同じ日にレースに出てました。
・東京8R、900万以下の紅葉特別で、ちなみにその結果は、10頭中10位の殿負け…………オイ! セッツ!?

美浦寮のアンタ
セッツ(摂津)のくせに、元ネタ馬が美浦トレセン所属の関東馬なサンキョウセッツ。
・名前からてっきり栗東寮だと思い込んでいましたわ。
・ちなみに今回、タマモクロスではなく、今週号のシンデレラグレイ(第44R)で雑誌掲げたサクラチヨノオーがあまりにも可愛かったので、チヨノオーを出す予定だったんですが、彼女も美浦寮だったのでタマモクロスに変えました。
・正直、書き始めた当初はタマモクロスを結構使うつもりで「タユウ」と呼ばせてまで出したんですが……
・同学年のウマ娘たちの方が使いやすいのと、本作オリジナルのコスモとセッツが出てきたおかげで使いどころに困ってました。
・そんなわけで出番があってよかった。

競走中継
・毎週おなじみ、日曜日の3時台にあるフジテレビの競馬中継。ウマ娘の世界では競()中継がされていることでしょう、ということで。
・寮のロビーのテレビとかは、絶対それが流れているんだろうな、と思いました。

出走表
・このレースのモデルである1988年エリザベス女王杯は18頭立て。
・当時の出走表を名前だけでも……と思ったのですが、さすがに18頭は多いので割愛。
・ちなみに出走馬で現在(2021年6月)でウマ娘になっているのは一人もいません。
・ちなみに勝ったのは6番人気のミヤマポピー。
・この年のクラシック6レースの優勝は、
  ヤエノムテキ(皐月賞)
  サクラチヨノオー(ダービー)
  スーパークリーク(菊花賞)
  アラホウトク(桜花賞)
  コスモドリーム(オークス)
  ミヤマポピー(エリザベス女王杯)
と見事にばらけましたね。

シヨノロマン
・このレースの一番人気こそ、このシヨノロマン。結果は2着でした。
・結構、大きなレースで名前が出てくるけどなかなか勝てない善戦ウマ娘のイメージ。
・知名度も「ヤエノムテキの嫁」というくらいで、《カノープス》に入るのにもインパクトが足りない感じ。
・というようにヤエノムテキの嫁なので、彼女がすごく気にしてそうですけど、サンキョウセッツは祖父が同じシンザンなので親近感を覚えているようです。

骨折してエリザベス女王杯への出走はやめていた
・コスモドリームのエリザベス女王杯に出走できなかった理由は骨折。
・この世界でも、高松宮杯のあとは8月のG3の小倉記念に出走して2位。
・10月のG2京都大賞典でも2位に入り、その際にはゴールドシチーとも戦っている。(シチーさんは3位)
・が、その後に骨折してエリザベス女王杯は断念。それどころか治療のために長期休養に入っていた。

実家から帰ってきた
・書きませんでしたが、この日、コスモドリームは骨折がバレないように、さも京都に行っているように外泊するため、実家に帰っていました。(第10話で部屋にいなかったのはそのため)
・怪我して大変で、さぞ悔しかっただろうに、ダイユウサクに気をつかうコスモは本当に優しくて健気です。

樫の女王
・現実でもオークス制覇した馬を称える言葉。
・オークスは牝馬戦なので、ウマ娘になっても性別が変わらないからそのままでオッケー。

骨折仲間
・メジロアルダンもまた、ダービー後に骨折が判明して、現在長期療養中。
・彼女の場合、この故障で一年も棒に振っている。
・しかもこの骨折──からの約1年休養イベントはまだあともう一回あるんですよね、彼女の場合。
・育成が実装されたら、どうなるんだろう……
・そして、このメジロアルダン。骨折仲間になったコスモドリームとは後で対決することになるのですが……


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第14R 大糾弾! このUgly(見苦しき) Duck( 責任逃れ)に鉄槌を!

 中央諮問委員会という組織がある。
 通常は中央(トゥインクル・シリーズ)に関する規定等についての話し合いや、それに関する取り調べが行われる場であり、最近ではオグリキャップの日本ダービー出走へ署名したシンボリルドルフから言い分を聞く際に開かれている。
 ただし、今は──トゥインクル・シリーズそのもののことではなく、それに連なる機関のことについての審議がなされていた。
 それは──



 私は、自分がこの場に立たされていることが信じられなかった。

 はあ? なんで私がこんな目に遭わないといけないわけ?

 諮問委員会──それも私のチーム《カストル》のことについて、ですって? 何の問題もあるわけがないでしょ。

 そうならないように今までやってきたんだから──

 

「──そのようなハラスメントが日常的に行われていたのではありませんか?」

「全くの、事実無根です」

 

 だから私は委員会の質問にキッパリと答えたわ。

 ハラスメント? そんなわけないわ。

 担当しているウマ娘達を育てることが私の役目であり、それを円滑に行うためのチームなんだから。

 それをそのまま説明したら──

 

「──では他のチーム、特に兄弟でもある《ポルックス》との関係については?」

「元々は私がいたチームですし、“良きライバル”として切磋琢磨する相手だと思っております」

 

 ええ、実際にそう思ってるもの。ウソ発見機(ポリグラフ)でもなんでも持ってこいってものよ。

 

「そのいきすぎた競争で、育てるべきウマ娘たちに害が出ているという話を聞きますが?」

「話? そんな噂程度のもの、ウチや《ポルックス》に対する誹謗中傷にすぎません。事実無根です。ねぇ、そうは思いませんか?」

 

 私はそう言って、その場に呼ばれている《ポルックス》のトレーナーに呼びかけた。

 

「その件については同意します」

 

 普段はチャラいその男も、さすがにこの場では殊勝になるようね。

 発言を許可されて立ち上がったけど、言葉少なに恐縮した様子でそれだけ言うと、すぐに座ったわ。

 

「──しかし、証人がいますよ?」

 

 証人? いったい誰よ……

 

「ダイユウサクさん、前に出てきてください」

 

 なるほど、ね。

 まあ、予想してたわ。

 今回の諮問は、彼女が発熱をしていたのに出走した、というのが一番の問題なんだから。

 レース後に体調不良で倒れたけど、もしもレース中だったら──と問題視した諮問委員会が動いたわけだし。

 つまりはこのウマ娘こそ元凶なのよ。

 それが証人? 冗談じゃないわ。

 

「──アタシはあの日、熱があったので棄権をトレーナーに申し出たんですけど、却下されました」

「……とのことですが?」

「事実無根です」

 

 私が答えると、ダイユウサクは驚いた様子で私を見てきたわ。

 当たり前よ。そんなの認めるわけ無いじゃない。

 

「私は彼女が熱が出しているのを知りませんでした。体調不良を訴えてきてもいませんでした」

「そ、そんな! アタシは──」

 

 驚いた様子で抗議してくるダイユウサク。

 残念ね。貴方が発熱を主張したのはチームの部屋だったわ。

 あのときは誰もいなかったし、居たとしても私の教え子たちが貴方の味方になることはないわ。

 

「聞いた話ですが、彼女の体温を測ったウマ娘がいたそうですけど……」

 

 その場にいたウマ娘の一人がポツリと言う。

 誰よ? と思って見たら──淡い色の長い髪をしたウマ娘だった。たしかメジロアルダンね。

 ダイユウサクの同級生だったかしら? その名前が示すようにメジロ家の令嬢で──

 

(へぇ……貴方が今回、メジロ家巻き込んでことを大きくしてくれたってワケ?)

 

 私が冷め切った冷たい目で彼女を見るが、それに動じた様子もない。

 ますます、可愛げのない子ね。

 

「知りません。私のところにそのデータが来ていませんでしたから。もしも知っていたらもちろん止めたんですけど……」

 

 我ながら白々しいとは思うけど、ウチのチームではまったく体温は測ってないんだから証拠も残ってないわよ。

 私が、ダイユウサクの熱を知っていて、彼女に出走を強行した──なんて証拠もね。

 

「ただ……彼女自身、熱があるのを知っても、前走の汚名返上のために出走を強行したくて、私に隠したのかもしれません」

「──ッ!?」

 

 私の言葉に、絶句するダイユウサク。

 あーら、残念ね。

 でも私の主張の方が説得力があるわ。なにしろアンタの前走の記録は──本当にロクでもなかったんだから。

 あんな記録を残してくれて、私の経歴に傷をつけてくれたのは忘れもしないわよ。

 

「私も精一杯彼女をバックアップしたつもりですが──至らずにあのような結果になってしまって責任を痛感しているところです。でも……その気持ちが通じず、このように悪者にされてしまうのは、悲しいことですが」

「なッ──」

 

 驚くダイユウサクの姿を、チラッと見て内心ほくそ笑む。

 アンタみたいな分不相応なのが学園に入ってくること自体が間違いなのよ。

 それを押しつけられた私は、本当に不幸だわ。

 

「あの……不躾だとは思いますが、彼女は自分の成績が振るわないのを気にして、ノイローゼ気味なのではないでしょうか?」

「そんなことないッ!!」

 

 ガタッと音を立てて立ち上がったのは、やっぱり証人として呼ばれていたらしいウマ娘の一人。

 ショートカットで気の強そうな顔をしたその顔は、見覚えがあったわ。

 なにしろ今年のクラシックレースの一冠をとったウマ娘だもの。さすがに知っているわよ。

 

「ユウは、一生懸命がんばっていた!! それに、負けたのを他人のせいになんてしないよ!」

「……静粛に。証人にはまだ発言を求めていませんよ」

 

 委員会の一人に言われて、そのウマ娘──コスモドリームは悔しい表情のまま席へ戻る。

 ホント、バカね。その軽挙が自分や庇いたい相手の首を絞めることになるのに。

 

「さて、彼女からも……あなたがダイユウサクさんに過剰なトレーニングをして追いつめたのではないか、という意見が出されているのですが?」

「論外です。あのウマ娘──コスモドリームが、うちのチームの練習を見学に来たことなんてないんですよ?」

「う……」

「オマケに、彼女はダイユウサクのルームメイトなうえに従姉妹で、この学園に入学するよりも前からの仲です。公平な目で見られるとは思えません。大方(おおかた)、友人の言うことを鵜呑みにして、うちのチームを一方的に恨んでいるのではないでしょうか?」

「そ、そんなことないよ!!」

「──委員会の皆様方は、このようなウマ娘の一方的な話だけを採用して、私を糾弾するおつもりですか!?」

 

 私が言い放つと、コスモドリームはなにも言い返せずに、そのまま席に着く。

 さて──これで勝負はついたかしら?

 今回も無事に──

 

「あの、よろしいでしょうか……」

 

 そこで、同席していたトレーナー達……なんでこの人がいるのだろうか、と思っていた東条ハナトレーナーが手を挙げた。

 てっきりチーム《リギル》のトレーナーで、生徒会の面々のほとんどがそこの所属だし、私と敵対する立場になったダイユウサクの引率代わりに出席しているのだと思っていたけど──

 

「ここでもう一人、話を聞きたい証人が居るんですが……よろしいでしょうか?」

 

(──え? なんで?)

 

 私が勝利を確信したと思っていたので、そう思う。

 そもそもこの人、部外者じゃないの? なんでそんなことを言い出すんだろうか。

 ──と私が思っている間に委員会のメンバーが了承し、そして扉が開いた。

 呆れ半分で私は小さくため息をつく。

 まったく、もうこの話は終わりでしょう? いったい誰よ?

 その姿を見て──私は眉をひそめた。

 

「アンタ……」

 

 私の方を全く見もせずに、その男は入ってきた。

 アイツは──担当のウマ娘一人さえいない、役に立たないクズトレーナーじゃないの。

 私はその男を睨みつけ──

 

(なんでコイツが証人に……って、そういえば、あのとき……)

 

 そう。この直前に会ったのは、ダイユウサクの二戦目があったその日だった。

 そして私はトレーナー室で、そこにいる《ポルックス》のトレーナーと口論になって──

 

「──ッ!?」

 

 あぁ!! そうよ……あのとき、この男、いたじゃないの。

 ダイユウサクが聞いていたかもしれない、あのタイミングで──トレーナー室の前で一緒に居たわ、確かに。

 

(──ということは、あの会話を聞かれたんだわ。まったく、失敗したわ……)

 

 だとしたら、私の計画は完璧なものではなくなる。

 どうにかこの男の証言の信憑性を揺るがさないと──

 

「証人の彼……乾井(いぬい)トレーナーは、当日、福島レース場で具合が悪くて帰れる状態でなかった彼女を保護してくれました」

「え──?」

 

 なにそれ、聞いていないわよ。

 というか、あのレース以降、ダイユウサクは練習に出てきていない。どうせ2戦続けてタイムオーバーしたんだし、こんな時期だもの、競走の道を諦めると思って放っておいたけど……

 だから、あの日のことなんて全然聞いてなかったわ。

 そんな自分の失敗を思い返しているうちに、証人となったそのトレーナーは話し始める。

 

「あの日、オレ……いや私は、学園のトレーナー部屋の前で彼女を見かけ、調子が悪そうだったので気にかかり、福島レース場までいきました。そこで、体調を崩して寝込んでいるという話を聞いたのですが……チーム関係者が一人もいないということで、私が保護しました」

「ほう……」

 

 委員会の面々が興味深げに話を聞き始めた。

 これは……マズいわね。

 

「さらには、レース後から最終レース終了後まで休んでもふらついていて、とても学園にまで戻れる状態ではなく、福島に一泊させて休ませるほどのヒドさでした」

「……ふむ」

 

 委員会の一人が、鋭い目で私を見てくる。

 

「なぜ、誰も……チームメンバーはともかくとして、トレーナーであるあなたが福島に行かなかったのですか?」

「それは……別のレースが、ありまして……やむを得ず」

「では、サポートするチームメイトを付けるべきでは無かったのですか?」

「お、お言葉ですが……あのときは体調不良であるのが分かっていない状態でした。通常の健康状態の者が福島でのレースに行くのですから、他の者を付き添いに付けなくても大丈夫、と判断したのです。確かに、結果的には私のミスですが……予見できませんでした」

 

 ──あくまで体調不良は知らなかったんだから、他のメンバーを付けなかったのも仕方ないでしょ、という理論。

 案の定、コスモドリームは私のことを睨んでいるけど、“体調不良を知らなかった”ということを崩せない限り、この理論は壊せないわ。

 唯一の脅威は、あの男だけど──よりにもよって福島に行っていたですって? しかも一泊? いい話を聞いたわ。

 まったく……墓穴を掘ったわね! 反撃開始よ!

 ここからは──私のターン!!

 

「それに──そこの彼が、福島に行ったのは、本当にそれが理由でしょうか?」

「──は?」

「……どういう、ことですか?」

 

 本人はポカンとしていたけど、委員会の人は目の色が変わったわよ。

 

「私も、彼を当日、トレーナー部屋の前で見かけましたが、そこのダイユウサクと抱き合っているくらいに親密なようですが……そんな男の言葉、信用に足りるでしょうか?」

「なッ!? あれは──」

「あれは──アタシが体調が悪くてふらついたのを支えてくれただけで……」

 

 あらあら、焦ってるわね。

 じゃあ、トドメを刺させてもらうわ──

 

「しかも福島で、二人で一泊して……一体なにをしていたの?」

 

「「…………は?」」

 

 ふん、見なさい。二人してぐうの音も出ない様子で固まってるわ。

 いつからこの二人が()()()()()()なのかは知らないけど、この隙を見逃す手はないわ。

 

「委員会の皆さん、そこの男は以前、担当ウマ娘に手を出したという問題行動を──」

 

 

「──それは、事実と認められてない案件だわ!!」

 

 

 ダンッ! と大きな音──テーブルを叩いた音──と共に立ち上がった東条ハナが完全に敵意を向けて私を睨んできた

 え? ちょっと……なんでこの人こんなに怒ってるの?

 ま、予想外のところから反論が飛んできたけど、焦る必要もないわ。

 

「しかも今回の件とは関係ない──」

「そうでしょうか? そのウマ娘と特別な関係になっていたこの男の発言が、どれだけ信頼に値するか──」

「──ちょっと、いいか?」

 

 私の発言を遮って、その男トレーナーが手を挙げる。

 あら、どんな見苦しい言い訳を思いついたのかしら?

 

「……誤解しているようだが、コイツとオレは、全く無関係だぞ? 会ったのもあの日が初めてだし──」

「ハァ? なにを言い出すのかと思えば……なら、なんであの日、学園に戻らずに一泊したのかしら? それも二人で」

「現地にいなかったアンタは分からなかっただろうが、コイツは福島から電車で帰れるような体調でさえなかったんだよ。全力で走ったせいで悪化させてたからな。それに──」

 

 彼は、言葉を一度きり──そして訝しがるような顔で私を見て、言った。

 

 

「オレはあの日、福島に泊まってなんてないぞ?」

 

 

「──はい?」

 

 私は思わず問い返していた。

 いけない。こんなのあの男の苦しい言い訳なのに──

 

「あの日、オレは自分の二種原(カブ)で福島まで行ったからな」

「な!? そ、そんなわけないでしょう? 苦しいものね、ウソなんてついて──」

「ウソじゃねえよ。何しろオレは担当しているウマ娘がいないようなトレーナーだ。金を少しでも節約しようと思っただけだ」

「でもそれは……どんな手段で行こうと、泊まったのには関係が──」

「自分の一泊分の金しかなかったのを、コイツの一泊に充てたから、オレはそのままトンボ帰りしたんだよ。だからオレは福島に泊まってない。それは──」

 

 その男はふと視線をこちらから他へ──別の席にいる東条トレーナーへと向けた。

 

「東条先輩が証明してくれる。やっと帰ってきて寝ていたところを、叩き起こしてくれたんだから……」

「ええ。彼の言うとおりね。翌日の朝に電話をかけて学園に呼び出したわ。もちろん、すぐに飛んできたけど……福島からではとてもたどり着けなかったわね」

「そんなのは! あなたがこの男とつながっていたら、信用できな──」

「あら。じゃあ、そのときにいた人を全て呼びましょうか? うちのチームのルドルフはもちろん、六平トレーナーにベルノライト、それにメジロアルダンもいたわね。その全員が嘘をついていると、あなたは言うのかしら?」

「く──」

 

 私は、口を噤まざるをえなかった。

 

「……アンタは、ダイユウサク(こいつ)のことを何も知らなかったんだな。その日に初めて会ったオレとこいつの関係を、勝手に邪推するくらいに、な。そこまで見ていなかったから、平気であんなことを──あのときのアイツは、まるで鬱のような様子だったのに……」

 

「な、何を言い出すのよ!! あの話を言い出すつもり!? アレは私じゃなくて、相手の方から言い出してきた話よ! ダイユウサクの面倒を見れば便宜をはかってくれるって──」

 

「──は?」

 

 彼は呆気にとられたような顔で、私を見ていた。

 ──え? ひょっとして……

 

「何の話だ? ……いや、ダイユウサク……だったよな? お前、あのとき何を聞いた?」

「待ちなさい! ダイユウサク!!」

 

 ダイユウサクが顔を上げ、私と──彼の間をその目が揺れ動く。

 絶対に言うんじゃないわよ! アンタ……今までの恩を忘れたの!?

 私の目に込められた言外の言葉に、彼女の肩はビクッと跳ね上がり、そして伏せられる。

 これで、決まったわ。あの娘がこれ以上なにか証言することは──

 

「ユウ! 負けるなッ!!」

 

 大きな声が部屋に響きわたる。

 その声に──ダイユウサクは顔を上げ、そしてその方を見た。

 

「大切なものは勇気、力、真実だよ! 心の導きのまま──」

「──静粛になさい! 退席させますよ!」

 

 声をあげたのはコスモドリームだった。

 なによ、その意味不明な言葉──委員に注意されるのも当然だわ。

 まったく──これ以上の議論は無意味、と言おうとした私は、ダイユウサクの変化に気がついた。

 直前まで疲弊しきって半ば死んでいたような彼女の目に、強い意志が感じられた。

 

(マズい……)

 

 私が焦る中、彼女の視線は再び揺れ動き──私ではなく、彼を見る。

 そして、彼は──うなずいた。

 

「なッ──」

 

 私は、自分が完全に蚊帳の外に追いやられたのを自覚した。

 そしてダイユウサクは自信を持った、力強い表情で──

 

「アタシは、そこの人が《ポルックス》のトレーナーと言い合っているのを聞きました。その中で──」

 

 その後の言葉は、私の頭には入ってこなかった。

 なぜなら私の中は絶望感で一杯になっていたからだ。

 どうにか逆転すべく、言葉を探す──

 

「間違ってるわ! こんな諮問委員会は!! たかがウマ娘一人の言葉だけを信じて、私を断罪しようと言うの!?」

「──それをあなたが言うのかしら? さっき、そこの彼──乾井君の過去のことを掘り返して批判したあなたが」

「なんですって!?」

 

 私の反論に、東条トレーナーがすかさず返す。

 

「あの事件こそ、たった一人のウマ娘の言うことを周囲が信じたせいであんなことに──」

 

 彼女は私をキッと睨みながら、言い捨てた。

 

「委員長、これ以上はこの場で明らかにするのは不可能かと思います。より詳しい調査をもって、判断すべきかと……」

「ふむ。確かに東条トレーナーの言うとおりですね」

 

「なッ──」

 

 駄目よ! そんなこと──

 詳しい調査なんてされたら、今までのことだってバレるかもしれない。

 もしもそうなったら……私は…………

 

 私は、自分の足下が崩れるような感覚に襲われ──その諮問委員会はお開きとなった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──そうして調査が行われた。

 

 その結果判明したのは、やはりダイユウサクは発熱を訴えていたにも関わらず、出走を強要されたということ。

 さらには──トレーナーはもちろん、チームメイトからも標的にされてハラスメントを受け、心身ともに衰弱していたことだった。

 それだけでなく、対立が原因による過去の過剰なトレーニング問題も明るみに出て、それをチームが隠蔽していたことも明らかになった。

 

 それらは当然──父母会で取り上げられ、問題となったのである。

 口々に、「うちの娘が、もしも被害に遭ったら──」と訴え、これは悪質ないじめである、と学園に主張したのである。

 それを重く受け止めた学園は直ちに動き──そして処分が下された。

 

 チーム《カストル》は解散。そしてその担当トレーナーは活動の一時停止を命じられた。

 そして、それが解除される直前に、地方のトレセン学園へ異動の辞令が下され──彼女は中央トレセン学園を去ることとなった。

 




◆解説◆

【このUgly(見苦しき) Duck( 責任逃れ)に鉄槌を!】
・「The Ugly Duckling」でみにくいあひるの子ですが、“duck”には「鴨・あひる」という名詞以外に、「(責任を)逃れる」という動詞の意味もあります。
・今回裁かれるべき人が以前に言った台詞を採用。
・そのときは解説入れ忘れましたが、“duck”には「欠陥のある人・もの」という意味もあります。
・それをなんとなく「このすば」のアニメ各話タイトル風にまとめてみました。

中央諮問委員会
・これが出てきたのはシンデレラグレイ。
・オグリキャップのダービー出走署名に関して、シンボリルドルフが呼び出されています。
・クラシック規定等のURAに関する諮問機関で、トゥインクルシリーズに関する問題が対象になると思われるため、ウマ娘のチームに関することはトレセン学園に属することと予想され、本来であれば委員会にかけられるような話ではありません。
・しかし、今回の一件は「体調不良のウマ娘がレースに出走して大事故を起こす危険があった」という点を重く見て、再発防止のための原因究明としてこの委員会の出番となりました。
・もちろん──そう話を持っていき、ことを大きくした誰かさんがいるわけですが。

メジロアルダン
・この場に彼女がいるのは、あくまでメジロ家の代表代理のため。
・↑で書いたように「レース上の問題」であるとメジロ家が主張したから、オブザーバーとして参加する権利を得て、それをメジロアルダンが代理として出ている。

乾井(いぬい)トレーナー
・今まであえて名前を出していなかったんですが、今回からあえて出しました。
・ウマ娘の名前が明らかになっているトレーナー……ゲームの桐生院葵はさておき、アニメでは《リギル》の条ハナ、チーム《カノープス》の坂トレーナー、それに「シンデラレグレイ」のキタハラジョーンズこと原 穣と、名字に方位が入っている。(六平トレーナーとか北原の同僚とかは入ってないけど……)
・……一部では名前が出てなく「トレーナー」としか呼ばれないアニメの《スピカ》のトレーナーも名字には「西」が入るのでは? と推測されるほど。
・そんなわけで『方位』をいれようと思い、北東の(うしとら)、南東の(たつみ)、南西の(ひつじさる)、北西の(いぬい)からとろうとピックアップ。
・ただ、「ひつじさる」はちょっと名前にしづらいので却下。「うしとら」もちょっとクセが強いし、あの少年サンデーで昔連載されていた某有名名作漫画のイメージが強くて……
・残った「たつみ」と「いぬい」なら名字に使える……と思ったのですが「たつみ」はコスモドリームの担当トレーナーに譲り、「いぬい」を採用しました。
・シンデレラグレイの主役担当トレーナーの“北”原と、アニメのトレーナーに入っていると言われる“西”で“北西”→“戌亥(いぬい)”。
・「乾」一文字でもよかったんですけど、あえて「乾井(いぬい)」に。コスモのトレーナーも「巽」ではなく「巽見(たつみ)」です。
・ちなみに下の名前は「備丈(まさたけ)」。おそらくこの名前を本文中に出すことはないと思いますが、そのうち由来は解説するかも。

敵意を向けて私を睨んできた
・かといって、別におハナさんと乾井トレーナーが特別な関係なのではありません。
・これは、同じチームで先輩として彼の面倒を見たことがあったので目をかけていたのと、彼が巻き込まれた騒動に関して本当に腹を立てているからです。
・原因となったウマ娘はもちろん、その後のことにまで本当に頭に来ているので、それを揶揄につかった《カストル》のトレーナーに堪忍袋の緒が切れました。

異動
・普通に考えたら、解雇(クビ)だよな、と書いてから思いました。
・ただまぁ……《カストル》のメンバーやOG、さらには師匠であるトレーナー(今回の件で一時的に《ポルックス》のトレーナーに復帰)からの嘆願があってどうにか無理くり異動処分で済ませたのだと思います。
・というのも──今後、まったく構想にありませんが、この章はともかくその後とかで、地方からの刺客として復讐に燃える彼女と彼女が鍛えたウマ娘が登場……なんて展開が起こる可能性を残したおこうかと。
・もちろん、すっかり忘れる可能性の方が高いとは思いますが。(笑)


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第15R 大結成! 新チーム、その名は──

 チーム《カストル》が解体され、その在籍メンバーは一人を除きチーム《ポルックス》が引き受けることとなった。
 もっとも、それを嫌がって他のチームへと移籍したものもいたが。
 とはいえ、そんな《カストル()》の末路を見た《ポルックス()》は、姿勢を正し、まともなチームへと戻っていくことになる。

 そして──その除かれた“一人”はといえば…………




 アタシは、また無所属に戻った。

 仕方ないわよね。だって、在籍していたチームは解散させられたわけだし。かといってその原因になったアタシが、合流先である《ポルックス》へ行くわけにはいかないもの。

 さすがに、そんな“鋼の意志(メンタル)”は持ち合わせてないわよ。

 なにより──アタシはここ数日、練習さえしてないわ。

 一応、ドクターストップってことになるのかしら?

 練習を医者に止められたんだけど──さすがに入学からここまで毎日のようにしていたから走らないことに不安があるけどね。

 

 でも、ちょうど良かったのかもしれない。

 もう……アタシは自分が走る意味を見つけられなかったから。

 二度走って、二度ともタイムオーバー負け。そんなアタシが走る意味なんてある?

 

(それよりも、ベルノみたいに……)

 

 アタシの身近にいるウマ娘のベルノライト。

 彼女は自分の夢をオグリキャップという親友に託して、全力でサポートしている。

 そしてアタシの傍らには、今年のオークスを制したスゴい従姉妹がいる。

 自分の能力(ちから)を客観的に冷静に見れば、彼女のサポートに全力を尽くして夢を託す方が、良い。

 アタシの気持ちはそっちへ傾いていた。

 

 そんなアタシの(もと)へ──ある人がやってきた。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「調子はどうだ?」

 

 オレは、放課後の学園内を散々に探し回って、やっとグラウンドの片隅にいる彼女を見つけた。

 ダイユウサク──今、学園内では密かに話題になっている彼女。

 普段の学園なら注目を浴びるのはレースで好成績を残したり記録を達成したりしするのが原因だが、彼女の場合は違う。一つのチームが問題を起こして解体され、その被害者だったことで注目を浴びているのだ。

 

「……えっと、アナタは…………」

 

 こちらを振り向いた彼女に、オレは名乗る。

 長く伸びた鹿毛の茶髪。それを後ろに流しているので、おでこが強調された髪型になっている。

 オレの名前を聞いた彼女は、すぐに興味を失ったように、視線をグラウンドへと戻した。

 コースになっているそこは、数人のウマ娘達がトレーニングをしている。

 それをどこか羨ましそうに見ている──とオレの目には見えた。

 

「──あのときは、ありがとうございました」

「ん? あのとき?」

「はい。福島ではお世話になったのに、今までお礼を言うこともできなくて……」

「ああ、アレか。気にするなよ。オレが好きでやったことだし」

「でもアタシの宿泊のせいでお金が──」

「それも後できっちり、経費として学園から受け取ったさ。安心しろ」

 

 オレが答えると、「そうですか……」とダイユウサクはグラウンドを見つめたままつぶやいた。

 

「──むしろ金があったらオレも宿泊していただろうから、追いつめられたのはオレ達だったかもな」

 

 オレは「金がなくて助かったわ」と言って、思わず笑う。

 するとダイユウサクも思わず吹き出して笑っていた。

 ああ、コイツ……意外と笑うと愛嬌があるんだな。初めて会ったあの日はそりゃあもう酷い顔色だったし、福島でも蒼白だったからな。

 諮問委員会のときも緊張でそんな余裕無かったからなぁ。笑顔なんて初めて見たわ。

 

「……うらやましいか?」

 

 グラウンドを見つめるダイユウサクに、話を変えようと尋ねる。

 すると──彼女は複雑そうな表情になった。

 

「うらやましいというよりは、落ち着かない感じ。今まで入学してからずっと続けてきたトレーニングを突然止められたから。しかも、体は……健康なのに」

 

 そう言って彼女は視線を落とす。見ているのは自分の足だった。

 それで思い出す。ダイユウサクの寮でのルームメイト、コスモドリームは現在、骨折して治療中だったはずだ。それに、同級生には負傷中のメジロアルダンもいる。

 彼女たちのことを考えると、怪我もしていない自分が練習できないのは、申し訳なさを感じているのかもしれない。

 

「体調は戻ったのか?」

「ええ。ほとんど。最近めっきり走ってないから疲れもとれて、体のだるさはもちろん熱もなし。まだ、たまに“ソエ”が出ることもあるけど、それはもう仕方がないから……」

 

 成長過程であれば仕方がないことでもあるので、そこまで酷くなければそれだけを原因に練習のドクターストップがかかることはあり得ない。

 

「なら、医者はなぜ……」

 

 オレの問いに、彼女は自嘲的な苦笑を浮かべた。

 

「諮問委員会からの聴取直後──アタシが行った病院は心療内科でしたから。トレーナーからのハラスメントで、心に過剰なストレスがかかっていた、って診断されて──」

「そうか……」

 

 ストレスになる要因──過剰なトレーニングを課されていた、と判断されて、それを遠ざけたのだろう。

 でも──オレの目には、トレーニング……いや、走ることを彼女(ウマ娘)から奪うことが正解のようにはどうしても思えなかった。

 なにより、グラウンドを見つめる彼女は走りたがっているように見えた。

 

「なぁ……トレーニングはダメでも、走るのはいいんじゃないのか?」

「──え?」

 

 まるで思いもしなかった、という表情でオレを見るダイユウサク。

 

「で、でも……この時間、みんな練習中だし──」

「かもな。でも、休憩がてら走ってる連中もいるみたいだぞ?」

 

 走ることが生き甲斐と本能に植え付けられたウマ娘たち。

 彼女たちにとって走ることはリラックスでもあるのかもしれない。

 じゃれるように二人のウマ娘がコースを楽に走っている姿が見えた。

 そんな姿を見ながら──傍らのウマ娘はため息混じりにつぶやいた。

 

「──実は、もう……アタシ、諦めようかなって」

「諦める? 走るのをか?」

「はい。競走は諦めて……コスモの、コスモドリームのサポートをするために転科申請しようかなって思ってるんです」

 

 相変わらずグラウンドを見ながら言う彼女を、オレは驚いて見ていた。

 どこか悟ったような──穏やかな表情で、他の走っているウマ娘たちを眺めているダイユウサク。

 

「一応、話したんですけど保留されちゃって…………」

「だろうな」

 

 心療内科で診断を受けて、トレーニングを止めているという話を聞いていたので、オレはそう思った。

 過剰なストレスで心が弱っているために、正常な判断力を失っていると判断されているのだろう。

 そんな正常ではない心理状態で、人生の大きな決断を下すのは失敗の素だ。

 だからこそ──もう少し症状が落ち着いてから、ゆっくりと判断させるつもりだという医師の方針が見えた。

 

「そんなに焦って決めるな、って言われたんだろ?」

「ええ、そうだけど……なんで知ってるの?」

「まぁ……オレも前に、言われたことがあったからな。トレーナー辞めるって言って……」

「へぇ……でも、なんで?」

「いろいろあったんだよ。イヤなことが……」

 

 オレが誤魔化すと、ダイユウサクも興味を失ったのかそれ以上は聞いてこなかった。

 二人でグラウンドを眺め──オレは、ふと思いついて提案した。

 

「あの二人に混じって……走ってみないか?」

 

 グラウンドではさっきのじゃれ合うように走っていた二人が、足を止めてなにか話をしているところだった。

 その様子から、また近いうちに走り出しそうな雰囲気がある。といっても、トレーニングとは違う、同じように“遊び”の走りだろう。

 

「………………………………うん

 

 オレの言葉に、ダイユウサクは、戸惑い、躊躇い、葛藤し……やがて遠慮がちに小さく、うなずいた。

 

「よし、わかった」

 

 その姿にオレは微笑を浮かべ、彼女から離れて二人の下へと動いた。

 二人のウマ娘を、オレは偶然にも知っていた。

 担当しているウマ娘がいないからこそ、担当させてくれる可能性を求めて、いろんなウマ娘のデータを集めていたからだ。

 そんな一方的に知っているウマ娘相手に、オレは「軽くでいいから、併せて走ってもらえないか?」と頼み込んだ。

 訝しがった彼女たちだったが、「遊び感覚でいいから」というオレの説明で、それなら……と受けてくれた。

 話をまとめ、オレはダイユウサクの下へと向かう。

 そして承諾を得たことを説明し──

 

「準備運動だけは、ちゃんとな」

「もちろんよ」

 

 膝の屈伸を始めたダイユウサク。

 オレが話をつけた二人も、体を動かしながら待ってくれて──やがて、3人は走り出した。

 

「……ハハ、やっぱり走りたいんじゃないか。アイツ……」

 

 走るダイユウサクは笑顔だった。

 楽しそうなその姿は、走ることが好きで好きでたまらないといった様子。

 それはウマ娘の本能としては当然のことなのかもしれない……と思ったオレだったが──

 

「………………ん?」

 

 様子がおかしいことに気がついた。

 だたしそれはダイユウサクではない。彼女は相変わらず楽しそうに走っている。

 問題は──併せで走っている他の二人だ。

 彼女たちはダイユウサクよりも後ろを走っている。トレーニングの休憩中だったし、遊び感覚で、と話をしていたから、それに疑問は思わなかったんだが──その表情が、変わっていた。

 完全に目の色が変わって、ガチの併せの走りになっていたのだ。

 

「お、おい……」

 

 オレはさすがに焦った。彼女たちの練習の邪魔をする気は毛頭無かったからだ。

 ただ、ダイユウサクの好きに走らせてやりたかったからだったんだが──ダイユウサクもまた、走りが真剣なそれになっていた。

 ただし──まだ勝ち気な笑顔を浮かべたまま走るほどに余裕があり、一方で他の二人はそんな余裕があるようには見えない。

 

「なんで、だ? こんなの……とてもタイムオーバーするようなヤツじゃないだろ……」

 

 なぜなら、その併せで走っている二人はデビュー前とか未勝利なんかじゃない。

 とっくにデビューして勝利しているし、決して弱いウマ娘じゃないはずだ。

 なのに、その二人を──完全に子供扱いして走っているじゃないか。

 

(アイツ……すごく“走る”ぞ。なんでこんな……)

 

 こんなウマ娘が、なんでデビューから2連続でタイムオーバーしたんだ?

 考えられるとすれば──

 

(どっちも体調が悪すぎて、実力を発揮するどころじゃなかったってことか!?)

 

 まだソエが出ている様子もある。でも、もしもそれが終われば──化けるんじゃないか!?

 オレが唖然としながら眺めている間に、3人の“遊び”は終わった。

 息を整えながらダイユウサクは他の二人に頭を下げて礼を言い、戻ってくる。

 汗を拭いながら、とても良い笑顔を浮かべて戻ってきたダイユウサクは──オレの様子を見て怪訝そうな顔になった。

 

「……どうしたの?」

「お前……競走、やめるのか?」

「え、ええ……そのつもりですけど…………」

「……頼む。やめないでくれ」

「は……?」

 

 戸惑うダイユウサクに──オレは思わずその場で土下座していた。

 

「頼む! やめないでくれ!!」

「は!? ちょ、ちょっといきなりなにを──」

「お前の才能は、こんなもんじゃない! 絶対に伸びるはずだ。やめるなんて勿体ない!!」

「え? えっと、わかった。わかりましたから! 土下座とかマジでやめて──」

 

 オレはバッと顔を上げ、そのままサッと立ち上がる。

 そして彼女の手を思わず掴み、胸の前で両手で握りしめた。

 

「本当か!? 本当にやめないのか!?」

「──ッ!? と、突然なにを──」

「やめないな!? 絶対にやめないんだな? なら──」

 

 顔を真っ赤にして戸惑っている彼女に向かってオレは──

 

「オレを、お前のトレーナーにしてくれ!」

 

 彼女に向かってそう言っていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──実のところ、オレは、学園からとあることを頼まれていた。

 それは少し前に、理事長室に呼ばれたことが発端だったんだが……

 

「歓迎ッ! よく来てくれた、乾井(いぬい)トレーナー!」

 

 長い髪の上におしゃれな帽子を被った、どうみても幼女にしか見えないその人は、バッと扇子を広げてそう言った。

 その帽子の上に乗っかった黒い猫が「ナァー」とあくびのように鳴く。

 彼女の傍らには緑の帽子に緑のスーツを着た秘書の駿川たづなさんが微笑んで立っていた。

 その微笑みにオレも笑みを浮かべ、視線は彼女に釘付けに──

 

「傾聴ッ!! ちゃんと私の話をききたまえ!」

 

 学園理事長──秋川やよいに注意される。

 

「はい。ちゃんと聞いてますけど……今日はいったい何の用事でしょうか? オレ……いや、私みたいなトレーナーに……」

 

 自慢ではないが、決して成績優秀とはいえない──どころか、ぶっちぎりの最下級トレーナーであるオレ。

 なにしろ現在、担当しているウマ娘もなければ、担当していたウマ娘が勝利したこともない。

 担当した経験だってたった一人という有様なのだ。

 それが学園長直々に呼ばれたということは──

 

(あ、解雇(クビ)か……)

 

 最悪の結末が頭をよぎった。

 案の定、学園長はすまなさそうな顔になってオレに頭を下げた。

 

「陳謝……キミには本当に申し訳ないことをした──」

「……あぁ、やっぱり…………」

「──あの件で、非常に肩身の狭い思いをさせてしまって……」

 

「──ん?」

 

 なんか話がかみ合わないな。

 とにかく、学園長の話を聞こう。

 

「そ・こ・で、今回、汚名返上の機会を与えることになった」

「汚名、返上……ですか?」

「うむ! キミには、チームを持ってもらう」

「──はい?」

 

 突然、このちびっ子は何を言い出すんだろうか。

 という思いが顔に出たのか、学園長は不機嫌そうな顔になる。

 

「不敬ッ! なにか失礼なことを考えていたのではないか!?」

「──ッ、滅相もありません。というか……今の話、本当ですか? なんで突然、オレがチームだなんて……」

 

 オレが訝しがると、理事長秘書のたづなさんが一歩進み出て、説明をしてくれる。

 

「今回の騒動で、チームが一つ減ったのはご存じですよね?」

「そりゃあまぁ。オレが原因の一助でもあったわけですから……」

「はい、そうなんです。ですので、チームを増やす枠ができた、ということでもありまして。ただ……」

 

 たづなさんは歯切れ悪く言いよどみ、チラッと理事長を見る。

 すると彼女は「うむ」とうなずいて、説明を引き継いだ。

 

「条件ッ! キミがチームを新設するにあたり、どうしても呑んで欲しいことがある。それが満たせない場合には──結成は許可できない!」

「……なるほど、やっぱり世の中甘くないですね」

 

 オレがため息をつくと、理事長は少し慌ててとりなしてきた。

 

「そんなに難しい条件ではない! あのウマ娘──ダイユウサクをメンバーに入れて欲しいのだ」

「ダイユウサク? あの、福島でオレが保護した?」

「うむ!」

 

 理事長が満足げにうなずいてバッと扇子を広げる。そこには“正解ッ!”の文字が書かれていた。

 代わりにたづなが説明する。

 

「実は……解散になった《カストル》のメンバーは他チームへの移籍がまとまらなければ、そのまま《ポルックス》の所属になります。元は同じチームでしたし、今後の遺恨を絶つためにそのようにしたのですが……」

「なるほど。このままだと、元凶になったダイユウサク(アイツ)も《ポルックス》所属になっちまう、と……」

 

 オレが言うと、理事長は再び「うむ!」と言って扇子を開き、“正解ッ!”の文字を見せる。

 元《カストル》のメンバーは、当然、ダイユウサクを恨んでいる可能性が高い。

 また《ポルックス》のメンバーからも、チーム内での競争を激化させた、と恨まれる可能性もある。

 いずれにしても居心地が良いわけがない。

 競走を続けようとすればチームに入るしかないが、もともとアイツは実力が無くてどこのチームからも誘われていなかったんだから、他のチームからの勧誘も絶望的だ。

 まして、こんな騒ぎになっちまってるし。おまけにデビュー後の2戦の結果はあの有様だからな。

 

(オレなら、もうタイムオーバーなんて不名誉にならねえから、その辺りも考慮されたのか?)

 

 少しだけ自虐的な、意地の悪い考えが頭に浮かぶ。

 オレが今まで唯一面倒を見たウマ娘も、ぶっちぎりのタイムオーバーをやったしな。

 

「もちろん、彼女を《ポルックス》に所属させるわけにはいきません。ただ、今はショックを受けていますから、ひょっとしたら……」

 

 たづなさんはそう言って心配そうに表情を曇らせた。

 確かに、今の彼女はだいぶショックを受けているだろう。

 まずは2戦続けてのタイムオーバーという結果、しかもデビュー戦から続けてだからタイムオーバーしかしていないことになる。

 そして信じていたトレーナーに裏切られたこと。勧誘時のことがバレても素直に謝罪していればまだ傷は浅かったのに、こともあろうかあのトレーナーは諮問委員会で悪足掻きをした。

 それがさらに彼女を傷つけている。

 

「傷心……走るのをやめてしまうかもしれん。彼女のためにも、それは止めたいのだ。万全な状況で走って諦めるのならともかく、そうでないのにやめてしまっては、まだ若いのに人生に悔いが残るに違いない」

「はい。私もそう思います。一応、地方への転校や障害競走(レース)科への転科も視野に入れていますけど……やっぱり、一度は納得できる形で中央(トゥインクル・シリーズ)を走らせてあげたいとおもいます。ですから──」

 

 たづなさんがオレにグッと近づいてきた。

 

「ぜひ彼女を、あなたがもう一度そのスタートラインに立たせてあげてください。お願いします」

「はい! お任せくださいッ!!」

 

 ──オレは気がつけば即答していた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 突然、そのトレーナーはアタシに言ったわ。

 

「オレを、お前のトレーナーにしてくれ!」

 

 直前に、アタシに急に「競走をやめないでくれ」って土下座してきたかと思ったら──いったい何なのよ!?

 しかも……アタシの……両手をギュッて、握りしめて、ホントに──

 顔が熱くなるのを自覚しながら、アタシは慌ててその手を振り払った。

 

「にゃ、にゃんにゃのよ! いったい!!」

 

 いや、まったく──危ないところだった。

 気が動転して呂律が回らなくなっていたわ。

 スー、ハー、と大きく深呼吸して、アタシはポツリとつぶやいた。

 

 

「……なんで…………」

 

 それを聞き咎めたトレーナーは首を傾げる。

 

「うん?」

「なんで……こんなタイミングで、言い出すのよ……」

「タイミングって、言われてもな……」

「アタシが以前、その言葉をかけられるのを、どれだけ夢見たか……わかる?」

 

 ただひたすらに練習に励んでいた一年だったし、その後も全然声がかからず──アタシはそれを続けるしかなかった。

 そして待ち望んでいたそれは──アッサリと裏切られた。

 

「だから、あきらめたのに。あきらめるって決めたのに……なんで、迷わすようなことをするのよ!?」

「──お前の力なら中央(トゥインクルシリーズ)で通じると思ったからだ。お前の走りを見て──ここで諦めるのはもったいないって思ったからだ」

「そんなの……だってアタシ、2回走って2回ともタイムオーバーよ? 通じるわけないじゃないの!!」

「現に今、あのウマ娘たちと走れただろ!?」

「あんなの……真剣な走りじゃないもの! お互いに遊びで走っただけよ!」

「お前はそうだったかもしれないけど、相手はそうじゃなかったように、オレには見えたけどな」

「気のせいでしょ、そんなの……」

「なら、呼んで確かめてくるか?」

「やめてよ……確かめたところで、アンタの仕込みとしか思えないもの。あの二人を選んだのだって、アンタだったんだし……」

 

 アタシは、自分の声が震えているのが分かった。

 対してトレーナーは、参ったと言わんばかりに、頭を掻いている。

 

「……とにかく、もう決めたのよ。アタシはもう、走らないって──」

「そうか?」

「ええ、そうよ! 絶対に、もう走らない──」

「後悔は、ないのか? 二度走ったと言ったって、あんな体調だったんだぞ? 万全な体調で走れば、結果は違っていたかもしれない」

「たとえそうだとしても──ペナルティが明けるころには、未勝利戦だってもう無いわ!」

 

 二戦目のタイムオーバーは罰則(ペナルティ)の対象になって、アタシは1ヶ月間の出走停止になってる。

 そもそも──こんな練習も止められているような状態じゃ、年内でさえ走ることなんて無理よ。

 

「もうアタシの競走は……終わったのよ」

「本当に、そう思ってんのか!?」

「──くどい!」

 

 アタシが叫ぶと──

 

「なら、お前……………………なんで、涙流してるんだよ?」

 

「──え?」

 

 彼に指摘されて、アタシはやっと気がついた。

 自分の両目からは、涙がとめどなく溢れていることに。

 

「──本当は、諦めたくないからだろ!?」

「違う! そんなことない……」

「諦めて、どうする? なにをするんだよ?」

「さっき言ったでしょ! コスモのサポートをするのよ!!」

「すでにシニアになろうとしてるヤツのサポートを、ド素人で何の知識もないお前が今から勉強して間に合うわけないだろ」

「なら、後輩の誰かの──」

「そんなの、お前が競走で燃え尽きてからでも、いいだろうがッ!!」

 

「──ッ!?」

 

 トレーナーの強い口調に、アタシは思わず驚く。

 そんなアタシの様子を見て、彼も悪いと思ったのか、冷静さを取り戻してゆっくりと話し出す。

 

「……半年だ」

「なにが?」

「オレに半年だけ、時間をくれ。そうしたらお前を誰にも負けないウマ娘にしてやれる」

「なッ……誰にも負けないって──そんなのできるわけがないわ!」

 

 アタシの言葉に、トレーナーは首を横に振る。

 

「いいや、そんなことはない。あの日、倒れかけたお前を支えて、体に触れたときに素質は感じた。で、さっきの走りを見て確信したんだよ」

「……アタシはたった今、アンタが変態だって確信したわ」

 

 思わずジト目で見てしまう。

 するとトレーナーは焦った様子でワタワタし始めた。

 

「なッ──そんな邪な考えなんて、欠片も無かったわ!」

「どうだか……そもそも、そう言って口説き回ってるんじゃないのかしら?」

「あのなぁ、もしもオレが邪な目でお前を見てたら、福島で同じ部屋に泊まってただろ!」

 

 う……それは確かにそうかもしれないけど。

 説得力ある、かしら?

 

「……だいたい、オレの好みはそんなじゃねえよ! たづなさんみたいになってから言えっての!」

 

 納得しかけていたアタシ。でも、そう言ってトレーナーはアタシの体を見て、鼻で笑った。

 さすがにそれにはアタシもカチンとくる。

 

「なッ──んですってぇ!? 最低ね、アンタ──」

 

 くってかかろうとするアタシの機先を制して、彼は真剣な目になってさらに続ける。

 

「だから! お前の体は、今まで未完成だったってことだぞ、それは!! 諦めるにしても──完成した自分を見届けてからでも……別の道に進むのはそれからでも遅くはないだろ?」

「う……」

 

 話の持って行き方がズルいわ。

 確かに──コスモのサポートをするのはたぶんもう間に合わない。コスモには、きちんとトレーナーもついてるし、チームのバックアップもあるんだから、アタシの入る余地なんてない。

 なら──急いでそっちの道に進む必要も、ない……わね。

 アタシは冷静になった頭で、その結論に達し──

 

「いいわ、その口車、乗ってやろうじゃないの。半年だけ──付き合ってあげる」

 

 でもさっきの言葉は忘れない。

 怒りを抑えながら、トレーナーに向かってそう言ったわ。

 すると──

 

「そうか……決めてくれたか! ありがとう!!」

 

 トレーナーは相好を崩して、そしてアタシに頭を下げた。

 今にも万歳でもしそうなほどに歓喜しているその姿を見たら──なんか、いいことした気分になってきたわ。

 あれ? でもたしか、このトレーナーって──

 

「アンタ、担当してるウマ娘はいないって言ってなかった?」

「ああ。いないぞ」

「え? でも、それならチームは……」

「新しいチームを作る。学園からその許可はもらっている」

 

 なんか、ずいぶんと用意周到で、少しキナ臭い感じがするけど──ま、いいわ。

 どうせもう諦めた競走人生ですもの。なにが起きても別にかまわないわよ、もう。

 アタシは投げやりとは違う、どこか達観したような気持ちになっていた。

 

「で、チーム名はどうするの? 所属ウマ娘はアタシ一人しかいないけど」

「そうだな……いきなり二戦連続でタイムオーバーするようなウマ娘しかいない、誰からも光らないと諦められているチームだからな……」

「あのねぇ……あそこまで人を持ち上げといて、ここでそんなに落とすことないでしょ!?」

 

 アタシが恨みがましい目で睨むと、彼は「ハハハ……」と軽い感じで笑って受け流した。

 

「いきなりタイムオーバーのペナルティっていう十字架背負わされたオレたちに相応しい星は──これしかないだろ」

 

 彼はスマホを操作して、とある星の情報をアタシに示す。

 それは──

 

南の十字架(サザンクロス)を形作る星の一つにして、この日本のどのレース場からも目にすることさえできない、輝き見えぬ一等星──」

 

 彼は厳かに、その星の名前を言った。

 

 

「──“最南星(アクルックス)”」

 

 

「アク、ルックス……?」

「ああ。天の南極にもっとも近くで、強く明るく輝く星だ……」

「なによそれ、まるで輝くな、って言われてるみたいじゃないの?」

「そんなことないさ。“デネブ”や“アルビレオ”の輝きなんてこの国じゃ珍しくも何ともないけど……見たことのない星が輝けば、みんな驚くだろ?」

 

 そう言って得意げに──そして楽しげに笑みを浮かべる彼。

 

 

「世間を──吃驚(ビックリ)させてやろうじゃないか」

 

 

 こうしてチーム《アクルックス》は、他の誰の目にも触れぬところで、静かに生まれたのよ。




◆解説◆

【新チーム、その名は──】
・いや、もうわかってるでしょ、もう……
・タイトルになってるし。

心に過剰なストレスがかかっていた
・前のトレーナーが勧誘した真相を聞いてしまったのが、心が壊れるきっかけでした。
・それまでもデビュー戦前からトレーナーにはあたられていたし、デビュー後はチームメイトからイジメられていたのですが……
・コスモとの和解という好材料もあったのですが、諮問委員会でトレーナーの本性を見せつけられたのがまたショックになってます。
・そのせいで心の病にかかり、体の医者ではなく心療内科にかかることになりました。

諦めようかな
・モデルになったダイユサクも、さすがにこの時期にデビューして2戦連続のタイムオーバーでは、引退して乗馬への転向等の道まで考えられていました。
・それでも使ってもらえたのは、2戦後から担当した当時は若手厩務員だった平田修調教師の努力と、調教師の内藤繁春氏の辛抱強さ、そして他の道がことごとく消えるという運がそろって、現役続行になったから。
・まさかここから、3億7682万4000円(生涯獲得賞金)も稼ぐと誰が予想したか。

併せで走っている二人
・この二人のウマ娘はピアドールとラッキーヤマト。
・平田修調教師(当時は厩務員)が担当になってから3頭で併せをしたら、ダイユウサクはこの2頭を子供扱いするほどの力を見せ、平田氏を驚かせたというエピソードがこのシーンの元ネタ。
・ピアドールは1985年4月19日生まれのダイユウサクと同い歳。生涯成績は30戦6勝で最後の方は障害で活躍したようです。この時点でこのウマ娘は10戦走って2勝を挙げている立派な戦績の持ち主。
・ラッキーヤマトは一つ年上の1984年4月20日生まれ。生涯成績25戦2勝ですが、やっぱりこのウマ娘もこのころまでに18戦(1勝)も走ってる大ベテラン。
・元馬はどちらも内藤厩舎だったのでダイユウサクと同じ熊沢騎手が乗っています。

秋川やよい
・中央トレセン学園の理事長で、長い明るい色の茶髪(栗毛)に前髪の一部が白く染まっている(星)、幼女という見た目。
・オシャレな白い帽子を常に被り、その上にはだいたい猫がのんびり休んでいる。
・その高い地位の割に意外とメディアミックス先では出番が少なく、今のところアニメでもシンデレラグレイでも出番はなく、ゲーム版でしか出てこない。
・彼女もたづなのように「常に帽子を被っていて頭頂部が確認できない」ことや「長い髪のせいで人の耳が確認できない」ことからウマ娘ではないか、という疑惑がある。
・そのモデル馬と言われているのはノーザンテースト。栗毛や星、さらには余生を過ごした先で野良猫と仲良くなったというエピソードから。
・またノーザンテーストはサラブレッドとして非常に小さかったと言われているので、あのような外見になったと思われる。
・ちなみにロリババアではなく、本当に若くして学園を継いだ少女らしい。

地方への転校や障害競走(レース)科への転科
・↑で触れた、ダイユウサクに考えられていた引退以外の転向の道。
・内藤調教師は障害レースへの転向を考えたが、母譲りの腰の悪さから危険と判断されて断念。
・馬主サイドから所有馬のある地方の愛知競馬への移籍の話が出るも、賞金をとっていないため不可。
・結果的には体の弱さと成績の悪さがこの後の大活躍をたぐりよせたという数奇な運命。

たづなさんみたいになってから言え
・乾井トレーナー、たづなさん好きすぎだろ。

最南星(アクルックス)
・21の一等星の一つであり、もっとも南に位置する(天の南極に近い)一等星。
・ちなみに太陽を抜かすと13番目に明るい恒星。
・全天でもっとも小さな星座である「南十字座」を構成する星の一つでもあり、みなみじゅうじ座α星という名前も持つ。
・“アクルックス(Acrux)”という名前も、実は単にα(アルファ) (Alpha) のア(A)と南十字座を表すクルックス (Crux) を組み合わせたというロマンの欠片もない由来。
・しかもそれが2016年7月20日に国際天文学連合に認められて正式名称になってしまった。
・……むしろそれまで正式名称が決まってなかったのが意外ですが。
・同じ時に南十字座の他の星も名前が決まったのですが──実は南十字座にはもう一つ一等星がありまして、β(ベータ)星なのでベクルクス……と思いきや、なぜか“ミモザ”という名前に!
(──ちなみにチーム《ミモザ》はアニメでその存在が劇中のポスターで確認されています)
・かと思ったら、二等星のγ(ガンマ)星は“ガクルクス”。
・にしておいてδ(デルタ)だからデクルクス──ではなくイマイ……もはやわけわからん。
・ちなみに南十字座にはもう一つ目立ちにくい四等星(ε(イプシロン)星)があるのですが……
・南十字座を国旗にも採用している国も多く、オーストラリア、サモア、ニュージーランド、パプアニューギニア、ブラジルあたりがそう。
・そのうち、ニュージーランドは目立たないε星が描かれていません。
・さらに……ブラジルに至っては、なぜか逆の位置(他の国は右側なのに左側にある)に。
・十字だから逆さの時の──かとも思ったんですけど、そうすると他の星の配置も変わるはずなのに……うん、やっぱり逆だわコレ。
・調べてみたらわざと反転させたそうな。だから他の星座も逆になっている、と。天球を外側から見たイメージだから。
・ちなみにアクルックスは日本では沖縄県の沖縄本島よりも南に行かないと見えません。南十字座の観測は波照間島が有名ですが、宮古島でも見えるそうな。
・そのため、本作では「王道から離れているがために目立たなく、それは日本に存在するウマ娘達の走るあらゆるレース場からはその勝ち星を見ることがなかなかできないから」という意味を込めて付けました。
・ちなみに、この星の次に南に位置しているのはミモザ──ではなく隣の星座にある“リギル・ケンタウルス”でした。
・そう、あの有名馬が元になったウマ娘だらけのエリート集団チームの名前《リギル》です。
・実は《アクルックス》や《ミモザ》どころか、その《リギル》もまた「見えぬ輝き」なんですよね。(苦笑)
・そのトレーナーの東条ハナさんが乾井トレーナーの面倒を見てくれるのはそのせい、という設定。

デネブ
アルビレオ
・ともに白鳥座に属している恒星で、デネブは一等星、アルビレオは三等星。
・なぜここで挙げたのかと言えば、この二つがサザンクロス(南十字星)に対するノーザンクロス(北十字星)を形成する星だから。
・デネブは一等星なのでチーム名になっており、チーム《デネブ》はアニメでたまにそのポスターが出現。白鳥の絵が描かれている。
・太陽以外では19番目の明るさ。21の一等星の中では下から三番目の明るさだけど、実は一等星の中では最も遠い星でその距離約1400光年といわれている。二番目に遠いのがアンタレスやリゲルの約600光年……2倍以上ある。
・そんなに遠いのになんで一等星なのか? なんとこの星、大きさが太陽の約108倍(その太陽が地球の約109倍くらい)もある上に、太陽の5500倍の強さの光度で輝いているという、もはやわけのわからないレベルの明るさを誇ります。
・まったく想像できないけど、よくわからんがスゲエ。
・アルビレオは三等星ながら、分かりやすく美しい二重星として有名。
・……トレーナー、意外と星に詳しいみたい。



※これにて第一章の1部の幕となりますが──ここまで毎日更新できましたが、更新ペースを落とす予定です。
・週1を基本に考えていますが、もっと早かったり、遅くなるかもしれません。
・精一杯がんばりますので、変わらぬご愛顧をよろしくお願いいたします。


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第16R 大再起! 新たなる第一歩

 
 ──年が明け…………季節は過ぎ…………春は目前となった3月になっていた。

 その間、ダイユウサクは一回も出走しなかった。
 これまでの出走の結果が結果だけに、慎重になるべきだと思ったトレーナーの判断であり、なにより年齢相応の未勝利戦というものがもう無くなってしまった以上、焦って出走する必要もなくなったからだ。
 これまでの経緯があるので、学園側からも大目に見られていることもあり、この4ヶ月間を、トレーニングと調整に使うことができたのである。

 そして3月半ば──ダイユウサクの、仕切り直しとも言うべき第3戦がいよいよ迫っていた。





 その日、アタシは中京レース場へとやってきた。

 

「……あの日、ここに来ていたら……結果は変わったのかしら」

 

 と、遠い目をしてまだ冬のような澄んだ高い空を見上げる。

 そんなふうにして思い出したのは去年の高松宮杯のこと。

 オグリキャップが制したそのレースは、実力差を見せつけられたコスモドリームに大きなショックを与えたのよね。

 今までコスモのレースを直に見ていたアタシだったけど、そのレースは現地では見ていなかった。

 

 ──彼女に声が届かなかったから負けちゃったんじゃないの?

 

 現実的な話ではないとは思うけど、それでも、そう思って後悔したこともあったのよね。

 あのレースの後、アタシとコスモは大喧嘩しちゃったんだから。

 

「……どうかしたのか?」

 

 声に振り返れば、男トレーナーが不思議そうにアタシを見ている。

 アタシが所属するチーム《アクルックス》の担当トレーナー。

 ……現状、アタシしか所属してないから、実質的にはアタシの専属トレーナーみたいになっているけど。

 

「別に……ちょっと去年のことを思い出していただけよ」

「……そうか。あまり考えすぎるなよ」

 

 すぐに視線を逸らして他へと振り返った彼。

 んん? 去年のことってアタシがいたチームのことと勘違いしてるのかしら。

 気を使ってくれるのはうれしいけど、あまり気を使われすぎるのもね。

 

「──他のことを考えながらで勝てるほど、甘くはないからな」

「うん……わかってる」

 

 彼が見ているのは他の出走するウマ娘達だった。

 う……みんな速そうに見える

 そりゃあそうよね。アタシはもはや出られる未勝利戦がないから、一緒に走るのはアタシと同じように格上挑戦する以外は、みんな勝利を経験しているんだから。

 そんなウマ娘が、えっと一人二人三人……

 

「今回のレースは10人立てだが……お前が今、何番人気か知ってるか?」

 

 アタシを見ることなく、トレーナーは周囲のウマ娘を見ながら訊く。

 そんな分かり切ったことを訊くなんて、ちょっと意地悪すぎない?

 

「う……ビリじゃないの? だって…………」

 

 アタシは今まで結果というものを何一つ残していない。残したのは二戦連続タイムオーバーという不名誉だけ。

 そんなアタシが勝つと思う人なんて──

 

「いや、4番人気だ」

「──はい?」

 

 思わずトレーナーを見て、目を(しばたた)かせる。

 そんなアタシの表情を見たトレーナーはしてやったりと言わんばかりに、ニヤリと意地悪い笑みを浮かべた。

 

「うそ……ホントに?」

「驚いただろ?」

「もちろんよ。でも、なんでそんな……」

「話題にはなったからな、お前の件は──」

 

 ああ、そういうことね。

 ということは、これは同情票……ってことね。

 そりゃあそうよ。あんな結果しか出していないアタシに人気がつくはずが──

 

「それだけ、お前に期待している人がいるってことだぞ?」

「──え?」

 

 ガッカリしてうつむいた顔を上げると、さっきの意地の悪い笑みではなく、誇らしげな笑みへと変わっていた。

 

「理由や動機なんてどうでもいい。お前を応援する人がそれだけいるってことだ」

「でも、アタシの実力は──」

「そんな些細なこと気にするな。お前はお前の全力で走って、皆の期待に応えろ。皆の思いを背負って走れ! それだけだ」

「みんなの思いを……」

 

 そう思うと──少しだけ背中が重くなった気がした。

 今までのアタシはそれこそ不人気ばかりだったから、人気なんて意識したこと無かったもの。

 それに気がついたのか、トレーナーはアタシに言った。

 

「いいか、ダイユウサク。トゥインクルシリーズの一番人気ってのは、このウマ娘が一番勝つ確率が高いと思うから──じゃあないんだぞ」

「え? いや、合ってるでしょ? みんなが勝つと思っているウマ娘が一番人気になるはず──」

 

 アタシの返しに、トレーナーは断固として首を横に振った。

 

「お前は考える前提を違えている。競艇や競輪、オートレースみたいな公営ギャンブルと違って、金を賭けてるワケじゃないんだからな」

「そんなの当たり前よ。でも、それでも結果的には同じことじゃないの?」

「違う」

 

 再度断言するトレーナー。

 彼は自信を持って言った。

 

「ファンから一番多く、このウマ娘が1着で駆け抜けて欲しい、センターで歌って欲しいと思われているウマ娘こそが一番人気を獲得するんだ」

 

「あ……そっか…………」

 

 目から鱗が落ちる思いだった。

 そうだ。それこそが一番人気だったんだ。

 そしてそれを背負うことが人気を背負う本当の意味。

 だから──今日のアタシは、4番目に多くの人の願いを背負っているってことになるのよ。

 

「……もう一度言うが、お前はお前の全力で走って、皆の期待に応えろ! ファンは同情だけでなく、お前の実力を含めて期待してくれているんだぞ」

 

「──はい!!」

 

 アタシは顔を上げて力強く答えた。

 その返事に、彼は──満足したように大きくうなずいた。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「…………乾井(いぬい)トレーナー、ですよね?」

 

 レースの準備へと向かったダイユウサクと分かれ、観戦のためにメインスタンドへ向かったオレは、そう突然声をかけられた。

 背後からのそれにオレが振り返ると──中肉中背といった、あまり特徴のない男性がオレのことをじっと見ていた。

 

「はい、そうですが……」

 

 オレが答えると、彼は「やっぱり……」と少しほっとした様子でつぶやき、そしてオレに向き直る。

 

「娘がお世話になっております。ダイユウサクの父です……」

「あ……これは、御無礼を……」

 

 オレは慌てて頭を下げた。

 学園に通っているという形ではあるが、学園はウマ娘の親御さんから大切な子をお預かりしている立場になる。

 その学園の代表として、オレは頭を下げる。そして彼女の父親と気がつかなかった非礼を詫びて。

 

「そんな……頭を上げてください、トレーナー。私は……あなたに感謝を伝えに来たんですから」

「感謝を、ですか?」

 

 正直な話……オレは彼女の親にはあまりいい顔をされていないんじゃないかと思っていた。

 なにしろ、あんなことがあったのだから、被害者であるダイユウサクの親ならば学園に対する信頼は地に落ちていて当然だ。

 にも関わらず、競走をやめさせるどころか、再びその世界に引きずり込もうとしているのだから、オレは両親からは恨まれこそしても、感謝されるなんて思っていなかった。

 

「ええ。正直な話、娘がまたレースをやりたい、続けたいと言い出したときには反対しました」

 

 遠い目をして、ダイユウサクの父親は思い出すようにしながら語る。

 

「お前はもう走る必要はない、と私は諭しました。私の従姉(いとこ)はとある名の知れたウマ娘でして……そのつながりで、彼女からウチの娘も競走を……と誘われるがままに学園に送りだしたのは私ですから、その責任も感じておりました」

 

(この人、“あの方”の従弟かよ……“とある”で済むような名前じゃないぞ)

 

 冴えない中年に見えた彼の、意外な肩書きにオレは思わず背筋が伸びる。

 露骨すぎ、とか、みっともないとか言うなよ? あの人の偉大さを考えたらURA関係者なら誰でもそうなるぞ?

 今でこそ七冠のシンボリルドルフが注目されているけど、彼女が出てくるまで長年目標にされ続けた偉大なるウマ娘なんだからな。

 

(そういえば、ダイサユウサクを担当するときにあのロリっ娘──理事長が関係者と教えてくれたけど……そこにこの人を通して繋がるのはさすがにイメージできなかったわ)

 

「だから、例の件を聞いたときは後悔さえしました。娘になんて酷いことをしてしまったのだろう、と。彼女が競走の道を進みたいと志していたならともかく考えてもいなかったのに、そこにレールを敷いてしまったのは私でしたから」

 

 その心境や辛さは人の親になっていないオレでは正確に推し量れないものがあるが、それでも容易に想像することはできる。

 結果的には自分の娘を追いつめてしまったのだから。

 

「そう思っていたからこそ、娘に背負わせてしまった重荷を下ろさせようと、続ける必要はないと言ったのですが……アイツは下ろそうとしなかった。『やっと、アタシを認めてくれる人ができた。信頼できる人がトレーナーになってくれた』と言いましてね……」

 

 その言い分には、ちょっと頭が痛くなる。

 

(アイツ……信用しすぎだろ。だからあんなのに騙されるんだぞ……)

 

 簡単に詐欺に引っかかりそうだな、と彼女の将来が不安になった。

 この4ヶ月の間に接して、決して頭が悪いわけではないと思っている。むしろ理解力も判断力もあると思っている。

 ただ、冷静であれば……という但し書きがつくが。

 思い込んだら一直線な気質が不安なのだ。彼女の美徳でもあるが、それが騙される原因でもあるのは間違いない。

 というのも──オレのことを欠片も疑いもしないのは、本当に不安に感じているからだ。

 

「……失礼ながら、貴方のことは調べさせてもらいました。妻もウマ娘ですし、従姉の(ツテ)もありましたから」

 

 ほらな。普通そうだよ。

 で、その沈痛そうな表情から、どこに行き当たったかも容易に想像できる。

 

「私は、娘のように貴方を盲目に信じることは、できませんでした」

「でしょうね。私も、自分がどういうを流されているかくらいは把握していますから」

 

 オレが答えると、その人は「申し訳ない」と小声で謝った。

 しかし、分かる。人の親なら、あんな噂を流されている、担当したウマ娘はたった一人で、しかも未勝利だったという実績を聞かされれば、反対して当たり前だろ。

 オレだって自分の身内がそんなトレーナーに指導されるとなったら、反対するわ。

 

「娘には内密で、学園の理事長とも話をさせていただきました。できれば、娘を普通の学校に通わせたい、と。そして……貴方の噂の話もしました。ですが……そのときに秋川理事長が貴方のことを『そんな人ではないッ!』と仰りましてね。その件の経緯を全て聞きました……」

「あ、いや……そう、ですか…………」

 

 オレは気まずくなり、思わず視線を逸らして頬を掻く。

 確かに噂はあきらかに過剰に盛られている。

 だが、とはいえ彼女が未勝利でこの道を断念した原因にオレがあるのは間違いないんだ。

 その自覚があるからこそ、そこまで否定され、庇われるのは居心地が悪い。

 

「まだ(おさな)──若くともしっかりした理事長からあれほどの信用を受けているのなら、その噂の方こそ間違っている、そう思って私は貴方に託すことにしました。なにより、今まで私のせいで……私があの娘をここへ入学させたからこそ、苦労することになった。だから……せめて、今、娘のやりたいことをやらせてやりたいと思いまして……」

 

 そう言ったダイユウサクの父は「今までやりたいことを主張したことがありませんでしたから」と付け加えた。

 

「ですから……改めて、娘を……よろしくお願いします」

 

 そう言って彼は──深々と頭を下げた。

 

「よしてください。私は、そんなに大した人間じゃありません。それに……まだ何も成していないんですから、礼を言われるは早すぎます」

 

 慌ててそれを止め──顔を上げたその人に、オレは付け加えた。

 

「あの件は、けっして貴方のせいなんかじゃありません。悪いのは彼女を利用しようと近づき、そのくせに全く向き合おうとしなかったヤツと、そんな者を放置し育ててしまった上に、そいつらから娘さんを守れなかった、我々学園の落ち度です」

 

 そう言ってオレは逆に頭を下げた。

 それを見たその人は──

 

「やっぱり、あなたは良い人だ。今回こそ娘は人を見る目があったようですな」

 

 そう言って微笑む。

 そんな彼を、今から始まるレースを一緒に見るのを誘ったのだが──「貴方と一緒に見たら、せっかくこっそり見に来たのが、娘にバレますから」と悪戯っぽく笑い、改めて一礼してから、去っていった。

 




◆解説◆

【新たなる第一歩】
・新チームになって、トレーナーも変わって──まさに新たなる一歩です。
・アニメだとOP変わるヤツですね。

第3戦
・史実でのダイユウサクの第3戦目は1989年3月18日(土)、中京競馬場の第6レース、4歳以上400万下条件のダート戦。
・当日の天候は晴れ。馬場状態は良。
・前走の前年11月12日から、だいぶ空きましたが……なんでそこまで空けたかは小倉で出走させようと思ってたら熱を出したり、ソエの状態が良くなかったとか、そういう理由だったようです。
・そうしてダイユウサクが休んでいる間に──なんと平成に元号が変わりました。(笑)
・平成になったのは1989年1月7日からですので。
・そう、前話まで昭和がモチーフになっていた話だったんですよ?
・あとの変化は、厩務員が平田修(現在は調教師)さんに変わりました。
・本作も2戦から3戦の間でトレーナーが変わったのは、その厩務員の変化を意識してのことです。

みんな速そうに見える
・ダイユウサク、それは錯覚だッ!!
・──というのも、史実だとこのレース……実は1着経験があるのは5番のエイシンナカヨシくらいで、しかもそれは前年の3月という1年も前のもの。
・それ以外は2着、3着が複数回とっていればいい方で、未勝利(賞金0円)のものもそれなりにいるような状況。
・言ってしまえば、ダイユウサクと同じような状況の馬も多かったということです。
・ただ、それはあくまで史実のお話で──本作では、もう少し周囲は強かったと想定してます。

4番人気
・ええ、私も最初に見たときこの4番人気には驚きました。
・前走、前々走ともに殿(しんがり)負けでしかもタイムオーバー。それだけならこの馬の馬券を買う理由があるようには思えませんからね。
・で、他の馬を調べてみたら↑のような状況が判明したので、「あぁ、どんぐりの背比べだったのね」と納得した次第です。
・しかし、本作ではもう少し周囲のレベルが高く、“去年のダイユウサクの件を知っている事情通たちが応援した”から4番人気になったということにしました。

公営ギャンブル
・旧作でも書いたのですが、ウマ娘の世界設定を独自解釈して「馬がいないので競馬はないが、競輪や競艇、オートレースといった公営ギャンブルはある」という本作独自の設定にしています。
・また、公営以外にパチンコも存在しています。たぶん出てこないけど。
・ですのでトウィンクルシリーズの“人気”も本文中のような解釈を乾井トレーナーがしています。

ダイユウサクの父
・第1話にて市役所で大暴れしたあの父親がまさかの再登場。
・本文では書かれなかった、ここにいた理由ですが……これは、本作のオリジナルウマ娘であるダイユサクの地元が名古屋市としており、地元だったからです
・その設定は、ダイユサクの馬主である橋元幸平氏の地元が名古屋だからという理由。そのため彼女の実家が名古屋にあります。
・──この理由は、いずれ最後の方でわかるかと。
・ちなみに……名古屋が実家なら、去年の高松宮杯のときは応援した後、実家に泊まればよかったのでは? と思われてしまうかもしれませんが、あれは宿泊費や滞在費が問題だったのではなく、練習時間の関係だったので中京レース場にくることはできませんでした。

“あの方”の従弟
・ちょっと、文章だと複雑になってきたので、本作でのダイユウサクの家系図を──
・あくまで本作での()()()で、競走馬の血統図ではありません。
・スマホでは正確に表示されないかもしれません。ゴメンナサイ。(横長にしたらいけるかも)

サンキョウセッツ←○○○○○(ネバーシンザン)←┐
               ├シンザン←《 兄 》┐
  シヨノロマン←○○○○○( シンシラオキ )←┘          ├○○
                          │
         ダイユウ父←────《 弟 》──┘
  ダイユウサク←─┤
         ダイユウ母(ノノアルコ)←┐
               ├○○○○○(ダイコーター)
         コスモ父←─┘
 コスモドリーム←─┤
         ウマ娘界のゴルゴ13(スイートドリーム)

──と、こんな感じです。○の数は伏字数ではなく位置調整です。
・見やすさのため、あえて夫婦をひとまとめにしているところもありますし、兄弟姉妹は全部網羅はしていません。(例:ダイユウサクの弟)
・できるだけ同世代を縦で揃えました。ですのでシンザンとダイユサクの父親はあくまで従姉弟。ただし親子くらいに歳が離れていて世代がズレています。(『サザエさん』のカツオが、姉のサザエさんよりも甥のタラちゃんに年齢が近いような感じ)
・ノノアルコやダイコーターようなルビは、あくまで史実の競走馬の血統的にそこにあたる馬なだけで、名前がそうとは限りません。
・なので祖母にウマ娘・ダイコーターが入るかどうか確定ではありません。
・ダイユサクの母方の家系は史実の血統を考慮しています。
・父方はかなり馬同士の血統的つながりをほぼ無視で、「馬主が兄弟だった」というのを馬主=父親にしてできるだけ再現しようとした結果。
・ただし、それだとダイユウサクとシンザンが従姉妹になって、明らかに年代がおかしくなる(従姉妹の孫と同い年はさすがに無理がある)のでダイユウサクの父をそこにいれました。
・ダイユウサクの名前がその人の孫由来という要素だけは整合性が取れていますけど。

あのロリっ娘
不敬ッ!!


・今まで、ちょくちょく出てくる乾井トレーナーの悪い噂の件ですが、この先、しばらく明らかにする予定がありません。
・明らかになる時期は──具体的にはオグリ引退よりもさらに後になると思います。
・そんなわけで詳細な内容が分からずモヤモヤするでしょうが、どうにかおつきあいください。
・とりあえず言えるのは、以前に乾井トレーナーが担当したウマ娘に関することで、そのウマ娘は一回だけ出走して未勝利のまま引退して転校済み、という状況。
・その噂のせいで、他のウマ娘が彼のトレーニングを敬遠する(ダイユウサクの父親も嫌悪した)レベルの胸糞悪い話です。
・乾井トレーナーは平田氏や内藤調教師たちダイユウサクを支えた人達をモデルにしていますが、これに関してはもちろん全くの無関係です。
・ホント、詳細出せなくて申し訳ありません。


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第17R 大疾走! その手に掴んだ初めての──

 

 さて、いよいよアタシの第3戦目も出走時間が近づき──

 

 ゲートに入ったアタシは、緊張はしていたけど意外と冷静だった。

 正直、もっと緊張するかと思ってたけど……

 

(今までの二戦はそれどころじゃなかったし……)

 

 ゲートの練習もせずに出走することになったデビュー戦は、初めてのことが多すぎて、正直、気にする余裕さえなかった。

 二戦目は余りに体調が悪かったし、直前の朝にあったことで、気持ちが沈みすぎていたからよく覚えてない。

 そういう経緯があったから、準備万端で迎えられたからこそ今日はゲートで圧迫感を感じたり、スタート直前のせいで極度に緊張したりしないかと不安になっていたのよ。

 でも──不思議と集中力が高まって、いい緊張感を感じていた。

 

 そして──「ガシャン」とゲートが開く音がするのと同時に視界が開け──アタシは飛び出した。

 

 うん。スタートは文句なし。

 アタシは、最初から速度を上げると、そのまま先頭(ハナ)にたった。

 そしてそのまま走って、第1コーナーへと向かう。

 

(うん、まだまだ大丈夫……)

 

 デビュー戦はほとんどパニックで、二戦目は体調不良だったから無我夢中で走るしかなかったけど、今日は本当に冷静で、いろいろ考えられる。

 ちらっと後ろに視線を流せば、他のウマ娘がついてきている──なんていうのを確認できるほどに余裕があるほどよ。

 

(走ってる最中のことまで、しっかり教えてくれたもの……)

 

 前はただ走っていただけ──トレーニングもハッキリ言えばチームに入る前に一人でしていたころの基礎トレの延長みたいなものばかりだったのよね。

 だから、ろくに教えてくれなかったけど、今回はあのトレーナーが、レース中の心構えとか注意点、他のウマ娘への対応なんかも教えてくれている。

 それに、4ヶ月も準備期間があったというのも大きかったし。

 

(ここまでは……順調!)

 

 第2コーナーを過ぎて直線へ。

 それでもアタシはまだ先頭。

 うん、やっぱり先頭っていうのは気持ちがいいわね。

 

(天気が良くてバ場も良いからっていうのもあるんでしょうけど)

 

 これが雨天の不良バ場なんていったら気持ちよく感じることなんてないでしょうけど。

 まだまだ午後の早い時間だし、土曜日だし、大きなレースもないから、満員にはほど遠いスタンド。遠いそこから微かに聞こえる程度の歓声だったけど、先頭(ハナ)をきって走るアタシを応援しているように感じられたわ。

 

(そう……トレーナーも言っていたものね)

 

 今日のアタシは4番人気。

 それだけ多くの人の思いや期待を背負って走ってる。

 こんなアタシのことを応援してくれる人達のためにも──アタシはそれに応えなきゃいけないんだからッ!!

 レース距離は決して長くはない。

 まだまだ脚は残ってるし、体に不調もない。

 

「行くわよ! まだまだまだまだまだなんだからッ!l!」

 

 今までの二戦と比べたら、足は羽が生えたように軽かった。

 体も全然、思うように動いてくれる。

 アタシは第三コーナーにさしかかり、それでもまだ先頭に立っていた。

 

「いける! 今日のアタシは今までのアタシとは違うッ!! 今日こそは──」

 

 アタシが目指す先は第4コーナー、さらにはその先の直線のその向こうにあるゴール。

 確かな手ごたえを感じながら──アタシはそこへ向かって、駆けていった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「ダイユウサク、おめでとうッ!!」

 

 …………………………。

 

 ええ、ここは名古屋の繁華街よ。

 なんでそんなにアタシが不機嫌かって?

 それはね──

 

「なに、そんなにむくれてるのさ、ユウは……」

「あのねぇ、コスモ……アンタ、去年の高松宮杯の前にアタシにあんなこと言っておいて、なんでここまで見に来てるのよ!?」

 

 そう。コスモドリームが、今日のレースをこっそり見に来ていたのよ。

 自分のときはあれだけアタシに言ってきたくせに──ホント、信じられない。

 まぁ、確かに……昼過ぎのレースだし。名古屋なら全然日帰りできる範囲だけど──だったら、高松宮杯も同じだったじゃないのよ!

 おまけに──

 

「ダイユウサクったら、せっかくのお祝いなんだからそんなに怒ったら駄目じゃない。主役なんだから──」

 

 ……コスモのトレーナーまで来てるし。

 

 コスモの隣で豪快に笑いながら言っているのは、彼女のトレーナーの巽見(たつみ) 涼子さん。

 コスモもボーイッシュだけど、この人もボーイッシュ──ていうよりは姉御肌、なのかしらね。気っ風がよくて豪快そうに見えるんだけど……コスモが言うには仕事、つまりはトレーニングや指導に関しては細かく親切丁寧で、厳しくも優しいっていう優秀な人みたい。

 でも、コスモのチームではサブトレーナーらしくて、実質コスモの専属になっているみたいなのよね。

 ま、それはアタシしかメンバーがいないウチも同じようなものだけど。

 今日はコスモの引率で来たんだって。怪我の具合もあるし。

 そう聞いていたんだけど……

 

「そうだぞ。せっかく巽見トレーナーがお前のためにこの席を用意してくれたんだから……」

「え? お金は先輩が出すのよ?」

「はいッ!? え? なにそれ、全然聞いてないんだけど!?」

 

 ……完全に、それをダシに遊びに来てるわよね?

 そして、なんとも情けない声をあげている我がトレーナー。

 もうちょっとしっかりしてよね……思わずため息が出るわ。

 巽見トレーナーはしっかりしてるけど、アタシのトレーナーよりも一つ後輩らしいのに。

 それに、チーム一つを担当している正トレーナーなんだから、立場的にも上のはずでしょ?

 まったく、本当に……情けない。

 

「あれ? ユウ……トレーナーを涼子さんにとられてるから機嫌悪いの?」

「はぁッ!? そんなわけないでしょ!! アタシが不満なのは──」

 

 ボックス席に居並ぶアタシ以外の三人をキッと睨み──

 

「な・ん・で、お祝いになっているかってことよ!!」

「え? だって……ユウは今日のレースで──」

 

 アタシが抗議すると、コスモは不思議そうに首を傾げる。

 その仕草に、アタシはますます声を荒げた。

 

「負けたでしょ!? 5位よ? 5位なのになんでお祝いするわけ!?」

 

 アタシは結局、5位だった。

 先頭(ハナ)をきって走ったアタシは、そのまま最後まで駆け抜けることができずに終盤で追いつかれ、結果はその通りとなった。

 

「5位に何の価値があるって言うのよ。ウイニングライブで勝負服を着て歌うのだって3位までよ!? だから今日のライブだって、あんな、みんなと同じヤツで……」

 

 アタシは恨みがましい目で持ってきた大きな鞄を見つめる。

 その中には、アタシの勝負服が入っていた。まだ一度も披露したことがないそれは、またしても出番がなかった。

 

「……ゴール直後にぶっ倒れて、一回ウイニングライブすっぽかしたお前が文句言うな」

「う……」

 

 痛いところを疲れて口ごもるアタシ。

 思わずそれを言ったトレーナーを睨んだけど、彼はそれを臆した様子もなく言う。

 

「それに5位5位、って卑下するな。掲示板に乗ったってことだぞ?」

 

 レース直後にその結果が表示される電光掲示板は5着までが表示される。

 たしかにアタシも、初めてそこに自分の番号が載っているのが見えて、グッときたけど……

 

「それに、今日の名目は“初入賞、おめでとう”なんだから、何も間違ってないだろ」

 

 そんな感じで上機嫌なトレーナー。

 確かに5位までは入賞って言われるわよ。でも……

 コイツ……アタシを誰にも負けないウマ娘にするって言ったくせに、5位で浮かれてるんじゃないわよ。前に4人もいるじゃないの。

 それに──自分で言ったこと忘れてない?

 アタシは4番人気を背負って走ったのよ? せめて4位に入らなかったらアタシを期待してくれた人達の気持ちに応えられなかったってことじゃない!

 

(本当に、アタシの気も知らないで……)

 

 そう思って浮かべているアタシの噛みつかんばかりの形相に気がついた巽見トレーナーは、気を使って宥めてきた。

 

「まぁまぁ、そんないきなり1位なんてなかなかでき無いわよ?」

 

 苦笑混じりの笑顔での慰めに、アタシはそれにも噛みつく。

 

「……コスモは、そうだったじゃないですか」

 

 この場にいるもう一人のウマ娘、コスモドリームはデビューしてすぐに結果を出してるわよ。

 デビューが3着。二戦目で初勝利。それから3着、2着、1着で──最終的にはG1のオークスを制覇しているんだもの。

 

「いや、だってお前、そりゃあコスモドリームはデビュー戦は3位だったけど、お前の場合、2戦連続の殿(しんがり)で、しかもタイムオ──って、ギャアアアッ!!」

 

 アタシは隣のトレーナーに文字通り噛みついた。

 

「なッ、なにしてるのユウ!?」

「コスモ、あなた外側に座ってるんだから、回って外してあげて──」

「あ、はい……って、ユウ、いい加減、離してよ。トレーナーは食べられない……」

 

 アタシが口を離すと、トレーナーは慌てて距離をとってアタシが噛んだ場所をさすってた。

 

「お前なぁ……いきなり何すんだよ」

「アンタが悪いんでしょ!? アタシの、昔のことを言うから……」

「昔って、半年も経って──って危なッ!!」

「ユウ!! ちょっと落ち着きなよ」

 

 再び暴れようとしたアタシを、慌てた様子でコスモが抱きしめるようにして止める。

 それでも睨んでいると、トレーナーは少し呆れた様子で小さくため息をついた。

 

「……オレは、焦る必要はないって意味で言おうとしたのに。まったく──」

 

 ブツブツと言いながら袖をまくる彼。

 その腕には見事にアタシの歯形がついていた。まったく、人の恥ずかしい過去をほじくり返そうとするからそういう目に遭うのよ。ザマーミロだわ。

 

「まぁまぁ……でも、先輩の言うことももっともよ、ダイユウサク」

 

 その言葉にアタシが思わず睨むと、苦笑混じりで取りなす巽見トレーナー。

 

「今までの成績のことじゃなくて、4ヶ月も実戦から離れたんだから、仕方ないでしょ? そもそも他の娘たちと比べたら実戦経験も少ないんだし」

「ハッキリ、未勝利って言ったらどうですか?」

「……言ったら噛んだだろ、さっき」

 

 トレーナーが横でボソッと言ったので、アタシはキッと彼をにらみつけた。

 

「違うでしょ! アンタは二戦連続ビリだったって言ったのよ!!」

「同じだろ」

「違うわよ!! 未勝利は1位になってないって意味だもの!!」

「でも、事実だろ?」

「う~~~~~ッ!!」

 

 もう、この男は本当に……どうしてくれようか。

 アタシがなおも睨んでいると、豪を煮やしたコスモが少し強い感じで言う。

 

「二人とも……いい加減にしなよ。お祝いの席だよ?」

「そうそう。いいこと言うわね、コスモ。先輩も、せっかくダイユウサクが頑張ってきたんだから、誉めないと……」

「いや、オレは誉めようとしたけど、アイツの方が……」

「まぁまぁまぁまぁ……」

 

 そう言って巽見トレーナーは飲み物が入ったコップをトレーナーに押しつけた。

 ため息混じりにそれを飲もうとしたトレーナーだったけど、急に顔色が変わる。

 

「──って、お前、これ酒じゃないのか!?」

「え? お祝いの席だもの、なんか問題でも?」

「問題だらけだろ、お前……」

 

 そう言って彼はアタシとコスモを見た。

 ま、そうよね。アタシらはウマ娘で、トレセン学園高等部の学生なわけで──

 

「なによぅ! 私の酒は飲めないって言うの、先輩は!?」

「そうじゃなくてだな……」

 

 というか、もうすでに飲んでるじゃないの、コレ。

 さすがに呆れた目で見ていると、コスモが近づいてきて耳打ちしてくる。

 

「……巽見トレーナーって、お酒入ると結構ダメな人になるんだよね」

「なんでそれを知ってるの、コスモ……」

「いや、あの人、大学まで剣道やっていたからノリが体育会系で……祝勝会とか、つい飲んでしまうというか……」

 

 苦笑混じりで、言葉を濁すコスモ。

 彼女が言うには、基本的にお酒には弱いらしい。

 だた──剣道はメチャクチャ強い、らしいわ。

 

 

 ──で、

 

 

 どうにかトレーナーがそれ以上の飲酒を防いでくれて、お祝いという名の食事会も終わったんだけど……

 お店を出て名古屋駅まで行く途中──

 

「……あれ? ユウは実家に帰るんじゃないの?」

「ああ、そういえば……せっかく来たんだ。明日も日曜だし、一泊していけよ。親御さん、気にしているんじゃないか?」

「…………帰らないわ」

 

 アタシが不機嫌さMAXで言うと、コスモとトレーナーは顔を見合わせた。

 なんで帰らないかって?

 そんなの──

 

「そうよぅ、寮生活だったら、なかなか帰れる機会、ないんだからねぇ~」

 

 たった一杯でベロンベロンになった巽見トレーナーが陽気な感じでそう言うのを、アタシはジト目で見た。

 

「──そんな人を連れて、3人で東京まで帰るの、大変でしょ?」

「いや、それは……」

 

 肩にしなだれかかっている巽見さんを困惑顔で見るトレーナー。

 それから少し考え、真顔になってアタシを振り返る。

 

「でも、御両親に会った方がいいんじゃないのか? きっと心配してると思うぞ」

「……なに? アタシが一緒に帰ったら困るわけ?」

 

 ジト目を巽見さんからトレーナーへ標的変更する。

 

「東京に着いたら、コスモに『コイツ、送っていくから、悪いけど自力で帰ってくれ』って言うつもりだったんでしょ?」

「は? お前、なに言って──」

「そう言って二人きりになって、酔っているのをいいことに、アンタたち──」

 

 アタシはビシッと指を突きつけて──

 

 

「……う、うまぴょいする気でしょッ!!」

 

 

「「…………………………」」

 

 

 絶句するトレーナー。その目は、「コイツ、突然なに言い出すんだ?」という明らかな困惑の目で──

 その横でやっぱり絶句していたコスモドリームは──

 

「……あの…うまぴょいする、ってなに?」

「か、カラオケかな?」

 

 酔ってて役に立たない巽見さんではなく、アタシのトレーナーに小声で訊き、苦笑交じりの気まずい顔でそれに答えていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──結果的に、アタシはそのまま東京に帰った。

 そもそも数ヶ月前の年末年始で帰っているし、その前に去年の12月にだって今後のことを決めるのに両親と話し合ったんだから。

 そこで今後も競争やるのを認めてもらったのに、なんの結果も出していない上に、たった1レース走っただけなのに帰れないわよ。

 ……今日、1位だったら帰ってただろうけど。さすがに5位じゃあね。

 

 次の日に、レース結果の報告も兼ねて電話したんだけど──

 

「──あら、ユウ? あなたこの前、帰るって言ってなかった?」

「そんなこと言った? ……お母さんの勘違いじゃない?」

 

 母は「準備はしていたんだけど……」と残念そうな口調で言ってきた。

 そっか……アタシが帰るって言ってたから、食事とか泊まる準備とか、いろいろしてくれてていたのに──悪いことしちゃったな。

 

「まぁ、用事があるなら仕方ないわよね。学園も忙しいんでしょう?」

「うん……次のレースもすぐだしね」

「そうよね……でも、お父さんったら、昨日はなんだかずっと首を長くして待っていて、夜中まで起きてたみたい。昼間はどこかに出掛けていたみたいなんだけど……おかげで今も寝てるのよね」

「そっか……じゃあ、また電話するって伝えておいて」

 

 そう言ってアタシは電話を切った。

 そっか、待っていたんだ……でも、来週また行くし……ま、いっか。

 




◆解説◆

【その手に掴んだ初めての──】
・勝利、と思わせておいて……違う、という罠。
・ダイユウサクの初勝利はもう少しだけお預けです。

出走時間
・書き忘れましたが、出走時刻は第6レースなので13時20分と、ダイユウサクにとっては初めての午後レース。
・前話のシーンのお父さんも、出かけるときは家族に内緒にするために「ちょっと散歩に行ってくる」と言って出てきたのだと思われます。

コスモのトレーナー
・コスモドリームのトレーナーは長いこと出てきてませんでしたが、今回初登場。
巽見(たつみ) 涼子(りょうこ)という女性トレーナーです。
・気風のいい姉御肌で、細かいことは気にしないけど、締めるところは締める。という性格です。
・ただし──お酒には弱いようで。
・もともとは、剣道に青春を燃やしたスポーツ少女で、大学まで剣道をして、全国クラスの実力を持つ猛者でした。
・その関係で、大学もスポーツ科学を専攻し、指導者を目指していたところ、ふとしたきっかけでウマ娘の競走に興味を持ち、トレーナーを目指し、中央トレセン学園のトレーナーになった。
・トレーナー歴としては、ダイユサクの乾井トレーナーの一つ下の後輩にあたるが、年齢的には一つ上で、乾井を“先輩”と呼ぶことは呼ぶが、本人からの希望もあって基本的には敬語を使わないで話している。
・立場的には、チーム《アルデバラン》のサブトレーナー。メイントレーナーが他のメンバーの面倒を見ているので、コスモドリームの専属といっていい。
・“巽見(たつみ)”という苗字は──以前の解説で説明した通り、方位の東南をさす「(たつみ)」から。
・それをコスモのトレーナーに選んだのは、『聖闘士星矢』に辰巳徳丸というキャラが登場するから。
・彼は竹刀で雑兵を打ち倒すほどの腕(剣道3段らしい)なので、巽見トレーナーも竹刀を持つキャラになった。
・ちなみにシンデラレグレイのヤエノムテキの師範代トレーナーも竹刀を持っているけど……実はアレ、ファッションという噂があり、剣道未経験という話らしい。
・名前の涼子は──最初は「辰巳」から「龍子」の予定でした(剣道有段者なので「帯をギュッとね!」で主人公たちの顧問だった倉田龍子からも)が、苗字に「たつ」を入れて名前も「龍」と被せるのはちょっとやりすぎかな、と変更。

入賞
・競馬では馬券が絡むのは3位まで。
・しかし順位を表示する電光掲示板には5着まで表示される。
・5着までは賞金の対象になるからと推測される。
・ウマ娘のゲーム版でも5着までは入賞扱いで、チームレースでの「全員入賞」は5位までが対象になる。

ウイニングライブすっぽかした
・今回の話を書くまで、私自身すっかり気が付いていませんでした。
・2走目はゴール直後に意識失ってぶっ倒れていたから、ウイニングライブに出ていないことになるのを。
・言い訳になりますが──シンデレラグレイって笠松時代(単行本1巻)はウイニングライブのことがネタにされたり書いてありましたけど、2巻以降って印象薄くなるんですよね。
・また、ゲームだと出走したウマ娘は全員参加しているようですが、アニメだと動かすキャラを減らすため、そもそも3位までしかライブに参加していません。
・そんなわけで、本作はそこはゲーム準拠なんですが、私自身がすっかり忘れていた次第です。
・とはいえ、レースでケガするウマ娘もいますからね。やむを得ない場合には不参加も許されるはずです。
・とはいえ、乾井トレーナーはダイユウサクの言葉が「他のウマ娘と同じのはイヤ」と言っているように聞こえたので苦言を言いました。

うまぴょいする
・カラオケで「うまぴょい伝説」を歌うこと、じゃないですか?
・ちなみに世間では
  『うまぴょい伝説を踊る』
  『ゲームでURAファイナルを優勝する』
  『温泉旅行』
  『温泉旅行などで担当ウマ娘(等)とイチャイチャする』
が主な意味だそうな。
・最後の一つの(等)はウマ娘ではない桐生院葵も対象になるため。

来週また行く
・ダイユウサクの4戦目は、3戦目の翌週にあたる1989年3月25日(土)でした。
・場所は同じく中京。
・その結果は──次話にて!!


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第18R 大焦燥… 立ちこめる暗雲

 
「はぁ…………」

 トレーニング室のオレのデスク。その椅子の背もたれに身を預けながら、ため息をついた。
 広げているのは週末にあったレースの結果。
 オレが担当しているダイユウサク、その4戦目があったのだが──結果は8位。

「さすがに翌週は厳しかったか……」

 前週に続いてのレースは、思ったような結果を生まなかったのだ。

「ダイユウサクのこと?」

 同じトレーナー部屋である後輩の、巽見 涼子がオレを見ながら尋ねてきた。

「他にいないからな。そっちと一緒で」
「そうね。私もコスモドリームしか担当してないから……」

 言いつつ、「あはは……」と苦笑する彼女。
 巽海トレーナーはオレの机まで来ると、広げたデータを遠慮なく見ながら、遠慮なく言った。

「なに? 先週走ったばかりなのに、また走らせたの?」
「ああ……本人が乗り気だった、というのも大きかったけど……」
「無茶じゃない?」
「う~ん、前走がよかったからな。4ヶ月空いたのに初めての掲示板。調子がいいと思ったし、それに距離も1000だからな……実際、途中まで良かった」
「最後に失速したのね……でも、翌週でしょ? 他のウマ娘はそもそも無茶してない万全な状態よ?」
「今のあいつなら行けると思っていたんだが……想定外なことがあった」
「何?」

 巽見の問いにオレはため息混じりに天井を指さす。

「……天気だよ。おかげでバ場が不良になった」
「あぁ、なるほどね……そればっかりは仕方がない」

 とはいえレース中に雨は降っていなかった。
 しかしダートで重ならともかく不良バ場だ。本当ならもっと楽に走れるはずが、思いの外に負担がかかってしまった。
 そうなると前週に1700走ったのが響いてくる。
 それを証明するように、先頭を走っていたのを後ろにつかまった。

(今回は短距離中の短距離だし、1位を狙ったんだが……)

 4ヶ月空けたのを一度走らせて実戦勘を取り戻させたところでの、今回のレース。正直、かなり狙っていた。
 もしも1位を外したとしても、そこまで悪くない結果になると思っていたのだが──やはり不良馬場が響いたのは間違いない。

「やっぱりもう一周空けた方が良かったんじゃない?」

 担当外どころか、同じチームでさえないのに、忌憚のない意見をぶつけてくる。
 その意見にオレは、「う~ん……」と複雑な表情になってしまう。

「焦ってる?」
「そう見えるか?」
「そうね。さすがに今回のは……」

 オレが問い返すと、巽見は苦笑混じりにそう言った。
 それに対してオレは──

「焦った訳じゃないんだ……ただ、走れるときに走らせたかった。アイツ……まだ体が安定しないんだ。熱を出しやすいし、ソエで足が痛むこともまだあるからな」

 実際、3戦目ももう少し早く走らせたかったが──発熱で回避した、というのが一度あった。
 またいつ熱を出すか分からないから、早めに一勝してしまいたいと思い、今回1000を走らせたのだが──

「ま、やっぱり甘くはないわな」
「ただでさえ、“ウマ娘競走に絶対はない”んだから──」

 オレがため息混じりに言うと、彼女の方も小さくため息をついていた。

「そっちの……コスモの復帰は?」
「コスモの回復は順調よ。リハビリもがんばったから。復帰に向けて順調に準備中……あと少し……4月か5月くらいにはって感じ」
「ってことは……」

 オレはカレンダーとレーススケジュールを取り出して見比べる。

「4月末の復帰の予定、となると……そのころのちょうどいい競走(レース)は……ひょっとしてオーストラリアトロフィーか?」
「さっすが♪ その予定よ」

 ウィンクして親指を立てる巽見トレーナー。
 それを見て、オレはため息をつく。

「あのなぁ、オレ……別のチームだぞ? そんなにべらべら自チームの予定をバラしていいのか?」
「あら? 先輩だって今さっきいってたじゃない」
「オレは、結果と反省……お前のは今後の予定と展望だろ。意味合いが全然違う。主トレに怒られてもしらねえぞ」
「大丈夫、大丈夫♪」
「まったく、その自信はどこからくるのか……」

 オレが「やれやれ……」と呆れると、彼女は良い笑顔で言った。

「だって、この情報を知っているのチーム以外では乾井先輩だけだもの。つまり他に漏れたら乾井先輩が犯人ってこと。オーケー?」

 いつの間にやら手にした竹刀を片手に、逆の手にパシンパシンと軽く叩きつけながら、笑顔のまま言う。
 ──ハッキリ言って、怖い。

「そうやって、自チームの情報管制がザルなのに他人を巻き込むんじゃねえよ!」
「へえ……じゃあ今、口封じしましょうか?」

 やおら立ち上がり、竹刀を構える巽見。
 笑顔で細めていた目が、そのまま鋭くなる。
 ヤベエ……コイツ、マジだ。
 剣道の実力は全国クラスの猛者だったって、誰かが言っていたような──

「……巽見、暴力は…………なにも生まないぞ」
「イヤですね、先輩。暴力じゃなくて……教育ですよ?」
「それ、この状況で、トレーナーという教育者が一番言っちゃダメなヤツな」

 必死に宥めようとするオレに対し、巽見は笑顔で竹刀を構えたまま──
 そんなとき、この部屋の内線電話が鳴った。

「「………………」」

 目を離した途端、くると思っていたオレは、巽見を見たまま。
 それに「出ないんですか?」と言うが──警戒を緩めるわけにはいかない。
 仕方なく電話をとった巽見は──

「はい……はい? 先輩ですか? はぁ……今から。わかりました、伝えます」

 と、電話を受けて、そのままオレには継がずに電話を切った。
 オレが自分を指さすと、巽海は頷く。

「誰? 何の用?」
「用事は言わなかったけど……理事長秘書。すぐに理事長室に来て、って──」
「オシッ! たづなさんだな!! 今すぐ駆けつけるから待ってて──ゴフッ」

 駆け出そうとしたオレの腹部に、真一文字の痛みが走る。

「……先輩、落ち着きなさい?」

 それは竹刀を振る前に言って欲しかったな……

「あのなぁ……防具つけてない人に本気で竹刀振るったらダメだろ……」
「大丈夫。一番ケガし辛い胴打ちですから」

 ニッコリ笑う年上の後輩をその部屋に残し──オレは腹を押さえながら理事長室へ行った。
 そしてそこで──驚くべき事実を突きつけられる。

 ──《アクルックス》の輝きは、早くも暗雲に隠れようとしていた。



 

 ──4月になった。

 

 アタシ──ダイユウサクの出走は、前回の4走目から止まってる。

 その前は週を空けずに連続で走ったのに……と思わなくもないけど、さすがに結果が8位だったのが響いたのね。

 トレーナーに確認したわけじゃないけど、連続で走って失敗したから、慎重になってるのかも。

 

 とはいえ、レースはなくともアタシはトレーニングは欠かさない。

 今日はトレーナーがいないから、一人で自主トレだけど。

 コスモも今月末には復帰の予定みたいで、いよいよトレーニングも本格化してる。

 

「あ~あ、どうせならコスモが復帰する前に、一勝しておきたかったんだけどな……」

 

 コスモの復帰とアタシの一勝目。どっちが早いかを──二人で競っていた訳じゃないけど、ちょっと意識してた。

 最初は、半年もあるしアタシの方が全然早いと思っていたんだけど……まさかこっちも4ヶ月近くも空くとは思わなかったわ。

 

(ま、熱を出しちゃうアタシの体が悪いんだけどね……)

 

 体の方はこの半年でグンと成長して、貧相ってことは無くなったんだけど、体が弱いのはまだ治ってないし、足の痛みが出ることもある。

 医者は、「そのうち無くなる」とは言っているんだけど──

 

「あら? 一人寂しく練習しているシニアのウマ娘がいるから、誰かと思えば──ダイユウサクではありませんか」

 

 ──で、トレーナーとかコスモとか、他に誰か一緒にいないと、こういうのに出くわすわけだ。

 アタシは苦々しい顔で、声をかけてきたウマ娘を見る。

 案の定──ツインテールの髪に高飛車な吊り目をしたウマ娘が、デフォルトで見下すようにアタシを見ていた。

 

「セッツ……」

「サンキョウセッツ、とちゃんとお呼びなさいな! 私と貴方は、そんなに気安い関係ではないでしょう? 私だって、その……タユウとは呼んでませんし」

 

 うん。タユウって呼んでくるのはタマモクロスだけよ。

 だからアナタが呼ばなくても、別に違和感はないの。

 

「貴方……まだ未勝利なんですって?」

「ええ、そうよ」

「いい加減、その辺りをサッと走って、誰かに勝ってきなさいな。そうでないと……」

「無茶言わないでよ。その辺を走って勝ったところで、未勝利なのは変わらないわ」

 

 突然、このウマ娘は何を言い出すんだろうか。

 そういえば……よく知らないけど、セッツもあんまり重賞出てないみたいじゃなかった?

 確かに、オークスには出走してたけど、その後ってあまり聞かなくて、謎なのよね。

 

「そういうセッツって……最近どうなの?

「さ、最近!? 最近って……なんのことでしょうか?」

「いや、勝ってるのかな、って……別にケガした様子もないのに、あまり話を聞かないから……」

「そ、それは、もう……頑張っていますわ! 私が勝ったところで当たり前すぎて、誰も話題にしないのですわ!」

 

 なんか焦った様子で言うセッツ。

 わかりやすいけど──明らかに誤魔化そうとしてるわよね。

 

「それ本当に──」

「あ、貴方の方こそ、私を気にしている余裕なんてないんじゃありませんこと?」

 

 …………ん?

 なにそれ、どういうこと?

 アタシが首を傾げると、サンキョウセッツは訝しがるようにアタシの顔をのぞき込んできた。

 

「……まさか、知らないはずありませんわよね?」

「なにが?」

 

 アタシの反応を見て、自分が言おうとしていることを、本気でアタシが知らないことに気づいたサンキョウセッツは、驚き、少し青ざめた。

 

「貴方のチーム、存亡の危機に陥っていますのよ?」

「──はい?」

 

 青天の霹靂とはまさにこのことだった。

 




◆解説◆

【立ちこめる暗雲】
・またちょっとレース外のところで苦しんでもらおうかと……
・この時期は重賞にも出走できないので有名馬も出てこず、なかなかレースで盛り上げるのが大変と判断したので。

4戦目
・ダイユウサクの第4戦目は1989年3月25日(土)、中京競馬場の第7レース、4歳以上400万下の条件戦で1000メートルのダート。
・天気は晴れだが不良馬場。データしかないのでわかりませんが、いったいどんな天気だったのか……
・で、結果は8位。
・やっぱり前走からの翌週ですからね。丈夫ではないダイユウサクには厳しかったと思います。

バ場
・競馬場(レース場)のコースの状態のこと。馬場。ウマ娘では「馬」の漢字が原則使えない(氏名や地名を除く)のでカタカナに。
・良→稍重(ややおも)→重→不良 という順に悪くなる。
・ダートの場合、重や稍重の場合には、埋まらずにしっかりと踏みしめられるようになって速くなる──ということもあるらしい。
・ただしダートの不良は水たまりができてしまう状態で、もちろん遅くなる。
・芝コースの方はわかりやすく、良が一番走りやすくレコードもいい。ただし乾燥しているので地面が固く、脚への負担が増えて負傷率が上がる、という話も。

発熱で回避
・ダイユウサクの3戦目が小倉競馬場で予定していたが、出発直前に発熱で回避した、ということがありました。
・5歳になってもまだ安定せず、発熱やソエが収まるのはもう少し先です。

オーストラリアトロフィー
・史実でもコスモドリームの復帰戦はオーストラリアトロフィー。
・京都で行われるオーストラリアデーの一環で、その中の3レース(一時期は4レースだった)のうちの一つ。
・本レース以外は、シドニートロフィー、メルボルントロフィーであり、1994年から2012まではそれに加えてムーニーバレーレーシングクラブ賞が開催されていた。
・今まで京都で開催していたのに今年(2021年)は工事のため、中京で開催した。(1994年も同理由で阪神で開催)
・ちなみにこのレースはゲームのウマ娘では出てこないっぽい。

セッツって……最近どうなの?
・誤魔化したセッツさんに代わってお答えしましょう。
・サンキョウセッツはオークスで9位だった以降は900万以下の条件戦を転戦し、7位、5位、6位(下から二番目(ブービー))、10位(以前解説した最下位(ビリ))を経て、3位、2位となって昨年を終えました。
・12月は3位、2位と上り調子だったのに、年が変わると1月5日(元ネタの史実では競馬界にとって昭和最後の日)に中山の第1レースに出走するも8位。
・2か月明けて、ダイユウサクの4戦目と同じ3月25日に中山の第1レースに出走して7位。
・4月は22日に出走して9位(再び下から二番目(ブービー))になると……秋までお休みする運命です。
・セッツ……負けるな! たとえお前に残された生涯勝ち数があと一つだとしてとも。


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第19R 大危機(ピンチ)! 見えぬ輝きが消える時!?

「いったい、どういうこと!?」

 

 自主トレを放り投げ──アタシは学園中を走り回って、トレーナーを見つけた。

 そして詰め寄ったアタシに彼は──とりあえず「チームの部屋で話す」と言って、場所を移した。

 そこからチーム部屋に行くまでの間、ずっと睨んでいたんだけど──彼は一つも表情を変えることなく、淡々と進んで、部屋へとたどり着き、そのドアを開けた。

 アタシしか所属ウマ娘がいない《アクルックス》。

 当然、部屋には誰もいなかったし、今もアタシとトレーナーしかいない。

 アタシが不機嫌さを隠す気もなく睨むと、トレーナーはため息を一つついた。

 

「誰から、聞いた?」

「何の話のことよ?」

「お前が怒っている原因の話だ」

「誰だっていいでしょ。そう言うってことは本当なの!?」

 

 アタシは距離を詰めてジッと睨む。

 

「──《アクルックス》を解散するって」

 

 アタシに言われ、トレーナーは厄介そうにしながら、頭をカジガジと掻いた。

 

「解散するんじゃねえよ。解散させられるかもしれないって話だ」

「一緒じゃない! せっかく作ったチームなのに、無くなっちゃうってことでしょ?」

「オレだって、解散させたくなんかねえよ。ただ、学園側から……」

 

 言いにくそうに言葉を濁すトレーナー。

 

「どういう事情よ? アタシにはそれを聞く権利はあると思うけど」

「当事者、だからな……わかった。だが、怒ったりするんじゃねえぞ。ここで怒ったところでどうにもならないからな」

「……そんなの、約束できるわけ無いじゃない…………」

 

 アタシがつぶやいたのが聞こえたのか、聞こえなかったのか、トレーナーは話し始めた。

 

「学園側からの通達は、チーム数を整理するため、実績が上がっていないチームを解散するって話だ」

 

 アタシしか所属ウマ娘がいない上に、アタシが勝っていないんだから数えるまでもなく当然の結果。

 でも、他のチームは……大なり小なり人数がいるところは、そのうちの誰かが勝てば結果を残していることになるからセーフってわけ?

 

「なんか、ズルくない? そんなの少人数チーム潰しじゃないの」

「否定はできない。一応、チームは5人以上ってことになってるが、昨今はそれが形骸化しているような状況だからな」

 

 それは聞いたことがある。

 でも有力なチームでさえも5人じゃなくて4人で活動しているところもあるし。

 

「挙げ句、ウチみたいなソロチームっていうのもいくつかある。コスモドリームがいるチームは元々はソロチームから始まって大きくなったものだからな」

 

 それもコスモから聞いたことがある。

 なんでもすごいウマ娘がソロでチームやってて、彼女を慕ったり憧れたウマ娘が集まって大きくなって今の規模になった、と。

 

「ま、ソロチームってのは普通は強いウマ娘がやるんだ。自分の成績がチームの成績そのものになるからな。おまけに人数が違うせいで合計の出走回数が他に対し圧倒的に劣ることになる。そんなハンデを背負って、他のチームと比べられるわけだからな」

 

 なるほど、並のウマ娘には荷が重すぎるでしょうね。

 

 

 ………………ん? 

 

 

「ウチも……ソロなのよね?」

「ああ、お前しかいない」

「で、今回は──」

「成績が悪いチームを取り潰す、そうだ」

 

 え? それってつまり…… 

 

「……ウチのチームを狙って潰しにかかってない?」

「その通りだ」

 

 アタシの疑問に、トレーナーはあっさり頷いた。

 

「え? ちょっと待ってよ。だって、ウチって……」

「ああ、学園長からきちんと許可をもらってるぞ。ソロでも構わないと」

 

 チームを結成して間もなく、アタシが「他にメンバー増やさないの?」と聞いたことがあったんだけど、それにトレーナーは「その予定はない」と言ってた。

 そのときもやっぱり「5人必要なんじゃないの?」と訊いたんだけど──学園長から許可がでていて、しかもアタシの復帰と競走活動の持続が目的だから、自由にやっていいということになっていた。

 

「じゃあ、なんで……」

「……ウチは敵が多いんだよ」

 

 うんざりした様子でトレーナーは嘆くように言った。

 

「今回の件は、年度の更新で理事の改選があったのが原因だ。そのせいで勢力図が変わり、理事長がオレたちを庇える範囲から出てしまったんだ」

 

 URAという巨大な組織の中でも、中央トレセン学園というのは大きなハコである。

 その最高責任者とも言うべき理事長の椅子を狙う者も多く、隙あらば足を引っ張ろうと狙っている──って、トレーナーはアタシに説明した。

 その上で──

 

「本来なら学園内の、大人の汚い内部抗争なんて、お前らには教えたくないところだが、今後の自分を守るために、お前が知っていた方がいいと思うから話すんだ」

 

 ──と前置きして、話し始めた。

 

「まず……この学園、いやURAの中でお前が繋がりがあって、強い力を持つ人は誰だ?」

「それは決まってるわよ。そんなの──」

 

 アタシの親戚の“あの方”以外にない。

 

「そうだ。だからお前を守ってくれるのは“あの方”か、そのシンパだ。その人たちがお前を守ってくれていた──」

 

 だからこそ、こんなアタシでも中央トレセン学園に入れたんだもの。

 

「──昨年度までは、な。」

「え?」

 

 トレーナーの解説で呆気にとられる。

 え?どういうこと?

 

「今年度の改選で理事から外れたのは、去年のお前の件で《カストル》に便宜をはかるといった理事だ。その人は“あの方”の顔色をうかがうくらいにシンパだった。そして、それがいなくなった。あんなことにガッツリ関わってたからな。事実上の更迭だ」

 

 う~ん、でもこの理事だった人って──アタシに直接嫌がらせしてきたわけじゃないのよね。

 “あの方”の御機嫌取りっていう動機はともかく、むしろアタシを支援しようとしていたわけで……

 まぁ、よりにもよってあの《カストル》に頼んだというのが大失敗で大迷惑だったんだけど。

 ……うん。やっぱり、同情するのやめた。

 

「で、経緯が経緯だけにその派閥は後釜を強引に就けるほど強く出られず、おかげで対立派が空いたその席をとった。その結果──」

「──つまり、アタシの立場が悪くなる」

 

 その通り、とトレーナー。

 

「それだけじゃあない。その前理事を退任に追い込んだ立役者は……誰だ?」

 

 そう言って、ジッとアタシを見つめる。

 えっと……《カストル》の後ろ盾になっていたわけでしょ? その《カストル》がしでかして倒れて、その共倒れになって……つまりは、倒れたのは《カストル》が倒れたからな訳で──

 

「……ひょっとして、アタシ?」

 

 アタシは自分を指さす。

 トレーナーは沈痛そうな面もちで頷いた。

 

「その通りだ。そういう経緯で、本来ならオレたちの後ろ盾になってくれるはずの派閥が、完全に敵に回っている」

 

 それって、つまり──

 

「四面楚歌……ってこと?」

「お前のことを認めてくれて、守ろうとしてくれている理事長だけは味方だけどな」

 

 理事長の秋川やよいだけは、ダイユウサクの努力する姿を理事長として影ながら見ていたのと、学園内のことで彼女を追いつめてしまったことを申し訳なく思っていたので、できる限りのことをしようと思っていた。

 それゆえの《アクルックス》の結成だったのだ。

 といっても、理事長という立場は“公正さ”を求められてしまう。

 

「で、今回、敵は“成果の上がっていないチームを潰す”という公正さを盾にして、攻撃してきたってわけだ」

 

 去年までが守ってくれていた派閥は、無関係──どころか、癪だからいっそいなくなってくれた方がいい、と思っているんじゃないの?

 本当に周囲は敵しかいない。

 いったいどうしてそうなった、と嘆きたいわよ。

 

「なんで、そんな……」

「安心しろ。今回イチャモンをつけてきた目的は、秋川理事長への嫌がらせがメイン。現体制に揺さぶりをかけたいだけだ。彼女が目をかけているウチのチームを潰せば、それで満足するだろ。お前を直接攻撃したり、追い出したりすれば──今度はマスコミに目を付けられかねないしな」

 

 そもそもURAやトレセン学園内での勢力抗争なのだ。

 去年のアタシの件は明らかな“チーム内のイジメ”。もちろん不祥事で学園も会見したほど。

 その被害者のアタシが追い出されたりすれば、鎮火したはずのそれが再び燃え出すことになる。

 母体そのものを揺るがしかねないようなスキャンダルに発展させては元も子もないものね。

 

「じゃあ……」

「《アクルックス》が解散すれば、それ以上はない」

 

 トレーナーは厳しい顔で断言する。

 そして──苦笑を浮かべた。

 

「まぁ、《アクルックス》に関しても、理事長が精一杯頑張ってくれて……一応は、次のレースで結果を残せば生き残れるってことにはなった」

 

 その条件を告げるとき、秋川理事長は「すまん……」と頭を下げて謝った──という話は、もっと後になってから聞いた。

 

「ちょっと、待って。それってつまり……」

 

 

「──次のレース、1位を取れば存続。取れなければ解散だ」

 

 

 それを聞いて、アタシは一瞬、思考が停止した。

 

(──え? なにそれ?)

(次のレース?)

(1位をとる? いったい誰が?)

 

 様々な疑問が頭をよぎり、呆然としているアタシに、トレーナーは──

 

「お前は、余計なことを気にせず走れ。たとえチームが解散になっても──巽見にきちんと引き継ぐ」

「──はい?」

 

 その言葉で我に返った。

 なんで巽見トレーナー……コスモの担当トレーナーの名前が出てくるの?

 

「頑なに断っていたみたいだから嫌がるとは思ったが、チームに所属していないとレースに出られないからな。《アクルックス》が無くなったあとは、あのチームに入ることで話をつけておいた」

「ちょっと、待ってよ……」

「お前の成績でシニアクラスだと今からチームを探すのは大変だ。それに巽見にならお前のことを任せられるし、な」

「──ッ!! 待ちなさいよ!!」

 

 アタシは怒鳴って、トレーナーの言葉を遮る。

 そして睨みつけてやった。

 

「チーム移籍をするにしたって……《アクルックス》が無くなるんだから、アンタもサブトレーナーでそのチームに入ればいいじゃない。そして、アタシをトレーニングすればいいじゃないの……」

 

 アタシの言葉に、トレーナーは首を横に振った。

 そして──そのままアタシに背を向ける。

 

「それは……無理だ。元々、オレは地方へ転属させら(とばさ)れるはずだったんだ。それが──《カストル》のトレーナーが代わりに転属した(とんだ)おかげで、居残った。今回、《アクルックス》ってチャンスを与えられたのにものにできなかったとして、今度こそ地方へ転属になるのは間違いない」

 

 淡々と自分のこれからのことを語る彼。

 その背中が、わずかに震えているように見えるのは、気のせいかしら?

 それとも──アタシが怒りで震えているのかしら?

 

「──ふざけないでよッ!!」

 

 アタシは今度こそ、大声で怒鳴った。たぶん、隣のチームから苦情がくるだろうけど関係ない。

 そんなこと、気にする余裕はない。

 そもそも、無くなっちゃうんでしょ、このチーム!!

 激高したアタシは、トレーナーに言葉を叩きつける。

 

「アンタが始めたことでしょ!? アタシは諦めていたのに、それを焚きつけて……諦めないでくれって、オレをトレーナーにしてくれって頼んできたのは、アンタの方じゃないのッ!!」

 

 そんなアタシの言葉に、トレーナーは背を向けたまま反論してくる。

 

「そんなこと言っても、どうしようもないだろ! オレがどんなに学園に残りたくても、学園が残すつもりがなければ、オレはいられないんだぞ!! オレだって、オレだってこんな結果──納得できるわけ、ないだろッ!!」

 

 トレーナーが握りしめた拳を壁に叩きつけ──ガン!と大きな音が響きわたった。

 拳を壁に打ち付けたまま、その肩がワナワナと揺れる。

 それで安心した……諦めたわけじゃないんだ、と。

 その話を受け入れた訳じゃないんだ、と。

 

 ──だからアタシは、提案した。

 

「なら……手は一つじゃない?」

「手? 打てる手なんて、残っちゃいない……」

「そんなこと無いわよ。さっき、アンタが言ったじゃない」

「オレが……」

 

 わずかに俯いている彼が、思考を巡らせているのは背中を向けていてもよくわかった。

 彼が気づく前に──その答えを告げてあげた。

 

「──アタシがレースに、勝てばいいじゃない」

 

 彼はさっき言った。「1位を取れば存続。取れなければ解散だ」って。

 答えは──簡単なことよ。小学生でも分かるわ。

 

「なッ…………」

 

 その単純な、誰でも分かる答えを聞いて、彼は絶句する。

 

「アタシが勝つ。絶対に勝つ。1位で駆け抜ければ、何の問題もないでしょ!?」

「だけど、お前……」

 

 反論しようと口を開いた彼。

 それをアタシは無理矢理引っ込めさせる。

 

「なによ、半年で誰にも負けないウマ娘にするって言ったじゃない! 今、何月よ? アンタが言ってからもう5ヶ月近いわ!!」

「確かに言ったが……だけど、今のお前は──」

 

 なおも反論しようとする彼。

 でも──それ以上は出てこなかった。

 そう……やっと気がついたのね。

 この問題を解決するためには──

 

「言いなさいよ! アタシにセンター()ってこいって!」

 

 《アクルックス》を存続させるためには──

 

「…………頼む

「聞こえないッ!!」

 

 アタシと一緒に、トレーナーとして歩むには──

 

「オレだって、こんなところで、放り出したくない!! 頼む! オレに、お前のウイニングライブのセンターを見せてくれ!!」

 

 次のレースで勝つしかないってことに──

 

「──ええ、任せておきなさいッ!」

 

 振り返って怒鳴った彼にそう言って、アタシは不敵に笑みを浮かべて見せる。

 そう、アタシには──ううん、アタシ達にはもう勝つ以外に道はないのよ。

 

 ──アタシだってこの人以外のトレーナーなんて、絶対に認めないんだから。

 




◆解説◆

【見えぬ輝きが消える時!?】
・それって消えても気づかれないのでは!?

チームは5人以上
・この設定はアニメ1期の設定。
・そうでなければレースに出られない、となっているが──2期のカノープスのメンバーが4人と同じアニメなのにルールが破綻している。
・そういうわけで「ゲームに先行したアニメ1期ではそうだったのに、以降は形骸化している」ということから、「基本はそうだけど守られていない」という設定にしました。
・一番、本作が設定を参考にしているシンデレラグレイも、チームの人数の人数に関しては言及無し。
・しいていえば、カサマツ時代に北原がオグリキャップのみを勧誘しているのでソロチームは許されると思われる。(結果的にはベルノも入ったけど)
・あと、ヤエノムテキのチームは他にメンバーが誰もいなさそうという個人的な感想。

勢力抗争
・ちょっとわかりにくそうだったので解説します。
・URAという組織に、多大な貢献で力を持つ“シンザン”がいます。
・で、そのシンザンのシンパである“シンザン派”という勢力があり、更迭された理事(《カストル》にダイユウサクを勧誘させた幹部)も所属していました。
・で、ダイユウサクを気にかけてくれているのはシンザンだけで、「シンザン派」は熱心に支援はしていません。ただ、シンザンのご機嫌取りのために応援しといた方が良いかな、くらいの感覚でした。
・今回の年度の人事で、更迭された理事の枠を奪われてシンザン派は一歩後退、対抗派閥が力を持ちます。
・対抗派閥は「シンザンが目をかけているウマ娘」ということでダイユウサクを敵対視していますし、今回の更迭劇の原因となったのでシンザン派もダイユウサクを敵視……するとシンザンに怒られるので、放置します。
・それがシンザン派と対抗派閥とダイユウサクの関係。
・──それとは別に、学園での理事長争いがあり、守る派閥がいないのでそれに巻き込まれた、ということです。
・ちなみに理事長を狙う人は、狙えるほどの力があるのでシンザンを敬うし影響力は知っていますが、政治力は恐れていません。
・だからダイユウサクを退学させないようにしてチームをつぶす事をしかけてきました。

次のレース
・ダイユウサクの第5戦目は1989年4月16日(日)、新潟競馬場第7レースで4歳以上400万下の条件戦。ダートの1700メートル。
・初の新潟で、天気も初めて雨でのレースとなりました。

1位を取れば存続。取れなければ解散だ
・由緒正しい、スポーツものの定番だ!!
・『キャットルーキー』の1期とか、最近のものだと茨城の誇る名作『ガールズ&パンツァー』が有名。
・……いや、なんで『キャットルーキー』出したし。もっと有名なの他にあるだろ。
・と、思っていたのですがパッと思い浮かばず、思い浮かんだのがそれだったので。
・誤解無いように言いますが、「キャットルーキー」大好きでした。3部が一番好きです。
・知らない人のために『キャットルーキー』を説明しますと、「少年サンデー(スーパー)増刊」という月刊誌に1993年~2003年にわたって連載されたプロ野球を舞台にした野球漫画。
・当時はまだまだ「セ・リーグ万歳!!」な頃で、パ・リーグに人権が無かったのが、連載中にイチローの活躍や松坂の西武入団でパ・リーグの人権が認知され始めたころ。
・当時、大の日ハムファン(田中幸雄選手とか大ファンでした)だった私は架空の『パ』が舞台の漫画(主人公のチームは当時の近鉄モチーフの大和トムキャッツ)ということで、他に無いのもあって(当初はドカベンのプロ野球編さえまだの時期)読み漁りました。
・出てくる魔球もいいんだ……って、話がズレ過ぎた。
・閑話休題
・そのキャットルーキーの1部の元ネタ(本当にほぼそのまま)の映画「メジャーリーグ」がヒットして、そういう展開が増えたようなイメージです。
・ガルパン以外だと最近ではあまり見ない展開かも。最近では流行ではないようですね。


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第20R 大決戦!! 響け、凱歌(ファンファーレ)!届け、遠くまで!!

 
 チーム存続をかけたレースになった第5戦目。

 それに臨むにあたって、アタシは入れ込んだし、事情を聞いたコスモは「特訓だ!」と他人事なのに張り切っていた。

 ……まぁ、それは竹刀を持った巽見トレーナーに引きずられていったんだけど。

 コスモはコスモでいよいよ復帰戦が今月末に予定されているから、しっかり練習しないといけないからね。
 何しろ、半年ぶりのレースなんだし。
 ともかくアタシは、頑張るしかない、と意気込んだんだけど──トレーナーは焦るでもなくペースを変えなかったのよね。
 そんな調子だと、アタシの方が逆に焦るわ。

 そうしてこっそり居残り練習しようとしたんだけど……オーバーワークだって止められた。

「たとえアタシが体を壊したって、それで一勝をどうにかもぎ取れるなら、それでいいじゃないの!」

 ──というアタシの反論に、トレーナーは首を横に振った。

「破滅的な勝利なら意味がないんだ。それでお前の一生は終わっちまう。お互い未勝利のオレにもお前にも分からないけど、勝ったその先の光景を一緒に見たいからな」

 そう言って笑顔を浮かべる彼に──アタシは思わず絶句してしまう。
 まったく……ズルいわよね。そんなことを言うだなんて。
 アタシは誤魔化すように言う。

「でもいつも通りなんてダメよ! 今までいつも通りやって勝ててないのよ!? いつも以上のことをやらないと、勝てるわけがないわ!」
「そんなことはない。今まで積み重ねてきたことが、やっと花開こうとしてるんだ。焦るな」

 アタシの焦りを見透かして、言ってくる。

「そんなこと言っても……」
「前に言っただろ。オレに半年時間をくれって。まだ半年経ってないぞ?」
「次のレースで負けたら終わりなんだから、半年も何もないでしょ!?」

 そう言って詰め寄るアタシに、彼はポンと頭に手を乗せた。

「オレを信じろ。そしてオレが今まで教えてきたことを……その教えを受けた自分自身を、な」
「────ッ!?」

 あ~、もうホント、ズルいわ。
 そんなこと言われたら、何も言い返せないじゃないの。
 アタシは素直に彼の指導に従ってトレーニングを重ね──前夜を迎える。

 その晩、アタシは自分の勝負服をハンガーに掛け──そして、祈った。
 明日の勝利を。
 そして、この服でウイニングライブのセンターに立つことを。



  

「♪お~ぅれ~ぇは~ ジャイあ────♪」

 

「おい! メヒコギガンテ!!」

 

 気持ちよく歌っていたオレ様は、呼び止められて歌を中断させられ──ギロッと声の方を睨んだ。

 見ればオレ様のトレーナーが困惑顔で見ている。

 その様子から、オレ様を何度も呼んでいたらしいが──気持ちよく歌うあまりに気づけなかったみたいだ。

 

「おう! トレーナー!! 悪いな、気付けなくて……」

「いや……気にしないでいい。調子はいいみたいだな」

「当たり前よ!! オレ様のデビュー戦まであと少しだからな!」

 

 そう、オレ様はウマ娘。

 で、今度の日曜日に新潟のレースでデビューを控えているんだぜ。

 といっても──

 

「トレーナーには今までずいぶん迷惑かけちまったからな。デビューしたら、ドンドン借りを返していくぜ。待っててくれよな!」

 

 ちょっとそれまで時間がかかり過ぎちまったっていうか……

 ま、それもデビューしちまえばいい思い出だ。

 オレ様は豪快に笑い飛ばしながら、トレーナーの背中をバシバシと叩いた。

 

「あ、ああ……」

 

 だが……なんだか、トレーナーの様子が変だ。

 いつもなら「おう、待ってるぜ」とかオレ様に合わせてくれてるはずなんだけどな。

 

「どうした、トレーナー。ひょっとしてオレ様のデビュー戦が近づいて、アンタの方がビビっちまってるんじゃないだろうな?」

 

 ま、不安になるのも仕方ねえか。

 なにしろ長年、デビューせずに下積みしていたからな、オレ様は。

 シニア級の年齢には数年前にとっくになっていたのに、やっとデビューだ。

 いつまで走れるか分からねえけど、少しでも恩を返さねえと──

 

「……ギガンテ、そのデビュー戦のことなんだが、一つだけ指示があるんだ」

「あん? オレ様の好きなようにやらせてくれるって話じゃなかったか?」

「スマン……」

 

 そう言ってトレーナーは深刻そうな表情で、本当に申し訳なさそうに頭を下げた。

 むぅ……、あの人がここまでするってことは、よほど深刻な事情があるんだろ。

 だけどオレ様にだって、ここまで努力してきた矜持ってものがあるしな。簡単には引き下がるわけにもいかねぇ。

 とりあえず、顔を立てて話だけでも聞くか……

 

 そう思って聞いたんだが──

 

「冗談じゃねえ!! つまり、オレ様に負けろって言ってんのか!?」

「そうは言っていない!!」

 

 オレ様の怒鳴り声に、トレーナーは焦った様子で宥めてくる。

 もちろん、そんなことでこの気持ちがおさまるわけがねえ!!

 オマケに、なんだかトレーナーは挙動が不審になって周囲を気にしているように見える。

 

「オイ! ちゃんと話を聞けよ! 今はオレ様が話してるんだろうが!!」

「わかっている! わかっているから……落ち着いてくれ」

「これが落ち着いていられるか!! オレ様の……やっとたどり着いた、デビュー戦なんだぞ!?」

「そんなことは百も承知だ。お前が苦労してきたことくらい、私が一番分かっている」

「なら、なんでッ!!」

「…………仕方ないんだ、ギガンテ。それが…………お前が出走できる条件なんだ」

「ハァッ!? なんだよそれ!!」

 

 オレ様は怒りにまかせて、要領の得ないトレーナーの胸ぐらを掴む。

 苦しげに顔をゆがめるトレーナー。

 だが……その口から詳しい説明をされることはなかった。

 もう一度繰り返すように、ただ一言──

 

「あるウマ娘の……妨害をしろ」

 

 それだけしか、言わなかった。

 なんだよそれは!? 本当に胸クソ悪い。

 

「冗談じゃねえ!! なんでオレ様がそんなことをしなけりゃならないんだ!! 絶対に、やらねえからなッ!!」

 

 オレ様が憤然と──その機嫌悪さを露わに、地面を踏み抜かんばかりに足音を立てて歩き、その場を離れる。

 

「──ギガンテ、指示に従わなければ……お前の次は、保証されないぞ!!」

 

 背の方から聞こえてきた、絞り出すように苦しげなその声に、思わず一度足を止め──オレ様は拳を握りしめることしかできなかった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──そして運命のレース。

 

 

 決戦の場になったのはアタシにとって初めての新潟レース場。

 そして──

 

「雨……か」

 

 出走前のアタシは、直前まで体を濡らさないように、とレインコートを着込み、恨めしげに空を見上げた。

 黒い雨雲は厚く、雨足はザーザーと強いまま変わらない。

 

「そんな目で見ても、この雨は止まないぞ」

「そんなの……分からないじゃないの」

 

 反論したアタシに、トレーナーはスマホを見せて、その予報を見せつけた。

 

「神頼みや願掛けよりも、こっちの方が正確だからな」

「夢も浪漫もない話ね」

「夢と浪漫を乗せて走るウマ娘がそれを言ったらダメだろ」

 

 からかうように言うトレーナーを、アタシはキッと睨んだ。

 

「雨の方が良いって言うの? アタシは、雨での出走経験が無いのよ?」

「もちろん知ってるさ。でも──トレーニングはしたんだろ?」

「それはもちろんそうだけど……」

 

 前走は馬場こそ不良だったけど、天気は晴れていた。

 普段、雨が降ったから、とトレーニングを休みにしたりはしないもの。

 もちろんこういう雨中の競走を想定して走ったり、今までトレーニングをしてきたわ。

 でも……

 

「経験がないのは不安よ。それに──出走する他のウマ娘に、雨のレースを得意にしている人がいたら……」

 

 アタシがさらに言うと、ポンと肩を優しく叩かれる。

 その肩には、彼の手が乗っていた。着込んだレインコートのせいで感触が遠く、もどかしくさえ思う。

 

「お前、雨のレースの経験、無いんだろ?」

「さっき言ったばかりじゃない。ええ、そうよ!」

「なら──ひょっとしたら、お前がものすごく得意かもしれないな」

 

「………………」

 

 アタシは呆気にとられて、思わず彼を無言で見つめてしまう。

 一方で、彼は自分の思いつきが傑作だと思ったのか、明るく笑っていた。

 

「まったく……どうしてそう楽観的になれるの? チームの存続がかかってるのに」

「悲観的になって勝てるのなら、いくらでもそうしてやるけど、そういうわけじゃないだろ」

 

 そう言って彼は、アタシの肩においていた手をポンと頭の上に置き、そのまま横に撫でるように動かした。

 

「重すぎるもん背負ってると、勝てるレースも勝てなくなるからな。少しくらい下ろした方がちょうどいい」

 

 そう言う、彼の手の感触が──やっぱりレインコート越しなのがもどかしく思えた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 雨が降りしきる新潟レース場。

 

 すでに出走するウマ娘たちはパドックからゲート入りを待つ身となり、集まっていた。

 その中に長い鹿毛の茶髪のウマ娘がいる。

 そして──私は密かに彼女を見つめていた。

 

「──あのウマ娘……か」

 

 なんで、あのウマ娘なのか、という思いが芽生える。

 なにしろ彼女は出走12人中10番人気。

 放っておいても脅威になるようなウマ娘ではないはずだ。

 

(むしろマークする方が意識を使い過ぎて、レースが疎かになりかねない)

 

 ただ、情報によれば彼女は先行を得意としている。

 追込みや差しで、いつ上がって来るかわからないのを気にするよりはよほど楽だろう。

 

(自分に課せられた役目は、後ろから来る彼女を──)

 

 そう思ったとき、係員が現れてゲートへの案内が開始された。

 その流れに乗ってゲートへ向かいながら──標的の姿をもう一度確認した。

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 出走する全員がゲートに入り…………時間を迎えてゲートが開いた。

 

 それに合わせてアタシは飛び出した。

 いつも通り、出遅れることなくいけたアタシは、そのまま先頭(ハナ)を目指して駆ける。

 だけど今日は──アタシよりも先行するウマ娘がいた。

 

先頭(ハナ)をとられるのは、初めてじゃないけど……)

 

 デビュー戦以外、今までアタシは道中を先頭で走っていた。

 まぁ、初戦は無我夢中だったから論外だけど、二週連続で走った前走だって最初は先頭だったんだから。

 なのに、今日みたいに余裕があるのに先頭をきれなかったのは完全に誤算。

 

(うう~~~~)

 

 この二番目という位置が本当に恨めしく感じられる。

 もしもこのまま機会無く、ゴール戦を通過してしまったらどうしよう、という考えが頭をよぎる。

 

(今日のレースは絶対に勝たないといけないのに……)

 

 そんな焦る気持ちがある一方で、なぜか冷静なアタシもいた。

 前を走るウマ娘を、いずれは抜かすことができるという、根拠もないのに妙な確信。

 降りしきる雨のせいで、頭が冷やされたせいだろうか。

 とにもかくにも、アタシは焦燥と冷静という相反する両方の感情を抱えながら、走り続けた。

 その一方で、後ろへの意識はなかった。

 

(ただ速く、前へ。1秒でも速く一瞬でも(はや)く、ただ他の誰よりも前へ──)

 

 ダートの重馬場。

 前を走るウマ娘が巻き上げる水しぶきが気にならないわけじゃなかったけど──アタシの集中力はそれを上回っていた。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

(畜生……せっかくのデビュー戦なのに……)

 

 オレ様はやけっぱちになりかける気持ちをどうにか抑えていた。

 これさえ終われば──

 言われたことをやり遂げれば──

 そうすれば、“次”につながる。

 

 それが確約されていると、トレーナーは言う。

 だが……それがどうした。

 オレ様は──そうまでして……

 

(イヤ、ここまでの努力、オレ様の人生──無駄にするわけには……)

 

 ああ、本当にイラついて仕方がない。

 中段で待機しながら、オレ様はその前を走るウマ娘の後姿を見ていた。

 

(なんだって、恨みもなにもない、コイツを──)

 

 それどころかよく知らなかったような相手だぞ。

 実力だって今まで未勝利。今日の人気も下から数えた方が断然早い。

 そんな相手の名前をトレーナーから聞かされて、オレ様は迷った。

 そいつがどういうヤツなのかを知るべきか、知らずにやるべきか。

 で、結局──

 

 ──オレ様は、調べた。

 

 調べちまった。

 仕方ねえだろ。こんなの絶対納得できねえし、もしかしたら、妨害されて当然のヤツかもしれねえし。

 そして──知っちまった。コイツが苦労人だってことを。

 大惨敗でデビューして、次も大惨敗。おまけに──ひでえチームに当たっちまったみたいで、そこが解散する要因になっていた。

 そんな逆境を乗り越え、それから少しずつ結果をのばし、そしてこのレースに挑んでいるようなヤツだったんだ!

 

(コイツに同情するな、というのは無理だろ!!)

 

 自慢じゃねえが、オレ様だってここまで来るのにかなり苦労した。だからこそ、こいつに共感しちまってる。

 唯一の救いは……今、コイツを担当しているトレーナーがとんでもないクソ野郎だということ。

 せっかくクソチームから抜け出したのに、またクソトレーナーに引っかかるとは、本当に可哀想だが、これ以上、苦労するくらいなら──また出直した方がマシだろ?

 

 オレ様は、後ろからそいつに迫り──相手が加速した。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 そのまま──2位を維持したまま、アタシは最後の直線へと出た。

 

(ここで──)

 

 脚にグッと力が入る。

 爪先に込めた力は、靴と蹄鉄を通してしっかりと地面をとらえ、雨水や重馬場をものともせずに、滑らず地面を蹴る。

 グン──と加速するのが分かった。

 

(いける──いける、いける、いけるいけるいけるッ!!)

 

 脚が回転する速度が上がる。

 手足を振る。

 かつてない手応え──いや、足応えが両脚から響き、アタシは無我夢中で走った。

 

 気がつけば──前にいたはずのウマ娘の姿はない。

 

 でも、必死で足を動かす。

 前にいるのに雨煙で見えないのか、それともひょっとして、そのウマ娘はすぐ後ろにいるんじゃないのか。

 そう考えると──振り返れば、その隙にアタシを追い抜いていくに違いない。

 いや、追い抜いていくのは、今までアタシよりも後ろを走って、脚をためていた誰かかもしれない。

 いろんな考えが頭をよぎるけど──アタシにできることはただ一つ。

 ──さらに脚を速く動かし、大地を蹴り、雨を切り裂いて走り、一刻も早くゴールラインを突破すること。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「な──ッ!?」

 

 呆気にとられた。

 

(なんだ、こいつッ!?)

 

 レース終盤で見せたこいつの脚に、オレ様はついていくことさえできない。

 だんだん離れる背中。

 差しが基本戦術で、今日もその通りに走ったが──先行に追いつくことが無ければ、何かを仕掛けることなんて、不可能だったんだ。

 ここにきてようやくそれに気がついたが、こうなっては後の祭り。

 あとはもう、何かのハプニングでアイツが失速するくらいしか機会はなく──そしてこれ以降のタイミングで先行が失速したら再浮上は不可能だ。

 そうなったようなヤツに追い打ちをかけるなんて──オレ様はそこまで腐る気はねえよ。

 

(あ~あ、やっちまった……が、よかったのかもしれねえな)

 

 あの苦労人は、きっとこれから上がっていく。

 それに対して、オレ様は──アイツよりも年が上なのに、半年近くも遅れてデビューだなんて、いくら何でも芽が出ねえよ。

 

(ガンバレよ、ダイユウサク──)

 

 話したことさえない、そいつの名前をオレ様は呼びかけ──

 

(────ッ!?)

 

 オレ様が驚いて見つめる中──アイツは最後の一人さえ、かわしていった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 そうして懸命に走ったアタシは──ゴールが通過するのを真横にくるまで気がつかなかった。

 

「え……」

 

 今、アタシ……ゴールを駆け抜けた?

 前に、誰かいたっけ?

 それに──なにか大事なこと忘れてなかった?

 えっと、どうして勝たないといけなかったんだっけ?

 

 様々、頭に疑問を浮かべたせいで──アタシはゴールして速度を落としたけど、その勢いのまま、地面に転がっていた。

 そうして、今まで聞こえていなかったことにさえ気づかなかった音が、一気に頭に入ってきた。

 それは──歓声。

 

 アタシが倒れたせいなのか、少しどよめきもあったけど、アタシの耳に飛び込んできたのは、雨音なんかに負けるわけがないほどの、圧倒的な歓声だった。

 そしてそれに耳が慣れたころに聞こえたのは──

 

「ダイユウサク!!」

 

 男の人の叫ぶ声。

 もう聞き慣れたその声は、ひどく慌てた様子で──地面に仰向けになっているアタシの視界に、焦った様子の声の主が飛び込んできた。

 

「大丈夫か!?」

 

 彼はあわててアタシに駆け寄って、力強く抱き起こしてくれた。

 その感触を感じながら──

「……何位だった?」

 

 アタシは問う。

 そう、たしか……なんだか順位が、大事だったはず。

 全力疾走したせいで、なんだかフワフワして……よくわからないけど。

 それでもそれだけは──なんか覚えてる。

 うん、順位だ。

 

「……バカ野郎、おまえ……気づいてなかったのかよ」

 

 ぼんやりする視界の中で、彼は呆れたように苦笑してる。

 そしてハッキリと頭上から聞こえるトレーナーの声。

 

「1着だ……」

 

 

「そう、よかったわ……」

 

 1位ならそれ以上の順位はないからとりあえず大丈夫ね。

 そう、これ以上は無い結果なんだから、誰も文句は言わないはず……

 

 ……ん?

 

 え? 今、何位って?

 

「……もう一度聞くけど、何位だったの?」

「ああ、何度でも言ってやる。1着だ!! それも3バ身離しての、ぶっちぎりのな!」

 

 まるで降る雨から庇うように、前のめりでアタシをのぞき込む彼。

 

「え、うそ……」

「嘘じぇねえよ! このレースの勝者はお前だ、ダイユウサク!!」

 

 そんな彼からしたたる水滴は冷たく──

 でも、アタシの顔にかかる雫の中に、暖かなものが確かに混じっていた。

 

 

 

 ──4月16日、新潟レース場・第7レース

 

   1位…………ダイユウサク

   2位………

 




◆解説◆

【響け、凱歌(ファンファーレ)! 届け、遠くまで!!】
・アニメ1期の主題歌で、ゲームでも初めてのウイニングライブの曲である「Make debut!」の歌詞から。
・ファンファーレを「凱歌」のルビにしたのは、タイトルを短くしたかったから。
次話への前振り……でもあったり

メヒコギガンテ
・本作オリジナルのウマ娘。
・今までのダイユウサクやコスモドリーム、サンキョウセッツ達と違い、実在しない名前になっています。
・名前の由来は──メヒコとはメキシコのこと。南部にある古代文明()()()遺跡が有名。
・ギガンテとは巨人、つまり()()()()()()のこと。
・そこから某オレ様ガキ大将のキャラへつながり、このようなキャラになりました。だからいきなりあの歌を……
・なお、歌はきちんとトレーニングしたのでご安心を。「ボエ~」とはなりません。

妨害
・昔のスポーツもののアニメって、こういうネタ多かったですよね。
・例えば『新世紀GPX サイバーフォーミュラ』の最初のころとか、ブーツホルツが普通にアスラーダつぶしに来るし。
・この前、『疾風!アイアンリーガー』を初めから見たときには、ボール打ったり蹴ったりするよりも、主人公チーム殴ったり蹴ったりするのに忙しい敵チームに、本気で胸糞悪くなりました。
・そんなわけで、そういうイメージです。

ものすごく得意かも
・ダイユウサクの全38戦のうち、雨が降ったのは第5戦目と、小雨が降った90年のムーンライトハンデの2戦のみ。
・どちらも結果を残しているので得意と言えるのかもしれませんが、断定するほどのサンプル数がないのもまた事実。
・また馬場も、4戦目の不良はともかくとして、他も重馬場を不得意にしている印象もないんですよね。
・少なくとも天気が悪いのを苦にはしていなかったようです。

1位…………ダイユウサク
・そのときの勝時計は1分47秒5。
・現在のダート1700のJRA記録は2017年8月13日に札幌でロンドンタウンが出した1分40秒9。
・しかし、それが新潟のダート1700のレコードとなると、2011年6月11日にマカリオスが出した1分46秒6なので、けっして悪い記録ではない。
・10番人気だったので単勝は26.7倍。
・ちなみに2位も11番人気と不人気だった。


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第21R 大失態… そして伝説へ……

 
 レースを終えた私は、早々に控え室へと歩いていた。

 今回、私は4位。入賞はしたものの3位以内には入らなかった。表彰式からは蚊帳の外になるし、なにより雨のせいで全身ずぶ濡れというのもある。
 トレーナーから渡されたタオルで頭を拭き、それで覆うように頭に上に載せて歩いていると──

「オイ、ちょっといいか?」

 私は声を掛けられて、足を止めた。
 振り返りはしなかった。
 ひょっとしたら私を呼んだのではないかもしれない、と思ったから。

「──たしか、リュウジョウガイドだったよな?」

 ……私で間違いないらしい。
 こっそり小さくため息をつき、私は振り返る。

「何?」

 声をかけてきたのは、たしか私の後ろでゴールした5位のウマ娘だったはず。
 一人だけ二つくらい年上で、その雰囲気と貫禄だけはもっている。
 そんな彼女は、ちらっと周囲に目を走らせる。
 つられて私も確認するけど──私と彼女以外に人影はない。

「アンタ、最後に──故意にヨレただろ」
「……知らないわ」

 やれやれ。案の定、厄介ごとだったわ。
 だから私は早めにあの場を離れて控え室へ行こうとしたのに。

「誤魔化さなくていい。オレ様も指示を受けていたからな。アイツからだろ?」

「………………」

 そう言って彼女はある人の名前を出したけど──私は黙って彼女をジッと見た。
 相手の意図が見えない以上、肯定も否定もできなかった。

「なぁ……このことを正直に話すつもりはないか?」
「────ッ」

 一瞬、その言葉を聞いた衝撃で、私は目を見開いた。
 しかしすぐに元の表情へと戻す。
 でも──失敗した。こんな反応をしたら、さっきの彼女の言葉を肯定したようなものだ。
 案の定、彼女は確信した様子だった。

「騙すようなマネをしたことは謝る。だが、オレ様は……今回のことを許すわけにはいかねえんだ」
「……知らないわね」

 私が視線を逸らしてそう言うと彼女──確か、メヒコギガンテだったかしら──は、「そうか」と呟き、そのままさらに続けた。

「なら、これはオレ様の独り言だ。今回の件をオレ様は訴える。どうなるかわからねえが──アンタに迷惑がかかるから、と思ったから一応な」
「なんで、私にそんな話を?」
「オレ様は、後ろから見ていた。アンタの動きに違和感を感じたし、オレ様の事情からアンタも同じ穴の(むじな)だと確信した」

 確かに、あの時……先頭を走っていた私が抜かれるとき、確かに私は彼女へ妨害を行おうとした。
 でも──

(届かなかったわ。速すぎて──)

 想定外の末脚で私はタイミングを逃し、あっさり抜かれてしまった。
 ひょっとしたら──彼女の気迫に気圧されたのかもしれない。ゴールした今にして思えばそういう感想さえ持っている。
 結果的には仕掛けようとしたけど届かなかったのだから、バレるはずがない。
 彼女も指示を受けていたと言っていたけど、私は彼女のことを知らなかったし、おそらく彼女もレース前から知っていたということはなかったはず。
 なるほど、狙うように言われていたからこそ気づいたってわけね。

「………………なんのことか、分からないわね」

「そうか。(わり)ぃ、邪魔したな。時間とっちまった」
「ええ。お互い、これからライブですもの」
「お、そうか……オレ様、今回がデビューだったから、その辺りが分からなくてな」

 悪びれもせず、そのウマ娘は片手を挙げて謝罪し──去っていく。


 あまりに遅いデビュー戦を5位で終えた彼女は、この後、2戦後に勝利し──そして学園を去った

 ──それがどんな理由だったのか、私は知らない。



 レース後、アタシは全力を出し尽くしすぎて、意識がぼんやりしていた。

 でもその後、他の人に付き添われて、シャワーを浴びて──意識はハッキリした。

 ゴールしてからダート上を転がったせいで、髪の毛にまで砂汚れが付いていたし。

 それになにより、ボーッとしてなんかいられないわ。

 これから大事な──ウイニングライブなんだから。

 

 その控え室に行ったアタシは、ついにその服を鞄から取り出した。

 

「ありがとう、ございました……」

 

 アタシはその服を掛けて、そして改めて頭を下げた。

 昨日、勝利を祈ったその服は、アタシにそれをプレゼントしてくれた。そう思えて仕方がない。

 なぜならそれは──アタシは服を正面から見つめて笑みを浮かべる。

 

「ふふ……これを披露できる日が来るなんて……」

 

 アタシはそれに袖を通しながら、思いに耽る。

 赤を基調に、黒と黄色を取り混ぜた色合い。

 裾が広がったスカートはまるでドレスのよう。

 まだ一度も披露したことがない──改めて、チーム《アクルックス》で再出発するときに作った……いや、“ある方”から贈られた勝負服だった。

 

「私のせいで、あなたを苦しめてしまったようですね。本当に、ごめんなさい……」

「でも、あなたが再び競走に挑戦するというから……手向けくらいさせてくださいな」

「これは……申し訳ないけど、私の勝負服の意匠も、入れさせてもらったのよ。貴方を応援したくて、ね」

 

 直々にそれを手渡されたとき、本当に緊張した。

 というか、それを手に現れたとき、心臓が飛び出るかと思うくらいに驚いたわよ。

 贈るにしても、送るんじゃなくて本人が直接来たんだから。目を疑ったわ。

 そんな方からいただいたドレスに袖を通し、胸に手を当てる──

 

(──ここまで、本当に長かった)

 

 デビューするまでも長かった。

 デビューしたけど2戦連続の惨敗、さらにはチームのゴタゴタで、やめようと決意した。

 それでもあの人がアタシのことを誘ってくれて──おかげでこうして、1位になれた。

 

 ──勝負服を着て、ライブのセンターに立てる。

 

 それで恩返し、になるのかしら。

 いよいよ迫ったその時に、胸が高鳴り──控え室を出て、そして舞台へ続く廊下へ向かう。

 そこで、2位と3位のウマ娘と合流した。

 

「初勝利、おめでと」

 

 そう声をかけてきたのは3位のウマ娘だった。アタシは彼女と面識があった。

 前々走で一緒に走り、そのときに初めて1位をとったウマ娘だったので覚えている。アタシも初めての入賞だったし。

 それを聞いて2位のウマ娘が、「私も、早く勝たないと」と言い──3位のウマ娘が「泣くなよ」とからかうように笑顔で声をかけてきた。

 

(そういえば、このウマ娘、あのウイニングライブで涙流してたっけ)

 

 それを思い出しながら、アタシは「そんなわけないでしょ」と返し──ライブの舞台へと、3人で手を取り合って走り出した。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 翌日──

 

「………………っ」

 

 アタシは不機嫌だった。

 というか、食堂でもいつもの場所に行かないアタシを、誰も腫れ物を触るように声をかけてこないのは、アタシ自身が誰も近づけさせないオーラを出しているせい。

 唯一の例外は「ユウ、おめでとう!!」と無邪気なコスモくらいよ。

 今も、ニコニコしながら食事をしているんだけど──周囲はコスモを「よくそんな雰囲気で食べられるな」と驚きの目で見ているくらい。

 そこへ──

 

「オーホホホホ!! おめでとうございますわね! ダイユウサクさん!!」

 

 うわ~、最悪なのが現れたわ。

 アタシが遠慮なくウンザリした気持ちを露骨に顔に出すが、相手はそれでひるむようなタマじゃなかった。

 

「え? あのセッツがユウを称賛してる……」

 

 そしてそれを見て、そんなことを言いながら驚くコスモドリーム。

 彼女の言うとおり、現れたのはツインテールにした髪の毛に、吊り目が特徴的なウマ娘──サンキョウセッツだった。

 そんな彼女がアタシの目の前に現れたのは、もちろん理由があるわけで──そしてもちろん、アタシへの称賛じゃない。

 

「見ましたわよ! あのライブ!!」

「ぶッ!!」

 

 無視して食事を進めようとしたアタシは、セッツのその言葉で思わず吹いた。

 一方、コスモはセッツのその言葉を聞いて無邪気に──

 

「あ、そういえば、まだコスモは見てないや……」

 

 ──なんてことを言ってしまう。

 ああ、やめてよコスモ……それはセッツの罠よ

 

「あらあら~、じゃあせっかくだから今、見ましょう」

「な──ッ!? せ、セッツ!!」

 

 案の定、言い出したセッツをどうにか止めようとするアタシだったけど、コスモは「うん!」と元気よく返事をし、それどころかセッツが持ってきたタブレットを見て「やった、大きく見えるじゃん」と大喜び。

 スマホじゃなくて、わざわざ持ってきていたタブレットを操作するセッツ。

 

 ………………うん、大きな画面で見ようとか、もう悪意しかないわね。

 

 アタシの初めてのウイニングライブの映像は、一晩で話題になっていたわ。

 だたし──

 

『♪ひっけ、ふぁんぁーれぇ~、 とぉけ、ぉぉるまっでぇ~  ぁぁやくぃらぁいを ひみほぃたぁいぁら~~…………♪』

 

 ……………………。

 

 何? なんか文句あるの?

 何の歌かって? そんなのウイニングライブの定番「Make debut!」にきまってるじゃない。

 

 再生される動画。

 しゃくり上げながら、響く歌声。

 

 あぁ~~! もうッ!!

 そうよ、アタシは舞台に立って歌い始める前に感極まって、泣き始めたのよ!!

 仕方ないでしょ? 今までのこと思い出しちゃったし、デビュー戦とかその次のみじめさも思い出しちゃったんだから!!

 そうしたら止まらなくなっちゃったし、ライブは始まってるし、どうしようもなかったのッ!!

 

 ちなみに、かろうじて声になっているのは今の部分だけで──後は声になってなかった。 

 その後に入るのは伴奏と、たまに観客の「がんばれ~」の暖かい声援。

 なにしろ、サビどころかイントロからもう声になってないなかったわね。

 

「えっと……」

 

 コスモも困惑気味に、その映像を見ていた。

 そりゃそうよね。

 だって、もうこのあとは本当に、伴奏が流れるのみだもの。

 もう歌えなくなって──それだけじゃなく、泣き崩れそうになっているアタシを他の二人が苦笑混じりに寄り添って支えているのがアップになって流れていた。

 さらには、4位以下のウマ娘たちに至っては、センターのアタシが歌えないせいでどうしていいかわからず、困惑しながらもとりあえず振り付け通りに踊っている、という何とも奇妙な光景。

 

「~~~~~~~くくッ

 

 サンキョウセッツが、必死に笑いをこらえてるのはイラッとするわね。

 そんな映像がスマホではなく、タブレットの大きな画面で流れ──周囲の通りがかったウマ娘たちも、チラチラとそれを見て、それからアタシを見て、通り過ぎていく。

 

(く……、視線が、痛い……)

 

「ブハッ! もうダメ……こらえきれませんわッ!! アッハハハハハ──」

 

 必死に笑いをこらえていたサンキョウセッツが、ついに大爆笑し──アタシはキレた。

 殴りかかろうとしたアタシを、苦笑しながらコスモがどうにか止め──

 

「ゆ、ユウ。ダメだよ……」

 

 ──コスモどいて!そいつ●せない

 

 さんざんアタシをからかったサンキョウセッツは満足顔で食堂から去っていった。

 ホントにアイツ、食堂で食事もせずに何しに来たわけ?

 

 

 そして──そのライブは、号泣ライブとして伝説になった。

 もう……ホントに泣きたいわよッ!!




◆解説◆

【そして伝説へ……】
・前にドラクエⅣをやりましたので、今回はドラクエⅢです。
・うっかり、二回目の「大失敗」を使いそうになりました。いやいや、大失敗することろでしたよ。

リュウジョウガイド
・これまた本作オリジナルのウマ娘。前のメヒコギガンテと同じように、同名のモデル馬はありません。
・名前に入っているガイドとは、外国等の高峰で案内役となる現地人のこと。()()
・またリュウジョウは色々まっ平らな大日本帝国海軍空母の「龍驤」……のことではなく柳条、つまりは縞模様から。英語でいえば()()()()()
・今回のレース、4位だったとのことだが、史実でのダイユウサクの5戦目の4位はヤマニンストライプ
・……もちろん、本作の4位とは無関係だけど。

2戦後に勝利し──そして学園を去った。
・本作に於いて、このレースはメヒコギガンテは5位。名前の由来は前話の解説を参照。
・ちなみに史実レースの5位はマヤノジャイアント
()()()()、マヤノジャイアントは4月16日のレースに走った後、4月30日に出走した後の5月7日に勝利を飾り、そこで引退している。
・いやぁ、偶然って怖いなぁ。

◆ちょっと追加解説……◆
・なお、今回あえて違う名前のウマ娘を出したのは、この二人がレースの妨害というルール破りの反則をしようとしたからです。そのような不名誉を実在の競走馬の名前を背負ったウマ娘にさせるわけにはいきませんので。
・──悪役なら、サンキョウセッツもじゃないの? という指摘もありそうですが
  サンキョウセッツは反則行為はしていない。
  ダイユウサクへの意地悪は好意の裏返しか、その行き過ぎたもの。
  シナリオ上、血縁の関係で“サンキョウセッツ”である必然性がある。
といった観点で、今回の二人とは違うと判定しています。
・ですので、今後もシナリオの都合で、反則(史実通りのレースでの斜行等は除く)のような不名誉な行動を背負わせる時には、別の名前に変える予定です。
・ウマ娘の二次創作コンプラにもかかわることですし、元の競走馬に対するリスペクトですので、ご理解を。

シャワーを浴びて
・アニメだとサービスシーンになるところです。
・これまた昭和アニメのあるあるです。すげー唐突かつ無意味に入るんですよね。

勝負服
・ウマ娘の勝負服は、そのデザインにいろいろ理由がありますが、色に関してモデルになった競走馬のジョッキーが着る勝負服の色合い等のデザインの影響を受けている場合も多い。
・競走馬ダイユウサクの勝負服──つまりは橋元幸平氏の勝負服は赤に黒襷、黄袖。
・そして兄弟だった、シンザンの馬主である橋元幸吉氏の勝負服は赤に黒襷、黒袖と似ている。
・本作でのダイユウサクの勝負服はシンザンが考案したものという設定で、そのデザインはアニメのダイサンゲンが来ていたものと同じものです。
・シンザンは自分の勝負服の赤と黒を入れ、オリジナル要素で黄色を入れたのと思われます。
・ドレスのようにしたのは、どん底から一夜にして華麗に変身するシンデレラを意識して考えた──という設定です。

3位のウマ娘
・エイシンカンサイのこと。
・ダイユウサクの3戦目にあたるレースで初勝利している。
・元馬は1985年5月6日生まれのダイユウサクと同じ年に生まれた馬。87年9月に新馬戦でデビュー。
・デビューから21戦目でようやく初勝利という、ある意味ダイユウサクよりも苦労しての初勝利だった。
・前のレースのウイニングライブで涙を流していたのは、その苦労が報われたから。

2位のウマ娘
・ハクサンコペルのこと。
・彼女が初勝利をあげるのは、15戦後のその年の12月のこと。
・ちなみにこのレースは6戦目。これまで入賞さえなかった。
・↑のエイシンカンサイもだけど、こういうのを見ると初勝利するのさえ大変なんだと実感する。
・ウマ娘で実装するような有名馬たちは初勝利なんてあっさり掴むので……
・前走は3月18日と、ダイユウサクの3戦目と一緒だったけど、中京の第5レースということでひとつ前のレースを走っていた。
・元馬は、このウマ娘もダイユウサクと同じ1985年生まれ。

号泣ライブ
・まぁ、号泣ものはバズる定番ですな。号泣会見とか。
・ただ、彼女の場合は炎上ということにはならかった、ということで。
・どうしてこういうライブになったかというと──ウマ娘の主役たちの初ライブはだいたい失敗するものだから。
・アニメ1期のスペシャルウィーク───練習していなくて棒立ち。
・シンデレラグレイのオグリキャップ──笠松音頭で観客呆然。
・と、それぞれ失敗レベルだったので、それをリスペクトです。
・ただ、アニメ2期は主役二人がデビューしている状態だったので失敗してませんが。


※これにて第一章の2部──再起、そして初勝利編──は終了です。
・次はいよいよ重賞初挑戦、そして親友との対決となる第3部となります。
・ただ、ちょっと仕事が忙しくてストックが減ってしまいましたので、次回の更新は7月7日の予定です。


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第22R 大激怒!! URAからの使者

 
 ──オレは、飛行機の座席に座っていた。

 傍らには、オレが担当しているウマ娘、ダイユウサクがジッと窓を見つめている。
 それが昼間だったら雲が見えたり変化があって、まだ楽しむ余地があるのだろうが、夜を迎えたこの時間では、ただ暗いだけ。
 それでも彼女は無言で、睨みつけるように窓の外を見ている。

「……いい加減、機嫌直せよ」
「機嫌悪くなんか、無いわよ」

 ため息混じりにオレが言うと、こっちを見ることなく返してきた。
 今日は、彼女の第6走目となるレースがあった。
 前回と同じ新潟レース場。
 初勝利を飾った縁起のいいレース場だったが……結果は4位。

(コイツの今までの結果を考えれば、上々なんだけどな……)

 4位といえば入賞である。世間的に見れば十分に良い結果だったはずだ。
 そして、言い換えれば実力が出せたレースだったと言える。
 無論、次につながるわけだし、この結果を見て期待してくれる観客──つまりはファンが増えただろう。
 だというのに、ダイユウサクは不機嫌だった。
 実のところ……オレはその原因に気がついている。

「連勝なんてそう簡単にはいかないぞ?」
「分かってるわよ。気持ちの整理だってついてるわ」
「レースについては、だろ? お前が気にしているのは、ライブで──」

「それ以上、言わないでッ!!」

 オレの言葉を遮って、ダイユウサクは大きな声を出した。
 おかげで付近の乗客は、何事かとこちらを見る。
 それに愛想笑いを浮かべつつ「なんでもありません」とアピールすると、乗客達はそれ以上、騒ぎが発展しないと見て興味を失ったようだった。
 それにホッとため息をつく。

「お前なぁ、騒ぎを起こしたらダメだろ?」
「…………ごめんなさい」

 珍しく殊勝に謝ってきたが──それは言葉だけ、視線は再び窓とそこから見える景色へと向けられていた。
 謝罪するなら、こっちを見てしろ、と言いたかったが、それでまた騒ぎになっても厄介だ。

(まぁ、お前の気持ちも十分分かるけどな……)

 ダイユウサクが気にしているのは、ウイニングライブ。
 前走の初勝利で初めてのセンターを飾ったはずが──感無量になってしまい、終始泣きっぱなしという状態になってしまった。

(コイツのここまでの苦労を考えたら、まぁ、仕方ないよな……)

 それはオレの嘘偽りのない感想だ。
 だが──そのライブの映像は配信されてしまい──世界中に流れてしまったのだ。
 それを恥じたダイユウサクは、改めてウイニングライブのセンターを飾って汚名返上を狙ったのだが──

(今回のレースは1位を意識しすぎたあまり、完全に力みすぎたな)

 それがレースに悪影響を出してしまった。
 ハッキリ言ってあまり良い傾向ではない。
 かといって指摘すれば、余計反発するのは明らかだ。
 オレは今後を心配しながら──あの映像が配信されてしまったことに、本当に文句が言いたかった。

 ──無論、とっくに抗議はしたのだが……



 ダイユウサクが初勝利を飾った翌日の週明け──

 

 オレは、学園内をズカズカと不機嫌さを隠さすに大股で歩き、その部屋にたどり着いた。

 感情露わに少し乱暴にノックをし──理事長秘書の「どうぞ」という声をが聞こえるか聞こえないかのフライング気味で、理事長室の扉を開いた。

 そうして飛び込んできたのは、驚いた様子の理事長秘書である駿川たづなさんの顔と、オレの顔を見て一瞬で申し訳なさそうに目を伏せた理事長の秋川やよいの顔だった。

 

「理事長、あれはどういうことですか!?」

 

 オレの抗議に、しゅんとしていた顔を上げる理事長。

 彼女は反論しようとしたのか口を開きかけたが──躊躇い……結局、再び俯いてしまう。

 そして一言──

 

「すまぬ……」

 

 と、だけ言った。

 

「すみませんじゃ済みませんよ、あの映像は! なんで、あのライブを、よりにもよって配信したんですか!!」

 

「──それは私が指示したからですよ、乾井トレーナー」

「ッ!?」

 

 突然の男の声に、理事長と秘書以外に誰もいないと思っていたオレは少なからず驚いた。

 痩せた中年の男が、神経質そうにかけた眼鏡の中央にあるブリッジをクイッと押し上げる。

 

「……あなたは?」

「学園理事の黒岩だ。URAのコンテンツ部門の統括も担当していてね。よろしく頼むよ、乾井クン」

 

 慇懃に頭を下げた相手が目上なことに気づいて、オレは多少ぶっきらぼうに頭を下げた。

 コンテンツ部門──つまりはレースのそのものからウイニングライブまで、中継や配信、販売といったものを担当しているところ、と聞いている。

 URAの収入の大きな部分を握っている重要な部署ということだ。

 

(そんな大物が、なんで学園の理事長室に……)

 

 オレが眉をひそめると、黒岩という男は勝手に口を開いた。

 

「キミは、自分が担当しているウマ娘のウイニングライブが配信されたことが、いたって不服なようだが……なぜだね?」

「決まっている。あれを配信されるのは、彼女にとって不本意だからだ」

「記念すべき初勝利のウイニングライブじゃないか。何が不満だというのかね。それにウイニングライブは基本的にすべて配信することになっている。それを覆す具体的な理由があるのなら教えてくれないか?」

 

 く、この野郎……分かってて言ってやがるな。

 オレは気持ちを押さえつけつつ、説明した。

 

「あれは、明らかな失敗ライブだ。号泣して声になっていない。彼女本来の歌声を生かすこともできていない。そんなものが、ライブと言えますか?」

「捉え方次第じゃないかね? 一概に失敗とは言えんよ」

 

 現にもっとひどいものもある、と黒岩理事は言った。

 歌うことも踊ることもできずに棒立ち。

 片手を上げたまま転倒。

 頭が下になるほどの転倒。

 挙句、一人だけ自分勝手な振り付けで踊り始める。

 等々──ウイニングライブにハプニングは付き物で、それを楽しみにしている層もいる、と。

 

「現に……あのライブは話題になっているじゃないか。それだけでも広報としては十分に成功と言えるのだよ」

「ああ、そうですね。再生数も、レースの規模やアイツの人気を考えたらあり得ないほどになってる。だが──」

 

 オレは、全力でその黒岩という男を睨みつけた。

 

「あれは話題になっているんじゃねえ! “笑われている”って言うんだよッ!! 」

 

 話題になっているのは“号泣ライブ”として、だ。

 声にならないその歌を、滑稽だとして世間の大勢の人が笑っているにすぎない。

 それを──オレは許すことができなかった。

 

(彼女の今までの努力は、けっして笑われるようなものじゃない!)

(アイツの実力は──走りにしても歌にしても、いまやバカにされるようなレベルじゃないんだ!)

 

 その本気のオレの怒りに、たづなさんと理事長は思わず息をのんでいる。

 一方で、黒岩のヤロウは──オレの言葉を全部受け止め、それから涼しい顔で切り返してきた。

 

「ふむ……しかし大事なことは、話題になることだ。おかげで彼女は注目されている」

「その注目のされ方に問題があると言っているんだが──」

 

 激高し、掴みかからんばかりのオレに、黒岩は開いた手のひらを突きつけて制した。

 

「なるほど。しかしキミの担当しているウマ娘……ダイユウサクといったね。では、彼女は今までどれだけ話題を世間に提供し、注目を集めてくれたのかね?」

「なに……?」

「彼女の同期にはたしかオグリキャップがいたね。彼女は素晴らしい。中央出身ではないのは惜しいところだが……いや、むしろそれが大衆の心を掴み、その活躍もあって大人気になっている。国民的アイドルになれる逸材だと私は思っているよ」

「く……」

 

 悔しいが、事実だった

 オグリキャップの人気は、とどまるところを知らない。

 今までの秋の天皇賞、ジャパンカップ、そして去年末にあった有馬記念でのタマモクロスと3度の激闘。最後の決戦でついには勝利を収めてその栄光を掴んだ。

 その熱い勝負に──オレだって心揺さぶられたさ!

 

「彼女の走る姿は人々を熱狂させ──私の仕事も忙しくしてくれている。他にも、天才トレーナーと二人三脚で菊花賞をとったスーパークリーク。ジュニアの頃から活躍してダービーの栄冠を勝ち取ったサクラチヨノオー。去年の皐月賞をとったヤエノムテキもその無骨なまでの真摯な姿勢から人気が高い。それに、彗星のごとくデビューして一気に輝き、ケガからの復活を心待ちにしているファンが多いメジロアルダン──」

 

 黒岩は次々と人気のあるダイユウサクの同期達を挙げていく。

 

「ああ、そうだ……骨折からの復帰を期待されているといえば、去年のオークスを制したコスモドリームもだな。彼女はその快活さや勝負服(コスチューム)から子供からの人気も高くてね。そういえばその従姉妹だそうじゃないか、ダイユウサクは……」

 

 再び眼鏡のブリッジを押さえ──黒岩はオレをじっと見る。

 

「さて……その優秀な従姉妹を持った、キミのウマ娘は今までURAにいったい何をもたらし、どんな貢献をしてくれたのかね?」

「それは……そんな一部の人気ウマ娘と比べられたら、他のウマ娘達は──」

「キミの言いたいことはわかる。トップアイドルたる存在になれるのは、この学園に数多(あまた)所属するウマ娘達の中でもほんの一部だ、と」

「そうだ!!」

 

 オレが怒鳴ると、黒岩は──肩をすくめた。

 

「ならば──その特別でない者も、URAの少しは役に立って然るべきだとは思わないかね。強い輝きで人々の心を掴めないのなら、人々の心を引くくらいには貢献して欲しいのだよ。たとえそれが多少……()()()()光であっても、ね」

「な、んだと……」

 

 ダイユウサクをどこまでも卑下するその男を、オレは到底許すことができなかった。 握りしめた拳が、わなわなと激しく揺れる。

 それを一瞥した黒岩は──大きくため息をついた。

 

「やれやれ、キミは何も分かっていないな。落ち着きたまえよ、乾井クン……キミだって昨日、何が起こったのか知らないわけではないのだろう?」

「昨日?」

 

 話を変えた黒岩に、眉をひそめるオレ。

 アイツは冷たい目でオレを見つめる。

 

「……昨日の皐月賞のことは、話題になっていると思うが?」

「それは──」

 

 昨日の皐月賞では、かなり大きなハプニングがあった。それはもはや“事件”といっていいレベルのものだ。

 有力なウマ娘がレース途中で転倒し、大怪我──というのも生ぬるい。未だに生死をさまよっているような大事故が起きたのである。

 

ミラクルバード事件。そのおかげで、皐月賞の方はそれどころではなくなってしまっていてね。そのレースの映像を流すわけにもいかず、それが無いのも含めて皐月賞のウイニングライブも視聴が伸び悩んでいるのだよ。そんな中で先週末のレースで唯一、再生数が伸びているのは──あのウイニングライブだ」

「謝罪……乾井トレーナー、本当にキミとダイユウサクには申し訳ないと思っているのだが、彼のいうことは事実なのだ。あの事故でURAのイメージが悪くなるのを、彼女のおかげで救われているところがある」

 

「ダイユウサクに……URAの盾になれって言うんですか、理事長!!」

 

 カッとなって言ってしまったオレの大きな声に、理事長は思わずビクッと首をすくめる。

 その姿に、オレは却って冷静になり──

 

「……すみません」

 

 と、小声で謝罪した。

 そんなオレに、黒岩理事は──

 

「乾井トレーナー、キミは先ほど“笑われている”と言ったが、そういうわけでもない。あの涙の意味を知って、純粋に彼女を応援しようとする言葉も多くあがってきている」

 

 そう言って、オレに資料を見せる。

 その中には確かに「なんで泣いているのか、気になって調べた。納得した」「そりゃあ、泣くわ」「泣いていい」といった経緯に同情する意見が多く寄せられていた。

 

「これでもまだ反対かね? かくいう私も、感心しているのだ。同期からずいぶんと遅れたドン底のデビューからの逆転。この奇跡のシンデレラストーリーの幸福な結末(ハッピーエンド)にね」

 

 そうまで言われたら……オレも引き下がるしかなかった。

 確かに、アイツの苦労を分かってくれる人がいるのは、本当にうれしいと思っている。

 だが──やはり、納得はできなかった。

 なによりも本人が、あんなウイニングライブを不満に思っているんだから。

 

「……黒岩理事」

「何かね?」

 

 ──だから、気にくわないこの理事に言われっぱなしってのは気が済まなかった。

 

「まるで終わったような言い方ですが……違います」

「なに?」

「アイツが奇跡を起こすのは──これからですよ」

 

 オレがニヤリと笑みを浮かべると、黒岩理事は面白くなさそうに鼻白む。

 

「アイツが……オレとアイツで、これからも奇跡を起こしてやる! 覚えておいてくださいよ!!」

「ふむ……期待しないで待っていよう。是非ともURAの発展に寄与してくれ」

 

 そう言い捨てると、黒岩理事は理事長室から去っていった。

 それを厳しい目で睨んでいたオレだったが──ふと、不安そうな目が向けられているのに気がつく。

 

「……理事長?」

 

 オレが彼女を見ると──トトッと近づいてきて、オレの手を掴んだ。

 そして見上げるように、オレの目をじっと見つめる。

 

「懇願ッ! 乾井トレーナー……ダイユウサクのこと、頼む。彼女のために……ウマ娘のためにここまで一生懸命に怒ってくれるなんて、本当に感動したのだ」

「トレーナーなら普通のことじゃないですか。それよりも──さっきはすみませんでした。ついカッとなってしまって……」

「不問ッ! 気にする必要など無い! おかげでトレーナーの熱い思い、しっかりと伝わったぞ」

 

 理事長は小さい体のその手を精一杯伸ばして、オレの手を掴み、ブンブンと縦に振るのだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 黒岩理事の突然の訪問も驚きましたが、乾井トレーナーがやってきたのにも驚きました。

 理事長秘書として、私──駿川たづなは危惧しています。

 あのURAの財布を握る黒岩理事は、さらなる力を求めてこの中央トレセン学園での力を強め、理事長の座を明らかに狙っているように思えます。

 今の秋川やよい理事長は利発で聡明、そして行動力のある方ですが──いかんせん、社会経験という点では黒岩理事とは歴然の差。

 彼の巧みな手腕を考えると、秋川理事長の座は盤石とは言い難いのです。

 

「たづなッ! 先ほどの様子……見たか!?」

「先ほど、と言いますと……どちらでしたでしょうか? 黒岩理事……」

「愚問ッ!! そちらではなく、もちろん乾井トレーナーの方だ!!」

 

 秋川理事長は興奮した様子で、目をキラキラとさせていた。

 理事長がこういう態度をとるのは珍しいんですが……見た目相応の少女のようで微笑ましく感じてしまいます。

 

「やはり、私の目に狂いは無かったな!! ダイユウサクの……《アクルックス》の件、彼に任せて正解だった」

「そうですね……私もそう思います」

 

 正直なところ──私は、最初は反対していました。

 というのも、乾井トレーナーは良くない噂が流れていましたから。

 それが事実無根であるのは、周囲のトレーナー達の証言や、明らかになった事実からも判明したのですが、それを積極的に自分から晴らさない消極的態度に疑問を感じていたからです。

 もしもウマ娘たちに危機が迫ったら──彼は果たして守ってくれるだろうか。

 それほどの積極さがないのでは? と疑ったんです。

 だから今回の──ダイユウサクさんの動画問題は、私もかなり思うところがありました。

 黒岩理事の言うことに、URAという組織として一理あるのは分かりますが、私個人としては、やはり可哀想すぎる、と思っていたので。

 ですから、今回、乗り込んできて──居合わせたのは偶然でしたが、黒岩理事に言いたいことを言ってくれたのは、溜飲が下がりましたし、正直、乾井トレーナーを見直したところもあります。

 

「あの黒岩にもガツンと言っておったしな。やはり見所ある奴だった……うむ!!」

 

 理事長は上機嫌に、扇子を広げている。そこには「天晴ッ!」の文字が。

 頭上の猫ちゃんも、「ナァー」と機嫌良く鳴いているところを見ると、理事長の機嫌の良さを感じているのでしょう。

 

(乾井トレーナー、理事長に気に入られたのかもしれませんね)

 

 黒岩理事という強敵と戦わなければならない秋川理事長には、味方は一人でも欲しい。

 私はそう思い──彼の存在を心強く感じ、理事長の気持ちを大切にしてあげたいと思うのでした。

 




◆解説◆

【URAからの使者】
・タイトルに「大激怒」を使ったので、タイムボカンシリーズ第5作目のヤットデタマンの第1話タイトル「必見!未来からの使者」から。
・「大激怒」はヤットデタマンでの三悪であるミレンジョ、コケマツ、スカドンの三人+αが、主役ロボットの大巨人を悪口で3回怒らせてしまい、それがトドメをさしに来た時の台詞。
・大巨人は「悪を憎んで人を憎まず」と慈悲の心を強調するが、悪口を盗聴してまで聴いていたりする。寛容なのか違うのかよくわからん。

第6走目
・競走馬ダイユウサクの第6戦目は1989年4月29日新潟競馬場の第9レースで三条特別という400万下の条件戦。
・ダートの1200メートルで、当日の天候は晴れ。ただし馬場は重。
・そして結果は4位。
・しかも道中も終始3位という、見せ場もなく終わってしまったレースだった。

黒岩
・本作オリジナルのキャラ。非ウマ娘で、眼鏡をかけた痩身の男。
・URAの幹部であり、学園の理事を務める一人。
・URAではレースやウイニングライブ、広報映像を管理し、配信や販売をするコンテンツ管理部門を統括している。
・そういった関係でURAの財布を握っている一人でもある。
・おかげでポケットマネーを使うとはいえ、理事長の設備投資を含めた金の使い方をよくは思っていない。(維持費もかかるし)
・自分の方がもっと効率よく経営できるし、そうすれば競走のレベルも上がる──と思っている。
・そのため、理事長の座を狙っている一人。
・なお、名前の「黒岩」は悪役のつもりで出したので、「黒いわ」から。
・アニメ2期に出てきた黒沼トレーナーの存在をすっかり忘れて、「黒」をかぶせてしまった。

ひどいもの
・例として挙げられたのは、全部アニメ1期(第3話)が元ネタ。
  棒立ち────→スペシャルウィークの初ライブ
  転倒─────→ダイワスカーレットとウオッカ
  勝手な振り付け→ゴールドシップ
って、全部《スピカ》じゃねえか!!
・ただ、《スピカ》の4人と違って、ダイユウサクはデビュー前が長かったので、きっちりトレーニングしていた様子で、準備もばっちりだった。

天才トレーナー
・本章は『シンデレラグレイ』準拠なのでスーパークリークのトレーナーは、偉大な父を持ち、自身も若き天才トレーナーとして名をはせる奈瀬(なせ) 文乃(ふみの)
・髪をショートカットにした切れ長の目が特徴的で、一人称は「僕」。
・シンデレラグレイ第44話のラストで初登場し、45話で名前が判明して初台詞。
・そのモデルは──ぶっちゃけ、(たけ) (ゆたか)騎手。
・名前の「なせ」は「たけ」を五十音表示で同方向に一つずつずらすと「た→な」「け→せ」になる。
・「偉大な父」→故・武邦彦氏のことか?
・他にも若き天才だったり、一人称が「僕」だったり、女性人気が高かったりと、性別以外はほぼ一致。
・あれ? 彼女が武 豊に該当するのだとしたら──ひょっとしてメジロマックイーンって、『シンデレラグレイ』でのトレーナーって、まさか……

ミラクルバード事件
・あ、これも現時点では気にしないでください。次章へのネタ振りです。
・事件の概要を説明すると、菊花賞のレース中にウマ娘同士が激しく接触し、派手に転倒したもの。
・当事者の一人、ミラクルバードは吹っ飛ぶようなほどの派手な転倒(参照:車田落ち)で、頭を強く打ち、首にも大きなダメージを受けた様子で現在(レースの翌日)は集中治療室に入って治療中。まったく予断を許さない状況。
・というかなり大きく、厳しい事故です。
・URAへの影響も大きいと判断され、緊張が走っている状況。
・実際、自動車の速度くらいで生身の人が走っているようなものですから、バランスを崩して派手にぶつかり合えば、こういう結果になってしまいます。
・ですので、直前のダイユウサクのレースでも、妨害行為が実行されていれば、このような結果になった可能性も十分ありました。
・シンデレラグレイだと、ミニーザレディとかノルンエースが妨害行為をやったりやろうとしてましたが、本来ならそれほどまでに危険な行為。
・さて、もちろんですが──現実では元になったような事故や事件、アクシデント、トラブルはありません。
・──で、このミラクルバードという存在が、次章でなにが舞台になるかの大きなヒントになってしまうので、できれば検索とかかけないでいただけると……次の元ネタがネタバレしないで済むので。
・それでも入れたのは──ぶっちゃけ入れるタイミングが難しくて今回(89年モデル)か次回(90年モデル)くらいしかなかったから。
・91年と92年は、トウカイテイオーとミホノブルボンというすでにウマ娘になっている競走馬が制していますし、次章開始前にこなしておかないとイベントなので、あまり遅くもできなかったという理由。
・さらに前の88年ではシンデレラグレイと矛盾が出てしまうし、タイミング的に早すぎたから。
・裏でこっそり「そういうことが起こっていた」という処理にもできたのですが、偶然にも皐月賞とレースが直近で、ダイユウサクの映像を使ってイメージアップを図ったというネタにできる+α、で今回出しました。

理事長の気持ちを大切にしてあげたい
・たづなに気がある乾井トレーナー……
・乾井トレーナーを気に入って懐く秋川理事長……
・秋川理事長を献身的に支えようとするたづなさん……
・──と、完全に三すくみになってしました。


※次回の更新は7月10日の予定です。  


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第23R 大挽回! 復活のコスモ

 ……さて、オレとダイユウサクが新潟での第6戦を終え、飛行機で大阪へと飛んだ。

 そこからさらに移動してたどり着いたのは──京都。

 京都は空港が無いから、こんな経路になったわけだが……

 

「なんとか今日中にたどり着けたな」

「そうね。新潟から京都とか、結構無理のある移動だったわね……」

 

 ようやくたどり着き、オレとダイユウサクは大きなため息をついた。

 というか、旅費もぶっ飛んで、心の底からため息をつきたい。

 こんな無茶な道程になったのはひとえにダイユウサクのわがままのせいだった。

 曰く──どうしても、この日に京都に着いておきたい、と。

 

(確かに、新潟からとんぼ返りで東京に戻り、翌日に京都までいく手もあったけど……そっちの方がもっと慌ただしいからな)

 

 ともあれ、ようやくたどり着いたオレ達はあらかじめ予約していた宿泊先へと向かう。

 そこには──

 

「やっときたね、ユウ!!」

「まったく、遠いったらなかったわよ、コスモ……」

「先輩も、おつかれ」

「ああ。今回限りだからな、こんなことは……」

 

 移動費ばかりかかって、こんなことを繰り返していたら、我がチームの予算は破綻してしまう。

 待っていたのは、コスモドリームとそのトレーナー、巽見 涼子だった。

 というのも今日は土曜日であり、明日の日曜日にはこの京都にある京都レース場で、コスモドリームの復帰戦がある。

 その応援のために、多少無茶な日程ではあったが、今日のうちに乗り込んだのだ。

 コスモドリームの復帰戦をどうしても直で見たい、というのが先のダイユウサクの“わがまま”の内容である。

 

「……明日はレースなんだから無理に起きていなくて良かったのに」

「そんな! せっかくユウが来てくれるのに、顔を見ないで寝てるなんてできないよ!」

 

 そう言ってコスモドリームはダイユウサクに抱きついた。

 本当に、仲のいい従姉妹だよな。

 ダイユウサクからは、去年は喧嘩していたという話を聞いたことがあるが、正直、想像できない。

 

「まぁ、ダイユウサク。お前も今日はレースを走ってきたんだ。疲れているだろうから、さっさと休もう。コスモドリームに負担もかけられないしな」

「分かってるわよ……」

 

 オレの言葉に、ダイユウサクは不満げに振り返る。

 

「あ、そうそう。ユウ、4位おめでと──」

「ちっっっっっともおめでたくなんて、ないわ!!」

 

 機内で逆鱗に触れてあれ以来、オレが触れずにいたところをコスモドリームに触れられ、ダイユウサクは再び不機嫌になった。

 

(乾井トレーナー、ユウ、どうしちゃったの?)

(1位を取れなかったのが不満だったのさ)

 

 小声で聞いてきたコスモに、少しだけ誤魔化して返す。

 彼女は天真爛漫というか、天然というか……正直に「ウイニングライブをやり直したかったから」と言えば「えぇ~、あのライブ、良かったじゃん。ユウの感動がスゴく伝わってきたよ」と言いかねない。

 彼女に悪意はないが、それでダイユウサクが機嫌を直すわけがないし、泥沼になるのは間違いない。

 

(──で、不機嫌の当たり場所になるのは、間違いなくオレだからなぁ)

 

 コスモドリームに当たることは絶対にないし、巽見とはそれをぶつけられるほど親しくもない。

 それを避けるために、コスモドリームにはあえてああ言ったのだ。

 くわばらくわばら……

 

「うん! じゃあ、コスモが明日、1着を取ってくるよ!!」

「「はぁッ!?」」

 

 やっぱり、コスモドリームは発想が斜め上だった。

 というかまったく読めない。

 彼女は善意100パーセントの笑顔を浮かべ、Vサインまでしている。

 

「あのねぇ、そんなに楽なレースじゃないでしょ? それに半年も実戦から遠ざかってるのに……」

「いいや! ユウが取れなかった一着を、コスモが代わりにとってくる。だから──応援よろしくね」

 

 コスモはそう言って爛漫な笑みを浮かべ──ダイユウサクの手を引いて二人の泊まる部屋へと引っ張っていった。

 それを見送っていると──

 

「──あ、先輩の泊まる部屋は、私と一緒じゃないわよ?」

「当たり前だろ」

 

 悪戯っぽく笑みを浮かべる巽見に対し、オレは大きくため息をついて呆れた。

 どうせ巽見の傍らには竹刀があって、領域侵犯したらブン殴られるってオチが付くだけだろ、そんな展開。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

『コスモドリームだ! コスモドリームだ! コスモドリームだ!! 昨年の“樫の女王”がついにターフに帰ってきたぞ!!』

 

 最後の直線で猛烈な追い上げを見せてトップに並ぶコスモドリーム。

 彼女の末脚は冴え渡っていた。

 その前を走り続けることは誰も許されず──そして後ろから誰も追いつくこともできない。

 そんな光景に──アタシは感極まる。

 

「コスモーッ! いけーッ!!」

 

 アタシの声援を聞いてか、コスモはグンと踏み込み──低い姿勢のまま、ゴール板を駆け抜けていった。

 

『コスモドリーム、オーストラリアトロフィーを制しました~ッ!! 昨年のオークス以来の勝利ーッ!!』

 

 そんな実況で改めて気がつく。

 あぁ、そうか。コスモってオークスから勝ってなかったんだっけ。

 オークスの後の高松宮杯は3着──オグリキャップに負けちゃったし、そのあとの小倉記念も京都大賞典も2位だったもんね。

 

「きっと、悔しかったはずよね……」

 

 ウイニングランで観客の声援に、両手を振って応えるコスモ。

 彼女の満面の笑顔に、アタシも思わずほっこりと笑顔になり──

 

「なぁ、ダイユウサク。一つ訊いていいか?」

「なによ、今、コスモの勇姿をこの目に焼き付けて──」

 

 話しかけてきたトレーナーをコスモを見ながら邪険にし、ちょっとぶっきらぼうに答えた。

 ちょっとだけ、罪悪感はあったけど、でも仕方ないでしょ。

 こんな良い場面で話しかけてくる方が──

 

「コスモドリームのことだが、普段の生活で足の違和感とか言ってなかったか?」

 

 ──はい?

 この人は、何を突然……アタシは思わず振り返る。

 

「そんなこと、一言も言ってなかったけど……」

「そうか。じゃあ、オレの気のせいだな。悪ぃな、変なこと訊いて」

「ちょ、ちょっと待ってよ。勝手に自己完結しないで。どうしてそう思ったの?」

 

 顔だけでなく、体ごと正面にして向き直ったアタシを見て、彼は困ったようにガシガシと頭を掻く。

 そして少し面倒そうに言った。

 

「いや、本当に気にしなくていい。ちょっと違和感を感じただけだ。去年の──オークスでの走りに比べると、迫力がなかった。力が籠もってないっていうか、踏み込みが足りないというか──」

「それって……骨折から復帰して、まだ完全に元の走りに戻ってないだけじゃないの?」

「ああ、オレもそう思う。だから訊いたんだ。違和感があって元の走りができなくなったんじゃないか、と疑ってな」

「そんな……」

 

 アタシの不安そうな顔を見て、トレーナーはますます困った顔になり、苦し紛れに苦笑した。

 

「だから、気にすんな。コスモドリームは半年もブランクが空いちまったんだからそのせいだろ」

「それはそうだけど。でもアタシだって4ヶ月のブランク空けたら調子よくなったけど?」

「お前の場合は、体と心が休息を必要としていて、おかげで本来の力が出るようになっただけだ。それに走ることもできただろ? 骨折のせいで長いこと走れなかったアイツとは違う」

 

 そう言って、トレーナーはコスモの方を見る。

 相変わらず彼女は、観客席に向かって腕を突き上げ、その声援に応えている。

 

「これから勘を取り戻して、ますます磨きが掛かっていくだろ。それこそ──オグリと戦えるくらいに、な」

「オグリ、キャップ……」

 

 その名前を聞いて、アタシは少し暗い気持ちになる。

 彼女と知り合ったのは、まだまだデビューまでほど遠いような実力しかなかったころ。

 あのころから比べれば、アタシは十分に力が付いて、他のウマ娘と十分に競えるくらいになった。

 だからこそ感じる──オープンクラスとの実力差を。そして、現役最強クラスの、彼女の力と自分との差を。

 これは自分に力が付いたからこそ、感じられるようになったものだと思う。

 現に、コスモとだって──

 

「ユウッ!!」

 

「──ッ!?」

 

 考えにふけっていたアタシは、観客にパフォーマンスをしていたコスモが、いつの間にかそれを終えて、観客席の最前列に陣取っていたアタシ達のところへ気がつかなかった。

 おかげで飛び上がらんばかりに驚いたけど──

 

「アハハッ!! ビクッてなった! ビクッてなった、今!!」

「コスモ~!! 落ち着きなさいよ。レースに勝った直後でテンションがおかしくなってるわよ」

 

 爆笑するコスモを、少しの気恥ずかしさもあってなだめる。

 だけど、コスモはその調子のまま、アタシにVサインを突きつけた。

 

「約束通り、一着をとってきたよ」

 

 天真爛漫な笑み。

 彼女は間違いなくアタシがほめてくれるのを待ってるし、以前の──去年のアタシだったら素直に「スゴい!! よくやったわねッ!!」と心の底から褒めちぎることができた。

 でも、今のアタシには──もちろんコスモが勝利して本当に嬉しい。たとえチームが違っていようとその喜びを分かち合いたいと言う気持ちにウソはないけど──心の奥底の片隅にほんの少しだけ彼女を「うらやましい」と思う感情が生まれていた。

 

(一着をとると宣言して、本当にそれを実現できる──その強さが、本当に……)

 

 それができる彼女もまたオープンクラスという、雲の上の怪物なのだ。

 そんな暗い感情──“嫉妬”を押し殺し、アタシはきっちり笑顔で褒める。

 

「うん、スゴいわ!! よくやったわね、コスモ!! 10ヶ月ぶりの勝利、おめでとう」

 

 そんな感情があったから、余計な言葉が付いちゃったのかもしれない。

 それを聞いたコスモが笑顔を浮かべたままなのに、少しだけイラッとしたのに気が付いたのは、やっぱり長年の付き合いと数年の同居生活のおかげだと思う。

 なんとなく……その笑顔の上に、青筋が浮かぶイメージが沸き上がった。

 

「うん! これからウイニングライブだけど……コスモ、久しぶりすぎて号泣しちゃうかもしれない!」

「──ぶっとばしてあげるわ!」

 

 観客席の柵を乗り越えてコスモに掴みかかろうとしたアタシは、慌てたアタシのトレーナーと、近くにいた係員の人に取り押さえられた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 京都からの帰り道──アタシはトレーナーと新幹線に乗っていた。

 コスモのウイニングライブまでは見たけど、その後の処理や手続きで彼女と巽見トレーナーの二人が、より遅くなるのは明らかだった。

 明日は平日だし、それにつき合うわけにいかず、アタシとトレーナーは一足先に帰宅の途についたってわけ。

 

「ねぇ、トレーナー……」

「うん?」

 

 前の座席に取り付けてあるテーブルを展開させて、その上にノートパソコンを置いてなにやら作業をしているトレーナーは、見た目だけは「仕事が出来る人」みたいに見える。

 彼が、アタシの呼びかけに作業の手を止めずに答えたので、さらに続けた。

 

「昨日のレースは……ごめんなさい」

 

 アタシが謝ると、彼は作業を止め、驚いた様子でこちらを見てきた。

 なんか、それはそれで、アタシが謝るのが珍しいみたいで癪な反応よね。

 

「……いきなりどうした? いや……何に関して謝ったんだ?」

「昨日のレースは、思い返したらちょっとヒドかったなって思って」

「4位入賞が悪いとは、オレは思ってないけどな」

「ううん……結果じゃなくて、レースに臨む姿勢が、ね」

 

 ジッとこちらを見つめてくるトレーナーの視線に耐えかねて、アタシは視線を車窓に向ける。

 新幹線の速い速度で景色はあっという間に流れていくはずなんだけど──外は真っ暗でよくわからない。

 

「アタシ、昨日のレースは1位になることじゃなくて、ウイニングライブのことしか考えてなかった」

「……なるほどな」

 

 ちょっとだけ間があったのは、トレーナーは気づいていたってことよね。

 ま、昨日のアタシの態度を考えたら当然か。

 

「今日のコスモ──“1着をとる”って宣言して、それを成し遂げた姿を見てたら思い知らされちゃって……口に出した言葉に責任もって、きちんとレースに向き合って、そして勝つ。それが出来ているのがすごい。だから強いのかなって」

競走(レース)のモチベーションに、ウイニングライブを考えるのは、よくあることじゃないのか?」

 

 ライブのセンターを争う、というのがトゥインクルシリーズなのだから、その目標は正しいと思う。

 センターに立つ。2位や3位でも勝負服を来てライブで歌う。

 もちろん、それが夢になるし、アタシもそれを目指して走ってきた。

 

「ライブを目標にするのと、ライブのことしか考えないのは違うでしょ?」

 

 レースの結果が伴わなければ、そこにたどり着くことさえ出来ない。

 アタシは到着地点だけしか見ておらず、そこまでの過程を疎かにしすぎてしまったのだ。

 

「同じ失敗はもう繰り返さないわ。だから──7走目、よろしくお願いね」

「……ああ、わかった。レースの選出と出走登録、それに向けたトレーニング……全部まとめて任せておけ」

 

 トレーナーはそう言って優しく笑みを浮かべる。

 

「また明日から、忙しくなるからな」

「ええ、臨むところよ!」

 

 

 ──そして7戦目の京都レース場。

 そこは思い出深い──わけがない、アタシのデビューしたレース場。

 まぁ、無我夢中だったからほとんど覚えてないんだけどね。

 

 その結果は──アタシは僅差のアタマ差で勝利をつかみ、2勝目をあげることができたわ。

 コスモに負けていられないもの。

 

 

 ──え? ライブ? 普通に歌ったわよ。当たり前でしょ!!

 

 

 ……でもね。

 

──普通すぎ

──あれ? ダイユウサクさん、号泣は?

──号泣のその先を期待していたのに

──普通過ぎてワロタ

──普通に面白くない

 

 

 とまぁ、ネットでは不評だったけど……

 

 

 ──あぁ、もう!! やっぱり面白くはないわねッ!!

 そのうち絶対に、センターで普通に歌うのを普通のことにしてやるんだからッ!!

 

 

 




◆解説◆

【復活のコスモ】
・あれ? 前も「復活のナントカ」って使わなかったっけ?
・とお思いの方、安心してください。あれは歌詞から「復活の時」を拝借しただけです。
・で、今回のは『伝説巨神イデオン』の第一話タイトル「復活のイデオン」からです。

こんな経路
・そちら方面の地理や交通に疎かったので、最初は「新潟から京都? 電車で北陸経由で行けば数時間で着くだろ」と勝手に思ってました。
・実際、車だとそのルートらしいです。
・で、調べてみたら電車で一番速いのは新幹線で新潟から東京に戻り、そのまま京都へ向かうというルート。
・これだと時間もお金も距離もかかるので、飛行機を使うことにシナリオ変更しました。
・ちゃんと調べないとダメだなぁ。
・ちなみに、これでお金がかかったので、乾井トレーナーは「バイクで移動したら安上がりじゃね?」と思い、買うかどうか迷っていた趣味の大型バイクを購入することになります。(大型自動二輪の免許は取得済み)

オーストラリアトロフィーを制しました
・史実通り、復帰戦のオーストラリアトロフィーを制したコスモドリーム。
・なお、そのレースは1989年4月30日に行われたもの。
・ちなみに3レース一環になっているそのオーストラリアデーは1989年から始まり、各レースもそこから開始されいる。
・つまり、史実のオーストラリアトロフィーの初代優勝者はコスモドリームでした。
・ちなみに設立当初はオープンクラスだったのが、2011年から4歳以上2勝クラスに変更されています。
・距離はもっとコロコロ変わり、コスモドリームが制した年と翌年は2200で、以降は1800だったり、2000だったり、1600になったり、1400や1200で開催したりと安定せず、しかも年代ではなくその年レベルで変更されているような有様。
・会場が違う1994年と2021年はまだわかるけど……本当に変わり過ぎ。
・ちなみにこのシーンの実況はオリジナルです。動画とか残っていないんで。

踏み込みが足りない
・みんなのトラウマ。踏み込みマジ大事。
・これが足りないばかりに、“魂”を込めたフィンファンネルだろうが、“熱血”してのハイパーオーラ斬りだろうが、名前もない兵士に切り払われてしまう。
・……ええ、スパロボネタです。
・プレステよりもサターン派だった書いてる人は、スーパーロボット大戦F完結編でこれの被害によく遭いました。何度リセットかけたことか。
・詳しく解説しますと、スーパーロボット大戦に「切り払い」という技能がありまして、実弾系(ファンネル含む)や格闘攻撃を一定確率で無効化して防ぐスキルなのですが……例によって例のごとく、命中率98%を高確率で敵が避け、5%で味方がよく被弾&撃墜されるスパロボ確率ですから、敵はそりゃあもう高確率でこっちのとどめの一撃を“切り払”ってきます。(そして反撃の数パーセントを命中させてリアル系の主役級を撃墜)
・F完結編ではその“切り払い”を原作のネームドキャラがやるのならともかく、エリート兵や強化兵といった一般兵の類がやって来るのだから始末が悪い。イライラはMAXです。
・で、その一般雑魚兵が“切り払い”を発動させたときに言うセリフの一つが「踏み込みが足りん」
・ファンネルに踏み込みもなにもあるかよッ!!

7戦目
・競走馬ダイユウサクの第7戦は1989年5月13日(土)京都レース場の第8レース。おなじみになってきた4歳上400万下の条件戦。
・芝の1600メートルで、天気は曇りで馬場は重……ここ数戦、良馬場に恵まれませんね。
・結果は見事に1位で二勝目を飾る。
・その展開は──道中は2位で、最後に先頭をとらえてそのままゴールへ。
・上り3ハロンも4番目と悪くなく、勝てる実力をもった馬へとすでに変わっています。
・なお、翌日に開催された安田記念はウマ娘にもなっているバンブーメモリーが制しています。
・そのバンブーメモリーと近々戦うことになるのですが……


※次回の更新は7月13日の予定です。  



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第24R 大口論! ある日の喧嘩(ケンカ)、いつものウマ娘心

 
♪こっこ ろ~も~ 満タンに~♪

 歌を口ずさみながら、コスモは風を感じていた。
 腰をつけた芝生は青々と繁り、そこ感触は心地良い。
 そして近くに置いたラジオからは──今日やっているレースの実況が流れてくる。

今日は……勝てなかったか、ユウ…………」

 今さっき、ゴールして競走は終わっていた。
 時刻は午後4時をとっくに回ってた。
 この時期は日が長いからまだまだ明るいけど、冬場なら日が沈みかけるような時刻なんだよね。
 こんな遅いレースはユウは未経験なんじゃないかな、とふと思った。

(──ダイユウサク。コスモのルームメイトで従姉妹)

 同じウマ娘で、去年の秋にデビューしたけどぜんぜん勝てなくて──今年の4月に初勝利。
 そうしたら──

「それを含めて、最近の4戦は2勝して4位が1回。そして今回が2位……か」

 強くなった、と思う。
 前走の勝利でクラスが格上げされたから、全体的なレベルが上がったはずなのに、それでも2位だったんだから。
 しかも2000メートルの競走は初挑戦のはず。

「負けて、いられないよね! コスモも……」

 立ち上がって数回膝の屈伸運動をする。
 彼女の足音は、後ろに聞こえているような気がした。
 だからコスモも走らないと。
 いつか一緒に走りたい。
 でも絶対に追いつかれたくない。
 それがコスモドリームにとっての彼女、ダイユウサク──大親友であり、ライバル。

 でも、まだ──彼女と走るまでには時間がかかるだろう。
 なぜならコスモはさらに上のオープンクラス。
 昨年の“樫の女王”の称号は伊達じゃないんだからね。



 ──ある日のこと。

 

 コスモがトレーナーの巽見 涼子さんに用事があって、そのトレーナー部屋に入ろうとしたら、扉の向こうから大きな声が聞こえてきた。

 

「だ~か~ら~、その日は帰らずに一泊しましょうって言ってるでしょ!!」

「ダ・メ・だッ!!」

 

「──失礼します」

 

 コスモが声をかけてから扉を開けたけど……その大きな声のせいで誰も気がつかなかった。

 で、そこにいた男性トレーナーが胸の前で腕を交差させて“×”の字を作って拒絶してる。

 それを見て腹を立てているのは──コスモのルームメイト、ダイユウサクだった。

 

「ああ、もう! 本当になんて分からず屋なのかしら」

「そっちがな!」

「なんですってぇ!? 分からず屋はそっちでしょ!? だいたい、なんでダメなのよ!?」

「金がねえって言ってるだろ!!」

 

 ユウが詰め寄ると、負けじとばかりにトレーナーが彼女に指を突きつけた。

 

「いいか? この前、4月末に無茶して新潟から京都を強引に移動して一泊したせいで、金がないんだよ!! あのとき言ったよな。もう次はダメだって!」

「今回は全然、無茶じゃないわよ! 大阪に行って、そこで一泊するだけ。それで次の日に帰ってくるんだから……」

「そんな余裕さえもないんだよ!!」

 

 納得しないユウは声を荒げているけど、トレーナーがそう言うんだから仕方ないんじゃないかな。

 コスモがそれを見て──視線をずらすと、目的だった涼子さんと目が合う。

 彼女は二人を指さして、苦笑しながら肩をすくめてる。

 お互いに引かなくて、不毛な言い争いになってるみたい。

 

「この前のあの無茶……4月末って言ったらゴールデンウィーク中だぞ? おかげで割高だったんだよ。計画したのも急だったからより高くついたし、な」

「でも……せっかく、アタシとコスモの出走が重なったのに──」

 

 え? コスモの出走?

 たしかに計画はユウに話したけど……

 

「アタシが走るのは6月10日でしょ? その次の日は宝塚記念よ! コスモが出るって言ってたんだから。そうでしょ、巽見さん!?」

「え、ええ……まぁ、そうだけど。幸い、投票も入って選ばれたわけだし……」

 

 ユウの剣幕に押されて、苦笑気味に涼子さんが答えると、「ほら見なさい」とユウは自分を担当している乾井トレーナーに詰め寄る。

 そんな姿を見ていると──涼子さんがジト目を向けてきた。

 え? それって話しちゃいけなかったの?

 ユウも自分の走る予定を話してくれたから、ついコスモも話しちゃったんだ。

 彼女が出るのは鷹取特別ってレースなんだって。クラスが上がったから、出られるようになったのよ、って嬉しそうに話してたっけ。

 

「そのたった、一泊よ!?」

「その一泊の余裕さえもないんだよ。だからあの時に無茶しなければ……」

「仕方ないでしょ!? あの時はコスモの復帰戦だったんだから!」

 

 乾井トレーナーが責めるような目で見ると、ユウは少し気まずそうにしながらも、それでも強気の姿勢を崩さない。

 そんな彼女を乾井トレーナーはさらに責めた。

 

「で、今度はまたコスモドリームの応援のために一泊か?」

「でも……だって、G1よ? 宝塚記念よ!? 格が違うわ」

「良い身分だな、ダイユウサク」

 

 少し呆れた様子の乾井トレーナー。

 その口調が厳しくなってきた。

 

「いいか? クラスが上がったんだぞ? 油断してるとすぐに負けが重なるからな」

「うぅ~~~~」

 

 自覚があるからかな。ユウは反論できなかった。

 前走からクラスが上がってる。それでも2位だったのはすごいけど、逆に言えば勝ちきれなかったってことでもあるんだよね。

 クラスが上がるとやっぱり難しくなる、という実感はあったみたい。

 でも……ユウって知らない人には本当に無関心だけど、親しい人には──

 

「ケチ!! まもなくボーナスなんでしょ!?」

 

 ──そうやって遠慮ないよね。

 ほとんど子供じゃん……と半ば呆れながら見る。思わず苦笑しちゃったよ。

 

「なッ!? そんなの、まだ一ヶ月近く先の話で金が無いのに変わりはない! どんなに言われようと、無い袖は振れねえよ。あきらめろ!」

 

 ボーナスという言葉は多少は効いたみたいね。

 でも、たしか……涼子さんが言ってたけど、トレーナー個人のお金とチームの運用費は別にしないといけないって言ってたような……

 そうしないとトレーナー同士のマネーゲームが始まって、結局はトレーナーの能力よりも資金力がものをいうようになっちゃうから、それを防ぐためってことらしいけど。 

 

「ふん! たづなさんに甲斐性無しだって言いふらしてやる」

「なッ!? お前、それは卑怯だろ! オレの印象を悪くしようとか……」

 

 ユウのその言葉で、乾井トレーナーはかなり焦った表情になった。

 あの人弱点分かりやす過ぎだよね。もう完全にユウにバレてるじゃん。

 すると──

 

「…………もう、仕方ないわね」

 

 ふと、近くでの呟きが聞こえた。

 振り向けば、ため息混じりに一歩踏み出す涼子さん。

 彼女は、乾井トレーナーに近づくと呆れた顔で「先輩……」と声をかける。

 

「一泊くらい、いいんじゃない?」

「あのな! これはうちのチームの問題だ。我が儘を許していたらキリが無くなるんだよ」

「なによ! まるでアタシが子供みたいじゃないの、その言い方!!」

 

 ユウ……端から見てると、本当に子供みたいだよ?

 自分では気がついてないんだろうけど……

 

「でも先輩、どうせボーナス出たら趣味のバイク買うんでしょ? この前、そう言ってたわよね?」

「え……?」

「なッ!? なにを──」

 

 涼子さんがバラしたおかげで、ユウが乾井トレーナーをジト目で見る。

 それで露骨に動揺する乾井トレーナー。

 

「……それくらい余裕があるなら、宿泊費くらい出せるわよね?」

「それとこれとは別の金だぞ。それにまだ出てないんだから手元にないんだ。結果は一緒だ」

「なんでよ~!!」

 

 またユウがトレーナーに詰め寄るけど……袖を引っ張るその姿は、完全に親におねだりする子供そのものなんだけど……

 それを見て、意地悪い笑みを浮かべる涼子さん。ああ、この人は悪いこと考えてるな~

 

「えっと……私はヘルメット用意しておけばいいのかしら? タンデム用に」

「──ッ!!」

 

 キッと乾井トレーナーを睨むダイユウサク。

 乾井トレーナーは「ちょ、おま──」と恨みがましい目で涼子さんを見るけど、あの人は相変わらず笑みを浮かべていた。

 それを見て、乾井トレーナーは「悪魔め……」とつぶやいてる。

 うん、コスモもそう思う。

 

「どういうこと!? 二人してバイクで──二人乗りして出かけるってこと!?」

「いや、そうじゃなくてだな……というか、そもそもまだ買ってないし、いつ金が貯まるか……」

「でも、免許は持ってるわよね? 大型バイクの」

「そりゃあ趣味だから──って、巽見!!」

「やっぱり……アンタ達、うまぴょいする気で…………」

 

 詰め寄るユウ。

 言い訳する乾井トレーナー。

 それを叩き潰す涼子さん。

 完全に楽しんでる涼子さんはいじめっ子気質だよね、完全に。

 3人が喧々囂々に話をする様を、コスモは一歩離れた場所で見てるんだけど──これ、どう収拾つけるんだろ。

 ──なんて思っていたら、涼子さんが「アハハハ……」って笑い始めた。きっと満足したんだろうなぁ。

 

「いいわよ、ダイユウサク。向こうに泊まりましょ」

「なっ……おい、勝手に決めるなよ」

 

 反論する乾井トレーナーだったけど、涼子さんは魅力的な提案をしてくれた。

 

「ようは、費用を抑えればいいんでしょ? それなら私とコスモと3人で泊まればいいんじゃない? そうすれば割安になるんだから」

「あ……そっか」

 

 涼子さんの提案に、なるほどとコスモは納得した。

 そうすれば部屋は一つですむもんね。

 

「オイ、それじゃあお前に負担がかかっちまうだろ。ただでさえG1出走直前の担当を抱えてるのに、さらにもう一人面倒見るだなんて……」

「アタシは負担になんかならないわよ!」

 

 乾井トレーナーの涼子さんに対する気遣いに噛みつくユウ。

 それを見て涼子さんは笑みを浮かべる。

 

「そうよ。ダイユウサクだって一人前のウマ娘よ? 分別だってあるし、基本的に真面目だもの。コスモと一緒に引率したって負担にならないわ」

 

 そんな涼子さんの言葉に、ユウはうんうんと大きくうなずいてる。

 

「しかし、そうは言うがな……」

「先輩のことだから、別のチームだしなにかあったら迷惑がかかるって考えてるんでしょ? 心配無用よ。ちゃんとチーフにも許可はとるし、ダイユウサク(この娘)がいることで、コスモにもいい影響があるはずだから」

 

 さすが涼子さん。コスモのことをちゃんと見てくれてる。

 ユウがいると調子がいいことが多いってことに気づいてくれてたんだ。

 あれ? でもそれって──

 

「ということは、ユウだけ残って乾井トレーナーは帰るってこと?」

 

 コスモが言うと、ダイユウサクは途端に眉をひそめた。

 でも涼子さんは気にした様子もなく、笑顔でうなずく。

 

「そうね。先輩がいたら、どうしても2部屋は必要になるから。節約を考えたら、残る理由のない先輩は帰った方がいいわね」

「そ、そんなの駄目……」

 

 反論しようとしたダイユウサクに、涼子さんは意地悪そうな笑みを浮かべる。

 

「あら? それともダイユウちゃん、先輩と同じ部屋で寝る?」

「は? ……ハァッ!? そんなの出来るわけ無いじゃない!!」

「そうよね~。4人で1部屋ってわけにはいかないんだから」

「なッ!?」

「あら? その動揺の仕方、先輩と二人で一部屋だと思った? それとも……普段はそうしてるの?」

「そ、そそそそんなわけないでしょ!?」

「あのなぁ、巽見……それやったらオレが解雇(クビ)になるやつだからな」

 

 動揺するユウに対し、乾井トレーナーは呆れ気味に返していた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そうして予定が決まり、当日を迎えることになった。

 

 土曜日での阪神レース場の第10レース、鷹取特別

 前回の二度目の1位で、アタシはランクが上がった。

 だから今までより上のランクのレースに出たわけだけど──

 

「──追いついた! これで……」

 

 最後の直線まで2位だったアタシは、前を走っていた5番のゼッケンをつけたウマ娘についに追いつき──抜いた。

 道中、二番手を争った9番のウマ娘は、その少し前に「無理~」と言いながらズルズルと下がっていってる。

 だから──

 

(このレース、勝った!!)

 

 そう思った瞬間──横を他のウマ娘が抜けていく。

 

(なッ──!?)

 

『おっと、ワンダーメルベーユだ!! 人気通りの強さ! その末脚、恐るべしー!!』

 

 一瞬の隙をつくようにしてアタシの真横に現れたその影は、かっさらうかのように1着を少しの差で奪い──アタシは2着だった。

 

「く……」

 

 悔しい。

 目前で、勝ったと思って油断したのもあったのかもしれない。

 距離は──前回と同じだから理由にはならない。

 今日、勝ちきることが出来なかった理由には。

 

(やっぱり、クラスが上がったことでのレベルの違い、かしら)

 

 なんてことを、悔しさを紛らわすためにウイニングライブ前に考え込んでいたんだけど──

 そんな心ここにあらずなアタシを見た1着のウマ娘は首を傾げる。

 

「あら? 今日は二位で悔しいからって、号泣しないでくださいね」

「するか!!」

 

 思わずアタシはツッコんでいた。

 




◆解説◆

【ある日の喧嘩(ケンカ)、いつものウマ娘心】
・意外と、ネタに困ってるタイトル。今回はどうしようかな、と思っていたら「ある日のこと」で始めたのに気が付き──内容はと言えば“喧嘩”してる。
・それで浮かんだのが『Mighty Heart ~ある日のケンカ、いつもの恋心~』という曲のタイトル。
・ゲーム『つよきす』の主題歌ですね。ゲームも好きでしたが、この曲も好きでした。
・“ケンカ”を漢字にしたのはPCで見るときに目次で2行にしたくなかったから。
・え? 2学期? そんなものなかったよ?

♪こっこ ろ~も~ 満タンに~♪
・とあるCMソング。
・思わず口ずさんでいるのはコスモ繋がりから。

今日は……勝てなかったか
・該当レースはダイユウサクの8走目。
・史実の8走目は1989年5月27日の阪神競馬場の第12レース、4歳以上900万下の条件戦。芝の2000メートル。
・天気は晴れ。久しぶりの良馬場。
・結果は2位。逃げたヒラヨシルーキーに迫るもクビの差で届かず。
・今まで400万下だったのが、今回から900万下にランクアップしてます。
・しかも、今回はなんと一番人気。初めての一番人気でした。

4月末に無茶して新潟から京都を強引に移動して一泊した
・23話参照。
・あのとき思った方もいたかもしれませんが……「一泊する必要、なくね?」と。
・ええ、私も思いました。
・シナリオ的には、今回のこのシーンで金欠にするため、あえてダイユウサクのわがままを通したのです。

宝塚記念
・G1レースの一つ。
・ゲーム版ではクラシック以降の6月後半に阪神レース場で開催されるG1。芝の2200メートルで中距離レースに該当。
・史実では1960年から開始されたG1レースで、当初は1800メートルだったのが、翌年に2000メートル、1966年に現在の2200メートルになる。
・特徴的なのは、人気投票で出走馬が決まること。
・これは先に創設された有馬記念の出走馬決定方法に倣ったもので、「有馬記念の関西版」として、下半期の締めくくりである有馬記念に対し、上半期の締めくくりに行われるレースとして、春の中距離実力日本一決定戦になった。
・今回のモデルになるのは1989年の第30回。ファン投票1番だったのはヤエノムテキでした。
・6月前半に開催されていたレースで、現にコスモドリームが出走した1989年も6月11日に開催されましたが、1995年から7月の前半、2000年から現在の6月の後半に開催されています。
・ゲーム版では最近の日程になるので、6月後半になっています。

鷹取特別
・ダイユウサクの9走目。ゲーム版では出てこないレース。
・史実でダイユウサクが出たのは1989年6月10日(土)に阪神競馬場の第10レースで行われたレース。
・距離は2000で芝。
・当日の天気は曇。馬場はまたしても重でした。
・この年は12頭立てで、ダイユウサクは3番人気。
・道中2位で、逃げていた先頭を終盤で抜いたのですが──

5番のゼッケンをつけたウマ娘
9番のウマ娘
・5番はミントスター、9番はハインリッヒというウマ娘。
・ミントスターは逃げをうって、このレースを引っ張り続けるも、最後に力尽きて追いつかれ、それでも結果は3位と堂々の結果。
・ハインリッヒは道中でダイユサクと2位を競ったものの、そこで力を使い過ぎたのか、力尽きて結果は10位。
・ミントスターは生涯成績を見てみると典型的な逃げですね。見事に中盤くらいの順位が無い。
・ハインリッヒはこの後、障害レースに転向して結果を残すようですね。

ワンダーメルベーユ
・鷹取特別を勝ったのは、ワンダーメルベーユでした。
・レース中盤まで後方で待機していたワンダーメルベーユは、抜群の末脚で一気に追い込んで1位でゴール。
・ちなみに一番人気でした。
・史実では鞍上は武豊。最近、この名前が出ると、そのウマ娘のトレーナーが全員奈瀬さんに見えてしまう。
・まぁ、そんなわけない。もしもそうなら奈瀬さん過労死してしまう。


※次回の更新は7月16日の予定です。  



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第25R 大悋気! 不穏な出走前

 
 ──大阪での夜。

 見送る必要はない、と乾井トレーナーは言ったんだけど、「ちゃんと帰るのを見張る」とユウが強硬に主張したから、乾井トレーナーとは駅で別れた。
 それで宿に向かったんだけど……どうにもユウは落ち着かない様子。
 今日の結果は2位だったし、惜しかったし、悪かったとは思えないんだけど。
 だからコスモは食事の席で──

「2位、おめでとう」

 と、言ったらユウはきょとんと驚いたような表情になって、それから「ああ……」と思い出したように苦笑というか、照れ笑いのような笑みを浮かべた。

「え、ええ……でも、次は1着、取ってみせるわ」
「うん……でも、2位だってスゴいよ? クラスが上がったばかりなんだから」

 納得してない様子のユウを慰めたつもりだったんだけど……なぜか、彼女はジト目でこっちを見てきた。
 なんだろう、と思って首を傾げると……

「去年の高松宮杯、3位でスゴいって賞賛したら、スゴく怒ったウマ娘がいたのよね……」

 いけない。完全にやぶ蛇だった。
 誤魔化すように笑みを浮かべて──

「それはちょっと違うと思うよ? コスモのは完敗だったけど、ユウのは惜しかったもん」
「アタシの目には、コスモも惜しかったように見えたけど……」
「うぅ~、あの時は……」

 あまり思い出したくないんだけどなぁ、と思いつつコスモはあのレースを思い出した。
 まるで日本ダービーに出られなかった憂さを晴らすように重賞で暴れ回ったオグリキャップ。高松宮杯もそのとばっちり……みたいなものだよね
 おかげで出走した人数も少なかったし、コスモだって前を塞がれはしたけど、自分の力を出せた方だと思う。
 結果だけ見れば3位。
 でも、やっぱりオグリキャップと自分の差をハッキリと見せつけられたんだよね。

「……と、あのころは思ったのよね」

 当時を思い出していたのはコスモだけじゃなく、ユウもそうだったみたい。
 それで、そんなことを言い出したから、コスモは驚いてユウを見た。

「──オグリってホントにスゴいわね。あのころは遙か上過ぎて全然わからなかったけど、最近、やっと少しは感じられるようになった気がする」

 そう言ったユウの目は──かつてコスモの3位を祝福したときのそれとは違っているように見えた。

(競走ウマ娘の目になったね。ユウも……)

 相手よりも一秒でも速く走ろうという熱い闘志をもちながら、機敏に周囲を感じ取り、相手を的確に分析できる冷静さも併せ持つ。
 今のユウ──ダイユウサクからはそれを感じられた。

「でもね、コスモ……アタシはやっぱり、あなたも凄いと思うわ。お世辞とかそういうのじゃなくて、クラスが上がって、強いところで走るようになったから、余計にそう思うのよ、アタシの従姉妹は本当に強いって」
「ユウ……」

 その言葉に、コスモがユウをジッと見ると、少し照れ隠しのように笑みを浮かべ、そしてその後に真剣な眼差しを向けてくる。

「だから、明日……ガンバってね。宝塚記念……選ばれるだけでもスゴいけど、コスモが勝つって信じてるから」
「うん、任せてよ!」

 コスモは親友に、笑みを浮かべて親指を立てた。



 ──そして翌日。

 

 阪神レース場の空は、梅雨入り直後だというのに晴れていた。

 直前の降雨もなく、良バ場である。

 パドックそのレースに参加するウマ娘達が集まってる。

 そしてもちろん、コスモもその中にいた。

 勝負服──コスモ的にはカッコいいし良いデザインだと思うんだけど、なぜだかユウからは「奇抜」と不評なんだよね──に身を包んで、その時を待っている。

 そこへ──

 

「あら? これはこれは……」

 

 コスモの姿を見て、丁寧に頭を下げてきたウマ娘がいた。

 このレースの出場者で、以前にも対戦経験のあるウマ娘なんだよね、彼女。

 そしてその勝負服にも見覚えがある。

 矢絣(やがすり)模様の御召に茶色の袴、頭には大きなリボンをつけ、足はブーツという大正浪漫風の勝負服。

 長い髪を一本の三つ編みにして背中に流している彼女は──シヨノロマン

 もともと線みたいに細い目だけど、その目尻を下げて笑みを浮かべてる。

 

「お久しゅうございますね、コスモドリームさん……オークス以来でしょうか?」

 

 丁寧に頭を下げてきた。

 そう、彼女と以前競ったのはオークス。G1だったからこそ、お互いに勝負服で競ったんだ。

 

「うん、そうだね。コスモはエリ女に出られなかったから……でも見てたよ。惜しかったよね」

 

 コスモが言うと、申し訳なさそうに首を横に振るシヨノロマン。

 

「いいえ。いくら惜しかろうと、1位でないことにはかわりませんから……」

 

 エリザベス女王杯2位の実力者だし、桜花賞でも2位だった。

 コスモ達の世代のトリプルティアラは桜花賞をアラホウトク、オークスをコスモ、エリザベス女王杯をミヤマポピーと3人で分け合ったけど、他のレースではお互いにいい成績を残してないんだよね。

 コスモは桜花賞には前哨レースで失敗して出られなかったしエリ女は骨折で回避した。ミヤマポピーは桜花賞にもオークスにも出てない。アラホウトクは3レースに出てエリザベス女王杯も4位だけど、オークスでは7位と結果を出せなかった。

 その3レースで、1位こそ取れなかったけど、コンスタントに活躍したのが、このシヨノロマン。彼女は桜花賞とエリ女が2位でオークスは5位だから全レース入賞してるし、3レースの総合で見ればアラホウトクを上回る。

 まぁ……本人の言うとおり、1位が取れなかったからとっても悔しい思いをしてるはずだけど。

 

「足は、大丈夫ですか?」

「うん。おかげさまでね。今日は……負けないよ!」

「ええ、よろしくお願いいたします」

 

 コスモが言うと、上品に微笑んで──でもその線みたいな目の奥で闘志を輝かせながら──シヨノロマンは三つ編みの髪を風になびかせた。

 

「そういえば……ダイユウサクさんはお元気ですか?」

「え? ユウ?」

「はい。たしか同室と聞いておりますが……」

「うん。そうだけど……元気だよ。昨日も、ここ阪神でレースに出て2位だったし、今日はコスモの応援をするために残ってくれたんだ」

「ああ、そういえばコスモドリームさんとダイユウサクさんは従姉妹同士だったのでしたね」

 

 コスモがユウのいる方を見ると、シヨノロマンもそう言いながら、つられてそっちを見た。

 そして気がつく。ユウと涼子さんの近くに、チームメイトや先輩のウマ娘もいるけど……それ以外の見知ったウマ娘がいることに。

 んん? あそこにユウと一緒にいるのってたしか……

 

「あら、セッツさんまでいらっしゃるようですね」

「やっぱりそうだよね?」

「コスモドリームさんとセッツは親しいのですね……」

「いやぁ、変な縁はあったけど、親しいってほどじゃないと思うな、コスモは」

 

 と、思わず苦笑してしまう。

 セッツことセンキョウセッツもあのオークスを一緒に走った仲だし、だからこそオークスであんなことがあったわけだし……

 

「シヨノロマンこそ、サンキョウセッツと仲がいいんじゃないの? “セッツ”って呼んでるくらいだもん」

「ええ。私とセッツは、あなたとダイユウサクさんのように従姉妹ですので」

「へえ~、そうだったんだ」

 

 シヨノロマンが言うには、入学以前は顔を合わせたことがなかったみたいだけど、それ以降は親しくしているみたい。

 

「では……これにて失礼いたしますね。お互いに死力を尽くしましょう」

 

 少し話をしたら、シヨノロマンは丁寧に頭を下げて、去っていく。

 でも──ふと足を止めた。

 

「そうそう……知っていらっしゃいますか?」

「うん? なにを?」

スイートローザンヌさん、がんばっていらっしゃるそうですよ。復帰も間近とか……」

「え……あ! そうなんだ!! よかった……」

 

 あのオークスであった彼女の負傷はもちろん覚えてる。

 かなり深刻な怪我だったって聞いたけど──そっか、復帰に向けてがんばってるんだ。

 怪我から復帰できたんだから、コスモも負けてられないよね。

 そういえば……シヨノロマンもあのオークスの後に骨折が判明して──驚異的な回復でローズステークスで勝ってエリザベス女王杯に出走、惜しくも2位という結果だったんだっけ。

 

「シヨノロマン!」

 

 呼びかけに振り返り、首を傾げる彼女。

 

「ありがとう。教えてくれて」

「どういたしまして……」

 

 微笑みながらもう一度、頭を軽く下げて去っていく。その姿がすごく彼女に似合っていた。

 なんか、大和撫子って感じで、スゴくいい娘だよね、シヨノロマンって。コスモはああはなれないけど、ちょっとあこがれちゃうな。

 ──なんて、思ってたら

 

「────ッ!?」

 

 コスモは思わず身構えてた。

 今、体に感じたのは明らかな殺気だった。

 油断無く身構えて、周囲に視線を走らせると──刺すような視線を感じた。

 そんな視線を向けつつやってきたのはシヨノロマンのような和服系──に見えるけど、袖等はともかく体の中央付近は意外と近代的な薄手のスポーツウェアという和洋折衷系──の勝負服のウマ娘だった。

 短い髪に鋭い目の彼女は、コスモを見て──

 

「たしかコスモドリームでしたね。貴方も強いウマ娘だと聞いています……よろしく」

 

 そう言って彼女は左手を差し出してきた。

 その彼女と面と向かうのは初めてだったけど、その顔や姿をコスモは知ってた。

 だって、コスモがトリプルティアラの一冠を持っているのと同じように、彼女もまた──クラシックの一冠、昨年の皐月賞を制したウマ娘だから。

 

「よろしくね、ヤエノムテキ

 

 コスモが笑顔で握手すると、ヤエノムテキもぎこちなく微笑んだような気がした。

 でも、それも一瞬のこと。

 すぐに目が厳しいものになって──

 

「聞きたいことがありますが……あなたはシヨノロマンとはどういう関係ですか?」

 

 って、訊いてきた。

 え? シヨノロマンって……今、さっき話したけど、そんなに親しいわけじゃないんだけどなぁ。

 

「えっと……オークスで一緒に走ったし、その前のチューリップステークスでも一緒だったんだよね。そのときは彼女は1位で、コスモは途中棄権だったけど……」

「ああ、あなたは昨年の“樫の女王”でしたね……強敵と戦えるのは嬉しいことです。今日はよろしくお願いします」

 

 ヤエノムテキはさらにグッと握りしめてきた。

 

(──ッ! むぅ……)

 

 手に痛みが走って、握手以上の力を込められたのを感じる。

 それにはさすがに温厚なコスモも、カチンときたよ。

 そして思い出す。ウチのチームのキャプテン──元はソロとしてこのチームを立ち上げた、そのウマ娘の勇姿を。

 

(──《巨星(アルデバラン)》の名は、汚させないッ!!)

 

 だから、コスモは全力で握り返した。

 そうしたら負けじとヤエノムテキも拳を握り返してくる。

 

(むぅ! 絶対に負けるもんか──)

 

 お互いに引き下がれなくなっていると──

 

「待った待った待ったー!」

 

 コスモ達の気配を感じて、一人のウマ娘がやってきた。

 もさっとした、ボリュームのあるツインテールの髪に、頭の横に狐のお面がトレードマークの、そのウマ娘は──

 

「……イナリワン

 

 ヤエノムテキが彼女を見て、その名前を言う。

 

「てやんでえ、二人とも……ちょいと気が早すぎるってもんだよ! まだゲートにさえ入っちゃいないじゃあないか」

 

 コスモ達二人の不穏な空気が吹き飛んだからか、安心したように笑みを浮かべる彼女。

 

「なにがあったか知らないけど、ウマ娘なら“決着つけるならレース”で、っていうのが粋ってもんさ。せっかく今から同じレースを走ろうってんだからさ」

「えっと、別に争ってたわけでもないんだけど……」

 

 戸惑いながらおもわず口ごもる。

 そもそもなんでこんなことになっていたんだっけ?

 

「ええ、イナリワンの言うとおりですね。コスモドリーム、今日は……負けません」

 

 最後にキッと見てきたヤエノムテキに戸惑いながら、彼女を見送ると──イナリワンも「これにて一見落着でいっ」と言って笑顔で手をキツネ型にしながら去っていった。

 

 う~ん、いったい何事だったんだろうか。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんな風に去っていく二人を茫然と見ていたら、その後ろを追うように、一人のウマ娘が続いて歩いていくのが見えた。

 それを見て思わず──

 

「は~、やっぱり素敵だなぁ……」

 

 と、つぶやいちゃったのは彼女の容姿が凄く綺麗だったから。

 その“尾花栗毛”の髪はあこがれるくらいに美しくて、まるでモデルみたい──っていうか、ホントにモデルなんだよね、彼女は。

 そうして見ていると、視線に気がついたのかチラッとこっちを見た。

 ゴールドシチーさん。コスモよりも年上だけど──前に一回、同じ競走に出たことがあったんだよね。

 去年の京都大賞典で、あのときはコスモが2位で彼女が3位。

 彼女もあの時のことを思い出したのか、彼女の目が一瞬、凄みを増したような気がする。

 

(容姿じゃ絶対に勝てないけど──走りじゃ、今日だって負けないよ)

 

 コスモは笑みを浮かべながらも、絶対に負けないという気持ちを込めて彼女を見た。

 そこへ──「今日はよろしくお願いします」と後ろを通り抜けざまにサクラチヨノオーが言って、去っていく。

 

(あれ? 今のチヨノオーさんだよね? なんだか元気がないような……)

 

 彼女はコスモ達の世代のダービーウマ娘だから顔も知ってるし、明るく前向きな性格も知っていたけど……なんだか今日は様子がおかしいように感じる。

 そういえば前走の安田記念では後ろから2番目(ブービー)だったはず。

 それに気を取られている間に、ゴールドシチーも去っていってしまった。

 

「さて、そろそろコスモも……」

「コスモドリームっ!」

 

 ふと背後から声をかけられて、走りだそうとしたのを止められた。

 振り返れば──鉢巻きをしたウマ娘が恐る恐るといった感じで話しかけてきた。

 確か風紀委員のバンブーメモリーだったっけ?

 チヨノオーが走った安田記念を制したのが彼女。

 

「アナタがいるってことは、あのトレーナーも来てるってことっスか?」

「涼子さん? うん、もちろん来てるけど……」

 

 コスモが答えたら、バンブーメモリーは「あぁ……」って青い顔をして、尻尾を立てた。

 そして急に周囲に視線を巡らせ始めてる。

 

「どうしたの?」

「い、いえ、アタシは風紀委員として竹刀を持っているんスけど……それをあの人に見つかって、剣道の指導をみっちりと──」

「あ……そういうこと、ね」

 

 それでだいたい察することができた。

 涼子さん、トレーニングも十分厳しいけど、剣道が絡むと鬼だもんね。

 

「あぁ~! 今日のレース、恥ずかしい走りは出来ないっス!」

 

 そう言いながら、バンブーメモリーはやたらと気合いを入れて走り去っていった。

 




◆解説◆

【不穏な出走前】
・不穏な空気出しているのは一人だけですけどね。
・ちなみに“悋気(りんき)”とは嫉妬のこと。
・なんか、巽見トレーナーへの恐怖でやる気になってる人もいますし。

梅雨入り直後
・モデルになった1989年の近畿地方の梅雨入りは6月8日。宝塚記念があったのは6月11日で、その日の阪神競馬場の天候は晴れ。馬場も良馬場。
・ちなみに梅雨明けは7月19日でした。
・現在の平年だと梅雨入りは6月6日で明けが7月19日。だいたい例年並みな年だったんですね。

シヨノロマン
・本作オリジナルのウマ娘で、同名の競走馬“シヨノロマン”がモデル。
・今まで何度となく名前だけは出ていた彼女ですが、ついに登場しました。
・その性格のコンセプトは──とある事情により“大和撫子”な和風御嬢様です。
・髪型は栗毛の長い髪を一本の三つ編みにまとめた姿。眼を細くしたのは「おっとり」感を出したかったため。
・勝負服は矢絣(やがすり)模様──意匠化した矢羽根を縞のようにした模様──の着物に茶色の袴、ブーツに髪には大きなリボンと、大正浪漫風の“ハイカラさんスタイル”にしました。
・シヨノロマンの名前で、“シヨノ”は馬主の庄野さんからなので、大(しょう)(の)浪漫(ロマン)ということで、大正浪漫路線に。
・袴の茶色は馬主の庄野昭彦氏の勝負服が“茶色に白襷”なため。またハイカラさんスタイルの定番では袴は海老茶なのでその色。
・ちなみに矢絣模様も白と茶色になっています。
・サンキョウセッツとは従姉妹で祖母がシンザン。本作ではダイユウサクの遠い親戚です。
・コスモドリームとの会話でダイユウサクを気にしているのはそれが理由。彼女もまたセッツほどではないにしても気にかけており、騒動もあったので心配していたのです。

スイートローザンヌ
・第5話参照。
・コスモドリームが制したオークスで、レース中に負傷したウマ娘。
・史実では予後不良と判断されてしまったスイートローザンヌですが、ウマ娘の彼女は再起に向けて頑張っているようです。
・あのレースに出たすべてのウマ娘が、彼女の再起を待っていることでしょう。
・……そういえば、セッツも出てたんだっけ?
・最近、本作ではネタキャラ化がひどくてつい忘れがちだけど、オークス出てるんですよね。サンキョウセッツ。

ヤエノムテキ
・まぁ、シヨノロマンが出てくればヤエノムテキが出てきますね。
・そりゃもう、当然です。コーラを飲めばゲップが出るってくらいに確実に。

イナリワン
・本作では初登場。実装済み(2021年7月現在ではサポカのみ)のウマ娘。
・史実馬はダイユウサクやオグリキャップよりも年齢的には一つ上──地方競馬出身なので、中央の成績が出てくるのは1989年から。
・その年2月のすばるステークスで中央デビューして4着、阪神大賞典は5位とふるわなかったが、春の天皇賞で鞍上が武豊になるとその実力を遺憾なく発揮して見事に勝利。
・そしてそのまま宝塚記念に出走──とあいなった。
・正直、書いてる人はここに出てくるまでイナリワンを名前と“平成三強”に含まれる以外に、ほとんど知らなかったので「シンデレラグレイでなんで出てこないんだろう」くらいに思ってましたが──現時点(雑誌では菊花賞を連載中)で中央に出てくるころではないからなんですね。
・年上だし、江戸っ子気質で面倒見が良さそうなので、ここでは仲裁に入ってもらいました。
・ちなみに──最初に書いたときは次の舞台になる高松宮杯とゴチャゴチャになって、メジロアルダンが仲裁してました。
・ええ、メジロアルダンはこの宝塚記念に出走してないのに……
・というくらい、今回の宝塚記念とその次の舞台になる高松宮杯は共通して出てくるウマ娘がいます。

バンブーメモリー
・ダイユウサクを追いかけているせいで、いつも元馬が名前の知れていないウマ娘たちばかりのレースなのに、今回は宝塚記念ということで、すでに実装済みのウマ娘が多くて戸惑っております。
・バンブーメモリーもまた実装済み(2021年7月現在でサポカのみ)のウマ娘。
バンブー()だけに竹刀を持った風紀委員長キャラ風で、イラスト原案がそうなっている。
・ハチマキに書いてある「夢」は、競馬実況でお馴染み、杉本清アナの有馬記念名物だった「私の夢」の最初がバンブーメモリーだったから、かな?
・原案絵だとかなりオラついてる感じですが、実装したキャラを見るとそうでもない。
・本作では、そんなオラついた雰囲気で竹刀を持っているのを、巽見トレーナーに見つかったのか、トラウマ植えつけられるほどに剣道の稽古をつけられた模様。
・なお、バンブーメモリーも剣道の心得はなく竹刀はファッションという噂……
・ヤエノムテキの師範代トレーナーといい、ファッション竹刀設定多いな。
・──ちなみに、巽見トレーナーは「いいオモチャ剣道の指導相手が見つかった」とウキウキしていたが、バンブーメモリーのトレーナーから「お願いだからこっちのトレーニングの邪魔をしないでくれ」とチーフトレーナーに言われてしまい、ガッカリしている。
・そのため、隙を見てはこっそり稽古をつけようとバンブーメモリーを探しているそうな。


※次回の更新は7月19日の予定です。  



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第26R 大誤算!? 足より響く不協和音(カコフォニー)

 
 ──そして宝塚記念はスタートした。

 その中継を、オレは一人、東京のトレセン学園のトレーナー部屋のテレビで観戦していた。
 同じ部屋になっている巽見はそのレースに出走しているコスモドリームの担当だから現地だし、オレが担当しているウマ娘、ダイユウサクもそのルームメイトであり従姉妹だから応援したいということで、そちらに残った。

「さて……」

 オレはコーヒー片手にそのレースを見ていた。
 日曜午後の定番、民放のウマ娘競走中継。
 距離に関係なくアップでの映像が流れるのはありがたいが、レース場と違って自分の見たい対象に注目できるわけではないのが難点だ。
 オレが見たいのは──やはり、コスモドリーム。年上の後輩である巽見の担当だし、そのレースの結果はダイユウサクにも影響を与えるだろう。
 そしてなにより──

「前走のオーストラリアトロフィーか……」

 あのレースで、オレはコスモドリームに違和感を感じていた。
 彼女は前年のオークスの覇者。
 やはり八大レースの一つである。さらには一生に一度しか走れないクラシックレースだけに注目度は高い。
 当時は今のように知り合い、会話するような間柄になるとは予想もしていなかったが、それでもオレはそのレースを見ていた。
 あのレースとの違い──彼女の走りに、わずかに力が無いような気がしたのだ。

「だが、今日のレースは前走とは周囲がまるで違う」

 歴史があり、格も最高峰のG1。
 おまけにこの宝塚記念は、出走メンバーはファン投票で決まる。G1の中でもファンが選ぶ実力上位者が集うレース。
 現に、コスモドリームと同年代のクラシック3冠のうち、菊花賞とダービーを制した二人が集まっているし、コスモが取れなかったトリプルティアラの桜花賞、エリザベス女王杯をどちらも2位だったシヨノロマンも出ている。
 同世代以外でもイナリワンやゴールドシチーという実力者もいる。
 レースのレベルそのものがまるで違っている。

「そんな中で走れば──僅かな不安が、大きな差として出ることになる」

 少しでも隙を見せれば、そこに噛みついてくる猛者ばかり。
 今回のレースこそ、コスモドリームの真価が問われるレースなんだ。

 中継のカメラは先頭から最後尾まで一度写し──コスモドリームは中段ではなく後方に位置していた。



「く……」

 

 思った以上に、みんな速い。

 そんな焦りがコスモの心の中に生まれてた。

 普段なら中段に位置して、ラストスパートに備えるはずなのに、今のコスモのペースだと、中段を維持できない。

 気持ちは焦る。

 でも……ここで焦って前に出たら、脚を使っちゃったら最後の勝負ができなくなる。

 それが分かるから、今は耐えるしかない。

 

(分かってたけど、レース自体のレベルが高い……)

 

 G1の挑戦は今回で2度目。

 その前回こそ、優勝したオークスなんだけど──同い年しか出てこないそのレースと違って、宝塚記念は年齢に関係なく現役のトップクラスが集まるレース。

 おまけにコスモの同学年達だって、そこから幾多のレースを乗り越えて、さらに強くなってる。

 

(確かに、コスモは半年走れなかったけど──それでも、負けない!!)

 

 レースはいよいよ終盤。

 出走しているウマ娘達は、阪神レース場の第3コーナーから第4コーナーを駆け抜け、最後の直線へと向かう。

 

(──ッ!! ここだぁぁぁッ!!)

 

 待機している位置が中段から後方へ変わり、差しが追い込みになろうとも、やることは変わらない。

 勝負どころを見極め、スパートして前のウマ娘達を追い抜いていく。

 そのために、コスモは脚に力を込め──

 

「──え?」

 

 その時、初めて違和感を感じた。

 イメージしていたのは、同じG1のオークスの時の走り

 最高の末脚が炸裂し、最高の結果を得られたあのときのイメージで踏み込んだ足は──コスモの思い描くそれを大きく裏切ったんだ。

 

「なんで……」

 

 同じように地を蹴っているはずなのに、思うように速度は出ない。

 あのとき──前走でも同じようにイメージを描いて走って上手くいったのに。

 前を走るウマ娘を追い抜き、後ろを走るウマ娘達を近寄らせなかった、あの走りは──今回はまったく出来ていなかった。

 前を走るウマ娘達に、追いつくことさえ出来ない。

 

「くっ、そおおおぉぉぉぉぉ!!」

 

 思わず、叫び声が口から出た。

 悔しくてたまらない。口惜しくてたまらない。思い通りの走りが、全然出来ない。

 なんで──

 

「なんでコスモを裏切るんだよッ!! コスモの脚なのにーッ!!」

 

 叫んでも、コスモの脚は応えない。

 違和感はますます大きくなっていく。そうして乱れた心では──集中することなんて無理だった。

 

「「──コスモ!?」」

 

 メインスタンドが近づいて、チームメイトのみんなの顔が見えた。

 その中に混じって、ずっとコスモを見続けて、応援し続けてくれた──たとえ喧嘩しても、それでも見守り続けてくれた親友の姿があった。

 彼女は、コスモの情けない姿に驚きながら、それでも勝利を信じて──ここからの逆転を思い描いてくれている。

 

(その気持ちに、応えないと──)

 

 その使命感でコスモは集中する──けど、足は応えてくれなかった。

 違和感は消えない。

 それどころか──

 

「くッ!?」

 

 わずかな鈍痛。

 え? なんで? どうして足が痛むの? 骨折は治ったはずなのに。

 気持ちは前へと進もうとしているのに、足がついてこない。

 最下位からどうにか一人抜かして、上がらない速度をもどかしく思っていると──

 

「────ッ!?」

 

 前を走っていたウマ娘が、急速に失速して下がってきたのが見えた。

 それを避け──

 その姿を横目に見て──

 苦しそうに顔をゆがめているサクラチヨノオーの顔が見え──

 そして、後ろに流れていった。

 

(今のは……)

 

 疑問に思っている間に──コスモドリームは、ゴールをきっていた。

 スパートをかけることもできなくて、なにもできずにそのレースは終わっちゃっていた。

 そのことに気づいたのは、ゴール後に少し走ってから。

 でも、前にゴールしていたみんなが、心配そうに振り向いているのに気が付いて──コスモも思わず振り返る。

 そこには──途中で抜かした一人、サクラチヨノオーが不格好な感じで走っていて──走るのをやめると、足をおさえるようにうずくまった。

 

「チヨノオー!!」

 

 誰が呼びかけたのか、その声に応じて数人のウマ娘が彼女の下に集まる。

 その中には、今のレースに参加していたウマ娘達もいたけど──コスモは、そこに加われなかった。

 ただ痛みに耐えてジッとしているサクラチヨノオーの姿を呆然と見ることしかできなかったから。

 

「いけない。屈腱炎の再発かも……」

 

 チヨノオーのチームメイトが漏らした言葉が、コスモの耳に届く。

 

(再発……)

 

 その言葉は、コスモの胸に鋭く刺さって、決して抜けようとはしなかった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 宝塚記念のゴールを見て、オレは大きくため息をついた。

 いろいろ気になることはあった。

 さすが、と言えるレースを制したイナリワンの強さ。

 敗れたとはいえ、光るものを見せていたヤエノムテキはさすがと思ったし、バンブーメモリーの気迫にも見るところがあった。

 そして、気になるのはやはり──負傷したサクラチヨノオーの具合だ。

 どの程度のものだったのか、再起は可能なのか、やはりウマ娘の負傷は気がかりだった。

 それに──

 

「コスモ、ドリーム……か」

 

 ハッキリ言って、まったく見所がなかった。

 中継の映像にはほとんど映らず、レース結果をよく見てみれば道中は中段以下で、最後方になったことも。

 最終的な順位は下から3番目の14位。しかも最下位が負傷して失速したとしか思えないサクラチヨノオーなことを考えれば、実質は下から2番目(ブービー)だ。

 

「詳しい映像を見てみないとなんとも言えないが……やっぱり、オレが考えたとおりなのか?」

 

 正直、怪我が再発した……つまりは再度の骨折とは思っていない。

 もしもそうならもっと痛がっているはずだし、とても走れたものじゃないだろう。それこそチヨノオーと同じように失速していたはずだ。

 

(骨の付き方が悪かったか、あるいは……)

 

 そもそもの折れ方が悪くて、元のようには戻らない骨折だったか。

 いずれにしても仮説の域を出ない話であり、正確なことを掴むには、いろいろと情報不足だった。

 そこへ──オレの携帯電話が鳴った。

 確かめると画面には“巽見”の名前が──

 

「もしもし?」

「あ、先輩? スミマセン、急遽変更がありまして……」

 

 かけてきたのはやはり後輩トレーナーの巽見涼子だった。

 彼女が言うには、予定に変更があるのでダイユウサクを学園まで送るのが厳しくなったとのことだった。

 

「……アイツも大人なんだから、自力で学園まで戻れるだろ?」

「その途中で万が一にでもなにかあったら、責任とりきれないから連絡してるんだけど?」

「あ~、わかったわかった。で、どこまで出向けばいいんだ?」

「とりあえずわかりやすいところで、東京駅まで迎えに来てもらっていい? ウチのチームメンバーの一人と一緒に新幹線に乗せるんで」

 

 担当しているコスモドリームが完全な惨敗をしたんだから、ほかのウマ娘の面倒を見るどころじゃなくなったんだろ。

 

「わかった。そっちは任せとけ。お前は自分の仕事に集中しろ。いいな?」

「うん……助かり、ます」

 

 そんな巽見の返しに、オレは思わず吹き出してしまう。

 

「な、なに!? なんでそんな……私の感謝の言葉に、どこに吹き出すような要素があったわけ?」

「いつになく、殊勝だと思ってな。口だけ“先輩”“先輩”とか言う割には、ちっとも敬意を感じてなかったし。珍しく敬語なんて使うからな」

「その先輩が、オレの方が年下なんだから、敬語は使うなって言ったんじゃないの」

「ああ、たしかに言った。けど……こんな時なんだから、“先輩”を遠慮なく使えよ。で、自分のウマ娘を支えてやれ」

 

 そうオレが言うと、アイツは「ありがと」と言い、電話を切った。

 その後、新幹線に乗せたという連絡が来て、その時刻に合わせてオレは東京駅へ向かい、ダイユウサクともう一人のウマ娘をそこで迎えた。

 

 彼女の惨敗を目の前で見た二人の表情は──とても硬かった。

 




◆解説◆

【足より響く不協和音(カコフォニー)
・最近、タイトルがオリジナルが多くて、解説入れづらい。
・ちなみにカコフォニーは不快な音のことで、音楽用語での“不協和音”は「濁った音」をさすため、不協和音=カコフォニーではありません。
・コスモドリームにしてみれば「不快な音」なのであえてカコフォニーのルビを入れました。

宝塚記念
・今回のレースの元になるのは第30回宝塚記念。芝の2200メートル。
・1989年6月11日に阪神競馬場の第10Rで開催されました。
・16頭立てで当日の天気は晴れ、馬場も良。
・なおこのレース、枠順発表後にランドヒリュウが蜂窩織炎(フレグモーネ)で出走取り消しになっている。
・ランドヒリュウはそのまま引退……どこかで聞いた名前だなと思っていたら、前年の高松宮杯でオグリキャップに次いで2着だった馬でした。
・同レースはコスモドリームが3着だったレース。
・もちろん、ウマ娘のランドヒリュウをコスモドリームは知っていましたし、怪我で引退したのはショックでした。
・──というように、コスモ周辺でいきなり暗雲が見え隠れし始めています。

オークスの時の走り
・本作でのあのレースでは、コスモの固有スキルが発動した数少ないレースです。
・そのため、コスモにとっての最高の走りはあのときのものです。
・ちなみに前走のオーストラリアトロフィーでもダイユウサクがいたので密かに発動しています。
・しかし乾井トレーナーが見抜いたように、足に不安があったせいで100パーセントの力は発揮せず、「以前よりも踏み込みが甘い」という評価になってしまいました。
・今回は──ダイユサクもいて条件もそろっていますが、終盤でのコスモの精神状態が悪く発動に至っていません。

サクラチヨノオー
・ダイユウサクやオグリキャップ世代で、ジュニア期のG1である朝日杯ジュニアステークス(史実の朝日杯3歳ステークス)を制したサクラチヨノオー。
・阪神ジュニアステークス(史実の阪神3歳ステークス)を制したディクタストライカ(サッカーボーイ)と共に、早くから同世代のトップを走ってきた彼女でしたが──
・史実ではこの宝塚記念の最中に故障を発生させて失速。ぶっちぎりの最下位となってしまいます。
・その故障が原因となり、このレースで引退ということになってしまいました。
・ちなみに──阪神3歳ステークスを制したサッカボーイは前年の有馬記念でオグリキャップと競い、そのレースを最後に引退しています。
・世代の先頭を走ってきた存在が終焉を迎える一方で、いまだに全盛期になっていない同世代のダイユウサク──やはりピークの違いは馬にもありますね。
・「シンデレラグレイ」での有馬記念や宝塚記念後のディクタストライカやチヨノオーがどう描かれるのか、今から注目してます。
・ちなみに──この宝塚記念のころのオグリは怪我の療養中なので、宝塚記念はスルーされる確率が高いですけど。
・気が付いたらチヨノオーいなくなってた、とかだったら悲しすぎる。
・平成三強のイナリワンとか、この後競うことになるバンブーメモリーとか出てるし、描いてほしい反面──コスモドリームがモブウマ娘でどんな姿になるのか期待と不安が。
・対決した前年の高松宮杯は一コマで終わって出番無かったし。(笑)

ウチのチームメンバーの一人
・巽見トレーナーが他に一人つけたのは、新幹線に乗っているだけとはいえ、やっぱりウマ娘を一人だけで返すのは何があるかわからないので不安だったから。
・ちなみにこの一緒に帰ってきたウマ娘、考えていたのは本作ではG1ウマ娘のコスモドリームを尊敬していることになっているビコーペガサスの予定だったのですが……
・史実的にはビコーペガサスはまだまだ出てこないので、登場させるのをためらって名前と登場シーンをあえて出しませんでした。
・馬なら1991年生まれなので存在していないのですが、ウマ娘なら成長に時間かかるでしょうし、生まれていると思われますし。
・『ウマ娘 プリティダービー』の世界観なら出しても何の問題も無いのですが、本章が準拠している「シンデレラグレイ」となると少なくとも下の世代が登場していないので。
・本章以降になると、シンデレラグレイ準拠を外れる予定ですので世代ごちゃ混ぜの『ウマ娘』になっていくと思います。

※次回の更新は7月22日の予定です。  




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第27R 大考察。 不振の理由(ワケ)は……

 
 宝塚記念の翌日──東京へ戻っていたコスモドリームは、すぐに医師の診察を受けて、精密検査も行った。
 レントゲンも撮ったし、MRI検査も行った。
 しかし──

「骨に異常はありません。きちんと付いていますし、折れていません」
「そんなの、ウソだよ!!」

 医師の診断を聞き、それを聞いたウマ娘が反発したので、さすがに私は焦った。
 私の名前は巽見 涼子。中央トレセン学園でトレーナーをしており、とあるチームのサブトレーナーになっている。
 そして、私が担当しているのは今、目の前で大きな声を出したコスモドリームというウマ娘。
 感情的になっている彼女を、私はとりあえず止めた。

「コスモ、お医者さんの話よ。まずは黙って聞きなさい」

 少し厳しい口調で言ったので、コスモドリームも渋々といった様子ではあったものの、話を聞いてくれた。

「本気で走ったときに痛みがあったんですよね? 骨に異常が認められないのに痛みがある以上、折れる前のように……元のようには戻らない、ということだと思います」
「なッ……」

 絶句するコスモ。
 さすがに私もその結論には息を飲んだ。
 二の句を継げないでいると──コスモが口を開く。

「そんなの、ないよ!! 一回だよ!? コスモはたった一回しか骨折してないのに!!」
「回数が問題ではないんです。もちろん何度も骨折してしまうようなクセになっているのはかなり問題のあることですが、たとえ一回であろうとも元のように戻らなくなることはあることなんです」

「ウソだッ!!」

 怒鳴るコスモ。
 そんな彼女を、私は──止めることが出来ない。

「また、あの時みたいに走れないなんて……そんなのないよッ!! ウソだよ、そんなの……」

 目の前の医者をキッとにらみつけ──コスモは感情にまかせて立ち上がり、そのまま病室から走り去る。

「コスモッ!!」

 彼女を止めようとしたけど、私の言葉に振り返りさえしない。
 走り去った彼女が開いた、そのドアを見つめることしか、私にはできなかった。



 

「ねぇ、コスモに何があったの!?」

 

 そう尋ねてくるダイユウサクを横目に、オレは盛大にため息を付いた。

 

「それを知りたければ、隣に聞いてくれ」

 

 そういってオレは、手元の作業を再開させる。

 なにしろ次のレースも迫っているし、今後もおおむね2週に一度──月に2回のペースで、コイツを出走させるつもりだからな。

 そうでもしないと、なかなかランクが上がっていかない、という問題がある。

 さらに言えば、そのランクが上がって勝利こそしていないが、それでも十分に良い流れがきている。それにのって更なる飛躍をしておきたいし、その準備こそがオレ達トレーナーの仕事だからな。

 で、ここはそんなトレーナーのための部屋であり、オレの机がある部屋だ。

 その隣にはダイユウサクが気にしているコスモ──コスモドリームのトレーナーである巽見 涼子の机がある。

 そこに彼女の姿があるんだから、直接聞けばいいじゃねえか、まったく……

 

「だって、トレーナー……コスモの異変に気づいていたじゃないの。オーストラリアトロフィーの時から」

 

「え!?」

 

 ダイユウサクの言葉を聞いて巽見が驚いた声を出す。

 う~ん、よりによってここで言うか、ダイユウサクよ。ハッキリ言って最悪のタイミングと場所だぞ。

 

「ちょっと先輩、どういうこと?」

「ああ、それはだな……」

 

 目をそらしつつ、厄介なことになったと内心思う。

 一方で、巽見の方は真剣な顔でオレに詰め寄ってくる。仕方ない、と心の中でため息を付いた。

 そうしてオレは、あのレースで感じた違和感を説明する羽目になった。

 

「コスモドリームの最高の走りといえば、あのオークスだ。オーストラリアトロフィーの走りをそれと比べたとき、やっぱり違和感を感じた」

「それは周囲のレベルと比較して、オークスの方がレベルが高いレースだったからじゃないの?」

「そこまで力を出さずとも勝てたから、って言いたいんだろ?」

 

 オレの問いに巽見はうなずく。

 

「逆に聞くが……お前が育てたアイツは、骨折からの復帰戦という高いテンションのときに、相手のレベルに合わせてペースを変えるようなウマ娘か?」

「あ~、それは……ない、わね」

「だろ? 性格的なことを考えれば、コスモドリームは理屈よりも感情で走るタイプだ。あの場面で勝ちが見えたから抑えるようなタイプじゃあない。それで考えられたのは、足に無意識の違和感を感じているんじゃないか、ってことだ」

「……なんで、それを言ってくれなかったの?」

 

 巽見がジト目で見る。

 そんな巽見をダイユウサクがジト目で見る。

 アイツが非難する気持ちも分かる。巽見はオレに頼りすぎだ。

 

「あのなぁ、オレとお前は同じチームじゃないんだぞ? しかもコスモドリームはレースに勝ってる。あの場面で負けていれば確信も持てたかもしれないが、あんな強いレースを見せられれば気のせいかと思うし、勝った陣営にどんな顔して『そちらのウマ娘、変じゃないですか?』と言えと?」

「それは……確かに」

 

 巽見も視線を逸らしつつ、「ま、あの時に言われてもまともに取り合わなかったでしょうね」と思い出すようにしながら言った。

 

「トレーナーがコスモのチームに言えなかった事情はわかったけど……じゃあ、コスモの体に何が起きてるの?」

「さぁな。こればかりは確たることは言えない。それこそオレ達はチームの一員じゃな──」

「足にヒビや骨折の類は確認できていないわ」

 

 オレの言葉を遮ったのは巽見だった。

 言わないと思って否定したのを途中で覆され、唖然としながらその顔を見る。

 

「なに、その顔?」

「いや……自チームの有力ウマ娘の情報だぞ?」

「別に構わないわよ。これくらいの情報、新聞記者だって知ってるわよ」

 

 ウマ娘の競走(レース)専門のマスコミであれば、確かに掴んでいるだろう。

 

「で、先輩は今の情報を知って、コスモドリームの状態をどう思うの?」

「骨に異常がないってことは、コスモの怪我はきちんと治ってて、再発もしていないってことでしょ? 骨折が治れば骨も強くなるはずなのに。それなのにあんな結果……」

 

 宝塚記念を思い出したのか、しゅんとするダイユウサク。

 

「確認するが、コスモドリームはレース後に『足が痛い』と言っていたんだよな?」

「ええ……チヨノオーみたいに普通に歩けなくなるほどじゃなかったけど」

「アレは、レース中の時点で完全におかしかったからな」

 

 宝塚記念の最下位になってしまったサクラチヨノオーは、その故障が明らかだった。

 

「まず、ダイユウサク。骨折がくっついたら骨が強くなるってのは何年前の話だ? そんなものは迷信みたいなもんだ」

「なっ……」

 

 真っ向から否定されて気色ばむダイユウサク。

 それに構うことなく、オレは説明を始める。

 

「その上で、骨折が治ったときに、完全に寸分違わず元通り、なんてことにもならん。以前との差異ができているのは避けられないことだ。その差異の大小の違いはあるけどな」

 

 一度、砕けたり折れるという破損したものだ。どんな名医であろうとも「骨折前の状態にどれだけ近づけることができるか」でしかない。

 壊れた部分を“交換”できる機械とは違い、“補修”して肉体の治癒能力で“再生”させる以上はまったく同じものができないのは仕方がないことだ。

 

「その差異が小さければ、走りに違和感なく走るだろ。だが、その小さな違いによってはどこかに負担がかかり、そこが痛んでいる──というのが推測だ」

 

 オレの話に、巽見も「お医者様の診断も、おおむね一緒よ」と補足する。

 

「オーストラリアトロフィーの“レベル”だったら、それを抱えても勝てたんだろ。オマケに走れば走るほど持っている以前のイメージとのブレが強くなるだろうから、その前だったのかもしれない」

「確かに、宝塚記念は別格だものね……」

 

 出走メンバーがファン投票による選出であるために、実力トップクラスのウマ娘がより多く集まることになる。

 レベルの高いレースを走ることで、その違和感をハッキリと感じてしまったのかもしれない。

 

「しかし残酷だが……元の状態には戻らないから、その足で走らなければいけないんだ。痛みが走るような走りなら、確実に今の走りは足に負担がかかっているということだ。その足に最適な走りというものを見つけるしかない」

「それって……どういうこと?」

 

 ダイユウサクが首を傾げると、巽見が補足した。

 

「一度折れた今の足では、コスモが思い描いてるような以前と同じ走り方は、かえって足に負担をかけてしまうということよ」

「じゃ、じゃあ……根本的に走り方を変える必要があるってこと?」

 

 オレは目を伏せながら、それにうなずく。

 

「もちろん、どこに目標を置くかによって変わるがな。普通に走るくらいなら──あるいは全力で(しのぎ)を削るようなレースをしないのなら、今のままでも最低限の結果を残せるかもしれない」

 

 そうなれば、無論、走る舞台のレベルは落とす必要がある。

 しかし、正直な話をしてしまえば、それも“破滅へのカウントダウン”が進んでいる状態だとオレは思う。

 なにしろ足に負担をかけていることには変わらないのだから、いつかは負傷という結果をもたらすだろう。

 

「でも、そんなのコスモらしくない……」

「だからこそ今の足に合った走りを見つけるしかない。それが無理なら……前のような走りは、もう無理だ」

 

 オレの断言に息を呑むダイユウサク。

 一方で巽見はトレーナーとして同じ結論に達していたのか、無言で目を伏せている。

 

「今のコスモドリームに必要なのは、過去の栄光を追いかけるよりも、今の自分の足と向かい合うことだ」

 

 それがどんなに残酷なことか。

 今の自分を完全に否定されるようなものなのだから。

 

「担当でさえない、端から見た完全に無責任な評論だけどな」

 

 そう言ってオレは──巽見を見たが、未だに彼女の目は迷いに満ちていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──皆さん、お久しぶりです。ベルノライトです。

 

 六平トレーナーの下で、オグリちゃんのサポートを続けている私ですが、トレセン学園の学生なので、今日も食堂で他のウマ娘たちと一緒に食事です。

 その食べっぷりのせいで食堂で目立つオグリちゃんですけど、その周囲には光景に慣れた、オグリちゃんのクラスメイトの皆さんが集まっていて、その中には最近とても調子が良さそうなダイユウちゃん──ダイユウサクもいました。

 最初に出会ったときは、本当に痩せてて肉付きも悪くて、「本当に競走をやるウマ娘なの?」と思ったけど、それが今では見違えるほど立派に──立派に……立派になって。

 背も伸びたし、体つきも随分変わったもんね。

 

 ……うん、やっぱり勝っていたと思ってた相手に追いつかれるのって、悔しいよね。

 

 他のウマ娘のサポートに生き甲斐を感じるようになった私にも、根本的に負けず嫌いっていうウマ娘の本能は残っていたみたい。

 そんなダイユウちゃんは、私達と同じテーブルを囲んでいる一人のウマ娘へ声をかけた。

 

「ねえ、アルダン……」

「はい。なんでしょうか……?」

 

 ダイユウちゃんに声をかけられて、上品に首を傾げたメジロアルダン。

 その姿がすごく自然で、様になるあたり、やっぱり名門メジロ家の令嬢だよね、と思って思わず見てしまいます。

 

「……骨折って、どんな感じなの?」

「ブフッ!」

 

 なんてことを聞くんですか、ダイユウちゃんは!? 思わず飲みかけていたスープ吹いちゃったじゃないですか。

 私は恐る恐る顔を上げる。

 だって……アルダンは去年のダービーのあとに骨折が分かって、一年近くも復帰に時間がかかったんだよ?

 あまりにデリケートなところを的確に抉りすぎでしょ。

 さすがにオグリちゃんも、二人を見て──すぐに興味を失ったように食事に戻った。さすが……ブレないね、オグリちゃん。

 あなたの怪我も足だけど骨折じゃないもんね……

 

「ど、どんな感じと言われましても……」

 

 さすがに苦笑を浮かべるメジロアルダン。

 まぁ、そういう反応になるよね。脈略なさ過ぎだし。

 それに気が付いたのか、ダイユウちゃんは慌てた様子で謝った。

 

「ご、ごめんなさい。アタシ、まだ、骨折とか経験無いから……だから、骨折した辛さ、リハビリの苦しさ、治ったあとの気持ち──そういったのがよく分からなくて」

「あら、うらやましいですね。同じ体が弱い者同士、と以前は思っていましたのに……虚弱の質が違っていたようです」

 

 上品に微笑むメジロアルダン。

 ダイユウちゃんって、結構、自分の世界に入って考え込むことがあるから、突拍子もないことを言い出すことがあるのよね。彼女の中ではきちんと筋道が立っているんだろうけど……

 

「復帰してあの強さ……よく体が弱いなんて言えるわよ」

「ふふ……そんなことありませんわ。やっぱり足を一度壊した身としては、再発の恐怖は常にありますから。貴方の場合は……発育が遅かっただけ、のようですし」

 

 そう言ってアルダンは、微笑みながらダイユウちゃんに視線を走らせる。

 するとダイユウちゃんは身震いしながら、身構えた。

 

「……そういう目で見ながら、発育が遅かったなんて言わないでよ」

「ご安心くださいな。私もいわゆる“百合”というものに興味はありませんので……それに、今ではきちんと“発育”なされたようですから、皮肉でもなんでもありませんわ」

 

 ウマ娘の中には、スレンダーな人もいるけど、ダイユウちゃんの場合はそういうタイプでもないもんね。

 普通に女の子らしい姿っていうか──

 

「別に、そんなの……」

「あら? 貴方のトレーナーさんは、“発育”された方が好みと聞いておりますけど? たとえば理事長秘書のたづなさんのような──よかったですわね」

「なッ!? そ、そそそんなの関係ないわよ!!」

 

 あ~、これは意趣返しだわ。やっぱり密かに怒っていたんだね、アルダンってば。

 その証拠に、気が済んだのか満足げにクスクスと笑ってから、優雅にお茶飲んでるもの。

 そしてティーカップを置いて──

 

「コスモドリームさんのこと、ですか?」

 

 と、尋ねた。

 それでテンパっていたダイユウちゃんも落ち着いて、神妙な顔で頷く。

 

「ええ。彼女も去年骨折して……」

「知っていますよ。それに、復帰しての1戦目はまだしも、この前の宝塚記念は──」

 

 メジロアルダンがそう言い掛けて、少し寂しそうな目をしました。

 そう、あの時に……よくこの場に集まって食事を共にしていたサクラチヨノオーさんが怪我をしてしまいました。

 以前の負傷の再発で──復帰は厳しいって言われてます。

 現に今も、学園には顔を出さずに療養中です。

 

「さて、骨折について、ですけど……骨折に限らず“走れない”、というのは本当に苦しいですよ。私達ウマ娘のアイデンティティを否定されるようなものですからね」

 

 療養中を思い出したのか、それとも今、この場にいない療養中のウマ娘に思いを馳せたのか、アルダンは遠い目をしました。

 

「ですから治療中も走れないのは苦しいことでした。でも……復活するという目標があれば、まだ話は別です。それを信じて耐え、だからこそ苦しいリハビリにもきちんと向き合えたのだと思います」

 

 その結果が、今の彼女の成績である、との自負が感じられる言い方でした。

 

「もちろん、運という要素も大きかったと思います。私の場合、復帰に一年近くもかかるほどでしたけど、こうして復帰できただけでも運が良かったと思っております。ですから、もう一度走れるというのは、本当に幸せなことです」

 

 椅子に腰掛けていたアルダンは、まるで愛おしむように治った足をなでる。

 

「コスモドリームさんは……怪我を再発されたわけではないのでしょう?」

「え……?」

 

 その問いに戸惑うダイユウちゃん。

 きっと、答えは知ってるけど答えて良いか迷ってるんだろうな。

 コスモドリームはやっぱりマークしてる人も多いから、情報が回ってるんだけど──

 

「ベルノさん、コスモドリームさんの負傷の情報はスタッフ育成科ではどう伝わっていらっしゃいますか?」

「は、はい! 骨折も含めて、骨の異常は無かったって聞いてます」

 

 もっとも、それは今朝聞いたような新しい情報だけど。

 あえて私に言わせて、みんな知っている情報だと示したんでしょうけど。

 

「でも、コスモは足が痛いって……全力で走ったら足が痛かったから、きっとどこか怪我してるはずだって……」

「なるほど……」

 

 ダイユウちゃんの言葉にうなずくアルダン。

 う~ん、聞く限りだとコスモドリームは骨が変な感じでくっついちゃったのかな?

 でも、競走ウマ娘──しかも去年のオークスとったような人だから、治療には細心の注意が払われたと思うけど。

 

「コスモドリームさんの悩みは大体わかりました。怪我の治療のせいで足の感覚がずれてしまったんですね」

 

 アルダンは、そうならなかったのか。それともなったのを克服したために、復帰に時間がかかったものの完全復活をとげることができたのか……

 

「自分の走りを否定される、というのはウマ娘にとっては人生を否定されるも同じこと……辛いですね」

 

 それを自分で語るようなウマ娘じゃないよね。

 メジロアルダンはダイユウちゃんに振り返って、寂しげに微笑みました。

 

「今度、コスモさんとは一緒に走れると思っていたのですが……やる気がないのでは興ざめですけど」

「一緒に、走る?」

 

 意外そうな顔をするダイユウちゃん。

 それに対して優雅な笑みを浮かべるメジロアルダン。

 

「ええ、次のレースが一緒になる予定ですけど……果たして彼女は出てくるのやら……」

 

 楽しみにしていたのにガッカリした、という様子のメジロアルダン。

 その彼女は──ふと、何かに気が付いて体の前で「パン!」と手を合わせる。

 そして──ダイユウちゃんへと振り向いた。

 

「そうそう、ダイユウサクさん──知っていますか?」」

 

 そして彼女に“あること”を説明する。

 ああ、さも「思いつきましたわ」な感じで話し始めたけど……完全に確信犯ですね、あのウマ娘(ひと)

 




◆解説◆

【不振の理由(ワケ)は……】
・今回、タイトルを本気で困ったんで、ストレートです。
・おかげで解説にも本気で困ってます。
・だってひねりが無さすぎるし……おかげで解説不能。

最高の走り
・コスモの走りについては、G1という最高の結果を出した走りということでオークスを挙げました。
・ただし、記録という上では変わってており、同じ2400メートル(東京と京都の違いがあっても)では2位だった京都大賞典の方が上でした。
・ただしそれはあくまで史実の走り。
・本作では固有スキルを発動させて全力を出すことができたオークスでの走りが最も実力を発揮できたレースとしています。

新聞記者
・こちらの競馬新聞的なものを想像しました。
・でも、公営ギャンブルじゃないから、現実世界の競馬新聞ほどに熱心においかけてるかな、という疑問も……
・まぁ、トウィンクルシリーズ追いかけている乙名史さんみたいなマスコミもいますからね。

一年近くも復帰に時間がかかった
・メジロアルダンは1988年5月29日のダービーの後に骨折が判明し、その後、治療が終わって復帰したのは1989年5月27日のメイステークス。
・まさに丸一年の療養を余儀なくされてしまいました。
・その次が──7月の高松宮杯。
・ちなみにメイステークスまでの5戦はすべて1位か2位。
・これを書いてるおかげで目にするのが「何十戦もして数勝」という普通の馬ばかりみているので、とんでもなく強いウマ娘だと感じます。

怪我
・このころのオグリキャップはケガで療養中。
・1989年の春は当初、大阪杯に天皇賞(春)、安田記念、宝塚記念へ出走する予定を発表していたのですが……
・ところが2月、右前脚の球節(かかと)を捻挫して大阪杯の出走回避。その上、4月には右前脚に繋靭帯炎を発症させてしまい──結果、上半期は治療に専念することに。
・なお、いわき湯本温泉の競走馬総合研究所常磐支所で、温泉に入ってた模様。
・そこや7月に栗東トレセンに戻ってから、プールでトレーニングしていたらしいので、この辺りはシンデレラグレイではサービス回になるかと思料される。
・あれ? そういえばオグリってプールは嫌っていたような……

※次回の更新は7月25日の予定です。  



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第28R 大挑戦! 挑め!捨身の重賞レース

 
「トレーナー!!」

 トレーナー部屋のドアが勢いよく開かれると同時に、見慣れたウマ娘が駆け込み、オレの方へとやってきた。

「ダイユウサク、部屋にはいるときにはノックしろって教わってるだろ?」

 トレセン学園は教育機関でもある。
 まして年上かつ指導する立場で目上にあたるトレーナーへの敬意のために、その部屋へは教師達の職員室同様の作法が求められる。
 それを完全に無視した傍若無人な来客に、オレはもちろん、同部屋のトレーナーである巽見も眉をひそめた。

(あ~あ、これはやっちまったな)

 彼女の様子を見て、オレは内心ため息を付いた。
 学生時代、青春を剣道に打ち込んだ彼女は、武道少女だっただけに礼節に厳しい。
 この不作法は彼女の逆鱗に触れる──と確信できたからだ。
 しかしダイユウサクは、巽海が口を開くよりも前に一気にオレのそばまでたどり着き──

「お願いがあるの!!」
「お願い?」

 必死な様子でオレに頼み込んできた。
 訝しげな表情になったオレが、思わず問い返すと、その内容を告げてきた

「次のレースに勝ったら、アタシの願いを一つだけ聞いてちょうだい!!」

 うん?
 コイツにしてはなかなか珍しい提案だと思った。
 他のトレーナーの話では、ウマ娘のモチベーションのためにそういう約束をする人もいると聞いたことがあるが、今までそういうことを言ってこなかったし、オレの方から「勝ったら願いを叶えてやる」と言うこともなかった。

「……金なら相変わらずないぞ?」
「あのねぇ、この前あそこまで言われたのよ? そんなの十分すぎるほどに分かってるわよ。お金のかからないことよ」

 それを分かってくれているのなら構わないが。
 またどこかへ行きたいとか、どのレースを見たいとかだったら困るからな。
 それに、今まで頑張ってきたコイツを労いたいという気持ちもある。
 デビュー2戦の大惨敗後から面倒を見てきたが、最近では実力が付いて“勝てる”ウマ娘になった。
 なにか御褒美でもあげようかと、考えていたところだし、ちょうどいい。

「まぁ、別に構わないぞ。ただ……オレに出来ることなら、な」

 オレがそう答えると、彼女はパッと笑顔になり──

「約束よ! 絶対だからね!」

 そう念を押すと、来たときと同じように、慌ただしく出ていった。
 思わずポカーンと見送ってしまったが──そこへ、巽見がやってくる。

「いいの? 先輩……あんな約束をして」
「大丈夫だろ。金はかからないって言うし、“オレに出来る範囲”って制限もかけたわけだし」
「本当にィ?」

 そう言って巽見は意地悪い笑みを浮かべる。

「もしも、ダイユウサクが「アタシと付き合って」って言い出したら、どうするの? 条件に合致しちゃうじゃない」

 そう言った巽見の意見を、オレは笑い飛ばした。

「いやいやいや、それはないわ!」
「そんなこと無いわよ。 アレで結構、ダイユウサクは先輩のこと慕ってるし」
「この前は一泊することであんなに喧嘩したのにか? あり得ないわ~」

 そう言って、オレはもう一度笑い飛ばす。

「でも……先輩が担当し始めた頃と違って、ダイユウサクも体つきがだいぶ成長したじゃない? このまま成長すれば、それこそたづなさんみたいに……」
「はっはっは……無い無い。絶対に無い」

 オレが三度笑い飛ばすのを、巽見は──なぜか微妙な目で見ていた。
 なにが言いたいんだ、お前は?



 

 ──6月も終わりが見えたその日、アタシは阪神レース場にいた。

 

 体操服に着替えたアタシは、すでにゲートの中。

 今日のレースは御獄特別

 条件戦で──その条件もクラスがあがって厳しくなってからすでに3走目。

 連続で2位になっているけど、未だ勝ち星は無し。

 

『クラスが上がって3戦目。これまで2戦していずれも2位。なかなか勝ち切れませんが、そろそろ勝利がほしいところ』

『そうですね。彼女の実力なら、可能性は十分にありますよ』

『それはファンも同じ気持ちなようで、1番人気を背負ってます。どうでしょうか……ダイユウサクは?』

『今日は、落ち着いているように見えますが──彼女はこういう場面ではあまり表情を出しませんからね。噂では、トレーナーの前では結構、表情豊かなようですけど──』

 

 そんなプライベートに突っ込んだ解説に、聴衆からは思わず笑い声が漏れる。

 でも──今のアタシにはそれがまるで頭に入ってこなかった。

 それくらいに集中してる。

 なぜなら、このレースには絶対に勝たないといけないから。

 

(アタシのためにも、そしてなによりも──)

 

 集中力はゲートに入っても変わらない。

 天気は晴れ。

 おかげでバ場も良。

 アタシを遮るものは──無い!

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ゲートが開くと同時に飛び出して加速。

 良いスタートを切れたけど──前には一人のウマ娘が走っている。

 前走でも顔を合わせた逃げを得意とする彼女。

 最終盤まで前を走り続け、アタシと競った相手──ミントスター

 

(落ち着け、アタシ……)

 

 彼女の実力はすでに見ている。

 しかも同じ距離。前走では追いついて前に出られたんだから──

 

(今日も追いつけないわけがない!!)

 

 むしろ彼女を追いかけるのに力を使いすぎてしまえば、前走のように他のウマ娘に差されることになる。

 それに、前走の結果はアタシにとって今みたいに心の余裕を生むけど、彼女にとっては──

 

(いいか、ダイユウサク。ランクが上がって勝ちきれないとお前は言うが……ここからはただ速く走るだけじゃダメなんだ)

(それは距離が伸びれば伸びるほど言えることだが──駆け引きというのが重要になる)

(一見、がむしゃらに突っ走ってる逃げのウマ娘だって、最初にハイペースで飛ばして大差を付け、他の全員に“速いペースで保つわけがない”と思わせ──実際にはペースを落として余力を残して走ってる、なんてこともやってくる)

(相手の思惑にはまるな。自分でレースを支配しろ。その力があるウマ娘が……これよりも上にいけるヤツだ)

 

 トレーナーがくれたアドバイス。

 

(それを考えれば──前に余裕を持って走らせないこと!)

 

 アタシが2番手で走り、プレッシャーを与え続ける。

 前走のイメージが残っている彼女なら、アタシを気にしないはずがない。

 だからこそ、追いつかれないほどのリードを作ろうと考えて──ペースを上げる。

 

『先頭で逃げるミントスター、ペースは大丈夫でしょうか?』

『少し掛かかり気味に見えますね。彼女は前走で最後にダイユウサクに追いつかれていますから、意識しているのでしょうが……』

『そのダイユウサクは現在、2番手──』

 

 前を牽制しつつ、後ろにも注意を払う。

 実際、前走はミントスターを抜いたのに、結果は2位だった。

 

(ハイペースになりすぎて、脚を残していた差しや追い込み勢にやられるような愚を繰り返しはしないわ!!)

 

 自分の脚を残しながら、前にもプレッシャーを与えてバテさせる。

 それができてこそ──アタシがレースを支配する、ということ。

 

『いよいよ第4コーナーを回って、最後の直線……先頭は、まだミントスターが走っている!』

『ここからどこまで踏みとどまれるか、粘れるか、注目ですよ』

 

 最後の直線に入り、アタシはグッと踏み込む。

 姿勢を下げ、ラストスパート──

 

『おっと、ここでダイユウサク、速度を上げた! 脚を残していたダイユウサク!!』

 

 前との差が縮まっていく。

 そして、ミントスターの顎が上がった。

 彼女のスタミナが──切れた。

 

「カアアアァァァァァァッ!!」

 

 全力で走る。

 グッと食いしばって溜めた力を叫ぶ声と共に解放し、一気に駆け抜ける。

 ミントスターの脇を抜け──しかし、ここで気を抜かない。

 ゴール板はまだ少し先。そこまで力を緩めることなく……いえ、むしろ逆にさらに速く、さらに前へと駆け──

 

 アタシは1着でゴールを駆け抜けた。

 

『ダイユウサク、1着!! 御獄特別を制しました!!』

『落ち着いていましたね。むしろものすごく集中していたように見えました。初勝利の時の彼女もそうでしたが、ここ一番の集中力は目を見張るものがありますね』

 

 ウイニングランをしつつ、ふと歓声に気がつく。

 えっと……あ、そうか。1位とったんだっけ。

 レースに集中しすぎて、周囲の声が全然聞こえてなかった。

 その歓声に、アタシも手を振って答える。

 

『ダイユウサク……これで4勝目ですね』

『デビューが遅かった上に苦労した彼女ですが、ここにきて見違えるようによくなりましたよ。今日のレースも貫禄さえ感じます』

 

 やっと実況が聞こえるようになったけど──そこで客席の最前列に陣取ったトレーナーの姿が見えた。

 アタシは最後にスタンドへ向かって一礼してから、その下へ向かう。

 

「よくやったな、ダイユウサク」

 

 笑顔で迎えてくれるトレーナー。

 

「このクラスになって初勝利……しかもここ最近は入賞どころか2位か1位ばかりだからな。この良い流れを維持して、次走もこのランクの──」

「待って!」

 

 興奮気味のトレーナーの言葉を遮る。

 驚き、そして意外そうな顔をする彼に、アタシは言う。

 

「レース前の約束、ちゃんと守ってよね」

「約束? 一ついうことを叶えるってヤツか? もちろん覚えてるし、忘れる気もないが……」

 

 彼の表情に困惑の色が強くなる。

 いったい、どんな無茶なことをさせられるのか──とでも考えているのかしら。

 残念。それは外れ。

 だって無茶するのは彼ではなく──

 

「次のレース、アタシに選ばせて」

「なに?」

「格上挑戦したいのよ!! アタシが出たいのは──」

 

 ──アタシが無謀な挑戦をするんだから。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「コスモ……次のレース、分かってるわよね?」

「…………」

 

 トレーナーの巽見 涼子さんがなにか言ってきたけど、コスモは答えなかった。

 だって、足が痛いってコスモの言葉を信じてくれないんだもん。

 きっと、怪我が再発しているのに、それなのに走らせるなんて……

 

「いい加減になさい。お医者様もいろいろ調べてくださった上で、骨に異常は無いって言ってるのよ?」

「だって、痛いものは痛いんだ!! 普段は痛くなくても、全力で走ったらまた痛みが走るんだよ!? それなのに怪我じゃないなんておかしいよ!」

「だからそれは……」

 

 涼子さんがため息混じりに言葉を濁す。

 言いたいことは分かってる。何度も説明されたもん。

 治り方のせいで、今までの走り方だと足に逆に負担が掛かっちゃって痛みが走るようになったんでしょ?

 コスモだってあれだけ聞かされても理解できないほどバカじゃないんだから。

 でも──

 

「今さら、別の走り方なんて言われたって、コスモにできるわけ無い!」

「もちろん時間が掛かるわ。でも落ち着いてそれをやっていきましょう?」

「イヤだよ!! だって、他のウマ娘たちはどんどん強くなっちゃうんだよ? そんなことをしている暇なんて……」

 

 脳裏に浮かぶのは一年前の高松宮杯。

 今みたいに足に不安を抱える前だったのに──全然歯が立たなかった相手、オグリキャップ。

 さらに思い出すのは──オグリの直後を走っていたウマ娘

 彼女はこの前の宝塚記念を走る予定だったのに……直前に故障がわかって、引退しちゃった。

 

(コスモよりも年上だったから、わからなくはないけど……)

 

 そういう姿を見れば──コスモだって活躍できる限界の時期がくることくらい分かってる。

 まるで後ろから追いかけてくる巨大な壁のようなそれ。

 

(逃げないといけないのに、ここで立ち止まったら……)

 

 そう考えると不安で体が震えそうになる。

 思わず自分の肩を抱えたけど、涼子さんが見ているのに気が付いてハッとした。

 

「コスモ……」

「な、なんでもないよ!! 足が痛いのは、きっと別の原因だよ!! そうだ! オーストラリアトロフィーの時は着ていなくて、あの時着ていた勝負服が原因だよ!!」

「──え?」

 

 そうだ。きっとそうに違いない。

 だってあの服は──

 

「あんな、プロテクターが付いているみたいな服、足に負担が掛かるに決まってるじゃないか!! あれが重かったから、足が痛かったんだよ!!」

「コスモ、あなた今までそんなこと……」

「うるさいッ! 足の痛い原因は、勝負服だったんだ!! コスモはもう、あの服着ないからねッ!!」

 

 もう、涼子さんと話していても埒があかない!

 こんな分からず屋と話したって、コスモのことを分かってくれるはずがないんだ!!

 そう考えて──コスモは部屋を飛び出した。

 

「コスモ……」

 

 涼子さんの戸惑うような声が聞こえたけど──振り返ることなく一目散に走る。

 そうして、寮の部屋に戻った。

 そのままベッドに飛び込んで、顔を枕に埋めた。

 

(ああ、もう……頭の中が、パンクしそう。いろいろ考えちゃって……)

 

 怪我をしてないっていう足のこと。

 走り方のこと。

 ターフを去っていくウマ娘達のこと──

 

(このまま呼吸できなくなって、いっそ、いなくなったりできないかな……)

 

 そうすれば全部の悩み事から解放されるかもしれない。

 でもなぁ……きっと苦しいよね。

 苦しいのはイヤだなぁ。

 でも──目の前の悩みに向かい合うのも、嫌だなぁ……

 

 ぐるぐると頭の中でいろんな考えが渦巻き──そこで、部屋のドアがガチャッと開いた。

 

「──!?」

 

 思わず肩がビクッと跳ねる。

 え? 涼子さんが来たの?

 でも、部屋の鍵をどうやって開けたの? 寮長なら全部の部屋の合い鍵を持っていそうだけど、特別な事情が無い限りはそんなことできるわけないって誰かが言ってたような──

 

「コスモッ!!」

 

 あれ? 今の声は……

 あわてて枕から顔を上げてそちらを見ると──

 

「ユウ……帰ってきたんだ?」

 

 今日、ユウは中京レース場で走ってきたはず。

 結果も確認して、たしか1位だったような……

 

(スゴいよね、ユウは。どんどん強くなる。そんなユウに、コスモは……)

 

 もしも今、走り方を一から変えてしまったら──

 ある考えが浮かんで、コスモは怖さを感じてしまった。

 そうやって内心で悩んでいたら、ユウはコスモへと近づいてきていた。

 

「あ、あの……ユウ? 1位だったんだよね? おめでと……」

「ええ! その通りよ。今日の1着で、アタシは決意したの」

「決意?」

「そうよ、コスモ──」

 

 なんだか怒ったような顔のユウ。

 なんで怒ってるんだろう、とコスモが思っていたら、手に持っていた封筒をコスモに突きつけてきた。

 

「え? なに……これ?」

「ちゃんと見なさい」

 

 受け取った封筒に書かれていたのは“挑戦状”の文字。

 ──え?

 

「どういう、こと?」

「再来週のレース、アタシも高松宮杯に出る。そこで勝負よ、コスモ!!」

 

 そう言ってダイユウサクはビシッとコスモに指を突きつけた。

 な、なにを言ってるんだろう。ユウは……

 

「え? でもだって、高松宮杯は……」

格上挑戦よ! それでもアタシは出るわ。トレーナーに承知させたし、その手続きをお願いしたところ」

「でも……コスモは…………」

 

「──あら? 逃げるの?」

 

 そう言ってユウは、蔑んで見下すような──コスモが一度も見たことのない表情をした。

 

「──ッ!!」

 

 さすがに──カチンときた。

 

「なに? ユウ……最近調子良いからって、図に乗った?」

「ええ、調子がいいのは間違いないわ。だから……今の調子の悪いコスモにならアタシ程度でも勝てると思って」

「──ッ! へぇ……言ってくれるじゃん」

 

 コスモは寝転がっていたベッドから立ち上がる。

 そしてユウの前に立ち──睨みつけた。

 

「コスモはオープンクラスだよ? そこに届きもしないユウが、勝てると思ってるの?」

「言ったでしょ? 今のコスモになら勝てるって。去年の“樫の女王”なのはもちろん知ってるわよ。でも──いつまで過去の栄光にしがみついてるの?」

「ッ!! ユウッ!!」

 

 ……許せない。

 今の言葉は絶対に許せない。

 

「過去? たった一度、宝塚記念で調子が悪かったのを見ただけで……バカにするな!!」

「それなら、勝負しましょう? 今度の高松宮杯で……」

 

 見たことがない、挑発的な態度のユウ。

 でも、今のユウを──コスモは許せなかった。

 

「ああ、いいよ! やってやろうじゃん!!」

 

 コスモがうなずくと、ユウ──ダイユウサクは勝ち気で不敵な笑みを浮かべる。

 

「勝負成立ね。アタシがコスモなんかよりも先に、ゴール板を駆け抜けてあげるわ!!」

「へぇ……号泣ウマ娘が吠えてくれるね。いいよ、ターフで泣いて謝らせるから、覚悟しておくんだね!!」

 

 この日から2週間──コスモは寮の部屋に戻らなかった。

 顔を合わせれば情が出るかもしれない。

 絶対に──ダイユウサクにさえ負けるなんてできないんだから。

 

 

 




◆解説◆

【挑め!捨身の重賞レース】
・今回のタイトルは久しぶりの元ネタあり。
・新ソード・ワールドRPGリプレイ──「へっぽこーず」の第9巻のタイトル「挑め!捨身の大決戦」から。
・ソードワールドリプレイで、バージョン2以降も含めた全部の中で一番好きなシリーズです。
・この9巻……実は最終巻だった予定だったのに、よりにもよってラスボス予定だったヴァンパイア相手にクエスト失敗したせいで大事件に発展→最終巻が10巻になるという(読者的には嬉しい)誤算が起こることに。
・このときの事故で見せたヒースの男気がカッコよかったなぁ。
・ちなみにこのシリーズ、各巻のタイトルが「(命令形)! ○○の大○○」となっていて「大○○」シリーズを続ける本作としては親近感を感じるわけで。
・「大決戦」も採用しようと思ったんですけど、大決戦ではないし、そもそも大決戦は使っちゃってる(第20話)ので、結果使わず──
・“大挑戦”と“挑め”が被ってるとか言うのは無しで。

御獄特別
・ダイユウサクの記念すべき第10回目の出走は御嶽特別。芝の2000メートルでした。
・史実で出走したのは、1989年6月25日で中京レース場第10レース。 4歳以上900万下の条件戦。15頭立て。
・直前に書いた宝塚記念とまるで違って、ウマ娘で実装している競走馬が一頭もいないんですよね。
・なぜかこっちの方が落ち着く。(笑)

ミントスター
・名前だけでセリフのない本作オリジナルのウマ娘シリーズ、その何番目か。
・というか、前走でも触れましたね。
・完全な逃げ──という成績が残っていて、生涯結果を見ると途中まで1位でというレースが多いです。
・生涯通算は31戦7勝。
・1984年生まれなので、ダイユウサクよりも一つ上の世代ですね。

オグリの直後を走っていたウマ娘
・前回解説したランドヒリュウのこと。
・1982年生まれの馬。同期で有名なのはシリウスシンボリとかサクラユタカオーでしょうか。
・コスモ達よりもだいぶ年上だったんですよね。
・ですので、ここで引退しても別に不思議はないという年代でした。
・宝塚記念の前走は安田記念。
・バンブーメモリーが制したレースで、同着10位でした。
・1988年の高松宮杯ではオグリキャップに続いての2位でしたけど、その前年の87年の高松宮杯はランドヒリュウが制していました。

足の痛い原因は、勝負服だったんだ
・このセリフが、コスモが混乱している何よりの証拠です。
・ダイユウサクに「奇抜」と言われても気に入っていたはずなのに……
・ああ、鷲座の白銀聖衣を模したものだったんだけどなぁ。

格上挑戦
・自分のクラスよりも上のクラスのレースに挑戦することで、主にオープンクラスになっていないウマ娘が重賞に挑戦すること。
・ちなみに──この格上挑戦、ダイユウサクはすでに経験済みです。
・というのも、デビュー戦からして未勝利だったのに未勝利戦ではありませんでしたから。デビューから格上挑戦だったわけで……
・そんなことに、ダイユウサク自身は気が付いていない様子。


※次回の更新は7月28日の予定です。  




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第29R 大緊迫!! 高松宮杯、出走前

 
「──で、お前はなにがしたいんだよ……」

 オレは、目の前にいる自分の担当しているウマ娘に呆れるしかなかった。

「だって……仕方ないじゃない」

 しゅんとして下を見ているが、まったく反省する様子はなく、なぜか強気な──ダイユウサク。

「あのなぁ。啖呵切るなら、もう少し状況考えてやれよ」

 オレは盛大にため息を付いた

「同じ部屋のヤツ相手に挑戦状叩きつけて、気まずくて部屋に居られないから宿泊場所を用意してくれって……」
「う……」
「何度も何度も言ってるように、うちのチームに金は無いからな。宿泊だなんて……」
「合宿所があるじゃないの」

 恨みがましく、睨め上げるようにしてオレを見るダイユウサク。
 まぁ、確かに、そういう施設は学園にある。
 だが──

「あのなぁ、ウチはソロチームだぞ? 合宿張る必要なんてないから、申請してもたぶん認められないぞ」
「それは……」

 オレが指摘すると、ダイユウサクは気まずそうに目をそらす。

「諦めて、謝って自分の部屋に戻れ」
「イヤよ!!」

 毅然と断るダイユウサク。
 その姿だけ見れば格好は付くんだがなぁ……
 オレがどうしたものか、と悩んでいると──隣から「アッハッハッハッハ……」と笑い声が聞こえてきた。
 頭が痛くなりそうだが、チラッとそちらを見る。
 ついでに、笑われたダイユウサクも恨みがましい目でそっちに視線を向ける。
 そこにいたのは──

「いやいや、ゴメン。そういう事情だったのね……」

 爆笑から復帰した巽見 涼子トレーナーだった。
 まるで他人事のような反応だが、この問題の原因になっているコスモドリームを担当しているトレーナーである。

「実は今、コスモから連絡があってね。しばらく私の部屋に泊まれないか、って言ってきたのよ。事情を聞いたら、部屋にいられなくなったとしか言わなくて訳が分からなかったんだけど……」

 そういうことね、と巽見は納得した様子だった。
 そしてダイユウサクの方を見る。

「そういうわけだから、あなたは部屋を使いなさい。コスモの面倒はきっちり私が見るから……」
「で、でも……たとえば物を取りに来たりして、急にコスモが帰ってきて鉢合わせたら──」
「そのときは私からこっそり連絡を入れるから、少し部屋を空けなさいね」
「うぅ……」

 ま、喧嘩相手が居なくなってくれるなら、大丈夫だろ。
 とりあえずは一安心──

「なに、それとも──コスモみたいにあなたもトレーナーのところにでも泊まるつもり?」

「「──ハァッ!?」」

 オレとダイユウサクの言葉が見事に重なった。

「じょ、冗談じゃないわ!」
「それはオレのセリフだ。なにも間違いが起こりえないのに、それでトレーナーをクビになるとか、絶対にゴメンだぞ!!」
「な……ッ!? まるでアタシに問題があるような言い方ね!!」
「ああ、その通りだ。悔しかったら、たづなさんみたいに──」
「く! この──ッ!!」

 掴み掛かってくるダイユウサク。
 あ、マズい。そういえばウマ娘の方が力が強いんだった。スッカリ忘れてた
 その怪力にどう対抗しようか、と考えを巡らせかけると──

「ダイユウサク……ありがとう」

 横から、不意に巽海の声がした。
 それで毒気が抜かれたように、ダイユウサクは動きを止めてそちらを振り返る。

「え……?」
「コスモドリームが、あなたのおかげでやる気になってくれたわ。正直、高松宮杯は回避するしかないって思ったけど……コスモ、走るって言ってくれたのよ」
「そ、そう……」
「コスモのために、前走を勝って、先輩に格上挑戦認めさせて……本当に、ありがとう」
「そ、そんなことないわ。アタシもそろそろ重賞に出走のするのを経験したかったし……」

 プイと視線を逸らして言うダイユウサク。
 巽見は彼女を優しい目で見つめ、それでますます照れたダイユウサクの拳が、オレの方に飛んでくるのであった。

 ──照れ隠しで人を殴るのはやめなさい。



「なぁ……」

「な、なによ……」

 

 ついに重賞──G2レースのターフに立ったアタシ。

 そして、その横には……呆れたような顔でアタシを見るトレーナーがいた。

 

「お前、緊張しすぎだろ」

「は、ハァ!? そ、そそそんなわけないし!! アタシは至って正常よ!!」

「いや、もう……足ガクガクになってるじゃねえか。そんなので走れるのか?」

「武者震いよ!! むしろ新しい走り方の研究途中なの!!」

「そういうのは、学園のコースでやってくれ……」

 

 トレーナーは「はいはい」と手を振りながら呆れ顔。

 ええ、分かってるわよ!! でも、緊張なんて自分でどうしようもないでしょ!?

 まったく……

 

「あら? これはこれは……」

 

 そんなアタシ達の声でこちらを見て気が付いたのか、栗毛の髪を三つ編みで一つにまとめた、目の細いウマ娘が近づいてきた。

 アタシと同じように体操服に身を包んでいるから、このレース──高松宮杯に出走するウマ娘に違いなかった。

 ──というか、格上挑戦のせいで普段と見かけるメンバーが違いすぎて知らない人が多い中、彼女のことは見覚えがあった。

 とはいえ、ほとんど喋ったことはなかったんだけど──

 

「ダイユウサクさん、あなたもこのレースに出られるんですね」

「ええ、どうにかアナタと同じレースに出られるくらいにはなったわ、シヨノロマン」

 

 アタシが返すと、彼女はうれしそうに目を細める……もともと細いけど。

 

「入学する際に、お婆さまからあなたのことは聞いていたのですけど──あのときは力になれなくて本当に申し訳ありませんでした」

「気にしないで。あれはアタシ自身が目の前にぶら下げられた人参に安易に飛びついたのが原因だったんだから。自分の実力をよく考えて、慎重に行動したら防げたことだもの……」

 

 アタシが苦笑混じりに言うと、シヨノロマンは目を伏せて深刻そうに首を横に振る。

 

「お婆さまは気に病んでいらっしゃる様子でした。ですから……こうしてあなたがこのような舞台に上がれたことを、祖母ともどもうれしく思いますわ」

「……ありがとう、シヨノロマン。そして“あの方”にも伝えて、『とても感謝しています』と」

「はい……」

 

 笑顔でうなずくシヨノロマン。

 そこまでだったら良いシーンだったんだけど──

 

「オーッホッホッホッホ!! 身の程もわきまえずに格上挑戦だなんて、よくも出てこられたものですわね、ダイユウサク!!」

 

 高笑いとともに、生き生きとした様子のウマ娘が現れた。

 ちなみに──トレセン学園の制服姿。それが示すように彼女は出走メンバーに入っていない。

 

「サンキョウセッツ……アンタ、なにしに来たのよ」

「決まっていますわ! 魂で結ばれた我が親愛なる従姉妹、シヨノロマンの応援ですわ!!」

「……自分のレースはいいの?」

「オーホホホ、愚問ですわね。私は現在休養中……春の激戦をくぐり抜けたこの体を癒しているのですわ」

「それなら、わざわざここまで来なくても……」

 

 アタシは呆れきった表情で、満面の笑みを浮かべて高笑いをするサンキョウセッツを見てあげた。

 ……ちなみに、シヨノロマンもサンキョウセッツの様子に苦笑を浮かべている。

 なぜか上機嫌でテンションの高いサンキョウセッツは、そんなアタシのドン引きを気にした様子もなく、ビシッと指を突きつける。

 

「G2レースに出走した程度で、いい気にならないことね、ダイユウサク。私はG1……オークスに出走した経験があるのよ!! つまり、あなたは未だに私の足元にも及んでいないということ……」

「そうね。1着で実況から名前呼ばれたもんね」

 

 アタシがテキトーな感じで返してあげると、サンキョウセッツが悔しげに金切り声をあげた。

 

「キイイイィィィィッ!! 触れてはならないことを!! この号泣ウマ娘ッ!!」

「なッ!? それを言う? 今言う? ホント、信じられない!! 絶対に、許せない……」

「アナタが先に言ったんじゃありませんか!!」

 

 アタシが睨むと、掴み掛からんばかりの勢いで身を乗り出すセッツ。

 すると、さすがにレース前のウマ娘とトラブルを起こさせるのはマズいと判断したシヨノロマンが仲裁に入る。

 

「セッツ、落ち着いてくださいな……」

「く~~~……シヨノ、貴方が言うのなら、従いますが……本当に、この憎たらしいウマ娘、どうしてくれましょう……」

「じゃあ、今度はレースで決着つけましょうか? もっとも……そっちが格上挑戦しないと走れないかもしれませんけど~」

「ぐぬぬぬぬ……もう勘弁なりませんわッ!! 今日のレース、私のシヨノロマンが──

 

 ──そのとき、ゾワリと圧倒的な怖気が走った。

 

「──ヒィッ!? な、なんですの……今のは?」

 

 体をビクッと震わせたサンキョウセッツがふと振り返り──その顔が急に青ざめた。

 そして急にこちらへバッと振り返ると──

 

「あ、秋になったらその挑戦、受けて差し上げますわ!! それまで首を洗って待っていなさいッ!!」

 

 なんて捨て台詞を残して、ぴゅーとばかりに去っていく。

 そんなセッツの豹変に驚いていたシヨノロマンも、アタシに一度、申し訳なさそうに頭を下げてから、セッツの後を追うようにして去っていった。

 

「えっと……いったい、何事?」

 

 まったく付いていけずにアタシは首を傾げるしかない。

 まぁ、セッツが悲鳴上げるのが無理もないと思うくらい、アタシも恐怖を感じたけど……

 たしか、セッツはあっちの方を見て顔色を変えたんだっけ──と思いながら、そちらへ視線を向けると、見知ったウマ娘がスタンドの離れた場所に立っていた。

 制服姿だから出走メンバーではないんだけど、あれって──

 

「……相変わらずですね。ヤエノムテキさんは」

 

 横から聞こえた声に、アタシは驚きながらそちらを向いた。

 くすくすと笑いながら、そのウマ娘──ヤエノムテキを見ていたのはメジロアルダンだった。

 彼女はアタシの方を向き、事情を説明してくれる。

 

「彼女、シヨノロマンさんに憧れている様子なんですよ。通りがかるとジッと見つめていることがよくあって……」

 

 そして今、ヤエノムテキはシヨノロマンじゃなくてアタシをじっと見つめてる。

 えっと、これって……アタシがシヨノロマンと話していたから、ってこと?

 

「本人は無意識なのか、気が付かれていないと思っているのか……でも周囲はみんな分かっているんですけどね」

 

 本人は気づかれていないと思っているところが、不器用であの人らしい、とメジロアルダン。

 でも──ただ話しただけなのに、まるで仇のように見られても、こっちも困るというか……

 

「あら? ダイユウサクさんは、彼女の親戚なのでしょう? 彼女の祖母である“あの方”の親戚とうかがっておりますけど……」

「え? あ、はい……そう、です」

 

 やっぱり面と向かってそれを言われると、アタシは恐縮してしまう。

 だって、今のアタシの実力を考えたら、胸を張って「あの人と繋がりがあります」なんてとても言えないもの。

 

「その話を思い出したのではないでしょうか? シヨノさんが“あの方”の孫であることくらいはご存じでしょうし」

 

 ……そんなの、生まれながらのものなんだからどうしようもないじゃないの。

 それに嫉妬されても……正直、困る。

 アタシはどうしたものか、と戸惑い──思わずメジロアルダンの方を見て、苦笑してしまう。

 

「ヤエノムテキさんも木訥で不器用な方ですからね。最初はシヨノロマンさんも黙ってジッと見つめられるのに気が付いて、怒らせたんじゃないかと心配していたそうです」

 

 いや、あの“ザ・大和撫子”というべきシヨノロマンが誰かを怒らせるとか、無いんじゃないかしら。

 その従姉妹のサンキョウセッツなら、誰彼構わず怒らせてそうだけど。

 

「今では誤解とわかったそうなんですけど……シヨノロマンさんが話しかけるとヤエノムテキさんはガチガチに緊張してしまうらしいんです」

 

 その姿を思い出したのか、メジロアルダンは上品にくすくすと笑う。

 

「へぇ……」

 

 と、感嘆しながら再びヤエノムテキを見ると、彼女はアタシに興味を失ったらしく、再びシヨノロマンの方を見ていた。

 でも……なんとなく、彼女の気持ちが分からないでもない。

 ああいう乙女らしい、大和撫子そのものというシヨノロマンに、自分がなれないからこそ、そこに憧れるという気持ちは理解できる。

 例えば──この目の前にいる、メジロ家のお嬢様もそう。

 アタシが見れば、彼女は上品に微笑んでみせる。

 

「やっと、同じバ場(ターフ)に立てましたね」

「ええ……一年と少し前、食堂で言われたのはちゃんと覚えてるわ」

「あれからお互い……色々ありましたけど」

「そうね。アナタは骨折して一年棒に振って──」

「貴方は遅れに遅れたデビューで惨敗して、そこから立て直してこの場に……」

 

 そうしてアタシとアルダンは、どちらからともなくお互いにうなずいた。

 

「でも、アタシとアナタは違う……アタシは目一杯の背伸びをして、やっとこの場に立っている程度でしかないわ」

「ふふ……そうではありませんよ、と言って差し上げたいところですけど……事実ですね」

「ハッキリ言ってくれるわよね……重賞の先達として、もう少し優しい言葉をくれてもいいんじゃない?」

「あの……先達って同い歳じゃありませんか? 私達」

 

 アタシが苦笑し、アルダンもまた微笑む。

 

「今日は、胸を借りるわ」

「ええ。全力で掛かってきてください。小細工無しで、叩きのめしてさしあげますよ」

 

 アルダンは余裕さえ感じさせる笑みを浮かべて応え、「それに……」と言って視線を巡らせる。

 

「余計なことを考える余力なんて、無いと思いますけど……彼女のことも頼みますわ」

 

 その視線の先には──短めの無造作な髪が特徴的なウマ娘が、こちらをじっと見つめて……いや、睨んでいた。

 

「コスモドリーム……」

 

 いつになく──ううん、今までに見たことがない、アタシを完全に敵視した目。

 その目にアタシは──負けることなく見つめ返す。

 

「貴方が眠れる“樫の女王”を起こしてくれるのを、多くの人が楽しみにしていますのよ」

 

 メジロアルダンがそう言うと──

 

「アルダン姉様!」

「アルダンさーん!!」

 

 明るい声が響き、彼女はそちらを振り向いた。

 アタシもそちらへ視線を向ける。

 観客席には二人のウマ娘がいて、活発そうなショートカットな方が大きく手を振っていた。

 そしてその隣には──長い葦毛の髪をした、上品そうなウマ娘がいる。

 2人の姿をアタシの目がとらえたとき──

 

「──?」

 

 なぜか妙に気になった。

 どちらも中央トレセン学園の制服を着ているので、そこの所属のウマ娘なのは明白だった。

 知っているわけでもないし、顔を見るのも初めてのはずなのに──

 

「あの娘達、メジロ家の御令嬢方?」

「はい……優秀な後輩たちなんですよ。私なんてすぐに追いつかれてしまいそうで……ですから、やっぱりもう骨折は二度としたくはありません。いえ、している暇なんてありません」

 

 アタシの問いにそう答え──もう一度コスモドリームを見る。

 骨折で苦労しているのは彼女も同じだからこそ、見たのかもしれない。

 そうよ──誰かよくわからない娘よりも、今は彼女に集中しないと。

 アタシが意識をそっちに向けると──

 

「今日はいいレースにしましょう」

 

 と、アルダンは言い残して、二人のメジロ家のウマ娘の方へと歩いて行った。

 

 後に残されたのは──挑戦状を叩きつけた者と、叩きつけられた者。

 しかし二人の間に会話はなく──「今日は負けない」と視線だけで雄弁に語り合った。

 




◆解説◆

【高松宮杯、出走前】
・再び元ネタ無し、しかも場面そのままという解説泣かせのタイトル。
・もうこれ、どう解説しろっていうんだよぉ……(ノД`)・゜・。
・ちなみにUP時には「高松宮記念」と間違えていました。
・書いてる方も「~杯」と念頭に置いているはずなのに、書き終わって油断しながら「えっと、タイトルどうしようかな~」なんてやってるから、こんなウッカリをやってしまうのです。

申請してもたぶん認められない
・と、トレーナーは言ってますが、どうでしょうかね。
・アニメ2期でライスシャワーが一人でキャンプして修業しているのを寮長も許していたので。
・でも──あのときのライスシャワーのトレーナーって何をしていたんだろうか、と思ってしまいます。

スッカリ忘れてた
・書いてる人もそうでした。
・ウマ娘の方が身体能力は全然高いのを忘れて、喧嘩する(じゃれ合う)シーンを書いてしまうのをたまにやってしまいます。
・乾井トレーナーは、全然そういうの考えないで、ダイユウサクと接してますよね。
・ちなみに巽見トレーナーは竹刀一本でひれ伏せられるっぽいので、ウマ娘にも厳しいです。

私のシヨノロマンが──
・毎度おなじみ、サンキョウセッツ。
・宝塚記念のシーンでもコッソリ出てきていたんですが……その時と同様にシヨノロマンの応援だけが目的でした。
・もう完全に、シヨノのおっかけです。そこにダイユウサクもいるんだから、来ない理由がない。
・ちなみに──ダイユウサクから「そっちが格上挑戦」なんて言われてしまっていますが、ランク的にはダイユウサクの方が上になってしまってます。
・そのせいでよほど悔しかったんでしょうけど……従姉妹だし、あこがれだし、そんなわけで「私の~」なんてうっかり言ったものだから──

ヤエノムテキ
・──彼女をガチで怒らせてしまうことに。
・史実のヤエノムテキはシヨノロマンをじっと見つめることがたびたびあったそうで、お気に入りだったようです。
・今回は彼女、宝塚記念後の休養を利用して、こっそりシヨノロマンを見に来ていたようで──
・まぁ、競走馬ヤエノムテキは牡馬で、シヨノロマンは牝馬ですから、無理もないのですが……ウマ娘だと同性。
・かといってシンデレラグレイ準拠してるし、しかもゲーム版でも全く要素のない「ヤエノムテキは百合」というものを勝手にぶち込むのは、あまりに世界観を破壊してしまうということで──
・シヨノロマンを大和撫子にすることで、“朴訥武道少女”であるヤエノムテキが「自分に無い女性的なものを持っているシヨノロマンにあこがれている」という設定にしました。
・シヨノを大和撫子にしたのは、メジロ家の令嬢たちが“洋”イメージなのと、ヤエノムテキが武道という“和”で男性的なイメージだったから、あこがれるのはやっぱり“和”の女性的なイメージだろう、という判断です。
・また“朴訥”なので、不器用でシヨノを遠巻きに見ていることができない、という設定に。


※次回の更新は7月31日の予定です。  



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第30R 大決闘! 圧倒する力、究極のコスモ

 パドックからゲートに向かう本バ場入場の前。
 コスモは、メジロアルダンと話しているユウ──ダイユウサクを見つけた。
 あの日から、お互いに生活を離したから、見かけるのは本当に久しぶり。
 そしてコスモの視線に気が付いたユウはこっちを見て──

(──ッ!?)

 ちょっとだけコスモは驚いた。
 以前のユウだったら親しげに笑みを浮かべていたはず。
 もっと前──入学直後だったら、コスモの顔を見てほっとしたように安心したような顔をしたはず。
 でも、今のユウは──勝ち気な笑みを浮かべて、コスモに強い視線を向けていた。

「なるほど……」

 思わず口の中でつぶやく。
 ユウは、変わっていた。
 完全に──競走ウマ娘へと変わっていたんだ。
 だからコスモに向けてきた目は、友を見る目でも、味方を見る目でもない。競うべき相手──ライバルを見る目だった。

(もちろん、受けて立つよ。昨年の“樫の女王”として……いや、違う)

 そんな肩書きだって要らない。
 だってユウは、そんな看板を見ているわけじゃないから。

(一人の競走ウマ娘、コスモドリームとして──ダイユウサク、キミと真っ向勝負する!!)

 ダイユウサクの視線にコスモも応じ──

「……あの、コスモドリーム?」

 ──ようとしたら、なんかすぐ近くから呼びかけられた。
 幾分肩すかしを食らいつつ、そちらを見ると……なんだか不安そうな顔をした、「夢」と書かれた鉢巻きをしたウマ娘──バンブーメモリーが、微妙な表情でコスモを見ている。

「一応、訊くっスけど……アナタがいるってことは、やっぱりあのトレーナーも要るってことっスか?」
「それはもちろん……」
「ギャーッ!!」

 コスモが答えかけると、答え終わっていないのにバンブーメモリーは悲鳴を上げて、駆け去っていった。
 う~ん、涼子さん……心的外傷(トラウマ)を植え付けるのはよくないと思うよ。



 高松宮杯の出走が刻一刻と迫っていた。

 すでにゲートの中で待っているアタシは──心を落ち着けていた。

 

(天気は曇り……バ場は稍重って言ったところかしら)

 

 足元を見ながら確認して、この状態をもたらした空を見上げる。

 空は完全に雲に覆われていて、日を見ることはできなくて──アタシは小さくため息をついた。

 

(やっぱり汚れるから、晴れている方がいいのよね……)

 

 たとえ先頭を走ったとしても、その気持ちは変わらない。

 先頭じゃないと、前が蹴り上げた泥が飛んできたりしてもっとひどいけど。

 そして──さっき、トレーナーに指摘された過度な緊張は、もう無い。

 確かにG2なんていうアタシが経験したこと無い舞台だけど、アルダンというクラスメートがいたり、シヨノロマンやコスモドリームという親戚がいたり、と普段のレースみたいに知らない娘ばかりってわけじゃないんだから。

 そんな知り合いを応援する中にはもちろん知りあいも多い。

 さらに言えば、今回はコースさえも味方なのよね。

 左回りの中京レース場芝2000メートル。それだけ見れば前走の御嶽特別と全く一緒なんだから。

 

(肩書きが違うだけで、やることは一緒……)

 

 そう、一番早くゴール板を駆け抜ければいい。

 突き詰めればそれであり、それ以外は蛇足でしかない。

 アタシは集中力を高め──「ガコン」という音とともに、ゲートが開く。

 

 同時に、アタシはゲートを飛び出していた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ゲートが開いて、コスモは飛び出す。

 うぅ、やっぱりちょっと苦手だよね。

 徹底的に練習したから、デビューからの3連続出遅れたときみたいな失敗は少なくなったけど──それでもやっはり苦手意識は消えない。

 

(こればっかりは、ユウに勝てないんだよね……)

 

 コスモの従姉妹のダイユウサクは、スタートを得意にしてる。

 出遅れたのなんてほとんど見たことないし、練習でもすんなり反応してる。

 前にコツを聞いたことあったけど──

 

「ゲートが開いたら、その瞬間に出るだけよ?」

 

 不思議そうな顔をした彼女に、全然参考にならないという、とてもありがたいアドバイスをいただいた。

 そしてそんなユウは今日もスタートを成功させると、先頭に立って──さらに加速した。

 

(あれ……?)

 

 ちょっと意外だった。

 最近のユウは“逃げ”というよりは“先行”でレースを組み立ててるように見えたから。

 この前、あんなこと言われて挑戦状叩きつけられたけど──その日のレースなんて先行の理想的な展開。

 逃げを牽制しつつスタミナを使わせ、その一方で自分はスタミナを残して差し・追い込みを有利にもさせず──そして見事に勝ってる。

 

(あそこまで立派なレースの組立ができたのに──作戦を変えてきた?)

 

 疑問に思ったけど──なんとなく分かった。

 彼女は格上挑戦しているんだ。

 だから、自分の実力ではこのレースにでているウマ娘たちと互角にやり合うだけの実力がないと割り切ったんじゃないかな。

 さらに言えば──駆け引きでは勝てない、と判断したって言える。

 

「……それには、コスモも賛成したくなる、よ」

 

 思わず口をついて出る言葉。

 それが示すように──レースは、コスモがその得意な差しのために、ついていけるペースのギリギリ。

 ううん、足のことを考えたら──

 

「このペースを……ユウがつくっているの?」

 

 先頭で逃げるウマ娘がペースを握るのは当然のこと。

 だとしたら、本当に──

 

「やっぱり、ユウは強いじゃないか……」

 

 誇らしく思いつつ──徐々に足から響くものに、少し顔をしかめた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──レースも中盤に差し掛かった。

 

 それでも現在、アタシは先頭を走っていた。

 誰かに主導権を握られて、その上でレースを制することは──今のアタシの実力と出走メンバーを見れば、それが不可能なのはあらかじめ分かってた。

 だからこそ、先頭(ハナ)をきって走ることで、自分で主導権をとってしまおうと思ったわけ。

 その思惑は成功していた──はずなのに……ついに横に並ばれた。

 

「──ッ!!」

 

 視線を一瞬だけ向ける。

 

(シヨノ…ロマンッ!!)

 

 普段は絶対に見せない、彼女のイメージとはかけ離れた厳しい表情。

 それが並ぶ──ことなく一気に抜かれる。

 

「く……」

 

 やっぱり、強い!

 でも──負けるわけには……

 

「甘いですね、ダイユウサクさん……」

 

 気がつけばさらに一人──今度は隣を併走しているウマ娘がいた。

 淡い色の長い髪。彼女は──

 

「メジロ、アルダン……ッ!」

 

 アタシの逃げをものともせずに、あっさり追いつかれていた。

 くッ……アタシの足が、通用しない!!

 レースのレベルが、違いすぎる。

 

(これが……オープンクラスってこと!?)

 

 アタシもデビューが遅くて未勝利戦なんかはほとんど無くなってたけど──それでも前のクラスで勝利を重ね、今のクラスでも入賞し、1位もとって自信になった。

 だというのに──

 

「逃げがもっとも得意な戦術ではないのでしょう?」

「なッ──」

貴方のもっとも優れたその武器を生かせるのは、この走り方ではありませんよ──」

 

 少し残念そうな表情を浮かべた彼女。

 そんな余裕がある──そこまで力に差があるってこと!?

 

「こんなッ……負けられ──」

「いいえ、お先に……いかせていただきます──」

 

 言うや、アルダンはグンと加速する。

 そしてアタシはそれに──ついていけない。

 ここまで精一杯走り続けたアタシの足には、そこまでの力が残ってなかった。

 

 ──少なくともこの時は。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──レースはいよいよ佳境へ入った。

 

 第3、第4コーナーを周り──ユウが完全に集団に追いつかれたのが見えた。

 後ろを走っていたからこそ、それがハッキリと分かったんだけど

 

(やっぱり今のユウだとこうなるよね)

 

 悪いけど──やっぱりオープンクラスが出てくる重賞では、ユウの逃げは通じない。

 むしろここまで前を維持したことに、ちょっとだけ驚いた。

 

(強く、なったよね……)

 

 あの2戦連続タイムオーバーのウマ娘が、このレベルのレースの最終盤まで前の方を走っているなんて……あのころ、誰が予想しただろう。

 

(乾井トレーナーに感謝だよ。ユウを……コスモの従姉妹をここまで育ててくれたんだから)

 

 一時は辞めるといっていた競走。

 そんなユウをつなぎ止めてくれたのは、あの人だ。

 

(でも──負けられないんだ!!)

 

 コスモにはプライドがある。

 オークスを制した、“樫の女王”として、格上挑戦しているようなウマ娘に負けるわけにはいかない。

 それは歴代のウマ娘達や、共に競ったあのレースに参加した彼女たちにのことを考えれば、“この程度の実力”となめられるわけにはいかないんだ!!

 けれど──

 

「く……」

 

 足が──

 前のレースと同じように足の痛みが出ていた。

 それも中盤からとっくに。前のレースよりも痛み出すのが早い。

 前走に比べればある程度覚悟していたし、レースのレベルも劣る。そのおかげで中段は維持できていたけど──

 

(ここから、挽回するのは……)

 

 厳しい。

 足先の感覚が麻痺するほどに──

 

「「コスモーッ!!」」

 

 そのとき、大きな声が耳に聞こえた。

 伏せそうになっていた頭の上の耳がそちらをピクッと振り向く。

 目をそちらに向けると──チームメイトのみんながいた。

 その中にいる──ひときわ目立つ、背の高いウマ娘。

 葦毛の長髪を全部後ろに流したオールバックスタイルの髪型のその人は、チームメイトの中心で、腕を組み仁王立ちになってこちらをじっと見ていた。

 

「─────先輩!?」

 

 そこに目を移した瞬間──

 

「コスモドリーム!! あのときの走りをもう一度見せてみろ!!」

 

 その人が怒鳴るように声を張り上げた。

 あのときの走り? コスモが実感する最高の走りっていったら、あのオークスの……

 その後のトレーニングで先輩から直接声をかけてもらったことが脳裏に浮かぶ。

 

「──この前の走り、見事だったぞ。コスモ」

「ありがとうございますッ! 先輩!!」

「うむ……あの走り、あの力こそ我がチームの目指すものだからな。お前はそこに至れた一人になったというわけだ」

「あの……先輩、あれってどういうものなんですか? あの後、トレーニングで再現しようとしてもうまくいかなくて……」

「あれを練習レベルで再現できるほど使いこなせている者などほとんどいないぞ。レース本番の高揚感や周囲との本気の戦い(レース)の中で気力が充実し、研ぎ澄まされた感覚が──五感や六感のその先へと至る。それこそ我ら《アルデバラン》真髄の走りよ」

 

 そう言って先輩は──「ハッハッハ……」と腕を組んで豪快に笑っていた。

 結局、どうやったらその力が引き出せるのか、よくわからなかったけど。

 その後は何度か発動したこともあった。

 けど……肝心なレースで発動しないこともあった。

 そんな経験からなんとなくだけど予兆はわかる。あの力が沸き上がりそうな雰囲気というものだが。

 だからこそ、それがわかるから言える……今日は無理だよ。

 そんな気配はないし、しかも中でも最高潮だったオークスの時の走りだなんて。

 あのときと違ってコスモの足は──もう痛みが感じられないくらいに感覚が……

 

『──コスモ! 奇跡をおこせ!!』

 

 響き渡ったのは、チーム《アルデバラン》全員の声。

 

「あ……」

 

 あのとき……オークスを見に来てくれた先輩達。

 それだけじゃない。チーフトレーナーについてる、同級生のウマ娘達。

 さらには──この前も見に来てくれていた()も含めた後輩達もいる。

 それに普段、見守ってくれているチーフトレーナーと──その前に立つ、コスモに親身になってくれる涼子さん。

 チームのみんなが、コスモを応援してくれているんだ。

 心が震えた。

 だからコスモは、その気持ちに──

 

「聞こえる……先輩の声が……チームメイトの声が……トレーナーの声が……みんなの声が、コスモに響いてくる……」

 

 コスモを支えてくれたのは、血を分けた従姉妹だけじゃない。それ以外のみんなだってコスモを心配して、支えて、力になってくれていたんだ!!

 その声に──応えなければいけない!

 勝利のために──いや、たとえこのレースの勝利へ届かずとも……

 痛みという体の感覚を忘れるほどに集中したコスモは──ついに、あの感覚へと至った。

 

 星が無数に輝くあの闇夜の空間。

 そこに両足でしっかり立ったコスモドリーム。

 勝負服に身を包んだコスモは──その体から光の粒子を立ち上らせ、そして体の前で手が揺れるように動く。

 あのプロテクターは、金色の光を放っていた。

 

「コスモの心よ、今こそ究極まで燃え上がれ!!」

 

 そして今こそ──勝利を掴む!!

 揺らした手を体の前に高く掲げ、そして──力を爆発させる。

 

 ──現実に戻った時には、コスモは一気に加速してた。

 

(この感覚は間違いなくオークスの時の……いや、それ以上の速さ!)

 

 そして目に飛び込んできたのは──前を走る11番のゼッケン。

 それをつけているのは──

 

「ダイユウサクううぅぅぅッ!!」

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──来た!!」

 

 後ろを振り返らなくても分かる、ものすごい気配。

 その強大な気配──ハッキリ言えば、先頭争いをしている前のウマ娘達よりも、よほど強い気迫だった──に振り返りそうになるけど……でも、それが誰なのか分かっている以上は、振り返る必要がなかった。

 

(この感覚──覚えてるわよ。あのときはレースを走ってさえいなかったけど、それでもすぐ近くで見ていたんだからわかる!!)

 

 コスモの最高の走り。オークスの時の怒濤のような末脚。

 それをコスモは発揮したんだ。

 背筋が冷たくなる。

 だって彼女はきっと──アタシに勝つためにその力を使ったんだから。

 まさに“樫の女王”の本気。

 

(でも──)

 

 負けたくない。

 負けるわけにはいかない。

 だって──もしも、ここでアタシが負けてしまえば……アタシが出た意味がなくなる。

 

(アタシが勝って──コスモの新たな目標になる!!)

 

 そうすればコスモはレースを止めない。足を止めないはず。

 彼女をこんなところで立ち止まらせるわけにはいかないから──

 さらなる高みを二人で目指すためにも──

 

()()()()()()()負けるわけにはいかないッッッ!!」

 

 アタシの集中力が高まり、そして──足はより強く地を蹴り、腕はより強く空気を掻くように力強く振られ、一段下げた姿勢で頭は風を切り──加速する。

 

「コスモドリームううぅぅぅぅッ!!」

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その瞬間──

 

「「────ッ!?」」

 

 この競走を見ていた二人のウマ娘が──思わず、振り向いた。

 ……もちろん、レース中のウマ娘たちはそんなことに気がつくはずもない。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ば、バカな……」

 

 突然、顔を上げた先輩が驚愕した様子で声を上げたので、思わずそっちを見た。

 普段から泰然としていて凛としているその先輩が見せた表情には、こっちもビックリさせられた。

 

「ど、どうしたんだ? ……アルデバラン先輩

 

 腕を組み、悠然と仁王立ちするのが似合い、今もその姿勢になっているそのウマ娘。

 彼女こそ、自分の名前をチーム名にしたソロチームで始め、今やサブトレーナーが必要なほどに大きくなった我らのチーム《アルデバラン》の創始者、ウマ娘のアルデバランなのだ。

 

「コスモ先輩の走り?」

 

 先輩が驚いているのはそっちだと思って言ったけど、先輩は少し震えながら首を横に振る。

 

「いいや、違う……コスモの前を走っている、あの11番だ……」

「え? ……ああ、ダイユウサクのこと?」

「だ、ダイユウサク……? 彼女の名前はそう言うのか……」

 

 名前を聞いて困惑している様子の先輩。

 

「今、あのウマ娘もまたコスモと同じ領域(ゾーン)へ入っている」

「……え?」

 

 見れば──確かにその人も、先頭を逃げ続けてバテていたのが嘘のように、急に再加速していた。

 まるで、コスモ先輩に呼応するように。

 

「だから、コスモ先輩に負けないくらいに加速してるってことか。でも──きっと、ううん、先輩なら絶対に勝てる! ですよね? アルデ先輩……」

 

 まさにオークスの時の走りを思い出させるその加速は、誰にも負けないと確信できる。

 ただ、少し加速が遅かったから、上位に入るのは難しいと思う。

 でも──コスモ先輩が1位をとるために加速したんじゃないことは、見ていて分かる。

 あの11番に──ダイユウサク先輩に勝つために、力を振り絞ったんだ。

 

「──違う。あの力……あのウマ娘のアレは単に自分を加速させるだけものじゃないんだ」

「え? あれを……先輩は知っているのか?」

「いや、実際に見た訳じゃない。だが……この身に宿った魂が、アレの危険さを教えてくれる

 

 えっと……ウマ娘って、一説によれば異世界の競走する獣の魂を受け継いでいる、って言われるけど、それが──ってことかな?

 でも……

 

「え? ダイユウサク……まるでコスモ先輩みたいな……」

「そうだ。“アレ”は競う相手の力に呼応して、自分にもその力に応じた能力を上乗せ(ブースト)する──まるで、上位者喰い(ジャイアントキリング)のために備わったような能力……」

 

 そんな!? じゃあ、発動したら相手の力を加算して発揮できるってこと?

 そんなの反則だと思いつつ、改めて──ダイユウサクとコスモ先輩の走る姿に目を戻る。

 そしてアルデバラン先輩は、戦慄が走ったままの様子でそのレースを見ていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 目の前を走るウマ娘がつけたゼッケンがグングンと近づいてくる。

 そこに書かれた「11」の数字の下に書かれた「ダイユウサク」の文字。

 

(抜ける! 勝った!!)

 

 加速した自分の速度と、相手の速度……さらには残り距離、それらを考えれば自然とその答えは導き出された。

 そうコスモが確信した瞬間──ダイユウサクから光の粒子が立ち昇った。

 

(え? 今のは……)

 

 戸惑う。

 だって、そんな姿──ユウどころか、他のウマ娘でも見たことがない。

 唯一の例外は、《アルデバラン(ウチのチーム)》メンバー、それもコスモを含めたオープンクラスのウマ娘くらいだけど……もちろんユウはうちのトレーニングなんて受けてない。

 そして次の瞬間──

 

「なッ──!?」

 

 ダイユウサクは──再加速した。

 え? だって……今までユウは逃げて先頭を走ってきたんだよね? このレース。

 そして逃げきれずにここまで下がってきたのに──

 

(なんでここから末脚が発揮できるの!?)

 

 信じられなかった。

 でも──目の前で起きていることだから、信じるしかない。現実から目を背けても、勝つことはできないんだから。

 

(まるで奇跡──)

 

 と思って、ふと自嘲的に笑みを浮かべる。

 なんでこんな──下位争いで、奇跡を起こすのさ。

 そんな“奇跡の無駄遣い”には苦笑するしかない。

 でも──

 

(それでも、負けられないッ!!)

 

 全力で走る──でも差は縮まらない。

 必死に走る──むしろ逆に、少しだけ差が開く。

 死力を尽くし──コスモ達の前を走っていたウマ娘が、争いに巻き込まれ……

 

 

 ゴール板を通過した。

 

 

「──くっそおおおぉぉぉぉッ!!」

 

 ……勝てなかった。

 コスモの順位は──9位。

 間に最後に巻き込まれてユウに抜かれた人がいて、ダイユウサクは7位。

 ゴールして……コスモは足の痛みを思い出して、止まる。

 しばらく動けなかった。うずくまり、足をかばう仕草をしながら──

 

「──っ、ぅぅ……っ、ぁぁ~~ッ」

 

 嗚咽が口をついて出る。

 正直、悔しかった。

 今まで常に後ろにあると思っていた、その背に──コスモは追いつくことができなかったんだ。

 そして、あのとき──入学してしばらくしてからあったユウへの“コネ入学”という誹謗中傷にさらされる彼女を見て決意したことを思い出す。

 彼女を守ろうと心に誓い、誰にも文句を言わせないほどの強いウマ娘になろうと心に決めた、あの日。

 そして、今日……9位という自分の順位と現実を突きつけられ──

 ユウはもうコスモに守られないといけないほど弱いウマ娘じゃないんだ、と思い知らされて──

 

 

 だから、コスモは………………決意したんだ。

 




◆解説◆

【圧倒する力、究極のコスモ】
・「圧倒する力」は、主人公の名前が「コスモ」な『伝説巨神イデオン』の劇場版で使われたBGMの一つから。スパロボでも戦闘用BGMにも使われていますね。
・ちなみに作曲者はドラクエのBGMでも有名なすぎやまこういち氏。
・「究極のコスモ」の方は、『聖闘士星矢』から。第6感のさらに先の感覚で「セブンセンシズ」と作中では呼ばれています。
・そう、この好待遇が示すように……高松宮杯がコスモドリームのラストランでした。

高松宮杯
・今回のレースの元ネタは、ダイユウサクの第11走目にして初めての重賞──第19回高松宮杯。
・前年はオグリキャプが優勝し、コスモドリームが3位だった──シンデレラグレイでは一コマで飛ばされたあの高松宮杯です。
・とはいえ、順位はともかく展開やペースなんかは史実と違うところが大分ありますので御容赦を。
・ちなみに──当時はG2だった高松宮杯、現在はG1で『高松宮記念』という名前になっています。
・元々は──『中京大賞典』という名前で1967年に創設されたレースがその前身。ちなみに砂(ダートではない)で2000メートルのレースでした。
・1971年にそのレースを、高松宮殿下が優勝杯を賜ったのを機に、『高松宮杯』へと改称。芝の2000メートルになる。
・1982年、グレード制導入でG2レースに指定される。
・1996年に距離が1200に、開催日も5月になった上、G1に昇格。ちなみに中京競馬場では初のG1レース。
・1998年に、名前が『高松宮記念』に変更。2000年に3月開催に変更になり、現在の形に。
・そのためゲームでは、3月末に開催される“数少ない短距離のG1”のイメージが強い。
・本作ではシンデレラグレイに準拠し、名前も『高松宮杯』、当時の時期でのレースということになっています
・ちなみに──名前になっている高松宮殿下とは、高松宮宣仁親王のこと。
・この方は、大正天皇の第3皇男子。つまり昭和天皇の御弟君であらせられました。
・なので上皇陛下(平成天皇)の叔父、今上天皇から見ると祖父の弟なので大伯父(おおおじ)ということになります。
・1987年2月3日に肺がんのため薨去。82歳でした。

貴方のもっとも優れたその武器
・ダイユウサクの武器は──天性の才能と言われたゲートセンス……もですが
・本作では最大の武器は“末脚”としています。
・今までもそれでレースを制してきていますので、アルダンのように気がついている人もいます。

チームのみんな
・ここは、コスモの正念場と見て、チーム《アルデバラン》が総出でやってきています。
・その“友情”に応えるため、今まではダイユウサクにしか感応しなかった彼女の固有スキルが発動しました。

アルデバラン先輩
・オリジナルウマ娘で、チーム《アルデバラン》のリーダー。
・長い葦毛の髪をオールバックにして後ろに流している髪型で、切れ長な鋭い目をしたウマ娘。
・元々、《アルデバラン》は彼女のソロチームで、そのために自分の名前をチーム名にしていた。
・実力があり、面倒見のいい彼女を慕ってウマ娘たちが集い、今のチームにまで育った。
・厳しい反面、面倒見がいい。アルデ姉さま、アルデ姐さんと形を変えて慕われている。
・そんな彼女の元ネタは、もちろん黄金(ゴールド)聖闘士(セイント)牡牛座(タウラス)のアルデバラン──ではない。
・本当の元ネタは非実在系の競走馬で、漫画『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』に登場する、主役馬ともいえるストライクイーグルのライバルの中の一頭だった「アルデバラン」。
・弥生賞を1位で制し、皐月賞1位、ダービー2位、京都新聞杯1位、菊花賞5位と、クラシック戦線を駆け、その年の有馬記念1位。
・翌年も日経賞1位。天皇賞(春)こそ5位だったものの、毎日王冠1位を経て、天皇賞(秋)を制して春の無念を晴らし──引退レースの有馬記念では2位。
・と、非実在系とはいえ、かなり優秀な成績を誇る馬。
・もっとも、ストライクイーグルのライバルとしては──どっちかといえば、その立場はヤシロハイネスのイメージが強い。
・そして、本作のウマ娘としてのキャラ的なイメージは、その名前から上記の黄金聖闘士。
・性別の違いこそあれど、大柄・腕組み・仁王立ち・長髪オールバック等々はそこからです。
・ただ、牡牛座のアルデバランは原作では明るい色(白か銀)の髪で、『じゃじゃ馬~』のアルデバランは“葦毛”という奇跡のような共通点が。
・それでこのウマ娘・アルデバランが爆誕し、このようなキャラになりました。
・「ソロチームで自分の名前がチーム名」というのは使いたくて考えていて……実在馬の「ベガ」かな、と思っていたのですが、「これだ!」と思い、こちらで使うことに。
・そんな感じで、後進の育成や面倒見の良さという面も出ましたが、これは原作のアルデバランというよりは『THE LOST CANVAS』の方の冥王神話に出てきたアルデバラン「ハスガード」のイメージです。
・ちなみに、コスモがオークスで優勝したときに遅れてやってきたのは彼女。
・あの時は解説で「あとの章で紹介するから」と解説しなかったのですが……
  非実在系ウマ娘の名前がすでに出てしまったこと
  このペースだとその解説がいつになるかわからないこと
  それまでこのネタ温めておくのも面倒だと思ったこと
といった理由で、今回出しました。
・なかなか濃いキャラに仕上がりましたがご安心を。レギュラーでも準レギュラーでもなく、ほぼ一発キャラですので。(笑)
・以前出たときに、「ダイユウサクを苦手にしている」と説明したのですが──

この身に宿った魂が、アレの危険さを教えてくれる
・──それが↑の理由。
・元ネタになった非実在系競走馬のアルデバランですが──その『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』では上記のように引退レースに有馬記念を選んで出走。
・圧倒的強さでそのレースを駆ける姿は、元ネタはオグリキャップかトウカイテイオーか──と思っていたら、最後に大穴馬ナンバショットに差されて2着に。まるで1991年の有馬記念での誰かさんのように。
・そのナンバショット──有馬記念という舞台や、直前までノーマークな上に「なんとビックリ、ナンバショットだっ!!」の実況でわかるように、おそらく元ネタの馬は……
・そのため、ダイユウサクの固有スキルは、彼女の受け継いだ魂にとっては心的外傷(トラウマ)レベル。
・その気配を感じて反応したうちの一人は──彼女でした。
・内容さえ知っていたのは、本当に警戒していたから。
・ダイユウサクの名前を聞いて戸惑っていたのは、それを使ったのはてっきりナンバショットのウマ娘だと思ったため。
・……ちなみにこのシーンでアルデバランと話しているのは、宝塚記念のあとにダイユウサクと一緒に新幹線で帰ってきたウマ娘。
・そんなわけで、名前こそ出しませんでしたが、イメージしているのはビコーペガサスです。
・とはいえ、ビコーペガサスは基本誰でも呼び捨てのようなのですが、本作の彼女は上下関係の厳しい《アルデバラン》というチームに所属しているのでその辺りは強く指導された、ということで「~先輩」と呼びます。
・それと、関係ないことなのでこんな解説で言うのもなんですが──『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』の渡会四姉妹では断トツにたづな推しです。正直、主人公がひびきに行ったのが分からないくらいに。
・最初に嫌われたのは主人公が悪いわけだし、それ以後はすごく健気だったし……あの作品のどうしても納得できないところです。


※次回の更新は8月3日の予定です。  



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第31R 大決心! 夢は走路を駆け巡る……

 
 ──その日、わたしくはメジロ家の上の世代にあたる方のレースを見に来ていました。

 グレードとしてはG2のレース。
 メジロ家の者ならとって当たり前──とは言いません。しかしそう考えられてしまうのが、我がメジロ家という家でもありますわ。家中にはそう思う方も少なからずいらっしゃるのですから。
 とはいえ、それも他の出走メンバーによって難易度は変わってくると、わたくしは思うのですが……。
 現にこのレースは、わたくしや共に見に来ている者が応援するアルダン姉様と、その同世代の強敵達が名を連ねているのです。
 先日の安田記念を制したバンブーメモリー。
 昨年の皐月賞を制したヤエノムテキ。
 同じく昨年のオークスを制したコスモドリーム。
 さらにはトリプルティアラには一つも手は届かなかったものの、桜花賞とエリザベス女王杯で惜しくも2位だったシヨノロマン。
 そんな方達が走るこのレース──今年の高松宮杯のレベルが低いとは、わたくしは決して思いません。

 そんな中、現地で見ていたわたくしは──このレースの序盤から先頭をきるウマ娘をなんとなく目で追いかけていました。
 無論、わたくしが見に来た目的は、先日に骨折から約一年かけて見事に復活を飾ったメジロ家の令嬢──メジロアルダン。
 我が家の主治医からは治っていると太鼓判を押されていても、やはりその走りは気になるところ、なはずなのですが……

「わたくし、一体どうしてしまったのでしょう。なぜか、ひどく気になってしまうような……」

 その先頭を走るウマ娘が気になって仕方がありません。
 やがて、2位を走っていたウマ娘とアルダン姉様に追いつかれ、そのウマ娘は順位を下げていきます。
 それにホッとしながら──それでもなにか引っかかるのです。
 すると──

「どこ見てるのさ? アルダンさんはそっちじゃないよ!」
「ら、ライアン……」

 一緒に見に来ていたウマ娘に言われて、わたくしはメジロアルダンへと戻します。
 そしてゴール前、先頭はアルダン姉様。
 少し離れてバンブーメモリーという方──なにやら鬼気迫る様子で、アルダン姉様よりも観客席の方を気にしていらっしゃるようですが……それでも姉様とはセーフティリードがあります。
 その後ろは──アルダン姉様が抜く前まで先頭にいたウマ娘──シヨノロマンさん。すでに再加速できるほどの余力は残っていない様子……

「うん、決まったね。これは」
「はい。さすがアルダン姉様……」

 ライアンの笑顔につられてわたくしも笑顔を浮かべ──

 ──その時でした。



「────ッ!?」



 ゾワッと、体をおそった圧倒的な怖気にわたくしは思わず身を震わせました。
 慌てて、そちらを振り向き──

「ど、どうしたの?」

 途中、わたくしの様子に驚いたライアンが心配して声をかけえきましたが、その言葉さえ頭に入ってきません。
 とてつもない悪寒に襲われた、わたくしが見たのは──二人のウマ娘が競い走る姿。
 それはもちろん、先頭(トップ)争いなどではなく、ましてや入賞争いでさえない、それ以下なのに──競い合う二人。
 でも──

(なんという気迫……)

 かたや驚異的な末脚を爆発させて追い上げるウマ娘。
 そして追いつかれかけながらも──ギリギリで加速してそれを振り切るウマ娘。
 その死闘(デッドヒート)はすでにトップが駆け抜けたゴール板前まで続き──走っていたウマ娘を巻き込みながら、ゼッケン11番とゼッケン14番の二人は駆け抜けていきました。

(今のは、いったい……)

 少しだけ──いいえ、ハッキリとわき上がる不安に、わたくしは戸惑うしかありませんでした。



 

「はぁ……」

 

 オレは思わず大きくため息をついた。

 レースの結果……オレが担当しているウマ娘、ダイユウサクは──7位だった。

 

「7位なんてレースじゃなかったぞ……」

 

 口をついて出る愚痴。

 まるで1位を争ったような、そんな厳しい戦いだった。

 その相手──コスモドリームはゴールして間もなく、足を押さえて走るのを止めている。

 そこへ──ダイユウサクが近づいていくのが見えた。

 

 それを見たオレは──観客席を見渡し、とある人を捜した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 アタシが近づくと──コスモドリームは顔を伏せたままだった。

 うつむくようにして、手で押さえた足を見つめている。

 それは、痛みに耐えるようであり──涙を隠すようにも見えた。

 

「コスモ……ドリーム…………」

 

 確かにレースはアタシの勝ち──7位はレースの勝者とは到底言えないけど、それでもコスモとアタシの間での勝負では、アタシは勝者だ。

 でも──その勝利を今、彼女に突きつけるのは本意じゃない。

 コスモを打ちのめすために走ったんじゃないんだから。

 でも、今の失意のコスモに声をかけるにしても、いつものように──レース前のように“コスモ”と声をかけることができなかった。

 

「……ダイ、ユウ…サク……」

 

 顔を上げたコスモ。

 一瞬戸惑ったような顔だったけど──すぐに表情を引き締めた。

 それは──いつもの「従姉妹でルームメイト」の彼女ではなく、競走ウマ娘としての彼女の顔だった。

 そのプライドはズタボロだろう。

 昨年のオークスを制した“樫の女王”。

 でも──そのオークスの頃にはデビューさえしておらず、いざデビューすれば2連続でタイムオーバー殿(しんがり)負けしたようなウマ娘に……今日は、その後塵を拝する羽目になったのだから。

 

(さて……どう声をかけたものかしら?)

 

 そんな相手であるアタシから、ぺしゃんこにまで叩き潰された彼女を立ち上がらせるために、どんな言葉をかけたらいいのか──真剣に悩む。

 

(あぁ、もう……トレーナーから「そこが重要だろうが。よりにもよってそこを考えてないのかよ」って呆れられそう……)

 

 宝塚記念で惨敗したコスモを立ち直らせるため──とだけしか考えて無かったのよね。

 計画では、喧嘩して挑発してコスモに走る気を起こさせて、その後はアタシが勝ってコスモを励ます──はずだったんだけど……負けたコスモの姿を見てたら、とても勝った側のアタシが励まして、再起するようには思えなかった。

 

(マズい……どうしよう…………)

 

 致命的な計画の破綻に、アタシが内心うろたえていると──

 

「「ユウぅ~ッ! コスモぉ~ッ!!」」

 

 スタンドの方から、聞いたことがある声が聞こえた。

 思わず振り返り──唖然とする。

 だってそこにいたのは──アタシを“ユウ”と呼ぶのは近い親戚だけなんだけど、それに該当する人だった。

 アタシと一緒に呼ばれたコスモも振り向いて──驚いている。

 

「じ、爺ちゃん!?」

「それに、お婆ちゃん……」

 

 そこにいたのは、アタシの祖父と祖母。

 それも、コスモにとっても同じく祖父と祖母である──母方の祖父母だった。

 その祖父はヒトだけど──祖母は頭の上に耳があり、その腰に尻尾のあるウマ娘。

 彼女も、祖父も笑顔で朗らかな笑みを浮かべて、アタシとコスモを見ていた。

 あわててそちらへ駆け寄ろうとして──気がつく。立ち上がったコスモが足を一歩踏み出そうとして、顔をしかめたのに。

 慌てて駆け寄り──

 

「大丈夫? コスモ……」

「う、うん……ちょっと無理しただけだから。折れていないと思うし……」

 

 コスモを支えつつ、アタシは祖父母へと近寄った。

 見れば──その側にはアタシのトレーナーと、コスモのトレーナーの巽見 涼子さんがいる。

 連れてきたのは、間違いなくこの二人よね。

 

「……いい走りだったわよ。二人とも」

 

 まずそう誉めてくれたのは、自分も競走ウマ娘だったお婆ちゃん。

 その言葉に、お爺ちゃんも「うんうん」と頷いている。

 

「お前が言うのなら、間違いないな」

「ええ、太鼓判を押しますよ。出走した他の誰よりも、立派で、見ている人を熱狂させるものだったわ」

「はっはっは……それはワシでも分かったよ。年甲斐もなく興奮してしまったんだから……」

「爺ちゃん、気をつけてよ……もう若くないんだからね」

 

 と、コスモが苦笑しながら言うと、お爺ちゃんは「そんなことはない!」と反論し──アタシとお婆ちゃんは思わず笑ってしまった。

 

「お爺さん、歳を考えなさいな……」

「うるさい。こんな嬉しい日に、興奮しないわけにはいかんだろう」

「「──え?」」

 

 思わず、コスモとアタシの声が重なった。

 それに答えるように、お爺ちゃんは目を細めて笑みを浮かべ──

 

「お前たち二人が走る重賞レースを、こうして見ることができたんだからな」

「そうですね。同い歳──それも誕生日が一日違いのあなた達が、そろってこんなに立派になって……」

 

「「あ……」」

 

 祖父母の言葉で──アタシとコスモは思わず顔を見合わせた。

 確かに以前、コスモが「爺ちゃんに、二人で重賞走ってる姿を見せるんだ」って言ってたけど──そっか、叶ったんだ。

 でも、コスモの反応を見る限り、この場に呼んだのは彼女ではないと思う。そうなると──

 アタシが巽見トレーナーを盗み見ると、彼女はウィンクして見せた。

 

(ああ、この人の策略か……)

 

 それからアタシのトレーナーを見ると、素知らぬ姿で立っている。

 うん、この人も間違いなく絡んでるわね。

 そんな二人の粋な計らいに感謝しつつ……なにより、祖父母に二人で走る姿を見せたことよりも──こうしてコスモと自然に話せる状況をつくってくれたことに感謝したい。

 そして──

 

「あんな小さかった子達が、本当に立派になって……」

「ええ。ついこの前、ウチの庭を駆け回っていたのに──」

 

 二人の言葉で思い出す。

 母の実家で初めてコスモと出会った日のことを──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 小さかったころのアタシは、そのころから発育が遅れ気味だった。それで気弱で引っ込み思案なところがあった──って、なんで意外そうな顔をするわけ?

 で、コスモは今と変わらず活発な子供だったけど……彼女の爛漫でマイペースな雰囲気に引っ張られて、一緒に遊ぶことになったわ。

 お互いに親が実家へ、お盆に帰省したために出会ったアタシたちは──

 

「コスモは、競走ウマ娘になるんだ! そして、G1取るんだよ!!」

「じゃあ、ユウも取りたい……」

「ダメだよ! コスモが取るんだもん!!」

「えぇ……でも…………」

「じゃあ、レースを一緒に走ろう! 1位を取るのはコスモだけど、ユウも大きなレースで一緒に走るのは許してあげる!」

 

 一日中走り回って、そして休んだ木陰でそんな話をした。

 傍らでは、祖母──彼女も競走ウマ娘であり、その話を聞いたコスモが影響を受けて、こんな話になったんだけど──が微笑んで、アタシたちを見守っていた。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──すっかり忘れていた、そんな夏休みの思い出が蘇った。

 そして、今の状況──

 

「あ…………」

 

 思わず、涙がこぼれた。

 アタシ、気がつかないでこんなこと──コスモに勝つことだけ考えて、夢中になっちゃって……こんな大事なことを忘れていただなんて。

 

「コスモ……ゴメンね」

「どうしたの、ユウ?」

 

 アタシが謝ると、ユウは少し驚いた様子だった。

 しかも、アタシが涙を流していたものだから、少し引いてさえいる。

 

「思い出した──子供の時、お爺ちゃんとお婆ちゃんの家で、話したこと……G1じゃなかったけど、こうしてコスモと大きなレースで走れて……」

「ああ、あのときのこと、ね」

 

 コスモも懐かしそうに遠い目をする。

 

「ま、コスモは、ちゃんとG1とったけどね」

「アンタねぇ……」

 

 涙を拭いながら、アタシは苦笑する。

 そしてコスモは悪びれもせずに笑みを浮かべた。

 そう、なぜかどこか吹っ切れたような、潔さを感じさせる笑みを──

 

「だから、コスモは──」

「待った」

 

 なにかを言い掛けたコスモを、アタシは止めた。

 遮られて、不思議そうに首を傾げるコスモ。

 そんな彼女にアタシは──

 

「コスモ……一つ、言いたいことがるんだけど」

「なに? ユウ……」

 

 アタシが言うと、コスモは素直にこちらを見る。

 

「今回の勝負……アタシの勝ちなんだから、一つだけ言うことを聞いてくれないかしら?」

「えぇ~……」

「あのねぇ、別に変なことをお願いする訳じゃないわよ。安心なさい」

「だって、ユウってば──親しい人にほど無茶な要求するからなぁ」

「そんなことないわよ!!」

 

 ──って、なんでコスモは意味深にちらっとトレーナーを見るのよ!

 アタシは「コホン」と一つ咳払いをして──

 

「いい。今から言うことは、勝者から敗者への要求なんだから、絶対に逆らわないこと」

「はいはい……で? どんな要求?」

 

 半ば投げやりなコスモを、アタシはじっと見つめ──

 

 

「決して、ここで競走(レース)をやめないこと──アタシの願いはそれだけよ」

 

 

「え……」

 

 心底意外そうに──そして、意表を突かれたようにポカンとアタシを見つめるコスモ。

 あれ? そんなに変なことを言ったかしら?

 

「ユウ、ひょっとして……気付いていたの?」

「え? なにが?」

「だって、コスモ……今回のレースで…………」

 

 コスモはそう言うと、ちらっと祖父母を見て言葉を濁す。

 うん、なんとなく──言いそうな気がしたのは分かった。

 でも、アタシはそれを許せない。

 

「走り方を変えれば、再起はできるんでしょう?」

「それは……わからないよ」

 

 不安げなコスモ。

 それはそうよね。再起できるなんて保証があるわけがない。

 でも、アタシは知ってる。

 アタシたちウマ娘の夢を叶える手助けをしてくれる、頼もしい存在を──

 

「涼子さん、どうです?」

「任せなさい。私が責任を持ってコスモを復活させてみせるわ。あなたが後悔するくらいに強くなって、ね」

 

 そう言って、親指を立てウィンクする巽見トレーナー。

 コスモにはこんなにも頼もしい人がついてくれているんだもの。絶対に、復帰できるわ。

 だから後は──アタシは、コスモをじっと見つめた。

 そのコスモは、自分の足を見て──そして巽見トレーナーを見て……そして頷く。

 

「うん。コスモの足は痛いけど──」

 

 コスモは一度、痛む方の足でトンと地面を叩く。

 ちょっとだけ顔をしかめたけど──笑顔で大地にしっかりと立った。

 

「ちゃんと立てる。折れてなんか、いない。だから──また走るよ。だって、あれだけ一生懸命走っても、それに耐えてくれたんだから。コスモの足は……」

 

 自分の足を誇らしげに見つめ──そしてコスモはアタシへと振り向く。

 そしてニヤッと意地悪く笑った。

 

「でもね、ユウ……コスモも勝ってるんだよ?」

「は? なに言ってるのよ。アタシの方が順位が上だったじゃないの。アタシの完全な勝ちよ」

「ううん。確かに、あのときユウは、コスモよりも先にゴールするって言ってけど、コスモは──ユウを“()()()()()()()”って言ったよね?」

「え……?」

 

 そういえば──そう言ってたっけ?

 

「で、ユウ……さっき、コスモに泣いて謝ったよね?」

「あ……」

 

 確かに……言われてみれば、謝った……かも。

 アタシが顔をひきつらせて冷や汗をかく中、コスモは勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

「だから、コスモもユウに要求させてもらうよ」

「な、なによ……」

「大丈夫、大丈夫。コスモからも無茶なことはさせないから──」

 

 そう言ったコスモは笑顔で──

 

「また二人で走ろう。今回よりももっともっと大きな舞台で」

 

 そう言って、手を差し出してきた。

 アタシは、その手をつかみ──

 

「ええ、もちろんよ! コスモドリーム!! アナタの復活を……いつまでも待ってるわ!!」

 

 涙混じりの笑顔で、それに応えた。

 そして、その手をとって、アタシはコスモを支えて歩き始める。

 だってこの後、アタシたちは──

 

「……ねぇ、コスモ。今回はアタシ、7位でよかったと思ってる」

「え? なんで?」

「だって──」

 

 アタシはこの後に控えたイベントに思いを馳せた。

 

「──アナタと同じ服を着て、同じ曲を歌えるんだから。勝負服で歌うほどに順位が上だったら、それができなかったもの」

「──ッ」

 

 アタシが言うと──コスモは思わず吹き出した。

 そしてケラケラと笑う。

 

「ちょ、ちょっと、何で笑うのよ!?」

「いいや、ユウらしいと思って。コスモも嬉しいよ。一度、大きな舞台で、二人そろって歌ってみたかったもんね」

 

 そう言って、「今から楽しみだ」と嬉しげなコスモ。

 でも──

 

「次は、そうはいかないからね。そのときは──コスモは勝負服を着てるんだから」

「えぇ……あの、勝負服?」

「あ、ユウ! バカにしたな、あの服を!!」

「そんなことないけど──」

「次のレースは、あの服を着て走って、ユウなんてぶっちぎってやるんだから」

 

 アタシとコスモは、そんなことを話しながらウイニングライブへと向かい──同じ服で参加した。

 初めてコスモと同じステージに立てたそのライブは、心の底から楽しいと思えた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そして──スタンドにはそのレースを見ていた、とあるウマ娘がいた。

 

 セミロングの髪は真っ黒(青鹿毛)で──切りそろえられた前髪にはウマ娘の特徴ともいえる白斑があった。

 よく「ホシ」と言われるものの、それにしては珍しいことにその形は綺麗な星形をしている。

 彼女は父親と一緒にそのレースを見に来ただけ。

 そのあふれる才能から中央トレセン学園への入学を今から期待されている彼女は、父から「今からレースを見ておきなさい」としょっちゅう連れ出されてレース場へ来ていたのだ。

 そんな彼女でさえ──まるでトップ争いのようなその熾烈な走りに、驚きを感じていた。

 いや、走りというよりも──

 

「なんて強い、想い……」

 

 彼女たちが発した、強い気持ち。

 それを感じて──彼女は二人を見つめる。

 手した、父から借りた双眼鏡で見て──その顔とゼッケンに書かれた名前を確認する。

 

「コスモドリームさんに、ダイユウサクさん……」

 

 未だに残る、その強い思いの残滓を感じて──彼女は胸の前で手を組み、そして目を閉じて瞑想する。

 

「三女神様、どうかあのお二人の願いを、聞き届けください……」

 

 すると偶然にも曇っていた空に変化が起こった。

 雲に隙間が生じて、わずかに光がさす。

 まるで彼女の()()を受け入れるかのように、光線の柱が放射状に地上へ降り注ぎ──二人を照らす。

 

 光に照らされた二人の姿は──気高いほどに美しかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──表彰式が終わった。

 

 それに参加し、称えられているアルダン姉様。

 その最中であっても、わたくしの頭の中は先ほどのレースで見た、死闘(デッドヒート)が頭から離れませんでした。

 

 それは本気で先頭争いかと思うほど苛烈なもので──けれど、二人の着順はといえば、なんと7着と9着。

 その結果だというのに、わたくしはなぜか心臓がドキドキするのを感じていました。

 まるで──

 

(わたくしの魂が──このことを胸に刻めとでも言っているような……)

 

 そんな衝動に襲われて、わたくしはこの二人を調べていました。

 7着に入ったのは11番のゼッケンをつけていたウマ娘、ダイユウサク。

 9着に入ったのは14番のゼッケンをつけていたウマ娘、コスモドリーム。

 

(──コスモドリームさんと言えば、昨年のオークスを制した方ですわ。記憶に留め、マークするのなら当然こちらですわね)

 

 無論、もう一人の無名なウマ娘の方も一応は調べてみましたわ。

 でも、今回は格上挑戦したようなクラスが下のウマ娘。ハッキリ言って拍子抜けしてしまうほどですわ。

 

(しかも、よくよく調べてみれば──デビューから2戦続けてタイムオーバーするようなウマ娘……確かに、このレースに出るほどに頑張ってこられたことは素直に評価いたしますけど──)

 

 警戒に値するか、と言われれば……アルダン姉様と同い歳だというのに、未だにオープンに届かずに重賞戦線に参加できないような方。

 そう考えると、条件戦に何度も出走している十把一絡げな泡沫ウマ娘──と判断するのが妥当でしょう。

 

(取り立てて注意する必要はありませんわ。やはり警戒するのはコスモドリームさんですわね)

 

 わたくしがその結論に至ると──考えにふけっていたのに気がついた隣のウマ娘が話しかけてきました。

 

マックイーン! どうしたの?」

「なんでもありませんわ、ライアン。さぁ、アルダン姉様のウイニングライブを見に行きましょう」

 

 そんなメジロライアンとともに、わたくしはウイニングライブ会場へ向かって、二人で駆け出すのでした。

 

 

 ──無論、後々にその方と一緒に走ることになるなんて、このころのわたくしは夢にも思っていませんでした。

 




◆解説◆

【夢は走路を駆け巡る……】
・元ネタは、松尾芭蕉の辞世の句といわれている「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」から。
・夢とはコスモ()()()()のこと。高松宮杯がラストランとなったことから、「辞世の句」を選びました。

お婆ちゃん
・コスモとダイユウサクの祖母にあたるウマ娘。
・そんなわけで──血統的にはダイコーターにあたるウマ娘となります。
・ただし、今まで本作に出てきた他のウマ娘と違い、彼女がダイコーターのウマ娘である、とは言及するつもりはありません。
・ちなみに──実在馬のダイコーターは1965年の菊花賞優勝馬。
・しかし東京優駿(ダービー)の直前、最有力だったダイコーターは、元々は馬主があのシンザンと同じ橋元幸吉氏だったのに、どうしても東京優駿をとりたい上田清次郎に馬主を変更。
・しかし──結果は、2着。
・結果、ダイコーターは「ダービーは金で買えない」の典型的な例に。

アナタの復活を……いつまでも待ってるわ
・これにて、本作でのコスモドリームのレースは一段落となります。
・史実的にはこの高松宮記念でコスモドリームは引退。
・その生涯記録は──13戦4勝。
・しかしその13戦中、3位以内は10戦で、残りの3戦のうち一つは落馬で競争中止。
・最後の2戦以外は完走したレースは全部3着以内という、強い馬だったのは間違いありません。
・さらにはオグリ世代のオークスを制覇。その成績を見れば、ウマ娘として実装されてもおかしくないくらいの成績をおさめています……同期のライバル対決がほぼ無くて目立ちませんけど。
・今後の、本作でのコスモドリームは──足を治療しつつ、足の負担にならない走り方をトレーナーと模索しながら復活を目指すことになります。
・引退とは違う道をつくろうと、このような展開になりましたが。

とあるウマ娘
・先行登場させたウマ娘。
・彼女は──第2章を背負って立つ予定のウマ娘。
・いったい誰なのか──前話に登場したアルデバランと同じように、非実在系の競走馬をモデルにしたウマ娘です。
・ヒントは──漆黒の髪(青毛)と、星形の白斑(ホシ)なのですが──映画ではあまりそういうイメージ無いんですよね。

泡沫ウマ娘
・ようは、実況で名前を呼ばれないウマ娘たちのこと。
・育成やサポカでウマ娘として実装している彼女たちとは違う、「何十戦、数勝」だったり、勝利できずに消えて行ったり、そういうウマ娘たちが数多くいるのです。
・かといって、揶揄しているとかそういうわけではありません。正直な表現をすれば──油断、ですかね。

マックイーン
・ええ、ここが出すタイミングと思って出しました。(厳密には2話前にちらっと出てましたが)
・本作のラスボスになるウマ娘、メジロマックイーンです。
・現在は、中央トレセン学園の新入生で、同級生のメジロライアンと共に姉貴分のメジロアルダンのレースを見に来ていました。
・彼女がメジロアルダンをどう呼ぶのか判明しなかったので、とりあえず「アルダン姉様」と呼ばせました。
・たぶんゲーム版だと違う呼び方になってると思いますが、そこは本作オリジナル要素ということで──あとで直します。(苦笑)
・そして……ダイユウサクのスキルに悪寒を感じた2人のウマ娘の一人は、彼女です。
・アルデバラン同様に、受け継いだ魂からの警告だったのですが──あれ? なんか勘違いしてない?
・警戒するべきなのはそっちじゃないんだけど……


※これにて第一章の3部──重賞初挑戦! さらばコスモドリーム編──は終了となります。
・今回の高松宮杯が第一章中盤のヤマ場でした。重賞初挑戦となるダイユウサクと、引退するコスモドリームがバトンタッチするレースでしたからね。
・──コスモ、引退しませんでしたけど。
・次なるダイユウサクの目標としては背伸びせずとも重賞に出てくる……オープンクラスになること、でしょうかね。

※次回の更新は8月6日の予定です。  



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第32R 大脱走! 乙女心となまけ癖

 
「待てぇ! ダイユウサクッ!!」

 真夏のトレセン学園にオレの大声が響きわたる。
 そして一緒にCT125──ハンターカブの動力であるJA55E型空冷4ストロークエンジンの音も響きわたる。
 真紅の車体はうだるような暑い空気を裂いて進み──その前を必死の形相で走るウマ娘を追いかけていた。

「今日という今日は、絶対に逃がさないからな!!」
「ちょ、ズルいわよ! そんなの使うなんて──」
「やかましい! 本気で逃げるお前に追いつくのに、陸上選手でもないオレが自力でできる訳ないだろ!!」

 実際、どんな距離だろうと──ウサイン・ボルトだろうがカール・ルイスだろうが、サムエル・ワンジルだろうが金栗四三だろうが……オリンピックの金メダリストであろうとも誰であろうとも不可能なものは不可能なんだ。
 ウマ娘はヒトと同レベルかそれ以上の小回りや瞬発力があるだけでなく、走れば最高速は自動車並みで、その上に走ってもケロッとしている持久力を併せ持つのだから。
 だが──ヒトも無力ではない。
 ヒトが他の生き物に打ち勝つために生まれたのが──道具であり、機械なのだ。

「機械の力を借りるなんて卑怯じゃないの! 正々堂々勝負しないさいよ!!」
「正々堂々とやって、勝負になるならな……」

 あまりに身勝手なダイユウサクの言い分に、オレは呆れてため息をつきたくなる。
 そもそも、こうして追いかけているのだって──

「くッ! 直線では厳しい、けど──」

 校内の交差点を曲がるダイユウサク。
 それに追随してオレが乗るハンターカブも曲がった。
 そして──差が開く。

「あら~、残念ながらバ(りき)不足みたいね。そんな瞬発力で追いつけるのかしら?」

 フフフ、と余裕の笑みを浮かべるダイユウサク。
 なるほど。こと追いかけっこに関しては本当に天才的なセンスを持っているな、ウマ娘は。
 たしかにこのハンターカブのエンジンは小さい。
 その非力さが、もっと大きな排気量のバイクに比べると最高速はもちろんだが、加速力という点に関して、特に差が出る。
 その弱点を的確に突いてくるのは、やはりセンスの良さだろう。
 しかし──

「ぬかせ!! カブとはいえ“ハンター”の名が付けられたコイツから逃げられるとでも思ったか!」

 もちろん利点もある。車体の軽さだ。
 ウェイトレシオでは負けようとも、絶対的な軽さは取り回しのよさにつながる。
 ついでに言えば──交差点を曲がればウマ娘だって最高速で駆け抜けられるわけではない。
 そして、オートバイと彼女たちの一番の違いは──

「おやぁ? ダイユウサクさん……顎が上がってきたようですけど、大丈夫ですかぁ?」
「く……余計な、お世話よ!!」

 ──スタミナである。
 いくらヒトと比べて圧倒的な運動能力だけでなく、ずば抜けたスタミナがあるといっても限界はある。
 自動車並の速度で駆け抜ける競走(レース)だって長くとも3600メートル
 生物である以上、全力疾走でいつまでも走り続けることは不可能だ。
 だがオートバイは燃料が続く限り、その速度を維持できる。
 ついにバテ始めたダイユウサクは目に見えて速度が落ちた。

「ほらほら、大人しく止まってお縄を頂戴しろ、ダイユウサク……」
「うっさい、アタシは……まだ、負けて……無いわよ!!」

 苦し紛れに、最後の力を振り絞って加速し──再び交差点を曲がるダイユウサク。
 オレはそれに続いて──

「なッ──」
「──ッ!?」

 交差点にさしかかろうとしていた車椅子とぶつかりそうになった。
 どうにか操作して、衝突は避けたがそのまま路外へと飛び──交差点の脇にあった植え込みへと突っ込んで、オレとハンターカブは止まった。

「た、助かった……」

 正直、植え込みがなかったらコケてケガをしていたところだ。
 それがクッションになって受け止めてくれたおかげで、愛車も派手な転倒にならず大きなダメージもなかった。
 とはいえ──

「……スマン、大丈夫だったか?」

 オレは植え込みの茂みから出ると、未だ驚いている様子の車椅子に乗っていた人へと近づいた。
 ん? いや、あれは──ウマ娘か?
 見れば、頭の上で驚いたために伏せている耳がある。
 そして彼女が特徴的だったのは、顔……というよりは目の周辺から上を隠すように被った、黄色い覆面のようなそれ。
 その覆面越しに見えた目は、明らかにおびえた様子だった。

「悪かった……怖かっただろ? まさか、お前だったとはな……」

 オレはしゃがんで視線を合わせ──安心させるために頭の上へと手を伸ばした。
 半ばパニックでそれどこじゃないのか、ともあれ拒絶されることはなかったので、ポンポンと軽く頭に手を乗せ──嫌がる素振りもなかったので、そのまま落ち着かせるために頭をなでる。

「あ……あれ? あなたは確か……トレーナーさん? でしたよね」

 それでようやく落ち着いたのか、初めて口を開き──オレに気がついたようだった。
 オレとそのウマ娘は面識があった。
 今のチームを受け持つ前、担当するウマ娘を探している最中に声をかけた中の一人だったのだ。
 その時は、珍しくいい手ごたえだったのだが──先約で、父の繋がりがあって入るチームが決めてあった、と断られた。
 それを思い出したようで──それから我に返り、自分がされていることに驚いた様子で、車椅子の上でワタワタし始める。

「だ、大丈夫! ちょっとビックリしたけど……うん、大丈夫……です!」
「そうか? 本当に……悪かったな」
「いえいえ。でも……大丈夫じゃなくなるのは、そっちの方かもしれないし」
「……え?」

 苦笑して、突然不穏なことを言い出すそのウマ娘。

「だって──」

 彼女は苦笑したまま、オレの背後を指さす。
 恐る恐る振り返ると──そこには笑顔のまま激怒するという、とても器用なことをしている理事長秘書の駿川たづなさんの姿があった。


 ──当然、校内をオートバイで暴走したことになっていたオレは、彼女にこっぴどく叱られた。
 ……おのれ、ダイユウサクめ。



 

「──なんで、あんな阿呆なことをしたの? 盗んだバイクで走り出すような年頃じゃないでしょ?」

「……アレは正真正銘、オレのバイクだ」

 

 トレーナー部屋へ戻ってきたオレに、相部屋でとあるチームのサブトレーナーを務めてる年上の後輩が、呆れた目で見てきた。

 

「わかってる。アレで福島レース場まで一日で往復したって話は有名だもの……」

 

 その噂のせいで、奇特な目で見られているからな、オレは。

 なんでそんなことを──と今の巽見のように呆れた目で見られるわけだ。

 そんな中で「すげえ!」と言ってくれるのは、バイクに興味を持っているウマ娘くらいだろ。

 

「……先輩、なんであのウマ娘のトレーナーにならなかったの?」

「誘ったが断られた。当時はその噂よりも別の噂の方が有名だったからな、オレは」

「あ……」

 

 気まずげな顔になる巽見。

 そんな反応するなら、こんな話を振るなよ。ちょっと考えればわかるだろ、オレの事情くらい。

 内心でため息をつくと、巽見はあからさまな笑みを浮かべて、話題を変えてきた。

 

「で、最初の質問……なんであんなことをしたの?」

「校内をバイクで走り回るのが目的だったんじゃねえよ。追いかけていただけだ」

「追いかけたって……誰を?」

「決まってるだろ。担当のウマ娘だよ」

「え? ダイユウサクを? なんで?」

「自力で走って追いかけたら、追いつけなかったからな」

「いや、そんなの当然でしょ? それはわかってるけど……」

 

 私だって追いつけないわよ、と元武道少女で体育会系の巽見が言う。

 彼女の運動神経は抜群で、剣道の腕は全国クラスだったと聞いている。

 

「なんで、ダイユウサクを追いかけたの? どうして?」

 

 そんな巽見の質問に、オレは盛大なため息をつき──答えた。

 

「──アイツが、三日連続でトレーニングをサボったからだ」

「えぇッ!?」

 

 さすがに驚く巽見。

 

「ど、どういうこと? えっと……反抗期?」

「わからん」

 

 しかしそんな反応も納得できる。

 今まで、ダイユウサクがトレーニングをサボるなんて無かったんだから。

 アイツは今まで、オレに無茶な要求とか文句はさんざん言ってきたが、どんなに不満があってもトレーニングだけは信用してくれて従ってくれていた。

 それが突然──四日前にオレが指定した場所でくるのを待っていたが、待てど暮らせどアイツはそこへ現れなかった。

 心配したオレは、すぐにスマホでメッセージを送ったが──返信があり、「急用ができて、連絡ができなかった。ゴメンナサイ」とあった。

 そのときはオレも事情があったのなら仕方がない、と許して翌日も同じ場所でトレーニングすることにしたんだが……やっぱり現れなかった。

 さすがに校内を探し回って見つけたのだが──逃げられた。

 頭に来たが、ともかく「明日も同じ場所で待つ」とメッセージを入れて──

 結局、現れなかったので、今度は逃げられないようにとオートバイを持ち出し──あんな騒ぎになったのだ。

 

「……なにがあったのよ? 先輩とダイユウサクの間に」

「本気で分かんねえんだよ。この前の出走回避のことは、知ってるだろ?」

 

 そう、ダイユウサクは、11走目となった高松宮杯──結果は7位と振るわなかったが──の後、夏期の休養に入らず8月に、出走予定を立てていた。

 だが──それを回避した。

 そうせざるを得ない事情があったからだが……その理由は、膝の痛み。久しぶりの“ソエ(成長痛)”だ。

 

「覚えてるわよ。だってその後、提案したじゃない?」

「ああ。プールでのトレーニング……盲点だったから助かった」

 

 実は今まで、オレはダイユウサクを担当してから、プールを使ったトレーニングをしていなかった。

 そこへ、巽見から「適度な負担をかけたトレーニングができる上、水が患部を冷やしてくれるから効果的よ?」と言われ、盲点だったことに気がつき──それを採用することにした。

 それで、ダイユウサクにプールでのトレーニングを行おうと四日前から奮闘しているのだが……

 それを巽見に話すと、彼女は苦笑した。

 

「ウマ娘の中には、苦手にしている()もいるからね」

「ああ。六平(むさか)さんから聞いたけど、オグリも苦手らしいな、プール」

「あ~、それは私も噂で聞いた。でも……そんな弱点聞かされても、ね」

 

 強敵オグリキャップの意外な弱点ではあったが、とてもではないが競走(レース)でいかせるような話ではない。

 

「ダイユウサクも、苦手なんじゃない?」

「それならそれで、アイツなら言ってくると思うんだけどな。まさか無言でサボって、さらには逃げ出すとは……」

 

 正直、悔しかった。

 そんなに嫌がるものを、オレが強要すると思っているのだろうか。

 そこまで嫌がるのなら、オレはちゃんと有用性を説明して──それでもイヤだというのなら、やるつもりはなかった。

 しかしその対話すらできていないんだ。

 

「オレとの信頼関係って、その程度だったのか……」

「……先輩?」

 

 思わず口をついて出た小声の愚痴を、巽見には聞こえてしまったらしい。

 そんな彼女は苦笑を浮かべ──

 

「じゃあ、私がスパイを使って探り入れるわよ」

「スパイ?」

「ええ、彼女と同じ部屋に住んでいて、腹を割って話してくれる──そんなスパイを」

 

 なるほど。巽見の担当しているウマ娘を使うわけか。

 まぁ、今はどんな手段であれ、コミュニケーションがまったくとれない状態だから、本当に助かる。

 オレは「悪い、頼む……」と巽見に言い、そしてため息をついた。

 そんな様子を見て、苦笑する巽見。

 

「先輩、心配しすぎ。ダイユウサクにもきっと事情が──」

「いや、たづなさんに怒られたのがなによりもショックでな……」

「ハァ……先輩もブレないわよね」

 

 オレの答えに、巽見はため息を一つついて、呆れ顔で肩をすくめていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「え? そんな理由なの? まったくユウときたら……」

 

 どこから聞きつけたのか、アタシが練習をサボっていると詰め寄ってきたルームメイトのコスモドリームに事情を説明すると、彼女は呆れ顔になり──少し怒っている様子だった。

 

「そもそもサボってないわよ。ちゃんと、自主練してたし……」

「あのねぇ、ユウ……せっかくトレーナーさんが考えてくれたトレーニングなんだよ? それを無視して自主練してました、なんて通じると思う?」

 

 アタシ──ダイユウサクの言い訳は、火に油を注いだだけだった。

 

「しかも、その理由が泳げないだけじゃなくて、水着が入らなくなったから、だなんて……」

「し、仕方ないじゃないの!!」

 

 ため息をついたコスモに、アタシは猛然と抗議した。

 

「だって入学したときにちゃんと準備して、去年まではそれを着てたわよ? でも……」

 

 昨年の途中から、アタシは急に成長した。

 今まで悪かった発育が進み、アタシの体がウマ娘として急に完成しようとし始めたから。

 おかげで貧相だった体も、同級生と比較しても遜色ないくらいになったんだけど──もちろん去年まで着ていた水着は、そんな成長前の体に合わせた物なわけで……

 

「だったら、ちゃんと説明すればいいのに。乾井トレーナーだって、ユウの成長を見てるんだから」

「イヤよ! だって、水着が入らなくなったなんて……まるでアタシが太ったみたいじゃないの!!」

「ハァ……」

 

 思わずアタシが目をそらすと、コスモは盛大にため息をつき──そしてジト目でアタシを……いや、アタシの体を見た。

 

「実際、ユウの体重は増えて、体のサイズが大きくなってるし、事実だよね」

「言い方!!」

 

 アタシがムキになって言い返すと、コスモは意地悪い笑みを浮かべる。

 

「じゃあ、ちゃんと説明すればいいじゃないか。乾井トレーナーに」

「な、なにをよ?」

「アタシ、胸もお尻も成長してます。そのうち、たづなさんにも追いつきますよ、って──」

「なッ!? なななななな──」

 

 胸や腰に手をあててしなだれるようなポーズを取るコスモ。

 ボーイッシュなコスモが普段、絶対にしないような姿はちょっと衝撃だった。

 でも、それとは違う理由で──アタシは顔が赤くなっているのを自覚してる。だって、頬も熱いし。

 

「な、なんで……アタシがアイツにそんなことを言わないといけないのよ!!」

「水着が小さくなったのを言えなくて、練習サボるくらいに乙女脳になってるのに?」

「う……そ、そんなこと無いわよ! そんなの、相手が誰だって、男のトレーナーにだったら言えないわよ!! コスモは巽見さんだから分からないだけよ」

 

 アタシはそう言って「ふん」と視線を逸らす。

 そうよ。恥ずかしくもなく言える方がどうかしてるわ。

 

「一度逃げてウソついたせいで、余計に言い出しづらくなっただけでしょ? やれやれ……そんな茶番にコスモや涼子さんを巻き込まないでよね」

 

 う……さすがコスモ。アタシの性格を知っているだけあって、的確な推理をしてくるわね。

 そのコスモは、そんなことを言いながら、スマホをいじってる。

 あれ? どう見てもアプリでメッセージ送ってるように見えるんだけど──

 

「ちょっと、誰に送ったのよ?」

「心配しないで。乾井トレーナーじゃなくて、涼子さんだから。あの人なら上手く説明してくれるでしょ」

「う……」

 

 そうかしら?

 むしろ面白がって余計に話を膨らませそうだけど──

 

「うん。じゃあ、今から水着、買いに行くよ? いつまでも逃げるわけにはいかないんだからね。お金もとりあえず涼子さんが出してくれるって」

「うぅ……わかったわよ」

 

 あの人のことだから、きっちりトレーナーから取り立てるんでしょうけど。

 アタシは渋々立ち上がり──コスモと一緒に炎天下の中出かけることになった。

 そうして水着を買いに行ったんだけど──

 

「ユウ、そっちじゃないよ!」

 

 思わずカラフルなそれに目移りしたアタシは、ユウに呆れ顔で注意され──合流した巽見さんにはクスクスと笑われた。

 ……勘違いしてるようだけど、誰かに見せたいとかじゃないから。デザインが気になっただけだからね。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──で、翌日。

 

 アタシはトレーナーが数日前から指定していた、プールに来ていた。

 すでに水着に着替えたアタシの前に、トレーナーはいる。

 数日ぶりに顔を見た彼は怒っているというよりも、アタシの顔を見てホッとしている様子だった。

 

「言いたいことは色々あるが……とりあえずはトレーニングだ」

「……うん」

 

 怒られることも覚悟していたのに、自分の感情よりもアタシのトレーニングを優先してくれた彼に、アタシは感謝するしかない。

 そこまで考えてくれるトレーナーなんて、数少ないわよね。

 

「──で、肝心なことを確認するが、お前、泳げないんだよな?」

「う……」

 

 そう。水着の問題もそうだったんだけど、アタシは泳げないのを恥じてプールでの練習を避けたかった、という気持ちもあった。

 でも、それはそんなに大きな問題じゃないと思ってる。

 水着と違って、泳ぐのは練習すればなんとかなるはずだし──

 

「ええ、そうよ」

「ああ、事前情報の通りだな」

 

 事前情報って……コスモよね、アタシが泳げないのを知っているのは。

 本当におしゃべりなんだから……

 

「とりあえず、お前には泳げるようになってもらう。トレーニングは、それからだ」

「わ、わかったわ」

 

 緊張するけど──でも、うん……大丈夫。

 教えてくれるのが、トレーナーならきっとアタシを泳げるようにしてくれるはず──

 

「だから今日は、特別コーチをお願いした」

「──はい?」

 

 唖然とするアタシ。

 そして──トレーナーの影から、人影が現れる。

 アタシが来ている水着──スクール水着とは明らかに違う競技用の水着に身を包み、出るところは出て引っ込んでいるところは引っ込んで、余計な肉が無いボディラインを誇る──巽見トレーナーだった。

 

(うわぁ~)

 

 その見事な水着姿に、同性ながら思わず感嘆してしまう。

 ズルいわよ、あんなの。反則よ──と思っていると、

 

「巽見は、スポーツインストラクターの資格も持っているから、水泳を教えるのはそっちの方がいいと思ってな」

「ええ。変なクセがつかないように、きっちりと教えてあげるわね」

 

 そう言って彼女はウィンクする。

 ちょ、ちょっと待って……この流れ、ひょっとしてアタシに泳ぎを教えてくれるのって巽見トレーナーなの?

 アタシのトレーナーじゃなくて?

 

「え? いや、でも……その…………」

「さぁ、ダイユウサク。早く泳げるようになりましょうね」

「で、でも……コスモは?」

「大丈夫! コスモならとっくに涼子さんから教えてもらって、泳げるようになってるよ」

 

 ひょっこり顔を出したコスモドリームが笑みを浮かべる。

 いや、別にコスモ……アナタが泳げるとか泳げないとか、アタシに関係ないし興味もない。

 そうじゃなくて──

 

「あ、アタシやっぱり教えてもらうのなら、自分のトレーナーの方が……」

「泳ぎ教えるのに体触ったら、お前、オレを蹴飛ばすだろ?」

「し、しないわよ! 絶対にしない!! 三女神の像の前で誓ってもいい!! お願いだから──」

「素人が教えると、変なフォームになってトレーニングの効率も悪くなるからね。私がちゃんと泳げるようになるまで面倒見てあげるから、安心なさい」

 

 ニッコリと笑みを浮かべる巽見トレーナー。

 そういえば同級生のバンブーメモリーがあの人の姿を見て悲鳴を上げるようになったらしいけど──なんか共感できるかも。

 

「さ、行くわよ。ダイユウサク……」

 

 そして微笑んだままの巽見トレーナーに連れられて、アタシは地獄の特訓を開始されることになった。

 

 ──で、トレーナーといえば、コスモと一緒に遊んでいた。

 うぅ、絶対に…………許さないんだからぁ!!

 

 

 ……おかげでアタシは泳ぎを覚えてプールでのトレーニングができるようになり、これ以降、ソエに悩まされることもなくなった。

 めでたしめでたし──なのかしら、これ?

 




◆解説◆

【乙女心となまけ癖】
・ゲームのウマ娘でショックだったのが、バッドステータスの「なまけ癖」がどういうものかわからずにトレーニングして……サボられたとき。
・あの虚脱感──ヒューと乾いた風が空しく通り抜けていく、あのイベントは呆気にとられました。
・しばらく治し方に気が付かず、「どうすればいいの!?」と戸惑いましたが──今回の乾井トレーナーはそんな感じ。
・ま、ゲームだと治療すればいいんですけどね。

ウサイン・ボルト
・ここから挙げる4人は、アップ時が東京五輪期間ということで五輪に関係する人物をチョイス。
・最初の二人は、世界最速と呼ばれる短距離ランナーから。
・まずはウサイン・ボルト。現代の人類最速といえばこの人です。
・ジャマイカの選手で、現在はすでに引退していますが、その世界記録は残っています。
・五輪には2008年の北京、2012年のロンドン、2016年のリオと3大会に100メートル、200メートル、4×100メートルリレーでそれぞれ出場し、メンバーのドーピングのせいで剝奪された北京のリレー以外、全部金メダルを獲得。
・むしろ金メダルしかとってない。剥奪されたのさえ金メダルだったし。
・ここまで金しかないと、たまには違う色のも見たい、とは思……わないんでしょうね、やっぱり。

カール・ルイス
・ダイユウサクが活躍していたころの世界最速といえばこの人。
・アメリカの選手で、間違いなくアメリカの短距離黄金時代を代表する選手の一人。
・1984年のロサンゼルスと1988年のソウルの100メートルの金メダリスト。
・他にもボルト同様に200メートル、4×100メートルリレーでも出場し、ロスでは全て金、ソウルでは200メートルで銀メダルを獲得。
・ちなみにソウルのリレーでは、準決勝で温存されていたら他のメンバーがバトンミスで失格。アメリカチームのバトンミスはその頃からの伝統芸。
・またボルトと違うところで、走り幅跳びでも出場し、ロスとソウルだけでなく、短距離で出られなかったバルセロナとアトランタにも出場して金メダルを取っている。

サムエル・ワンジル
・以後の二人は長距離──マラソンの五輪記録保持者。
・ワンジルは、マラソンの五輪最速記録保持者。
・北京五輪の金メダリストで、その記録は2時間6分32秒。
・日本にも縁があった方で、日本の仙台育英高校に留学し、トヨタ自動車九州にマラソンランナーとして入社している。
・その後、いざこざがあって北京五輪の直前の7月に退社。
・北京五輪後も活躍していたのだが──2011年5月15日、ケニアの自宅バルコニーから落ちて死亡。24歳の若さであった。
・その死にはいまだに謎があり、死因は特定されず、事故とはなっているものの他殺説もある。
・ちなみにマラソンの()()()()はケニアのエリウド・キプチョゲの2018年のベルリンマラソンで出した2時間01分39秒。
・ベルリンマラソンは9月終わりに実施されており、最近は7月か8月に行われるのが決定している五輪では、なかなか世界記録は厳しいのでしょうね。
・※追記:実際、キプチョゲは2021年開催の東京五輪を制しましたが、タイムは2時間8分38秒。記録更新はならず。

金栗四三
・突然の日本人選手。この方が持っているマラソンの五輪記録といえば上の最速とは真逆の──最遅記録。
・1912年のストックホルム大会のもので、その記録はなんと……54年8か月6日5時間32分20秒3。
・──は? 単位おかしくね?
・しかし、これでも正式記録でして……
・というのもこのストックホルム大会は日本が初めて参加した五輪で、当時の世界記録を大幅に塗り替えた金栗四三には大きな期待がかかっていたのですが──
・競技当日、記録的な暑さでとんでもなく過酷なレースに。それは参加68人中33人が途中棄権するだけではなく、選手の一人であるポルトガル代表のフランシスコ・ラザロが脱水症状を起こして命を落とすほどだった。
・そんな中、金栗選手は──競技中に行方不明となり、意識を失って保護されるという結果に。
・その後、アントワープ五輪、パリ五輪にも出場したりして──
・第二次世界大戦さえとっくに終わり、戦後になってから20年以上経ったころに──金栗の元に一通の手紙が届く。
・「あの~、あなたストックホルム五輪に出場して、まだゴールしてませんよね? いい加減、ゴールしてもらえません?」(意訳)
・というのも、ストックホルム五輪55周年記念を開催することになり、職員が当時の記録を見てて気がついた──アレ? この人、ゴールも棄権もしてなくね?
・その選手こそ、マラソン競技中に行方不明になった金栗四三である。有耶無耶になってすっかり忘れたのか、国の威信を背負っての出場で棄権とできなかったのか、とにかく棄権の届け出がされておらず、まだ競技中ということに。
・かくして、1967年3月21日に開催されたストックホルム五輪55周年記念式典に金栗は招待され──そこでゴールテープを切る。
・記録は先述の54年8か月6日5時間32分20秒3。「これをもって第6回ストックホルムオリンピックの全競技を終了する」というアナウンスが流れた。
・──という、きちんと残っている正式な記録なんだけど……無粋でプライドばかり高いJOCは金栗の記録を公式サイトでは「途中棄権」にしてるんですよね。

長くとも3600メートル
・中央競馬で現在、最長のレースは11月末か12月の頭に開催されるステイヤーズステークス。ランクはG2
・中山競馬場の芝内回りを2周するそのレースの距離は3600メートル。
・ゲームのウマ娘でも実装しているレースで、クラシック級かシニア級の12月前半で開催されている。
・かつてはそれ以上の距離である4000メートルのレースが存在しており、その名もずばり“日本最長距離ステークス”
・1968年から1975年までの期間、準オープンクラスとして中山で開催された。
・しかし距離長すぎだったり、準オープンクラスだったりで、出走馬がなかなか集まらず、だいたい出走数は少なかったそうな。
・おまけに1975年の記録が4分46秒1と、調教のようなタイムに存在意義を問われ──そのまま廃止に。(その前年の記録は4分15秒6で雲泥の差だった)

バイクに興味を持っているウマ娘
・ゲームやアニメでいえば、ウオッカのこと。
・ただ、シンデレラグレイでは出てきていないウマ娘なので、ここでも名前が出ません。
・巽見から「なんで~」と訊かれているのですが──まぁ、バイク乗りって好きなバイクの趣味が違うと、そこまで話が合いませんしね。
・ウオッカはクルーザー型が好きそうですし、乾井トレーナーはアドベンチャー型が気に入っているので、微妙に趣味が違います。
・乗らない人は「同じバイクじゃん」と思うかもしれませんが、車でいえばセダン車とSUV車を「同じじゃん」と言っているくらいなわけでして──「同じ車じゃん」とはならないでしょう?
・とはいえ、バイク乗りは各々が好きなバイクを乗っているので「自分のバイクこそ一番!」と思っている人が多いです。

この前の出走回避
・1989年8月12日に小倉で開催されたはづき賞を、ダイユウサクは出走取り消ししています。
・詳しい原因はわからなかったのですが──夏まで痛みを伴ってレースに出ていたのを秋までに完治させた、という記録があるので、この時期までソエが出ていたのだろうと、それを原因にしてしまいました。
・その治療のために行われたのが、プールでの調教でした。

アタシは泳ぎを覚えて
・ゲームのウマ娘だと、プールが苦手だった馬のウマ娘は、総じて泳ぎが苦手になっています。
・オグリキャップも顕著で、夏合宿では休みで海に行っても足が海水に触れる程度にしか入りません。
・で、ダイユウサクはというと──調べたんですが、苦手かそうじゃないかわかりませんでした。
・ですので、苦手だったのならここで(強制的に)克服した、ということで。


※次回の更新は8月9日の予定です。  



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第33R 大困惑… 理事長からの提言


 ──炎天下の8月のとある日……

「不許可ッ! それは断じて、許容でき~ん!!」

 理事長室に、秋川やよいの大きな声が響きわたる。
 それを私──駿川たづなはハラハラしながら見ていたのですが……

「ふむ……理事長、それはなぜでしょうか?」
「そ、それは……」

 眼鏡のブリッジを指でクイッと押し上げ、冷めた目を向けた黒岩理事に対し、理事長は口ごもってしまいました。

「理事長が反対しておられるのは、感情ゆえ、でしょうか?」
「否ッ!! 違う、そうではなくて……」
「では、私の提案が受け入れられない理由を、論理的に説明してください」
「うぅ~、確かに黒岩理事の提案は、もっともではあるのだが……トレセン学園は教育機関である。そこに所属するウマ娘達の成長を考えれば──」
「成長を考えればこそ、の提案です。いいですか──」

 黒岩理事は、先ほど自身が述べられた提案について、さらに説明を始めた。

「チームという存在が、馴れ合いの仲良しクラブになってしまっては、その役目を果たしているとは言えません。しかし現状……そのようなチームが複数あるのは確かではないですか?」
「そ、それは……」
「──理事長?」

 黒岩理事に問いつめられ、秋川理事長は渋々といった様子で頷く。

「否定……ッ、できん……」
「ですから、私は先ほどの提案をしているのです。『Eclipse first, the rest nowhere.(唯一抜きんでて、並ぶものなし)』──中央トレセン学園が目指すのは、そこに至るウマ娘を育てることではないのですか?」
「そ、その通り──なのだが……」
「では、そこへ至る道を拓き、導く環境を整えるべきではありませんか。ですから──」

 ──秋川理事長が、黒岩理事の弁舌に勝てる要素はなく……その提案は、受け入れざるを得ないようです。
 ただ、私は気になっていました。
 その提案は──ひょっとして、またあのチームをねらい打ちにしたものではないか、と。



「やれやれ、だな……」

 

 学園の廊下を歩きながら、オレは盛大にため息をついた。

 呼び出されたので、そこへ向かっているのだが──正直、心底行きたくない。

 

「先輩、また何かやらかしたの?」

 

 うなだれて歩くオレの横に、年上の後輩トレーナーが並び、そんな声をかけてきた。

 

「──なんで、そんなことを?」

 

 訊くんだ、という言葉までオレには言わさず、彼女──巽見 涼子はしたり顔で答える。

 

「この先は理事長室よ。そこへ向かって先輩が歩いている──となれば、呼び出されて叱られる、くらいしか考えられないから」

「あのなぁ……オレの指導を評価してくれて、理事長からお褒めの言葉を預かり、その秘書が『乾井さん、ステキッ!!』ってなるかもしれ──」

 

「──ハァ?」

 

 巽見の冷めた視線が、オレを貫いた。

 これは……効く、な。

 

「……あの、巽見さん。ボケに真顔で蔑んだ表情向けるの、やめてもらえませんか?」

「先輩がつまらないボケを何度も繰り返すからじゃないの。いい加減、たづなさんに怒られるわよ」

「いや。それは、真剣なんだけどな……」

 

 視線をそらしながらボソッと言ったのだが、巽見は聞こえていたのかいないのか、完全に無視された。

 

「……お前はそう言うけど、ひょっとしたら《アクルックス》の成績を評価してくれる、って話かもしれないだろ?」

「それなら、そんなふうに俯いてため息つかないんじゃない?」

「そこから見ていたのなら、そう言えよ……」

 

 オレは再びうなだれて、さらに理事長室へと向かう。

 

「で、そうやって憂鬱になる心当たりは?」

「この前の、カブで敷地内を走り回った件だろ、どうせ……」

 

 その時のことを思い出しながら答える。

 最後は、車椅子に乗ったウマ娘と事故になりかけたのだから、注意されるのもやむを得ないだろう。

 

「それだけでわざわざ呼ばれるかしら? もう怒られたんでしょう?」

「たづなさんには、な」

 

 巽見に答えながら、オレは歩く。

 

「今回は理事長直々に、改めて叱ってくださるんだろうよ。ありがたいことに」

「えぇ……あれくらいの女の子に怒られるのが嬉しいの?」

「そういう特殊な趣味はないな」

 

 純粋に皮肉だったんだが、巽見にはそうとってもらえなかったようだ。

 理事長室のすぐ近くまでたどり着くと──巽見は「いってらっしゃい」とばかりに笑顔でオレに手を振る。

 

「なんだ、一緒に来てくれるんじゃなかったのか?」

「……行く理由が無いでしょう? 先輩がことあるごとに言うように、私とはチームが別なんだから」

「お前、品行方正なんだから、理事長に怒られたこと無いだろ? 良い機会だからちょっと付き合って──」

「私が一緒にいたら、たづなさんに誤解されるんじゃないの?」

「おぉ、それはイカン……」

 

 巽見を放り出して、理事長室の扉へと向き直る。

 オレがノックするのとほぼ同時に──巽見がため息をついた気がした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 さて──今は、学園が夏休みになっている8月。

 

 よく冷房の効いたその部屋に入ったオレは、そこで直立不動の姿勢をとった。

 そして目の前にはチビッ娘偉大なる尊敬すべき理事長がいる。

 

 ……不満そうな顔をするな。ちゃんと訂正しただろ。

 

 そしてオレの後ろには怒っていて、やはり不満顔の理事長秘書・駿川たづなさんが挟むように立っていた。

 彼女からこういう目を向けられるのは、やっぱり辛い。

 オレがそんなことを考えていると──

 

「用件は……わかっているか?」

「ええ。この前、ハンターカブで敷地内を走った件、でしょう?」

 

 ジーっと睨む理事長にオレが答えると、彼女は「はんたーかぶ?」と首を傾げる。

 それを見たたづなさんが「あのオートバイのことです」とフォローし、「うむ」と頷いた。

 

「肯定ッ! その通りだ!! あんな危険な走行は、断じて認めるわけにはいかーん!!」

「あれは、スミマセンでした。オレもちょっといきすぎたという自覚はありまして……」

 

 言い訳とかではなく、ああいうことになってしまった事情をオレは説明した。

 理由も言わずにプールでのトレーニングから逃げるダイユウサクを追いかけるため、やむなくバイクを使ってしまった、と。

 

「ふむ? トレーニングから逃げてしまったのか?」

「ええ、まぁ……それが頑なだったので、ついムキになってしまい──」

 

 オレの説明に、理事長は急に扇子を開いた。

 そこには「天晴ッ!!」の文字が──

 

「うむ! さすが私が見込んだトレーナーだな! そこまでウマ娘に親身になってくれるとは本当に──」

「理事長、今日は叱責するはずではなかったんですか?」

 

 上機嫌で言い掛けた理事長に、その秘書がスッと近づいて耳打ちをする。

 すると、戸惑った様子で「う、そうだった……」と急にテンションを落とした。

 そしてコホンと咳払いをして──

 

「と・も・か・く! あの運転で、事故に巻き込まれかけたウマ娘がいたのは事実!」

「あ~、ですね。アイツには本当に悪いことをしてしまった。逃げられなかったから恐怖もひとしおだっただろうに……」

 

 ウマ娘だというのに、わざわざ車椅子を使っていたのだから、彼女が自らの足で駆けることができないのは明白だった。

 ままならない体で、迫る危機から回避することさえできなかったのは、さぞや怖かったことだろう。

 本気で悪いことをした、とオレが反省していると──なぜか理事長はキラキラした目でオレを見ている。

 

「その通り! ウマ娘にとって走れないのはとても辛いのだ。その気持ちだけでなく、彼女の恐怖まで察するとは、さすが──」

「──理事長?」

 

 再び、秘書に詰め寄られ、秋川理事長は「むぅ……」と少し不満げながらも、言葉を飲み込む。

 そして──このままでは埒があかないと判断したのか、代わりにその秘書──駿川たづなが説明を始めた。

 

「本日、こうして乾井トレーナーをお招きした理由は色々とあるのですが……その一つは、間違いなく先日の“それ”です。本当に……あと少しで、本当に危険だったんですよ。反省してください」

 

 その責める目は、やはり当日の現場では、巻き込みかけたウマ娘に少しだけ遠慮していたのだろう。彼女の本気の怒りが垣間見えた気がした。

 

「はい……すみませんでした」

 

 オレは神妙に頭を下げる。

 先ほども思ったが──ヒトよりも足の速いウマ娘は回避が上手いということでもある。その足を使えなかった彼女は、自らの意志ではオレとオートバイからは逃げることができず、本当に怖かったのだろう、と推測できたからだ。

 そんなオレの態度に、理事長秘書はとりあえず引き下がり──次の件を話し始めた。

 

「それで、反省しているのでしたら──乾井トレーナーには責任をとって、面倒を見ていただこうかと思っています」

「──え? たづなさんの面倒をオレが?」

 

「「「………………」」」

 

 理事長とオレと理事長秘書、その3人の中で沈黙が流れる。

 それを破ったのは──やっぱりたづなさんだった。

 

「どうして、私の面倒になるんですか!? 私ではなく、あのときのウマ娘のです! あなたが轢きそうになった──」

「ああ、アイツか……」

 

 強い調子で言うたづなさんに対し、オレは誤魔化すようにポンと手を打った。

 なるほど、責任をとってとはそういうことか。

 ん──?

 

「え? ちょっと待った。面倒見るってまさか、アイツの一生をオレが──」

「否定ッ!! 断じて、違ああぁぁぁう!!」

 

 慌てた様子で否定する理事長。

 いや、それはもちろん安心するが──なにもそこまで大げさに否定しなくても。

 そんな理事長をたづなさんがチラッと見て、さらに彼女はオレをジロッと見る。

 

「乾井さん。あなたもトレーナー、いわば教育者なんですから。そういう発言は……」

「はい、スミマセン」

 

 また頭を下げることになってしまった。

 

「ええと……乾井トレーナー、あなたは彼女のこと、知っていますよね?」

「もちろん。4ヶ月近く前とはいえ、かなり騒がれましたからね、あの件は」

 

 そう言ってオレは思い出す。

 あのとき──ダイユウサクが初勝利した後、この部屋に異議を申し立てにきたときのことだ。

 その時にこの部屋で会ったのは黒岩という理事。

 ダイユウサクのウイニングライブの配信差し止めを申し立てたオレに対し、コンテンツ管理を担当しているというその理事が、その申し立てを却下した理由の一つが──同じ週に行われた皐月賞での事故だった。

 その事故当事者こそ──

 

「……ミラクルバード。よくぞあそこまで回復したと言うべきか。それとも……」

「まだ、立ち上がることができませんからね、彼女は」

 

 そう言って沈痛そうに目を伏せるたづなさん。

 理事長もまた、しょぼんと気落ちした様子になり──頭上の猫も「ナァ~」とやはり悲しげに鳴いていた。

 そう、あのときぶつかり駆けた車椅子のウマ娘こそ、今年の皐月賞の最中に大怪我をして、一時は生死をさまよったミラクルバードというウマ娘だったのだ。

 どうにか命をとりとめた彼女は、この4ヶ月で傷はだいぶ回復したのだが──その後遺症として足がマヒしてしまっている、とオレは耳にしている。

 

「……治るんですか? 彼女の足は」

「なんとも。医師の診断では、治りつつあるそうなんですが……」

「憂慮……ッ、あのまま車椅子では翼をもがれた鳥のようなもの。本当に可哀想なのだ……」

 

 事故前の彼女は、いるだけで周囲までも楽しくさせるような、それほどまでに明るく前向きなウマ娘だった。

 あのときに少し話したが、持ち前の明るさは変わっていないようだったが、しかし、今はそれが痛々しくも感じられてしまう。

 

「彼女、転科を申し出たんですよ……」

「なッ!? まさか、競走科から──」

「はい。スタッフ育成科へ、です。車椅子では走ることはできないから、みんなのサポートをしたいと言い出しまして」

 

 そこまで思い詰めていたのか、とオレは思った。

 あの事故でのミラクルバードの負傷は、足というよりは競走中にヨレたことで後ろから追い上げてきたウマ娘と無防備にぶつかり、吹っ飛ばされたことで、頭を激しく打ってしまった。

 だから足の負傷よりも、脊椎への損傷から足や下半身への不随の方が深刻という状況で、今も彼女の足は思うように動かない。

 だから──もう走れない、とあきらめてしまったのかもしれない。

 

「そ・こ・で、とあるチームに所属し、サポートして欲しいと思っているのだが……」

「理事長、それってひょっとして、ウチの……」

「うむ!」

 

 理事長が扇子を開くと今度は「正解ッ!!」の文字が。

 さっきと文字が違うんだが──あの扇子、どういう構造になっているんだ?

 

「《アクルックス》に所属して、サポートをして欲しいと思っている!」

 

 と、力説する理事長だったが──オレは躊躇った。

 その様子に、たづなさんが気がつく。

 

「乾井トレーナー? あの、ひょっとして……受け入れるのは、厳しいんでしょうか?」

「正直に言えば、その通りですね」

 

 オレはうなずき、説明する。

 

「まず……現状、ソロチームであるウチは、オレがダイユウサクに専念できていて人手が足りていることです」

「うむ。だからこそ、だ。手が足りているからこそ、車椅子というハンデのある彼女に気を遣うこともできるはず」

 

 知事長の言い分はわかる。

 ソロチームだからこそ部屋でも人が集まり過ぎるということもない。

 ミラクルバードは車椅子になってしまうので、どうしてもスペースを確保しなくてはならないから、それに対応できるから、というのは理由になるだろう。

 しかし──

 

(車椅子だからこそ思い通りの移動というわけにもなかなかいかないんだよな。車椅子生活であれば、周囲の補助は欠かせないが──オレやダイユサクがそれに時間をとられては、本末転倒だ)

 

 ウチのように人数的に余裕がないチームであれば、サポートする側もされる側もストレスを感じるようになってしまいかねない。

 オレは困り果てて頭を掻く。

 

「あとは……ダイユウサクは気難しいんですよ、アイツ」

 

 ダイユウサク自身の気性も問題だ。

 普段はオレやコスモドリーム、そのトレーナーの巽見と気兼ねなく話しているし、同世代でもオグリキャップやそのサポートをしているベルノライト、その周囲にいるメジロアルダンやサクラチヨノオーあたりと仲がいいらしいんだが──実は、人見知りが激しい

 それ以外──あとは親戚のシヨノロマンやサンキョウセッツとは話すらしいが、それ以外には基本的に素っ気なく、ウイニングライブとか機嫌がいいときに多少話す程度。

 

「コミュ障とは言わないが──同世代でも無いし、親戚でも知り合いでもない彼女を、ダイユウサクが受け入れるかどうか……」

 

 《アクルックス》というチームは、結成された経緯を考えれば、ダイユウサクのためのチームといっても過言ではない。

 そもそも、ソロチームで競走できるのが彼女しかいない以上、ダイユウサクを第一に考えるのは至極当たり前のことだ。

 彼女の意志が最優先されるべきであり──オレが難色を示したことで、理事長とたづなさんは顔を見合わせる。

 

「困惑……これは、困ったことになった……」

「はい、もしも受け入れていただけなかったら──」

 

 その表情が冗談や演技ではなく、本気で戸惑っている様子なのを見て、オレは嫌な予感がよぎった。

 

「え? ひょっとして、また……」

「うむ──」

「はい──」

 

 理事長とたづなさんは、同時に頷き──

 

「《アクルックス》存在の危機、だ!」です!」

 

 語尾こそ違えど、ハッキリそう言った。

 正直──「またかよ」とオレは嘆きたくなった。




◆解説◆

【理事長からの提言】
・元ネタないし、まんまなので今回は解説をお休みします。

Eclipse first, the rest nowhere.(唯一抜きんでて、並ぶものなし)
・ウマ娘では有名な言葉で、中央トレセン学園の校訓。
・“Eclipse first, the rest nowhere.”を直訳すると、「エクリプス1着、2着馬はなし。」
・じゃあ、そのエクリプスってなんなのさ、となるわけですが──18世紀後半の英国で活躍した牡馬。
・自身はもちろん、種牡馬としても活躍した馬で、サラブレッドの三大始祖の一つ、ダーレーアラビアンから5代目にあたります。その優秀さのために、その血統がエクリプス系と呼ばれるようになったほどで、現在では90%以上もその血統に入るという大父系です。
・そのあまりの強さに3人目の馬主のデニス・オケリー氏が、全馬の着順を賭けてもいいと宣言した際に発言した言葉というのが──それ。
・1着馬から240ヤード以上離された場合には入着を認められないというルールがあったので……つまりは、エクリプスが2位に240ヤード以上引き離して勝つから、“2着馬はなし”ということ。
・で、実際にエクリプスが圧勝してその通りになったとか……
・そのエクリプスを指して「唯一抜きんでて、並ぶものなし」というわけです。

転科
・トレセン学園にはいくつかコースがあるようなので、再起不能の故障をしたウマ娘の救済策としてそれを変更する“転科”というものを出してみました。
・現在のところ、原作ではアニメ、漫画、ゲームのいずれにも明確に出てきていないので本作独自の設定になります。
・が、現実の学校であれば認められる(審査や試験はあるでしょうが)制度なのでそれほど珍しいことではないかと。
・オグリキャップのような地方からの転校も認められているわけですし。
・地方と言えば、ベルノライトがそうじゃないの? と思われる方もいるかもしれませんが、彼女の場合は特殊で“カサマツの競走科”から試験を経て“中央のスタッフ育成科”に編入していますので、一つの学校内での転科ではありません。
・あとは……トゥインクルシリーズを走る競走科とは別に、障害レースのための“障害科”とかもありそうですね。
・障害レースに転向した競走馬も多いですし、もしも科が違えばそれも転科となりそうです。
・ガルパン外伝『リボンの武者』でのタンカスロンのように、障害レースに焦点を当てた外伝があっても面白そうですね。

人見知りが激しい
・この性格付けは、競走馬ダイユウサクが人にも馬にも愛想がなかった、という話から。
・また遅い生まれのせいで体格が小さく、他の馬にイジメられていたというエピソードから他のウマ娘とは距離をとりがちという設定があり、その理由としてこの性格付けでもあります。
・なお、厩務員だった平田修氏にも愛想はなかったようで……その辺りが、慕っているくせに素直になれていないという性格になってます。


※次回の更新は8月12日の予定です。  




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第34R 大拒絶!! 奇跡の不死鳥(ミラクルバード)登場!

 
「なぁ、ダイユウサク。ちょっと話があるんだが……」

 トレーニング中、話をする(いとま)を見つけて、オレはダイユウサクに話しかけた。
 彼女は「なによ?」と、オレの戸惑い気味の気配を察したのか、少しぶっきらぼうな態度で訊いてくる。
 それにオレは──理事長室で理事長やたづなさんに頼まれたことを話してみたのだが──

「イ・ヤ・よッ!!」

 案の定、秒で断ってきた。
 そして怒りの矛先は──やっぱりオレに向かってくるんだよな。

「なんで、そんなメンバーを迎え入れないといけないわけ? そもそも《アクルックス(ウチのチーム)》は理事長から、ソロとして許可がでているんでしょ? それならそんなの必要ないじゃない!」
「それはそうだったんだが……」
「だいたい、春に実績を残せって言われたのを、きちんと勝って残したのよ!? それがなんで──」

 ほら、やっぱりオレが思ったとおりだ。
 ウチのチームのお姫様は、予想通り駄々をこね始めた。
 なんか、こういう姿は──アイツの親戚のサンキョウセッツを彷彿とさせ──

「……今、なんかものすごく不快なこと考えたでしょ?」

 勘も鋭い。
 その鋭い勘で、オレやチームの事情も察して欲しいんだけどな。

「──また、難癖つけられているんだよ。以前と同じヤローに、な」

 オレはため息混じりにそう言って、ダイユウサクに理事長室で聞いた話を説明し始めるのだった。



「最低でも一人、オープンクラスのウマ娘を入れるように?」

 

 理事長室に、懐疑的なオレの声が響く。

 それに、白い帽子を被り、綺麗な茶色の長い髪をした小さな理事長──秋川やよいが頷いた。

 

「うむ。それが黒岩理事が主張してきた、チーム成立の用件なのだが……」

「なんでまた、こんな条件を?」

 

 オレは思わず天を仰ぎそうになる、その黒岩理事の意図がまったく分からなかった。

 その説明してくれたのは、理事長秘書の駿川たづなさんだった。

 

「……黒岩理事がチームを減らすために選別を行おうとしているのは、わかりますよね?」

「ええ。一度それで危機に遭いましたから」

 

 アレで発奮してくれて初勝利を掴み、そこから勝利を重ねてランクも上がったんだから悪いことばかりではなかった、と今なら思える。

 ただ、正直に言って、面白くはない。

 チームには最低でも一人のトレーナーが必要なわけだし、チームを減らすということは、いくらサブトレーナーを増やすとしていても、オレたちにしてみればトレーナーを削減すると言っているのに等しいんだから。

 そんなオレの気持ちを知ってか知らずか、たづなさんは説明を続ける。

 

「その一環です。ようはランクの低いウマ娘たちの寄り合いでは、切磋琢磨にはならない、と言うのが理事の主張です。トップクラスのウマ娘がいることで目標が生まれるし、技術面でも教えを請うことができるので、より強いウマ娘の育成が期待できる、と」

 

 その理屈、わからないでもないが──しかし、押しつけすぎだと思った。

 

「あの理事……トレセン学園は教育機関というのを忘れてやしませんかね? 学校なんだからもっと自由でいいはずだ。仲間内でいろいろ試しながら、失敗も重ねて成功を見つける、そういうことも教育の中では必要と思うが……」

「肯定ッ! その通り!!」

 

 オレが言うと、我が意を得たりと理事長が明るい表情になった。

 

「それに、逆に言えば──トップクラスのウマ娘たちにしてみれば、ランクが下のウマ娘の面倒を見ることを強制されることになるわけだ。それを面白く思わないのもいるだろ」

「面倒見のいいウマ娘たちばかりでは無いですからね……」

 

 たづなさんが憂うように、ウマ娘はマイペースな者も多い。

 切磋琢磨できる相手ばかりなら自分も得るものも多いだろうが、下の面倒見るのを面倒くさがってしまうと、今度はいろいろ格差を生むように思うんだけどな。

 突き詰めて、その案を実施してしまうと──ー面倒くさがり屋のオープンクラスは自分への負担が少ないように一つのチームに集中しがちになるだろう。

 そして、そのせいで面倒見のいいオープンウマ娘は引っ張りだこになり、自分の為に使える時間が削られてしまうことになり──それは明らかな不公平になる。

 大きなチームがいくつかしか残らなくなる、という事態を招くだろう。

 

(それこそ黒岩の狙いなんだろうが……)

 

 それはそれで危険だ、とオレは考える。

 小さなチームという逃げ場がなければ、たとえばダイユウサクが《カストル》にいたときのようなことが起こったら、そのウマ娘は競走の道をあきらめるしかなくなるだろう。

 オレがそれを指摘すると、理事長は気まずそうな顔になる。

 

「うむ。私もそれを言ったのだが……」

「理事は、『そもそも、教育機関でイジメが行われるのが問題だ』とおっしゃりまして……それがあるのを前提の話をするのはナンセンスだ、と」

「それを言われちまうとな……」

 

 オレも苦虫を噛み潰したような渋面をするしかない。

 まぁ……そんな理想通りにいかないのが、現実だ──それを黒岩は理解した上で、理想を追い求める理事長のことを攻撃しているんだから、(たち)が悪い。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──と、いうわけだ」

「どういうわけよ!?」

 

 オレが事情を説明したが、相変わらずキレるダイユウサク。

 コイツ、実は聞いてなかったんじゃないのか?

 思わず頭を掻きながら──オレは噛み砕いて説明することにした。

 

「ようは、一つのチームには最低、一人はオープンクラスのウマ娘が所属していないといけないようになる、という方針なわけだ」

「なんでよ!?」

 

 いや、確信した。

 絶対、説明聞いてなかったな。

 

()()()()()だからだ。今すぐそうなるってわけじゃない。しかし、少なくとも来年の春あたりまでにはそうなるらしい」

「そんなに先の話を、なんで今……」

「理事長の好意だ。土壇場になって急に知らされたら対応できないだろ。下手をすればオープンクラスのウマ娘の争奪戦になりかねないからな」

 

 確かに半年近く猶予があるが──現時点から準備しているかしていないかで大きな差になるのは間違いない。

 たとえばジュニアクラスはメイクデビューを終えて、ここから来年始まるクラシック戦線に備えてオープンを目指していくことになる。

 有力な新人を今からチームに入れておけば、春までにはオープンクラスになってくれれば条件は達成される。もちろん賭けにはなるが。

 そしてシニア以上になるとオープンに上がるのは難しくなるという弊害がある。

 最近のダイユウサクがかなり活躍しているというのに、準オープンにさえたどり着いていないのを見れば明らかだ。

 実際、ほとんどのソロチームは現時点でもこの条件をクリアしているらしいが……ウチがまだ満たしていないのは言うまでもない。

 

「そこまではわかったわよ。でも、なんでそこで、車椅子のウマ娘をウチのチームに入れるって話になるのよ!? しかもスタッフ育成科に転科申請中なんでしょう?」

「あのな……アイツが──ミラクルバードが何のレース中に大怪我したのか忘れたのか?」

「バカにしてるの? 覚えてるわよ……アタシの初勝利の次の日だったんだから。皐月賞よ」

「……で、皐月賞のグレードは?」

 

 さっき以上の、今度は常識問題になるその問いにダイユウサクは、不機嫌そうに眉を(ひそ)める。

 そしてあきれ顔で答えた。

 

「G1。クラシック三冠の一つだもの」

「そうだ。ここまで言えばわかるだろ?」

 

 オレが言うが──ダイユウサクはピンとこない様子で首を傾げる。

 

「じゃあ教えてやる。ミラクルバードはオープンクラスなんだよ。たとえ今、走れなかろうが、車椅子に乗っていようが、転科申請中だろうが──関係なく、な」

「え……うそ?」

「嘘なもんか。そうでなければ皐月賞に──クラシックレースに出られるものか」

「……セッツは?

 

 そう言ってジト目を向けてくるダイユウサク。

 なるほど、コイツの基準はそこなわけか。

 

「お前、サンキョウセッツをバカにしすぎだろ?」

「そんなことないわよ。オークスに出てたころは、スゴいなとは思ってたわ……イヤな()だなと思ってた気持ちの方が強かったけど」

 

 不機嫌そうに視線を逸らした彼女の言葉は、当時の気持ちを素直に表しているのだろうと、オレは思った。

 

「とにかく、ミラクルバードは今もオープンクラスなんだ。それをチームに入れれば──少なくとも形式上は“オープンクラスのウマ娘が所属している”チームになる。理事長の狙いはそれだ」

 

 しかも、あの事故の後で車椅子生活になって転科申請を出す前に、ミラクルバードは在籍していたチームから抜けている。

 不慮の事故だったので、元のチームからは引き留められたらしいが、チームに貢献できないのが申し訳ないから、という理由で脱退したそうだ。

 

「……元のチームさえ抜けたのに、ウチにくるわけなんて無いじゃない」

「競走ウマ娘として勧誘したのならな。今のアイツはそっちの道を完全にあきらめてる」

 

 とはいえ、スタッフ研修の一環として……例えばダイユウサクも知っているベルノライトが六平トレーナーの下でオグリキャップをサポートしているように、彼女がウチのスタッフになることは──それを前提で誘えば芽がある話だと思っている。

 

(スタッフをやるにしても、元いたチームだと却って辛いだろうからな)

 

 チームメイトという存在は仲間だが、ある意味ライバルでもあるんだ。

 そんな相手に見られながら、そのサポートをするのは酷だろう。

 

「そんなの、本人じゃないとわからないことよ。勝手に決めつけて──」

「そう思ったから、本人に来てもらっている」

「……は?」

 

 ダイユウサクが唖然としている間に振り返ったオレは、そのまま今居るチームの部屋の扉へと向かった。

 そして扉を開け──

 

「待たせたな」

……外、暑かったんだけど

 

 恨みがましくねめ上げつつ、苦笑を浮かべている車椅子のウマ娘。

 そんな彼女の目元だけを覆うように、黄色い覆面をしていた。

 髪の毛を頭の後ろで一纏めにしているが、ポニーテールのように長くはなく、むしろ鳥の尾羽根のようにピョコンと出ている程度の長さだった。

 

「悪い。思った以上に長引いてな……」

 

 そう言いながらオレは車椅子を押すために彼女の後ろへと回った。その間に、オレの言葉を聞いたダイユウサクが、背後で不機嫌そうに眉をひそめているのには、さすがに気がつけなかった。

 押して部屋に入ると、気温が下がって彼女はホッと一息つく。

 そして彼女は──笑顔を浮かべてダイユウサクを見上げた。

 

「こんにちは、ダイユウサク。あぁ、感動だぁ~!」

「感動?」

 

 オレが問うと、ミラクルバードは人懐っこい満面の笑みで頷いた。

 

「うん。だって、ダイユウサクって結構、今話題になってるウマ娘だからね。デビューが遅かったけど最近、調子は上がってて結果も出しつつあるし、ボクらの学年でも話題になってるよ。そんなウマ娘に会えて──」

「──嘘おっしゃい。話題になってるのは、オグリ、アルダン、ヤエノムテキ、バンブーメモリーとかでしょう?」

 

 興奮気味のミラクルバードに対し、そっけなくフンと視線を逸らしながら言うダイユウサク。

 さすがに困惑気味になるミラクルバード。

 まぁ……そうだろうなと思うわ、オレも。その面子を出されたら、それ以上に話題になってるとは言えないからな。

 しかし、ミラクルバードは根気強く──その強いメンタルを発揮して、気を取り直す。

 

「初めまして。ボクの名前はミラクルバード。一応、ウマ娘なんだけど……今はご覧のように、自分の足で走ることができないような有様だけどね」

 

 その人懐っこい笑顔を若干、苦笑気味にしながら彼女──ミラクルバードはダイユウサクに挨拶した。

 一方、ダイユウサクの方はといえば……

 

「……よろしく」

 

 相変わらず不満気に、そして愛想無く、決して視線を合わせることなく挨拶を返した。

 ミラクルバードの自虐的だった苦笑が、困惑のそれへと変わり──たまらずオレの方を見る。

 だが、オレは──

 

(ま、そんなものだろうな……)

 

 と、思いながら見ていた。

 正直、ダイユウサクは人付き合いが得意ではない。

 学園に入ったときには明らかに発育不良で成績が悪かったにも関わらず入学できたために、とある有名ウマ娘の親戚だからという“コネ入学”と散々に揶揄されていたし、それを跳ね返したり誤魔化せるほどの社交性は無く、言われるがままにして他と距離をとってひたすら地道にトレーニングに明け暮れたらしい。

 まるで修行僧か世捨て人である。

 

(逆に言えば、そこで人付き合いが苦手になっちまったんだろうな)

 

 幸いなことに、地方から転入してきたオグリキャップやベルノライトと交流ができたことで完全に孤立することは無かったらしいが。

 そして、幼いころを知っているコスモドリームから聞いたところだと、子供のころの方が噂がなかっただけマシなものの、やっぱり社交的ではなく、小柄だった彼女は追いかけ回されたりするなど引っ込み思案だったらしい。

 ──コスモドリームは巽見に「あなたもイジメていたんじゃないでしょうね?」と若干、怖い雰囲気で訊かれていたが「そんなわけないじゃん。一緒に遊んだけど」とあっけらかんと答えているところを見ると、コスモドリームとは仲がよかったようだが。

 

(打ち解けている相手には、結構容赦ないからな……コイツは)

 

 そんなダイユウサクだから、初対面のミラクルバードにこういう態度をとることは、ある意味予想通りだった。

 

「……あの、トレーナー。ボク……嫌われてる?」

「気にすんな。慣れない相手にはみんなあんな感じで()慳貪(けんどん)だ。そうでなければ無関心──」

 

 耳打ちしてきたミラクルバードに小声で返していると──ダイユウサクは不機嫌さを隠そうともせずにジト目でこっちをじーっと見てきた。

 

「や、やっぱり嫌われてるんじゃないかな? 無関心って感じじゃないし……」

「違うさ。理由もなく相手を嫌うようなウマ娘じゃないからな」

「う~ん? その嫌う理由ってひょっとして……ボクがトレーナーと喋ったり距離が近かったりするからじゃ──」

「違うわよッ!!」

 

 ムスッとしながら、ダイユウサクがミラクルバードの声を遮るように言った。

 急だった上に比較的大きな声だったのでミラクルバードは驚いてビクッと肩を震わせた。

 

「ダイユウサク……お前、いい加減にしろよ。ミラクルバードは完全じゃないんだから──」

「なら、その完全じゃない人にわざわざ負担をかけることないでしょ?」

 

 オレは思わず盛大にため息をつく。

 

「……そこまで、嫌うか? 別にミラクルバードは悪いことしてないだろ?」

「ええ、そうね。アタシもそう思うわ。でも──ウチのチームに入れる必要性もないでしょう? メンバーはアタシしか居ないし、そのサポートにトレーナーも専念できてるし、調子も上がってきてるし……」

「今さっき、説明しただろ。今後、チームに一人、オープンクラスのウマ娘の在籍を求められるようになるかもしれない。そのときの保険のために──」

「……ミラクルバード、アナタそれでいいの? これから復帰のためにじゃなく、ただアナタが今まで積み上げた実績を、《アクルックス》が自分たちの都合だけで、勝手に利用しようとしているのよ?」

 

 ダイユウサクがジッとミラクルバードを見る。

 ほとんど睨んでいるようにも見えるが──それにミラクルバードは笑顔で答えた。

 

「ボクの足は怪我はほとんど治ってる……でも動かない。それは受け止めなければいけないと思うんだ」

 

 そうダイユウサクに答えつつ、ミラクルバードは視線を逸らし、どこか遠くを見る。

 

「動かないのを嘆くよりも、ボクは今、できることをやっておきたい。だから自由に走れる()たちのサポートをしたいんだ。その気持ちに嘘はないし……もしボクの今までの実績が、役に立つのならどうぞ使って欲しい。残念なことに今のボクにはあまり役に立たないものだしね」

 

 再度、視線をダイユウサクに戻して笑みを自虐的なものへと変える。

 それから「えへへ……カッコ付け過ぎかな?」と頭を掻きながら誤魔化すように笑った。

 それにダイユウサクは思わず「くッ……」と視線を逸らすために(かぶり)を振って──強い口調で言う。

 

「うちは、間に合ってるわよ!!」

「オイ! ダイユウサク!!」

 

 オレは思わず強い口調で咎めた。

 だが、ダイユウサクは却ってキッとオレの方を睨みつける。

 

「アタシが、オープンクラスに上がればいいってだけのことでしょ!? 今年中にでも上がってやるわよ」

「それはいくらなんでも無茶だ……」

 

 今のダイユウサクは準オープンのそのまた前のクラス。

 結果を出してきているとはいえ、今のクラスから上がり、さらに次も登り切るには──いくらなんでも時間がなさ過ぎる。

 ムキになったダイユウサクに、オレは少しだけあきれた。

 

「今年中って、あと三ヶ月だぞ?」

「ええ、そうよ?」

「一ヶ月に2レース出走したって、6レースでできるわけが──」

「それをやってやるって言ってるのよ!! やる前から諦めてたら仕方ないじゃない」

「無理や無茶や無謀を、挑戦と一緒にするな」

「なによ! アタシのこと──信用できないって言うの!?」

「そういう問題じゃなくてだな……」

 

 困り果てて、ガリガリと頭を掻く。

 確かに、がんばらなければいけない時というのはある。自力で道を切り開かなければいけないときもある。

 

(例えば、チームの存続がかかったダイユウサク初勝利のときなんかがそうだ)

 

 オレは春先のあの一戦を思い出した。あのときの集中力は、目をみはるものがあった。

 では、今がそうかと言われたら、オレにとっては疑問符がつく。

 オープンクラスになるのが不可能とは言わないが、出るレースをほとんど全て勝つ──クラスが上がった準オープンクラスでも勝ち続ける、くらいのことが要求される。

 それは一戦にかければよかった前回とは違う。「勝ち続けなければならない」というのは極度の緊張が要求される。

 

(それを今からオープンクラスになるまで続けるなんて、とても保たない)

 

 オレは無理だと判断し、ダイユウサクをどう説得しようかと頭を悩ませていたところ──「アハハハハ」とやや下方から楽し気な笑い声が響いた。

 視線を下げれば、楽しそうに満面の笑みを浮かべたミラクルバードがいた。

 

「なるほどなるほど。うん、ミラクルいいね……ボクは気に入ったよ、ダイユウサク。感動だなぁ!」

「……はぁ?」

 

 笑顔のミラクルバードに対し、オレに対してなので遠慮なく攻撃的になっていたダイユウサクが、その余波のまま睨むようにミラクルバードを見た。

 でも、彼女は気にした様子もない。

 

「うん。いいよ……ボクはチームには入らないでサポートする。それなら文句ないでしょ?」

「そ、そんなの詭弁よ!」

「キミがオープンになればそれでいいんだから、それに越したことはないよ。競走ウマ娘じゃなくなるボクはどうしてもどこかのチームに所属しないといけない理由もないし」

「必要ないって言ってるのよ! ウチはソロチームで、トレーナーが一人いて事足りてるんだから」

「まぁまぁ、そう言わずに……試すだけでいいから、さ」

 

 人懐っこい笑みを浮かべて、ミラクルバードは腕で車輪を漕ぎ、車椅子でダイユウサクに近づいた。

 近づいた彼女に、ダイユウサクは思わず身構える。

 しかしミラクルバードは……その手をそっと差し出した。

 

「ボクは……意外と気に入っているんだよ? チーム《アクルックス》を。以前ボクに声をかけてくれて、今回も目をかけてくれてる乾井トレーナーはもちろん、ダイユウサク──キミのこともね」

「う……」

 

 差し出された手を見て怯むダイユウサク。

 その手と、屈託のない、黄色い覆面の下の笑顔を見比べるように交互に視線を走らせる。

 

「ああ、もう! わかったわよ!! ただし! アンタはあくまでウチのチームのメンバーじゃないんだからね!!」

「うん、それで十分だよ。キミと、乾井トレーナーのサポートができればね」

 

 手を握ってくれたダイユウサクに、ミラクルバードはにっこりと笑みを浮かべる。

 そしてそれが離れると、再び車椅子を操作してその場でターンして──オレへと向き直った。

 

「そういうわけだから、正式なチームメンバーじゃないけど……これからよろしくね。トレーナー」

 

 そう言ったミラクルバードは──なぜか車椅子の車輪を固定すると、足を地面に着け、そして──車椅子を支えにしながら立ち上がろうとした。

 

「お、オイ!!」

「大丈夫……これでも、リハビリ中で……ね」

 

 腕に力を込め、体を震わせながら立とうとし──その姿勢が崩れかけたので、オレは慌てて両手を差し出して、彼女の体を受け止めた。

 そのまま、もつれるように車椅子へと彼女は戻り──

 

「えへへ……やっぱり、まだ上手くいかないみたいや」

 

 と、笑みを浮かべる。

 

「でも、乾井トレーナーが受け止めてくれるなんてミラクル嬉しいよ。感動だぁ」

 

 その笑顔はとっさに彼女を支えようとしたが為に意外に近く──それに少し戸惑いながらもオレは、彼女を車椅子へ安全に腰掛けさせてから手を離して、自分の身を起こした。

 

 ──その最中、彼女の背後にジト目を向けているダイユウサクの姿が見えたような気がした。

 




◆解説◆

奇跡の不死鳥(ミラクルバード)登場!】
・今回のタイトルの元ネタは、ダイユウサクの全盛期である1991年に放映された勇者シリーズの第2作『太陽の勇者ファイバード』の第一話「奇跡の勇者(ミラクルヒーロー)登場!」から。
・“ミラクル”繋がりであり、“バード”繋がりでもあります。

オープンクラス
・現在の競馬では、収得賞金によってクラス分けされており、2019年から──
  未勝利
  1勝クラス
  2勝クラス
  3勝クラス
というクラス制度を経て、オープンになります。
・それぞれ、2018年までの500万下、1000万下、1600万下(準オープン)に該当します。
・なお、ダイユウサクの現役時代は400万下、900万下、1400万下という区分。
・オープンクラス前は対象のレースに出走条件という制限がついており、条件戦と言われるレースをメインに走ることになります。
・晴れてオープンクラスになればオープン特別、リステッド、GⅢ、GⅡ、GⅠといったレースが主戦場となるわけです。
・本作では……まずウマ娘のレースに賞金制度があるのか不明だったので、何百万円以下という制限は基本的に本文では使用していません。(解説では主にレース解説のために使っていました)
・賞金制度が不明なので、クラスについても「オープンクラスが存在して、そこまでになるには、ランクを上げる必要がある」「オープンの前は準オープン」という表現にしており、“○勝クラス”に関しては明記しませんでした。
・というのも──明らかにその勝利数よりもダイユウサクは勝っているのにクラスに達していないので、分かりづらく自分自身で混乱するだろうという判断からです。
・調べても見たのですがよくわからず、またシンデレラグレイを参考にしようにも、登場ウマ娘はオープンクラスばかりなので参考にできませんでした。
・書いてる人も基準がサッパリ理解できなかったので、ダイユウサクの出走歴からランクが上がったのを判断しています。
・一方、ゲーム版でレース登録に関係するランクは純粋にファン数。
・未勝利→ビギナーと始まり、
ブロンズ(青銅)シルバー(白銀)ゴールド(黄金)とどこかの聖闘士(セイント)のような階級をクリアし、
・その後は10万人でプラチナ、16万でスター、24万でトップスター、32万でレジェンド──となります。
・このランクで一応は、レースの出場条件になっているのですが、正直そんなに意識する必要はない感じ。
・「ウマ娘 プリティダービー」のウマ娘達は元の競走馬がオープン馬ばかりで、そういうのに苦労している馬なんてほぼいませんしね。(ハルウララは地方馬だし、逆の意味でランク関係なかったしなぁ)

セッツは?
・2018年までの制度で4歳(年齢表記の変更後)夏競馬開催時点で平地収得賞金を半額にしていました。
・そのせいでクラスが下がる“降級制度”があったのです。
・現在シニアに該当するダイユウサクやサンキョウセッツは、それで苦労している感があります。
・現に──1989年のサンキョウセッツの出走記録を見てみると、夏までは900万下の条件戦に出走しているのに、秋からは400万下のレースに出走しており、降級しているのが明らかです。

……外、暑かったんだけど
・当初、チーム部屋って建物内にある部屋(イメージ的には高校とかの部室棟)だと思っていて、扉の外も屋内だと思い込んでいたのですが……
・シンデレラグレイを見てみたら、個別の小屋なんですよね。(アニメでもプレハブ小屋みたいな感じ)
・そんなわけで待たせていた場所が完全に屋外になってしまい──真夏の炎天下に放置されることになってしまいました。
・ゴメンよ、ミラクルバード。

ミラクルバード
・名前は早めに、姿は2話前に出ていましたが、本作オリジナルのウマ娘で、本作では3人目になる非実在系競走馬を元ネタにしたウマ娘。
・原作では、仔馬のころに他の仔馬に顔を蹴られて生きているのが不思議なほどの負傷を負うが一命をとりとめるも……その骨折のせいで顔がゆがんでしまいました。
・そのせいで血統は良いものの見た目の悪さで買い手が付かず──馬が好きで好きでどうしても馬主になってみたいという夢を見ていた焼き鳥屋の主人が他の馬主に紹介されて言い値で購入し、馬主という夢をかなえたのでした。
・そしたらその良血統が見事にはまって大活躍。新馬戦でデビューから4連勝。スプリングステークスに出走を予定していたものの足の炎症で回避し、皐月賞に出走することに。
・が、ここで主戦騎手の変更やらいろいろと人間サイドでゴタゴタがあり……それでも一番人気で出走。
・しかしレースの最中によれてしまい、後ろからあがってきた馬と激突し転倒。相手の馬は右前脚を骨折。その騎手はすぐに立ち上がることができたが……
・ミラクルバードは横たわったまま痙攣しており、首を骨折してほぼ即死。衝突に巻き込まれたミラクルバードの騎手は首を骨折の上に脳挫傷で2日後に死亡。
・──というなんとも可哀想な馬なのでした。
・その元ネタ馬は顔の負傷を隠すのもあって黄色いメンコをつけていたので、ウマ娘のミラクルバードもエルコンドルパサーやミニーザレディ(シンデレラグレイのオリジナルウマ娘)と同様に覆面(マスク)をつけており、その色は黄色になってます。
・本作でのミラクルバードが覆面をしているのも、やはり幼少期に遭った、生死をさまようような怪我のせいで顔に大きな傷跡があるから。
・バードの名前から勝負服は鳥を意識したもの。羽飾りとかがついていると思われる。ただ、黄色がイメージカラーなのでまるで某チョコボ。
・原作の馬主の設定を引き継ぎ、彼女の実家は神戸の焼き鳥屋さん。大阪や京都から目当てで来る客がいるほどにとても美味しい有名店らしく、父からの直伝で焼き鳥の腕は一流。
・感謝祭ではその腕前を披露して、焼き鳥の屋台を出して大好評を得ています。
・性格は鳥のイメージから深く考えないように見えてしまう性格。
・また、その悲惨な状況から性格を暗くするとどこまでも暗くなってしまうので陽気に。
・口癖の「感動だ」や「ミラクル」は上記の『太陽の勇者ファイバード』から。
・バードの共通項もそうですが、主人公の一人の少年──天野ケンタの口癖が「ミラクル~」というものだったので、ファイバードが選ばれました。
・ケンタは小学生ですからね。「ミラクル~」とか「スーパー」とか入れたがる年頃なんですが……さすがにウマ娘の歳でやるのはちょっと加減しないとな~と思ってます。
・「感動だ」は火鳥勇太郎ことファイバードの口癖。エネルギー生命体という宇宙人である彼が地球の現状を見て命があふれていたりする姿に述べる感想。


※次回の更新は8月15日の予定です。  



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第35R 大記録! はじめての脚質(さし)

 
 ま~ったく、な・に・が、ミラクルバードよ。

 ウマ娘なのに、(バード)とか意味わかんないわ。
 実家が焼鳥屋? だからって「バード」って名前付ける、普通?
 ──勝負服の写真を見せてもらったら、ホントに鳥みたいな衣装だったけど。
 でも鳥になったら、家業的には焼かれる側じゃないの?
 ま、まぁ……それはともかく、おまけになによあの覆面は!?
 意味深に顔を隠して、「いや、どん引きするくらいのケガの痕が残ってるから隠してるんだ」……って
 なにそれ? “黄色い彗星”とかそんな異名狙ってるわけ?
 それとも“超音速のウマ娘”?
 謎の仮面でキャラ立てようったって、そうはいかないんだから。
 数多くの覆面キャラにまみれて没個性になればいいのよ、逆に!!

 そりゃあ、大怪我して今も立てないのには同情するわよ?
 下の世代で、ずいぶん期待されていたのにああなってしまったのは可哀想だとは思うわよ。
 でも、だからってなんでよ!?
 突然、トレーナーがチームメンバーに入れようとしてくるし。
 聞けば、理事長が後ろで糸を引いているらしいじゃない。
 いくら、なんとかって理事の嫌がらせから回避するためだって言ったって、今までソロチームで、トレーナーと二人三脚できたじゃないの。
 それなのに、なんで……

(トレーナーの、バカ)

 あのトリ娘、やたらとトレーナーに馴れ馴れしいし──


 ──ガコン


 ガコン?

「──って、えぇ!?」

 アタシは我に返る。
 見れば、アタシの目の前で、すでにゲートは開いていた。

「ヤバッ!!」

 慌ててゲートを飛び出す。
 マズイマズイマズイマズイ──だって、今、アタシ……


 レースに出走してたんだからぁ~!!




『おっと一人出遅れた! 出遅れたのは……8番のダイユウサクだ』

『これは珍しいですね。彼女が出遅れるのを見るのは初めてです』

『確かに。今までのレースでは逃げや先行の展開ばかりですが、このように出遅れた場面は見たことがありません!』

 

 そんな実況を聞きながら、オレも驚いていた。

 

「アイツが出遅れる……なにかアクシデントか?」

「う~ん、集中力を欠いていた感じかな。なにか別のことを考えていたように見えたけど」

 

 オレのすぐ傍らにある車椅子から、そんな声が帰ってくる。

 苦笑を浮かべた彼女──ミラクルバードは「ま、原因はボクかもね」と小声で言った。

 

「お前が原因って……とりあえず納得しただろ? チーム外の協力者ってことで」

「その“とりあえず”のせいで、モヤモヤしていたのかもね。あとは……キミのせいだよ、きっと。乾井トレーナー」

「は? オレのせい? アイツが出遅れたのが?」

「うん、そう──って、あれ!?」

 

 オレは思わずミラクルバードの方を見たが、レースを見ていた彼女は少し驚いた様子で声を出した。

 それで慌てて視線を戻し──オレも驚く。

 

「な……!? アイツ、なに考えてるんだ?」

「なんだろう。確かにこれから連戦になるから無理をしないように、って指示を出したんだよね?」

「ああ……だが、いくら出遅れたからって──」

 

 出遅れるということは、それだけ先頭と離される──というのは当たり前のこと。

 だからこそ逃げを戦術とするウマ娘にとって出遅れは死活問題だし、先行でもその位置につくために余計なスタミナを使うことになる。

 逆にレース序盤は後方につけて前方を伺う追込みや、中段につける差しに関しては、他の二つに比べれば、出遅れても負担は小さくて済む。

 それらを考えれば、その位置は正解かもしれないが……

 

「中段待機だと?」

 

 ダイユウサクは7から8番手の位置を走っていた。

 

「ボクにもそう見えるけど……ううん、でも案外悪くない手かも」

 

 車椅子からジッと見つめるミラクルバードが考え込みながらポツリと言った。

 

「どういうことだ?」

「今日のレースは1200メートルの短距離戦。先行にこだわりすぎて、出遅れから2位集団につけようとするのは負担が大きいと思う」

 

 短距離になればもちろんペースは速くなる。スタートに出遅れたウマ娘が先頭や前の方の集団に加わろうとすれば余計なスタミナを使うことになるし、ペースの速い短距離では追いつくのにも苦労することになり、影響は余計に大きい。

 

「それに……今日はペースも速い。無理をすれば脚を使い切っちゃうかも」

「確かに、速いな」

 

 オレは先頭や前を走る集団を見て、ミラクルバードの指摘通りにペースが速いのに気がついた。

 そして、さすがだなと思う。

 冷静な分析や状況判断ができるのは、やはり優秀な競走ウマ娘だったという証だし、なによりその優秀な目──レース勘が健在なことに感心していた。

 

「そこまで見越して、先行といういつものスタイルを捨てたダイユウサクの大胆さ……やっぱりスゴいよね」

「ああ。やっぱりアイツは成長している」

 

 ただがむしゃらに前を走り続けた春。

 そして夏を前にクラスが上がって──オレが指摘した「自分でレースを組み立てる」というやり方。

 高松宮杯では、格上相手に自分の実力ではレースを支配できないと逃げを打ったその割り切りだって、たとえ通じなかったとしても、それは立派な判断だったとオレは評価している。

 そして今回の──ミスから生まれたとはいえ、それを挽回するために冷静に判断できている。

 

「体だけじゃなく、頭もしっかりと、な……」

 

 それは今のクラスに上がったときにダイユウサクに課していた課題であり、さらに上を目指すのには、必須のもの。

 しかし、もうここまで──自分の得意戦術を捨てて、未知の戦い方を選択できる程だとは、完全に予想外だ。

 

(それがいわゆる“センス”ってヤツかもしれない)

 

 どんなに教えられ、頭で理解していてもそれが実践できるかどうかはまた別問題だ。

 一見、外れに見えるその道を、迷うことなく直感で選べるのは──間違いなく天与の才が必要なものだ。

 

「あとはそれが──通じるか」

「うん。それが問題だね」

 

 車椅子に腰掛けた、黄色い覆面のウマ娘がオレの言葉に頷いた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 周囲のウマ娘がアタシを気にしているのはわかってた。

 今日の人気は低くない。だから警戒されるのは当然。

 出遅れたのはアタシの完全なミスだけど──ひょっとしたらこのハイペースは、アタシが出遅れたのに気がついた“逃げ”があえてとばしているのかもしれない。

 

(今回のレースは1200……)

 

 距離は短い上に、先頭が頑張って速いペースになっている。

 出遅れたアタシが先行の位置に陣取るのは余計な脚を使うことになる。

 

(そうなれば──逃げの思うツボ。ううん、他の先行ウマ娘たちも想定しているはず)

 

 それゆえのハイペース。

 ライバルの思惑に乗った上で、それを強引にでもぶち破れるのが本当に強いウマ娘──それこそオープンクラスなんだろうけどね。

 

(でも今のアタシにはそこまで力があるとは思わない。それなら、一か八か……)

 

 アタシの脳裏をかすめたのは──高松宮杯のレース中に言われた一言だった。

 

(『貴方のもっとも優れたその武器を生かせるのは、この走り方ではありませんよ──』)

 

 オープンクラスというバケモノのような存在──そのクラスに到達しているメジロアルダンから言われた言葉。

 ハッキリ言って、アタシの走りを見透かしたように言われたその言葉には、イラッとくる。

 でも──彼女の言いたいことも、理解している。

 

(あのときの走り──“逃げ”では末脚を生かせない)

 

 それを彼女は言いたかったのだ。アタシの武器は末脚である、と。

 思えば、それを自分でも感じたレースはあった。

 粘る“逃げ”を追い抜いたとき。

 競った“先行”相手に最後に一伸びしたとき。

 そして──高松宮杯での最後。

 

(今日は、アタシの武器のスタートが完全に封じられた。だから──それに賭けてやるわよ!)

 

 もう一つの武器があるのなら、それが本当に武器足り得るものなのか確認する。

 そして──

 

(『──意外と、貴方は“差し”や“追込み”の方が合っていらっしゃるかもしれませんわね』)

 

 だいぶ前に言われた言葉が頭をよぎった。

 それを言ったのもまたメジロアルダン。

 

「なんか、彼女の手のひらの上で踊らされてる感じもするけど──この際、踊ってやろうじゃないの、全力で!!」

 

 アタシは──中段で待機して、それよりも前にはいかなかった。

 それで周囲は戸惑う。

 “先行するはず”のアタシを意識していたウマ娘たちは戸惑い──その前提で逃げ、先行していた彼女たちも計算が狂う。

 

(問題は──仕掛けどころ。焦らず。かといって遅くても間に合わない。機を逃さず……)

 

 今までの競走(レース)で“差し”なんてやったことがないから初めてよ。もちろん“追込み”だってないから“仕掛けるタイミング”を見極めたこともない。

 だから思ってるはずよね、周囲も。

 

 ──できるわけがない。

 

 って、ね。

 でもね。アタシは──

 

「アタシは見続けていたのよ。アタシ自身がデビューするよりも前に……何度も何度もオープンクラスの“差し”の走りを、ね!!」

 

 彼女の活躍が自分のことのように嬉しくて、彼女を追い続けた日々。

 それはまったく無駄だったわけじゃない。彼女にあこがれたからこそ、その走りにもあこがれて──いざ、自分が走るとなったら性に合わない気がしたから、最初から進まなかったその道。

 

「今日は、ちょうど……誰かさん(コスモ)みたいにスタート失敗したし、試すのにいいわ!」

 

 ゲートが苦手だったそのウマ娘の走り方は──彼女自身とそのトレーナーの次くらいに、アタシは熟知している。

 そして切り替えたアタシの頭が告げる。

 

 「行け!」と──

 

「ハアアアァァァァァァッ!!」

 

 出遅れて、一度は焦ったその気持ちを落ち着け、溜めた力を──解放する。

 一段下げたその走る姿勢は、アタシを今までよりもさらに速い速度へと導いた。

 

『なッ!? 出遅れて中段に沈んでいたダイユウサク、ここで一気に加速したーッ!』

『まさかの展開ですね。ダイユウサクと言えば今まで逃げか先行の走りしか見せたことがありませんから。その彼女が『差し』を見せるなんて……』

『しかししかし──その末脚、スゴい加速だーッ!! 前のウマ娘を次から次へとゴボウ抜き!!』

 

 外に出たアタシは一気に加速して、他のウマ娘たちを抜き去っていく。

 横に並ぶウマ娘たちは口々に「無理ー!」と言いながら、続々と後方へ下がっていく。

 それを後目に、アタシはさらに加速する。

 そして──

 

 

『今、ダイユウサク1着でゴール!! なんとなんと、阪神1200のコースレコード更新だああぁぁぁぁッ!!』

 

 

「──え?」

 

 一着で駆け抜けたアタシは、その実況で思わず実況席を振り返っていた。

 それから勝ち時計が表示された掲示板を見る。

 そこに表示されていたのは──

 

「ウ、ソ……」

 

 さすがに驚く。

 え? だってアタシ……出遅れたのよね?

 でも、それなのにレコードって──

 

「ダイユウサク!!」

 

 スタンドが歓声に包まれる中でも不思議と通るその声に、アタシの耳が反応していた。

 振り向けば、興奮した様子のトレーナーが見えた。

 アタシはそちらへと駆け寄り──苦笑しているトレーナーの側まで行く。

 

「お前なぁ……珍しく出遅れたと思ったら、これだからな……もしも出遅れなかったら、もっといい記録出てたんだぞ?」

「仕方ないでしょ、そんなの!」

 

 少し呆れ気味のトレーナー。

 でも……本当のところ、出遅れなかったら記録が出ていたかどうか、ちょっとあやしいかも。

 だって出遅れなかったら、“差し”っていう走りにはならなかっただろうし、その走りをしたからこそ──コスモが力を貸してくれたような気がしたのよね。

 

(アリガトね、コスモ……)

 

 アタシは心の中で、アタシのルームメイトに感謝した。

 




◆解説◆

【はじめての脚質(さし)
・「はじめてのおつかい」的なイメージで、「はじめて」はひらがなで。
・逃げか先行しかしていなかったダイユウサクが初めて差しを披露しました。

だからって「バード」って名前付ける、普通?
・原作では馬主である焼き鳥屋の主人が「焼き鳥の英語がわからなかった」ということでバードを付けた、という設定になってます。
・ちなみに英語で“焼き鳥”は“Yakitori”──つまりは日本独自の料理なので固有名詞になっているようです。
・焼き鳥を見たことも聞いたこともない人には“Japanese style skewered chicken”(日本スタイルの串に刺さった鶏肉)という説明的な方が親切かもしれません。

鳥みたいな衣装
・ミラクルバードはメンコが黄色だったという設定なので、イメージカラーは黄色。
・おかげで黄色い鳥、かつ“走る”ということで勝負服はFFのチョコボのイメージです。
・FF14の装飾品のついたマイチョコボを元に、さらに擬人化したような……ってイメージ複雑すぎ。
・もしくはチョコボスーツ(顔は除く)の上にさらにいろいろ装飾品付けた、という感じでしょうか。
・袖は鳥の翼みたいになってるようです。
・ちなみに好評だった感謝祭の焼き鳥の屋台は、勝負服でやっていたそうな。

覆面キャラ
・昭和~平成初期のサンライズ作品でよく見かけた覆面(仮面)キャラ。
・仮面キャラの特徴として、それを被るとなぜか正体が敵味方にバレなくなるという特典があり、また被るものによっては『聖戦士ダンバイン』の黒騎士(本名:バーン・バニングス)や『ブレンパワード』のバロン・マクシミリアン(本名:アノーア・マコーミック)のように声にエコーがかかったりボイスチェンジャー機能がついていたりする。
・どんなに正体がバレバレでも「いったい何者なんだ……」と呟くのが礼儀(マナー)なので気を付けましょう。
・ちなみにダイユウサクが思っていた「黄色い彗星」は言わずと知れた仮面キャラ、『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブルの異名「赤い彗星」から。
・一方で「超音速のウマ娘」は、『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』の仮面キャラ、ナイト・シューマッハ(本名:菅生 修)の異名「超音速の騎士」から。
・ちなみにウマ娘での覆面は、正体を隠すものではなく──エルコンドルパサーももちろん謎のウマ娘扱いはされない。

レースに出走
・久しぶりの出走レース解説。
・今回のレースは、1989年9月10日(日)での阪神競馬場第12レースがモデル。
・4歳以上900万下の条件戦。距離は1200。天気は晴れ。馬場も良。
・このレースでダイユウサクはデビュー戦以来の出遅れをしました。
・ただ、その原因が前走とは距離が違う、久しぶりの1200だったから……らしいのですが──シナリオの都合で集中力を欠いていてゲートでミスったというオリジナル展開にさせてもらいました。

阪神1200のコースレコード更新
・競走馬ダイユウサクはこのレースでデビュー戦以来の出遅れ──そこから中段待機と、今までの逃げや先行と違う作戦をとったのですが……それが見事にはまり、なんとコースレコードを叩きだしました。
・それで陣営はダイユウサクの素晴らしい末脚に気が付き、これ以降“差し”の作戦も使うようになります。
・普通の──それも一級の競走馬なら悪影響を恐れてやらないような1700mを使った後に1200mをやり、ダイユウサクの隠れた一面を発見できたのは、陣営にとって幸運でした。
・そしてこの末脚こそ──後にダイユウサク最大の見せ場であるあのレースでのあの走りを生むことになるのです。


※次回の更新は8月18日の予定です。  



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第36R 大憤懣… ダイユウサクもかくありたい

 
『ダイユウサク、このレースを制しました~』

 前走から二週後、アタシは再び1位でゴール版を駆け抜けていた。
 走り抜け、足を止め、俯きながら呼吸を整え──そして顔を上げる。
 スタンドからはアタシに向かって声援が飛んでいる。
 それに手を振って応えつつ──アタシは思った。

「これで、あと一つ……」

 今回の勝利で──クラスが上がる。
 それでアタシは準オープンになる。オープンクラスに手が届く位置まで、ついに来た。
 アタシを祝福してくれる中に──トレーナーの姿があった。

(ほら、見なさい。ちゃんと順調に勝ててるでしょ? だから心配することなんて無いのよ)

 このまま勝ち続けて、年内にはオープンクラスになってやるわよ。
 目標を見つけたアタシは、強いんだから!

 ──横にいる車椅子焼き鳥ウマ娘共々、雁首そろえて待ってなさいよ!!



 

 ──だが、そんなに上手くいかないのが世の中だ。

 

 10月の半ば。準オープンになって初めて出走したレース──ダイユウサクは10位だった。

 ターフで俯き、息を整えてる彼女の姿を見ながら、オレはそれをどこか納得していた。

 

(やはり短距離は……適正があってるとは思えない、な)

 

 それに加えて、クラスを上がるとそこには壁があってぶつかることになる。

 無論、それを難なく軽々と越えていくウマ娘もいるが──ダイユウサクはそういうタイプじゃない。

 一歩一歩確実に、壁を越えていくタイプなのだが──本人は、納得していないだろうな。

 なにより今のアイツは焦っている。

 

「ふむ……」

 

 下を向いたまま悔しそうな顔を隠している彼女の姿に、オレはある決意をした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「ハァ!? どういうことよ!!」

 

 我が《アクルックス》のチーム部屋に大きな声が響きわたり、「バン!」とテーブルを強く叩く音が響く。

 傍らでは、大きな音に首をすくめる車椅子のウマ娘がいる一方で、オレは眉一つ動かさずに、その音を立てた──テーブルに両手を叩きつけたダイユウサクを見た。

 

「どういうこともなにもない。次のレースは3週間後だ」

「分かってるの? 前回は10位だったのよ? これを挽回しないと年内にオープンクラスに昇格なんて──」

「それはお前が勝手に言い始めたことだろ」

「なッ──!?」

 

 驚き、「信じられない」と言わんばかりに目を丸くするダイユウサク。

 そして──キッとオレと、そして車椅子に座っているミラクルバードを睨んだ。

 

「……アンタ達、そうまでして…………」

「勘違いするな。そいつは関係ない」

「そんな言葉を信じろっていうの? 現にそうやってアタシの邪魔をしているのに!」

「邪魔じゃないだろ。落ち着け。準オープンに上がったら、出走のペースを落とすのはオレが前から考えていたことだ」

 

 実際、その負けた前走はその前から3週空けているんだが……忘れているのか、気が付いていないのか。

 準オープンよりも下のクラスに所属しているウマ娘は、1ヶ月に2回──つまりは2週に一度のペースで出走しているのが多い。

 これは多くのレースを経験して、少しでもポイントを稼いで上のクラスに上がるためだ。

 だがオープンクラスを目前に控えた準オープンはレースのレベルが違う。

 そこで勝つには、出走ペースを落とすべきだと判断した。

 だが──ダイユウサクは納得しない。

 

「でも! それじゃあオープンクラスに──」

「焦るな、ダイユウサク。チームにオープンクラスウマ娘の所属が必須になるって例の話も、まだ具体的になっていない。少なくとも来年の春以降の話に──」

「そんなの、わからないじゃないの!! 今年の春先のことを忘れたの? 突然、実績求められて、次のレースで勝たないと解散なんて言われて──」

 

 (かぶり)を振るダイユウサク。その姿にオレは沈痛さを感じていた。

 あのとき、やはり彼女はかなりプレッシャーだったのだろう。

 それ程までに、このチーム──《アクルックス》を大切に思ってくれている。その気持ちは嬉しいし、オレだって負けないくらいに大切に思っている。

 

「わかってる。だからこそ準オープンでの一戦一戦を大切にしていこう。クラスが上がって周囲のレベルが上がっても、それでも勝ってポイントを稼ぐ。そのための策だ」

「でも──」

 

 そのとき、ダイユウサクの目がチラッと何かを見た。

 彼女の視線を追い……見た物に気がつく。

 テーブルの上に無造作に置かれた新聞。

 そこに書かれているのは──次の週末に迫った、秋の天皇賞の記事だった。

 

(焦る理由は、コレか)

 

 それで合点がいった。

 秋の天皇賞。出走する有力ウマ娘は──

 今年頭の故障から秋に復帰したオグリキャップをはじめ、メジロアルダン、スーパークリークが名を連ねる。

 そこへ負けじとヤエノムテキも気勢を上げる。

 さらには──ディクターランド等、他に出走を予定しているウマ娘達もいる。

 

(これだけ同期が揃えば……意識するなという方が無理だよな……)

 

 かたや盾を巡って同級生達が集って争い──しかし、その中に自分は加われずに蚊帳の外。

 オープンという同じ土俵にさえ立っていないのだ。

 しかしそれがやっと手の届くところまで来ている。

 焦る気持ちは、痛いほどに分かった。

 

 だが──

 

「先を見すぎずに足元を見ろ。やっとここまで来られたんだぞ? (つまず)けば取り返しのつかないことにだってなりかねない」

 

 オレが努めて冷静に言うと、ダイユウサクは少しだけ疑わしくジロッと見た。

 そして──

 

「そうだよ、ダイユウサク……」

 

 と、寂しく笑みを浮かべるミラクルバードを見た。

 ……いや、お前がそこで同意するのはある意味反則だよな、バード。説得力あり過ぎんだろ。

 文字通りに躓き、そして歩くことさえままならなくなってしまったその姿はあまりにも痛々しすぎる。

 さしものダイユウサクも小さくため息をつく。

 

「……ハァ。分かったわよ。アタシはトレーナーについて行くって、あのときに決めたんだから、従うわ。でも……年内のオープンクラス昇格を諦めたわけじゃないんだからね!」

 

 ビッと指さしてそう言い放ち、ダイユウサクは部屋の外へ向かう。

 そして「ウォーミングアップして待ってるから」と言い残し──部屋から出ていった。

 それを見て、ミラクルバードはホッとため息をつく。

 

「よかった、納得してくれて」

「あのなぁ……自虐ネタなんてやらなくていいんだぞ。説得するにしても、キチンと理解するまで話すし、それがオレたちのやり方なんだから」

 

 少し怒ってオレが言うと、ミラクルバードは「出しゃばってゴメンなさい」と素直に謝った。

 そうやって屈託なく謝ったり感情を露わにできるのは彼女のいいところなのだが──

 

「……信頼してるんだね」

「ダイユウサクのことか? そりゃあ、オレの方からトレーナーにならせてくれって頼んだしな。それで、どうにかここまでやってこられたし」

「それもだけど、ダイユウサクの方も、乾井トレーナーのことを信頼しているんだと思って」

「そうか? もし信頼しているなら、こんなことでゴネないだろ?」

「そんなことないよ。ゴネることも受け止めてくれるって信頼がなければ、できないでしょ。本音で言い合えるって素敵な関係だと思うよ」

 

 笑みを浮かべて見上げるミラクルバードの視線から、思わず逃げるように視線を逸らした。

 ほら、まったく……お前のその屈託のない性格は反則だわ。

 やや強引に話を逸らす。

 

「ま、前走の結果で身に染みて理解しているんだろ。アイツも……」

 

 今までのやり方では勝てない。

 その手応えがあったから、ダイユウサクもオレの案に従ったんだろう。

 

 ここからの道は──それほどまでに険しいんだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それを示すように──

 

『──ダイユウサクは届かない! 一着は……』

 

『一番人気ダイユウサク、差しきられた~!! 1バ身離され、一着は──』

 

 11月半ばの京都、12月頭の阪神でそれぞれレースに出走したが……連続で惜しくも2位。

 前のクラスの時の再現のように、勝ちきれないレースが続いた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「──ダイユウサク、この前の……」

「わかってるわよ!!」

 

 チーム部屋で、オレが発しようとした言葉を遮り、苛立たしさを隠そうともしないダイユウサク。

 すでに馴染みつつあるミラクルバードはそんなダイユウサクの苛立ちさえも慣れたのか、苦笑を浮かべつつ、持ってきていた物をテーブルに出した。

 

「まぁまぁ、コレでも食べて落ち着いて……」

 

 そう言って、パックに入った焼き鳥を並べる。

 彼女の実家は焼き鳥屋で、地元では有名らしい。父親直伝だという彼女の腕前もなかなかで、今までもこうしてお手製の焼き鳥が差し入れされていたのだが、確かに美味い。

 スタッフ育成科へ転科したミラクルバードは、基礎となることを学び実践しつつも、その調理の腕を生かせる栄養士やその方面から支えるスタッフを目指すらしい。

 ダイユウサクも不満そうにしながらも、今までの差し入れでその味を覚えており、ミラクルバードに小声で「ありがと」と言いつつ無造作に串をまとめて数本掴むと口に運ぶ。

 なんだかんだで、ミラクルバードもうちのチームに馴染んできてるな。

 

「オレが言いたいのは、レースじゃないぞ。その後のウイニングライブだ」

「え……?」

「険しい顔になってたぞ。悔しい気持ちは……分かるけどな」

 

 そう言うと、オレは小さく息を吐き、ミラクルバードの焼き鳥を一本取ると、椅子の背もたれに背を預けて天井を見ながら、それを食べた。

 絶妙に火が通された肉からは、旨い肉汁が出て──その美味しさがささくれ立った心を幾分か落ち着かせてくれる。

 

「……そうだった?」

「ああ。お前の隠れた負けん気の強さは長所だが……ウイニングライブでアレはマズい」

「そう、よね……ゴメンなさい」

 

 そう言って素直に頭を下げるダイユウサク。

 まぁ……同じ2位でも大差で負けたライブならともかく、僅差だったライブでその感情を押し殺してパフォーマンスを行うのはなかなか難しいと思う。

 とはいえ、それをやってこそプロ、なわけではあるが……

 

「いやいやいやいや。ボクも見たけど……トレーナーに言われたから、そうかな? と思うくらいだったよ」

「──つまり、気がつくヤツは気がつくってことだ」

 

 オレが言うと、ミラクルバードは微妙な顔で苦笑する。納得がいっていないようだ。

 

「まして2位だったからな。そして、それが続いたことくらいトゥインクルシリーズのファンなら知ってる。そういうのを見透かされるようになったら大変だぞ」

「それって、やっぱり気がつくのは乾井トレーナーか、よほど熱心なおっかけくらいじゃないのかな」

「ほう、それはつまり……ダイユウサクには熱心なおっかけなんているはずがない、と……」

「それは論理の飛躍だよ!?」

 

 ミラクルバードをからかってやったが……ん? ダイユウサクからの反応はないな。

 てっきり、噛みつくかと思ったんだが──見れば、焼き鳥をモゴモゴしながら心ここにあらずと言った感じで、ジッと一点を見つめている。

 なにやってんだろうか……と思いつつ、アイツの手元付近の焼き鳥を全部レバーに変えて──

 

「ねえ、トレーナー。お願いが……って、なにやってるのよ?」

「え? あ、いや……鉄分補給にレバーはいいらしいから、な」

 

 考えに整理がついて、オレに話しかけようとしたらしく──気がついてオレにジト目を向けてきた。

 オレの誤魔化しに、ミラクルバードは「そうだよ~」と爛漫な笑みを浮かべつつ、手をひらひらと振りながらテキトーな感じで肯定した。

 さすがスタッフ育成科。栄養学の知識も彼女が言えば説得力が違う。

 味覚がお子さまのダイユウサクはレバーを少し苦手にしていたから、からかってやろうというオレの目論見は無事に隠され──

 

「そんなことよりも! 一つ、お願いがあるのよ」

「……なんだ?」

 

 う~ん、ダイユウサクも最近は自分の要望を結構言うようになってきたからな。

 変なことを言い出さなければいいが、と不安な気持ちになる。

 すると案の定──

 

「年内に、もう一戦走りたいのよ。予定を組んで」

 

 ほら、やっぱりな。

 オレが渋面を浮かべると、ダイユウサクはズイッと近づいてきて「お願い」と駄目押ししてきた。

 そういうのでオレは意見や態度を変えはしないけどな。

 

「……もう一つ走って、仮に勝ったとしても……オープンへの昇格はない。それこそ──」

 

 オレはチラッとテーブル上にあった新聞をチラッと見る。

 そこにはまだ数週間先の話とはいえ──記念の記事が掲載されていた。

 紙面に載っている有力ウマ娘の名前が目に入る。イナリワン、スーパークリーク、ヤエノムテキ、そして……オグリキャップ。

 オープンクラスのウマ娘──今のダイユウサクから見れば化け物クラスの面々の名が並んでいる。

 

「──格上挑戦して、勝ちでもしない限り」

 

 無論、有記念には出られない。あのレースは今年、コスモドリームが出走した宝塚記念と同じで、ファン投票で出走が決まる。

 ここ最近、1番人気の多いダイユウサクだが──それはあくまで準オープンやその下のクラスだったから、という話。

 オープンクラスの中で、さらにファン投票で出走が決まる有記念は国内最高峰クラスのレース。まさに雲の上の戦いだ。

 そんな頂上決戦のG1以外に残されているのは、その前の週に行われる──ジュニア対象の朝日杯ジュニアステークスと、阪神ジュニアステークスしか残っていない。

 

(あとはその二つのレースと同日開催のG2、CBC賞……しかし距離は1200。適性があっているとは思えん)

 

 秋戦線ではダイユウサクは短距離を連戦していたが、それは別の目的からだ。連戦の疲れが見えてきているので、あえて長い距離を避けた。

 準オープンに上がってからは、短距離があってないように見えたのと、出走間隔が空けたので2000mを連戦させたが。

 確かに阪神レース場の1200でレコードを出した。が、スプリント適正がそこまで高いとは思えない。

 もし出たとしても──格上の短距離を得意とする猛者相手に、今のダイユウサクで勝てるとは思えなかった。

 そして、そんな一か八かの勝負もしたくはない。

 

「──そんなの、分かってる。今年の昇格は無理だって理解してるわよ」

 

 オレの指摘に俯き、耳もしょんぼりとうなだれさせるダイユウサク。

 

「でも、負けっぱなしはイヤなのよ。準オープンになって、せめて一勝……来年に向けて、オープンに向けての布石にするために、今年中に勝っておきたいのよ」

 

 そう主張するダイユウサクは、悲壮ささえ感じられた。

 その姿にオレは──ある決意をした。

 

「……わかった。年内にもう一戦、予定を組む」

「え? トレーナー!?」

 

 驚いたのはミラクルバードだった。

 正式なチームメンバーではない彼女だが、今後の予定は話していた。

 その変更に、彼女は驚くが──オレは無視する。

 一方、ダイユウサクはオレが認めたために、笑顔──しかし満面のそれではなく勇ましくも、どこか辛く悲しげな笑みを浮かべる。

 

 ──その表情を、オレは危険だと思った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 阪神レース場の、走路へと繋がる通路。

 そこは観客からは見ることができない場所であり──たった今、レースを終えたウマ娘が俯き加減で歩いていた。

 4番のゼッケンをつけたそのウマ娘の順位は──その表情が示すとおり、不本意なものであり、3位。

 ターフではまだ、1位をとった眼帯をしたウマ娘が観客の歓声に手を挙げてこたえているらしく、その歓声がここまで響いている。

 レース中の反省点はもちろんあった。

 思うようにレースを展開できなかったもどかしさもある。

 そうさせてしまった自分の足への不満……

 そういったものを胸の内にモヤモヤと抱えながら歩いていた彼女は──目の前に人影を感じて、顔を上げた。

 

「トレーナー……」

 

 腕を組み、いつになく厳しい顔をした彼。

 自身の、そして自分だけが所属しているチーム《アクルックス》のトレーナーである乾井。

 その彼がなにかを言い出すよりも早く──彼女は口を開いた。

 

「ごめんなさい、トレーナー。また結果を出せなくて……でも、でもね。次は必ず……今回、いろいろ反省点は分かったし、見えてくることもあったから、年が明けて次のレースを──」

「いや……」

 

 彼は、首を横に振った。

 ……え? どういう、こと?

 気持ちが焦る。今のはきっと聞き間違いよ。そう思ってまた言葉を重ね──

 

「年が明けたら、どのレースに出るの? 格上挑戦で金杯? それとも──」

「……ダイユウサク」

 

 彼は──アタシの名前を静かに呼んだ。

 そこには、有無を言わさぬ迫力と、そこに秘められた様々な感情が感じられた。

 え? トレーナー? いったい、なにを言うつもりなの?

 次の言葉が怖い──アタシがそう感じたとき、彼はアタシの予感通り、最も恐ろしい言葉を告げてきた。

 

「──しばらく走らなくていい」

「え……?」

 

 絶句するアタシ。

 もちろん驚いた。

 次に浮かんだのは、オープンに上がらないといけないのにという焦り。

 にも関わらず、走るなという理不尽な指示に対する怒り。

 それらが一緒くたになって──

 

「なんでよッ!!」

 

 アタシは叫んでいた。

 

「あと少しで、オープンに手が届くのよ!? こんなところで、立ち止まるわけにはいかないわよ!! もっとレースに出て──」

「ダメだ」

 

 目の前に立つ人に向かって感情を叩きつけたけど──彼は静かに首を横に振った。

 そんな彼の姿に、アタシはますますカッとなって、声をぶつけようと大きく息を吸い──次の瞬間、アタシの体は彼の大きな体に包まれていた

 

「──え?」

 

 戸惑い、機先を削がれる。

 彼はアタシの体を労るように抱きしめていたのだ。悲痛そうな表情の彼の顔がすぐ近くにある。

 

「今のお前に必要なのは──レースじゃない。休養だ」

「そ、そんな……確かに今走ったばかりだから疲れはあるけど、年明けまで休めばちゃんと──」

 

 アタシが言うが、トレーナーは首を横に振る。

 

「そういう短期的なものじゃない。《アクルックス》所属になって初めて走った3月から10ヶ月、お前は休まず走り続けてきて──ハイペースで出走し続けたツケが、抜けきらない疲労が蓄積しているんだ」

「疲労? そんなの──」

 

 アタシは思わず自分の手足を確かめる。

 普通に動くし──さっきだって全力で走れた。痛みもない。体に不安なんて──

 

「お前の本来の力なら、準オープンでも十分に通じるはずなんだ。勝てるはずなのに……勝てないのはそれが原因だ」

「確かになかなか1位にはなれないけど、でも……昇格直後の10位はともかく、その後は2位を2回だったし、今回だって3位よ? 悪い成績なんかじゃないわ!」

 

 そう。手応えはあるのよ。

 だからこそ、その手応えを忘れないうちに次のレースを出て、次こそ──

 

「次こそ1着をとれるわ。そうしたら、それをきっかけに前のクラスみたいに──」

「その前に、体が壊れる」

「──ッ!?」

 

 冷たく言い放った彼の言葉に、アタシは身を震えさせた。

 

「確かに夏以降はソエも無くなった。競走ウマ娘としてのお前の体は完成したかもしれない。だが、それまでの間にさせた無理は確実に響いている。ここで休まずに走り続ければ、待っているのは……」

「そ、そんなのわからないじゃないの!! 休養だってオープンになってからでも──」

「お前だって、体を壊したヤツのことは、間近で見ていただろ!!」

 

 トレーナーの大きな言葉で、アタシは息を呑んだ。

 そう……見ていた。

 数々のウマ娘が、負傷する様子を。

 アタシ達の世代で最強と言われてるオグリキャップだって、今年の上半期は怪我の治療に専念して走ってなかった。

 去年のダービーで骨折したメジロアルダンは、一年かけて復帰したのに──この前の秋の天皇賞の出走後に再び骨折した。

 そして、アタシのもっとも身近にいたウマ娘……ルームメイトのコスモドリームは、昨年の秋に骨折して、春に復帰したけど調子が戻らず──その目処はたっていない。

 サクラチヨノオーも宝塚記念で怪我が再発。ディクタストライカも今年の春にトレーニング中に骨折、秋に復帰する予定が再発して……去年の有記念が最後のレースになってる。

 今でこそ活躍しているスーパークリークだって、去年は怪我に泣かされてダービーへの挑戦を断念してる。

 そして──コスモを応援しに行ったときに見た光景が脳裏に浮かんだ。

 

(スイートローザンヌ……)

 

 レース中に負傷した彼女の姿はハッキリと覚えている。

 だからこそリアルに想像できた。

 このままレースを重ね──その最中に自分が故障して棄権することになる光景が。

 

「……お前をそうしたくはない。前に言っただろ。黒岩に言われて勝たないといけなくなってお前が特訓しようとしたときに──」

 

 ええ、覚えてるわよ。もちろん……

 

「破滅的な勝利なら意味がない。たとえ勝てても、チームが残ってもそこにお前がいなければ、どうしようもないだろ?」

 

 背に回されていた彼の手が、アタシの両肩をつかむ。

 体は離れ、目の前にやってきた彼の顔は──アタシをジッと見つめていた。

 

「《アクルックス》には──オレには、お前しかいないんだから、な」

「──っ」

 

 アタシの目から、思わず涙がこぼれる。

 悔しかった。ランクが上がったのに結果を残せないアタシ自身に。

 腹立たしかった。今まで──今年になるまでロクに走らずにいたのに、たった10ヶ月で悲鳴をあげたアタシの体が。

 悲しかった。これからどれくらいの期間になるのか、“競走”というウマ娘の本能に刻まれた自己表現の場を失って。

 

 そして──嬉しかった。アタシを必要としてくれる人がいて、その人が本当にアタシのことを大切に思ってくれて。

 

 

 ──こうしてアタシは、長期間の休養に入ることになった。

 




◆解説◆

【ダイユウサクもかくありたい】
・大河ドラマ『独眼竜正宗』の「梵天丸もかくありたい」という有名な台詞から。
・なんで『独眼竜正宗』を採用したかは、下の方の解説を参照。
・ちなみに「憤懣(ふんまん)」とは「腹が立ってどうにもがまんできない気持ち」「むしゃくしゃする精神的状態」のこと。
・採用したのは、どちらかといえば後者で「焦燥」の類語です。
・大焦燥はもう使っていたので、今回はこちらになりました。

今回の勝利
・今回のレースは甲東特別。
・元になったのは1989年9月30日開催の阪神競馬場第10レース。
・当時は4歳以上900万以下の条件戦。
・芝なのは変わらないのですが、設立した1987年から1993年までは1400mで94年だけ1200m、以降は1600mのマイルレースに、と距離が変更されています。
・2020年は11月22日に開催。それ以外はこの時のように9月に開催されていました。
・当日の天候は曇りで、馬場は良。
・1番人気だったダイユウサクは順当に勝利。
・今回、差しの展開で勝っています。前走の結果から採用し、見事結果を出したといったところでしょうか。
・この勝利によって、ダイユウサクは900万以下から1400万以下(準オープン)へクラスが上がりました。

出走したレース
・該当するのは貴船ステークス。
・元になったのは1989年のそれで、10月22日開催。京都競馬場の第10レース。1400メートル。晴の良馬場。
・結果は本文中にあるように10位。
・その原因をクラスが上がったから、と本作はしていますが──実はこのレース、芝ではなくダート。今回の結果はその適正が無かったからなんじゃ……
・それを証明するように、以後は一度もダート戦に出ていません。(時代的にダートレースが冷遇されていた、というのもありますが)
・そもそもデビューから6戦は、5戦がダート戦(2戦目だけ芝)。初勝利こそダート戦でしたがそれ以外に1位はもちろん、2位3位も無しとあまりいい結果を残したとは言えません。
・以後、結果を残し始めたのも芝を主戦場にし始めてから。
・ちなみにデビューが1988年の10月30日でしたので、ここでデビューから約一年ということになります。
・この一年で14戦。5勝して2位も2回。
・それ以外に入賞も2回と出走レースの半分以上で結果を出しているのだから、個人的にはもうオープンクラスになっていてもいいと思うんだけど……

秋の天皇賞
・1989年の天皇賞(秋)は10月29日開催。
・オグリキャップも出ているレースなので、いずれはシンデレラグレイでもやるレースだと思うので、詳細な解説は省きます。
・出走14中9がダイユウサクの同期生。オープンクラス入りを意識しているダイユウサクには気にするな、という方が無理と言うもの。
・ちなみに結果も──1位から5位、つまりは入賞全員が同期生。
・天皇賞後はますます意識してしまうことに。

それぞれレースに出走
・11月半ばの京都レース場は比叡ステークス。
・モデルは1989年11月11日(土)の第10レース。2000mで晴の良馬場。
・結果は惜しくも2位。とはいえ一番人気のダイユサクが2着で、1着のミリオンハイラインは2番人気だったので、レース結果自体は順当の範囲内。
・ダイユウサクは、前走もですが先行のレース展開。
・しかし、逃げたミリオンハイラインに届きませんでした。
・距離も次走を含め、短距離から2000mのレースに戻しています。
・ちなみに──この翌日の11月12日に同じ京都競馬場では第10レースでエリザベス女王杯が開催されました。
・その第14回エリザベス女王杯の勝者こそ……サンドピアリスに間違いない!
・そう! 今も破られぬ……ダイユウサクも届かなかったG1単勝最高配当430.6倍を叩きだしたあのエリザベス女王杯です。
・ここで裏話なんですが──正直、サンドピアリスは本作『見えぬ輝きの《最南星(アクルックス)》』の主役の一人にしたい競走馬でして……チームメンバーに入れたかったのですが、G1取るのが早すぎるんですよね。
・この時点で彼女がG1をとってしまうとチーム初のG1タイトルになってしまい、ダイユウサクの頑張りや輝き、そしてあの栄冠が弱くなってしまうので──泣く泣くスルーしました。
・オグリのラストランにも出走しているし、出したかったなぁ!! orz
・本章がシンデレラグレイ準拠のために時系列順にイベントが発生しているのですが──本章以降は、アニメ版を見習ってウマ娘時空に突入する予定ですので、何章になるかはわかりませんが、サンドピアリスはそれ以降に登場予定になっています。
・閑話休題。
・12月頭の阪神でのレースは1989年12月3日(日)に開催されたゴールデンホィップトロフィーがモデル。
・“ホイップ”ではなく“ホィップ”です。
・……発音難しいな。
・前走もですが1400万以下の条件戦。2000mの芝。
・晴天で良馬場。結果は──惜しくも2位。
・今回も先行で道中1位になるシーンもあったのですが……後からスパートしたサツキオアシスに差し切られてしまいました。

記念
・ウマ娘の世界では『馬』の概念がないので文字がない。
・「ハーメルン」では独自のフォントで「」の文字があるので、使わせていただくことにしました。
・でも……当初は「有馬記念」は普通にこの表示だったような気がするのですが。
・そもそも有馬記念の「有馬」は当該レース設立に尽力した創設者、日本中央競馬会理事長だった有馬頼寧氏から命名されたから、それに敬意を払い、「ウマ」を指すのではなく人名由来だから「有馬記念」の文字を使う──とういことだと思っていたんですけど。
・変えてしまったら敬意も何もないような。
・ちなみにこの年──1989年の有馬記念は12月24日に開催。
・これまたオグリキャップが出走しているのでシンデレラグレイで描かれることになるでしょうし、ここでは詳細はスルーします。
・ただ、天皇賞(秋)と同じように同級生が複数出走しているし、また下の年代まで出始めているのでダイユウサクの焦りは強くなってきています。

レース
・逆瀬川ステークスのこと。ダイユウサクの第17走目。
・元になるのは1989年12月16日(土)の第11レース。1600メートル芝。1400万下の条件戦でした。
・天気は晴れの良馬場。
・レースの描写を丸々カットしたので解説しますと、まずこのレースを乾井トレーナーが選んだのは他に合う条件戦が無く、中1週になってしまったのでなるべく短い距離、ということで選択。
・で、今回も差しではなく実績のある先行を採用してレースを展開、一時はトップに立ちましたが──後方でレース展開をしていた2人に差しきられてしまい、結果は3位。
・準オープン昇格後の初勝利はまたもお預けになりました。

眼帯をしたウマ娘
・そのレースを制したのはメイショウマサムネというウマ娘。
・もはや名物でさえある、セリフのないオリジナルウマ娘の一人。
・元の競走馬メイショウマサムネは、その名が示すようにメイショウドトウと同じ馬主さん。
・その名、メイショウマサムネ=名将正宗となるバッチリな名前は、ほぼ間違いなく伊達政宗から。
・というのもこの馬もダイユウサクと同じでオグリキャップ世代。新馬年度は1987年であり──未だに歴代1位2位を争う人気を誇る大河ドラマ『独眼竜正宗』が放送されたのが1987年ですから。
・そのため、そんな独眼竜から眼帯キャラのウマ娘となりました。
・マサムネという名前だけでおいしいキャラでもっと使いたくもなるのですが──実はこの勝利がモデル馬は最後の勝利なので、おそらくこれっきりの登場。
・90年の金杯には格上挑戦しているんですけど──1年後だったら、ダイユウサクと再戦になって登場もあったのに。

ディクタストライカ
・シンデレラグレイ準拠の当作は、サッカーボーイ相当のウマ娘としてディクタストライカになっています。
・競走馬のサッカーボーイは本文中での説明通りに負傷して復帰する前に再発し──そのまま引退。結果的には前年の有馬記念が最後のレースになってしまいました。
・まぁ、シンデレラグレイでは名前も違いますし、どんな展開になるかはまだわかりませんけど……
・そういえば、ディクタさんと並んでオリジナルの名前でシンデレラグレイの中央編初期に出てきたラガーブラックことブラッキーエールさん、最近出てないけどどうなったんだろ……と思って調べてみました。
・皐月賞出走までがピークだったようで……オープンクラスなものの、オグリにペガサスステークスで負けて以降、勝ち星はありません。
・なんか──オークスに出走したのが最大の見せ場だった誰かさん(サンキョウセッツ)を思い出すのですが……
・もちろん、そこまでの成績が違い過ぎますけどね。降級せずにオープン維持もできてましたし。
・1989年11月がラストランなので、本作の現時点では引退してることになりますね。

※次回の更新は8月21日の予定です。  



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第37R 大曙光! 年のはじめの……

 年末の有記念はイナリワンが制し、オグリキャップの連覇はならず──迎えた新年。
 それをアタシは、実家で過ごしていた。

「ユウ! ぼーっとしてないで、少しは家のことを手伝いなさい!」

 母──ウマ娘であるその人に言われ、アタシは台所へ向かう。
 お重にはお節料理が並べられ、準備万端だった。これに関しては年が明ける前から準備されていたんだから当然。
 それで、母はといえば──お雑煮の準備の真っ最中。

「ほら、お重を並べたり、お皿を並べたりするくらいなら、アンタでもできるでしょ?」
「なによ。アタシでも、って……」
「料理できないことくらい、お母さん、ちゃんと分かってるわよ。まったく……寮生活って言ったって、三食ともおかわり自由の食堂があるんだもの。料理が上達するわけないものね」
「え~、え~、そうですよ。だいたい、トレセン学園はそういう為の学校じゃないんだから──」
「ふ~ん……いざってときに他の料理できる()に、意中の人の胃袋掴まれて負けて後悔しないように、ね」

 皮肉気に笑みを浮かべる母。
 そして──それに心当たりがないこともない。
 あのトレーナーの胃袋を、あのトリ娘が──

「あら、図星?」
「そんなこと無いわよ!!」
「あらあら、ムキになるところがまたアヤシいわね♪」

 ニコニコ──いや、ニヤニヤと笑みを浮かべる母に、アタシは口を開こうと──

「何ッ!? 聞き捨てなら無いぞ、ユウ! お前、いったいどこの──」
「お父さんは黙ってて!!」

 母へ向けようとした声を思わずそちらへ向けて──父は、なぜかしょんぼりしていた。
 まったく──こんなことなら実家に戻ってこなければよかったわ。
 しばらく休みだし、せっかくの年末年始だから帰省して来いって言われなかったら──

 で、それを言い出したアイツはどこで何をしているのかしら、ね。



 

 ──それよりも少し前のこと。

 

 オレは犬吠埼(いぬぼうさき)から太平洋を見つめ、昇る朝日を拝んでいた。

 1月1日。

 そう、初日の出である。

 これを拝むためにわざわざこの千葉の東の端っこまでやってきたのだ。

 

 え? ここまでどうやってきたのかって?

 もちろん、愛車に乗ってだ。

 東京の府中から千葉の銚子まで、遠いところご苦労様?

 はっはっは……それほどまでじゃあないさ。だって──途中、あるだろ? 高速道路が。

 圏央道を使って、神崎(こうざき)インターで下りて──え? お前、高速使ったら駄目だろって?

 

 フッフッフ……今年のオレは去年までの高速道路を走れないオレとは違う。

 そう! 冬のボーナスのおかげで、バイクを買うことができたのだ。

 おかげで高速道路も走ることができる──このNC750Xならなッ!!

 なにしろ排気量もおよそ6倍!

 おかげでこうして初日の出だって余裕で拝められるし、そのまま初詣だって行っちゃうぞ!!

 さぁ、行こうか。我が新たなる愛車よ──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──で、初日の出暴走してきたってわけ?」

「失礼なことを言うな」

 

 新年二日目──やることのないオレは、トレセン学園のトレーナー部屋に行ったら、そこにいた巽見と出くわした。

 新年の挨拶をお互いに済ませるなり飛び出したのが今の会話だ。

 

「ま、千葉だからな。初日の出()()だからある意味合ってる──」

「会長に言ってあげなさい。きっと爆笑してくれるわよ」

 

 にべもなく受け流される洒落。

 酒癖悪かったり、体育会系だったり、変なところでオッサンくさいくせに、こういうところだけは──

 

「……なにか?」

「別に? オレ、何も言ってないよな?」

「そう? なにか言いたそうに見えたんだけど……」

「気のせいだろ」

 

 しかも、妙なところで勘が鋭い。

 

「まぁ、そこから鹿島神宮香取神宮と初詣と勝利祈願へ行ってきたってわけだ」

「ふ~ん、先輩って意外とマメなのね。てっきり人も多いしメンドくせぇって諦めるかと思ったけど」

 

 ──やっぱり鋭いなぁ。

 正直、人手が多くて帰ろうかと思ったさ。

 さすが、どちらも全国各地にある鹿島神社・香取神社の総本山なだけはあるわ。しかも近くにあるから参拝客が分散するとかそういう訳じゃないし。

 しかし鹿島神宮も香取神宮も、戦いの神を祀っているんだから、勝負事に身を置いている身としては参拝しないわけにはいかない。

 そんな鹿島神宮には、毎年地元のプロサッカーチームが必勝祈願に来て、しかもそのチームは一度も2部に落ちたことがないというんだから、霊験あらたかだ。

 

「でも、鹿島と香取の神宮なら、私も行きたかったわ」

 

 と、巽見は残念そうに言う。

 元武道少女としては、やはり興味のあるところなのだろう。

 そんな巽見を見ながらオレは──

 

「新年早々、お前、ジャージなのな」

 

 思わずそんなことを言っていた。

 いや、だって仕方ないだろ。

 初日の出もだけど、特に初詣なんかはそんな格好で来ている人なんていなかったわけだし。

 昨日の人出に揉まれたせいで、やっぱりそれが気になっちまったんだから。

 そしてそんなオレの言葉に──巽見はジト目を向けてきた。

 

「なに? 振り袖でも着て来た方がよかった?」

 

 確かに、このトレセン学園は汚れる要素が多すぎる。だから避けるのは分かるんだが──しかしジャージは……やっぱり色気なさ過ぎだろ。

 思わずオレがため息をつきかけた、そんなところへ──

 

「……乾井トレーナー、います?」

 

 トレーナー部屋の戸がノックされ、控えめに開くとそんな声が聞こえた。

 

「ああ、いるが……」

 

 誰だろうか、と疑問が浮かぶ。

 たしかダイユウサクは先月から休養させているので、学園が冬休みに入るなり実家に帰っているはず。

 あとはこの部屋に入ってくるのなんて、巽見が担当しているコスモドリームくらいだが、オレの名前を出したのはハッキリと聞こえていた。

 

「失礼します……」

 

 そんな声がして、出入口の引き戸が開く。

 タイムラグがあって、人影が入ってくる。

 歩いている人よりも低い位置に見えた顔は──車椅子のミラクルバードだった。

 

「お……」

 

 思わず声が出る。

 彼女は──振り袖姿だった。

 

「あけましておめでとう、乾井トレーナー!」

 

 満面の笑顔で挨拶して頭を下げ──そして隣の席にいる巽見に気がついて、今度は少し落ち着いた様子で「あけましておめでとうございます。巽見トレーナー」と改めて頭を下げた。

 

「あけましておめでとう。だが……なんか、オレの方が挨拶が雑じゃないか?」

「そんなことないよ! 普段お世話になってる分、親しみは込めたけど」

 

 悪びれもなくそう言って、笑みを浮かべた。

 改めて彼女を見る。

 イメージカラーとも言うべき黄色い振り袖──正直、振り袖に目の周辺を覆う覆面(マスク)姿というのは僅かな違和感はあるが、それも些細なこと。尾羽根のようなショートポニーテールはその服装にもよく似合っているし、なによりも正月気分が盛り上がった。

 

「その服装……大変だったんじゃないか?」

「うん。去年着たものだったんだけど。シヨノ先輩がせっかくだから、と着付けしてくれて……」

 

 大和撫子シヨノロマンは、着物の着付け──それも足が不自由な相手にもそれができるほどに和服に精通しているらしい。

 そんな意外な特技に驚きながら──

 

「そうか。似合ってるぞ」

「そ、そうかな? ありがとう、乾井トレーナー! 今年もよろしくね」

 

 オレが言うと、ミラクルバードは笑みを浮かべて喜びをアピールし──両手の袖をバタバタと振る姿は、まるで鳥のようだった。

 そんなオレとミラクルバードを見ながら──

 

「……ダイユウサク、実家に帰ってる場合じゃないわよ……」

 

 巽見がなにやら呟いていたが、オレの耳には聞こえなかった。

 

 ──その後は、ミラクルバードが持ってきたお節料理を、巽見や後からやってきたコスモドリームと一緒にご馳走になったのだが……かなり美味かった。

 聞けば、なんと寮の台所を使わせてもらって自作したらしい。

 実家が料理屋で鍛えられているから、とミラクルバードは謙遜していたが、さすが栄養士やそちらの方面へ向かおうと考えているだけはあるな、と感心させられた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「トレーナー、あけましておめでとう!」

 

 1月4日。三が日を終えたその日、トレセン学園へ戻ってきたダイユウサクが、オレのいるトレーナー部屋へとやってきた。

 そして来るなり、オレに新年の挨拶をしたんだが……

 

「おう、おめでとうダイユウサク。それはともかく──」

 

 オレは訝しがるような目をダイユウサクに向ける。

 

「──お前、なんで勝負服着ているんだ?」

 

 そう、なぜかダイユウサクはウイニングライブでも、G1レースでもないのに勝負服を着て、やってきたのだ。

 オレが言うと、ビクッと肩を震わせ──そしてなぜか恨めしげな目でオレを睨んだ。

 

「なんで……って、人を不思議そうに見る前に言う言葉があるんじゃない?」

「……は?」

 

 コイツは突然、なにを言っているんだろうか?

 新年早々、勝負服を着てきたウマ娘に対してなんと言えば正解なんだろうか……オレは心の中で首を捻っていた。

 

(似合ってる、なんていまさらだからなぁ……)

 

 ウマ娘それぞれに合わせたオンリーワンの衣装なんだから、それも当然だ。

 そんな当然のことを言っても仕方がない、と判断した。

 

(だとすると、年初の決意表明──今年はG1出走しますってことか? そうなると……気合い入ってるな、が正解か? いや、待て。G1じゃなくてウイニングライブかもしれん──)

 

 オレはダイユウサクをジッと見つめ、そして──

 

「じゃあ、一曲頼む」

「誰が歌うか!!」

 

 オレの顔面に、その辺りにあったマイクが直撃した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──もちろん、マイクを投げつけられたオレとダイユウサクは喧嘩を始めたわけだが、やってきたミラクルバードが「まぁまぁ……」と間に入ってきたので、とりあえずオレは矛を収めた。

 さすがに怪我人を間に挟んで喧嘩はできないからな。

 オレがジロッとダイユウサクを見ると、あっちは「フン」とそっぽを向いた。

 アイツめ……

 

「トレーナー」

 

 そんなオレの心境を読んだのか、ミラクルバードが責めるような目でオレを見る。

 まぁ、コイツに免じて今日のところはこれで勘弁してやろう……というか、まだマイク投げつけられた痕は痛いんだぞ。

 ともあれ──オレは色んな感情を大きなため息で吐き出し──そして気を取り直して、今年最初のミーティングを始めることにした。

 

「さて、今年の目標だが……ダイユウサク、なにかあるか?」

 

 オレが話を降ると、ダイユウサクはチラッとミラクルバードに一瞬だけ視線をやり──

 

「別に……」

 

 と、人見知りを発動させる。

 あのなぁ……まだ慣れてないのかよ。9月からだから3ヶ月も経ったんだぞ。いくらチーム外とはいえ、チーム部屋に入り浸っているんだし、いい加減に少しくらいは打ち解けて欲しいと思うんだがな。

 

「なにかあるだろ。出たいレースとか……」

「いきなり言われたって思い浮かばないわよ! だいたい、レースのことを考えるなって言ったのはアンタでしょ!?」

 

 あ~、確かに。

 長期の休養をするから、レースのことは考えずに体を休めろ、とは言った。

 しかし、時と場合というものがあるだろ?

 今は年始の目標やら一年の計画を考えようというんだから、対象外だ。

 

「そもそも、レース云々よりも、今のアタシの目標は一刻も早くオープンクラスに上がること。どのレースに出るかなんてそれからじゃないと決めようがないわ」

「それは確かに、な」

 

「……早くオープンクラスになってトリ娘も追い出したいし」

 

「──んん?」

 

 ダイユウサクが小声でボソッとなにかを言ったが、聞き取れなかった。

 

「なにか、言ったか?」

「別に……早くオープンクラスにならないと、って言っただけよ」

 

 なるほどな。

 去年の秋に理事長から聞かされた「1チームにオープンクラス1人以上」という新ルール。その適用時期は未だに発表されていないが、春の新年度からというのが一番あやしい。

 それを考えれば、それまでにオープンクラスになっておきたいところだが……

 オレがそれを考え込んでいると、微妙な顔で苦笑しているミラクルバードが目に入る。

 

「……どうかしたか?」

「あはは……いやまぁ、ちょっと、ね」

 

 耳をピクッと動かし、ミラクルバードは誤魔化すように笑った。

 う~む、しかし春──4月までにオープンか……

 

「ミラクルバードはどう思う? 4月までにオープンクラス入りについて」

「えっと……正直な話をしていいの?」

 

 彼女の言葉でオレはチラッとダイユウサクを見た。

 視線こそ向けていないが、しっかり耳は向いている。

 

「構わない。年初の今年の計画作りだ。忌憚のない意見が聞きたい」

 

 というのも、オレはミラクルバードの目や勘を信用しているからだ。

 明るく楽観的な雰囲気で、軽い言動から頭が良く見られていないような節がある彼女だが、実は競走に関しては間違いなく勘が冴えているし、驚くほどにクレバーだ。

 その知識や勘は、確かにスタッフ育成科でも十分に役に立つと思える。

 だからこそ、彼女の意見が聞きたいと思った。

 

「……うん、わかった。じゃあ言うけど──4月までに昇級するどころか、半年くらい休むべきだと思う」

「なッ!?」

 

 驚いて声を上げたのはダイユウサクだった。

 思わずミラクルバードの方を見て──その表情が見る見る険しくなる。

 

「なに言ってるのよ!! それじゃあ間に合わない可能性が高いでしょ!!」

「うん。でもね……やっぱり去年の負担は体に響いているんだよ。理想は半年くらい体を休めて、負傷に至っていない体のダメージを癒してから、準オープンを勝ち抜いてオープンを目指すべきだとボクは思う」

 

 やはり、クレバーだと思った。

 それは、オレの考えていた理想的な計画も同じだったからだが……ダイユウサクは納得しないだろうと思っていた。

 そして案の定、ダイユウサクは不満を爆発させている。

 

「分かってるの? いつチームに1人はオープンクラスが必須になるか、わからないのよ? 少なくとも、春までには絶対に動きがあるはずよ。それに間に合わない──」

「春戦線の頭に復帰したところで、今の成績からだと4月にオープンクラスになるのには間に合わないよ。それならいっそ半年体を休ませ、秋の重賞戦線までにオープンを目指す方がいいと思う」

 

 まさに忌憚のない意見を言うミラクルバード。

 そしてそれはダイユウサクの心を深くえぐる。

 

「そんなの……アンタがウチのチームに入りたいだけじゃないの!」

「バカにするなッ!!」

 

 苦し紛れにダイユウサクが言った言葉に、ミラクルバードは苛烈な反応を見せた。

 

「ボクは確かに一度のレースの失敗で怪我をしてこんな有様だよ。でも──いや、だからこそどんな経緯であっても怪我をして、夢をあきらめるようなウマ娘を生みたくはないんだ。それはもちろんダイユウサク……キミもそうだ」

 

 そう言ってダイユウサクを見つめるミラクルバードの目は悲しげだった。

 

「それなのにキミは──キミの目標はこの《アクルックス》をソロチームとして持続させることだけなのかい!? だとしたらなんて狭い了見なんだ。見損なったよ、正直……」

 

 それから彼女はオレへチラッと視線を向ける。

 釣られてダイユウサクもオレを見るが──ミラクルバードが話を続けた。

 

「少なくともトレーナーはもっと先を見ている。ボクはそれがわかる。だからこそ、そんなつまらないことにこだわるのが信じられないんだ。トレーナーと同じものが見られないのだとしたら……キミは乾井トレーナーに相応しくない。キミこそチームを去りなよ!!」

「なッ!? アンタ!! 言わせておけば──」

「止めろ、ダイユウサク! ミラクルバードも言い過ぎだ!!」

 

 車椅子のミラクルバードにつかみかかろうとするダイユウサクを、オレは慌てて間に入って止める。

 ご存知のように、ウマ娘の方が人間の男よりも身体能力が高い。

 そのため、彼女を止めるのには非常に苦労し……一歩も引こうとしない態度を貫き続け、けっして謝らないミラクルバードの頑なさにも困惑しつつ、オレはどうにかダイユウサクを止めるので精一杯だった。

 

「いい? これからオープンに上がるのは4ヶ月じゃ無理。これは覆せない。それならどうするかを──」

「覆してやろうじゃないのよ! オープンクラスになってやるわよ!!」

「違う。覆すのはそっちじゃない……」

 

 ミラクルバードは首を横に振る。

 そして言った。

 

「1チームにオープンクラスが1人以上必要になるっていう方を覆すのなら、4ヶ月あれば何とかなるかもしれないと思うけど?」

 

 そんなミラクルバードは、不適な笑みを浮かべている。

 それを──オレとダイユウサクは驚いた顔で見ていた。

 




◆解説◆

【年のはじめの……】
・正月にテレビをつけているとだいたい流れる歌詞。
・「一月一日」という曲の歌いだし部分です。
・なお「年のはじめのためしとて」の「ためし」は「試し(ためし)」ではなく「(ためし)
・ですので「正月から挑戦してやるぜッ!」という野心的な歌詞ではなく、「毎年恒例の──」という意味。
・なお、「曙光」は夜明けの太陽光のこと。また「前途に見えはじめた明るい兆し」という意味でもあります。
・そして、史実的には1990年の年の始まりとなります。

イナリワンが制し
・1989年の有馬記念を制したイナリワン。
・その勝ち時計はレコードタイムで、2分31秒7を出しての優勝でした。
・それが破られる前の記録は2分32秒8。これを出したのは……1984年のシンボリルドルフ。さすが会長。
・5年間破られなかった記録でしたが──今回の記録は翌々年に破られます。
・そしてその記録は12年間破られなかった大記録ですが、それを出したのは……本作を読む方なら皆さんご存じかと思います。

犬吠埼(いぬぼうさき)
・千葉県銚子市にある、関東平野最東端の岬。
・岬には犬吠埼灯台があり、高台なために絶壁の上にある。
・ちなみに日本本土の最東端は北海道の納沙布岬。
・島も含めた日本の最東端は南鳥島。東京都なので関東の最東端とするとやっぱりここになってしまう。
・本州の最東端となると、こちらは岩手県宮古市の(とど)ヶ崎が該当。
・犬吠埼がなぜ初日の出のメッカになっているかといえば、高地を除いた日本本土で最も早く日の出を迎えるから。
・納沙布岬は東経145°49′で犬吠埼(東経140°42′)よりもだいぶ東にあるものの、南にある関係で犬吠埼の方が日の出が早い。
・一番といっても──東京に比べて4分だけですけどね。
・ちなみに納沙布岬の日の出は千葉市と同じくらいで、犬吠埼とは3分差。
・もちろん南鳥島の方が初日の出の時刻は早く、なんと50分近くも早いんですが──南鳥島は一般人の立入禁止で、普通の人が一番早くみられる場所は母島(東京都)。
・豆知識ですが──東映の映画の最初に流れる、岩に波が打ち付けて「東映」の文字がバーンと出るあのロゴですが、あの撮影場所は犬吠埼だそうです。

NC750X
・ホンダの大型バイクで、NCシリーズの一つ。排気量は745CC。
・NC750シリーズはクロスオーバータイプの「X」とネイキッド型の「S」があり、それ以外に「L」がある。
・実はこのNC750シリーズ、最近になって大型自動二輪免許をとった人は乗った経験のある人の割合が意外と多い。
・というのも──さっきの「L」型というのが教習車仕様だから。ホンダとしてはCB750Lの後継で、書いてる人も教習所でもお世話になりました。
・NC750Lに乗った感想としては「ギヤがニュートラルにとにかく入らない」という印象でしたけどね。全然入らなくて、エンジン切ってからギヤ操作してニュートラルにするのが常態化してました。
・実は、NCシリーズはもともとNC700シリーズがあったのですが、この教習車仕様車のためにNC750シリーズに変わったという経緯があったりします。
・大型自動二輪教習用の車両は「排気量が0.7リットル以上」という規定があったため、排気量を669CCだったのを745CCにするため、NC750シリーズが生まれたのです。
・さて、そのクロスオーバー型であるNC750Xを乾井トレーナーが選んだ理由は次の通り。
・まず、大型にしてはリーズナブルな価格。
・新車販売価格の希望小売価格が100万を切っています。モデルチェンジでなくなってしまっているネイキッドのS型に至っては、フルカウルの250CCと同じくらいだったほど。
・そして低燃費。
・WMTCモード値で28.3㎞/ℓ。実際に乗っていても信号が少なかったり速度次第ですが30㎞/ℓくらいになることもあったりします。
・そして一番の理由は──なぜかあるメットイン。
・乾井トレーナーがハンターカブをトレーニングで使い、ダイユウサクの長距離走の随走したとき、帰り道に疲れたダイユサクが強引に乗ろうとして「メットがねえから乗れねえだろ!」と却下したことがありました。
・おかげでダイユウサクは新しいバイクに「アタシのヘルメットも乗せなさい!」と我儘を言っていました。
・とはいえ──普通、メットインがあるのはスクーター型。しかしスクーター型は好きではない……というわけで、メットインのあるバイクであるNC750が選ばれました。
・なお、通常のバイクは燃料タンクの部分がメットインになっているので、給油口が後部座席を上げたところにあるという変わった仕様になっています。
・その中で、アドベンチャー型のバイクが好きな乾井トレーナーは「S」ではなくクロスオーバータイプの「X」を選んだのです。

鹿島神宮
・茨城県鹿嶋市にある、全国に散らばる鹿島神社の総本社。
・「鹿島市じゃないの? オイオイ、誤字じゃないか」と思った皆さま、残念ながら鹿()市で合っております。
・「そうはいってもアントラーズだって“鹿島”じゃん」と思いそうですが──
・鹿嶋市というのは1995年に鹿島郡鹿島町と大野村が合併で誕生したのですが、市町村名のうち市の名前だけは原則重複不可で、例外として既存の市の許可があれば重複OKだそうなんですけど……
・その時点で佐賀県に鹿島市があったので、「鹿島市」の使用を打診したところ「間違える可能性があるのでダメ」と、隣接どころか九州と関東でどう間違えるんだ!?という理解しがたい理由で却下されました。
・ひらがなやカタカナでの市名も考慮しましたが文献に「鹿嶋」の使用例がある、ということで、若干、無理矢理に「鹿嶋市」が誕生しました。
佐賀県の鹿島神社は全部名乗ることを許さずに「鹿嶋神社」に改名させればいいのに、と思うほどに、個人的には憤っているポイントです。
・さて、肝心の鹿島神宮ですが、主祭神は武甕槌大神(タケミカヅチノオノカミ)。香取神宮ともども武神を祭ることから武道で篤く信仰されています。
・正面の大鳥居から境内に入ると、すぐに楼門、そして社殿とあります。駐車場からだとかなり近いです。
・その社殿は、徳川秀忠の命で造営されたもの。
・社殿の奥には雰囲気のある鎮守の森を抜けた先に“奥宮”や“要石”があります。
・奥宮は関ヶ原の戦いに際して必勝祈願し、実際に勝利したので、そのお礼として本殿を奉納したのを、秀忠の代で社殿を新しくしたので、現在の位置に遷したもの。
・ちなみに──鎮守の森には金網に囲まれた施設があり、そこには鹿園があります。
・この鹿──古代からこの地にいまして、奈良公園の鹿は春日大社を建立する際に、祭神を同じくするこの鹿島神宮から神使として連れて行った鹿の子孫だそうな。
・神宝として「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」があって、有料で公開されていたり、となかなか中二心を刺激する。

香取神宮
・千葉県香取市にある、全国に散らばる鹿島神社の総本社。
・主祭神は経津主大神(フツヌシノオオカミ)。剣の神であり軍神。鹿島神宮ともども武神を祭ることから武道で篤く信仰されています。
・ここにも“要石”があり、地震を起こす大鯰を、鹿島神宮のそれと合わせ、頭と尻尾をおさえているんだとか。
・どちらの要石も、掘り起こそうとしたけど埋まっている先が見えなくて掘り起こせなかった、というエピソードが残っています。

地元のプロサッカーチーム
・言わずと知れた『鹿島アントラーズ』のこと。
・数多いJリーグのクラブの中でも、創設時からの加盟チームであるオリジナル10の一つ。前身は住友金属工業蹴球団。
・茨城県の南西部、鹿行(ろっこう)地区の5市──鹿嶋市、神栖(かみす)市、行方(なめがた)市、潮来(いたこ)市、鉾田(ほこた)市をホームタウンとする、茨城県が誇るJリーグチーム。
・……え? 水戸ホーリーホック? J1で待ってるから早く上がってきてくれ。
・というように、オリジナル10の中でも(2021年現在まで)一度もJ2に落ちたことがないチームの一つでもあります。
・今でこそ、そのような強いチームですが──唯一のJSL2部からの参加となったために、Jリーグ創設時には弱小チーム扱いされていました。
・それどころか──Jリーグ発足する前の準備期間にはJSL2部所属で天皇杯優勝経験もなかったために川渕チェアマンから鹿島町長や住金幹部は「住友金属さんが加盟できる確率はほとんどゼロなのです。99.9999%無理ですよ」と言われてしまう。
・しかしそれにチーム関係者は──「じゃあ、0.0001%あるんですね!」と返す。
・川渕チェアマンは、当時の日本にはなかった観客席に屋根の付いた1万5千人収容のサッカー専用競技場の建設を条件に出し、諦めてもらおうと思ったら──
・──なんと茨城県が建ててしまった。これが現在の茨城県立カシマサッカースタジアムである。
・それが決定的となり、鹿島アントラーズはどうにかオリジナル10に滑り込むことができたのでした。
・なお、このスタジアムは日韓ワールドカップでも東京オリンピックでも使用されました。
・どうにかJリーグ開幕に入ったアントラーズですが、下馬評は最悪。予想では最下位──優勝はヴェルディ川崎(当時)か浦和レッズだと言われていたのですが……
・ブラジルからやってきた英雄、ジーコのおかげで意識改革や実力の向上があり、見事に開幕シリーズである1993年の1stステージを制覇という二度目の奇跡を起こしたのです。
・……ちなみにその下馬評が高かった浦和レッズが最下位に……Jリーグ初期の浦和は今では考えられないほど成績悪かったんです。
・後期を制したヴェルディに負けて、初代年間王者はヴェルディだったのですが……こちらは逆に、今では考えられないくらいに低迷中。
・一方、アントラーズはこの開幕直後の盛り上がりによって「鹿島=サッカーの町」として定着し、鹿島アントラーズも日本代表に選ばれる選手を抱えるような、現在の強いチームになっていったのでした。
・なお、鹿嶋市のイオンにはジーコの像が建立されています。
・なんか100年後くらいには「サッカーの神様」として鹿島神宮に合祀されて、祀られていそうですけど。

ミラクルバードの目や勘を信用している
・ミラクルバードは優れた成績を残して、強くもあったのですが……レースについて目端がきくという、スタッフ向きの能力も持っています。
・というのも原作では──主戦騎手が若く未熟でロクに勝てなかったのが、ミラクルバードに騎乗するようになってから勝てるようになり、その騎手は「ミラクルバードに育てられた」と言われ、実際に本人もその自覚があったとなっています。
・そこから、自分が競走するだけでなく、育てる才能を持ったウマ娘という設定になっています。
・秋以降、補佐をしてくれているのでトレーナーはそのことに気がついており、彼女を信用しているのです。
・ただ実際には、原作の主戦騎手は同期で活躍している騎手を見て、それに感化されてより真摯に競馬に向かい合い、研究熱心になったという側面も大きいようです。
・それも含めて、ウマ娘のミラクルバードも研究熱心な性格になっており、やはりサポート向きの能力になってます。


※次回の更新は8月24日の予定です。  



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第38R 大捜査! さすらいウマ娘旅情編

 
「──って、わけなんだよね」

 ボクは後輩である彼女に、そんな世間話をしていた。
 去年の皐月賞で大怪我をして、車椅子生活になったボク。
 そんなボクを心配してくれる心優しい後輩に──ボクは最近、親しくさせてもらっているチームの話をしたんだ。
 信頼しあっているウマ娘とトレーナーが二人三脚で頑張っているチーム。
 そんなチームに降りかかった困難──1チームにつき1人のオープンクラスが必要になるって話を聞かせたら、彼女はジッと黙って、なにやら考えて込んでいる様子だった。

「その話……妙ですね」
「妙? おかしいってこと?」
「ええ。黒岩理事は父とも知り合いですし、その関係で私も存じ上げていますが……合理的な方ですけど、その発案はどうにもあの方のものではないように思えます」
「……オーちゃん、どういうこと?」

 思わずオーちゃん──その黒髪のウマ娘に問い返してしまう。

「なんと説明すればいいか……どうにも、黒岩理事の考え方では無いように思えるんです」
「そう? 合理的な人なんでしょ? その人──」

 乾井トレーナーも、ダイユウサクもそう言ってた。
 前にチーム存続の危機になったときには、「結果を出していないチームを潰す」って言って《アクルックス》が標的にされたみたいだし。

「合理的な人が理事長の座を目指すのに、現理事長が目をかけているチームを潰すという回りくどい手を使うでしょうか? それが秋川理事長の致命傷になるとは思えませんし」
「あ……」

 確かに、言われてみれば──
 ということは、ボクら……ううん。乾井トレーナーやダイユウサク、それに理事長達は最初から勘違いをしていたのかもしれない。
 その前提からして、間違えていたのだとしたら──



 

「──オイ、大丈夫か? 大丈夫か、ミラクルバード?」

 

 体を揺さぶられて、ボクの意識は覚醒していく。

 なんだろう、ひどく気分が悪い。

 なんか血の気がひいているっていうか、寒気がするっていうか……

 

「顔色、真っ青じゃないの? 大丈夫? 安心沢先生を探してきた方が──」

「だ、大丈夫ッ、だよ!!」

 

 ボクは慌てて体に力を入れて、身を起こした。

 無理をしたせいで頭がクラッとしたけど──大丈夫。あの謎の針をブスッとやられるくらいなら、多少の無理くらい……

 そう思っていると、心配そうにのぞき込んでいた乾井トレーナーが優しく肩に手を置いてくれた。

 

「まだ顔色悪いぞ。無理すんなよ」

「そうよ。でもいったい……なにがあったの?」

 

 その背後から心配そうな目を向けてくれるダイユウサク。

 うん。この前は少しケンカみたいになっちゃたけど。やっぱりトレーナーが言うとおり、根はいい人だよね。

 

「ああ、この映像を見ていたら急に震えだして──」

「え? それってアタシの初勝利の……って、当たり前じゃないの!!」

 

 突然、ダイユウサクがトレーナーの頭をその手でスカーンと叩いた。

 思わず前のめりになってボクの方へ突っ込んでくるトレーナー。

 それを慌てて受け止め──

 

「だ、大丈夫? トレーナー」

「あ、ああ……なんとかな。というか、ダイユウサク、お前いきなりなにやって──」

「なにやってんのよ、はアタシの台詞よ!! アンタ、なんてものをミラクルバードに見せてるのよ!?」

「あ? お前の初勝利のレースだけだぞ? 安心しろ、ウイニングライブまでは見せてない」

「プッ──」

 

 ゴメン、思わず吹いちゃった。

 

「ちょ!? アンタ、なんてことを──というか、バード。アナタも知ってるの、ね?」

 

 うん。ブームになった当時は意識無かったけど、入院中にその映像はしっかり見させてもらったよ。

 あの──伝説のライブの映像は。

 

「うん。まぁね……入院中、ヒマだったし。つい……」

 

 思わず視線を逸らしながら言ってしまう。

 

「うぅ~、まったくなんなのよ、もう!! せっかく心配したのに、する必要ないじゃない!!」

 

 そう言って、ダイユウサクは腹いせに、もう一度トレーナーの頭を(はた)いた。

 

「痛ッ! お前な……ポンポンポンポンとオレの頭を殴るな!」

「うっさい! 少し叩いた方がちゃんと働くんじゃないの? まだ気づいていないんでしょ? ミラクルバードが何で気分が悪くなったか……」

 

 ダイユウサクはジト目で睨み、それから呆れ顔になって声を潜めながらトレーナーに言った。

 まぁ、声を潜めても聞こえるんだけどね。

 

「思い出しなさいよ。アタシの初勝利は皐月賞の当日で……」

「あ……そうだったな」

「ち、違うよ! さすがに日にちが近いからってだけで、そうはならないよ」

 

 ボクは慌てて否定する。

 そう、確かにあの映像を見て、ボクはあの日のこと──皐月賞での大事故を思い出したんだ。

 でも理由が違う。

 なぜなら、ボクが見ていたのは──

 

「このシーンを見て、思い出しちゃったからだよ」

「んん?」

 

 トレーナーとダイユウサクが覗き込むようにして画面を注視する。

 それは──

 

「ダイユウサクがトップになったときか?」

「無我夢中だったけど──前をずっと走ってたのを抜いたんだっけ……」

「そう……この抜かれる瞬間なんだけど──」

 

 思わず巻き戻し、そうしてまた再生する。

 ダイユウサクが前走者に並び、そして一気に抜く。

 その瞬間──

 

「なんか、このウマ娘が──横によれてぶつかりかけて見えて、そのせいであのときのことを思い出しちゃったんだ」

 

 今のシーンを見ても、寒気がした。

 思わず自分の肩を掴んで抱きすくめると、自然と震えがくる。

 それに気がついたトレーナーが、ボクの頭の上に手をポンと乗せてくれて──「悪かったな、思い出させちまって」と謝ってくれる。

 それだけで、心が落ち着いて──ボクはホッとできた。

 そしてトレーナーは、ボクの視界から画面をふさぐように立ってから、ダイユウサクと共にその映像を確認していた。

 

「う~ん……言われてみれば……そう、かもしれないわね」

「……実際、あのときはどう感じたんだ?」

「一着でゴールすることしか頭になかったから、覚えてない」

 

 それからトレーナーはジッと画面を注視し、何度も巻き戻したり再生を繰り返して──そして、うなずく。

 

「うん。確かに……コイツはよれてダイユウサクにぶつかりそうになった……というよりは、故意にぶつかりに行ったのに、ダイユウサクの加速についていけず失敗した、ようにオレには見えた」

「え? そ、それって……」

「ああ、それこそ大惨事になりかねないような、とんでもないことだ」

 

 故意にぶつかって妨害するなんて──ボクは改めて自分の体が震えるのを感じていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──さて、幸いなことに、チーム唯一の競走ウマ娘であるダイユウサクが休養ということで、やることが無く時間だけは有り余っていたオレたちは、そのことを調べ始めていた。

 

 ただまぁ……

 

「ダイユウサク、お前は行くところがあるから、そっちへ向かうこと。調べるのはオレに任せておけ」

「え? どこよ、それ」

 

 戸惑った様子ではあったが……チーム唯一の競走ウマ娘が最優先するべきなのは、競走──中央(トゥインクル・シリーズ)での勝利。

 それは分かってくれた様子で、学校が始まる前に学園外の施設へと出かけていった。

 

 そして残ったオレは──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ちょっといいか、そこのウマ娘……」

 

 あるウマ娘に声をかけていた。

 が、彼女はオレをチラッと一瞥したが、まるで自分のことではないかのようにスタスタと歩き去っていく。

 

「オイオイオイオイ、ここにウマ娘は一人しかいねえだろ」

「……あ、私のことでしたか?」

 

 それでも足を止めず早足で歩く彼女に、オレはあわてて追い縋る。

 

「ちょっと聞きたいことがあるんだ、リュウジョウガイド」

「そうですか、私にはありません」

 

 なおも足を止めずに去ろうとするそのウマ娘。

 その彼女に──

 

「──ちょっとだけ時間をいただけませんか、先輩」

 

 前を立ちふさがるウマ娘。

 しかも車椅子でそれをすれば、占有する幅も大きく行く手を遮るのは十分だった。

 オマケに少し強引にでも通り抜けよう、という意識を阻害させる。

 もちろんそれでも強引に突破するヤツはいるだろうが、そういうのは口を割らないか、割らせるのにとんでもない苦労がかかる。

 そういうのはハナから諦めて、聴取できる相手から聞くから絶対に無理に追ったり阻んだりするな、とアイツにはよく言い聞かせてある。

 

「……ミラクルバード」

 

 彼女の姿を見て、リュウジョウガイドがやっと足を止めた。

 そしてさも面倒くさそうに大きくため息をつく。

 

「いったいなにが聞きたいのでしょうか? あなた方に尋問される覚えはありませんが。特に車椅子のあなた……」

「オレが訊きたいのは、去年のレースのことだ。ウチの──《アクルックス》所属のダイユウサクが勝った新潟のレース……」

 

 4月16日開催の新潟第7レース。

 ダートの1700と告げると──無感情で反応が薄かった彼女の表情が少し動いた。

 

「……覚えているな?」

「ええ……まぁ。入賞もしましたし、それに──あのウイニングライブは良く覚えていますから。伝説の号泣ライブでしたし」

 

 皮肉を込めた返しである。

 つくづくダイユウサクをつれてこなくて正解だったと思う。今の台詞を聞けば、間違いなく逆上していたところだろう。

 

「なるほどな。あの困り果ててたメンバーのうちの1人だったな、そういえば」

 

 オレが苦笑混じりに返すと、相手は無感情にこちらをチラッと見てきただけだった。

 

「その通り、そのレースだ。それで、お前に訊きたいのは……あのレース、故意にぶつかろうとしただろ? ダイユウサクに」

「あぁ、そのことですか……」

 

 リュウジョウガイドは心当たりがあるような口振りで答え──

 

「それについては黙秘します。なにも答える気はありません」

「え──ッ!?」

 

 驚いて、唖然とするミラクルバード。

 だが──オレは、一筋縄じゃいかない相手だと思っていたので、そこまで取り乱さなかった。

 冷静に再度尋問をする。

 

「──とぼけても無駄だぞ。あのレース後、お前は他のウマ娘と口論になっている。それを見ていた目撃者がいたからな」

「そうですか……しかし、それに関係なく、私はその件についてなにも話す気はありません。どんなに決定的な証拠であろうとも、私は黙秘します」

「……もし、ぶつかっていたら大惨事になったかもしれなかったのに?」

 

 そう言って責める目で見るミラクルバード。

 車椅子から立ち上がれない彼女が睨め上げるようにして向ける視線は、やはり効果は大きい。他の誰の言葉よりも、身につまされるだろう。

 さしものリュウジョウガイドも、僅かに眉をひそめた。

 

「そうですね。そうなればあなたのように車椅子生活を余儀なくされていたかもしれませんね。私か、ダイユウサクか……それとも、両方か」

「アナタが想像している以上にツラいよ、この生活は」

 

 自嘲気味に苦笑するミラクルバード。

 あの底抜けに明るいこいつがそんなことを言うなんて、オレは少なからず驚いた。普段はそれを隠しているってことだからな。

 オレがミラクルバードを驚いて見ていると、リュウジョウガイドはついにため息をついた。

 

「この人を連れてくるなんて卑怯──と言いたいところでしょうね。それを本当にやったのなら」

 

 む?

 まだ観念して自供しないのか、とオレは思った。

 そんなオレの表情変化を見たのか、リュウジョウガイドは淡々と告げる。

 

「たとえ、何をされようとも私はなにかを証言するつもりはありません。というよりは──できないんです」

「なに?」「え?」

 

 オレとミラクルバードが困惑していると、彼女は感情に乏しい目で言う。

 

「そういう約束で私は協力しました。いまさらどんな形であれ、裏切るわけにはいきません」

「けどッ──」

 

「──裏切れば、私の競走人生はそこで終わります」

 

 なにか言いかけたミラクルバードの言葉を遮って、彼女は自身に課せられた枷をオレ達に示した。

 

「一応、言っておきますが、私のことを守るからどこかで証言しろ──というのは無意味な提案ですからね」

「こちらに理事長がついている、としてもか?」

 

 現時点では空手形だが、あの理事長なら彼女のことを守ってくれると信じて提案したが、リュウジョウガイドは首を横に振る。

 絶対の安全が保証されていても──というよりは、純粋に関わりあいになりたくない、というのが本音だろう。

 なにより、彼女はなにかしたわけではない。結果的にはダイユウサクと衝突もしていないし、他のウマ娘へも含めて進路妨害もしていないのだから。

 

(それがネックだったんだが……やはり押しが弱いな)

 

 ミラクルバードの事故の影響で、衝突に繋がるような危険行為への注意や措置は厳しくなっているが、それでも彼女が「あのときに少しバランスを崩した」と言われればその通りに見えるし、故意を証明することはできない。

 だが、後で故意が証明されれば立場が悪くなるのは間違いない。オレはそれを言おうと──

 

「……でも、あの人なら答えてくれるかもしれません」

「あの人?」

「私ともめていた人ですよ」

 

 オレの問いに振り返ることなく、彼女は答える。

 これは……脈ありか? だが、その相手が誰か、まだ調べる前だった。

 

「しかし、それが誰だか……」

「──メヒコギガンテ」

 

 彼女の呟きに驚く。

 

「え……?」

 

 まさか、名前まで……と思ったが、彼女は何事もなかったかのように、背を向けて歩き出す。

 これ以上は、答えない。

 その背中からは確固たる意志が伝わってきた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──言われてみれば、そういう名前のウマ娘も出てたかも」

 

 福島県のいわき市──そこにあるURAの施設で療養中のダイユウサクは、施設の食堂で鍋をつつきながらそう言った。

 ピコピコと箸を動かすその姿にはオレも行儀が悪いと眉をひそめたが、彼女はそのときのことを思い出そうとしている様子だったので、その邪魔にならないように注意はしなかった。

 

「出走表を確認したが、間違いなく出走していた。5位だったウマ娘だが……」

「覚えてないわね。あのときは無我夢中だったし、いろいろ精一杯だったし──」

「──号泣するくらいにな」

「ぅぷッ」

 

 鍋から取り出した具に舌鼓を打ちながら、半ば無意識で言うオレ。

 その隣で鍋に夢中になっていたミラクルバードは、思わず吹きそうになり──どうにかこらえてせき込む。

 ──そこへ風を切る音と共に鍋のフタが襲来し、オレの顔面に直撃した。

 

「ッ!!」

「と、トレーナー!?」

 

 そのまま後ろへ倒れ込むオレ。

 その姿に驚くミラクルバード。

 そして、こめかみに青筋を立てながら笑顔を浮かべているダイユウサク。

 

「なにか、言った、かしら?」

「ダイユウサク、さすがにこれはちょっとヒドいよ~」

「いいのよ、これくらい。こんなことで死ぬようなタマじゃないでしょ」

 

 憤然としながら、鍋の取り皿に意識を戻すダイユウサク。

 一方、ミラクルバードがハラハラしながら見ている中、オレはゆっくりと身を起こす。

 

「ただ、問題があってな……」

「何事もなかったかのように話を続けるの!?」

 

 驚くミラクルバードを余所に、オレは小さくため息をついた。

 

「肝心のメヒコギガンテなんだが……行方が分からん」

「行方不明? なんで? トレセン学園にいるんじゃないの?」

「いや、あのレースから2戦後に初勝利を挙げたんだが……そのまま引退していた」

「「え?」」

 

 ウマ娘二人が、思わず驚いて声をあげていた。

 そして訝しがるように眉をひそめたのはダイユウサクだった。

 

「せっかく初勝利をあげたのに?」

 

 そこに至るまでに苦労したからこそ、ダイユウサクにはそれがおかしく感じたのだろう。

 そして──そこから今まで走ってきたからこそ、それを勿体なく思っているのがわかった。

 

「う~ん、そのレースでなにかあったの? ケガしたとか」

「わからん。が……レースを見た限りでは負傷した様子は感じられなかったし、担当していたトレーナーにも訊いたが、ケガで辞めたわけではなかったらしい」

「じゃあ、なんで?」

「……まぁ、初勝利までだいぶ時間がかかっちまっていたからな。ダイユウサクよりも二つも歳が上だったし」

 

 にもかかわらず未勝利どころか初出走だった。何か事情があるんだろうが……その年齢で、まだ初勝利なら引退するのも無理はない。

 むしろよくデビューしたな、というレベルだ。

 オレは遠い目をして──取り皿から食材を口へと運ぶ。

 そしてモグモグと咀嚼した。

 

「向こうのトレーナーは、自分の才能の限界を感じていたのかもしれない、って話していたけどな。一勝できたことで踏ん切りがついたんじゃないか、って……」

「なるほどね。最後に思い出ができたから、それで引退、と」

 

 うんうん、と頷くミラクルバード。

 しかし、コイツにとっては逆に疎遠な感覚なんだろうな。あまりそうは見えないが、デビューから4連勝。負け無しでクラシックレースに挑んだエリートだもんな。

 肝心の皐月賞であんなことになっちまったが……

 

「──そうかしら?」

 

 そこへ、疑問を口にしたのはダイユウサクだった。

 ミラクルバードの方さえ見ずに無心で鍋をつつきながら言った彼女に、ミラクルバードは首を傾げる。

 

「どういうこと?」

「長年望んで、ようやく勝利をつかめたのよ? ケガでもしていなければ、さらにもう一勝って思うんじゃないかしら」

「う~ん……でも、今までがんばってきたのを、さらにがんばろうっていうのは辛いんじゃないかな?」

「せっかく()()()()()のよ? ランクが上がるわけでもない。今の実力なら他にも勝てるかもしれない、と考えるんじゃないかしら? 負けたのならもっとがんばらないといけないけど、勝ったんだから──」

「ああ、そっか……」

 

 なにやら二人で話しつつ、鍋をつつきあっている。

 

「オイ、お前ら。話し合うのはいいが、ハイペースで鍋を食べすぎだぞ。オレにも──」

「はいはい、じゃあ具を追加で頼めばいいじゃない」

「そうだね。仲居さん呼ぶよ……」

 

 そう言ってミラクルバードは振り返り──手を振って係の人を呼んでいた。

 それを横目で見ながら、オレは話を元に戻す。

 

「ま、ここで言っていても、真相はわからんがな。それこそ本人に訊かないと」

「そうよね……でも、引退した後の足取りは分からないんでしょ?」

 

 ダイユウサクの問いに頷く。

 

「ああ。キチンとした名目のある調査や捜査なら別だろうが、引退したウマ娘の個人情報なんて、簡単に教えてくれるわけがないからな」

「ああ、そういうことね」

 

 オレ達がやっていることは、あくまで個人的な調査でしかない。

 何の権限もないのだから、調べられることにはもちろん限界があった。

 

「……まったく、どこにいったのよ。メヒコギガンテは!!」

 

 やけっぱちになって出したダイユウサクの大きめな声。

 それになぜか──

 

「──あん? オレ様がどうしたって?」

 

「「「──え?」」」

 

 ──反応があって、オレ達は驚いてそっちの方を見た。

 視線の先には──保養所らしく和服で給仕をしているウマ娘の姿があった。その手にはさっき頼んだ追加の具が乗った皿がある。

 ……まぁ、給仕という割には、なぜか妙な貫禄と、ちょっとぶっきらぼうそうな雰囲気を持っていたが。

 

「……って、オマエら、誰だ?」

 

 思わず顔を覗き込んできたそのウマ娘は、まずオレを見て──それからダイユウサクを見て固まる。

 

「んん!? オマエはまさか!?」

 

 驚く彼女。一方、ダイユウサクは──

 

「誰?」

 

 本気で眉をひそめている。

 そんな姿に、オレとミラクルバード、それにメヒコギガンテは思わずその場で脱力してズッコケた。

 

 

 ──何の偶然か。なんとメヒコギガンテはこの保養所で働いていたのだ。

 




◆解説◆

【さすらいウマ娘旅情編】
・今回、推理&捜査パートなので、刑事ドラマのタイトル「さすらい刑事旅情編」から。
・今も続くテレビ朝日水曜21時枠刑事ドラマの初期の作品で、1988年から7年間放送されました。
・2クールで、秋から冬にかけての半年を担当。現在の「相棒」もかなり長いシリーズですが、その大先輩にあたります。
・奇しくもダイユウサクが現役のころに始まったシリーズでした。
・書いている人的にはシーズンⅢ(90~91年にかけて)からの固定されたオープニングテーマが好きです。(今回の話のオープニングでは、書いた人の脳内では流れてます)
・このドラマで鉄道警察隊の存在を知った人も多いはず。
・ちなみに現実だと発生が駅だろうが電車内だろうが鉄警隊は殺人事件を担当したりしません。原則的に発見した警察署が担当し、捜査本部が置かれます。

安心沢先生
・ゲーム版ではご存じ、超天才の次世代笹針師こと安心沢 刺々美のこと。
・なぜかボディコンスーツの上に白衣をひっかけ、白い鳥の翼のような仮面をつけている。
・鳥、仮面といえばミラクルバードもそうなんですが……どうやらお世話になったことがあるのか、それとも針を見て怖がったのか、ミラクルバードは怖がっているようです。
・医療関係者を出したかったのですが、ウマ娘での医療関係者となるとアニメでのメジロ家の主治医か、ゲームのこの安心沢くらいしかいなかったので。
・ただ、安心沢ってたづなさんに見つかって追いかけられているので部外者のような……
・まぁ、ただの助手だったという話もあるし、本作では独自設定扱いの上、ゲーム版とはパラレル的な別人で関係者(?)という感じで。
・ちなみに、現実の馬に使う針──笹針って、鍼灸師がヒトに使う針とはまるで別物です。
・悪い血を出して血行を良くしたり、傷ついた所を直そうとする回復力での回復を促すという──鍼灸師のそれとは根本的に違うものだそうです。
・ウマ娘相手ならモデルは──そりゃあ間違いなくヒト相手の鍼灸師の方ですよね!? 

URAの施設
・福島県いわき市に所在のJRA競走馬リハビリテーションセンターがモデルの施設。
・競走馬総合研究所の常盤支所だった施設で、いわき湯本温泉近くにあり、温泉療養施設があります。
・2017年に競走馬総合研究所常盤支部から現在の競走馬リハビリテーションセンターに名称が変更になりました。
・温泉施設ということで、本作独自の設定で保養所ということになっています。
・ゲームでの温泉イベントは、宝くじで当たっているのでここではありませんね。


※次回の更新は8月27日の予定です。  



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第39R 大聴取! はぐれトレーナー純情派

 オレ様の名前はメヒコギガンテ。
 ウマ娘であるオレ様は、この前の春まで中央トレセン学園に所属していた、競走ウマ娘だった。
 と言っても、誇れるような話じゃねえ。なにしろそれまでデビューさえできなかったようなポンコツだったからな。
 このままデビューすることなく学園を去ることになるんじゃねえか──なんて思っていたんだが、幸いなことにデビューできた。
 その2戦後、初勝利まで飾れた。

 ……だが、それを手土産に、オレ様は引退した。

 そうしないといけない理由があったから──いや、それはただのカッコ付けだな。
 オレ様は──怖かったんだ。
 怖くなっちまったんだ。自分がやろうとしたことの大きさに気がついて。

 引退届を出した、こんな酷いウマ娘のオレ様に──理事長は今の職場を斡旋してくれて、本当にあの人に足を向けて寝ることなんてできねえよ。



 

「なるほど……な」

 

 オレ様は、久しぶり──というほど時間は経っていねえが、去年の4月に一緒にレースを走ったウマ娘との再会に驚きながら、そいつらの話を聞かされた。

 

「まぁ、オレ様はオマエのレースは見ていたんだぜ、ダイユウサク」

「えぇっ?」

「勝ったレースもスゲエが、やっぱり一番は高松宮杯だったな。コスモドリームとの争いはシビレたぜ」

 

 ダイユウサクはそんなオレ様の言葉に心底驚いた様子だった。

 競走ウマ娘なら、ファンがついて当たり前なんだが、どうやらそういう意識が無かったらしい。

 一方で、彼女のトレーナーは隣の車椅子のウマ娘に「ほら見ろ、ちゃんとおっかけもいるぞ」と自慢げに言い、言われた方は戸惑い気味の苦笑を浮かべていた。

 そのウマ娘──目の周囲を覆う特徴的な黄色い覆面から、オレ様はその名前を容易に想像できた。

 

(まさか、この二人がこうして揃っているなんてな。神様が起こした奇跡なのか、それとも悪魔の嫌がらせなのか……)

 

 心の中で苦笑しちまう。

 なぜなら、オレ様が、競走(レース)を辞めた理由は──

 

「メヒコギガンテ、ところで大丈夫なのか? オレ達に付きっきりで……」

 

 ダイユウサクのトレーナーが気まずそうに、食堂の奥にある調理場の方へと視線を送っていた。

 ま、そうやって気を使ってもらえるのは嬉しいが──

 

「おうよ、大丈夫さ。アンタらがオレ様に訊きたいことがあるからって、ちゃんと話は通してあるからな」

 

 そう言ってサムズアップしたが──トレーナーはなにやらブツブツと「そういうことじゃないんだがな……」と言っていた。

 まったく、まだるっこしいな。言いたいことがあるならズバッとハッキリ言えよ──なんて思っていたら、隣のウマ娘が口を開いた。

 

「じゃ、じゃあ訊くけど……なんでせっかく初勝利したのに引退を?」

「オマエら二人のせいだよ」

「「は?」」

 

 その足が不自由な方のウマ娘にオレ様が素直に答えると、ダイユウサクも含めた二人のウマ娘は思わず固まっていた。

 あ~、戸惑うのも無理もねえか。

 オレ様は「ガハハ」と笑って二人の肩をバンバンと叩いた。

 

「ま、気にすんな。冗談だ、冗談……」

「驚かさないでよ!?」

 

 車椅子のウマ娘が思わず声をあげ、ダイユウサクも呆れたようにこちらを見ている。

 

「実際、才能の限界ってのはもちろん感じていたぜ? なにしろこの歳まで勝つどころかアレがデビュー戦だったからな。当然、後輩にも追い抜かれ──」

 

 そう言ってオレ様は自分よりも二つ年下で、少しだけ早く初勝利したウマ娘──ダイユウサクをチラッと見て苦笑する。

 

「なにしろデビューから2戦もタイムオーバーするようなウマ娘にまで先を越されちまったくらいだからな」

「う、うるさいわね……」

 

 オレ様のからかいに、怒ってはいる様子だったが強く反発することなく、視線を逸らしながらちょっと言うだけだった。

 う~ん、コイツ人見知りするのか?

 そんなコイツにオレ様は……やらなければいけないことがある。

 自然と居住まいを正し、ダイユウサクを正面に見た。

 

「だが……いや、だから……オレ様はダイユウサク、お前に謝らないといけねえ」

「……謝る?」

 

 オレ様の言葉で、ダイユウサクは訝しがるようにこちらを見てきた。

 だからオレ様は、素直に頭を下げた。

 

「スマン……あのとき、あの競走(レース)で、オレ様はお前を故意に潰そうとした」

「えッ!?」

 

 心底驚いた彼女の顔は、今までそれに気がついていなかったことの何よりの証だった。

 それに少しだけホッとした気持ちもあったが、逆にまったく歯牙にもかけられていなかったのだと実感させられ、少し凹む。

 

「あのレースでお前がスパートをかける直前に、その直後にいたオレ様は……お前の脚を後ろから蹴飛ばそうとしたんだ」

「オイ……」

 

 ダイユウサクの隣で黙って聞いていたトレーナーが、剣呑な空気をまとう。

 それはそうだろうな。あの時は知らずに誤解していたが、一ファンになったからこそ知っている。このトレーナーとダイユウサクが二人三脚でトゥインクルシリーズを戦っていること、そして──当時、オレ様が聞いたこのトレーナーに関する噂がデマだったことを。

 今も、オレ様のやろうとした愚行を聞いて、本気で腹を立てているくらい、良いトレーナーじゃねえか。

 そのトレーナーは短いその言葉で抗議し、オレ様をにらみつけている。

 が、それ以上は何も言ってこなかった。過ぎたことであり、すでに引退しているオレ様を責めても今さらどうしようもない、と思っているんだろう。

 一方、当事者はそこまで割り切れねえだろうな。

 

「そんな……どうして、そんなことを……?」

 

 その危うさを知ったダイユウサクが、若干青ざめながら訊いてきた。

 それに対しオレ様は──少しだけ躊躇し、事実を洗いざらい説明した。

 今までデビューさえできなかったオレ様が、急にデビュー戦を迎えられたこと。

 そして、その際に信頼していたトレーナーが出してきた、信じられないような指示。

 それに反発しながらも、従おうとしたが──結果的にはダイユウサクの加速についていけず、()()()()()()()できなかったこと。

 

「そう……オレ様は自分の意志でやらなかったわけじゃあない。ただ失敗しただけなんだ」

 

 だから本来なら糾弾されるべきだ。

 その罪悪感も、オレ様が引退した理由の一つだ。

 

「でも、それを悔いたんだよね? だから、リュウジョウガイドと……」

「ああ、アイツも同じ指示を受けていたのが分かったからな。真後ろから見ていたから分かったが、追い抜かれるときにアイツはぶつかるようにヨレやがった。もっとも──」

 

 車椅子のウマ娘に答えながら、再度、ダイユウサクをチラッと見て皮肉気に苦笑する。

 

「アイツもオレ様同様、ダイユウサクの末脚を見誤って不発だったんだが。だが、それが分かったからレース後に声をかけた。まぁ、アイツは……とぼけていたけどな」

 

 アイツの態度には、今思い出してもムカッとするが。

 そして同時に──事実を公表して1人で立ち向かうことができなかった当時のオレ様にも。

 過去を悔いるオレ様の様子を、黙ってジッと見ていたダイユウサクのトレーナーが口を開いた。

 

「なぁ、メヒコギガンテ……この業界には“結果が全て”って言葉がある。道中、どんなに良いレースをしようとも、逆に酷いことをしようとも、ゴール版を駆け抜けた後に確定した順位こそが意味を持つ。お前もそれはわかるだろ?」

 

 彼の言葉にオレ様は黙って頷く。

 

「……あのレース、お前は試みようとしたのかもしれない。だが──それは実行されずにダイユウサクも無事だった。その結果が全てだろ。その理由が、コイツの加速のせいだったのか、それともお前さんの良心の呵責による躊躇だったのか、それは神のみぞ知るってところだが……」

 

 そう言ってトレーナーは、ダイユウサクの頭の上に手をポンと置いた。

 気がついたダイユウサクが抗議するように彼を睨んだが、気にする様子もなくオレ様をジッと見続けていた。

 一見すれば、救いの言葉をかけているように見えるが……

 

「──お前が引退した原因はそれじゃないだろ?」

 

 実際には、彼はただ追求していただけに過ぎなかった。

 その鋭さに、オレ様は思わず顔を上げて彼を見る。

 

「あの時、リュウジョウガイドともめたお前は、この件を告発するつもりだった。違うか?」

「それは……」

 

 図星だった。

 自分のしようとしたことの愚かさと、勝利したダイユウサクの強さ、そしてその輝きが眩しくて、オレ様は耐えきれなかった。

 だからこそ、共犯ともいうべきアイツと共にこの件を訴えようと考えたんだ。

 だが──

 

「しかし、今の今まで表沙汰になっていない。週刊誌だって掴んでいないように見える」

 

 もしもオレ様が──リュウジョウガイドに断られようとURAに訴え出て、それがもみ消されていたとしてもその痕跡は残ったはず。

 それをマスコミが嗅ぎ付けないように消し去るのは至難の業だろう。その煙の残り香からさえも火を見つけるのがアイツらの仕事なのだから。

 けど、マスコミが動いていないのも当然だ。

 

「だが、お前さんは動かなかった……」

 

 トレーナーの推測通り、オレ様はこの件を表沙汰にしようとさえしなかったんだから。

 

「その理由は……その日に起こった()()件が原因なんだろ?」

 

 悔しいぐらいに的確に突いてくるな、このトレーナーは。

 まぁ、とっさにさっきは冗談めかしたけど、本音がポロッと出ちまったからな。当然か……

 オレ様は、頷くしかなかった。

 

「ああ、怖くなっちまったんだよ。“あれ”を見て……」

 

 そう言って、オレ様は車椅子のウマ娘──ミラクルバードを見る。

 

「皐月賞での大事故……もしもあの時にオレ様が妨害をやっていたら、あれと同じような事故になったかもしれない、と思ったんだよ」

 

 あのシーンを見て、オレ様は背筋が凍った。

 それは故意に起こされた事故じゃなかったし、少なくともそう見えた。

 だが翌日になってテレビ報道で見たそのシーンは、あり得た未来をまざまざとオレ様に見せつけたんだ。

 今、彼女達を目の前にしてもつくづく思い知らされる。今のミラクルバードの姿は、もしかしたらダイユウサクがそうなっていたかもしれないのだ、と。

 いいや、ミラクルバードは奇跡的に一命をとりとめた、と聞いている。

 つまり、場合によっては──

 

「……ッ!」

 

 それを考えて──今も、そして当時もオレ様は、自分の罪深さを思い知らされちまったんだ。

 今だって唇を噛んで耐えている。

 すると──

 

「だが……それで怖じ気付いたわけじゃないんだろ?」

 

 驚いている様子のミラクルバードの横で、トレーナーが相変わらずジッとオレ様を見ていた。

 ああ、本当にこの人は恐ろしい。

 

「ミラクルバードの件が大きくなればなるほど──例の件を公表したときの罪の大きさも大きくなっていくのがお前にも理解できたはずだ」

 

 当時の心理を思い出して、今でも震えが来そうになる。

 オレ様はダイユウサクに妨害を仕掛けようとした件を訴えても、リュウジョウガイドに協力を断られたからには彼女の名前を出さないようにするつもりだった。

 無論、オレ様の勝手な判断だ。世話になったオレ様のトレーナーにも迷惑はかけられない。

 指示を出した黒幕にだけ責任を取らせるつもりだったんだが──ミラクルバードの事故が注目されれば、どれだけ危険な行為だったかを比較され、間違いなく注目される。

 たとえ自分のことだけを公表したとしても──それがきっかけでこのレースが注目されれば、リュウジョウガイドのことがバレるのは時間の問題になるだろう。

 そして、結果的には失敗したとはいえ、大事故に繋がるおそれがあったのだから──トレーナーからの指示ということも注目され、それも大問題になる。

 

(オレ様の行動一つで、意図しないヤツらにまで影響が及んじまう)

 

 無論、二人とも自業自得と言えるだろう。

 ──会ったこともない黒幕がどうなろうと知ったことじゃない。だが、オレ様と同じように切磋琢磨してきたであろうウマ娘の人生を壊す覚悟はオレ様にはなかった。

 そして彼女同様に──いや、それ以上に、トレーナーの未来を奪うことは、できるわけがなかった。こんなオレ様と苦楽を共にしてくれた恩人なんだから。

 オレ様は、うなだれるように頷く。

 

「ああ、その通りさ。オレ様は……告発することができなかった。その後、初勝利もおさめたが、それで却って罪悪感に耐えられなくなったのさ。あんなことをやろうとしたオレ様が、こんな栄光を得ていいのかって考えて……ダイユウサクにも、それにミラクルバード、アンタにも顔向けができないと思ってさ」

「そんなの、気にすること無かったのに。ボクの怪我は、自分で勝手によろめいただけなんだから……」

 

 困惑して苦笑気味に笑みを浮かべているミラクルバード。

 それでも爛漫さを失わない彼女の笑顔は、オレ様の心を癒してくれる。

 

「……それで、オレ様の話を聞いてどうしようってんだ? オレ様やトレーナー、リュウジョウのことを苦しめるアイツを懲らしめるのに力を貸すならやぶさかじゃあないが、逆にトレーナー達を巻き込むことになるなら、言っておくが協力は出来ないからな」

 

 こればかりは譲れない一線だ。

 ダイユウサクには借りがあるが、なによりもオレ様が世話になった──オレ様みたいなデビューも出来なかったウマ娘に長年付き添ってくれたトレーナーにだけには迷惑はかけられねえんだ。

 

「オレ達が今頃になってこの件を調べているのは、とある理事の悪事を暴いて失墜させ、そいつが企んでいることを阻止させたいからなんだが……」

 

 ダイユウサクのトレーナーが自分たちの事情を話してくれた。

 おかげで彼らが抱えていることまでわかったんだが……ん? ちょっと待てよ?

 

「理事? ……いったい誰のことだ?」

「そっちと同じじゃないの?」

 

 訝しがるように眉をひそめるダイユウサク。

 彼女が挙げた名前に、逆にオレ様は眉をひそめた。

 オレ様の話を聞いて──3人は心底驚いた顔になっていた。

 

 ──それで聴取は終わった。

 オレ様は少しだけ……ほんの少しだけ、心が軽くなった気がした。

 

 

 そして、3人と分かれ──

 

「あ、ギガンテ。休憩は終了ね」

「はあ? いや、オレ様、飯も何も食ってないぜ……」

「だって、今まで休憩してあの3人とおしゃべりしてたでしょ?」

 

 ……あのトレーナーが呟いていたのは、こういうことかよ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……ところでトレーナー、ちょっと訊きたいんだけど?」

「ん? なんだ? ダイユウサク」

「アタシは療養中だから、この施設で宿泊できるけど……アナタはどうするの?」

「もちろん、近くの温泉旅館に泊まるぞ?」

 

「え……」

 

 オレが答えると、固まるダイユウサク。

 競走ウマ娘でもないオレが、ここに宿泊できる訳ないだろ?

 なんで戸惑っているんだろうか……とオレは横を見て──ミラクルバードと視線を合わせる。

 そしてお互いに首を傾げた。

 

「──ッ!!」

 

 それを見て──ダイユウサクの目がジト目になる。

 

「一つ、訊きたいんだけど……そこのトリ娘はどうするの?」

「トリ娘?」

「ミラクルバードのことよ」

「ああ……もちろん、オレと同じ宿だぞ?」

 

「──はあ? なんでッ!?」

 

 ダイユウサクはオレの答えを聞くと、乗り出すように詰め寄ってきた。

 その剣幕に押されながら、チラッとミラクルバードを見てから答えた。

 

「なんで、って……確かに足が動かせない怪我人だけど、ここに泊まらせるわけにはいかないからな」

「あくまで競走ウマ娘用の施設だもんね」

 

 そう言って苦笑を浮かべるミラクルバード。

 確かに競走中に負った大怪我。しかしオレはその道を諦めている彼女に使わせるのは申し訳ないと判断したからだ。

 それをオレが説明すると──

 

「アンタと一緒の宿に泊まる方がよほど問題でしょうがッ!」

「……もちろん部屋は別だぞ?」

「当然でしょ! バカなの!?」

 

 訝しがるオレに、ダイユウサクは噛みつかんばかりに声を荒げる。

 

「ミラクルバードは足が不自由なのよ? 慣れない場所なんだし、補助する人も無しに泊まるのは難しいわよ」

「しかしなぁ……実際、どうしようもないだろ。こっちにミラクルバードを泊まらせるわけにはいかないんだから」

「関係者なんだし、もとは競走ウマ娘なんだから申請すればどうとでもなるわよ!」

「あ……いや、それは……」

 

 オレもダイユウサクの言うとおり、申請すれば通る可能性は高いとは思っていた。

 しかし──現役競走ウマ娘が傷を癒しているこの施設に、ミラクルバードを泊めさせるのは酷だと思った。

 足が動かせない現在のミラクルバードの姿を、どうしても彼女たちの好奇の目にさらすことになるし、それはあまりに可哀想だ。

 だから、オレは彼女をここに宿泊させるわけにはいかないと判断したんだ。

 

「まったく、それならなんで連れてきてるのよ。一人で東京に残せば……んん?」

 

 何かに気がついたダイユウサクがズイっと詰め寄ってくる。

 

「ところでトレーナー。アナタ、そもそもなんでここに来たの? アタシに報告や相談する必要なんてないじゃない」

「おかげでメヒコギガンテに会えただろ?」

「ここにいるのを知らなかったじゃないの! ただのラッキーで、結果オーライってだけでしょ?」

 

 うむ。さすがに騙されないか。

 う~ん……

 

「……単純に、温泉施設に行ってるお前をズルいと思ったからな。だからオレ達もこっちにきて温泉宿で英気を養おうと──」

 

「──うん。決めた。アタシもその宿に泊まるわよ」

 

「なッ!? お前、ここに泊まれるんだから泊まれよ。余計な金使わせんな!」

「ミラクルバードの介助をする人が必要でしょ!? アタシが、やってあげるって言ってんの」

 

 なに言ってんだよ、コイツは……思わずため息をつきたくなる。

 ミラクルバードだって事故からもう半年以上経ってる。こういう生活にも慣れて──

 

「うん、ミラクル助かるよ。一緒に泊まろう、ダイユウサク!」

 

 で、どうして乗り気になっているんだ、ミラクルバード。

 お前がそんなことを言い出したら──

 

「ええ、いいわよ。じゃあ、外泊許可取ってくるから……」

「待て! 宿の金は──」

「もちろんアンタが払うに決まってんでしょ? もしくはチームのお金で──」

「いや~、感動だぁ! 友達と一緒に温泉宿で一泊なんて、まるで修学旅行みたい──」

 

 悪魔の笑みを浮かべるダイユウサク。

 一方、楽し気に無邪気に腕をバタバタと振るミラクルバード。

 冬のボーナスで大きな買い物をしたオレの懐は、そこまで温かくはない。

 しかし──結果的に、3人で温泉宿で泊まることになった。

 

 

 まったく、ダイユウサクめ……オレはぜんぜん裕福なんかじゃないんだからな!!

 




◆解説◆

【はぐれトレーナー純情派】
・今回も取調回ということで、前回同様に刑事ドラマのタイトル「はぐれ刑事純情派」から。
・前回の「さすらい刑事旅情編」と同じように伝統のテレビ朝日水曜21時枠刑事ドラマ。「さすらい~」よりもこっちの方が有名ですかね。
・それもそのはず、1988年からなんと18シリーズも続いたので。
・開始は「さすらい刑事旅情編」の半年前で、そちらが終了後に「Ⅱ」が開始と、「さすらい刑事」が終わるまでの間、半年間で交互に放送していました。
・その後は相方を別の刑事ドラマに変えつつ、2002年からはついに半年の交代相手に「相棒」が現れ──2005年でシリーズが終了。
・テーマ曲も有名で、こちらは第1シリーズから同じ曲(年によってのアレンジはありましたが)がオープニングで使用されていました。
・「さすらい刑事」も含めてですが「拳銃を使わない」というのは実はこのころの刑事ドラマとしては異色で、この「はぐれ刑事」がシリーズとして続いて路線を定着させたことが、現在に続く刑事ドラマの礎と言えるかもしれません。
・なお、主役の安浦刑事にお小言を言う、課長こと川辺精一を演じていたのが──『科学戦隊ダイナマン』の長官と同じ役者(島田順二)さんだったのを知って衝撃を受けました。

部屋は別
・本来、トレーナーは一人で来る予定で、一人だしバイクで来ることを考えていました。
・しかし、ミラクルバードを一人残していくのも可哀想……かといって足が動かない彼女とタンデムするのは無理。
・それに、よく考えてみれば真冬で降雪の可能性を考えるとバイクで行くのはリスクが高い。
・──ということで、バイクでの単独行を諦めて、ミラクルバードと一緒に電車でここまで来ています。
・車は持っていないので借りるしかないし、それならいっそ電車にしてしまおう、という結論でした。

宿の金
・ダイユウサクを羨んでやってきた温泉旅行なので、トレーナーはもちろん自腹です。チームの資金は使えません。
・それについてきたミラクルバードは形式上はチームの部外者なので、彼女のためにチーム資金は使えません。自腹──トレーナーが出しています。
・というわけで……宿泊施設があるので、必要がない経費となりますので、ダイユウサクの分ももちろんチーム資金からは出せません。


※次回の更新は8月30日の予定です。  



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第40R 大論争! はみだし理事長情熱系

 う~ん……どうしたものか。

 中央トレセン学園では、理事会の開催時期が迫っていた。
 これは来年度の方針を話し合う最後の理事会、だそうだ。
 つまりはここで採決されたことは覆されることなく実行されるという、最終的な決定を下す会議。
 そんな会議を前に──オレは悩んでいた。

 オレ達がやろうとしているのは、来年度以降の方針となる「1チームに1人以上のオープンクラスウマ娘の所属」という項目を覆させること。
 そのためにできることをやっており、その目処がつきそうなところまではきている。

(だが、最後の一押しをするには──足りない)

 それをするための伝手をどうするか、それをえていたのだが──

「コネをとってもらうにしても、話しやすいが非協力的なヤツにするべきか、それとも協力的だが近寄りがたい方にするべきか……」

 オレは悩み、そして考えをまとめるためにその場をウロウロする。
 すると……

「あら? たしか……ダイユウサクのトレーナーではありませんか」

 なんて声をかけられた。
 声に振り返ると、ツインテールの髪型をしたウマ娘が、少し怪訝そうな様子でこちらを見ていた。
 何度も見かけたことがある彼女の名前は──

「サンキョウセッツ、か……」

 ちょっと高飛車でお嬢様然とした彼女だが、本当のお嬢様──たとえば名門メジロ家の令嬢であるメジロアルダン──に比べると、メンタルが弱くて簡単に化けの皮がはがれてしまう。
 ──そんな残念なお嬢様。それがサンキョウセッツだ。

「……なにか、えらく失礼なことを考えていらっしゃいませんでした?」
「滅相もない」

 訝しがるサンキョウセッツは、オレが即答したにもかかわらず納得せず、憮然とした顔でこちらを見つめる。

「まったく……あの()のトレーニングをしている間に、似てきたんじゃありませんの? 無礼で癪ところはそっくりですわ」

 なんて話しかけてきたが──実は、オレとこのサンキョウセッツは、今まであまり話したことがないのだ。
 というのも、このサンキョウセッツはオレが担当しているダイユウサクとは親戚で──なにかと絡んでくる相手、らしい。ダイユウサクに言わせると。
 だから今までサンキョウセッツがオレの近くに現れたときには必ずダイユウサクがおり、そこで口論を始めて決着が付くとさっさといなくなる。だからオレがサンキョウセッツと絡む余地がなかったのだ。

「──で、トレーナーさんはこんなところに何の用事ですの? ダイユウサクなら療養中……そもそも教室が違っていますわよ」

 施設で療養中なのは百も承知だ。なにしろオレが指示して手配したからな。
 教室が違っているのも、もちろんわかっている。
 しかしオレが用事があったのは、こっちの教室で合っている。なぜなら──

「……だが、よりにもよってこっちが来ちまったか。しかし、コイツに頼んでもキチンと目的が果たせるかどうか……」

 オレの頭に不安がよぎる。
 というのもこのサンキョウセッツ、オークスに出走していてクラッシックの年齢にあがるころまではよかったのだが……正直、今では見る影もない。
 努力もしているようなのだが報われず、今ではバカにしていたダイユウサクよりもランクが下になってしまった、そんな“残念なウマ娘”なのだ。

「そんな“残念な”ヤツが、まともに相手してもらえるかどうか……」
「なんか先ほどから呟いている声が小さくて聞こえませんけど、先ほどよりも余計に無礼なことを考えていらっしゃいますわよね?」

 サンキョウセッツがジト目を向けてくるが──う~ん、やっぱり残念だしな。コイツに頼むのは厳しいか……

「あら? セッツ、どうかなさいましたか?」
「シヨノ……」

 そんな残念なウマ娘(サンキョウセッツ)の背後から、横線のように細い目をしたウマ娘が、ひょいと現れる。
 長い髪の毛を三つ編みで一つにまとめたその姿は、特徴的なその目や、落ち着いた佇まいからも、すぐにわかる。
 サンキョウセッツに話しかけられたおかげで、シヨノロマンが来てくれた。なんとラッキーな……海老で鯛が釣れるとはまさにこのことだな。

「おお、シヨノロマン。ちょうどよかった……」
「……なにやら私との反応の差が大きいように感じるのですが」

 オレが歓喜で迎えると、隣のサンキョウセッツはうろん気な目でじとーっと見つめてくる。
 ま、それは無視しよう。
 不確かなセッツよりも、やっぱりシヨノロマンだ。
 なにしろ成績が違うからな。トリプルティアラ路線へと進んだ彼女はタイトルこそ一つもとれなかったが、恥ずかしくない成績を残したウマ娘だ。

「やっぱり頼るなら、彼女だろ……」

 落ちこぼれ達なんか(ダイユウサクやサンキョウセッツ)や、オークス一発屋(コスモドリーム)よりも頼りがいがある──

「……なにか、ダイユウサクやその従姉妹からアナタを殴っていいと言われたような気がしますわ」
「気のせいだ、それは」

 ウマ娘に遠慮なく殴られたら洒落にならん。
 まぁ、それはともかく──オレはシヨノロマンに頭を下げる。

「シヨノロマン……ついでにサンキョウセッツも、一つ、頼みたいことがあるんだ」
「あら? なんでしょうか?」
「……ええ、なんでしょうかねぇ」

 にこやかに微笑むシヨノロマンに対し、こめかみに青筋をたてながら微笑むサンキョウセッツ。

「ある方とコンタクトを取りたいんだが……仲介してもらえないか?」
「……ある方?」

 オレの頼みに、シヨノロマンとサンキョウセッツは思わず顔を見合わせた。



 フフ……、どうやら私の計画は上手く進んでいるらしい。

 

 あの小生意気な小娘を学園の理事長から叩き落とし、その座に優秀なるこの私が就くのは当然のこと。

 しかし今回の計画では、その上にあの(にっく)きウマ娘──アイツのために、私自身がとんでもない損害を被ってしまった──へ嫌がらせも出来るという一石二鳥のプランだ。

 以前もあのチームを潰してやろうと手を回したが……デビュー2戦もタイムオーバーなんてポンコツがレースに勝てるわけがないと思っていたら、勝ちやがったのだ。

 おかげで溜飲が下がるどころかフラストレーションが溜まる一方だわい。

 

「だが……今回ばかりは、どうしようもあるまい」

 

 来期の詳細を決める理事会はもう間もなく開かれる。

 そこで例の件が承認されれば──あのチームも御仕舞いよ。

 そうなって他のチームに入れば……今度こそ競走ウマ娘として、息の根を止めてくれるわ。

 それを私の新たなる門出の祝いとしてくれよう。

 

 フフフ……今から楽しみだわい。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──学園の来期を決める理事会は、ついに開催されました。

 

 まずは学園長──私が秘書を務める秋川やよいが立ち、私が今期の成果や達成予測を理事会に代弁して報告し、それを理事のみなさんが聞いています。

 その中には──理事の一人で、URAではコンテンツの管理をする部署を統括している黒岩理事の姿ももちろんありました。

 私は報告を読み上げつつ──チラッと彼の姿を盗み見ます。

 配布された資料を見ながら、真剣に話を聞くその目は厳しく挙手して向けてくる質問は鋭く──ああ、学園長も思いつきの行き当たりばったりではなく、少しは彼のように……なんて思っていたら、彼女から恨みがましい目で睨まれてしまいました。

 

(ええ、心配しないでください。私はどこでも、そしていつでもあなたの味方ですから)

 

 そうこうしている間に、次々と来期のことが決まっていきます。

 各種行事とその準備計画、さらには予算と──事前に決まっていることもあってトントン拍子で話が進みます。

 そしていよいよ……例の件が議題になります。

 そうなると、今度は主導権が逆転──黒岩理事サイドが話を進める側となるのです。

 

「──さて、この議題についてですが……」

 

 理事長が座り、黒岩理事が立つ。

 私も理事長の傍らに控えると、黒岩理事の秘書が出てきて──秘書サイドも交代となるのでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 さて──私は、秘書が用意し、渡してきた資料を手にプレゼンを始めた。

 その相手はトレセン学園の他の理事たち。

 内容は、と言えば……

 

「学園でのチームに関し、その成立条件として“1人以上のオープンクラスが所属すること”を付け加える件についてです」

 

 すでに去年の秋頃からこれの成立のために動いていた案件で、居並ぶ理事たちも話は通っているので驚くような者はいなかった。

 これによって──

・チームの乱立を防ぐことで、限られたチーム予算は一つのチーム当たりの配分が増えることになり、より効果的な運用を期待できること。

・『Eclipse first, the rest nowhere. (唯一抜きんでて並ぶものなし)』という校訓を忘れ、仲良しクラブと化して切磋琢磨を忘れたチームを排除することで、学園全体──つまりは日本のウマ娘競走(レース)の底上げを狙えること。

・チームの柱となるオープンクラスのウマ娘に、その地位や責任を自覚させることで、慢心することなくさらなる向上心を植え付け、新しく学園に入ったウマ娘達にはわかりやすい目標を示すことが出来る。

 ──等のメリットがある。

 そして、その私のプレゼンを理事達は頷いて聞いていた。

 

(とはいえ、元々は私の発案ではないのですが……)

 

 私は側に控える秘書へチラッと視線を向けた。

 実のところ、この男の発案によるものだった。長く私の下で勤めているわけではないが……過去に秘書経験があったらしく、即戦力として働いてくれている。

 とはいえ、今は私のために全身全霊でことに当たり──その貢献は他の秘書を凌駕するほどだった。

 今ではもっとも信頼する秘書の一人となっている。

 そんな彼が提案してきた改革案は、目を見張るもので──それゆえに私が少々手直しし、今回の案となっている。

 

「異論ッ!! 私は、その案に反対をする!!」

 

 プレゼンが終わるや、そう言って反論をしたのは──案の定、秋川やよい理事長だった。

 無論、それは想定通り。

 この案を通すために動き始めた昨年の秋頃から徹頭徹尾、反対し続けたのは彼女だった。

 彼女曰く──

 

「そのような制限をするのは、学園所属のウマ娘達の自由を制限するものだ!」

「学園は教育機関なのだ。ルールで縛りすぎて自主性を育むのを阻害することは、教育機関として相応しくない行いである」

「ウマ娘達の個性は千差万別。大勢の仲間に囲まれて才を育まれる者もいれば、個人でストイックに鍛錬を積むのが合っている者もいる。チーム数を減らして一つ当たりの人数を増やすのが必ずしも正解とは言えない」

 

 ──等の反論をしているが……

 

「結果的には、学園全体のレベルアップにつながり、彼女たちの為になる」

「ルールで縛っているのではなく、わかりやすい目標を示しただけである」

「少人数のチームを否定しているわけではないし、ソロも禁止はしていない。それにチームの方針も千差万別なのだから個性を伸ばせるチームで実力を付け、オープンクラスになってから独立すればいい」

 

 ──と、返すと理事長は悔しそうに表情をゆがめていた。

 彼女の論理は、ウマ娘達が可哀相……といった感情的なものだ。

 それが不要なものではないが、そこに傾倒しすぎれば学園そのものが倒れかねない。

 私は、それを許すわけにはいかないのだ。

 反論をことごとく論破されて叩き潰された理事長は──悔しげにうつむく。

 

「……それ以外に反論は?」

 

 私は周囲の理事を見渡す。

 彼らから反論はない。理事長も黙ったままだ。

 

「それでは決を──」

 

 と、私が言ったときのことだった。

 この会議を行っている部屋のドアが──開いた。

 そして、カツンカツンと──まるで靴底が金属になっているような、やたらと大きな足音が響く。

 むぅ……この大事な会議中に、いったい誰だ!?

 闖入者はもちろん、それを許した者共を叱責しなければならない。

 私がそう考えながら振り返り──

 

「なッ!?」

 

 ──絶句した。

 

 一方で、周囲の理事達はその人の顔を見て一様に驚き、ざわざわし始める。

 あの人が理事会に現れるなど、今まで無かったはずだ。

 それがなぜ、今回に限って──

 

「なぜ、ここにあなたが……?」

 

 私の心を代弁してくれたのは、傍らに控えていたあの秘書だった。

 彼は酷く動揺した様子で、やはりその人──いや、ウマ娘を見ていた。

 しかしそんな反応も無理はない。彼女の登場は完全に想定外のことだったのだから。

 

「──あら? 大分前にですが……理事会には参加してもらって構わない、というお墨付きは以前にいただいていたはずですが……失効してしまったのかしら?」

 

 私の秘書に言われた彼女は、確認するように理事長の傍らにいる彼女の秘書へと視線を向ける。

 すると視線を受けた彼女が素早く答えた。

 

「い、いえ、そんなことはありません」

 

 それに彼女──初老のウマ娘は満足げに微笑み、そして頷く。

 

「それはなにより……たまには理事会というものが見たくて、つい来てしまいましたが、参加資格がなかったのでは、全く意味がありませんからね」

 

 微笑む彼女を、理事達は唖然としながら見ていた。

 たしかに闖入者ではあった。

 しかし誰も彼女を咎めることはできない。

 URAに多大な貢献をした、偉大なるウマ娘である彼女に対し、そんな不遜なことをできる者などいるはずがない。

 まさに泣く子も黙るウマ娘。

 彼女の名は──

 

 ──シンザン

 




◆解説◆

【はみだし理事長情熱系】
・テレ朝水曜21時刑事ドラマシリーズのタイトル「はみだし刑事情熱系」から。
・前々回、前回ときましたから、さもありなん、という流れ。ちょうど、理事長が他の理事からはみ出して情熱的に発言していましたので。
・これもまた「はぐれ刑事純情派」のシリーズの間に放送された、相方の刑事ドラマの一つ。
・……だったのですが、第7シーズンの2003年から半年のうちの半分を他の刑事ドラマに奪われて2クール放送に。
・その奪った相手こそ、今のその時間帯を代表するドラマ、「相棒」です。
・その次の8シーズン目が最後となり、その翌年には「はぐれ刑事純情派」も最後のシーズンを迎え、同時間帯の名物だった「○○刑事」シリーズは終わりました。はぐれ刑事で始まり、はぐれ刑事で終わったことになります。
・ただ、正直……書いている人的には、「さすらい刑事」が好きだったのと、生活の変化で見なくなったので「はみだし刑事」にはあまり思い入れが無かったりします。
・主人公を柴田恭兵さんが演じていたのですが、どうしてもあの人の刑事といえば“()()()()”方を思い浮かべてしまいますからね。

教室が違っています
・ダイユウサクの同学年はもちろんオグリ世代。
・その中で──本作でダイユウサクはオグリと同じクラスという設定なので、基本的にシンデレラグレイで初期に出てきたキャラが同じクラスです。
・オグリのほかは、チヨノオー、アルダン、ヤエノムテキ、ディクタストライカ、(ブラッキーエールもいるけど)といったメンバー。
・他のキャラは基本的に違うクラスなので、本作オリジナルのウマ娘はだいたいそうです。
・コスモドリーム、サンキョウセッツ、シヨノロマンなんかが代表例です……ヤエノムテキは残念がりそうですが。
・ベルノライトはそもそも科が違いますし、ミラクルバードは学年が違います。
・ちなみに、バンブーメモリーも同じ学年になるのですが……彼女の場合、ほぼ間違いなくシンデレラグレイに出てくるので、それでどうなるのかわからないので保留中。

シンザン
・実在した競走馬がモデルの、本作オリジナルウマ娘。
・モデルの馬は史上最初の5冠馬。
・その内訳は、クラシック三冠に加えて、天皇賞(秋)と有馬記念。
・じつは宝塚記念も勝ってるんですけど……当時はG1扱いされていなかったので、五冠馬になってます。だから現代でいえば実質的には六冠馬。
・生涯19戦して15勝。そして2位が4回。
・つまり連帯率100%。1位と2位しかとったことがありませんでした。
・19戦して連帯率100%はいまだに破られていないシンザンの記録です。
・ついでに言えば、その4回の2位のうち夏負けによる体調不良が原因も含めた2回も合わせ、ちょっとした事情が……
・また種牡馬として優秀で、輸入種牡馬全盛期において産駒重賞勝利数49という数字は内国産種牡馬の地位向上に一役買いました。
・現役時代だけでなく種牡馬としても優秀だったために「神馬」と呼ばれたほど。
・さて、本作でのウマ娘は──すでに引退したどころか、老齢に差し掛かっています。
・かつての活躍で“レジェンド”として皆に尊敬されてVIP扱いされ、理事たちも一目置く相手。
・なお、ウマ娘の設定として「エルフのような存在」となっているので、歳をとっても見た目が変わらない……と解釈もできるのですが、アニメの「メジロ家のお婆様」が老齢の見た目をしていた──ように見えたので、このような設定になりました。
・ちなみに──登場時の「金属のような足音」は、元ネタ馬が前脚と後脚がぶつかるという問題を解決するために、前後の脚にその対策を施された特別なカバー等がついた「シンザン鉄」と呼ばれた蹄鉄をつけていた、というのが元ネタ。
・そのシンザン鉄が歩くたびに前後でぶつかり、金属音がしていたとか。
・歩くと音がするというイメージは『仮面ライダーBLACK』『~RX』に登場したシャドームーンです。


※次回の更新は9月2日の予定です。  



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第41R 大推参! 風のOG・東京発!

 ──話は少しばかり前のこと……

「おや、シヨノロマン。珍しいですね、あなたが来るなんて……」

 面会を求めてきた彼女を、私は笑顔で迎えた。
 髪を三つ編みにまとめた、細い目のウマ娘は私の孫娘のシヨノロマン。かつての私のように競走界で、オープンクラスとして活躍しています。
 そして、その横にいる少しだけ気まずそうにしているもう一人のウマ娘にも笑顔を向けた。

「……セッツ。あなたもお久しぶりね。そんなに卑屈になることはありませんよ。競走(レース)はもちろん実力がものを言う世界ですが、勝負が特の運に左右されるのもまた事実ですからね」
「お婆さま……」

 頭の左右で長い髪をまとめた孫娘──サンキョウセッツがホッとしたように笑顔を浮かべました。
 そして──彼女達二人と一緒にこの場にやってきた男性を、私は見ました。
 その胸にはトレーナーバッジが付いており、彼が何者なのかを如実に語っているのですが……彼がシヨノロマンも、サンキョウセッツも担当しているわけではないのは、二人のトレーナーを知っているので分かっています。

「そちらは?」
「初めまして、トレーナーをしている乾井と申します」

 彼は勢いよく、深々と頭を下げた。
 えぇと……よくこういう態度をされるのですが、正直、される側としては困惑してしまうのですよね。見ず知らずの方ですし。
 そう思っていると、彼は頭を上げ──

「チーム《アクルックス》を担当し、ダイユウサクのトレーナーをやらせていただいています」
「まぁ、これはこれは……」

 彼が出した名前に、私は驚きました。
 そんな彼は──とあるお願いをしてきました。

 お節介のせいで彼女に迷惑をかけしまった私が、彼女の力になる機会を──彼は持ってきてくださったのです。



 

「え…………?」

 

 私──駿川たづなは、彼女の登場にさすがに唖然としました。

 来るなんて話はいっさい聞いていませんでしたし──私を驚かせる存在の筆頭、理事長でさえ目を丸くして驚いていました。

 そして彼女は、黒岩理事の秘書の問いに、自身がここにいていいのか確認なされて──私は大丈夫である旨を即答していました。

 ホッとした様子のそのウマ娘は、居並ぶ理事に対して微笑みながら一礼し──その視線が、黒岩理事のところで止まりました。

 

「おや……」

 

 訝しがるような目になったその方は、その後に気を取り直したように微笑み──

 

「再就職できたようで、なによりですね」

 

 と、黒岩理事──の隣にいた秘書へと話しかけた。

 

「な、なにを……」

「あら、私のことを見忘れたとは寂しいですね。以前お会いしたではありませんか。確か、そう……昨年お辞めになられた理事の、その秘書を以前勤めていらっしゃいましたよね?」

「そ、そんなことは……」

 

 なぜか焦りだしたその秘書。

 しかし、彼女はにっこりと笑みを浮かべ──

 

「あの方は、私にずいぶんと気を使っていただいたので、ハッキリ覚えていますよ。そうそう、どうやら最近までよくお会いになられているようですし、今度会ったら私がよろしくと言っていたと伝えてくださいね……あの方、理事を辞めてしまったので、なかなかお会いする機会もなくなってしまいましたので」

 

「「──ッ!!」」

 

 彼女の言葉で、顔色を変えた人が二人いました。

 一人はもちろん彼女が話していた相手──黒岩理事の秘書。

 そしてもう一人は──黒岩理事本人。

 その黒岩理事に、彼女は向き合います。

 

「さて、黒岩さん。私は理事長の意見に同意……その提案に反対しますよ」

「……どういう、ことでしょうか?」

 

 あの方は、チラッと理事長へ視線を向けます。

 そのときの理事長の顔は、自分一人のみ反対という絶望的状況にも関わらず、学園に所属するウマ娘達のことを考えて、けっして諦めずに必死な表情でした。

 それを見て、彼女は優しく──そして、どこか安心したように──微笑んで頷きました。

 

「私は思うのです。自由な環境からこそ“Eclipse first, the rest nowhere. (唯一抜きんでてならぶものなし)”というウマ娘は生まれるのではないかしら?」

 

 意を決して、あの方は言いました。

 それに対して黒岩理事は考え込むようにしながら、彼女の次の言葉を待っています。

 あの方は応えるように、話を続けます。

 

「確かに優れた先達の姿を見るのが悪いとは言いません。良き手本から得られることは多いことでしょう。しかし──その者と同じことを、またそれに倣う他の大勢と同じことをしていて“唯一”のものが生まれるでしょうか?」

 

 黒岩理事の表情がわずかに歪みました。

 彼にとって──この案にとって痛いところを突かれた、といったところでしょうか。

 実際、多大な実績を残した彼女の残っているエピソードは、今の落ち着いた雰囲気からは到底想像出来ないほどに破天荒で、同じことをしようと思ってもできるものではありませんし。

 そう考えて、思わず私は苦笑してしまいました。

 

「それに切磋琢磨とは敵対だけではありません。実力の近い仲間と手を取り、共に考え、自由な発想を巡らせ、研鑽に励む。それで共にさらなる高みへと至ることが出来るのもまた事実です」

 

 そう言って目を伏せた彼女は──その脳裏に、現役時代に共に切磋琢磨をした相手を思い浮かべているように、私には思えました。

 そして目を開くと、黒岩理事をじっと見つめます。

 

「なにより、競走ウマ娘が目指すべき“Eclipse(頂点)”への道は未だに辿り着いた者はなく、その道程はもちろん不明。であるならば……どこにそこへの道がわからない以上、様々な可能性を残しておくべきではないですか?」

 

 この言葉には、私も考えさせられました。

 聞いていた理事達も同じようで、驚いた表情を浮かべている方達もいます。

 そしてあの方に直接見つめられた黒岩理事は、目を閉じて僅かに黙考してから──

 

「…………貴女(あなた)様の深き考えを教示いただき、ありがとうございました。私めの浅慮を恥じ……今回の案を無かったことにさせていただきたく思うのですが……皆様、いかがでしょうか?」

 

 黒岩理事が、他の理事達を見渡します。

 その言葉に理事達の中に動揺が走りますが──先の初老のウマ娘が微笑みながら、同じように理事達を見ると、それはすぐに収まりました。

 

「異論がないようですので、今回の提案を取り下げさせていただきます。大変失礼いたしました」

 

 そう言って──黒岩理事は頭を下げて一礼した。

 え? 待ってください。ということは──

 

「えっと……」

 

 私が困惑しながら、今起きたことを頭の中で整理しようとします。

 密かに見れば、理事長も驚き戸惑った様子で、目をぱちくりさせています。

 そうしている間に──最後の議題が却下されたことで、今回の理事会はこれにて終了という流れになり、閉会が宣言されました。

 すると、先ほどの初老のウマ娘は──

 

「あら、もう終わりなのですか……」

 

 と、少し残念そうにしながら席を立ちます。

 そして、理事長へと軽く頭を下げて会釈し──顔を上げると、お茶目に片目を閉じて見せたのでした。

 

「驚愕……っ、このような結果になるとは……」

 

 その理事長へ会釈をした秋川理事長がつぶやくのが、私にも聞こえました。

 そして、この部屋から立ち去ろうとする“あの方”の後ろ姿に、私は深く頭を下げるのでした。

 

 ──ありがとうございました。

 あなたの助力無しには、この難局を乗り越えられませんでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 理事会が開催された会議室を出て──私は小さくため息をついた。

 

「……あの、黒岩理事……」

「すまない、少し考えたいことがあるのでキミは先に戻っていたまえ」

「はい、わかりました……」

 

 私は、信頼できる相手から一転し、頭痛のタネとなった秘書を見ることさえできずに一方的に告げ──彼はこの場を去っていった。

 

(まったく、私としたことが。まさか、あのような者に踊らされていたとは……)

 

 未だに周囲の目があるこの場で、醜態を晒すわけにはいかず、心の中で嘆く。

 思い浮かべるのは、(くだん)の秘書。

 そして、その背後にいたあの男──昨年の春に、《カストル》の件で引責することになって辞任した理事──のこと。

 

(彼が私の下へ来たのは、彼が失脚する少し前のこと……つまりは、そもそもスパイだったということか)

 

 もしも失脚直後であれば、その有能さからどこで秘書経験があるのかをより詳細に調べ、あの男へとたどり着けたのだろうが──疑いを持っていなかったために、経歴こそ調べたものの、そこまで詳細な調査を行わなかったのだ。

 

(これは明らかな私の失態。そして、あの方の論にも一理あるのも事実……)

 

 “Eclipse first, the rest nowhere. (唯一抜きんでて、並ぶもの無し)”──その境地に最も近い現役のウマ娘といえば、生徒会長であるシンボリルドルフが候補に挙げられるだろう。

 だが──現役という条件を外せば、そこへ最も近づいた一人と言われるほどのウマ娘の言葉には、明らかな説得力があった。

 なにより、あの男が関与を疑われるような、得体のしれない方策を推し進めるわけにはいかない。

 そういう意味では、“あの方”が現れて警告した上で反対してくださったのは、取り下げるのに本当に助かった。

 

(そういえば、あの方は……)

 

 ふと思い、まだ廊下に残っているのではないか、と顔を上げてその姿を探す。

 生憎と見つけることはできなかったが──代わりに、別の者を見かけた。

 理事会にはいなかった──参加資格がないのだから当然だが──彼を見て、そして彼の関係者を考慮して、私は小さくため息をつく。

 

「……なるほど。あの場にあの方が現れたのは、キミの差し金か」

「さぁ、なんのことやら……理事会なんて雲の上のことなど、トレーナーである我が身には無縁のことですから」

 

 その茶化すような態度に、私は思わず眉をひそめていた。

 彼と会ったのは──去年の春以来か。

 理事長室で初めて会い、私の“実績を残していないチームを存続させない”──思えばこの提案もあの秘書の発案だったか──という話に真っ向から噛みついたトレーナーだ。

 チーム《アクルックス》……そのダイユウサクというウマ娘を担当している、乾井というトレーナー。

 

「とぼける必要はない。キミも私も、時間を無駄にすることはないのだからな。ダイユウサクと“あの方”の繋がりは、私も知っている」

「……アイツに、“あの人”と直接連絡をとれるほどの伝手(ツテ)なんてありませんよ」

 

 首を振ってそう言い、「ま、別の伝手を使ったんですがね」と苦笑する乾井。

 

「……なぜ、ここまでことを大きくした?」

「気がついたんですよ。オレ達が、大きな勘違いをしているってことに」

「勘違い?」

「ええ。アンタがしているのは、純粋にURAや学園を良くしようとアンタなりに考えている結果なんだって」

「なにを当たり前のことを……」

 

 困惑し、思わず眼鏡のブリッジを押し上げる。

 理事である私の役目はそれ以上でもそれ以下でもない。

 URAの発展のために尽力し、そのために学園を充実させ、ひいては“ウマ娘”という種と我々人間がこれからも共存していく関係を築き続けなければならないのだ。

 私にとっては至極当たり前のことなのだが──彼にとっては、私はそう考えていると思っていなかったらしい。

 

貴方(あなた)を誤解していたんだ。理事長の強引で、採算を考えないやり方に不満を抱き、理事長を追い落とそうとしている、そう思いこんでいたが──理事長を追い落としてその座に就こうと考えていたのは、別のヤツだった」

「ふむ……」

 

 なるほど。しかし、私にとって“当たり前のこと”と考え行動していたことを、そのような下らない野心でやっていると勘違いされたことには、正直、思うところがないわけではない。

 しかし合点の行く話だ。彼らもまた騙されたのだろう。

 そうやって彼らを誤解させ、私と争わせて漁夫の利を得ようとした者こそ──更迭された理事だろう。

 悪知恵ばかり働く狡賢い男──その頭脳を良い方に生かせていれば、URAのためにも、本人のためにもなったというのに。

 私は心の中でため息をついた。

 そして──彼に問う。

 

「一つ、訊きたいのだが……なぜ、その勘違いに気がついたのかね?」

 

 もしも私のことを思い込み、あの男の術中にはまったのであれば──今回のようなことはしなかったはずだ。

 わざわざ“あの方”を巻き込み、理事会に潜り込ませた上で、私に自分が踊らされていることを分からせるという強引なやり方は。

 

「指摘してくれた人がいたんです。今はオレ達のチームに出入りしているミラクルバードが知り合いから貴方はそういう人ではない、と教えられまして」

 

 私のことをよく知る、ミラクルバードと交友がある者?

 考えを巡らせ、頭の中で候補を検索する。該当者は──いた。

 

(ふむ……和具社長か、その御令嬢だろう)

 

 そう予想を付ける。

 ミラクルバードの父親と和具社長は懇意にしていると聞いている。

 無論、ミラクルバードの学園内での交友関係を把握しているわけではないので、他の可能性も十分にありえるが。

 

「……今回のことは、借りを作ってしまったようだ」

「貴方に恩を売ろうなんて、考えてやしませんよ」

 

 それも理解している。

 彼は自分のチームを守りたかっただけなのだろう。

 だが──借りは借りだ。

 

(無論、露骨に依怙贔屓し便宜を図るような真似はしないが、URAの発展と共存することであれば、いずれその借りを返そう)

 

 そう心の中で思う。

 なにしろ、これを言葉にするわけにはいかないので、な。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ……フン、おもしろくない。

 まさか、私の計画が頓挫させられるとはな。

 しかも──あのウマ娘が来たせいで、全てぶち壊された!!

 

「まったく、あの恩知らずめ!! 今までさんざん、尽くしてきたというのに……」

 

 感情にまかせ、手にしていたグラスを部屋の壁へと投げつけた。

 ガラス製のそれは甲高い音をたてて砕け、中の赤いワインを周囲にぶちまける。

 ふん……抑えられぬ怒りで衝動的にとった行動だったが──それで気が晴れることなど無かった。

 

「それにしても黒岩の下へ送り込んだアイツめ……全く役にたたんではないか」

 

 アイツから私のところへは未だに報告はない。あの理事会からすでに何日も経過しているというのに、だ。

 別の理事の下へ送り込んでいた者からの報告では、アイツがあのウマ娘に看破されて、黒岩に気が付かれたというではないか。

 あの男にどんな罰を下してやろうか──と考えていると、ドタドタとあわてて走ってくる者の足音があった。

 近づいてきたその音は、止まることなくこの部屋の扉まで来て、躊躇うことなく足音の主はそれをバンと開いた。

 

「大変でございます、旦那様!!」

「なんだ? 何事だ、これは!?」

 

 まったく……主人の部屋にノックも無しに駆け込んでくるとは、我が屋敷の者は最低限のマナーも守れぬほど質が劣化したか。

 怒りをどうにか心の中に押さえ込んでいると──

 

「ち、違います! これはその、緊急の案件でして……」

「──お邪魔しますよ、旦那。あなたがこの家の主で?」

 

 家の者を押しのけるように、扉と彼の間から男が一人すり抜けてきた。

 彼の登場に、家の者は顔を青ざめる。

 

「なんだ、貴様は? 尋ねるときは自分から名乗るのが礼儀であろう?」

「おっと、これは失敬……私、こういうものです」

 

 男は懐から優雅な動きで名刺を取り、それを私に差し出してきた。

 なんだ、この男は。どこまでも無礼な……

 私はひったくるようにその紙を受け取り、書かれていたものを眺める。

 

「フン、まったく最近の者は礼儀がなっとらんな……ッ!? と、東京地検……?」

「ええ。我々は東京地検特捜部です。で、これを──」

 

 名刺に書かれていた所属に顔を青ざめさせた私に、彼は一枚の紙を示した。

 それは──「捜索差押許可状」と銘打っており、さらには裁判所の複雑な印がしっかりと押されていた。

 

「令状!? 家宅捜索だと? バカな……」

「ま、そういうわけですな。脱税の疑いで、あなたの自宅及びその敷地内を捜索させていただきます」

「なッ──!? 」

 

 思わず、男へと一歩踏み出したが──

 

「動くなッ!!」

 

 鋭い制止の声に、思わずビクッと体が跳ね上がり、動きを止めさせられた。

 

「これから捜索完了まで、我々の許可無く物に触れることを禁止します。無論、それは……貴方も含めてね」

 

 そう言ってこちらを見て、ニヤリと笑みを浮かべた。

 そして彼は背後にいた部下に指示を出し──捜索は開始された。

 段ボールを抱えた数多くの捜査員がドッと入ってくる。

 

「な!? なァ……」

 

 その怒濤のような勢いに押されたが──頭は冷静に動く。

 罪名は、脱税といったか。確かにイメージは悪いが、実はその罰はさほど重くはない。

 

(とぼけて追徴金を払えば、お咎めなしなこともある程度の罪。なにしろ金持ちの議員が法律作るんだから、抜け道つくるのは当然よ)

 

 そう考えて内心ほくそ笑む。

 

(それにしても、理事長辺りのイヤがらせだろうが……私が戻ってきたら、覚えておれよ!!)

 

 まだまだ自分は再起できる。そう考えて復讐を誓う男。

 だが──

 

「ああ、そうそう。これはあくまで私的な用件ですが……」

 

 最初に入ってきた男が部下に指示を出し終えた様子で、クルッと振り向いた。

 

「私のURAの理事をしている、()()()()()()古い友人から言われたんですがね……恩は恩で返すが、仇は仇で返させていただく。()()だけで済むと思わないことだ──と、言っていましたよ。ま、私にはなんのことやら、さっぱりわからないことですが」

 

 言い終えてからニヤリと──悪魔の笑みを浮かべた男。

 その気配に、私の背筋に冷たいものが走るのだった。

 

 

 

 ──その日、URAトレセン学園の元理事は、逮捕された。

 当初、脱税の罪で逮捕され、後日にそのまま起訴された。が──それだけでは済まなかった。

 彼がその地位に笠を着て行った高圧的な行為──パワハラは次々と明らかになる。

 部下はもちろん、学園所属のトレーナー、はてはウマ娘を萎縮させていたという話にまでなり、世間を大いに騒がせることになる。

 一連の騒動の中で、パワハラを受た()()()()()()()()がいること(さすがに報道では名前は伏せられた)や、こちらは実名で報道された()()()()()()()()までおり──それらは世間から同情の目を向けられることになった。

 

 元理事は、脱税してまで私利私欲のためにURAにまで損害を与えていたという事実も併せて明らかになり──世間からの批判はURAや学園、ウマ娘へはほぼ向かわず、その元理事へと非難が集中したのであった。




◆解説◆

【風のOG・東京発!】
・4連続でテレ朝水曜21時刑事ドラマシリーズから。「○○刑事」シリーズのタイトル「風の刑事・東京発」が元ネタ。
・今回でこのシリーズが元ネタは終わりです。
・まあ、ここまできたらこれ出すしかないかな、と。
・実は──40話で、ここまで終わらせるつもりだったので「はみだし」で終わる予定だったんですが、意外に長くなったので分割し、タイトルも「風の刑事~」を入れることに。
・『風の刑事・東京発』は『はぐれ刑事純情派』の半年放送の相方の一つだったんですが……じつは、他の「さすらい」や「はみだし」と違って1995~96年にかけての、たった1シリーズという短命で終わりました。
・とはいえ、鉄道警察隊が舞台で主役を演じたのが柴田恭兵さんだったという、今にしてみれば「さすらい」から「はみだし」へ繋いだドラマという感じですね。

トレーナーバッジ
・トレーナーの証。
・どういうデザインなのかは、不明。というのも、これが出てくるのはアニメではなくゲーム版だから。
・ゴールドシップのシナリオで、ゴルシが彼女の直前の台詞に乗っかって誤魔化そうとしたトレーナー(主人公)に「あ? なに言ってんだ? トレーナーバッジ付けてるのはトレーナーだろ?」と真顔で返し、その存在が明らかに。
・ゴルシの言っていることだが、それで話が普通に進むので実在しているのはまず間違いない。
・実際に、調教師や騎手にそういうのがあるのかどうかはよくわかりません。
・もしも存在しないならポケモンのジムバッジあたりが元ネタでしょうか。
・最敬礼するべき相手で、そういう場所なので、乾井トレーナーも服装を整え、このバッジをつけていきました。

東京地検特捜部
・東京・大阪・名古屋の各地方検察庁に設置されている特別捜査部の、東京地方検察庁の特別捜査部のこと。
・戦後にGHQの主導で設立された「隠匿退蔵物資事件捜査部」が前身で、それがもとになって東京地検特別捜査部が発足。その後、大阪に発足し、続いて名古屋にもつくられた。
・政治家汚職、大型脱税、経済事件といった大きな事件を担当。
・さまざまな有名な事件を担当してきましたが──最近では『鬼滅の刃』のアニメでも有名なユーフォーテーブルの脱税事件を担当したのも東京地検特捜部でした。
・氏名不詳のこの元理事の脱税も金額が大きかった──のか、背後に政治家でもいたので大きくなったのか、東京地検特捜部が出張ってきました。
・なお──脱税事件は通常なら警察……というよりも国税局が担当します。警察よりも国税局が動く方がはるかに多いでしょう。某芸人の脱税も国税局が動いてましたし。

捜索差押許可状
・よくドラマとかで家宅捜索するときとかに「捜査令状」と呼ばれるののがコレ。
・建物や車内・船内等を強制捜査するのを、裁判所が「やってよし」と許可が出す際に発行します。
・事件名や、差し押さえるべきもの、なんて言うのが書かれています。
・あくまで強制捜査の際に必要なもの。例えば車内を検索するのに車の所有者が「見ていいですよ」と言った場合には任意捜査になって、必要はありません。
・それと、実はこれ原則昼間用で、夜にやる場合や夜間にまたがる際には、夜間用が必要になります。
・あくまで建物や車内等が対象で──捜索する対象が人の身体である場合には「身体検査許可状」という別の令状が必要になります。
・なお……これらの令状を必要としない場合もありまして、逮捕現場での身体検査や家宅捜索には令状は必要ありません。


※次回の更新は9月5日の予定です。  



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第42R 大不振? 教えて!! 乾井トレーナー

 ──あっという間に季節は過ぎ去り……春を越え、初夏を過ぎ、梅雨になっていた。

 その間、学園では新たなウマ娘がやってきたり、とか色々イベントはあったけど、アタシは……一度たりともレースに出ることなく、体を休めた。
 もちろん、トレーニングを欠かすことはしなかったけど。

 そうして迎えた6月も後半になったその日──アタシは地元の中京レース場にいた。
 もちろん、アタシがいるのはターフの上。観客席(スタンド)じゃないわよ。
 むしろそっちにいるのは──

「ユウ、がんばれ!!」

 アタシのレースを見に来てくれたルームメイト、コスモドリーム。
 彼女はほぼ一年前にアタシと争った高松宮杯以来、未だに出走は無し。骨折のせいで狂った感覚を修正して、今の脚に負担のかからない走り方へと変えている最中だけど……やっぱり容易ではないみたいで、未だに復帰への見通しが立っていないみたい。
 そんな自分のことをおくびにも出さず、明るくアタシを応援してくれる彼女には本当に頭が上がらない。

「さすがコスモよね。本当に強い……」

 彼女の声に手を振って応えながら、アタシはポツリと呟いた。
 すると──

「あの……コスモドリームの知り合いっスか?」
「え?」

 声をかけてきたのは──真ん中に「夢」と書かれた鉢巻きを巻いたウマ娘だった。
 突然のことに戸惑ったけど……彼女の顔を見て、アタシは眉をひそめた。

「……バンブーメモリー、よね?」
「はい、そうっス! あれ、名前、知ってくれているっスか? ありがとうっス!!」

 ……いや、だって……アナタ、アタシと同じレースで走ったことあるわよね?
 それこそコスモと一緒に走った、唯一のレースの高松宮杯で。
 アタシが呆れ半分でジト目で見ているのに気が付かず。彼女は「いや~、自分も有名になってきたっスね」と頭を掻いて照れている。

(また同じレースになったのね……)

 彼女の成績は覚えている。7位だったアタシよりもずっと上の2位。
 あの時のレースで、明らかに力の差を感じた相手の一人だもの。忘れはしないわ。
 なによりも今回のレースは、あのとき以来の格上挑戦で、重賞GⅡの──CBC賞なんだから。

「で、コスモドリームの知り合いっスか? ユウさんは?」
「──ハ?」

 なに? この人……いきなり人をユウ呼ばわりして。
 親しくもないアンタに、馴れ馴れしく言われたくないんですけど?
 アタシが冷め切った目で、敵意を込めて睨んだら、相手はかなり驚いた様子で──

「ご、ごめんっス、えっとユウなんとかさん……コスモドリームとはどういう関係で……」
「従姉妹でルームメイトよ。それに、アタシはユウなんとかじゃなくて、ダイユウサクなんですけど?」
「あぁ、思い出したっス。あの……」

 思わずポンと手を打ったバンブーメモリーをキッとにらみつける。
 なによ、その“あの”は? どの“あの”なつもり? どうせ「“あの”号泣ウイニングライブで有名な──」って続くんでしょ!?
 アタシの剣幕に押されたバンブーメモリーだったけど、おそるおそるといった様子で、さらに訊いてくる。

「きょ、今日はコスモドリームのトレーナーさんは来てるっスか?」
「巽見トレーナー? さぁ、来ていないんじゃないの? 分からないけどねッ!!」

 用事はそれだけ?
 アタシは憤然としながら、バンブーメモリーの元から離れる。
 背後では「よかったっス~」と安堵の声がが聞こえたけど──関係ないわよ、まったく!!




 

「よりにもよって、格上挑戦するなんて……」

 

 観客席(スタンド)最前列のチーム関係者が陣取るエリアで走路を見つめるオレは、傍らにいる車椅子のウマ娘からの声に、彼女をチラッと見た。

 

「不満か? ミラクルバード」

「不満というか、不安というか……ううん、不安どころか勝てる要素を探す方が厳しくない?」

 

 オレが担当しているウマ娘、ダイユウサクが今日走るのは、昨年までは年末に開催されていたCBC賞だ。

 今年は6月の開催になったが、距離が変わった訳じゃない。

 

「短距離。しかもそれを得意にしている実力者が集まっているわけだからな」

「そうだよ。しかも短距離はG1がほとんど無いと同じだもん。必然的にG2のレベルは高くなるのに……」

 

 責めるような目で、ミラクルバードはオレを見てきた。

 

「ダイユウ先輩って、短距離得意じゃないって、トレーナー言ってなかった?」

「得意じゃない、とは言っていないぞ。現に中京(ここ)とは違うが、コースレコード出したこともあるからな」

 

 アイツが出したのは去年の秋。確かに阪神の1200でレコードを出している。

 

「それなら期待できるってこと?」

「どうだろうな……」

 

 オレは思わず苦笑してしまった。

 不得意ということはない。だが、もっとも得意とする距離帯は違う、とオレは思っている。

 

「期待できないのに、格上挑戦したの? しかも復帰戦なのに……」

「そうジト目で睨むな。もちろん考えあってのことだ」

 

 そう言って宥めたものの、それでも不満げにオレを見てくるミラクルバード。

 

「……しばらくぶりの競争(レース)だからな。順位を気にせず走って欲しかったというのが大きい」

 

 なにしろ半年も競争(レース)に出ていなかったのは初めてのこと。それだけ休んで復帰直後に勝てるほど器用なウマ娘じゃないのは、こっちも百も承知だ。

 しかし、仮に負けてもかまわないと言っても、もしも自己条件で走って結果が出なければ後に引くし、ムキになるパターンだ。

 負けても仕方ない、という理由付けのための格上挑戦というわけである。

 

「ま、つきあいも長くなってきたからな。それに……」

 

 ミラクルバードに説明しながら、思わず苦笑してしまう。

 

「それに?」

「もしも、まかり間違って勝っちまったら、それはそれでオープンクラスになれるだろうし。万々歳だ」

「う~ん、そうなったら最高だろうけどね」

 

 ミラクルバードも苦笑で返す。

 

 

 ──そして案の定、ダイユウサクはCBC賞を制することはできなかった。

 しかし着順は4位

 短距離で結果を残した“差し”でのレース展開をしたのだが──やはり壁は厚い。

 途中まで併走していた、2位だった同学年(バンブーメモリー)を、なぜか恨みがましく睨んでいたが……

 しかし、それでも昨年にG2の高松宮杯に格上挑戦した時と違って入賞圏内に入ったのは、オレ達《アクルックス》にとって明らかな手応えだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──7月。

 

 

 学園の食堂で、アタシはため息を付いた。

 

(……勝てない、わね)

 

 アタシは、復帰後2戦目のレースに出走した。

 でも──結果は再びの4位。

 またしても勝つことができなかった。

 

「これでランクが上がってから6連敗か……」

 

 思わず言葉が口をついて出て、つぶやきが漏れてしまう。

 準オープンクラスになってから未だに未勝利。

 格上挑戦もあったけど、もちろん自己条件で走ってる方が多いんだから言い訳にならない。

 半年の休養があったから、ランクが上がってからすでにもう9ヶ月。

 4月までにオープンクラスに上がるのに焦っていたけど、その必要がなくなって少し気が抜けていたのかもしれない。

 

「ユウ、食欲無いの?」

 

 アタシの箸が止まっていたのを見咎めた、ルームメイトのコスモドリームが不思議そうに見ていた。

 そんな彼女は──去年の高松宮杯以降、一年以上出走していない。

 あの時に決意した、骨折後の足に合った走り方を目指して再リハビリ&トレーニング中なのだが──まるでデビュー前に戻ったような基礎の基礎からのトレーニングは、まだ上手くいっていない様子。

 でも、コスモはそんな様子をおくびも出さず、明るい笑顔を浮かべているのには、尊敬さえするわ。

 

「そんなことないわよ……」

 

 アタシが考えにふけるのをやめて、再び箸を進める。

 すると──さっきの会話で目をキラーンと光らせたウマ娘が、少し寂しそうにしながら目の前に置かれたものへと視線を戻した。

 その葦毛の彼女──オグリキャップのテーブルを見て、その量にアタシは思わず苦笑する。

 

「……相変わらずね、オグリ…………」

「怪我を治すためにしっかりと栄養補給をしないと……」

 

「「──え?」」

 

 思わず声が出てしまうアタシとコスモ。

 お互いにチラッと視線を合わせ、そしてオグリへと苦笑交じりの笑みを浮かべる。

 

「そっか。オグリは秋に復帰できるんだね」

「ああ。本当ならアメリカ遠征だったんだが、脚が……」

 

 コスモの言葉に、オグリキャップがうなずき、自分の足へと視線を落とした。

 あれ? この二人ってこんなに仲良かったっけ?

 

「ねぇ、コスモ。アナタ確か……オグリに苦手意識持ってなかった?」

「苦手意識? なんのこと?」

「だって……一昨年の高松宮杯で負けてから、怖がっていたじゃない」

「怖がってなんかないけど……うん、今年になってからリハビリとかトレーニングで会う機会が増えたからね。話してみたら結構いいヤツだった」

 

 オグリキャップを見て笑顔を浮かべるコスモドリーム。

 彼女の言うとおり──オグリキャップもまた去年末の有記念から長期の休養に入って、6月に復帰。

 でも、その後の宝塚記念後にケガが分かって──おかげで、計画していた海外への遠征も無くなった。

 その話になって、オグリの側にいたベルノライトが大きくため息を付いた。

 

「そうだったのよね……せっかく、アメリカにいけると思ったのに……パスポートも用意したのに……」

「そ、それは気が早すぎたんじゃ──」

「だって、早いに越したことはないと思って……」

 

 グッと迫ってくるベルノライト。

 それにアタシは苦笑で応じる。

 

「海外だとか、ずいぶんスケールの大きな話でうらやましいわよ。アタシなんかまだ下で燻っているんだから」

「燻るとか、そんな自虐的になること無いと思うけど?」

「だって、復帰しても2回とも勝てなかったし……」

 

 これを燻ると言わずして、何を燻るというのか。

 なんてアタシが思っていたら、ベルノライトは不思議そうにアタシを見ていた。

 

「え? その2回って、勝てなくても仕方ないってレースじゃなかったの?」

「──え? いや、確かにCBC賞は格上挑戦だったけど……」

 

 そっちはともかく、今回のレースはそうじゃなかったはずよ。

 でも、ベルノライトはどうしてそんなことを。

 

「あれ? 六平さんはそう言っていたんだけど……違ったのかな? 」

「……どういうこと?」

 

 アタシの問いに、困り顔のベルノライトは気まずそうにしながら「あくまで六平トレーナーの言ってたことだよ?」と前置きして説明を始めた。

 

「今回と前回のレースはあくまで、レース間が空きすぎたから勘を取り戻すため、あるいはこれ以上勘を鈍らせないため、だって。秋レースが始まってからが本番と、割り切って狙ってやがるな、って感心していたんだよ?」

 

 そうしたら、それを聞いていたコスモまで──

 

「ああ。そういえば、涼子さんも同じこと言ってた」

「え? 涼子さんまで!? もう、あんのトレーナー……」

 

 それを聞いて──カチンときた。

 だってアタシにはそんな説明、全然しないんだから。

 怒りを燃やし始めたアタシに、ベルノライトは焦った様子でフォローを入れる。

 

「で、でも……あくまで六平トレーナーと、コスモちゃんのところの……」

「涼子さん? 巽見っていうんだよ?」

「そうそう。巽見トレーナーの二人の意見が合致しただけで、乾井トレーナーの思惑は別にあるかも……」

「そうかな? コスモも、乾井トレーナーは今回も前回も勝ちに来ていなかったと思うけど?」

「こ、コスモちゃん!?」

 

 フォローしようとがんばったのに、あっさり裏切られたベルノが、コスモに抗議するように視線を向けた。

 だけど──そんなのを読めるコスモじゃないわよ。

 

「なんで?」

 

 アタシが聞くと、コスモは笑顔で──

 

「だって、乾井トレーナーは勝ってないのに全然焦ってなかったじゃん」

 

 ……は?

 アタシは思わずコスモを呆然と見つめる。

 

「悔しそうにはしてたよ。でもね、追いつめられた感じが全然無かった。例えば……去年の秋の方がよほど険しい顔になってたし、初勝利のレース前なんてもっと切羽詰まってたよ」

「それはそうでしょうよ。あの時は……」

 

 アタシが勝たなければ、あの人は中央トレセン学園(ここ)に残れなかったんだから。

 

「ここでモヤついてるくらいなら、訊いてみたら?」

「え……? 何を?」

「そんなの決まってる。乾井トレーナーが、どんなつもりで2つのレースに出走させたのか、をだよ。そうだ! コスモも付いていってあげるから、今すぐいこう!!」

 

 そう言うや、コスモドリームはアタシの腕を取って、引っ張る。

 

「なッ? ちょ!? アタシまだ、ご飯ほとんど食べてな──」

「大丈夫、大丈夫。ご飯は逃げないけど、トレーナーは逃げちゃうかもしれないでしょ」

 

 謎の理論を説くコスモに連れられて、呆気にとられているベルノライトに見送られたアタシは、そのまま食堂を後にした。

 

 

「…………ベルノ、これは食べてもいいんだろうか?」

「いいんじゃないかな。ダイユウちゃん、ほとんど手を付けてなかったみたいだしね」

「うん。残すのはもったいないからな。食べられないのは可哀想だ」

「ダイユウちゃんのこと?」

「いや、ここに残された食べ物のことだが……」

「はぁ……そうだと思った。オグリちゃんって、やっぱりマイペースだよね」

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「あ? その通りだぞ。復帰後の2戦は負けても仕方ないとは思ってた」

 

 オレがトレーナー部屋にいたら、勢い込んで二人のウマ娘──コスモドリームとダイユウサクがやってきて、部屋に入るなりオレの方へとやってきた。

 で、そのうちのダイユウサクがオレに──「前の2戦、ダメもとだったってホント?」と訊いてきたので、オレは素直に答えた。

 すると──ダイユウサクは驚いた様子で固まり、隣のコスモドリームは笑顔で「だから言ったじゃん」と言っている。

 さすがにこんな騒動になったので、同部屋でコスモドリームの担当トレーナーでもある巽見も、気になったようでこちらを見ているのがわかった。

 

「なんで言ってくれないのよ!?」

「言えるか? このレースは負けてもいいからな、なんて走る前に」

「それは……そうだけど……」

 

 オレの正論に、ダイユウサクは機先を削がれる。

 だが、その様子を見ていたコスモドリームが口を開いた。

 

「でもさ、乾井さん。走った後に教えてあげたらよかったんじゃない? それならユウも必要以上に悔しがらなくてよかったんだから」

「そ、そうよ! なんで言ってくれなかったのよ!?」

 

 それで息を吹き返したダイユウサクがバッと顔を上げて詰め寄ってくる。

 う~ん、コイツはあまり言いたくないんだがな……オレは、思わず苦々しい表情を浮かべつつ、チラッと巽見を見た。

 彼女は笑顔を浮かべながら──言っちゃいなさい、と言外に主張していた。

 まぁ、言っても問題はないか。

 オレは意を決して、ダイユウサクに伝える。

 

「じゃあ、正直に言う。まずオレが考えるオープンクラスに上がる計画では、本命のレースまでにもう一戦、同じように走ってもらう必要があるからだ。それまで言いたくなかった」

「もう一戦? また無駄に走れっていうの?」

 

 そう言って気色ばむダイユウサク。

 ほらな、やっぱりそういう反応をするから──

 

「そういうところだよ、ダイユウ先輩」

 

 そう言って、部屋の奥から車椅子のウマ娘が現れる。

 

「ミラクルバード……いたの?」

「うん。巽見トレーナーからも意見を聞かれてね」

 

 そう言ってミラクルバードはチラッと巽見の方へ視線を向ける。

 すると巽見は黙って笑みを浮かべてうなずいた。隣だったので聞こえたが、コスモドリームの調整について聞かれていたようだったが──やはり引退の話も出たコスモの復活は容易ではないらしい。

 

「無駄なレースなんてないよ。もちろんトレーナーは考えあって計画を組んでいるんだから」

 

 ミラクルバードが言うと、ダイユウサクはなにか言いたげにしながら──悔しげに彼女を見て、口をつぐんだ。

 そして目をそらす。

 そんな様子を傍らで見ていたコスモドリームが苦笑して、代弁するように話し始める。

 

「じゃあ、それを教えてあげてよ、乾井さん。ミラクルバードにばかり説明して、ユウに教えてあげないのは……不公平だし、ユウだって面白くないよ、きっと」

「なッ!? ちょっとコスモ、余計なこと言わないでよ! アタシはそんなこと全然──」

「寂しくないの? 自分のことのはずなのに、トレーナーとミラクルバードは知ってて、ユウだけ知らされてないなんて……」

「う……」

 

 コスモに言われ、うつむくダイユウサク。その耳も困惑したように垂れている。

 確かに、コスモドリームの言うことには一理あるとは思った。

 最近──というか、ミラクルバードが来るまで、オレは自分一人の考えでトレーニングやレースの計画を組んでいたし、それを話す相手は巽見くらいだった。

 もちろん他のチームのサブトレである以上、当たり障りのない話しかできなかったが。

 オレだって経験豊富なトレーナーってわけじゃない。自分の方針に不安や疑問を持ちながらやってきて、失敗も重ね──そんな中で、ミラクルバードという相談相手ができた。

 今まで、自分の頭の中で完結していて、ダイユウサクには話さなかったり、あえて黙っている必要があったことも、ミラクルバードには話すようになった。

 

(ま、これはこいつ(ミラクルバード)が思った以上に、補佐役として優秀だったからだが……)

 

 天与の才で、優れた競走ウマ娘としての視点を持った彼女の目の付け所は的確だった。

 それに、やはりただの人間でしかないオレには理解できない、ウマ娘の感覚によるところも補ってくれた。

 だからこそ──頼りすぎたのかもしれない。

 

「──それに、コンちゃんもだよ。サポート役なら競走ウマ娘の気分をのせていかないとダメじゃないか」

「「コンちゃん?」」

 

 ミラクルバードを見ながら言ったコスモドリームの言葉に、オレとダイユウサクは首を傾げた。

 一方、ミラクルバードは──

 

「こ、コスモ先輩……その呼び方、いったいどこで……」

「チームの後輩からだよ。同級生の間ではそう呼ばれてるって……由来も、もちろん聞いたよ。おなか空いたりノドが乾いたら、ついクセで壁をコンコンって叩いちゃうからだよね?」

「う……」

 

 返答に詰まるミラクルバード。その反応がコスモドリームの話の信憑性を何よりも証明していた。

 そして──爆笑するダイユウサク。

 

「アハハハ……コンちゃん、ね。なるほどなるほど……」

「ちょ、笑うなんてひどいよ、ダイユウサク!! コスモ先輩もなんでそんなことを……」

 

 焦ってコスモドリームに詰め寄ろうとするミラクルバードを、ダイユウサクは笑みを浮かべてなだめる。

 

「いいじゃないの、ミラクルバード。ちょうどアナタの愛称が欲しいと思ってたところだし、ミラクルとかバードだとどうにもしっくりこなかったのよ……これからコン助って呼ぶわ」

「助っ!? なんで助が出てくるの?」

 

 慌てるミラクルバード。

 それに勝ち誇った笑みを浮かべるダイユウサク。

 それをコスモドリームが、「まぁまぁ」となだめている。

 そんな3人を眺めながら──オレは脱線する前の話について考えていた。

 

(自身のことなのに一人だけ知らなかったら、疎外感を感じるのも当然だよな)

 

 ミラクルバードからマウントをとってはしゃぐダイユウサクを見て、オレは意を決した。

 

「話を戻すが……正直な話、本格復帰は秋からだとオレは考えてる」

 

 オレが説明を始めると、ダイユウサク達は慌ててオレの方へ振り返る。

 

「──え? でも……6月のCBC賞に復帰したじゃないの」

「本音を言えば、そのころから戻したかったが……夏は大きなレースがほとんど無いからな」

 

 メイクデビュー戦が始まる夏は、その気候のせいもあって重賞は極端に減る。

 

「幸いなことに、半年ゆっくりできたおかげで、去年酷使したときの体はほぼ癒されたが……だからといって秋を前にまた無理もしたくなかった」

 

 夏に重賞が減るのは、猛暑の中で走るのが負担になるということでもある。

 デビュー前やデビュー直後で体に負荷が溜まっていない新人(ジュニア級)なら無理はきくだろう。

 しかし、夏の時期に積極的にレースを走らせるのは、今のダイユウサクではせっかく癒した体に余計な負担をかけてしまうことにもなる。

 おまけにレースも少なく選択肢が限られる。

 

「9月以降の秋シーズンになれば、重賞を含めたレースも盛んになり、出走の選択肢も増える。その秋も前半のうちに──昇級を目指す」

「……それなら、秋に復帰でよかったんじゃないの?」

 

 疑問を呈したのはコスモドリームだった。

 

「それだと前走から期間が空きすぎる。10ヶ月近く本番の競走(レース)をしない状態で復帰しても、勘が鈍ってるだろ」

 

 無論、トレーニングは欠かしていない。他のウマ娘に頼んで“併せ”もやっている。

 しかしやはり、本番での雰囲気とはかけ離れているし、なによりトレーニングである以上、“全力で鎬を削る真剣勝負”という点では遠く及ばない。

 

「この2戦は、空いたブランクのせいで鈍った競走(レース)勘を取り戻すのが主目的。ただ8月は体に負担がかかりすぎるからそれもやらん。9月にもう一走して調整し──狙うは、ここだ」

 

 オレはカレンダーをめくり、指していた日付から指を動かし──その日付を指す。

 9月の第5土曜日──9月29日。

 ダイユウサクと、そしてミラクルバードも息をのむ。コイツにもここまでは話していなかったからな。

 

「……本番のレースで調整って、本気?」

 

 一方、聞いていた巽見があきれた様子で苦笑している。

 

「ああ、本気だ。競走勘(コレ)ばかりはトレーニングではどうにもならないからな。それに……“あの方”に比べたらマシだろ?」

「……アレは、別格でしょ」

 

 さらに苦笑──今度は呆れの色が混じった苦笑へと変える巽見。

 とある“偉大なるウマ娘”の話だが、当時は随分と“偏屈”であられたその方は、調整では「本気になれない」とまるでやる気を出さず、担当トレーナーを随分と困らせたそうだ。

 それで苦肉の策で取られたのが、本命のレース前に別のレースを走って調整を行う、という方法。

 当時は「レースそのものを愚弄している」と批判もあったようだが、今では“あの方”の伝説の一つになっている。

 

「……これで納得したか? ダイユウサク」

「ええ。おかげで目標がハッキリしたけど、でも……」

 

 言葉を切った彼女は、オレが指しているよりも上の、その直前に指した日付──9月9日を指す。

 

「ここで勝っちゃっても、構わないんでしょう?」

 

 そう言って勝ち気な笑みを浮かべる彼女に、オレは──

 

「あのなぁ。そこはセントウルステークス、格上挑戦だぞ? どうせお前がそう言い出すだろうと思ったからな」

 

 ため息をつきながら俺が言うと、行動を見透かされたダイユウサクが顔を赤くしながらムキになって言い返してくる。

 

「う、うるさいわね! とにかく、ここで勝っちゃえばオープンになるんだから──」

「構わないけど、無理すんなよ。あくまで本命はオレが言った方だ。もしもそこまででちゃんとオープンになってたら──とっておきのお祝いを用意してやる」

 

「──え?」

 

 驚いて固まったダイユウサク。

 ……ん? なんでコイツ、顔を赤くしているんだ?

 お祝いがそんなに嬉しいのか? まだ内容も言ってないが──アレは楽しいだけじゃないと思うんだが、な。

 




◆解説◆

【教えて!! 乾井トレーナー】
・今回の元ネタは、2021年8月26日に約20年ぶりにリメイクされたTYPE-MOONの『月姫』。
・ゲームでのバッドエンドの後にあるヒントコーナー「教えて!! 知得留(シエル)先生」から。
・漫画版でもパロディされていて、単行本発売の宣伝で使われていました。
・さてリメイク版の『月姫 -A piece of blue glass moon-』は発表されたのが2008年6月……13年も前だったので、今年になって発売するという話が出たときには正直、「ホントかよ」と思ったのですが……ホントに出ました。
・ただ、まだ未プレイなんですけど、聞いたところによればルートはアルクとシエルルートしかないようで……秋葉は?
・一番見たいのはさっちんルートですけどね……。

同じレースで走った
・はい。あります。前年の高松宮杯で顔を合わせています。第30R参照。
・この時は、コスモドリームに声をかけていたのでダイユウサクをまったく意識していませんでした。
・なお毎回毎回、巽海トレーナーにビビる描写しかないバンブーですが、これには理由がありまして……
・マイラーで同級生のバンブーメモリーは、89年のマイルチャンピオンシップ、90年の安田記念、さらにはダイユウサクも出走した90年の天皇賞(秋)で、オグリキャップと鎬を削って争います。
・その上、ウマ娘化もしているので今後の『シンデレラグレイ』には99.9999パーセント、まず間違いなく登場するキャラなんです。
・しかし育成では実装しておらず、サポカも持っていないという個人的事情、加えてアニメ未登場、さらには原案ではかなりオラついた感じだったのに、ゲームに出てくるのは全く感じないので違和感がある──と、どんなキャラ付けされるのか、現時点でサッパリわかりません。
・ですので、「出走しているからとりあえず顔出し」程度のことしかできませんでした。
・今まで、イナリワンやゴールドシチーも同じ扱い(シチーは現在では育成実装されて性格把握しやすいですが)にしてサラッと出して流してました。
・しかし、さすがにバンブーは回数が多くなりすぎて、「巽見トレーナーにビビる」ネタも書いている側もちょっとしつこいかな、と思い始めたもので──ちょっとした言い訳です。
・ただなぁ……実は、今後もバンブーはダイユウサクと絡むんですよ。
・この後は、90年天皇賞(秋)、91年スワンステークス、同マイルチャンピオンシップと3回同じレースで顔会わせるんですよね。
・さすがに今後も毎回、同じネタを使うわけにはいきません。
・遅咲きのオグリ世代、という点ではバンブーとダイユウサクは共通していましたからね。同じようにランク上げるのを苦労してますし。(バンブーも生涯で39戦も走っています)
※追記(2021年9月12日)
・シングレ3巻の20ページ目中段のコマで、右列最後尾に、どう見てもバンブーメモリーなウマ娘を発見……これ、同級生だったというオチかも。
・この先、クラス違う前提で書いてしまったので、ちょっと考え中です。

CBC賞
・今回の元ネタになるレースは、1990年のCBC賞。
・その開催日は6月24日で中京競馬場。芝の1200。
・当日の天気は晴れ。良馬場。
・そもそも「CBCとはなんぞや?」というと中部日本放送(略称CBC)のこと。そこが寄贈賞を提供してます。
・1965年に創設された重賞レースで砂(例によってダートではない)の1800メートルで創設。
・1970年、中京競馬場に芝コースが新設されて芝の1800に。
・翌1971年に1400、1981年に1200に距離変更され、現在に至る。
・開催時期は、設立時に12月の前半に開催していたのですが──今回のモデルになる1990年から6月後半に変更になっています。
・そのため、開催時期変更前なので36話に出走候補のレースに名前が挙がっていました。
・その後、1996年に11月開催になり、2000年には12月開催に戻り……2006年にまた6月開催、2012年に7月開催に変更になって現在に至る──なんとも開催時期の安定しないレースです。
・しかも……グレード制に移行した1984年にはGⅡに指定され、ダイユウサクが走った時もGⅡだったのですが、2006年にGⅢに降格しました。え? そんなことあるの?
・……ともあれ、本作ではGⅡ扱いです。

短距離はGⅠがほとんど無い
・現在のGⅠレースでさえ、短距離に分類されるのは高松宮記念とスプリンターズステークスの二つしかない。
・以前の解説にもあったように、高松宮記念はもともとは高松宮杯で1996年にGⅠになる際に1200メートルになったもの。
・それ以前はスプリンターズステークスしかなく、モデルになっている年の1990年にG1に格上げ。
・ということは、1989年以前って……
・ゲームのウマ娘でも、短距離ウマ娘育てるときには、大きなレースが少ないのでどうしてもファン数が伸びないんですよね。

着順は4位
・1990年のCBC賞、ダイユウサクの着順は4位でした。
・本文中にもあるように、実装済みのウマ娘である場バンブーメモリーが2位。
・1位だったのは、ダイユウサクやバンブーと同じオグリ世代で、その中でもパッとしたのがいない牝馬にあたってしまう、パッシングショット。
・生涯成績は27戦5勝。2位が10回、3位が3回……どうにも勝ちきれない感じですね。
・重賞制覇も今回のCBC賞と、この年のマイルチャンピオンシップ(GⅠ)くらい。
牝馬三冠(トリプルティアラ)もエリザベス女王杯に出走したくらいで、結果も9位。やっぱりパッとしない。
・ただ……バンブーメモリーが主役の話なら間違いなく出てくるキャラ。
・90年は今回のCBC賞とマイルチャンピオンシップをパッシングショットが制した時には2位というライバル的存在。
・しかしスプリンターズステークスで2番人気だったパッシングショットは、ゲート入り直前に放馬というアクシデントがあり、それが響いて8位(バンブーが優勝)で、それを最後に引退した。
・繁殖牝馬に入ったパッシングショットでしたが──初年度の種付け直前に転倒し、頭蓋骨骨折で死亡……というなんとも呆気ない最期。
・その相手の予定だったのがニッポーテイオー。ダイユウサクが種牡馬引退後に一緒に過ごしたり、とこの世代と何かと縁のある馬です。

復帰後2戦目
・復帰後の2戦はジュライステークス。
・元ネタの1990年は7月7日に開催。1500万下の条件戦で中京競馬場、芝の1200。距離や場所は前走と同じ。
・天気は曇り。馬場は良。
・2番人気のダイユウサクは、前走CBC賞と同じように中段待機の“差し”で──4位、というまさにCBCの焼き直しのような結果に。
・ちなみに勝ったのは1番人気だったルイテイト。オグリ世代の牡馬です。
・また、他の出走メンバーも有名どころはいません。

コン助
・プリコネのキャルがコッコロを呼ぶときの愛称(コロ助)が元ネタ──ではありません。
・原作で、ミラクルバードが主戦騎手や厩舎で呼ばれていた愛称が本当の元ネタ。
・飼葉桶や飲み水が空になると、壁をコンコンと2度蹴るクセがあり、そこから「コン助」というあだ名がつけられ、主戦騎手もそう呼んでいた。
・原作でミラクルバードが命を落としたレースでは降ろされてしまっていたその主戦騎手も、そのシーンを見てミラクルバードではなく「コン助が死んだ!」と叫んでいます。

とある“偉大なるウマ娘”の話
・はい。シンザンのことです。
・競走馬のシンザンはとても頭のいい馬だったそうで、極力無駄なことをしない性格でした。
・しかも調教嫌いで走らず、調教師から「シンザンはゼニのかかっていないときは走らん」と言われてしまうほど。
・しかしそれも序の口で、本番レースでさえ「大差でちぎって勝つ」ことさえしません。
・ウィニングランなんてもってのほか、勝ったらゴール板過ぎたらさっさと足を止めてしまいます。
・もしも今後、ウマ娘で実装されたらゴール後にすぐに立ち止まってる、というキャラになるかも。
・そしてレコード勝ちが一度もないほど「無駄なことはしない」のを徹底ぶり。
・調整で「走らない」のに困った陣営が考えたのが「本命レースの前に別のレースを走らせて調整する」というやり方。
・競馬評論家の大川慶次郎氏曰く「一回の調教では取れない太めが、レースに使うと三回調教をしたくらいに解消する」とのこと。
・以前の解説で触れましたが、シンザンの2位4回の事情とは「本番前の調整でレースに走った」から。
・その4回のうち夏負けの体調不良での2回でさえ、本命はクラッシック三冠の秋のレース、菊花賞に向けての調整でした。
・あとは東京優駿(日本ダービー)と有馬記念の前に調整で走って2位の2回。
・おかげでラストランの有馬記念は、前週にオープンを走っての連闘というスケジュールでした。
・ただそのやり方はレース軽視と言われかねないため、当然ことながら批判もあり、先の大川慶次郎氏は「ファンや評論家からの立場から腹が立つ」旨の発言をしています。
・まぁ……大川氏は初見のスプリングステークスを前にシンザン見たときに、調教で走らないのを見て(あ……)低評価したら勝たれ、それ以来、一度も本命に挙げずにシンザンに勝てる馬を必死に探すくらいにシンザンを目の敵にしていたみたいなので──


※次回の更新は9月8日の予定です。  



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第43R 大昇格! 月の光に導かれ──

 やってきたウマ娘──ダイユウサクとコスモドリームは、部屋にいたミラクルバードを連れて去っていった。
 それを見送り、さぁ、自分の仕事を……と思った矢先に、同室のトレーナーが声をかけてきた。

「……ハッキリ言ってあげなくてよかったの?」
「なにを?」

 巽見が真面目な──どこか非難するように鋭ささえ感じさせる目でオレを見ていた。

「いいことばかり並べ立てて……ある意味、騙してるようなものじゃないの?」
「騙してなんかいないさ」

 オレは──その視線に耐え切れずに、視線をそらして話を続ける。

「……見たくない現実から逃げたいのは、オレも一緒だからな」

 もしも──このレースに勝てなかった場合、オレの計画はかなり厳しいものになる。
 次や、その次で勝ってオープンクラスになるのは可能だろう。
 だが、それが遅くなればなるほど、厳しい現実が襲ってくる。

「ひょっとしたらアイツ自身も気が付いているのかもしれないけどな」

 だからこその焦りなのかもしれない。
 トレセン学園に所属していれば必然的に見ることになる、栄光──その落日を。

体力の限界……か」

 どんなウマ娘だろうと、その日はやってくる。
 月が満ちた後、必ず欠けていくように。
 昇った太陽が、正午を過ぎ──夕方には地に沈むように。

 やがて競走(レース)から去っていくウマ娘達。

 その波が──自分の同級生達を飲み込み始めているのに、ダイユウサクとて気づいているだろう。
 もちろんそれは自分だって例外じゃない。
 もしも、今年のうちにオープンクラスに昇級できなければ──



 アタシが9月の頭に出走したレースは、G3のセントウルステークス。

 短距離の1200っていうのは今までと同じで、わざわざ格上挑戦にしたのも、「負けても気にすんな」っていうトレーナーの気遣いだと思ったわ。

 

(だからって──負けられないのよ!!)

 

 さすがに3回目にもなれば、重賞の空気にも慣れてきてる。

 でもね。これを負ければ7連敗になるのよ。

 いくら格上挑戦だからって、簡単に負けるわけには──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ま、仕方ないわな」

 

 セントウルステークスの結果を見て、オレはつぶやいた。

 もちろん、悔しさはある。

 それよりなにより、ダイユウサクに申し訳ないという気持ちの方が強い。

 

(連敗している中でこんなやり方はアイツには厳しいとは思う。それはわかっているんだが……)

 

 これに関しては、オレの方が焦っていた。

 準オープンですでに7戦。秋シーズンをなるべく早い段階でオープンクラスで迎えたい現状としては、次の一戦に賭けるしかない。

 

「やっぱりダイユウ先輩に1200は短い、かもね」

「だな。阪神のレコード出したんだから、適正が無いわけじゃないんだろうが」

 

 今回は先行でレースを組み立てたダイユウサクだったが、最後に後方から“追込み”のウマ娘に抜かれ、“逃げ”たヤツにも追いつけず、結果は3位。

 どうにも中途半端だった感は否めない。

 

(去年までならともかく、今の自己条件や格上の連中を相手にすると、それが露骨になっちまう……)

 

 それでも、ここ3戦ともに1200を走らせたのは、1レースでの体への負担を少しでも軽くするため、だ。

 短距離なら逆にペースが上がるので必ずしも負担が軽い訳じゃあないが、それでも長距離走らせる方が、長時間体に負担がかかり続けることを考えると、抜けにくい疲れが体にかかることになる。

 

「だが、次こそ本命だ」

 

 次のレースは9月29日のムーンライトハンデ

 距離は2000。アイツの適正は短距離よりもこれくらいの方が向いていると思う距離だ。

 そしてここを制することができれば──いよいよオープンクラスへの道が開ける。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その日──中京レース場は小雨が降っていた。

 おかげでバ場状態は稍重(ややおも)

 秋雨が落ちるその空を見上げたトレーナーは、アタシにポツリと言ってきた。

 

「お前、雨女か?」

「は? そんなわけ無いでしょ?」

「そうか? 結構、大事な局面の時、天気が悪いことが多い気がするけどな」

「それって、初勝利の時がそうだったから、その印象が強いだけじゃないの?」

 

 そう言いながら、アタシもまた空を見上げた。

 あの時も天気は悪かったけど、コースが芝じゃなくてダートだった。前を走るウマ娘の足下から泥が飛んできたもの。

 

「雨降らなくても、曇っていたときもあったしな……」

「いつよ?」

「去年の高松宮杯」

 

 ああ、あの時ね。

 確かにレース中は曇りだった。レース後にコスモと歩いているときに日がさしてきたのをよく覚えてるわ。

 

「ま、雨……というかバ場が悪いのを苦手にはしてないみたいだな」

「あら? トレーナーはアタシのこと、『雨が得意かもしれない』って言ってなかったっけ?」

 

 そう言って、フフンと得意げに笑みを浮かべたアタシに、トレーナーは「ああ、そんなこともあったな」と苦笑を浮かべた。

 

「オレの目が、確かだったってことだな」

「なんでそんな理屈になるのよ。あの時はアタシが『走ったこと無い』って言ったら、『得意かもしれないだろ』って返しただけよ?」

 

 胸を張った彼にアタシが半ば呆れながら言うと──彼はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「よく覚えていたな」

「当たり前じゃない。でも……そう言うってことは、アナタも覚えてるってことじゃないの?」

「当たり前だろ。なにしろオレの方から頼んだんだぞ。トレーナーやらせてくれってな」

 

 彼がアタシを見つめて言った意外な言葉に、思わずきょとんとしてしまう。

 ……なんで、今頃になってそんなこと言うのよ?

 

「だから、こんなところで止まってられない。この先を──見させてくれよ」

 

 そう言った彼にアタシは──

 

「ええ、やってあげようじゃないの」

 

 勝ち気な笑みを浮かべて返した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ゲートが開く。

 それと同時にダッシュ。いつも通り、順調なスタートをきったアタシ。

 

(コスモはこれが苦手って言ってたけど……なんでなんだろ?)

 

 ゲートが開いたら飛び出せばいいだけなのに。

 そんなことを考えながら、アタシは順調に速度を上げる。

 細かな雨粒が顔に当たるけど──それを気になんて、してらんない。

 

(今日は……今日こそは…………)

 

 絶対に勝つ。

 そう決めたアタシが採った作戦は──先頭から三番目に位置する先頭集団でレースを

展開する。

 今までもっとも多くのレースで採用して、結果を出してきた──“先行”よ。 

 レース前にトレーナーが言った言葉が脳裏をよぎる。

 

『作戦は、完全にお前に任せる。今のお前なら何が最適か、判断できるだろ? そうなるように指導してきたし、それができるとオレは確信してる』

 

 “逃げ”や“追込み”の選択肢はない。

 まず“追込み”は未経験。しかも仕掛けるタイミングが難しくて、ぶっつけ本番でどうにかなるようなものじゃない。

 “逃げ”はやったことが無い訳じゃないけど、だいぶ前の話。おまけに逃げきれたなんて記憶もないし、今の“逃げ”の経験の浅いアタシがその作戦でレースをコントロールするのは無理。

 

(“先行”と“差し”……確かにレコードを出したり、“差し”のイメージも悪くないけど──)

 

 でも、今日は天気が悪い。

 前を走るウマ娘が多ければ多いほど、彼女たちが巻き上げた泥や飛沫を被ることになるし、それはけっして気持ちのいいものじゃないわ。

 さらには──

 

(稍重だと、しっかり芝を蹴られるかどうか……)

 

 もしも、足に力を込めて地を蹴ったときに滑ったら──加速は著しく鈍る。

 勝負掛けのところでわずかな遅れを生み、それが致命的なロスとなることだってある。

 ただし“重”や“不良”ではない以上、それほど影響を気にするような場面ではないかもしれない。

 それでも……いざ最後の加速をするときに良バ場のように、何も心配しないでいいのとは違う。

 全面の信頼を置けない今日のバ場で、“差し”という賭をするのは──心理的にイヤだった。

 

 ──そうして“先行”を選んだアタシは、3番手のままレースを展開する。

 いよいよ第4コーナーを回って、最後の直線……

 前の二人のうち、限界を迎えて下がってきた一人を追い抜き──さらに前のウマ娘の背中が見えた。

 

「──ッ!!」

 

 ここが、勝負どころよ!!

 足にグッと力を入れる。

 ここまでの道中に使ったせいで“差し”のときよりも力強さは少し劣る。

 でも──

 

(──雨中なら、これくらいがちょうどいいわ!)

 

 アタシの体が、グンッと押し出される。

 雨粒の勢いが増したのが、あきらかに分かる。

 そして──先頭の背中は一気に近づいてきた。

 

『ここで先頭が変わるのかッ!? ダイユウサク、先頭に並んだ! そして……一気にかわす!! ヤマヒサボーイはついていけない。突き放したー!』

 

 先頭に立った。

 でも──気はゆるめない。

 アタシの背中に目はない。差しや追込みの誰かが、迫ってきているかもしれないんだから。 

 そうしてアタシはゴール板の前を駆け抜け──

 

『ゴール!! 2位に3バ身以上の差を付けてダイユウサク、ムーンライトハンデを制しました!!』

 

 ──アタシは一着で駆け抜けた。

 その速度を落とし……ジョギング程度の速度になると──

 

(……勝った。ついに、勝った!)

 

 その実感がこみ上げてくる。

 

『ダイユウサク、ほぼ一年ぶりの勝利! これでついにオープン昇格ですが──』

『ええ、ついにやりましたね。デビューしたころを考えたら、彼女がここまでになるとは思いもしませんでしたが……これも彼女自身の努力の結果です』

 

 スタンドからは大きな歓声が上がっている。

 今日の人気は、一番人気だったのよね。

 その大きな歓声にアタシは──手を振って応えた。

 

 一段と大きくなる歓声。

 

 さらに手を振って応えながら──アタシはある人を捜した。

 スタンドの最前席。チームの関係者の特等席ともいうべきそこには、アタシ達の陣営はほとんどいない。

 だって、《アクルックス(ウチのチーム)》はアタシ一人しかいないソロのチームだから。

 そして、その唯一の正式なチーム関係者が、笑顔でこちらを見ていた。

 

 

 遠目からだったからハッキリしなかったけど……その腕で目の周りを拭っているように、アタシには見えた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「よくやったな、ダイユウサク……」

 

 ウイニングライブまで終えて、控え室に戻ってきたアタシを、トレーナーが出迎えてくれた。

 そんな彼に、アタシは勝ち気な笑みを浮かべて──

 

「当然よ。アナタの指導するウマ娘を信じなさい」

 

 ──そう答える。

 そして意地悪く笑みを浮かべて……

 

「そういえば、ゴール直後に涙拭っていたみたいだけど?」

「……バーカ、小雨で顔が塗れたから、拭っていいただけだ」

 

 答えるのにちょっと躊躇ったところを見ると、図星だったのかしら。

 誤魔化すにしても、もう少し上手くやりなさいよ、もう。

 察したアタシがニヤニヤと冷やかすような笑みを浮かべていたら──彼は、降参とばかりにため息をついた。

 

「あのなぁ……ここまで辿り着いたんだから涙の一つも浮かべるだろ」

「やっぱり泣いていたんじゃないの」

「うるせぇ。泣かせろよ……確かにデビューの頃はオレが担当していた訳じゃあないが、あのころのボロボロだったおまえが、ようやくここにたどり着いたんだぞ」

「そうね……本当に、ありがとう。トレーナー」

「感謝するのはこっちの方だ。どのウマ娘に見向きもされなくなったオレをトレーナーに選んでくれて……それで、オレなんかの指導でここまで来てくれて……」

「謙遜するなんて、気持ち悪いわよ」

「お前が珍しく素直に感謝の言葉を言うから、釣られちまったんだよ。だから、オレはこの感謝を……」

 

 トレーナーが感極まった様子で──アタシの両肩を掴んだ。

 

「──ッ!?」

 

 ちょっと! アタシ、ウイニングライブ直後で勝負服着てるんだから、そこは素肌なんだけど!?

 肩で直に感じる、彼の手のひらの熱に、思わず胸がドキドキする。

 

「と、トレーナー?」

「ああ、感謝を──前に言った“とっておきのお祝い”って形でお前に示す」

「ぅエッッ!?」

 

 ちょ、なんか、変なところから声が出た。

 

(え? ちょっと、まさかホントに……)

 

 彼が言ってた“とっておきのお祝い”って、本当に“アレ”なの?

 でも、ちょっと待ってよ。こっちにだって心の準備というものが……

 

 

 ──すると、彼は両肩からあっさりと手を離した。

 

 

「………………え?」

 

 アタシが、呆気にとられていると──彼は良い笑顔で親指を立てる。

 

「オープンクラスになっての初出走のレース、それがオレからのお祝いだ」

「──はい?」

 

 アタシの目が点になった。

 しかし彼は気が付いた様子もなく、興奮した様子で話す。

 

「聞いて驚け、GⅠレースへの出走だ!」

「じー、わん?」

「ああ、M-1でもR-1でもなく、GⅠレースだ!!」

 

 なんでそこでよりにもよって芸人のコンテストを出すのよ。他に『(ナントカ)ー1』なんて色々あるでしょ?

 アタシがコメディエンヌってこと?

 我に返って少しだけムッとしていると──

 

「ダイユウサク、お前の次のレースは……秋の天皇賞だッ!!」

 

 

「………………え?」

 

 

 天皇賞?

 それって──GⅠの中でもとびっきりに格が上のレースじゃないの!?

 

「えええぇぇぇぇぇぇッ!?」

 

「なッ!? お前、驚くのは分かるが、声がデカい!! ちょ、落ち着け、な、人が来るだろうが! やましくも何ともないのに──」

 

 ──で。

 結局、アタシがあげた素っ頓狂な声のおかげで、控え室に警備員さん達があわてて飛んでくる事態にまでなった。

 トレーナーはやってきた人達に慌てて頭を下げていたけど。自業自得よね。

 アタシを驚かせたのももちろんだけど……

 

「……乙女心を弄んだ(バチ)よ……バカ」

 

 アタシはひたすら謝っている彼をジト目で睨みつつ、小声でつぶやいた。

 

 

 

「──あれ? ダイユウ先輩、なにがあったんですか?」

「ひやああァァァァッ!?」

 

 突然声をかけられ、アタシは飛び上がらんばかりに驚く。

 アタシの声に驚いて、トレーナーも、彼から話を聞いていた警備員も一様にこちらを見た。

 そして、声をかけてきた車椅子のウマ娘──ミラクルバードもビックリした顔で、アタシを見ている。

 

「と、突然、声をかけるんじゃないわよ、コン助!!」

「ご、ごめんなさい……」

 

 八つ当たりのようなアタシの声に、ミラクルバードは申し訳なさそうに頭を下げる。

 その姿を見たトレーナーは、「あんな感じでした」と説明して──「なるほど」と警備員は納得しているけど……それにはアタシが納得できないんですけど?

 ともあれ、警備員は「勝って嬉しいのはわかりますが、騒ぎすぎないように」と釘を刺して去り……アタシはため息をつき、そしてコン助──ミラクルバードをジト目で睨んだ。

 

「……アンタ、なにしにきたのよ?」

「それはもちろん祝勝と、一つお願いしたいことがお二人にありまして……」

「オレ達に?」

 

 トレーナーと思わず顔を見合わせる。

 そんなアタシ達にミラクルバードは車椅子に座ったままながら、もぞもぞと動いて立てないなりに居住まいを正す。

 そして深々と頭を下げ──

 

 

 

「ダイユウ先輩、乾井トレーナー……ボクを、《アクルックス》に入れてください」

 

 

 

「「え……?」」

 

 さすがに戸惑うアタシとトレーナー。

 そっか、そういえばミラクルバードって外部協力者って立場だったんだっけ。

 「1チームにオープンクラス1人」という制約案が却下されてからも、ずっとその立場のままだったんだけど──アタシがオープンになったから、言ってきたのね。

 

「……律儀なヤツだなぁ。お前は」

 

 小さくため息をついて、トレーナーが苦笑する。

 アタシも同じ気持ちで──トレーナーを見て、アタシと同じ考えなのを確認する。

 

「とっくに、メンバーだと思っていたわよ」

「ああ、お前のサポートは、《アクルックス》にはもう不可欠だ。これからも……よろしく頼む」

 

 アタシ達が言うと、ミラクルバードは勢いよく顔を上げ、その顔に喜色が広がっていく。

 

「《アクルックス》へ、ようこそ。ミラクルバード」

「うん! よろしくお願いします!!」

 

 アタシが差し出した手を、ミラクルバードは笑顔でしっかりと握りしめた。

 

 




◆解説◆

【月の光に導かれ──】
・今回の元ネタは、『美少女戦士セーラームーン』の主題歌「ムーンライト伝説」のワンフレーズから。
・今回のメインとなるレースが()()()()()()ハンデだったので。
・はい、それだけです。それ以外に意味はありませんでした。レースも昼間だったし。
・と思っていたら、月齢が10.1と“十日余りの月”で月の出は14時33分。出走時刻は15時45分なので、空に月はありました。
・……もちろん光は太陽の方が強いし、そもそも雨が降ってたので──さすがに導けるほど見えなかった、かな。
・まぁ、この時期のレースにムーンライトハンデという名前をつけた理由でしょうけど、「中秋の名月」が空に輝く9月のレースですから。

体力の限界
・“引退”と言えばこのフレーズ。元ネタは“昭和の大横綱”千代の富士の引退会見から。
・涙を堪えての「体力の限界……気力も無くなり、引退することになりました……以上です」という短い言葉から、その潔さと相反する無念さを感じます。
・実は千代の富士、横綱昇進決まった日の夜に、師匠から「辞めるときはスパッと潔く辞めような。ちんたらちんたらと横綱を務めるんじゃねえぞ」と言われていたそうな……今のモンゴル系横綱に聞かせてやりたい。
・なお、千代の富士の引退は1991年5月場所──モデルになっている年よりも一年後になります。
・オグリキャップの引退(1990年12月)と意外と近かったんですね。

セントウルステークス
・ダイユウサクの記念すべき第20走目のセントウルステークス。
・“セントウル”ってなに? というと……ケンタウロスのことだそうです。
・阪神競馬場にはセントウルガーデンというところがあり、そこにセントウルの像があるほど、阪神競馬場にとってセントウルはシンボルだそうな。
・しかし、ダイユウサクが走ったころはまだ歴史が浅いレースで、創設されたのは1987年のこと。
・開催場所はもちろん阪神競馬場。
・馬場は芝。距離は開設当初1400で、例外的に1990と翌91年だけ1200でしたが、2000年から1200に。
・その際に9月末から10月末の時期に開催が変更になったスプリンターズステークスの前哨戦という位置付けになりました。
・当初はGⅢだったグレードも、2006年にはGⅡに格上げ──あれ? なんか同じ年に同じ距離でGⅡからGⅢに格下げされたレース(CBC賞)をこの前解説したような……
・開催時期は、1994と1995年だけレース場が違う関係(95年は阪神大震災の影響)で10月の頭に開催した以外は、基本的に9月の第2週に開催。
・──あれ? 調べたら86年以前にも同じ名前のレースがあるじゃん、と思うのも当然なのですが……
・86年以前のセントウルステークスは同名ながらJRAが本レースの前身とはしていません。
・1960年に創設された旧セントウルステークスは条件戦やオープンクラスで、距離も1600~2200と、現在の短距離ではありませんでした。
・今回のレースは、ダイユウサクが走った1990年がモデル。
・そのためグレードはGⅢで、距離も2000年以前ながらも例外的に短かった1200です。
・開催日は1990年9月9日。天気は晴れの良馬場。
・レース結果を本文中に書き忘れましたが、ダイユウサクの結果は3位。
・優勝したのはエーコーシーザー。“(長音符)”使いすぎ。ひみつ道具出した時のドラえもんか!
・2位がセンリョウヤクシャ……千両役者かよ。乗ってたの武豊だし、勝っていれば「確かにな」って言えたのに。
・で、3位がダイユウサク、と……変わった名前ばっかりだなぁ。

ムーンライトハンデ
・毎日3回(たまに6回)出走できるデイリーレースのうち、マニーをたくさん獲得できる方。
・……ウソです。それはムーンライト賞。
・実際に存在するのがこちらで、ムーンライトハンデキャップというのが正しい名前。デイリーレースの方は、きっとこれが元ネタなんでしょう。
・1967年10月10日に阪神競馬場の芝1900で350万下の条件戦で始まったムーンライトハンデキャップ。
・その後は条件を1969年に500万下、1970年に600万下、以降は条件が1000万まで上がったのにその後下がったりして、1984年から1400万下の準オープンになってからは、準オープンの条件のまま現在に至っています。
・距離も開設翌年にはいきなり1600に短くなって、翌年には2200に伸び、さらに翌年に2000に戻って──以後は基本的に2000、思い出したように1600で開催し──1400万下条件戦になったら2200で固定され、1991年から2000になり、その後は2200、2000、1800、1600とちょこちょこ距離を変えながら現在に至ります。
・今回のモデルになったのは1990年のムーンライトハンデキャップで──1500万以下の条件戦でした。
・芝で距離は2000。そして阪神ではなく中京での開催でした。
・開催日は1990年9月29日の土曜日。天候は小雨。馬場は稍重。ダイユウサクが生涯2度しかなかった雨でのレースの一つです。
・9頭立てで、ダイユウサクは1番人気でレースに挑んだのです。

ヤマヒサボーイ
・本作名物になった名前だけ登場する史実馬モデルのオリジナルウマ娘。
・ウマ娘なのにボーイ……とか言わない。トウショウボーイとか有名なのが実装されるかもしれないんだから。
・実は前走のセントウルステークスでも一緒になってます。
・今回、逃げだったから前回も──と思ったら、前回は殿(しんがり)スタートから追い込んで5着。
・今回のレースでは、ダイユウサクの後の2着に入りました。
・史実馬はダイユウサクやオグリキャップよりも一つ下の世代の牡馬(ボーイなんだからそりゃそうだ)。
・戦績見ても、逃げか追い込み、たまに差しというイマイチよくわからない馬でした。
・ちなみにこの2着の後は入賞できなかったものの、1992年まで走っています。


ムーンライトハンデを制しました
・ダイユウサクはムーンライトハンデでついに勝利して、21戦目にしてようやくオープンクラスに上がることができました。
・勝ち時計は2分01秒3。現在の中京競馬場の芝2000のレコードが1分58秒3ですので3秒も遅いですが、時代の変化や悪天候なことを考えれば仕方がないと思います。
・21戦めでやっと6勝目と書くと、ここでオープンになるのもなんとも納得する成績ですけどね。
・生涯11勝ですから、勝ち数にすればこの時点で折り返り地点くらい。
・オープンになってからも5勝するのに……そのうちの1勝の印象があまりに強すぎるから“一発屋”と呼ばれてしまうのは悲しいですね。


※第一章の4部──めざせ! オープンクラス編──は、これで終了です。
・アクルックスもついに二人目のウマ娘が加入……って、競走す(はし)るのは相変わらず一人(ソロ)ですけど。
・さて、次の第5部はいよいよオープンクラスを主戦場とし、他の有力ウマ娘と本格的に競い始めます。ダイユウサクは重賞制覇を目指して走ることに。
・そして同級生たちはさらに次々と競走(レース)から去っていき、いよいよ“あの”ウマ娘も去ることに……

※次回の更新は9月11日の予定です。  



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第44R 大熱狂! ツライぜイカスぜ 究極のウマドル

 
 トゥインクルシリーズの重賞レースの最上位に位置するGⅠと呼ばれるレース。
 その中でも、特にワンランク上に見られるレースがいくつかある。
 例えば──年末に開催される、その年の総決算と呼ばれる有記念。
 それと同じように、GⅠ~GⅢというグレード制が施行される前から国内競走(レース)の最高峰と言われたレースがあり、偉大なる“あの方”が達成した『五冠ウマ娘』という称号はそれらを制した証でもある。
 それを示すように──“あの方”は有記念と同じように、宝塚記念を制しているが、五冠にそれは含まれていない。
 クラシック三冠と有記念と並び賞された五冠のあと一つは──“天皇賞”である。

 春と秋に開催される天皇賞は──かつてはそれを制したものはそれ以降は出走できず、“あの方”も制したのは秋の一度きりのみ。
 しかし今では、優勝後も出走可能になり──春秋連覇という偉業を成し遂げたウマ娘まで現れた。
 それが一昨年のことであり、成し遂げたのは──『白い稲妻』ことタマモクロス。
 その一昨年にタマモクロスと競ったウマ娘こそ──『怪物』オグリキャップ。

 今年の秋の天皇賞で、もっとも話題になっているのはその『怪物』だった。



 ──もちろん世間は彼女と同い歳なのにG1初挑戦のウマ娘のことなど歯牙にもかけていない。



 

「そりゃあそうだけど……少しは、記事にしてくれたっていいじゃないのよ」

 

 スポーツ新聞を見ながら、不満げに口をとがらせて、ぶつくさと文句を言っているダイユウサク。

 

「あのなぁ……わざわざトレーナー部屋にまで来て、愚痴るようなことじゃないだろ?」

「だって、ウチのチームの部屋には無いじゃない、新聞」

 

 ダイユウサクが恨みがましい目で睨め上げてくるが──もちろん理由はある。

 金がない──なんてことはない。

 新聞なんて一日に缶コーヒーを一本我慢すれば買える程度。それをケチるほど、オレは極貧生活を送っているわけでもない。

 

「雑音になるからだ。お前にとって、な」

 

 確かにスポーツ新聞ならウマ娘の情報も載っているが──正直な話、専門の新聞でもなければ今までダイユウサクが出走していたような競走(レース)まで詳細に網羅していることはない。(そして、網羅しているような新聞の値段は高い)

 それにここはトレセン学園。

 専門紙が集めて掲載するようなデータでも、簡単に見ることができるのだから高い金を払って、わざわざ専門紙を買う必要がない。

 スポーツ新聞を買わなかったのは、ダイユウサクが今までのレースでどんなに勝とうとも記事にならないから。

 

(まぁ、格上挑戦した去年の高松宮杯や、今年のCBC賞、セントウル辺りなら別だけどな)

 

 にも関わらず、彼女の同級生であるオープンクラスのウマ娘に関しては記事が載る。

 まさに今、オグリキャップがそうであるように。

 それで心が乱されるくらいなら、とチームの部屋には置かないように配慮していた。

 

(まぁ……今時、スマホでニュースくらい確認できるけどな)

 

 そこまで気にしていたらキリがない。

 だが、少しでも心を乱す要素は少なくしようという、オレなりの判断だった。

 

「実際に今、新聞見てイラッとしてるだろ?」

「してないわよ」

 

 ウソつけ。

 オレがジト目で見ると、ダイユウサクは少しひるんで、気まずそうに目をそらす。

 

「まぁ、ちょっとは、記事になるかな、って期待はしてたけど……」

 

 そんなダイユウサクの反応だったが……オレはそれを見て、豪快に笑い飛ばすことにした。

 

「ハッハッハ……バカだなぁ。取材も来てないんだから、記事になるわけ無いだろ」

「うっさい!」

 

 即座にこちらを見て、つかみかかってくるダイユウサク。

 その手を掴んで阻止するオレ。

 そこに──ダイユウサクと一緒に来ていたミラクルバードが口を挟む。

 

「あれ? インタビュー、来てたよね? 新聞記者っぽかったけど」

「そ、そうよ! あのとき初めてのG1ですが──って訊かれたわよ?」

「あれは出走するヤツ全員のところに来てるんだよ。お前の場合、話題がそれくらいしかないからな」

「なッ──」

 

 絶句し、二の句が継げないダイユウサク。

 まぁ、実際の話、本当にそうだからな。

 今まで21戦もレースに出ている無名のウマ娘が世間の興味を引ける話題なんてそれくらいだ。

 しかも出走してるウマ娘の中には、重賞初挑戦が今回の天皇賞だという上位互換までいるせいでそんな話題さえも霞んでしまう。

 とはいえ──

 

「なにしろ世間の注目は、やっとこオープンに昇格してG1初挑戦のウマ娘よりも、国民的アイドルウマ娘しか見てないからな」

「うぅ……」

 

 もちろん本人もその自覚はあった。

 

「──『葦毛の怪物』オグリキャップ……」

 

 さっき、自分のことが記事になっていないのを確認したダイユウサクが放ったスポーツ新聞にチラッと視線を向ける。

 その一面は、まさに彼女の写真が大きく載っていた。

 

「わかってるわよ、そんなこと。テレビを付けたって、その話題で持ちきりだもの。猫も杓子もオグリ、オグリ、オグリオグリオグリ──って!! もう、うんざり!!」

 

 オグリキャップとはそれなりに仲がいいとは聞いていたんだが……イラつくダイユウサクの姿を、オレは半ば呆れた目で見ていた。

 いや、コイツのことだから……きっと、オグリキャップにとっては取材攻勢が雑音になるだろうと思い、すぐに流行の話題に飛びつくマスコミや一般の人にこそイライラしているのかもしれない。

 オレは小さくため息をついた。

 

「仕方ないだろ。シンボリルドルフ以来の天才とか、()()()()()以来の国民的アイドルウマ娘、って言われてるくらいだからな」

「あのウマ娘? 誰? ルドルフ会長?」

「いや、もう少し上の世代だな」

 

 懐かしむように、オレは彼女の名前を言っていた。

 さすがに二人ともその名前は知っているようだ。

 

「“史上最初のアイドルウマ娘”なんて言われているくらいだ」

「最初の? でもその前に“あの方”がいたじゃない」

 

 そう言って親戚の名を挙げて首をかしげたのはダイユウサクだった。

 

「“あの方”は玄人好み過ぎたんだよ」

 

 それにオレは苦笑で答えた。

 

「現役時代はずいぶんと気難しかったみたいでな。面倒なことはとにかくやりたがらないし、だからファンサービスなんて考えもない。ウィニングランで手を振って歓声に応えるどころか、ゴール板過ぎたら早々に立ち止まって引き上げていたらしいからな」

「そうなの?」

 

 ミラクルバードも興味を持ったらしく、尋ねてきたのでオレはうなずいた。

 

「その姿勢はよく言えばストイック。だが、強くはあったけどアピール不足で一般受けはしなかったのさ。それに対し、彼女はトゥインクルシリーズに詳しくない層からも人気だったからな」

 

 むしろトゥインクルシリーズの認知度を爆発的に広げ、その敷居を低くしたのは彼女の最大の功績だろう。

 彼女がトゥインクルシリーズ──いや、ウマ娘の競走そのものの人気を上げて、今の「誰もが知ってる」という認知度を作り上げた功労者なのは間違いない。

 

「『強さ』では“あの方”には到底勝てないが、『人気』だったら彼女の方が上だっただろう」

 

 なにしろ当時、「トゥインクルシリーズは知らないけど、彼女の名前なら知っている」とまるで冗談のように言われたくらいだ。

 そうしてトゥインクルシリーズに興味がなかった人達も、彼女が出走するとなればそのレース場へ一目見ようと集まるほどの“ブーム”になっていた。

 

「地方シリーズ出身なところはオグリと同じで……」

 

 それまではあまり交流のなかった地方と中央の交流を活気づかせたのも彼女だった。

 皐月賞で優勝し、地方デビューのウマ娘がクラシックレースを制したのは彼女が初めてで……

 

(……ま、オグリは登録のミスでクラシックレースに出走さえできなかったけどな)

 

 それを考えると、今のオグリのブームは過去に彼女と言う存在があったからこそなのかもしれない。

 そんなことを考えつつ、オレは懐かしむように彼女の姿を思いうかべていた。

 間違いなく一時代を築いたウマ娘だった。

 かく言うオレも当時の彼女の熱烈なファンだった一人だ。この道に入ったのだって、それが切っ掛けだったと言ってもいい。

 当時を思い出しながら遠い目をしていると──

 

「……なに呆けてるのよ」

 

 ダイユウサクがジト目でオレを見ている。

 ふと見れば、ミラクルバードまで同じような目でオレを見ていた。

 とりあえず、咳払いをして気を取り直し──

 

「んんッ……その十何年に一度のアイドルウマ娘が久しぶりに走るんだぞ。しかも怪我からの復帰戦で、彼女にとっては秋シーズンの初戦になる。ファンはさぞ待ち望んでいたことだろうよ」

「そうだよね。ちょっと過剰な気もするけど……」

 

 ミラクルバードが苦笑気味にぎこちない笑みを浮かべた。

 もはやブームと言っていいほどの旋風を巻き起こしているオグリキャップは注目の的だった。

 なにしろ、ダイユウサクとの話に出たインタビューだって、さっきの質問の次には「オグリキャップとは同級生だそうですが──」と始まり、根ほり葉ほりとオグリのことを訊かれていた。

 それを傍らでオレは聞いていたわけだが──

 

「……ま、オープンになったんだから、お前もインタビューの対応くらい練習しておいた方がいい……のか?」

「どういう意味?」

「だって、あの時のお前、ヒドかったぞ。あまりに愛想がないし、コメントも使いづらいし、あれじゃあ取材に来た記者が困るレベルだ」

 

 だからこそ、記事にもならないわけで……

 ダイユウサクが人見知りで、よく知る相手以外には素っ気ないのが完全に裏目に出てしまっていた。

 それにしても、さっきあのアイドルウマ娘を思い出して“あの方”と比較したから余計に思ってしまうが、そういうファンサービスが苦手なのは“あの方”の親戚なんだと実感する──なんて考えて思わず苦笑してしまう。

 とはいえ──

 

「取材関係やその辺りは専門外だからな、オレは」

 

 ウマ娘のトレーナーだから専門はあくまで競走だ。

 ウィニングライブ関係のことも多少は心得があるが──そっちはそっちで他に専門家がいるから、正直そちらは任せている。

 しかし、マスコミ対応となると完全に門外漢だ。

 

(こういうところは、うちみたいなソロチームの弱いところだな)

 

 大チームなら先達や経験のある同級生から教えてもらことも可能だろうが、競走(レース)に出るウマ娘が一人では教えてもらえる相手がいない。

 どうしたものか、と考えて──ふと適役がウチのチームにいるのに気がつく。

 

「ミラクルバード、お前なら教えられないか? ダイユウサクもオープンにもなったし、マスコミ対応も慣れさせないといけないからな」

 

 重賞が主戦場となるのがオープンクラスだ。

 レース自体の注目度が違うし、取材を受ける機会も増えるはず。

 そしてミラクルバードは、元々は将来を有望視された競走ウマ娘だった。

 覆面で顔を隠しているという、ともすれば怖くさえ思われてしまいかねないハンデがあるのにも関わらず、底抜けに明るく爛漫だった彼女は人気が高かった。

 

「なにしろ今回は天皇賞だ。お前ほど愛想良くはならないとは思うが、やっぱり最初が肝心だからな」

 

 デビューはしていても、今まで重賞でもパッとしなかったし、世間的にはほとんど無名なダイユウサク。

 ……一応、初勝利のウイニングライブで名前は売れたが世間的には一発屋芸人みたいなもんだ。しかも“知る人ぞ知る”レベルで、どマイナーな。

 オープンクラスになってこれから露出が増えていくのなら、もう少し取っつきやすい雰囲気になってほしいところ。

 

「なるほどね。トレーナーの考えはわかったけど……心配しなくても大丈夫じゃない?」

 

 楽観的な笑みを浮かべて答えるミラクルバード。

 その答えに戸惑ったオレだったが、それ以上にダイユウサクが眉根をひそめていた。

 ……今までのオレの言葉で腹を立てていた感じもするが。

 

「どういうことよ?」

「だって、みんなが知りたいのはオグリキャップのことだよ。だから心配しなくてもダイユウ先輩なんて誰も見ていない──」

「コン助ェェェッ!!」

 

 車椅子を素早くその場で180度回転(ターン)させ、素早く車輪を漕いで逃げ出すミラクルバード。

 そしてそれを追いかけて飛び出していくダイユウサク。

 オレはそんな光景ををため息混じりに見送った。




◆解説◆

【ツライぜ イカスぜ 究極のウマドル】
・今回のタイトルは『VS騎士(ナイト) ラムネ&40炎』の主題歌『未来形アイドル』の歌詞から。
・いよいよオグリキャップと同じレースに出走ということで、90年の天皇賞(秋)のころはオグリブームも最高潮でした。
・本作を書くにあたって、フジの中継番組の録画映像を見たのですが……実況や解説以外はもうオグリが勝つことしか考えていないのがハッキリわかるような番組構成でしたね。
・で、まぁ、結果はアレなわけですが……おかげでレース後は微妙な空気でした。
・フジテレビは開局30周年記念作品の某映画撮影で87年の日本ダービー本番の映像を使おうとしたけど、一番人気(マティリアル)しか撮影していなかったら別の馬(メリーナイス)が勝ち、映像撮ってなくて大失敗したのを忘れたんでしょうかね。
・競馬に絶対はありません。毎週、番組編成しているんだから、それくらい気が付いてよ。
・ちなみに──『VS騎士ラムネ&40炎』の放送は96年。前作『NG騎士 ラムネ&&40』こそ90年4月~91年1月放送と、まさに元レースの当時に放送されていたアニメでした。「オレは今、猛烈に、熱血している!!」
・そっちは好評(玩具のセールスはよくなかったみたいですが)だったんですけど、今回ネタに採用した続編の方の評価は……

網羅しているような新聞の値段
・こちらの世界でいうところの競馬新聞。
・競馬専門紙の値段は、500円くらいします。
・普通のスポーツ新聞なら140円くらい。
・まぁ、競馬新聞って毎日出るわけじゃないですし、対してスポーツ新聞は毎日売ってますから、そこに値段の差が出るんでしょう。
・1週間で考えれば、競馬新聞は金・土しか販売されないので合計1000円。スポーツ新聞は毎日140円だから980円と、それほど変わりません。
・なお、乾井トレーナーがスポーツ新聞をチーム部屋に置かないようにしているのは、新聞によっては“アダルト面”があったりするから間違えても置き忘れないように、という側面があったりします。(笑)
・一応、教育者にあたるわけですから、気を使ってます。

重賞初挑戦が今回の天皇賞だという上位互換
・ウマ番1番のロングニュートリノのこと。本作でのロングニュートリノも史実馬と同じで、重賞初挑戦で天皇賞(秋)に出走しています。
・史実馬はダイユウサクと同じくオグリ世代で、そのデビューはダイユウサクよりもさらに遅く、1989年の2月。
・しかしデビュー後は比較的順調に勝ち星を重ね、デビュー12戦でオープン昇格して1990年の天皇賞(秋)に出走しました。
・ただし、その昇格は1990年9月と直前。ダイユウサクと違い、レース間隔が比較的空いていた結果ですが、そののんびりペースのおかげで順調に勝ちを重ねられたのかもしれません。
・一番大きかったのは準オープンを1戦で勝利してオープン昇格したことだと思いますが。ダイユウサクはなかなか勝てないのと休養入れたせいで1年(8戦)かかりましたから。
・ただオープン昇格後にピークが来たダイユウサクと違い、ロングニュートリノはオープン昇格後は1勝もできないまま引退することになってしまいました。
・ちなみにこの後、もう一戦ダイユウサクと同じレースで戦うことになります。
・父馬はノーザンテースト。子は大成した馬はないのですが、父母が同じ妹馬のロングバージン産駒に2006年の桜花賞を制したキストゥヘヴンがいます。

史上最初のアイドルウマ娘
・本文中には名前を出しませんでしたが、日本競馬史上最初のアイドルホースことハイセイコーのウマ娘のこと。
・『ウマ娘プリティダービー』にはシンザン同様に、実装はもちろん原案も出ておらず、本作オリジナルの設定となります。
・とはいえ本文中に書かれているのは、元のハイセイコーほぼそのまま。
・1971年生まれ。1961年生まれのシンザンとは10歳差。ちなみに10歳下の1981年生まれにシンボリルドルフがいます。
・馬主の都合(中央の馬主権が無かった)で地方競馬の大井競馬場に入厩。
・デビューから6連勝。すべて2着に7馬身以上差を付けるという圧倒ぶり。
・4歳で中央に移籍。クラシックレースにも出走しており、移籍後は弥生賞、スプリングステークス、皐月賞、NHK杯を4連勝。
・東京優駿以降は勝ちから離れ、翌年は中山記念、宝塚記念、高松宮杯で勝利。その年の有馬記念2着を最後に引退。
・その後は種牡馬として活躍。1989年のエリザベス女王杯でGⅠ最高配当を叩き出した、「間違いない」でお馴染み、()()サンドピアリスの父親はハイセイコーです。
・生涯成績も立派でしたが、その最大の貢献はハイセイコーが起こした第一次競馬ブームによって、それまで「賭博」「博打」だけだった競馬への世間のイメージが変わり、競馬場への来場者の客層を幅広くしたこと。
・しかも種牡馬になったあとも人気が続き、ハイセイコー見学のツアーが組まれたほど。競馬ファンと馬産地をつなげたのはハイセイコーがいたからこそ。
・これらの下地があったからこそ、のちの第二次競馬ブームがあり、ひいては現在の『ウマ娘プリティダービー』に繋がっていると言っても過言ではないでしょう。
・北海道の明和牧場で余生を過ごし、2000年5月4日に天寿を全うしました。死因は心臓麻痺。
・最期を過ごした地に建てられた墓碑には「人々に感銘を与えた名馬、ここに眠る」と書かれています。
・なお、本文中には今後も出ないと思うのでこちらに書きますが、本作ではハイセイコーのウマ娘はその国民的人気から現在は政治家に転身し、“URAをはじめウマ娘と人の架け橋となる活動に支援したり尽力している”という裏設定になっています。
・……ちなみに乾井トレーナーは大ファンでした。学生時代夢中になっていました。なんなら今でも暮らしている部屋の壁に、当時のポスターがまだ貼ってあるかもしれません。
ダイユウサクにバレたら大変なことになりそう……

比較した
・『強さ』のシンザンと『人気』のハイセイコーとも言えますが、この二頭、結構対照的なところも多いようで。
・かたやレコード勝ち無しであまり大差勝ちもしないシンザンに対し、ハイセイコーはデビュー後の大井でレコード出したり大差勝ちしたり。
・サービスしないシンザンに対し、引退式では予定を大幅に超えてコース1周するほどサービス精神旺盛なハイセイコー。
・暑さに弱くて夏負けしたシンザンに対し、暑さに強いハイセイコー。
・移動中にラジオを切り忘れたのにしっかり寝ていたほど神経の太いシンザン。初めてのコースは慎重になるほど用心深く神経質なハイセイコー。


※次回の更新は9月14日の予定です。  



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第45R 大緊張ッ 頭が真っ白になって……

 
 天皇賞というのは格式の高い競走(レース)である。
 そしてG1という大舞台には、大規模な記者会見が設けられる。
 出走するウマ娘達が集まり──自己紹介と、記者達からの質問を受け付けるというセレモニー。
 その場に出るのは、出走本番と同じ服装だ。
 そして、G1レースは他のレースと違い──勝負服で走るのだ。



 赤を基調に、上半身を黒、下半身のスカートの上の方を黄色く染めた、まるでドレスのようなデザインの服。

 それがアタシ──ダイユウサクの勝負服。

 今まで、ウイニングライブで披露してきたその服だったが、歌ったり踊ったりするんじゃなくて、そういうのとは全く関係なくて、ただ記者達の前に立つのは、ライブの時の感覚からは明らかにかけ離れてた。

 ウイニングライブの方が大勢の目にさらされてる──というのはトレーナーにも言われたし、アタシも頭では理解してるけど……

 

「うぅ……」

 

 全っ然、慣れないわね。これ。

 落ち着かないけど、かといって周囲をキョロキョロと見るわけにもいかないし……

 

 ──なお、ダイユウサクは隠しているつもりだったが、無自覚に耳がせわしなく動いており、周囲にはバレバレであった──

 

 ……とにかく無理矢理にでも落ち着かないと。

 慣れてないの丸出しなのはみっともないし、周囲のウマ娘──特に年下に見くびられちゃうもの。

 アタシはこっそりと深呼吸して──そうこうしている間に、出走する18人が記者達に紹介され始まった。

 もちろん何から何まで初めての経験。

 そんな場に慣れないアタシは、困惑と不安を露わにその中に立っていた。

 

『一流ウマ娘の厚い壁に果敢に挑戦、ダイユウサク……』

 

 そんな紹介アナウンスが流れ──4番目に呼ばれたアタシは一歩前に進み出る。

 うん、自分でもよくわかってる。手足がギクシャクしているくらいに緊張しているわ。

 同じ方の手と足が出なかっただけでも、幸いよ。

 そうして踏み出したアタシは、聞こえたシャッター音で写真を撮られているのに気が付く。

 

(こんなの、今までなかったのに……)

 

 そう考えながら頭を下げようとして──ふと思い出して慌てて止めた。

 

(そういえばトレーナーから、『せっかくドレスみたいな服を着てるんだから、それっぽい挨拶した方がいいだろ』って言われてたんだっけ……)

 

 そうして、付け焼き刃で練習したスカートの裾を掴んでひざを曲げる動きを披露する。

 あっぶな。すっかり忘れるところだったわ。

 元の位置に戻りながら──メジロアルダンがニコニコと微笑んでいるのが見える。

 この動きを急遽で教えてくれたのは彼女だった。

 最初はシヨノロマンを頼ったのだが、大和撫子である彼女は「西洋のドレスは慣れていませんので……」と難色を示したのだ。

 

(なんか、近くにいたセッツがそわそわしてたけど。なんだったのかしら?)

 

 それで令嬢と言えば、とメジロアルダンに頼み込んだ、という経緯があったのよ。

 ともあれ山場をなんとかやり過ごし、ホッとする。

 その間にも、紹介が進み……やがてその場がザワつき始めた。

 それもそのはず──

 

「──目指せゴールへ一直線、天皇賞制覇を遂げて新たなる伝説を創るか? オグリキャップ」

 

 司会者が紹介して、長い葦毛の髪をしたウマ娘が一歩進み出ると──(まばゆ)いほどのフラッシュと五月蠅(うるさ)いほどのシャッター音が一斉に起こった。

 

(まぶしッ!! ちょっと、なによこれ……)

 

 その明るさに思わず目を細め、表情が険しくなってしまう。

 それに物怖じもせず、こともなげに場に出るオグリキャップ。相変わらず断続的にフラッシュが焚かれシャッター音も続く中で、堂々とした様子で彼女は紹介を受けていた。

 

(慣れてるわよね……これがキャリアの違いってこと?)

 

 まぁ、オグリってば元々、超が付くほどのマイペースで、食事のことくらいでしか動揺しないけど。

 でも──

 

(あれ?)

 

 彼女を見ているうちにちょっとした違和感を感じた。

 

(なんか……元気がない?)

 

 アタシの目にはそう見えた。

 クラスメートで普段からよく見ていたし、なによりコスモ以外で初めてできた友人ともいえる相手だったから、というのもあるけど、彼女の様子がおかしいように思えたのだ。

 特に──マスコミの記者を見る目が、ちょっとだけおかしい。

 

(なんだろ? イヤな質問をされたわけで怒っているのとも違う。表情が硬くて……もっと純粋に、嫌がってる?)

 

 オグリキャップはマイペースで、さらに言えばあまり感情を表に出さない。

 だから分かりにくいけど……なんか苦手なものを前にしているように見えるわね。

 

(でも、いったいなんで?)

 

 アタシみたいに今までまったく注目されてこなかった──ちょっと前のチームのいざこざで注目集めた時期もあったけど、それも一時的だったし──ようなウマ娘と違って、笠松で大活躍した実力を認められての中央への移籍だったし、その後の活躍でクラシック登録の件でマスコミを騒がせたほど。

 

(そんな彼女が今さらマスコミ慣れしてないってこと、考えられないわよね……)

 

 そんなことをアタシが考えていると──

 

「月間トゥインクルの乙名史ですが──ダイユウサクさんに質問です」

「……え?」

 

 突然、名前を呼ばれて思わず声が出た。

 ハッとして周囲を見たら──いつの間にか紹介が終わって記者からの質問の時間になってた。

 ヤバ……オグリのことばかり考えていて、全然聞いてなかった。

 

(ええと……)

 

 突然のことに戸惑っていると──

 

「……一歩前に出るっスよ」

 

 隣の方から小声のアドバイスが聞こえ、アタシは慌てて前に出た。

 するとアタシの名前を呼んだ女性記者も立ち上がる。

 長い髪をした、勝ち気な雰囲気をまとった「仕事のデキる女」といった雰囲気の女性記者だった。

 彼女は、勝ち気な笑みを浮かべ──

 

「G1初挑戦ですが……デビューしたチームから今のチームに移籍して、どうですか?」

「え? あ、あのッ、その……」

 

 そもそも「どうせオグリのことばかり聞くんでしょ」とタカをくくっていたからアタシに質問がくること事態が想定外だったのに、さらに「もしかしたら……」と一応想定していた「GⅠ初挑戦への意気込み」とも違う質問に、アタシの頭は真っ白になって、慌てた。

 

「……落ち着くっス。難しい質問じゃないし、素直な気持ちを言えばいいっス」

 

 再びの小声でのアドバイス──前に出たので少し後ろから聞こえたそれに、アタシは少しだけ冷静になれた。

 一度深呼吸して、気を落ち着かせ、頭の中を整理してから答えた。

 

「……最高です。トレーナーに恵まれましたし、このチームに入れて……よかったです」

 

 落ち着きを取り戻すと、笑みさえ浮かべる余裕さえあったわ。

 自然と勝ち気な笑みを浮かべると、カメラのシャッターを切る音が重なった。

 アタシの答えに満足したみたいで、その女性記者も笑顔で「素晴らしいですっ! ありがとうございました」と座った。

 ほっ……よかった。何とか乗り越えた──

 

「ほな、こっちもええですか?」」

 

 ──と思ったら、別の記者が手を挙げた。

 司会者が指名したその記者──眼鏡をかけた、いつもオグリキャップを追いかけている人よね、あの人。

 オグリのトレーナーに思いっきり邪険にされてる記者で、確か名前は……

 

「──の藤井です。同じくダイユウサクに質問ですが……今回も号泣、見せてくれるんですか?」

「な──ッ!?」

 

 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべたその記者。

 そ、そんな質問、アタシにするの? 信じられない。

 アタシがムッとしてなんて言おうか考えていたら──背後から、肩にトンと軽く手が置かれた。

 

「え……」

 

 驚いて後ろを見る──前に、その人はスッと前に出てきた。

 

「それは、ウイニングライブで、ということでしょうか?」

 

 その質問に応じたのは男の人の声。

 それもアタシが聞き慣れた──この一年でもっとも聞いた男の人の声かもしれない。

 

「トレーナー……」

 

 アタシを庇うように前に出た彼は、挑発的なその質問に怒るわけでも卑屈になるわけでもなく、余裕の笑みさえ浮かべていた。

 呆気にとられる記者。しかし、それに構わずトレーナーは続けた。

 

「知っての通り、ウチのダイユウサクは涙腺が弱いので、もしもセンターに立つようなことがあれば……きっとそうなってしまうと思います」

 

 ──って、なにを言うのよ!

 思わずキッと睨みつけたけど──あの男(トレーナー)は意に介した様子もなく、記者達の方を見てアタシのことなんてまるで無視。

 ぐぬぬぬ……とさらに睨んでいると、記者達からクスクスと小さな笑い声が聞こえてきた。

 

(ッ! いけない。こんなことしてるような場じゃなかった!)

 

 慌てて記者達の方を向き直る。もちろん、最後にトレーナーに一睨みしておいたけど……

 で、記者達を見ると──そのほとんどがリラックスした様子で笑みを浮かべており、中には露骨に笑っている人さえいたわ。

 誰かと思えば──ことの発端になった藤井って記者じゃないの。

 

「いや……これは失礼。アンタもなかなか()()()トレーナーやないですか」

「いいえ、この場の主役はあくまで彼女たちウマ娘ですから、出過ぎた真似を御容赦ください」

 

 そう言って、トレーナーはスッと下がり、元の位置──アタシの後ろへと戻った。

 

(よかった……)

 

 思い返せば、結構マズい事態になりかねないところだったわね。

 コン助──ミラクルバードからマスコミ対応を教えてもらっているとき、「絶対に感情的にならないこと」って言われてたのを忘れてカッとなるところだった。

 

(マスコミ──専門紙以外のスポーツ新聞の記者とか週刊誌の記者は、話のネタ欲しさに煽ってくるから特に注意だよ)

 

 って、事前に言われていたのに。

 助けてくれたトレーナーに感謝しつつ──

 

(そういえば、その前の質問の時も誰か助けてくれたけど……)

 

 そう思ってこっそり周囲を伺うと──語尾が「っス」になるのが口癖な、ウマ娘が二つ隣に澄まし顔で立っているのが見えた。

 

(へぇ……結構いいところあるのね、彼女)

 

 うっかり竹刀を手にしていたばかりに、()()()トレーナーの地獄のシゴキで心的外傷(トラウマ)を植え付けられ、本人やその弟子(コスモドリーム)の影に怯えるイメージが強かったけど。

 高松宮杯とCBC賞、アタシの二回の重賞への格上挑戦。その二度とも顔を合わせた彼女に、アタシは妙な縁を感じていた。

 

 そして──それからは記者会見は、各ウマ娘に一度か二度くらい質問が飛んだ以外は、オグリキャップに質問が集中するという、オグリの独壇場ともいうべき記者会見になっていた。

 まぁ、予想通りだけど、ちょっとフィーバーも過ぎるように思えるのよね。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……よぉ、しっかり保護者してたじゃねえか」

 

 記者会見が一段落し、オレはサングラスみたいな色付き眼鏡に坊主頭の中年男性という、“そのスジ”の人に見えかねないような人にからまれた。

 一見強面、さらにはぶっきらぼうな口調、横柄にも感じられる態度──と、おっかない要素をガン積みしている人だが、その本質は面倒見のいい人であり、優れたトレーナーである。

 

「からかわないでくださいよ。六平(むさか)トレーナー……」

 

 久しぶりにお会いしたその人に、オレは深く頭を下げた。

 

「あのときは、お世話になりました」

「あのとき?」

「ええ、《カストル》のときの……」

 

 オレが説明すると、六平トレーナーはピンとしたらしく──笑い飛ばした。

 

「気にするな、あれくらい……なに、自分たちのチームに夢中になるあまり、ウマ娘を(ないがし)ろにするような不心得者共に灸を据えてやっただけだ」

 

 灸を据えただけにしては、けっこうキツい処分だった気がする、と内心で苦笑する。

 

「それに、礼を言う筋合いじゃあねえだろ。あの時のお前さんは、まだアイツのトレーナーでもなんでもなかったんだからな」

「いえ、彼女が飛ばされた地方のレース場に、本当ならオレが行くはずだったんです。中央(ここ)ではすっかり、ウマ娘達の信頼を失ってましたから」

「……あれはオメエが悪いんじゃねえだろ」

 

 濃いサングラスの奥の目線が、オレをジロッと見つめる。

 

「まぁ、担当のウマ娘を制御できなかった、って点では完全にオメエの落ち度だけどな」

「はい……」

「新米トレーナーなら陥りやすい穴だ。まして──男ならな」

 

 そう言って遠い目をした六平トレーナーに、オレは思わず訊いていた。

 

「……六平さんも、経験が?」

「バカ野郎! お前みたいなバカを何人も見てきただけだ。若い娘に慕われていると勘違いして鼻の下伸ばし──その結果、強く出られなくなって失敗してきたバカな奴らをな」

 

 怒鳴られて、オレは思わず首をすくめた。

 返す言葉もない。オレはまさに、そんな失敗を過去にしたんだから。

 

「そんなオレが、そしてダイユウサクがこんなGⅠの舞台にまでこられたのは、あの件があったから……東条先輩や六平さんがアイツを助けてくれたからです」

 

 改めて頭を下げ、「ありがとうございました」とオレが言うと、六平トレーナーは興味を失ったかのように「フン」とそっぽを向いた。

 そして視線を余所に向けたまま──

 

「……あの時のウマ娘が、まさかオープンクラスになってGⅠに出走してくるとは、思わなかったぜ。当時のオレでもさすがに、な。だから……この場にアイツが立っているのは、間違いなくお前の手柄だ」

「ありがとう、ございます……」

 

 大先輩──それも多くのトレーナーが一目をおく尊敬すべき相手に賞賛され、オレもさすがにグッとくるものがあった。

 再度、礼を言って頭を下げ──それを上げたときには、オレは“出走ウマ娘のトレーナー”として頭を切り替えていた。

 そう……目の前のこの人は、今回ばかりは敵なのだから。

 オレとダイユウサクは、この人とオグリキャップに──ついに刃を交える場に立ったんだから。

 

「ところで六平さん、オグリの様子……おかしくないですか?」

「……ほぅ。お前さんはどうおかしいと思ったんだ?」

 

 オレが探りを入れると、六平さんのスイッチも入ったらしい。

 質問に答えることなく、逆に探ってきている。

 だが、オレはそれに素直に答えた。

 

「目の色が違うじゃないですか」

「………………」

 

 それに六平トレーナーはなにも答えない。

 オレはかまわず続ける。

 

「いつも感じられた覇気が感じられませんよ。あんなに()()()()としていた目が、完全に疲れ切っている。いったい何があったんですか?」

 

 再度のオレの問いに、六平トレーナーはやはり何も答えなかった。

 彼は無言のままオグリキャップのいる方を振り向き──去り際に一言だけ言った。

 

「……オメエの目は確かだな。あの嬢ちゃんをここまで来させただけのことはある」

 

 そう言い残し、六平トレーナーは去っていった。

 大御所が去ったことで、オレは人知れずそっとため息をつき──

 

「やっぱりオグリの調子、悪いのか……」

 

 六平トレーナーの背中の向こうでマスコミに囲まれている葦毛の怪物を見るのだった。




◆解説◆

【頭が真っ白になって……】
・今回のタイトルは──記者会見ということで、面白記者会見から「船場吉兆の記者会見」のささやき女将の長男への指示「頭が真っ白になったと(言いなさい)」という“ささやき”から。
・今回、書き終わってから見直してみたら、この会見を思い出したもので。
・実際、頭が真っ白になってますので、これで行こう、と。

大規模な記者会見
・天皇賞(秋)の前に記者会見──というのは89年の天皇賞(秋)相当のレースでの記者会見がシンデレラグレイで描かれていた(単行本4巻)ので、そのオマージュ。
・シンデレラグレイではオグリの勝負服が初披露されるわけですが……ダイユウサクはとっくに披露してしまってました。
・ウマ娘における「天皇賞の前の大規模記者会見」はこれだけが元ネタではなく……出走ウマ娘全員ではなかったですがアニメ版2期で、トウカイテイオーとマックイーンの対決になった天皇賞(春)でも事前の記者会見が描かれていました。
・……あれ? そのレースってたしか、ダイユウサク(ダイサンゲン)が出てましたよね。無駄に白いオーラ出しながら。
・そんなわけで他のGⅠはわかりませんが、天皇賞だけはその前に大規模な記者会見があるのはお約束のようです。
・ちなみに史実では10月28日の開催で、24日という直前にスーパークリークが出走回避しているのですが──この記者会見の場にはクリークは来ていません。
・もちろん、このレースに該当する記者会見をシンデレラグレイ本編でどう描写されるのかわかりませんので現時点では本作オリジナルですが。

紹介アナウンス
・直前の「一流ウマ娘の厚い壁に果敢に挑戦」というフレーズは、1990年の天皇賞(秋)の本馬場入場の際に、中継番組でダイユウサクの紹介の際にアナウンスされたもの。
・日曜午後3時にフジテレビでやっている番組ですね
・あの時のあの番組、本当にオグリが勝つと信じて疑ってない様子だったからなぁ……
・場面こそ違いますが、ウマ娘だと本馬場入場はなさそうなので、ここで使いました。
・ちなみにこの後のオグリのも本場馬入場の際のアナウンスを中略したものです。

メジロアルダン
・出走しているのでもちろんこの場にいるメジロアルダン。
・本作の「天皇賞の前の記者会見」はシンデレラグレイ準拠のため、勝負服で参加することになっているのですが──現時点(2021年9月現在)ではメジロアルダンの勝負服は実装されていません。
・どんな服装になるのか、今から楽しみです。
・そんなメジロ家の御令嬢からドレスの時の挨拶を学んだダイユウサクですが……ひょっとしたらその場にはラスボスがいて、微笑ましく見ていたかもしれません。
※追記
・スミマセン、アルダンの勝負服はきっちり出てましたね。シングレでのダービーで。すっかり忘れてました。

藤井
・シンデレラグレイではお馴染み、オグリを追いかける新聞記者の藤井泉助。
・ただし乙名史記者と違って、どの新聞や雑誌の記者なのかは不明。
・ギャグみたいな走り方をしたり、デート中にオグリへの取材を優先したり、「塩もってこい」という六平トレーナーの指示でベルノライトが持ってきた岩塩で殴られてゴミ捨て場に捨てられたり、とギャグキャラのような扱いを受けていますが、ジャパンカップでの取材では各国の言葉(英語やイタリア語)を見事に駆使して取材し、その有能ぶりを見せ、かなり優秀な記者なことが判明。
・オグリを追いかけているので、この場では当然に登場。
・むしろ以後に登場する機会があるかどうか……
・意地悪な質問でダイユウサクは勘違いしているが、立派なウマ娘担当の記者。


※次回の更新は9月17日の予定です。  



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第46R 大会議。 三人寄らば──会議は踊る

 
 合同記者会見が終わって──アタシは、控え室に下がって早々に着替えた。
 そして記者会見に同席したあの人を待つ。

(男のくせに、なんで着替えるのに時間かかってるのよ……)

 正装していたから「一張羅を万が一にも汚したくない」と、着替えに戻ったトレーナー。
 そんな彼を廊下で待っていたんだけど──そこへ今話題の“葦毛の怪物”が通りがかった。
 思わず息を飲み──でも、よく考えれば彼女は友人だもの。緊張する必要、無いのよね。
 そう考えるのと同時に、オグリキャップのことを可哀想に思っていた。

(アタシなんかとっくに着替え終わってるけど……こんな時間まで捕まって質問責めに遭ってたのかしら? 国民的アイドルウマ娘も大変だわ)

 注目度が皆無なのは寂しいけど……何事もほどほどが良いってことよね。
 でも──ここで彼女に会えたのは僥倖よ。
 なにしろ多忙を極めている彼女とは、アタシが天皇賞に出るのが決まってから、話す機会がなかった。
 ここでやっと、直接面と向かって話せるチャンスが訪れたんだから。

「オグリ、こんな時間まで大変ね」

 アタシが話しかけると──彼女は首を傾げた。

「ん? ……あぁ、ダイユウサクか」

 なんだろ。彼女がアタシを見る目にものすごく違和感があった。
 まるで知らない誰かを見るような目。
 確かに、忙しい彼女とはあまり話す機会がなかったけど……

「今度の競走(レース)はよろしくね。やっとアタシもGⅠに出走できて──」
「ああ、そうだったのか」

 そう言って彼女は善意百パーセントの笑みを浮かべ──


「……応援しているぞ」


 ──そう言った。
 アタシは思わず、彼女の顔を呆然と見つめてしまう。

「……え?」

 なに、その言葉?
 その反応は──まるで他人事だった。
 やっと友人と一緒に走れる、同じ舞台に立てると思っていたアタシの心は……完全に裏切られ、呆然としていた。

「では……」

 そう言って軽く片手を挙げると、何事もなかったかのように振り返って去っていくオグリキャップの後ろ姿。
 それを見たアタシは、彼女に歯牙にもかけられていないという虚脱感を感じながら、それを見送ることしかできなかった。



 記者会見の翌日──オレ達、チーム《アクルックス》はミーティングを行っていた。

 チームの部屋に集まったオレ、ダイユウサク、それに正式メンバーになったミラクルバードの3人。

 

「記者会見、良かったんじゃない?」

 

 そう言ったのはミラクルバードだった。

 車椅子に腰掛けた彼女は、笑顔で親指を立てて、オレとダイユウサクにサムズアップする。

 一方、ダイユウサクは冷め切ったジト目で彼女を見つめる。

 

「どこがよ。後で見たけど、ひどいものじゃないの……」

 

 ため息を一つつくと、恥ずかしがるように顔を手で覆った。

 そんなに悲観するレベルじゃなかったと思うけどな、オレは。

 ミラクルバードも同じ意見らしく、笑顔を崩さないままダイユウサクに話しかけていた。

 

「そんなことないよ。最初の乙名史記者への対応はいきなりで驚いたみたいだったのに、よく立て直せたって思うよ。次の藤井記者へは……ちょっとアレだったけどね」

 

 あの記者の“煽り”に乗りかけてしまったのは、明らかにダイユウサクのミスだ。

 

「でも、さすが乾井トレーナーだよね。きっちりフォローしてくれたし、おかげでダイユウサクとトレーナーの二人三脚感がいい感じで出てたよ」

「そうか?」

 

 藤井記者に対するダイユウサクの反応が不穏だったのでとっさに入ったが、他から見て成功だったのなら、それはよかった。

 とはいえ──

 

「ダイユウサクのことだから、オレが入らなくてもあの記者に噛みつくってことはなかっただろうけどな……」

 

 オレがダイユウサクを見ながらそう言うと、あっちはジト目で抗議していた。

 こいつの性格はだいたい分かってる。もしあの時にオレが入らなくても怒鳴ったり強気で言い返したりするようなことはできなかっただろう。

 ムッとしながら──「別に……」とか言うのが精一杯。人見知りで、知らない人に感情を爆発させるなんてことはできない性格だからな。

 ──で、オレが指摘すると……

 

「そ、そんなことないわよ。あの記者にビシッと言ってやろうと思っていたのに……」

 

 と、強がるわけだ。

 あまりに予想通りな反応に、苦笑してしまうわけだが……まぁ、この件はもういいだろう。

 今、ここで話すべきは──

 

「で、今大事なのはマスコミ対応の結果なんかよりも“レースをどう走るか”だ」

「そうなんだよね……」

 

 う~ん、と悩むミラクルバード。

 ダイユウサクも腕を組んで神妙に考え込んでいる。

 

「やっぱり、オグリ先輩の対策しないと……」

「そうよね」

 

 ミラクルバードの言葉に、ダイユウサクはうなずいているが……オレの意見は少しばかり違う。

 

「なぁ、ダイユウサク。お前、オグリをどう思った?」

「オグリ? そりゃあ強いウマ娘なのは分かってるわよ。まとってる空気も別格だし……」

 

 

()()()()()()()()()()?」

 

 

 オレの問いに──ダイユウサクは呆気にとられ、そして怪訝そうに覗き込んできた。

 

「どういう、こと?」

「合同記者会見の様子を見ての感想が聞きたいんだ。アイツ、休養入る前と比べて──調子悪くなってなかったか?」

「そ、そんなわけないじゃない。だって、休養明けよ? 調子が悪いのならここで復帰しないでしょ?」

「そうとも言えないだろ」

「え? どういうこと?」

 

 オレの返しに、ダイユウサクは驚いた様子だった。

 

「さっきお前も言ったとおり、オグリキャップは注目の的だ」

「そっか。注目を集め過ぎちゃってるから、調子が悪くても簡単に退くこともできないよね」

 

 察したミラクルバードの言葉にオレは頷く。

 それでダイユウサクの顔が青ざめる。

 

「そんな!? 出走を強制させられるって言うの!?」

「そこまではされないはずだ。もちろん大きな怪我とか、お前の時みたいに熱でもあれば別だろ」

 

 ダイユウサクは2戦目で、熱があるのに当時のチームに出走を強行させられた経験がある。それを思い出したのだろう。

 オグリキャップ陣営だって、明らかに体調が悪いのに強行出場はさせたくないはずだし、ダイユウサクの一件でURAもその辺りは厳しくなっているはずだ。

 

(だが……今回ばかりは、な)

 

 ダイユウサクの手前、彼女には“出走の強制は無い”とは言ったが、正直に言えば無いとは言い切れない。

 世間の盛り上がりは異常なほどで、マスコミもかなり取り上げている。

 普段は見向きもしないようなテレビのワイドショー番組でさえも、このオグリ熱狂(フィーバー)に乗っかって特集するくらいだ。

 

(そういえば……少し前に、オグリキャップへ密着取材が入るって連絡があったな)

 

 それはオレ達トレーナー宛の注意だった。

 取材のためのクルーが学園内に居続けるので、普段ならマスコミがいない時間にも見かけることになるから不審者と間違えないように、という内容だった。

 

(我が物顔で居続けるマスコミ記者なんて、邪魔者って意味では不審者と変わらないけどな)

 

 そう思い、人知れず嘆息する。

 とはいえ──少しでも速く、そして強いウマ娘へと導くのがオレ達トレーナーの仕事だとはいえ、このURAだってある意味では客商売だ。

 マスコミの協力無しでは成り立たないのも事実で、邪険にするあまりレース場が閑古鳥をあげるような事態になっては元も子もない。

 そのマスコミ受けを考えると、URAという組織がオグリキャップの出走を強要してくるのは十分にあり得ることだった。

 

「あり得ないって言ったって、でも……」

 

 ダイユウサクもバカではない。そういう事情を少しは察しているようで、危惧している様子だった。

 

「大丈夫だ。オグリには六平さんが付いている。あの人がいれば、そんな事態は許さないさ」

 

 オレや巽見のようなひよっこトレーナーなら押し切られてしまうだろう。

 有力チーム《リギル》の東条先輩や、巽見の上司で《アルデバラン》の正トレーナーの相生(あいおい)さんでさえ、この空前のブームの前では我を通せるかは分からない。

 しかし、優れた実績をもつ大ベテランともなれば発言力が違う。

 奈瀬(父親の方)さんや、六平トレーナーほどのクラスになれば、ある程度の事情があれば出走回避も可能だろう。

 それでも──ダイユウサクは不安な表情のままだった。

 やっぱりあの件は、コイツにとってはかなりの心的外傷(トラウマ)になっているんだな。

 

「六平トレーナーはもちろん、笠松からついてきたスタッフ育成科のウマ娘もついているんだろ? それに生徒会長も自分が笠松から連れてきた以上は気に掛けるはずだ。なにかあれば理事長に言うだろうし、その理事長だってしっかり見てくれる。ここまで注目が高ければなおさらだ。あんなことはもう起きない。安心しろ。な?」

 

 念を押し──オレはポンとダイユウサクの頭の上に手を乗せて、軽く撫でた。

 すぐに嫌がるかと思ったが、意外なことにされるがままに撫でられ──それからしっかりと頷いた。

 

「──話を戻すが、そんなわけでオグリキャップの体調には不安がある、とオレは思っているんだが……ミラクルバード、なにか知らないか?」

「う~ん……でもさ、オグリ先輩って、最近、別の場所でトレーニングしていたんじゃないの? キャンプ張ったりして……」

 

 そう言って、ミラクルバードはオグリキャップのクラスメートであるダイユウサクを見た。

 だが、見られたダイユウサクは戸惑った様子で答える。

 

「え? そんなことないわよ。オグリは普通にいたけど……」

「そうなの? でも……食堂の人達は“最近、オグリちゃんが来ないからご飯が余っちゃって仕方ないのよね”って嘆いていたけど」

 

 ミラクルバードは飲食業を営む実家の影響で栄養学も履修していて、食堂の人たちにも顔が利くらしい。

 しかしだからこそ、食べ物を無駄にしないためにミラクルバードも食べるのに協力したらしく「走れないから、太らないようにするのも大変なんだよね」と苦笑気味に愚痴った。

 

「そういえば最近、食堂の盛りが少し多めだってみんな話していたような……」

 

 ダイユウサクも思い出すように話す。

 うん? 一体どういうことだ。

 なにか気になるな……少し状況を整理してみるか。

 

「……ダイユウサク。オグリキャップは普通に学園に通っていたんだよな?」

「ええ、そうよ」

「で、ミラクルバードの話によれば食堂の人たちはオグリを見かけていない、と」

「うん。間違いなくそう言ってた」

「おまけに食事が余っている……」

 

 と、いうことは、つまり──

 

「二人の話を統合すると、オグリキャップは学園にはきていたが食堂に顔を出さなかった、食事をしなかった──ってことじゃないのか? 単純に考えたら」

「うん……そう、なるかな?」

「そういうことかしら、ね……って、ちょっと待って。それって、そんなのあり得ないわよ!?」

 

 曖昧ながらも納得したミラクルバードに対し、納得しかけたものの何かに気がついて否定したのはダイユウサクだ。

 

「先輩、どういうこと?」

「いい? ()()オグリキャップが、食堂に来ないなんてあり得ないでしょ。寮の食堂なんかじゃ、とても満足できる量を用意できないもの」

「あ……そっか」

 

 ミラクルバードも気がつく。

 オグリキャップはトレセン学園にいるなら誰でも知っているほどの健啖家だ。

 噂では、そのあまりの旺盛な食欲の前に転校前の笠松トレセン学園の食堂がかたむき、おかわり自由の撤回を検討するほどの事態に追い込まれ、食堂の責任者がストレスで人相が変わるほど思い詰めていたらしい。

 

「その“あり得ないこと”が、実際に起こっているんだろ」

「う~ん……減量でもしてる、とか?」

 

 ミラクルバードが苦笑しながら言うが、自虐的なそれを見る限り、自分でもそれは違うと思っている様子だった。

 

「おそらく違うと思うが……絶対にあり得ない線でもない、か。もしも可能ならミラクルバードはこの件を少し調べてくれないか? 競走科では出てこない噂でも、スタッフ育成科なら聞こえてくるかもしれないからな」

「うん、わかったよ。食堂のおばちゃん達にも聞いてみる。噂好きだし、みんなが知らないことを知ってるかもしれないからね」

 

 メンバーが少ないチームの不利な点の一つは、こういった情報収集能力で劣ること。

 学園内での噂話レベルの情報を集めるには、やはり人数の多いチームは有利だ。

 

(おまけにダイユウサクは、人付き合いが上手い方じゃないからな……)

 

 その点、ミラクルバードは情報が集まりやすいのに情報漏洩の警戒度が低いスタッフ育成科にいるし、持ち前の明るさや実家の客商売を手伝っていた関係からコミュニケーション能力も高い。彼女がチームに入ってくれたことの、想定外の利点だった

 

「頼む……で、オグリキャップの調子が悪いという前提で、あとは他の誰をマークするか、という話になるわけだが……そんなに多人数に目を付けられないから、二人に絞る」

 

 オレは部屋のホワイトボードに、写真を二枚張り付けた。

 

「一人はメジロアルダン。怪我に泣かされて出走機会が少ないが、その少ない機会をものにできる高い実力がある」

 

 実際、ダイユウサクが出走した去年の高松宮杯では、実力の差を見せつけられている。

 

「そしてもう一人。アルダンよりも調子がいいように見えたのは……」

 

 オレが示した写真には、鋭い目をした短めに整えられた髪のウマ娘が写っていた。

 和服のようなイメージの、その勝負服はこの前の合同記者会見でも目立っていたし、それ以上に纏う空気、このレースへの集中力、そして気迫が──オレに警戒心を抱かせていた。

 彼女は、今回のレースに合わせて間違いなく最高クラスに仕上げてきている。

 

「……ヤエノムテキ。オレはオグリキャップよりも、彼女の方こそ警戒するべきだと思っている」

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 アタシにとって初めてのGⅠ、秋の天皇賞が迫り、行われたチームのミーティング。

 トレーナーは、オグリキャップの調子が悪そうだ、なんて言っていたけど……

 

(でも、やっぱり警戒するべきは彼女よ)

 

 アタシは心の中で思っていた。

 彼女が転入してきたその日に聞いた、笠松での成績──12戦10勝。2着が2回。

 デビューなんて夢のまた夢だった当時のアタシにとってはまるで雲の上のことで、その信じられないような成績を持った彼女と縁あって友人になれた。

 その彼女の怪物ぶりを改めて実感したのは──たった一度の敗戦で完膚無きまでに実力差を見せつけられて絶望した、従姉妹のコスモの姿を見てだった。

 あの()のことは幼いころから知ってるし、学園に入ってその実力だって知ってた。

 ううん。八大競走の一つ、オークスを優勝できるほどの実力があるほどとは、さすがに分からなかったかも。

 そんな彼女の自信を、たった一戦で叩き潰したオグリキャップの強さは正直怖かったくらい。

 それからもタマモクロスとかイナリワン、スーパークリーク達と重賞戦線で戦い続ける彼女を見て、一方でアタシも曲がりなりにもデビューして自分でトゥインクルシリーズを走るようになって、彼女の強さや自分との差をまざまざと感じさせられた。

 そんな彼女と──今回、初めて戦うことになる。

 

(意識しないわけにはいかないじゃない)

 

 アタシはようやく彼女のいるところにまで登ってきたんだから。

 今も、トレーナーはアルダンとかヤエノムテキを注意するべきだって言ってるけど──アタシの目にはあのウマ娘しか映ってない。

 あっちはアタシのことなんて、全然眼中にないみたいだけど──逆に、だからこそ思うわ。

 

(オグリキャップに……勝ちたい)

 

 あの食堂で初めて出会ってから、日常生活では身近に感じていたけど、競走(レース)では雲の上の存在に感じていた彼女。

 その彼女に初めて抱いた感情だった。

 思い出すのは記者会見の後に会った時の彼女の態度。

 

(せいぜい頑張りなよってこと? 確かに明らかに格下なアタシだけど……目にもの見せてやろうじゃないの!)

 

 アタシの目は、完全にオグリキャップへと向いていた。




◆解説◆

【三人寄らば──会議は踊る】
・久しぶりの元ネタなしなタイトル。
・噛みあっているようで──噛みあってなかった会議。それがどのような結果を生むのか……

《アルデバラン》の正トレーナーの相生(あいおい)さん
・今まで名前が出ていなかった、チーム《アルデバラン》の正トレーナー。
・名前が出ていなかったいうか、決めていませんでした。
・その名前の元ネタは──アルデバランと同じく黄金聖闘士の名前、獅子星座(レオ)のアイオリア、射手聖座(サジタリウス)のアイオロスから。
・両方に共通する“アイオ”から取り、日本人っぽい──となって「相生(あいおい)」となりました。
・ちなみに──名前の元ネタのキャラ同様、顔はかなりのイケメンですが……どうにも昭和顔。眉毛も太く濃い顔なので、今の感覚のウマ娘達には「イケメンだけど濃い顔」という評価。
・優しくも厳しい人で──最初のころコスモドリームの関係でダイユウサクのことを知っていたのに、それでもチームに誘わなかったのは彼の判断。
・実は巽見は誘う気満々だったが──彼は当時のダイユウサクの悩みに気付いていて、「チームに入れるのが良い手だとは思わない」と判断していたのでチームに誘わず、コスモドリームも悶々としていた。
・なにかよくわからない“力”に目覚めていて、ウマ娘並みかそれ以上の身体能力を誇るらしい……
・「己の肉体だけを武器として戦い、その拳は空を引き裂きその蹴りは大地を割る」……上に、彼は“光速の動き”を身に着けていた……とかいないとか。


※次回の更新は9月20日の予定です。  



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第47R 大秋晴! 風紀委員長の、名に懸けて!

 
 ──その日、東京の空は抜けるような青空だった。

 気持ちのいい秋晴れ。
 時期的には絶好の運動会陽和(びより)と言えるだろう。
 そんな空の下、中央トレセン学園のすぐ近くにある東京レース場の観客席は、多くの人出でごった返していた。
 オグリ熱狂(フィーバー)で沸く世間。彼女の復帰レースである天皇賞(秋)の注目度は高く、早い時間からすでに混雑していた。
 そんな東京レース場。普通の観客席ならもうすでに満員になった観客席の中で、それも最前列に、3人のウマ娘がいた。
 そこは本来なら、出走するウマ娘のチーム関係者のためのスペース。
 もちろん出走人数が多い時のことも考えて、そんなに大勢がいられるほどに確保されているわけではない
 しかし──そのウマ娘のチーム関係者はたったの二人しかいない。
 そのために持て余しているそのスペースへ、3人はチーム部外者だったものの「お前達にはお世話になったからな」とチームのトレーナーから言われ、招かれたのだ。
 その3人とは──

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 超満員の観客席(スタジアム)の最前列。
 そこに陣取ったショートカットのウマ娘が、「うわぁ、こんなに混んでいるなんて……」と物珍しげに背後の席を見る。
 すると、遅れてやってきた二人のうちの一人が、どこかのんびりした口調で話しかけた。

「あら? これはこれは……コスモドリームさん。やはり来ていらしたのですね」
「シヨノロマン! うん、もちろんだよ。学園から目と鼻の先だし……なによりユウの晴れ舞台なんだからね」

 髪を短めにしているウマ娘──コスモドリームは晴れがましい目で、ターフに思い思いの場に散っているウマ娘のうちの一人を見る。
 それに釣られるように、瞳が見えぬほど細い目をした、長い髪を一本の三つ編みにまとめて背中に流しているウマ娘──シヨノロマンもまた彼女を見つめる。
 長い栗毛の髪の毛を後ろに流したその髪型。
 周囲に知り合いがいないせいか、普段は浮かべている勝ち気な笑みを潜め、今は無感情に近いような、淡々とした表情になっていた。
 そしてそんな様子を──いや、勝負服を見て残りの一人が不満そうにつぶやく。

「まったく……赤地に黒の勝負服なんて、恐れ多いんじゃありませんこと……」

 赤を基調とし、胸元を含めたアクセントに黒、さらにスカートの上部分を黄色に染めた、まるでドレスのような勝負服を彼女は身にまとっていた。
 普段は体操服で走るが、GⅠレースだけは例外。彼女達がそれぞれ持っているオリジナルのデザインである勝負服を着てレースに挑むのだ。

「あら、セッツ。でもあれは……お婆様自身が、あの勝負服を彼女に贈ったそうですよ」

 シヨノロマンが、傍らで不機嫌そうにしていたツインテールのウマ娘に言うと、彼女──サンキョウセッツはやはり不機嫌そうな顔のまま返す。

「それがズルい──いえ、不敬なのですわ! お婆様と同じ色味の勝負服だなんて……」
「え? でも黄色入ってるじゃん」

 思わずコスモドリームのツッコミが入り──サンキョウセッツはそちらを見た。
 強気な態度は相変わらず……と言いたいところだが、表情は強気でも少しだけ腰が引けている。
 サンキョウセッツはコスモドリームには潜在的に苦手意識があるのだ。

「そ、そんなの……偉大なるお婆様からの頂き物なのですから、それを床の間に飾るなり大切に保管すべきなのですわ! それと別で自分のものを用意すればいいことではありませんか……」

 …………サンキョウセッツの家って、床の間あるの?
 洋風のお嬢様っぽい雰囲気を醸し出しているので、まさかそんなものが彼女の実家に存在するとは思っていなかったコスモドリームは、同じことを思ったサンキョウセッツとともに思わず彼女を見つめてしまう。

「な、なんですの? 二人とも……」
「いえ……相変わらず、ダイユウサクさんにはキツくあたるのですね、と思いまして。それにコスモドリームさんのことは苦手みたいで……」
「そ、そんなことありませんわ! ダイユウサクなど歯牙にもかけていませんし、コスモドリームを恐れる理由などありませんもの……ええ、そうですわ!!」
「へぇ~、そっか。そういえばサンキョウセッツはコスモの一世一代の晴れ舞台を奪ってくれたもんね……」

 コスモが一度意地悪そうに笑みを浮かべてからジッと睨む。
 それにサンキョウセッツは「ひッ!」と短い悲鳴をあげ──恨みがましい目でシヨノロマンを無言で見つめた。

「シヨノ! 余計なことは言わないでくださいまし」
「はぁ……余計なことを言ったのは、セッツではありませんか……」

 そんなサンキョウセッツとコスモドリームのやりとりに、シヨノロマンはくすくすと笑い──すっかり高くなった秋の空を見上げる。

「ふ、フン! ……今日は道に迷いませんでしたの? コスモドリーム」
「それを言う!? そんなに何度も迷わないよッ!! まったく、ユウと妙なところで似てるんだから……」

 反撃とばかりに言うサンキョウセッツに、彼女の数少ない痛いところを突かれてムキになるコスモドリーム。
 そう、それはあの日の話──
 なかなか現れない彼女に、関係者や出走するウマ娘──自分たちまでもがそわそわし始めるという事態にまでなっていた。
 やっと現れたコスモドリームに、真っ先に食って掛かったのは……ルームメイトの彼女だった。
 そんなエピソードさえも、今は懐かしく思う。
 たった2年前のことなのに──

「それにしても……思い出しますね。季節こそ違えど、私達が走った、あの競走(レース)を」

 今日、一人のウマ娘を応援するために顔をあわせたこの3人が、揃って出たレースは一つだけ。
 それは奇しくも、今日と同じくGⅠレース。場所も同じく東京レース場。
 そのレースは──オークス。
 3人を含めたゴールした21人──いや、スタートを切った22人が鎬を削り、結果的にはコスモドリームが制したレースだ。

「あの時はデビューさえしてなくて、そんな目処さえまったくなかったユウが──」
「あの貧相で、ろくに走れず、チンチクリンだったダイユウサクが──」
「まさか、このような大舞台に立っていらっしゃるだなんて……本当に不思議なものですね」

 三者三様にそのウマ娘を再び見つめる。

 ──従姉妹としてルームメイトとして、守るべき対象であった彼女。
 ──期待を裏切られ、嫉妬と失望でつい辛くあたってしまった彼女。
 ──気にかけていたものの、近寄りがたく距離を詰められなかった彼女。

 そんな彼女──ダイユウサクが、ついに秋の天皇賞という八大レースの一角に挑む。
 感慨深く感じると共に、やはりこの大一番に挑める彼女を、競走ウマ娘として少なからず嫉妬を抱いてしまう三人。

 並みいる一流のウマ娘に混じったその姿は、雛だった頃は見栄えが悪く、虐げられてきたその子が大きく成長し、白く立派な白鳥となった童話──みにくいあひるの子(The Ugry Duckling)のようであった。



 

 秋の天皇賞の出走前──

 

 アタシは、芝の走路に思い思いに散っている出走するウマ娘の中で、あるウマ娘に近寄った。

 彼女にどうしても言いたいことがあったから。

 

「……ちょっといい? バンブーメモリー」

「は、はい!? 何っスか?」

 

 今まで高松宮杯とCBC賞で顔を合わせた彼女。

 頭には「夢」と書かれた鉢巻きが巻かれているのは変わらないけど、今日は出走前から勝負服を着てる。

 その彼女はアタシの声に振り返り──

 

「ダイユウサク……」

 

 と、アタシの名前をつぶやいて──それから何かを思い出して慌てて周囲を見渡す。

 

「きょ、今日はコスモドリームの……」

「落ち着きなさいよ。この前のお礼を言っておこうと思って声をかけただけよ」

「この前のお礼?」

「合同記者会見のとき。小声でアドバイスしてくれたでしょ?」

「ああ、あのことっスか。気にする必要なんてないっスよ。風紀委員長として、当然のことをしただけっスから」

 

 そう言って笑顔を浮かべるバンブーメモリー。

 しかし、そんな彼女の答えにアタシは思わず眉をひそめた。

 

「風紀委員長として?」

「ええ。そうっス。そもそも風紀とは、なぜ必要か……わかるっスか?」

「学園内の秩序維持のためじゃないの?」

「そういう意味合いももちろんあるっス。ウマ娘の中には自由で勝手な気ままな性格も多いっスからね」

 

 笑みを苦笑に変えつつ、答えるバンブーメモリー。

 風紀委員として、要注意人物として記憶されている何人かを頭に浮かべているのかしらね。

 

「じゃあ、なぜ学園に秩序が必要か……わかるっスか?」

「え、っと……」

 

 それは、秩序がなければ困るから──と考えて、全然理由になっていないのに気がつく。

 さすがにこんな子供みたいな答えは返せない、とアタシが悩んでいると……

 

「トレセン学園が、そしてトゥインクルシリーズが憧れられる存在であり続けるためっスよ。どんなに速かったり歌や踊りが優れていても、そこが無法状態だったら、誰も憧れないっス。自分もああなりたい、あの場に飛び込みたい、って思わないっスからね」

「それは、確かに……」

「だから風紀委員の仕事は、学園内の風紀の取り締まり──あこがれられ続けられるための秩序維持っス。だからこの前は、差し出がましいこととは思ったっスけど、言わせてもらったっス」

 

 バンブーメモリーは笑みを消し、アタシをジッと見た。

 

「慣れていないのはわかるっスけど、ああいう大規模な記者会見場で醜態をさらすのは“あこがれの存在”とは言えないっスからね」

「あ……はい。ごめんなさい……」

 

 思わずアタシが頭を下げると、バンブーメモリーは笑みを浮かべて応じた。

 

「わかればいいっスよ。学園のウマ娘……それも同級生が醜態をさらすのを見過ごせなくて、あえて“敵に塩を送った”だけっスよ。だから今日は……」

「ええ。全力で戦わせてもらうわ」

「よろしく頼むっス」

 

 バンブーメモリーは気持ちのいい笑みを浮かべ、アタシに応えた。

 

「とはいえ……今日はちょっと調子が狂うっスけど」

 

 異常な熱を帯びている観客席(スタンド)をちらっと見て苦笑を浮かべ、さらには──走路にいるあの葦毛のウマ娘の様子を見た。

 

「さすがに他のウマ娘を気にする余裕は無いっス。申し訳ないっスけど……」

 

 その目が一瞬で鋭さを増した。

 でもそれはアタシも同じこと。彼女の視線を追ったアタシもまた、その姿に表情と気持ちを引き締めた。

 このレース場全体が彼女の勝利を期待し、他のウマ娘達がまるで悪役のような雰囲気は、けっして面白くはないわよね。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──観客席の誰もが

 ──走路で出走を待つウマ娘達が

 ──中継番組で見守る全国の人たちが

 

 その誰もが一人のウマ娘を注目する中──たった一人だけ、彼女を見ていないウマ娘がいた。

 彼女は観客ではなく、出走するウマ娘の一人。

 その彼女が意識しているのは、同じレースで競う相手でさえなく……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 私は、観客席(スタンド)の最前席で、彼女の姿を見つけました。

 同時に私の心が沸き立つのがハッキリ感じられました。

 

(浮かれるな、私ッ!!)

 

 舞い上がりそうな私の心に──喝を入れます。

 でも……心の中の気合いだけでは、足りません。

 

「はっ!! 敵は! 内にありッ! はっ!! 己と! 向き合えッ!!」

 

 気合いの声とともに、正拳を突き出して、型を行う。

 私の突然の大きな声に、驚いたウマ娘もいたようですが……精神統一のため、と理解していただけたようで、すぐに興味を失ったようでした。

 

(ようやく……落ち着いてきました)

 

 型を終え、長く息を吐き出す私。

 もしかしたら見に来るのではないか、という淡い期待はありました。

 しかしそれは、私の走る姿を見に来るわけではない、と分かっています。

 

(出走表に彼女の名前を見つけたので“ひょっとしたら”と思っていましたが、本当に見に来るとは……幸運でしたね)

 

 出走表にあったのは、彼女の遠い親戚だというウマ娘の名前。

 それだけなら彼女が見に来る可能性は低かったと思います。

 しかし今回は──開催地が良かった。

 秋の天皇賞が開催されるのは東京レース場。トレセン学園から歩いて来られる範囲です。

 これがもし春の天皇賞だったら開催地は京都になっていたところです。わざわざ京都にまで応援に来るほどの繋がりはなかった(と思う)ので、レースを見に来ることもなかったでしょう。

 

「そういう意味では、貴方に感謝するべきかもしれません」

 

 私は目を動かし、そのウマ娘をチラッと眺める。

 彼女の赤いドレスのような勝負服は初めて見ました。

 それにクラスメートですので、ある程度は知っています。

 所属するチームがソロだから、関係者枠が余って親戚のウマ娘たちを応援要因として招いたのでしょう。あのウマ娘以外にいる二人も彼女の親戚らしいですし。

 同じレースで走るのはこれが初めて。なぜなら彼女の主戦場は今まで私の主戦場であるオープンクラスのレースではなかったから。

 それが──ようやくここまで上がってきた。

 

「“あの方”の親戚……というだけではなかったようですね」

 

 最初はそんな縁故でのコネ入学という噂を聞いてイラ立ち、軽蔑さえもしましたが──

 しかし、地道に努力している彼女の姿を見て、それが報われないことに憐憫さえ感じた時期もありましたが──

 様々な苦難を経験し、乗り越え、この場に立ったことに──私は敬意を払いますよ。

 そして願わくば──強者であること、を。

 私が切磋琢磨する研鑽の相手として、強者は歓迎したいと思っていますし──

 

(なにより、彼女に見てもらう今日の競走(レース)が盛り上がるように……)

 

 再びそのウマ娘に視線を戻す。

 私自身、無骨で不器用で打ち込んできた武芸と鍛えた体しか誇れるものはなく──まるでその対極のように、たおやかで、優しく、美しい、そのウマ娘。

 私に無い物を持ちながら、同じ競走(レース)という世界で競う姿に──私は心惹かれ、私の姿に彼女の心が惹かれてほしいと切実に願う。

 

 ──この一戦を、走りを……彼女に、シヨノロマンに捧げる。

 

 は決意を込めて──気合いの声とともに最後に拳を突き出した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ファンファーレが響きわたる。

 そして、超満員の観客から怒号のような歓声が響きわたった。

 それからゲートへと入り──アタシは集中力を高めていた。

 

(これが……GⅠレース)

 

 いつもと同じゲートのはずなのに、空気が違う。

 なによりいつもの体操服ではなく、今日は勝負服。

 アタシの身を包む、赤いドレスに──

 

(『怪物』なんて関係ないわ。アタシには──“”とも呼ばれた“あの方”がこうしてついてくださっているんだから)

 

 自分の身を包むその服とともに、贈ってくださった方の優しさを感じる。

 あの方が持っていた強さのほんの少しかもしれないけど、アタシに力を与えてくれているような気がした。

 いつも以上に研ぎ澄まされた神経が──ゲートの開放を感じる。

 

「今ッ!!」

 

 ガコン──

 

 ゲートが開く音と同時に、アタシは飛び出した。

 そうして──アタシの初めてのGⅠ、天皇賞(秋)はスタートした。

 




◆解説◆

【風紀委員長の、名に懸けて!】
・ああ、これは簡単ですね。『金田一少年の事件簿』の決め台詞が元ネタ……と思われるでしょうが、違います。
・『ウマ娘 プリティダービー』のゲーム版でのサクラバクシンオーのイベント「学級委員長の、名に懸けて!」が本当の元ネタ。
・とはいえ、このシナリオタイトルがそもそも『金田一~』っぽいですからね。

その日
・今回のレースの元ネタは第102回天皇賞(秋)。
・開催されたのは1990年10月28日(日)。場所は東京競馬場。
・秋の天皇賞は芝2000メートル。
・当日の天気は晴れ。馬場も良でした。
・え~、そのころ世間では何があったのか、と言えば……1990年10月に、東西ドイツが“再統一”してますね。
・ベルリンの壁が壊れたのはその前の年の11月ですけど。

今日は道に迷いませんでしたの?
・コスモが道に迷ったのは、オークスの時。
・あれ? オークスって東京レース場の開催だよね?
・で、学園と同じ府中市にあって……
・……迷う余地、なくね?
・と、今頃になって気が付きました。
・そもそもコスモがレース場に来るまでに道に迷ったというのは、そのときのコスモドリームに騎乗した熊沢騎手が東京競馬場が初めてで道に迷った──というエピソードを元にしたのですが……トレセン学園も東京競馬場も同じ府中市にあるのを完全に忘れていました。
・──後付けですが……オークス当日、コスモは東京レース場開催を中山レース場と勘違いして電車で向かってしまった……というのを一応考えました。
・でもそれ……“道”に迷ってなくね?


・このシーン、名前が伏せられていましたが……もちろん出走しているウマ娘です。
・なにやらシヨノロマン(とあるウマ娘)にご執心だったり、特徴のある集中のやり方をしたり。
・一体、誰なんだ……?
・──裏話をすると、実は書いてる人が、本気で文中に名前を書き忘れただけという()()だったりします。
・完成して読み直したら「あれ? 名前書いてないわ」と気づいたのですが、逆に明言しない方が良いと思ったので、そのままにしました。
・……バレバレですけどね。(笑)


・“あの方”であるシンザンの元ネタ史実馬は、戦後競馬会への多大な貢献から「神馬」と呼ばれた馬でした。
・ウマ娘である以上、「神馬」にはできないため、協会内では「神」扱いする人もいる、ということで。


※次回の更新は9月23日の予定です。  



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第48R 大熱闘! はじめてのGⅠと、絶不調の理由(ワケ)

 
「……相変わらず、ゲート()()は上手ですわね」

 いよいよスタートした秋の天皇賞。
 真っ先に飛び出した1番のウマ娘に続いて、抜群のスタートで先頭に立たうとするほどのダイユウサクを見ながら、ツインテールのウマ娘──サンキョウセッツがつぶやいた。
 その様子に──傍らにいたコスモドリームとシヨノロマンは困ったように微妙な表情でサンキョウセッツを見ていた。
 そんな視線に気づいたサンキョウセッツは──

「……二人とも、なぜそんな顔を?」
「だって……ねぇ?」

 コスモドリームは思わずシヨノロマンに話を振り、振られたシヨノロマンは細い目を苦笑に歪めながら、やんわりと答える。

「ダイユウサクさんはオープンクラスになられたんですから……セッツがなぜ上から目線なのでしょうか、とは思いますよ」
「ふん! そんなの決まってますわ! 私はオークスを、八大競走のGⅠレースを走ったのですから」
「それなら、ユウだって今まさに八大競走(それ)を走ってるじゃん」
「愚問ですわね……まだスタートを切ったばかりではありませんか。ちゃんと完走できるかどうかさえ、まだ定かではない──つまり、オークスをゴールまで走りきった私の方が、まだ格上!!」

 そう言って、自信満々に胸を張るサンキョウセッツに──コスモドリームとシヨノロマンはそっとため息をついた。

「そこは、順位がまだわからないのだから……と言っておけばいいと思うのですけど」
「だよね。完走できないって、ちょっと不吉すぎるよ」

 シヨノロマンの言葉にうんうんと頷いたコスモドリームは、サンキョウセッツにジト目を向ける。
 その視線に──サンキョウセッツは「う……」と詰まり、目を伏せてコホンと咳払いをした。

「それは確かに……私が迂闊でしたわ」

 その表情には理由がある。
 あのオークスでは、完走できなかったウマ娘が一人いたのだ。
 彼女のことを思い出し……サンキョウセッツもさすがに反省した。
 だが──

「……シヨノの言うとおり、私の8位を上回らない限り私の方が格上なのですわッ!! そもそも同じ八大競走でも秋の天皇賞は2000メートル。オークスは2400メートル! 距離が長い分、走っただけでは私の方が格上……」

 そんなことでへこたれ続けるサンキョウセッツでもなかった。
 言い放ち、再び胸を張るサンキョウセッツの姿に──コスモドリームとシヨノロマンは盛大にため息をついた。



 ──いいスタートがきれた。

 

 異様とも言えるスタンドの熱気や迫力にやや不安を感じていたアタシだったけど、影響を受けることなくスタートできたことでその不安は吹っ切れたわ。

 むしろGⅠが初めてだからよくわからないけど、こういう雰囲気が当たり前なんでしょう?

 なら、気圧されていたら毎回毎回スタートミスを怯えることになるし、ビビってられないものね。

 スタートして第1コーナーへと走るアタシ。

 そして──

 

ニュートリノとはッ! 光よりも速い、最速の存在であるッ!!」

 

 そんなことを叫びながら、意気揚々と走るウマ娘がいた。

 白衣に片眼鏡(モノクル)というまるで研究者のような姿の勝負服を着たそのウマ娘は、最内枠という有利を生かし、いいスタートを切って先頭に立ったアタシと並ぶ。

 アタシは、横で「フハハハハハーッ!!」と狂気じみた笑い声をあげながら走る彼女を見て──

 

(マッドサイエンティスト……)

 

 見たままの感想が頭に浮かんだ。

 ──が、彼女こそロングニュートリノ。重賞初挑戦がこの秋の天皇賞というウマ娘で、GⅠ初挑戦のアタシが話題にならなかった理由の一つ……

 

(まったく、なにが上位互換よ……)

 

 そう評したトレーナーを思いだし、アタシはちょっとイラッとした。

 でも──狂気じみた笑い声とともに走っている彼女の姿に……

 

(ぅえ……アレと一緒にとか、直ぐ後ろはちょっと走りたくない……かな)

 

 さすがに少しだけ怖じ気付く。

 というか、正直、近寄りたくない。

 それに自分でペースを作る“逃げ”はやりたくない。

 

(正直、得意じゃないし、ね)

 

 そう思ってロングニュートリノに先頭(ハナ)を譲った。

 すると──外枠から来た一人がその後に続く。

 現在、アタシは3番手……今のアタシは“先行”の先頭にいる。

 

「と言っても差はあまり無い……」

 

 アタシだってオープンクラス。この前まで準オープンを抜けられなかったけど、それだって実力が低いわけじゃないわ。

 でも──

 

(このレースは天皇賞。周囲はバケモノ揃いなんだから……)

 

 去年の高松宮杯でまるで歯が立たなかったメジロアルダンもいるし、この前のCBC賞で全然かなわなかったバンブーメモリーもいる。

 さらに思い浮かべたのは、アタシ自身が走ったレースではなく、コスモドリームが走った去年の宝塚記念だった。

 

(八代競走に含まれないけど、それと同じくらいにGⅠの中でも格が上のレース。その宝塚記念で、コスモはまったく歯が立たなかった……)

 

 オークスというクラシックGⅠを制したはずのコスモでさえそうなってしまうほどだった。

 ましてまさに八大競走──国内最高峰のレースである天皇杯はそれと同じかそれ以上のレベルなのは疑うべくもない。

 それに、なにより──オグリキャップ。

 こっそり背後の様子を伺えば……彼女は2位集団の中にいる。彼女もまた先行で行くつもりらしい。

 

(このペース、結構速い。後ろは正直怖いけど……)

 

 後ろのウマ娘達が脚をためていると考えると、正直怖い。

 かと言って、後ろに下がるわけにもいかない。

 なぜなら──

 

(後ろにいるオグリに末脚勝負で勝てるわけがない。少なくとも最後の直線に入ったときに、その前にいなければ万に一つの勝ちもない……)

 

 オグリキャップよりも前の位置を維持すること。それが絶対条件だった。

 アタシの前には逃げをうったロングニュートリノと外枠から来たもう一人。

 

 先行集団の前の方──いいスタートをきれたアタシは、速いペースを不安に思いながらも、絶好のポジションでレースを展開することができていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「さて……」

 

 オレは観客席から、レースの展開を見ていた。

 今のところ、ダイユウサクはアイツにとって絶好の位置にいた。

 

「スタートの良さが、好位の確保につながったね」

 

 傍らのミラクルバードも、ホッとして笑顔さえ見せている。

 そう、ここまでは理想的な展開だ。

 問題があるとすれば──

 

「そもそもこのメンツを相手するのに、本人の実力が届くかどうか、ってところだけどな」

「身も蓋もない……」

 

 オレのつぶやきにミラクルバードが苦笑を浮かべる。

 

「でも、トレーナーは最初からあきらめてるわけじゃないんでしょ? 記念出走ってわけじゃ……」

「もちろんだ」

 

 そう答え、オレは意地悪い笑みを浮かべながらミラクルバードに言う。

 

「なぁ、ミラクルバード。天皇賞に限らず、競走(レース)に勝つウマ娘の絶対条件ってのがあるんだが……なにかわかるか?」

「え? 絶対条件? 速いこと? 一番にゴール板を通過しないといけないんだから……」

 

 悩み始めたミラクルバードを後目(しりめ)に、オレはダイユウサクのすぐ後ろに位置している話題のウマ娘を見つめた。

 

(オグリキャップ……最悪の調子の中で、どれだけ力を発揮してくるんだ? この怪物は……)

 

 オグリキャップの調子が悪いのはほぼ確定していた。

 ミラクルバードが集めてくれた情報からも、明らかだった。

 そのもっとも大きな原因は──

 

(マスコミの取材……そんなもので調子を狂わされたのは、本当に悔しいだろうな。オグリも、六平さんも)

 

 マスコミ取材と言っても、ウマ娘担当の記者達なら問題はなかった。

 例えば──オグリのクラシック登録問題を騒ぎ立てた藤井記者も、オグリキャップ自身に直接迷惑がかかるような、彼女のトレーニングそのものに影響を与えるようなことはしなかった。

 

(まぁ、それでも六平さんからは蛇蝎のごとく嫌われていたけどな……)

 

 それはウマ娘担当の記者と、オレ達トレーナーやウマ娘サイドの暗黙のルールというものがあるからだ。

 しかし──

 

(芸能担当だかなんだかしらねえが、その暗黙のルールを無視しやがった……)

 

 それが、オレ達トレーナーにも通達が来ていた、オグリへの密着取材だったんだ。

 その実状を話してくれたのは、東条先輩。

 《リギル》のメンバーが今回の天皇賞には出走していないので、「あくまで公平な立場で言うけど……」と話してくれたのだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「密着取材といったって、トレーニングの姿を一日中追いかけるくらいで、校舎とか寮の中にまでは入ってこないのが普通よ。それが、あの連中は……」

 

 ところ構わず、常にオグリキャップに付き添い続けたらしい。

 それに対して真っ先に抗議したのはベルノライト。

 しかし取材陣は「許可を得ているから」の一点張り。

 無論、それは六平トレーナーにすぐに知らされたが──その抗議に対しても「許可を得ている」の反論。

 さらには──「正式な契約が結ばれており、もしも邪魔をするようであれば契約違反だ」と逆に警告してくる始末。

 

「両者の調停に、うちのルドルフまで駆り出されて……」

 

 だから知っていたのよ、と東条先輩は疲れ切った様子で言った。

 彼女が言うには「こんなバカな取材許可を出したのは、どこのどいつだ!!」と六平トレーナーが大騒ぎして大変だったらしい。

 その剣幕に話が理事長──ひいては許可を出したURAまで巻き込んで、やっとのこと「天皇賞まで」とされていたその密着取材を途中で中断させることができた、とのことだった。

 しかし、東条先輩は厳しい表情のままだった。

 

「──でも、手遅れだったのよ。この取材のマズさに気がついて、どうにか止めさせたときにはすでに……オグリは食欲が無くなるほどに、体調を悪くしていたの」

 

 それが、あのとき──会見直後にうちのチームのミーティングで話題になった、オグリキャップを食堂で見かけなくなった件の真相だった。

 幸いなことに、密着取材の中止から徐々に調子は取り戻したようだが──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……オグリの調子をどう見る? ミラクルバード」

「え? う~ん……やっぱり精彩をかいているようにも見えるけど……本当に顕著に現れるとしたら、これからでしょ?」

 

 だろうな。オレもまったく同じ意見だ。

 やっぱりミラクルバードの目は確かだな、と思わされる。

 序盤・中盤はウマ娘自身の地力で誤魔化せる。調子の善し悪しが顕著に現れるのは、そのウマ娘の限界ギリギリを迎えてからだ。

 調子が悪ければ無理が利かず、逆に調子が良ければ実力以上の力を発揮できる。終盤での切羽詰まった攻防の中ではそれが致命的な差を生むことになるだろう。

 

(そもそもレース序盤や中盤から分かるほど調子が悪い状態なら、いくらオグリでも出走させないだろ)

 

 そうしてレースは中盤から終盤へとさしかかろうとしていた。

 ダイユウサクは──未だに2位集団の前の方をキープし続けていた。

 

(いいぞ、ダイユウサク……)

 

 オレは心の中でガッツポーズを決める。

 ここまで、本当に理想的な展開だ。

 “逃げ”──ロングニュートリノのおかげで速いペースになっている。マイル戦を得意としている上に調子が悪いオグリキャップにとっては酷な展開になっていた。

 これが逆に逃げるウマ娘がいなくて、牽制のし合いでスローペースになっていたら……“本当の意味でのスタート”がもっと後ろになって、実質的にマイル~短距離戦になってしまう。そうなれば、そこはオグリの得意な戦場だ。

 今日の展開はそれは完全に回避できていた。ニュートリノさまさまだな。

 あとは──

 

(最後の直線で上手く抜けられれば、いい線いくかもな……)

 

 オレはダイユウサクに目をやり──

 

「──ねぇ、トレーナー。さっきの答え、教えてよ」

「答え?」

「訊いてきたの、トレーナーからだったのに!? ほら、勝つウマ娘の絶対条件……」

 

 不満げに頬を膨らませるミラクルバードに、オレは「ああ、それか」と応え──

 

「決まってるだろ。答えは“出走しているウマ娘”、だぞ」

「な……ッ」

「レースに出ていなければ優勝することはできないし、そのレースを走れば確率はゼロじゃない。競艇だったら“万舟(まんしゅう)”になっちまうくらいに“ありえない”ウマ娘にだって平等に、万に一つの勝ちがあるんだ」

「……トレーナー、不謹慎だよ」

 

 ミラクルバードは、最初はオレのニヤリと笑みを浮かべて言った正解に絶句しつつ、「その答えはズルい」と目で雄弁に抗議していた。が、さすがに“ウマ娘の競走”を競艇に例えたことにはジト目になって抗議してきた。

 それにオレは「たとえが悪かったな。スマン……」と短く謝り、レースを見つめながら自分の思考に没頭する

 

(オグリが来なければ──他の連中は、オグリを警戒するあまり思い切った策を打てないはず。あとはオレが警戒した連中さえ押さえ込めば……)

 

 ──ひょっとしたらひょっとする。

 オレの期待は徐々に高まりながら──先頭は第4コーナーを越えて、最後の直線へと入った。

 

 

 ……この時のオレは、オグリをまったく意識せず、他の──観客席のウマ娘のことしか考えていないヤツが走っているなんて、もちろん思ってもいなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──ついに、レース最終盤。

 

 いよいよ最後の直線を前にした第4コーナー。

 先頭を走り続けていたロングニュートリノは──

 

「ニュー…トリノは……最速の、はず……」 

 

 なんかもう、目を回しかねないほどにダメな感じになってる。

 そして、このレースの出走者全員が気にかけている相手は──

 

(外から来るつもりね……)

 

 アタシのさらに外側から、葦毛の怪物がその末脚を発揮させようとしていた。

 その前にアタシはスパートしようと、オグリキャップへ向けた意識を自分の前へと戻し──

 

「……え?」

 

 前は二人のウマ娘によって完全にふさがれていた。

 先頭を走ってバテバテになったロングニュートリノが、皆と同様に外にいる“あのウマ娘”に意識を向けていたのと、コーナーで踏ん張りがきかなくなっていたせいもあって無意識に外へ膨らんでいた。

 その結果──アタシの前に二人が通り抜ける隙もなく並走する、という状況になったらしくて……

 

(そんな……)

 

 一瞬の戸惑い。

 前をふさがれて、どうするべきか……アタシが迷ったそのとき──

 

『おっと、最内から一人抜け出した! 抜け出したのはヤエノムテキ!!』

 

「──なッ!?」

 

 完全に不意を突かれた。

 最内にいたロングニュートリノが外へ膨らんだおかげで、そこに開いた内ラチとの隙間をヤエノムテキは突いた。

 

「く……」

 

 前をふさがれて戸惑っている間に、ヤエノムテキとの差は開く。

 ヤエノムテキに追い抜かれ、我に返った前のウマ娘達の後ろへの意識が無くなって──アタシの前が、やっと開いた。

 

「くぅおのおおぉぉぉぉぉ──ッ!!」

 

 脚に力を込め、芝を蹴る。

 でも──伸びない。

 

(なんで……なんでよ!?)

 

 前にいた二人を抜いたものの、後ろからきたウマ娘たちに次々に抜かれて、順位が下がる。

 気持ちは焦る。

 原因は、ベストのタイミングで加速できなかったこと。そして何より──

 

(周囲が、速いッ!!)

 

 アタシ以上の末脚を発揮して……

 メジロアルダンが──

 バンブーメモリーが──

 さらにもう一人のウマ娘が──

 ──アタシを追い抜いていく。

 

(くッ! それでも、これ以上は!!)

 

 ゴール板は見えてる。

 距離はあと少し。

 これ以上、順位を下げたくない。

 アタシは必死に腕を振り、芝を蹴る。

 それでも、大外から一人に抜かれ──

 ゴール板のすぐ前で、アタシの横に追い上げてきた気配を感じた。

 

「負けたくないッ! でも……」

 

 その気配に、アタシは絶望する。

 そしてゴール版直前で、アタシはそのウマ娘に抜かれ──

 

「……え?」

 

 ゴールと同時に驚いていた。

 

 アタシを最後に抜いたのは──オグリキャップだった。

 

「なんで? こんなところに……」

 

 アタシの前には数人いたはず。その数人──少なくとも先頭争いをしているはずの彼女が、なんでこんなところでアタシと競ってるのよ。

 おまけに──苦しそうに顔をゆがめて。

 

(負傷? でも、そんな様子も無いけど……)

 

 ゴールを過ぎ、クールダウンしながら速度を落としながら走る彼女の姿にそんな気配はない。

 そもそも、怪我をしていたのならゴールしたんだからすぐに走るのを止めるはずよ。

 

(それなら、なんで……アタシだって、ベストが尽くせたわけじゃないのに)

 

 自分でも今回のレースは失敗した自覚があった。

 前を塞がれて、ラストスパートをするタイミングを明らかに逸した。

 でも──そんなアタシと争うように、なんでこんなところに彼女がいるのか、と唖然とする。

 アタシの末脚は、道中の先行策と最後の壁を抜けるのに酷使してしまったせいで不発。

 そんなアタシの前を、オグリキャップは1バ身にも満たない差でゴールした。

 国民の期待を一身に背負った彼女は、結果的には6位。

 その背に半バ身届かなかったアタシの着順は、彼女の直後の7位だったわ。

 

 

 そしてこの秋の天皇賞を制したのは──ヤエノムテキ。

 優勝は去年4月のGⅡ・産経大阪杯だったから、一年半ぶりの勝利だったんだって。

 おかげで喜びもひとしおだったみたいで、クールな彼女にしては珍しく感激してるように見えたわ。

 なにしろ、珍しく勝利を観客席へとアピールしていたけど──あんなにアピールするなんて、両親とか家族でも来ていたのかしら?

 




◆解説◆

【はじめてのGⅠと、絶不調の理由(ワケ)
・元ネタなしタイトル。
・この時のオグリキャップが不調だった理由は本当に可哀想で、その元凶になったマスコミの取材には腹が立ちます。
・しかし、あの頃のテレビ局ならそういうことをしそうだな、と納得できいてしまいます。
・バブル景気に浮かれ、金に任せて「なにやってもいい」的な雰囲気が芸能界やテレビ局にありましたから。
・その後、レース結果で叩かれて……本当にひどい。

いいスタート
・元ネタの第102回天皇賞で、ダイユウサクは本当にいいスタートを切り、スタート直後では一時的に先頭に立つほど。
・すぐに最内枠の逃げ馬に抜かれますが、かなりいいスタートを切れたのは間違いありませんでした。

ニュートリノ
・ニュートリノは、素粒子のうちの中性レプトンの名称で、6種類あるそうです。
・2011年9月23日、欧州原子核研究機構が観測したニュートリノが光速よりも速かった、という実験結果を発表。
・質量がないと思われていた時期もあったニュートリノに質量があることは、その時点で知られており──そうすると、「質量を持つ物質は光速を超えない」とするアインシュタインの特殊相対性理論に反することに。
・だから実験をしたチームこそこの結果に疑問の抱いていて……仲間内でいろいろ検証したけど、その間違った結果が出た原因は判明せず。
・科学界に検証を呼び掛けたけど──結局、わからず。
・その後、光ケーブルの接続不良とか、ニュートリノ検出器の精度が不十分だった可能性が見つかったので、2012年5月にそれらを解消して再実験。
・その結果──ニュートリノと光速に明確な差が出なかったため、一年と経たずにその「ニュートリノは光よりも速い」という理論は否定されたのでした。
・……でもロングニュートリノはまだ信じている模様。
・そんな化学系の単語が付いている名前なので、ロングニュートリノは科学者っぽい勝負服で、しかもこんなエピソードもあったから「マッドサイエンティスト」という性格付けになりました。
・実験とか競走とか、集中すると気分が最高にハイになっておかしくなっちゃうようです。
・科学系のウマ娘……といえば、アグネスタキオンもそうですが、彼女は行動こそちょっとおかしいところはありますが、「狂って」はいないので。
・ちなみにその“タキオン”は、常に光速よりも速く移動する“仮想的な”粒子のこと。
・実在するニュートリノと違い、「光速よりも早く移動する」と仮定された仮想の粒子なので、そちらは光速よりも速いのは違いありません。

外枠から来た一人
・7枠14番ラッキーゲランのこと。
・抜群のスタートを切ったダイユウサクと、最内1枠1番スタートで有利なロングニュートリノが先頭をきり、ダイユサクと代わるようにロングニュートリノの後ろに付けました。
・えっと、なお……この後出番がないので言ってしまいますが、着順は17着。ビリから二番目(ブービー)でした。
・なお、最下位(ビリ)は……

常にオグリキャップに付き添い続けた
・このときのオグリキャップの体調不良の最大の原因は、テレビ局の密着取材でした。
・24時間密着取材と称し、普通なら──競馬担当の記者達なら当たり前に──担当厩務員がいなくなれば自粛するはずが、1週間にわたって文字通り24時間撮影を続けたのです。
・しかも、オグリキャップが休んだり、一人になりたくなって馬房の奥に行くと──欲しい映像をとりたいという()()()()()()()()()()()()()だけに人参や草で釣って、誘い出したりもしていたそうです。
・その結果──オグリキャップは飼葉を食べないほどに、体調を崩すことになりました。
・本当に、傲慢で、自分勝手で、その取材姿勢は許せない行為だと思います。胸糞悪いことこの上ない。
・このこともあって、オグリキャップは一日中カメラに追われたせいで、カメラを怖がるようになってしまったそうです。
・第45話の記者会見のシーンで、オグリキャップが記者の方へ嫌がるような視線を向けていたのは、彼らの傍のカメラを気にしてのことでした。
・本作ではさすがに“ウマ娘”で、24時間“おはようからおやすみまで”以上の密着取材は、女学生相手にはマズいということで寝ている間や入浴等の最低限なプライベートな時間は確保しましたが、それでも教室や食堂、寮の共通スペースくらいにまでは普通に密着取材し、それはそれは鬱陶しく、おかげでオグリキャップはノイローゼ気味になるほどに体調崩しました。
・ダイユウサクと会った時の会話が「応援しているぞ」という言葉等、おかしかったのはそのせいです。

スローペースになっていたら
・その展開になったレースこそ、1990年の有馬記念でした。
・2500という長距離だったにもかかわらず、超スローペースで進んだレース展開のおかげで、実質的にマイル相当のレースに。
・全盛期の力を出せる状態でなかったオグリキャップが優勝する原因の一つとなりました。
・そのため──1990年の有馬記念は結果だけは「オグリキャップのラストラン優勝」ということで印象に残って人気の高いレースになりますが、評論家からは「レベルが低かった」と酷評されることさえあります。
・実際、90年有馬記念の勝ち時計は2分34秒2。
・晴天の良馬場という条件であり、前年のイナリワンの記録は2分31秒7(当時のレコード)と比べて2.5秒遅い記録でしたし、この翌年に出た2分30秒6という記録に比べると、遅いのは明らか。
・そんな勝てる展開に持っていった、武豊騎手の手腕もすごいですけどね。

万舟(まんしゅう)
・競艇での「万馬券」。
・ウマ娘では競走(レース)は賭博ではないので、「万馬券」という単語やオッズという概念を使うわけにもいかず、「競艇だったら~」というような回りくどい表現になりました。
・本作独自の設定で、旧作と同じように「ウマ娘の世界では競艇や競輪、オートレースといった競馬以外の公営ギャンブルやパチンコはある」ということにしています。
・なお、やはり競艇に例えるのは好ましいことではなくトレーナーも謝罪しています。
・まぁ、ノミの賭博行為は行われているでしょうし。

ダメな感じ
・ニュートリノぉぉぉ!!
・ここまで先頭を切ってきたロングニュートリノ。
・最後の直線を前に後ろに追いつかれ──着順は最下位でした。

もう一人のウマ娘
・オサイチジョージのこと。
・結果的にこのレースの着順は4位。
・元になった競走馬は、このレースの1~3位だけでなく6、7位を占めたオグリ世代のそれよりも一つ下の世代の1986年生まれ。
・生涯成績は23戦8勝。主な勝鞍は90年の宝塚記念。
・宝塚のあとは一勝もできず──GⅠ制覇もそれだけで、ある意味ダイユウサクと似たような成績なんですけど、こっちは“一発屋”とはあまり言われていない模様。
・次のレースもオグリと同じくジャパンカップに出走しますが、そのときは13位とオグリよりも下の順位になってしまう。慣れない“逃げ”なんてやるから……
・そしてその後は……ダイユウサクにとって運命のレースとなる1991年の有馬記念に出走したメンバーだったりします。


※次回の更新は9月26日の予定です。  



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第49R 大後悔… すり抜けた“万が一の可能性(奇跡)

 
 先頭がゴール板の前を駆け抜け──後続もあっという間に通り抜けていく。
 その姿を見届け──

「はあ…………」

 ──コスモは大きくため息をついた。
 その理由はいろいろ。
 まずは──なにはともあれ、ユウが怪我することなく、無事に完走してくれてホッとしたこと。

(サンキョウセッツがあんなこと言うから……)

 レース中の負傷とかで中断してゴールできないなんて、そうそうあるようなことじゃないけど、でも全く無いわけじゃない。ましてそれが事前に分かるわけでもないからね。
 とにかく、ユウが無事にゴールしてくれて、よかった。
 それと──

「「………………」」

 ほとんど同じタイミングで大きく息を吐いたシヨノロマンと目が合った。
 彼女もコスモのため息とほとんど同時なのに気がついて──

「惜しかった、ですね。もしも前が塞がれなかったら……」

 ぎこちない苦笑を浮かべていた。
 それにコスモも苦笑気味に返す。

「そうだね。例えば、もしもロングニュートリノがもう少しもって、ヤエノムテキの前を塞いだままだったら……」
「それはそれで……メジロアルダンさんが勝っていたのでは?」
「う~ん、ユウが素直に、思い通りのタイミングで末脚を使えていたら、結果は分からなかったかも」

 そうシヨノロマンに答えながら思い浮かべたのは──コスモとユウが競った去年の高松宮杯。
 あのとき、タイミング的には逸していたけどコスモは“領域(ゾーン)”に入って、沸き上がるような力を感じてた。
 それを使っての末脚だったのに──ユウはその上を行ったんだ。

(アレはヤバかったもんね。競った分、オグリと走ったときよりも、よほど怖かったよ)

 その前の年にオグリキャップと走った時は、まさに今回のユウみたいに前をふさがれて抜けたときにはトップの彼女とはどうしようもない差がついてた。
 だから、競ったって感じはしなかった。
 でも逆に、だからこそ圧倒的な力の差をまざまざと見せつけられた感じになったけどね。
 ユウの時はゴール前まで競ったから、その脚を間近で見せつけられた。

(だからこそ、あの時の末脚を今回、ユウが発揮していたら──)

 ユウが秋の天皇賞を制した、なんて未来もあったかもしれない。
 たらればが禁句な勝負の世界だけど、思わず頭に浮かべたその考えに苦笑する。

(そう……惜しかったんだ)

 まったく勝ちの見えなかった競走(レース)じゃなくて、今回のレースは展開次第では勝てたんじゃないか、と思わせるものだった。
 だから、“残念だった”“惜しかった”という意味でのため息もあった。
 それに──

「惜しかった……確かにそうですわね。もう少しでオグリキャップに勝てたのに」

 サンキョウセッツが、コスモとシヨノロマンの会話を勘違いして、そう言った。
 あれ? 彼女にはレース自体の勝ちが見えてなかったのかな?
 う~ん、やっぱりセッツって……
 思わず、こっそりシヨノロマンと顔を見合わせちゃった。
 でも……確かにその気持ちも分かるよ。
 なにしろ()()オグリキャップだもんね。
 コスモ達の世代の中で、「一番速いのは?」という質問をされれば、間違いなく候補に名前が挙がる一人だもん。
 その圧倒的な走りと強さは印象的だし、それを上回る順位に入るのは十分にスゴいことだよ。
 そのオグリに──半バ身にまで迫ったんだから。

(コスモは全然届かずに負けたからね。アレを経験したからこそ……)

 見ていてる側にも、オグリに惜しくも届かなかったのは残念だった、という気持ちもあった。
 今日の前を塞がれたという状況は、まさにコスモがオグリと戦ったときを思い出すような展開だったから。

 ──主にそれら三つの意味で、思わず大きなため息をついちゃったんだけど。

(……でもね)

 落ち着いていくると“安堵”や“惜敗”、“残念”という気持ちよりも……

(羨ましいよね、やっぱり。こういう場で、こういうレースに出られていることが、さ)

 なんで自分はあの場にいないんだろう、という悔しさも出てくる。
 それは多分、オープンクラスのシヨノロマンも同じだと思う。ううん、コスモよりも出走間隔が空いていない分、余計そうだと思う。
 それに……サンキョウセッツも。
 セッツはユウのことを下に見ているからね。そんなユウに負けたくないだろうし……って、

「あ……」
「──? どうかなさいましたの? コスモドリーム……人の顔を見て、急に声を出して……」
「いや、ユウの今の順位って──」
「7位でしたわよ?」
「だよね。オークスの時に8位だったセッツよりも上の……」
「────ッ!!」

 ショックを受けたサンキョウセッツの顔に、コスモは思わず笑っちゃった。



 

 初めてのGⅠは7位だった。

 

 そして6位はあのウマ娘──国民的アイドルウマ娘と言われ、アタシ達の世代では最強との呼び声も高いオグリキャップ。

 そんな彼女に半バ身差にまで迫ったことが嬉しく──同時に悔しかった。

 

「あともう少しで勝てたのに……」

 

 ターフの上で立ち止まって呼吸を整えていたら、そんな言葉がアタシの口から思わず出ていた。

 もう少し頑張っていれば──彼女の前でゴールできたかもしれない。

 世代最強の一角である彼女に手が届きかけたという事実は、届かなかった結果を突きつけられるとなお悔しい。

 

「…………」

 

 無言でチラッと、オグリキャップへと視線を向けると、彼女もまた呼吸を整えている最中だった。

 その表情は──苦しそう。

 彼女もまた死力を尽くした、というその様子がアタシの溜飲を少しだけ下げる。

 でも……

 

(やっぱり、体調良くなかったのかしら?)

 

 競走(レース)の前に、トレーナーが言っていた話が頭をよぎる。

 オグリキャップでさえ6位だったというレース自体のレベルが高かった、という考え方もできる。

 一方で、6位だったという事実は、オグリキャップの調子が悪かったという証拠にも思える。

 走り終わって、呼吸を整えている彼女の姿を見ても、それだけで測り知ることはできないけど……

 

(あんなに苦しそうなのは、やっぱり調子が悪かったのかも)

 

 アタシはまだ、膝に手をついて立ち、下を俯いているままのオグリキャップを見ながら、そう思った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「7位、か……」

 

 隣にいた乾井トレーナーがつぶやくのが、車椅子に座って位置が低くなっているボクの耳にもしっかりと聞こえた。

 

(くやしいよね、トレーナーも)

 

 途中までは理想的なレース展開だった。

 ダイユウ先輩が“盾”を掴むという、信じられない奇跡が起こるには、これしかないって思えるくらい。

 誤算だったのは──

 

「やっぱりヤエノムテキの状態が最高だったな。オマケに、アイツだけ()()()()に集中できていた。他の連中は、意識の半分くらいはオグリへの警戒にとられていたのに」

 

 トレーナーのその言葉に集約されてる。

 最後の直線で外へいったオグリキャップにみんなの意識が集中して──最内で先頭を走っていたロングニュートリノが外へ寄ったのは、ほとんど無意識だと思う。

 

(コーナーだったし、疲れて遠心力に抵抗しきれなかったんだろうね)

 

 彼女が動いたことで生まれた内ラチとのわずかな隙間を、ヤエノムテキが抜けられたのは、彼女が一瞬の隙を見逃さなかった何よりの証拠だけど。

 

「あのレース展開で、最内で隙を狙い続けられるなんて、スゴい冷静さ……」

 

 ボクの言葉に、トレーナーは頷く。

 

「そうだな。内が動かずに前が開いたら、その後ろにいたダイユウサクにもチャンスがあったかもしれない……だがそれは、ヤエノムテキに注意を払っていればって大前提があったら、って話だ」

 

 ダイユウ先輩はヤエノムテキの前に位置していたんだから、先輩の意識が外ではなく内に向いていたら──前の二人が動揺した隙をついたのは、先輩だったかもしれなかった。

 

「ま、もう過ぎてしまったことだし、ここで“もしも”の過去を語っても仕方ないけどな……」

 

 苦笑を浮かべ、ボクの方を向いた乾井トレーナー。

 やっぱり、悔しそうだった。

 序盤から理想通りの展開になって、終盤も警戒していたことがその通りになって……ここまでレースを読めていたのに勝てなかったんだから、当然だよね。

 そこへ、レースを終えて、呼吸を整えたダイユウ先輩がやってくるのが見えた。

 トレーナーは振り返り、彼女の方を見て──

 

「惜しかったな。ダイユウサク」

 

 って、声をかけた。

 それにダイユウサクは苦笑気味の笑みを浮かべて──

 

「ええ。あと、もうちょっとだったんだけど……」

 

 そう答える。

 ……んん?

 

(あと、もうちょっと?)

 

 ボクは先輩の言葉に違和感を感じた。

 レース展開的には惜しいところはあった。それは、前を塞がれたのを素早く抜けられなかったこと。

 それを「()()()()()()早く抜けられたら」という意味なら正しいかもしれないけど、でも──

 

(なんかニュアンスが違うような……)

 

 ボクは眉をひそめていた。

 トレーナーはそれに気がついているのかいないのか、さらに言葉を続ける。

 

「ああ、勝敗の差はわずかだったと思うぞ」

「そう? なら、もっと頑張れば……」

「ああ、もちろんGⅠ制覇だって夢じゃなかったさ」

 

「──え?」

 

 驚きの声を口から出したのはダイユウ先輩だった。

 彼女は唖然として、トレーナーを見つめている。

 その姿に、乾井トレーナーもまた戸惑い──「ん?」と首を傾げた。

 

「……えっと、GⅠ制覇?」

「ああ、今日のレースも惜しかったからな」

「惜しい? どこがよ! 7位だったのに……」

 

 ちょっと怒った様子で詰め寄るダイユウ先輩。

 

「気休めならやめて! そんなの……」

「え? いや、だってお前、自分で『もうちょっとだった』って言っただろ。オレが『惜しかったな』って言ったら……」

 

 その様子に、トレーナーは戸惑ってる。

 一方で、ダイユウ先輩は気がついてない。自分とトレーナーの認識が完全にズレていることに。

 だから怒って──

 

「ええ、惜しかったわよ。オグリまであと半バ身だったんだから──」

 

「「──え?」」

 

 ボクと、トレーナーの言葉が重なった。

 そうか、そういうことだったんだ。

 だから会話がかみ合っているようでかみ合っていなかったんだね。

 トレーナーは、このメンバーの中でダイユウ先輩の実力が劣るのを認めながらも、それでも勝てる道を模索していた。

 でも、ダイユウ先輩は──

 

「……そうか。いや、そうだったな。ああ、もう少しでオグリよりも前の順位だったのに、な」

 

 トレーナーが、笑顔でそう言う.

 それにダイユウ先輩は、態度を変えたトレーナーに困惑しつつ、

 

「そうよ。優勝なんてハナから無理だけど、それでもオグリには勝ちたかったのに……」

 

 なんて返している。

 その姿に──ボクは、少なからず腹が立った。

 だって、トレーナーの笑顔が、無理してるのが明らかなんだもの。

 肝心なところで──先輩とトレーナーの考えが完全にすれ違っていたんだから。

 

 トレーナーは。レースに勝つことだけを考え──

 ダイユウ先輩は、オグリキャップに勝つことだけを考え──

 

 そんな状況でレースに臨んでいたんだから。

 それに気がついたときには、レースはとっくに終わってた。残酷なことに。

 

 

 だからボクは──ダイユウサクを、許せなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ダイユウサク!!」

 

 まるで引き潮のように、溢れかえっていた人並みが一気にレース場から去っていく最中、レースを終えて戻ろうとしたアタシに、声がかかった。

 振り返れば──車椅子のウマ娘がポツンといる。

 

「コン助? トレーナーは?」

 

 二人と別れたのは直前のこと。

 レースを終えて、お互いに観客席の最前列とターフで言葉を交わしたんだけど──そろそろ人もはけてきたので、いったん観客席から出る、と言ったのでそこで分かれたんだけど。

 そのとき、確かにトレーナーはコン助──ミラクルバードの車椅子を押していたはずなんだけど。

 

「ひょっとして、はぐれたの? まったく、あのトレーナーときたら……」

「違うよ。ダイユウサクに用事があったから、ウソをついて先に行ってもらったんだ」

 

 そう言ったミラクルバードの目は──明らかに怒っていた。

 えっと……アタシ、コン助のこと怒らせるようなことしたっけ?

 戸惑いながら彼女を見ると──彼女は車椅子を動かすと、乗り上がらんばかりにグイッと最前列までやってきた。

 アタシもあわてて近づく。

 すると──

 

「ダイユウサク、キミは、いったいなにと戦っていたの?」

「え?」

 

 涙さえ浮かべて責める彼女の目に、アタシは戸惑った。

 それに構わず、彼女は続ける。

 

「今回の天皇賞、記念出走じゃなかったんだよ? 少なくともトレーナーは真剣にレースに勝とうとしていた」

「真剣に、勝つ? この天皇賞を?」

 

 少なからず、驚いた。

 確かに、記念出走だなんては思ってない。

 でも、アタシへの昇格祝いだって言って出走したこのレース。腕試し……言ってしまえば「GⅠを経験してこい」っていうトレーナーからのメッセージだと思ってた。

 だからミラクルバードのその言葉に、衝撃を感じていた。

 

「もしもトレーナーの言うことを真に受けて、ヤエノムテキを警戒していたら……結果は変わっていたかもしれないのに」

 

「あ……」

 

 ミラクルバードのその言葉で、アタシは──目が覚めた。

 少し前の、レースを走ったときの光景がまざまざと思い出される。

 序盤から中盤の展開は問題はなかった。

 でも──

 

(最後の直線……オグリを気にするあまり、前を塞がれて焦ってた)

 

 そのせいで視野が狭くなってた。

 そのくせ、外にいるオグリキャップの位置に気を取られていた。

 

(もしもあの時、前に集中していれば。気迫で二人にプレッシャーを与えていたら……)

 

 アタシに気圧されていたら、最内が開くことはなく、ヤエノムテキのスパートは遅れたはず。

 それがアタシにとってベストのタイミングで行われていたら──

 

(外を回って脚を使っていたアルダンにも……勝てたかもしれない)

 

 無論、ヤエノムテキやメジロアルダン、それにアタシの直前の着順になったオグリキャップ以外に、あと3人もいたんだから、その通りになったら必ず勝てた、ってわけじゃないと思う。

 でも──

 

(トレーナーの言うとおりにしていたら……勝てた、かもしれなかった?)

 

 その事実が、胸に突き刺さった。

 あのとき──合同記者会見の後日にあった《アクルックス》のミーティングで、確かにトレーナーは言っていた。

 

『……ヤエノムテキ。オレはオグリキャップよりも、彼女の方こそ警戒するべきだと思っている』

 

 あの時の彼の言葉が脳裏をよぎった。

 そうだ。確かに……トレーナーはこのレースに勝つことを真剣に考えていたのよ。

 それに対してアタシは──

 

(オグリに『応援している』なんて言われて、カッとなって……見返してやることしか頭になくなってた)

 

 トレーナーが出してくれていたヒントを無視して、アタシは勝手に自滅したんだわ。

 なんて……もったいない。

 なんて……惜しいことをしたんだろう。

 

「あ……」

 

 それで思い出した。

 レースの結果に『惜しい』って言ってくれたトレーナーに、アタシはなんて言った?

 勝手にオグリに勝てなかったのを言われたんだと勘違いして、順位のことを言われて──

 

「……気がついたみたいね。今回の競走(レース)は……トレーナーの見ていたモノと、キミが見ていたモノが、完全に違っていたんだ」

「ええ……うん、今ならよく、わかる……」

「今更わかっても、もう競走(レース)は終わってる。手遅れだけどね……」

 

 ミラクルバードの言葉が胸に突き刺さる。

 そうよ。アタシはいったい、なにをしていたのよ……

 

「感情で走るっていうのは、大事だと思うよ。負けたくない相手に闘志を燃やせば、強い力がわき上がるのは、ボクだって経験してる」

 

 メイクデビューから連勝して、その世代で有力視されていたウマ娘だったミラクルバード。

 彼女は、アタシなんかよりももっとずっと“強い”ウマ娘だった。

 

「でも──目的を見誤ったらダメだ。ウマ娘がトゥインクルシリーズで目指すのは、競走(レース)の勝利であり、『頂点』なんだから」

 

 だからこそ、今回のことがもったいなく思えて、結果が悔しくて、アタシの愚行がもどかしかったんだと思う。

 

(今までは、一戦一戦勝つこと、そうやってランクを上げることが目的だったけど、オープンクラスになったら……)

 

 階段の最後の段を登って、アタシはようやくステージに登った。それが前走のこと。

 オープンという大舞台(トップステージ)で走る心構えが──できていなかったんだ。

 

(悔しい……)

 

 急に、目から涙が落ちる。

 本当なら“あの”盾に手が届いたのかもしれない、と思ったらその感情が急にこみ上げてきた。

 

(ううん、トレーナーはもっと悔しかったはず)

 

 そうだ。そのために一生懸命、策を練って──それがハマりかけていたはずなのに、肝心のアタシが不甲斐なかったから、壊しちゃって掴めなかったんだから。

 ゴメンなさい、トレーナー。本当に……

 

「──おい、ミラクルバード。お前、トイレに行ったんじゃ……」

 

 アタシが心の中で謝罪していた相手が、車椅子の後ろに姿を現す。

 遅いミラクルバードを心配して戻ってきた彼の姿を見て──

 

「トレーナー!!」

 

「え? ……オイ!?」

 

 アタシは一目散に駆け寄り──観客席と走路を隔てる境を軽く飛び越え、そのままの勢いで近寄って……彼に思いっきり飛びついた。

 

「ぐふッ……」

 

 そのまま彼の体を抱きしめて──アタシは感情を爆発させて、泣いて謝った。

 

「ゴメンなさい、トレーナー! アタシが不甲斐ないばっかりに……アタシが心得違いをしていたから──」

 

 アタシが一生懸命謝っても、彼は何もいってくれなかった。

 それはそうよね。それくらい、彼が怒っているってことよ。

 だって、作戦はまるで聞かずに台無しにして──レース後にはトンチンカンな勘違いで怒ったんだもの。

 怒られて……いいえ、呆れられて当然よ。

 でも──アナタに見捨てられたら、アタシは……

 

「本当にごめんなさい。それに、今回のことで思ったの。アタシのこと、一生懸命に考えてくれるアナタが、アタシには絶対に必要だって……」

 

 胸に顔を埋めながら、感極まったアタシはさらに腕に力を込める。

 

「トレーナーがトレーナーじゃなかったら、アタシは……だからお願い。今後も──」

 

 

「あの、先輩? 盛り上がってるところ悪いんだけど……トレーナー白目むいてるよ?」

 

 

「──え?」

 

 慌てて顔を上げると──ミラクルバードが言ったとおり、気絶して脱力したトレーナーが、しなびれた野菜のように、くたっと()()った。

 

「ああっ!?」

「……うん。先輩が飛びついた時点で、意識無かったんじゃないかな」

 

 アタシは慌てて彼を介抱し──直後にミラクルバードが呼びに行った救護の人が駆けつけてくれて、トレーナーは意識を取り戻したわ。

 その後、改めて彼に謝ることになったけど。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──で、後日。

 

 

「ベルノ!! あの記者、今日は来てないの!?」

 

 オグリキャップがトレーニングしている場所へ、怒りを露わにアタシが行くと──苦笑したベルノライトが迎えてくれた。

 六平トレーナーとオグリキャップ本人の姿は見えなかったけど、今のアタシにとっては、そんなことはどうでもいい。

 

「う、うん……今日は見てないし、来てないんじゃないかな。もっとも、六平さんに見つかったら叩き出されるから隠れてるのかもしれないけど……」

「そう、わかったわ。見かけたら真っ先に連絡ちょうだい。六平トレーナーにも、『もっとひどい目に遭わせるから、安心して任せてください』って伝えて」

「わ、わかった……」

 

 戸惑いながら苦笑するベルノライト。

 彼女がそう反応するのも無理はないわ。アタシは今、きっと──般若の相を浮かべているから。

 

「まったく、どこに隠れやがったの!! 藤井泉助ッ!! 出てきなさいッ!!」

 

 怒りを爆発させてその記者を探すアタシの手には、スポーツ新聞が。

 それには小さい記事ながら写真と共に──

 

『またも号泣、ダイユウサク』

『不甲斐なさをトレーナーに泣いて謝罪』

 

 ──という記事が載っていた。

 その新聞を、感情にまかせてクシャッと潰す。これを書いた記者を同じ目に遭わせるというデモンストレーションよ。

 アタシは怒りに満ちた目で周囲を見渡しながら、学園の敷地を捜して回る。

 

 

 ……ぜっっったいに、許さないわ。あの眼鏡記者ッ!!

 

 




◆解説◆

【すり抜けた“万が一の可能性(奇跡)”】
・元ネタなしタイトル。
・今回のifストーリーはもちろんフィクションで、そんな可能性があったかさえも疑問なレベルです。
・実際のレース映像で展開を見て考えたものです。
・主人公補正が入っての展開だと思って許してください。

大きく息を吐いたシヨノロマン
・勝ったのは、ヤエノムテキでした。
・なお、彼女が勝利をささげたかった相手──シヨノロマンは全く気付かず、ダイユウサクを見ていた模様。
・これは──史実でシヨノロマンを意識していたヤエノムテキでしたが、一方のシヨノロマンはまったく意識していなかったということでした。
・……という話をもとに、本作のシヨノロマンもヤエノムテキをまったく意識していませんし、彼女の気持ちに気付いてません。

アルダンにも
・史実で2位だったメジロアルダン。
・その驚異的な末脚は、あと少しでヤエノムテキに届きませんでした。
・──という史実を念のため、書いておきます。
・ですので、史実でもしヤエノムテキが前を塞がれていたとしたら……アルダンが勝っていたことでしょう。


※次回の更新は9月29日の予定です。  



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第50R 大取材! 追いかけ続けた“偶像”

 
 ──『可愛さ余って憎さ百倍』という言葉がある。

 とある地方レース場で目覚ましい活躍をして中央(トゥインクルシリーズ)にスカウトされたウマ娘がいた。
 恵まれた──とはいえない環境で育った彼女が、中央という大舞台へ招待されたのはまさに()()()()()ストーリーだった。
 クラシックレースという舞踏会には出られなかった、そのシンデレラは……代わりに他の舞踏会(レース)で活躍し、そこでライバル達(王子様)とも出会った。
 そんな彼女は、その姿を見るものを熱狂させ、一大ブームを巻き起こす。
 見た者全てが彼女を支持し、圧倒的な人気で愛された。
 そんな彼女は幸せに暮らしましたとさ──

 ──という結末(ハッピーエンド)は、たった一度の負けで、崩壊し始めていた。

 天皇賞(秋)で6位。
 誰もが思っていた──いや、勝手に描かれていた、勝利するという筋書き(シナリオ)通りに進められなかった彼女。
 身勝手なプレッシャーで身も心もボロボロの状態で、海外からやってくる強者と戦わされる彼女。

 思うように結果を残せない彼女に──寄せられていた好意は悪意に、声援は罵声となって、降りかかったのである。

 彼女はあの日(10月25日)あの場所(天皇賞(秋))に、ガラスの靴を置き忘れたのかもしれない。
 そしてそのガラスの靴は──未だに彼女の元へは、届いていなかった。



 

 11月も終わりが見えたころ──オレは京都レース場にいた。

 

 そこでは──

 

『ダイユウサク、一気に加速して先頭に立った! 差されたニチドウサンダーはついていけない! 完全に抜け出した! 他の追随を許さない! ダイユウサク先頭で──そのままゴール!!』

 

 オレが担当しているウマ娘のレースが行われ、彼女は1着でゴール板を駆け抜けた。

 トパーズステークス

 グレードの設定された重賞でこそ無いが、条件が設定されていないオープン特別のレースだった。

 

「よし……」

「あれ? トレーナー、もっと喜ばないの?」

 

 隣から声をかけてきたのは、車椅子に乗ったウマ娘、ミラクルバードだった。

 

「嬉しいさ。昇格後2戦目で勝利だぞ」

 

 準オープンは昇格から初勝利まで1年もかかった。

 対して今回は昇格したのが9月だから約2ヶ月。きわめて順調だ。

 

「オープンになってから一勝もできずに引退するのもいるんだしな」

「それは……ちょっと耳が痛い」

 

 苦笑を浮かべるミラクルバード。

 

「お前の場合は色々違うだろ。GⅠも勝ってるんだし、引退したのもレースに勝てなかったからじゃない」

「まぁね、今になってもこの足は……全然動いてくれないけど」

 

 恨みがましく自分の足に視線を落とす彼女。

 皐月賞での大事故。接触による派手な転倒で首を負傷し、一時期は命まで危うかった。

 その事故から早1年半。それでも彼女の足は動かず、何かに掴まって立つのがやっとという状況らしい。

 ウチのチームに出入りし始めたころに、そんな状態だったからそれから全く良くなっていないようだ。

 

「……リハビリはしてるんだよ?」

「ああ、わかってるさ」

 

 オレが心配そうな目で見ているのに気がついたようだ。

 どこか申し訳なさそうに言うミラクルバードに、オレは逆に訊いた。

 

「チームで色々サポートしてもらってるけど、邪魔にはなってないか?」

「大丈夫だよ。ちゃんと病院にも欠かさずに通えてるし。ボクの方こそ、迷惑かけていない? 他の人だったら、リハビリのせいでチームの活動に参加できない、ってことはないんだから」

「そういうのは、気にするな」

 

 オレはちょうど腰の辺りにあるミラクルバードの頭に手をおいて、その頭を撫でた。

 

「前も言ったが、お前はうちのチーム(アクルックス)に欠かせない存在だからな。他の誰かが代われるような存在じゃないんだ」

「トレーナー……ありがと」

 

 オレの言葉にミラクルバードは嬉しそうに表情を崩し──撫でる手に身を任せて気持ちよさそうに目を細めた。

 

「……アンタ達、なにやってるの?」

 

 冷ややかな声に我に返れば──いつの間にか、ダイユウサクがいた。

 

「ひぃッ!」

 

 驚き思わず声をあげるミラクルバード。

 それも無理はない。

 ゴール後のウイニングランを終え、オレ達がいる観客席の前に来ていたらしい彼女だが、そこに喜びの感情は見られない

 無表情で睥睨するその目は、光を失っているようにさえ見えたのだから。

 焦るミラクルバードはワタワタしながら言った。

 

「え、えっと……ダイユウ先輩の勝利の喜びを、トレーナーと二人で分かち合っていたんだよ」

「そのレースに勝った当事者を、()け者にして?」

 

 相変わらずその目でジッと彼女を見つめながら、ダイユウサクはミラクルバードの言い訳を叩き潰す。

 その剣幕にミラクルバードは「くぅ…」と小さく呻きながらドン引きし、仰け反るように圧されてしまう。

 

「今日の祝勝会や、今後の予定を話していたんだ」

「とても、そういう雰囲気には見えなかったけど?」

 

 見かねて間に入ったオレにその視線が向けられる。

 いや、無感情でうつろな目を向けられるのは、結構怖いものがあるな。次にどんな行動してくるのかわからんし。

 このままウソで誤魔化そうとして刺激するのはよくないと判断し、正直に話す。

 

「その途中でコイツの足の話になってな、調子を聞いていたんだが……まだ動かないって話から、焦らずガンバレって言っただけだ」

「……ふ~ん、そうだったの」

 

 オレが説明すると、ダイユウサクの圧は消え去り、少しだけ気まずそうな空気を出しながら視線を逸らし、オレ達の後ろの観客席を見上げる。

 

「よくやったな、ダイユウサク。1位、おめでとう」

「……ありがと」

 

 オレの賞賛に、こちらを見ずに答えたダイユウサクだったが、視線の先で何かに気がついたようだった。

 

「でもなんか、観客が捌けるの、早くない?」

「ま、こっちのレース前に消沈して帰った客も多かったんだろ」

 

 京都レース場(ここ)ではなく、東京レース場のメインレースが行われたのは少し前のこと。

 その結果はスマホを見ればすぐに分かる。そういう時代だからな。

 そしてそれは──今のウマ娘熱狂(フィーバー)に水を差すような結果だった。

 

「これからウイニングライブなのに……」

「心配するな。お前が勝ったのにガッカリしたわけじゃないから」

 

 口を尖らせて寂しそうにつぶやくダイユウサクに──オレは柵越しに手を伸ばし、彼女の頭の上に手を置く。

 そうして、気落ちした彼女の頭を撫で──

 

「その証拠に、今日も1番人気だったろ?」

「……今日も、って……この前は違ってたし…………」

 

 されるがままに、頭を撫でられながら俯いているダイユウサクがポツリと漏らした。

 照れ隠しなのは分かっていたが、さすがにオレは苦笑するしかない。

 

「さすがにGⅠの、それも天皇賞の一番人気はなぁ……」

 

 そこまでの人気は、ダイユウサクにはない。

 GⅠの一番人気を得るようなウマ娘は、それこそオープンの中でもトップクラスなんだから。

 

「ふん、人気なんて意味ないわよ。高くても低くたって、競争(レース)そのものには影響はないもの」

 

 撫でられながらも不満げに言うダイユウサク。

 そんな彼女にオレは「不満は分かるけど……」と前置きして──

 

「事実として、今日のレースはお前が一番になるって信じてくれた人が一番多かった。で、お前がその通りに一番になった」

「だからなによ?」

「ってことは、今、帰っているのは純粋にこのレースに興味がなかった連中ってことだろ? お前の勝利に不満があるわけじゃあないさ」

「う……」

 

 安心させようと、撫でていた手で頭を軽くポンポンと叩く。

 甘んじていて受けていたダイユウサクだったが──ふと我に返って、オレの手を払い、キッと見る。

 そんなダイユウサクにオレは──

 

「安心しろ。今日はいいレースだったぞ」

「なら、最高のステージにしないと、ね」

 

 笑顔で言った言葉に、彼女は勝ち気な笑みで応えた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──12月に入った。

 

 オープンクラス昇格後、2戦目で勝ったダイユウサクは、次のレースに向けて早くも調整を始めている。

 そんな彼女がトレセン学園内のコースを走る姿を見ていたオレは──とある男に話しかけられた。

 

「やあ、乾井トレーナー。調子はどないです?」

 

 関西弁の男。

 手には大きな望遠レンズのついたカメラ。

 眼鏡をかけた長めの髪のその人に──オレは小さくため息をついた。

 

「……アイツに見つかると、厄介なことになりますよ、藤井さん」

「そんときは、またアンタがかばってくれるんやろ?」

 

 ニヤリと笑みを浮かべて返してくる記者──藤井泉助に、オレはため息混じりに返した

 

「ええ、まぁ……さすがにアイツに事件を起こさせるわけにはいかないんで」

「いや~、あの時は、殺されるかと思ったわ。本気で」

「アイツも気にしていることだから、アレに関してはあまりイジらないでくださいよ」

 

 オレが言うと、藤井記者は「身を持って理解したわ……」と答えた。

 しかし、意地の悪い笑みを浮かべ──

 

「あの娘がアンタを信頼してるってことが、な」

「ん? どういうことです?」

「決まってるやろ。アンタがあの場にいたから、止めてくれると信じているからこそ、あそこまで暴力的になれたんや。そうでもなければあそこまで……」

 

 そのときのことを思い出したのか、藤井記者は苦笑気味に身を震わせる

 

「そうやって、アンタの気をひこうとしてるんや。健気なもんやで」

 

 自分が巻き込まれているのに「健気」で済ませるあたり、この記者も只者じゃないな、と思う。

 

「人見知りして大人しいって聞いてたけど……ダイユウサクが遠慮なくぶつかってるのは、アンタくらいや。乾井トレーナー」

「……そりゃどうも」

 

 そう言われると、なんともこそばゆい。

 オレは困惑しながらそう答えて誤魔化し──練習用のコースを走るダイユウサクを見る。

 アイツがいるのはちょうど反対側で距離もある。戻ってくるのにも時間がかかるだろ。

 

「で、最初の質問ですが、調子っていうのはオレの? それとも彼女の?」

「そんなん、決まっとるやないか。ダイユウサクや」

 

 答えた藤井記者は、「アンタの調子聞いて、記事になるかい」と笑う。

 そうして彼はオレをまじまじと見る。

 

「……というかアンタ、よくウマ娘にあれだけやられて、平気やな?」

「慣れてるんで……」

 

 ダイユウサクを止めたときのことを思い出したのか、呆れ気味の藤井記者にオレは苦笑を浮かべて返す。

 そんなオレの返しに藤井記者は「慣れとかそういう問題じゃないやろ……」とつぶやいていた。

 あのときの記事──ダイユウサクを怒らせた『またも号泣』の記事──を思い出して、かねてから思っていた疑問をぶつけた。

 

「あの記事ですけど、URA(うち)の上の方から頼まれた、とか?」

「……なんでそう思ったん?」

「オグリの負け……しかも掲示板を外すような敗北は、世間が黙ってないはず。少しでも目を逸らそうとした……違いますか?」

 

 オレはチラッと目を藤井記者に向けた。

 今の熱狂的なブームを巻き起こし、中心にいるのは間違いなくオグリキャップだ。

 その彼女が──もっとも注目を集めている中、完敗した。

 その熱が一気に冷めてしまいかねないような事態に、URAも危機感を感じて少しでも他の話題を入れて衝撃を薄めたかったんだろう。

 

「その通りや。でも、あんなん焼け石に水や。しかもこの前のジャパンカップで……」

 

 オグリキャップの次走はジャパンカップ。

 奇しくもダイユウサクが走った日に東京で行われたそのレースでは、彼女の着順は11位。今まで見たことがないような結果である。

 行われた東京から遠く離れた京都のレース場で観客が帰ったのも、その惨敗にガッカリし、興ざめした客が大勢いたせいらしい。

 

「なら、こっちに来てる場合じゃないでしょ?」

 

 オレが苦笑すると、藤井記者はため息混じりに苦笑を浮かべる。

 

「あれ以来、オグリ陣営は取材拒否や。ま、あんなことされたら当然やけどな……」

 

 例の密着取材で調子をすっかり狂わされ、六平トレーナーは激怒しているし、あまり他人を気にしないオグリキャップ自身でさえマスコミだけは露骨に苦手になってしまったようだった。

 

「なぁ、乾井トレーナー。オレはな……オグリキャップをみんなに知ってほしかっただけなんや。こんなにスゴいヤツがおるで、と。カサマツからものすごいヤツが中央に来おったで、ってな……」

 

 藤井記者は、オグリキャップが中央トレセン学園に転校してきて、中央(トゥインクルシリーズ)でデビューしてから彼女を追い続けていた、と記憶している。

 登録を逃した彼女をクラシックシリーズへ出走させるために、熱心な活動もしていた。

 そして、それが呼び水になって、現在のウマ娘ブーム──言ってしまえばオグリ熱狂(フィーバー)──が起こった。

 

「なのに、あんなことになってしもうて……あんなん、許されるわけないやろ。確かに同じマスコミという(くく)りには入るけど、あんなのと一緒にされたくないわ」

 

 彼は、その問題を起こした取材陣に対する嫌悪感を露わに言い放った。

 

「あれで体調崩したおかげで、天皇賞とジャパンカップにも負けてしもうて……そしたら、今度は世間は『オグリはもう終わった』なんて失礼なこと言うヤツまで出てきとる。それだけやない。負ける姿なんて見とうないから引退せえ、って手紙も来とるらしい」

「そこまで……」

 

 オレもさすがに絶句した。

 だが、実際にはもっと過激な──半ば脅迫めいた手紙(もの)まで、陣営宛に届いているらしい。

 いくら何でも酷すぎだろう。

 オレ達からしたら、勝手に人気者に仕立て上げ、それを自分たちで潰して、しかもそれを叩いているようにしか見えない。

 あまりに理不尽だった。

 藤井記者も悔しげに顔を歪ませる。

 

「こんなことにしたかったんやない。ただ……(つよ)うて、(はよ)うて、さらに輝いて……みんなが夢を抱ける、そんなアイドルウマ娘がここにいるってことを、知らせたかっただけなんや」

「かつての“彼女”のようなウマ娘……ですか?」

 

 オレの言葉に──藤井記者はうなずいた。

 

「そうや。オレやアンタのような世代で、“彼女”に憧れ、熱を上げ、夢を抱かなかったヤツなんておらんやろ?」

「わかります」

 

 なるほど。オレとこの人がこの場にいる、そのきっかけは同じだったらしい。

 

「今までにもっと“強く”て“速い”ウマ娘はいた。でも──トゥインクルシリーズを知らないような人にまで愛されたのは“彼女”だけだった」

「そうや。けど、オグリはそうなれると思ったんや。それが……」

 

 確かにオグリはトゥインクルシリーズに興味を持っていなかった層にまで人気を得た。

 しかしその結果、ルールを知らないマスコミを呼び寄せてしまい、さらには心ないファンから批判を集めることになり──結果的に、オグリキャップを追いつめてしまったのだ。

 自分がこの熱狂(フィーバー)の旗振り役を務めたという自負があるからこそ、彼は今、苦悩しているんだろう。

 

「なぁ、間違ってたんやろか? だとしたら、どこで間違えたんやろな?」

「……オレはあなたが間違えたとは思ってません」

「なんで、そう思う?」

 

 彼は気休めなら許さん、と言わんばかりに厳しい目をオレに向けてきた。

 

「オレも“彼女”に憧れたクチですから。次の“彼女”を追い求める気持ちは分かります」

 

 そう言ってオレは力強くうなずく。

 同じ“もの”に憧れて……この人とは違う道を選んだが、それでも思いは一緒だ。

 

「オレはあなたとは異なり、第二の“彼女”をこの手で育てたいと、そして共に歩みたいと思った。だからこの場にいるんですよ」

 

 遠くを走るダイユウサクに視線を移し、そして苦笑する。

 

「オレの方の道は、半ばどころかまだまだ……ですけどね。でも気持ちが分かるからこそ、あなたがやったことが純粋だったこともわかる。オグリを、彼女の存在をもっと知らしめたい。“彼女”の再来ともいうべき存在のことを、世に知ってほしいという願いはマスコミとして、また“彼女”のファンとして、自然なことをしたと思う」

「せやけど、そのせいで……」

「そんな純粋な思いだから、世に受け入れられてブームになったんじゃないですか。それを、『ブーム(それ)に乗りたい』『他を出し抜きたい』と企てた(よこしま)な連中に利用されてしまっただけだ」

「乾井トレーナー、アンタ……」

 

 オレは藤井記者へと振り向く。

 

「世間がどう騒いでいるなんて関係なく、ただ純粋にスゴいウマ娘の“強くて速い”姿を世間に伝える。それができるのは……オグリを最初から追いかけてきた、あなただけじゃないか?」

「…………」

 

 藤井記者は唖然としていた様子だったが、やがてため息をつき──そして笑みを浮かべる。

 

「せやな。オグリのことを伝えんの……他のニワカなヤツらに獲られてたまるか!!」

 

 拳をグッと握りしめ、空に向かって突き上げる。

 そうして心機一転した彼は、オレに振り返り──

 

「ってことは、ダイユウサクも出るんやな。有記念に」

「──いや、出ませんが?」

 

 オレの即答に、藤井記者はきれいにズッコけた。

 

「なんでや!! 今の流れなら、出るところやろ!! 一緒に天皇賞走ったヤエノムテキもメジロアルダンも、オサイチジョージまで出るんやで!?」

「なに言ってんですか。有記念ですよ? ダイユウサクに出走できるほど票が集まるわけが無い」

 

「あ……」

 

 そう、有記念の出走メンバーを決めるのはファン投票。

 この一年、GⅠをはじめとした重賞戦線を戦い、そこでファンの心を掴んだウマ娘達が年末の中山に集い、その年のナンバー1を決める。それが有記念だ。

 

「オープンに昇格したばかりで、重賞未勝利のウマ娘ですから。うちのダイユウサクは」

「ま、確かに……委員の推薦も、さすがに無いわな」

 

 苦笑する藤井記者。

 そして彼は──

 

「でも、ま……地方出身の田舎モンが中央で強者(つわもの)をバッタバッタと倒すのも痛快やったけど、デビュー2戦ともタイムオーバーしたようなダメウマ娘が、どん底から這い上がるサクセスストーリーも面白(おもろ)いやろな」

 

 ──そう言って、人懐っこい笑みを浮かべた。

 そして一言、付け加える。

 

 

「それがもし、有を勝ったら、なおさら痛快や」

 

 

「それは、エールってことですか?」

「さぁな。でもな、乾井トレーナー。大衆ってのはやっぱり偶像(アイドル)とかスターを求めとる。オグリに見切りつけたヤツらは、きっと次のを探してると思うで──」

「“最初のアイドルウマ娘”の後に“皇帝”が現れたように?」

「せや。ま、あの二人の間は、ちょっと空きすぎた感じはあるけどな」

 

 “皇帝”の後に現れた“怪物”。

 その後に続くのは──

 

「ウチのダイユウサクじゃあ無いのは、間違いないけど……」

 

 オレが茶化すと、藤井記者は「当たり前や」と爆笑した。

 

「ミラクルバードは、可能性あったかもしれへんけどな。子供のころの怪我を隠すって理由のミステリアスな覆面や、あの明るい性格……」

「わかります。だから、彼女が走れなくなったのは本当にもったいない」

「せやな」

 

 それを示すように、その世代は目立つようなウマ娘が現れていない。

 だからこそ世間の目は次の世代へと向いている。

 

「だけどな、乾井トレーナー。その“次のヒロイン”の候補がもう頭角を現して……有に出るで」

「メジロ家の新星たち、ですか?」

 

 今年のクラシック戦線で話題と注目を集めたメジロ家出身のウマ娘が二人いた。

 一人はいかにも令嬢といった、長い髪に落ち着いた雰囲気の──

 もう一人は、逆にその名家のイメージとは真逆な──ボーイッシュなベリーショートの髪と、しなやかさとは大局的な力強さを感じさせる体をもった──

 そんな対照的な二人のウマ娘が、有記念に出てくるという。

 

「そうや。今度の有記念、やっぱり目が離せんわ」

 

 オグリの次の風が吹き始めようとしている──その胎動を、オレだけでなくこの業界に身を置く者なら感じているだろう。

 “怪物”を追い続けた彼の背中に、少しだけ寂しさを感じた気がした。

 




◆解説◆

【追いかけ続けた“偶像”】
・今回も3連続で元ネタなしタイトル。
・藤井記者が記者になった動機は、“初代国民的アイドルウマ娘”がオリジナル設定であるように、もちろん本作オリジナルです。
・ただ、そのブームを知っていたからこそ、オグリキャップにその影を見て、追い求めた──というのは、あり得る話かと思います。
・問題は……本作オリジナル設定のウマ娘ハイセイコーはいったい何歳くらいなのか、活躍していたのはどれくらい前だったのか、というところです。
・辻褄合わせようとすると、何歳くらいが妥当なんだろう……

トパーズステークス
・今回の元レースは、1990年11月25日に開催されたトパーズステークス。
・京都競馬場の芝2000メートルで、当日の天候は晴れ。馬場状態は良でした。
・14頭立てで行われたレースは、ニチドウダンサーが逃げ、ダイユウサクは4番手につける。
・道中、少しづつ順位を上げて──最後にニチドウサンダーを抜き、見事1着でゴール。
・最後に抜かれたニチドウサンダーが2着でしたがその差は4馬身と、ダイユウサクの圧倒的勝利、という結果でした。
・オープン昇格後2戦目のこの圧勝こそダイユウサクの“真なる本格化”と思われます。
・なお、トパーズステークスは1983年に芝1400メートルで始まったレースで、翌年から2000メートルで開催されていました。
・ダイユウサクが制した1990年から7年後の1997年からダートで1800メートルのレースへと変更されました。
・その後、2010年に名前が『みやこステークス』へと変わり、昇格してGⅢの重賞レースになりました。
・ですので、ゲーム版『ウマ娘 プリティダービー』では“トパーズステークス”というレースは出てきませんが、現在の“みやこステークス”はしっかり出てきます。

東京レース場のメインレース
・トパーズステークスがあった日の東京でのメインレースは……ジャパンカップ。
・史実では1990年11月25日のことで、ジャパンカップのスタートは東京競馬場の第11レースで午後3時25分。トパーズステークスは京都の第10レースでしたが午後3時45分でした。
・そのジャパンカップで何があったのか──当時の超人気馬オグリキャップが出走したのですが、なんと11着という惨敗。
・オグリにとっては生涯で最も遅い着順という結果。
・そんな結果に──大ブームになっていたオグリキャップにはさらなる批判を叩きつけられ……次走の有馬記念がラストランということになりました。

身を震わせる
・前話のラストで藤井記者を探していたダイユウサクは、無事発見したようで……
・その際、藤井記者に詰め寄った際、近くにいた乾井トレーナーが止めました。
・おかげでダイユウサクは遠慮なくエキサイトして……藤井記者にかなり激しく詰め寄った模様。
・さらには、止めに入った乾井トレーナーに鉾先が向かうことに。
・その光景を思い出して、身震いしました。
・エイシンフラッシュ曰く「ウマ娘に人間が勝てるわけがない」。
・それでも立ち向かわなければならない時が──ある!

出ません
・いやぁ、なに言ってるんですか。
・ダイユウサクくらいの成績のウマが、有馬記念に出られるわけないじゃないですか~。
・出そうなんて画策したら──委員に「この程度のウマを出すわけにはいかない」って批判されますよ。
・なお、翌年──


※次回の更新は10月2日の予定です。  



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第51R 大選択? 東?西?(どっち)競走(レース)ショー

 
 ──12月の頭。

 オレ達チーム《アクルックス》は京都に来ていた。
 京都レース場、1600メートルで争われる飛鳥ステークス。このレースには有力なウマ娘の姿はなかった。
 おかげで──ダイユウサクでも1番人気に推されている。

「前走から中二週で出走……」

 隣の車椅子のウマ娘が少し不安げにつぶやく。

(まぁ、確かに……な。一般的なオープンクラスのウマ娘にしたら、出走間隔が短いが……)

 まるで去年のオープンクラスを目指して走っていたころを思い出すような間隔だが──もちろん理由がある。

(このレースに勝てたのなら次のステップを目指す。これはそのための試金石……)

 そして……ゲートは開かれ、飛鳥ステークスは始まった。



 

 アタシは今回、先行策を採らなかった。

 中段──5番目くらいの位置で、前の様子を伺いつつ、後ろの警戒も忘れない。

 

『今日もお前の好きなように走れ。重賞常連のようなヤツもいないし、お前の実力なら勝てる』

 

 レース前にトレーナーに言われた言葉が頭をよぎる。

 

(そう言われたら……負けられ無いじゃないの!!)

 

 周りは気にするような強敵はいないから自由に走れ──アタシが勝つのを信じてるって言えば聞こえはいいけど……勝てなかったらその期待を裏切るってことじゃない。

 

(結構、イジワルよね。トレーナーって……)

 

 走りながら、心の中で苦笑する。

 だから期待に応えるためにも、頭の中でレース展開を考えたわ。

 

(今日のレースは距離1600のマイル戦……アタシの場合、これまで短距離か中距離のレースが多かった)

 

 経験数なら圧倒的に短距離戦が多いけど、勝ちきれなかったレースが多い。

 逆に中距離は出走数は劣るけど、結果を出してる。

 そしてマイルはその中間の距離。

 

(つまり、短距離戦ではアタシにとって距離が短すぎるってことよ)

 

 でも、アタシは短距離が全然ダメってわけじゃないし、それに1200メートルと言えば阪神レース場のレコードを出したことがある。

 もちろん勝ったわけだけど。でも、あのときは──

 

(──あのとき、アタシは先行じゃなくて末脚勝負の差しになってた)

 

 短距離を先行で安定して勝てる速さ(スピード)が、アタシにはない。

 でも、アタシの末脚なら──それを生かせる差しならば、経験の少ないマイル戦でも通じるはず。

 そう考えて、アタシは中盤を押さえ気味にして、足を溜めることにした、

 

 ──そして、終盤へと差し掛かり。

 

「こ・こ・だああぁぁぁぁぁ!!」

 

 アタシは自分で見極めた勝負所で、一段姿勢を低くして──強く芝を蹴る。

 グン! と加速したアタシは、風の壁をものともせずに一気に加速して……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「よくやったな、ダイユウサク」

 

 チーム《アクルックス》全員──と言っても、オレとダイユウサク、それにミラクルバードの3人だが──がチームの部屋へと集まると、オレは開口一番にダイユウサクを誉めた。

 

「飛鳥ステークス1着。重賞でこそなかったが、オープン特別クラスのレースを圧勝できたのは、お前がそれだけ強くなったってことだ」

「なによ、急に……誉めたって、何も出ないわよ……」

 

 オレの素直な賞賛に、少し恥ずかしそうに目をそらしながら、ダイユウサクはつぶやいていた。

 それをもう一人のメンバー、車椅子に腰掛けたミラクルバードが笑みを浮かべて見ている。

 

「謙遜しなくていいってば。レース展開もバッチリ。末脚もスゴかったし、2位を3バ身も離したぶっちぎりだったもん」

 

 車椅子に座っているのでわかるように、彼女は負傷の影響で現在走るどころか立つこともできず、それ以前は競走ウマ娘だったが、今ではサポート役としてチームに所属している。

 そんな彼女自身には悪気はないのだろうが──チーム唯一の競走ウマ娘であるダイユウサクからすると冷やかしているように見えたらしい。

 ミラクルバードに対しては不満げな様子を見せ──

 

「……連戦連勝だったアンタに言われても、なんか誉められた気がしないんだけど」

「もう。素直じゃないな、ダイユウ先輩は」

「先輩って言うのなら、ちゃんと先輩扱いしなさいよね」

 

 笑みを浮かべてからかうようなミラクルバードの態度に、ダイユウサクはくってかかる。

 

(まったく、どっちが先輩なんだか……)

 

 これを言えば矛先がこちらに向かってくるのが明らかなので、口には出さずに内心に留めていた。

 すると、車椅子のために容易には逃げられず、問いつめられていたミラクルバードが救いを求めるように、オレに話を振ってきた。

 

「そ、そういえばトレーナー。今日はなんのミーティング? 祝勝会? それならボクも準備しないと……串打ちとか、ね」

 

 ミラクルバードの実家は、彼女の地元の神戸では名店と知られている焼鳥屋である。

 そこで育ち、父親直伝の技術を持つ彼女の焼鳥はとても美味く、食欲旺盛で舌の肥えたウマ娘達からの評判もいいのだった。

 

「それもだが……とりあえず別の件だ」

 

 そう言い放ち、オレは腕を組む。

 

「お前ら、この時期……年末と言えば、いったいなんだ?」

「「有記念」」

 

 URAという組織に所属するものとして模範的な回答が飛んできた。

 

「それは、まぁ、そうだろうな。確かにウマ娘ならそうなるのも納得する」

 

 オレは二人の言葉に一応、うなずいておく。

 だが──そんな国内最高峰のレースに、今のオレ達は縁がない。

 それに今年は、正直「ちょっと見に行くか」という雰囲気でも無い──そもそも東京レース場と違い、中山レース場は首都圏といっても府中から離れているから「ちょっと」という距離でもない。

 

「なにしろ、アイツの引退レースで世間は大盛り上がりだしな」

 

 国民的アイドルウマ娘──オグリキャップのラストラン。

 今月末に開催される有記念を最後に、彼女は引退すると言われている。

 

(ダイユウサクも走った秋の天皇賞の6位もだが、それよりもジャパンカップの惨敗がデカかったな……)

 

 外国から有力ウマ娘が来日して走るジャパンカップ。

 彼女達に負けるのはまぁ、仕方ないにしても……国内のウマ娘たちにも負けてのこの順位に、世間は「オグリキャップは終わった」と言われてしまうほどだった。

 

(一方的に担ぎ上げておいて、少し負けが込めばたたき落とす……その姿勢には思うところもあるけどな)

 

 ブームの煽り手であったマスコミ──中でもウマ娘競走(レース)関係以外、特に芸能系のマスコミのやり口には嫌悪感さえ覚える。

 ともあれ──六平トレーナーはじめ、オグリキャップ陣営も彼女の限界を感じているのは確からしく、有での“引退”を表明したのだ。

 その影響は大きく早くも話題になっており──

 

「ねぇ、トレーナー! 見に行くの!?」

「アタシも、オグリキャップの最後のレースなら、見たい……かな」

 

 興味津々なミラクルバードに対し、ダイユウサクは寂しげだった。

 無理もない。

 彼女はオグリキャップの同級生だし、()()()()友人みたいだからな……

 

「……なんか、ものすごくヒドいこと考えてなかった?」

「とんでもない」

 

 オレの顔を見て何か感じたのか、ダイユウサクがジト目を向けてきたが誤魔化した。

 

「気持ちは分かるが、行かないぞ?」

「「えぇー!?」」

「不満そうに言ってもダメだ……あのなぁ、お前達……国民的ウマドルをなめてるだろ?」

「なめてないよ! オグリ先輩はすごく強かったし、地方レース出身なのに──」

「実力じゃない。人気を、だ」

「「人気?」」

 

 オレが言うと、二人は首を傾げた。

 

「断言する。中山はメチャクチャ混むぞ。有記念だけ見ようとして行けば、入れないくらいにな」

「ホントに? 根拠は何よ?」

 

 懐疑的な目でオレを見るダイユウサク。

 

「お前も、この前の天皇賞のスタンド見ただろ。復帰レースであれだったんだぞ? 見納めのラストランになれば……アレを遥かに越える観客が集まるのは明らかだ」

 

 ……間違いなくマスコミが煽るしな。

 と、心の中で付け加える。

 実際、専門紙じゃないスポーツ新聞はもちろん、昼間にやっている情報番組でも取り上げられている。

 そんな熱狂を目にしているからこそ、二人も「あ……そっか」と納得した様子だった。

 

「……ボクのこと、気にしないで二人で見に行ってきていいよ?」

 

 ちょっと寂しげな笑みを浮かべて、そんな健気なことを言ったのはミラクルバードだった。

 彼女の場合、車椅子なのでそういう混雑したところには、どうしても行けなくなってしまう。

 それに気を使ったんだろうが──

 

「いや、そんな混んでるところには行きたくないからな、オレは」

 

 あっさりと本音で断った。

 …………なにか、ダイユウサクが言いたそうにオレにジト目を向けているが。

 う~ん、そんなにオグリのラストランを(じか)に見たかったのか?

 

「それに、そこで丸一日潰せるヒマも余裕もない」

「ヒマ? 余裕って……?」

「どういうことよ? 今年の競走(レース)はもうないでしょ? なら、少しくらい余裕は……」

「今年は、な」

 

 そこで言葉を切り、オレはニヤリと笑みを浮かべる。

 

「来年の最初のレースに出る。年始の重賞レースに、な」

「ひょっとして、金杯!?」

 

 オレの言葉にピンときたミラクルバードが声を上げた。

 

「その通りだ」

「そっか! で、どっちの?」

「どっち……?」

 

 ミラクルバードが興奮する一方で──ダイユウサクはピンとこない様子で頭の上に「?」マークを浮かべていた。

 

「例年1月に入ってすぐ──1月5日にGⅢの重賞、金杯が開催される」

「ええ、話には聞いたことがあったけど……」

「で、その金杯は中山と京都、東西2ヶ所で同日に開催されるんだ」

「へぇ~、珍しいわね」

 

 ダイユウサクの言うとおり、同じ名前のレースが年2回開催されるのなんて珍しいもので、他には天皇賞くらいだろう。

 あちらも京都と東京という東西の2ヶ所開催だが、春と秋で時期がまるで違う。同日開催の金杯は唯一無二の特徴と言える。

 

「しかも距離も同じだ」

「え……?」

 

 ダイユウサクが呆気にとられる。

 

「ど、どっちかがダートで、どっちかが芝、とか……?」

「いや、どっちも芝だぞ。純粋に開催場所が違うだけだ」

「な、なによそれ~!?」

 

 呆れたように、ダイユウサクは言い放ち、オレへと詰め寄ってきた。

 

「同じ日に、同じグレードで、芝の同じ距離で競うレースが、なんで二つもあるのよ!? しかも同じ名前で!!」

「そんなこと、オレに文句言われてもな……」

 

 実際、どうしようもないので詰め寄られても困る。

 オレは困惑しながら頬を掻く。

 

「同じなら、絶対に近い方がいいに決まってるわよ。正月からわざわざ京都になんて行ってられないもの」

「いや、京都だぞ」

 

「……はい?」

 

 オレに言われてキョトンとしたダイユウサクだったが──なぜかミラクルバードをギロッと一睨みしてから、再び俺に詰め寄ってきた。

 

「アンタ、まさか……コン助の実家から近いから、なんて理由で決めてるんじゃないでしょうね? 正月はそっちで過ごして、なんて……」

「そんなわけあるか!」

 

 返しつつ、思わず苦笑してしまう。

 もっと根本的な理由だぞ。

 

「あのなぁ、ダイユウサク。お前、栗東寮だろ?」

「そうよ? それがどうしたっていうのよ?」

栗東寮のウマ娘は、金杯は京都の方に出るって決まってるんだよ。慣例的に」

 

「「え……」」

 

 ミラクルバードも知らなかったらしく、ウマ娘二人が驚いていた。

 

「寮長に訊いてみろ。ちゃんと説明してくれるから」

「で、でもなんで……」

「別に出走条件に入ってるわけじゃないが、やっぱり学園が府中にあるし、時期的に正月で遠出もしたくないからな。中山の方に人気が偏り過ぎて、寮で区分けする慣例ができたらしい」

 

 まぁ、実はその分、京都に行くメンバーは宿泊費が学園持ちになるんだが、それは黙っておこう。

 ……京都選んだ理由がバレるからな。

 

「今回は、是が非でも取りにいきたいところだしな」

「金杯を?」

「そうだ。前走、前々走と連勝したから今のダイユウサク(お前)なら勝てる、と確信できた」

 

 もともと、このレースへの知識がとぼしく半信半疑なダイユウサクに、オレは力強くうなずいた。

 

「なんと言ってもGⅢだからな。重賞制覇、挑戦したくないか?」

 

 今まで、重賞挑戦はGⅠ以外だと3回。

 一昨年の高松宮杯に、去年のCBC賞とセントウルステークス。

 掲示板にのったことはあるが、優勝にはまだ届いていなかった。  

 

(ダイユウサクには言えないが、金杯はGⅢというのもあるが、今まで走った重賞に出てきたような有力ウマ娘は出てこない確率が高い)

 

 金杯は年始──例年1月5日に行われる。

 なにしろ直前にはその年の総決算ともいうべき有記念という大レースがあり、業界内でもそれで一区切りという認識が強い。

 

(まぁ、わざわざ正月から働きたいってのも少ないからな)

 

 有力ウマ娘達は秋の重賞の連戦での疲れを癒すために、次のGⅠまで空くのを考慮して休みに入る者も多いし、重賞常連の有力チームが正月くらい休みたいので、正月早々に行うので正月休みがぶっ飛ぶのこのレースに出たがらないのだ。

 近年で出走した有名なウマ娘と言えば、連勝中に出走して見事に勝ち、重賞6連勝の一つに組み込んだタマモクロスくらいだろうか。

 去年はバンブーメモリーが出るはずだったが、回避しているし……

 

(正月から走りたがってるのは、この金杯に出るウマ娘達と、ニューイヤー駅伝や箱根駅伝に出るヒトの長距離ランナーくらいだろ)

 

 あちらは本当に元日と、その翌日からの2日間だからな。それが終わってから正月気分ってところだろうが。

 そんなオレのズルい考えなど気づかずに──“重賞制覇”という言葉に目を輝かせるダイユウサク。

 彼女は力強く頷くと──

 

「ええ、もちろんよ」

 

 勝ち気で不適な笑みを浮かべた。

 その様子に、ミラクルバードもにっこりと笑みを浮かべる。

 

「よし、話は決まった。これから《アクルックス》は金杯制覇のために年末年始もフル稼働だからな」

「「おー!」」

 

 オレの言葉に、ダイユウサクとミラクルバードは腕を突き上げる。

 その二人を見ていたオレは──急に表情を変える。

 

「で、二人ともさっきオレの『年末と言えば?』って質問に、迷い無く『有記念』って答えていたけど……やらなきゃいけない大事なことがあるだろ」

 

 変えた表情──呆れきった目で二人を見ながら、オレは盛大にため息をついた。

 

「……なに、あの目」

「なんか人をバカにしてるようで、感じ悪いよね……」

 

 ダイユウサクの言葉にうなずくミラクルバード。

 人をバカにしているのはお前達の方じゃないのか。

 オレはゴホンと咳払いをし──

 

「今日は部屋の大掃除を行う」

 

 と、宣言した。

 二人から「「え~」」という不満の声が挙がる。

 

「もっと落ち着いてからでも……」

「そうだよ。トレーニングは続くんだし、どうせまた汚れるよ」

「レース本番は来年なんだから、落ち着くのも来年だ。今年の汚れは今年のうちに──それとも正月にレース走って、その後に大掃除やりたいか?」

「「う……」」

 

 さすがにそれはイヤなようで、二人は表情を歪める。

 こうして──早めの大掃除を行い、オレ達は年始のレースに備えることにしたのだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──あ、お母さん? 年末年始のことなんだけど……」

 

 今後の予定を聞いたアタシは、実家に連絡を入れた。

 だって、年始めに競走(レース)があったら、冬休みに実家に帰るどころじゃないんだから。

 去年は休養中だったから、実家でのんびりできたけど──今年はそういうわけにはいかないものね。

 アタシがその説明をすると──

 

『ええ、わかったわ。アンタはレース、ガンバりなさいよ。去年の秋の天皇杯とか、大きなレースに出られるくらいにまでなったんだから……』

 

 母さんはそう言ってアタシを応援してくれた。

 ホントに……家族ってありがたいわよね。

 

『……それに、去年は実家に帰ってたせいで(おく)れをとったんでしょう?』

「おくれ? なにそれ?」

『決まってるじゃないの。トレーナーさんのことだよ』

「ハア!? な、何言ってるのよ!?」

『アンタが余裕見せて実家になんて帰ってくるから、チームの手伝いしてるウマ娘が披露したり、おせち作って胃袋捕まれたりして、出し抜かれたんでしょ?』

「い、いったい何の話よ!? そもそも、どこからそんな情報が……」

『え? もちろんコスモちゃんよ』

「な……」

『いい? アンタ栗東寮なんだから京都でしょ? そこできっちり……』

「お母さんッ!!」

 

 まったく、母さんってば娘相手に突然何を言い出すのよ!! まったく、信じられない。

 

(それに……コスモドリームぅぅぅぅ!!)

 

 アタシはキッチリと母に事情を説明して、誤解を解き──コスモドリームをとっちめた。

 アタシの話を聞いているときの母の「はいはい、分かってるわよ」と言わんばかりの態度には、正直、思うところがあるけど。

 




◆解説◆

東?西?(どっち)競走(レース)ショー】
・昔(1997年~2006年)に日テレ系で放送されていたバラエティ番組、『どっちの料理ショー』から。
・まぁ、金杯って当時は(東)(西)という表記だったので。
・しかし、元ネタの番組名は台湾で放送されたときのタイトルだと「料理東西軍」とホントに「東西」が入っていたりします。

飛鳥ステークス
・ゲーム版では採用されていないものの、1990年から始まり、現在も残っているレース。
・今年(2021年)を除いて京都競馬場の芝というのは変わらず。
・開催時期は、最初は12月開催だったものの第2回からは1月末か2月に変更。その変更のために第2回目の開催が翌年ではなく翌々年の1992年になっています。
・おまけに最初こそオープン特別だったのに、第2回からは準オープンに格下げ。
・距離も1800で始まったものの、第2回目からは1600に短くなり、2000年から2004年までは2000に変更。2005年からは原点回帰して1800に戻され、現在に至ります。

1着
・今回のレースのモデルは90年の飛鳥ステークスでした。
・ん? 飛鳥ステークスの第1回ってたしか……
・……そう、現在も続く飛鳥ステークスの第1回の優勝馬はダイユウサクだったのです。
・2回目から準オープンに落ちたけど……
・開催日は1990年の12月8日(土)。天候は晴れ、馬場は良。
・ダイユウサクは10頭立ての1番人気でした。
・なお他の出走馬にウマ娘に実装されていたり、実装されそうな知名度の馬はいませんでした。

府中から離れている
・中山レース場──中山競馬場があるのは千葉県船橋市。
・よく言われているのは、JR武蔵野線で東京競馬場(府中)と中山競馬場(船橋)が繋がれていること。
・だいたい1時間15分くらいかかりますね。往復で2時間半。確かに“ちょっと見に行く”感覚ではありませんね。
・武蔵野線は大きく弧を描いているのですが……2つの競馬場の直線距離を図ってみたら約43キロでした。

メチャクチャ混む
・90年有馬記念が行われた中山競馬場の観客数は17万7779人。
・これは中山競馬場の最多観客数のレコード。
・JRA最多となると、同じ年(1990年)開催の第57回日本ダービーが開催された5月27日の東京競馬場で、19万6517人でした。
・同じ第二次競馬ブームでのことで、今のようにネットで馬券が買える時代でもありませんし、バブル経済で景気が良かったというのもありますね。

情報番組
・一応、作中の情報番組は当時昼間にやっていて主婦層を視聴層にしたワイドショーを想定してます。
・しかし、このころはフジテレビの平日昼の定番だった『笑っていいとも!』が放送されていた時期でした。
・そのときに曜日レギュラーの明石家さんまが、オグリキャップのことをものすごく応援していたんです。
・それは有馬記念よりも前からだったんですが、引退レースということで有馬記念は特に熱く語っていました。
・それで、まったく競馬に興味のなかった層にも「オグリキャップ」という競走馬の名前や、「有馬記念」というレースの名前が広く浸透することに一役買いました。

金杯
・本文中にあるように、金杯は主に1月5日に開催され、中山と京都でそれぞれ行われる重賞レース。
・どちらもGⅢで──モデルの91年当時はどちらも金杯で、中山は「日刊スポーツ賞金杯」、京都は「スポーツニッポン賞金杯」という正式名称があり、略称は「金杯(東)」「金杯(西)」でした。
・さすがに紛らわしいと思ったのかどうかはわかりませんが、1995年よりそれぞれを「日刊スポーツ賞 中山金杯」、「スポーツニッポン賞 京都金杯」に変更し、略称も「中山金杯」、「京都金杯」とわかりやすくなりました。
・中山金杯の歴史は、1952年に「金盃」という名前で5歳(当時表記)以上の中山2600メートルで開始。
・1966年にレース名の頭に「日刊スポーツ賞」が付き、1971年から「金杯」と現在と同じ「杯」表記に。
・で、京都の方は……もともとは1963年に同じく5歳(当時表記)で京都2000メートルのレースを「迎春賞」という名前で創設したのが最初。
・1966年に中山の方が「日刊スポーツ賞 金盃」になったのに合わせたのか、同年「スポーツニッポン賞 金盃」に変更。
・それで親しみを覚えたのか、それとも対抗心を燃やしたのか、中山の方が2600から2000メートルに距離を変更して同じ距離に。
・そうしたら、1970年に京都が「金盃」を「金杯」に変更。中山が71年に「金杯」にしたのはそれに併せたからなのか……
・その後はグレード制採用時には仲良くGⅢの指定を受けました。
・なお、本編では「同じ距離」としていますが、2000年に京都金杯の距離が1600になって現在では2つの金杯は距離が違っていますので、お間違いないように。

栗東寮のウマ娘は、金杯は京都の方に出る
・2000年まで距離も開催日も同じだった金杯。じゃあ、どうやってどっちに出るか決めたかと言えば……
・調教師の東西──つまりは関西馬か関東馬か、の違いでどっちに出るかがほとんど決まっていたようです。
・まぁ、正月ですし、地元に近い方に出たいですよね。そりゃあ……
・でもトレセン学園は東西にあるわけではなく──と本気で困ったんですが、よく考えたら寮が美浦寮と栗東寮に分かれていたな、と思い出して、こんな設定になりました。
・ダイユウサクが出た1991年ころは綺麗に東西の出走は分かれていたようですが、距離が変わる2000年近くになると、関東馬でも京都金杯に出ている馬もいたようで……
・現在ではもちろん、距離が違うのでその距離に合わせて選んでいるので関東馬、関西馬関係なく、どちらにも出てきますね。
・なお……ゲームのウマ娘は現在の設定なので、距離が違います。
・──私も、最初は距離が違っていたのだと勘違いしてました。
・ですのでこのような設定は必要なく、当時の再現をしている『シンデレラグレイ』ではオグリキャップも出ませんし、金杯の描写はありませんので──このような設定は本作独自となります。
・タマモクロスは出走経験があるんですけどね……


※次回の更新は10月5日の予定です。  



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第52R 大落胆… メジロさんの家庭の事情

 
 ──ここは、とある名家の屋敷。

 ウマ娘の名門として、優秀な競走ウマ娘を多く排出する、メジロ家の邸宅だった。
 その一族の実質的な長たる者がいる。
 今日、呼び出されたメジロ家のウマ娘は、彼女のことを──御婆様、と呼んでいた。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 そのころのわたくしは非常に充実した日々を過ごしていました。
 菊花賞を制したわたくしは、次の目標を年末の大レースに定め──そこに出走すると大々的に発表された“あの”ウマ娘──わたくしが敬愛してやまない方と同じレースを走り、競えるというのは夢のようでしたから。

(ついに、一緒に走れますね……どうにかギリギリ、間に合いました)

 たしかにあの人が調子が悪いというのは聞き及んでいましたし、直近の数レースを見てもそれは明らか。
 巷では、衰えによってそのレースがラストランになると専らの噂になっていましたが……それでもあの人の輝きは色褪せるようなものではありませんし、共に走れる喜びも曇りはしませんでした。
 ──そう、思っていたのですが……



 

「御婆様、参りました……」

 

 御婆様のいらっしゃるメジロ家の本家の邸宅。

 そこへ召し出されたわたくしは、目の前にいる御婆様に(うやうや)しく一礼いたしました。

 

「よく来ましたね。マックイーン。貴方もトレーニングに忙しいのは分かっていますが……」

 

 そのわたくしに対して、御婆様はねぎらいの言葉をかけてくださいました。

 もちろん御婆様が一族を束ねる者として多忙なことは、わたくしも存じ上げていますわ。

 しかしわたくしとて……来るべき大レースに備えて、トレーニングを重ねている身。ここまでくる時間を作り出すのも、なかなかに大変だったのです。

 ねぎらいの言葉はそれを知り、(おもんばか)ってくださったのだと内心嬉しく思っていたのですが──

 

「今日は、あなたがこれ以上、余計な消耗をしないように呼び出しました」

「……いったい、どういうことでしょうか?」

 

 御婆様の言葉に、わたくしは混乱しました。

 余計な消耗? 何をもってそのような──

 

「今度の有記念、貴方は出走を辞退なさい」

「なッ…………」

 

 思わず絶句してしまいました。

 まさに青天の霹靂。

 その有記念に向けてわたくしは調整していたというのに。

 

「ど、どうしてでしょうか?」

「有記念にはライアンが出ます。貴方は……来年の春の天皇賞をとることに、全力を尽くしなさい」

「お待ちください、御婆様。春の天皇賞は、まだまだ先のことではありませんか。有記念に出てからでも十分に……」

ライアンに有をとらせる、と言っているのです」

 

 そう言った御婆様の言葉には、覆しようのない絶対の響きがありました。

 

「そんな……」

 

 今度の有記念は、わたくしにとってはいつもとは違うレースです。

 なぜなら、彼女のラストランで──

 

「貴方はクラシックレースの一角、菊花賞を見事に制しました。それは私も心より嬉しく思っています。しかし、ライアンは……皐月賞、東京優駿(ダービー)と、惜しいところで逃し、一つも取れていません。ですから今回は、彼女に花を持たせなさい」

 

(それは……勝てなかったライアンが悪いのでは無いですか!)

 

 どうしても有に出たいわたくしの口から、その言葉が出掛かりましたが──それを飲み込みました。

 ライアンの悔しさは、端で見ていたのですから十分に分かっています。菊花賞も共に争ったからこそ、彼女の実力も分かっていますし、だからこそ口惜しさもわかるのです。

 

「けれど、メジロ家からはもう一人……」

「アルダンが出走するのは変えられません。残る一人を貴方ではなく、ライアンを出す、と言っているのです」

 

 なんとか反論を試みましたが、あっさりと却下されました。

 

「アルダンは足が弱い……怪我がいつ再発するかわかりません。それに秋の“盾”を逃した彼女が春に挑戦できるか定かではありません。ですからそちらを貴方に期待しているのです。貴方がレースに出て怪我をしない、という保証はありません。他の者に期待しようにも……」

 

 御婆様は小さく嘆息されました。

 思い浮かべたのはきっと……パーマーのことでしょう。彼女はわたくしやライアンと同世代ですが、御婆様からの信頼が薄いようで──

 ともあれ、わたくしもそれで引き下がるわけにはいきません。

 わたくしには是非とも出走したい理由があるのですから。

 

「し、しかし先ほど申し上げました通り、有記念に出走してからでも、春の天皇賞には十分に間に合います。足に不安があるわけでもありません。わたくしも出走を……」

「くどいですね、マックイーン。言ったはずです。有記念に出走するのはアルダンとライアンだ、と」

「その二人を押し退けて、とは申していません。それに加えてわたくしも、とお願いしているのです」

「貴方は、メジロ家の者を3人も同じレースに出せと言うのですか? まるで『数を撃てば当たる』と言わんばかりの恥も外聞も捨てたようなその所業が、どれほど浅ましく、醜いものか……想像さえできないというのですか?」

「う……」

 

 確かに御婆様の言うとおりですわ。

 有記念や宝塚記念のような人気投票で出走メンバーが選ばれるレースに、一つの家のウマ娘の名が集うというのは、その家の優秀さを世が認めたことであり、非常に名誉なこと。

 しかし、そのままに出走し、同じ家の者が集まるレースになってしまっては、身内で競っている茶番に見えてしまいます。

 そこまでならなくとも──たとえば出走するメンバーのうち4人も5人も同じ家の者が出走して、それでも別の者が勝ってしまったら……

 

(家の恥以外の何ものでもありませんわ)

 

 無論、メジロ家の者が同じレースに出ていても、手心を加えて譲る気もありませんし、相手も同じでしょう。実際、菊花賞ではライアン相手にわたくしも決して負けられないと思いましたし……

 しかし世の人はそうは思わないことでしょうね。

 徒党を組み、協力し、それでも負けたと思いこみ──『○人がかりで負けた』といわれてしまいます。

 御婆様はそれを危惧されているのです。

 

「……失礼、いたしました。出過ぎたことを申し上げてしまい、申し訳ありませんでした」

「いえ。貴方のレースへの熱意は分かりました。それを……春の天皇賞へ向けなさい」

「はい……」

 

 わたくしには、そう答える以外の選択肢はありませんでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「よろしかったのですか?」

 

 マックイーンが去り、控えていた執事が問うてきました。

 

「なんのことですか?」

「有記念のことです。マックイーンお嬢様は、ずいぶんと入れ込んでおられた様子ですが……」

()()()()()です」

 

 執事の問いに自分の感じた懸念を答えました。

 

「あの子は、“彼女”への思い入れが強すぎます。『葦毛は走らない』……長年常識のように言われてきたその言葉をタマモクロスと共に覆したその姿は、()()()()()マックイーンにとって英雄にも等しかったはずです」

 

 同じ葦毛だからこそ、その道を開いた二人に憧れている様子は見ていて分かりました。

 しかし、ただレースで彼女と競うのが悪いと言っているのではないのです。

 

「もしも、全盛期の“彼女”とぶつかるのならそれは良い経験となったでしょう。しかし“墜ちた偶像”と競わせるのは本人にとっても酷なこと。そして、心優しいあの()が──あこがれの存在に引導を渡すことができるか、それを疑問に思ったのです」

 

 かつて憧れた存在の泅落ぶりに、憐れみを感じてしまえば勝負の鬼に徹せられず、そうでなくとも動揺し──隙を見せることになったことでしょう。

 そんな状態で勝てるほど有記念は甘いものではありません。

 それに対して──

 

「ライアンにとっては、マックイーンほどに憧れる対象ではありませんからね。衰えた姿に動揺することもなく、躊躇い無く勝ちにいけるはずです」

 

 そしてアルダンは……何度も“彼女”と競ったことがあるのだから、ラストランで決着をつけることにこそこだわるはず。

 そこに油断や余計な感情が入る余地は、無いでしょうね。

 もっとも……

 

「……今のライアンならアルダンにも負けないでしょう。それくらいに充実しているからこそ、マックイーンではなく彼女に有を任せるのです」

 

 引退セレモニーは御自由に。

 しかし、その前のレースを譲る気は、我がメジロ家にはございません。

 




◆解説◆

【メジロさんの家庭の事情】
・元ネタは、少年サンデー系の古い漫画のタイトル『八神くんの家庭の事情』から。
・個人的にはほとんど知らない漫画でして……同じ作者の『鬼切丸』は全巻集めたほどにファンだったのですけどね。
・テレビドラマ化されていたようで、しかも主役は『TOKIO』の国分太一。94年のことですから、95年開始の『鉄腕DASH』で農業系アイドルになる前のころ。
・なお、実写化の例に漏れず──独自設定をぶち込んで失敗、原作ファンの怒りを買うというテンプレの失敗……だけで終わらず、作者の怒りまで買って「原作」表記が「原案」表記に変わったほど。
・昔から同じ失敗繰り返してるのに、なんで実写化にこだわるんだろうか。
・──ハッ!? まさかウマ娘も……

ライアンに有をとらせる
・90年の有馬記念にはメジロマックイーンの出走も考慮されていました。
・が、メジロライアンに有馬記念をとらせるために出走を断念させた、と言われています。
・もしもマックイーンがこのときの有馬記念に出走していたら──どうなっていたんでしょう。

パーマー
・メジロパーマーのこと。ゲーム版では、2021年9月現在ではサポートカードは実装されているものの、育成としては未実装。
・元馬はメジロマックイーン、メジロライアンと同い年。
・その優秀な二頭と比較されてしまうのはかわいそうなところ。
・デビュー後まずまずの成績だったのですが骨折してからはすっかり調子がおかしくなって、精彩を欠くようになってしまいました。
・その後(1991年)は()()()()()に出走していたものの飛越が下手という致命的な欠点で平地に復帰。
・……そんな数奇な運命をたどりましたが、マックイーンが取れなかった有馬記念をとっているのはなんとも皮肉。92年の有馬記念をとったのはこの馬。
・本作、現時点では骨折から復帰して精彩を欠いていた時期。そのため御婆様を含め、メジロ家での評価は低くなっています。


※次回の更新は10月8日の予定です。  



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第53R 大有終! この瞬間よ、永遠に……

 
 ──そして、あっという間に日にちは経過し……


 年末の、今年最後のGⅠレースの当日となっていた。


 中山レース場はアイドルウマ娘の最後の舞台ということで、周辺を含めて大混乱だった。
 無論、つめかけた観客達の目当ては第12レース、有記念である。
 出走メンバーには、秋の天皇賞を制したヤエノムテキをはじめメジロアルダン、ミスターシクレノンといったダイユウサクの同世代の有力ウマ娘が名を連ねる。
 さらには歳下のクラシック世代からも出走していた。



 

 無論、オグリキャップが人気を集めるのはオレも理解している。

 だからオグリの人気は「終わった」だの言われていていても4番人気だ。

 今日、最も注目を集めているのは、下の世代──クラシック三冠をとることはできなかったが、東京優駿(ダービー)3位、菊花賞2位だったホワイトストーン。

 次に集めているのが、メジロ家の二人。

 メジロアルダンと──ホワイトストーンと同じく、クラシックレースで皐月賞3位、東京優駿(ダービー)2位と惜しかったウマ娘。

 名家出身のイメージとは裏腹な、短い髪の活発そうなウマ娘……メジロライアンだった。

 

「メジロ家と言えば……」

 

 もう一人、オレの頭に引っかかるウマ娘がいた。

 ライアンと同い歳で、クラシック三冠の一つ菊花賞を制したメジロ家のウマ娘だが──

 

(菊花賞をとったんだから、ホワイトストーンやライアンよりも出てくる可能性が高いと思ったんだが……)

 

 ライアンとは対照的に、長い葦毛の髪が特徴的で、その立ち居振る舞いに優雅さや気品を感じる、お嬢様然とした──あのウマ娘の名前は、無い。

 

「菊花賞をとった──彼女は出ていないのか」

「そうみたいね。投票は十分に集まってたみたいだけど……なんか、メジロ家の中で話し合ったみたいよ。今回はライアンにとらせるって」

「なによそれ。まるで『メジロ家で取るのが当たり前~』って言ってるみたいで面白くないわね」

 

 アルダンがこの場──オレ達《アクルックス》はオレの机のあるトレーナー室でテレに中継を見ていた──にいないからか、遠慮なく辛辣に言うダイユウサク。

 同級生も出走する中で、まるで下の世代がとるのが既定路線のように見られたのが嫌だったのだろう。

 そしてそんな名家の思惑とはまったく関係なく、観衆の視線は彼女に釘付けだった。

 

 4枠8番に収まった“怪物”──オグリキャップ。

 

 その彼女がテレビに映ったとき、ちょうど部屋の戸が開き、もう一人入ってきた。

 そしてオレ達がいるのに少しだけ驚き、そして笑みを浮かべる。

 

「やっぱり戻ってきたのね」

 

 同じ部屋のトレーナー、巽見涼子だった。

 

「やむを得ず、だよ……二人とも、気になってトレーニングに身が入ってなかったからな」

 

 彼女に答えながら、オレは苦笑しながらダイユウサクとミラクルバードを見る。

 そんな声さえ聞こえてないくらいに、テレビに集中している様子だった。

 ちなみに巽見が担当していて、ダイユウサクの栗東寮のルームメイトでもあるコスモドリームは、現地に観戦しに行ったらしい。

 未だに復帰の目処立たず、次のレースの予定も無いので、「同世代を応援しにいきたい!」というコスモドリームの想いを尊重したらしい。

 

「そんなこと言って、先輩こそ見たかったんじゃないの? 二人をダシにしてるけど」

 

 巽見のからかうような視線は、完全に無視した。

 無論、オレだってウマ娘関係者で有記念には興味がある。

 それに──

 

「……初代国民的アイドルウマ娘のファンとして、一応、二代目のラストランにも興味はあるからな」

 

 オレがポツリというと──巽見は爆笑した。

 やがてそれから立ち直り、涙を拭い──泣くほど爆笑したのかよ──つつ言った。

 

「ああ、そうだったそうだった。先輩ってば初代アイドルウマ娘の──彼女の大ファンだったんだっけ。部屋にもポスターが……」

 

 ガタッ

 

「ちょっと、どういうこと!?」

 

 巽見の声に反応し、振り返ったのはダイユウサクだった。

 聞き捨てなら無いとばかりにオレに詰め寄る。

 

「それって、アタシ以外のウマ娘のポスターが、部屋に貼ってあるってこと!?」

「は? えっと……お前、ポスターなんて作ってもらったっけ?」

 

 そりゃあ、オグリキャップとかスーパークリークくらいになれば、URAもそういうグッズを販売してくれるだろうが、ダイユウサクのはあったか……?

 オレが考え込んでいると──その胸ぐらをガッと掴まれた。

 

「そういう問題じゃないの!! なんで、アンタの部屋に、他のウマ娘のポスターが貼ってあるのよ!!」

「他の?」

 

 オレが問い返すと、固まるダイユウサク。

 

「………………そ、そうよ。自分のチームの《アクルックス》メンバー以外のッ!!」

「そりゃあ、お前……あのウマ娘(ひと)はオレにとってのあこがれだし、当時大ファンだったからな」

 

 と、オレが正直に答えたら、胸ぐらを掴んでいる力がさらに強くなった。

 ハッキリ言って、服で首が絞められて少し苦しい……

 

「この、浮気も──」

「オレの原点だからな。あのウマ娘は」

「──え?」

 

 急に戸惑ったようになったダイユウサク。

 おかげで力が抜けて苦しくなくなったので、オレは彼女に語った。

 

「オレがトレーナーを志したのもいつか彼女のようなウマ娘と共に歩んでみたい、って気持ちからだ。その初心を忘れないように、あえて目に留まるようにしているんだよ」

「そう……なの?」

「ああ。でもさすがにそれを……トレーナー室や、チーム部屋に貼るわけには、いかないだろ?」

 

 オレが苦笑すると、ダイユウサクは胸倉から手を離した。

 で、オレの隣ではからかうことに成功した巽見が痛快そうにニヤニヤしているわけだが……本当に、この年上の後輩、どうしてくれよう。

 ──なんて想っていたんだが、真の厄介者は他にいた。

 

「──え? 問題はそこでもなくて、なんで巽見さんがトレーナーの部屋のことを知っているか、じゃないの?」

 

「「あ──」」

 

 奇しくもオレとダイユウサクの声が重なる。

 次の瞬間──逃げだそうとしたオレの胸倉を、ダイユウサクは再び捕まえていた。

 

「どういうことよ!?」

「ちょ、待て! 話せば分かる……」

「問答無用よ!! 涼子さんがアンタの部屋に行ったってことでしょ!? なんで……アタシだって行ったこと無いのに……」

「ほらほら、もう、レース始まっちゃうわよ」

「──ッ!! 涼子さん、どういうことですッ!?」

「まぁまぁ、レースが終わったらちゃんと説明するから……ね? 先輩」

 

 オイ、巽見。

 ダイユウサクをなだめたクセに、意味深なウィンクをするんじゃない。火に油を注ぐようなもんだろ。

 お前は、炎上させたいのか、鎮火したいのか……

 

「…………後でちゃんと説明させるから。覚えてなさいよ」

 

 ジト目でオレを一睨みしてから、ダイユウサクはテレビへと視線を戻した。

 まったく……大した真相じゃないんだけどな。

 こっそり嘆息しつつ、オレもまたテレビへと視線を向ける。

 

 出走時刻は、刻一刻と迫っていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──その日、奇跡は起こった。

 

 超満員になるほど中山レース場に詰めかけた観客達の、何人が真剣にその結果を予想していただろうか。

 もちろん、観客の多くが彼女のファンであったことは間違いない。

 彼女の人気ももちろん高かった。

 

 しかしそれは──ラストランだったから。

 

 彼女の最後に走る姿を目に焼き付けようと集まった観客であり、テレビの前で見守っていた人々だった。

 彼女に投票した人もまた、「勝って欲しい」という願いはあっても、直近のレース結果を見れば、絶対に勝てると信じていた者は、そう多くはいなかったはずだ。

 またある者は「無事にゴールしてくれれば、それでいい」と思う者もいたことだろう。

 

 そうして、レース場での直接、テレビでの中継問わずに、この国の多くの人が見守る中で開催され──レースは佳境に入る。

 

 最後の直線……そこにあるゴール板の直前で先頭を駆けていたのは──“葦毛の怪物”だった。

 

 

 

『──第4コーナーカーブ、オサイチジョージ。そしてオグリキャップ、オグリキャップが先頭に上がってきた。

 中をついてメジロアルダン、ホワイトストーンは内、先頭は4人と…アルダンが少し下がるか。

 メジロライアンも上がってきました。ライアンが来た。200を切って──オグリキャップ。

 オグリキャップ! さあ、頑張るぞオグリキャップ!!

 オサイチジョージ、ホワイトストーン、そしてメジロライアン──オグリだ! オグリだ! オグリキャップ!!

 

 

 ──オグリキャップ優勝! ゴールイン!!

 

 

 ………オグリキャップです。

 ファンの夢をここで実現したオグリキャップ。最後の最後を飾りました。堂々の優勝であります』

 

 

 

 この国の大勢の人が見守る中で──

 

 

 ──奇跡は、起こった。

 

 

 ガラスの靴は、シンデレラの下へと戻ったのだ。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「…………ぁ」

 

 あまりの事態に、わたくしは息をすることさえ忘れていてしまったようです。

 そのとき、その場所にわたくしはいました。

 有記念に出走した、同じメジロ家のウマ娘達を応援するために。

 しかし、その意外な結末──2着がライアンだったことを忘れるほどの衝撃でした──に、わたくしは思わず感激してしまいました。

 

「こんな……こんな結末が待っていただなんて……」

 

 あまりに劇的な展開でした。

 このレースがラストランとなるウマ娘が──口さがない方達が『終わった』と断じ、事実、前走・前々走の結果が芳しくなかったあの方──「勝って欲しい」と多くの方が願い……その願いを見事に叶えて見せたのですから。

 周囲もまた、その感動的なラストに熱狂は最高潮(クライマックス)へと盛り上がり──

 

『オ~グ~リッ! オ~グ~リッ! オ~グ~リッ! …………』

 

 沸き上がったオグリコール。

 その興奮に飲み込まれたわたくしも──

 

「オ~グ~リッ! オ~グ~リッ!」

 

 二人とも、ごめんなさい。わたくしはあなた方を応援しに来たというのに……つい、ひそかにハマっている趣味のように、声を出してしまっていました。

 でも、わたくしからも言わせてください。

 お二人がうらやましくて仕方がありませんわ。

 だって……こんなに感動的なレースに当事者として出走し、今まさにターフに立っているではありませんか。

 

(なぜ、わたくしは出走を辞退してしまったのでしょう……心底、悔しいですわ)

 

 どうして自分があの場に立っていないのか。本当に口惜しい。

 御婆様の意向に逆らってでも、出るべきだったという思いがあふれて止まりません。

 

(こんな後悔を二度としないためにも……わたくしも、来年こそは…………)

 

 どのようなドラマがあるのか分かりませんが、来年こそわたくしもあの場で当事者──もちろん主役になりたい。

 わたくしは、強く強くそう思いながら──ターフに立つウマ娘たちを見ることしかできませんでした。

 

(そのためにも──春の天皇賞、必ずとりますわ。それに、秋の天皇賞も……)

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そのレースの結果に……オレは言葉が出なかった。

 

 あまりにも予想外で──

 あまりにも劇的で──

 あまりにも感動的だった。

 

「……んだよ、それ。物語だって、そんな上手くいかねぇだろ」

 

 声が震える。

 悪態でもついてないと、目から涙が出かねないくらいに、感動しちまった。

 中山レース場というその場ではなく、テレビの前で見ていたっていうのに……ここまで心震えるだなんて。

 

(間違いない。藤井記者、あんたの目に狂いはなかったよ。“皇帝”に続く……いや、“あの”国民的アイドルウマ娘と肩を並べる存在に──彼女はなったぞ)

 

 目から熱いものが溢れるのを感じながら、オレは“彼女の次”を追い求める同志にエールを送る。

 あのボサボサ髪に眼鏡の記者が「当たり前や。これがオグリキャップや」と自慢げに言う声が聞こえた気がした。

 そして──

 

「……ねぇ、トレーナー」

 

 オレの近くには、オレと共にトゥインクルシリーズへ挑戦しているウマ娘がいる。

 その彼女が、テレビから決して目を離さずに話しかけてきた。

 

「羨ましい……なんてアタシが思うのは、おこがましいかしら?」

 

 そう言いながら、目元をそっと手で拭う。

 

「オグリと……彼女とアタシはまるで違う。アタシの方が断然恵まれた環境だったのに、実力がまるで無かった。もちろん実績だって比べるのも恥ずかしいくらいだし……」

 

 自分がその場に立てるほどの実力がないことを不甲斐なく思っているのか、ダイユウサクの表情が悔しげに歪む。

 しかしそれも一瞬のこと、晴れやかにも思える表情になり、相変わらずテレビを──画面の向こうに映る、このレースの覇者を見続けていた。

 

「でもね。こんなに……人の気持ちを震えさせる。感動させられるレースができるのが、本当に羨ましいわ。そして、そんな姿に憧れるのよ! どうしようもなく……」

 

 今まで見たことの無いような表情──“他人に憧れる”という感情を露わに、ダイユウサクはテレビ画面を見つめる。

 

「ねぇ、トレーナー……アタシも、なりたい。オグリキャップには到底及ばないのは分かってるわ。でも、それでもアタシは、少しでも彼女に近づきたい!!」

 

 そう言ってオレに振り返った彼女に対し、オレは──

 

「ああ、おこがましいわけないだろ。お前は──秋の天皇賞で、アイツの一つ下の順位、しかも半バ身しか差がなかったんだぞ?」

 

 そう言ってニヤリと笑みを浮かべてやる。

 

「お前はもう、そこまで来たんだ」

 

 その言葉で、ダイユウサクは「あ……」と気がつき、その顔はパッと晴れ──

 

「それに、夢を持つのに特別な資格なんているのか? さしずめグランプリ取る夢なら、一級夢見師免許とか……」

「そんなわけないでしょ!」

「その通りだ。夢を見るのは自由だ。そしてその夢を実現するため、その助けをするためにトレーナー……このオレがいるんだからな」

 

 笑顔でそれに応じると、ダイユウサクは「うん」と大きくうなずいた。

 

「次の競走(レース)……絶対に勝つぞ」

「ええ。重賞を制覇して、もっともっと大きな舞台で──走りたい。そしてゆくゆくは……アタシの夢は…………」

 

 再びテレビの方を見るダイユウサク。

 その視線の先は──GⅠを制覇した彼女がいた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──このレースの結末に憧れを抱いた二人のウマ娘。

 

 かたや“史上最強”の階段を上り始めたばかりのウマ娘。

 かたや“連続タイムオーバー”デビューというドン底からやっと這い上がってきたウマ娘。

 

 彼女達が憧れた“最高の舞台”でぶつかるまで──あと364日。

 




◆解説◆

【この瞬間よ、永遠に……】
・元ネタなし……のように見えて、意識したのはシリーズ2作目のOVAである『新世紀GPXサイバーフォーミュラ11』の最終回タイトル「この瞬間よ永遠に…」から。
・なんか空気が完全に最終回なんですけど。
・「勝ったッ! 第一章完!」
・……いや、ダイユウサク何もしてないからな? 重賞制覇すらまだだからな?

ミスターシクレノン
・元ネタの競走馬は、オグリキャップ世代と呼ばれる1985年生まれ。
・生涯獲得賞金3億4500万円。生涯成績32戦5勝(2着7回、3着1回)。
・とはいえ初出走と次走で連勝して、それ以降は3勝──衣笠特別(900万下の条件戦)、GⅡ鳴尾記念、GⅢダイヤモンドステークス)の3勝はちょっと寂しい。
・しかし2着に目を向ければ、GⅢで1回、GⅡで5回、GⅠで1回となかなかの成績。
・しかもそのGⅠの2着は、89年のイナリワンが制した春の天皇賞。
・なお……ダイユサクと同様に92年まで走り続けたミスターシクレノンですが、ダイユウサクと違い、92年2月のラストランをきっちり勝利で飾っています。それがダイヤモンドステークスでした。
・ダイユウサクの92年は……ちょっと、ね。
・ちなみに、なんで名前が出たかと言えば──オグリ世代はオグリとヤエノムテキ、アルダンともう一人……と思っていたら残り2人しかおらず、選ばれなかったラケットボールは殿(しんがり)負けだったので、消去法での採用です。
・裏話をしますと、ウマ“娘”なのに「ミスター」はないだろ、と本作オリジナルの一人ですし、「ミズシクレノン」に名前を変えようかと思ったんですが──よく考えたらすでにウマ娘の()()()()シービーが設定されているんだから、問題ないわ、と思い直しました。

真相
・この件の真相は……トレーナーの親睦のための忘年会が行われ、この二人の他に乾井の先輩である《リギル》の東条ハナ、巽海と同じ《アルデバラン》の正トレーナーである相生(あいおい)トレーナーとで飲んでいました。
・年長者で妻帯者の相生さんは帰ったのですが……東条さんや、巽海が仕事一辺倒なのを心配した彼は、“浮いた話のきっかけにでもなれ”と、酔いつぶれた二人を完全に乾井に押し付けて帰りました。
・なお、相生トレーナーもその時にそれなりに酔っていたので、酔いに任せた勢いでやってしまったのですが。
・しかし、そんな彼の最大の失敗は、酔っ払い二人を一度に押し付けたところ。案の定、アパートでも3人の飲み会になってしまい……酔いつぶれて終了。
・あまり飲んでなかった乾井一人が苦労する羽目に。
・そんなわけで、誰かさんが心配するような状況ではありませんでした。

大勢の人が見守る
・このレースの主役はオグリキャップ。レースの詳細はシンデレラグレイで描かれるべきだと思いましたので、元ネタレースの90年有馬記念の実況をそのまま文章に起こしました。
・その実況は、ラジオたんぱの白川アナ版。
・フジテレビ版の大川和彦アナ版(大川慶次郎氏の「リャイアン!」のヤツ)はゴール後に涙声になるほどに感情がこもっているのはいいのですが、「オグリ」を連呼しすぎて状況が分かりづらかったので、こちらにしました。
・シンデレラグレイでのレースが描かれるのが楽しみですが……それはつまり最終回でしょうからね、終わって欲しくないという気持ちも強いんで、悩ましい。

ひそかにハマっている趣味
・もちろん、みなさんご存じなように、プロ野球観戦のことです。
・ゲーム版ウマ娘のマックイーンは、ライアンに誘われて見たプロ野球にすっかりハマり、ライアン以上に夢中になっている様子。
・夢の中であげた応援の歓声で、目を覚ますほど。


※次回の更新は10月11日の予定です。  



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第54R 大迎春! 必勝祈願!!

 
 ──年が明け、元日。

 乾井トレーナーの自宅であるアパートの扉の前には、一人のウマ娘が怪訝そうな顔で立っていた。



 アタシは、手でそのドアをコンコンとたたいて、それから頭の上の耳をピタッと扉につけて中の様子を伺ったんだけど……

 

「……いないのかしら?」

 

 もうチャイムはすでに数回も押してるし、ノックも何度も繰り返してる。

 

 ──幸いなことに、近隣の部屋の住人は、正月ということで帰省したり、出かけたりしていて留守だったので、騒音苦情が入ることはなかった──

 

 でも、部屋の中で人が動く気配はないのよね。

 普通なら留守とか、出掛けてるって思うところだけど、昨日もトレーニングがあったし、今はまだ朝って呼ぶような時間帯よ? 出掛けるにしても早すぎるでしょ。

 

「昨日は元気そうにしていたし、病気とかそういうのはないと思うけど……」

 

 寝込んでたり、最悪倒れ込んでる──なんて最悪な考えが頭をよぎったけど、具合悪そうにしている様子もなかったし……

 大晦日である昨日──間近に迫った競走(レース)、金杯に向けての調整(トレーニング)は、その日まで行われていたのよね。

 でも、元日である今日に限っては──

 

『正月くらいは休みたいだろ? そう思って休む前提で計画を組んだ。だからしっかり休めよ』

 

 そう言って笑顔で今日の休みを告げたのだ。

 もちろん、嬉しかったわ。正月も休みなし、っていうのも覚悟していたから。

 

「昨日も、疲れを残さないようにって軽めの調整だったけど……」

 

 とはいえ、その前……一昨日までの練習はなかなかにハードだった。

 それというのも、元々、トレーナーは今回の金杯に向けて「重賞をとりたい」って意気込んでいたし、年末の有記念を見たアタシの意気込みも変わった。

 それを受けて──よりハードな特訓になったのよね。

 とはいえ、金杯は近い。本番に疲れを残さないよう、鍛える方向から調整の段階へとすでに移ってる。

 

「……だから気を使って、朝に来たのに」

 

 そのために、シヨノロマンにも迷惑かけて──

 と、アタシが考えていたら、なにやら声が聞こえてきた。

 しかもそれは複数の声。そのうちの一人は聞き覚えのある声で……

 

「わざわざ付き合ってもらってゴメンね、オーちゃん」

「大丈夫です。ミラクルバードさんが私に頼みごとをしてくるなんて、あまり無いので……遠慮なく仰ってくださいね」

「そんなことないよ。いつも頼りにしちゃってるから。今回だって、そうだもん。この不自由な体に着付けをしてもらえる人を紹介してって無理を言ったのに──」

「そんな! 無理だなんて。お正月なんですから、こういう時くらいは……」

「うん。その気持ちだけでもありがたかったのに、そうしたらここまで付いてきてくれるなんて……」

 

 案の定、ミラクルバード(コン助)だった。しかも振り袖まで着てるし。

 目的地は間違いなく、ここでしょうね。まったく……油断も隙もない。

 でも、彼女の後ろには車椅子を押している人がいた。

 頭の上にぴょこんと出て立っている耳とか、お尻の方で揺れている尻尾からウマ娘だって分かるけど……

 

誰?

 

 知らない顔だった。

 青鹿毛の黒髪はセミロングに整えられて、前髪には綺麗な星形の白斑が入ってる。

 まぁ、コン助の知り合いなんでしょうけど、少なくともアタシは見かけたことないし、トレーニングとかそれ以外でもミラクルバードが連れてきたこともなかったし、彼女を訪ねてきたこともない。

 年齢的にはアタシやミラクルバードよりも少し下……って感じかしら。

 雰囲気は、メジロアルダンとかシヨノロマンみたいな……“いいところのお嬢さん“といった落ち着いた空気を感じるわ。

 

「あれ!? ダイユウ先輩? やっぱり来ていたんだ!」

 

 ……あ。隠れるのすっかり忘れてたわ。

 えっと……まぁ、もう誤魔化しきかないわよね。これは。

 こっそりため息ついてから「あけましておめでと、コン助」と一応、新年の挨拶をすると、向こうも返してきて──その後すぐにお説教が始まった。

 

「ダメだよ。トレーナーは体を休ませたくてお正月をせっかく休みにしたんだから、ゆっくりしないと」

「……だからって、寝正月過ごせってわけじゃないでしょ?」

「元日一日くらいゆっくりしてってことだよ。それに明日からまた調整なんだから……寝正月なんて言ってられないからね」

 

 そう言って苦笑するミラクルバード。

 最近、コン助もアタシに容赦なく言ってくるようになった気がする。

 ま、うちのチームやアタシに慣れたっていうのもあるだろうし、トレーナーも含めてチームが重賞制覇やそれ以上を目指して動き始めたからってのもあるんでしょうけど。

 

「わかってるわよ。おかげで昨日の夜はしっかり寝たわ。おかげで紅白も見てないし、年が明けたときはきっちり寝てたもの」

「そっか。よかったと言うべきか、残念だったね、というべきか……」

 

 レースを考えれば前者。せっかくの新年って考えれば後者。

 複雑な気持ちを表すように、ミラクルバードは苦笑する。

 

「で、こんなところでどうしたのよ? トレーナーなら……いないみたいだけど」

「あぁ、やっぱりそうなんだ。先輩が外に立ってるのが見えたから、そうかなとは思ったんだけど」

 

 実はこの場所──トレーナーのアパートは、最近までアタシやミラクルバードも場所を知らなかったんだけど、渋々教えてくれた。

 巽見トレーナーが場所を知っている経緯を訊く過程で、「不公平だ」ということで白状させたんだけど。

 

「振り袖姿で、ずっと外に立たせてるわけないんもんね!」

「──ッ!?」

 

 そう、アタシもまた振り袖を着て、ここに来たの。

 だって……せっかくのお正月だし、去年は、見せられなかったし……

 おかげで、シヨノロマンに着付けをお願いしたんだけど。心優しい彼女は快く引き受けてくれたわ。

 

(……なんか、見透かしたような含み笑いを浮かべていたような気もするけど)

 

 線のように細い目をしていて瞳が見えないから、イマイチよく表情がわからないのよね、彼女。

 

「あの……ミラクルバードさん、お知り合いのようですし、私はこの辺りで……」

「え? あ、オーちゃん、ひょっとして忙しいの?」

「ええ、まぁ……父の挨拶周りに付き合ったりもしますし」

「そっか。トレーナーにも会ってもらいたかったんだけど……」

「えっと……確かにチームのことで悩んではいますが、《リギル》のこともありますし、御迷惑になるでしょうから……」

 

 申し訳なさそうに苦笑した、ミラクルバードの車椅子を押していたウマ娘。

 彼女は、アタシを見て──

 

「ダイユウサクさん、ですよね? 今度、金杯に出走なさるとか」

「ええ、そうだけど……」

 

 アタシが答えると、彼女はスッと車椅子から離れて、アタシの前まで来ると跪いて──胸の前で手を組む。

 そして──

 

「貴方に、三女神さまの御加護があらんことを……」

 

 目を閉じて呟き、祈ってくれた。

 やがて目を開き、組んでいた手を離し、立ち上がると笑みを浮かべ──

 

「未熟者ゆえ必勝の祈りとはいきませんが……祈らせていただきました。次のレース、頑張ってください」

「あ、ありがと……」

 

 その突然の行動に驚きつつも、アタシは一応、お礼を言っておく。

 そんなアタシの反応に、ミラクルバードは──

 

「オーちゃんは敬虔な信徒だからね。お祈りするのがクセみたいなものだから。神官位も持っているんだっけ?」

「はい。末席ながら一応は……」

 

 恥ずかしそうに謙遜する彼女。

 そうして彼女は一礼し、「時間が無く、あわただしくてすみません」と謝りつつ、そのまま去っていく。

 

「……さっき、《リギル》がどうとか言ってたけど、あの《リギル》?」

「そうだよ。あの、東条トレーナーの、ね」

 

 アタシの確認に、ミラクルバードはうなずく。

 

「彼女も学園所属にしてる競走ウマ娘で、中等部なんだよね。本人や家族はデビューは高等部になってからって決めてるみたいだから、まだまだデビュー前なんだけど……それでも“優秀だ”って将来を有望視されてて……」

「で、《リギル》から声がかかってる、と?」

「うん。でもまぁ……ルドルフ会長はチームというよりは生徒会に入れたいみたいだけどね」

「え? なんで?」

「頭いいんだよ、彼女。社長令嬢なんだけど、将来のためにって経営学とか経済学とか熱心に勉強してるし」

「え? だって中等部でしょう?」

「うん。早く父親に恩返しをしたいからって言ってたよ」

 

 それにしたって中等部からそんな専門的な勉強をしているなんて、よほど強い意志なんだろうなって思う。

 さらに高等部になったら競走でデビューしようっていうんでしょ? それに関してまで今から高い評価を受けてるって……どれだけ多才なのよ。

 

「で、それを聞いたルドルフ会長が、ぜひ会計を任せたいって生徒会に入れようと勧誘しているみたいなんだよね」

 

 言われてみれば、生徒会とか《リギル》のウマ娘を見ても、そういう経営とか会計関係に強そうなウマ娘ってなかなかいないかもしれないわね。

 

「ふ~ん、なるほどねぇ……」

 

 生徒会を補強しつつ、チームも強化するなんて一挙両得。

 そういう意味でも得難い人材でしょうね。

 

「ところで、彼女の名前って──」

 

 ──と、アタシが訊こうとしたところで、エンジン音が聞こえてきた。

 ほどなくして、アタシやミラクルバードにとっては見慣れた、先端が尖ったようなデザインのバイクが姿を現し、アパートの前で止まる。

 それに跨がっていた人はアタシ達を見て、顔まで覆っているヘルメットを脱ぎ──見慣れた顔が現れた。

 

「お前ら、こんなところで一体どうしたんだ? しかも……そんな風に、着飾って──」

「どうしたもなにもないでしょ? 今日は元日よ?」

「そうだよ。それにトレーナー、新年になって初めてボクらと会ったんだから、言う言葉も違うでしょ?」

「あ、ああ。スマン……」

 

 三人は改めて顔を合わせ、一斉に頭を下げ──

 

「「「あけましておめでとう。今年もよろしく」」」

 

 

 ──新年の挨拶をした。

 

 

 ……のまでは、よかったんだけど──

 

「なんか……トレーナー、大丈夫? ふらついてない?」

「ああ、ちょっと遠出してきてな。年が変わる前に出発して、去年の躍進の御礼がてら鹿島神宮と香取神宮に行って、それから大洗磯前(いそさき)神社笠間稲荷佐野厄除大師──」

「ちょ、ちょっと待ってよ。アンタ、いったいいくつ神社仏閣回ってきたの?」

「あ~、途中から巡るのが楽しくなってきて、よく覚えてないな」

 

 半ば呆れつつアタシが訊くと、彼は「アハハ……」と苦笑しながら答えた。

 

「いったい何でそんなに……」

 

 ポツリとつぶやくと、彼は急に視線を逸らし──

 

「ま、今年も良い年でありますように、ってな。せっかくだから色んな神様にお願いしてきただけだ」

 

 少しだけ照れくさそうにしながら彼は答える。

 そして──

 

「──で、お前達。まさか……」

 

「うん、初詣に連れてってよ、トレーナー!!」

 

 疲れた様子のトレーナーだったけど、ミラクルバードは容赦なかった。

 さすがに盛大な苦笑を浮かべたけど……「しょうがねえな」と言って、彼はバイクを仕舞い、荷物を部屋に置いてから戻ってきて──

 

「じゃあ、いくか。なるべく空いているところな」

「うん。明治神宮かな?」

 

「遠いし混んでるわッ!!」

 

 なんて文句を言いながら、近くの神社で初詣を済ませたわ。

 そのときに気が付いたんだけど──彼のポケットの中に、山ほど必勝祈願の御守りが入ってて……

 

 ……ちょっと、嬉しかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──で、正月三が日もあっという間に過ぎ……

 

 そんな中、早くも2日から活動を開始していた我らが《アクルックス》だが、早くも京都に向かった。

 で、3日と4日は京都で最終調整をして、レースに備えるわけだが……その間の宿泊は学園が用意した宿だった。

 

「いや~、役得役得……」

 

 もちろん、学園が用意しただけあって立派な宿で、まして正月と言うことで食事も豪華。

 

(本当に金杯さまさまなわけで……)

 

 わざわざ学園が宿を用意するのには理由があった。

 東西で金杯があっても、やっぱり学園に近い中山レース場での金杯の方が人気が高かった。

 人気薄になれば西の方が同じGⅢと重賞でもとりやすい……という考えも生まれるものの、それはそれで「とりやすい重賞」という悪評を呼んでしまう。

 結果として──東西の金杯を二つある寮に振り分けて、美浦寮は中山、栗東寮は京都としたのは良いが……当然、栗東寮からは不満が出る。

 その不満解消のため、「中山は寮から行けるから」と理由を付け、京都での出走者には豪華なお宿が用意される、ということになったらしい。

 

「さて、明日が本番なわけだが……」

 

 ダイユウサクの調子は良い。今のあいつなら十分に良い勝負ができる──とオレは感じていた。

 新聞の出走表を見ても、不安になるような相手はいない。

 

「なにより、モチベーションが今は最高だからな」

 

 年末にあった有記念から2週間弱。

 あの感動的なレースを見て、ダイユウサクのやる気は最高潮になっていた。

 

 ──ただ、それは危険なのだ、とオレは思っていた。

 

 やる気は大変に結構だが、それも過ぎれば気持ちだけが先行し、自分の普段の走りとはかけ離れたものになってしまう。

 道中掛かったり、レースへの集中が無ければ、いかに得意にしていようともスタートを失敗する危険もある。

 

「惑わされずに自分の走り方を守れるか、がレースの鍵かもな。自分を取り戻す、わかりやすい目標でもあれば……別なんだがな」

 

 例えば、ライバル。

 それを意識すれば、自分を取り戻すことになるだろう。しかし──

 

「アイツのライバル、なんていないしなぁ」

 

 もちろん悪い意味で、だ。遅れに遅れたデビューの上、どん底スタートだったアイツに共に競ってきたような相手はいない。

 いわばダイユウサクは世代の最後尾を走ってきたようなウマ娘だ。

 後がないような彼女よりも後になる、ということは、もう……

 

「ただ……今回だけでなく、これからのレースでも何か目標や指針になるようなものが必要だな」

 

 ライバルと競い合い切磋琢磨することで、その実力を伸ばすことができるだろう。

 例えば──従姉妹でルームメイトのコスモドリームが走っていれば、そういう関係になったかもしれない。

 だが、彼女が戻ってくるような話は、担当のトレーナーである巽見からもまだ聞かない。

 

シヨノロマン……も、厳しいか。彼女は優しすぎるからな。ライバルならもっと真っ向からぶつかって競い合えるような相手が望ましい」

 

 そういう意味では、頭に思い浮かんだのはサンキョウセッツだ。

 オレが担当になる前から、ダイユウサクとサンキョウセッツはいろいろぶつかっていたそうだし、かといってお互いに仇敵のように憎み合っているわけでもない。

 だが──

 

「サンキョウセッツの場合、実力がなぁ……」

 

 クラシック時代はオークスに出走したほどに期待されたサンキョウセッツだったが、今ではオープンクラスになったダイユウサクの方が明らかに格上。

 条件戦で苦戦している彼女と、今のダイユウサクではライバル視するのも難しい。

 

「まぁ、サンキョウセッツはライバル視してくるだろうけどな……」

 

 一度、ダイユウサク抜きで会い、お世話になったことがあったので彼女の性格もある程度知った。

 決して悪い娘ではない。ただ、ダイユウサクへの対抗心が強く、それが偉大なる“あの方”への尊敬によるものによるものだということも分かった。

 だから、絶対に譲れない相手なのだろう。

 

「たとえ、敵わなくとも……か」

 

 それで、ふと思う。

 強大な相手に対する挑戦心であっても、目標ができることには変わらない。

 

「強大な相手、ねぇ……」

 

 しかしそれもまた問題だ。

 オグリキャップならそういう存在になれたかもしれない。仲が良かったというのは懸念事項ではあるが。

 だが、オグリキャップは一線から退いた。

 さらに言えば──上の世代はもちろん、オグリ同様に同級生も次々と一線から離れ始めているような状況なのだ。

 ここにきて、ダイユウサクの晩成型というのがネックになってしまっている。

 そもそも必然的に、これから競う相手は下の世代ということが多くもなってくるわけだ。

 

「アイツの性格からして、年下をライバル視するのを、はたしてできるかどうか……」

 

 そもそも、あまり他人に興味を持たない傾向にあるからなぁ。

 明日を含め、これから先をどう戦っていくかを考えていると──部屋に置かれたフロント直通の電話が鳴った。

 

「んん?」

 

 フロントからかかってくるような用事は無いと思ったが、いったい何事だろうか。

 オレが電話に出ると──

 

「あの、乾井さま宛に、来客なのですが……」

「オレ?」

「はい。至急呼び出して欲しい、と……申し訳ありませんが、フロントまで来ていただけませんでしょうか?」

 

 宿泊先の従業員にそう言われてしまっては、行かないわけにはいかない。

 戸惑いながらフロントに行くと、そこには申し訳なさそうな従業員と、その横には──

 

「……来ちゃった」

「お前なぁ……今日は実家に泊まるってことになってただろ」

 

 ──車椅子のウマ娘がいた。

 確かにチーム関係者だが、関西出身のミラクルバードは正月ということもあって実家に泊まらせるつもりだった。

 もちろん、そう言い聞かせたんだが──

 

「でも、一人で京都レース場に入ってチーム関係者のところに行くのは大変だし。かといって明日の朝にここまで来るのは大変だったし、ね」

「今、ここに来られた方がよほど大変なんだが?」

 

 いかん、頭痛がしてきた。思わずこめかみを押さえる。

 

「それに、ダイユウ先輩とトレーナーばっかりこんないいところに泊まってズルいよ」

「それが本音か!!」

 

 盛大にため息を付いた。

 かといって、もうすでに日は暮れている。この時間からこいつを神戸に帰すわけにもいかない

 オレは、フロントの人に──

 

「もう一人、ここに呼んでもらっていいですか?」

 

 と言い、ダイユウサクにこの厄介者を押し付ける以外に選択肢はなかった。

 たとえ──「なんでアタシが……」「明日にレース本番控えたアタシに押し付けるな!」「……まったく、帰すわけにも、誰かさんと同じ部屋にもできないし、面倒見るわよ」とダイユウサクに文句を言われる羽目になろうとも。

 

 ──もちろん、一名あとから追加になった宿泊者のホテル代は……当然、自腹だった。

 宿泊先が一流ホテルで、しかも正月料金だったので、目が飛び出るような出費だった。

 




◆解説◆

【必勝祈願!!】
・今回のタイトルは元ネタ無し。

誰?
・今までたびたび登場しているこのウマ娘。
・そろそろ第一章も終わりが見えてきたので、名前は明らかにできると思うのですが……
・たぶん、次の次の登場くらいには。
・──え? それってだいぶ先じゃないですか?
・A.いや……予定では次々走の後くらいにあるイベント後、かな?

会計を任せたい
・中央トレセン学園の生徒会って、会長と副会長くらいしか役職がない……と思ったので。
・勘違いだったらすみません。

大洗磯前(いそさき)神社
笠間稲荷
佐野厄除大師
・いずれも北関東にある神社仏閣。
・大洗磯前(いそさき)神社は、『ガールズ&パンツァー』の舞台で有名な茨城県大洗町にある神社。
・劇場版ではあんこうチームを追いかけるプラウダ高校の、カチューシャと共に境内に上がったノンナが戦車の上からながら手を合わせていました。
・笠間稲荷は茨城県笠間市にある笠間稲荷神社のこと。
・日本三大稲荷の一つで651年に建立。1360余年もの歴史を誇る神社です。
・佐野厄除大師とは栃木県佐野市にある惣宗寺(そうしゅうじ)のこと。
・正月になるとCMも流れてますね。「関東の三大師」……と呼ばれているそうですが、他は、青柳大師と川越大師……足利厄除大師、寺岡山元三大師、厄除元三大師(深大寺)。……アレ? 三大師?
・なお「関東の厄除け三大師」になると、西新井大師、川崎大師、観福寺大師堂、道合大師、小塚大師になって厄除大師なのに外れるという。……アレ? 三大師?
・トレーナーは、この三か所の前に香取神宮、鹿島神宮にいってきたとのことですので、ルート的には首都高から東関東自動車道→香取市→鹿嶋市と向かい、そこから国道51号で北上。大洗からは北関東自動車道で笠間→佐野と向かい、そこで冷静になって帰ってきたようです。
・ちなみにルートだけでも戻ってくるのに6時間半かかるルートでした。

シヨノロマン
・ちなみに、ちょくちょく出てきているシヨノロマンですが、元ネタの競走馬は1989年のマイルチャンピオンシップで引退しています。
・ですので、本作ではもう走るシーンはありませんので、ライバルにはなりえないんですよね。
・そもそもライバルになると──別のウマ娘(ヤエノムテキ)が潰しに来かねないのでご注意を。

サンキョウセッツ
・一方、サンキョウセッツは──元ネタの競走馬はこの時期、元気に走ってます。
・1990年の12月9日に中山で開催された900万下の条件戦では2着になっています。
・その後、休養に入りますが、3月からまた走り始め、この年の7月まで走り続けます。


※次回の更新は10月14日の予定です。  



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第55R 大躍進! その手に金の杯を!

 
 ──1月の京都は、当然に寒い。

 めったに雪が降らず、降れば交通機関を麻痺させてニュースになる東京と違い、京都の方が降ることは多い。
 しかしそこはそれ、北陸や東北のような本格的な雪国とは違い、レースが行われる午後にもなればその気温は上がってはいた。
 もちろん、それでも十分に寒い。

 ──半袖短パンで外を走るには。


◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 そんなレース場の寒さを、懐かしく思っているウマ娘がいた。
 冷たい風が、自身の短めの髪──葦毛に染まったそれを撫でていくのを感じて、気持ちよさげに目を細める。

「ちょうど一年前、か……」

 まさに前年の1月5日。彼女はデビューした。
 クラシック世代に突入したその年の、最初のメイクデビュー戦で、彼女は見事に勝利する。
 同期の一流ウマ娘ほどに順調とはいかなくとも、それでも地道に勝利を重ねた。
 そして秋。
 神戸新聞杯2着の実績を引っ提げて、彼女は秋のクラシックレースに挑んだ。

 菊花賞。
 結果は──7着。

「同じ葦毛の彼女に、負けた……」

 レースを制したのは、名家・メジロ家に所属する御嬢様だった。
 なにしろ「葦毛は走らない」「大成しない」とさんざん言われて育った世代。負けたとはいえ、クラシックレースの一角を同じ葦毛の彼女に負けたのは──悔しくないといえば嘘になるが──他のウマ娘に負けるよりは、遥かにマシだった。
 そして前走は、12月9日に行われたGⅢレース、愛知杯。
 それを制した彼女だったが……年末に衝撃を受けた。

「オグリキャップ先輩……」

 その一つ上のタマモクロスと共に“通説”を覆し、彼女や彼女と同じ髪の色をしたウマ娘達にとって希望となった存在。
 もちろん去年の秋の天皇賞や、続くジャパンカップで負けたときには落胆したが──ラストランで前評判を覆し、意地を見せて感動のラストを迎えた姿を見て、改めて思う。

「この髪は呪いなんかじゃない。誇りよ」

 真剣に競争ウマ娘を目指していたからこそ、忌まわしいと思って短くしていた。
 今ではこの髪型が普通になってしまったので極端に伸ばそうとも思わないが。

「葦毛伝説を、私が受け継いでいく」

 京都での金杯で勝ちをさらに重ねて、重賞6連勝したもう一人の葦毛のレジェンド、タマモクロスのように。

「この私、ホワイトアローが……」

 自ら“白羽の矢”となり的を射抜かんと、決意する。
 そうして、彼女は一番人気のウマ娘をジッと睨みつけていた。

 ──栗毛のウマ娘になんて負けていられない、と。



 

 いよいよ、京都レース場では金杯の出走時間が近づいてきていた。

 当日の天候は晴れ。

 とはいえ、当然に気温は低く、寒い。

 もちろん、オレはこの季節に合わせて厚着をしてきたし、車椅子に座っているミラクルバードもまた、厚着仕様になっていた。

 そうして、バッチリ厚着をしたオレたちは──ターフで準備運動をしているウマ娘達を見ている。

 

「さすがに……寒そうだよね」

「そりゃあ、なぁ……」

 

 未だにジャージは羽織ったままで、下もジャージズボンは履いたままである。

 とはいえ──競争の直前にはいつも通りの半袖姿になるだろうし、長ズボンのまま走ることもないだろう。

 

「見てる側は寒そうなんだが……実際、走る側ってどうなんだ?」

「寒いとか、そういうのは超越しちゃってるかな。でもマラソンとか駅伝だって、みんな短パンで走るでしょ? 長距離だと、寒すぎて上は長袖着る人も多いけど」

「それもそうか」

 

 そう考えると納得できなくもないか。

 

「実際、ウマ娘だから寒くないなんてことはないよ。みんな冬の私服は厚着するし、ボクだって実際、今は寒い……」

 

 振り返り、見上げるように苦笑するミラクルバード。

 

「ま、いざ本番前になったら、走る側は関係なくなるよ。少なくともボクはそうだった」

 

 ミラクルバードがそう言うと、各ウマ娘はおもむろに羽織っていたジャージを脱ぎ──出走に向けて準備を始めた。

 

「ダイユウサクっ!!」

 

 オレは頃合いだと思って、ゲートに向かう前の彼女に向かって声をかけた。

 それが届いたようで、彼女は小難しそうな顔をして、こちらへとやってくる。

 

「なによ?」

「いや、最後に言い忘れていたことを思い出してな」

「……なに?」

 

 少しぶっきらぼうに問い返してくるダイユウサク。視線を逸らしているが──耳はキッチリこちらを向いている。

 

「……お前はオグリキャップじゃないからな」

 

 そうオレが言うと──ダイユウサクはきょとんとした目でオレを見て、そして……

 

「はあ? そんなの当たり前じゃないの。なんで今更そんなこと──」

「まぁ、聞け。今回のレース、年末の有記念を意識していないウマ娘なんて誰もいない。誰もが──自分もオグリキャップみたいに、と思ってる。実際……お前もそうだっただろ?」

 

 オレがジト目を向けると、ダイユウサクはわかりやすいくらいにギクッとなった上に、「うっ」とうめいた。

 

「別にそれをここで咎めるつもりはない。今回の金杯に出てるウマ娘……なんならここだけじゃなくて中山の金杯も含めたほとんどが、()()を意識してるだろうからな」

 

 それだけインパクトがあった出来事だった。

 しかも、その年末の中山で起きた奇跡は、繰り返し報道された。朝や昼の情報番組でも、何度も何度も流れた。

 だからこそ、「自分は主役」と思うウマ娘達に、あの最高の盛り上がりを見せたレースの主役と自分を重ねるのも無理はない。

 実際、他のウマ娘達に視線を向けると──心なしか、いつもより目がギラついているようにさえ見える。

 

「気持ちは分かるが、オグリキャップと同じく“勝ちたい”という気持ちだけに押さえろ」

「……どういうこと?」

「あのレースを自分に投影するような走り方はするな、ということだ。あの高揚感にやられ、地に足が着かないような状態で、気持ちだけが先走れば──それが一人だけでなく他に派生すれば、明らかなオーバーペースでレースが展開する可能性だってある」

「…………」

 

 ダイユウサクは無言でうなずく。どうやら腑に落ちたようだ。

 

「それだけじゃない。あのラストのオグリの末脚に魅せられたヤツが、『ああいう勝ち方がしたい』と自分に投影した展開をするかもしれない」

「慣れないのが“差し”や“追込み”をやろうとするかもってこと?」

「ああ。だが、それについては問題ない。あるとすれば、そうするヤツが多く出て、全体のペースがおかしくなった場合だ」

「それって……全体的に遅くなる、とか?」

「ああ。そうなったら、それこそこの前の有の再現だ。2000のレースが実質的には短距離レースってことになりかねない。それに……」

 

 オレは、あるウマ娘をチラッと見る。

 秋の天皇賞でも見かけた、あのウマ娘だ。

 

「本来は先行するのが妙に抑えて走れば、後続も速度を抑えて“大逃げ”を許す可能性も出てくるからな」

「……それは注意するけど、具体的にどうしろってこと?」

「周囲や場の空気に惑わされるな。そして道中は、臨機応変に対応できるところに位置するんだ。速いにしろ遅いにしろ、極端なペースに巻き込まれることがないように、な」

「ええ、わかったわ」

 

 オレの指示にダイユウサクは力強く頷き──そしてターフへと戻っていく。

 すぐに係員から指示があり、出走するウマ娘達はゲートのある方へと向かっていく。

 

 京都の金杯が、いよいよ始まろうとしていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──ゲートが開き、レースは始まった。

 

 出遅れることなくいつも通りにスタートできたアタシだったけど……トレーナーの指示通り、先頭集団の中程で臨機応変に立ち回れる位置へとつく。

 そして先頭はといえば──

 

「フハハハハハハ!! ニュートリノとはッ!! 光よりも速くて! 最速の存在なのだああぁぁぁッ!!」

 

 ……ええ、もう会わないと思ってたら、いきなり顔を合わせたわよ。

 秋の天皇賞でも先頭(ハナ)を切って逃げたウマ娘、ロングニュートリノ

 あのときは勝負服で、各ウマ娘の服装がバラバラで分かりやすかったけど──彼女だけは今回も分かりやすいわ。

 そして、彼女に限って言えば、さっきトレーナーが話していたような「有記念のオグリキャップに影響されて、足を溜めておく」という展開とは無縁のようだった。

 

(前回も2000のレースで、彼女は最後まで保たなかった。アタシの方が着順は上だったんだから……)

 

 アタシにはついていけないほどのハイペースで逃げきられるような、速度とスタミナは彼女には無いはず。

 怖いのは、後続がスローペースになって離されすぎること。

 いざというときは、自分で追いかけるという決意をしながら、アタシは4番手付近に──

 

「──ッ!?」

 

 視界の片隅に入った葦毛の髪に、アタシは思わず驚いた。

 併走するように、一人のウマ娘がアタシの横を走っている。

 彼女の髪は白と黒が入り交じった──葦毛。

 

あの逃げウマ娘(ロングニュートリノ)とアンタのせいで、イヤなことを思い出したじゃないの!!)

 

 思わず併走するウマ娘をキッと睨んだ。

 もちろん思い出したのは去年の秋の天皇賞。

 前にはロングニュートリノ、そしてアタシの近くには──葦毛の“怪物”がいた。

 その状況が、今のそれにオーバーラップする。

 アタシが彼女を見ていると、チラッとこちらを見て──目があった。

 

「ッ! このウマ娘……」

 

 横にピタリとつけた彼女の狙いは、明らかにアタシだった。

 このレースの一番人気になっているアタシを明らかにマークしている。

 ゼッケンは1番。えっと……名前が思い出せない。

 

「いったい、なんなのよ。まったく……」

 

 何の因果かアタシに目を付けた彼女だったが──アンタの失敗は、アタシにあのレースを思い出させたことよ!

 あのときの悔しさを思い出したアタシにとって、この状況で葦毛のウマ娘に負けるのだけは、絶対にカンベンならないんだから!!

 

(でも、感情にまかせて走りはしない……ッ)

 

 アタシはどうにかグッとこらえる。

 そう、これは競走(レース)よ。

 一時的に前を走ったものが勝ちじゃあない。先にゴール板の前を駆け抜けた方が勝ちなんだから。

 先に行きたい気持ちを抑え込み、アタシは道中を4番手付近をで、隣の葦毛のウマ娘と共に走り続けた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 案の定、逃げの一手を打ってきた11番のロングニュートリノ。

 その後に6番のゼッケンをつけたウマ娘が続く。

 そうして“逃げ”がペースをつくる中、私は一番人気のウマ娘を完全にマークした。

 

(16番……ダイユウサク)

 

 秋の天皇賞こそオグリキャップ先輩のすぐ後の7着だったけど、その後を連勝している。

 何の因果か、前走からの間隔も私と1日違いとほぼ同じ。

 

「今、波に乗っているこの人から……勝つ!」

 

 併走した栗毛の彼女をチラッと見て──目が合った。

 パドックや出走前に見せていた、他のウマ娘に関心がないような淡々とした姿とは対照的に、今の彼女は闘志を燃やし敵を見る目で私を見ていた。

 その気迫に──ゾクッとする。

 

(このウマ娘(ひと)……強い!!)

 

 出走し、競う相手である他のウマ娘達のことはもちろんある程度調べた。

 一番人気でマークしていたからこそ、この人のことはもう少し調べてもいる。

 それで分かったのは──デビュー2戦でとんでもないタイムオーバーで殿(しんがり)負けしたようなウマ娘だったってこと。

 しかもデビュー時期もかなり遅い。

 私同様にクラシックの年だったのに……クラシックレースのエリザベス女王杯よりもさらに後で、菊花賞のかろうじて前といった有様。

 初勝利にいたっては、翌年の4月。そこまで5戦もかかってるし。

 

(調べれば調べるほど、大したことないってデータしか出てこない……)

 

 だから正直、なんで一番人気なんだろって思ったくらいだったけど──実際に一緒に走ったからこそ理解できた。

 連戦連勝で進むトップスターとはかけ離れた、ド底辺を経験してそこから這い上がってきたからこその彼女の“強さ”を。

 

(光り輝くわけじゃない。でも底知れない……辛抱強さ、打たれ強さ、そういった泥臭くさえ感じる──そう、“雑草魂”ともいうべき強さ)

 

 私が憧れたオグリキャップ先輩の全盛期のような圧倒的な強さとはまったく異質な感じだけど、たしかに感じる“強さ”が、そこにあった。

 実際、今も冷静なまでに全体のレースを把握しているように見える。

 

(逃げているメンバーや、それに続く先行の先頭のすぐ後ろ──逃げ切りを警戒して即応できる位置にいながら、足を溜めて後方からの追い上げにも対応できる絶好の位置……)

 

 正直、有記念を見て入れ込み、舞い上がっていた私を冷静にさせるようなその走りは、とても参考になった。

 

(その恩返しに……このレース、勝たせてもらいます!!)

 

 2年前の、タマモクロス先輩(“白い稲妻”)のように──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 レースも終盤にさしかかっていた。

 

 いよいよ第4コーナーを回って最後の直線。

 オレとミラクルバードが見守る中、ダイユウサクは道中よりも少しだけ順位を下げていた。

 その隣には──

 

「誰、あの()? ダイユウ先輩とまるで併走するみたいに……」

「1番……ホワイトアローか」

 

 事前に頭に入れていたデータでは、去年の12月始めのGⅢ、愛知杯で勝っていたウマ娘だ。

 ダイユウサクよりも二つ下の世代で──有記念2着だったメジロライアンと同い歳。最近、躍進めざましい世代である。

 彼女が、ダイユウサクを意識しているのは明らかだった。

 

「いくら一番人気だからって、あそこまでマークされるのは珍しくない?」

「ああ。だが……今回はそれがいい方に転がっているように、オレには見えるけどな」

 

 最後の直線。

 その前に先頭を切っていたロングニュートリノは、すでに先頭を譲っている。

 逃げていたウマ娘に代わって、“先行”のウマ娘たちが先頭を競う。

 その中で葦毛と栗毛の髪、二人のウマ娘が抜けだして──グングンと伸びて後続を引き離してく。

 

「ダイユウ先輩、いけー!!」

 

 オレの隣で、車椅子に腰掛けたミラクルバードが拳を突き上げて、声援を贈っていた。

 そう、先頭を並んで走るのはダイユウサクとホワイトアローの二人。

 そこへ後方から追い上げてくるウマ娘も迫るが……おそらく届かない。

 ダイユウサクとホワイトアローは、時々視線をぶつけ合いながら、互いに譲らず走っている。

 そして……ゴール板まであと少しというところで──スッと、一人が前に出た。

 

『ダイユウサク先頭だ! ここで前に出たダイユウサク、そのままゴール!! 重賞初制覇~!!』

 

 先頭でゴールを駆け抜けたダイユウサク。

 その姿にオレは去年の彼女以上の強さを、感じずにはいられなかった。

 そして──

 

「やったッ!!」

 

 ──隣で大きな声が響く。

 ミラクルバードが爛漫に笑みを浮かべ、両手を天に突き上げて万歳をしていた。

 

「ほら、トレーナー!! ダイユウ先輩、重賞初制覇だよ!! スゴいよね!!」

「ああ。やっと……」

 

 はしゃいでオレに話しかけてくるミラクルバードにオレはそう答えるので精一杯だった。

 重賞レースを制することは、数多いる競走ウマ娘の中で“現実的な夢”として挙げられるものの一つだ。

 一年の中央(トゥインクルシリーズ)でも数えるほどしかないGⅠレースを制覇する栄誉は当然、人数は限られており、その中でも強いウマ娘が複数の栄冠を持っていくことはザラである。

 そんな世代トップクラスの高い実力と運が要求されるGⅠは別として、各地で行われるGⅡやGⅢの数は多く、それゆえに勝者の枠数も多いのでまだ手が届きやすい。

 だからといって容易に手にできるようなものでもなく、毎年、各世代で数多くのウマ娘が夢破れて競走(レース)から去る中では、“夢”ではなく“現実”として目標にされる。

 

(ダイユウサクも、ついに……手が届いたか)

 

 グレードがついた重賞に出走したのは5度目。

 最初の挑戦だった高松宮杯や、GⅠ初挑戦だった秋の天皇賞は、正直、勝てるとは思っていなかった。格上挑戦だった高松宮杯はコスモドリームとの対戦を希望したダイユウサクの気持ち優先してのことだったし、天皇賞はオープン昇格祝いのようなもの。

 CBC賞、セントウル記念はオープン昇格を目指している最中で、「勝てれば幸い」という気持ちだった。

 しかし今回の金杯は、オープンクラスに昇格し、初めて意識して“()りにいった”重賞で、それを見事に達成できたのは──ダイユウサクが強くなったという、何よりの証拠のようにオレには思えた。

 

 

 チームができて早3年。

 我が《アクルックス》が初めて手にした栄光だった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──某所。

 

 かつてトレセン学園に通っていた彼女は、正月早々に行われたそのレースの中継を、たまたま見ていた

 勝ったのは長い髪をした栗毛のウマ娘。

 流れた表彰式の映像の中で、手渡されるトロフィーを受け取り、笑顔を見せる彼女。

 その姿に──栄光を掴むことができなかった彼女の胸がチクリと痛んだ。

 湧き出そうになる“嫉妬”という感情を押し込めるため、テレビを消そうとリモコンへと伸ばした手が──止まる。

 

「──ッ!」

 

 彼女の目は、栄冠を掴んだウマ娘……の横で優しく笑みを浮かべて見つめている男に釘付けになっていた。

 画面の片隅ではあったが、ハッキリと映ったその姿に──彼女(くら)い笑みを浮かべた。

 

「へぇ……今は、その彼女の指導をしてるんだぁ」

 

 冷たく濁った目となった彼女は、冷たく笑い──

 

「……私には、何も与えてくれなかったのに」

 

 ──その目には、もはや勝ったウマ娘のトレーナーしか映っていなかった。

 




◆解説◆

【その手に金の杯を!】
・今回のタイトルも元ネタ無し。

ホワイトアロー
・かつて北海道を走り、千歳空港─札幌─旭川を結んでいたJR北海道の特急……ではない。
・本作オリジナルウマ娘。しっかり台詞があるキャラ。髪は短く葦毛色。
・ウマ娘だとだいたい葦毛は髪が長い場合(例:タマモ、オグリ、マックイーン、ハヤヒデ、ゴルシ。ひょっとしたらハッピーミークも?)が多いので、あえてセオリーから外しました。
・少し前の世代まで「葦毛は走らない」とされていたので、それを忌み嫌って髪の毛を短くしている、という設定に。
・元ネタの競走馬はマックイーン、ライアンと同世代で同名の葦毛の牡馬、ホワイトアロー。
・1987年5月13日生まれ。栗東所属の関西馬。
・物語であったように、金杯の一年前の90年1月5日にデビューしてそのまま初勝利。
・その後、勝利を重ねて菊花賞に出走するも7位と振るわず。
・90年12月にGⅢの愛知杯を勝利し、その勢いのままに91年の金杯(西)に出走。
・なお、その後は91年の秋の天皇賞にも出走。結果は7番目に入線したのに6位……あれれ~、おかしいぞ~?
・ちなみに7位はホワイストーンとホワイトが連続。この二頭、ダイユウサクとも絡むのでうっかり間違えそうになって怖いです。
・その後は前年と同じように、12月の愛知杯→翌年の1月の金杯(西)と同じローテで走り、愛知杯は2位で金杯は1位と逆の結果に。
・その後は93年7月の高松宮杯まで走り続けました。

ロングニュートリノ
・ホワイトアローだけかと思った? 残念、ニュートリノも出てました。
・まさかの再登場のロングニュートリノ。
・そんなロングニュートリノの詳細は第44話の解説にて。
・やっぱり今回も逃げるのですけどね……

事前に頭に入れていたデータ
・このレースでホワイトアローの人気は4番人気。
・そうだったので、トレーナーの頭にも注意するべき相手としてデータを入れていました。
・ダイユウサクが1番人気だったわけですが、じゃあ二番手は……?
・元ネタである現実のレースでの2番人気はメジロマーシャス。
・実はこの馬……レース開始直後に、騎手が落馬して競争中止になってるんですよね。
・以前、コスモドリームのチューリップ賞の落馬を、「靴が脱げた」としたんですが、今回はいい言い訳が思いつかなかったので、本文中では完全にスルーしています。
・本来ならウマ娘的には「メジロ一族の刺客」として登場させたかったんですが……この「落馬」の処理がウマ娘で一番困るんですよね。

重賞初制覇
・90年金杯(西)でようやく重賞を初制覇したダイユウサク。
・7歳(当時表記)での重賞初勝利はかなり遅い方と言えるでしょう。だって、同期の有力馬は引退しているくらいですからね。オグリキャプとか。
・ちなみに、元になったレースでこのとき二番目にゴール板を駆け抜けたのはホワイトアロー……ではなく、メジロマーシャス。
・前述のとおり、すでに落馬で競争中止扱いになっていたのですが──その状態で全力疾走していました。
・なお騎手が落馬して軽くなったは重さ的には有利になるわけですが、このときのダイユウサクはメジロマーシャスよりも前にゴール板を駆け抜けました。

彼女
・いったい何者なんでしょうか、このウマ娘……
・なにやら乾井トレーナーと過去に何かあったようですが。


※次回の更新は10月17日の予定です。  



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第56R 大災難… 不屈なる魂

 
 東西の金杯は、年明け早々に行われる競走界の新春の風物詩。
 その二つのレースと並んで、新春の風物詩と言われるものがある。


 ──それが日経新春杯

 
 このレースが開催されるのは、金杯とは異なり1月の半ば以降。
 それは有記念から一ヶ月近く空いた時期で、出走したウマ娘たちや出走せずとも正月休みをゆっくり休んだ彼女たちが始動し始める時期でもあった。
 そしてその舞台になるのは──西の金杯が開催された京都レース場であった。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 そんな冷たい一月の京都の風に、自分の茶色い──鹿毛の髪がなびく。
 その風を心地よくさえ感じ、私は目を細めた。

「……帰ってきた」

 思わず言葉が口をついて出る。
 前走から2か月半が経っていた。それは去年の11月の頭のことだから。
 去年は私にとってクラシックの年。その年明けにデビューし、次のレースで初勝利。

「思えばほぼ1年前、か」

 そこから3連勝した私はウマ娘達の憧れであるクラシックレース、東京優駿(日本ダービー)へと進むことができた。
 そんな私に付けられたあだ名は“栗東寮の秘密兵器”。
 
 でも──秘密兵器は通用しなかった。

 着順は11位。道中も中段より後ろを走り、そのままいいところなく終わった。

(アイネスフウジン……)

 ダービーを制したウマ娘の名前が頭に浮かぶ。
 やっぱり“栗東寮の秘密兵器”って呼ばれたから、美浦寮所属の彼女に敗れた悔しさは当然あった。
 それで失意に沈んだけど……秘密兵器と呼んでくれた人たちの期待に応えなくちゃいけない。
 その後、京都新聞杯を経て、私はクラシックレースのラスト、菊花賞へと挑んだ。

「そこでは4位だったけど。でも……」

 今度は同じ栗東寮のホープの実力を見せつけられた。
 長い葦毛をなびかせた彼女の影さえ踏めず──4位の私でさえも、そんな有様だった。

(本当の秘密兵器なら……あれくらい強くならないと)

 目標ができた私は、クラシックを終えて──翌年に備えて休養に入った。
 もちろん、有記念を見て「早く走りたい。戻りたい」と思って──この日を迎えていた。



 

 髪をなびかせ、走るウマ娘達。

 その中に、長い水色がかった明るい髪のウマ娘がいた。

 名門・メジロ家に所属し、先月の有記念をも走り、同級世代のラストランをもっとも間近で見たメンバーの一人……メジロアルダン。

 

(あれから約一ヶ月……)

 

 目の前で“感動的なラストラン”をオグリキャップさんにやられてしまい、気持ちは複雑でした。

 負けたのだから口惜しいという気持ちはもちろんありました。

 しかし、大勢の方が心動かされたあのレースにケチをつけるのは無粋というものでしょう。

 ただ一つ、心残りがあるとすれば──

 

(私は完全に……蚊帳の外、でした)

 

 着順は10着。掲示板にさえとうてい届かないような順位。

 同じメジロ家の──メジロライアンは最後までオグリキャップと競ったというのに。

 

(メジロ家といえば、御婆様はだいぶ“おかんむり”のようでしたね……)

 

 あのレースの記録は、決していいものではありませんでした。

 ライアンにしても私にしても、いつも通りの自分のペースでの競走に持ち込めていたら、決して負けなかったはずなのですから。

 それゆえ、レース後には早々に屋敷に呼び出され──その時のことを思い出し、思わず心の中で苦笑してしまいました。

 

(それも、無理はありませんね。わざわざ好調のマックイーンを下げ、ライアンに取らせる態勢まで整えた有記念だったのに……それを“終わった”ウマ娘に取られてしまったのですから)

 

 しかし、「ライアンに取らせる」ということは私も期待されていなかった、という意味でもあり、もちろん面白くはありません。

 だからこそ、他の方ではなく、私と同い年のオグリキャップさんが取ってくださったのは、心のどこかで痛快に感じている部分もあります。

 なぜなら──

 

(オグリさんをはじめ……だいぶ寂しくなってきてしまいました。私たちの世代も)

 

 ストライカさんやチヨノオーさん、クリークさん……噂によればヤエノムテキさんまでも、一線から退くという話が聞こえてきています。

 私たちもそのような年代になった、ということではありますが、その一方で──

 

(この歳になって、やっと重賞初制覇、なんて方もいましたし)

 

 それを思い出し、レース中ながら思わず「ふふっ」と笑みがこぼれてしまいました。

 二週間ほど前に、今の私が立っているこの場所で行われた金杯。

 その賜杯を持って行ったのは──私の同級生でした。

 

「まさか、あなたに勇気づけられる日が来るとは思いませんでした」

 

 同級生の活躍に励まされるのは常ではありますが、一線から退くという報が相次いでいるからこそ、その吉報は私の心にも強く響きました。

 なにより、かつて彼女は私と同じように体が弱かった。

 今や彼女は、競走ウマ娘として完全に体が完成して、私なんか比べものにならないほど丈夫な体質になりましたけど。

 一昨年は15戦、昨年も約半年で7戦も走っています。

 私はそんな彼女を()()()()と思いました。

 今も私を前へと誘うこの足が、彼女のような連戦にも耐えられるほどに丈夫なものだったら……と思わざるを得ません。

 

(世代最弱と言われていた彼女が活躍しているのであれば……私も弱気になっている場合ではありませんね)

 

 正直、有記念での結果には、私も気落ちしていました。

 そんな中、今年最初の重賞で彼女が勝った──しかも重賞初制覇という姿には、私だけでなく現役の同級生の多くが勇気づけられたでしょう。

 

(前回の負傷から復帰して……私はまだ一勝もしていません。今度こそ──取らせていただきます)

 

 思い浮かべるのは昨年の秋の天皇賞。

 あと一歩というところでヤエノムテキさんに追いつけず、惜しくも盾を逃したのでした。

 レースの格としては劣るかもしれませんが、有記念に出走していたウマ娘達も出てくるこのレースを制すること。

 春の盾への足がかりにしていこうと、私はこのレースを制するためにスパートしようと足に力を込め──

 

「────ッ!!」

 

 ──思わず顔をしかめていました。

 私を襲ったのは、足の痛み。

 そのせいで私は強く踏み込むことができず……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

『メジロアルダンは──伸びない!!』

 

 テレビの向こうで、日経新春杯は最終局面を迎えていた。

 中段から上がってきたアルダンさんだったけど──先頭(ハナ)をきって逃げていたウマ娘に、届かない。

 そしてその前には──彼女を抜いたウマ娘がさらに二人。

 つまり、アルダンさんは現在4位なわけで……

 

「ライアン……なにか、様子がおかしくありませんか?」

 

 一緒に見ていたマックイーンが訝しがって眉を顰める。 

 

「おかしいって……誰か斜行でもした?」

「いえ、そういうわけではなく、走る様子が、その……」

 

 言い辛そうにするマックイーン。

 彼女も確信しているわけではないものの、アルダンさんの走る様子がどうにもおかしいと思っているみたいだ。

 マックイーンにそう見えたってことは、あの人の“ガラスの脚”を考えると……

 

「まさか、また!?」

「わかりません。でもわたくしには、あの方がまだ加速できるところでしなかったように見えたものですから」

 

 あたしの問いに、マックイーンは不安そうに考え込むと、チラッとテレビに視線を向ける。

 その視線の先で──レースに決着は付いていた。

 

 アルダンさんは…………4着。

 この日経新春杯(レース)を制したのは、あたしやマックイーンと同い歳のウマ娘、メルシーアトラだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……アルダン?」

 

 西の金杯を制したアタシ──ダイユウサクの陣営の次の目標は……少し期間が空いていた。

 それというのもトレーナーが……

 

『年末年始はあってなかったようなもんだからな。秋も初めの頃は連戦だったし、少しゆっくり休め』

 

 と、言って2月と3月の半ばまでレースの出走を飛ばしたこと。

 おかげでそれに合わせての調整になって……1月はほぼ完全に休みになっていたってわけ。

 …………アイツったら「これを機会に、学業の挽回もするように」なんて言ってたけど。……よけいなお世話よ。

 で、そんなアタシが食堂──ここにやってくるメンバーもずいぶんと減ってしまったけど──で食事をとろうとしたら出くわしたのが、明るい水色の髪のウマ娘、メジロアルダンだった。

 彼女も同じことを考えたのか、周囲のテーブルが寂しいのを見て苦笑し──アタシの目は、足をかばうように歩く彼女の姿を見ていた。

 

「怪我、再発したの?」

「ええ……また、負傷してしまいました」

 

 決まり悪そうに苦笑するアルダンは、アタシのいるテーブルについた。

 

「幸い、骨折というわけではありませんが」

 

 再発という言葉を気にしてか、アルダンはそう説明した。

 今まで、彼女の足を襲った負傷は2度。

 ダービー出走後に襲われたのは骨折。その復帰に丸一年かかり──アタシも走った高松宮杯を制してる。

 その後の秋の天皇賞後に襲われたのは──足の炎症。

 

「ってことは、今度も炎症?」

「ええ……」

 

 アタシの問いに彼女は答え、そっと手を伸ばして自分の足に触れた。

 確かに、骨折は場所によっては競走ウマ娘として致命傷になるし、骨が着くのに時間ががかる上、着き方が悪いとその後の復帰にも時間がかかることになる。

 それに比べれば炎症はリスクが少ないように感じるけど……アタシは、彼女から炎症箇所を聞いて、思わず驚いた。

 

「そ、それって……」

「ええ。お医者様によっては……“競走ウマ娘の不治の病(ガン)”などと呼ばれる方もいますね」

 

 絶句するアタシに対し、アルダンは驚くほどに穏やかな表情を浮かべている。

 

「でも、最近では治療法の研究も進んでいますから。昔ほど“不治の病”というわけでは無いそうですよ」

「でも、だからって……」

 

 楽観視できるような病状ではない。

 どうしても表情が暗くなってしまうアタシに対し、アルダンは──

 

「……メジロ家の他の方からも、それとなく引退を勧められてもいるんですよ?」

「う……」

 

 アタシとしては引退勧告をしたり、しているつもりはなかったので、言葉に詰まった。

 なんといってもアルダンは数少なくなってしまった現役の同級生なんだから、彼女までいなくなってしまのは……やっぱり寂しい。

 

「でも、私はまだ引退するつもりはありません」

「え? 大丈夫……なの?」

 

 アタシの問いに、彼女はハッキリと頷いた。

 

「また治療とリハビリと考えると、辛くないと言えば……確かに嘘になると思います。でも、私はそれでも、続けたい」

「アルダン……」

 

 アタシが見ている中、アルダンは再度、負傷した足へと手を伸ばす。

 

「私は他の人よりも、怪我のせいで出走数が多くありません。今の私の願いは……勝ちたいというよりも、走りたいんです。勝ち負けに関係なく、真剣な勝負で自分の力を振り絞った“良いレース”を、一戦でも多く……」

 

 自身の“ガラスの脚”を見つめる彼女。

 

「たとえ傷ついても、倒れようとも──私は自分を燃やし尽くすまで走り続けたい。今だからこそ気づけた私の夢を、掴みたいんです」

 

 自分たちの世代の限界が見えてきたからこそ、彼女もそういう心境になってきたんだろう。

 そしてそんな時期に襲われた、今回の負傷は──完全に彼女にとってマイナスじゃなかったのかもしれない。

 

「でも、もちろん、勝利を諦めているわけではありませんよ」

 

 そう言って、彼女は悪戯っぽく笑みを浮かべる。

 そして──アタシを妙に晴れやかな目で見つめた。

 

「遅ればせながら、金杯優勝おめでとうございます。重賞初制覇、ですもんね」

「あ、ありがと……」

「そして貴方のその勝利があったからこそ……私は、現役にこだわろうと思いました」

「へ……?」

 

 彼女の意外な言葉に、アタシは目を丸くした。

 アタシが、アルダンに影響を与えたってこと?

 だって、彼女にアタシは一度も……一昨年の高松宮杯。去年の秋の天皇賞。二度一緒に走って、彼女から歯牙にもかけられずに負けているんだから。

 ありえないわよ、そんなの……

 

「だいぶ前ですけど……私が言ったこと、覚えていますか?」

「アルダンが、アタシに?」

「はい。ダイユウサクさんは、晩成型ではないか、と。そして決して焦ることはない、と」

「ええ。ハッキリと覚えてるわ」

 

 アタシが笑みを浮かべると、彼女は「まぁ……」と嬉しそうに胸の前で手を合わせた。

 

「私の予想、当たりましたでしょう?」

「そうね。おかげで……みんないなくなって寂しくなってきたけど」

 

 それにアルダンは「ふふ……」と寂しげに笑みを浮かべる。

 

「ですから。私も責任を持ってできうる限り、貴方に付き合いますよ。全盛期の貴方と競い合うために」

 

 そう言ってアタシを見た彼女の目は──“全盛期はまだでしょう?”と訊いているように見えた。

 

 

 ──結果的にアルダンが復帰したのは……のことであった。

 




◆解説◆

【不屈なる魂】
・またまた元ネタ無し。
・でも、このタイミングでの負傷に引退せずに現役を続けたアルダンは、まさに不屈の魂の持ち主といえるでしょう。

日経新春杯
・毎年1月の中旬に京都で開催されるGⅡレース。
・1954年に「日本経済新春杯」の名称で創設され、1979年に名称を「日経新春杯」に変更。
・芝コースでの開催なのですが、1984年の第31回の一度だけダートで開催されました。
・距離は基本的に2400。先述のダートの時は2600で開催。1987年から1993年は2200で開催されています。
・そのため、今回のモデルになった1991年のレースは芝2200での開催。
・なお、今年(2021年)は京都競馬場の整備工事に伴い、中山芝2200で開催。おまけに新型コロナ対策で無観客でした。
・また94年も阪神の2500で開催しています。

栗東寮の秘密兵器
・元ネタは“関西の秘密兵器”という競走馬の異名。
・金杯の時も触れましたが、ウマ娘化にあたって、関東馬・関西馬という概念が壊れてしまう関係で、今回も関西馬=栗東寮所属ということから“栗東寮の秘密兵器”という変化をしました。
・そういえば──このシーンも、うっかり主観視線になってるウマ娘の名前、書き忘れたんですよね……

メルシーアトラ
・元ネタは、マックイーンと同世代で1987年4月4日生まれの同名の競走馬。
・1991年の日経新春杯を制しており、90年のダービーや菊花賞にも出走しています。
・デビュー戦こそ2着だったものの、その後の初勝利から3連勝という活躍から期待されるようになり、当時東高西低だった競馬界の勢力図もあって“()西()()()()()()”と呼ばれるようになりました。
・が、ダービーと菊花賞に出たものの勝利は得られず、秘密兵器としてはいささか不本意な結果に。
・そして、日経新春杯を制した次のレースで、ダイユウサクと競うことに……

競走ウマ娘の不治の病(ガン)
・「競走馬のガン」の異名を持つのは屈腱炎のこと。
・上腕骨と肘節骨をつなぐ腱である屈腱の腱繊維が一部断裂して、患部に発熱や腫脹を起こすもの。
・“ガン”と言っても直接的に命を奪うような病ではなく、「走れなくなる」という意味では競走馬して致命的なもの。
・屈腱は、人でいうとアキレス腱のようなもの……らしいので、その負傷ということにしようかとも思いましたが、前肢に起こる場合が多うとのことで、やっぱり微妙に違うなぁ、と思い、アルダンの負傷箇所は「脚のどこかの炎症」と誤魔化しました。
・ただ、「○○のガン」という異名だけは、共通させました。
・そんなわけで、アルダンの1回目の負傷は骨折で、2度目と3度目の負傷は屈腱炎でした。
・かつては不治の病として猛威を振るい、これが原因となって引退した競走馬は数多く──ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタブライアン、フジキセキ、マヤノトップガン、アグネスタキオン、ダイワスカーレット、ナリタタイシン等、その中にはウマ娘の元になった競走馬の名前も多い。
・なお、現在では「幹細胞移植」という治療法の研究と技術開発が進み、成果を上げつつあるそうで、時間ががるものの必ずしも“不治の病”ではなくなっているそうです。


・この後、競走馬であるメジロアルダンは1991年の11月10日の富士ステークスで復帰するものの……11月24日のジャパンカップでの14着(15頭中)を最後に引退することになります。


※次回の更新は10月20日の予定です。  



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第57R 大厄災! 嵐を呼ぶ大阪杯!!(in京都)

 
 ──季節は過ぎ、3月も終わりを迎えようとしていた。

 寒かった冬もすっかり身を潜め、桜の花も咲いたこの時期……アタシはレースに復帰しようとしていた。
 今回のレースは──産経大阪杯

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「大阪杯なのに、なんで京都でやるのよ……」

 京都レース場のターフに立ったアタシは、思わずそう呟いていた。

「安心しろ。そんなの今年だけで、普段は阪神レース場で開催されてるからな」
「……どういうこと?」

 アタシの呟きにきっちり答えた人──トレーナーへと振り返る。
 彼は苦笑しながら、説明を始めた。

「今、阪神レース場は改装工事中でな。使えなかったから今年は近くの京都で開催するってわけだ」
「ふ~ん……」

 そう答えながら、アタシは少し「それはラッキーかも」と思ってもいた。
 目下のところ3連勝中のアタシ。その3戦ともが、ここ京都レース場での開催だったからだ。
 ある意味慣れているし、相性のいいレース場って言えるでしょうし。

(ま、阪神でやるよりは、全然いいかも……)

 対して、阪神レース場は最近、勝ちに恵まれていない。
 去年は一度も走ってないし、オープン昇格に躍起になっていた一昨年の12月は2連戦してどちらも勝てず。
 たしかに当時は9月のころには1200のレコード出したりして勝ったのもあったけど……最近、走ってないっていう不安の方が大きいもの。

 ──なんて、考えていたら……

「あの! ダイユウサクさんですよね?」

 背後から声をかけられ、アタシは振り返る。
 そこにいたのは茶髪──鹿毛のウマ娘だった。
 本日、アタシと同じレースに出走するのは明らかなウマ娘で、体につけたゼッケン番号は5番。
 えっと、確か名前は……

「メルシーアトラ? 2番人気の……」

 トレーナーがつぶやく声が聞こえた。
 ちなみに今日のアタシは3番人気だから、彼女よりも下。
 まったく、3連勝中だっているのに……失礼な話よね。

「……なに?」

 アタシがややぶっきらぼうに答えると──彼女はなぜかキラキラした目でアタシを見てきた。
 え? この()、どういう娘?

「今日、ご一緒できて光栄です!! 実は私、ダイユウサクさんに憧れていて……」
「はあ!?」

 …………ちなみに、今の驚きの声を上げたのは、アタシじゃないわよ。
 声を上げたのはトレーナー。
 アタシがキッと睨むとバツの悪そうに苦笑して引っ込んだけど……まったく、失礼にもほどがあるわよ!!
 とはいえ、まぁ、アタシだって少なからず驚いたわ。「憧れている」なんて初めて言われたし。

「そ、そうなの?」

 戸惑いながら問い返すと、彼女はいい笑顔を浮かべて──

「ハイ! だってダイユウサクさん……秘密兵器っぽいじゃないですか!」
「…………はい?」

 えっと……なんて、言われたのかな。たしか、秘密兵器とかなんとか……

「だって、デビューから2戦続けてありえないくらいの大惨敗をして、その後もなかなか勝てなくて。同期のみなさんが派手に活躍する中、ひっそりと苦労しながらここまで上がってきて……まるで目立たないように、実力を隠してきたじゃないですか! この前の金杯、ビックリしましたよ」

 うっさいわ!!
 隠してきたんじゃなくて、純粋に目立たなかっただけよ!!
 ちなみにその金杯(西)、一番人気はアタシだからね!!

「で、今日も見事に実力を隠して、3番人気に収まるなんて、ホント、カッコいいです!! 秘密兵器ならそれくらい目立たないようにしないとダメですよね? 私、“栗東寮の秘密兵器”なんて言われてるのに、2番人気になっちゃって……」

 う~ん、この()はアタシをバカにしに来ているんだろうか、それとも煽りに来ているんだろうか。
 アタシがこめかみをヒクヒクさせ始めていると──

「今日の一番人気、美浦寮のホワイトストーンですよ。絶対に、私達が勝ちましょう!!」

 そう言って──彼女は笑顔で手を振りながら去っていった。
 え、っと……

「ま、あまり気にするな。アイツはお前をどうこうしようとかそういうの全然考えてないな。天然だぞ、きっと……」

 トレーナーも、戸惑った様子で苦笑を浮かべてたわ。



 

 ゲートが開き、いよいよ始まった産経大阪杯。

 GⅡのこのレースは、3番のゼッケンをつけたウマ娘が先頭(ハナ)に立ち、そのまま逃げる。

 それを追いかける展開になったんだけど……

 

(先頭の後ろにはホワイトストーンと、さっきのメルシーアトラか……)

 

 そして彼女たちのすぐ後ろに、アタシと8番が並ぶように走っていた。

 距離は2000メートル。

 ただし天気はあいにくの曇天で、芝の状態はその前に降った雨の影響で稍重になっている。

 

(気にするほどじゃないけど、良バ場じゃないわ。これは最後の直線まで仕掛けるのは抑えるべきかも)

 

 良バ場に比べると稍重はスリップしやすい。

 直線はともかくコーナーの途中で加速するのは、普段よりもリスクを抱えることになる。

 幸い、良い位置にいるし、逃げているウマ娘にも十分に追いつけそうな気配がある。

 1番人気と2番人気という実力の二人の動きには気をつけないと行けないけど……

 

 そう考えながら──レースは終盤を迎えようとし……

 

 

 ……それは、起こった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「いける!」

 

 私は確かな手応えを感じていた。

 現在、私──メルシーアトラの位置は3番手で、それで第4コーナーを回ろうとしていた。

 前にいるのは逃げていた3番と、私よりも上の人気になっていた1番人気のホワイトストーン。

 

(あの有記念に出ていたけど……)

 

 早くも“伝説”と呼ばれ始めている去年の有記念。

 でもあのスローペースだったレースで勝てなかったウマ娘でもあるってことよ。彼女には絶対王者のような強さはないわ。

 

(3番にも、ホワイトストーンにも……勝てる!!)

 

 自信を持って私は足に力を入れた。

 “栗東寮の秘密兵器”と言われながら、ダービーも菊花賞も取れず、“秘密で終わる秘密兵器”なんて言われかけている私。

 そんな評価を払拭すべく、私は全力で──

 

「ッ!!」

 

 ──地面を蹴ったとき、私の足が滑ったのが分かった。

 稍重のバ場。芝が滑りやすくなっていたのを甘く見ていた、と後悔がよぎる。

 でも、本当の後悔は──ほんのわずかな時間差を置いて──次の瞬間にやってきた

 

「ッ、ゥゥゥアアアァァ──ッッッ!!」

 

 言葉にならないほどの激痛が私を襲う。

 

 今まで体験したことのないような痛みに、私はバランスを崩す。

 たったその一瞬で──私はとてもじゃないけど、まともに走れるような状態ではなくなっていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──なッ!?」

 

 前を走っていたメルシーアトラが、急に片足をかばうような不格好な走りになって失速し──アタシへと迫ってきた。

 慌てて横へとステップし──どうにかそれを回避するのに成功する。

 

「ッ!」

 

 そんな無理のせいで妙な足の着き方をしたのは、完全に失敗だった。

 でも──それだけ。

 走る足から痛みはないし、捻ったり痛めたような様子は幸いなことになかった。

 

(まったく……冷や冷やさせないでよ)

 

 思わぬハプニングに恨み言の一つでも言いたくなるわ。

 いったい、なにが起きたっていうの?

 彼女を避けるときに、一瞬だけ横顔が見えた。

 苦しそうに悶絶し、必死に痛みをこらえて噛みしめる彼女の顔が後方へと流れていった。

 それが脳裏にちらつきながらも、それを振り払うように素早く気を取り直し──アタシはグッと地面を踏みしめ……

 

「──ッ」

 

 足の指に、違和感とともに鋭い痛みが走った。

 顔をしかめつつ──それでも、我慢すれば走れないことはない!!

 

(なによ、これ……)

 

 さっきはなにもなかったと思ったけど──違っていたってこと?

 それでも片足が地面を蹴る度に、同じ違和感が足を襲う。

 

(でも、これくらい耐えて見せるわよ! ド根性ォォォッ!!)

 

 ランナーズハイに身を任せ、アタシは構わずに駆けた。

 スパートでグンと加速するアタシの体。

 でも──

 

(くぅッ! やっぱりいつも通りってわけには……)

 

 集中を欠いたアタシのスパートは──どうにか先頭を逃げていたウマ娘をかわし、後ろからの追い上げに追いつかれないようにするのがやっと。

 おかげで──

 

 

『ゴール!! 一着は! 産経大阪杯を制したのは、ホワイトストーンだああぁぁぁ!!』

 

 

 ──アタシは、2着でレースを終えた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ゴールし、立ち止まったダイユウサク。

 手を膝に付いてうつむき、呼吸を整えている彼女の姿に──オレはわずかながら違和感を感じた。

 

(アイツ……あんな風に呼吸を整えていたこと、あったか?)

 

 いつもなら、走る速度をジョギングくらいまで落としつつ、呼吸を整えていたはず。

 それが今日に限っては、急に止まった。

 

(まぁ、アイツの親戚……“あの方”がそんな感じだったって聞いたことはあるが……)

 

 彼女は余計なことをしなかったという噂を聞いたことがあり、ゴール板を通過したらすぐに足を止めていたという。

 それを急にリスペクトし始めた……というわけでもあるまいし。と思ったオレだったが──原因はすぐに分かった。

 ある程度呼吸が整うや、ダイユウサクはサッと小走りで走り──無念にもゴールを通過することができずに倒れ込んでいるウマ娘へと駆け寄ったのだ。

 

「あれは……」

 

 うずくまっている背中には「5」のゼッケンがかろうじて見えた。

 その番号をつけていたのは、たしか──

 

メルシーアトラ、だったか?」

「う、うん……たしか、そうだったね」

 

 答えたのは、いつも通りに車椅子に座ってオレとともに観戦していたミラクルバードだった。

 だが……彼女の様子もおかしかった。

 震えそうになる体を止めるかのように、彼女は肩を抱きすくめている。

 

(無理もない、か……)

 

 ダイユウサクに注目していたオレだったが、もちろんメルシーアトラの異常にも気が付いた。

 突然、足を庇うように不格好に走り始めた彼女に異常が起きたのは明らかだったし、それが深刻な故障だったのは、彼女がゴールにたどり着けなかったのが雄弁に語っている。

 

(後続と衝突しなかったのは不幸中の幸いか)

 

 もしもぶつかれば、巻き込まれた方は言わずもがな、自身は新たによりひどい負傷をする危険もある。

 そして無関係な相手を巻き込んでしまった負い目という心の傷を背負いかねないし、当然、相手から恨みをかうことにもなるだろう。

 そのあまりにも痛々しい姿は、ミラクルバードが自己に投影するのも無理はなかった

 負傷から数年経っても未だに足が動かないミラクルバード。普段明るく振舞っているが、そんな心の傷もきっかけがあれば傷口が開いてしまう。

 

「落ち着け。命に関わるような倒れ方をしたわけじゃないから……」

 

 オレはミラクルバードの頭を撫で、そっとその肩に触れる。

 彼女の負傷した状況は、他のウマ娘と激しく接触し、派手に転倒したものだった。

 そのせいで一時期は命の危険があったほどだったが──今回の負傷は接触はなく、そういった深刻な“事故”では無かったように見えた。

 

「うん……」

 

 怯えたように耳を伏せたミラクルバードは、肩に触れたオレの手にしがみつくように掴むと、そのまま腕を引き寄せ、しっかりと抱くようにすがりつく。

 やがて持ってきた担架でメルシーアトラが運ばれていく。

 それを見る彼女の体の震えが、オレにもしっかり伝わっていた。

 




◆解説◆

【嵐を呼ぶ大阪杯!!(in京都)】
・今回のタイトル、意識した元ネタと言えば……勇者シリーズ第4作『勇者特急マイトガイン』の最終話「嵐を呼ぶ最終回」ですかね。
・……え? また最終回ネタ? ひょっとして最終回が近いのか!?
・(in京都)は、大阪杯なのに京都で開催、という本文中でも触れたネタです。

産経大阪杯
・今回のレースは第35回産経大阪杯がモデル。開催されたのは1991年3月31日。
・産経大阪杯は、もともと「大阪盃競走」の名称で創設され、阪神競馬場の芝1800mで施行されていました。
・一貫して芝、距離は最初1800だったのが、1965年に1850、翌年に1900と刻んで伸ばし、1972年以降は2000での開催になっています。
・最初の正賞は大阪新聞社賞。大阪新聞は産経新聞の前身「日本工業新聞」を僚紙として創刊してその後に分社している。いわば兄弟や親子のようなもの。
・その関係か、1962年には正賞が産経新聞賞へと変更。
・その後、 名称を1964年 に「サンケイ大阪盃」に、1969年に「サンケイ大阪杯」へと変更。
・1984年、グレード制施行でGⅡレースとなる。
・1989年、名称を「産経大阪杯」へと変更。
・その後──2017年に名称が「大阪杯」へと変更され、GⅡからGⅠへ昇格しました。
・そのため、ゲームのウマ娘では春の中距離GⅠ「大阪杯」として登場しています。


京都で開催
・1991年の産経大阪杯は、阪神競馬場の改装工事のために京都競馬場で開催されました。
・これ以外に阪神以外で開催されたことが今までにもう1回あります。
・それが──それから4年後、1995年の産経大阪杯です。
・このときの理由は……同年1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災です。
・阪神競馬場の被害は非常に大きく、駐車場と歩道橋が崩壊し、コースも埋没、隆起してしまい、レースを再開できたのはこの年の12月のことでした。
・その間のレースは京都競馬場や中京競馬場で代替開催され、産経大阪杯は再び京都で開催されることに。
・なお……今回の京都での代替開催の理由──改装工事が、後々になってダイユウサクに大きな影響を与える要因となります。

メルシーアトラ
・1991年の産経大阪杯に5枠5番、2番人気で出走したメルシーアトラは第4コーナー付近で深刻な故障が発生。
・それは──左前脚の中手骨を開放骨折という酷いもの。
・とても走れるような状況ではなく競走中止。そして……予後不良と判断されることになってしまいました。
・ウマ娘では──この後の彼女はどうなってしまうんでしょうかね。
・アニメではサイレンススズカもif展開で復帰してましたし、それに倣って本作でも直接描写はしていませんがスイートローザンヌが頑張っているという話は何度か出してきました。
・なお、今回のメルシーアトラの負傷原因が、レース中、稍重のバ場で足を滑らせた、となっていますが──あくまで独自解釈です。ですので誤解無きようにお願いします。


※次回の更新は10月23日の予定です。  



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第58R 大乱闘! スマッシュウマ娘

 
 ……うん。やっぱり、そうよね…………

 アタシは自分の足を見つめ──前走での敗因を、ハッキリと理解していた。
 でも、これは──

(これは……トレーナーには、言えないわよね)

 厳しい顔で、アタシはその原因を見つめた。
 一朝一夕で治るようなものじゃない。
 でも、骨が折れたり、体の一部が炎症を起こしているわけでもない。
 時間が経てば治っていくものだし、それまでアタシがガマンすればいいだけの話。

(絶対にバレないようにしないと……)

「ユウ! なにしてんの!?」
「うひゃああぁぁぁぁぁ!!」

 寮の自室のベッドの上で確認していたアタシは、ルームメイトの唐突な闖入に、思わず声を上げていた。
 その反応で、逆に声をかけた側の方が驚いて、飛び退いていた。

「こ、コスモ!? きゅ、急に声かけないでよ!!」
「ユウこそ……急に変な声上げないでよ。ビックリするじゃないか!」

 アタシの文句に対し、ルームメイトのコスモドリームが憤然とした様子で反論する。
 同じ栗毛の髪を、アタシと違って短くし、ボーイッシュな髪型にしている彼女は訝しがるように、アタシを見つめてきた。

「どうしたの? どこか調子でも悪いの?」
「そ、そんなことないわよ。この前の日経大阪杯だって、きっちり2位をとってきたもの」
「うん。まぁ、そうだよね……」

 アタシの反論に、コスモドリームはちょっと落ち込んだ様子で応えた。
 彼女の復帰スケジュールはなかなか上手くいっておらず、遅れに遅れていた。それを気にしているんでしょうね。

「まぁまぁ、焦らないの。いつだって順風満帆ってワケにはいかないでしょ?」
「それはそうだけど……さすがに、そろそろ、ね」

 同級生たちが一戦を退き始め、コスモにも焦りの色が見え始めていた。


 そうやって誤魔化しながら──アタシは自分の足にそっと包帯を巻いたのであった。



 

 ──さて。

 

 想定外のアクシデントのあった産経大阪杯だったが、ダイユウサクの成績は2位。

 決して悪くはない結果だったが──連勝中が途切れてしまったのは残念だと思っていた。

 そしてレース後の初練習の日、柔軟運動をしているダイユウサクへとオレは近づいていったのだが……

 

「トレーナー、次はどのレースに挑戦するの?」

「次のレースか……」

 

 なんとも難しい質問だった。

 オープンとGⅢで三連勝し、その次のGⅡレースは2位に食い込んだ。

 この勢いのままにGⅠ再挑戦、といきたい気持ちももちろんある。

 だが──先のGⅡ2位が気にならないと言ったら嘘になる。

 

(う~ん……勝てる流れだと思ったんだけどな)

 

 あのレースの結果にオレは首を傾げていたのだ。

 今のダイユウサクなら──さらに伸びて、二つ年下の有力ウマ娘・ホワイトストーンであろうとも追いつき、追い越せたようにオレには見えた。

 しかしあの時、ダイユウサクは急に“伸び”を失ったのだ。

 

(確かに直前、故障したメルシーアトラを避けるのに無理をしたのは間違いないが……)

 

 あれは上手く避けた、とオレも思うが──それを考慮した上で、オレはダイユウサクならホワイトストーンに追いつけたと思っている。

 あと考えられるのは……追い抜きざまに見たメルシーアトラの姿にショックを受け、それでスパートのタイミングを逸した、とか。

 

(一緒に走ってたヤツがそうなる姿を見るのは、やはりショックだろうが……)

 

 実際、レース中の負傷というのはそう珍しいことでもない、トウィンクルシリーズの競走でも年に数件程度で起こる話だ。

 それくらいの頻度で起こることなのだから、本音を言えば、そこまでショックを受けないで欲しいところなのだが……

 

「トレーナー?」

 

 物思いにふけり黙ってしまったせいで、ダイユウサクは怪訝そうにこちらを見ていた。

 彼女に声をかけられて我に返ったオレは──

 

「悪い。ちょっといろいろと考え中だ。目標となるGⅠを決めて、それに向かってオープンや重賞、できればGⅡクラスを勝っておきたいところだな」

「ふ~ん……なんか、具体的なんだか、そうでないんだかよく分からないわね……」

 

 オレの話に、ダイユウサクはどこか不満そうだった。

 彼女の言いたいことは分かる。今後の流れを話したものの、具体的なレースは何一つ挙げていないのだから。

 

「具体的、なぁ。春のGⅠだと……安田記念とか、天皇賞とか。しかし、う~ん……」

 

 他には宝塚記念もあるが、あれは有記念と同じように人気投票で出走が決まるから、目標にするにしてももう少し走ってそれで具体的に出られそうになってからだな。

 一方……距離を見れば安田記念は1600。天皇賞は3200。

 今までダイユウサクは様々な距離を走っている。だが、オレは2000メートルが一番適正があるように思っていた。

 そう考えると安田記念は少し短くも感じる。

 マイルのGⅠというのは、そもそも数が少ない(安田か、秋のマイルチャンピオンシップくらい)上に、もっと少ない短距離を得意とするウマ娘からの視線も熱く、一筋縄ではいかないだろう。

 かといって天皇賞は……秋の方は出走経験があるが、あれは2000メートルでダイユウサクの適正距離だった。

 一方、春の3200メートルは長すぎる。2000メートルまでしか走ったことがないダイユウサクにとっては完全に未知の領域だ。

 

ステイヤー、か……)

 

 ダイユウサクの可能性を広げる意味で、試してみたいという気持ちがある一方、その危険な賭を躊躇う気持ちもあった。

 ここで新たなことを始めることで、昨年から続く良い流れが途切れてしまうような気もする。

 

(もしも春の天皇賞への出走を目指すのなら、一度は距離の長いレースで適正を見る必要があるが……しかし、な)

 

 だが天皇杯は4月の末。

 時間もないし、目的が果たせそうなちょうどいいレースもない。

 仮に出走するのなら、長距離レースをぶっつけ本番になるのは避けられなかった。

 

「長距離の適性も見たいから、とりあえずアップがてら軽く走ってこい」

「……ん。わかったわ」

 

 オレの指示に──ダイユウサクはうなずき、そして駆けていった。

 その後ろ姿を見て、オレは再度、妙な違和感を感じた。

 

(アイツ、今……少しイヤそうな顔をしたか?)

 

 ほんの少しだけ、顔をしかめたような気がした。

 それは……今まで二人三脚でトゥインクルシリーズを走り続けてきた、オレだからこそわかるような、本当にわずかな表情の動きだった。

 だが、間違いなく──アイツは今、顔をしかめた。それだけは確信できた。

 

「練習をイヤがるなんて、な……」

 

 ダイユウサクは、オレやミラクルバード、コスモドリームといった近しい相手への遠慮ない態度はともかく、基本的に素直なウマ娘だ。

 オレの指示に意見は言うし、疑問もぶつけてくるが、基本的にはそうは逆らわない。ことトレーニングに関してはそれが顕著だった。

 だからこそ、今まさに浮かべたダイユウサクの表情が気になって仕方がなかった。

 

「──あら、先輩。今日は一人なの? 《アクルックス》の面々は?」

 

 ダイユウサクを見送ってまもなく、オレは声をかけられる。

 振り向けば、コスモドリームを伴った巽見 涼子だった。

 

「ミラクルバードは足の定期検査。ダイユウサクは……」

 

 オレはすでに遠方を走っているダイユウサクを指示する。

 なにげなくそれをしたオレだったが──

 

(んッ!?)

 

 ダイユウサクを指さしたまま、オレは固まった。

 あれ? アイツ……

 

「なるほど。前走は惜しかったけど、次走に向けてさっそく始動ってところね」

 

 そう巽見が返してくるが、オレはそれを半分も頭に入ってこなかった。

 それどころじゃあない。

 今すぐ、アイツのところにいって──走るのを止めないと。

 しかし、今、アイツが走っているのはコースのちょうど反対側。大声を出しても指示が届くか疑問だし、大騒ぎになってしまう。

 

「……どうしたの?」

「ユウが、なんかしでかした?」

 

 巽見とコスモドリームに、訝しがるように覗き込まれたが、オレは「いや、なんでもない」と答えた。

 誤魔化しきれていないのは、百も承知だった。

 だが、困惑しながらも巽見とコスモドリームは顔を見合わせ──「じゃあね」と去っていった。

 彼女たちが去っていってくれたことにホッとしつつ……オレは、ダイユウサクが戻ってくるのをじっと待つことしかできなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「おい、ダイユウサク!!」

 

 コースを一周したところでトレーナーに声をかけられ、アタシは内心、ギクッとした。

 今まで普通に生活する分には、なんともなかった。

 こうして軽く走ってみて──違和感は感じたけど痛みはなかったから、「このままいける」と密かに思っていたんだけど……

 声に振り返れば、案の定、トレーナーは厳しい目になってる。

 ともあれ、これはどうにか誤魔化さないと。

 

「お前、ジャージ脱いで足を見せろ」

「……なに、突然? セクハラ?」

 

 ……やっぱり鋭いわ。

 彼が言いながら指示した足は、アタシにとっては件の足。左右さえもきっちり見透かしてくるなんて。

 さすが、って言いたいけど、アタシだってバレるわけにはいかないわよ。

 とりあえず返してみたけど……彼はますます真剣な目でアタシを見るだけだった。

 

「オレが、そういう目的で、そんなことをすると思ってるのか?」

「う……」

 

 真面目な顔でそう言われたら、茶化して誤魔化すわけにはいかないじゃない。

 アタシは、仕方なく……ジャージの下を脱いで短パン姿になって、彼に足を見せた。

 スッとアタシに近寄った彼。

 まじまじと足を見られるのは……正直、恥ずかしい。

 そんな彼は──不意に、脚に触れた。

 

「──ッ!! な、なにをッ」

「ここ……ではないみたいだな」

 

 急に脚に触れられ、顔を赤くしながら激高するアタシに対し、トレーナーはあくまで冷静だった。

 痛みで強ばるのを見極めようと、彼は反応を見ながら脚に触れていく。

 

「な……な……な…………」

 

 もちろん、そんな無遠慮に乙女の脚に触れることに、アタシは最初は驚き、次に戸惑いと羞恥……最終的には怒りへと感情が変化していく。

 

「なにしてんの、よッ!!」

 

 最終的に怒りを込めて蹴飛ばし──彼は派手に転がった。

 

「まったく、ホントに、なに考えてんのよ! このスケベ!!」

「スケベじゃねえ!! お前……オレに黙ってることあるだろ?」

「ッ……そんなこと、ないわよ!!」

「今、動揺しただろッ!!」

 

 言いながら──彼はまるでレスリングのタックルのように、低い姿勢でアタシの脚へとしがみつくように仕掛けてきた。

 でも残念。ヒトとウマ娘では身体能力に差がありすぎるのよ。

 人間がウマ娘に勝てるわけがないわ!

 ──そう、思っていたのだけど……

 

「ッ!?」

 

 サッと引いたアタシのつま先と、足を掴もうとした彼の手がぶつかったのは、完全に偶然だった。

 でもそこは──アタシがどうしても、彼に隠したかった場所。

 普段は違和感程度でも、強くぶつかれば当然に痛みは走り──そのショックでアタシはバランスを崩して、思わず尻餅を付いていた。

 

「痛ッ! ちょっと!! 痛いじゃないの!!」

「それは──尻餅を付いたからか? つま先にオレの手がぶつかったからか?」

「く……もちろん、尻餅を付いたからに決まってるでしょ!!」

「嘘を付くな。お前、いい加減に観念して……」

 

 尻餅を付いて素早く動けないアタシに対し、彼は一気に距離を詰めた。

 そしてさっき彼の手とぶつかった方の足をサッと掴まれる。

 

「ちょ、イヤ! なにを……」

「おとなしく見せろ。この足がどうなってるかを!」

「ヤダ! ちょっと、ホントに……イヤアアアァァァァ!! 犯されるウウウゥゥゥッ!!」

 

 奥の手の悲鳴。

 さすがにそれには彼も焦るはず──

 

「ハア!? ふざけんな!! 誰が好き好んでお前に手を出すかよ!! 理想とはかけ離れてるんだから、味噌汁でツラ洗って出直してこい!!」

「なッ……」

 

 ──ところが、焦るどころか逆ギレで返されたわ。

 これにはアタシもカチンとくる。

 

「そ、そっちこそふざけんじゃないわよ!! そういうこと言う? 普通、言う? アタシのこと、なんだと思って──」

「お前のことを本気で心配しているから、こうやって強硬手段に出てるんだろ! いい加減、素直になって──」

「だ・か・ら!! イヤだって──」

 

 

「……あの、二人とも? いったい、ここでなにをしているんですか?」

 

 

 取っ組み合いに発展したアタシたちの横には、いつの間にか緑のスーツをまとった、ひきつった笑みを浮かべた女性──駿川たづなさんが立っていた。

 見れば、その横にはどうしたものか、と困った様子の風紀委員・バンブーメモリーの姿もある。

 そりゃあ、まぁ……あんな悲鳴を上げれば、当然人は集まるわよね。

 

「こ、これはその……」

 

 我に返ったトレーナーは、たづなさんの姿にあわてて掴んでいたアタシの足を離す。

 なんだか癪に障るけど、ここはこの人を利用しない手はないわね。

 

「たづなさん、聞いてください! 乾井トレーナーが突然、アタシに襲いかかってきて──」

「ちょっと待て、お前!! なに事実無根なことをたづなさんに吹き込もうとしてんだよ!」

「なによ! 掴みかかってきたのは事実でしょ!」

「“掴みかかってきた”が“襲いかかってきた”に変換されてるじゃねえか!」

「似たようなもんでしょうが! それにその前だって、イヤらしくアタシの脚にベタベタと触れて……」

「怪我していないかを確認しただけだ! そもそも何度も言っているようにオレの理想はお前なんかじゃなくてたづなさんだぞ? あの人に少しでも近づいてからそういう被害妄想してもらえませんかね!?」

「なんですって~」

 

「二人とも、いい加減にしてください!!」

 

 再度、たづなさんにピシャリと言われ、アタシとトレーナーは思わず目を閉じて、黙った。

 それからたづなさんは、少しあきれた様子でトレーナーの方を見る。

 

「なにがあったかわかりませんが……そもそも、そんなところで私の名前を出さないでください、乾井トレーナー」

「……申し訳ありません」

 

 困惑気味のたづなさんに言われて頭を下げるトレーナー。

 しめしめ……本人にこうやって叱られれば、少しは反省するでしょ。いい薬よ、ホントに。

 さて、あとは──

 アタシは、こっそりとさっきトレーナーに掴まれた足の具合を確認して、異常がないのを確認する。

 

「それで、いったいどうしたっていうんですか、乾井トレーナー? あなたが妙なことをする人ではないと信じていますが……」

「それは、アイツが怪我しているんじゃないかと──」

 

 よし! 今よ!!

 アタシは、振り返ると一目散に駆けだした。

 

「──な!? ダイユウサク、お前!?」

 

 抗議の声をあげるトレーナー。

 文句なんて聞いてられないわ。とりあえず今は逃げないと──

 

「待て! それ以上走るんじゃない!!」

 

 すでに離れた場所から聞こえた、悲壮な彼の声に少しだけ後ろ髪が引かれたけど……でも、それでも立ち止まるわけにはいかない。

 人間はウマ娘には勝てない。彼がどんなにがんばっても、アタシに追いつくことなんて絶対に無理──

 

「コラ~!! 待ちなさ~い!!」

 

 と、アタシが思ったとき、内容とは裏腹な、少しのんびりとしたような注意の声が聞こえ──

 

 ヒュン!!

 

「え……?」

 

 アタシの真横を一陣の風……いえ、暴風が通り抜けていった。

 気が付けば、アタシの前には緑の人影が行く手を遮るように、両手を広げて通せんぼしていた。

 え? いったい、なにが起きたの?

 というか……この人──たづなさんって、いったい何者なのよ!?

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 オレは激しく後悔していた。

 ダイユウサクのことを心配するあまりに追いつめすぎて──アイツを()()()逃げさせちまった。

 

「──それ以上走るんじゃない!!」

 

 逃げるアイツの後ろ姿を見て、思わず叫んだ。

 アイツは“走れるから”と軽く考えているかもしれないが、すでに悪影響が出始めているんだ。

 このまま走っていたら──オレの気持ちを代弁するように、目の前にいた人が動いた。

 彼女は何気なく振り返り──少しだけ身を沈め──スッと地を蹴り、一瞬で加速していた。

 

「え……?」

 

 唖然とするオレを文字通り置き去りにして、緑の疾風となった彼女は──ダイユウサクをあっという間に追い抜き、回り込んでいた。

 さすがにそれにはダイユウサクも唖然としたようで、あっさりと彼女に捕まり──

 

「ダメですよ、ダイユウサクさん。勝手にここから去ろうとするだなんて……」

 

 そう言って、「めっ!」と叱るたづなさんにオレの元へと連れてこられていた。

 決まり悪そうに、オレの前に立ったダイユウサクだったが、無言であり、そして決して目をあわさないように、あからさまにそっぽを向いていた。

 そんな姿に、オレは思わずため息をつく。

 

「ありがとうございます、たづなさん。でも……どうして?」

 

 今の状況で……オレとダイユウサクは彼女の前で喧嘩しかしていない。

 彼女からしてみればどっちが悪いのか、なんて判断できる状況じゃなかったはず。

 それなのに彼女は、オレの味方をするように逃げるダイユウサクを止めてくれた。

 

「これでも人を見る目には自信がありますからね。先ほどの乾井トレーナーの必死な声は、純粋にダイユウサクさんを心配するものでしたので、それを信じただけです。それに……」

 

 そう言って、たづなさんはその絶やさぬ笑顔を、妙に圧のあるものへと変化させて、オレをジッと見てきた。

 

「ダイユウサクさんに乱暴しようとしたって疑惑は、晴れたわけではありませんからね」

「ハイ……」

 

 オレはガックリと肩を落とし──ダイユウサクに言った。

 

「靴、脱いで見せてみろ」

「…………」

 

 そっぽを向いたまま動こうとしないダイユウサク。

 見かねたたづなさんから「ダイユウサクさん……」と促され──彼女はしぶしぶと言った様子で靴を脱いだ。

 そして、靴下を脱ぎ──足の指に不器用に巻かれた包帯が見えた。

 

「それも、取れるよな?」

 

 確認するようにオレが訊くと、彼女は行動で答える。

 徐々に外されていく包帯。

 そうして露わになった指先には──あるべきはずの爪がなかった。

 

、か。剥がれたのか?」

「……割れてグラグラになったから、剥がしたわ」

 

 その状態を見ていないからなんとも言えないが、正しい判断だったのだと思う。

 ダイユウサクだって、走る上でよほどの事情がなければ爪を剥がすことなんてしないだろう。

 

「この前の、レースの時か? 前のヤツを避けるときに……」

 

 オレの問いに、少し躊躇したダイユウサクだったが、ゆっくりと頷いた。

 なるほど。負傷したメルシーアトラを避けるときに、無理のある不自然な動きをした代償に、このようなことになってしまったのだろう。

 それをオレに隠していたのは──骨が折れたわけでも筋肉や筋が炎症を起こしているわけでもないので、爪が生えるまで我慢すれば元通り、とでも思っていたんだろうな。

 

(珍しく積極的にこれからの計画を訊いてきたのも、爪が生えるまで我慢できるか確かめたかった、ってところか)

 

 確かに、骨折や肉離れと違い、ギプスや包帯等で固定する必要はないだろう。

 だが──だからといって、走っていいわけがない。

 オレは、彼女の爪のない足の指を見てため息をつき──

 

「半年、休養な。少なくとも、ちゃんと生えるまでは走るの禁止」

「──なッ!?」

 

 慌てて顔を上げ、オレを見るダイユウサク。

 その目は「こんなの、休む必要もないでしょ!?」と雄弁に語っていたが──オレの気持ちは1ミリも動かなかった。

 

 

 ……こうしてダイユウサクは、春のシーズンを休養することが決まった。

 




◆解説◆
【スマッシュウマ娘】
・今回は、その前の「大乱闘!」を含めて、「大乱闘 スマッシュブラザーズ」から。
・久しぶりの乱闘回なので……そして、おそらくこれがこの章では最後の乱闘回になりそうなので採用しました。
・ダイユウサクが休養に入ってレースシーンが無くなると、描けるシーンが無くなってオリジナルエピソードを入れることになるのですが……
・そうすると、大抵はトレーナーと乱闘し始めるんですよね。この二人、喧嘩するほど仲がいい、のでしょうか?

どのレース
・メタ的なことを言ってしまうと、ぶっちゃけ史実ではここから秋まで休養に入るので、そんなことを訊かれると、書いている人が困るわけで。
・なんで、「異常が発生せずに休養しなかった」という“if”で考えてみます。
・対象はGⅡ以上を優先した重賞にして、まずは4月で……
・第3週にGⅡの京王杯スプリングカップがありますが1400の短距離戦。私見ですがダイユウサクは短距離を多く走っていますが結果を多く残しているとは言い難く、適性はそれほど高くないと思っていますので、どうかなと言ったところ。
・空けすぎるのを嫌ってオープン特別を走るのなら本作としてはコスモドリームの優勝から歴史が始まっているオーストラリアトロフィーを走るのは面白いかな、と。
・史実の3着に「ミヤジ()()()()」というチーム《アルデバラン》所属でコスモの後輩っぽいのいますし。(笑)
・春の天皇賞は距離が長すぎますね。大阪杯で負けたホワイトストーンが5着ですので、出走していればその周辺になるのが関の山、かな。
・しかも優勝したのはマックイーン。ここではまだ対決したくありません。
・5月は……第2週の安田記念は一番出走可能性が高いかも。ダイイチルビーが優勝し、2位にはダイタクヘリオスという後で出てくるウマ娘に加え、3位がバンブーメモリーと今まで絡みのあったウマ娘、とエピソードができそうな予感。
・6月の宝塚記念は──人気投票がネックになりそう。金杯勝ってるし、大阪杯も2位。あともう一つくらい重賞で結果を残せば出走はできそうですね。
・この年は大阪杯と同じ理由で京都開催。ダイユウサクとは相性よさそうですが……問題は、ここでもライアン&マックイーンと競うことになるので、厳しい戦いになるのは間違いありません。
・距離2200は当時のダイユウサクにとっては未知の距離も不安材料。(後でそれより長い距離の二人とも出ているレースで勝ちますが)
・あとは……CBC賞のリベンジ、も考えられますけど、やっぱり1200は短い。
・──といった感じですかね。

ステイヤー
・長距離走者のこと。
・転じて競馬では長距離を得意とする馬をさし、主に2400メートル以上を得意とする馬に使う。
・ダイユウサクがそうか、と言われると……間違いなく疑問符が付きます。
・確かに2500メートルの大レースをレコードで制することになりますが、この時点では最長距離は2000メートルどまり。生涯で結果を残したのはその2500メートルでの1戦のみ。
・もしもダイユウサクがウマ娘で実装したとしても──「長距離A」になるかは……おそらく製作サイドでも争いになりそうなところ。

いったい何者
・前も解説したかもしれませんが、本作はたづなさん=ウマ娘説を採用しております。
・実際、ゲーム版では逃げるウマ娘を相手に追いついたりしていますし、それ以外のエピソードも比較的隠す気がないんじゃないかレベルであからさまですし。


・ダイユウサクの大阪杯の敗因は裂蹄の影響。
・裂蹄とは、文字通り(ひづめ)の異常で、蹄壁が割れて亀裂が入ったもののこと。
・縦と横の裂蹄があり、縦裂蹄の原因は冬場の乾燥と言われており、蹄油を塗って予防するなど対策がされている。
・なお……史実でのダイユウサクの裂蹄は金杯を走った正月のころには発症していたそうです。
・歩く姿に異変を感じていたものの医師に見せても原因が判明せず、そのまま金杯も勝ってしまいました。
・そのせいで悪化させてしまい、次走の大阪杯も影響が残ってしまい、ホワイトストーンに敗北。そのまま休養となりました。
・本作では……まず裂蹄の扱いに迷いました。どういったケガにするか、ということで。
・足の異常なものの、炎症とも違うし、骨の異常にしたら治療に時間がかかる。
・迷った挙句──蹄ということで、本文のとおり“足の爪”の異常にしました。
・で、調べてみたら、人の爪が剥がれてから再び生えそろうまで半年くらいかかるのがわかったのです。
・そのため、負傷時期と大阪杯の時期を前後させてメルシーアトラの故障と絡め、「避けるときに無理をして、爪が割れた」ということにしました。
・そのため「メルシーアトラを避けるのに無理をして負傷した」というのは本作の完全なオリジナル展開ですので、誤解無きようにお願いします。
・……え? どんな足の着き方をしたら足の爪が割れるのか、って? ……さあ? まったくわかりません。
・というわけで、少々強引なのは目をつぶっていただけると助かります。


※次回の更新は10月26日の予定です。  



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第59R 大謀策! ダイユウサクさんは不器用

 
 ──オレは、ダイユウサクに爪がちゃんと生えるまで、練習の禁止を伝えた。

 おかげで《アクルックス》は休業状態となった。
 もちろん、筋力を落とさないように、無理はもちろん違和感を感じない範囲で体を動かすように指導はしてある。
 もちろん、ダイユウサクは反発した。
 爪がないだけなんだからそこを保護した状態でなら走れる、と。
 しかし、オレはそれを断固として却下した。

「焦らず治るのを待て。春を捨てて秋に十分走ればいい」

 正直なところ、体を休ませるきっかけになったと思っている。
 去年の今頃はその前の年に行った連戦の疲れとダメージを癒すために休養させていた。
 しかし、去年の秋もオープン昇格のために連戦をしていたし、金杯から大阪杯までの間、レースを空けて休ませていたとはいえ、そこで癒しきれるか不安だった。

(たしかにきっかけは大阪杯でのアクシデントだったが、そこまでの疲労の蓄積もあったんだろうな)

 爪が元通りになるまで半年近くかかる。
 今後の予定を迷っていた春のレースを思い切ってスパッと諦め、秋に照準を合わせることができたのはかえって良かったのかもしれない。

 ──なんてことを考えてトレーナー室にいたオレの下に、理事長からの呼び出しがきたのはそんな時だった。



 

「……単刀直入に言います。乾井トレーナー」

 

 理事長室で、その主たる小さな人影の前に立ったオレ。

 理事長の秘書である駿川たづなさんが、代わりにオレに告げた。

 

「《アクルックス》のメンバーを増やしてください」

「いや、それは……」

 

 たづなさんの頼みなので是非とも受けたいところではあったが……なかなかに難しい相談だった。

 そもそも、この件は前にも同じようなやりとりをしていなかったか?

 そう、ミラクルバードがウチにくるきっかけになった……

 

「確認ッ! けっして難しいことではないと思うが?」

 

 黙っていられなかった理事長──秋川やよいが身を乗り出すように尋ねてきた。

 それに対してオレは……困り果て、頭を掻きながら答える。

 

「ウチもミラクルバードを加えているし、もうソロにこだわるつもりもありませんからメンバー募集はしていますが」

「む? そうだったのか……」

「ただ……未だに希望者がいないんですよね……」

 

 決まり悪くオレが言うと、理事長は「むぅ~」と呻いて腕を組み、考え込む。

 

「疑問ッ……あのダイユウサクを、重賞制覇に導いたトレーナーが、こんなに不人気とは……なぜだッ!?」

 

 そんな彼女に対し──秘書のたづなは小さくため息をつき、抗議するようにオレをジッと見る。

 あぁ、たづなさんは知っているのか、例の件を。

 しかし、それをどう説明したものか……オレは頭を悩ませる。

 いや、またメンバー増やせと面倒ごとに巻き込まれるくらいなら、黙っていた方が得策か……という思惑すらも、たづなさんはお見通しらしく、彼女はスッと前に進み出て──

 

「勧誘活動が不十分なのではないでしょうか?」

「そ、そんなことは、ないと思うんですが……他のチームと同じように、勧誘ビラを貼ったりしてますし」

「それは──」

 

 どこからともなく取り出した一枚の紙をオレに示す。

 

「──コレのことでしょうか?」

「う……」

 

 突きつけられ、オレはギクッと後ずさる。

 そのやりとりに、頭の上に「?」が見えんばかりに首を傾げた理事長は、たづなさんの前に回り込むと、その書類を覗き……

 

「こ、これは……」

 

 半ば唖然、もう半ばは呆れたような様子で固まっていた。

 もはや絶句といってもいい。

 動きを止めた主に変わり、秘書が口を開く。

 

「あのぅ、乾井トレーナー? コレではさすがに、新規メンバーは集まらないかと思いますが……」

「ええ、オレもそう思います……」

「同意……ッ これに惹き付けられるウマ娘はいないだろう……」

 

 三者三様に、呆れの目を“それ”へと向ける。

 オレどころか理事長も賛同し、深くうなずいていた。

 しかしやはり、コレがオレのせいと思われるのは癪だった。

 

「いや、誤解しないでくださいよ? オレだって、こんなことになるなんて、夢にも思わなかったのです」

 

 深くため息を付いて、当時のことを思い出しながら説明した。

 

「オレだって他のチームの勧誘ポスターは目にしてますよ。学園内の廊下や学食の壁に貼ってあるし、それを見てウチのチームのも作ろうと思ったんですから」

 

 手作り感が溢れながらも親しみを感じるチーム《ミモザ》のそれ。

 他チーム名の一等星がある星座の白鳥が描かれたチーム《デネブ》のも見事だった。

 他にも様々なチームが思い思いのポスターを作り、掲示している。

 

「しかし、オレには絵心というものがなく、悩んでいたところ……まぁ、ウチのチームメンバーから『アタシが作るわよ』という声があがりまして……」

 

 威勢良く語り始めたオレだったが、早くも言葉に勢いがなくなってきたのは自覚している。

 なにしろ、これが大失敗の始まりだったんだから。

 

「で、任せた結果が“アレ”なわけでして……」

 

 たづなさんが掲げた“ソレ”へチラッと視線をやる。自然とたづなさんと理事長の口からため息が出た。

 麗美なイラスト──なんて贅沢なことは言わない。

 なにしろ描けないオレにそんな高望みする権利なんてないからな。

 それでも《ミモザ》みたいな、親しみを感じられるくらいの“ほっこりする”絵であれば……と思っていた。

 願わくば、なにかよく分からない不気味なものが描かれていて、それをオレが指摘したらムキになる……なんて事態にはなりませんように!

 そんなオレの心配は杞憂だった。

 

 ──なぜなら絵というものが皆無だったんだからな!

 

 え? これ……ポスターだよな?

 一目見て、オレはそう思ったさ。

 イラストが無いのなら、せめて目を惹くようにポップな字体をカラフルに用いて、周囲の目を惹く……なんて期待さえも許されないとは思わなかった。

 

 徹頭徹尾、明朝体で書かれた文章は、ただ白紙に黒く文字が書かれたのみである。

 

 そんな無味乾燥なモノは……ビラでもポスターでもなく、もはやただの“書類”だった。

 “それ”には、およそ愛想というものが欠如していた。

 上方の中央には大きめに“チームメンバー募集のお知らせ”と題名が書かれていたのはまだ良い方だろう。

 まるで箇条書きのように書かれた内容に目をやれば、簡潔に事務的な言葉が並んでいる。

 その中には──目的という項目があった。

 

(なんだよ、目的って? 競走ウマ娘の“チーム”だぞ? そんなのわざわざ書かなくたって分かるだろ、普通!!)

 

 せめて「一緒に走りましょう」とか「一緒に栄光を目指しましょう」とか、そういう呼びかけがなければ、勧誘用としての役目を果たさないくらいわかるだろ。いや、わかれよ!!

 

(アイツの“無愛想”がこんなところで発揮されるとは、夢にも思わなかったぞ)

 

 もはや“勧誘ポスター”ではなく“通達の書類”であるそれに、オレは盛大にため息を付くしかなかった。

 つられたように──たづなさんもため息を付く。

 

「なるほど。そういう事情でしたか……」

 

 沈痛そうにこめかみを抑えながら、彼女はつぶやく。

 

「まったく、ダイユウサクさんは本当に不器用ですね……」

「そうですよね。イラストを描くどころか、ポスターの一つも満足に作れないなんて……」

「いえ、そういう意味ではありません! はぁ……彼女が不器用なら乾井トレーナーは本当に鈍感ですね」

 

 さらにもう一度、たづなさんは大きくため息をつき、その横で理事長が「うんうん」と頷いている。

 え? どういうこと?

 ひょっとして、たづなさんってオレのこと……

 

「なんでそうなるんですか!? 本当に、もう……」

 

 ぐったりした様子のたづなさん。

 う~ん、かなりお疲れのようだ。理事長ももう少し彼女への負担を軽減してあげればいいのに。

 

「と・に・か・く! 乾井トレーナー、私は貴方を高く評価しているッ! あのダイユウサクに重賞をとらせたのだから」

 

 デビュー2戦がタイムオーバーのウマ娘。しかもそのどちらもが“ありえないくらい”のタイムオーバーだ。

 クラシックの時期にそんな結果を残し、シニアになってやっと初勝利。

 普通に考えたら成績的には退学しているウマ娘──それがダイユウサクだった。

 

「そんな。あれはアイツの努力の(たまもの)ですよ。オレの力なんて微々たるモノで……」

「それでもッ、その才を見抜き引き出すことこそトレーナーの役目ッ! それを高く評価するのは当たり前のこと」

 

 理事長がバッと扇を広げる。そこには「賞賛ッ」の文字が書かれていた。

 

「だからこそ……それを他のウマ娘にも向け、自分の才能を発揮して他のウマ娘も育てて欲しいと思うのだ!」

「高く評価していただくのはありがたいのですが、やっぱり希望者が集まらないことには……まだ悪評も残っていますからね、オレには」

 

 オレは思わず苦笑する。

 すると理事長とたづなさんは悲しげな表情を浮かべた。

 だが理事長は、「ええい!」と(かぶり)を振り、ビシッと閉じた扇でオレを指してきた。

 

「過ぎたことでウジウジするな!! 確かに当時、父母会やらURA上層部を突っぱねるくらいに庇いきれなかった私にも責はある! しかし! だからこそ! さらに結果を示し、見返して欲しいのだ!」

 

 感情露わに言葉をぶつけてくる理事長。

 

「たった一人のウマ娘が長期休養に入ったからと、チーム一つを丸々遊ばせているのはもったいない、と私は言っている!!」

「私もそう思いますよ、乾井トレーナー。せめてもう一人か二人、《アクルックス》の競走できるメンバーを増やしてもらえませんか?」

 

 理事長とたづなさんの言葉に、オレは──「努力します」と答えるのが精一杯だった。

 なぜなら──オレは未だに他のウマ娘たちからの評価は低く、先輩からの悪評を聞いた今のウマ娘達からさえも避けられるのは続いていたのだから。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「はぁ……」

 

 アタシは食堂で、テーブルの上に並べられた料理とにらめっこしながら、思わずため息をついた。

 箸を手にしているけど、全然動かない。

 こんなことは本当に久しぶり。

 だから、思わず当時を思い出して……思わず自虐的に苦笑した。

 

『ダイユウちゃん、また残してる……』

 

 そんな悲しげな言葉が、幻聴のように浮かぶ。

 長い髪をした、母性溢れるウマ娘──レースのときはそれを全く感じさせない強者だった。

 

(……一緒に走ったことはなかったけどね)

 

 そんな彼女──スーパークリークもまた一戦を退いた同世代の一人。以前はこの場所でよく見かけたけど、今は……

 

「貴方がそんな風に、食事を前にしてアンニュイな様子を見ると、昔を思い出しますね」

「アルダン……」

 

 クスクスと笑みを浮かべながら、食事を乗せたトレーを手にした彼女がアタシのいるテーブルへとやってきた。

 その歩みは──やはり脚を庇うような仕草があり、わずかにぎこちない。

 

「相席、よろしいですか?」

「確認なんて、必要ないでしょ?」

 

 アタシが言うと、彼女は嬉しそうに空いている席へと座った。

 

「また食事が口に合わなくなったしまったのですか?」

「違うわよ。普段と同じ調子で食べたら、その……ね」

「ああ、体重が増えてしまいますもんね」

「ちょ、なんでアタシがぼかしたことを言っちゃうの!?」

 

 アタシがくってかかると、彼女は悪戯っぽい笑みを、受け流す。

 そして、眉根を寄せ──悲しげな表情へと変えてからポツリと言った。

 

「休養のこと、聞き及んでいます」

「そう……せっかくこの前、アナタに誉めてもらったのに……同じ穴のムジナになっちゃったわ」

 

 アタシがサバサバとした調子で返すと、アルダンの表情が少しだけ和らいだ。

 

「と言っても、アナタとは深刻さが全然違うけどね。こんなの……ケガでも何でもないわよ。爪なんて放っておけば生えてくるんだし」

 

 だからレースのような全力疾走はできなくとも、走ることだってできるわよ。

 それなのにトレーナーときたら……走る練習は全面禁止。

 筋力維持のための最低限のトレーニングとウォーキングしか許可してくれなかったわ。

 

「……アイツ、大袈裟なのよ」

 

 彼に対する不満を思い出し、アタシは口を尖らせて思わずつぶいていた。

 するとアルダンは耳をぴくっと動かし、それを聞き咎めてきた。

 

「それだけダイユウサクさんを大事にしていらっしゃる、ということではありませんか」

「なッ……」

 

 思わず顔をアルダンの方へと向ける。

 彼女はからかうように笑みを浮かべていて、それが罠だとはわかっていたけど……言わずにはいられない。

 

「そ、そんなことないわよ! アイツってば、ただ自分がサボりたいだけなんだから! アタシしか担当がいないのをいいことに、今なんて暇を持て余して……どうせ今ごろ、バイクに乗ってどっかに出かけてるわよ!!」

 

 アタシが憮然としながら「人の気も知らないで……」とつぶやくと、アルダンはなぜか瞳を輝かせた。

 ……今のアタシの言葉のどこに、彼女の気を引くような要素があったって言うのよ?

 アタシがジト目を向けると、彼女は大袈裟にニコニコしながら言った。

 

「それならバイクの後ろに乗せてもらって、貴方も一緒に行けばいいじゃありませんか。とても素敵な体験だと思いますけど?」

「じょ、冗談じゃないわ! アイツの後ろなんて真っ(ぴら)ゴメンよ!! あんなのの後ろに乗ったら、どうやって体を支えたらいいか……」

「しっかりしがみつけばいいじゃありませんか。トレーナーさんの体に」

「ハァ!? 絶対にイヤよ!!」

 

 ムキになるアタシをからかうように、アルダンはクスクスと笑みを浮かべている。

 

「気分転換になるのではありませんか?」

「むしろ逆よ! あの速度感とか、風の感覚とか、自分の足で走れたらいくらでも味わえるのに……」

 

 アタシは思わず、恨めしげに自分の足──それも爪のない指へと視線を落とす。

 釣られるように、アルダンも負傷している自分の脚を見つめ……

 

「「はぁ……」」

 

 あの感覚が恋しい。そう思ったアタシ達は二人同時にため息をついていた。

 それに気がついてお互いに顔を見合わせ──

 

「なんや、辛気くさい顔してんなぁ。二人とも」

 

 間近での元気な声に、二人とも思わず驚く。

 ほとんど同時にそちらを見て──小柄な体をした、長い葦毛の髪のウマ娘がそこに立っているのに初めて気がついた。

 

 

「「タマモクロス先輩!?」」

 

 

「久しぶりやな。二人とも……」

 

 驚いたアタシ達に、彼女はビッとVサインを向けた彼女は──アタシやアルダンよりも一つ上の世代の先輩、タマモクロスだった。

 

「タユウは……金杯おめでとさん。しかしアレを勝って三連勝になったのに、もったいないわ。あないな後輩、今のタユウなら万全やったら一捻りやったろ?」

 

 自身の重賞6連覇の中の一つに、西の金杯が入っている彼女は、さも残念そうに言う。

 確かにアタシもあれで三連勝になったけど、前の二つは重賞じゃなくてオープン特別だから比べられるようなものじゃないわ。それに……次の重賞で負けたし。

 

「二人とも、元気そうでなによりやけど……体の方がついて来られんようやな」

 

 タマモクロスはアタシとアルダンの脚を見て、苦笑する。 

 

「あの……今日はまた、どうして?」

「ああ。たまたま学園にヤボ用があって、ちょっとばかり寄っただけやで。それで学食に寄ったら知った顔があったから、つい声をかけたってワケや」

 

 アルダンの問いに豪快に笑いながら答え、「知っとるヤツも、だんだん減ってきとるからな」と言ったその言葉は、どこか寂しげでもあった。

 

「こんなところでウジウジしとったら復帰が遅れるで。二人とも、歩いて大丈夫なんか?」

「アタシは、違和感が起きない範囲で歩けって言われているけど……」

「私も、無理をしなければ大丈夫かと……」

「ちょっと外でも歩きながら話でもしようや。ウチの散歩にちょっとだけ付き合ってや」

 

 そんなOGの言葉に──アタシとアルダンは急かされるように、食事をするのだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「新メンバー、ねぇ……」

 

 オレは学園の敷地内を一人でトボトボ歩きながら、思わず言葉を漏らしていた。

 理事長とその秘書たづなさんに「努力する」と約束した以上は、結果を残さなければいけない。

 少なくとも現状の勧誘のまま、というわけにはいかないだろう。

 

「オレだって、やる気がないわけじゃないんだ……」

 

 夢があり、トレーナーを志した。

 トレーナー候補として中央トレセン学園に入ることができ、ライセンスも取れた。

 サブトレになって“先生”の下で学び、面倒見のいい東条先輩のおかげもあって、自分の技術や目を鍛えることができた。

 すべてが順調だった。

 自分が第二の“国民的アイドルウマ娘”を育て、その傍らにトレーナーとして立つ──そう信じていた時期もあった。

 

 だが……

 

「現実は、甘くねえよな……」

 

 オレは自然と俯き──歯を食いしばり、まるで呻くように言葉を絞り出していた。

 初めて受け持ったウマ娘で──大失敗をした。

 それこそ取り返しのつかないくらいの、だ。

 地方に飛ばされて当然……こうして今でも中央に残れているのは、数々の幸運が重なったからでしかない。

 一番の幸運は──そんな最底辺のオレの下に、最高の素質を持ったウマ娘が転がり込んできてくれたことだ。

 

 彼女は、この学園に入学してきた当初の姿は貧相で、ウマ娘用の食事さえ満足に食べられず、残してしまうような、虚弱体質のチンチクリンだったらしい。

 他のウマ娘達がクラシックレースでしのぎを削る中、登録を逃した“怪物”が年上の“稲妻”と盾を争って激闘を繰り広げたその日にデビューした彼女は、13秒のタイムオーバーという絶望的な結果を残す。

 リベンジを目指す第2走も──結果は7秒のタイムオーバー。

 しかしそれは発熱をおしての出走で、それを知ったオレは……彼女に興味を持った。

 

 それから今まで戦ってきた。

 二人で最底辺から這い上がり、どうにかここまできたが──

 

「アイツが走れないからって、他のウマ娘の面倒を見ろっていうのか……」

 

 それにオレは抵抗を感じていた。

 少なくともアイツが第一線で戦い続ける間は、他のウマ娘の面倒を見る気がしなかった。

 

(さて、どうしたものか……)

 

 オレは悩んだ。

 頭をガリガリと掻き、どうにか顔を上げる。

 そして……

 

「……え?」

 

 信じられないものを、見た。

 愕然とする。

 足が震えそうになり、力が抜けそうになり、崩れ落ちそうになるのを、どうにか踏みとどまる。

 目の前にいたのは、一人のウマ娘だった。

 

「ふ~ん……やっぱりまだいたのね」

 

 彼女が浮かべた笑みは──当時とほとんど変わっていなかった。

 しかし見た目はともかく、その雰囲気は学園に所属しているウマ娘達よりも世間を知った、大人びた様子があった。

 

「お前……どうして、こんなところに」

「OGだって言ったら、通してくれたけど?」

 

 そう言って「クスクス」と浮かべる笑みはどこか妖艶ささえ感じられ、凹凸のハッキリしたボディラインは蠱惑的でさえある──

 

「もちろん目的は、お世話になったアナタに会うことよ」

 

 悪戯っぽく笑うその表情は──オレの心を落ち着かせるどころか、余計に逆撫でした。

 オレは──アレに負けたんだから。

 

「お世話だと? そんな大層なこと、オレはお前にはできなかったはずだけどな──」

 

 思わず、オレは彼女を──敵を見るように、睨んでいた。

 そう彼女は、少なくともオレにとって味方ではなかった。

 

「──なぁ、パーシング

「あら? 随分と他人行儀ね、乾井トレーナー。以前みたいに“パーシィ”って呼んでくれないのかしら?」

 

 そう言って、そのウマ娘は──妖しく微笑み、オレを見つめていた。

 




◆解説◆
【ダイユウサクさんは不器用】
・今回の元ネタは、ヤングアニマルに連載され、アニメ化もした『上野さんは不器用』から。
・結構な頻度で「そうはならんやろ」という失敗をするあの漫画はお気に入りです。
・ただ、最近はヤングアニマルの購入をやめてしまったので、読んでいないんですよね。
・これを読めなくなったのは、購入をやめて残念に思ってるうちの一つかな。単行本買うかどうかは……検討中。

理事長からの呼び出し
・思うに、ダイユウサクが休養に入ると、理事長から呼び出されるのがテンプレ化しているような……

思い思いのポスター
・アニメ版だと、学園の食堂や廊下にいろんなチームの勧誘ポスターが目に入り、《スピカ》、《リギル》、《カノープス》以外のチームの存在が確認できます。
・文中に挙げた《ミモザ》や《デネブ》以外にも、《アルタイル》や《カペラ》、《ベガ》等があり、感覚的には高校の部活動や大学のサークルに近いのかもしれません。
・なお本文中に出た二つのチームのイラストの印象は、アニメ版準拠です。

スーパークリーク
・ダイユウサクと同じオグリキャップ世代で、『平成三強』の一角であるスーパークリーク。
・生涯成績16戦8勝。天才・武豊騎手が特別視したと言われるこの馬もまた、90年に引退しています。
・89年あたりから筋肉痛に悩まされ、90年の天皇賞(春)を制して秋春連覇を達成したものの、宝塚記念はその筋肉痛で回避し、凱旋門賞挑戦も白紙になりました。
・秋に復帰して京都大賞典を連覇したスーパークリークですが、直後に繋靭帯炎が判明。天皇賞(秋)を回避したものの、回復できずにその年末に引退が発表されました。
・引退時期は90年末と、オグリキャップとほぼ同じ時期だったんですね。ホント、もう走ってる同期がガンガン減っていく……

あないな後輩
・ホワイトストーンのこと。大阪杯での着差は1と1/4バ身差。
・史実での結果について厩務員だった平田調教師は「(裂蹄の影響がなく)3連勝している時の状態のダイユウサクだったら勝っていたと思う」とホワイトストーンに子ども扱いされて負けたことについて述べています。
・しかし、ホワイトストーンはジュニア期から重賞戦線を戦っている猛者ですからね。タマモ先輩、“一捻り”は言い過ぎです。

パーシング
・オリジナルウマ娘。
・今まで本作でのオリジナルウマ娘は──
  ①未実装の史実馬
  ②非実在系(漫画・小説に登場した競走馬)
  ③事情により名前からオリジナル
といった3パターンで、③に関してはメヒコギガンテ、リュウジョウストライプの二人のみでした。
・今回登場したパーシングも③に該当します。そうなった理由は他の二人と同じ。
・というわけでモデル馬とは名前が完全に異なっていますので。
・そのモデル馬の年代も、ダイユウサクが活躍した時代とはかけ離れた年代ですので。
・詳細は──次回以降で。


※次回の更新は10月29日の予定です。  



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第60R 大批判! ~無謀なる挑戦者~

 
 その日も私は──学園内にひっそりとたたずむ、三女神像に向かって祈りを捧げていました。
 なにかを祈願するわけでも、誓うわけでもない。
 手を組んでひざまずき、ただ心を無にして向かい合う。
 目の前の女神像──ではなく、己の心に。

「…………………………」

 それは私が毎日欠かさず行っている習慣でした。
 学園に来る前も行っていたことで、祈りを捧げる相手は女神像に限るわけでもありません。最初は故郷を流れる川に祈っていましたから。
 
(会長から……あの《リギル》からお誘いを受けるのは大変にありがたいことですが……)

 最初は無心だった頭の内に、今、自分を悩ませている問題が頭に浮かび上がってきます。
 それは来年、高等部にあがってから迎える、競走ウマ娘としてのデビューのことです。
 光栄なことに、私は周囲から期待されていて──中央トレセン学園で1、2を争うトップクラスのチーム、《リギル》からお誘いを受けています。
 私が走るのは、孤児院にいた私を養子に迎えてくださり、様々な恩を与えてくださった養父にその恩を少しでも返すため。
 ウマ娘である私ができる最大の恩返しは──幸いなことに生まれながらの才に恵まれた“競走(レース)”という舞台で最高の結果を残し、それを養父(ちち)に見せてあげることでしょう。

(その夢の達成のためにも、トップチームに所属するのは近道なのは間違いありません)

 求道者として、あえて苦難の道を選ぶ──という理由で《リギル》からのお誘いに応じるのを迷っているわけではありません。
 来年から歩むことになるトウィンクルシリーズ。
 それがあえて困難を背負うような、ハンデを抱え込むようなマネをして勝ち抜けるほど甘いものではないことは、その観戦を趣味にする養父(ちち)と共に見てきて理解しています。
 できれば、私もより万全なサポートを受けられるチームに所属したい。
 しかし──

(昨年末あたりからこの春の間に、私を取り巻く環境は、劇的に変化してしまいました……)

 その変わった環境が《リギル》所属の先輩方が多数在籍する生徒会へ所属することを躊躇わせ、チームのお誘いを受けるのを迷う理由の一つになっているのです。

(私は、どうしたらいいのでしょうか……)

 この学園にきた当初の夢を最優先し、有力チームへと所属するべきか。
 それとも、変わった環境への対応を優先し、別のチームを探すべきか。
 ──それは、私の胸の内に問いかけたはずの質問でした。
 しかし──

『あなたの迷いは、ほどなく晴れることでしょう……』

「──ッ!?」

 不意に頭に響いた言葉に私は驚き、そして閉じていた目を開いていました。
 周囲に視線を走らせますが……もちろん人影はありません。今の言葉も耳から入ってきたのではなく、体の内から聞こえてきたようでしたし。

「今のは……」

 ひざまづいていた私は立ち上がり、困惑気味に再び周囲を見渡します。
 そこにあったのは、三女神の像のみ。
 その女神の像の一つが、不思議と笑みを浮かべているように錯覚したそのとき──

「……人の声?」

 私の耳に、男女の言い合うような声が聞こえてきました。

「こんなところで、喧嘩でしょうか……」

 もしそうならば、仲裁しなければならないかもしれません。
 私はその声のする方へ、引き寄せられるように歩いていき──



「ウチも晩成型やと思ったけど、タユウには到底かなわんわ」

 

 学園の敷地内を、アタシは一つ年上のタマモクロスと共に歩いていた。

 食堂では一緒だったアルダンだったけど、彼女はまだ食事をとる前だったのと、脚の状態を考慮したタマモクロスが「無理して悪化させたらあかんやろ」と止め、結果的にアタシと二人で歩くことになった。

 アタシの場合、筋力を落とさないためにも歩くことは推奨されてるし。

 

「──おかげでウチとは全然、かち合わなかったけどな」

「タマモ先輩の全盛期のころ、アタシは一勝するのに四苦八苦してたくらいだから……」

 

 同じレースを走るどころの話じゃなかったわね。

 かたや現役最強の名を賭けて重賞戦線を走っていたウマ娘と、最弱クラスの成績を残していたアタシなんだから。

 アタシの言葉に、タマモクロスは豪快に笑った。

 

「せやなぁ。けど……今のアンタなら、ウチも(はし)ってみたいと思うで」

「え?」

 

 当時、現役最強だった彼女に言われれば、アタシの心も躍った。

 けど……

 

「今の全盛期を過ぎたウチとなら、ええ勝負ができるかもな」

 

 なんて言って意地悪そうに笑みを浮かべる。

 それにはさすがにアタシも憮然とすると、それが表情でわかったみたいで──

 

「そんな顔すんな。冗談や、冗談……」

 

 と、再度笑い飛ばしたけど……再び意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「ま、今なら爪の有無のハンデがあるから、さすがに負けへんわ」

「…………」

 

 冗談めかしたタマモクロスの言葉だったけど、今のアタシにはちょっと堪えた。

 笑い飛ばせるようなことじゃなくて……自然と俯き、アタシの視線は自分の足を見ていた。

 

「気に障ったか? それはスマン……」

「いえ、気にしないで」

 

 アタシに気を遣おうとした彼女を素早く制する。

 無理矢理に笑みを浮かべて、顔を上げた。

 

「もちろんタマモ先輩よりも速くは走れないけど……それでも、爪がないだけ。それなのにトレーナーは、アタシに走るなって……」

 

 トレーナーは爪が完全に生えるまで、走ることを禁じた。

 それがアタシにはどうしても納得できなかった。

 爪が生えて走れるようになれば、すぐにでもレースに復帰したい。それがアタシの素直な気持ちだし、加えて言えば──

 

(アタシだって、いつまで走れるか分からない……)

 

 ここがピークかもしれないって思いは常にある。

 爪が万全になってから調整をスタートしたら、復帰はそれだけ遅れることになる。

 

「それが今の、アンタの悩みか。タユウ……」

 

 隣を歩くタマモクロスが「ふむ……」と腕を組んで考え込む。

 

「爪が生えてなくても、包帯巻いて保護すれば、軽くジョギングするくらいできるし……」

「それをやったらアカンから、トレーナーは止めてるんやろ」

「え……?」

 

 驚いて、思わず彼女を振り向いていた。

 タマモクロスは笑みを消し、真剣な表情でアタシを見ている。

 

「ええか? 足の指に包帯なんて異物を巻いて走ったら、まず間違いなく感覚が狂う。たとえ靴越しでも芝をとらえる感覚、大地を蹴る感覚、そういった微妙なものが包帯で一部が遮られてしまうからな」

「それは……」

「オマケに、片方だけ余計なものを巻いているせいで、体の、そして走ってるときのバランスが崩れる。それだけやない。フォームも崩れるやろ。それがアンタの走りを蝕んで……気づかんうちに壊れて、結果的には逆効果どころじゃなくなる」

「でも……ジョギング程度ですよ? そんな大きな影響は……」

「包帯巻いて感覚を鈍化させるってのは、感覚の狂いにも鈍化するってことや。走りに狂いが生じたら……ってタユウ、まさか……そんなん気にしてない、とか言わんやろな?」

「え? えっと……」

 

 正直な話をしてしまえば──今まで、そんなに意識していなかった……かも。

 だって、デビュー当時はそんな余裕なんて無かったし、今でもレース展開に応じて走ったりするので手一杯で、自分の感覚を強く意識して走ったことなんて無かったわよ。

 

「……トレーナーから走る許可が出たら、その辺りを意識して走ったらええ。全力で走るギリギリの局面……末脚を生かすようなところで、きっと差が出るで」

「わかった、わ」

 

 タマモクロスの助言に、半信半疑ながらもアタシは頷く。

 彼女ほどの実力者が言うんだから間違いないでしょうけど──

 

「ま、先輩からのアドバイスや。ありがたく訊いとき……って、んん?」

 

 自信満々に胸を張って言っていたタマモクロスだったけど、ふとなにかに気がついて眉をひそめた。

 

「どうかしました?」

「いや、なんか……こんなところで、なんや話し声がしたからな。喧嘩ってわけやないけど」

 

 どことなく不穏な感じもする、と彼女は耳を動かし……声のしている方向を探している様子だった。

 やがて、それを特定し──自然と足音を立てないように注意しながらそちらへと歩いていく。

 アタシもそれについていき……

 

「「え?」」

 

 その光景に、アタシは驚いた。

 ほとんど人が通らないようなそこにいたのは──トレーナーだった。

 そして話し声がしていたように、もちろん一人じゃなかった。

 彼の傍らには、見知らぬウマ娘がいた。

 

「なんでアイツがおんねん!?」

 

 そして──タマモクロスはむしろ、彼女の姿を見て、驚いている様子だった。

 だから思わず尋ねていた。

 

「あのウマ娘(ひと)のこと、知ってるの?」

「知ってるもなにも……って、タユウはまだ入学する前のことやったな。アレは」

「“アレ”?」

「ああ。あの件はウチも聞いて、胸クソ悪く感じた話や。それに……」

 

 タマモクロスはジッと二人を見つめる。

 

「タユウのトレーナー、悪評のせいで担当につけなくて困ってたって話は知ってるやろ?」

 

 彼女の言葉にアタシは無言で頷く。

 

「その元凶こそパーシング……アイツのことや」

「ッ!?」

 

 大きな声が出そうになるのをどうにかこらえ、アタシは改めて彼女を見る。

 トレーナーの前にいるのは、妖艶ささえ感じられるような、色気のあるウマ娘だった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──かつて、トレセン学園に、とあるウマ娘が在籍していた。

 

 特別に優れた才があるわけでもない彼女は、それでも若い新人のトレーナーと巡り会い、担当トレーナーを得た。

 その新人トレーナーも、初めての自分の担当となるそのウマ娘のために全力を尽くした。

 

 ウマ娘の適性を見つつ、どのようなタイプにするのか考え──

 トレーニング内容に頭を悩ませ──

 彼女の走るレコードに一喜一憂し──

 やる気を維持させるために、精一杯気を遣って──

 

 ……だが、

 

 最後の一つだけは…………間違いだった。

 

 

 そのウマ娘は、端的に言えば──ワガママだった。

 美しい見た目と、抜群のプロポーションを誇った彼女は、周囲にチヤホヤされることに慣れており、その癖は競走ウマ娘の道を進んでも、治ることはなかったのである。

 結果──

 

「今日は練習、パスね」

「……え? なんで?」

「う~ん……気乗りしないから? とにかくそういう気分じゃないから。じゃね」

 

 去っていくウマ娘を、呆然と見送るトレーナー。

 新人である彼は──最初の接し方を間違えたのだ。

 二人三脚でトウィンクルシリーズの頂点を目指そうと考えていた彼は、ウマ娘との良好な関係の構築を目指した。

 

(この容姿なら──必ず人気が出る。走って結果さえ出せば、間違いなく話題になる……)

 

 だからこそ、トレーニングをさせようと、彼女ををやる気にさせることに精一杯努めたのだ。

 結果──気分を損ねないよう誉めちぎり、(おだ)て、とにかくヨイショした。

 そんな姿勢に疑問を抱かないわけでもなかった。

 先輩からも──

 

「貴方、ちょっとやりすぎじゃない? 制御できなくなるわよ?」

 

 ──などと忠告を受けたが、

 

「大丈夫ですよ。彼女はやればできるウマ娘ですから」

 

 後になって思えば、まったく根拠のない自信で、それを退けてしまった。

 ただ……彼女の才は、彼が抱く幻想“国民的ウマ娘の再来”を担えるほどには……到底足りなかった。

 メイクデビュー戦が始まる夏が迫っても、記録は思うように延びていかない。

 それも当然だろう。言うことを聞かなくなり、練習も半分もやればいい方と言ったありさまだったのだから。

 それに彼は──焦った。

 どうにかしようと悩むが……共に悩んでくれる者はいなかった。

 ウマ娘をチヤホヤしすぎたせいで、彼女は増上漫(そうじょうまん)となり、自分の力を過信したのだ。

 

(なんとかなるでしょ?)

 

 周囲の記録も見ずに、彼女は言う。

 そうは思わないからこそ、トレーナーの彼は焦る。だが面と向かってそれを言えば……彼女は機嫌を損ねる。

 それが──怖かった。

 強く出られなくなってしまった彼に対し、ウマ娘はと言えばつけあがる一方である。

 そのうち、彼の示した一日のトレーニングメニューが終わっていないのに、「もういいでしょう?」と切り上げるようになってしまった。

 

(こんな記録じゃ、メイクデビューなんて無理だ)

 

 そう判断して、デビューは遅れていく。

 そうこうしているうちに夏は終わり秋になり、そしてだんだんと気温は下がっていく。

 

 …………無論、そんな練習態度のウマ娘が、伸びるはずもない。

 

 彼女がデビューする前にジュニア期のGⅠは終わり……年が変わった。

 クラシックの世代となった彼女だったが、状況は変わらなかった。

 当然である。

 仮に、彼女がものすごい才能を秘めていたとしても……気まぐれで、練習熱心とはとても言えないようでは、その才が開くはずもない。

 

(いっそのこと、一度、現実を思い知らせて目を覚まさせるか……)

 

 荒療治になるが仕方がない。

 彼はそう決意して──彼女にデビューを持ちかける。

 それに彼女は了承した。無論、彼の隠された意図には気がつくことなく。

 そうして彼が示したデビュー戦に──彼女は拒絶した。

 

「──え? どういうこと? なんで……」

「そんなレースじゃ、イヤって言ってるの」

「そんなレースもなにも、メイクデビュー戦なんだけど?」

「それじゃあやる気が出ないわ。せっかくのデビューなのに、十把一絡げのウマ娘達(ヤツら)と走るなんてゴメンだわ」

 

 唖然とするトレーナー。

 では、どのレースならいいのか?

 そう尋ねたトレーナーに彼女は、予定表に書かれている一つのレースを示した。

 

 それを見て──トレーナーは絶句した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──それが、弥生賞や」

「……はい?」

 

 タマモクロスの言ったレース名に、アタシは呆気にとられた。

 沈痛そうな面もちのタマモクロスは、もう一度──

 

「弥生賞で、アイツはデビューしたんや」

 

 ──と、繰り返した。

 え? だって弥生賞って……

 

「皐月賞のトライアル、よね? たしか重賞で……」

「グレード的にはGⅡや」

 

 そのころに担当トレーナーさえ付いておらず、デビューの目処さえなかったアタシにとって、クラシックレースはまったく無縁のものだった。

 もちろん一生に一回しか出られない年齢制限付きのレースだから、以後も出られないし、その制限や制度自体があまりよく覚えてないところがあるけど……

 

「えっと、それを勝てれば皐月賞に出走できるようになる、の?」

「せやな。もちろん──()()()()、な」

 

 呆れた様子だったタマモクロスの表情。

 それが目が鋭くなり、本気で怒ったそれへ変化した。

 でも、それも無理もないと思うわ。話を聞いて、アタシだって思うところがあるもの。

 

「勝った経験どころか、一度もレースに出てないようなウマ娘が勝てるほど、重賞は甘ない。それはタユウも分かっとるやろ?」

「ええ……」

 

 アタシは頷く。

 でも同時に思う。実際に走ってみないとそれを理解できないんじゃないかしら、とも。

 アタシの初めての重賞はコスモと競ったGⅡ高松宮杯。

 もちろん何度か勝ちを納めてからの格上挑戦だったけど……それでも周囲のレベルの高さには打ちのめされたわ。

 確かにそうだったけど、走る前にそのレベルの高さを真に理解していたかと言えば……やっぱり走った後の実感として、分かっていなかったと思える。

 

(あのときは、重賞挑戦っていうよりも、コスモに挑戦するのが主な出走動機だったし)

 

「で、あのウマ娘はそれも理解せずに──挑戦しよった」

 

 そう言いながら、まるで思い出すようにタマモクロスは目を閉じた。

 

「話題には、なったで。なにしろそれまで未出走のウマ娘が重賞に挑戦しとるからな。前代未聞や。よっぽど自信のある……とんでもない“秘密兵器”が出てきたと、皆が思うたわ」

 

 でしょうね。

 しかもクラシック三冠に至る、その入口とも言うべき重賞だもの。とんでもない新人がやってきた、って思うのは当然よ。

 アタシは思わずゴクリとツバを飲み込む。

 

「その結果は……」

 

 目を開いたタマモクロスは、指を二本立ててアタシに示す。

 

「え? Vサイン? もしかして勝ったの?」

「ちゃうわ! そんな結果やったら大騒ぎになっとるわ。そんな話、アンタも聞いたことないやろ?」

「それはそうだけど……じゃあ、2位?」

「それでも十分に大事(おおごと)や。その結果なら皐月賞に出られるで」

「じゃあ……どういうこと?」

 

 指二本の意味を図りかねて、アタシは思わず首を傾げながらその指を見つめる。

 タマモクロスは大きくため息を付き……

 

「22秒や」

「にじゅう……にびょう?」

「ああ。トップがゴールしてから、アイツがゴール板の前を通り過ぎるのにかかった時間や」

 

 トップから22秒差?

 え? それってつまり……

 

「タイム、オーバー……」

 

 アタシが言うと、タマモクロスは沈痛そうに頷いた。

 なるほど、ね。

 ……一応、アタシに気を遣ってくれたの、ね。

 でも、そんなことを聞いても、どう反応していいか困るわよ。

 アタシにはそんな結果を貶すことも笑うことも、もちろん責めることだってできないんだから。

 22秒のタイムオーバーを13秒タイムオーバーしたウマ娘が笑ったら、それこそ故事成語の五十歩百歩の逸話と同じじゃない。

 

「タユウ、勘違いしとるようやから、一応言っとくけど……アンタの場合と、アイツの場合には大きな差があるからな?」

「え……?」

 

 どういうこと?

 さっきアタシが自分で思ったとおり、22秒だろうが13秒だろうが、大して差なんてないでしょ?

 ギリギリのタイムオーバーだったから、っていうのならまた違うと思うけど……

 アタシが眉をひそめていると、タマモクロスは説明してくれた。

 

「タイムオーバーなんて、メイクデビュー戦や未勝利戦では、まぁあることや。どんなに実力差があっても出発点は一緒やからな。とんでもない新人がとんでもない速さで走れば、起きてまうことやし。せやから、デビュー戦のタイムオーバーはお咎め無しや」

 

 タマモクロスの説明の通り、通常なら1ヶ月の出走停止が課せられるタイムオーバーも、デビュー戦に限っては免除される。

 まぁ、アタシもその恩恵を受けたウチの一人だけど…………

 

(……う~ん、なんかこの話、アタシの古傷をずっとエグられ続けているような気がするんですけど)

 

 アタシは複雑な気分になりながら、タマモクロスの説明を聞き続ける。

 

「問題は、それが重賞でやらかしたということや」

「あ……」

 

 そうだったわね。

 そういえばそのレースは重賞の弥生賞だったんだわ。

 

「重賞はトウィンクルシリーズでもトップクラスのレース。実力が伴わないヤツはお断りのデカい舞台や。そんな中で、負傷したわけでもないのに22秒ものタイムオーバーをすれば……」

「……批判の的になるわね。それは」

 

 ましてそれがデビュー戦。

 重賞がデビュー戦なんて正気を疑うけど、逆に言えばそれをやってくるということは、()()()()()()()()()()こそであり、恥ずかしい結果を残さないという暗黙の了解を期待する。

 だが、それを裏切った。

 その結果は──重賞レースそのものを愚弄するようなものだ、と言っても過言ではない。

 

「当然、URAのお偉いさんはカンカンや。『ホレ見たことか』とか、『こんなウマ娘出して品位を傷つけた!』とか、『あまりにもバカにしとる』って怒り狂ってな」

 

 さもありなん。

 正直……アタシだって怒りを感じるわよ。

 タイムオーバーでデビューしてからトレーナーに出会って、それから色々あったけど、苦労しながら勝ちを重ねて……高松宮杯に出るまでだって大変だったのよ。

 それを実力も伴わないのに、まるで騙すように近道して重賞に出たんだから。

 

「当然、非難轟々(ごうごう)や。当のウマ娘はもちろん、出走させたトレーナーも含めてな。ま、いわゆる炎上っちゅうヤツや……」

「ウマ娘だけじゃレースに出られないものね。自分の教え子の実力も見極められずに出走登録を行ったトレーナーも非難されて当然よ」

 

 先の理由で憤っていた私がそう言うと、タマモクロスは──複雑な表情を浮かべながら、小さくため息を付いた。

 あれ? アタシ……なにか変なこと、言った?

 

「……そのウマ娘こそ、そこにいるパーシングやで」

「え? それって、まさか…………」

 

 アタシはイヤな予感がして青ざめる。

 どうか、それだけは……アタシの嫌な予感がはずれて欲しいと願ったけど──現実は非情だった。

 

「ああ。お察しの通りや。その担当をしていたのが、新人やった乾井トレーナーや」

「そんな……」

 

 アタシは、絶句しながら再び視線を戻す。

 長い髪をした抜群のプロポーションをした、まるでモデルのようなウマ娘と、アタシの担当のトレーナーが向かい合って話をしている。

 

(あのトレーナーが? どうして……)

 

 アタシの面倒を見ている彼は、そんなズルいことをするようにはとても見えなかった。

 正直、いろいろ言いたいことはあるし、アタシも怒ったりもする。

 向こうが怒らせてくるのも多々あるけど……でも、それでもアタシは信用していた。

 

「……それで終わりやないで」

 

 タマモクロスは、さらに深くため息をついて話を続けようとする。

 それに対してアタシは(かぶり)を振って、視線を逸らした。

 耳を伏せ、目を閉じてうつむき──

 

「イヤよ! これ以上知りたくない!! それ以上聞いたら、アタシは……あの人のこと信用できなくなる! そうしたらアタシは……」

「タユウ……」

 

 戸惑うタマモクロス。アタシは彼女に、言葉をぶつけるように言い放った。

 

「アタシは、走れなくなる! あの人がそんなに(ずる)い人だったら、あの人の指導で走った、あの人の言うことを聞いて走った自分を信じられないもの。そんな汚いものに導かれて走っていたのなら──」

「落ち着きや、タユウ!」

 

 タマモクロスがアタシの肩をバンと叩く。

 

「あの人がそんな人か? 自分のトレーナー、信じられへんのか? 出会ったばかりのアンタの体を心配して、わざわざここから福島まで行ったような人が、自らそないなことするような人なわけないやろ」

「あ……」

 

 その日のことをアタシは思い出して、落ち着きを取り戻す。

 恐る恐るタマモクロスを見ると、彼女は笑みを浮かべた。

 

「心配せんでもええ。これより先の話は、あの人も被害者や」

 

 そう言ったタマモクロスの表情はアタシを落ち着かせるために穏やかだったけど──いざ口を開こうとするときには、彼女の目には強く力がこもっていた。

 

 ──彼女は当時を思い出し、怒っていたのだ。

 




◆解説◆
【~無謀なる挑戦者~】
・今回のタイトルは、プレイステーションで発売された『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』のゲーム、『~新たなる挑戦者~』から。
・レースであるサイバーフォーミュラのゲームだから、レースゲーム……と思いきや、選択肢を選んでいくスタイルのゲーム。
・オリジナル?(見た目はνアスラーダと同じ)のサイバーマシン、ネメシスも好きでした。もちろんアスラーダとの対比のために女性声を選びましたが。
・グラフィックとか、ゲームとしての出来は……ちょっと、でしたけど、シナリオは好きでしたね。

三女神像
・トレセン学園の中にある、ウマ娘と同じく馬の耳と尻尾を持った3柱の女神の像。
・メジャーな施設なはずなのに──ゲームの能力継承のときは、「気が付いたらやってきていた」というような、まるで外れの方に人知れず建っているようなイメージがあります。
・ところでこの三女神……なにを示しているんでしょうか。
・書いている人の解釈で、本作ではこの女神達の元になっているのはサラブレッドの三大始祖──ダーレーアラビアン、バイアリーターク、ゴドルフィンアラビアンではないかと思ってます。
・三女神の元ネタについて、公式で明確な言及ってありましたっけ?

弥生賞
・元レースの現在の正式名称は、『弥生賞ディープインパクト記念』。
・1964年に4歳馬限定の重賞競走「弥生賞」として創設されました。
・開催日は概ね3月の頭。開催地は概ね中山で、他に東京で開催されています。
・1969年と1970年を除いて芝で開催され、1600メートルで始まったのが、1800、2000メートルと伸びて、現在も2000メートルで開催されました。
・1970年に『報知杯弥生賞』と改称。
・1982年から 「皐月賞指定オープン重賞」となり、5位までに入った競走馬には皐月賞の優先出走権が付与されるように。
・1984年のグレード制移行で、GⅢに指定され、その後の1987年にGⅡに昇格。
・1991年からは5位までだった皐月賞への優先出走権は3位までに縮小。
・1995年から「皐月賞トライアル」の副称がつくように。
・2020年に名称を、現在の「報知杯弥生賞ディープインパクト記念」に変更しました。

GⅡ
・ここは、ちょっと迷ったところなんです。実は。
・上で解説したように、弥生賞がGⅡになったのは1987年から。
・ダイユウサクの同世代であるサクラチヨノオーがこのレースを制したのは1988年のこと。
・ただし、作中で今回の件をダイユウサクは知らないし、タマモクロスも聞いた話でそれよりも前のことになりますか……時間軸的におかしいことになりそうなんですよね。
・ただ、今回の件──“弥生賞でデビュー”という問題が史実で起きたときのグレードはGⅡですので、GⅡということでゴリ押ししました。

非難轟々(ごうごう)
・え~、この事件……知っている方はご存じかと思いますが、時間軸的にはこんなところではなく、2018年に起きた事件がモデルになっています。
・2018年の弥生賞に、未出走の競走馬が出走し……ダントツの殿負け。
・22秒9のタイムオーバーをするということがありました。
・その出走馬の名前をとって『ヘヴィータンク事件』と呼ばれています。
・なんでこんなことをしたのか……一説によれば重賞競走でJRAから出る「出走奨励金」が目当てではないか、と言われています。
・6着から10着までに支給され、10着のヘヴィータンクには1着賞金の2%にあたる108万円が支給されることに。
・また「特別出走手当」については重賞競走であるため「1着馬とのタイム差」による減額措置の対象とならなかったため、満額の43万1000円が支給されました。
・占めて151万1000円をヘヴィータンクは獲得し──レースの三日後、3月7日に引退。競走馬登録を抹消されました。
・そしてその後、この事件がきっかけとなり──未出走馬・未勝利馬が重賞に出走した場合でも、タイムオーバーによる出走制限ならびに賞金(出走奨励金・特別出走手当)の減額措置が適用されるようになり、現在では同条件の場合には「出走奨励金」と「特別出走手当」は不交付となるようにルールが変わりました。
・まぁ、そもそも……未出走やら未勝利で重賞挑戦する方がおかしいわけで……後続が出ないようにするための措置でしょうね。
・────ちなみに「轟々」と「囂々」で迷ったんですが、私が一番好きな戦隊から「轟々」にしました。『轟轟戦隊ボウケンジャー』は最高だと思います。

パーシング
・改めて説明します。()()()()()()()()のパーシングです。
・名前の元ネタは同名の地方馬パーシング……ではなく、第二次世界大戦末期にアメリカ軍が開発した戦車、M26パーシング。
・ドイツの優秀な戦車に対抗すべく開発された重戦車(ヘヴィータンク)で、M4シャーマンの後継の主力戦車として活躍しました。(戦後の1946年には中戦車に分類変更されてしまいましたが)
・アメリカの重戦車から名前をとったので、日本人離れした美貌とプロポーションの持ち主、となっています。きっと、体の一部にはヘヴィーな増槽(タンク)もあることでしょう。(ぁ
・だからこそ、乾井トレーナーは次代を担うアイドルウマ娘になれる、と思ったのですが……
・メンタルの方は元になった重戦車ほど強くも重くもなかったようで。


※次回の更新は11月1日の予定です。  



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第61R 大失態… 乾井 備丈(マサタケ)の憂鬱

 
 ──あのレースの直後から、オレは謝罪に追われていた。

 まさかあんなことになるなんて、という思いで一杯だった。
 確かに、彼女の実力不足は分かっていた。
 だからこそ、一度レースで負けを経験させ、自分の実力を理解させた上で奮起させようと思った。
 が──彼女は、「そんな小さなレースでデビューなんてイヤ」と言った。
 そして言った。

「クラシックのトライアルなら……未勝利でも出られるでも出られるわよね?」

 その通りだった。
 当時のルール上、それが認められてしまう。ジュニアとクラシックに限って言えば、トライアルレースには出走できてしまうのだ。
 たとえ未勝利どころか未出走だろうと、だ。
 それに気が付いた彼女に言われ──オレは、躊躇った。

(出せるはずがない。普通のメイクデビュー戦や未勝利戦でも勝てそうにないから、今までデビューさせてなかったんだぞ。それをいきなり重賞だなんて……)

 反対しようとした。さすがに無理だ、と。
 だが……

「それができないなら、競走(レース)、辞めるわ」

 愕然とした。
 最初の担当したウマ娘が、勝利どころかデビューさせることさえできずに終わる?
 そんなこと──耐えられなかった。

(第二の“彼女”を……国民的アイドルウマ娘を再び誕生させるんだ! そのためには……)

 オレは、弥生賞への出走を登録した。
 だが、その後は普通の精神状態ではいられなかった。
 彼女が重賞で通じないことなんて分かり切っている。
 でも──マスコミやファンは「重賞に未勝利ウマ娘が出走してる」「遅れてきた大物か!?」「初勝利が重賞制覇になるかも……」「いやいや、2着で出走権得て、未勝利で皐月賞制覇だろ」等々、さまざまに言っていたが、その言葉がオレの心を深く抉る。

(そんなこと、できるはずがない)

 それを一番分かっているのが、オレ自身だったからだ。


 そして結果は案の定──ぶっちぎりの最下位。


 スタートしてからあっという間において行かれ、文字通りのレベルの差を見せつけた。
 トップから22秒9遅れ──後ろから二番目(ブービー)からさえも約124バ身離されてのゴール。
 その走る姿は観客を唖然とさせ、失笑を生み──暖かい拍手の中、彼女はゴールしたのだった。
 だが、オレはその姿にどこかホッとした。
 ゴール前に悩んでいた重荷が、結果はどうあれなくなったのだから。

 ──もちろんその後は大変だった。

 実力の劣るウマ娘を出走させたことで、URAの諮問委員会から呼び出されるほどだった。
 それを庇ってくれたのは──“先生”だった。

「ルール上、問題は無いはずでは?」

 クラシックのトライアルには出走できることになっている。
 問題があるとするなら、それは出走できてしまうルールの方だ。
 そう言って、オレの師はオレを庇ってくれたんだ。
 諮問委員会も、それを突かれては反論できず──オレは、お咎め無しになった。

 ただし……庇ってくれた“先生”は、引退した。

 あの人なりのケジメの付け方だったんだろう。
 そのせいで、東条先輩にも迷惑をかけてしまった。
 それら──いや、それ以上のゴタゴタがどうにか落ち着くのに多大な時間と労力を要した。

 そうして……あのレースから数日後。

 オレは、気を取り直して、アイツのトレーニングを再開しようとした。
 彼女は自分の実力を知ったはず。
 他のレベルの高さ──しかも最高峰のレベルを知ったはず。
 鼻っ柱を叩き折られた今の彼女なら、オレの指導にも従ってくれるはずだ。


 ──そう思っていたのだが、


「……あの()、辞めちゃいましたけど?」
「え?」

 いつまで経ってもやってこないことに業を煮やしたオレが、学園の彼女の教室へと向かい、そこにいたウマ娘に「どこにいったか、知らないか?」と訊いたところ、そんな答えが返ってきた。
 しかし……それだけじゃあなかった。
 オレがその言葉に驚いていると、そのウマ娘は怪訝そうにオレを見て──

「あの、ひょっとして……アンタ、パーシィのトレーナー?」
「え? ああ、はい。そうですけど……」

 オレがそう答えるや、放課後になっても未だに残っていたウマ娘達のまとう空気が、一変した。

 まるで、睨みつけるように見てくるウマ娘がいた。
 対照的に、怯えるような目を向けてくるウマ娘もいた。
 ゴミを見るように、軽蔑した目を向けてくるウマ娘が一番多かった。

 いったいなにが起こったのか──オレにはまったく理解できなかった。

 戸惑うオレに向かって、一人の──オレを睨みつけていたウマ娘が近づいてくる。

「オイ、下種(ゲス)野郎!! ここれはオメエみたいのが居ていい場所じゃねえんだよ!!」

 そう言いながら放たれた、全力の前蹴りを腹に食らってオレは教室外へと吹っ飛ばされ、廊下の壁へと激突する。
 叩きつけられ、背中を(したた)かにぶつけたオレは、「カハッ」と衝撃で肺の空気が叩き出された。

「な、なにを……」
「お前がパーシィにやったこと、全部聞いてんだからな? ただで帰れると思ってんじゃねえぞ!!」

 さらに浴びせられる強烈な蹴り。
 身を守ろうと出した腕に痛みが走る。
 反論することも、詳しい事情を訊く余力さえも許されず、さらに蹴りを入れられる。

 ──騒ぎを聞きつけた、理事長秘書が駆けつけてくるまで、オレはサンドバックのようにされていた。



 

「──アイツは、逃げたんや」

 

 タマモクロスは吐き捨てるようにそう言ったわ。

 普段は面倒見がよく気っ風のいい先輩なだけに、嫌悪感を丸出しにして言うその姿は本当に珍しかった。

 

「あのレースの三日後には、アイツは引退届を出しとった」

「え……?」

 

 さすがに呆気にとられる。

 えぇ……? やめたの? そんな反則じみたことをしたくせに。

 ホント、いったいなにが目的だったのよ。

 

「それだけやない。あのアホ、去り際に乾井トレーナーの悪口、有ること無いこと言いふらして、それでいなくなったんや!! あのレースに出たのはトレーナーに強要されたってな。さらには、あのトレーナーに乱暴された、なんてことまで──」

「なッ……」

 

 タマモクロスの言葉にアタシは絶句する。

 

「そ、そんなわけないわよ! だって、福島のとき……」

 

 アタシと初めて会って、助けてくれた日……あの人は宿泊費が一部屋分しかないからって、高速道路にも乗れないバイクで福島から府中へ帰ったのよ? それも一晩中かけて。

 そのことを話すと、タマモクロスは──

 

「もちろんわかっとる。全部、あの女の狂言や。我が身可愛さでトレーナーを悪者に仕立てたんや。おかげで彼は……」

 

 未出走のウマ娘を重賞に出走させたことは、どうにか決着が付いた。

 担当のトレーナーが新人であり経験浅く未熟であることや、ルールが未整備であった負い目もあって、厳重注意という処分で済んでいた。

 だが──こうなってくると、話は違う。

 再び、責任を問われることになった乾井トレーナー。

 

「けど、決定的な証拠はない。そもそも本当にあったのかを裏付けるようなものもなかったんや。おまけに同僚のトレーナー達も、そないなことするわけないって庇って──特にあの、東条トレーナーが、な」

 

 それで思い出す。

 そういえば、あの諮問委員会のとき──《カストル》のトレーナーにアタシとトレーナーの関係を邪推してきて、前にも教え子に手を出したような話をしてたけど、このことだったんだ。

 《リギル》の東条トレーナーが、相手を引かせるほどに猛抗議してたし。

 

「結局、自称被害者のあのウマ娘も、話を聞こうにも雲隠れしてもうてどこにいったんだかサッパリ分からん。その結果、この件に関してはウヤムヤになった」

 

 そのことにホッとするアタシ。

 だけど……

 

「しかしそれも、却って乾井トレーナーには良くなかったんや」

「疑惑は晴れたんでしょ? 良くないわけ……」

「晴れとらんわ。言ったやろ、ウヤムヤになったって。話したヤツが出てきて『スマン、ウソやったわ』って言ったんならともかく、そんな結末やから白か黒かも分からんグレーになってしもうたんや」

「あ、そうか。疑惑が晴れたワケじゃないから……」

「せや。当時は、アイツの話を鵜呑みにしたウマ娘達も多くてな。中には怒りにまかせてボコボコにしてもうたヤツもおったらしい」

「そんな……」

「どうにか理事長秘書が助けたらしいけど……」

 

 んん?

 ひょっとして、トレーナーがたづなさんをやたら気にしているのって、まさかそれがきっかけなの?

 

「まぁ、そんな経緯で、ウマ娘の間であのトレーナーは“教え子に手を出して、無理矢理に無謀なレースに出走させて学園から追い出した”って、後ろ指さされることになったんや」

「ッ……」

 

 アタシの脳裏に、今まで彼と会ってからの光景がフラッシュバックした。

 ウマ娘の誰からもトレーニングの勧誘を断られ、担当がいなかったのは、それが原因だったんだ。

 事情をよく知らない同僚(トレーナー)からも揶揄されて……

 原因のウマ娘がいなくなった後、アタシ達以降の世代からも残っていたウワサのせいでよく思われてなくて……

 

「おかげであのトレーナー、一時期は精神的に参ってしもうてな。しばらく休んだんやけど、それが『休んでいるのは謹慎しているせい』『やっぱりウワサは本当なんだ』って……もう、なにをやってもそれに結びつけられてまう始末や」

 

 学園サイドからすると、もはやお手上げだったみたい。

 結論として「ここ、中央トレセン学園にいる間もはやどうしようもない。ここは地方のトレセン学園に移籍して、噂とは無縁の場所でなら再起も可能だろう」と判断したらしいわ。

 やがて地方からの要望があり、それに応じようとしたら──()()()()()()()()()()()()左遷(トバ)されて、生き残ることに。

 

(それでアタシのところに、きたってワケね……)

 

 アタシと出会うまでの彼の話を聞かされて──少し離れた場所でそのウマ娘と話をしている様子の彼を陰から見る。

 そんな彼に、あのウマ娘は今更なにをしにきたっていうのよ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「パーシング……」

 

 オレは、そのウマ娘を呆然と見つめることしかできなかった。

 相変わらず長い栗毛に、縦に入った白斑が美しい。

 学園を、競走(レース)界を去っても、彼女のプロポーションは変わっていないのも分かった。

 そんな彼女はジッとオレを見つめ──

 

「随分と他人行儀な呼び方ね。昔みたいに、パーシィでいいのに」

 

 そう言って蠱惑的な笑みを浮かべてウィンクをしてきた。

 あざとい。

 だが──それがきわめて普通に、そして違和感なく自然にできてしまう。それがパーシングというウマ娘だった。

 

「……パーシング。なんで今さら、トレセン学園に来たんだ」

 

 だからこそ、オレは昔の呼び方では呼ばず、“パーシング”という呼び方にこだわる。

 もしもう一度、彼女をそう呼んでしまったら、同じ過ちを再び繰り返す──そんな根拠のない警戒心が働いたからだ。

 

「今、言わなかったかしら? あなたに会いに来たのよ」

「……それこそ“今さら”だ。あの日、なにも言わずに勝手にいなくなったのはお前の方だろう」

「そうね。そのことに関しては、あなたには謝りたいと思っていたわ。それが今日、ここにきた理由の一つでもあるし──」

 

 パーシングは、スッと一歩前に踏み出してきた。

 それに対してオレは──思わず半歩、後ずさる。

 

(くッ……)

 

 そこでどうにか踏みとどまる。

 とにかくオレは、このウマ娘が苦手だった。

 ドン底に落としてくれた相手なんだから当然だ。

 だが──かといって怒りをぶつけられる相手でもないのだ。

 負い目があるために……

 

「あのときはごめんなさい。あんな騒ぎになって、もう学園にはいられないと思ったから……相談も無しに、あなたには悪いとは思ったけど……でも、引退するしかなかったのよ。さすがに──」

 

 さらに彼女はオレの方へと歩みを進める。

 足が後ろへと動きかけるのを、どうにか制する。

 

「──ッ なら、なんであんなことをしてくれたんだ。オレに……乱暴されただなんて」

「それもごめんなさい……あのときの私、精神的に追いつめられていたのね。だからクラスメートにやめる理由を問いつめられて、軽いパニックになってしまったみたいなの。気がついたらその場を取り繕うために、つい……」

 

 心底申し訳なさそうに言って、頭を下げるパーシング。

 一方で、オレの腹の中は「つい、だと……」と、煮えくり返った。

 その狂言のせいで、オレがどれだけ苦労する羽目になったか……

 

「でも、トレーナーも悪いのよ」

「え……?」

「私を──あんな勝ち目のない重賞に出走させたんだから」

 

 一瞬まで申し訳なさそうにしていた彼女の目は、すでにオレを責めるような目で見ていた。

 その視線がオレの胸に刺さり──ジクジクと痛み出す。

 

「それは……」

「あなたにはあの結果がわかっていた。違う?」

 

 さらにズイッと距離を詰めたパーシングの目が、じっとオレの目を見つめていた。

 いつの間にか笑みは完全に消えている。

 その瞳は、完全にオレに罪を追求し、そして断罪する鋭いものへとなっていたのだ。

 それに対してオレは──

 

「………………」

 

 ──なにも言い返せなかった。

 その通りだったからだ。

 彼女の実力を知り、そして重賞である弥生賞のレベルを知っていたオレには、あの結果が予見できていた。

 オレの目は、彼女の目に圧されて雄弁に自白し──役目を果たした彼女の瞳はその圧を弱める。

 そして──

 

「私とトレーナー契約結ぶときに『一緒に重賞を制しよう』って約束したのに……私とはできなかったその約束を、別のオンナと果たしたってワケ?」

「なッ!?」

「知らないとでも思った? あなたもしっかり、表彰式に映っていたじゃない」

 

 オレが驚愕していると、彼女はニンマリと笑みを浮かべ、オレへ顔を寄せる。

 

「き・ん・ぱ・い、よ……おめでとう、重賞制覇」

「く……」

 

 背筋に冷たいものが流れる。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように、オレは動けず、言葉の一つも返せなかった。

 

「あのウマ娘……なんて言ったかしらね。ダイなんとか……ちょっとイモっぽいけど、才能あるんでしょうねぇ。なにしろ重賞で競って、勝てるくらいなんだからぁ」

 

 自虐的な乾いた笑みを浮かべる彼女。

 そして一転し、再度オレに顔を寄せる。

 

「あんなタイムオーバーした、私と違って、ね……」

 

 今まででもっともオレの顔に近づいた彼女の鋭い目は──まるで喉元にナイフを突きつけられているようだった。

 なにも言い返せない。

 いったい、なにを言えばいいのか……オレが迷っていたそのとき──

 

「ふざけんじゃあないわよッ!!」

 

 突然、横から響きわたった大声に、オレとパーシングは呆気にとられながらそちらを見た。

 そこには──

 

「ちょ、待ちいや、タユウ……」

 

 踏み出ていかんとする隣のウマ娘を必死に止めようとしている、長髪葦毛のウマ娘と──

 

「黙って聞いてれば、随分好き勝手なことを言ってくれるじゃないの!!」

 

 それを引きずるように茂みから飛び出してきた、憤然としている長髪鹿毛のウマ娘がいた。

 その飛び出してきた方こそ──

 

「だ、ダイユウサク……」

 

 オレが指導するウマ娘だった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ふざけんじゃあないわよッ!!」

 

 タマモクロスと一緒に隠れて、トレーナーと彼の旧教え子を見ていたアタシだったけど、我慢の限界を迎えてそこを飛び出したわ。

 そうしてズカズカと歩み寄りながら、大声で言う。

 

「黙って聞いてれば、随分好き勝手なことを言ってくれるじゃないの!!」

 

 タマモクロスがアタシの肩をつかんで、必死に止めようとしてるけど、関係ないわ。

 もう完全に頭に来たんだから。

 

「……誰?」

 

 訝しむような視線を無遠慮に向けてきたそのウマ娘(オンナ)に対し、アタシは猛然と言ってやる。

 

「さっきアンタが自分で言ったでしょ! 金杯を制覇した、“ダイなんとか”さんよ!!」

 

 まったく、表彰式を見たんじゃないの?

 そこで表彰されたアタシを見忘れてるなんて、あまりにもふざけた話!

 だ・れ・が、表彰式の主役だったと思ってるのよ!?

 

「ああ、あのときの……」

 

 アタシの剣幕でやっと思い出したのか、「なるほどね」なんて言いながら笑みを見せる。

 か~、イラッとするわね。その“余裕あります”と言わんばかりの態度。本当に頭にくるわ。

 

「なんなの、アンタ! 学園にわざわざ入ってきて……トレーナーに皮肉を言うだけのために、こんなところまで来たの?」

「この人に文句? そんなこと無いわ。お世話になったお礼を言いにきただけよ。それと──」

 

 そのウマ娘は、余裕を見せながらアタシにスッと顔を寄せてきた。

 

「OGとして、後輩への忠告……かしら?」

「なによ?」

「あなた……この人を随分と信頼しているみたいだけど、そのうち痛い目を見るわよ。私みたいに」

「アンタみたいに?」

「ええ。勝ち目のないレースに出させられて無茶やらされて……そうして、ポイって捨てられるの」

 

 そう言うとさも楽しげに「ウフフフ……」と笑みを浮かべる。

 ……いったい、なにが面白いってのよ、ホントに。

 アタシが不快そうに眉を寄せると、彼女はおもちゃを見つけた子供みたいに歓喜の表情を浮かべたわ。

 

「私と違って、才能溢れるウマ娘なんだから大事になさいよ。この人につぶされないように──」

「才能あふれる? アタシが? ──ッ」

 

 思わず吹き出しそうになっちゃったわよ。

 そうして嘲りの視線を向けてあげると──彼女は訝しがるようにこっちを見てきた。

 へぇ、やっぱり……このウマ娘(ひと)、アタシのこと全然知らないのね。

 

「アタシなんかが才能あふれるわけないでしょ。自分の才能のなさに何回嘆いたか、わからないわよ」

 

 アタシの周りにはそれこそ才能あふれるウマ娘ばかりだったもの。

 オグリキャップ、メジロアルダン、スーパークリーク、サクラチヨノオー、それにコスモドリーム……みんな、重賞で活躍していたもの。

 そんな彼女たちに比べたら、アタシなんて──悲しくなってくるわよ。

 アタシが同世代のウマ娘達に思いを馳せていると、目の前の彼女──たしか、パーシングとか言ったっけ──は余裕たっぷりという仮面をかなぐり捨てて、怒りの表情を露わにする。

 

「才能がないですって? 重賞を制したあんたには分かるわけがないわ。22秒ものタイムオーバーをさせられた私の屈辱が……」

 

「分かるわよ!!」

 

 アタシはキッパリと言ってやった。

 

「アンタはその屈辱には向かい合わず、ただ逃げただけじゃない! そんなヤツが、偉そうに語るな!!」

「なッ……」

 

 アタシに言われ、図星をつかれたのか一瞬だけ狼狽した様子を見せた彼女。

 直後、睨みつけてきて勢いよく口を開く。

 

「あんたになにが分かるって言うのよ! あんたみたいな、順風満帆の道を進んでるウマ娘に、私の気持ちなんてわかるわけ──」

「順風満帆? どこがよ!?」

 

 これにはさすがにアタシもカチンと来た。

 彼女、他人をいらだたせる才能だけは、ウマ娘の中でもトップクラスなんじゃないの?

 頭にきていたアタシは、怒鳴るように言った。

 

「アタシのデビュー戦は、13秒のタイムオーバーよ!!」

「え……」

「オマケに、次は7秒のタイムオーバー! 足せば20秒で、アンタのとそう変わらないわよ!!」

 

 まったく……なんでアタシが自分の恥をこんなところでさらさないといけないのよ!

 あ~、まったくホントに、ハラが立つ!!

 

「そんな……あなたが? 本当に?」

「こんなウソをつくメリットがアタシにあると思ってる? アタシのことをちょっと調べればすぐに分かるわよ、こんなこと」

 

 唖然としている彼女をにらみつつ、言ってやったわ。

 でも、そんな失敗自慢が目的じゃないのよ!

 

「才能がないと言い訳をして、自分の実力とは向き合わずにそうやって逃げた……アタシだって逃げたかったわよ。あのときは心が弱ってたし、あのままだったらそのまま辞めてたわ。だからアンタの気持ちがわからない訳じゃないわ。でも……」

 

 アタシは、彼女の傍にいた、一人の男性を見る。

 

「その人に……トレーナーに勧誘されたのよ。トレーナーをやらせてくれって。アタシに才能があったかどうかなんて、正直わからないわ。でも間違いないのはこんなアタシをここまで育ててくれたトレーナーの腕と、アタシのトレーナーに自らなったこの人の目が優れていたってことよ」

 

 視線をパーシングってウマ娘に戻す。

 

「アンタは、そのトレーナーに見いだしてもらって、そのトレーニングを受けていたんでしょう? 彼を信じられなくて逃げ出したってことじゃないの! そんなアンタが彼を責める権利なんてないわよ!!」

 

 言い放ち、アタシは彼女をビシッと指さす。

 

「それだけじゃない。自分だけが夢をあきらめるのが、トレーナーが残るのが面白くなったから、妙な噂流して居場所を奪って──本当に最低だわ」

「ち、違……」

 

 アタシの指摘に動揺するパーシング。

 当てずっぽうだったけど、図星だったみたいね。

 

「……いいわ。宣言してあげる。今年中に、GⅠとってやろうじゃないの!」

 

 

「「「──はい?」」」

 

 

 驚くパーシング。ふん、間の抜けた顔で唖然としているわ。

 その表情でモヤモヤしていたアタシの心が、少しだけスッとする。

 ……その横でトレーナーが同じような顔をして、それにアタシの後ろからも声が聞こえてきたような気もしたけど。

 

「GⅠレースで優勝してあげるって言ってるの!! それでその人の目が、正しかったことを証明してあげるわ! そうすれば、途中であきらめて逃げた、それに優秀なトレーナーを巻き込もうとした愚かさが少しは理解できるでしょう!?」

 

 アタシがビシッと言ってやったら、彼女は戸惑うように言ってきたわ。

 

「へ、へぇ……でも、いいの? そんな宣言して。できなければ恥をかくだけよ」

「いらない心配よ。アタシがGⅠを勝てばいいんだから。そのときには……アンタには土下座してトレーナーに謝ってもらうわ! 愚かだったワタシを許してください、ってね」

 

 負け惜しみのように言う彼女に、アタシは胸を張り、見下ろすように言ってやる。

 途端、彼女の表情が歪む。

 

「ふ~ん、そこまで言って……もしもできなかったら、どうするつもり?」

「ええ。なんでもやってやろうじゃないの。アンタが望むこと、なんだろうとね」

「へぇ……じゃあ、できなかったら年末で引退して……」

 

 アタシにスッと近づき、耳元で囁くように言った。

 

「……そのままセクシー女優にでも転身してもらいましょうか」

 

「へ……?」

 

 せくしーじょゆう?

 なによ、それ。

 アタシがピンと来てない様子を見て、パーシングはクスクスと悪戯っぽい笑みを浮かべ、アタシの耳元でそれを説明した。

 

 ──は?

 

「ななななななな──ッ」

 

 な、なによそれ!!

 

 ボンッと顔が熱くなるのが分かるわ。顔も真っ赤になってるでしょうね。

 思わず、この場で唯一の異性であるトレーナーをチラッと見てしまうけど──話が聞こえてなかったらしく、アタシと彼女を不思議そうな、そして不安そうな顔で見ている。

 

「もちろんその売り上げはわたしが全部もらう、と。可哀想だから生活費くらいは残してあげるわ」

「じょ、冗談じゃないわ。こんな話──達成できなければ、その……セクシー女優……になれ、だなんて!」

 

「「ええっ!?」」

 

 話を聞いてさすがに愕然とするトレーナーとタマモクロス。

 

「あら、逃げるの? いいわよ。自信がないのなら、それを()()()()()()()

 

 今度は彼女が挑発的な笑みを浮かべてこっちを睥睨してきた。

 は? 逃げる?

 なんでアタシが下手にならないといけないのよ!

 アタシは──絶対に、間違ってない!!

 

「そんなわけないでしょ!! いいわ、その条件で受けてやるわよ!」

 

 だからアタシは、キッパリと言ってやったわ。

 即座に、他の二人が声をあげる。

 

「バカ! お前──」

「タユウ!? アホなこと言うな!!」

「部外者は黙ってて!! こんなの、アタシがGⅠ勝てばいいだけよ! それに……」

 

 そう言ってアタシは勝ち気な笑みを浮かべ──トレーナーを見た。

 

「アンタなら──取らせてくれるんでしょ?」

「お前……」

 

 自分自信の力を信用しているわけじゃない。

 アタシが信用しているこの人が、信用しているアタシの力を信用する。

 いつか言われたその言葉を思い出して、彼を見つめる。

 

 ──そのとき、「ギリッ」と歯同士が擦り合わされるような音がした。

 

 音がした方へと振り向きかけると──パーシングというウマ娘の声が響く。

 

「じゃあ、その条件で決まりね」

 

 うつむき加減だった彼女は、薄昏(うすぐら)ささえ感じさせる笑みを浮かべてそう言うと、(きびす)を返した。

 

「約束、忘れないようにね。いい感じで、そこに証人もいたことだし──天皇賞を初めて春秋制覇したウマ娘なら、公平さも間違いないでしょうし」

「って、ウチか!? そんなわけのわからんことに巻き込むな!! 証人になんてならへんで!!」

 

 さすがに抗議するタマモクロス。

 しかし、パーシングはそれを無視して去っていく。

 

「あなたのGⅠ制覇、楽しみに待っているけど……なるべく早い方がいいんじゃないかしら? 年末になって、まるで夏休みの宿題が終わっていない学生みたいに慌てる、なんてことにならないようにね」

 

 アタシ達に背を向けると、彼女はそう言い残して立ち去った。

 その背中が、建物の影に消え──アタシは大きく息を吐いた。

 

「はぁ……」

 

 ホントに、頭に来た。

 その怒りで煮えくり返った頭の中が、急速に冷めていく。

 そして──

 

「タユウ……アンタ、アホやな。それも超ド級の、ド阿呆や!」

「なんてことを……」

 

 アウトかセーフかで言えば、間違いなくアウトな約束に、見ればタマモクロスは呆れた様子でジト目を向け、トレーナーは大きくため息をついてる。

 え? あんなの、感情にまかせた、その場限りの口約束でしょ?

 内容だってあんな冗談じみた──

 

「どっからどう見てもマジだったで?」

「今さら誤魔化すのは難しいだろ。あれだけ威勢よく啖呵切って……」

 

 ──暗い表情になる二人を見て、アタシはようやく突きつけられた現実を思い知らされる。

 

「えっと……ど、どどどどうしよう?」

「ま、とりあえず足の爪が生えんと、どうしようもないんとちゃうか?」

 

 愕然とするアタシに対して、タマモクロスは投げやりな調子で苦笑気味に笑う。

 GⅠをいくつも制した彼女には、その目標達成が言うほどやさしいものではないのが分かってるんでしょうし。

 

「ま、こんなところでの与太話や。いざとなったら『スマン』って頭下げれば済む話やろ」

「う……」

 

 たしかにそうかもしれないけど……

 口ごもるアタシを、トレーナーが優しげな目で見てきた。

 

「でも、謝りたくないんだろ?」

「当然よ!!」

 

 反射的に口をついて出た言葉に彼は、嬉しそうに笑みを浮かべ──

 

「ああ、そう言うと思っていた。春は絶望的だが……秋のGⅠ、絶対に取りに行くぞ」

「…………ありがと

 

 ──こうしてアタシは、GⅠ制覇を目指すことになった。

 アイツに、トレーナーに土下座して謝らせるために。

 

 

 

 ──そんなアタシ達を見つめている人影がいたなんて、テンパったアタシに気がつけるはずもなかった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「クロ! こんなところにいたんだ……」

 

 私は後ろから声をかけられて振り返りました。

 そこには──

 

渡海(とかい)くん」

 

 小さい頃の愛称で私を呼んだ彼は、私を見つけてホッとしたようでした。

 

「いつもの場所──三女神の像のところにいると思っていたからね。ちょっとだけ探したよ。なにかあったんじゃないかって」

「すみません。心配かけてしまって……」

「謝らないでよ。現にこうして簡単に見つけたわけだし、問題無し。うん……」

 

 思わず頭を下げると、彼は苦笑しました。

 本当に、純朴で昔のままといった雰囲気の彼。

 

「でも、どうしてこんなところに?」

 

 周囲を見渡す彼につられて見てみると、周囲には植えられた木くらいしかなくて

……確かに疑問に思うのも無理はありません。

 

「ちょっと人が争っている声がしたものですから……」

「えッ!?」

 

 彼は再び周囲を見渡します。先ほどよりも少し鋭い視線を向けて──

 

「あの、大丈夫です。もう話はついてお互いに去ってしまいましたから」

「なんだ。そうだったんだ……」

 

 ホッとする彼。

 私のことを心配してくれる彼に──その言い争いを見ている間に思ったことを伝えようと思いました。

 

「ねぇ、渡海くん……例のチームの件なんだけど、私、入りたいところが見つかったんだけど……」

「それって《リギル》かい?」

 

 私はハッキリと首を横に振りました。

 それで彼は少しだけ驚いて、困惑しているようにも見えました。

 

 私の入りたいチーム、それは──




◆解説◆
【乾井 備丈(マサタケ)の憂鬱】
・元ネタは『涼宮ハルヒの憂鬱』から。
・乾井トレーナーの下の名前は備丈(まさたけ)。学生時代は友人からは「ビジョウ」と呼ばれてました。
・そんなわけで名前の元ネタは『オーバーマン・キングゲイナー』のもう一人の主人公、「ゲイン・ビジョウ」から。
・その異名である「黒いサザンクロス」が由縁。トレーナーに「黒い」噂があるのと、一等星アクルックスは「南十字星(サザンクロス)」の一つなのでそこから。
・……え? 名前が最初と違う? 気のせい気のせい。修正済みだし。
・前は「よしたけ」だったんですが、言葉の響きで「ま」で始まる名前の方が好みだったので「まさたけ」に変わりました。

トライアルなら……未勝利でも出られる
・もちろん、通常の重賞は未勝利では出走できません。
・しかし、2歳(現在での数え方)重賞と春クラシックのトライアル競走には未勝利馬でも出走できるという規定があります。
・あの事件が起こったのは、そもそもこの規定があったせいなわけで……
・でもシンデレラグレイとか見ていると、地方から中央に移籍した競走馬が中央で未勝利やら未出走扱いでトライアルレースに出られなくなるでしょうし、挑戦できる条件を厳しくしすぎて門を狭めすぎると、クラシックレース等が盛り上がらなくなってしまうというのがあるのでしょうね。
・なお。さすがに出走馬がフルゲートを超えれば、当然に除外されます。
・しかし──ヘヴィータンク事件の時の弥生賞の出走は10頭。出走できてしまいました。

暖かい拍手の中、彼女はゴール
・さすがに、これは……近所の運動会じゃないんだから、可哀想だわ。
・確かに自分から言い出したから自業自得とはいえ、こんな事態を招いたのはトレーナーも悪いな、と思ってしまいます。
・これで彼女のプライドは、完全に砕け散りました。
・それで後の行動の動機になった……のかもしれませんね。
・ちなみにモデルになったヘヴィータンク事件の際も、ゴールした際には温かい拍手が起こったそうな。

ボコボコにしてもうたヤツ
・回想シーンにあったところですね。
・さすがにやりすぎ、とは思いますが……
・でもそのウマ娘にしてみれば、「トレーナーから、性的な乱暴を受けた上に勝ち目のないレースに出走させ、退学に追い込まれた」という話を完全に信じ込んでいるわけで
・そんな悪徳トレーナーが目の前にノコノコとやってきたんですから、そうなるのも無理はないかと……
・正直、その後もよくトレーナーやっていられるなぁ、と思います。
・まぁ、助けたのもたづなさんだったので、そこでフォローがあった、ということで。
・この件で、トレーナーの今までの行動が二つ理由づけられています。
・一つはもちろん、彼の理想がたづなさんであること。ウマ娘のハイセイコーにあこがれていたはずの彼の理想がたづなさんなのは、ボコられたところを物理的に助けられたのと、その後にメンタルも助けてもらったため。
・もう一つはことあるごとに、ダイユウサクに「オレの理想はたづなさんだ」と言い続けていたこと。
・これはパーシングの時の失敗から学び、「オレはお前のことを女性として見ていない」とアピールし続けているためです。

アンタのとそう変わらない
・実はこのシーン、書いた人の勘違いが含まれていたシーンでした。
・元ネタのレースでは「20秒差」と思い込んでいて「ああ、足したら一緒になるじゃん!」と思い込んでネタにしたのですが……
・よく調べてみたら、20秒差なのは先着の9位との差。すでに本文中にもあったように、トップとは22.9秒差でした。
・しかし……パーシングもやたらと「22秒のタイムオーバー」をアピールしてるけど、どっちかと言えば“約23秒”だよなぁ。
・近い0.1秒の方じゃなくて、0.9秒も切り捨てて主張してるのは……一応、プライドなんでしょうね。

セクシー女優
・え? これだけで18禁になるとか、無いですよね?
・そうならないように、精一杯オブラートに包んだ結果のこの単語ですから。
・元は、某二世タレントがそっち方面への転身するという騒動の際に、テレビのワイドショー等で、昼間のお茶の間にどうにか流せるよう、どうにか誤魔化した表現として使っていたのを聞いたのが最初のような気もしますが……
・もちろんこんな条件は、パーシングは本気ではありませんでした。ここまで言えばビビッて困るだろう、引き下がるだろう、という思惑だったのです。


※第一章第5部──掴め! 栄光の重賞制覇編──は、これにて終了。
・重賞制覇は少し前に終わっていたんですが……その後のGⅠ制覇への動機づけが終わっていなかったので、ここまで伸びました。
・忘れていたわけじゃなくて、切り辛かったんですよね。「ここ」ってポイントが無くて。
・オグリの引退有有だと、重賞制覇前だし、金杯直後だとその後が中途半端にあくので。
・さて、次の第6部は……いよいよラストです。
・あのレースに向かって、突き進んでいくダイユウサク。そして共に出走し、競ったライバルたちも続々と年末に向けて進んでいきます。


※次回の更新は11月4日の予定です。  



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第62R 大計画! 狙え!魅惑の大レース

 
「──そういえば、すごいウマ娘()が出てきたわね」

 4月も後半のこと。
 トレーナー部屋にいたオレに、同室のトレーナーで年上の後輩である巽見 涼子がそう声をかけてきた。

「皐月賞のことか?」
「もちろんよ。皐月賞を制して未だ無敗。このままダービーに挑戦でしょうけど、あれは……このまま勝っていきそうよね」
「そうだなぁ……」

 世間がざわつき始めているのはオレも感じていた。
 昨年末に一戦を退いた“怪物”……国民的アイドルウマ娘が去り、その穴を埋めるように現れた話題のウマ娘だ。

「次の波が、もう来ているのかもしれないな」

 そうしてオレは──手元の新聞を見つめる。
 そこには春の天皇賞の結果が掲載されていた。
 葦毛の長い髪を風になびかせ、黒い勝負服を身にまとった上品そうなウマ娘が手を振って観客に応える──そんな写真を見て、オレはそう実感していた。
 それに加えてさらに下の世代の、今さっき巽見がした話。間違いなく今年のクラシックレースの主役になるであろうウマ娘。
 このまま順調に勝ち進めばシンボリルドルフ以来のクラシック三冠なんてこともありうるかもしれない。

(もちろん、ウマ娘の競走に絶対などない、が……)

 だが、彼女には人々が思わずそれを期待してしまうほどの、明るさと快活さ、そして強さに基づく人気があった。

「ハァ……」

 それらを考えれば、思わずため息も出ようというものだ。

(そんなヤツらを相手にGⅠを勝たないといけないんだぞ、ダイユウサク……)

 バカな約束をしたと、オレも思う。
 今からオレがパーシングを探し出して、約束を反故にしたいとさえ思う。
 だけど……

(アイツは、オレのために怒ってくれたんだよな)

 そうなったきっかけは、明らかにオレにあった。
 その彼女の気持ちを無碍にすることは、絶対にできない。
 ましてアイツは──オレがGⅠを取らせてくれると、信じていた。

(その信頼には、応えないと……)

 挑戦する前からあきらめる、なんてことは絶対に嫌だ。
 オレだってアイツにGⅠ取らせるために、あがいてあがいてあがきまくってやる。

(それでもダメなら……オレが土下座するなり、パーシング(アイツ)が満足することをしてやればいい)

 ダイユウサクが泥をかぶる必要なんてない。
 たとえアイツが──代わりに、オレにトレーナーを辞めろと言ってきたなら辞めてやる。
 アイツにGⅠを取らせられなかったら──もしもそうなれば、二人のウマ娘の夢を踏みにじったことになる。
 そんなオレにトレーナーを続ける資格なんてないからな。



 

 我らが《アクルックス》の部屋には、あらかじめ招集をかけておいた全メンバーが集まっていた。

 

 競争ウマ娘のダイユウサク。

 トレーニングのサポートをするウマ娘のミラクルバード。

 

 ……以上。

 そう、我がチームは未だにトレーナーのオレを入れても3名しかいない。

 

「さて……お前達に集まってもらったのは他でもない……」

 

 オレは二人を見ながらそう切り出した。

 

「まったく……走るの禁止しておいて何の用件? 私だって暇なわけじゃないんだから……

「ボクは暇だったから全然問題ないよ~」

 

 不満そうに口ごもるダイユウサクに対し、ミラクルバードは笑顔で屈託無く言う。

 彼女曰く、ダイユウサクの長期休養のせいでやることが激減してしまい、こうしてチーム部屋に集まるのさえ嬉しいのだそうだ。

 

「ボクの場合、なかなか掃除とかは貢献できないからね……」

 

 ちょっと寂しそうに微笑む。

 確かに足の不自由なミラクルバードには、オレ達みたいに箒をもってきて床をさっと掃いたり、テーブルの上を片付けてサッと拭く……なんてことも難しいみたいだ。

 それでも彼女はそれを苦にせずやってくれる、気立てのいいウマ娘なのだが……

 

「それなら大人しくリハビリに精を出しなさい。秋が近づけばまた忙しくなるんだから……」

 

 突き放すような言葉ではあるが、それも相手を思ってのこと。まぁ、不器用なアイツらしいと言えばそうなんだが……

 それを理解しているミラクルバードも苦笑気味に「リハビリはちょっと……まだ動かないし、ね」と言いながらも、内心は気にかけてもらって嬉しそうに見える。

 

「今、ダイユウサクが言ったように、秋に向けてのことを話したいと思う」

 

 オレが言うとダイユウサクはうんうんとうなずいたが、ミラクルバードは首を傾げていた。

 

「ちょっと早すぎないかな? だってまだ4月だよ? そりゃあ皐月賞も天皇賞も終わったけど……」

「ミラクルバードの言いたいことはわかる。5月には日本ダービー、オークスとクラシックの二大レースがあり、そこで若手の実力や注意すべき相手が見えてくる──」

「若手って、まるで年寄りみたいな言い方……」

 

 茶々を入れてきたダイユウサクにジト目を向けながら言ってやる。

 

「そういうお前はシニアの中でもシニアクラス。十分、お(つぼね)様だぞ」

「なッ……」

 

 驚いて耳と、尻尾をピンと立てるダイユウサク。そして恨みがましい目を向けてきた。

 

「下の世代から見たらそう見えるってだけだ。で、6月にある宝塚記念で春の競争(レース)はほぼ終わる。そこで決算した上で秋の計画を立てるのが定石……なんてのはオレだって分かってる」

「だよねぇ……」

 

 オレがそう言うと、ミラクルバードは何度もうなずいた。

 

「ただオレは、現段階で秋の最低限の目標を決めておこうと思う。去年や一昨年はオープンクラスに昇格するという目標があった──」

 

 しかし一昨年は、終盤にそれに執着しすぎた感はあったし、去年は逆に早めに目標を達成したために終盤には明確な目標がなくなってしまったと思う。

 一応は、重賞初制覇という目標も立てたが──それは今年の頭で早々に達成してしまった。

 

「そこで今年の秋は──」

 

 オレは振り返り、そこにあったホワイトボードに目標を書き込む。

 それは──

 

「「GⅠ制覇……」」

 

 ダイユウサクとミラクルバードの声が重なった。

 ミラクルバードはともかく、ダイユウサクの方は心当たりがあるのでそれほど驚いてはいないだろう。

 もっとも、ミラクルバードも驚いているベクトルが違っているように見える。どちらかと言えば……

 

「そんなの、目標にするまでもないことじゃないの?」

 

 彼女はそう、素直な感想を吐露した。

 やっぱりコイツにとってはそういう感覚だろうな、と思った。

 ジュニア期から好成績を残し、クラシックのGⅠ戦線でも栗東寮の代表格と目されていたのがミラクルバードというウマ娘だった。

 彼女にとってGⅠとは夢の舞台などではなかった。当たり前に出走し、そしてその栄冠を掴むべき場だったのだ。

 だから、制覇を目指すなんて当然で、目標にするべきことじゃなかったのだ。

 

「さすが、クラシック三冠も夢じゃないって言われたウマ娘は違うわね」

 

 それに気がついたダイユウサクが、半ば呆れたような苦笑を浮かべて言う。

 

「と、コイツが言うように……ミラクルバード、現役当時のお前と一緒に考えないでくれ。シニアでも年数を重ねた大御局(ダイオツボネ)様なのに、未だにGⅠ出たのは去年の秋の天皇賞だけなんだからな」

「ああ、そっか」

 

 納得するミラクルバードを見ながら──からかったダイユウサクが掴みかかってくるのに身構えていたオレだったが……あれ?

 目は雄弁に「ぐぬぬぬ……」と悔しそうにしていたけど、アイツはオレに掴みかかってこなかった。

 

(我慢した? 珍しいな)

 

 人見知りが激しくて慣れない人には素っ気ないコイツだけど、その分、親戚や慣れているオレとかミラクルバードには、遠慮ないはずなんだが。

 

「だから今年は、どのGⅠでもいいから、その制覇を目標にしようと思う」

「目標のレースを決めないの?」

 

 再度、不思議そうな顔をするミラクルバード。

 ダイユウサクがパーシングのヤツと交わした賭けという事情を知らないから無理もないだろうし、実際、そんな漠然とした目標は普通はしない。

 なぜなら、普通であれば適正距離で目標レースを絞り込めるからだ。

 だが……今のダイユウサクの場合、ちょっと事情が違う。

 

「コイツは、中距離から短距離まで走れて、距離がコロコロ変わっても大崩れしない。そんな“適応力”も大きな武器だからな」

 

 今まで多くのレースを走ってきたダイユウサクだが、もちろん得意の距離はある。

 だが、中距離を走った直後に短距離のレースを走っても──感覚が調整できずに実力がまったく発揮できなかったということは無かった。

 

「……それって、今までムチャに走らせてたってだけじゃない……」

 

 ジト目で睨んでくるダイユウサク。

 

「まぁ、無茶だったとことは間違いないかもな」

「ほら、やっぱり……」

「でもお前はそれに対応できていただろ。もしもそういう適正がなかったら、距離を絞って走らせていたさ」

 

 できるからこそ、そう走らせていた。

 出走する距離を絞ったスペシャリストもいいが、それだと選択肢を狭めてしまうことになっただろう。

 そして今回は、それが幸いになった。

 

「だから、目標のレースを決めずにとれそうなGⅠを貪欲に狙っていこうと思う」

「う~ん……でも、中距離に絞った方がよくない? ダイユウ先輩が年齢的に出られる秋のGⅠって言えば、秋の天皇賞とマイルチャンピオンシップ、ジャパンカップ、スプリンターズステークス、それに有記念でしょ? 短距離から中距離のどれでもって考えて、どっちつかずの中途半端になるくらいなら、2つ狙える中距離に絞った方が……」

「それができるなら、オレもそうしたいところだ……」

 

 オレは大きくため息をついた。

 確かにミラクルバードの言い分はもっともだ。トレーニングだってその方が効率がいいだろう。

 

「しかしジャパンカップは不安要素が多すぎる。外国勢が未知数な上に実力が高くてリスキーだ。とりあえずコレだけは外そうと思う」

 

 なにしろ現時点で半年も後の話。

 毎年、旋風を巻き越す海外からの刺客を相手に真っ向から立ち向かえるのは、国内でもトップクラスのみ。

 出走して海外のウマ娘の実力を肌で感じるという経験目的ならともかく、GⅠ制覇を目的にしている以上は、これに出走するならその分、他を狙った方がいいと考えている。

 

「そして加えるなら、下の世代の台頭を考慮しなけりゃいけないからだ」

「それって──」

「ああ。この前、春の天皇賞を制した……」

 

 メジロマックイーン。

 それ以外にも同じメジロ家のメジロライアンも強敵だし、他にも短距離を得意としていて最近行われた京王杯スプリングカップでバンブーメモリに勝ったダイイチルビーなんかも彼女らと同い歳だ。

 あとはダイユウサクが前走の大阪杯で争い、負かされたホワイトストーンもそう。

 しかしその中でも、やはりマックイーンは別格と言える。

 昨年末からの休養が明けて走った、阪神大賞典と春の天皇賞での強さを見れば明らかだ。

 

「去年は、注意するべきはダイユウサクの同世代だった。実際、秋の天皇賞を制したのはヤエノムテキだったし、2着もメジロアルダンだ。ハッキリ言ってしまえば……直下の世代にそこまで警戒する相手がいなかったからな」

 

 オグリキャップ世代と言われたダイユウサク達の、すぐ下の世代は影が薄かった。

 その証拠に、年末の有記念で一番人気を集め、そして2位になったのはメジロライアンで、3位になったのもホワイトストーンである。

 その世代の現在のトップとも言うべき存在が、菊花賞ウマ娘のメジロマックイーン。

 彼女たちは去年の秋の天皇賞にはいなかった。天皇賞は菊花賞の翌週に開催されるからだ。

 もちろん今年はその世代が参戦してくる。

 

「GⅠ最長のレースを制した彼女の実力は本物だ。おまけに去年の菊花賞も取っている。長い距離では万に一つの勝ちもないし、もしも中距離に出てきたら……」

「春の天皇賞を取ってたら秋も狙ってくる可能性、高いよね」

 

 苦笑を浮かべるミラクルバード。

 

「メジロ家は天皇賞に対する思い入れが強いらしいからな。まして去年は秋を、メジロアルダンが2位で逃して悔しい思いをしている。十中八九、マックイーンが来る。故障でもしない限り……」

「マックイーンが出られなくなったら、きっとメジロライアンが出てくるもんね」

 

 なんて苦笑しながらミラクルバードが言う。

 いいや、違うぞミラクルバード。マックイーンが出てこなくても、ライアンも十中八九出てくる。

 

「そういうわけで、中距離のGⅠを取るのはかなり厳しい」

「なによ……その、マックイーンとかいうのを倒せばいいんでしょ?」

 

「「……………………」」

 

 突然、口を開いたダイユウサクに、絶句するオレとミラクルバード。

 あれ? コイツ……今までの話、ちゃんと聞いていたのかな?

 

「走る前から弱気になってどうするのよ!? まだ同じレースで走ったこともないのに」

 

 なんだろう。コイツ……妙にマックイーンには好戦的になっているな。

 不思議と「負けたくない」って気持ちが前に出ているように感じる。

 

「落ち着け。マックイーンを徹底的に避けるって話じゃない。中距離に絞りすぎるのは危険だって話だ。そもそも中距離は他の重賞レースも多いから層が厚い」

 

 さらに言えば秋の天皇賞の2000メートルというのは中距離でも短め。

 オグリキャップのようなマイラーにしてみれば、少し距離が伸びた感じで無理をすれば届く範囲。逆にマックイーンのようなステイヤーにしてみれば距離が短くなるのでスタミナ面では不安が無いというアドバンテージがある。

 その両方が狙うのだから当然、レベルは高くなる。

 

「だから中距離に固執しない。天皇賞を頭に置きながら、とりあえずはこのレースを狙う」

 

 オレは、カレンダーの前に移動し、その日付に○を付けた。

 11月の第3日曜日。その日に京都で開催される予定のGⅠは──

 

「マイルチャンピオンシップだ!」

 

 ダン、とそのまま壁ごとカレンダーを叩くと、ダイユウサクとミラクルバードが大きく頷く。

 そうして、オレ達《アクルックス》の目標が決まった──

 

 

 コンコン

 

 

 ──そんな絶妙のタイミングで、部屋のドアがノックされた。

 オレはそのままの姿勢で固まったまま、視線をそちらへ向ける。

 オレが「なんとも締まらない形になっちまったなぁ」なんて考えていると──

 

「あの、すみません……《アクルックス》のチーム部屋はここで間違いないでしょうか?」

 

 聞こえてきたのは男の声だった。

 ただしオレのようなトレーナー連中よりも、もっと若さを感じる。

 その礼儀正しさは、おそらく学生──スタッフ育成科の者だろうか。

 

「そうだが、なにか?」

「お願いがあって参りました。入ってもよろしいでしょうか?」

 

 思わず顔を見合わせるオレ達三人。

 作戦会議もちょうど終わったところだし、そもそも今後の目標を決める程度の、重要さや機密さが低いものだった。

 

「ああ、構わない。どうぞ」

「はい。失礼します……」

 

 緊張していた声が、どこか安堵したようなものになり……ドアを開けて人影が入ってくる。

 案の定、かなり若い──というか予想通り学生と言っていいくらいの年齢の男だ。

 そして、彼は一人ではなかった。

 その傍らには──ウマ娘が一人、たたずんでいた。

 オレはそのウマ娘に視線を移し──

 

「──ッ!」

 

 思わず目を惹かれていた。

 セミロングの艶やかな青鹿毛の──深みのある黒髪。

 整った面立ちは可憐であり──どこか強い意志を感じられるその瞳が印象的だった。

 そして黒い前髪には小さな白斑──それもまるで染めたかのように綺麗な星形になっていた。

 

(こ、これは……)

 

 オレが彼女を一目見て衝撃を受けていると──背中に激痛が走った。

 

「な……ッ」

 

 気がつけば──ダイユウサクに背後を取られている。

 位置取りからして、アイツがオレの背中を全力でつねっているのだろう。

 

「ッ! 背中の肉がモゲるだろ!!」

「……お望みとあらば、むしってあげましょうか?」

 

 ジト目を向けてくるダイユウサク。

 そんなオレ達を見て──入ってきた二人はクスクスと笑った。

 それに気がついて、オレは慌てて彼らに向き直る。

 すると──車椅子ながらも、来客にお茶を用意して持ってきたミラクルバードが、二人の姿を見て驚いた。

 

「オーちゃん!? どうしたの?」

 

 ん? ミラクルバードの知り合いか?

 ってことは、彼女に用事があったのか。

 オレがそう考えていると、黒髪のウマ娘はミラクルバードに頭を下げて一礼する。

 

「こんにちは、ミラクルバードさん。実は、お願いしたいことがありまして」

「ボクにできることなら、何でも協力するよ」

「いえ、ミラクルバードさんというよりも……」

 

 そのウマ娘は視線をミラクルバードからオレへと移し──

 

「乾井トレーナーさんに、お願いがあってやって参りました」

「オレに?」

「はい……」

 

 黒髪のウマ娘は一度オレから視線を切って、傍らの若い男と視線を合わせ、それから二人でオレに向き直る。

 

「私たちを──」

「《アクルックス》に加えていただけないでしょうか?」

 

 そう言って二人は深々と頭を下げてきた。

 

「私、()()?」

 

 オレが問い返すと、男の方が顔を上げる。

 

「はい。僕はスタッフ育成科の渡海(とかい)といいます。研修生扱いで、このチームに入れていただきたいんです。その……彼女と一緒に」

 

 そう言って彼は、視線をウマ娘に向けた。

 

「もちろん、“できれば”です。もしも研修生の受け入れが難しいのであれば、彼女だけでも、チームに入れてください」

「と、渡海くん!?」

 

 戸惑う黒髪のウマ娘。

 いや、戸惑いたいのはこっちの方なんだが。

 

「……とりあえず、事情を聞こうか。渡海君と……えっと、キミの名前は?」

「オーちゃんだよ!」

 

 と、元気よく答えたのはミラクルバード。

 いや、さすがにオーチャンって名前じゃないだろ。

 見ろ。彼女も苦笑しているじゃないか。

 すると、居住まいをなおしてから深く一礼し──

 

「私の名前は……オラシオンと申します」

 

 ──彼女はそう名乗って微笑んだ。

 




◆解説◆
【狙え!魅惑の大レース】
・今回の元ネタは、以前に一度引用した、新ソード・ワールドRPGリプレイ、通称「へっぽこーず」の第4巻のタイトル「狙え!魅惑の大出世」。
・二度目とかネタ切れ感はだいぶあるのですが、それ以上に深刻なのが「大○○」の方なんですよ。
・今回で62回目で、今までもかなり無理のあるのもあったのですが、さすがに考えるのが大変になってきました。
・あと15個くらいだと思うので、頑張らないと。

話題のウマ娘
・クラシック期を迎え、その皐月賞を無敗で制した──そんなシンボリルドルフみたいなウマ娘が出てきたみたいですよ。
・さぁ、誰のことなんでしょうねぇ。

クラシック三冠
・クラシックレースと呼ばれる皐月賞、ダービー、菊花賞の三冠を達成しているのは、2021年現在──
 ①セントライト(1941年)
 ②シンザン(1964年)
 ③ミスターシービー(1983年)
 ④シンボリルドルフ(1984年)
 ⑤ナリタブライアン(1994年)
 ⑥ディープインパクト(2005年)
 ⑦オルフェーブル(2011年)
 ⑧コントレイル(2020年)
の8頭。
・唯一の戦前であり、初めての三冠だったセントライトはまさに太平洋戦争が勃発した年であり、その前の緊張感もあって、悲しいことにせっかくの達成もあまり話題にならなかったそうです。
・レース名も当時は皐月賞が「横浜農林省賞典四歳呼馬」、菊花賞は「京都農林省賞典四歳呼馬」とそれぞれ違っていました。ダービーも当時は「東京優駿()()」とちょっとだけ違いがありますが。
・そのセントライト。活躍期間はなんと1941年のたった一年だけなのです。
・3月15日にデビューして勝利、2戦目で横浜農林省賞典四歳呼馬に出走して一冠目を獲得し、その後は10月26日の京都農林省賞典四歳呼馬を勝利して三冠達成し、そこで引退しています。
・生涯成績12戦9勝(2着2回、3着1回)。
・一年と言っても3月半ばから10月末、その上6~8月は出走しなかったことを考えると5ヶ月ですからね。それで12戦はスゴいハードスケジュール。
・実際に5月は3戦走り、10月にいたっては4戦走ってます。毎週走ってました。(4戦中3勝、残りは2着)

直下の世代
・1985年生まれに該当する「オグリキャップ世代」の一つ下の世代のこと。
・実はこの1986年生まれの競走馬──ウマ娘では暗黒世代で、一人も公式なウマ娘になっていません。(2021年10月現在)
・一人だけ19()()()()()()()(!)のマルゼンスキーはさておき、1980年生まれのミスターシービーから2009年のゴールドシップまで(キタサンブラックとサトノダイヤモンドはまだちょっと近年なので除外)の間で、ウマ娘が出ていない世代は1983年、1986年、2002年、2008年生まれの4世代のみ。
・まぁ、1983年はその前後も一人ずつしかウマ娘化していない(会長とシリウスシンボリ)ので仕方ないにしても、世代としては共にトップタイの6人がウマ娘化しているオグリ世代とマックイーンの世代に挟まれているのにゼロなのは、ちょっと異常。
・そもそも2002年生と2008年生に関しては、それぞれディープインパクト、オルフェーブルがいます。当初の予定ではウマ娘化していたはず(?)ですし、今後も実装あり得ると思います。
・1983年に関しても、メジロラモーヌという初の牝馬三冠を達成した競走馬がいるので候補になりうると思うのですが……
・一方、1986年。候補らしい候補がいないんですよ。記録達成したり、人気を誇った競走馬が。
・90年宝塚記念のオサイチジョージをはじめ、GⅠ複数冠とって圧倒的強さや人気を誇った馬がおらず、とにかくパッとしない。
・桜花賞馬でオークス2位だったシャダイカグラも、エリザベス女王杯の最中に負傷して引退しちゃったし。
・そのエリ女を制したのがサンドピアリスで間違いないわけで……さすがにGⅠ最高倍率勝利では実装は厳しいでしょう。
・あとは、唯一の葦毛のダービー馬のウィナーズサークルを、唯一の県出身馬として、魅力度ランキング最下位脱出をはかった茨城県がウマ娘人気にかけて実装をお願いするくらいしか……
・スゴい世代に挟まれたせいで、最初はオグリ世代に持っていかれ、やっと引退したと思ったら、下のマックイーンが出てくるんだもの。可哀想と言えば可哀想。
・本作では今後も何人か出てきそうですけど。オースミシャダイとか。

マックイーンには好戦的
・これは完全に、「ダイユウサク」のウマソウルの影響です。
・以前、マックイーンがダイユウサクが走っている姿が妙に気になったように、前世の因縁。
・もっとも、ダイユウサクは気付いてさえいませんが。

オラシオン
・ついに明らかになった彼女の名前。
・このウマ娘は非実在系のオリジナルウマ娘で、その元ネタは、小説『優駿』に登場する競走馬。
・同小説がフジテレビ開局30周年映画『優駿 ORACIÓN(オラシオン)』として映画化もされました。
・その詳細は──次回以降で。


※次回の更新は11月7日の予定です。  



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第63R 大歓迎? YOUは何しに我らがチーム(アクルックス)へ?

 中央トレセン学園のチーム部屋が集まる一角。

 そこにある我らが《アクルックス》のチーム部屋に、オレとダイユウサクとミラクルバードの他に、チームに加入したいという黒髪のウマ娘と研修生志望の男子がいた。

 オレ達は、加入希望の二人の話を聞くことにする。

 

「さて、単刀直入に訊くが……どうしてウチなんだ? 正直、ウチは弱小だ。今年になってやっと重賞初制覇ってところだ。正直、他にも有力なチームはたくさんあるだろ?」

 

 とりあえず、ミラクルバードから彼女──オラシオンと名乗ったウマ娘についてある程度のことは聞いた。

 現在中等部の最上級生で、来年からは高等部に上がる予定。

 それに併せてデビューする予定なので、現在はどのチームにも所属していない、と。

 ただしデビュー前の今でさえ、すでに注目されているほどに才能のあるウマ娘らしい。

 で、強豪チームからのお誘いもあるのだそうだが──

 

「聞けば、《リギル》からも誘われているそうじゃないか」

 

 よりにもよってそこか、とオレは言いたかった。

 だが、そんなオレの思いに気がつくはずもなく、オラシオンは神妙な顔で頷いた。

 

「はい。ありがたいことにお誘いを受けています。ルドルフ会長から生徒会にも誘われていまして……」

「オーちゃんは頭がいいから、そっちの方でも期待されているんだよ」

 

 ミラクルバードが我が事のように、車椅子の上で胸を張る。

 彼女にしてたら、知り合いだからチームにはいるのは大歓迎なんだろうが、オレは彼女を入れるのにはためらいがあった。

 

「ウチとその《リギル》とでは、環境が天と地と言っていい。それくらいに違うんだぞ?」

「え? でも施設には差が無いと聞いていますけど……」

 

 戸惑ったのはオラシオンと一緒にきた渡海(とかい)というスタッフ育成科の学生だった。

 彼の言うとおり、施設という点ではそれほど差が出ない。学園の施設はウマ娘たちに解放されているから、それを使ってトレーニングをすることはなんの問題もないし、公平だ。

 かといって、金に任せて高価なトレーニング機材を持ち込むことも、原則は禁止されている。それだとトレーナーの経済力がそのまま環境の差になってしまう。

 金のあるトレーナーが有利になって有力なウマ娘を独占する……なんて事になりかねない。

 だが、有力チームと弱小チームでの環境の差は、実際に存在するのだ。

 それは──

 

「施設の差じゃない。メンバーの差だ」

「「「メンバー?」」」

 

 ピンときていない渡海君とオラシオンと……ダイユウサク、お前はなんでそこで首を傾げているんだ。

 一方、理解しているミラクルバードはといえば、苦笑を浮かべてそれを見ている。

 三人に対して、オレは説明をした。

 

「確かに生徒会で多忙なメンバーも多いが、運が良ければあの“スーパーカー”(マルゼンスキー)と併せができるかもしれない。“皇帝”(ルドルフ)から直々に理論を教えてもらえる可能性だってある。《リギル》に入れば、そういう環境になるんだ」

「あ……」

 

 ダイユウサクが、言われて気がつき思わず声を出していた。

 所属する一流のウマ娘たち。しかも一人だけではない。彼女たちがただ走る姿を身近に見るだけでも、盗めるものは多いはずだ。

 それに加えて、彼女たちにあこがれた強者がまた集うことになるという効果もある。そこでの切磋琢磨に巻き込まれていくだろう。

 だから、チームに入るだけでも狭き門を通らなければならない。それが《リギル》というチームだ。

 

「そんなチームから誘いを受けているというのは大きなチャンスだぞ。ウチに入るというのはそれを逃すことになる」

 

 オレが説明すると横から視線を感じた。見ればダイユウサクがジト目を向けている。

 気持ちはわかるぞ。オレだって言ってて悲しくなってくる。

 しかしもちろん自分のチームを卑下するつもりはない。

 だが、ウチに入ってきた後にそれを後悔されても、後の祭りだ。

 お互いに不幸にならないために、それだけは説明しなければいけない。

 

「それに《リギル》の東条トレーナーはオレの先輩だ。彼女が声をかけているキミを入れるのは横取りのような形にもなってしまう。《リギル》ではなく《アクルックス(うち)》を選ぶのなら、オレの都合で申し訳ないが、あの人にちゃんと説明できるようにその理由をキチンと聞かせてほしい」

 

 真剣な顔で言うと、オラシオンは「わかりました」と居住まいを正し、座り直す。

 どうやらオレの立場まで理解してもらえたようだ。

 さすが、生徒会に入れようと目を付けられるだけはあって、頭の回転もよく、礼儀正しい。

 

(誰かさんに煎じて飲ませるために、爪の垢でももらっておこうか……)

 

「──なに?」

 

 オレが考えていると、ジト目を向けてくるダイユウサク。

 こういうときばかり、妙に鋭いんだよな。

 そんなオレ達を見て笑顔を浮かべるオラシオン。そして彼女は──

 

「理由は──()()です」

「「それ?」」

 

 オレとダイユウサクの声が重なった。

 お互いに、「それってどれ?」というのが如実に出た顔をしていたと思う。

 

「はい。私は、幼い頃から私をよく知っている彼に支えて欲しいと思っています。そしてトゥインクルシリーズを勝ち抜きたい」

 

 う~ん……ここまで真っ直ぐに言われてしまうとなぁ。

 だが、オレもトレーナーの端くれとして、シリーズの厳しさを知っている。

 ダイユウサクと共に今まで歩んできて、その厳しさを知識ではなく体感として知った。

 本当のその厳しさを知らなかったころのオレは、それを甘く見て大舞台に出し、そして一人のウマ娘を挫折させた。

 だからこそ、あえて言わなくてはならない。

 

「なるほど。それで、か。確かにウチなら研修生はいないし、ダイユウサクの他にウマ娘もいない。彼が面倒を見るようになる可能性は、まず間違いなく確定だ。しかし……」

 

 学園に所属するウマ娘たちのことを思う生徒会長シンボリルドルフの代わりに、あの言葉を──

 

「……中央(トゥインクルシリーズ)無礼(なめ)るなよ」

 

 オレはオラシオンに、そして渡海というトレーナー候補にも厳しい目を向けた。

 

「幼なじみと仲良く二人三脚で勝ち抜いていけるとでも思っているのか? 多少の知識はあっても、何の経験もなく指導も受けていないような若輩者とで勝てるほど甘い世界じゃあない」

 

 これにはさすがにオレも言わざるを得なかった。

 オレだってトレーナーとしてここまで来るのに……いいや、ダイユウサク、ひいてはパーシングの担当になる前に、サブトレーナーやトレーナー候補生として様々な経験をしたつもりだ。

 そこで恩師や東条先輩の姿を見て、理論を学び、技術を盗み、試行錯誤も行い、そしてやっとトレーナーとして担当を持てるようになれたのだ。

 それはオレだけじゃない。サブトレーナーでも担当を持っている巽見や、それ以外のトレーナー達も同じこと。

 天才と高い評価を受けている奈瀬トレーナーや、東条先輩とか六平トレーナーといった一流どころでさえ、トレーナー候補だったころの最初の一歩はやはり未熟だったのだ。

 才能あふれるウマ娘と、未熟なトレーナー候補生が力を合わせてレースを制していく──なんてのは、創作物語の中だけの絵空事でしかない。

 

「確かに、一流の素質を持ったウマ娘ってのはいる。本格的なトレーニングを受ける前から天才的に速く走れちまうヤツとかな」

 

 しかし、得てしてそういうウマ娘は早熟で、早々に結果を出せなくなる者も多い。

 その理由は──

 

「そういうウマ娘がトレーナーなんて誰でも同じと思ったり、才能だけで走れているウマ娘を見て自分の実力とその結果だとトレーナーが勘違いして……最終的には伸び悩むことになる。ちゃんとしたトレーナーの指導をしっかりと受けてきたヤツらに勝てなくなるんだ」

 

 お前らも、いずれそうなるぞ。

 オレはそう思いながらオラシオンと渡海を見た。

 自分の希望を蹴られて悲しんでいるか、それとも反発して怒っているか……そう予想していたが──思惑は外れた。

 彼女は、勝ち気に微笑んでいた。やる気あふれる目で、それの視線に真っ向から見返してきている。

 

「はい、理解しています。ですから、《アクルックス》で私は乾井トレーナーの指導を受け、渡海くんもまたトレーナー候補として指導を受け……お互いに切磋琢磨していきたいのです」

 

 なるほど。そこまで甘い考えではいなかったようだ。

 しかし、今の彼女の話だとオラシオン自身だけでなく、そこの渡海君の面倒も、オレが見ることになるんだろう?

 ダイユウサクを抱えて、さらにウマ娘1人を担当しつつ、研修生1人を受け持つのか……ちょっとオレの負担が大きくないか?

 困惑気味になったオレに、オラシオンはさらに詰め寄る。

 

「そして、《アクルックス(ここ)》で学ばせていただければ……乾井さんとダイユウサクさん、お二人のような()()()パートナー関係も、間近で見て学べる。そう思ったんです!」

「なッ──」

 

 声をあげ、そして絶句したのはダイユウサクだった。

 そんな様子を、オレはジッと見て──う~ん、と考え込みながら口を開いた。

 

「オレとダイユウサクの関係、ねぇ。そんなに素敵なものか?」

「はい。ダイユウサクさんはトレーナーさんのことをすごく信頼していらっしゃるようですし」

「そうか? ちょくちょく殴りかかられているように思うんだが……」

「なッ! ちょッ…ぐ、む……」

 

 オレに言われたせいか、ダイユウサクはいつもなら掴みかかってくるところだったが、グッとこらえた。

 ほ~ら、やっぱりこんな関係だぞ?

 もちろんいがみ合っている訳でも、喧嘩しているわけでもないが、傍から見て“素敵な関係”とは到底思えないんだが。

 なにかに耐えながら、ダイユウサクはどうにか口を開く。

 

「オラシオン……とか言ったわね?」

「はい。なんでしょうか、ダイユウサクさん」

「アタシが、この人のこと、すごく信頼しているって言ったけど、それは間違ってるからね!」

 

 そう言ってビシッと指をさす。

 ほら見ろ。ダイユウサクもやっぱり否定するだろ。

 ……ま、信頼しているっていうことを否定されるのは、ちょっと寂しいけどな。

 

「そりゃあ、ちょっとは信頼………………えっと、もう少し? そう、普通くらいには信頼していなくもないけど。特別に、“すごく”って程じゃないわ。うん」

 

 チラッとオレの表情をうかがったダイユウサクは、そんな軌道修正をしてきた。

 なんだろう。気を遣われたようで、微妙に惨めなんだが。

 そんな様子を、オラシオンは、達観したような微笑みを浮かべながら見ている。

 

「実は……この前、お二人とタマモクロスさんが、見知らぬウマ娘の方と言い争っているのを見かけてしまいまして……」

「「──え?」」

 

 オレとダイユウサクはさすがに焦った。

 まさか、あの場を第三者が見ていただなんて……全く気がつかなかった。

 オレ達の緊張に気がついたのか、オラシオンは「他の人はいませんでしたよ」と言ってきた。

 

「あのときの……ダイユウサクさんが乾井トレーナーの為に怒る姿に私は感動しました。」

「はい? あのとき?」

 

 指摘されてダイユウサクは慌てたように否定した。

 

「違うわよ、アレは……あのパーシングってウマ娘(オンナ)が気にくわなかったからよ。自分だけ悲劇の女ぶってる、あの態度が!」

 

 そして思い出してきたのか、必要以上にヒートアップしていく。

 

「それに、トレーナーに悪い噂立てて自分は逃げたくせに、アタシが金杯とってトレーナーが成果だしたからって、それで妬んで……ホンット、気にくわないわ!!」

「それだけじゃなかったじゃないですか。」

 

 怒るダイユウサクに対して、オラシオンはニコニコと温厚な笑みを浮かべて返す。

 

「ダイユウサクさんは、しっかりと乾井さんのために怒っていました。過去の自分を卑下してまで、今の自分を育ててくれた乾井さんの功績を示していました。そして──GⅠを制する、と自分を追い込み、それを達成させてくれると、乾井さんのことを信じていらっしゃいました」

 

 なにやら感極まった様子のオラシオン。

 その横で、ミラクルバードは「あぁ、だからGⅠ制覇なんて漠然とした目標立てたんだ」と納得していた。

 そしてオラシオンは感極まった様子で言った。

 

「それは……愛といっていいでしょう」

「よくないわよ!!」

 

 噛みつくような勢いで、顔を真っ赤にしながら反論するダイユウサク。

 ……必死だなオイ。

 それにミラクルバードは苦笑する。

 

「あ~、オーちゃんは信心深いから、結構なんでも愛に繋げちゃうからね」

 

 まぁ、宗教とか、それをより所にしている人にはありがちだよな。兜に“愛”なんて文字を付ける武将もいたくらいだし。

 案の定、オラシオンは不思議そうな顔で、怒った様子のダイユウサクを見ている。

 

「なぜでしょうか? 達成できなければセクシー女優になるという自己犠牲の精神。それはもはや“愛”以外の何物でも──」

「ちょっと待ったああぁぁぁ!!」

 

 慌ててオラシオンの口を塞ぐダイユウサク。

 だが、ミラクルバードは「セクシー女優?」と首を傾げている。

 一方、渡海君は「えッ?」と絶句していたが、やがてダイユウサクのことを見て──その視線に気がついたダイユウサクに睨まれ、慌てて目をそらしている。

 そんなダイユウサクは、不思議そうな顔をしたミラクルバードに尋ねられた。

 

「どういうこと?」

「え、っとそれは……」

 

 気まずげに口ごもるが、それでミラクルバードが止まるわけがない。

 

「ダイユウ先輩、女優になるの?」

「ええ、まぁ……今年中にGⅠとれなかったら、年末で引退して、そっち方面に進む約束をしたというか……もちろん、GⅠとって阻止するわよ!?」

「そっか。うん、ダイユウ先輩は競走の方が合ってると思うよ!」

 

 笑顔で言うミラクルバード。

 しかしダイユウサクは、そう断言されると思うところがあるのだろうか。「……どういう意味よ、それ」というダイユウサクの呟きが聞こえた気もした。

 だが、次の発言でミラクルバードが爆弾を落とす。

 

「うん! もしもそっちに進んじゃったとしても、ボクはダイユウ先輩がでている作品見るから!」

 

「「「「──はい?」」」」

 

 ミラクルバード以外の全員の言葉が一致し、そして唖然とした視線が彼女に集中する。

 一方、ミラクルバードは周囲の反応に戸惑っていた。

 

「え? 女優、転向するんだよね?」

「……ミラクルバード、一応聞くけど……セクシー女優って何か知ってるか?」

「えっと、セクシーな女優さんだよね? 目指すのも……まだ間に合う…んじゃないかな?」

「コン助ぇッ……!」

 

 体を見られながら言われたダイユウサクが密かに怒っている。

 なるほど。全く理解していなかったってわけか。

 さて……これは問題だぞ。

 

「ねぇ、トレーナー。セクシー女優ってボクが考えていたのと違うの? いったい何なの?」

「え゛?」

 

 多少予想はしていたが、よりにもよってオレに振ってくるか、それを。

 思わず固まるオレ。

 ここは──

 

「……ダイユウサク、説明してやれ」

「は? そんなの──冗談じゃないわ。説明させるだなんてセクハラよ!! アンタがしなさい!」

「大元の原因はお前だろうが! こんな約束をしたんだから!」

「そのさらに大元は、アンタがあんな女の色香に迷って、トラブル起こしていたからでしょう? ちゃんと責任とりなさいよね!」

「色香に迷ってません~! ちゃんとアイツの素質を見て、走ると思ったからトレーナーになったんです~!」

「ええ、ええ、だから弥生賞でデビューさせて大惨敗。その結果、逃げられたあげく、あることないこと言いふらされたんでしたっけねぇ!?」

「く……」

「あ~ら、図星を指されてグウの音も出なくなっちゃった?」

「お前なぁ、人の古傷をよくも……そもそもオレがミラクルバードに説明する方がよっぽどセクハラだろうが!」

 

 ギャーギャーと言い争い始めるオレとダイユウサクを見て、最初は驚いていたオラシオンだったが、やがてクスクスと笑い始める。

 

「やっぱり、お互いが信頼しあっている素敵な関係だと思いますよ」

「そ、そうかな……」

 

 笑顔のオラシオンに対し、渡海は困惑気味の苦笑を浮かべている。

 そんな彼にオラシオンは──

 

「ええ、喧嘩するほど仲がいい、と言うではありませんか」

 

「「仲良くない!!」」

 

 信頼関係があるからこそ、なんでも遠慮なく言えるんですから、と笑みを浮かべるオラシオンへ、オレとダイユウサクの苦情が重なった。

 

 

 結果的に──二人をオレは《アクルックス》に迎え入れた。

 入りたいという気持ちを無碍にするわけにもいかないし、なんでもオラシオンの家の方がゴタゴタし始めていて、生徒会に所属する余裕まで無くなってしまったらしい。

 それでトゥインクル・シリーズに集中したいので、それができるチームに所属したいという理由もあるとのことだった。

 

 渡海君はトレーナー研修生として受け入れることになり、その手続きをとる。

 もっともオラシオンのデビューは来年度……つまりは一年以上先のことになるが。

 

 横やりを入れた形になっってしまった東条先輩にもお詫びと挨拶に行ったが……「(トンビ)に油揚げをさらわれたわ」と皮肉は言われたけど、まぁ、仕方ないだろう。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 オレとダイユウサクの言い争いが一段落つき──

 

「ところでダイユウ先輩……」

「なによ、コン助」

「さっきもだったけど、今日はトレーナーに掴みかかろうとしたのを何度か堪えてるけど、なんかあったの?」

「え!? それは……」

 

 不思議そうな顔をしたミラクルバードに尋ねられて、ダイユウサクは露骨に狼狽していた。

 困り果てた様子で視線をそらしてるし、一体どうしたんだ?

 

「爪、痛むのか?」

「……ッ! 違うわよ!」

 

 オレの確認に、ダイユウサクは強く否定し──オレを睨むように見た。

 だが、それも一瞬のこと。

 スッと目をそらし──

 

「……だって、タマモ先輩に聞いたから。あのパーシング(オンナ)の言うことを鵜呑みにしたウマ娘達にボコボコにされたって。だから……」

「それで、急にオレに殴りかかってこなくなったのか」

 

 それを聞いて、オレは思わず笑った。

 

「な……人がせっかく気を使ったのに、笑うことないでしょ!!」

「いや、ありがとうな。でも気にしないで大丈夫だぞ」

「なんでよ……だって、それを助けられたから、たづなさんのこと……

「あの件で、知ったんだが……ウマ娘が本気で怒っているときや嫌がって反射的に暴力をふるう場合、真っ先に足が出るんだよ」

 

「え……?」

 

 初耳な上に、まったく意識していなかったのか、驚いた様子のダイユウサク。

 科学的な裏付けがあるわけじゃあないが、この持論は間違っていないと思う。

 まぁ、本能的な行動みたいだから無意識なんだろうけど。

 

「お前、だいたいの場合はオレに掴みかかってくる……手が先に出てるだろ? だから本気で攻撃してきているわけじゃないってわかっていたんだよ。蹴りが出た場合には、本気で嫌がってると思ったから、それ以上は踏み込まないように気を付けたし」

「うぅ……」

 

 見透かされていたのが恥ずかしかったのか、顔を赤くしながら俯き加減で睨め上げる。

 そして──

 

「そ、そんなことなかったわよ!! アタシはいつも本気で怒って──」

 

 そう言いながらオレに掴みかかり──それに気が付いて、慌てて蹴りを放ってくる。

 いや、その変化はズルいだろ!!

 放たれた彼女の前蹴りをまともに喰らい──オレはいい勢いで、壁にぶつかった。

 あぶねぇ。プレハブ小屋のようなチーム部屋の壁にキレイな人型の穴が開くところだった。

 

 

「……やっぱり、“愛”ですね」

 

 

「「どこが、よ!」だ!」

 

 ニコニコ顔で言うオラシオンに向けた、ダイユウサクとオレの抗議の声が重なった。




◆解説◆
【YOUは何しに我らがチーム(アクルックス)へ?】
・ご存じ、テレ東のテレビ番組『YOUは何しに日本へ?』から。
・ジャパンカップが話の軸になる際に使いたかったんですが、そもそもダイユウサクはジャパンカップ出てないし。
・今後も、海外馬を調べたりとか大変そうなので、舞台にしなさそうということでここで使ってしまいました。

オラシオン
・改めて解説します。モデルは実在の競走馬ではなく、宮本輝の小説『優駿』に登場したストーリーのメインになる競走馬であり、非実在系です。小説はこの馬の誕生から始まります。
・原作では主役馬だけあって非常に理想的な戦績を重ねたため、本作のウマ娘では優等生キャラという設定になりました。
・なお「オラシオン」は、スペイン語で「祈り」を意味する単語から。今では馬の名前よりも、楽曲名として有名なようですね。劇場版ポケモンのとか、某アニメのEDテーマとか。
・今までの登場シーン、ことごとくで「祈って」いたのはそのためです。これがヒントでした。
・原作のオラシオンは毛色が真っ黒で綺麗な星形の白斑があるという特徴で、それで毛色から幼名を「クロ」と名付けられていました。本作のウマ娘オラシオンも「美しい黒髪」「前髪に星形の白斑」があるという説明をしてきましたが、これもヒントでした。
・ただ……『優駿』のオラシオンを御存じの方の中には、「え? オラシオンって黒かったっけ?」「茶色じゃなかった? 」と思われる方も多いと思います。
・というのも原作の小説は、フジテレビ開局30周年企画として『優駿 ORACIÓN(オラシオン)』という題名で映画化されています。
・ただ、単行本2冊分の長さの小説を約2時間にまとめるなんて土台無理な話で……案の定、かなりの改変がありました。
・そのうちの一つで、映画だとオラシオンは()()になっています。
・フジテレビが記念に制作したのと日本中央競馬会が協力しただけあってかなり宣伝をしたので映画のイメージが強い人も多く、逆に小説だと画像がありません。そのためオラシオンが黒いというイメージはあまりないと思います。
・実はこれ、日本中央競馬会が協力しているおかげで、実際の1987年のダービーの実際の映像を映画のクライマックスに使うことに決めたので、優勝馬をオラシオンのモデルにする必要があったから、という理由があるのです。
・……はずだったんですけどねぇ。
・実際には──毎週競馬中継をやっていて競馬の怖さも知っているはずのフジテレビが、何をトチ狂ったのか一番人気のマティリアルが勝つと信じ込んでいて、マティリアル()()撮影してませんでした。
・ところが……マティリアルは圧倒的一番人気でしたが、陣営は調子が悪いのを把握していて調教師は単枠指定の解除を嘆願し、騎乗した岡部騎手は「乗りたくなかった」というような有り様。
・ここまで言えば、もうお分かりですね。勝ったのは別の馬──メリーナイスでした。
・結果、その映像は使えないわけですが優勝馬がモデルになると決まっていたので、1着だった栗毛のメリーナイスがモデルに。
・ですので、黒髪(青鹿毛)をアピールしていたのは、映画しか知らない人にはオラシオンと気付かれないためのミスリード……という意味でもありました。
・ちなみに──実際のダービーの映像が使えなくなったばかりに、レースのシーンを撮影することになったわけですが……
・引退馬を引っ張り出してきたりして撮影したものの、そこはそれ言葉の通じない生き物相手なので撮影がうまくいかずに何度も撮り直し、挙句の果てに骨折する馬まで出るような惨事に。
・ちゃんとダービーで他の馬も撮っていたら……本当に、フジテレビは……
・なお、オラシオン(栗毛)の仔馬時代を演じたサラブレッドは「マヤノオラシオン」という名前で競走馬デビューしました。当然、栗毛です。
・映画の興行収入は約30億円。同じくらいの興行収入は客層が近い感じだと『おくりびと』とか、一方アニメだと『ドラゴンボール 神と神』なんかがそうですね。
・とはいえ1988年当時の話ですし、ヒットしたと言えるでしょう。
・その影響で上記のマヤノオラシオン以外にも架空馬なので普通にオラシオンという名の競走馬もいて、その他にオラシオンミーア、マイネルオラシオン、アグネスオラシオン、テイエムオラシオン、グランオラシオン等、「冠名か!?」と思うほど使われる馬名になりました。ちなみに挙げたのは全部、馬主さんが違っています。
・……大成したのがいないのは悲しいけど。
・名前といえば、SDガンダム『武者七人衆編』に登場する武者精太頑駄無(ムシャゼータガンダム)の愛馬、緒羅四恩(オラシオン)もこれが元ネタですね。懐かしい。

ミラクルバード
・ミラクルバードもまた、実は小説『優駿』に登場した競走馬がモデルでした。
・オラシオンの主戦騎手を務めた奈良五郎が、その前に騎手を担当していた競走馬。
・非常に賢い馬で、それまでパッとしなかった奈良騎手は、ミラクルバードに乗ることで学び、勝ち星を稼げる騎手へと育ちました。本作でスタッフ育成コースに入ったのは、そのイメージからです。
・仔馬のころに他の馬に顔を蹴られ、生死をさまようほどの怪我を負う。命は助かったものの顔がゆがんでしまい、見た目が悪くて良い血統なのに売れ残ることに。
・そこへ「馬主になりたい」と願っていた神戸の名店焼き鳥屋の店主である和田が安めの値段で買い、馬主になれた──というエピソードから「子供のころに顔に傷を負った」「実家は神戸の焼き鳥屋の名店」という設定になっています。
・また、小説では黄色い覆面(メンコ)をしており、それが「エルコンドルパサーのような覆面をしている(黄色)」「勝負服は黄色がメインの色合い」の元ネタとなっています。
・ウマ娘の勝負服の色は、普通なら騎手の着る勝負服の色合いを採用することが多いようですけど、オラシオンも含めて勝負服の描写が無いので。
・さて……映画で『優駿』を知っている方、「ミラクルバードなんて馬、出てきたっけ?」とお思いでしょう。
・ミラクルバードは小説でしか出てきません。尺の都合だったのか、カットされました。
・おかげで皐月賞の最中に、あがってきた他の馬と大激突して即死し、奈良騎手を追い落として乗っていた騎手も死んでしまった、という「ミラクルバード事件」も映画では描かれていません。
・そのあまりに可哀想な最期と映画に出られなかったという不遇から、本作でウマ娘化しました。
・それに加え、「出しても映画派の人からは元ネタがバレない」ので、早くから登場できたのも理由です。

そういう環境
・一流チームとして《リギル》登場させたんですけど……アニメでのメンバーは
  シンボリルドルフ
  エアグルーヴ
  ナリタブライアン
  ヒシアマゾン
  マルゼンスキー
  フジキセキ
  タイキシャトル
  テイエムオペラオー
  グラスワンダー
  エルコンドルパサー
の10人で、この時代(1991年相当)だと、まだいない競走馬ばかり。いるのはルドルフとマルゼンスキーくらいしか。
・まぁ、二人以外にも優秀なウマ娘が所属していたんだ、くらいに考えててください。
・え? 栗東寮長のフジキセキが出てた? 気のせい気のせい。

幼い頃から私をよく知っている彼
・もちろん、この場に来ているスタッフ育成コース所属の渡海くんのことですが……彼の名前は『優駿』で、オラシオンの生産者「トカイファーム」と、その跡取り息子の渡海 博正から。
・性格等のモデルは違いますけど。
・……彼の性格は、幼馴染系ヒロインを持つ基本的に温厚な無個性ギャルゲー主人公というイメージですね。
・“ヒト”の“男性”なのにトレセン学園の学生!? と反発されそうですが、スタッフ育成のための学科があることを考えると、むしろそこをウマ娘専用にしておく方が不自然に思えたので。
・またシンデレラグレイの北原トレーナーが試験勉強に苦戦したりしているので、本作の独自解釈で──「トレーナーや装蹄師とかURA職員の勉強とかできるけど、かなりの狭き門で入学は難関。学園にいる2000人弱の学生の中に1割にも満たない人数しかいないから、まず見かけない」という独自設定になってます。

信心深い
・本作のウマ娘・オラシオンはその名前である「祈り」から信心深い性格付けがなされて、三女神の敬虔な信徒になっています。
・三女神=サラブレッド三大始祖という設定にしている本作では、その血統にあたるゴドルフィンを信奉しています。

兜に“愛”なんて文字を付ける武将
・上杉家の武将、直江兼続のこと。
・ちなみに「愛」は“LOVE”の意味じゃなくて、“愛染明王”かららしいです。
・書いている人は大の最上義光のファンで最上シンパなので、慶長出羽合戦に於いて最上家を攻めたのはもちろん、関東・奥州への惣無事令の後に庄内地方を奪ったのに何のお咎めもなく支配した上杉家が好きではなく、重鎮の直江兼続も好きではありません。
・なんで勝った最上家が後々に改易になって大名じゃなくなるのに、負けたはずの上杉家が幕末まで生き残るんだよ~!!


※次回の更新は11月10日の予定です。  



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第64R 大総括! それぞれの春レース

 
『よくやってくれましたね、マックイーン』

 先日、メジロ家の本家で御婆様にかけられた言葉を思い出し、わたくしは──昂揚よりも、どこかアンニュイな気分になり、目の前に置かれたティーカップに手を伸ばしました。

(確かに4月の末に開催された春の天皇賞で、わたくしが“盾”を手にできたのは本当によかったと思っていますが……)

 それを誉めてくださったのは、御婆様でした。
 優勝したことも、それを誉められたことも、とても名誉のあることでうれしく思うのです。
 が……素直に喜べない理由もありました。
 口を付け、豊かな香りが鼻に抜け──わたくしは「ほっ」と軽く息を吐き出します。
 それで気分は少しだけ落ち着きました。

「どうしたの、マックイーン。元気なさそうだよ」
「ライアン……」

 わたくしと同い歳で、同じメジロ家の令嬢であるメジロライアンが、わたくしの姿を見かけたようで、笑みを浮かべてやってきました。
 笑顔ながらも、わたくしのことを心配してくださっているのがよくわかり──わたくしも笑顔で返します。

「そんなことはありませんわ。元気一杯ですよ?」
「無理しないでよ。見れば分かるんだから」

 今度は笑みを苦笑気味に変えるライアン。彼女に見透かされ──わたくしの笑みも苦笑へと変わってしまいます。

「天皇賞を勝ったっていうのに、どうしたの?」
「ええ……」

 のぞき込むようにわたくしを見てくるライアンが、本気で心配してくださっているのはわかります。
 しかし、今のわたくしの心のモヤモヤの全てを彼女に言ってしまうのは、さすがにためらう事情がありました。
 なぜなら──

「勝った方にそんな顔されたら、あたしだってどんな反応すればいいか。困っちゃうよ」

 苦笑気味に明るく笑うライアン。
 彼女もまた、春の天皇賞に出走して、わたくしと競ったのです。
 わたくしは昨年末、御婆様の指示で、この天皇賞に集中するために、と有記念には出走しませんでした。
 「ライアンに有記念をとらせる」というのも理由の一つ。

(しかし結果は──“ラストラン”だったオグリキャップさんの勝利)

 ただ、わたくしはそれに関してどうこういうつもりはありません。
 ライアンには申し訳ないけど、あの感動的な結末にはわたくしも心が躍ってしまいましたから。
 それに、ライアンが天皇賞に出走するのも、理解しております。
 有記念こそ逃しましたが、彼女は天皇賞に出走するだけの実績を重ねていたのですから、わたくしが文句を言う筋合いもありませんわ。
 問題は、昨年末にわたくしがどうしても有記念に出走したいと申し上げたときの、御婆様の言葉なのです。

『貴方は、メジロ家の者を3人も同じレースに出ろと言うのですか? まるで『数を撃てば当たる』と言わんばかりの恥も外聞も捨てたようなその所業が、どれほど浅ましく、醜いものか……想像さえできないというのですか?』

 そう仰っていたはずなのに──

(天皇賞には、メジロ家から三人出走いたしました)

 わたくしと、ライアンと……そして、メジロパーマーさん。
 確かに、その言葉は有記念でのことで、天皇賞のことではありませんでしたが……
 やはり、わたくしも、あの有記念を走りたかったのです。

「ふ~ん。じゃあ、パーマーが出たこと?」
「なっ!? なぜそれを……」

 わたくしが考えていたことを的確に指摘され、狼狽してしまいました。
 そんなわたくしの様子をさも楽しそうに笑ってから、ライアンは説明しました。

「だって、天皇賞の出走メンバー見たときに、パーマーの名前を見て驚いていたじゃん。それで気になって、家の人に聞いたんだ。そうしたら、有記念の時に『メジロ家から三人も出せない』って言われてたって──」
「あら、それでは私の責任でもありますね……」

 不意にライアンとは違う声が、横からかけられたました。
 驚いてそちらを見ると──

「アルダンさん!?」

 わたくし同様に声の方を見たライアンが驚いて声をあげていました。
 彼女の言うとおり、いつの間にかやってきたのはメジロアルダン──わたくしやライアンよりも二つ年上の、メジロ家の令嬢でした。
 そして、ライアンとともに昨年末の有記念に出走したウマ娘でもあります。
 そんな彼女の登場に驚きながら──思わず彼女の足の様子をうかがってしまいました。
 今年の最初のレースの直後に負傷が判明して、現在は療養中でしたから。

「おめでとうございます、マックイーンさん。天皇賞、お見事でした」
「ありがとうございます……」

 わたくしがお礼を言うと、彼女は微笑みを浮かべた。

「狙うはタマモクロスさんと同じ春秋連覇……といったところでしょうか?」
「はい。当然、狙いますわ」

 力を込めてうなずくと──アルダンさんの笑みが悪戯っぽいものへと変化いたします。

「なるほど……でも、そうは問屋がおろしませんよ」
「え……?」
「秋になったら私も復帰して……昨年のリベンジ、狙いますから。そのときは挑戦状を送らせてもらいますね」

 一瞬、驚いたわたくしですが、その意味に気がついて再び力を込めてうなずきましたわ。

「──ッ! は、はい!! その際には全力で挑ませていただきますわ」
「フフ……年上に経緯を払って、少しくらい手加減してくださってもいいんですよ」

 そう言ってクスクスと笑うメジロアルダンの姿に──気丈なその姿に、わたくしは感謝と謝罪の言葉を心の中で述べていました。




 

 ──時は少しばかり過ぎ、5月も終わりごろ。

 

 

 ここは、今年のダービーが行われた東京レース場。

 今、まさにゴールして栄冠を勝ち取ったばかりのウマ娘は、観衆が溢れんばかりに集まった観客席へと向いて仁王立ちになると、大きく片手を突き上げた。

 

 その手の先には──人差し指と中指の二本の指が立っている。

 

 勝利を示すVサインか?

 いや、そうではない。

 皐月賞を制した彼女が、それに続いてダービーというクラシックの二冠目を獲得してやったという意味だ。

 そして残る菊花賞を狙うという、何よりも強い意思表示だった。

 

 ──過去に、同じことをしたウマ娘がいた。

 

 無敗で三冠制覇したシンボリルドルフが、皐月賞、ダービー、菊花賞と勝っていく中で、突き上げた指を一つ、二つ、三つと増やしていったのだ。

 彼女は、同じ事をやってやろうというのだ。

 爛漫に、不敵な笑みを浮かべるウマ娘。

 その名は──

 

 

 トウカイテイオー

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 テレビでダービーの中継を見ていたオレの横で、やはり同じように見ていたミラクルバードが、大きく息を吐いた。

 

「噂通りというか、期待通りというか……やっぱりスゴいね、彼女」

 

 歓声に応えて二本指を掲げたトウカイテイオーの姿を見て、もはや苦笑しかできないといった様子だった。

 

「何をおっしゃるのやら。お前だってクラシックレースの制覇を期待されていただろ。ミラクルバードくん」

 

 秋のメイクデビュー戦を桁違いの脚で勝ち、次の特別戦も好位置からあっさり抜け出し、明けた正月のステークスも勝利。その次も勝って四連勝。

 足の軽い炎症のせいでスプリングステークスを回避して、そして皐月賞へ。

 このミラクルバードというウマ娘も、無敗のままクラシックレースへ挑んだ内の1人だったのだ。

 しかし、彼女の場合は──

 

「あはは……ボクは皐月賞でコケちゃったからね」

 

 文字通り、コケた。

 それもとんでもなく思いっきり。他のウマ娘を巻き込み、自身は命の危険があったほど。

 どうにか一命は取り留めたものの、その後遺症で未だに車椅子生活を余儀なくされている。

 

「これで二冠か……ホントに強いよね。GⅠ狙うってことは、ダイユウ先輩ってこんなのと戦って勝たないといけないんだよね?」

「まぁ、これクラスのウマ娘と戦うことになるかもしれないが……おそらくテイオーと競うことにはならないだろう」

 

 なぜならテイオーはクラシックレースを走ることになるからだ。

 目標は間違いなく菊花賞。

 

「それはわかるけど。でも、それをとった後だったら、分からないんじゃない?」

「菊花賞の後? そんなの有くらいだぞ」

 

 思わず苦笑するオレ。

 現時点のトウカイテイオーの実績や人気なら、十分に投票が集まって出走する確率は高い。

 しかしダイユウサクはと言えば……まず無理だ。

 確かに金杯は制し、大阪杯も2位だったがその後の春レースを棒に振っている。記録にも記憶にも残していない。

 ファンからの投票を得るには、秋によほど頑張らないといけないだろう。

 そして──オレは今日のレースの最後に気になったことが一つあった。

 

「……ミラクルバード。今年の皐月賞の動画、あるよな?」

「え? テイオーが勝ったヤツ?」

 

 彼女の確認にオレが頷くと、オレのトレーナー室にあるパソコンを操作して流してくれた。

 その走りと、今日の走り、それを見比べてオレは、思った。

 

(やっぱり今日のテイオーの走り、皐月賞と比べてほんの僅かだが……違い、いや違和感を感じる。ひょっとしたら……)

 

 もしもオレの考えが、本当にそうなのだとしたら──新たな三冠ウマ娘の誕生に黄信号が灯ることになる。

 最悪の事態だったとしたら──有記念さえ危ういかもしれない。

 

 そんなオレの危惧したとおり……この年、無敗の三冠ウマ娘は誕生しなかった。

 

 

 ──トウカイテイオーが骨折のために長期休養を発表したのは、ダービーを終えてまもなくのことだった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 6月2週目。その土曜日のこと──

 

 私の名前は──トウショウバルカン!!

 今日の調子も絶好調!

 本日のレース、エプソムカップを先頭をブッちぎって走る私には誰も追いつけない!!

 ゴールに向かってスパートをかける際、脳裏をよぎったのは二つ前のレース、栄光を掴んだサンシャインステークスのこと。

 そのイメージで──駆け抜ける!!

 

「フォロー・ザ・サアアァァァァン!!」

 

 グンと加速する手応え……いや足応え。

 後続を突き放したと確信した私は、ゴールに向かって一直線。

 その栄光を掴んだと確信し──

 

「キャッチ・ザ・サアァ──」

 

 ──そのとき、シュンと風を切る音が聞こえた。

 

「……え?」

 

 唖然とする私の横を──一人のウマ娘が駆け抜けていった。

 なに、今の……

 思わず気が抜けて速度が衰え、さらに一人に抜かれてしまう。

 

「あ……」

 

 結果──私は3着に。

 ゴールした私は呆然と、1着でゴールしたそのウマ娘を見つめる。

 呼吸を整え、顔を上げた彼女。

 その切れ長の目が、こちらを見て──

 

「──っ!!」

 

 スッとこちらへ向けられた視線を受けて、私の背筋には冷たいものが走った。

 そのまま体を抜けていくその感覚は、走り終わって火照った私の体を一気に冷まし、思わず震えが来るほどだった。

 私の体は悪い汗で、冷えきってしまう。

 

「い、今のは……」

 

 即座に視線を逸らし、まるで体を温めるように自分の肩を抱きすくめ、思わず呟きが漏れていた。

 射抜くような敵意だった。

 しかも、命の危機さえ感じてしまうほどの──

 

「あの……」

「ひィッ!!」

 

 突然声をかけられ、私は大げさにビクッと体を仰け反らせる。

 同時に尻尾がピンと立った。

 恐る恐る振り向くと──いつの間にか1位のウマ娘がすぐ側までやって来て、声をかけたのだと分かった。

 ガクガクと体が震えそうになる私に、彼女は──

 

「大丈夫ですか? だいぶ顔色が悪いようですが……」

「え?」

 

 切れ長で鋭さを感じさせる目は冷たくさえ感じてしまうが、それとは裏腹にかけられた声は静かなものの、確かな優しさを感じさせるものだった。

 感情豊かとは言い難いけど、どうやら私のことを心配してくれているみたいだ。

 

「あ……だ、大丈夫です」

「それならいいのですが……体調不良なのかと心配したので」

 

 私の答えに微笑を浮かべると、彼女は「それでは……」と言うとスッと浅く頭を下げて振り向き、そのまま立ち去ろうとする。

 

「あ、あの……」

 

 私が声をかけると、彼女はピタリと足を止めた。

 顔を少しだけこちらに向けて、例の切れ長の目が私を射抜くように向けられる。

 

「……なにか?」

 

 さっきとは違って無感情な目だった。

 それでも私は慌てて、呼び止めた用件を済ませる。

 

「い、いえ……1着、おめでとうございます」

「…………ありがとうございます」

 

 私のお祝いの言葉に、無表情だった彼女はわずかに口を微笑ませて応え──そして、颯爽と去っていく。

 途中、トレーナーなのか関係者なのか、若い黒服を着た男の人が近づいて声をかけてる。

 

「お嬢、レース直後で気が立っていたのはわかりますが、他人を睨むようなマネはお控えに……」

「……わかっています。感情的になり過ぎたと反省もしています。ですが“お嬢”はやめなさいと以前から……」

 

 遠くてよく聞こえないけど、言葉を交わしながら歩いていって──角を曲がってその姿が消えた。

 去っていくその姿を見送っていた私は、見えなくなって盛大に息をついた。

 

「なんて、威圧感……」

 

 彼女に見られたせいで、引いたはずのものとはまったく別種の汗で体は濡れ、そして冷えていた。

 このレースを制した、まるで刃物のようなその雰囲気を纏っていたウマ娘……

 

 彼女の名前は──プレクラスニー

 

 レース直後の眼はまるで、私たちとは別世界に生きる人のよう。

 もしも私が普段から鍛えていなければ──

 

「へくしッ!」

 

 変な汗を呆然としていた私は──その後、体を冷やして夏風邪をひく羽目になった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そして、エプソムカップの翌日の日曜日──

 

 

 例年なら阪神レース場で行われるはずの春のグランプリ、宝塚記念。

 阪神が改装中のため、今年は京都で開催のそのレース──今はその真っ最中だ。

 そして今回、あたし──メジロライアンは前の方で競走(レース)をしていた。

 なぜなら──

 

「く……」

 

 後ろをちらっと見れば、圧倒的な存在感を放つ、ウマ娘がすぐ後ろを走ってる。

 メジロマックイーン。

 あたしと同じメジロ家のウマ娘で、あたしと違って、もっと見るからにお嬢様って感じの()

 

(それにしても……最後方はバンブーさんか)

 

 バンブーメモリー。

 あたしやマックイーンよりも二つ年上の先輩。

 普段は学園で、竹刀を持って敷地内を歩き回っていて、風紀委員長の仕事もこなしている尊敬すべき先輩だ。

 

(あたし達よりも二つ年上ってことは……)

 

 あるウマ娘が、脳裏をよぎった。

 昨年末の有記念であたしが破れた相手のこと。

 そのウマ娘は“怪物”──オグリキャップ。

 

(バンブーメモリーさんは、彼女と同世代。その実力は折り紙付きだけど……)

 

 オグリキャップが引退したように、この世代のウマ娘達(先輩方)は限界を迎えつつある。

 今日も最後尾を走っているのがバンブーメモリーさんだと知ってしまったので、それをより強く感じていた。

 

(可哀想だけど……世代交代の波ってヤツだよね)

 

 800を過ぎて、あたしは仕掛けた。

 ペースをグッと上げて、前にいるホワイトストーン、そして先頭にいたウマ娘よりも前に出る。

 

(マックイーンと末脚勝負するよりも……)

 

 いつもは、マックイーンがあたしよりも前にいて、あたしは後ろから仕掛けてた。

 でも……それがいつも届かなかった。

 菊花賞も、それに春の天皇賞も。

 ならば、逆に──あたしが前にいれば、勝負は変わってくるはず。

 普段よりも前に位置して、そして先に仕掛ける。

 

春の天皇賞(あのとき)のあたしのレース展開にミスはなかった、と思う……)

 

 中段からやや後方って感じの位置から差したけど、マックイーンには届かなかった。

 だからあたしはマックイーンに勝つために、差しではなく先行に作戦を変えたんだ。

 こんな前の方でレースをするなんて、久しぶり。だけど──

 

「このまま……勝つんだ!!」

 

 あたしは必死で手足を振る。

 勝ちたい。

 あたしの近くにいた、同じ家に属する親しい友人。

 

(でも、それだからこそ、負けたくない。負けっぱなしでいたくない!)

 

 マックイーンが迫るのは──大外から。おそらく仕掛けが遅くなって、前をふさがれて大外を回るしかなかったんだと思う。

 今のマックイーンはそれくらいにマークされてる。

 それでも猛然と追い上げてくる、漆黒のドレスを身まとった葦毛のウマ娘。

 

「勝つんだ! 今日こそは! 絶対に!!」

 

 マックイーンに勝つ。

 勝って、菊花賞と天皇賞(春)のリベンジだ!

 それにマックイーンの明るい髪の色が──有記念でどうしてもその背を抜けなかったウマ娘を思い出させる。

 追いかけてくる、マックイーン。

 迫るゴール板。

 そして──

 

『──メジロライアン、ゴールイン!!』

 

 あたしが1着で駆け抜けると、実況が勝利者として名前を呼ぶ。

 そう、あたしは……ついにマックイーンに勝ったんだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「やりますわね、ライアン」

 

 宝塚記念のゴールを駆け抜け、結果は2着。

 わたくし──メジロマックイーンの、最後の追い上げは届きませんでした。

 レース中、彼女がわたくしよりも前に位置したのは正直、驚きましたが──

 

「追いつける、そう思ったのですけど……」

 

 普段と違う作戦をとれば感覚は狂うはず。

 まして彼女が前方で待機するなんて──

 

(メイクデビュー戦から数戦、未勝利のころ以来なのでは?)

 

 前にいて勝てなかったからこそ、中段以降に待機する作戦に切り替え、そして結果を出していった。

 そんな実績のある戦い方をこの大一番で捨てて、結果が出せずに捨てたはずの戦い方を選ぶなんて──なんて大胆な。

 

「さすが、わたくしの親友。いえ……ライバルですわ」

 

 ニカッと気持ちのいい笑みを浮かべて大歓声に応えている彼女。

 同じメジロ家の者という親近感はありますし、同期として一緒に歩んできたのですから戦友という感覚さえありますわ。

 でもやはり……負けるのは、悔しい。

 

「勝ち逃げは許しませんわよ、ライアン。秋のレースで、また競走(はし)りましょう……」

 

 次はどんな走りでわたくしと戦ってくださるのか。

 そしてそれにどう打ち勝つか、楽しみで仕方がありませんわ。

 それがまた、今日のような大舞台になるのは間違いなありません。

 秋の天皇賞か、ジャパンカップか……はたまたライアンが春秋グランプリをかけたレースになるのか。

 それを思い描きつつ、わたくしは勝者へと歩み寄り──

 

「おめでとうございます、ライアン」

 

 と、彼女の初めてのGⅠ制覇を称えました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 こうして、宝塚記念はメジロライアンが制して終わり──ウマ娘競走(レース)の春のシーズンは幕を閉じた。

 

 ──栄冠を手にした者。

 

 ──また惜しくも逃した者。

 

 ──怪我に泣き、再起を誓う者。

 

 ──未だ芽が出ずとも雌伏の時を過ごし、機会を待つ者。

 

 様々な思惑が様々に蠢き、そして夏の暑さの中で渦を巻き、潮流となっていく。

 そんな中で、ウマ娘達は──秋に向けてその眼差しを向ける。

 

 時は確実に近づいていく。

 あの日本中を驚愕させることになる年末へと──

 




◆解説◆
【それぞれの春レース】
・元ネタは無いんですが、「大○○」が浮かばなくて「もう()()ジェストでいいんじゃないかな」とか思い始めてしまう。

春の天皇賞
・メジロマックイーンが初めて制した、1991年の春の天皇賞がモデル。
・天皇賞については過去の解説参照──……あれ?
・解説してませんね。てっきりダイユウサクが秋の天皇賞に出た際に解説しているのかと思ったんですけど。
・天皇賞のルーツと言われているのが、1905年(明治38年)に横浜競馬場で開催されたエンペラーズカップ。
・明治時代の後期、日英の関係強化に奔走したイギリス公使のクロード・マクドナルドが公使から全権大使へ昇任した際、個人的に繋がりがあった明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」を贈られました。
・当時、横浜競馬場の会頭も兼任していたマクドナルドはそれを記念して、明治天皇から贈られた盃を賞品として『エンペラーズカップ』が、5月6日に創設されました。
・その後、毎年この競走に際して明治天皇から賞品が下賜されるようになり、日本語で『帝室御賞典』等と訳されました。
・ところがこの、天皇陛下(明治天皇)から賞品を下賜されたレースが各地の競馬場で大流行。横浜・東京に続いて阪神(旧鳴尾)も年2回、馬産地の福島・札幌・函館・小倉でも開催。
・レース名も『帝室御賞典』を使用するものだから年10回も、同じ名前のレースが距離を変え、場所を変えて開催されるという、現代の感覚だと“天皇賞のバーゲンセール”状態。
・各地の競馬倶楽部が1936年に日本競馬会に統合されて一本化され、その際に『帝室御賞典』も春の阪神と、秋の東京の年2回施行に改められました。
・その初の競走は1938年の秋開催の帝室御賞典で、これをJRAが天皇賞の第1回としています。
・なおレースの内容は、1911年から始まった「優勝内国産馬連合競走」が採用され、3200メートルの距離や条件等が引き継がれています。
・その後……太平洋戦争によって馬券が廃止されたため、「能力検定競走」として帝室御賞典も続いていました(1944年に春開催が阪神から京都に変更)が、1944年の秋から戦況悪化のために中止。
・終戦後、1946年から開始された競馬。1947年春から帝室御賞典の開催を決定。皇室に賞品の下賜をお願いしたのですが…GHQが皇室への処分がまだ決まっていなかったために却下。
・「は? なにそれ? 聞いてないよ? だってもう、スケジュール空けちゃってるし、どうすんのこれ?」
・と、戸惑ったかどうかはわかりませんが、日本競馬会は急遽、競走名を「平和賞」に変更して開催。
・「やれやれ春も苦労したけど、いよいよ秋の第2回平和賞を開催──」「大変です! 賞品下賜のオッケーが出ました!」「……………はい?」
・「お前ふざけんなよ! 開催は明日だぞ! 今さら変えられるかっての!!」
・と、怒鳴ったかどうかはわかりませんが、ともあれ第2回平和賞は急遽(実際に前日だったそうな)、名称を「第1回天皇賞」に改めて開催。
・その後、1937年の秋開催の帝室御賞典から数えることになり、同レースは「第16回天皇賞」ということになりました。
・なお、春の開催が戦中に京都へ変更になっていましたが、それから阪神へ戻ることなく、基本的には京都開催になっています。(京都が使えないときは阪神で開催されることもありますが)
・その後、グレード制導入の際(1984年)に秋の天皇賞が2000メートルへと変更。
・1971年に参加できなくなった外国産馬が2000年にできる(ただし2頭まで)ようになったりしつつ、現在に至ります。
・なお下賜される“盾”ですけど、イギリスで1665年に開催されたタウンプレートという競争で、レースの創設者である国王チャールズ2世が優勝楯を提供した、というのがモデル。
・この盾……実は1941年からなんです。そう、最初の帝室御賞典の賞品が、明治天皇から下賜された華やかな銀杯だったのが続いていて杯だったんです。
・で、1941年と言えば戦争中。当時のABCD包囲網の経済制裁を受けて物資が不足することに。
・「金属をたくさん使うなんてとんでもない」と下賜されるものが賞杯から、優勝盾へと変更に変更されました。
・なお、この優勝盾、馬主が受け取る際には白手袋を着用するのが慣例。
・う~ん……いつかの有馬記念みたいに、もしも全然想定してない誰かさんが勝って馬主の娘さんが普段着で来ちゃってた、みたいな場合には大変なことになるんでしょうね。

トウカイテイオー
・前回の会話でチラッと触れたのは、トウカイテイオーでした。
・それでお分かりのように、もうアニメ2期の時代に完全に入ってるんですよね。
・ですので、このころのレースがダイユウサクが重賞常連になったこともあって、公式ウマ娘がバンバン出てくることに。
・なお、指2本を頭上に掲げたのは、記念撮影で安田騎手がシンボリルドルフの主戦騎手の岡部幸雄に倣ってやったもののオマージュで、アニメの2期1話でもやってました。
・なお、本作ではシンデレラグレイ方式なために年代はモデル馬の生年月日準拠になっているため、アニメでは同学年のトウカイテイオーとメジロマックイーンですが、本作ではマックイーンの方が一つ上になっているという違いがあります。

骨折のために長期休養
・乾井トレーナーの持つ、数少ない特殊な技能の一つで、負傷に対する異常な勘の良さがあります。
・コスモドリームの時にも“違和感”として気が付いていたように今回のトウカイテイオーの負傷も、本人が違和感を感じたのはレース後、他のスピカのトレーナーやシンボリルドルフがライブで気が付いていますが、その前のレースを見てその可能性を見つけています。
・なお、ほぼ勘のようなものなのでコスモドリームの時は半信半疑でしたが、この時期になると多少自信はついていたみたいです。
・ちなみに……ダイユウサクの爪の剥がれは、レース直後は骨折を心配したために見逃し、その後はダイユウサクが隠していたので気が付くのが遅れました。
・ダイユウサクなら隠さないで話してくれる、と信じて油断していたのもあります。

トウショウバルカン
・久しぶりの出オチ役的なオリジナルウマ娘。
・モデル馬は同名の1986年生まれの競走馬。青鹿毛の牡馬。
・年齢的にはマックイーンやライアンよりも一つ上で、オグリキャップ世代の下。この前の解説で言った公式ウマ娘が一人もいない(2021年11月現在)で“間違いない”世代。
・91年の春は絶好調で、1月の条件戦の16着はともかく、その後のエプソムカップまでの5戦は4勝、2位1回。
・それでエプソムカップに挑んだのですが……
・ちなみにそのエプソムカップは1984年から開催されているGⅢレース。開催地は東京競馬場。距離は1800。
・エプソムとは、プリンターやコピー機の老舗エプソン──とは関係がなく、サリー州エプソムダウンズにあるエプソム競馬場のこと。
・1983年にダービー50回を記念して、東京競馬場とエプソム競馬場が姉妹競馬場として提携。
・東京競馬場からは桜が、エプソム競馬場からは柏が記念樹として交換されました。そしてカップの交換も行われて、このレースが翌年から開催されました。
・なお、エプソム競馬場では「The JRA Condition Stakes」が行われています。
・そんな91年のエプソムカップを最後に、トウショウバルカンは引退してしまいました。
・ちなみに彼女が叫んだ「フォロー・ザ・サン」は固有スキル。「フォロー・ザ・サン」「キャッチ・ザ・サン」で二段階加速するスキル……なのですが、二段階目は不発だった模様。なおその名前の由来は……
・いや、だってさ……“バルカン”なんて名前が付いているうえに、“サン”シャインステークスを制してるとか、もうネタにするしかないでしょ。
・というわけで『太陽戦隊サンバルカン』と、その主題歌の歌詞が元ネタです。
・2着を押しのけて、3着をわざわざウマ娘に採用したのはそのせい。

プレクラスニー
・またもや本作オリジナルのウマ娘。元ネタは同名の競走馬。
・葦毛の牡馬で、1987年生まれのマックイーンやライアンと同じ世代。
・生涯戦績は15戦7勝。主な勝鞍は──91年の天皇賞(秋)
・90年にデビューしたあと、前走の4月晩春ステークスに勝ってオープンに。それから今回のエプソムカップを含めて4連勝。
・その後のレースで4位になり──そのレースを最後に脚部不安により引退しました。
・マックイーンの話をやる際には、避けてて通れない相手ですね。
・……アニメでは避けたけど。(ぁ
・というか、あの2レースを避けるのはこの馬を回避するためかと思うレベルじゃないですか?


※次回の更新は11月13日の予定です。  



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第65R 大反省… そして、魂の導きのままに……

 
 ──8月も終わりが近づいていた。

 そして、ここ小倉レース場では、競走界における夏の終わりを告げるレースが開催されていた。
 そもそも、夏というのはウマ娘達にとっては基本的に休養の時期である。
 暑い中で全力疾走することは体に大きな負担をかける。
 それで消耗すれば、大きな事故の素にもなりかねないし、第一、誰もこの時期に走りたがらない。
 おかげで夏のトゥインクルシリースは大きな重賞はほぼ無く、この時期を象徴するのは、ジュニア期の新人達が初出走するメイクデビュー戦が始まること。
 トゥインクルシリーズにとって、夏はそんなフレッシュな時期なのである。

 そして──そんな新人達の季節が終わるとやってくるのは、クラシックやシニア世代が激しく(しのぎ)を削る、秋のシーズン。
 その開始の予鈴ともいえるレースが、この小倉記念だった。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 アタシの名前はナイスネイチャ
 現在、クラシック世代のウマ娘で、デビューしたのは今年。
 ちょ~っとだけ遅くなっちゃったのと、その後に色々ありまして……皐月賞やらダービーには間に合わなかったけど、それでも最近は絶好調。

「今日のレースも勝って、現在3連勝中……いい感じよね」

 今日のレースは小倉記念でした。
 勝ったレースでこうして観客席に手を振るのもずいぶんとなれた感じになってきたでしょ?
 クラスもオープンになったし、これからジャンジャン活躍していこうじゃありませんか。

「さてさて、ここまで登ってきたからには、次は京都新聞杯で良い成績をのこしたいところ、ですけどねぇ」

 京都新聞杯は、そこからクラシック三冠の最後の一つで、三つの中で唯一秋に行われるレース、菊花賞へと続く道。
 これに間に合いそうなところまで来られたのは、本当に僥倖だと思うし、一勝に一度しか挑めないレースだもの、このネイチャさんだって張り切りたくもなりますわ。
 春の二冠には間に合わなかったわけですし……

「とはいえ、たとえ間に合っていたとしても“アレ”に勝てたとは思えないわけでして……」

 今年の皐月賞とダービーの二冠をとった無敗のウマ娘、トウカイテイオー。
 う~ん、どんなに頭の中でシュミレーションしても、勝つイメージが浮かばないわ~。
 ホント、マジで別格。
 もちろんそのままでいるつもりなんてないけど、今のアタシじゃかなわないのは、事実として受け止め、さらに鍛錬して上を目指すわ。
 でも、その別格さんが菊花賞が出るのは、正直難しいって言われてて──

「だからこそ、狙い目でもあるんですけど、ね」

 そのトウカイテイオーは、ダービーの後に骨折してしまったのですよ。
 そんなわけで菊花賞にはとても間に合わず、残りの一つの争いは急に混沌としたわけで……アタシだってそれを掴めるチャンスが巡ってきた。

「ま、テイオーには悪いけどね」

 相当、悔しかっただろうな。テイオー。
 彼女のあの性格から、絶対に表に出さないだろうけど……彼女の憧れであるシンボリルドルフ会長と同じ道を順調に歩んでいたのに、それが走って競った結果じゃなく怪我で邪魔されたんだから。
 ……なんて、他の誰かの心配を上から目線でしていられるほど、アタシも優等生じゃないし。

「狙わせてもらいますよ。アタシだって“主役”になりたいんだから……」

 そう考えながら、最後に大きく手を振って──さらに沸き上がった歓声に、アタシは心地よさを感じていた。
 少なくとも今日の主役は、アタシだったんだから。



 

 ──ようやく残暑の終わりが見えつつある9月の半ば。

 

 まだ冷房を止められない気温の中、オレは自分のトレーナー室にいた。

 相部屋の巽見は不在で、部屋にはオレ一人。

 そんな中、自分のデスクで週末に行われたレースの映像を改めて見ていた。

 レースの名前は朝日チャレンジカップ

 中京レース場で行われたGⅢレースだ。

 そして出走したメンバーの中には、ウチ唯一の現役競走ウマ娘の姿がいた。

 

「位置取りは悪くなかったよな」

 

 序盤で前の方に待機し、4番手で走っている。

 そのまま4番手で終盤まで進み──そこから末脚が伸びることなく、集団に飲まれてしまう。

 無論、そこから抜け出すこともできず、そのままゴール。

 

「う~ん……」

 

 一言で言えば、いいところがないレースだった。

 もちろん、大崩れして下位になったわけでもないので、そこまでひどいレースだったわけではない。

 

(そういう意味では、次につながるレースではあるんだけどな……)

 

 しかし、GⅠを狙うと決めた今期の最初のレースとしては、少し物足りない結果であるのも間違いない。

 なにより距離は彼女の得意にしている2000メートルだったんだから。

 

「さてさて、どこが悪かったのやら……」

 

 もう一度、レースを最初から見ようとしたとき──部屋の戸が「コンコン」とノックされた。

 それに気が付き、動画を止め、「はい!」と返事をしたが……いつまで経っても向こうから声はかからず、戸も開かない。

 首を傾げながら「開いてます、どうぞ!」と声をかけたが、それでも開かなかった。

 

「まったく……いったい何だ?」

 

 気のせいだったと無視してもよかったが、ノックの音は気のせいとはできないくらいにハッキリ聞こえていた。

 無視ができず、オレは席を立って出入口に向かい──戸を開くと、そこにはうつむいているウマ娘が立っていた。

 

「ん? ダイユウサク……どうした?」

 

 鹿毛の長い髪を後ろに流したおでこの見えるいつもの髪型。

 だが、その表情はいつもの勝ち気な様子はなく、申し訳なさそうに沈んでいる。

 その雰囲気に戸惑いながら、オレは彼女に声をかける。

 

「遠慮することないだろ。入れよ」

 

 返事はなかった。

 それになかなか部屋へ入ろうとしないので、オレは半ば強引に部屋の中へと入れた。

 それでもダイユウサクは俯いたままで──

 

「黙り込んだままじゃあ、何しにきたのか分からないぞ?」

 

 オレがため息混じりにそう言うとダイユウサクはやっと動き──頭を下げた。

 

「ごめんなさい、トレーナー。あんな結果で……」

「レース場でも何度も謝られたが、別に謝るようなことじゃないだろ? だいたい……オレがレース結果でお前のことを怒ったことがあったか?」

 

 オレの問いに、ダイユウサクは首を横に振る。

 

「だろ? だからそんなに気にしなくても……」

「気にするわよ。GⅠ取る、なんて言っておきながら、GⅢで7位だったんだから」

 

 朝日チャレンジカップで、ダイユウサクは7着

 レース直後からその結果を気にしていた様子だったが、まだ立ち直っていないらしい。

 その様子を見て、オレはため息を付いた。

 

「あのなぁ……お前、そんな器用なウマ娘じゃないだろ?」

「なッ……」

 

 オレがあえて遠慮なく言うと、彼女は耳をピンと立てて驚いていた。

 それからできるだけキツくならないように注意しながら、続ける。

 

「お前のトゥインクルシリーズの原点……一番最初はどんなレースだった?」

「そんなの……最底辺よ」

 

 ぐっと堪えながら、彼女は視線を逸らして言う。

 

「そうだ。最初っから連戦連勝できたわけじゃあない。それでもここまで上がってこられたのは、お前の力だ。まずはそれを誇れ」

「わかってる。でも……」

「で、お前の場合はその下の時にいた性質が染み着いちまったのか、連戦で調子を上げていくタイプなんだ」

「……え?」

 

 なるほど、自分では気づいていなかったか。

 

「休養明けで勝ったことがなかったのに、気づかなかったか?」

 

 デビュー2戦し、その後にトレーナーがオレに替わった時期、数ヶ月開けて最初のレースは5位で。初勝利したのは5戦目。

 オープンクラスを目指していたころに、春の間に休ませて復帰させた時も、やはり復帰後に即勝利とはいかなかったからな。

 

「あれは……CBC賞、格上挑戦の重賞だったわ」

「そうだな。でも正直、そのころからそうじゃないかと疑っていた。だからあえて格上挑戦させて、『負けても構わない』ってつもりで出したんだ」

 

 ダイユウサクはオレの『負けて構わない』という言葉に不満そうな顔をする。

 だからオレは、あえてしたり顔をして言ってやった。

 

「なぁ、ダイユウサク。こんな言葉を知っているか?」

「……なによ?」

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。とある人が言った、有名な言葉だが、確かにその通りだと思う」

 

 これを聞いたときは「そんなもんか」と思ったが、トレーナーをやってきたから、実感として思うようになった。

 

「どういうこと?」

「ウマ娘の競争でもそうだが、“よくわからないけど勝った”というのは(まれ)だが実際にあることだ。普段のそのウマ娘からは考えられないような力を発揮して勝っちまうときもある。はたまた他が牽制しあっている内に勝ってしまった、なんてこともある」

「それは、原因がわかってるじゃない」

「ああ、そうだ。でも勝った側からみたら、『なんで追いかけてこないんだろうか?』と思うだろ。でも、負けた側から見たら……」

「牽制しあって、追い上げるタイミングを逸した」

「その通り。負けた理由は分かっている。勝った理由よりも負けた理由の方がわかりやすいしな。お前の場合、金杯はどうして勝てた?」

「え? えっと……アタシが一番速かったから?」

「そりゃあそうだが、それは勝因とは言えないだろ」

 

 思わず笑いながら言うと、ダイユウサクは憮然とした表情になる。

 

「もちろんオレは、金杯の勝ちを『不思議の勝ち』とは思っていない。二連勝中で調子がよかったり、調整がうまくいったというお前自身の要因もある。グレードレースの上位常連みたいな連中が出走しなかったという周囲の要因もあった」

 

 いわば勝つべくして勝ったと思っている。

 だが、そうやっても──負けることがあるのがウマ娘の競走なのだ。

 

「じゃあ、次の大阪杯の敗因は?」

「それは爪のせいで、末脚が発揮できなくて……」

「その通り。あのときのお前の調子なら、オレは当時のホワイトストーンにも勝てたと思っている」

 

 ホワイトストーンはダイユウサクが2位だった大阪杯の勝者。

 一つ下の世代の中でも実力者であるウマ娘の一人で、去年の有記念に出走していたほどだ。

 

「と言うように、負けた原因は分かりやすい。さっきオレが言った『そのウマ娘の普段の力量から考えられないような力を発揮して勝った』というのも、負けた側からしたら、『大したことのないウマ娘だと油断していたから負けた』ってことだからな」

「あ、そっか……」

 

 俗に言う『大穴』が勝ったレースは、往々にして『本命』に油断があったことが多い。

 童話で言えば『ウサギとカメ』がまさにそれだ。

 

「負けて落ち込むのが悪いとは言わない。落ち込むってことは(かえり)みているってことだからな。だが、前を見ない省みは反省じゃあないからな」

「う……」

 

 図星をつかれて口ごもるダイユウサク。

 その肩に、オレは手をポンと乗せた。

 

「安心しろ。そのためにオレが、トレーナーがいるんだ。敗因を探してその対策をすることは、勝因を探してそれを伸ばすことよりもずっとやりやすい。負けて得ることの方が多いってよく言うだろ?」

「うん……」

「今回のレースも、オレが敗因をしっかり見極めて、それをトレーニングでカバーさせる。負けたレースでも次に繋いでいくから、安心しろ」

 

 今回のレースの敗因は、今、分かっているのはダイユウサク自身の休養明けはなかなか勝てないという、気質というか体質というか、そういったものだ。

 さらに言えば、今回は前走から半年近くも開いたし、その上、前々走は正月の金杯にまで遡ってしまう。

 おまけに、爪が治るまで変なクセが付かないように走るのを禁じたから、休養中もほとんど走っていなかった。

 以前のとき以上に競走(レース)勘や勝負勘が衰えていた可能性が高い。

 集団に飲まれたのも、足──というよりも爪──への不安が潜在的にあって末脚を100%発揮できなかったのかもしれない。

 

「ありがと、トレーナー……」

 

 ん? 珍しく殊勝な様子だな。

 半年の休養明けの不安とか、GⅠ制覇と意気込んでいた鼻っ柱を折られたとか、同級生達がどんどん一戦を退いていったりとか、そういうので不安になってたんだろ。

 

「気にすんな。で、次の出走なんだが……」

 

 本当なら、チーム部屋でミラクルバードもいるところで話そうと思ったんだが、ここにいるんだから丁度いい。目標にもなるだろうし……と思ってオレが言おうとしたら──

 

「待って」

 

 ダイユウサクが止めた。

 不安そうで、気弱になっているようにも見えたその表情が、変わっていた。

 

「トレーナー、前に言ったわよね? 目標はマイルチャンピオンシップだって」

「ああ。やっぱりGⅠ制覇を第一に考えればそうなる」

「それって……天皇賞には()()が出てくるから、でしょう?」

 

 以前、秋戦線をどう戦っていくか話し合ったとき、名前が出た彼女。

 オグリキャップが一戦を退き、それに代わるように輝き始めた葦毛のウマ娘──メジロマックイーン。

 話し合い以後の春のシーズンでもその実力を見せつけて春の天皇賞を制しているし、宝塚記念は2位だったが、あれは1位のライアンの仕上がりがよかった上に作戦勝ちしただけで、マックイーンが悪かった訳じゃない。

 

「……マックイーンと戦わせて」

「なッ……お前、それは……秋の天皇賞を狙うってことか?」

 

 うなずくダイユウサク。

 確かに、日程的には天皇賞は10月終盤で、マイルチャンピオンシップは11月半ば。

 両方への出走はスケジュール的には可能ではある。

 

(距離も2000と1600、それほど極端に変わる訳じゃない。だが……)

 

 3200の長丁場である春の天皇賞ならともかく、秋は2000と中距離でも短め。

 しかしオレはそれでも躊躇った。

 正直な話、今回の朝日チャレンジカップはダイユウサクが得意にしている距離だからというのもあったが、秋の天皇賞を見越してでもあった。

 しかし、ダイユウサクには絶対に言えないことだが──さっき挙げた敗因を考慮しても、今回のGⅢでさえ掲示板を逃しているようでは難しい。

 

(それもあのマックイーンを抑えてなんて、尚更だぞ)

 

 先ほど名前の挙がったホワイトストーンも、春のGⅠでマックイーンには完敗している。春の天皇賞と宝塚記念の両方で。

 

(それほどまでにマックイーンは強い)

 

 だから今回の結果から秋の天皇賞路線はオレの頭から外しつつあった。だから次のレースは1800のマイル戦、GⅡの毎日王冠と思っていたのだ。

 しかし──

 

「お願い、トレーナー」

 

 そう言ってオレを見つめる目の力強さに驚いていた。

 ついさっきまで、前走の敗北を気にしてしょげていたウマ娘とは思えないほど、劇的に変わっている。

 考えられる要因は──メジロマックイーンへの対抗心。

 

(そういえば聞いたことがある……ウマ娘の中には、同じレースに出たり特に接点もないのに、特定の相手にだけ、まるで“前世の因縁”と言わんばかりに無意識に対抗心を燃やすのがいるらしいが……)

 

 メジロアルダンとは同級生で確かに仲もいいらしいが、基本的に人見知りで親しい人以外への興味が低いダイユウサクが、マックイーンと積極的に絡むとは思えない。

 そうすると──ダイユウサクにとってのメジロマックイーンが、それなのだろうか。

 

(改めてグレードレースの壁の厚さを感じているダイユウサクにとって、その気持ちはモチベーションを上げるには丁度いい)

 

 逆にもしも却下すれば──調子が下向きになる可能性もある。

 そして思い出す。毎日王冠と同じ週に開催される、そのレースを。

 

「京都大賞典……」

「え……?」

「マックイーンの休養明けの初戦は、そこらしい」

 

 オレが言うと、ダイユウサクはきょとんとした表情でこちらを見ていた。

 

「京都レース場で距離は2400。今まで2000しか走ったことがないお前にとって未知の領域の距離だな」

 

 短距離はさんざん走ったが、2000を越えるレースには、今まで出走したことがなかった。

 

「対して、マックイーンは3200というGⅠ最長である春の天皇賞を今年制している。ついでに言えば、去年のクラシックレースで3000メートルの菊花賞を勝っているからな。現時点で、現役最強のステイヤーと言っても過言じゃない」

「トレーナー……?」

 

 きょとんとした顔が、怪訝そうな顔になる。

 

「……ダイユウサク。今のお前に天皇賞とマイルチャンピオンシップという二兎を追えるほどの余裕はない。オレはどちらかに専念すべきだと考えている」

 

 前にいろいろな距離に対応できる適応力も武器だとは言ったが、国内最高峰のレース二つを同時に狙う器用さも強さもはない。

 

「だから前哨戦の京都大賞典でマックイーンと戦ってこい。その結果を見て、どちらを狙うか決める。それでいいな?」

 

 オレがそう告げると、ダイユウサクの表情がパッと笑顔になった。

 そして喜びを噛みしめ──バッと一瞬でオレに近寄った。

 

「──ッ!?」

「ありがとう、トレーナー!!」

 

 その勢いのまま、ダイユウサクはオレに飛びつくように胸に飛び込み、そのまま背に回した手で力一杯抱きしめてきた。

 

「~~~~~ッ!!」

 

 一瞬で、オレの肺から空気が絞り出され、声が出せなくなる。

 いかん、このままでは……

 あわてて、ダイユウサクの背中を軽く叩いてタップするが、残念ながらこれは格闘技ではない。気が付いた様子もなく、さらに力が込められる。

 

「本当にありがとう。なんだかんだ言って最後にはアタシの意向を汲んでくれて……だからアタシは好──」

 

「「ただいまー!」」

 

 そこへ、帰ってきた巽見とコスモドリームが戸を開けて入ってくる。

 そして彼女たちが見た光景は──

 

「わぉ、ダイユウサクってば大胆~。熱烈な抱擁だなんて……」

「いや、涼子さん。乾井トレーナーは泡吹いてるからベアハッグなんじゃない?」

 

 正直、惨事の一歩手前のような光景だった。

 二人の登場に固まっていたダイユウサクだったが、指摘されてあわててオレを放り捨てる。

 おかげでオレは息を吹き返し──介抱されて、なんとか意識を取り戻した。

 

 ……結果、二人はオレの命の恩人になった、らしい。

 

 




◆解説◆
【そして、魂の導きのままに……】
・元ネタ無しです。
・ここの魂とはウマソウルのこと。

小倉記念
・この小倉記念はもちろん1991年開催の第27回小倉記念がモデル。
・現在の小倉記念は8月の半ばよりも上旬に開催されることが多く、むしろ“夏真っ盛り”といった様子ですけど。
・グレードはGⅢ。開催場所はもちろん小倉競馬場。小倉競馬場は福岡県北九州市にある競馬場。
・距離は2000メートル。1998年で京都開催だけ1800で開催されたんですが……京都って普通に2000で開催できるのに、なぜ? 実際、1982年の京都での代替開催では2000で開催してるのに。
・1965年から開催されているレースで、小倉競馬場で開催される重賞では最古参。
・なお、『農林水産省賞典 小倉記念』と番組などで紹介されるので、それが正式名称……かな?
・第1回は8月29日に開催されたものの、翌年は7月31日、3回目は9月10日と安定せず、5回目の1969年にいたってはなんと12月の開催。
・その後は8月末から9月の頭くらいで開催されるようになったのですが、1994年の第30回からは、7月末から8月の半ばの開催になっています。
・1991年の開催日は8月25日。当日の天候は晴れで、馬場も良。
・出走した中で、公式のウマ娘になっているのはナイスネイチャとイクノディクタス。
・その結果は……

ナイスネイチャ
・……第27回小倉記念を制したのは、ナイスネイチャでした。
・というわけで、実装ウマ娘であるナイスネイチャ。
・モデル馬はトウカイテイオーと同い年の1988年4月16日生まれの鹿毛の牡馬。
・そのため1991年はクラシックの年。前年の12月5日にデビューし、明けた1月の若駒ステークスなんかにも出走してトウカイテイオーとやりあったり(1着トウカイテイオー、()()ナイスネイチャ)していたけど、2月以降は骨膜炎で休養に入って春シーズンを棒に振ることに。
・そのため、皐月賞やダービーには出ていません。
・7月のなでしこ賞で復帰して2着。その後は小倉記念を含めて4連勝し、クラシックレースの菊花賞へ挑戦することに。
・というわけで、次の京都新聞杯はイブキマイカグラに勝ちます。
・ちなみにアニメ版だとイブキマイカグラに相当するのはブレスオウンダンス。イブキ(伊吹)ブレス(呼吸)マイ(my)オウン(own)カグラ(神楽)ダンス(舞踊)……ということなんでしょう。
・第2期のレースをよく見てると、ちょくちょくこのブレスオウンダンスの姿も見かけます。
・本作のナイスネイチャの性格というかイメージはアニメ版というよりはゲーム版のネイチャを意識しています。なのでトウカイテイオーとの繋がりがちょっと希薄かも。

朝日チャレンジカップ
・ダイユウサクの27走目は朝日チャレンジカップ。
・モデルになったのは当然、1991年開催の第42回。天気は曇り、馬場は稍重でした。
・1950年から開催されているレースで、グレードはGⅢ。
・最初の2回は2400でしたがその後は2000メートルで開催され、2012年から2016年の5回だけ1800メートルで開催されています。
・開催時期も創設されたときは11月16日の開催でしたが、10月だったり12月だったりと安定せず、1970年くらいから9月半ば、1994年くらいからは9月の上旬で安定していたのですが、2012年から突然12月上旬開催になり、現在に至ってます。
・なお、設立当初は単に『チャレンジカップ』という名前だったのですが、1953年に朝日新聞社から賞寄贈を受けて『朝日チャレンジカップ』に改称。
・その後……『朝日杯フューチュリティステークス』の開催が中山から阪神開催に変更されたのに合わせ、名前は『チャレンジカップ』に戻されました。
・「なんでや! 阪神関係ないやろ!」
・いいえ、あります。だって、本来の開催地は阪神競馬場ですから。
・「え? しれっと中京レース場開催って、本文中に書いてあるやないか!」
・確かに書いていますが、これも間違いではありません。1991年の開催は、春の大阪杯と同じように改装中のため中京で開催されたのです。
・この改装、結構影響してますねぇ……

ダイユウサクは7着
・1991年9月15日に開催された第42回朝日杯チャレンジカップで、ダイユウサクは7着でした。
・1着はヌエボトウショウ。↑の小倉記念でナイスネイチャに負けた2着だったりします。
・2着には公式ウマ娘であるイクノディクタスが入っていたり、3着が金杯で勝ったホワイトアローだったり、ネタには困らないようなレースだったんですけど……
・これをレース描写なく飛ばしてしまったのは、書いてる人が「ホワイトアロー」と「ホワイトストーン」を勘違いしたせいだったりします。
・ホワイトストーンって今まで何度となく出てきてるんですけど、描写が少ない謎のウマ娘──って感じになっていたので、そのまま謎のままにしておこうと思い、描写のないレースにしたのですが……よく見たらホワイトアローだった、と。
・おかげで金杯で意味深に出てきたホワイトアローが、そのリベンジ描写もなく終わってしまい、ただの出オチキャラになってしまいました。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
・まるでガルパンのダージリンのように語りだした乾井トレーナー。
・この言葉、プロ野球の故・野村克也監督の格言……とマスコミも勘違いしたくらいですが──
・江戸時代の、肥前国平戸藩の第9代藩主である松浦 静山(本名;松浦 清)が残した格言。
・大名ながら剣術の達人で、剣術書『剣談』のなかにある言葉でした。
・でも、乾井トレーナーはきっとノムさんの格言だと思ってます。

毎日王冠
・東京で開催されるGⅡレース。
・その名の通り、毎日新聞が正賞を寄贈しており、1950年に創設されました。
・創設された際には11月12日に開催され、その後はチャレンジカップみたいに9月やら10月に開催されていたのですが、第7回の1956年あたりから9月中旬での開催で安定。
・ただし開催地が東京だったり中山だったり、1973年には福島で開催、と開催地さえ固定されないというちょっと変わったレースでした。
・しかし1981年にジャパンカップが創設されると、秋の天皇賞の開催が繰り上がり、その前哨戦として10月の上旬に東京で安定して開催されるようになりました。
・距離も当初は2500で創設され、2600で開催されたりしていたのですが、1959年からは2300に。挙句には1961年にはダートで開催。
・翌年からは2000の芝でしばらく開催されていたのですが、1984年に秋の天皇賞が2000に短くなった際に、1800メートルに変更。以後、固定されています。
・距離的には天皇賞(秋)とマイルチャンピオンシップの中間で、秋のGⅠを占う重要なレース。
・本文中にあるように、だいたい京都大賞典と同日開催になることが多いが、そちらは2400メートルとステイヤー向け。
・なお、扱わないのでネタバレしますが、1991年の毎日王冠を制したのはプレクラスニー。
・2位がダイタクヘリオスで、3位は金杯でいきなり落馬してカラ馬になり、それでもダイユウサクに勝てなかったメジロマーシャス。
・なお、バンブーメモリーも出走していますが、順位は6着でした。


※次回の更新は11月16日の予定です。  



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第66R 大果敢! いざ勝負!敵はマックイーン!!

 今まで一番多く走ったレース場は……といえば、アタシにとってはここかもしれない。

 そう思いながら、アタシは足下の芝を確かめるように踏みしめていた。

 ここは京都レース場。

 今まで何度も走ったことのあるレース場で、金杯も含めた去年の年末からの3連勝もここだし、今年を見ても金杯以外は大阪杯と今回。4戦中3戦が京都だから、慣れている感じはある。

 

(でも、今日のレースは京都大賞典……)

 

 2400メートルの距離は初めて。不安はある。

 おまけにあまり思い出したくないけど──

 

「あ~ら? 京都のダート1800の最遅レコードって、ダイユウサクさんでしたっけ?」

「……サンキョウセッツ……アンタ、なにしに来たのよ?」

 

 そう、13秒のタイムオーバー出したのもここなのよね。

 アタシがギロッと睨んであげたけど、気にした様子もなく「オーッホッホッホ!」とツインテールを揺らしながら高笑いをしてるわ。

 

「もちろん、貴方への応援ですよ。ダイユウサクさん」

「シヨノロマン……」

 

 そう言ったのは、セッツと一緒に来ていた細い目をした三つ編みのウマ娘。

 最近、サンキョウセッツとシヨノロマンが一緒に応援に来てくれるけど……セッツ、大丈夫かしらね。あのウマ娘(ヤ○ノムテキ)に目を付けられるんじゃないかしら。

 いっそ、彼女に性根を叩き直された方がいいのかもしれないけど。

 

「遠いところ、わざわざありがとう。シヨノロマン」

「いいえ、お礼ならセッツに言ってくださいな。行こうと言い出したのは彼女で──」

「なななななにを仰っているのですか、シヨノ!! 私がそんなこと、言うわけないんだってばよですわ~! オホホ~」

 

 焦った様子でシヨノロマンの言葉を遮ったサンキョウセッツ。

 ……動揺しまくって、完全に言葉がおかしなことになってるじゃないの。

 まぁ、最近思ったけど、悪いウマ娘じゃないんだけど素直じゃないのよね。

 

(なんて話をコスモにしたら、『うん、ユウによく似てるよね。素直じゃないところ』なんて言われたけど……)

 

 今日は来ていないコスモのことを思いだしつつ、アタシはチラッとトレーナーの方を見た。

 出場チーム用のスペースで、車椅子に座ったミラクルバードとなにか話してるわね。

 さすがに京都だから、オラシオンと渡海って人は連れてこなかったみたい。

 ふ~ん、二人きりってわけ……

 

「と、ところで! なんだか今回のレース……寂しいんじゃありませんこと?」

 

 誤魔化すように大きな声で言ったサンキョウセッツの声で、アタシは視線を元に戻した。

 その言葉に、シヨノロマンも苦笑を浮かべて同意する。

 

出走人数が、ちょっと……」

 

 そう言って彼女が視線を巡らせる。

 アタシ以外に体操服を着てウォーミングアップをしているウマ娘はたったの6人しかいない。

 京都大賞典と言えばGⅡレース。

 しかもGⅡの中でも格は上の方。そのレースを制した栄誉は大きく扱われる。

 だから本来ならもっと人気のあるレースなんだけど……

 

「今回は、あの方がいらっしゃいますからね……」

 

 シヨノロマンが視線をそのウマ娘で止めた。

 その視線の先には、長く美しい葦毛と、気品溢れる雰囲気を持ち合わせ……それだけでなく強者の風格さえ漂わせ始めている者がいた。

 

「……メジロマックイーン」

 

 アタシは彼女を見て、少し複雑な気持ちになった。

 彼女とはほとんど接点がない。以前、高松宮杯に初めて出たときにメジロアルダンを応援に来ていた彼女をチラッと見かけたことがあるくらい。

 そのときは言葉も交わしていないし、学園内でたまたますれ違うことはあっても、アルダンの縁者ってことで軽く会釈するくらいはあるけど、向こうもアルダンの同級生だから程度で会釈を返してくるくらい。

 そんな希薄な関係のはずなのに──

 

(なぜか負けたくないって……ううん、負けたらいけないって思う)

 

 トレーナーに直訴までしたけど、正直、アタシの中だとこの気持ちの正体が分からないから、戸惑ってさえいるのよ。

 でも……

 

「あの方が出走するということで、回避した方もだいぶいたようで。おかげで出走人数もだいぶ少なくなってしまわれたとか……」

 

 そういえばコスモがオグリキャップと走った高松宮杯も、同じ感じで人数が少なかったわよね。

 

「メジロマックイーンだかメグロノソーリィだか知りませんけど、敵に恐れを抱いて逃げるだなんて、情けないですわね」

 

 えっと……ひょっとしてセッツ、マックイーンのことを知らないの?

 唖然としていると、それに気が付いたセッツが首を傾げた。

 

「なんですの?」

「あのさ、セッツ。アナタまさか、メジロマックイーンのこと、知らない……とかないわよね?」

「知りませんわよ?」

 

 うわ~、自信満々に言い切ったわよ、このウマ娘。

 

「それがどうしましたの?」

「いや、だって……ニュースとか見ないの?」

「もちろん見ますわよ」

「それなら見かけるはずでしょう!?」

「確かにテレビで見かけたことがある顔かもしれませんけど……でも、私の出るレースでは見たことありませんわよ?」

 

 そりゃあそうでしょうよ!

 ……アンタ、オークス以来、重賞走ってないんだから。

 

「で、アンタが最後に出たのはどのレース?」

「UHB杯ですわ」

「は? UHB杯? いつの間にスキージャンプに転向したの?」

「ち・が・い・ま・す・わ!! 7月末に開催された、札幌開催の、トゥインクルシリーズのレース、ですわ!!」

「へ、へぇ……」

 

 UHB杯っていうから、スキージャンプ(そっち)の方が真っ先に浮かんだわよ。

 

(札幌開催ね……ちょっと羨ましくもないかな)

 

 一大観光地の北海道で、しかもその中心地である札幌での開催か。

 帰り道に観光でも、なんて考えなくもないし。

 時計台とか、ラベンダー畑とか──

 

「オ~ホホホホッ! 貴方は行ったことありませんのでしょうけど、札幌は夏の7月末と言ってもそれほど暑くなく、湿度も低くて快適でしたわ~。まぁ、あ・な・たのような庶民にはわからないでしょうけど!」

 

 ……前言撤回。

 全っ然、羨ましくないわ。

 札幌なんてやっと芝が整備されたくらいで、重賞もほとんどないじゃないの!

 そもそもレースの出走で行ってるんだから、庶民とか金持ちとか関係ないでしょ!?

 

「……重賞に縁がないから、札幌に出走してるんじゃないのよ。マックイーンのことも知らなかったし。きっとマックイーンも札幌レース場なんて行ったことないわよ」

「その方について興味もありませんのでなんとも思いませんわね。レースで顔を合わせないウマ娘のことなんて、どうでもいいですわ~!」

「セッツ……」

 

 急に怒りと苛立ちが、スンと落ち着いた。

 高笑いをするサンキョウセッツを、少しあきれた顔で見てしまう。

 すると、同じような感情を込めて苦笑するシヨノロマンと目が合った。

 

「オ~ホッホッホッホ!!」

 

 セッツの高笑いが響く中、アタシはシヨノロマンに同情の目を向けた。

 苦労してるのね、アナタも……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 なにか妙な高笑いが聞こえ、ウォーミング中だったわたくしはそちらへと視線を向けました。

 そこには3人のウマ娘がいました。

 その内の一人は体操服姿。長い栗毛を後ろに流し、おでこが見えるヘアースタイル。

 残りの二人は普段着で──高笑いしている方は頭の両脇で髪をまとめたツーサイドアップと言われる髪型。もう一人は長い髪を三つ編みで一つにまとめていて、その髪よりも線のように細い目が印象に残る方でしたわ。

 

「あれはたしか……」

 

 シヨノロマンさん、と言いましたか。

 アルダン姉様のレースを応援しに行った際に、お見かけしています。高松宮杯で競っていた記憶がありますし。

 たしか……アルダン姉様同様に、オグリキャップさんと同じ世代の方で、トリプルティアラ路線で、制しはなかったものの活躍なされたと聞き及んでいます。

 

「高松宮杯……?」

 

 なにか、妙にひっかかりました。

 あのとき確か──

 

「マックイーン!!」

 

 名前を呼ばれ、わたくしは考え込むのをやめて、意識を声のした方へ向けました。

 そこには──

 

「ライアンではありませんか」

 

 居たのはメジロライアン。わたくし同様にメジロ家に属するウマ娘であり、同い歳でもある親しい友人の一人です。

 彼女が応援に来てくれて嬉しいと思う反面──

 

「こんなところまで来て、ケガは大丈夫なのですか?」

 

 わたくしは心配をしました。

 宝塚記念で競った彼女でしたが……その後、足の負傷が判明して現在は治療中のはずです。

 

「大丈夫、大丈夫。それに復帰に向けて少しでも動かさないとね。リハビリで筋肉を鍛えないと……」

 

 相変わらずなその言葉に、わたくしは思わず笑みを浮かべてしまいます。

 文字通り、たくましい。

 そんな彼女と、また同じレースで競いたい。わたくしは本心からそう思います。

 

「それに、応援するのはマックイーンのことだけじゃないよ」

 

 そう言ってライアンが見つめた先には──少し癖のある髪を一つに纏めた髪型のウマ娘がいます。

 もちろん、わたくしもその方のことは存じていました。

 

「パーマーさん……」

 

 メジロパーマー。

 わたくしやライアンと同じ年齢で、宝塚記念は共に出走した間柄でもあります。

 

「7人しかいないのに、メジロ家から2人も出るなんてね」

「仕方がありませんわ。まさかこれほど少なくなるなんて、思ってもいなかったでしょうし」

 

 とはいえ……どんな相手であろうとも、どんな人数であろうとも、わたくしのすることは変わりませんわ。

 全力を尽くして走り、そして勝つ。

 

「そうそう、アルダンさんの同級生もいるみたいだよ」

「ああ、それでシヨノロマンさんが来ていたのですか……」

 

 彼女が応援に来たのはチームメンバーのためかと思っていたのですが、近くにいた方はそうではなかったのですね。

 

「ほら、マックイーンが高松宮杯で妙に気にしていたじゃない? そのうちの一人のダイユウサクさん……」

「ダイユウ、サク……?」

 

 ライアンに言われて考え込み──

 ええ、確かに思い出しましたわ。

 

「中段の順位を争っていた方でしたわね、たしか」

「そうそう」

 

 わたくしの言葉にうなずくライアン。

 そう、わたくしはあの光景がどうしても気になり、そしてそのときに感じた悪寒のようなものの正体を暴こうと、二人のことを調べたのですが──

 

(あの悪寒の正体だったコスモドリームさん。オークスウマ娘であるあの方と競ったウマ娘と、ここで競走(はし)ることになるなんて……)

 

 あのとき調べた彼女の経歴は──デビュー戦で13秒、次走で7秒ものタイムオーバーをしたウマ娘。

 しかもあのときは格上挑戦での重賞出走だったと記憶しています。

 

(あのときの方が、まだ走ってらっしゃるんですか……)

 

 年代的にはオグリキャップさんと同じということ。

 そこに少しだけ興味をそそられましたが……とはいえ、わたくし以外はたった6人しかいないレースです。

 

「どんな方なのか、実際に競走(はし)ってみれば分かることですわ」

 

 そして、繰り返すようですが……どんな相手であろうとも、わたくしは全力を尽くすのみです。

 それが一族の者であろうとも、一族の者の知人であろうとも。

 




◆解説◆
【大果敢!  いざ勝負!敵はマックイーン!!】
・今回も元ネタ無しです。

京都大賞典
・元ネタレースの現在の正式名称は『農林水産省賞典 京都大賞典』。正賞は農林水産大臣賞。
・京都競馬場で開催されるGⅡレース。芝の2400で開催されています。
・元々は1966年に『ハリウッドターフクラブ賞』の名称で、京都競馬場で芝の3200メートルで創設され、距離は翌年に2400メートルになって現在に至ります。
・なお、『ハリウッドターフクラブ』とはアメリカの競馬場で、1965年に同競馬場に於いて『日本中央競馬会賞競走』が創設された返礼でした。
・これは日本中央競馬会と外国の競馬施行団体がレース交換を行う初の事例となります。
・1971年から外国産馬が出走可能になり、1974年に、名称を『京都大賞典』に改名──って、えぇッ!?
・このレース名って、アメリカの競馬場とのレース交換した名称じゃなかったの? 変えちゃって大丈夫!?
・ともあれ、1984年のグレード制導入時に正式名称が現在の『農林水産省賞典 京都大賞典』に変更になりました。
・開催日は10月の前半~遅くても20日ころ。第7回以降は常に10月の前半で開催されていますね。
・年齢的には新馬よりも上なら参加できるので、菊花賞に出走する馬も出走可能。
・そのため、天皇賞(秋)やエリザベス女王杯、ジャパンカップ、有馬記念だけでなく菊花賞を含めて、その後のGⅠを占う重要なレース。
・……とはいえ、クラシックの年齢で京都大賞典を制したのは1998年のセイウンスカイまで遡ってしまい、その後は古馬しか勝っていません。
・ちなみに、セイウンスカイはそのまま菊花賞にも出走して優勝しています。

出走人数
・1991年のレースがモデルになっている今回、当時の出走数は7。
・翌年は倍の14になってます。
・ただし、前年の1990年は6と、実はさらに少なかったりします。
・このときは、前年も制しているスーパークリークが1.1倍の人気で、3番人気でさえ11倍を超える倍率になっているのを見ると、クリークを恐れてのことと思われます。
・人気のままにクリークが制していますが、3着には下から二番目(ブービー)人気のサンドピアリスが入っています。ピアリス、油断なりませんね。

メグロノソーリィ
saury(ソーリィ)とは秋刀魚(サンマ)のこと。
・そのため、落語の有名な噺の一つ、『目黒のさんま』のことを言いたかったのだと思われます。
・サンマ=saury(ソーリィ)がスラっと出てくるあたり、セッツも頭が悪いわけではないと思うのですが。
・落語の題がスラっと出てくるあたり、落語好きなんでしょうか? そういうところがお嬢様っぽくないのに、それに気が付いていないという……

UHB杯
・札幌で開催されるレースで、1991年の開催は1800の芝でした。
・それまで6月の開催でしたが、これ以降は1997年まで8月で開催され、1998年から2011年まで9月、それ以降は8月開催に戻っています。
・なお、開催地の札幌競馬場ですが、芝コースが設置されたのは1990年から。
・その前はダートコースでの開催で、91年のサンキョウセッツが出走したのが初の芝での開催。それ以降(1999年と2000年を除き)は芝になりました。
・距離も92年以降は2600と長くなったのですが、それ以降の変遷期を経て、2005年以降は1200で開催されています。
・なお、サンキョウセッツが出走したころは900万以下の条件戦でしたが、2012年以降はオープン特別に昇格しており、現在はオープン特別での開催になっています。
・ちなみにスキージャンプの方のUHB杯は正式名称が『UHB杯ジャンプ大会』。協賛が同じUHB(北海道文化放送)。
・開催地は札幌市中央区にある大倉山シャンツェ。
・1989年から開催されていて──あれ? この大会を知っているダイユウサクってスキージャンプ詳しいな。
・この年は2月開催で、例年1月か2月に開催されていたのですが、2018年の31回大会以降は10月や11月の開催になっています。
・話をジャンプから戻し──
・なお、頑張っていたサンキョウセッツですが、1991年のUHB杯を最後に引退しています。
・最後は14頭中12着。3勝とはいえ牝馬でありながら43戦も走った丈夫な馬でしたね。

やっと芝が整備された
・JRAの競馬場における芝コースは冬季に枯れて休眠する性質を持つ暖地型芝──野芝を使用していました。
・昔の有馬記念とかの映像を見ると、「ダートか、これ?」と思いますもんね。現在では冬期オーバーシード法が確立されたおかげでそんなことないですけど。
・で、札幌では……他の競馬場でさえそうなのに、比較にならないほど冬が寒くて積雪量も多いので、芝を馬場に使用することができませんでした。
・おかげで芝コースの設置は道内でも比較的温暖な函館競馬場が北限で、それでも他の競馬場よりもの育成に時間を要していました。
・でも、海外に目を向ければ……あれ? もっと寒いところの競馬場に芝生えてね?
・というわけで、1977年から研究を開始して──寒さに強い複数の洋芝を組み合わせることで、札幌競馬場でも芝コースの設置が可能になりました。
・1989年に外回りダートコースを改修して芝コースを新設──1990年から運用を開始したのです。
・その後、函館競馬場も1994年には芝コースを洋芝に変更するコース改修が行われています。
・というわけで、史実の91年がモデルになってるこのシーンでは芝コース開始から1年程度、といったところです。


※次回の更新は11月19日の予定です。  



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第67R 大激走! まだ見えぬ輝き……

 
 京都レース場では、京都大賞典の準備が進む中、その出走5分前に東京では同じくGⅡレースの毎日王冠がスタートしていた。

 先頭(ハナ)を切って逃げたダイタクヘリオス。
 その少し後方につけたのが──プレクラスニーだった。
 彼女は最後の直線で逃げていたダイタクヘリオスに並び、追い抜き──そのまま僅差で1着でゴールを駆け抜けた。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「あ~、あと少しだったのに~ッ!!」

 ダイタクヘリオスが天を仰ぎながら思わず嘆く。
 その姿を、私は葦毛の髪をなびかせながら眺め、淡々と慣らしながら走る速度を落としつつ、ウイニングランへと移行し──そして、呟いた。

「……確かに僅差でしたけど、ね」

 それも折り込み済みの勝利。
 なぜなら“()()10月”だから、だ。
 ダイタクヘリオスをはじめ、今回のレースに出走したメンバーと今後も秋のGⅠ戦線で顔を合わせることもあるだろう。
 確かに圧倒的な力を見せつけて、相手に「とてもかなわない」と心を折り、以降を有利に進めるという戦略もある。

(長距離ならそれも可能でしょうが……)

 距離が長ければ実力の差が、そのままタイム差として大きく開くことになる。かなり極端な例えになるが、ヒトのマラソンの1位と2位のタイム差が、100メートル走のそれになるようなことはまず滅多にない。
 短距離でも圧倒的大差で勝つウマ娘もいるが、今日のレースで私──プレクラスニーはそれが可能ではないと判断した。
 だからこそ、あえて全力を見せなかった。今後のレースを考えれば、手の内を完全に見せてしまうのは得策ではなく、勝てる力で勝ったのである。

「とはいえ……」

 2着のダイタクヘリオスをチラッと見る。
 彼女の「あ~、マジ悔しい~」と嘆いているのを見ると、「少しギリギリにしすぎたか」とも思ってしまう。
 しかしそれも油断させるための作戦、と自分に言い聞かせながら、やがて足を止めた。

「さて──」

 改めて振り返る──と、3位になったウマ娘が目に入った。

「……メジロマーシャス?」

 立ったまま膝に手を当てて俯き、呼吸を整えている。
 その姿を見て──なぜかモヤッとした。

「ふ~ん……メジロ家、ねぇ……」

 今回のレースにもメジロの名前が付くのが彼女を含めて二人いた。
 おまけに同日開催で同じGⅡの重賞、京都大賞典にも出走しているウマ娘が二人いる。
 それに思い至るとなんだか無性に……腹が立っていた。

「我が世の春……ってところかしら? そのうち、““メジロにあらずんばウマ娘にあらず””なんて言うのが出てきそうね……」

 それこそ、おごる平家も何とやら、だ。
 そんな、苛立ちをそのままぶつけるように口をついて出た言葉。
 しかし同時に戸惑う。
 なぜ──どうしてこんなに心が逆立つのか?
 なにをそんなにイラついているのか?

(毎日王冠を制したのは、私だというのに……)

 理由が分からず、さらにイラ立つ。
 思わず、その感情にまかせて──メジロマーシャスに鋭い視線を向けていた。
 ──ところが、

「うひゃあッ!?」

 プレクラスニーとメジロマーシャスの間にたまたまいたダイタクヘリオスが、その視線に込められた圧に敏感に気が付いて、思わず声を上げていた。
 我に返り、とっさに視線を逸らす。

「な、なに今の……マジ(マンジ)、ヤバ過ぎ……」

 視線を感じた方へ振り返ったダイタクヘリオス。
 しかし、そのころにはプレクラスニーは他を向いている。「おかしいな~」と首を傾げながらダイタクヘリオスは去っていく。
 それに少しだけホッとしていると──

「ああいうのはあまり感心しないっスね」

 横から声をかけられる。
 額に「夢」と書かれた鉢巻きをしたウマ娘だった。

「バンブーメモリー……先輩」

 二つ年上のバンブーメモリーもまた、毎日王冠に出走していたウマ娘の一人だった。

「負けた身としては言いづらいし、もちろん勝ったウマ娘を揶揄するつもりなんてさらさらないっスけど、イラ立ちを八つ当たりでぶつけるのはよくないっス」

 バンブーメモリーは風紀委員長。学園での風紀違反に対してはもちろんだが、学園外のURAでの活動にも、目に余る行為には苦言を呈してくる。
 さっきのは彼女に見つかってしまっていたらしい。
 だが──

「……なんのことでしょう?」

 涼しい顔でとぼけ、微笑みさえ浮かべてみせる。
 堂々としたその誤魔化しに、バンブーメモリーはかえって驚いたような顔になる。
 それに間髪を入れず──

「レースを勝ったのは私なのに……なにをイラ立つ必要がありましょうか?」

 そう言って──私は颯爽とその場を後にした。
 バンブーメモリーはなにか言いたそうにしていたが、それ以上は声をかけてこなかった。

(さて、これで切符は手に入れた)

 次に走るのは──春の天皇賞。
 おそらくそこには、彼女がやってくる。
 春の天皇賞を制し、タマモクロスに続いて春秋連覇を狙う、あのウマ娘が。

(見せていただきましょうか。いけ好かないメジロ達の中で、現役最強と言われているウマ娘がどれほど強いのか、を)

 遠く離れた京都の地で、今まさに走らんとしている彼女へ──私は思いを馳せた。



 ──さて、京都レース場ではスタートの瞬間を今か今かと待ちわびていた。

 

 今日のレース、スタート地点にあるゲートも7番目までしか使われない。

 そこへと出走メンバーが収まっていくのを見ながら、隣の車椅子のウマ娘が苦笑を浮かべた。

 

「さすがにこの人数は、ちょっと寂しいね」

「まぁな。しかも断然にスムーズに進むから、普段と感覚が狂うかもしれない」

 

 14人だったとしても、その半分の時間で済んでしまうゲート入り。

 もちろん無駄に待つ必要もないので完了次第スタートとなるわけだが、余りに普段と違えばルーティーンが狂ってしまうこともある。

 オレがそんなことを心配しているうちに──ゲートは開いた。

 

 各ウマ娘、綺麗にそろってスタートしていた。

 

「……杞憂、だったみたいね」

「ああ、よかった」

 

 オレたちのチーム所属のウマ娘、ゼッケン番号3番のダイユウサクも出遅れることなく、しっかりとスタートを切っていた。

 ダイユウサクは天性の勘で、ゲートを得意にしているが、万が一ということもある。

 それが大舞台であれば尚更だ。

 ともあれ、無事にスタートが切られ、京都大賞典は始まっていた。

 そしてすぐに動きがある。

 

「……やっぱり、そうくるよね」

 

 先頭を切ったのはメジロパーマーだった。

 体を起こしたまま走るようなその姿勢は、見ている側が不安になりそうだが、それでもさすがはウマ娘。見事な速度でレースを引っ張っていく。

 その後ろに7番のゼッケンをつけたウマ娘が走り、さらにその後ろに、ゼッケン番号3をつけたダイユウサクが走っている。

 

「3番手か……」

 

 とはいえ全部で7人しかいない。その位置は前の方というか、中間に近い。

 そして──そのすぐ後ろに、彼女はいた。

 

「マックイーン……」

 

 長い葦毛をなびかせて、彼女は走っている。

 ダイユウサクのすぐ後ろ。

 まるでピタリとつけるように走っている。

 

「マークされてるのかな?」

「そんなわけないだろ」

 

 ミラクルバードの苦笑しつつ言った冗談めいた言葉を、オレは即座に否定した。

 なにしろ今日のレースは人数が少ないのだ。ただそこに並んだというだけでしかないだろう。

 そしてメジロマックイーンは5番のゼッケンをつけたウマ娘と共に走っている。

 

「5番は間違いなくマックイーンをマークしているんだろうがな」

 

 オレの言葉に、ミラクルバードは視線をレースから離すことなく、「うん」とうなずいた。

 やがて、その二人はダイユウサクへと追いつく。

 彼女が横目でチラッと二人を見たのがわかった。

 並んだマックイーンと5番に対し、ダイユウサクは負けじとついていく──

 

「く……」

 

 オレは、迷った。

 そこを「その通りだ、いけ!」と言いたくなる気持ちと、「バカ! 抑えていけ!」と言いたい気持ち。その葛藤があった。

 普段の2000の距離ならついていけるかもしれない。

 だが、今回はダイユウサクが走ったことがない2400という距離。

 その400メートルがどれほど響いてくるのか──それさえ分からないのだ。

 だからこそ慎重に行ってほしいという思いもあるし、気持ちで負けてほしくない、という思いもある。

 

(とはいえ、スタンド(ここ)からは遠い。オレの声が届くはずがない……)

 

 じれったい思いをしながら──レースはさらに進んでいく。

 マックイーンと5番、それにダイユウサクが並んで走る中、前にいた7番がスルスルと下がっていく。

 

「あれ? 故障……って雰囲気でもないよね?」

 

 ミラクルバードの言うとおり、7番の走る姿に違和感はない。

 逃げるメジロパーマーを追いかける役目を、上がってきたマックイーン達に任せるべく自分から身を引いたんだろう。

 こうして、ダイユウサクと5番、マックイーンの3人で、メジロパーマーの後を追いかけるレース展開となった。

 そしてレースも終盤にさしかかり、第3コーナー付近で──パーマーは3人に追いつかれた。

 

『ここで、先頭が入れ替わった! ダイユウサク、マックイーン、シクレノンの3人が先頭だったパーマーを抜き……パーマーはついていけない!!』

 

 並ぶ間もなく、3人は抜き去った。

 悔しげにパーマーが「くっそおおぉぉぉ!!」と叫ぶ姿が見えた。

 そして第4コーナー。

 5番のウマ娘がわずかに遅れ、それに対して鹿毛のウマ娘が前に出た。

 第4コーナーを回った直線で、先頭に立ったのは──ダイユウサクだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 途中から3人で競ってきたアタシ達。

 その中の一人がわずかに遅れたのを見て、アタシは足にグッと力を込める。

 前走は、伸びなかったアタシの末脚。

 

『無意識のうちに、お前は爪に不安を感じていた。だから思いっきり踏み込めず、速度が乗らなかったんだ』

 

 その後でトレーナーから指摘され、足の指先の感覚を意識したトレーニングを行った。

 そこでしっかりと地面を蹴るのを強く意識して、踏み込む。

 痛みはない。

 違和感も不安もない。

 足の指はしっかりと大地を蹴り、アタシの気持ちに応えてくれている。

 

「これなら──いける!!」

 

 アタシはグンと加速した。

 第4コーナーを抜けて残り400メートル。その時点でアタシは先頭に立った。

 前に誰もおらず、横に並ぶ者もいない。

 あのマックイーンでさえ、アタシの後ろだ。

 

(だから──勝てる!)

 

 最後の直線に入り、そうアタシが確信した瞬間だった──

 

「カハッ……」

 

 急に息が切れたのだ。

 途端に呼吸が苦しくなり、順調に回っていた手足と、それを動かしていた肺と心臓が不協和音を奏で始める。

 胸が苦しくなり、急に腹部が痛くなる。

 

「な、んで……」

 

 自分の急な変化に戸惑う。

 そんな隙を──見逃すマックイーンではなかった。

 

「………………」

 

 彼女は急激に速度が落ちたアタシを一瞥して、その横をなんの苦もなく抜き去っていく。

 

(く……負け、ない……)

 

 どうにかついていこうとする。

 必死に、急激に重くなった足を踏み出し、腕を振る。

 しかし、どんなに息を吸っても、呼吸は楽にならない。

 

「ゼェ~、ハァ……ゼェ~、ハァ……」

 

 アタシの口は完全に荒い呼吸を繰り返していた。

 こうなった心当たりは──あった。

 アタシのスタミナが、切れたんだ。

 

「無、理ぃ~……」

 

 完全に顎が上がってしまったアタシ。

 それでもアタシは走り続ける。必死にゴール板目指して。

 その間に一人、また一人と抜かれ──1位のマックイーンが歓声に包まれながらとっくに駆け抜けたゴールを、アタシはどうにか通過した。

 

 それでも、アタシのゼッケン番号7番は掲示板に乗った。

 結果は5着だったのだから。

 

 しかし──今回のレースは7人しかいなかった。

 つまりアタシの後ろの順位は2人しかいない。

 その後ろの二人は、途中まで先頭だったものの途中で潰れたメジロパーマーが殿(しんがり)で、終始最下位(ビリ)だったのが最後の最後にパーマーを抜いたウマ娘が下から二番目(ブービー)

 前を見れば──アタシの一つ前のウマ娘からは8バ身も離されたような体たらく。

 そしてトップのマックイーンからは、2秒も離されていた。

 ぐうの音も出ない敗北。

 

 ──アタシの京都大賞典は、完全な惨敗だった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「これじゃあ、お婆さまに合わせる顔がないよ……」

 

 私は思わず嘆いた。

 バテバテにバテた私──メジロパーマーは、どうにか呼吸を整えて顔を上げる。

 遠くの走路(ターフ)で、優勝したウマ娘が軽く走りながらスタンドに手を振って、歓声に応えているのが見えた。

 

「マックイーン……」

 

 いいよね、って思う。

 羨ましいよ、その才能が。

 私だって春の天皇賞を走ったけど──マックイーンとかライアンにはとても届かない。

 “盾”を掴みとり、それをお婆さまに報告して、お褒めの言葉をもらうマックイーンの横で、それを見ていた私とライアン。

 それでもライアンは惜しかった、と言われるくらいの順位だった。

 そして私は、自分が不甲斐なくて、順位が恥ずかしくて──2人が羨ましかった。

 

(だから、負けられないってがんばったのに……)

 

 ライアンは足を怪我してしまって、今回の京都大賞典はもちろん、秋の天皇賞さえ出られないと思う。

 そのライアンの分も、今度こそ私ががんばろうと思ったのに。

 

(結局、ライアンの分も頑張ってくれるのは、マックイーンなんだ……)

 

 どんなに頑張っても結果がついてこないことに、私は諦めに近い境地に達し──

 

「──大丈夫か? ダイユウサク」

 

 ふと、横から他のウマ娘とトレーナーの声が聞こえてきた。

 何気なく振り返ると──私と同じくらいに力を出し尽くしてボロボロになった雰囲気のウマ娘に、スタッフジャンパーを着たトレーナーが駆け寄っていた。

 

「ごめんなさい、トレーナー……」

 

 謝ったウマ娘。

 うん、彼女の気持ちはよく分かるよ。私だって、この不甲斐ない結果をお婆さまに謝りたいからね。

 メジロ家のウマ娘として顔向けできない──

 

「謝るな!」

 

 え?

 私は思わずそう声をかけたトレーナーの方を見た。

 男性で、年の頃は私たちよりも一回りくらい上って感じ。

 そのトレーナーの言葉に、言われた彼女も私と同じような、驚いた顔をしてた。

 

「前走の時も言ったが、謝る必要なんてない」

「でも、前よりもヒドい結果で……」

「じゃあ訊くが、今回のレースでお前は謝らないといけないようなことをしたのか? 手を抜いたり、他のウマ娘の妨害をしたり……」

 

 トレーナーに言われて、彼女は首を横に振ってる。

 そりゃあそうだよ。あの姿は全力振り絞って走ったのは明らかだし、余計なことをしていた余裕なんてなかったのを雄弁に語ってる。

 

「なら、俯いて謝る必要なんてないだろ。上を向け、ダイユウサク。そして悔しさを声に出せ!」

「そ、そんなの──」

 

 いやそれは、ちょっと……恥ずかしいんじゃないかな。

 ほら、彼女もためらってるし。

 

「反省なんて後でできる。犯したミスへの後悔なんて、そのときでいい。今は──心に溜まった、やるせない気持ちを思いっきり吐き出すんだ」

「でも、アタシの順位は……」

 

 だよね……惜しかった人たちが悔しがるのなら分かるけど、私らみたいな完敗組が悔しがるのは──

 

「順位が悪かったら、悔しがる権利はもらえないのか?」

 

 ん? またなんか変なこと言い出した。

 そのウマ娘もやっぱり困惑したような顔をしているし。

 

「なら、何位までなら悔しがる権利はもらえるんだ?」

「そんな権利、存在するわけないわよ」

「なら、一生懸命走ったお前が、悔しがって全然問題ないだろ。レースに勝ったヤツには許されない、負けた側全員に等しく与えられる権利だぞ?」

「う~……」

 

 トレーナーに言われたそのウマ娘は、少し躊躇った後に「悔しいーッ!!」って一度思いっきり叫んで──少しすっきりした表情になってた。

 なんか……うらやましい。

 でも、それよりなにより──

 

「そっか。悔しがって……いいんだ。例え何位で負けても」

 

 反省は後でもできる、か。確かにそうだよね。

 それよりも今は──この悔しい気持ちをバネに、次へのレースの意欲にしたい。私はそう思った。

 この後、お婆さまになんて言われるか分からないけど──それでもこの強い気持ちは支えになって、どんなレースにも立ち向かっていける気がする。

 

「ちょっと……うらやましいな」

 

 あのウマ娘のトレーナー、どんな人なんだろう。

 私が再び2人に目を向けると、彼は羽織っていたスタッフジャンパーを脱いで、彼女にかけていた。

 その背にはチームのマークが描かれている。

 南十字星(サザンクロス)の5つの星の中で、一番下の星を強調するような意匠──まるで輝く星の上に十字架が立つようなデザイン──と、『α’crux』のロゴが、私の心に強く印象的に残った。

 

 

 ──その後、メジロパーマーは11月と12月に障害レースに出走する。

 そんな境遇にも負けることなく──その後、彼女はトゥインクルシリーズに復帰し、宝塚記念、そして有記念を制することになるのだが……それはまた別の話である。




◆解説◆
【まだ見えぬ輝き……】
・元ネタなし。
・ダイユウサクのことでもあり、パーマーのことでもあったり……

毎日王冠
・2話前に、描写しないと言っていたのに、結局書いてしまいました。
・毎日王冠にしても、京都大賞典もスーパーGⅡと呼ばれたようなレースなのに、同日開催というのはもったいないような……
・ちなみにここに割り込んだのは、毎日王冠の方が出走時間が5分ほど早いため。

ダイタクヘリオス
・公式ウマ娘の一人。
・元ネタ競走馬は1987年生まれで、マックイーンやライアンと同じ世代の牡馬。
・3歳(当時の年齢表記)の10月にデビューしてそこから活躍していたので、阪神3歳ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)にも出走、2着になっています。
・クラシックレースには、きさらぎ賞とスプリンターズステークスで成績が振るわなかったために短距離路線に転向し、挑みませんでした。
・古馬になったこの年(1991年)の春はマイラーズカップ1着、安田記念2着、高松宮杯1着と短距離~マイルで活躍。
・秋はこの毎日王冠から復帰ということになります。
・また、一番人気になると勝てなかったり、落ち着いているときよりも入れ込んだり荒れているときの方が走ったり、と変わった経歴や性格で人気のある競走馬でした。
・ウマ娘としてはパリピ系の性格……書いてる人としてはちょっと苦手な描写です。

メジロマーシャス
・元ネタ競走馬は、1985年生まれの葦毛の牡馬。
・オグリキャップ世代のメジロ家……メジロアルダンの同期なのですが、本格化が遅く、1988年2月の4歳新馬戦でデビューして、8月に初勝利したのですが──2勝目は1年以上経った9月。
・そうなってしまうとダイユウサクと同じようにクラスをあげるのに苦労するわけで……1990年の春先にようやくオープンクラスに。
・オープンクラスになってからは引退レース以外は3着以下にならないほどの好成績を残しているのですが、なかなか重賞勝利に繋がらず……
・え? あのレース忘れてるだろって? そうそう、ダイユウサクの金杯優勝時に出てくるウマ娘なんですけど……騎手が落馬して失格していて、そのカラ馬で激走するマーシャスさえも抑えてダイユウサクは勝ちました。
・その後、8月に開催されたGⅢの函館記念で勝利しています。
・この毎日王冠の後は、秋の天皇賞へ出走し、そのまま引退しています。

彼女を含めて二人
・もう一人のメジロ家はメジロモントレー。
・元ネタ競馬馬は1986年生まれで、黒鹿毛の牝馬。
・90年のアルゼンチン共和国杯、91年のアメリカンジョッキーカップというGⅡレースを勝っています。
・↑のメジロマーシャスとは生涯21戦は同じで、マーシャスが8勝に対しモントレーは7勝なんですが、やはり重賞勝利数が違うので生涯獲得賞金については約2億4000万円で、マーシャスの約1億8000万円を大きく上回っています。

“メジロにあらずんばウマ娘にあらず”
・平家物語で「平家にあらずんば人にあらず」と言ったのは(たいらの) 時忠(ときただ)
・正しくは「この一門(平家)にあらざむ人は、みな人非人なるべし」という言葉でした。
・この人、こんなデカいこと言ってた割に、壇ノ浦で捕虜になった後、源義経にすり寄ったりして生き残ってたりします。
・「三種の神器」の一つ、八咫鏡を命乞いに差し出したのを「守っていたから死刑から減じて流罪」というのはどうかと思いますが。
・ちなみに「ハイパワーターボ+4WD。この条件にあらずんば車にあらずだ」と言ったのは、『頭文字(イニシャル)D』の「エンペラー」というランエボだけのチームのリーダー、須藤京一。

5番
・このレースの5番は、ミスターシクレノン。
・本作でもたびたび名前が出てくるのですが、今までダイユウサクがらみではなく、オグリキャップのラストランや、ダイユウサクが出ていないものの、(メルシーアトラやメジロアルダンが出ていたので)描写したこの年の新春日経杯にも出走していました。
・オグリキャップ世代で1987年の9月にデビューして、オープンクラスにまで上り詰めて活躍していたのに、92年の2月のダイヤモンドステークスで優勝して引退するまで、息が長く(ただしGⅠ制覇は無し)活躍しました。

メジロパーマー
・これまた公式ウマ娘。
・52話で名前が出たときに解説済みでした。
・その際の障害レースに出た、というのはこの京都大賞典後の話。
・2戦走って、1着、2着と結果は悪くはなかったんですよね。
・育成が実装されないのって、その障害レース出走をどう扱うのか辺りがネックになっているからなんでしょうか。
・ドーベルの方が先に育成実装されてしまいましたし。


※次回の更新は11月22日の予定です。  



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第68R 大奮闘! 水面下で藻掻け!!

 

「……とは言ったものの、だ」

 

 《アクルックス》に割り当てられたチーム部屋に集まったダイユウサクとミラクルバード。それに今日はオラシオンと渡海も来ている。

 そんなメンバーを前にオレはミーティングを始めた。

 ダイユウサクの次走の話になったとき、彼女は「天皇賞に出たい」と言ったためオレは却下したんだが……オレがレース後にかけた言葉から、天皇賞に出させてもらえると勘違いしていたらしい。

 猛然と抗議し始めたのがつい先ほどのこと──である。

 

「前回のレース結果を考えたら、天皇賞は無理だぞ?」

「そんなことない!」

 

 オレが諭すが、ダイユウサクは頑なだった。

 

「だって、京都大賞典は2400だったわ。秋の天皇賞は2000よ? アタシが一番勝ってる距離なんだから」

「それも分かってる。だが、マックイーンに全く届かなかった、あの結果を考えたら天皇賞は諦めるしかない」

「なんでよ! アナタも見たでしょう? 第4コーナー辺りでアタシはトップだったのよ? マックイーンよりも前にいたわ」

 

 堰を切ったように主張を始める。

 

「京都2400の最後の直線は400メートル。つまりは、2000メートルの時点でアタシの方が前にいたってこと! なら2000メートルの秋の天皇賞なら、アタシの方が勝てるってことじゃない!!」

 

 その主張には、まぁ、一理あるように思えなくもないが……その理論には致命的な欠陥があるぞ。

 オレはため息をついてから反論した。

 

「その後、お前は大失速した。あれは明らかにスタミナが切れていただろ?」

「う……それは、そうだけど……」

 

 疑いようもなく、そういう走り方だった。

 図星だったようで、ダイユウサクも返す言葉を探し──

 

「あ、あれは2400への対応ができなかっただけよ。2000メートルならスタミナ切れなんて起こさないわ。今まで何度も走って、そんなことなかった。だから……勝てるわ!!」

「マックイーンは2000の時点で、残り400メートルのスタミナを残していた。お前は残さずにその分、全力で走っていた。だからマックイーンの前にいられたということだ」

 

 かなり苦しいダイユウサクの主張に、オレは冷静に返した。

 

「もしもマックイーンが2000の時点で余力を残さないような走りをしたらどうだ? 京都大賞典の時よりも2000メートル到達は早くなるのは当たり前。お前はそれでもアイツに絶対に勝てると言えるのか?」

 

 もちろん、得意な距離適正というものがあるから一概にそうはならない。その距離にあった速さとスタミナ配分をするのが得意だからこそ、得意距離なのだから。

 マックイーンとダイユウサクにしても2000メートルに最適化した走りができる方が速いのは間違いない。

 しかしスタミナで優るステイヤーにとって、極端なスピード勝負になる短距離でなく、中長距離であれば極端に崩れることもない。

 

「ぐぬぬ……」

 

 反論できず、ダイユウサクは悔しげにオレを睨んでいる。

 もちろん、オレだってできることなら秋の天皇賞に出してやりたい。

 去年、一度走ったことがある舞台なので、初挑戦となる他のGⅠに比べればやりやすさはあるだろう。

 しかし、相手が悪い。

 

(春の天皇賞で見せたメジロマックイーンの強さは本物だ。宝塚はライアンに負けたが、それだってライアンは自分の走りを捨ててまで、勝ちにこだわったからだ)

 

 マックイーンとライアンはメジロ家で同い歳。仲も良く、手の内を知り尽くした相手だったんだろう。

 だからこその「ライアンは後ろの方でレースをする」という油断に、「マックイーンよりも前に出る」という奇策を使い、勝ったのだ。

 それがまた通じるかも分からないし、逆に言えば、昨年の有記念でオグリキャップと争い、2位だったライアンでさえそこまでしなければ勝てない相手なのが、メジロマックイーンというウマ娘。

 

「せめて京都大賞典の結果がもう少しマシだったらな……」

 

 オレは思わず呟いていた。

 せめてスタミナを切らさずにゴールまで行ってくれていたら、マックイーンとの差が少しは分かっただろうに。

 スタミナを切らしたあれでは、参考にさえならない。

 

「あのときは、謝るななんて言ったくせに……」

「反省は後でする、とも言ったぞ」

 

 オレのつぶやきが聞こえたんだろう。恨みがましい目を向けてきた彼女に、オレは即座に反論した。

 おだてたり誉めたりするだけでは、本人のためにならないしな。

 

「あれは、お前は2000メートルを走り、かたやマックイーンは2400を走ったようなものだぞ? 違う競技を走った2人の実力差なんて計れるわけがないだろ」

「なによ、さっきから……マックイーンマックイーンって、マックイーンの肩ばっかり持って!」

 

 強い口調でそう言うダイユウサクに──オレはあからさまにため息をついて見せた。

 

「あのなぁ、ダイユウサク。マックイーンを気にしすぎなのは、お前の方だぞ? ついでに言えば、オレが天皇賞に出走させたくない理由の一番は、それだ」

「え?」

 

 戸惑った様子のダイユウサク。

 彼女が気がついてないそれを、オレは指摘してやる。

 

「改めて訊くが、この前の京都大賞典の敗因はなんだった?」

「そんなの、スタミナ切れに決まってるわ。アタシが2400メートルの距離に対応できなかったから……」

「半分未満は合ってるが、半分以上は間違いだな」

「……どういうことよ?」

 

 オレの漠然とした答えに、ダイユウサクはあからさまに不機嫌になりながら怒っていた。

 まるで「フーッ!」と毛を逆立てて威嚇する猫のようだ。

 

「お前は、マックイーンにしてやられたんだよ」

「え……」

「気づいてなかったのか? 序盤に後ろについたマックイーンのプレッシャーに負けてアイツのスタミナ勝負に付き合わされたんだ」

 

 オレはあのレースで、マックイーンにダイユウサクがついていくのを見て評価を迷った。

 だが、結果を見れば──明らかについていかないのが正解だった。

 

「マックイーンに追いつかれ、その後はシクレノンとの三つ巴になって走っていたが、あれがもしも……7番のウマ娘のように、一歩退いていたら、どうだ?」

「なるほど。それなら体力の消耗が抑えられて温存できて……最後に末脚勝負ができたかもしれないね」

 

 オレが挙げた例えばの展開は、ミラクルバードには好評だった。

 

「そんなの、わからないわよ。アタシの末脚がマックイーンに勝てる保証なんてないんだし」

「その通りだ。例えばなんだから結果はわからない。だけど……普段のお前だったら、そこはそういう判断をしていたと思うぞ?」

 

 終盤というにはまだまだ早すぎる地点だし、まして距離に不安がある状況だ。ムキにならずに慎重になるべき場面だったと思う。

 

「さっきのオレの質問──京都大賞典のお前の敗因だがな、正解は“お前はマックイーンをだけ見ていて、ゴールを見ていなかったから”だ」

「そ、そんなことないわよ! アタシはちゃんとゴールを──」

「──見ていなかったからゴールまでの距離を見失って、スタミナ切れを起こした。違うか?」

「う……」

「おまけにマックイーンを気にするあまり、ムキになって追いかけた。お前はレースじゃなくて、マックイーンを見過ぎていたんだ。だから負けた」

「あれ? でもそれって、去年の天皇賞と……」

「ミラクルバードの言うとおりだな。オグリキャップを意識しすぎてヤエノムテキに負けたあの時と、敗因は同じだ」

 

 それはダイユウサクの失態ではあるが、同時にオレのミスでもある。

 彼女に同じ失敗を繰り返させたのは、オレの指導が悪かったせいなんだから。

 

「いいか、ダイユウサク。レースの時は“視る”んじゃない。“観る”んだ」

「…………?」

 

 不思議そうに首を傾げるダイユウサク。

 

「同じ“見る”でも、注視や敵視をすれば視野が狭くなる。1対1の勝負ならともかく、トゥインクルシリーズならそんなことはあり得ない。複数のウマ娘がそれぞれに考え、判断し、走る。だからこそ広く“観る”んだ」

 

 それを走りながらやらなければいけないんだから容易なことではない。

 だが、そうやって周囲にも気を配らなければ勝利をつかむことはできない。

 

「一人を見るにしても“観察”し、相手が今、どういう状態なのかを客観的に分析し、そして状況を俯瞰的に判断し──隙や弱点を探し、勝機を見つける」

「どういうことよ、それ?」

「この前のレースで言えば、マックイーンはなにを考えていたのか、までお前は考えたか?」

「それは……できてなかった」

 

 シュンとしょげて、耳を伏せるダイユウサク。

 

「ステイヤーで、3000メートル越えでの実績があるマックイーンからしてみれば、2400なんて短い方だ。アイツがもっとも恐れる展開は、スローペースでみんな体力を温存したまま終盤を迎えることだったんじゃないか?」

 

 例えば、去年の有記念みたいな展開だ。

 周囲が牽制し合った結果、抜け出すウマ娘がおらずにスローペースになってしまい、2500メートルのはずだったレースが、実質的にはオグリが得意とするマイル戦になった。

 あれはもう作戦勝ちとも言えるが、こういう展開はスタミナ自慢のステイヤーにとっては嫌な展開だろう。

 

「あとは、先行が牽制しあって大逃げしたのを誰も追いかけず、絶対的なリードを作られて逃げ切られたり、とかな。この展開は、この前の京都大賞典にも可能性があった」

「メジロパーマーのこと?」

「その通り」

 

 もしもパーマーが完全に割り切って思いっきり逃げていたら。それを追いかける者がいなくて独走を許していたら……

 もしくはかなりのハイペースで逃げて完全にペースが乱れれば、マックイーンといえども隙を見せただろう。

 ダイユウサクやシクレノンは、マックイーンと共に追いかけるように仕組まれた可能性も見えてくる。

 

「お前のやる気をかって、京都大賞典に出したが……今はマックイーンへの対抗心が暴走に近いほど先走ってるように見えた。だから天皇賞ではなくマイルチャンピオンシップへの路線に専念すべきだと思ってる」

「ボクも……トレーナーに賛成かな。対決するにしても、一度落ち着いた方がいいと思うよ」

 

 オレとミラクルバードに言われ、ダイユウサクはポツリと「分かったわよ」と小さな声で言った。

 そのモチベーションの低さが気にならないわけではなかったが、それでもオレはダイユウサクのことを考えれば、正しい判断だったと思っている。

 今年はアイツの「GⅠ制覇」という目標を、まずは達成しないといけないわけだし。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 マイルチャンピオンシップは11月の半ばに開催される。

 だから10月後半に開催される秋の天皇賞に出走してからでも間に合うのよね。

 でもアタシ──ダイユウサクの次走は、マイルチャンピオンシップの前哨戦とも言えるスワンステークスになった。

 時期的には天皇賞の前日で……出走時間が迫っているというのに、アタシは諦め悪く小さくため息をついた。

 

「マックイーンを意識しすぎ、か……」

 

 先のミーティングでトレーナーに指摘されたこと。

 それについては多少自覚はある。

 でも、レースを制した彼女は強かったわけだし、やっぱり間違っていなかったとは思う。

 意識しているのを逆手に取られて利用されたのは、やっぱり癪に障るけど。

 ──なんてことを考えながら、ウォーミングアップしていると、知った顔が声をかけてきた。

 

「また会ったっスね、ダイユウサク」

「バンブーメモリー、アナタも出走するのね」

 

 知った顔、それも同世代の彼女を見て、アタシは思わず笑顔になった。

 最近めっきり、レースで同世代と顔を合わせる機会が無くなり、下の世代とばかり競うことになっている。

 それはバンブーメモリーも同じらしくて、彼女も嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 

「てっきり、明日の天皇賞かと思っていたっス。毎日王冠で見かけなかったっスからね」

「それは……」

 

 同じ日に、アタシは京都大賞典に出ていたからね。

 アタシが苦笑すると、バンブーメモリーは尋ねてきた。

 

「どうだったっスか?」

「……京都大賞典のこと? 結果、知ってるわよね? 5着とはいえ惨敗よ」

「レース結果じゃないっス。それは新聞見れば分かることっス。それに結果については、毎日王冠のアタシも負けたのは変わらないっスからね」

 

 アタシが少し憮然として答えると、バンブーメモリーは「違う」と手を横に振りながら、苦笑した。

 

「噂のメジロマックイーンと勝負してきたわけじゃないっスか。どうだったのか、って思って……」

「ああ、そっちのことね」

 

 それで納得した。競走ウマ娘──特に上位のオープンクラスにいるウマ娘達は、強いウマ娘が出てくれば興味津々になる。

 まぁ……アタシの場合、下のランクが長すぎて、そういう感覚があまりないけどね。目の前のレースで精一杯というか……

 

「う~ん、慣れない距離でアタシが自滅したって感じだったけど……完全にレースの主導権を握らていたわね。そういう意味でも、やっぱり強いんだと思う」

 

 そのまとった空気に圧されて、完全に飲まれていたってことだもの。

 

「完敗したから、天皇賞は諦めたってワケ」

「それでスワンステークスってわけっスか。ということは……スプリンターズステークスを視野に入れてるってわけっスね」

「……え?」

 

 アタシが戸惑うと、バンブーメモリーも「え?」と戸惑った顔になった。

 

「一応、マイルチャンピオンシップに出るつもりなんだけど……」

「そんなのは分かってるっスよ。それが終わったあとのレースのことっス」

「マイルチャンピオンシップの、そのあと?」

 

 バンブーメモリーに言われて、思わずポカーンとしてしまった。

 言われてみれば今まで、秋の天皇賞をどうするのか、マイルチャンピオンシップを勝つためには……ってことばかり考えてて、その後のことが思考から完全に抜け落ちていたわ。

 

「と言っても、その後のGⅠは阪神と日経のジュニア2つを除いたら、出走が非現実的な翌週のジャパンカップと、スプリンターズステークスか有記念しかないっスけどね」

「有……記念…………」

 

 そのレース名を聞いて頭に思い浮かんだのは──昨年の、オグリキャップのラストランだった。

 オグリキャップの人気は高かった。

 だから勝ってほしいと願い人はたくさんいた。

 でも、勝つと信じている人はそこまで多くはなかったと思う。秋の天皇賞とジャパンカップという、その前のレースが良くなかったから。

 その願いを背負って、それを叶えたオグリキャップの姿にアタシは感動し──GⅠを勝ちたいと思ったんだ。

 

「そっか。アタシがGⅠ勝ちたかったのって、それがきっかけだったんだっけ……」

 

 今、天皇賞やらマイルチャンピオンシップやら、どうにかして勝とうと悩んでいるのは、トレーナーの“前のウマ娘(オンナ)”とした約束のせいだけど──原点はそこだったんだ。

 

「ま、メジロマックイーンは何事もなければ、間違いなく有記念に出てくるっスね。きっと……」

「……え?」

 

 考えにふけっていたアタシだったけど、バンブーメモリーが何気なく言ったその言葉で我に返った。

 

「いや、そりゃそうだと思うっスよ? 明日の天皇賞も早くも一番人気間違いなしの大人気っスからね。この分なら票も集まって有記念には間違いなく出られるっス。距離も彼女なら2500なんて短いくらいっスよ」

 

 バンブーメモリーは少しうらやましそうな顔でそう言い、「間にジャパンカップを入れるかどうか、っスけど」と付け加えた。

 正直……ジャパンカップはどうでもよかった。そもそもマイルチャンピオンシップと開催が一周しか違わないから無理だし、トレーナーも最初から無理と頭にない感じ。

 アタシにとって大事だったのは──

 

(メジロマックイーンが、有記念に……出るんだ)

 

 そっちの方だけ。

 アタシがGⅠにあこがれたきっかけのレースに、どうしても勝ちたいと心が叫ぶ──これに関しては、アタシも不思議で仕方がないけど──相手が出る。

 もしもメジロマックイーンともう一度戦うのだとしたら……マイルチャンピオンシップを考えると、ジャパンカップの選択肢はない。

 そしてステイヤーのメジロマックイーンがスプリンターズステークスに出てくる可能性はない。

 だとしたら──

 

(有記念しか、無い……)

 

 それ以外に選択肢はなかった。

 でも、有記念の出走は、ファン投票で決まる。

 

 

 今のアタシには──その票を集められるほどの人気は、無かった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ゲートが開き、スワンステークスが始まった。

 いつも通り、ダイユウサクは出遅れることなくスタートしている。

 信頼はしているが、やはり万が一ということはある。

 オレがそれにホッとしながら見ていると──

 

「んん?」

 

 思わず、眉をひそめた。

 先頭に立って走っているのは6番のゼッケンのウマ娘。

 その後を走る2番手集団の中にダイユウサクの姿があったのだが……そこにはダイタクヘリオスの姿もあった。

 

「なぁ、ミラクルバード。ダイタクヘリオスって……」

「うん、彼女が得意なのは、逃げだよね?」

「ってことは……」

 

 ダイユウサクは、逃げのダイタクヘリオスと併走してしまっているということになる。

 

「先輩のペース、速い……のかな?」

「アイツの場合、短距離も経験が多いから、その感覚にミスはないと信じたいが……」

 

 ダイタクヘリオスは短距離からマイルを主戦場にしているウマ娘。1400メートルで感覚を狂わせることもないはず。

 確かにダイユウサクは2400メートルを走ってスタミナ切らしたけど、1400ならスタミナは持つという理屈は分かるが、もちろんそうとは限らない。

 

「距離が短ければ、その分ペースが速くなるんだからね」

「その通り。それを分かってないはずないんだけどな……」

 

 短距離なので展開は早い。第3コーナーから第4コーナーへと集団は移っていく。

 その間に、ダイタクヘリオスは集団を抜け出して先頭を追い抜いた。ダイユウサクはそれに付き合っていない。

 

(ダイタクヘリオスは、もちろん警戒すべき1人だ……)

 

 1800メートルの毎日王冠で2位だった彼女は、その実力を持っている。

 当然、1400のこのレースに出てきた以上、マイルチャンピオンシップに出てくるのは十分に予想できる。

 

(幸いなことに毎日王冠1着だったプレクラスニーは、天皇賞にいってくれたがな)

 

 とはいえ、秋の天皇賞からマイルチャンピオンシップまでは期間があるので、マイラーの彼女とはそこで当たることになるだろうが。

 そんな彼女を含め、マイルチャンピオンシップでも争うことになるのが予想され、オレが今回もっとも警戒しているウマ娘がいる。

 それが──

 

ダイイチルビー……」

 

 シニアクラスのダイイチルビーは、現役最強クラスのスプリンターといっても過言じゃない。

 現に、今日も一番人気だ。

 マイルチャンピオンシップを見据えて、ダイタクヘリオスを含めた2人とダイユウサクを比較するのに、このレースは絶好の機会だった。

 そしてダイイチルビーはダイユウサクと並走する位置にいる。

 

(スワンステークスは1400。彼女たちスプリンターの速さに、ついていけるのか?)

 

 先行し、2位集団で走っていたダイユウサク。

 それがもっとも懸念する材料だった。

 とにかく1400は短い。早くも最後の直線に入る。

 ダイユウサクは3番手──レースは一気に動き始めていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「く……」

 

 さすが短距離。速度も速ければ展開も早い。

 あっという間に最後の直線に入って──アタシは走る。

 一時は先頭に立ったダイタクヘリオスが、ずるずると下がっていく。

 そしてアタシはそのウマ娘と併走し、競っていた。

 

「勝てると思っているのかしら?」

 

 赤みがかった黒髪──黒鹿毛をなびかせつつ、チラッと横目を向けてきたそのウマ娘。

 まるで睥睨するように向けてきたその目は、輝くような赤い瞳。

 そして全身からまるで気高き赤いオーラを出すように走る。そんな赤が似合うウマ娘。

 

「第一、貴方は……もうお年でしょう?」

 

 ムカッ!

 なによ、それ!! そりゃあ、同年代なんてバンブーくらいしかいないし、なんだか彼女は速さについていけなくて、後ろから上がってくる気配はないけど──そんなのアタシには関係ないでしょ!?

 

「赤いからって、3倍速いとでもいいたいの?」

「そういう古い話題(ネタ)を使うから、お年寄りと思われるのです」

「お年寄りお年寄りって、アンタと2歳しか変わらないわよ!! この……ッ」

 

 競っているのはダイイチルビー。

 現役のスプリンターでもトップクラスの彼女。それにどうにかついていく……けど……

 

「くぅ……」

 

 ついて、いけ…ない……

 アタシだって短距離は何度も走ったけど、トレーナーが言うようにもっとも得意なのはこの距離じゃないのよ。

 だからって、負けるわけには──

 

 ──そう思ったとき、横を通り抜けていく影があった。

 

「なッ!?」

 

 その影は、アタシを軽々と追い抜き──ダイイチルビーへと猛然と迫った。

 

「な、んですって!?」

 

 ゴール間近で、彼女はダイイチルビーに追いつき……そして抜いた。

 そのままゴール板を駆け抜け──

 

「差しきってゴール!! 1着は、ケイエスミラクル!! 勝ち時計は1分20秒6。なんとなんと、日本レコードでの勝利ぃぃぃ!!」

 

 スワンステークスを制したのは、ケイエスミラクルって()だった。

 悔しさを抱えながら、アタシは走る速度を落とし──やがて止まる。

 チラッと見れば……ダイイチルビーは唖然とした様子で、1着でゴールしたウマ娘を見ていた。

 

「ダイユウサク……大丈夫か?」

 

 アタシが観客席付近まで行くと、トレーナーが声をかけてくる。

 掲示板に目を向ける。そこに表示された今回のアタシの順位は──4位。

 思わずため息が出そうになったけど──

 

「順位は4位だが、トップとの差は0.3秒……あと僅かだった。だから気にするな。居並ぶスプリンター相手に短距離でここまで戦えただけでも十分に収穫だ」

「なんでよ……だって、また……勝てなかったのに……」

 

 どうしてトレーナーは、そこまで楽観的なのよ。

 こんなんじゃ、GⅠ制覇なんて──

 

「本番はマイル戦だ。悲観するようなことはないだろ。短距離戦でダイイチルビーとこの差なら、十分に勝ちは見込める」

「じゃあ、あの1着……あの()、いったい誰よ?」

 

 アタシは思わず尋ねていた。

 マークしていたダイタクヘリオスには勝ったし、バンブーメモリーには影も踏ませなかった。

 あとはダイイチルビーだけ。そう思っていたのに、それなのに……完全にノーマークだった。

 

「ケイエスミラクルか。確かに前走のオープン特別は勝ってるみたいだが、その前のGⅢセントウルが良くなかったからな。まさか重賞で通じる力があったとは……」

 

 トレーナーも悔しそうに彼女を見ている。

 

「……見ない顔だけど、彼女、歳いくつ?」

「え~っと、たしか今年のクラシック世代だから……お前よりも3つ下か?」

 

 う……

 そこまで下にしてやられたかと思うと、本当に悔しい。

 それに、ダイイチルビーに煽られたのが思い出されて……

 

「やっぱりあの歳だと若さ溢れるって感じだ──」

「ぬああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

「ど、どうしたダイユウサク!? 急に暴れ出すな!!」

 

 見事な反応で身を翻したトレーナーに対し、再度掴みかかるアタシ。

 慌てて逃げ出した彼を追いかけて──その姿を何事か、と他のウマ娘や観衆が見ていた。

 




◆解説◆
【水面下で藻掻け!!】
・今回も元ネタなし。
スワン(白鳥)ということで、「水面を優雅に浮かぶ白鳥も実は水面下では必死に足をもがいてる」という話から。
・ちなみに白鳥のイメージが強いこのネタですが、元々は「鴨の水かき」という言葉で鴨の話。
・ところが『巨人の星』の花形の
  「青い水面に美しく優雅に浮かぶ白鳥は
   しかしその水中にかくれた足で絶え間なく水をかいている
   だからこそ
   つねに美しく優雅に浮かんでいられる」
というセリフが広まったせいで、現在ではすっかり白鳥のイメージが付いてしまいました。
・なお、白鳥をはじめ水鳥は普通に水に浮くので、実際にはもがく必要はありません。

スワンステークス
・元になるレースは京都競馬場で開催される芝の競走。
・1958年に1800メートルで創設され、1972年から1983年までは1600(1980年だけ小倉開催で2000メートル)で、その後は1400メートルの開催になっています。
・グレード制導入後はGⅡになっており、1983年までは春開催だったのですが、それ以降は10月の後半開催で安定しています。
・時期的にマイルチャンピオンシップの前哨戦。
・今回のモデルになっているのは1991年10月26日(土)に開催された第34回のもの。
・当日の天気は曇り、馬場状態は良。
・ちなみに翌日の27日には秋の天皇賞が開催されました。

ダイイチルビー
・本作のオリジナルウマ娘の一人。(※2022年夏に公式ウマ娘化していますが、その前に書かれたものなので、オリジナルウマ娘になっています)
・「華麗なる一族」出身の高貴なお嬢様で、かなりの強気キャラ。
・元ネタ競走馬は同名の1987年生まれの黒鹿毛の牝馬。マックイーン、ライアン達の同期です。
・「華麗なる一族」と呼ばれる1957年にイギリスから輸入されたサラブレッド、マイリーから発する牝系に属し、母のハギノトップレディがその出身。
・一方で父親はあの“天馬”ことトウショウボーイ。
・デビューしたのは90年の2月。4歳(旧表記)でデビュー戦に勝利して2連勝、そのご2着を2回こなしてからオークスに出走していますが結果は5着。
・秋はローズステークスの一度きりの出走でやっぱり5着とパッとしない。
・それもそのはず……勝てていない3戦目以降はすべて2000メートル越えのレースでした。
・91年からは主戦騎手が武豊から河内洋に変更され、走るレースもマイル・短距離路線へ変更して覚醒。
・91年はまさに絶好調で、9戦走っていますが、初戦のオープン特別を2着のあとはGⅠの2勝、GⅡとGⅢを一勝ずつの計4勝、重賞を2着3回、3着1回で、4位以下は無し。
・ただ、そこで力を使い切ったかのように92年は最高が5着。安田記念の15着で引退しています。……発情して競走意欲が無くなったせいらしいですが。
・なお、ラストランの安田記念はダイユウサクも出走しています。
・しかしそれ以上に、ダイタクヘリオスが出走しているのが多い。92年の3レースはすべて出ているし、91年だって初戦のオープン特別と、次走の牝馬戦、あとは翌週の有馬記念にダイタクヘリオスが出走したスプリンターズステークス以外は全部、一緒に走ってます。
・そんな彼女ですが、公式ではウマ娘未実装ですけど、その存在がアニメ版では言及されていたりします。
・2期4話「TM対決」でダイタクヘリオスが初登場したシーンで「お嬢様」と呼んでいるのが、それまで数多くのレースで競ったダイイチルビーと思われます。
・実際、92年の天皇賞前の時期ですのでダイイチルビーも引退直前。ヘリオスの「最近、つれない」というセリフもそのせいだと思います。
・そう考えると、ウマ娘のダイイチルビーもパリピ語の使い手である可能性が高いのですが……
・活躍期は短いですけど、GⅠを2勝してるし、「華麗なる一族」と呼ばれる家系とかウマ娘化してもおかしくないような気もします。層が分厚い中距離ではなく比較的少ないスプリンターですから。
・まぁ、マックイーン世代はウマ娘が多いので、可能性低いと思いますけど。
・活躍時期のせいで《アクルックス》には入れず、本作では主人公にできませんけど、別シリーズで主人公にしたくなりますね。

ケイエスミラクル
・本作オリジナルウマ娘。(※2022年夏に公式ウマ娘化していますが、その前に書かれたものなので、オリジナルウマ娘になっています)
・元の競走馬は同名の1988年生まれの鹿毛の牡馬。こちらはトウカイテイオーの同期。
・1991年にデビューして、まるで燃えるように駆け抜けた競走馬。
・春に条件戦を5回出走し、オープン昇格後のセントウルステークスこそ14頭中13位でしたが、オープン特別のオパールステークス、GⅡのスワンステークスを連勝。
・一気にGⅠまで駆け上がり、マイルチャンピオンシップでも好走。
・本来であれば負担を考慮してここで休ませる予定だったのですが、マイルチャンピオンシップの結果が良かったためにスプリンターズステークスに出走し……


※次回の更新は11月25日の予定です。  



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第69R 大憤激!! “盾”の勝者は繰り上がり

 
 ──スワンステークスの翌日。

 
 ウイニングライブまで終わり、控え室に戻ってきた、とあるウマ娘とその陣営。

 しかし、彼女たちの間に流れる空気は非常に重苦しく──とてもレースを制し、センターの座を射止めたとは思えないようなものだった。

「……………………」

 誰もが無言。
 というよりも、その主役であったはずのウマ娘の纏う空気を恐れ、誰もなにも言えなかったのだ。
 乱暴に椅子に腰掛けたそのウマ娘。
 黒服にサングラス姿のトレーナーも、声をかけることさえできない。
 そんな彼女の目が──ジロッと部屋の一角を見た。
 そこには──

天皇賞(秋)制覇おめでとう!

 の文字が……
 それに気づいて、トレーナーは「バカが!」と心の中で叫んだ。
 チームメンバーの誰かか、はたまた関係者の誰かか。いずれにしてもなんと空気の読めないバカがいたものだ、と呆れた。
 いや、呆れている場合ではない。こんなものを目にしたら──

「ふざッけるなあああぁぁぁぁぁぁ!!」

 そのウマ娘の怒号が控え室に──いや、周囲の廊下の隅々にまで響きわたった。
 続いてズンと低く鈍い音が響き、さらにはガンガンと物同士がぶつかる音が激しく響く。いずれも音が一つ響く度に、周囲の地面からなにからが小さく揺れた。
 すわ、何事か──と警備員達がその部屋に駆けつけるが、出入口にいた黒服とサングラス姿の男や女、さらにはウマ娘達が「なんでもありません。大丈夫です」と警備員が入るのを止めている。
 それでも──と入ろうとした警備員達だったが……やがて、音が収まっていくと、彼らも無理に中には入ろうとはしなかった。
 なぜならそこが、誰の控え室だったか気がついたからだ。
 そして、同情さえしていた。

 あの、あまりにあんまりなウイニングライブの、完全なる被害者だったのだから。



 

「ふざッけるなあああぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 私は思わず叫んでいた。

 もう駄目だ。我慢ができない。

 このやり場のない怒りをどこかにぶつけなければ、私は私でいられなくなる。

 気がつけば席を立ち、そして目の前の机を蹴飛ばしていた。

 派手な音を立てて吹っ飛んだ机を見て、トレーナーが焦って顔をひきつらせたのが、サングラスをかけていても分かった。

 

「こんな、勝ちなんて……こんな屈辱ッ!!」

 

 振り向きざまに、椅子をけっ飛ばす。

 机以上に派手に吹っ飛び、壁にぶつかって一発で壊れた。

 それでも気は晴れない。

 そのとき私の目に飛び込んできたのは、『天皇賞(秋)制覇おめでとう!』の文字。

 いったい、どこの誰が張ったのか。思わずカッと頭に血が上る。

 

「バカに、するなああぁぁぁぁッ!!」

 

 怒号と共に、繰り出した蹴りは、見事にその横断幕を壁ごとぶち抜いた。

 それでトレーナーは我に返り、慌てて私の方へと駆け寄ってくる。

 

「落ち着いてください! お嬢!!」

「お嬢って呼ぶなっつってんだろうがああぁぁッ!!」

 

 手近にあった椅子をけっ飛ばすと床を滑り、近寄ってきたトレーナーへと直撃する。

 それで転んだトレーナーだったけど、それでも痛みに耐えながら、どうにか私のところへとやってきた。

 

「お願いです。落ち着いてください。私だって気持ちは──同じですから」

「なら、分かるだろ!! ここまでコケにされた私の気持ちが!! ()()()()()()()()優勝という、屈辱がッ!!」

 

 未だ収まらない私の怒り。

 その目に映ったのは……ある一枚の“板”だった。

 そう。今の私にとってそれはただの板きれにしか見えない!

 それを見つけた瞬間、私の頭は再度カッとなり──拳を振り下ろす。

 

「こんなもの──ッ!!」

「お嬢、いけないッ!!」

 

 突然、私の拳からかばうように、“それ”に抱きついたトレーナー。

 拳はそのまま振り下ろされ、彼の背中を強打した。

 

「グぅ…………」

 

 飛びついた勢いもあって、そのまま壁に衝突し、そして床へと落ちる。

 その間、彼は抱えた物を決して離そうとしなかった。

 私はその傍らへと寄り──仁王立ちになって見下ろす。

 

「……それを、離せ」

「私が離したら、どうするつもりですか?」

「決まってるだろ……盾ってのは殴られるために存在してる。違うかッ!?」

「この“盾”は、違いますッ!!」

 

 彼は体をこわばらせ、それを守るためにさらに強く抱え込んだ。

 そして、そのままの姿勢で言う。

 

「お嬢、勘弁してください。これは……これを壊したら、いや、壊さなくても殴ったなんて知られたら、URAにはいられなくなります! それどころか……」

「構わない! あんな“屈辱の天皇賞制覇”として汚名を残すくらいなら、“盾を殴って除名されたウマ娘”として名前を残す方がまだマシさ!!」

「お嬢……」

 

 トレーナーはそれを抱えたまま、床に横になって「勘弁してください。勘弁してください」と繰り返している。

 その姿を見て──煮えくり返っていた私の心は、少しだけ落ち着いた。

 同時に、廊下ではドタバタと押し問答をしているような音が聞こえ──僅かながら頭が冷えた。

 

「フウゥゥゥ──……」

 

 ハッキリ言って、私の気持ちは全然収まっていない。

 これまで生きてきて、ここまでの屈辱を与えられたのは初めてのことだった。

 今日、私が出走したのは秋の天皇賞。

 毎日王冠制覇という栄誉を引っ提げ、そのレースに参加した私だったが──ゴール版を通過したのは、2番目だった。

 それも大差を付けられての、2番目。

 

(その結果には不満なんて無かった……)

 

 そこまで実力差を見せつけられれば、反論や文句のつけようがない。

 誰がどう見ても完全な力負け。

 私も完敗を認め、その勝者を称える気持ちだってあった。

 スポーツマンシップにのっとれば当然のことだし、それほどの実力を持っているウマ娘に敬意を抱くのは当然のことだと思う。

 だが──そのとき、私は気がついていなかった。

 そしてウイニングランをしている彼女もまた、気がついていなかった。

 掲示板に『審議』の文字が点灯していることに。

 

「……その結果が、あんなことになるなんて…………」

 

 思い出してこみ上げてきた怒りが、私の拳をグッと堅く握らせる。

 そして拳全体が、痙攣するようにブルブルと震える。

 私は悔しさを感じながら、そのときのことを思い出した。

 

(スタンドの妙などよめきと雰囲気で、いつもと違うことに気がついた……)

 

 そして観客の視線が掲示板に集中しているのに気がついて、私もそれで分かった。

 なかなか確定しない掲示板。

 そして消えない審議の文字。

 長い長い時間が過ぎ……ようやく表示された、確定した掲示板からは──マックイーンの13番は影の形もなかった。

 そして、代わりに1着のところに出たのは10番。

 

(私の数字に切り替わると、観客席からはどよめきが起こった……)

 

 当然だ。私だって困惑した。

 だけど確定した順位は覆らない。レースの結果は私が1着ということで確定してしまったのだ。

 そう、彼女に……メジロマックイーンに6バ身も離されてゴールした、この私の優勝で。

 

『優勝って、6バ身差をつけられてもかよ……』

 

 表彰台で聞こえたその声に、私の耳は思わずピクッと動いていた。

 今と同じように悔しさと屈辱で手が、腕が、肩が震えた。

 動揺収まらないままのウイニングライブは、納得できない多くの客が帰ってしまい──残ったファンものれるはずもない。

 

(そもそも、どのツラ下げて歌えって言うのよ……)

 

 悔しさのあまり噛みしめた結果、歯ぎしりのような音が周囲に響く。

 大差をつけられた者が舞台のセンターに立ち、大差をつけた者が舞台の隅っこで踊っている。

 観客の視線と興味は、私ではなく彼女へと注がれていたのだ。

 

(歌っている私は、完全に晒し者だった)

 

 もちろん彼女も晒し者という意味では同じだけど、彼女は自分のせいだ。私に何の罪があるというんだ!!

 まるで御通夜のような、なにをしても、どれだけのパフォーマンスをしても一つも盛り上がることのないライブ。

 それが私の──初のGⅠを制したライブだった。

 

「ウアアアアアあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」

 

 私はこみ上げ、最高潮に達した怒りを拳に込めて──叩きつけた。

 

「────ッ!!」

 

 体を強ばらせたトレーナー。

 そんな彼の横の床に、私は振り下ろした拳を叩きつけていた。

 涙で、見つめる拳が歪んだ。

 滲む視界の中で、私はポツリとつぶやく。

 

「絶対に……絶対に、許さない」

 

 こんな結果、いったい誰が悪いのか。

 彼女に勝てなかった、一番でゴール前を駆け抜けなかった私が悪いのか?

 

(そんなはずはない!!)

 

 私は2位という順位に納得していたんだ。

 あれだけの大差を付けられれば、それもそうだろう。

 それを、アイツが勝手に転がり落ちていっただけじゃないか!

 そのせいで、なぜ私が──

 

「この屈辱、晴らさでおくべきか……」

 

 あのウマ娘と真っ向から戦い、そして勝つ。

 そうして、この秋の天皇賞を私が勝ったということを誰も文句を言えないようにしなければならない。

 

「トレーナー……」

「は、はい!!」

「次、マックイーンが出てくるのは、どのレース!?」

 

 私の問いに、トレーナーは相変わらず床に横になって優勝盾を抱えたまま、焦った様子で答える。

 

「おそらくはジャパンカップ、そしてその次は有記念かと……」

「ジャパンカップは2400、か……」

 

 今日のレースは2000メートルだった。

 それでも私にとっては長い距離であり──春の天皇賞や菊花賞を制した彼女にとっては短い距離。

 まして2400メートルは彼女がレコード勝ちした、前走の京都大賞典と同じ距離になる。

 

「ま、まさか出るとかいうんじゃないですよね? お嬢の次はマイルチャンピオンシップで、そこから一週間しか──」

「黙りなさい!」

 

 私が強く言うと、彼は体を強ばらせて縮こまる。

 

「アイツを叩き潰さないで、アンタは私にこの先どのツラ下げて走れと!? アイツに正面から勝たない限り、今回の件は“偽りの栄光”と一生言われ続けることになる!」

「な!? ではマイルチャンピオンシップは……」

「当然、出ない──いえ、出ている場合じゃない。例えそれに勝ったところで、アイツに勝たなければ汚名を雪いだことにならないわ!!」

 

 “マックイーンが出ていないマイルチャンピオンシップでなら勝てた”と言われるだけ。

 この先、どのGⅠを勝とうとも、あのウマ娘が出ていないのなら、それは同じように言われるだけなんだ。

 だからこそ──この呪縛を解くには“アレ”に勝たなければならない。

 

「ジャパンカップまでは2週間……アイツに勝つ体力をつけるには間に合わない」

「しかしお嬢、その次は……」

「ええ、分かってる。有記念に……私も出る」

 

 有記念への出走は、投票が集まらなければかなわない。

 でも、私にとっては屈辱的なことではあるけど、それでも秋の天皇賞をとったという事実は変わらない。

 それに毎日王冠も制している。

 出走に得票は足りると思う。

 

(いざというときは、天皇賞の雪辱を晴らしたいと訴えれば、それで票は集まるわ)

 

 今日の結果には納得していなかったり、もやもやしているファンも大勢いることだろう。

 その決着をつけるとなれば、出走させるために投票する者も大勢出るはず。

 

「そんな無茶な!? 有は2500……今日以上の長さですよ?」

「有の開催日は12月22日……それまで1月近くあるわ。それまでの間、徹底的に体力を鍛える。2500のレースを戦えるほどに」

「し、しかし、そうは言っても……」

「やかましいわ!! 去年の有記念、誰が制したか忘れたんじゃないでしょうね!?」

 

 なかなか腹をくくろうとしないトレーナーにイラ立ちを覚え、私は怒鳴っていた。

 

「マイラーのオグリキャップが制したんだ! 私にだって勝てない理由はない!!」

「あの、お嬢? オグリはその前の前の年に優勝していて……」

「ウダウダウダウダやかましい! アンタ、さっき私の気持ちが分かるって言ったんじゃないの!?」

「は、はいィ!!」

「なら、分かるでしょ!? 有記念であの女に実力で勝ち、借りを返す! 絶対に!!」

 

 の声に、トレーナーは「心得ました!」と大きな声で返事をした。

 

 

 さて……首を洗って待っていなさい、マックイーン!!

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 件の秋の天皇賞から、早くも数日が経った──

 

 

「やはり、御婆様は会ってくださいませんでしたか……」

「はい……」

 

 私──メジロアルダンの問いに、マックイーンはうつむき、肩を落として頷きました。

 私は周囲に目を走らせ、他のウマ娘の姿がないのを確認しました。

 こんな姿を周囲にさらしていると知れれば、ますます御婆様の不興を買うだけですから。

 

「とはいえ、わたくしもどのような顔で御婆様に会えばいいのか……ひたすら頭を下げることしかできません」

「それがわかっているからこそ、会わないのではありませんか? 会えば貴方を責めることになってしまいますからね」

 

 浮かないマックイーンに、私はそう言って微笑みかけます。

 マックイーンが秋の天皇賞に出走したのは先日のこと。

 

 その結果は──1位入線。されど着順は最下位の18着。

 

 スタートして最初のコーナーに向かう際に、外枠スタートのマックイーンは先頭で入ろうとしたためインに詰めてしまい、その影響を受けて他の出走者達が一気に窮屈になってしまいました。

 結果、“斜行”と判断され、その影響を受けたもっとも下の順位だった者よりも下の順位──それが最下位──にされてしまったのです。

 

「先頭で入線したというのに、あのような結果……責められて当然ですわ」

 

 それもダントツ……2位に6バ身もの差を付けての入線でした。そのまま気づかずにウイニングランをやってしまうほどの。

 おかげで表彰式からウイニングライブまで、異様な雰囲気のままでした。

 なんとも気まずい空気でしたし、1着になったウマ娘も納得していないような様子でしたからね。

 

「はぁ……マックイーン。貴方はわざわざ、御婆様にあのようなことを責めさせるつもりですか?」

「え!? あ……はい、そうなってしまいますね……配慮が足りませんでした」

 

 御婆様の気持ちを理解していない彼女に、わざわざ指摘しました。

 そんなことをわざわざ、御婆様はもちろん、誰が言わなくても明白なことですから。

 最下位になった原因は明らかで、それはメジロ家の名を貶めるもの。

 ず~ん、と落ち込んだままの彼女の姿を見ていて──このままではいけない、と私は思いました。

 今のことも私の指摘ですぐに気がつくのだから、自分で察して欲しかったところですけど、やはりショックが大きくて気が回らないようですね。

 

(マックイーンはここ数年のメジロ家を背負って立つべきウマ娘。ここで潰れさせるにはあまりにも惜しい……)

 

 体が……特に足の弱かった私には荷が重すぎたメジロ家という存在。今までの結果を見れば、「背負えたか?」と問われれば頷くことはできません。

 それを彼女ならできるはずなんです。

 しかし、このままでは……

 

「マックイーン、貴方の次の出走予定は……」

「はい、ジャパンカップの予定です」

「そうですか……では、それに私も出ましょう」

「──え?」

 

 私の言葉に驚くマックイーン。

 

「あの、脚の具合は大丈夫なんでしょうか?」

 

 そして怪訝そうに尋ねてくる。

 そうするのも無理はありません。私の脚は楽観できるような故障ではなかったんですから。

 現状で、なんの不安もなく完璧に治っているかと訊かれたら……正直な話、答えは否です。

 でも……

 

「ええ。心配いりませんよ」

 

 私は笑顔で彼女に言いました。

 

「とはいえ、私の同級生達も次々と一線を退いているところですし、貴方と走れる機会もそれが最初で最後かも知れません」

「な……」

「ですから、よろしくお願いしますね」

 

 戸惑っている彼女へと笑顔を向け──そして、さらに付け加えました。

 

「もちろん、仲良く一緒に走りましょう、というわけではありません。走るからには全力で……勝負いたしましょう」

 

 ジャパンカップは海外の強豪も参加するレース。

 やってくる彼女たちと競い合うマックイーンと共に走るには──私もぶっつけ本番というわけにはいきませんね。

 

(復帰して一度レースに出てから、ジャパンカップで……)

 

 マックイーンのため……

 ひいては未来のメジロ家のために、この病弱な私をここまで走れるウマ娘にしてくださった恩を、返させていただきましょう。

 たとえ、それが最後のレースになろうとも…




◆解説◆
【“盾”の勝者は繰り上がり】
・久しぶりのわかりやすい元ネタありタイトル。
・もちろん元ネタは『盾の勇者の成り上がり』です。
・なお最初の案では“勝者”ではなく“敗者”だったのですが、入線順はどうあれ優勝者なのだから敗者呼ばわりは無礼で、勝者とするのが妥当、と判断してこうなりました。
・今回結構、ギリギリの橋わたってるかもな~と思ってるのが多いです。

天皇賞(秋)制覇おめでとう!
・まぁ、仕方ないと思うんですよね。
・実際、お祝いしないわけにもいかないし、すれば怒らせるのわかってるし。
・見えている地雷でも、踏み抜かないわけにはいかない……どうしようもなかったんだと思います。これを貼った人は。


・いやぁ、誰なんでしょうねぇ~? このウマ娘。ちょっとわからないなぁ~。
・……というのも今回のこのシーン、書き終わってから、「あれ? コンプラ大丈夫かな?」と思ったので──急遽、名前を消しました。
・今さら別の名前で……というわけにもいきませんし、このシーンのためだけに彼女の名前を消してしまうのはもったいないですし。
・で、彼女なんですが……「怒らせたら本気でキレて、メチャクチャ怖い」という設定は、思い通りにならないと反発するという実際の気性以外にも理由があるのですが……
・それを解説してしまうと、「二次創作のガイドライン」(具体的にはその4あたり)に該当しかねないので──この件も解説できません。ゴメンナサイ!!
・そんなわけで、ちょっと大暴れさせ過ぎました。
・──とはいえ、誰だかバレバレなんですけどね。

一度レースに出て
・メジロアルダンが91年の秋復帰戦に選んだのは、11月10日開催されたオープン特別の富士ステークス。
・マイルチャンピオンシップの前週で、その翌週がジャパンカップというスケジュールになっています。
・1番人気でしたが出走数8で着順は6位。全盛期の見る影もありません。
・概ね史実通りに進む本作も同じレース結果になります。
・それでもアルダンは、ジャパンカップへと出走するのでした。


※次回の更新は11月28日の予定です。  



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第70R 大混戦! それでも届かぬ遠き栄光

 
「やっぱり容易じゃないわ~。さすがクラシックレースよね……」

 クラシック三冠の中でも、最長の距離を誇る菊花賞。
 東京新聞杯で好成績を残せて、どうにか間に合ったアタシ──ナイスネイチャだったけど、結果は……う~ん、勝てませんでした。

「テイオーの分まで頑張ろうって思ったんだけど……」

 そう思ったのはアタシだけじゃなかったみたい。
 なにしろ出走メンバーみんなが、なんだかギラギラしていたもの。
 あれは三冠確実といわれていた大本命がいなくなり、自分にもチャンスが回ってきた──というわけじゃないわ。
 むしろ、彼女がいないせいで“今年はの菊花賞はレベルが低かった”なんて思われるのが悔しくて、気合いが入りまくっていたというのが本当のところ。

「そんなこと言われるのは、本当に癪だものね」

 勝ったのはレオダーバン。
 でも、他のみんなも間違いなく死力を尽くした言いレースだったと思う。

「見ていた? テイオー……」

 まさかレース場にはいないでしょうけど、どこかで見ていると確信している彼女に思いを馳せる。

「アタシ達の期は、アナタだけじゃないんだからね。そしてこの後で、アナタが復帰してからも……アナタだけの時代が来るってわけじゃないんだから!」

 今回の菊花賞を走った者として、それは実感であり──今回の菊花賞は出走者全員からトウカイテイオーへの挑戦状なんだから。

 だから……早く帰ってきなさい。

「そうでないとアタシが年末のグランプリ、もらっちゃうからね……」

 すっかり高くなった晩秋の空を見上げて──アタシはポツリと呟いた。
 そう、次の目標は……有記念。
 あの()の分まで頑張らないと。


 その後……死力を尽くして栄冠をもぎ取った代償なのか、レオダーバンは脚の負傷が判明して──年末のグランプリの出走回避が確実になった。
 ……おかげでアタシの同期ではアタシとツインターボ、それにもう一人といったメンバーが有記念に出走することになるんだけど……この時のアタシはまだ知らない。



 

 11月も半ばになれば、いくら関東だろうとハッキリと寒いと感じる日が多くなってくる。

 マイルチャンピオンシップはまさにそんな時期に開催される。

 ウォーミングアップするウマ娘たちもGⅠということで勝負服だが、服によっては寒そうなものもあるので、それに関しては可哀想だと思わなくもない。

 まぁ、逆に6月のレースであの服は暑そうだな、というのもあるからその辺りは一長一短だからな。

 なんてことを考えていると──

 

「……トレーナー、残念でしょ?」

「なにがだ? ミラクルバード」

 

 意地悪い笑みを浮かべてオレを見てくる車椅子のウマ娘に、オレはため息をつきたくなる。

 

「だって、GⅠじゃなかったら体操服だったよ、きっと」

「あのな、今のオレにそんな余裕あると思うのか? それにこの時期ならみんなジャージ着るだろ、普通」

 

 呆れ気味にミラクルバードを見てやると、「つまんない反応~」と不満そうだった。

 しかしそれに反応することも無理だった。

 なにしろ今日のオレは、まさに彼女に答えたようにまったく余裕がない。

 秋のGⅠ戦線も後期に入り──まさに勝負をかけるレースがマイルチャンピオンシップだった。

 

「そんなに余裕がなくなるくらいだったら、秋の天皇賞、出走させればよかったんじゃないの?」

 

 ジト目を向けながらミラクルバードが言う。

 それに対してオレは、思わず遠い目をして答えた。

 

「あの結果なら、一理あったかもな……」

「だよね……あのマックイーンよりも前にゴールを切れる気はしないけど」

 

 苦笑を浮かべつつ、ミラクルバードもそれに乗ってきた。

 確かにあれと2位が6バ身差なら──ダイユウサクの調子が良ければ、展開次第ではその間に入り込めたかもしれない。

 だとすれば、繰り上がって1位……なんてことが、と思わず考えてしまう。

 

「……でも、まぁ……結果論だよな。あんな結果の予想なんて誰ができるもんか」

「だよねぇ。大差の2番入線で優勝だなんて……だいぶ荒れたみたいよ」

「荒れた? マックイーンが?」

「違う違う。荒れたのは別の()だよ。あのレースで天皇賞ウマ娘になった──」

 

 ミラクルバードがスタッフ育成科で仕入れた話によれば、まったく盛り上がらなかったウイニングライブの後に控え室で暴れまくって、それはそれは大変だったそうだ。

 壁やら椅子やら机やらを壊したみたいだが、自費で直したらしい。

 まぁ、賞金も出るだろうしなぁ……

 

「……そういえば、マイルチャンピオンシップ(このレース)に、彼女の名前が無かったな」

「ああ、それね……秋の天皇賞のせいで打倒マックイーンのために、このレースそっちのけでトレーニング中みたいよ? 元々マイラーだから、中長距離で彼女に勝つために特訓中なんだって」

「……なんというか、可哀想だな。呪縛に取り憑かれちまったみたいで、な」

 

 さっきのもしもの話になるが、そうなればここまで妄執を抱くようになったのはダイユウサクだったかもしれない。そう思えばぞっとしてしまう。

 

「う~ん、激情型というよりも、物静かな感じの()だったんだけどね」

「そういうタイプこそ怒らせたら怖いことが多いからな」

 

 恨むあまり、神社で御神木に藁人形を打ち付けたりしてな。

 とはいえ例の彼女の場合は目に見えない攻撃ではなく、もっと物理的なようだけど。

 

「なにそれ? 実体験?」

「そう思うか?」

 

 興味深そうに訊いてきたので、意味深に返してやったが、ミラクルバードは笑顔で首を横に振った。

 

「ううん、全然……」

「あのな、少しはオレがモテた時期があったかも、とか思わないわけ?」

「だって、ダイユウ先輩とのやりとり見てたらとてもそうは思えないよ。鈍感だし」

「たづなさんだけじゃなく、お前もオレのことを鈍感って言うのかよ……」

 

 オレはそう言ってため息をつく。

 そして歓声が上がって我に返った。出走時間はもう間もなくというところまで迫っていた。

 ふとミラクルバードを見てみれば、してやったりという顔をしている。

 

(緊張をほぐしてくれたのか。まぁ……オレが緊張しててもどうしようもないしな)

 

 オレにできるのは、もう祈ることくらいだ。

 ああ、神様……ダイユウサクにGⅠをとらせてやってくれ。

 頼む。アイツの今までの苦労を、報わせてやってくれ。

 

「トレーナーさんも、お祈りすることあるんですね」

 

 ふと気がつくと、傍らには黒髪のウマ娘、オラシオンが興味深そうに立っていた。

 さすがにGⅠレースということでチーム総出でやってきていたので、一緒に研修中の渡海君もいる。

 そして彼女は──

 

「ダイユウサク先輩に加護がありますように。そして、どうかトレーナーさんの願いをお聞き届けください、三女神さま……」

 

 オラシオンは、オレの横でひざまずくと手を組んで祈り始めていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それは少し前のこと──

 

 ……今日のレースはGⅠだから、アタシにとっては二度目の勝負服でのレースなんだから、少しはこの姿を見てなんとか言ってほしかったんだけど……あの朴念仁は何も言わなかったわよ。

 

(ちょっと悔しい……なんて思わないけどね!)

 

 そんなアタシはウォーミングアップを始める前に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()トレーナーに尋ねていた。

 

「ねぇ、トレーナー。もしも、もしもよ?」

「なんだ、ダイユウサク……」

 

 アタシが言いよどんでいると、彼は促すように聞き返してくる。

 それに乗って、アタシは訊いた。

 

「もしも、マイルチャンピオンシップを勝ったら……有記念に出られるかしら?」

「お前……」

 

 面を食らったような顔をした彼。

 やがて僅かに苦笑を浮かべて、すぐに引っ込めて──改めて答える。

 

「まあ、いけるんじゃないか? この時期のGⅠ制覇は人気投票に大きな影響を与えるからな」

「そうよね?」

 

 アタシは勢い込んでうなずくと、彼もそれに同調してくれた。

 

「今年はマックイーンへの投票が集中するだろうし。それに吸われて他の投票数が伸びないだろ」

「……どういうこと?」

「ああ、“無敗の二冠ウマ娘”のトウカイテイオーはまだ復帰は無理そうだからな。あの年代で代わりを探しても菊花賞とったレオダーバンも人気を集めそうだが、一冠だけではインパクトが低い。なにしろ競うのがマックイーンだからな……」

 

 そう言ってトレーナーは「さすがに厳しいだろ」って呟くように付け足した。

 結果はともかく、秋の天皇賞で十分な強さも見せつけているし、距離の近い京都大賞典でもレコード勝ち──ってそれ、アタシも出てるレースじゃないの!!

 もう少し気を使ってオブラートに包む、とかいろいろあるでしょ? まったく……

 

「春秋グランプリ制覇を狙うライアンも出るんだろうが、負傷明けのぶっつけ本番では厳しい。投票は集まるだろうが、やっぱりマックイーンへの期待には勝てないだろうからな。あと有力だったカミノクレッセも天皇賞(秋)(アキテン)でのマックイーンの斜行で負傷して……って、なんでお前は不満そうにオレを睨んでるんだ?」

 

 戸惑った様子のトレーナー。

 だって……アンタがマックイーン、マックイーンって何度も言うから──

 アタシが黙っていると、彼は小さく咳払いをして話を続ける。

 

「今のお前の成績だと印象が弱い。だが、ここで勝てば注目も集まって投票も入るだろ。そうすればそれも見えてくる」

「う……」

 

 言ってくれるのはうれしいけど、印象が弱いっていうのは余計じゃないかしら?

 アタシが抗議のジト目を向けると、彼は苦笑を浮かべる。

 

「仕方ないだろ? お前の重賞勝ちって言ったら、今年というよりも去年と感じるくらいに前の、金杯しかないんだから」

 

 それは分かってるわよ。

 それどころか今年の勝ちって、今のところそれしかないんだし。

 あのときは三連勝中だったけど、大阪杯以降は、一つも勝ててないのよね。

 でも、アタシにとってあの金杯は特別なもの。

 

「……ねぇ、トレーナー。覚えてる? 金杯のときのこと──ううん、その前の……去年の有記念のこと」

「金杯に向けてのトレーニング中に見た、オグリのラストランのことか?」

「ええ、そうよ」

 

 あの感動的な光景は忘れはしない。

 アタシの友人が掴んだあの奇跡は、今も一つも色褪せることなく、脳裏に残っている。

 そしてそれを目にしたアタシの気持ちも、もちろん忘れてなんかいない。

 アタシもああなりたい、と初めて思った。

 GⅠ制覇が目標になって──でも、今だから気づいたこともある。

 

(アタシが本当にあこがれているのは、ただGⅠを勝つことかしら?)

 

 ひょっとしたら、と思う。

 アタシがあこがれたのは──あの舞台。

 年末のグランプリでの栄冠に、()が惹かれたんじゃないかな、って──

 

「ねぇ、トレーナー。だから……もしもこのレースに勝ったら、有記念に出たいと思うの」

 

 そんなアタシの言葉に彼は──

 

「ああ。これが終われば、後はスプリンターズステークスか有くらいしか残ってないからな。出走できそうなら、走らせてやるよ」

 

 本気なのか冗談なのか、どっちともつかないような笑みを浮かべて、そう答えたわ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ゲートが開いて、マイルチャンピオンシップの火蓋は切って落とされた。

 秋のGⅠ戦線で、2番目に短いレース。

 とはいえ──アタシは前の方にはつけなかった。

 

(きっと今ごろ、トレーナーもミラクルバード(コン助)も驚いているでしょうね……)

 

 普段のアタシなら、スタートの良さから先行につく展開が多い。それは距離が短いほど顕著。

 2000メートルのレースならともかく、1600メートルのこのマイルチャンピオンシップなら、今まで通りなら先行策をとるのがアタシのセオリーだった。

 

(でも、今回は……)

 

 前走のスワンステークスで感じたこと。

 それは──

 

(悔しいけど、アタシの走りには伸びが失われてきてるってこと……)

 

 思えば秋の復帰戦だったチャレンジカップから、勝てないレースが続いていた。

 それはアタシが思い描く自分の走りと、実際に自分ができるレース展開にズレが生じているからだと思った。

 前走のスワンステークスで先行したアタシは、思った以上に足が伸びなかった。

 

(確かにケイエスミラクルの末脚はすごかった……)

 

 レース中は突然、背後から現れた彼女に驚かされただけだったけど、レースの映像を見たら、それは明らか。

 それに負けてしまうのは、まあ、仕方ない。

 でも、それ以外にもダイイチルビーについて行くこともできなかったし、ケイエスミラクルと共にあがってきたもう一人にさえ抜かされて、アタシは4位だった。

 

(今のアタシは先行してしまったら、終盤以降で“脚”は残らない)

 

 それが結論である。

 では、どうすれば勝てるのか──

 

「答えは“先行せずに脚を残す”よ……」

 

 ゆえにアタシは中段──どころか後方から4、5人目といった辺りに位置づけ──

 

「「──え?」」

 

 あるウマ娘とはち合わせた。

 赤みがかった黒髪──黒鹿毛をなびかせ、その赤き鋼玉(ルビー)のような瞳がアタシをにらむように見ている。

 

「なッ!? 貴方、どういうつもりですか? このわたくしをマークしようとでも……」

「ダイイチルビー……」

 

 彼女はアタシに気づくや、そうやって敵意を向けてきたけど──本当のところは、アタシを意識なんてしていない。

 彼女が意識し、前回は先行していたのに今回わざわざこんな位置にまで下がってきているのは、そのウマ娘を警戒していたからだ。

 アタシとダイイチルビーの視線が、そのウマ娘を捉える。

 

 彼女の名は──ケイエスミラクル。

 

「────ッ!」

 

 そしてケイエスミラクルは、チラッとダイイチルビーに視線を向ける。

 

 ………アタシは無視ってわけですか。

 面白いわね。やってやろうじゃないの。

 アタシとダイイチルビー、それにケイエスミラクルは後方で互いに牽制しながら、抜け出すタイミングを狙っていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──しかし、ここで一つだけ誤算が生まれていた。

 

 前哨戦ともいえるスワンステークスで1位、2位、4位のウマ娘達が、後方でレースをしていたがために、前方が留守になっていたのだ。

 そして彼女は──普段なら先頭切って走り、逃げることの多いウマ娘だが今日は先頭を切ってはおらず──まだ中盤といった現在、彼女自身は3人で先頭を争うといった塩梅になっていた。

 そして気がついてしまう。

 “お嬢様”は、他のウマ娘2人と警戒し合うように後方で走っている。

 そして、普段逃げている自分の速度なら──

 

「アレ? もしかして……行ける系?」

 

 ダイタクヘリオスは気付いたのである。

 逃げたときのように皆の意識が向けられているわけでもない。

 そして逃げていないので“脚”も残っている。

 なら──

 

「行くっきゃ、無いっしょおおぉぉぉ!!」

 

 ダイタクヘリオスは仕掛けた。

 脚に力を込め、「ヒアウィゴー!!」とか「ウェーイ!」なんて声をあげて、一気にペースを上げる。

 

「「「なッ!?」」」

 

 それには周囲も驚き──普段の逃げよろしく、一気に先頭に立った彼女はそのまま走った。

 やがて第4コーナーを終えた直線──

 

 

『ダイタクヘリオスが先頭か? ダイタクヘリオスが先頭です。

あと二番手にはバンブーメモリー。ダイイチルビーが来る!』

 

 そんな実況アナウンスが流れる中──

 

「~~~~~ッ!!」

「って、お嬢様!? でも、今日ばかりは……アタシが勝つ!!」

 

 恨みがましく睨んでくるダイイチルビーの視線をものともせず、ダイタクヘリオスは逃げる。

 さらにはその横に、無言で鋭く追い上げてくる人影。

 スワンステークスを制し、最近躍進めざましいウマ娘──ケイエスミラクルだった。

 

「──ッ!? さすが……」

 

 ぐんぐん迫るそれに、戦慄するダイタクヘリオス。

 そして大外からは──

 

「絶対に、絶対に、負けられない……勝つんだからぁぁぁぁl!」

 

 赤を基調にしたドレス姿の勝負服に身を包んだ、鹿毛のウマ娘が猛然と追い上げてくる。

 その気迫はまさに歴戦の猛者。他のウマ娘達とは圧が違う。

 

「んなあああ!? なんなの、アレ!?」

 

 それに気圧されて思わず悲鳴を上げ、必死で逃げるダイタクヘリオス。

 ドン底を経験し、そして這い上がってきたという経緯や、ここまで走ってきた経験量の差がまるで違うのだ。

 その圧倒的気迫を伴って追い上げてきたのは──ダイユウサク。

 

『さぁ、ダイユウサク突っ込んでくるが、先頭はダイタクヘリオス200を通過!

さぁ、ダイイチルビーが突っ込んできた。ダイイチルビーと、外からダイユウサク! あるいはケイエスミラクル!!』

 

 しかし──追い上げてきた3人は届かない。

 

『2番手は接戦だ! しかし完全に先頭はダイタクヘリオス!!!』

 

 2位争いの中でダイイチルビーが頭一つ抜け出し、それにケイエスミラクルが続く。

 しかしそれも後の祭り……

 

『ダイタクヘリオス、ゴールイン! ……ダイタクヘリオスやりました。ダイタクヘリオスです!』

 

 かくして1着でマイルチャンピオンシップを制したのは……ダイタクヘリオスだった。

 




◆解説◆
【それでも届かぬ遠き栄光】
・元ネタなし。
・しかし久しぶりの“タイトルで内容バレ”パターン。
・ウマ娘の場合、結果はほぼ決まっているのでこのパターンでも問題ないんですけどね。

レオダーバン
・元ネタは同名の競走馬。
・トウカイテイオーやナイスネイチャ、ターボ師匠と同期の1988年生まれ。
・トウカイテイオーの二冠に隠れがちですが、東京優駿(日本ダービー)も2位と好走し、菊花賞ではついに栄冠をつかんだのです。
・そして次走は有馬記念と陣営は張り切って出走──ただし、翌年の。………え?
・菊花賞を制した後に、屈腱炎が発覚して1年を超える休養を余儀なくされてしまったのです。
・そんなわけで1992年の有馬記念に出走したのですが……勝ったのは皆さんがご存じのようにメジロパーマーです。結果はトウカイテイオーの1つ下だったダイタクヘリオスのさらに下、13着でした。
・その後、翌年のアメリカジョッキークラブカップに出走しましたが、9頭立ての8着の結果になり、その後は屈腱炎が再度発症してしまい引退しました。
・なおウマ娘ですが……アニメ2期では該当するのが“リオナタール”という名前のウマ娘のモデルになっていますね。
・ですので2期1話のダービーのシーンでも登場し、初登場シーンでしっかりと説明が入った後、ゲートインで3番目(テイオーの直前)なのがリオナタールです。
・その後もレース中に度々映り、1話ラストのウイニングライブでは2着だったのでセンターのテイオーの向かって左で歌ってました。
……ところでダービーのシーンを見てて思ったんですけど、5番(史実ではシンホリスキー)のウマ娘が、勝負服から髪型までダイサンゲン(ご存じダイユウサクが元になったオリジナルウマ娘)の完全な色違いで気になって仕方がない
・2話の菊花賞のシーンではさすがに主役だったレース、仮想中のトウカイテイオーから「横にはダービーで競った“あの娘”がいる」と名指しされ、トップで走り、優勝して勝鬨をあげる等いいシーンをもらってます……一世一代の見せ場シーンが一瞬で終わった(しかも回想シーン)ダイサンゲン(ダイユウサク)とはエラい違いですが。
・それで登場終わりかと思いきや、6話でも密かに再登場。92年相当の有記念のシーン(9分50秒あたりから)でトウカイテイオーの近くを走っている姿が描かれています。セリフはないけど。
・1話でマルゼンスキーが応援し、それに親指を立てて「なにか運命的なものを感じます」と応じたのは、レオダーバンの父馬がマルゼンスキーだったから。

もう一人
・91年有馬記念に出走した4歳馬(当時表記)はナイスネイチャ、ツインターボの他はフジヤマケンザン。
・菊花賞も3着で、アニメ2期の2話では実況でケーツースイサンと呼ばれているウマ娘の元ネタですね。
・ケーツー(K2)は世界で二番目に高い山の名前なので、山繋がりで採用されたのかと。スイサンは、ケンザン→見参→推参でしょうし。
・2期2話の菊花賞で、トウカイテイオーの仮想直後にリオナタール(レオダーバン)と並び、内(左側)にいる青いベストに赤いスカートの高校の制服のような勝負服を着ているのがケーツースイサンです。
・3着だったので、ネイチャよりも前にゴールするのが一瞬だけ映ってますね。
・ちなみに2着だったブレスオウンダンス──こと史実のイブキマイカグラもまたレオダーバン同様に脚に不安があったために有馬記念を回避しました。
・──この辺りを解説してると、完全にシンデレラグレイではなくアニメ2期の時期なんだと痛感します。

マイルチャンピオンシップ
・1984年に創設された、比較的新しいGⅠレース。
・基本的に京都での開催で整備のために2020年と翌21年が阪神で開催された以外は京都で開催されています。
・距離はその名の通り、もちろん1600で開催。
・現在ではダイユサクの前走だったスワンステークスと富士ステークスは2014年から1着に優先出走権が与えられています。
・なお、スプリンターズステークスも2016年から優先出走権が与えられるようになりました。
・これを書いている時点(2021年11月末)で2021年のマイルチャンピオンシップはちょうど終わっており、グランアレグリアが昨年に続いて勝ち、連覇で有終の美を飾りました。
・今回の本作のレースの元になったのは91年の第8回のレース。
・行われたのは1991年11月17日。天気は晴れの良馬場でした。

スプリンターズステークス
・あれ? とお思いかもしれませんが、「これが終われば」というトレーナーの言葉は間違っておりません。
・↑の優先出走権のところで書いたように、“現在では”スプリンターズステークス→マイルチャンピオンシップという順番ですが、ダイユウサクが現役だったころはマイルチャンピオンシップ→スプリンターズステークスという順番だったのです。
・しかも当時のスプリンターズステークスは12月開催で年末のグランプリ有馬記念の前週というスケジュールでした。
・まぁ、普通はスプリンターズステークスに出るようなスプリンターが2500の有馬記念になんて出走するはずがないですからね~……
・……なんて思ってた時期もありました。

ダイタクヘリオス
・ウマ娘に実装済みのウマ娘。
・ただし現在(2021年11月末)では育成キャラはまだ未実装。
・というのは前も解説したのですが……↑のマイルチャンピオンシップからのスプリンターズステークスに出て、翌週の有馬記念に出たのが92年のダイタクヘリオスでした。
・そのパーマーが制した有馬記念こそダイタクヘリオスのラストランで、そのまま引退しています。最後に何やってんスか!?
・アニメでも、それ以降は登場機会がガクンと減りますし。
・ただそれもウマ娘でのパーマーとの友情を考えると、引退のその時期に自分の得意な範囲に入るスプリンターズステークスに走り、その次週に距離の合わない有記念に出走という無茶を敢行し、パーマーと一緒に“爆逃げ”してパーマーを勝たせたと考えると、実はもの凄く熱い友情物語が裏に隠れてしまった回でした。
・パーマー&ヘリオスの名シーンで、確かに「あとは任せた」とヘリオスが下がっていくのは引退(それ)を暗示しているんでしょうが……連闘でヘロヘロなはずのヘリオスとクビ差しかなかったトウカイテイオーを中心に描いたのは、いくら主役とはいえどうかな、と思います。


※次回の更新は12月1日の予定です。  



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第71R 大英断! 決意──

 
 ──勝てなかった。

 アタシは足を止め、膝に手を付いて呼吸を整えながら、愕然としていた。
 もちろん、マイルチャンピオンシップ(このレース)1位で(とれて)当たり前、なんて思ってなかったわ。
 でも、心のどこかで「秋の天皇賞を諦めたんだから……」という甘すぎる期待があった。
 確かにメジロマックイーンは強敵。まともにやったらアタシがかなわなかったのは京都大賞典でも明らかだったし。
 でも、彼女がいない短距離・マイル戦だって強敵がひしめいていたんだから。
 ダイイチルビーやケイエスミラクル、そして──

「ダイタクヘリオス、か……」

 視線を向ければウイニングランの最中で、彼女はスタンドに向かって手を振り、ときおり立ち止まって「ウェーイ!」とハンドサインを出している。
 毎日王冠で2着だった彼女。マイルを得意にしているのは分かっていたはずなのに……

「く……」

 じゃあ、大きな失敗をしたか、と言えば……アタシには心当たりはない。
 ダイイチルビーやケイエスミラクルへのマークは正解だったと思ってるし、仕掛けるタイミングを間違えたとも思っていない。

(力負け、よね……)

 顔を上げて掲示板を見つめる。
 アタシの着順はダイタクヘリオスよりも下なのはもちろん、ほぼ同じ位置で競っていた2着のダイイチルビー、3着のケイエスミラクルの下──でもなく、その中に一人挟んでの5着。
 競っていた2人との間に他のウマ娘が入ってしまったのも、アタシにとってはショックだった。

「……ダイユウサク。大丈夫っスか?」

 うつむいていたせいで頭上から声が聞こえ、アタシは顔を上げた。
 そこには「夢」と書かれた鉢巻きをしたウマ娘の姿があった。

「バンブーメモリー……」

 彼女もまた、今回のマイルチャンピオンシップに出走していたウマ娘の一人。
 そして着順はアタシよりも後ろ……のはずなのに、なぜか妙に晴れやかな顔をしている、とアタシには思えた。

「掲示板、おめでとうっス」
「一応、ありがとう、とは言うけど……正直、悔しいわね」

 アタシが複雑な顔で答えると、バンブーメモリーは「そうっスか」と妙にあっけらかんと返してくる。
 ……おかしいわね。
 彼女はアタシよりも実績を残してきたウマ娘。その彼女がアタシよりも後ろの順位だったら、もっと悔しがっていいはずなのに。

「そう思える気持ち、ちょっと羨ましいっス」
「……え?」

 バンブーメモリーは笑顔でアタシに言う。
 なんだろう。バンブーメモリーの様子は明らかにおかしい。
 そんな彼女はキッパリと言った。

「アタシはここまでっスね」
「それって、どういう……」
「このレースを最後に、バンブーメモリーは引退するっス」
「ええッ!?」

 晴れやかな顔で宣言したバンブーメモリーに、アタシは驚きを隠せなかった。
 ちょ、ちょっと待ってよ。なんで……

「悔いはない、なんては言えないっスよ。でも、これ以上続けていても、その“悔い”を解消できないと気付いたっス」

 バンブーメモリーが振り返る。
 彼女の視線の先にはダイタクヘリオスの姿があった。
 そしてダイイチルビーの、ケイエスミラクルの姿があった。

「秋の競争(レース)が始まって、彼女たちにはまったくかなわないっス。認めたくないけど、アタシの今の力では……もう勝てないってことっスよ」

 そのとき浮かべた寂しげな自虐的な笑み──そこに、“くやしい”という本音が僅かに見えた気がした。
 そして彼女はアタシを振り返る。
 そこには僅かな“悔い”さえ振り切った、完全な晴れやかな笑みがあった。

「ダイユウサク……“悔しい”って素直に思えるんだからキミは心が折れていないっス。まだ走れるっス。だから……」

 バンブーメモリーは、頭に巻いていた鉢巻きを外し──アタシに差し出した。

「アタシ……いや、アタシたちの分まで、“夢”を掴んで欲しいっス。これが残り少なくなった同世代への、エールっス」

 笑顔で『夢』と書かれた鉢巻きを握りしめた手を付きているバンブーメモリー。
 そして笑顔のはずの、その目から──大きな滴が流れ落ちた。

「──ッ」

 アタシは──感極まりながら、それをしっかりと受け取った。
 グッと握りしめられたその鉢巻きを、アタシは何物にも勝る宝物を受け取るように、両手で包むように受け──アタシの目からもまた大粒の滴が流れ落ちる。

「……うん、絶対に、“夢”を掴んでみせる。その姿……アナタに見せるわよ」

 泣き崩れそうなアタシの頭に、笑顔でポンと手を乗せるバンブーメモリー。
 彼女は少し困惑した様子で──

「うん、待ってるっスよ。また号泣する姿を、楽しみに──」
「もう! こういうところで茶化さないでよ!!」


 …………こうしてまた一人、同期がトゥインクルシリーズから去っていった



 

 ──負けた。

 

 その結果を突きつけられ、オレは愕然としていた。

 決して、マイルチャンピオンシップを侮っていたわけじゃあない。

 秋のGⅠの中で、ダイユウサクにとってはもっとも確率の高かったGⅠだという認識は、レース後の今でも変わっていない。

 距離的には2000メートルの秋の天皇賞が最も適正があったかもしれないが、メジロマックイーンの存在を無視できなかった。

 

(もしも天皇賞に出走していても、やはり1位入線は無理だっただろ)

 

 そしてステイヤーなら翌週のジャパンカップに出るために絶対に出てこない。

 だからこそ選んだマイルチャンピオンシップだったというのに──

 

「いや、違うな……」

 

 オレは思わずつぶやいていた。

 選んだんじゃない、逃げてしまったんだ。

 2000メートルという中距離で現役最強ステイヤーのマックイーンと戦うのと、1600のマイル戦でダイイチルビー達の強豪スプリンターと戦うのを比べ、マックイーンにはかなわないと逃げただけ。

 その結果が、今回の5位という結果だ。

 

(……ダイタクヘリオスだけじゃない。ダイイチルビーとケイエスミラクルには、完全に負けたしな)

 

 ダイタクヘリオスの作戦勝ちだった今回のレース。

 レース中はほぼ同じ位置にいて、同じような展開をしたにも関わらず、2人の前どころか、その間に一人が入られてしまうくらいに“負け”たのだ。

 

(少なくとも、彼女たちには……短距離やマイルでは、ダイユウサクは勝てない)

 

 それがオレの結論である。

 その結論を、トレーナー室で噛みしめていたオレは、傍らにいるミラクルバードを振り返った。

 マイルチャンピオンシップは昨日のこと。今日、ダイユウサクには休養を言いつけているが、チーム部屋ではアイツが顔を出しかねないので、こっちにいたのだ。

 

「なぁ、ミラクルバード……」

「なに? トレーナー」

 

 オレは僅かな躊躇いの後、彼女に尋ねた。

 類まれな才能を持ったものの運に恵まれなかった彼女の、その慧眼を信じて。

 

「ここのところのダイユウサクの敗因……なんだと思う?」

 

 手元のデータを見ていたミラクルバードは顔を上げた。。

 

「ハッキリ言ってもいい?」

「そのためにお前がいるんだろ。仲良しサークル活動が目的なら、お前じゃなくてコスモドリームを誘ってるさ。それに、お前の目を信用しているからな」

「……ありがと」

 

 照れ笑いを浮かべたミラクルバードだったが、すぐに表情を引き締めた。

 

「実力は……マックイーンは別格にしても、他と伯仲はしていると思うよ。まぁ、ダイタクヘリオスはよく分からないけど」

 

 毎日王冠やマイルチャンピオンシップのような強さを見せたかと思えば、まるでダメなときもあるし、ホントに予想できないし、実力も分からないんだよね、とミラクルバード。

 

「でも、どうしてもスワンステークス(ケイエスミラクル)マイルチャンピオンシップ(ダイタクヘリオス)に勝てなかったのは、適正距離と……年齢、かな」

「確かにな」

 

 ミラクルバードは苦笑を浮かべ、オレは厳しい表情になる。

 順位は4位と5位。どちらも最後の一伸びが足りなかったイメージだ。

 そんなオレに気が付いたミラクルバードは意外そうな顔をした。

 

「やっぱりトレーナーも気づいてるんだ?」

「ああ。秋になってアイツが勝てない理由……ここまでくればイヤでも疑うぞ」

 

 オグリキャップが引退してまもなく一年になる。

 この一年でそれ以外にもダイユウサクの同期はだいぶ減った。オグリの前にはディクタストライカ、サクラチヨノオーといった面々がターフを去り、オグリと同じ有記念を最後にヤエノムテキがやはりいなくなっている。

 

(ダイユウサクと仲のいい連中も、だ)

 

 コスモドリームは復帰の目処が未だ立たず、シヨノロマンもとうに一戦を退いている。がんばっていたサンキョウセッツもついにレースに出るのをやめていた。

 それだけじゃない。

 次なるスター、メジロマックイーンが頭角を現したし、さらに下の世代のトウカイテイオーが、怪我こそしてしまったものの大きな注目を集めた。

 世代交代の流れは確実にやってきている。

 どんな晩成型であろうとも、その波には逆らえない。

 

「今までがんばってたバンブー先輩も、引退するみたいだしね」

 

 少し寂しげにミラクルバードがつぶやいた。

 ダイユウサクだって以前なら先行でついていけたはずが、終盤になってそのまま伸びないのは、衰えがきて余力がなくなってしまっている証拠だった。

 

「トゥインクルシリーズってのは、本当に厳しい世界だな」

「だよね……」

 

 活躍できる期間というのはそれほど長くない。

 だが……だからといって、諦めるわけにはいかない。

 

「でも、勝たないとね」

「ああ……」

 

 とはいえ、だ。

 残ったGⅠは今度の週末のジャパンカップ、年齢的に出走できない阪神と朝日杯のジュニアステークスを除けば、もうスプリンターズステークスと有記念しか残っていない。

 

「スプリンターズステークスに行けば、マイルチャンピオンシップで走ったダイイチルビーとケイエスミラクル、ダイタクヘリオスがくるだろうね」

 

 再び、あの快速三人娘と戦うことになる。

 その姿を思い浮かべながら──オレはミラクルバードに尋ねた。

 

「……勝てるか?」

「う~ん……」

 

 苦笑して言葉を濁すミラクルバード。

 スワンステークスやマイルチャンピオンシップの焼き直しのようになってしまうのではないか、と考えているのだろう。

 そしてそれはオレも同じだ。

 

「ましてスプリンターズステークスは1200メートルだしね……」

 

 GⅠ最短のレースであるスプリンターズステークスは、やはり何よりも速さがものをいう。

 加えて言えばダイユウサクは短距離の経験は豊富だが、結果を残してきたとは言い難い。

 ミラクルバードが不安を抱くのも当然だろう。

 

(今のダイユウサクのスピードで、あの三人娘に勝つには1200じゃ距離が絶対的に足りない)

 

 じゃあ、別のもう一つ……ということになるのだが、それはそれで問題がある。

 それは──

 

「でも、スプリンターズステークスが難しくても、有記念はそもそも出走できないんじゃない?」

「……アイツ、今年は金杯しか勝ってないもんな」

 

 まさに気が付けば、である。

 大阪杯は惜しいところだったが、そこから休養に入り──復帰後はGⅠ制覇に照準を合わせて重賞戦線を戦ってきた。

 ……が、本番も合わせてそのことごとくに勝てず、今年だけの成績を見ればこれまで6戦して1勝である。

 

「票が集まるはずがない」

「マックイーンがどうとか、それ以前の問題だよ。だからスプリンターズステークスにかけるしか──」

 

 ミラクルバードが言い続けるのを余所に、オレは考えにふけっていた。

 

(スプリンターズステークスはまず勝てん。マイルで勝てなかったのに、生粋の短距離ウマ娘(スプリンター)・ダイイチルビーをはじめ、あの3人に勝てる要素がない。しかし……)

 

 もしも、もしもだ。

 出走資格の問題ははさておき、有記念に出られたとして、立ちはだかるのはメジロマックイーンという高い壁。

 

「どっちにしても、容易じゃないな……」

「どっち? ダイイチルビーとケイエスミラクルのどっちをマークするかって──」

 

 オレの無意識のつぶやきにミラクルバードは首を傾げた。

 が、オレはそれに気付くことなく考えを巡らせる。

 

(むしろ、これは──どっちも勝ち目はないと言える。それなら……)

 

 そう。スプリンターズステークスも有記念もGⅠ制覇を狙うダイユウサクにとっては、2000メートルという適正距離からも外れているし、勝ち目がないことでは変わらないんだ。

 ならばいっそのこと……

 

(……アイツが走りたい方を、走らせたい)

 

 そのときに脳裏に浮かんだのは──マイルチャンピオンシップの直前にダイユウサクがオレに言った一言だった。

 

『ねぇ、トレーナー。だから……もしもこのレースに勝ったら、有記念に出たいと思うの』

 

 久しぶりのGⅠ出走。アイツが一番映える、アイツの勝負服に身を包んでいた姿は、本当に魅力的だった。

 そんなアイツが珍しく殊勝な態度で言った言葉は──オレの胸の奥に刺さっていた。

 結果は勝てなかったが、それでもアイツの有記念に対する思いは、間違いなく本物だろう。

 なぜなら、去年の年末のあの日──

 

『……ねぇ、トレーナー』

『羨ましい……なんてアタシが思うのは、おこがましいかしら?」

『オグリと……彼女とアタシはまるで違う。アタシの方が断然恵まれた環境だったのに、実力がまるで無かった。もちろん実績だって比べるのも恥ずかしいくらいだし……』

『でもね。こんなに……人の気持ちを震えさせる。感動させられるレースができるのが、本当に羨ましいわ。そして、そんな姿に憧れるのよ! どうしようもなく……』

『……アタシも、なりたい。オグリキャップには到底及ばないのは分かってるわ。でも、それでもアタシは、少しでも彼女に近づきたい!!』

 

 ──あのラストランがアイツの意識を変えた。

 勝てないと思われていた彼女(オグリ)が見せた最後の強烈な輝きこそ、アイツがあこがれたもの。

 

(アイツのGⅠを勝ちたいという気持ちは、パーシングとの賭けが原因なんかじゃない。あのレース……有記念が原点なんだ!)

 

 だからこそオレは──アイツを()()に走らせてやりたい、と思った。

 いや……オレはウマ娘の夢を叶えるために存在している“トレーナー”なんだ。その夢を、叶えてやれなくてどうする!!

 それに──アイツには悪いが──来年、有記念の舞台にダイユウサクが果たして立てるだろうか?

 

(マックイーンはまだ衰えるような歳じゃない。ケガで泣く泣く三冠挑戦を逃したトウカイテイオーは復帰する)

 

 それだけじゃない。

 トウカイテイオーの同期達もシニアになってさらに力を付けてくるだろう。

 そして来年クラシックレースを走るヤツらもまた台頭してくる。

 それらを相手に、今でさえ勝てなくなってきているダイユウサクが立ち向かうことができるのか。

 

(それに比べたら──今年は、チャンスだ)

 

 ダイユウサク本人の実力もだが──マイルチャンピオンシップのときにアイツに言ったように出走候補に隙がある。

 明らかにマックイーンが頭一つ抜けており、他はドングリの背比べ状態。

 

(そうなれば、出走を狙ってみる価値はある!)

 

 そしてスプリンターズステークスはその前週だ。

 両方なんて走れるわけがないんだから、この瞬間にオレの頭の中からスプリンターズステークスという選択肢は消えた。

 

「まして相手は、強敵だからな……二兎を追う余裕はない」

「そうだよねぇ……どっちかのマークに絞るべきだよね」

 

 あとは最大の問題として──どう出走させるか、だ。

 これが一番頭の痛いところ。これから票を集めようにもGⅠは残っていないし、重賞を一つ勝ったところで、ダイユウサクの人気が爆上がりするわけがない。

 

(これに関しては、いったいどうすれば……)

 

 有記念に出走したウマ娘達の姿が思い浮かぶ。

 古くは“消えて”伝説となった、オレも直接お会いした“あの方”。

 勝てはしなかったものの、オレのあこがれだった“初代国民的アイドルウマ娘”

 そして……その2代目ともいうべき──昨年、強烈な印象を残したオグリキャップ。

 

(オグリは2回勝っているからな。去年と、その前々年……)

 

 去年のレースではない方の、彼女が制したレースが頭に浮かぶ。

 あれもまた凄いレースだった。

 秋の天皇賞、ジャパンカップに続き、三度目の勝負となったタマモクロスとの激闘。そこにその年に菊花賞を制したスーパークリーク、さらにはディクタストライカが入り交じった四つ巴に……

 

(まぁ、クリークは斜行になったんだけどな。今年の天皇賞(秋)(アキテン)みたいに……ん?)

 

 今年のマックイーンと違い、後着制度が無かったのでクリークは失格になっている。

 そういえば、あのときの有記念、スーパークリークは確か……

 

「そうか! その手が、あったか……」

 

 一筋の光明が見えた気がした。

 確かにあの手を使えば──投票が集まらなくても、有記念に出走できる。

 もしもそれが得られれば、ダイユウサクでもいけるはずだ。

 

「あれ? どうしたの、トレーナー。なにかいい作戦でも思いついた?」

「ああ。ちょっとした思いつきだが──試す価値はある。ちょっと留守にするが……本来ならチームは休みなんだから、お前もちゃんと休めよ」

「う、うん……でも、それならボクも──」

 

 オレはミラクルバードをその場に残し、一目散に駆けだした。

 確認する相手は──理事長だ。

 アポこそ無いが、理事長室にいるのなら会うことは可能だろう。それでこれが可能かどうか確かめてやる。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そして、どうにか理事長に会えたオレは自分の考えを話した。

 驚いた様子だった理事長だけど、難色を示した。「さすがに金杯の一つだけでは……」と。

 だが興味を持ってくれたのも確かだった。

 そして、ある条件を示してきた。

 

「提案ッ! あのレース場のこけら落としを記念して開催されるレースに、盛り上げるためにも出走して欲しい。そして見事に勝てたのなら……私から彼女の名前を委員会に推挙しよう」

 

 1勝では無理でも、もう1勝すれば候補にすることはできる。

 そのためのレースを、理事長は指定してきたのだ。

 そしてオレに拒否する選択肢はない。二つ返事で引き受け──理事長室を後にする。

 

 

 そしてオレにはもう一つ──アイツの後顧を憂いなくするために、やらなければならないことがあった。

 




◆解説◆
【決意──】
・ここはシンプルなタイトルにしたかったのでこうなりました。
・バンブーメモリーの決意、ダイユウサクの決意、乾井トレーナーの決意が今回の肝なので。
・本当は「大英断」さえ余計に感じていたのですが、さすがにここで「大○○」シリーズを途切れさせるわけにはいかなかったので。
・逆に「大英断!」だけでもよかったかな、と。

トゥインクルシリーズから去っていった
・史実のバンブーメモリーが引退したのは91年のマイルチャンピオンシップ。
・GⅠになった初めてのスプリンターズステークス(1990年)を制す等、短距離~2000以下で活躍しました。
・91年の5月までは活躍していたのですが6月の2200メートルの宝塚記念の4着を最後に、CBC賞、毎日王冠、スワンステークス、マイルチャンピオンシップと得意の短距離~マイル戦にもかかわらず掲示板にのることなく低迷していました。
・ダイユウサクにとっては、重賞初挑戦になった89年高松宮杯(コスモドリームも出てたレース)で顔を合わせて以降、90年のCBC賞、天皇賞(秋)、91年スワンステークス、マイルチャンピオンシップと、重賞経験が少ないその中で、同期の中では数多くレースで顔を合わせた相手でした。
・それは本作でも同じで──彼女の引退は、ダイユウサクにとって本当にショックだったんだと思います。

阪神と朝日杯のジュニアステークス
・史実の阪神3歳牝馬ステークスと、朝日杯3歳ステークスのこと。
・現在は年齢換算方法が変わったのもあって、それぞれ阪神ジュベナイルフィリーズ、朝日杯フューチュリティステークスと名前を変えています。
・ゲーム版では現在表記のために問題無いのですが……シンデレラグレイでは高松宮杯など当時のレース名をつかっているので問題が。
・ウマ娘では3歳(現在でいえば2歳ですが)という表記も、牝馬という表記も使えないために、サクラチヨノオーやディクタストライカの紹介時にはこのような表記をしていました。
・ちなみに1991年の阪神3歳牝馬ステークスの開催日は12月1日、朝日杯3歳ステークスは12月8日でした。
・そして12月15日がスプリンターズステークス、12月22日が有馬記念になります。

あの方
・シンザン伝説の一つで、第10回有馬記念でのこと。ちなみにシンザンのラストランです。
・第4コーナーで逃げていたミハルカスがシンザンの末脚を殺すために荒れた内側を走らせようと、極端に大外──外ラチ付近にまで振ったのですが……
・シンザンはそのさらに外を回ってミハルカスをかわし、見事に制覇したのでした。
・つまりはゴルシワープの逆。
・小賢しい手を力でねじ伏せるこの勝ち方が、本当の本気でカッコよすぎるんです!
・あまりに外側ギリギリを走り過ぎたため、テレビカメラから見えなくなり、実況が「シンザンが消えた!」と叫んでいます。

クリークは斜行
・89年の有馬記念で、スーパークリークは3着入線していますが、メジロデュレンの進路妨害を取られて失格になっています。
・そのせいで4位入線だったサッカーボーイが3位に繰り上がり。本作はシンデレラグレイ準拠なのでサッカーボーイはディクタストライカ扱いですが。
・あ……そういえばシンデレラグレイがヤングジャンプでの連載で今まさに(2021年12月頭)やってるレースでした。ネタバレ……
・ちなみにアニメ1期の6話で描かれた、感謝祭のドーナツ早食い対決(タマモ、クリーク、オグリ)はこの89年の第33回有馬記念がモチーフになっており、クリークが反則負けしているのはそのせいです。
・この時のクリークは、まだキャラが固まっていなかったのか今のクリークとはだいぶイメージが違いますね。クリークと気付かないレベルです。


※次回の更新は12月4日の予定です。  



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第72R 大承允、 約束──

 
 もう明け方に近い時間──

 12月前とはいえ、この時期になれば夜から朝にかけては冷え込む。
 そのため吐く息は白く──疲れた私がついたため息も、白くその跡を残していた。

(まったく……イヤになるわね)

 この仕事が、楽しいと思ったことはない。
 好きでもない人に媚びを売って、お酌して、そして──イヤらしい目で見られて……
 遠慮なく体に触れてくるのは、嫌悪感さえ抱く。それが好みからかけ離れた中年のハゲ親父ならなおさらよ。
 もちろん、大人しくお酒を飲んで、楽しい話をしてくれる客もいるけどね。
 自分の夢を楽しげに語ったり──

『オレの夢は、皆に愛され、応援されるウマ娘を世に送り出すことだ。トゥインクルリーズを知らいような人でもそのウマ娘の名前は知っている、それくらいにみんなに愛されるウマ娘を──』

「──ッ」

 私の脳裏に浮かんだのは、この仕事を始めるよりももっともっと前の記憶。
 まだ私が輝いていたころ──ううん、輝く可能性があったころの話よ。
 あの人は競走ウマ娘だった当時の私のトレーナーになって──私が夢を尋ねたときに目を輝かせてそう言っていたわ。
 だから私もそうなろうと……一生懸命に私のためを思い、考え、努力してトレーニングを組んでくれる彼の気持ちに応えようとした。
 その姿に心惹かれた彼のために。

 でも──彼の夢は、私には重すぎた。

 彼のトレーニニングを受けるようになってしばらくして──学園内で他のウマ娘と競った。
 そこで現実を突きつけられたのよ。
 有名な親を持ったり、また才能に目を付けられて早くからもてはやされているようなウマ娘……ではない、学園でも中堅クラスの普通のウマ娘達。彼女たちと競ってさえ私は目立った成績を残せなかった。

(私は、ごく平凡なウマ娘でしかなかった……)

 “国民的アイドルウマ娘”という大きすぎる彼の目標を、私では達成できない。
 その崩しようがない事実を突きつけられて、私は完全に怖じ気付いた。
 彼の指導が熱心になればなるほど、劣等感にさいなまれ、私の心は萎縮して消極的になっていく。

(もしもデビューしたら、彼をガッカリさせる……)

 そう考えたら、とてもメイクデビュー戦なんてできなかった。
 だからこそ──負けて当然のレースでのデビューを、無茶と承知でワガママを言った。
 そして心のどこかで彼に止めて欲しかった。だって……私が負ける姿を彼に見せたくなかったから。

(でも──)

 私はデビューしてしまった。その無謀なレースで。
 当然の大後着。私の本当の実力が彼に知られてしまった。

(あの人は絶対に、失望する──)

 もしも夢を達成できないなら彼はどうする……私の次に担当する、別のウマ娘と“それ”を目指すだろう。
 それを私は耐えられなかった。
 それならいっそ、その夢を壊して──

「──よ。久しぶり、だな」
「え……?」

 思い浮かべていた彼の、リアルな声に私は少なからず驚いて──尻尾をピンと立てていた。
 気が付けば、場所は私のアパートのすぐ前にきていた。
 ジャンパー姿で少し寒そうにした彼が、軽く片手を挙げて、こっちを見ている。
 かつて私が中央トレセン学園にいたときの担当トレーナー。その彼が立っていた。
 もう会うはずもなく──今の私の姿を一番見られたくない相手。

「──ッ、アンタいったい、どうして……」
「春にトレセン学園にきたとき、受付で住所書いただろ、パーシング?」

 彼は苦笑を浮かべて私の疑問に答えた。
 確かに私は、今年の春にかつて所属したことのある中央トレセン学園に行った。

「ひょっとしたらウソを書いているかもしれない、とは思ったが……あのころのオレは担当がケガしてて暇があったからな。一応は確認していたんだよ」

 苦笑が少しだけ得意げなものになる。そんな表情も、私にとっては懐かしかった。
 学園を、競走界を逃げるように去ったこんな私だけど、それでも一度は志した道だもの。トゥインクルシリーズへの興味は持ち続けていたわ。
 そんな私が今年の初めのころに見たのは、京都の金杯を制したウマ娘が満面の笑みで表彰を受け──その傍らで笑顔を浮かべている彼の姿だった。

(正直、驚いたわ……)

 それは嫉妬だった。
 私以外の誰かと彼がその道を進むのを──許せなかった。
 だから私は彼の夢を壊そうとした。
 風の噂で、彼が担当を持てずに薫っているというのを聞いて、心のどこかでホッとしていたのに。

 ……心の別のどこかが痛んだけど。

 一時の心の満足のために背負った罪悪感。
 それがあのニュースで救われもしたけど……同時に嫉妬という(くら)い感情も再燃した。

 ──彼の成功を遠くから喜びたい。
 ──その成功を壊したい。

 相反する感情の中で葛藤して──つい私は二度と行くまいと心に決めていた中央トレセン学園に行ってしまった。
 門前払いされる、と思っていたのに「OGで、お世話になったトレーナーに挨拶がしたい」と言ったら意外とすんなり通れてしまった。
 敷地内で思い出の場所を巡り──我に返って、「私みたいのがここにいたらいけない」と思って帰ろうとした矢先……出会ってしまった。
 そして──彼の担当のウマ娘と、あんな約束をすることになってしまった。

「……疲れているのは分かるが、ちょっと話せないか?」

 彼は真剣な面もちで「頼む」と言ってきた。
 その彼の雰囲気を見て、私は断れなかった。



 

 オレはパーシングとともにファミレスに入った。

 金がないとかそういうわけじゃないぞ。こんな早朝に落ち着いて座って話ができるのは24時間営業のファミレスくらしかなかったからだ。

 やってきた店員を見てオレはパーシングに「何か食うか?」と尋ねたが、彼女は首を横に振った。

 ドリンクバーだけを頼むのに心が痛み、オレは軽く摘めるものを頼み──そしてパーシングと向き合う。

 改めて「久しぶりだな」という挨拶を言ったが、彼女は返してこなかった。

 

「……驚いたな」

 

 彼女の姿を見て、オレは思わずつぶやいてしまった。

 それを聞きとがめ、不機嫌そうだった彼女は余計に眉をひそめてしまう。

 

「なに? 私のことを笑いにきたわけ? どうしてもGⅠを勝てないからって──」

「違う。オレはお前の住所は知っていたが、仕事までは知らなかった」

 

 昨日の夜の、まだ早い時間にパーシングのアパートを訪ねたが、不在だった。

 すぐに仕事を終えて帰ってくるだろうと待っていたのだが……まさか深夜どころか早朝と言った方がいい時間に帰ってくるとは、完全に予想外だったが。

 帽子を目深に被って顔を隠していたが、その様子ですぐにわかった。

 

(なにしろ担当だったんだからな。間違えるはずない……)

 

 そんな彼女の帰宅時間や派手めの化粧から、彼女が何の仕事をしているのかを予想するのも容易だった。

 

「呆れた。じゃあ、こんな時間まで私の家を見張っていたってこと?」

「どうしても、話したいことがあったからな」

 

 オレが答えると、パーシングは深くため息を付いた。

 

「アンタが暇人なのは分かったけど、結局なにがしたいわけよ? 人の住所調べてまで……」

()()()()()()になるかもしれないと思ってたからな、一応、予防線を張っておいたのさ」

 

 パーシングは、正月の金杯の結果を見てトレセン学園にきている。

 ましてダイユウサクとの賭けもある。だからトゥインクルシリーズの結果はチェックしているだろうし、さっきの会話からもそれは明らかだ。

 そして、もしも勝てなければ……間違いなくダイユウサクが精神的に追い詰められていくのが分かっていたからこそ、彼女と接触できる準備だけはしていた。

 

「賢明ね。それくらいの慎重さが、私の時にあったらよかったのに……」

 

 その皮肉に、オレは言葉を返せなかった。

 いくら現実を見せるためだったとしても、彼女の心を傷つけるようなレースを選ぶべきではなく、強固に反対して止めるべきだったからな。

 だからオレは──無言でテーブルに手を付き、額をも付けんばかりに頭を下げて、そこで停止した。

 

「……なに? あのときのこと、今謝ろうっていうの?」

「それも、ある。すまなかった……」

 

 呆れた顔で睥睨してくるパーシング。

 しかしどんな表情をされようと、今日のオレは退くわけにはいかない。

 

「それと、お願いがある」

「お願い?」

「ああ……」

 

 オレはさらに頭を下げ──テーブルに額を完全に付けた。

 

「頼む。あのときのダイユウサクとの約束……あれを、反故にしてくれ」

「ダイユウサク……? ああ、アンタの担当しているウマ娘だっけ?」

「そうだ。今年中にアイツがGⅠをとれなかったらっていうあの約束を──」

 

「イヤよ」

 

 パーシングは食い気味にキッパリと言い放った。

 …………。

 正直、こうもあっさり、見事なまでに完全に断られるとは予想していなかったんだが……

 

「どうしてだ? あんな約束は──」

「あれは、あの小生意気なウマ娘が言い出したことでしょう? 勝てなかったらアタシの言うことをなんでも聞くって……あの小娘がGⅠを、トゥインクルシリーズをナメていただけじゃない」

「それは……」

 

 パーシングの指摘は的を得ていた。

 あんな大口をたたいておいて、秋ではまったく結果を出せていないんだから言い訳できない。

 オープンクラスになって三連勝し、重賞も制覇したし、次のレースも惜しかった。まさに絶好調だった。

 図に乗っていた、と指摘されても仕方がない。

 

「重賞をナメて痛い目を見た私が、なんで同じことをしてるあの娘を許さないといけないの? 同じ目に遭わせて──」

 

「──すまなかった」

 

 オレはもう一度、彼女に謝った。

 早朝のファミレスに少し大きめの声が響く。数少ない客の視線がこちらへ向くのが分かった。

 でも──オレはそれでも頭を下げたままの姿勢で止まっていた。

 

「あのときのオレは……完全に間違えていた」

「あのとき?」

「ああ。練習に身が入らなくなり、デビューさえしていなかったお前を無理にデビューさせてトゥインクルシリーズに引っ張り出したのは……最大の過ちだった」

「……なによ、今さら。あれは……」

「オレは、負けさせるつもりでレースに出させようとしちまった。そんなのはトレーナーが一番、やったらいけないことなのに……」

「あ、あれは私が──」

「負けて楽しい競技者なんていない。そして楽しくなければ……続けるモチベーションは上がらないよな」

 

 ましてそれが、デビュー戦でプライドを粉々に砕かれたのでは、なおさらだ。

 オレはもう一度「申し訳なかった」と謝った。

 その姿を見て……パーシングは驚き、そして戸惑っている様子だった。

 

「……謝ったって、もうあの頃には戻れない。だから、そんな謝罪は無意味よ」

「意味なら……ある」

 

 オレは頭を下げたまま、パーシングの言葉に答えた。

 

「今、オレが担当しているアイツは残り何レース走れるかわからない……だからこそ、アイツには余計なことを抱えて走らせたくはないんだ。余計なことを考えずに、ただ純粋にレースのことだけを考えて、走ることを楽しんで欲しいんだ」

「私ができなかった、それを?」

「そのとおりだ」

 

 再度、頭をグッと深く下げてテーブルに付ける。これが彼女を傷つけることは百も承知だが──それでも頼まないわけにはいかなかった。

 そして案の定、パーシングは呆れたように睥睨する。

 

「そんなの、アンタの自己満足でしょ? よく知りもしないウマ娘とアンタのそれに、どうして付き合わないといけないわけ?」

 

 その言葉に──オレは、ゆっくりと顔を上げた。

 オレの真剣な眼差しに、パーシングは気圧されたようで、顔を少し引く。

 

「お前とオレの因縁に、アイツを巻き込むな」

「そんなの、あの娘が勝手に入ってきただけでしょう? それに……もし私が約束を反故にして、どんな対価が得られるっていうのよ?」

 

 そう言ったパーシングに対しオレは──おもむろに上着の胸についたバッジを外してテーブルの、パーシングの前の位置にそれを置いた。

 

「トレーナー、バッジ……?」

 

 それを見てパーシングは驚き、うめくように呟く。

 

「いったい、どういうつもり?」

「お前の人生そのものだった競走に対する対価は、他の見ず知らずのウマ娘の競走生命なんかではなく……オレの人生であるべきだろ?」

「な……」

 

 オレは真剣な目でパーシングを正面から見据える。

 ひどく驚いた様子の彼女の視線は、オレの顔と目の前に置かれたバッジの間を揺れ動いていた。

 それも無理はない。中央(トゥインクルシリーズ)のトレーナー試験は超難関で知られている。

 このバッジを目指して、数多くの関係者が毎年試験に挑むも、その狭き門に阻まれて一人も合格者が出ない年もあるほど。

 かく言うオレも、死にものぐるいの努力でこれを手にした。今までのオレの人生そのものといってもいい。

 だから──オレに賭けられるものは、これしかなかった。

 

「ダイユウサクとの賭けはオレが引き継ぐ。もしもアイツが今年中にGⅠを取れなかったら……オレは、このバッジを外す」

「そ、そんなの、私にはなんのメリットも──」

「お前が目障りなのは、オレなんだろ? お前が諦めたのにオレがまだトレーナーやってるのが気にくわない。だからお前は金杯の結果を見てトレセン学園にやってきた──」

 

 その指摘に対してパーシングは言いよどみ、何も答えなかった。だからこそ、それが正解である何よりの証拠に、オレには思えた。

 

「お前が夢を諦めたように、オレも夢を諦める。ただし……アイツのことだけは見届けさせてくれ。その証拠にこれを──お前に預ける」

 

 オレは再度、「頼む」と言って頭を下げた。

 それに対しパーシングは心底面倒そうに頭を掻き──ため息混じりに「わかったわ」と答えた。

 そしてオレが差し出した対価(チップ)を気怠そうに掴んで立ち上がる。

 

「ま、どっちでもいいけど……アンタの顔を立ててあげるわ。去り際にアンタにかけた迷惑の借りもあるし」

「パーシング……」

「でも、それだけよ。もしも負けたら……アンタはトレーナーを辞める。約束が守られなかったら、今回の件もひっくるめて、有ること無いこと週刊誌にぶちまけてやるわ」

「心配するな。お前との約束を、これ以上は破らないさ」

 

 オレが言うと「ふん……」と鼻を鳴らして彼女は店の出口へと踵を返す。

 そして「つまらない話につきあったんだから、払いはアンタが持ちなさいよ」と言い残し、去っていった。

 

 

 オレは……大きく息を吐く。

 これで、いい。

 これでアイツは、余計なことを気にしないで走ることができるようになるはず。

 そしてもちろん、オレはパーシングと交わした、代わりの賭けのことをアイツに話すつもりはない。

 

 

 ……そんなオレが、パーシングが去りながら「そんなだから、あの女から奪ってやりたくなるのよ。アンタを……」と呟いていたことなど、気付くはずもなかった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「トレーナー、体調崩したんだって」

「え? それって……大丈夫なの?」

 

 チーム部屋で聞いたミラクルバード(コン助)の言葉に、アタシは驚いた。

 あのトレーナーが体調を崩すなんて……

 

「なんだか夜中に寒さ対策を怠ったまま外出してたみたいよ」

「まったく、大事な時期なのに……たるんでるんじゃないの?」

 

 アタシが大きくため息を付いて、「仕方ない。見舞いにでも……」と思っていると──

 

「あ、トレーナーからは大事な時期だから伝染(うつ)らないように、家には絶対にこないように、だって」

「ハァ? まったく自意識過剰もいいところね。こんな時期にそんなことしている暇なんてないんだから、いらない心配よ」

 

 今年のGⅠも残すところあと一戦走れるかどうか、といったところよ。アタシはそれに勝たないといけないんだから。

 

「来ても出る気もないし、そんな暇あったら寝て治すから絶対に来るな。いいか、絶対に来るなよ? 絶対だぞ……って電話で言ってたけど、コレって本当は来て欲しいのかな、やっぱり」

「うっさいし、ウザい。頼まれたって絶対に行かないわよ、こんなの」

 

 アタシはため息混じりに答えた。

 

「トレーナーからは、今まで通りの距離の練習を続けるように、って指示が出てたからね。ボクがキッチリ面倒を見るよ」

 

 そう言ってコン助は笑顔で親指を立てる。

 そっか。やっぱり……短距離か。

 アタシがこっそりため息を付くと、コン助はそれを見逃さなかった。

 

「あとはもう、スプリンターズステークスしかないからね」

「言われなくても分かってるわよ」

 

 アタシは改めて指摘されて、少しイライラしながらぶっきらぼうに答えた。

 

「打倒ダイイチルビー! 打倒ケイエスミラクル! 打倒ダイタクヘリオスッ!! アイツらに勝って、G1とってやるわよ!!」

 

 晩秋のトレセン学園に、アタシのやけっぱちな声が響きわたった。

 

 ──このときのアタシは、コン助ともども勘違いしていることにまだ気付いてなかった。

 




◆解説◆
【約束──】
・前回の「決意──」に対するタイトル。
・ちなみに「大承允」の「承允(しょういん)」とは「聞き入れて了承すること」です。

住所書いた
・意外と律儀なパーシング。
・身分証明書との整合性を気にしたともとれそうですが……
・確かに乾井トレーナーに関してヒドいウソをつきましたが、無考えにウソが出てくるような嘘つきではないので、ここで嘘を書こうとは思わなかったのです。

仕事
・トゥインクルシリーズで活躍できなかったパーシングは水商売──キャバクラ嬢をしています。
・“外見がよかった”ので人気はあるようですが、「走りたい」というウマ娘の本能的欲求を果たせずに鬱屈としているようです。
・デビューと引退の期間が短いという点では、メヒコギガンテも同じでしたが、彼女の場合は地道な長年の努力を理事長が見ていたので、引退後の仕事も手配してもらえたのですが……
・逃げるように飛び出したパーシングにはそれを求めることは不可能でした。
・結果を残せずに引退する他の多くのウマ娘も同じでしょうが、裕福な家の娘も多いようなので、そういう子たちは心配ないでしょう。
・貧しい家庭の中には、体を売るような娘も少なくないでしょうし、文字通り社会の“食いものにされる”ようなウマ娘もいたかもしれません。

中央(トゥインクルシリーズ)のトレーナー試験は超難関
・ヤングジャンプ52号に掲載のシンデレラグレイ第62Rでそれが描かれています。
・ミニーザレディ曰く、「T大行くような人でも合格は難しいらしい」そうなので。
・ということは、アニメやシングレ、ゲームで出てくるトレーナーはすべて頭がいいわけで……
・ゲームで出てくる名前有りトレーナーは桐生院と理事長代理なので、この二人は合格しそうです。
・シングレのトレーナーは中央にいけなかった北原 穣(キタハラジョーンズ)を含めた笠松組は対象外なので除外して、六平 銀次郎(フェアリーゴッドファーザー)奈瀬 文乃(王子様)、コミちゃん、ヤエノムテキのトレーナー、身長2メートルのディクタストライカのトレーナー……といったところ。
・やっぱり全員合格してそうだなぁ。
・六平さんやヤエノムテキトレ、奈瀬パパといった年齢が上のトレーナーは戦後の未整備なころにトレーナー資格を得ていそうな年代ですけどね。
・アニメは……東条ハナさんは普通に難なく合格してるイメージ。《カノープス》の南坂トレーナーも困り顔をしながらさらっと合格しそう。
・アニメの主人公ともいうべきスピカのトレーナーは、メチャクチャ勉強して苦労して合格したイメージですかね。
・謎なのは……ブルボン担当の黒沼トレーナー。あの格好で試験受けてそう。
・本作では後から知った設定なのでまったく意識していませんでしたが……地方に左遷(とば)された《カストル》トレーナーはせっかく苦労して手に入れた資格が無駄になったのは可哀想だと思います。
・やったことを考えれば仕方ないですけど。

体調を崩すなんて……
・まぁ、たしかにダイユサクは乾井トレーナーが丈夫なのをいいことに、気にせず掴みかかったり、鍋のフタを顔面に投げつけたり、いろいろやってますからね。
・病気になったり、怪我したりするのを想像できなかったのかもしれません。


※次回の更新は12月7日の予定です。  



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第73R 大奇策! 遠回りこそが最短の道

 
 私──メジロアルダンがマックイーンの様子がおかしいのに気が付いたのは、ジャパンカップが終わってからでした。
 ジャパンカップには私も出走しましたが──結果は、いいものをまったく残せませんでした。
 そして私の脚はもう……

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「これは……アルダンさんではありませんか」
「マックイーン……」

 ジャパンカップの数日後、ばったり学園で出くわしたマックイーンの周囲には、まるで取り巻きのように下の学年のウマ娘達がいました。
 見たこともない、メジロ家のものでもなんでもない、マックイーンにあこがれているウマ娘達のようです。
 そんな彼女を見て「おや?」と違和感を感じつつも、私は彼女に軽く会釈をしつつ苦笑気味に返したのです。

「この前のレースはどうも。お互い不本意な成績でしたが……」

 するとその言葉に、周囲の下級生が顔色を変えました。

「……お互い?」

 話に割って入られて戸惑いましたが、別のウマ娘は「クスクス……」と笑い出すものさえいます。
 そんな反応を訝しがっていると──

「マックイーン姉様は不本意な順位なんかではありませんわ!」

 顔色を変えたウマ娘が突然反論してきました。
 他のウマ娘達も「そうよ! そうよ!」と言い出します。

「順位は4位でも、前の3人は外国からの招待選手……日本のウマ娘の中ではトップでしたわ!!」
「え……?」

 私は戸惑います。それでマックイーンは本当に満足しているのか、と。
 そう思って彼女の顔を見ましたが──苦笑を浮かべながらも、彼女は「まぁまぁ」とそのウマ娘を宥めるだけでした。
 まさか……満更でもない、とでも思っているのでしょうか。

「今のマックイーン様に勝てる国内のウマ娘なんて、おりませんわ!」
「京都大賞典でのレコード勝ちを見れば、それはあきらか……」
「なんなら、もしもジャパンカップと期間が空いていれば、マイルチャンピオンシップだってとっていたのではありませんの? ダイタクヘリオスさんが取れるくらいですもの……」

 GⅠウマ娘は皆、(たゆ)まぬ努力と研鑽があったからこそその栄冠をつかむことができたのです。
 それに敬意をまったく払わないどころか、そのウマ娘の人格を否定するようなことまで……なんと無神経なのでしょう。

「でも、秋の天皇賞──」

 内心の激しい怒りを私がどうにか抑えて笑顔を取り繕い、それでも収まらずに一番言われたくないであろうことをポツリと言い掛けると──取り巻きがキッと睨みつけてきました。

「あんなのは、ただの言いがかりではありませんか!」
「6バ身も離した圧勝ですわ! 斜行なんてあってもなくても、結果は同じですわ!」
「むしろマックイーン様のために、道を譲るべきですのに!!」

 ……このウマ娘たちは、いったい何を言っているのでしょうか?
 あの斜行は、マックイーンの勝つ意識が強すぎてしまったために起こったことなのは私も理解しています。
 しかし間違いなく危険なものでした。
 転倒寸前の方もいましたし、あのレースでケガをしている方もいます。現にカミノクレッセさんはケガでジャパンカップと有記念を断念しているではないですか。
 彼女のことまで否定しようというのですか?

(マックイーン、貴方からもなにか……)

 そう思って彼女を見ましたが──やんわりと止めようとする彼女の姿に、愕然としました。

「なぜ……」

 以前の貴方なら、相手への敬意を忘れなかったはず。
 降着は悔しいでしょうが、それでも1位になったウマ娘を気遣うのを忘れなかったはずではありませんか。
 それが、どうしてこのようなことを許すのですか? 彼女たちをハッキリと止めないのですか!?

「………………っ」

 しかし、私も──なにも言えません。
 マックイーンへ言おうと口を開きかけましたが、私には言うことができませんでした。
 なぜなら私のジャパンカップの順位は──14位。

(このような、不甲斐ない私の言葉が彼女に届くわけがありません)

 私がどんなに真摯に訴えても、取り巻きの方達に「負け犬の遠吠え」と一笑に付されてしまうでしょう。
 彼女たちを止めないマックイーンがしっかり受け止めてくれるかも疑問が残ります。

(私がジャパンカップできちんと結果を残していれば……)

 秋の天皇賞のことで傷ついたマックイーンを、同じレースで競うことで励まそうと考えた私でしたが──私の脚は度重なる怪我によって、もはや私の思い描くようには動いてくれなくなっていたのです。

「有記念も、間違いなくマックイーン様のものですわ」
「国内で勝てるウマ娘などおりませんものね」
「なんならスプリンターズステークスを軽く勝ってから出走するくらいのほうが、ハンデがあって盛り上がるのではないでしょうか?」

 その「オホホホホ……」という笑い声も含めて、取り巻き達の言葉は私にとって聞くに耐えませんでした。

(あぁ、マックイーン……)

 彼女の心は誘惑に負けてしまったのですね。
 秋の天皇賞でのあの降着で傷ついた彼女は、外国勢にかなわなかったというジャパンカップからも目を背け──気持ちのいいことだけを言う小鳥のさえずりだけを聞き、自分を慰めているなんて。

(御婆様が見たら、なんと嘆かれることか……)

 次代のメジロ家を担う者、と私も期待していただけに、この光景が残念でなりません。
 そしてこんな彼女にしてしまった私が、情けなくて仕方ありません。

(このままでは、いけません)

 もしも、このまま有記念を勝ってしまったら──彼女は小さくまとまるようなことになってしまいます。
 それはメジロ家にとっては大きな損失……

(彼女にとって──いえ、メジロ家にとっては有記念で負けて一度、挫折を経験するべきかもしれません)

 たとえばプレクラスニー。
 彼女に負ければ秋の天皇賞の結果を受け入れざるを得なくなり、それにきちんと向き合うことになるでしょう。
 あとは、よもやの敗戦をするのもやむを得ない相手──

(──ではなく、むしろよもやの敗戦すら想像していない、あきらかな格下と見下しているような相手に負けること、でしょうか)

 去年の有を制したオグリキャップのような古豪相手や、例えば今回は怪我で出場できまないトウカイテイオーのような、逆に新進気鋭相手では「負けるのも仕方がない」と開き直られてしまいます。
 彼女と同世代以上の思わぬ伏兵に、言い訳できないほどに、完膚無きまでに倒されれば──秋の天皇賞やジャパンカップの敗戦にも真摯に向かい合ってくれることでしょう。

(でも、そんな相手なんて……)

 いるわけがない。
 そんな相手が勝てるようなウマ娘ではないのが、メジロマックイーンなのですから。
 私を敵視する取り巻きをやんわりと諫めながら「それでは……」と去っていくマックイーンを見ながら「どこかにそんなウマ娘がいないものでしょうか」と思わず呟いてしまいました。

 このままでは──メジロ家の未来は暗いものになりかねません。



 

「「え……?」」

 

 オレの言葉に、二人のウマ娘は心底呆れた顔をした。

 端的に言えば、「なに言ってんだ、コイツ?」という顔である。

 そうして訝しがるミラクルバードとダイユウサクは、眉をひそめ──

 

「今、なんて言ったの? トレーナー……」

「……次の、出走の話をしていたのよね?」

 

 ──と尋ねてきた。

 まったくもってその通りだ。ここはチームの部屋だし、ウソをつくような場所でもない。真面目なミーティングで冗談を言っても仕方ないからな。

 だからオレは正直に答える。

 

「ああ、次の出走は12月の最初の土曜日、と言ったんだぞ」

「……で、何ていうレースよ?」

阪神レース場新装記念

 

 オレが答えると、ミラクルバードは「ああ」と言いながら、「ポン」と手のひらを拳で叩いた。

 

「そういえば改修工事していて今年は使えなかったもんね。大阪杯とか朝日チャレンジカップとか……」

 

 大阪杯なのに京都……と誰かさんが文句を言っていたのを思い出す。

 一方、その誰かさん──オレが担当しているウマ娘のダイユウサクはジト目で見てきていた。

 

「……それって、GⅠ?」

「オイオイ、いかにもこんな一回こっきりしか開催しないような名前のレースが重賞なワケないだろ?」

 

 いやいや、まったくバカだなぁ、コイツは。

 苦笑しながらオレはキッパリ言ってやる。

 

「決まってるだろ。オープン特別だ」

「……オォォプン特別ぅ?」

 

 ジリジリとニジリ寄ってくるダイユウサクの姿に、オレは不穏な空気を感じ──たが、間に合わなかった。

 掴みかかってきた彼女にあっさりと捕らえられてしまう。

 胸ぐらを捕まれ、そのまま前後に揺さぶられるオレ。

 

「なぁに考えてんのよッ!!」

 

 噛みつかんばかりの勢いで迫るダイユウサク。

 いや、顔が近い! あまりの剣幕で気がついてないかもしれないが、ホントに近すぎるぞ。

 

「今年中にGⅠ取らないとアタシが引退しないといけないの、忘れたわけじゃないでしょうね!?」

 

 ああ、その話なら──

 オレが言おうとしたが、機先を制してダイユウサクが続ける。

 

「今年の残すGⅠでアタシが出られるのなんて、スプリンターズステークスしかないんだから、そこに全力を注がないといけないでしょ!?」

「ダイユウ先輩の言うとおりだよ。スプリンターズステークスの開催日は12月15日。その前週の土曜日に走るなんて……無茶だし、今さらオープン特別に出たところで……ところで、そのレースの距離って?」

「阪神の芝1600だ」

 

 オレの答えにダイユウサクとミラクルバードはますます呆れた様子になった。

 

「マイル戦なら前回走ってるわよ!! スプリンターズステークスと同じ1200を走るならともかく!!」

「そうだよ。オープン特別走るならこっちじゃないの? すずかけステークス……」

 

 レースの開催予定を見ながら、抗議するのはミラクルバードだ。

 彼女の言うすずかけステークスはスプリンターズステークスの2週前、12月1日に開催される中山の第8レース。開催地と距離がまったく一緒だから本番前の予行演習にちょうどいい──なんてことを言うとレースをなんだと思っているんだ、と怒られそうだが──のは間違いない。

 

「まぁ、確かに……ここまでいろいろ走ってきたが、中山で走ったこと無いもんな、お前」

 

 少し呆れ気味にオレはポツリと言った。

 ここまで30戦近く走ってきて、ダイユウサクは北海道の二つの他、中山レース場と小倉レース場を走ったことがなかった。

 まぁ、小倉に関してはそこで開催のはづき賞に、高松宮杯の直後にエントリーだけはしたが、結局は取り消して走らなかったという経緯がある。

 でも中山はエントリーすら無しだからな。

 

「東京を除けば一番近い中央のレース場なのになぁ……」

「アンタが今まで決めてたんでしょうが! 出るレースを!!」

 

 ますますヒートアップするダイユウサク。

 

「それを、なんで阪神の1600なのよ!? 勝つ気あるの!? それともひょっとして──」

 

 ダイユウサクはバッと身を退いて、肩を抱きすくめるように身を縮めながら、オレをドン引きした目で見る。

 

「アンタ、まさか……アタシを引退させてセクシー女優にして、その出演作を──」

「そんなわけあるかッ!!」

 

 外道じゃねぇか、そんなの!!

 本気でそんなことを疑うのなら……オレはかなりショックだぞ。そこまで信頼されていないだなんて。

 

「オレが、お前にそんなひどいこと、するワケないだろ?」

「うぅ……」

 

 怯えたような、そしてまだ少し疑うような目をしていたが、それでも彼女は躊躇いがちにうなずいた。

 それを確認して、オレはミラクルバードの方も見る。

 

「二人とも落ち着け。いろいろ説明が足りていないみたいだから……よく聞いてほしい」

 

 オレが言うと、ダイユウサクは一度立ち上がり、部屋の中にあったパイプ椅子に腰掛ける。そしてその横に、車椅子を漕いだミラクルバードが並んだ。

 どちらも困惑気味に、立ったままのオレを見上げるように見つめてきた。

 

「まずは……ダイユウサク、安心しろ。GⅠをとれなくてもお前が引退する必要はない。あの賭けを無効にするように、パーシングと話を付けてきた」

「え……?」

 

 ダイユウサクは驚いたようにオレを見つめてくる。

 それにオレは「大丈夫だ」と言ってうなずいた。

 

「そ、そんなの……勝手に、アタシとあの女の約束を──」

「ダイユウ先輩、トレーナーの気持ちもちゃんと考えて。先輩がレースに集中できる環境を整えてくれたんだから……ここは文句じゃなくて御礼を言うところだよ」

「う、それは、そうね……ありがと、トレーナー」

 

 反発しかけたダイユウサクだったが、ミラクルバードが上手いこと納めてくれて助かった。

 御礼を言いつつ頭を下げるダイユウサクを見つつ、ミラクルバードは何か言いたげにオレを見ている。

 アイツは勘が鋭いから、代わりになにか要求されているんじゃないか、と疑ってるな。

 だが──いや、だからこそオレはその視線に気付かない振りをした。

 

「で、あとお前ら二人ともしている勘違いなんだが……スプリンターズステークスには出ないぞ?」

 

「「──はい?」」

 

 さっきの、次走を発表したのと同じような反応をする二人。

 オレはそれに説明を加えた。

 

「スプリンターズステークスに出ても、短距離が得意でもないダイユウサクが、数少ない短距離GⅠレースを虎視眈々と狙うスプリンター達に勝てそうにないからな」

「……と、いうことは?」

 

 惚けたように、ダイユウサクがオレに尋ねてくる。

 しかしそこで……オレは次走のその先を話すのを躊躇った。

 ここでもしも言ってしまうと──もしも出走がかなわなかったときの落胆を大きくしてしまう。

 

「落ち着け。今のお前は……今年の勝ちが1勝しかないウマ娘だ。だからとりあえず次走の──阪神レース場新装記念特別に勝つんだ」

「それってまさか──」

 

 それでもダイユウサクの顔は、()()を察してパッと晴れ渡る。

 しかし──

 

「浮かれるな、ダイユウサク。現時点ではその可能性があるっていう小さな光でしかない」

 

 そうは言っても、アイツの目はそれを隠せないほどに輝いていた。

 

「記念レース、それも長いこと改装工事していた阪神レース場のこけら落としのレースだからな。これに勝てば注目を集められる。そうすれば……可能性は開ける」

「うん! 分かったわ!!」

 

 ダイユウサクの目が、変わっていた。

 今までの明らかに余裕が無く、そして勝たなければならないと追いつめられていたものから変化していた。

 それはまるで──トレーナーにしてくれとオレが言うきっかけになった、あの併せの時の楽しそうな目を彷彿とさせるものだった。

 

「今のお前なら──オープン特別なら間違いなく勝てる!!」

 

 オレの言葉に、ダイユウサクは力強くうなずいた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──12月7日

 

 新装された阪神レース場で、その記念レースが開催されようとしていた。

 その名もズバリ、阪神レース場新装記念。

 改装後の阪神レース場のこけら落とし……といういかにも、な名前だが、実はその前週にはGⅠの阪神ジュニアステークスが開催されていたので、ちょっと時機を逸した感がある。

 おまけに今日は土曜日。

 明日の日曜日には有記念の前哨戦、鳴尾記念が開催されるので、土曜日のうちにやってしまおう、というわけだ。

 もはや冬と言っていい12月の空は晴れ渡り、バ場の状態も良。

 日没まで1時間もないような午後3時40分に──そのレースの火蓋は切って落とされた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 今回のレース──阪神レース場新装特別という、微妙に長い名前のレースに出走した私は後方に位置して展開を伺っていました。

 

「うぅ……」

 

 伺う──なんて言えば格好は付きますけど、ホントのところは集団に入っていくのが怖かったから。

 だって、周囲を囲まれたら大変じゃないですか?

 どこからなにが飛んでくるか、まったく分かったもんじゃないんですから。

 それをトレーナーに言ったら、呆れた顔で「心配しすぎ」と苦笑されました。

 

(なんて呆れられるほど、私は臆病なわけでして……)

 

 そのとき、困り果てたトレーナーさんが、無意識に頭を掻くために挙げた手にさえ、私はビクッ!と驚いてしまいましたし。

 幼いころから変わらない、生まれついての臆病者。それが私なんです。

 カラスの鳴き声にビックリして大騒ぎをして笑われたり──

 

(でも、カラスの声とか不吉じゃないですか? 怖くありません!?)

 

 やたらと不気味ですし。

 それでもこうしてレースで走れるくらいには、少しは治ったわけですけどね。

 でも最近は不振続き。

 3月のレースで勝ってからは調子を落として──このレースは半年以上ぶりです。

 

(今日のレースはやや速め……)

 

 そんな久しぶりのレースで、このペースはちょっときつい。

 先頭を走ってるウマ娘は決して遅い訳じゃないのに、それでも集団が途切れなく続いている感じ。

 ああ、やだなぁ。こういうみんなが集まって走ってる感じは。

 囲まれかねないし、そうなると落ち着かなくなるし……

 案の定、4コーナーを曲がって直線に入るころには──大きな集団になって私の周囲は完全に囲まれていました。

 

「ああ、どうしよう……」

 

 こうなると本当に困る。

 前はふさがってるし、横ももちろんダメ。

 後ろに下がってる暇なんてないし……なんて、心の中でワタワタしてしまいます。

 そんな中、私がちらっと見た横を走るウマ娘のさらに外側を──颯爽と一人のウマ娘が走り抜けていくのが見えました。

 

「あれは──」

 

 長い栗毛をなびかせて、ただまっすぐ前を見つめて駆け抜けていく。

 その姿には他のウマ娘への怯えもなく、確固たる意志で道を切り開き、進んでいく。

 

『ステイジヒーロー追い込んできた! 外の方はどうだ? ダイユウサクか? ダイユウサクだ!!』

 

(ダイユウ、サク……?)

 

 あまり聞いたことのない名前だった。

 もちろん、秋のGⅠ戦線の中で開催されているこのレースだから、オープン特別にはGⅠ戦線で派手に活躍しているウマ娘は出てこないんだけど……

 

『一番外からツルマルミマタオー! 100メートル通過、しかしダイユウサク先頭!! ダイユウサク先頭!! ──ダイユウサクそのままゴール!!』

 

 私が集団に飲まれてなにもできないまま──レースは終わっていました。

 レースを制したのは、集団の中で私がなにもできないでいる間に、目を奪われたウマ娘──ダイユウサクさんでした。

 

「はぁ……今日も、ダメでした…………」

 

 いい結果を残せないままゴールするしかなかった私。立ち止まり、思わず俯いてしまいます。

 呼吸がわずかに整い──顔を上げると、そこには観客席の声援に応えている、勝ったウマ娘の姿が見えました。

 そしてトレーナーが近づいてくる気配。

 

「……大丈夫? ターキン」

「あ、はい……平気です。トレーナーさん」

 

 落ち込んでいた私の姿を見て、トレーナーさんはどこか故障したんじゃないか、と思ったのでしょうか。心配そうに声をかけてくださいました。

 私が答えると「それならいいけど……」と少しホッとした様子でしたし。

 それから私が見ていた方──勝ったウマ娘を見ました。

 

「……年始以来勝ってないウマ娘に負けるなんて、ちょっと悔しいね」

「そうだったんですか? あのウマ娘(ひと)……」

 

 二人でそのウマ娘を見ながら、アタシが問うとトレーナーはうなずきました。

 

「もうだいぶ前の話になるけど、今年の西の金杯を制したのは彼女。そこから勝っていなかったって話だから──」

「金杯を……」

 

 もしもそこを勝てたら──私も彼女みたいに強くなれるんでしょうか。

 そう思っていた私は、そのウマ娘が自分が強いとまったく思ってないなんて、思いもしませんでした。

 だって、あの勝ち方──圧倒的な末脚と集中力、そして勝利への執念を見せつけられたら、とてもそうは思えませんから。

 

 

 そうして私──レッツゴーターキンは、ダイユウサクというウマ娘に対して、興味を持ったのでした。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「──勝った」

 

 アタシは観客の声に応じて、阪神レース場の改装で新しくなった観客席(スタンド)へ手を振りながら、気持ちは次のレースに向いていた。

 トレーナーから言われていたのは──

 

『いいか。今回のレースはあくまで通過点だ。調整の照準はここが最高点には持ってこない。それより2週間後が最高になるように調整するからな』

 

 そう聞いていたけど、今のアタシの体はこれまでの……ううん、今年の秋にはそこまで至れなかった、去年の3連勝中と同じくらいに調子良く動く。

 

(トレーナー、調整ミスしてないでしょうね……)

 

 少しだけ不安は感じるけど──でもすぐにその不安を頭から打ち消す。

 彼を信じなくてどうするの?

 あの人が言うんだから、アタシには──これ以上がある。絶対に。

 

(あの人の言うとおりに勝った。これで人気投票も上がるはず……)

 

 そう信じて──人事を尽くしたアタシは、天命を待つより他になかった。

 




◆解説◆
【遠回りこそが最短の道】
・元ネタは『ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン』の台詞。
・ジャイロ・ツェペリから主役のジョニィ・ジョースターへLESSON5として残した最後の助言「1番の近道は遠回りだった」に続いて言った台詞──「遠回りこそが俺の最短の道だった」から。

カミノクレッセ
・同名の競走馬がモデルのウマ娘。
・マックイーンが秋の天皇賞でやらかした斜行の一番の精神的被害者がプレクラスニーなら、物理的被害者がカミノクレッセ。
・4歳(旧表記)2月にデビューし、前肢を構成する骨のトウ骨に不安があったため、負担の少ないダート戦を中心に走っていました。
・4戦目で初勝利したものの骨膜炎で秋まで休養。休養明けは条件瀬で活躍、準オープンにまで昇格。
・翌2月にオープン昇格するも降級制度によって一度準オープンになるも、6月に再昇級してオープンに。
・重賞初挑戦になった6月の札幌記念をメジロパーマーと競ったものの惜しくも0.2秒差の3位。次の重賞挑戦になった10月のブリーダーズゴールドカップを制して重賞初制覇し、その勢いのままにGⅠ天皇賞(秋)に挑戦。
・──その結果、4番入線の3着。
・そしてマックイーンの斜行の影響で脚に外傷を負ってしまい、ジャパンカップと有馬記念を回避することになりました。
・元々足が弱かった影響もあったのか、この後、慢性的に脚部不安を抱えるようになり脚に注射を何本も打って出走するような有り様に。
・それでも翌年の春は天皇賞(春)、安田記念、宝塚記念とGⅠを連戦し、すべて2着というシルバーコレクターぶりを発揮。
・よく考えると3200の天皇賞(春)と半分の距離しかない安田記念(1600)、その中間くらいの距離の宝塚記念(2200)ですべて2位というのはスゴいことで、適性幅の広さを感じさせます。
・その後は脚部不安で秋を全休。翌年に復帰するもやはり脚の不安で思うように結果が残せずに引退。
・脚の不安が無ければ……あの秋の天皇賞での外傷が無ければ、と思ってしまうほどの結果を残しました。

去っていくマックイーン
・ここのマックイーンの描写は非常に“らしくない”ことは書いてる人も十分承知しております。
・あの斜行で精神的に追い詰められた上にジャパンカップ4着でさらに追い詰められて、限界を迎えてしまった──という、ゲームのメインストーリー版やアニメ版とは違う、if版のマックイーンになっています。
・ゲームやアニメはチームメンバーに支えられて(アニメ版ではその辺りがマルっとすっ飛ばされているので推測ですが)乗り越えたのと違い、本作では取り巻きの甘い声に負けてしまっています。
・ですのでこのシーンのころのマックイーンは、ゲームやアニメのマックイーンというよりも、原案版の冷たい印象のマックイーンをイメージにしています。
・ここから、あのマックイーンに戻ることができるのでしょうか……

阪神レース場新装記念
・元になったレースは1991年12月7日に開催された阪神競馬場新装記念。
・なんと偶然にもこの話のアップした日も12月7日で合致してました!
・ウマ娘の世界では「競馬場」を「レース場」としているのでこのような名前に改称しました。
・ちなみに改装工事の竣工は11月30日。その翌日の12月1日からレースを開催しており、その日にGⅠの阪神3歳牝馬ステークスが開催されています。……慌ただしい。
・これを記念して毎年開催されるように……なるわけがなく、この一回きりの開催になったオープン特別のレースです。
・場所はもちろん阪神。芝の1600で開催され、当日の天候は晴れ。馬場も良でした。
・これを当然のように勝ちますが……実際には最重量のハンデを背負わされていたりしています。それでもこの年も連戦している重賞ではなく普通のオープン特別なら、横綱相撲で勝てるほどダイユウサクの実力は上がっていたのでした。
・もちろんこのレースに出走するというのは厩務員だった平田氏や熊沢騎手は完全に想定外で、てっきりスプリンターズステークスに挑戦するものだと思っていました。作中でダイユウサクとミラクルバードが驚いているのはそのオマージュです。
・そんな内藤調教師の奇手が、ダイユウサクの有馬記念への道を切り開くことになるのです。

中山はエントリーすら無し
・そうなんですよね。九州の小倉や北海道の函館・札幌は重賞も少ないのでまだわかりますが……
・まぁ、元ネタが関西馬ですからね。そうなるのも仕方がないかもしれません。
・そんなわけでビックリするほどこれまで中山に縁がなかったダイユウサク(と熊沢騎手)。
・それが後にあんな悲劇を生むことになるなんて……

鳴尾記念
・もともと阪神競馬場があった地名が鳴尾であり、その地名が入ったレース。
・同じような由来をもつレースに、目黒記念、根岸ステークス、関谷記念があります。
・1951年から始まったレースですが、その頃は春と秋の2回開催されていたそうですが3年後の1954年から年1回に変更。(()が無くなりました)
・そのため春に開催されていたのですが、1987年から突然12月開催に。……秋の開催無くしたのに。
・そのときの優勝馬がタマモクロスで、それまで準オープンでさえなかったにも関わらず重賞初制覇。そしてそこから覚醒し、重賞六連勝を達成しています。
・その後は1997年から3年間6月開催になった後、12月に戻り……2012年から再度6月開催になって、現在に至っています。
・距離の変遷もひどく、最初は2400でしたが1982年から2500メートルに伸び、1997年以降は2000メートル(2006年~2011年は1800)で開催されています。
・本作の元になっている1991年のころは12月開催の2400メートルということで有馬記念の前哨戦ともいうべきレースになっていました。
・1991年の鳴尾記念を制したのはナイスネイチャで、その後に有馬記念に出走しているのは、その順位も含めて皆さんよくご存じかと。

レッツゴーターキン
・本作オリジナルウマ娘で、元ネタは同名の競走馬。
・その名前の語感の良さから、書いている人は好きだった馬でした。
・1987年生まれの鹿毛の牡馬。マックイーンと同じ世代ですね。
・3歳(旧表記)12月にデビューするも、新馬戦で14頭中13着と惨敗。
・翌4月の4戦目で初勝利し、6月に2勝目。しかしその後は勝ちきれないレースが続く。
・明けて1991年。2月の小倉大賞典、3月の中京記念のGⅢレースで連勝。これで本格化か? と思いきや、次から2桁着やビリを含んだ7連敗。
・阪神競馬場新装記念もここに含まれ、作中には「レース直後で本人には分からないだろう」ということで書きませんでしたが、12着でした。
・なお、本作では金杯に興味を持っていますが、それは次走が92年の金杯(西)だからです。出走してこちらも12着でした。
・その後、翌年の4月の谷川岳ステークスで勝利。次走は13着でしたが、その次の6月のテレビ愛知賞の2着から連続で入賞、10月の福島民報杯での優勝を引っ提げて11月1日の天皇賞(秋)に出走しました。
・春の天皇賞を制したメジロマックイーンは怪我で不在とはいえ、休養明けのトウカイテイオーのほか、イクノディクタス、ナイスネイチャといったウマ娘になっている名馬はもちろん、ヤマニングローバル、ホワイトストーン、カリブソングといった実力馬が集結。
・そして始まったレースは、メジロパーマーとダイタクヘリオスが逃げるも、宝塚記念の制覇で警戒されていたのか、後続を引き離せずに不発。
・しかしそのハイペースの中、内で有力馬が死力を尽くして競う中、大外から差した伏兵レッツゴーターキンが秋の天皇賞を制したのでした。
・大外から一気に上がり、並み居る強豪を切り捨てたその末脚はすごいものがありました。
・ちなみにその後はジャパンカップ、有馬記念に出走して8着と4着。
・翌年の3月に出走した阪神大賞典で5着でしたが、そのレース中に負傷しており、そのまま引退しました。
・……いや~、今回の『阪神レース場新装記念』を書く際に、どう書こうか迷いながら「まさかこの時期のオープン特別に有名馬なんていないだろうな」と思っていたんですけど──ダイユウサク以外にもう一頭見つけたんですよね、知ってる名前を。
・まさかレッツゴーターキンが出走していたなんて、ホントにびっくりしました。
・本作での臆病な性格は、元ネタ競走馬がモデルになっています。カラスの鳴き声で大騒ぎしたり、騎乗者がムチを持ち替えただけで驚いたり、というエピソードから。
・なお──本作オリジナルとは言いましたが、レッツゴーターキンがモデルのウマ娘は実はアニメの2期に登場していたりします。
・2期6話の有馬記念のシーンで、ナイスネイチャがアップになるところ(11分03秒あたりから)で、ネイチャの後ろで走っているモブウマ娘が、順位的にレッツゴーターキン(がモデル)のウマ娘です。
・続く7話で天皇賞(秋)のシーンがあるけど、パーマーとヘリオスが惨敗した姿のみで勝ったターキンが全く映らないのは残念。


※次回の更新は12月10日の予定です。  



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第74R 大到達… 本当に、なんて遠い廻り道……

 
 ──12月15日 中山レース場

 (わたくし)──ダイイチルビーはレースの真っ最中でした。
 出走しているのは年末のGⅠのラスト前であり、今年の短距離最速を決めるスプリンターズステークス
 そこで(わたくし)は……

「走れ! ルビィィィィッ!!」

 起こったただならぬ事態の気配に、振り返りかけましたが──彼女の声で我に返って前へと向き直り、グッと足に力を込めました。

「キミにとってほしい、このレースを!! だから──」

 悲痛な声が後ろから聞こえました。
 その気持ちに──(わたくし)は応えなければならない。
 それがこのレースで、そして多くのレースを共にしたライバルの願いなのだから。

「せめて、せめてあの方の願いは──」

 加速することなく下がったあの方とは対照的に……いえ、あの方の力がわたしに宿ったかのように、ますます力が漲り──(わたくし)はグン!と一気に加速しました。

『さぁ、坂を上がって、今度は一気にかわした! 先頭はダイイチルビーだ!! ダイイチルビー、やはり強い!!』

 バンブーメモリーさんが引退してしまい、ダイユウサクという方は先週の阪神で開催されたよく分からないレースに出ていました。
 プレクラスニーさんと……そして、(わたくし)によく絡んできた、あの珍妙な言葉を使う方──ダイタクヘリオスさんは有記念に挑戦し……すっかり寂しくなってしまったスプリンターズステークス。
 その唯一の、(わたくし)が認めた相手の中の一人だった彼女が──レース途中で姿を消すなんて。

「だからこそ、勝たなければなりません!」

 それがあの方の願いであり──

「……『華麗なる一族』の名にかけて、絶対に──勝ちますわッ!!」

 一気に加速した(わたくし)は涙の雫を後方へ残し──ゴール板を一着で駆け抜けました。

『ダイイチルビー、ゴールイン!! ダイイチルビー、圧勝です!!』

 そして、その実況を背景(バック)(わたくし)は──

ケイエスミラクルさんッ!!」

 そのまま強引に、振り返りました。
 もちろん走ってきた後続は(わたくし)と目が合ってギョッとしますが──そんなことはどうでもいい!!
 ウイニングランさえも忘れ、走路(ターフ)に横たわる彼女の元へと一目散に駆け寄ります。
 その彼女は、立ち上がることさえできず……


 ……こうしてスプリンターズステークスを制した(わたくし)でしたが、心のどこかにぽっかりと穴が空いたようでした。
 (わたくし)と競った他の皆様がわたしとの勝負を避けるように去る中、残って勝負をしてくださったケイエスミラクルさん……彼女はこのケガが原因でトゥインクルシリーズを、学園を去ることになってしまったのですから。

 そんな彼女との競走が不完全燃焼に終わってしまい──(わたくし)は……完全に目標を見失ってしまいました。



 

「ミラクルって名前は縁起が悪いのかねぇ……」

「お前が言うと洒落にならん」

 

 オレのトレーナー室で新聞を見ていたミラクルバードがため息混じりにつぶやいたので、思わずツッコんでいた。

 スプリンターズステークスが、ダイイチルビーの優勝で幕を閉じた。

 とはいえ、ケイエスミラクルの故障という結果に、優勝者であるダイイチルビーはどこか不満顔で、知り合いでもある彼女のトレーナーは「元気がない」とひどく心配している様子だった。

 その様子を見て「どこか気晴らしにでも連れて行ってあげなさいよ」と言ったのは年代の近いトレーナー仲間の巽見だったが、はたしてどうしたのやら……

 

(ま、うちはそんな余所様を気にしている余裕なんて無いからな……)

 

 ひょっとしたら巽見ならその結果を知っているかも……と思って声をかけようとしたところで──部屋の電話が鳴った。

 オレの携帯ならともかく、部屋の備え付けのものが鳴ったのだから内線だろう。

 それを取ろうと手を伸ばし──

 

「あ……」

 

 オレがとる直前に受話器を取ったのはトレーナー室が相部屋になっている巽見だった。

 伸ばした手を気まずげに引っ込めていると、彼女は「はい」「はい……」と相手に何度か返事をしている。

 

(用件はオレじゃなくて巽見にだったか……)

 

 そう思ったオレがミラクルバードへと振り返ろうとしたとき、巽見は受話器を置いていた。

 うん? 随分と短かったな。

 

「あ~、先輩? 呼び出しだったんだけど……」

「お前が?」

「いいえ、先輩が。またまた理事長室に来い、だって。今度はなにをやらかしたの?」

 

 巽見に言われ、オレは戸惑う。

 

「オレかよ。しかし呼び出しとは……」

 

 しかし理事長を待たせるわけにはいかない。

 オレが席を立ち、出入口へ向かおうとすると──

 

「あ、そうそう……先輩だけじゃなくて《アクルックス》全員……研修生とオラシオンは除いた3人で来て欲しいって言ってたわよ?」

 

 巽見は「先輩達、チーム総出でなにやらかしたのよ」と少し呆れ気味にオレとミラクルバードを見ていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんなわけで、まだ半人前の2人を除いた《アクルックス》の3人──アタシとトレーナー、それにミラクルバード(コン助)──は理事長室に来たわ。

 ちょうどチームの部屋に向かっていたアタシは、トレーナーからの連絡でそこから直でこっちに来たわけだけど──

 

「……で、一体なんの件なの?」

「さぁ? 二人のことが学園にバレたんじゃないの?」

 

 理事長の机の前で3人横並びになって、理事長が話をするのを待っていた。

 事情がさっぱり分からず、言われるがままにここへ来たアタシは隣のコン助に小声で尋ねると、彼女もよく分かっていないようだった。

 テキトーな感じで答えた彼女に、じれったさを感じてしまう。

 

「二人のことってなによ?」

「ダイユウ先輩とトレーナーの不純異性交遊」

「ハァ!? そんなの事実無根──」

「──コホン!」

 

 思わず大きな声になったアタシを咎めて、理事長秘書が咳払いをする。

 彼女にジト目で見られ──アタシは気まずくなりながらも居住まいを正した。

 

「お前らな……理事長の前だぞ?」

 

 コン助とは逆の位置にいたトレーナーが呆れ気味の視線を向けてくる。

 むぅ……また理事長秘書(あの女)の前だからって──

 

「乾井トレーナーをはじめ、チーム《アクルックス》の皆様。お忙しいところ呼び出して申し訳ありませんでした」

 

 その理事長秘書がそう言うと、トレーナーは「そんなこと……」と謙遜する。

 イラッ……

 

「そうですね。忙しいんで早く用件をお願いしてもいいですか?」

「バカ! ダイユウサク、お前、失礼だぞ……」

 

 フン! 知らないわよ。怒るトレーナーにアタシはそっぽを向いてやったわ。

 そもそも理事長から《アクルックス》への通達って今までロクなものがなかったじゃないの。

 だいたいチーム存亡の問題で、そのせいでアタシ達が苦労することになって……

 まぁ、今回はトレーナーだけじゃなくてアタシ達も呼ばれているのが違うけど。

 横目でチラッと見ると、理事長秘書は困り顔で苦笑して、トレーナーは相変わらず少し怒ってるみたい。

 なによ、まったく。この、いい格好しいが──

 

「朗報ッ!! ダイユウサクもよく聞いて欲しい! 今回はキミ達にいい知らせがある!!」

 

 そんなアタシを見てか、理事長が話を始めた。

 そして彼女はアタシをジッと見つめてくる。

 ……なんだろう。体は小さいはずなのに、その何倍もの存在感と圧倒的な威厳を感じてしまう。

 その彼女はトコトコとアタシの前まで歩いてくる。そして──

 

「祝福ッ! おめでとう、ダイユウサク。今までのキミの努力がやっと評価された」

「え?」

 

 アタシが戸惑っていると、理事長はニッコリと笑みを浮かべた。

 

「キミの有記念への出走が決まったのだ」

 

 理事長、今、なんて──

 

「う、ウソ? そんなのウソよ! だって……アタシ、トレーナーに言われたとおり、阪神のオープンで勝ったけど、得票が伸びななかったもの! 全然足りてないし……」

「有記念に出走するには、ファン投票で選出される以外にも、方法があるんだ」

「え……?」

 

 隣で説明し始めたトレーナーを思わず振り向く。

 

「委員による推薦という枠があるのさ。一昨々年(さきおととし)、スーパークリークが有記念に出走したのを覚えているか?」

「ええ。オグリとかタマモ先輩も出てて……」

 

 一時は苦手意識を持っちゃった相手だけど、それでもクリークは同級生。当然覚えてるわ。

 それにあのときはオグリキャップとスパークリーク、それにディクタストライカの同級生三人が有記念に出走して活躍したから、ハッキリ覚えてる。

 

「あの時のスーパークリークは推薦枠での出走だったんだ」

「そうだったの!? クリークってば、あの年は菊花賞も制していたから投票が集まったんだと思ってた……」

 

 意外な事実にアタシは驚いていた。

 まぁ、当時はチームのことでゴタゴタしてたから、そういう事情を把握するどころじゃなかったし。

 

「マイルチャンピオンシップで勝てなかったときに、オレはそれにかけるしかないと思ったんだ。それで理事長にどうにか推薦してもらえないか、とお願いしにいったんだが……」

「うむ。とはいえ、あの時点でのダイユウサクの成績は、今年まだ一勝しかしていなかったので正直難しかったからな。だから他の委員を説き伏せる材料としてとりあえず一勝というのと、あとは阪神レース場の改装を記念したレースに出走するのを頼んだのだ。イベントレースを盛り上げたことでURAへの貢献を評価に加えようと考えて、な!」

 

 トレーナーから説明を引き継ぎ、腕を組んで「うんうん」とうなずく理事長。

 そしておもむろに取り出した扇子をバッと開く。そこには『天晴ッ!』の文字が書かれていた。

 

「賞賛ッ! キミはそれに見事に応えてくれた。だから私も委員会でがんばった。おかげで委員の推薦枠での出走が認められたのだ!」

「あ……ありがとう、ございます」

 

 思わず──涙が流れた。

 ここまで頑張ってきて……本当に、よかった。

 本当なら顔を上げて、キチンと御礼を言わないといけないのに、涙が溢れるせいで顔が上げられない。

 そんな俯いたアタシの頭に、ポンと軽く手を乗せるトレーナー。

 

「よかったな、ダイユウサク」

「な、なによ。そんなしたり顔で……だからトレーナーは、阪神レース場新装記念特別(あのレース)に出走させたのね」

「ああ。事前のマイルチャンピオンシップも悪くはなかった。だからマイル戦だったこれなら、いい結果を出せると思ってな」

 

 トレーナーは「あのメンバー相手にあれだけ戦えたんだから勝てないわけがない」と付け加える。

 そっか。ただ“勝てなかった”としか見ていなかったわけじゃないんだ。

 

「もう、トレーナーも意地が悪いよね。推薦狙いって黙ってるんだから」

「それについては悪かったと思っているが……なにしろ得られる確証がなかったからな。推薦の話をしていれば期待してただろ?」

「それは……」「そうだったかも」

 

 トレーナーの問いに、アタシとコン助は思わずうなずく。

 

「思わせぶりに期待させて、それでソワソワするくらいなら黙っていた方がいいと判断した」

「でも……投票が伸びてる様子が無いから、出走を半ば諦めていたんだけど?」

 

 アタシがジト目で睨むと、トレーナーは「そこはまぁ、結果オーライで」と苦笑する。

 正直、トレーナーはアタシ達に内緒で話を進めることが多々あるから、それに関しては思うところがないワケじゃないけど……まぁ、今回は彼の言うとおりかも。

 このうれしさの前には、どんなことも許せる気がするわ。

 

「──でも、出走が目標では困りますからね」

 

 アタシ達《アクルックス》が浮かれているのを危惧したのか、理事長秘書がクギを刺してくる。

 

「もちろんですよ! たづなさ──」

「フン!」

 

 調子良く笑顔で彼女に振り返ったアイツの足を、思いっきり踏んづけてやったわ。

 

「ぁ、か……お前、なぁ……」

「その人の言う通りよ。浮かれてないで、トレーニングしましょ」

「そうだねぇ、トレーナー」

 

 悶絶するトレーナーを見て、苦笑を浮かべるコン助。

 こうしてアタシ達は、今年最後の目標を──有記念に定めた。

 

 

 ……その推薦枠を得るために、どんな裏話があったのかを知らないままだったけど。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──話は少しだけ遡る。

 

「ダイユウサク、ですか……」

「学園理事長の御意見ですので、我々も尊重したいところですが……」

 

 年末のグランプリ、有記念の出走枠はファン投票によって選ばれる……のが原則だが、例外がある。

 委員による推薦枠というものがあり、ここはそれを決める場だった。

 一昨々年の有記念ではスーパークリークが推薦枠に選ばれ、そして好走していた。

 

(まぁ、進路妨害で失格になってしまったのは惜しかったが……)

 

 その推薦枠を決める会議で、私──中央トレセン学園の理事長である秋川やよいは心の中でそっとため息をついた。

 

(好走は良かったが、失格はちょっとイメージが悪い。推薦枠で選ばれた者が妨害してしまっては、推薦枠の存在を危うくしかねないし……)

 

 そして今回、私は──推薦枠にダイユウサクを、と提案したのだ。

 これは、ダイユウサクの担当である乾井(いぬい)トレーナーから「どうすればダイユウサクは推薦を得られるか」と問われたのがきっかけだった。

 今まで、乾井トレーナーは何度も迷惑をかけているし、その逆境をはね除けてきた者達でもある。

 

(慧眼ッ! やはり、私の目に狂いはなかったのだ!!)

 

 迷惑をかけてしまった手前、私も協力するのにやぶさかではなかった。

 なによりウマ娘のために一生懸命になれる彼を好ましく思っている。

 ……………………いや、今回の件はそういった私的な感情とは一切関係ないぞ?

 

「──あの、理事長? どうしました?」

「え……?」

 

 気が付けば、委員達の視線が私に集中していた。

 いつの間にやら私の発言待ちになっていたらしい。

 

「と、と・に・か・く! 私の目から見ても、ダイユウサクというウマ娘は出走に値すると思っている!!」

「しかし、お言葉ですが理事長、彼女の成績は……」

「7戦して2勝。2着1回、4着1回、5着2回ですからなぁ」

「要約ッ! つまり掲示板を外したのはたった1回ではないか!」

 

 私が反論するが──周囲の反応は芳しくない。

 

「しかし、その2勝はオープン特別とGⅢですよ? GⅢのメンバーもレベルが高かったかと言われれば……」

「そうですなぁ」

「しかし他のウマ娘も、抜きんでて成績を収めているものはいないではないか!」

 

 今年は図抜けて活躍したウマ娘があまりいない。GⅠを勝ったウマ娘が分散しているのもそれを顕している。

 2勝しているウマ娘もいるのだが──その二人は皐月賞とダービーのトウカイテイオーと、安田記念とスプリングステークスのダイイチルビー。

 

(テイオーは負傷中。ルビーは短距離走者(スプリンター)。有記念はどちらも出てこない……)

 

 そしてテイオーもだが、候補となるほどの成績を残したウマ娘の中で負傷して出走できない者が多いのだ。

 テイオーが逃したクラシック三冠の残る一冠、菊花賞をとったレオダーバンも負傷が発覚。菊花賞2着のイブキマイカグラも脚部不安で同じく不参加。

 秋の天皇賞を好走したカミノクレッセも負傷の影響でジャパンカップを回避しており、有も厳しい……

 

「まぁ、今年の有記念は……メジロマックイーンがどう勝つか、と言ったところでしょうなぁ」

 

 私の指摘を受けて、委員の一人が苦笑しながらそう言った。

 彼も分かっているのだ。今回の有記念は層が薄くなってしまうことを。

 

「だからといって、出走メンバーの質を下げるわけにはいきませんぞ」

「その通り! ダイユウサク()()のウマ娘の出走を認めれば、有記念のレースとしての格が落ちるというものですな」

 

 その言葉に、私は思わずカッとなり──

 

「不遜ッ!! 今の発言は、絶対に許せないものだ! 取り消してもらおう!!」

 

 ──その場で立ち上がり、机をダンッ!と叩きながら叫んでいた。

 委員の皆が驚いた様子で私を見つめ、秘書のたづなも「理事長……」と呆然としている。

 しかしなんと言われようと、今の発言だけは許すわけにはいかんのだ。

 

「“Eclipse first, the rest nowhere.(唯一抜きんでて並ぶものなし)”、学園に所属するウマ娘達は、皆等しくこの校訓の下で研鑽に励み、上を目指している。努力する者を侮辱するような言葉は決して容認できん!!」

 

 私が委員達を睨みながら言うと、剣幕に押されて彼らはたじろいだ。

 ましてダイユウサクは……入学当初はとても学園内のレベルについていけるように見えなかったウマ娘だった。

 しかしそれを努力し、ここまで走り続けてきたのである。彼女の苦労を笑う者を、私は決して許しはしない。

 

「……しかし理事長。ダイユウサクのトレーナーは、“()()”乾井トレーナーだそうじゃないですか」

 

 反論とばかりに、一人の理事がそう言った。

 

「私は忘れもしませんよ。クラシックレースへの登竜門とも言うべき重要な重賞レースである弥生賞に、未出走のウマ娘を出走させた。そして20秒を越えるようなタイムオーバーをさせたトレーナーこそ、(くだん)の乾井ではないですか!」

「う……」

 

 ここで、それを持ち出してくるか……

 

「ダイユウサクも、デビューから2戦続けてタイムオーバー、しかも最初は13秒というありえないようなものです」

「そ、それは前のチームに所属していたときのものだ! 彼……乾井トレーナーが担当してからはそんなことはないし、それだって何年も前のこと! 今のダイユウサクはそんなことはない!」

「無論、タイムオーバーするとは言っておりません。しかし……年齢的にもオグリキャップと同世代の彼女が、今さらマックイーン相手に戦えるでしょうかね?」

 

 ため息混じりにその理事は言う。

 

「出走して醜態を晒すようでは、推薦した我々委員の立場というものがなくなる。推薦枠である以上は、記念出走では困るのですよ」

「そ、そんなことはない! 彼女なら、あの乾井トレーナーの育てた彼女なら──」

「ふむ、理事長はずいぶんと、その乾井クンの肩を持つのですね。聞けば彼のチームも理事長の肝いりだとか……」

「なッ!? それはまるで、私が乾井トレーナーに特別な感情を持って、優遇しているようではないか!!」

 

 私が反論するが──委員達は意味深な笑みを浮かべ、「やれやれ仕方ないですね」といった表情になっている。

 く……、いかん! このままでは却下されてしまう。

 いったいどうしたものか──

 

「──ふむ。私はそうは思いませんが?」

「「え……?」」

 

 私とたづなの声が重なる。

 そして他の委員達も同じように、驚いた様子でその発言をした者を見ていた。

 ここにいる男達の中では若手の部類に入る彼は──眼鏡のブリッジに人差し指を当てて押し上げた。

 

「ダイユウサクへの推薦。私は面白いと思いますよ」

「面白い、ですか。黒岩理事……」

「ええ」

 

 そう言って頷いた──私の推薦案に賛成したのは、意外にも黒岩理事だった。

 今までチーム数の削減や、1チームに1人オープンクラスの所属を義務づけるといった件で私と対立してきた相手である。

 戸惑う委員をよそに、黒岩理事は平然とうなずく。

 彼らがそういう反応をするのも無理はないだろう。ことごとく対立してきた彼が、今日に限っては助け船を出しているのだから。

 

「さて……理事長があのトレーナーにどのような感情を抱いているか、ということには私は一切興味がない」

「う……」

 

 なにもわざわざそんなことを言わなくとも……やっぱり彼は意地悪だ。

 私はむくれると、たづながたしなめるような視線を送ってくる。むぅ……

 

「私は理事長がそこまで私情を挟むような人ではない、と信じております」

 

 そう言いながらチラッと視線を向けてくる。

 ……信じていないではないか。

 

「ですので、その前提で話させていただきますが……確かにあのダイユウサクというウマ娘は、デビュー当時はヒドいものでした」

 

 レース結果も酷ければ、体調不良でウイニングライブをすっぽかし、どうにか勝ったかと思えばセンターで大号泣ライブ。コンテンツ担当としては頭が痛かった、と彼は言った。

 さらには入学時、明らかに他のウマ娘よりも体格が劣っており、そもそものデビューが他の同期達がラシックレースを競うのさえほぼ終わっていたような時期。

 そんな内容で黒岩理事は、ダイユウサクのデビュー当時のことを他の委員に説明した。

 それを聞き、最初に反対した委員は「それ見たことか」と言わんばかりにうなずいている。

 

「そんな彼女が……諦めずに苦難に立ち向かい、成長し、多くのレースで結果を残し……そしてようやく有記念に出走するという話になるまでなったんです。それはドラマ性があるものだとは思いませんか?」

「はい?」

 

 私を含めてピンとこない面々に対し、黒岩理事は付け加えた。

 

「ドン底のスタートから這い上がった彼女が、有記念というウマ娘の誰もがあこがれる舞台へ挑戦する……これを見て、トゥインクルシリーズにあこがれる幼いウマ娘達はどう思うでしょうか? 若手のウマ娘達はどう思うでしょうか?」

「と、言いますと?」

 

 問い返した委員を見て、彼は言う。

 

「“努力は報われる”……そう信じられるのではないでしょうか? その体現者が有記念に挑戦するのですから、ウマ娘達に希望を与えることになる。そしてそれが──委員の“推薦”で出走したとなれば……」

「……我々、委員は“努力している者を応援している”というメッセージになる」

「その通りです」

 

 別の委員の言葉に、我が意を得たりと黒岩理事は頷いた。

 

「し、しかしだね、黒岩君。そうは言っても、やはり彼女はメジロマックイーンを相手に“恥ずかしくない競走(レース)”ができるのかね? それにトレーナーへの不審は拭えないし、そもそも彼女の制した重賞だって年始のGⅢ、金杯……ほとんど去年みたいなものじゃないか?」

「──今年は今年です」

 

 苦し紛れの反論に、黒岩理事はピシャリと言い放つ。

 

「いくら年始のレースだとはいえ、正当に評価しなければ、東西の金杯は無意味で無価値なレースになってしまうのではないでしょうか? 今年のレース結果を昨年開催の有記念で加味することはどうあってもできません」

 

 反論した委員を彼がジロリと睥睨しながら言うと、その委員も思わず黙り込んだ。

 

「金杯を制した評価が、年末まで有効であるのをハッキリと示す……そう言う意味でもダイユウサクへの推薦に私は賛成します」

 

 ふむ……………………黒岩理事、実はいいヤツなのでは?

 

「……理事長。理事長!」

「ッ! コホン! うむ、私も黒岩理事の考えに賛成するぞ!」

「むしろ私が理事長の意見に賛成したのですが……」

「う、うむ! そういうわけだ!! ダイユウサクへの推薦──他の皆はどう思う? 賛成してくれないだろうか……」

 

 私があらためて尋ねて決をとるまでもなく──すでにその推薦枠は決定したような流れになっていた。

 黒岩理事が賛成してくれたおかげで、ダイユウサクへの推薦枠は私の感情によるところではなく、理路整然とした理由が補足されたおかげだった。

 それが正式に決まって私はホッと息を吐く。

 

(安堵……ッ 乾井トレーナーには苦労をかけっぱなしだったから、やっと報いることができたな。さぞ喜んでくれるだろう……)

 

 彼の嬉しそうな笑顔を思い浮かべ──

 

「理事長」

「ぬぁッ!? な、なななななんでもない!! 私は公私混同など……」

「それに関しては興味がないと先ほど申し上げましたが?」

 

 落ち着いてよく見てみれば、先ほど協力してくれた黒岩理事だった。

 私は「コホン」と咳払いをしてから──

 

「感謝ッ! 先ほどはありがとう。助かった」

「いえ……別に理事長に恩を売ったわけではありませんから。ただ……貴方ではなく別の者への昔の借りを、一つ返しただけです」

 

 そう言って黒岩理事は、意外なことに楽しそうに苦笑を浮かべた。

 

「借り?」

「ええ。それを彼が覚えているか、また返したことさえ気が付くかどうか、わかりませんがね」

 

 彼は眼鏡をクイっと押し上げながら口の端をニヤリと歪め、意味深な笑みを浮かべたのであった。

 

 




◆解説◆
【本当に、なんて遠い廻り道……】
・元ネタは前回に引き続き、『ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン』の台詞。
・前話のジャイロ・ツェペリの言葉に対となる、主役のジョニィ・ジョースターの台詞──
  「『LESSON5』はこのために… 本当に本当に なんて遠い廻り道………」
──からとなります。
・しかし……私的な感想になりますが、旧作を「もっとキチンと書きたいからリメイクしよう」と思ってから始めて──やっとここまできたか、と思ってしまいます。
・ここまで本当に長かったなぁ……寄り道廻り道しまくったからなぁ……

スプリンターズステークス
・元になったレースは、1991年12月15日に開催の第25回スプリングステークス。
・スプリンターズステークスは1967年に、当時は4歳(旧表記)以上の馬が出走できる中央競馬で唯一のスプリント重賞としてはじまりました。
・1984年のグレード制導入で最初はGⅢに制定されたものの、1987年にGⅡ、1990年にはGⅠと、あれよあれよという間に出世しました。
・開催は中山で、距離はもちろん短距離の1200メートルで開催。
・ただし、1988年の第22回のみ、東京開催で1400での開催になっています。
・2002年と2014年も代替開催になったのですが、普段GⅠが開催されない新潟での開催になっており、距離も1200で変更はありませんでした。
・なお最初は7月開催で始まったのですが、翌年が5月、その翌年が9月と安定しませんでした。
・その第3回(1969年)から10年ちかくの間は9月~10月開催で安定しましたが、1981年から今度は2月から3月の開催に変更。
・1990年のGⅠ昇格で、12月に変更。有馬記念の前週になりました。なお、GⅠになって最初に制したのはバンブーメモリーです。
・2000年から、以前に解説したように同じ秋競馬でも最初の方へと移籍。9月末から10月のはじめに開催されるようになりました。
・GⅠに上がった1990年のバンブーメモリーから1995年のヒシアケボノまで、ウマ娘実装済みの馬が並ぶのですが、1991年のダイイチルビーだけ未実装なんです。
・有馬記念も1988年から1995年の優勝馬が、1991年だけ実装してないんですよねぇ。
・ウマ娘の制作陣は1991年に恨みでも……ハッ! まさかあの年の天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念を連続で外したとか。

ケイエスミラクル
・68話で一度解説しましたが、その後半。
・ケイエスミラクルはアメリカ生まれ。年上のはずのダイイチルビーを呼び捨てどころか愛称呼びなのはそのせいです。
・というように、父馬ももちろんアメリカ。そんなスタッツブラックホークはアメリカで一般競走を3勝しただけの下級競走馬という優良では無い血統もさることながら──
 ①生まれながらにして日本脳炎を疾患しており、それを見事に克服。
 ②デビュー直前に見舞われた重大な足元の故障も克服。
なんてデビューすることでさえ奇跡のような困難に2度も遭い、それを乗り越えたことから冠名「ケイエス」+「ミラクル(奇跡)」から名付けられたものです。
・というように、体があまり丈夫な馬ではありませんでした。
・1991年にデビューしたケイエスミラクルはスワンステークス制覇を含めてその年を苛烈に駆け抜け、マイルチャンピオンシップ3着で休養に入る予定だったのですが……その3位という好結果に馬主がスプリンターズステークスへの出走を希望したため、出走することに。
・しかし……ケイエスミラクルの体は、それに耐えきることができませんでした。
・第4コーナーを超え、最後の直線で限界を迎え──故障が発生して競走中止。
・診断の結果、左第一趾骨粉砕骨折と判明。予後不良と判断されました。
・当初の予定通り、マイルチャンピオンシップで休養に入っていれば……と思わざるをえません。翌年の安田記念やマイルチャンピオンシップ、スプリンターズステークスを狙えたかもしれません。

推薦
・有馬記念の出走枠は、人気投票と成績の他に、日本中央競馬会から推薦馬という枠がありました。
・しかし、1995年まではその制度があったのですが以降は廃止されており、現在はその枠はありません。
・制度が無くなって久しいので、過去にどんな馬が推薦されたのか調べたんですが、ちょっとわかりませんでした。
・1988年のスーパークリークに関しては、シンデレラグレイで推薦出走が言及されていたのでわかったのですが……
・廃止の理由が“形骸化”だそうなので、やはりあまりいい結果を残せなかったことが多かったのでしょうかね。

GⅠを勝ったウマ娘が分散
・1991年のGⅠレースの結果ですが……
 ○桜花賞     :シスタートウショウ (4番人気  5.3倍)
 ○皐月賞     :トウカイテイオー  (1番人気  2.1倍)
 ○天皇賞(春)  :メジロマックイーン (1番人気  1.7倍)
 ○安田記念    :ダイイチルビー   (2番人気  5.7倍)
 ○優駿牝馬(オークス)    :イソノルーブル   (4番人気  12.1倍)
 ○東京優駿(ダービー)    :トウカイテイオー  (1番人気  1.6倍)
 ○宝塚記念    :メジロライアン   (2番人気  4.1倍)
 ○天皇賞(秋)  :プレクラスニー   (3番人気  8.7倍)
 ○菊花賞     :レオダーバン    (3番人気  5.6倍)
 ○エリザベス女王杯:リンデンリリー   (1番人気  2.4倍)
 ○マイルチャンピオンシップ :ダイタクヘリオス  (4番人気  11.8倍)
 ○ジャパンカップ :ゴールデンフェザント(7番人気  18.2倍)
 ○阪神3歳牝馬S :ニシノフラワー   (1番人気  1.9倍)
 ○朝日杯3歳S  :ミホノブルボン   (1番人気  1.5倍)
 ○スプリンターズS:ダイイチルビー   (2番人気  3.0倍)
 ○有馬記念    :          (14番人気 137.9倍)
となります。古馬クラスの複数冠はダイイチルビーのみ。
・なおオークスを制したイソノルーブルは、その前の桜花賞でスタート10分前に落鉄が判明して打ち直した事件がありました。アニメ2期の天皇賞(春)でマックイーンの落鉄の時に言われていたのがこのことです。
・それ以外に気になったので加えたのですが、意外と波乱がないんですよね。4番人気くらいでほぼ納まってます。
・ジャパンカップの7番人気がありますが、これは招待レースで外国馬が勝っているので仕方ないでしょう。
・だから単勝オッズも1桁が多く、異常に高いのが無い。
・…………年末の()()を除けば、ね。

ダイユウサク()()のウマ娘の出走を認めれば、有記念のレースとしての格が落ちる
・実際に、ダイユウサクへの推薦は委員でも反対されたという経緯があります。
・そのときに主張として出てきたのがこの言葉。
・仮にも重賞戦線を走りぬいてきた競走馬への言葉としては、あまりにひどいものです。
・え~、でも出走表に名を連ねているのを見ても……オースミシャダイとかオサイチジョージは91年はほとんど活躍してないし、プリンスシンだって秋はマイルチャンピオンシップのみ(4位)で春のGⅡ含めた3連勝だって、他は条件戦じゃないですかー。
・そんな出走メンバーなのに、なんでダイユウサク(マイルチャンピオンシップ5位)だけ狙い撃ちでディスられたんだろう……
・やっぱりアレか。デビュー2戦連続タイムオーバー負けがまだ響いてるのか!?


※次回の更新は12月13日の予定です。  



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第75R 大光明! 夢の限界領域

 
 ──その日、オレは夢を見た。
 推薦がもらえるかわからず、出走できるかできないかを毎日悶々としていたために、最近は眠りが浅かったのかもしれない。
 それが解消して、久しぶりに深い眠りにつけたから──あんな夢をみたのだろうか。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 場所は中山レース場。そして時期は年末だった。
 …………ただし、中山レース場ではなく『中山()()場』なんて書いてあったが。

(馬? 競馬場って……なんだ?)

 疑問が浮かぶが、とりあえず見た目は中山レース場にそっくりだったし、そこの空気もまさにそのまま。
 なにより年末に行われるレースも有()記念──ん? やっぱり違和感がある。

(字、間違えてないか? 有記念だろ……汚れでそう見えるのか?)

 とにかく、その建物の入口にいたオレは、一般客の流れにのって、そのまま中に入った。
 そして誰が出走するのかと思い、途中で新聞を買ったんだが……

「え……、ダイユウサク?」

 その新聞には5枠8番のところにダイユウサクの名前があった。

(オイオイ、アイツの担当はオレだぞ? そうだ、有記念じゃねえか!! こんなことをしている場合じゃない……)

 そう思って踵を返そうとした。こんな一般客用じゃなくて、関係者用から入らないといけなかったんだから。
 が──その新聞を見ていて、ふと気になる項目があった。

「なんだ、この数字……」

 見たことのある名前が連なっている出走メンバー。名前やら色々なデータが書いてあるのだが、いつもと違う理解できない内容があり、特に気になったのがその数字だった。
 本命を示す“◎”が集中しているメジロマックイーン。
 そしてまったく印がないダイユウサク。
 それは分かる。見慣れた印だからな。実績の違いを考えればその評価も理解できる。。
 しかし、その数字に関してはメジロマックイーンのその数字は“1.7”と低く、それに比べてダイユウサクは“137.9”と極端に大きい。

(この数字、小さい方がいいのか? ということは何かの経過タイム? いや……いくらなんでもマックイーンよりも約80倍以上も時間がかかるようなことはないぞ)

 妙に気になる数字をオレが気にしていると──

「おや、兄ちゃん、新聞の見方も分からねぇのか? さてはアンタ……シロウトだな?」
「な!? そんなことはない、オレは……」
「無理すんなって、俺が教えてやるよ。最初はみんなビギナーなんだからな」

 なんか、やたらと馴れ馴れしいオッサンが、バシバシとオレの背中を叩いてきた。
 う~ん……この人、なんか見慣れたトゥインクルシリーズの客層と合っていないような気がして違和感がある。
 こんな競輪やら競艇、オートレースにしか興味なさそうなオッサンが、トゥインクルシリーズファンだとはなぁ……客層も広くなったもんだ。

「で、なにを気にしていたんだ?」
「この数字がそれぞれだいぶ差があるというか……マックイーンのほか5人が一桁台なのに、あとは軒並み二桁。ダイユウサクともう1人が三桁台にまでなっていて……」
「ああ。お前さん、この数字を気にするとは、シロウトの割にはしっかりしてんなぁ」

 オッサンは豪快にガハハと笑う。

「オッズだよ、オッズ!」

 んん? なんか聞き捨てならないような単語が聞こえたが……

「オッズ? ……倍率? え? ってことは……」

 これって、それこそ競艇やオートレースみたいな──

「ダメだろこれは!?」
「オイ、兄ちゃん。いきなりどうした?」
「いや、だって……ウマ娘のレースを賭博にするなんて」
「ウマ娘? アンタ、何言ってんだ? それにさっきも、“1人”とか言ってたが、1頭だろ、数えるなら」
(とう)!? オイオイ、そんな動物みたいな数え方をしたら、ウマ娘人権委員からどんなお叱りが来るか──」
「動物みたいもなにも、馬は動物だろ?」
「な……」

 オッサン、大丈夫か?
 それともなにか? 「人間もウマ娘も、植物ではなく動く生き物だから動物です」とかいう理論か?
 それにしたって人もウマ娘も“(とう)”じゃなくて“(にん)”だろ、単位は。
 オレが驚いて見ていると、オッサンは訝しがるようにオレを見てきた。

「アンタ……馬を見たこと無いのか?」
「“馬”? なんですか、それ? ウマ娘なら──」

 オレが答えきる前に、オッサンは呆れた様子でため息混じりに言う。

「そこまでのシロウトとは思わなかったぜ。よくもここにこようと思ったな、アンタ……まぁ、乗りかかった船だ。見せてやるから付いてきな」
「は、はぁ……」

 さっきから……気になっていた、その“馬”っていうのが気になったオレはそのオッサンについて行くことにした。
 そして──

「ここがパドックだ。今から開催されるレースに出走する馬の姿を直接見られる場所だ。今、ちょうどこの後の有馬記念に出走するのが出ているところだ」

 ──なんてオッサンの説明は、オレの頭に入ってこなかった。
 それというのも、その“パドック”を歩いている十数頭の見たこともない巨大な動物──なるほど、確かにこれなら“(とう)”で数えるのもうなずける──の姿に圧倒されたからだ。
 高さは人の身長を簡単に超えているし、4足歩行する体の大きさは大型犬はもちろん豚さえも遙かに越え、牛クラスだ。
 しかし、牛と違いシュッとした体格──特にスラッと長く、折れてしまいそうなほどに細い4本の足には、美しさすら感じてしまう。

「で、あれが今日の本命、メジロマックイーンだ。ついてるなぁ、兄ちゃん。今日はアイツに賭ければ間違いねぇんだから、どんなシロウトでも勝てちまう」
「……はい?」

 やっぱり、説明の後ろ半分は頭に入ってこなかった。
 アレが……メジロマックイーン?
 いやいやいやいや、違うだろ、さすがに。
 確かに最初はその“馬”とかいう生き物を「うおッ、デケぇな!」と思ったし、ギョロっとしたデカい目を見て「怖ッ!」とも思ったさ。
 で、それに慣れたら細い体は芸術品のように美しいと感じたし、怖かったデカい目も体格を考えたら自然な大きさで、そのつぶらな瞳を意外と可愛いとも思った。
 しかし、しかしだ。オッサンよ……それはあくまで“動物”に対しての「美しい」であり、「可愛い」だ。
 ウマ娘のメジロマックイーンのそれとは明らかに違うんだから、その名前を付けてしまったら、メジロ家に訴えられるぞ?
 オレが呆気にとられていると──オレの視界にヌッと別の“馬”が割り込んできた。

「うおッ!?」

 思わずのけぞる。
 茶色の毛をしたその“馬”にはその背には「8」の数字がデカデカと書かれた布がかけられており、数字の下には馬の名前が書かれていた。

「……ダイユウサク?」

 え……? コイツがダイユウサク?
 オレがサポートして共にトゥインクルシリーズを駆け抜けてきた──あのウマ娘と同じ名前の……
 ──そのときだった。

「んん?」

 その“馬”の背後に、まるで透けるように──オレの相棒ともいうべきウマ娘の姿が一瞬だけ見えた気がした。
 そして──オレは確信していた。

「コイツ……ダイユウサクだ。間違いない。アイツと同じ……」

 ──姿こそ違えどその魂は同じもの。
 オレにはなぜかそう思えた。
 そして同時に思い出す。まるで言い伝えのように言われている、ウマ娘に関するある逸話を。

(ウマ娘は、異世界にいるというオレ達の世界には存在しない動物の名と魂を受け継ぐ存在……)

 そうか。つまりここは──異世界か!
 いや──そうだ、これは……

(夢だ!!)

 異世界転生とか、異世界召還なんてあるわけナイナイ!
 だからつまりオレは……異世界の夢を見ているんだ。だからウマ娘も、こんな“馬”という姿をしていたんだ。
 そう考えると、ストンと腑に落ちた。
 そうして改めてオッサンに聞いてみたら、やはりこの“馬”のレースは競艇やオートレースのように、公営ギャンブルになっているそうじゃないか。

(夢だし、問題ないな!!)

 だからオレは──

「よし! 決めた、オレはこのダイユウサクに賭ける!」
「オイオイ、兄ちゃん正気か? この馬、137.9倍だぞ? ぶっちぎりのブービー人気で、しかも最下位の馬はあからさまに調子が悪いが引退レースだから出ているような馬だから、実質は──」
「構わん!! コイツに賭けなくて、誰に賭けるっていうんだ!?」
「ハッハッハッハッハー!! 面白えな兄ちゃん、そういうバカな賭け方、嫌いじゃないぜ。確かにマックイーンに賭けたところで単勝じゃあ、大した金額にならねえもんな」

 豪快に笑ったオッサンは、オレを“馬券売場”とやらに案内してくれた。
 その窓口でオレは──

「8番ダイユウサクに、オレの全財産だ!!」
「ハァ!?」

 さすがに窓口の人も、オッサンも驚く。
 滅茶苦茶な賭け方だが──どうせ夢なんだから、外して無一文になったところで何も困らん!!
 それよりもダイユウサクに賭けることに意義がある。
 いや、待てよ? 借金したって夢なんだから全部チャラだよな?
 よ~し、借りれるだけ借りて金をかき集めて、コイツに全部賭けてやる!!

 ──こうして、オレの手元には大量の馬券が残った。
 夢じゃないとできないバカをやるって楽しいな!!


◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 ──有馬記念の決着が付いた。

『なんとッ! 熊沢騎手! 熊沢騎手、手が上がりました!』

 悲鳴と怒号、唖然呆然……そして乱れ飛ぶ、紙屑と化した“馬券”。
 その紙吹雪の中、オレは──

「……勝った?」

 ──唖然としていた。
 そしてその隣で呆然としているオッサン。
 このレースを勝ったのは5枠8番──ダイユウサク。
 オレが見つめるその馬券は……137.9倍の当たり“馬券”になっていた。

「ふおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 思わず絶叫するオレ。
 そんなオレにすがりつくオッサン。少々気持ち悪いが、そんなこと些末事だ!!
 オレは早速払い戻しの窓口に行き──その全財産をかけた馬券を渡す。

「──ッ!? お、おめでとうございます!!」

 さすがに顔色を変える窓口の人。
 その人はオレに「小切手にしますか? 現金にしますか?」と尋ねてきた。
 あれ? なんかこの人、緑の服着てて、たづなさんのように見えるな……
 ともあれ、オレは即座に──

「億って単位の金を見たことがないので、現金で!!」

 ──と答えていた。
 その言葉に従って、用意される現金。そのあまりの量はドン引きしかねなほどで、持ちきれない……どころか並の車では乗り切らないほどだった。

(なんか多すぎる気もするが……なにしろ137.9倍だからな!!)

 うん。そんなもんだろう。なにしろとんでもない倍率だったもんな。
 さて、この大量の現金……どうやって運んだものか。
 こんなになるとは思わなかったから、小切手にしておけばよかったかな、といった考えがよぎるが──近くにはやたらとデカい、トラックのような車があった。
 うん、ちょうどいいな、コレは。
 オレは現金を持ってきたたづなさんに、その車を指さして言った──

「これで運んでもらえませんか?」
「えぇ!? 馬運車ですよ、これ……」
「構いません構いません。運べれば何でも。運転手ごと貸してください。なにしろ金はいくらでもあるし──」

 結果、その“馬運車”とやら一杯に現金を詰め込んで──オレは意気揚々と中山競馬場を後にした。
 そう、この金は全部オレのもんだ!

「スゴいぞ。ゴールドウイングアフリカツイン……いったい何台買えることか」

 これだけ金があればいくらでも、借りた金なんて楽に返せるし、その上でどんなバイクだろうと買えるだろう。選びたい放題、買いたい放題だ!!
 なにしろオレは、そう──億万長者だからなああぁぁぁ!!


 ──そして夢は覚めた。


 オレは、自分の愛車(NC750X)に謝った。
 ……ゴメンな。
 そして、これからも末永くよろしく……



 

 ──その日の午後

 

「トレーナー、なんかあったの?」

「……なにが?」

 

 オレがグラウンドでダイユウサクのトレーニング──長距離コースの周回──を見ていると、ミラクルバードが尋ねてきた。

 

「だって、なんか今日は一日様子がおかしいもん。妙にガッカリしてるな~って。さっきも自動販売機の前でため息ついてたし」

「ああ、それか……」

 

 思い出してオレはその場で肩を落とし、ため息を付く。

 

「ほらそれ!! いったい何があったの? ダイユウ先輩ののこと?」

「ある意味、そうかもな」

「ええッ!?」

「……人の夢と書いて、(はかな)いってのは本当だなぁ」

 

 妙にリアリティを感じた夢だったからこそ、億単位の金がまさに霞と消えたことに消失感を感じていたのだ。

 ああ、あの金があったらなぁ……

 

「……そんなに悲観的になることないんじゃないの? 有記念に出走するだけだって競走ウマ娘にとっては間違いなく夢だよ。それだけでもスゴいことで、儚くなんてないよ?」

 

 元競走ウマ娘のミラクルバードがそう言い、オレはゆっくりと顔を上げる。

 彼女は苦笑を浮かべ、まるで慰めるような目でオレを見ていた。

 ……あれ? なんか勘違いされてないか?

 

「オレが気落ちしてるのは、別に次のレースに絶望してるからじゃないぞ?」

「え? そうだったの?」

「ああ。むしろ勝つと思ってるけどな」

「……はい?」

 

 きょとんとした顔でミラクルバードはオレを見る。

 

「ん? そんなに変なことは言っていないだろ?」

「で、でも、さすがに……ほら、マックイーンがいるわけだし」

「ふ~ん……」

 

 なるほどねぇ、とオレが答えると、ミラクルバードは眉をひそめた。

 

「ふ~んって……だって、ダイユウ先輩は京都大賞典でボロ負けしたんだよ?」

二月(ふたつき)半近くも前の話だろ?」

 

 オレがこともなげに言うと、ミラクルバードは唖然とする。

 

「そ、それはたしかにそうだけど……」

「それもダイユウサクは2000メートル以上は初出走だった」

 

 そう言いながら、オレは遠くを走るダイユウサクを見る。

 

「オマケにマックイーンはレコード勝ちするほど絶好調だった。あえて言うが()()()()()()()()()()()

「そんなことを言うなら、今度の有記念のとき、マックイーンはまた絶好調かもしれないじゃないか」

 

 そんなミラクルバードの反論に、オレは首を横に振る。

 

「いいや、それはない」

「なんで言い切れるの?」

「確かに天皇賞(秋)(アキテン)まではそうだったかもしれない。だが、あの時のミスが根深くアイツの心に刺さってる」

「う……」

 

 ミラクルバードも気が付いているのか、オレが言うと途端に口ごもった。

 それこそ、現役最強といっていいマックイーンの、唯一の弱点だとオレは考えている。

 

「そうでなければジャパンカップも勝っていただろうし、その勢いのまま今もそんな状態……絶好調が続していたら、早々に白旗をあげてるさ」

「付け入る隙が、あるってこと?」

「──ある」

 

 オレは遠くのダイユウサクを見たまま、断言した。

 

「でもマックイーン以外だって……誰よりも彼女に勝ちたがってる、逆襲をねらうプレクラスニーもいるよ?」

「アイツはマックイーンしか見えていない──」

 

 確かにあのウマ娘の気持ちは痛いほどに分かる。

 しかし視野の狭いレースをすることが、どんなにそいつ自身を弱くしてしまうことか。京都大賞典でのダイユウサクと同じ失敗をする可能性が高い。

 

「その上、2000メートルの秋の天皇賞は勝ったが、プレクラスニーの主戦場はもっと短い距離のはずだ。スタミナに不安を残す」

 

 だからこそスタミナ強化に(いそ)しんだのだろうが、そのせいでマイルチャンピオンシップやジャパンカップには出走しておらず、実戦から約二ヶ月離れている。秋の重賞戦線を戦い続けた他のウマ娘達よりも実戦勘が鈍っている可能性は高いだろう。

 そのことも、プレクラスニーが京都大賞典でのダイユウサクと同じ失敗をしそうな要因の一つだった。

 

「じゃあ、ダイユウ先輩が前走で負けたダイタクヘリオスは?」

 

 ミラクルバードが挙げたその名前を聞いて、オレは苦笑しながら振り向いた。

 

「それこそマイル戦以下の距離を得意にしてるウマ娘だろ、アイツは。今年の高松宮杯を勝っているが、それ(2000メートル)が最長で他は短距離やマイルばかり。なんでスプリンターズステークスじゃなくてこっちに来たんだ、と思ったぞ」

 

 なにしろマイルチャンピオンシップまでは、ダイイチルビーと張り合うように出走していたんだからな。

 歴史や格を見れば有の方が上なのは間違いないんだが、マイルのGⅠを勝てるほどの速さを持っていようとも、2500の有記念では要求されるものが違ってくる。

 

「……不安になるのはわかるけど、もう少しアイツを信じてやれよ」

 

 他の有力候補を挙げようとしているのか、「う~ん……」と頭を悩ませるミラクルバードにオレは苦笑した。

 それで考えることは止めたミラクルバードだったが、懐疑的な姿勢は崩さない。

 

「さっきも言ったけど、有なんだから出られるだけでもスゴいと思うよ。だけど、そのスゴいウマ娘達が集まっているってことだもの。ダイユウ先輩では……」

 

 不安そうに耳をしょげさせるミラクルバード。

 そんな彼女にオレは笑顔で答えた。

 

「前に言っただろ? レースに勝つウマ娘の絶対条件」

「え? それって確か……出走しているウマ娘、って答えだったよね?」

「その通り。で、アイツはその条件を満たしてるんだ。勝ちを夢見たっていいだろ、別に」

 

 そう言ってオレは再度、ダイユウサクを見る。

 彼女の目は輝いているように見えた。

 それを見て確実に言えるのは──出走だけで満足しているわけではない、ということ。

 

「アイツが見ているのは、去年のオグリキャップの姿だぞ、きっと」

「え? それって──」

 

 アイツの近くにいたのに、最も遠い存在だったウマ娘。

 その彼女(オグリキャップ)が最後に掴んだ、多くの人が掴めるはずがないと思っていた“奇跡の白星”。

 

「アイツがそれを望んでいるのなら、オレが──いや、オレ達が諦めていたら、ダメなんじゃないか? サポートする立場なんだから」

「そう、だよね。うん……」

 

 やっと納得し、ぎこちないながらもミラクルバードも笑みを浮かべた。

 ああ、そうだ。ミラクルバードも《アクルックス》の重要なメンバーだ。その目や勘が無ければ、今まで勝ってこられなかっただろう。

 コイツもやる気にならなければ──奇跡なんて起こせない。

 

「でも、なんてトレーナーはそこまでダイユウ先輩を信じられるの? 担当だからっていうのはわかるけど、それでも……」

「──ああ、夢に見たからな。アイツが勝つのを」

 

 厳密に言えば──アイツが勝ったんじゃなくて、アイツっぽい雰囲気をもった()()()()()()()()()、だがな。

 それを詳しく話すと余計に混乱するだけだからやめておこう。

 

「え……? ダイユウ先輩が、有記念を勝つのを?」

「そうだ。今朝のことだが、久しぶりに見た夢でアイツが勝ってたんだ」

「そ、それは……」

 

 オレが笑顔で答えると、ミラクルバードはどう反応していいのか困ったような苦笑を浮かべていた。

 

「勝ちの吉兆で、縁起がいいとは思わないか?」

「そりゃあ思うけど、でも出来過ぎじゃない? それ……」

 

 ミラクルバードは相変わらず苦笑を浮かべている。

 オレが、勝つ夢を見たということさえも疑っているのかもしれないな。

 

「……あれ? でもさっき、トレーナーは“人の見る夢が儚い”とかなんとか言って、ガッカリしてなかったっけ?」

 

 反論ポイントを見つけて、急にジト目になる。

 まぁ、もちろんそれには説明が付くわけだが──

 

「それがな……夢の中だから競艇や競輪みたいにレース券が売られていて、金を賭けられたんだよ」

「なッ!? 不謹慎だよ、トレーナー!!」

 

 さすがに抗議するミラクルバード。

 ああ、気持ちはわかるぞ。夢の中ではオレも最初はそう思ったし。

 

「いや怒るなよ。そういう夢だったんだから仕方ないだろ? で、オレはアイツに賭けたんだが、それはとんでもない倍率(オッズ)でなぁ」

「……どれくらい?」

「137.9倍」

 

 オレが答えたが、ミラクルバードはピンときていない様子で、首を傾げている。

 

「100円が1万3790円になる計算だ。それにオレは──全財産どころか金を借りれるだけ借りて全部賭けたんだ」

「えぇ!? いくら何でもそれは……」

「ちょっとした冒険だろ? ……と言いたいところだが、なんとなく夢だって気が付いたから外して構わないと思って、な」

「で、勝ったんだよね?」

「ああ、大当たりでとんでもない大金を手にした。だが……」

「そこで夢が覚めた、とか?」

「……その通り」

 

 そのときのことを再び思い出して、オレはがっくりと肩を落として大きくため気を付いた。

 それで──ミラクルバードは思いっきり笑っていた。

 

「あははははは!! まったく……トレーナーってば不謹慎だよ、本当に。いくら夢でも……」

「うるせえなぁ。実際に賭けたわけじゃねえし、しかも配当金を手にしたわけじゃないんだから、大目に見ろ」

 

 オレがイジケながら言うと、ミラクルバードは大笑いしながら涙を拭い──って、笑い過ぎだろ。

 オレがジト目を向けると「ゴメンゴメン」と笑顔のままで軽く謝る。

 そしてその笑みを勝ち気な笑みへど変えて──

 

「じゃあ、それは正夢にするしかないよね」

「そうだな。金を賭けることはできないが、アイツの勝利にオマエの夢もかけてくれないか?」

 

 ミラクルバードの言葉に、オレもニヤリと笑みを浮かべて返す。

 するとミラクルバードは大爆笑で流した涙を拭いながら、笑顔で大きくうなずいた。

 

 ──よし、これで《アクルックス》は完璧だ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ダイユウサクというボクの先輩が、有記念に挑戦する。

 失礼ながら──この先輩では正直、勝てないと思っていたんだけど、トレーナーも先輩も諦めるどころか、勝とうと思っていたのを知って、ボクは驚かされた。

 

(なら……ボクもそれに乗ろうじゃないか!)

 

 久しぶりの高揚感だった。

 それはまるで──ボクの脚がまだ動いたころ、あのクラシックレースに挑もうとしていたころ以来のもの。

 だからこそ、その感覚が当時に戻ったかのようで──レースを真剣に検討し、そして把握する。

 

「……実際のところ、どうすればマックイーンに勝てると思う? ミラクルバード」

 

 さっきまで楽観的に見えたトレーナーの顔が、真剣なものへと変わっていた。

 そっか。あれはボクが諦めていたから、やる気にさせるためにそうしていたんだ。

 まったくボクとしたことが……トレーナーに変な気を使わせちゃうなんて、チームスタッフとして自覚が足りないよね。

 だからボクも真剣に考え──答える。

 そして、ボクにとっては鬼門とも言えるその話をすることにした。

 

「逆に、マックイーンの強さの秘密ってなんだと思う? トレーナー」

「それは……抜群の末脚がある上に、一流のステイヤーとしてのスタミナを持ち──」

「うん、身体能力がすごいのもそうなんだけど……トレーナーは領域(ゾーン)っていうのを聞いたことある?」

 

 トレーナーの言うことも正解なんだけど、それはボクが話したい本質じゃない。

 だから遮るように言ったんだけど、トレーナーは気を悪くした様子もなく答えてくれた。

 

「一応は、な。トレーナーの仲間内でも伝説みたいに語られている話さ。そこへ至れば感覚は研ぎ澄まされ、普段とは比較にならない圧倒的なパフォーマンスを発揮できるようになる──超集中状態」

 

 へぇ、トレーナーの中でもそういう話があるんだ。

 ボク達ウマ娘みたいに、実感のできる話じゃないのに。

 

「まぁ、時代を創るウマ娘が必ず入ると云われている、なんて尾ひれが付いた……正直、眉唾な話だけどな」

「眉唾じゃ、無いよ」

「……ん?」

 

 ボクが断言すると──トレーナーは呆気にとられて、ボクの方を振り向き、ジッと見つめてくる。

 

「眉唾じゃない。その感覚の領域は、間違いなく──あるんだ」

「ミラクルバード、なんでそんなにハッキリ……って、お前、まさか!?」

 

 さすがにここまで言えば、トレーナーも気が付いたみたいね。

 

「うん。ボクもその領域に足を踏み入れたことがあるんだ」

「そうか。確かにお前は……無敗でクラシックレースに挑み、三冠を掴めるとさえ言われたウマ娘だもんな」

 

 トレーナーはどこか半信半疑そうだったけど、逆に妙に納得しているようにも見えた。

 でもね、トレーナー。この話、そんないい話じゃないんだよ。

 

「皐月賞に出走したボクは、レース中にその“領域(ゾーン)”に入って……強烈な違和感に襲われたんだ」

「……まさか、それって…………」

 

 トレーナーの顔が青ざめる。

 それにボクは、できるだけ平静を装ってうなずいた。

 

「戸惑いに耐えられなかったボクは、無意識にレース中に外へとよれた。そして──」

「その結果が、アレだったのか……」

 

 ミラクルバード事件……なんてボクの名前が付いちゃってる皐月賞での事故。

 未知の感覚に振り回されたボクが、レース中によれて他のウマと激突しちゃって……相手に大迷惑をかけてしまった。

 そしてボク自身は──衝突の衝撃で派手に吹っ飛んで、そのまま後頭部から落ちて数日間生死をさ迷うことになったんだ。

 どうにか一命を取り留めて意識は戻ったけど……未だにボクの足は動かない。

 

「ボクは耐えられなくてこんな有様になったけど、踏み入れたウマ娘のほとんどは適応してる。そして使いこなしているウマ娘もいるんだ。それこそ、それがトレーナーの言う“時代を創るウマ娘”なんだろうね」

 

 ボクはそうなれなかったけど、と自虐的に苦笑する。

 

「ここで、そんな話をするってことは……」

「うん。マックイーンはまず間違いなく“領域(ゾーン)”に踏み入って、それを使いこなしてると思う」

 

 他にも心当たりはいた。

 それこそさっき話題に出たオグリキャップ先輩がそうだし、彼女と激闘を繰り広げたタマモクロス先輩や、ダイユウ先輩の同級生達も何人か……

 

「じゃあ、マックイーンに勝つには……その“領域(ゾーン)”とやらに到達できないと、無理ってことか?」

「絶対、とは言い切れないよ。それがどういうものか、入口で弾かれたボクにはわからないけど、例えば調子が悪ければ入れないようなものなら……さっきトレーナーが言ったように不調のマックイーンなら使えないかもしれない」

 

 ジャパンカップの4位がそのせい──と考えられなくもないからね。

 

「ただ、それだとダイユウ先輩が勝つには、“不発に期待するしかない”なんて他力本願な話になっちゃうけど」

「対抗するには──ダイユウサクもそこに至るしかないってか? しかしだな……」

 

 困惑した表情で、トレーナーは熱心にトレーニングに励んでいるダイユウサク先輩を見ている。

 戸惑うのは当然。重賞でさえ勝ちきれないようなダイユウサク先輩が“時代を創るウマ娘”にはとても見えないもんね。

 でも……

 

「可能性、ゼロじゃないと思うけど?」

「はあ? まさかアイツが、“領域(ゾーン)”に踏み入れるとでも?」

「うん。ボクは一度、その片鱗を見ている」

「いつだ!?」

 

 食いついてくるトレーナー。

 それに対し、ボクは説明した。

 

「……高松宮杯。コスモドリーム先輩と競ったとき、明らかに様子が違ってた」

「あのときか……」

 

 ボクはあの日、直接見たワケじゃないから確信はできない。

 でも、あの時のダイユウサク先輩──だけじゃなく、あの人と競ったコスモドリーム先輩もまた、“領域(ゾーン)”に入っていたと思ってる。

 

(そももそコスモドリーム先輩の方こそ、それ以外のレースでも“領域(ゾーン)”に足を踏み入れていた可能性は高い)

 

 あの人が見せたオークスでの走りが特にそう。

 最後の直線で見せた爆発的な加速の末脚は、それこそ“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”で──

 

 

「──うん、その意見にはコスモも賛成するよ」

 

 

「……え?」

 

 背後からの突然の声に、ボクはびっくりして慌てて振り返った。

 そこには髪の短いウマ娘が悪戯っぽい笑みを浮かべていた。




◆解説◆
【夢の限界領域】
・これは、たびたびネタになっている『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』シリーズのOVA2作目、『新世紀GPXサイバーフォーミュラZERO』の第1話「悪夢の限界領域」から。
・“悪”を抜いたら、真逆のやたら希望溢れるタイトルになってしまいました。
・この“夢”ですが、もちろんトレーナーが見た“寝ているときに見る夢”であり、ダイユウサクの勝利の光明である“希望としての夢”でもあり……同時にミラクルバードにとっては“忘れることのできない悪夢”を指しています。

137.9
・1991年の年末に、数多くの人に悲鳴をあげさせ、ほんの少しの人に幸せをもたらした魔法の数字。
・具体的には有馬記念において初の万馬券をたたき出したオッズ。そして現在(2020年開催)まで未だに破られていない最高倍率。
・これは15頭中14番人気。これよりも下の人気は普通なら出走回避するほど調子が悪かったけど引退レースだったから出走したオースミシャダイのみで、そのオッズは192.6倍でした。
・一方、一番人気のメジロマックイーンのオッズは単勝1.7倍で、その人気は二番人気だったナイスネイチャでさえ単勝8.7倍になってしまっていたほどに圧倒的。ほとんどの人が「まず間違いなくマックィーンが勝つだろう」と信じていたのがわかります。

見たこともない巨大な動物
・乾井トレーナーをはじめ、『ウマ娘の世界』の住人にとっては「見たことのない」生き物である馬──サラブレッドのことです。
・つまり、この夢の中の世界は……

異世界
・そう、“こちら側”の世界です。
・1991年の12月22日の中山競馬場での出来事を“夢”としてトレーナーは見ていたのでした。
・ですので中山()()場であり、馬券売場があったのです。
・そしてその日のダイユウサクの人気は14番人気。
・旧作だと無理矢理ウマ娘の競走に賭けていたのですが、こっちの方を夢として覗かせた方が楽なことに気が付きました。

馬運車
・競走馬の輸送に使う、大きなトラック。
・ウマ娘の世界にはない馬運車も、こちら側の世界にはあるものです。
・もちろん茨城県でも美浦周辺や稲敷市あたりでは見かけますが、これと事故ったらガチで洒落にならないので、見かけたらものすごく注意して運転してます……自動車保険入ってるけど。
・急ブレーキをかけて中の競走馬に故障を発生させるくらいなら、人を轢いた方が損害が少ないから急ブレーキはかけない、という都市伝説が……あったりなかったり。
・そしてこの夢、実は元ネタがありまして……
・有馬記念が開催される前の週の土曜日に、内藤調教師が見た夢がモデルです。
・5枠に入ったダイユウサクが有馬記念を制する夢──というのなら、まだまぁ、普通の夢(?)だと思うのですが、調教師は買ったらいけないはずの馬券を内藤教師を大量に手にしていたのです。もちろん当たり馬券。
・その馬券を換金する際には──小切手か現金か、と聞かれ「億という単位の現金をを見たことがないので現金で」と換金し……大量の現金を馬運車に積んで意気揚々と帰ってきた、という夢でした。
・この話にはさらにオチがありまして、夢から覚めた内藤調教師は他の人にこの夢の話をして、ダイユウサクが5枠になったら馬券を買うように勧めていたそうです。自分は買えないから。

ゴールドウイング
・ホンダのお高いバイクその1。排気量は1833cc。
・下手な乗用車を超える値段を誇る、いろいろおかしい(誉め言葉)バイク。
・えっとですね、このバイク……後進できるらしいです。(おかしいポイント+1)
・バイクにまっっっっっったく興味のない方はわからないと思いますが、バイクは原付だろうが大型自動二輪だろうが、普通はバックギアというものが存在しませんし、後進しません。
・必要ない……というかしないんですよ、普通。足ついて後ろに下がる範囲で十分なんで。ギア入れて後進なんてしたらバランスとるのも難しいでしょうし、基本は足をついて使うようです。
・こんな機能が付いているのは、重量が400㎏もあって、動かすのも容易じゃないからですけど。
・それにエアバッグとかオーディオあるらしいです。(おかしいポイント+1)
・いや、もう車じゃないの、これ? それにオーディオとか密室じゃないのに……と思ってしまいます。
・排気量1833ccと書きましたが、6気筒水平対向エンジンを搭載。は? スバルの自動車ですか?(おかしいポイント+1)
・さらには値段が、ヤヴァいです。
・新車で約300万円します。普通に乗用車が新車で買えます。軽自動車……ホンダのNシリーズは新車150~130万前後なのでだいたい2台買えます。
・そして上位モデルは340万円越え。(おかしいポイント+1)

アフリカツイン
・ホンダのお高いバイクその2。現行型はCRF1100L。
・大きなバイクで、もともとはパリ・ダカールラリーでホンダが培った競技用の車体や諸技術を市販車にフィードバックするためのモデルとして開発・製造・販売されました。
・そしてシート高も値段も高い……Adventure SportsのDCT(バイクのオートマみたいなもの)だと本体価格は約191万円。
・といっても……確かにあこがれますけど、基本的に自分のバイクが一番気に入って乗ってるので、書いてる人としてはそこまで「欲しい!!」とは思わなかったりします。やっぱり大きいから街乗りの取り回しとか悪そうだし。
・なお──ホンダにはこれよりも高い値段として、フルカウルのスーパースポーツ型のバイクに250万円近くするCBR1100RR-Rがあるのですが、乾井トレーナーはアドベンチャー派なのでそちらを欲しいとは思わなかった模様。
・ゴールドウイングみたいに“極端に高い”わけではないので、こっちは純粋に欲しかったんだと思います。

領域(ゾーン)
・シンデレラグレイでも語られた、「感覚が研ぎ澄まされ、普段とは比較にならない圧倒的なパフォーマンスを発揮できるようになる、超集中状態」のこと。
・“時代を創るウマ娘”が至る──という説明から、本作ではゲーム版の固有スキルと解釈しています。
・それを持っているウマ娘が、ゲーム版のウマ娘として実装している……という感じで。

未知の感覚に振り回された
・これ──本話のタイトルの元ネタ、『新世紀GPXサイバーフォーミュラZERO』の第1話をオマージュしたものです。
・「ゼロの領域」の感覚を初めて経験した主人公・風見ハヤトがその感覚に驚いて大事故を起こしてしまいました。
・ハヤトは下半身不随になってないですけど、引退しようと長期の休養に入ってしまいました。
・ゲームでは当たり前のようにウマ娘達が踏み入れている感覚ですけど、それに適応できなかったり、初の発動に戸惑って事故を起こす者も稀にいる──ということで。
・いや、だって普通戸惑うでしょ? 突然レース中に芝orダートの走路走ってて、気がついたら……
  「一面の雪景色になった」(オグリキャップ)
  「庭園でティーセットが置いてあった」(メジロマックイーン)
  「突然足元に薙刀が置いてあった」(グラスワンダー)
  「星々の間を浮いていた」(カレンチャン)
  「どこかよくわからない玉座の間にいた」(シンボリルドルフ)
  「西部劇みたいなところにいて拳銃持ってた」(タイキシャトル)
  「高速道路みたいな舗装路を走っていた」(マルゼンスキー)
  「ガ○ダムみたいに宇宙戦艦からカタパルト出撃することになっていた」(ミホノブルボン)
  「プリ○ュアみたいに変身して、ザケ○ナーみたいなのに頭突きしてた」(カワカミプリンセス)
  「地面が見えないほど遥か上空で雲の上にいた」(トウカイテイオー)
  「教会で花持ってた」(ライスシャワー)
  「まだ勝ってないのに、ライブのステージへの出入口にいた」(スマートファルコン)
  「岩が頭上から落ちてくるジャングルにいた」(ヒシアマゾン)
  「白いマットのジャングルにいた」(エルコンドルパサー)
……羅列して見たけど、そりゃあ驚くわ。むしろ順応している方がおかしい。
・もちろん、バクシンオーとかスーパークリーク、マヤノトップガンみたいに大丈夫そうなのもあるけど、そういう系統じゃなかったんでしょうね、ミラクルバードのは。


※次回の更新は12月16日の予定です。  



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第76R 大慮外!? ウマ娘とハサミは使いよう

 
 ──時は少し遡る。


「どういうこと、コスモ? あなた、あんなことを言い出して……」

 コスモの担当トレーナーの巽見 涼子さんが、そう言って怒るのは、だいたい予想できてた。
 話は、さっきウチのチームの正トレーナー、相生(あいおい)さんに《アクルックス》へ併走の依頼をお願いしたこと。
 コスモの勝手な判断でやったことだから、相生トレーナーも驚いて涼子さんに確認して……バレちゃった。
 だからもちろん、答えも用意してある。

「うん……涼子さんには悪いとは思ったけど、今回の、有記念に挑むユウのサポートに戦力を尽くすことにしようと思うんだ。ユウのために走ろうって……」
「な……なにを言ってるの?」

 案の定、涼子さんは信じられない、といった顔でコスモのことを見てきた。

「せっかくここまで我慢して、積み上げてきたんじゃないの。復帰まであと少しなのよ?」

 骨折したコスモの足に合わせた走りを手さぐりで探して、やっと見つけたのが身になりかけているのは、自分でも分かってる。
 思った以上に、時間がかかったことも……
 そして、未完成な今、もしもユウのトレーニングのために全力疾走を繰り返したら、慣らした感覚もまた狂うことも……
 そんなことをしてしまえば、以前程じゃなくても走ると痛みが走るようになる、きっと。

 それでも──

「涼子さん、今までありがとね。こんなコスモに付き合ってくれて……」
「なにを言うのよ。そんなの当たり前──」

 困惑しながら苦笑し、答える涼子さん。
 この人は優しいからコスモに残酷な現実を突きつけられないんだよね。
 だから、コスモはハッキリ言った。

「今、復帰できても、もうコスモに居場所なんて、無いよね?」

 一瞬、涼子さんの動きが止まる。
 それで答えは十分だった。

「そ、そんなこと──」
「ケガや後遺症の無かった他のウマ娘でさえ、年齢的に厳しくなってるんだよ。それくらいコスモにも分かるよ」
「それは……」
「コスモにだってケガとは関係なく年齢的な衰えがきているんでしょ? だからもし完璧に後遺症無く足が治って、以前みたいに全力で走れても……今のコスモはトゥインクルシリーズでは通じない。違う?」

 コスモの問いに──涼子さんは答えなかった。
 ジッと目を閉じて、何度か口を開こうとしたけど、結局できず……やがて小さく、うなずいた。
 うん。やっぱり、涼子さんだもん。この人ほど優秀なトレーナーが、気が付かないはずがないよね。
 コスモにはもったいないくらいのトレーナーだよ。
 だからコスモは……

「だからね、涼子さん……今まで一緒に……付き合ってくれて、ありがと」

 この言葉を、言わなくちゃいけない……涼子さんは、優しいから……

「た、巽見トレーナーも、次の……ウマ、娘を…………」
「コスモ!!」

 涼子さんは、慌ててコスモを抱きしめた。
 胸に埋もれて、なにも話せなくなる。

「大丈夫、言わなくていい! ううん、言わないで……お願いだから……」

 少しだけ力が抜けて、コスモが話せるようになる。

「でも、言えないでしょ? コスモに……もう、やめた方がいい、なんて。だって、優しいから……言えないの、分かってるから。だから……」
「分かってないわ、コスモ。あなたは──私にとって掛け替えのない……代わりなんていない、特別なウマ娘だもの。だから──」
「でも、次の担当をもたないなんて、そんなわけにはいかないでしょ? 相生(あいおい)トレーナーも、困るよ、きっと」

 コスモが苦笑しながら言うと、抱きしめる腕の力がまた強くなった。
 それに身を任せながら──コスモはさらに続けた。

「涼子さんがコスモにかけてくれた努力……無駄にしたくないんだ」
「え……?」
「それをユウに託したいんだ。涼子さんから教わったコスモのすべて……距離に合わせた走り方、ペース配分、他の注意するべきところ……そしてあの“差し”の走り方」

 それはコスモが《アルデバラン》に入って、目の前のこの人と出会って一緒に走ってきたコスモの競走人生の、まさに全てだ。

「涼子さんと今まで治してきたこの足で、ユウを鍛えながら全部教えてくるよ。涼子さんとコスモの魂を継承させる……それくらいの意気込みで、ね」
「コスモ……」

 涼子さん……巽見トレーナーはコスモの背中に回していた腕を解いてくれた。
 その目に指をあてて、そっと拭い──そして、いつものあの人らしく悪戯っぽく笑みを浮かべる。

「なら、それがキチンと教えられたか、私がチェックしないとね。それが終わるまで──私から卒業証書はあげられないわよ」
「……ひどいや。それじゃあ、ユウが勝たないと、コスモはいつまでも卒業できないじゃないか」
「ふふ……」

 そんな言葉を交わして──二人で笑ったんだ。
 大きな声を出して、心の底から笑った。
 どちらも……目から涙をこぼしながら。



 ──有記念まであと少し。

 

 推薦での出走が決まったアタシ──ダイユウサクは、トレーナーに言われた課題に取り組んでいた。

 それは──

 

(2500メートルへの対応……)

 

 アタシが走っていたレースは2000まで。唯一出たそれを越えるレース──2400メートルの京都大賞典ではスタミナ切れを起こして惨敗してる。

 でも──

 

『京都大賞典に挑戦したのは無駄じゃない。そこで失敗したおかげで、逆にイメージできただろ? それに、備えて鍛えたおかげで中長距離を走る土台ができていたからな』

 

 そして、阪神レース場新装特別後のトレーニングで下地はできた、とトレーナーは言ってた。

 あとはペース配分だ、とも。

 

(ペース配分って言っても、ねぇ……)

 

 ここで問題が発生した。

 ウチのチームの欠点として──“併せ”ができる相手がいないのよね。

 ソロチーム……でもなくなってきた《アクルックス》だけど、ミラクルバードは走ることができないし、オラシオンもまだ本格的なトレーニングを開始する前。アタシと“併せ”で走れるほどにはなってないもの。

 

「できれば、誰かと“併せ”をやりたいところだけど……」

 

 他のウマ娘たちは、きっとその相手がいるだろう。

 え? チーム以外でも知り合いや友人に頼めばいいだろって?

 …………いないわよ。

 トレーナーに言ったら必ず笑ってくるでしょうけど、アタシには“併せ”をやってくれるような、親しい相手がいないのよ。

 でも仕方ないでしょ!? だって、同級生は軒並み引退しちゃってるし!!

 オグリもアルダンも、チヨノオーもクリークもヤエノムテキも、バンブーも引退しちゃってるんだから!!

 どうしろってのよ?

 下の世代に頼め? アタシがそんなに顔広いように見える? そんな相手、いるわけないじゃないの!!

 

「ああ、まったく……どうしよう。相手いないし……」

「じゃあ、コスモが手伝ってあげるよ」

 

「は……?」

 

 突然の背後からの声──もだけど、独り言に返事があったことに驚いて、尻尾がピンと立った。

 振り返れば、アタシが驚いたのが想定外だったのか、「えへへ……」と気まずそうに苦笑する、髪型をショートカットにしているウマ娘。

 アタシはその顔に、もちろん見覚えがあった。

 

「コスモ……?」

「一世一代の晴れ舞台なんだから、こんな時こそ頼ってよ、ユウ。そうじゃないと……ちょっと寂しいよ?」

 

 笑みを少しだけ翳らせながらコスモドリームは言った。

 そんな彼女の横には、アタシのトレーナーがいる。

 

「オレも、お前の併走相手を探していたんだが……《アルデバラン》から逆に申し込みがあったんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()、ってな」

「うん。2000メートル超のレースならコスモの方が経験は上だからね」

 

 トレーナーの言葉で、今度は恥ずかしそうな照れ笑いになった。

 本当に表情の変化が忙しいわね、コスモは。

 そんな彼女の姿が──私の視界が歪む。

 

「……ありがと……コスモ」

「ああ、もう! ユウってば、こんなことで泣かないでよ」

「な、泣いてなんかないわよ!!」

 

 アタシは涙を隠すために俯きながら、慌てて目の辺りを(ぬぐ)う──

 

 

「──まったく、これから年末のグランプリに挑もうという者が、情けないですわね」

 

 

 ……え?

 なんか、あんまり聞きたくない声が聞こえたような……

 おそるおそる顔をあげると──トレーナーの後ろからウマ娘が2人、顔を出す。

 勝気なツインテールのウマ娘と、細い目をした三つ編みのウマ娘──

 

「セッツ!? それにシヨノロマンも……」

「はい。お久しぶりですね、ダイユウサクさん。微力ながら協力させてくださいな。2000メートル越えのレースの経験が少ないとか……まぁ、私も少ないですけどね」

 

 そう言ってシヨノロマンは悪戯っぽく微笑む。

 

「ですから私達三人がアナタにそれをみっちりと教えて差し上げますわ! なにしろ私達3人は……オークスの経験者ですから!」

 

 そう言って無駄に胸を張るサンキョウセッツ。ツインテールの片側を手で風になびかせて、「お~っほっほっほ!!」と高笑いをした。

 

「……えっと、2人ともありがとう。でもセッツは……パスで」

「ハァ!? なんでですの!?」

「だって……ねぇ?」

「そうだねぇ。確かにセッツは、ついてこられるの? ユウやコスモ、それにシヨノロマンに……」

 

 コスモが言うとシヨノロマンは苦笑を浮かべ──セッツは「キーッ!!」と金切り声をあげた。

 

「お言葉ですけど、シヨノは2年も前にレースから離れ、何年もリハビリしかしてない誰かさんと違って、私は今年の夏まで出走してましてよ? ブランクの長いアナタ方よりもよっっっぽど、役に立ちますわ!」

「「えぇ~」」

 

 シヨノロマンはともかく、アタシとコスモが疑わし気にジト目を向ける。

 

「それに! 貴方たち3人ッ!!」

 

 サンキョウセッツがアタシ、コスモ、シヨノロマンの順にビシッと指を付きつける。

 

誰一人として、中山の経験が無いではありませんかッ!!」

「「「う……」」」

 

 有記念の舞台は中山レース場。

 アタシは出走したことないんだけど……あれ? コスモもシヨノロマンもそうなの?

 それを如実に表すように、2人は気まずげにサンキョウセッツから目を逸らしてる。やっぱりそうなんだ……

 

「それでしたら私が一番役に立つか、不安ですね……精一杯努めますので。もし足手まといになるようでしたら、雑用係でもなんでもお手伝いいたしますから」

 

 シヨノロマンは「どうぞお願いします」とトレーナーに向かって頭を下げた。

 勢いよく下げたせいで、三つ編みの髪が揺れる

 

「お、おう……こ、こちらこそよろしく頼むな、シヨノロマン」

「はい……」

 

 顔をあげ、ニッコリとほほ笑む彼女。

 ──んん? なんか、トレーナー……顔、赤くない?

 

(そういえば、部屋にあった雑誌のグラビアとか、目が細い()が多かったような……)

 

 ひょっとして、そういうのが好みなわけ?

 

「──よし、じゃあ3人は2人ずつ交代でダイユウサクの併走の相手をしてくれ。1人は休憩しながらなら、ブランクのハンデになるだろ。距離はもちろん2500……最初は、サンキョウセッツとシヨノロマンでいいか?」

「構いませんわ」「ええ、私も大丈夫です……」

 

 セッツが勝ち気に、シヨノロマンがふんわりと笑顔を浮かべる。

 すると、トレーナーは……

 

「シヨノロマン、無理するんじゃないぞ?」

 

 なんてちょっと心配そうな目をして話しかけた。

 イラァ…………

 

「……ヲイ」

 

 アタシは、トレーナーの頭を背後からガッと片手で付かんで、力一杯絞める。

 

「ガッ……なッ!? 割れ……ッ、ダイユウサク、何してるんだ!?」

「何してる、はアタシの台詞なんだけど? なんでシヨノロマンにだけ態度が違うのよ。セッツやコスモと比較したって……」

「そ、そんなこと……ないぞ?」

「そんなことあるわよ!! アンタ、シヨノロマンの胸を見てたじゃない!!」

 

「……え?」

 

 思わず腕で胸を隠すシヨノロマン。

 ……ま、スレンダーだから簡単に隠れたけど。

 それは、問題じゃない。問題はこのドスケベをどうするかだけど……

 

「誤解だ!!」

「誤解じゃないわよ。見てたでしょうがッ!!」

「それじゃなくて……シヨノロマンは心臓に不安があるんだよ! だからそれを思い出して思わず見ただけだ。他意はない!!」

「え……? 本当なの、シヨノロマン?」

「は、はい……実は。現役の時に、ちょっと……」

 

 シヨノロマンは納得したのか、腕のガードを解いてる。

 ふ~ん、まぁ、そういう理由なら……納得しなくもないけど。アタシは頭を掴んでいた手を離す。

 

「まったく……ダイユウサク、お前も“併せ”の準備をして……って、なんでまた睨んでるんだよ?」

「なによ、こういう目が好きなんでしょ?」

 

 目を細めて見てあげたら、そういうことを言ってきたから言い返してやったわ。

 

「……なにを勘違いしてるんだかしらないが、睨まれて喜ぶ特殊な趣味はねぇよ」

 

 なんて言ってため息を付いてから、「せっかく3人も手伝ってくれるんだから、実のあるものにしろ」と言って振り返った。

 まったく、人がせっかく──

 

「で、コスモドリーム。さっきの件、もう少し詳しく聞いていいか?」

「うん。構わないよ」

 

 トレーナーの言葉に、コスモが笑顔でうなずく。

 

「……さっきの件?」

「ああ。さっきコスモドリームがここに来たときに、少し話したことがあってな。その続きだ」

「なによそれ?」

 

 アタシが訊くと、トレーナーは少し困った顔をした。

 

「ま、今は気にしなくていい。ただ……ハッキリした話になれば、切り札になるかもしれない、としかまだ言えないけどな」

「……余計、気になるんですけど」

「気にするな、って言っただろ。お前はあっちに集中、な……」

 

 トレーナーは笑って誤魔化しながらアタシの頭の上に手をポンと置き、そして指を指す。

 その先では──

 

「ほら! ダイユウサク、早く用意してくださいまし! シヨノも私も待っていますのよ!!」

「あー、もう! わかったわよ!!」

 

 アタシは、セッツの急かす大きな声に応えてから、慌てて二人の待つスタート地点へと向かった。

 チラッとだけ見ると──トレーナーとコスモは、ミラクルバード(コン助)に後を任せて、二人でどこかに歩いていった。

 

(──どういうこと?)

 

 確かに気にはなったけど……まもなくコスモも戻ってきた。

 おかげで併せもできたし、3人からペースや仕掛けるポイント等の2000超の中長距離を走るコツとか、セッツから中山の特長なんかを教えてもらい、とても有意義なトレーニングができた。

 

 ──トレーナーの不可解な行動は、少し気になったけど。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──都内某所。

 

 中山レース場で行われるはずの有記念のセレモニーが、どうして都内で行われるんだろうか、と結論のでない疑問をオレは頭に浮かべていた。

 GⅠのような大きなレースでは毎回、本番の前に行われる集団記者会見が開催されたのが、まさに今日だった。

 

(──と言っても、今年は……)

 

 集団とは名ばかりのもで、実質的に誰の為のセレモニーだったのやら。

 そう思っていると──

 

「お、ウソツキ発見や」

 

 たたずむオレを見つけた記者の一人がニヤリと笑ってやってくる。

 

「会うなり、人を嘘つきよばわりとか……マスコミの信頼を落としますよ。藤井記者」

「信頼落としたのはアンタの方やで、乾井トレーナー。アンタ、有には出ないって言ったやんか」

「それ、去年の話じゃないですか」

 

 思わず苦笑して返す。

 やってきた記者は藤井泉助。オグリキャップに魅せられて、彼女を追い続けたウマ娘競走担当の記者。それも、その気になれば外国からきたウマ娘とその国の言葉で流暢に会話できるほど語学堪能な、有能な記者だ。

 といってもその語学力を身に着けた原動力が、ひょっとしたら海外のウマ娘と話したい、という一念に思えてしまい──ウマ娘競走狂いの一人、にしか見えなくなってしまう。

 

「おーおー、確かに今年はまだ訊いてなかったかもしれんな。しかし、まさかねじ込んでくるとは思わなかったで」

 

 彼の苦笑が、呆れの色を含んだ。

 

「てっきりスプリンターズステークスに出走するのかと思っとったら阪神のオープン特別になんぞに出走しとるから、『あ、これはルビーやケイエスミラクルから逃げたんや』と思っとったのに──気が付いたらこんなところにいるんやからな。完全に騙されたわ」

「オレだって賭けでしたよ。推薦もらえるかどうか、分かりませんでしたからね」

「聞いとるで。結構、反対くらったらしいな。『ダイユウサクなんぞ出したら、レースの格が落ちるわ』なんて言うた委員もおったらしいし」

「む……」

 

 さすがにそれは面白くないな。そんなことを言ったヤツはどこのどいつだ?

 オレが内心憮然としていると……それが表情に出ていたらしく、藤井記者は苦笑する。

 

「ま、その理事らも安心しとるんやないか? さっきの受け答え見て──」

「意地悪な質問、しないでやってくださいよ。アイツ、マスコミ対応が下手なんだから……まだGⅠは3走目ですからね?」

「知らんわ。それに十分できとったやないか。去年とは(ちご)うて──」

 

 彼に言われて、オレはついさっき行われた会見の様子を思い出す──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ダイユウサクさん、最年長での出走ですが意気込みは?」

「最年長と言っても、まだGⅠは三度目です。そう言う意味では他の方の方が経験は上ですし、アタシは挑戦する立場です。挑戦者として精一杯頑張ります」

 

 記者の質問に、アタシは微笑を浮かべながら答えたわ。

 正直、今の質問は完全に予想してたし。なにしろ出走メンバーを見たら、ついに同学年が消えていたんだから。

 ふぅ……これであとはどうせ質問なんて来ないでしょ。

 みんな聞きたがっているのは、アタシなんかじゃなくてマックイーンの話──

 

「あ! こっちもいいですか? ダイユウサクさん」

 

 …………いたわ。

 あの眼鏡記者……たしか藤井とか言ったっけ?

 

「……どうぞ」

「おおきに。ほな早速……今回は号泣のご予定は?」

「アタシも最年長なんで、どんなに悔しくてもみっともなく泣くことはできないと思ってます。もしも勝ったらその限りじゃないですけど──」

 

 そう言いながら、アタシはこのレースの大本命にチラッと視線を向けた。

 アタシは苦手だから、受け答えとかやりたくないの。

 でも、こっちに話を振ればもう、戻ってくことはないでしょ?

 

「──では、誰も泣かなくて済みますわね」

 

 案の定、彼女はニッコリと笑みを浮かべて返してくれた。

 あぁ、よかった。マスコミ慣れしてるって素晴らしいわね。

 そのウマ娘は、長い葦毛の淡い色をした髪を優雅になびかせて微笑んでいる。

 やれやれ、これであとは他人事だから、ゆっくり鑑賞できる……

 

「──メジロマックイーンさん、意気込みをお願いします!!」

「特にありません。出走したからには勝つ。それだけですわ」

 

 ……はずだったのに、その答えで周囲の空気が凍り付いた。

 えぇ~……わざわざ挑発すること無いと思うけど?

 ちょっとウンザリしながら、そんなことを思っていると──3枠5番の、ボリュームのあるツインテールのウマ娘と目があった。

 どうやら彼女も「やれやれ、お熱いことで……」なんて一歩引いた目で見ていたらしく、アタシと変なところで共感したみたい。

 えっと、たしかナイスネイチャって言ったっけ──

 

「……大層な、物言いだこと……」

 

 4枠6番の出走枠を引いたウマ娘のポツリと言った声が、意外と大きく周囲に響きわたった。

 あちゃー……これは、間違いなく聞こえたわよね。

 案の定、マックイーンの目はそのウマ娘──今年の秋の天皇賞を制したプレクラスニーを捉えていた。

 ジッと無言で見つめるマックイーン。

 それにプレクラスニーは──

 

「それができるのなら、様になるんでしょうね……」

 

 ──さらにもう一言追加。

 マックイーンがまとう雰囲気がさらに剣呑になる。

 プレクラスニーから視線を外して……質問した記者へと向けた。

 

「──おそれながら、今まさに申し上げたことですが、訂正させてくださいな」

 

 質問をした記者を見ながら、マックイーンは言う。

 

「意気込みですが……この秋のシーズンの締めくくりとして、圧倒的な力を見せつけて勝利し、誰が一番だったのかを見せつけて差し上げますわ。特に──自分の力を勘違いなさっている方に」

 

 ピクンと今度はプレクラスニーの眉が跳ね上がる。

 あ~、もうこれは泥沼だわ。

 ため息ついて我関せず──と思ったところでさっきのナイスネイチャと目が合う。

 そしてお互いに再び苦笑。

 

「……秋になってGⅠとっていないヤツが、恥ずかしくもなくよくもそんなこと言えるものね」

「そのままそっくりお返しいたしますわ。あんな有り様でよく結果を自慢する気になりますわね。それとも……ヘリオスさんの気持ちを代弁されたのかしら?」

「へ? ウチ?」

 

 巻き込まれたのは、プレクラスニー以外ではこの場にいる唯一の秋のGⅠ勝者──マイルチャンピオンシップを制したダイタクヘリオスが目を丸くする。

 そりゃあ、こんな二人の諍いに巻き込まれたくないわよね。

 同情するわ。ご愁傷様……

 

「クッ……誰のせいで、あんなことになったと──」

「むッ……先に言い出したのは貴方ではありませんか──」

 

 いがみ合う二人に、記者陣もドン引きしてるような状況。

 それはアタシらウマ娘も同じで、巻き込まれかけたダイタクヘリオスは「マジヤバくない? アレ……」なんて完全におびえてるし、マックイーンの親戚のメジロライアンが慌てて二人の間に入って止めようとしてる。

 え? なんでアタシをチラチラと見るウマ娘が数人いるわけ?

 ひょっとして……まさか、最年長なんだから止めろって? そんなの無理に決まってるじゃないの!!

 アタシが密かに愕然としている中──

 

「ふふ~ん。ま、走ったらターボが勝つけどなッ!!」

 

 なんて元気よく記者に向かってVサインしてる、青い髪した空気読めない脳天気なのがいた。

 えっと……誰?

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──出走者のトレーナーであるアンタにいうのも変やけど、実際のところ、マックイーンがどう勝つかってレースやで。プレクラスニーなんてキャンキャン犬っころが吠えてるとしか思われてへん」

 

 オレがあのギスギス会見を思い出していたら、藤井記者も同じだったらしい。

 さすがにその表現には苦笑した。

 

「犬っころ、ね。確かに天皇賞の6バ身を見たらな」

「せや。2000で6バ身なら、2500ならどんだけステイヤーがマイラーに差を付けることか」

「そうは言うけど……昨年の覇者はマイラーじゃないんすか? 彼女を追い続けた記者さん」

「あんなん、今なら言えるが、ペースのおかげの奇跡や。毎年、奇跡を起こされてたまるか」

 

 それについてはオレも同意見。今年はあんなペースにはならない。

 なぜなら──“あの”ウマ娘がいるからな。

 

(全力疾走が大好き……というかそれしか考えていないウマ娘が)

 

 空気を読むとか、全く考えない。

 そんなウマ娘が──今回の有記念の鍵を握るのかもしれない。

 

「だいたい、今回の有はメンバーが弱いんや。“無敗の二冠ウマ娘”もおらんし……極めつけは記者に体調心配されとるようなヤツもおる」

 

 ああ、いたなぁ……そういうのも。

 余りに顔色が悪くて記者から──

 

『そんな調子で大丈夫ですか?』

『大丈夫だ、問題ない』

 

 なんて答えてたのが。

 辛そうに見えたけど……まぁ、いいヤツだったよ。アイツは。

 たしか名前は……そう、オースミシャ──

 

「そんなのしかおらんから、ダイユウサクでも出走できたんや!!」

「ってオイ!!」

 

 オレは思わず思考を止めて、藤井記者にツッコミを入れていた。

 




◆解説◆
【ウマ娘とハサミは使いよう】
・元ネタはことわざ……ではなく、ライトノベル『犬とハサミは使いよう』から。
・ただし、意味合い的にはことわざの方から。
・この世に役に立たないものなんて、無いんだよ。ねぇ、セッツ。

誰一人として、中山の経験が無い
・調べて自分でも驚きました。
・ダイユウサクは有馬記念に出走するまで、コスモドリームとシヨノロマンに至っては引退するまで……中山競馬場での出走はただの一度もありませんでした。
・それに対して、サンキョウセッツの中山競馬場の出走は全43戦中14回に上ります。
・他は札幌2戦、函館7戦、東京20戦。アレ? 中京、京都、阪神は?
・サンキョウセッツに比べて、ダイユウサク、コスモドリーム、シヨノロマンの中山出走が異常に少ないのは──サンキョウセッツが美浦所属の関東馬で、ダイユウサク達が栗東所属の関西馬だったからですね。
・つまり──ウマ娘だとセッツだけ美浦寮で、他の3人は栗東寮ということになります。
・セッツが美浦寮なのはずいぶん前に描写がありましたが。
・セッツがシヨノロマンやダイユウサクの応援に各地に行くのは──自分が東京や中山ばかりで、中京や関西方面にはレースで行かなかったから、雰囲気だけでも味わいたかったからかもしれません。
・なお──ミラクルバードは弥生賞は回避していますが皐月賞を走っていますので、経験がある……けど完走してません。むしろトラウマレース場になってしまっている可能性さえあります。

心臓に不安
・シヨノロマンは、コスモドリームやダイユウサクと共に高松宮杯で3着だった次のレースとして、1989年の第40回朝日チャレンジカップに出走しました。
・そのレースで、第3コーナーでは前から3番目の位置にいた突然失速して、上の着順の馬と10馬身も離された最下位という大惨敗に。
・その原因は心房細動で、レース中に発症してしまい、このような結果になってしまいました。
・次のレース(地方レースで名古屋市の“市制100周年記念”)では見事に1着になっていますが、同89年のマイルチャンピオンシップでは影響があったのか無かったかはわかりませんが10着になり、それを最後に引退しています。

オースミシャ──
・第36回有馬記念を引退レースに決めたオースミシャダイですが、事前の体調は最悪。
・陣営は棄権も考慮しましたが、引退レースなので棄権せずに出走を決意しました。
・そのせいで──出走数15中の15番人気。最下位人気になってしまいます。
・そして結果も……奇跡は起こらず、終始最下位で走り続け、最下位だった15着。
・公式ウマ娘にはなっていませんがアニメ2期の4話での有記念の回想で、バテバテになって倒れたツインターボのあとにゴールしたのがオースミシャダイ(に相当するウマ娘)です。……真っ白だったけど。
・まぁ、調子最悪だったし、しょうがないね。
・……でも、あれ? これこそ記念出走なような気が。
・なんてちょっとギャグキャラ的な扱いを受けていますが、前年の有馬記念に出走していて、オグリキャップの奇跡の陰で5着に入ってます。
・同レースのオグリの騎乗は武豊騎手で有名ですが、実はオグリよりも先に騎乗依頼が来ていたのがオースミシャダイ。
・オースミシャダイの調教師が父の武邦彦氏だったこともあり、オースミシャダイ陣営には話をつけてオグリキャップに騎乗したという経緯がありました。
・──そんなわけで、シンデレラグレイに出てくる可能性もありますね。
・ちなみにこのオースミシャダイ。“シャダイ”と名前についているので勘違いされそうですが、社台ファームとは関係なく俗にいう社台系ではなかったりします。
・馬主は山路秀則氏で、ナリタブライアンと同じ馬主。
・馬名の“オースミ”は、馬主の冠名は「ナリタ」と「オースミ」なのでそこからです。
・じゃあ、問題の「シャダイ」は……? というと、父馬のリアルシャダイから。こちらはリアルに社台ファーム所属の社台系。
・オースミシャダイがレースに勝った時に、社台ファームにお祝いが届いたとか、……というのは別の馬(シャダイカグラ)のお話。



※次回の更新は12月19日の予定です。  



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第77R 大迷走? I'll Come!

 
 ──有記念前日・ダイユウサクの実家


「お父さん、本当に行かなくていいの?」
「……行かないんじゃない、行けないんだ」

 もう何度目になるのか思い出せないほど繰り返された妻の確認に、私は少しイラッとしながら答えた。
 無論、何度聞かれても変えるつもりはない。
 そんな私の答えに対する返事も、同じものだった。

「でも……有記念よ? 娘の晴れの舞台なんだから……」
「何度も言っているが、会社の、外せない用事なんだ。仕方ないだろ!!」

 ──嘘だ。
 その日──22日は確かに会社の用事はある。
 しかしそれは忘年会。私がいなくとも開催にも準備にも問題は発生しないし、会そのものに影響はない。
 だから絶対に私が出席しなければならないなんてことは──無いのだ。

「私も何度も言ってますけど、それなら事情を説明したらどう? 分かってもらえるんじゃないかしら?」
「話しても駄目だったんだよ」

 ──それも嘘。
 会社には事情を話していない。
 ウマ娘の我が子が、年末の大レースである有記念に出走するなんて、話せるわけがない
 もし話せば……間違いなく話題になってしまい大騒ぎになる。間違いなく私は有記念を見に行かざるをえなくなるだろう。
 私はそれを──避けたいんだ。

(晴れ舞台? それは勝ったウマ娘の話だ)

 栄光を掴むのはあくまで一人。1位のウマ娘の頭上にのみ輝くものだ。
 それを得られず、苦汁や辛酸を嘗めてきたウマ娘は山ほどいるんだ。
 一人の栄冠は、他の14人の犠牲の上で成り立っているのが大前提の話である。

(その上に立つのが娘ならいい。だが、自分の娘を下敷きにした他のウマ娘が賞賛されている姿など……(つら)いだけだ)

 もちろん、それ──勝利に手が届くかもしれないのなら、近くで声援を送り、応援したいのはもちろんだ。
 しかし……今回は違う。

(新聞やら専門誌やら、どれを見てもメジロマックイーン……)

 娘が──ダイユウサクが有記念で走ると聞いた私はうれしかったさ。
 だから有記念の記事や特集があるものはなんでも買いあさった。
 最初は出走表に自分の娘の名前がのっているだけでも興奮できた。
 しかし──写っている写真は我が娘ではなく、淡い色の長い髪をした上品そうなウマ娘の姿ばかりということに気が付けば、イヤでも見えてくる。
 メジロマックイーンの圧倒的な有利と支持。そしてそれを裏付ける強さに。

(……勝てる、わけがない)

 どんなに親の贔屓目で見ようとも、それは明らかだった。
 従姉(いとこ)の影響で、トゥインクルシリーズを見る目も多少は肥えていると自分自身で思っているが、その目がそれを告げていた。
 マックイーンだけではない。他だって年末のグランプリに選ばれるようなウマ娘たちだ。
 その強さが垣間見え……我が娘ではとうてい勝てないような相手ばかりじゃないか、という結論に至る。

(それに……)

 私は傍らの床に置かれたスポーツ新聞をチラッと見た。
 そこには有記念の記事があり──我が娘は出走15人中、14番人気。

(……これが現実だ)

 私の脳裏にレースの光景が浮かぶ。
 圧倒的な速さで1着でゴールを駆け抜けるマックイーン。
 及ばずながら次々とゴールしていく強豪ウマ娘たち。
 そして……圧倒的な大差を付けられて、ゴール直後に崩れ落ちる我が娘、ダイユウサク。

(そんなレースの後に、どんな顔をして会えというんだ)

 娘は優しい子だ。どんな順位でも父である私や母である妻、それに弟という家族には笑顔を向けてくれるだろう。
 心の中で、どんなに顔向けできないと泣いていても。

(だからこそ私は──見に行くわけにはいかないのだ)

 私はあの子をどう迎えていいのか分からない。気を使わせたくないからこそ、その場にいない方がいいのだ。
 しかしウマ娘の妻なら……負けたアイツの気持ちを理解して、優しく包んでくれることだろう。
 だからアイツも──

「ママー、レース場とディ○ニーランド、どっちが先だっけ?」
「レース場よ。明るいうちに行っちゃったら、エレクトリカルパレード、見られないでしょ! 近いから、終わってからでも十分に間に合うわよ」

「……え?」

 思わず振り向いて、妻を見た。

「なに? お父さんもディズ○ーランドにいきたいの? でも仕事なんでしょう?」
「あ、ああ……」

 思わず頷いて、手近にあったスポーツ新聞を手にとって広げ、動揺を誤魔化す。
 え? 娘の晴れ舞台、見に行くんじゃなかったのか?

(ひょっとして……あっちに行く目的は、むしろ……まさか、な)

 妻の真意は分からんが、少なくとも息子は楽しみで仕方ないようだ。
 船橋ではなく──舞浜に行くのが。

 ……確かに近いよな、その2ヶ所。



 

 ──有記念当日、朝。

 

「じゃあ、先に行ってるわ」

「ああ。オレ達も必要な荷物を持って、後から追いかけて出発するからな」

 

 有記念の舞台は学園や東京レース場のある府中ではない。

 府中から電車で1時間と少しの距離にある中山レース場だ。

 選手であるダイユウサクを万が一にも遅刻させるわけにはいかないし、出走前の手続きもある。彼女を一足先に送り出し、残ったオレ達は準備万端整えて、その荷物を持って中山レース場へと向かうことになっていた。

 

「やれるだけのことは……できた、な」

 

 駅の方へと去っていったダイユウサクを見送ったオレは、ホッと小さく息を吐きながら、確かな手応えを感じていた。

 アイツの表情を見て、確信できた。

 今のアイツの調子はかなり良い。

 

「コスモドリームと競った高松宮杯よりも、阪神の1200でレコード出したときよりも、オグリと走った天皇賞よりも、重賞を制した金杯の時よりも……上かもしれないな」

 

 ウマ娘競走(レース)に絶対は無い。過去に巽見と話した言葉を思い出す。

 そして……一週間くらい前に見た夢を思い出した。

 オレは思わず苦笑してしまう。

 あれが正夢──走っていたのは得体の知れない四本足の動物だったが──になったら、なんていうのは出来過ぎだろうか?

 

「……だが、一抹の不安は残る……」

 

 まず間違いなく立ちはだかってくるマックイーン。

 彼女が使いこなしているとミラクルバードが断言していた“領域(ゾーン)”に対抗できなければ、勝機は低いだろう。

 

(コスモドリームがトレーニングを初めて手伝ってくれたあの日……)

 

 “領域(ゾーン)”に踏み入れているのでは? とミラクルバードが疑ったコスモドリームから話を聞いたら、「たぶん、アレがそうかな?」と話をしてくれた。

 自分の世界──心象風景のような空間──に意識が飛んだ後、爆発的な末脚が発揮された、ということらしい。

 ただし、それがレースの度に毎回起こっていたわけではなく──しかも発動する条件がよくわからなかったそうだ。

 

『たぶん、だけど……コスモの場合、仲間の応援……かな?』

 

 彼女の場合は、強い繋がりを持つ人の応援を受けて絆を感じたときに、「それに応えたい!」という必死な気持ちが超集中状態を生みだした、と考えられる。

 さらに話を聞けば、《アルデバラン》にはその“領域”に踏み入ったのが他にもいるらしく──リーダーのアルデバランがまさにそうだった。

 

(アルデバランとコスモドリームでは、超集中状態に至る条件が違っていた……)

 

 踏み入れかけたミラクルバードによれば、彼女の場合もまた違っていたらしく、「そこは個人差があるみたいね」と言っていた。

 ただ、コスモドリームもアルデバランも、共通して言っていたのは──ダイユウサクと“領域”に関して「発動させている」ということ。しかもどちらも高松宮杯と言っているあたりはミラクルバードも同じことを言っていたのでほぼ間違いないだろう。

 

「だが……アイツが使えるのは分かったのはいいが、どうすれば踏み入るのか、が分からなければ意味がない……」

 

 コスモドリームの紹介でアルデバランと会ったときに、それについて話したのだが……やはりわからなかった。

 なにしろダイユウサクの場合一度しか発動していないので、発動したときの共通項を探すことが不可能だったからだ。

 

「“領域”をダイユウサクが使いこなすどころか、発動させることさえままならない。この状況で、今日を迎えちまったのは不安が残るが……」

 

 切り札を用意してやることはできなかった。

 だが、最高のコンディションという環境は整えられた以上、もう後は出たとこ勝負しかない。

 

(これ以上は、考えても仕方がないな)

 

 オレは気持ちを切り替えて今日のレースを──

 

「トレーナー、そろそろ出発だよ? 準備は大丈夫?」

 

 ──と、思ったところでミラクルバードがやってきた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 中山レース場に向かって、いざ出発──と、ミラクルバードがやってきた。

 彼女に「準備は大丈夫?」と訊かれたが──うん。準備はできている。

 ダイユウサクの勝負服も準備してスーツケースにしまってあるし、オレの荷物はまとめて一つの鞄に──

 

「──♪」

 

 持って行く物を確認しようとしたその時、オレのスマホが鳴った。

 なんだ、こんなタイミングで……今日は大事な日だって言うのに、いったい誰からの着信──と思って画面を見たら、「ダイユウサク」の文字があった。

 アイツ、なにやってんだ? と思いながら通話に出る。

 

「もしもし?」

『トレーナー!? あの……』

 

 なぜか口ごもるダイユウサク。

 珍しいな、こんなに歯切れ悪いのも。

 

「なんだ? なにかあったのか?」

『問題が発生しちゃって……』

 

 問題(トラブル)だと? 出発してから1時間近く経ってるし、もう中山の近くだろう。

 いったい何が──

 

『あ、あのね? アタシ、道に迷ったみたいで……駅員さんに聞いたんだけど、中山にレース場なんて無いって……』

 

 レース場がない?

 ……なるほどな。アイツ、降りる駅を間違えたな。

 なにしろ“船橋”と名が付いている駅は複数ある。そのせいで間違えたんだろう。

 

「落ち着け、ダイユウサク。だいぶ余裕を持って出発したんだから、まだまだ時間は大丈夫だぞ。出走選手の集合時間には全然、間に合う」

『そ、そうよね? 大丈夫よね?』

「ああ、大丈夫だ。で、確認だが──今、何駅にいる? 西船橋か? それとも南船橋か?」

 

 さすがに南からは無理だが、西からなら十分に歩いていける範囲だ。

 それに南だと別のに間違えてたどり着く可能性があるから気を付けないと──んん? レース場が……無い、だと?

 

『中山よ』

 

 ………………。

 あれ? オレ質問の仕方、間違えた?

 まぁ、焦ってるから、アイツが間違えたんだ、きっと。

 だって学園から向かったんだぞ? 当然、武蔵野線を使ってるんだろうし──

 

「だから落ち付けって。お前が中山レース場に向かったのは分かってる。今、お前がいる駅の名前を聞いているんだ」

『だ・か・ら、“中山”って言ったでしょ!?』

 

 ………………………………え?

 

 なんか、猛烈にイヤな予感がしてきたんだが。

 で、でも中山レース場の近くに、“中山”って付く駅もあるからな。

 それと勘違いしても不思議じゃあないよな。アイツが見間違えてて“東中山”であることを願いたいが……武蔵野線に乗ったなら間違えないんだよなぁ、普通は。

 あはは……

 

「なぁ、ダイユウサク。一応、訊くが……お前、何線って電車に乗ってそこについた?」

『そんなの、南武線に決まってるじゃない』

「アホかあああぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 オレはこめかみを押さえながら、スマホに絶叫した。

 慌てて、『中山駅』を検索する。

 ……これ、だな。

 

 中山駅──神奈川県横浜市の駅。

 ちなみに中山レース場の最寄り駅は船橋法典駅。

 船橋で分かるように当然、船橋市……つまりは千葉県だ。

 

(……全然、方向が違う)

 

 唖然とし、そして内心青ざめる。

 オレは、ダイユウサクに自分がいる場所が見当違いの場所だということを告げてやった。

 それを聞いて──アイツの顔も青ざめるのが目に浮かぶようだった。

 

『…………え? だって、中山…だって……』

「中山レース場の名前の由来はそこに移転する前の場所の名前だ! 中山レース場の最寄り駅は船橋法典ッ!! お前のいるそこは移転前でさえなく、少なくとも中山レース場とは何の関係もない!!」

『な……なによそれ!? そんなの──“船橋レース場”でいいじゃないの!! 紛らわしい!!』

 

 うん、その考えはわかる。過去はどうあれ今は中山関係ないからな。

 しかし船橋レース場は、それはそれで別に存在しているからそれも無理な相談だ。

 ただし地方で──って、今はそれどころじゃないッ!!

 

「ああもう、落ち着け!!」

 

 なんてダイユウサクに言ったが、本当は自分に必死に言い聞かせたものだ。

 中山駅は横浜市だから、船橋法典まで……時間的には、出走時間には間に合うな。

 だが……

 

(混乱してるダイユウサクをまた一人で電車で向かわせる……それも乗り換えが入るとなると、不安があるな。それに──)

 

 ──たどり着けるかという不安よりも頭を()ぎった別の不安から、オレはある決断をした。

 

「いいか、ダイユウサク。とりあえず駅から出てロータリーで待ってろ」

『待つ? なんで!? アタシ、中山に行かないと……』

「中山レース場な。でも、安心しろ。今からオレが……急いで迎えにいく。もう心配するな」

 

「……はい?」

 

 ──という声はスマホから聞こえたわけじゃなかった。

 ミラクルバードが驚いてあげた声だった。

 オレはそれを完全に無視して──

 

「今すぐ行くから、そこから、動かずに、待ってろ!」

『──ッ!!』

 

 ──強く言った言葉に、ダイユウサクは驚いた様子だった。

 

「絶対、助けに行くからな」

『……うん。待ってる』

 

 それでテンパった混乱からは立ち直ったのか、殊勝な声が聞こえ──通話は切れた。

 代わりにやってきたのは、ミラクルバードだった。

 

「ちょっと、トレーナーどういうこと!?」

「ダイユウサクが駅を間違えて迷子になった」

「え? 西船橋(ニシフナ)で降りた、とか?」

「いや、中山って名前の神奈川の駅だ」

「はいッ!? どこそれ!? というか、どういうこと!?」

 

 大混乱しているミラクルバード。

 だが、今は詳しく説明して理解させる時間も惜しい。

 

「とにかく、オレは今からその中山駅に向かい、ダイユウサクと合流する。それから中山に向かうから──」

 

 これは自分で言ってて訳分からなくなるな。

 

「──ミラクルバード、お前は巽見に連絡をとって、一足先に二人で中山レース場に行き、係員に遅くなると事情を説明してくれ」

 

 オレは──羽織っていた上着を脱いで、別のジャケットを着る。

 今から使う手段には、コイツが必要だ。

 

「でも、トレーナー……ダイユウ先輩を待たせたら、余計遅くなるよ? それなら一人で行かせた方が……」

「大ミスを犯して自責の念を抱えたアイツを、間に合うかどうか不安を抱えさせたまま、一人で中山レース場までいかせるわけにはいかないだろ。まして近くには紛らわしい船橋レース場まである。それに──そんな精神が消耗した状態で出走させたら、勝てるレースも勝てなくなる」

「あ、そっか……」

 

 少なくともオレが近くにいれば、多少の不安は解消できるだろう。

 

「ダイユウサクの勝負服と、オレの鞄は忘れずに持ってきてくれ!」

 

 そう言い残し──オレはその場から駆け出し、学園を飛び出した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 残されたボク──ミラクルバードは、とにかく言われたとおりに巽見トレーナーに連絡を取った。

 もともと一緒にいく約束はしていて、幸いなことにすぐに連絡がとれたから、ボクはダイユウ先輩が駅を間違えて見当違いのところにいることと、トレーナーが迎えに行ったことを説明した。

 すぐに察した巽見トレーナーは、《アクルックス(うち)》のチームの部屋までやってきてくれた。

 そして──

 

「レース場とか運営とかには事情を説明して、事前手続きに遅れる旨は話を付けておくわ。ま、後でこっぴどく怒られるでしょうけど、出走停止ってことにはならないと思う……間に合えば、ね」

 

 出走表に名前がでている以上は、最低限ちゃんと所定の手続きを踏むことができればむやみに出走停止にはしないと思うんだよね。

 とくに有記念はファン投票で選ばれてるから……まぁ、ダイユウ先輩はそうじゃないけど。

 

「だから急いで現地に向かいましょう。とにかく先輩が持って行こうとしていた物を全部持っていかないと」

「うん。トレーナーからも言われてるよ。トレーナーの鞄と、ダイユウ先輩の勝負服──あ……」

 

 ふと思いついて、ボクは声を出してた。

 

「どうかした?」

「そういえばトレーナー、ジャケットひっつかんで羽織っただけで出て行っちゃったけど……」

「さすがに出走者のトレーナーがそんな姿じゃマズいわね。向こうで先輩が着る服も用意しないと」

 

 そうだよね。

 いくらトレーナーといっても、GⅠレースだもん。あまりにラフすぎる格好はマズいと思う。

 巽見トレーナーはざっと見渡して「うん。これね」とあっさり服を見つけてくれた。

 幸い、ハンガーと一体型のスーツを入れる袋に、一式入ってるからそのまま持って行けばいい。

 

「ありがとう、巽見トレーナー。ホントに助かったよ」

「お礼を言うのはまだちょっと早いわよ。中山レース場に着いて、キチンと係に話を通してから、その言葉は受け取るわ」

 

 悪戯っぽくウィンクして微笑む巽見トレーナー。

 あとは……本人がちゃんと間に合うか、だよね。

 頼んだよ、トレーナー。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ああ、もう……ホントに……」

 

 アタシは頭を抱えて深く深く反省していた。

 なんで昨日、ルート確認したときにもっとよく調べなかったのよ。

 “中山駅”じゃなくて“中山レース場”で検索しなかったのよ……

 今朝だって、調べる時間くらいは余裕であったのに。

 そうして今朝のことを思い出して──

 

「なんで南武線に乗っちゃったのよ……」

 

 改めて調べてみたら、中山レース場の最寄り駅までは武蔵野線だけでたどり着けるじゃないの。

 わざわざ乗り換えまでして、こんなまったく別の、関係ない駅に来て──ホント、なにしてんの……?

 

「なんで中山レース場なのに、中山に無いのよ……」

 

 思わず文句を言いたくなる。

 昨日、中山駅を調べたとき、横浜の駅だってわかったわ。

 でも──今まで中山レース場に行ったことがないアタシは船橋市にあることさえ知らなかった。

 

(府中に東京レース場があって、中央で使う関東のもう一つのレース場──ってなれば、やっぱり大都市にあると思うじゃないの……)

 

 もしも北関東三県とか、千葉でも房総半島の先とか、神奈川の西の端っこあたりに“中山駅”があったら疑ってたわよ、さすがに。

 そんなところにあっても人が来ないってわかるもの。

 

(でも横浜なら「まぁ、そうでしょうね」と思っても仕方ないでしょ? あってもおかしくないもん!)

 

 アタシは駅のロータリーに立ちすくみながら、気が動転しまくっていた。

 本当なら、中山レース場の正しい場所が分かったんだから、すぐに向かいたい。

 

(今すぐにでも電車に乗らないと……)

 

 不安と自責から、心の奥からそんな叫びが聞こえる。

 この大ポカを、どうにか自力で挽回しないと。それになにより情けないし、恥ずかしいし、トレーナーに顔向けできない……

 アタシは何度となく改札へ向かおうしてた。

 

(でも──)

 

 あの人は、「待っていろ」って言った。

 「動かずに待ってろ」って。

 それに、「絶対に助ける」って──

 

(だから、信じて待たないと)

 

 待つ時間は長い。

 すごく待った、と思っても時計を見たら全然進んでいなかったりする。

 だから迷う。

 今からでも電車に乗って──

 ううん。いっそここから自力で走った方が早いんじゃ……

 

 ──その永遠にさえ思えた時間が過ぎて……

 

「──ッ!!」

 

 街の喧騒の中、不安で伏せていたアタシの耳はその音を捉えてピクッと立った。

 無意識に耳を、音の聞こえた方へと向けている。

 うん、あの音は……あのエンジン音は──

 

「あれは……」

 

 アタシが顔をあげると、走る車をぬうように、1台のオートバイがこちらへと向かってきていた。

 見慣れたその車体。そしてヘルメット。

 それで誰が来たのかすぐに分かる。

 バイクはそのままアタシの下へとやってきて急停車。頭を完全に覆っていたヘルメットが、顔の部分だけパカッと開いて──見慣れた顔が見える。

 アタシは思わずそれを見て──

 

「と、トレーナーぁぁ……」

「泣くな。まだ間に合うんだから。お前は気にするな……」

 

 苦笑しながらそうアタシに声をかけてくれた。

 そして──

 

「さあ、コイツで中山まで行くぞ。早く後ろに乗れ」

「う、後ろって……でも……」

 

 戸惑うアタシ。

 確かに後ろに座席あるけど、そもそもヘルメットが無いじゃないの。

 いつもくっついてる大きな箱は外れてるし……トレーナーのはともかく、アタシのが無いじゃない。

 いくらウマ娘が自動車みたいな速度で走れても、ノーヘルは違反になるわ。

 警察に見つかればトレーナーが捕まっちゃうし、その時に警察に捕まらなくてもノーヘルがバレたら確実に問題になる。

 

(もう……アタシもバカだけど、なんでトレーナーもヘルメットを忘れるなんて初歩的なミスをするのよ!!)

 

 アタシは再び頭を抱えることになる。

 こんなことなら、電車に乗ってた方が良かったわよ。

 

「どうした? 早く乗れって……」

「ヘルメット無しで乗れるわけないでしょ!? ノーヘルは違反よ?」

「ああ、忘れてた──」

 

 ああ、もうダメよ。

 間に合わない……

 

「ほら!」

 

 トレーナーは──バイクの車体をパカッと開けて、そこからヘルメットを取り出して、アタシに渡してきた。

 ……え?

 あれ? バイクって……そんなハンドルの後ろあたりの大きなところにヘルメットが収まってるものなのね。

 そういえば、スーパーとかコンビニに停まってるスクーターとか、イスのところが開いて荷物入れになってるの、見たことあるわ。

 

「これを使え」

「うん……」

 

 渡されたそれを見て、ちょっと驚きながらアタシは頷いて、頭に被った。

 ああ、これって……

 

「耳が、痛くない?」

「ウマ娘専用のだからな」

 

 普通の──ヒト用のヘルメットを被ると、アタシ達ウマ娘は耳の場所が違うので頭頂部とヘルメットに圧迫されて、耳が挟まれてとても痛くなる。

 でも、そんな頭頂部付近に耳の隙間があるのは──ウマ娘用のヘルメットで、当然痛くない。

 でも……なんで、そんなの用意していたの?

 それにこのカラーリング。赤をベースに黄色と黒って、アタシの勝負服と一緒……

 

「ヘルメットは大丈夫だな? じゃあ、後ろに座って──」

 

 トレーナーの指示に素直に従って、タンデム用のシートに座るアタシ。

 

「トバすからな。しっかり掴まってろよ」

「つ、掴まる? いったいどこを──」

 

 アタシの問いに答えることなく、バイクは走り出してグンと加速した。

 思わず──手近にあった掴まりやすい場所に手を回した。

 運転する彼の胴へと。

 

「ぐふッ──お前、苦しいだろうが! 普通はそこじゃなくて──」

「普通もなにも、初めてだもん!! 分かるわけないでしょ!?」

「ああ、もう! そこで構わねえから絶対に離すんじゃないぞ!! ──ってだから力込めすぎ。苦しいわ! 殺す気か!!」

「アンタが言ったんでしょうが! 絶対に離すなって……」

 

 いつの間にやらアタシはトレーナーと口喧嘩を始めていた。

 おかげで──いろいろアタシが考え込んでた今回の失敗に関する色々は、すっかり頭の中からなくなってた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──それから、いろいろあったが、とにかくオレ達は、無事に中山レース場にたどり着いた。

 

 あの後は一般道から首都高へと向かい、そこから順調にたどり着けた。

 休日だったのが幸いしたな。昼間の首都高の渋滞もそこまでひどくなかったんだから。

 バイクを停めてメットを脱ぎ──思わず大きく息を吐いた。隣でダイユウサクも同じようにメットを脱いでいる。

 

「…………なに?」

「髪。乱れてるぞ」

 

 さすがにヘルメットを被っていた影響で、普段とは違う髪型に。

 オレに指摘されたダイユウサクは、慌てて髪に手をやって直している。

 

「これから大事なレースなのに、それじゃあダメだろ」

「なッ……」

 

 オレはダイユウサクの頭の上に手を置き、髪を撫でつけるようにする。

 それを彼女は──最初は驚いたものの黙って、受け入れてくれた。

 数度、手で彼女の髪に触れ……そして手を離した。

 

「後は、控え室でキチンとしてもらえよ」

「……うん」

 

 うつむいて返事をしたダイユウサクは、まだ今朝の失敗を引きずっているのか元気がない。

 オレは苦笑しながら、話しかける。

 

「なぁ、ダイユウサク……去年、有記念の時は、まさか出走できるなんて思ってなかったよなぁ」

「え? ……うん。そうね」

 

 去年の今頃はオープン特別を2連勝して、金杯に備えていた真っ最中だった。

 

「その前の年もそう。お前と今までここまできて……本当に自分でも信じられないくらいだ」

 

 オレが中山レース場の建物を見ながらしみじみと言う。

 一方、突然そんな感じでオレが言い出したので、ダイユウサクは不思議そうな目を向けてきた。

 

「……有記念に出走できた奇跡に比べれば、今日、間に合ったことくらいは些細なことだぞ。逆に、神様もお前の出走を望んでいるから間に合わせてくれたんだ。きっと、な」

 

 もしかしたら首都高を含めてもっと道が混んでいて、渋滞に巻き込まれていたら、間に合わなかったかもしれない、とオレは苦笑しながら言う。

 それに彼女は──

 

「万が一にでも、間に合わなくなるかもしれない道を選ばないでよ。まったく……バイクじゃなくて電車の方が間違いなかったじゃない」

 

 ジト目をオレに向けてきた。

 

「お前がまた間違えるかもしれないだろ。乗り換えとか。もし上りと下り間違えたら、今度こそ本当にアウトだぞ」

「そんなの、間違えないわよ!! そこまでバカじゃないわ……」

 

 ムキになって強い口調で言い出したものの、急に弱気になって尻すぼみに答えるダイユウサク。

 それを微笑ましく思っていると──オレ達に気が付いたらしいレース場の職員がこちらへ走ってくるのが、彼女の背後に見えた。

 

(……さて、そろそろ送り出さないといけないな)

 

 なんて思っていたら、ダイユウサクは不満げにオレを見ているのに気が付く。

 

「ねぇ、トレーナー。今のトレーナーの言葉で、一つ気にくわないところがあるんだけど?」

「気にくわない? いったい何が……」

「ええ。さっき、『有記念に出走できた奇跡』なんて言ったわよね?」

「ああ。まぁ……言ったな」

「奇跡といえば……たづなさんから前に聞いたんだけど、アタシが初勝利した後に黒岩理事に色々言ったそうじゃない? ……そのときのアナタの言葉、そのまま返してあげるわ──」

 

 そう言って、ダイユウサクはズイッと迫る。

 

「有記念への出走、が奇跡なんかじゃないわ」

「えッ?」

 

 思わずキョトンとするオレ。それに彼女は──

 

「奇跡は──これからよ!」

 

 そう言ってダイユウサクは──あの、オレが最も好きな──勝ち気な笑みを浮かべた。

 それを見てオレは直感した。ピンときたのだ。

 

(ああ、これで──万全だ)

 

 最後のピースがハマった。

 オレにはそう思えた。

 昨日までの調整で完全な仕上がった体に、今朝の一件で一度打ち直された精神が加わり、そして完成したのだ。

 

(これぞまさしく究極にして至高の仕上がり)

 

 もう一度、この状態にしろと言われても二度とできないと断言できる。

 まさに“完璧な”(パーフェクト)ダイユウサク、だ。

 だからオレは──

 

「ダイユウサク!!」

 

 係員に連れられて、関係者用出入口へと向かうアイツへ声をかけた。

 思わず立ち止まって振り返ったのを見て──

 

「グランプリを、獲ってこい!!」

「──ッ!!」

 

 オレの声に彼女は、突然、オレの下へと一直線へ駆け寄ってくる。

 そしてその勢いのままにオレに飛びつき──

 

「その言葉を、待っていたわ」

 

 突然の行動に驚きながらも──オレはなんとかそれに持ちこたえて倒れるのを防ぐ。

 それに精一杯だったオレの頬に……暖かなものが触れる感触があった。

 

「ッ!?」

 

 戸惑うオレ。

 しかしそれは数秒にも経たぬ間に無くなり──彼女は唇を離していた。

 

「あの時の約束──半年というのはだいぶ過ぎちゃったけど……“誰にも負けないウマ娘”になった姿、アナタに見せてあげる」

「ああ……信じて、待ってるぞ」

 

 オレの言葉にダイユウサクはうなずいて──離れる。

 そして戻ってきた係員に謝ってから、共に去っていく。

 その姿を見送りながらオレは──少し慌てん坊のサンタクロースからのプレゼントが、日本中を驚かせることになるかもしれない、と思った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──で。

 

「なんじゃこりゃああぁぁぁぁぁ!!」

 

 身分証が無かったオレは、どうにか連絡が付いた巽見からURAの発行するトレーナーの身分証を受け取り、関係者側へと入ることができた。

 そして、バイク用のジャケットから着替えようとしたのだが──そこにあった服を見て、思わず叫んでいた。

 

「オイ! ミラクルバード、なんだよこの服……」

「ああ、それ? 巽見トレーナーが見つけてくれたんだよ。一番出しやすいところにあってちょうど良かったって──」

「出しやすいところに準備していたんじゃねえよ! この前の記者会見とかセレモニーで着たから、手前にあっただけだ!!」

「……でも、問題ないよね?」

「大ありだ!! 上位予想されてるウマ娘のトレーナーならともかく、下から二番目(ブービー)人気のオレが……」

「ああもう! 勝つって信じてるんでしょ!?」

 

 話を聞いていた巽見がじれったそうに大きな声を出す。

 

「そ、それは……」

「なら、何も恥ずかしくないでしょ!? 腹をくくりなさい!」

 

「…………はい」

 

 オレはうなずいて、それに着替えるしかなかった。

 そして──

 

 

 その服に着替え……所在なげに廊下を歩いていたオレを見た別のトレーナー達が、二度見するのがわかった。

 

「え? 乾井トレーナー……? その服……」

「──ぷッ、あれ? オシャレしてどうしたんです?」

「乾井さん、レースが終わったらクリスマスパーティにでも行くんですか?」

 

 ……オイ、巽見。失笑されてるじゃねえか。

 そりゃあそうだろ。なにしろオレは──正装でこの場にいるんだから。

 まるでパーティに出るような格好……まるでもなにも、この前のレース前イベントに出席したときの一張羅だからな。

 それを巽見とミラクルバードが持ってきた。いや、それしか持ってきてなかったんだ。

 

(だからオレには他に選択肢なんか無かったんだよ!)

 

 他のトレーナーたちが、()()()()()()()()()()()オレの服を見て冷やかすのも無理はないだろう。

 だが、オレはグッと我慢した。涼しい顔を装いながら、答えてやる。

 

「出走するウマ娘のトレーナーなら、当然だろ」

「……なるほど。そういうことですか」

 

 居並ぶトレーナーの中で、髪をショートカットにした小柄な女性トレーナーが鋭い目をオレに向け、なんか訳知り顔で頷いている。

 え? なに、オレの強がりがバレた?

 さすがは天才トレーナー……奈瀬文乃だな。

 

「確かに、走る前からトレーナーが諦めているようでは、話になりませんからね。指導を受けるウマ娘達も可哀想というもの」

 

 そう言って──奈瀬トレーナーは、オレをバカにした目で見ていた周囲のトレーナーを冷ややかな目で見渡した。

 それで他のトレーナー達は、慌てて目をそらしたり、ゴホンと咳払いなんかして誤魔化していた。

 ふむ……さすが天才、スゴい深読みだな。

 

 

 ──そういうことにしておこう。

 無論、この人が担当しているウマ娘にも……オレのダイユウサクは負けないがな。

 




◆解説◆
【I'll Come!】
・今回も元ネタは『サイバーフォーミュラ』シリーズから。
・その最初であるTVで放送された『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』のOP「I'll Come」からほぼそのまま。
・シチュエーションがまさに歌詞と同じ感じだったので。
・今話終盤でのダイユウサクとトレーナーのやり取りも元ネタは『サイバーフォーミュラ』のTV版。最終回前の第36話の終盤でのハヤトとアスカの、その直後のハヤトとアスラーダの会話のオマージュです。
・……一方、お父さんは「I'll Come」ではないという。

忘年会
・1991年の第36回有馬記念を、ダイユウサクの馬主さんは見に行ってませんでした。
・ブービー人気だしまさか勝てるわけがない、そう思って地元(名古屋)で忘年会に参加していたそうな。
・その時は観光に行った娘さんが代理で見に行ったそうですが、その目的は──

ディ○ニーランド
ディズ○ーランド
・馬主の娘さんの目的は、舞浜の()()
・所在地は同じ千葉県浦安市。浦安は千葉の端っこで市川市としか隣接していませんが船橋市とはすぐ近くです。
・当時は「ほにゃららシー」なんてものはなく、ランドだけでした。
・なお「エレクトリカルパレード」もあえて台詞で当時の名称で出しました。
・ちなみに東京ディズニーランドはアメリカ国外で初めてのディズニー・テーマパーク。
・建設前は、千葉県浦安市以外にもいろいろ候補地があったらしいです。
・それは──長野県大鹿村、静岡市清水区、御殿場市、神奈川県横浜市、川崎市、千葉県我孫子市、茨城県ひたちなか市、岩手県盛岡市といったところ。
・ただ、ディズニー側は浦安一択だったそうな。まぁ、横浜や川崎はともかく東京から遠いところばかりですしね。東京から在来線で1時間以内なのはその二つ以外だと我孫子くらいですし。
・その開業は1983年。当時はまだ開業から10年も経っていないころですから、そりゃあ行きたいのも仕方ない。
・1991年は総来客数1億人を達成した年で、翌年92年には三大マウンテンの一つ、「スプラッシュマウンテン」がオープンしてます。
・残りのスペースマウンテンは開業時から、ビッグサンダーマウンテンは87年オープンしていて、もうありましたが。
・なお、中山競馬場最寄りの船橋法典駅から東京ディズニーランド最寄りの舞浜駅までは、電車では最短で乗り換え無しの15分で着きます。

中山駅
・JR横浜線と横浜市営地下鉄の駅。
・所在地は神奈川県横浜市緑区寺山町および中山。だから中山という駅名なんですね。
・もちろん府中本町から行こうとすると、乗り換える必要があります。
・なお、他にも“中山駅”はある……のではなく、過去にありました。
・岡山県にあったのですが、すでに廃駅になってます。
・また樺太にもあったそうなんですが──それも廃駅に。
・ただ、現在も現役の“中山駅”もあるんですけど……台湾です。ですので正しくは中山(ゾンシャン)駅。
・廃駅は行くわけが無いし、台湾は勘違いするわけがないのでそこへ行く案はありませんでした。
・ちなみに、“中山とつく駅”の中には、中山競馬場(中山レース場)に近い駅もありました。
・総武線の「下総中山」と京成電鉄本線の「京成中山」「東中山」があって、役2キロメートル以内の範囲内にあります。
・「東中山」に関しては最寄り駅だったこともあったそうな。
・なお……最寄り駅の「船橋法典」の“法典”ってなんだろう? と思ったのですが、船橋市に合併する前の市町村の1つ“法典村”かその元になった地名からかと。

船橋レース場
・こちらの世界の船橋競馬場のこと。
・中山競馬場の所在地が船橋市古作一丁目なのに対し、こっちは船橋市若松一丁目。
・地方競馬の競馬場で、南関東公営競馬を構成している一角。他は大井競馬場、浦和競馬場、川崎競馬場。
・同じ県でさえ複数あるのが珍しいのに、1つの市に2つの競馬場がある船橋市ってスゴい。
・なお、こちらの最寄り駅は京成線「船橋競馬場駅」。あとは京葉線の「南船橋駅」。西船橋から武蔵野線に乗り入れている電車もあるので、府中本町まで乗り換えなしでいける……かも。

迷子
・有馬記念当日に、ダイユウサクに騎乗する熊沢騎手が、中山競馬場での騎乗が初めてで道に迷ったというエピソードが今回の元ネタ。
・……さすがにここまで大幅な間違いはしていないですけど。
・というか熊沢騎手、また迷ったんスか?(笑)
・ええ。コスモドリームのオークスでも同じように初騎乗で東京競馬場で迷ったんですよね。コスモとはこんな共通点もありました。
・だからあの時、そんなに責めるなって言ったのに……

ハンドルの後ろあたりの大きなところにヘルメットが収まってる
・いや、普通のバイクはそこはガソリンタンクですよ?
・ただしトレーナーの愛車のNC750Xはそこがメットインになっていて、ヘルメットも──ものによっては──入ります。
・フルフェイスやシステム(一見フルフェイスだけど面が開く)だと入るものがあったり、入らなかったり……
・同じシステムでもSHOEIの「NEO TEC」は入ります(~Ⅱはわかりません)が、OGK KABUTOの「RYUKI」は入りませんし。(※今年のフルモデルチェンジ前の、2020年モデルで検証)
・あと、スクーターのメットインは座席の下ですので、そこにはありません。

正装
・この元ネタは、ダイユウサクを担当していた内藤調教師の有馬記念当日の服装から。
・まるで表彰式に出るようなその姿……当然、14番人気の競走馬の調教師がしてくるようなものではなく──周囲は唖然。
・しかし、内藤調教師にとってこの服装は必然ともいえるものでした。
・今まで何度か触れているように、前の週には「5枠に入ったダイユウサクが勝つ(そして大量の現金と共に帰る)夢」を見たのをはじめ、現実でもダイユウサクの仕上がりは「もう一度同じ状態にしろと言われても不可能」な程に最高潮で、自信を持っていたからです。
・「これなら無様なレースはしないだろうし、これはもしかするともしかする」と考えており、勝つ目算は内藤調教師には十分にありました。
・それゆえの、“理由ある正装”だったのです。

奈瀬文乃
・読み方は「なせ ふみの」。シンデレラグレイに登場する天才トレーナー。別名《王子様》。スーパークリークの担当トレーナー。
・《魔術師》の異名を持つ優秀なトレーナーの父を持つ若手トレーナーで、一人称は「僕」。
・というように、そのモデルは現実世界の天才ジョッキー・武豊騎手。
・そんな天才トレーナーがなぜこの場にいたのか、といえば……
・1991年の有馬記念でメジロマックイーンに騎乗していたのは武豊騎手だから。
・そんなわけで……一応、本作の裏設定ではマックイーンの担当は奈瀬トレーナーとしたいのですが、マックイーンは様々なところで主役級なのでいろんな担当トレーナーがいるんですよね。
・やはり一番イメージが強いのはアニメ版の《スピカ》トレーナーですから、奈瀬トレを担当と明言すると違和感が出てしまうので、ここではあえて誰のトレーナーかは出しませんでした。


※次回の更新は12月22日の予定です。         

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時20分となります。



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第78R 大開戦! 運命の最強決定戦(グランプリ)

「ユウ、オークスの時のこと、覚えてる?」
「……覚えてるわよ」
「あのとき、すっごくコスモのこと怒ったよね?」

 得意げに、意地悪そうな笑みを浮かべてアタシ──ダイユウサクを見ているのはコスモドリームだった。
 遅くなったアタシは勝負服へと着替え、諸手続が終わったところで──コスモが笑みを浮かべて待っていたのよ。
 そんなコスモに──アタシは目をそらし、不満げに口をとがらせて答える。

「……コスモの時とは明らかに違うわよ」

 そう言って、フンと憤る。

「東京レース場なんて、学園から目と鼻の先じゃないの。あんな距離で迷う方がどうかしてるわよ!」
「離れた場所なのに、自分が出るレースの開催場所をしっかり調べない方がどうかしてると思うけどね! 千葉と神奈川、間違える? 普通……」

 それに切り返すコスモドリーム。
 そうしてアタシとコスモはお互いに、「ぐぬぬぬぬ……」と睨み合う。
 そこへ──

「どちらもどちら、と思いますけど……端から見れば。ドングリの背比べではないでしょうか? もしくは五十歩百歩……」

 ──苦笑いと共に声をかけてくるウマ娘がいた。
 淡い色の長い髪をした彼女は──ダイユウサクとコスモドリームと同期のウマ娘だった。

「メジロアルダン!」
「どうしたの? こんなところに……」

 コスモドリームが驚いてその名を呼び、ダイユウサクは首を傾げた。

「私もメジロ家ですから。妹分たちの応援、というのが一つです」
「一つ?」

 もちろんそれには合点が行く。だって、今日の大本命はメジロ家の御令嬢だもの。
 それと今日が復帰戦になるメジロライアンもいる。
 でも……それが目的の一つ、というのは解せない。

「ええ、もう一つ……実は、同窓会の幹事を担当することになってしまいまして、この年末、忙しいものですから会場をここにしてしまいました」
「……はい?」

 思わず呆気にとられてしまう。

「中山レース場の貴賓室を押さえて、そこを会場にしてしまいました」

 楽しげに「ふふふ……」と笑みを浮かべるアルダン。
 発想もかなり飛んでいたけど、やり方はその上をいっていたわ。

「それで、集まった皆さんで今日のレースを観戦しよう、と……」
「はあッ!?」

 な、なによそれ……それってアタシが出てるレースも見るってことでしょ?
 みんなが見ている前で走るなんて、全然慣れてないんだからホントに勘弁してほしいわ。

「ええ。引退して一戦を退いた方ばかりですし、気を楽にして観戦しようと思いまして」
「……アルダン、アナタやっぱり意地悪よね?」

 アタシがジト目を向けても、アルダンは涼しい顔で微笑んでいる。

「コスモドリームさんもどうですか? シヨノロマンさんとサンキョウセッツさんを見かけたのでお誘いしたのですが……」
「コスモは、ユウの姿を近くで見たいから。貴賓室からだと遠いし」

 やんわりと断ったコスモだったけど、アルダンはある程度それを予想していたらしく、「そうですか」と微笑んだだけだった。

「でも、スタンド観戦なら早く行かないといい場所はとられてしまうのでは?」
「あ……それもそっか。じゃあユウ、ちゃんと見てるからね。しっかり頑張るんだよ」
「ええ、もちろんよ。『迷ったら勝つ』ってジンクス、作ってみせるわ」

 アタシが笑みを浮かべると、コスモも「しょうもないこと言わないでよ」と苦笑しながら去っていく。
 それを見送っていると、アルダンが──

「……実は、ダイユウサクさんに一つお願いしたいことがあります」
「なに? メジロの可愛い妹分に花を持たせろ、なんて話じゃないでしょうね。そんな心配しなくても──」

「いいえ、逆です」

 冗談めかしたアタシの言葉に、アルダンは微笑みを消して答えていた。

「逆?」
「はい。貴方には……このレース、有記念を勝っていただきたいのです」
「はい?」

 思わず問い返す。

「それは勝つつもりで出走するけど……でもアルダン、アナタさっき言ってたわよね? 妹分達の応援に来たって」
「ええ。ライアンにマックイーン、次代を担うメジロのウマ娘達の成長と、その成果を見に来ました」

 でしょ?
 アタシが勝つということは、あの二人が負けるということなわけで……ほら、辻褄が合わない。
 けど、アルダンはアタシの目を真剣に見ながら──

「マックイーンを、ぐうの音も出ないほど、正面から叩き潰してください」
「……それ、本気?」

 アタシが疑いの眼差しを向けながら訊くと、アルダンは頷いた。

「ええ、本気ですよ────できるものなら、ですけど」

 くすくすと笑いながら答えた彼女に、思わずアタシはズッコケた。
 そんなアタシの姿を見て、アルダンは変わらずに微笑んでいた。



 

 中山レース場の貴賓室──その中の一つはメジロアルダンがダイユウサク達に話したように、クラスの同窓会の会場になっていた。

 ダイユウサクと別れ、出走するメジロ家の二人……マックイーンとライアンへの激励も済ませていたアルダンは、その会場へと向かっていた。

 そして、扉を開いてそこへ入るなり──

 

「ったく、こんなところで同窓会ね。これだから金持ちの考えることはわからねえ……」

「あら? 今回は私が幹事ということでしたから、ここに決めさせていただいたのですが……よくなかったでしょうか?」

 

 フードを被ったウマ娘──ディクタストライカが隠すことなく悪態をついてきた。

 それをふんわりと笑みを浮かべたメジロアルダンが、内心「懐かしいですね、この光景も」と思いながら受け止める。

 

「VIPルームを貸し切りとは、さすがメジロ家の御令嬢、やることがでけえな! とは思ったが……もう少し場所と時期を考えて欲しいもんだ」

 

 忌々しげに、眼下のコースを見るディクタストライカ。

 

「勝ったヤツや出走してないヤツはいいかもしれねえが、オレはを負けてるんだぞ? 少しは気を使えってんだ。なぁ、クリーク……」

「ええ、まぁ……」

 

 ディクタストライカに話を降られ、やはり出席していたスーパークリークが苦笑する。

 そのふんわりとした笑みは、肯定とも否定ともとらえられないものだった。

 そんな二人の会話に、アルダンも苦笑を浮かべる。

 

「あの……私も、出ていますが? それも昨年──」

「そんなの自分で選んだんだから自業自得──ではございませんかねぇ!?」

 

 ディクタストライカの内心を代弁するように──この場にいたブラッキーエールが言う。思わず、といった調子で慌てて語尾を変えたが。

 

その約束──まだ有効なんですか?」

 

 そんなブラッキーエールの話し方を見て苦笑を浮かべたのは、サクラチヨノオー。

 その光景を少し懐かしく思いつつ──彼女はその原因であるオグリキャップを振り返る。

 

「私は、別にもう構わない、と言っているのだが……」

「レースで決めた約束だからな。オレ──わたしは絶対に変えねえ……でございますのよ」

 

 ぶっらきらぼうに言う滅茶苦茶なその言葉に──他のクラスだったシヨノロマンは面をくらっていた。

 しかし驚きが収まると、今度はおかしさがこみ上げてくる。

 思わず、ついクスクスと笑ってしまい──それをブラッキーエールは睨んだ。

 

「オイ、どこの誰だか知らねえが、コイツは見せ物じゃ──」

 

 ──と絡もうとしたブラッキーエールを阻むように、シヨノロマンとの間に影が割り込む。

 そして、その割り込んだ影の鋭い目と、放つ殺気じみた気配にあてられ……

 

「──ありませんことよ!!」

 

 すっかり機先をそがれてしまう。

 それをしたのは──シヨノロマンを守るように立つ、ヤエノムテキであった。

 

「他のクラスだった方とはいえ……むしろ他のクラスだったからこそ礼儀をしっかりすべきでしょう、ブラッキーエール」

「ヤエノムテキの言うとおりっスよ、まったく……」

 

 その近くでは、風紀委員長の習性で、厄介事へ敏感に反応していたバンブーメモリーがブラッキーエールを冷ややかに見ている。

 それで場が落ち着いたと判断したシヨノロマンは、あらためてメジロアルダンへと頭を下げた。

 

「本日は、私達までもお招きいただき、ありがとうございます……」

「お礼には及びませんよ。あなた方3人なら、きっと来ていると思いましたから。それに……貴方を呼んだら喜ばれる方もいらっしゃると思いましたので。ねぇ、ヤエノムテキさん?」

「そ、それは……」

 

 話を振られて焦ったヤエノムテキは、急に顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。

 すると──まるでそれにあわせるように、場内でどよめきが起こった。

 

「あ? なにかトラブルか?」

「いえ、そういう雰囲気ではありませんね……ひょっとしたら、誰か大物のVIPでも来たのかもしれません」

 

 時間的にはまだ有記念に出走するメンバーが顔を出すような時間でもない。

 

「ってことは、“メジロのお婆さま”でも来たのか? 大本命さまが心配になって、とか……」

 

 意地悪く笑みを浮かべるディクタストライカに、メジロアルダンはやんわりと苦笑する。

 実は──メジロマックイーンの秋の天皇賞での降着を一番抗議したのは、御婆様なんですけどね、とアルダンは密かに思った。

 あれを不服に思い、マックイーンの以後のレース──ジャパンカップと有記念をボイコットする、とまで言い出したのだ。

 もっとも……ファンを悲しませるから、という理由で撤回しているが。

 

「あの方を存じてない方も多いでしょうから、あんなに声はあがらないと思いますよ。それに目立つのは嫌いなようですし……私ではなくお二方の御婆様では?」

 

 アルダンはそう言って、シヨノロマンともう一人を交互に見る。

 

「シヨノロマンさんの御婆様……まさか……」

 

 考え込んだヤエノムテキが思い至って、驚いていた。

 

「まぁ、御親戚が出走するのですから、来られても不思議ではないかと。学園の入学当初から気にかけておられた様子ですし……」

「オイオイ、知ってるヤツらだけで盛り上がってるんじゃねえよ。こっちは誰が誰だかサッパリだ」

 

 ディクタストライカはイラつきながら言い、それにブラッキーエールも乗る。

 

「──で? コイツ誰よ? そっちのシヨノロマンは知って……いますけども、こっちのは分からねえ──んでございますがねぇ?」

「私は、サンキョウセッツですわ!!」

 

 ツインテールのウマ娘が憤然と答え、それを聞いてブラッキーエールは吹き出した。

 そして、そのまま笑いながら言う。

 

「あ~あ~、思い出した! アレだろ、オークスで実況がコスモドリームと間違えて名前叫んだヤツだよな、たしか。ああ、名前だけは知ってる」

「な、名前だけ……」

 

 愕然とするサンキョウセッツ。

 一方、ブラッキーエールは笑いつつ、そんな反応お構いなしに話を続ける。

 

「オークスの後はサッパリ話は聞かなかった……ですけど」

「それはアナタもおなじではありませんか。オグリキャップさんに負けてから、すっかり影が薄くなって……」

「なんだと、オイ?」

「なんですの? そちらから言い出したのではありませんか……」

 

 急に睨み合うサンキョウセッツとブラッキーエール。

 そんな二人を横目にため息をつくディクタスライカ。

 

「で、そいつと……シヨノロマンだっけか? その御婆様って、いったい誰のことだ?」

「ああ、それなら……シンザンと聞いているが」

 

 こともなげに言ったのはオグリキャップ。

 その平然さに、「ああ、シンザンね……」と納得しかけたディクタストライカだったが「はあッ!?」と驚く。

 そしてサンキョウセッツといがみ合っていたブラッキーエールもまた唖然とした。

 

「シンザンだと!? コイツ……あのシンザンの孫なのに……」

「孫なのに、なんですの?」

「孫なのに……なぁ……」

 

 急に憐憫の目を向けるブラッキーエール。それに「キーッ!」と金切り声をあげて反発するサンキョウセッツ。

 そんな二人を苦笑しながら見ていたサクラチヨノオーは、メジロアルダンを振り返った。

 

「そういえばアルダンさん……さっき、3人って仰っていましたけど、あと一人は?」

「ああ、コスモさんには断られてしまいました。こちらよりも走路に近い、観客席(スタンド)最前列で応援したい、と」

「なるほど。コスモドリームさんらしいですね」

 

 明るく元気な彼女を思い出し、また従姉のダイユウサク想いでもある彼女の心意気に、サクラチヨノオーは感心する。

 一方、ディクタストライカはさきほどのどよめきを思い出しながら、ニヤリと笑ってオグリキャップを見た。

 

「オイ、オグリ……なんならお前も窓際で手でも振ってやったらどうだ? きっと観客も驚いて喜ぶぜ」

 

 昨年の有記念を沸かせたアイドルウマ娘だ。まだ記憶に新しいし、なによりその因縁の有記念だから、さぞや盛り上がるだろう。

 ディクタストライカはそう思ったが……オグリキャップはゆっくりと首を横に振った。

 

「いや、やめておこう。今日の主役は私じゃない──」

 

 オグリキャップがそう言ったとき、観客席から一斉に歓声が上がる。

 彼らはオグリの姿を見つけたわけではない。

 今日の主役が──ターフに姿を現したからだ。

 

 

 ──今年の有記念の出走まで、あとほんの少し。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 出走する15人が、ゲートに向かう。

 あるウマ娘は──自分が最強であることを世に知らしめるため。

 またあるウマ娘は──掴んだ栄光がまがい物ではないではないと世に示すため。

 ケガで出走がかなわないウマ娘()を思う者もいれば──

 失意の底にいるウマ娘(ライバル)を鼓舞させようと決意する者もおり──

 歯車が狂ったままのウマ娘(親友)を案じている者もいた。

 なにも考えず、全力疾走しか頭にない者。

 なにも考えられぬほどに、体調が悪い者。

 ──その他、様々な者達が様々に思いを描き、一人、また一人とゲートへと入っていく。

 

(コスモ、セッツ、シヨノ……アナタ達の恩は、絶対に忘れない。それに報いてみせるわ)

 

 ゲートに収まった、赤を基調としたオフショルダードレスの勝負服に身を包んだウマ娘は、目を閉じてその時を待つ。

 

ミラクルバード(コン助)の的確なアドバイス……悔しいけどさすが元一流ウマ娘よね。それにオラシオンも……意外な目の付け所に、非凡なものを感じる)

 

 天才というのは、彼女たちのようなウマ娘を言うのだろう。

 そしてそういうウマ娘達こそ“次代を作っていく”存在となる候補なんだと思った。

 無論……花開かずに散ってしまう者もいるが。

 

(アタシは、ああではない。ああはなれなかった。でも……)

 

 自分の同期にもいた、誰もが認める“天才”。

 そんな存在とはかけ離れた自分だからこそ──自分の才を見抜いてアタシに手を差し伸べてくれた、たった一人の相手に……その恩に報いたい。

 

(栄冠を、あの人へ……)

 

 その顔を思い浮かべた直後、ウマ娘──ダイユウサクは目を見開く。

 そして──

 

『年末のグランプリレース──スタートしました。15名、きれいなスタートを切っています』

 

 ──年末のグランプリレース、記念は幕を開いた

 




◆解説◆
【運命の最強決定戦(グランプリ)
・元ネタ、ありません。

を負けてる
・ディクタストライカことサッカーボーイは1988年の有馬記念に出走していますが、3着でした。
・なお、その時に出走した同期はオグリとクリークと、ハワイアンコーラル。の4頭。
・直後に話を振ったクリークは……斜行で失格です。ディクタさん、性格悪いわ~。
・翌年89年は、クリークが2位でオグリが5位。あとはこの場にいるヤエノムテキが6着ですね。
・出走している同世代は……ハワイアンコーラルが再び出走。あとはキリパワーとミスターシクレノンです。
・オグリキャップのラストランで有名な90年は、オグリの他にヤエノムテキ(7着)、そしてメジロアルダンがこの年に有馬初出走です。10着でしたが。
・他の同期はミスターシクレノンとラケットボール。
・──そもそもここにいるメンバーで……というよりもこの世代で有馬記念勝ってるのはオグリキャップ(とあと一人)しかいませんよ!?

その約束
・ブラッキーエールはシンデレラグレイの19話でオグリキャップに「負けたら笠松に帰る」というのに対し、オグリから「私が勝ったら二度と汚い言葉を使うな」という賭けをします。
・そして迎えたペガサスステークスではオグリが勝ち──21話では妙な上品な言葉で怒鳴るというキャラになってしまいました。
・単行本ではオマケ絵でアルダンに「汚い言葉さえ使わなければ普通にしゃべっていいのでは…?」とツッコまれていましたが。
・その後も、もう一度すっかり忘れられたころに再登場したときも、アルダンのツッコミで直った様子はなく、「乱暴に上品な言葉を使う」というキャラに。
・──う~ん、“()()()使うな”って約束でしたからね。引退しても有効なのでしょう。


すっかり影が薄くなって
・ブラッキーエールこと、ラガーブラックはまさにオグリと戦って以降はツキを落としたかのように勝てなくなってます。
・以前に解説しましたし、またシンデレラグレイ本編でも再登場時にそれに言及してしましたが。
・ペガサスステークスの後は皐月賞に出走し9着、それを含めて14戦走りましたが、88年のオパールステークス(オープン特別)の3位、CBC賞(GⅢ)での入賞のみで他は掲示板外になっています。
・一応、GⅠも皐月賞以外にもマイルチャンピオンシップに出走したんですが17頭中15着。
・1989年の11月のGⅢ福島記念を最後に引退しています。
・それでも生涯獲得賞金は9000万超えてますから、5000万円強だったサンキョウセッツさんは負けてるんですけど……

記念は幕を開いた
・今回のレースの元ネタは、1991年12月22日に開催された第36回有馬記念です。
・その発走時間は15時20分。
・それに合わせて本話のアップ時間は合わせて──まさに30年前のその日、その時間に、あの有馬記念がスタートしたのでした。


※次回の更新は12月22日午後3時22分の予定です。

──え? もう過ぎてる?



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第79R 大決着!! これはビックリ──

 
 ──名古屋のとある場所。


 そこではとある会社の忘年会が行われていた。
 昼間の3時過ぎ──とはいえども社内という身内だけで、しかも無礼講の飲み会。時間帯の割にはもう出来上がっている酔っぱらいもいるわけで……
 そんな一人が、酔い醒ましに……とばかりに主会場の隣の休憩スペースにフラフラとやってきた。
 そこにはテレビが置いてあり──数人がそれを見ている。

「おやおや~、みなさん、ここで何を見てるんですか~?」
「こ、これは……」

 やってきた人がだいぶ酔っているのを見て、思わず苦笑する若手社員たち。
 同時に、そんな酔っぱらいの中年が来たことで内心顔をしかめていた。
 せっかく会場を抜け出して、気になるトゥインクルシリーズのレースを見に来たというのに……
 おまけに今日は、年末の大レース──有記念だ。ファンなら誰でも興味を持つ。
 こんな忘年会なんて無ければ、家で見られたはずなのに……なんなら東京まで見にだって行けたかもしれない。

「……おや? 有……記念?」
「え、ええ……そうなんですよ。まもなく出走で、気になったものですから」
「知ってます? ほら、去年……オグリキャップがラストランで優勝して……」
「ま、今年はマックイーンで決まりですけどね」

 若手社員たちが気を遣いながら、その中年社員の機嫌を損ねないように説明する。
 すると──

「そりゃあ、知ってるわ。だって……娘が出ているんだから」
「へぇ、そうなんですか──って、ええッ!?」

 若手社員たちが飛び上がらんばかりに驚いた。

「む、娘って……お嬢さんが、出ていらっしゃるんですか?」
「ああ、そうだぞ? ほら……この8番のウマ娘」

 画面の端にチラッと映った長い栗毛の髪をしたウマ娘を指して、その中年社員は言う。
 若手のうちの一人が「そういえば聞いたことがある」となにやら言い出す。
 彼曰く──その中年社員は有名なウマ娘の親戚で、その娘も中央トレセン学園に所属するウマ娘だ、というウワサがある、と。

「……え? でも、それなら……こんなところにいたらダメなんじゃないですか?」
「そ、そうですよ!! なんで忘年会になんて出てるんですか!? 娘さんの一世一代の晴れ舞台じゃないですか!!」
「あぁ……大丈夫、大丈夫。うちの娘……ダイユウサクが優勝するわけなんて、ないんだから」

 赤ら顔で笑顔を浮かべ、その中年社員──ダイユウサクの父親は、若手社員たちに手を振る。
 さすがに反応に困る若手たち。いたたまれない空気が漂う。
 ダイユウサクが15人中14番人気なのは、ウマ娘競走のファンであるその場の誰もが知っていた。
 そして今日のレース、大本命のメジロマックイーンが固いことも。
 だからといって、実の娘が出走している父親に向かって「そうですよね~」なんて言えるわけがない。
 そしてトゥインクルシリーズを知っているからこそ、有記念についての知識ももちろんある。そのレースが多くのウマ娘たちのあこがれの舞台であることを。そして、出走するだけでも凄い名誉であることだというのを。
 ただ──このダイユウサクの父親は、なまじ従姉にシンザンなんてとんでもないウマ娘がいたせいで、「有記念に出走するだけで栄誉」なんて感覚を持ち合わせていなかったのだ。

「ま、でも……私も気にはなるんだよ。中山に行って直に見る勇気はなくとも、ね」
「それは、そうですよ」
「娘さんのことなんですから、当たり前です」

 ダイユウサクの父親が自嘲気味に、そして寂しげに苦笑しながらいった言葉に、父親としての本心を感じ、若手社員たちもしんみりする。

「よし、じゃあみんなで、ダイユウサクを応援しようじゃないか!」
「おう、頑張れよ! ダイユウサク!!」

 若手社員たちが一気に盛り上がり──

「ウチの娘を呼び捨てにするとはどういう了見だ!!」
「ホントにめんどくさい人だな、この人!!」

 突然怒り出した酔っぱらいに困惑する若手社員達。
 そんな彼らの背後では──ゲートが開き、有記念が開始した映像が流れていた。



 

『さぁ、逃げ宣言のツインターボが行くのか。やはりツインターボが出てきました』

 

「このレース、ターボが勝つ!!」

 

 ツインテールにした青い髪に、瞳の奥がグルグル、そして乱杭歯という個性的な見た目のウマ娘──ツインターボであった。

 

「先頭に立って、全力疾走でゴールまで誰にも抜かれないで駆け抜けたら、ターボが勝つ!!」

 

 ゆえに全力疾走。

 前しか見ないその走りで、彼女はレースを引っ張っていく。

 

「今のターボは1位。そして誰もターボには追いつけない! このまま全力で駆け抜ければ──勝利は確実!!」

 

 疾走し始めたツインターボのペースに、ダイタクヘリオスとプレクラスニーといった他のウマ娘達も負けじとついていく。

 そして、それを横目に良いスタートを切っていたメジロマックイーンは少し下がり、集団に飲まれていく。

 

 ──レースはまだまだ始まったばかりである。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

『4番のダイタクヘリオス、さらにプレクラスニー。前が速くなりそうであります。そして、注目のメジロマックイーンは現在7番手。白い髪、マックイーンは現在7番手。まず、正面スタンド前にやってくる15名であります』

 

 ──負けられない。

 

 その思いが、出走しているウマ娘の中で一番強かったのは、絶対に私だと確信している。

 だからこそ先頭(ハナ)を切って逃げようとするウマ娘を、絶対に逃さぬとそのペースに私──プレクラスニーはくらいついていく。

 

(不名誉な勝ちなどどうでもいい。私が望むのは──自らのこの手で直接掴み取った栄冠だ!)

 

 最下位のウマ娘から6バ身離された優勝──という、それだけ聞いても状況がサッパリわからないが、それでも屈辱であることだけはハッキリわかる結果。

 そんな“屈辱の天皇賞制覇”と呼ばれた秋の天皇賞。

 本来の適正距離であるマイルを捨ててまで、私がこのレースに賭けた目的は──メジロマックイーンに勝って有記念を制することのみ。

 

(そうしなければ、私はその呪縛を逃れることはできない……)

 

 あのイメージを払拭しなければ、どのレースを勝とうとも「あの、マックイーンに6バ身離された──」という枕詞がつくのは目に見えている。

 

(では、どうすれば払拭できるか?)

 

 勝つしかない。あのメジロマックイーンに。

 今度は最終的な順位だけではなく、入線した順番でもだ。

 しかも私にとって天皇賞(秋)の次走となる、この有記念で勝利を見せつければ──

 

「あの“盾”にふさわしいウマ娘と誰もが認めることになる!」

 

 表彰台で聞いた陰口も、噤まざるを得ないだろう。

 後ろ指を指した者共を見返し、嘲り笑ってやる。

 

(だからこそ、私は研究した)

 

 どうすればメジロマックイーンに勝つことができるか。

 マイラーである自分がマックイーンに2500で勝つためにスタミナをつけるのは当然のことだが、その上でどのような戦術を練るか、も重要であった。

 ただ無策に走り、力でねじ伏せられるような相手ではないことは、それこそ秋の天皇賞で十二分に分かっている。

 

(アイツのレースは研究した。今までの全レースを、飽きるほどに見てやった)

 

 その結果──数少ないマックイーンの負けレースの中で、自分が採用できそうなものを見つけたのだ。

 それが──

 

(宝塚記念……ライアンがマックイーンに勝ったレース)

 

 そう──今まさに同じレースを走っているメジロライアンだ。

 あの時、メジロライアンはメジロマックイーンよりも前の位置につけていた。

 マックイーンは末脚も強い。

 末脚で劣るのなら、少なくとも終盤でマックイーンよりも前にいなければ話にならないのは明白だ。

 ライアンの考えはシンプルであり、分かりやすいものだが──

 

(私はマックイーンにスタミナで劣っているのは当然。末脚勝負になれば勝ち目はない。だからこそメジロマックイーンよりも終始前にいなければならないのだ)

 

 だから私は走る。

 ちょうどハイペースで逃げるウマ娘がいたからこそ、彼女を追いかける形にし、2番手で──

 

『12番、ツインターボがペースを作ります。そして天皇賞ウマ娘、プレクラスニーが2番手であります──』

 

 ツインターボの後ろを、独走を許さじとプレクラスニーが続き、さらにはダイタクヘリオス、オサイチジョージまで同じ位の間隔をあけて走り、5番手以降は集団といった状況。

 

 

 ──各ウマ娘は1週目のスタンド前を通過していった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そして集団は、直線から1コーナーへ差し掛かった。

 

『ダイタクヘリオス3番手。さらにオサイチジョージが4番手。その後方、カリブソングがいます。さらにフジヤマケンザン。

 その後方に──メジロマックイーン、ライアンと並んで行っている、メジロが二人並んで行っている。3番のヤマニングローバルが──』

 

 あたしは、マックイーンの横へ、自然とついていた。

 ケガからの休養明けで、普段通りとはいかず、調子はイマイチだけど……それでも彼女が心配だった。

 

「──マックイーンが変?」

 

 それを教えてくれたのは、先輩のアルダンさんだった。

 もちろん心当たりはある。あのレース──秋の天皇賞でのことが、マックイーンの歯車を狂わせたんだって。

 

「でも、あれは確かに……マックイーンも悪いよね」

 

 客観的に見られるからこそ、あたしも分かる。

 後から映像で見れば明らかだったけど、マックイーンからは見えなかったんだと思う。でも後続で走るウマ娘達がとんでもなく窮屈なことになってた。

 

(実際、ケガした()もいたわけだし……)

 

 後続を6バ身も離したんだから、なにをそんなに焦る必要があったのか、と思ってしまう。

 でも──

 

(マックイーンだって気負いもすれば焦りもするんだ。機械じゃないんだから)

 

 アレの原因は、まさにそういった(たぐい)のものだ。

 数年前にタマモクロス先輩が初めて達成した、天皇賞の春秋制覇──それを意識しすぎて気負ったんだと思う。

 そして、ステイヤーから見れば()()2000という距離は、展開をミスれば挽回できないという強迫観念を生んでしまい、あんなことになった。

 

「ライアン……私ではもう、あの()を支えることはできません」

 

 アルダンさんが寂しげに言う。

 秋の天皇賞以降、マックイーンが落ち込んでいるのを励まそうとしていたのは分かっていたけど、アルダンさんだって負傷を抱えていたのに……

 ジャパンカップの辺りから、マックイーンの側には妙な取り巻きが増えていた。

 あたしも怪我からの復帰に専念していたから気がつくのが遅れたんだけど……あのマックイーンを賛美するだけの集団は、本当に気持ちが悪かった。

 

(目を覚ましてよ、マックイーン……)

 

 本当のキミは、そんなヤツらにチヤホヤされて悦に入るようなウマ娘じゃないだろ!?

 自分に厳しく、ストイックで──それをおくびも出さずに平然とスゴいことをやってのけてきたウマ娘じゃないか。

 菊花賞の制覇だってその一つだ。あたしはクラシックの栄冠を何一つつかめなかったんだから。

 横目を向ければ、触れんばかりのところを走る彼女。

 

 だけどその距離は──果てしなく遠いように思えた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

『ナイスネイチャ、メジロマークでありましょう。その後方、プリンスシン。さらにメインキャスター。ポツンと最後方からいっているのがオースミシャダイであります』

 

 相変わらず逃げるターボ。

 そしてそれを追いかけるプレクラスニー。その後方にダイタクヘリオス、オサイチジョージという大勢は変わらない。そこへ葦毛の髪が目に入る。

 マックイーンか、と上位陣に緊張が走るが──違う。現在5番手の位置にいた2番のミュージックタイムだった。

 

『1コーナーから2コーナーであります。先頭は逃げ宣言、12番ツインターボ。そして天皇賞ウマ娘プレクラスニーが2番手。さらにダイタクヘリオスが3番手。オサイチジョージ4番手。2番のミュージックタイム5番手になります。その後方フジヤマケンザンがいます。アウトコースを通ってカリブソング』

 

 その後ろの集団の中に──今日の主役が冷静にレースを展開していた。

 メジロライアンと並んで道中を走る、メジロマックイーン。

 

 

(……まったく、ライアンも心配性なのですから)

 

 横を走るメジロライアンが、伺うように何度かちらちらとこちらを見ているのは、わたくしも気がついていましたわ。

 

(アルダンさんも、ライアンも、わたくしのことを心配してくださっているのは、よくわかります……)

 

 確かに──秋の天皇賞以降、わたくしの調子が狂ったのは認めますわ。

 ですが、私の速さに陰りがあったわけではありません。

 事実──秋の天皇賞では圧倒的な速さでゴール板を駆け抜けていたわけですし、あんなことがあって調子を落としていたジャパンカップでも、国内勢は誰一人としてわたくしに勝てていないではありませんか。

 まぁ、たしかに……海外勢には負けてしまいましたが、それもショックで調子を落としていただけのこと。

 

(調子がよければ、たとえ海外のウマ娘相手だろうと負けませんわ)

 

 それだけの実力が、わたくしにはある。

 その実力を──このレースで見せつけて差し上げますわ。

 

(勝つべくして勝つ……)

 

 このわたくし──メジロマックイーンが走れば、それは勝利が確約されたようなもの。

 今回のレースで圧倒的な力を見せつけてそれを証明いたします。

 そうすれば──ライアンやアルダンさんも、余計な心配をしていたことに気がつくことでしょう。

 

(──とはいえ、まだ仕掛けるには早すぎますわ)

 

『依然としてメジロが2名、メジロマックイーンとメジロライアン、並んで行っている』

 

 そして、その後ろには彼女をマークするように、また集団ができている。

 その中に強者の気配を感じながら、それでも自分の方が優れていると自負できるマックイーン。

 

 ──集団は3コーナーへと差し掛かっていく。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

『さらに3番のヤマニングローバルもいます。後方になりますがナイスネイチャもピタリとマークしている。ダイユウサクもいる。その後方になりますが、7番メインキャスターが、いえオースミシャダイが最後方であります。』

 

 実況が勘違いするほどに、オースミシャダイは完全に離されて、ポツンと走っていた。

 そして集団が3コーナーにかかると──先頭に変化が起こる。

 

『さぁ、3コーナーにかかる。ペースは依然として速いペースになっている。さぁツインターボがわずかに先頭。ツインターボがわずかに先頭。さぁ、プレクラスニーがスッとかわして先頭に立った。天皇賞ウマ娘プレクラスニー。さらにダイタクヘリオス、まだ頑張っている。オサイチジョージ──』

 

 ツインターボがついにバテて一気に下がっていく。その代わりにプレクラスニーが先頭に立ったのだ。

 そして──ダイタクヘリオスもその外、後方に付けている。

 

 

「うわ、ヤバたにえん。マジで……スタミナ切れんの早すぎじゃね?」

 

 先ほどまで先頭を走っていたウマ娘が3コーナーで、まるで燃料切れを起こしたように失速して、ずるずると下がっていく。

 それをかわしながら見たけど──もう完全に、バテてたじゃん、あの()

 

(騙された~。やっちゃったな、これは……)

 

 平気な顔でガンガン走っていくから、あのペースで最後まで走りきる──少なくとも最後の直線までは行くと思ってたのに、彼女は早々にスタミナ切れを起こして下がっていった。

 

(ヤバいくらいにハイペースだったってことでしょ? マズいっしょ……)

 

 あの青いツインテールのウマ娘──ツインターボの後ろを、プレクラスニーやオサイチジョージといった面々と走っていたのは……

 

「……ウチにだって負けられない理由が、ある」

 

 普段はテンション高く、アゲアゲなアタシだけど──今日の気分はちょっと違う。

 いつもよりもちょっとだけ──マジになっちゃってるんだよ!

 

「お嬢様のためにも……勝たないと」

 

 アタシがライバルと思っていたダイイチルビー。

 この一年、何度と無く顔を合わせた相手なんだけど……今、彼女は落ち込んでる。

 スプリンターズステークスをルビーが制したけど、それを競ったケイエスミラクルが途中で負傷して、再起不能になったのが原因。

 

(おまけに……アタシはスプリンターズステークスじゃなくてこっちに来ちゃったし)

 

 マイルチャンピオンシップ勝者であるアタシ。距離的には有記念じゃなくてスプリンターズステークスの方が近いんだからそっちをねらうのが順当だったんだけど……

 

(お嬢様がツレなくて……こっちを選んじゃったんだよね)

 

 どうにもアタシをライバル扱いしてくれない様子のダイイチルビー。ここは押してもだめなら引いてみろ……というわけであえて別のレースを選んでみたんだけど……結果的には大変なことになってるし。

 

(結果、お嬢様は不完全燃焼……しかも、相手は……)

 

 戻ってくることはない。

 ケイエスミラクルは、ダイイチルビーにとって二度と戦えぬ目標という唯一無二のものになっちゃったのよね。

 

(あの後……)

 

 こっそり、お嬢様──ダイイチルビーの様子をのぞき見たこともあった。

 が、明らかに落胆している。

 トレーニング中でもため息をつき、そのテンションの低さで彼女のトレーナーを困らせていた。

 

(だったら……ウチの実力を見せつけるしか、無いっしょ!)

 

 ケイエスミラクルの代わりに、自分がなればいい。ヘリオスがたどり着いた結論はそれだった。

 自身がダイイチルビーの気持ちを奮い立たせられるような相手になれば、あの“お嬢様”はきっとまた復活する。

 そうすれば今度こそ──自分をライバルとして見てくれるはず。

 そのために、有記念は絶好の機会だった。

 

(グランプリを制する。そうすればお嬢様も認めてくれるはず……)

 

 彼女の闘志を湧き立たせる相手となるべく──有記念を勝たなければならない。

 

 ──そのために、今日は勝たないといけないのに。

 

 

『さあ、ライアンも来ている。残り400メートルを切った。プレクラスニーが先頭だ。プレクラスニーが先頭だ。ダイタクが2番手、ダイタク2番手』

 

 しかし……限界はすぐそこまできていた。

 どうにか食らいついていくダイタクヘリオス。

 そんな彼女は左後方に、マックイーンが迫るのを感じていた──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そして──第4コーナー、ダイユウサクは集団の中にいた。

 それを貴賓室で見ている、彼女とメジロアルダンが集めた同級生+α。

 その中で、レースを見ていたブラッキーエールがため息をついた。

 

「あ~あ、ありゃダメだ。ああなっちまったら……これだから──」

「お黙りなさいッ!!」

 

 突然の大声に、皆が驚いた。

 視線の中心──大声を発した主はツインテールのウマ娘、サンキョウセッツだった。

 

「あの方は……虚弱な体でこの学園に入学しながら、それでも挫けずにコツコツと地道に努力し、やっとあの場に立てた、私の…………ッ、あの方の努力を愚弄することは、たとえ何人(なんぴと)であろうとも、絶対に許しません!!」

 

 その剣幕に、ブラッキーエールも圧され、気まずそうな表情で黙り込む。

 

「セッツ……」

 

 彼女の従姉妹のシヨノロマンが、意外そうな驚いた顔をして──それからレースへと視線を戻した。

 相変わらず、ダイユウサクは集団の中。抜け出すことができていない。

 それを見て──ディクタストライカが舌打ちをした。

 

「ったく、オレたちの世代を背負って走ってんだろうが! 情けねえレースしてんじゃねえぞ!」

 

 そう言って苛立たしげに立ち上がった。

 見ていることしかできないというのを、もどかしく思う。引退してからは常にそう思っていた。

 だが、今日はその思いがひとしおだ。

 それは他のウマ娘達も同じだったらしく──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 集団の中で──アタシは今まで冷静にレースを進めていられた、と思う。

 

(今日のレースは、異常なまでのハイペース……)

 

 先頭をきった青い髪のウマ娘に続いて、有力ウマ娘のプレクラスニーが独走を許さずについていったのが大きい。

 さらにそれに数人がついて行った。こうなると逃げの一人や二人がとばしていったのと違い、全体のペースが上がっているのは間違いない。

 

(体力を、温存しないといけなかったけど、さすがにこのペースは……)

 

 ジリジリと体力を削られた。

 この集団から抜け出し、さらにはその前へいけるかどうか。

 レースは終盤、最後の直線へと出て──アタシは、気がついた。

 

「──コスモ?」

 

 かなり遠くだけど、彼女だとハッキリ分かった。

 そもそもアタシが彼女を間違えるはずがない。

 そして案の定──彼女は叫んでた。

 

「ユウゥゥゥゥ!!」

 

 大歓声の中に埋もれて聞こえるはずのないその声が、アタシの耳にはハッキリと聞こえ──コスモの気持ちが繋がった。

 

(コスモの声が聞こえた、その存在を……コスモをハッキリと感じる……)

 

 その時──コスモから引き継いだ(因子)が、アタシの中で目を覚ました。

 明らかに今まで感じたことがない、不思議な感覚に襲われる。

 

(なに? これ……)

 

 他のウマ娘たちと走っている中、張りつめた緊張の中──音が遠ざかり……心の声が聞こえてくるようだった。

 スタンドからの一番強いのはコスモドリームの声。

 そして──スタンドの上の方、貴賓室からは──

 

(その程度じゃないでしょう? わたくしの最大のライバルである貴方の力が!!)

 

 真っ先に聞こえてきた強い思い──彼女(サンキョウセッツ)の素直になれない気持ちが、やっとわかった。

 

(思い上がった後輩共の鼻っ柱、まとめて蹴り折りやがれ!)

(おい負け犬ウマ娘!! ここで負けたら許さねえからな!!)

 

 入学当初、実力が伴わないアタシに厳しい目を向けてきた、ディクタストライカとブラッキーエール。それで苦手意識をもって、ほとんど接点を持たないようにしていたんだけど……今はその厳しい叱咤が、アタシの体を奮い立たせてくれる!

 

(あきらめないで! そうすればきっと、花開きます!!)

(まさかあなたがここまで……本当に成長して。嬉しいわ)

 

 サクラチヨノオーとクリークの、さっきの二人とは対照的な優しい思いが伝わってくる。それがアタシの体を癒すかのように、さらなる気力が沸いてくる。

 

(あなたの努力に敬意を示します。見せてください、乾坤一擲の走りを──)

(ええ、ヤエノムテキさんの仰るとおり。そして……勝利を、ダイユウサクさん!!)

 

 ヤエノムテキと、シヨノロマンの心もしっかりと伝わってくる。

 そして── 

 

(私たちの世代の最後の力──見せてあげるっスよ、ダイユウサク)

(ただひたすらに──勝利へ!)

 

 バンブーメモリー。このレースに望む際、密かにアタシの腕に巻いた彼女からの鉢巻が、今は熱く感じられた。

 そして──アタシの、目標になっていたオグリキャップからのエールが……アタシの脚にさらなる力を与えてくれた。

 

 彼女たちが応援する力が、自分の力を少しずつ高めてくれる。

 さらには──遙か遠くからも思いが流れ込んでくるのを感じていた。

 

(オレ様はお前が勝つのを信じてるぜ。だから──)

(まぁ、どうでもいいけど……勝って──)

(共に走った者よ! お前もニュートリノのように速く──)

(勝利を射抜いてください!! 白羽の矢となって──)

(今こそ秘密兵器になって! 私の憧れる──)

 

 共に走った多くのレースで競った面々から──条件戦やオープン特別を戦い、有馬へと届かなかった彼女たちからのエールが、伝わってくる。

 そして──

 

(もう動かないボクの脚……もう叶わないボクの夢……それを、ダイユウ先輩!! お願いッ!!)

 

 この2年ですっかり聞き慣れた、その声は──ミラクルバード。

 彼女の願いが、未だ尽きぬ夢と情熱が、アタシへと流れ込んでくる。

 それを──

 

(この力を燃やすんだ、ユウ!! どこまでも、そう……究極にまで!!)

 

 もっとも近くに感じたコスモからの熱いメッセージに、アタシは心が熱く奮い立った。

 そして、そのやり方を──コスモから引き継いだ魂が知っている。

 集団の中に埋もれてかけていたダイユウサクの脚が──力が宿り、グンと加速した。

 

『内を通ってダイユウサクも出てきた。残り200を切った──』

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

『残り200を切った。プレクラスニー先頭──』

 

 後方で脚を貯めていたアタシ──ナイスネイチャは大外から一気にいく。

  

「はああぁぁぁぁ!!」

 

 チャンス到来……アタシはそう判断したのは少し前。

 先頭を走っていたツインターボが、すっかり目を回してバテバテ状態で下がっていっってたのは3コーナーのあたりだったっけ?

 チームメイトとしては複雑だけど──うん、アタシが彼女のバトンを受けて、きっと勝ってみせる。

 それに──ターボの走りは無駄じゃなかった。

 

「くぅ……」

 

 ターボを追いかけていたダイタクヘリオスもまた、明らかに限界を迎えてる。

 普段とは違う雰囲気だった彼女……珍しく思い詰めていたように見えたけど、そのせいでターボのオーバーペースを見抜け無かったみたいね。

 釣られた彼女も、すっかり体力を使い果たして、これ以上の力は出ない。

 

「でも、でも……よく保つわ、あのウマ娘(ひと)……」

 

 ターボの代わりに先頭に立って走るプレクラスニーを視界にとらえながら、アタシは思った。

 ハッキリ言って、このウマ娘(ひと)がこんなに、ここまで粘っているなんて完全に予想外だもの。

 

(得意距離は全然違うでしょ。この先輩。しかもターボがあんなにとばしたのに……)

 

 長い距離を得意にしていたなんて話は無いのに、しかもこんなハイペースのレースでもずっと2番手を維持してた。

 その彼女が放っているのは──ものすごい気迫。

 

(っていうかアレはそういうものを越えて、もう妄執とか怨念とか、そういう類のものよね……)

 

 先頭で走る彼女からは、気のせいか黒いオーラのようなものさえ見える。

 そしてその後ろには──

 

『白い髪のマックイーンは現在4番手、4番手までマックイーン来ている。4番手まで来ている』

 

 対照的に、白いオーラをまとっているようにさえ見える大本命の姿──メジロマックイーン

 外から必死にそれにくらいついていってるけど……

 

(正直、無理でしょ? コレを抜かすなんて)

 

 後方で脚を溜めていたアタシと違って前でレースしていたのに、なんでここでさらに加速できるのよ。

 まさに化け物。現役最強ステイヤーの名は伊達じゃないってわけよね

 

(こんなの、勝てるのはテイオーくらいしか……)

 

 アタシがよく知る、アタシと同学年のウマ娘。

 骨折した彼女の代わりに勝つって挑んだこのレースだけど──

 

(やっぱり、キラキラしてるウマ娘は違うわ……)

 

 このウマ娘には叶わない。

 そうよ。出走してる誰も、こんなキラキラしてるウマ娘に勝てるワケなんて無いわ。

 先頭だって体は限界。スタミナ切らして気力だけで走ってるのがわかる。

 粘るのもこれまで──アタシの前でメジロマックイーンがプレクラスニーに迫りかかる。

 

(クラスニー先輩にはたぶん届く。や~、2着か~、アタシにしては十分頑張れたじゃん──)

 

 ──なんて、思った矢先のこと。

 それはアタシのいる外ではなく、最内の方を通って一人のウマ娘がグングン加速していってるのが見えた。

 

「──え?」

 

 その速度──抜群の末脚の加速はあのマックイーンよりも速く、アタシは唖然とした。

 

(誰よ!? あのウマ娘──)

 

 その勝負服を見て、アタシがレース前にマークしていたウマ娘を思い浮かべてもぜんぜん引っかからなかった。

 そして横目で見た彼女の瞳を見て──分かった。

 

(このウマ娘(ひと)、諦めてないんだ。だから……)

 

 瞬間的に「2位でいい」と考えてしまったアタシ。それが彼女との決定的な差になった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

『マックイーンが来た。ヤマニングローバルも来ている! さぁ、マックイーン出てくるか。マックイーン3番手……』

 

「ここまでですわ!」

 

 わたくしは勝利を確信いたしました。

 目の前にいるのはこの長丁場をこのハイペースの中で前にいた、すでにバテている二人。

 そしてわたくし自身の調子はジャパンカップの時とは違います。

 ですから、普段通りに集中力を発揮して、この直線に入る前の最終コーナーですでに慣れた不思議な感覚──メジロ家の者が言うには“領域(ゾーン)”と呼ばれるもの──へと踏み入っていたのです。

 

(この感覚……)

 

 そこへ至った際の、身体の芯からたぎる躍動感。

 それにともなく沸き立つ気持ち。

 明らかに違う漲る力と、それが生む圧倒的な加速。

 自分の身体から溢れ出る力と気力が、オーラとなって立ち上るようにさえ感じてしまうのです。

 そんなわたしくに──勝てる者などいない。

 

(このまま、抜き去ります)

 

 まずは、ダイタクヘリオスさん──

 

「ッ!?」

 

 抜かすダイタクヘリオスさんをチラッと横目で見たとき、わたくしは背筋が凍りました。

 明らかに一杯一杯で、もう余力のないダイタクヘリオスさん。

 その向こうに──彼女を挟んだ反対側に……わたくし以上の速さで駆け上がっていくウマ娘の姿が見えたのです。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 第4コーナーから直線に入って──

 

 コスモを視界にとらえたアタシは彼女から、そして他のみんなの思いを受けて、力が漲るのを感じた。

 その感覚で思い出し、そして納得する

 

(この加速……そっか、これはコスモの、オークスの時の──)

 

 あのときコスモはアタシが知る実力以上の加速をしていた。

 その力の正体がこれだったんだ。

 

(ありがとう、コスモ。この力があれば、この加速なら──)

 

 そう思って視線を向け──アタシは、希望が一瞬で絶望に変わった。

 アタシがチラッと見たのはメジロマックイーン。

 これまでのこのレース……ツインターボを逃げさせつつも、その後ろについて独走を許さずにハイペースを作り出すという主導権を握っていたのはプレクラスニーだ。

 最後の直線で先頭に立っているその姿からもそれは明らか。

 でも──本当に主導権を握っているのは、プレクラスニーに「前に居続けなければならない」というプレッシャーをずっと与えていた彼女、メジロマックイーン。

 

(やっぱりマックイーンに勝てなければ、このレースは勝てない! なのに──)

 

『白い髪のマックイーンは現在4番手、4番手までマックイーン来ている。4番手まで来ている』

 

 圧倒的な加速で前を追い上げるマックイーンの姿からは、まるで白いオーラが立ちのぼっているかのようだった。

 コスモの力では──彼女の背は見えても、さらに一歩先へと踏み入れている彼女はさらに高みにいた。

 

(ここまでしても──勝てないの? マックイーンに)

 

 自分の限界を超えるような力を脚に感じているのに、それでもマックイーンには届かない。

 でも、その時──

 

(自身の栄光のために、そしてマックイーン自身のためにも、勝ってください!)

 

 さっきと同じような心の声──それもメジロアルダンの声が、そのイメージと共に聞こえた。

 

(最初に見て私が感じたその適性、私が見込んだ末脚で──)

 

 あのときの光景──クスクスと上品に笑うアルダンの顔がハッキリと浮かんだ。

 マックイーンの速さに挫けそうになったダイユウサクは──顔をあげる。

 

「アタシも……勝ちたい。自分のために、みんなのために、そして──」

 

 遠くに見えた観客席の最前列でこっちを見ている、彼の姿。

 その人と歩んできた道を無駄ではないことを──

 その人の教えることが、間違いではないことを──

 その人が優れたトレーナーであることを証明するために──

 その人に勝利を見せ、共に喜びを分かち合うために──

 

「アタシは……勝たなきゃいけない。この、現役最強のウマ娘に──」

 

 ピシリ──と空間にヒビが入る感覚に襲われた。

 依然踏み込みかけたことがある領域──あれはコスモに絶対に負けたくないという強い対抗心から、彼女に導かれるように踏み入れた感覚だった。

 

「──そのために自分の、アタシの限界を……超えなくちゃいけないのよ!!」

 

 今日のアタシは他の人からの想いを力に変えている。

 ええ、そうよ。他力本願なのは癪だけど、本来の力を大きく上回ったから力を宿していたからこそ──その“領域”へと至った。

 

「カアアアァァァァァァァッ!!」

 

 叫ぶ。

 圧倒的な力がオーラのようにさえ見えるマックイーン。

 アタシが発揮したその“力”が彼女のオーラを取り込むように──アタシの体へと流れてくるのが感じられた。

 そして、マックイーンと同じように……アタシの体も白いオーラを放ち──脚に圧倒的な力を感じた。

 

(これなら──)

 

 ただでさえ自分の限界を超えた力を感じていた脚に、さらなる力が宿る。

 まるで、アヒルの子と思いこんでいた雛鳥が、周囲の姿を見て本来の自分の姿が白鳥であるのに気がつくかのように。

 負けたくないと意識した者の力を模倣吸収し、自分のものとして使う──まさに上位喰い(ジャイアントキリング)のための力

 それを発揮したアタシは──誰にも負けない“領域”で、一気に加速した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 後ろから迫る圧倒的な気配を感じながらも、それへの対抗心一つで疲れ果てた身体を強引に動かし、未だ先頭のプレクラスニー。

 そんなプレクラスニーのタフさに舌を巻きながら、それでも憧れのライバルのために負けられないダイタクヘリオス。

 

「クッ……」

 

 二人の限界はもう明らかだった。

 弱った獲物にくらいつく肉食動物のように、襲いかかるマックイーン。

 左から迫るそれにヘリオスが意識を向けたとき──反対からそれ以上の速さでくる者がいた。

 

 「「なっ!?」」

 

 レースを走っていた誰もが驚いた。

 マックイーンよりも、さらに速い速度で上がっていくそのウマ娘。

 いったい、誰だ?

 その赤と黒と黄のオフショルダードレスの勝負服のウマ娘の名を──誰も思い出せなかった。

 そして──実況もそれに気づく。

 

『ダイユウサク、赤い勝負服が伸びてきた。マックイーン──』

 

 その赤い勝負服のウマ娘は、さらに加速して一気にプレクラスニーさえも抜き去る。

 最内を走っていた彼女は、後ろからの気配に気がついていた。

 しかし、もうこれ以上加速することはできないと分かっている。

 

(チクショウ!! またアイツに、負けるのかよ!! これじゃあ真の秋の天皇賞ウマ娘はアイツだって──)

 

 ──言われちまう。そう思いながら自分を抜かすその影を見て……

 

「バカな……葦毛じゃ、マックイーンじゃないだと!?」

 

 焦るプレクラスニー。

 自分を追い抜いたのがマックイーンでさえないことに、驚愕していた。

 後ろから抜いていった気配や気迫、そして速度は天皇賞で感じたそれと同じに思えた。

 だが──目の前で揺れているのは栗毛の髪。

 そして思う。「誰だ、アイツ!?」と──

 

『ダイユウサクだ! ダイユウサクだ!』

 

 ゴール板は。もう目の前だった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「んなッ!? なぜ、わたくしが……わたくしが追いつけないなんて!?」

 

 “領域”へと至ることができる自分に勝てるものなどいないはずですわ。

 そして今日もそこへ踏み込んだ以上は、絶対に負けないはずなのに──まったく意識していなかった相手に、追いつくことができないのです。

 焦る気持ち。

 だが、どんなに手足を動かしても──彼女の加速はそれを上回っていました。

 

(誰? いったい……この服、たしか8番の……ダイ、ユウサク!? え? その姿──)

 

 まるで自分と同じように、オーラを放つその姿。

 いや、むしろ──

 

(力を吸われ、模倣されていますの!? この感覚──以前にも……)

 

 背筋に冷たいものが流れました。

 それは──そう、あのとき……メジロアルダンの高松宮杯を応援しにいったときのこと。

 あのときも同じように感じて慌てて振り返り、そのときに見たのは──

 

「コスモドリームさんではなく、この方だった、というのですか……?」

 

 あのときの背筋に氷を押しつけられたような、イヤな感覚は未だに残っています。

 条件戦を走っていたような、明らかにアルダンさんやコスモドリームさんよりも格下だったウマ娘に……その(因子)に畏れを感じていたというのですか。

 

(まるで、わたくしの魂が、この結果が分かっていたような──だから、あのとき警告していたというのに……)

 

 自分を越える速度で加速しているのですから、追いつけるはずもない。

 彼女の背にわたくしは届かず、そして目の前でゴール板を駆け抜け──

 

 

 

『──これはビックリ、ダイユウサクーッ!!』

 

 

 

 デビュー2戦をタイムオーバーから始まったウマ娘は、ついにGⅠ最高峰の頂上決戦(グランプリ)、有記念を制したのだった。

 そしてその結果は──30年以上経ってレベルが上がった世に於いても、恥ずかしくない立派な記録を残していた。

 

『勝ち時計が2分30秒6……レコードタイムです。芝2500のレコードタイムです──』

 




◆解説◆
【大決着!! これはビックリ──】
・元ネタは……説明不要ですね。
・これはこのゴールを描く以上、これ以外考えられませんでした。
・このフレーズが出る実況はフジテレビ版で、本話の実況はすべてそこから取っています。
・……他の実況の方が説明が多くてそっちの方が書きやすそうだった、というのはご愛敬。
・なお、フジテレビの中継で実況を担当していたのは、堺正幸アナ。
・そう──なんとこの「これはビックリ~」の名実況は、「サンキョウセッツだッ!」と同じ人でした。(笑)
・こんなところもなんかコスモドリームと縁があるんですよねぇ。

忘年会
・コロナ渦の昨今、去年から開催されないところも多いようで。
・まぁ、強制参加だったりしてアルハラの温床にもなっていましたから、リモートワークも浸透してきていますし、それをきっかけにさらに減っていきそうですけどね。
・行きたくもない宴会には参加したくないですからねぇ。

ツインターボ
・実装済みのウマ娘。
・2021年12月22日現在では、サポートカードは実装されているものの、育成は未実装。はやくそちらも実装して欲しいですね。
・そしてモデル馬は、もはやカルト的人気を誇った全力で逃げる逃げ馬。途中でスタミナ切れして失速するか、そのまま逃げ切って勝つかの2択、のような馬でした。
・1988年生まれでトウカイテイオーやナイスネイチャの同期です。
・1991年、クラシックイヤーの3月にデビューしてクラシックレースにこそ出走していませんが、有馬記念まで7戦して3勝、2着2回で掲示板外は1度しかなかったという、普通にいい成績を残してます。
・重賞もGⅢ1勝2着1回、GⅡ2着1回と、有馬記念に出走できたのも納得。(まぁ、GⅢとオープン特別1勝しかしてないのが出走してますから)
・この有馬記念の後、1992年は体調を崩してほぼ走れず11月の福島でオープン特別で復帰してたものの10着。
・1993年の七夕賞、オールカマーとGⅢを連勝したものの、天皇賞(秋)は途中で失速して最下位という、「1位かビリか」という後年でのイメージを強く印象付けました。
・そのごは1995年から、今はなくなってしまった地方競馬場、山形県の上山(かみのやま)競馬場に移籍して1996年の8月まで走りました。
・後年、その走りを「悲壮感なき玉砕。こんな馬、他に誰がいるか。いない。ツインターボだけだ」と評されるほど、愛された競走馬となりました。

不思議な感覚
・これは、コスモドリームが持っていた固有スキルを継承したことによるものです。
・彼女の固有スキルは『絆を感じた周囲からの応援を自分の力へと変える』ものです。
・本来であればゲーム版のように、継承した固有スキルは弱体化するのですが、「思いを繋ぐ」特性と、そのコスモドリーム自身がすぐ近くにいたからこそ強く発揮されました。
・とはいえ、あれだけの声援を受けてもコスモドリーム本人が同じだけの応援を受けたものには及ばず、強く発揮されたのはむしろ、応援を受け止める範囲の方で、この場にいない人達からの思いを繋がっているコスモの力を借りて受け取っていました。

完全に予想外
・この時のプレクラスニーの粘りは、それまで走ってた距離とかツインターボが作り出したハイペースを考慮すれば、本当に異常なレベルです。
・結果こそ4着でしたが、ゴール前まで先頭にいたその気力は本当にすごいものでした。
・競走馬ですからそこまで理解していたとは考えづらいですが、まさに“あの天皇賞を見返す”ための執念のようなものさえ感じてしまいます。

まさに上位喰い(ジャイアントキリング)のための力
・これが、本作のダイユウサクの固有スキル『The Amazing Ugly Duckling』です。
・効果は「個人に対し負けたくないという一念で過剰集中に入り、その対象相手の能力を模倣、吸収して自分のものにする」という、コスモドリーム同様にゲームでは再現不可能なもの。
・実は──当初の案では一度吸収した能力は残っていて使える、という設定でコスモの能力を高松宮記念で吸収していたから、彼女の固有スキルを使えた……という予定だったのですが、“因子継承”を思い出して、そちらでコスモの力を使えるように予定変更しました。
・なお、この能力──もちろん代償はあります。体にかなりの負担がかかることです。
・また、本来はダイユウサクはこれを完全に使う“領域”に踏み込む実力はなく、発揮できないはずでした。
・しかしコスモドリームの固有スキルで“自分の実力以上の力を発揮”できたことによって、その“領域”に踏み入ることができています。
・つまりは、“自分の限界以上の力で、さらに同等の力を吸収して上乗せ”しているわけで……その負担はかなりのものです。

2分30秒6
・1991年の有馬記念でダイユウサクが出した記録。
・有馬記念のレコードとしてはる1989年のイナリワンが記録した2分31秒7を1.1秒更新したもので、当時の芝2500のレコードタイムでした。
・その後、2004年の有馬記念でシンボリクリスエスに、0.1秒破られるまでの12年間、有馬記念だけでなく、中山競馬場2500メートルのコ-スレコードとして君臨し続けました。
・この時計は、2020年開催の第64回まで見ても、上から5番目という大記録でした。


※次回の更新は12月25日の予定です。  



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第80R 大賞賛! We're Winners

 ──こちら、名古屋市内で開催されている某企業の忘年会会場となります。
 その瞬間、テレビの前で中継を見ていた面々は……衝撃のあまり絶句した状況となっております。

「……………………」

 その場にいた誰もが黙りこくり、テレビが放つ実況だけが響きわたっていた。
 黙っていただけではない。
 その瞬間から、全員が微動だにすることができず──まるで時間が止まっているかのようだった。

「オイ、今の……」
「あ、ああ……」

 どれくらい長く止まっていただろうか。
 ようやく衝撃から立ち直った若手社員が、かろうじて短く声を掛け合う。
 そして恐る恐る──その中年社員を盗み見る。

「む、むす……娘が……だ、だだだだダイユウサクが…………」

 まだ全然衝撃から立ち直っておらず、呆然としながら小声で譫言(うわごと)のようにブツブツと言っている。

 ──うん。そっとしておこう。

 会話どころか視線を合わせることさえしなくても、若手社員たちの心は一つであった。
 そこへ……

「おや? どうしたんですか? 皆さん、こんなところで──」
「「「しゃ、社長!?」」」

 若手社員達が慌ててピンと背筋を伸ばす。突然、現れた会社の重役に驚きを隠せなかった。
 しかも状況も悪い。ついているテレビはウマ娘競走の中継番組のままだし、完全に……忘年会を抜け出し、そっちのけで競走中継を見ていたのは誰の目にも明らかだ。

「む? 競走……有記念、でしたか? 今日は」
「は、はい! そうであります!!」

 企業の重役など世情に疎くてはつとまらない。その社長も、オグリキャップブームはもちろん知っていたし、昨年のラストランも覚えていた。
 そして若手の一人が直立不動の姿勢で、社長の疑問に大きな声で答える。
 そんな中……一人だけ、相変わらずテレビの前で呆然としている社員がいた。

「……もうゴールしたんですか?」
「はい! つい先ほど!!」

 まるで反射のように返ってくる答え。
 それを聞き……社長は茫然自失になっている中年社員を訝しがるように見た。

「それで……彼は、どうしたんですか?」

 この反応──まるで競輪や競艇という公営ギャンブルで全財産スったような有様じゃないか。
 無論、ウマ娘の競走の賭博は違法である。そんな行為を社員がしているというのなら許すわけにはいかない。
 社長が憤りを感じ始めたところで──

「それが……娘さんが、そのレースに出ていたそうで……」
「──何?」

 眉をひそめる社長。

「しかも、その……娘さんが、勝っちゃったようなんですよね。その、有記念に──」
「な、なんとッ!?」

 社長がテレビを見ると実況は「ダイユウサク」という名を何度も挙げている。
 無論……この社長は、社員の身上把握をしっかりしていた。
 ましてこの中年社員はちょっと特別である。なにしろURAでは超VIPともいえるビッグネームウマ娘の親戚である。
 中央トレセン学園に娘を通わせているというのも知っていた。

「──キミ!!」
「は、はい!?」

 傍らにまで近づいた社長に大きな声で呼ばれ──その中年社員は飛び上がらんばかりに驚きながら我に返る。

「しゃ、社長!?」
「キミは、何でこんなところにいるんだ!! 娘さんがレースで頑張っていたというのに……」
「す、すみません! 私の方が、重圧に耐えられなくて、つい……」

 慌てて頭を下げる中年社員。
 それに社長は──

「過ぎたことはもうどうしようもない。だから──今すぐ、向かいたまえ!!」
「……へ? 今すぐ? どこへ……」
「決まっとるだろ、そこへ……あの場所へだ!!」

 社長はテレビを指さす。

「そこへ行って、有記念優勝ウマ娘と会ってくるんだ」
「し、しかし……」
「黙りなさい! 業務命令だ!!」
「ぎょ、業務命令?」

 さすがに驚くダイユウサクの父。
 だが、社長は動じない。

「そうだ。来年のウチの企業広告で、あのウマ娘を是非使いたい」
「は……?」

 戸惑う中年社員に、社長は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「なんといっても“あの”有記念を勝ったのだから当然だ。本来なら広報担当が交渉すべきところだろうが、キミには特別なコネがあるのだろう?」
「そ、それは……」
「ほら、他の企業に先を越されたら笑い話にもならん。さっさと行きたまえ!!」

 社長にバンと背中を叩かれ──中年社員は「は、はい!!」と返事をして慌てて忘年会会場を後にした。



 

『これはビックリ、ダイユウサクーッ!!』

 

 ゴール板の前を駆け抜けたアタシはそのまま走り──足がもつれて、芝生に前のめりに倒れ込んだ。

 少し走ったおかげで勢いは弱まっていたのがまだ幸いだったし、芝生が受け止めてくれたから、そこまで痛みはない。

 とはいっても──こっちは全力疾走の直後で息を整えるのが精一杯なのよ。

 とても立ち上がる余裕なんてない。

 地面に倒れたまま、アタシは呼吸を整えていた。

 

「ダイユウサクッ!!」

 

 焦ったような声が、全力を出しすぎてぼんやりしているアタシの耳に入る。

 えっと、この声は……

 

「大丈夫か? ケガとか、痛いところは──」

 

 本気で心配しているその声に、荒い呼吸を続けているアタシは答えられない。

 だから首を横に振って、大丈夫なことを主張した。

 

「そうか、よかった」

 

 ホッとしたような声。

 その声が耳に入り──アタシの気持ちもなぜか落ち着いてくる。

 そして間もなくして、アタシの呼吸もようやく落ち着く。

 それから顔を上げると……そこには予想通りの顔があった。

 

「ねえ、トレーナー……一つ訊いて良い?」

「なんだ?」

「今のレースの結果……教えてもらって、いい?」

 

 悪くはなかったはず。

 無我夢中だったけど、間違いなくプレクラスニーのことは追い抜いたし。

 あとは後ろからきたウマ娘がいたかどうか……

 

「2分30秒6……ダイユウサク、お前の優勝だ」

「え? う、そ……」

「嘘なもんか。周り見て見ろ」

 

 トレーナーに言われ、まだ立ち上がれないアタシは手を付いて身体を起こし、そのまま首を巡らせて周囲を見る。

 共にレースを走ったウマ娘たち、スタンドの観客たち、その視線が──自分へと集中しているのに気が付く。

 

「これ……ホントに? なんか失敗して、注目浴びてるワケじゃないわよね?」

「あのなぁ、お前……これ以上、どうやって証明しろって言うんだ?」

 

 思わずといった様子で苦笑するトレーナー。

 

「あとはホラ、それでも信じられないなら……掲示板見てみろ」

 

 そう言って彼は「やれやれ」と掲示板を指す。

 そこに表示された1着を示す場所には──「8」の数字があった。

 

5枠8番。それがアタシの今回のレースの番号……)

 

 ハッキリと見えるその数字は、見間違えるはずもない。

 それにアタシは──

 

「──────ッ!」

 

 思わず両手を口にあてて、息をのむ。

 そして同時に、じわじわとこみ上げてくる歓喜。

 その余りに大きすぎるその感情を持て余し……目からは涙が滲んだ。

 

「~~~~~~ッ!!」

 

 そして大粒の涙がこぼれ落ちる。今のレースにまで至るいろいろな情景が脳裏に浮かんだ。

 そんなアタシに──スッと手が差し伸べられる。

 

「え……」

 

 それに顔を上げ──ゴツゴツとした手を見つめ、腕を見て、肩が見え、優しく微笑むトレーナーの顔が見えた。

 

「で……そろそろ、立ち上がってくれないか? 有記念の勝者がいつまでも座り込んでいるわけには行かないだろ?」

 

 手をさしのべた姿勢のままのトレーナーの笑顔が、少しだけ苦笑の色を浮かべる。

 たしかに観客は、このレースを制したウマ娘──アタシのことを待っている。

 

「もう、バカ……少しは余韻に浸らせなさいよ」

 

 涙を拭いながら、アタシは差し出された手に自分の手を伸ばした。

 それを優しく、けれどしっかりと掴んでくれる。

 

 

 ──正装姿の乾井トレーナーが差し伸べた手を、ドレス姿のダイユウサクの姿は掴むその姿は、まさにおとぎ話のようで──

 

 

 手をとって立ち上がろうとしたダイユウサクだったが……

 

「──え?」

 

 足に力が入らずに、ガクンと倒れ──トレーナーへ抱きつくように倒れた。

 とっさに受け止めるトレーナー。

 

「ッ! 大丈夫か?」

 

 まるでトレーナーの胸の中にポスッと収まるような姿勢で受け止められる。

 受け止めてくれた胸板を感じながら──我に返った。

 

「なッ──」

 

 気恥ずかしさから、思わず突き飛ばしそうになる──が、

 

「やめろ、落ち着け」

 

 と、いうトレーナーの小声ながらも鋭い警告で、どうにかビクッと止まった。

 衆人環視の中で、トレーナーを突き飛ばすのは問題になるのは明らか。それを判断するだけの最低限の判断力は、アタシにもあった。

 でも──

 

「~~~~~~ッ!!」

 

 トレーナーの腕の中で、顔が真っ赤になっていくのがわかる。

 だって、みんな見てるのよ?

 それをこんな──でも、足が……

 

「足に、力が入らないんだな?」

「う、うん……」

 

 状況を察してくれたトレーナーが言うように、呼吸も整って心臓の鼓動もだいぶ落ち着いたはずなのに、アタシの足には不自然なほどに力が入らなかった。

 だからいつまで経っても、立つどころかトレーナーから身を離して元の姿勢に戻ることさえできなかった。

 

「わかった。オレに任せろ」

 

 言うやトレーナーは手をアタシの肩へと回す。

 

「──へ?」

 

 だから! オフショルダーなんだから肩は素肌なんだってば!!

 突然、直に触れたトレーナーの手の感触に驚いていると──今度は、足がすくわれるような感覚がくる。

 

「え…………?」

 

 気が付けば、トレーナーの反対の手は、力の入らないアタシの両足をすくうように抱えていた。

 そして、彼が立ち上がるのと同時に──アタシの視界がグンと上昇した。

 

(え? これって──)

 

 アタシが戸惑っている内に、アタシ達を見た観客達からどよめきと歓声が一気に巻き起こる。

 ちょ、ちょっと待ってよ。なに考えてるの? トレーナー。

 

(だってこの姿勢……俗に言う、“お姫様抱っこ”じゃないの!?)

 

 アタシの戸惑いをよそに、トレーナーはさらに精一杯高く抱え上げた。

 まるで揺りかごの上かのように揺られる……って、そんな記憶無いわよ!!

 その一方で、抱え上げられたアタシを見て──歓声が一段とに盛り上がった。

 

「な、ななななな……」

「ほら、手を振れ……ダイユウサク」

 

 アタシの方は見ずに、観客席(スタンド)を見たまま言うトレーナー。

 

「ちょ、ちょっとどういうつもり!? なに考えて──」

「足が限界なんだろ?」

 

 そ、それは……確かにさっきの感じだと、まだまだ全然、立ち上がれる感じさえしない。

 

「オレが足になってやる。だから……お前は、精一杯歓声に応えてやれよ」

 

 そう言ってから、「みんなに見られてるからな」と小声で付け加え、意地悪く笑みを浮かべるトレーナー。

 

「それ、アンタのせいでしょう? ……アタシよりも非力なくせに無理しちゃって

「非力なオレでも、お前一人抱えるくらいの力はあるからな」

 

 

 小声でそう返すのが精一杯だったアタシに、トレーナーはこともなげに答えてきた。

 ああ、もうこうなったら……ヤケよ!! 優勝して気分が高揚してワケわかんなくなってたってあとで言い訳してやるわ!

 

 アタシは──そ大きく手を挙げ、それを振る。

 

 

 ──レース場は、大歓声に包まれた。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……なぁ、ダイユウサク」

 

 オレは両手でダイユウサクを精一杯に抱え上げながら、話しかけた。

 

「なに?」

 

 観客席に手を振りながら、視線をよこさずに問い返すダイユウサク。

 

「この最高の結果に、人はシンデレラストーリーなんて言うかもしれないが──」

「そうかもね」

「でもな、オレは……お前がシンデレラとは思わない」

「──え?」

 

 思わずオレを見るダイユウサク。

 それにオレは──

 

「お前に相応しいのは、灰かぶり娘(シンデレラ)じゃなくて──『みにくいあひるの子(The Ugiy Duckling)』だと思ってる」

「……なにそれ、アタシが“みにくい”とでも言いたいわけ?」

 

 笑顔のまま額に青筋を立て、剣呑な空気をまとうダイユウサク。

 それにオレは慌てながら──苦笑する。

 

「そうじゃねえよ。最初は周囲とはかけ離れた姿で周囲にイジメられ、それでも必死に生き抜き、努力し、そして──気が付けば周囲も羨むような美しい姿(白鳥)になった」

 

 デビュー間もなくのころに、誰がこのウマ娘がオープンクラスにまでなれると思っただろうか。

 そして──

 

「なった後も、必死に水面下で水をかき続け──そして今日、見事に優雅に羽ばたいた。一晩で見染められたようなわけじゃない。今までのお前の努力が、こうして実を結んだんだからな」

 

 オレが言うと、ダイユウサクは呆気にとられたような顔をする。

 そして、俯いて少し顔を赤くしてから……

 

「……うん」

 

 小さくうなずきながら、そう答えた。

 いつになく素直だった彼女は──ハッと何かに気が付くと、気を取り直すように慌てて手を振り、歓声に応えていた。

 

 ──ありがとう、オレの“The Amazing Ugiy Duckling”。

 たしかに()()()アイドルウマ娘とは言えないかもしれない。

 でも──それに負けないくらい、今のお前は強烈に輝いた(スター)になってオレの夢を叶えてくれた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 優勝したウマ娘──ダイユウサクを、その担当トレーナーが抱え上げて歓喜の姿を見せているのを……わたくしは離れた場所で見ていました。

 まさに、唖然として。

 

「……マックイーン」

 

 そこへやってきたのは、わたくしと同じメジロ家のウマ娘、メジロライアン。

 

「ライアン……どうなされたんですか」

「うん。あたし達……完敗だったね、彼女に」

「あたし()?」

 

 その言葉が引っかかり、わたくしはライアンに冷たい目を向けました。

 だって、その通りでしょう?

 低い順位だった彼女に言われたくはないし、一緒にされたくもありません。

 でも──

 

「うん。一緒だよ。あたしも、マックイーンも……彼女に負けたんだ」

「そ、そんなことッ! あれは──」

 

 今回のレース、ゴール前でプレクラスニーさんを捉えていたのはわたくしも同じです!

 それに彼女の得体の知れない“あの”力──あれさえなければ、勝っていたのはわたくしのはず……ええ、2着だったのですから間違いなく、その通りになっていたはずですわ!

 あのような──

 

「あたしも後ろから見てたから、わかるよ。あの妙な力……でも、反則じゃないでしょ?」

 

 物理的な妨害なわけじゃなかった、それにマックイーンの速度が落ちたわけでもなかった、とライアンは言いました。

 

「た、確かにそれは……その通りですが、でも……」

「悔しいのはわかるよ。でも……負けを認めようよ。今回は、一番にゴール板を駆け抜けたワケじゃないし、彼女は海外のウマ娘じゃない。それどころか──」

 

 そのとき、ワッと観客席の声が一段と大きくなる。

 見れば──貴賓席から一生懸命手を振っているウマ娘達がいて……その中に、冷静に手を振っている葦毛の“怪物”の姿を認め、観客席が沸いたのです。

 

「あの人達と同じ世代の……マックイーンが歯牙にもかけなかったような相手じゃないか」

 

 “海外の強豪”に負けても仕方ない。

 周囲からそう言われ、いつの間にかそう納得していたジャパンカップ。

 でも今回負けた相手は──かつて自分自身が調べたように、デビュー2戦もタイムオーバーし、年上のメジロアルダンが活躍する中で条件戦を走っていたような“泡沫ウマ娘”だったはず。

 

「窮鼠……猫を噛む、ですわ……」

「あのタイム、実力もないウマ娘がまぐれで出せるワケないよ」

 

 一昨年に、イナリワンさんが“皇帝”の記録を破って作ったレコードを、さらに1秒も上回るような記録。

 それが、このレース結果がフロックではないことをなによりも語っていました。

 

「う……うぅ……」

「うん、そうだよ。マックイーン。悔しがっていいんだ。下手に我慢して、他のなにかのせいにする必要なんて、ないんだよ!!」

 

 あの日──秋の天皇賞で、会心の走りトップをきってゴール板を駆け抜けたにも関わらず、最下位に降着になったあのとき──から歪んでいた心が……スッと元に戻るかのようでした。

 歓喜のはずが失意へ──悔しく感じなければいけないはずなのに、それとは裏腹に完璧な走りだったという思い。

 そのズレが──今回の完敗という結果を受け入れることで、ようやく無くなったのです。

 

「く……ッ」

 

 でも──メジロ家のウマ娘として、また今回のレースで2着だったウマ娘として、醜態をさらすわけにはいきません

 緩みかかった涙腺を締め、わたくしはグッと顔を上げます。

 

「ええ、ライアン。本当に、本当に悔しいですわ! でも……あの方に負けたことは事実。次は絶対に……負けません」

「──ッ! うん、それでこそマックイーンだ!!」

 

 笑顔を向けてくれたライアン。

 わたくしは彼女に微笑み返し──勝ったウマ娘、ダイユウサクさんの方へと歩みを進めます。

 そう、彼女の勝利を、偉大なる記録を称えるために──

 

 

 そうして彼女に賞賛の言葉を贈ったとき、貴賓席から見下ろす影の一人がニッコリと微笑んだような気がしました。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──レース後の表彰式は、どうにか無事に終えられそうだ。

 

 ゴールした直後は立つこともままならなかったダイユウサクだったが、しばらくしたら、どうにか立てるくらいにはなっている。この調子ならたぶん大丈夫だろう。

 アイツの側に立ち、歩くのを支えて誤魔化す必要はあるだろうが。

 

(せっかくの晴れの舞台だからな……)

 

 出席できないなんていうのは言語道断だし、どうにか立たせたままで受けさせてやりたかった。

 常に付き添って密かに支える……なんてことをすれば、オレの身体の側面は密かに繰り出されていたアイツの拳のスタンプで埋め尽くされることになるだろうけどな。

 ……まぁ、その辺りは足の踏ん張りが効かないから威力が抑えられているだろ。アイツの今までの苦労を考えたら、それくらいの犠牲はオレが我慢すればいいだけだからな。

 

(とはいえ、このままだとマズいな)

 

 表彰式のあとに控えているのはウイニングライブである。

 それこそ辞退なんて絶対に許されないわけで……

 

「ユウ!!」

「コスモ! それに……お母さん!?」

 

 オレたちのところへ見慣れたショートカットのウマ娘、コスモドリームがやってくる。

 そしてそれとは別で──ダイユウサクに似た、それよりも年上のウマ娘が男の子を連れてやってきた。

 彼女はダイユウサクを抱きしめ、「おめでとう、ユウ……」と彼女を讃美してから離れ──オレへと向き直った。

 

「……ありがとうございました、乾井さん」

「いいえ、お礼を言うのはこちらの方です。娘さんの才能と実力があったからこそ、こんな凄い結果が出せたんですから」

 

 ──なんて、オレと母親がやりとりを始めたから気恥ずかしくなったのか、ダイユウサクは遮るように母親へ話しかけた。

 

コウも連れてきたんだ?」

「ええ。置いてくるわけにはいかないもの」

「じゃあ、お父さんは?」

 

 言われてみれば──ダイユウサクの父親の姿はない。

 オレも一度だけ、ダイユウサクには内緒で中京レース場で会ったことがあったから顔は覚えているんだが……

 ダイユウサクのその質問に、彼女の母親は憤然とした様子で答えた。

 

「それが、会社の外せない用事があるからって……来てないのよ」

「──え?」

 

 オレは思わず声を出してしまった。

 せっかく優勝したのに……彼女の父親の気持ちは以前に聞いたことがあったし、だからこそ、この場にいないのが気の毒に思えて仕方がない。

 

「慌てて向かってるってさっき電話があったけど……まったく、薄情な父親よね。ホントに……」

「で、でもほら……だってアタシ、人気低かったし。誰もアタシが勝つなんて予想してなかったんだから、仕方ないわ」

「そんなことないわよ!! 私はアナタが勝つって信じて──」

 

 まぁ、当たり前か。親なんだから娘の勝利を信じるのは自然のことだろう……とオレがダイユウサクの母親の言葉に納得していたら──

 

「ねぇねぇ、コスモねーちゃん……」

「うん? どうしたの? コウ」

 

 コスモドリームが、ダイユウサクのまだ幼い弟に話しかけられていた。

 ああ、そうか。コスモドリームとこの子も従姉弟(いとこ)になるから、親しくて当たり前なのか。

 

「今からママとディ○ニーランド行くんだ! いいだろ!?」

 

 ん? 今から……?

 

「…………え? 今からは、ちょっと、無理じゃないかな……」

 

 さすがにコスモドリームもそれを察してやんわりとなだめようとする。

 だって、今からウイニングライブがあるもんな。ダイユウサクの……

 

「なんで!? だって、姉ちゃんのレース見たら、その後で行くってママが言ってたもん!!」

 

 ビクッと肩をふるわせるママ──ダイユウサクの母親。

 その横で──なにかを察してジト目になるダイユウサク。

 

「電気ピカピカのパレード見るって言ってたよ! そうだよね? ママ?」

「……ウイニングライブって、日没後からなんだけど? 信じていたのよね? アタシが勝つ、って」

 

 純真無垢な幼子(おさなご)の目と、疑う娘のジト目に挟まれ──ダイユウサクの母親は顔にダラダラと汗をかいていた。

 

「あ、当たり前じゃないの。私はお父さんとは違う──勝つって信じてたわよ?」

「その割には、お母さんもコウも、思いっきり普段着じゃない?」

 

 ダイユウサクはオレの方をチラッと見る。

 確かにオレの服装は──授賞式を意識したような正装だった。

 そして追いつめられたダイユウサクの母はオレを責めるような目で見てくる。

 いや、そんな目で見られても……オレもコレ着てるの、偶然だし。

 そんな親子を見ながらコスモドリームは苦笑し──

 

「コウ。今からここで、もっといいものが見られるんだよ? ユウ姉ちゃんのスゴくカッコいいところ」

 

 慌ててフォローしている。

 ……結構、空気読めないこのウマ娘がここまでするとか、ホントに珍しいぞ。

 

「え~、ユウねーちゃんがカッコいいとかありえな~い! コスモねーちゃんの勝負服の方が全然カッコいいもん!!」

 

 ……うん、密かに傷ついてるな、ダイユウサク。

 そういえば以前、黒岩理事が言ってたもんな。コスモドリームの勝負服って子供に人気だ、って。

 

「あの衣装、また見せてよ! コスモねーちゃん!!」

「あ、あはは……こ、今度、またね」

 

 弟に見向きもされない姉の晴れ姿……

 さすがに可哀想になってきたわ。ガンバレよ、ダイユウサク──

 

「──ぐッ!?」

 

 鋭いわき腹の痛みに、オレは横を見ると……いつの間にかダイユウサクがそこにいた。

 あのなぁ……的確に特に痛いところを殴るのは、やめなさい。

 ──親御さんの前ですよ?

 

 

 ……それから日が暮れてから行われたウイニングライブは大盛況で終わった。

 その姿を見て、弟の幸作くんも目をキラキラ輝かせていたようなので、姉の名誉を挽回できたことだろう。

 おまけに父親が合流して「会社の経費で落ちるから!」と家族で宿泊して、翌日には浮いたお金でディズ○ーランドにも行ったらしい。

 

 

 …………そっちの電気ピカピカパレードに、幸作くんの思い出を上書きされてなければいいが。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──有記念のウイニングライブを、観客席で見つめる一人のウマ娘がいた。

 そのウマ娘は思わず涙を流して、その光景を見ていた。

 あのとき、「アタシのことを何も知らない」と言われ──悔しさから調べていた。

 そして知った。

 彼女が決して恵まれた才能を持って生まれてきたわけではないと。

 にも関わらず重いものを背負わされ、それでも潰されぬように努力してきたのだ。

 それを知り──彼女はダイユウサクのファンになっていた。

 そして図らずも自分に宣言した「G1をとる」という宣言を、目の前で叶えてみせてくれた彼女から「信じる」勇気をもらった彼女は、それまでと違った人生を歩み始めるのであった。

 

 その手には──返すはずのトレーナーバッジが握りしめられていた。

 

 




◆解説◆
【We're Winners】
・元ネタは『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』のテレビ版、EDテーマ「Winners」の歌詞から。
・2話前で主題歌からとったので、今回はエンディングテーマから……と思って「Winners」にしようと思ったんですが、1単語だけだとどうにも淡白すぎてしまい、歌詞からとってこのようになりました。
・まぁ、新世紀GPXサイバーフォーミュラは1991年の放送──つまりはこの有馬記念の年でしたからね。時代的にマッチしていてオッケーでしょう。
・なお、1991年はサンライズアニメの当たり年で他にも「太陽の勇者ファイバード」や「絶対無敵ライジンオー」なんかが放送されてます。
・で、このタイトル……実は正直な話、使う予定なかったです。
・でも、この前のそうですが、最終話も長くなりすぎて2話に分けたため、急遽タイトルが必要となり、採用しました。

5枠8番
・実は、その前の年の有馬記念を制したのも「8番」の競走馬だったんです。
・ダイユウサクの時はマックイーンの短枠指定の関係で5枠になりましたが、「4枠8番」だったのがオグリキャップでした。
・アニメ版の1期の13話で描かれるウィンタードリームトロフィーで、オグリキャップが4枠8番なのは、スペシャルウィークの13番がジャパンカップと同じだったように、あの有馬記念の4枠8番なんですよね。
・さて、90年91年と有馬記念を連覇した“8番”でしたが92年は? と言えば──ウマ娘にもなってるダイタクヘリオスだったんです、実は。
・結果は2枠3番のメジロパーマーの勝利で、さすがに3連覇にはなってません。前週のスプリンターズステークスで走ってるのに勝てるわけが……

コウ
・本作のダイユウサクには弟がおり、名前を“幸作”といいます。
・競走馬ダイユウサクの名前が、元々は馬主のお孫さん「コウサク」だったのと、ご家族の名前に「幸」の字が使われていたので、それを元にしてこの名前を付けました。
・年齢的には小学校低学年~未就学くらいを想定しました。
・本作でウマ娘のダイユウサクがトレセン学園高等部所属なので、結構年齢が離れた姉弟ですね。
・音的には全く違うので、家族間では間違えないし問題無いんでしょうけど、文章にするとダイユウサクを呼ぶ愛称「ユウ」と紛らわしくて仕方ない……スミマセン。
・うん、登録で間違えても仕方ないなぁ!(笑)



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第81R 大団円! 終わりのない夢に向かって──

 

 ──有記念の翌日。

 

 オレとミラクルバードはチームの部屋にいた。

 今、集まっている二人でとりあえず反省会である。

 

「……昨日のウイニングライブは成功してよかったね」

「ああ、まったくだ」

 

 ミラクルバードの言葉にオレはうなずいた。

 有記念というデカいレースだったが、なにしろダイユウサクは14番人気だった。

 ハッキリ言えば、望んでいる人が2番目に少ないようなライブということでもある。

 最悪、秋の天皇賞のようなライブも覚悟したのだが……

 

「──2位以下が順当だったもんね」

 

 ミラクルバードの言ったとおり、2着が1番人気のメジロマックイーンで、3着が2番人気のナイスネイチャ。その後の4位も3番人気のプレクラスニーと、ダイユウサクが1着に割り込まなければ人気通りの着順だったというわけだ。

 

「それに、マックイーンが祝福してくれたからな」

 

 正直、これが一番大きいと思う。

 それを見ていたからこそ圧倒的多数だった彼女の優勝を願っていたファンも好意的に受け入れてくれた。

 誰も見向きもしていなかったような超大穴に負けたんだ。プレクラスニーとかに負けたのならともかく、間違いなく悔しかっただろうに。

 それでもレース後に、観客の前でオレ達を祝福してくれたのは、本当に立派だった。

 

(彼女も……今回のレースでなにかが変わったのかもしれないな)

 

 実は──ダイユウサク優勝の裏でマックイーンが、今回のレースを終始前の方にいて引っ張って立てないほどにバテたプレクラスニーに手を差し伸べるという一幕があった。

 緊張感が走ったシーンであったが……プレクラスニーは手を取った。

 

(ま、優勝したウチの陣営に気を使って、もめ事にしたくなかったというのもあるんだろうが……)

 

 とはいえ、プレクラスニーも立ち上がったあとに「次は勝つ」とマックイーンにリベンジ宣言もしている。

 因縁は残っても、遺恨は消えたと思っていいだろう。

 

「──でもダイユウ先輩、よくダンスできたよね。いったいどんな裏技使ったの?」

「あ~、アレか? 裏技でもなんでもなく、力業だ」

「力業?」

 

 悪戯っぽくニヤニヤと笑みを浮かべて訊いてきたミラクルバードだったが、オレの返答に眉をひそめる。

 

「ああ。表彰式前後でコスモドリームに会えたからな。巽見を呼んでもらって、ライブ前にひたすら脚のマッサージをしてもらったんだ」

 

 アイツはそういう知識と技術も持ってるから、本当のサブトレーナーとして有能だよな。相生さんが独立させずに手元に置きたがってる理由もわかるわ。

 

「ライブの曲もステージを走り回るような曲じゃなかったから、どうにかなったという面もあるが」

 

 巽見のマッサージでかなりマシになり、歩くのとステップ、ダンスのバランスを取る……くらいまではできていたが、曲によってはある走る部分は正直、無理だった。

 それを説明すると、ミラクルバードの表情が陰る。

 

「先輩の足だけど、大丈夫なの?」

「オレも看ようとしたんだが──蹴飛ばされた」

「当たり前だよ! どうせ素手で太股撫で回そうとしたんでしょ?」

 

 ミラクルバードが驚き、呆れたように言う。

 

「言い方! あのなぁ……アイツにも言ったけど、心配して調子を確かめようとしただけだぞ」

「その言い訳がきくなら、男性トレーナーはセクハラし放題だよね?」

 

 そう言ってジト目を向けてくる。

 

「……まぁ、巽見がマッサージ前に確認してくれたが、感触では骨の異常はもちろん、肉離れとかの筋の異常も認められない……とは言っていた」

「う~ん……痛みは無い、ってダイユウ先輩も言ってたもんね」

 

 もしも骨や筋肉に異常があれば、マッサージで悪化させるおそれがある。だからこそ巽見も入念に確認してくれた。

 それにミラクルバードが悩むように、アイツの異常は痛みではなく、“力が入らない”ということ。

 

「ああ、だから今日は病院に行って精密検査を受けさせてる」

「え? 普通に休みにしたんじゃなかったんだ。でも、トレーナーはついて行かなくてよかったの?」

「ジロジロ見られるのはイヤって断られた。でもアイツが結果を隠そうとしても、診察結果はオレの下へ来るようになってるから大丈夫だ」

 

 一応、付き添いとして、オラシオンに行ってもらっているし、問題はないだろう。

 大事(おおごと)にしたくない、って気持ちもあるんだろうしな。

 

「それに……負傷というよりは過度な疲労、だと思ってる。さっきお前が言ったように、痛みが無いって話だからな」

「最悪なのは、感覚が麻痺してて負傷に気が付いてないってパターンだけど……でもトレーナー、そこまでの過剰な疲労って──」

「ああ、レース中の“アレ”だろ」

 

 思い出すのは最後の直線。

 マックイーンを越える末脚を発揮して、先頭に立ったときのことだ。

 あのときのアイツは……

 

「“領域(ゾーン)”、だと思う?」

「だろうな……詳しいワケじゃあないから、オレも断言はできないが。むしろこっちがお前に確認したいくらいだぞ?」

 

 ウマ娘でもアスリートでもない、オレはそんな体験はない。

 踏み入りかけたミラクルバードの方が、この件に関しては詳しいはずだ。

 

「そう、だと思う」

「だと思うって……曖昧だな」

「うん。昨日のアレはハッキリ言って異常だったんだ。あれは明らかに……ダイユウ先輩の限界を超えてる」

「限界を超えるのが、“領域(ゾーン)”じゃないのか?」

「……普通なら“制御された”限界突破なんだよ」

 

 ふむ……どういうことだ?

 オレが首を傾げると、ミラクルバードはさらに説明する。

 

「マックイーンみたいにコントロールできているウマ娘は、身体を壊さないレベルだから何度も“領域”に踏み込めている、と考えるべきじゃない?」

「その都度、体を壊していたらとてもじゃないが保たないもんな」

「それに対して昨日のダイユウ先輩は……まるで“火事場の馬鹿力”だよ」

「命の危機に異常な力を発揮するっていう話か。あれも意識の過剰集中が原因って考えれば“領域(ゾーン)”と同じだろ」

 

 オレの言葉に首を横に振る。

 

「まさに“必死”でやるそれは制御なんてされてないからね。“火事場”が終わってみたら体を痛めてた、なんてことが当たり前みたいよ。先輩、ケガとかしてないといいけど……」

「そうだな。まぁ、様子がおかしいのは、他の陣営にもバレてるから、しばらく休ませるつもりだから──」

「バレてる? どこに?」

「マックイーンだよ。表彰式のあと、ダイユウサクに見つからないようにして『走路(ターフ)でのパフォーマンスはわざとですわね?』とこっそり言ってきた。アイツが立てなかったのが完全にバレてたわ」

 

 ついでに『勝者がいない状態でのライブなんて、絶対に許しませんわ』とメジロ家の主治医やらなんやらを用意する、と言われたのだが……負傷していなければ絶対に出す、と約束してなんとか収めた。

 ライブ中もさりげなくフォローしてくれていたし。

 

「いずれにしても……これ以上の話はアイツが帰ってきてからだ」

「そうだね」

 

 うなずくミラクルバード。

 そうして──しばらくしてから帰ってきたダイユウサクの検査結果は──骨や筋肉に異常は無し、というものだった。

 

 それには純粋にホッとした反面──ダイユウサクが踏み込んだ、あの“領域(ゾーン)”の反動がどこまで深刻で、いつになったら元に戻るのか、オレは不安を感じていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──その後、

 

 ダイユウサクは休養からの復帰戦を4月の産経大阪杯にしたのだが……オレは、正直に言えば不安を感じていた。

 なぜなら相手が悪かった。アイツの復帰戦とぶつかったのだ。

 そして──

 

『これは天皇賞が楽しみだ! トウカイテイオー、余裕で──ゴールイン!!』

 

 オレに対してレース前に「アタシはメジロマックイーンに勝ったのよ。トウカイテイオーにも勝てる!」と自信を見せていたダイユウサク。

 しかしレースに勝ったのは、ダービー後の骨折からの復帰戦だったトウカイテイオー。

 異次元の強さを見せつけられ──結果は6着。

 

「ダイユウサクッ!!」

 

 レース後に、ターフに力尽きたかのように寝転がるアイツの姿を見て、オレは焦って飛び出した。

 慌てて駆け寄って抱き起こしたが……顔にパンチすること無いだろ、まったく……

 見ろ、「なんてウマ娘思いのトレーナーでしょうか」と驚いていたイクノディスタスがドン引きしてるぞ。

 それにアイツが「あのウマ娘が驚いてるのは、アンタの頑丈さによ」なんて言い出すから喧嘩になったが。

 

 そして、その後も……春の天皇賞はメジロマックイーンとの再戦となった。

 もっとも世間はダイユウサクとの有記念での因縁なんて誰も気にせず、連覇を狙うマックイーンと、無敗を続けるトウカイテイオーとの対決にしか関心がなかったが。

 で、結果もまぁ……9着と、惨敗だ。

 そこまでなれば、オレも察しが付く。あの時の、“領域(ゾーン)”に踏み込んで得た規格外の力を発揮した後遺症……いや、代償を今払っているのだ、と。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──春の天皇賞のあとのトレーニング。

 そこでオレはダイユウサクに声をかけた。

 

「ダイユウサク。お前、脚……」

「なによ。検査しても異常、出てないでしょ? 骨も折れてもなれれば、腱の炎症もない。健康そのものよ」

 

 聞き飽きた、とばかりに不機嫌さを隠そうともしない。

 だが、今日は引き下がるわけにはいかない。

 

「本当に、そうか?」

「アタシを疑うつもり──って、なにしてんの…よッ!!」

 

 スッと近づいて、太股を掴んだオレに──容赦のない蹴りが飛んできた。

 それを喰らって吹っ飛ぶ。

 しかし──それで確信した。

 

「……やっぱりお前、足に力が入ってないだろ」

「あ、アンタ……まさかそれを確かめるために?」

「当然だろ。そうでもなければお前の足になんか誰が好き好んで撫で回す──」

 

 吹っ飛ばされて壁に寄りかかったままのオレの言葉を、遮るようにダイユウサクは叫ぶ。

 

「たづなさ~ん! コイツ、セクハラ犯で~すッ!!」

「ちょ、おまッ!? たづなさん呼ぶのは卑怯だろ!!」

 

 慌てて身を起こすが──く、やっぱりさすがに痛いな。

 でも、本当ならもっと衝撃が大きかったはず。

 すっ飛んできたたづなさんに、どうにか説明し──そしてお小言を言われる。

 その後ろで「べ~」と舌を出しているダイユウサク。

 

 ……ホントに腹立つなぁ。

 

 たづなさんの説教から解放された頃には、昼休みになっており、いつの間にやらダイユウサクはミラクルバードやオラシオンと共に食堂へと去っている。

 残ってても、また言い合いになるだけだ。戻ってきたら、キチンと話をしないと。

 

「オレも飯にするか……」

 

 思わずつぶやく。だが、食堂に行く気は起きなかった。

 今さっき、ダイユウサクとやり合ったばかりだし、それにあそこの量はヒトであるオレにとってはちょっと多すぎる。

 というよりも、なにかにつけて料理にニンジン入ってくるあたりは、完全にウマ娘向けの味付けだし。

 今日は別のを食べたい──なんて思って、ふと弁当の配達を思い立つ。

 

(最近、配達サービスも充実してきたよな)

 

 リーズナブルなものから、一転して高級感さえ感じるような、高価なものまで──種類だって和洋中といろいろ取り揃えてある。

 そんなわけで今日は弁当のデリバリーをすることにして──オレはスマホを見ながら宅配弁当を何にするか、迷っていた。

 おお、こんなに美味そうなものも、配達してくれるのか。

 いい世の中になったな~。

 

 ──などと思いながら注文して、それから自分のトレーナー部屋へと向かった。

 一応、学園側にも許可はとって、宅配業者がスムーズに出入りできるように連絡を入れておいた。

 そこで食べる予定のトレーナー室へと持ってくるようにあらかじめお願いをして、そこで机に向かって作業をしていたら……ドアがノックされた。

 

「こんにちは、お待たせしました!」

 

 ──と女性の声が聞こえる。

 お? もう来たのか。

 結構早いな。正直、もっと時間がかかるもんだと思っていたんだが……

 オレは部屋のドアを開け──そこには側面に『Umer(ウーマー) Eats(イーツ)』と書かれた、黒と緑の箱を持ち、目深に帽子をかぶった人影が立っていた。

 

「……ん?」

 

 その箱と同じように塗り分けられた帽子からは、耳がピンと二つ立っている。

 

(ウマ娘、か……)

 

 そういえば最近、出前や小口での宅配事業が増えて、それに従事するウマ娘が増えているらしい。

 自動車と同じくらいの速度で走れ、しかも小回りは原付や自転車以上に利く、その上に直接運ぶから丁寧、とかなり好評らしい。

 たしか、この会社も配達員はウマ娘に限定しているとか──

 

「御注文の品ですが──」

 

 そう言って配達員のウマ娘が、俯いて箱から弁当を出そうとしていた。

 おお、いかん。

 

「──こちらになります」

 

 そう言って手渡された弁当。

 そして、その上に──

 

「……え?」

 

 ──トレーナーバッジが置いてあった。

 

(こ、これは……)

 

 オレは慌てて顔を上げ、配達員の顔を見る。

 そして──驚いた。

 

「お、お前……どうして……」

「……やっと気が付いた。遅すぎ」

 

 言うや、彼女は帽子を取る

 そして頭を軽く振り、広がったその髪の色も、してやったりと笑みを浮かべるその顔も……間違えるはずがなかった。

 

「──パーシィ!?」

「お久しぶりね」

 

 思わず当時の呼び方が出てしまうほど、オレは驚いていた。

 まさかここで会うなんて。

 いや、でも待てよ。この前会ったときは確か……

 

「……仕事、変えたのよ。」

 

 そう言って苦笑した彼女は、そのときとは打って変わって薄くナチュラルな化粧の顔になっていた。

 正直……そっちの方が似合ってるぞ。

 

「ま、おかげで収入はガクって落ちたけどね」

「仕事って配達か? でも、なんで……?」

「アンタと、あのウマ娘のせいよ」

「オレと、ダイユウサクの?」

 

 オレの問いにパーシングはうなずく。

 

「アンタ達を見て──私も人生変えてみようかなって。あの仕事……もともと好きじゃなかったし、ね」

 

 苦笑を浮かべて肩をすくめた。

 パーシングは神妙に、そして深々と頭を下げた。

 

「……ごめんなさい」

「パーシング?」

 

 頭を下げたまま、彼女は話し始めた。

 

「私……見栄っ張りで、そのくせ気が弱い私はデビュー戦のあと……学園のみんなの視線に耐えられなかったわ。なんで、あんなことをしたのか……そう問いただす視線に耐えかねて、私はあなたを……悪者にしてしまった」

 

 あのときのことか。

 オレは……あまり思い出したくない記憶を蘇らせる。

 

「あなたの期待から逃げてあのレースに出ることになって、その事実からさえも逃げてあなたのせいにして……謝って済むような話じゃないのはわかってるわ。でも、謝らないといけないことだし……もう逃げたくないって、ちゃんと事実に向かい合わないとって思って」

 

 オレの期待が……重かったんだろうな。

 あの時のオレは、正トレーナーになれて舞い上がっていた。

 そして……焦っていたのかもしれない。あの“国民的アイドルウマ娘”を勝手に重ねて──パーシングのことを見ていなかった。

 

「もういい。いや……オレの方こそ、悪かった。ちゃんとお前と……向き合ってなかったんだからな。ちゃんとお前のことを見ていれば……」

「今ごろ……言わないでよ」

 

 オレが頭を下げると、彼女はなにかつぶやいていた。

 そして──頭を上げたパーシングは微笑んでいた。

 

「……今の仕事、確かに実入りは減ったけど、楽しいのよ」

「楽しい? 楽な仕事じゃないだろ?」

 

 訝しがるオレに、彼女は笑顔で答える。

 

「ええ。仕事が終わったらいつもクタクタ。でもね、前の仕事は走ることなんてなかったから……走るのが楽しいのよ。やっぱり私、走るのが好きだって思い知らされたわ」

 

 走ることは、ウマ娘の本能なのかもしれない。

 だからその欲求が果たされることで、喜びを感じたんだろう。

 

「だから頑張ろうって思えるのよ、今の仕事。そして私は──もう好きなことを、我慢しないわ」

 

 パーシングが、一歩踏み出す。

 う!? 思わず後ずさりしかけて──

 

「ちょ、ちょっとアンタ、何やってんのよ!!」

 

 大きな声が横から響いた。

 思わず見ると──そこにはダイユウサクが噛みつかんばかりの勢いでパーシングをにらんでいた。

 その傍らには、車椅子のミラクルバードと、それを押すオラシオン、それに実習生の渡海くんの姿もあった。

 ダイユウサクは走り出し──あっという間にオレ達の下へたどり着く

 そしてパーシングに猛然と抗議し始めた。

 

「どういうこと? アタシは、キッチリ約束守ったでしょう? ちゃんと年内にGⅠを勝つって──」

「ええ。おめでとう……とても凄いレースで、私も感動したわ」

「ありがとう……ってそんなの、どうでもいいわ!! なんでアンタが、ここに来てるのよ!!」

「それは……私、トレーナーに私の…届けた…お弁当を、食べてもらおうと思って──」

「はあ!?」

 

 ギン、と頭を振って睨みつけるダイユウサク。

 その視線の先には──パーシングから受け取ったお弁当があった。

 

「……アンタ、なに受け取ってんのよ?」

「は? いや、だってこれは……オレが頼んだわけだし」

 

 オレの返答に、ダイユウサクの目がますます厳しくなる。

 

「頼んだ!? このウマ娘(おんな)に!? なんでよ!?」

「なんでもなにも、オレはただデリバリーを頼んだだけで……」

「そうね。デ・リ・バ・リー、をね」

 

 意味深にウインクするパーシング。

 おい、そんないかがわしく言う必要が、どこにあるんだ?

 

「ひょ、ひょっとしてトレーナー……」

「な、何考えてるんですか、乾井トレーナー。こんなところに呼ぶなんて……」

「え? ……ミラクルバード先輩に渡海さん、こんなところって?」

 

 “デリバリー”という単語に妙な想像をしたミラクルバードと渡海。

 オイお前ら、オレをどういう人間だと思って見てやがるんだよ。

 で、オラシオンは……そのまま純粋なままでいてくれ。

 

「ちょっと、どういうことよ!!」

 

 オレはダイユウサクに胸ぐらを捕まれ──そのまま揺さぶられた。

 そんな大騒ぎの中……気が付けば、パーシングはいなくなっていた。

 あとには配達伝票と「これからもどうぞご贔屓に」というメッセージと……数ヶ月ぶりにオレの胸に戻ったトレーナーバッジが残されていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その後、安田記念に出走し──8着。やはり結果を出せないダイユウサク。

 それでオレは我慢ができなくなった。

 後遺症が残っているのは間違いない。そのせいで“領域(ゾーン)”に踏み入るどころか、実力の100パーセントの力すら出せなくなっているんだ。

 

「休め、ダイユウサク……」

 

 休養を指示したオレの言葉にアイツは──首を横に振った。

 

「足に異常が出ていないのに、休むわけにはいかないわ。だってアタシは……去年の有記念をとったウマ娘なのよ?」

 

 その責任がある。ダイユウサクはそう言って──さらに宝塚記念へと出走した。

 前走と同じ8着。

 

 翌月の7月……あのコスモドリームと走った初めての重賞と同じ舞台である高松宮杯も出走したが14着。

 それでオレは──アイツとの会話で、その一言を出した。

 

 “引退”という単語を──

 

 だが、ダイユウサクは──

 

「ねぇ、トレーナー……最後に、最後に一つだけ……お願いがあるの。どうしても……出たいレースがあるから。それに向けて足をしっかり休ませるわ」

 

 宝塚記念に出走したことで、グランプリウマ娘としての責は果たしたから。

 そう言ってダイユウサクは──休養に入った。

 それから10月に1度だけ、まるで足の具合を試すように短距離の重賞に出走し──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

『──さぁ、いよいよ始まります、夢の大レース。今回の注目は……』

 

 GⅠを越える大舞台……そう呼ばれたレースの開催に、多くのウマ娘競走(レース)ファンが熱狂する中、ある二人のウマ娘がその舞台に立とうとしていた。

 走路(ターフ)へと続く通路を歩いていた二人は、そこでバッタリと出くわす。

 

 

『“あの”有記念で、大本命のメジロマックイーンをねじ伏せて世間を驚かせたウマ娘……』

 

 

 長い鹿毛の赤みがかった茶髪を後ろへと流した髪型は、おでこが強調される印象の彼女。

 顔見知り──というには知りすぎている相手を前に、彼女は勝ち気で不適な笑みを浮かべた。

 

 

『その後は精彩を欠き、『世紀の一発屋』などと呼ばれていましたが……スワンステークス以来の長期休養を経て、まさかの復活です!』

 

 

「まさか、まだ走れるなんてね……驚いたよ」

「それはこっちの台詞よ。てっきり諦めていたと思ったのに──」

 

 

『そして……まさかの復活は、そのウマ娘以上! 彼女の期の“樫の女王”が、翌年の高松宮杯を最後に姿を見せていなかった彼女が、まさかまさかの大復活!』

『はい。エリザベス女王杯前に骨折して、治療後に感覚の狂いでだいぶ苦しんだそうです』

 

 

「アタシの方はゆっくり休んだおかげで、“あの時”の後遺症もやっと無くなったけど……そっちはどうなの?」

「おかげさまで……こっちは、それ以上の時間かけて調整していたからね。かなり遅くなっちゃったけど、骨折前以上に走れるようになったんだから」

 

 

『一時期は、諦めかけていたようですが、従姉の活躍で一念発起してここまで来られた、と言っていましたよ』

 

 

 視線をぶつけ合わせていた二人だったが……そんな解説者のアナウンスが聞こえ、なんともいたたまれない空気になる。

 そして、どちらからともなく笑い始めた。

 

「まったく、締まらないよね。ユウが絡むと……」

「そんなことないわよ。コスモだって、似たようなものじゃない」

 

 笑いながら言い合う二人。

 そして──

 

「本当は、引退するつもりだったんでしょ? あのとき……」

「うん。でも……“あの競走(レース)”を見て、気が変わった」

 

 目を閉じて思い出す彼女。それをもう一人はじっと見つめている。

 

「思い知ったんだ。自分の夢を叶えるために走っているんじゃないって……」

 

 あのレースで、自分の(因子)で集まった思いを力に変える姿を目の当たりにした。

 そして走る姿は、まさに一人で走っているものではなかった。

 

「自分の夢、支えてくれるトレーナーの夢、チームのみんなの夢。それだけじゃない、応援してくれるみんなの夢……“夢を実現するために走る”、それがウマ娘だって──」

「コスモ……」

 

 

『予選を見事に突破し、この大舞台へと降り立ちました……オークスウマ娘、コスモドリーム!!』

 

 

 対している彼女とは鹿毛という色こそ同じなものの、長さは対照的にショートカットに切りそろえ、動きやすそうな勝負服とも相まって活発なイメージのウマ娘。

 その勝負服は──レオタード姿に小さな銀色のプロテクターのようなものをつけた個性的なもの。

 

 

『そして──グランプリウマ娘、ダイユウサク!!』

 

 

 それに対して、赤を基調に黒と黄色がアクセントをつけるオフショルダードレス型という、オーソドックスな勝負服の彼女。

 そのダイユウサクに、コスモドリームはニヤリと笑みを見せつける。

 

「だからね、どうしても夢を叶えたくなったんだ。もう一度、競走(レース)で走らせたいっていう涼子さんの夢と、孫二人があの時(高松宮杯)以上の大舞台で競うのを見たいっていう祖父(じい)ちゃんと祖母(ばあ)ちゃんの夢。それに──」

 

 コスモドリームは、握った拳をダイユウサクの前へ突き出す。

 

「グランプリウマ娘になったユウともう一度……今度は頂上で競走(はし)りたいっていうコスモの夢を」

 

 その拳を見つめ──コスモドリームの“夢を実現するために走る”という言葉を噛みしめるダイユウサク。

 そう……だからこそ、ここまで走ってこられた。

 トレーナーに言われた“誰にも負けないウマ娘”。それが叶ったとは思わないけど──それでもそうなりたいという一心で、ここまで来たのだ。

 

「……負けないよ、ユウ」

「ええ。かかってらっしゃい、コスモ。今回は……アタシの方が、挑戦を受ける立場だからね」

 

 突き出されたコスモドリームの拳に自分の拳を軽く突き合わせ──同じようにニヤリと笑った。

 そして二人は暗い通路から、光差し込む出入口へと向き直る。

 

 

 ──夢を実現するために走る

 

 

 そのために二人は並んで、走路(ターフ)へと歩き出す。

 夢の大レースの開幕は──もう間もなく……

 

 

 

第一章 ~The Amazing Ugly Duckling~  ──完──  

 

 




◆解説◆
【終わりのない夢に向かって──】
・元ネタはこれまた『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』シリーズから。
・一度ネタにしているゲームの『~新たなる挑戦者~』のEDテ-マ、「終わりのない夢に向かって」から。
・実はこのゲーム……ゲーム性とかグラフィックはさておき、シナリオとか展開は大好きだったりします。
・オリジナルサイバーマシン……というかサイバーシステムのネメシスも好きでしたし。
・実は最終話のタイトルは当初、「The Amazing Ugly Duckling」にしようと思っていたんですが、ダイユウサクのスキル名に採用したので、ボツになりました。
・なお、リンクつけると色がついて強調されるから下の解説には載せなかったのですが……本章の最後の最後に使った──「夢を実現するために走る」という言葉もまた、『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』からのオマージュです。
・テレビ版でアスラーダからスーパーアスラーダにサイバーシステムを乗せ換えるときに使うパスワード「ユメヲジツゲンサセルタメニイキル」を使わせていただきました。

次は勝つ
・残念ながら、プレクラスニーの次走は──ありません。
・史実のプレクラスニーはこの有馬記念の後、リベンジの機会を狙っていたのですが──トレーニング中に脚部不安を発生させて、そのまま引退となってしまっています。
・ちなみに……北海道日本ハムファイターズの新監督で“ビッグボス”こと新庄剛志監督が現役時代にヒーローインタビューで言っていた「次()勝つ」のオマージュ。
・ただ……ヒーローインタビューでこれ言うと、次は負けるというジンクスがありました。(笑)

ステージを走り回るような曲
・ゲーム版で有記念のウイニングライブ曲は『NEXT FRONTIER』。
・そのライブでのダンスはステップ等はあるものの、『Make debut!』『ウマぴょい伝説』のように走る場面や、『本能スピード』のような激しいステップもありません。
・ですので、どうにか誤魔化せたやり遂げられました。
・どころでこの曲、天皇賞とかも含めての勝利曲で、舞台演出が天皇賞意識しているものだから、有&宝塚だけの曲も欲しいところですね。

産経大阪杯
・1992年4月5日に開催された第36回産経大阪杯が元ネタ。
・トウカイテイオーの、骨折からの復帰戦ということで、アニメの2期4話の冒頭で描かれたレースです。
・で──そこでは“サイバイマンに自爆されて息絶えたヤムチャのポーズ”で寝転がるダイサンゲン(ダイユウサク)の姿が……
・そんなわけで──イクノディクタスの後ろに転がってるのを、トレーナーが慌てて起こしに行った、ということになってます。本作では。
・なお、転倒しているのも“後遺症”で足に限界が来てしまって立てなくなっているからです。

春の天皇賞
・これもまた1992年春の第105回天皇賞が元ネタ。
・ここでもダイユウサクは結果を出せません。
・なお、これまたアニメ版2期5話でテイオーVSマックイーンが描かれたもの。
・このシーン……なぜか終始、ダイサンゲンがオーラを出し続けていたのは未だに謎です。
・実際、ダイユウサクが何かしたわけでもないですし。
・でも、実際……セリフはないけど声はある上、ダイサンゲンは妙に何度も画面の端に出てくるんですよね。マックイーンが蹄鉄つけなおしているのを他のウマ娘達はじっと見ているだけなのにダイサンゲンだけなぜかホッと大きく息を吐いてる動きはあるし。

Umer(ウーマー) Eats(イーツ)
・元ネタはもちろん「Uber Eats」。昨今のコロナ渦で話題になった配達サービス。
・「ウマ娘」の“ウマ”と「美味(うま)い」が掛かってるネーミングですね。
・実際、配達業ほどウマ娘に向いている仕事はないと思うんですが。

後遺症
・本作では有記念以降の、ダイユウサクの成績不振を、“あそこで実力以上の力を発揮してしまい、足に目に見えない深刻なダメージを負った”という設定になっています。
・そのため通常の全力さえ出せないような状況になってしましました。

短距離の重賞
・1992年10月31日に開催された第35回スワンステークスがモデル。
・このレースこそ、史実のダイユウサクの引退レースになりました。
・結果は16頭中15着。
・これがダイユウサク全38戦のラストランとなりました。
・最終成績は11勝、2着5回、3着2回で生涯獲得賞金は3億7573万円。
・重賞勝利は、1991年の金杯(西)と同年の第36回有馬記念の2回という、目立った競走馬ではありませんが、その生涯はどん底から最高の栄誉まで這い上がった最高のサクセスストーリーでした。
・その後……種牡馬となったダイユウサクですが、目立った産駒はありませんでした。
・でもその中の一頭に──グラン()()()()()という競走馬がいます。
・そう、第二章をオラシオンが引き継ぐのはその意味を込めて、ということでもありました。
・作中でも他のウマ娘の加入に猛反対しそうなダイユウサクが、妙にすんなりオラシオンを認めて受け入れているのはそういうウマソウル的な面(実際には実在馬のダイユウサクと、架空馬で設定の血統もまるで違うオラシオンとは縁もゆかりもありませんが)もあります。

夢の大レース
・完全に史実外の夢のレース。アニメ1期での「ウインタードリームトロフィー」であり、ゲーム版で言うところの「URAファイナルズ」。
・どちらかの名前を採用しようと思った(予選という言葉も出したしURAファイナルズが有力でした)のですが……結局、レース名を出しませんでした。
・そんなわけで、他にどんなウマ娘が出ているか、も謎です。
・一案では──オグリキャップ世代の各ウマ娘で争う案もあったんですけど、誰を一位にするのかと枠番が問題になる(ダイユウサクが5枠8番以外考えられないけど、オグリの4枠8番も外せない上、コスモドリームのオークスの3枠9番まで盛り込むのは不可能)ので、やっぱりやめました。


※これにて第一章は完結となります。
・第二章は予定通り……すでに登場している非実在系ウマ娘、オラシオンが主人公となる予定です。
・その開始日は未だ未定ですが──それまでの間に“間章”として短編を2つ挟む予定です。
・一つはダイユウサクが主役(?)の話で、もう一つは《アクルックス》の新メンバーの話になる予定です。


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間章・その1 甘えん坊グルーミン★UP!
──1──


 
 ある日のこと──

「さて、新メンバーを紹介する」
「──待って」

 オレは〈アクルックス〉のメンバーに招集をかけ、集まった面々を前にそう言ったのだが……いきなり物言いをつけてきたウマ娘がいた。
 他の大人しく聞いていたメンバーであるミラクルバード、オラシオン、そしてトレーナー実習生である渡海の視線が、彼女──ダイユウサクに集中する。

「なに? いきなり新メンバーって? そんな話、全然聞いてないんだけど?」

 案の定な反応に、オレはこめかみを押さえた。

「……新メンバーを入れるのに、元々いるメンバーの許可は必要じゃないけどな」
「一緒に練習したり、サポートしたりする相手なのよ? 個人の相性も考えずにメンバーを増やされたらトラブルの元になるだけ。アタシ達にだって選んだり文句を言う権利はあるわ」

 ごもっともな言い分ではある。
 まあ、ダイユウサク自身も〈アクルックス(うち)〉に入る前にいたチームで嫌な思いをしているから、そこに慎重になるのは分かるんだが……
 オレは紹介しようと思っていた、隣に立っているウマ娘をチラッとみる。
 小柄な彼女は案の定──ダイユウサクをおびえた目で見ていた。
 そして……オレの服をグッと掴む。

(やっぱり、そうなるよなぁ……)

 で、彼女がオレの服を掴んだ途端──ダイユウサクの目がさらに鋭くなるわけだ。
 そんな雰囲気に、ダイユウサクの次に古参になったミラクルバードは苦笑を浮かべ、オラシオンはたまらずにダイユウサクと新人の彼女の顔を交互に見ている。

「ちょっとワケ有りでな。彼女のことを引き受けることになった」

 ため息をつきたい心境だったが、それをすると受け入れてもらう側も、受け入れる側も刺激することになる。
 心の中だけでそれをつき、オレは隣のウマ娘の後ろに回って肩に手をおいた。

「ほら、自己紹介……」
「え? あ、うぅ……ひ、ヒルデガードといいます。よろしくお願いします……」

 恥ずかしがり屋なのが一目瞭然、といった様子で精一杯な挨拶をするヒルデガード。
 彼女はそれだけ言うと、慌ててオレの背後に隠れた。

「えっとヒルデガードだから……ヒルダちゃん、でいいいかな? ボクの名前はミラクルバード。こんな覆面(もの)を付けてるから怖く見えるかもしれないけど、そんなことないからね」

 そう言ってひらひらと手を振りながら笑顔を浮かべるミラクルバード。

「よろしくお願いします、ヒルデガードさん。私はオラシオンと言います……」

 オラシオンのは生真面目でちょっと固い挨拶だったものの、最後に浮かべた微笑みはさすがは優等生、と思った。
 そして渡海くんも「研修中ですが、精一杯がんばりますので」と挨拶している。
 ……で、当然のように、まだ挨拶をしていないウマ娘に視線が集まるわけで。
 
「──ワケ有りって、どうせまた理事長秘書(たづなさん)にでも頼まれたんでしょ?」
「秘書じゃなくて理事長本人から、だけどな」

 案の定、ダイユウサクはヒルデガードではなくオレに話しかけてきた。
 そしてオレが答えると、ダイユウサクは顔をしかめて「また……?」と言った。
 確かに〈アクルックス〉は理事長からいろいろと無理難題を押しつけられる傾向はある。
 ただ、まぁ……チームの設立自体が理事長の後ろ盾があったからできたことだしな。オレみたいな信用を失っていたトレーナーと、ダイユウサクみたいな劣等生を組み合わせたソロチームだったんだから。

「…………ッ」

 服を再びギュッと掴まれる感覚で、オレは我に返った。
 背後を伺えば、ヒルデガードというウマ娘はますますおびえた様子でダイユウサクを警戒している。

(う~ん、最悪な顔合わせになっちまったなぁ……)

 オレは早くも失敗の様相を呈してきた初顔合わせに暗澹たる思いをしながら──この厄介ごとを背負い込むことになった時のことを思い出していた。



 

「理事長……さすがに〈アクルックス〉( うち )を頼り過ぎじゃないですか?」

「う……」

 

 オレに言われて、理事長は短くうめく。

 理事長からの頼みごとに、オレはさすがに一言言わざるを得なかった。

 

「ウチは便利屋じゃないんですよ。うちだけ呼び出される頻度がおかしいような……」

「でも、乾井トレーナー? その分、理事長も力になっているじゃないですか」

 

 オレの言葉から理事長をかばうように、理事長秘書の駿川たづなさんが、珍しくジト目を向けてきていた。

 ああ、そんなレアな表情もステキだな──

 

「あの……ちゃんと話を聞いてますか?」

「ええ、もちろんですよ。たづなさん」

 

 貴方の声をオレが聞き逃すわけが無いじゃないですか。

 心の中でそう言うと──

 

「一応、もう一度説明しますけど──」

 

 たづなさんは少し呆れた感じでため息をつきつつ、話し始める。

 

「〈アクルックス〉で受け持ってほしいウマ娘がいるんです。まだデビュー前で、選抜試験には何度か参加しているウマ娘なんですが……」

「うむ。彼女の名前はヒルデガード──」

 

 理事長が頷きながら、その名前を言う。

 その間に、たづなさんはオレに資料を手渡してきた。

 個人のプロフィールと、選抜試験での結果なんかが書いてあったが……

 

(──ずいぶんと、極端な成績だな)

 

 端的に言えば……いや、言わなくても実際に1位か最下位(ビリ)かという成績だった。

 随分と極端なレースをする、というのが感想だ。

 だが、そういうウマ娘がいないわけじゃない。ダイユウサクが制した有記念で、途中まで先頭(ハナ)を切って逃げていたウマ娘がいたが、彼女がまさにそういうウマ娘だ。

 ただ……それとも少し違うように見えた。

 

(結果だけじゃない。通過順位さえも極端だ……)

 

 1位だったときは最初から1位、というのは逃げウマ娘ならよくあることだ。

 しかし、例えば出遅れたりして先頭に立てずとも、そういうウマ娘は前にいくはずなんだが──彼女の場合は、最初に先頭に立てなければまるでやる気をなくしたかのように後方待機になる。

 そして、そのまま差すことさえなく、最後方でレースを終える。

 

「ふむ……」

 

 これは──良くない傾向だな。

 成績から、かなり(むら)っ気のあるウマ娘というイメージが見えてくる。

 自分の思うとおりの展開にならないと早々に諦めてレースを投げ出す、そんな印象だ。

 

(となると、かなりワガママなウマ娘ってことになるよな)

 

 正直、またこのパターンか、とは思った。

 オレが今まで担当した中で、まだ本格的なトレーニングが始まっていないオラシオンを除いた二人は──どっちも素直とは言い難かったからな。

 

「確認ッ、どうだろうか……?」

 

 オレが資料を見ながら考え込んでいると、理事長が恐る恐るといった様子で尋ねてくる。

 その不安げなその表情を見ると思わず力になりたくなってしまうが……正直言えば厳しい。

 オレは素直に苦い顔になってしまう。

 

「わざわざオレのところに話を持ってくるってことは、他のトレーナーも持て余しているってことですよね?」

「う、うむ。しかしだな、彼女は事情があって……」

 

 歯切れの悪い理事長の言葉。

 これは間違いない。地雷決定だ。

 申し訳ないがオレは断ろうと口を開きかけ──

 

「この前の、ダイユウサクさんの有記念制覇。お見事でしたね、乾井トレーナー」

 

 突然、笑みを浮かべたたづなさんが脈略もなく賞賛してきた。

 え? なんでこの状況でこの話を?

 もちろん戸惑うオレだったが、彼女は気にする様子もなく──というか、有無をいわさずに言葉を重ねてくる。

 

「それもこれも、やはり乾井トレーナーの優れた指導の(たまもの)ですね」

「いやぁ、そんなことは……」

 

 思わず頭を掻くオレ。

 うん。もちろんこれが罠であり、見え透いた御世辞であることくらい、分かっているんだ。

 しかし、そこは惚れた弱みというか……な? 意中の人からそう言われたら、さすがにガードも甘くなるだろ? 普通。

 だからそう、仕方ないんだ!!

 

「そんな優れたトレーナーにこそ、やはり彼女を任せたいんです」

 

 ……しかしだ。オレだってバカじゃないぞ。

 確かにたづなさんから頼られて、嬉しいさ。天にも昇る気分で、快諾したい。

 だが、天にも昇る気分で足下を留守にして、見えている地雷を踏み抜くほど愚かじゃあないんだ!!

 

「いや、ウチにはまだダイユウサクもいますし、それにオラシオンのことも本格的に見ないと──」

「ダイユウサクさんは、もうさほど手間がかからないんじゃないですか? それにオラシオンさんはメイクデビューが始まるまで時間もあります」

 

 くッ……痛いところをついてくる。

 

「それでは今回の件、大丈夫ということで間違いありませんね?」

「それは……持ち帰って、チーム内で検討する……ってわけには?」

「──いきません」

 

 たづなさんに笑顔でピシャリと言われてしまう。

 だろうな、と思う。

 ここでオレに考えて反論を与えるようなことはしないだろう。そうでなければオレだけ呼び出すなんてこともしなかっただろうから。

 

「……ダイユウサクさんの有記念制覇、あれは委員からの“推薦”があったからこそ、ですよね?」

「それは……もちろん」

 

 本当に痛いところをついてきた。

 その通り、ダイユウサクが有に出走したのは投票ではなく、委員からの推薦だ。

 その候補になるのに多大な貢献をしてくれたのは──間違いなく理事長。

 

「あのときの理事長の姿、乾井トレーナーにもお見せしたかったんですよ。あんなに親身になってくれる方なんて、そうそういませんし……」

「謙遜ッ……それほどでもないぞ?」

 

 満更でもない顔をしながら、えへんと胸を張る理事長。

 しかし、理事長には悪いがたづなさんの目当ては理事長をほめることではない。満面の笑みをオレの方へ向けてきている。

 その笑顔の圧に──オレは勝てなかった。

 

(これは……詰みだな)

 

 降参するしかない。オレはため息をついた。

 これ見よがしに、その姿を二人に見せて。

 今回の件を受け入れるのは不本意だ、と見せてこっちからも恩を売ったと思わせたかったからだ。

 

「……わかりました。その件はウチのチームで引き受けましょう」

「歓喜ッ! 本当か!? これは助かる……さすが乾井トレーナー、私が見込んだだけはあるッ!!」

 

 理事長の表情が、パッと明るくなって満面の笑みをうかべていた。

 その姿が愛くるしくて思わず──

 

 ──いや、オレは○リコンじゃない。うん。

 

「詰問ッ……乾井トレーナー、今、なにか不穏な考えを浮かべなかったか?」

「滅相もない。理事長のお姿がキュートだな、とは思いましたが」

「本当か!? それなら仕方がないな!」

 

 ジト目だったその表情が、再びパッと明るくなり、うむうむと頷く。

 ……うん、簡単にだまされそうだけど、トレセン学園は大丈夫なのだろうか。

 まぁ、代わりにたづなさんが何か言いたげな顔でこちらを見ているわけだが。

 

「で、その事情っていうのはいったい……」

 

 オレは話を変えつつ、さっき理事長が言い掛けて気になっていたことを訊いた。

 よく考えてみれば……この理事長が自ら入るチームを探しているようなウマ娘なんだ。

 ということは、ワガママすぎてどこのチームにも入れない、なんてことはないだろう。

 

 ……たぶん。

 

 一抹の不安を抱えながらオレが待っていると、理事長は沈痛そうな顔で話し始めた。

 

「彼女は……ヒトに育てられた、という経歴をもっていてな──」

 

 理事長はそう切り出し、ヒルデガードというウマ娘の事情を話してくれた。

 幼いころに母から離れ、人間に育てられた。

 そのためウマ娘という存在を見ることなく、ある程度まで育ったそうだ。

 

「……あれ? その話、どこかで聞いたことがあるような……」

「それは、スペシャルウィークさんでしょう。彼女も同じような境遇で育ったそうですから」

 

 たづなさんがオレの疑問に答えてくれた。

 チーム〈スピカ〉所属のスペシャルウィークは生まれて間もなく母親を亡くし、人間の母親の手で育ったということらしい。

 

「ただ、彼女とヒルデガードさんには、大きな違いがありまして……」

「というと?」

「……スペシャルウィークさんはこの学園に来るまで他のウマ娘には会ったことがなかったそうです。でもヒルデガードさんは……」

 

 言いにくそうにするたづなさん。

 

「……学園に来る前に通っていた学校で、その、イジメというか、仲間外れにあっていたそうなんです」

 

 その話を聞いて、オレはなんとも皮肉な話だと思った。

 どちらも同じような境遇のような生まれだったのに、同じ種族(ウマ娘)と出会っていた方がより辛い目に遭っていたなんて。

 

「子供の方がそういうことに狭量ですからね」

 

 オレはため息混じりにそう言った。

 ある程度の歳にまで成長すれば分別が付く。

 だがそうなる前の子供にとって“普通と違う”ということは格好の攻撃材料になってしまう。

 かくして、その悪意に出会わなかったスペシャルウィークとは対照的に、出会ってしまったヒルデガードは──

 

「……同年代のウマ娘にイジメられ、すっかり他のウマ娘が苦手になってしまって」

「それで、あの成績というわけですか……」

 

 ウマ娘が苦手だからこそ、集団に飲まれずに先頭(ハナ)をきって逃げられれば、追いつかれまいと必死に逃げる。それこそ死にものぐるいで、だ。

 一方で、少しでも遅れてしまえば……集団に入ることなどできるはずもない。後方待機のまま、前に出ることなく終わる。

 その結果──あんな極端な結果の戦績となったわけだ。

 

「でも理事長、うちだってウマ娘がいることには変わりませんよ?」

「無論、承知している。しかし、そういう事情なわけだから人数の多いチームではなく少ない方がいいと思ったのだ」

 

 そうでしょうなぁ……そんなことをすればチームに来なくなるのは目に見えている。

 

「〈アクルックス〉は人数も少ないですし、それにメンバーも彼女にとっては良いと判断しました」

「ウチのメンバーが?」

 

 たづなさんの言葉にオレが疑問を呈したが、彼女は「ええ。その通りです」とあっさり肯定した。

 

「まずミラクルバードさんは人付き合いも上手く、車椅子ということでウマ娘をそれほど意識させません。覆面姿に怯える可能性もありますけど、あの()の愛嬌ならそれを補って余りあるでしょう」

 

 確かに、アイツは人懐っこい。

 実家が商売やっているせいもあるのか、初対面の相手にも臆することはないし、その上で好印象を与えるコツが分かっている感じだ。

 

「オラシオンさんも優しく親切なウマ娘ですから、話しかけるハードルも低いですし、上手く接してくれるはずです」

 

 う~ん? オラシオンは、話しかけやすいか?

 ちょっと優等生すぎて“高嶺の花”な雰囲気があるから、そこまで親しみやすいとは思えない。

 だが、心根が優しくて親切だからな。親身になってくれるのは間違いない。

 ──というか、この二人はまぁ、そこまで問題ないとオレも思ってる。

 問題は残る一人だ。オレはそれを素直に言う。

 

「問題はダイユウサクじゃないですか? アイツは人見知りが激しいし、興味がないものにはとことん素っ気ない。かといって、たまに訳の分からない理由で急に攻撃的になるし……」

「それは……訳が分からない、と思っているのは乾井トレーナーだけではないでしょうか」

 

 なぜかそう言って苦笑を浮かべるたづなさん。

 彼女曰く「かなり分かりやすいですよ?」とのこと。

 

「ともあれ、ダイユウサクさんですけど……彼女もまた幼少期に発育の後れから辛い目に遭っていますからね。そういうことは絶対にしないと思いますよ」

 

 ああ、そういえば……そうだったな。

 グランプリウマ娘になった今では考えられないが、入学当初……いや、それ以前の──従姉妹のコスモドリームによればその前の子供のころから、発育が後れて小柄で貧相だったアイツは追いかけ回されたりしてイジメられてた、って話だった。

 

「彼女も結果的にはチームにミラクルバードさんも、オラシオンさんも受け入れていますし……問題は無いと思われますが?」

 

 笑みを浮かべるたづなさん。

 そう、この笑顔にオレは弱いんだ。

 例えそれに釣られて快諾したあとに、ウチのチームで罵倒を浴びせられるのが分かっていても──

 

「ヒルデガードはけっして才能がないわけではない。しかし他のウマ娘に対する恐怖心のせいでそれが発揮できないのであれば、彼女自身が可哀想だと思う」

「それを、〈アクルックス〉で……いえ、乾井トレーナーの手で克服させてあげてください」

 

 ──そうお願いされたら、断れるわけが無かった。

 




◆解説◆

【甘えん坊グルーミン★UP!】
・タイトルはもちろん『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』から。
・『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』は1994年(平成6年)から2000年(平成12年)に週刊少年サンデーに連載されたゆうきまさみ先生の漫画で、少年サンデーでは珍しい競馬漫画。
・一時期は、少年ジャンプで『みどりのマキバオー』(1994~1997)、マガジンで『蒼き神話マルス』(1996~1999)、そしてサンデーでこの『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』(1994~2000)と三大少年誌すべてで競馬漫画やっていた時期もありました。
・まぁ、『~マルス』はその前の『風のシルフィード』がありますので、一足先の先輩ですが。
・他の2作が競走馬や厩舎サイドからの視点ですが、『じゃじゃ馬~』だけは生産者視点なのが特徴で、主人公も牧場でお世話になってる従業員という特徴があります。
・ですので、競走馬同士の熱いレース展開というよりも、それに関わる人たちの人間模様、といったことに重点が置かれています。
・ですので……主人公の恋愛模様なんかも描かれているんですが……以前にも言った気がしますが、私は三女のたづな派で、中盤から健気にアプローチする彼女が次女でヒロインのひびきに負けてしまうのが本当に可哀想で……
・『じゃじゃ馬~』で最も納得のいってないところです。

ヒルデガード
・本作オリジナルのウマ娘で、元ネタは↑で挙げた『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』に登場する牝馬。登場時点で現役を引退している肌馬でした。
・牧場内での愛称は「ヒルダ」。
・主人公・久世 駿平によく懐いていました。
・というのも、誕生直後から人が育てたおかげで人に慣れており、むしろ馬の方を怖がってしまう性格に育ってしまいました。
・そのせいで、競走馬時代のレースは馬群を極端に嫌い、逃げきって勝つか馬群の後ろの最降着かという極端な成績。
・繁殖牝馬としての初めて受胎したのが双子で、「双子は走らない」ということから潰されそうになるのですが、どうにか残されて誕生。「ヒメ」「ヒコ」と名付けられ──最終的にはそれぞれ「ドルチェヴィータ」、「アダタラヨイチ」という名前でデビューするに至ってます。
・なお、主人公の夢の中ですが人型に女体化した姿が披露されているという、ある意味「ウマ娘」化しているキャラだったりします。(笑)
・本作では、ウマ娘化にあたって「他のウマ娘を怖がって人に甘える」という性格を強調したキャラになりました。
・……とても肌馬がモデルとは思えないなぁ。

スペシャルウィーク
・説明不要の『ウマ娘プリティーダービー』の顔ともいえるウマ娘。
・その生い立ちは、産みの母親は早くに亡くなり、人の「お母ちゃん」に育てられています。
・そのエピソードを聞いて、私が真っ先に思い浮かべたのが『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』のヒルデガードでした。
・そんなスペシャルウィークが生まれたのは1995年。奇しくも『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』の連載が始まっておよそ半年くらい経ってから。
・ヒルデガードは最初期から登場しているので、スペシャルウィークをモデルにしたわけではないんですよね。

チーム〈スピカ〉
・説明不要の、アニメ版ウマ娘の主役チーム。
・1期のスペシャルウィーク、2期のトウカイテイオーとメジロマックイーンが所属。
・それを考えると、3期の主役ってダイワスカーレットとウオッカなんじゃないか、と予測してしまうのですが……



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──2──

「──そんなわけで、ウチで引き受けることになった」

 

 理事長達に頼まれたことや、ヒルデガードというそのウマ娘の生い立ちを説明すると、ダイユウサクは渋々、といった様子で「わかったわよ……」と答えた。

 それからヒルデガードに対し、「……よろしく」と挨拶をする。

 とても愛想がいいとは言えないようなその挨拶に、ヒルデガードは──

 

「よ、よろしくおねがい、します……」

 

 相変わらずビクビクしながらの怯えた様子で挨拶を返していた。

 こんな調子で、はたして他のウマ娘になれることができるんだろうか、とオレは不安にもなる。

 ともあれ、我が〈アクルックス〉は期待の新星を迎えたのだが……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「……うん? また来たのか、ヒルデガード」

 

 昼休み。

 少し仕事が長引き、さて昼食でも……と思ったオレは、トレーナー部屋の扉の向こうで気配を感じた。

 それで扉を開けてみたら、そこには小柄なウマ娘が驚いた様子でオレを見上げていた、というわけだ。

 しかし、これは初めてのことではない。なぜなら──

 

「やっぱり、ここにいたんだ。ヒルダ」

 

 そんな明るい声が聞こえる。

 ヒルデガードはその唐突な声でビクッと身を震わせ、尻尾をピンと立てた。

 声の主はミラクルバード。彼女は朗らかな笑顔を浮かべ、車椅子をこちらへと進めてきたのだが……

 

「──ッ!!」

「あ、オイ……」

 

 戸惑うオレをよそに、ヒルデガードはサッと素早く動き、まるで盾にするようにして隠れた。

 その反応には、さすがにミラクルバードも「まだ慣れないよね」と苦笑を浮かべるしかない。

 

「ここだと思って、一緒に食事に行こうって誘いに来たんだけど……」

「悪いな。気を使ってもらって」

「ううん。大丈夫だよ、トレーナー」

 

 ミラクルバードは笑顔でそう言うと、車椅子をその場でクルッとターンさせて、そのまま去っていく。

 その姿が見えなくなって──ヒルデガードはやっとオレの影から出てきた。

 内心、ため息をつきながら……

 

「じゃあ、飯にするか?」

「…………ッ!」

 

 オレの言葉に「うんうん」と嬉しそうに頷くヒルデガードの無邪気な姿は、微笑ましくも感じていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 午後──授業が終わり、ウマ娘達は思い思いに学園の各所へと散っていく。

 そんな中で、チーム所属のウマ娘達は、やはり自分のチームの部屋へと集まるわけで……

 

「あの……ヒルダさん、よろしかったらどうぞ」

 

 トレーニングを開始する前のこの時間、オレは〈アクルックス〉の部屋へと移動していた。

 メンバーが揃うまで、机についていたオレだったが、早めにやってきたオラシオンがコーヒーを煎れてくれた。

 そしてオレのカップの横に、もう一つ恐る恐るといった様子で並べるように置く。

 そうして、座っているオレの肩にしがみつくようにして立っているヒルデガードに向かって、さっきの言葉を言ったのだが──

 

「………………」

 

 ──あからさまに警戒している様子で、手をオレの肩をしっかりと掴んだまま離そうとしない。

 もちろん、カップに手を伸ばす気配もなかった。

 そんな様子に、さすがにオラシオンも「あはは……」と気まず気に苦笑を浮かべる。

 

「クロ──じゃなくてシオン、僕が代わりに飲むよ」

 

 オラシオンと一緒にやってきていた渡海くんが、ぎこちない笑みを浮かべつつ、オラシオンの煎れたコーヒーカップに手を伸ばした。

 チームメンバーになったばかりのヒルデガードには、彼女用のコップさえまだ用意されていないので、お客様用のコーヒーカップである。

 それを──ヒルデガードは、ジッと見つめていた。

 

「……え?」

 

 思わず手を止める渡海。

 様子を見られていたので、ヒルデガードはコーヒーが飲みたかったのかと思ったのだが……彼女の興味はコーヒーではなく、渡海くん本人であった。

 ジッと見つめたあとで、ヒルデガードは躊躇いながら彼にニコッと微笑みかけた。

 

「あ……」

 

 そんなヒルデガードに、渡海くんも応えるようにして思わず微笑む。

 それを見てオレは改めて思い知らされた。

 

(……やっぱり、人には愛想が良いんだな)

 

 そう思うと同時に、彼女の心に刺さっているトゲはかなり深いものに思えた。

 あれだけ丁寧に優しくオラシオンが接しているのにウマ娘相手には全然心を開こうとしないのだから。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そして練習時間となりトレーニングは開始され……

 

 ウォーミングアップを終えたダイユウサクの下へ、オレは近寄った。

 準備運動を兼ねて体をねじったり、その場で腿上げをしつつ足踏みしたり、という彼女の動きを見ながら、声をかける。

 

足の状態はどうだ?」

「うん。前からだけど痛みは──」

 

 オレへと振り向いたダイユウサクだったが、言葉を止めた。

 そしてジト目を向けてくる。

 

「その、アンタの横に引っ付いているのは何?」

 

 ダイユウサクの視線を受けて、ヒルデガードは慌ててオレの後ろへと回った。

 その様子にますますダイユウサクは目を吊り上げ──

 

「まぁまぁ、落ち着け……」

 

 とりあえずはウマ娘に慣れさせるしかないんだから、怯えさせたら駄目だろ。

 オレは慌ててダイユウサクをなだめ……それで彼女は無精無精といった雰囲気で、睨むのをやめた。

 

「で、併走なんだが……できそうか?」

「アタシが? そこのヒルデガードと?」

「ああ。まずはどれくらい走れるのか見ようと思ってな」

 

 ウチのチームで走れるウマ娘は3人だ。

 その中で現時点でもっとも経験と実力があるのは、言うまでもなくダイユウサク。

 というか、他の二人の経験が少なすぎるからな。ヒルデガードはデビュー前だし、オラシオンに至ってはこの春に本格的なトレーニングを開始したばかりだ。

 

(ミラクルバードが走れれば、それが最適なんだが……)

 

 レース経験こそダイユウサクには到底及ばないが、事故で走れなくなる前のミラクルバードの実力は折り紙付きだし、レース勘もいい。

 さらには指導者的な視線も持ち合わせているのだが、いかんせん事故の後遺症で走ることができない。

 

「そりゃあ、足に痛みがあるわけじゃないし。もちろんできるわよ」

「軽めで全然かまわないからな。オラシオンも一緒に、3人で併せてみてくれ」

 

 ダイユウサクが不満そうなのは明らかだった。

 だからオレはオラシオンも入れての3人で、当初の実力を見るというのを諦めて、アップがてら走らせようと思ったのだが──

 

 ──3人で併走させた結果……

 

「な……」

 

 オレは、ポカーンとしてそれを眺めることしかできなかった。

 全力で逃げるヒルデガード。

 それを全力で追いかけるダイユウサク。

 そんな二人に戸惑いながら、どうしていいのか分からずマイペースに走るしかないオラシオン。

 

「どうしてそうなるんだ……」

 

 思わず頭を抱えそうになる。

 もちろん、トレーニングになんてならなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんな日が数日続いたある日のこと──

 

「い・い・加・減・に・し・て!!」

 

 ついに我慢の限界を超えた、といった様子でダイユウサクが額にでっかい青筋を立てながら、オレのいる机に両手をついて、グイッと詰め寄ってきた。

 

「……なにがだ?」

 

 うん。オレだって分かっている。

 アイツが何を怒り、誰に対してイラついているのかくらいは。

 案の定、ダイユウサクはギンとそちらを鋭い目で睨み──視線を向けられた方は怯えた様子でオレの影に隠れる。

 

「その娘に決まってるでしょ!? いったい、どういうつもりなの?」

「どういうつもりって……だから、コイツは他のウマ娘に慣れていなくて……」

「慣れようとする気持ちさえ無いじゃないの!!」

 

 ダイユウサクがピシャリと言い、ヒルデガードは思わず首をすくめる。

 オレの実感でもあったダイユウサクのその言葉を、もちろん否定することはできなかった。

 かといって肯定するわけにもいかず、オレは黙って聞いているしかない。

 

「併せだけじゃなくても、ジョギングだろうがなんだろうが一緒に走れば全力疾走で逃げるのよ? トレーニングにならないどころか、アタシやシオンの邪魔でしかないわ!!」

「それはお前がムキになって追いかけるから……」

「トレーナーの指示を無視する後輩を指導しようとしてるんでしょ!? なんでアタシが悪いのよ!」

 

 それは……ごもっともだなぁ。

 オレは横を振り向き、しがみつくように小さくなっているヒルデガードを見る。

 彼女のウマ娘嫌いは、理事長達の話を聞いてオレが想定した予想を遥かに上回っていた。

 確かにイジメられたトラウマなのかもしれないが、彼女の頭の中には「ウマ娘=敵」「人間=味方」と強烈に植え付けられているようである。

 そしてそれを上書きするのは、簡単なことではない。

 

「……アンタのやり方じゃあ、何年かかっても克服させるなんて無理よ」

 

 ダイユウサクに指摘され、オレは表情をゆがめた。

 もちろんオレも正解と確信しているわけじゃないが、他にいい方法が浮かばないのも事実だった。

 

「そう言われてもな。どうしたらいいのか見当もつかないんだぞ?」

 

 そもそもオレはウマ娘競走のトレーナー。心の傷を癒すカウンセラーでも何でもなく、完全に門外漢なんだ。

 そもそもこういうことをトレーナーに任せる、理事長に問題があるような……と思っていると──

 

「アタシが、キッチリ治してあげるわ。その性根ごと……」

 

 再びヒルデガードを睨むダイユウサク。

 それでビクッとして逃げようとしたヒルデガードの首根っこを、ダイユウサクは捕まえていた。

 

「~~~~ッ!!」

 

 声にならない悲鳴を上げて、必死にオレに助けを求めるヒルデガード。

 その様子にオレもさすがに──

 

「オイ、あまり乱暴なことは──」

「この娘のことを思ってやることなんだから。不安ならちゃんと見てなさいよ」

 

 文字通り、ヒルデガードを部屋から引っ張り出したダイユウサクは、そのまま歩いていく。

 危うくポカーンと見送りかけたオレだったが、慌ててその後を追った。

 そして部屋に残っていたオラシオンに、渡海くんが──

 

「止めなくてよかったの?」

「私がですか? なぜ、止めないといけないんでしょうか? それとも、彼女が心配なんですか? 渡海さん?」

「あ、いや、そこまで……」

 

 そう尋ねると、笑顔で問い返してきた。

 彼女も彼女で密かに怒っていたらしく、いつになく妙に圧のある笑顔を浮かべている。

 そんな彼女にたじたじになる渡海であった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そうして、ダイユウサクによる“治療”が始まった。

 

 集められたのは、数人のウマ娘達。

 そして彼女たちはヒルデガードのすぐ側にいたのだが……

 

「なるほど、それで私が呼ばれたんですか」

 

 そう言ったのは、チーム〈スピカ〉に所属するスペシャルウィークだった。

 発案したくせに説明を丸投げしてきたダイユウサクに代わって、オレは彼女に事情を話したのだ。

 

「ああ。境遇が近いスペシャルウィークなら、親しみやすいと考えたんだ」

 

 似たような境遇を持つスペシャルウィークなら、その雰囲気からヒトを感じるのではないか、という発想は悪くないと思う。

 それにスペシャルウィークは明るく素直な性格だから、人付き合いも上手い。

 

「よろしくね、ヒルダちゃん!」

 

 スペシャルウィークは屈託無く笑って、ヒルデガードを受け入れてくれる。

 その雰囲気に戸惑いながら……ヒルデガードはこくんと頷いて「よ、よろしくお願いします」と答えていた。

 

「明らかに、他のウマ娘の時と反応が違う……」

「そうだね、コスモにもそう見えるよ」

 

 思わずつぶやいた独り言に返事があり、オレは驚いてそちらを見た。

 いつの間にかすぐ横に、スペシャルウィークとヒルデガードを見て「うんうん」と頷いているコスモドリームがいる。

 

「なんでコスモドリームが?」

「あのねぇ、乾井トレーナー。人見知りのユウが、他のチームに顔が利くと思う?」

「……思わないな」

「でしょ? そういうこと……」

 

 コスモドリーム曰く、ダイユウサクから頼まれて、〈スピカ〉のメンバーと仲の良い〈アルデバラン〉のウマ娘に仲介をしてもらったらしい。

 他のチームを巻き込んでことが大きくなってきているのに戸惑いを感じるが……〈スピカ〉のトレーナーはもちろん、相生さんや巽見にもお礼を言っておかないとな。

 そう思って見ていると──スペシャルウィークを通じて、ダイワスカーレットやウオッカといった〈スピカ〉の面々がやってきて、次々と話しかけている。

 

「へぇ、スペ先輩と似たような生い立ちってワケか」

「ふ~ん、でもそれならアタシ達のことも苦手ってことよね?」

 

 ヒルデガードは「あわあわ……」と焦りかけたもの、スペシャルウィークが間に入ってくれたおかげで、逃げ出さずにきちんと挨拶ができていた。

 その中にはあのメジロマックイーンやトウカイテイオーの姿まである。

 

「……トウカイテイオーはともかく、メジロマックイーンまで協力してくれているのか」

「〈スピカ〉が総出で協力してくれているみたいね」

 

 スペシャルウィークが所属しているチームとはいえ、〈アクルックス(うち)〉とはほとんど接点がないチームだからな。

 接点と言えば、ダイユウサクがメジロマックイーンやトウカイテイオーと同じレースで走ったことがあるくらいだ。

 

(しかもメジロマックイーンにとってダイユウサクは……)

 

 オレは思わず苦笑してしまった。

 マックイーンにしてみれば、有記念でしてまんまとやられた相手だから思うところもあるだろうに。

 それでも協力してくれるのは本当にありがたい。

 

「……後でお礼を言っておけよ。ダイユウサク」

 

 近くにコスモドリームがいたからか、いつの間にか来ていたダイユウサクに、オレはジト目を向けつつ言ったのだが……プイとそっぽを向いて文句を言う。

 

「アンタが抱え込んだ厄介事でしょ? それの解消に動いてるだけなんだから、自分でお礼を言ってきなさいよ」

「……メジロマックイーンに頭を下げたくないのか?」

「違うわよ!」

 

 ムキになって言うダイユウサクに、オレは小さくため息をついて、あとで〈スピカ〉のトレーナーに感謝しに言ったときにでも併せて彼女にもお礼を言っておこう、と思った。

 

(あのトレーナー、東条先輩とも仲が良いみたいだし)

 

 確かトレーナー室が同室だったはず。

 ってことは、挨拶しに行くと東条先輩もいるってことか。最近、会う機会がないけど、会ったらなにを言われるか……

 

「ねぇ、乾井トレーナー。一つ言っていいかな?」

「どうした、コスモドリーム」

 

 オレが考えにふけっていると、コスモドリームがダイユウサクにではなく、オレに話を振ってきた。

 彼女は、ヒルデガードとスペシャルウィークを見ながら苦笑し──

 

「理事長、なんで〈スピカ〉にあのウマ娘を頼まなかったんだろ?」

 

 打ち解けている二人を見て、オレも確かにそう思った。

 




◆解説◆

足の状態
・本章の時期はダイユウサクが有記念に勝った次の春初旬ですので大阪杯前……くらいの想定です。
・もちろん、“領域”の後遺症が残っていますが、痛みはない状態になっています。

トレーナー室が同室
・アニメ見ていると、〈スピカ〉のトレーナーと東条ハナさんって同じ部屋なんですよね。
・何気なく見ていたらそれにふと気が付いて、驚きました。
・なお、本作で乾井と巽見が同じ部屋なのは、それを参考にしてます。
・まぁ……巽見はサブトレなので、ちょっと状況的におかしい気もしますが。


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──3──

 確かにコスモドリームがそう感じたように、ヒルデガードというウマ娘の抱えている問題を解消するのは、〈アクルックス(うち)〉よりも〈スピカ〉の方が、よほどふさわしいと思えた。

 

(なによりもスペシャルウィークの存在が大きいよな)

 

 同じようにウマ娘ではなくヒトによって育てられた彼女は、ウマ娘でありながらそれを苦手に思っているヒルデガードに警戒心を与えていないように見える。

 どうして理事長は〈スピカ〉に頼まなかったのか……

 

(まぁ、〈スピカ〉は抱えてるウマ娘も多いから、手一杯だったんだろ)

 

 というのがオレの結論。

 スペシャルウィークに、サイレンススズカ。

 ウオッカにダイワスカーレット。

 さらにはメジロマックイーンとトウカイテイオーもだろ?

 

(しかもメンバーは皆がGⅠ常連で、しかもそこで多くの勝ち星を稼いでる一流どころばかりだもんな)

 

 さすがに忙しいという判断だったんだろう。

 

(ま、確かにウチはヒマだしな……現役もダイユウサクしかいないし)

 

 なんてことをオレが考えていると……そんな〈スピカ〉メンバーたちに囲まれるように、ヒルデガードも恐る恐るといった感じでそれに混ざり、一緒に走り始めていた。

 

「──ん?」

「どうかした? 乾井トレーナー」

「いや……〈スピカ〉のメンバーなんだが、誰か忘れているような気がして、な」

「今、一緒に走ってるメンバーで全員じゃなかったっけ? えっと……」

 

 オレの疑問につられて、コスモドリームも改めて数える。

 そして……

 

「あれ? やっぱり足りない……かな?」

「そうだろ? えっと、いないのは……」

 

 オレが眉根を寄せて考えようとした、そのとき──隣にいたダイユウサクが不適な笑みを浮かべた。

 

「……頃合いね」

「頃合い? いったい何の──」

「言ったでしょ? あのウマ娘の性根ごと、叩き直すって……」

 

「「──え?」」

 

 オレとコスモドリームが、ダイユウサクの不穏な言葉に疑問を感じたのと同時に──ヒルデガードめがけて猛然と駆け寄る人影が二つあった。

 

「うおっしゃああぁぁぁぁ! ここでようやくゴルシちゃんの出番だぜええぇぇぇぇ!!」

 

 長い葦毛をなびかせたウマ娘が、叫ぶようにして集団──いや、ヒルデガードめがけて迫る。

 そのウマ娘こそ──

 

「ああ、そうか。忘れてた! 残る〈スピカ〉のメンバーは……ゴールドシップだ!」

 

 思いついて、オレは思わずポンと手のひらを拳で打つ。

 

「……トレーナー、感心してる場合じゃなさそうなんだけど?」

 

 コスモドリームの若干呆れたような声。

 彼女が言うとおり──まるで錨を振り回さんばかりの勢いで、猛然と迫るゴールドシップの勢いを見たヒルデガードの顔がひきつるのがわかった。

 そして彼女は──ゴールドシップの横を走るウマ娘を見て、さらに表情をひきつらせる。

 そこを走っていたのは、同じく葦毛のウマ娘。

 ゴールドシップと同じように長い髪を風になびかせて走っているが、その髪型はオールバック。

 その瞳はゴールドシップ以上に爛々と輝き、そして──

 

「……なんだ、アレ?」

 

 オレはそれを見て、唖然としていた。

 そのウマ娘の走る姿勢が異常だった。

 隣を走るゴールドシップと変わらない速さなくせに……彼女は腕を組んだままの姿勢で走っていた。

 下半身は目にも止まらぬ速さで大地を蹴っているというのに、上半身は腕を組んだまま、固定されたようにまるでブレない。

 その異常な姿に──ヒルデガードは怯えたように、あわてて集団を抜け出してペースを上げた。

 

「あ、ヒルダちゃん!」

 

 その反応にスペシャルウィークが慌てる。

 そうして追いかけるが、ヒルデガードは一緒に走っていたメンバーを置き去りにして懸命に逃げ始めてしまっていた。

 

(だが、ゴールドシップと一緒に追いかけているあのウマ娘って……)

 

 オレは思わず隣にいるコスモドリームに視線を向けていた。

 唖然としていた彼女は、思わずつぶやく。

 

「……アルデバラン先輩?」

「だよな?」

 

 アレはコスモドリームの所属するチーム〈アルデバラン〉の絶対的エース。チーム名にもなっているウマ娘、アルデバランだ。

 不敵な笑みを浮かべつつ、腕を組んだままの姿勢でアルデバランはゴールドシップとともにヒルデガードを追いかける。

 

「~~~~~~ッ!!」

 

 必死に逃げるヒルデガード。

 突然始まったその追いかけっこ──〈スピカ〉のメンバーがそれに唖然としている間に、二人の葦毛のウマ娘はその集団をアッサリと追い抜いた。

 

「オイオイオイオイ、アンタすげーな。なんだよその走り方……腕組んだまま走るとかありえねーだろ!」

「ハーッハッハッハッハ!! あの小娘を追いかける程度、腕を組んだままで十分!」

「なるほど、確かにそうかもな! でも……」

 

 豪快に笑い飛ばしながら走るアルデバランの横で、ゴールドシップの目が、怪しく光る。

 

「──走るからには全力でないと、面白くねえからなあッ!!」

 

 共に走るアルデバランと、いつの間にか競うような形になり、「よっしゃあぁぁ! 盛り上がってきたぜぇぇぇ!!」とますます気炎を上げるゴールドシップ。

 ジリジリと加速していくゴールドシップに、アルデバランが徐々に遅れ始めていた。

 そして二人の前を走りつつも、後ろをチラチラと振り返りながら必死で逃げるヒルデガード。

 

「ッ!!」

 

 目を輝かせて迫るゴールドシップ。

 腕を組みながら迫り来るアルデバラン。

 その姿にすっかり怯えて逃げるヒルデガード。

 

「やるじゃあないか、ゴールドシップ。それに……なかなか良い逃げ足だな、ヒルデガードとやら。なるほど、ただの小娘ではなかったらしい」

 

 ニヤリと笑みを浮かべるアルデバラン。

 その一方で、彼女から感じられる“力”はより一層強くなった。

 

「──お前たち二人に敬意を表し、今こそ見せてやろう、私の全力を!」

 

 そう言ってアルデバランの走りが変化しようとしていた。

 それを見たコスモドリームが驚いて声を挙げる。

 

「なッ!? アルデ先輩が!! まさか……」

「知っているのか、コスモドリーム?」

「うん。アルデバラン先輩は普段、腕を組んだまま走るんだけど──」

 

 その時点で異常だけどな。

 

「──それはあくまで力を溜めている状態。自分の動きや感覚をあえて不完全にすることで感覚を研ぎ澄ませ……腕を解くのと同時に溜めていた力を爆発させるんだ」

 

 ……それ、最初から腕組まないで全力で走った方が速くないか?

 と、思わずツッコみそうになる。

 そんなオレの感想をよそに──ヒルデガードとゴールドシップ、アルデバランによる必死の追いかけっこは、あっという間にオレ達が見ている直線へ向かうへと続くコーナーを回ろうとしていた。

 そんな中、アルデバランは組んでいた腕を解き──

 

「これが私の全力! 見よ、金牛の突進──“グレート・ホオオォォォォォン”ッ!!」

 

 走るアルデバランの背後に、金色の猛牛のイメージが見えた気がした。

 彼女もまた“領域(ゾーン)”へと至れるウマ娘の一人であり──猛然と加速してくる。

 その迫力に必死に逃げるヒルデガードが最終コーナーを回って……

 

「──ッ!!」

 

 あれ? オレと目があった?

 すっかり怯えきり、涙目になっている彼女の目。

 それは救いを求めるようにオレを見つめ──オレに向かって全力疾走していた。

 そして、その背後には──金色の錨を振り回さんばかりの勢いで追いかけるゴールドシップと、金色の猛牛のオーラを背負って走るアルデバラン。

 それらがまとめて一直線にオレへと向かってきているんだが──

 

「お、お前ら! 止まれ!! ストーップ!!」

 

 ぐんぐんと大きくなるウマ娘3人の姿にオレは慌てる。

 が、オレを頼って必死に逃げるヒルデガードが止まるわけもなく、後続の二人も言わずもがな。

 

「え? ちょ、おいダイユウウサク、コスモドリームあいつら止め──」

 

 慌てて横を見るが──そこには誰もいなかった。

 見れば少し離れた場所に二人とも待避していやがる。

 

「な!? そりゃないだろ──」

 

 アイツら、そういうところは従姉妹同士で息が揃ってるんだよな。

 あっという間にやってきたヒルデガードはオレに飛びつき──

 

「グフゥゥゥゥッ!!!」

 

 ダイブした彼女はオレの腹部に突き刺さり──吹っ飛ばされたオレはそのままゴロゴロと地面を転がった。

 そうして吹っ飛ばされたオレの意識が暗転していき……

 

「ヒルデガード、と言ったな。やるじゃあないか!」

「ああ、まったくだ。アタシも少しだけ本気出しちまったぜ!」

 

 戸惑うヒルデガードの横で、全力で追いかけた二人が揃って「ハッハッハ……」と笑い──オレの意識はそこで途切れた。

 

 

 

 ……そして意識を取り戻したオレの目の前には、額に青筋を立てて笑顔を浮かべているたづなさんがいた。

 今回のことは騒ぎになっていたらしく、彼女が飛んできたらしい。

 

 ターフに転がっていたオレを心配してくれたようでもあったが、無事なのを確認すると──彼女からお説教を食らった。

 

 ……企画立案からしてオレのせいじゃないんだけどな、コレ。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──で、珍しくアルデバランまで怒られていたってワケ?」

 

 トレーナー部屋でことの顛末を説明したオレに、同室の巽見は「呆れた」と言わんばかりにため息をついた。

 

「まったく、ちょっと目を離すと脳筋回路が目を覚ますんだから……」

 

 アルデバランはチームのリーダーとしての風格を持ち、面倒見がいい一面を持っているのだが、強いウマ娘や才能のあるウマ娘と一緒に走ると、ついつい熱くなってしまうらしい。

 今回はゴールドシップという併走相手ももちろんだが、ヒルデガードの逃げっぷりを見て、つい熱くなってしまったらしい。

 

「だが、元はウチのダイユウサクのせいだ。チーム〈アルデバラン〉にも迷惑をかけてすまなかった」

「……ウチのコスモを通じて、アルデバランに話が行ったんでしょ? ならコスモも同罪よ」

「いや、コスモドリームだってまさかダイユウサクがあんなバカな荒療治を考えてるとは思わなかっただろ?」

 

 今度はオレが思わずため息をついた。

 それを見て、巽見が尋ねてくる。

 

「で、結局はどうなったの? そのヒルデガードだっけ? 彼女の対ウマ娘恐怖症は──」

 

 余計に酷くなったんじゃないの? と、巽見。

 そりゃそうだ。誰がどう見てもそう思うわ。

 

「一応、アルデバランやゴールドシップにその逃げっぷりを褒められて、多少は打ち解けたみたいだけどな……」

 

 しかし、もちろんアレで根本的な解決になるわけがなかった。

 理事長には悪いとは思ったが、明らかに〈アクルックス(うち)〉の手には余る話なのは明らかだった

 

(ダイユウサクに任せていたら、こんなことばかり起こすことになりかねない)

 

 だから──オレは自分の責任で、ヒルデガードに最適なチームを探した。

 そしてとあるチームにお願いした。

 

「それなら〈スピカ〉で良かったんじゃないの?」

「ヒルデガードがベッタリになる相手に、人以外にスペシャルウィークが追加されるだけだぞ、あの様子だと」

 

 そうなればスペシャルウィークの負担になりかねないし、ヒルデガードの自立の為にならないだろう。

 

「じゃあ、どこに移籍したの?」

「チーム〈アルタイル〉だ」

「〈アルタイル〉? それって、アルデバランのライバルの……」

「ああ。あそこの有力ウマ娘って言ったら、“あの”ウマ娘だからな」

 

 さすが、巽見にとっては自チームのエースだからな、アルデバランは。そのライバルとなれば敏感にもなる。

 オレは彼女を思い出す。

 どこかのんびりとした、普段は強者としての覇気をまったく感じさせないが、いざレースとなれば雰囲気がガラリと変わるそのウマ娘を。

 彼女の名前は──ストライクイーグル

 

『うん、大丈夫だよ~。うちのチームなら、全然オッケ~』

 

 のんびりとした口調で、彼女はヒルデガードのチームで面倒を見ることを了承してくれた。

 もちろんトレーナーの了承も必要だが、事情が事情だけに受け入れるウマ娘側の理解が大事だった。

 

(……あそこのトレーナー、ものすごくいい人なんだよな。奥さんは厳しくて尻に敷かれてる感じだけど)

 

 そして受け入れてもらう側のヒルデガードもまた、ストライクイーグルののんびりとした雰囲気に安堵を感じたのか、ほかのウマ娘に対したときのような警戒心を持っていなかった。

 怯えるような彼女に対し、ストライクイーグルは朗らかな笑みを浮かべる。

 

『うちのチームはアットホームなチームだからね~。渡会(わたらい)トレーナーも優しいし~、安心して良いよ~』

 

 とても競争ウマ娘とは思えないような、のんびりとした雰囲気でストライクイーグルは言い、戸惑いながらもヒルデガードはコクンとうなずいて、とりあえずチーム〈アルタイル〉へお試しでチーム入りしたのだった。

 

「……で?」

「体験入部のあと、めでたく正式にチーム移籍したよ。経過も確認したが、ストライクイーグル曰く、『サブトレーナーの久瀬クンと~、とっても仲良くなったみたい。彼が担当してたウマ娘とすっかり仲良しになったよ~』とのことだ」

 

 チーム〈アルタイル〉はウチとは比べものにならないほど人数もいる。

 人数が多ければ、それだけ気が合う相手が見つかる確率だって高くなるってことだ。

 ともあれ、ヒルデガードにとって良いチームに巡り会えたのは喜ぶべきことだからな。

 

「ウチは彼女を受け入れるには、やっぱり人数が少なかったな……」

「人数の問題じゃなくて、嫉妬深いお(つぼね)サマがいるせいじゃないの? そんな調子じゃ、新しいチームメンバーなんて──」

 

 巽見が呆れた様子でオレを見たそのとき──トレーナー室の扉がノックされた。

 返事をする間もなく、扉が開き──

 

「ども、こんちわッス。ここ、乾井トレーナーの部屋で合ってますよね? 〈アクルックス〉の……」

「ああ。そうだけど……」

 

 入ってきたのは、軽い調子で話すウマ娘だった。ウェーブのかかった赤系の濃い色の髪が肩付近まで伸びており、その髪からヒョコっと耳が2つ立っている。

 そんな彼女の垂れ気味の目から放たれる眼差しは、半眼で怠そうだがどこか鋭さを持っているようにオレには思えた。

 しかしその……真面目や礼儀から離れたその挨拶は、巽見にはひどく気に障ったらしい。

 一応、オレへの客だから我慢しているみたいだが、笑顔が引きつっていた。

 

「で? アナタはそこの彼に何の用なのかしら?」

「ああ、やっぱり……やっぱり乾井トレーナーだったんだ」

 

 巽見の言葉で彼女はオレの方へと近寄ってくる。

 それで巽見は余計に「ムッ」と顔をしかめたが──そのウマ娘は気にした様子もない。

 そしてオレの側までくると、頭を下げて言った。

 

「あっしを〈アクルックス〉に入れてもらえないッスか?」

 

 そう言うや、彼女はオレに向かって頭を下げた。

 久しぶりの……チーム入り志願者だ。

 それにオレが戸惑っていると、巽見は「あっし、って……」と彼女の一人称に戸惑っている。

 

「ええと……どうしてまたウチに入ろうと?」

「この前、一人のウマ娘を追いかけさせて、なんか変なことしてる連中がいるな~って思って興味を持ったんスけど……」

 

 え? あの騒動でよくウチに興味を持って入ろうと思ったな。

 オレはこのウマ娘にちょっと呆れに近い感情を持った。

 

「で、気になったから調べたんス」

「〈アクルックス(うち)〉のことを、か?」

 

 オレの問いに、そのウマ娘はうなずいた。

 

「はい。あっしもまだどのチームに入るか決めかねてたし、でもトゥインクルシリーズ走るには入らないといけないじゃないッスか。それで入るチーム探してたもんで……」

「なら、他にもっと実績のあるチームもあっただろ? それこそ……〈アルデバラン〉とか」

 

 オレはチラッと巽見を見ながら言った。

 それにウマ娘は首を横に振る。

 

「有名どころのチームは、やっぱり有力なウマ娘が集まってるじゃないですか。そこにあっしのようなウマ娘が入り込む余裕なんて……自分は、とてもGⅠを取れるような器のウマ娘じゃないから。そういう才が無いくらい、自分自身が一番分かってるもんで」

 

 自分を卑下するように苦笑する彼女。

 しかし──

 

「でも……あの有記念を見て、痺れた。あのメジロマックイーンを相手に、真っ向から力でねじ伏せたあのレース……あれを見たら、あっしも夢見ていいんじゃないか、って……」

 

 そう言って向けた眼差しに、オレには心惹かれるものがあった。

 

「だから、〈アクルックス〉だと思って。このチームに入れば一発逆転の目も、出せるんじゃないかって思いまして……」

「なるほどな」

 

 彼女はお世辞にも志が高い、とは言えないウマ娘だろう。

 達観しているというか、やる前から諦めてしまっているというか……自分を知りすぎて小さくまとまってしまっているように思えた。

 

(だが、完全に諦めてるわけじゃない。あくまでも貪欲だ……)

 

 諦めは向上心を奪う。

 しかし彼女は(したた)かなようだ。「一流にはなれない」と自分に言い訳しながら、心の奥底では裏腹に勝利を渇望している。

 その志がある限り……ウマ娘は伸びる。

 

「一発勝負の博打、嫌いじゃないんで……やるなら一番輝きたいじゃないッスか」

「なら、目指そうじゃないか。頂点を」

「……え?」

 

 オレがそう返すと、彼女は意外そうな顔をした。

 

「GⅠ目指したいんだろ? 〈アクルックス〉に入りたいんじゃないのか?」

「そりゃあそうッスけど……いいんです? あっしなんかで……」

 

 なぜか戸惑う彼女。

 自分から入りたいと言いだしたはずなのに……

 

「オレとしては、拒む理由がない。もちろん──キミの走りを見せて欲しいところだが」

「そりゃあ……もちろん」

 

 その提案に彼女は頷き、少しだけ自信ありげに微笑を浮かべた。

 

「一流どころと比べられたら、そりゃあ自信は無いけど……並以上って自覚はあるんで」

「じゃあそれを見せて」

 

 言葉通り、自信ありげに不敵な笑みを浮かべた彼女にオレはそう言った。

 相変わらず自身があるんだか無いんだかよくわからないウマ娘だな、と思う。

 そしてオレは大事なことに気がついた。

 

「……ところでキミ、名前は?」

「あ! スンマセン……」

 

 そのウマ娘はペコッと軽く頭を下げて名乗る。

 

「あっしの名前はロンマンガン。よろしくお願いします、乾井トレーナー」

 

 なるほど、一発逆転のギャンブラーにふさわしい名前だわ。

 その名を聞いて、オレも思わずニヤリと笑みを浮かべてしまった。

 

 

 ──こうして〈アクルックス〉に新たなメンバーが加わった。

 




◆解説◆

忘れてた
・書き終わってから気が付いたんですが、ゴルシ以外にもここまで出てきていない、書いてる人がガチで忘れてる〈スピカ〉メンバーがいました。
・ええ、サイレンススズカですね。
・まぁ……2期にあたるこの時期ですから、スズカがいないのがアニメシリーズ的には正解なんですけど、本気で忘れてました。(笑)

アルデバラン先輩
・改めて解説しますと、本作オリジナルのウマ娘で、元ネタはヒルデガードと同じ漫画『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』に登場する葦毛の牡馬です。
・クラシックの一冠、皐月賞を制しているだけでなく、その年の有馬記念、翌年の天皇賞(秋)も勝っているという一流の競走馬。
・……で、なんで腕組んで走ってるかといえば、彼女のもう一つのモデルである黄金聖闘士・牡牛星座のアルデバランの戦闘スタイルが「腕を組んだ状態で戦う」ものだから。
・その腕を組んで走るスタイルは……『ジャイアントロボ THE ANIMATION~地球が静止する日~』の“十傑集走り”から。
・そうして腕を組んで走って“溜め”て、土壇場で腕を開放して一気に加速するのが彼女の走り方。

ストライクイーグル
・本作のオリジナルウマ娘で、元ネタはやっぱり『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』に登場する競走馬。
・↑のアルデバランのライバルでもあります。
・鹿毛の牡馬で、主人公が働く渡会(わたらい)牧場産駒で、『じゃじゃ馬~』はこの馬の活躍に沿って物語が進んでいく。そういう意味では主人公の一人でもあります。(主人公とするには影が薄いが)
・競走馬と関係する人間を描いた、という意味で『じゃじゃ馬~』は、小説『優駿』に近く、同作の競走馬オラシオンに近い立ち位置になるかもしれない。
・しかしストライクイーグルの印象は……のんびり屋、なんですよね。
・もちろんレースでやるときはやるんですが、どうにものんびりしている印象が強く、そのためにあのような口調になっています。
・実は……三章以降で、オラシオンに続く非実在系ウマ娘を主役にしようとしたら候補に挙がる一人だったもので、ここで使わずにおこうかとも思ったのですが、現状であと2か3章くらい主役候補がいるので、本作を「そこまで引っ張らないだろう」とここで出した経緯があります。

チーム〈アルタイル〉
・本作オリジナルのチーム。
・名前の元ネタは、もちろん一等星のアルタイル。
・ストライク()()()()の所属チームなので、()()()に所属する一等星のこの星を選びました。
・なおトレーナーは渡会(わたらい)という中年の恰幅のいい男性トレーナー。
・非常に優しい人であり、また現実主義者の奥さんに頭が上がらないという性格。
・──というのは、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』の舞台になる渡会牧場の経営者、渡会 健吾がモデルで、奥さんも同じくその妻の渡会 千草がモデル。
・なお、↑で『じゃじゃ馬~』と『優駿』について述べましたが、渡会(わたらい)を「とかい」と読むこともできる(オラシオンの生産牧場はトカイファーム)ため、その辺りも意識している名前なのではないか、と個人的に思います。

ロンマンガン
・本作オリジナルのウマ娘で、元ネタはやっぱり『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』に登場する競走馬。
・主役いえるストライクイーグルのライバル……は上記のアルデバランや、ヤシロハイネスという競走馬で、同世代でもライバル扱いされていない感じの馬でした。
・この馬が一番目立ったのは『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』の連載開始直前に掲載された外伝的作品『Sire Line -父の血筋-』の方で、主人公親子の父の方、竹岡 竜二騎手の相棒として登場しています。
・その後、本編でも主戦騎手である竹岡 竜二騎手のお気に入りの相棒で、天皇賞(秋)では菊花賞馬・ストライクイーグルの騎乗を依頼されても「オレにはロンマンガンがいるからなぁ」と渋っています。
・そんな“一番よく知る”相棒から「GⅠ馬の器じゃねえ」とダメだしされてますけど。(今のところは、とフォローされてますが)
・それを証明するように、GⅠはとれませんでした。脇役なので戦績はハッキリしないところがありますが主な重賞勝利はGⅡのオールカマー。
・牡馬なのは間違いないんですが、何しろ漫画な上に白黒場面でしか出てこないので、毛色がサッパリわかりません。とりあえず葦毛や白毛ではないとしか。
・というのも葦毛のアルデバランよりも明らかに濃いスクリーントーンが使われてるから。
・ダービーのシーンで鹿毛のセンコーラリアットよりも濃い感じがするのと、イーグルの弟で黒鹿毛のバトルホークにトーンの使い方が近いのを考えると黒鹿毛かな~という感じもします。少なくとも鹿毛より濃いのは間違いありません。
・次章以降では主に、脇役──シンデレラグレイでの3人の先輩(メイクンツカサ、クラフトユニヴァ、ゴッドハンニバル)のような立ち位置になる予定です。


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第二章 A HorseGirl’s Prayer ~レッツゴーターキン/オラシオン~
第1R “女神様よ、祈りを捧げます──”


 
 ──その日、僕は河原に膝を付き、頭を垂れて祈っていた。

 そのとき何を願っていたのかは覚えていない。なにしろ小さいころの話なんだから。
 たぶん飼っていた犬の子供が無事に産まれますように、とかそういうことだったんだと思う。
 親から大きくなった犬のお腹の中に赤ん坊がいることを聞かされて、新しい命がいることに驚きと期待に胸を膨らませ、同時に出産の危うさという現実も聞かされて不安を抱いていたから。
 あのときの僕には、家の近くを流れる大きな大きな川のほとりで、とにもかくにも愛犬と新しい命が無事でありますように、と祈ることしかできなかった。

 そうやって目を閉じて、子供なりに一生懸命祈っている僕の肩が──ちょんちょんと叩かれた。
 なんだろう、と思って振り返ると……そこには当時の僕と同じくらいの年格好をした、女の子が不思議そうに僕を見ていた。

「ねぇ、なにをしているの?」

 純粋な疑問に、僕は素直に答えた。

「祈っていたんだ」
「祈る?」
「うん。僕の家の大事な家族が、増えることになる家族も含めて、無事でいますように。生きてますように、って」
「家族が……無事で?」
「そう」

 僕は彼女の問い返しにハッキリとうなずいた。

「お祈りって……ここで?」

 さらに疑問を持った彼女が訊いてくる。
 赤みを感じさせない真っ黒な黒髪の彼女の艶やかな髪。その頭の上にはヒョコっと二つの耳が姿を覗かせていた。
 その彼女は、周囲を──そして僕が祈りを捧げていた目の前に流れる大きな川を見ていた。

「うん……」
「でも、お祈りってお寺とか教会で、神さまの前でするものじゃないの?」
「この近くにそういうの、ないからなぁ」

 自分の家の近くだから、そういうのが無いのは知っていた。
 少なくとも、お父さんやお母さんから出歩いていいって言われている範囲の中に、そういうものは無い。
 実はここだって、本当ならその範囲からはずれてる場所。
 でも、僕はここにきた。
 ここで祈りたかった。

「だからここでお祈りしたかったんだ」
「どうして?」
「川だから……こうして川にお祈りしたら、その流れにのって、きっと神様にまで願いが届くはずだからね」

 雄大さでは川の背景になっている大きな山の方が勝ってる。
 でも──山は動かない。
 ひょっとしたらそこに神様がいるのかもしれないけど……あまりに遠いその山の天辺までお祈りが、僕のお願いが届くとは思えなかった。
 でも、目の前の川は大きく、そしてゆったりと流れている。
 その流れに任せれば、まるで僕が作って流した笹舟のように下っていき、そしてきっと神様のところまで届く。
 当時の僕はそう信じて、その川に祈っていたんだ。

「じゃあ、私もお祈りしたら、神さま、聞いてくれるかな?」

 パッと顔を明るく綻ばせた彼女。
 どこの誰かはそのときわからなかったけど、それでも彼女が何者なのかは、当時の僕でもその耳やお尻の尻尾で分かった。
 ──ウマ娘。
 人と共に生きてきて、人よりも優れた身体能力を持つ、走るために生まれてきた者達。
 そしてその魂は、こことは異なる遠い遠い世界で活躍した存在(もの)が長い旅路の末に流れ流れてこの世界へとやってきて、その身に宿るといわれている。
 その魂のありように、目の前の川の流れとを無意識に投影していたのかもしれない。
 目の前の川を見る彼女の目は、ひどく神聖なものを見ているかのように、畏敬に溢れていた。

「うん……きっと、聞いてくれるよ」

 僕がそう言うと、彼女は笑顔で頷く。
 そして「じゃあ……」と目を閉じ、「お母さんが元気になりますように」とつぶやきながら一生懸命祈っていた。

 ──それが僕と彼女の初めての出会いだった。

 聞けば家が近所であるその黒髪のウマ娘と僕は、幼なじみとして幼少期を過ごすことになった。
 周囲の大人達と同じように彼女を、その綺麗な髪から「クロ」というあだ名で呼ぶほどに親しくなり──

 ──しかし、彼女は僕の前からいなくなった。

 彼女の母親の体調が悪化して亡くなり、母子家庭だった彼女が身寄りが無く孤児院に引き取られたからだ。


 そうして──さらに僕は成長し、中央トレセン学園へとやってきた。


 競走ウマ娘を鍛え、補佐して共に勝利を目指すトレーナーとなるために。



 

 高等部への進級まであと一年──

 

 4月は何かと落ち着かない。

 新入生となる中等部、高等部の1年生もちろんのこと、そういう新しい顔が入ったことで他の各学年もやっぱり学年が変わったことで落ち着かない空気になってしまいます。

 そしてそんな中でも競走(レース)は開催されます。

 そのためにそれに備えなければならない者も多数いますし……特にクラシックの世代は大変です。

 一生に一度しか走れないクラシックレース。桜花賞や皐月賞の前哨戦はすでに始まっているだけでなく、本番も間近です。

 その緊張感は特にすごいものがあります。

 

「…………っ」

 

 そんな空気から逃げるように、私──オラシオンは中央トレセン学園の敷地内でも人の少ない方へと歩いていました。

 私のデビューは高等部に上がってから、と決めていますので今はレースの緊張感からは無縁なのですが──

 

「所属チーム、ですか……」

 

 そんな私を悩ませているのが“それ”です。

 幸いなことに、私のことを高く評価してくださっている方がおり、しかもそれが──中央トレセン学園の生徒会長、シンボリルドルフさんでした。

 おかげであの方が所属しているチーム〈リギル〉に来ないかと誘われ、ゆくゆくは生徒会に所属し、すでに学び始めている経営学や経済学を生かし、会計として助けてくれないか、と言われています。

 

(もちろん名誉なことなんですが……)

 

 そこまで高い評価をいただけているのは非常に光栄なことです。生徒会長だけでなく、そのトレーナーである東条ハナさんも私の実力を認めていただいています。

 一時期は、私も〈リギル〉に入る方へとかなり傾倒していたのですが……

 

(養父が、その会社が……)

 

 養父の会社が経営難に陥ってしまい、養父が苦難に陥ってしまいました。

 もちろん優しい養父は私に「気にするな」とは異ってくださるのですが……私を救ってくださった方のことを見捨てるようなことはできません。

 

(チーム〈リギル〉に入ってしまえば、生徒会に所属することになる……)

 

 トゥインクルシリーズに挑戦しながら、巨大な中央トレセン学園の生徒会の一員になれば多忙になることは間違いありません。

 そうなれば養父の会社を心配し、いざというときは養父を助け、護る──それは私にとって絶対に切り捨てることができないもの──ことができなくなってしまいます。

 皮肉なことに、〈リギル〉での高評価が他のチームからの注目も集め、お誘いいただいているのですが……かといって〈リギル〉からの誘いを無碍にして他のチームに入るのも、義理に欠けるというものです。

 

(このように、悩み迷っているからあのような事態を招いてしまうことに……)

 

 そして、今、私の心を深く傷つけ、悩ませているのは──とある噂でした。

 それは私に関するもので、偶然耳にしてしまったのですが……

 

「あ~あ、〈リギル〉から誘われるなんて、ホントに羨ましすぎ。もう完全に勝ち組じゃん」

「なに、オラシオンのこと?」

「もちろんよ。なのにあの()……もったいぶってまだ決めてないみたいよ? ホント、ムカつくわ」

 

 廊下を歩いていたときに偶然耳にしてしまった噂話。

 その言葉が胸にグサリと突き刺さりましたが……

 

「い~や、あのウマ娘、〈リギル〉にいけない事情があるのよ」

「「え?」」

「──オトコ、よ」

「「ええ~ッ!?」」

 

(……え?)

 

 噂話をしていたウマ娘だけじゃなく、それには私も思わず立ち去ろうとしていた足を止めていました。

 

「なんでも、あるチームのサブトレが他のチームに『あいつはオレと深い関係にあるからウチで決まっている。他のチームは余計な勧誘をするな』って密かに広めてるらしいわよ?」

「なにそれ。優等生な顔しておいて……」

「え~、それってどこのチーム?」

「えっと確か、〈ポルックス〉とか──」

 

 ──途中から噂をしているウマ娘たちの言葉は私の耳には入ってきませんでした。

 いったい、なにが起こっているというのでしょうか。

 

「……な、なんですか。それは……」

 

 深い関係?

 いったい誰と誰が?

 もちろん私にはそのような関係の者はおりません。孤児院で育ち、兄弟姉妹のような家族のような情愛を抱く相手はいますが、それ以外の方とそんな親しい関係になったことなど……

 

「……ッ、ここは」

 

 そんなことを考えている場合ではないのに、トゲのように私の心に深く突き刺さったそんな噂話に悩まされ、学園の敷地内をあてどもなく悩みさまよっていた私は、気がつけば水辺のほとりにいました。

 池のようになっているその中心には、ウマ娘たちの信奉する三女神の像が立っています。

 

「やはり私は……迷いがあるときはここに来てしまうのですね」

 

 私は像の前でひざまずくと、胸の前で手を組み──そして祈りました。

 

(ああ神よ、三女神さま……その中の一柱であらせられるゴドルフィン様よ、迷える信徒をお導きください)

 

 私はどうすればいいのでしょうか。

 〈リギル〉に入るべきか、それとも別の道を選ぶべきか。

 勝手に想い人を捏造され、根も葉もない噂という悪辣な行いに、私はどう対処するのが正解なのでしょう。

 その〈ポルックス〉のサブトレーナーという方に心当たりはありませんが、やたらと馴れ馴れしく接してくる、俗に言う“チャラい”男性トレーナーに絡まれたことがあったのは確かです。

 異性慣れしていない私は強く断ることができず、持っている神官位から悩み事を聞く感覚でその方の話を聞いていたのですが……

 

(まさか、それでこのように言われてしまうなんて)

 

 隙をつかれた、とも言えるでしょう。いかにも異性慣れしていそうなかのトレーナーなら()()()()()()()のも得意でしょうし、それをさも事実として広めることも可能でしょうから。

 

「ああ、もう。本当にどうしたら……」 

 

 私はもう一度、すがるような思いで祈りを捧げました。

 このままではチームはもちろんのこと、私の想う人さえも捏造されてしまいます。

 

(私にとって想い人がいるとしたら……)

 

 こうして祈ることを教えてくれた人でしょう。

 かつて──まだ母が生きていて、生まれ故郷で出会ったあの人くらいだと思います。

 あの人と出会ったから、こうして“祈る”ようになりました。

 祈ることで迷いを断ち、強靱な心で困難に立ち向かえる。そんな強さを手に入れられました。

 しかし、この問題に関しては──

 

(──ほどなく解決されるでしょう)

 

 どこからともなく……それは私の心の内から聞こえたものかもしれません。

 私ではない誰か他の声が、そう答えたのでした。

 

「い、今のは……」

 

 私の祈りに、呼びかけに答えてくださった女神様の言葉でしょうか。

 そう思って私が戸惑っていると……

 

「……あれ? 先客がいたんだ……」

「え?」

 

 横合いから不意に聞こえてきた声。

 それはウマ娘でもヒトの娘の声でもなく、男性の声。

 しかも学園内に多くいる男性トレーナーのような大人のそれよりも明るさと溌剌さという若さを感じさせる声で──

 

「あ、あなたは、ひょっとして……」

「き、キミは……」

 

 なによりもその声が私の心に刺さりました。

 さらにはまとっている雰囲気も──声変わりを迎えて変わってしまった声よりも遙かにそれを雄弁に語り──最後に分かれたあのときのそれをまざまざと思い出させ、私は思わず尋ねていました。

 

「渡海、くん?」

「クロ……?」

 

 彼の口からこぼれたあだ名(それ)を聞いて、私は確信しました。

 幼いころから一切変わらない、私の髪から彼がつけた、私たちだけのあだ名で──それを他の人が言うはずがありませんから。

 

 そのとき──神が吹かせ(たも)うたのか──強い一陣の風によって、周囲の木々から舞った桜吹雪が、私たちを取り囲んだのでした。

 

 そしてハッキリと感じたのです。

 私の物語が動き出そうとして脈動する、その大きな動きを。

 




◆解説◆

【A HorseGirl’s Prayer】
・元ネタは「馬の祈り」と言われているイギリスウェールズのある厩舎の片隅に貼られていたという作者不詳の詩のタイトル『 A Horse’s Prayer』から。
・主役であるオラシオンの名前の意味が「祈り」であるため、そこからとりました。
・なお、余談ですが……今章は元々「この優れたウマ娘に女神さまの祝福を!」というタイトルでした。
・これは「優駿」+「このすば」+「護くんに女神の祝福を!」というタイトルの合成です。
・内容も、三女神=サラブレッド3大始祖と捉えて、その中のバイアリータークが日本でほとんど血筋が絶えている(2021年のバイアリーターク系の種牡馬は種牡馬はギンザグリングラスとクワイトファインの2頭のみ)のを、「信者がほぼいない」として、オラシオンの祈りに応えて(勝手に)下界するという駄女神ドタバタコメディにしようと……と思っていたのでした。
・しかし間章1をアップしてから読み直して、「自分にドタバタコメディはムリ」と判断したため、ボツにして以前通りの路線と現在のタイトルに。
・しかし、第一章に引き続いて英語タイトルになってしまい、以降は日本語にしづらくなったという弊害が……

【“女神様よ、祈りを捧げます──”】
・二章第1話のタイトルは章タイトルの元になっている「馬の祈り」の詩の1行目……
  「To thee, my master, I offer my prayer.」
から。
・この詩、馬から飼い主へのお願いという内容の詩なので、それをウマ娘の三女神に対する祈りに変換しています。

川にお祈り
・小説『優駿』はオラシオンの生産者であるトカイファームの長男、渡海正博がシベチャリ川に祈っているシーンから始まります。
・オラシオンが生まれるシーンへとつながるのですが、その際に飼い犬にも子供が生まれており──本作の子犬が無事に生まれるように、というのはそれが元ネタです。

クロ
・第一章でも渡海がたびたび呼んでいたオラシオンのあだ名。
・これは原作でのトカイファームでの名前が「クロ」だったため、小説『優駿』で渡海正博がデビューしてからもたびたび「クロ」と呼んでいたのが由来。
・本作では基本的に、二人の時くらいしか、「クロ」と呼びません。

オラシオン
・本章の主役であり、本作オリジナルのウマ娘で、元ネタは宮本輝氏の小説『優駿』に登場する競走馬。
・青鹿毛の牡馬で、系統的にはマンノウォー系の血統。
・つまりは三大始祖で言えばゴドルフィンアラビアン系であり、“三女神=三大始祖”を採用している本作で、その中でも敬虔な信者という設定のオラシオンは「ゴドルフィンの信者」になっています。
・母子家庭で育ったのですが、母が早くに亡くなって身寄りもなく、孤児院に預けられたのですが、社会貢献活動でそこへ出資していた企業の経営者が「この娘は大成する」と養女に迎えて、トレセン学園の中等部へ入学。
・その大恩に報いるために、真面目に励み──才能を認められてデビュー前から注目を浴びるウマ娘になりました。
・外見は、青鹿毛の黒髪をセミロングにしており、前髪に白く小さめの白い星形の模様が一つあります。
・これは小説『優駿』では青鹿毛であること──以前も書きましたが、映画だと役者(役馬?)の座を勝ち取ったメリーナイスが栗毛だったのでそうなってます──や、顔に綺麗な星形の白斑があることが元ネタです。
・“オラシオン”というのはスペイン語の「祈り」という言葉なので信心深く、神官位を持つほどに敬虔な信徒になっているのは、そこから。
・そのため、性格的にも落ち着いていて真面目、という設定になっています。
・しかし、デビュー前のこの時点では本人も含めて気付いていないのですが、「実はレースになると苛烈になる」という本性があり、それは原作準拠の性格です。
・なお、愛称は↑のように渡海だけ条件付きで「クロ」と呼びますが、他はだいたい「シオン」と呼んでます。以前から付き合いのあるミラクルバードだけは「オーちゃん」と呼んでますが。

〈ポルックス〉のサブトレーナー
・久しぶりに登場した、チーム〈ポルックス〉。
・胸糞悪いエピソードはたいてい押し付けられてしまうチーム。
・今回のエピソードは……『優駿』でオラシオンを担当するのは砂田調教師という人でその厩舎に入るのですが、その前に増矢調教師の厩舎に入りかけた経緯があります。
・この増矢という人物、問題のある人で馬主や生産者を騙して小狡く稼ごうと企て、それが馬主の和具氏にバレて愛想をつかされて砂田厩舎にお世話になることになった、という経緯があるのですが……
・で、増矢調教師の息子が騎手で──この増矢騎手もこれまた性格がクソで、和具社長の娘に一方的に惚れているだけなのに「アイツはオレにぞっこんで、結婚する予定だ」と周囲に言いふらすようなクズでした。
・さて、こんなクズエピソード、どうやって使おうか、と考えていたら、「そういえば第一章でクソなチームあったな」と思い出し、〈ポルックス〉の再登場となりました。
・あのときに先代メイントレが復帰して、その弟子だった担当トレーナーがサブトレに降格していますが、その体制のままになっています。ですので、ここでいう“サブトレ”とは、第一章でダイユウサクをバカにしていたあのチャラいトレーナーのこと。
・メイントレはまともな人なので、このサブトレの流した噂を後に知って驚き、オラシオンに謝罪しています。


※次回の更新は2月14日の予定です。  



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第2R “安らかなる環境を与え賜え──”

 ──話は少しばかり遡ります。

 それは私がまだ中央トレセン学園の中等部に入学して数ヶ月、といったころのことでした。

 その日、私は養父に連れられてレース場に来ていました。
 トレセン学園入学前から私は養父に連れられてこのようにレース場に足を運び、トゥインクルシリーズのレースを共に見ていたのです。
 だからこそこの世界に魅せられ、あこがれ、この道に進んだ……というふうに養父の影響を大きく受けているのですが。

 そして、それはこの日に開催されたレース──高松宮杯でのことでした。

「ダイユウサクううぅぅぅッ!!」
「コスモドリームううぅぅぅぅッ!!」

 かたや栗毛の髪をショートカットにしているウマ娘。
 かたや鹿毛の長い髪を後ろに流しておでこが強調されている髪型のウマ娘。
 そんな二人が鎬を削り、熱いデッドヒートを繰り広げていたのです。

「あの二人……どうして?」

 その様子に、私はそう思ってしまいました。
 なぜならそれは優勝を争うわけではなく、もっと下の順位を争っていたものだったからでした。
 しかしそれでも──

(順位なんて関係ない! 負けられない理由がある!!)

 二人──特に鹿毛のウマ娘の目が雄弁に語る強い思いに、私は魅せられ思わず見入ってしまっていました。
 全力で走るショートカットのウマ娘からは不思議なオーラのようなものが立ち昇り、それを吸収するようにもう一人へと吸い込まれたかと思えば、次の瞬間にはそちらもまた同じようなオーラを出して──競い合う二人。
 そして二人はゴール板を通過します。

 ……結果は、鹿毛のウマ娘が7着。そしてそのウマ娘が最後に抜かしたのが一人間に入って、栗毛のウマ娘が9着、という結果でした。

 私は、そのレースの結果よりも彼女たちが抱いて走った強い願いに惹かれ……思わず祈っていました。

「三女神様、どうかあのお二人の願いを、聞き届けください……」

 ──それが私がそのチーム、〈アクルックス〉とそれに所属するダイユウサクさんを初めて目にしたレースでした。

 もちろんこの時は、私がそのチームにはいることも、そのダイユウサクさんがまさか有記念を制することになるなんて、夢にも思っていませんでした。




 僕がトレーナーを目指した動機について、故郷でのことが大きいのは間違いない。

 家の近所にいた、ウマ娘の親子。それも母子家庭の親子だった。

 母親の方は病弱だったみたいで、それでも母子家庭だったから一生懸命働いていたらしく、僕もあまりその姿をよく覚えてはいない。

 でも、娘の方はよく覚えていた。

 一見して大人しそうだけど、親しみやすい。

 そんな、川に向かって祈っていた僕に声をかけてきた黒髪のウマ娘を、僕は「クロ」とあだ名を付けて呼んだ。

 彼女は嫌がることなく、それどころか僕がその名を呼ぶと嬉しそうな顔をしてくれて──二人で一緒によく遊んだ。

 

 そんな僕らに、唐突に別れが訪れた。

 彼女の母親が──亡くなってしまったのだ。

 母子家庭だった彼女──“クロ”を引き取る親戚もいなかったらしい。

 

「クロを助けてあげてよ!!」

 

 僕は「自分のご飯を半分にしてもいいから」と両親に訴えたが……今にして思えばそういう問題じゃない。

 やっぱり自分の子供を抱えながら、さらにもう一人他人様の子供を引き取るというのは難しかったらしく、うちの親も彼女を引き取ることはできず──“クロ”は孤児院に預けられることになった……らしい。

 なぜ推測かといえば、そこで僕と“クロ”は別れたからだ。

 僕の家と、“クロ”が引き取られた孤児院は距離的にかなり離れていて、その様子が全く分からなかった。電車やら飛行機やらを乗り継がないとたどり着けないような遠くだった、と親からは説明されたし。

 

 遠い遠い場所に行ってしまった“クロ”。

 でも、彼女のことは僕にハッキリと大きな影響を与えてくれた。

 彼女とのふれあいがあったからこそ、彼女たちウマ娘について興味を持ったし、彼女たちの“競走”という競技に興味を持った。

 ウマ娘ならざる僕が、その競走に関わるのに──トレーナーという存在を知り、そして目指すこととなった。

 

 ……たとえそれが、ひどく困難で険しい道だったとしても。

 

 そうして僕は、彼女がきっかけになってできた道を通り……トレーナー候補生として中央トレセン学園のスタッフ育成科へと進学することができた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「なるほど。渡海(とかい)さんはそうしてトレセン学園(ここ)へやってきたんですね」

 

 中央トレセン学園の三女神像の前で、久しぶりの再会を果たした僕と“クロ”──ことオラシオン。

 ここに来るまでの経緯を僕が話し、彼女はそれを興味深そうに聞いていた。

 ちなみに最初こそ、子供のころのように「渡海()()」と呼んだけど、学年が上なのやその他いろいろあって「渡海()()」という呼び方になっていた。

 

「でもまさか、あのオラシオンが“クロ”だったなんて……」

 

 彼女を見ながら苦笑する。

 トレセン学園のスタッフ育成コースに入学してからそれほど経っていないけど、それでも来年デビューする目玉のウマ娘として“オラシオン”という名のウマ娘のことは新入生の僕らのところまで届いていた。

 目下のところ、彼女がどこのチームに所属するか、ということで学園内では話題になっていたし、たとえ高等部の新入生の中でさえも例外じゃなかった。

 だから僕は、“オラシオン”という優秀なウマ娘の存在を知っていた。学力も運動能力も優秀で同学年に並ぶ者がいないほど、と。

 まさかそれが、遠い昔に離ればなれになった幼なじみだなんて想像できるはずもなかった。

 

「そんな。私はただ目の前のことを頑張っているだけですから。ぜんぜん優秀ではないので、必死になるしかなくて……」

「そんなことない。優秀じゃなかったら、〈リギル〉から誘われたりなんてしないんだから自信を持ちなよ」

 

 謙遜も過ぎれば……なんて言葉もある。

 それに、自分の実力を見誤っているようでは他のライバルの力量を推し量ることさえできない。

 自意識過剰が論外にしても、過ぎた謙遜による自己の過小評価も目を曇らせてしまう。

 でも──僕の挙げた〈リギル〉という言葉にクロの顔は陰った。

 それに気がつき、同時に彼女がチームを決めていないという話を思い出した。

 

「……やっぱり噂通り、まだチームを決めていないんだね?」

「噂? ……あなたが聞いた噂話って、どんなものなのでしょうか?」

 

 彼女の陰った表情に、さらに不安が広がっていくのがわかった。

 そんなに気にするなんて……ひょっとして、変な噂でも流されているんだろうか。

 

「僕が聞いているのは、オラシオンって優秀なウマ娘が、一流チームの〈リギル〉に誘われている、ってくらいだけど?」

 

 中等部からいるウマ娘たちと違って、高等部からスタッフ育成コースへと入学した僕のような存在は、学園内のアンテナがまだまだ低い。

 それを説明しながら、そう話すと──“クロ”は「そう……」と力なくつぶやいて、そっと息を吐いていた。

 それが安堵のため息のように、僕には思えた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「僕が聞いているのは、オラシオンって優秀なウマ娘が、一流チームの〈リギル〉に誘われている、ってくらいだけど?」

 

 彼の答えに私は「そう……」とつぶやきながら思わずホッとしていました。

 

(よかった。あの〈ポルックス〉の噂は、まだ聞いていないみたいで……)

 

 あの根も葉もない噂を、幼なじみの彼に聞かれるのは本当に嫌だと思いました。

 とはいえ……彼もこの学園で学ぶ者の一人である以上、いつかはきっとそれが耳に入ってしまうと思います。

 そうしたら、どう思われるか……

 

(噂を信じてしまうでしょうか。それとも、私がそういうウマ娘ではないと信じてくれるでしょうか)

 

 幼なじみなら、私が見ず知らすのトレーナーと深い仲になるような不埒なウマ娘ではない、と信じて欲しいとは思います。

 でも何年も会っていなかった間柄でもあります。

 その長い年月で、私が変わってしまったと思われるかもしれませんし、逆に私のことを信じてくれると思っている彼が変わってしまった可能性もあります。

 不安になって私はチラッと彼を盗み見たのですが──

 

「チーム選びか……僕も同じような悩みを抱えているんだよ」

「どういうことですか?」

「高等部のスタッフ育成コースで、トレーナー志望は研修を受ける必要があって、研修生として受け入れてくれるチームを探さないといけないんだ」

 

 競走科の私はスタッフ育成科について詳しくありませんので、それは初耳でした。

 渡海さんの説明によれば、トレーナーになるのは狭き門なので育成科の時点で数が少なく、そのせいで実状があまり知られていない、ということでした。

 

「……渡海さんは、どこで研修を受けたいんですか?」

「それはやっぱり、六平(むさか)トレーナーかな」

 

 そう言って彼は目を輝かせながら答えてくれました。

 

「それってやっぱり……」

「ああ、もちろんさ。去年の有記念を制したオグリキャップの育ての親だからね」

 

 六平 銀次郎。

 数多くの有力なウマ娘を育て上げ、《フェアリー・ゴッド・ファーザー》の異名を持つ名トレーナーとして有名な方です。

 彼が言ったように、近年ではあのオグリキャップさんが笠松から中央に来た際に担当したのが有名でした。

 そしてオグリキャップさんと言えば、昨年末の有記念で見せたラストランでの奇跡の勝利です。

 あの姿に憧れないトゥインクルシリーズ関係者はいないと思います。

 それなら納得できます──

 

「あとは、天才トレーナーの奈瀬 文乃さんとか……」

 

 ……む?

 今度は《王子様》の異名を持つ、若手トレーナーの最高峰と言われる人の名前でした。

 オグリキャップさんの同級生でライバルのスーパークリークさんの担当トレーナーだったのも有名ですし、なによりも見た目が美人で……

 

「あのチーム、去年サブトレーナーが独立したって噂も聞いたから、機会はあると思うんだけどね」

「へぇ、そうですか……」

 

 ふむ……なるほど。

 でも天才という方達は、独特の感性をもっていらっしゃるようですから気難しい方が多いと聞きますし、果たしてそう簡単に奈瀬トレーナーが研修生を受け入れてくれるでしょうかね。

 まして、天才ゆえに普通の人には理解できないような感覚で思考を巡らせるので、結論は聞けても、そこに至る論理が分からないということになりかねません。そうなると研修先としては非常に不適ということになるわけで──

 

「……クロ? どうしたの、いったい?」

「え? なにがでしょうか?」

「いや、なんか急に難しい顔になって眉間に皺寄せて考え込んで、僕の話も聞いていないみたいだったから」

「聞いていましたよ? 奈瀬トレーナーのところで研修したいんですよね? 確かに非常に優秀な方で多大な結果も残していますし、あのチームから独立したトレーナーがいたという話は私も聞いています」

 

 チーム選びをしているからこそ、そういった情報も私は集めていました。

 その新設チームのことも調べたんですが、どうやら所属ウマ娘が一人しかいないソロチームのようで、新メンバーの募集も熱心ではないようなので選択肢から外したのですが。

 

「さすが、中等部からだとそういう情報にも詳しいんだね」

「そ、そんなことありません。やっぱり私もチームを探しているので……」

「じゃあ、協力しない?」

「え……?」

 

 私は驚いて彼の顔を正面から見つめてしまいました。

 

「たまにこうしてここ──三女神像の前に集まって、お互いに集めたチームの情報を共有しないかな、と思ってさ。といっても……学園に詳しいクロの方が集めてくる情報が多くなっちゃうだろうけど」

 

 そう言って彼は苦笑を浮かべます。

 そして申し訳なさそうに、「頼るようになってしまって申し訳ないんだけど」と続けました。

 

「……わかりました。学年では一つ後輩ではありますけど、中央トレセン学園の歴という意味では2年の経験がある私の方が先輩ですからね」

 

 私が「クスッ」と笑いながらそう言うと、彼も苦笑を安堵した笑みへと変えてくれました。

 

「よかった。研修先はなるべく早く見つけないといけないのに、情報がないから本当に困っていたんだ」

「そういう事情なら、なおさらですよ」

 

 私は高等部までデビューする予定がありませんから、そこまで切羽詰まっているわけではありませんし。

 彼のチーム探しを手伝っていれば情報も集まりますから、自分にもあったチームが見つかるかもしれません。

 

「渡海くんにピッタリの研修先が見つかりますように……」

 

 私は胸の前で手を組み、三女神の像へと祈りを捧げました。

 そして願わくば──同じチームで活動できますように。

 

 ……幼いころからの知り合いという気心の知れた相手の方が、お互いにやりやすいですもんね。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それからまもなくして──私は、あの現場に遭遇しました。

 

 渡海さんを含めたチーム選びで悩む私は、その日も三女神像へ祈りを捧げ──導かれるようにして遭遇した、とあるウマ娘同士の喧嘩の現場。

 そこで垣間見た彼女とトレーナーの絆を見て……

 

(これです!)

 

 “今年以内に必ずGⅠをとる”という、自分を追いつめる約束。

 それは、自分自身を──そしてパートナーであるトレーナーを信じていなければ絶対にできない約束です。

 しかもそれに自分の人生を賭けるという、その姿勢に絶対な信頼関係を見ました。

 

(この二人の関係こそ、私にとっての理想……)

 

 とあるチームのサブトレーナーとの関係に関する誹謗中傷に心を痛めていた私にとって、その二人の関係がとても輝いて、そして眩しく見えました。

 

(このチームなら……)

 

 私は心打たれ、そしてこれこそが三女神様が与えてくださった“天啓”に間違いないと確信しました。

 直後に、やってきた渡海さんに相談して、それからこのチームのことを調べ──

 

(知れば知るほど、間違いありません……)

 

 まさに私たちにとって好条件が整っていたチームでした。

 少人数……というよりも所属している競走ウマ娘はたった一人しかいないソロチーム。

 しかしメンバー募集は行っています。

 さらには競走ではなく、サポートスタッフとして、数少ない私の知り合いのウマ娘が所属していました。

 

「オーちゃん、悩んでいるならウチのチームに来ない?」

 

 以前……それこそ昨年末から今年の頭のころに、悩んでいた私にその方は声をかけてくださっていました。

 

(──ミラクルバード先輩)

 

 私の養父と彼女の父親が知り合いという縁で、学園に入学する前から付き合いのある親しい先輩です。

 私が入学する以前、将来を有望視されていた彼女はクラシックレースに出場したのですが、その初戦である皐月賞で大事故を起こしてしまい、その後遺症で今も下半身が動かないそうです。

 競走ウマ娘だった彼女は、現在は競走科からスタッフ育成コースへと転科して、そのチーム──〈アクルックス〉を支えている方でした。

 

「ウチのチームは、トレーナーはちょっと変わったところもあるけど良い人だし、見る目も確かだよ。なによりメンバーが一人しかいないから人間関係で悩むことないし」

 

 そんな過去があるのに、それを全く感じさせない明るい笑顔を浮かべて、彼女は誘ってくださいました。

 

「……まぁ、その唯一いるメンバーから嫌われなければ、ね。大丈夫だよ。うん」

 

 少し視線を泳がせ気味に言ったその言葉は、若干気になりましたが。

 ともあれ、声をかけてくださっていたということもありますし、なにより私を心配してくださった先輩のその気持ちがうれしかったのです。

 

(それに……私の事情も理解してくださっていますし)

 

 養父の経営している会社が、倒産の危機にある。

 それが素直に〈リギル〉のお誘いを受けなかった理由ですし、その事情を親同士のつながりのおかげでミラクルバードさんも知っていましたから。

 

 さらには、〈アクルックス〉は小さなチームなので、サブトレーナーも研修生も抱えておらず、渡海さんの研修を引き受けてくださる可能性が高かった、というのもありました。

 私が加入してもまだ2人なうえ、私のデビューは次の年の夏以降でしたし、それに渡海さんを抱えたとしても、チームの負担は軽く済むはず。

 現状で一人だけ所属している先輩──ダイユウサクとおっしゃられるウマ娘の方の邪魔になることも、ないでしょう。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 私と渡海さんはそう思って、この天の南極にもっとも近い一等星の名のチームの門戸を叩きました。

 幸いなことに、〈アクルックス〉の担当の乾井トレーナーは厳しくも優しい言葉で私たちを受け入れてくださいました。

 

 そして──当初、私たちが小賢(こざか)しくも考えていたそれが誤った認識だったと気づかされました。

 〈アクルックス(このチーム)〉は、私たちが気を使う必要なんてないほどに、強いチームだったのですから。

 

 

 それは、加入させていただいた年の、その年末のこと──

 

『ダイユウサクだ! ダイユウサクだ!

 これはビックリ、ダイユウサクーッ!!』

 

 それは去年のオグリキャップ先輩が起こしたものに続く二年連続の“奇跡”。

 勝利を願いながらも、それはないと諦められていた昨年と違う、全く予想外の──誰も勝つと思っていなかった先輩が掴んだその栄誉に、私は心打たれました。

 その結果に、メジロマックイーン先輩の勝利を信じていた多くの人は唖然としていましたが──ダイユウサク先輩とトレーナーだけは、その勝利を諦めていませんでした。

 

(それに……)

 

 先輩の背中には、多くの願いが集ったのです。

 あの人がここまで歩んできた──30戦以上に及ぶ積み重ねによって得た縁による先輩への期待と希望……

 その思いの強さが、あのマックイーン先輩さえも寄せ付けないラストの加速を生んだように、私の目には見えました。

 

「………………」

 

 私は、思わず胸の前で手を組んで、祈りました。

 そんな大勢の人達の願い……祈りが成就したことへの祝福と、そして私も彼女のように──多くの人の願いを背負って走るウマ娘になりたい、と。

 




◆解説◆

【“安らかなる環境を与え賜え──”】
・これもまた「馬の祈り」の詩からで──
  Provide me with a clean shelter, a clean dry bed
  And a stall wide enough for me to lie down in comfort;
から。
・タイトルにする関係で短くするため、かなり意訳になってます。

亡くなってしまった
・小説『優駿』で、競走馬オラシオンの母馬であるハナカゲは、オラシオンがデビューする前に死んでしまいます。
・シナリオ上、馬主にあたる養父の娘にする必要性があった──その人の隠し子とか非嫡出子とするのは余計な話が増えそうなので却下──ので、それとも整合性がとれそうなので、母親死去→孤児→養女という流れになりました。

あの現場に遭遇
・第一章の第60話、62話のこと。
・金杯(西)で初めてダイユサクが重賞制覇した際に、乾井トレーナーが初めて担当したものの道半ばで学園を去ったパーシングがそれに気づいて、トレーナーに嫌味を言いに学園へ来訪。
・その現場を見たダイユウサクがブチ切れて、今年中のGⅠ制覇を宣言し、できなければなんでもやってやると啖呵を切る。
・パーシングもそれに対し、どうせ泣きを入れると思って過激な条件を出したら、売り言葉に買い言葉で約束が成立してしまった。
・──というシーンでした。だいたい。


※次回の更新は2月17日の予定です。  



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第3R チームに舞い降りた凡才

 ──4月。

 

 その日、私──オラシオンやダイユウサク先輩、ミラクルバード先輩……チームメンバーは皆、集合をかけられました。

 チームの部屋へ行く途中で合流した渡海さんに、私は首を傾げながら尋ねました。

 

「今日はいったい、どういう用件でしょうか……」

「わざわざ招集かけなくても、大体はあの部屋に集まってるからね」

 

 そう言って彼は苦笑を浮かべます。

 

「学年も改まったし、改めて今年の目標をハッキリさせるんじゃないかな? それに……」

 

 そこまで言って、渡海さんは言いにくそうに口ごもります。

 現在の〈アクルックス〉所属の競走ウマ娘は、私とダイユウサク先輩。

 

(……この前、ほんの少しだけの期間、所属していた方もいたのですが、他に移籍していってしまいましたし)

 

 そんな私の目標は分かりやすいものです。ついに高等部に上がったので、夏以降のデビューと勝利以外に考えられません。

 そして順当に勝ちを納めていれば、晩秋にあるジュニアのGⅠへの挑戦といったところでしょう。

 ともあれ、今はデビューに向けてひたすらトレーニングに励むしかありません。

 問題は……

 

この前の大阪杯、よくなかったからね……」

「先輩のこと、ですよね」

 

 昨年末のグランプリを制したダイユウサク先輩は休養に入り、3月の大阪杯で復帰したのですが……結果は良くありませんでした。

 レースを制したトウカイテイオーさんと競うどころか、いいところなく終わってしまいました。

 

『ま、休養明けでアイツが走らないのは、よくあることだから……』

 

 と、私たちやマスコミに答えていた乾井トレーナー。

 とはいえ、1年近くも彼の下で過ごしてきた私たちには、先輩になにか異変があった、ということには気がついていました。

 

「その辺りの説明、だと思うんだけど」

「深刻な怪我、のようなものでなければいいんですけど……」

 

 ダイユウサク先輩は、かなり遅咲きのウマ娘です。

 その同期でもっとも有名なのはやはり国民的アイドルウマ娘、オグリキャップさんでしょう。

 そのオグリキャップさんをはじめ、同級生達は続々と一戦を退いてしまっています。もしもこのタイミングで負傷なんてことになれば──そのまま引退、なんてことも充分にあり得る話だと思います。

 

「まぁ、急な召集だったし、そういうことじゃないと思うけどね」

 

 渡海さんは誤魔化すように苦笑を浮かべてそう言い──私たちはチーム部屋へと向かいました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そうして、チーム部屋へたどり着いた私と渡海さん。

 部屋にはすでにミラクルバードさんとダイユウサクさんの二人もきていました。

 

「オッス、オーちゃん!」

「…………」

 

 ミラクルバード先輩は気軽な感じで片手を挙げ──

 ダイユウサク先輩はチラッと私と渡海さんを見て、なにか言いたげな様子を見せながら、フイと視線を逸らしました。

 

(遅い、と怒られるかと思いましたが……)

 

 先輩に怒られなかったことにホッとしながら、私はお二人に今日の召集の用向きを訊いたのですが……お二人とも、「わからない」とのことでした。

 そうして、待つことしばらく……チーム部屋のドアが開き、チーム〈アクルックス〉のトレーナー、乾井 備丈(まさたけ)さんが入ってきました。

 でも、その傍らには──ウマ娘が一人いたのです。

 

「げッ、オラシオン……」

 

 肩付近まで伸ばした、ウェーブのかかった髪。

 垂れ目がちなれど厳しさを感じる目。

 そんな特徴の彼女は──私を見るなり、ちょっとイヤそうな反応をしました。

 

(えっと、彼女は……)

 

 ただ、私の方は彼女の顔を覚えてはいませんでした。

 

「……大丈夫か?」

「え? あ、はい。大丈夫ッス、すんません……」

 

 それをトレーナーに見咎められたのですが、彼女はあわてて彼に頭下げます。

 そんなやりとりを見て──ダイユウサク先輩の耳がピクっと動くのが見えました。

 

(あれは、不機嫌さを示すサイン……)

 

 人見知りで、あまり感情を表さない、と言われているダイユウサク先輩ですけど、トレーナーさんが絡むとそうでもありません。さすがに一年近く同じチームにいれば、その辺りもわかるようになるというものです。

 それを知ってか知らずか──トレーナーさんは私たちの方へと向き直りました。

 

「あ~、皆揃ってるな。今日は、新メンバーを紹介する」

「……え? また?」

 

 思わず、といった様子でそうこぼしたのは、ミラクルバード先輩。

 そういうのも無理はありません。つい先日、ちょっと変わった性格の方がチームに入るということでやってきたのですが──結果的にはうちのチームには合わないということで、他のチームへと去っていきましたから。

 その騒動も冷めやらぬタイミングで、また新しい方が来たとなれば、警戒するのも無理はありません。

 

「今回は、理事長から言われたとかそういうんじゃないぞ。純粋に、うちのチームに入りたいって来てくれたヤツだ」

「……ずいぶんと物好きなのもいたものね」

 

 そういって鼻を鳴らすダイユウサク先輩に、トレーナーさんは思わず苦笑を浮かべています。

 

「そう言うな、ダイユウサク。お前の有記念を見て、憧れて入ってきたんだぞ?」

「はい! そうっス。よろしくお願いしゃーす」

 

 慌てたように、トレーナーと一緒に入ってきたウマ娘が頭を下げます。

 そう言われては、ダイユウサク先輩も満更ではないようで……「ふ~ん」と言いながら値踏みするように彼女を見ます。

 

ロンマンガンって言うッス。ダイユウ(ねえ)さんの有制覇に憧れて、チームに来ました!」

(ねえ)さん!?」

 

 値踏みしていたはずのダイユウサク先輩が、驚いて思わず立ち上がる。

 

「ええ。あっし……いや自分、GⅠやら重賞をバンバン制するほどの才能が無いことは、よくわかってるッス。でも……それでもやっぱり、憧れるんですよね。だから……」

「GⅠ制覇なんてするわけないアタシのグランプリ制覇を見て、うちに来たってわけ?」

「はい!」

 

 ロンマンガンというウマ娘の、元気のいい返事が部屋に響いた。

 さすがにそれにはダイユウサク先輩のこめかみに青筋が密かに立ちましたし、ミラクルバードさんは笑いを堪えているのが見えました。

 

「だってダイユウ姐さん、オグリ先輩やマックイーン先輩みたいな感じじゃないッスよね。どっちかと言えば、あっしと同じ立ち位置のウマ娘で」

「それは……」

 

 口ごもるダイユウサク先輩。

 多くの条件戦を勝ち抜いて、苦労してオープンクラスになっているのは、御自身のことですから身に染みていたことでしょう。

 同期でも、オグリキャップ先輩はもちろんのこと、他にもメジロアルダンさんやヤエノムテキさん、スーパークリークさんといった先輩方とダイユウサク先輩の歩んだ道はあまりにも違っていました。

 

「誰も勝つと思っていないのを、勝って驚かせてやりたい。あっし……ロンマンガンというウマ娘の存在を、世の中に見せつけたいと思うんッスよ」

 

 そう言ってロンマンガンさんは──私をチラッと見ました。

 

「だから、正直……オラシオン、アンタがいたのは驚いた。ホント、予想外だわ。もっと大手の有名チームにいったもんだと思い込んでた」

 

 ロンマンガンは苦笑を浮かべ、私に頭を下げました。

 そう言われましても、私もこのチームに所属してすでに一年近く経っていたんですけど……と、戸惑ってしまいます。

 とはいえ、レースに出走しているわけではありませんから、私の所属チームなんて知らない人は知らないのでしょうね。

 その“知らなかった”ロンマンガンさんは謝罪しました。

 

「さっきはゴメン。こんな考え方だから、同じチームに同い年の有力ウマ娘がいるのは、やっぱりちょっとやりづらいって思っちゃって……」

 

 彼女は「アンタの方が先に入ってたのに、ホント、ゴメン」ともう一度、顔の前に手を立ててすまなそうな表情を浮かべながら謝ってくれました。

 確かに「げッ」と言われたのは、正直言って気分の良いものではありませんでしたが、私を嫌ってのことではないと分かれば、悪感情を引きずることもありませんから。

 

「お気になさらずに。これからよろしくお願いしますね」

「ヨロシク。ま、同じレースで走ることになったら、お手柔らかに……」

「ええ、是非ワンツーフィニッシュをしましょう」

 

 私が笑顔で答えると、彼女は「うへぇ」と苦い顔をしました。

 

「……そういうわけで、これからはウチの競走メンバーは3人ってことになるから、ミラクルバードも、渡海も、しっかり頼むぞ」

「うん、任せて」「わかりました」

 

 ミラクルバード先輩と渡海さんがそれぞれ頷いて──〈アクルックス〉は新たなメンバーを迎えることになりました。

 私としては同学年のメンバーが増えたことが嬉しかったのですが……

 




◆解説◆

【チームに舞い降りた凡才】
・さすがに「馬の祈り」から取るのは無理があるので、別からも取りますよ? ということで。
・さすがに何十話もはそこからタイトルとれませんからね。
・もちろん今回から正式に登場するウマ娘のことです。
・なお元ネタはあるのですが……各ウマ娘の主役回によって法則が変わりますので、その法則に則って採用しています。
・そんな元ネタはアニメ『闘牌伝説アカギ』の第1話「闇に舞い降りた天才」から。

この前の大阪杯
・ダイユウサクが出走した92年の産経大阪杯(GⅡ)の開催は4月5日。
・今回の話はそのすぐ後のことですので、学園的に言えば新学年が始まった直後のことになります。
・なおオラシオンは高等部に進学し、渡海は2年に進級しています。
・前章でも触れましたが、大阪杯のダイユウサクの結果は6位。トウカイテイオーに完敗しています。

ロンマンガン
・間章2のラストでチームに入ったウマ娘。
・つまり、ここで間章2にまでやっと追いつきました。
・元ネタになった架空の競走馬については間章2 ─3─の解説をご覧ください。
・さて、その際にはあまり触れなかった本作でのロンマンガンについての解説を。
・年齢的にはオラシオンと同じ、という設定になりました。
・本来ならロンマンガンの同世代というと──ヤシロハイネスやセンコーラリアット(ダービー馬)。本作で登場したウマ娘となると、アルデバラン(皐月賞馬)とかストライクイーグル(菊花賞馬)になります。
・しかしアルデバラン、もう出ちゃってるんですよね、これが。(笑)
・ストライクイーグルも顔見せしてるし、ダイユウサクよりも上の世代として出してしまっているので、今さら同じ世代にできないんですよね。
・そういう事情で、オラシオンの同級生という立場になりました。原作での成績もオラシオンの邪魔をしませんし。
・──というのも、第二章をどう盛り上げていこうかと考えたときに、同級生の存在が不可欠だったので、そうしたという経緯はあります。
・外見の、“肩付近まで伸ばしたウェーブのかかった髪”というのはアニメとかでよくある脇役キャラ(オーバーロードのブリタとか)なので採用しました。
・……私が好きな髪型だというのもありますが。(笑)


※次回の更新は2月20日の予定です。  



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第4R “その反抗には理由があります”

 
 ──我が〈アクルックス〉のメンバーが増えた。

 彼女はロンマンガンというウマ娘。
 少し、というかかなりクセのある性格だったので不安だったが、ともあれ他のメンバーに受け入れてもらえそうで、オレはホッとした。

「かなり、個性的な()よね」
「ああ、オレもそう思う」

 トレーナー部屋で相室である巽見 涼子の言葉に、オレは頷いた。
 ロンマンガンがチームに入りたいとここを訪れた際には、彼女もいて話を聞いていたのだ。

「少し達観しすぎている感はあるが、それでも自分を冷静に見て分析している……とも思うけどな」
「そうね。過大評価はもちろん、過小評価しすぎてるってわけでも無いように見えるわ」

 そう言って、巽見は「うんうん」と頷く。
 そして意地悪い笑みを浮かべて付け加えた。

「もっとも……現時点では、という注釈はつくけど」
「そうは言うが、アイツまだデビュー前だぞ」

 確かに生まれつきの才能、というものはある。
 どこまで伸び代があるかなんて、予想できるはずもない。

(その体言者を、オレはよく知っている……)

 それをもっとも身近で見させてもらったんだ。
 あり得ないほどのタイムオーバーというドン底からグランプリ制覇という、とびっきりの伸び代を、な。
 だからロンマンガン(アイツ)がどこまで伸びるか……不安はあるが、もちろん楽しみでもある。

「な~んか、ダイユウサク(彼女)のおかげで、伸び悩んでいるウマ娘の駆け込み寺、みたいになっちゃうんじゃないの?」
ナントカ再生工場、ってか? オレがそんなに器用じゃないのは、巽見だってよく知ってるだろ」

 思わずため息が出る。
 ダイユウサクが栄光を掴めたのは、もちろんアイツの才能だ。
 諦めずに、ジッと耐えてひたむきに走り続ける。それができたからこそ有記念を制覇できたんだ。
 心を折られずに、条件戦を走り続ける──その中で腐ることもなく、どこかで達観して上を見るのを止めてしまうこともなく、それを続けるというのは本当に大変なことだ。
 そんな彼女の精神力に比べたら、オレのトレーニング(やったこと)なんてほんの些細なことに過ぎない。

(それに……)

 アイツの、有記念制覇は、楽なものじゃなかった。
 強敵──現役最強ステイヤーであるメジロマックイーンをねじ伏せた走りの代償は、大きかった。

(この前の大阪杯……)

 ダイユウサクの休養朱の復帰戦。
 奇しくも骨折からの──ダービー以来の復帰戦となった、トウカイテイオーに話題の全てを持って行かれていた感はあったが、実際レース結果もその通り、トウカイテイオーの独壇場で終わった。
 そしてダイユウサクは、レース後にターフに力尽きたように倒れていた。
 オレは慌てて駆け寄ったが──

(強がってはいたが、脚に異常があったのは間違いない。それはきっと……)

 “領域(ゾーン)”へと踏み込んだ結果の後遺症。
 ミラクルバード曰く『火事場の馬鹿力』を発揮したせいで体のどこかを壊してしまったのではないか、ということだった。

(それが治らない限り、ダイユウサクはまともに走れない)

 聞けば痛みはなく、怪我もしていない様子だった。
 アイツだって今までの積み重ねがある。だから無様なレースはしないだろう。
 しかしグランプリウマ娘として、走るレースはもちろん重賞で、それもGⅠ・GⅡクラスになるのは間違いない。
 それらの優勝を争うような猛者達を相手にするには、やはりツラい。

(オレが付きっきりになれば、かえってプレッシャーになっちまうしな。どうしたもんか……)

 ダイユウサクが心配だが、現状ではその後遺症が消えない内はどうしようもない。
 かといってオレが目をかければかけるほど、彼女にはそれがプレッシャーになって、無理をしかねないだろう。

(かといって、オラシオンのデビューはまだまだ先……それはロンマンガンも同じだからな)

 メイクデビュー戦が始まるのは夏。
 それにオレは二人のデビュー戦に関しては焦っちゃいなかった。特にオラシオンに関しては、そこで焦ったらもったいないようなウマ娘だ。

(アイツはダービーを狙えるウマ娘。ジュニア期こそ焦ることなくじっくり育てるべきだからな)

 夏どころか、秋のデビューを考えている。
 ロンマンガンに至っては、それよりも後になるだろうとさえ思っていた。

(しかしそうなると──オレが手持ちぶさたになりかねないんだよな)

 他のウマ娘を見ていなければ、ダイユウサクを見るしかない。
 そうなると、それは逆効果になりかねないわけで……本当にどうしたものか、とオレが悩んでいると──トレーナー部屋の扉が、コンコンとノックされた。

「……最近、来客が多いわね」

 それをジト目で見つめながら巽見が言い──オレが返事をして促すと、その来訪者は部屋へと入ってきた。
 入ってきたのは──人間だった。
 女性だったが耳は頭の上になく、尻尾もない。着ている服もトレセン学園の制服ではなく、スーツといった装い。
 典型的ともいえる女性トレーナーの姿だった。
 そんな彼女を見てオレは──思わず相部屋の女性トレーナーの方を見る。
 ジャージ姿に、手元には竹刀……

「ま、コイツも典型的、ではあるか」
「なに?」
「いや、別に……」

 絵に描いたような、典型的な体育教師スタイルだった。
 それはともかく──

「あれ?」

 やってきた女性トレーナーの姿を見て、巽見が少し驚いた様子だった。

「知り合いか?」
「ええ、まぁ……女性トレーナー同士で顔見知り、程度だけど」
「なるほど」

 とはいえ、女性トレーナーもそれなりにいるからな。
 東条ハナ先輩や《王子様》こと奈瀬 文乃といった有名どころはもちろん、小宮山さんに桐生院 葵。そしてもちろんそこにいる巽見 涼子、と。
 そして入ってきた彼女は、そのどれでもなかった。

「なにか──」
「乾井トレーナー……ですよね?」
「はぁ、まぁ……」

 彼女に言われて、オレは戸惑いながら答える。
 思わず巽見の方を見るが「やっぱりそっちの客じゃないの」と視線で言われた。
 う~ん、確かにオレへの来客の方が多い気がするが……それはチームのメイントレーナーだからじゃないのか?
 オレがサブトレだったら来るヤツも少ないだろうし、逆に巽見が独立してチームを持てば、もっと来客も増えるだろう。

(それにしても……巽見はチームを持たないのか?)

 オレだって独立して最初に担当してからしばらく経つ。
 そんな経験年数はもちろん、オークスウマ娘(“樫の女王”)のコスモドリームを育てた実績を考えれば、独立するのに充分だと思うんだが。

(実際オレも、あの時のアイツのアレがあったから、それを師匠に認められての独立だったわけだし……)

 ──などと考えに耽っていると、やってきた女性トレーナが話を始めた。

「実は、乾井トレーナーにお願いしたいことがありまして……」
「オレに?」
「はい。実は──」

 オレに対する依頼、それも相手はオレよりも年や経験が上の先輩トレーナーだ。オレは思わず身を正してそれを聞く。
 そんな彼女の話は──直前にオレが考えていたことが頭から飛ぶほど、驚くものだった。



 

 あ、ども。ちわっす。ロンマンガンです。

 

 おかげさまであっしもチームが決まり、こうして初めて……じゃなくて前回、トレーナーと一緒にきて顔見せしたから2回目、か……ともかく、初めてチームの活動に参加できるわけで。

 だから、かなり急いで部屋にやってきたという状況。

 え? なんで急いでるかって?

 いや、そりゃあそうでしょ。

 ウマ娘の競走っていえば、確かにウイニングライブなんて華やかなモンがあるせいで別に見られがちだけど、それで目立つにはレースで上位に入らなきゃいけない。

 つまるところ、本質は“徒競走(かけっこ)”なワケ。

 

(ま、あまり露骨にライブを軽視すると、お叱りがくるけど……)

 

 それはさておき、つまりこのチームという制度ってのも、その本質は“運動部”みたいなもの。

 で、あっしはその“運動部”の一番下の学年で、それも最後発で組織に入ったド新人ってことになる。

 ここまで言えば、分かるでしょ?

 

(そ。悲しき体育会系組織の最下層ってことで、下っ端は色んな雑務を……)

 

 ──なんてことを考えながら、たどり着いたチームの部屋のドアに手を伸ばし……

 

「あれ? 開いてるわ」

 

 鍵がかかっていないのに気がつく。

 しまった。誰かに先を越されたか……と、あっしの心の中に戦慄が走った。

 

(初日からこれじゃあ、先輩方に怒られるわ)

 

 そう思いつつ、若干ビクつきながらドアを開ける。

 しかし──

 

「……で、誰もいないって? まさか、ね」

 

 さすがに不用心過ぎでしょ。

 あっしが一番乗りだから、昨日の最後から今まで無締まりだったわけで──

 

「ん?」

 

 そして出入口のすぐ側に、デーンと居座った大きめのダンボールが目に留まった。

 ご丁寧に下には台車があって、運んできてそのままになってます、と雄弁に語ってる。

 

「なに、これ?」

 

 大きさ的には結構、大きなもの。それこそ家具とか大きめの家電とかが入っていたようなくらいのサイズ。

 近くに寄ってよく見ようとしたとき──

 

「お? 初日から早いね!」

「うひゃあああ!!」

 

 背後から想定外に声をかけられて、思わず甲高い悲鳴があっしの口から飛び出てた。

 

「……ゴメン。驚かせちゃった?」

「いや、驚いたのは見れば分かるじゃないッスか」

 

 あっしの反応に、すまなそうに車椅子の上で苦笑を浮かべているウマ娘。

 思わずあっしは彼女を恨みがましい目で見てしまう。

 

「……バードパイセン、チーッス」

「やあ、ロンちゃん。こんな時間に来るなんて、さっそく張り切ってるね」

「そりゃあもう……って、ロンちゃん? それ、あっしのことッスよね?」

「うん、もちろん。ロンマンガンだから、ロンちゃん」

 

 いい笑顔でそう言うバード先輩。

 

「や、別に……まぁ、良いッスけどね……でも、あっしの名前でロンよりも大事なのがあると思うんスけど……」

 

 先輩がつけたあだ名なんだから受け入れるしかない、ってのは体育会系なら当然の(オキテ)

 ただ、まぁね……それだとロン(栄和)ならその後がマンガン(満貫)でなくてもいいわけで。ハネマンとかヤクマンとか。

 それどころか役だっていいわけだ。大三元(ダイサンゲン)とかいろいろありえるわけじゃん。

 だからこそあっしとしては後半を大事にして欲しいっていうか……

 

「こんにちは……さすがミラクルバードさん、今日も早い──あ、ロンマンガンさんもいらしたんですか?」

 

 っと、今度は同級生が現れたけど……いや、アンタはアンタで丁寧すぎでしょ。

 ロンマンガンさん──“ん”が多すぎだわ。8音もあるのに2音に1回登場してんじゃん。

 

「ど~も。でもチームメイトになったんだから、そんなに他人行儀じゃなくていいよ。こっちも肩凝って仕方ないし」

「オーちゃんは、普段からそんな感じだよ?」

 

 オーちゃん? え? このパイセン、誰のこと言って……ってオラシオンだからオーちゃんか。

 なんか、この人のことは理解しつつあるわ。

 しっかし、さすがにあのオラシオンのことを“オーちゃん”とは呼べんわ……

 

「シオン、でいい?」

「え? あ、はい。皆さん、だいたいそう呼んでくださりますし」

 

 って、被ったんかい。

 まぁ、“オラシ”なんて略すのも変な話だからね。あの“ゴルシ”じゃあるまいし。

 スタンダードな発想だったってわけで。ま、無難ってことでいいんじゃない? あっしの考えが突飛じゃないってことの証だし。

 

「では、よろしくお願いしますね、マンガンさん」

「ちょい待ち」

 

 確かに、さっき“ロン”以外の部分が大事、って思ったけど、これはこれでなんか字面が、ねぇ。

 しかも6音で3回“ん”が出てるし。割合がさっきと変わってないし。

 なんならその語呂も音数も、フルネームとほぼ変わってないから。

 

「それ、理科の酸素発生させる実験でオキシドールと一緒に出てきそうだから」

「はい?」

 

 あっしのダメ出しに、目を白黒させて驚いてるオラシオン。

 それから「そうですね……」と考え込み──

 

「では、ロンさん」

「って、あっしは中国人か!?」

 

 彼女の出した答えに思わずツッコんでいた。

 つーかバード先輩と発想一緒。もろ被りじゃん。

 いや……中国語って考えたら「ロン=龍」なわけで、「カッコいいじゃん」とか思ったわけじゃないけど。

 

 ──結局、バード先輩は「ロンちゃん」、シオンは「マンガンさん」と最初に呼んだ呼び方で決まったわけで。

 

 ……ま、別にどうでもいいわ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「で、パイセンとシオンに聞くけど……昨日最後に部屋出たの誰? さすがに不用心すぎ。鍵かかってなかったけど──」

「あぁ、それはボクが来て開けたからだよ。来たときはちゃんと鍵かかってたよ」

「なるほど……って、バード先輩の方が先に来てたってこと!? スンマセン!!」

 

 そう言って、ロンマンガンさんは勢いよくミラクルバードさんに頭を下げました。

 対してミラクルバードさんは、少し驚いた様子でそれを見て、それから笑顔でそれを制します。

 

「そんなにかしこまることないよ。ひょっとして、他のチームとかで“後輩は雑務をやらないといけない”とか言われた?」

「ええ、同級生から。それに学園に入る前にも……」

 

 中等部よりも前の、小学校の世代で各種スポーツをやっていても学年による先輩後輩の上下関係は、競技によっての差はあれども存在している、と聞いています。

 もっとも私は、そういうのをやったことがありませんが、そう聞いたことがあります。

 

「他はともかく、ウチのチームはやらなくていいからね。そういうのをやるためにボクがいるんだから」

「え? でもバード先輩って、先輩なわけだし……」

「競走する()達が、それに専念できるようにサポートするのがボクらの役目だからね。そのためにチームに所属してるんだよ」

「はぁ……なんか、申し訳ないッス」

 

 やや釈然としない様子でしたが、ロンマンガンさんはミラクルバードさんに頭を下げながら、引き下がりました。

 とはいえ、彼女の気持ちも分かるんですよね。

 

(ミラクルバードさんは、やはり年上の方ですし……)

 

 先輩というのももちろんありますが、やはり事故前の競走ウマ娘としてのイメージも強いのです。それも、有望株として話題になるほどの方でしたし。

 それに学園にはいる前から付き合いのある私でさえ恐縮してしまうのですから、まだ出会って間もないマンガンさんから見れば余計にそう感じるでしょう。

 ただ、ミラクルバードさんの姿勢にも理由がありまして……

 

「……なんか、こんなに集まってるのはさすがに慣れないわね」

「ッ!! ダイユウ先輩!?」

 

 入ってくるなり、私たちが集まっているのを見て軽く眉をひそめたのは、ダイユウサクさんでした。そんな彼女にマンガンさんは背筋を伸ばして畏まってます。

 〈アクルックス〉の最古参──というよりも、この人とトレーナーのソロチームから始まった──の彼女こそ、ミラクルバードさんが雑務をしてしまう理由です。

 

(もちろんサポート目的でチームに所属したのも間違いないんですけど、ダイユウサクさんはミラクルバードさんよりもさらに先輩ですからね……)

 

 そしてお二人とトレーナーしかいない時期も長かったですし、それが普通になっていたそうです。

 ですから──

 

「……で、コン助。この邪魔な箱は、なに?」

 

 ミラクルバードさんを“コン助”なんて呼べるのはこの人くらいです、本当に。

 

「箱? ボクは知らないけど……って、なにこれ!?」

「えっ? あっしが来たときには置いてあったんスけど?」

「ボクが来たときは無かった……と思うけど」

「……覚えてないの? こんなに目立つものなのに」

 

 ダイユウサクさんが、少し呆れたような目でミラクルバードさんを見ています。

 

「しかし、いったいなにが入っているのでしょうか?」

「う~ん……ロンちゃんが入ったから新しいロッカー、とか?」

「そういう形でもないわよね。ロッカーにしては幅があるというか細長くないというか……」

「ってことは、トレーニング用の器具……スかね?」

 

 ロンマンガンさんの推測に、ダイユウサクさんは首を傾げます。

 

「アタシは聞いてないけど……コン助はトレーナーからなにか聞いてる?」

「ううん。そんなお金もないと思うよ」

「そうよねぇ……」

「──ってことはコレ、誰もいない不在時に置かれた、不審物ってことじゃないッスか?」

 

 ジト目になってその箱を見て言ったロンマンガンさんの言葉で、私達4人はぎょっとして慌てて距離をとりました。

 

「……コン助、アンタ中身確かめなさいよ」

「え? イヤだよ。なに入ってるか分からないもん」

「だから開けて確かめるんでしょ?」

「えぇ……そうだ、こういうときこそ後輩の出番じゃないか」

 

 そう言ってミラクルバードさんは笑顔で私とマンガンさんを見ます。

 

「え? コン助パイセン、さっきあっしらを感動させた台詞、忘れちゃったんですか? こんなのにドーンと居座られたら、あっしら競走組、トレーニングに専念できないんですけど?」

「そ、そうですよね。不審物が置いてあると、さすがに不安ですし……」

 

 私も思わず苦笑して、マンガンさんの意見に同意しました。

 

「でもこれはさすがにトレーニングとは関係ないじゃん。それにオーちゃん、不安なら開けて中を確かめてみたら?」

「わ、私がですかッ!?」

 

 完全にヤブヘビでした。

 若干引きながら、私はその不審物を見つめます。

 

「あ~、もう……コン助はこれに心当たりないんでしょ?」

「うん」

「アンタに知らされてないってことは、トレーナーが用意した器具ってわけでもないってことよ。ちょうど台車に乗ってるんだし、ゴミ捨て場にでも捨ててきなさい、こんな物──」

 

 ダイユウサクさんが苛立たしげにそう言って、軽く箱を蹴りました。

 ……あれ?

 

「だから新入りのアンタ! この台車を押してゴミ捨て場に──」

「は? あっし? いやいや、確かにチーム内の立場は最下級ッスけど、いきなりパワハラかまさないで──」

「あのぅ……」

 

 指名されて慌てるマンガンさんを遮るように、私が声をかけると──

 

「なによ、シオン? アンタが持って行くの?」

「いえ、そうではなく……今、この箱動きませんでした?」

 

 アタシがそう言うと、ビクッ!! と他の三人が動き、さらに距離をとりました。

 ……ミラクルバードさんが、車椅子なのに器用な反応をすることに妙に感心してしまいましたが。

 

「オ、オーちゃん、また冗談が上手いんだから……」

「いや、バードパイセン。動いたのってダイユウパイセンが蹴ったからじゃないッスかね?」

「……なにロンマン。アタシに原因があるとでも?」

「お、新しい呼び方。そういうの待っていたんスよ」

 

 なぜか話を脱線させて喜ぶマンガンさん。

 けれども今はそういう場合ではありません。

 

「いえ、ダイユウサクさんが蹴ってから、ほんの少しだけタイムラグがあったように見えましたが……」

 

 ジリジリと不審物から距離を取ろうとする私達4人。

 その視線は、完全にその箱に集中しており──それに耐えかねたように、箱が再びピクッと動いたのです。

 

「「「「なッ!?」」」」

 

「ほら、やっぱり動きましたよね?」

「うん。オーちゃんの言うとおりだと思う」

「つーかコレ、中になにか生き物系でも入ってるの確定じゃん?」

「じゃあ生き物系って、具体的になによ?」

 

 ダイユウサクさんの問いに答えられる者なんているはずもなく──4人がゴクリとツバを飲み込みます。

 そしてダイユウサクさんはキッとマンガンさんを睨んで、顎で「いけ!」と指示を出します。

 それにマンガンさんは「あっしが?」と言わんばかりに自分を指さし──冷酷なまでにハッキリとダイユウサクさんが頷いたのでした。

 それにあからさまに肩をガックリと落とすマンガンさん。

 しかし彼女はダイユウサクさんを尊敬していらっしゃるようですし、まして大先輩からの指示には逆らえず、恐る恐る箱へと近づいていきます。

 そして箱の蓋になっている部分へと手を伸ばし──

 

「──お前ら、なにやってるんだ?」

「「「「きゃゃああああああッ!!」」」」

 

 背後から聞こえたトレーナーの声で全員飛び上がらんばかりに驚いて悲鳴をあげ──

 

「ひゃああああああッ!!」

 

 それに驚いて箱から飛び出した人影が悲鳴をあげ──

 それにさらに驚いた私達4人がまた悲鳴をあげ──

 

 部屋は隣のチームから注意されるほどの阿鼻叫喚となったのでした。

 

 

 ……隣の皆さん、お騒がせして本当にすみませんでした。

 




◆解説◆

【“その反抗には理由があります”】
・今回は「馬の祈り」からに戻りました。
・原文は
  Don’t think me disobedient should I not follow your orders,
・「指示通りに動かなくても不従順とは思わないで」という意味で、この後は──
  perhaps the harness and hooves are not in order(たぶん、馬具や蹄の具合がよくないから).
と続きます。
・もちろん、今回の言うことを聞かない理由は違うわけで……
・なお、ジェームス・ディーン主演の映画の邦題『理由なき反抗』の逆をとったパロディでもあります。
・ところでその“反抗の理由”になった不審物。中に入っていたのはいったい……
・──ちなみに今までに登場しているキャラでして、その正体は次回で明らかに。
・そんなわけで次回にLet's go!

ナントカ再生工場
・野村再生工場のこと。
・2020年に亡くなられた元プロ野球選手で、南海、ヤクルト、阪神、楽天を率いた野村克也監督が監督時代に、他球団で戦力外になった選手を再起させて活躍させたその手腕からそう呼ばれました。
・私的にはヤクルト時代の辻選手や吉井選手、小早川選手なんかが印象強いんですけど……南海の監督時代から言われていたんですね。
・野村監督曰く、「再生工場の本質が何かと言えば、それは自信の回復ですよ」と言っていますが、ターキンの場合はそれが当てはまるかもしれませんね。
・しかし、前もノムさんの格言(──ではなく平戸藩主、松浦静山の言葉でしたが)を出していましたし、乾井トレーナーってひょっとしてノムさんのファン?

大三元(ダイサンゲン)
・麻雀の役ですが、御存じアニメ版ウマ娘の2期に登場したダイユウサク相当のウマ娘の名前でもあります。
・そもそも、なぜロンマンガンという架空馬を本作に出したのかと言えば……『じゃじゃ馬~』の中で妙に気になった馬だったのもありますが、その名前からダイサンゲンネタに絡ませやすいから。

隣のチーム
・裏設定ですが、〈アクルックス〉のチーム部屋の隣の一つはチーム〈ミモザ〉になってます。
・その理由は、一等星アクルックスと一等星ミモザは隣り合っているので。
・共に同じみなみじゅうじ座を構成する恒星ですからね。
・〈ミモザ)所属のウマ娘との仲は社交的なミラクルバードのおかげもあって友好で、ダイユウサクも珍しく仲良くしています。(有記念制覇の時はお祝いをしてもらった模様)
・そんなわけで──第一章でチラッと出てきたジャケットに描かれた〈アクルックス〉の南十字星(サザンクロス)が意匠化されたマークは、〈ミモザ〉も協力してデザインし、共通部分があるという設定です。
・「十」の下端の星を強調した〈アクルックス〉に対し、“左”の星を強調したのが〈ミモザ〉のもの。


※次回の更新は2月23日の予定です。  



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第5R Let's go Start! 駆け抜けて今のこの時代を

 

「──で、アンタいったい誰よ?」

 

 そう不機嫌そうに尋ねたのは、我らがチームのボスであるダイユウ先輩。

 しかしその絵面は、台車の上に鎮座したダンボール箱に向かって話しかけるという珍妙なもの。

 さすがにその姿には笑いそうになるけど──さっきあっしらを驚かせた元凶がその箱の中にいると思えば、そんな気持ちも吹き飛ぶわ。

 で、その元凶さんはといえば──

 

「パイセン。気持ち分かりますけど殺気出し過ぎ。箱の中の不審者、ビビりすぎて箱が小刻みに震えてんスけど」

 

 あっしが言うと、ダイユウ先輩は無表情でこっちを見つめてくる。

 なにその無言の圧力。怖いんですけど。「文句言うなら、アンタが尋問しろ」って雄弁に語りすぎ。

 ああ、仕方ない。明らかに面倒な相手だけど、こうなったからには腹を括るしか──

 

「落ち着け、ダイユウサク。それについてはオレが話をすでに聞いている」

 

 覚悟を決めたところで、さっきの大騒ぎの火付け役だったトレーナーがやんわりとダイユウサク先輩に話しかけた。

 それであの人も少し落ち着いた様子になる

 

(……ああ、ダイユウサク先輩の相手はトレーナーに任せればとりあえず大丈夫ってワケね)

 

 このチームのルールが少しだけ理解できたわ。

 とまれ、話に入った乾井トレーナーは背後を振り返る。

 そこには若い女性トレーナーがいて──って、ダイユウ姐さん、それ見て剣呑な空気まとってんじゃん。鎮火どころか完全に別のことろに延焼して火の手あがってるじゃん。

 

「……出てきなさい、ターキン

 

 その女性トレーナーはダイユウサク先輩に気づかなかったのか、あえて無視したのか、ダンボール箱へと優しく声をかけ──すると、その上部が恐る恐るといった様子で開いた。

 細い手が現れて、頭の上にぴょこんと立った耳が見え、続いてふわふわと広がり気味の鹿毛の髪、整った顔立ちながらオドオドした怯えMAXの表情が見え……

 そうして明らかにビクついた及び腰な姿勢で立ち上がり、尻尾は小刻みに揺れている。

 そこにいたのは、ウマ娘だった。

 

「えっと、その、ぁぅぁぅ……」

 

 小刻みにダンボール箱が揺れていたのは、このウマ娘自身が恐怖で震えていたからなわけで、ダンボールという衣が外れたせいでその怯え具合はさらにヒドくなっているっぽい。

 

「ターキン、落ち着きなさい。私がいるんだから……」

 

 半腰のそのウマ娘に、さっき呼びかけたトレーナーが近寄って、軽く抱きしめた。

 それで少しは落ち着いた様子で、震えが多少マシになる。

 

(そこまでされてるのにまだ震えてるって、どんだけ臆病なんだって話よ……)

 

 雰囲気的に年上じゃないかなと思うけど、さすがにあっしもそのウマ娘には呆れさえ感じるわ。

 で、そんな彼女を見て──

 

「あれ? キミってひょっとして……」

 

 気がついたのはミラクルバード先輩だった。

 そんな先輩の様子に、(くだん)のウマ娘は、救世主を見つけたかのようにパッと表情を明るくさせる。

 そして彼女はミラクルバード先輩……ではなく、ダイユウサク先輩に向かって頭を下げた。

 

「あ、あのあの……お久しぶりです、ダイユウサクさん」

「──アンタ、誰よ?」

 

 現実は無情である。

 訝しがるような目でダイユウサクに見つめられ、彼女の表情は絶望に染まったワケで。

 今にも泣き出しそうな顔になった彼女は再びダンボール箱の中に戻りかけ──

 

「ダイユウ先輩、覚えてないの? ほら、有記念の前の阪神レース場新装記念で一緒に走った……」

「ゴメン、覚えてない」

 

 バード先輩が苦笑混じりでやったフォローを、ダイユウ先輩は無情にも叩き潰した。

 案の定、そのウマ娘は「ヒュン」と音をたてるような勢いで、再びダンボール箱へとその身を隠す。

 

(……うわ、めんどくさ)

 

 分かってはいたけど面倒くさい、このウマ娘。

 というか、ダイユウ先輩も愛想の欠片もなさ過ぎでしょ。わざわざ気がついたバード先輩の方じゃなくて、一緒に走った縁を頼りに先輩の方へ話しかけたのに。

 で、その「ターキン」って呼ばれた隠れたウマ娘は、再度その女性トレーナーに促されて立ち上がり、その姿をさらす。

 あっしやシオンの視線にさえ、怯えてビクビクしている様子だし。

 それに苦笑しながらも、話を進めようと乾井トレーナーが進み出て──

 

「で、改めて紹介するが、レッツゴーターキンだ。今回、うちのチームに入りたいと希望があって……」

「──ハ?」

 

 いや、だからダイユウパイセン、殺気出し過ぎ。

 あっしの背筋にも冷たいもの流れたけど。

 シオンもビビってるし、慣れてるのかバード先輩は苦笑で済んでるけど──レッツゴーターキンさんってウマ娘は、泡吹いて失神しそうな勢いでビビりまくってますけど?

 

「トレーナー、ターキンって、それこそオープンクラスだよね? そこまで来てるのに、こんな時期にわざわざチーム移籍するの?」

 

 一人だけ落ち着いてるミラクルバード先輩が、疑問をぶつけて、チラッと女性トレーナーの方を見た。

 う~ん、確かに……先輩が彼女をチラ見するのも分かる。

 そのレッツゴーターキンというウマ娘がもしもオープンクラスのウマ娘──怯えっぷりからとてもそうは見えないけど──ならチーム移籍をするというのはかなりの切羽詰まった事情があるのは間違いない。

 そこまで上がったら、普通はチームもトレーナーも手放さないし、ウマ娘側にしたって環境の変化はリスクになるし。

 真っ先に考えられるのは、トレーナーと修復不能なくらいに関係がこじれたってこと。

 でもそれだと、この場にそのトレーナーがいるはずがないし、さっきからレッツゴーターキン先輩が彼女を頼りきっている姿の説明も付かない。

 

「あ~、それについてなんだが……」

「私に原因があるのよ」

 

 答えづらそうにしながらも答えようとした乾井トレーナーを遮って、女性トレーナーが言う。

 思わず乾井トレーナーは彼女を見たけど、それに頷いて説明し始めた。

 

「……実は私、妊娠しちゃって」

「え? それって乾井トレーナーのお子さんでしょうか?」

 

 は? シオン、アンタ突然なに言っちゃって──

 

 ──ブワッ!!

 

 ひぃッ!?

 一気に部屋中に満ちた殺気に、あっしは思わず悲鳴をあげそうになる。

 さっきのなんて比じゃないくらいの強烈な……

 

「……違うわよ。安心なさいな」

 

 苦笑混じりに、チラッとダイユウ先輩を見る女性トレーナー。

 それで強烈なプレッシャーは一瞬で霧散した。

 ハァ……殺されるかと思ったわ。これは文句を言わざるを得ない。

 

「シオン……アンタ、も少し発言に気をつけるべきだわ」

「ご、ごめんなさい……」

 

 不用意な発言は死を招くってのはまさにこのこと。

 台詞の選択肢一つ間違えたらワンクリックで即デッドエンドとかどんなクソゲーよ。

 往年のアドベンチャーゲームの方が即死しないだけまだ優しいわ。

 ふぅ~、気を取り直して……って、えっと? あれ?

 

「だから私は──」

「あの、トレーナー。それに乾井トレーナーも……肝心のターキン先輩、失神してるんですけど?」

 

 ──なお、先程のダイユウサク先輩が放ったプレッシャーに、どうやらレッツゴーターキン氏は耐えられなかった模様。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 なんというか──このレッツゴーターキンさん、メンタル豆腐過ぎて話がブツ切れになりっぱなしなんだけど。

 ともあれ、この人のトレーナーの女性が介抱して、どうにか意識を取り戻したけど。

 そうしてその女性トレーナーが気を取り直して、やっと事情を説明し始めたわけで──

 

「──それで、私は産休に入らないといけなくなったってわけ。ターキンはクラシックにも一緒に挑戦したし、最後まで面倒見たかったんだけど……さすがにそこまでは、ね」

 

 あ、やっぱりこのウマ娘(ひと)、シニアクラスで先輩だったんだ。

 ……メンタル弱弱(よわよわ)過ぎてそう見えなかったけど。

 産休の後には育休があるのは定石。そうなれば結構な長期休養になるのは間違いないわ。

 それまでターキン先輩が待ってるわけにもいかないし……ま、しゃーない。

 

「それで引き継いでくれる先を探そうと考えていたら、本人から『〈アクルックス〉がいい』って話を聞いて……珍しく彼女が自己主張したから、叶えてあげようと思ったのよ」

「えぅ……は、はい…………」

 

 女性トレーナーの説明を受けて、ターキン先輩は頭を下げ、そしてチラチラとこちらの反応を伺っている。

 そんな反応を面白く思わなかったのか、それでも不機嫌さは多少下がった様子のダイユウ先輩が面白くなさそうに尋ねる。

 

「なんで、〈アクルックス(うち)〉なわけ?」

 

 それにビクッと反応したターキン先輩は、一度、女性トレーナーを振り返った。

 察するに、あの人から説明してほしくて救いを求めたんだろうけど……女性トレーナーは苦笑しながら、ターキン先輩に説明するように、無言で促す。

 ま、そりゃそーだ。ここは自分の言葉で説明する場面でしょうね。

 

「……阪神レース場新装記念で、御一緒したときに、ダイユウサクさんがとても輝いて見えたんです。私なんて全然かなわなかったし、すごく速かったし……」

 

 思い出すように始めたターキン先輩の話を、ダイユウ先輩はジッと聞いてる。

 阪神レース場新装特別って……ああ、ダイユウ先輩が有記念の前に走ったオープン特別ね。

 そこで勝ったから、推薦枠をもらえたっていう──

 

「で、そのすぐ後に有記念に出走するって聞いて、だから応援していたんですけど……ほんとに、あのレースの走りがすごかったから、私、興奮して……私も、もっとがんばりたいって思ったんです。ダイユウサクさんみたいになりたいって……」

 

 萎縮しながらも、ハッキリと答えるレッツゴーターキン先輩。

 あ~、その気持ち分かるわ~。

 だから、あっしもこうして〈アクルックス〉に入ったわけだし。

 この先輩も重賞走ってガンガン結果出すような一流どころには見えないし、その辺りの事情は一緒だわ。

 例えば──ダイユウ先輩の前年にあったオグリ先輩の有制覇は、日本中が感動したって言われてる。

 でも、それに一般の人たちと同じように感動して憧れても、あっしらみたいな一流じゃないウマ娘は時間が経てば経つほど冷静になって、熱狂からは一線を引いてたところはあった。

 なぜならそれは──どこか“自分とは違う”って考えが頭のどっかにあったから。

 

(地方での好成績引っ提げて中央に殴り込んで、その上さらに結果出してたようなウマ娘(ひと)、だからね……)

 

 笠松で12戦10勝。中央来てからも重賞で活躍して毎年のように表彰されてた存在と自分を重ねられるヤツなんてそうそういるわけがない。

 だから言ってみれば他人事で、完全な傍観者視線。観客の皆さん達と一緒の感覚ですわ。

 

(でも、あのダイユウ先輩の有制覇こそ、あっしらみたいなウマ娘に夢と希望を与えた──)

 

 勝つと思っていなかったウマ娘が勝った。

 それだけならまだよくある話。それこそ前年のオグリ先輩がそうだったワケで。

 だけど、あの現役最強ステイヤーにして天皇賞(秋)の“真の覇者”と言われているメジロマックイーンを“記録上の覇者”プレクラスニーごと、新記録(レコード)で撫で切りにして見せたのは衝撃だった。

 

(あんな光景、シビレない方がおかしいわ)

 

 しかもそれを成し遂げたのは、誰も歯牙にかけていなかったそれまで重賞をたった一度しか勝ったことのないウマ娘よ?

 それを見た一流どころのウマ娘さん達は「なんでマックイーンが負けるんだ?」って考えるところなんでしょうけど──

 

(けど、あっしら二流以下は違う)

 

 その勝ったウマ娘、デビューは遅れに遅れて同期がクラシックレースのエリザベス女王杯やら菊花賞を争ってたような時期。

 おまけに、そこまで遅らせたのに17秒というありえないタイムオーバーをするような体たらく。

 

(こんなの知ったら誰でも思うわ、自分の方がマシだろ、って……)

 

 それはターキン先輩みたいなデビュー済みの皆さんはもちろん、あっしみたいなデビュー前のウマ娘だって「いくら何でももう少しマシなデビューになるわ、さすがに」って思う。

 

(……というか、それ以下のデビューとか考えたくないわ。わりと、マジで)

 

 でも、それを逆に言えば──デビューでそれだけ大失敗しようとも、そこまで上り詰められるってこと。

 今はドン底でも、デビューの光明さえ見えないような状況でも……ガンバり続ければ、栄光をつかめるかもしれない。

 

(なぜなら──それを雄弁に語ってみせたウマ娘が、実際に現れたんだから)

 

 そう思いながら、ダイユウ先輩を見る。

 かくして、誰もが認める超一流の勝ち組ウマ娘を相手に、ドン底スタートの落ちこぼれウマ娘が起こした下克上は、デビュー前後を問わず、非一流ウマ娘たちの心を熱く燃やしたというワケ。

 

(ま、当の本人はその自覚、無いんでしょうけど……)

 

 確かにこの前の大阪杯(レース)は“無敗の二冠ウマ娘”相手に再度の下克上──どころか、いいとこ無しの完敗だったわけだけど、それでもダイユウサク(このウマ娘)に対するあこがれが消えるワケじゃない。

 そしてなによりも──そんなダイユウ先輩を育てた〈アクルックス〉のトレーナー・乾井 備丈の株も急上昇するのは当然のこと、ってワケ。

 こっちも本人は自覚なさそうだけど。

 

「さて、事情は皆分かったと思うが、改めて言わせて欲しい。レッツゴーターキン──」

「は、はい……」

 

 そんな乾井トレーナーに声をかけられたターキン先輩は、振り向きながらパッと顔を輝かせる。

 ま、あこがれのカリスマトレーナーに声をかけられて、舞い上がる気持ちは分からなくもない。

 ……それ見て不穏な気配を放つ先輩の姿がなければ、だけどさ。

 

「気持ちは分かったし、オープンクラスにまでなったキミがそこまで評価してくれるのもありがたいと思うし、受け入れたいと思う」

「あ……」

 

 その表情が歓喜に包まれようとしたが──乾井トレーナーが待ったをかけた。

 

「だが、〈アクルックス(うちのチーム)〉に加入するのに条件を一つ付けさせてくれ」

「う……条件?」

「そうだ。これさえ達成してくれれば、オレはキミを歓迎する」

 

 ターキン先輩の訝しがるような目に、乾井トレーナーは真摯な目で応える。

 

「どんな……ですか?」

「キミの予定されていた次走は谷川岳ステークスと聞いているが……」

 

 乾井トレーナーの確認にターキン先輩は小さくうなずき、それでも自信がないのか、女性トレーナーの方を不安げに見た。

 それを見て彼女は──

 

「ええ、間違いありません」

 

 と、うなずく。

 それを見て乾井トレーナーは──

 

「そこまでオレがきっちり面倒見るが、その谷川岳ステークスで勝利すること。それがチームに入る唯一絶対の条件だ」

 

 そんな条件を出され──ターキン先輩は、悲壮な表情を浮かべて完全に固まっていた。

 ……いや、普通のオープン特別だよね? そのレース。

 重賞じゃないんだし、そこまで絶望しなくても……

 




◆解説◆

【Let's go! Start!! 駆け抜けて 今のこの時代を 】
・今回はメジロマックイーンの持ち歌『はじまりのSignal』のイントロの歌詞から。
・「go」と「Start」の間に「!」を入れて少し変更してます。
・彼女の同期であるレッツゴーターキンが改めて再起する決意を込めて、という意味でこのフレーズ。
・そんなわけで、暫定的にレッツゴーターキンがチームに入りました。

ターキン
・まさかの再登場&チームメンバーに立候補、のレッツゴーターキン。
・基本的に〈アクルックス〉のメンバーは『架空馬モデル』か『大穴で勝利した実在馬』をモデルにしたウマ娘が対象(に気が付いていたらなっていた)です。
・そんなわけで、92年の秋に奇跡を起こした彼女はもちろん対象になってるわけで……
・改めて──第一章の第73話『大奇策! 遠回りこそが最短の道』で登場したウマ娘で、同名の史実馬をモデルにしたオリジナルのウマ娘です。
・この話の舞台になったのは、阪神レース場新装記念……史実で1991年12月7日に開催された阪神競馬場新装記念がモデルになったレースです。
・そこでダイユウサク以外に描ける視点として選んだのが彼女だったのですが──元々、馬名が語感で好きな馬だったので気に入ってしまいました。
・ただ、こうして出してしまったし「他のトレーナーついてるしな」と諦めていたのですが……
・外見的には以前の登場でも言及したアニメ2期第6話11分付近に出てくる、ナイスネイチャの少し後方を走るウマ娘……を基に、髪を少し長くした感じです。

面倒くさい
・史実のレッツゴーターキンは、見学ツアーで必ず放馬したり、オーナーズクラブの写真撮影するときも落ち着かずじっとしていられない、坂路に出すと放馬して厩舎に帰ってくる、という問題児……とんでもない気性難で有名な馬でした。
・しかし、担当した調教師の橋口氏はターキンの気性について、実際に騎乗して「繊細で、臆病である」としながらも「気の悪さはない」と、気性難の原因を理解していました。
・という感じで、やっぱり臆病な面が目立つ性格なので、ダンボール箱に入っての登場だったのです。
・なお、ダンボールと台車は部屋の中にあったのを適当に使ったのだと思われます。

先輩
・競走馬レッツゴーターキンは1987年生まれでメジロマックイーンやライアン、パーマー、アイネスフウジンと同い年です。
・ウマ娘になっていない競走馬で言えばプレクラスニー、ヤマニングローバル、ホワイトストーン、メルシーアトラ、それにダイイチルビーといったところでしょうか。
・そんな同期でウマ娘になっている中で一番縁が深いのはメジロパーマーですね。何度か同じレースで走ってますし。
・ターキンの大金星も、ある意味パーマーのおかげでもあるわけで……

長期休養
・すでにトレーナーを登場させてしまっていたターキンを、問題なく別のチーム&他のトレーナーに任せるのにはどうしようか、と寝る間も惜しんで熟睡した結果に思いついたのがこれ。
・産休から育休に入るのは当然の流れですし、そうしている間に担当していたウマ娘達はどんどん歳を重ねてしまうので待っていられない──だから他の人に託すしかない、というわけで円満な移籍を考え付いたのです。
・前のターキン登場の時には、“あえて男女をハッキリさせない”トレーナーにしていたんですが、おかげで今回のようなことができました。
・しかしさすがに、次は無理だよな……と何気なく登場させたけど、やっぱり後からチームメンバーにするのに同じ手は使えない、と思うのでした。

オレがきっちり面倒見る
・さて、ここでターキンのトレーナー交代になるのですが──話的には谷川岳ステークス後にトレーナー交代というのが自然に思えるところ。
・ここであえて乾井トレがトレーニングし始めるのは……史実では次走の谷川岳ステークスからレッツゴーターキンの主戦騎手が小島貞博騎手から大崎昭一騎手に変わるからです。
・まぁ、連敗中での試行錯誤なのか、この2戦前から小島騎手からは変わって別の人が騎乗していましたが。
・そしてこの谷川岳ステークス以降は、レッツゴーターキンが引退するまで大崎騎手が主戦騎手を務めました。


※次回の更新は2月26日の予定です。  



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第6R 賭けてみよう──Starting Gate!

「ねぇ、トレーナー。なんであんな条件付けたの?」

 

 産休に入るトレーナーから、レッツゴーターキンというウマ娘を引き継いで欲しい、という話があった。

 それを引き受けるのに、オレは彼女が出走を予定していた谷川岳ステークスでの勝利を条件にしたのだが──ミラクルバードはそれが不満らしい。

 

「不満、ってわけじゃないけどさ。どうしてかな、って」

 

 競走科ではなくスタッフ育成コース所属のウマ娘で、〈アクルックス(うちのチーム)〉をサポートしてくれている彼女は、眉をひそめてオレに訊いてきた。

 

「だって、ターキンって今、7連敗中なんだよ? 余計プレッシャーになっちゃうんじゃないかな」

「かもしれないな」

「うわ、他人事……ひょっとして担当する気が無いけど、面と向かって断れないからそんな条件出したとか?」

「そんな無責任なことできるか。それに、もしそのつもりだったら、もっと達成できない条件を出してるぞ。燃えない布やら真珠の実がなる金の木を持ってこい、とかな」

「そんな、かぐや姫じゃあるまいし……」

 

 苦笑するミラクルバード。

 実際、やる気が無いなら話を断ってるし、それでも無理に頼んできたのなら調整を産休直前のトレーナーに投げて同じ条件にしているところだぞ。

 それをやらず、オレがそこまでの期間、面倒を見ることにしているんだから、もちろん違う。

 

「理由はいくつかある、が……一番大きな原因は、ダイユウサクのレースと日程が被ったことだ」

「あ、そっか。谷川岳ステークスって4月26日だっけ?」

「そう。それも新潟開催だ」

「あちゃー、完全に被ったんだね」

 

 頭を抱えて机に突っ伏すミラクルバード。

 ダイユウサクが出走を予定してるのは八大競走(レース)の一つ、春の天皇賞だ。

 そして、その開催地は京都レース場で場所が違う。

 そのくせ出走時間はほぼ一緒

 瞬間移動でも使えない限り、どう頑張ってもたどり着けない。

 それに、もし間に合うにしても勝つのを見ておきながらウイニングライブを放ったらかしにして別のレース場へ去る、なんて真似はしたくないんだよな。

 

「だからオレは当日は京都に行く。つまりターキンはオレががいない状況で走る。そしてこれからは、こういうことも起こりうることだ」

 

 ターキンがチームに入れば、メンバーは総勢4人になる。

 まだ下の二人──オラシオンとロンマンガン──はジュニアクラスでそもそもメイクデビュー前だが、夏になれば彼女達にも出走のチャンスが訪れることになる。

 二人のデビュー時期が未定とはいえ、だからこそ早い時期のデビューも考慮しておかなければならない。

 

「4人全員が同じ日に別々の場所で走ることはまずないが、それでも日程が重なった場合、オレがなにを優先するかをキチンと示さないといけないからな」

 

 その点、今回はわかりやすい。

 どちらも条件戦ではないのは同じだが、その格がまるで違う。

 谷川岳ステークスはオープン特別であり、春の天皇賞はGⅠでも格上扱いされるようなレースだ。どっちを優先するかは一目瞭然だろう。

 

「なるほど……“嫁”が優先、と」

「違うわッ!! レースの格だ、格!!」

 

 ミラクルバードの言葉に、オレは思わず反射的にツッコんでいた。

 

「あれ? 嫁っていうのは否定しないんだ」

「そこ()違う! ったく……天皇賞(春)(ハルテン)そっちのけで新潟行ってたら、他のトレーナーに笑われるだろ?」

「だね。それにトレーナーいなかったら、ダイユウ先輩もメチャクチャ不機嫌になるだろうし」

「アイツはそういうことはしないぞ」

「え……?」

 

 意外そうに目を丸くするミラクルバード。

 

「アイツの場合、完全にオレを無視してくるからな。それも一日や二日じゃない。週や月単位でだ」

「あ~、そっちの方がらしいかも」

 

 ミラクルバードはそう言ってから苦笑気味に「あはは」と笑う。

 

「ダイユウ先輩が嫁じゃないなら、ボクがそうなのかな?」

「……で、そういうオレがいない状況でも、キッチリと結果を出せるのを見せて欲しいんだ。今後のためにも、そして……ターキンのためにも、な」

 

 ミラクルバードがなにか言い出したが無視して──オレは話を続けた。

 オレがいる状態()()勝てる、というのでは逆に他の担当ウマ娘のレースに見に行けなくなってしまう。

 そうなると出走予定を、他の担当してるウマ娘と絶対に被らないようにしなければならなくなる。

 ジュニアのレースが始まる上に、毎週のようにGⅠが開催される秋シーズンにそれを意識すれば、そのせいであきらめなければならないレースも出てくるだろう。

 それではお互いのためにならないわけで、だとすれば〈アクルックス(うち)〉ではなく“出走レース全部をしっかり見られるチーム”に所属した方がいい。

 

「……でもさ、ダイユウ先輩……勝てるの?」

 

 ミラクルバードがチラッとオレの方をジッと見てくる。

 その表情はどこか意地悪い顔をしているように思えた。

 彼女の言いたいことはよく分かる。

 

「トウカイテイオーとメジロマックイーン……無敗VS連覇、なんて世間では騒いでいるけどな」

「うん。先輩には悪いけど、あの二人相手に勝ち目なんてないと思うけど?」

 

 かたや、前走の大阪杯で惨敗した相手。

 そしてもう一人は──前の対決を“奇跡の勝利”で退けた相手だが……

 

天皇賞(春)(ハルテン)は3200メートル。まさに長距離中の長距離だよ? もちろん先輩は未経験の距離だし、2500の有記念とワケが違う」

 

 菊花賞と昨年の春の天皇賞を制しており、ステイヤーとして確固たる実績を持つメジロマックイーンの得意距離で戦うことになるのだ。

 2000メートルまでを主戦場にしていたダイユウサクが2500で一矢報いたが、しかしそれから700メートルもさらに長くなれば、話が全然違ってくる。

 

「それに……」

「ああ、わかってる」

 

 ミラクルバードは悲しげに視線を落として言いよどみ、オレはそれに頷いた。

 ダイユウサクの調子は明らかにおかしい。

 有記念での“領域(ゾーン)”へと踏み入れて脚を自分の実力以上に酷使した反動で、ここぞと言うときに力が入らない状態になっている。

 

(こんな状態でGⅠ──それも天皇賞で競うだなんて不可能だ)

 

 確かに、一見すれば普通に走っているように見えるくらいには回復している。

 おそらくだが、それこそターキンの走る谷川岳ステークスのようなオープン特別クラスなら十分に勝負できるし、勝つ見込みもあるだろう。

 だが──トップクラスのレースで、トップクラスのウマ娘達を相手に勝負できるような状態ではない。

 

「アイツは、隠せてるつもりだけどな……」

「ボクも言ったんだけどね。回避した方がいいんじゃない? って。でも……先輩は『グランプリウマ娘の責任があるから』って」

 

 腱や骨に異常が認められて負傷しているのならともかく、ダイユウサクの脚にそれは認められない。

 ケガをしていないのなら、出走しないのはファンにも、他のウマ娘──特に土を付けたメジロマックイーン──に申し訳ない、というのが彼女の主張だった。

 そして……格上とはいえ勝ち目のないレースが被ったのなら、そちらではなく勝ち目のある谷川岳ステークスを見に行った方がいいんじゃないの? と、さっきミラクルバードは問うたわけだ。

 

「……だからこそ、見に行かないと駄目だろ」

 

 もしもレース中になにかあったら──そんなときにオレはレース場にさえいなかったら。

 脳裏によぎったのは──ダイユウサクと共に歩んできた中で目にしたウマ娘達。

 

(あんなことになったら……悔やんでも悔やみきれない)

 

 そのシーンを直接目にしたメルシーアトラ。

 同じレースではなかったために中継で見ていたケイエスミラクル。

 奇しくもレッツゴーターキンと同い年の彼女たちの痛ましい姿は、オレの脳裏にしっかりと刻まれている。

 たとえその場にいて何もできなくとも、真っ先に駆け寄らなければならない。

 

(そして、あの時の……アイツの同部屋の──)

 

 トレーナーになる前の研修中でも同じことを目にしていた。そのときのチームの雰囲気や師匠の悲しみはしっかりと覚えている。

 そう考えると、やはりオレは天皇賞を直接見ないわけにはいかない。

 オレの本心から出た言葉に、ミラクルバードは抗議するような視線を向けてきた。

 

 ──もし出るレースが逆だったら、先輩の方に行ったんじゃないの?

 ──それって矛盾しない?

 

 確かに、それを言われると──厳しい。

 でも、オレにとってダイユウサクは……

 

「ボクはやっぱり、勝ちそうなレースを見に行くべきだと思うけどな。せっかく勝ったのに、トレーナーがいないんじゃ寂しいし……」

「大丈夫だ、ターキンが勝ったときのことはキチンと考えてある」

 

 意を決して踏み込んできたミラクルバードにオレは答える。

 彼女は驚いた様子でオレを見ていた。

 

「今回限りの手だが、それも「必ず勝て」という指示の理由の一つだからな。それに──」

 

 そしてオレは──ミラクルバードにニヤリと笑ってみせる。

 

「──有記念の時、勝ち目があるなんて思ってたか?」

「それは……」

 

 思わず苦笑する彼女。言外の「それを出すのはズルいよ」という声が聞こえるようだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──で、シオン。アンタどう思う?」

「なにがでしょうか?」

 

 スタミナ強化で走っていた私に、一緒に走っていたロンマンガンさんが話しかけてきました。

 この一年間、〈アクルックス〉に所属してトレーニングしてきましたが、こうして走っている最中に話しかけられたのが初めて。

 私以外にはダイユウサクさんしかいませんでしたから……

 そんな初めてのことで驚きつつ──私はロンマンガンさんを見つめてしまいます。

 

「なにが、って決まってるじゃん。パイセン達のレース。どんな予想してんの?」

「先輩方のレースですか……」

 

 ダイユウサクさんは、春の天皇賞。

 そして仮所属中のレッツゴーターキンさんは、谷川岳ステークス。

 

「そうですね……ターキンさんは、勝てるのではないでしょうか?」

「そのココロは?」

「勝ったら乾井トレーナーが見るようになるのではなく、そのレースまで面倒を見てその結果で、というのがポイントだと思います」

「見るのが一ヶ月どころか、もっと短いのに? たったそれだけで変わるかねぇ……」

 

 確かにマンガンさんの言うとおり、レースの日までは20日もありません

 もちろんそれは理解していますけど、それでも私の考えは変わりません。

 

「はい。ターキンさんのやる気次第ではありますが、結果は出ると思います」

「ふ~ん、それがホントならマジックじゃん」

 

 少し呆れたような顔になるロンマンガンさんは「奈瀬トレじゃあるまいし……」なんて呟いています。

 それから気を取り直して訊いてきました。

 

「で、ダイユウ先輩は?」

「それは……申し訳ありませんが、厳しいんじゃないかと……」

 

 私も思わず言葉を濁しながら答えました。

 先輩には申し訳ないと思っているのですが、それでも色々と悪条件が整いすぎています。 

 距離はダイユウサクさんが経験したことのないほどの長距離で、しかもGⅠという大舞台に相応しい強敵ばかり。

 中でも強敵の二人……トウカイテイオーさんには前走で破れているので良い印象がないでしょうし、メジロマックイーンさんは今度こそステイヤーであるあの人の舞台で戦うことになるんですから。

 

(それに……)

 

 ミラクルバードさんから、少しだけ伺ったのですが……ダイユウサクさんの調子、特に脚がよくないと聞いています。

 それを考慮すると……

 

「あ~、シオンの言いたいことわかるよ? 確かにパイセン、長距離の実績ほとんどないし。でも有でマックイーンに勝ってるよね?」

「あのときは、ダイユウサクさんの調子がこれ以上にないほどに仕上がっていましたから」

 

 皆が大人気のメジロマックイーンさんを見ている中で、誰も注目していないあの時のあの人を間近で見ていましたから。あのときの姿は、マックイーンさんや他の方達と見比べても輝いているようにさえ見えました。

 後になって、当時を思い出して乾井トレーナーが「もう一回、あの状態に仕上げろと言われてもできないぞ」と言うほどに充実していたダイユウサクさん。

 今の様子を見ると……燃え尽きたわけではないのでしょうが、イマイチ覇気に欠けるような気がしてしまいます。

 

「じゃあシオンは、ターキン先輩が勝ってダイユウ先輩が負けるってことでオッケー?」

「ええ。そうなりますね……」

「なるほどねぇ……なら、あっしの予想とは真逆だわ」

 

 マンガンさんはペースを落とすことなく走りながら、ニヤリと自信ありげな笑みを浮かべます。

 ということは、マンガンさんはレッツゴーターキンさんが負けて、ダイユウサクさんが勝つと思っているということでしょう。

 

「やっぱりターキン先輩は、こんな短期間じゃあトレーナーでも立て直せないと思う。むしろ勝ちを意識しすぎて自滅しそう」

 

 なるほど、理由まで真逆ですね。

 私がそう思っていると──

 

「ってわけで、賭けようか?」

「──はい?」

 

 彼女の言葉で思わず声をあげてしまいます。

 

「ターキン先輩が勝ってダイユウ先輩が負けたらシオンの勝ち、逆ならあっしの勝ち、ってな具合で」

「ちょ、ちょっと待ってください。そんな、先輩方のレースを賭けにするだなんて……そもそも賭博なんて許されることではありません。風紀委員の方々が──」

「大丈夫、大丈夫。金賭けなければオッケーオッケー」

「そういう問題では……」

「じゃあ、経済的利益が発生しなければ良いでしょ」

 

 マンガンさんがニヤリと笑みを浮かべます。

 

「あくまであっしとシオンの間だけの、余興なんだから。誰が損するわけでもないし……」

「でも……」

「それに、ちょっと悔しかったんだよね」

「──え?」

 

 そう言ったマンガンさんの目は、冗談めかした口調とは裏腹に、どこか真剣味を帯びていました。

 

「ダイユウ先輩が負けるって予想されるのが、ね。確かにシオンの方があの人のこと近くで見てきてるからより正確に見えてるんだろうし、普通に考えたって勝てないかもしれないけどさ……あっしの博徒(ギャンブラー)が、あの先輩を信じろって言ってるんだよね」

 

 その言葉に私は、チームメイトである先輩を信じていないと言われているような後ろめたさのようなものを感じてしまいました。

 やはり、ダイユウサクさんを信じているということで、「勝つ」と言うべきでしたか……

 

「ってわけで、金銭的利益の発生しない賭ってことで……うん、負けた方が告白するってことで」

「──はい?」

「あっしが勝ったら、シオンは……うん、渡海さんに告白しよう」

「なッ? え……ど、どうしてそういう話になるんですか!?」

 

 いったい、どうして私が渡海さんに告白しないといけないんですか!?

 そんなこと……

 

「ま~ま~、余興みたいなもんだし、そんなに真剣(マジ)になんないで。どっちの予想も完全に当たらなかったらチャラになるってルールだから。それにお遊びの罰ゲームみたいなもんで……」

 

 む?

 …………罰ゲーム?

 少しカチンときました。“告白”という行為は秘めた想いを一大決心して相手に伝え、さらにはその審判を受けるということ。神前で罪を述べてその許しを請うようなものです。

 そんな神聖であるべき行為を、“罰ゲーム”などと……

 心得違いを正さなければなりません。

 告白に対する認識……それになにより私の渡海さんに対する認識を!

 ええ、同じ学び舎で励む友として迷える子羊をそのままにしておくわけにはいきませんからね!

 私は即座に決意し──

 

「では、私が勝った場合はマンガンさんは誰に告白するんですか?」

「え? あっし? えっと……ま、シオンと違ってちょうどいい相手もいないんで──」

「じゃあ、乾井トレーナーでいいですね」

「は? え!? なんッ!? そ、それは……」

「他にいないんですから仕方ないですよね。それに──どちらも当たらなければ流れてしまう、お遊びではないですか」

「た、たしかにそう言ったけど……」

 

 焦るマンガンさん。

 でも私はそれに有無を言わせず──

 

「かまいませんよね?」

「は、はい……」

 

 そう確認すると、マンガンさんは頷きました。

 おや? どうして怯えたように耳を後ろに下げているのでしょうか?

 




◆解説◆

【賭けてみよう──Starting Gate!】
・今回はアニメのウマ娘1期のEDテーマ『グロウアップ・シャイン!』のフルサイズで最後の歌詞「賭けてみよう…Let's Go Starting Gate!」から。
・もちろん、ロンマンガンとオラシオンが賭けをしたからこのタイトル。
・まぁ、風紀委員にバレればもちろん大目玉です。

燃えない布やら真珠の実がなる金の木を持ってこい
・直後にミラクルバードが言うように『竹取物語』に出てくる、かぐや姫が求婚者に対して持ってくるように言った宝物の一部。
・燃えない布は「火鼠の(かわごろも)」、真珠の実がなる金の木は「蓬萊の玉の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝)」のこと。
・それぞれ右大臣阿倍御主人、車持皇子への課題。
・他に3人の求婚者に対しても課題を出しており、石作皇子には「仏の御石の鉢」、大納言大伴御行には「龍の首の珠」、中納言石上麻呂には「燕の産んだ子安貝」を持ってくるように要求。
・結果、全員失敗。かなりロクでもない目に遭っている者もおり、なんか可哀想。

出走時間はほぼ一緒
・京都第10レース天皇賞(春)の出走予定時刻は15時40分。対して新潟第11レースだった谷川岳ステークスは15時45分。
・スタートからゴール、その後の色々を考えると、瞬間移動したって間に合わないレベル。
・というかテレビ中継さえ間に合わないでしょ、これ。
・オマケに話題のレースの方が先とか絶対中継されないじゃん。谷川岳ステークス、かわいそう。

20日もありません
・ダイユウサクが出た大阪杯は4月5日で、天皇賞までは21日。
・このシーン、大阪杯の数日後ということなので、20日未満ということになります。
・あんまり時間空けると、ターキンが指導される時間があまりに短くなり間すぎるので、大阪杯直後ということになりました。

博徒(ギャンブラー)
・ロンマンガンの趣味は「麻雀」「サッカー観戦」……とプロフィールには書いておいて、実際のところは「賭け麻雀」「toto(サッカーくじ)」、というように賭け事が大好きです。
・学園内のちょっとしたこと(テストの順位当てや食堂早食い勝負)を賭け事にして周囲を巻き込み楽しんでいます。
・競輪、競艇、オートレースやパチンコについては「オッサン達が目を血走らせてやってるイメージがあるから、逆に引くわ」と好きではない様子。
・しかし麻雀やカードゲームは別腹。カジノで思う存分に遊びたいという夢があります。
・特に麻雀は目の色が変わるレベル。その腕も一流雀士であり、普通に打つのはもちろんイカサマもお手の物。
・イカサマは一時期ハマったから覚えたようですが「ズルして勝っても心が動かない」と卒業。トランプ等のカードもできるけど、一番得意なのはやっぱり麻雀のイカサマ。
・ただし相手がイカサマをした時には目の色が変わり、それが麻雀ならばイカサマ合戦へと引きずり込みます。
・誰が呼んだかあだ名は「走る雀ゴロ」。そのせいもあって風紀委員長のバンブーメモリーやその部下のオマワリサンからは目を付けられています。
・なお、〈アクルックス〉内では……ダイユウサク相手に麻雀勝負をしたら、なぜか揃ってしまう大三元を連発されて大敗北&大損。それ以降「ダイユウ先輩相手には、絶対に二度とやらない」と心に誓っています。
・同い年のオラシオンには麻雀は断られますが、賭けの方は持ち掛けやすいらしく、ちょくちょく巻き込んでいるのですが……賢い上に堅実なオラシオンに対し、賭けを楽しむ彼女は逆に賭けるのです。
・ちなみに彼女の一人称「あっし」。博徒というアウトロー感とGⅠ勝利の実績がないという下っ端感からそうなってます。
・決してギャル定番の一人称「あーし」を間違ったり勘違いしているわけじゃありません。


※次回の更新は3月1日の予定です。  



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第7R 準備オーライ? 走り出せ──

 
 産休と、それに続く育休による長期の休み。
 それに備えて私はトレーナー部屋の荷物をまとめ始めていました。
 休暇が始まるまでまだ少し期間があるので、もちろんまだすべての荷物を持ち出しはしません。
 そうやって部屋の中の自分のスペースを整理しつつ──

「……いい加減、出てきなさいな」

 私は大きなダンボールに声をかけました。
 同時にガサガサと音がして、ダンボールが揺れます。
 そうしても姿を現さないその()に、私は苦笑混じりに小さくため息をつきました。

「ターキン……」

 精一杯優しい声をかけて、私はダンボールの蓋を開いた。
 そこにはウマ娘が膝を抱えて座っている。
 顔を伏せ、今にも泣き出しそうな顔で──

「断られたわけじゃないんだから。次のレースに向けて頑張らないと……」
「でも……断られたようなもの、です……」

 ジョボンとして、うつむいたまま彼女は答えます。

「だって私、7連敗中で……」
「それは私のせいでもあるわ。でも、乾井クンが変わってくれるんだから、きっと状況も変わるわよ」

 すっかり自信をなくしてしまったターキン。
 トレーナーの私がしっかりしていなかったから、こんなことになってしまったのね。
 彼女の同期のメジロライアンやマックイーン、それにアイネスフウジンといった一流どころと比べれば、それは比較にならないような成績だけど……それでも時期として遅いながらも着実に実績を重ねていたのに。

(思えば……)

 ターキンは頑張り屋だったけど、誰かと自分を比べるようなことをしていなかったウマ娘だったと思う。
 それがおかしくなったのは──

(あまり言いたくないけど、あのレースからなのよね)

 阪神レース場新装記念というオープン特別。
 当時、ターキンはGⅢを2連覇した後で春に2連敗してから入った休養明けだった。
 連敗中でも焦ってる様子は無かったし、それは私も同じだった。彼女も私も「レースに出ていればそのうち勝てる」って思ってた。
 でも、そのレースを制したウマ娘の──圧倒的な強さを見せたその姿に、ターキンは魅せられてしまったのよね。
 そんな相手は……なんと有記念の推薦枠に滑り込み、14番人気で出走。
 そして──

『これはビックリ、ダイユウサクーッ!』

 圧倒的1番人気のメジロマックイーンを破っての制覇。
 彼女につきあって一緒に見ていた私も唖然としたし、信じられなかったわよ。
 最高峰のGⅠという舞台で、あの誰もが認める最強ステイヤーに2500メートルという長距離で勝ったんだから。

「すごい……すごい!! すごいよ、トレーナー!! このウマ娘(ひと)……」

 画面を指してはしゃぐターキン。
 ターキンはレース前──あのウマ娘が有記念出走が決まってから、色々と彼女のことを調べていたみたいで……デビュー2戦に大失敗したこと、初勝利したのはシニアクラスになってから、ということまで知っていたわ。
 それを私に説明して──「そんな人がグランプリで勝ったんだよ!?」とはしゃいでいた。
 そして奇しくもターキンの今年最初のレースは……京都での金杯だった。

「あのウマ娘(ひと)が、勝ったレース……」

 そんなGⅢの重賞に彼女は入れ込んでいた。
 たぶん、自分とあのウマ娘(ダイユウサク)とを合わせすぎたんだと思う。そうして自分を見失った
 ターキンだって前年にGⅢを2連勝するくらいの実力はあったのに──変に意識しすぎて結果は振るわなかったわ。
 でも、彼女の後を追いたかったターキンは……あのとき、悔し涙を流したのよ。

(あんなに悔しそうな姿、初めてだった)

 意識が変わった彼女は、新春日経杯に出たけど、さらにひどくなって最下位(ビリ)
 もう完全に自分を見失って、調子を崩してしまってたわ。
 だから少し間隔を長めにとって、昨年制した小倉記念に出たけど……多少は調子は戻ったけど、やっぱり勝てず。

(あこがれの対象ができたために勝利への意識が強くなったんだけど……それが逆に空回ってる感じなのよね)

 とりあえず私は連敗の呪縛から彼女を解き放ちたくて、また間隔を長めにとって1ヶ月明けて、その上で重賞からオープン特別へと狙いを変えた。
 3月のマーチステークス
 それに出走し、負けた──とはいえ掲示板には入った。復調の兆しは見えたと思う。
 そんな矢先だったんだけど……

「私なんかが高望みしたのが、間違えだったんですぅ……」
「ターキン……」

 すっかりネガティブな考えになっている彼女に、私はどうしたものかと頭を悩ませた。
 そして──

「ねぇ、ターキン。もしも本当にあなたに見込みがないと思っているのなら、乾井トレーナーはそもそもこの話を受けなかったと思うわよ」
「でも、絶対に勝て、なんて条件を……」
「考えても見なさいな。谷川岳ステークスのある日、京都でなにが行われるか……知ってるでしょ?」

 それは今、トゥインクルシリーズ界隈で一番話題になっているレースだった。
 ──無敗VS連覇。
 そうやってマスコミは煽り──二人の有力ウマ娘の対決を大きく取り上げている。
 そしてそのレースには……

「あ……」
「そう、あのダイユウサクさんも春の天皇賞に出るのよ。そんな大事な時期なんだから、乾井トレーナーだってダイユウサクさんに注力したいはずなのよ?」

 でも彼はハッキリと「そこまではオレが面倒を見る」と断言していた。
 それに気がついたターキンの顔色が変わる。

「私、ダイユウサクさんの邪魔を……」
「違うわよ、ターキン。本当に邪魔になるなら、彼は話を断ったはずよ。少なくともまだ産休に入っていない私に、そこまではあなたのトレーニングをさせるはずよ」
「どうして、そんな……」
「アナタのことを担当するのを、ちゃんと真面目に考えてくれている証拠じゃないの。あなたを担当するつもりがなければ、そこまでしてくれる理由はないわ」
「……トレーナーぁぁぁ」

 ダンボール箱から飛び出したターキンは、私の胸に顔を埋めるようにして抱きついてきた。
 その顔は涙に塗れていて……もう、ホントにこの()は……まるで実の娘みたいじゃないの。

「ゴメンね、ターキン。最後まで面倒見られなくて」
「そんなこと……私の方こそ、ゴメンナサイ……こんなダメダメなウマ娘で。心配かけて……」
「ええ。心配だわ……だから、次のレースで見せてちょうだい。あなたが、私から離れても、〈アクルックス〉に入っても大丈夫だって──」

 乾井クンが谷川岳ステークスの勝利を条件にした理由は、きっと私に……
 私は泣いているターキンの後頭部を撫でながら、彼の思惑を確信していた。



 

 ──そして、オレがレッツゴーターキンに条件を突きつけた翌日。

 

 オレの前にはトレーニングウェアを着たレッツゴーターキンの姿があった。

 正直、来ない可能性も考えていたが……

 

(とりあえず、第一段階はクリアか)

 

 もちろん、その時は見限るつもりだった。

 オレが優先するべきは“〈アクルックス〉の”ウマ娘である。

 時間もオレ一人ができる労力も有限だ。そうなる覚悟もない者にそれを割くのは、ダイユウサクやオラシオン、それにロンマンガンという新人も含めた正式メンバーに申し訳がないからな。

 

「あ、あのぅ……」

 

 オレが考えにふけっていると、身を縮めるようにして立っていたレッツゴーターキンが、無言に耐えかねたように声をかけてきた。

 

「ああ、悪い。ちょっと考えことだ。それよりもよく来てくれたな」

「いえ、私がお願いしたことですから……あ、当たり前です……」

「ここに来た、ってことは谷川岳ステークスに勝つ覚悟ができたってことだよな?」

「か、覚悟……?」

「ああ。あのレースに勝つためには、どんなことでもやる……そういう覚悟だ」

 

 オレが言うと、ターキンは「ひぃッ!」と悲鳴をあげて顔を青ざめさせた。

 う~ん……いったいなにを想像したんだろうか。

 

「一応、言っておくが……根性論じみた過酷なトレーニング、なんてのはやらないぞ」

「ほっ……ですよね。今のスポーツ科学の時代にそんなこと……」

「ん? 次のレースまでに回復できないような疲労や負荷を残すわけにはいかないから、ってだけだぞ? だから過酷なトレーニングを否定する気はないが……」

 

 まぁ、実際そうだ。

 体を鍛えるっていうのは極端に言えば、かかった負荷に対する肉体の超回復によってより能力の高い身体になる……というのの繰り返しなわけだ。

 それを効率的にやるのがスポーツ科学なわけで、楽なメニューしかやらなかったらもちろん負荷は低いから効果は落ちる。

 そうすれば効率が落ちるわけで、同じだけ能力を上げるのに時間がかかる──どころか負荷にならなくなって、ある程度以上は能力が上がらない可能性だって出てくる

 

「もちろん、体を壊したら元も子もないから、そんなメニューは組まないが」

「は、はぃ……」

 

 怯えた様子でオレのことを見ている。

 今のは脅しの意味もあったが──さすがに今ので逃げ出さないくらいにはオレのことを信用してくれているようだ。

 

「さて、レッツゴーターキン。キミの記録や成績を見せてもらったが……」

 

 オレは改めて手元のタブレットを使って資料を見る。

 ここまでの通算成績は──23戦4勝。

 ジュニアの12月にデビューして翌年4月の4戦目で初勝利。

 2か月後の6月に2勝目を挙げて、次走と次々走は重賞挑戦。

 

(菊花賞にも出てるんだよな……そこでライアンやマックイーンとも戦ってる)

 

 結果は17人中11着と、けっして結果を出したとは言えない順位だが、この世代の層は厚い。

 1着と3着のメジロ家の御令嬢方はもちろん、2着のホワイトストーンは菊花賞後にはシニアクラスも混じるジャパンカップに出走して外国勢に次ぐ4着と健闘した上、次の有では3着に入ったほどの実力者だ。

 メジロの二人を含め、すぐに年上(シニア)と互角に走れるような連中が集まったハイレベルなクラシックレースだっだから、仕方ない面も多大にある。

 

(その後は準オープンの条件戦を挟んで、GⅢ小倉記念に格上挑戦して重賞初制覇。同じくGⅢの中京記念で連勝……)

 

 ここまでは良かったんだよな。

 しかしそんな3月の中京記念以来、約1年で7連敗中、ということになる。

 

(スランプ、だと思うんだけどな。逆に言えば何かのきっかけでまた活躍できる可能性はある)

 

 オレはそう感じていた。

 そんなオレを見て、彼女はゴクリと喉を鳴らす。

 ……正直、そこまで緊張しなくてもいいんだが。

 

「さすがは“あの”トレーナーだと思ったよ。キミのそのポテンシャルは彼女の指導の(たまもの)だろう」

 

 オレが笑顔で言うと、彼女の表情もぱーっと晴れ渡る。

 そして嬉しそうに「はい!」と返事をした。

 それを見てオレは内心、「なるほど」と思った。自分への評価は低く懐疑的であるのに対し、周囲が評価されることは素直に受け止め、そして自分のことのように喜ぶ、と。

 

「じゃあ、早速だが……」

 

 オレは周囲を見渡して──そして目的のものを見つけ、レッツゴーターキンのトレーニングを開始した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──で、それでダイユウ先輩とターキンを併走させてるの?」

「ああ、そうだ」

 

 ミラクルバードの問いに、オレは頷いた。

 黙々と走っているのはダイユウサクで、それにレッツゴーターキンは「あわあわ」と少しテンパった表情ながらもついていっている。

 

「ついていけてるの? 彼女……」

「一応、言っておくがレッツゴーターキンは現時点でGⅢを2勝している立派なオープンクラスのウマ娘だぞ? 去年の今頃……もっと言えば有記念に勝つ前のダイユウサクよりも、重賞での実績面では上ってことになる」

 

 ……ま、単純な勝利数を見ればその頃のダイユウサクの方が倍以上で、全然かなわないけどな

 

「確かに去年ダイユウサクが勝った金杯で今年の彼女は負けている。3月までで去年からの連敗は7にまでなった。だが……もっとも大事なものがキッチリ残ってるのは、確認できた」

「大事なもの?」

 

 首を傾げるミラクルバードに、オレは頷いた。

 

「やる気だよ。モチベーション」

「え? でも、そんなの……現役の競走ウマ娘なら誰でもあるんじゃないの?」

 

 懐疑的なミラクルバードに、オレは少し苦笑を浮かべて答えた。

 

「現役時代のお前みたいなウマ娘には、無縁だったんだろうな……」

「なにそれ。なんかしたり顔でイヤな感じ」

「そうむくれるな……お前とか、早いころから実力を示してトントン拍子にランクを駆け上がったウマ娘にはわからなかっただろうが、ダイユウサクやレッツゴーターキンみたいなウマ娘の中には、やっぱりモチベーションが続かなくなるのがいるんだよ」

 

 そうオレが説明したが──ミラクルバードはそれでもピンとこない様子だった。

 

「でも……それなら、続けたくないのならやめちゃうんじゃないの?」

「走るのはウマ娘にとって本能的な生き甲斐だろ? だから走るのをやめるんじゃあないんだ。そういうウマ娘たちがやめてしまうのは……上を見ることだ」

「上?」

 

 思わず上を見上げるミラクルバードに、オレはさらに苦笑する。

 そうしても見えるのは春の穏やかな明るい空。もちろんオレが言ったのはそれを見ることではない。

 

「努力ってのは、結果が出てナンボだろ。だが……その努力が必ずしも報われるワケじゃない。まぁ、それは競走だけじゃなくて他のことでも言えることだけどな」

 

 オレ達トレーナーだってそうだ。

 上の世代の六平トレーナーや〈アルデバラン〉の相生(あいおい)トレーナー、それに東条先輩とかなら実力に差があるのはまだわかる。努力してきた数が違うんだから当たり前だ、

 もっと近い世代──なんて考えると東条先輩には「私とだってそんなに離れてないでしょ!?」と怒られそうだが──のトレーナーと実力差を感じさせられれば、それは崩れてしまう。

 

(例えば、奈瀬 文乃──)

 

 無論、彼女が努力していないと言うつもりはない。

 彼女はきっと、見えないところで常人が考えつく以上の努力をしているんだと思う。

 しかしそれでも──ウマ娘のポテンシャルを見抜き、その長所を伸ばして導く姿には戦慄さえ感じて、そう思ってしまう。

 

(悔しいが……天才は、いる)

 

 オレは自分に当てはめつつ──レッツゴーターキンとダイユウサクの二人が走るのを見ていた視線を、チラッとうちのチームの若手へと向けた。

 クセのないセミロングの黒髪をなびかせたそのウマ娘は、肩付近まで伸ばしたウェーブのかかった茶髪のウマ娘と併走していた。

 おそらく、そのウェーブ髪のウマ娘もオレと同じ感想を抱いているだろう。

 そんな生まれ持った才能で、今までの自分の精一杯の努力で得た能力を軽々と越えられる──そんな挫折を味わわされれば、心折られることもあるだろう。

 

(しかし、ロンマンガンみたいに自分を達観して評価できるウマ娘はそういうのに耐性があるだろうし、オラシオンの近くにいてもそうならないだろうな)

 

 そういう意味で彼女がウチのチームに入ってくれたのは、天の采配だったのかもしれない。

 

「圧倒的な実力を持つ天才に実力差を見せつけられたら……彼女たちに追いつき追い抜こうという気持ちさえ失ってしまうウマ娘も、現れるさ」

 

 むしろその方が多いかもしれない。

 昇格に時間がかかったウマ娘──つまりは出走数が多いウマ娘にその傾向が強い。

 

「例えば、オープンクラスという目標を達成して満足してしまう、とかな」

「──ッ! トレーナー! それはッ!!」

 

 ミラクルバードがオレをキッと睨みつけてくる。

 ああ、彼女の気持ちは分かる。当然の反応だ。

 

「もちろん全部がそうじゃないし、そうなっているヤツらだって無意識に、だ」

 

 意識的にそれをやってしまったら……トゥインクルシリーズの多くのレースが馴れ合いで真剣勝負ではなくなってしまう。

 だからこそミラクルバードはオレの考えが認められずに抗議したのだ。

 

「だけど、お前だって見えただろ? 自分自身ではなくダイユウサクを通して、オープンクラスに上がってからの壁ってものを」

「それは……」

 

 条件戦を走っているころには、格上挑戦で上のレースに出ることができる。だが当然のことなれど、逆にオープンクラスのウマ娘が条件戦を走ることは無理だ。

 そして、トゥインクルシリーズで名を売るには──勝利を重ねなけらばならない。

 つまりオープン昇格後はURAトップクラスのウマ娘と戦うことになるのだ。

 各世代の天才たちと、だ。

 それは──並みの実力では太刀打ちできない相手だ。そうなれば勝利は遠のき、栄冠の味を忘れてしまうことになる。

 今のレッツゴーターキンが、まさにその状態なんだと思う。

 

「その壁にぶち当たり、越えられずに“どうせ自分には届かない”と酸っぱいブドウ理論で半ば諦めてしまう。オープンクラスには少なからず、そういうウマ娘がいる」

「う……」

 

 今度はミラクルバードも、抗議や反論をせず、言葉を飲み込んだ。

 

「彼女たちはたとえ善戦できても、最後は一押し足りずに栄光は掴めない。オープン昇格で満足しているようなウマ娘はこう思ってるだろうよ。“走っていればいつか勝てる”ってな」

 

 その考えは……甘い。

 甘すぎる。

 ダイユウサクと一緒に今までやってきたからこそ、オレにはそう実感できた。

 

「そんなわけはない。待っている内は“いつか”なんて来ないんだ」

 

 そうして心が負けていてしまっては、勝てるはずもない。

 ダイユウサクが持っていた優れた才能は、「トレーナーを信じて従う素直さ」と「決してくじけず折れない精神」の2つだと思っている。

 だからこそ彼女は──

 

「栄光を掴めるのはけっして諦めずに勝利を渇望し、一瞬の光明さえも見逃さない貪欲なウマ娘だけだ」

 

 そうでなければ天才たちが見せた僅かな隙をつけるはずがない。

 それでも、必ず掴めるわけじゃないんだ。

 ただ……誰も予想しない勝利を掴んだ──それこそダイユウサクやギャロップダイナのような──ウマ娘たちには、前提としてその違いがあったんだと思う。

 

「レッツゴーターキンは、“そうなっている”んじゃないかと正直、疑ってた」

「だからあんな条件を出したんだね?」

「その通りだ」

 

 だから昨日、条件を出したときに絶望した時点で、オレは疑いを確信にまで引き上げていた。正直な話、今日は来ないんじゃないかな、と思っていたくらいだ。

 だが──今日、来たときには昨日と雰囲気が変わっていた。ダイユウサクと併せをして、それが確信に変わった。

 

(これなら……いける)

 

 どんな言葉を使ったのか知らないけど……さすがだよな、あの人も。

 オレに彼女を託そうとしているあの人のことを考えながらそう思う。

 だからこそ──その人に彼女の勇姿を見せなければいけない、とオレは思った。

 




◆解説◆

【準備オーライ? 走り出せ──】
・今回のタイトルはウマ娘の曲『Fanfare for Future!』の歌詞から。
・冒頭の一部からです。
・ちなみに歌っているのはスぺ、スズカ、テイオーの3人で、ゲーム中で耳にして印象に残ってるメロディでもあります。

自分を見失った
・これは──第一章の「第55R その手に金の杯を!」との対比です。
・同じ金杯に挑むにあたり、乾井トレーナーはダイユウサクに「お前はオグリキャップじゃないからな」と直前にアドバイスしています。
・そしてそれがレッツゴーターキンの場合は、ダイユウサクでした。
・年の始めの重賞に、印象的だった年末の大レースを思い浮かべ、自分を重ねてしまうがために自分を見失いかねない──それを見抜いていた乾井トレと、気にしなかったターキントレの差が出たかたちです。

マーチステークス
・現在のマーチステークスは3月に中山のダート1800で行われていますが、これはそれとは同名の別レースです。JRAも前身レースとしていません。
・上記のマーチステークスは1994年から開催されており、GⅢのレースです。ゲームのウマ娘プリティダービーにもしっかり登場します。
・で、レッツゴーターキンが出走したマーチステークスは1986年~1992年まで開催された中山(1988年のみ東京1800で開催)ので開催されたレース。1986、87年は2200で、あとは1600でした。
・史実でターキンが出た1992年のレースは3月28日開催。
・曇りで稍重の馬場。
・結果はマイネルヨースが逃げきって1着。レッツゴーターキンは5着でした。

全然かなわないけどな
・この時点での勝ち数は、ダイユウサクが生涯勝利と同数の11勝で、レッツゴーターキンは4勝。
・そりゃあ2歳も上なんですから、そうなるのが当然なんですが……ちなみにターキンの生涯勝利数と比較してもダイユウサクの方が上です。
・ここでこんな風に大人げもなく比較したのは、乾井トレがちょっと悔しかったから。
・やっぱり彼にとっての愛バはダイユウサクなんです。


※次回の更新は3月4日の予定です。  



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第8R 大気炎! ただ勝利のために……

 
 そして、4月26日──

「絶対、テイオーさんが勝つ!」
「ううん、マックイーンさん!!」

 同じクラスの二人が言い合っている姿を、わたしは一歩離れた場所でオロオロしながら見ていました。
 とっても仲良しな二人──キタサンブラックちゃんとサトノダイヤモンドちゃん。
 でも、二人ともウマ娘の“推し”の話になるとこうなっちゃう。
 キタちゃんはトウカイテイオーさん、ダイヤちゃんはメジロマックイーンさん。
 周りに気遣いもできるとても優しい二人だけど、この件だけは絶対に譲らないの。

(申し訳ないなぁ……)

 近くのお兄さん達の話だと、先頭からの開幕ダッシュでその位置を確保したみたいなのに……そこにわたしが入って大丈夫なのかしら?
 トゥインクルシリーズの話題のレースをこっそり見に来たはずだったのに──同級生の二人に「あれ?」と見つかってしまい、「一緒に見ようよ!」とあれよあれよと彼女たちが確保していた場所まで連れてこられてしまいました。

「ねぇ、マリアちゃんもそう思うでしょ? やっぱりテイオーさんが勝つよね?」
「違うよ、マリアちゃんだってマックイーンさんが勝つと思ってるよ。ね?」
「え……」

 話を振られてわたしは戸惑いました。
 二人の剣幕がただ事じゃありませんし、それに──

「え、えっと……」
「テイオーさん!」
「マックイーンさん!」

 二人に詰め寄られて──本当に困ってしまいました。
 思わず手にしていたネックレスを握りしめてしまいます。

「わ、わたしは……」

 二人が乗り出すようにグッと顔を寄せてきます。
 でもね……ごめんなさい、キタちゃん、ダイヤちゃん。せっかくこんないい場所に連れきてもらったのに──

(わたしが応援するウマ娘は、他にいるの)

 体の弱いわたしが──去年の年末にその存在を知ってから、それに自分を重ね合わせて密かに応援しているウマ娘。

(だって、あの人のファンだなんてみんなに知られたら……恥ずかしいし

 世間の評価は全然高くない。
 クラスのみんなだって、テイオーさんかマックイーンさんのファンばかり。あとはオグリキャップさんとか……
 きっとマニアックって思われるに違いないです。
 でも──

(前の大阪杯で負けちゃったのが、残念だったから……)

 わたしは思わず来てしまいました。
 そしてついさっき──奇跡的に出会えたあの人に、一生に一度の勇気を振り絞って話しかけたんです。

『有記念でファンになりました! 応援してますッ!!』

 って。そして──

『あの、これ……もし、よろしかったら──』
『え? えっと……』

 わたしが差し出したのは、一粒だけの綺麗な丸い石が付いたペンダント。
 薄紫色の石を、そのウマ娘はジッと見つめています。

『う、受け取ってもらえませんかッ!? 御守りなんです。曹柱石(そうちゅうせき)って言って、パワーストーンで、石言葉は「願望成就」とか「癒し」とか「誠実な愛」とか……それに内観を育てて集中力が増すって言われてて──』

 テンパったわたしの説明に、相変わらずその人は戸惑っているようでした。

『それで、えっと……わたしと同じ名前の石なんです! だから──』
『うん。わかったわ』

 私がそう言ったらそのウマ娘(ひと)は笑顔になったんです。そしてポンと私の黒鹿毛の頭の上に手を優しく乗せてくれて──

『あなたと一緒に、走らせてもらうわね』

 そう言って笑顔で──ペンダントを受け取って、そのまま自分の首にかけてくださったんです。
 そうして去っていく背にかけた「あ、ありがとうございます!」というわたしのお礼に、片手を大きく振りながら去っていったんです。

(本当に、本当にカッコよかった……)

 だからゴメンナサイ、二人とも。
 こんなにいい場所で見られることには感謝してます。だから二人に気遣ってテイオーさんとマックイーンさんの応援するのが筋なんでしょうけど……
 でも、嘘でもなんでも、あの人以外のウマ娘を応援することなんてできないの。
 私が「ど、どっちかな……」って誤魔化したら、キタちゃんもダイヤちゃんも圧力をかけすぎてることに気が付いて引っ込めてくれて、ホッとしつつ──

(だから、がんばってください……)

 わたしはお母さんからプレゼントされた、“自分の石”のネックレスをギュッと握りしめて──あのウマ娘(ひと)の胸元にある一粒のその石を通して伝わってほしい、と応援の言葉を念じていました。



 

 ──いよいよ、春の天皇賞が始まる。

 

 アタシは京都レース場のターフに立とうとしていた。

 地下の通路から坂をあがって行き──外から差し込む光へと、歩みを進めていく。

 

『さて、次に登場してきましたのは、昨年末に大本命メジロマックイーンをレコードタイムで破り、世間を吃驚(ビックリ)させた“あの”ウマ娘……ダイユウサクです!』

 

 そんな実況を背景(バック)にコースに出ると──歓声があがった。

 思わず耳が動いてしまい──アタシの心は少しモヤモヤした。

 

「……あがるだけ、マシか」

 

 それに手を挙げて応えつつも、心の中で苦笑する。

 アタシが出た今まで走ったGⅠは3レースで、初めての秋の天皇賞はもちろん、マイルチャンピオンシップも有記念も、アタシが登場してもまばらな拍手くらい。

 それに比べれば、歓声があがっただけマシ。

 4度目の今回は有記念勝利という箔が付いてるはずなのに、大歓声というのには程遠い……どっちかといえば“小歓声”?

 

(やっぱり……アタシ()()のウマ娘がとって()()()()ことに納得してない人も多いってこと、かな)

 

 自虐的にそんなことを考える。

 まぁ、マグレだのフロックだの、散々言われたもんね、あの時は。

 

(そりゃあ、大本命が負けて悔しいのはわかるけど……勝ったのにそんなこと言われるのは複雑よ)

 

 心の中で眉をひそめていると──ワッと一気に大歓声があがった。

 それに驚いて、思わず声のあがった客席を見る。

 そこでは観客達は総立ちになっていた。

 姿を現した葦毛のウマ娘を見て──

 

『やってきました! 史上初の天皇賞連覇をかけるメジロマックイーン──会場に詰め掛けた沢山のファンが歓声で出迎えます』

 

 その大歓声に、あの時とは違う白い勝負服になったメジロマックイーンが手を振って応えていた。

 

「相変わらず、大人気ね」

 

 見れば、観客席の最前列で髪の長い小さなウマ娘が一生懸命「マックイーンさ~ん!」って声援送ってる。

 

「あ……」

 

 その後ろに──少し前に私に贈り物をしてくれた、小さなウマ娘の姿が見えた。

 彼女は祈るように手を組んで握りしめている。

 同時に──胸のペンダントに当たっている辺りが熱く感じられた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ターフに立ったダイユウサクを見て、オレは思わず苦笑した。

 彼女は大歓声に答えるメジロマックイーンを、ジッと見つめている。

 

「むくれるな、ダイユウサク」

 

 オレが思わずつぶやくと、耳ざとく聞き咎めた、オレの隣にいるウマ娘がこっちを見た。

 車椅子に座ったウマ娘、ミラクルバードである。

 

「やっぱりアレ、怒ってるのかな?」

「だろうな。アイツの考えてることくらい、だいたい分かるぞ」

「へぇ……じゃあ、今、何て考えてたの?」

「『なんで有とったアタシよりも、秋にGⅠ……天皇賞(秋)(アキテン)もジャパンカップ取れず、アタシに負けたウマ娘の方が騒がれてるのよ!』ってところだろ」

 

 オレが言うと、ミラクルバードは吹き出した。

 それを横目にさらに続ける。

 

「『とったの天皇賞(春)(ハルテン)だけなのに、なんで表彰されてんのよ』とかな」

「えぇ……そこまではどうかな? 実際、マックイーンは強かったし、選ばれるだけの結果も残してるとボクは思うけど」

 

 まぁ、オレも「もしそうなら完全に(ひが)みだよな」と苦笑する。

 去年の成績を見て──順位から秋の天皇賞の1着入線を度外視しても、ジャパンカップでは国内勢でトップ、有記念だって立派な2着。

 GⅡ以下の重賞も勝ってるし、重賞2勝・合計3勝しかしてない誰かさんとは違うんです。

 

「ま、ただ……大々的に表彰されたからな。年度代表だったウマ娘と並んでの最優秀シニア級ウマ娘だっただろ? 実際、それを面白く思わない別のヤツもいたしな」

「え? それって誰……」

「ダイイチルビーのトレーナーだ」

 

 オレは仲のいいトレーナーの名前を出した。

 それにミラクルバードは、「あ~、それは……」と苦笑気味に複雑な表情を浮かべる。

 

「確かにね。マックイーンは年間3勝で2着2回だったっけ?」

「ああ、それを上回る成績を残したのに明らかに依怙贔屓だってな。酒飲んで愚痴ってたぞ」

「去年のGⅠを2勝したのは彼女と、クラシック二冠のあのウマ娘だけだもんね……」

 

 ダイイチルビーは安田記念とスプリンターズステークスを制したウマ娘。オマケにマイルチャンピオンシップだって2着に入っている。

 メジロマックイーンは春の天皇賞こそ勝っているが、秋の天皇賞は最下位でジャパンカップも4着、有記念も負けているじゃないか、こっちだってGⅡ、GⅢ制しているし、3位より下が無かった分だけ実績はこっちが上だ──と、な。

 で、短距離路線が軽視されすぎという愚痴になるわけだ。

 あれだけの結果を、手塩にかけて育てたウマ娘が残したんだ。評価して欲しいというアイツの気持ちはわかる。

 マックイーンに関しては、あの天皇賞(秋)での後着騒動で以後のGⅠをボイコットするなんて陣営の話も聞こえてきたからな。ひょっとしたら、それをさせなかったことへの忖度なんてことも……

 なんて考えていると再び大歓声があがった。

 

「──そら、もう一人の去年のGⅠ二冠ウマ娘のお出ましだ」

「うん……」

 

 言葉少なに答えたミラクルバードとオレの目は、ようやく現れたそのウマ娘を見ていた。

 茶髪──鹿毛の髪をポニーテールにした、快活で闊達なウマ娘がその大歓声に応える。

 

「彼女も勝負服を変えたんだね……」

 

 ミラクルバードが言うとおり、彼女の勝負服もメジロマックイーンと同じように去年のものとは変わっていた。

 白を基調にしていた服から、赤と茶色が印象的なワイルドなものになっている。

 

「トウカイテイオー……」

 

 去年はダービー以降を怪我で棒に振り、菊花賞に出走がかなわずクラシック三冠こそ逃したが、圧倒的な強さを誇った。

 そして今年に入っての復帰戦でも、その強さは健在だった。

 

(むしろ、怪我する前よりも速くなっていたようにさえ感じた)

 

 それが、ダイユウサクも走った大阪杯で彼女を見た感想だった。

 だが……

 

「で、トレーナーはこのレース、どう見るの?」

「距離が鍵だろ。春の天皇賞は3200メートルでGⅠ屈指の長丁場だ。マックイーンはその実績で一日の長がある」

 

 昨年も同じレースを経験して制覇している上に、その前の年の菊花賞を制しているのだから実績は十分。オマケに前走の阪神大賞典も3000メートルで、もちろん勝っている。

 むしろ彼女の独壇場で、過去の実績から直近の成績までまるで隙がない。

 

「対照的にテイオーは長距離の経験がないからな。菊花賞に出走していないから完全に未知数だ」

 

 クラシック三冠でも菊花賞にだけ出走さえしていないので、長距離適正は未知数。

 そして復帰してからも長距離のレースには出ておらず、3000超のレースはぶっつけ本番だ。

 

「マックイーンの舞台で、テイオーがどこまで頑張れるか……」

 

 そういう意味でも、やはり去年の覇者マックイーンがテイオーの挑戦を受ける、という表現が合っているだろう。

 

「……ダイユウ先輩は?」

 

 ミラクルバードの言葉に、オレは──言葉を返せなかった。

 オレだって奇跡(ミラクル)を信じたい。

 3200の距離だって、未知だった2500で勝ったアイツならひっくり返すことだってできるかもしれない。

 その可能性を信じたいが……それだってアイツの状態が完璧だったらという大前提があってこそだ。

 今の、後遺症を抱えたアイツでは──

 

「──え?」

 

 そう思って見たダイユウサクの姿に、オレは絶句した。

 アイツが──諦めてなんていなかったからだ。

 

「ダイ、ユウサク……」

 

 彼女の姿を──本命二人とは異なり、前と同じ赤を基調としたオフショルダードレスの勝負服。

 それを誇らしく身にまとった彼女は、毅然と立っていた。

 オレやミラクルバード以上に自分の体の状況が分かているはずなのに、それでも彼女の気力は充実して──まるで白いオーラのようなものが見えるかのようだった。

 そして、彼女のトウカイテイオーとメジロマックイーンを見る目に諦めはなく──

 

「なら……オレが諦めてる場合じゃないよな」

 

 オレは、自分の情けなさを恥じ、そして心の中でダイユウサクに謝った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──で、あっしらは新潟(こっち)なわけで」

「向こうにはトレーナーとミラクルバードさんが行っていますから、仕方がないでしょうね」

 

 ため息混じりのロンマンガンさんに私は苦笑混じりで言いました。

 こういう差配は、そんなにGⅠの舞台を見たければ、自分たちでそれを勝ち取ってこい、というトレーナーの言外の言葉でしょう。

 そんな私の反応にマンガンさんはさらに呆れ顔になります。

 

「そこよ、そこ。あの二人が京都に行ったら、こっちはどうすんの?」

「どうするって……」

「ターキン先輩はオープンクラスのシニアよ? あっしらがいたって何の役にもたたないでしょ? 渡海の兄さんだって……」

「兄さん?」

「あ、一つ年上だそうで? かといって同じ競走ウマ娘じゃない人を先輩って呼ぶのなんか違和感があってさ。そんなわけで……」

 

 えっと……納得できるようなできないような。

 答えた後、マンガンさんは面倒くさそうに頭をガシガシと掻きました。

 

「いくら一年間は研修やってるからって、さすがにまだ無理があるでしょ。今からやるのってメイクデビュー戦とか条件戦じゃなくて、オープン特別よ? しかもターキン先輩は必勝義務づけられてるってのに……」

 

 む……

 

「渡海さんだって、すでに〈アクルックス(うち)〉で一年は経験を積んでますよ? 学園での授業もあるわけですし、素人ではありません」

 

 一緒に来ている渡海さんが苦笑しているのが見えたので私は反論しました。

 この一年間、私も努力しましたが、渡海さんの努力だって負けてはいませんでしたから。

 それを見ていたからこそ、我慢がなりません。

 

「それに昨日まで乾井トレーナーがついてトレーニングをしていました。その仕上がりに問題はないはずです」

「そりゃあそうかもしれないけど……でも当日のメンタルケアも重要でしょ? しかも、“あの”ターキン先輩なんだから、むしろそっちの方が重要だと思うけど」

 

 そう言われて……私も思わず複雑な表情になってしまいました。

 確かにあの先輩のメンタルの脆さは深刻なレベルです。

 それを考慮すると、私も「う~ん……」と不安にならざるを得ません。

 

「乾井トレーナーはやっぱ実績があるから、頼もしさが違うし」

 

 と、ロンマンガンさんが言いますが……それは少し違うと思います。

 乾井トレーナーはダイユウサクさんをその気にさせるのが上手いんですよね。不安なときはをそれをやわらげているようですし、気負っているときは意表をついて驚かせたり怒らせたりして。

 もちろん信頼度という面だけでも、研修生の渡海さんでは太刀打ちできませんけど……

 

「「あ……」」

 

 そうこうしている内に新潟レース場の観客席(スタンド)から歓声が上がりました。

 コース上にはこれから開催される谷川岳ステークスに出走するウマ娘達が姿を現したのです。

 

「いよいよですね……」

 

 私の言葉に頷くロンマンガンさんと共に、同じチームの先輩の姿を探し──

 

「お、見つけた」

「どこでしょうか?」

 

 先に見つけた彼女に教えてもらい、私もレッツゴーターキン先輩を見つけました。

 本当ならもっと簡単に見つかると思っていたのですが……

 

「キョドってるのを探せばターキン先輩だと思ったんだけど、落ち着いてるわ」

 

 確かに今まで見たことのないくらいに、しっかりとしているように見えました。

 そんなターキン先輩はいつものように視線をせわしなく走らせるのではなく、ジッと一点を見つめているようにみえます。

 

「集中してる?」

「ええ。どんな手を使ったのかはわかりませんが、これなら……」

 

 私はそんなターキン先輩を見ながら、離れていても落ち着かせた乾井トレーナーの手腕に驚かされていました。

 




◆解説◆

【ただ勝利のために……】
・久しぶりの「大○○」シリーズ。
・というのも、今回の話の主役(前半?)はダイユウサクでしたので。
・タイトルも『新世紀サイバーフォーミュラZERO』の第6話から。

マリアちゃん
・テイオー&マックイーンに憧れるキタサトコンビのようなウマ娘を登場させたくて出しました。
・世代的にも二人に近く、厳密には年齢の違う二人が同級生になってるウマ娘時空ですので、1、2歳違うけど強引に同級生にしてます。
・でも本章の主役は別のウマ娘ですので、今回限りの登場になりそうな予感。
・いろいろヒント出してますけど、実在馬がモデルのウマ娘です。
・もちろん、アイツに憧れるようなウマ娘ですから、某貴婦人(ピアリス)さんとかダイユウサク、某ダイナさん達というレジェンド級ではなくとも、某クィーンなんとかさん、レッツゴーターキンにはちょっと劣るくらいのアレ(大穴勝利)をやってます。
・さてさて、誰でしょうかね。
・────なんて準備していたら、2月22日に公式で一周年記念のキタサトのアニメムービーがでたわけで。
・たぶん、出てきたけど名前出なかった2人の中には入ってないと思います。別の名前が候補に挙がってましたし。
・その中の有力候補のサトノクラウンも、このウマ娘に代わる候補に挙がった一人でした。キタサンの同世代だったので。でもやっぱり実績(大穴勝利)がなかったので却下してました。

恥ずかしいし
・かつて、よりにもよって主人公に「一緒に帰って友達に噂されると恥ずかしいし」と言ってプレイヤーの心を折りに来た元祖ギャルゲーのラスボスヒロインがいたらしい。
・ちなみに低い好感度の状態で、下校時に遭遇して一緒に帰るのを誘うとこのセリフで攻撃して断ってくるのですが、「じゃあお先に」と誘わないでスルーすると爆弾を磨いて準備し始めるんですよね、コイツ。
・で、それが爆発すると他のヒロインからの好感度が下がるわけで……
・いくら黎明期のギャルゲーメインヒロインだからって、こんな理不尽が許されていたなんて。
・はい。初代『ときめきメモリアル』のメインヒロイン、藤崎 詩織の台詞が元ネタでした。

上回る成績
・現実のJRAにおける1991年の表彰を説明すると、年度代表馬はトウカイテイオー。
・テイオーは他に最優秀4歳牡馬・最優秀父内国産馬も受賞しています。
・で、メジロマックイーンは最優秀5歳以上牡馬に選ばれています。
・他は、最優秀3歳牡馬がミホノブルボン、同牝馬はニシノフラワー。
・最優秀4歳牝馬にシスタートウショウ。
・そしてダイイチルビーは最優秀5歳以上牝馬・最優秀スプリンターの二冠。
・でも……ウマ娘では牝馬牡馬を明確に線引きすることができないので、アニメ2期3話ではメジロマックイーンが“最優秀シニア級ウマ娘”として表彰されています。
・でも、明らかにダイイチルビーの方がいい成績残してるんですよ。
・1991年のマックイーンはアニメでも言われたように年間3勝、2着2回。あとは4着(ジャパンカップ)と最下位(天皇賞(秋))。
・ダイイチルビーはといえば、年間4勝、2着3回、3着1回。
・確かにGⅠ出走数ではマックイーンは5回、ダイイチルビーは3回と劣っていますが、ダイイチルビーは2冠を取っている上に残りも2着(マイルチャンピオンシップ)で、マックイーンは春の天皇賞の1勝と2着2回(宝塚記念と有記念)だったので、GⅠだけの総合的な成績を見ても明らかに劣っています。
・メタ的なことを言えば、その年の4勝のうちで現実では牝馬レースが1勝ありますけど牝馬限定でないGⅠを2勝して2位1回は十分すぎる功績です。
・まぁ、アニメのはマックイーンの新衣装のための演出でしょうけど……それでも“最優秀()()()()ウマ娘”というタイトルの名前はあまりにダイイチルビーに失礼です。
・それを本作では「依怙贔屓」とダイイチルビー陣営は受け取っているようです。
・距離適性が両極端で、直接対決が無いというから直に比較ができないというのもありますが。
・酒の勢いもあって、ダイイチルビーのトレーナーは短距離冷遇に加えて、「メジロのババアに忖度してんじゃねーよ!!」とキレていました。
・マックイーンがメジロ家なように、ダイイチルビーも「華麗なる一族」と、どっちもいいところのお嬢様なんですが……
・本文だとちょっとマックイーン陣営に悪意のある感じになってしまいましたが、あまりにもマックイーンをヨイショしすぎているアニメのウマ娘に対する書いている人の愚痴みたいなものなので、お気になさらずに。

白いオーラのようなものが見える
・アニメ2期で描かれたテイオーとマックイーンが対決する天皇賞で、ダイユウサクことダイサンゲンは白いオーラを放っていました。
・それが元ネタ。


※次回の更新は3月7日の予定です。  



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第9R Let's go! 止まらず行こう!

 ガコンッ!

 

 ──という音と共にゲートが開く。谷川岳ステークスの開幕です。

 普段は、場合によってはそれにさえビクッと反応してしまう私──レッツゴーターキン。

 でも今日は普通に反応してスタートを切ることができました。

 

「集中……集中……」

 

 スタート直後から、いえ、その前のゲートに入るとき……どころかもっともっと前、ターフに出てきた時もそうでしたし、控え室に一人でいるときから、ずっとずっと口の中でこの言葉を呟いていました。

 これこそ──乾井トレーナーが指摘して、私に授けてくれた秘策です。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「いいか、ターキン。お前の弱点は、その気の小ささ、臆病さだ」

「は、はぃ……」

 

 オレは、〈アクルックス〉メンバー(現時点では候補)のレッツゴーターキンへの指導としてそれを指摘した。

 しかし真っ向から指摘したために、彼女は申し訳なさそうに首をすくめてしまう。

 う~ん……別に叱ってる訳じゃないんだがな。

 

「でもな、その欠点はお前の長所が原因でもある」

「長所……?」

 

 オレが言うと、彼女は不思議そうに首を傾げた。

 よし、少しは興味を持ってくれたな。

 

「ああ、その通りだ。お前の長所は“視野の広さ”だ。周囲が見えすぎてしまうから、多くのことを気になってしまう。で、気が小さいからそれを気にしすぎてしまう」

「うぅ……」

 

 図星で、心当たりがあったのか彼女は僅かに顔をしかめた。

 しかし臆病であるということは、周囲を気にしすぎているなによりの証拠だ。周りが見えないヤツは、逆に言えば周囲の視線を気にしないからな。

 〈アクルックス(うち)〉にはマイペースで周囲と距離をとりがちなヤツがいるからそれがよく分かる。アイツ、臆病という言葉からは程遠いしな。

 ……なんか、遠くから睨まれている気がするが、まあ気のせいだろ。

 

「ようは敏感すぎるんだ。だから……鈍感になれ!」

「は、はいぃ!?」

 

 そんなことを急に言われても……簡単にできるわけないじゃないですか。と言わんばかりの戸惑いの声。

 臆病な彼女はそんな抗議をオレにできるわけもなく、かといって素直に従うこともできず……案の定、涙目になりかけていた。

 オレはそんな姿に思わず温かな笑みを浮かべてしまう。

 

「難しく考えるな、ターキン。見えすぎる、つまり視野が広すぎるのなら狭めればいいんだ。レース中、一緒に走る全員に注意を払っていたら、それこそレースどころじゃなくなるだろ?」

「わ、私も、そんなことは……して、ない……」

「ああ。わかってる。でも場当たり的に周囲を気にすることはしているだろ?」

 

 オレが言うと、彼女はわずかに眉をひそめた。

 “場当たり的”という言葉が少し辛辣だったか?

 だが、それを気にするということは、その自覚があるんだろう。

 

「してる。けど……そうしないと、他の人がどう動いてくるかわからないし、不安だから……」

「なるほど。当然だろうな。じゃあ聞くが……その周囲っていうのはどれくらいの範囲だ?」

「え……?」

 

 戸惑うターキン。

 具体的な範囲を聞かれてもとっさに答えることはできなかった。

 

「つまりは、お前が気になる範囲ってことだ。で、その範囲が広すぎると言っているんだ。だから色々気になっちまうし、そのせいで注意があっちこっちに飛ぶ」

 

 これは生まれつきの臆病な性格によるものだろう。

 しかしそのせいで、余計に気を使いすぎてレースに集中できない原因になっているんじゃないか、とオレは判断した。

 もっとレースに集中できれば──きっと変わる。

 

(ジュニア期にデビューしているんだし、菊花賞に出走できるくらいの才覚はあったんだ。現にオープンにまで昇格できている)

 

 重賞を連勝してからの7連敗……きっとなにかの歯車が狂っているだけに違いない。GⅢを連勝するだけの力は間違いなくあるんだから才能が無いわけがないんだ!

 そして今はその連敗さえもトゲになってる。彼女の臆病な性格に拍車をかけて自信を奪い、そのせいで高まった不安がさらに周囲を気にさせて集中力を削いでいる。

 完全な悪循環だ。

 

「お前の場合、他よりも注意力がありすぎるんだから、周囲への意識なんてぶつからない程度で十分だ」

「え? えぇ!? そ、そんなことをしたら……そんなの無理ですぅ!!」

 

 分かってる。

 前のトレーナーからコイツがいかに気が小さいか十分に聞いているし、オレも〈アクルックス(チーム)〉の部屋にやってきたときのダンボール箱に収まった姿には度肝を抜かれているからな。

 その臆病さが筋金入りなことくらい百も承知だ。

 そして、そんな彼女に周囲を見るなというのがどれだけ酷なことか……

 

「も、もしも危険が迫ってたら……前の方で接触があって、それに巻き込まれたら……後ろから来る人に気がつかずにぶつかったら……」

「ボクみたいになっちゃう、かな?」

 

 オレの隣にいたミラクルバードが苦笑混じりに茶々を入れる。

 それで“あの”事故を思い出したのか、ターキンは「ひぃッ!?」と短く悲鳴をあげた。

 オイオイ……脅してどうするんだ、ミラクルバード。

 ジト目を向けると、「ゴメン」と言わんばかりに眼前に手のひらを立てて、苦笑しながらオレに謝る。

 ターキンは気が小さいんだから、あまり脅かすな。

 オレは咳払いをして、ターキンの注意をこちらへ戻す。

 

「心配するな。あんなのはそうあることじゃない。現に……長いトゥインクルシリーズの歴史の中で、あんな事故を起こしたのはコイツ一人だろ?」

「その言い方……ひどいよ、トレーナー」

 

 ターキンを脅した罰として、ミラクルバードの頭を拳でコツンと軽く小突きながら言い、それに対して頭を押さえながら抗議してくるミラクルバード。

 だがオレはそれをあえて無視した。

 

「いいか、ターキン。後ろから来る相手だってもちろんぶつかりたくはない。なぜならぶつかれば相手も痛いし、怪我をするリスクがある。そこまで分かるな?」

「は、はい……」

 

 オレの剣幕に圧されるように、レッツゴーターキンは頷いた。

 もちろんコース争いで接触することもある。が、それを言ったらターキンが怯えるだけなのであえてスルーした。

 それだって死角から行くのは事故の元で御法度。審議になって処分を受けかねない。

 そんなリスクを抱えてまで危険な橋を渡る例外を気にしていたらキリがない。

 

「だから後ろからくるヤツらは基本的に避けてくれる。お前がとっさに変な動きをしない限り、相手は避ける。さらに言えば、相手は前を──前にいるお前のことを視界で捉えているんだ。その予兆には気がつくはずだ」

「で、でも……」

「お前だってそうだろ? 前を走ってるウマ娘が横に出てきそうなくらいは、見ていて分かるはずだ」

「は、はい……でも、それって周囲に気を使ってるってことじゃ……」

「言ったろ、ぶつからない程度でいいって」

 

 それより広範囲に注意を払うのは──もちろん間違いじゃあない。

 周囲の展開の把握は、自分のコース取りを含めた作戦の判断基準になるし、流れを読めれば臨機応変なレース展開が可能になって、勝率も上がるだろう。

 だが──今の、気が小さく心配性なだけのレッツゴーターキンでは、その情報を持て余すだけだ。

 あれこれ心配して消極的になるだけ。

 そうなるくらいなら、いっそ見ない方がいい。

 

「その上で大事なのが……集中(コンセントレーション)だ」

集中(コンセントレーション)?」

 

 首を傾げるターキン。

 

「次のレースではあるウマ娘一人に意識を集中させて、そいつをとことんマークするんだ」

「そ、そんなこと今までしたことない……」

「なら今回が初めての挑戦だな」

 

 不安げになるターキンにオレは笑顔でそう言ってやった。

 しかし、今までレースで相手をマークしたことがなかったのか? 菊花賞や他の重賞まで経験しているのに……

 

(あの人のやり方は、優しすぎた)

 

 思わず前任者の方針に対する愚痴が頭をよぎった。

 でも……逆に言えば、だから7連敗なんて十字架を彼女に科してしまったんだ。

 そして臆病すぎる性格がひどくなったのも、彼女の優しさへの甘えでもある。

 

(それを壊さない限り……これより上は目指せない)

 

 オレは確信した。そして先の約束が功を奏したと思った。

 臆病さという殻を破らなければ勝てないのだから。

 

「そして、()()()()()作戦だ」

「──ッ!!」

 

 オレの言葉に、ターキンの耳がピンと動く。

 なるほど。やっぱり……コイツはただ臆病なんじゃない。そんな自分を変えたいと思い、そして勝利を渇望している。

 なら──オレはトレーナーとしてそれを応援するだけだ。

 

「他はさっき言ったように走っていて他とぶつからない程度に最低限でいい。もちろん……コースから外れるような逸走には気をつけないといけないけどな」

 

 最後にそう冗談めかして言った。

 ターキンはそれにぎこちない、ひきつったような笑みを浮かべている。

 う~ん……大分無理をしてるな。

 心の中で苦笑していると──隣にいたミラクルバードが車椅子を漕いでターキンに近寄り、持っていた紙を手渡す。

 それを受け取ったターキンは、恐る恐るといった様子でそれに目を通した。

 

「これは……」

「マークする相手だ。見覚え、あるよな?」

「は、はぃ……」

 

 彼女が手にした紙──情報が書かれた資料には、そのウマ娘の写真もあった。

 それを見てピンときたのだろう。

 もっとも写真だけじゃなく、名前で分かった可能性もあるが。ターキンとは前走で一緒になっていたし。

 

「掲示板に乗ったとはいえ、結果的には連敗を伸ばしちまったが……前走は悪くない走りだったと思うぞ」

 

 その前走の映像を見ての感想を言うと、彼女はぱーっと表情を晴れやかにする。

 嬉しそうにコクコクと何度も頷いている。

 

「しかしやはり集中力不足だった。コイツにもっと注意を払っていれば……勝てたかもしれない」

「そ、それは……」

 

 表情を一転させ、曇らせるターキン。そして半信半疑な様子でオレを見た。

 確かにこいつの前には逃げ切った1位がいる。

 だがそこにはクビの差しかなかっった。

 もしもターキンが後ろから迫る彼女に早めに気づいて、それを押さえ込んでいれば──そのクビ差よりも前にいた可能性だってあるんだ。

 

「コイツの末脚はオレも見たことがあるからな。その時から警戒はしていたさ」

 

 そのウマ娘は、オレが前にダイユウサクの走ったレースで見た顔でもある。

 あの大事な大一番だったからこそ注意を払っていたんだが、結果的にはダイユウサクがさらに圧倒的な末脚で差しきっている。

 そんな、オレが指示したマークすべき相手は──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 トレーナーの指示通り、私は精一杯走りながら、そのウマ娘へ注意を払っていました。

 再度、ちらっと視線を後方に向け──その姿を確認します。

 パッチリとした目を見開き、まばたきしないんじゃないかと思うくらいに前をジッと見つめるウマ娘。

 

ハヤブサオーカンさん……)

 

 前走のマーチステークスでも一緒だった彼女。

 そしてもっと前──去年の12月にも一緒になった。

 その猛禽類を思わせる目つきと、ボサボサっと跳ねた髪型はまさにハヤブサで……

 

『まるで鳥みたいだよね』

『お前が言うな、ミラクルバード』

 

 トレーナーさんとミラクルバード先輩のそんなやりとりを思い出して──思わずクスッと笑ってしまう。

 いけない。きちんと、トレーナーさんに言われたとおり集中しないといけないのに……

 私はあの人に言われたとおり、周囲とぶつからない程度の最低限の注意を払いながら、その人の動向に注意を払っていました。

 脇目を振るどころか、大きく見開いた目でジッと前を見つつ、腕を振り脚を動かす彼女。

 

 そしていよいよレースは終盤になって……

 

「──ッ!」

 

 彼女が──動いたのがわかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「で、渡海パイセン。ターキン先輩に授けた乾井トレの作戦って?」

「一人へのマーク、と聞いてるけど……」

 

 終盤へ差し掛かった谷川岳ステークス。

 出走しているレッツゴーターキンのチームメンバーとしてこの場にいる〈アクルックス〉の3人は、それを固唾をのんで見守っていました。

 私──オラシオンと、ロンマンガンさん、それにトレーナー育成課程の研修生である渡海さん。

 

「……マンガンさん、目上の人への言葉遣いは気をつけた方がいいと思いますが?」

 

 私とロンマンガンさんは同学年ですが、渡海さんは一つ上になります。

 それを指摘したのですが──

 

「え? ちゃんと敬意払ってるって。ねぇ、パイセン」

「えっ、あ、えっと……まぁ、そうかな?」

「……伝わってませんよ、その敬意」

 

 私がジト目でマンガンさんを見ます。

 でも彼女は、そんなことを意に介さず、レースの方に集中している様子でした。

 私はこれ見よがしにため息をついたのですが、それさえも気にしないマンガンさんが渡海さんに尋ねました。

 

「で、誰をマーク?」

「たしかハヤブサオーカン……」

「あ~、あの猛禽類みたいな目ン玉に頭ボサボサな上、右耳に王冠の耳飾りつけた、見るからに(ハヤブサ)王冠(オーカン)な、あのウマ娘ね」

 

 マンガンさんが苦笑しながら言ったそのウマ娘は、後方待機といった位置取り。

 そしてターキンさんも同じような場所でレースをしています。

 あの、マンガンさん。結構ひどい論評してますが、この方も先輩ですよ。それもかなりの……

 

「……でもなんで、ハヤブサオーカン?」

「前走のマーチステークスで、中盤で最後方から追い上げて最終的には2着に入っている。それが後方で待機するターキンと作戦が一緒だから、仕掛ける指標にはうってつけなんだろうね」

 

 ハヤブサオーカンはベテランの域に達している程の経験豊富なウマ娘。

 そのセンスが、ターキンさんを上回っているからこそ、仕掛けのタイミングの参考にしようというのではないでしょうか。

 

「それに、乾井トレーナーもハヤブサオーカンさんのレース運びは実際に見たことがありますし……」

 

 私が補足すると、マンガンさんは意外そうな顔で振り向きます。

 

「え? そうなの?」

「はい。阪神レース場新装記念……ダイユウサクさんだけでなくターキンさんも出走したそのレースに、ハヤブサオーカンさんも出走していましたから」

 

 無論、私もダイユウサクさんの応援で見ていましたから、その時のことは覚えています。

 後方からの差しを得意とするハヤブサオーカンさん。一時期はダイユウサクさんの前にまで上がっていったのですが──あの人の爆発的な末脚には及びませんでした。

 

「うわ、それには気づかなかったわ~」

 

 悔しそうに言うマンガンさんですが、彼女の場合、ダイユウサクさんが有記念を制した後で、レースを見返したのでしょう。

 実際に、一戦一戦その場で見ていた私達とは違いますから。

 そんなハヤブサオーカンさん……をマークしている様子のターキンさん。

 その様子を見ていて、少し違和感が──

 

「……以前と、違う?」

「え? なにが?」

「ターキンさんの様子です。落ち着いているというか……以前のターキンさんはもう少し周りを気にしすぎてソワソワしていたと思うのですが」

 

 良い意味で大人しいその姿は、とても集中しているように見えました。

 

「それが乾井トレーナーの狙いだよ」

 

 渡海さんが落ち着いた声で答えました。

 それで意図が分かった私は「なるほど」と納得していました。

 

「……どういうこと?」

 

 それにマンガンさんはチラッと私を見てきました。

 

「ターキンさんの長所は“視野の広さ”です」

「あ~、チラッと聞いたけどトレーナーも言ってたね」

「そしてそれは、その広さに対応できる情報処理能力──つまりは見合った“注意力の許容量(キャパシティ)”を持っているということでもあります」

「……え?」

 

 理解できなかったのか、彼女は私の方を振り向きました。

 私はターキンさんから目を離さないまま、それに答えます。

 

「視野が広いということは、多くの情報(もの)が目に入るということです。そして先輩の性格上、その目に入る多くのものに対して注意を払っている」

「ああ、広範囲のレーダー持ってるから、それに反応するものすべてを警戒してるってことね」

「ええ、まぁ……そういうことです」

 

 独特の例えだったので困惑しましたが、だいたい意味はあっている……でしょう、か。

 

「しかしターキンさんの場合、その許容量(キャパシティ)の大き過ぎるせいで、それに余力が生じ、必要以上に周囲を気にしてしまっていたんです」

「え? あんな余裕なさそうなのに、余力あったの?」

 

 普段のターキンさんを思い出したのか、マンガンさんは戸惑っているようでした。

 確かに普段から落ち着きがないですからね。

 

「その余力を使ってさらに警戒しているので余裕がなくなり、神経質になっているんです。ですからその余力を──」

 

 私はターキンさんから別のウマ娘──さっき二人が話していたそのウマ娘へと視線を移しました。

 

「他の人へのマークに……強敵一人の動向に最大限の警戒をさせることで注意力のリソースを割かせる、ということでしょう」

 

 確かに出走メンバーを見れば、ハヤブサオーカンさんをマークするのはわかります。

 確かに前走は破れ、彼女は2着。

 ダイユウサクさん以上の先輩の大ベテランは確固たるパターンを持っています。

 悠然と最後方を走り、そこから一気に差す。

 まるで猛禽類の狩りのような戦法──その末脚は恐るべきものがあり、今のターキンさんでは太刀打ちできるかどうか。

 

「だから、負けないためには彼女よりも前の位置をキープする必要がありますし……」

 

 最後方から追い上げるスタイルだからこそ、その前で走るのは容易です。

 そうして前を走っていても、ターキンさんの優秀な警戒能力であれば──後方の動きを警戒することだって可能。

 敏感なそれをもってすれば──

 

「今までハヤブサオーカンさんが培ってきたレース勘で弾き出した仕掛けるタイミングを──()()ことができる」

 

 彼女の猛禽の目は、ターキンさんを強敵と警戒せず、獲物として捉えることもない。

 まったく歯牙にもかけず──まさに“眼中にない”状態。

 だから誰よりも臆病なウマ娘が細心の注意を払ってまで、その動きを追われていることにも気が付かず──

 

「──動いた」

 

 渡海さんが静かに言った言葉が、私たちの間に奇妙に大きく聞こえました。

 そして渡海さんが言ったとおり、後方待機していたハヤブサオーカンさんがグンと上がっていくのが見えました。

 まさに獲物に向かう(はやぶさ)を思わせるその速度。

 でもそれは──乾井 備丈というトレーナーが、レッツゴーターキンという高性能なレーダーを使って張った、巧妙な罠。

 

「ターキン先輩ッ!」

 

 周囲のウマ娘がその加速(スパート)に付いていけない中、少し前を走っていたウマ娘の一人が、ほぼ同じタイミングで動きました。

 “隼の飛翔”にも劣らぬ加速で、その前を“いざ往かん(Let's Go)!”と駆ける者がいたのです。

 

「──ッ!!」

 

 ノーマークだったがゆえに、突然現れたようにその目に映り──ハヤブサオーカンさんは驚いたように、大きく見開いた目で彼女を見つめていました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「集中、集中……集中、集中……」

 

 私は何度も何度もその言葉を呟いていました

 乾井トレーナーから授けられた、その作戦。

 そしてなによりも──

 

(あのウマ娘(ひと)の……)

 

 トレーナーさんから出されていた指示は、ハヤブサオーカンさんへのマークと、もう一つありました。

 それは──

 

『ハヤブサオーカンがスパートを仕掛ける気配を感じたら、あとはもうアイツを気にするな』

 

 そう言われて戸惑う私に、トレーナーさんは──

 

『全力で走ることに集中しろ。そしてお前もスパートをかけるんだ』

 

 ──そう言いました。

 トレーナーさんが言うには、オーカンに追いつかれたら勝負は分からなくなる。だから全力で走って追いつかれるな、と。

 

『他のことに気を取られていたら、アイツに捕まるぞ』

 

 そう注意してトレーナーさんは「追いつかれないための最高の練習相手を用意する」と言ってくれました。

 併せでそのトレーニングしてくださった相手は──

 

(ダイユウサクさん……)

 

 通常の走りから、合図でスパートをかける練習。

 その時に彼女が見せたのは──すさまじいまでの集中力でした。

 

(これが……グランプリウマ娘の、実力……)

 

 そして阪神レース場新装記念では、一度抜かれたハヤブサオーカンさんを、さらに抜き返しています。

 その末脚は、彼女以上のはず。

 だから──

 

「絶対に……抜かれないッ!!」

 

 ダイユウサクさんと同じ加速ができれば──

 負けない速さで駆け抜けることができれば──

 

「私は……ハヤブサオーカンに、負けないッ!!」

 

 トレーニングに付き合ってくださった、ダイユウサクさんのためにも……

 必勝の策を授けてくれた乾井トレーナーのためにも……

 そして、なにより……

 

「今まで私を支えてくれて、一緒に走ってきたトレーナー(あの人)のためにーッ!!」

 

 あの人に「私はもう大丈夫!」と胸を張りたい。

 あの人が何の憂いも心配もなく、宿った新たな命を慈しんで抱きしめられるように。

 

「私は──勝つッ!!」

 

 そのために無我夢中で走り──

 先行していたウマ娘たちを抜き──

 前走で全く届かなかった逃げたウマ娘さえも追い抜いて──

 

 

 ──私は、ゴール板を駆け抜けた。

 ──406日ぶりに……前に誰もいない、先頭で。

 

 

『差しきってゴール!! これは意外、伏兵レッツゴーターキンが谷川岳ステークスを制しました!

レッツゴーターキン、去年の3月17日以来の勝利ですッ!!』

 




◆解説◆

【Let's go! 止まらず行こう!】
・今回のタイトルも『ユメヲカケル』の歌詞からです。
・言われないと気付かないレベルかもしれませんが、それでも『ユメヲカケル!』からの歌詞です。誰が何と言おうとも。

谷川岳ステークス
・例年4月終盤~5月頭に新潟レース場で開催されるオープン特別。
・2019年にリステッド競走が設定されていされてからは、それに指定されています。
・リステッド競走は格付け的には通常のオープン特別よりも一つ上で、グレードレースよりも下というもの。
・基本的には新潟の芝1600で開催されていますが、福島開催になった1995年は芝1800、また2005年から2009年にかけては1400での開催になっています。
・データを見ていて思ったのは、今まで晴天だったのが半分くらいしかありません。時期と場所のせいなんでしょうかね。
・開催時期のせいで、たびたび天皇賞(春)や皐月賞と日程が重なることがあります。
・これを制した有名な勝ち馬だと1995年のタイキブリザードでしょうか。
・今回のモデルになったのは1992年のもの。
・4月26日の開催で天気は晴れ、牡馬は良。

ハヤブサオーカン
・実在の競走馬を元にしたオリジナルウマ娘。
・モデルになったのは同名の競走馬。青鹿毛の牡馬。
・1984年5月27日生まれ──つまりはダイユウサク達オグリキャップ世代よりも一つ上で、タマモクロスやゴールドシチーとかイナリワン、ウマ娘化されていない馬だとメリーナイスなんかが同年代になります。
・そして重賞は──未勝利。オープン特別は1着や2着も多々あるのですが、重賞になるとダメになってしまうようです。
・GⅠだと安田記念に2度出走しているのですが、ダイイチルビーが制した1991年はまだわかりますが1993年のヤマニンゼファーが制したレースに出走しているのは、ちょっと驚きです。
・数えとはいえ10歳……しかも最下位とかじゃないし。11着で前はニシノフラワーだったという。
・引退レースは1993年の七夕賞──ツインターボが勝ったレースですね。
・本作のハヤブサオーカンは、名前通りのイメージです。
・牡馬なので左耳に王冠型の耳飾りがあり、ボサボサっとした短めの髪で、目は黄色で大きく見開かれています。無口で、じーっと何かを見つめていることが多い。そんなウマ娘です。

逃げたウマ娘
・マイネルヨースのこと。前走のマーチステークスを逃げて制しています。
・ちなみに2着はハヤブサオーカンで、クビの差にまで追い込まれていました。
・元ネタの同名の競走馬は1988年生まれの栗毛の牡馬。
・重賞勝ちは無し。それでも生涯賞金は1億6500万を超えています。
・この馬もハヤブサオーカンと同じように、重賞になると途端に成績が下がっています。
・前に本文で「オープンになると満足してしまうウマ娘」について触れましたが、それはこの2頭の成績を見て思いついたネタでした。
・ちなみに書いてる人は名前見たときから「マイネル・ヨース」な感じだと思ったら、血縁馬や同じ馬主の馬を見るとマイネスカーレットやマイネエルザ、マイネクロシェットとあるので「マイネ・ルヨース」だったようです。
・なお、この馬主さんの馬名はマイネシリーズよりも“コスモ~”のシリーズの方が遥かに多く、その数は約120頭にもなります。
・……でも、コスモドリームは違う馬主さんの馬です。

去年の3月17日以来の
・レッツゴーターキンが1992年4月26日の谷川岳ステークスの前に勝ったのは、1991年3月17日の中京記念。
・あれ? ……1年1ヶ月と9日ぶりということは365+31+9で405日ぶりの勝利なのでは?
・本文中に406日って書いてあるのは間違いじゃないの!?
・……いやいや、1992年は閏年なので、2月29日があったんです。そんなわけで+1日で406日ぶりの勝利でした。


※次回の更新は3月10日の予定です。  



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第10R 大明暗! 勝てないウマ娘の陰と陽


 京都レース場──

 本来なら、こっちの方が先に終わってるはずの時刻になるのよね。
 ゲートに収まってスタートを待つ身になりながら、アタシは集中を高めつつそう思っていた。
 でも……谷川岳ステークスの出走予定時刻になっても、ここ京都レース場の第10レース──天皇賞(春)はまだ始まっていない。

「向こうも同じようなことが起こってなければ、だけど……」

 さっき起こったことを思い出す。
 スタートする前にハプニングが起きたのよ。

『メジロマックイーン落鉄のため、出走時刻が遅れます……』

 大一番を見ようと集まった観客に向けて、アナウンスが流れる。
 どうやらメジロパーマーが落ちている蹄鉄を見つけたらしく、それで分かったみたい。
 アタシ達が見守る中で、その当事者──メジロマックイーンは慌てることなく落ち着いた様子で蹄鉄を靴に打ち直した。
 無事に終わったその様子を見て、思わずアタシはホッとしていた。

(なんか、上手くいかなくて蹄鉄無しで走った()もいたらしいし)

 たしか去年の桜花賞だったっけ?
 落鉄に動転したせいで、焦って再装着に失敗……結果的にそのまま走ったみたい。
 左右のバランスが違うから走りにくかったでしょうに。
 今日のマックイーンがそんなことにならなかったみたいで、安心したわ。

(あの時以来の対決だもの……)

 無敗VS連覇なんて騒ぎになって、世間も本人も、相変わらずアタシのことは全く眼中にないみたいだけどね。
 そうしてくれると……こっちもありがたいけど。

(あの()……きっとトレーナーとの約束、守ってるんでしょ。だったらアタシも──)

 時間的にはたぶん終わって結果は出てる。
 けど、こんなレース直前に他のレース場の結果なんて分かるわけがない。
 それでもアタシは彼女が勝っているような気がした。

「トレーナーが指導して、アタシがそれに付き合ったんだから、当然よね」

 顔をグッと上げ──そして、そっと自分の足に触れた。
 今日こそは……頼むわよ、アタシの脚。
 そう心の中で呼び掛けつつ──アタシはチラッと自分の胸元に目を向ける。
 そこには薄紫の一粒の石があった。

(まさか、あんな小さなファンがいたなんて……)

 これをアタシにくれた小さなウマ娘の姿を思い出す。
 あれくらいの年齢なら、もっと派手に活躍しているウマ娘にあこがれるんじゃないの? マックイーンとかテイオーとか。
 なのに、私を応援したいだなんて……

「無様なレースはできない」

 アタシは集中力を高め──そして、ゲートが開いた。



 ──春の天皇賞が始まった。

 

 いつも通りのいいスタートを切ったアタシは、最初こそ前の方に位置したけど、ジリジリと位置を下げていく。

 一方で、目玉になってるウマ娘の一人、メジロマックイーンは前の方でレースを展開。

 もう一人の注目株、トウカイテイオーは中段に位置して走っている。

 中盤も過ぎようというとき、アタシは中段に位置していた。

 

(長い距離を前で走り続けられる体力は、アタシにはない……)

 

 だから先行は無理。

 去年の京都大賞典──2400という、初めて2000以上の距離を走って完敗したときに下した判断だった。

 数年前に走っていた条件戦のレベルならそれも可能かもしれない。

 

(実際、先行でも勝てていたけど……)

 

 でも、レースのレベルが上がったのと、ピークを過ぎたアタシの体力は衰えを見せ始め、アタシの先行は通用しなくなっていった。

 今回も中段待機──と思ったら、すぐ近くにトウカイテイオーが走ってた。

 

(前走の大阪杯では、手も足も出ずに負けた相手……)

 

 ここまで無敗。怪我さえなければクラシック三冠を達成したかもしれないと言われているウマ娘。

 その走る表情は──自分の勝利をまったく疑っていない自信が見て取れた。

 

(さすがに、速いけど……)

 

 その強さを肌で感じたその時──彼女はペースを上げた。

 それに対しアタシは……それに付き合わずにペースを守る。

 

「……こんなところで張り合う意味なんてない」

 

 アタシは冷静にそう判断していた。

 確かに強いウマ娘が前にいることには脅威を感じる。

 後ろにいるということは、これから彼女たちよりも速く走らなければそれよりも前には行けないんだから。

 至極当たり前のことだけど、それができるような相手じゃないから“強いウマ娘”なのよ。

 そんな相手を敵にして走ってるけど──でも、ここで位置を上げて走れば、最後まで体力が保たないのは明らか。

 

(ここは、我慢……)

 

 自信あふれる笑みさえ浮かべて上がっていくトウカイテイオーを見送る。

 とはいえ──

 

(まだゴールまで距離は残ってるのに……ここからいくの?)

 

 正直、驚きだった。

 それに3000メートル超のレースはアタシにとっては初めてで、完全に未知の領域。

 そんな中で、さらに前にいるマックイーンを捉えようと果敢に攻めている。

 それを見ながら──アタシはトレーナーの言葉を思い出していた。

 

『いいか、ダイユウサク。テイオーには騙されるなよ?』

『──? どういうこと?』

 

 眉をひそめるアタシに対し、トレーナーは神妙な顔で答えてくれた。

 

『トウカイテイオーは長距離の経験がない。そして……今まで無敗な上に、最近の調子も上向きだ。それはこの前のレースでお前も分かってるだろ?』

 

 悔しかったけど……アタシはそれに頷いた。

 

『でも、それと“騙されるな”というのがつながらないんだけど?』

『ああ、確かにテイオーの調子はいい。だからこそそれで“いける”と誤解してオーバーペースになる恐れがある。3000オーバーのレースを経験したことがないんだからな』

 

 調子の良さが自分を見失わせる。多少の無理が利くと錯覚し──致命的なミスを招くかもしれない。

 まして未知の距離のレース。しかも長距離となればなるほど慎重に自分のスタミナとの相談しなければならない、とトレーナーは注意してきた。

 それは十分に分かってる──アタシも経験したことだから。

 去年の京都大賞典で、2000メートルと2400メートルの違いをマックイーンにまざまざと見せつけられたんだから。

 

『もちろんテイオーも3200に合わせた走りを特訓してきているはず。一見オーバーペースでも対応できるのかもしれない。それくらいの実力があってもおかしくはないウマ娘だからな』

 

 各世代に一人はいるような“バケモノ”級のウマ娘。トウカイテイオーは間違いなくそれにあたる。今までの彼女の成績がそれを物語っているんだから。

 でも──そんな“バケモノ”にアタシみたいな“落ちこぼれ”が同じような走りは絶対にできない。

 

(アタシにできるのは──この末脚にかけて、チャンスを待って耐えるだけ)

 

 ()()()()の末脚を再現できれば──あのマックイーンという“バケモノ”を倒した伝家の宝刀を抜くことができれば、テイオー諸共に倒せるはず。

 気力は充実しているし、周囲の様子も見えてる。

 

(アタシの調子は悪くない。だから……)

 

 もう一度、マックイーンに勝つ。

 もちろんトウカイテイオーにも、だ。

 そうして“盾”を〈アクルックス〉に──

 

(そして、トレーナー(あの人)の手に……)

 

 グランプリと並ぶ最高の栄誉を、分かち合いたい。

 もちろんチームのメンバーの顔も浮かぶ。

 それに……同室の従姉妹(コスモ)や、アタシを応援してくれる友人達(セッツとシヨノ)

 さらに浮かんだのは──胸元で弾む薄紫の宝石をアタシにくれた小さな応援者の顔。

 

(……絶対に、負けられないッ!!)

 

 アタシはさらに集中し──あのときの感覚へと踏み入る手応えを感じていた。

 あの有記念のときに、爆発的な末脚を発揮したときの、あの感覚だ。

 そうしてレースは第4コーナーが終わり、最後の直線に差し掛かっていた。

 前を見れば、メジロマックイーンへとトウカイテイオーが迫る。

 でも、その脚が────伸びなかった。

 

(やっぱり……)

 

 完全に伸びを失ったテイオーを見て、アタシはあの3コーナーでの仕掛けが「早すぎた」のだと確信した。

 ステイヤーであるマックイーンに対し、トウカイテイオーの適正距離は短かく3200の距離は長すぎたんだわ。

 しかもトレーナーが危惧したとおり、調子の良さのせいでそれに気がつかずに飛ばしすぎていたみたいね。

 マックイーン以外のウマ娘にも迫られていて、その勢いは完全に死んでいた。

 

「──ここが、好機ッ!!」

 

 逆にここを逃せば、テイオーはともかく、マックイーンにも届かない。

 アタシはグッと脚を踏み込み──

 

(──え?)

 

 …………その脚の感覚に、驚愕する。

 痛みはない。

 折れたりくじいたりなんかした様子はない。

 ただ──思った通りに目一杯の力を込めて、地面を蹴ることができないのだ。

 

 

 あの時の感覚に、踏み入りかけていたという感触は──完全に霧散した。

 

 

 地を蹴る力は変わらず、アタシの速度は上がらない。

 それに気がついたアタシは、愕然とする。

 普通に走ることはできている。でも──マックイーンやテイオー、その他この天皇賞の上位を争うウマ娘達と戦うには……それでは弱すぎた。

 

「まだ、ダメなの……?」

 

 スパートするべきポイントで加速できなかったアタシは、漲る闘志を持て余したまま──それを走りに生かすことができずに……

 

 ──アタシは、下を向いてゴール板の前を駆け抜けることしかできなかった。

 

 着順は、14人中9着。

 真ん中よりも下の順位は、天皇賞(春)という大舞台を考えれば、去年の同時期なら善戦と言えたかもしれない。

 でも、グランプリウマ娘としては……話にならない不本意な成績だった。

 

「……みんなの期待に、応えられなかった」

 

 足を止めたアタシは──顔向けできずにうつむいて、地の芝を見ることしかできない。

 その芝が──アタシの身長しか離れていないはずのそれが、(にじ)み、ぼやけ、ハッキリと見えなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 一方、新潟レース場──

 

「え? ちょ、これ、マジで……どうすんの?」

「なにがでしょうか?」

 

 レッツゴーターキン先輩の勝利で終わった谷川岳ステークス。

 観客席の最前列。チームメンバー等が主に陣取るその位置で観戦していた私達でしたが、その歓喜も冷めやらぬうちに、ロンマンガンさんが急にワタワタし始めたのです。

 

「だ、だって、レースに勝ったけど、トレーナーいないじゃん! 誰かチームから行ったりするの? それに手続きとか……あ、そうだ! ウイニングライブの準備とか──」

 

 ……完全に舞い上がってテンパってますね。

 ちょっとだけ冷めた目で彼女を見ていたのですが……なんというか、慌てる人が一人いると、逆にこっちが落ち着くといいますか。

 

「焦らなくても大丈夫です。私も、渡海さんも、ダイユウサクさんの時を経験していますから」

 

 ──とは言ったものの、よく考えると私達がチームに入ってからダイユウサクさんが勝ったレースは2つだけでしたけど。

 一つは……今回とはあまりに規模が違いますし、なにより大騒ぎになり過ぎて参考にできませんが、もう一つは今回同様にオープン特別でしたからね。

 

(それになにより……トレーナーさんはターキンさんに勝利を義務づけていたんですから、当然に勝ったときの手は打っています)

 

 そう思って、私は背後をチラッと見ました。

 そこには、感極まった様子の女性が立っています。

 あのウマ娘の晴れ姿──東京や阪神、京都といった大きなレース場に比べれば劣るものの、新潟レース場に起こった歓声に驚きながら、その観客席を見つめる勝利者を見て、彼女は目の端の涙を拭っていました。

 

「ターキン、おめでとう……」

 

 そうつぶやく彼女──ターキンさんを担当していたトレーナーさんに近寄った私は、彼女に声をかけたのです。

 

「すみません、トレーナー……御助力願えないでしょうか?」

「……ごめんなさい、みっともなく涙なんて流して……それで、どうかしたの? 私に手伝えることがあれば」

 

 私の声にその人は、ハンカチを取り出して涙を完全に拭って整え、それから私に振り返りました。

 それに対して私は──

 

「ターキンさんを、迎えてあげてもらえませんか?」

「私が? で、でも……いえ、私にその資格は……」

 

 そう言って表情を曇らせ、躊躇していました。

 ターキンさんがそうであったように──いえ、それ以上に彼女の7連敗をこの人は気に病んでいたのだと思います。自分で走ることができないのですから。

 そしてこの人もそれをどうにかしようとあがいた一人であることに間違いありません。

 

「今日は〈アクルックス(うち)〉のトレーナーがあいにく不在です。祝福する人がいないのでは、あまりにターキンさんが可哀想だと思います。お願い、できませんか?」

「──ッ、…………私で、よければ……是非」

 

 驚いた後、その人はうつむいて涙を隠しながら、それを拭ったようでした。

 それから顔を上げ、笑顔で了承してくださいました。

 そして──

 

「ターキンッ!!」

 

 その大きな声に、レッツゴーターキンさんは歓声の中からをそれを聞きつけたようで、彼女の方を一回で振り向き、見つけた様子でした。

 その人が見に来ていることに、驚いた様子でしたが──バッと走り出して彼女へと駆け寄ります。

 そのまま抱きつこうとしたターキンさんですが、何かに気がついて──おそらくそのトレーナーが妊娠中なのを思い出したのでしょう──目の前で急ブレーキをかけて勢いを完全に殺し……そんなターキンさんを、トレーナーさんの方から抱きしめたのです。

 

「よく頑張ったね、ターキン。すごいね……」

「うぅ……ありがとう。トレーナーぁぁぁぁ……」

「ゴメンね。私がもっとちゃんとしていれば……あなたは強いウマ娘なのに、こうやってちゃんと勝てるのに、私の指導が悪くて、あなたを苦しめてしまって……」

「そんなこと、そんなことないですぅ……私の方こそ、トレーナーが一生懸命考えて、やってくれた指導に応えられなくてぇ……」

 

 抱き合う二人の姿に、観客席からは温かな拍手が起こっていました。

 私もその二人を見ていたのですが──

 

「……やるじゃん、乾井トレ」

 

 隣からそんな声が聞こえてきました。

 

「あの人の指示でしょ? シオン」

「……はい。乾井トレーナーはターキンさんに勝利を義務づけていました。ですので、勝った後のことをもちろん考えていらっしゃいました」

 

 それで、乾井トレーナーはあのトレーナーさんに、「ターキンの姿を見てあげてほしい」とこの場に招待していたんです。

 もちろん、もしも万が一負けてしまった場合には、ケアできるのは彼女の(ほか)にいませんでしたし。

 

『競走に絶対は無し……一応、万が一、な』

 

 ケア要員として呼んだ、と私には誤魔化しのためのおどけたような態度で説明していましたが。最後には「勝った場合には、真っ先にあの人に祝福させるように」と──

 

『あの人の努力は報われるべきで、オレ達がかっさらっていいもんじゃない。それに……ターキンがもっとも望んでいるのも、あの人に祝ってもらうことだろ』

 

 そう言って、乾井トレーナーは京都へと出発しましたから。

 

「……というわけですので渡海さん、もう出てきて大丈夫ですよ」

「え?」

 

 私が言うと、ロンマンガンさんは驚き──渡海さんがひょっこり姿を現します。

 

「あれ? なんか誰か足りないと思ってたけど……渡海兄さん、なにやってたの?」

「勝った直後から距離を置いて隠れていたんだよ。僕がいたら、あの人が遠慮する可能性もあったからね」

「渡海さんは研修中とはいえ、トレーナーに準する立場にいましたからね。それで遠慮される可能性がありましたので、やむを得ず、です」

「そりゃまた随分と用意周到なことで……」

 

 マンガンさんは少し呆れた様子で渡海さんを見て、ため息をつきました。

 そうしている間に──ターキンさんと抱き合っていたトレーナーさんは、私達の様子に気がついて、抱擁を解き、ターキンさんとともにこちらへ歩いてきました。

 

「ありがとうございました。ターキンに勝ちをもたらしてくれただけでなく、私にまでこんな……」

「私達はなにもしていませんよ。それに感謝の言葉なら乾井トレーナーに……」

「それはもちろん。でも、ターキンが選んだのがこんな素晴らしいチームでよかったと思います。これで安心して私も──」

「うん……がんばって……」

 

 視線を自分のお腹に向けたトレーナーさんに、ターキンさんがグッと両手で拳を握って応援しました。

 それに笑顔で「ええ、もちろんよ」と応え──

 

「本当に、本当にありがとう。そしてターキンをこれからよろしくお願いします」

 

 そう……乾井トレーナーとの約束である谷川岳ステークスの制覇を果たしたレッツゴーターキンさんは、これで晴れて〈アクルックス〉のメンバーになったんです。

 私達のチームメイトに──

 




◆解説◆

【勝てないウマ娘の陰と陽】
・久しぶりにオリジナルのタイトル。
・頭が『大○○』だと付けやすいんですよね。オリジナルを。
・ちなみにそろそろお気づきかと思いますが、その話のメインになるキャラによってタイトルのパターンが決まってます。
・今回のようなダイユウサクがメインの話は『大○○』シリーズで、オラシオンの場合は『馬の祈り』シリーズになっています。
・もちろんレッツゴーターキンの場合もある規則性があるのですが……

落鉄
・今回のレースは1992年に開催された第105回天皇賞。
・アニメ2期でもマックイーン対テイオーで描かれたレースですが、そこであったように、マックイーンの落鉄がありました。
・その関係で出走遅れがあり──予定では時間が遅かったはずの史実も谷川岳ステークスの方が先に出走してます。
・今回のシーンはアニメ2期を基にしているのでパーマーが落ちた蹄鉄を見つけていますし、ダイユウサクがホッとしているのは、なぜか見守っていたモブの中でダイサンゲンが大きくため息をついてホッとしているのを元ネタにしています。
・なお、“蹄鉄の打ち直しがうまくいかなかった”というのは第一章でも触れた91年桜花賞でのイソノルーブルのこと。


※次回の更新は3月13日の予定です。  



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第11R Let's go! 行くっきゃない! Pretty Girls!

 

「さて、今後の方針だが……お前達二人の意見も聞きたい」

 

 オレは自分のトレーナー室に研修生の渡海(とかい)とミラクルバードを呼び出して、そう切り出した。

 こうしてトレーナー&サポートを集まっている一方で、競走ウマ娘たちもしっかりと決めておいたメニューをこなさせて、その間にこっちのミーティングを行っているのだ。

 ちなみにチームの大事なことを話し合うので、相部屋の巽見がいないタイミングを見計らった。

 

(しかしアイツも……コスモドリーム以降、誰の担当もしないよな)

 

 巽見はチーム〈アルデバラン〉のサブトレーナーだ。メイントレーナーの相生さんの目が届かないところをフォローしているようだが、きっちりと担当したのはダイユウサクの従姉妹でルームメイトのコスモドリームだけ。

 そのコスモドリームもかなり前の高松宮杯以降は走っておらず、巽見はリハビリのサポートをしている、と聞いているが……

 

(有記念の時にダイユウサクのトレーニングを付き合ってくれたコスモドリームを見た限りでは、復帰をあきらめているようだったし……)

 

 コスモドリームでオークス制覇という大きな結果を残しているのだから、次のウマ娘をいつまでも担当しないのはもったいないと言える。

 もちろん担当が無いとはいえ他の〈アルデバラン〉のウマ娘たちの面倒を見てはいるんだろうが。

 

(──とはいえ、だ)

 

 じゃあ、他人のことを言えるのか、というオレの状況だが──

 

「ターキンは条件を達成してくれたので〈アクルックス(うち)〉の正式なメンバーになった」

「うん。もしも負けちゃったら、って心配してたから、ホントによかったよ」

 

 うちに話がくる前のマーチステークスで光明が見えていたからな。うちはその後押しをしただけだ。

 とはいえ、“競走に絶対はない”からな。

 

「これでウチに所属してる競走ウマ娘(メンバー)は4人ということになる」

 

 ダイユウサク、レッツゴーターキンというオープンのシニア級と、オラシオンとロンマンガンというデビュー前のジュニア級。

 クラシック世代や条件戦クラスがいないところを見ると、少し偏ったメンバー構成な感じもするけどな。

 

「でも、そのうちの二人はデビュー前だよね」

「ああ。これはもう、夏以降のデビューに備えるという現状維持しかない。ダイユウサクだけでなく、レッツゴーターキンを見なくちゃならなくなった以上……渡海」

「は、はい!」

「オレが指示は出すが、ジュニアの二人はお前がメインで面倒を見てくれないか?」

「ぼ、僕がですか!?」

 

 慌てて立ち上がり、自分を指さす渡海。

 

「そんな……僕にはまだ、荷が重すぎます!」

 

 そう言って彼は焦った様子で首を横に振った。

 そんな様子にオレは思わず苦笑してしまう。

 

「まぁ、気持ちは分かるぞ。右も左も分からない状態で、いきなり面倒見ろって言われても不安しかないだろうからな。オレも経験がある」

 

 師匠のところで、担当にこそならかったが初めてオレがメインになって面倒をみることになったときは、そりゃあ緊張したさ。

 なにしろ、ウマ娘にとっては一生がかかっていることだからな。成績不振はもちろんのこと、怪我にも注意しないといけないし、メンタルのケアだって必要だ。

 

「オラシオンとは古い付き合いなんだろ? 最初に気心の知れた相手の担当ができるなんて奇跡みたいなもんだ」

 

 ウマ娘だって性格は千差万別だ。素直なヤツもいれば気難しいのもいる。

 オラシオンは素直で真面目だからさらに難易度が低い方だろう。

 

「ロンマンガンは斜に構えているところもあるが、オラシオンへの潜在的な対抗意識みたいなのがあるから、オラシオンがやれば、それには遅れまいとついてくるだろう」

 

 オラシオンについてこられるのなら、それだけで実力は伸びていく。

 本人は「天才に勝てるわけがない」なんて言ってるが、そこはそれウマ娘は基本的に負けん気が強い気性である。彼女もその例に漏れず、時には文句を言いながらもしっかりとオレが出す課題をこなしている。

 

「トカちゃん、トレーナーもこう言ってくれているんだし、せっかくのチャンスだよ。やりなよ」

「と、トカちゃんって……」

 

 戸惑う渡海。

 まあ、予想外のあだ名だろうな、それ。ミラクルバードは結構メチャクチャなあだ名を付けるよな。

 

「オレが最初に面倒見たヤツに比べれば、二人ともだいぶ素直だぞ?」

「ああ。“あのウマ娘”に比べたら、ね……」

 

 そう言って苦笑するミラクルバード。

 う~ん、ミラクルバード考えているのは、たぶんパーシングのことだろうが……それは独立してからの話だぞ?

 師匠のところでお世話になっている間に見たのがいるから違うウマ娘。アイツは大らかで細かいことは気にしなかったけど、こうと決めたら譲らなかったからな。

 とはいえ、パーシングに苦労させられたのは間違いないし、否定はしないでおこう。

 

「オラシオンは周囲の評価が高いから怖い、か?」

「は、はい……正直に言えば、そうです」

 

 オレの問いに渡海くんは素直に頷いた。

 

「あのシンボリルドルフ会長も気にかけるほどですし、ですから注目度は高い。そんな中でもしも僕が取り返しのつかない失敗を犯したら……」

 

 不安そうにいう彼に──オレは声を出して笑った。

 その反応に戸惑う渡海くん。

 

「深刻になり過ぎだ。じゃあ訊くが……取り返しのつかない失敗って具体的になんだ?」

「そ、それは……骨折とか、走るのに変なクセがついたり、とか……」

「ウマ娘の脚はガラスみたいなもんだ。ケガを100%絶対に防げるヤツなんて存在しないさ。それが分かってるから、よほど間抜けな見落としが原因でもない限りは責めるヤツなんていないさ」

「そう、なんですか? いや、でも……」

「脚の負傷は多い。現にトウカイテイオーだって去年の菊花賞を骨折で棒に振ったが、〈スピカ〉のトレーナーを責めるヤツがいたか?」

「それは……いませんでした」

「だろ? で、あとは変なクセ……だったか? そんなの気にするな」

「──え?」

 

 戸惑う渡海。

 そんな彼にオレは問いかける。

 

「ウマ娘の競走に、スキージャンプみたいな“姿勢の美しさの点数”でもあるのか?」

「そ、それは……いや、無い、ですけど……でも、姿勢やフォームを矯正すれば、さらに速く走れることだって……」

「もちろんより速いフォームの追求は重要だ。だがな、渡海。走り方なんてそのウマ娘にとって一番走りやすいフォームが正解なんだよ。そしてそれはそれぞれウマ娘によって違う」

 

 大正解のフォームがあってそれにどれだけ近づけるか、ということじゃない。

 ウマ娘の競走(レース)は基本的には真っ先にゴール板を駆け抜けた者が勝つんだ。もちろん、途中の斜行等の妨害は考慮されるが。

 どんな走り方だろうが、速いものが正義だ。

 

「オグリキャップのような低い姿勢のスパートができるウマ娘もいれば、そうじゃないのもいる……」

 

 例えばオグリキャップのスパートで見せる低い姿勢での走行は、確かに見た目にも速そうだし実際速い。

 それを、メジロパーマーみたいな上体を起こして走ってるのが得意なウマ娘が真似をしたところで──どこか無理が出るしバランスを欠くことになるだろう。そして結果的には遅くなってしまうと考えられる。

 

「もちろん、そのウマ娘に合ったより速く走れる姿勢(フォーム)を追求するのは大事なことだ。しかしそれだって失敗を恐れていたらできないことからな」

「う……」

 

 うめく渡海に対し、ミラクルバードは車椅子の上で目を閉じながら「うんうん」と頷いている。

 

「難しく考えすぎるな。そういうのも含めてオレが指示を出すし、その責任を負うのはオレだ。無論、二人の様子を見ながら忌憚のない意見を出すのは全然かまわない。むしろ出してくれ」

 

 それが二人のためになるんだからな、とオレは念を押した。

 

「それに、正直な話をすると……レッツゴーターキンを見るとなると、オレに今までの余裕は無くなる」

 

 今までは現役世代はダイユウサクのみだった。

 彼女は確かにオレへ文句を言うことは言う。しかしオレの言うこと対して口はともかく行動は素直に従っていた。課題を出せば素直に取り組むし、集中力も高いので余計なこともしない。

 だが、ターキンは真逆。臆病だから周囲が気になって仕方がないし、集中力が長続きしない。

 トレーニングに関してだけはダイユウサクの手間のかからなさとのギャップが凄い。

 それが彼女の面倒を見るようになってからの、オレの素直な感想だ。

 

「あはは……だよね、トレーナー。見てて苦労してるのわかったもん」

 

 乾いた笑いを浮かべるミラクルバード。

 同じように渡海も苦笑しているのを見ると、二人ともオレの苦労がわかっていたようだ。

 

「あの、トレーナー。この前の件は……申し訳ありませんでした」

「この前の? ……ああ、新潟でのアレか。お前のせいじゃないから気にすんな」

「あれ? なにかあったの?」

 

 渡海が思い出してオレに謝罪してきたが、なんのことかわからないミラクルバードが首を傾げた。

 それに渡海が苦い顔をして答える。

 

「それが、レッツゴーターキンさんが……」

「ターキン、普通に勝ったよね? レース後の検査も異常無いし、特に失敗は無かったと思うけど……」

「……ウイニングライブ、だ」

 

 言いにくそうにしている渡海に代わってオレがミラクルバードに答えてやった。

 

「良かれと思って前任トレーナーのあの人を招待したんだが……なにしろ中7戦で一年ぶりな上、その人とお別れだったり、一緒に苦労した思い出なんかがこみ上げてきたみたいで、な」

「え? ひょっとして、まさか……」

「はい。ターキンさん、泣いちゃって……ほとんどライブになってませんでした」

 

 ミラクルバードが黙り込み、沈痛そうな顔で俯いて下を向き……肩を(ふる)わせている。

 ──いやお前、泣いてないよな? 笑い堪えてるよな?

 

「笑い事じゃないぞ。オレは黒岩理事から御小言をチクチクと言われたんだからな。『号泣ライブは〈アクルックス〉の伝統ですか?』とかな」

 

 オレがぼやくと、ミラクルバードはついに「ぷッ」と吹き出す。

 それから肩の震えを止めて顔をあげると、「別に笑ってないよ……」なんて、しれっと嘘をつく。

 それに黒岩理事も「貸し一つ、ですので」とか言っていたし。あの人に貸しを作るとか怖くて仕方ないわ。

 まぁ、そんなのはチームにとってはどうでもいい。過ぎたことだしどうしようもない。

 それよりも今後のターキンのことだが──

 

「この前の勝利を踏まえ、次は重賞挑戦にしようと思う」

「え? でも、まだ1勝しただけじゃない?」

 

 どこか半信半疑なミラクルバード。

 う~ん、その気持ちも分かるんだが……

 

「連敗前のターキンの成績を考えれば、やはり重賞を狙っていきたい」

 

 GⅢを勝った実績を持つターキン。次に狙うはその上と、ステップアップするのは自然な流れだと思うんだ。

 しかもターキンはこの一年間は連敗しており、実績的には足踏みをしていた状態でもある。先へ進むのを急ぐ必要があるだろう。

 ただし、彼女のGⅢ勝利は一年以上前のこと。ミラクルバードが心配するのも無理もない話だ。

 だから──

 

「次は2週空けて新潟大賞典に出走させようと思う」

「その前の週の重賞はクラシック限定だからそれは分かるけど……同じ日には京阪杯もあるけど、そっちじゃなくて新潟大賞典にしたのはなんで?」

 

 同じGⅢというグレードで、距離も2200と2000とそれほど明確な違いはない。

 ではなぜオレがそちらを選んだのかと言えば──

 

「アイツの気性が、な……」

 

 それは開催地の問題。

 京阪杯の開催は京都レース場で、新潟大賞典はもちろん新潟レース場。

 どちらも中央競走(トゥインクルシリーズ)に所属するレース場だが、京都レース場は東京、中山、阪神と共に4大レース場と呼ばれる一つなのに対し、新潟レース場はその中でも“地方”と呼ばれるレース場。

 そして入場者も京都は14万人を超えたことがあるのに対し、新潟が3万5千人強が最大。

 

「京都と新潟では注目度や観客数が段違いだ。ターキンの気弱な性格は見ている人が多すぎるのは悪影響になりかねない」

「なるほどね。それに勝った前走も新潟だから、かな?」

「その通り」

 

 さすがミラクルバード。打てば響くとはこのことだな。オレの考えをきちんと理解してくれている。

 たった1勝ではジンクスなんてものじゃあないが、いいイメージで走れるというのは重要だ。それが特にターキンのような精神的な(もろ)さを抱えているなら特に。

 そして、その日に出走するからには──

 

「だから、今回もまた、前回と同じ苦労をしてもらう」

「え? あ、そうか。あのレースの開催日って確か……」

「ああ。また同じ日に出走だ」

 

 オレが言うと、ミラクルバードと渡海の顔が驚きの表情になった。

 グランプリウマ娘になった今のダイユウサクが走るのは、当然に大きな舞台の大きなレースであり、それは大きなレース場で開催される。

 ターキンとは、やはり別のレース場になってしまうんだから。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 とはいえ──

 

「オイ、ダイユウサク──」

 

 その数日後、オレはターキンと併せをしようとしていたダイユウサクに声をかけた。

 練習用のコースへと足を向けていた彼女は、耳をピクッと動かしたが、そのまま足を止めずに行こうとした。

 一方で、オレの声に足を止めたのはそれに付き合おうとしていたレッツゴーターキン。

 てっきり同じく足を止めると思っていたダイユウサクがスタスタと行ってしまうのに「ガーン!」と驚き、それからオレの顔とダイユウサクの後ろ姿を、ふわふわの髪の毛が揺れんばかりに交互に見て、泣きそうな顔でオロオロしていた。

 まったく……困ったヤツだな。

 オレはズンズン歩いていこうとするダイユウサクに駆け寄ると、その肩に手をかけた。

 相変わらず振り返らないダイユウサクに、オレは声をかけた。

 

「ダイユウサク。お前、脚……」

 

 天皇賞(春)でのあの走り──オレには腑に落ちない点があった。

 確かにあの日、有記念のときのような最高の仕上がりでレースに臨んだわけではなかった。

 しかしレース直前で見た時の姿は、いつもと違っているようにさえ見えた。

 少なくとも、精神ややる気はあの時以上に充実していたように見えて、コスモドリームや〈アルデバラン〉の連中が時折見せるような白いオーラが見えるかのようだった。

 少なくとも、レースの最後の方──アイツが末脚を発揮してスパートをかけようとしたところまでは。

 そしてその時、まとっていたオーラは霧散した。

 

(その原因は……まだ後遺症が残っているからだ)

 

 有記念からもう4ヶ月──あれから1年の3分の1も経過しようとしている。

 確かにレース直後は立つことさえままならず、ウイニングライブも騙し騙しどうにかやり過ごした程だった。

 休養をとって、復帰レースになった4月頭の大阪杯はレース直後に倒れ込んで動けなくなるほどだった。

 今回、それ以上の長い距離だったにも関わらずにそうならなかったのは好転している証拠──と思いたかったが、さすがに2度も凡走を続ければトレーナーとして気にしなければならない。

 

「なによ。検査しても異常、出てないでしょ? 骨も折れてもなれれば、腱の炎症もない。健康そのものよ」

 

 聞き飽きた、とばかりに不機嫌さを隠そうともしないダイユウサク。

 その通りなのだ。彼女の脚には──精密検査を行っても異常は認められない。

 有記念の直後はもちろん、倒れ込んだ大阪杯の後、そして今回の天皇賞の後も検査をしたが……結果は良好だった。負傷や故障は認められない。

 

『強いて言えば……極度の疲労、ですかね。しかしそれがこうも続くとは、正直ありえません。私では原因も分かりませんし根治もできません。あと治せる可能性があるとしたら長期の湯治か……笹針ですかね』

 

 “笹針”という医師の言葉に怯えたダイユウサクの尻尾がピョーンと立って、思わず笑いそうになった。

 直後に脇腹に飛んできたボディブローでオレは黙らせられ、その光景を医師は驚いた様子で見ていたが。

 

 ………………そして今日もまた、オレは同じような状況なワケだ。

 

 ダイユウサクの容赦のない蹴りを喰らって吹っ飛んだオレ。

 理由はさっきのダイユウサクの言葉に、「本当にそうか?」とアイツの足にあえて触れたのだが──本気で嫌がったらしく、蹴りが飛んできたというわけだ。

 その蹴りを喰らって確信する。アイツの本気の蹴りは、もっと衝撃が強かったはずだ。

 冷静にそう判断したオレ──の吹っ飛んで倒れこんだ姿を見たターキンが、「だ、大丈夫ですかぁ!? ど、どうしたら……」と言ってオロオロと慌てふためいている。

 それを(しり)目に、オレはダイユウサクに指摘してやる

 

「……やっぱりお前、足に力が入ってないだろ」

「あ、アンタ……まさかそれを確かめるために?」

「当然だろ。そうでもなければお前の足になんか誰が好き好んで撫で回す──」

「たづなさ~ん! コイツ、セクハラ犯で~すッ!!」

 

 な……んだとッ!?

 コイツいきなりなんてことを言い出すんだ!!

 

「ちょ、おまッ!? たづなさん呼ぶのは卑怯だろ!!」

 

 案の定というか──緑色の影がどこからともなく、颯爽と姿を表していた。

 そしてダイユウサクから事情を聞き、オレに鋭い目を向けてきた。

 

(そんな姿も、素敵だけどな)

 

 学園の宝ともいうべきウマ娘たちに惜しみない愛情を注ぎ、守ろうとするその姿は相も変わらず美しい。

 目下の問題は──その守ろうという意志による敵意がオレに向けられていることだ。

 

「いったい、どういうことでしょうか? 乾井トレーナー……」

 

 むぅ……彼女(たづなさん)の優しさにつけ込んで、愛してやまない彼女とオレを対立させようとは、なんて狡猾なヤツなんだ。ダイユウサクめ!

 

「違うんです、たづなさん。これは……」

 

 オレはどうにか立ち上がりながら言い訳反論しようとするが……くッ、思いの外、さっきのダイユウサクの本気の蹴りによる体へのダメージが大きい。

 やはり弱っていてもグランプリウマ娘の脚か……

 

(でも、本当ならもっと衝撃が大きかったはずだ)

 

 想像よりも弱かったからな。

 そんなことを考えつつ、ふらつきながら立ち上がったオレに、たづなさんは困惑しながらも「いくらトレーナーだからって、彼女達の体に、みだりに触れるようなことはいけませんからね!」と注意してくる。

 戸惑っているのは、きっとオレがそんなことをしないと思っているのと、ダメージを負ったオレを心配してくれているからだろう。

 そう思って見たたづなさんに隠れるように──ダイユウサクが背後にいて、「べ~」と舌を出していた。

 イラァ……

 

「ちゃんと聞いていますか? 乾井トレーナー!?」

「は、はい! もちろん!!」

 

 反射的にたづなさんにいい返事を返したオレに、ダイユウサクはジト目を向けてきた。

 心優しい彼女の言葉に応えることに、なにか文句でもあるのか?

 オレが睨むと、アイツはフイとつまらなさそうに視線を逸らした。

 まったく……

 

 ──そうして、アイツの足に関することは有耶無耶にされてしまった。

 それに気がついたのは、たづなさんのお小言にしばらく聞き惚れ……そこから、我に返った後のことだった。

 しまった。逃げられた……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ねぇ、シオン。〈アクルックス(うち)〉のトレーナーって、アレ、人間?」

 

 私と一緒にジョギングしていたロンマンガンさんが、遠巻きにその光景を見てそう話しかけてきました。

 

「あの……突然、なにを?」

「いや。だって、ほら……あの方、ちょいちょいダイユウパイセン怒らせて、全力で殴られたり蹴られたりしてんじゃん。普通、生き残れないっしょ。でもピンピンしてるし」

「ええ、まあ……」

 

 彼女の言葉に私は思わず苦笑してしまいます。

 確かに、ダイユウサクさんを怒らせているのは間違いないんですが……それでもあにウマ娘(ひと)がストレートに感情ぶつけている相手は、寮のルームメイトであるコスモドリームさんとトレーナーさんくらいなんですよね。

 ある意味、信頼の証と言いますか……

 

「それとも何、全力に見えて手加減してたりするの? パイセンの愛情表現? そうじゃなくてトレーナーの特殊な嗜好がいきすぎて、叩かれ慣れて耐久力がやたら上がっちゃってるとか?」

「さ、さぁ? そこまでは……」

 

 え~っと……マンガンさんの言うことはよく分からず答えを濁すことしかできませんでした。

 ……“特殊な嗜好”とはいったいなんのことでしょうか? 後で渡海さんに聞いてみましょう。

 

「たづなさんに説教されて嬉しそうな顔してるし。ヤバ……チーム選択ミスったかも。ダイユウパイセンも最近やたらとイライラしてるし、参るわ~」

 

 ……ちなみに、ダイユウサクさんがイライラしてたのは、この前の私が勝った賭けの“罰ゲーム”を周囲も確認せずに行ってしまったあなたの自業自得ですよ、マンガンさん。

 よりにもよってあのウマ娘(ひと)に見られてバレています。

 そういうわけですから、マンガンさんも他人事ではないと思いますが……

 




◆解説◆

【Let's go! 行くっきゃない! Pretty Girls!】
・アニメ1期のEDテーマ、『グロウアップ・シャイン!』の2コーラス目で出てくる歌詞。「行くっきゃない!Let's go Pretty Girls!」を順番変更してます。
・今回は準備回なので、レッツゴーターキン回のタイトルをもってきたのですが、本人ほとんど目立ってませんね。
・むしろダイユウサクの方が目立ってるわけで……
・なお、中盤付近の話は、第一章の最後の話で語られたシーンです。

“姿勢の美しさの点数”
・全ッ然関係ない話で申し訳ないのですが、スキージャンプやノルディック複合のジャンプという競技で、書いている人がとにかく納得できないのはこの「飛型点」なんですよね。
・確かに危険な競技ですから、“無理をして着地をギリギリまで遅らせて距離を稼ごうとしてアクシデントが起こるのを防ぐ”という点でテレマークを入れて着地すると有利というのは理解できます。
・しかし、例えば陸上競技の“競走”であれば最も速いことが評価されるという、スポーツの根源的なことを考えると、この競技は“飛距離”を競うのが本質だと思うわけで。
・だとすればどんな姿勢だろうと一番遠くまで飛んだ人が勝つ、というべきだと思うんですよね。
・極端な話、ウェア等の服の形は別にして、空中で手をパタパタと羽ばたかせるような動きをして、それで一番遠くまで飛んだ人と、綺麗に飛んだけどそこまで距離が伸びなかった人を比較したら、綺麗に飛んだ人が勝つというのは変に思えて仕方ありません。
・……まぁ、日本が世界有数のスキージャンプ強国になったとき、北欧がルールを好き勝手に変えたのを見ているからそう思えるのかもしれませんけど。

前の週の重賞
・1992年5月10日開催の重賞レースは、東京でのNHK杯(GⅡ)と、京都での京都4歳特別。
・どちらも4歳(現在の3歳)限定のレースでダービーの前哨戦的な扱い。
・キャラ被りがたたったのか、京都4歳特別は2000年の改編で消えた──のですが、代わりに菊花賞の前哨戦で10月開催だった京都新聞杯が5月に引っ越してきました……え?

京阪杯
・1956年に『京都特別』という名前で始まったレース。1980年のグレード制でGⅢに。
・その名前で分かるように京都開催で、距離は芝の2200。
・秋開催だったのですが、第29回の1984年から5月開催に。
・と思ったら、1997年からまた秋開催に戻り、11月で開催されています。
・距離も1965年までは2200で固定されていたのが、翌年から1800になり、以降は1972年から1995年までは2000メートルでの開催に。
・1998年から2005年までは1800で、それ以降は1200の短距離レースに変更されて現在に至ってます。

観客数
・現実の京都競馬場の最大入場者数は14万3606人で1995年11月12日(エリザベス女王杯の開催日)のもの。
・なお新潟競馬場の最大入場者数は3万5135人。1991年4月28日。そのひ新潟競馬場では──未勝利戦と条件戦しかやってません。(笑)
・なんでこの日に記録したかと言えば、同日は京都でメジロマックイーンが制した天皇賞(春)が開催されており、その影響です。
・ちなみに……東京競馬場の最大入場者数を記録したのもメジロマックイーンの同期が出走した1990年の日本ダービーで、19万6517人。
・そして中山競馬場での最大入場者数を記録した日は、やはりあのオグリキャップのラストランでした。


※次回の更新は3月16日の予定です。  



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第12R 大変貌! ターフに舞い降りた愛の戦士(ウマ娘)

 

 ──5月半ば。

 

 今回のアタシは レース場のターフにいた。

 やっぱり今回もまた舞台はGⅠレース。春のナンバーワンマイラーを決める安田記念

 

『ダイユウサク……今回は距離を短めにした。いろいろ試していこう』

 

 安田記念への出走を決めたときの、トレーナーの笑みは不安が見え隠れしてた。

 大阪杯で中距離──

 天皇賞(春)で長距離──

 いずれも敗北したアタシに、今度はマイルで様子を見ようというワケ。

 

(この時期、短距離GⅠは無いしね)

 

 スプリンターズステークスはまだまだまだ先。それを待ってたらそれこそ今年が終わってるわね。

 

「はぁ……」

 

 ともあれトレーナーが前回の天皇賞でアタシの足にだいぶ不安を持ったのは間違いない。

 

(アタシだって、どうしたらいいのか……)

 

 それは焦りでもあった。

 昨年の秋レースはかなり走ったアタシ。それもあって有記念後にはしっかりと休養ももらってる。

 

「はぁ…………」

 

 でも──その休養明けから結果が出ていないんだから。

 それが去年までなら違う。アタシはずっと挑戦者だったから、たとえ負け続けようとも心さえ折れなければ挑み続けることができた。

 だけど、今年のアタシは今までとは違う。

 

(グランプリウマ娘として……)

 

 その言葉がアタシの肩にのし掛かる。

 もちろん今までの2戦も意識してた。

 でも──前回のレースで出会った小さなウマ娘からの応援。

 

(あんな子からも、応援されていたなんて……)

 

 応援という気持ちを背負うことを改めて意識させられ──アタシは今までにないプレッシャーを感じていた──

 

「はあぁぁぁぁ…………」

「って、さっきから人が真面目に考えにふけってるのに、近くで盛大なため息つかないでくれない!?」

「そんなこと言ったって、ウチだってマジで悩んでるんだから~」

 

 なんなのよ、アンタは!!

 すぐ近くでこれ見よがしに何度もため息をついていたウマ娘に、アタシはついに耐えきれなくなった。

 黒髪に青い差し色が入った髪に、いかにもギャルといった目元。

 

(アタシの一番苦手なタイプだわ……)

 

 社交的で、勝手に盛り上がっていくタイプ。そして人の話をよく聞かない上に、よくわからない言葉を話している……そんなパリピとか言われる人種──もといウマ娘種(タイプ)

 

「去年、一緒にマイチャン走った仲なんだし、話くらい聞いてくれてもいーじゃん!」

「う……」

 

 そう言ってアタシに絡んできたのは、去年のマイルチャンピオンシップの覇者のダイタクヘリオス。

 普段から悩みなんてなさそうな陽気で軽いノリのはずの彼女が、泣きそうな顔でアタシにからんできた。

 ……というか、他に絡む相手いないの?

 

「そん時も一緒に走ったお嬢様のことなんだし……その前だって一緒に走ってたじゃん」

「その前?」

「スワンステークス……」

 

 ああ、あの頃ね……去年、アタシがなかなか勝てなかったという。

 で、スワンステークスとマイルチャンピオンシップで一緒に走った相手?

 誰がいたっけ……?

 アタシが眉をひそめていると、泣き出しそうなヘリオスはスッととあるウマ娘を指さした。

 

「あれは……」

 

 長く赤みがかった黒髪──黒鹿毛のウマ娘がそこにいた。

 その姿で思い出した。彼女って名門出身で、その期待を背負ってるって聞いたけど……

 そんな彼女は──

 

「~~~~~~っ!!」

 

 観客席のただ一点を見つめながら、一心不乱に大きく手を振っているのだった。

 しかも周囲の光景は眼中に入ってない模様で、そこをじっと見つめている。

 

(ええぇぇぇ……)

 

 え? このウマ娘、本当にあのウマ娘なの?

 確かに髪型はあの時と一緒だし、もちろん顔立ちにも見覚えはある。

 でもなんか瞳の奥がハート型になってない?

 なんならくせっ毛の頭からぴょーんと出てた髪の毛だって、ハート型のカーブを描いてるわよね?

 いや、雰囲気がイメージと全く違うんだけど……

 

「ねぇ、ヘリオス。このウマ娘、本当に……」

 

 そう、横にいるダイタクヘリオスに話しかけようとしたアタシだったけど、彼女の熱すぎるほどの視線の先を目で追い──凍り付いた。

 彼女が見ていたのは観客席のもっとも走路に近い、チーム関係者の集まる辺り。

 

「──オイ」

 

 そしてそれに気付いたアタシの口から、やたら低い声がついて出た。

 そのウマ娘の視線の先には〈アクルックス(うち)〉のトレーナーの姿があった。

 

 ──なるほど。アタシにケンカを売っているらしい。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……オイ、思いっきり手を振られてるぞ。振り返してやれよ、チュン太郎

「本気でカンベンしてよ、ビジョウ……」

 

 オレは、オレを盾にして隠れるように身を縮めている眼鏡をかけたトレーナーに冷め切った目を向けながら言ってやった。

 すると彼は怯えきった様子で、どうにかさらに隠れようとして背後に回ろうとしてくる。

 オレと歳は同じだが、トレーナーとしては一年後輩で巽見の同期になるトレーナーだ。

 トレーナーになる前からの腐れ縁で、名字の“(スズメ)”と名前から“チュン太郎”のあだ名を付けられ、オレのことは学生時代の同級生連中が言うように、“ビジョウ”と呼んでくる。

 

「薄情だな。お前の担当ウマ娘だろ?」

「それはそうなんだけど……だけど、アイツの目つき、絶対にヤバいでしょう?」

 

 それもよりにもよってトレーナー相手に……と小さくなって頭を抱える朱雀井トレーナー……もといチュン太郎。

 

「なるほど……うん。確かに、だいぶイメチェンしたな」

「なんでお前はそう、冷めてるんだよォォォ!!」

 

 いや、なぁ……ここで「な、なんだアイツは!?」とかオレがやっても仕方ないだろ。

 確かに驚いたぞ。去年は全然こんな感じじゃなかったからな。

 競走一筋って感じたったのに、それが……

 

「もうあまりの変わりっぷりに驚きを越えて、呆れの域に達してるんだよ。ついでに言えば、正直言って関わりたくない」

「薄情だなオイ!! 昔、一緒に苦労を共にした仲間じゃないですか!!」

()仲間な。あの時は世話になったし感謝もしてるが……今は別のチームを担当する敵だしなぁ」

 

 現に今日も、同じレースに出走する別のウマ娘のトレーナーという敵同士なわけだし。

 オレが〈アクルックス〉のトレーナーであるように、コイツもチームを持つトレーナー。

 

「なんであんなに好かれてんの? 前はもっと違ってたよな?」

「去年の有記念のせいなんです! 原因の一端がアンタら二人にもあるんだから、ちょっとは助けてよッ!!」

 

 相変わらず訳の分からないことを言ってくるチュン太郎。

 必死にオレの影に隠れようとするアイツに、他のレース参加者にはまったく眼中になく熱視線を送ってくるそのウマ娘。

 なんか、視線を遮る形になっているオレに怒りを込めた視線を送ってくるようになってきてるのはオレを視線を遮る邪魔ものと認識しているからだろう。

 そんなとばっちりに「くわばらくわばら」と思いながら──オレは自分の教え子のダイユウサクを見た。

 ──んだが、アイツはアイツでそのウマ娘を睨んでいた。

 え? なんで……

 

 ……オレのことまで睨んでるんだ? ダイユウサクよ。

 

 しかも前回と真逆の──黒いオーラが出ているように見えるんだが。近くのダイタクヘリオスが驚いた顔でドン引きしてるぞ。

 オレはアイツの視線から逃げるように視線を逸らして──チュン太郎を見る。

 そして訊いてやった。

 

「なぁ、お前のウマ娘(愛バ)……あれで走れるのか?」

 

 ──チュン太郎は思わず目をそらしていた。

 あっちはあっちでピンク色のオーラが出ているように見えたからなぁ。

 

 ……あれ? オーラが見えるとか、なんか変な能力に目覚めてないか、オレ?

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そのころ、新潟レース場。

 

「あれ? そういえばバード先輩、今日はこっちなんスね?」

「え? あ……うん。ほら、前回と違って今回はトレーナーが誰もいないでしょ?」

 

 ロンマンガンさんが気が付いた素朴な疑問に、私が押す車椅子に座ったミラクルバードさんが答えました。

 でもどことなく、歯切れが悪く思えます。

 ミラクルバードさん──というよりは、トレーナーの隠したい意向があるのでしょう。

 

「でも、それならあっしかシオンのどっちかが、安田記念の方に行ってもよかったんじゃないッスか? なんといってもGⅠの舞台なんだし……」

「や~……まぁ、トレーナーの指示だからねぇ」

 

 力なく「あはは……」と苦笑するミラクルバードさんは、やはりなにかを隠しているように見えました。

 そうであれば──私も先輩に協力いたしましょう。

 

「GⅠを見たければ自分の力で行け、ということではないでしょうか?」

 

 私たちは競走ウマ娘ですから。それが可能なんですし。

 

「うわー、出ました。天才の発想……それをあっしのような下っ端ウマ娘に言うのは酷ってもんよ? シオン」

「そうでしょうか? 私達の世代はまだ誰もスタート地点にさえ立っていないんですから、等しくチャンスがあるはずですよ」

 

 そう言うと──ロンマンガンさんはつまらなそうな顔になり、冷めた様子で返しました。

 

「ったく、優等生の発想だねぇ。うらやましくて仕方ないわ。アンタとかセントホウヤとか、そんな連中じゃないとできない考えだわ」

「セント、ホウヤ?」

 

 その名を聞いたことがなかったのか、ミラクルバードさんは首を傾げてマンガンさんの方を見ました。

 

「名門出身の、いいとこの御嬢様ですよ。で、シオンと並ぶくらいに高い評価を受けてるあっしらの世代の期待の星ってわけです」

「ふ~ん……」

 

 私達の世代では噂になり始めているウマ娘ですけど、ミラクルバードさんの反応を見ると他の世代にまでは浸透していなかったみたいですね。

 

「なんか、名前の雰囲気的にはコスモ先輩のチームに居そう」

「あ~、違うッスね。〈アルデバラン〉じゃなくて、確か〈ポルックス〉所属のはずッスわ」

「……え?」

 

 思わず声を上げたのは、私でした。それでミラクルバードさんとマンガンさんが私の方を見ましたが、「どうしたの?」と首を傾げるくらいでそれ以上は踏み込みませんでしたが……

 

「いえ、聞いたことのあるチーム名だったので」

「そうだよねぇ……ウチのチームにいたらねぇ」

 

 うんうん、と頷くミラクルバードさん。

 

「ダイユウ先輩に続いて、オーちゃんまでライバルがそこに所属するなんて、なんか因縁めいてるよね」

「ライバル……?」

「そうだよ。ダイユウ先輩の……ライバル? かな、あのウマ娘(ひと)。とにかく因縁のある相手が所属してたんだよ」

「そう、ですか……」

 

 言葉を濁しながら答えた私でしたが、正直な話、関心はそちらにありませんでした。

 私にとっての〈ポルックス(あのチーム)〉は、サブトレーナーに根も葉もない噂を流されて不快な思いをしたという、印象が最悪のチームでしたから。

 

「ま、そんな優等生と違って縁遠いんだから、あっしみたいな劣等生くらい、安田記念の方に付けてくれたっていいと思うんスけどね」

「いや、でも思うんだよね。急にメンバーも増えたことだし、たまには水入らずにさせてあげないと」

 

 そう言ってミラクルバードさんは優しい表情になったのですが──

 

「……え? バード先輩はいいんスか?」

「なにが?」

「いや、トレーナーとダイユウ先輩が二人きりって……バード先輩的には、えっと……ほら、アレじゃないですか」

「……ボクが嫉妬するってこと?」

 

 口ごもったマンガンさんに対し、ミラクルバードさんは再び意地悪い笑みを浮かべて追求します。

 

「えっと、まぁ……そういうことッス」

 

 マンガンさんが肯定すると、ミラクルバードさんは「あはは」と笑い声をあげました。

 

「ボクは、確かにトレーナーのことを気に入ってるし、好きだと思うよ。でもね、ダイユウ先輩のことも好きなんだよ。そしてあの二人のことが大好きなんだ。だから、邪魔もしないし嫉妬は……少しくらいするかもしれないけど基本的には無いね」

「はぁ……」

 

 楽しげに言うミラクルバードさんの反応に、マンガンさんは半信半疑といった様子でした。

 

「それとも……ロンちゃん、キミの方こそ嫉妬してるのかな?」

「な!? なんで、そんな……」

「だって、この前、トレーナーに告白してたんでしょ? 噂で聞いたけど……」

「あ、アレはシオンとの賭けに負けて……べ、別にそれ以上でも以下でもない、わけで……」

 

 視線を逸らしながら言ったマンガンさんに、ミラクルバードさんは「ふ~ん」なんて言いながら、やっぱり意地悪い笑顔を浮かべています。

 

「まぁ、トレーナーの指示のおかげで、こうして新潟にまで来られて、昨日の内にこっちにきて、一晩ゆっくり休めたんだから」

「それはそうですけど……でも、男女比おかしくありません?」

 

 そう言ってマンガンさんは──黙って後ろにいた渡海さんにジト目を向けます。

 その眼光に「う……」と苦笑しながらうめく渡海さん。

 

「なんで、ターキン先輩にバード先輩、それにあっしとシオンの4人一部屋で、渡海兄さん一人なんです?」

「いや、それは男女で分けてるんだから仕方がないと思うけど……」

「だったら、渡海兄さんは東京残れば良かったんじゃないスか?」

「そんなことを言われても……」

「ま、トカちゃんは今回も別行動して、レース前後の手続きとかも繰り返して覚えないといけないからね」

 

 実際、ターキンさんの出走前の手続きは、渡海さんがほとんどやっていたそうです。

 足の不自由なミラクルバードさんがそれを補佐する、という形で。

 それでも不満そうなマンガンさんに──ミラクルバードさんは小さくため息を付きました。

 

「もう……いいじゃないか。新潟の美味しいもの食べられたんだよ? レースに出走するわけでもないのに」

「まぁ、そうッスけど」

 

 渋々頷くマンガンさんに、ミラクルバードさんは意地悪く笑みを浮かべます。

 

「それとも、安田記念は東京レース場なんだから、残ってトレーニングしたかった?」

「そ、それは……」

 

 意地悪い先輩の笑みに、マンガンさんは「うへぇ」と苦い顔をして誤魔化しました。

 

 ──ターキンさんの出走する新潟大賞典の出走時間は、まもなくというところまで迫っていました。

 そしてその時間……東京レース場では安田記念が始まっていたのでした。

 




◆解説◆

【ターフに舞い降りた愛の戦士(ウマ娘)
・元ネタ、ないんですけど……ふと「そういえば魚座(ピスケス)のアフロディーテが登場した時にそんな感じの珍妙な紹介されてたな」と思ってネタにしようと思って確認……
・その結果は「天と地のはざまに輝きをほこる美の戦士」というもので──“愛”が入っていないのと長かったので不採用になりました。

安田記念
・今回の元になったレースは1992年5月17日に開催された第42回。
・安田記念は1951年に創設された「安田賞」が起源。安田って何? かと思えば、明治~昭和に活躍された日本中央競馬会の初代理事長・安田伊左衛門に由来します。ちなみに東京競馬場にはその功績を称え胸像があり、そんなわけで安田記念はもちろん東京競馬場での開催になっています。
・そんな東京競馬場で、芝の1600で開催されています。
・そして1958年に上記の安田氏が亡くなったことから現在の安田記念という名称になりました。
・第1回からすべて1600から変更されておらず、開催地さえ1967年での中山開催のみと歴代の変化が無い珍しいレース。
・歴代の勝者も、バンブーメモリーやオグリキャップ、タイキシャトル、アグネスデジタル、ウオッカといったウマ娘化済みだったり、最近ウマ娘が発表されたヤマニンゼファーや、公式ウマ娘化されておらずともメジロアサマやギャロップダイナ、ダイイチルビー、タイキブリザード、ロードカナリア等とそうそうたるメンバーがそろっています。
・1992年の開催は、天候は晴れで良馬場での開催となりました。

あのウマ娘
・ええ、どのウマ娘なんでしょうね。ホントに。
・今回のオリジナルウマ娘はちょっとやり過ぎ感があるのですが、こうなった理由もちゃんとあるわけで……
・この時期のヘリオスが気にしているので“あの”ウマ娘なのは丸わかりなのですが。
・数話前に話題にしてましたしね。

チュン太郎
・別作の主人公で↑のウマ娘のトレーナー。もちろん本名ではなくあだ名で、乾井トレーナーとあだ名で呼び合う仲です。
・その別作品とは最近始めました『たったふたりの南赤星(アンタレス)』というもので、某短距離牝馬のウマ娘を主役にしたものです。
・彼女がここまで来るまでの物語……になるわけですが、そこまで描き切れるよう頑張りますので、こちらもよろしくお願いします。

セントホウヤ
・本作オリジナルのウマ娘。元ネタは……小説『優駿』に登場した架空の競走馬セントホウヤ。
・作中では将来を有望されていた名血統の競走馬で、生産者で日本有数である大牧場を経営する吉永達也がその年の生産馬で最も期待を寄せていた競走馬でした。
・ただ……最初はオラシオンのライバル的な扱いだったのですが、段々と話が進むにつれて強者的な雰囲気が無くなっていってしまうんですよね。最後のレースも最後に勝敗を競うんじゃなくて、変なところで争ってるし。
・競ったのは別の馬で──ちょと残念な感じになってしまうんですよね。
・なおゼントホウヤの名前ですが──“セント”は作中ではノーザンテースト的な存在であるセントエストレラという父馬からで、“ホウヤ”はスペイン語で「宝石」の意味だそうです。
・サトノダイヤモンドとかダイイチルビーとかそんな感じですね。
・そんなわけで、今後登場してくることになるウマ娘です。

〈ポルックス〉所属
・セントホウヤの所属なんですが、ミラクルバードが言うように、その名前の語呂から当初は〈アルデバラン〉所属で、巽見トレーナーが担当する予定でした。
・ただ……セントホウヤの担当した調教師はオラシオンの生産者に詐欺まがいのことをするし、その息子のメイン騎手は周囲も認めるクソっぷりの人格というどうしようもない親子なので、その役回りを巽見トレーナーや〈アルデバラン〉に押し付けるのは、ちょっとイメージが違うということで、泣く泣く却下に。
・だから、ひょっとしたらセントホウヤが小宇宙第六感よりも先の感覚に目覚めていたかもしれなかったのです。


※次回の更新は3月19日の予定です。  



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第13R 大禍患… 矜持と重圧の狭間で……

 

「くぅぉのぉぉぉぉぉ!!」

 

 火蓋が切って落とされた安田記念。

 アタシは走った。

 あの有記念から3戦目。そろそろ結果を出さないといけない。

 なにしろアタシは──グランプリウマ娘なんだから。

 中距離の大阪杯。長距離だった天皇賞(春)。そして今回の安田記念は1600のマイルレース。

 

(短いんだから、足にかかる負担は短時間で済むはず……)

 

 今までアタシが走ったレースは多岐にわたる。芝のオールラウンダーと言えるようなその経歴を反映して、トレーナーも距離を変えて試行錯誤しているんだと思う。

 その気持ちは本当にありがたいんだけど……

 

(今回のレースは……)

 

 今年に入って、今まで走った2回のレースは明らかな強敵がいた。

 大阪杯は──骨折から復帰した去年の二冠ウマ娘、トウカイテイオー。

 天皇賞(春)は──それに加えて誰もが認める現役最強ステイヤー、メジロマックイーン。

 でも……今回のレースには、そんな絶対的強者がいない。

 

「だから、負けられないッ!!」

 

 走りながら──横目で併走するウマ娘をチラッと見た。

 葦毛の髪をはためかせて走るウマ娘。

 しかし……彼女はメジロマックイーンではない。

 その最強ステイヤーの存在が目立ちすぎているだけで、クラシック期にシニアに交じって走った有で3着と結果を残したその実力は決して劣らない

 そんな葦毛のウマ娘──ホワイトストーン

 

「だから……こそッ!!」

 

 負けられない。

 あのオグリキャップに有記念で勝てなかったウマ娘相手に、同じ有記念を制したアタシが、負けるわけにはいかない!

 去年の有記念が、レベルが低かったわけではないと、証明するためにも。

 そんな彼女が見つめる先──アタシ達のすぐ先には、こっちと同じように並ぶように二人のウマ娘が走っている。

 先ほど、“絶対的強者”が不在(いない)と言ったけど──このレースにおいて“絶対的”とは言えずとも明らかに実績に於いて実力上位の強者が、そこに並んで走っていた。

 青いラフな服装が勝負服である──昨年のマイルチャンピオンシップの覇者、ダイタクヘリオス。

 そして昨年から変更され、白いドレス型の勝負服になった──昨年の安田記念(このレース)の覇者にしてスプリンターズステークスの二冠をとった、ダイイチルビー。

 

(……………………なん、だけど……)

 

 うん。ダイタクヘリオスはいい。彼女は隣の昨年二冠のウマ娘を最大限警戒して、油断なく走ってる。

 問題は、その隣の警戒されているはずのウマ娘だ。

 

「…………」

 

 長い黒鹿毛の髪をなびかせて走るマイル・短距離では圧倒的な強者──だったハズのウマ娘。

 

ダイイチルビー……なのよね?」

 

 なんて思わず疑いたくなるくらいにその様子が明らかにおかしい。

 それは、出走前に嘆いていたダイタクヘリオスはもちろん、アタシの横を走っているホワイトストーンも気が付いたようで……困惑した様子で、アタシの方を見てきた。

 ──いや、こっち見んな。アタシに理由が分かるわけ無いでしょ。

 

(確かに最初から様子がおかしかったけど……)

 

 なにやら色ボケした様子で観客席に手を振っていて……

 

「……そういえば、そうだったわね」

 

 他人(ひと)様のトレーナーに色目使って、ずいぶんとイラッとさせてくれたんだっけ。

 思い出して思わずアタシの目が鋭くなる。

 

(それにこの勝負服……これもう、アレよね?)

 

 去年、マイルチャンピオンシップで見た勝負服はやっぱりドレス型だったけど色も形も違ってた。前のは黄色のドレスだったものね。

 でも……なんでも表彰されたテイオーやマックイーンと同じように()()()()()()()()()()()、変えたって話なんだけど──

 胸元の赤い大きな宝石と、服自体にも赤の差し色が申し訳程度に入った白いドレスの勝負服

 

(……ウェディングドレスよね、これは)

 

 ヴェールがあれば完全にそう。

 むしろそれだけは譲れらずに矜持を守った、誰かの意志さえ感じるんだけど。

 

(ダイタクヘリオスが嘆く気持ちは、分かるわ)

 

 去年の彼女は本当に恐ろしかった。

 アタシが彼女と一緒だったのはスワンステークスやマイルチャンピオンシップで、そのレースで彼女は勝っていない。

 でも、その中でさえアタシは常に後塵を拝し続けたし、その速さを見せつけられた。

 それに研究で見せられた去年の安田記念も含め、スプリンターである彼女の気迫と集中力はすごいものがあった。

 優れた母を持つというプレッシャーに加えて、さらには『華麗なる一族』という名門を背負った彼女は、メジロ家の令嬢達に勝るとも劣らない品格と風格を持っていたもの。

 それが……

 

(さっきから、全っ然レースに集中していないじゃないの!!)

 

 末脚を生かすために溜めているのは彼女のいつものレース展開。

 アタシ達の前で中段待機しているのは、作戦通りのはずなのに──力を溜めている気配がまるでない。

 

(意識が半分以上、観客席に飛んでる……)

 

 なんか上の空というか……もしも最終コーナーを回ったら、そのままゴール版ではなく観客席めがけて走っていきそうとさえ思える。

 そんな彼女が、何度もチラチラと見て、意識を向けているのは──

 

「く……」

 

 その第4コーナーをいよいよ回る。

 そして──ダイイチルビーの順位が、いよいよ動いた。

 

 ……腑抜けるように失速し始めた彼女を、アタシとホワイトストーンはあっさりと抜いたのだ。

 

「お嬢様……」

 

 追い抜いた直後、彼女を気にしていたらしいダイタクヘリオスの悲しげな目が見えた気がした。

 でも──腑抜けたかつての強敵を気遣う程の余裕は、今のアタシには、無いッ!

 

「ここ、から……ッ!!」

 

 最後の直線。場面は最終局面──

 アタシは、必死で足を動かす。

 あのウマ娘(ダイイチルビー)が正気に戻っていたり、全て演技だったりしたら……最後まで警戒していた意識を全部振り払い、アタシは自分の脚に集中した。

 加速は──できる。

 

 でも、その末脚は……平凡としか言いようがない程度の力しか出なかった。

 

 もどかしさ、そして悔しさがこみ上げてくる。

 今すぐに、自分の脚を殴って喝を入れたくなったけど──足を止めてそんなことができるはずもない。 

 

(なんで!? あの時の……あの走りが、できないのよッ!!)

 

 悔しくて食いしばり、口の中で歯がギリッと鳴る。

 さらに力を込めようとするけど──全然、手応えはない。

 

(みんなが……見てるのよ?)

 

 ここは東京レース場。トレセン学園の目と鼻の先なんだから……コスモが見ているに違いない!

 それにセッツとシヨノも……オグリやアルダンたち同級生も含めて、()()()()に応援してくれたみんなが──きっと見てる。

 

(なのに……だから、アタシは……みっともないレースを、するわけにはいかないのに!!)

 

 これ以上、彼女達を失望させるわけにはいかない。

 そして思い浮かべたのは〈アクルックス(チーム)〉のみんなだった。

 あのレースを見ていたミラクルバードとオラシオン、それに渡海って研修生。

 

(それに……)

 

『ダイユウ(ねえ)さんの有制覇に憧れて、チームに来ました!』

『……ほんとに、あのレースの走りがすごかったから、私、興奮して……私も、もっとがんばりたいって思ったんです』

 

 ロンマンガンに、レッツゴーターキン。

 アタシの有記念を見て、アタシにあこがれたと言ってくれたウマ娘たち。

 ──彼女達に、無様な姿は見せられない。

 ──その憧れであり続けるために、もう()()()()()()()()()()

 

「かあああぁぁぁぁぁッ!!」

 

 もどかしさから、思わず叫びが口から出ていた。

 でも……アタシの脚は、アタシの気持ちに応えることはなかった。

 集団に沈んだまま、アタシはゴール板を駆け抜けることしかできなかった。

 

「……………………ッ」

 

 首から下げられたペンダントの、胸元で弾む一粒の丸い薄紫の石。

 それが今のアタシには、とてもとても重く感じられ、顔を上げることは、できなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 外の走路では勝者が観客席に手をあげて応えていた。

 その一方で──

 

「ダイユウサク……」

 

 ゴールするや、逃げるように早々にコースから去った彼女を見て、オレは慌てて追いかけ、そして通路でたたずむ彼女を見つけた。

 俯いたまま立ちすくむその後ろ姿に、オレは名前を呼ぶのが精一杯だった。

 レース直後の疲労はあるだろう。

 でもそれ以上に重い空気が、彼女を蝕んでいた。

 そんな彼女の姿に、居たたまれなくなったオレは思わず手を伸ばし──

 

「触らないでッ!」

 

 ダイユウサクの鋭い声が、オレの動きを阻む。

 アイツの肩に触れようとしたオレの手は、思わず止まっていた。

 それ以上、アイツは何も言わなかった。

 だけど、言わんとしていることは、なんとなくだが分かる。

 

 もしもオレが今、触れてしまったら──競走ウマ娘ダイユウサクは粉々に砕けてしまう。

 

 そんな危うさと緊張感が、そこにあった。

 オレが出してしまった優しさに甘えてしまえば、戻ることができない。それくらいに彼女は、追いつめられている。

 その危うさに、オレは──思わず言った。

 

「休め、ダイユウサク……」

 

 それしか、言うことができなかった。

 触れることを拒絶されて、それがオレにできる精一杯だった。

 アイツが競走ウマ娘であり続けることを選ぶのなら、それしかできない。

 なぜならオレは、競走ウマ娘を助け、共に歩む──トレーナーだから。

 

「今のお前は実力の100パーセントが発揮できない状態だ。負傷しているのと変わらないんだ。だから……」

 

 休養を指示したオレの言葉にアイツは──首を横に振った。

 決して振り返ることなく、オレに背中を見せたまま、アイツは言う。

 

「足に異常が出ていないのに、休むわけにはいかないわ。だってアタシは……去年の有記念をとったウマ娘なのよ?」

 

 グランプリウマ娘としての矜持──それがコイツの背中に重くのし掛かり、枷となって苦しめている。

 オレにはそうとしか見えなかった

 

「……世間の目なんて、気にするな。今のお前は……」

「“去年の有はマグレ”、“マックイーンに勝ったのはフロック”……そんな言葉、聞き飽きたわ」

 

 表情こそ見えないが、「ふふッ」と自虐的に笑うダイユウサク。

 

“一発屋”……なんて呼ばれ始めてるのも、もちろん知ってるわよ」

 

 そう言って、「お笑い芸人じゃないんだから……」と付け加える。

 もちろんオレもそんな世間の評価は知っていた。

 

「そんな評価……一つの勝ちでいくらでも覆せる。お前も知ってるだろ? 一昨年の秋の天皇賞のオグリキャップを、お前も見ただろ? あんなに調子崩して、ジャパンカップと連敗して……オグリはもう終わった、って言われたのに……」

「もちろん、覚えてるわよ。有記念の勝利で……世間の評価は一転したんだから」

 

 (てのひら)を返したようなその態度には、ウマ娘(サイド)から見れば、思うところがないわけじゃない。

 感動をありがとう? 今までコキ下ろしておいてなんだその言い草は──と思う気持ちもある。

 それはウマ娘競走(レース)に携わる者として当然の反応だと思うけどな。

 でも……

 

「だから休め。そして、その後でお前が勝てば、評価は変わるはずだ。今は非難されても、それでも勝てば──」

「ホントに、勝てるのかしらね……」

 

 ポツリと漏らした声が、妙に大きく響いた。

 オレの彼女を見る目が、驚きで大きく見開かれる。

 

「ダイユウサク、お前……」

 

 その肩が小刻みに震えているのが分かった。

 思わず伸びたオレの手は──今度は彼女の肩へとたどり着いた。

 

「──ッ」

 

 その瞬間、彼女の手がビクッと動いた。

 跳ね除けられる、とオレはとっさに思った。

 でも……この手は絶対に離せない、とも思っていた。

 さっきとは真逆──今、ここで手を離せば今度はダイユウサクというウマ娘が崩れ去ってしまう。オレにはそう思えたからだ。

 反射的に上がった彼女の手は……一度動きが止まり、それから両手で包むようにオレの手を優しく掴んでいた。

 

「……分かってる。でも、もう少し……頑張るわ。アタシを、応援してくれる人が、いるんだし……こんなアタシに憧れてくれる人が、いるんだから。それに……」

 

 オレの手どころか腕を両手でしっかりと掴んだ彼女。オレはそれを逆の手を伸ばして背中から抱きしめる。

 それで震えが止まった彼女は背を預けてオレに身を委ね、そしてポツリとつぶやいた。

 

「……グランプリって、重いわね」

 

 彼女の手が、オレの腕をそっと撫でる。

 オレは次のレースを決めた。

 これに勝とうが負けようが、その呪縛からコイツを解放するには、それしか手はなかった。

 

 次に走る……いや、走らなければならないレースは、宝塚記念(グランプリ)以外に思いつかなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そして新潟では……

 

「あれ? なんでターキン先輩、レース中にあんなにキョドってんの?」

「あぁ、集団に完全に埋もれてしまっていますね……」

「あ~、ゴールしちゃった……まぁ、これは完全に逃げ切られちゃったからね。仕方がない、かな?」

「いやいやいやいや……絶対に駄目なヤツでしょこれ。ターキンパイセン、最下位(ビリ)ッスよ?」

 

 ミラクルバードとオラシオン、それに渡海とロンマンガンの4人は──思わず顔を見合わせて、ため息を付いた。

 

 新潟大賞典の結果は、前走の1着が嘘のような──そんな大負けだった。

 今日の〈アクルックス〉の成績は、お世辞にもいいとは言えない結果だった。

 




◆解説◆

【矜持と重圧の狭間で……】
・そっちはオリジナルなので、『大禍患』の説明をしますと、「禍患」とは好ましくない結果から生じる不幸な状態のこと。災難とか不運とか、そういう意味です。

ホワイトストーン
・すっかりお馴染みになったオリジナルウマ娘。
・“名前は出てくるけど空気”という本作での扱いだったのですが、今回はやっと走る姿+αの感情が込められた行動が描写されました。
・ただ、今後もストーン()という名前から無口キャラになっていますので、セリフは無いと思います。
・元ネタ競走馬は本当に優秀で、32戦して4勝しかしていないというのが信じられないくらい。
・ウマ娘になったらまず間違いなく〈カノープス〉のメンバーになると思います。
・でもね、ホワイトストーンさんや。なんで1600の安田記念にあなたが出ているのか、それが不思議で仕方ありません。
・たしかにこの年の大阪杯の前に、休養明けで1800(マイル戦)の中山記念に出てますけど、それに勝ったわけでもないじゃないですか。
・──どうしてもGⅠ欲しくて、でも他に出られるGⅠも無いし出てきた、という感じなのでしょうか。
・案の定、マイル戦のスピードについていけず、9着になっています。

ダイイチルビー
・はい。前回出ていた色ボケウマ娘は、ダイイチルビーでした。
・元になる競走馬は1987年生まれの牝馬。
・1991年の安田記念、スプリンターズステークスを牡馬にも負けずに勝利しており、グレード制導入以降で牡馬牝馬入り混じったGⅠを2勝以上したのは彼女が初。
・そうして91年のスプリンターズステークスを制したダイイチルビーでしたが、翌週開催だった有馬記念を制した誰かさんと同じように92年に入ると突然パッタリと成績が悪くなります。
・ただし、ダイイチルビーの場合は原因が分かっており、フケ(発情)のせいで競走意識が無くなってしまったから。
・──ええ、今のあの姿の元ネタはその状況なわけでして……
・こんな情けない姿を書いていたらあまりにも名誉棄損だ、と思いまして『たったふたりの南赤星(アンタレス)』を始めました。
・なお、1992年の安田記念は、ダイイチルビーの最後のレースでした。

勝負服
・本作でのダイイチルビーは、元ネタ馬の勝負服(黄色に赤輪、袖が紫)から従来のものは黄色いを基調に、赤(これはルビーからでもあります)と薄紫のアクセントが入ったドレス型を設定してました。
・しかし前年のURA賞の表彰では(アニメ準拠で)年度代表はトウカイテイオー、最優秀シニア級ウマ娘はメジロマックイーンが受賞しており、ダイイチルビーは対象外。
・──実際の1991年JRAの表彰ではダイイチルビーは最優秀古牝馬、最優秀スプリンターに選ばれています。
・が、アニメでは尺の関係でしょうが、トウカイテイオーとメジロマックイーンのみが表彰されています。ただし「続いての~」という司会者の台詞があったのでJRA賞が他にあってそのシーン前に表彰されている可能性は高く、だとすると史実からその中で最優秀短距離ウマ娘(スプリンター)を受賞していると思われます。
・でも、マックイーンは最優秀()()()()ウマ娘で受賞しているので、ダイイチルビーはそこを取れていないのは確実。
・そのため、レースの結果を見れば明らかに上回っているダイイチルビー陣営はもちろん抗議しています。
・本作の裏設定ですが、ここでは前年秋のメジロマックイーンの後着騒動で「マックイーンをジャパンカップと有記念をボイコットさせる」と激おこぷんぷん丸状態なメジロ家(の御婆様)を説得して出走させたので貸しがありました。
・まして残すシニア級のGⅠはその二つを除けばマイルチャンピオンシップとスプリンターズステークスという歴史の短い短距離レースだけ。
・「有の出走メンバーの予想を考えたらどう考えてもマックイーン一択。勝ったレースの格を考えれば最優秀シニアはマックイーンに……」という裏取引で釣り出したのもあり、マックイーンはその二つに出走。
・しかし有記念直前ではマックイーンはジャパンカップ4位な一方、ダイイチルビーがSS(スプリンターズステークス)を制して二冠達成したものの、MCS(マイルチャンピオンシップ)は逃してました
・それでURAは「まぁ、二冠同士なら八大レース2勝のマックイーンが最優秀シニアで問題ない」と楽観視。
・──そこを空気読まない推薦枠の誰かさんが勝ったせいでURAの思惑が完全に崩壊。
・なんてことしてくれるんだ、このウマ娘(ダイユウサク)!! と関係者が唖然としたのは言うまでもありません。
・でも約束は守るしかないわけで──ダイイチルビーがGⅠを3勝したわけじゃないし、秋の天皇賞は実質1着だし、JCジャパンカップは外国勢抜かせば最先着だし、そもそも有馬記念だって2着だし、ルビーには最優秀スプリンターをあげたし、と辻褄を合わせます。
・ところが、ダイイチルビー陣営にはシニア級の“最優秀ウマ娘”を譲れない事情があったので引き下がりません。
・GⅠ2勝の上に、順位が一番悪くても3着が1回しかないというダイイチルビー陣営の主張はもっともで、かといって、もちろん表彰を覆すわけにもいきません。
・「URA賞には最優秀長距離ウマ娘(ステイヤー)という賞は無く、誰が見ても高い実力を持ち、そして活躍したマックイーンを表彰しないわけにはいかない」という主張で最優秀シニア級をマックイーンが、最優秀短距離ウマ娘(スプリンター)をダイイチルビーが受賞ということになりました。
・とはいえ、誰がどう考えても最優秀短距離ウマ娘(スプリンター)はダイイチルビーで決まりだったので、URAは本来新しい勝負服が貰えるのは「年度代表と最優秀シニア級ウマ娘だけ」(ミホノブルボンは貰っていないし)だったのを、ダイイチルビーは「格段の功労があったので、特別に賞品として授与する」という……本作オリジナルの裏話(こじつけ)がありました。
・正直、ダイイチルビーの成績は、レースの格を考えない成績ならトウカイテイオーに代わって『年度代表』だって狙える位置でしたから。
・……というかそれをアニメでテイオーに「きっと同情票も含まれていますわね」と言ったマックイーン。本作では見事に自分に刺さってますよ。
・──そんなわけで……
・すでにフケ状態だったダイイチルビーが熱望したデザインが反映されたデザインになったわけで。
・ちなみにこの勝負服はダイイチルビーのメンコが「白で耳と縁が赤い」ものだったのが元ネタで、そのため白いドレスに赤い宝石やアクセント、ということになっています。

“一発屋”
・ダイユウサクを指す二つ名に『世紀の一発屋』というものがありますが、この作品を書くためにいろいろと調べたりして、この“一発屋”というものだけは、すごく抵抗感があるようになりました。
・実際、ダイユウサクはいろんなレースで勝っているし、活躍しているし、惜しいレースもありました。
・確かにGⅠは1勝。でもそんな競走馬は他にもいますし、その1勝が強烈だったというのもわかります。
・だからこそ他のGⅠ1勝馬よりも目立つ“愛されている”存在なわけですが、やっぱり好きなのは「ものすごく遅いデビュー戦が13秒のタイムオーバーで、次も7秒という大幅なタイムオーバー」でスタートした落ちこぼれが、同年代のスターに隠れて走り続けて、あの有記念で大輪の花を咲かせたことだと思うんですよね。
・もちろん──例えば芸人の「一発屋」にもそこに至る努力や人生があるのはわかりますが、ダイユウサクを「一発屋」と呼びたくはないですね。
・まぁ、ウマ娘の場合…………仮にもウマ()なんだから「一発屋」なんてあだ名は語呂的にかなりマズいと思いますし。


※次回の更新は3月22日の予定です。  



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第14R Let's go! 繋げていこう、一緒に

 
 ──私はいつも通りのレース展開をしていました。
 この前から変わったトレーナーさんの指示の通りに、過剰に周囲を気にすることなく、マークしたウマ娘にだけ気をつける。
 そうやって走る……そのはずでした。


 今回のレースで、トレーナーさんから指示があったマークする相手は一番人気のウマ娘でした。

『お前の一つ下だが強敵だぞ。差しや追込みを得意としているのは前回のハヤブサオーカンと一緒だが、今回の彼女の実力はさらに上だ』

 資料を見ながら、トレーナーさんは親切に私に説明してくれました。

『今まで16戦走って掲示板を外したのはテイオーが勝ったダービーのみ。そんな安定した結果を残している』

 その凄さは、やっぱり差しや追込みのレース展開をしているので私にも分かるんです。
 逃げや先行と違って集団に飲まれやすいのは、前を塞がれるということがよくあるから。
 自分で「ここ!」と決めて加速しても、前の状況次第では足を抑えたり、回り道をする必要があったり、囲まれてどうしようもなくなったり……
 そんなリスクの多い差しや追込みですから、安定した結果を残すのは本当に難しいと思います。

(今回も前回と同じように、その人を参考にすれば……)

 私は集中し、最後方へと位置したそのウマ娘をマークしていました。
 でも──

「爆逃げぇぇぇッ!!」

 先頭を走るウマ娘が、叫びながら走っているのが聞こえ──

「……え?」

 私は思わず注意を向けてしまいました。
 すぐに「いけない」と思って、マーク対象のウマ娘に意識を戻します。
 相変わらず私と、並んで走っているウマ娘よりもさらに後方で待機。まだ追い上げてくる気配はありません。
 でも──

「うおおぉぉぉぉぉ!!」

 ──さっき叫びながら走ってた先頭のウマ娘が気になって仕方がありません。
 そしてそんな彼女の走りは──私にあることを思い出させました。

フォロー・ザ・サアアアァァァァァァン!!

 それは……昨年出走した、同じレース新潟大賞典でのこと。
 あの日も同じように逃げたウマ娘がいて、そしてそのまま逃げ切られてしまいました。
 逃げていたのに、彼女の末脚も残っていて……終盤の加速は誰よりも速かったんです。
 おかげで2位以下は大混戦。
 後方から一気に差すウマ娘に、2番手のままゴールを狙って粘るウマ娘。
 バタバタと目まぐるしく変わり、そして動く周囲に圧倒された私はすっかり慌ててしまい、びっくりして戸惑っている内に……

『え? えぇ~!?』

 前はすっかり塞がれ後ろで足をためていたウマ娘達は避けるように前に出ていきました。
 私には、その前の壁を突破する力も、速さもなくて……

『ど、どうしよう。どうしよう……』

 半ばパニックになったまま、そのまま加速することさえできずに──気が付けば最下位(ビリ)になってたわけで……

「うぅ……気になる。あのウマ娘(ヒト)、きっと速いし……」

 だってあのウマ娘さん、この前録画で見たダイユウサクさんのレース映像にも出ていたもの。
 確かに逃げきれなかったけど、それでもダイユウサクさんよりも前の順位だったと思う。
 あのときのレースは3200。今回の新潟大賞典はそれよりも1000も短い2200なんだから、ひょっとしたら、また──

『あ~っとシャコーグレイド、ここで仕掛けた。後方で待機していたシャコーグレイドが一気に上がってくる!!』

「えぇッ!?」

 私は先頭のウマ娘に注意を向けてしまっていたので慌てて警戒をそちらに向けようとしつつ、顔を振り向いて位置を──

「あ……」

 振り向いた私の横を、隙をつくようにして上がっていく黒鹿毛のウマ娘。
 その背を追おうとしたんですが──見れば前にいたウマ娘も、私がマークするように言われていたウマ娘に呼応するように、前へと進んでいます。

「だ、ダメ……」

 私は思わずそのあとを追いかけようとします。
 でも──もはやレースは終盤。
 先頭のウマ娘の逃げ足は衰えずに前へ前へと進み──
 中段から、そして後方から追い上げていくウマ娘たち──
 私の周囲はすっかり囲まれていて──

「ひぅッ!!」

 脳裏に浮かんだのは、悪いイメージでした。
 去年の同じレース……新潟大賞典と、ほとんど同じようなことになっていました。
 私はパニックになりかけながら、それでもどうにかしようと思ったんですけど、焦れば焦るほど、心は落ち着くことはなく──

「あぅあぅ……」

 そんな中で自分のタイミングでスパートをかけることなんてできるわけがありません。
 それどころか、そのタイミングを完全に逸してしまって──

「そ、そんな…………」

 私は最後方にいました。
 私よりも後方で待機していたウマ娘達は、駆け上がっていって、私はそれについていくことさえできませんでした。
 かといって、前でレースをしていたウマ娘達に追いつくこともままならず──

 ──私は去年の焼き直しのように、最後尾でゴール板を駆け抜けました。

 ああ、どうしよう……ゴール直後に、頭を抱えたい気持ちで一杯です。
 だって、トレーナーさんの指示も守れなかったし、先頭のウマ娘を気にしたせいで、完全に全部失敗して……しかも最下位だなんて。

(いったいどうしたら……とにかく、トレーナーさんに顔向けできませぇぇぇぇん)

 泣きたい気持ちを抱えたまま、私は走路から去るしかありませんでした。



「……お嬢様、これから愛に生きるんだって」

「それをどうしてアタシに言うの?」

 

 アタシ──ダイユウサクが学園内を歩いていたら、バッタリとダイタクヘリオスに出くわした。

 ついこの前の安田記念という同じレースに出走したばかりの間柄だし、アタシは8着で、向こうは6着。

 確かに着順では向こうの方が上だったけど、それでどっちが勝ったとか言うような次元の話ではないし、気まずさとか「次は勝つ」とかそういう雰囲気もない。

 ただダイタクヘリオスは明らかに「どよ~ん」と暗く沈んでいて、悩んでいるのは間違いない様子だった。

 

(触らぬ神に祟り無し、ね……)

 

 察したアタシは事も無げに──見なかったことにしてスルーしようとしたんだけど……すれ違いざまにガシッと腕を掴まれてた。

 さすがに驚いて、「な、なに!?」って振り(ほど)こうとしたんだけど、ウマ娘の力はやっぱり強く、それだけじゃあ簡単に離れなかった。

 さらには──

 

「ぴえ~~~~~ん!!」

 

 ──なんか、泣き始めた。

 これには呆れたというよりも驚いたのが上回ったんだけど、さすがに大きな声を出して泣かれたら注目が集まる。

 そんな彼女をアタシが自分から無理矢理引き剥がしていたら……どんな噂が流れるか、わかったもんじゃない。

 やむなく彼女が落ち着くのを待っていたら、泣きやんだ彼女が冒頭のセリフを言ったってワケ。

 まぁ、実際……そんな話をアタシにされても困るわ。

 アタシがため息混じりに返すと──

 

「お嬢様がいなくなったら、あたしは何を目標に走ればいいんだよ~!!」

「知らないわよ! それ、アタシに関係ないんだから!!」

 

 そもそもアタシだって、他人のことを気にしている余裕なんてない。

 次のレースこそ、絶対に勝たないと……

 

「うわあぁぁ~! つれないよ~、何度も一緒のレースで走った仲じゃん! タユウ~」

「なッ!? なに、その呼び方──」

「タマっちから聞いた」

「あ、そう……」

 

 あのねぇ、ヘリオス。アタシもだけど、タマモクロス先輩はアンタよりもずっと年上よ? 敬意を抱けとは言わないけど、やっぱりそれなりの言葉遣いってあると思うんだけど……

 内心、そう思いつつ、「やっぱりこの()は苦手だわ」と心の中で付け加える。

 

「で、お嬢様ってダイイチルビーのことよね?」

「うん……」

 

 思い浮かぶのは、やっぱり安田記念での変わり果てた姿。

 そんなに何度も競ったわけじゃないし、学年も違うからよく知ってる間柄じゃあないけど。それでも以前は、強気で毅然としてて、凛々しささえ感じていたのに……

 

「なんで、ああなっちゃったんだろ……」

 

 ヘリオスの話では、変化があったのは今年になってかららしい。

 スプリンターズステークスを制して、目標を見失っちゃったのかしらね。

 アタシがそれを言うと、ダイタクヘリオスは首を横に振った。

 

「そんなことないよ。二大マイルを制したり、それに高松宮杯の三代制覇が夢だって前に言ってたの聞いたことあるし」

 

 ……いや、待った。

 あのさ……それ去年、両方阻んだのヘリオス(アンタ)よね?

 高松宮杯はアタシも初めて走った重賞だから思い出深くて、去年もチェックしてたから覚えてるけど。

 二大マイルGⅠの残る一つ、マイルチャンピオンシップはアタシも走ったから結果は良く知ってる。

 だとしたら……ダイイチルビーはダイタクヘリオス(このウマ娘)に心折られて諦めたってこと?

 

(まぁ、去年の年末はなんでか有記念に来たから、スプリンターズステークスに出てなかったけど)

 

 悪く言えば鬼の居ぬ間に洗濯、ってことになる。でも、あのダイイチルビーがそこまでヘリオスを意識していたかどうか……

 

(それに、去年の安田では勝っていたんだから)

 

 絶望するほどの実力差もなければ、ヘリオス(この娘)からとてもかなわないような雰囲気を感じさせられるわけでもない。

 

「……ん? なに?」

 

 アタシがジッと見つめているのに気付いて不思議そうに首を傾げたその姿は、正直言って強者感は皆無だった。

 

「別に……でも、他に原因なんて……」

 

 例えば、別の強者に心折られたとか?

 ……と言ってもねぇ。

 

(そもそも去年の年末って、彼女はスプリンターズステークスで勝ってるわけで。心折られるわけがないのよね)

 

 理由があるとすれば、その後の別のレース?

 でもスプリンターズステークスの後なんて、それこそ有記念しかないわよ。

 中長距離の有に出てた、短距離走者(スプリンター)のダイイチルビーのライバルなんて──

 

「う~ん……」

 

 プレクラスニー……かしら?

 本来はマイラーの彼女。マックイーンとの因縁がなければ、マイルチャンピオンシップからスプリンターズステークスという路線に来たかもしれなかった。

 そして有ではツインターボを独走させることなく、最後にアタシに抜かれるまで先頭を譲らなかったその姿は、確かにスゴい底力を感じたわ。

 

(それにヘリオスはついていけなかったしね)

 

 他にライバルって言ったら……有には出てなかったけど、ケイエスミラクル?

 スプリンターズステークスはダイイチルビーと一緒に走って……彼女、レース中にケガしたのよね。

 そういえば、その後の話は聞かないけど……

 

「ねぇ、ヘリオス。そういえばケイエスミラクルって、まだ治療中?」

「……え? ケイならアメリカに帰ったけど?」

「えッ?」

「なんか復帰がムリめで、もう治らないーって言われたんだって。で、学園もやめちゃって、実家のあるアメリカの……どこだっけ? フライドチキンで有名な──」

「ケンタッキー?」

「そうそれ! そこに帰ったって」

 

 それで名前を聞かなくなってたんだ。

 これがショックだったのかしらね。それでダイイチルビーは──

 

「愛に、生きる……ね」

 

 あの安田記念の後にトレーナーをとっちめて──じゃなくて、彼から聞いたんだけど、彼女が懸想していたのは担当トレーナーだったみたい。

 しかもそんな彼が旧知の間柄であるアタシのトレーナーを盾にして隠れていたそうな。

 まったく、人騒がせな話よね。

 ダイイチルビーの“愛”の相手は間違いなくその人でしょうけど……去年GⅠ二冠をとった彼女の、それに縛られない姿には──

 

「羨ましいわね……」

 

 ……アタシもそんな生き方ができたら。

 そう思って、ふと安田記念のレース後のことを思いだして──

 

「え? なに? タユウ──」

「きゃッ!?」

 

 突然、ヘリオスが顔をのぞき込んできたのに、アタシは驚愕した。

 な、なにこの()……

 

「なんかブツブツ言ってたけど、聞こえなかったんだけど?」

「なッ……だ、大丈夫よ。なんでもないわッ!!」

「え~、教えてくれたっていいじゃん。何系の話?」

 

 どうしてそんなに食いついてくるのよ!

 まったく──

 

「あれ? ヘリオスと……ダイユウサク、さん?」

「お? パーマーじゃん。ウェーイ!」

 

 そんなアタシとダイタクヘリオスの所へ近寄ってきたのはメジロパーマー。安田記念の前に走った天皇賞(春)で一緒になったけど、彼女はアタシよりも一つ前の7着だった。

 いやいや、ヘリオスさんや。パーマーって仮にもメジロ家の御令嬢よ? その挨拶は──

 

「ヘリオス、ウェーイ!」

 

 ……はい?

 え? マジでそんな挨拶を、メジロ家の御令嬢がするの?

 アタシが驚いて目を丸くしている中、二人はハイタッチして合流する。

 いや……気が良いからって、そこまで丁寧に付き合ってあげる必要はないと思うんだけど。

 

「今日はどしたの?」

「うん。今度のレースを占ってもらおうと思ってこっちに来たんだけど……」

「じゃあ、今すぐ一緒に行こ。Here we go!!」

 

 いつの間にか笑顔に変わっていたダイタクヘリオスが、パーマーの袖を引っ張って進もうとしていた。

 それに驚きながら引っ張られ──パーマーはかろうじてこちらを振り返る。

 

「あの! ダイユウサクさん、えっと……」

「パーマー、なにしてんの! 行くよ!!」

 

 そう言って軽く会釈して去っていくパーマーと、夢中になって引っ張っていくヘリオス。

 ……なんだ、ルビーがいなくなっても、アンタと一緒に走るウマ娘はいるじゃないの。

 




◆解説◆

【Let's go! 繋げていこう、一緒に】
・またもウマ娘の曲、『ユメヲカケル』の歌詞から。
・正直、タイトルのルール性を尊重してたら、そろそろターキン回のタイトルのネタが尽きてしまうんですが。

一番人気のウマ娘
・92年の新潟大賞典の1番人気はシャコーグレイド。
・シャコーグレイドは1988年生まれの黒鹿毛の牡馬。トウカイテイオーの同期で、91年の皐月賞ではテイオーに続く2着になっています。
・ところがその後はダービー8着、菊花賞5着と低迷。
・とにかく“勝ち”に恵まれない馬で、45戦して3勝。
・90年に3歳(当時表記)11月の新馬戦でのデビューと翌月での2連勝した後は1994年の10月の東京スポーツ杯(オープン特別)まで勝ちがありませんでした。
・しかも何の因果かその日はトウカイテイオーの引退セレモニーで、同期のそれに花を添えようと頑張った……のかもしれません。
・そんな3勝でも生涯得賞金は3億円を超えており、コンスタントに入賞して賞金を稼いでいた模様。
・そんなシャコーグレイド……アニメ2期では、モデルにした“シダーブレイド”という名前のウマ娘が登場しています。
・サイド気味のポニーという髪型で、黄色い勝負服にピンクのシルクハット型帽子を頭に乗せています。
・1話での初登場で、リオナタール(レオダーバン)の次に現れたシダーブレイドは、モデルのシャコーグレイドの父はミスターシービーなためシービーを見て「運命的なものを感じる」と言っています。
・そして、このシャコーグレイド……メリーナイスやマヤノオラシオンと同じく、銀幕デビューしている馬でもあるのです。
・『超高速!参勤交代』という映画で主演の佐々木蔵之介さんを乗せた馬として出演。
・そんなわけで本作オリジナルウマ娘であるシャコーグレイドは、引退後に女優に転身して時代劇に出演した、という裏設定があります。

先頭を走るウマ娘
・先頭を走って逃げたのはメジロパーマー。
・92年の新潟大賞典では7番人気だったパーマーがそのまま逃げ切って勝っています。
・なお、アニメ2期では天皇賞前にパーマーとヘリオスが出会っていますので、コンビ結成後であり、通じませんでしたが“爆逃げ”した後のレースです。
・この成功を糧に、宝塚記念での“爆逃げ”挑戦していきます。

フォロー・ザ・サアアアァァァァァァン!!
・レッツゴーターキンが前年(91年モデル)に走った新潟大賞典を制したのは、第一章で登場したトウショウバルカンでした。
・第64話で登場したあのウマ娘が、まさかまさかの再登場。
・プレクラスニーのレースのために登場させただけだったのに、ここで絡んでくるとは思いもしませんでした。


※次回の更新は3月25日の予定です。  



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第15R 希望と愚行

 トレーナー室で、自分の机に突っ伏したオレは頭を抱えていた。

 そしてため息をつく。

 

「頭痛ぇ……」

 

 思わず声がでる。

 すると──横から声がかかった。

 

「いったい何を悩んでるの? 先輩のことだから病気じゃないんでしょ? ナントカは風邪ひかないって言うし」

夏風邪かもしれねえだろ……」

「そうやって返せる元気があれば病気じゃないわね」

 

 半ば呆れ顔でオレを見ている、相部屋相手である巽見。

 

「で……どっちの結果を嘆いてるの? 安田記念? それとも新潟大賞典?」

「どっちもだ」

 

 そう巽見に返したが──正直な話、安田記念は覚悟はしていた。

 だが、ターキンは完全な予想外。

 

「う~ん……まさか、殿(しんがり)負けするとは、な」

 

 ダイユウサクの負けは理由がわかってる負け。その解決方法はわかっている。脚が元に戻ればいいだけの話だ。

 ……まぁ、その方法の目処はついていないけどな。

 しかし、ターキンの負けは──

 

「ターキンは前走でいい流れを作れたと思ったんだが……」

「いつも自分で言ってるじゃないの。“ウマ娘競走(レース)に絶対は無い”って」

 

 巽見が痛いところをついてくる。それを言われたらなにも言えない。

 しかし“絶対”はなくとも、少しでも勝つ確率を上げるのがオレ達トレーナーの仕事だ。

 だからこそ、その負けレースの分析をしなければならない。

 

(アイツのメンタルの弱さは、やっぱり簡単には治らないな)

 

 一番考えられるのは、“甘え”が出たことだ。

 前回、独り立ちできたと思ったところに、直前まで一緒にやってきたトレーナーに祝福させたことで、「見てもらえている」という意識を生ませてしまったのは失敗だった。

 だから今回、前のトレーナーもオレもいないことでその甘えが裏切られ、そして動揺して落ち着きを失った。

 そして一番の原因は──

 

「この一年以上の連敗で、すっかり自信を失っていることの方が深刻じゃない?」

 

 ポツリとそれを指摘した巽見。やっぱり優秀なトレーナーだな、お前は。

 レッツゴーターキンはGⅢを連勝できたウマ娘だ。

 だからこそ、連敗を断ち切りさえすれば、同じGⅢの舞台でも戦える──少なくとも次につながる結果は残せると、オレは思っていたんだ。

 だが心の傷は、本人には自覚がないかもしれないが、思ったほどに深かったらしい。

 

「それと、負けグセを気にするのなら、もう一人の現役も気にした方がいいと思うけど」

「アイツの場合は、ターキンと違う」

 

 恐れ多くも分不相応に“領域(ゾーン)”へと無理に踏み込んだ代償。

 最悪、もう戻らないかもしれない──半年近くが経過して、そんな恐れがオレの頭の中には生まれてさえいる。

 

(でも……アイツは今まで、よく頑張った)

 

 ドン底からスタートして、這い上がり、奇跡を起こした。

 そうして栄冠を掴んだアイツにもう一花、という気持ちは、共に歩んできた者としてもちろんある。

 しかしさすがに「もっと頑張れ」とは、オレには言えない。

 だから後はもうアイツの気が済むまで好きなようにやらせてやりたいと思っている。

 だが、ターキンは違う。

 

「ターキンは、まだなにも為していないからな」

「なにも? GⅢ連勝をしてるのに?」

 

 世のウマ娘はGⅠを何勝もするような一流ウマ娘だけではない。

 かといってオープンクラスに昇格するのがやっとの、並のウマ娘からしてみれば、ターキンのやったこともそれは十分に大きな“成し遂げたこと”だろう。

 

「アイツの意識はもっと上にある。だからまだトゥインクルシリーズを走り続けているし、ダイユウサクの有記念制覇に自分の夢を重ねたんだろ」

 

 並のウマ娘ならGⅢ連勝で満足し、7連敗で諦めてしまっている。

 ましてその最中に二人三脚だったトレーナーが退くのなら、なおさらだ。

 でも、アイツは走ることを選んだ。

 そんなレッツゴーターキンが現状の成績で満足しているわけがないんだ。

 

「アイツが上を目指すには、また自分の強さを積み上げる必要があるんだ。そしてその積み上げたものが自信になり、弱いメンタルを守る盾と鎧になる」

 

 アイツのメンタルが弱いのを理解しいていながら、2戦も付かずに走らせてしまったのは正直、失敗だった。

 特に前走──その前はオレがいない状況を体験させるのと、前任者のことがあったからまだ良かったが、次のレースは考えるべきだった。

 一年以上ぶりの勝利に、ターキンが喜んでトレーニング中の調子がよかったのを過信したというのもある。

 

「……でも、もし負けがかさんだら逆効果じゃない?」

「もちろんそうだ。だが、去年のダイユウサクみたいに結果を出せなくても上を見続ける、なんてことはターキンにはできない」

 

 絶対に心が折れてしまう。

 現に、今回の最下位という結果でさえだいぶショックを受けているようだからな。

 

「勝ち……たとえ負けても良かったところを見つけるためにも、次からはオレが付かないとな」

 

 そもそも、せっかくオレが担当になっているのに、今までオレが出走レースに立ち会っていないのもおかしな話だ。

 少なくとも何度かそれを繰り返して、様子を見る。

 ──ただ、問題もあった。

 

「とはいえ、時間が無いんだよな……ターキンのレースに付き添うようにするにしても。もう宝塚記念の時期だぞ?」

「春レースも終わり、ね」

 

 ふと、巽見の顔が陰った。

 今は担当しているウマ娘がいないはずの彼女だが、思うところがあるのだろうか。

 そんな巽見の言うとおり、有記念が秋レースの終わりなら、宝塚記念は春レースの終わりにあたる。

 2つの最強決定戦(グランプリ)は春と秋のシーズンの最後に行われるのだ。

 そして春が終われば夏がくる。

 

「夏になればメイクデビュー戦が始まることになる。そうなると出走するメンバーが2人増えるかもしれない」

 

 もちろん本人達の仕上がり具合に任せるしかないが、少なくともオラシオンとロンマンガンの2人が出走する可能性が出てくる。

 

「それはさすがにそれにトレーナーが行かないってわけには……ね」

「ああ……」

 

 巽見の言葉にオレはうなずいた。

 ダイユウサクの場合、前のチームでデビューが遅れに遅れたという事情はあったが、トレーナーが来なかったというヒドい目に遭っている。

 同じことを二人に経験させるわけにはいかない。

 また、そのうちの1人のオラシオンは〈リギル〉の勧誘を受けていたこともあって注目されている。

 それを断って〈アクルックス(ウチ)〉に来たという経緯があるために、周囲が見て納得するほどの明らかな事情が無ければ、その出走にオレが不在というわけにはいかないという事情もある。

 

「そっちが始まる前に、ターキンを安定させたいんだが、果たして間に合うか……」

 

 少なくとも秋までに、アイツが失った自信を回復させなければ。

 それに秋になれば重賞レースが格段に増える。ターキン自身が栄冠を掴むためにもそれに間に合わせなければならない。

 

(だから、次からはダイユウサクの日程とはかち合わないようにするしかない……)

 

 アイツの次走は決まっている。宝塚記念だ。

 投票で出走が決まるレースだが、そこはそれ腐っても有記念を勝ったウマ娘──たとえそれ以来勝ちが無くても、出走できそうなくらいに票は得ている。

 

(それを避けた上で、地方のレース場での開催と……)

 

 さて、その条件で考えると、レッツゴーターキンの次の競走(レース)は──

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ほら、マンガン! もう一本だ!!」

「う、うへぇ……」

 

 オレが出した指示に、呼吸を整えていたロンマンガンは、うつむいていた顔を上げ、露骨に苦い表情になる。

 

乾井(イヌ)トレの練習、キッツ……しかも、なんであっしだけ……」

 

 ブツブツというロンマンガンの声が聞こえてくる。

 今日、オレはロンマンガンに完全についてトレーニングしていた。

 

「トレーナー……あっしなんかほっといて、ダイユウ姐さんとかターキン先輩とか、現役を優先して見た方がいいんじゃない?」

「二人ともレースが終わって間もないからな」

「えぇ~? そう言ってすでに数日経ってるじゃん。それに……」

 

 ブツクサ言いながらジト目気味にロンマンガンが向けた視線の先には──ダイユウサクが軽めに走っている姿があった。

 

「姐さん、いるし」

「軽めの調整を言いつけてある。だからオレがジッと見てる必要はない」

「ならターキン先輩は?」

 

 ロンマンガンの問いに──オレは答えるのを躊躇った。

 レッツゴーターキンは、新潟大賞典以降から練習に顔を出していなかった。

 

(やっぱりショックだったんだろうな……)

 

 一年以上ぶりの勝利……からの最下位。

 それが惜敗だったわけでも、強いメンバーに囲まれたような仕方のない敗戦でもない。

 

(確かに重賞だった。しかしGⅢだ)

 

 メンツを見ても……確かに勝利したメジロパーマーは春の天皇賞に出走したような馬娘だ。そこでダイユウサクと戦ってもいる。

 だが、メジロマックイーンの圧勝に対し、抵抗したといえるようなものではなかった。

 オレがマークを指示したシャコーグレイドも、あくまであのメンバーの中で警戒するべき、という範囲でしかない。さらにはターキンの“差し”が目印にできる相手だったからという側面が強い。

 まぁ、それでも、そいつらに負けるのはまだしも……

 

(そんな中で、殿(しんがり)負け……)

 

 連敗を脱出して光明が見え、「さあ、これから──」という時に出鼻をくじかれたんだ。

 その心境を考えると──

 

「今は結果を受け止め、考える時間も必要だろ……だから、放っておく」

「えぇ~……それでパイセンが走るのやめたら、どうするんです?」

「そうしたらそれまでだろ。それがアイツの決めたことならオレはそれに従うしかない」

 

 走りたくない者を走らせても意味がない。

 走りと勝利に飢えた者たちが競い合っているのがトゥインクルシリーズであり、その世界で生き残れるはずがないからな。

 心折れた者は、去るしかないんだ。

 

「まぁ……そうなったら、前のトレーナーには謝りにいかなくちゃいけないけどな」

「ターキン先輩が自力で立ち直れるようには思えねえんですけど」

「それでも、立ち直ってもらわないとなぁ……」

 

 ロンマンガンに冗談めかした苦笑を浮かべながら──オレも少しだけ不安はあった。

 実のところ、オレが担当したウマ娘が殿(しんがり)負けしたのは、本当に久しぶりのことだからだ。

 しかもそれは、ダイユウサクではない

 アイツがタイムオーバーして最下位だったのは、オレが担当する前の話だ。

 そしてオレが担当した殿(しんがり)負けのウマ娘は、最初に担当になったウマ娘──パーシングだ。

 

(しかもアイツ、そのまま辞めちまったからな……)

 

 あのレースの直後のオレは、それでもパーシングが戻ってくると思っていた。

 だからこそ次を考えていたが──それが傲慢であることを思い知らされた。

 もちろん彼女の場合は“殿(しんがり)負け”以外にも、いろいろ有りすぎたせいもあるが……そんなこんなで辞めてしまったし、オレもそれどころじゃなくなったしなぁ。

 だから正直な話、殿(しんがり)負けしたウマ娘を、どうやって慰めればいいのかわからん、というのが正直なところだ。

 確かにオレは2戦連続で殿(しんがり)タイムオーバー負けしたダイユウサクを、もう一度走らせようとスカウトし、競走(こっち)の世界に連れ戻してもいる。

 ただしそれは……

 

ダイユウサク(アイツ)の場合は、不完全燃焼なのが明らかだった。もっともっと伸びる素質が見えたのに、やめようとしていた。だからオレは──それが我慢なら無かったんだが……)

 

 では、レッツゴーターキンの場合は?

 オープンクラスまで上り詰め、GⅢ連勝までしているんだから、ダイユウサクやパーシングのような“不完全燃焼”ということは無いと思う。

 もしもそれで満足をするのなら……オレはそれでいいと思う。

 

 ──だが、もしも……それでも上を目指すのなら、オレは喜んで手を貸そう。

 

 それがトレーナーの役目であり、あの人から引き継いだ意志なんだから。

 

「──トレーナー、遠い目してる場合じゃない。さっさとターキン先輩、探さないでいいの?」

「……先輩の心配よりも、自分のことを考えような、ロンマンガン」

「ああ。あっしは、シオンと同じトレーニングできてるんで大丈夫。それ以上は間に合ってまーす……」

 

 ササッと離れようとするロンマンガンに、オレはジト目を向けた。

 

「オラシオンと同じトレーニングしていたら、あの天才(アイツ)に勝てるわけ無いだろ?」

「は? え? オラシオンに……勝つ? いつの間にそんな話になってんの?」

「このチームに入ったときからだろ。GⅠ制覇、したいんだよな?」

「そりゃあ、そう言いましたけど……」

 

 不満げに口をもごもごさせるロンマンガン。

 

「オラシオンの出ないレースを選んで走り続けるつもりか? 勝負から逃げ回るヤツは勝利なんて掴めないぞ」

「……それ、あっしじゃなくてターキン先輩に言ってくださいよ」

 

 そういって諦めたように大きなため息をついたロンマンガンは、オレの指示に従ってトレーニングを再開した。

 やれやれと言いたげな態度だったが、それでもやっぱり向上心はある。

 オレはロンマンガンの評価をそのように維持したのだが……

 

 

 ……その翌日、ロンマンガンもトレーニングを休んだ。

 

 

 うん。自分の目に少し不安を抱いたさ。

 ……アイツ、本気でやる気あるんだろうか? あるよな?

 




◆解説◆

【希望と愚行】
・今回はロンマンガン回扱いで、タイトルは彼女の時のルールに沿って選定。
・ロンマンガンのは基本的に「麻雀アニメの各話タイトル」となっていますので、今回もアニメ『闘牌伝説アカギ』の第20話からそのまま採用。

夏風邪
・「夏風邪はバカがひく」……と言われるのを受けての言葉。
・巽見トレのいう通り、「バカは風邪ひかない」とも言われているので、そこに矛盾が生じるわけで。
・夏風邪をひけばバカ判定されるけど、そもそもバカなんだから風邪をひくことは無いので、バカではないはず。
・……一つ言えるのは、夏風邪ってきついんですよね。書いてる人は季節の変わり目と冷房でけっこうひくもので。
・まぁ、安田記念は5月半ばだったので、“夏風邪”といえるかどうか……

メイクデビュー戦
・夏競馬と言えば新馬戦。
・そして元ネタが架空馬の今回の二人のうち、オラシオンは小説『優駿』にきちんとデビューした時期が書かれています。
・だた……もう一人のロンマンガンに関しては明確なデビュー時期が書かれていないんです(脇役なので)。
・3歳時(旧表記)の描写が全くなく、ダービー前に勝利してダービー出走しているので、少なくともその前にはデビューしているのは間違いないだけで、その年にデビューしている可能性もあるということしかわかりません。
・いや、本気で困るんですよねぇ……実在馬モデルでは絶対に起きないことなので。
・さて、マンガンのデビューどうしますか。

ダイユウサクではない
・じつはダイユウサクが殿(しんがり)負けしたのは、最初の2レースだけです。
・2つのどっちもタイムオーバーというインパクトの強さもあって、そのイメージが強いんですよね。
・でもそれ以降は、最下位どころか総出走頭数の半分よりも下(つまりちょうど半分は除く)になったのは、有以降になる1992年を除くと5歳の貴船ステークスの16頭中10着と、7歳の京都大賞典での7頭中5着になった2回のみ。
・その京都大賞典も、2000メートル超のレースには初挑戦な上に、絶対強者メジロマックイーンが出走したせいで極端に出走した数が減っていたせいでもありますからね。一応は掲示板に入ってますし。
・そんな安定していたはずのダイユウサクが、史実では92年になった途端に、8頭中6位、14頭中9位、13頭中8位、18頭中14位ときて、最後は後ろから二番目(ブービー)で引退しているのは、やっぱり有馬記念で出し切った感はあるんですよね。


※次回の更新は3月28日の予定です。  



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第16R 翻弄

 
 どーも。最近、チームのメンバーのあたおか具合に不安を感じ始めたロンマンガンです。
 いや、いきなり開口一番なにいってんの? とお思いでしょうけど、ちょっと聞いてくださいよ。
 まずね、ウチの大エース様。あの有記念を制したダイユウサク先輩。

 …………あれ? 今、失笑しました?

 あのね。トゥインクルシリーズファンの皆さん、とくに歴が短い方々はよく勘違いなさってるようで。
 そういう方たちが御存知なくらいに有名な──某ナイスな姉ちゃんさん曰く“キラキラ”な──ウマ娘を見て勘違いしてるようですけど、GⅠ一つ穫るだけでも、あっしらパンピーのウマ娘にしてみれば夢のまた夢なんですからね?
 しかもそんなキラッキラなウマ娘が集うのが、ファン投票で出走が決まる春と秋の最後にあるグランプリってわけ。
 そんな去年の年末の最強決定戦を制したのが、あの方。
 確かに今、ちょっと調子が悪くて連敗してるけど……あのパイセンがやった功績は変わらないわけで、あの人をディスるなんてやったらダメ。おねーさんとの約束だぞ。

 …………え? 今、失笑した?

 なに? “走る雀ゴロ”がおねーさんとか、ウケる?
 上等。ケツの毛むしり取ってピッカピカに磨き上げてやんよ。


 ──コホン。

 ま、そんなダイユウ姐さんなんですが、普段はしれーっとしていてあんまり感情露わにしないんです。
 ……ウチのトレーナーが絡まなければ。
 いや、この前あっし、ちょっとしくじりまして……とある同期とのお遊びに負けちまいまして、罰ゲームでトレーナーに愛の告白をするって羽目になったんスよね。
 もちろん博徒(ギャンブラー)……じゃなくて、競走ウマ娘という勝負の世界に生きる一人として、甘んじてその罰ゲームをやったわけですが──いたんですよ、その現場に。あの人が。
 いや~、誰もいないと思っていたんスけど……言った途端、猛烈なプレッシャーというか、黒いオーラというか、とにかく背後からブワーッと来る感じがして。あっし、背後を振り返れませんでしたわ。
 そんなダイユウ姐さん、トレーナーへの有形力の行使がハンパない。端から見てても手加減してないのが丸わかりな感じで手が出たり足が出たりしてるし。

 で、それをトレーナーは平然と受け止めてる、と……この人の耐久力も十分頭おかしい。
 ホントに人間?

 ついでに先輩といえば、レッツゴーターキン先輩。
 この人の気の弱さも、やっぱり頭おかしいレベルじゃないかと思うわけで…… 



 

 ──新潟大賞典から数日後。

 

 私は、隠れるようにコソコソと学園の廊下を歩いていました。

 なぜなら……

 

「やっと見つけた……」

「──ッ!?」

 

 その声に、私は思わずビクッと肩を跳ね上げてしまいました。

 恐る恐る振り返ると……少し疲れた顔をした〈アクルックス(同じチーム)〉の後輩がいました。

 広がるように肩付近まで伸びた波をうつ濃い色の髪と半眼のような目をしたウマ娘は、ロンマンガンさん。

 思わず私は逃げだそうと──

 

「ちょい待ち、ちょい待ち。ここで逃げられたらまた余計な手間かかるだけだから。別に無理矢理連れてこうって訳じゃあないんだし……落ち着いて、こっちの話を聞いてくださいよ」

 

 慌てた様子の彼女の声で、私は足を止めました。

 ロンマンガンさんは私を捜していた様子。となればここで逃げてしまったら、彼女にさらに迷惑をかけてしまいます。

 逃げるのをやめた私は──警戒しながらマンガンさんの方を振り向きました。

 そしていつでも逃げられるように、警戒します。

 

「なんでそう、ピリついてんスか? 別に飛びかかったりしないッスよ。こっちもそんなことに体張る義理も義務もないんで」

 

 ため息混じりにそう言って、私と一定の距離をとって対峙するロンマンガンさん。

 彼女は面倒くさそうに顔をしかめてから、頭をガリガリと掻いて──

 

「正直、パイセンを探してたのはあっしの独断。乾井(いぬい)トレーナーは落ち着くまで放っておいてやれ、って言ってたんで」 

「トレーナーさんが……?」

「ええ。きっと最下位になったショックが癒えるのを待つってつもりなんでしょうけど」

 

 そう言ってマンガンさんは呆れ混じりのため息を付くように「フン」と鼻を鳴らしました。

 でも、やっぱりマンガンさんは私をトレーニングに……

 

「せっかくチームに入れてもらったのに、殿(しんがり)負けしてトレーナーとかダイユウ(ねえ)さんに顔向けできない、とかそんなところでしょ?」

「う、うぅ……」

 

 私の心境をズバリと言い当ててくるマンガンさん。

 あの、私って……そんなに単純でわかりやすいのでしょうか……

 そう言ってからマンガンさんはジッと私の方を見てきました。

 

「なるほど、ね。まぁ、あっしも自分のトレあるし時間かけるつもりは無いんで、だから言うことだけ言わしてもらいますけど……」

 

 うぅ……。

 言いたいことを言われると聞いて思わず身構えてしまう私。

 それを見たマンガンさんは苦笑を浮かべました。

 

「パイセン、なに気負ってんの? トレも、姐さんも、最下位(ビリ)なのを見て気落ちしたり、ガッカリするような人達じゃないでしょ」

「え……?」

 

 思わずきょとんとしてマンガンさんを見てしまいます。

 

「ダイユウ姐さんのデビューと2戦目の成績、知ってますよね? ま、いろいろ事情あったみたいッスけど、それでもあれだけの大敗経験してるってことには間違いないわけで──」

 

 それに比べれば重賞での殿(しんがり)負けなんて全然マシでしょ、とマンガンさんは苦笑します。

 

「で、乾井(イヌ)トレは、そんな姐さんに声かけてトレーナーになった人ですよ? ガッカリして諦めるどころか、逆だと思いますけどね」

「……逆?」

「ええ。次を勝たせるために、しっかりと策を練ってる。そういう人じゃないですか? あのトレ」

 

 ええ。そんなことは百も承知です。

 私だって、このチームに入りたいと思ったのは、けっして諦めないダイユウサクさんに憧れたのはもちろん、それを支え続けたあのトレーナーさんがいたからこそです。

 でも──

 

「わかってます……わかってるんです……」

「なら、逃げてる場合じゃないと思うんですけど」

 

 マンガンさんの言葉が、私の心に突き刺さります。

 反論の余地がない正論。もちろんそんなことは私だって理解しています。

 でも、それでも──

 

「だから大人しく、せめて練習だけでも顔を見せないと──」

「わかってるッ!! でも、心が……私の弱い心がついてこないの!!」

 

 私は思わず大きな声で言い返していました。

 それにビクッと驚いた様子のマンガンさん。私はそれに気が付かず、さらに言葉を重ねます。

 

「負けたせいで、その前までみたいな連敗が始まっちゃったらどうしようって……せっかく勝てたのに、この前の負け以来、去年からの7連敗がどうしても頭をよぎっちゃうのよ」

「だから、そのために乾井(イヌ)トレが──」

「わかってないよ、マンガンさんは! あの連敗中だって、私一人だったわけじゃなかった。前のトレーナーさんも一緒になって悩んで、がんばって、それなのに勝てなくて……」

 

 もがいてももがいても、浮かび上がることさえままならない。そんな連敗という渦で溺れていた私。

 でもそれは、一人だったわけじゃない。一緒に溺れていた人もいたんだから。

 

「それだけじゃない。もしも連敗したら、それは去年のとは全然違うから……私が、自分のわがままでこのチームに転がり込んだんだもの」

「そんなん、気にするようなトレーナーじゃないって話をしてるんじゃないッスか」

「ええ。それもわかってるんです。私だって……レースで勝ちたい。でも……」

 

 私の弱い心が、私を悩ませるのです。

 

 ──もうあの連敗を経験したくない。

 ──トレーナーさんやチームに迷惑をかけられない。

 ──勝ちたいけど、もしもまた負けたら……

 ──そうなったら、せっかくの努力が無駄に。

 ──私だけじゃなくて、時間を割いてくださったトレーナーさんのさえも……

 

 悪いイメージがグルグルと回って抜け出せない。それが今の私の心情なんです。

 本心では……頑張りたい。また勝って、そしてもっともっと勝ちたい。それは間違いないんです。

 でも──心の弱さが自分が傷つくのを、他の人に迷惑をかけるのを躊躇って、踏み出すことができないんです。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「うわ、めんどくさ……」

 

 小声だったけど、思わず本音が口からポロリしたわ。

 ターキン先輩、聞こえてないよね? こんな毒舌聞こえてたら、あの人の豆腐メンタル、完全に砕け散っちゃうじゃん。

 いけない、いけない。

 

(ま、それはともかく……)

 

 ちょっと感情的になったターキン先輩が吐き出してくれた情報を整理するに……本人のやる気はあるけど、また負けるのが怖くて走ることから逃げてるってことで、おけ?

 ようは、なんかの切っ掛けがあれば、ってことで──

 

「じゃあ、パイセン……賭け、しません?」

「え……?」

 

 あっしの言葉に、驚きすぎてきょとんとした顔になるターキン先輩。

 そりゃそうだ。言い出しっぺのあっしでさえ、脈絡なさ過ぎと反省してるくらいだし。

 

「勝負なんて、大なり小なり時の運……例えばパイセンの前走だって、もしも勝ったパーマーさんが気持ちよく逃げられなくなるような要素が飛び込んできたら勝ってなかったでしょうし、その上でパイセンが囲まれずにスッと抜け出して上手くスパートできたら、勝てたかもしれない」

「そ、それは……」

 

 もちろん運だけじゃあ勝てませんって。

 ウマ娘の競走も実力がなければ、勝てないのは百も承知だし、ターキン先輩だってそれはわかってるでしょ。

 でも、“最も運のあるものが勝つ”なんて言われてるGⅠレースだってあるわけでして……

 

「賭けも同じく時の運……麻雀だって配牌からどうしようもない時もあれば、トントン拍子で欲しいのがそろう奇跡みたいなこともある」

 

 ま、そんなのまず無いけど。

 

「本音を言えば、麻雀で勝負……って言いたいとこですけど、それだとあっしに有利すぎるし、時間もかかりすぎ」

 

 あっしはサッと手を振って、ターキン先輩に手の甲を向けた手の人差し指と中指に、コインを挟んで見せつけた。

 それは表面には星形の模様が描かれた、この国の硬貨ではない小さなメダルで──

 

「コイントス……純粋な運勝負でいきましょ」

「え? ど、どうしてそんな……」

「パイセンが裏表当てたら、大事なところで運を引き寄せられるんだから幸運な証拠。練習に出て次のレースに備えましょ」

「は? はい?」

「で、負け──外したら勝負の筋がまだ見えてないってことなんで、練習サボりましょ」

「さ、サボるって……」

「実際、サボってるようにしか見えないんですけどね。あっしやシオンから見ると」

 

 ジト目を向けると、ターキン先輩は図星をつかれたようで、「うぅ……」と口ごもった。

 まぁ、正直、こんなことでウジウジしてる先輩とかこれ以上見たくないし、あっし自身のトレーニングもあるんで付き合ってらんないから。

 

「悩んでるなら、いっそ運を天にまかせるってのも一つの手でしょ」

 

 あっしはかざしていた手を再びサッと動かして──コインをピンと上空へ弾く。

 やがて落下してきたそれを手の甲で受け止めつつ、反対の手を被せる。

 

「さぁ、表と裏どっちです?」

「そ、そんなこと急に言われても……そ、それに賭事(かけごと)なんて、風紀委員に見つかったら……」

「大丈夫大丈夫。見つかったところで別に金や物賭けようってわけじゃないんだから問題なし」

 

 というか、こんなの賭事の範疇にすら入らないでしょ。

 

「それに、バレる前に終わらせればいいんだし。さぁさぁ、どっち!?」

 

 あっしがコインを伏せた手と共にズイッと迫ると、ターキン先輩は「ひッ!?」と小さく悲鳴をあげてのけぞる。

 そして慌てて顔を背けつつ、「あわあわ」と焦りながら──

 

「う、裏ッ!!」

 

 固く目をつぶってそう宣言した。

 ほい、ベットありがとうございます。さてさて結果は……

 

「あ……」

 

 あっしが抑えていた手を除けると、そのメダルの表面には星形の模様が浮かんでいた。

 それを見てずーんと凹むターキン先輩。

 

「……裏っスね」

「は、はいィッ!?」

 

 あっしがあっけらかんと言うと、ターキン先輩は驚いてバッと顔を上げる。

 

「え? でも、だって……」

「さっき見せた時、コインの裏表を手の表裏に合わせていたんで。そっちに手の甲を向けながら見せたんだから、つまりは手の平の方が表でターキン先輩が見た方が裏ってわけ」

「じゃ、じゃあこっちが……裏? つまり、当たってた……?」

 

 頭上に「?」を浮かべて戸惑いつつ、そう言ったターキン先輩にあっしは頷いて見せた。

 

「そういうこと。不運を使い果たしたんじゃないですか? 前回のレースで」

「あ……そ、そうかも……? で、でも本当にそうなの、かな?」

 

 一瞬、納得しかけた先輩だったけど、やっぱりまだ半信半疑な様子。

 

「コインの裏表なんて五分五分の確率。しかもカードや麻雀と違ってプレイヤーの腕のさなんて無し。単純に2択で、それは運が“良い”か“悪い”しかないってこと」

「う、うん……?」

「それに見てたでしょ? パイセンが表裏決めてからトスしたのなら、技術でどうにかできるかもしれないけど、伏せた状態で選んでもらったんだからその余地もないし」

「そう、よね?」

 

 それでもまだ自信無さ気なターキン先輩に、あっしは「そうですよ」と念を押す。

 そこまでするとさすがの先輩も乗り気になってきたようで「そっか。運が回ってきてるんだ……」とやる気を回復してきた様子。

 

「う……賭けに、勝ったからトレーニングに行って……くる? あれ? なにかおかしいような……」

「そういうルールだったんだから間違ってないですよ、パイセン。ほら、ルールには従わないと」

 

 勝負に勝ったはずなのに意に反してサボらずに練習に出る、ということにはさすがに違和感を覚えた様子。

 でもせっかく、やっとやる気になったのに、そこで正気に戻られても困るんで。

 あっしがゴリ押しすると、「そ、そうよね」と完全に騙された様子で、体の前で「ふん」と小さなガッツポーズを入れて気合いを入れる先輩。

 そして──

 

「じゃ、じゃあ、いってくる……ね」

 

 ──と〈アクルックス〉のチーム部屋がある方へと走っていった。

 うん。なんか簡単に詐欺に引っかかりそうな先輩だなぁ。チョロインとか言われそう。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「ふぅ……」

 

 お気の毒な先輩を見送り、どうにか役目を終えてあっしはため息を付いた。

 今回の件は、トレーナーに頼まれたわけでもない、あっしの自己満足。

 というか、あのターキン先輩……極端に心が弱いのはともかく、どうにも他人事のような気がしなかった。

 正直な話──〈アクルックス(ウチらのチーム)〉は、GⅠ戦で当然のように勝ったり上位を争うような器の……時代を作るようなウマ娘はいない。

 ターキン先輩もこうしてGⅢで最下位(ドベ)とってくるし、言いたかないけどダイユウ(ねえ)さんだって、勝ったのが有だけで、その後のGⅠはサッパリだし。

 

(ま、あっしの同期(オラシオン)とか、なりそこねたウマ娘(ミラクルバード先輩)はいますけど)

 

 そんなウマ娘とか、古豪の域に達してる〈リギル〉や新進気鋭の〈スピカ〉のメンバーみたいな、時代を作るようなウマ娘とは違うターキン先輩の姿が自分の未来の姿と重なってしまったのだ。

 

(だから、そんなところで止まらないでくださいよ、先輩)

 

 器じゃないと思いながらも、それでもGⅠを掴む栄光を夢見たい。

 そのためには──あっしやアンタが憧れた、あのウマ娘(ダイユウ姐さん)みたいに、へこたれずに前に進み続けるしかないじゃないですか。

 

(あっしはその背中を、さらに追うんですから……)

 

 走り去っていくターキン先輩の背中を見ながら、そう思った。

 そこへ──

 

「……ずいぶん、面白そうなことしてんな」

 

 と、いう声と共にニット帽を被ったウマ娘が現れた。

 その姿に思わず──「げ……」と顔をしかめてしまう。

 

ナカヤマフェスタ……」

 

 鋭く睨んできたそのウマ娘は、あっしが知っている相手だった。

 ナカヤマフェスタ。アウトローっぽい雰囲気を全開にしてるこのウマ娘とあっしは共通の趣味を持つ、この学園では少数派の“同好の士”。

 でも……ちょっとあっしが付いていけないノリもあって──

 

「……騙すとは感心できないな。それも素人相手に」

 

 う……さすがだわ。

 このウマ娘はチョロインどころか、生粋の賭博師(ギャンブラー)だもの。簡単に見抜かれるのも仕方ない。

 

「今のはギャンブルなんかじゃない。ただの詐欺だ。どっちも同じ模様のメダル使うなんてせこいイカサマしやがって」

 

 やっぱり完全にバレてるわ。

 でも──

 

「バレなきゃイカサマじゃない、ってのは有名な話じゃありませんでした?」

「バレてるだろう? 私に……」

 

 誤魔化そうとしたあっしを、ナカヤマフェスタはジロっと睨み……そしてニヤリと不適な笑みを浮かべた。

 

「ま、賭けが目的じゃなかったんだろ? なら許す」

「……で、代償になにを要求するんで?」

 

 この人がそんな簡単に引き下がるわけ無いしなぁ。

 ため息混じりに言うと、それを待っていたとばかりにその目が輝いた。

 

「決まってんだろ。お前との真剣勝負の賭け麻雀──」

「ほう……興味深い話でありますな。それに、さっきのも許す許さないを決めるのは、キミたちじゃないでありますよ!」

 

 ナカヤマフェスタの声に割り込むように、一人のウマ娘の声が聞こえた。

 慌てて振り返る、あっしとナカヤマフェスタ。

 その姿を見て──思わず声をあげるあっし達。

 

「「げッ!?」」

「二人とも……賭け麻雀という言質はとったでありますよ! 本官の目が黒い内はそんな違法行為、絶対に許さないであります!!」

 

 そこにいたのは風紀委員の一人で、風紀委員長のバンブーメモリー先輩の忠実なる部下、オマワリサンだった。

 あっしはとっさに反論する。

 

「いや、でも……どっかの検察のお偉いさんが言ってたけど、レートが点ピンなら許されるんじゃなかったんでしたっけ?」

「点ピン……?」

 

 オマワリサンは首をかしげた。

 どうやら点ピンの意味がそもそも分からない模様。

 麻雀とか全然知らなさそうだもんなぁ。

 これはいける……か?

 

「……よくわかりませんが、起訴されなければ違法ではないってわけじゃありませんよ! 悪いことは悪い──それをきっちり教えて差し上げないといけないようですね!」

 

 あ、ダメだこりゃ。

 しかもお説教コース確定っぽい。

 

「それに、その前の話も聞いているでありますよ。未遂の麻雀ではなく別の賭け行為をしていたというのは聞き捨てならないでありますな、ロンマンガン。大人しくお縄につくであります!」

「いや、オマワリサン先輩。あっし、なにもやましいことは……」

「話は取調室で聞くであります!」

「あ、じゃあこっちは無関係──」

「その件に関する参考人かつ、賭け麻雀の未遂があるじゃないですか。話をしっかり聞かせてもらうであります……」

「チッ……」

 

 すでに捕まえる気満々のオマワリサンにナカヤマフェスタは舌打ちをした。

 そんな彼女にあっしはちらっと視線を向けると、向こうもオマワリサンを警戒しながら、こちらへ話しかけてきた。

 

「ヤバいぜ、マンガン」

「そんなん見りゃわかりますよ。で、どうします?」

 

 視線をオマワリサンに向けたまま答えると、ナカヤマフェスタは「一つだけ作戦がある」と返してきた。

 え? この状況でどんな……と、あっしが思わずそちらを見ると──

 

「──逃げるんだよぉぉ!! あばよ、オマワリサン!!」

 

 

 ナカヤマフェスタはにげだした。

 

 

「あ……」

 

 呆気にとられて思わず見送ってしまう。

 そしてその場に残されたあっしは……あらためて視線をむけると、さっき以上に捕まえる気満々のオマワリサンがそこにいた。

 

「さ、さいなら……」

「待てぇ! マンガーン、でありまーす!!」

 

 逃げ出したあっしだったけど──“逃げ”の脚質を得意とする彼女にスタートダッシュでかなうはずももなく──

 

 

 ……まわりこまれてしまった。

 

 

 

「さぁ、覚悟するでありますよ……」

 

 つかまったあっしは、ずるずると引っ張られながら連行される。

 そして──放課後の時間はお説教に消えた。

 ……というか、こんな時間にこんなことをしていて、このウマ娘(オマワリサン)はトレーニングしてないのだろうか?

 それをボソッと愚痴ったら、聞こえてたらしく勾留時間がさらに増えた。

 

 

 で──

 

 

「……練習サボった上に、身元引受人にオレを指名するとか、いい度胸だな。ロンマンガン」

「たはは……そんなに褒められても困るんですが」

「褒めてねーよ!! オマエ、一体何考えて──」

「それにつきましては“聞くに堪えない語るに落ちる物語”がありまして……」

「ヒドい話だなオイ!」

 

 オマワリサンに捕まったあっしを迎えに来てくれたのは、乾井トレーナーだった。

 うわぁ、恥ずかしい。

 




◆解説◆

【翻弄】
・麻雀アニメである『咲─Saki─』の1作目の4話タイトルから。
・マンガンが翻弄した──つもりが、翻弄されているような。

“最も運のあるものが勝つ”
・クラシック三冠の一つ、ダービーを指して言う言葉。
・残る皐月賞は“最も速い”、菊花賞は“最も強い”と変わります。
・絶対的に強いものが勝つわけとは限らない、というドラマが数多くあるからこそ、そういわれるのかもしれませんね。
・競走馬ダイユウサクと競走馬コスモドリームの祖父にあたるダイコーターも、皐月賞を制したチトセオーが鼻出血でダービー出走が不可能になって一番人気になり、“運がある”と思われましたが……結果的には不良馬場のせいもあって逃げのキーストンに追いつけず、敗れています。
・どうしてもダービーを制したい馬主が、ダービーを前に前の馬主(シンザンの馬主の方……つまりはダイユウサクの馬主の兄ですね)から買い取り、それにもかかわらずダービーを勝てなかったことから、「ダービーは金で買えない」と言われてしまうことに。

ナカヤマフェスタ
・公式ウマ娘で、現時点(2022年3月現在)でサポートは実装済みだが育成は未実装のウマ娘。
・賭け事大好きで、スリルのある勝負を渇望してしかも分が悪い方に賭けるのが好みの“勝負師”。
・賭けのお題は千差万別で、なんでも賭け事にしてしまうようで。
・ロンマンガンも賭け事好きなので、面識はあったようすですが……分の悪い賭けが大好きというあまりのギャンブラーっぷりに「あ。このヒト、やべーわ」と思ってる。
・ただし麻雀の真剣勝負ができる数少ない相手なので、なんだかんだで仲は良い様子。
・書いている人的には一人称が「私」だったのは意外でした。

オマワリサン
・間章に出ていたウマ娘──現在はその間章は削除されて消えています。
・風紀委員長のバンブーメモリーの部下の風紀委員の一人。
・正義感が強く、順法意識も高い。
・レースは“逃げ”の脚質ではあるが、それはスタートダッシュが得意ということであり、逃亡者の確保には向いている。

どっかの検察のお偉いさん
・新聞記者と一緒に賭け麻雀をやったと文春砲をくらった、当時現役の東京高等検察庁検事長だった黒川弘務氏のこと。
・当時の政権とズブズブだったのか定年延長までしてもらったのに、この不祥事で辞めることに……
・もちろん賭博行為は違法なわけで──違法行為を責めるはずの検察の頂点付近にいる人がやっていいはずがない。
・……のはずなのに、下った組織内での処分は“戒告”──つまりは口頭注意だけ。
・で、単純賭博罪については“起訴猶予”。
・それにはさすがに「罪を咎める側の検察の偉い人なら許されるのか!」と上級国民への批判が高まって、検察審査会では“起訴相当”との判断が下され略式起訴。
・それでも検察は求刑を「罰金10万円」と低くしたものの、下った判決は「罰金20万円」。ちょっと身内に甘すぎやしませんか? 検察さん。
・なお、そのときの賭け麻雀のレートが“テンピン”……1000点100円の換算で1回の勝負で約2万円。
・それをこともあろうか法務省の川原隆司刑事局長が「社会の実情をみましたところ高額と言えないレートでした」と言って、先の処分(戒告)だったものだから、さぁ大変。
・「2万円(orテンピン)までなら賭け麻雀をやってもセーフ」という黒川基準が生まれたのでした。
・──それを受けてのロンマンガンの発言……なのですが、でも結果的に罰金刑にはなっているので、最悪、捕まって20万円の罰金を受ける可能性が。
・オマワリサンも「起訴されない」と言っていますが、この世界では起訴されなかったのか、それとも検察審査会の前の“検察の決定”を言ってのことですね。

“聞くに堪えない語るに落ちる物語”
・おそらく“聞くも涙語るも涙の物語”と言いたかったんじゃないかと……


※次回の更新は3月31日の予定です。  



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第17R Let's fly high! 飛び出そう

 黙々とトレーニングメニューを一人でこなすダイユウサク。

 そんな彼女を、オレはずっと見ていたのだが──耐えかねたように、不機嫌さMAX状態のまま、ズンズンとオレの方へと歩いてきた。

 

「……なにしてるの?」

「うちのチームのウマ娘を、こうして見守っているんだが?」

「目障り。サボってないで他のウマ娘を見に行きなさいよ」

「それはあまりにもヒドい言いぐさだろ。ちょっと傷ついたぞ」

「ウソ言わないでよ」

 

 オレが返すと、ダイユウサクは「フン」と言ってそっぽを向く。

 いや、さすがにオレでも“目障り”はくるものがあったぞ。それで傷ついたのは本当だ。

 

「調整メニューしかしないから、アタシのことは放っておいて大丈夫よ」

「そう言って無理するのが、お前だからなぁ」

「あのねぇ……いくらアタシだって、今のどう考えても脚の状態が万全じゃないせいで凡走繰り返しているんだから、無理なんてしないわよ。それに特に次は……みっともない姿を見せられないんだから」

 

 春のグランプリである宝塚記念が控えていた。

 年末のグランプリウマ娘として、という気概があるように見えるが、逆に言えば気負いすぎているようにも見えるんだよな。

 本当なら──もっと何も背負わせずに、特に脚の状態を気にするようなことなく走らせてやりたい、と心の底から思う。

 

「……そんなわけだから、アタシじゃなくて他を見なさいよ。昨日はロンマンのこと見ていたじゃないの」

「あぁ、アイツな……今日も見る予定だったんだが、練習に出てこなかったんだわ」

「はぁ? なによそれ。やる気あるのかしら……」

「……昔、プールが嫌で練習サボったヤツもいたけどな」

 

 オレがジト目を向けると、「なッ!?」と驚きながらダイユウサクがこっちをにらむ。

 

「あれは……仕方ないでしょ!? それに、自主トレはしっかりやっていたもの」

「オレが考えたメニューをこなさずに、な」

「う……今は、そんな話をしてないんだから! ロンマンよ、ロンマン!! アイツ、なに考えてるの?」

「さぁな。夏になったらメイクデビュー戦も始まるんだから、今の時期のサボりは同級生と明確な差が付いて置いていかれることになるってのに……サボりグセがつかなければいいけどな」

「他人事みたいに……そもそも、なんでロンマンのこと見てるのよ? ターキンは?」

「あ、あぁ……アイツ、な」

 

 オレは気まずくなって思わず口ごもった。

 レッツゴーターキンこそそうじゃないか、と思うくらいなワケで……

 前走が終わってここ数日、アイツは練習どころかチームの部屋はもちろん、オレのトレーナー室にさえ顔を出していない。

 そんなオレの雰囲気を感じ取ったのか、ダイユウサクはジト目でオレを睨んでくる。

 

「あのねぇ、トレーナー……ひょっとして、アンタまさか……」

「ああ。アイツとは、新潟大賞典以降、顔を合わせてない……」

「はぁッ!? え? ウソ……一度も? レース後顔合わせてないって、だってあっちは前日から新潟に行ってたんだから、その日からでしょ?」

「まぁ、そうなるな……」

 

 そうなんだよ。レースのから戻ってきてから一度も顔を合わせていないから、出発前以来ということになる。

 オレは思わずダイユウサクに苦笑し──

 

 ──パン!

 

「……え?」

 

 ──オレの頬には、痛みが生まれていた。

 そこへ横から加わった力で、オレは横へと向いている。

 目の前のウマ娘に頬を()(ぱた)かれたのだと気づいたのは、ダイユウサクが平手を横に振るった姿勢のまま、オレへ厳しい目を向けていたからだ。

 

「なッ!? ダイユウサク、お前──」

「アンタは……なにを考えてるのよ!」

 

 我に返り、くってかかろうと距離を詰めたオレに対し、ダイユウサクは迎え撃つように胸ぐらを掴んできた。

 

「自分のやったこと、理解してるの!?」

「理解って……」

「ターキンは、〈アクルックス(うちのチーム)〉のウマ娘でしょ!? なんでアンタは……」

「そんなことはわかってる!! ひょっとして、2戦連続でアイツの出走についていかなかったことを言ってるのか? でもそれは仕方ないだろ? お前の出走と重なったんだから──」

「そんなの、わかってるわよ!! でも──」

 

 ダイユウサクは言葉を溜めて、怒鳴るようにオレに言い放った。

 

「──アンタはッ! アタシが〈カストル(アイツら)〉にやられたことを、ターキンにやったのよッ!」

「な……」

 

 その内容に、オレは思わず絶句した。

 そして言い返す。

 

「ち、違うだろ!! どうしてそうなるんだよ!?」

 

 ああ、違う! 断じて違う!!

 オレは、そんなことはしちゃいない!!

 

「確かに2度、オレ無しでレースに出走させた。それは同じかもしれない。だが──オレはターキンを一人でレースに出走させるなんてことはしなかった!」

 

 体調が悪いダイユウサクを、たった一人で福島までレースに出走させに行かせたアイツらとオレが一緒なワケないだろ!!

 もちろん、オレがレースに付き添えなかったという罪悪感はある。

 だが……ダイユウサクの指摘は、全くの的外れだ!

 

「そんなこと……わかってるって、言ったわよ!! でも違う……そういうことじゃないのよ!!」

 

 そう言ったダイユウサクは──涙を流していた。

 そんなアイツの反応にオレは驚いた。だが……アイツの言いたいことはサッパリわからなかった。

 

「……ターキンは、〈アクルックス(ウチのチーム)〉のメンバーなんでしょ? そう思ってるんでしょ?」

「ああ、もちろんだ」

「それならなんで……遠慮なんてしてるのよ!!」

「遠慮? そんなことは──」

「そんなことあるわよ!! 現にアンタは今、殿(しんがり)負けて気落ちしているアタシの後輩(ターキン)を、放ったらかしにしてるじゃないのッ!!」

「な……」

 

 ダイユウサクの言葉が、オレの心に突き刺さった。

 そして、刺さった部分が──とても痛く感じた。

 

「オープンクラスのウマ娘だろうが、重賞制覇経験があろうが、そんな簡単に心が強くなるわけないでしょ!! 負けたら誰だってショックよ。それが最下位ならなおさらだわ」

 

 ダイユウサクは溢れる涙をそのままに、どこか思い出すように言った。

 アイツが思い浮かべているのはきっと……オレと出会ったあの時のことだろう。

 

「あの時、支えてもらえたのは……本当に、嬉しかった。チームで孤立して、一人だと思ってたから……それを助けてもらえて、冷え切った心を温めてくれて……」

 

 前走で、17秒というありえないほどのタイムオーバー負けをしたダイユウサクは、当時のチームメイトからもかなり冷たく当たられたらしい。

 そのせいで次走の出走も、体調が悪かったのにトレーナーの代わりの付き添いさえ誰もいなかったのだ。

 

「だからこそオレは、ターキンを一人にさせなかっただろうが! 前も、その前も!」

 

 谷川岳ステークスは、オラシオンとロンマンガンに渡海をつけ、その上に前のトレーナーにもお願いしてついて行ってもらった。

 新潟大賞典だって先の3人に加えて、ミラクルバードを同行させたんだ。

 

「あの時とは違うだろ!!」

「そうじゃないわよ! そういうことじゃないの……ターキンは、何のために〈アクルックス〉を選んだのよ!?」

「それは、お前に──」

「ターキンが選んだのは、ダイユウサク(アタシ)ミラクルバード(コン助)オラシオン(シオン)とお友達になるためじゃあないでしょ!? 乾井 備丈(まさたけ)! アンタの指導を受けたいからに決まってるじゃないの!!」

 

 な……いや、違うだろ。

 だって、ターキンはダイユウサク(お前)に憧れたって──

 

「アタシが有記念をとれたのは、誰のおかげよ? アタシみたいな落ちこぼれに栄冠を掴ませたのは……いったい誰よ? そんな奇跡を起こしたトレーナーに希望を託したかったから、ターキンは〈アクルックス(ウチ)〉を選んだに決まってるでしょ!?」

 

 ダイユウサクは「アタシと一緒にいたらGⅠ取れるなんて、誰も思ってないわよ!!」とオレに怒鳴った。

 そう……なのか?

 

「そんなアンタが、なんで自分からターキンに声をかけに行かないのよ! 会いに行かないのよ!! あの()の性格なんて、この数ヶ月で多少は理解できるでしょ!?」

 

 ああ……オレは、馬鹿だ。

 取り返しのつかない失敗を犯しているじゃないか。

 

「気が弱いだけじゃない。あの()は気を使いすぎるし、おまけに自分で気持ちを切り替えられないような不器用なことくらい百も承知でしょ!? それを自力で心に整理つけさせるのを待つなんて……」

 

 そうだ。レッツゴーターキンというウマ娘は、メンタルが弱い。

 オレだってそう理解していたはずなのに、なぜ……そこで距離をとってしまったのか。

 

「自分で育てたわけじゃないから、そういうことをしたの!?」

「違う!! そんなつもりはない!!」

「なら、いつまで外様の御客様扱いを続けるつもりよ!? 前任者を気遣っているつもり!? 今のターキンのトレーナーは──アンタでしょ!?」

 

 その通りだ。

 ダイユウサクの指摘通りだ。

 

「なら、前任者に遠慮する必要なんてこれっぽっちもないじゃない!! だからアンタは、全力でターキンの面倒見なさいよ!!」

 

 言い放ったダイユウサク。

 そんな彼女にオレは──

 

「……いいんだな。お前につきっきりじゃあなくなるんだぞ?」

「そんなの……アナタはトレーナーなんだから、当然のことじゃないの。別に……寂しくも何ともないんだから」

 

 涙こそ止まったものの、うつむいたままのダイユウサクに──オレはその頭を軽く撫でた。

 

「ウマ娘のアタシは、有記念だけの“一発屋”だろうとたった一度の輝きでも構わない。でも……トレーナーのアナタは一度きりってわけにはいかないんだからね。だから──」

 

 顔を上げたダイユウサクは──オレが一番好きな、その表情を浮かべる。

 何よりも魅力的な……勝ち気な笑みを。

 

「──ターキンを、頼んだわよ」

「任せとけ」

 

 オレはダイユウサクにそう言い残し──レッツゴーターキンを探すため、そこから走り去った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ターキン!!」

「うぅ?」

 

 探し始めてまもなく、オレは〈アクルックス〉の部屋の近くで、彼女を見つけた。

 ……あれ? こんなところにいるなんて、ひょっとして練習に復帰するつもりだったのか?

 ってことは……

 うん。やっぱりコイツ、強いウマ娘だわ。

 確かにメンタル的にはお世辞にも強いとは言い難い。だが──根っこのところは決してくじけない。

 

(それこそ、もっとも大事なことだ)

 

 ヒトもウマ娘も、自分の思い通りにことが運ぶことなんてまずない。

 競走の世界でそれができるのは、時代を作っていくような強者──それだって全てのレースで全て勝つことなんて、まず不可能だ。

 あの皇帝(シンボリルドルフ)》だって破れ、涙を流したのだから。

 

(負けを経験したからこそ、強くなる──)

 

 そういうウマ娘こそ、強くなるウマ娘だろう。

 圧倒的に強く、負けを知らないウマ娘がもしも負けたとき──そこで心が挫けてしまう、というのも聞いたことがある話だった。

 

(固く折れない強靱な精神よりも……何度踏み倒されても、それでも立ち上がる。そんな“雑草魂”にこそオレは価値を見る)

 

 だからこそ応援したいし、そんな“雑草”の花を咲かせたい。

 それが──オレの、トレーナーとしての役割だ。

 

「ターキン……」

 

 ここまで走ってきたオレは、立ち止まって呼吸を整え、改めてレッツゴーターキンを見た。

 走ってきたオレの勢いに圧されたように驚き、少しおびえたような様子だったが──

 

「ターキン、すまなかった」

「トレーナーさん、すみませんでした!」

 

 ──そんな彼女に頭を下げたのと同時に、彼女からも謝罪の声が聞こえてきた。

 

「「え……?」」

 

 思わず顔を上げると、オレと同じように頭を下げたものの、相手が同時に謝罪してきて戸惑い、思わず顔を上げたターキンと目があった。

 

「あ、あの……」

「……オレから先に謝罪させてくれ、ターキン。オレは……間違えていたよ。お前への態度を」

「間違え……ですか?」

「ああ。お前が本気で上を目指しているのは分かっていたはずなのに……それを試すようなことをしてしまった。本当に、申し訳ない」

「え? あ、あの……そんな」

 

 再度頭を下げたオレの姿に、ターキンは戸惑っているようだった。

 

「そして誤解もしていた……いや、オレがただ勘違いしただけだな。お前は本気で上を目指すために〈アクルックス〉を選んでくれたのに、オレは……どこか『前任者の手前、大事に扱わないといけない』と、壊さぬように丁寧に扱っていた」

 

 しかしそれは──あまりにもターキンからしたら、失礼な話だよな。

 オレとあのトレーナーが特別に親しいわけでもなければ、ターキン自身が〈アクルックス〉メンバーと特別に縁があったわけでもない。

 そして彼女自身はあの臆病な性格で、コミュニケーション能力もダンボールに潜むほどに壊滅的。

 にもかかわらず、〈アクルックス(うち)〉を選んだんだ。そこまで本気で──自分の競走人生をかけて、飛び込んできたというのにオレは……

 

「それは、間違いだったよ。その遠慮が、中途半端な扱いが……この前みたいな結果を生んでしまった」

「あ、あの、その……それって、丁寧とか壊さないのをやめるって話、ですか──」

 

 すっかり怯えたようなターキンの様子で気がつく。

 あれ? ちょっと言葉の選択を間違えたかな。

 オレは苦笑しながら「そういう意味じゃない」と否定して、さらに説明した。

 

「いいか、ターキン。これからオレは全力でお前を“〈アクルックス〉の”ターキンにする。しかし今までの“あの人の”ターキンを否定するつもりもない。オレの教えとあの人の教え、その二つを合わせて……上を目指すんだ、レッツゴーターキン」

 

 オレの教えだけを受けている面々とは明らかに違う。

 そんな彼女に本気で向き合い、〈アクルックス〉流の教えをたたき込んだらどうなるか……それがどんな化学反応を見せてくれるのか、オレは楽しみになっていた。

 

「は、はい……私も、こ、こんな性格だから……気が小さくて、臆病で、最下位になったくらいでクヨクヨ悩んで……それでトレーナーさんから逃げるようなことをしてしまって、本当にごめんなさい!」

 

 そう一気に言って、ターキンは頭をバッと下げた。

 そんな彼女の余裕のない反応を見ていたら、こっちに余裕が生まれ、オレは思わず苦笑した。

 

「……これからもよろしく、ってことで大丈夫か?」

「は、はい! 一生懸命がんばりますので……どうぞ、よろしくお願いします」

「よし、わかった──」

 

 オレは大きくうなずき、頭を下げている彼女の眼前に、手をさしのべた。

 

「う……?」

 

 思わず顔を見上げてこちらの様子を伺ってくるターキン。

 そしてオレが握手を求めていることに気がつき──慌ててその手を握ってくれた。

 

「改めて、よろしくな。ターキン」

「は、はい!!」

 

 そう言って、反対の手で目元を拭いながら浮かべた笑顔──彼女の満面の笑みをオレは初めて見たような気がした。

 だから──

 

「うん。じゃあ夏休み返上で、遠慮なくいくからな!」

「へ……?」

「他の奴らが休んでる夏の間も、レースに出走して秋に備える。そういう方針だ!」

「ええぇぇぇぇ──ッ!?」

 

 今後の方針の発表に、レッツゴーターキンの悲鳴が学園の敷地内に響きわたった。

 




◆解説◆

【Let's fly high! 飛び出そう】
・今回も再度ウマ娘の楽曲、『はじまりのSignal』の歌詞から。
・マックイーンの曲なんですけど……ぶっちゃけ「Let's go」の歌詞が入っていたので前回採用したんですよね。
・で、ターキン回タイトルのお約束が「Let's go」だったんですけど、そろそろネタが尽きてきたので条件を「Let's」にまで下げました。
・そのうち、ウマ娘縛りもなくなって「レッツゴー ライダーキック」とかタイトルにするかもしれません。

皇帝(シンボリルドルフ)》だって破れ
・シンボリルドルフはアメリカで1戦だけ走っていますが、そこで勝てませんでした。
・そして国内でのレースで負けたのはたった2回のみ。
・それはクラシック期(1984年)のジャパンカップにカツラギエースと、翌年1985年の天皇賞(秋)でのギャロップダイナに敗れています。
・まぁ、ジャパンカップはその前の菊花賞から2週間後というハイペースでしたし、天皇賞(秋)は天皇賞(春)以来の半年ぶりのレースでしたからね。おかげで出遅れたし。


※次回の更新は4月3日の予定です。  



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第18R 大承継… 引き継がれるバトン

 
 ──6月の半ばになった。

 そして阪神レース場では、上半期の決算とも言うべき最強決定戦(グランプリ)、宝塚記念が開催されようとしている。
 アタシは今、その舞台へとやってきていたのだ。
 上半期はさっぱりダメだったアタシだけど……そこはそれ前回のグランプリ覇者ということで、どうにかこのレースへの出走を確保していた。




「──ちょっと、懐かしくさえあるわね」

 

 阪神レース場は去年の今ごろは工事中で使えなかった。

 そしてその改装工事が終わったこけら落としのレースで、アタシは勝ち──そして有記念の舞台へと進むことができた。

 

(彼女は、どう思ってるのかしら……)

 

 そのレースで一緒に走った今のチームメイト──レッツゴーターキン。

 当時、アタシは全然意識してなかった相手だったけど、それは向こうも同じじゃないかしら。

 あのレースでアタシが勝って、有記念に進んだからこそ、アタシを意識するようになったんだろうし。

 そんな風に物思いに耽っていたんだけど……

 

「ウェーイ!」

「ウェーイ!」

 

 珍妙な奇声をあげている二人のウマ娘がいた。

 それに思わずジト目を向けると──知っているウマ娘だった。

 

「ダイタクヘリオス……」

 

 前走の安田記念の前後に絡まれたウマ娘だったけど……うん、またあのメジロパーマーとつるんで、ハイタッチしたりおしゃべりしたりしてる。

 正直、ノリが苦手だから助かったんだけど……ウマの合う相手が見つかったみたいね。

 

(でも彼女、メジロ家の御令嬢なのよね……)

 

 あんな話し方で大丈夫なのかしら。アルダンなんかは「まぁ」とか言ってクスクス笑うくらいでしょうけど、上の人たちは卒倒するんじゃないの?

 なんて思いながら見ていたら、ふいにパーマーがこちらを見る。

 そして目が合うと……アタシの方へとやってきた。

 

「あ、あの! 今日はよろしくお願いします!」

「え? えっと……」

 

 う~ん、アタシはアルダンと親交があったから彼女の名前は知ってるけど、ほとんど話したことのない相手なのよね、このウマ娘。

 だから改めて挨拶されるのは違和感があるというか……そもそも、なんかつながりあったっけ?

 アタシが戸惑っていると、一緒に付いてきたダイタクヘリオスが首を傾げた。

 

「あれ? パーマーもタユウのこと知ってんの?」

「うん。今年の天皇賞も一緒のレースだったけど、去年の京都大賞典でね。あれ? ヘリオスこそ知ってるの?」

 

 あ~……そうそう、そういえばあのとき一緒になったんだっけ?

 あの時はマックイーンに完敗したイメージばかり強くって、他のことはほとんど忘れてたわ。

 春の天皇賞も一緒になったけど……って、なんか一緒の時はマックイーンもセットなことが多いのよね。

 そういう意味で、今回は彼女がいないのはなんか新鮮というか。

 アタシが納得している間に、ダイタクヘリオスは明るく笑みを浮かべながらパーマーに答えていた。

 

「当たり前じゃん。去年から何度も同じレース走ってるし。それに……このウマ娘(ひと)の一番有名なレース、アタシも走ってるし」

「ああ、そういえばそうだったね」

 

 メジロパーマーは「すっかり忘れてた」と言わんばかりに、朗らかな笑みを浮かべている。

 う~ん、同じメジロでもだいぶ違うのね。マックイーンや、アタシの同級生だった──

 

「それでダイユウサクさん、私……あなたとトレーナーにお礼が言いたくて」

「お礼? それにアタシと……トレーナーにも?」

 

 えっと、アタシとこの()ってそんな繋がりなかったと思うけど。

 でも……それにトレーナーも、っていったいどういうこと?

 アイツ、アタシに隠れてコソコソとこのウマ娘に会っていたってこと?

 すっごくモヤモヤするんだけど……

 

「あ、あの! ダイユウサクさんと話すのは今回が初めてですしトレーナーさんとは話したことも無いですけど、去年の京都大賞典でのお二人の会話、聞こえてて……」

 

 ふ~ん、そういうことね。

 でも、あの時いったいどんな会話していたんだっけ? 負けレースだったし、さすがに覚えてないけど──

 

「トレーナーさんの、『順位が悪かったら、悔しがる権利はもらえないのか?』って言葉が新鮮で、私びっくりしちゃって」

 

 ん~? アイツそんなこと言ってたっけ?

 ちょっと覚えてないけど……

 

「あの時は私も結果良くなかったし、でも、それを聞いたらすごく前向きになれたんです。その後もなかなか勝てなくて、私、一度は障害レースまで走ったけど……でも、くじけずに頑張れたのって、溜め込むことなくそのたびに一杯悔しがられたから、だからそれをバネにして頑張れたんだと思ってます」

 

 そう言ってパーマーは、アタシに「トレーナーさんにもお礼を伝えてください」と言って笑顔を向けてきた。

 うん……強い()よね。

 というか、トレーナー……そうやって知らないところで強敵作るのやめてよね、ホントに。

 アタシがこっそりとため息をつきながら握手に応じる。

 

(アイツにそんな感謝の言葉を伝えたら喜んじゃうでしょ。強敵つくった罰として教えないけど、ね)

 

 内心そう思いつつ、アタシも笑顔を浮かべた。

 すると──

 

「そうそう、“伝える”で思い出したんですけど、アルダンさんからダイユウサクさんに伝言を頼まれていたんです」

「アルダンが?」

 

 さっき思い浮かべていた名前が、偶然にもそのウマ娘の口から出たことに驚いた。

 

「はい。約束、守っていただいてありがとうございます──って伝えてほしいと言われてまして。私もよく分からないんですけど……」

 

 困惑気味のパーマーが訝しがるように言う。そして「天皇賞では話す機会が無くて伝えられなくて……」と苦笑する。

 一方でアタシは──彼女が託された伝言の意味はもちろん理解していた。

 有記念の出走前に彼女に会って、あるお願いをされたのだ。

 そのときのことを思い出して、アタシは思わずクスッと笑ってしまった。

 

「そういえば、そんなことも頼まれてたわね……すっかり忘れてたわ」

 

 笑う私をパーマーとヘリオスはきょとんとしながら見ていた。

 そしてパーマーがアタシの方へと一歩踏み出してきた。

 

「今日はよろしくお願いします。胸を借りるつもりできました」

「……アタシなんて、そんな大したウマ娘じゃないわよ」

 

 思わず自分の脚にチラッと視線を向けながらアタシが言うと、パーマーは思わず苦笑する。

 

「そんなこと言ってると、マックイーンに怒られますよ。この場にも立ちたかったでしょうし」

「そうね……」

 

 マックイーンは春の天皇賞を制した後に負傷して、この宝塚記念には出ていない。

 でもそんな彼女を、アタシは少しだけ……ほんの少しだけ羨ましく思っていた。

 ケガという大義名分があれば、出走を回避できる──プレッシャーに負けかけていたアタシはそれに気が付き、ひどく自己嫌悪を覚えた。

 

「じゃあ、あらためて今日はよろしくお願いします」

「ヨロ~」

 

 そんなアタシの心の中に気付く様子もなく去っていく二人。その間も話をしていて──

 

「……ヤバたにえん」

「え? なにが?」

「パーマー、気付かなかったの? あの人なんか一瞬だけマジおこで黒いオーラ出してたけど」

「うそ!? 全然気づかなかった……逆鱗に触れちゃったかな。あ~、失敗したかも」

「げきりん? なにそれ?」

 

 なんてことを話している。仲がいいのね、本当に。

 それにしても……パーマーってばアタシに話しかける前にも誰かに話しかけて、それで怒らせていたのかしら?

 

(あんなに礼儀正しくていい子なのに、怒るだなんてヒドいウマ娘もいたものね)

 

 そう思いながら二人を見送って──アタシは気持ちを奮い立たせる。

 今日はいつも以上に無様な姿を見せられないんだから。

 再び迎えた最強決定戦(グランプリ)に挑むために。

 

 

 でも──

 

 

 ──結果は、やっぱり負けだった。

 さっきの二人──ダイタクヘリオスとパーマーが爆逃げして、最後まで逃げたメジロパーマーが栄冠を掴んだ。

 レース後、そのメジロパーマーにアタシは「おめでとう」と声をかけ──アタシは大きな荷を降ろせた気がした。

 

(でも、これで……)

 

 うん。これで、アタシは……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「あ、あの……」

 

 敗者は、ただ去るのみ──そう思って走路から退こうとしたアタシに、声がかけられた。

 それは聞き覚えのある声で、アタシは声の主が誰なのか、わかっていた。

 本音を言えば……大阪杯、天皇賞(春)、安田記念、そして宝塚記念とまったくいいところ無く破れ続けたアタシは、自分を恥じてその声に反応したくはなかった。

 でも……幼いその声に、反応しないわけにはいかなかったのだ。

 

「だ、ダイユウサクさん……」

 

 小さな人影は、幼いウマ娘だった。

 その顔にアタシはハッキリと見覚えがある。そして──彼女がくれたペンダントが触れる胸が、ズキリと痛んだ。

 

「…………ゴメンなさい。せっかく応援してくれてたのに、勝てなくて」

「そんな!! そんなことありません」

 

 首をブンブンと横に振って否定する彼女。

 一生懸命なその姿が、アタシの心に罪悪感をさらに生ませた。

 

「だって……だって、ダイユウサクさん、脚の調子が悪いんでしょう?」

「え……?」

 

 その言葉には驚いた。まさか彼女が知っているなんて思わなかったから。

 アタシの足の不調はケガではない。レントゲンにもMRIにも異常はないし、筋断裂はもちろん、炎症さえない。

 健康──と判断されてしまうアタシの脚に異常があるのを知っているのは数少ないはず。

 チーム内でもハッキリ知っているのは、トレーナーはもちろん、サポートのミラクルバード(コン助)、それにトレーナー研修生の渡海って人だけ。競走メンバーの3人は感づいてはいるけどハッキリと説明されてはいない。

 あとは──

 

「……この前の安田記念で、『脚が本調子なら、今のユウならこんな結果にはならない』って、コスモドリームさんが……」

 

 ──やっぱり、コスモか。

 ルームメイトで従妹(いとこ)。誕生日もたった一日しか違わない、アタシの親友は、もちろんその事実を知ってる。

 さすがに同室の()相手に隠し通せるほどアタシは器用じゃないし。

 それに加えてアタシと彼女の仲もあって、早々にコスモにはバレてた。

 

「えっと……マリアちゃん、だったわよね?」

「はい!」

 

 アタシに名を呼ばれて嬉しそうに返事をする彼女。

 その彼女に……アタシは──意を決して──言った。

 

「そう言ってくれるアナタの優しさは、嬉しいわ。でも脚の調子が悪いなんていうのは“アタシ”の都合でしかないの」

「え?」

「みんなが応援してくれる“去年の有記念を制したウマ娘”にとっては関係ないことで……そのウマ娘は今日で4連敗、なのよ」

 

 彼女に視線を合わせて(かが)んだアタシは、目の前の頭に手を乗せて撫でる。

 

「グランプリウマ娘……その名前を、これ以上貶めるわけにはいかない。だから……」

「でも、でも……それでも私は、ダイユウサクさんのこと、憧れてるんです!」

 

 アタシの言葉に、必死に反論するマリアちゃん。

 それにアタシは優しい笑みで答えながら──彼女にとって残酷だとは思うけど、本心を言う。

 

「……アタシに憧れちゃダメよ。アタシなんかよりも、もっとスゴいウマ娘はたくさんいるんだから。遅咲きのウマ娘だって、アタシなんかじゃなくても──」

 

 例えば……そう言いながら、アタシは今日の勝者──生まれたばかりの新たな宝塚記念(グランプリ)ウマ娘を見る。

 彼女──メジロパーマーは、底抜けに明るい笑みを浮かべて観客席に手を振っていた。

 

「あのウマ娘(ひと)の苦労──メジロ家(名門)に生まれて、その中の同い歳の他の二人よりも出遅れてしまったせいで、障害レースまで走ることになったのよ? それを乗り越えて、ここまで戻ってきた彼女の強さは……アタシみたいな仮初(かりそ)めなものなんかじゃないわ」

 

 一瞬だけ、アタシは自分の脚を見る。

 アタシに本当の強さがあれば──あのマックイーンに勝ったときの末脚を自在に発揮できる才覚が、アタシには無い。

 だからこそ、たった一度の勝利でしかなかった。

 アタシは、“時代を作るウマ娘”ではない──他の同級生(オグリキャップ)たちと違って。

 

「私が、ダイユウサクさんに憧れちゃいけないっていうんですか!?」

 

 泣き出しそうなほどに悲しそうな彼女を顔を見て、アタシの心がズキッと痛む。

 でも、それでもアタシはそれに──

 

「──ええ、そうよ」

 

 そう答えつつうなずいた。

 愕然とするマリアちゃん。

 でもね、仕方ないの。だって……

 

(──最初から、ダイユウサク(アタシ)みたいになりたい、なんて思わないで)

 

 それをハッキリと言葉にするわけにはいかないけど、それがアタシの本心だもの。

 今まで歩いてきた自分の道だから思うけど……それはあまりにも王道からかけ離れた道よ。

 そして本来ならアタシは、十把一絡げにまとめられてしまうような、そんな名も無きウマ娘として競走人生を過ごし、終わらせるような存在だったんだと思う。

 

(そんなアタシが、こんな小さなウマ娘にさえ名前を覚えてもらい、「憧れ」とまで言ってもらえたのは──奇跡のような幸運が重なっただけ)

 

 そもそも入学時期でさえ貧弱すぎて入れるようなウマ娘じゃなかったアタシを学園に導き入れてくれた、遠い親戚の伝説的ウマ娘である“あの方”との縁。

 そして大惨敗のデビュー戦と2戦目の直後に、あの人に出会えた。

 チームの存続の危機もあったけど、そのたびにどうにか乗り越えられた。

 目標──というには遠すぎる、優秀すぎる同級生(“オグリ世代”)たちの存在。

 そして物理的にすぐ側にいた“オークスウマ娘(コスモドリーム)”という目標。

 なによりも強烈に輝く──“年末のグランプリ制覇(たった一つの栄光)”。

 

(ターキンとかロンマンガンと、彼女ではワケが違う)

 

 ある程度まで成長して自分の素質という現実が見えたとき、また実際にデビューして成績が振るわなかったときに、せめて“一瞬の輝き”でも残したいとアタシに憧れるのならまだ分かる。

 でも、マリアちゃんみたいなウマ娘には、まだ無限の可能性が広がっているんだから。それを狭めるなんてもったいないのよ。

 だから、夢を見るならもっと大きく持ってほしかった。

 そう思った──んだけど?

 

「う、うぅ……」

「……え?」

「うわああぁぁぁぁん!! そんな意地悪、言わないでよぉぉ~」

「えぇッ!?」

 

 声をあげて泣き始めた彼女に、アタシは完全に狼狽したわ。

 い、いや、ちょっと待って。泣き出すとか反則じゃない?

 もちろんそんなことになれば、騒ぎになるわけで──パーマーがみんなから称賛を受けているおかげで、目立たないから大事(おおごと)にはなってないけど。

 

「……お前、なに小さな子、泣かせてるんだよ」

「あぁ、もう可哀想に……大丈夫だよ、安心して……」

 

 騒ぎになる前にトレーナーとミラクルバード(コン助)がすっ飛んできて、アタシとマリアちゃんの間に入った。

 で、コン助はあの持ち前の人懐っこさと明るさという社交性の高さを武器に、しかもどこから取り出したのか、自家製の焼き鳥を出して「これでも食べて──」とあやしつつ、注意を引いていた。

 

 ……なんで、そんなもの準備してるのよ。

 

 なんて疑問はさておき、一方で子供に不慣れなトレーナーは、とにかくアタシと彼女の間に入って視覚を塞ぎ、チラッと「さっさとこの場を離れろ」と視線を送ってくる。

 うん。確かに、アタシがこの場に残り続けたら、事態が悪化するだけだし、なによりも勝者(パーマー)の邪魔をしちゃうことになる。

 アタシは──マリアちゃんのことを気にしつつ、その場を去ることしかできなかった。

 

 

 ──あとでトレーナーに事情の説明を求められてしたんだけど……「気持ちは分かるが、子供の夢を壊すな」と怒られたわ。

 うぅ……失敗したわよね。これ……

 




◆解説◆

【引き継がれるバトン】
・特に元ネタ無しです。
・解説ネタも「大○○」について、継承にするか承継にするか迷ったくらいです。
・どちらもほぼ同じ意味ですが、継承は先代から「義務や財産、権利を受け継ぐ」というのに対し、継承は「地位や精神、身分、仕事、事業を受け継ぐ」という意味なので、承継の方が適していると思い選びました。

春の天皇賞を制した後に負傷
・91年、92年と春の天皇賞を連覇したメジロマックイーンは、宝塚記念に向けた調教中に骨折(左前脚部第一指節種子骨骨折の全治6か月)が判明し、長期休養することになりました。
・復帰したのは93年4月の大阪杯と、かなり空きます。おかげでマックイーンが92年に走ったのは阪神大賞典と天皇賞(春)の2つのみになってしまいました。
・アニメ2期では、春の天皇賞後の第6話で負傷発覚→実家で療養という流れになっています。
・チームから離れてたのと、テイオーのダービー後みたいに明らかな負傷シーンが無く、「いつのまにか怪我した」感があるのですけどね。
・おまけにテイオーは負傷して宝塚記念に出てないし、テイオーの調子が上がらなかったので92年秋相当のシーンは全体的にかなり微妙な扱いで、ほぼすっ飛ばされてます。
・テイオーが勝ったジャパンカップさえも飛ばされている始末で、描写があったのは、菊花賞と有記念くらいです。
・おかげでトウカイテイオーは走っていたのにレッツゴーターキンとムービースターの天皇賞(秋)はスルー。(あとでヘリオスとパーマーのゴール後の姿があったくらい)
・なお、マックイーンは前年の宝塚記念はライアンに負けており、その栄冠をつかむのは翌年になってしまいました。
・この負傷があったからこそ──92年にも出走できなかったため、最強ステイヤーのメジロマックイーンが生涯で有馬記念を取れなかった要因の一つになっています。
・え? 一番はあの馬のせいだろ? …………ごもっとも。

失敗
・ダイユウサクの対人スキルが高くなく、不器用だったのが原因。
・なお弟がいるので子供との会話が苦手という設定はありません。
・なんというか、逆に真面目に大人としての思いだけを押し付けてしまったせい、なんですが。


※次回の更新は4月6日の予定です。  



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第19R Let's Re-start! もう一度、あの場所へ

 
 ──宝塚記念のレース直後のこと……

 それを走ったウマ娘の中の一人が、うつむいてターフを見つめていた。
 髪の毛は栗毛の茶髪。そしてその体は周囲と比べても明らかに小柄なウマ娘だった。
 しかしそんな小柄な体躯とは裏腹に……見目麗しいと言われるウマ娘の中でも、特に注目を集めるような整った顔立ちをしていた。
 黙っていても注目を集めてしまうような、その低い身長を差し引いても、モデルや俳優と言われても納得するレベル。
 しかし──競走という舞台では顔よりも順位こそが評価される世界。
 今日の彼女の順位は、御世辞にも注目を集めるような順位とはいえなかった。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


(さすが、最強決定戦(グランプリ)。まったく歯が、立たなかったね……)

 芝では有利と言われる1枠1番(最内)だったのに。
 後方でのレースで追い上げるという作戦も、得意とする展開だったはず。
 葦毛の淡い色をした、短い髪のウマ娘と道中は並んで走り……一時的に前に出たこともあったけど、結果的には彼女よりも順位は下だった。

(レベルは高かったけど……やっぱり悔しいよ)

 顔を上げて見つめた先は、短い葦毛の髪のウマ娘──ホワイトアロー
 今までレースで何度か顔を合わせているし、今年に関しては年明けの重賞では彼女が勝ち、3月の重賞ではこっちが勝っている。そんな良きライバルのような相手──

(ま、こっちの方が年は上だけど……)

 周囲はとてもそうは見えないけど、って言うんだよね。
 そりゃあ、背の高さは違うけど……

(それに年下とライバル関係なのか、と思うとあたしの実力が低いって言ってるようで……ちょっと悔しいかな)

 とはいえ──向こうの同級生は、今回の勝者のメジロパーマーもそうであるように、レベルが高いと言われてるし、対してあたしの世代は……うん。
 一つ上の世代が強すぎるせいもあって、“狭間の世代”なんて言われてるくらいに、目立つウマ娘がいない。悔しいことに……

「まだ、あの世代は現役がいるんだから。ホント、恐れ入るわ」

 チラッと見たのは、走路から離れていこうとするウマ娘。
 赤と黒と黄色の、オフショルダードレス型の勝負服は、去年の年末のグランプリウマ娘のそれ。
 あたしの一つ年上だけど……実はデビューはこっちの方が早かったりするし。
 ともあれ、そんな彼女もあれ以来は負け続き。今日もあの神がかった追い上げはなかったし。

「確かに、今日の勝ったウマ娘の走りには憧れるけどね……」

 道中ずっと先頭で注目を集め、そのまま逃げ切った走り方。
 1番人気だったウマ娘は歯が立たず──その圧倒的だった勝ち方は多くの観客の心を掴み、その大きな歓声に勝者のメジロパーマーは大きく手を振ってそれに応えてた。
 その目立つ勝ち方には……正直に言って、憧れる。
 でも──あたしにはできない走り方だと言うことも分かってる。

(それにあたしの走り方はそうじゃないんだよね。だって“主役は遅れてやってくる”というのが、理想なんだから)

 そんな劇的な走り方こそ、私の理想の走り方。
 それこそ、まるでドラマのような──それもテレビではなく、映画のような壮大に盛り上がるカタルシスにこそ、憧れる。

(それこそ、あの人みたいに……)

 そう思いながら、あたしは再び赤・黒・黄色の勝負服を着たウマ娘が去っていく姿を見る。
 ──反対された推薦というそこへ至るまでのドラマ。
 ──予想外の結果(ラスト)
 ──圧倒的な強大な敵(マックイーン)を打倒するというカタルシス。
 なにからなにまで、ドラマティックだったあのレースは、見ていて本当にシビレた。
 そしてやっぱり、あの末脚で追い込んでの勝利の展開こそ、もっとも盛り上がった原因なのは間違いない。

(あのレースこそ私にとっての理想。至高にして究極のドラマ)

 前年の有記念のオグリキャップの勝利も、もちろん理想の復活劇であり、ドラマ性に溢れている。
 しかし、いかんせんあの復活劇(ドラマ)には大活躍からの不調という前振りが必要なのが困りもの。

(その仕込みはさすがに、無理……)

 思わず苦笑を浮かべてしまう。
 あのウマ娘みたいにGⅠをバンバン勝つようになんてなれっこない。前走の安田記念で3着に入ったのがやっとだっていうのに。
 あたしがそんなことを考えていると──

「今日は……残念だったな」
「トレーナー……」

 近くにいたトレーナーが声をかけてきた。

「前走より順位は下がったが、舞台が違うんだから気にするなよ?」
「わかってますって。目指すはもっと大きな舞台……」

 そう言ってアタシはトレーナーに笑みを向ける。

「秋には八大レースの一角を狙おうじゃないの。ねぇ、トレーナー」
「お前の夢は、大きすぎるんだよなぁ……」
「当ったり前でしょ。あたしが目指すのは──ウマ娘の一番星(トップスター)なんだから」

 たとえ体は小柄だろうが、夢は大きく。
 それがあたし──ムービースターの信条だった。



 

 ──6月末。

 レッツゴーターキンの姿は、中京レース場にあった。

 

 雨が降り始めた走路にいるのは12人のウマ娘。

 競走の道へと進んだウマ娘は、大なり小なり誰もが負けず嫌いな面がある。そうでなければ「誰よりも1秒でも一瞬でも速く」なんて争いはできない。

 だから12人のウマ娘の誰もが勝利を渇望しているのだが──その中で、特に5人のウマ娘の目は絶対に勝利を掴まんと、ギラギラとしていた。

 

「……返り咲いてやる」

 

 そう心に誓っているのは、このレースの一番人気を誇るウマ娘だった。

 鹿毛の髪──その後ろ髪をバッサリと短く切ったのは、最近のことだった。

 レースに邪魔、というのもあるが、決意の顕れというのが一番大きい。

 

(今までの自分と決別する──)

 

 握りしめた拳を見つめつつ決意する、そんな彼女の名前は──ロングシンホニー

 ついこの前まで彼女は中央トレセン学園所属のウマ娘だったが、現在は名古屋トレセン学園へと移籍している。

 中央(トゥインクル)シリーズから、地方(ローカル)シリーズへ。

 俗に“都落ち”と言われるその仕打ちを、ロングシンホニーは受けたばかりのウマ娘だった。

 それでも一番人気になった彼女は──二番人気になっているワンダーレッスル以下の、自分よりも人気が下である中央所属のウマ娘たちを睨むように見ていた。

 

(この連中にだけは、負けられない……)

 

 捲土重来。

 それを悲願とする彼女にとっては、絶対に負けられない相手である。

 そんな彼女をはじめとする、目つきの違う5人のウマ娘は全員がローカルシリーズ所属のウマ娘だ。

 

 今回のレース──テレビ愛知賞は、中央と地方のシリーズの交流戦。

 自分が去ることになった中央の関係者に実力を見せつける絶好の機会であった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 一方、そんな中京レース場の観客席の最前列というチーム関係者の特等席。

 そこには出走者であるレッツゴーターキンのトレーナーである乾井(オレ)と、〈アクルックス(そのチーム)〉のサポート要員である車椅子のウマ娘、ミラクルバードの姿があった。

 ただしいるのはその二人のみ。他のメンバーは見当たらず、東京のトレセン学園で留守番──ではなく、トレーニングである。

 

「ま、夏も迫ってきたからな……」

 

 ミラクルバードにチーム総出で来なかったことを訊かれたオレは、苦笑混じりにそう答えていた。

 夏になれば始まるメイクデビュー戦。

 毎年の風物詩であり、オレがダイユウサクを担当してこのチームができてからも、当然のことながら毎年変わらずに開催されてきたわけだが……今年は他人事ではなく、そうして意識しているからこそ新鮮味と違和感の両方を感じていた。

 なにしろ、ダイユウサクはデビュー後からの担当だったし、そもそもアイツは未勝利戦どころか条件戦がデビューだった。

 そのころにはアイツが出られるメイクデビュー戦なんて影も形もない時期だったし。

 

「オラシオンのメイクデビューか……」

 

 対象となるのは、ウチのチームでは2名。オラシオンとロンマンガン。

 その中でもオラシオンは去年の春から所属していたため、準備期間がかなり長かった。

 アイツ自身、中等部の頃から注目される程のウマ娘だったのに、高等部に入ってからのデビューと決めていたせいもある。

 だが……正直な話をすると、オラシオンのデビューに向けての調整は、上手くいっているとは言い難い。

 

「もうすぐなのに、最近ちょっと伸び悩んでるよね?」

「まぁな。でも、オレは焦る必要はないと思っている。気を急いてジュニア期を気にするあまりに、クラシック以降で小さくまとまったんじゃ意味ないからな」

 

 例えば──と言ってもあまりいい例えではないのは百も承知だが──ダイユウサクの同期でジュニア期に活躍したウマ娘達のこと。

 ジュニア期のGⅠ、その一つである阪神ジュニアステークスを制したのはディクタストライカ。

 翌年のダービーこそ振るわなかったが、マイルチャンピオンシップを制した。

 しかしその後は有記念に出走して負傷。そこからの復帰が上手くいかずに去り、実質的にはシニア期が無く引退している。

 そしてもう一つの朝日杯ジュニアステークスを制したサクラチヨノオーもまた、ダービーこそ制したがその後に負傷。

 翌年の安田記念で復帰したものの17人中16着。続く宝塚記念ではレース中に負傷して最下位。そのまま引退と、やはりシニア期は成績を残せていない。

 どちらもデビューはジュニア期の8月。

 もちろんその2人が極端にジュニア期に無理をしたと言うつもりもないが、オレはオラシオンはもっと長期的──シニア期まで活躍して欲しいと思っている。

 彼女はいくつものGⅠを制するような“時代を作る存在”になれると思っているからな。

 

「──夏のデビューにこだわる必要もない。だが……それでも、な」

 

 先輩のレースに連れ回して見せる時期は過ぎている。

 例えばそのレースがGⅠのような大舞台ならともかく今回のような中京のオープン特別、それも中京開催ならなおさらだ。

 そしてそれは彼女の同期のロンマンガンにしても同じだ。

 

「旅費の問題じゃないの?」

「素直に言えばそれもあるけどな。東京や中山開催ならともかく、中京(ここ)まで来るには、時間も金ももったいない。それにオレが不在でもしっかりトレーニングが出来るような環境が出来てなければ、チームとしてあまりに不完全だろ」

 

 その試金石でもある。

 オラシオンとロンマンガンのことは研修中の渡海と、先輩であるダイユウサクに任せるという最低限のものが機能しなければ、今の人数でさえサブトレーナーを考える必要が出てくる。

 

「……それでダイユウ先輩、こなかったの?」

「それ()ある、ってところだ。一番の理由は本人が来たがらなかったからだけどな」

 

 ダイユウサクの実家は名古屋市にある。

 そこに泊まれば、少なくとも宿泊費は一人分は浮くわけだし、問題もなかった。

 だが……

 

「今回の主役はターキンでしょ? って言ってな。自分がいくと悪目立ちするからやめとく、だとさ……」

 

 確かに昨年の有記念で一躍有名になり、それが地元の中京レース場に姿を現したらさぞかし人が集まることだろう。

 実際に目聡い地元のファンは、トレーナーのオレのことさえも知っているらしく、オレを見ただけで「来ている」「近くにいる」と思って周囲を探しているような姿も見受けられた。

 そんな話をしているうちに、ファンファーレが流れ──出走時間が迫ってきていた。

 

「その肝心なターキンだが……」

「落ち着いていると思うよ。この雨の中でしっかり集中できてる。やっぱりトレーナーがいるおかげかな?」

「茶化すな。今回でオレがいるのが初めてなんだから、比べられるわけ無いだろ」

 

 意地悪く笑うミラクルバードに切り返しつつ、オレはゲートに入るターキンの姿を見た。

 うん。悪くはない。

 

 そうして──テレビ愛知賞(レース)は始まった。

 




◆解説◆

【もう一度、あの場所へ】
・元ネタはありません。
・ターキンにとってウイニングライブのセンターであり、ロングシンホニーにとっては中央(トゥインクル)シリーズ、というわけです。
・いろんな再出発なので“Re-start”としました。
・実は倍くらいの容量があって、今回のレースのゴールまで入っていたのですが、さすがにいつもに比べても多いのと、昨今のストック切れの関係もあって二つに分けました。
・おかげでターキン回のタイトルなのですが、本人が登場していません。

ホワイトアロー
・第一章でも出てきたオリジナルウマ娘。
・金杯(西)でダイユウサクに敗れた彼女は、翌年の金杯(西)を制しました。
・本当に何気なく──金杯2着だったのでただ出しただけのキャラだったのですが、後から見るとこの作品と結構深く繋がりのあるキャラになっていたようで……
・前も書きましたが、金杯の後で朝日チャレンジカップでダイユウサクと走ったのは、うっかり忘れてスルーしたという経緯がありました。
・それ以外にも、レッツゴーターキンとは90年の神戸新聞杯と菊花賞や91年の中京記念(GⅢ連勝の時の2勝目)でも走ってますし、92年の天皇賞(春)と宝塚記念でダイユウサクと走ってます。なんなら次の高松宮杯だって……
・で、今回初登場のウマ娘とも91年の金鯱賞や92年の金杯(西)、中京記念、天皇賞(春)、宝塚記念、朝日チャレンジカップで競っています。
・そんな彼女にとってライバルともいうべきウマ娘は──

ムービースター
・レッツゴーターキンを検索すると、サジェストで「レッツゴーターキン ムービースター」というものが表示されます。
・これはもちろん、レッツゴーターキンが映画俳優(ムービースター)なわけではありません。
・レッツゴーターキンが一躍有名になったあのレースで競うことになるウマ娘──それが彼女、ムービースターです。
・未実装な、本作オリジナルの同名の競走馬をモデルにしたウマ娘。
・競走馬ムービースターは1986年生まれ。
・その同期は……作中でも語られたように上はオグリ世代、下はマックイーン世代に挟まれた世代で、現時点(2022年4月現在)で実装されたウマ娘は一人もいません。
・候補も、なぁ……一番有名なのは種牡馬サンデーサイレンスじゃないですかね、この世代。
・──話を元に戻すと、ムービースターは栗毛の牡馬。
・母はノーザンテーストの子であるダイナビーム、父はディクタス──その名前で分かるように、ウマ娘になっているイクノディスタスとは父が同じです。
・GⅠ勝利こそないものの、重賞は91年金鯱賞、北九州記念、92年中京記念というGⅢ、GⅡは93年中山記念と4勝している他、それを含めて生涯9勝。
・引退後は種牡馬となり、2006年にそれも引退した後、功労馬繋養展示事業の助成を受けて岩手県の湯澤ファームで余生を送りました。
・そこでは「ムーちゃん」の愛称で可愛がられ、とても大事にされたようです。
・しかし2016年10月10日に他界。
・その生涯で全50戦もしているタフな馬でした。ダイユウサク(生涯38戦)サンキョウセッツ(生涯43戦)を軽く超えてます。
・そんな丈夫さや、“映画スター(ムービースター)”の名前のイメージとは裏腹に、実はすごく小柄な馬でした。
・体重を見ると420~430㎏台、一番重くて440㎏。
・ちなみにウマ娘で小柄に描かれるタマモクロスでさえ440~450㎏台。それよりも一回り軽く、ビコーペガサスやニシノフラワーと同じくらいです。もっとも、ニシノフラワーは牝馬なので少し違いますが。
・そんなわけで、“小柄”という個性がついていますし、そのイメージやGⅠを制していない戦績から、“映画俳優(ムービースター)”そのものというよりも、それに憧れて目指している、というキャラ付けになっています。
・で、本人も言っているようにホワイトアローとは色々なレースで顔を合わせており、ライバル的な関係なようです。
・なお、前述のとおり正式なウマ娘にはなっていませんが、アニメではムービースターモデルのウマ娘が2期の6話で描かれた有記念(1992年モデル)に登場しています。
・10分20秒のシーンで、中央にテイオーが描かれていますが、その前を走っている二人のうち左のウマ娘こそムービースターと思われます。
・というのも道中でトウカイテイオーの少し前を走っている位置もですが、その赤黒黄の勝負服が、史実のムービースターのもの(黄に黒縦縞、赤袖)と合致しますので、右ではなく左側がそうではないか、と。
・スマートなスーツ型のデザインになってる勝負服はまさに“映画俳優(ムービースター)”って感じでカッコいいです。
・ただし、顔はほぼ切れてしまって確認できません。
・見える範囲で確認すると肩付近までの長さのウェーブヘアーで、書いている人の好みではあるのですが……(本作ではロンマンガンがその髪型ですし)

ロングシンホニー
・いや“シンホニー”じゃなくて“シンフォニー”じゃないの? って、書いてる人もそう思いましたよ。
・同名の実在馬をモデルにした本作オリジナルのウマ娘。だから書いてる人が決めたわけじゃありません。
・元ネタは1986年生まれの鹿毛の牡馬。
・3歳(年齢は旧表記。以下も同じ)の11月にデビューして2着はとったものの、3戦して2着2回の3着1回と惜しいレースが続き、4歳3月になった4戦目で初勝利。
・そこから3連勝し、ダービーではなんと1番人気に。
・しかし結果はウィナーズサークルの5着。その後も菊花賞を含めてあまりいい結果は残せません。
・その年の11月の条件戦で勝利して1400万以下クラスに昇格。でも12月にはGⅡ鳴尾記念でナイスネイチャの7着とやっぱり振るいません。
・7歳になったロングシンホニーですが、1月の条件戦、2月の重賞でも勝てず……それまで栗東の小林稔調教師の所属だったのですが、地方競馬で名古屋所属の 森島義弘調教師への下へと移籍します。
・その後は……10歳まで走り続け、現在は無くなってしまった中津競馬場で開催された耶馬渓賞での勝利を最後に引退しました。
・なおこの競走馬、母馬スイーブで同じ兄弟馬──それも前年というすぐ上──が、なんと本作の第一章で登場した()()ロングニュートリノでした。

テレビ愛知賞
・ゲームのウマ娘には無いレース。
・それも当たり前で……今回のレースのモデルになった92年のレースを最後に、無くなってしまっています。
・中京競馬場で開催されていたレースでした。
・協賛のテレビ愛知は、名前の通り愛知県にある、テレビ東京系列のテレビ局。
・1982年に設立して1983年に開局。
・その2年後に第1回のテレビ愛知賞が開催されました。
・ところがバブル崩壊後の1992年の第8回を最後に、その歴史を閉じました。
・基本的に芝の2000メートルでしたが、1989年のみ1800メートルで開催。
・設立当初は1400万以下(現在の3勝クラス)の条件戦でしたが、最後の92年だけはオープン特別で開催されました。
・その影響か、その年だけは中央競馬と地方競馬の交流戦になっていました。
・92年の出走数12のうち、中央所属が7頭、地方所属が5頭。
・なお、梅雨真っ只中という時期のせいもあって全8回のうち晴れていたのは87年の1回のみ。
・そのため馬場状態は86、87年と92年は良でしたが、それ以外は重が2、不良が2、稍重が1回と悪い時の方が多かったのです。
・92年は雨でしたが馬場は良という状態でのレースになりました。


※次回の更新は4月9日の予定です。  



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第20R Let's go ahead! 呑み込まれる前に……

 
 少し昔──といっても4、5年前の話──のことだが、当時の地方(ローカル)シリーズは、確かに活気がなかった
 中央(トゥインクル)シリーズで熱いレースが繰り広げられ、様々なドラマが語られ、時代を作るウマ娘が輝くのとは対照的に──運営のやる気や、各レース場や地方のトレセン学園の熱意の欠如など、そこには明らかな閉塞感があった。

 ……そう、4、5年前までは。

 それを、たった一人の“国民的アイドルウマ娘”が変えてしまったのだ。
 確かに、彼女の前にも最初の国民的なトップアイドルのウマ娘は存在している。
 彼女は絶大な人気を誇ってウマ娘競走(レース)に革命をもたらした、誰もが認める最初の国民的なトップアイドルのウマ娘だろう。
 しかしそれでも彼女の場合は南関東シリーズ出身なこともあるし、なにより都合によって中央に所属できないために、注目を集めながらも中央への移籍を待っていたという感は否めない。
 しかし2代目は違う。
 地方の笠松から始まり、そして中央で頂点に立ったそのウマ娘の()()()()()ストーリーは、その閉塞感を吹き飛ばすのに十分な衝撃があったのだ。



 

「私も……オグリ先輩のように……」

 

 カサマツトレセン学園所属のウマ娘──ベッスルエースは黒鹿毛の髪をなびかせて走る。

 在籍していたということで、もはや学園では伝説的扱いのオグリキャップ。

 カサマツでは彼女に憧れないウマ娘はいないし、たとえ中央トレセン学園に入れなかったからといって、ここで腐るようなウマ娘は少数派になっていた。

 彼女はわかりやすく、カサマツトレセン学園所属のウマ娘たちに希望を見せたのだから。

 しかし──

 

(私だって、現実が見えていないような、バカじゃない!!)

 

 入学からデビューを経て地方(ローカル)シリーズで出走を重ねれば──あの偉大な先輩(オグリキャップ)のスゴさを身に染みて理解できるようになる。

 例え地方(ローカル)シリーズであっても、容易に勝てるようなシロモノではないのだ。

 ジュニア期に12戦11勝という成績は凡人はもちろん、並の天才程度が残せるような記録ではないのだから。

 

 ──自分はオグリキャップではない

 

 彼女の登場以来、中央にはいけずとも夢と希望と……少しだけの地方(ローカル)シリーズを甘くみる気持ちを持って地方の、特にカサマツのトレセン学園に入学したウマ娘たちが、キッチリと思い知らされる現実である。

 

 ──中央への移籍なんて夢のまた夢。

 ──そう無い話だからこそ、伝説になる。

 

 それを実感させられ、強制的に悟らせられる地方のウマ娘たち。

 ベッスルエースも、それを理解している“普通の”地方(ローカル)シリーズ所属のウマ娘の一人だった。

 

(でも! それでも──ッ!!)

 

 だが、彼女の所属するカサマツトレセン学園には意地があった。

 “あの”オグリキャップの後輩である、という矜持──“カサマツ魂”ともいうべきものがあった。

 

(今日の私の人気は三番人気。しかも一番人気だって……)

 

 元中央(トゥインクル)シリーズ所属とはいえ“墜ちてきた”ウマ娘であり、現在は地方所属。

 テレビ愛知賞(このレース)に出走している中央のウマ娘のレベルはその程度でしかないのだ。

 ならば──

 

「中央の連中に、一泡吹かせてやるッ!」

 

 中央所属のウマ娘と走る機会はそう多いわけじゃない。

 だからこそ今回のメンバーのレベルの低さにはガッカリしたが──それならそれで中央の連中を叩き潰して目にもの見せてやるだけだ。

 

 それこそ──偉大なる先輩(オグリキャップ)から受け継いだ“カサマツ魂”を見せつけて。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 今回のレースは、中央と地方の交流戦でした。

 中央所属のウマ娘の一人である私──レッツゴーターキンは、後方から中段といった位置でレースをしていました。

 今日のレースで三番人気になっているベッスルエースさんは一つ前の集団。彼女の後ろ姿はその黒鹿毛と共に、ハッキリと捉えています。

 一方、二番人気で私と同じ中央所属のワンダーレッスルさんは、もっと前の方で“逃げ”ているようです。

 そして、私の横には──

 

(このウマ娘(ひと)には……負けられません!)

 

 鹿毛の髪で、後ろ髪をバッサリと切った髪型のウマ娘──今回の一番人気、ロングシンホニーさんが走っていました。

 彼女の情報は、数日前にトレーナーさんから聞かされていました。

 

『……今回のレースで注意するウマ娘の一人だ』

 

 そう言って名前を出されたのがロングシンホニーさん。

 

『地方所属だからって(あなど)るなよ? コイツはこの前まで中央所属だったんだから』

 

 そういうウマ娘だからこそ、プライドがあり、負けられないという気迫が全然違う、とトレーナーさんは警告していました。

 中央所属のウマ娘が、途中で地方所属へと変わる理由の主なものは──成績不振。

 

(レースで勝てなくて……それでも諦めずに走り続けたいって思うからこそ……)

 

 勝てないことで諦めて、競走界を去るウマ娘は多い。

 でも……そこで諦められないウマ娘たちは、中央という舞台からは降りても地方(ローカル)シリーズで走り続ける。

 たとえ環境が悪くなるのが分かっていても、それでも──

 走りたい。

 競いたい。

 そして誰よりも速く走りたい。

 ──それがウマ娘という存在なんですから。

 

(このウマ娘(ひと)は、私のあり得た姿なのと同時に……未来の姿かもしれない)

 

 地方(ローカル)シリーズへの移籍は、7連敗をした私にあった選択肢の一つ。

 もしも乾井トレーナーさんが引き継ぐのを断ったら──

 他にも引き受けてくれる人がいなければ──

 そこで私が現役を続けようとしたら、きっとそうなっていたと思います。

 

(私くらいの年代で、引き受けてくれるトレーナーさんがいなければ……他の学園所属のトレーナーさんを捜すしかないんですから)

 

 だからもしも、前回の最下位という結果から私がさらに敗走を繰り返せば──乾井トレーナーから愛想を尽かされるか、中央トレセン学園から見放されれば、待っている未来でもあります。

 だから隣で走る彼女の姿が、私に重なって見えて仕方がありません。

 そして、だからこそ──

 

「負けられ、ないッ!!」

 

 不幸や負けを重ね続けて……あり得た過去とあり得る未来の自分の姿だと思えば──

 そして今の自分と彼女が競れば競るほど──その思いがますます強くなっていくのです。

 

『お前よりも一つ上の世代だけど、それでもダービーや菊花賞に出たほどの実力はあるからな』

 

 菊花賞では6着。ダービーでは5着という、掲示板に乗るほどの結果を残した彼女。

 オープンクラスにこそ至らなかったけれど、それでもその直前にまで上り詰めているんです。

 そこまでの力があったウマ娘(ひと)が、それでも伸び悩み、そして地方(ローカル)シリーズでも戦おうと決意して移籍した、その勝利への渇望は──私なんてぜんぜん及ばないくらいに強い気持ちのはず。

 それでも──

 

「私だって、勝たなければ……負け続けたら……」

 

 待っているのは、中央を去るという現実。

 そしてそれは、〈アクルックス(今のチーム)〉にいられなくなるということ。

 

 トレーナーさんの──

 ダイユウサクさんの──

 ミラクルバードさんの──

 オラシオンさんの──

 ロンマンガンさんの──

 渡海さんの──

 

 みんなの顔が、私の頭をよぎりました。

 そんなみんなと会えなくなる……

 

「そんなの、絶対に……イヤですッ!!」

 

 こんなダメダメな私を受け入れてくれた〈アクルックス(チーム)〉のみんなの気持ちを──裏切るわけにはいきませんッ!!

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「なッ!?」

 

 隣のウマ娘がグンと加速して、ロングシンホニーが驚き、目を見開く。

 慌てて「遅れまい」と加速をかけるが──ワンテンポ遅れた加速は、2人の距離差を生んでいた。

 そして、レッツゴーターキンとロングシンホニーの前に位置していたウマ娘──ベッスルエースは後ろから迫る気配に気がついた。

 

「むッ!?」

 

 彼女もまた、負けじと加速する。

 ロングシンホニーと違って前に位置していた彼女は、レッツゴーターキンの見事な末脚にも反応が間に合い、お互いに競って前へと順位を押し上げていく。

 

「このウマ娘(ひと)にだって──」

 

 レッツゴーターキンは、横に並んで自分と併走する黒鹿毛のウマ娘をチラッと見た。

 見覚えのないウマ娘だった。

 中央(トゥインクル)シリーズと地方(ローカル)シリーズの交流戦という今回のレース。

 中央所属のターキンに見覚えがないのは、彼女は中央トレセン学園にいたことがないから。

 

()()()()()ッ──」

 

 高いハードルを越えて中央トレセン学園に入学したウマ娘として──

 その学園内でのハイレベルな競争に揉まれ──

 中央(トゥインクル)シリーズでの最上位となるオープンクラスに上り詰め、GⅢなれども重賞を連勝した経験を持つウマ娘として──

 

「私はッ、絶対に……負けられませんッ!!」

 

 レッツゴーターキンの速度がさらに上がる。

 そんな彼女の末脚に──

 

「かはッ──!!」

 

 食らいついていったベッスルエースが限界を迎える。

 対照的にターキンは──

 

「かあああぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 雄叫びを上げるように叫び、最後に引き離すターキン。

 ついていけないベッスルエース。

 ロングシンホニーも後ろから追い上げることはかなわない。

 

 

 

 だが…………前にはもう一人、いた。

 

 

 

 序盤から前方でレースを展開し、そのまま下がることなく走り続けたウマ娘が、ターキンの前を走っていたのだ。

 その人影に追いつくことはできず──ゴール板を駆け抜ける。

 

 結果──テレビ愛知賞で、レッツゴーターキンは2着となった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「うわあああぁぁぁぁぁん!!」

 

 ゴールしたレッツゴーターキンは、走りを止めてからうつむいたまま動かなかった。

 それを不審に思って、オレが駆け寄ったら──彼女は飛びついきた。

 さすがに驚いて飛び退こうとしたが、間に合わなかった。

 その胸に顔を埋め、大きな声で泣き始め──冒頭の泣き声、というわけだ。

 

「あああぁぁぁぁぁぁん!!」

 

 いや、あの……ターキンさんや。ちょっとどころじゃなく、オレ、恥ずかしいんですけど。

 周囲の注目、メチャクチャ集めまくってるしな。

 でもまぁ……悔しいのは、わかるぞ。

 

「オレも……悔しかったからな」

 

 泣きじゃくるターキンの頭の上に、ポンと手を乗せる。

 惜しかった。

 1着だったヤツの動きを気にしなければ、見事な差しだった。

 現役の地方ウマ娘や、先日まで中央で活躍していたウマ娘を相手に、十二分に強さを見せつけられたんだ。

 お前の実力は──けっして低くなんか無いぞ、ターキン。

 

「ごめんなさい、トレーナーさん。私、今回も、勝てなくて……」

「謝るな。オレに謝る必要なんて無いから……同じ位置にいたヤツにも、一つ前の集団にも、後方から追い上げてきたヤツにも、そいつらには全部、負けなかったんだからな」

 

 むしろ謝らなければいけないのは、オレの方だ。

 前で逃げたウマ娘を、オレはターキンに気を付けるようにとはアドバイスしていなかった。

 もしも、そのウマ娘にもオレが言及していれば──ターキンの仕掛けのタイミングは変わっていただろうし、そうすれば届いたかもしれない。

 でも……それはもう、遅すぎる後悔だ。

 だから──

 

「お前は謝る必要はないから──存分に悔しがれ。そして……」

 

 次は、さらに上を目指そう。

 たとえ今日は負けようとも、それを前へと進む糧にするために。

 な、レッツゴーターキン。

 Let's go(共に進もう)! だ。

 

 ──そうして、泣きやむまで待ち、どうにか落ち着いたターキン。

 冷静になってから泣きじゃくったことが恥ずかしくなったらしく、顔を真っ赤にしてぴゅーとばかりにターフから去っていった。

 それを苦笑しながら見送り──ウイニングライブでは見事な笑顔を見せていて、オレはホッとした。

 2着という結果は、けっして悪いものじゃないんだ。

 好結果を重ねて自信をつけていく──オレが考えたプランはとりあえず順調な一歩を踏み出せた。

 

 ──ただ一つ誤算があったとしたら……レース後に目立ちすぎたことだった。

 そう、ここは……中京レース場。

 アイツの地元で目立ったのは──完全な悪手だった。

 

「あの、乾井トレーナー……」

 

 ターキンが去ってすぐ、背後からかけられた声にオレは思わず振り返った。

 

 




◆解説◆

【Let's go ahead! 呑み込まれる前に……】
・“ahead”は「前へ」という意味。
・当初は「飲み込まれぬように」だったのですが、ふと『蒼穹のファフナー』主題歌「shangri-La」の歌詞が浮かびまして、それを採用して「吞み込まれる前に」へ変更しました。
・ターキンも立ち止まれば、引退・移籍というものが待っているくらいの世代になっていますからね。

地方(ローカル)シリーズは、確かに活気がなかった
・これは現実ではなく、漫画『シンデレラグレイ』の1話の描写から。
・その後の地方のトレセン学園の話も、『シンデレラグレイ』での描写を参考にして、中央のことを「君達は知らなくていいです」と言う教師がいることを考えてのことでした。
・なお、その教師が黒板に書いた()()()()()()()()()()には地方シリーズとして名古屋もしっかりと書かれていました。

最初の国民的なトップアイドルのウマ娘
・今まで何度となく言及していますが、もちろんハイセイコーのこと。
・ハイセイコーは1972年に地方競馬の大井競馬場でデビューしました。
・これは馬主が中央の馬主権がなかったため。↑の説明の補正にもなるのですが、現実ではその当時、中央と大井競馬の実力には、預託金がより安い割には賞金のさがそれほどないこともあって、差はほとんどなかったそうです。
・なお、入厩時既に中央競馬移籍は約束されていたとも言われており、本作ではその説を採用しています。
・また大井でのデビュー戦の一か月前にデビューする予定だったものの、他の馬が出走回避してレース不成立でデビューできなかった、というウマ娘にしても伝説となるようなエピソードがあります。
・大人気を誇って歴史を変えたハイセイコーも、どうにかウマ娘化しませんかね。

ベッスルエース
・同名の実在馬をモデルにした本作オリジナルのウマ娘。
・競走馬べッスルエースは1988年生まれの黒鹿毛の牡馬。
・笠松を主戦場にして東海地区で主に出走。
・中央のレースに出走したのは、92年のテレビ愛知賞のみ。
・正直、いい成績を残した競走馬というほどではなかったのですが、笠松所属ということで“オグリキャップの後輩”という立ち位置のウマ娘を出したくて、登場願いました。

2着
・このレースを制したのはワンダーレッスル。本文中でチラッとだけ(2番人気だった、という指摘のみ)名前が出てます。
・92年のワンダーレッスルの調子は良く、休養明けの3月は2着2回、4月には連勝して5月の勝ちを入れて3連勝。降級制度で500万以下に下がっていたところから一気に駆け上がります。
・6月の1500万以下の条件戦では5位、そしてこのテレビ愛知賞の勝利でオープンクラスになるのですが……その活躍もここまで。
・以後は勝利に恵まれず、同年11月のドンカスターステークスを最後に去っています。
・あともう一回……出てくるかも。


※次回の更新は4月9日の予定です。  



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第21R 大勇断! たった一つの心残り

 
 ──7月。

 梅雨明け間近の中京レース場。そこにダイユウサクの姿があった。
 今回のレース結果は──今回の結果()芳しくはなかった。
 出走したのは高松宮杯。ダイユウサクにとっては思い出深いレースでもある。
 初めて挑戦した重賞レースであり、そしてルームメイトで従妹のコスモドリームと唯一、一緒に競走(はし)ったレース
 そして、今日のダイユウサク(コイツ)の走る傍らには、もちろんコスモドリームの姿は無かった。

「あれからもう、3年……」

 レースに負けたというのに、悔しそうな素振りさえ見せていないダイユウサクの姿を見て、オレは複雑な思いを抱いていた。
 だからこそ──

「すまなかった、ダイユウサク……」

 オレは彼女に頭を下げる。
 今回のレース、順位はついに出走数の半分……どころか後ろから数えた方が圧倒的に早い18人中14着。
 それがまだ前の三走のようなGⅠレースならともかく、今日はGⅡである。
 このような結果になった──いや、そもそもこのレースに出ることになった原因はオレにあったんだから。

「謝る必要ないでしょ? 走ったのはアタシなんだし、この結果の責任は──」
「いや、今回は明らかに調整不足だった。それなのに……」

 なにしろ今回のレース、想定外の出走だった。
 それというのも、6月の末にオレは〈アクルックス(うちのチーム)〉のレッツゴーターキンのテレビ愛知賞出走のために、中京レース場にきたことがあった。
 そしてその際──オレは、とある人に呼び止められた。

『……お久しぶりです、乾井トレーナー』

 声をかけてきたのは、ダイユウサクの父親だった。
 ……そう。有記念のときに会社の忘年会に参加して、娘の晴れ姿を見に来なかった()()父親である。
 え? 悪意なんて持っていないぞ?

『有記念、ありがとうございました。娘に、あんな大変な栄冠を……従姉(彼女)もさぞ喜んでいると思います』

 そういえば“あの方”は当日、見に来ていた。実の父親は見に来なかったのに。
 なんて思っていたら、相手はそのことを話し始めた。
 どうやら、さすがにものすごく怒られたらしい。「ウマ娘の……それも実の娘の晴れ舞台をなんだと思っているのですか!!」と。
 ……あの方にものすごく怒られるとか、ウマ娘競走業界の関係者なら卒倒しそうな状況だな。

『私の方の親戚はまぁ、いいのですが、実は……』

 そう言ってダイユウサクの父親は『有記念を制したダイユウサクの勇姿を、義父母にどうにか(じか)に見せたい』と言ってきたのだ。
 そしてそのために──地元の中京レース場で開催される重賞レース、この高松宮杯に出走してもらえないか、と。

「お前の脚のことは、一応は説明したんだが……」

 オレは思わず、バツが悪くて頭をかいた。
 宝塚記念を終えたダイユウサクは、しばらく走らせるつもりはなかったんだ。少なくともその足がしっかりと回復するまでは。
 だが、彼女の父親は『そこをなんとか……』としつこく食い下がってきた。
 まぁ……ダイユウサクの母親はともかく、母方の祖母もまた名の知れた有名ウマ娘だからなぁ。
 自分の方の親戚はしっかりその勇姿を見ていただけに、義理の方の家族にも見せないと申し訳ないという気持ちになっているんだろう。
 こんな無理難題を押しつけられるのなら、ターキンと一緒にいて目立つんじゃなかった……と、かなり後悔した。

「謝るのはむしろこっちの方よ。まったくお父さんときたら……アタシの家族のせいでトレーナーに迷惑かけちゃって……ごめんなさい」

 ダイユウサクは不満げな顔をしたが──それは父に対するものだろう。
 実際、オレに対して頭を下げるときには、神妙な顔をしていたし。

「お前が素直に謝るなんて、珍しいな」
「……どういう意味よ、それ」

 オレが茶化すと、途端にジト目を向けてくるダイユウサク。
 ほら、そっちの方がお前らしいぞ。
 それから、オレがからかったのに気づいて大きくため息をつき──

「でも、祖父や祖母にもう一度直接走る姿を見せられたのは良かったと思ってるわ。ま、結果はあんなだったのは、さすがに心残りだけどね」

 最後は苦笑を浮かべて、冗談めかす。
 だが、長年のつきあいになっていたオレにはわかった。
 その心残りというのは冗談ではなく、本心だということに。
 しかし、今の万全ではないダイユウサクが勝利──それもグランプリウマ娘である以上は重賞であるのは絶対──するのは容易ではない。
 それを今回のレースで、オレはハッキリと思い知らされていた。

 そしてその心残りを解消する手だてを……オレは持っていなかった。




 

 高松宮杯を終え、中央トレセン学園へと戻ってきて数日後──

 

 オレはミラクルバードと共にチームの部屋でダイユウサクと会っていた。

 ロンマンガンは渡海に任せてトレーニングさせており、絶対に部屋に戻ってこないように厳命している。

 オラシオンに関しては……今日はちょっと出掛けているのでここに来ることはない、らしい。

 そんな環境を整えて、オレは──

 

「ダイユウサク。お前に提案というか……いや違うな。確認というか、質問というか……えっと、なんだ。その……」

「なに? いったい何の用なの?」

 

 思わず言いにくそうにしてしまったオレに、ダイユウサクは厳しい目を向けてきた。

 まぁ、そうだよな。突然呼び出して、オレがこんな態度じゃあ……

 オレは咳払いをして、気を取り直す。

 

「んん! 別にオレがそれを望んでいるってわけじゃないからな?」

「いいから、本題を言いなさいよ」

「……ああ。お前、さ。その…………“引退”……とか考えていないのか?」

 

 ──ついに、言ってしまった。

 普段は明るい笑顔を絶やさないミラクルバードも、さしもの話題に神妙な顔で黙っている。

 それに対してダイユウサクはどこか達観したように小さくため息をつき、そしてジッとオレを見てきた。

 う……思わず視線を逸らしたくなるが、ここで逸らしたらダメだ。

 そう思ってオレが耐えていると──

 

「どうして、そんなことを聞くの?」

「それは……」

 

 オレが自分の意志でそんなことを言い始めるはずがない。ダイユウサクはそう思っているんだろう。

 実際、その通りだ。

 オレだってコイツに引退して欲しいなんて思っていない。むしろ復活して秋のレース、それが無理なら来年の春のレースで活躍して欲しいと思っている。

 だが……世の中にはそう思わない人もいるらしい。

 

『いつまで、ダイユウサクを走らせるつもりだね、キミは?』

 

 愛知から戻ったオレは、学園の理事の一人にそう言われた。

 

『グランプリウマ娘の名をこれ以上貶めないでくれ。キミにはわからないかも知れないが、GⅠ(一流)ウマ娘であればこその“引き際”というものがあるんだからな。例えば、そう……オグリキャップのように、ね』

 

 大先輩のトレーナーから、そう言われた。

 そしてさらに続ける。

 

『もしやキミは、自分のウマ娘を()()()()されるわけじゃないだろうな?』

 

 皮肉を込めて言ってきたその言葉にオレは、なにも言い返せなかった。

 事実として、有記念以降、勝てていない。その姿は、秋の天皇賞やジャパンカップで期待に応えられなかったオグリキャップと同じかも知れない。

 

 ──では、今後も走り続けて勝てるのか?

 

 ダイユウサクが勝てないのは、有記念で実力を越えて“領域(ゾーン)”に踏み込んで過負荷をかけた後遺症のせい──オレはそう思っているし、疑ってもいなかった。

 だが──この前のレースで疑問を持ってしまった。

 GⅡだというのに2桁順位になっており、通用していないのは明らかだ。

 良くなるどころか、時間の経過と共に悪くなっているようにさえ感じてしまう。

 

(本当に、よくなるのか? それにたとえ足が本調子になったところで、有記念前のダイユウサクは──)

 

 その約一年前にGⅢの金杯(西)を制している以外に重賞勝ちはない。

 つまり無理をしなければ、ダイユウサクは重賞を勝てるような実力は無い、ということになる。

 もしもダイユウサクがこの先走り続けたら──そう考えて、とあるウマ娘の名前が頭をよぎった。

 

(アイツを“オペックホース”にするわけには……)

 

 ダービーを取りながらもその後は一勝も出来ず、それでも勝利の栄冠を求めて挑戦し続けたウマ娘。

 重ねた敗戦の数は32──さっきの先輩トレーナーの言葉は、彼女のことを揶揄してのものだった。

 

(オレは彼女を卑下するつもりはない。むしろ逆で、敬意さえ抱いている)

 

 最後まで諦めずに勝利を求めた彼女の不屈の闘志は、賞賛すべきもの。

 ダービーウマ娘の矜持? そんなもの知ったことじゃない。

 競走の世界に身を置いているのなら勝利を求めるのは当たり前じゃないか。

 

(どんなウマ娘だろうと、いや、ウマ娘に限らずに誰であろうと夢を諦めずに努力し続けること以上に崇高なことなんて、無い!)

 

 だからこそ決して諦めなかった彼女にどうにか一度、勝ってもらいたかったと思っている。

 だが、皆がオレのように思っているワケじゃなかった。一部のウマ娘競走のファンや関係者からは“ダービーの名を貶めた”と言われ、批判の的になったのも確かだった。

 彼女は、勝利のために様々な道を模索することもした。

 しかし──

 

(彼女の場合、ダービーウマ娘というのが枷になって、障害への転向も、地方へ移ることも、周囲に反対されてできなかった)

 

 最近、見た2人──障害に挑戦したウマ娘(メジロパーマー)地方移籍したウマ娘(ロングシンホニー)が頭をよぎる。

 そうして走り続けることができたのは、まだ良かったのかも知れない。特にメジロパーマーの最近の強さは、あの逆境をバネにして飛躍できたというのはあるだろう。

 しかし、もしもダイユウサクが同じことをする──オレの手から離れてしまう地方移籍だけはさせたくない、と思うのは個人的な我が儘だが──としたら、オペックホースと同じように“有記念ウマ娘”という立場が間違いなく邪魔をする。

 

(『それをするくらいなら、(いさぎよ)く引退しろ』と言われる)

 

 そしてそれをまさに言われた訳だ。

 オレはダイユウサクに走り続けて欲しい、と思う。

 だが、オペックホースの勝利への渇望と周囲からの批判という苦悩を、背負わせたくないという思いも強い。

 

(いっそ、有記念なんて勝たなければ──)

 

 浮かんだ思いを、オレは慌てて頭を振って飛ばした。

 ダイユウサク(コイツ)が身を削ってまで勝ち取った、もっとも輝かしい勝利を否定するなんて、絶対にやったらいけないことだ。

 オレは心の中で、ダイユウサクに謝った。

 そして、申し訳なく思いながら、ダイユウサクの顔を見ると──彼女は、どこか悟ったような顔で、フッと表情が(やわ)らいだ。

 

「どうせお偉いさんに、文句言われたんでしょ。『これ以上、醜態をさらさせるな』とか」

「う……」

「図星、ってわけね」

 

 やれやれと、今度はわざとらしくため息をつく。

 そんなにわかりやすい顔していたか、オレ?

 思わず隣のミラクルバードを見るが……ジト目でオレを睨んでいるという反応を見る限り、やっぱり分かりやすかったらしい。

 

「まぁ、全っ然トレーナーらしくないもんね。引退勧告するなんて」

 

 ダイユウサクと同じようにため息をついて、ミラクルバードが言う。

 そして彼女は、ダイユウサクをジッと見た。

 

「で、ダイユウ先輩。どうなの? 引退……見た通りトレーナーは本心では現役を続けて欲しいと思ってる」

「オイ」

 

 勝手にオレの心を代弁しているような態度のミラクルバードに思わずツッコミを入れたが、完全に無視された。

 

「だから、続けたいならこの人が全力で支えてくれるはずだよ。地方移籍したいって言うのなら、きっと一緒に移ってくれる」

 

 ……勝手に、決めるな。

 オレの一生に関わることだぞ?

 まぁ、さっき地方移籍に考えが至ったときに、少しだけ考えなくもなかったけどな。

 

「アンタもわかってるんでしょ? ミラクルバード(コン助)。地方への移籍なんて、有記念を勝ったアタシがやろうとしても、反対されてできないって」

 

 ダイユウサクの言葉にミラクルバードはそれ以上言えなくなってしまった。

 

「前みたいにただ勝利を目指してがむしゃらに走って、たとえ勝てなくても次のレースで……って、そういう立場じゃ無くなったことくらい、アタシだって理解してる。世間の目が『たとえ負けても──』なんてことを許さないのは、同級生(オグリ)を間近で見ていたんだから、ね」

 

 ジャパンカップでの敗走に、六平トレーナーをはじめ陣営に引退を迫るような手紙が来たというのはオレも知っている。

 近い立場になって分かるが、オグリキャップはさぞ悔しかっただろうな。

 

「だから……アタシも、そういう立場になった自覚は、あるわ」

「ダイユウサク……」

 

 笑みを浮かべ──いや、笑みを取り繕おうとして無理しているのがハッキリ分かる彼女の表情に、オレは胸が痛くなった。

 だからオレは、「無理をするな!」と言おうとして──

 

「大丈夫、トレーナー……アタシは、大丈夫よ」

 

 無理矢理笑みを作り、彼女は言う。

 

「ホントなら、ここまで走っていられなかったんだから。最初の2戦で……最下位(ビリ)しか知らずに、アタシの競走人生は終わるはずだったんだから」

 

 その2戦後、確かにダイユウサクは学園から去るのを決めていた。

 そんな彼女を、もっと走らせたいというオレのエゴだけで競走(レース)の世界に留めたんだ。

 

「それを、アナタのおかげで、アナタに会えたから……初勝利できたのも、重賞に挑戦してコスモと走れたのも、初めてのGⅠであのオグリと走れたのも、金杯を勝てたのも……」

 

 ああ、そうだ。色んなことがあった。

 あれから今までオレと共に35戦……一流と言われるウマ娘たちとは比較にならないほど、走ったもんな。

 だから、その分だけ他のウマ娘とトレーナーとの間とは比較にならないほど多くの思い出がある。

 悔しかった思い出も、嬉しかった思い出も……

 

「そして、あのマックイーンに勝って有を取れたのも……ここまで走ってこられたのは、全部全部……アナタと会えたからよ」

 

 ……そう思うのなら、なんでそんなに爽やかな、悟ったような顔をしてるんだよ。

 ここは感極まる場面だろ?

 お前が涙を流してくれないと……オレが困るんだよ!

 オレは男で、お前のトレーナーなんだから、涙を見せるわけにはいかないだろ!!

 

「今まで、本当にありがとう……」

「ダイユウサク、お前……」

 

 深々と頭を下げる、ダイユウサク。

 そして──彼女が言うだろう、次の言葉にオレは……覚悟を決める。

 

「……でもあと一つだけ、走りたいレースがあるのよ」

「え?」

 

 想定外の言葉に、オレは驚いた。

 あれ? このまま……引退しますって流れじゃなかったのか?

 えっと……完全に困惑したオレの目から、涙は完全に引っ込んでいた。

 

「ねぇ、トレーナー……最後に、最後に一つだけ……お願いがあるの」

 

 そう言うダイユウサクの目は真剣そのものだった。

 

「どうしても……出たいレースがあるから。それに向けて足をしっかり休ませるわ」

 

 そう言って彼女が挙げたレースのことは、オレも聞いていた。

 あの理事長がまた言い出した無茶──それを力業でも達成してしまうのは、本当に凄いと思うが──の一つであるレースに、参加したいということだった。

 新設のためにグレードの……それどころか経緯から公式記録からも範囲外となるこのレース、

 それでも絶対に出場したいというダイユウサクの決意は──

 

「親友と決着を付けたいからよ。GⅠウマ娘って同じ立場に、やっとアタシが追いつけたんだから」

「ああ、わかった。ならオレは、全力でお前をサポートしてやる」

 

 語る彼女の表情は──いつもの勝ち気な笑みだった。

 それを見たオレの返事は、決まっている。それでどんな批判をされようとも、オレには関係ない。なにしろ、ヒドい批判は浴び慣れてるからな!

 そこまでする理由?

 そんなことは決まってる──

 

「オレが、お前のトレーナーだからな」

 

 その応えに、彼女はオレがもっとも好きな表情のまま、深くうなずいた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 あの日──高松宮杯が終わった直後にアタシがトレーナーと話した後のこと。

 

 

 ターフからトレーナーが去っていくのをアタシは見送っていた。

 今回のレース、本当に心残りで、残念で……悔しかった。

 

(お爺ちゃんやお婆ちゃんに、不甲斐ないレースを見せちゃった……)

 

 きっと優しい2人のことだから、「いいレースだった」と言ってくれるに違いない。

 でも──

 

「あのときのレースに比べたら、とても……」

 

 3年前の同じレース。

 同じ孫である、アタシとコスモが共に走り──そして競ったあのレース。

 それに比べたら、全然ダメなレースだった。あのときの完全燃焼感も無いし……

 

「……アタシの本気の全力、見せられなかったのは心残りだな……」

 

 今回のレースでスッキリするどころか、逆に心にトゲが残ったかのようだった。

 祖父母に、アタシ自身が満足するようなレースを見せたい。

 でも──

 

「──そんなユウに、提案なんだけど……」

「え?」

 

 突然の声に、アタシは慌てて振り向いた。

 タイミングには驚かされたけど──その声は普段からよく聞いているそれで、誰のものかはすぐにわかった。

 案の定、アタシの視線の先にはよく知るウマ娘の姿があった。

 

「あるレースに挑戦してみない? コスモと、ユウでさ……」

 

 そう言った親愛なる従妹──コスモドリームは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 そんな彼女の意外な提案に、アタシは首を傾げる。

 

「レース?」

「そ。この前だけど、理事長がまた変わったレースの開催を計画しているの、話していたよね?」

「それって……」

 

 理事長が突拍子もないことを始めるのは、いつものこと。

 そして今回、彼女が発表したのは……あるレースの企画だった。

 それはグレードレースには含まれず、そして現役を引退したウマ娘でさえも参加可能。

 参加条件はただ一つのみ。

 

 それは──GⅠを制した経験のあるウマ娘。それだけ。

 

 ウマ娘競走のファンなら誰もが考える、世代の違う「あのウマ娘とこのウマ娘が勝負したらどっちが勝つ」というのを──そのままおお祭り騒ぎのレースにしてしまったような企画だった。

 

「現役トップクラスはGⅠに参加するからまだ参加しないだろうけど、GⅠ制したOGが集うとなれば、注目は高いもんね」

 

 そう言ったコスモは笑みを浮かべる。

 

「爺ちゃんと婆ちゃんに、コスモとユウの全力レース、見せてあげようよ」

 

 それは今さっき、その2人に不甲斐ないレースを見せてしまったというアタシにとっては天啓に等しい言葉だった。

 しかもコスモと2人で、ということになれば……あの2人をどれだけ喜ばせることができるか。

 

「それに引退していなくとも、すっかり勝てなくなったウマ娘が、“昔とった杵柄”って感じで出るのもいいんだってよ、ユウ」

「……昔とった杵柄はアンタの方でしょ。アタシは去年の年末なんだから。ねぇ、4年も前のオークスウマ娘さん」

 

 アタシがジト目を向けると、コスモはプッと吹き出した。

 そして大笑いしてから──

 

「前に、高松宮杯のときにいったじゃない? 爺ちゃんと婆ちゃんに、もっと上の舞台で競うところを見せるって」

「あぁ……確かに、言ってたわね」

「で、コスモもユウも参加資格はある。だから……狙ってみようかなって。それに──コスモもユウも一応は現役なんだから、一線から離れてる引退したウマ娘たちよりは有利だよ?」

 

 そんなコスモにアタシは少し呆れ顔になって苦笑した。

 

「セコいわね、それ……って、あれ? コスモも、って……あなた確か引退するって言ってなかった? 有記念前に助けてもらったときに」

「ううん、してないよ。ユウが有記念を勝つのを見たら、やっぱり負けられないって思ってね」

「はぁ、まったく……」

 

 アタシは大きくため息をつき、そしてコスモの顔を見た。

 

「わかったわ。そこで雌雄を決してあげるわよ、コスモ」

「うん。コスモだって絶対に負けないよ。きっとそこで今の、骨折を越えてその前よりも速くなったコスモ最高の走りを見せる。だからユウも──」

「ええ。足を万全な状態にして、あの走りをやってやるわよ」

 

 たとえそれで足がまた悪くなって走れなくなろうとも、コスモと最高の勝負ができるのなら──アタシに悔いはない。

 そしてそれはたぶん、コスモも同じ気持ちだと思う。たとえそれが最後になろうとも、“あのとき”のアタシと勝負ができるのなら──きっと満足するはず。

 アタシが言うと、コスモドリームは「えへへ」と笑みを浮かべる。

 そして──

 

「やっと同格で、肩を並べて走れるね。前はコスモはGⅠウマ娘で、ユウは格上挑戦の条件ウマ娘だったし」

 

 なんてマウントを取ろうとしてきた。

 そんな彼女にアタシは意地悪な笑みを浮かべて返す。

 

「クラシック限定のGⅠとクラシック以上のGⅠが同格なわけないでしょ?」

「えぇ~、同じ八大レースだよ。同格同格」

「こっちは“最強決定戦(グランプリ)”だもの。そういえばコスモもグランプリ、出てたわよね? 何着だったっけ?」

「あ~、そういうこと言うんだ!? でも宝塚記念なら、ユウだって出てたじゃないか!! そこで勝てなかったくせに……」

「ええ。でも8着だったわよ? コスモは何着だったっけ?」

「ぐぬぬ……ユウ、なんか意地悪になったよね! ひょっとしてトレーナーの影響?」

「なッ!? そ、そんなわけないでしょ!! アイツの影響なんて……って、そもそも意地悪になってないわよ!」

「いいや、なったよ! ちょっと強くなったからって──」

 

 ──なんて2人でギャーギャー騒いでいたら、係りの人に「いい加減、ライブの準備してください」って怒られたわ。

 むぅ……意地悪になってなんか、ないわよ。

 まして、トレーナー(アイツ)の影響なわけないでしょ。影響なんて受けるわけないんだから。

 

 

 ……そもそもアイツ、意地悪じゃないし。

 




◆解説◆

【たった一つの心残り】
・もちろん元ネタなんて無しです。
・「大勇断」の方は「大決断」とか「大決心」という候補もあったのですが、実質最後のダイユウサク回(になると思われる)なので、「ダイユウ」という音が入ることから選ばれました。

高松宮杯
・以前(第一章30話)に解説していたので、レース全体の概要は省略します。
・今ではGⅠに格上げされて名前も高松宮記念になったレースですが、それ以前でもGⅡの中でも格のあるレースだったようで。
・歴代の勝者にはマチカネタンホイザ、ナイスネイチャ、ダイタクヘリオス、バンブーメモリー、メジロアルダン、オグリキャップといったウマ娘化された馬から、さらに古くはハギノトップレディ(ダイイチルビーの母)やハイセイコーといった名馬の名前もあります。
・……の割には今回(1992年の第22回)って、勝利したのはミスタースペインで、出走している中でウマ娘化されているのもイクノディクタスだけ。と、そんなレースでした。
・まぁ、それでもダイユウサクは14着と言い訳できないレベルの惨敗。
・ちなみにダイユウサクの2桁順位は最初の2レースと、5歳になってなぜか突然ダートに出走した貴船ステークス(10着)、それに最後の2レースの5回と意外と少ないのです。
・──高松宮杯って3位以内を含めるとコスモドリーム、シヨノロマン、ダイイチルビーがいたり、ハギノトップレディとハイセイコーまで含めて本作オリジナルと縁が深いんですよね。意外と。

唯一、一緒に競走(はし)ったレース
・あの……そのレースには親戚のシヨノロマンが走ってたんですけど? 忘れてません?

オペックホース
・名前だけ登場となる本作オリジナルのウマ娘。モデルは1977年生まれで同名の史実馬、オペックホース。栗毛の牡馬。
・1980年の日本ダービーを制した競走馬で、同年の最優秀4歳牡馬を獲得しています。
・しかしその異名は“史上最弱のダービー馬”……ちなみに本作でも“史上最弱のダービーウマ娘”と言われています。同じ理由で。
・その原因は1980年の日本ダービーを制したオペックホースが……その後、一度も勝てなかったこと。
・皐月賞2着で迎えたダービーでは馬主の遺志に応えんとしたのか見事に勝利。
・しかし、菊花賞は10着と敗れてしまいます。
・翌年の天皇賞(春)も14中12着。宝塚記念も6着。高松宮杯ではハギノトップレディに負けて4着。年末の有馬記念にも出走していますが4着。
・その間……11回走って一度も1着になっていません。
・6歳は6度の出走があったものの、左前脚の深管骨瘤に悩まされたり、軽い熱発があったレースもあったり、やっぱり全敗。
・7歳は7度出走して全敗。しかも出走した宝塚記念では15頭中13番人気という、とてもダービー馬とは思えないような体たらく。
・ここまで勝てないとさすがに陣営は引退を決意──したんだけど、ね。
・受験した日本中央競馬会の種牡馬適性試験で不合格判定……え?
・せっかくダービーとった馬なのに、種馬になれず種付け料も稼げないのはさすがに困る!
・仕方ない、中央ダメなら地方行こう──って思ったら、「えぇ……ダービー馬を地方で走らせるのはかわいそう」とか言われて反対される。ふざけんな。
・8歳になり、3月までに5回出走するも5~8着。
・もうどうしたらいいんだよ……八方ふさがりの陣営は、最後の策として「そうだ、障害いこう」と転向を決意。
・準備のためのトレーニングをしたら、なんとそれが大正解!! あまりの適正に周囲ビックリ! 桁違いの能力を見せるオペックホースに陣営は「中山大障害の優勝も夢じゃない!」と期待を高まらせる。
・「中山大障害を勝ったら、もう一度種牡馬試験を受けるので買い上げて欲しい」と競馬会に訴えました。そうすれば種牡馬としての道が開ける!! と希望を持ったのです。
・……ところが、そんな障害転向が現実的になってくるや、再び外野が騒ぎ出します。
・「仮にもダービー馬が障害転向するなんて!」と関係者からファンまで批判が殺到。
・それに耐え切れなくなった陣営は、ついに断念。
・朝日チャレンジカップの最下位を経て、12月のウィンターズステークスではゴール前で左繋靱帯断裂を発症し、それを最後に引退しました。
・重ねた負けの数は32。これはダービーを制した競走馬の連敗数としては、2位の14連敗(コマツヒカリの記録。しかしコマツヒカリは勝って連敗を止めている)を軽く凌駕するぶっちぎりの1位です。
・この結果に調教師の佐藤勇氏は“65年間の騎手・調教師人生でも理解できない謎”と言っています。
・なお、同氏の「あまり体質が丈夫でなかったのも事実で、ダービーが頂点で最高の能力を出して、それで全てが燃え尽きたのだと思う」という見解は、ダイユサクの有馬記念後の姿に重なるものがあります。
・地方や……特に適正が認められていた障害への転向が批判されてできなかったのは、本当に可哀想としか言いようがありません。
・なお引退後は種牡馬にはなりましたが、活躍したのは2頭くらい。ダービー馬というよりもやはりその後の32連敗の方が見られてしまい、種牡馬としての人気も低かったそうです。
・2005年10月31日に清畠トレーニングセンターで老衰のため、その生涯を閉じました。
・ちなみに名前は「ホース」は冠名で、「オペック」は石油輸出国機構の略称「OPEC(オペック)」から。世界の石油を制するOPECのごとくサラブレッドの王者になって欲しいという願いが込められているそうです。

お祭り騒ぎのレース
・第一章のラストにあったレースのことです。
・そのときの解説で説明したように、ゲームで言えばURAファイナル、アニメで言えばドリームトロフィー相当のレースで、どっちとも言及しない──という方針だったのですが、結果的にはオリジナルのレースになりました。


※次回の更新は4月15日の予定です。  



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第22R “無慈悲な主人に私を渡さないで”

 
「──で、トレーナー。ダイユウ先輩の目標が決まって、しばらくレースを休むのは分かったけど……他の目標は?」
「ターキンはとりあえず、東京やら阪神、京都とかの大舞台から離れて、とにかくレースに慣れさせる。そして勝たせる。夏の間も走らせてな」
「なるほど。じゃあ残る2人……シオンとマンガンのデビューはいつ?」

 ターキンの予定に関して、力強く語ったオレだったが……その2人に関して訊かれ、勢いは完全になくなった。
 ため息混じりに肩を落とし──

「秋、以降だな」
「え? なんでよ!? だってロンマンはともかくシオンもなの? だって彼女は──」

 驚くダイユウサク。
 確かにオラシオンは中等部の頃から期待され、高等部に入ってからのデビューを目指して一年以上前から〈アクルックス〉に所属して準備していた。
 万全のはずだったのに──今、オラシオンは明らかに調子を落としていた。

「……ちょっと、アイツの家がゴタゴタしていてな。ここ最近、トレーニングでも集中を欠いている」
「そう、だよねぇ……」

 オレの言葉に、チームのサポートをしているミラクルバードもそれに気がついていた。珍しく苦々しい顔をしている。
 ダイユウサクは今まで自分のことで目一杯だったから、他を見る余裕がなかったんだろうな。
 そしてミラクルバードは親同士に繋がりがあって、オラシオンを〈アクルックス(うち)〉以前から知っているからな。余計に心配しているんだろう。

「ミラクルバード、お前ならそのゴタゴタの内容、少しは知ってるんだよな?」
「うん。オラシオンのお養父(とう)さんって、大きな会社の経営者だったんだけど、そこが買収されちゃったみたいなんだよね。それで会社の社長も辞めちゃったみたいなんだけど……」

 一人親の母を小さい頃に亡くして孤児院に引き取られたオラシオンを、そこを支援していた資産家が、彼女を養女にしたというのはオレも知っていた。
 その養父が大阪の淀屋橋に本社を構え、東京と静岡、岡山、福岡に支社を置く和具工業株式会社という大きな企業の社長だということも。

(そんな企業でさえ傾くんだから、会社員ってのは怖いよな……)

 そんな大企業が、最近になって“ワグ・エレクトロニクス”なんていう、とあるウマ娘(マルゼンスキー)曰く“()()()”名前になった。
 その理由は、会社名はよく覚えてないが“ナントカ電機”とかいう会社と合併をしたかららしい。
 ミラクルバードは“買収”と言ったが、表向きは“合併”であり、吸収ではないのを示すのと社員の志気の維持のために、“和具(ワグ)”の名前を残した──というのをオラシオンから聞いた渡海から又聞きして知っていた。

「オーちゃんは、競走を引退したら、そこに入社して会社を支えて恩返しするんだ、ってがんばってたからね」

 競走(レース)引退後の目標を見失い、社長を辞めることになった養父を心配し、真面目な彼女のことだから「自分がこんなことをしている場合なんだろうか」と悩んでしまったのだろう。

「でも、オレが相談に乗れるような話でもないからなぁ……」

 しがないトレーナーのオレには、企業のトップやら合併の話なんて雲の上のことでピンとこない。
 そう思いながら、この場にいる他の2人のウマ娘を見たが──ダイユウサクの家はたしか会社員だったよな。
 ……“あの方”の親戚とか、だいぶ特殊だけど。
 で、ミラクルバードはといえば、有名焼鳥屋……経営者という面ではこっちの方が相談に乗れるんだろうか?

「うん。トレーナーの言うとおり、ボクらじゃなかなか力になれないよね。家族のことでもあるし……」

 そのミラクルバードも複雑な表情になっている。

「だから、とあるウマ娘(ひと)に相談しにいける段取りをとったんだ。たぶん、その人しか相談に乗れないと思ったから」
「とあるウマ娘(ひと)? 誰だ、それは?」
「えっと……同じ人にお世話になった、オーちゃんの施設でのお姉さん? みたいな存在(ひと)だよ」

 ──そんなオラシオンが出掛けたのは、京都のとある大学だった。



 

「ごめんなさい。忙しいのに……ファースト姉さん」

「気にしないで。大学って自由な雰囲気だから、意外と時間作りやすいのよ」

 

 私が頭を下げると、目の前の年上のウマ娘は悪戯っぽくにっこりと微笑んでくれました。

 ファーストワグというのが彼女の名前です。

 黒鹿毛の髪の中に金髪が混じった──地毛でそうなのは本当に珍しい──長い髪。

 そして優しげな二重(ふたえ)の、濃い青に緑が混じったような碧眼は、私の知る彼女とまったく変わっておらず、つい昔を思い出してホッとしてしまいます。

 私のいた孤児院でみんなの姉代わりで、もちろん幼かった私にとってもも頼れる年上のウマ娘でした。

 そして、養父(ちち)が施設を支援しはじめ、その縁で施設から中央トレセン学園に入学できた初めてのウマ娘でもあるんです。

 

(それにスプリング姉さんや、ドリーミィ姉さん、シルバー姉さん達が続いて……)

 

 ファースト姉さんは大きなレースを制したわけではありませんでしたが、それでも多くのレースに出走して何度も勝ちましたし、掲示板に乗ったのは数え切れないほどでした。

 そんな姉さんの活躍と養父がトレセン学園に出資していた縁もあって、学園への推薦を受けて他のウマ娘も続いて活躍したり、今も活躍している姉さんもいます。

 私が学園に入学できたのも、このファースト姉さんがいたからこそ、です。

 

「お詫びというわけじゃないんだけど、これ……」

 

 私が姉さんのところを訪ねるときにはいつも欠かさず持ってきている“それ”が入った箱を差し出すと、彼女は目を輝かせました。

 

「まぁ! いつもありがとうね!!」

 

 姉さんは嬉々として箱を開けて──中に入っていたシュークリームの一つを取り出すと満面の笑みを浮かべ、さっそく食べました。

 

「あぁ、幸せ~。これをもらったからには、何でも相談に乗っちゃうわよ?」

 

 シュークリームは姉さんの大好物。こんなに幸せそうにシュークリームを食べる人を、私は見たことがありません。

 もちろん、相談に乗ってもらうために持ってきたのではなく、姉さんを喜ばせたくて名店のそれを持ってきたのですけど。

 姉さんはとりあえず1個目のそれを食べ終えると、箱を閉じて私に向き直りました。

 

「事情はだいたい知ってるわ。和具さん……あなたのお養父(とう)様のことでしょう?」

「はい……」

 

 あの人の養女になったのは私だけ。

 ファースト姉さんや他の姉さん達は支援してもらって学園に入りましたが、私のように家族にはなれませんでした。

 ほとんど一代で大企業に育て上げた社長という立場は、一族であればその会社の経営に大きな影響を与えるのは間違いなく、だからおいそれと養女にするわけにはいかなかったのだと思います。

 私が養女になれたのは、養父が高齢で、私が成長したころには養父は引退して力を持っていないだろうから、と目されたからです。

 ただ、実際には後継者に恵まれずに養父はつい最近まで現役でしたが。

 

「もうあの人とあの会社は、完全に切り離されたんだから、気にする必要はないんじゃない? あなたが貢献しようと一生懸命になっていたのは、私も知っているけど……」

 

 父からの恩を返すため、父が心血注いだ会社を支えたい。

 そう思ったからこそ私は経営学を学び、少しでも早く父の役に立とうと思っていたのですが……その前に、父は会社から去ってしまったのです。

 

「あなたのこと、縛りたくなかったんじゃないかしら?」

「私を縛る、ですか?」

「ええ。あの人はウマ娘に対してとても理解のある人だもの。会社の経営に携わるよりも、そんなことを目標にせずに伸び伸びと走って欲しい。だから合併後の会社にも残らず、身を引いたんじゃないかしら」

 

 ファースト姉さんは「もしもそのつもりがあったのなら、意地でも経営陣の末席に残ったんじゃない?」と付け加えます。

 

「それは……どうでしょうか」

 

 形的には“合併”でも、“吸収”に等しかったはずです。

 その相手も養父が経営陣に残ることは絶対に許さなかったことでしょう。

 

「でも、残る社員のために“ワグ”の名前を残した。あくまで“合併”であって残さないならその話自体を御破算にする、って覚悟だったって話だもの。ワグの名前じゃなくて自分のポストに固執すれば、同じように残れたと思うけど」

「ファースト姉さん、詳しいんですね……」

「まぁ、大学に勤める立場になると、いろんなところから情報が入ってくるのよ。特にあれだけ大きな企業の、合併話ともなると余計にね」

 

 もちろん大きな企業になればなるほど就職先として有力候補になります。

 教育機関、それも最終学歴になる(大学院もあるけど)大学にとって、大企業の情報は学生を通して入ってくるそうで、学生の就職支援としてそちらへのアンテナも張っているから極端に深い情報でなければ、大学内では情報を入手しやすいとのことでした。

 

「……だから、イヤな噂も耳にするのよ」

 

 そう言って、ファースト姉さんは頭上の耳をピクッと動かしながら、顔をしかめたのです。

 そして真剣な目で、私をジッと見つめてきました。

 

「今回はたしかに、ミラクルバード(コンちゃん)から相談にのってあげて欲しいって言われたのがきっかけだったけど、それがなくともあなたと話をしたかったのよ」

「どういうことでしょう?」

「あなた……今、きっとこう思ってるでしょ? 『養父(ちち)が社長を辞めたのに、私がトレセン学園に所属してていいのかしら?』って──」

「それは……」

 

 ファースト姉さんの指摘は、私の心の中のもやもやを的確に指摘していました。

 合併後の会社に残り苦労することになる旧和具工業株式会社の社員たち。

 吸収に近い合併となれば、相手側の社員が優遇されるのも無理もないこと。冷遇される彼らの気持ちを考えると、元社長の“娘”として胸が痛むのです

 

社長(養父)の資産に余裕があるなら、それを会社の再建に使うべきだ、と思う方も少なくないでしょうね)

 

 実際には、会社の資産と経営者の資産は切り離すべきなのですから的外れなのですが、それはあくまで“お金持ちの感覚”です。

 従業員の感覚なら、そう思うのは無理もありません。

 

「──今すぐ、その考えは捨てなさい」

「え?」

 

 ファースト姉さんが厳しい口調で言ったので、私は呆気にとられました。

 

「それにつけこうもとしている人がいるの。あなたの才能に目を付けて……」

「どういう、ことでしょうか?」

 

 姉さんの言ったことがよく分からず、思わず問い返してしまいました。

 

「少し前だけど、あなたの後援会をつくろうとした人達がいたのよ。ちょうどあなたのお養父(とう)さんが社長を辞めたころに」

「そんな!? でもそれなら──」

 

 確かにウマ娘に後援会ができるのは珍しいことではありません。他の……例えば高校スポーツ界隈でさえもよくあることですし。

 でもそれは、ウマ娘競走の世界では支援する人がいない場合に限ります。例えばメジロ家のような名門の出身者であれば、あり得ないことです。

 そして私は養女として和具の家に入っていますし、養父も資産家の範疇に入っています。後援会ができるとは思えませんし、できたとしても養父が代表になるはずです。

 私がそれを指摘すると、ファースト姉さんは目を伏せて首を横に振りました。

 

「代表は和具元社長じゃないわ。別の人なの……」

 

 姉さんが説明するには、その人は今までも何人かウマ娘の後援会を作ったそうです。その中にはGⅠを取るほどの活躍をしたウマ娘もいたそうなんですが、ただ一つだけ……ダービーだけは、そんな援助したウマ娘がとっていないそうなんです。

 

「どういうつもりか知らないけど、そこに執着しているみたいなのよね」

 

 どうにかダービーウマ娘の後援者になりたい。

 そう考えたその人は、中等部の頃から注目されていた私に目を付けたそうです。

 でも、私には養父がいます。たとえ後援会ができたとしても、その代表には絶対になれない──

 

「……シオン。あなた、今のチームにはいる前にあるチームから強引な勧誘を受けて困ってたって相談してきたことがあったわよね」

「はい。でも、それがなにか?」

「そのチームに入れて、チームの後援会をつくって、半ばどさくさに紛れてあなたの後援会にする、つもりだったらしいわよ」

「え?」

 

 私は思わず寒気がして、身震いしてしまいました。

 なんというか……とても気持ち悪いです。私の知らないところで、まるで物のように私自身がやりとりされている気がして。

 

「結果的には〈アクルックス(今のチーム)〉に入ったから、その話は御破算になったみたいだけど。ただ……それでもその人、諦めなかったのよ」

「そんな……ッ!! まさか!?」

 

 私はあることに思い至り、思わずファースト姉さんを振り向きました。

 それで私が気づいたのが分かった姉さんは、重々しく頷きます。

 

「和具工業の買収話がトントン拍子に進んだのも、その人が裏で糸を引いていたそうよ。今回の合併相手とつながっていたみたい」

「そんな!? じゃあ、養父(ちち)の会社は──」

 

 立ちいかなくなったのは、私のせいってこと!?

 ショックを受け、愕然としました。

 そんな私にファースト姉さんは、優しく肩に手を置きました。

 

「それは、違うわ。この件は私も詳しく調べたのよ。業界に詳しい人から話も聞いたけど……近年、和具工業は傾いてきてはいたそうよ」

 

 工業系の企業は今はどこも厳しく、競合相手になる東アジアの外国企業に価格競争を仕掛けられると苦戦してしまいます。

 和具工業も小さな会社ではないけれど、圧倒的な競争力を誇るような巨大な企業ではない。それで取引先を失ったりして、徐々に劣勢になっていた、と姉さんは説明してくれました。

 

(私は……なぜそれに気づかなかったのでしょうか)

 

 養父は、会社の経営で苦労していたはずなのに、それに気付かなかったなんて。

 

「和具さんを社長から辞めさせて、それから後援会を作ろうとしたみたい。でもあの人はそんなことで支援を辞めるような人じゃないわ。それにあなたは養女になっていたし」

 

 親が面倒を見るのは当然のこと。幸運なことに私は資金援助を必要としていませんので、後援会は必要ありません。

 相手は、養父が社長を辞めればそこに金銭的な隙ができて、そこを突けると思っていたそうですが、ウマ娘への支援を道楽ではなく真剣にその人生を考えてくださっている養父にそれはありませんでした。

 

「その人は、それでも諦めずにマスコミまで使おうとしたの。『負債を抱えた企業を売り払った元社長が、残った社員が苦労する中、ウマ娘を養女にして贅沢な道楽三昧』……そんな事実無根な話を週刊誌に書かせて、世間や社員たちを煽ろうとしたの」

「違います!! 養父(ちち)は、そんな人ではありません!!」

 

 私が感情を高ぶらせて言い放つと、姉さんは苦笑いしつつやんわりと言いました。

 

「ええ、分かってるわ。私だってお世話になった身だもの。幸い、それが世に出る前に教えてくれた人がいて、私はURA側の人に相談したのよ」

 

 ファースト姉さんは養父の縁を使って、URAのコンテンツ部門も担当している理事にこの話を相談したそうです。

 その理事に、「将来有望なウマ娘が存在しないスキャンダルで駄目にされる」と話したら、その人は立場上マスコミとの繋がりもあることや取材許可の取り消し等を駆使して、記事を潰してくれたそうです。

 それをきっかけにURAやトレセン学園がそういう動きに気付いて対策してくれて、どうにかこの騒動は収まったそうです。

 

「大学に勤めていて良かったわ。卒業生がいろいろ教えてくれたおかげで、今回のことは防げたんだから」

「ありがとうございます、姉さん……そして、ごめんなさい」

「あなたが謝ることじゃないでしょう? それに姉が妹のことを思って行動するのは、当たり前のことよ」

 

 そう言って、ファースト姉さんは俯いた私の頭を撫でてくれました。

 

「だから、ここで申し訳ないという気持ちだけで競走を諦めたら駄目よ。和具さんの思いが無駄になってしまうし……私だって、あなたが好きに走れるように()()()いるからこそ、したことなのよ。だからあなたは何に遠慮することなく、捕らわれることなく、自由に走って」

「ファースト、姉さん……」

 

 顔をあげた私をジッと見つめ、姉さんは微笑みながら言いました。

 

「まだ遠慮があるなら、そうすることが私や和具さんに対する一番の恩返しだと思いなさい、シオン」

「はい……養父(ちち)の、そして姉さんの想い、確かに受け取りました」

 

 私は思わず胸の前で手を組み、そして祈りました。

 そして三女神に誓ったのです。

 2人の想いに応えるためにも絶対に立派な競走ウマ娘となってその姿を見せ、2人の恩に報います、と。

 

 

 ──その通りです。オラシオン、あなたは……人々の想いを、“祈り”を乗せて、走るのです。

 

 

 私の祈りに、三女神さまの一柱が、そう仰ったような気がしました。

 




◆解説◆

【“無慈悲な主人に私を渡さないで”】
・今回は久しぶりのオラシオン回なので、『馬の祈り』から。
・  “Do not turn me out to starve or freeze(私を、飢えたり凍えさせたりしないで下さい),”
   “Or sell me to a cruel owner(残酷な飼い主に売り払わないでください)
・──という部分が元ネタで、下段部分を意訳しました。
・なかなか話に合う部分を持ってくるのも大変だったり。
・ネタ尽きたら、どうしよう……
・ちなみに今回、完全にネタがほぼ『優駿』からです。

ファーストワグ
・本作オリジナルのウマ娘。その元ネタは小説『優駿』に名前だけ登場した競走馬から。
・黒鹿毛の牡馬。でもフィクションだから鬣が金髪という尾花栗毛のような特徴を併せ持つ。目は碧眼。
・オラシオンの馬主──は実質はこの人の娘で、それを隠し子の弟に譲ってるという訳の分からんことになってるけど、名義上はこの人──である和具 平八郎という競走馬を複数持つ馬主が、最初に所有した競走馬。
・なお、小説が始まる時点ではすでに亡くなっています。
・生涯46戦走り、その間一度も病気や熱も出さなかった丈夫な馬。
・その成績は6勝、2着7回、3着3回、4着10回、5着6回。
・ただし重賞やクラシックでは勝てず、種牡馬にはなれずに引退後は京都の大学の馬術部に寄付しています。
・現役の時に和具氏が娘が訪れたときに、こっそり食べさせて以来、シュークリームが大好物に。
・そのため大学では好物のシュークリームを逆にして「ムーリクーシュ」と名付けられました。
・本作ではそういう経緯から中央シリーズ引退後は、大学で働いているという設定になっており、好物もそのままシュークリームになっています。
・──なお、『優駿』では和具社長の娘にファーストワグの逸話をしに出てきた増矢調教師の息子である騎手は、そのシーンは好青年だったんですが、その後はキャラが変わったかのようにクズに成り下がってました。

スプリング姉さんや、ドリーミィ姉さん、シルバー姉さん
・それぞれ、スプリングワグ、ドリーミィワグ、シルバーワグという架空の競走馬を元にしたウマ娘。
・ファーストワグと同じく『優駿』に登場した和具 平八郎氏の所有馬。
・こちらは作中でも現役だった競走馬たちで、オラシオンが当歳の時に次に走るレースの話題が作中で出てきていました。(具体的なレース名はありませんでしたが)。
・なおオラシオンの名前も、それを考えるように和具氏から言われた社員は冠名の「ワグ」を付けたものを考えていたのですが、社長から「付けるのはやめよう」と言われたので、オラシオンだけは付いていません。
・ちなみにファーストワグを含めたこの馬たちは、増矢という調教師に預けられています。
・ところがオラシオンの売買の際に和具氏を騙すようなことをしたので、その信頼を失い、オラシオンは別の調教師──砂田調教師に預けられることになりました。

社員たちを煽ろうとした
・これをしたのは『優駿』ではツクダ商工という会社の社長、佃 光康。
・所有馬がダービー馬になるのに執着しているという(くだり)は、ダービー欲しさに有力馬だったダイコーターを途中で購入した上田氏を思い起こさせます。
・『優駿』では同じように、なんとしてもオラシオンを手に入れたいと考えて1億円(昭和61年の作品ですのでその当時の価格とお考え下さい)で譲ってくれと和具氏に頼み込みましたが、「あれはすでに娘の馬。きっと2億でも売らないと思う」と返されてしまいました。
・それなら余裕がなくなれば手放すと考え、和具工業と三栄電機との吸収合併で暗躍。
・しかし、和具氏は社長を辞めてもオラシオンを手放しませんでした。
・合併後も残り、同じように合併時に暗躍した前社長の秘書に、「残された社員に、和具元社長は競走馬を保有して贅沢をしている、と焚き付けろ」と指示しています。
・今回は登場しませんでしたが、人間関係の簡略化(どうでもいいキャラを削減する)のため、佃社長の役目は他の馬主の役と混ぜてオリジナルの脇役になってます。

URAのコンテンツ部門も担当している理事
・はい、第一章に登場した、黒岩理事のことです。
・和具社長と黒岩理事に繋がりがあるのは、オラシオンが彼の性格まで知っていることが第一章で書かれています。
・ファーストワグも知っているようで、その性格を熟知しており、「将来有望な優秀なウマ娘(=オラシオン)が潰されて大損しそうですよ。守って」と頼んでいます。
・その依頼に「確かにURAの利益が損なわれそうだ」と黒岩理事も動き、マスコミに対し「広告を出さないし、取材も制限するぞ」と脅しをかけて記事を差し止めました。
・なお、JRAと馬主の関係と違って、URAとウマ娘の支援者の繋がりは一部を除いてそこまで強くないというのが本作の独自設定で、支援者が「ウマ娘の支援止めるぞ」と脅しても、「ウチは教育機関ですし、困りません」と突っぱねられるくらいです。
・ただしメジロ家とか、それクラスになると別ですけど。


※次回の更新は、都合により一回休みを入れて、4月21日の予定です。  



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第23R Let's Burnin’(燃えろ!)  Miracle(“驚異の) bird(娘”)

 
 ──8月も終わりが近づき、オレは合宿所から学園へと戻るバスへと乗り込み、一息ついた。

(うん……とりあえず、やるべきことはやれた合宿だったな)

 ……え? 場面飛ばしすぎだろって?
 合宿シーンはどうした? って……もちろん海岸でのトレーニングもしたが、それがどうかしたのか?
 水着シーンとかサービスシーン?


 そんなもの、ウチにはないよ…


 オイオイ、正気か? 文字だけでそれを表現したところで空しいだけだろ。
 それともなにか、ダイユウサクかからレッツゴーターキン、オラシオンやロンマンガンの水着姿(スクール水着)について、事細かく文字で描写しろとでもいうのか?
 もうそれ官能小説だろ。
 というわけで、却下だ。合宿中のシーンは、丸々カットさせてもらう。


 我ら〈アクルックス〉の面々は、夏休みを利用して、海に近いこの合宿所でキャンプを貼り、海岸付近を拠点に実に充実したトレーニングを行いました。(スクール水着で)


 ──はい、概要終了!

 まぁ、実のところメンバー全員が、ずっとこの合宿所にいた訳ではないけどな。
 この期間、レッツゴーターキンだけは二度ほど合宿を離れて、遠く九州の小倉レース場へと遠征した。
 7月のレースは5着とやや調子を落としたが、8月のレースでは再度2着をとっている。しかも2回走って2回とも、だ。
 もちろん1着を取れなかったのは悔しいが、8月の猛暑の中ということを考えれば体力消費が激しいために、勝負は時の運となってしまうのもやむを得ない。
 確実に言えるのは、春までの7連敗でどん底に落ちていた調子や勝負勘は、確実に戻ってきているという手応えはあるということ。
 ターキン自身、4連続で掲示板を確保して自信につながっており、そして、2レース続けての2着によって、いい意味で4月末の谷川岳ステークス以来の勝利に飢えていた。
 おかげで「次こそは」と真摯に前を見上げている。

 さて、他のウマ娘だが……ダイユウサクは、足に負担をかけない範囲で組んだ特別メニューをこなしている。
 調子を見ながらターキンの併走に付き合ってもらい、現役組としてターキンと組になっているのもあり、色々と教えているようだった。

 で、もう一方の新人組──オラシオンとロンマンガンだが、こっちの2人は対照的だった。
 暑さにダレて愚痴りながらも、どうにか要領よくこなすロンマンガン。
 それに対してオラシオンは集中してトレーニングをこなし、ともすれば熱射病になりかねないようなほどだった。

(ちょっと真面目すぎるんだよなぁ。マンガンはもう少し真面目にやって欲しいが)

 とはいえ、オレはオラシオンに避けられている感もある。
 心当たりは……ある。
 デビューを8月のメイクデビュー戦ではなく、秋以降に持ち越したからだ。

「どうしてですか?」

 眉根を寄せ、珍しく感情的になって抗議してきたオラシオン。
 それにオレは「まだ時期ではないから」としか答えなかった。
 オラシオンはとりあえず引き下がったが、不満な様子はありありと分かった。
 まるで当てつけるかのように口を利かず、黙々とメニューをこなし、そして──その成果を記録として残している。

(正直な話、ただデビューさせるだけなら、今でもできる)

 そして、きっと勝てるだろう。
 だが──それでは、ダメだ。
 オレが考えるデビューの条件にオラシオンの仕上がりはあと少しだけ足りず、そしてなにより、出走するメイクデビュー戦での絶対条件が一つだけあるんだ。
 それは──


 …………オラシオンが、負ける可能性の高いレースなことだ。




 

 ──まだ暑さが残る9月の半ば。

 

 

 トレセン学園では、感謝祭が開催されていた。

 一般のファンが学園の敷地内に入れる数少ない日で、老若男女が集まるこのお祭りの日は、広大な敷地面積を誇るトレセン学園といえども、そこかしこに人がいるという状態。

 そしてそんな中──将来はこの学園へ、と願う幼いウマ娘たちもやってきているのであった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「テイオーさん、いるかな。春の天皇賞のあとに怪我しちゃったから……」

「マックイーンさんも……しっかり治していて欲しいけど、でもやっぱり会いたいし……」

 

 一緒に来た2人の推しは、どちらも負傷中。

 だから、感謝祭とはいっても治療に専念して不参加の可能性も高いけど、それでも直接会える可能性があれば、やっぱり期待してしまうのも当然だと思います。

 そして一方、私はと言えば……そんな2人のワクワクした様子とは対照的に、モヤモヤしていました。

 

(ダイユウサクさん……怒ってるかな)

 

 宝塚記念のあとに言われた、「アタシなんかに憧れないで」という言葉に驚いて──私は泣いてしまいました。

 ダイユウサクさんのトレーナーとチームメンバーがなだめてくれましたが、ダイユウサクさんとはそのとき以来、会えていません。

 

(高松宮杯には、いけなかったし……)

 

 私も謝るタイミングを見ていたんですが、中京レース場での開催だったり、出走すると思っていなかったりして、私は現地に行かずにテレビで観戦しました。

 

(ううん……言い訳だよね、これは)

 

 開催場所とか、急だったとか、本当の理由はそうじゃない……んだと思います。

 あこがれの人にもう一度会って、ちゃんと仲直りできるか不安だったから。

 会ったときに、もしもまた同じことを言われたら──そう考えてしまい、私は二の足を踏んでしまっていました。

 今日だって、本当なら──キタちゃんとダイヤちゃんに誘われなかったら、きっとこの場にいなかったかもしれません。

 

「……そういえば、マリアちゃんって誰のファンだったっけ?」

 

 ふと、そう言ってキタちゃんが私を振り返りました。

 ギクッ……

 

「春の天皇賞も見に来てたし、そこまで応援したい相手がいるんでしょ? ひょっとして、テイオーさん?」

「え、えっと……」

 

 キタちゃんにズイッと迫られて、私は思わず視線を逸らしてしまいます。

 今の私にとってその質問はつらいし──

 

「違うよね。マックイーンさんだよね?」

 

 反対からそう迫ってくるダイヤちゃん。

 うぅ……マックイーンさんが大好きなダイヤちゃんを前にして、あの人のファンだと言うのは、さすがにハードルが高すぎます。

 さらに追い込まれ、冷や汗を流しながら視線を逸らす私。

 でも、2人は興味津々といった様子で、私の答えを待っています。

 

「えっと……有記念を勝った、オグリキャップさん…の同級生……かな」

「あ~、うん。わかるよ。すごくわかる!! あの有記念は感動したもんね!」

 

 うんうん、と頷いて満面の笑顔で迫ってくるキタちゃん。

 違う有記念なんだけど、ね……なんかゴメンなさい。

 

「確かにあのレースは凄かったと思うよ。でも、マックイーンさんがそれに出られなかったのは、ちょっと残念だったけど……」

 

 少し悲しそうに言うダイヤちゃん。

 確かにオグリキャップさんのラストランでは、マックイーンさんも出ることはできたそうなんですよね。メジロ家の都合で、ライアンさんに出走を譲ったとか譲ってないとか……そんな噂を聞いたことがあります。

 

「あれ? でも、それだと……」

 

 何かに気がついたキタちゃんが、疑問に思って首を傾げようとすると──

 

「おぉ! いいところに居たな、お子様ども!!」

「「「え?」」」

 

 突然やってきた、長い綺麗な葦毛の髪をした美人のウマ娘さんが私たちを見て笑みを浮かべていました。

 えっと……この方、誰でしょうか?

 

「「ゴールドシップさん!」」

「おお。覚えてくれてたか。そこのちっこいのはテイオーの、隣のちっこいのはマックイーンのファンだったよな? で、残りの一人は……んん?」

 

 スラッと背の高いそのウマ娘さんは、私のことをジッと見つめる。

 そんな彼女を見たキタちゃんとダイヤちゃんは、心当たりがあるようで……ダイヤちゃんがこっそり「マックイーンさんと、テイオーさんのチームメンバーのゴールドシップという方ですよ」と教えてくれました。

 そんなゴールドシップさんは私を見て──

 

「コイツ、ひょっとして新メンバーか? いったい誰のファンなんだ?」

「え、えっと……」

 

 その剣幕に私がたじろいでいると、ゴールドシップさんはポンと手を打ちます。

 

「おお! な~んだオマエ、ゴルシちゃんのファンだったのかよ。早く言えよな~」

「ええ~ッ!?」

 

 突然そう言って、私の背中をバシバシと叩いてきました。

 あの、私……そんなこと一言も言っていないんですが……

 

「アタシのファンだけじゃなく、テイオーに、マックイーン……どっちも〈スピカ〉のメンバーなんだから、お前らも助けてくれよ~」

「なにをですか?」

 

 助けてと頼まれたら断れないキタちゃんが、ゴールドシップさんの話に興味を持ったようです。

 一方で、ダイヤちゃんはそれほど乗り気じゃないように見えました。

 

「屋台で焼きそば売ってたんだけど、売り上げが他の店に負けそうなんだよ~!! このままじゃ、ナンバーワン屋台の座を他に奪われちまうんだ!!」

 

 ………………え?

 

 このウマ娘(ひと)、なにをしているんでしょうか?

 

 

「頼む、焼きそばを買ってくれ! 今あるだけ全部買ってくれたら、オマケにマックイーンが何でもやってくれる券をやるから──」

「はい、わかりました」

 

 わ、ダイヤちゃん即決だ。

 ゴールドシップさんの手を握りしめてるし。

 

「よっしゃー、売り上げ挽回したぜ! これであの焼鳥屋も──」

「いや、そりゃイカサマじゃないんスかね、ゴルシさん……」

 

 ダイヤちゃんの協力に、気をよくしたゴールドシップさんでしたが、直後に待ったがかかりました。

 その声に、ゴールドシップさんは周囲を見渡します。

 

「なッ……誰だ!? どこにいやがる!!」

「いや、目の前にいるんですが……」

 

 半眼気味の目をジト目にして彼女を見ていたのは、肩付近まで伸びたウェーブのかかった黒鹿毛のウマ娘。

 

「……ゴメン、冗談抜きで誰だか分からん。お前、誰だ?」

 

 いきなり真顔になったゴールドシップさんがそう返すと、ウェーブ髪のウマ娘は困惑気味に答えます。

 

「いや、そこでガチな反応やめてくださいよ。さっき言ってた焼鳥屋の関係者ッスよ」

「なにィ!? じゃあ敵じゃねえか! よくも目の前に出てこられたもんだな、ああ!?」

「いやいや、よくもっていうか、不正しようとしてたの誤魔化そうとしてません? そこの……いいところのお嬢ちゃんに、マック先輩をエサにして大量購入させようとしてたじゃないですか」

「言いがかりはやめてもらうか。このちびっ子は、焼きそばが大好きで、賞味用はもちろん保存用、観賞用、普及用、宣伝用、おやつ用、夕食用、夜食用を常備して──」

「被ってるから。おやつも夕食も夜食も賞味だから。なんなら保存と鑑賞、普及と宣伝も被ってるから。つーか、なんであっしがこんなツッコミしないといけないのさ……」

 

 そう言いながら、そのウマ娘が大きくため息をつくと──

 

「おい、ロンマンガン。早く戻れ。ミラクルバードが探してたぞ」

「げッ! 乾井(イヌ)トレ……ヤバ、サボってんのバレた」

 

 男の人が現れて、ウェーブ髪のウマ娘さんに話しかけていました。

 

「あ~、これはその……他の陣営の不正を指摘していたというか──」

「いいからさっさと戻れ。で、ゴールドシップも、せっかく来場したお客さんに迷惑をかけたら駄目だろ──って、もういない!?」

 

 その男性──トレーナーさんが現れるや、ゴールドシップさんは「あとで買いに来てくれよな。絶対だぞ~」と私たちに言ってこっそり立ち去っていました。

 その人は居なくなったのに気がつくと、ため息をつき……私たちの方を見ました。

 

「迷惑かけてすまなかった。今回、屋台の売り上げランキングなんて企画があるもんだから、見ての通り暴走してるウマ娘も多くてな。うちのロンマンガンも──」

「あっしはまだ何もしてませんよ」

「“まだ”ってお前なぁ……早く屋台に戻れ。ミラクルバードに本気で怒られるぞ。焼き鳥を焼き始めたら目の色変わってたからな」

「あ~、確かにバード先輩、現役ン時のチョ○ボっぽい勝負服着て、見たことないくらい真剣(ガチ)な表情でしたわ。じゃ、あっしは戻りまーす」

 

 そう言ってシュタッと片手を挙げたウェーブ髪のウマ娘さんは、近くの屋台に向かっていきました。

 そこは焼き鳥の屋台で──うわ、結構な行列ができています。

 屋台には「あの神戸の名店の味!!」なんて煽り文句まであって──

 

「そういえばキミ、どこかで……」

 

 私が屋台に気を取られていると、男の人は私を見て首を傾げていました。

 すると、キタちゃんとダイヤちゃんが私を守るように前に出てくれます。

 

「それ、女の子に声をかけるときの常套句、じゃないですか?」

「この人、噂に聞く“へんたいふしんしゃさん”でしょうか、ひょっとして……」

「いやいや、違うから! 本気でそういう勘違いはカンベンしてくれ。さすがにシャレにならん」

 

 慌てたその人は、怖がるようにサッと私たちから距離をとります。

 

「えっと……思い出したが、宝塚記念の時の……だよな?」

「え? あ、はい……」

「知り合いなの?」

「うん……」

 

 私が答えると、キタちゃんが意外そうな顔で訊いてきました。

 その通りです。私はこの人が誰だか分かっていました。

 ダイユウサクさんが所属する〈アクルックス〉の担当トレーナーの乾井さん。あの人の躍進を支え続けたスゴい人です。

 

「あの時は本当にすまなかった。ウチのダイユウサクが……アイツ、説明下手というか、対人スキルが低いというか……不器用でな」

 

 申し訳なさそうに頭を下げた後、最後には苦笑気味にそう言って、もう一度「ゴメンな」と謝ってくれました。

 

「そ、そんな……だ、大丈夫です。そんなに謝ってもいただかなくても。私が、悪かったんですから……」

「そんなわけ、ないだろ?」

 

 私が慌てて首を横に振りながら言うと、乾井トレーナーさんは優しい表情を浮かべながら、私の頭にポンと手を乗せました。

 

「話はアイツから聞いてる。キミが悪いところなんて、一つもない。むしろアイツを応援してくれて、ありがとうな」

「は、はい……」

 

 大人の人に優しくそう言われて、私は気恥ずかしくて思わず俯いてしまいます。

 

「え? マリアちゃんが応援されているのは……ひょっとして、ダイユウサクさん?」

「あ……」

 

 驚いた声をあげたのは、よりにもよってダイヤちゃんでした。

 ああ……きっとダイヤちゃんに嫌われる……

 

「マックイーンさんが言ってました。『あの末脚は、脱帽するしかありませんでした』って」

「──え?」

 

 笑顔でそう言ったダイヤちゃんを、私は驚いて見ていました。

 

「私も、最初はあのウマ娘(ひと)がマックイーンさんの邪魔をしてムッとしましたけど、でもマックイーンさんが認めているんだから、スゴいウマ娘なのに間違いありません」

「へえ、メジロマックイーンがそんなことを言ってくれていたのか」

 

 乾井トレーナーも驚き混じりの笑顔でそれに応じます。

 ボソッと「無条件で信じるのは少し怖いけどな……」と言ってるのも聞こえましたけど。

 その彼は、私の方を振り向きます。

 

「で、肝心のダイユウサクとは、仲直りできていないんだろう?」

「それは……はい」

 

 私が俯きながら答えると、「ふむ……」となにやら考え込みます。

 

「キミの憧れは理解できる。オレだって憧れた存在があったから、こうしてここにいるわけだしな。でも……アイツの気持ちも、分かるんだ」

「それって……ダイユウサクさんに憧れたらダメってことですか?」

 

 私が目上げながら言うと、トレーナーさんは「そういうことじゃないんだが……」と前置きをして──

 

「アイツ、苦労してきたからなぁ……」

 

 呟くようにそう言って、苦笑しました。

 でも、他人事のように言っていますけど、この人も同じ道を歩んできたんですから同じくらい苦労していると思うのですが。

 すると、そんなトレーナーさんは少し考えこむ様子になり──

 

「……分かった。今度、上に話を通しておくから、ウチの練習を一度見学しにくるといい。それでアイツの言いたかったことが少しは分かるかもしれないからな」

「え? ……いいんですか?」

「ああ。ただし……ちょっと離れた場所からこっそり見るような形になるだろうけど、それで構わないのなら、な」

 

 乾井トレーナーは「ウチの面々は気難しいのが多いから、見られてるのが分かると普段からはかけ離れたことになるから」と、説明して、悪戯っぽく苦笑しました。

 

 

「──はい、お願いします!」

 

 それに対して私は、そう即答していました。

 こうして私の、後日の学園内の見学が決まったのでした。

 ……あとで、キタちゃんとダイヤちゃんに「学園に入れるなんてズルい」「うらやましい」と盛んに言われましたけど。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その日は、思いの外にすぐに来ました。

 乾井トレーナーさんから連絡をいただき、見学の日が決定し──私は当日、トレセン学園の校門の前に立っていました。

 中央トレセン学園は全寮制──と言っても校門の外にあるので、出入りする人の量は多く、校門の前にいる私は奇異の目で見られてしまい、居心地悪く感じ始めていると……

 

「あ、お久しぶりだね~」

 

 気さくにそう声をかけてくれたウマ娘さんがやってきました。

 その人は自分の足で歩み寄ってくるのではなく──車椅子を漕いで、私の方へとやってきます。

 後頭部でまとめた髪はまるで小鳥の尾羽根のようになっており、なによりも特徴的なのは、目元を覆う黄色い覆面──まるでエルコンドルパサーさんの色違いみたい──です。

 そんな彼女は、覆面を指して「ゴメンね、これを取るとドン引きするくらいの傷があってね~」と明るい調子であっけらかんと言いました。

 なんでも小さい頃にケガしたとかで……“例の事件”とは関係ないよ、とこれまた明るいというか、軽い感じで説明してくれました。

 

「よろしくお願いします。ミラクルバードさん」

「うん。こっちこそよろしくね、マリアライトちゃん」

 

 車椅子のウマ娘さんは、ミラクルバードさん。

 その名前は私も以前から知っていました。

 競走ウマ娘だったこの方は、数年前の皐月賞で大きな接触事故を起こして、それで派手に転倒して──打ち所が悪くて下半身不随になり、未だに歩くことができないそうです。

 ミラクルバード事件と呼ばれる、この人の名前が入っているその件は競走界では有名です。

 でも、本人はそんな過去を感じさせないくらいに明るいウマ娘さんでした。

 

「ちょっと長いから、マリアちゃんでいいかな?」

「はい」

 

 私が答えると、彼女は嬉しそうに「じゃあ、そう呼ぶね」と言って、私を学園内へと(いざな)ってくれました。

 トレセン学園の中はとても広いのですが……ミラクルバードさんは、苦にすることなく車椅子で移動していました。

 中の案内をしながら──やがて練習用の大きな走路へとたどり着きます。

 

「あんまり近づくと、バレちゃうからね」

 

 そう苦笑しながら、ミラクルバードさんは足を止めて、トレーニングしている一団を指さします。

 

「あれが、ウチのチーム〈アクルックス〉だよ」

 

 彼女の指示した先には、先日、私を誘ってくれた乾井トレーナーや、長い鹿毛の髪をなびかせたダイユウサクさん、それにフワフワとした栗毛のウマ娘さんがいました。

 その近くには、青鹿毛の黒髪で凛とした雰囲気のウマ娘さんと、対照的に緩い……というか不真面目そうなウェーブのかかった濃い茶髪のウマ娘さんが併走していました。

 

「競走メンバーは現在4人。マリアちゃんが応援してくれてるダイユウサク先輩と、その近くにいるのがレッツゴーターキン。あとの二人はデビュー前だけどオラシオンと、ロンマンガン──」

 

 そう言って、丁寧に説明してくれるミラクルバードさん。

 そうしている内に、ダイユウサクさんはもう一人のウマ娘さんと並び、併走トレーニングを始めました。

 楕円形のコースを走る二人──お互いに一歩も譲らずに走り続けます。

 

「ターキン! そんなんじゃ、いつまで経っても重賞で勝てないぞ!! 隣のヤツは今年一勝さえできていないような相手だぞ!!」

「や・か・ま・し・いッ!!」

 

 乾井トレーナーの、レッツゴーターキンさんに対する煽りのはずなのに併走しているダイユウサクさんが怒鳴り返してます。

 そんな様子を見て、ミラクルバードさんは「あはは」と楽しそうに笑ってますが。

 2回ほど併走をして──乾井トレーナーはダイユウサクさんに話しかけます。

 

「足の調子、どうだ?」

「問題なし、よ。トレーニング程度なら全然、大丈夫」

「……わかった。じゃあ、お前は休憩な」

「なッ──」

 

 ダイユウサクさんは、指示を出した乾井トレーナーに面を食らった様子でしたがそれから立ち直ると、彼に抗議していました。

 

「大丈夫、って言ってるでしょ?」

「ああ、分かってる。だから大丈夫な内に休ませないとダメだろ? 今のお前の脚は、衰えさせない程度に走らせながら、あとは休ませて元の状態に戻るのを待つしかない」

「それは……」

 

 悔しげに黙ったダイユウサクさんに、トレーナーさんは頭をポンポンと軽く叩きながら「焦るな焦るな」と声をかけていました。

 

「あの、ミラクルバードさん。一つ気になったんですけど……」

「なにかな?」

「今の〈アクルックス〉で、ダイユウサクさんって──」

「ああ、やっぱり気がつくよね。うん、マリアちゃんが感じたとおりだと思う……」

 

 私が話しかけたので一度こちらを見たミラクルバードさんでしたが、再び遠くのチームメイトの方へ視線を戻し、説明してくれました。

 

「今の〈アクルックス〉の中心は、ダイユウサク先輩じゃなくなってる。むしろ先輩はサポートに近い立ち位置だね」

「そう、なんですね……」

 

 それは私にとってはショックであり、寂しくも悲しい現実だった。

 有記念以来勝てないダイユウサクさん。それは成長期を過ぎた衰えでもあり、チームのエースの座を降りたということ。

 そしてゆくゆくは……

 

「先輩が宝塚記念でマリアちゃんに言ったのは、自分でもそれが分かっていたからだと思うよ。勝つ姿を見せられない……そう自覚していたからこそ、マリアちゃんのためにも勝てない自分なんかを見習わないで欲しい、って思ったんじゃないかな」

「そんな!? でも、私はそれでも……」

「ねぇ、マリアちゃん。ファンの心理だっていうのはボクもよく分かるんだ。でもね、競走ウマ娘本人にとって、戻れない過去の姿の幻想を突きつけられるのって、苦しいんだよ?」

 

 あ……

 苦笑しながら、決してこちらを見ずに視線をダイユウサクさんに向けたまま言ったミラクルバードさん。

 その言葉が、この人自身の本心なのはすぐに気がつきました。

 無敗のクラシック三冠も夢じゃないって言われていたほどのウマ娘さんだったそうです。

 走ることはおろか、まともに歩くことさえままならない今のミラクルバードさんにとっては、その過去を思い出すのは苦しみでさえあるのかもしれません。

 

「本人には、過去の栄光よりも現在の自分しか見えてない。だからダイユウ先輩は、あのときマリアちゃんにああ言っちゃったんだよ。それは……理解してあげてね。まぁ、競走ウマ娘っていう、皆から憧れなきゃならない立場からしたら、決して誉められたものじゃないけどね」

「は、はい……」

「それにね、先輩って……不器用だからあまりそう見えないけど、実はとっても優しいんだ」

 

 ミラクルバードさんはそう言ってクスクスと笑います。

 

「だから、自分に憧れると言ったマリアちゃんが、自分と同じ道を歩むのを……恐れたんじゃないかな」

「同じ道? それって競走ウマ娘を目指すってことですか?」

「ううん。それは大前提として、もっと狭い意味……」

 

 私たちが話している間に、〈アクルックス〉の方は次のトレーニングに向けて動いていました。

 トレーナーさんが、レッツゴーターキンさんと何か話していると、青鹿毛の真面目そうなウマ娘さんが、「私に挑戦させてください」と言っていました。

 それを眺めながら、ミラクルバードさんは話を続けます。

 

「今のURAの制度は、年齢中心だからね。年齢が高くなってのデビューになると、本当に不利になっちゃう。ダイユウ先輩はまさにその不利を一身に受けたと思うよ」

 

 一方で、トレーナーさんたちはレッツゴーターキンさんに“併せ”をさせるかどうかで迷っているみたいです。

 その相手は、立候補した青鹿毛のウマ娘──オラシオンさんで、「さすがにターキンの相手は……」と躊躇っている様子。

 一方で、オラシオンさんは「お願いします!」と一生懸命頼み込んでいて……ついにトレーナーさんの方が折れました。

 ターキンさんに“併せ”を指示して、その相手にオラシオンさん……「ロンマンガン、お前もだ」と付け加えました。

 指名されてパーッと顔を輝かせるオラシオンさんとは対照的に、ウェーブ髪のウマ娘──ロンマンガンさんは「は? なんであっしまで……」と落ち込んでいます。

 今さっきまでオラシオンさんと併せをやっていたみたいですから──

 

「ターキン先輩の相手ならシオンだけで十分じゃないッスか? こう見えてあっし、根性あるっていわれてるんで、これ以上は必要ないと思うし……」

「限界いっぱいまで振り絞ったことがないヤツに、根性を元にした“最後の一踏ん張り”なんてできるわけないぞ。四の五の言わずに走れ。そうじゃないと、オラシオンに置いていかれるぞ」

「へいへい、仕方ねーですね」

 

 愚痴りながらロンマンガンさんは、オラシオンさん、レッツゴーターキンさんと同じ位置に移動します。

 それを目で追いながら、ミラクルバードさんは口を開きました。

 

「……一方で、逆に早くから才能を示せたウマ娘は、すごく有利になる。ジュニア期やクラシックならそれ限定のレースもあるし、そこで活躍できればオープンクラス昇格も早いからね」

 

 3人のウマ娘は、横並びになってトレーナーのスタートの合図を待っています。

 

「ダイユウ先輩は、マリアちゃんに自分のような苦労した競走人生じゃなく、もっと恵まれたものに進んで欲しかったんじゃないかな。“憧れている”とか“あなたのようになりたい”ってキミの言葉を勘違いしちゃって」

「あ……」

 

 そこにすれ違いがあったんだ、と私は思いました。

 大器晩成という言葉もありますが、それは競走ウマ娘にとっては簡単な道のりではないみたいです。

 

「ダイユウ先輩は、そういう早くから活躍したウマ娘を近くで見てきただろうから余計に、ね。コスモ先輩とか、オグリキャップさんとか──」

 

 ミラクルバードさんがそう言ったとき──トレーナーさんが合図をして、3人の併せがスタートしました。

 そして──

 

「え──」

 

 レッツゴーターキンさんは重賞制覇の経験もあるオープンクラスのウマ娘。

 だから他の二人に比べたら、速いのは当たり前。

 ……のはずなのに、それに負けじと付いていけているウマ娘がいました。

 

「う、ううぅぅぅぅッ!!」

 

 歯を食いしばり、絶対に負けられないとばかりに唸るような声を出すウマ娘。

 しかしそれは──レッツゴーターキンさんのもの。

 もちろんその直前に走った量が違うので単純な比較はできませんが、それでもロンマンガンさんがついていけないオープンウマ娘のターキンさんに、彼女は互角以上の走りができていました。

 そして──

 

「オラシオン、全力だ! ターキンも、負けるなよ!!」

 

 トレーナーさんが指示を出すと、オラシオンさんの姿勢が、グンと一段低くなります。

 そこから一気にスパートをかけ、ターキンさんを引き離します。

 そんな異常に低い姿勢でのスパートは……

 

「すごい! まるで、オグリキャップさんみたい」

「うん。参考にしてるみたいよ、彼女……オラシオンはね」

 

 髪の毛の色こそオグリキャップさんの葦毛──白とは対照的な青鹿毛の黒ですが、その走る姿は、彼女を思い起こさせるものでした。

 

「こうして間近に見てるから、オグリキャップさんを思い出したんじゃないかな。だから……自分に憧れるよりも、もっと上を見て欲しいと、キミに願ったんだよ。ダイユウ先輩は」

 

 ミラクルバードさん──かつての天才はそう言って微笑みました。

 そしてさらに──

 

「だからと言って、上だけを見てとはボクは言えないよ。ウサギとカメの童話の通り、急いだ者よりも、じっくり進んだ方が栄誉を勝ち取ることもある。それが面白さでもある……」

 

 そう言って彼女は、スパートされて引き離されたウマ娘──レッツゴーターキンさんを見つめる。

 一時は離れた二人の距離は、ジリジリと詰まっていて……やがてターキンさんが前に出て、ゴールを切った。

 

「……だから、もしもマリアちゃんがまだダイユウ先輩のファンでいてくれるなら、よかったらターキンのことも、応援してあげてくれないかな。ダイユウ先輩(あのひと)の、そして乾井トレーナーの……〈アクルックス〉の魂を受け継いでる彼女の走りを、ね」

 

 併せを見届けたミラクルバードさんは、顔だけをこちらへ向けて笑顔でそう言いました。

 




◆解説◆

【Let's Burnin’(燃えろ!) Miracle(“驚異の) bird(娘”)!】
・『太陽の勇者ファイバード』の歌詞の「burnin' ファイバード」から。
・“Miracle bird”はもちろん、ミラクルバードのことであり、ルビの通りに“驚異の娘”=オラシオンのことでもあります。
・birdには「娘」とか「女の子」という意味もあるので。

感謝祭
・ゲームでもアニメでも開催された感謝祭イベントでしたが、実は時期がよくわからんのです。
・ゲームだと春に行われているんですが、アニメだと1期、2期ともに秋(1期で“秋の大感謝祭”、2期だと“トレセン学園秋のファン祭り”なので春もある可能性もありますが)なんですよね。
・そんなわけで時期的にはアニメの方を採用してます。
・じゃあ、なんで9月の半ばなの?
・アニメ2期の10話で感謝祭をやっているんですけど、その時にトウカイテイオーのミニライブ(引退セレモニーの予定だったもの)が開催されています。
・史実のトウカイテイオーの引退式も秋でそれのオマージュかもしれませんが、それは1994年10月23日でした。(シャコーグレイドが3年10ヶ月ぶりに勝った日)
・じゃあ、10月じゃん……と思われるでしょうが、そのイベントの中でツインターボのレースの生中継が流れます。
・これ……1993年のオールカマーがモデルなんですよね。開催日は9月19日。
・現在の本作は、年的には1992年相当になので、オールカマーは20日に開催されています。
・毎年同じころに開催だろうということで、本作ではアニメ2期に合わせて、9月の半ば~後半というのを採用しています。
・ちょうどターキンが9月に出走してなかった、という時期的な理由が大きいのですが。

屋台
・なお、アニメ1期ではゴールドシップは焼きそばを売っていました(マックイーンと一緒に)が、屋台ではありませんでした。
・2期ではテイオーのライブの準備をしていましたので、屋台はやっていません。
・そんなわけでゴールドシップは屋台と関係ないんですけど……でも、どっちの話でも学園内にはたくさんの屋台が並んでいる描写はあるんですよね。
・特に1期は「やきとり」の屋台もありました。
・本作の焼き鳥の屋台は、実家が名店の焼鳥屋であるミラクルバードが監修&調理していますので、大人気を誇ってます。
・ただ……本人曰く「実家みたいに良い鶏は使えないから、全然違うよ?」とのこと。

へんたいふしんしゃさん
・ゲームのウマ娘と同じサイゲームスが運営している『プリンセスコネクト!Re:Dive』から。
・ヒロインキャラの一人であるキョウカが、よりにもよって主人公に対して使う通称
・ただしキョウカ本人は8歳という年齢もあって、「変態」・「不審者」の意味は分かっていないそうな。(だからひらがな表記)
・でも本作のこの場面で言った(のは分かりにくいかもしれませんがサトノダイヤモンド)のはきちんと意味を理解して言っていると思われます。
・言われた乾井トレーナーの反応は──彼の過去のトラウマを直撃していますので、早々に泣きが入ってます。

彼女を思い起こさせるもの
・『優駿』の中で、オラシオンの走り方の説明で低い姿勢で走るというのがありました。
・それを採用したかったのですが、シンデレラグレイで異常に低い走り方をしているオグリキャップがいたので、それを参考・模倣しているという設定になりました。
・オグリと接点のあるダイユウサクが、走り方を試行錯誤しているオラシオンに紹介した、という状況です。
・それも最近の話であり、ダイユウサクがきちんと先輩をしている結果だったりします。
・シングレ見直して思ったんですが、オグリキャップって最初から(むしろ最初の方が)メチャクチャ強い描写が多かったんでしたね。
・オラシオンも強者感を出したくて、このシーンを入れました。


※次回の更新は4月24日の予定です。  



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第24R Let's go next! 次のステージへ

 ──時は少しばかり遡り、感謝祭が開催されていた当日のこと。

 中央トレセン学園で行事が開催されていても、中央(トゥインクル)シリーズのレースは開催する。
 走る側も観る側も苦労する暑い夏が終われば、やってくるのは“スポーツの秋”。
 “暑さ寒さも彼岸まで”──と言われる秋の彼岸まであと数日であり、中央(トゥインクル)シリーズは秋の重賞戦線が始まろうとしているこの時期に、レースを止める余裕はURAにも、ウマ娘たちにも無いのであった。
 そうしてこの日に開催されたのは──

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「う~ん、勝てなかったか……」

 朝日杯チャレンジカップに出走したものの、結果は4着。
 掲示板を確保している、という点では及第点だけど、春レースの最後みたいにGⅠならともかく、今回のレースはGⅢ。正直に言えば取りたかったレースだった。
 なにしろ今日のレースは1番人気。
 パドックでも、手を挙げて派手にアピールしたんだけど……勝てなかったから、少し恥ずかしい。

「でも、夏休み休明けで久しぶりのレースだったし。次こそ本番……」

 次のレースは再びのGⅠ。
 しかも同じGⅠでも、上半期に走った安田記念よりも宝塚記念よりも格が上と言われるレース。
 さらには、挑む相手はきっと……

「まさにトップスターで、とんでもない強敵なのは間違いない」

 そのウマ娘を思い浮かべると思わず身震いするほどの衝撃を受けてしまう。
 無敗でクラシック2冠を達成した、去年の年度代表ウマ娘。
 春の天皇賞ではメジロマックイーンに破れはしても、それでも未だに1敗しかしていない。

(菊花賞は未出走なことを考えると、3000越えの長距離は適正に欠けていたのかもしれない。でも、今度は2000メートル……間違いなく実力を発揮してくる)

 その化け物と、私は戦わなければならない。
 かたやこちらは、安田や宝塚を制したわけでもない。実力差こそあきらかだけど──

「去年の例もあるし、なにが起こるか分からないのが“競走”だから」

 あんな大スター相手がなんだから、こっちは完全な挑戦者。
 負けて元々、私みたいなのは物怖じせずに挑む。ただ、それだけ!!

「勝てば、一躍大スター間違いないもんね。シンデレラストーリーってヤツだよ、ホントに」

 わたし、ムービースターはスポットライトを浴びるため、打倒トウカイテイオーを志し──天皇賞(秋)へと梶を切った。 



 

 残暑もすっかり消え去った10月。

 ここ、福島レース場は一年でもっとも走りやすいシーズンを迎えようとしていた。

 

「く……」

 

 そのレースに出走する私──ワンダーレッスルは悩んでいた。

 

(やっぱり、オープンの壁は厚い……)

 

 6月のテレビ愛知賞で勝利したけど、それ以降の勝ちは無し。

 この秋に向けて、オープンでの経験を積もうと7月8月と休まずにレースに出走したにも関わらず、だ。

 着順も少しずつ下がってる気から、調子が落ちているんじゃないかと疑いたくもなる。

 そのバロメーターになっている相手もいた。

 私がチラッと視線を向けたそのウマ娘は、どこか不安そうに、落ち着かない様子で周囲を見ている。

 どこかオドオドとした様子は──彼女にとってはいつもの光景。

 

(これで実力を発揮してくるんだから、恐ろしいわ)

 

 呆れに近い心境でそう思う。

 テレビ愛知賞で一緒になり、そこから7月と8月の小倉のレースでもそうだった。

 9月の朝日杯チャレンジカップには出走してこなかったけど、こうしてまた福島民放杯で顔を合わせるなんて──イヤでも意識する。

 

(レッツゴーターキン……)

 

 大したことないウマ娘だと思ってた。

 確かにテレビ愛知賞の前は勝ったみたいだけど、それだって一年以上ぶりの勝ち星で、オープン特別。

 正直に言えば、その7連敗の前の重賞連勝がピークで、落ち目のウマ娘が相手に恵まれてオープン特別に勝ったんだと思ってた。

 でも──

 

(テレビ愛知賞で、彼女は私の後ろに迫ってた……)

 

 逃げ切っての1着だった私に対し、彼女は追い上げての2着。

 あのレースは良かった。

 中央(トゥインクル)地方(ローカル)の交流戦。3番人気までの3人中2人が地方(ローカル)というのは屈辱だったけど、それを見事に結果で返せた。

 そういう意味で彼女とは、同志だったのかもしれない。

 次の小倉日経賞では私は4着、彼女が5着だった。

 

(……まだ、私の方が上だった)

 

 しかし次の──北九州記念ではついに逆転される。彼女は2位。私は5位。掲示板は守ったものの──

 

 なぜ……

 どうして……

 

 そう思った私だったけど、答えは見えてる。

 

(レッツゴーターキンというウマ娘は、けっして弱くない)

 

 落ち目なわけでも、大したことがないわけでもない。

 “オープンクラスの壁”にぶち当たり、それを壊せない私とは──違う。

 でも、だからといって私だって負けるわけにはいかない。

 

(壁があるなら、壊すだけよ。何度ぶつかろうとも、それをぶち破ってみせる……)

 

 だから私は──今日のレース、彼女よりも速くゴール板を駆け抜けてやる。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 スタートした福島民放杯。

 それをオレは、観客席で車椅子に座ったミラクルバードと共に見ていた。

 

「……今日こそ、勝って欲しいよね」

「オレはいつも勝って欲しいと思ってるが?」

「そういう意味じゃなくて……ボクだってみんなが走るときはそう思ってるよ」

 

 口を尖らせてブツブツと文句を言うミラクルバード。

 その姿にオレは思わず苦笑する。どうにも関わったウマ娘が出走するレースを見ていると緊張し、軽口叩いてそれを誤魔化そうとしてしまうらしい。

 

「……心配するな、ミラクルバード。ターキンなら勝ってくれるさ。夏の努力はアイツの身になっているはずだ」

 

 それは頑張っているからいつか勝てる、なんて甘い気持ちから生まれる願望なんかじゃない。

 かつて重賞を連勝できたという確固たる実力を持つウマ娘が、GⅠという頂点を取ったウマ娘を見て自分もそうなりたいと憧れ、挫折を味わってなお挫けずに上を見て、果敢に挑戦し続けているのだ。

 

(確かにそれで勝利が約束されるような、トゥインクルシリーズはそんな甘い世界じゃないのは百も承知だ。しかし……)

 

 それだけの努力は、しっかりと身になっているのもまた事実。

 実際、この夏のターキンの成績は、悪いものではなかった。

 

「でもさ、トレーナー……他のウマ娘たちだってサボってたわけじゃないんだよ? 何度も顔を合わせたのだっているし」

 

 そう言って不安げに、走るウマ娘たちを見つめるミラクルバード。

 先頭を駆けるウマ娘がいて、それを追いかける先行のウマ娘たち。その後ろに中段がいて、後方集団は虎視眈々と追い込みをかける隙をうかがっている。

 レッツゴーターキンがいるのは、中段のあたりの集団だ。

 

「ワンダーレッスル、か……」

 

 オレは走るウマ娘の集団の中に、ターキン以外の一人のウマ娘を見た。

 彼女が目に付いたのは、ここ最近のターキンのレースで、彼女を見かける機会が多かったからだろう。

 しかし──

 

「今のターキンなら、恐れる相手じゃない」

「え? でもテレビ愛知賞で負けてるのに……」

 

 驚いているミラクルバードを横目に、オレはレースを注視しながら説明した。

 

「そこでやっとオープンに昇格したのなら、オレだったら夏の重賞になんて出さない」

「なんで? 夏なら有力ウマ娘たちは休んで出てこないと思うけど」

「そんなレースで競っても実力伸びないだろ? それだったら合宿に専念させて鍛えた方がいい」

 

 夏休みのおかげで、せっかく学業を気にせずに競走に集中できるんだからな。

 

「……トレーナー、言ってることが矛盾してるよ。それならなんでターキンを夏のレースに出していたの?」

「ターキンは、実力なら十分にあるからだ」

「はい?」

 

 思わず信じられない、といった様子でオレを見てきたミラクルバード。

 

「アイツの欠点は、メンタルの弱さだ。そのせいで実力を十分に発揮できていないだけでしかない。おかげで成績も波がある」

「う~ん、だから重賞2連勝の後の7連敗したってこと? 確かに谷川岳ステークスを勝った後に最下位だったり、テレビ愛知賞2着の後は5着だったし──」

「で、その後は2着が2回で、安定してきてはいるだろ?」

「え? あ……」

 

 ミラクルバードもようやくそれに気が付いた。

 

「だから()()()()()()()んだよ、オレは。それに対してワンダーレッスルは、夏を休まないだけでなく9月もチャレンジカップに出ていた」

 

 それで結果を出したのならともかく、手も足も出なかった。

 

「疲労も溜まっている上に、勝てないことが焦りになって心労もひどい。そんなウマ娘に、レッツゴーターキンは……負けない」

 

 奇しくもオレがそうミラクルバードに言ったのと同時に、レッツゴーターキンが仕掛けていた。

 局面は──各ウマ娘は最後の直線へとさしかかり、死力を振り絞って走っている。

 あるウマ娘が限界を迎えて「無理~」と下がっていく。

 それを(しり)目に突き放すウマ娘もいれば、それをかわして末脚を発揮しグングン伸びていくウマ娘もいる。

 その中の一人が──

 

「ターキン! いけええぇぇぇぇ!!」

 

 気弱でオドオドしていたはずのその(まな)()しは、強い意志で前を見つめ、ただ勝利のみへ意識を向けている。

 外から仕掛けた彼女は一人、また一人と追い抜いていき──ついに先頭に立つ。

 それでも彼女はさらに前へ進む。

 

 前にいたウマ娘は全て抜き去り──

 後ろから追い上げるウマ娘は彼女に追いつけず──

 

 後ろに3バ身の差を付けて──レッツゴーターキンは、1着でゴール板を駆け抜けた。

 

「──ッし!」

 

 片手で小さくガッツポーズを取る。

 これで──ターキンは完璧だ。

 7連敗で見失った勝負の勘を、谷川岳ステークス、新潟大賞典、テレビ愛知賞、小倉日経賞、北九州記念、小倉記念、そして今回の福島民放杯の7戦をかけて取り戻した。

 

(あとは、これから“中央の中央”──阪神、京都、東京、中山の各レース場──を少しずつ経験させて慣らしていけば……)

 

 いずれは大舞台──GⅠに出走するのも夢じゃない。

 彼女が憧れた、東京に残してきた“あの先輩”のように。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

『レッツゴーターキン! レッツゴーターキンだああぁぁぁぁ!!』

 

 実況の叫び声と共に、レッツゴーターキンが1着でゴール板を駆け抜ける。

 道中は中段で待機して、直線で差す──この夏の連戦で勘を取り戻した末脚は、見事に逃げや先行したウマ娘たちを捉え、抜き去り、3バ身の差を付けていた。

 

「──よしッ!!」

 

 4月の谷川岳ステークス以来の勝利に、思わず小さく腕を上げる。

 そんな渡海さんの姿を、休憩中だった私──オラシオンはチラッと見ました。

 ターキンさんが出走しているのは、福島民放杯。もちろん開催場所は福島レース場です。

 そして私と渡海さんが今いるのは、東京のトレセン学園です。

 先輩の出走に従って福島に行く──ということはせず、居残って練習に励んでいました。

 

「……見に行きたかった?」

 

 視線を他へと向け、興味なさそうなのを装いながら尋ねると──彼は、首を振って否定します。

 

「いいや、ターキンさんにはトレーナーとミラクルバードさんが付いてるからね。それに僕はキミとロンマンガンの面倒を見るように言われているし」

 

 それは──私の態度のせいでもあります。

 チーム〈アクルックス〉の担当トレーナーの乾井さんは、もちろん私の担当トレーナーでもあります。

 でも、メイクデビュー戦が始まった今年の夏、私はデビュー戦をさせてもらえませんでした。

 それどころか、10月になった今でさえ、デビュー前という有り様です。

 

(さすがに遅すぎる……)

 

 私の状態が不完全で実力不足だというのならまだ分かるのですが、そういうわけではないと思います。

 出している時計も、決して悪いものではありませんし、同期に見劣りするはずもなく──

 

「ほら、そろそろ練習始めるわよ。ロンマン、アンタも立ち上がりなさい」

「へいへい……」

「返事は“はい”1回で十分よ!」

 

 そう指示を出したのは、私やマンガンさんの先輩に当たる競走ウマ娘のダイユウサクさんです。

 それこそ、デビューが遅れに遅れたという経緯を持つこのウマ娘(ひと)

 虚弱な体質だったらしく、体つきも今でこそ他のウマ娘に見劣りしませんけど、入学当初は「貧相だった」と自分で仰っていましたから。

 なかなか“本格化”が始まらなかったそうですが、それならばまだわかるのですが。私には当てはまりません。

 私は──

 

「あ~ら、ダイユウサクじゃありませんこと?」

「む……」

 

 私も立ち上がってロンマンガンを待っていたところ、声をかけてくる相手(ウマ娘)がいました。

 見れば、ダイユウサク先輩の方を見て「オーッホッホッホ」となぜか高笑いをしているツインテールのウマ娘がいました。

 

「セッツ、どうしたの? そんなテンションで……その辺に生えてるキノコでも食べたの?」

「誰がそんなもの食べますか!! まったく……そ・ん・な・こ・と・よ・り・も!」

 

 彼女はコホンと咳払いをして、それから改めてダイユウサクさんに話しかけます。

 

「どうやら先ほど、〈アクルックス〉のメンバーが勝たれたそうで。おめでとうございますわ」

「ありがと。でも珍しいわね。アンタが素直にそんなことを──」

「今年のチーム2勝目だそうですわね……もう10月ですけど」

「む……」

 

 ダイユウサク先輩がカチンときたのが分かりました。

 

「まったく、1勝もできていないなんて、それでも去年のグランプリウマ娘なのかしら?」

「く……」

 

 悔し気に相手を睨むダイユウサクさん。

 それをしれっと受け流した相手がコホンと咳ばらいをして、こちらの方を見てきました。

 

「それで……そちらの方がウワサの?」

「ウワサ? なによそれ?」

 

 そのウマ娘は、先輩が訝しがるような表情を見て、大げさにため息をつきます。

 

「まったく……周囲にいる者として、その反応はどうなの? チームメンバーが増えても、相変わらずその外ではコミュ障みたいですわね」

「うっさい! で、どういうことよ?」

「そちらのウマ娘、オラシオンさん、でよろしいのですわよね?」

 

 そう言って彼女は私──では無い、隣にいるウェーブ髪のウマ娘を見ました。

 

「いや、あっしじゃないッス」

「先輩、そちらではありませんわ……」

「……セッツ?」

 

「………………」

 

 御本人と、その人が連れていたウマ娘に指摘され、ダイユウサク先輩がジト目を向け──そのウマ娘が固まったままプルプルと震えている。きっと羞恥で。

 業を煮やした連れのウマ娘が、私の方を見た。

 

「こっちがオラシオンさん、です。青鹿毛の方、と話したではありませんか……」

「……ホ、オーッホッホッホ! これはちょっとしたお茶目……そう、ボケというものですわ!」

「いや。アナタ本気で間違えてたわよね?」

 

 さすがに呆れるダイユウサクさん。

 

「ま、まぁその、オラシオンさんこそ、今年のジュニア世代で注目を集めている……というのに、その先輩がそれさえ気づいていないとは……デビューが遅れるのも当然ですわね」

 

 む……

 その発言には、私もカチンと来ます。

 私がデビューしていないのはトレーナーのせいだというのに……

 

「まぁ、まさか貴方のようにこれから1年後……ということはありませんのでしょう? 菊花賞の1週間前にデビューだなんて……クモハタさんの記録更新でも狙ってましたの?」

「……そんなわけ、ないでしょ。まったく、事情を知ってるくせに……」

 

 ダイユウサクさんが苛立たしげに彼女を見ます。

 

「まぁ、デビューのあんな結果はいくら〈カストル〉のトレーナーさんでも予想ができなかったでしょうけど」

 

 そう言って再び「オーッホッホッホ」と笑い──自分の失敗を誤魔化そうとするウマ娘。

 それにしてもこのウマ娘(ひと)、いったい誰でしょうか? 顔を見ても名前が浮かばないのですが……

 知っているかと思ってチラッとロンマンガンさんを見ると──明らかに怒っている様子。

 その彼女は私の視線に気が付いて、笑顔を浮かべます。

 

「あの、マンガンさん……こちらの方は?」

「うん。有名なウマ娘さんなんだわ、この人」

 

 ひそかにこめかみに青筋を立てているロンマンガンさんが、どこかぎこちない笑顔で答えてくれました。

 それを聞いたそのウマ娘は「あら、そうかしら……」と満更でもない顔で振り向き──

 

「そうなんですか? 私、顔を見たことがなくて……」

「でしょうね。だって、コスモドリームさんがオークス制覇したときに、間違えてサンキョウセッツって名前呼ばれたので有名なだけだから」

「なッ──」

 

 ショックを受けるウマ娘──もとい、サンキョウセッツさん。

 

「ぶっちゃけ顔を覚えてる人いないし」

「な、な……なななななな、なんて無礼なウマ娘なんでしょう!! ダイユウサク、貴方の指導が足りないんじゃありませんこと!?」

 

 完全に余裕が無くなったサンキョウセッツさんを見て、ダイユウサク先輩は逆に余裕の笑みを浮かべます。

 

「ゴメンナサイね、セッツ。ロンマンってばお転婆で……なかなか手綱がとれないのよね」

「まったく、貴方たちは……同じジュニア世代なら、ウチのチームのこの()を見習いなさいな……」

「へぇ、彼女もシオンやロンマンと同じ世代なのね」

 

 ダイユウ先輩は、そう言ってサンキョウセッツさんと一緒にいたウマ娘を見ます。

 私も、マンガンさんも彼女に見覚えはもちろんあるのですが──

 

「初めましてダイユウサク先輩……セントホウヤ、と申します。昨年末のグランプリウマ娘にお会いできて、光栄ですわ。」

「よろしく。セッツが先輩なら、苦労しているんじゃない?」

「そんなこと……出走経験豊富な先輩の教えは、いろいろな場面で参考になりますので」

「ふ~ん。物は言いようね」

「ダイユウサク? 貴方、ちょっと活躍したからって調子に乗ってません?」

 

 ジト目を向けるサンキョウセッツさん。

 それにロンマンさんが──

 

「有制覇が“ちょっと活躍”とかウケる……」

「ッ!?」

 

 ──と呟いて、サンキョウセッツさんにキッと睨まれていました。

 その横のセントホウヤさんは特に気にした様子も無く──逆にダイユウサクさんの方を興味深く見ているようでした。

 仮にも八大レースを制したウマ娘ですからね。それが“奇跡の勝利”なら尚のこと気になる存在でしょう。

 そんなセントホウヤさんは……ダイユサクさんから視線を外して、私の方を見ました。

 

「オラシオン……貴方、まだデビューさえしていないの? 阪神や京王杯に間に合わなくなるわよ?」

 

 彼女は「フン」と嘲笑じみた笑みを浮かべて、私を見ました。

 そうして、ギリィ……と音が響く。

 私が悔しさのあまりに噛みしめた、上下の歯が奏でた軋む音。

 そんな私の纏う空気に気が付いたのか、サンキョウセッツさんはこちらを見ました。

 

「……まぁ、いいですわ」

 

 私たちの雰囲気を察して、一度心を落ち着けるように息を吐き──それから改めてダイユウサクさんを振り返りました。

 

「ダイユウサク、私達の代では決着がつきませんでしたが……今度はどちらの後輩が上か、勝負ですわ!!」

「え……?」

 

 さすがに戸惑う先輩。

 

「あの……ロンマンガンさん、サンキョウセッツさんって、成績は……」

「重賞、一勝もしてない。たしか条件戦を何回か勝ったくらいじゃない?」

「え……?」

 

 思わずダイユウサク先輩と同じ声を出してしましました。

 

「セッツ、アンタ決着って……アタシの方がどう考えても成績は上──」

「直接対決はしていませんわ!!」

 

「「「………………」」」

 

 その理屈には私とロンマンガンさん、それに連れのセントホウヤさんさえも含めた後輩3人が唖然として見ていました。

 ダイユウサクさんもさすがに呆れ切った目で、ジト目を向けています。

 

「オラシオンさん……早くデビューして、そして勝つことね。そこのセントホウヤのように」

 

 そんな視線を無視するように、私へと視線を向けたサンキョウセッツさん。

 その横では自信を見せつけるように、セントホウヤさんが笑みを浮かべています。

 

「メイクデビュー戦で勝利し、特別レースにも勝って2勝……もうだいぶ差がついてしまっているようですけど」

「それでは……ごきげんよう、ダイユウサク様」

 

 そう言ってセントホウヤさんは()()()()()()()()へと会釈します。

 その態度が私には「貴方には眼中にありません」と言っているように見えました。

 

 ──しかし、デビューさえしてない私には彼女の態度を不遜と憤る資格さえ、ありませんでした。

 




◆解説◆

【Let's go next! 次のステージへ】
・元ネタなしです。

朝日杯チャレンジカップ
・今回は92年の第43回がモデル。勝利したのはレットイットビーでした。
・なお、ムービースターは前年の第42回も走っていて、6着でした。
・その後ろの7着だったのは──ダイユウサク。あれ?
・第一章でサラッと流したので詳しく描写しなかったレースの一つで、すっかり忘れたせいでホワイトアローが空気で終わってしまった原因だったものです。
・そのホワイトアローもまた本レースに出走していて、11着になっています。
・というか、ムービースターとホワイトアローは同じレースで顔合わせしていることが、今回も含めて多いんですよね。

7月と8月の小倉のレース
・7月は小倉日経賞、8月は北九州記念のこと。
・小倉日経賞はオープン特別ですが、北九州記念は重賞のGⅢです。
・そのどちらも勝ったのが同じで、ヌエボトウショウだったりしますが。

クモハタ
・JRA顕彰馬の一頭であり、1984年に初めて設定されたときに顕彰馬になった最初の6頭の1頭。さらにはその中で最古の競走馬であるクモハタのこと。
・1936年生まれという、戦前の競走馬。
・当時の東京優駿競走(日本ダービー)を制したという成績もさることながら、日本競馬史上最初の内国産リーディングサイアーだったりと、種牡馬としての評価も高い。
・戦後になった1952年から1957年まで6年連続のリーディングサイアーを獲得しているのが顕彰馬となった大きな理由かと。
・そんなクモハタですが……先述の通り、ダービーとっているんですけど、それがまた伝説的で……開催されたのは1939年5月28日。
・そして()()()()()()のは8日前の5月20日。
・しかもそれ2着だったので、初勝利は5月26日。ダービーのたった2日前。
・もちろん最短記録なわけで、現在の制度ではどうやっても更新できないものです。
・ウマ娘の世界でも、クモハタが同じことをしている、という設定です。


※次回の更新は4月30日の予定です。  



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第25R Let's go with me! 熱く燃える情熱を胸に

 
「ふぅ……やっぱり遠いな、この国は」

 飛行機を降りてこの地に立ち、あたしの口からは思わずため息混じりにその言葉がついて出た。
 帰国するのも随分と久しぶりになってしまったが──“帰ってきた”という思いはその分強い。
 日本を離れている間の情報は、多少は入ってきている。

「……その間に、いなくなっちまったウマ娘も、いただろうしな……」

 《白い稲妻》や《怪物》の噂は、遠く欧州にいても、日本の競走界にアンテナを張っていたおかげで多少は聞こえてきた。
 留学で得たものも大きいが、それでもそれらと出会い、競う機会を逸したのは、本当に悔やまれる。
 いっそ知らなければそんな苦しみもないのだが……

(まったく情報化社会様々だ。たとえ三女神に通じるホットラインがあっても驚きやしない、ってな……)

 あたしは、自販機で買った缶入りの飲み物を、一気にあおった。
 もしも神と話せるのなら──是非とも今後のトゥインクルシリーズがどうなるのか。どのレースを誰が制するのか、教えて欲しいもんだ。
 ……などと考えて、苦笑する。

「いや、それじゃあツマらないな……」

 誰が勝つか分からないからこそ、トゥインクルシリーズは盛り上がるんじゃないか。結果の分かりきったレースなんざ見たところで面白くもないし、走るなら尚更だ。
 あたしの時もそうだった。
 分からないからこそ、奇跡を信じて全力で挑んだ──そうでなければ、あんな無謀な挑戦に、誰が真剣(マジ)になるものか。
 ニヤリと口を歪ませつつ、苦笑を浮かべる。

(アイツ、まだ学園に残ってんのか? それとも……地方になんか左遷(トバ)されてねえだろうな)

 その無謀な挑戦に、共に挑んだ相棒の顔が思い浮かぶ。
 居るのか居ないのか……さすがに一人のマイナーなトレーナーの動向までは、遠く離れたあの地までは聞こえてこなかった。
 いずれにせよ──

「行けばわかる、よな」

 どっちにしても帰国の報告はしなけりゃならない。
 あの宿敵と顔を合わせなければいけないのは、ちょっと癪だが。

「といっても、あたしと顔を合わせたくないのはヤツの方だろうな。なぁ、“皇帝”さん……」

 あたしは、飲み干した缶を放り投げ──それが綺麗な放物線を描いてゴミ箱へと入る。
 よし、いい調子だ。思うとおりにことが動く。
 これならアイツにすぐに会えるだろう。

「待ってろよ……ビジョウ」

 あたしは成田空港を後にして、一路、中央トレセン学園へと向かうことにした。



「──二つ、聞きたいことがあるんだけど?」

 

 中央トレセン学園の数多くあるトレーナー室の一つで、オレは同室になっている巽見 涼子から詰問された。

 作業中だったオレは、目の前のパソコンからチラッと巽見へと視線を向け──そして元に戻す。

 そうしながら、オレは彼女に訊いた。

 

「用件は?」

「一つ目は、オラシオンのことよ」

 

 ああ、そのことか。

 オレは心の中で小さくため息を付く。

 

「アイツのデビューのことだろ?」

「ええ、そうよ。いつデビューするのか、話題になってるわよ?」

 

 そんなことは百も承知だ。

 オラシオンは中等部でも目立つほどに優れた才を示したウマ娘だった。

 どこのチームに所属するか、も話題になったし、勧誘合戦もかなり激しかったらしい。

 それが──なんの因果か、勧誘をしていない〈アクルックス(うちのチーム)〉へ「入りたい」とやってきたのである。

 なんでも「オレとダイユウサクの関係に憧れて」とか言っていたが……

 

「今のオラシオンは、ウチに入ったのを後悔しているだろうな」

「それって、デビューが遅れてるから?」

「アイツの中では、そう思っているだろ」

 

 もちろん、オレの中では違う。

 世間や学園関係者が騒ぐように、オラシオンの器はとんでもない大器だと思っている。それこそ“皇帝”や“天馬”、それに“怪物”といった()()()()()()ウマ娘に負けないほどに。

 そして彼女なら……“国民的アイドルウマ娘を育てる”というオレの夢を達成できるとさえ思っている。

 そのためには──

 

「“無敗”というのは、確かに大きなステータスだよな」

「なによ、突然……」

 

 思案が口から漏れ、それが聞こえた巽見が訝しがるようにオレを見た。

 

「そりゃそうよ。無敗でのクラシック三冠達成……ルドルフが“皇帝”と呼ばれて賞賛される由縁の一つでしょ?」

「その通り。まさに圧倒的だったからな」

 

 オレは、かつてシンボリルドルフが今のような生徒会長という裏方ではなく、競走ウマ娘として全盛期を迎えていたころを思い出していた。

 

「“無敗”のラベルが持つ圧倒的強者感は、確かに魅力的だ。だが……もしもそれを失ったとき、果たして立て直せるかどうか……」

 

 シンボリルドルフは生涯無敗というわけにはいかなかった。

 中央(トゥインクル)シリーズでは2度破れたが……それでも、見事に立て直し、そして最後には七冠をとっている。

 だが、それができず崩れていった者も多い。

 

「強靱な精神力を持ったシンボリルドルフだから立て直せただけのこと。負けを経験するなら早い方がいい。それがデビュー戦なら、なおのことな」

「なッ……無敗を最初から捨てるつもりなの!?」

「ああ。その通りだ」

 

 オレがあっさりと言ったので、巽見は唖然としていた。

 

「そんな……“生涯無敗”は誰もが憧れるはずでしょう? それを、デビュー前から諦めるなんてウマ娘が、オラシオンが可哀想よ!!」

()()()()()ウマ娘が、一度の負けを経験すると崩れてしまうことは、よくある」

 

 例えば──オレの憧れだった“あの”ウマ娘もそうだ。

 地方(ローカル)シリーズの大井でデビューした彼女は、圧倒的な強さを誇って中央(トゥインクル)シリーズに殴り込み、そしてそこでも結果を残した。

 が……そのブームと言える人気の陰で、成績はある時期を境に、“時代を創ったウマ娘”としては平凡なものになってしまっている。

 それが地方から無敗の10連勝で迎えた、東京優駿(日本ダービー)での3着(敗戦)

 たった10ヶ月で10の勝ち星を集めたのに、その後のクラシック期とシニア期で3つしか集められなかったのだ。

 

「オラシオンにはそうなって欲しくないんだ。目先の栄光にこだわってリスクを犯すよりも、長い目で活躍してほしいと思っている」

 

 初代国民的アイドルウマ娘の──失敗。

 そして2代目のオグリキャップは……デビュー戦で負けを経験していた。

 それだけじゃない、笠松から中央に来て、重賞を荒らし回った──奇しくも目の前の巽見が担当したコスモドリームもそれに巻き込まれたが──が、天皇賞(秋)でタマモクロスに破れ、ジャパンカップでも敗れ……その後もたびたび敗戦を経験している。

 それにはもちろん強力なライバルの存在という理由もあったが。

 

「勝利よりも、敗北から学ぶことの方が多い」

 

 それは以前に、ダイユウサクに語ったことでもある。

 敗因は探りやすく、勝因は分かりづらい。

 そうして負けを経験して強くなってくる者達に対し、負けを経験せずに勝ち続けるというのはとても困難なことなのだ。

 

「むしろ負けから再び立ち上がり、そして勝つ。そのカタルシスも見るものを興奮させるからな」

 

 負けを経験して、強くなる。

 そのドラマ性がさらなる人気を呼び──結果的には人気と実力が上がっていく。

 どちらかといえば、そちらの方をオレは目指したい。

 完成された圧倒的な完全なる強さよりも、発展性のある未熟な不完全な強さ──そちらに魅力を感じるのだ。

 

「アイツは世代を代表するようなウマ娘になるはずだ。だからこそ慎重に見極めているんだ」

「じゃあ、まだデビューさせないって言うの?」

「いや……来月に、デビューさせる」

「え? 同期の有力ウマ娘のデビューにでもぶつけるつもり?」

「本当なら、そうしたかったんだけどな……」

 

 例えば……オラシオンのライバルと下馬評のたっているセントホウヤというウマ娘がいる。

 名門の生まれで、恵まれた環境で育ったウマ娘であり、なるほど確かにオラシオンに対抗できるほどの素質を持っている、ようにオレにも見えた。

 だが、8月に早々とメイクデビュー戦を走って勝利。とっくにデビュー済みである。

 そして養父のゴタゴタで調子を崩したオラシオンは、8月のデビューには間に合わなかったのだ。

 

(ただ負ければいいってもんじゃない)

 

 体調が万全でなければ、「敗因は体調」ということになり、成長とは全く関係なくなってしまう。

 そうして夏のメイクデビュー戦を回避したわけだが……困ったことに、オラシオンに対抗できるようなウマ娘が見あたらず、ここまで至ってしまったのだ。

 

「本音を言うと、今以降にデビューするウマ娘がオラシオンに勝てるとは思えない」

「……はい?」

 

 それくらいにオラシオンは、強くなってしまっている。夏のスランプを乗り越え、どこか吹っ切れたというのも原因の一つだ。

 ジュニア世代で、ある程度の実力以上になればデビューするのは当然。

 しかし今までデビューできず、育って秋になってそのボーダーをやっと超えたような程度のレベルでは、オラシオンにとうてい勝てないのだ。

 

「だから、マスコミさんに協力してもらおうと思ってな」

「……ゴメン、さっきから何言ってるかよくわからない」

 

 こめかみを押さえる巽見に、オレは笑顔を向ける。

 

「ま、来月のメイクデビュー戦を見ればわかるさ」

「ふ~ん……まぁ、オラシオンのデビューはもう決めたのね。なら、それはいいわ」

 

 ふぅ、とため息のように息を吐き出す巽見。

 なんだかかんだで心配していてくれたんだな。

 

「で、二つ目だけど……レッツゴーターキンだけど、どうするつもり?」

「どうするって、どういうことだ?」

 

 質問に質問で返すことになってしまったが、あまりに巽見の質問が抽象的すぎた。

 

「今後のことよ。最近、手応えは感じているんでしょう?」

「そりゃ、まぁな……」

 

 重賞でも掲示板を外さないし、オープン特別とはいえ福島で勝利している。

 無論、この流れを大事にしたいが──

 

「いつまで“中央”を避けてるの?」

「そこなんだよなぁ……」

 

 ターキンを大舞台の重賞で走らせたい、という気持ちはある。

 だがアイツには精神的な脆さという明らかな弱点がある。

 

「本音を言えば、今年一杯は避けたいところだけどな……」

 

 しかしターキンにも年齢的なピークというものがある。あんまり悠長に構えているわけにもいかないのだ。

 10月の半ばを迎え、秋レースも半分を終わろうとしている。年明けからではなく、秋レースの後半から東京や中山、阪神、京都開催の重賞に走らせ、春レースでGⅠの大舞台……といったところが現実的なラインじゃないだろうか。

 オレが巽見にそれを話していると──

 

「トレーナー、それじゃあファンが納得しないみたいだよ?」

「ミラクルバード? いつの間に……」

 

 車椅子の覆面ウマ娘、ミラクルバードがトレーナー室へとやってきていた。

 彼女は車椅子を漕いでオレのところまでやってきて、得意げにピコピコと一通の手紙を振る。

 

「どういうことだ?」

「ほら、この前……感謝祭の後に、小さなウマ娘を学園見学に招待したじゃない? その御礼の手紙が来たんだけど──」

 

 ミラクルバードはオレに向かって、その手紙を差し出す。

 受け取ったオレは、それを読み──

 

「…………………………」

 

 ──オレは、ため息をついた。

 この内容は間違いなく一人のファンの嘘偽りのない意見だ。

 それで気付かされ。オレは、自分が間違いを犯していたように思えて仕方がなかった。

 ファンの気持ちを蔑ろにして、自分の一方的な考えだけ押しつけていたのかもしれない。

 

「──で、どうするの? 担当トレーナーとしては?」

 

 オレが悩んでいると、巽見が意地悪い笑みを浮かべてこっちを見ていた。

 まったく、答えはわかっているのにそういうことを訊いてくるのだからな。

 だが、もっとも大事なのは……本人の意志だ。

 

「ミラクルバード、ターキンを見つけて、呼んできてくれないか?」

「うん。わかった。行ってくるね!」

 

 笑顔で頷いたミラクルバードは、その場でクルッとターンして、部屋から廊下へと出ていく。

 その表情と、去っていく勢いをみると──アイツの気持ちもよく分かった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「~♪」

 

 私──レッツゴーターキンは笑顔でご飯を食べていました。

 なにしろ最近の私は調子が良い。

 谷川岳ステークスで勝ってチーム〈アクルックス〉に正式に入って、直後は最下位になっちゃったけど……でもその後は掲示板を外していないし、その5戦で1勝して2着が3回。

 

「すごいよね、こんなこと……」

 

 思わず拳を握りしめて、小さくガッツポーズをとってしまう。

 それは、確かにオープン特別とか重賞でもGⅢだったりする、けど……

 

 例えばGⅠ勝って当たり前みたいなメジロマックイーンさん。

 去年のGⅠを2つも制覇したダイイチルビーさん。

 はたまたGⅠ制覇こそしていないけどそこで掲示板の常連になっているホワイトストーンさん。

 

 同期の彼女たちの輝かしい実績に比べたら、私なんてダメダメだけど……それでも、ささやかながらも勝利を重ねて、いい波が来てると思うんです。

 

「それもこれも、やっぱり乾井トレーナーのおかげ……」

 

 決してその前のトレーナーさんが悪かったって意味じゃありません。

 あの人は……ちょっと優しすぎて、私には厳しくできなかったんじゃないかと思ってます。

 だって乾井トレーナーは、彼女に比べたら厳しいんですから。

 指示も目標も、トレーニング内容も、前と比べたらハードになってますけど……でも、絶対にクリアできない課題は出してきません。

 ですから、私のことをしっかり見てくれている、という安心感があります。

 

「まるで、お父さんみたいに……」

 

 思わず思い浮かべてしまう妄想。

 乾井トレーナーがお父さんで、その前に見てくれたトレーナーがお母さん。

 私はそうやって育ってきて──

 

「──こんなところにいた!!」

「ひぅッ!!」

 

 突然かけられた声に、私は飛び上がらんばかりに驚きました。

 見れば、車椅子に座ったウマ娘が、のぞき込むように私を見ています。

 

「ねぇ、ターキン。こんなところで何してるの?」

「あの、えっと……私は、ただ……お昼ご飯、食べてただけで……」

「ダンボールの中で?」

 

 ミラクルバード先輩にジト目を向けられ、私は気まずく黙ったままジッとしていることしかできませんでした。

 ええ。実は私──今まで、大きなダンボールの中で体育座りしながら、お弁当食べてました。

 

「……………………はい

 

 私が、どうにか小さな声で答えるとバード先輩は苦笑して、「まったく、ターキンは全然成長してないんだから……」と呆れ気味に言い、私に手を差しのべてきたんです。

 

「食事はともかくとして……出てきてよ、ターキン」

「……はい?」

 

 首を傾げる私に、バード先輩は──

 

「トレーナーが呼んでるよ。今後のことで相談したいことがあるんだって」

「今後、ですか?」

「そうだよ。だから乾井トレーナーのところに急いで行って」

「あ、はい……」

 

 私はあわてて立ち上がり、ダンボールを跨いで出て……ミラクルバードさんを見ました。

 

「……なに?」

「いえ、押していった方が、いいのかと思いまして……」

「ボクのことは気にしないでいいよ。それよりも早くトレーナーのところに──」

 

 そう促され、私は乾井トレーナーのトレーナー室へと向かいました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「あ、あの……レッツゴーターキンです。お呼びだと聞いたんですけど……」

「ああ。入ってくれ」

 

 私がノックして呼びかけるとすぐに返事がありました。

 そして部屋に入ると──トレーナーさんは私の方へとやってきました。

 思わずビクッとして2、3歩後ずさってしまい、それを見たトレーナーさんが苦笑します。

 うぅ……なんだか、ゴメンナサイ。

 トレーナーさんは気を取り直すように咳払いをしてから、話し始めます。

 

「さて、ターキン。来てもらったのはお前の次のレースなんだが……」

「は、はい……」

 

 私が緊張しながら返事をすると、トレーナーは一通の手紙を私に差し出したんです。

 思わず訝しがるようにそれを見つめる私。

 

「……とりあえず、これを読んでくれ」

 

 そう言われ──私はトレーナーさんからその手紙を受け取って、読むことにしました。

 丸みを帯びた可愛らしい字は、大人ではなく小さな子が書いたように思えました。それも男の子じゃなくて女の子……

 それを私は目で追います。

 

 

『──乾井トレーナー様。先日は、トレーニングを見学するという貴重な機会をいただき、本当にありがとうございました

 ダイユウサクさんとはお話しできませんでしたけど、あの方の気持ちを少し理解できたような気がしました。

 でも……私はやっぱり、ダイユウサクさんが好きです。ファンであり続けますし、憧れ続けます。

 同時に、チームの皆さんの応援もしようと思っています。

 それでレッツゴーターキンさんの御活躍を拝見したのですが……後からになってしましましたが、夏のレースを見て、思わず応援してしまいました。

 そして、この前の福島民放杯の勝利、おめでとうございます! 本当に興奮しました。

 すっかりターキンさんのファンになってしまったのですが、一つだけ不満があります。

 それはターキンさんが出走するのが、いつも遠いレース場なことです。

 中央の……東京や中山にどうして出走しないのでしょうか?

 ターキンさんが大きなレース場の、大きなレースで活躍するのを、直接見たいです──』

 

 

 その内容に──思わず私は「ふわ……」と声を出していました。

 これは……ダイユウサク先輩のファンの子からの手紙、ですよね?

 そしてその子が……私を応援してくれている、ということ……

 

「えっと、その……」

「応援してくれる経緯というのは色々ある。ともあれ、ファンになってくれた子の素直な感想だ」

 

 私が読み終わったのを見て、トレーナーさんはこの手紙について説明してくれました。

 差出人はダイユウサク先輩のファンの、小さなウマ娘さん。

 まだ幼い彼女は、私やロンマンガンさんみたいに、昨年末の有記念の走りに魅せられた一人だったようです。

 その後、紆余曲折を経て──〈アクルックス〉の練習をこっそり見学して、先の手紙を書くに至った……そうです。

 そんな〈アクルックス〉のファンに、そして私のファンになってくれた、小さな子の望みは──

 

「大きな、レース……ですか? ひょっとして、次のレースは……」

 

 私が言うと、乾井トレーナーは苦笑を浮かべて頷きました。

 

「オレ……いや、その以前の前任のトレーナーが、あえて“中央”のレース場を避けていた理由は、お前もわかってるだろ? ターキン」

「う……はい。私の、(メンタル)のせいで……」

「卑下しろ、なんて言ってないぞ。苦手なものは苦手。もちろんオレにだってそれはあるし、それは仕方ないことだろ」

 

 トレーナーさんは、私の方へ歩み寄ると、頭の上にポンと手を乗せてなでてくれました。

 その手の感触に、とても安心する……やっぱり乾井トレーナーはお父さん……

 

「だからこそ、オレはお前に聞きたいんだ。どうしたい? 挑戦したいのか、それとも……まだ“地方”を走るか」

「うぅ……」

 

 私は、思わず一歩身を引いてしまいました。

 それは決断を迫るトレーナーを怖いと思ってしまったから。

 でもすぐに、自分が迷っているからだと気が付きました。だから答えが出なくて、困って、逃げようとして……

 

「あ、あの……と、トレーナーさんが決めて、ください……」

「ダメだ。ターキン、お前自身が決めるんだ」

 

 私がすがる思いで言った言葉は、無碍にも却下されてしまいます。

 うぅ、やっぱり乾井トレーナーは厳しい。前のトレーナーさんなら、「やめておこうか」って言ってくれるのに……

 

「お前がどうしたいのか、聞かせてくれ。〈アクルックス(ウチ)〉に入りたいと思い、主張したときのように……お前の意志を見せるんだ」

「あのときの……」

 

 そうだ……あのとき私は、ダイユウサク先輩の姿を見て憧れて、ああなりたい──変わりたい、そう思ったんだ。

 確かに、トレーナーさんの指導を受けて、私は変われたかもしれない。勝って連敗は抜けられたし、最近の調子も良い。

 でも──

 

(私はまだ、先輩みたいには、なれてない!)

 

 有記念という最高の舞台で栄冠を掴んだあの人が、トレーナーさんの腕の中で歓声に応えて手を振っていた姿を思い出す。

 皆の注目が集まっている中、驚きとどよめきが、祝福の歓声へと変わっていったあのシーンを。

 

(私も……()()なりたいんです!)

 

 それには大舞台を恐れていたら、達成できません。

 大勢の観客の目。

 ものすごい数の感情が渦巻くあの舞台。

 それらを想像して思わず固く目を閉じ、脚を震わせ、手をギュッと握りしめていました。

 

(怖い。怖い……でも……)

 

 私は──目を開き、そしてトレーナーさんを見つめます。

 そしてハッキリとうなずきました。

 

「やります。私……私なんかを応援してくれる人に、応えたい。だから……大きな舞台に、挑戦します」

「よし。わかった……その覚悟、しっかりと受け止めた」

 

 膝はガクガク震えていたけど、それでも言いきった私の言葉を聞いて、トレーナーさんはニヤリと笑みを浮かべました。

 あの人が……本気で作戦が当たったときに浮かべる笑みでした。

 そんな彼は、晴れやかな顔で私と、他の周囲にも聞こえるように、宣言しました。

 

「決まりだ、ターキン。お前の次のレースは──東京開催のGⅠだ!」

 

 え?

 

「…………………………はい?」

 

 私は呆然としながら、聞き返していました。

 だ、だって、大きな舞台って……東京とか中山とかの大きなレース場って意味ですよね?

 そこで何回か走って、そこの重賞に挑戦って意味じゃ──

 

「11月1日に東京レース場で開催される……秋の天皇賞。それに挑戦するぞ!」

「ええぇぇぇぇ~~ッ!?」

 

 そ、そんな!!

 いきなり八大レースに挑戦だなんて……そんなの、無理ですぅぅぅぅ!!

 心の中で絶叫しながら、思わず無意識に隠れるダンボールを探していました。

 




◆解説◆

【Let's go with me! 熱く燃える情熱を胸に】
・前のターキン回のタイトルが『太陽の勇者ファーバード』の主題歌「太陽の翼」からだったから……というわけではないのですが、今回の元ネタは勇者シリーズの初代『勇者エクスカイザー』の主題歌「Gatherway」の歌詞から。
・「Go with me エクスカイザー!」という部分と「忘れかけていた 熱く燃える 大切なPassionate この胸に」から、です。
・最初は「Let's be Brave! さぁ、 Gatherway(動き出せ)!」という題だったんですが、いろいろあって変わりました。
・ふと思い出したんですが……「Gatherway」は初代勇者の主題歌なのに、1997年に出た初の勇者シリーズ主題歌集めたアルバムの「BRAVEST」にガオガイガー主題歌「勇者王誕生!」と共に入っておらず、かといって主題歌CDもなかなか手に入らず、2000年前後のころだけ幻の主題歌になっていたんですよね。
・ガオガイガーに関しては純粋に年代的な問題(1998年放映)なので入ってないのは当然なんですが、エクスカイザーに関しては版権の関係だったりします。
・初代のエクスカイザーだけは版権がキングレコードで、それ以降はビクターが持っていました。
・当然、エクスカイザーの主題歌を含めCDは全てキングレコードで出ていて、しかし「BRAVEST」はビクターが出しており、その関係でエクスカイザーだけ弾かれたという経緯があります。
・でもその後に出た勇者シリーズの主題歌集めたCDではその問題は解決しており、普通に入ってますね。

あたし
・誰でしょう、このウマ娘。
・なにやら()()していたり、なんか誰かの名前出していたるようですが。
・でも“皇帝”と縁がある上に、次の舞台になるレースと深い関係がある……とまで説明すれば、ほぼ答えを言っているようなものですね。

“あの”ウマ娘
・乾井トレーナーがあこがれているのはハイセイコー。
・その生涯成績は22戦13勝。(不成立1)
・大井でデビューして無敗(6戦6勝)で中央移籍し、そこから皐月賞後のNHK杯まで無敗でしたが、東京優駿ではタケホープから初めての敗戦を味わいます。
・その後はもちろん2着や僅差負けとはいえ、クラシックは1勝もできず、翌年の中山記念、宝塚記念、高松宮杯の3勝で引退しています。

手紙
・このネタは、レッツゴーターキンの実話が元になっています。
・実際、レッツゴーターキン陣営は臆病による気性難を理由に、この時期は東京、中山、阪神、京都を避けていました。
・調子も上がってきたけど、もう少し慣れさせてから──と思っていた陣営に、あるファンレターが届きます。
・その内容が「どうしてレッツゴーターキンを中央で走らせないんですか?」というもの。
・そんな応援してくれるファンの期待に応えるため、レッツゴーターキンは東京開催のレースへの出走を決めるのでした。
・そう──あの天皇賞(秋)に。
・……ちょっとやること極端すぎません?


※次回の更新は5月3日の予定です。  



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第26R Let's returning! 風が叫んだ 嵐を呼んだ

 
 ──午後の授業が終わり、放課後。

 トレセン学園の敷地内のとある場所で、来るべき大レースへと共に出走する二人のウマ娘は、バッタリ出くわした。
 とはいえ同い年で見知っている二人である。その場で和やかに会話をしていた……

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「こうしてテイオーと直接対決するのも久しぶりよね。ウチのチームメンバーとは何度か対戦してるみたいだけど」
「うん、そうだね。えっと、ネイチャのチームメイトって、イクノディクタスとかそうだったっけ?」
「そ。春のテイオーの復帰戦、大阪杯で当たってたわよね」
「うん……そうだね。なんだか結構前のことみたいで、懐かしく思っちゃうな。半年くらいしか経ってないのに……」

 ボクの心が、少しだけモヤッとした。
 うん。理由は分かってる。あのときは、ボクはまだ“無敗のウマ娘”だった。
 会長でも達成できなかった、今までの歴史でもほんの数人しか達成していない“生涯無敗”。
 なんでも、シンボリルドルフ(会長)が目標にしてたシンザンってウマ娘(ひと)でさえ、できなかったんだって。

『ああ、あの方はそういうことに興味がなかったそうだから。気難しくて本番以外は全然走ろうとしないから、仕方なくレースに出走して調整していた、なんて話もあるくらいで──』

 会長はそう言って苦笑いしてたけど。

(クラシック三冠の達成……それをボクはできなかった)

 その代わりといったらなんだけど、会長も、会長が尊敬するそのウマ娘も、できなかった“生涯無敗”という新たな夢が、ボクの目標だったのに──

 ──春の天皇賞

 そこでボクは……負けちゃった。
 あの長距離のレースで、ボクはマックイーンに完敗した。
 それどころじゃない、他のウマ娘にも先着を許して……

「テイオー? どうしたの?」
「……え? なにが?」
「いや、なんかボーッと考え込んでたから」

 気が付けばのぞき込むようにしているナイスネイチャの顔が目の前にあった。

「なんでもないよ? 久しぶりのレースに向けて、がんばらなきゃって思ってただけ」

 ボクはあわてて「あはは……」と笑ってごまかした。
 その久しぶりというほどに空いた前走のことを思い出していたんだから。
 去年の秋……骨折からの復帰が間に合わなくて、菊花賞を見ていることしかできなかったボクが、あらためて目指したものは、そこで消え去っちゃった。

(でも、まだ1敗。会長の生涯成績は2敗……三冠ウマ娘も無敗でもなくなったボクがカイチョーに誉めてもらうには、それを越えるしかない。だから、もう……絶対に負けられないんだ!)

 その上で、“七冠”という大きな壁に挑戦する。
 菊花賞を逃したボクはまだGⅠを2勝しかしてない。会長に並ぶにもあと5勝、超えるのには6勝しないと。
 そして会長の七冠は、クラシック三冠に加えて二度の有記念とジャパンカップ、そして春の天皇賞。
 天皇賞(秋)(今度のレース)をとってない。だから──

「今回のレース、絶対に負けられない……」

 1敗を守るためにも。会長の背中を追うためにも。
 確かに菊花賞みたいに一回きりしか挑めないわけじゃないけど、七冠に挑むのにここで足踏みしている暇なんてないんだ。

「でも、大丈夫? それこそ春の天皇賞以来なんでしょう? そこから天皇賞(秋)(アキテン)だなんて、ぶっつけ本番じゃない」
「ふふ~ん、ネイチャもボクの心配をするなんて、ずいぶん余裕あるんじゃない?」
「な……純粋に心配しているだけよ。せっかく同じレースで勝負できるのに、テイオーが万全じゃなかった、なんて言われたくないし」
「あはは……大丈夫、大丈夫。カイチョーだって、春の天皇賞の後に間を挟まないで秋の天皇賞に出てたんだから!」
「え? でも、それって──」

 ボクの言葉に、ネイチャが戸惑った様子を見せた──そのときだった。

「Hé! Hé! お嬢ちゃん、それはあまりいい例えとじゃないと思うぜ?」
「……え?」

 横から聞こえた、乱暴な口調の声。
 それに思わず振り向くと──目つきの鋭い、長めの髪を頭の後ろで縛って一纏めにして流しているウマ娘が、呆れたような苦笑を浮かべてこっちを見ていた。

「“皇帝”サンの信奉者みたいだけど、あん時のアイツ……負けてるからな?」
「そ、そんなの、知ってるよ! でもボクは勝って、カイチョーを越えるんだから」

 会長を揶揄するようなその言葉に、ボクはムッとしながら答えると──そのウマ娘は急に「ハハハッ!」と顔に片手を当てながら天を仰いで大爆笑した。
 むぅ……ホントに、なんなのこのウマ娘(ヒト)
 ボクは心がささくれ立っていくのを自覚しながら、そのウマ娘をにらむ。

「ハハ……(わり)ぃ、悪ぃ。別にあんたを揶揄しようってわけじゃあないんだ。その言葉に驚いて、つい……な」

 笑うのをやめた彼女は、悪意がないのを示すように片手を振って、ボクに苦笑を向けてくる。
 でも、そんなことでボクの心は収まらないんだから。
 そんなウマ娘を「む~ッ」と睨んでいたら、彼女は力が抜けたような、ヘラッとした笑みを浮かべてボクの方へと近づいてきた。
 害を及ぼさないことを示すように、両手を軽くあげて近づいてくる仕草は、どこかおどけているようにも見えたけど──彼女は、ボクのところにまでくると、ポンと肩に手を乗せてきた。
 ……あれ? この人、どこかで──

「アイツを越えようっていう心意気、嫌いじゃないぜ」

 ボクが、どこで見たのか思い出そうとしたんだけど──まるで邪魔をするかのように、なれなれしくズイッと顔を近づけてきた。

天皇賞(秋)(アキテン)、出走するんだろ? ならセンパイからアドバイスだ。色々と気をつけるんだぞ?」
「え? うん……?」
「近年、荒れているって言うから、今年もそうなるかもな。一昨年は“怪物”が体調崩してまるでダメ。で、去年は斜行してゴール後に最下位になった間抜けがいたらしい」
「なッ……」

 ボクが絶句する中、そのウマ娘は豪快に笑ってた。
 去年の斜行──マックイーンのことだというのはすぐに分かった。そして彼女がその後に苦しんだのは十分に知ってる。

(それを、バカにするなんて……)

 ボクはキッとにらみつけて、肩に置かれていた手を払う。

「マックイーンは、間抜けなんかじゃない!!」
「あ? いやいやいや……7バ身も離して楽勝できる実力持ってんだから普通にやれば勝てたのに、斜行(余計なこと)して最下位(ケツ)になったんだぞ?」
「そ、それは……」
「そんなウマ娘(ヤツ)なんて、他に言いようがないだろ」
「ッ!! バカにするなッ! マックイーンは、スゴいウマ娘なんだ!」
「あ~、あたしもそいつは認めるさ。あの大舞台であの大差……しかも有記念の結果を見れば、2番入線だって遅いわけじゃねえのは分かるからな。速いのは間違いないし、大したウマ娘だ……だが、焦ってあんなことをするなんて、とんだ()()()だって話さ」
「くッ! この──」

 堪忍袋はもう限界だった。
 ボクは握りしめていた拳を開いて、そのウマ娘へ掴みかかろうと──

「ちょっと、ストップストップ~! 落ち着いて、テイオーちゃん」

 ──そんな一触即発な状況のところに、長い髪をなびかせて他のウマ娘が入ってきた。
 彼女はボクとそのウマ娘との間に割り込むように入る。そしてそのまま、ボクに絡んできたウマ娘をジト目で睨んだ。
 一方で、そのウマ娘は──

「おぉ、マルさん! 久しぶりだな。元気してたか?」
「元気とかそれ以前に……アナタねぇ、呼び出したんだから、ちゃんとそこに留まってなさい。オマケに問題まで起こしかけて」
「悪ぃ、悪ぃ。こういうお嬢ちゃん達を見たら、ちょっと、からかいたくなっちまってな」

 そう言って悪びれも無く笑うそのウマ娘。
 間に入ったのは、マルゼンスキー先輩だった。どうやら先輩はこのウマ娘のこと、知ってるみたいだけど──
 そんなマルゼンスキー先輩は、呆れた様子でそのウマ娘を見ている。

「そもそも、なんで私に連絡入れてくるのよ? 他にいるでしょう? 同期生だってまだ残ってるんだし」
「シービーはフラッと出かけるからアテにできないんだよ。その点、あんたなら十中八九、会長と一緒だから間違いないと思ってな。万が一にもバッタリ出くわす、なんて事態は避けたいし」
「会長と会いたくないって……いったい何をしでかして帰って来たの?」
「い~や、向こうじゃ品行方正にふるまってたぜ? Bonjour(ボンジュール)やらMerci Beaucoup(メルシー・ボークー)ってな具合にな」

 そう言って豪快に笑うウマ娘。
 とてもじゃないけど、“品行方正”ってイメージがわかないよ。

「会いたくないのは会長の方だろ。気が付かない内にあたしがスッと現れるのはなおさら、な」
「あのねぇ……そう思うならちゃんと連絡してきなさい。会長も連絡が無いのを気にしてたのよ?」

 マルゼンスキーさんは不満そうな顔をしてから、ボクとネイチャを振り返った。

「ゴメンね。このウマ娘(ひと)、口と性格と素行は悪いんだけど、それ以外はまとも……まとも?」
「いや、本人(あたし)に訊くなよ、それを」
「う~ん……だって、こうして戻ってくるなり、いきなり後輩に絡んでグダ巻いてるのは、“まとも”とは言わないじゃない?」
「わざわざそう言って反省うながしてくるから、やっぱマルさんは怖いよな……」

 大げさに肩をすくめてため息をつくそのウマ娘。
 それを見てマルゼンスキー先輩は、ボクらに向かって「ほらね? 悪いウマ娘(ひと)じゃないでしょ?」と苦笑した。
 それから、再びそのウマ娘の方を見て──

「ほら、お目当ての場所にさっさと行くわよ。私だって暇じゃないんだから……」
「へいへい、ありがとうございます、マルさん。なにしろすっかり変わっちまって、全然道が分からねぇ……」
「そんなに変わってないわよ。多少……理事長が無茶言って建てた施設が増えたくらいで」

 (くだん)のウマ娘は、はマルゼンスキーさんと話しながら、この場から去っていこうとしていた。
 そして、ふと気付いたかのように──

「じゃあな、“皇帝”越えを目指すお嬢ちゃん。()()として、応援してるぜ……」

 けっして振り返ることなく、一度片手を大きく振ってから離れていくその背中を、ボクは黙って見送った。
 正直、マックイーンのこともあるし、言われっぱなしなのは面白くなかった。
 でも喧嘩がしたいわけじゃないし、このまま話していたら、きっとそうなっちゃうと思う。
 それにここで喧嘩を始めたら、マルゼンスキー先輩の顔をつぶすことになっちゃうもんね。
 でも、面白くない……そんなボクの気持ちを察してか、ナイスネイチャが心配そうに声をかけてきた。

「テイオー……気にする必要、ないからね? ああいうひねくれたウマ娘って、意外と多いし」
「大丈夫だよ、ネイチャ。ボクは全力で天皇賞(秋)(アキテン)に挑むだけだから」

 そう、会長と同じシチュエーションで挑むんだから、勝って会長ができなかったことをやってやるんだ。
 そう決意したボク──だったけど、どうにもさっきのウマ娘のことが、咽の奥に刺さった魚の骨みたいに、気になって仕方なかった。

 どっかで見たことが、あったような……



 

 放課後になって、私はチームの部屋へとやってきました。

 もちろんトレーニングもありますし、なにより昼休みにトレーナーから言われた次のレースのことを、チームメンバーに相談したかった、というのもあります。

 なにしろ、そのレースの経験がある先輩もいましたし。

 でも…………

 

「あ、あの……先輩? あの方、どちら様、でしょうか……?」

「知らないわよ。アンタが来る前に突然、『ビジョウ、いる?』とか言って入ってきたんだから」

「ビジョウ? いったい、誰のこと、でしょうか……?」

 

 私は恐る恐る、その方──チーム部屋にいる、二人の部外者の一人を見ました。

 長めの髪を無造作に頭の後ろで縛って一まとめにしているそのウマ娘さんは、暇を持て余していらっしゃる御様子。

 つまらなさを隠そうともせず、ドカッと椅子を傾けながら、一緒にきたらしいもう一人の部外者──マルゼンスキーさんと、なにやら話をしています。

 

(ああ、あの椅子……私の椅子なのに……)

 

 彼女のお尻の下には、私が持ってきたお気に入りの座布団が挟まっていました。

 それが気になって、何度かチラチラと見ていると──そのウマ娘の鋭い目と合ってしまいました。

 

「あん?」

「ひ、ひぃッ!!」

 

 あわてて周囲を見渡しますが……最近は私の行動への対策なのか、この部屋にダンボールが無くなってしまっているように思えます。

 それ以外の逃げ場所を探して、私は慌てて──

 

「落ち着きなよ、ターキン」

 

 部屋にいた車椅子のウマ娘──ミラクルバードさんが、苦笑を浮かべて言ってきました。

 でも、あんなおっかなそうなウマ娘と同じ部屋にいるなんて……落ち着けるわけ、無い。

 再び彼女を盗み見ると……

 

「あいつ、なにキョドってんだ?」

「あなたのせいでしょうに……」

 

 ──なんてまたマルゼンスキーさんとなにやら話しています。

 マルゼンスキーさん。落ち着いた大人な雰囲気に憧れていたんですけど……こんな怖いウマ娘(ひと)連れてくるなんて、幻滅です。

 

「うぅ……あの方、ここをナワバリにするためにきたんでしょうか……」

「ナワバリって……」

「ナワバリじゃなければ、たまり場……きっと、私たち追い出されて……」

「パイセン、ビビりすぎ。ここ、チームの部屋ッスよ? あっしらが追い出されるワケないじゃないですか」

「で、でもでも……チームに入れろよ、とか言われて名前だけ入れて、私たちは追い出されて使えなくなるかも……」

「もう、ターキンってば……」

 

 私のロンマンガンさんへの反論に、ミラクルバード先輩が苦笑を浮かべます。

 

「考え過ぎだよ、ターキン。冷静になりなよ」

「コン助の言う通りよ。ここはアタシ達のチームの部屋なんだから」

「じゃあパイセン、あの方に話しかけて事情をきいてきてくれません?」

「なッ……ああいうアウトローは、アンタの担当でしょ? “走る雀ゴロ”なんて言われているんだから」

「いやいや……アレ、アウトローじゃなくてインハイでしょ。なんなら頭付近のビーンボール。そんな危険球、さすがに無理ッス。普通に乱闘始まるわ……」

 

 呆れながらもオドオドした様子で返すロンマンガンさん。

 

「ロンちゃんもダイユウ先輩も、みんな落ち着いて……あのウマ娘(ひと)、“ビジョウ”って人を探してたんでしょ?」

「でも、ウチのチームに“びじょう”なんて人……いませんし」

「そんなことないよ。ねえ、ダイユウ先輩?」

「え? えっと確か……朱雀井(すじゃくい)トレーナーが、ウチのをそう呼んでいたっけ」

 

 朱雀井トレーナーといえば、私の同期のダイイチルビーさんのトレーナーさんだったはずです。

 

「と、ということは……チーム〈アンタレス〉の関係者?」

「あそこ、ソロチームだったわよ。たしか」

「あのトレーナーとあっしらのトレーナー、学生時代からの付き合いだって言ってたから、そのころの知り合いじゃないんスかね?」

「え? でもそれだとかなり前からの──」

 

 私、ダイユウサク先輩、ロンマンガンさん、ミラクルバードさんが話していると、出入口のドアが「ガチャッ」と音を立てて開きました。

 思わず私はビクッとしてそちらを振り向き──

 

「お? ちゃんと集まって……ないか。オラシオンはまた──」

「おぉ~!! ビジョウ~!!」

 

 入ってきた乾井トレーナーの言葉を遮って、大きな歓声があがりました。

 それに私はまたビクッと驚いて振り向くと──さっきの悪い目つきを一変させて歓喜の笑みを浮かべたウマ娘さんがいました。

 さすがにそれに、トレーナーさんも気がついて……その顔を見て、驚愕し、そしてこちらも笑みを浮かべます。

 

「え……ダイナ? ダイナだよな!? ダイナじゃないか!!」

「当たり前だろ、あたしがそれ以外の何に見えるってんだよ?」

 

 トレーナーさんにダイナと呼ばれたウマ娘は、一気に距離を詰め──

 

「Ça fait un moment. mon(モン) chéri(シェリ)……」

 

 ──と呟いて、トレーナーさんに抱きついて抱擁を交わし……

 

「わ……」

 

 その光景に、私は驚いて思わず声を出してしまったのですが──それで終わりではありませんでした。

 彼女はそのまま顔をドレーナーさんの顔に寄せ──頬にキスをしたんです。

 

(え? ふええぇぇぇ~~!?)

 

 そんな光景に驚愕していたのですが──ふと、悪寒を感じてビクッと体が震えました。

 いったいなにごとでしょうか。まだ10月ですし、こんな体が震えるほど寒くなるなんて……なんて首を傾げながら、なにげなく隣を見ると──

 

「ひ、ヒィッ!!」

 

 なにか黒いオーラを出しながらトレーナーを見つめる、恐ろしい先輩がいました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ちょ、ちょっとアンタ! なにしてんのよ!!」

 

 我に返ったアタシは、思わず大きな声を出していた。

 さすがにそれに気付いたトレーナーは驚き、そして抱き合っていたウマ娘は──悪びれもせず、こちらを見てニヤリと笑う。

 

「おやおや~、こんなの欧州じゃあ、挨拶みてぇなもんだったけどなぁ……」

「なにが欧州よ! ここは日本よ! 公衆の面前でこんなことして、なんて破廉恥な……」

「オイオイ、風紀委員か? なら悪かったなぁ、目の前で風紀乱しちまって……じゃ、公衆の面前じゃないところにいって、続きやるかビジョウ」

「なッ!?」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべながらトレーナーを見るそのウマ娘に、思わず絶句する。

 な、なによ続きって……

 

「ダイナ、からかうな……お前の悪いクセは相変わらずだな」

「ハッ……あんたのそういうつれいない態度も、変わってないけどな」

 

 そう言って、“ダイナ”と呼ばれたウマ娘はやっとトレーナーから離れる。

 アタシが知らないうちに自分の体をわなわなと震わせていると、後ろでコソコソと話している声が聞こえてきた。

 

「あの……モン・シェリって、たしかフランス語……でしたっけ?」

「うん。たしか“愛しい人”とか、そんな意味じゃなかった?」

「え? 乾井(イヌ)トレとあのウマ娘、どんな関係?」

「欧州って言ってましたし、えっと、フランスから来た……のでしょうか?」

「あ、ボクわかった。トレーナーが昔、実は巴里(パリ)に一年間留学していて、その時に所属していた平和を守る秘密部隊の仲間だよ、きっと。いい感じになったのに置いてきちゃったから、ついに追いかけてきて──」

「──どこの大神一郎だッ!」

 

 聞こえていたらしいトレーナーが思わず大きな声でツッコむ。

 そして「オレは留学なんてしてねぇよ」と付け加えつつ、面倒そうに頭をガシガシと搔いて──アタシたちに彼女を紹介した。

 

「あのなぁ……こいつはギャロップダイナ。その名前はお前らも知ってるだろ?」

「誰よ。知らないわ」

 

 聞いたこともないわよ、そんな名前。

 と、アタシの記憶には無かったんだけど……

 

「えッ!? このウマ娘(ひと)が、あの……」

「知ってるの? コン助」

「うん。というか……なんでダイユウ先輩知らないの?」

「そんなこと言われても、知らないものは知らないとしか……」

 

 アタシが口籠もると、ミラクルバード(コン助)は小さくため息をつき──

 

「ギャロップダイナ。異名は『“皇帝”を泣かせたウマ娘』──」

 

 は?

 “皇帝”って……生徒会長のことでしょ?

 あの人を泣かせた? どういうこと?

 

「あのシンボリルドルフ(“皇帝”)に勝った、トゥインクルシリーズではたった二人しかいないウマ娘の一人だよ」

「え……?」

 

 アタシが驚いて彼女を見ると──「やっと気付いたか」とそのウマ娘はニヤリと笑みを浮かべた。




◆解説◆

【Let's returning! 風が叫んだ 嵐を呼んだ】
・“returning”は「帰国」という意味であり、“帰参”でもあり、“復帰”でもあります。
・「風が叫んだ 嵐を呼んだ」は、戦隊シリーズ『科学戦隊()()()マン』の同名の主題歌の歌詞から。

直接対決
・ナイスネイチャとトウカイテイオーが直接対決したのは生涯で4度。
・有馬記念(92年、93年)で2回、そして今回のモデルになる92年の天皇賞(秋)、あとはその前の91年若駒ステークス。
・ですので、この時点では若駒ステークス以来、1年半近く前ということになります。
・そしてその間、テイオーは2度も骨折していたりしますが……
・なお若駒ステークスは無敗のころだったのでテイオーが勝ってますが、ネイチャは……やっぱり3着。

アウトローじゃなくてインハイ
・野球用語で、投球コースについてのことでアウトローは外角低め、インハイは内角高め。
・外角低めは打者から遠く一番打ちにくいとされており、それと対照的な位置の内角高めは苦手にしている打者もいる一方で、得意にしている打者もいるという得手不得手のハッキリしているコース。
・外角低めで凡打や空振りを狙うのに、インハイで体を起こすのにも使われます。
・しかしインハイは打者近くの高めで場所的に打者の頭部付近でもあり、投げ損じて頭部にいくことも。
・頭に当たれば危険球であり、一発退場になります。危険球=ビーンボール。
・もちろん打者に喧嘩を売るようなもので、乱闘の原因になったります。
・……ま、グリップエンドに当たったのに頭抑えて痛がって、危険球判定させて投手退場にするような選手もいましたが。
・ちなみに最初にダイユウサクが言ったのは「outlaw(アウトロー)」で“無法者”の意味で、野球用語ではありません。

大神一郎
・ゲーム『サクラ大戦』の1~4の主人公のこと。
・大規模な霊的障害から帝都・東京を守る帝国華撃団に所属し、主力部隊である花組の隊長。
・初期は少尉でしたが、その後は活躍のおかげで昇任していき──その最中、功績で、フランスの巴里(パリ)に留学することに。
・そこで今度は帝国華撃団のフランス版、巴里華撃団の花組の隊長となって霊的障害と戦い……というのが「3」の話。
・その最後で日本に帰国し、「4」ではそこで良い仲になった隊員(ヒロイン)がやってくる、というお話。
・これ、モデルはフランスとドイツの違いはあれども森鴎外の小説「舞姫」をベースにしているそうです。
・そしてその「舞姫」が森鴎外の体験を元にしているらしいのですが……決して褒められたような内容じゃない気がするのですが。
・ほぼスキャンダルみたいなのを元に小説書くとか、転んでもただでは起きないというか……

ギャロップダイナ
・実在馬をモデルにした本作オリジナルのウマ娘。
・モデル馬は1980年生まれの鹿毛の牡馬。同世代には公式ウマ娘化している三冠馬、ミスターシービーがいる。
・その最も有名なレースは、やはり“皇帝”シンボリルドルフを破った1985年の天皇賞(秋)。
・誰もが予想していなかった“ダートでしか勝てない条件馬”が最後の直線で見せた末脚による大外一気の大勝利に思わず出た、「あっと驚くギャロップダイナ」という実況は有名。
・ただ、この「あっと驚く」と「これはビックリ」は混同されて言われたりしてますけど。(「あっと驚くダイユウサク」と誤用されているのを見たことがあります)
・13番人気でのレコード勝ちの大金星、というのはダイユウサクを思い起こさせますけどね。
・しかしギャロップダイナは『世紀の一発屋』という異名は持っていません。翌年の重賞の東京新聞杯や、GⅠの安田記念を制しているからです。
・それで分かるように、適性距離もマイル~中距離だったようですね。
・そして引退レースとなった86年の有馬記念では11番人気でしたが、ダイナガリバーの2着に入って同馬主の縁で一緒に記念撮影して、レースから去りました。
・本作のウマ娘は、茶髪(鹿毛)の髪を首の上付近で纏めた髪型で、目つきの鋭いという外見になっています。
・これは「当時は不遇だったダートレースを主戦場にしていた」「条件馬での下克上」「気性が荒かった」というエピソードによるアウトローの印象から、イメージキャラを『BLACK LAGOON』のレヴィことレベッカ・リーにしているからです。一人称が「あたし」なのもその影響。
・なお欧州帰りでフランス語を話しているのは、フランス留学をしていたから。
・これはモデル馬が1986年の8~9月にフランス遠征をしたことから。なお結果は12着(13頭中)、10着(14頭中)と惨敗……
・本作のウマ娘はジングレではなくウマ娘時空に入っていますので、史実をネタにしながらも史実通りではなく、フランスに長期留学していました。
・「Ça fait un moment.」というセリフは「お久しぶりね」という意味。
・なお、ポッと出の思い付きで出したわけではなく……第二章が始まって間もなく出すのと設定を考え付いていたものです。
・今まで本作や『たった二人の南赤星《アンタレス》』でその存在を匂わせてました。

『“皇帝”を泣かせたウマ娘』
・これは、天皇賞(秋)の敗戦後に、シンボリルドルフが厩舎で涙を流した、というエピソードを元にしたもの。
・ほとんど勝利を確信したところで、よくわからんダート主戦場の条件馬に勝利を掻っ攫われたら、そりゃあ悔し涙も出ますよ。


※次回の更新は5月6日の予定です。  



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第27R Let's enter! “あっと驚く”その名は──

 
「は? あたしに天皇賞(秋)(アキテン)に出ろって?」

 あたしと組んでいる研修生が言った言葉は、耳を疑うような内容だった。

「次は府中ステークスって話じゃなかったのか? 自己条件の」
「ああ、その予定だったんだが……」

 歯切れ悪く言うと、視線を逸らす相手。
 この反応……ドッキリだとしたらかなりの役者だぞ。演技上手いな、オイ。
 あたしは半ば呆れながら詰め寄った。

「オイオイオイ、いくらなんでも冗談が過ぎるだろ? エイプリルフールはまだまだ先だぜ、研修生」
「オレも、先生に言われたときは、同じことを思ったさ」
「……ってことは、マジか?」

 そのあたしの問いに乾井というトレーナー研修中の男は、複雑な表情で頷いた。
 どうやら秋の天皇賞に出ろ、というのはウソでもドッキリでもなく、本当に本気の話らしい。

「正気かよ……あのオッサン、気でも触れたのか? それとも夏の暑さにやられていたのが、涼しくなってきて顕著になったとか」
「ギャロップダイナ……」

 あたしの口の悪さをたしなめるように、相棒はやんわりと(とが)めてきた。
 オッサン……普段は“おやっさん”と呼んでいるけど、今回は頭に来て思わずそう呼んじまった。
 その人はあたしが所属しているチームのメイントレーナーで、その下で研修をしている乾井 備丈(まさたけ)──その音読みが“ビジョウ”ってあだ名の元ネタらしい──があたしの実質的な担当。
 もちろん書類上はうちのチームのメイントレーナーが担当だが。
 あたしだって決められたときは、おやっさんに「なんで研修生が担当なんだ」と文句を言ったぜ? さすがにな。
 でもそうされちまうのも仕方がなかった。あたしはそんな贅沢を言えるような立場じゃなかったんだから。
 ま、今じゃそんな不満は無い。堅っ苦しいところもなく、付き合いやすいのは助かってるくらいだ。

「あのオッサンに一度確認してきてくれ。あたしがオープンじゃなくてまだ条件戦走ってるウマ娘だってのが、わかってるかどうかをな」
「真っ先に確認した」
「で?」
「『あの落ちこぼれだぞ? そんなのわかってるに決まってんだろ』だとさ……」
「お~お~、言ってくれるねぇ。その“落ちこぼれ”は、芝じゃなくてダート勝利(泥んこ遊び)ばっかりしてるってのも、ちゃんと言ってくれたのか?」
「ああ。先生は、『砂場(バンカー)でばかり勝って(遊んで)ないで、たまには芝で勝て(グリーンで遊べ)』だと」
「ハッ……あのジジイ、最近ゴルフやってんのかよ……」

 あんな性格の下でよくもまぁ、こいつの先輩の東条トレーナー(カタブツ)が育ったもんだ。
 反面教師ってヤツか?
 それにしても──

「その理由、ひょっとして……」
「ああ、お察しの通り。あの“皇帝”陛下が一緒にコースを回ってくださるそうだ。光栄なことにな」
「あ~、あ~、道理でお上品なことで……ったく、ヘドが出るぜ」

 あたしは思わず「うへぇ」と嘆いてから、ため息をつく。
 “皇帝”──シンボリルドルフ。
 無敗でクラシック三冠達成という前代未聞のことをやり遂げ、今までたった一度しか負けていないウマ娘。
 その一度の負けは、あたしと同期の三冠ウマ娘との対決のときだ。

(両者がバチバチに牽制し合ってる隙をついて逃げ切ったカツラギのヤツの作戦勝ちだけどな……)

 そこで無敗が途切れたルドルフだったが、そこでツキを落とすようなこともなかった。
 相も変わらず有やらで勝ち続け──今年の春の天皇賞を制して春シーズンを終了して休養に入った。
 それが復帰してくるってのは聞こえてきてたが、完全に他人事(ひとごと)だった。なにしろあたしはまだ条件戦を走ってるし、なにより主戦場はマイル以下。
 2000以上を走ったのなんてだいぶ前の話だ。とっくに体も忘れてらぁ。
 だからそれより長い距離のレースを走るルドルフとはカチ合う可能性もない。

(この歳になっても(プレ)オープン……落ちこぼれ扱いも当然だな。もちろん……悔しいけどな)

 当然、“皇帝”とまともに戦うような身分ではなく──その一方、ルドルフはルドルフでそのあまりの強さに同じレースを走るのを他に嫌われるのだろう。
 あれだけ圧倒的ならそれも納得だ。
 つまりあたしは、その“賑やかし”メンバーで呼ばれたってわけだろ。

「……先生も、『ウチから誰も出さないってわけにはいかねえから』って言っててな。東条先輩の手前もあるんだろうし」

 シンボリルドルフが所属しているチーム〈リギル〉のトレーナーは東条ハナ。かつてはウチのチームのサブトレーナーだったのが独立したらしい。
 同じ師匠から教えを受けた、あたしの相棒(ビジョウ)の姉弟子ってわけだ。
 そいつの晴れ舞台が寂しくなっちまうのは師匠として許せない。かといって、負けるとわかってる戦いに自分のところの秘蔵っ子を出すわけにはいかない。
 ……で、別に負けたってかまわないあたしにお鉢が回ってきたってワケだ。

「──ちなみに、付き添いはオレだけだ」
「……は? オッサンは?」
シャダイソフィアが京都で出走するから、そっちに行くそうだ。お前のことはオレに完全に任せるから、二人で好きにしろ、だとさ」
「ちゃんと生八ツ橋買ってこいって伝えておけよ? お嬢、訳の分からねえモン買ってきそうだからな……」 

 軽口を叩いちゃいるが、頭を抱えたかった。
 完全にビジョウに丸投げじゃねえか、ったく。あのオッサン、やる気()えにもほどがあるぞ。
 まぁ、まかり間違ってもソフィアにこっちを走らせたくはねえ。お嬢に“皇帝”の相手ができるとは思えねえし。
 だが、いくら勝ち目が無えからって、メイントレーナーまで不在とは──

「面白くねえな。完全な敗戦処理じゃねえか……」

 味わいたくもないが、プロ野球のピッチャーの気持ちが分かっちまったぜ。
 エースじゃなくて、落ちこぼれの方の気分だけどな。

「……いいや。違うぞ」
「あん?」

 あたしのつぶやきに、研修生が反応した。
 それがカチンと来てつい睨んじまう。
 だが……こいつは何を考えてるんだか臆することなく笑いかけてくる。

「勝って、いいんだからな?」
「はぁ?」

 なに言ってんだ、コイツは?
 あたしなんぞを天皇賞(秋)(アキテン)に出すメイントレ(おやっさん)も頭おかしいが、あたしの面倒見てるヤツは輪をかけてさらにおかしかったらしい。
 言うに事欠いて、“勝つ”だと?

「野球の敗戦処理ピッチャーは、一人だけじゃまず勝てない。試合を捨てるような点差が付いている中だから、自分一人で打っても逆転できるわけが無い」
「そいつはご愁傷様だ。ついでに言えばパ・リーグなら打席にすら立てねえしな」

 あたしがツッコむと、研修生は「それもそうだった」と苦笑する。

「だけどダイナ。お前はたった一度、“皇帝”よりも前でゴールを駆け抜ければいいんだ。それだけで勝てる」

 そんな頭のおかしくなっちまったあたしの担当は、ふざけたことを大真面目に言い始めた。
 どうやらその目を見る限り、冗談でもなければ、正気で言っているらしい。

「その勝利にチームメイトの頑張りもいらなければ、ホームランを打つ必要もない。バットを振る必要さえないんだ」
「ハッ……言ってくれるじゃねえか。その()()()()()()()って簡単なことができねえからアイツは“皇帝”サマなんだよ! それができたのは、今までたった一人しかいないんだからな」
「じゃあギャロップダイナ、お前は……最初から諦めて走るのか?」

 そう言った研修生の目は──完全に真剣(ガチ)だった。
 今まで二人で笑い、時に喧嘩もしながらダートを主戦場に──まさに泥まみれになって戦ってきた。
 そんな中で、今までに見たことがないほどに真摯な眼差しをあたしに向けてきたんだ。

「研修生、お前……」 
「最高の舞台で、最強の敵を相手にするのに……どうせ勝てないと、()()()()()()()と決めつけて諦めるのか?」

 そう言って彼は──ダン! と地面を思いっきり踏みつけた。

「食えねえブドウなら踏みつぶしちまえ。グッチャグチャになるくらいに」
「はぁ?」
「潰したブドウは美酒に変えちまえばいい。たとえ失敗して(ビネガー)になっちまっても、世間の評価はそれで当たり前。文句言うヤツなんて誰もいないさ」

 さらに訳の分からねえことを言い出したぞ。
 メイントレーナーに無理難題言われて、おかしくなっちまったのか?

「なぁ、ギャロップダイナ……オレ達はこのレースで失うものも無いし、どんな結果でも誰からも笑わないんだ」
「ビジョウ、お前……」

 芝のGⅠ、それも天下の八大レースで、“ダート勝利ばかりの条件ウマ娘”が勝つと誰が思うだろうか。
 世間のヤツらは思っている。数合わせか、どうせ“思い出”出走だと。

 ──ああ、クソ面白くねえことにな!!

 数合わせ? 思い出? そんなもんこっちは頼んじゃねえんだよ!!
 胸糞悪いにもほどがある。
 あ~、あ~、世間様に“皇帝”サンよ。そこまで言うなら出てやるから……覚悟しろよ? 

「……なぁ研修生。()()起こしても、いいんだな?」
「ああ。シンボリルドルフは休養明けのぶっつけ本番。そこに隙が必ずあるはずだ」

 本当に隙のない万全な状態で秋を迎えているのなら、間に一度でも走っているはず。
 あくまで可能性だが、と注釈を入れて──ビジョウはニヤリと笑みを浮かべる。

「最弱の(カード)が、最強の札に勝ってやろうじゃないか」

 その初めて見せた表情に──やっとあたしの担当に相応しくなってきたじゃねえか、と密かに思った。



「──で、秋の天皇賞に出走して、“皇帝”(ルドルフ)のヤツを負かせてやったってわけだ。ビジョウの読み通り、アイツ、スタートで躓いたしな」

 

 そう言って、「アハハハッ!」と豪快に笑うギャロップダイナさん。

 うぅ……せっかく立ち上がったのに、またドカッと元の椅子に腰掛けたので、私の座布団さんは彼女のお尻の下でつぶれてしまいました。

 

「まぁ、ビジョウの口車に乗せられて、出走したからには一泡吹かせてやろうと思ってスタートしたんだが……ゲートを出たと思ったらルドルフのヤツはもう向こう正面の坂にいやがったんだよ。躓いておいてそれだからな、『ヤベーな、これ』と本気で愕然としたぜ?」

「あのレースはペースも速かったからな」

 

 ギャロップダイナさんの言葉に、トレーナーさんも苦笑混じりに頷いてます。

 

「そうそう。あんなバカっ(ぱや)いペースについて行くのなんて無謀だと思ったんだよな、()()()あたしは」

「ッ──」

 

 聞いて思わず吹き出すたロンマンガンさん。

 それを「ああ?」と睨むギャロップダイナさん。

 

「オイ、そこ笑うとこじゃねーぞ」

「いやいや、ダイナ(ねえ)さん……こんなん、笑ってはいけない天皇賞(秋)じゃねーですか。吹くなって方が無理──」

「よし、言ったな? じゃあ……ロンマンガン、アウト~!!」

 

 そう言いながら、ギャロップダイナさんはきっちり制裁のゲンコツを落としました。

 ロンマンガンさん……雉も鳴かずば撃たれまいって言葉、知ってます?

 ともあれ、いつ弾が飛んでくるか分からないこの戦場からどうにかして逃げないと……

 

「ハイペースで進んで最後の直線……ここまで来たら、最後くらい目立ってやるぜって持てる力全部振り絞ったわけよ。一人抜いて、二人抜いて……そしたらなんか妙な感覚に襲われてな……」

 

「「「──ッ!?」」」

 

 あれ? トレーナーさんとミラクルバードさん、それにダイユウサク先輩が驚いたような顔をしていますが……なにかあったのでしょうか?

 

「ねぇ、トレーナー。それってやっぱり……」

「ああ、たぶん……“領域(ゾーン)”だろ」

「あれ? 今まで気がつかなかったの?」

「アイツがこんなことを話すのが、初めてだからな」

 

 私の近くでコソコソと話し始めたトレーナーさんとミラクルバードさん。

 彼女は眉をひそめてトレーナーに問います。

 

「なんで? だってダイナ先輩って、自己顕示欲強そうなのに……」

「あの日……オレ達が東京で金星を挙げた一方で、大怪我したチームメイトいたんだ。だからアイツ自身はあまり話さなかった。なにしろアイツの──」

「──おいビジョウ、ツマんねえ話するんじゃねえよ」

 

 ジロッとかなりキツい目つきでトレーナーさんを睨みつけるダイナさん。

 その剣幕に、私は思わず「ひぃッ!」と悲鳴をあげ、飛び上がらんばかりに驚きました。尻尾もピンと立ち上がってしまいます。

 思わず周囲に隠れる場所を探して──そんな私の様子に、当のギャロップダイナさんは呆れたような顔をしていました。

 そしてため息を一つついて、気を取り直し──

 

「……で、直線で一人抜かし二人抜かし、その辺りでさっき言った感覚に襲われてな。あとは無我夢中よ。三人四人五人と抜いているうちにテンションが上がって、抜かすのが楽しくなっちまった」

 

 そのときの再現とばかりに揚々と語るギャロップさん。

 

「まるで時代劇の殺陣みたいに、次! その次! と並ぶヤツらを片っ端から撫で切りに追い抜いて……急に前が開けた。で、同時にふと気付いたわけだ。あれ? 今、左に見えた勝負服、ルドルフのだったんじゃねえか? って。気になってチラッと見たら、アイツの『やっちまった』って顔があたしよりも後ろにあるじゃねえか。ホント、傑作だったぜ……」

 

 そう言いながら爆笑し──連れてきたマルゼンスキーさんが少しだけ眉をひそめました。やっぱり、普段から会長の補佐をしていますから……

 気付いたトレーナーさんが、「ダイナ……」とたしなめます。

 

「──で、気がつきゃゴールはとっくに過ぎてたってわけさ。実況に“あっと驚く”なんて言われたが、一番驚いてたのは間違いなくルドルフだな」

 

 語り終えて、満足したギャロップダイナさんはトレーナーを振り返り、そしてニヤリと笑みを浮かべます。

 

「……さて、ビジョウ。あたしにわざわざこんな話をさせたってことは、あんたのチームから出るんだろ? 天皇賞(秋)(アキテン)に」

「え? そうなの?」

 

 確信していたギャロップダイナさんとは対照的に、意外そうな顔をしたのは部外者のマルゼンスキーさんでした。

 彼女は、眉をひそめて考え込むと──

 

「出るのは、ダイユウサク?」

「調子が万全なら、得意な距離だしもう一度挑戦させてやりたかったんだが……残念ながら違います」

 

 マルゼンスキーさんの問いにトレーナーさんは首を横に振り、ダイユウサクさんへと優しい目を向けます。

 そして……それから私の方へと視線を向けました。

 

「走るのは、そっちにいる方のウマ娘ですよ」

「あぁ。最近、調子がいいみたいね。えっとたしか名前は、レッツ()ゴー……」

「おい、マルさん。違う違う──」

 

 ……はい、ギャロップダイナさんの言う通りです。“ラ”は入りません。

 

「コイツの名前は──」

 

 そんなダイナさんは私の方へと近づいてきて、肩に手をかけて──ひィッ!! いったい何を……

 

「──レッツゴードンキ、だよな!」

 

 ギャロップダイナさんは良い笑顔を浮かべて、私の顔をのぞき込みました。

 でも…………あの、それも違うんですけど。

 たぶん、人違い……ですよね、それ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ギャロップダイナは、オレが研修をやっていたころに、お世話になったチームに所属していたウマ娘だった。

 予想外にエントリーすることになり、自由にやらせてもらったのをいいことに……好き勝手に調整し、オレはダイナを秋の天皇賞に送り込んだ。

 その結果──とんでもない大金星を手にしたのだが、当時のオレはあくまで研修生であり、そこに名前は残ってない。

 その後も師匠の名の下に、オレがメインで面倒を見ていたんだが……翌年の安田記念で「親友の代わり」と挑んだ安田記念を制したあと、フランス留学へと旅立ったんだ。

 オレはその後、研修を終えてトレーナー資格を得て──

 

「例の弥生賞の話はマルさんから聞いたぜ? ったく、あたしが残ってたらそんなワガママなウマ娘も、その後の話をしてるヤツらも、片っ端から蹴り飛ばしてたのによ……」

「ああ、お前が残ってなくて良かったよ。そんなことをしたら間違いなく退学になっただろうからな」

 

 憤慨するギャロップダイナ。その真っ直ぐな心根は、留学を経ても変わっておらず、オレはうれしかった。

 

「お前、これから復学するんだよな?」

「そのつもり……なんだけど、な……」

 

 苦笑を浮かべながら、「近い世代がシービーとルドルフくらいしか残ってねえけど」と愚痴る。

 

「じゃあチームは?」

「ああ、それは元いた〈ミモザ〉……って言いたいところだけど、おやっさんは引退しちまったんだろ?」

「……そうだ」

 

 その経緯から、オレの心がチクリと痛む。

 師匠はオレが過去に起こしたことの責任をとって、トレーナーを辞めていた。

 

「なら選択肢は無いも同じだろ? たとえ他のチームに入れさせられても、あんたがチーム作ったんだから移籍する気しか無ぇよ」

 

「「「「……え?」」」」

 

 奇しくも、その場にいたチームメンバーの声が一致する。

 

「あたしも入れてくれよ、チーム〈アクルックス〉に。と言っても、全盛期の時みたいにガンガン走るワケじゃねえけど……」

「ああ。分かってる。もちろん──」

 

「だ、ダメよ!! 絶対ダメ!!」

 

 オレが承諾しようとしたら、脇にいたダイユウサクが突然反対し始めた。

 ん? 珍しい……いや、そういえばコイツ、昔は他のメンバー入るのをものすごくイヤがってたよな。ミラクルバードの時とか。

 そう考えると懐かしくもある。

 でも、ロンマンガンにレッツゴーターキンのときはそこまで頑なに反対もしてなかったから、完全に慣れたのかと思っていたんだが……

 

「あ? なんでダメなんだよ? それに……お前に決める権限あるのか?」

「あ、あるわよ! 元々はこのチームはアタシだけのソロチームだったんだから! アタシの意見も尊重されるべきだわ!」

「なに言ってんだ? 元々なんて関係ねえし、そもそもトレーナーであるビジョウのチームだろ? ならビジョウが許可すれば、他に異論を挟めるヤツなんていない……違うか?」

「く……ッ」

 

 凄むギャロップダイナに、睨み返すダイユウサク。

 だが、ダイナの言ってることの方が筋は通っている。例えば、たとえ名前をとっているチーム〈アルデバラン〉であろうとも、ウマ娘アルデバランの意向ではなくメイントレーナーの相生(あいおい)さんの方針が優先されるのは当然だ。

 

(まぁ、相生さんもアルデバランも、基本的には来るもの拒まずって感じだしなぁ……)

 

 そう思いながら、オレは相生さんとアルデバランの顔を思い浮かべていたんだが──

 

「で、どっちにすんのよ!! アタシの意見、まさか反対なんてしないでしょうね?」

「おいビジョウ。あたしのこと、当然入れてくれるんだよな?」

 

 ──気がつけば、ギャロップダイナとダイユウサクが揃ってオレを睨んでいる。

 え? なにこの状況。まるで修羅場みたいな──

 

「うん、やっぱり大神さんだよね……」

「前門の虎に後門の狼。どっちを切ってもロン和了される的な……完全に詰みな状況だわコレ」

 

 おい、ミラクルバード。お前面白がってるだろ?

 それにマンガン、「くわばらくわばら」とか言って距離をとるんじゃない。

 ──で、ターキン。お前はダンボールに入るな。

 オレはため息をつき……そして言った。

 

「さっきの話もありがたかったが、チームに入ってもらうと助かる、ダイナ」

「っし! やっぱり分かってるなぁ、ビジョウ!」

「なッ──」

 

 ガッツポーズを取るダイナに対し、唖然とするダイユウサク。

 噛みつかんばかりの勢いで「ちょっと、アンタね!!」と迫ってきたダイユウサクに対し、オレは片手を出して制した。

 

「落ち着け、ダイユウサク。冷静に考えろ。ターキンが挑むのは秋の天皇賞だぞ? 歴代でも最強クラスのウマ娘を相手にして勝ったダイナは、これ以上ないような味方だ」

「ぐ……それは、そうだけど……」

「そうそう、そういうことだぜ。なんたってあたしは、秋の“盾”を手にしてるからな。えっとダイユサク、あんた確か……不調だったオグリキャップよりもさらに下、だったんだっけ?」

 

 顔を寄せて煽るギャロップダイナに、ワナワナと震えるダイユウサク。

 

「うっさい!! そういうアンタは、グランプリとって無いじゃないの!!」

「ええ、ええ、“世紀の一発屋”さんと違ってとれませんでした。ま、あたしは天皇賞(秋)(アキテン)の後に安田とったから一発屋じゃないけどな」

「ぬぁんですってぇぇぇ!!」

 

 つかみかからんばかりの勢いで言い争いを始めた二人。

 ……というか、(もっぱ)らギャロップダイナがからかってる感じだな。

 確かに、ダイナの経験を得られるのは、今回のターキンにとっては渡りに船だし、それ以外の経験もチームにとってプラスになる。

 なるんだが……

 

「やっぱり、やめた方が良かったかも……」

「そんなこと言っても、ダイナ、絶対に納得しないわよ」

 

 ガックリ肩を落とすオレに同情したような目を向けたのは、こいつを連れてきたマルゼンスキーだった。

 彼女は苦笑を浮かべながら、励ますようにオレの肩をポンと軽く叩く。

 

「一度承諾しちゃったんだから、責任持って面倒見てよね、乾井トレーナー」

 

 そう言って、マルゼンスキーはチームの部屋から去っていった。

 彼女が連れてきたこの危険人物……ウチのチームにはたしてどんな変化をもたらすのか。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

(まだ、こんなものでは……)

 

 自分の出したタイムを見て、私──オラシオンは小さく首を横に振りました。

 それを見た渡海さんは、小さくため息をつきます。

 

「まだ、満足できないの? クロ……」

 

 二人きりなので、彼は幼いころのあだ名で私を呼んできました。

 そして彼がそう呼ぶのは、私を(たしな)めようとしていることが多いのですが……

 

「ええ。デビュー戦は絶対に勝たないといけないの。養父の期待に応えるためにも」

「それはわかるよ。でも……」

「──そんなに時計が気になるのか? シンデレラじゃあるまいし」

 

 渡海さんの声を遮るように聞こえた女性の声に、私はサッと振り向きました。

 頭の後ろで一房にまとめた鹿毛の髪をなびかせて、鋭い目をしたウマ娘が、不適な笑みを浮かべてこちらを見ていました。

 その表情は、まるで私を揶揄して笑っているように見え、その不快さに思わず顔をしかめてしまいます。

 

「オラシオン……だよな? 〈アクルックス〉所属の」

「……人に名を尋ねるのなら、まずは名乗ってはいかがでしょうか?」

 

 険しい表情のまま答えると、そのウマ娘は突然笑い出しました。

 

「アハハハハ……ビジョウが手を焼いてるって聞いたから、どんな跳ねっ返りかと思ったら、随分と礼儀正しい優等生じゃないか!」

「ビジョウ……?」

 

 聞き慣れない言葉に、私は眉をひそめます。

 渡海さんも聞き慣れないようで、戸惑っている様子でしたが──

 

「すまないね、優等生。泥んこ遊びで育ったもんで行儀が悪くてね……あたしの名前はギャロップダイナ。今度からあんたと同じ〈アクルックス〉で世話になることになった。その御挨拶、ってわけだ」

「……私はオラシオンと申します。その御高名、存じています」

 

 彼女が名乗った名前は、私も知っている名前でした。

 何年も前に、施設の“姉”達がトゥインクルシリーズに挑戦している時に、絶対王者として君臨していたシンボリルドルフ会長。

 悪戦苦闘している“姉”達のことを思えば、連戦連勝のウマ娘のことは複雑ではありましたが、ルドルフ会長はあまりにも強すぎて私もあこがれた存在でもありました。

 そのシンボリルドルフ会長から栄冠を勝ち取った、たった二人のウマ娘の一人……それがギャロップダイナというウマ娘。

 

「……チームに入ったのはターキン先輩の臨時コーチ、といったところでしょうか?」

「“臨時”じゃねぇ正式メンバーだが、ま、そんなところだ……ともかく話が早くて助かるな。打てば響くってのは気持ちがいい。あんたの爪の垢、他人に関心の低いダイユウサク(あの先輩)にくれてやれよ」

 

 皮肉気な笑みを浮かべるギャロップダイナ先輩。

 

「……もっとも、あんたもあいつの爪の垢を煎じて飲んだ方がいいかもしれないけどな」

「どういう、意味でしょうか……?」

「少しは愚直にアイツを信じてやれよ、って意味さ」

「アイツ?」

「ビジョウ……お前のメイントレーナーのことだよ。最近、方針で揉めて上手くいってないんだろ? ミラクルバード(焼き鳥嬢ちゃん)から聞いてるぜ」

「ッ! ……それは意味もなく、トレーナーが私のデビューを遅らせたからです。それにしっかりと与えられた課題はこなしています。何の問題もありません」

「あんたが、自分で、選んだトレーナーだろ? 信じねぇでどうするんだよ、ったく……」

 

 呆れたように、頭をガシガシと掻くギャロップダイナさん。

 彼女は面倒くさそうな表情で、私に言い放ちました。

 

「アイツは、意味もなくそんなことをするようなヤツじゃねえぞ。そもそも、お前のデビューを遅らせて、アイツにどんな得があるんだよ?」

「それは……」

 

 そんなことは、私もわかっています。

 でも……私のデビューを遅らせたその真意がわからない以上、信用だってできないんです。

 トレーナーとの信頼関係が無い──そうなってしまい、私はこのチームに入ったことを後悔さえしていました。

 

「まぁ、好きにするといいさ。だが……アイツのやってることは必ず意味はある。あんたのデビュー戦が遅くなったのも、アイツなりの考えがあって選んだレースなのは間違いないからな」

「随分と信頼しているんですね。他人を信じるのは美徳ではありますが、信頼と盲信は違いますよ?」

「ハッ……まるで説教だな。神父みたいなことを言いやがる」

「ええ、未熟ですが神官位を授かっていますので……」

「なるほど、ガチってわけか。コイツは失礼しちまったな」

 

 ギャロップダイナ先輩は、口では謝罪の言葉を言いながら、まったく悪びれた様子もありませんでした。

 そして、意地の悪い笑みを浮かべます。

 

「どこにおわすか分からねえ三女神サマを信じるよりも、まずは身近にいるトレーナーを信じることをお勧めするぜ、修道女(シスター)サマよ」

 

 そう言いながら彼女は振り返り──「じゃ、またな……」と言って手を振りながら去っていきました。

 

「くッ……」

 

 私はうつむき、悔しさに唇を噛みしめます。

 あの方に言われるまでもなく、トレーナーが意味のないことをするとは、思っておりません。

 でも──

 

(私は、一日も早く結果を出し、そして……東京優駿(ダービー)へ至り、そこで勝たなければならないのです)

 

 それは──自分が支援したウマ娘がその栄冠を勝ち取り、共に喜びを分かち合いたいという、養父の長年の夢だったのですから。

 

「そのためにも、同期に(おく)れをとるわけにはいかないというのに……」

 

 先日、ダイユウサク先輩とトレーニング中に出会った私の同級生のウマ娘、セントホウヤ。

 彼女は8月にデビューして勝利。さらに勝利を重ね、現時点ではもう3勝もしています。

 デビュー前の私は、随分と水をあけられてしまい、気持ちが焦っているのは自覚しています。

 

(しかし、デビュー戦は決まりました。11月の第2週……)

 

 1200メートルのメイクデビュー戦。

 それがやっとトレーナーが決めた、私の初舞台。

 心を落ち着けるため、私は目を閉じて胸の前で手を組み──三女神に祈りを捧げます。

 

(女神よ。力をお貸し下さいとは申しません。だた目標への道をお示しください……)

 

 絶対に譲ることのできない夢。

 そこに至るための道程を照らしていただければ、私は全力でそこを駆け抜け、至ってみせましょう。

 

「クロ……」

 

 祈る私を、どこか戸惑いながら見つめる渡海さん。

 “祈り”という行為を私に教えてくれたはずのその人が不安そうになっているというそのことに、この時の私は気がついていなかったのです。

 




◆解説◆

【Let's enter! “あっと驚く”その名は──】
・“enter”は加入という意味。
・“あっと驚く”は言わずと知れた、ギャロップダイナがシンボリルドルフを破って天皇賞(秋)をとった時の、ゴール時の実況。
・なおこのフレーズを言ったのはフジテレビの堺アナ。「これはビックリ」と同じ人であり、「サンキョウセッツだッ!」の人でもある。

府中ステークス
・東京で開催される、プレオープン(現3勝クラス、昔の1600万下とか)の条件戦。
・GⅡの重賞、府中()()ステークスとは別物。
・現在では春(4~5月)の開催になっていますが、1988年以前は秋(10月)の開催でした。
・距離は現在は2000メートルですが、1998年以前はマイルや短距離のレースだったんです。
・作中に出てくるのは1985年のもので10月26日に開催。件の天皇賞(秋)は27日で、ギャロップダイナは前日のこのレースに出走を予定していました。
・ところが、社台ファームの総帥の吉田善哉氏(ギャロップダイナの馬主は(有)社台レースホース)が「日本一の牧場から天皇賞に一頭も出走させないわけにはいかない」という理由で天皇賞(秋)へ予定を変更。
・もちろんルドルフの出走は知ってたので、吉田氏はその勝利は見たくないとばかりにシャダイソフィアが出走するスワンステークスを見に京都へ行ってしまったのでした。
・……ちなみに1985年の府中ステークスを勝ったのはイクエヒカルという鹿毛の牡馬でした。

カツラギのヤツ
・カツラギエースのこと。公式ウマ娘になったら「サービスサービスぅ」とか言いそう。
・元ネタの競走馬はミスターシービーやギャロップダイナと同い年1980年生まれの黒鹿毛の牡馬。
・1984年に、日本の調教馬として初めてジャパンカップを制した競走馬として有名。
・そしてそのレースこそ、皇帝シンボリルドルフが初めて敗れたレース。
・しかもそこには同期の三冠馬ミスターシービーの姿もあり、三冠馬2頭を同時に破った大金星でした。
・それ以外には同年の宝塚記念も制していたり、毎日王冠でシービーに勝っていたりと、しっかりした実績があっての勝利でした。
・当初はこの年に新設されたマイルチャンピオンシップに参戦するはずだったカツラギエースでしたがジャパンカップへ参戦。
・そして初めての逃げをうち、向こう正面では2番手以下を10馬身以上引き離す。
・しかしそのペースは遅かった。ところがミスターシービーは最後方に陣取り、有力な外国馬のストロベリーロードも、シンボリルドルフも動かず……そうして有力馬同士が牽制し合ってしまうことに。
・結果的に脚を溜めたカツラギエースは追いつかれることなく、見事に逃げ切って勝利。
・なお、それで皇帝に目を付けらえたカツラギエースさんは有馬記念では徹底的にマークされて敗北。とはいえ2着。
・そしてその結果を残し、そのまま引退。
・……泣いて悔しがったり、ルドルフってなんかホントに賢いというか、妙に人間臭いというか……

シャダイソフィア
・同名の競走馬をモデルにした本作オリジナルウマ娘。
・元の競走馬は1980年生まれの栗毛の牝馬。
・クラシック三冠はミスターシービーが全制覇した世代の、牝馬三冠のひとつ、桜花賞を制している。
・桜花賞を制したのだから、当然にオークスに出走すると思いきや、なんと日本ダービーに出走。もちろんミスターシービーに敗れています。
・これには社台にも批判が集まったのですが、この当時、社台はまだ日本ダービーをとったことがなく、さらにはこの年の牡馬も有力なのがいなかったが、牝馬にはソフィア以外にダイナカールもいたため、クラシックの一つを制したシャダイソフィアに賭けた、という側面があったそうな。
・残る牝馬三冠、エリザベス女王杯は惜しくも2着。
・翌年は7戦走るも勝利することなく終わったものの、馬体にはそれほど消耗がみられなかったため、現役を続行。
・マイルチャンピオンシップに照準を合わせて調整し、天皇賞(秋)と同日に京都で開催されたスワンステークスに出走する。
・が……悲劇はそこで起こりました。
・好スタートで先行したソフィアでしたが、外からローラーキングに押圧され、内のオサイチボーイと挟まれて逃げ場を失ってしまう。そしてそのままオサイチボーイと共に転倒。
・立ち上がったシャダイソフィアでしたが、京都競馬場内の診療所で第1指関節開放脱臼で予後不良が宣告されてしまうことに。
・安楽死の措置がとられた現場には、彼女をとても気に入っていた吉田善哉氏も立会い、目頭をおさえながらシャダイソフィアの顔に白いハンカチを被せました。
・本作では名前しか出てこないのですが、史実に基づき「小柄」で「裕福な親に可愛がられた箱入り娘のお嬢様」という設定になっています。
・また、件のスワンステークスで負傷して、その怪我を原因に引退したということになってます。
・なお、ギャロップダイナが天皇賞(秋)制覇の翌年以降はマイル路線に行くのですが……史実ではニホンピロウイナーが引退して手薄になったからなのですが、本作ではシャダイソフィアの分まで走るという意志を示したもので、そして安田記念を制しています。

ゲートを出たと思ったらルドルフのヤツはもう向こう正面の坂にいやがった
・元ネタは『優駿』(雑誌の方)に掲載された根本康広騎手の回想インタビュー。
・この後のギャロップダイナの思い出話は、根本騎手が語った記事を元ネタにしているのが多くあります。

レッツゴードンキ
・人違いで名前だけ出たウマ娘。
・元ネタは同名の競走馬、レッツゴードンキ。
・2012年生まれの栗毛の牝馬。2015年の桜花賞馬。
・父は初期のウマ娘ではそれっぽい存在が確認されていたキングカメハメハで、母の父はマーベラスサンデー。
・2019年に競走馬を引退。その後はアイルランドに渡りそこで繁養し、出産。2021年12月に仔馬と共に帰国しており、今後の産駒の活躍が期待されています。
・なお……私も最初は名前の語呂が似ているんで誤解しかけたこともあったのですが、血統的にも馬主的にもレッツゴーターキンとは無関係でした。
・その名前の由来も……JRAに提出されたのは『さあ進もう「ドンキホーテ」のように』というもの。
・ところが、馬主さんがディスカウントストアのドン・キホーテの創業者安田隆夫とが知己だったので命名されたと報じられています。
・それを示すように公式な馬名のローマ字表記は「Let's Go Donki」。ちなみに騎士道物語は「Don Quixote」であり、ドン・キホーテ社の商標登録は「DONKI」。
・JRAの馬名のルールにある“広告宣伝を目的として会社名、商品名等と同じである名称”という相応しくない名前に抵触しかけているような……
・しかし、ギャロップダイナのモデルがブラックラグーンのレヴィなもので、彼女が言うと「レッツゴー鈍器」にしか聞こえないわけで……
・余談ですが、ギャロップダイナのモデルをレヴィにしたんだから、名前がロシア語なプレクラスニーのモデルをバラライカの姐御(ただし火傷は無し)にすればよかったと後悔中……


※次回の更新は5月9日の予定です。  



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第28R Let's go! 覚悟! Ready go!


 ──その日の私は、万全なはずだった。

 確かに前走は半年近く前にはなっていたが、それでもだ。
 東条トレーナーも、記者のインタビューに「トゥインクルシリーズに絶対があるのを、お見せできると思います」と答えて自信を見せるほどだった。
 だから私は完璧──のはずだった。

「くッ!!」

 それは久しぶりの実戦という、奇妙な緊張が生み出したわずかな不協和音だった。
 ゲートが開いて踏み出した私は、一歩目で躓いたのだ。

(こんなところでッ!!)

 勝負勘の狂い、と言うほどのことではない。
 ただ単純に、久しぶりのことに体が強ばって瞬間的に付いていけずにバランスを崩しただけのこと。
 しかし、ウマ娘のレースにおいて出遅れというのは、得てして起こるものだ。

(そしてそれは、決して挽回できないものでは──無いッ!!)

 芝を踏みしめ地を蹴る感覚は、すぐに普段のものへと戻った。
 グンと加速し、ぶつかってくる風の塊も普段と同じ。
 暑すぎず寒すぎず、少しだけひんやりとした晩秋になりかけの風は競走(レース)によって熱くなる体を冷まし、心地よささえ感じていた。

 ──そこに焦りが無かった、とは私も言えない。

 私への敵愾心を剥き出しにして走るライバル達の走りがハイペースを生み出していたし、そんな中でのスタートの出遅れは普段通りの平常心というわけにはいかなかった。
 それでも私は負けなかった。
 確かに早めの仕掛けになった。
 4コーナーの時点で私は3から4番手。それが終わるころ──最後の直線に向けて、私は2番手の位置にいた。
 かといって、自分の足の反応に怪しさはなかった。
 先頭の背中はすぐ前。手の届く位置にある。
 そして、後方から追い上げてくるライバル達……

 ──ニホンピロウィナー
 ──ウィンザーノット

 直線に入ってすぐに先頭に立った私は、彼女達の存在をハッキリと認識していた。
 それでも負けるわけにはいかない。私は絶対に──勝つ!!

(三冠ウマ娘、そしてGⅠ五冠をとったウマ娘としてトレーナーの言う“絶対”を実現させる──)

 死力を尽くして駆ける。ここまでのレース、結果的にハイペースとなった展開もあって私に余裕はない。
 それでも必死に地を蹴り──ふとゴール板を視界にとらえた。

(あと少し……)

 見えた終着点(ゴール)
 後方から迫る他のウマ娘の伸びが我が身に迫る。
 道中に無理をした私の消耗は大きいが──そこまでの間には追い付かれることはない!
 そしてそれは、勝利の確信だ。
 私は栄冠のゴールへと──

(初の春秋制覇は、この私──)

 それが……油断だった。




 ──スッと私の横を抜けていく人影があったのだ。




「なッ──!?」

 外を駆け抜けていったそれに、私は唖然とした。
 まさに“あっと驚かされた”状態だった。
 並ぶことなく一瞬で駆け抜けていったその顔はもちろん、斜め後方からハッキリ見えるその勝負服を見てさえも──彼女の名前は出てこなかった。

(誰、だ……この、ウマ娘は……)

 愕然としながら、ゴール板を過ぎた私は走る速度を落とす……しかなかった。
 その後のことは、私もよく覚えていない。勝者である誰かよく分からないようなウマ娘が歓喜しており、私はそれをだた呆然と見ていることしかできなかった。

 そして、私が我に返ったのはターフの上だった。
 私の手からスルリと抜けていった──

 ──秋の“盾”
 ──六冠目となるはずだったGⅠ制覇
 ──初の天皇賞春秋制覇という栄冠

 それらを掴んでいたはずの自分の手を、思わず見つめてしまう。
 そして負けた相手はなんと──オープンクラスでさえない、条件ウマ娘だった。

「──ッ、なぜ!」

 どうして私は、油断してしまったのだ!?
 あのゴール直前で、なぜ気を抜いてしまったんだ!!
 たとえライバル達が届かないと確信したとしても、なぜさらに足に力を込めなかった!
 そして外からくる気配に、どうして気が付かなかった!
 出遅れた焦りはあっただろう。内枠有利のこのレースで外枠を引いたという心理的要因もあったかもしれない。
 彼女を決して侮っていたわけではなかった。警戒する物理的な範囲外からそのウマ娘がやってきただけなのだから。
 しかしたとえそうでも──気が付いてさえいれば、最後の踏ん張りができていたはず!
 さらに言えば……最後にもう一伸びできなかったのは、スタートで躓き、道中で足を使いすぎたからだ。
 あのとき、スタートで躓いてさえいなければ……

(悔やんでも……悔やみきれないッ!!)

「くッ……」

 思わず固く閉じた私の目から──



 ──滴が落ちた。





 

「む……」

 

 まどろみから覚めて、私──シンボリルドルフは顔を上げた。

 けっして良い目覚めではなかった。

 仕事中に机で寝てしまったという状況もそうだが、なによりも──人生で最も悔しかった日の夢だったのだから当然だ。

 目に涙が溜まっているのに気が付いて拭う。

 それは眠気によるものなのか、それともあの時の感情が蘇ったものなのか……

 

「いけないな……」

 

 気を取り直した私の口から、思わずつぶやきが出ていた。

 それは仕事の最中だというのにという自身への叱咤であると同時に、そして過労に気がつけなかった己の体調管理の不覚に対する戒めでもある。

 トレセン学園に所属するウマ娘ということでさえ学業に競走にとやることが多い。

 私はそれに加え、生徒会長としての役目がある。多忙なことは間違いないが、支えてくれるメンバーもいれば、トレーニングを管理してくれるトレーナーもいる。

 そんな皆の力を借りれば……という思いが強すぎたのかもしれない。

 

「秋の感謝祭は終わったものの、トゥインクルシリーズは重賞シーズンだからな……」

 

 秋は毎週のようにGⅠレースが開催される。

 参加資格が広いシニアのものから、クラシックはもちろん、ジュニアの限定レースまである。

 まだまだ忙しい日は続くのだ。

 

「そうか、今日は……だから、あんな夢を見たのか」

 

 そして今日は日曜日。

 とはいえ朝早くから出てきて、片付けても片付けてもなかなか減らない仕事をこなし、いつの間にかまどろんでいたらしい。

 

「──夕方までには、終わらせないといけないからな」

 

 私のことをあこがれ、そして目標と言ってくれる可愛い後輩。

 運命的な何かを感じさせる彼女の──今日は大事な復帰戦だ。

 

(秋の天皇賞。私にとっては……)

 

 私が出走したそのレースは、今までで最も悔いの残っているものだ。

 スタートの失敗で焦りはあったかもしれない。

 それでも並みいる強敵を追い抜き、追撃を退け、初の天皇賞春秋制覇という栄冠を確信したその時……意識外の大外からやってきたあのウマ娘に、負けた。

 留学から帰ってきた彼女の名前を目にしたのも、そんな夢を見た理由の一つかもしれない。

 彼女とはその後のレースで競い、勝っている。

 だが──

 

「結局、“秋の盾”は掴めぬまま……か」

 

 そして春秋制覇を初めて成し遂げたのは“白い稲妻”タマモクロスだった。

 去年もまた、春秋連覇に挑んだウマ娘がいたが……1番入選しながらも、その夢は達成できなかった。

 それほどに春秋両方の“盾”をとることは、難しいのだ。

 

「今年も……」

 

 去年に引き続いて春の天皇賞を制したメジロマックイーンだが、今日は怪我で出走することはかなわない。

 今年もまた春秋制覇は不可能だった。

 

(その春に挑んで敗れた彼女にこそ、今度こそとって欲しい……)

 

 生徒会長という立場を忘れ、シンボリルドルフという一人のウマ娘として、心の底から思った。

 その時──

 

「カイチョー、いる?」

 

 生徒会室の出入口の扉がおずおずと開いて、一人のウマ娘が顔をのぞかせた。

 

「テイオー……」

「あ、やっぱりいた。よかった」

 

 彼女は私の顔を見ると、笑顔を浮かべて近寄ってきた。

 

「今日は、ボクが勝つところ、しっかり見ててよね」

「ああ、それはもちろんだが……しかし、大丈夫なのか? こんな時間にこんなところにいて」

「大丈夫大丈夫。東京レース場はすぐ近くだし、出走時刻までまだまだあるしね」

「出走予定間際に行くようでは、遅刻だぞ。それに……」

「わかってるよ。早くいって準備して、心に余裕を持たせるんでしょ? だから……その前に一目(ひとめ)、カイチョーに会いたかったんだ」

 

 そう言って屈託のない笑みを浮かべる彼女を見たら、私は「仕方がないな」という心境になるしかなかった。

 

「勝つよ、今日のレース。絶対に勝つ」

 

 笑みが消え、真剣な顔つきになるトウカイテイオー。

 

「三冠ウマ娘になれなかったボクは、“生涯無敗”もできなかった。でも……カイチョーがとれなかったこのレース、絶対にとってみせるからね。そして……カイチョーを越える八冠になってやるんだ!」

「ああ、その姿……見せてくれ、テイオー」

 

 私が言うと、テイオーは「うん!」と大きくうなずき──笑顔を浮かべて部屋から出て行く。

 そして、一度扉から顔だけを出し──

 

「だから、絶対に見ててね」

 

 悪戯っぽくそう言って……彼女は今度こそ姿を消した。

 その愛嬌に私は思わずフッと笑みを浮かべ、心が癒されたのを感じていた。

 

「勝つんだぞ、テイオー……」

 

 私が掴めなかった栄誉を掴み、自信として欲しい。

 春の天皇賞でメジロマックイーンに負けて以来、たまに様子がおかしくなるのは私も気づいていた。

 去年の秋にケガで菊花賞へ出走できず、“無敗の三冠”を逃した時以上のショックだったのだろう。新たに見つけた目標を、失ってしまったのだから。

 失いかけている自信を取り戻すためにも──今日は、なんとしても勝ってくれ。

 

「しかし、マックイーンが不在とはいえ……」

 

 宝塚記念を制したメジロパーマーもいれば、去年のマイルチャンピオンシップを制して直近で毎日王冠を制しているダイタクヘリオスもいる。

 しばらく勝利こそ無いものの好走を続けるホワイトストーンも不気味な存在だ。

 

(それらの強敵に勝って、栄冠を掴むんだ)

 

 そう思いを馳せながら私は再び机に向かい、作業を再開したが……

 

「…………ふむ」

 

 なぜか集中できなかった。

 これは……妙な、胸騒ぎ? だろうか。

 どうにも落ち着かず、心がモヤモヤしてしまう。

 

「いかんな。集中しなければ、時間までに終わらなくなってしまう」

 

 私は深呼吸をして、集中力を高めてから作業に取りかかった。

 

 

 ──あとから思えば、夢を含めたそれは“虫の知らせ”というものだったのかもしれない。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──午後。東京レース場

 

 

 午前中から始まったレースは午後に入り、今日のメインレースを迎えようとしていた。

 そしてその一角で……奇しくも3人のウマ娘が顔を合わせる。

 

 

「お? マルさん……それにシービーじゃねえか」

「やっほー」

「おや、ギャロップダイナ。帰国していたというのは本当だったんだね」

 

 先輩のマルゼンスキーと一緒にいたのは、頭に小さな帽子を乗せた長髪のウマ娘だった。

 そのミスターシービーはあたしを見て意外そうな顔をする。

 

「そこにマルさんもいるんだし、話くらい聞いてたんだろ?」

「まぁね。それで、どうだったんだい? 欧州……いや、フランスは」

 

 珍しく興味深そうな目を向けてきたのは、外国の事情というレア情報が知りたいだけだろ。

 “あの方”以来のクラシック三冠ウマ娘サマが、木っ端ウマ娘に興味を持つわけねーからな。

 あたしは肩をすくめて苦笑いをした。

 

「あたしなんぞが行ったところで、レベルが違いすぎて話になんねーな。あんたやマルさん、“皇帝”クラスなら話は別かもしれねえけど」

 

 事実、レースにも出たがぜんぜんお話にもならねえ。

 なにしろ着順が2桁だったしな。

 

「でも、悔しいからできるだけ粘って、学べるもんは学んできたつもりだ」

「へぇ……」

 

 ただ負けて帰るだけじゃ悔しかったからな。

 転んでもタダでは起きねえってヤツだ。

 

「とはいえ、学ぶにしても、言ってることがわかんねーから、言葉を学ぶところからだったけどな。おかげで向こうの競走(レース)の技術についてはあやしいが、日常仏語会話ならバッチリだ。今度、教えてやろうか?」

「ハハ……遠慮しておくよ。フランス語が必要になったら、キミを呼ぶことにするさ」

「いいわね、それ。私も行くときにはお願いするわ」

 

 シービーの言葉にマルゼンスキー先輩も乗っかる。

 

「そのときは、もちろん旅費はそっち持ちだからな?」

 

 あたしがそう言ってやると、マルゼンスキーは「それは高くつきそうね」と苦笑を浮かべる。

 そして……そのタイミングで歓声が起こった。

 

「お……」

 

 あたしら3人は、走路(ターフ)へと視線を向ける。

 そこには、今日のメインレースに出走するメンバーが姿を現し始めていた。

 興味深そうに見るシービーの姿が、あたしには意外に思えた。

 

「あんたも興味あるのか? このレース」

「GⅠの大レースだからね。トレセン学園のウマ娘で興味がないのはいないよ」

「そりゃそうだが……」

 

 苦笑を浮かべるミスターシービーだが、はたしてどこまで本気なものか。

 

(天才ってのは、何考えてやがるかサッパリわからねぇからな)

 

 次々と姿を現すウマ娘たちを眺めるように見ているシービー。

 そしてその隣で、ニコニコと笑みを浮かべて、慈愛に満ちたような顔をしているマルゼンスキーも、天才って括りなら一緒だ。

 

「……気になるウマ娘でもいるのか?」

「7番と、14番かな。なにか運命的なものを感じるよ」

「それを言うなら私は9番、かしら?」

 

 二人に話しかけると、そんな答えが返ってきた。

 運命的、ねぇ。

 なんとも胡散臭いと思いながら、そのウマ娘を見る。

 シービーが挙げたのはヤマニングローバルとメイショウビトリア、一方でマルゼンスキーの方はカリブソング

 

「──で、そっちは?」

「生憎、運命的なものは感じねえな」

 

 そう言って苦笑する。

 そして……一人のウマ娘を見つけた。

 

「だが、魂をガッツリ継承させたヤツが走るんでね。思い入れの強さは、お二人さんには負けないからな」

「あぁ、そういえば……愛しの君(モン・シェリ)の協力をしていたんだっけ?」

「……あ゛?」

 

 思わず、言ったシービーを睨む。

 オイオイ、それじゃああたしが色ボケであいつに協力したみたいじゃねえか。

 

まったく……自分で言ってたくせに、他人に言われるのはイヤなのね

 

 マルゼンスキーが呆れて顔で苦笑しながら、小声で言うのが聞こえた。

 そういえば、マルさんはあの場にいたんだっけな。

 あいつの顔を久し振りに見たら、思わずやっちまったけど……あぁ、まったく面倒くせぇな!

 

「どこのチームだったかな?」

「〈アクルックス〉よ」

 

 あたしがイラついている間に、シービーとマルゼンスキーは話を続けている。

 

「なるほど。昨年末の()()で有名な、あのチームか」

「そういうこと。そう思うとあのときの状況は、誰かさんのときとそっくりよね」

「……知ってるか? マルさん。辞書で“ビックリ”って調べると“驚くこと”って書いてあるんだぜ。同じ相棒を持ったんだから、そうなっちまうのも仕方ねえだろ」

 

 あたしが言うと、マルゼンスキーは複雑そうな顔になり、シービーはフッと笑みを浮かべた。

 

「だとすればそのウマ娘が受け継いだのは、キミのではなくあのトレーナーのものだろうよ」

 

 シービーはそう言って緩くウェーブした鹿毛の髪の、落ち着かない様子でいるウマ娘を見た。

 今日のあいつは勝負服──青を基調に灰色を加えた色遣いの、一見して飾りっ気の無い軍服のような服を着ている。

 それをビシッと着こなせば、かなり様になるんだろうが……あいにく、あのウマ娘にそんな度胸なんてない。

 というか、この期に及んでまだビクビクしてやがんのか、と少し呆れかけた。

 

「“見えぬ輝き(ダークホース)”……はたして彼女はそうなれるかな?」

「ま、人気は()えみてえだけどな。内有利のこのレースであの枠引くんだから運だけはありやがる」

 

 11番人気──あのときのあたし(13番人気)や、昨年末のあいつ(14番人気)みたいに……というか、それよりもマシなのかよオイ。

 あんな気弱なヤツが、あたしよりも人気だったってのは腹が立つが──

 

「1枠2番、レッツゴーターキン──」

 

 あたしらが見ている前で、彼女は周囲の歓声にオドオドしながらもゲートに入り──

 

 

 ……………入りかけたが、慌てて飛び退いた。

 

 

 勢いあまって係員をふっ飛ばしたその姿に、思わず3人とも目が点になる。

 そしてあいつは、立ち上がった係員に「落ち着くように」となだめられていた。

 

「……なにやってるんだ? アレは」

「さぁ……なんでしょうね?」

 

 苦笑気味に笑いながら呆れている二人。

 その一方であたしは──

 

「まぁ……アイツらしいわ」

 

 いつも通りの彼女の様子に、あの小心者が気負いすぎて周りが見えなくなっていないのだと逆に安心した。

 そして最後に、綺麗な金髪(尾花栗毛)のウマ娘がゲートに入り……

 

 

 ──秋の天皇賞はスタートした。

 

 




◆解説◆

【Let's go! 覚悟! Ready go!】
・「Let's go! 覚悟!」は2015~2016年に放送された『仮面ライダーゴースト』の変身アイテム・ゴーストドライバーの変身音声「Let's go! 覚悟! ゴゴゴゴースト!」から。
・その後の「Ready go!」は語呂がよかったので。
・本当は「Ready go!」を使って『熱血最強ゴウザウラー』の挿入歌「Ready go!熱血最強ゴウザウラー」を元ネタのタイトルにしたかったんですが……
・なにげに“最強”のフレーズがネックになりまして。
・なにしろ主人公は“最強”とは程遠いですし、確かに前段のシンボリルドルフは“最強”なんですけどこの話の主役でもなければ肝心のレースにも出ない。
・テイオーをこの話の主役と捉えればこの後のレースにも出ますけど、結構チョイ役な上、なにしろマックイーンに負けた直後のレースですし。それにこのレースの結果が……
・天皇賞(春)が、国際的な評価は国内レース最高なので、それをネタにしようともしましたが、うまくいかず──結局、こういうタイトルになりました。

トゥインクルシリーズに絶対がある
・これはシンボリルドルフの調教師だった野平祐二氏の「競馬に絶対はないと言うが、ルドルフは例外。彼には絶対があるんです」という言葉が元ネタ。
・ただし、この言葉……当のギャロップダイナに負けた天皇賞(秋)の後に言った言葉だったりします。
・それを証明するように、次のジャパンカップでは勝ち「絶対」を証明しました。
・……でも、普通にルドルフなら「絶対」に負けない相手だと思うんですけど、ギャロップダイナは。
・なお、このシーンはルドルフの夢なので、トレーナーがこのセリフの言っている時期を勘違いしている可能性があります。

東京レース場はすぐ近くだし
・それでも道に迷ったウマ娘がいたんですよ、本作では。
・東京レース場は現実の東京競馬場だし、中央トレセン学園は府中にあるという設定なので、同じ府中市にあります。
・おかげでコスモドリームは“実はとんでもなく方向音痴”という裏設定があります。

レベルが違いすぎて話になんねーな
・ギャロップダイナは安田記念後にフランス遠征をしており、その結果は──8月17日に芝1600のGⅠジャック・ル・マロワ賞で12着。9月7日のGⅠムーラン・ド・ロンシャン賞(1600芝)では10着。
・文字通り、勝負になりませんでした。
・なお、「“皇帝”なら──」と言っていますが、史実でシンボリルドルフも海外遠征をしていて負けています。
・こちらはアメリカでしたが、国内のレースを終えた後にサンルイレイハンデキャップに出走したものの6着。
・引退直後とはいえ、誰もが認める日本の最強馬の敗北は、ショックでした。

ヤマニングローバルとメイショウビトリア
カリブソング
・史実馬ヤマニングローバルとメイショウビトリアの父は、どちらもミスターシービー。
・同じようにカリブソングの父もマルゼンスキー。
・アニメ2期でのシービーがシダーブレード(シャコーグレイト)、マルゼンスキーがリオナタール(レオダーバン)に運命的な繋がりがあるのと同じ理由です。
・ちなみにヤマニングローバルがモデルのウマ娘も2期アニメに出ていて……以前、ムービースターの解説で「6話10分20秒のシーンで、テイオーの前を走る左手前のウマ娘がムービースター」と説明したのですが、逆サイドの右手前に映っているウマ娘が位置や勝負服の色からヤマニングローバルと思われるウマ娘です。

辞書で“ビックリ”って調べると“驚くこと”って書いてある
・“意外なことに出くわして、心に衝撃を受ける”“驚愕する”ことだそうです。
・ちなみに小学校の辞書レベルだと、書けるスペースが少ないからか、“おどろく”と調べると“びっくりすること”としか書いてなかったりします。
・つまり“びっくり”=“おどろく”であり、どちらもわからない人にはどうやってもわからない仕様になっていました。

勝負服
・レッツゴーターキンの勝負服ですが、本文中にあるように青を基調に灰色を入れた軍服をイメージしたデザインになっています。
・当初は、アニメ2期6話に出てきたドレス風……を考えていたのですが、それを意識しすぎても面白くないし、ピンク色が入ってターキンの「青と灰色」のイメージとはかけ離れているので変更。
・軍服デザインというものは……「ターキン」から。
・“レッツゴー”はともかく“ターキン”とはなんぞや?
・というわけで調べてみると、(ダイナターキン)祖母(シヤダイターキン)曾祖母(ブラックターキン)と受け継いできた由緒正しい(?)名前。
・曾祖母以上は遡れないので──そもそも“ターキン”ってなんなの? と調べると、ウシ科ターキン属に分類される偶蹄類という動物が出てきました。見た目ほとんどウシですね。
・もちろん、こっちは勝負服のデザインのネタではありません。もう一つ、ターキンで調べると該当するものがありまして……
・“グランド・モフ・ウィルハフ・ターキン”──『スター・ウォーズ」の登場人物で、初代デス・スターの司令官で、デス・スターが爆発する際に巻き込まれちゃった人。
・でも皇帝、ダース・ベイダーと並ぶ三人の銀河帝国創設者と称されるほどの大人物。
・というわけで、そこから彼が着ていた軍服を基に、カラーリングをレッツゴーターキンの青と灰色にした、というイメージになりました。
・気になる方は、グランド・モフ・ウィルハフ・ターキンで画像検索をかければ、着ている人はともかく、服のイメージは付くかと思います。

見えぬ輝き(ダークホース)
・ここでついにタイトル回収。(笑)
・でも完全な造語。
・というのも“馬”が存在しない世界なので、もちろん“horse(ホース)”という言葉の意味も違うはずなので。
・かといって、もちろん“ゴム・ビニール・プラスチック・布などで作られた、液体や気体などの流体を送るための管”のことではない。
・「輝きが見えない」=暗闇(ダーク)という感じだったり、輝きが見えないので「有力候補ではない」という意味だったり……そんな感じで。

係員をふっ飛ばした
・1992年の秋の天皇賞、スタート前のゲート入りで、レッツゴーターキンはゲート入りを嫌がりました。
・それは大崎騎手を落としてしまうほどで、おそらく天皇賞(秋)という大舞台の歓声に不慣れだったのが原因かと。
・騎乗しなおした後はゲートに入り、出遅れたりすることなく順調にスタートを切っています。

綺麗な金髪(尾花栗毛)のウマ娘
・トウショウファルコのこと。
・尾花栗毛でウマ娘と言えばゴールドシチーですが、史実のトウショウファルコはシチーと同じ“尾花栗毛”だけでなく、額と足先が3本白い“三白流星”というこれまたイケメン馬の特徴を併せ持っていました。
・尾花じゃない栗毛ですが、シチーの同期になるメリーナイスは足4本が白い四白流星で有名……こっちは本当の映画俳優(ムービースター)ですけどね。
・そんなイケメン中のイケメンだったトウショウファルコは、引退後にはJRAに請われて誘導馬をつとめていました。
・“ファル()”というと音の面ではスマートファルコンよりもこっちのイメージが強いのですが……
・なおこの“ファルコ”、決してファルコンの意味ではなく──


※次回の更新は5月12日の予定です。          

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時35分となります。



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第29R Let's challenge! 心臓破りの天皇賞(秋)

 
 ──それは、レースに先んじて行われるセレモニーでのことでした。

「……ふぅ」

 1枠2番を引いた私、レッツゴーターキンは早い段階で自己紹介とインタビューをどうにか終えて、ホッと一息をつきました。

「ターキン、ホッとしてる場合じゃないだろ?」

 う……
 背後から小声で声をかけられて、私は恐る恐る振り返ります。
 そこにいるのは私のトレーナーさん。彼はジト目で私を見ています。

「もう少し、インタビューの受け答えをできるようにならないとな」
「は、はい……」

 インタビュアーの方から質問されてマイクを向けられても、私はまともに答えることができずに「あうあう……」と狼狽えてしまい、結果的にはほとんどトレーナーさんが答えていたようなものでした。

「あそこまでなれ、とは言わないが……」

 そういってトレーナーさんがチラッと視線を向けた先では、「いえーい!」とVサインをしつつ、快活に答えているウマ娘さんがいました。
 トウカイテイオーさん……今回のレースの本命と目されているウマ娘です。

「春の天皇賞は負けたけど、それでもまだ一敗……秋は距離もボクに合ってるし、()()()……勝つ!」

 両足を肩幅に開いて胸を反らし、トウカイテイオーさんはビシッと片手を突き出して──再びVサインをしました。

「勝利宣言ねぇ……“()()”、か」

 その姿を見たトレーナーがポツリとつぶやきました。
 テイオーさんを見ているようで見ていないような、その表情に私は思わず怪訝な顔で見上げました。

「あ、あの……トレーナー? どうか、したんですか?」
「いや。“競走に絶対は無い”ってのはオレの持論なんでね。本命ウマ娘にああ言われると……覆したくなってくるんだよな」

 テイオーさんを見ながら、トレーナーさんはニヤリと笑みを浮かべました。
 まるで悪いことをたくらんでいるような、そしてそれを楽しんでいるような、そんな──ギャロップダイナ先輩が浮かべる笑みに似ているように見えました。

「ターキン……もちろんだが、勝ちをねらいにいくからな?」
「は、はいぃぃぃ……? え? だって、私……あの、その……でも天皇賞(秋)(アキテン)ですよ? 八大レースの一つだし、それにテイオーさんが……」
「トウカイテイオーがどうした? 大本命が勝利宣言したら、ほかのウマ娘は勝ったらいけないのか?」

 トレーナーさんはたじろぐ私を見ながら、どこか得意げに言います。

「そんなことはないぞ。お前の先輩二人は……それをやっている」
「あぅ……それは……」

 ギャロップダイナ先輩の天皇賞(秋)。そしてダイユウサク先輩の……有記念。
 そう、後者は私が見てそれにあこがれたレースです。

(ああ、そうか。私も、先輩と同じくらいのところにまで、来られたんだ……)

 トレーナーさんに言われて、私はやっときがつきました。
 正直、今の今まで出走が決まったのに驚いて、それからギャロップダイナさんとトレーナーさんにビシバシ鍛えられるのをこなすのに無我夢中でしたので……
 そして奇しくも、あのときのダイユウサク先輩と同じように世間は大本命が勝つと信じ切っています。

「わ、私も、先輩と同じことを──」

 そう、トレーナーさんに自分の決意を言おうとしたとき──

『──あ、わたしですか? できるだけ前でレースします!』

 よく通る声が、マイクによって増幅されて会場内に響いた。
 テイオーではなくなったそのインタビューの言葉に、私とトレーナーさんは思わずそちらを振り向く。
 小柄なウマ娘さんがマイクを向けられ、それに対して堂々とした様子で言い放っていました。

『え? えっと、それは……逃げ、ということですか?』
『はは……そこまで前になるかはわかりませんけど。でもわたし、去年もこのレースに出てましたからね。あのときみたいに窮屈になって事故るのは遠慮したいので、さっさと抜けてしまおうかと』

 それを笑顔でサラッと言ったのは、ムービースターさん。
 でもその発言で──場の空気がピンと張りつめました。
 彼女の“前レース宣言”で、この前の宝塚記念を逃げ切ったメジロパーマーさんや、去年のマイルチャンピオンシップ覇者で逃げを得意としているダイタクヘリオスさんがピクッと反応しています。
 同じように逃げを得意にしているトウショウファルコさんもまた、その鋭い目を向けていました。
 さらにはホワイトストーンさんやカリブソングさん、ヌエボトウショウさん達みたいに彼女と同じように去年走った方達も、けっして()()()()()()()()()()()()()()に触れられてナーバスになったみたいです。
 さらには、さっきのトウカイテイオーさんも、むくれた顔を隠そうともせず、不満そうにムービースターさんを見ていました。

(テイオーさんとマックイーンさんはライバルでも、仲がいいみたいですから……)

 だから彼女も同じように、ムービースターさんに思うところがあるようです。
 場が場だけに、表立って言えずため込んでいるようですけど。

「ムービースターが、前で走る……?」
「トレーナーさん?」

 その声が聞こえて振り向けば、トレーナーさんが難しそうな顔をしていたので、思わず声をかけてしまいました。

「ああ、かなり意外だったから……ダイユウサクのレースで何度か見かけたが、アイツは中段か後方待機のウマ娘だと思い込んでいた」

 真面目な顔で彼女を見つめていました。
 そして一方、彼女の方はと言うと……爆弾発言で注目を集め、カメラマンから沢山のフラッシュを浴びせられ、それでも威風堂々と笑顔を浮かべ、こともなげに立っていたのです。
 その動じない姿勢……とてもあこがれてしまいます。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 ──そして、そんなインタビューの直後。

「やぁ、大きな舞台で知っている顔を見るというのは安心するものだね……レッツゴーターキン」

 控え室までの廊下で声をかけてきたのは、件の爆弾発言のウマ娘ムービースターさんでした。

「ど、どうも……」

 私は少しだけ身を縮こませながらも、軽く会釈をしました。
 そんな反応に彼女は「相変わらずだね……」と苦笑します。

「そういう見慣れたものが見られるのも、少し落ち着くよ。なにしろ……わたし達みたいなローカル重賞の常連は、こういう場には不慣れだからね」
「そう、なんですか? でもさっきのインタビューは……しっかり受け答えていたみたいですし」

 私は、失敗しちゃったけど……

「あはは。ま、あれくらいリップサービスしないと、わたしみたいのは目立たないでしょ? ただでさえ小柄なんだからね」

 ムービースターさんは私よりも背が低いです。
 でも、過剰に胸を張るわけでもなく、スッと立つその姿や歩く姿は堂々としていて……とても綺麗だと思ってました。
 そんな彼女は、チラッと視線を他へと向けます。
 私もつられてそちらを見て──綺麗な尾花栗毛の髪が目に入りました。

「ああいう、見た目で目立つ人もいるしね。ホント……うらやましいよ」

 彼女が羨望の眼差しを向けたのは、尾花栗毛の髪を靡かせて颯爽と歩く鋭い切れ長の目をしたウマ娘──トウショウファルコさん。

「きれいだよねぇ彼女。髪もそうだし……見なよ、白く透き通るような手足──」
「白いソックスと手袋だと思うんですけど……」

 今日の舞台は皆さん勝負服できています。ですのでトウショウファルコさんの手足は白い手袋とブーツに覆われていました。
 もちろん、私も勝負服なんですけど……この軍服みたいなデザインは走りやすいのは助かるんですけど……私みたいなオドオドしたのが着ているのは、違和感しかないと思うんですよね。

「あはは、実際に見たことない?」
「え? ええ、気が付きませんでした……」
「わたしは気にしてるんだ。モデルみたいなあのルックスはそれだけでみんなの注目を集めてるからね……まるでスターみたいに」

 私たちの前を通り抜けていくトウショウファルコさん。
 彼女はチラッとムービースターさんを見て……その鋭い目のせいでまるで睨むかのようで、私は思わず驚いてしまいました。
 ムービースターさんは、怯えるどころかやんわりと笑みを浮かべて受け流し──ファルコさんはそのまま通り過ぎていきます。

「だからわたしみたいなウマ娘はいろいろやらないと、目立てないんだよ。連戦連勝みたいな競走成績もければ、この低い背では多少スタイルがよくても引き立たないから。だから目立つためには──なんだってするからね」
「え?」

 彼女の発言に驚いて思わず振り向くと、彼女は遠くを見つめたまま、その澄ました笑みが一瞬だけ……ニヤリと歪んだように見えました。



 

 ──スタートした秋の天皇賞。

 

 ゲートが開き、各ウマ娘が一斉に飛び出す。目立って出遅れたウマ娘もなし。

 レッツゴーターキンがゲート入りで手間取っただけに、オレはホッとしていた。

 だが、それ以上に奇妙な緊張感がこの東京レース場を支配していた。スタートしたウマ娘達が、最初のコーナーへと差し掛かろうとしていたからだ。

 

『さぁ、スタートしてからの2コーナーまでが問題だ! 第2コーナー、ここが問題──』

 

 実況の言うとおり、まさに“魔のコーナー”だ。

 東京レース場の2000メートルはスタート地点の関係で最初のコーナーが急で、どうしてもイン有利が強くなる。

 それを意識しすぎた結果……去年のメジロマックイーンの失敗を招いてしまった。

 前年の同レースという直近で起こったその“失敗”の印象が強すぎて、余計に誰もがここを意識せざるを得ない。

 まして、セレモニーでそれを意識させるような発言をしたウマ娘もいたんだ。

 

先頭(ハナ)をきっていくのはメジロパーマー。それにダイタクヘリオスとトウショウファルコ……)

 

 この辺りは順当なところだ。いつも逃げや先行をうつ面々だからな。

 …………いや、待て。

 

(なんか……足りなくないか?)

 

 オレが疑問に思っている間に、ウマ娘たちは“魔のコーナー”を無事に越えていく。

 今年は何事もなく無事だったらしい。

 後方に陣取ったレッツゴーターキンに変わった様子は見られない。

 

「ん……?」

 

 ああ。ターキンに変わった様子は、無い。

 だが、そのすぐ後ろに──ヤツがいた。

 

「はぁ!?」

 

 後方待機のレッツゴーターキンのすぐ後ろに、6枠12番のウマ娘が何食わぬ顔で走っていたのだ。

 

「く……ハハッ……あのウマ娘……やってくれる。とんだ“役者(ムービースター)”じゃねえか」

 

 オレは思わず笑ってしまった。

 そんなオレを車椅子に座ったミラクルバードが怪訝そうに見てくる。

 

「どうしたの? トレーナー……」

「いや、見事にやられたと思ってな。ムービースター……まさかアレが盤外戦術だったとは。見抜けなかったオレも間抜けすぎる」

「え? あ……」

 

 オレの言葉でミラクルバードも、やっと思い出したようだ。ムービースターが“前レース宣言”をしていたことに。

 

「え? なんで? どうして最後方にいるの?」

「アイツ、最初から前で走る気なんてなかったんだろ。後ろにいれば去年みたいなことにも巻き込まれないし、もともとそういう脚質じゃないしな」

「じゃあ、なんで……」

(ブラフ)だよ」

 

 オレは前を走るウマ娘の方へと視線を向ける。

 先頭は変わらずメジロパーマー。

 そして追い抜かんばかりにそれに続くダイタクヘリオス。

 その後ろにはトウショウファルコが続き、さらには大本命のトウカイテイオーが4番手にまで来ていた。

 完全に、ムービースターの術中にはまっていた。

 

「アイツはあの発言で、みんなに去年の斜行……あの()()()を意識させた」

「……ひとの名前みたいに言わないでくれる?」

 

 隣で黙って聞いていた()()()()()()がボソッと文句を言ってきたがそれは無視。

 

「走者の心理として、どう思う?」

「それは……間違いなく進路妨害しちゃいけないって思うよ」

 

 そう、ミラクルバードが答えた通りだ。

 ぶっちぎりの1位が最下位に降着されたというインパクトは強い。それゆえに絶対に避けたいと思うのは当然のこと。

 

「だが、あのコーナーのせいでインが有利なのは間違いないからな。どうしてもとりたいという気持ちを捨てることも無理だ。だとすると……」

「逃げるウマ娘は他よりさらに前に出て、進路妨害にならないようにするしかない」

 

 レースをじっと見たまま答えたのはダイユウサクだった。

 去年のコイツは、なぜか妙にメジロマックイーンを意識していたから、あのレースの反省点もわかっているんだろう。

 

「そうだ。後続を引き離していれば、その影響が途切れるので後続の進路が妨害されることもない。だから最初のコーナーの先陣争いをするウマ娘は、どうしても速度を上げるしかなかったんだ」

 

 セレモニーでのムービースターの宣言は、その争いに油を注いでもいる。

 逃げウマ娘でもない彼女のそれは、それを得意とするウマ娘たちのプライドも刺激していたのだ。

 

「逃げ脚質の3人は、スタート直後から我先にとコーナーへ突っ込んでいく。そしてそこに、もう一つの要因が効いてくるんだ」

「もう一つ? 今の状況はその結果ってこと?」

 

 首を傾げたミラクルバードにオレは頷いた。

 

「先頭の時計、確認してみろ」

「えっと……ッ!? なにこれ……」

「コン助? いったいどうしたのよ?」

 

 驚いて絶句しているミラクルバードに代わり、オレが説明した。

 

「速いんだよ、先頭が。それも異常なまでに」

 

 ショックから立ち直ったミラクルバードが言ったタイムを聞いて、ダイユウサクと今まで黙って見ていたロンマンガンさえも驚いていた。

 

「な……マジ? こんなの、まるで短距離レース。2000のペースじゃないじゃん」

「走ってるヤツら、特に先頭集団の連中がここまでのハイペースになっているのにはおそらく気づいてはいない。速いとは思っているだろうがな」

「いったいどうして……その理由、わかってるなら教えなさいよ」

 

 ダイユウサクが少し苛立った様子で訊いてくる。

 

「理由は、()()()()だ」

「「「はい?」」」

 

 突然のまったく別なレースの名前に、その場のウマ娘3人が素っ頓狂な声を出していた。

 

「え? どういう、こと?」

「ひょっとして……メジロパーマー?」

「その通りだ、ダイユウサク」

 

 さすがに出走していただけはある。

 今年の宝塚記念は、メジロパーマーが大逃げで逃げ切りの勝利を収めている。

 春のグランプリのその印象は、まだまだ他のウマ娘にも残り続けていた。

 結果──

 

「ハイペースで入ったメジロパーマーを、逃げ切らせまいと他のウマ娘たちもついて行っている」

「そっか。だからパーマーも、速度をゆるめられないんだね」

「ああ。根っから逃げのパーマーにしてみれば、途中で追い抜かれたらそこでレース終了だ。意地でも追いつかれるわけにはいかない」

 

 かと言って最初から最後まで全力疾走で駆け抜けるなんてマネは、たとえ短距離だろうとそうできるもんじゃないからな。逃げのセオリーは安全マージンを確保しながら、密かにペースを落として体力を温存すること。

 “皇帝”の最初の敗戦になったジャパンカップを制したカツラギエースの逃げがまさに理想的なそれだ。

 

「後続もつられてハイペースになっているから落とすこともできない。だから──」

 

 オレ達が見ている前で、先頭が入れ替わった。

 先頭(ハナ)を切っていたメジロパーマーが、そのハイペースについていけずについに下がりだしたのだ。

 もしもその直後が一人でクレバーなヤツだったら、この異常なハイペースに気がついて、パーマーに合わせてペースを下げたかもしれない。

 だが──先頭はダイタクヘリオスに変わり、相変わらずトウショウファルコやトウカイテイオーも間をおかずに続いている。

 これでは、ペースは下げられない。

 

「しかも、ここにトウカイテイオーがいるのも、な……」

 

 オレは必死に走る赤と茶の勝負服を着たウマ娘を見て、ムービースターの策の恐ろしさに戦慄さえしていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

(きっつ……なによ、この展開……)

 

 アタシ……ナイスネイチャはあまりのハイペースなレースに、思わず顔をしかめていた。

 去年のマックイーンの失敗が頭にあったから、みんな行儀よく最初のコーナーを抜けていった感じだった。そこまではいい。

 それで、宝塚でパーマーにしてやられたから、独走を許さないというのもわかるわ、うん。

 

(で、その2つが合わさった結果が、コレ……)

 

 テイオーをマークしていたんだけど、そのテイオーもハイペースにつられちゃったもんだから、こっちまで付き合わされてるのよ。

 

(えぇ……こんなペース、最後までもつわけない……)

 

 隣をチラッと見ると、同じようにテイオーマークにしていたチームメイトのイクノディクタスや、それと同じ作戦らしいヤマニングローバルも、かなり追いつめられた感じで走ってる。

 この感じ……先頭集団からなんなら中段まで、みんなハイペースのままレース、なんてことになってるんじゃない?

 かといって、一人だけペースを落とすわけにはいかないのよね。

 

(もしも、この中で一人でもこのペースを維持して走りきったら……)

 

 万が一の事態を考えると、その不安を完全に拭えないのよ。このペースで走る大勢の中で、たった一人でも乗り切ったら、それが勝者なのは明らかなんだから。

 確かにゴールまでこのペースを維持なんて不可能に近いのはわかってるし、非現実的。

 でもさらに言えば、すでにここまででかなり消耗してるのに、仮にここでペースを下げたら……みんながバテたところでスパートして再逆転、なんてことが本当にできるの?

 その判断をする勇気が出せず──もうレースはとんでもないことになっていた。

 

(アクセルを緩めたら負けっていう、まるでチキンレースよ。これ……)

 

 もちろん負けず嫌いがウマ娘のモットーで、誰も速度を緩めない。

 結果……スタミナ切れしてガス欠になったのから脱落していくデスゲームの様相を呈していく。

 その最初の犠牲者が──先頭(ハナ)をきって走ってたパーマーだった。

 ズルズルと下がっていく彼女を抜いたとき、横目で見た消耗しきっている彼女の顔を見て、本当に驚いたわ。

 

(でも……ここで退くわけには、いかないんだから!)

 

 勝利宣言をしているテイオーに、アタシだって負けるわけにはいかない!!

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「く、速いペース、だけど……」

 

 ボクはグッと歯を食いしばって、このペースに耐える。

 先頭だったパーマーは限界を迎えて後方へと消えていった。

 前にいるのは──

 

「ば、爆、逃げ……ウェ~……イッ!」

 

 必死に逃げようとしているダイタクヘリオス。

 最終コーナーを回って、その息もだいぶ怪しくなってきてるのは間違いない。

 

「勝つ、のは……ボク、だぁッ!!」

 

 息があがり始めているのは、こっちも同じだけど──絶対に、負けられないんだ!

 きっと……会長ならこのレースを見てくれているはず。

 その会長をガッカリさせるわけにはいかない。

 ボクは知ってるんだ……無敗が途切れて気持ちが途切れかかったボクのことを、会長が密かに心配してくれていたことに。

 

(だから、勝って示すんだ! ボクが、大丈夫なことを……またちゃんと、新たな目標に向かって、走り始めたってことを!!)

 

 だから、だから負けられない!

 たとえこんなに辛くても、苦しくても……絶対に──

 

「負けられないんだぁぁぁぁ!!」

 

 そこでボクは──不思議な感覚へと入った。

 もう限界のはずの体力なのに、それでも体に力が漲る。

 この最後の直線を走りきるだけの力が──

 

「だああああぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 気合いの咆哮をあげて、ボクは前にいたヘリオスをついに追い抜いた。

 それでもヘリオスも、必死についてこようとしている気配がわかった。

 ボクの手は必死に宙を漕ぎ、足は懸命に地を蹴る。

 少しずつ、少しずつ、下がっていくヘリオスの気配。

 それでもまだ、安心できない。

 まるで地鳴りのように、後ろから後続の足音が迫ってきているのが聞こえたから。

 

「勝って、夢を──掴むんだッ!!」

 

 無敗の三冠ウマ娘──

 生涯無敗──

 

 次々とボクの手からすり抜けていった、掴もうとした夢。

 ボクはもう、取りこぼすわけにはいかない。

 会長を越える……一敗を維持したまま七冠を、それを越える程の栄冠を積み重ねる夢の実現のためにも。

 

「そして、会長がとれなかった栄冠を、代わりに掴んでみせるためにも、ボクは──」

 

 本当に、最後の最後に残った力も振り絞って──ボクは駆けた。

 迫っていた後ろからの沢山の足音の勢いが無くなる。

 

(うん、大丈夫……)

 

 たとえこんなハイペースでも、他の()達だって、同じように消耗しているんだから。

 そして今回は、春の天皇賞みたいな長いレースじゃない。2000メートル……この距離なら、誰にも負けないんだ。

 絶対の自信を持って確信する。

 

(誰もボクに追いつけない──)

 

 そう、思った……

 

 次の瞬間、それは…………ボクから離れた場所を…………駆け抜けていった。

 

 

 

「…………え?」

 

 

 

『一番外からレッツゴーターキン! レッツゴーターキン、ムービースター!』

 




◆解説◆

【Let's challenge! 心臓破りの天皇賞(秋)】
・「Let's challenge!」は、アニメ1期のOP『Make debut!』の歌詞から。
・そこの担当がまさに今回走っている大本命のウマ娘(トウカイテイオー)なので。
・「心臓破りの天皇賞」は、92年の天皇賞(秋)の状況から。
・詳しくは↓にて……

鋭い目
・前話の解説で「トウショウファルコの“ファルコ”は(ファルコン)のことではない」と説明しました。
・じゃあ、元ネタってなによ? と言われたら──『北斗の拳』の登場人物、「金色のファルコ」が元ネタだそうです。
・元斗皇拳の伝承者にして最強の使い手。「人格者か、クズか」という両極端なあの作品の敵役において、人民を大切にして主にも高い忠誠心を持つ高潔な武人であるファルコは前者。
()()の光をまとっているというのが、尾花栗毛のイメージと重なったんですかね?
・そんなわけで、睨んできたのはそのイメージです。
・きっと一人だけ画風が違っていたに違いない……

何度か見かけた
・ムービースターがダイユサクと同じレースを走ったのは、91年のマイルチャンピオンシップと、92年の安田記念と宝塚記念。
・6回しかG1を走ってないダイユウサクなのに、その半分で顔を合わせていました。

ハイペース
・92年の天皇賞(秋)のペースは本当に異次元。
・ラップタイムを見ると1~2ハロン目までは10.7秒、その後の2~3ハロン目は11.0秒。1400メートルの通過は同年の京王杯スプリングカップ(東京開催な1400のGⅡ)のタイムよりも0.8秒速かったほど。
・2000のレースなのに、まるで短距離レースのペースで走っていたことになります。
・ちなみにサイレンススズカの悲劇の舞台になった1998年の天皇賞(秋)。
・明らかな大逃げなレース展開で一人旅でしたが、その1000メートル通過は57.4秒。
・一方の92年の天皇賞(秋)の1000メートル通過は57.5秒と、あの時のサイレンススズカと遜色のないペース。
・そして、あの時のような単騎駆けのレースではなく後続がしっかりとついて行っているレース。
・92年の前半のペースがどれだけ異常だったか、垣間見える話です。

ムービースターの策
・本作ではこのレースを完全にぶっ壊した扱いになっている、ムービースターの「前レース宣言」。
・これ、実際に元ネタがある話で、ムービースターの騎手になった武豊騎手の発言から。
・前年の波乱の当事者が「前年は控えると不利になるから前に行かざるを得なかった。今年も後ろは不利になるから前に行く」というような話をすれば、皆が意識しないわけがない。
・で、実際には本作同様、しれっと後ろに付けてました。


※次回の更新は5月15日の予定です。          

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時37分となります。



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第30R Let's Go Tarquin!(さぁ、行け、ターキン!) Movie Star!(主役はキミだ!)

 
 ──それは、本番前の練習最終日のことでした。

「あ、ありがとう、ござい……まし、た……」
「お疲れさま、ターキン……今日まで、よく頑張ったな」

 私が頭を下げると、それを見たトレーナーさんはそれまで険しかった表情をフッと緩め、私をねぎらってくれました。

「あとは本番に向けて、しっかり体を休めるんだぞ」
「はい!」

 秋の天皇賞への出走を決めてから今まで、本当に厳しいトレーニングでした。途中からはギャロップダイナ先輩も加わったのでなおさら……
 そんな毎日も、とりあえず今日まで──ちょっとだけホッとしていると、それを見透かしたようにトレーナーさんは苦笑を浮かべています。

「本番までできることはほとんど無い。が……少し話をさせてくれ」

 そう言ってトレーナーさんは、「前にダイユウサクにも言ったことがあるんだけど……」と前置きして、私に言いました。

「お前は、お前だからな。ターキン」
「へ……?」

 意図がわからず首を傾げたのですが、トレーナーさんは真面目な顔で続けます。
 私としてはなにを当たり前のことを、と思ったのですが……

「このチームに入るとき、お前はダイユウサクの有記念を見て憧れたから、と言っていた」

 はい、その通りです……
 あの輝きを見て「たとえそれまで目立たなくても、その一瞬だけでも輝いて、栄冠をつかめたら……」と思ったんです。
 あの人のように、なりたい……と。

「アイツが金杯を制したころの話だが、競走界は異常な熱気に包まれていてな……」
「わ、わかります……オグリキャップさんの……」

 《怪物》が見せた、最後の輝き。
 燃え尽きようとする星の最後の猛烈な光は、見た者の心を強烈に震わせました。
 まさに、熱狂(フィーバー)

「あの金杯はその興奮冷めやらぬ年明け最初のレースだった。出走メンバーの表情を見て、オレもだいたい察しがついたよ」
「それは、どんな……?」
「全員が全員、『オグリキャップになってやる』って顔をしてた」

 そう言ってから愉快そうに笑うトレーナーさん。

「あの影響を受けるなって方が難しかったのは分かるが、オグリキャップはオグリキャップだ。走り方、作戦、所作や口調、髪型やら姿形を真似たところで、オグリにはなれない……」

 当時を思い出して遠い目をしていたトレーナーさん。

「そんなお仕着せのものを纏って自分を見失った、あのころ大勢いた連中は……当然、勝てなかった。だから今あえて言うが……お前はダイユウサクじゃないんだ」

 私の方を見て、キッパリと言いました。

「もちろん天皇賞(秋)(アキテン)だからといって、ダイナになれるわけでもない。他の誰のものでもなく、お前はお前のレースをしろ、ターキン。他に惑わされることなく、たとえどんな展開になろうとも……な」

 私の、レース……ですか?
 あらためてトレーナーさんに言われましたが、私のレースって……ここまでレースのたびに無我夢中で走っていたので、意識したことなんてありませんでした。
 ええと……中段や後方からのレース、というのは間違いないと思うんですけど……

「難しく考える必要は、ないぞ」

 私が眉根を寄せて一生懸命考え込んでいたのに気づいたトレーナーさんが、苦笑混じりに言いました。

「自分のできることを目一杯やる。それだけでいいんだ。さっきのオグリフィーバーの時に失敗した連中みたいに、“憧れ”に引きずられて自分のできないことをしようとすれば必ず失敗する」
「ど、どうして……」
「当たり前だろ? ()()()()んだから」

 苦笑するトレーナーさんに言われて、思わず「あ……」と言葉が漏れてしまいました。

「だから今回のレースの、オレからのアドバイス……というか作戦だな。ターキン、視野を広く持って走れ」
「え? でも、それは以前に、トレーナーさんから……」

 私の視野が広すぎるから意識して狭めろ、と言っていたトレーナーさん。
 今回の指示はまったく真逆でした。

「あの時のお前と今のお前は違う。積み重ねた経験が心を強くしてくれている。自信をなくしていたころのお前とは、違うだろ?」

 その自覚は……あります。
 今にして思えば、負けが込んだ私は萎縮してしまっていて、負けるのが怖かった。
 だから周囲の、私を負かそうとする動きすべてに敏感になり過ぎてしまっていたんです。

「今のお前なら広い視野を制御できる。集中して、勝負に必要な情報の取捨選択がレース中にもできるようになっているはずだ」
「え? で、でもそんな走り方、練習では……」
「併せ練習に十数人も連れてくるわけにはいかないだろ?」

 苦笑するトレーナー。
 〈アクルックス〉の中で走れるウマ娘の人数は私を含めて5人。
 確かに、大人数の中で走るトレーニングなんて……天皇賞(秋)(大レース)の本番さながらを再現するのは、たとえ大きなチームでもできません。

「安心しろ。今までのお前のレースを見て、できることだと信じているからオレは指示しているんだぞ。遠慮なく周囲を気にしろ。そして異変を見逃すな」
「異変……ですか?」
「ああ。正直な話、真っ向から挑めばトウカイテイオーやダイタクヘリオスといったGⅠウマ娘はもちろん、他のGⅠ常連のヤツらを相手にするのは厳しい。だが……波乱が起きれば可能性が生まれる」

 なぜでしょうか、私はそのとき──トレーナーさんがなにかを確信しているかのように思えました。
 今回のレースは……()()()
 まるでそれが分かっているかのように、見えたんです。 

「それを生かすためにも、いち早く気づいて対応しないければいけない。お前のその臆病な性格の元になっていた敏感な察知能力は、それに必要不可欠だ」

 そう言ってトレーナーさんは、私の頭にポンと手を乗せて、少し荒く頭をなでてくれました。



 

(ここまで上手くいくなんて……)

 

 正直、わたし自身が一番驚いてます。

 最後方からレースの全体を見渡しているわたし──ムービースターがそうなったらいいな、と思ったからこそ、()()()()()()()()()()()だけなのに、その効果は覿(てき)面で、仕掛けたわたしでさえ予想外なほどの効果が出ていました。

 

(ここまで後方待機が有利な展開になるなんて、ね)

 

 そう思ってほくそ笑むのも仕方ないってものです。

 だって、描いていたいくつかのそれの中で“最高のシナリオ”へと舞台は動き始めているんだから。

 

同じ地方周りのウマ娘(レッツゴーターキン)には話したけど、わたしらみたいなウマ娘が、無策で走ったところで盤面はひっくり返らないのよ。王道通りのシナリオで、その通りの展開になるだけ)

 

 もちろん事故は起こる。

 典型的なのが去年の秋の天皇賞(このレース)。大本命がその人気通りに一番入線をしたのに最下位転落。

 でもあんなことを狙ってやるのは不可能。

 

(運を天に任せて、スポットライトが浴びせられるのを待つだけなんて……ナンセンスだわ!)

 

 ローカル重賞の常連程度でしかないわたしが、中央のGⅠをガンガン走ってる面々──特にケガがなければ“無敗の三冠ウマ娘”を狙えた、ガチガチの大本命トウカイテイオーやらを相手に、真っ向勝負で勝てるわけがない。

 

(そんなわたしが主役になる演出……劇的な展開を、わたしが自分でプロデュースしてやる!)

 

 主演俳優が監督を務めるのなんて、映画ではよくあること。

 そしてわたしは、この映画(レース)の主役となるべく、手を打っていた。

 助演女優(逃げウマ娘)達のプライドを刺激して、序盤から大いに盛り上げる。

 その熱を帯びて、主演クラス(大本命)のウマ娘にも目立ってもらった。

 おかげで彼女を取り巻く名優(強豪)たちもその周囲で作品を盛り上げてくれている。

 

(そしていよいよ、クライマックスへ……)

 

 この作品も、いよいよ終幕(ゴール)へ向けて盛り上がろうとしていた。

 先頭(ハナ)を切って目立っていた、他作品(宝塚記念)の主演女優が、悲劇の最期を迎えるように舞台から消えていた。

 そして、他の名女優(ウマ娘)達も「我こそが主役に!」とばかりに気炎を上げているものの、しかしながら満身創痍過ぎた。

 今回は、監督であるわたしによって、ラブロマンスのような序盤中盤抑えめにして終盤で一気に盛り上がるような作品ではなく、序盤から血湧き肉踊るようなゴリッゴリのアクション映画になっている。

 おかげで出演者の多くはボロボロのヘロヘロといったありさま。

 そんな状態じゃあ、この作品のラストを飾れる主役になんて──なれっこない!

 

「そう──主役は遅れてやってくるもの、だからねッ!!」

 

 最後の直線に入って、先頭と2番手は本命と3番人気で競っている。

 でもそのすぐ後ろに集団が迫っているけど……いずれもが道中で力を使い果たしていた。

 でも──後方待機していたわたしには、それを抜き去る力が残っている。

 

「このレースの主役は、わたしだアアァァァァ!!」

 

 残していた脚に、全力を込めてわたしは駆け上がる。

 トップスター(頂点)への道を──

 

 

 ──だが、そんなわたしの前に……一人のウマ娘がいた。

 他のウマ娘のように、貪欲に主役を目指して無理をするわけでもなく、彼女はただ一人、惑わされることなくマイペースに、堅実に走っていたのだ。

 

 

 その彼女に、今──スポットライトが、当たろうとしている。

 そうやって何も知らずに走っている彼女に……大事な主役を奪われるわけにはいかないのよ!!

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆
 

 

 トレーナーさんに言われたことをしっかり胸に刻んでいた私は、持ち前の視野の広さを使っていました。

 

(……感覚が久しぶり過ぎて、ゲートでびっくりしちゃいましたけど)

 

 だからその異変には早めに気づいていたと思います。

 たぶん、他のウマ娘さん達よりも。

 

「このペース……速い、かな……?」

 

 去年の波乱の現場だった第2コーナーを何事もなく抜けて、ホッとしたのもつかの間、といった頃合いでした。

 内にコースをとっても斜行にとられないよう、後続との安全マージンを取りたい気持ちが逃げウマ娘に速い入りを意識させたんだと思います。

 

「ええと……」

 

 そんなことを考えつつ、普段通りに後方でレースをしている私ですが、チラッと後ろの様子をうかがえば、そこにはなにくわぬ顔でしれっと走っているムービースターさんの姿が……

 

(このウマ娘(ひと)、前でのレースを宣言していたはずなのに……)

 

 ひょっとして、出遅れてしまったんでしょうか。

 だとしたら作戦が失敗しているわけで、困ってる……のかな?

 

(ううん、そんなことよりも──)

 

 予定が狂ってしまっているムービースターさんは確かにかわいそう。

 でも同情してる場合じゃない。レースは非情って……トレーナーさんも、ダイナ先輩も言ってたし……

 私は、レースへと意識を戻します。

 

(速いペースで入ったパーマーさんを、他の人が逃がすまいと追いかけてる……だから、パーマーさんもペースを緩められない)

 

 そんな逃げ・先行陣の思惑が速いペースを生んでいるのかもしれない。

 でも……

 

(パーマーさんは2400の宝塚記念を、逃げ切って勝ってる……それだけのスタミナがあるってことだし、2000の天皇賞(秋)(このレース)なら、多少ペースが速くたって、逃げ切れてしまうかも──)

 

 パーマーさんだけじゃない。ヤマニングローバルさんやホワイトストーンさんのように長距離レースでの実績をもっているメンバーもいます。

 もしもこのまま前の誰かが先に行き続けたら……私が追いつけなくなるかもしれない。

 

(このまま後ろにいたら、危険かも……私もペースを上げて、前へ──)

 

 そう思った、そのとき……フッと私の脳裏に、あの時の言葉が浮かびました。

 

 

『──お前はお前のレースをしろ、ターキン』

 

 

 トレーナーさんの声が、私の心に響きました。

 思わず「あ……」とつぶやき、前を追いかけようと込めかけていた脚の力を元に戻しました。

 そして冷静さを取り戻した──むしろ冷静さを失っていたことに驚きましたが──私は、トレーナーさんの助言を思い出して、周囲を確認しました。

 

(……ッ!? これ、速いなんてものじゃない!! こんなペース……まるで短距離みたいな……)

 

 前を走るウマ娘の背中じゃなくて、横を流れる景色に意識を向けて、その速さが普段よりも明らかに速いことに気づいたんです。

 最近は短距離レースには出走してないけど、練習での感覚を照らし合わせればそれはわかりました。

 

(こんなペース、私は最後まで保たない……)

 

 前のペースに合わせて走れば、間違いなく潰れます。

 でも……それでもやっぱり、前の誰かが走りきってしまったら……

 そう思うと、私は迷ってしまいました。

 

 

『自分のできることを目一杯やる。それだけでいいんだ』

 

 

 再び私の記憶から浮かび上がってきた、トレーナーさんの声。

 そう、です……私ができることをする。そして──できないことはしない。しちゃいけないんです。

 それは無理なことだから──私は、私のできることを……“私のレース”をするしかないんです!

 

(このハイペースに、私はついていけない。だから……今は耐えるしか、ありません!)

 

 だから私がするべきことは、前の方まで広げている私の“注意力”を意識して下げること。

 前のペースに惑わされることなく、私は我慢のレースをしました。

 そして、案の定──

 

(パーマーさんが……)

 

 前の方で動きがありました。

 先頭を走っていたはずのパーマーさんが、下がり始めて抜かれました。

 コーナーを利用してその表情を見た限り、余裕を残してペースを下げたんじゃなくて、スタミナ切れを起こしたせい。

 

 ──ずるずると下がっていくメジロパーマーさん。

 ──そして代わりに先頭に立って逃げるダイタクヘリオスさん。

 ──その彼女を追い上げようとするトウカイテイオーさん……

 

「……うん?」

 

 最後の直線まであと少し──そこで先頭集団を見た私は、不思議な感覚を覚えました。

 それは奇妙な既視感(デジャビュ)──

 

 茶髪のはずのパーマーさんの髪の毛が綺麗な青色に……

 青い差し色の入った茶髪のヘリオスさんの髪がまるで雪のような葦毛……

 普通に茶髪のテイオーさんの髪の毛もまた葦毛のように見え……

 

 

 ──その景色が重なったんです。

 

 

「これは……」

 

 ──ハイペースに耐えられなくなって落ちていくのはツインターボ。

 ──代わりに先頭になって走るのはプレクラスニー。

 ──その先頭に狙いを定めて追い上げようとしているのは……メジロマックイーン。

 

 あのときの──去年の有記念のシーンが、私の脳裏に浮かんだのでした。

 

「この展開……ひょっとして、あの時と同じ……」

 

 そうです。

 去年の年末の、私があこがれたあのレースと、今回のレース展開が似ているんです。

 速いペースになったそのレースを、制したのは──末脚を溜めていたあこがれの先輩。

 

(ということは、ここで焦ったらダメ……最後の、直線勝負……)

 

 その間にもレースは進み、いよいよ最後のコーナーを抜けようとして──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「なぁ、ターキン……このギャロップダイナ(あたし)天皇賞(秋)(アキテン)と、ダイユウサク(あいつ)の有記念、何が違ってた?」

 

 トレーニングの合間に、ギャロップダイナさんがそう私に尋ねてきました。

 

「それは、ええと……」

 

 ダイユウサク先輩の有記念は、私の憧れのレースですし、もちろんよく覚えています。

 最後の直線で、外からダイタクヘリオスさんやプレクラスニーさんへと迫るメジロマックイーンさん──を越える驚異的な末脚で、内から抜き去っていったダイユウサク先輩。

 あ……

 

「ダイユウサク先輩は内を通ってましたけど、ぎゃ、ギャロップダイナさん、は……外から、とか……?」

「正解~ッ!」

 

 そう言ってギャロップダイナさんは満足げにニヤリと笑って、唇の間から乱杭歯をのぞかせます。

 

「どっちのレースも、ハイペースで前がバテたレースだった。ま、あいつは後方ってよりは中段での待機だったというのもあるが……外に振れなかった理由があった」

 

 ダイナさんは笑みをそのままに、私に「その理由、わかるか?」と訊いてきました。

 

「え? えっと……外に、マックイーンさんがいた、から……?」

「それもある。あいつ、天然だったのかわざとだったのか分からねえが、内を抜けていくときに他のウマ娘でマックの視界を遮ってやがった。だから自分以上の速さであがっていくあいつに気づくのが遅れたんだ──」

 

 もっと早く気づいていれば結果が違っていた可能性もある、とダイナさんは真面目な顔で言いました。

 

「……でもまぁ、そいつは結果論だ。あいつは、マックが外にいるなんとことまで考えちゃいなかったと思うぜ」

「じゃあ、どうして内に……」

「もっと単純な話で、スタミナの関係だ」

 

 答えを出せなかった私に、「難しく考えすぎだ」と苦笑しながら説明してくれます。

 

「あいつは2000までが主戦場で、それを越えたのを走ったのは京都大賞典しかなかった。2500のレースは未知の領域で、おまけにハイペースな展開。外に振る余裕なんてありゃしねえ」

「だから、距離のロスが少ない内を……」

「ああ。もちろん賭けになるけどな。前に壁ができればそれを避けなきゃならねえし、そこで余計な体力を使う。その判断ができて、さらにはすり抜けてこられたのは……あいつのレース勘だろうな」

 

 ハッキリ言って……ギャロップダイナさんをあまりよろしく思っていない様子のダイユウサク先輩と、それをからかうようなギャロップダイナさんの関係はあまりよくないと思ってました。

 でも、ダイナさんはダイユウサク先輩のことをよく見て、ちゃんと評価しているみたいです。

 

「あいつも伊達に30戦以上も走ってなかったってことだ。展開予想とコース選択、それに抜き去る技術は積み重ねた経験に基づいてやがる。他人に無関心だからか、妙に思いきりよく飛び込んでいたし」

 

 そう言って素直に感心して、誉めていました。

 

「そう、だったんですね……」

「とはいえマイラーが2000を走ってるんだから、あたしも主戦距離より長かったってのは一緒だけどな。そこまで切羽詰まってなかったのと最後方からだったのもあって外から行ったが……」

 

 他の動きをほとんど気にする必要がないから、という理由もあって外を選んだ、とギャロップダイナさん。

 レースを思い出していた彼女は、私を振り返ってジッと見つめてきました。

 

「そんな感じで、最後の直線でどこを走るか、ってのも状況やら性格を加味して、自分にあったものを選ぶのが大事だからな、ターキン。お前に合っている最善の道を、突っ走るんだ」

 

 そう言って、彼女は気持ちいいくらいに豪快に笑いました──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──最終コーナーの出口

 

 私は、ギャロップダイナさんのアドバイスを思い出していました。

 もちろん私の脳裏には、直前に重なった去年の有記念の光景がしっかりと浮かんでいます。

 外をあがっていくマックイーンさんを、内から抜かしていくダイユウサクさん──

 

『──お前はダイユウサクじゃないんだ』

 

 頭をよぎる、トレーナーさんから言われた言葉。

 そして──

 

 

『お前は、お前の道を行け! レッツゴーターキン!!』

 

 

 脳裏のトレーナーさんは記憶にない言葉を、私にハッキリと言ってくれました。

 はい! 私にできる、ことを……私ができる、最善の道を──私は……

 

 

「──Let's Go(いきますッ)!!」

 

 

 大外のさらに外──追い上げていく集団に加わるのではなく、さらに外へと進路をとる。

 その前に遮るものはなく、脅かす者も存在しない──臆病で気の弱い私が、最速で走り抜けるための──私だけの勝利への道(ウィニング・ロード)

 

 そこへと進む私の背を、

 

「「「「「いけええぇぇぇぇッ!!」」」」」

 

 ──ダイユウサク先輩が、

 ──ギャロップダイナ先輩が、

 ──ミラクルバード先輩が、

 ──オラシオンとロンマンガンさんが……

 

 

「「そこ()! ターキンッ!!」」

 

 

 ……そして、私を見てくれていた、トレーナー2人の声が重なって──押してくれました。

 このレースの中だけでも数多く襲ってきた不安。

 その元凶たる私の弱い心に打ち勝ち──ビシッと空間に亀裂が入り、破れたような感覚に襲われました。

 その違和感に、一瞬不安を感じましたが……

 

(トレーナー! トレーナーさん! それに、みんなのために……私は、弱い自分に、勝つッ!!)

 

「ハアアアァァァァァァァッ!!」

 

 一瞬で、その不安をその場に置き去りにして、振り切り──私は駆ける。

 今までにない、最高の疾走感に包まれ、私は、私の道を駆けた。

 

 まるで放たれた一条の光のように……私は大外を一気に駆け抜ける──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

『ダイタクが先頭だダイタクが先頭だ!

さぁ、まだか? テイオーはまだか!?テイオーはまだか!?

テイオーは2番手──』

 

 そんな実況が、スパートをかけたわたしの耳に入ってくる。

 主役をお待ちのようだけど、あいにく今日の主役は、彼女なんかじゃない──

 

(主役はこのわたし……ムービースターよッ!!)

 

 そのための舞台を、わたしは作り上げた。

 このレース(世界)の支配者はわたしであり、わたしの思惑(シナリオ)通りにことは進む。

 そう、主役であるムービースター(わたし)の勝利によって、この作品はハッピーエンドを迎えるんだ!

 だから──

 

 

 ──前を走る、端役のウマ娘なんて、とっくに舞台から去っているはずなんだ!!

 

 

 その、とるに足らないはずの──わたしと同じローカル重賞の常連の──ウマ娘に、追いつけない!

 

『──しかし、外から一気に後続が押し寄せてきた!

一番外からレッツゴーターキン! レッツゴーターキンッ!!』

 

 実況に、名を呼ばれる──このレースの主役となったウマ娘。

 それにわたしはどんなに死力を尽くしても、追いつくことができなかった。

 

「なんで、どうして……ここまで、やったのに……」

 

 わたしの目からは──悔し涙が、落ちていく。

 このレースに勝つために……スターになるために、わたしは演技(ブラフ)までしたっていうのに──

 

『──レッツゴーターキン、ムービースター!! レッツゴーターキン、ムービースター!!』

 

 どうして実況は、わたしの名前を単独で呼んでくれないの?

 まるで二人一組(セット)のように──主役と、悪役のように……

 

「あ……」

 

 それで、気づいた。

 そうだ……わたしは、悪役になっていたんだ。

 策謀を巡らせて、人を陥れて、なりふり構わないまでにどうにかして勝利を求める姿は……完全に、悪役(ヒール)だった。

 そして目の前の彼女は、そんなわたしの思惑にも策略も関係なく、自分を貫き──わたし(悪役)を倒した……

 

 

 ──間違いなく、主役(ヒロイン)だった。

 

 

『レッツゴーターキンだああぁぁぁ!! なんとビックリ、レッツゴーターキン!! そして二着はムービースター!

 レッツゴーターキン、大外を一気に駆け抜けた──』

 

 

 ──そして、終幕の実況(ナレーション)が響きわたった。

 




◆解説◆

Let's Go(さぁ、行け、) Tarquin!(ターキン!) Movie Star!(主役はキミだ!)
・二通りの読みが楽しめる、“一粒で二度おいしい”的な今回のタイトル。
・元ネタは92年の天皇賞(秋)の、ゴール直前の実況「レッツゴーターキン、ムービースター!」から。
・このフレーズが出てくるのは、フジ系の競馬中継だった三宅アナバージョンの方。
・そしてもう一つのルビの方……もちろん「Movie Star」は競走馬の名前ですが、それを強引な意訳をしてみました。
・今、様々な番組で大活躍している三宅アナですけど、このころから実況やって活躍なされていたんですね。
・レッツゴーターキンは英語表記の登録は「Let's Go Tarquin」。気になって“Tarquin”のつづりで調べたんですけど……そのものずばりの単語は出てきませんでした。

分かっている
・前話でわかるように、この時点で乾井トレーナーはムービースターが仕掛けた盤外戦術に気付いてません。
・でも、ムービースターが煽るだけ煽って後方待機の定位置にいるのが予想できなかっただけで、逃げウマ娘たちへの刺激や去年の斜行騒動への意識誘導には気づいていたので、先頭の速いペースでの開幕への予想や様々な思惑が入り混じって「荒れる」要因には気づいていました。
・無論、ここまでのハイペースになるのは完全に想定外です。
  
ゲートでびっくりしちゃいました
・前々話のラストで驚いていたのは、久しぶりに感覚の精度をあげた違和感が原因だったという話。
・たぶん、足元の虫かなんかに気が付いたんだと思います。それで慌てて後ろに下がって、係員とぶつかってしまった……と。

冷静さを失っていた
・これは、ゲーム的な話をするとムービースターのデバフスキルの影響です。
・しかも固有スキル級で、レースをコントロールして他のウマ娘の冷静さを失わせてペースを乱すもの。
・ターキンも他のウマ娘共々このスキルに巻き込まれていたんですが、生来の気弱な性格から負けん気を煽る効果が低く、トレーナーの助言もあって冷静さを取り戻しています。
・ちなみにこの少し前にムービースターを、前に行こうとしたのが思う通りの展開ができなくて「かわいそう」と勘違いしていますが、臆病で気の弱いターキンは根本的に人が良いので、この時点でも完全に騙されたままです。
・……けっしてアホな娘なわけじゃないですよ?

そんな実況
・『テイオーはまだか』のフレーズも三宅アナ版のもの。
・ド本命だったとはいえ、この露骨な応援はいかがなものでしょうかと思わなくもないですが……オグリキャップのときも競馬中継番組が露骨に肩入れしてましたからね。
・そんな感じでフジテレビの競馬中継は、どうしても公平さに欠けるところがありますから……

名前を単独で呼んでくれない
・もう一つ実況ネタ。
・実は「レッツゴーターキン、ムービースター」を二度繰り返した後、なぜか「ヤマニングローバル!ヤマニングローバル!」と二頭のさらに内側からテイオーを抜き去ったヤマニングローバルの名前を二度ほど叫んでいるんですよね。
・でもこれ、呼んでるときは完全に、レッツゴーターキンの方が前に出ているんですけど……
・中継映像見ると、なんで呼んだんだろう? と不思議に思えるレベルだったりします。
・まぁ……ヤマニングローバル3着だったし。
・2位のムービースターはセット扱いだったけど。(笑)


※次回の更新は5月18日の予定です。  



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第31R Let's go Run&Run! 掴みとれMy Way

 
 ──スタート前の観客席

「今日はテイオーさんの復帰戦なんだから、全力で応援しないと!」
「マックイーンさんがいないから、きっとテイオーさん勝てるよ」
「もう、ダイヤちゃん!」

 観客席の最前に陣取った私たち。
 そこで満面の笑顔を浮かべるキタちゃんの言葉に、ダイヤちゃんが澄まし顔で茶々を入れ、さらに反発するキタちゃん。
 その様子を横で見ながら、私は苦笑を浮かべるしかありません。

(うぅ……なんでこんなことに……)

 ダイヤちゃんがなだめて、また満面の笑みに戻ったキタちゃんを見ながら、私はそう思わずにはいられませんでした
 今日は秋の天皇賞。
 その出走メンバーにわたしが応援しているダイユウサクさんは出ていないんですが──

(確かに、大舞台で走る姿を見たいと手紙に書きましたが……)

 ダイユウサクさんが所属するチーム〈アクルックス〉の練習風景を見た私は、そこで頑張るレッツゴーターキンさんの姿を見て、気になっていました。
 でも、新潟とか小倉とか離れた場所のレースにかり走っていたので、練習を見学させていただいたお礼の手紙に、中央のレースに出走させて欲しいと書いたのです。
 そうしたら……

(まさか、秋の天皇賞に出てくるなんて、完全に予想外です)

 東京、中山、阪神、京都といった大きなレース場(大舞台)の重賞で何度か走ってから、GⅠに挑戦するのかと思っていたのに……

「おかげでまた、気まずい思いをすることに……」

 私が人知れずボソッと愚痴ると、急にキタちゃんが振り向いた。

「マリアちゃん、どうかしたの?」
「え? ううん、なんでもないけど……どうして?」
「なんか困ったような顔をしていた気がしたからね。もしもなにかあるなら、なんでも言って。力になるよ!」
「う、うん……大丈夫だよ。気のせい気のせい……」

 私はそう答えて精一杯の笑みを浮かべました。
 多少ぎこちなかったかもしれないけど、キタちゃんは「それならいいけど……」と引き下がってくれました。
 ふぅ……危ない危ない。

(せっかくキタちゃんとダイヤちゃんが誘ってくれたんだし……)

 秋の天皇賞を見に行くのに誘われたのは、実はかなり前の話でした。
 キタちゃん──キタサンブラックという私の友達のウマ娘が応援しているのがトウカイテイオーさん。
 そのテイオーさんが春の天皇賞後に負傷が判明して休養し……その復帰戦になるというのがわかってすぐ、キタちゃんに誘われたのだ。

「マックイーンさんもダイユウサクさんも出てこないみたいだから、みんなでテイオーさんを応援できるね!」

 無邪気にそう言って笑うキタちゃん。
 ダイヤちゃんも、彼女の推しであるメジロマックイーンさんが負傷から復帰してこないのは残念そうだったけど、気分を切り替えて「今回は私も応援しますね」とニコニコしています。
 そんな二人を見て……

「あ、私はレッツゴーターキンさん応援するから。テイオーさんの応援はパスするね」

 ──なんて言えるわけないじゃないですか!
 ああ、またしても……春に続いて秋の天皇賞まで“推し”を隠して観戦しないといけないだなんて。
 どうにか笑顔を繕って、「テイオーさ~ん!」と歓声をあげるキタちゃんにつきあいながら、こっそりターキンさんを見たりして──

「ヘ~リ~オ~ス~さぁぁぁぁんッ!!」

 ──そんな私たちのすぐ隣の人が大声をあげてました。
 思わずビックリしてその人を見たんですが……黒鹿毛の髪の上にピンと立った耳とお尻から出ている尻尾からウマ娘だとわかります。
 年は私たちよりも上のお姉さんみたいですけど、どうやら熱狂的なダイタクヘリオスさんのファンみたいで……

「あぁ……、府中の彼方になにか背負って旅立たないといけないくらいのものをヒシヒシと感じるあのウマ娘(ひと)……今日もまた、やってくれると信じております!!」
「むぅ……」

 そんな彼女の大きめの声が聞こえたらしく、キタちゃんがわかりやすくむくれました。

「でも、今日の一番人気は、テイオーさんだもん」
「む……」

 キタちゃんが聞こえるようにいったせいで、そのウマ娘さんもキタちゃんを眉をひそめて見つめました。

「……ヘリオスさんだって、3番人気でありますよ。それに……あの“皇帝”さんだって天皇賞(春)(ハルテン)からの休養明けの天皇賞(秋)(アキテン)に出走して負けてるでありますし」
「なッ……」

 絶句するキタちゃんでしたが、聞いていたらしい後ろのお兄さんがなにやら話し始めました。

「その通り。春の天皇賞でも圧倒的な強さで勝利したシンボリルドルフ。その再来とも言われ、無敗で三冠に挑んだもののケガに泣かされたトウカイテイオー……」
「どうした急に」
「春の天皇賞での敗戦は3000メートル越えの距離に屈した敗戦という結果に違いはあれど、そこから間隔をあけてぶっつけ本番の秋の天皇賞は、一昨年のオグリの不振、去年のマックイーンの降着という波乱続きもあってイヤな予感が……」
「「イヤな予感なんてしなーい!」」

 キタちゃんとダイヤちゃんが声をそろえて、そのお兄さんの言葉を遮り──遮られたお兄さんは我に返って「ゴメン」と謝っていました。

「だって、テイオーさんが勝つんだから!」
「いいや、ヘリオスさんだね!」

 隣のウマ娘のお姉さんとついに向き合って視線をぶつけ合うキタちゃん。
 言い合って、「ぐぬぬ……」と威嚇し会う二人。

「テイオーさんは、すごくいい人なんだよ! カッコいいし、ケガにも負けないんだから!」
「ヘリオスさんだってああ見えて優しくて意外と気さくで礼儀正しくい人であります! 手を振る人に笑顔で答えるし!」
「そんなの、テイオーさんだっていつもしてるもん!」
「でもそれは、競走ウマ娘なら普通にできるんじゃ……?」

 二人の言い争いを聞いていたダイヤちゃんが思わずツッコんだ。
 それを聞いて、隣のお姉さんは──

「いーや、そんなことないであります! 見たまえ、あのウマ娘……完全にキョドって、笑顔どころじゃないでありますよ!」

 指を指した先には、大歓声にビクビクしているレッツゴーターキンさん。
 あぁ、なにやってるんですか、あのウマ娘(ひと)……
 思わず顔を手で覆いたくなってしまいます。

「テイオーさんはもちろんできるもん! だからテイオーさんは負けない!」
「ヘリオスさんだって負けないであります──」
「「ぐぬぬぬぬ……」」

 にらみ合う二人を、ダイヤちゃんと私は苦笑いを浮かべながら見つめることしかできません。
 後ろのお兄さんたちも、困った様子で見ていました。

 ──そんな感じで周囲が騒がしい中、秋の天皇賞は始まったんです。
 そして……

「よ~し! パーマーさんが遅れてきてヘリオスさん先頭ッ! ヘリオスさんしか勝たん! で、あります!」
「まだまだこれからだもん! テイオーさんすぐ後ろにいるんだから!」

 去年のアレのせいで妙に緊張の走ったスタートから最初のコーナーを越えてハイペースで進んだレースはいよいよ終盤戦。
 これまで先頭(ハナ)を切っていたメジロパーマーさんがバテて下がり始めて、代わりにすぐ後ろを走っていたダイタクヘリオスさんが先頭になって最後の直線に入ります。

『ダイタクが先頭、ダイタクが先頭!
まだか、テイオーはまだか!テイオーはまだか!』

「いけえぇぇぇ! テイオーさぁぁぁん、がんばってぇぇぇ!!」
「粘れぇぇぇ! ヘリオスさぁぁぁぁん!!」

 長い東京レース場の最後の直線。
 追い上げるテイオーさんの追撃に、追いつかれまいと必死に逃げるヘリオスさん。
 観客の視線は、皆その戦いに注目し……ついにテイオーさんがヘリオスさんの内から前へと出ます。

「やったああぁぁぁ! テイオーさん、あと少し──」
「まだまだであります! ヘリオスさん、もう一度──」

 二人が方や歓喜、かたや不屈の声援をあげる中──

「あ…………」

 とあるウマ娘を気にしていてそれに気がついた私は、思わず声を出してしまいました。
 そして──


「「「…………え?」」」


 勝利を目前に興奮するキタちゃんと、同じく友人の推しの勝利を確信してはしゃぐダイヤちゃん、それに未だあきらめないウマ娘のお姉さんの前を──


 ────レッツゴーターキンさんが、駆け抜けていった。


 それに続くようにもう一人、後ろについて行き──そこからなだれ込むように後続がやってきて……

『なんとビックリ、レッツゴーターキン!! 2着はムービースター!』


「「「「……はい?」」」」

 みんなよりも少しだけ早く気がついた私でさえ、その光景が信じられずに呆然としてしまいました。
 気がつけばレッツゴーターキンさんとその後ろのもう一人に、テイオーさんもヘリオスさんも抜かれてしまっていたのでした。
 その二人は抜かれた直後に張りつめていた糸が切れたかのように勢いを失って……バ群に消えていたのが、見えていました。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


(な、な……なんだこれ……)

 そのあまりに予想外な結果に、愕然とした。
 もちろんダイタクヘリオスさんが勝つと信じていたけど、大本命のトウカイテイオーに抜かれてしまい、「テイオー相手なら仕方ない」と半ば思ったけど──勝ったのは、後方から強烈な末脚で差したウマ娘だった。

「だ、誰? ……レッツゴーターキン?」

 そんな自分のつぶやきは、観客席の誰もが思ってることだったらしい。レース場内にはどよめきがおこっている。
 確認したら人気の低い、誰も注目していないようなウマ娘だった。

(よくも、こんな……)

 スマホを使って成績を見れば大した成績をあげているわけでもない。低人気だったのもうなずける。
 ──というような勝てるとは誰も思わないような状況。
 そんな逆境を跳ね返し、大逆転での勝利──

(なぜ、でありますか? なんで……)

 推しは運命的なものを感じるダイタクヘリオスさんなのは、間違いない。
 でもなぜか……心の琴線に触れる、この勝利……

(そうです。前にヘリオスさんが出たレースで──)

 昨年末、てっきりスプリンターズステークスにでると思っていたヘリオスさんは、その次の週の有記念に出走した。
 さすがに2500の距離は厳しく、勝利できなかったけど──

(あのときも、心が……震えました)

 常識的に見て()()()()()と思っていたメジロマックイーンという絶対的強者を、()()()()()()と思っていたウマ娘がその絶対的評判をくつがえして勝って見せた、あのレース。

(なぜでしょう。そういうレースにこそ、魂がひかれるような……)

 呆然と見ている中で、その勝ったウマ娘は感無量になって涙を流し──そこへ駆け寄るトレーナーが目に入った。

(え? あれは……)

 その人に、見覚えがあった。
 そうだ、あれはあの有記念のときにも見た、あの勝ったウマ娘のトレーナーだった人だ。

(なんて人でしょう。あの時もそうでした。完全に勝ちが見えない状況だったのに、誰もが大本命の勝利を疑ってなかったのに、それを逆転して見せるだなんて……)

 自身の“魂”が震える──初めて感じたそれに、ひどく戸惑った。
 それは、圧倒的な劣勢を覆す──それこそが自分の名に与えられた“使命”だと言わんばかりに、熱く心が揺さぶられた。

(うぅ、なんだろう。この感覚──)

 自然と勝ったウマ娘よりも、そのトレーナーに興味がいく。
 その彼が羽織ったジャケットに描かれた南十字座(サザンクロス)の意匠と“α・clux”の文字が──心に深く深く刻まれていた。



 

「負け、ちゃった……」

 

 ボクは、呆然とその勝利したウマ娘を見ていた。

 だれ? あの()……

 天皇賞で競走(はし)ったパーマーでもなければ、2番人気のネイチャでも、3番人気のヘリオスでもない。

 ホワイトストーンとか、一緒にレースしたことがあるウマ娘でもないし──

 

「あ……」

 

 それで、ボクは気がついた。

 ひょっとしたら……

 

「カイチョーも、こんな気持ちだったの……かな?」

 

 シンボリルドルフ(会長)が唯一走った秋の天皇賞は、見たことも聞いたこともない、条件ウマ娘が制して──会長は負けちゃった。

 まったくの予想外の結果に、ボクも驚いたけど……だからよく覚えてる。

 

 

 ……あの会長が、悔しさのあまりに涙をにじませていたのを。

 

 

 だからよくわかる。

 ボクも、涙が出そうなほどに悔しいんだから!

 春の天皇賞でマックイーンに負けたときも、そうだった。

 でも……ボクは堪えた。マックイーン(仲間でライバル)を祝福するために。

 

(だけど今回は……)

 

 負けたウマ娘のこと、ボクはなにも知らない。

 全然マークしていなかったし、まさか負けるなんて思ってなかったから。

 でも──

 

「次は、負けない……負けられ、ない……」

 

 会長は負けたウマ娘に絶対に負けなかった。

 初めて負けた相手には、その年の有記念で徹底マークして勝ってる。

 あのウマ娘にも、直後のジャパンカップで──

 

「そうだ……うん! 絶対にリベンジしてやるんだ!!」

 

 ボクの次の目標は──決まった。

 会長のように、ボクはあのウマ娘に絶対に勝つ!!

 それがボクの、新しい目標だ!!

 だから顔をあげて両足でぐっとこらえて、しゃんと立つ。

 そして──

 

「残念、だったな。テイオー……」

 

 会長の、困惑が透けて見えるような顔がそこにあった。

 ひょっとしたら声をかけずに立ち去ろうとしていたのかもしれない。

 でも……ひょっとしたらボクのことが心配で、立ち去らずにいたのかもしれない。

 そのちょっと困ったような、会長のレアな表情を見て、ボクは──

 

「うん。でも……次こそ、勝つよ!!」

 

 ひょっとしたら悔しさで顔が強張っていたかもしれない。

 でも、それでも精一杯の笑顔で、ボクは答えた。

 

「そして、あの()にリベンジするんだ!」

「そうか……ああ、キミなら絶対に、勝てるさ」

 

 そう答えてくれた会長は「私の時のように、な」と心の中で言ってくれたような気がした。

 うん。ボクもそれに向かって──今日から、ううん、今からガンバるんだ!!

 

(絶対に、勝ってやるんだから!)

 

 ボクは今日の主役になったウマ娘を見る──と、なぜか妙にオドオドしてた。

 うぅ、マックイーンみたいに堂々としてないから、なんか調子狂うなぁ。

 思わず苦笑しながら、ボクは彼女を見ていた。

 

 

 

 ──なお、その目標は一ヶ月としないうちにアッサリと達成させてしまい、そこで目標を見失うとは、このときのテイオーは夢にも思っていなかったのであった。

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 ゴール板を駆け抜けて、徐々に速度を落とした私は呼吸を整えながら、足を止めることはしませんでした。

 そしてみんなゴールを抜けたというのに、観客席からはどよめきが起こっているだけです。

 

(え? 今年もまたなにか……)

 

 去年みたいに、今年も審議がつくようなことが起こったのでしょうか?

 私は不安になりながら、掲示板を見て──

 

「………………え?」

 

 あの、えっと……ええ、あの掲示板、壊れてますよ?

 だって1着のところに“2”って数字が出てますから。

 2って……今のレース、出走枠が2番だったのって……えっと、私……ですから。

 

「私が、1着だなんて……」

 

 ええと……確かに最後の直線は無我夢中で走りましたけど、でも……

 言われてみれば、最後には景色がぱーっと開けて、私よりも前には誰もいなかったような気が……

 

 ……え?

 

 前に誰も、いない?

 それって……

 

「わ、わたわた私、私が……いいいい1着、ってここことですかぁぁぁ!?」 

 

 そういえば……どよめきが起こってる観客席(スタンド)から、妙に視線を感じるような気がするのですけど……

 よく耳を向けて聞いてみると

 

「え? レッツゴー……なに?」

「ドンキ? 三匹?」

「誰だよ、あれ……」

「え? 勝ったのテイオーじゃないの? レッツゴーターキン? 誰それ……」

「……チーム〈アクルックス〉所属って……あのダイユウサクがそうじゃなかったか?」

 

 ううぅぅぅぅッ!? 皆さん、私のことを話していらっしゃるような……

 どよめきつつも、妙な静かさを感じてしまう雰囲気の観客席(スタンド)

 それを直視できず、ビクビクしながら向かい合うように立ってしまう私……

 妙な緊張感が生まれ始めた、その時──

 

「おめでとう、ターキン……」

 

 そう声をかけてきたウマ娘がいました。

 視線をあげると、ムービースターさんが笑顔で私の目の前にいたのです。

 彼女が近づいてきていたのに気づかなかったので少し驚いたのですが……

 

「あ、あの……」

「どうしたんだい? 主役がそれじゃあ、他のみんなが困っちゃうよ?」

 

 そう言って彼女は笑顔のまま──さっと手を差し出してきました。

 

「あ……あの、ありがとうございます」

 

 それに私は反応して、その手をしっかりと掴み──握手をしました。

 その瞬間──場内から歓声と、割れんばかりの拍手が起こったんです。

 もちろん、それに私は──ビクッと飛び上がらんばかりに驚きました

 

「相変わらずだね。ターキン……」

 

 そんな私の姿に苦笑するムービースターさん。

 

「……八大レースの一角を取ったんだから、もっとしゃんとしなよ」

 

 そこへ──ピンクと黄色の勝負服のホワイトストーンさんがやってきて、私に話しかけてきました。

 

「ストーンのいう通り。じゃないと競った私らが格好つかないんだからね。それに……“盾”がもらえるからって、それに隠れちゃダメだよ?」

 

 ホワイトストーンさんの後を継いで、ムービースターさんが苦笑します。

 

「あ……、そっか……」

 

 天皇賞ウマ娘に贈られるその証。

 未だに地に足がつかないような、ふわふわした感じだけど……“盾”を授与されるということだけはなぜか印象に残って、現実なことを感じさせてくれました。

 

「ターキン!!」

 

 そこへ──さらに勝利を実感させる、歓喜の表情を浮かべたトレーナーがやってきました。

 

「トレーナーさん! 私、私……」

「よくやったな、ターキン。おめでとう……」

 

 その姿を、喜ぶ姿に急に実感がこみ上げてきて……同時に、自分のあふれんばかりの喜びの感情を持て余してしまい──

 

「トレーナーさぁぁぁぁぁんッ!!」

 

 私は駆け寄って、思わず抱きついてしまいました。

 溢れる涙は全然止まらず、それを隠すように彼の胸に顔を埋めてしまいました。

 

「あじがとぉ、ごじゃいますぅぅ……わだし、わだじぃぃ」

「う、えっと、ターキン……お前、勝ったんだから、もう少し……」

 

 なぜでしょうか……大レースを勝利したウマ娘が、お世話になったトレーナーさんに感極まって抱きついた感動的なシーンのはずなのに、トレーナーさんがいわゆる……ドン引き……している、ような……

 私が不安になって顔を上げると、驚くほど近くに、トレーナーさんの顔がありました。

 

「う!? あぅ……」

 

 そ、それはまぁ、抱きついたんですから、それも当然のはずなわけですけども……

 近いトレーナーさんの顔から逃げるように、思わず視線を逸らしてしまったんですが、するとトレーナーさんは私の頭にポンと手を乗せて、優しく撫でてくれました。

 

「よく我慢したな。それにあの末脚……本当に立派だった」

「トレーナー、さん……」

「で、お前にもう一つ、朗報がある」

「え……?」

 

 思わず目を(しばたた)かせた私に、トレーナーさんはニヤリと笑みを浮かべて言いました。

 

「オレの前任者……前野トレーナー、今朝無事に出産したそうだ。母子ともに健康……どころか、レース直後に電話がかかってきたぞ。お前に『おめでとう』ってな」

「はぅ…………」

 

 そっか……トレーナー見ててくれたんだ。

 じゃあ、あの時聞こえたのは、本当にあの人の声だったのかもしれない。

 

 

 ──この場にいなかった、聞こえるはずのないあの人の声が私にはハッキリと聞こえたんだから。

 

 

「あの、トレーナーさん……私、お礼、言わないと……トレーナーさんにも、あの人にも……ここまで、頑張ってこられたのは、お二人がいたから……」

「違うよ、ターキン。オレもあの人も、お前をちょっと支えただけだ。この栄冠を勝ち取ったのは……お前の力だよ」

 

 そう言ってトレーナーは、私の肩をポンとたたいて、観客席へと向かせました。

 そこから、割れんばかりの歓声が響きわたって──私へと叩きつけられます。

 

「……ッ」

 

 その巻き起こった歓声に──ほんのちょっとだけ驚きましたけど──もう、私は気圧されません。

 だって私は……GⅠウマ娘になったんだから。

 

 そして──今日生まれたその子にあこがれてもらえるような、立派なウマ娘にならないといけないんですから。

 

「そう、私があこがれた……あの日のあの人みたいに──」

 

 私は高くなった秋空を見上げ、今よりもさらに寒かったあの時の空を、ハッキリと思い出しました。

 そして初めてあの人に会った──その一つ前のレースを。

 

「あの時から始まった、私の道……」

 

 ダイユウサク(あのウマ娘)さんを目にして、その背を追いかけて──私はどうにか、同じゴール(GⅠ制覇)へとたどり着けました。

 

(でもそれは同じ道なんかじゃなかった。私の、私だけの道……)

 

 だからこそこれからも私は、私の“走り”を続けていきます。

 いつか──それが私が引退した後でもいいです──それを今日生まれたその子が見て、「お母さんが育てたウマ娘」と胸を張って言える、そんなウマ娘になる……それが私の新たな、目標になりました。

 

 

ウマ娘(私たち)に、ゴールなんてない。走り続けるしかない。だから……振り返ることなんてもう、いりません……Let's Go ターキン()!」

 

 明日の私はきっと、今日よりちょっとだけでも強くなってると信じて──




◆解説◆

【Let's go Run&Run! 掴みとれMy Way】
・今回のタイトルは『轟轟戦隊ボウケンジャー』のED、「冒険者 ON THE ROAD」から。
・『轟轟戦隊ボウケンジャー』は戦隊シリーズの中で私が一番好きな戦隊でして、リーダーが集めたメンバーという設定とかメンバー自身とか、ダイヤルを回す変身方法とか、メカとか、複数の敵組織が入り混じったり、目的が敵を倒すのではなく危険な対象物の確保とか、全部好きですね。
・OPも良いのですけど、EDの「冒険者 ON THE ROAD」も歌詞がいいし、「Let's go」が入っていたので採用しました。
・2章の1部でありレッツゴーターキン編の最後ということで、EDテーマなのもちょうどよかったですし。

秋の天皇賞
・そういえば今回のレースの解説を忘れていたので、今さらながら……
・なお、天皇賞そのものの解説については以前(第一章の64話)でしていますので、今回のモデルになった92年の秋に開催された第106回天皇賞について解説します。
・開催は1992年11月1日に、通常通り東京競馬場の2000で開催されました。
・天候は晴れ。馬場は良。午後3時35分に出走。
・なお、すでに解説済みのように、ムービースター騎乗の武豊騎手が事前に「不利にならないように前でレースをする」という盤外戦術を仕掛けていたため、パーマー、ヘリオス、トウショウファルコの3頭の逃げ馬が逃げ、大本命テイオーがすぐ後という展開。
・そして前半だけ見れば今も5本の指に残るような異常なハイペースになり、途中でパーマーが脱落。
・ダイタクヘリオスも最後の直線の半ばまで先頭に立っていたものの、ついに力尽きてテイオーに先頭を譲ります。
・が……そのテイオーも満身創痍な状況で、後ろが詰めてくる……のですが、これまた中段でテイオーのマークをしていた馬たちも、やっぱりバテ気味でなかなか追いつかない。
・──と思ったら、後方待機していたレッツゴーターキンが怒涛の末脚で追い上げ、同じく後方待機していたムービースターもそれに続く。
・内からヤマニングローバルも抜け出したものの、レッツゴーターキンとムービースターには追いつけず……そのまま18頭中11番人気だったレッツゴーターキンの勝利となりました。
・単勝は34.2倍。十分に高い倍率ですが、ダイユウサクとかギャロップダイナに比べると……
・なお2着のムービースターを入れた馬連になると142.2倍。ちなみにムービースターは5番人気と、そこまで悪くなかったのでした。
  
3番人気
・1番人気のトウカイテイオーの父はご存じシンボリルドルフで、そのルドルフが制した東京優駿の2着になったのが、ダイタクヘリオスの父であるビゼンニシキ。
・そのため92年の天皇賞(秋)は、産駒同士の「SB対決」と言われていました。
・実際、実況でもゴール前の直線等でそのフレーズが出てました。
・まぁ、結果はテイオー7着、ヘリオス8着でしたが。
・ただダイタクヘリオスは2番人気ではなく3番人気だったんです。
・2番人気はナイスネイチャ。3着ヤマニングローバルから半馬身差の4着。
・ちなみに5着はいぶし銀のホワイトストーンが入ってます。

ウマ娘のお姉さん
・やたらダイタクヘリオスを応援するこのウマ娘、いったい誰なんだ……

握手
・これは天皇賞(秋)のレース後に、計量室でターキンの大崎騎手に、ムービースターの武豊騎手が握手を求めて応じていたのが元ネタ。
・さらにその後にホワイトストーンが話しかけているのも、計量室で武豊騎手の後機にホワイトストーンに騎乗した柴田政人騎手が話しかけていたのがモデルになってます。

前野トレーナー
・今まで名前つけていなくて、頭の中で「前のトレーナー」と付けていたのですが、今回正式にそのまま「前野トレーナー」になりました。
・なお、11月頭の出産ですので、一般企業なら産休は9月くらいからとるのでしょうが、特殊な環境と引き継ぐ相手を早めに見つけるために4月の終わりごろにターキンの引継ぎをしていました。
・そういう時期については大目に見ていただけると。妊娠前から産休準備に入っていたわけではないので。


※これにて第二章の1部の幕、レッツゴーターキン編が終了となります。
 そして次からは2部のオラシオン編へ──というか、実在するものの結果が出ていないオリジナルのレースばかりになるので、書いている人も困惑しております。
 が、それに負けずに頑張りたいと思っています。
 さらには──もう一人の第2章の主人公というようなウマ娘もいよいよ出していけるかと……


※次回の更新は5月21日の予定です。  



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第32R 乾井備丈は断りたい


 ──先輩が、天皇賞(秋)を制した。

 それは私……オラシオンにとって、本当に驚きでした。
 学園のすぐ近くの東京レース場での開催なのもあって、私も直接見ていたのですが……それでも信じられませんでした。
 実況の──

『なんとビックリ、レッツゴーターキン!!』

 ──という声と共に、ゴール板を駆け抜けたターキン先輩。
 もちろん私も、チームメイトと共に声援を送っていました。先輩に頑張って欲しい、勝って欲しいという気持ちにウソ偽りはありません。
 でも普段の先輩の姿を見ているからこそ、11番人気という現実を知っているからこそ、この結果は──たとえチームメイトであっても──とても信じられず、唖然としていました。

(あのターキン先輩が……秋の“盾”を?)

 GⅠの中でも特に格上扱いされる八大レース。
 その天皇賞を制覇した者に証として授与される、恩賜の“盾”は競走ウマ娘なら誰もがあこがれるといって過言ではありません。

「た、た、たたたたターキン先輩が! かかかか勝っちまいましたよ!?」
「落ち着きなよ、ロンちゃん。見てたんだからわかるよ」
「で、でででも、でもでもでも……天皇賞ッスよ? 秋の盾ッスよ?」
「出走してるんだから、その可能性は誰にもあるでしょ? レースに勝つウマ娘の条件は、そのレースに出走していること──前にそうトレーナーも……あれ? トレーナー?」
「あ? ああ……」

 我に返ったように返事をしたあの人の姿に、ミラクルバード先輩は「さすがに驚いた?」と明るく笑いました。
 誰も予想してなかった、この結果を導いたのは彼──という見方も可能かもしれません。
 なにしろ去年の年末に同じようなことをしていますし。
 でも──

(ターキン先輩は連敗して悩んでいた中でチームに入ってきましたけど、その前には重賞を連勝していたんです。地力はあったんですから……)

 今日のレースは、逃げたメジロパーマーさんが途中で崩れるほどのハイペースになって、出走メンバーのほとんどがそれに翻弄されたような展開。
 後方待機していたおかげでそれに巻き込まれなかったという幸運に加え、ターキン先輩が本来持っている実力が発揮できれば、それは奇策(マジック)でもなんでもありません。 

(評価されるべきは、最後の直線を一気に駆け抜けて他のウマ娘をゴボウ抜きして、ムービースターさんを寄せ付けなかったターキン先輩の末脚)

 そう……これはあの人の手柄なんかじゃない。
 思わず睨むような厳しい目でその人を見ていました。

「……クロ?」

 小声でそう呼ばれて、私は我に返ります。
 声の方を見れば、心配そうな顔をした渡海さんが、私を見てるのでした。



 

「……オラシオンさん?」

「え?」

 

 記者の声で我に返り、私は意識を彼女の質問へと戻しました。

 

「ええと……この前の天皇賞、のことですよね?」

「はい。同じチームのレッツゴーターキンさんの勝利でしたが……」

「驚かなかった、と言えば嘘になります。あのレースはクラシック二冠のトウカイテイオーさんや、ダイタクヘリオスさん、メジロパーマーさんといったGⅠを制した先輩方が出走してましたから」

「ええ、そうですよね。それを──“なんとビックリ”の勝利、でしたからね。昨年末の有ではやはりチームの先輩のダイユウサクさんが“これはビックリ”の勝利……世間では、“驚愕(ビックリ)の〈アクルックス〉”なんて言われ始めてますけど──」

 

 それは私も知っています。

 あの日から、ウマッターなんかでトゥインクルシリーズファンから言われはじめていましたから。

 

「──さながら“乾井マジック”とでも言いましょうか……」

「驚きでもなんでもありませんよ」

 

 笑顔を浮かべて話す記者を遮るように私が言うと、その人は「え?」と驚いた表情になりました。

 

「二人の先輩方は実力を発揮しただけです。そしてどちらもハイペースで前でレースをしたウマ娘たちよりも待機していた側が有利でした」

「そ、そうでしたね。そういう意味では、今回の天皇賞も、去年の有記念も似たような展開ではありました……」

「本命だったメジロマックイーンさんやトウカイテイオーさんが不利な側にいて、先輩方は有利な側になった。それだけです。トレーナーがレース展開を左右できるわけではありませんから」

 

 私が言うと、記者さんは「あはは……」と困惑顔で苦笑しています。

 

「つ、つまり……勝つべくして勝った、ということでしょうか?」

「そういう展開になっただけです。そしてそうなった時に勝つだけの実力を、ダイユウサク先輩もターキン先輩も持っていた……あの勝利は誰かが起こした“奇跡”ではない、ということです」

「は、はぁ……では、オラシオンさん自身はいよいよデビュー戦を迎えるわけですが、そこではどのようなレース展開を?」

「どんな展開になろうとも、自分の実力を発揮する……それだけです」

 

 ええ、誰かさんがデビュー戦を遅らせたおかげで、私は同年代ではかなわないほどの時計を出せるほどになりました。

 この時期までメイクデビュー戦に出てこなかったようなウマ娘たちになど、負ける道理がありません。

 そう思っていると──練習用コースの側で取材を受けていた私に気がついた乾井トレーナーが、こちらへと歩いてきました。

 ……勝手に取材を受けているのが、気にくわないのでしょうかね。

 

「──そうすれば、勝利は揺るがない、と?」

「他のウマ娘(方達)に譲る気はありません。走るからには、勝つだけです」

 

 トレーナーを気にしながら私が答えると、記者の方は「すごい自信ですね」と笑顔を浮かべています。

 それにトレーナーが「スミマセン。そろそろ……」と声をかけ、「わかりました、ありがとうございました」と答えてから一礼して、記者の方は離れていきました。

 取材が終わり、私は一息ついて──

 

「……ふぅ」

「オラシオン、今度のデビュー戦のことだが……」

 

 話しかけてきたトレーナーをチラッと一瞥し、私はその言葉を遮るように──

 

「全力で走って、勝ってきます」

 

 それだけ答えて、私はメニュー通りのトレーニングへと戻りました。

 記録などの資料を手にしながら、渡海さんの指摘や助言に耳を傾けながら練習用のコースを何度も走り──視界の片隅では、腕を組んで立っているトレーナーの姿を捉えていました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ……ど~も。今、時代の波に乗っているんじゃないか、と思われるチーム所属のウマ娘、ロンマンガンです。

 この前の天皇賞(秋)(アキテン)を、レッツゴーターキン先輩が想定外に制覇したもんだから一躍話題になっている我らが〈アクルックス〉なんですが……

 

「……え? なんでこんな空気になってんの?」

 

 そのチーム部屋は、妙に空気がピリついてたりするんですけど。

 ジュニアクラスかつ所属歴も短いというチーム内ヒエラルキー最底辺のあっしは、それにビクつくことしかできません。

 そんな張りつめた空気の中──

 

「あの、バード先輩? なんでこんなことに……」

「分かってて言ってるよね? ロンちゃん」

 

 チーム〈アクルックス〉の部屋で、ミラクルバード先輩にあっしが話しかけると、苦笑気味に答えてくれました。

 彼女がチラ見してるのは──部屋の中で腕を組んでカミナリを周囲にまき散らさんとばかりに不機嫌そうに立っている、我らがチームリーダーの姿。

 

「いや、もちろんあの空気中のチリを片っ端から叩き落すプラズマ空気洗浄機には気づいてますけど。それがなんで、ああなっているのかな、と思いまして──」

「……んなの、決まってんだろ」

 

 答えはバード先輩ではないところからやってきた。

 イスに腰掛けて斜めに傾け、脚を机に乗せんばかりの勢いでくつろいでる御様子のギャロップダイナ先輩でした。

 ──え? この空気の中で、この人ここまでリラックスしてんの?

 その証拠に妙にニヤついているように見えるし──

 

「大観衆の面前で、ターキンがトレーナー……ビジョウのヤツにハグしたからだろ」

 

 ──ピクッ、とダイユウパイセンの肩が動いた。

 それを横目で見ながら、ダイナ先輩は浮かべていたニヤリとした笑みの口端をさらに上げる。

 

「それも、熱烈なヤツだったからな。それが気に食わねえんだとさ」

「うっさいわね! 違うわよ」

「じゃあ、どんな理由で気が立ってんだよ?」

「それは……今年になって一勝もできていない自分の成績を見つめて──負けてられない、そう思っただけよ」

「次走の予定も立ってないのにか?」

「く……」

 

 痛いところをつかれて言葉に詰まる先輩。

 歳上で口も達者なダイナ先輩にかなうわけがないのに。

 

「大舞台であげた大金星なんだから、ちょっとトレーナーに抱きつくくらい許してやれよ。ったく、ケツの穴が小さい──」

「……下品な言い方しないで」

「へぇへぇ。お尻のお穴がお可愛らしいことで……」

「──ッ!」

 

 キッと睨むダイユウ先輩に対し、悪びれもしないダイナ先輩。

 あ~あ~、ダイナ先輩、完全にからかいモードに入ってるじゃん。

 こうなったらダイユウ先輩がムキになったところで逆効果。ますますからかわれるだけなのに……

 

「あれ? これも気に入らない? じゃあ小さいアナ──」

「黙んなさいッ!!」

 

 顔を真っ赤にして遮ったダイユウ先輩。

 いや、ダイナ先輩……いくらトレーナーいないからって、それを言おうとするのはウマ娘──乙女としてどうよ?

 

「ねぇ、ロンちゃん……」

 

 え? なに、バードパイセン。このカオスな状況にあなたも入ろうって言うんじゃないでしょうね?

 そういえばバード先輩も、乾井(イヌ)トレのこと──

 

「ダイナ先輩が言おうとした言葉、どういう意味?」

「な──ッ!?」

 

 いや、あっしにそれを言わせようとするとか、この人やべーわ。

 あっしだって口調はこんなだし、そりゃあ“走る雀ゴロ”なんて言われてますが、花も恥じらう乙女なワケで……言えるわけねえでしょうがッ!!

 

「と、ともかく──天皇賞(秋)(アキテン)も終わったし、次はシオンのデビュー戦ッスね」

 

 もうわざとらしいとかそういうのを超越して、強引な力業で話題を変えた。

 これ以上、この話をしてたらヤバみしかないし。

 

「おぉ、今度の週末だよな?」

「うん。京都で芝1200のメイクデビュー戦

「1200? ちょっと短くない?」

 

 うん。どうにか先輩方は無事にこっちの話に食いついてきてくれた模様。

 いや~、どうなることかと思ったわ。

 

「しかし、大丈夫かね。シオンのヤツ……」

「ダイナ先輩が気にしてるの、コレ?」

 

 少し呆れ気味にボヤいたギャロップダイナ先輩を見て、ミラクルバード先輩が車椅子の上から、視線を机の上に置かれたスポーツ新聞へと向けた。

 自然とあっしらの視線も集まるわけで……

 

「ああ。まぁ、それも心配の一つだけどな」

 

 ため息混じりにダイナ先輩も見たその記事には──

 

『期待の新人オラシオン、はやくも勝利宣言!』

『他のウマ娘は眼中に無し、興味は自身の勝利のみ──』

 

 なんて見出しが載ってる。

 あちゃ~、シオン……なんでそんなこと新聞記者に言ってんのよ?

 

「これは……よくないわね」

「だなぁ。他を挑発しすぎだろ」

 

 顔をしかめたダイユウ先輩の言葉にダイナ先輩も同意する。

 それにバード先輩は苦笑して──

 

「ちょっと作為的なものも感じるけどね。オーちゃんはそういうこと言う()じゃないし……」

「コン助はシオンと付き合いが長いからそう思うんでしょうけど、この記事を読んだ人はそう思わないわよ? 確実に……」

 

 記事の中のオラシオンは、驚くほどに挑発的だった。

 勝てて当然。負けるはずがない。

 そう言わんばかりの彼女の言葉には、さすがに違和感を感じる。

 

「なんスか、これ……シオンがホントにこんなこと言ったとは──」

「それだけ〈アクルックス(うち)〉が注目されてるってことさ。余所から妬まれるくらいにな」

「……え?」

 

 思わずダイナ先輩を見ると、「気に食わねえ」と言わんばかりに露骨に顔をしかめていらっしゃる。

 

「ターキンの天皇賞(秋)(アキテン)制覇を面白く思ってねえヤツらでもいるんだろ? 予想もしてなかった連中は、特にな」

「大正義の大本命を倒しちゃったわけだしね。悪役扱いされるのも無理もないかも……ね、ダイユウ先輩?」

「まぁね。アタシの時も、本人の知らないところでちょっかい仕掛けてくるのもいたし」

 

 そう言えば、有記念直前まで、マックイーン先輩には妙な取り巻きがいたって話は聞いたことがある。

 降着騒動でショック受けてた先輩に、言葉巧みに取り入って……ってな感じで。

 

「ともかく、アタシもシオンがこんなことを言うとは思ってないけど、だからこそマスコミに注意した方がいいって言った方がいいんじゃない?」

「あたしもそう思う……もっともあいつがキチンと忠告を聞くなら、だけどな」

 

 心配そうなダイユウ先輩に対し、ダイナ先輩の表情は厳しい。

 あきれとあきらめ、それに怒りさえ入ってるように見える。

 

「デビュー時期が遅れてナーバスになってるんだと思うよ? オーちゃんは本当なら真面目で素直な()だし……」

「本当か? あれで結構、負けん気が強いと思うけどな」

 

 バード先輩のフォローに懐疑的なダイナ先輩。

 

「ま、あの態度を許してるビジョウもちょっとおかしいけどな」

「……そういえば、トレーナーどうしたのかしら? 遅いけど……」

「ああ、今日は来ないよ?」

「えぇ!?」

 

 あっけらかんと言ったバード先輩の言葉に一番大きく反応したのは、やっぱりダイユウ先輩。

 ……ちなみにターキン先輩は、レース直後の休養中で部屋にさえ来てなかったりするけど。

 

「うん。夕方から出かける予定があるから、よろしく頼むって言われてたんだけど……」

「予定ですって? 出かけるって、誰と──」

「そこまで聞いてないよ~」

「オイオイ、ダンナでもないんだから……いや、たとえそうだとしても束縛しすぎだろ?」

 

 ムキになるダイユウ先輩をからかうようにダイナ先輩がニヤニヤしながらなだめ──

 オラシオンは結局、チームの部屋にも顔を出さなかった。

 ま、渡海パイセンがついてるから、大丈夫だとは思うけど──デビュー戦間近だし、大丈夫かなぁ……

 

「なんか、すき焼き食べにいくとか……」

「だ・か・らッ! 誰と、よ!? 巽見さんじゃないでしょうね?」

「知らないよ~。そこまで聞いてないもん」

 

 ──トレーナー、割とマジで、すき焼き食ってる場合じゃないッスよ?

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 11月にもなると、日が暮れるのもだいぶ早くなる。

 少し前なら普通に明るかった午後6時過ぎでも、日が沈んでる……なんて具合に、だ。

 幸いなことに、トレセン学園では夜間照明施設もあるから、練習を早く切り上げる必要はないんだが、それでも視界の感覚が本番とはかなり異質なものになるから、あまり積極的に走らせたくはない。

 

(──大井とかの地方(ローカル)シリーズみたいに、夜間のレースがあるなら別だけどな)

 

 すっかり暗くなった外の光景を考えながらオレは──屋内の和室に座していた。

 目の前にはすき焼き鍋と、そこで煮立ったすき焼き

 そしてその向こうには──

 

「もう、食べ頃だと思いますよ?」

「はあ……では、いただきます……」

 

 眼鏡をかけ、真面目な顔でそう言った相手に、オレは戸惑いながら答え、箸を伸ばした。

 ……慣れない。

 というか、この人と食事とか初めてだし……

 そもそも、オレ、なんでこの人と食事してんの?

 

「あの、黒岩理事……今日は、どのような御用件で?」

 

 そう。

 オレの目の前にいるのは〈アクルックス〉設立から無理難題をふっかけられてきた相手、URAの幹部にしてトレセン学園の理事の一人、黒岩理事だった。

 さすがにこれまでがこれまでだけに、この人と面と向かって対するのは緊張感がある。

 ……しかもそれがマンツーマンだとなおさらだ。

 

「別に……ただ、秋の天皇賞を制したウマ娘のトレーナーの功を(ねぎら)いたい、それだけですよ」

 

 いや、ウソだろそれ。オレは信じないね。

 この人、天皇賞のあと、毎回毎回その勝利トレーナーを食事に招待してんの?

 ってことは、去年はプレクラスニーのトレーナー……あの常にグラサンかけてた付き人とか子分とか言われそうな人とマンツーで食事したってこと?

 

(……絵面、おかしすぎるわ)

 

 その光景を想像しながら、オレはともかく箸を進めることにした。

 なんにしてもこの食事に罪はない。

 さらに言えば、ここは高級料理店──オレが来ようとして考える選択肢の範囲にかすりもしないようなお店だ。

 だから、さすがにその名に恥じないくらいにメチャクチャ美味いしな。

 

「ま、こちらとしては滅多にない機会だからありがたいけど……」

「私だって、毎日のようにこういう場所で食事しているわけではありませんよ」

「──ッ!?」

 

 小声で呟つぶやいたつもりの独り言だったが、黒岩理事には聞こえていたらしい。

 さすがに焦るわ……

 

「だからこの場は特別な席、というのは理解して欲しい」

「……ええ。ですから、御用向きをお聞きしたんですけど」

 

 そう返しながら……心の中ではウンザリしていた。

 こういう腹のさぐり合いみたいなのはイヤなんだよな。それがレースについてのことなら俄然やる気になってくるが、明らかに違うし……

 

「ともあれ……天皇賞制覇、おめでとうございます。乾井トレーナー」

「ありがとうございます──と言いたいところですけど、あれはオレじゃなくてターキン、彼女の手柄ですよ。オレはその手伝いをしただけですし、さらに言えば彼女の基礎をつくった前野さんの功績です。オレなんて……」

 

 一から共に歩んできたのならともかく、産休ということで引き継いだオレがそこまで誉められるのは、全部お膳立てされていたようでなんとも収まりが悪く、むずかゆい気分になってしまう。

 

「ともあれ、これでレッツゴーターキンも結果を残し、これからは多少、手が掛からなくなる……」

「これで自信がついて、小心者なところがなくなるといいんですがね」

「そして、ダイユウサクは実質的に走っていない──」

「えっと……」

「ギャロップダイナもまた(しか)り……違いますか?」

「………………それは、そう……ですね」

 

 もう、なんかイヤな予感しかしないんだが──

 オレが密かに冷や汗を流し始めたそのとき、黒岩理事はテーブルの下の鞄から、スッと資料を出した。

 

「…………」

 

 ほら来た。

 やっぱり天皇賞(秋)の労いとか嘘っぱちじゃないか。

 受け取りたくねぇ……と心の底から思ったが、オレ、食べちまってるしなぁ。

 それにこの空気の中、食い続けることも席を立つことも、もちろんできないし。

 オレは恐る恐る、その資料に手を伸ばす。

 

「チームに多少、余裕ができた……という解釈で間違いありませんね?」

「……否定したいですけど、間違いありません」

 

 否定したところで、この人に弁舌で勝てるとは思えないからな。いろいろと言われて認めざるを得なくなるだけだから、最初から白旗揚げていた方が楽だ。

 すき焼きも食っちまってるし。

 

「生じた余裕で、一人……担当を増やして欲しいのです」

「そのウマ娘、状況は?」

「未出走のジュニア──」

 

 資料にまで伸びた手を、オレはピタリと止めた。

 

「年が明ければクラシックですが──」

「無理です」

 

 オレは資料から手を離し、即座に断っていた。

 

「ウチはオラシオンにロンマンガンと、現ジュニア世代を二人抱えています。さらにもう一人となればレースでかち合う可能性が格段にあがる。切磋琢磨というわけにもいかなくなる……」

 

 クラシック期になり、もしもそこで順調に好成績を重ねて重賞を競えば、それはチームとしては勝つ確率があがるだろう。

 だが、ウマ娘個人となれば手の内を知られた者を相手に競うことになるし──これは願望に近いものになってしまうが──場合によっては勝利を分け合うことになり、そうなれば個人成績を落とすことになる。

 二人ならまだしも、三人になれば単純にライバルとして競わせるのも複雑になってくくる部分もある。

 

「なんなら今回の食事、理事の分もオレが全部払います。それで断らせてください」

 

 幸いなことに、直前にターキンが天皇賞を制していて懐が暖かいからな。一度の食事代くらいどうともなる。

 このリスクを避けられるなら安いもの──

 

「……話を、最後まで聞いてもらえませんか?」

「聞くまでもありませんよ。こっちは同じ年代に3人も抱えるわけにはいかないという理由は変わりません。それに……オレは有力ウマ娘(オラシオン)をまだデビューもさせられていないトレーナーですよ?」

 

 自虐的に苦笑する。

 が、黒岩理事は眉一つ動かさずに返してきた。

 

「考えあってのことでしょう? デビューが早ければいいと言うものではありません。不必要に多く走らせ続けるのも……短絡過ぎです」

「セントホウヤのような?」

 

 そう返してみたが、やはり顔色は微動だにしなかった。

 オラシオン達の同学年で、話題になるほどの実力を持つセントホウヤ。彼女は早々とデビューして、これまでにすでに3戦を終えて全勝している。

 だが──ハッキリ言ってしまえば、この時期にそこまで走って実績を重ねる必要性は、彼女のキャリアには必要ない。

 12月に開催されるジュニア限定のGⅠレースへの出走条件は満たしているし、クラシック期への備えにしても十分すぎて過剰なくらいだ。

 

「……さぁ? 理事である私が特定のチームを批判するわけにはいきませんからね。まぁ、あのチームの先代は不本意でしょうね」

 

 澄まし顔で言う黒岩理事。

 セントホウヤの所属チームは、オレにとっては因縁のある相手といえる〈ポルックス〉。

 そこから分離した兄弟チームの〈カストル〉が消滅する件にオレは関わっていたし、そのせいで一度は引退した先代が復帰してメイントレーナーになっていた。

 今では、再び弟子のトレーナーに主導権を譲ってオブザーバー的な立場になったらしいが……本人はともかく弟子の方はあまり良い印象はない。

 

(あのときも、絡んできたしなぁ……)

 

 ダイユウサクと初めて会った日のことを思い出す。言葉を交わしたのはそのときくらいだが。

 そして、旧〈カストル〉メンバーを吸収しただけあって、チームの成績は悪くない。

 それどころか最優秀(リーディング)チームを視野に入れられるほどらしく、そのためにセントホウヤを過剰に出走させている……オレにはそう見えていたし、だから先代も怒ったのだろう。

 

「考えがあるからこそ、あなたは彼女のデビュー戦で()()()()()()()()。それもマスコミを使ってまで……違いますか?」

「さぁね。そもそも(いち)トレーナーごときじゃあ、マスコミ様を動かすことなんてできませんし、できても大したことじゃありませんよ。過大評価じゃないですか?」

 

 眼を鋭く細めて指摘してきた黒岩理事。

 ホント、どこまで見通してくるんだか。無論、オラシオンのためでもあるし、それが結果的にはURAのためにもなるんだから、勘弁してほしいわ。

 オレがとぼけると「まぁ、いいでしょう」と、その件については引き下がる。

 できれば、この件全体のことを諦めて、後は食事だけ──って具合にして欲しいんだが……

 

「そのように思慮深いあなただからこそ、任せたいのですよ。そのウマ娘、じつはとあるURAのVIPからの強い推薦で学園に入ったんですが……正直な話、伸び悩んでいましてね」

「VIP?」

 

 うわぁ……そんなの余計に関わりたくないわ。

 ダイユウサクの場合、“あの方”との血縁だったけど遠かったし、ほとんど口出しもなかったから意識したことがなかったけど。

 それが強い推薦な上に、伸び悩んでいるとなれば……そのVIPが口出ししてくる可能性、高いだろ?

 理事長とか黒岩理事(この人)、“あの方”ならともかく、他の理事とかVIPへの印象は、正直言ってよくないし。

 

「理事ではありませんし、今はそこまでURAに深く関わっていません。政治家として人とウマ娘の架け橋になるのに忙しい方ですから──」

「は……?」

 

 え? いや、その人──その方って、まさか……

 

「ええ。たぶんあなたが考えている人ですよ。国民的アイドルウマ娘として一大ブームを起こしたあの方、です」

「ハイセイコー……さん、ですか?」

 

 黒岩理事は黙ったままで、肯定する事はなかった。

 だが、否定もしなかった。

 彼女の立場──政治家という公平さをなによりも求められることが、一人のウマ娘に肩入れして学園に推薦する、というのを公にするわけにはいかないのだろう。

 

「その方が運命的なものを感じて、学園に推薦してきたんですが、現状なかなかうまくいっていない。チームもトレーナーも決まらず……そこでキミ(再生工場)の出番というわけです」

「オレはそんな大層なものじゃありません」

「ダートでしか勝てない条件ウマ娘を八大レースに勝たせて“皇帝”に涙を流させ、デビュー2戦タイムオーバーするような劣等生で“最強ステイヤー”から有を勝ち取り、八連敗で消沈していた気弱なウマ娘を立て直して前年の年度代表から秋の“盾”を奪わせて……十分な実績だと思いますがね」

 

 半ば呆れたように列挙する黒岩理事。

 だがその反応は予想済み──

 

「良いところだけ出さないでくださいよ。オレの悪い噂、御存じでしょう? パーシングの件を」

「それは誤解と理事長や東条クンが一生懸命否定していたじゃないですか。URAの正式な報告にもある──」

「ウマ娘の間では、一時は事実として流布していたものです。そう簡単には……」

「それを覆すほどの功績を残したのもキミです。今のレッツゴーターキンやダイユウサクを見て、噂を信じるウマ娘がいますか?」

「それは……」

「確かに実力不足で未出走での重賞出走は糾弾されるべきもの。しかし乱暴された噂が事実無根なのは、ギャロップダイナが戻ってきたことが雄弁に語っています」

 

 うぅ……くそッ、“黒い噂作戦”もダメか。

 VIP、それも政治家となればそういう週刊誌が好きそうなネタを回避すると思ったんだが、この調子だと全力で記事をつぶす方になっているようだ。

 正直に言えば“あの人の推すウマ娘”というのは心惹かれるが、それではオラシオンとロンマンガンに対してあまりに不誠実すぎる。

 

「そんなに悪名を気にするのなら……そうですね、今後はあなたのことを〈アクルックス〉と〈ミモザ〉のある星座から“黒い南十字星(サザンクロス)”とでも呼びましょうか?」

「マジで勘弁してください」

 

 オレは半ば土下座するように頭を下げた。

 うん、その呼び方はいろいろマズい。

 

「それに……(くだん)のレッツゴーターキンに関して、谷川岳ステークスでのウイニングライブの件を忘れたわけではありませんよね?」

「うぅ……」

 

 そうだよ。あの時ターキン、久しぶりの勝利すぎてダイユウサクに続く号泣ライブやってたんだ。

 その時は、コンテンツ部門の管理してる黒岩理事(この人)が妙に静かだと思って内心不安になったんだが、借りになってたってことかよ。

 えぇと……他に、こういう借財はもう無いだろうな?

 この人相手に借りとか、割と本気でもうイヤだぞ。

 

「あとは……聞けば、彼女(ハイセイコー)の熱狂的なファンだったそうじゃないか、乾井クン」

「く……」

 

 そこまでバレてんのかよ。

 オレが引き受けざるを得ない状況を作り出した上、オレが引き受ける理由まで付け加えるとか、追い込みすぎだろ

 覚悟を決めて顔を上げ、その資料に再び手を伸ばし──掴んだ。

 

「──担当してもらえる、そうとって構わないね?」

 

 ここまで追い詰めておいて……と、心の内を苦渋で一杯にしながらそれを手元に寄せ──そして見る。

 写真の顔は、育ちの良さそうなお嬢さんといった感じだった。

 目つきというか顔つきというか、どこかのんびりとしたようにさえ見える。

 そして無言のオレは、その名前を見た。

 

「……ダートが得意な先達が最近になってチームに入っているのもキミのところを選んだ理由の一つだよ。()()()()()()()()()、他の二人とは路線も重複しない……そもそも中等部なので、その心配はありませんよ」

 

 

 ──サンドピアリス

 

 

 ダートを走るために生まれてきたような名前が、彼女の名前だった。




◆解説◆

【乾井備丈は断りたい】
・正直、長かったので2つに分けるか迷いました。
・でも2つに分けると、後半のトレーナーの話だけになってしまうので、2部の導入と含めて一つのままの方がいいと思い、そのままにしました。
・そして今回ののタイトルは『かぐや様は告らせたい』風で──
・黒岩理事との頭脳戦……ではなく一方的にやり込められただけですけど。

メイクデビュー戦
・オラシオンは非実在馬ですので、もちろん原作で出走したレースも架空のもの。
・そんな原作では1200メートルという言及しかなく、どこの競馬場かさえも言及されていません。
・ただ、オラシオンは栗東所属だったのでおそらく京都だったのだと思います。
・そして出走日も11月という漠然とした指定しかありませんでした。
・オラシオンは阪神3歳ステークスに出走する描写があり、それまでにデビューを含めて2戦走っていますので、11月中に走る必要があったのでなるべく早く、ということで11月8日になりました。
・実は……ライバルが翌日にオープン特別に出走しているという描写があるので、土曜日に京都で1200の新馬戦があったその前週(11月1日にいちょうステークスが開催)の方が合っていたのですが、新馬戦の開催は土曜日……10月31日となるため、「11月の出走」という原作とズレてしまい、11月8日に決定しました。
・曜日も、原作を意識すれば土曜日になるのですが、そうなると1200の新馬はダートでした。芝とダートの言及はなかったのですが、雰囲気的に芝、かな……というわけで日曜の芝になったわけで。

すき焼き
・なんの料理でもよかったんですけど、『グラゼニ』の代理人ダーティー桜塚がモップス球団幹部との会談ですき焼きを食べていたので、すき焼きにしました。

黒い南十字星(サザンクロス)
・「黒いサザンクロス」は『オーバーマン キングゲイナー』に登場するもう一人の主人公、ゲイン=ビジョウの異名。
・狙撃による暗殺を得意とする彼の、標的に十字を描いて撃ち込むところがその異名の由来。
・一方、恒星アクルックスとミモザはどちらもみなみじゅうじ座を構成する5つの星の1つで、その両方のチームで大本命を目立たないところから堕としたことを含めて、「黒い南十字星」と呼んだのでしょう。

サンドピアリス
・本章の主人公、最後の一人……サインドピアリスでした。
・元になったモデルの競走馬は1986年生まれですので、ダイユウサクとレッツゴーターキンの間に入る年代なのですが、第二章からはウマ娘時空にすると言っていましたので、彼女が主役となる物語がここから始まります。
・幸いなことに、牝馬のサンドピアリスと、牡馬路線のオラシオン達の話は交わりませんので、逆にこのタイミングでないとピアリスを出すのは無理と判断して、ここでの登場となりました。
・……え? 前回出てきたウマ娘? あぁ……ミスリード用、ですよ?


※次回の更新は5月24日の予定です。  



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第33R それは”間違いなく”ヤツさ

 ──ジュニア世代のウマ娘が、学園内の練習用コースを走る。

 

 彼女の併せの相手もまたジュニア世代だが……ゴールが近づくにつれて引き離されていくのが分かった。

 そして、ゴールに設定した地点を通り過ぎた私は、速度を緩め……やがて足を止めて一息ついた。

 そんな私の下へ、一人のウマ娘が近寄ってくる。

 走り終えて間もない私は、その気配に気がついて頭上の耳をそちらへ向ける。

 間違いなく私の方へと近づいてきている。それが分かって厳しい目を向けた。

 

(慣れ合う気なんて、無い……)

 

 そう思って見つめた相手は──肩すかしを食らうほどのんびりとした表情をした、小学生かと思うほどに小柄なウマ娘だった。

 たれ目気味のその瞳は、ほとんど閉じているんじゃないかと思うほどに瞼が下がっており、まとう空気もほんわかしている。

 その彼女は──

 

「スゴい、スゴ~い。さすがカグラちゃんだね~」

 

 パタパタと手を振って、こちらを見ている。

 私……シャダイカグラは彼女を一瞥してため息をつき、無視し続ければそのまま手を降り続けない彼女の下へと向かった。

 

「感心している場合じゃないでしょう? ピアリス。あなたまだ、デビューどころかチームに入ってさえいないじゃない」

「うん。だから、もうデビューして、勝って、さらに勝とうと頑張ってるカグラちゃんは本当にスゴいよ~」

 

 ポワポワとした空気で言う彼女は、本気でそう言っているのだから始末が悪い。

 中央トレセン学園では、同じ中等部であり、寮でも同部屋。そんな彼女は私が心配しているというのに、本人は全く気にしていないのだ。

 この、サンドピアリスという同居人は、良いところのお嬢様らしく、本当に浮き世離れしているというか──

 

「ええ。ソエも完全に収まっていますし、再来週のレースに備えていますから。あなたも見ているだけじゃなくて、走りなさい? いいわね?」

「うん、走ってるよ~。チームに所属していないから、なかなか使わせてもらえないけど」

「その狭い枠も、せっかく予約していても他のウマ娘に譲ったりしてるでしょうに……」

「う~ん、なんだか悪い気がしてね~。一生懸命な()を見ると応援したくなっちゃっていうか……」

「あ・な・た・が、一生懸命やりなさい」

 

 ああ、もう……頭痛がしてくる。

 私は思わず沈痛な表情になってこめかみを押さえたわ。

 

「デビューが遅くなれば、それだけ不利になるのよ? そのためにも早く──」

「でも、クラシックの10月にデビューしたのに、有記念まで制したウマ娘も、いるって聞いたけど~?」

「そういう特殊なウマ娘(ひと)をお手本にしないの!」

 

 人差し指を立てて首を傾げるルームメイトの楽観的な考えは、本当に恐ろしくなってくる。

 実際、クラシックの頃までに実績を重ねていてオープン昇格していたウマ娘と、そうでないウマ娘はシニア期に苦労が違う。

 

(ついでに言えば、そのウマ娘……落第寸前に、悪い噂があったトレーナーと強引に組まされたって話じゃないの)

 

 早く実績を出さないと、冷遇されてそんな仕打ちを受けるってことよ。

 そのウマ娘はそこから復活したというのはスゴいと思うけど、それを万人がやろうとしてできるような容易いことじゃないんだから。

 

「もう……見てるだけじゃなくて、ちゃんと走りなさい。トレーナーに言うから、次は私と併走して」

「やった~、カグラちゃんと走れる~」

 

 万歳して無邪気にはしゃぐピアリス。

 とても小柄な彼女がそんな仕草をしていると、まるで子供のようにさえ見えてしまう。

 

「さっきからジッと見てるあの人にも、カグラちゃんの走りをまた見てもらえるね~」

「えっ!?」

 

 無邪気に顔を向けた彼女の視線を追い──そこに一人の男性トレーナーがじっとこちらを見ているのに気がついた。

 え? なんで私を? 私は、もうチームに所属しているというのだから、スカウトしようというわけではないでしょうに。

 かといって、デビューして間もない時期。順調な私がチームから抜けるはずもないんだから──

 

(いったい、なにが目的なのよ?)

 

 鋭い目をそのトレーナーに向けたけど、離れているせいもあるのか気がついた様子もない。

 

「ねぇ、ピアリス。あの人、いつからいた?」

「えっと……結構前からだよ? 熱心に見てるし、きっとカグラちゃんのファンに違いないよ~」

「……ストーカー……?」

 

 そう言えば、悪い噂のあったあのトレーナーじゃない? あの人。

 私は思わず肩を抱きすくめるようにして、体の震えを押さえ込み──私の担当トレーナーに通報した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……こんなところで、なにをしているんですか? 乾井トレーナー」

「これはたづなさん……奇遇ですね」

「奇遇なんじゃありません。不審者がいると通報があってきているんですからね」

 

 オレが遠巻きにとあるウマ娘を見ていたら、緑のスーツと帽子がよく似合う理事長秘書の駿川たづなさんがやってきた。

 その彼女は、オレの言葉にぷんぷんと怒った後、呆れ気味にため息をついていていた。

 

「ちなみに……誰からですか?」

「あちらの方からです」

 

 そう言ってたづなさんが指す方を見ると──オレが見ていたウマ娘は、他のウマ娘と併せをやるらしく、そのウマ娘の担当トレーナーとなにやら話をしていた。

 そして今、その短い髪のクールな雰囲気をまとった女性がチラッとこちらを見たのが分かった。

 

「担当してるウマ娘をつけ回すストーカーがいる、と」

「それは誤解ですね……」

 

 思わずオレは苦笑した。

 なぜならオレが見ていたウマ娘は、担当が決まらずに困っている、という話なのだから。

 

(彼女の担当が決まったというのなら、それはそれで問題ないんだけどな)

 

 黒岩理事からの頼み事は無意味なものになり、オレはそれから解放される。

 だが……どう考えても違うだろう。

 

(さっき、あのウマ娘がこっちを睨んでたからな)

 

 目当てのと一緒にいたウマ娘がオレに気がついたんだろう。

 しかしストーカーとは、な。

 思うところがないわけではないが、昔──ダイユウサクと出会う前の、オレの悪い噂が流れていた最盛期に比べれば、まだマシだ。

 

「黒岩理事に、頼まれたんですよ。彼女を」

「え? 彼女ってシャダイカグラさん、ではないですよね? ということは……」

「あまり、理事長の頼み事ばかり聞いていると敵を作ることになりますよ、とも言われまして……」

 

 少し皮肉の入ったオレの言葉に、たづなさんはなんとも言えない表情になった。

 彼女も一つのチームを頼りすぎるのは悪いことだとは思っているのだろう。しかし頼みやすいチームを頼りにしてしまうのも無理はない。

 

「彼女のことは理事長も気にされていたので、私たちも助かるのですが……」

「それは聞かなかったことにしますよ。オレは、黒岩理事から頼まれた、それだけです」

 

 ウチのチームが八大レースを2つ取ったという実績を出し始めたことで、理事長にとっては頼みづらい状況になってきているからだ。

 弱小チームに融通を聞かせるのは、強力な巨大チームと争うための支援ということでいいわけができる。

 だが、ある程度の力を示せば、それは依怙贔屓(えこひいき)をしているから、となってしまいかねない。

 理事長のおかげで〈アクルックス(うちのチーム)〉が実績を残しているのだと周囲に思われるのは、こちらも理事長側も不本意だ。

 それを承知しているたづなさんは、「くれぐれもよろしくお願いしますね」と、言い残して去っていく。

 それがあのウマ娘のことなのか、それとも今回の警告のことなのか、ハッキリさせないまま──

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そして……

 

「──理事長秘書から、警告はしていただいたはずですが?」

「もちろん、聞いてますよ」

 

 指示を終えたトレーナーが、たづなさんが去ったオレの下へとやってきていた。

 ──奈瀬 文乃

 天才の名を欲しいままにする、若き女性トレーナー。彼女とはあまり話したことはないが、オレと仲のいいトレーナーが彼女と同門にいたことがあり、接点がないわけではなかった。

 

「警告に従わないと言うことは、彼女を狙っている……というわけですか?」

「なにをおっしゃる」

 

 警戒するように目を細めた彼女に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「そんな畏れ多いことするわけないでしょう? 天下の天才トレーナー……《王子様》からウマ娘を盗み取ろうだなんて」

「こと才能を見抜く“目”について、ボクはキミに脅威さえ感じていますよ、《黒い南十(サザンクロ)……》」

「いや、その呼び名、マジで勘弁してください」

 

 食い気味にオレが止めると、奈瀬トレーナーは驚いたように目をパチクリとしていた。

 それから気を取り直して──

 

「では、他に言われている、《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》とでも呼びましょうか?」

「そっちの方がマシなんで、それでいいです……」

 

 オレがうなだれるように言うと、奈瀬トレーナーは少し楽しげに微笑を浮かべる。

 

「彼女の才能を見抜いて、下見に来たのかと思いましたよ」

「残念ながら。ウチにも有力なジュニア世代がいるもので、その偵察……です」

「嘘ですね」

 

 はい、アッサリ見抜かれた。

 一転して鋭い目を向けて警戒している彼女に、オレは心の中でため息をついた。

 この人……それにこの人の親父さんもだけど、朱雀井(友人)がこのチームにいたときから、この鋭さに耐えられなくて、近づこうとさえ思わなかったしな。

 さすが《魔術師》の家系……

 

「あなたのところのオラシオン……彼女が優れたウマ娘なのは間違いない。しかし今週末にデビュー戦が控えているんですから、あなたがこんなところでこんなことをしている場合ではないのでは?」

「恥ずかしながら、なかなかデビュー戦組まなかったせいでトコトン嫌われていまして。相手にしてもらえないんですよ」

 

 オレが「意外と気が強くて困ってます」と気まずそうに言うと、奈瀬トレーナーは一度驚いたような顔をした。

 だが、すぐにフッと不適な笑みを浮かべてこちらを見てくる。

 それには騙されませんよ、と言外に言っているように見えた。

 

「オラシオンはクラシック三冠を狙うのでしょう? 彼女──シャダイカグラはトリプルティアラ路線を目指す予定です。それに、そもそも彼女は中等部ですから」

「いいんですか? そんなことまでオレに喋って」

「隠さなくてもいずれ分かること。それに路線が被る相手もいないじゃないですか。ロンマンガンをチームに入れたのもオラシオンと競わせるためでしょう?」

「……買いかぶり過ぎですよ。うちのチーム、そんなに人気ありませんって」

 

 思わず苦笑してしまったが、奈瀬トレーナーは冷静な目でオレを見ており、信用してくれないようだ。

 

「オラシオンの路線に関しては……デビュー戦が終わらないと、なんとも言えません。オレには扱いきれずに、箸にも棒にもかからないウマ娘になり果ててしまうかもしれません」

「もしそうなればキミの罪は極めて大きい。あれほどの才能を無駄にしてしまうのだからね」

 

 彼女の冷静だった目が、冷たく厳しい視線へと変わってオレを貫いた。

 やっぱりオラシオンの注目度は高い。

 そしてそれはプレッシャーでもあるんだよなぁ。

 

「彼女がうちに入りたいって来たから、受け入れただけなんですけどね……ま、オレも精一杯頑張ってますけど、順調にいっていてもケガで泣くこともありますから」

 

 オレは肩をすくめ、その場で振り返ってコースに背を向けた。

 それはこれ以上、ここに残りませんよという意思表示で──奈瀬さんの向こうでは、シャダイカグラの併せのトレーニングが終わっていた。

 一緒に走ったウマ娘は……まるで相手になっていなかった。

 

(なるほど。確かに……)

 

 このレベルのウマ娘だったら、声をかけられないのもやむを得ないだろう。

 奈瀬トレーナーも、シャダイカグラに頼まれたからこそ、一緒に走るのを許可したのだろうし。

 ということは、〈アクルックス(うち)〉に来るのはほぼ間違いなく当選確実。

 ただ、正直……このウマ娘を、オレの敬愛するあのウマ娘が納得するほどに仕上げられるか、不安しかなかった。

 

(せめてもの救いは、あの人が推薦したウマ娘は当たり外れが大きい、と知られていることだな)

 

 今までも何人かそういうウマ娘はいたそうだが──好成績を残した者もいれば、早々に学園を去った者もいる。

 サンドピアリスが、前者であることを願うしかない。

 オレはそう思いながら、奈瀬トレーナーに一礼してからその場を去った。

 

 

 

 ──成績が悪いからこそ《再生工場》の出番になったのだが、当の本人は今のところそれに気がついていなかった。

 




◆解説◆

【それは”間違いなく”ヤツさ】
・今回のタイトルは、アニメ『スペースコブラ』の主題歌「コブラ」の有名な歌詞「それは紛れもなくヤツさ」から。
・サンドピアリスと言えば、やっぱり「間違いない」ですので、それに変えています。

シャダイカグラ
・同名の実在した競走馬を元にした、本作オリジナルのウマ娘。
・元になったのは1986年3月23日生まれの栗毛の牝馬、シャダイカグラ。
・その生涯成績は11戦7勝。
・1988年6月19日に札幌レース場で開催された新馬戦(ダート1000)でデビュー。デビュー戦は2着。
・次の7月3日の札幌開催の新馬戦(同じくダートの1000)で初勝利を挙げたものの、ソエが出ため休養。
・休養明けの10月22日の条件戦(500万下)、京都で開催のりんどう賞で2勝目。なお、このレースから騎乗が柴田正人騎手から武豊騎手に変わっています。
・その後、11月26日に開催のオープン特別、京都3歳ステークスに出走しました。
・その後は、クラシック期には桜花賞、オークス、エリザベス女王杯と牝馬三冠レースに出走。
・しかしエリザベス女王杯のころには脚部不安を抱えており、強い調教ができないほど。
・陣営はエリザベス女王杯を最後に引退して繁殖入りすることを発表。そして、発表通りになりました。
・11戦7勝とは言いましたが、その戦績は最後のレースを除くとすべて2着以内と、極めて優秀な成績を残した競走馬です。
・そのため繁殖牝馬にもなったのですが……その仔たちは6頭いたのですが、成績は奮いませんでした。

寮でも同部屋
・サンドピアリスも、シャダイカグラも、所属は栗東でした。
・そのためウマ娘の中央トレセン学園では栗東寮になるので、ルームメイトの設定になっています。

奈瀬 文乃
・ご存じ、シンデレラグレイに登場するスーパークリークを担当している天才女性トレーナー。
・そのモデルは改めて言うまでもないのですが、武豊騎手。
・本作で彼女をシャダイカグラの担当にしたのは、スーパークリークが武豊騎手に最初のGⅠを取らせた競走馬なら、シャダイカグラは初の牝馬クラシックのタイトルをもたらし、「ユタカの恋人」と呼ばれるほどに武豊氏と関係の深い競走馬だったからです。

サンドピアリス
・改めて解説します。
・同名の実在馬をモデルにした本作オリジナルのウマ娘。
・1986年生まれの鹿毛の牝馬。
・生涯成績は……18戦3勝。ぇ? 勝ち数少なすぎない?
・その3勝のうちの一つこそ、あまりにも大きな大金星。当時は牝馬三冠の一角だったエリザベス女王杯。
・その1989年のエリザベス女王杯では20頭中20番の最低人気。
・叩き出した単勝430.6倍の配当はエリザベス女王杯どころかGⅠレースとしては最高を誇り、30年以上経った現在でも歴代1位の座は破られていまません。
・ちなみに単勝最高配当の2位は、最近ウマ娘化が発表されたコパノリッキーで、2014年のフェブラリーステークス。
・その倍率は──272.1倍。1位との差を見ていただければピアリスの衝撃の大きさが分かるかと思います。
・なお、その後は
  3位 ダイタクヤマト(2000年 スプリンターズS 257.5倍)
  4位 ビートブラック(2012年 天皇賞(春) 159.6倍)
  5位 ダイユウサク (1991年 有馬記念  137.9倍)
となっています。
・なお上位3位までは最低人気でのGⅠ勝利になっています。
・この下の6位(2021年ジャパンダートダービーのキャッスルトップ)7位(2002年皐月賞のノーリーズン)、8位(2001年中山大障害のユウフヨウホウ)と同じレースが重ならないのも不思議ですね。
・そんなサンドピアリス。今まで何度かこの解説でも名前が出ていますが、名前の意味は「砂の貴婦人」。
・父馬はあのハイセイコーであり、そのために本作では「運命的なものを感じ」てウマ娘のハイセイコーが中央トレセン学園に推薦しています。
・なお、種牡馬としてのハイセイコーは走る馬と走らない馬がハッキリしているので、本作のハイセイコーは密かに「彼女の推薦は当たりはずれが激しい」という評価を受けています。
・本作のサンドピアリスは、初の中等部所属。
・ただ、トレセン学園の中等部と高等部ってよくわからないんですよね。そこで部門分かれてレースをやっているのかどうかも。
・一応、本作では分けているという感じにしようかと。実際、中学生と高校生が走ったら高校生が速くて当たりませですし。
・なぜ中等部にしたかと言うと、サンドピアリスが小柄な馬だったためです。
・出走時の場体重は408~426キロ。これは同じ牝馬で、ウマ娘では飛び級で中等部になるほど小柄扱いのニシノフラワーでさえ420~436キロですので、それ以上に小柄だったピアリスを高等部にするのには無理があると感じたもので。
・性格は名前の「貴婦人」から“良いところの御嬢様で、そのせいで世間知らずなのんびり屋”といった感じです。
・それは彼女の相方になるシャダイカグラが“負けず嫌いで御嬢様育ちに反感を持つ”という性格設定の対になるように設定したためです。


※次回の更新は5月27日の予定です。  



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第34R “あなたの言葉は手綱と同じです”

 
 ──待ちに待ったメイクデビュー戦。

 初めて本番のレース場の走路(ターフ)へ立った私──オラシオンは、その空気に圧倒されていた。
 学園の練習用コースには無い、大きな観客席(スタンド)には、多数の観客が入って、一様にこちらを見ている。

(なるほど。これは、ターキン先輩の気持ちも分かりますね……)

 異様ともいえる、これまでとは明らかに違う空気。
 いやでも心に沸き上がってくる緊張感に、私は──

 ──高揚感さえ覚えていました。

 これこそ、私が望んでいた舞台なのですから、気圧されるわけにはいきません。
 いよいよこれから、私は養父から受けた恩を返していける……

(そして、あの人のために私は、ダービーをとらなければいけない)

 その決意をしたのは、引退して隠居したはずの養父が──私たちが育ったウマ娘の孤児院を経営する、と言い出したからです。
 しかも、ただの孤児院ではなく競走ウマ娘の育成施設も兼ねるというもの。

「……その施設からダービーウマ娘が出た、となれば箔がつきますから」

 今まで、ファースト姉さん達のような中央(トゥインクル)シリーズで一定の活躍をしたウマ娘は出ていますが、ダービーを制した人はいません。
 もしも施設からダービーウマ娘を出したとなれば、支援者も出てくるでしょうし、出身のウマ娘に後援者がついてくれるかもしれませんし。
 それに育成施設として考えれば、孤児でなくとも利用しようとする保護者も出てくることでしょう。

「今日は、そのための第一歩……」

 デビューが遅くなり、気は焦ったものの、ともあれ今はこうしてスタート地点にいる。
 レースの……そして、私の夢の──いよいよここから始まるのだ。
 出走時刻を前に沸き立つ歓声。
 そして私の気分はそれに併せるように高揚していった。


 ──そのせいで、私は気付かなかった。
 ……共にレースを走るウマ娘達が、冷ややかな目で私を見ていたことに。



 

 ゲートに16人のウマ娘全員が収まり、あとはスタートを待つだけとなった。

 今日の私は“8”のゼッケンをつけている。

 

(ちょうど真ん中……有利も不利もない)

 

 そういう意味で、心理的にはこの枠は恵まれていたかもしれない。

 大事なデビュー戦。有利枠を引けば浮かれていたかもしれないし、不利枠を引いていたら気負っていたかもしれない。

 スタートを前に高まる緊張……

 

『スタートの切り方? そんなのゲートが開いたら飛び出せばいいのよ』

 

 スタートのコツをダイユウサク先輩に聞いたときの彼女の答えがふと頭の中に浮かんだ。

 ミラクルバードさんも認めていた彼女のスタート勘でしたが、いかんせん説明不足すぎて……

 しかもそれは天性の者らしく、「コスモはスタート下手だけど、なんでああなるのか理解できない」と首を傾げていましたっけ。

 スタートの練習は、私もしていましたし、それに向かって集中を高めていた私は──

 

 ガコン!!

 

 ──という音と共に、遅れることなく良いスタートが切れていました。

 初めてということで緊張しましたが、確かにダイユウサクさんの言うことには一理あるかもしれません。

 

(難しく考えすぎる方が、かえって悪い結果になりそう……)

 

 そんなことを考えつつ、私は周囲の様子をうかがう。

 “逃げ”をうつつもりはありません。

 むしろ私と同じように好スタートをきった中から、負けん気を出してさらに前へと進み出ようとするウマ娘達がいます。

 

(それなら、私はその後に……)

 

 2人を先行させて、私は3番手につけました。

 1200という距離を考えれば、良い位置に付けていると我ながら思います。

 短距離であれば、前の方でレースを展開しても、スタミナを切らすことがないという自信が、今の私にはありました。

 

(このままこの位置をキープして……終盤で追い抜ける)

 

 前の2人は少しだけ前にいますが、すぐに追いつける位置。

 そして私はその後ろで一人、内側を──

 

「……え?」

 

 単独で3番手、と思っていたそのときでした。

 外から5、6人が一斉に並びかけてきて、私を包囲するように走り始めたのです。

 

「い、いったい、なにを……」

 

 私の戸惑いをよそに、その集団は私を取り囲んだまま、走り続けます。

 それぞれが、盗み見るように私の様子をうかがっているのがわかりました。

 

(これは……)

 

 まるで包囲するように走る彼女たちは全員、私をマークしている?

 最初は疑念でしたが、崩れることのないその陣形で走り続けているうちに、徐々にそれが確信へと変わっていきました。

 

(確かに、取材を受けたりと注目を浴びている意識はありましたが……)

 

 とはいえ、競走という競技は速さを競うもの。私一人を抑え込んだところで、意味などあるでしょうか?

 

(ここは、我慢するしか……)

 

 強引に包囲網を突破するにしても、仕掛けるのはまだ早すぎる。

 そう判断して、位置を少し下がる。

 そうしているうちに3コーナーの坂を迎え、私はその昇り口で5人ほどが入り乱れる集団の真ん中に位置していました。

 

(我慢、我慢……)

 

 坂を駆け上がりながら、集団を抜け出すのは余計な体力を消耗すると判断して、私はひたすら耐えます。

 勝負は最後の直線で仕掛ければいい。

 私の先輩達も、そうやって最後の直線でトップに立ち、レースを制しているんですから。

 集団に囲まれながら、私は4コーナーを抜け、最後の直線へと向かいます。

 そして──

 

「な──ッ!?」

 

 最後の直線になっても、私への包囲網は崩れることがありませんでした。

 前には壁になるウマ娘がいて、抜くに抜けない。

 そして最内を通っている私には、内ラチがインの道をふさぎ、すぐ外にウマ娘がいて、外への進路も取れません。

 

(なら、一度下がって、外に出して──)

 

 そう思って、ほんの少しの間だけペースを下げると、後ろから覆い被さるように集団が来て、進路が消え去ります。

 

(こんなの、どうしたら──)

 

 どうやって抜け出せばいいのか、私にはわかりませんでした。

 そして同時に──この包囲網を敷いて走る他のウマ娘たちへの怒りが、こみ上げてきます。

 

(なんで、こんなことを。私を妨害するためだけに、出走してきたとでも言うの? あなた達……勝つ気がないとでもいうの!?)

 

 カッとなった私は、思わず隣のウマ娘を睨みつけますが──気にした様子もなく、ただ前を見て走っています。

 前で壁になっているウマ娘達を睨んでも、その透き間が空くことはありません。

 

「こんな……こんなのッ!!」

 

 集団の中、出るに出られない位置に押し込められた私は、そのまま為すすべもなく──ゴール板の前を駆け抜けることしかできませんでした。

 

「くッ……」

 

 脚を残したまま、私はまったく良いところ無く──デビュー戦でいきなり、敗戦を喫することになったのでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 走路から控え室へ、レースを終えたオラシオンが戻ってきた。

 

 オレたち〈アクルックス〉のメンバーはその部屋へとやってきていたが、オラシオンはイスに腰掛け、呆然とした様子でうつむいている。

 ほとんど全てを任せていた渡海もまた悔しそうに顔をしかめ、同期でデビュー前のロンマンガンは、どう声をかけたものか分からずに、チラチラと様子をうかがっている。

 

「クロ……」

 

 見かねた渡海が、声をかけたがオラシオンは顔を上げることなく、ジッとテーブルの上の一点を見つめている。

 誰もが声をかけるのをためらう中で──

 

「ま、残念だったな。優等生……」

 

 ──軽い口調で声をかけたのは、最年長のギャロップダイナだった。

 その調子にダイユウサク、ミラクルバード、それに人一倍不安そうにしていたレッツゴーターキンが「大丈夫なの?」と言わんばかりに驚いた表情で彼女を見る。

 

「勝負は時の運……デビュー戦から勝てるウマ娘だって、全体で見れば少ない方だからな? 見てみろ──」

 

 そう言ってギャロップダイナはレッツゴーターキン(デビュー戦:ブービー)と、ダイユウサク(同ぶっちぎりの最下位)を見る。

 

「よく考えろよ、シオン。5位だぞ? 掲示板確保してるんだから、少しは嬉しがれよ。 デビュー戦でとんでもないタイムオーバーして最下位だったヤツだっているんだぞ?」

「……もっとヒドいデビュー戦だったトレーナーがここにいるみたいだけど?」

 

 気にした様子もないギャロップダイナに揶揄されたダイユウサクは、不機嫌さを隠そうともせずにオレをジロッと睨んできた。

 

(……なぜ、オレを睨む? イジってるのはダイナだろうが)

 

 まぁ、確かにダイユウサクの言うとおり、オレのトレーナーとしてのデビュー戦は最底辺だったしな。

 ダイユウサクを越えるタイムオーバーを、当時担当だったウマ娘──パーシングにさせてしまったんだからな。

 

「そうだよ。ギャー先輩の言うとおり、入賞を喜ぼうよ、オーちゃん」

「オイ、そのギャー先輩って誰のことだ? まさか、あたしのことじゃ──」

「え? そうだけど……」

 

 車椅子に座ったミラクルバードが不思議そうに首を傾げ、そしてうなずく。

 その答えに「お前のネーミングセンス、おかしいわ」とギャロップダイナはこめかみを押さえた。

 それを横目に、ミラクルバードはオラシオンに微笑みかける。

 

「デビュー戦で負けたって、気にすること無いよ」

「えぇ……バード先輩が、それ、言うんですか……?」

 

 レッツゴーターキンが呟くのも無理もない。

 ターキンとダイユウサクは負けてるのに対し、ギャロップダイナは確かに勝利している。

 だが、アイツはその後が続かなかった。

 しかし──ミラクルバードは全然違う。

 最後になった皐月賞で出走中止になった以外は、全て1着……ある意味では無敗のウマ娘なのだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そうして皆が話しかけたが、オラシオンは反応を示さなかった。

 その姿に、オレは心の中でため息を付く。

 

(レース後に足を止めたオラシオンの呼吸は程なく整った。現に今は汗もひいている……)

 

 他のウマ娘に完全に囲まれ、末脚を発揮することもできずに終わったため、オラシオンは体力を残してさえいるような有様だった。

 そんな余力を残しているからこそ──そんな状態で負けたというのが、不完全燃焼であり、納得いかないのだろう。

 

「あのなぁ……おまえ、あまりウジウジしてても仕方ねーだろ? 気持ち切り替えてウイニングライブに出てこいよ」

「…………」

 

 無言で顔を上げるオラシオン。その表情は精彩を欠いており、それを見たギャロップダイナはため息を付いた。

 

「シケたツラしてんなぁ。そんな有様でライブに出るとかプロ根性の欠片もねえ」

 

 ──そして、呆れかえった表情から、蔑んだ目へと変えて一瞥する。

 

「そんなに不満なら、もう一度レースやり直させてくれって土下座してきたらどうだ?」

「ッ!」

 

 オラシオンがギャロップダイナを睨みつける。

 だが、ダイナは気にした様子もない。

 

「お~、お~、怒ったか? 悔しいか? だが、あんな無様なレースやったんだから負けて当然だろ?」

「ダイナッ!」

 

 言い過ぎだ。

 そう感じたオレはあわてて声をかけたが、彼女はチラッと視線をこちらに向けただけだった。

 

「ビジョウ、黙ってな」

「しかし……」

 

 止めようとするオレを後目に、ギャロップダイナは再び鋭い目をオラシオンへと向けた。

 そしてそのままオラシオンと睨み合いになる。

 

「もしかして……今日は私の実力が発揮できませんでした、とか言わねえだろうな?」

「レース中に前の順位も狙わないような連中に囲まれたんですよ? どうやって抜け出せって言うんですか?」

「ハッ……そんなミエミエの策に気づかずにおとなしくハマるマヌケが悪いんだろ?」

「あ、あんなものが、レースだっていうんですか!?」

 

 テーブルを叩かんばかりの勢いで立ち上がり、そして言い寄るオラシオン。

 その姿はまさに怒り心頭といった様子で、普段の優等生然とした姿からは想像もできないような反応だが──オレはどこか納得していた。

 

(アイツは、レースになると人が変わったように熱くなる)

 

 チームにやってきた時の印象は、レースに真面目に向き合う優等生という印象だったが、それは内なる激情を完全に覆い尽くして隠しているのだと思い知った。

 それほどまでに、彼女は真剣にレースに向き合っている。それこそ人生……いや、命を懸けていると言わんばかりの気迫を持っていた。

 だからこそ、デビューを遅らせたオレに怒りと不満を募らせたのだ。

 その熱意は、凄い。

 しかし──それ故に、危うい。

 だからオレは……

 

「ああ、その通りだよ優等生……()()()レースだ」

 

 ギャロップダイナが蔑むような、冷め切った目でオラシオンを見ていた。

 対して激しい怒りを込めて見つめ返すオラシオン。しかし、その熱はギャロップダイナには届いてさえいないように思えた。

 

「そんなこと……認められません。だってさっきのレース、現に私は進路を塞がれて──」

「ずいぶんとめでたい頭をしてるな。じゃあ、誰か違反走行をとられたか? 降着になったか?」

 

 ダイナの問いに黙るオラシオン。

 前を走っていたウマ娘達が壁になっただけ。

 横に出ようにも外が空いていなかった。

 他のウマ娘が斜行して進路が妨害されたわけでもない。

 

「確かに反則はありませんでした……でも、一番速いウマ娘が勝つ、それが競走でしょう!?」

「──違う」

 

 興奮したオラシオンの言葉を、ダイナは真っ向から否定する。

 

「降着制度を抜きにしたら、ゴール板を一番最初に駆け抜けたウマ娘が勝つのが競走だ」

「そ、そんなの当たり前です! だからこそ一番速いウマ娘が──」

「あのなぁ、お前みたいな優等生には理解できねえだろうが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから、一番速いウマ娘に抜かれるのを他のウマ娘が黙って指くわえて見てるだけなわけねえだろうがッ!」

「ッ! それは……」

 

 言い放ったダイナの言葉に、オラシオンは動揺する。

 対してギャロップダイナは畳み掛けるように言い放った。

 

「遅いヤツは速いヤツに道を譲れとでも言うのか? 遅いヤツには走る権利がねえのか? 違うよな? レースに出走登録したら、みんな平等だ。全員に勝つ権利が与えられる……たとえ相手が“皇帝”陛下だろうが──」

 

 そう言ってギャロップダイナはレッツゴーターキンをジロッと見る。その視線におびえてターキンが「ひッ」と短い悲鳴をあげた。

 

「その後継者を自称する“帝王”だろうが──」

 

 さらに、ダイユウサクに視線を向けた。彼女は「ふん」と興味なさそうに冷めた調子で視線を逸らす。

 

「──圧倒的な人気を集めた現役最強ステイヤーだろうが、関係ねえ。千載一遇のチャンスがあればそれをものにする。それこそが競走ウマ娘であり──乾井 備丈(こいつ)の教えだろうが」

 

 最後にオレを一瞥してから、ダイナは再びオラシオンへ──いつの間にか怒りのこもっていた視線を向けた。

 

「お前は、ダイユウサクやレッツゴーターキンの()()走りを、同じチームメンバーという立場で見ていたはずだろうが! お前は、あのレースのどこを見てやがった!!」

 

 言い放ったダイナに対し、オラシオンはもう言い返す勢いは持っていなかった。

 彼女の言葉は、まさに正鵠を得ていたからだ。

 

「そんなに囲まれて邪魔されるのがイヤなら、新潟の芝1000m(直線コース)だけを走ってそこから出てくんな! 正々堂々の勝負(「やぁやぁ我こそは」)なんて幻想抱いてるなら、源平合戦でもやってろ!」

 

 そんなことにさえ気づかず、反発していたのか……ダイナはそう嘲笑するように、蔑み見下した目で睥睨した。

 

「ま、それでもお前みたいなヤツ(黒髪のウマ娘)は、白だか葦毛のヤツに『帯が緩んでますよ』と騙されて出遅れちまうんだろうがな」

 

 ギャロップダイナの揶揄に、オラシオンは立ったままうつむいて肩を震わせていた。

 この隠れた激情家が、負けを──それも実力を出し切れなかったような今日の敗北に、我慢がならないのは明白だった。

 でもそれは、他の誰のせいもでもない。

 

「オラシオン……」

 

 意を決して、オレは彼女に声をかけた。

 彼女からの反応は、無い。

 だがそれは、最近のオレをあえて遠ざけていたからという反応ではなく、そうする余力がないからなのだと思った。

 だから──

 

「なぁ、オラシオン。ここからオレは本当のことを、本音で話す。隠し事はもうしない」

「隠し事……ですか?」

 

 ギャロップダイナが怒りをくすぶらせながら睥睨し──

 ダイユウサクが無関心を装いながらも不満げに視線を送り──

 ミラクルバードが心配そうに見つめ──

 レッツゴーターキンは相変わらずハラハラしながら見つめ──

 黙ってじっと聞いていたロンマンガンもまた彼女を冷めた目を向け──

 オラシオンが小さな声で言って顔をあげるのを、チームメンバーが見ていた。

 

「そうだ。今回の負けた理由は、オレにある」

「え? いえ、ダイナ先輩の仰るとおり──」

 

 オラシオンが何か言おうとしたが、オレは無視して続ける。

 

「ここまでデビュー戦が遅れた理由は、それをお前が“負けないレース”にしたくなかったからだ」

「…………え?」

 

 呆気にとられたオラシオンの目が──変わった。

 




◆解説◆

【“あなたの言葉が私を動かすのです”】
・オラシオン回なので、いつもの通り「馬の祈り」の詩の翻訳からで
  “Your voice often means more to me than the reins.”
から。
・直訳すると「あなたの声は私にとって手綱以上の意味を持っています」となるのですが、それを意訳しました。

レース
・小説『優駿』のオラシオンのデビュー戦は、実は思いっきり端折られます。
・元々、以前解説したように11月の開催、距離は1200くらいしか情報はありません。
・で、ゴール直後のシーンから始まり、5着だったという結果が分かるだけでした。
・なお、その後、回想シーンでデビュー戦が描かれ、16頭立てで8番だったことや、集団に囲まれて前に出られずに終わったというレース展開が語られます。

新潟の芝1000m(直線コース)
・新潟競馬場(ウマ娘では新潟レース場)の芝1000メートルは国内唯一の直線コース。
・ゲームだとチーム戦でもごくまれに短距離レースで選ばれたりしますね。
・コーナーが無いので、当然にコーナー系のスキルは発動しないという特徴があったります。

『帯が緩んでますよ』と騙されて
・これは、源平合戦といわれる治承・寿永の乱の中で、源義仲と源義経の両軍が戦った宇治川の戦い(1184年1月)の先陣争いが元ネタ。
・白馬・生食(いけずき)を駆る佐々木高綱と、黒馬・摺墨(するすみ)を駆る梶原景季が先陣を競って宇治川を渡っている際に、佐々木高綱が梶原景季に向かって「あれ? お前の馬の腹帯緩んでね?(意訳)」と言い、それで「え? マジ?」と景季が確認している間にまんまと先陣を切った、というエピソード。
・なお、今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』ではこのシーンどころか宇治川の戦いがほぼ完全にカットされました。
・ウマ娘の世界ではどのようなエピソードになってるんでしょうかね。


※次回の更新は5月30日の予定です。  



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第35R “師よ、我が人生を奪うというのですか”

 

「──“負けないレース”にしたくなかったからだ」

 

 私のデビュー戦が11月という晩秋にまで遅らせた理由について、“隠し事無し”の“本音”で話すと言ったトレーナーは、そう言いました。

 直前に、ギャロップダイナ先輩に言われて頭が冷えた私でしたが、さすがにそれには思うところが出てこようというものです。

 

「…………え?」

 

 聞き間違いかもしれない、という思いもあって私は戸惑いの方が大きかったのかもしれません。

 でも──

 

「夏前にあった家庭の事情で調子を落としていたから、夏のデビューは考えていなかった。だから秋以降になって()()()()()()()()()レースを探していたが、お前が強すぎるせいで、見つからなかった──」

 

 ガタンッ! という音が部屋の中に響く。

 私は思わずトレーナーの胸ぐらをつかんでいた。

 

「シオンッ!!」

 

 真っ先に動いて、私の腕を掴んだのはダイユウサク先輩。

 少し離れて立っていたはずなのに腕を掴まれたのには驚きましたが──

 

「……オラシオン。トレーナーから手を、離しなさい」

 

 私達には滅多に怒らない先輩が、静かに怒っている姿はまさに本気の怒りであるのが分かります。

 でも、本気で怒っているというのは私も同じです。

 ダイユウサク先輩の言葉を無視して、私は力を込め──呼応するようにダイユウサク先輩が掴んでいる手の力も強くなりました。

 

「ダイユウサク、離せ」

「でも……」

「いい。離せ」

 

 短い言葉でトレーナーに促され、ダイユウサクさんは渋々といった様子で私の腕を掴んでいた手を離しました。

 不満そうな表情を浮かべつつ、元の場所には戻らずにすぐに対処できる今の場所に立っています。

 

「トレーナー、今の話では私が負けるように仕組んだ、と聞こえましたが?」

 

 怒りをどうにか抑えながら私が静かに尋ねると、彼は首を横に振りました。

 

「確実に勝ててしまうようなレースでデビューさせたくなかった、というだけだ」

「同じではないですか!!」

 

 思わずカッとなり、胸ぐらを掴んでいた手に力が籠もる。

 私の大きな声にターキン先輩が「ひッ」と悲鳴を上げて身を縮め、ダイユウサク先輩が再び動こうとするのが分かりました。

 その先輩が動かなかったのは、私がそれ以上動かなかったから。

 腕に力を込めたけど──刺すような視線が二つ向けられ、私はそれ以上動けなかったのです。

 ギャロップダイナ先輩と……そして、ロンマンガンさんでした。

 

「……シオン。とりあえず話、聞こ? デビュー戦の話なら、あっしにも関わることだし」

 

 普段とは明らかに違っていた刺すような視線。

 冷静にそう言った彼女は、さらに続けます。

 

「でもね。最近のアンタのトレーナーに対する態度、あっしもかなり頭にキてんだよね。ま……先輩方も、なによりトレーナー本人が何も言わないから我慢してたけど」

 

 ロンマンガンさんは、ダイユウサク先輩にあこがれてチームに入っていますが、それは乾井トレーナーの手腕にあこがれていたということでもあり、絶対の信頼を寄せています。

 彼女の言葉には冷静になれ、という助言であると同時に、これ以上やるなら敵として見る、という宣言。

 私は頭を冷やし、幾分冷静になってからトレーナーに同じ言葉を投げかけました。

 

「……同じ、ではないですか。それは」

「お前を絶対に負けさせるつもりはなかったんだ。強くなりすぎたお前が、負ける可能性が出ればそれでよかった」

 

 そこまで言うと沈痛そうな表情で首を横に振るトレーナー。

 

「でも、お前と互角以上の実力を持つ新人は現れなかった。しかしこれ以上は待てない。だからオレは──マスコミにお前の発言で煽ってもらったんだ」

 

「「「「──え?」」」」

 

 私以外のところから、驚きの声が出た。

 先輩方に、ロンマンガンさんまで、呆気にとられた様子でトレーナーを見ています。

 しかし私もそれは同じことで……

 

「じゃあ、あの新聞に出てた見出しって……トレーナーがやらせたの?」

「そうだ。そうして他の出走するウマ娘にオラシオンを敵視させ、共通の敵として認識させた」

 

 ミラクルバードさんの問いに、トレーナーは首肯しながら答えました。

 

「一人では勝てなくとも束になってかかれば……さすがに出走メンバーが申し合わせて手を組んでくるようなことはないだろうが、それでも“一人の強敵に対抗する”という図式になれば、実力差が覆せるかもしれないと考えた」

 

 そんなトレーナーの言葉に私は──思わず握る手に力が籠もりました。

 震えそうになる、私の手。

 しかし相反するように、私は顔を下げて──そして言わずにいられませんでした。

 

「……トレーナーの役目は、担当ウマ娘を勝利に導くことのはずです。それに、反しているじゃないですか。私を、裏切っているじゃないですか……」

「違う!」

 

 こみ上げた悔しさで涙が出そうになる私の言葉を、トレーナーは強く否定します。

 

「オレは、お前を裏切ってなんかいないんだ。それだけは……信じてくれ」

「じゃあ、どうして……」

 

 私の問いに彼は、真摯な表情で答えました。

 

「“負けは終わりじゃない”……お前にそれを教えたかったんだ」

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》。

 

 ある程度実績を残し始めたトレーナーは、いつの間にか異名が付けられる。

 2度──事情通や関係者なら3度と思うだろうが──の予想外の大金星に“驚かされた”ことで付けられたオレの異名だろうが、密かに心に刺さっている部分もある。

 それはオレのトレーナーデビュー戦とも言うべきレースのこと。

 正トレーナーとなって初めて担当したウマ娘が、初めて走ったレース──弥生賞。

 

 そう、弥生賞だ。重賞……それもGⅡの。

 

 未勝利どころか未出走のウマ娘がそこでデビューという事態に、ウマ娘競走のファンは“驚かされた”だろう。

 しかしその結果は、惨憺たるもの。あまりに劣悪な“ビックリ箱(悪ふざけ)”だとオレは非難を浴びた。

 断っておくが、たとえ《ビックリ箱》とか呼ばれても、オレは最近の大金星も含めて“驚かせようとして”やっているわけじゃない。

 あの時だって、世間を驚かせてやろうとか、そういうつもりなんて微塵もなかったんだ。

 

 あれはオレが──彼女を、追いつめた結果だっただけだ。

 

 オレがトレーナーとして初めて担当して勝手に舞い上がり、“国民的アイドルウマ娘”になれる逸材と期待をかけたウマ娘、パーシング。

 その彼女はオレが期待しすぎたせいで──()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「彼女はオレの過剰な期待に応えようとして、それがプレッシャーになって……レースに負けられないと自分を追い込んでいった。その結果が──」

「パーシング事件、か? あの、重賞がデビュー戦になっちまったっていう」

 

 トレーナーの独白にそう言ったのは、ギャロップダイナさん。

 当時は留学中だったはずなのに、よくご存じで──とも思ったのですが、乾井トレーナーが絡んでいたので知っていたのでしょう。

 彼女は若干、呆れたような口調で返します。

 

「アレは、楽して重賞挑戦して、あわよくばクラシックレースに……なんて色気出して我が儘言ったあいつ……パーシングの自業自得だろ。ビジョウは何も──」

「いいや、違う。負けを怖がらせてデビューを躊躇わせ、そしてもっとも酷い負けを経験させて──彼女の心を折ってしまった。オレの責任だ」

 

 周囲の期待に応えたいという気持ちは私も同じ。

 勝たなければならない、というプレッシャーはありましたし、最初のレースでそれに応えられなかったショックは、今の私にはよくわかるのです。

 

「あの時の未熟なオレも思っていたさ。“勝たなければ意味がない”、“負けたら何も得られない”……いや、あれ以降だってそうだった。あの後の、誰の担当にもなれない状態でも思っていた」

 

 そう言って悔しそうに目を閉じるトレーナー。

 

「競走に勝利以外で得られるものなんて無い。あんな酷い“負け”をさせたから、こんなことになった。だからもう誰もあんな目に遭わせるわけにはいかない。レースに勝たせないといけない……ってな。でも──」

 

 そこまで言うと自虐的な笑みを浮かべながら、トレーナーは視線を一人のウマ娘に向けました。

 その視線の先には……

 

「──コイツのおかげで、思い知らされたんだ。“負けの価値”を」

 

 それを向けられたダイユウサクさんは、「ふん」と無関心そうにそっぽを向きます。

 

「2度の惨敗で競走を諦めようとしていたダイユウサクの姿が、アイツを思い出させたのかもしれないな」

 

 ダイユウサクさんは2敗した時点で、地方(ローカル)シリーズのトレセン学園に転校する話が出たり、本人はそもそも辞めようと思っていたというのは以前に聞いたことがありました。

 

「だからオレは、ダイユウサクをせめて一勝でも勝たせたい。競走を悪い思い出だけで終わらせたくない──そう思ったんだ」

「……あのときは“誰にも負けないウマ娘にする”って言われた気がしたんだけど?」

 

 ダイユウサクさんにジト目を向けられ、苦笑するトレーナー。

 

「そうとでも言わないと、お前あの時、諦めて学園から去ってただろ?」

「ふん……」

 

 そう返されて、図星だったのかダイユウサクさんは再びそっぽを向きました。

 それを見ていたギャロップダイナさんがつまらなそうに呟きます。

 

「……ホンット、おめでたいな、お前。夢見がちにしても信じたのかよそれ。2度走って2度ともタイムオーバーしてたのに」

「な──ッ!?」

 

 バッと振り返り、くってかかろうとしたダイユウサクさんでしたが、トレーナーさんが私に話しているのを思いだし、またダイナさんがからかうようにニヤケた笑いを浮かべていたので思いとどまったようです。

 グッとこらえてダイナ先輩を睨みつけるダイユウサクさんに苦笑してから、話を続けます。

 

「……それから、いろいろと頑張ったさ。初勝利まで3戦、2度のレースで勝てなかった理由を探した。“負けたら終わり”じゃない。負けから価値(勝ち)を見いだしたい……必死にその対策を試行錯誤して──そして、勝てた。そこで思い出したんだよ」

 

 トレーナーは、今度はギャロップダイナさんの方を見ました。

 その視線に珍しくきょとんとした顔になるダイナさん。

 

「ダイナを担当した研修生時代をな。勝つために色々考え、ダートで勝った負けたで一喜一憂してた、あのころを……」

「ああ、最高だったな。お互い知識も経験もねえから、途方もないことを試したり……」

 

 ニヤリと笑みを浮かべるダイナ先輩。

 

「ルドルフに勝ってからは先生がメインで見るようになって、言われた通りにしていたから、いつの間にか忘れていたあのころの感覚を思い出した。そして、それでいんんだってなった。負けたら次に生かす。負けレースこそ反省すべき点が多く存在する。だから──」

 

 突然、トレーナーから視線を向けられ、レッツゴーターキンさんは戸惑ったように驚きました。

 

「えぇ!? な、なんでしょうか……」

「ターキン。連敗中のお前が来たときも、それを脱した後に負けたときも、それを無駄にしないように努力したつもりだ」

「うぅ……はい……ありがとうございます。私も、トレーナーさんのその気持ちは、わかってました」

 

 神妙にうなずくターキンさんを背に、トレーナーは改めて私の方を向きます。

 

「“無敗のウマ娘”はもちろん偉業だし、その価値は計り知れない。それを目指し、“負け”を恐れ、全力で努力して“最強”となるのはもちろん意味がある。だが……オレはその“脆さ”を危うく思っている」

「脆さ、ですか?」

「ああ。無敗は当然ながら一つの負けも許されない。でも、全てのレースを万全の仕上がりで迎え、万全の体調で挑めるなんてことは、無い」

 

 調整のミスもあれば、レース前までの体調に左右されて遅れが出ることもある。

 些細なことでメンタルに支障をきたすことだってあります。

 現に私も、夏前に養父のことが気がかりになって調子を落とした時期がありました。

 

「無敗を続けるのは高い実力だけじゃなく、どんな状況でもそれを発揮して逆境をものともしない強固な自信が求められるだろう。だが、その自信は……一つの負けで、欠ける」

 

 過去のウマ娘たちを思い出すように、トレーナーは遠い目をしました。

 

「初代の国民的アイドルウマ娘は、地方から積み重ねた連勝が途絶えると、明らかに調子が落ちた。“あの方(シンザン)”が強かったのは“無敗”という記録にこだわらない性格だったから、とも言われている。ルドルフが本当にスゴいのは、カツラギエースやダイナに負けても折れることなく七冠を達成したことだ。そして、この前の天皇賞(秋)(アキテン)……」

 

 その言葉に、ターキン先輩が耳をピクッとさせます。

 

「もしもトウカイテイオーが春の天皇賞で負けず、自信を失っていなかったら……ムービースターの策にはまらなかっただろう」

「え? あ、あのぅ……という、ことは……」

「良かったなぁ、ターキン。そしたらお前、負けてたってことだ」

「そんなぁ……」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべるダイナ先輩に、泣きそうな顔になるターキン先輩。

 それを後目に、トレーナーは話を続けます。

 

「負けを避けるのに懸命になっていたウマ娘が、いざ負けた時にそれを糧にするのは本当に難しい」

「そのために、私を負けさせようと? 無敗でなくさせるために」

「……半分は、当たりだ」

 

 私の問いにトレーナーさんは頷きました。

 しかし、味方のはずのトレーナーが自分を負けさせようとしていたということを聞けば、当然におもしろいはずがありません。

 私が鋭い目をトレーナーに向けましたが、彼は真摯な目で見返してきました。

 

「言ったろ? 負ける()()()()()()レースにした、って。もしもお前があの逆境を跳ね除けて勝ったら……オレは覚悟を決めて、お前とともに無敗路線を進むつもりだった」

「うわ、メンドくさ……なら最初から言ってやればよかっただろ? そうすれば優等生もこんなにこじらせて、あんたを嫌うことなかったのに」

「……あのなぁ、ダイナ。オラシオンに“負けてもいい”なんて言えるわけ無いだろ? こんなに真面目に、競走に熱意を持ってるヤツ相手に、そんないい加減なことはできなかったんだよ」

 

 ダイナ先輩にそう答えて──トレーナーは私の方を見ました。

 

「正直、ここにいるメンバーを見て分かるように、オレには負けから学ぶのを放棄して“無敗”を突き進ませる自信はなかった。だからこそ全力で負けさせにいく必要があった……オラシオン、すまなかった」

 

 そう言ってトレーナーは、私に頭を下げました。

 

「トレーナー……」

 

 もしかしてこの人は、本当に私のことを真摯に考えてくれていたのでは?

 少しだけ……ほんの少しだけですが、トレーナーに対する認識を改めました。

 でもまだ、心の底から信用するには早い気がしましたから。

 

「想像でしかないが、負けられないプレッシャーと戦いながら走るのは本当につらいと思う。それは“競走(レース)”が怖くなることになるかもしれない。そしてそんな中で競走を続けるのは、あまりにかわいそうだ。うちのチームは、どんなに負けようが走るのが好きなヤツしかいないからな」

 

 トレーナーはダイユウサク先輩、レッツゴーターキン先輩、そしてギャロップダイナ先輩を見ました。

 ターキン先輩はともかく、他のお二人はそう言われて、微妙な表情になっていましたが。

 それに気が付いたトレーナーは、ニヤリと笑みを浮かべてダイナ先輩を見ます。

 

「ダイナになら平気で言えたんだけどな。次のレース、ちょっと負けて来いよって」

「ハッ、そんなこと言われたら、あたしは意地でも勝つね。ぜってー思い通りになってやらねえ。第一、わざと負けるとか気に食わねえ」

「あのころだったら芝走らせれば負けたけどな」

「なッ!? ビジョウ、お前!」

 

 くってかかるダイナ先輩に、それから逃げようとするトレーナー。

 そうか……もしも無敗を続けていて意識している状況だと、こんなことをチームで話すことも無理になる。

 

(緊張感のある空気というのも必要だと思います。でも……)

 

 負けを糧にする──負けても負けても前を見続ける気概こそ、私が選んだチーム〈アクルックス〉の魂。

 ダイユウサクさんと乾井トレーナーの絆はそうして育まれたのだと、気づかされました。

 その絆に、私は惹かれたというのに……

 

 ──それからまもなく、係員さんがウィニングライブの準備のために私を呼びにきたので、話はそこまでとなりました。

 




◆解説◆

【“師よ、我が人生を奪うというのですか”】
・オラシオン回なので、いつもの通り「馬の祈り」の詩の翻訳から
  “But do thee my master take my life”
から。
・直訳では「しかし我が主よ、我が命を奪おうというのか」となり、単語の意味を変えました
・でもこの直訳も意訳も、これは詩の流れから見ると明らかな誤訳です。
・この前の段が第22話で使った、
   “Do not turn me out to starve or freeze(私を、飢えたり凍えさせたりしないで下さい),”
   “Or sell me to a cruel owner(残酷な飼い主に売り払わないでください)
で、それが、
   “To be slowly tortured and starved to death.(じわじわと痛めつけ、そして飢えて死なせ)
を挟んで今回のタイトルの元ネタへとつながるわけで、“master(あるじ)”は売り払った先の新しい飼い主を指すと捉えるのが正しいでしょう。
・ですから、タイトルのものとは全然意味合いが違いますね。
・この“誤訳”もオラシオンと乾井のすれ違いの象徴、という意味でもあります。


※次回の更新は6月2日の予定です。  



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第36R “理解するための時間を私にください”

 

 ──それは、初秋のころだったと思います。

 

「なぁ、渡海。オラシオンのことなんだが……」

 

 研修のことで学園内の乾井トレーナーの部屋を訪れた際、僕の件が終わってから乾井トレーナーはそう切り出しました。

 

「オラシオン……彼女がどうかしました?」

「ああ、あいつの今後についてなんだが……基本的にお前に任せる」

 

「……は?」

 

 トレーナーの言ったことが信じられず、僕は呆然としていました。

 今、先生はなんと言ったか。

 たしか、オラシオンを、任せるとか……

 

「い、いや、先生。ちょっと待ってください」

 

 オラシオンは、中等部のころからその才能を評価されていたウマ娘で、当然に期待されている。〈アクルックス(うちのチーム)〉どころか学年のホープと言って過言じゃない。

 そんな彼女が高等部に上がる前に、有力チームのお誘いを蹴って〈アクルックス〉に所属したんだ。今でこそGⅠタイトルを持っているけど、当時は重賞タイトルはGⅢの金杯(西)しかなかったので、陰で色々言われさえもしている。

 だから、その〈アクルックス〉で育ったオラシオンは、手に入れられなかった有力チームを含めて、注目になるのは間違いない。

 

「確認しますけど、オラシオンですよね?」

 

 チームにはデビュー前のウマ娘がオラシオン以外にもう一人いる。

 ロンマンガンという名のウマ娘だけど、彼女の注目度は高くない。麻雀好きという少しクセのあるウマ娘で、少しひねくれたところもあるけど、基本的な性格は素直だ。

 

(……麻雀や賭け事が絡まなければ)

 

 そしてその実力は、本人が“GⅠをとれる器じゃない”と自認している。オラシオンと比べれば話題にすらならない。目立たった成績もなく、十把一絡げにされてしまうような程度のウマ娘なのだ。

 しかし──研修生の僕に任せるのだとしたら、そういう期待の薄いウマ娘で経験を積ませるはず。

 でも、そんな僕の期待を先生は打ち砕いたのです。

 

「ああ、オラシオンだぞ。そっちの方が親しいだろ?」

「そ、それは……そうですけど、でも! 僕には荷が重すぎます。彼女の担当をするのは──」

「もちろん、基本的な指示はオレが出す。それをアイツにやらせるだけでいい。場合によってはオレからの指示だってことを隠してでもな」

「……それは、どういうことですか?」

 

 その奇妙な指示に、僕は思わず首を傾げました。

 担当トレーナーからの指示だということを隠したら、なんの実績もない研修生の僕の指示になってオラシオンは余計に従わないと思うんですが。

 

「この前のスランプでのお前のサポートがよかったからな。さすが、幼なじみなだけはある」

「よしてください先生。あれは、それこそ彼女の性格や家庭の事情を子供のころから知っていたからです。他の人が持っていないものを使ったズルみたいなもので……」

「だからこそだ。だからこそお前にオラシオンのことを任せたいんだよ。彼女と特別な絆があるからこそ、この学園のトレーナーの中でオラシオンから信頼を一番得ているはお前なんだ」

「それは違いますよ。やっぱり一番は、先生じゃ──」

「いや、オレはこれからオラシオンに嫌われることになる」

 

「はい……?」

 

 また突拍子もないことを先生は言い出しました。

 トレーナーは変わった人が多いと聞きますが、他の方もそうなんだろうか?

 

「嫌われるって……なぜです? それはデメリットしかないような気がしますが」

「なぁ、渡海。オレが思うにアイツに必要なのは、“敵”なんだと思う。それも競争相手(ライバル)って意味の敵じゃなくて、文字通りの悪役(エネミー)の、な」

「敵って……どういうことですか?」

「オラシオンは優しすぎるし、優等生すぎる。それがアイツの枷になると判断したんだ」

 

 たしかにオラシオンは身体能力だけでなく学力も優秀な上、規範意識も高くて真面目。絵に描いたような優等生ではあります。

 そして周囲に気配りができて優しいのも間違いない。彼女が敬虔な三女神の信者で神職についているというのも、分かります。

 でもそれは美徳であって、欠点になるとは僕には思えなかった。

 

「この前のスランプで改めて思ったんだが、もしもなにかあった場合、アイツは全部自分のせいだと抱え込むだろ?」

「それは……そうかもしれません」

 

 彼女の真面目さを考えると、結局は自分の未熟さにしてしまう気がする。

 

「目標が達成できなければ努力不足を悔やみ、負傷すれば自分の体の弱さや体調管理の甘さを嘆く。そうやって自分を責めるだろ? だが、明確な叩ける敵がいれば話は違ってくる」

 

 自分のせいだと抱えていたものを、その“敵”のせいだと押しつけられるようになる。

 自身を責め(さいな)んできた矛先を、“敵”の顔写真を貼ったサンドバックに向け、殴り続けて発散すればいい。

 トレーナーはそう言って苦笑しました。

 

「誰かのせいにするという逃げ道が無いと、自分を追いつめていくことになる。だからオレが憎まれ役になって、ガス抜きをする。それだけだ」

「と、トレーナー自らがですか!? それはリスクが高すぎます! 担当ウマ娘との信頼関係が無い状態で育成するということじゃないですか」

「……そのために、お前がいる」

「なッ……」

 

 僕が驚いて言葉を返せない間に、乾井トレーナーは優しい笑みを浮かべていた。

 そしてその狙いを説明し始めたのです。

 

「これは、お前というオラシオンと信頼関係を結んでいる相手がいるからこそできる方法なんだ」

 

 無敗の道を進むことのリスク。そしてそれは優等生で責任感の強いオラシオンは、それを抱え込んでしまう可能性が高い。

 しかしヘイトをトレーナーである自分に向けることで、うまくいかないことに対するストレスをトレーナー本人に向けさせ、オラシオン自身のせいではないと思わせる。

 

「本来なら、担当のオレが嫌われればその下についている研修生も同じように信頼されないだろう。だが渡海、お前は違う。アイツの支えになることができるんだ」

 

 トレーナーはそう言って、僕の両肩を掴みました。

 

「ウチでオラシオンが潰れずに育つかどうか……お前が頼りなんだ」

「先生……」

「そして、これは賭けでもあるけどな。もしオレがオラシオンに愛想を尽かされたら、それで終わりだ。だから、そうなったら……チームから追い出す」

「え?」

「オレを嫌う余りに競走を嫌い、走るのを止めるような事態だけは絶対に避けなければいけないんだ。だからチームを出るなら移籍先もちゃんと決めてやる。東条先輩や六平トレーナー、相生さんだろうが、土下座でもなんでもやってアイツの道を残す──」

 

 そこで僕の肩を掴むトレーナーの手が、グッと力が入った。

 

「──だからそのときには、アイツを頼むからな」

「トレーナー……」

 

 それは乾井トレーナーなりの誠意なのだと思いました。

 元々は僕とオラシオンが押し掛けてチームに入れてもらったというのに、引き受けたからには駄目だった後のことまで面倒を見ようとしてくれている。

 やっぱり乾井トレーナーはいい人だと思いました。

 

(でも先生……それは僕も出て行け、ということですか?)

 

 ここまで、憎まれ役をかって出てまでウマ娘のためを考えているトレーナーの下を離れようだなんて、僕は思いませんよ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そのトレーナーの狙い通り、オラシオンはトレーナーに強い不満を持ち、それをぶつけている。

 そのおかげで彼女が自分を追いつめるほどに根を詰めている様子は無い。

 

(ただ、それがいいのか悪いのか……)

 

 今回の件でも、さっきギャロップダイナさんが責めたように──周囲の結託を責め、それを見破れなかった自分を責めなかったのは、少しトレーナーの策が効き過ぎているんじゃないかとさえ思いました。

 

 でも──

 

「ねぇ、クロ……」

 

 レースが終わって待機していた控え室を出たタイミングで、僕は彼女に話しかけた。

 周囲には誰もない──そう思ったからこそ、そして本音を聞きたかったから、あえてその名前で呼びました。

 

「なんでしょうか?」

「今のチーム……〈アクルックス〉で、大丈夫? 乾井トレーナーが担当で、これからも大丈夫かな?」

「渡海さん……今のチームに不満があるのですか?」

「いや、僕じゃないよ。クロの担当をさせてもらえているし、色々教えてくれるし、ぜんぜん不満はないんだ。でも……キミは違うだろ?」

 

 僕の問いにクロ──オラシオンは、じっと考え込んだ。

 

「確かに、不満はあります……今回の件を考えれば、あの人を信用できるかと言われれば、間違いなく“できない”と答えられますから」

 

 そう、か……オラシオンは、乾井トレーナーをやっぱり信用できなくなったんだね。

 それなら答えは、たぶん決まっている。

 僕は──どうするべきだろう。僕が信頼する乾井トレーナーに下に残るか、それとも僕を信用してくれるクロと共に他のチームへ行くか……

 

「私を計略にかけ負けさせたことは絶対に許せません。でも……」

 

 ふと、オラシオンがつぶやく。

 

「この負けは、取り消せません。だからその負けを糧にするしか、ないじゃないですか」

 

 考え込んでいた彼女は、フッと微笑を浮かべて僕の方を見ました。

 

「もしも感情に任せてこのまま出て行けば、私には“1敗”という瑕疵を帯びたままレースを走るしかありません。そして乾井トレーナーがどういうつもりでそうしたのか、それが本当に私のためになることだったのか、それを確認する(すべ)がなくなってしまいます」

 

 そう僕に言う彼女の姿は、先ほど自分で「信用できない」と言った相手に対する言葉にしては、信頼を感じるように見えて──

 

「なにしろ、《ビックリ箱》ですからね。その中に何が入っていたのか、確認したいと思っているので、私は……チームから離れるつもりはありませんよ。なにより……先輩方には私も、一目置いている方ばかりですから」

 

 そう言って笑みを浮かべた彼女の表情は、どこか悪戯っぽくて──まだ幼かったころの彼女を思いだしていた。

 その無邪気さに、思わずドキッとしたとき──

 

「ねえ、シオン。ちょっといい?」

 

 背後から聞こえた声に、僕は心臓が止まるかと思った。

 てっきり誰もいないと思っていたのに──僕らの後を追ってすぐに部屋から出てきた人がいたようだった。

 振り返ると、肩付近まで伸びたウェーブのかかった髪が特徴的なウマ娘──ロンマンガンが立っている。

 

「ええ、短い時間ならかまいませんが……」

 

 係員から声をかけられて出てきていたものの、ウイニングライブの準備がそこまで喫緊に押しているわけではない。

 オラシオンがそう答えると、ロンマンガンは「そう」と言って──麻雀を打つの時のような鋭い目で、オラシオンを見た。

 

「……あっし、これから真剣(マジ)にクラシック三冠を狙うわ」

「え?」

 

 その突然の宣言に、オラシオンは戸惑った様子だった。

 でも僕にはそれが、ロンマンガンが“目指す”と言ったのを驚いたのではなく、“今まで真剣に目指していなかったの?”という驚きなように見えた。

 

「正直、アンタがいるから無理って最初から諦めてた。だからシニアになってから自分の適正見極めて、それでパイセン達みたいにGⅠの一つでも取れれば満足……なんて思ってた」

「それは……」

「シオンからすれば、『(こころざし)、低っ!』とか思うんでしょうけど、あっしにみたいなウマ娘からすれば、GⅠなんて出走するだけで大事なんだからね?」

 

 オラシオンの心を読んだかのように、苦笑するロンマンガン。

 そして再び真顔になり──

 

「でも思った。そんな甘い気持ちじゃどう頑張ったって勝てるわけ無いわ。裏を返せば負けるのが怖くて、酸っぱい葡萄の理論で逃げてんだから」

「マンガンさん……」

 

 ロンマンガンは不敵な笑みを浮かべて、拳を突き出す。

 

「だからオラシオン、今からあっしもアンタのライバルだから。今は届かなくても……来年の春までには、必ず並んで一緒に走る。そして、競い合ってやる」

「ええ……私も負けないよう、その場所に立てるように全力を尽くします」

 

 ロンマンガンの拳に、オラシオンも握った拳を合わせ──そして2人は笑みを浮かべていました。

 ライバルに火を付けた──それも乾井備丈の教えを受けた〈アクルックス〉のウマ娘となれば、油断できない相手になる。

 それこそ目立たなければ目立たないほど恐ろしい。

 

 ──でも、ともあれ今は、オラシオンに同じチームの中で、全力で切磋琢磨しあえる親友(ライバル)ができたことを喜びたいと思った。

 




◆解説◆

【“理解するための時間を私にください”】
・オラシオン回なので、いつもの通り「馬の祈り」の詩の翻訳からで
  “But give me a chance to understand you.”
から。

嫌われる
・なぜ、乾井トレーナーがオラシオンから嫌われたり、デビュー戦で負けさせようとしたのか、というと原作に元ネタがあるからです。
・デビューを急がなかったのは、砂田調教師が長期的な目で見ていてジュニア期のGⅠさえ眼中になかったからでした。
・それを馬主(?)である和具社長の娘からはかなり不満に持たれていました。(オラシオンが不満を持っているのはそれが元ネタ)
・さらに、デビュー戦では奈良騎手が、あえて馬群に埋もれさせる(=負けさせる)ような戦術さえとっています。
・それらを入れながら、本作なりに理由をつくりつつ、なんとか頑張ったのが本話までで描いたオラシオンのデビュー戦でした。


※次回の更新は6月5日の予定です。  



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第37R “鞭打たれずとも、駆け登ってみせましょう”

 
「……やれやれ、前評判だけの見かけ倒しだったようだね、あのウマ娘は」

 新聞を見たトレーナーが、へらへらと侮蔑するような笑みを浮かべているのが見え、お世辞にも品が良いとはいえないその表情に、思わず顔をしかめそうになってしまう。
 そしてそんな記事の内容はといえば──

「オラシオン、デビュー戦負けたんだってな」
「え? あの、オラシオンが!?」

 驚いて振り向いたのは、彼女の同級生のウマ娘、セントホウヤ。
 よほど意外だったらしく、トレーナーの方へと向かい、新聞を奪わんばかりの勢いで詰め寄っていましたわ。
 苦笑しながらトレーナーは、彼女に新聞を渡す。
 食い入るようにそれを見たセントホウヤは──

「本当に……負けてる。なんで、こんな連中相手に……」
「化けの皮がはがれただけだろ。もしくは才能があったがつぶされた、か。いずれにしても有力ウマ娘が減ってくれて、こっちは大助かりだけどな」

 さも愉快そうに、「ハハっ」と笑うトレーナー。
 その下品な笑い方も、私の癇に障って不快に感じてしまいます。

(まったく……品がないのはともかくとして、無神経なところは本当に何とかしてほしいものですわね)

 見なさい。少し離れた場所でシルバーやドリーミィ……オラシオンと同郷の、同じ施設で育ったウマ娘たちが眉をひそめてこちらを見ているではありませんか。
 いくらうちのチームのメンバーとはいえども、幼いころから家族同然に育った相手の方にこそ強い親愛の情を持つに決まっています。
 そういう機微に疎いのは、もう何年も前からで、一向に成長しませんからね、このトレーナーは。

「あの……では、トレーナー。セントホウヤは次のレースに出なくともよろしいのではありませんこと?」
「あん?」

 私が言うと、彼はキッと睨みつけてきました。
 やれやれ……自分の立てたスケジュールに異を唱えられたのが、そこまで気に障ったのでしょうか。

「ホウヤなら、ジュニアで負ける相手なんていやしない。走れば勝つ。それを利用しない手はないでしょう?」
「しかし……ここで体に負担をかけ、肝心のクラシック期に活躍できなければ、本末転倒ですわ」
「……その肝心のクラシック期から低迷したお前の言葉は、さすがに重いなぁ」

 私の進言を、揶揄で返すトレーナー。
 そしてそれに私は、反論ができない。確かに私はそのころから低迷してしまったんだから。

「さすがアナウンスだけの“幻のオークスウマ娘”、サンキョウセッツ──」
「く……」
「そうならないためにも、今のうちからしっかり経験を積んで、勝ちを覚えていかないとな、ホウヤ」

 そう言ってセントホウヤを見ましたが──彼女はじっと新聞を見て、反応さえしませんでした。
 おそらく聞こえているのでしょうが、あえて無視してくださったのでしょう。そんな気配りをしてくださる彼女だからこそ、私は応援したいと思わせるのです。

「まぁ、あの三流トレーナーには()()()()()()だったって話さ。三流はおとなしく三流を育ててればいいんだよ。タイムオーバーするようなウマ娘を、な」

 く……その言葉は、私は我慢なりませんわ。
 三流? たとえデビューがそうでも、彼女が去年の年末に何をしたのか、覚えてないとでも言うのですか?
 そして、タイムオーバーでデビューしたウマ娘にグランプリをとらせるようなトレーナーが、三流なわけがありません。

(まったく……先代が身を引くのであれば、私もそうしたかった……)

 我がチーム〈ポルックス〉は、先代メイントレーナーの弟子が暖簾分けしたチーム〈カストル〉の不祥事でそれを再吸収して、引退していた先代が復帰しております。
 ですが、それも数年前のこと……もともと引退していた先代は主導権を再び復帰前にメイントレーナーになっていた若い弟子に戻し始めているのです。

(そもそも、なぜこのトレーナーなのか……)

 〈カストル〉のトレーナーだった方が優秀だったのですが、不祥事で地方(ローカル)のトレセン学園に左遷(トバ)されたと聞きます。
 そしてその優秀な女性トレーナーに育てられた〈カストル〉メンバーが入り、〈ポルックス〉は元々いたメンバーと合わせ、互いのエース級が勝ち星を稼いで最優秀(リーディング)チームを射程にとらえるほど。

(これだけ人数がいれば、とも思いますし……いずれにしてもこのトレーナーの手柄ではないというのに)

今週のレースも頼んだぞ、セントホウヤ……」
「はい。走るからには全力で、勝利をとってきます」

 そんなトレーナーに従順なセントホウヤが、私には不憫にさえ見えてしまうのでした。


 ──その後、セントホウヤは見事にGⅡである京成杯ジュニアステークスを制しました。
 そして、ついに…………



 

「ねぇ、聞いた? ついに〈ポルックス〉の先代がキレたらしいわよ」

 

 トレーナー部屋で作業していたオレに、同部屋の巽見がそう声をかけてきた。

 

「へぇ……まぁ、あれだけ走らせていれば当然だよな」

「そうそう。『こんな時期に、こんなに走らせてどうするんだ!!』ってカミナリ落としたんだって」

 

 さもありなん。

 先々週末に開催されたGⅡの京成杯ジュニアステークスをチーム〈ポルックス〉所属のセントホウヤが制した。

 その結果自体はいい。だが問題はセントホウヤの出走ペースだ。

 ここまで全部勝っているから4勝。つまりは4度走っている。

 来年のクラシック期を見据えるなら3勝の時点で十分。12月のジュニアのGⅠが欲しければそこへの出走権に足りるだけ走れば十分だ。

 

「……最優秀(リーディング)チームのタイトルが欲しいだけだろ? そりゃあ先代も怒るさ」

 

 便宜上、“先代”と呼んでいるが、実質的には現在もメイントレーナーになっているその人。引退したのに復帰することになったため、通称の“〈ポルックス〉の先代”だけは残って、現役なのに“先代”と呼ばれてしまっている。

 まぁ、噂ではまた“先代”になる準備を始めているようだが──

 

「……あれ?」

 

 不思議そうな巽見の声は、オレの背後から聞こえた。

 ん? いったいいつの間に……

 

「それ、オラシオンの2戦目?」

「ああ。先週末のな」

「てっきりジャパンカップの対策をしてると思ったのに……」

来賓(マルガイ)が多すぎてデータ取りに手間取ってるんだ。おかげで相手に合わせた対策ができないから、“とりあえず最善を尽くす”という素晴らしいプランしかない」

「基本の基本ね」

 

 オレの返事に巽見は呆れ気味に答えた。

 もちろんやってくる外国のウマ娘が走ったレースのデータは手に入る。

 だが、そんな彼女たちが日本のレース場でどのように走るか、走れるかが未知数過ぎる。

 期待していたウマ娘がサッパリだったり、逆にノーマークのウマ娘が活躍したりと、外国勢は本気でよく分からない。長距離で長時間の移動で調子狂わせるのもいるし。

 

(ただまぁ、総じて実力はやっぱり高いけど)

 

 現に去年のジャパンカップを制したのは外国勢で、日本勢は4着が最高だった。

 

「そんな状況で、ターキンを出して大丈夫なの?」

「大丈夫とか大丈夫じゃないとかじゃないんだよ。外国から御客様を招いているのに、秋の天皇賞ウマ娘が出ないわけにいかないだろ?」

「……去年、秋の天皇賞ウマ娘(プレクラスニー)は出てなかったみたいだけど?」

「代わりに実質1着だったウマ娘(メジロマックイーン)が出てたからな」

 

 このころのプレクラスニーは有記念に照準合わせて特訓中だった。マイラーの彼女が2500でマックイーンとガチで勝負するために。

 まぁ、プレクラスニーがマイラーなのを考えると、有に向けて調整半ばだったのを考慮しても、彼女がジャパンカップに出てたとしてもマックイーンの4着を上回れたかと言われれば……はたしてどうだっただろうか。

 

(マイルと言えば……)

 

 オラシオンのレースのこと。

 デビュー戦は1200の短距離だったが、今回は1600のマイルに距離を伸ばしていた。

 その様子が、オレのパソコンの中で映像として流れている。

 

「オラシオン、どこだったっけ?」

「3枠3番……」

 

 オレが巽見に答えているうちに、映像の中でレースはスタートしていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ゲートが開き、私──オラシオンは駆けだした。

 遅れることなく無事にスタートした私でしたが、とりあえず様子を見ながら自分のいるべき位置を探り……

 

(やはりまだ、マークされますか)

 

 前を走る何人かが、チラチラとこちらの様子を伺っているのが分かりました。

 その反応を見ると、前回のレースが頭をよぎります。

 中盤から終盤にかけて囲まれ、前をふさがれ、不甲斐ないレースをしてしまい、それに対する後悔はもちろんまだ残っているのです。

 

(でも……)

 

 前回の負けは無駄になってはいないようです。

 周囲の私に対する警戒は、前回よりも確実に落ちています。関係無いとばかりに一人のウマ娘がいいスピードを出して逃げていました。

 

(前回のような一枚岩ではないようですね)

 

 前を逃げる者がいれば、先行策のウマ娘たちが気にしないわけにはいきません。

 向こう正面を走っている現在、私は前から6番手といったところでしょうか。

 出走数が12人ですから、概ね真ん中といったところ……

 そこに位置した私をマークすべきか、それとも前を逃げようとするウマ娘を追うべきか、迷いが生じるはず。

 そして──

 

(最初こそ速めで入りましたが、その後はペースを落として、むしろ遅いような……)

 

 このペースだと逃げ切られてしまう恐れが出てきました。

 私の前で迷うウマ娘たちよりも、そのさらに前を逃げるウマ娘こそ本当に警戒するべき相手です。

 前回のような厚い包囲網も形成されていない今こそ──

 

「ここが、勝負どころッ!!」

 

 周囲のウマ娘たちの迷いが隙を生んだのか、私の外を走っていたウマ娘の位置がわずかに下がり……位置があきました。

 その隙をついて私は外へ振り──そして加速する。

 

「「「「なッ!?」」」」

 

 前にいた4人が驚き、声を上げるのが分かりました。

 でもそれは──後ろから聞こえてきたもの。

 ペースを上げた私は一気に4人抜き去っていたのですから。

 

(囲まれる前に、抜けてしまえばいい……)

 

 前回の失敗と同じ轍は踏まない。

 先頭を追いかける私は、チラッと遠くの観客席(スタンド)にいるであろう、トレーナー達の方へ視線を向けました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──レースは中盤を迎えようというところ。

 

 2番手集団の最後方から中段の先頭といった位置でレースをしていたオラシオンが、一気に前へと上がっていく。

 その判断に、担当トレーナーとして観客席で見ていたオレは、思わず心の中で感心していた。

 

(逃げのウマ娘にも、しっかり意識がいっている……まだ2戦目だというのに、周囲の状況判断が的確だ)

 

 前回は露骨に逃げるウマ娘がいなかったのもあるが、やはり前のレースでの反省で前よりも視野を広くしているように見えた。

 問題点に気がついても、それに対応できるとは限らないのだが……しっかりそれができるのは、やはり天賦の才によるものだろう。

 

「なぁ、ビジョウ。オラシオン(あいつ)……こっち見てねえか?」

「オレにはさすがに遠くて、さっぱりわからないな」

 

 ウマ娘は肉体能力が優れているだけでなく、感覚も鋭いといわれている。

 耳がいいのは有名だが、ひょっとしたら視力も優れているのかもしれない。

 

「あいつの頭ン中じゃあ、あんたは悪役扱いなんだろ? じゃあ、あたしも悪の幹部らしく不敵な笑みでも浮かべて見ててやればいいか?」

「心配するなダイナ。お前の場合、普通に笑ってたらそう見える」

「なッ!?」

 

 オレが返すと傍らのギャロップダイナが絶句する。

 その姿に、ダイユウサクが思わず吹き出すように笑った。

 

「笑ってんじゃねえよ、ダイユウサク。お前なんていつも不機嫌そうにしている悪役キャラだぞ?」

「そういうアンタは、真っ先に突っかかっていって最初にやられるタイプよね」

「そういうお前は、それを見てバカにしたくせに、簡単にやられるタイプだな」

 

 オレを挟んでぎゃあぎゃあといがみ合うギャロップダイナとダイユウサク。

 どうでもいいが、オレはレースに集中したいんだが……喧嘩するなら余所でやってくれ。

 その状況を、さらに隣で見ていたミラクルバードが、完全に他人事として車椅子の上で苦笑しながら眺めている。

 

「や~、ボクはそういうの関係なさそうだね」

「お前は『殺しちゃっていいよね?』とか言っちまう無邪気に残虐なタイプの幹部だろ。ついでにターキンは、なぜか一人くらいいる弱気なヤツな」

「な!?」

 

 目立つのを避けるように、少し離れて黙って見ていたレッツゴーターキンも巻き込まれ、その論評にショックを受けているようだった。

 そうこうしている間に、レースは佳境へと向かっていた。

 

(4コーナー……ついに先頭を捉えた)

 

 先頭に並んだオラシオンの姿に、オレは思わず拳を強く握りしめていた。

 勝て、勝ってくれ、オラシオン。

 無敗でなくなったお前は、もう負ける必要なんてないんだ。

 

 遠慮なく──行けッ!!

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 4コーナーで先頭に並んだ私。

 外に位置している私は当然、内のウマ娘よりも距離が長くなるのですが──

 

(やはり相手はここまで楽してきている。余力を残しているはず……)

 

 隣の彼女は、ここからが勝負と思っているはず。

 そして後続も追い上げてきている。

 

(私が道中、無理をして追い上げた……そう思っているのでしょう?)

 

 実際に、4コーナーを抜けても並んでいる状況を見て、気勢を上げて後ろから追ってくるのが分かりました。

 そして最後の直線で5人が横一線で並びます。

 

(でも……)

 

 私はまだ、余力を残している。

 あなた方になど……負けはしない!!

 ゴールまで残りあと少し。

 そのとき──

 

「「ッ!!」」

 

 私が突っ込むように頭を低くしたため、他のウマ娘達はバランスを崩したのだと思ったのかもしれません。

 誰かがほくそ笑むような──

 失敗を嘲笑するような──

 そんな気配が感じられました。

 

 

 しかし残念ながら……それは、誤り。

 

 

 私は、次の一歩で低い姿勢となって──力強く、地面を蹴る

 

「三女神よ……信徒の走り、ご覧あれ──」

 

 同時に、短く祈りの言葉を唱え──私は加速した。

 蹴った地面の芝と、吐いた空気と、他の4人を置き去りにして……

 

「「「「えぇッ!?」」」」

 

 私と並んでいたウマ娘達が、愕然とする気配を感じたのは、一瞬のこと。

 最後のスパートによって突き放され──あっという間に決定的な差が付いていく。

 他のウマ娘達──先頭で逃げていた彼女も、追い上げて並んだ彼女たちも、誰も私には追いつくことができない。

 

 

 そして──私は大きな差を付け、先頭でゴール版を駆け抜けた。

 

 

 わき上がる高揚感。

 そして達成感。

 圧倒的な差を付けたレースの結果に、観客席は沸き上がり、私を賞賛してくれています。

 

(これが……勝利、ですか)

 

 前走での不完全燃焼での敗戦では、悔しさとフラストレーションで鬱屈とした思いを心にため込むことになりましたが、その全てが一気に解放されて、爽快な気分です。

 私が速度を落としていた足を止め、観客席の声に応えて手を振ると──さらなる歓声がワッと巻き起こりました。

 

(なるほど……)

 

 この声と、自分の中からこみ上げる歓喜の感情や高揚感。

 これはクセになりますし、またもう一度味わいたい。

 さらなる上の舞台で勝てば、さらに大きなそれに襲われるのだとしたら……それを体感してみたい。

 そう考えるのも、無理はないことでしょう。

 

(さて……)

 

 観客席に手を振りながら、私はその最前列に陣取っていた面々──チームメイト達へ視線を向けました。

 渡海さんが我が事のように、大喜びで万歳をしているのが見えました。

 その横ではミラクルバードさんとレッツゴーターキンさんが笑顔で拍手してくれていて、ダイユウサク先輩はどこかホッとしたような優しい笑みを浮かべています。

 そして──不敵な笑みを浮かべているギャロップダイナ先輩と、乾井トレーナー。

 

(どうですか? 勝ってみせましたよ?)

 

 歓喜に沸いていた自分の心が少しだけ冷め──私は彼をジッと見つめました。

 この勝利の喜びが直前の負けによって増幅されていたのだとしたら、前走の敗戦も意味があったのかもしれませんね、トレーナー。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「8バ身差……やっぱり強かったわね。ちゃんと育ててたんじゃないの。心配して損したわ。で、ところであのスパート……ひょっとして?」

「たぶん思ってる通りだ」

 

 レース映像を最後まで見終わり、巽見が言おうとしたことをオレは肯定した。

 

「幸い、ダイユウサクのおかげでコネはあったからな。本人から直接指導をしてもらった──んだが……」

 

 そのときのことを思い出して、思わず苦笑してしまう。

 

「それって、オグリキャップよね?」

「アイツ、予想通りに説明が致命的なまでに下手でな。抽象的というか感性的というか、ふわっとしていて……見かねたベルノライトが協力してくれて、本当に助かった」

 

 ベルノライトはオグリキャップと共に笠松からやってきたウマ娘だが、彼女は競走ではなく、競走ウマ娘をサポートすべくスタッフ育成の科へと進んだ。

 もちろんダイユウサクとも同い歳で親交もある。

 

(そういえば、有記念のときは、かなり驚いて、メチャクチャ感激してたな……)

 

 ベルノライトも笠松では競走ウマ娘として頑張っていたらしいし、デビューもしていたそうだ。

 そんな彼女は、オグリキャップの姿を見て自分の競走を捨ててまで彼女をサポートする道を選んだらしいのだが……彼女曰く、「デビューはダイユウちゃんよりも、マシな成績だったよ?」とのこと。

 一度、本音を聞いたことがあったのだが、中央トレセン学園にやってきて驚いたことの一つに「ダイユウサクが中央トレセン学園にいること」だったらしい。

 そんな競走を諦めた自分よりも成績が悪かった彼女が──中央(トゥインクル)シリーズの頂点の一つとも言えるレースを制したのは、その努力を影ながら見ていたこともあって感動したそうだ。

 

「本人やその面倒を見ていたウマ娘から指導されたからって、それがハマるとは限らないけど……でも、これは正解ね」

 

 ジッと画面を見つめて考え込む巽見の言葉で我に返る。

 オラシオンが見せた、草原を凪いでいく風を思い起こさせるような低い姿勢での走りは、まさにオグリキャップのそれを彷彿とさせるほどに再現できていた。

 もちろん、走るフォームだけじゃない。

 その圧倒的な加速はけっして本家に見劣りするようなものではなかった。

 

「あれができるウマ娘は少ないからな。適正がなければできないし、そしてあれができれば間違いなく速い……そして、強い」

「そうね。ジュニアってレベルの走りじゃないもの」

 

 こうしてレースを走らせると、それがハッキリと分かる。

 前をふさぐ壁が無く、あのレースは彼女の走りを邪魔するものがなかった。

 そうなればもう、誰も彼女を止められない。オレはそう思えた。

 

(少なくとも同世代の中には──そんなウマ娘は、存在しない)

 

 セントホウヤ──先ほど話題に出たウマ娘の名前が頭をよぎる。

 確かに彼女も速い。悪くはない。

 だが……オレの直感になってしまうが“早熟だったゆえの強さ”という感じがする。

 

(確かに最優秀ジュニアをとるのはセントホウヤだろうが……)

 

 他のウマ娘達が本格化してきたとき、彼女は生き残れるだろうか。

 もちろん、それはオラシオンにも言えるかもしれない。彼女がこの先、伸び悩まないとは言い切れないのだから。

 

(ウチのチームの面子は、遅咲きが多いからな)

 

 ダイユウサクにレッツゴーターキン、ギャロップダイナ……ジュニアどころかクラシックレースさえ縁遠かったウマ娘ばかり。

 ウサギとカメの童話で言えば間違いなく彼女たちはカメで、この時期にここまで走れるオラシオンはウサギ型。

 

(居眠りしないウサギになってくれれば、いいんだけどな)

 

 そうならないためにも、オレは彼女を全力でサポートしなければならない。

 なにしろ……居眠りではなく、ケガをして走れなくなったウサギが、ウチのチームにはいるのだから。

 オレは車椅子のウマ娘の顔を思い浮かべ──

 

 ~~♪

 

 突然、部屋に置かれた電話が鳴る。

 それにオレが反応する前に、剣道で鍛えた反射神経によるものか、もの凄い素早さで受話器を取る巽見。

 

「はい……え!? あ、はい。おりますが……」

 

 ひどく驚いた様子を見せた巽見は、オレの様子を伺うように見上げ──それから受話器を差し出してくる。

 思わず自分を指さすと、彼女は大きく頷いた。

 

「誰から?」

「いいから出なさい」

 

 年上の後輩の“年上”部分を振りかざし、巽見は命令口調でオレに言う。

 たまにこういう風を吹かせるんだよな、と思いながら電話に出て──

 

「もしもし?」

「ああ、乾井クン。私です、黒岩ですが──」

「なッ!?」

 

 絶句する。

 そして恨みがましく巽見を睨んだが、逆に「なんで黒岩理事から直々に電話架かってくるのよ!?」と言わんばかりににらみ返された。

 

「さてお互い暇を持て余すような立場ではないので、さっそく本題に移らせてもらいますが……まだ未所属になっているようですね、彼女……」

「か、彼女って……」

「わかりますよね? サンドピアリスのことです」

「え、ええ。それはもちろん……」

「困るのですよ。推薦人のあのウマ娘の手前、まだトレーナーが決まっていない状態では……」

「す、スンマセン。こっちもいろいろ一段落付けたくて……」

「オラシオンなら、先週勝ちましたよね? では一段落がついたという事で──」

 

 オレは慌てて黒岩理事の言葉を遮る。

 

「あ、いや、今度はターキンが……」

「ふむ……ジャパンカップですか。確かに、天皇賞ウマ娘が不甲斐ない結果というわけにはいきませんからね」

「そ、そうなんです。そういうわけなんで──」

「年明けではこちらも困りますからね? ではジャパンカップ明けに、ということで」

「は、はい……」

 

 うへぇ……見透かされてるわ。

 12月入ったらジュニアのGⅠから有記念……と先延ばしにするつもりだったのに。

 ターキンがファン投票で選ばれるか分からんけど最悪でも推薦もらえるだろ、と思っていた。

 いやあのウマ娘(サンドピアリス)、どう見ても……まだ本格化してないし、なんか体ちっちゃいし、どう見ても厳しいだろ。

 まぁ、引き受けるって話しちゃってるからな。本気で体制考えないと。

 オレは、黒岩理事の念押しに応え──受話器を置いた。

 

「……どういうこと?」

 

 詰問する気満々の巽見の姿に、オレは心の中でため息をつく。

 オラシオンのことだって、気になることがあるというのに……

 オレは──彼女が最後のスパートで先頭に立ってゴールする直前──内によれたのが妙に気になるのだった。

 

(それがクセなのか、死力を振り絞りすぎたのか……)




◆解説◆

【“鞭打たれずとも、駆け登ってみせましょう”】
・いつもの詩、「馬の祈り」の翻訳からで
  “And do not whip me when going up hill(坂道を登るときに私を鞭打たないでください)
を意訳したものです。
・基本的に競走要素がない詩なので、初勝利に合うようなタイトルにするのには苦労しました。

今週のレース
・セントホウヤはオラシオンのデビュー翌週に出走しています。
・実は小説『優駿』では、そのレースに関して“重賞”という説明しかありません。
・そもそもオラシオンのデビュー戦が11月という情報しかなく、フィクションなので開催日やらがサッパリわからないことが多いので。
・本作ではオラシオンのデビュー戦が11月8日になったので、その翌週にやっていたジュニアの重賞ということで京成杯3歳ステークスしか選択肢がありませんでした。
・それをウマ娘のルールに合わせて京成杯ジュニアステークスに名前を変えています。
・なお小説『優駿』の舞台は1992年ではありませんが、本作の現在の舞台になっている1992年の京成杯3歳ステークスを勝ったのはマイネルキャッスルでした。

キレた
・小説『優駿』でセントホウヤ陣営にキレたのは、生産者である吉永ファームの会長・吉永達也。
・リーディングトレーナー争いに血眼な増矢調教師と、金儲けしか考えていない馬主の王鞍三千男が、すでに3勝してダービー出走権を得ているのに出走させていることに、セントホウヤを売ったことを後悔している、と推測されています。
・あくまで基準が昭和61年に刊行された小説を基準にしているので、現代とは色々と差異があると思います。

ジャパンカップ
・現実では東京競馬場で開催されるGⅠレースで、1981年から開催されている国際招待競走。
・2002年を除いて東京レース場の2400メートルで開催。(2002年は中山の2200メートルで開催)
・1981年からの開催で、最初に日本馬が勝ったのは第4回のカツラギエース。ルドルフ初の敗戦となったレースで、翌年にはシンボリルドルフが勝利しています。
・その後は再び外国勢が勝ち、あのオグリキャップも勝つことができず、再び日本の競走馬が制するのは1992年のことでした。
・なお、近年では外国勢が圧倒的に優勢だったのは過去のこと、2021年の開催までで外国招待馬が14勝、日本が27勝で、最新の外国勢の勝利は2005年を制したイギリス馬アルカセットまで遡らなければならないほど。

このペース
・原作では「1000メートル通過が1分2か3秒」と表記されています。
・57秒くらいでハイペースになるので、そう考えると明らかに遅いですね。

オグリキャップ
・ウマ娘のオグリキャップは、シンデレラグレイでも触れられているように、低い姿勢でのスパートが特徴的。
・そして優駿で、オラシオンはスパートをかけるときに姿勢を低くするという描写があったので、それを採用しています。
・なお本作ではオグリキャップの指導を受けた、となっていますが、原作小説が昭和61年(1986年)ですのでオグリキャップのブームの少し前ですから、年代的にはオグリキャップよりもオラシオンの方が先だったんですけどね。


※次回の更新は6月8日の予定です。  



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第38R 乾井備丈は間違えない


 ──12月。

 チーム部屋の中央に置かれた大きなダンボールの前で、オレは途方に暮れていた。

「いい加減、出てこい。ターキン。ジャパンカップの成績に、オレは不満はないぞ? 確かに8着だが、外国勢を除けば4番目だ。そう考えれば掲示板圏内じゃないか」
「……でもでも、一着は外国ウマ娘さんではありません。トウカイテイオーさんだったじゃないですか~」
「アイツに負けたって恥じゃないだろ。去年の最優秀クラシックだぞ? しかも年度代表まで取ってるんだぞ? お前と同い歳のメジロマックイーンやダイイチルビーを抑えて──」
「うぅ、でも……天皇賞じゃ、勝ったのに……」
「それだけ強いウマ娘なんだから、いつもいつも勝てるわけじゃないだろ。ほら、きっと有記念に出てくるから、そこでリベンジして──」
「そ、そんなの無理です~! 勝てたのは、意識されてなかったからで、今回は思いっきり意識されちゃってましたし……」

 まぁな。レース前にトウカイテイオーから「今日は勝つからね!」なんて目の前でハッキリ言われてあたふたしてたしな、ターキン。

「今回も、そして次も、しっかりマークされてケチョンケチョンにやられるんです~。まるで会長さんに手も足も出ずに負けたギャロップダイナさんみたいに~」
「よ~し、歳末決算大バーゲンで大安売りしてるそのケンカ、もちろん買っちまっていいんだよな~?」
「やめろ、ダイナ! ターキンが余計に出てこなくなるだろ!」

 こめかみに青筋を立てて指を鳴らしつつ箱に近寄るギャロップダイナを、オレはあわてて間に入って止めた。
 まったく……たった1戦負けただけでまた自信無くしてしまうなんて、正直言って頭を抱えたくなる。

「籠もってないで出てこい、ターキン。次は有記念……お前が憧れたレースじゃないか」
「──ッ!!」

 オレの言葉に、ダンボールがガタッと揺れる。

「去年のダイユウサクのレースを見て、憧れたんだろ? だから──」
「──今じゃ見る影もないけどな」
「なんですってえぇぇ!!」

 からかうようにニヤリと笑って冷たい目で見るギャロップダイナに、ダイユウサクが猛然と反発する。
 その雰囲気を感じ取ってビクッと震えるダンボール。その天面はますます強固に閉じたような気がした。
 ああもう、どうしたらいいんだよ。
 これ以上、人が増えたらますますカオスになるだけだろうが──


 ──それでも約束は守らないといけないわけで。


 オレが思わず肩を落としながらため息をつきかけたそのとき……チーム部屋の出入り口の扉が「ドンドン」と若干強めに叩かれた。
 あ……マズい。さすがに騒ぎすぎたか。
 隣の〈ミモザ〉、普段おとなしいけど怒ると怖いんだよな。メンバーもトレーナーも。
 それとも反対側の部屋のチームか? と、恐る恐る扉を開けると……

「え?」

 見たことのないウマ娘が立っていた。
 そして──

「乾井トレーナーですよね? アレはいったい、どういうことですか!?」

 その見ず知らずのウマ娘に、オレはいきなり怒られた。



 

「スカウト、された……ですって?」

「うん。そうですな~」

 

 放課後のトレーニング中、走り終えて休憩している私──シャダイカグラの下へやってきたルームメイトの話は、驚きの内容だった。

 そんなルームメイトのサンドピアリスは、「えへへ……」と少しはにかみながらも嬉しそうに微笑んでいる。

 そんな彼女の表情には心が和み、私も共に喜びたい……と思ったのですが、ことはそう簡単ではありません。

 

(ピアリスが……スカウト、される?)

 

 あまりにもおかしい……と言ってしまうのは彼女に失礼だとは思う。

 でも、彼女の実力を考えると、そうではないと言い切れる。

 だって彼女の競走ウマ娘としての実力は、私から見てもそのレベルに達していないと思うから。

 

(選抜レースの結果がよかったのならまだわかるけど……)

 

 定期的に行われている選抜レースですが、そこでピアリスが結果を出したわけではなく……それどころか下位に沈んでいるではありませんか。

 もちろん、選抜レースはトレーナー方が出走するウマ娘の実力と、才能を見抜くためのもので、必ずしもレース結果が直結するとは限らない。

 結果が振るわなかったにも関わらず、スカウトされる例も無いわけではない。

 でも──それを差し引いたとしても、ピアリスの実力は……

 

「あれ……カグラちゃん? 喜んで、くれないの?」

「い、いえ……喜ばしいことだとは思うわ。私も喜びたいけど……一応、訊くけど、なんて名前のチーム?」

「うん! それがね、スゴいんだよ!」

「スゴい? なにが──」

「きっとカグラちゃんも知ってるチームだよ。最近、よく聞く名前だし~」

「へぇ……」

 

 と、相づちを打ちつつ、私は喉の渇きを思い出してスポーツドリンクを口に含む。

 ハッキリ言って、彼女をスカウトするというのは……悪いけど、駆け出しのトレーナーがよく分からずスカウトしたのではないかしら?

 なにしろ彼女を学園に推薦した人の名前を聞けば、どんなトレーナーだって──

 

「なんとチーム〈アクルックス〉~」

「ぶふぅッ!」

 

 思わず口から吹き出るスポーツドリンク。

 その飛沫が冬の日差しを反射してキラキラと輝き──なぜかピアリスが「わぁ~」と目を輝かせてる。

 いや、それそんないいものじゃないし。というか吹き出したものなんだから少しはイヤがりなさい。

 コホコホとむせた私はそれから立ち直ると、ピアリスの両肩を掴む。

 

「あ、あなた! あのチームが、あのトレーナーがどういう人か知ってるの?」

「え? そうですなぁ……うん、知ってるよ~? 去年の有記念を勝ったダイユウサクさんに、この前の天皇賞を勝ったレッツゴーターキンが所属してるチームで、トレーナーさんは確か、“イヌイ”さんだったような……」

「そういう意味じゃなくて、あのトレーナーの噂よ!」

「あ~! そうそう、《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》って呼ばれてるんだよね!? スゴいよね~。なんかワクワクして楽しそうじゃない~?」

 

 ああ、もう。なんでこの()はこんな調子なのよ。

 純真無垢といえば聞こえはいいけど、あまりにも無防備で、世間に疎くて、悪意に鈍感で……

 〈アクルックス〉の乾井 備丈(まさたけ)トレーナーと言えば、最近こそダイユウサク先輩の奇跡の有記念制覇で有名になったけど、その前は本当に悪名高いトレーナーとして、中等部でも有名だった。

 

(パーシング事件……それを忘れる事なんて、できないわ)

 

 未出走のまま重賞でデビューさせるのは……思うところがないわけじゃないけど、ルール上できるのなら、それはそれで仕方ないと思う。

 

(そういうのを平気で悪用するのも含めてモラル的にどうかと思うけど)

 

 結果、大タイムオーバーをしでかすのも、仕方ないでしょうね。

 実力を伴ってなかったら、そうなるのも無理もないわ。

 問題はそれ以外の話で──パーシングさんに、暴力を振るっていたってこと。

 

(なんで、そんなトレーナーが居座ってるのよ……)

 

 学園に残れているのは、その決定的な証拠がなかったからってだけなのに。

 疑わしきは罰せず、というのはあくまで法律の刑罰の話で、それを許していたら学園の秩序が保てないでしょう?

 確かに結果は出したみたいだけど、それでその人の本質が変わる訳じゃないわ。

 

(ダイユウサクさんだって、デビュー2戦はタイムオーバーしてる。デビューをネタにそういうイヤらしいことを迫って……)

 

 その後、我慢して努力を重ねたからの結果なんでしょうね。

 マックイーンさんに勝って有記念を制したのはすごいと思うけど、彼女の気持ちを考えると複雑よ。

 それに、この前は私のことをストーカーのように──

 

「あッ!」

「うん? どうしたの? カグラちゃん……」

 

 目の前で首を傾げるサンドピアリス。

 そう……あのとき、たしかピアリスもいたわ。

 ということは、ストーキングの対象は私じゃなくて……ピアリスだったってこと?

 

「ピアリス!」

「は、はい……」

「ちょっとここで待ってなさい」

「え? そうです──」

「いいわね!?」

「う、うん。わかった~」

 

 戸惑っているピアリスをその場に残し、私は感情に任せて駆けだした。

 向かう先はもちろん〈アクルックス〉の部屋よ。

 

 

 ──シャダイカグラは激怒した

 必ず、かの邪知暴虐のトレーナーを除かなければならぬと決意した。

 カグラには政治がわからぬ。カグラは、トレセン学園のウマ娘である。走路を走り、勉学を学んで暮らしてきた。

 けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

 

 

 そうして部屋に押し掛けた私が見たのは──ケンカしている先輩二人と、ウマ娘が押し込められたダンボールが一つ。

 ほら、やっぱり……とんでもなくヒドいチームじゃないの!!

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 突然の来客に、オレはとりあえずダイナとダイユウサクに、ターキンの面倒を見るように指示した。

 なにしろターキンが挑むのは有記念、ジャパンカップでの不発もあるし、備えなければならない。そして二人はそのレースの経験者で、なによりもダイユウサクは去年の優勝者だからな。

 二人は未だ出てこないターキンを、ダンボールに入ったまま持ち上げて去っていった。

 

 もちろんその様子は、突然やってきたこのウマ娘も一部始終を見ていたわけで……

 

 腕を組み、オレの目の前で椅子に腰掛けているそのウマ娘は、不機嫌さを隠そうともせずに目を閉じていた。

 そのただならぬ気配に、覆面をしている車椅子のウマ娘・ミラクルバードが恐る恐るといった様子でお茶を出した。

 

「口に合えばいいんだけど……」

 

 そう言って、さらっと出したのはもちろん彼女お手製の焼き鳥である。

 あのなぁ、御茶請け感覚で出すようなものじゃないだろ、それ。

 不機嫌そうな彼女のこめかみがピクッと震える。

 

「おい、ミラクルバード……やっぱり焼き鳥はダメじゃないか?」

「えぇ? そんなことないよ。焼き鳥とお茶は合うんだから」

「いやそれ、もはやお茶がメインじゃなくて焼き鳥がメインになってるだろ……」

 

「コホン!!」

 

 不機嫌さを隠そうともせずに、そのウマ娘がした咳払いに、オレとミラクルバードは思わず首をすくめる。

 彼女は、ジロリとオレを睨んで──

 

「私がいいたいのは、お茶でも焼き鳥でもなく……車椅子の先輩に、お茶汲みをさせたことについてです」

「「あ……」」

 

 オレとミラクルバードはそろって声をあげていた。

 

「そういえば、そうだな……悪かったな、ミラクルバード」

「ううん。別に苦でもないから気にしてなかったよ? というか、前からそうだったからねぇ」

「前から!? やはり乾井トレーナーは日常的に虐待を──」

「違うよ、違う! トレーナー、すごく優しいもん。お茶汲みはボクが自発的にやってるだけだよ。ひょっとして……車椅子のボクがやるのは、目障りだった?」

「そ、そんなことはありません! ええ、絶対に……」

「ああ、よかった」

 

 彼女を不快にさせたのではないかと心配したミラクルバードだったが、杞憂だったらしい。ホッとして笑顔を浮かべている。

 いや、待てよ。だったら彼女はなにを怒って……というか、なにしにきたんだ、このウマ娘。

 そもそも──誰だ?

 って、どこかで見たような……見覚えがあるような、無いような……

 

「今日は何の用事で〈アクルックス(うち)〉に? えっと……名前、聞いてなかったよね?」

「……シャダイカグラです」

 

 ああ、そうだ。この前、サンドピアリスをこっそり見に行ったとき、一緒にいたウマ娘だ。

 奈瀬さんが担当していて、最近調子を上げてきているウマ娘だったな、たしか。

 

「へぇ……シャダイってことは、あの?」

 

 と、ミラクルバードが何気なく言った、そのときだった。

 突然、シャダイカグラはバッと立ち上がる。

 

「違います!! 私は()()シャダイとは何の関係もありません!! いくら名前にシャダイとついているからといって全てあの家と関係あるわけではありません!! そもそも(ヒト)だって、“松下”という名字の方が全員、幸之助さんの親戚縁者ではありませんでしょう!?」

「え……あ、はい。そうですね」

 

 突然、感情むき出しになったシャダイカグラに、オレは思わずポカーンとしてしまった。

 そんなオレの反応を見て我に返ったのか、シャダイカグラは少し恥ずかしそうにしながら「コホン」と咳払いをして気を取り直した。

 そして──

 

「用件は、ただ一つ……サンドピアリスさんの件です」

「あぁ~……」

 

 なるほど、その件ね……

 この前、念を押されていたのもあって、ジャパンカップも終わったからさっきサンドピアリス本人を見つけてスカウトしたんだよな。

 たしかシャダイカグラはサンドピアリスのルームメイトなんだっけ? 本人から話を聞いたんだろうけど……

 

「サンド、ピアリス?」

 

 一方、首を傾げたのは、事情を全く知らないミラクルバード。

 黒岩理事から頼まれた、という話をし辛くて未だにチームの誰にもこの話はしていない。

 ただまぁ、さっきスカウトしたし、これから話そうと思っていたんだが──

 

「ご存じ……無いのですか?」

「えっと、トレーナー……誰のこと?」

 

 シャダイカグラの冷たい視線に耐えかねて、ミラクルバードが苦笑混じりの笑みを浮かべてオレを振り向く。

 

「……今から話そうと思っていたんだが、新しくスカウトしたウマ娘だ」

「え? まだ増やすの!? 聞いてないよ? それに……この時期ってことはジュニア、だよね?」

「その通りです」

 

 オレじゃなくてシャダイカグラが勝手に答える。

 

「えぇ~!? でも、だって……オーちゃんとロンちゃんいるのに、さすがにそれはやりすぎじゃない?」

「オーちゃん? ロンちゃん? 誰のことかわからないけど──“やりすぎ”って、やっぱり……」

 

 それに応えたミラクルバードの言葉を、どうにも誤解しているような気がするんだよな、このウマ娘は。しかも致命的なほど……

 オレがシャダイカグラにジト目を向けていると、彼女はやおら立ち上がり──

 

「ピアリスは、私の大切な親友です! 彼女をあなたの毒牙にかけさせるわけにはいきません!!」

「ど、毒牙って……」

 

 さすがにオレは顔をしかめる。そんなオレにビシッと指さしているシャダイカグラ。

 ほら、やっぱり。

 正直、こういう誤解はダイユウサクを担当する以前には散々されたから、悪い意味で慣れているんだよな。

 オレはこめかみをおさえながら、どうしたものかと悩む。

 すっかりこの悪い噂も消えたと思っていたんだが、中等部ではまだ現役らしい。

 

「思えばこの前……11月の半ばころに私たちを見ていたのも、そのころに目を付けたからですね!」

「……え?」

 

 あの奈瀬さんにいろいろ言われた日のことか。

 あれからたまに、練習の合間を見て探すくらいはしていたが……

 

「トレーナー? いったい、なにしてたの?」

「スカウトの下見だ」

「そう称して、いやらしい目でピアリスを見ていたのでしょう? あの小柄で幼児体型の彼女になにをしようというの!?」

 

 ビシッとオレを指さすシャダイカグラ。

 オイオイ、その言い方だとオレがまるでロリコ──

 

「……そういえば、トレーナーってスタイル良い()よりも、スレンダーな方が好みだよね?」

「なッ!?」

「シヨノロマンを見る目が違ってたってダイユウ先輩が言ってたような……」

 

 オイやめろ。そんなことを言うとオレがヤエノムテキに殺される。

 それに見ろ、中等部のシャダイカグラが、「ひッ!」と悲鳴をあげて庇うように体を隠そうとするじゃないか。

 

「誤解を広げないでくれ、ミラクルバード……で、シャダイカグラ。パーシングの話を聞いてオレに悪印象を持ち、サンドピアリスを心配しているんだろうが……」

「……その通りです」

 

 素直にうなずくシャダイカグラ。

 このウマ娘、負けん気の強さはあるが、気質はまっすぐで他人思いなんだろう。

 

「パーシング事件の、アイツを弥生賞という重賞でデビューさせたのも、その結果が惨憺たるものだったのも、その結果としてアイツが競走界から去ったのも、全部事実だ」

「やはり……でもそんな方に、ピアリスを任せるわけには、いきません!」

「誤解だよ、シャダイカグラ!」

 

 間に入ったのはミラクルバードだった。

 

「たしかに今のトレーナーの言った部分についてはそうかもしれないけど、でもパーシングに暴行したとか、重賞でのデビューを強制したとか、そういうところはウソなんだよ!」

「……噂には、虚と実が混じっている、ということですか?」

「うん。そっちの方はパーシングが学園を去るときに蒔いていった悪い噂なだけで、事実無根なんだ。それは理事長もそう断言しているし……今もこうしてトレーナーをできていることが、その証拠だよ!」

 

 トレーナーが担当ウマ娘に乱暴したのなら、確実に資格が剥奪される。

 ここまで噂になっているのに、トレーナーバッジを付けていることが、潔白であるなによりの証と、ミラクルバードは説明した。

 それに「むむむ……」と考え込むシャダイカグラ。

 あとは彼女の考えるのを待つしかない。オレは自分の茶碗に口を付け──

 

「それに! こんなに一緒にいるのに、ボクに手を出してこようとしないんだよ!? 足が不自由だからロクな抵抗もできないのに!!」

「ぶふぅッ!」

 

 ちょッ!? お前、何言い出してんの!?

 オレが驚きと呆れ半々にしながらミラクルバードを見るが、完全に無視してやがる。訴えるようにシャダイカグラを見たままだった。

 一方のシャダイカグラは……どう反応していいか困ったようで、困惑しながらオレの方へと振り向いた。

 

「では、お聞きしますが……ピアリスのどこを見て、スカウトしようと思ったのですか?」

 

 懐疑的に、言葉を選ぶように、シャダイカグラは訊いてきた。

 う~ん……難しい質問をしてくる。

 事情があるから事実を言うわけにはいかないが……だが、コイツ(シャダイカグラ)の目を見て、思ったことがある。

 彼女は、真剣にサンドピアリスを心配しているんだ。

 そして同時に──サンドピアリスの実力も理解している。普通に考えればトレーナーから声がかかるようなウマ娘ではない、と。

 だからこそ、声をかけたオレを疑っているんだ。

 ……そこまで真面目にサンドピアリスのことを考え、心配しているのなら──

 

「シャダイカグラ、一つ約束をしてくれないか? 今から話すことを他言しないこと。そうでなければキミに説明できないし、逆に言えばキミに知って欲しいからこそ、約束をお願いしている」

「……わかったわ」

 

 疑いと、少しの驚き──それを表情に浮かべながら、シャダイカグラは頷いた。

 それを見てオレは、次のミラクルバードを見る。

 彼女は慣れたもので、意図を理解して素直に頷いてきた。

 

「シャダイカグラ、お前は知ってるんだよな? サンドピアリスの事情を」

「……と、いいますと?」

「この学園に入ることになった経緯。彼女を推薦した方のこと、だ」

「それはもちろん。同じ部屋ですし、直接聞きました」

 

 そこまで知っているのなら話は早い。

 オレは彼女に、その方の顔を潰さないために、()()()人からトレーナーになることを頼まれたのを説明した。もちろんその人の名前は隠して、だ。

 だが……この説明を聞いて、険しい表情になった。

 それはシャダイカグラではなく、ミラクルバードが、である。

 

「トレーナー……それ、ホントなの? だとしたらボクは──」

「……お前の言いたいことはわかるぞ。ミラクルバード」

 

 オレは黒岩理事に最初に頼まれて以来……この話を心底嫌がっていたんだと思う。

 その証拠に、本人に声をかけたのは12月になってからだし、それだって黒岩理事から催促の電話があったからだ。

 もちろんそれには、オラシオンとロンマンガンを抱えていているので同世代をこれ以上抱えたくないという、黒岩理事に主張した理由もあった。

 オレ自身、当初はそれが気乗りしない理由だと思っていたんだが──あるとき気がついたんだ。

 

「オレのしていることは……あの〈カストル〉のトレーナーがやったことと、一緒なんだからな」

 

 それに気がついたとき、本気で反吐がこみ上げてきた。

 気分が悪くなり、グラウンドの片隅でしばらくうずくまっていたほどだ。

 

(“あの方”とのコネを期待して、ダイユウサクを実力不足と知りながらチームに招き入れた、あのトレーナーと……)

 

 そしてダイユウサクは伸び悩んで悲惨なデビュー2戦を迎える羽目になり、一時は競走を諦めかけた。

 そこまでアイツを追いつめたヤツと、オレは同じ事をしようとしている……そのことにオレは自己嫌悪を抱いた。

 

「それならなんで、こんなことを……」

()()()()()だ」

「え?」

 

 真剣な表情で、眉をひそめるミラクルバード。一方、こちらのチームの内情を知らないシャダイカグラは訝しがるような表情を浮かべている。

 

「あまりにも“有名で偉大なウマ娘”の推薦を得て入学してしまった凡庸なウマ娘……そういう立場が、アイツ(ダイユウサク)に重なったんだよ」

 

 かたや皆に畏怖され、“神”とさえ言われた最強の三冠ウマ娘。

 かたや皆に愛され、初の“アイドルウマ娘”と言われたウマ娘。

 彼女(天才)たちの推薦を受けてしまったウマ娘がダイユウサクであり、サンドピアリスだった。

 

「ピアリスはまだ幼いから、それがプレッシャーになっていなかったみたいだが、ジュニアからクラシック、シニアと彼女が成長すればそれが重荷になっていくと思えた。ダイユウサクと同じようにコスモドリーム(相部屋のウマ娘)の活躍を目の当たりにしたときのように、な」

「あ……」

 

 サンドピアリスの相部屋のウマ娘が、思わず声を出した。

 

「それにもし、オレが断ってもこの話はきっと誰かにいく。だとしたら……オレは彼女を他の誰かに任せたくなかった。誰かがダイユウサクと同じ目に遭わせ──結果的に競走を諦めるようなことになるのを、嫌うようなことになるのを、どうしても避けたかったからだ」

「トレーナー……」

 

 そう呟いたミラクルバードの目には、さっきの怒りの感情は完全に消え失せていた。

 オレはそれを確認してから、シャダイカグラを改めて見る。

 

「オレは本当ならピアリスに謝らないといけないのかもしれない。ハッキリ言えばアイツの実力を認めたわけでもなければ、可能性を見つけたわけでもない。ただアイツを守り、育てたい。何勝できるかわからない……いや、勝てるかどうかさえもわからない」

 

 彼女は並みいる強豪たちと戦う──どころか大勢のウマ娘たちが勝利を渇望している競走界を生き抜くには、体躯にさえ恵まれていないように見えた。

 その小柄な体はシャダイカグラと見比べただけでも明らかに見劣ってしまう。

 

「それでもオレはアイツを勝たせたい。アイツと勝利を目指したい。その過程が楽しければそれだけでもいい。そう思ったからこそ声をかけたんだ。その気持ちだけは……間違いないんだ」

 

 ダイユウサクと姿が重なったから、というのはサンドピアリスに失礼だろう。

 でも、それは同情なんかじゃない。

 数度見ていた、練習用コースで黙々とトレーニングをこなす彼女の瞳に、ただ走るのを楽しむだけではなく、明確に「レースに勝ちたい」という意志が灯っているのを感じたんだ。

 

「……わかりました。乾井トレーナー、あなたが本気でピアリスと向き合ってくださるのなら、ルームメイトとして嬉しいことはありません」

「シャダイカグラ……」

 

 オレがホッとしかけたが──シャダイカグラはバッと開いた手のひらをオレに突き出した。

 

「待ってください……まだ完全に、信用したわけではありませんから。だからもしも……ピアリスに変なことがあったら、間違いなく私のトレーナーを通じて学園や理事へと訴えますので」

「ああ……彼女を悲しませるつもりはないから、いくらでもそうしてくれ」

 

 オレがそう答えると──シャダイカグラは「ピアリスを、よろしくお願いします」と深く頭を下げ……そして、部屋から去っていった。

 

「いい()だね……」

 

 去った彼女を見送ったミラクルバードがつぶやく。

 

「シャダイカグラか?」

「うん。あれだけ他の娘のために一生懸命になれるなんて……それに、そんな彼女から愛されてるサンドピアリスって娘も、きっとそうだよね」

 

 そう言って彼女は笑みを浮かべた。

 




◆解説◆

【乾井備丈は間違えない】
・今回はオラシオン回でもないので『馬の祈り』から離れて……
・前にそれ以外だった時にサンドピアリス回の『間違い(え)』と『かぐや様は告らせたい』を入れたので、今回はその両方を採用。
・ある意味、サンドピアリス回でもありますので。
・というかむしろシャダイカグラ回のような。

ジャパンカップの成績
・1992年のジャパンカップを制したのはトウカイテイオー。
・このころは外国招待勢が強かったころで日本馬の勝利は1985年の、トウカイテイオーの父のシンボリルドルフ以来の7年ぶりのこと。
・レッツゴーターキンは14人中の8着でした。
・ちなみに9着は公式ウマ娘化済みのイクノディクタス。
・それ以外に公式ウマ娘はいませんが、天皇賞(秋)で3着だったヤマニングローバルが12着、記憶に残るところだと地方馬のハシルショウグンが14着──殿負けでした。
・レッツゴーターキンは後方待機で、最後の直線まで後ろにいましたが、天皇賞(秋)の時のような末脚は発揮できず、追い上げも及ばずに先頭から3つ目の集団あたりの位置でゴールを過ぎています。

シャダイカグラは激怒した
・メロスは激怒した。
・はい、『走れメロス』からです。

“松下”という名字の方が全員、幸之助さんの親戚縁者ではありません
・全国の本田さんも全員が宗一郎さんの親戚でもなければ、豊田さんも佐吉さんの親戚とは限りません。
・あ、それぞれ……松下幸之助=「Panasonic(松下電器)」、本田宗一郎=「本田技研」、豊田佐吉=「トヨタ自動車」の礎を作った方々です。
・以前にも書いた記憶があるのですが、シャダイカグラは社台グループの馬ではありませんでした。
・父のリアルシャダイ(こちらは社台の馬)からとったものです。
・そして、メジロ家やサトノのように、有名な冠名は家のようなあつかいみたいなのでウマ娘にとっての“名字のようなもの”という感覚で、シャダイをとらえました。
・そんなわけで、本作のシャダイカグラは“有名な名門家と名字が同じだけの普通の家出身”という感じになってます。
・ですので、シャダイのウマ娘たちを含めた名門出身者にはコンプレックスを持っています。


※次回の更新は6月11日の予定です。  



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第39R チーム三分の計

「──というわけで、新メンバーのサンドピアリスだ」

「皆さん、よろしくお願いしま~す」

 

 無邪気な笑顔で頭を下げるサンドピアリス。

 その一方で、オラシオンとロンマンガンのジュニア組は複雑そうな面もちをしている。

 オラシオンはともかく、ロンマンガンはデビューもまだなので、チームメンバーが増えて自分のことが後回しになりそうで、それを恐れているのだろう。

 それについては、オレも考えがある──

 

「で、これからのうちの方針なんだが……ジュニアの3人についてはチーム制でいこうと思う」

「……というと?」

「オラシオン、ロンマンガン、それにサンドピアリスの3人それぞれに、基本的にペアになる先輩が一人ずつ付いて練習を行ってもらう」

「……トレーナーは誰を見るのよ?」

 

 黙って聞いていたダイユウサクがポツリと訊いてきた。

 

「オレは基本的に3人を平等に見る。練習メニューの組立もオレが行うが、それをチームとしてこなして欲しい。第一……オレは、今年いっぱいはターキンに注力することになるだろうからな」

「あう、うぅ……すみません……」

 

 レッツゴーターキンは年末のグランプリ、有記念へ出走を予定している。

 この大一番に向けて万全に調整しなければならない。

 

「で、だ……」

 

 オレは説明しながらサンドピアリスへ視線を向け、彼女がニコッと笑うのを見届けて、それから待機しているギャロップダイナを見た。

 

「サンドピアリスは、ダートを鍛えたい。そうなると適任はお前しかいない、ダイナ」

「だろうな。他のメンツはみんな芝しかダメだし」

 

 自慢げに言うダイナに、ダイユウサクはムッとした顔になる。

 まぁ、様々な距離を走ったダイユウサクは、ダート戦を走ったことはあるが、あまり得意という印象はなかった。

 逆に、ギャロップダイナは天皇賞(秋)を勝つまではダートでの勝利が目立つ。

 

「ダイユウサク、お前はロンマンガンの面倒を見てくれ」

「……仕方ないわね、わかったわよ」

「マジっスか? やった……」

 

 不承不承といった様子のダイユウサクに対し、ロンマンガンの方は嬉しそうだった。

 このペアは完全に相性の問題だ。

 ロンマンガンはダイユウサクにあこがれているし、言うことを素直に聞くだろう。

 意外と面倒見のいいダイユウサクは、言うことを聞いてくれるロンマンガンに悪感情を抱くこともないだろうし。

 ダイユウサクを見て「よろしくお願いします」と頭を下げるロンマンガンに、ダイユウサクも無関心を装いながらも満更でもなさそうだった。

 

「で、オラシオンのサポートは、ミラクルバードに任せる」

「え? ボクなの? でも……」

「ああ、もちろんお前の車椅子って事情は分かってるから、渡海をサポートに付ける。走れない分は他のペアとか他のチームに話を通してサポートする」

「はぁ……うん、わかったよ」

 

 できる限りのサポートをする、というオレの言葉で戸惑いながらもミラクルバードは頷いた。

 こちらも、オラシオンとミラクルバードは学園に入学する前からの付き合いがあるし、渡海とオラシオンの関係については今さら言うまでもない。

 それにもう一つ……晩成型ばかりのウチのチームの中で、オラシオンを除く唯一の早熟型が、ミラクルバードだった。

 これからのことを考えればミラクルバードの経験が、きっとオラシオンの力になってくれるはずだ。

 

「あとは渡海、オラシオンが走るのが走路(コース)外ならお前が“ハンター”使って追っていいからな」

「“ハンター”、ですか?」

「ハンターカブ。オレの前の愛車(バイク)だけど、今はチームの備品として登録してるからな。免許、前に取るように言っていただろ?」

「はい。取っていますけど……わかりました」

 

 二種原に乗るには学科だけの原付免許じゃなくて、実技試験のある小型限定の普通二輪免許が必要だからな。教習所に行かせていたのだ。

 こういう機会もあろうかと、念のため取らせておいてよかった。

 ハンターも、今のバイクを買うときに処分するか迷ったんだが……コイツで福島に行ったからダイユウサクとの縁が生まれて、今のオレやチームがある。

 そしてダイユウサクを追いかけていて、ミラクルバードにぶつかりかけて縁ができた。

 そういう意味で、このハンターカブも《アクルックス(うち)》の初期メンバーだからという思い入れがあって、処分することができなかったんだ。

 

「それでいいか? オラシオン」

「……それがトレーナーの判断なら」

 

 最後にオラシオンへ振り向いて確認したが、相変わらず彼女はオレに素っ気ない。

 というか半ば避けられているが、それは別にかまわない。渡海とミラクルバードが支えてくれるだろう。

 

「──というわけで、この3チームとターキンを中心にしていくからな。ターキンは当然、有記念に照準を合わせること」

「はい」

 

 オレの言葉にターキンは体の前でグッと両手を握りしめて「がんばります」と答える。

 

「ロンマンガンとサンドピアリスは、とりあえずデビューが目標だな。時期は見ながらになるが……おそらく年明けになるだろ」

「了解ッス。あっしも、テンション上げていきますんで」

「そうですなぁ……うん、がんばりま~す!」

 

 気合い十分のロンマンガンと、満面の笑顔で答えるサンドピアリス。

 そして──

 

「で、オラシオン。お前の次のレースだが……」

「はい」

 

 神妙な面もちで聞いているオラシオン。

 

「──阪神ジュニアステークス、な?」

「はい……え? それって、まさか……」

「そうだ。二つあるジュニアのGⅠの一つだ」

「し、しかしそれは……ジュニア期はGⅠ挑戦をしないという話では?」

 

 確かに以前、そう話したときもあった。

 だが、今は事情が少し変わってきたからだ。

 来年からのクラシックレースに備えて大舞台を一度経験させておきたいという思いがあった。

 

「出られそうだからとりあえず出ようかと思う。何事も経験だし、これを逃せば次のGⅠはクラシックレース本番まで無いからな……どうしても嫌なら考え直すが、どうする?」

「いえ、走ります! 走らせてください、トレーナー!」

 

 そう言ったオラシオンの目が、勝利に対して貪欲に光ったように感じられた。

 勝利を経験したことで、さらなる渇望へと繋がったようだ。

 それにオレが密かに満足していると──

 

「ねぇ、トレーナー」

「なんだ、ミラクルバード……」

「阪神ジュニアステークスってことはGⅠでしょ?」

「ああ、さっき説明したようにな」

「じゃあ……勝負服で走るんだよね?」

「「「あ……」」」

 

 それに気が付いたジュニアの3人が声を出す。

 他のウマ娘たちは、ミラクルバードも含めて全員が勝負服を持っているし、そしてそれで走る経験もしている。

 

「ああ、もちろん。それに合わせて準備もしているぞ」

 

 もちろん抜かりはない。

 オラシオンの勝負服の御披露目は、そのレースになりそうだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──数日後。

 

 オレはメインで見ているレッツゴーターキンに休憩を指示し、別のウマ娘の様子を見に来た。

 練習用の走路を一人で走るそのウマ娘。

 青鹿毛を髪をなびかせ、コーナーを抜けていった彼女は──

 

「今!!」

 

 コース脇で走る姿を見ていた研修生がそう言って手を一度叩いたのを合図に、一段と姿勢を低くし──加速する。

 猛然と加速した彼女は、ゴール役としてそ車椅子に座ったミラクルバードの前を駆け抜けて──ミラクルバードはストップウォッチを押した。

 

「お~、オーちゃん、スゴい。さすがだね~」

 

 ストップウォッチに表示された記録を見てはしゃぐミラクルバードは、走りを止めて歩み寄ってきたオラシオンにそれを見せていた。

 しかし、オラシオンはそれを見て不満そうに首を横に振る。

 

「いえ、まだ……この記録ではまだわかりません」

「え? でも、これだけ出せれば十分だと思うけど……」

「まだです。私はまだ──」

「待った、オラシオン……これ以上はオーバーワークだよ」

 

 まだ走ろうとしかけたオラシオンを、トレーナー研修生の渡海が止めた。

 それに不満そうに反発しているオラシオン。

 しかし渡海はそれに屈することなく、かといって頭ごなしで止めるのではなく、走るのを録画していた映像を見ながら、改善点や気になったところを指摘していく。

 

(大丈夫そうだな……)

 

 このチームは上手く機能している、とオレは確信できた。

 オラシオンは普段は素直な優等生なのだが、競走となると人が変わったように負けん気が強くなる。

 それをオレへと向けつつ、古くからの知り合いの二人……渡海とミラクルバードが上手くコントロールしてくれている。

 

「やっと形になってきたじゃねえか」

「──ッ!?」

 

 突然、後ろから声をかけられて、オレは飛び上がらんばかりに驚いた。

 男の声──聞き覚えのあるその声に、心を落ち着けながら苦笑混じりに振り返る。

 

「気配を消すのは悪趣味だ、って誰かに言われてませんでした?」

「いつもそれに答えてるんだが……気配を消しているつもりはねえ。なぜか気付かれないだけだ」

 

 悪びれもせず、老齢の域に差し掛かりつつあるサングラスをかけたトレーナーは、ニヤリと口をゆがめた。

 

「そんなことをしているから《フェアリーゴッドファーザー》とか呼ばれるんですよ」

「うるせぇ、《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》。それとも別ので呼んでやろうか? 《黒い(サザン)──」

「……やめましょう、六平(むさか)さん。降参です」

 

 オレが慌てて両手を上げて降伏するとそのトレーナー、六平銀次郎は「ふん」と不機嫌そうに鼻を鳴らし、「最初から言うんじゃねえ」と文句を言った。

 そして視線を、練習用のコースへにいるウマ娘へと向ける。

 オレも自然と彼女たちの方を見た。

 

「どうですか? オラシオンは?」

「話題になっていただけはある。その素質は並じゃねえのは今の走りで十分に分かった。走りっぷりもまるでオープンクラスのシニアだ」

 

 その獲物を狙う猛禽類のような眼が、サングラスの奥で輝いた気がした。

 そして、フッとその表情から力が抜ける

 

「それにあの低い姿勢の走り、まるでオグリじゃねえか」

「本家のトレーナーから御墨付きをもらえるとは光栄です」

「まったく……オレの教え子の敵になるかもしれねえのにアイツらは。オグリとベルノ嬢ちゃんだろ? 教えたのは」

「そうですが……ベルノライトのことまで分かるんですか?」

「分からねえ訳ないだろ。中央にきてからオグリキャップの面倒を見たのは誰だと思ってやがる。アイツが他人に教えられるほど器用じゃないのは百も承知だ。通訳できるのは付き合いの長いベルノライト以外にいない」

「おっしゃるとおりで……」

 

 的確に指摘されて、オレは「あはは……」と力なく苦笑するしかない。

 

「あれが別にうちのチームの専売特許ってわけじゃねえんだ。気にするな。それに教えられれば全員ができるような走りでもない。強く柔軟な足腰がなければ潰れるだけだ」

 

 そこまで言うと六平さんはオラシオンを見ながら、ポツリと付け加えた。

 

「……もちろん、あの走りに弱点もあるしな」

 

 オレがその真意を問おうとしたが、遮るように振り向いた。

 そして「それができるだけでも並じゃない証拠だ」とオラシオンの生まれ持った才能に太鼓判を押してくれる。

 

「十年とか何十年に一度と言われる逸材、ってヤツだな。もっとも、ルドルフやらオグリから数えても、そんなに経っちゃいねえが」

「ウマ娘というのはそういうものかもしれませんね。そう言われる彼女たちは、毎年のように現れる……」

「かもな。で、そのうち()()になるのはほんの一握りってわけだ。原因は様々だけどな。ケガで潰れたヤツもいる……」

 

 そう言って六平さんが見たのは、ミラクルバードのことだったのかもしれない。オラシオンの近くにいる彼女を見ているのかどうか、ハッキリとは分からなかったが……

 それからオレのことを振り向いた。  

 

「来年のクラシックレースが楽しみなウマ娘に育ったな。登録、絶対に忘れるんじゃねえぞ? うちの北原(あのドジ)みたいにな」

 

 なお、クラシック登録を忘れてしまい、そのレースに出走できなかったのはオグリキャップだ。

 笠松からの移籍でゴタゴタしている間に、笠松でのトレーナーだった北原さんも本人も忘れてしまったらしい。

 

「それは間違いなく。ダイユウサクは無縁でしたけど、最初に担当したウマ娘でそれだけはしっかりと体験してますんで」

 

 そのせいでオレはあんな騒動を起こしてしまったわけで……

 自虐的にそう言うと、六平さんは「そうか」とサラッと流した。

 

「次はGⅠだよな?」

「はい。阪神の……」

「〈アクルックス(お前のところ)〉にしては珍しく注目を集めるだろ。慣れないからってつまらんところで躓くなよ?」

「……オラシオンはまだ1勝しかしてませんよ。そんなに人気になりますかね」

「数じゃなくて質の問題だ。最後の直線での横一線から抜け出して8バ身差の圧勝……話題にならないわけが無い」

 

 だからオレも見に来たんだ、と六平さんは苦笑を浮かべる。

 そしてその見物も満足したらしい。オレの肩にポンと手を置き──

 

「お前の望んだ、“国民的アイドルウマ娘”になれる逸材じゃねえのか? 悪い意味で期待を裏切って世間様から“ビックリ”じゃなくて『“ガッカリ”の〈アクルックス〉』なんて呼ばれねえようにな」

 

 ──そう言い残して、スッとその場から去っていった。

 その背中を見つめながら、オレは……

 

「注目株……か。そういうのにも慣れないといけないんだろうけどな」

 

 オレが関わったウマ娘は、注目されるとどうにも弱い。

 有記念後に勝てていないダイユウサク。ギャロップダイナが勝ったのは天皇賞制覇はフロックと周囲が確信したころの安田記念。

 レッツゴーターキンもジャパンカップで負けてしまったし、オラシオンだって注目のデビュー戦は負けている。

 

「この辺りでジンクスってのを破ってほしいな」

 

 オレや六平さんのことに終始気づくことがなかった3人──その中の青鹿毛のウマ娘にそれを期待する。

 まったく……彼女に手を合わせて“祈り”たい気分だな。

 




◆解説◆

【チーム三分の計】
・今回もオラシオンやピアリスのピックアップ回ではないので、タイトルには縛り無し。
・元ネタは『天下三分の計』。
・もちろん時間の「3分(さんぷん)」ではありません。

阪神ジュニアステークス
・2つあるジュニア期のGⅠの一つ。もう一つは朝日杯ジュニアステークス。
・元ネタは現在の『阪神ジュベナイルフィリーズ』であり、『朝日杯フューチュリティステークス』。
・元は『『阪神3歳ステークス』と『朝日杯3歳ステークス』という名前でした。ウマ娘の世界では名前がシンデレラグレイで『阪神ジュニアステークス』、『朝日杯ジュニアステークス』になっているのが明らかになっています。(3歳というのが使えないため。元レース名も旧年齢表記からの変更タイミングで現在の名称に変更)
・そして『優駿』ではオラシオンも阪神3歳ステークスに出走したので、このレースにも出走しています。
・……あれ? 阪神のジュニアGⅠなら牝馬限定じゃないの? オラシオンって牡馬じゃなかった?
・と思う方もいるかと思いますが、1991年に『阪神3歳牝馬ステークス』になるまで性別ではなく、所属の東西で分けての“西側の3歳ステークス”という位置のレースだったのです。
・その証拠に──シンデレラグレイではディクタストライカ(サッカーボーイ)が阪神ジュニアステークスの勝利者となっています。(元のサッカーボーイはもちろん牡馬です)
・小説『優駿』はそれよりも前の時代の話ですし、オラシオンも栗東所属の馬だったので阪神3歳ステークスに出走していた、というわけです。


※次回の更新は6月14日の予定です。  



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第40R “女神は此度と次の『勝利』を約束したもう”

 
「……まったく、言わんことではありませんわね」

 12月の最初の週末、そのレースを実際にではなくテレビ中継で見ることになったわたくし──サンキョウセッツはこっそりため息をつきましたわ。
 わたくしの隣には、後輩のセントホウヤがなにもいわずにジッとテレビを見つめています。

(あの場に、出走したかったでしょうに……)

 ジュニアのウマ娘たちが競う師走のGⅠレースの一つであり、阪神レース場で開催される阪神ジュニアステークス。
 これまで4戦4勝。重賞も制覇しており、今期のジュニアでトップの成績をおさめているセントホウヤですけれど、年内の出走をチームの“先代”トレーナーからストップがかけられています。
 走らせすぎ……それを見咎められてのことで、来年の春から始まり秋まで続く長いクラシックレースを争う前に、負傷はもちろんここで負荷をかけ過ぎては元も子もない、とセントホウヤのことを気遣ってのことでは彼女も納得するしかありません。
 おかげで阪神ジュニアステークスはもちろん、来週の朝日杯ジュニアステークスにも出走する予定はなく──

「オラシオン、ここで出走してくるなんて……」

 そうポツリと呟きながら、悔しそうにテレビを見ていることしかできません。。
 表情を見れば、その心中は明らか。
 中等部の頃から注目されていたオラシオン。同期のセントホウヤはもちろん意識していた相手だったそうな。
 出自からも、またその実力からも彼女は“世代の代表”となるにふさわしいものを持っていたのですが、それを上回る才能と実力でオラシオンに話題を持っていかれています。
 それを払拭せんと、早いデビューをして世間の認知度で上回ろうという戦術は、私も正しいものだったと思っておりますが、それを()()トレーナーに利用されたのは同情してしまいます。

(そのせいで、直接対決の機会を逃してしまったのですから)

 対してオラシオンは先月の11月にデビュー。
 デビュー戦で負けたせいもあったのでしょうが、矢継ぎ早に1週空けての出走で、2戦目にして初勝利を飾っていますわ。
 とはいえそのデビュー時期から、陣営はジュニアのGⅠは眼中にないのだとばかり思っていたのですけど……蓋を開けてみれば、なんと出走登録していたという。

(そんなところまで《ビックリ箱》を発揮しないでいただきたいですわね)

 わたくしの遠縁の親類にしてライバルだったウマ娘のトレーナーが、オラシオンの担当をしていらっしゃいます。
 彼女とともに散々に驚かせてくれた方でしたが、まさかの出走にセントホウヤの心中は穏やかではありません。

(たとえ重賞制覇をしていても、やはりGⅠは別格、でしょうね……)

 そのもっとも顕著な違いは──走るときの姿。
 普段は体操服でのレースとなりますが、最高グレードの競走となるGⅠレースでは、そのウマ娘のシンボルとも言うべき勝負服を着てのレースになります。
 かくいう私も、一度だけそれを経験したことがあるのですが……その高揚感は筆舌に尽くしがたいものでしたわ。
 脳裏には、そのときの光景が今も鮮やかに残っています。

 ──《樫の女王》の座を争うために集った、同世代の猛者達
 ──彼女たちが纏う、普段とは違う周囲の煌びやかな服装
 ──もちろん私の為に(あつら)えられた、身を包む勝負服
 ──八大競走に対して最高潮に盛り上がる観客の高揚感(ボルテージ)
 ──そして……結果は9着と掲示板さえ遠い結果でも大舞台を走れた満足感
 ──思い浮かぶのは、そのレースを制したウマ娘の姿……

 ──なぜか実況に連呼される、自分の名前…………

(ハッ!?)

 いつの間にやら自分自身で心的外傷(トラウマ)を抉っていましたわ。
 思わず涙目になりかけていたわたくしは、小さく咳払いをして気を取り直します。
 そうしてテレビへ再び視線を向けると、ちょうど本バ場入場のタイミングで──出走する各ウマ娘達が、走路へと姿を現すところでした。
 生憎と、阪神レース場の天候は雨。
 その降りしきる雨滴を振り払うように、ウマ娘達が姿を現し──ついに彼女が姿を現したのです。

「彼女が、オラシオン……」

 足を包んでいるのは編み上げのブーツ。
 青鹿毛の髪を隠すように頭に被った、雨に濡れてほぼ黒のようにしか見えない、深緑(ふかみどり)色と白のベールから耳が2つぴょこんと覗かせていました。
 そして胸元は付近が白く、それ以外はヴェールの基本色と同じワンピースのようなスカート。
 しかしそれは、ワンピースともドレスとも呼ばれない服装。
 なぜなら彼女の勝負服は、一見して分かるように修道服をもとにデザインされたものだから。

(“祈り(オラシオン)”……なるほど、彼女の名にふさわしい勝負服ですわね)

 バ場に立ち、雨を気にする素振りを見せずに胸元で両手を組んだ彼女は、目を閉じて祈りを捧げ──そして手を解き、目を開く。
 その眼力に、わたくしはテレビ越しであっても思わず圧倒されてしまったのでした。



 

 三女神への祈りを終え、組んでいた手を解いた私は、厚く垂れ込めた雨雲をジッと睨みました。

 せっかくの勝負服でのレースだというのに、それがこの雨では過剰に汚れてしまいますし、なによりももったいない……

 

「どんなに祈っても、今日の天はあなたに味方しなかったようね」

 

 声のした方へ視線だけ向けると、蔑むような目でこちらを見ているウマ娘がいました。

 テンガロンハットに橙色と黒の露出が多めの服……まるでチアガールのようなその服は派手ではありますが、動き易い分、今日のような天気では有利かもしれません。

 その彼女は暗い空を見上げ──

 

「雨のレースは私の得意とするところ……バ場状態が悪くなればなるほど、私の独壇場になるわ。早く晴天祈願をしておいた方がいいんじゃないかしら?」

 

 そう言って、彼女はチラッと足元を見る。

 すでに雨水をたっぷりと含んだバ場に、彼女は意地悪い笑みを浮かべた。

 

「といっても、もう手遅れでしょうけど」

「いいえ。晴天祈願などしていませんので、御心配なく」

 

 私は彼女を見つめ──そして言い返しました。

 

「むしろあなたのような方のために雨乞いをしてさしあげました。後で『雨なら勝てた』と言われたくはありませんので……」

「なッ!?」

「良いレースになると、いいですね」

 

 言われて唖然としているウマ娘をその場に残し、私は踵を返す。

 彼女にかまっている暇はない。今日のレースの敵は降りしきる雨でも、不良寸前の重バ場でも、挑発してきた雨を得意とするウマ娘でもない。

 

(はや)る気持ちや、焦り、不安、迷い……いつも、どんなレースでも、どんな状況でも、立ち向かうべきは己自身です)

 

 だからこそ平常心を保たなければならない。

 私のルーティーンでもある胸の前で手を組んで目を閉じ、そして祈る所作を、もう一度行った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 アタシたち〈アクルックス〉のメンバーのオラシオンが阪神ジュニアステークスに出走したけど、メンバー総出で応援に行っているわけじゃない。

 東京や中山ならともかく、阪神までは遠いから時間もお金もかかる。

 有記念を控えたレッツゴーターキンはそれに丸一日使うほどの余裕はないし、それはアタシが面倒を見ているロンマンガンや、ギャロップダイナが同じように担当しているサンドピアリスもそう。デビュー前の2人は少しでも早くそれを迎えるために学園に残った。

 

(ロンマンは、てっきり行きたいと言うと思ったんだけど……)

 

 アタシの予想を裏切って、彼女は学園に残る方を選んだ。

 オラシオンとは仲良さそうに見えたし、なによりも彼女の走りに魅せられているように感じていた。

 身近なウマ娘の活躍を我が事のように喜ぶ気持ちはアタシもよく分かる。コスモドリームを応援するために、彼女の出るレースを見て回ったんだから。

 しかし彼女は──

 

「あっしは、残ります」

「え? なんで?」

 

 トレーナーについてくるか訊かれたロンマンガンが、あっさりとそう答えたのでアタシは思わず尋ねていた。

 その問いに、彼女は一度苦笑を浮かべたかと思うと、真面目な顔になって答えた。

 

「一刻も早くオラシオンに追いつかないといけないのに、呑気(ノンキ)に観戦で一日潰してる場合じゃないッスからね」

「でもGⅠよ? 阪神レース場だし……」

「あぁ、そうか。そういえばお前が新装記念特別勝ったのって一年くらい前だったな」

 

 有記念への道を開いた、アタシにとっては思い出のレースで、その舞台になったのは阪神レース場だから、思い入れがあるのよ。

 アタシ的には、行きたいというか……

 

ダイユウサク(おまえ)が行きたいのは、ビジョウについて行きたいだけだろーが。さっきのハトが豆鉄砲くらったような顔で明らかだろ」

「なッ──」

 

 そう言って意地悪い笑みを浮かべたのは、もちろんギャロップダイナ。

 まったく、このウマ娘(ひと)はなにを言い出すのよ!!

 

「ダイナ先輩!!」

「いや、だってホントのことだろ? 阪神のGⅠってことは前日から乗り込むことになるだろうし、帰ってくるのは夜遅く……しかも、オラシオン(チーム)だから焼き鳥娘(ミラクルバード)がついて行くだろうしな」

「コン助がついていこうがいくまいが、関係ないわよ! ロンマンガンが残るなら、当然アタシも残るわ」

「へぇ、本当に?」

「もちろんよ!!」

 

 ──なんて経緯があって、アタシも居残り組になったんだけど。

 挑発したギャロップダイナも、サンドピアリスを育てないといけないからって残っているけど……意外に責任感あるのよね、あのウマ娘。

 そうして残った4人だったけど……今はオラシオンのレース中継を見るために、部屋に戻ってきている。

 そうしてアタシとギャロップダイナ、ロンマンガン、サンドピアリスの4人がテレビを見ていると──

 

「……あれ?」

「どうした? 雀ゴロ」

「あのねぇ、ダイナ先輩。さすがにそれはストレートすぎやしません? もう少しオブラートというか……」

「あ~、分かった分かった。で、なによ?」

 

 うるさそうに邪険にするギャロップダイナ。

 まったく……ピアリスもいるんだから、もう少し行儀良くできないのかしら。純真無垢な彼女をガサツなギャロップダイナに任せるなんて、ああなっちゃうんじゃないかと不安で仕方ないわ。

 そのピアリスはジッとテレビを見つめ、楽しそうに耳をピコピコと動かしてる。

 

「いや、さっきのオラシオンに話しかけてたウマ娘ッスけど……知り合いっぽいんで」

「ふ~ん……」

「地元の関係で話が合ったもんで。ブロンコキッドって言うんですけど……あれ、でもアイツ、この時期の重賞に出られるほど成績良かったっけ? そんなイメージないけど」

 

 そう言って首を傾げるロンマンガン。

 

「ま、出てるんだから余程がんばったんだろ。で、ソイツはどんなヤツだ? えっと……泥んこ大将だっけか?」

「え~、あ~……まぁ、だいたい合ってます。名前はともかく、特徴そんな感じッス」

「……はい?」

 

 思わずアタシはそう問い返していた。

 いやいやいや、だって、言うに事欠いて“泥んこ大将”よ?

 それでだいたい合ってるって──どんなウマ娘よ?

 アタシの言外の問いにロンマンガンは気がついて、苦笑を浮かべながら答えてくれた。

 

「いや、アイツ……とにかくバ場状態が悪ければ悪いほどに速くなるんですわ。そりゃもうマジで。周囲から“足に水掻きがついてる”なんて言われてたし」

「ってことは、今日のバ場状態は……」

「重ってなってるけど、不良にも見えるわね」

 

 ギャロップダイナの言葉に、アタシはテレビに映る走路を見ながら思わず答えてた。

 

「いずれにせよ、そいつに有利ってことだよな」

「う~ん、シオンにとっては初めての雨天レースだしなぁ」

 

 ダイナ先輩とロンマンが考え込みながら唸ってるけど、アタシはふと思い出していた。

 

「不利とも限らないわよ」

「え? ダイユウ先輩……なにか秘策でも?」

「シオンは雨の中でのレースを走ったことが無いなら……逆にとんでもなく得意かもしれないでしょ?」

 

 初めての雨のレースでトレーナーに言われたことを思い出しながら、アタシはそう言って笑みを浮かべた。

 そう、あの人が何も対策していないなんてことはない!

 

 ……はず。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 12月の阪神レース場と言えば、去年のことを思わず思い出してしまう。

 

 そう思いながら、オレはあの時と同じように、担当ウマ娘を祈るような思い出見ていることしかできない。

 

 ──ただし、今日はあの時と違って雨天。

 

 それだけでも当時とはだいぶ印象が変わってくる。

 なにしろ12月だし、気温もグッと冷え込むことになる。

 そしてオレは──観客席で雨に打たれる車椅子へと傘を差しだし、雨粒から彼女を守った。

 

「……ありがと、トレーナー」

 

 黄色い合羽を着ていたミラクルバードが嬉しそうにこちらを見上げてくる。

 彼女もまた、あの時に阪神レース場にいたメンバーの一人だった。

 そして、そんなオレ達が見つめる彼女もそう。

 ただしあの時は観客だった彼女は、今日は出走する側へと回っている。

 

 そしてゲートが開き──その彼女は勢いよく飛び出していた。

 

 遅れることなくスタートしたオラシオンの姿に、オレはともあれホッとする。

 ジュニアのレースは基本的に距離が短い。そして距離が短いとスタートの失敗は結果に大きく響く。

 無難なスタートを決めたオラシオンは今までのレースと同じく先行集団の後方か、もしくは中段の先頭といった位置取りだった。

 

(あのスパートを生かすのなら、序盤はその位置が正解だしな)

 

 しかし、気になることも一つある。

 それは今までと違って天候が雨であり、さらにはバ場状態が極めて悪いことだ。

 

(重バ場の発表になってはいるが、実際の所は“不良”に近い。そうなるとスパートで思い切り踏み込んでいけるかどうか……)

 

 度を超した水分は足を滑りやすくする。

 それは加わる力が強ければ強いほど、その危険は増していく。

 

「アイツのスパートが、このバ場状態でも使えればいいが……」

「スリップしやすいってことでしょ? それならオーちゃんも分かってるはずだよ。それに条件は他のウマ娘たちも同じなんだから」

「いや……あの低い姿勢でのスパートは、こういう状況では不利になってしまう要素がある」

「強く踏み出すからスリップしやすいってだけじゃないの?」

 

 ミラクルバードの問いに、オレは頷く。

 

「角度の問題だ。地面に対して垂直に力を加えればスリップしないのは分かるよな?」

「それは当然だけど……でもそれだと前に進めないよね?」

「その通り。前へ進むには力の向きを傾ける必要がある。そして垂直から水平へと傾けていけばいくほど力は逃げやすくなり、スリップしやすくなる──」

「そっか。低い姿勢になるってことは普通の走り方に比べて体の角度が水平に近づくってことだもんね。じゃあ──」

「低い姿勢が逆に(アダ)となる可能性もある……」

 

 バ場状態が良ければしっかりと受け止めてくれる芝や地面も、こうも雨が降れば水がその邪魔をする。

 しかも──

 

「不良バ場を得意にしているウマ娘(ヤツ)もいるみたいだしな」

 

 テンガロンハットからぴょこんと耳を飛び出させ、オレンジと黒の勝負服を着たウマ娘がオラシオンの前を走っている。

 これまでの成績を見るに、高い実力があるとは言い難いウマ娘だが──ブロンコキッドは悪天候のレースを勝ち抜いてここまでやってきている。

 翌週の朝日杯ではなく、天候が崩れる予報が出ていたこの週をあえて選んだようにさえ思えた。

 

「この悪天候で誰もが足下を気にする中、彼女だけは自信を持った走りをしている」

「それって、悪路を走り込んだってこと?」

「天性のものかもしれないが、その可能性もある。いくら御天道(おてんとう)様次第とは言っても、他に負けない武器を持っているのは強みになるからな」

 

 他のウマ娘たちが悪天候を避けて屋内でトレーニングする中でもあえて外で練習し続けて、その結果、雨中での競争に絶対の自信を持つほどになっていたとしたら── 

 

(雨のレースでは主導権を握ることができる)

 

 一見すればウマ娘の人生を、天候という一か八かに賭けるようなものにしてしまうかもしれないが、実のところはそうではない、とオレは思った。

 

(実際に雨だから他よりも早く走れる必要なんて無い。雨の中でも自信を持って走れる──その意識こそが重要なんだ)

 

 そして実際に積み重ねた経験が、スリップする限界を見極める力にもなる。

 おっかなびっくり走ってるヤツらとは、明らかな差となって顕れるはずだ。

 

(だが、それは……こっちも対策の手は打っている)

 

 以前に、遠目ながらオラシオンがダートコースを走っている姿を見て、オレはそれが万全になっていると確信している。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──レースは終盤へと差し掛かっていた。

 

 朝から降り続く雨は止むことなく、まだ降り続けている。

 そして足下も最悪──コーナーに差し掛かり、それを気にした前を走るウマ娘が避けるように内に3人分のスペースを空けて走っていました。

 

「いけるッ!」

 

 好機を見つけ、私はスッと目を細めた。

 ここを抜ければ一気に前へと出られる。私はそこへ進路を取ろうと──

 

「──ッ!?」

 

 私が突っ込もうとした瞬間、前を走る一人が外へ振られるのを嫌って内へと切り込んできたのです。

 割り込むように入ってくる、橙と黒の勝負服。

 

「危ないッ!!」

 

 ぶつかりかけた私は思わず声を出しましたが──入ってきたウマ娘が()()()()()()()()越しにチラッとこちらを見る。

 そして彼女は悪びれた様子もなく、すぐに前へと意識を戻していました。

 

「く……」

 

 勝機を潰された──それは間違いありませんでした。

 そうやって前をふさがれた私は、8番手で4コーナーを抜けていくしかありませんでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「えぇ~? あれ、進路妨害じゃないの?」

「微妙だな。あの程度なら妨害とは取られないだろ」

「う~ん、そうかもしれないけど……あぁ、マズいよ……あんなことされたら、さすがにオーちゃんでも、やる気なくしちゃうよ」

 

 不安そうにするミラクルバードに、オレは冷静に言った。

 あれが反則になるようであれば、それこそいつかのギャロップダイナの台詞じゃないが、「新潟1000(直線コース)でも走ってろ」ということになる。

 それにミラクルバードは一つ、思い違いをしていることがある。

 

「オラシオンがやる気をなくす? そんなわけないだろ」

「え? でも、あんなことされて前を塞がれたら……」

「アイツは、とんでもなく負けん気が強いぞ。おそらく……うちのチームの誰よりもな」

 

 そうして見つめた先で──オラシオンの目が、まったく諦めていないのを確認する。

 むしろ進路を塞がれたウマ娘に対し、闘志を燃やしているようにさえ見えた。

 

(確かに雨中でのレースに自信を持っているようだが……大失敗をしたな)

 

 オレンジ色の勝負服のウマ娘は致命的なミスを犯した。

 それは──負けん気の強いオラシオンを、本気で怒らせたことだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

(絶対に、許しません!!)

 

 なによりも私をチラッと見たとき……視線を前に戻す際に、彼女はフッと笑みを浮かべたのです。

 雨が得意だという彼女。確かにその迷いのない力のこもった走りには、雨中を走り込んだ自信が感じられます。

 その切磋琢磨には感服さえしますし、敬意も払います。

 ですが──だからといって、勘違いしないでください。レースの主導権を握っているからといって、何をしてもいいというわけでは、ありませんッ!!

 

(このウマ娘の後塵を拝していることが──何よりも気にくわない!!)

 

 沸々とこみ上げる怒り。

 でも──怒ったところで、コイツを抜き去り、勝つことはできない。

 邪魔された怒りよりも、負けたくないという気持ちが上回り──私を冷静にさせました。

 

(勝機は──)

 

 前は走者がいて塞がれています。

 しかし内へと進路を取ってしまったことで塞がれ、再び外へと出ることも不可能になっています。

 すでに最後の直線へとかかっているので、一度下がってしまえばさすがに追いつくことは無理。

 八方塞がり。そんな言葉が頭をよぎりましたが──

 

「──ッ!」

 

 前を走るウマ娘がバテたのか、少し外へよれたのです。

 そのせいで内ラチすれすれに、一人半くらいのスペースが間隔が生じ──

 

「突っ込みます! 何人たりとも邪魔は許しません!!」

 

 私は大きな声を出して前へ注意すると同時に気合いを入れ──姿勢を下げてスパートをかけました。

 

「なッ!?」

 

 内ラチすれすれを私が通り抜け──そのウマ娘が驚いた顔が、一瞬で後ろへと流れていきます。

 さらに加速する。

 さらに低く頭を下げた私の脳裏に、不良バ場への不安が()ぎります。

 でも──

 

 

『あの、オグリキャップ先輩……この走り方なんですが、不良バ場のとき、滑りませんか?』

『ふむ。そう感じたことはないが……』

『あ~。えっとね、オグリちゃんは、笠松時代にトレーナーからある走り方を教わってて、足首の使い方が重要でね──』

 

 

 フォローしてくださったベルノライト先輩。

 彼女の説明と、オグリキャップ先輩の走りを観察して──理解したその走り方。

 

「コツは足首の使い方──足で地面を掴むように、走る!」

 

 それは川砂を使った笠松のサラサラなダートを走るため、彼女の最初のトレーナーのアドバイスだったそうです。

 滑らないように砂を足全体で掴み、それを足首で強く後ろに蹴り上げる。

 

(「走る」というより「泳ぐ」ようなイメージで……)

 

 お二人から教わった走りは足首の力がそのまま推進力へと変換できる。

 私にはオグリキャップ先輩のそれを完全に真似ることはできませんでした。

 しかしそれでも今日のような悪路を滑らないように走ることは──できるのです!

 

「バカな! あんな走り方をして、なんで転ばない!?」

 

 後ろから聞こえる、さっきのウマ娘の驚きの声。

 それさえも遠ざかっていき、そして5バ身近く差のあった先頭を、並ぶことなく一気に抜き去ります。

 

(さらに前へ、さらに速く──)

 

 足で地面を掴み、投げるように放す。

 それを左右交互に、素早く繰り返す。

 滑ることなく地面を掴み、私は前へと進んでいく。そして──

 

『オラシオン、物凄い強さだ! その末脚で降りしきる雨を切り裂き──今、ゴオオォォォル!! オラシオン、阪神ジュニアステークスを制しました~!!』

 

 後続に4バ身の差を付け、私は重賞初挑戦でGⅠのタイトルを手にしました。

 振り続ける雨が、走り終えた私の体をすぐに冷やしてくれて、呼吸を整えた私は顔をあげる。

 そして──大歓声が私を祝福をしてくれました。

 

「これは……」

 

 それに笑顔で手を振って応えつつ、私は観客席の最前列へと視線を向けました。

 渡海さんは両腕を突き上げて喜んでくれて──

 ミラクルバードさんは車椅子の上で手を叩いてはしゃいでいて──

 

 ──そして、トレーナーがホッとしたように笑みを浮かべていました。

 

 その姿を確認してから、私はスッと膝をつき、胸の前で手を組み──三女神へと怪我無く走り終えた感謝の祈りを捧げたのでした。

 

 




◆解説◆

【“女神は此度と次の『勝利』を約束したもう”】
・今回はオラシオンの晴れ舞台ですので、『馬の祈り』から。
・でもまた意訳でして──
  And(さすれば) your God will reward you here and hereafter.(神は今世と来世で恵みを与えてくださいます)
を、本作の世界や今回の状況に合うように、強引に変えてます。
・そろそろネタ引っ張ってくるのが難しくなってきて、かなり無理矢理になってきてるんですよね。
・最近1話が長いのは分けると2話分のタイトルを考えないといけなくなるから、という側面も大きかったりします。(笑)

勝負服
・そんなわけで、オラシオンの勝負服は修道服モデルでした。
・といっても厳密な修道服というわけではなく、それを元にしたRPGなんかで僧侶等が着ているような感じです。
・そのデザインを採用した理由はやはり“祈り(オラシオン)”という名前から。
・あとは書いている人の趣味です。『月姫』のシエル先輩とか好きだから!
・……そんなことをここ(解説)に書いているからツイッターで“キモオタ”と書かれ(以下略)
・なお色に関しては黒に近いほどの濃い目の深緑という設定。
・キリスト教の修道服は使える色が決まっているとかあるんですけど、まぁ、それは修道服っぽい服ですのであまり気にせず
・ただ、緑は使える色だそうで、カトリックでの緑は「希望、歩みの堅実さ、忍耐深く聞く」という意味があるそうです。オラシオンがこうありたいと思って選んだ……んですかね? 最後の「忍耐部く聞く」というのはトレーナー相手にできていない気がしますが。
・正直、何色にするか迷ったんですけど──本来なら参考にするはずの競走馬の勝負服も、小説ではそこに言及されていません。
・じゃあ映画版でモデルをつとめたメリーナイスの色味を採用しようと思ったら、勝負服は桃に黒鋸歯形……さすがに桃色の修道服はちょっと、ね。
・じゃあ、この緑は何から出てきたのかと言えば、映画の『優駿 ORACION』からです。
・本編の記憶が無いので映画の予告を見ると……オラシオン(っぽい馬)に乗っている騎手の勝負服が『緑に白襷』だったので、ちょうど首元の白も合ってるので採用。
えっと、あの…………それ、メリーナイスが勝った時の東京優駿で一番人気だからと撮影スタッフがそれしか撮影してなかった、18着のマティリアルじゃないですかね? その映像見るとゼッケンに「10」って書いてあるし。
・……映画の『優駿』を動画配信で探したんですけど見つからないんですよね。撮りなおしたダービーのシーンを確認したかったのですが。う~ん、評判悪いせいなんでしょうか。
・そんなわけでハッキリと緑ではなく、ほんのり緑だけどきわめて黒に近いということになりました。修道服的にも黒い方が様になるし。
・頭にかぶるベール(ウィンプル)はウマ娘だと耳があるので迷ったんですけど、それでも採用しました。元々「女性が祈るときにはベールをかぶるもの」だったそうなので、“祈り”のウマ娘なんだから被るべきだと思って採用しました。
・むしろ普段からかぶっているべきだったかも、と。
・なお、レース用の衣装ですので聴覚を妨げないように他のウマ娘の帽子同様にどこからか耳が出るような構造になってます。

ブロンコキッド
・本作オリジナルのウマ娘。ただし元ネタは実在馬じゃありません。
・元になった競走馬は『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』に登場する牡馬のブロンコキッド。
・ロンマンガンが「地元の関係で話が合った」というのはモデルの原作が一緒だから。
・「水かきのついた馬」と揶揄されたほどに道悪が得意で、ウマ娘になってもその特徴を引き継いでいます。
・年齢的にはロンマンガンと同じですので、そこは整合性が取れています。
・ただ……ロンマンガンが疑問を感じていたように、実はこのモデル馬はGⅠに出られるような馬ではなく、ジュニア期も活躍なんて全くしてません。
・登場して不良馬場でのレースで勝つまでは16戦1勝。その後の再登場でも23戦3勝と、本作での強者感は原作には全くありません。
・そんな馬をなんで引っ張り出してきたかといえば……雨のレースに強いウマ娘を出したかったから。
・実は『優駿』だとGⅠのはずのこのレースも回想の説明で触れられる程度の軽い扱いです。
・「不良に近い重馬場だった」こととオラシオンの展開、着差を含めたレース結果くらいで、他の馬については名前がまったく出てきません。(ちなみにこれまでの2戦も全部そんな感じ)
・でもさすがにGⅠだし競う相手が欲しいと思いまして、さらに馬場状態が悪いところからこの馬を採用しました。
・あくまでウマ娘の世界ですし、この世界ではギャロップダイナが言ったようによほどがんばったのでしょう。
・さて衣装ですけど、テンガロンハットはテーマ曲が「テキサス()()()()」なキン肉マンのテリーマンのイメージから。
・そして勝負服は“ブロンコス”の名前を持つスポーツチームから。
・日本のプロバスケットチーム『さいたまブロンコス』……ではなく、アメリカのアメフト(NFL)のチーム『デンバー・ブロンコス』が由来で、カラーが橙色と黒なのはそのせい。
・そのチアリーダーの服、ほぼそのままです。
・そんな感じで“アメリカン”な感じになってますけど、モデル馬がそうであるように、純粋な日本生まれの日本育ちです。
・モデル馬は主人公がお世話になった渡会牧場産駒ですし。

最初のトレーナーのアドバイス
・漫画『シンデレラグレイ』第3話参照。
・あくまで「摩擦の弱い川砂のダートを走るコツ」でしたが、不良馬場でも摩擦が弱くなるので引用。

阪神ジュニアステークスを制しました
・フィクション舞台になっているので解説しなくてもいいのかもしれませんが、本作のこの年のモデルが、レッツゴーターキンの活躍を描いたので1992年になっていますので一応……
・1992年の優勝馬はスエヒロジョウオー。母の父はマルゼンスキーという馬で、翌年に牝馬三冠にも挑戦しましたが惨敗。
・オークスには出走してもおらず、エリザベス女王杯で引退しています。
・なお、すでに阪神三歳牝馬ステークスになっている年代ですので牝馬限定レースになっていました。
・ちなみに、開催日は1992年12月6日で、天気は晴れで馬場も良馬場でした。
・また、サンドピアリスの世代でこのレース(阪神三歳ステークス)を制したのはラッキーゲラン。
・90年の天皇賞(秋)と91年スワンステークスでダイユウサクと、91年中京記念や92年金杯(西)と日経新春杯でレッツゴーターキンとも走ったこともある馬ですね。


※次回の更新は6月17日の予定です。  



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第41R 春レースの鼓動

 
 ──年が明けた。

 結局、年末の記念でレッツゴーターキンは、勝てなかった。
 それを気の弱いターキンが引きずらないわけもなく……年が明けても立ち直っていなかったわけで……

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「いつまでもクヨクヨしてんなよ、ターキン」

 ついにダンボール箱に入る気力もなくなったのか、しょんぼりしたレッツゴーターキンがチームの部屋で、ガックリと肩を落としていた。
 それを見たギャロップダイナが声をかけてるんだけど……ターキンに反応はなく、アタシは思わずため息をついた。

「ターキン、気持ちは分かるけど……掲示板に入ってるんだから、そんなに気にする必要ないわよ? それに気にしてたテイオーよりも順位が上じゃない?」
「でも……4位だし……」
「掲示板にちゃんと入ってるじゃないの。気にする必要なんて──」
「いや、去年勝ったお前がそれ言っても慰めにならねーだろ」

 端で見ていたギャロップダイナがアタシ──ダイユウサクをジト目で見ていた。
 ……うん。それは、そうだと思うわよ?
 でも、じゃあ、アタシはどう声をかけろって言うのよ? アタシがなにを言ったって慰めにならないことくらい、薄々気付いてたわよ。
 でも、なにも言わずにここにいる方が、よほど気まずいわ!

(そこまで言うなら、アンタがなんとかしなさいよね……)

 アタシがジト目を返すと、ダイナ先輩は「しょうがねぇな」と小さくつぶやいて、ガリガリと頭を掻く。

「ま、あの有記念は……仕方ねーだろ。宝塚記念のことすっかり忘れて、パーマーとヘリオスに大逃げさせちまったんだ。一番人気サマは意味深に後方にいて、それをみんな仲良くビビってたからな」

 そこまで言って肩をすくめた。

空気が抜けた風船みてえな状態だったなんて、一緒に走ってたらよほど近くなければ気が付かねえよ」

 ため息をつきながら「二人に気持ちよく逃げさせた3番手に付けてたヤツが悪い」と慰めるダイナ先輩。
 でもターキンは顔を上げない。

(まぁ、それで納得するくらいなら、とっくに自力で立ち直ってるわよね)

 アタシがそう思って見ていると、ダイナ先輩は「あ~、メンドくせぇ」となんか悪い方に吹っ切れた顔になった。
 あ、ヤバ……と止めようとしたとき、ダイナ先輩はターキン先輩の前に立っていた。

「なぁ、ターキン……お前、GⅠ勝って当たり前、とか思ってねーよな?」
「え?」
「確かにお前は地方の重賞常連だったけど、それだって常に勝ってたわけじゃあない」
「それは……」
「勘違いするなよ? あたしはお前が弱いとか遅いとか言ってるわけじゃねえ。ただ少し高望みしすぎて、自分に理想を重ねすぎているように見えたから言ってるんだ」

 おびえたように顔を上げたターキンに、ダイナ先輩は真面目な顔で言いました。

「確かにお前はあの激戦の天皇賞を勝った。その実力は間違いなくお前のもんだ。でも、だこそ今の自分をしっかりと見ろ。今の自分にできることとできないことをしっかり把握して、身の丈に合ったペースを思い出せ。そして自分にとって最適のスパートタイミングとその速度……」

 4着という順位は決して悪いものじゃないわ。
 その前のジャパンカップだって、外国からの招待ウマ娘もいてレベルが高かったんだし、それでも8着。見せ場も作れなかったけど、大惨敗したわけでもないんだから。
 ほんの少しギヤが噛み合っていないだけ……アタシにもそう思えた。

「しばらく休養に入るんだろ? ならそれを利用して、もう一回自分を見つめ直せ。そうすれば春のレースできっと勝てるさ」

 ポンとターキンの肩に手を置く。
 そのときの先輩の顔は、とても優しいもので──

「……アタシみたいにな」

 その笑みが──ニヤリと歪む。
 ……え?

「で、できなけりゃ誰かさんみたいになっちまうわけだ」

 そして、意地悪い目でこっちを見るギャロップダイナあああぁぁぁぁぁッ!!

「どういう意味?」
「さてね。心当たりでもあるんですかぁ? ダイユウサク先生」
「きいいぃぃぃぃぃぃ!! 絶対に許さないんだから!!」

 もうカンベンできない!
 アタシはギャロップダイナに掴み掛かったけど、彼女はニヤニヤと笑みを浮かべつつ、ひらりと身を翻して逃げ出します。
 逃がすわけ、無いでしょ!!
 アタシはさらに追いかけ──出入口が開いて、人が入ってきました。

「っと……どうした? ダイナ」
「お、いいところに来たな、ビジョウ」

 そう言ってギャロップダイナはトレーナーを盾にして隠れます。
 彼女を追いかけていたアタシは、トレーナーに詰め寄ってしまう。

「~~~~~~ッ!!」
「どうした? ダイユウサク……」

 涙がにじんだ目でキッと睨みつけ──トレーナーの背後でギャロップダイナが「べー」と舌を出すのが見えた。

 もう、絶対に……許さないんだからああぁぁぁ!!



 

 ──1月も中盤を過ぎ……

 

「お、カグっちじゃん。それにピーちゃんもいるし」

 

 食堂でサンドピアリスと食事をしていた私──シャダイカグラは、横からかけられた軽い調子の声に、思わずこめかみを押さえてしまう。

 

「カラーさん……その呼び方、もう少し何とかならないの?」

「え? 別にいいじゃん、カグっち。うちは親しみがこもってて良きと思うけど。ねぇ、ピーちゃん?」

「うんと、そうですなぁ……私もいいんじゃないかな、って思うけど? カーちゃん」

「か、カーちゃんって、ピアリス……」

 

 私は思わず唖然とながら、サンドピアリスを見つめてしまったのです。

 

「え? 変かな? あ……そっか、そういうことだよね」

「ええ、そうです。カーちゃんはさすがに──」

「カグラちゃんも“カ”で始まるからカーちゃんだもんね。そう呼ばれたかったんだね!」

「ち・が・い・ま・す!!」

 

 見当違いのピアリスの言葉に、カラーさん──同級生のウマ娘、ライトカラーが「ウケる!」と大きな声で爆笑していました。

 

「や~、やっぱりピーちゃんのカーチャンは、アンタだもんね、カグっち」

「上手いこと言った、みたいな顔をしないでよ。カラー」

 

 私はため息混じりに、彼女へとジト目を向けました。

 

「そういえば……カラーさんはこの前、出走してきたのよね?」

「うん。ええ、まぁ……ね」

 

 歯切れ悪く答えるライトカラー。

 そして彼女は気まずそうにピアリスの方を見ます。

 

「ピーちゃんって、〈アクルックス〉所属だよね?」

「うん。そうだけど?」

「やっぱりそうだよね……」

 

 素直に頷くピアリスに対し、ライトカラーは少し青ざめた様子で乾いた笑みを浮かべた。

 

「いや、あはは……ピーちゃんとこの、オラシオン……さん? ヤバいわ」

「ヤバい?」

「うん、ヤバい。メチャくそヤバい。というか鬼ヤバいわ。アレ」

 

 “メチャくそ”と“鬼”では“鬼”の方が上なんだ、とどうでもいいことを考えつつ、私はピアリスを見る。

 しかし彼女はピンとこないようで、困ったように首を傾げていた。

 

「シンザン記念で見たんだけど……ハッキリ言って勝てる気しない。なにあのチートキャラ、速すぎでしょ」

 

 なるほどね。それでライトカラーは落ち込んでいたわけね。

 私もそのレースは中継だけど見た。

 話題のウマ娘だから、その前のGⅠも見たけど──悪天候をものともせずに、内ラチすれすれを駆け抜けていったその度胸と、楽に逃げてた先頭をあっという間に追い抜かしたその末脚は、もう唖然とするしかなかったわ。

 シンザン記念では、それに劣ってはいたけど十分に速い速度で追い切って、3バ身も離しての1着なんだから。

 一緒に見てた奈瀬トレーナーも、滅多に見せないような表情だったもの。

 絶対的強者を見たときの戦慄するような顔と──直後のそれをどうやって倒そう考えるワクワクしているような顔。

 

「うん、シオンちゃんはスゴく速いよ。ロンちゃんも『やっべ、マジパネェ、あんなのイカマサ使っても勝てる気しねえわ』って言ってたし」

「ピアリス、つきあうお友達を少し考えた方がいいかもね」

 

 彼女の口調に思わず顔がひきつる私。

 ロンちゃんって……ロンマンガンさんだっけ?

 あまりいい噂聞かないのよね、彼女。

 麻雀と賭事が好きだなんて、まるで不良よ。風紀委員もどうして捕まえて指導しないのかしら。

 やっぱり〈アクルックス〉なんてやめた方が……

 

「え~? 悪い友達なんていないよ? カラーちゃんもカグラちゃんもすっごく優しいし」

「ありがと、ピーちゃん」

 

 ピアリスの素直な言葉にライトカラーも思わず笑顔で答える。

 

「えへへ……それに、チームのみんなだっていいウマ娘(ひと)ばかりだよ? ダイナさんは言葉は乱暴だけど優しいし」

「ダイナさんって、ギャロップダイナ? あの『“皇帝”を泣かせたウマ娘』の──」

「うん。ダイナさんがついてくれて、教えてくれるんだよ」

「ちょマ? マジウケるんだけど。それ、うちも指導されたいわ~。あの会長に勝ったことあるとかマジヤバくない?」

 

 うらやましいと言うライトカラーに対して、ピアリスはちょっと寂しそうに笑みを浮かべる。

 

「でも、ダートの走り方だよ? 教わってるのは」

「あぁ、そっか。うちはダート走らないし、それじゃ意味ないわ」

「次、カラーはどこに出る予定なのかしら?」

「あ~、えっと……エルフィンステークス」

 

 あら……それは聞き捨てならないわね。

 

「へぇ、奇遇ね。私もエルフィンステークスなんだけど。桜花賞に向けて、ね」

「ふ~ん……うちも目標、桜花賞なんだけど?」

 

 そう言ったライトカラーが、意味深な笑みを浮かべてこっちの方を見た。

 私も負けじと笑みを返す。

 私とカラーさん……いえ、カラーの間に火花が散ったように見えた。

 

「いいなぁ、二人とも。一緒に走れるなんて……」

 

 しかしそんな空気も、サンドピアリスの声で霧散します。

 不満げに、そしてどこか寂しそうにむくれる彼女を見て、私は慌ててピアリスを慰めました。

 

「大丈夫よピアリス。慌てることなんて無いわ。まだ1月なんだし、2月以降のデビューでもクラシックレースに間に合うわよ」

「そーそー、それにクラシックに無理に出る必要なんてないし。ピーちゃんとこのパイセン達、みんなそーじゃん」

 

 私に続いて、ライトカラーも続いてくれました。

 彼女は笑顔でそう言うと、指を折って数えながら列挙していきます。

 

「ターキン先輩は菊花賞出てたんだっけ? とりま春の二つは出てないし、菊花賞も勝ってない。で、ダイユウサク先輩はそもそもデビューが菊花賞直前な上に17秒のタイムオーバーターとかマジウケる。弱すぎじゃん。それにえっと……ギャロップダイナ先輩はよく知らんけど、出てないっしょ?」

 

 笑いながら言う彼女の姿は、内容が先輩方の成績の話なので冷や冷やしないでもありませんけど、今は彼女のその底抜けの明るさが助かります。

 それにしても……改めて言われてみると、〈アクルックス〉は晩成型のウマ娘ばかりなようです。

 あのトレーナーは、ピアリスをそう見ているのでしょうか……

 

「でも、カグラちゃんとカラーちゃんが一緒に走るなら、私も一緒に走りたい」

「「あ……」」

 

 そういう、ことね。

 思わず私がライトカラーを見ると、優しげに眉を下げた彼女と目が合いました。

 

「それなら、いつか三人で走るのを目標にしましょ。たとえ桜花賞に間に合わなくともオークスもありますし、秋のエリザベス女王杯だってあるんだから」

「そーだね。クラシックじゃなくたって、その後だっていいんだし──」

 

「あら? ずいぶんと余裕がある発言ですね……」

 

 笑顔でライトカラーが言った言葉に、横から声がかかった。

 この声の主は……私は嫌悪感と共に、声の主へジト目を向ける。

 いかにもお嬢様然とした、澄まし顔のウマ娘がそこにいました。

 

メジロモントレー……」

 

 すると彼女は、まるでおもちゃを見つけた子供のように嬉々として──そうでありながらその感情を押し殺し、クスっとだけ笑みを浮かべて私をみました。

 

「モントレーさん、もしくは様でしょう? 敬称が抜けていますわよ、シャダイかグラ()()。シャダイの御令嬢ともあろう方がなんとお下品な……」

「私は、シャダイの令嬢なんかじゃないわよ!!」

 

 思わず立ち上がった私に、メジロモントレーが口に握った手をあててさらにクスクスと笑います。

 あ~、もう、ほんっとこのウマ娘は苦手だわ。

 名門メジロ家というだけでも苦手なのに、やたらと絡んでくるのよね。

 

「まだクラシック戦線もはじまりかけだというのに、捕らぬ狸の皮算用をしているようでは笑われますわ」

「別にいーじゃん。取るとか取らないの話じゃなくて、一緒に出ようねって話だし」

 

 ライトカラーの反論に、モントレーは再びクスっと笑います。

 

「クラシックレースは御遊戯会ではないのですよ? わたくし達ウマ娘が一生に一度しか走るチャンスのない一世一代の晴れ舞台。わたくしもメジロ家のウマ娘としてラモーヌ様が成し遂げた偉業……トリプルティアラの完全制覇に挑む所存ですわ」

 

 芝居じみた動きで大きく両腕を広げるモントレー。

 いちいち大仰な動きで、鬱陶しいのよね。

 それにクラシック三冠は会長やシービーさんを含めて何人かいるのに、トリプルティアラの完全制覇は今までメジロ家の令嬢、メジロラモーヌたった一人しか達成していない。

 それほどまでに難しい関門だけど──私はそれに挑むつもりだし、カラーが桜花賞に挑むってことは彼女もそうでしょ。

 そしてモントレーもそのライバルになる、と。

 

「その狭き門に挑み同世代と鎬を削らなければならないというのに……そんな意識では出走する事さえ難しいのではありませんこと?」

「ふん。さすが名門の御令嬢は、意識が高くて素晴らしいですわねぇ」

 

 私が言い返してやると、さすがにカチンときたのか目を細めて睨んでくる。

 なによ、そっちが言い出したことじゃないの。

 

「へぇ……そうですなぁ。もっとピアリスも頑張らないとダメだよね! うん!」

 

 私とモントレーがにらみ合う横で、突然、ピアリスがそんなことを言い出し、拳を握りしめる。

 そしてモントレーへと振り向き──

 

「ありがとね、モントレーちゃん。応援してくれて」

「は? え? ど、どうしてそんな話に? わたくしは応援なんて……」

「うん。モントレーちゃんとも一緒に走れるようにがんばるから!」

 

 ピアリスに屈託のない目を向けられては、さしものモントレーも形無しになってしまうようで。

 彼女は「ふん」とそっぽを向き、「そう言う意味ではありませんわ」とブツブツ文句を言っている。

 

「モントっちも、もっと気楽に構えればいいのに──」

「誰がモンチッチですか!!」

 

 独り言のようなライトカラーの言葉を聞き違え、「わたくしはサルのお人形ではありませんわ!!」と猛然と抗議するメジロモントレー。

 一瞬驚いたものの、それを「ウケる」と大爆笑して、抗議を聞き流すライトカラー。

 うん……モントレーの天敵は間違いなく彼女みたいな性格の娘ね。

 私が苦笑しながら見ていると、抗議のせいで息を切らしたモントレーが「覚えてなさい!」とライトカラーに捨て台詞を残して去っていく。

 その姿に私は少しだけ溜飲を下げたんだけど……

 

「またね、モンちゃん!」

 

 去り際に言ったピアリスの言葉にモントレーはピタっと足を止めた。

 何かを堪えるようにプルプルと震え……ピアリスに怒鳴るかと思ったモントレーだったけど──

 

「せいぜいがんばりなさいよ」

 

 背を向けたままそう言って、彼女は去っていった。

 思わずライトカラーと顔を見合わせて──私達二人はプッと吹き出して大笑い。

 ピアリスはそれを見て「どうしたの?」と首を傾げてるけど……

 

 やっぱり、ピアリスの悪意の無さは無敵よね。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「あの~、相生(あいおい)さん、来ましたけど……」

 

 トレーナー室にいた私は、突然鳴った電話で呼び出されて、チームのメイントレーナーの相生さんに呼び出された。

 いったいなんの用事だろうか、という疑問が私の頭を支配してる。

 

(なにかミスをしたようなことはないと思うけど……)

 

 普段、物静かで優しい相生トレーナーだけど、怒るときは苛烈に怒る。

 その直前の、寡黙にジッと考え込む姿からして怖いんだけど……今、まさにそんな感じで相生さんが目を閉じて考え込んでるのよね。

 

「あの……私、なにか──」

「お前に、頼みたいことがある」

 

 耐えかねて私が尋ねようとしたら、相生さんが目を閉じて腕を組んだまま話し始めた。

 

「一人だけで申し訳ないが、担当のウマ娘を持ち、その面倒を見て欲しい」

「え? 私がなにか失敗したとか、そういう話では──」

「違うな。それにお前にはいつも助けられているよ」

 

 相生さんが珍しく優しい笑みを浮かべる。

 女なら思わずコロって誘惑されそうな顔だけど……この人、奥さんいるのよね。

 ちょっと顔が濃いから私の好みでもないし。

 

「本来ならキャリアのためにも任せて経験を積ませたいんだが、なかなかそうもいかなかった。すまないとは思っていたんだが……」

 

 笑みを苦笑に変える相生さん。

 私が所属するチーム〈アルデバラン〉は、積極的な勧誘をほとんどしていない。

 エースウマ娘のアルデバランと、相生さんのカリスマ的人気で集まるウマ娘を“来るもの拒まず”の精神で受け入れている。

 相生さんもこだわりの強い人だからできるだけ自分で面倒を見るスタイルで、サブトレーナーの私はその補佐に専念してる。

 ただ一度の例外は──今回みたいに相生さんが多忙になったときに入ってきたウマ娘を一人だけ担当したことがある。

 その彼女は“樫の女王”の座を掴んだのだから、私にとっては出来過ぎな結果だった。

 その幸運に恵まれながらも、次のウマ娘を担当しなかったのは色々な事情があるけど──私はメイントレーナーのサポートをするのが性に合っている、から。

 

(……ううん、違う。彼女たちの人生を背負う重さから逃げているのかもしれない、わね)

 

 八大競争であり、トリプルティアラの一角をとったけど、彼女のその後は万全だったとは私には到底思えなかった。

 

(あの骨折さえなければ……)

 

 エリザベス女王杯を回避することになってしまった、あの怪我。もしもそれがなければトリプルティアラの2つ目を掴んでいたかもしれない。

 それだけじゃない。

 骨折が治った後、彼女は思うように成績を残せなくなってしまった。

 

(もしも私が、もっとしっかり治療を見ていれば……)

 

 怪我からの復帰後ももっと活躍できていたかもしれない。

 そもそも、エリザベス女王杯へ向けて無理をしているのに気が付いていれば、骨折そのものを回避できたはず。

 そんな私の、致命的な失敗。

 でも──当のウマ娘は私を一度も責めることはなかったし、相生トレーナーも私を叱咤することもなかった。

 

(まるで私が、悪くないみたいに……)

 

 結果として、それが私の心に棘として残っている。

 ただ一人だけ担当したウマ娘での失敗──それがウマ娘の人生を左右するという、現実をまざまざと見せつけられて、私はそれが怖くなってしまった……んだと思う。

 だから私は──相生さんに自分から「次の担当をやらせてください」と言い出すことができなかった。

 

(それに関しては、彼を尊敬するわ……)

 

 彼、とはトレーナーとしての部屋を共有している、チーム〈アクルックス〉を担当しているトレーナー、乾井 備丈。

 最初に大失敗をして、担当ウマ娘も、自分の人生もつまづいたのに……今や、注目を浴びるほどのトレーナーになったんだから。

 しかも──《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》の名に恥じぬ、とても勝ち目の無いようなウマ娘を勝たせて、彼女たちに幸福を届けている。

 

(私とは対照的、よね)

 

 もしも彼女が私ではなく、彼が担当したのなら……もっと活躍できていたかもしれない。

 それこそ有記念を取らせたかも──

 

「……巽見? 聞いているのか?」

「え? あ、はい!」

 

 私が上の空になっていたのに気付いた相生トレーナーが厳しい顔になっていた。

 そして、察したかのように小さく嘆息し──

 

「コスモドリーム以来になるが、お前ならできると思っているからこそ任せるんだからな。それに……コスモも、お前がトレーナーだったのを後悔なんて絶対にしていないし、それはオレも同じだ」

「トレーナー……」

 

 そしてトレーナーは、私に資料を手渡す。

 そこには一人のウマ娘のデータが事細かく書かれていた。

 

「正月明けにデビューして、今年クラシックを迎えるウマ娘だ。その名をロベルトダッシュという」

 

 思わずギクッとなる。

 今年のクラシック世代といえば──さっき思い浮かべた()が担当する、世代最強の呼び声も高いあのウマ娘と競うことになる。

 

(あのオラシオンと、戦うことになるのね……)

 

 弱気が首を(もた)げてくる。

 その強さは、チーム外ではもっとも間近で見ているからこそ、〈アクルックス〉メンバーよりも鮮烈に感じていた。

 12月のGⅠを勝ち、今月のシンザン記念でも勝利してまさに圧倒的な強さになっている。

 

(ダメよ……私なんかが担当したら、彼女が可哀想……)

 

 資料についている顔写真を見て、チーム内で見かける彼女の自然な表情を思い出し──それが陰るシーンがまざまざと浮かび、私は首を横に振った。

 断るしかない──そう思って私が相生トレーナーを見た……

 ……んだけど……

 

きみに彼女を託す……

 

 私を見つめるトレーナーの目は、有無を言わさない迫力があった。

 そしてなによりも──私への信頼を雄弁に語っていた。

 

(もしもそれに応えられなければ、私は……トレーナーとして失格よ)

 

 相生トレーナーの言葉に、私はしっかりと頷く。

 

「はい。確かに……」

 

 そして、私は──同部屋の彼に、心の中で宣戦布告した。

 相手が圧倒的に強くとも……絶対に負けない、と。




◆解説◆

【春レースの鼓動】
・ピアリス回だと思い込んで、ピアリス用のタイトルルールで考えようと思ったのですが、よく読んだらピアリスメインじゃなかったので、主役不在回のこだわりのないタイトルに。
・ピアリスが本格的に動くのは次回以降になります。

記念
・レッツゴーターキンが出走した1992年の有馬記念がモデル。
・この年は90年から始まった“毎年奇跡が起こる有馬記念”シリーズの第3弾、“メジロパーマー爆逃げ制覇”だったレースです。
・なお、テイオーが主役のアニメ2期では天皇賞(秋)や、勝ったジャパンカップと違って飛ばされずに描かれています。
・同じくヘリオスとパーマーの見せ場があった天皇賞(秋)との飛ばされなかった差は、ウマ娘化してるパーマーが勝ってるということだと思います。
・ちなみにパーマーは16頭中15番人気で、倍率は49.5倍でした。
・なおウマ娘化している競走馬はテイオー、パーマー、ヘリオス以外にもナイスネイチャ(2度目の3着を達成)、イクノディクタス、ラシスシャワーと多く、それ以外にもムービースターにヤマニングローバルといった天皇賞(秋)メンバーも出てますし、本作お馴染みになったホワイトストーン、以前触れたことのあるレオダーバンなんかも出走してます。
・そしてパーマーの制覇以外にも、スプリンターズステークスにも出てたのに連戦で出ているヘリオスとか、“悲劇の馬”サンエイサンキューの故障など話題に事欠かない有馬記念です。
・サンエイサンキューは骨折前から骨折後まで本当に可哀想……

空気が抜けた風船
・92年の有馬記念で騎乗した田原成貴騎手によるこの時のトウカイテイオーの評。
・主戦騎手の岡部騎手は19日に騎乗停止処分を受けたため、急遽の騎乗になりました。
・なお、スタート直後にレガシーワールドと接触して腰を痛めていた、とも。
・アニメでの「迷った状態での凡走」の元ネタは、この不調だったんですね。

ライトカラー
・本作オリジナルウマ娘で、元ネタは同名の実在馬ライトカラー。
・元ネタはサンドピアリスやシャダイカグラと同じ1986年生まれの牝馬。
・元ネタが鹿毛なので、明るい茶髪で長い髪……となっています。
軽い(ライト)性格ということで、ギャルっぽくなってます。
・ギャル語はヘリオスのも含めて書くのは苦手で苦労してます。

メジロモントレー
・本話二人目の、本作オリジナルウマ娘。元ネタは同じく同名の競走馬メジロモントレー。
・元ネタはやっぱりサンドピアリス、シャダイカグラ、ライトカラーと同じ1986年生まれの牝馬。ちなみに黒鹿毛。
・名前で分かるように、もちろんメジロ系の競走馬であり、本作ではメジロ家の一員です。もちろんメジロ賛歌も歌えます。
・一線級の牡馬を退けるほどの能力を持ちながら、それがいつ発揮されるか分からずに「気分屋」と言われたため、メジロ家設定と併せて「気分屋のお嬢様」という性格になりました。
・シャダイカグラは名門にコンプレックスがあるので、モントレーに限らずメジロ家のウマ娘は苦手。モントレーはそれに気が付いていてからかっている……というかかまってほしい模様。
・一方、気分屋なので主導権を握れないライトカラーのような相手は苦手。
・混乱してしまいますけど、実在馬の方はマックイーン、ライアン、パーマーの先輩になりますのでご注意を。メジロアルダンと3人の間の世代になります。
・血縁的には牝馬三冠馬メジロラモーヌは父がモガミと同じで、そのため意識する存在になっているようです。
・……モガミって本作でもどこかで聞いたよな、と思って必死に思い出したんですが、コスモドリームの母・スイートドリームの後方キックを掻い潜って種付けするも不受胎だった種牡馬だったのを思い出しました。
・おかげでブゼンダイオーにお鉢が回り、コスモドリームが誕生したわけですが。
・閑話休題
・で、実装済みのメジロ家との関係は──メジロドーベルが従姪にあたります。
・またメジロマックイーンとの間には、中央7勝のメジロアトラスが生まれています。
・ところでモントレーってなに?
・アメリカのカリフォルニアにある町の名前……が元ネタなんですかね?
・モントレーと言えば、ピザーラのピザの名前くらいしか思いつきませんけど。
・──なんて思っていたら、実はメジロモントレーがクラシック世代の時(1989年)にピザーラのモントレーが発売されたという縁があります。
・デビューはメジロのモントレーの方が一年早いですね。

モンチッチ
・1980年代に世界的に流行したおしゃぶりをするポーズの猿に似た妖精の生き物をイメージした人形のこと。
・1974年に人形メーカーの株式会社セキグチという東京都にある会社から発売……ってアレ、日本のメーカーが作ってたの!?
・ちなみに胴体はぬいぐるみで、手足がソフトビニール。独特の触感は日本のおもちゃ界に衝撃を与えた──そうです。
・なお、ニュルンベルク国際玩具見本市に出展された当初は、「人間」と「動物」を掛け合わせたこのキャラクターは業界関係者の度肝を抜いたそうな。今に至る獣人キャラの先祖……みたいなもんですかね。
・その無数に枝分かれた系譜の一つの至る先に“ウマ娘”がある……のかな?

ロベルトダッシュ
・そして3人目のオリジナルウマ娘。元ネタはこれは実在の競走馬ではなく、小説『優駿』に登場する競走馬。
・オラシオンのライバルの一頭であり、段々と弱体化していくセントホウヤの穴を埋めるようにクライマックスに向けて登場し、競うことになる馬でした。
・〈アルデバラン〉所属にする気はあまりなかったんですけど……というのもやっぱりチーム〈アルデバラン〉はコスモとアルデバランから『聖闘士星矢』ネタが使えそうな名前の馬を、と思っていたんですけど、そういう馬が本当に出てこない。
・このままだと巽見が担当せずに終わりそうだったので、オラシオンのライバルになるために、巽見トレーナーに担当させました。

きみに彼女を託す……
・だからこういうところで『聖闘士星矢』ネタを入れないとね。
・元ネタは『聖闘士星矢』の射手座の黄金聖闘士アイオロスが人馬宮に残したメッセージ、『きみたちに女神(アテナ)を託す…』です。
・相生さんはアイオロスと弟のアイオリアがイメージキャラなので、そのせいでこのセリフを言うことになりました。


※次回の更新は6月20日の予定です。  



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第42R トゥインクルシリーズに尻込まない!

 
 オラシオンの映像や記録をトレーナー室で見ながら、オレは考え込んでいた。
 シンザン記念の結果は確かに1着。それも3バ身を離しての圧勝。

(……と言いたいところなんだがな)

 実を言えば、オレはこのレースで不安を抱いていた。
 もちろん初勝利から3連勝となり、そのいずれのレースも大きなリードを持っての勝利だった。
 だが、今回のレースはハッキリ言って内容が良くない。

「道中の行きっぷりも良くない。ゴール前の末脚も前の2戦ほどの伸びはなかった……」

 それどころかゴール前で一杯一杯になって──オラシオンは内へヨレた。
 幸いなことに並んでいたウマ娘が「無理~」と下がっていたために衝突という最悪の事態は起こらず、進路妨害も取られなかった。
 ただ、それでも直線の斜行ということで、オラシオンは注意を受けている。

(悪癖が出た、と見るべきか……)

 昨年末の阪神ジュニアステークスでは出なかったから、気のせいかとも思っていたんだけどな。
 そこも頭を悩ませるところだが、一番の問題は──

「あの、トレーナー……来ましたが」

 部屋の戸がノックされ、そして研修生の渡海がやってくる。
 それに続いて車椅子のミラクルバード入り、最後にオラシオンが「失礼します」と頭を下げて入ってくる。
 オレは〈アクルックス〉のオラシオン(チーム)を呼び出していたのだ。

「……オラシオン、調子はどうだ?」
「変わりません。体のどこにも異常も出ていません」
「なるほどな……」

 淡々と答えるオラシオン。
 それに対してオレは一度頷いてから切り出した。

「さて今後の予定だが……」
「3月に皐月賞のトライアルと、毎日杯の予定だよね?」

 ミラクルバードの確認に、オレは思わず渋面を浮かべた。
 それに気付いたミラクルバードは気まずそうに苦笑する。「あれ? やっちゃった?」と言わんばかりだが、オレは心の中で「うん。やっちまった」と答えておく。

「毎日杯は……出ない」
「「え?」」

 渡海とオラシオンが驚く。
 そして研修生でオレに逆らおうとしない渡海はともかく、オラシオンは不満を露わにした。

「なぜですか? 今はクラシックレースに備えて一つでも多く走り、経験を積んで研鑽に努めなければならないはずです」
「お前の頭はそう判断しているかもしれないが、体の方はついてきていないぞ」
「……どういうことでしょうか?」

 戸惑うオラシオンに対し、オレはデータを見せつけた。
 初勝利した2戦目のときと、阪神ジュニアステークスのときのもの、そして前回のシンザン記念もの。
 手渡された彼女は、それを見比べている。

「シンザン記念では明らかに調子が落ちていた。それは自分でもわかるだろう?」
「……確かに、調子が落ちていたのは認めます。でも2月はレースがありません。そこで休めば、トライアルに備えるためにも──」
「焦るな、オラシオン。三冠最初の皐月賞は4月でそのトライアルは3月。そして毎日杯は3月の頭だ。2月休んでも3月に無理をすれば意味がない。本番の皐月賞やダービーに疲れを残さないためにも、ここは無理をするところじゃないんだ」

 オレの言葉にオラシオンは疲労している自覚があるのだろう、さらなる反論をしてこなかった。
 だが納得した様子はない。不満げにこちらをじっと見ている。
 彼女の状態がそうなってしまったのはオレに責任があるしな。

「11月に2戦走ってから12月の頭にGⅠを走り、少しスケジュールが過密すぎたな。そのシワ寄せが今来ているんだ。これは完全に……オレのミスだ」

 オレが「すまなかった」と頭を下げたが──オラシオンはそれを黙って見ているだけだった。

「もしもケガなんてことになれば、ダービーを制覇するというお前の夢も露と消えてしまう。だから……ここは我慢だ、オラシオン」

 怪我という言葉に、彼女はピクッと肩を震わせた。
 そしてチラッと一瞬だけ視線を車椅子のウマ娘に向ける。
 オレはあえてそれを無視して、渡海の方を見た。

「2月の半ばまでは疲れを癒すための調整をして、後半は3月のトライアルに向けて仕上げていくことになるから、それを念頭に入れてトレーニングするようにな」
「はい。わかりました」

 渡海が素直に頷いたのを確認し、今度はミラクルバードを見る。

「で、お前はオラシオンの食事もよく見てやってくれ。体に気をつけさせるように」
「うん。ボクの将来のためでもあるからね」
「将来のため?」

 首を傾げる渡海に、ミラクルバードは満面の笑みを浮かべて答えた。

「うん! トレーナーのお嫁さんになるんだ!」
「──オイ」

 思わず低い声でツッコむオレ。
 あのなぁ、ミラクルバード。そういうの本気でやめてくれないかな。冗談が通じ合い相手も多いんだぞ?
 特にウチのチームは──ダイユウサクとかダイナとか、な。

 ……そしてオラシオン、お前も真に受けてオレをジト目で見るんじゃありません。



 

 ──2月の頭。

 

 私──シャダイカグラは京都レース場の走路で、出走時間になるのを待っていた。

 観客席には担当してくださっている奈瀬トレーナーの姿もある。

 そこへ近づいた私に、彼女は──

 

「なにも心配ないよ、カグラ。キミは自分の力を信じて走るだけでいい」

 

 そう言って自信のある笑みを浮かべていました。

 それを証明するように、今日の私は1番人気。

 そして2番人気は、先日このレースに出走すると私とあらかじめ話していたライトカラーだった。

 

(奇遇よね……)

 

 私が1番人気で、彼女が2番人気だなんて。

 今回のレースはオープン特別。重賞のすぐ下にあたるほどのレースでそれだけの人気を集めていることに、私は喜びと……少しだけの不安を感じていた。

 

「なにか気になることでもあるのかい?」

 

 私のわずかな表情の変化でそれに気付いたトレーナーが訊いてくる。

 その辺りはさすが“天才”と言われるトレーナー。

 そういう細かいところに気が付くからこそ、そう呼ばれるのかもしれない、と私は思った。

 

「……不安、というほどじゃないんですけど。なんかちょっと……もし、もしも負けたら……って思ったら……」

「なるほど。プレッシャーを感じているんだね」

 

 そっか……これがプレッシャーなのね。

 今日の私は圧倒的な支持を受けている1番人気なのよね。2番人気のライトカラーよりもずっと注目されてる。

 そう。勝って、当たり前……

 もし……もしもよ? 私が負けたら……

 

「仮にキミが負けても、確かにファンはガッカリするだろう……でも、それだけだよ」

「そ、それだけって……」

「命が取られるわけでも、そこで人生が終わるわけでもない。このレースではトリプルティアラへの道が絶たれるわけでもないんだ。本番ではないんだし、挑戦権を得る機会はまだまだある」

 

 そう言ってトレーナーは微笑を浮かべます。

 

「夢も命も人生も、そこで終わるわけじゃないんだ。だからそこまで自分を追い込むことはないよ、カグラ」

「は、はい……」

 

 私はそう答えて……大きく深呼吸をした。

 そうよね。オープン特別だっていうのに、思い詰めてる場合じゃないわ。

 でも、同時にチラッと思うのよ。

 もしもこれが大きな舞台で、そこで1番人気になったら……そして、にも関わらず勝てなかったら。

 頭をよぎったのは──サンドピアリスの先輩達。

 彼女たちが栄光を掴んだ裏で、負けた大本命達はどれほど打ちのめされただろうか。

 

「あの、トレーナー……一つ、変なことを訊いていいですか?」

「変なこと? 聞きましょう。レースに集中を妨げるわけにもいかないからね」

「〈アクルックス〉……あのチームを、あのトレーナーをどう思いますか?」

 

 私が尋ねると、「なんで今そんなことを?」といった感じで少し驚いた様子でしたが、ちょっと考え込んで答えてくれました。

 

「油断ならないチーム、というの正直なところかな。確かにオラシオンを除けば、明らかに“強い”ウマ娘は見あたらないと言っていい。でも目を離すと──あのチームのウマ娘は忽然と現れる。例えるのなら、まるで輝きの見えない凶星だよ。今日のキミのような本命からすれば、本当に怖いチームだね」

 

 そう言って苦笑する奈瀬トレーナーに、私は思わず「はい」と頷いていた。

 

「それとトレーナー……乾井クンだったかな? 彼はそうだね……」

 

 奈瀬トレーナーは視線をうつむかせて、少し考えます。

 

「……“穴”のウマ娘といえば僕にも覚えがある。スーパークリークは菊花賞の時は期待されていなかったんだ。抽選でどうにか枠に入れたくらいでね……」

「そうだったんですか?」

「ああ。それでそのときに取材された僕は『0.1%でも可能性があれば諦めない』と答えた」

「それって、奈瀬トレーナーと乾井トレーナーは同じ心構えでいる、ということですか?」

「いいや、違うよ」

 

 そう言ってトレーナーは首を横に振る。

 

「彼はハッキリ言って0.1%とかも考えていないんじゃないかな。そしてきっと出走するウマ娘全員に平等に勝つチャンスがあると思っている。もちろんそれはある意味正しいことだよ。極端な話、他の全員が転倒してケガでもしたらどんなに実力がないウマ娘でも勝つんだからね」

 

 苦笑しながら「勿論、そんなことはありえないけど」と注釈を入れるトレーナー。

 それに私は──

 

「だから重賞でデビューなんて無謀なことを……」

 

 思わずつぶやいてしまうと、トレーナーはそれが聞こえたみたいで厳しい顔になりました。

 

「あれは違うよ。まだ彼が未熟で、ただ担当しているウマ娘を制御できなかっただけの話さ。あのときの彼は勝つことさえ考えていなかった」

 

 あのとき担当していたのはヒラのレースでも負ける程度の実力しかないウマ娘だった、とトレーナーは言いました。

 むしろ負けさせて鼻っ柱を折ろうとでも考えていたのでは? と考察し、そのウマ娘のワガママな気性を押さえられずに、結果的に重賞に出す羽目になった、と結論づけます。

 

「でも今の彼は違う。彼が担当ウマ娘をどんなレースにでも出したのなら、必ず勝つことを考えているはずさ」

「本当に、言い切れるでしょうか……」

「人もウマ娘も、失敗を経て学ぶものだよ。しかもあれほどの大失敗をしたんだから学ばない方がおかしい。実際、今のチームを担当するようになってからはあきらかに変わったよ。彼は人気を気にすることなんて無意味、と思っているかもれないね」

「人気が無意味、ですか……?」

「ダイユウサクやレッツゴーターキンの走りを見れば明らかだよ。彼女たちはどんなに人気が低い──勝ち目が薄くとも勝利を信じて走っていた。その結果がアレというわけだね。それに、それでプレッシャーを感じなくなるのならその方がいいのかもしれない」

 

 苦笑した奈瀬トレーナーは、「まさに今のキミみたいにね」と付け加えた。

 そうよね。他のウマ娘たちは“0.1%でも可能性があれば諦めない”でしょうし、出走するウマ娘すべてに勝つ可能性があるのも確か。

 

(なら……気にする必要なんてないわよね)

 

 そう、私は実力を発揮して、全力で走るだけよ。

 それに負けたくない相手もいるし。

 私は明るい栗毛の髪のウマ娘を見る。

 そして──不意に振り向いた彼女と目があって、不適に笑みを浮かべるのが見えた。

 

(負けないわよ、ライトカラー……)

 

 彼女に向かって私も同じように──不適な笑みを返してあげた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そしてレース──エルフィンステークスは始まった。

 

 先頭を走るウマ娘を、カグラちゃんとカラーちゃんが追いかけている。

 二人は並ぶように走って──ついに先頭のウマ娘を追い抜いた。

 

「わぁ!!」

 

 わたしは声を上げ、思わず椅子から立ち上がる。

 チームの部屋のテレビで中継を見ていたんだけど……最後の直線で並んだ二人に思わず感激しちゃった。

 

「スゴい! スゴいよ二人とも!! がんばれ! がんばれ~ッ!!」

 

 どっちもがんばれ!

 わたしはそう思って声援を送る。

 そして併走する二人の視線がぶつかり合い──そして、どっちもわたしが見たことの無いほどの鋭さになった。

 

「──ッ!!」

 

 その迫力に、わたしは思わず圧倒される。

 その気迫は、絶対に負けないという意地の顕れだった。

 

「そっか……」

 

 二人とも──勝ちたいんだ。

 わたしは今日のレースで2人が一緒に走ると聞いて「うらやましい」と言っちゃった。

 でもそんなことは、ないんだ。

 だって──このレースの勝者は、当たり前だけどたった一人しかいないんだから。

 

(カグラちゃんも、カラーちゃんも、負けたくないんだよね。勝ちたいんだよね)

 

 視線をぶつけ合い、バチバチと火花を散らせながら走り、競い合う2人。

 その苛烈な戦いにわたしは──完全に引き込まれていた。

 

(そうだ……これが“競争”なんだ……)

 

 2人と友達だからこそ、仲良くして欲しいと思う。

 でもそんな2人が競う真剣勝負が、わたしにはとても尊いものに見えていた。

 

(こんなにも2人は一生懸命で、こんなにも見る人に手に汗握らせるなんて……)

 

 まさに()()戦い。

 その息をのむような2人の激闘は──徐々に両者の勢いに差が表れてくる。

 前を走るウマ娘が自信を得てさらに加速し、後ろのウマ娘は必死に追いかけるが決壊した均衡は時間の経過とともに明確な差となって両者の距離を引き離していく。

 そして……ゴール板の通過を以てレースには完全に幕が下ろされ、無情にも2人を勝者と敗者に区別した。

 1着と2着の差は、実に5バ身。1着の圧勝といえる結果だった。

 その勝者となったのは──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「カグラちゃん……」

 

 シャダイカグラ。わたしのルームメイトで、ちょっと厳しいウマ娘。

 彼女が満面の笑みを浮かべて両手を大空へ向かって突き上げる。

 そして負けたのが、ライトカラー。

 でも、それでも結果は2着なんだから──

 

「……カラーちゃん」

 

 画面に映った彼女の顔を見てわたしは絶句した。

 普段は明るく笑顔を絶やさないライトカラー。

 そんな彼女が一切見せたことのない、涙を溢れさせんばかりに悔しそうなものだった。

 

「これが、“競走(レース)”なんだ……」

 

 もちろん、ただ一緒に走るわけなんかじゃなかった。

 そして単純に順位をつけるために、走ってるわけでもない。

 カグラちゃんも、カラーちゃんも……絶対に譲れない意地をぶつけ合って、競い合ってた。

 だから、だからこんなにも見ている者達を、熱くさせるんだ……

 

「やっと、わかった……」

「あん?」

 

 わたしがポツリと言った言葉に、隣で見ていたダイナ先輩──ギャロップダイナさんが訝しがるようにこっちを見た。

 去年の年末にわたしをスカウトしてくれたトレーナーのチーム、〈アクルックス〉。そこに所属していて、あのスッゴい会長に勝ったことがあるっていうウマ娘さん。

 

「ねぇ、ダイナ先輩……」

「どした? ちびっ娘」

「わたし……怖い」

「は? なにがだよ。まさかこの優しい優しいダイナ(ねえ)さんが、なんて言わねぇだろうな?」

 

 少しあわてた様子で、おどけたような口調で言うギャロップダイナさん。

 それを傍目でいていたロンマンガンちゃんが、密かにジト目で見てる。

 

「あれ? ダイナパイセン……ひょっとして、ちょっと傷ついてません?」

「言わないであげなさいよ。本人、気にしてるんでしょうから」

 

 ロンマンガンさんにそう言ったダイユウサクさんを見て、ダイナ先輩のこめかみに青筋が立った。

 

「オイ、ロンマンにダイユウサク……おめーらがケンカ売ってんのはよくわかったわ」

「ほらほら、落ち着いてパイセン。そういうケンカっ早いところですよ。ピアリスに怖がられんの。ほら、ニコッと笑って笑って──」

「いや、今のどう見てもニコッじゃなくて、ニヤッでしょ」

「おめーらなあぁぁぁ!!」

「違うよ、ダイナ先輩。わたしが怖いのは……」

 

 2人に食ってかかろうとしたダイナ先輩をわたしは慌てて止めた。

 そして……テレビを指さす。

 テレビそのものではなく、そこに映っている映像……それこそ今、わたしが怖いと感じたものだった。

 

「レースってこと? いや、ピアリス……アンタ今さら何言っちゃってんの?」

 

 ロンマンガンちゃんが眉根を寄せて訊いてくる。

 うん、彼女が眉をひそめるのも当然だよね。わたし……今まで競走を全然理解してなかったんだから。

 

「今のレース、別に怖がるような要素なんてなかったでしょうに。ぶつかり合いもなかったし、コケて怪我するのも──」

「ロンマン!」

 

 ダイユウサク先輩が注意して、ロンマンガンちゃんの言葉を遮った。

 そう、うちのチームではレース中に転んじゃってケガする話題は、仕方ない場合を除いて禁忌(タブー)です。

 

「……スンマセン」

「本人もいないし、あの調子で気にしてないって言うから忘れがちだけど、ちゃんと気にしなさい。で、ピアリス……どういうことなの? 走るのが怖いわけないと思うけど、誰かと一緒に走るのがってこと?」

「ううん、違う。みんなで一緒に走るのは楽しいよ。それにさっきのレースだってスゴいと思った。さっきのカグラちゃんとカラーちゃんが走る姿を見てたら、スゴく体が熱くなったんだから……」

「で、そいつがどうして怖いって発想になったんだ?」

 

 興味なさそうにそっぽを向いていたダイナ先輩が、視線だけをこちらに向けて訊いてくる。

 

「あの争い(レース)に、わたしも参加することになるんだって思ったら、急に怖くなってきちゃって──」

「剥き出しの闘争心にビビった、ってわけか? それならレースなんてやめちまった方がいい。楽しく走れるうちにな」

「ちょ、アンタ何言って──」

「……たぶん、違う」

 

 乱暴なダイナ先輩の言葉に抗議してくれたダイユウサク先輩。

 でも、わたしの感情はダイナ先輩の指摘とはちょっと違ってるように思えた。

 そう感じて思わず言ったわたしの言葉に、先輩二人は促すようにこっちを見ていた。

 

「カグラちゃんとカラーちゃんは、性格が違うけど仲良しなんだよ? 今日のレースでカグラちゃんは勝ってすごく嬉しそうだった。でも、負けたカラーちゃんは……」

競走(レース)で勝者敗者が出るのは当然だ」

「うん。だから……カラーちゃんと、カグラちゃん……もう、仲良くできないのかなって──」

「……え? そんなこと?」

 

 わたしが言うと、ギャロップダイナ先輩が心底驚いた様子で目を丸くしてました。

 あれ? わたし何か変なこと言ったかな……

 

「だって、あれだけ一生懸命がんばって走って、絶対に負けたくないって思って……それで負けちゃったら、相手のこと嫌いになっちゃうかもしない。もしもカグラちゃんやカラーちゃんと競走して、嫌いになるくらいならわたし……」

「なんでそんな発想になるんだよ──」

 

 舌打ちをして。ダイナ先輩が不機嫌そうに頭をガシガシと掻いています。

 やっぱり変なことを言ってしまったみたい……

 でもそんなダイナ先輩の反応を見て、ダイユウサク先輩があきれたようにため息をついたんだ。

 

「あのねぇ、ダイナ先輩。ピアリスがそう思う原因の半分くらい、アンタにあるわよ」

「はぁ? なんでだよダイユウサク……」

「ことあるごとに会長の悪口言ってるでしょう? アイツとかあのヤローとか……そういうのをピアリスが聞いて、アンタと会長が仲悪いって思って、その原因がレースにあると思ったんでしょ?」

「あ? アイツと仲悪いのは本当だろうが。あのヤロー、負けた後はジャパンカップとか有で、あたしみたいな弱小ウマ娘を目の敵のようにしてきやがって、まったく大人げないったら──」

「パイセン、そういうとこッスよ。そういうとこ……」

 

 ロンマンガンちゃんがジト目でダイナ先輩を見てる。

 一方、ダイユウサク先輩は相変わらず少しあきれた顔でさらに言う。

 

「会長の方は別に嫌ってないみたいだけど? 前に聞いたときは、爽やかに『いいライバルだった』とか言ってたもの。それに『彼女は仲間思いの良いウマ娘だ』ともね。『安田記念を取ったのも、走れなくなった彼女の分まで走ると──」

「だあぁぁぁもう! ヤメヤメ!! その話ぜってーするんじゃねえぞダイユウ!! あたしのイメージが壊れんだろうが! だいたいそう言うお前だって、未だにマックとまともに話せねーだろ」

「そ、それは……マックイーンが……」

 

 ダイナ先輩に言われてしどろもどろになるダイユウサク先輩。

 やり返せてとりあえず満足した様子の先輩だけど……見ているわたしに気がついて、面倒くさそうにため息をついた。

 

「……ピアリス、この後のトレーニングは中止な」

「え? でも、予定ならこの後も──」

「お前に見せたいもの……いや、お前が見ないといけないものがある。これからトゥインクルシリーズで走るために、な」

 

 そう言ってダイナ先輩は、今日のこの後のコース使用予定を全部キャンセルしに行っちゃった。

 えっと……やっぱり変なこと言っちゃったのかな? わたし……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

『♪響け、ファンファーレ~! 届け遠くまで~!!♪』

 

 ギャロップダイナ先輩が、わたしに見せようとしたもの──それはウイニングライブでした。

 その様子をわたし達はチーム部屋から、ウマチューブの公式生配信で見ていました。

 エルフィンステークスを見事に勝ったシャダイカグラちゃんがセンターを務め、それ以外の娘たちはまるで彼女をひきたてるように踊っているんだよね。

 

「わぁ……」

 

 もちろん、ウイニングライブを見たのはこれが初めてじゃないけど、それでも知っているウマ娘──それも同級生で、ルームメイトのよく知っている顔がそこにある。

 デビューしてから何度も勝っているカグラちゃんのライブも初めて見るわけじゃない。

 でもそこに驚きや戸惑いと共に、その座が身近にあるとも感じてしまうわけで──

 

(わたしも、あの場所に……)

 

 自然とそう思えてきちゃう。

 でも……カグラちゃんの周囲を踊るウマ娘たちを見ていると──少し悲しくなってくる。

 だって、遅くて弱いわたしはきっとそちら側になるはずなんだから……

 

「おい、ピアリス。もっとちゃんとよく見ろ」

 

 思わずうつむいてしまったわたしに、ダイナ先輩が声をかけてきた。

 反射的に顔を上げたけど──目に入る光景は、画面に映る映像は変わらない。

 スゴく輝いているカグラちゃんと、それとは対照的に目立たない他の()たち……

 そのコントラストを見ながら──曲は、終わりました。

 そこで「ふう」と一息ついたダイナ先輩が、わたしを見てきます。

 

「お前、さっきレースで負けたら仲が悪くなるって言ってたけど……そう見えたか?」

「え……?」

「今のライブだよ。確かに1位のウマ娘が目立つ。だがそりゃあ当然だ。1位になった()()()なんだからな。でも……他のヤツらは足引っ張ってたか? 嫌々踊ってたか? そんなヤツ、一人もいなかっただろ?」

「あ……」

「2着だったライトカラーだったか? アイツもシャダイカグラのミスをフォローしてたぞ。それに対してシャダイカグラもきっちり感謝していたみたいだしな」

 

 わたしの隣で、テーブルに肘をついて座ってみていたダイナ先輩が「ほら」と顎でステージ上を示して──その先では、カグラちゃんとカラーちゃんが仲良さそうに笑顔で手を取り合ってる。

 その姿は、間違いなくいつもの──ううん、いつも以上に仲のいい二人に、わたしには見えた。

 そうして見ていると──「ん」という声と共に、わたしの目の前にスマホが差し出されました。

 思わず「え?」と戸惑いながら差し出してきた相手を見ると──視線を逸らしたままのダイナ先輩でした。

 

「見ろ。別のウィニングライブだけど──」

「え? あ、はい……」

 

 それは少し前のウィニングライブの映像で──センターに立っているのは、わたしのすぐ目の前にいるウマ娘さんでした。

 

「あ、あのこれ……」

「あの“皇帝”サマがセンターを務めていない貴重な映像だぞ?」

 

 少しだけ顔を赤くしたダイナ先輩が、照れ隠しなのか苦笑しながらぶっきらぼうに言って……スマホで流れる画像ではギャロップダイナ先輩の後ろでシンボリルドルフ会長が踊っていたのです。

 そしてライブで流れている曲は『NEXT FRONTIER』。

 そう、このライブは……あの秋の天皇賞のものでした。

 

 そして──

 

「センターなんて、いつもダートの小レースばかりだったからな。こんな大舞台で務めるなんて考えちゃいなかったんだ。アタシもビジョウもレースに勝つことは考えてたけど、その後のことを完全に忘れちまってた……」

 

 そう言って懐かしそうに苦笑する先輩。

 

「あたしのパフォーマンス、ヒドいもんだろ? ルドルフは、それに気がついてくれてな……アイツがフォローしてくれたおかげでなんとか形になって、恥をかかずにこなせたってワケだ。アイツにはどんなに感謝してもしきれねえよ。あたしの一世一代の晴れ舞台を台無しにせずに済んだんだからな」

 

 苦笑を笑みに変えて、ダイナ先輩はそう言った……

 ……んだけど……

 

「で、このあたしが珍しく素直に『ありがとう』って感謝してやったら、あのヤロー『気にするな。当然のことだ』とか上から目線で言いやがって……アイツ何様のつもりだ、あたしに負けたクセによ! あ? 当然ってなんだよ当然って! 当然、あたしが失敗すると思ってたってことか? ああ!?」

 

 えっと……良い話で終わるんじゃなかったのかな、これ?

 わたしがぽかーんと見ていたら、その視線に気がついた先輩は我に返り、「んん!」と咳払いを一つする。

 

「あたしだけじゃないからな。ビジョウから聞いたけど、ダイユウサクも有記念じゃ無理しすぎて足がガクガクで、マックとネイチャがだいぶフォローしてくれたらしい」

 

 ダイユウサク先輩と、メジロマックイーンさんやナイスネイチャさんは学年さえ違っています。

 それでも異変に気がついた彼女たちは手助けしてくれたそうで……

 

「なぁ、ピアリス。“競走”は戦いや喧嘩じゃないんだぞ。勝者を称えるのは当たり前だし、勝者も他に敬意を払わないといけない。勝負を通じて生まれる友情もあるしな」

 

 ステージの方を見ていた先輩は、わたしの方を振り向いて──

 

「だから……仲が壊れることなんて無い。心配すんな」

 

 そう言ってわたしの頭の上に、手をポンと乗せたのです。

 

「素直に言えよ。レースに出て、勝ちたいってな」

「は、はい! わたし……勝ちたいですッ!!」

 

 わたしは思わず反射的に答えてた。

 でもそれはわたしの本心だし、それを取り下げるつもりもない。

 そして何よりも──カグラちゃんとカラーちゃんのライブを見て、わたしもその輪に入りたいと強く思った。

 センターの座を巡って一生懸命走って競い、そしてその後は“ノーサイド”の心で協力してウイニングライブを行う。

 

(これがトゥインクルシリーズ。これが、ウマ娘の競走(レース)……)

 

 勝てなくても恐れる必要なんてないし、勝ってももちろんそう。

 推薦されて進んできたこの道だけど、改めてわたしは思った──“レース”がしたい、と。

 

「トゥインクルシリーズを、走りたいですッ!!」

 

 そんなわたしの宣言。

 そしてそれを聞いたダイナ先輩は、いつも通りにニヤッと笑みを浮かべた。

 

「よし言ったな。ならあたしがお前を勝たせてやるぜ、サンドピアリス」

 

 その頼もしい笑みは、あのトレーナーさんと同じように見えて、にわたしは大きく頷いていたのでした。

 

 

 ──そしてわたしのデビューが、来月に決まったのです。

 




◆解説◆

【トゥインクルシリーズに尻込まない!】
・元ネタ無し。
・ピアリス回のタイトルは「(〇〇に)~ない!」というルールで行こうかと思います。

毎日杯
・1954年に創設された、4歳(現3歳)限定の重賞レースで、グレードはGⅢ。
・しかし優勝馬が優先出走権とかそういう優遇措置が得られるレースはありません。
・ただし、クラシックレースを占う大事な前哨戦として重要視されています。
・創設から1970年まではダービー後の6月に開催されていたのですが、71年からは3月開催に。
・なお、最初のころは主に3月頭の開催でしたが、1987年からは3月後期に開催が主になっています。
・小説『優駿』のころは3月頭に開催していた時期なので、オラシオンはシンザン記念→毎日杯(未出走)→皐月賞トライアル→皐月賞という順での出走(予定含む)で描写されています。
・今では皐月賞トライアルレースよりも早いか同時期での開催になっているので、ちょっと辻褄が合わないかもしれませんが、そこは御愛嬌と言うことで。
・『優駿』でオラシオンが回避した理由は、同じように調子が悪かったからです。

エルフィンステークス
・1983年に創設された、4歳(現3歳)牝馬限定のオープン特別レース。
・なお、エルフィンは英語名の「小さな妖精のような」が由来と。
・基本的に京都競馬場の芝コースで開催。距離は最初1400で創設、3回・4回と2000で開催された後は、基本的に1600での開催になっています。
・なお、今回のレースは1989年の開催がモデル。
・晴れの良馬場。
・9頭立て。1番人気はシャダイカグラで2番人気はライトカラーでした。


※次回の更新は6月23日の予定です。  



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第43R あのウマ娘に違いない!


 ──3月になった。

 トレーナー部屋でオレはパソコンとカレンダーとにらめっこをしながら、考えを巡らせていた。

(年明けから、あっという間だったな……)

 2月というのは他の月よりも3日少なく、きっちり4週で終わる月。場合によっては週末が5回ある月と比べると“落ち着いている”というイメージが強い。
 そして今年の2月もその例に違わず──レッツゴーターキンは休養中であり、オラシオンが毎日杯を回避して復調に専念したので〈アクルックス(うちのチーム)〉にとっても比較的大人しい月になっていた。

「……だが、今月は違う」

 オレは思わずつぶやいていた。
 3月になれば、クラシック戦線が本格化してくるからだ。
 オラシオンも月頭の毎日杯は回避するが、来月の皐月賞に向けてトライアルレースへ出走する予定になっている。
 それにレッツゴーターキンも春の重賞戦線に備えて復帰する予定だ。半ばの阪神大賞典を復帰戦に見据えて調整しており、ジャパンカップと有記念で勝てなかったのもあって、目の色を変えて調整に励んでいる。

(アイツにとっての本命はもう少し先だが……)

 そして他の二人のクラシック世代も、来月の皐月賞や桜花賞に間に合わずともその後のレースを照準に合わせてアクセルを吹かしていかなければならない。
 いすれにしても、今月は非常に重要な月になる。

 その一つが──サンドピアリスのデビュー戦だった。

 去年の12月にチームに入った彼女。
 小柄で、同学年と比べても小さい体の彼女に対し、オレは不安を持っていた。
 それは体躯よりも、彼女の心構えに関してだ。
 精神的に幼くさえ感じる彼女は、闘争心というものが欠如していた。

(あの気弱なターキンだって“レースで負けたくない”という気持ちは強いからな)

 競って走ったり勝つのが楽しいのではなく、他のウマ娘と一緒に走るのが楽しい。そんな彼女だったのだが──先月の半ば辺りから急に変わった。
 ダイナが言うには目標ができたから、らしいんだが……ともあれ、彼女の成長は著しく、そこからグングンと伸びた。

(……体は小さいままだけど、な)

 ともあれ、その成長の成果をもって、ギャロップダイナが進言してきたんだ。
 アイツをデビューさせてくれ、と。

 3月頭の阪神レース場で開催されるメイクデビュー戦で、彼女はついにデビューすることになったのだ。



 

 ──当日は、あいにくの雨だった。

 

「ダートの場合、雨だとバ場を読むのが難しくなりやがるからな」

 

 チームで唯一、帯同したギャロップダイナが空を見上げながら言う。

 サンドピアリスのデビュー戦は阪神での開催のため、チーム全員でくることはしなかった。

 なにしろ今月は重要なレースが目白押しだ。ターキンもオラシオンもレースが近く、調整のために余裕はない。

 

(本当なら、みんなで応援してやりたいところだが……時期が悪かった)

 

 最年少で、しかも小柄なサンドピアリスはチームのみんなから優しくされる妹のような存在になっている。

 だからデビューを阪神レース場にしたときに、他のメンバーからオレが怒られたほどだ。

 

(みんなの気持ちは分かるが、ダイナの申し出からここまで時間がなくて阪神しかなかったんだよな……)

 

 なにしろダイナは「他からいい影響を受けてるからデビューを急ぎたい。今の調子もいい。だからなるべく早い開催で」と急かしてきた。

 それで探したんだが、関東でのダートのメイクデビュー戦を探したが、すでに枠が埋まっていたりして、阪神のレースになったのである。

 

「普段はサラサラで脆いダートのバ場も、雨が降れば締まって固くなる。普段よりも反発が強くなるからタイムが良くなることもある。だが量が過ぎれば泥状になって、今度は逆にスリップだ。強く踏み込むか慎重に行くか、その見極めが必要になる……」

「で、今日のバ場状態はどうなんだ? ダートのベテランさん」

 

 ダイナの注釈にオレが返すと、彼女は苦笑した。

 そして「一応は芝のGⅠウマ娘で、ダートの実績は全部オープン前だぞ……」と呟きながら、空とコースを見比べる。

 

「この調子なら、(やや)重ってところで落ち着くだろ。思いっきり踏み込んでいける状態になるはずだ」

 

 そう言って浮かべた彼女の微笑は、なんだかとても頼もしく見えたのだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──メイクデビュー戦や未勝利戦は、早い時間での開催が多い。

 

 その例に漏れず、サンドピアリスのデビュー戦も昼過ぎという早い時間での開催だったわ。

 土曜日開催だし、明日は日曜なんだからその日を休みにして日帰りで──なんてプランもあったんだけど、トレーナーに「金がかかりすぎる」と却下されたのよね。

 

(本当にケチなんだから……)

 

 アタシ──ダイユウサクやターキン、それにシオンといったデビュー済みで勝利を挙げてるメンバーなら、そのお金くらいは持ってるのに。

 まぁ、ターキンは来週、シオンもそのさらに翌週に出走予定があるし、特にターキンは間近に迫ってるから、そんな余裕もないもないのでしょうけど。

 

(ちょっと、根を詰めすぎている感じもするけど)

 

 確かにここ二戦のGⅠは不本意な結果だったから、グレードの下がった重賞にかける気持ちは分かるんだけど……

 アタシは集まったチーム部屋の、隣に座っているターキンの顔をチラッと見る。

 疲れているように、見えなくもない。

 でも今は食い入るようにチーム部屋に置かれたテレビを見つめていた。

 

「……なにも、ここでみんなで見なくてもいいんじゃないスかね? メシ終わったし、午後も練習でしょ?」

「なら、アンタだけウォーミングアップでも始めていなさいよ、ロンマン。これ見終わったらすぐに午後の練習始めてあげるから」

「御無体な……」

 

 こうしてチーム部屋のテレビの前に集まっているのはアタシとターキンだけじゃなかった。

 アタシが面倒を見てる後輩のロンマンガンは、休憩時間が同じなので当然のようにいるし、それ以外にもオラシオンと渡海研修生の(チーム)もこの時間に合わせて休憩時間にしたらしく、さらにはその組からトレーナーが出張中限定で一時的に離れたコン助(ミラクルバード)と、彼女が見ることになっているレッツゴーターキンもこの場にいるわ。

 そうして結局は東京に居残った〈アクルックス〉メンバー全員がこの部屋のテレビの前に集まったのよ。

 ちなみに──もちろんテレビ中継なんかじゃないわ。あれは午後に開催されるメインレースとかが対象で、こんなに早い時間のレースはもちろん生放送なんてしないから。

 URAがやってる配信サービスを見られるようにしてくれているから、それをチーム部屋のテレビを使って見ているだけ。

 そうして、アタシ達が雁首そろえて注目している中──レースは始まった。

 

「よし! いけッ!」

「が、がんばって……」

「うん! 出遅れずにスタートできたみたいね」

「いや、ピアリスのことだから出遅れるんじゃないかとヒヤヒヤしたわ。とりま一安心……」

「距離が1200ですから、出遅れると厳しくなりますもんね」

「……でも、先頭に立ってますけど、いいのでしょうか?」

「「「「「え?」」」」」

 

 オラシオンの指摘で、アタシ達の視線が先頭を走るウマ娘に集中する。

 中継画像の中で大きな画面は別のウマ娘を映しているので、全体を捉えている上の小さな映像を注目する。

 小さくて見づらいけど、確かに先頭のウマ娘がつけているゼッケンは 番のように見えた。

 

「……他のウマ娘と比べると、思い切りよく走れているように見えます」

「あ、渡海クンもそう見える? だよね。ボクもそう思った」

「え? でも向こう雨降ってんですよね? 足下悪ければ逆に遅くなるんじゃ……」

「このくらいの雨なら逆に走りやすくなるわ。極端な例えになるけど、湿った土の地面と砂浜、どっちが走りやすいって聞かれたらどっちを答える?」

「あ~、それは間違いなく土の地面だわ。なるほど……」

 

 アタシの説明に、ロンマンガンが納得する。

 さすが走ってる数が違うわ、なんてブツブツ言ってるけど──ゴメンなさい、これはトレーナーの受け売りなのよ。

 アタシ、ダート戦の経験はあるけど雨の中では走ったことないし。

 

 ……なんてことをしている間に、レースはとっくに終盤に入ってた。

 

 なにしろ1200の短距離だし、あっという間に最後の直線へと向かっていた。

 アタシ達の後輩、サンドピアリスは相変わらず先頭をキープしたまま走ってる。

 

「がんばりなさい、ピアリス!!」

「うぅ……もう少し、もう少し……」

「ピーちゃん、あとちょっと! 粘れー!!」

「いけッ6番人気!! 上位人気のヤツラになんて負けんな!!」

「ゴールまであと少し、このまま……」

「三女神よ、ピアリスさんに加護を──」

 

 六者六様に声を出して、見入る──約一名、祈りを捧げてて見てないようだけど──アタシ達の前で、ピアリスは……ゴールを切った。

 

「「「「「「おおぉ~ッ!!」」」」」

 

 そんな彼女のデビュー戦勝利に、〈アクルックス〉は一丸となって雄叫びをあげた。

 アタシは思わず隣のターキンと抱き合って喜び、他のみんなも近くの人と手を取り合って喜ぶ。

 小さな彼女が挙げた大きな一勝。

 

(まさか、デビュー戦で初勝利をするなんて……)

 

 うちのチームに来たばかりのころからはとても想像ができなかった。

 しかも来たのは去年の12月だったんだから。

 驚くと同時に、感慨深い。アタシ達の歓喜の輪はまだまだ収まることを知らず──隣のチームから「うるさい!」と怒られるまで続いた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 サンドピアリスが先頭で最後の直線に入るのを、オレは内心驚いて見ていた。

 クラシックレースのトライアルも始まろうとしているこの時期の、メイクデビュー戦のレベルが高いか、と訊かれたら……正直、そうとは言えないかもしれない。

 しかしそれでも、サンドピアリスが先頭に立って走るような展開になるとは予想外だった。

 

「あのピアリスが、よく……」

 

 まるでオレの気持ちを代弁するような声が、後ろから聞こえた。

 思わず振り返ると、サングラスをかけた女性がレースを熱心に見ていた。

 雨は降ってるし、お昼時だし、そして有力ウマ娘もいないメイクデビュー戦……実際、周囲にほとんど観客はなく、関係者ゾーンにいるオレのすぐ近くに彼女がいる以外は観客はそれほどいない。

 そんな中で、雨が降っているのにサングラスをかけ、そして丁寧におしゃれな帽子まで被り、スーツ姿できめているその女性の姿は、明らかに浮いていた。

 しかし、まばらな観客は彼女を気にする様子もなく、レースの行方を見守っている。

 

「ふむ……」

 

 サングラスで目元が分からないが、それを加味してもかなりの美人だった。

 そしてピシッとしたスーツから分かるスタイルも非常に良い。

 むぅ……さすがにたづなさんには少しだけ劣らなくもないが、彼女と同レベルクラスの美女である。

 

 ──と、その美女に心を奪われかけたオレだったが、ゴールが迫って沸き上がった歓声で我に返った。

 見れば、サンドピアリスは後続に差を付けて、そのままゴール板を駆け抜けようとしていた。

 

「すごい……」

 

 オレの口から思わず言葉が出ていた。

 稍重で締まったバ場を的確に見抜いて行った思い切りの良い踏み込み。その成果はこうして結果となって他と差が付いていた。

 

「ダイナの勘や指導もあるんだろうが、それをモノにできるかどうかは個人の才能だからな」

 

 サンドピアリス(砂の貴婦人)──その名が示すように、ダートの才能はかなりのもので間違いないようだ。

 ま、それを見抜いていたのはオレなんだが……

 

「圧倒的ですね、サンドピアリス。あんなに小柄なのに……」

 

 再び聞こえた後ろからの女性の声に、オレは再度振り返った。

 今度は彼女と濃いサングラス越しに目が合う──というか瞳がよく見えないので合った気がした。

 明らかにオレに対して言った言葉だろう。オレがピアリスのトレーナーということが分かっているようだ。

 ともあれ、彼女の賛辞に対してオレは頭を下げた。

 

「ありがとうございます。ジュニアでのデビューこそ間に合いませんでしたけど、これからもっと伸びる()ですからね。これからも応援してあげてください」

「ええ。それはもちろん……」

 

 その御婦人は、そう言って苦笑気味に微笑を浮かべる。

 あれ? オレ変なこと言ったか?

 ……この人、ここまで熱心に見ている上にオレに話しかけてきたんだから、ピアリスの関係者だろうな、きっと。

 というか……オレ、どこかでこの人を見たことあるような気がするんだよな。

 でも、ピアリスの関係者なんて会った記憶が無いんだが……

 

「学園ではでは成績が伸び悩んでいると聞いたから心配していたけど、あなたの名前を聞いたから期待していたのよ」

「え? オレの?」

「ええ。デビュー2戦連続タイムオーバーしたウマ娘をグランプリウマ娘にまで導いたあなたの手腕なら、あの娘もきっと大丈夫だって」

 

 ……この人、いやに詳しいな。

 やっぱりピアリスの親戚、かな?

 

「彼女と同じように有記念を、とは言いません。どうかあの娘をよろしくお願いしますね、乾井 備丈トレーナー」

 

 そう言って、彼女は頭を下げた。

 そしてそうするのが当然の礼儀と──降りしきる雨の中、被っている帽子を脱いだ。

 オレの目に入ったのは、彼女が下げた頭の上にピンと立った……耳。

 

「え……?」

 

 残ったサングラスのせいで、その顔の全容はわからない。

 でもオレは、確信する。

 オレは彼女──このウマ娘を見たことがある。

 それも何度も何度も、だ。

 どうして今まで気がつかなかった、と自分を責める一方で、でも、頭のどこかで「そんなはずがない」「ここにいるはずがない」と否定する自分もいる。

 そうしてオレの思考が長考(フリーズ)しかけていた、そのとき──

 

「本来なら、これも外して頭を下げるべきなのですが……それをしてしまうと大騒ぎになってしまうので、許してくださいね」

 

 そう言って彼女は頭を下げたままサングラスを下げて瞳を覗かせ、睨目上げるような上目遣いでオレを見て──悪戯っぽい笑みを浮かべたのだ。

 

「──ッ!!」

 

 オレは確信した。

 というか間違いない。ゼッタイ間違いないって、このウマ娘(ひと)絶対に──

 

「オイ、ビジョウ。いったいどうしたんだ? せっかくピアリスが勝ったってのに──おやぁ? オイオイ、あたしが隣にいるのに、他の女に夢中になるとか、ちょっと許せないよなぁ」

 

 胡乱気にオレを睨んできたのは隣のギャロップダイナ。

 ダイナに見つかる直前に、彼女は素早く帽子を戻し、サングラスも真ん中のブリッジを人差し指でクイッと上げて、元の姿に戻っている。

 まるで、()()ウマ娘なんていなかったかのように。

 しかしオレは──

 

「ピアリスが頑張って結果を出したのに、お前ってヤツは……」

「ち、違う! あれ、あの人! は! はッ…ハッ、ハ──」

「あ? クシャミでもすんのか?」

 

 あまりのことに言葉が詰まって、オレはそれ以上言うことができない。

 だって、仕方ないだろ? 学生時代に憧れた、伝説的存在がオレの前に現れて、お礼を言って、しかも名前まで言ってオレに頼むって──

 思わずバシバシとダイナの肩をたたいて、彼女を指さすことしかできなかった。

 

「ビジョウ……鳩が豆鉄砲くらってノドに詰まらせたような顔してどうしたんだよ? その年増がなにかしたのか?」

「バ、おま──なに言って……」

 

 あの方に対してなんてことを言いやがる!

 いくらダイナでもその発言は許せねぇ!! 彼女への侮辱は、憧れたファン全員への侮辱だぞ。つまりはオレへの侮辱ってことだ。

 それに見ろ! 口は笑みを浮かべてるけど、明らかにこめかみに青筋が立ったぞ。

 

「オマケにこれ見よがしに胸元にバッチなんてつけて……ビジョウお前、権力に媚びへつらうようなマネなんて──」

「相変わらずウワサ通りヤンチャなようね、ギャロップダイナさん」

 

 ダイナの言葉を遮って、彼女は声をかける。

 それにダイナは「あ?」と相手を睨みつけた。

 

「あたしは知らねえぞ、あんたなんざ」

 

 ちょ、ちょっと待てってダイナ。この方に絡んじゃダメ……

 オレが止めようとしてダイナを手で押さえるが、彼女は鬱陶しいとばかりにオレの手を跳ね除ける。

 

「ま、あたしもあの《皇帝》サマを泣かしたウマ娘だから、顔が知られてても仕方ねーけどな!」

「あ、あの、ダイナ……その人、お前よりも……」

「あ? さっきから何だよ、ビジョウ。こいつがあたしよりもなんだって!?」

 

 オレは先ほどからの様子から彼女がお忍びで来ていて、周囲に知られるのは良くないと思い──オレに向けてきたダイナの耳にそっと手と口を寄せて──彼女の正体を教えて上げた。

 

「はあああァァァァァァァッ!?」

 

 ダイナの尻尾が驚いてピンと立つ。

 

「ダイナ! 声が大きい……」

「けどよ、でも……いや、お前、それを早く言えよ~! マジで~!」

 

 ダイナはそう言ってオレの服の袖を掴んで引っ張る。

 そして彼女がクスクスを笑っているのに気がついて──

 

「あの、その……失礼なこと言ってホント、スミマセンでした」

 

 慌ててバッと頭を下げた。

 あのダイナがここまで素直に頭を下げるなんて、やっぱりスゴいウマ娘なんだよな。

 オレがそう思って見ていると、ダイナが肘打ちでオレの脇腹を突いてきた。

 グッと痛みに耐えていると、小声で尋ねてくる。

 

「オイ、なんでこのウマ娘(ひと)がこんなところにいるんだよ?」

「実はピアリスの後援しているのが──」

 

 オレが説明しようとしたところに、観客に応えて手を振るのを終えたサンドピアリスが、オレのところへ来たらしく──

 

「あぁー!!」

「あら、こんにちはピアリス……そして、おめでとう!」

「うん、ありがとう!! トレーナーさんと、ダイナ先輩のおかげで勝てたよ!!」

 

 そう言ってピアリスは自信たっぷりに、彼女に運命的なものを感じてトレセン学園に推薦してくれた偉大なウマ娘に、Vサインをして爛漫な笑みを浮かべるのだった。

 

 あ~、ビックリした。

 今日はオレの方が驚かされたわ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──ふと、昨日のことを思い出す。

 

 それは私──シャダイカグラに架かってきた一本の電話でした。

 今回出走するレースは阪神の開催。それに備えてトレーナーと共に新幹線に乗ろうとしていた時に架かってきたそれは、ちょうど一日前に今の私と同じように大阪へと旅立ったルームメイトからのものでした。

 

「あのね、カグラちゃん! わたし、勝ったよ!! そしたら、あのウマ娘さんも見に来てくれてて、おめでとうって言ってくれたんだよ!!」

 

 耳にうるさいほどの大きな歓喜の声を届けてくれた彼女──サンドピアリスに私は一度はその声量に声をしかめたものの、内容に思わず笑顔になる。

 

「そう。良かったわね」

「うん! だから、わたしもね、きっと出るから……クラシックレースに、トリプルティアラのレースに出るから……一緒に走ろうね!!」

「ええ、待ってるわ」

 

 彼女も、レース後の忙しい合間で架けてきたのでしょう。彼女の言いたいことだけ伝えてその電話は切れてしまいました。

 でも、それで十分──

 

「カグラ、どうしたんだい?」

「私のルームメイトが……勝ったそうです」

「え?」

 

 私がそれを伝えると、奈瀬トレーナーは呆気にとられた様子でその動きが止まりました。

 そして、「ふむ」と考え込んでしまいます。

 

「サンドピアリス、だったね? あのときの……」

 

 私は以前、トレーニングで彼女と併走することをトレーナーに頼んだことがありました。

 だからそのときにピアリスのことを見ているはずなのです。

 そしてあのときの彼女はまだチームに入る前の未所属な状態でした。

 でもそれは去年の11月──今から4ヶ月前のことです。

 

「あのウマ娘が、メイクデビュー戦とはいえ勝てるほどになっていたとは……」

 

 やっぱりあのときの実力を覚えていた奈瀬トレーナーは純粋に驚いていたようでした。

 でも奈瀬トレーナーが意外に思うほど、確かにピアリスの実力は低かったもの。

 

「ちなみに彼女のチームは?」

「〈アクルックス〉です」

「……なるほど。それで、キミはあのとき僕に印象を訊いてきたのか」

 

 合点がいった、というように頷く奈瀬トレーナー。

 

「やはり油断ならないチームだったというわけだね。やはりまさに《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》だよ、彼は。箱の中に仕込んだもので予想外のことを起こしてくれる。おかげで──」

 

 奈瀬トレーナーは私のことをジッと見つめてきました。

 

「キミのやる気もずいぶんと上がっている。違うかい?」

「はい……ピアリスに言われました。トリプルティアラのレースで一緒に走ろう、と」

 

 私が苦笑しながら言うと、奈瀬トレーナーも「フフ……」と微笑を浮かべます。

 

「では、負けていられないね。その切符を掴んでこようじゃないか」

「はい。トレーナー!」

 

 私は意気軒昂として、阪神レース場へと向かい、そして──

 

 

『これは強い。シャダイカグラ、一人、また一人と抜いてついに先頭に立った! そしてグングン差は開いていく!!』

 

「──バカな! 高貴で美しいこのボクが追いつけないなんて!!」

 

 そんな声が後ろから聞こえたけど、私は意に介さずにさらに加速する。

 そうして私は先頭でゴール板の前を駆け抜け──

 

『今、ゴオオォォル!! シャダイカグラ、ペガサスステークスを見事に制しました。まさに始まろうというクラシック戦線の台風の目になることでしょう!!』

 

 私は同世代の集まる重賞を制し──桜花賞へ挑戦する。

 どう? ピアリス……私はトリプルティアラの一つ目に、いよいよ挑戦するわよ。

 

 あなたも……早く来なさい、この場所に。

 




◆解説◆

【あのウマ娘に違いない!】
・ピアリス回だったはずなのに……全部持っていくウマ娘が。
・はい。間違いなくハイセイコーです。
・サンドピアリスを学園に推薦した彼女は、本作の世界では、最初の国民的アイドルウマ娘となった彼女は現在は国政に携わる国会議員になり、ヒトとウマ娘の架け橋になるために政治家になっています。

サンドピアリスのデビュー戦
・競走馬サンドピアリスのデビュー戦は、1989年3月4日。
・阪神競馬場の第6レース、4歳新馬戦。ダートの1200でした。

デビュー戦で初勝利
・〈アクルックス〉のメンバーはデビュー戦の成績がよくありません。
・ダイユウサクは17秒のタイムオーバーで殿負け、レッツゴーターキンは1着から3秒以上の差を付けられた下から2番目(ブービー)
・架空馬モデルなので結果は作者のさじ加減一つなオラシオンでさえ5着です。
・〈アクルックス〉時代前にはなりますが、乾井の教え子のパーシングもデビュー戦(重賞)は22秒のタイムオーバーです。
・そんな中で、サンドピアリスがデビュー戦を勝利で飾れたのは……やっぱりデビュー戦勝利しているギャロップダイナの指導の賜物でしょう。
・ちなみにギャロップダイナのデビュー戦は芝だったりしますが。

美しいこのボク
・モデルになったレースの2着は、ナルシスノワール。
・そのためこのウマ娘の性格は「ナルシスト」という設定になっています。
・ちなみにそんなナルシスノワールは短距離~マイルの競走馬で、1991年の安田記念でダイイチルビーと戦ったり、マイルチャンピオンシップではダイユウサクとも競っています。

ペガサスステークス
・阪神競馬場の4歳(現4歳)の限定の芝1600の重賞競走。
・オグリキャップの中央移籍最初のレースとして有名。「まずはペアルックステータスで勝つ!」
・現在では残っておらず、1987年に創設されたものの1992年にはアーリントンカップに引き継がれて5回しか開催されていません。
・第2回の開催でオグリキャップが勝利し、第3回を勝ったのがシャダイカグラ。
・1989年の開催は、3月5日の開催。
・前日のサンドピアリスのデビュー戦時に振っていた雨が長引いたようで、天気は晴れていましたが重馬場でした。


※次回の更新は6月26日の予定です。  



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第44R Let's go to it! 新たなる目標へ……

 

 サンドピアリスのデビュー戦が終わり、週があけたその日、オレのいるトレーナー部屋に来客があった。

 といっても別に部外者ではない。〈アクルックス〉のメンバーであるギャロップダイナだった。

 入ってきた彼女は同室の巽見がいるのを見て、わずかに顔をしかめた。

 

「……どうした? ダイナ」

 

 そんな彼女にオレが声をかけると、言いにくそうに歯切れ悪く「いや……」と答えた。

 

「私、外した方がいいかしら?」

「それには及ばねえよ。どうしても他に聞かせられない話なら、チーム部屋か呼び出して他でするんで」

 

 そう言ったものの、彼女の表情は裏腹に晴れない。

 頭をガシガシと掻いてから、「ま、構わねえか」と言ってダイナは切り出した。

 

「なぁ、ビジョウ……ピアリスのことなんだが、ダート路線進ませるのは確定なのか?」

「ああ。そのつもりだが……」

 

 ダイナの唐突な問いに、オレは戸惑いながらも答えた。

 サンドピアリスはダートの適正があるのは間違いない。そして芝での走りについては……正直、並といった評価だ。

 しかし、勘違いしないで欲しいのはこの“並”という評価はウマ娘の平均程度、ということでしかなく、“苦手ではない”レベルだ。

 オレはそんなピアリスの現状を、ダイナに説明した。

 

「なるほどな。確かにアイツの体はダートの方が合っているってのはあたしにも分かる。他に比べて体格も劣るアイツが、この前のレースであそこまでアッサリ勝てたのは明らかにダートの才能のおかげだ」

 

 天与の才。

 聞けば彼女の母親も現役時代はダートが得意だったらしい。それを受け継いだということになる。

 その話を聞いたからこそ、ピアリスを黒岩理事から頼まれた際に、窮余の一策としてダートへの道に希望を託したのだ。

 

「だが、ダイナ。お前がわざわざそんなことを言いに来たってことは……」

「ああ。芝路線──というか、トリプルティアラに挑戦させてやれないか、と思ってな」

 

 う~ん……そう、来たか。

 オレは思わず腕を組んで考え込む。

 正直に言えば、今回、3月の頭にデビューをねじ込んできたときから、それには薄々気づいていた。

 それを言い出すんじゃないか、とな。

 

 だがハッキリ言って、困る。

 

 なぜなら、さっきの適正の話になるが……ダートに適正のあるウマ娘は意外と少ない。

 〈アクルックス〉所属の他のウマ娘達だって、明らかにダートに適正があるのはダイナしかおらず、他は“苦手ではない”くらいが関の山である。

 

(だからこそピアリスをダート路線に挑戦させているんだけどな)

 

 得意にしている者が少なければ、最初からアドバンテージを持ってレースをするようなものだ。才能が無い者と多少の能力や才能に差があっても有利はそうそう覆らない。

 そして逆に言えば……学園に所属する多くのウマ娘──特に重賞を狙っていけるようなウマ娘は、皆、芝が“得意”か“超得意”というレベルばかりだ。

 芝に対して“並”の才能しかないピアリスにとっては、ダートとは状況が逆転してしまうことになる。

 

「ピアリスが急に伸びたのは、ルームメイトや同級生と同じレースに出て競いたいって目標ができたからなんだ。そのやる気を、尊重するべきじゃないか?」

 

 オレの目だって節穴じゃない。

 確かに最近のピアリスは成長著しいし、その動機にも彼女の様子から気がついてる。

 

「だけどな、ダイナ。それでも芝への適正ってハンデを背負えば……レースの結果は見えているようなものだぞ?」

「モチベの問題だぜ、ビジョウ……」

 

 ダイナが譲れないとばかりに目がスッと鋭くなる。

 

「もしもここでダートしか走らせてもらえねえってピアリスが思ったら、せっかくのやる気が消えちまう。トリプルティアラを含めたクラシックレースへの挑戦は、あたしらウマ娘にしてみれば生涯一度きりなんだからな」

「それは理解しているさ。だけどな、ダイナ。もしも負けレースを続ければそれは同じじゃないのか? クラシックへの道は開けないし、負けてばかりではそれこそモチベーションが続かなくなる」

「それができないと分かれば、アイツは走るのをやめちまうかもしれないぜ」

 

 闘争心や負けん気の弱かった彼女のことだ。目標を見失えばその可能性はあるとオレにも思えた。

 そしてダイナはそこまで言うと、彼女は悪そうに口の端を歪めて笑みを作る。

 

「もっとも、そいつは……あんたの望み通りかもしれないけどな」

「なッ!?」

 

 そして部外者──巽見をチラッと見た。

 それに釣られてオレも思わず彼女を見ると、「何の話?」とばかりに首を傾げていた。

 

「オイ、ダイナ……」

「この前のレースで、あたしは大体のカラクリは読めたぜ」

 

 意地の悪い笑みはそのままにオレを睥睨してくるダイナ。

 

「あんたがピアリスを連れてきたときから違和感はあった。お世辞にもオラシオンみたいな“才能あふれる天才”サマにはまったく見えなかったしな」

 

 その視線は、侮蔑の色さえ浮かんでいた。

 

「もちろんお前があたしやダイユウサクみたいな“才能のない”ポンコツを育て上げるのに魅力を感じている可能性もあったが……そいつはロンマンで十分(腹一杯)だろ?」

 

 そう言って、やれやれとばかりに肩をすくめる。

 重賞をとるような才能が自分にはないというのは、ロンマンガン自身が認めてしまっているところだ。

 もちろんオレは、それを覆してやりたいと思っているが……

 

「だから、ただでさえ二人を抱えているのにあんなピアリスを連れてきた行動には疑問に思った。そしてそれはあたしだけじゃない。ダイユウサクのヤツはくってかかってたしな」

 

 嘲り笑っていたその目が、こちらの真意を探る鋭いものへと変わっていく。

 

「そこに、この前の()()ウマ娘だ。そうなったら、いくらあたしが頭悪かろうとも見えてきちまう。それも恐ろしいほどに、な」

 

 そしてそれは、明確にオレに対し抗議するものだった。

 

「なぁ、ビジョウ。お前、あのウマ娘に憧れていたもんな。昔、それを熱く語ってくれたからよ~く覚えてるぜ。だから……気に入られたくてピアリスを担当したんだろ?」

「違う!」

 

 即座に、強く、オレは否定した。

 だがダイナの疑念は晴れない。

 

「確かにアイツはオレが最初から見初めて連れてきたわけじゃない。面倒を見てくれと頼まれたものだった」

「やっぱりそうじゃねえか」

「だが最終的に決めたのは、アイツの努力する姿を見て、それが報われるようにしたいと強く思ったからだ。アイツを勝たせたいと思ったからだ。だからこそ勝ちの目があるダート路線を狙った──」

「で、実際勝った。ならその目標は達したってことだろ? でもそれは()()()目標でしかない……」

 

 そのダイナの一言は、オレの胸に刺さった。

 思わず言葉が途切れてしまうが、どうにか言葉を絞り出す

 

「ピアリスのことを考えれば、こそだ!」

()()()だぜ、ビジョウ……()()()()()、あいつに挑戦させてやって欲しいんだ」

 

 今までの追求するような表情をフッと緩めたダイナ。

 それは後輩を慈しむような優しいものだった。

 

「なにも完全に芝路線に切り替えろとは言ってねえよ。オラシオンと争えとも言わねえ。ただ、トリプルティアラへの道も挑戦させてやって欲しいんだ。だから……」

 

 そう言ってダイナは貼ってあるカレンダーを見る。

 彼女が見つめる先は──来週の日曜日だった。

 

桜花賞のトライアルに、ピアリスを出走させてくれ」

 

 正直、迷いはあった。

 小柄で、体が完成していないかもしれないピアリスに、あまり負担をかけたくないという思いはあった。

 だからこそダート路線に専念させようと考えていたのだから。

 しかし、ダイナの言うことに理があるのは分かっている。

 

(あまりにも遅咲き過ぎて、挑戦さえできなかったヤツもいたんだからな……)

 

 そのウマ娘の顔がオレの頭をよぎった。

 それを思えば、挑めるのに最初から諦めさせるのはあまりにも不憫だろう。

 オレの心はトリプルティアラへの挑戦に傾いた。

 しかし──

 

「……お前の気持ちはわかった、ダイナ。でも問題が一つある」

「問題? なんだよ、それ」

「クラシック登録だ」

 

 クラシック登録をしていないウマ娘は、クラシックレースに参加できない。

 そのせいで涙をのんだウマ娘はいる。その有名な例がオグリキャップであり、ダービー出走に署名活動があったほどだ。

 そして、最初から諦めていたピアリスの登録を、オレは──

 

「あ、それなら心配ねえよ。シオンやロンマンと一緒にしといたから」

「……は?」

「いや、ほかの(チーム)はやってるのに、うちの(チーム)だけやってないのが悔しくてさ。やっといたんだわ」

「え? オレの……ハンコとか、そいういうのは?」

「大丈夫、ちゃんと借りて押しといたから」

 

 悪びれもせずにニカッと笑うギャロップダイナ。

 お前なぁ……それ犯罪だぞ? 文書偽造っていう名前のな。

 オレが唖然としていると、隣で巽見も頭が痛そうにこめかみを押さえているのが見えた。

 

 

 ……その後、サンドピアリスにトリプルティアラ挑戦の話をしたら、彼女は満面の笑みを浮かべて「うん、わかったよ!」と楽しげに言ってくれたのが救いだった。

 中一週でのレースに挑む負担は、彼女の小柄な体を見ると不安を感じてしまうのだったが……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そして週末。

 

 先週に引き続き、オレは阪神レース場へとやってきていた。

 今回のレースは阪神大賞典。

 昨年末の有記念から休養に入っていたレッツゴーターキンの復帰戦である。

 先週と同じ理由で、今回もチーム総出での応援というわけにはいかず、かといってターキンはクラシック世代で3つに分担を分けたのとは無関係だから、強いて言えば担当しているのはオレのみ、ということになる。

 だからこそ、オレも年末から今までターキンを重点的に見てきたのだが……

 

「思えば去年の秋レースの終盤は疲れていたのかもしれないな……」

「そうだね。ターキンってば夏も走ってたもんね」

 

 そうオレに答えたのは、今回唯一連れてきたミラクルバードだった。

 大事な時期を迎えて手が放せないのはオラシオン、ロンマンガン、サンドピアリスの3人も同じ。

 とはいえさすがにオレ一人の帯同では負担が大きいし、2連敗中のターキンの精神的な負担を抑える意味もあって、ミラクルバードに来てもらったのだ。

 オラシオン(チーム)は渡海もいるし、自分の足で走れない彼女は新人のトレーニングで手伝えることに制限ができるため、こちらに来てもらったという経緯がある。

 

「……ターキンの調子、どう見る?」

「ずっと見てたワケじゃないから、ハッキリしたこと言えないけどいいの?」

「ああ。むしろ直感的な感想の方が欲しい」

 

 問うとミラクルバードは少し眉をひそめて言いにくそうにしたので、オレはそう言って促した。

 それに彼女は、「そうだね……」と虚空を見つめる。

 すでにターキン達出走者は、ゲート入りを始めている。まもなく全員が納まり、そうすればいよいよスタートだ。

 

「ボクには良いように見えたけど? 顔色も良かったし、体も動いてた。しいて気になることと言えば……ちょっと気負ってるというか、思い詰めてる感じなところかな」

 

 秋の天皇賞ウマ娘となったターキンは、その後のジャパンカップと有記念は負けている。有記念では掲示板を確保したといっても4着、ジャパンカップにいたってはそれを外した8着だった。

 そして今日のレースは最高グレードのGⅠだったその二つよりも格が下がる。

 

「GⅡのレースになったから、出走者のレベルも下がる……というのなら、別に良かったんだが……」

 

 オレはこっそりとため息をつきながら言った。

 1月、2月と休養したターキンの復帰戦になるのだが──そこに大きな壁が立ちふさがっていた。

 オレはその“壁”へと視線を向ける。

 今まさに、ゲートに入ろうとしていた彼女に向かって、オレ達の近くから大きな声援を送る者がいた。

 

「パーマー、ウェ~イッ!!」

 

 大きく手を振る青い差し色の入った茶髪のウマ娘。

 オレも何度か見かけた、知っているウマ娘だった。

 ダイユウサクと一昨年のマイルチャンピオンシップ等の秋レースで何度か競ったことのあるウマ娘、ダイタクヘリオスだった。

 そして彼女が懸命に声援を送った相手──癖のある茶髪を束ねた髪型のウマ娘はゲートの中で集中を高めている。

 

 彼女こそ、昨年末のグランプリウマ娘──メジロパーマーである。

 

 その前年にダイユウサクが制したレースに挑んだレッツゴーターキンは、ジャパンカップを制したトウカイテイオーを意識しすぎていた。

 いや、彼女だけではなく他の多くのウマ娘が、その一番人気のウマ娘を気にするあまりにこの二人、ダイタクヘリオスとメジロパーマーが思い通りに逃げるのを完全に許してしまったのだ。

 

(気がついたときには手遅れだった……)

 

 ダイタクヘリオスは後続に追いつかれてバ群に消えたが、パーマーはそのままゴール板を駆け抜けて、グランプリウマ娘の栄誉を勝ち取っている。

 一方、ダイタクヘリオスはさすがに12着。それでも一番人気だったトウカイテイオーとクビ差しか無かった。

 ヘリオスがスゴかったのか、あの時のテイオーの調子がよほど悪かったのかってところではあるが。

 

「それにしても、よく有に出たよなぁ」

「ヘリオスのこと?」

 

 オレのつぶやきが聞こえたらしく、ミラクルバードが訊いたきた。

 それにうなずくと、彼女も「そうだよね」と苦笑混じりにうなずく。

 

「ダイユウサクのときだってオープン特別から1週は空けたぞ。だが、ヘリオスはGⅠ走った翌週に有記念だからな」

「さすがに無茶だよねぇ」

 

 有記念は、ダイユウサクのような推薦枠で出た例外もいるが、基本的にファン投票で選出される。

 だから選ばれたのなら出たい、ファンの気持ちに応えたいというのは十分に分かる。

 だが、さすがに前週のスプリンターズステークスに出てたら、有記念には出てこないと思うぞ、普通。

 

「でもスプリンターズステークスって、彼女にとっては思い入れのあるレースだったらしいよ」

「ほぅ、それはまたどうして?」

「一昨年勝った彼女のあこがれだったウマ娘と、どうしても名前を並べたかったみたいよ。ほら、歴代の優勝ウマ娘の名前を並べると前年とは隣になるでしょ? だから勝ちたかったんだってさ」

「一昨年のスプリンターズステークス? 勝ったのはたしか……朱雀井(すじゃくい)のところのウマ娘だったっけか?」

 

 チーム持ちのトレーナーとして独立した朱雀井は、ソロチームを担当していたんだよな。

 

「アイツ、あのレースの後に担当のウマ娘に妙に懐かれてたけど……あれからどうしたんだろ」

「あれ、知らないの? 風の噂だと彼女、トレーナーを両親に紹介したとか、そんな話だったと思うけど?」

「は? アイツ、教え子に手を出したのか。ダメだなぁ……」

 

 オレがため息をつくと、そんなオレを見てミラクルバードもため息をつく。

 ん? なにか言いたそうだけど、なんでそんな目でオレを見るんだよ。

 

「トレーナーの場合、ボクは違う意味で教え子から()()()()()()んじゃないかと心配だよ」

「なんだよ、それ」

「だって鈍感なんだもん。我慢の限界を超えたらそうなっちゃうかもしれないから気をつけた方がいいよ。ガツンと手が出ちゃうかもしれないし」

 

 そう言って、ミラクルバードは視線をオレからゲートの方へと戻した。

 ガツンと、って……穏やかじゃねえなぁ、それは。

 見に覚えのないことで手を出される──殴られたら割に合わないからな、本当に。

 そう思いながら、オレもスタートを前に緊張が高まるゲートを見た。

 ターキンも集中している様子だった。

 そして去年のグランプリウマ娘も同じ──

 

「アイツも、去年の今頃のダイユウサクみたいな状態になっていたら、助かるんだがな……」

 

 オレが思わず呟くのと同時に──阪神大賞典はスタートした。

 




◆解説◆

【Let's go to it! 新たなる目標へ……】
・“Go to it!”は「がんばれ」という意味。
・久しぶりのレッツゴーターキン回。

“並”の才能
・ゲームで言うことろの芝適正“B”程度とイメージして貰えば。
・その後に出てくる「得意」はA適正、「超得意」はS適正という感じです。

桜花賞のトライアル
・史実のサンドピアリスの第2戦にもなった報知杯4歳牝馬特別のこと。
・現在は2001年から名称が変わって、現在のフィリーズレビューというレース名になっています。
・“4歳”も“牝馬”も使えないので、正直レース名どうしようかと困ってます。


※次回の更新は多忙と体調不良のため1回お休みして、7月2日の予定です。  



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第45R Let's go after…… 届かぬ背中

 

 ──始まったレッツゴーターキンの復帰戦。

 

 無難なスタートを決めた彼女の姿を見て、とりあえずホッとする。

 とはいえ……阪神大賞典は3000メートルの長丁場。

 おまけにレッツゴーターキンが得意とする脚質は、後方待機から末脚一気の追い込みだ。

 多少出遅れても、問題は無いレースだった。

 

 そう、そのはずだったんだが──

 

「……ねぇ、トレーナー。ターキンの様子、おかしくない?」

「奇遇だな、ミラクルバード。オレもそう思っていたんだが……」

 

 作り笑いを浮かべて訊いてきたミラクルバードに、オレも同じようにぎこちない笑みを浮かべて返すと──

 

「ええぇぇぇぇぇ!? あれ、トレーナーの指示じゃないの!?」

「違う。オレはあんなことを指示した覚えはない」

 

 焦るミラクルバードに、オレも動揺を隠しきれないながらもどうにか答えた。

 あまりの展開に、オレも頭が真っ白になりかけたさ。

 なぜなら、ターキンは──

 

「ならなんで、あんな位置でレースしてるの!? ターキンが……」

 

 ミラクルバードが驚くのも当然だった。

 後方待機が定位置のはずのレッツゴーターキンは、前に位置してレースを走っていた。

 

「前から4番手……完全に先行じゃないの! ダメだよ、ターキン。そんなんじゃ──」

 

 先頭はいつもの通りに逃げているメジロパーマー。

 大きく空いて追いかけるエリモパサー。

 そのすぐ後ろでターキンともう一人が続いており、さらにナイスネイチャたちが続く──

 

「……いや、アイツはアイツなりに、考えてのことだ」

 

 その展開を見て、オレは腕を組んで頭を動かしながらレースの状況を見ていた。

 そして出た結論は──決して考えなしに無謀な走りをしているわけではないということ。

 

「どういうこと? トレーナー」

 

 絶望的な表情を浮かべているミラクルバードに対し、オレのターキンに対する評価は──変わりつつあった。

 

「……この前の有記念でもターキンは似たような位置にいた」

 

 第3コーナー手前で5番手につけるくらいの位置だったと記憶している。

 

「あのときのレース展開は覚えているか?」

「忘れるわけないよ。パーマーとヘリオスの大逃げで、そのままパーマーが逃げ切った」

「そうだ。逃げる二人を追いかけるヤツがいなかったんだ」

 

 その原因になったのは、一番人気であり、前年は無敗でクラシック二冠を制したトウカイテイオー。

 その時点で未だ2敗だった彼女はジャパンカップを制したこともあって注目されていた。

 その彼女が、悩んでいて精神的に不調だったり、体調も良くなかったなんて気が付かず──周囲は最後方付近に陣取った彼女へ注意を払い、いつ彼女が仕掛けてくるのかと警戒していたのだ。

 

(おかげで前への意識が留守になった)

 

 逃げる2人とその後ろの差が致命的なものに気が付かないほどに、だ。

 

「そのレースでターキンは前の方にいたんだ。ターキンはあの中で前にも意識がいっていた。それにパーマーと走るのも初めてじゃなかった。だからヤバいことに気が付いて…普段は後方待機しているはずが、早めに前に出ていたんだ」

 

 レッツゴーターキンは、持ち前の警戒心から視野が広い。

 だからこそ後ろの警戒だけでなく、前の異常に気が付いていたのだろう。

 

「だがあの時、ターキンの位置が悪かった。前を走っていた二人がいたからそれ以上前を詰められず、しかも外から行こうとしてもそこにもいたせいで出られず、完全に囲まれて動きを抑えられていたからな」

「身動きが取れないまま、差が開くのを待つしかなかった、ってこと?」

 

 ミラクルバードの問いに、オレは首肯する。

 

「結果、届かなかった。あの位置でのレースは不慣れだったから仕方がない。それでも末脚はターキンの持ち味をしっかりと感じるものだったがな」

 

 最後の追い上げが届かずに4位だったが、スパートするタイミングが良ければさらに前の順位を狙えたと思っている。

 

「……ターキンも、臆病だがアレで意外と負けず嫌いでな。パーマーに負けたのはかなり悔しかったんだと思うぞ」

 

 オレは苦笑しながら、今年に入ってからのターキンの調整を思い出していた。

 それも特に、今回のレースでの復帰が決まり──そのメンバーにパーマーの名前を見てからだ。

 そして今回、パーマーに勝つためにだいぶ考え込んでいる様子だった。

 その考えた作戦が──これというわけか。

 

「今のターキンが気にしているのは、おそらく後方待機や中段待機、先行という位置じゃない。アイツが見ているのはパーマー(先頭)との距離だけだ」

「位置じゃなくて、距離?」

「そうだ。大逃げするパーマーが好き勝手に逃げているのに、後方待機という位置にこだわれば致命的なマージンを取られてしまう。咄嗟だった有記念の時と違い、今回はさらに作戦を練っている」

「じゃあ、4番手って位置は……」

「それにも意味はない……完全にパーマーをマークして、彼女に追いつける位置がたまたま4番手だったというだけの話だ。囲まれないようにしている、というのもあるかもしれないがな」

 

 オレの説明に目を見張るミラクルバード。

 だが、彼女には懸念があるようで……

 

「でも、ターキンだよ? 弱気な彼女が、こんな前にいたら焦ったり混乱しちゃうんじゃない?」

「……大丈夫だ、ミラクルバード」

 

 オレは自信を持って頷いた。

 

「アイツはもっと先を見ている。こんなところでビビってるようなウマ娘じゃなくなったんだよ」

「もっと先って……?」

「メジロパーマーの先だよ。パーマーよりももっと強い相手に勝つのを目指して、このレースに出走したんだからな」

 

 メジロパーマーよりもなお強い。

 トゥインクルシリーズをよく知るファンや関係者に訊けば、10人が10人そう答えるだろう。

 そんな、同じ名前を冠する彼女こそ──レッツゴーターキンが打倒を目指す相手なのだから。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──しばらく前のこと。

 

 オレはその光景を前にして困惑し、思わずその場に来ていたダイユウサクと顔を見合わせた。

 彼女になんとかしてもらいたくて見たのだが、その顔は「アンタがなんとかしなさいよ」と雄弁に語っていた。

 そんなオレ達の前には──土下座のように頭を地面につかんばかりに下げて伏しているウマ娘がいたからだ。

 

「……ターキン。いったいどういうつもりだ?」

「お二人に、どうしてもお願いしたいことがありまして……」

 

 頭を上げようとしないまま答えるターキンに、オレは思わずため息をついた。

 

「そんなことをしなくても、いつもちゃんと聞いてるだろ? ほら、言ってみろ……」

「……お願いだからセクハラしないでください、とかじゃないの?」

 

 ジト目を向けるダイユウサクは「それならそういう姿勢で頼むのも分かるけど」と言う。

 オレはこれ見よがしに、あきれた感じでため息を付いてみせた。

 

「あのなぁ、お前……オレがそんなことするわけないだろ? オレがお前にそんなことをしたことがあったか?」

「……無いわよ」

「で、もしもターキンにしていたとしたら、お前は女性としての魅力がターキンに致命的なまでに劣るグフゥッ」

「言っていいことと悪いことがあるでしょ! 殴るわよ!?」

「もう殴ってんじゃねえか!!」

 

 怒り出したダイユウサクに対し、倒れたオレは素早く立ち上がって「やいのやいの」と言い争いを始める。

 そんな中でも──頭を下げたまま動かないターキンに気づいたオレは、タイユウサクを手で制して、再びレッツゴーターキンへと向き直った。

 

「……で、ターキン。お前がオレに頼みたいことって、なんだ?」

 

 顔を上げて言ってみてくれ、とオレが言うと彼女はようやく顔を上げてくれた。

 そして訴えかけるように、手を付いたままグッと前のめりになる。

 

「トレーナーさん、私……あのレースを取りたいんです!」

「勝ちたいレースがあるのか?」

「はい。もしもあれに勝てたら……そうすればみんなきっと“まぐれ(フロック)”だなんて思わないはずですから」

 

 そう言うターキンは、なにやら思い詰めているようにさえ見えた。

 再びオレはダイユウサクと顔を見合わせる。

 

「……あのレース?」

「はい! でも勝つためには……そのためには絶対に勝たないといけない相手がいるんです」

 

 そう言ったターキンは、手を付いたまま器用にダイユウサクの方へと土下座の向きを変える。

 

「そのために、指南していただきたいんです、先輩」

「……話が見えないんだけど。なんの指南をしろっていうのよ?」

 

 ちょっと気が立った様子のダイユウサク。

 しかしわからないでもない。

 なにしろ今までのターキンの話は、その目的がサッパリわからないので彼女の言うとおり全然見えてこないからだ。

 あのレースだの、勝たないといけない相手だの、具体的な名前が一つも挙がってこない。

 

「彼女に勝つための方法を教えていただきたいんです……メジロマックイーンに、勝つ方法を」

 

「「なッ……」」

 

 やっとわかった相手の名前に、オレもダイユウサクも絶句した。

 まぁ、ターキンの気持ちも分からなくはないぞ。

 なにしろメジロマックイーンに勝った相手はそう多くはないんだ。

 それこそ数えられるくらいしかいないんだが……なんとその中に、ダイユウサクの名前が入っているんだよな。信じられないことに。

 ……なんて思ってると、勘の鋭いダイユサクがジト目でこっちを睨んでるわけだが。

 そしてこのタイミングで、この話……ということは──

 

「まさかターキン、お前、あのレースってひょっとして……」

「はい。春の天皇賞です。きっとマックイーンが出てくるはずですから」

 

 現在、春の天皇賞を連覇中のメジロマックイーン。

 昨年のそのレースで骨折が判明して、秋レースを棒に振るほどの長期休養へ入った彼女。

 しかし復帰できるほどに走れるのであれば前人未踏の“三連覇”を狙わない理由はないだろう。

 しかし、ターキンにも春の天皇賞を勝てば得られる特別なものがある。

 

「なるほど。天皇賞の秋春制覇か……」

 

 春に京都で、秋に東京で開催される天皇賞。

 かつては一度勝てば以後は春でも秋でも出られなくなるという条件があったせいで、春と秋の両方を制覇したウマ娘は、今のところ、ダイユウサクの一つ上の世代であるタマモクロスしかいない。

 

「……春を連覇していても、マックイーンは秋の天皇賞をとっていないので春秋両制覇にはなりません」

「それを言うとマックイーンは怒るわよ、きっと」

 

 思わず苦笑するダイユウサク。

 なんてダイユウサクは軽く言ってるけど、きっと本当に本気で怒らせることになるぞ。きっと。

 マックイーンにとっての秋の天皇賞は、有記念と同じか、それ以上の泣き所だ。

 一度掴んだと思ってしまったんだから有記念以上かもしれないな。

 そんな誰もが認める一流ウマ娘が喉から手がでるほどに望んでも手に入れていない秋の盾を、去年しれっと掴んでしまったのがレッツゴーターキンだったんだが……

 

「確かに天皇賞後のレースでも、人気が上がらなかったもんな」

「はい……」

 

 オレが苦笑気味に言うと、ターキンはちょっと寂しそうにうなだれる。

 秋の天皇賞を制したはずのレッツゴーターキンだったが、ジャパンカップや有記念での人気は、とてもそうとは思えないほどに低かった。

 

 ──あのレースを勝てたのは、たまたま。

 ──異常なハイペースにテイオーもヘリオスもそれ以外も潰されてた。

 ──後方待機していたおかげで、勝ちが転がり込んできただけ。

 

 悲しいかな、それが秋の天皇賞を制したレッツゴーターキンへの世間の評価だった。

 

(実は、傷ついていたんだな……ターキン)

 

 だからこそ不人気を見返してやろうと、出走したジャパンカップや有記念の結果が振るわなかったのを過剰なまでに気にしていたのか。

 それに気づくことができなかったのは、オレの完全なミスだ。

 本当に悪かった。

 

「秋に勝っているのは、お前の前はプレクラスニーで、その前はヤエノムテキだったからな」

 

 ……お前も出てたからって睨むなよ、ダイユウサク。

 仕方ないだろ、負けたんだから。

 

「現時点でタマモクロス以来の春秋両方のタイトル保持者を狙えるのは、お前だ」

 

 マックイーンが狙うにしても、秋まで待たないといけない。

 そして彼女の前に春を制したのはスーパークリーク。

 春秋や秋春を関係なくしても、春と秋のW制覇に今もっとも近くにいるのはレッツゴーターキンなのである。

 

「わかったよ、ターキン。狙おう……いや、狙うしかないだろ。そのチャンスがあるんだからな」

「トレーナーさん……」

 

 ターキンがオレをきらきらとした目で見つめる。

 

「たとえ出走しても、注目されるのはマックイーンの三連覇挑戦の方だろう。タマモクロスが一度やっていることだし、初めての達成の方が話題性で勝る。それに秋をまぐれ(フロック)制覇したと思い込んでる世間様はレッツゴーターキンが春と秋の両方を狙っているなんて思いやしない。せいぜい『柳の下に二匹目のドジョウはいねえよ』と思うくらいだろ」

 

 オレが言うと、「なにもそこまで……」と言わんばかりに涙目になっているレッツゴーターキン。

 それにオレは──ニヤリと笑みを浮かべてやった。

 

()()()面白いんじゃないか。誰も思いもしないレッツゴーターキンの秋春制覇を、あの最強ステイヤーを撃破して達成してやろうじゃないか。()()()()()()()()、な」

 

 そう言ってオレはダイユウサクを見る。

 彼女は少し複雑そうだった。

 そうだな。ダイユウサクは意外と冷静だ。マックイーンと実際に戦ってその実力も知っている。

 去年の天皇賞(春)(ハルテン)じゃあ、手も足も出ずにコテンパにされ──グゥッ!?

 

「……なんで脇腹を殴るんだよ、お前」

「アンタがロクでもないことを考えてるからでしょ?」

 

 殴られて痛む場所を押さえつつ、オレはターキンを振り向く。

 そして──

 

「春の天皇賞は数少ない3000メートル以上の長距離レース。その試金石にするためにも、お前の復帰戦は阪神大賞典にするからな!」

「はい!」

 

 いい返事をするターキン。

 そうだ、どんな相手だろうと阪神大賞典で結果を残せなければ春の天皇賞に勝つことができないだろう。

 最強ステイヤーに、その相手の土俵の上で戦うことになるんだからな。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 私──レッツゴーターキンは走っていました。

 

 遙か前を走るのは、上体を起こした姿勢で走るメジロパーマーさん。

 彼女を追いかける私はここまで位置として前の方でレースをしているのは初めてのことでした。

 

「パーマーさんとは、去年3度走っています……」

 

 パーマーさんが優勝した有

 私が勝った天皇賞(秋)(アキテン)

 そして……新潟大賞典ではパーマーさんが1着。

 

(結果だけを見れば、1勝2敗)

 

 でも、実際には違うんです。

 有記念も新潟大賞典も、パーマーさんは逃げ切り、私は追いつけなかった。つまりはパーマーさんの完勝です。

 でも秋の天皇賞はダイタクヘリオスさんやトウショウファルコさん、それにトウカイテイオーさん達と異常なハイペースを作り出して、それに逃げや先行だけでなく中段待機まで巻き込んでいました。

 

「アクセル緩めたら負けって感じの、まるでチキンレースだわ、アレ」

 

 ……そう表現したのは後輩のロンマンガンさん。

 いつも通りに後方待機していた私は巻き込まれずに足を残していたから勝てた──確かに盛大な“漁夫の利”だったかもしれません。

 つまり私とパーマーさんだけの勝負を見れば、秋の天皇賞は“私の勝利”ではなく“パーマーさんの自滅”なんです。

 

(だから私は……勝ちたい。パーマーさんに、()()()、です!!)

 

 だから私の天皇賞制覇は評価されず、人気も変わらなかった。

 それを覆すためにも──私が、自分の力で彼女に勝つ。

 昨年の、春秋両方の最強決定戦(グランプリ)覇者であるメジロパーマーに。

 

(そして──今度は私が春秋両方の別の栄冠に挑むんですから!!)

 

 その資格が私自身にあるのか、彼女はその試金石でもあるんです。

 彼女に勝てなければ、同じメジロ家であり彼女以上の実力者と言われている“現役最強ステイヤー”にも勝てませんから。

 そう思って意識を向けた、数人のウマ娘の、さらに向こうに見える彼女──メジロパーマーさんの背。

 

(ううん。違うかも、しれません……)

 

 その背中を追いかける私は、今し方描いていた私自身の思いを、打ち消しました。

 そうです……

 私は、メジロマックイーンに勝ちたいからパーマーさんに負けたくないんじゃありません。

 私は、去年の勝敗結果から彼女に勝ちたいわけでも……ないんです。

 私が本当に、思っているのは──

 

(あの走り……逃げの脚質(スペシャリスト)である彼女が──うらやましい)

 

 先頭を切って走る“逃げ”のウマ娘。彼女たちの走りが、私には憧れだったんです。

 私の得意としている脚質“追い込み”は、最後に後方から追い抜いていく、

 ということは、先頭に立つまでの間に多くのウマ娘を抜かさなくちゃいけません。

 場合によっては集団になっている彼女たちをすり抜ける……それが臆病な私にとってどれほど恐ろしいことか。

 

(逃げはいい、です。最初のスタートで失敗しなければ、そのまま抜け出して先頭を走り続けるんですから)

 

 集団を抜ける必要は、ありません。

 勝利するには、先頭に立ったらあとは抜かれずにその位置をキープし続ければいいんですから。

 もちろんその“先頭をキープし続ける”というのが容易いことではないことは、十分にわかっています。

 だって、私には……“逃げ”の才能がないんですから。

 

(できることなら、私だって“逃げ”たい。でも……それをしたら私は、勝てない)

 

 こんな性格なのに生まれ持った脚質の才能は“逃げ”ではなく、皮肉なことに真逆の“追込み”。

 だから私にとって“逃げ”のウマ娘はあこがれでした。

 新潟大賞典で、パーマーさんに負けたとき、悔しい気持ちもありましたけど……その才能をうらやましく思ってたんです。

 

(今の〈アクルックス〉には、“逃げ”を得意にしている方はいない……)

 

 もしもいれば、そのウマ娘に憧れたかもしれません。

 でも、宝塚記念を制して有記念も制したパーマーさんは間違いなく現役では“最強の逃げウマ娘”の一人。

 

(その憧れに……私は挑みたいのです!)

 

 自分には“追込み”しかない。

 私自身のありったけをぶつけて、私自身が歩んできた道が間違いじゃなかったことを証明するために。

 

「だから私は──絶対に、負けません!!」

 

 第4コーナーを回って最後の直線へ──

 中央(トゥインクル)シリーズでは最長(クラス)の3000という距離に、普段よりも前の位置で走ったのもあって、私の足への負担も大きい。

 それでも、残していた末脚を──

 ありったけの力を込めて、私は加速し──

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 想定外の手応えに、私は唖然とするしかありませんでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 後ろから来る気配に、アタシ──メジロパーマーは気付いてた。

 

 アタシの武器は逃げしかない。

 だから、逃げて逃げて逃げまくる。大逃げを越えるそれ以上の──爆逃げ。一年くらい前に出会った“逃げ友”と一緒に鍛えたこの足こそ、最強の武器。

 

(それが……なんで、こんなところにいるのさ?)

 

 本来なら後ろも気にせず逃げるところだけど、今日のレースは逃げ切れるか微妙な感じ。

 第4コーナーを抜ける前に、後ろがだいぶ迫ってきてる。

 それでチラッと後ろの様子を探ったけど……意外なウマ娘が前の方にいた。

 エリモパサーが追いかけてきてるのは分かってたし、ナイスネイチャが前の方にいるのは想定内。

 でも──

 

(レッツゴーターキン? え? だって、彼女って……)

 

 今まで何度か対戦したことのあるウマ娘。

 どこかおどおどしてて気弱そうな性格とは裏腹に、後方から一気に追い上げる強い末脚を持っている。

 秋の天皇賞では、アタシは一杯一杯になってたから後ろから見ることになったけど、大外のさらに外から飛ぶような勢いで追い上げたその末脚には、正直驚かされた。

 会心の爆逃げを決めた有記念だって、映像見たらものすごい勢いで上がってきてて、正直、驚いたわ。

 

(実際、今回のレースでも……ターキンの末脚は怖い)

 

 仮にも秋の天皇賞ウマ娘。

 世間の評価は、“まぐれ(フロック)”、“漁夫の利”と高くない。

 けど、後方にいたとはいえ、あのハイペースのレースで追い上げる脚を残していた彼女が弱いはずなんてないんだから。

 ……実際、アタシなんてバテバテになって下から二番目(ブービー)だったし。

 

(その彼女が、前の方にいる……)

 

 それってつまり、作ろうとした安全マージンが全く無いってこと。

 でもきっと、彼女が普段違うこの位置にいることは無理をしているに違いない。

 あの時に見た末脚を、今回も発揮できるほどに足を残しているか……

 

「いや、ここで迷ってる場合じゃないでしょ。アタシがすることは……爆逃げしかないんだから!!」

 

 そうだよね、ヘリオス!!

 最後の直線に入って──ゴール付近で待つ私の“ズッ友”に呼びかけた。

 それに「当然じゃん」という返事が聞こえた気がして──

 

 直後──追い上げてくる気配があった。

 

「パーマアアァァァァァァッ!!」

 

 普段の姿からは考えらないような気迫で、ナイスネイチャが迫ってくる。

 エリモパサーも追いかけてきているけどネイチャの圧の方が遥かに強い。

 そして、その後方からも──

 

「来る!」

 

 そう……秋の天皇賞ウマ娘が、その末脚を爆発させて、襲いかかろうとしているんだ。

 アタシは、最後の力を振り絞って逃げるしかない。

 

「くううぅぅぅぅ! 爆逃げェェェェェ!!」

 

 さぁ来い、レッツゴーターキン! それにナイスネイチャ!

 アタシは絶対に負けない!

 負けるわけにはいかないんだ!!

 

(春の天皇賞で、彼女と戦うためにも──)

 

 メジロ家の同い歳3人……アタシとライアンと、そしてマックイーン。

 障害を走ることになるまでになったアタシなんかと違う、メジロの誇りとまで言われるウマ娘。

 前に走った時は全然届かなかったけど──今なら、胸を張って戦えるんだ!

 そのためにも、今日も──勝つッ!!

 

「ハアアァァァァッ!!」

 

 気合の声と共に、並んだナイスネイチャがアタシの前に出る。

 でも──

 

「負けるかああァァァァァッ!!」

 

 ──何かを破るような音と共に、世界が変わり……

 

 

 

 足に再び力が戻って──再加速した。

 

 

 

「なッ!?」

 

 隣で聞こえるナイスネイチャの声。

 そして後ろへと流れていく彼女の姿──でも、油断はしない。

 彼女が、まだ来るはずだから。

 ライアンもアタシも、そしてマックイーンも欲してやまない秋の盾を掴んだ、あのウマ娘が。

 でも、ゴールはもう目の前。

 ナイスネイチャよりも勢いのあるウマ娘が後ろから追い上げてくるけど──

 

 ──ゴール板の前を、1着で駆け抜けた。

 

 その直後に、ネイチャとアタシの間にもう一人のウマ娘がいて──阪神大賞典は決着した。

 そう、2着は──

 

 ………………って、アレ?

 

 うん?

 想定していた彼女とは違うウマ娘だった。

 えっと……

 

(あれぇ? 来ると思ったんだけどなぁ……)

 

 ウィニングランに入りながら心の中で首をかしげる。

 そう不思議に思いつつ走り、観客に手を振っていた。

 ……だから気が付かなかった。

 

 

 ──本来の末脚(スパート)を発揮できずに5着に終わった、顔をしかめながらゴールしたレッツゴーターキンの姿に。

 




◆解説◆

【Let's go after…… 届かぬ背中】
・“go after”は「後を追う」という意味で、今回の話ではメジロパーマーの後を追うという意味ですが、同時に「追い求める」という訳でもあり、それはターキンにとっての春の天皇賞という意味でもありました。

メジロマックイーンに勝った相手
・作中でトレーナーが言ったように少ないイメージですが、生涯成績を見ると21戦12勝……つまり9回負けており、意外と多かったりします。
・マックイーンのデビューは意外と遅く、4歳(当時表記)の2月で、デビュー戦こそ勝利したものの、その後の3戦は勝ちきれずに2位、3位、2位になっています。
・その後の17戦は負けたのは6度。
・菊花賞前の嵐山ステークスでミスターアダムスに、翌年の宝塚記念ではメジロライアンに負けています。
・シニアの秋の天皇賞は……記録上は最下位(ビリ)ですが、実際には1番入線ですのでノーカンでしょう、これは。
・その後のジャパンカップは4着でも1着(ゴールデンフェザント)2着(マジックナイト)3着(シャフツベリーアヴェニュー)は外国馬でしたし。
・そして有馬記念でダイユウサクに負け──作中の現時点ではここまで。
・この後、四連覇のかかった春の天皇賞で負けますけどね。
・──なので「マックイーンに勝った」と誇れる(する)ウマ娘がいるとすると、外国ウマ娘はプライド高そうなので除外して、ミスターアダムス、メジロライアン、ダイユウサク、(ライスシャワー)くらいでしょうかね。

人気が上がらなかった
・レッツゴーターキンが秋の天皇賞に勝った後に挑んでいるレースはジャパンカップ(14頭立て)が11番人気、有馬記念(16頭立て)は10番人気としたから数えた方が早いほど。
・特にジャパンカップ。仮にも直前の天皇賞馬の人気が下から4番目ってヒドくね?
・結果的にはジャパンカップ8着、有馬記念5着と人気以上の順位になって見返してます。
・なお、今回のモデルになっている93年の阪神大賞典ではグレードが下がったり、有力馬が少なかったりで、4番人気になっています。

阪神大賞典
・3月半ばに阪神競馬場で開催されるGⅡレース。
・芝の3000メートルで開催され、開催地こそ違うもののその距離から3200メートルを争う春の天皇賞の前哨戦に位置付けられています。
・創設されたのは1953年で、当初は芝の2000メートルな上、開催時期も12月でした。
・1965年の第14回から距離も3000メートル越え(3100)になり、1987年の第35回から3月の開催になりました。
・今回のレースは93年開催の第41回のもの。
・3月14日に11頭立てで開催され、当日の天気は晴れで馬場状態も良でした。
・なお、春の天皇賞の前哨戦に相応しく91年、92年はマックイーンが勝っているんですけど、90年に勝っているのは、なんとあのオースミシャダイ。
・ダイユウサクを追いかけたせいでオースミシャダイのイメージが91年有馬記念のスタート直後からヘロヘロになってるものだったので、ちょっとびっくりしてしまいました。

再加速
・第41回の阪神大賞典では最後の直線でナイスネイチャが先頭に立ったのですが、なんと逃げてそれまで先頭だったメジロパーマーが再び抜き返しています。
・非常に見ごたえのある面白いレースで、歴代の阪神大賞典の中でも名レースに挙がるほど。
・……なお、ネイチャはパーマーに抜き返された後に、後ろから来たタケノベルベットにも抜かれてしまい3位(定位置)になっています。
・つまり本話のラストでパーマーが2着を見て首をかしげている相手はタケノベルベットになるはずなのですが、事情があって名前をぼかしました。
・というのも、本来なら上の世代になるはずのサンドピアリスを後輩にしているせいで、そのさらに後輩にあたる牝馬三冠の一角を取ったタケノベルベットがここに出てくるのに違和感があったからです。
・そんなわけで、今回はゲームやアニメ1期のウマ娘時空の弊害が出てしまった感じです。


※次回の更新は、まだ調子が戻らないためお休みして7月8日の予定です。  



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第46R Let's go in search 消えたターキン


 いや~、レースに勝つってのは素晴らしく気持ちいいもんだわ。

 レースを終えたあっし──ロンマンガンは観客席に手を振りながら歩いて、そして走路を後にした。
 上機嫌で、レース場内の通路にいると──

「き…、き…、汚いわよ、あんたッ!!」

 いきなり変なのに絡まれた。
 そう言ってきたのは興奮した様子のウマ娘……ああ、知ってる顔だったわ。

「なにが?」
「自分でもわかってるでしょ? いったい、どういうことよ、あれは!?」
「どういうことって、どういうことさ? ラリアットさんや」

 センコーラリアットという、どこからどう見ても武闘派なネーミングのウマ娘。
 名は体を表すというか、おかげで脳筋まっしぐらというか……
 え? あっし? あっしはホラ、やっぱり名前の通り知的ってイメージでしょ? ロンマンガン……アホは麻雀で和了(あが)れないし。

「わかってんでしょ!? 前が開いたときに、強引に割り込んできて。後着覚悟で私の前をカットしたでしょ!?」
「言いがかりはよしなさいって。そんなバカな真似をするウマ娘がどこにいるっての?」

 あっしは大げさにため息をついた。

「前が開いたから突っ込んだ。ただそれだけ。あっしが突っ込まなきゃあんたが突っ込んだでしょ?」
「な……」
「自分の仕かけ遅れをタナに上げて不利があったと騒ぐとか、もうね……」
「あんたねぇ……よくもまぁいけしゃあしゃあと」

 これ見よがしに失笑してやったら、ラリアットのヤツ、カンカンに怒って睨みつけてくるわ。
 あ~、楽し。

「あっしだって大事なクラシック時期にケガなんてしたくないわ。そんな危険な走り、するわけないじゃん」
「危険だったわよ! 走るのが下手なウマ娘ならぶつかったり転倒してたわ!」
「ほぉ……じゃあラリアットさんや、下手なウマ娘ってのは誰のこと? あっしもこれから気を付けるから、具体的に誰のことか教えてくれない?」
「あ……」

 あっしとセンコーラリアットが言い争っているのは、走路から降りてきてすぐのところ。
 当然、さっきのレースで一緒に走った連中も、まだまだウロウロとたむろしている。
 そんな中でこんな話をしていれば、剣呑な空気をまとうのもいるわけで……

「え、え~と……」

 話を聞いていた数人のウマ娘が“下手なウマ娘”という問題ワードを耳にしてジロッと睨んでて、それに気づいたラリアットは気まずそうにそちらを気にする。

「あ、あんたよ、あんた! あんたのことにきまってんでしょ!?」

 ちょっと涙目になりながら、必死にあっしに食いつくラリアット。
 その姿に剣呑になっていたウマ娘達も毒気を抜かれたように「そおかあ……」と去っていく。

「あ、そう。じゃあ、あっしも気を付けるわ。はい、解散解散──」
「──話は終わってないわよ!」

 正義感に燃えるラリアットはあっしをビシッと指さす。
 あ~、もう。いい加減しつこいわ。

「あのねぇ、ラリアット。強引だったら審議の一つや二つ、点灯してるでしょ? それが無いってことは、お咎めなしってことじゃん」
「たとえ審判員の目は誤魔化せても私の目は誤魔化せないんだから!」
「審判員の目を信じないなら、誰を信じろってのさ?」

 あきれてものが言えないとはこのこと。
 これ以上はちょっとつきあってらんない。

「なぁ、ラリアット。アンタがここであっしにウダウダと絡んだところで何の意味もない。不満があるなら審判部にでも駆け込みな」

 ズイッと顔を近づけて睨みつけてやったら、相手は「う……」と絶句する。
 ラリアットもわかってるんでしょ。自分のやっていることが、ただの言いがかりだってさ。
 それでも我慢できずに言ってきたのは──

「皐月賞に行けなくなったからって、あっしに当たんな」
「な……そんなことッ!」

 やっぱり図星ね。
 やれやれ、弱いアンタが悪いんでしょ。ため息をつきながら相手を呆れた目で見てやった。
 それが競走の……いや、スポーツ全般そうだし。なんならそれ以外のことだってそうよ?
 他者と競うものなら全部そうじゃないの?

「博打に負けて素寒貧になるのがイヤなら、しなけりゃいいのと同じ理屈。負けて悔しがって他人様に当たり散らすくらいなら、最初から走んな」
「なんですってええぇぇぇぇ!!」

 ──今回のレースの盤外戦の場外乱闘のはじまりはじまり……なわけで。




「それでケンカになったってわけ?」

「ケンカじゃないッスよ、ダイユウ先輩。アイツが絡んできただけで……」

 

 練習前のウォーミングアップをしているロンマンガンの話に、アタシは思わずため息をついた。

 

「呆れた。勝った側にもマナーというものがあるんだから、少し絡まれたくらい我慢しなさいよ」

「いやいや、勝ったレースにケチ付けられたんだから、そりゃあ頭来るってもんでしょ」

 

 話しているうちにまた感情がこみ上げてきたのか、興奮し始めるロンマンガン。

 そこに話を横で聞いていたダイナギャロップが口をはさんできた。

 

「──というか、雀ゴロ」

「だぁかぁらぁ……ダイナパイセン、オブラート。お願いしますよ、割とマジで」

「あ~、悪ぃ悪ぃ」

「絶対に悪いって思ってないですよね。ハァ……で、なんです?」

 

「お前……いつの間にデビューしてたんだ?」

「……は?」

 

 唖然とするロンマンガン。

 ところがギャロップダイナだけでなく、オラシオンも知らなかった様子で申し訳なさそうに苦笑している。

 その隣のミラクルバードも同じらしく、頭の上に「?」を出して首を傾げている。

 

「いやいやいやいやいやいや……あっし、すでにデビューしてましたよ? それも……」

「いや、記憶にない」

「ハァ!?」

 

 ダイナ先輩にバッサリ切られ、ロンマンガンの声が一段上がる。

 それでもダイナ先輩はもちろん、オラシオンもミラクルバードもピンと来ていない様子だった。

 

「だって、この前勝ったし!」

「ああ、それは知ってるぞ。センコーラリアットに勝って、ケンカしたんだろ? 今も話してたし、それは知ってるが……あれはお前のデビュー戦じゃないんだよな?」

「ち・が・い・ま・す、って! なんでチームメンバーの、それもかわいい後輩のデビュー戦を覚えていないんですか!?

「あ? 可愛い後輩の、ピアリスのデビュー戦ならきっちり覚えてるぞ」

「そっちじゃなくて!」

 

 地団駄を踏むロンマンガン。

 そこへ──かすかにエンジン音が聞こえた。

 

「──ッ!」

 

 アタシは思わず振り返った。

 遠くで角を曲がってこちらに向かって走ってくる、赤いオートバイ。敷地内を走ってるから、元々トレーナーが持っていた小さい方のバイク。

 

「……ダイユウ先輩って、アレに真っ先に気がつきますよね」

「ああ、それはあたしも思ってたわ。まるで『メンフィス・ベル』で、エンジン音に気が付いて頭上げる犬だよな」

「──だ・れ・が、犬よ!」

 

 気がついたアタシに気がついたロンマンとダイナ先輩へとジト目を向ける。

 そうしている間にバイクはこっちに向かって走ってきて──乗っているのはトレーナーだった。

 

「……仕方ないよ。だってダイユウ先輩にとっては思い出のバイクなんだから」

「思い出?」

 

 ダイナ先輩の問いに、話し始めたミラクルバード(コン助)が頷いてる。

 

「トレーナーはあのバイクで、ダイユウサク先輩を心配して福島レース場まで見に行ったんだからね。それも高速使えないから何時間もかけて往復して……けっこう有名な話だよ」

「ほぉ……」

 

 何か言いたげな目で、先輩はアタシを見てきた。

 それを受けて、アタシはコン助を睨む。

 

「それを言ったら、アンタだってそうじゃないの。交差点で車椅子のアンタとぶつかりかけたのを避けて、植え込みに突っ込んでたし。その後、チームに来たんだから」

「あぁ、そう言うこともあったねぇ」

 

 すっかり忘れていたのか「あはは」と笑いながら答えるコン助。

 

「でも、あのときってダイユウ先輩が追いかけられていたんじゃなかったっけ?」

「ッ!!」

 

 そういえばそうだったわ。

 ええと……

 

「あのときってなんで逃げてたの?」

「そ、それは──」

 

 アタシは思わず視線を逸らす──そして「しまった」と後悔した。

 なぜなら、その反応を見たギャロップダイナ先輩が、面白い玩具(オモチャ)を見つけたと言わんばかりにニヤリと意地の悪い笑みを浮かべたから。

 

「その話、詳しく聞かせてくれないか? ダイユウサク……」

「なッ……別に面白い話でもなんでもないわよ。ちょっとトレーナーが組んだメニューが気にくわなかっただけで──」

「言わねえならビジョウから直接聞くからいいわ」

 

 見れば、バイクを止めるや急いでこっちに向かってくるトレーナー。

 う、マズい……ダイナ先輩とトレーナーが接触するのを止めないと。

 でも間に合わなくて、先輩が声をかけてしまう。

 

「おい、ビジョ──」

「こっちに、ターキンは来てないか!?」

 

 でもトレーナーは、ダイナ先輩の言葉を遮るように焦った様子で尋ねてきた。

 ターキン? そう言えばいないわよね。

 ここにいるのはアタシとロンマンガン。それにギャロップダイナ先輩と、楽しそうに黙ってニコニコしていたサンドピアリス。あとはミラクルバードとオラシオン……やっぱりレッツゴーターキンの姿はないわ。

 

「ターキンがどうしたの?」

「この前、病院に行ってきたんだよね?」

 

 アタシが問うと、ミラクルバードもそれに続く。

 でも──トレーナーの表情がそれを聞いて少し強ばった。今までの付き合いからそれがなんとなく分かった。

 

「……診断結果、よくなかったの?」

 

 アタシがさらに訊くと……どこか諦めたように小さくため息をついて、頷く。

 

「ああ。アイツ、怪我してたんだ」

「だからこの前のレースの最後で伸びなかったのか」

 

 ダイナ先輩が言うと、トレーナーは再び頷く。

 アタシも疑問に思ってた。ターキンの末脚はあんなものじゃないし、もっと伸びてメジロパーマーやナイスネイチャと最後に競っていたはずよ。

 怪我をしていたというならそれも納得できるわ。

 そうなると春の天皇賞への挑戦は無理ってことだけど……でも、トレーナーの態度はそれだけじゃないように思える。 

 

「重いの?」

 

 アタシがさらに踏み込むと、トレーナーは「う……」と呻いて、アタシを恨めしい目で見てくる。

 アナタが何かを隠していることくらい、アタシにだって分かるわよ。

 そしてその理由だって想像がつくし、ターキンを探してるという状況からだって推測できる。

 

「……かなり重い。ハッキリ言って競走生命に関わるに関わるくらいに、な」

 

「「「えッ!?」」」

 

 オラシオン、ロンマンガン、サンドピアリスの年下3人が驚いて声をあげる。

 アタシやダイナ先輩、それにコン助はそれが予想できていたので、顔をしかめるくらいだったけど。

 

「時間をかけて治療すれば、また走れるようになるかもしれない、とオレは医師から連絡を受けている。だから今後のことを相談しようと思って探していたんだ」

 

 トレーナーが言うには、病院には一緒にいこうとしたのだがターキンは一人で行くと言い張った。

 彼女は、今週末にはシオンとピアリスのレースがあるのでトレーナーさんに負担をかけたくない、と頑なだったので、トレーナーも一人で向かわせたみたい。

 もちろん、医師からトレーナーに検査結果が直接連絡が来るようにしていたみたいで、だから結果を知っていたというわけ。

 

(ターキンにとっては、あまりに過酷な結果だったけど……)

 

 翌日。ターキンはトレーナーのところへ現れなかった。

 厳しい現実を突きつけられ、悩んでいると思ったトレーナーは、ターキンを呼んだり探したりはしなかった。

 彼なりの優しさで、ターキンが気持ちに整理をつけて自主的にやってくるのを待った。

 でもその日も、さらに次の日も姿を現さず……それでさすがに不安を抱いた。

 それで話をしようと思って連絡を取ろうとしたけどつながらず、慌てて今探している──ということ、だそうよ。

 

「心当たりは探して、最後にここに来たんだが──まぁ、とにかくオラシオンとピアリスはレースに備えてトレーニングに──」

「ここまで言われて、そんなことできるわけないじゃないですか!!」

 

 そう強く言ったのはオラシオンだった。

 

「見損なわないでください。私も協力して探しますよ。それにこんな話を聞いたら気になって練習どころじゃありませんから」

「うん、わたしも探すよ。ターキン先輩、可哀想だもの」

 

 サンドピアリスも真剣な顔で頷き──ちょうどその時、トレーナーのスマホが鳴った。

 慌てて取り出してそれを掴み、画面を見て微妙な表情になる。

 ともあれ、通話に出て──

 

「はい、乾井です。あの、東条先輩……ちょっとこっち立て込んでまして……え? ああ、はい。まぁ探してまして……はい、レッツゴーターキンを…………ハァ!?」

 

 突然。大きな声を挙げるトレーナー。

 どうやら相手は東条トレーナー……彼と同じトレーナーの指導を受けた先輩みたいだけど。

 でも、今はその人よりもターキンのことを探さないと。

 そう思ってアタシや他のメンバーがやきもきとしながら見ていると、トレーナーは通話を切った。

 そしてアタシ達の方を見る。

 

「東条トレーナーから急用?」

「……ああ」

 

 ミラクルバードの問いに、トレーナーはうなずく。

 

「ただし、用があるのは東条先輩じゃないみたいでな」

「じゃあ誰よ?」

「会長だ。シンボリルドルフ……」

「あァ?」

 

 その名を聞いてあからさまに機嫌を悪くするダイナ先輩。

 

「東条先輩はその仲立ちだったらしい。シンボリルドルフ会長がオレに話したいことがあるそうだ。それも……レッツゴーターキンの件で」

「──ッ!?」

 

 アタシだけじゃなくて他のメンバーも息をのむ。

 そして……トレーナーは学園の生徒会室へと向かった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……お前達、勝手に大勢で押し掛けるんじゃない!」

 

 生徒会室へやってきたオレ達に、その出入口で声を荒げたのはエアグルーヴだった。

 会長の補佐をしている彼女は大勢で押し掛けたオレ達〈アクルックス〉に眉をひそめている。

 

「あ? お前ンところの大将が、うちのビジョウを呼び出したんだろ? しかも〈アクルックス(うち)〉所属のターキンの件で、だ。あたしらにも無関係じゃねえだろ。おまけにここは御立派な()()()()()だろうが? お前の家でもねえのに指図される覚えもねえ」

「そういうことを言っているのではない! 大勢で来るなと──」

「構わないよ。エアグルーヴ……」

 

 反論していた彼女の声を遮るように、落ち着いた声が聞こえた。

 途端、少し戸惑った彼女はオレ達と背後の室内にいるそのウマ娘を見比べるように何度か視線を往復させる。

 そして、「わかりました」と答えて、オレ達全員を生徒会室へと招き入れた。

 ただし相変わらず納得はしていない様子で、不機嫌そうにオレ達を睨むように見ていた。

 それとは対照的に友好的にオレ達を迎えてくれたのは、この部屋の主である生徒会長のシンボリルドルフだった。

 

「さて、ようこそ生徒会室へ。チーム〈アクルックス〉……と言いたいところだが、さすがに少し人数が多いな」

 

 シンボリルドルフが苦笑するのも無理はない。

 ここに来ているのは、オレ以外にダイユウサクにギャロップダイナだけでなく、本来ならトレーニングさせたかったオラシオンやサンドピアリス、ロンマンガンといったクラシック世代まで来ているし、車椅子のミラクルバードは他よりも存在感が大きかった。

 7人も来ればさすがに手狭になってしまうのも、無理はないだろう。

 

「申し訳ない、シンボリルドルフ。本当はオレ一人で来ようとしたんだが、ちょうどターキンを探しているという話を彼女たちにしたところだったもので……」

「……それで無理に押し掛けてきた、というわけか」

 

 相変わらず不機嫌そうなエアグルーヴがこちらを見て皮肉気に言うと、ギャロップダイナが「あァ?」と目を三角にして睨み返していた。

 その様子に──シンボリルドルフが小さく笑う。

 

「なるほど。だから珍しく彼女まで生徒会室(この部屋)まで来てくれたのだね」

「ケッ……あたしだって本当なら来たくはなかったけどな」

 

 シンボリルドルフにまっすぐに見つめられたギャロップダイナが、面白くなさそうにそっぽを向きながら言う。

 その態度にますます視線をきつくさせるエアグルーヴだったが、会長の手前、何か言うことはなかった。

 

「寂しいね、ダイナ。キミにはもっと気軽にここに訪れて欲しいと思っているのだが……」

「あたしは御免だね。こんなお上品なところにいたら、蕁麻疹が出ちまう」

 

 ダイナの軽口に、エアグルーヴは怒り心頭といった様子で睨んでいる。

 オイオイ、ダイナ。怒らせてどうするんだよ……と思ったが、これは完全にからかって遊んでるな。

 まったく、仕方がないな。オレは心の中でため息をつき、シンボリルドルフへ苦笑混じりに話しかける。

 

「ダイナの体調が悪くなる前に、本題に移らないか? 会長」

「そうだな……いえ。そうですね、乾井トレーナー」

 

 オレの意図を汲んでくれたシンボリルドルフが微笑みながら返してきた。

 さすが“皇帝”。威厳もあるのだろうが、彼女の美貌には迫力があって圧倒される感じさえする。

 もちろん、ウマ娘の中でも屈指の美しさもあるんだが……

 

「……オイ、ビジョウ。お前見とれてるんじゃねえよ」

「アンタ、ターキンの話をしに来たんでしょ?」

 

 ギャロップダイナと、ダイユウサクがジト目でオレを睨んできた。

 まったく……オレは咳払いをしてからシンボリルドルフへと話しかける。

 

「それで……レッツゴーターキンと連絡が取れずに探し回っていたんだが、行方を知っている、ということでいいんだな?」

「ええ。ただ……行方を知っているという表現は適切ではないかもしれませんが」

「というと?」

 

 オレが促すと……シンボリルドルフは、一通の手紙をオレへと差し出してきた。

 そしてオレが受け取る前に、彼女は言った。

 

「……先日、レッツゴーターキンは引退届を出して、私が受領しています」

「なッ──」

 

 え?

 ターキンが引退届、だと?

 オレは……聞いていないぞ。

 

「オイ、ルドルフ。それはどういうことだ?」

 

 絶句してしまったオレの気持ちを代弁するように、ギャロップダイナが問うていた。

 彼女も驚いていたようだが、オレよりもショックは少なかったらしい。

 ああ、オレは──自分でもよく分かる。酷く動揺している。

 その原因にも心当たりがあるしな。

 突然、担当していたウマ娘に引退されるのは、これが初めてじゃないんだから。

 

「言葉の通りだよ、ギャロップダイナ。レッツゴーターキンは先日の阪神大賞典後に行った病院で故障が判明した。その深刻さから自身で再起は不可能と判断し、届け出をした……といったところだ」

 

 そう言うと「彼女の心情については推測が混じるが」と注釈を入れるシンボリルドルフ。

 しかしダイナはそれではおさまらなかった。

 

「あいつの事情は分かったが、それをなんでトレーナーが知らねえんだよ! 担当のビジョウを抜きにして、勝手に進めるような話じゃねえだろ!」

「それについては、レッツゴーターキンから内緒にして欲しい、と頼まれたんだ」

「……引退に関して、ウマ娘側からたっての希望があれば、手続き完了までそれをトレーナーに隠すことは、規則上認められている」

 

 シンボリルドルフの言い分を、エアグルーヴが補足した。

 これはオレも知っている。なにしろ当事者になったからな。

 ただしこれは、ウマ娘とトレーナーがトラブルになった際にウマ娘を守る手段としてのもの。

 引退するしないで揉めたりしないように、競技する側のウマ娘側の意向が尊重され、守られるようにと作られた制度だ。

 

「トレーナーが、ターキンの意に反して走らせるわけなんて無いでしょ!!」

 

 突然、苛烈に反応したのは──ダイユウサクだった。

 その剣幕に解説したエアグルーヴはもちろん、聞いていたルドルフ会長や〈アクルックス(うち)〉の面々も呆気にとられている。

 まぁ、今まで人見知りを発動させてほとんど黙ってたからな。無理もない。

 

「……もちろんそれは私も、学園側も理解しているよ、ダイユウサク。レッツゴーターキンもそういう意図ではないと説明していたしね。そしてその理由や彼女の気持ちはきっと、ここに書かれているはずだ」

 

 そう言ってシンボリルドルフは、その手紙をオレに渡してきた。

 受け取った小さな封筒には、「トレーナーさんへ」とターキンの字で書かれている。

 ここで読んでもいいのか? と視線を向けて確認すると、シンボリルドルフはうなずく。

 

 そしてオレは──中から取りだした文面に目を通した。

 




◆解説◆

【Let's go in search 消えたターキン】
・“go in search of”で、「探しに行く」という意味。
・レッツゴーターキンが行方不明になってしまう、というのはもちろん元ネタのあることなのですが、それに関しては次回で解説したいと思います。

センコーラリアット
・本作オリジナルのウマ娘で、元ネタはロンマンガンと同じく、漫画『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』に登場する架空の競走馬。
・鹿毛の牡馬で、ロンマンガンや漫画では主役級の競走馬ストライクイーグル、そのライバルで本作にも触れているアルデバランとは同世代。
・作中ではイーグルが故障で回避した日本ダービーに出走し、大本命のアルデバランを抑えてひょいと勝っています。
・本作ではアルデバランとは違う世代にされてしまっていますが……果たしてダービーを取れるのでしょうか?

ケンカ
・ロンマンガンとセンコーラリアットの喧嘩は、同じレースで競った(ロンマンガンの勝利)際に、レース後で起こった騎手同士の口喧嘩が元ネタ。
・どちらも主戦騎手で、ロンマンガンはベテランの竹岡 竜二が騎乗しており、センコーラリアットの方は若手の竹岡 一人が騎乗していました。
・同じ苗字でわかるように、この二人は親子。
・そんなわけで元ネタの方は、遠慮なく親子喧嘩をしていたというわけです。
・その様子が描かれたのは『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』本編ではなく、その連載開始前に掲載された舞台を同じくしている外伝的漫画の『Sire Line ─父の血筋─』。
・コミックスでは2巻に収録されています。
・つまり『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』で最も早く勝利を漫画で描かれたのは、ストライクイーグルでもアルデバランでもセンコーラリアットでもなく、ロンマンガンだったんです。

いつの間に
・そのロンマンガン、外伝では主役級の扱いを受けていますが、本編では完全に脇役馬。
・おかげで出走歴に不明なところが多く、↑で解説した『Sire Line ─父の血筋─』の冒頭で勝利したレースも、どのレースか全くわからない(開催場所はゴール板付近に書かれた文字から中山競馬場か? 第6レースなのは確定)ありさまです。
・このシーンの後に皐月賞のシーンがあるので、開催されたのは皐月賞のトライアル等と同じ時期ではないか、という感じ。というわけでこのタイミングで入れました。
・もちろんロンマンガンはその前の出走歴もわかりません。デビュー戦という明言もありませんし、そういう雰囲気でもありません。
・そんなわけで本作でもロンマンガンのデビュー戦をサラッと誤魔化したのですが……一応、設定的には1月頭のレースでデビューした、ということになってます。
・レッツゴーターキンは有記念に出走した直後だし、他の面々は忙しくなるの分かってるので、正月は里帰りしてた──そんな中でデビューしたのでみんな知らなかった、というオチです。

『メンフィス・ベル』
・1990年(日本では1991年)公開のイギリス映画。
・第二次世界大戦を描いた戦争もので、1944年に制作された同名のアメリカ合衆国のドキュメンタリー映画を基にして制作された映画という、一風変わった経緯を持つ映画です。
・メンフィス・ベルと名前を付けられた、B-17F-10-BOフライングフォートレス爆撃機の活躍を描いたもの。
・イギリスに駐留して対ドイツの中間爆撃を任務としたアメリカ空軍部隊の話。
・25回の爆撃を達成すると本国に帰国できる──その25回目の爆撃で出撃したものの、満身創痍な状態に陥ってしまうメンフィス・ベル。
・果たして無事に基地に帰れるのか……というのがクライマックスなのですが、そこで帰還を待つ基地の人々が絶望しかけたときに、犬が真っ先に気が付いて頭をスッと上げるシーンがあります。
・ギャロップダイナが言っていたのは、そのシーンのこと。
・ちなみに『メンフィス・ベル』の中では有名なシーンで、91年に公開された戦争ものを軸に様々な映画をネタにしたパロディ映画『ホット・ショト』でもネタにされていました。

引退届
・史実のレッツゴーターキンは阪神大賞典の終了後に診断を受けて故障が判明。それを理由に引退していました。
・阪神大賞典がラストランだったんです。
・その負傷内容も、どこかで見た記憶があったような気がしたので、必死に調べなおしたんですが、結局わかりませんでした。
・その負傷内容を見たという記憶が、他の競走馬とゴチャゴチャになっているのかもしれませんが。

規則
・ウマ娘側が希望すれば、担当トレーナーに秘匿して引退手続きを行える──というのはもちろん本作オリジナルの設定。
・本人の意に反して引退させない悪徳トレーナーからウマ娘を守るために作られた制度、ということになってます。


※次回の更新は仕事がかなり多忙になったため、7月14日の予定です。  



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第47R Let's go on a journey いつか、また……


 ──乾井トレーナーさま

 まずは謝らせてください。本当にごめんなさい。
 勝手に引退を決め、それを届出してしまいました。そんな私の身勝手な振る舞いを、どうかお許しください。

 本来ならトレーナーさんに相談してから決めるべきなのは私も理解していますし、そうしたいという思いももちろんありました。
 前野トレーナーさんの事情もありましたが、途中から〈アクルックス〉に入りたいという私のワガママを受け入れてくださり、そして大変お世話になったトレーナーさんだからこそ、不義理はしたくないと思っていますし。

 でも……それでもこうして、このような行動を私がしてしまったのは、これ以上トレーナーさんに迷惑をかけたくなかったからです。
 先日、病院で告げられた故障はとても重いものでした。
 とてもショックでした。
 私自身、当初は甘く見ていて、負傷していてもきっと軽傷に違いないと思ったから、シオンちゃんやピアリスちゃんで忙しいトレーナーさんの手を煩わせたくなくて、一人で病院に行ったんですけど……
 正直、後悔しました。これを一人で抱えなくちゃいけなかったんですから。

 でも今は、一人で行って良かったと思っています。
 私は弱いウマ娘です。
 気が弱く、臆病な私はきっとトレーナーさんに頼ってしまいます。
 もしもトレーナーさんがこの結果を知ったらきっと……あきらめるな。がんばって復帰しよう、と仰ってくださったんじゃないかな、って思ってます。

 だって乾井トレーナーさんは、とってもとっても優しい人だから。

 だから私の故障が治るのを辛抱強く待って、それから一生懸命リハビリに付き合ってくださって、そしてトゥインクルシリーズに復帰する……そこまでキチンと面倒を見てくださるに違いない、と勝手ながらに思いました。
 だからトレーナーさんが、がんばろうと言ってくれたら──私はきっと、トレーナーさんに甘えてしまいます。

 今回の私のケガは、本当に重い……もしも復帰できても、今までと同じように走れるかどうか、わかりません。
 それに治療に時間がかかるのも間違いありません。そうすれば体のピークも過ぎてるし……
 ただでさえ勝てなくて弱い私が、時間をかけて復帰したところで……結果を残すことは、無理だと思います。
 それに今の〈アクルックス〉はシオンちゃんやマンガンちゃん、それにピアリスちゃんのクラシックレースを迎えようとしています。
 その中で私のような弱いウマ娘が無理に残れば、トレーナーさんや渡海さん、それにミラクルバードさんにも無駄に負担をかけることになってしまいます。

 今までいっぱいお世話になったから、そしてこんな気が弱くて厄介なほどに臆病な私を受け入れてくれた、そんな〈アクルックス〉が大好きだから……私は大事にしたいと思ったんです。

 もしも引退をトレーナーに相談したら、復帰を目指そうというトレーナーの優しい言葉に甘えてしまうでしょう。
 弱い私は、まだチームにいられる、と受け入れてしまうに違いありません。
 だから……だからこそ、トレーナーさんに相談するわけにはいかなかったんです。

 トレーナーさんが悪いんじゃないんです。弱い私が悪いんです。
 本当に、本当にごめんなさい。

 ……そしてなによりも、今まで本当にありがとうございました。
 弱くって、トレーナーさんには迷惑ばかりかけてしまったけど……でも、トレーナーさんは私の夢を叶えてくださいました。

 私の憧れた……あのダイユウサク先輩の有記念のように、私に秋の天皇賞での勝利をくださったんですから。

 もしかしたら今後、私は“最弱の天皇賞ウマ娘”なんて言われるかもしれませんけど、それでもあのレースに勝てたのは私の誇りです。
 トウカイテイオーさん、メジロパーマーさん、ダイタクヘリオスさん……そういった他のGⅠウマ娘さん達と競い、一生懸命に走り、そして私が手にした唯一無二の栄冠で、私の最高の宝物ですから。

 この思い出があれば──私にはトゥインクルシリーズにも、悔いはありません。
 これを抱いてさえいれば、私はどこでも生きていけます。
 そして、それしかない私が競走というものから離れたら……いったいなにが残っているのかな、とも思ってます。

 だから、皆さんに頼ることなく私になにができるのか……ちょっと探しに行ってきます。

 そして競走を離れた私ができることを見つけたら──連絡します。
 それまでちょっと……長い目で、お待ちください。

 今まで、本当に、本当にお世話になりました。
 どうもありがとうございました。

 かしこ

レッツゴーターキン      




 

「……まったく、余計な気を使いやがって」

 

 オレは、その手紙を読んで悔しさで手が震えた。

 なんでオレはあの時……ターキンを一人で病院にいかせちまったんだ。

 そしてなんで、あの結果を知りながら手を差し伸べずに、アイツが自分で立ち上がるのを待っていたんだ。

 

(あのターキンだぞ……臆病なアイツが遠慮することくらい、簡単に予想できただろうがッ!)

 

 後悔のあまり──涙がこぼれそうになる。

 オレが悔しさを噛みしめていると、ダイユウサクが怪訝そうに見てきた。

 それに他の面々も、オレの反応見つつ、手紙の内容を気にしている様子だった。

 

(今のオレには、説明する余裕はない)

 

 そう考えてダイユウサクに手紙を渡す。

 広げた彼女を取り囲むように他のメンバーが集まり、額を寄せて手紙を読み進めていた。

 一方、それを横目に見つつ、シンボリルドルフが読み終えたオレに対して改めて向き直った。

 

「内容について、なにが書かれていたのか私は知りません。ですが、彼女の意向を汲んで引退の手続きを済ませました。事後になりますが、それをトレーナーである貴方……乾井 備丈(まさたけ)に報告いたします」

「……ありがとうございます。お手数をおかけしました」

「乾井トレーナー、レッツゴーターキンはすでに退寮もしていて、現在は学園も彼女がどこにいるのか、把握していません

 

 会長に一礼して頭を下げたオレに、彼女の隣にいたエアグルーヴが説明した。

 さっき最初にシンボリルドルフが言ったのはそういう意味だったのか。

 そして連絡が付かないのも……彼女がオレを着信拒否にしているからだろう。

 あの手紙の内容を信じるなら、オレやチームに甘えたくないから、らしいが……

 

(本当にそうだろうか?)

 

 疑心暗鬼のように、イヤな考えが頭に浮かんでは消える。

 本当は勝てないトゥインクルシリーズと、勝たせられないオレに嫌気が差して辞めてしまったんじゃないだろうか?

 あんなに酷いケガだったのに一人で病院に行かせて、愛想を尽かされたんじゃないのか?

 本当は前から競走をやめたかったのに、オレの「走れ」という圧が強くて言い出せなかったんじゃないか?

 

「──オイ、ダイユウサク。お前、誰に電話してんだ?」

 

 そんなギャロップダイナの声でオレは現実に引き戻される。

 

「決まってるでしょ? ターキンよ」

「……やめろ。かけんな」

 

 静かに、しかしキッパリとダイナが言い放つと、ダイユウサクはそれに反発した。

 

「なんでよ? ターキンがどこにいったのか、アンタは心配じゃないの?」

「ガキじゃねえんだから心配してねえよ。それにあいつはウマ娘だ。腕っ節ならヒトの男にだって負けやしねえよ」

「そういう意味じゃなくて──」

「メンバーの誰にも何も言わずに去った、あいつの気持ちを汲んでやれって言ってんだよ」

 

 視線を逸らしながら言うダイナの目は、オレには妙に寂しげに思えた。

 ギャロップダイナというウマ娘は、不器用でぶっきらぼうだが仲間思いのウマ娘だ。

 そしてチームの中では最年長。ターキンに頼られなかったことに悔しさを感じているのかもしれない。

 

「でも……」

 

 そしてダイユウサクもそうだ。

 アイツもアイツなりに、チームでは最古参という自覚がある。人付き合いが苦手なくせに、妙に責任感を感じて背負い込むことがある。

 だからこそ、罪悪感を感じてターキンの居場所とはいかなくとも、無事を確認したいに違いない。

 

「ダイユウ先輩、やめとこ? ボクも心配だけど……でも、かかってくる電話を無視するのは、きっとターキンだって苦しいと思うよ?」

「そう……ですね。私もミラクルバードさんの言うとおりだと思います。皆に黙って去った決意というのは、並々ならぬものだと思いますから」

 

 ミラクルバードに続いてオラシオンが、悲しげな面もちで言った。

 そして、胸の前で手を組み──祈りを捧げている。

 

「ターキン先輩の行く道に、幸ありますように……三女神よ、無事を見守りください」

 

 そう。オラシオンの行動が今のオレ達にできる精一杯だろう。

 彼女の旅が、そしてこれからの人生が無事でありますように、幸多いものでありますように、と祈ることしかできない。

 それがもどかしくもあるが……

 

「で、トレーナー。さっき、自分を責めてなかった?」

「ッ……そんなこと、ないぞ」

「誤魔化さないでよ。ちょっと驚いてたからそうだったんでしょ?」

 

 ミラクルバードが呆れたように小さくため息をつく。

 

「心配しすぎ。突然いなくなったから古傷思い出したんだろうけど、ターキンもちゃんと手紙で感謝してるよ。秋の天皇賞をとれたのは、トレーナーのおかげだって」

「それは……」

「ダイユウ先輩に憧れた彼女の夢を、叶えてあげたんだから……それは誇ろうよ。ね」

 

 持ち前の明るさで、ミラクルバードは笑顔でオレに言った。

 黄色い覆面の奥の目が、優しげに細められているのを見て──オレの心がフッと軽くなった。

 

「ああ。ありがとう、ミラクルバード」

 

 思わず彼女にお礼を言っていた。

 そうだな、あの“秋の盾”はレッツゴーターキンというウマ娘がいたというなによりの証だ。

 そしてそれは、彼女だけでなくオレ達〈アクルックス〉の栄光でもある。

 〈アクルックス〉が存在し続ければ、それを語る者も残り続ける。

 そのためにも──まずは下の世代のオラシオン達が結果を残さないとな。

 オレは決意を新たにして、みんなを振り返った。

 

「ターキンも、落ち着けば連絡をしてくると言っているし、それを待とう」

「ま、電話しても着拒されてるから通じないでしょうし」

 

 ……ロンマンガン、お前結構ドライでシビアよな。

 今の台詞の後に「それまでみんなで頑張ろう」という言葉を用意していたオレは思わずジト目を向けていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──それから数ヶ月後、オレのスマホに一通のメールが写真とともに送られてきた。

 

 そこに写っていたのは笑顔を浮かべるレッツゴーターキンの姿。

 そしてそんな彼女は、一緒に多数の牛がまるで身を寄せ合うように囲まれて写っている。

 そのせいで彼女の笑顔も困惑気味の苦笑のようにも見えるのだが……とりあえず無事で元気なようだ。

 メールの文面によれば、旅先で去年の秋の天皇賞で彼女のファンになったという牧場主と知り合い、その牧場でお世話になっているらしい。

 

「居場所を見つけたんだな、ターキン……」

 

 思わずつぶやいたオレは、窓越しに空を見上げる。

 ひょっとしたら今ごろターキンも牧場の作業の傍らに空を見上げているかもしれない。

 少なくともこの空はターキンの居る場所まで続いている。

 彼女が幸せそうに暮らしているその場所まで。

 

 ──どうやら三女神さまは、オレやオラシオンの祈りを聞き届けてくれたようだ。

 

 でもな、ターキン……ここにもお前の居場所は残っているんだぞ。

 だからいつでも戻ってこい。少なくともオレが学園にいる間は──例え学園の寮にお前の名前は無くなっても、〈アクルックス(うちのチーム)〉にはその居場所は残しているからな

 

 

 

 だから……また、いつか会う日まで。

 元気でな、レッツゴーターキン。

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ~~数年後~~

 

 

「あの、おタケ先輩。一つ訊いてもいいありますか?」

「なんでございましょう?」

「チームの部屋にいつも必ず(から)のデカいダンボールありますけど、アレってなんでありますか? 正直、邪魔で片付けたいんでありますが……」

 

 少し前にチーム〈アクルックス〉へ入ってきたウマ娘は、眉根を寄せて先輩のウマ娘へと尋ねていた。

 チーム部屋の掃除は後輩の務めである。

 かといって、伏せた人が入れそうなほどに大きな空きダンボールが、意味ありげに部屋の片隅に置いてあるのを勝手に片付けるワケにもいかない。

 勝手に捨ててしまったら、後から使う予定だった先輩から怒られることは必定だからだ。

 困惑顔のウマ娘に、先輩は苦笑しながら答える。

 

「まだ他の先輩から聞いてないのでございますね? あれは片付けずに取っておかないといけないそうでございます」

「え? そうなんでありすか? でも何故……まさか偵察に使うとか? ひょっとして潜入ミッション……」

「おや? ヤマちゃん様、そういうのやりたいのでございますか?」

「そんな……自分はそういうの苦手でありますので」

 

 苦笑混じりに「遠慮します」と言う新人。

 それに先輩も同じように苦笑して答える。

 

「先輩方がおっしゃるには、()()()()()()()()()()()()()()だそうでございます。我が〈アクルックス〉で2番目に金星を挙げた、ちょっと気弱な先輩の──」

 

 そう言って彼女は──部屋の片隅に置いてある人が一人くらい入りそうな大きさの、空のダンボールを見つめた。

 

 




◆解説◆

【Let's go on a journey いつか、また……】
・“go on a journey”で、「旅立つ」という意味。
・これにてレッツゴーターキンのシナリオは本当の本当に最後になります。
・もしかしたら今後、チラッとゲスト扱いで出るかもしれないですが。
・史実のターキンの経緯を考えると、また戻ってきそうですからね。

把握していません
・今回のレッツゴーターキンの行方が分からなくなったというのは、実際のレッツゴーターキンが引退後に行方不明になったことが元ネタです。
・競走馬は引退後、結果を残した牡馬ならば種牡馬となり、牝馬は血統を残すために繁殖牝馬になる等し、なれなかった場合には乗馬になったりします。
・乗馬になったり繁殖からも引退すると、余生を過ごすわけで……同じように八大競走を一度だけ制したダイユウサクは北海道の浦河町にある『うらかわ優駿ビレッジAERU』で過ごし、ニッポーテイオーやウイニングチケットと仲が良かったそうです。
・そのようにGⅠ馬などの著名な馬の引退後を保護する功労馬繋養展示事業というものもあるのですが、すべての競走馬を守りきれるわけではありません。
・繁殖を引退すると管理も厳重でなくなるのか、引退後に行方不明というのは実際の競走馬ではまあ、ある話です。
・それは天皇賞を制したレッツゴーターキンも例外ではなく……レッツゴーターキンの祖母にあたるオークス馬のシャダイターキンさえも1986年に繁殖牝馬を引退して用途変更を行った後の行方がわからなくなっています。
・それ以外にも、GⅠ優勝馬でさえも行方不明になっている馬は多く、中には本作でオリジナルのウマ娘として登場した競走馬も存在しています。
・たとえば、オグリキャップ世代のトリプルティアラをアラホウトク、コスモドリームと分け、エリザベス女王杯を制したミヤマポピーも繁殖牝馬を引退後には行方不明に。
・ダイユウサクと90年の天皇賞や91年のスワンステークスで競ったラッキーゲランも乗馬になった後に行方不明。
・あの91年の有馬記念の出走メンバーだったオサイチジョージも種牡馬引退後にどこにいったかわからなくなっています。
・アニメ2期でリオナタールとして登場し、トウカイテイオーが取れなかったクラシック三冠の残りの一つの菊花賞を手にしたレオダーバンも、2001年の種牡馬引退後は行方不明になっています。
・そうして行方不明になった場合、だいたいの場合はわからないままです。
・数少ない例外の一つに、公式ウマ娘のハルウララがいるのですが……関係者のゴタゴタでどこにいったか一時的に分からなくなったようです。

牧場でお世話になっている
・そんな行方不明になったらまず見つからない競走馬ですけど、レッツゴーターキンに関してはその数少ない例外のひとつだったりします。
・競走馬を引退したレッツゴーターキンは新ひだか町のレックススタッドで種牡馬になったのですが、バブル崩壊の影響、そもそもの生産牧場の構造、外国産馬の攻勢等によって厳しい時代になり、種付けもなくなってその牧場から別の牧場へとだされてしまいます。
・そして種牡馬登録こそ抹消しないまま行方不明になったのですが……その後、ある競馬雑誌の記者が「内国産GⅠ馬たちの近況」を伝える特集の取材をして、そこでターキンの姿を見つけます。
・無事に発見されたレッツゴーターキンがいたのは、馬の牧場ではなく牛を飼育している牧場(幕別町にある新田牧場と思われます)でした。
・その牧場主がレッツゴーターキンと主戦騎手だった大崎騎手のファンだったためにレッツゴーターキンを引き取ってくださっていたそうで、他の行方不明の馬たちのような悲劇を回避できていたようです。
・そしてその記者が、牛に囲まれたレッツゴーターキンを写真撮影しようとしたところ──牧場の人たちに「やめてください」と強く止められたそうな。
・彼ら曰く「天皇賞馬が牛と一緒にいる写真なんて、あんまりだ」と。
・それほどまでに愛される場所へたどり着けたレッツゴーターキンは、間違いなく幸せだったと思います。
・その後、1997年から幕別町のサンライズステイブルへと移り、種牡馬登録を抹消していなかったために種付けの話もきたようですが……残念ながら勝ち星を挙げる後継者は現れませんでした。
・そして、2011年1月8日に倒れ、一時は良くなったものの1月30日──競走馬レッツゴーターキンはこの世を去りました。
・牧場の方の話では「終始穏やかに前日は他の馬たちとも遊んで静かに旅立ちました」とのことです。

おタケ先輩
ヤマちゃん
・今よりも少し先の〈アクルックス〉のメンバー。
・どっちももちろんモデルの実在馬が有るのですが……さて、どの馬でしょうね。
・ちなみに、おタケさんは今後も完全にモブ扱いが決定しているウマ娘で、第三章があったとしても名前だけがたまに出てくるくらいの扱いになる予定です。
・彼女の話を本格的にしようとすると、今でもターキンとピアリスの世代が逆転していていて大変なのに、トドメが刺されて世代的に完全に大混乱になるのが確定しますので。
・だからおタケさんはたぶん、ピアリスの次くらいに入っていたメンバーになりそうですけどね。
・ヤマちゃんは──活躍を描くかどうかは検討中といった感じ。このままモブで終わる可能性も高いです。


※次回の更新は、これからは6日ごとが安定しそうな7月20日の予定です。  



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第48R ──春雷(前編)


 ──3月の三週目も週末を迎えた。

 この週末から、〈アクルックス〉にとっては大事な期間が始まる。天王山……とはいかなくともその前哨戦にあたるほどだ。
 ここからウチのチームにとってのクラシック戦線が本格的に始まる、と言っても過言ではない。
 まずはトリプルティアラ路線を目指すべく、芝の適応を確認を含めたサンドピリスの第2戦目。
 そしてクラシック三冠を目指すオラシオンが、皐月賞のトライアルレースであるスプリングステークスに挑む。
 レッツゴーターキンの引退で沈みがちなチーム内の空気だったが、いつまでもそのしんみりしたそれに浸っているわけにはいかないのが、悲しいところではあるのだが……




 

 ──結論から言えば、サンドピアリスは結果を残せなかった。

 

 

『混戦模様のレースを制したのはコクサイリーベ!! 桜花賞への、トリプルティアラの挑戦に名乗りを上げた~!!』

 

 そんな実況を聞きながら、レースの模様を現地の阪神レース場で見ていたオレとギャロップダイナ。

 互いに複雑な表情で、オレは腕を組んでうつむいて考え込み、ダイナは天を仰いでいた。

 桜花賞のトライアルレースにデビュー2戦目で挑んだのは早かったという思いもある。

 しかも初めての芝でのレースだ。

 

「芝の経験は積めた……」

 

 ダイナがポツリと言う。

 それに対してオレは──シビアなその現実を突きつけた。

 

「……それだけの結果だけどな」

 

 レースの結果は9着。その事実は受け止めなければならない。

 終始他を圧倒し、前を悠々と走れた前回のレースとはあまりに勝手が違っていた。

 常に集団に埋もれてしまい、抜け出すことができずにそのままレースを終えてしまっている。

 いいところ無く終わった、というのがピッタリくるレースだった。

 

(走るときに地を蹴る際の力の加わり方なんかは天性のものだが、ピアリスの場合はどうにもそれがダートに適正があるように見える)

 

 前走は稍重で締まったダートという、走りやすいバ場だったというのもあるだろうが、そこで快勝している。

 レース内容も先頭をずっとキープしたままゴールという、彼女の強さを見せつけたものだった。

 今回、その“強さ”を発揮できなかったところを見るにやはり芝の適正が低いと判断せざるを得ない。

 

「オイオイ、ビジョウ。今回はグレードレースだぞ? しかもピアリスはデビュー2戦目だ」

 

 芝路線……というよりはトリプルティアラに挑戦させたいギャロップダイナがフォローする。

 気持ちは分からないでもないが、やはり結果がすべてだ。

 さらに言えば今回のレース、特にレベルが高かったわけではない。

 例えばオラシオンやセントホウヤのような話題になっている注目株が出走していたわけではなかった。

 今年のトリプルティアラ路線でそういう立場になりそうなのは、今月頭のペガサスステークスまで7戦5勝で残りの2戦は2着というシャダイカグラや、デビューから3連勝して、今月のペガサスステークスでの3着が最低順位になっているアイドルマリー、辺りか。

 

(1着のウマ娘もこれで6戦3勝になるが……結果が極端なんだよな)

 

 2着や3着ということがなく勝つか中位か、しかもそれを交互に繰り返しているという波のあるウマ娘。

 確かに前回負けてるから今回は勝ちの順だったが、安定した強さを見せられないのでやはり“強いウマ娘”という感じはない。

 そしてタイムも取り立てて速くもなければ遅くもない。

 そんな中でピアリスは集団の中に埋もれてしまい、見せ場も何もないような有り様。

 そういうわけで、オレは今回のピアリスの結果を厳しく判断しているのだが──

 

「グレードレースをデビュー戦にして、30秒近いタイムオーバーした誰かさんに比べたらなぁ? な、ビジョウ……」

「ぐッ……」

 

 お前なああぁぁぁぁぁ!!

 文句を言いたい気持ちをグッとこらえてダイナを見ると、意地悪そうにニヤケている。

 

「それを言うか? この場面で……」

「ああ、言うさ。このネタでビジョウをからかえるのは、チームの中でもあたしくらいだからな。他は気を使って遠慮するだろうし、遠慮しなさそうなダイユウサクは、タイムオーバーそのものが自爆ネタだからな」

 

 確かにミラクルバードはパーシングのことを話題にもしないようにしているかもしれないし、他のメンバーも触れようともしない。

 笑い話にしようとするダイナの気遣いも分かるんだが……

 

「オレにとっては痛すぎる古傷だからな? できれば触れて欲しくないんだぞ?」

「その割には、たまにUmer(ウーマー) Eats(イーツ)頼んでるよな? コソコソと」

「ッ……」

 

 ジト目で睨まれ、オレは思わず視線を泳がせる。

 ……だって、仕方ないだろ? アイツがちゃんと生活できてるか不安になるし、少しでも応援してやりたいと思うから、どうせならアイツの仕事になるようにと思ってのことだ。

 ともあれ、この話を突き詰めていっても仕方がない。今はピアリスのことだ。うん。

 オレはコホンと咳払いをして、話を元に戻した。

 

「確かに格上挑戦だったからな。やむを得ないところもある」

「だろ? 今のピアリスは勝利よりも“挑戦することに意義がある”って段階だ」

「それは否定しないが……」

 

 だが、その挑戦も現実的な──言い換えれば勝利が見えるものでなければ、オレは走らせたくはない。

 確かに目標を定めて、それに挑戦し続けるのはモチベーションを保つ上で重要だろう。

 だが、無謀な挑戦をし続けるのは彼女自身の評価を下げるし、負け続けるというのは走ることへのモチベーションを失いかねない。

 どうやっても夢が実現できないと思い知らされれば、待っているのは絶望だ。

 

「よく考えてみろよ。ピアリスはこの前デビューしたばかりだ」

「それは分かってる。今月の頭だからな」

「その通りだ。で、今までケガしてたわけでもねえ。そもそもチームに入って本格的に動き出したのでさえ昨年末の12月──」

 

 そう考えるとデビュー戦で勝利できたのは、かなりの急成長を成し遂げたから、と言えるのも確かだ。

 ダイナの言い分には確かに一理ある。

 

「トリプルティアラを狙ってる他のライバル達は去年の秋から、早いヤツは去年の夏にデビューしている。季節を見れば1週とはいはないが、半周くらい早くスタートしてるようなもんだぞ。そんな連中に、春のレースで勝とうって方が無茶だろ」

 

 とても追いつけるわけがない、とダイナ。

 もちろん、遅いデビューから春のクラシックに間に合わせた例がないわけじゃない。

 ダイユウサクの同級生、メジロアルダンなんかがそうだが……彼女の場合は才能あふれるウマ娘だったが、その“ガラスの脚”のせいでデビューが遅れたという事情があった。

 ピアリスはそういう事情が無く、今にきてやっと本格化が始まろうとしている……という気配だ。

 

「じゃあ、秋ってことか?」

「それは仕上げをごろうじろってとこだが……だからこそ、今はモチベーションが大切なんだ」

 

 ピアリスの友人達は、トリプルティアラに向けてスタートを切り、そして現実的な場所にいる。

 シャダイカグラも、ライトカラーも、桜花賞への出走に名乗りをあげるのに十分な実績があった。

 彼女(友人)たちと本番のレースで競いたい。その気持ちは分かるが……

 

「でも、芝に専念させるってわけにはいかないからな」

 

 オレは自分の意見を曲げるつもりもなかった。

 ダートを否定すれば、なにより彼女の可能性を狭めることになる。

 もしも芝で大成できずとも、ダート路線で才能を開花できるかもしれないし、むしろその確率の方が高いように思えるんだ。

 

「二兎を追うものは……って言うぜ? ビジョウ」

「さっきお前自身が言っただろ、ダイナ? 今は“挑戦することに意義がある”って段階だ、とな。芝もダートも、とりあえず挑戦してみよう」

 

 オレの意見に、ギャロップダイナも渋々ながらうなずいた。

 ともあれ、負けてしまい1勝1敗のサンドピアリスは、成績面で桜花賞に出走できず──最初のトリプルティアラは挑戦さえできなかった。

 

 まぁ、桜花賞と言えば、結果を残していた朱雀井のところのウマ娘でさえ抽選に外れて出走できなかったほどのレースだから……やむを得ないよな。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そして、その翌週。

 

 ここ、中山レース場ではもう一つのクラシックレースへのトライアルレースに、我が〈アクルックス〉から出走するウマ娘がいた。

 

 スプリングステークス

 

 クラシック三冠の一つ、皐月賞への優先出走権が得られるレースである。

 そのレースに出走するのは、デビュー戦こそ負けたものの、それから勝ち続けて現在3連勝中のオラシオン。

 その走路(舞台)へと立った彼女は、いつものように片膝をついて胸の前で手を組み、祈りを捧げる。

 三女神を祀る宗教の敬虔な信者である彼女は、レースに挑む際にいつもそうしている。

 それがオラシオンの“ルーティーン”として、世間では話題になりつつもあった。

 

「オラシオン!」

 

 祈りをを終え、組んでいた手を解いて膝を上げたオラシオンに、オレは声をかけた。

 澄ました顔でやってきた彼女は、「なんでしょうか?」とオレに訊いてくる。

 

「今日のバ場は、見ての通りの有様だが……」

 

 厚く垂れ込めた雨雲はひどい雨をもたらして──おかげでバ場は重を通り越し、“不良”と発表されている。

 

「……阪神ジュニアステークスの時も雨でしたけど?」

「ああ、覚えてるよ。そこで雨大好きウマ娘(ブロンコキッド)と競い、勝った」

「はい。ですから不安はないかと──」

 

 そんな彼女が事も無げに答えかけ──

 

「落ち着いていけよ、オラシオン」

 

 その言葉を遮ってオレが言うと……彼女は首を傾げた。

 その表情にはわずかないらだちを感じる。

 

「どういう意味ですか、トレーナー? 私が落ち着きを失っているような言い方ですけど……」

「お前さんの普段の生真面目な性格や振る舞いで隠れちゃいるが、負けん気が強い。そして今、その負けん気を向けているのは……アイツだろ?」

 

 そう言ってオレが視線を向けたのは──じっとこちらの様子をうかがっている、一人のウマ娘だった。

 

「今日の一番人気がこっちを伺ってるぞ。今日はお前の人気、3番目だしな……」

「人気なんて関係ありません。レースは人気よりも結果こそ重要です」

 

 3連勝中のオラシオンだったが、それでも今日はそれよりも上の結果を残しているウマ娘がいた。

 ジュニアの晩秋までで4連勝していたウマ娘が、今日は出走しているのだ。

 彼女の存在と休養によるブランク、それに初めてのレース場というアウェイなのもあって、オラシオンは3番人気になっていた。

 

「ダイユウサクさんもギャロップダイナ先輩もレッツゴーターキンさんだって……人気薄だろうとも、結果を残した方々です。〈アクルックス〉はそういうチームでしょう?」

「……だが、本心では面白く思っていない。違うか?」

 

 オレの追求に、オラシオンはついにプイとそっぽを向いた。

 

「そう思いたいのであれば、トレーナーさんはそう思っていればよろしいのではないですか?」

「違う違う。別にお前と喧嘩したいわけじゃないんだ」

「その割には、これまで随分と意地悪いことをしてきたように思うのですが?」

 

 オラシオンは「特にデビュー戦……」と言い、ジッと見てくる。

 それにオレは苦笑を浮かべつつ、軽く両手を上げた。

 

「それについては降参だ。悪かった……お前の性格から、反発する相手がいた方がいい結果になると思ったからだ」

「私が、()()()()()()()()()だから、でしょうか?」

 

 皮肉めいた口調でさっきのオレの言葉を揶揄してくる。

 そういうところなんだよな。オラシオンが予想外に気が強いのは。

 オレは苦笑しかけた表情を引き締め、真面目に彼女に答える。

 

「今日からは本気で負けられないレースが続く。だから、オレのことを信用してくれ」

 

 そう言い……オレは頭を下げた。

 一瞬呆気にとられ、オラシオンは驚くというよりはポカーンとした顔になっていた。

 戸惑っている様子だが、反発はない。

 

「その上でアドバイスさせてほしい。オラシオン、自分のクセに気づいてるか?」

「クセ?」

 

 眉をひそめ、首を傾げるオラシオン。

 だが思い至るところはないらしく、ピンときた様子はなかった。

 

「ああ、そうだ。お前、一杯一杯になったときに内によれるクセがあるだろ?」

「それは……確かに最後の力を振り絞った後にそうなりがちかもしれません」

 

 自覚があるのか無いのか。

 全力を出しすぎ、バテて内によれてしまう──そんなクセだとオレも思っていた。

 実際、体力的に余裕のあった阪神ジュニアステークスではそんな様子はなかったしな。

 だが、シンザン記念でその考えは変わった。

 

「あれは体力が尽きたからなんかじゃない。お前の絶対に負けたくないって気持ちが暴走しているだけだ」

「気持ちが暴走? 私は強い感情なんて、そんな……」

「お前はレースが迫ったり、直後だとかなり感情的になっている。自覚がないのかもしれないが……」

 

 本気で言っていた言葉だったようなので、たぶん本当に自分で気がついていないのかもしれない。

 だが、指摘されれば心当たりはあったようで──少し気まずそうにしている。

 

「デビュー戦をのぞけば、今まで一番苦戦したシンザン記念では内へのよれが顕著だった」

 

 もっとも、今のところ唯一の負けレースになっているそのデビュー戦だって、高ぶった感情を露わにしていた。

 真面目で品行方正な優等生、というオラシオンのイメージが崩れたのはまさにその時だった。

 

「そんな極度の負けん気が暴走して抑えられなくなり、衝動的に体を狂わせて内へと向かってしまう、オレにはそう見えている」

「そんな……そんなはず、ありません!」

 

 認められない、というふうに首を横に振る。

 そのとき、スタート直前になって集合の号令がかかった。

 そちらの方へ一度振り向き、それからオレへと振り返るオラシオン。その目には、絶対に認めません、と雄弁に語っている。

 彼女を納得させる時間は無い、な……

 

「オラシオン、お前の言い分は分かった。でも今日はとにかくオレが言ったそれ意識してレースしてみてくれ」

「私は納得していませんけど?」

「だから、もしもそれがオレの勘違いであれば後でいくらでも文句を聞くし、なんでも言うことを一つ訊いてやる」

「そんなことを言われても、トレーナーにしてもらいたいことなんて……」

 

 ジト目でそう答えるオラシオン。

 それはそれでヒドく傷つくよな、なんか。

 

「とにかく今日のレースは負けん気を抑える、内へよれない、そういったのを念頭に走ってくれ。それに今日は、お前がマークするべき相手は一人しかいない」

 

 そう言ってオレが見たのは……一番人気のウマ娘。

 先ほどからこっちの様子をうかがい、オラシオンを明らかに意識している彼女の名前は──セントホウヤ。

 一流の血統を受け継いでいる彼女は、その才能と実力を証明するように昨年の夏から秋にかけて戦い、最優秀ジュニアの座を獲得している。

 今回のレースは、事実上の二人の対決と言われているほどだった。

 

(だからこそ、その負けん気が暴走するおそれが高い)

 

 オラシオンも彼女を意識しているのは明らかだ。

 意地のぶつかり合いになったときに、その悪癖がどう転がるか……

 

「アイツと競う時にさっき言ったことが邪魔しないように、気をつけてくれ」

「……はい」

 

 分かりました、と言わなかったのは、自分でそれを認めたくない気持ちがあったからなのだろう。

 オラシオンはオレへと返事をすると、スタート地点の方へと走っていく。

 降りしきる雨の中、オレに残されたできることと言えば、あっという間に遠ざかっていく彼女の背を見ることしかなかった。

 




◆解説◆

【──春雷(前編)】
・「春雷」は小説『優駿』でスプリングステークスが描かれているシーンが含まれた章のタイトル。
・『馬の祈り』の詩はレースに対応する部分が無いので、正直ネタ切れです。

桜花賞のトライアルレース
・サンドピアリスの2戦目は、第23回報知杯4歳牝馬特別というレース。
・1989年3月19日に阪神競馬場で開催。
・芝の1400メートル。当日の天候は晴れで、良馬場でした。
・GⅡの重賞レースで、4歳が違う年齢を指すことになってしまった現在では、やっぱりフィリーズレビューという名前に変わっています。
・ウマ娘の世界では「4歳」も「牝馬」も使えないために、このレースのタイトルどうするんじゃ!? っとなったのですが、どう考えてもレース名を出すのが無理なのでこうなりました。
・なお、“報知杯”は弥生賞もそうなので使えません。
・このレースの勝者はコクサイリーベ。この後は桜花賞へ出走し、3番人気になっています。
・1990年までは5着までが桜花賞への出走権を得られたので、それ以外にタニノターゲット、ファンドリポポ、アイテイサクラ、カミノテンホーが権利を受けて出走しています。
・なかでもこのレースで本命だったものの負けてしまったタニノターゲットは、本番ではキッチリ実力を発揮して3着に入っています。

応援してやりたい
・“Uber eats”を利用できる都市に住んでいないのでよくわからんのですが、きっと配達員を指定できるということは無いと思っているのですが……
・ただ、あくまで“Um()er eats”ですので、モデルになったものとは違っている、ということだと思っていただければ。

スプリングステークス
・1952年に創設された、4歳(現3歳)限定のレース。
・2001年では現在の年齢表記に合わせた際に、牡馬限定のレースになっています。
・皐月賞への優先出走権が得られるトライアルレースで、1990年までは5着まで、1991年からは3着までが出走権を得ていました。
・芝コースに変更はないのですが、設立当初は東京競馬場の1800だったのですが、1958年からは中山開催がメインになっています。
・グレード制導入の際になって以来、GⅡに指定されています。
・なお、今回のスプリングステークスは『優駿』でのレースがモデルになっていますので、リアルではモデルになっているものはありません。


※次回の更新は7月26日の予定です。  



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第49R ──春雷(後編)

 

 出走が間近に迫り、私はゲートの前にいました。

 天気は相変わらずの雨。

 バ場は不良の発表があり、今までのレース経験の中ではもっとも悪い状態になっているようです。

 

(悪くなると私の走り方では不利になってしまう)

 

 低い姿勢でのスパートは、バ場が悪くなればスリップの危険が上がってしまうことになりかねません。

 確かにオグリキャップ先輩達から教わった方法で対策できたのは阪神ジュニアステークスで証明済みではありますが……

 

(でも、ここまで悪い状況でも役に立つのかは未知数です)

 

 バ場が悪ければ悪いほど実力を発揮すると言われているウマ娘を相手に、その独壇場で勝てた。

 しかし、今日のバ場状態でもその走りができるかどうかはわかりません。

 そして今日の相手は、その時のウマ娘よりもあきらかな強敵。その判断を誤れば間違いなく負けてしまうでしょう。

 

「セントホウヤ……」

 

 去年の夏にデビューして、順調に勝利を重ねたウマ娘。

 私がデビューさせてもらえずにやきもきしている間に、デビューから3度の勝利を重ねていた、高い実力を誇る相手です。

 

『今のオラシオンを倒せるのは、わたくし以外におりませんわ!』

 

 今回のレースを前にしたインタビューでそう答えていました。

 確かに今回のメンバーを見れば、警戒するべきは彼女のみ、と言えるかもしれません。

 

(無敗でクラシック路線へと挑戦する彼女に対し、私はデビュー戦で1敗しています)

 

 だからこそ、今日のレースで“私は絶対に負けられない”という気持ちがふつふつとわき上がってきて……

 

(あ、れ……? ひょっとしてトレーナーさんが言っていたのは、このことでしょうか?)

 

 ふと我に返り、異常なまでに対抗心を燃やしていたのに気がつきました。

 冷静に考えれば、すでに1敗である私は無敗を気負う必要はなく、ただ皐月賞への切符を手に入れればいいこと。もちろん勝利するにこしたことはありませんが。

 逆に言えば、相手の無敗を意識する必要なんて無いはずですし、過剰に闘志を燃やすところではないはず。

 

「ひょっとして、私の負けん気……強すぎ?」

 

 トレーナーの言っていたことが胸に突き刺さり、私は自分でも驚きました。

 

(レース直前に平常心を取り戻さないと……)

 

 私は再び胸の前で手を組み、芝にひざまずきました。

 そして目を閉じ──

 

(女神方よ照覧あれ。信徒の走りを。そして、ここからクラシック三冠へ挑む私の道を──)

 

 私は乱れた心を再び集中させるため、精神を統一しながら三女神へと祈りを捧げました。

 そうして祈りを捧げる私の背後で──稲光と、そして激しい雷音が轟きました。

 

「うおぅッ!!」

 

 ………なにか、とてもウマ()として発してはいけない悲鳴が響いたようです。

 

「ピカッとなった! すごいピカッて光った!! 音もピシャアアアンって!」

 

 そしてそのままなにやら騒いでいるのが一人いるようで……

 祈りを終えた私の耳に聞こえてきたその声に、半ば呆れながらそちらを見ると……

 

「……え?」

 

 セントホウヤが、さっきまでの強者感が見る影もなくなって、雷の音に大騒ぎしているのでした。

 

 ──おかげで、皆のゲート入りが少し遅くなりました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 雨中のレースとなったスプリングステークス。

 それも直前に雷が鳴るほどに荒れた天気は、強い雨をもたらしている。

 

「阪神ジュニアの時以上だな、これは」

「だね……」

 

 車椅子に黄色い覆面がトレードマークのウマ娘、ミラクルバードは今日もその時と同じように、覆面と同色の黄色いレインコートを着ていた。

 

「大丈夫? トレーナー」

「オラシオンのことか?」

「ううん。その姿勢、きつくない?」

 

 ミラクルバードがそう訊いてきたのは、彼女に傘を差し出したオレが彼女の頭の高さにあわせるようにして腰を低くしていたからだ。

 今日のような強い雨はオレが立っていたのではさしている意味がほとんどなくなってしまうと思ってのことだったが……

 

「そんなことはないさ。それに一番きついのは、こんな雨の中で走ってるオラシオンだろ」

「そう、だよね……」

 

 今日はグレードレースとはいえGⅠではないので、勝負服でのレースではない。

 しかし5番手から6番手を走っているオラシオンが着ている体操服は、前の走者が跳ね上げる泥を浴び、泥まみれの様相を呈していた。

 もちろん服だけじゃない。ボブカットの綺麗な黒髪(青鹿毛)も泥に汚れているし、遠くを走る彼女の顔をハッキリと見ることができれば、その顔さえも泥がかかって汚れているのが見えたことだろう。

 

「でも大丈夫なの? トレーナー」

「なにがだ?」

「阪神ジュニアの時に、オーちゃんのスパートは雨だと難しくなるっていってたじゃない?」

 

 姿勢を低くして走るスパートは、バ場状態が悪い──というよりは地面の摩擦係数が下がれば下がるほどに、足が滑る危険が通常の走り方に比べて跳ね上がる。

 阪神ジュニアステークスはその難点を克服した走りを見せたオラシオンだが、今回のバ場の悪さはその上をいくのは明らかだ。

 

「こんな状態で、あのウマ娘(ブロンコキッド)と当たらなくてよかったな」

 

 足に水掻きが付いている──そう揶揄されるほどの彼女を相手にしていたら、普段以上の力を発揮する彼女に対し、オラシオンは不利な上にスパートも封じられてしまい、苦戦するのは免れなかった。

 そして幸いなことに、今日の出走メンバーの中に彼女の名前は無い。

 

「あの走りを出すかどうかは、オラシオンの判断に任せている。アイツのことだからできるのにやらない、ということはないだろうが……」

 

 不安はむしろ、負けん気が勝って“無理にやってしまう”ことの方だ。

 だからこそ、さっきクギを刺しておいたというのもある。

 

「その辺りは、オーちゃんなら落ち着いて判断できると思うけど?」

「余裕があれば、な」

 

 まさに阪神ジュニアステークスの時のようであれば、オレも不安は感じない。

 だが余裕の無かったシンザン記念のような状況になれば──オラシオンは冷静さを失って、言い方は悪いが“狂ったように”あがく可能性がある。

 

(それが()()()くらいならまだマシだが……)

 

 走るオラシオンを見ていたオレは、チラッとだけすぐ近くにあったミラクルバードの顔を見た。

 後頭部で一纏めにした栗毛の髪は、小鳥の尾羽根のようにシュッと纏まっていて……覆面こそ付けているものの、ウマ娘特有の整った顔立ちに改めて気づいたオレは少しだけ驚く。

 そんなことに気づかず、オラシオンを応援し続けているミラクルバード。

 彼女が、車椅子生活を余儀なくされたのは……競争(レース)中の事故だ。

 それこそレースでコーナーの最中に外へヨレるという想定外の動きをしたために、後ろから上がってきたウマ娘と激しく衝突してしまい、吹っ飛ぶほどの転倒をしてしまった。

 

(ウマ娘の走る速度は自動車並み……)

 

 その速度で走る二人が正面衝突ではないにしてもぶつかった。その衝撃はそれこそ自動車事故にも勝るとも劣らないものになる。

 いくらウマ娘がヒトに比べてその力に見合うほど頑丈とはいえど、生身だ。

 吹っ飛んだミラクルバードは、頭から地面に落ちた。

 そして打ち所が悪かった彼女は、緊急搬送されて数日間生死をさまようほどだったのだが……どうにか持ち直し、こうして元気に生きている。

 

(だが、彼女はそれ以来、自分の足で走ることができなくなった)

 

 走るどころか、事故から何年も経った今でも立つことさえ厳しい。

 病院に通ってリハビリを続けているのだが、足は思うように動かないらしい。

 

(もしもオラシオンがヨレて、他のウマ娘とぶつかったら。それでミラクルバードのようなことになったら……)

 

 イヤな予感が頭をよぎる。

 奇しくも、このスプリングステークスはミラクルバードが事故にあった皐月賞の前哨戦だ。

 

「ああッ!!」

 

 ミラクルバードが声をあげ、彼女の顔を見て考えにふけっていたオレは我に返った。

 

「ど、どうした?」

「どうしたもこうしたもないよ! オーちゃん、内に入りすぎだよ。前が開かなかったらどうするのさ!」

 

 レースに視線を戻せば、泥まみれで走る集団は第4コーナーにさしかかろうとしていた。

 相変わらず5番手から6番手といった位置のオラシオンは内におり、抜け出せない状況になっていた。

 

 だが──そこで好機が訪れる。

 

 そして気が付かされた。

 オラシオンは、これを狙っていたんだ、と。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 第4コーナー手前まで、私は5、6番手の位置で最内を走っていました。

 今回のレース、周囲のマークはもちろん高い人気のウマ娘になっていたのだと思います。

 そして──

 

「……セントホウヤのマークは、早々に外れた」

 

 スタート前の雷に驚いて、興奮してしまったセントホウヤは冷静さを失ってしまっていました。

 レース前だというのに余計な体力を使うその有様に、他のウマ娘たちは心の中でほくそ笑んでいたことでしょうね。

 そのせいで、私への警戒がより強くなったのでしょう。

 

「前は完全に塞がれている……」

 

 抜け出そうにも最内に押し込まれた私に、抜け出す道などあるはずがありません。

 でも──

 

「機会は……必ず来る」

 

 まったく根拠のない、まるで勘のようなものでしたが──複数人がそれぞれの思惑で走って、少しも隙が生じないということは現実的にありえません。

 だからこそ私はその時を待ちました。

 おりからの強い雨で不良となったバ場。

 今日開催されたこれまでのレースによって荒れている第4コーナーの最内を、前のウマ娘たちは嫌って外へと進路を取り──

 

「そこッ!!」

 

 そして私は、外へと膨らんだ他のウマ娘たちが()()()()()()()()()()道へと進路を取った。

 今までの大雨とこれまでのレースを走ったウマ娘たちによって作り出された、荒れに荒れている──“最悪の花道”

 

「この道こそ、私の勝利へ至る道(ウィニングロード)ッ!!」

 

 私は足に力をグッと込める。

 大量の雨水と数多のウマ娘の足によってかき回された走路は、土は泥となり果てていました。

 そしてそれに覆われた踏み潰された芝は、水分と共にそこを走るウマ娘の足を滑らせようと牙をむいてくる。

 そんな危険きわまりない(トラップ)が無数に敷き詰められた、地雷原のようなそこを──私は駆け抜けたのです。

 

「「「なッ!?」」」

 

 私と違ってその悪路を嫌って進路を外へ向けた、前を走るウマ娘たち。

 まさか行くはずがない、と思って見ていた後方のウマ娘たち。

 そしてなにより──そのレースを見ていた観客や出走ウマ娘のトレーナー達。

 それらが泥飛沫をあげながらそこを走る私に、「まさか」と驚愕する。

 

「無茶だよ、オーちゃん!! そこは」

 

 私に聞こえるはずのない、敬愛する先輩の声が聞こえた気がしました。

 でも──私はそれに心の中で答える。

 

(無茶じゃ、ないッ!!)

 

 悪路へ踏み入れた私は姿勢を低くする。

 だけど……普段のスパートのように体を前傾させはしませんでした。

 もしもそうすれば、待っているのは間違いなく足を滑らせて、そのまま無様に転倒するでしょう。

 過剰に体を傾けることなく重心を落とすことで、足を滑らせない走りを意識し、私は速度を落とすことなく走る。

 そしてさらに、同時に意識するのは“足”の使い方。

 

(掴むように……泳ぐように……)

 

 それはオグリキャップ先輩達から学んだ、足をとられないようにするための足の動かし方でした。

 阪神ジュニアステークスで、重バ場でのスパートに使えると有効性を立証したことでさらに磨きをかけていたその走法。

 低い姿勢での前傾走法と切り離して使うそれは、他のウマ娘ではまともに走れないほどのこんな悪路を走破する大きな武器となったのです。

 

「バカなッ!?」

 

 外へ回った誰かが発した言葉。

 それを聞きながら──私は内ラチを沿うように走る。

 確かに普段の私のスパートよりも速度は出ていません。

 それでも彼女達に負けず劣らず速度を出し、なおかつ彼女達が外を回っている分、最後の直線ではそれが大きな差となって現れていました。

 

「このままッ──!!」

 

 相変わらずの荒れたバ場で、いつものスパートが使えないのがもどかしい。

 それを感じながらも私には、後続に絶対的な差を付けたという感触があった。

 

(これで、皐月賞に──)

 

 迫るゴール板を目で捉え、私の気持ちがゆるみかけた、その時──

 

 

 

 ──ゾワッと悪寒が体を駆け抜けた。

 

 

 

「ッ!!」

 

 それは──大外のさらに外から迫っていたのです。

 この悪天候の中で開催されたレースの中で、何度もウマ娘達が走った──それは最内を避けたウマ娘達が走ったのも大なり小なり同じ──走路の中で、ただ一つ誰も走らなかった外ラチ沿いというコース。

 誰にも荒らされていないその場所を、猛然と駆け上がってくるのは──

 

「──セントホウヤ!!」

 

 やっぱりきましたか、という思いが真っ先に浮かびました。

 彼女がスタート前に終わってしまうようなウマ娘ではないことは、その雰囲気から分かっていました。

 そんな彼女が、“オラシオン()を倒すのはセントホウヤ(自分)だ”と宣言していたのですから。

 

「オラシオォォンッ!! 負けま、せんわああぁぁぁぁぁッ!!」

 

 迫る彼女の声と気配。

 思わず体を前傾させて、こちらもスパートをかけたい衝動にかられます。

 でも、それは罠──相変わらず荒れている私が走っているコースでそれをやれば、待っているのは間違いなく破滅であり自滅。

 

(我慢……我慢、我慢。我慢ッ! 我慢ッ!!)

 

 内ラチすれすれの最内を走る私から、外ラチすれすれという距離をもってしても感じるその迫る気配に、私は焦燥感さえ感じていました。

 見えているゴール板。

 そこまで先頭というこの座を死守しなくては……

 なによりも、絶対に──

 

(負けたく、ないッ!!)

 

 その一念に、私の頭は完全に染められ──

 

「「ダメだッ、シオン!!」オーちゃん!!」

「──ッ!?」

 

 一瞬、頭の中が真っ白になりかけ──それを聞き覚えのある声で我に返って──気が付けば、私はゴール板の前を駆け抜けていました。

 それを理解して、私は即座に電光掲示板へと視線を向けます。

 

「………………」

 

 そこに数字はまだ、1着と2着を示す箇所に数字は出ていませんでした。

 おそらく写真判定になっているようです。最内と最外という極端な位置だったために分かりづらかったのかもしれません。

 そして意外と早く、その結果は表示され──

 

「……勝った」

 

 1着は、オラシオン。

 そして2着にセントホウヤ。

 

 ──アタマ差というその結果に、雨のスタンドに悲喜こもごもの歓声が響きわたったのでした。

 




◆解説◆

【──春雷(後編)】
・タイトルの元ネタは前編にて。
・そんなわけで今回はタイトルネタが無いので近況(?)を。
・最近……というか少し前になりますが、運営様から指導をもらいまして、必須タグに“クロスオーバー”が追加されていました。
・『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』とか『優駿』の競走馬を出していたのですが、ウマ娘化したことですっかり失念していました。
・でも……最初に登場したのは『優駿』のミラクルバードですが、最初に名前が出たのは第22話。本格参戦は第32話あたりから、と結構前だったんですよね。
・今までホントにスミマセンでした。

雷の音に大騒ぎ
・これ、原作『優駿』のとおりだったりします。
・出走前にセントホウヤが雷に驚いて出走時間が遅れるというハプニングがありました。
・結構、サラッと流されているんですけどね。

結果
・『優駿』で描かれたスプリングステークスの結果は、内ラチぎりぎりの最内を通ったオラシオンが1着、外ラチすれすれの最外を通ったセントホウヤが届かずに2着という結果でした。
・そんなわけで、本番の皐月賞やその後のダービーでのセントホウヤとの対決が楽しみに……となるはずなのですが、実際にはなりません。
・原作での以後のセントホウヤは、騎乗している騎手が意地の悪く汚いことをする悪役なためにライバルという地位にはなれませんでした。
・そんなわけで、原作でのセントホウヤの活躍はここ(スプリングステークス)まで。


※次回の更新は8月1日の予定です。  



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第50R 挑戦者が現れました(CHALLENGER APPROACHING)

 
 ──4月を迎えた。

 一般の学園では新学年が始まるこの時期だが、ここトレセン学園ではもっと重要なものが始まろうとしていた。
 一生に一度しか出走するチャンスが回ってこない、クラシックレースのシーズンが始まろうとしているのである。
 クラシック三冠と、トリプルティアラ──どちらもGⅠレースの3戦を競う路線であり、その初戦である皐月賞と桜花賞が開催されるのが、この4月なのであった。



 

「……結局、初戦から挑めるのはオラシオンだけ、か」

 

 クラシックレースが始まるのを前に、オレは自分のチームの状況を確認し、机に置かれたパソコンを前に、腕を組みながら唸っていた。

 スプリングステークスを制したオラシオンは、皐月賞への切符を手にしている。

 だが、ロンマンガンはデビューしてから勝ったものの、成績面で皐月賞に出走できるほどの結果を残せなかった。

 それはサンドピアリスも同じで、デビュー戦こそ勝利したものの桜花賞のトライアルレースでは結果を残せず、挑戦することさえ叶わなかった。

 

「ま、ピアリスはデビューが遅かったしな」

 

 チーム部屋ではなくトレーナー部屋にいるというのに、そこに我が物顔でいるギャロップダイナ。

 さすがにそれにはオレも思うところが無いわけではないが、彼女は一向に気にした様子がない。

 そのピアリスはつい最近──4月の頭にさっそく自己条件のレースに出走したものの、結果は芳しくなかった。

 

(やっぱり芝だったからか? 次はダートに戻して様子を見るか……)

 

 オレがそんなことを考えていると、ダイナはまるで見透かして誤魔化すように話題を変えてくる。

 

「マンガンも今後の成績と調子次第でダービーにはいけるんじゃねえの?」

「ああ。アイツは今月は勝負掛けだ。今月末のレース結果次第でダービーに出走登録するつもりだ」

 

 トライアルではないので出られるかどうかは運次第になってしまうが、本人は「その方があっしらしい」と笑っていた。

 オラシオンも皐月賞の結果次第ではそのままダービーへ進めるだろうし、そうなれば〈アクルックス〉にとっては初めての同チーム対決ってことになるのだが……

 

(ま、絵に描いた餅だけど)

 

 クラシックレースの中でも、特に特別視されるのが日本ダービーだ。

 この制覇に憧れるのはウマ娘はもちろん、トレーナー達にとっても教え子がこのレースに出走して勝つのは一つの夢であり、それだけでなくウマ娘の後援会もまた「どうにかとって欲しい」と望むレースである。

 そこまで憧れられるレースということはもちろん出走することさえ栄誉となるほどの狭き門。

 まして同じ年に同じチームで複数の出走者を出すのはチームにとっての栄誉といえる。

 

(ロンマンガンは皐月賞には間に合わなかったが、調子があがってきているのは間違いない)

 

 なによりもオラシオンという目標が間近にいるのがいい刺激になっている。

 出走も期待できるし、その結果次第ではあるが、ダービーで台風の目になれるくらいに実力が伸びるかもしれない。

 

「トライアルじゃねえの?」

「ああ。NHK杯も考えたが、スケジュールがキツい。マンガン自身もそれを気にしてな。万全でなければとてもオラシオンに対抗できないからそっちがいいそうだ。今のアイツの成長を考えればと本番を考えると4月の4周目のレースが狙い目だ」

 

 ダービーの開催は東京レース場でそのレースとは開催場所が違う。

 それを惜しいとも思うが贅沢は言っていられない。とにかく出走枠を掴まなければ、話にもならないんだ。

 そういうわけで、ロンマンガンはそこに照準を合わせて、今はダイユウサクが付き合って調整している。

 

「とはいえ、ロンマンガンのことも大事だが目の前のオラシオンの皐月賞に全力を尽くさないとな」

 

 二兎を追うものは……とよく言われるが、チームを担当するトレーナーには得てしてそういうことが起こる。

 幸いなことに、今回の皐月賞と若草ステークスは同じ4月でも週が違う。一つ一つ大事にこなしていかないとな。

 トレーナーのオレはそうやって目の前のレースに集中し、3つに分けた(チーム)は、それぞれの目標に向かって個別に努力している。

 そのねらい通りに一応は機能している、と手応えは感じていた。

 

「そりゃそうだ。で……肝心の優等生(オラシオン)はどうなのさ?」

「スプリングステークス後も異常はない。アイツの場合は当日がどんな天候でも不安はなくなった」

「あんなレースができればそう思うわ」

 

 オレの返事を聞いたダイナの表情は、苦笑さえしているように見えた。

 そしてスプリングステークスを振り返る。

 

「あのとき、あいつは自分が不利になるような展開を選んだように見えた。あれだけの不良バ場な上、それまでのレースで荒れた走路。誰だってあんなところを好き好んで走りはしない。常識的に考えれば、前にいた連中のコース取りが正解だ」

 

 グチャグチャに荒れた場所を避けたできるだけ内側。

 内に行けば行くほど距離を短くできて有利となるコーナーで、できる限りマシな足場を確保して走る。

 その見極めこそが、あのレースのキモになる──はずだった。

 

「しかし前で数人が壁になっている状況で同じところ走れば、抜くことなんてできやしない。かといって外に出てその壁を越えようとすればさらにロスになる。だからって、荒れた内側のコースの中で一番マシだったところを走るなんて思い切ったマネ、思いついたってそうそうできるもんじゃない」

 

 距離だけ見ればインを走るんだから当然、有利になる。

 しかしそんな誰でも分かる理屈をほとんどの者が無視するのは、荒れたコースがそれ以上のデメリットになるのが明らかだから。

 その誰もが踏み入るのを躊躇った、荒れたコースの最もマシだった場所とは──

 

「内ラチ沿い……確かに、そんなところを走りたがるウマ娘なんていねえけどな」

「ああ。あれだけ悪い足場ならバランスを崩す危険も高い。仮に()けて、倒れたのが内ラチの方だったら……」

 

 ウマ娘の走る速度を考えれば、例え丈夫な体でも大惨事になりかねない。

 だから普通のウマ娘は、あのバ場状態なら内ラチすれすれを走るなんてマネはしないし、だからこそ内側では一番マシな状態だったのだ。

 

「確かに理屈はそうだぜ。だけどな、ビジョウ……あいつ、どこか頭おかしいんじゃないか? 思いつくのと実際に走るのは雲泥の差だぞ」

 

 そう言ったダイナの表情は、茶化すような意地の悪い笑み……ではなく、真剣なものだった。

 彼女は皮肉ではなく、純粋にオラシオンのことを心配しているのだった。

 

命知らずの荒くれ者(特攻野郎)じゃねえんだ。どんなに“競走に()()()()()”と言っても本当に死を覚悟するヤツなんかいない。いや、しちゃいけないんだ、そんなこと。それが普通なんだよ。だけど、あの時のあいつは──」

「負けるくらいなら死んでも構わない、そう見えたか?」

「ああ……」

 

 沈痛そうにうなずくダイナ。

 一歩間違えばオラシオンは、バランスを崩して内ラチと激しく激突しただろう。

 

「もちろん、たとえ内ラチと衝突しても死に直結するもんじゃねえさ。()()()()()()()()って但し書きがつく。だが、怪我をすれば皐月賞はもちろん、ヘタすりゃダービーを諦めなければならなくなるような時期だぞ? とても“優等生”のやることには思えないほどにイカレてる。それに……」

 

 真剣なダイナの目がスッと鋭くなり、さらに真剣味を増した。

 

「……ミラクルバードの件もある。あの二人はチームに所属する前からの知り合いなんだろ? それだけ間近であいつの悲劇を見ていたはずなのに、それでも躊躇い無くあのコースへ踏み込めるのには寒気さえしてきやがる」

 

 オラシオンとミラクルバードは親(オラシオンは養父だが)同士が知り合いということで学園に入る前から知り合いだった。

 そういう意味では他のウマ娘たちよりも近しい位置にいたのだから、事故への恐怖をよりリアルに感じているはずなんだが……この前のレースではそれを感じられなかった。

 その恐怖よりも「負けたくない」という気持ちが上回る──そこまでの執念はトレーナーとして賞賛するべきかもしれないが、オレにはそれが危険なことに思えて仕方がなかった。

 

「なぁ、ビジョウ……お前と焼き鳥嬢ちゃん(ミラクルバード)は、ゴール前で叫んでたよな? あのときシオンはセントホウヤに差されかけて、我を見失いかけていた。違うか?」

 

 もちろん心当たりはある。

 あの瞬間──オレは、オラシオンの悪癖である内へヨレる癖が出ると瞬時に思った。

 そして恐怖した。もしもそんなことになれば……へばってヨレるならまだしも、暴走気味に内へ刺さったとしたら、大惨事は免れない。

 その直感は、ミラクルバードも同じだったようだ。

 後で確認したときに聞いた話だが……「ボク自身の、あの時のことを思い出した」とハッキリ言っていた。

 だが、それは悪いことだけではない、という見方もできる。

 ミラクルバードが皐月賞で、レース中に外へヨレて他のウマ娘と激突したのは──

 

(“領域(ゾーン)”へ入りかけ、そして失敗したからだと言っていた。もしかしたらオラシオンも……)

 

 時代を創るウマ娘が至るとされている“領域(ゾーン)”。

 今まで見てきた彼女の才能を考えれば、オラシオンがそこへ至る可能性は十分にあると思える。

 そして、超集中状態と言われるそれに──『負けたくない』という一念から過剰集中状態に入っている可能性はあるし、逆にその負けん気が邪魔して「さらに(はや)く走る」ということに没頭できていない気がする。

 

「あんたと焼き鳥嬢ちゃん、何に気が付いているんだ?」

「それは──」

 

 問うダイナにオレが答えようとした、そのとき──部屋へと人が入ってきた。

 

「まったく。アナタ達ねぇ……チーム内の大事な話なら、ここじゃなくてチームの部屋でしなさいよ」

 

 呆れたようにため息を付いたのは、このトレーナー部屋のもう一人の主である巽見 涼子だった。

 現在はチーム〈アルデバラン〉のサブトレーナーである彼女だが──

 

「そう固いこと言うなよ、涼子さん。あたしとビジョウと、あんたの仲だろ? チュン太郎のヤローと一緒にビジョウの研修時代に悩んだの、忘れてねえよ」

 

 思わずニヤリと笑みを浮かべるギャロップダイナ。

 オレが研修生で彼女の担当をしていたとき、後輩の巽見はまだチームについて研修をする時期ではなかった。

 その代わり巽見は研修前という自由な身をフル活用して、オレの手伝いのようなことを同学年の朱雀井と一緒にやっていたのだ。

 もちろんメインで面倒を見ていたのはオレだが、彼女と朱雀井のサポートを抜きに当時は語れない。

 だからダイナにとって巽見は仲間という意識が強く、留学して学園に居なかった時期も長かったためその意識がまだ抜けずに「同じチーム」という感覚が残っているようだ。

 

(オレと巽見のトレーナー室が相部屋なのも、それに拍車をかけているんだろうけど)

 

 もちろん、巽見もそれはわかっているし、理解している……ハズだったのだが、今日の彼女の雰囲気は、違っていた。

 

「……そういうわけにも、いかなくなったのよ」

 

 表情を固くし、突き放すような雰囲気さえまとった巽見。

 その反応に、ギャロップダイナは「え?」と困惑し、思わずオレの方を見てきた。

 だが、オレだって心当たりはない。

 確かにダイナは傍若無人なところがあるし、幼い頃から武道一筋で体育会系の巽見は礼儀に厳しく、相性がいいとは言えないところはある。

 でも、そんな衝突はそれこそオレが研修時代に済ませて打ち解けていると思っていたのだが──

 

「ことが今度の皐月賞……そしてそこから始まるクラシック三冠に関わることなら、なおさらここではしないようにして欲しいわ」

「……どういうことだよ、涼子さん。突然そんな話をして。話が見えてこねえ」

「簡単な話よ、ダイナ……」

 

 戸惑うギャロップダイナをよそに──部屋の入口にいる巽見は、チラッと背後を振り返った。

 そこには一人のウマ娘がいた。

 その姿は、彼女が今まで唯一担当したウマ娘であるコスモドリームとはまったく異なっていた。

 

「また、担当を持つことになったのよ」

「おぉ、やっとか。良かっ──」

 

 コスモドリーム以降、担当をしていない巽見を密かに心配していたオレが安心して思わず言いかけたが、巽見はそれを遮るように言葉を続ける。

 

「その彼女も今年がクラシック期なの。だから……あなた達とは、敵よ」

 

 巽見がギャロップダイナからオレへと移る。

 そして真剣な目で──ジッと見つめてきた。

 その目に、オレは覚えがある。

 彼女が竹刀を持ち、防具を付けて剣道の試合に臨む──まさに全力で勝負を挑むときの眼差(まなざ)しだった。

 

「だから先輩……いえ、乾井トレーナー。これからはあなた達〈アクルックス〉のオラシオンに挑ませてもらうわ。私と彼女で──」

 

 振り返り、彼女は道を譲るように横へ避ける。

 そして一人のウマ娘が、部屋へと入ってきた。

 長めで乱れ気味の髪に、半眼のような目が印象的なウマ娘だった。

 

「初めまして……アンタが《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》さん? 意外と普通の顔してるんやな」

 

 そう言ってそのウマ娘は興味深そうにオレの顔を見てきた。

 

「そんな異名を名乗ってるから、勝手に道化師(ピエロ)みたいな顔してるんやろと思ってたけど、意外と男前やんか。つまり巽見の姐さんの趣味、こういう顔ってこと?」

「ダッシュ!!」

 

 自分を振り返ったそのウマ娘に声を荒げる巽見。

 一方、そんなやりとりを突然始めた二人に、ギャロップダイナが眉をひそめた。

 

「あ?」

「っと、これは《“皇帝”を泣かせたウマ娘》こと“あっと驚く”ギャロップダイナさんやないですか。こんなところでお目にかかれるなんて感激……」

 

 ペラペラとしゃべるそのウマ娘に、ギャロップダイナはキツい視線を向ける。

 

「誰だ、てめぇ?」

「これは失敬。名乗るの忘れてたわ~」

 

 うっかりしてた、と自分の額を軽くペシッと叩くそのウマ娘。

 彼女はコホンと咳払いをして──改めてオレとダイナに名乗る。

 

「ウチの名前はロベルトダッシュ。今度、皐月賞に出走するんでよろしゅう頼みます。もちろん、オラシオンに挑ませてもらうんで」

 

 そう言って彼女は──ニヤリと笑みを浮かべる。

 その表情にオレは、隣にいるウマ娘(ギャロップダイナ)と似たような匂いを感じたのだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──巽見 涼子は彼女のことをもっと前から知っていた。

 

 

 私の彼女への対する印象は、とにかく運がない、というもの。

 チーム〈アルデバラン〉に所属したのもジュニアだった去年の5月で、さほど遅いわけでもなかった。

 そんな彼女との最初の縁は、夏のデビューに向けて鍛えていた彼女が腰を痛めたから。

 

「名前? ロベルトダッシュ……」

 

 競走人生でいきなりつまづいた彼女は、荒んでいた心を顕すように、私にぶっきらぼうに名乗った。

 愛想もない彼女だったけど、その心境を考えれば無理もない……リハビリの担当になった私は辛抱強く彼女と向き合った。

 幸いなことに症状が比較的軽かったのもあって夏に間に合いそうな気配もあった。

 そのときに彼女は──

 

「ありがとな、巽見さん。アンタのおかげで間に合いそうや」

 

 と、感謝するくらいには打ち解けた。希望が見えて態度が軟化したのもあると思うけど。

 でも……デビューする前に、今度は夏の暑さにやられて体調を崩した。

 腰痛の遅れで焦りもあって無理をしたのかもしれない。

 夏負けした彼女は、デビュー戦に向けて調整のやり直しを余儀なくされた。

 

「夏は、諦めないとあかんかぁ……」

 

 恨めしそうに、照りつける太陽を見上げる彼女が印象的だった。

 そうして暑さが過ぎ、調整を再び順調に進めていた彼女は、涼しくなった10月のデビューを予定していたけど……今度は足の爪を痛めてしまう。

 

「焦らないでやるしかないわ……」

 

 故障のため再び私が面倒を見るようになったときに彼女は、苦笑しながらそう言った。

 そしてその言葉通り、辛抱強く彼女はトレーニングとリハビリに励んだ。

 その努力が報われたのは、年が明けてすぐだった。

 正月のシリーズで開催されたメイクデビュー戦で、デビューしてそこで初勝利をあげた。

 

「やったで、トレーナー! それに巽見トレ!!」

 

 彼女は私と相生さんに向かって勝利をアピールしたのを覚えている。

 彼女のこれまでの苦労を考えると──相生さんも私も、それが報われて本当にうれしかった

 そして、ここで勝利を挙げたのなら……目指すはクラシックレース。

 彼女はこれまで怪我や体調不良に悩まされたけど、その才能や実力は十分に挑戦できるレベルだったのよ。

 でも……不幸はそこで終わりじゃなかった。

 

 そんな彼女をソエが襲ったのだ。

 

 しかも悪化して、それから2ヶ月棒を振ることになった。

 せっかくデビューしたというのに、実績を重ねるどころか辛抱強く耐えることしかできない。

 今までのことを考えたら、ハッキリ言って挫折して競走の道を諦めてしまってもおかしくない状況。

 それでも彼女は──

 

「諦めるのなんて、そんなん後でもできる。せっかくデビューしたのに、競走に悔い残してやめるなんて、そんなの出来んわ!」

 

 ソエを軽減する治療を受けながら、辛抱強く──その牙を研ぎ続けた。

 来るべき戦い……クラシックレースの幕開けに向かって。

 

 リハビリを通じて彼女を支え続けたからこそ、私は彼女の担当に選ばれたんでしょうね。

 

「目指すのはクラシック三冠。なんやエラい強いヤツがいるのは知ってるけど、それで日和るくらいなら、最初(ハナ)っからこの学園を選んでない」

 

 トリプルティアラ路線への挑戦も視野に入れたら? と言った私。

 もちろんそこにも強敵がいるのは知っている。でもあのウマ娘と正面からぶつかるには、やはり治療や復調で費やした時間があまりにも多すぎたように思ったわ。

 でもそんな私に対して彼女はそう答え──豪快に笑ったのだ。

 彼女を勝たせたい……彼女の苦労が報われるように、全力を尽くしたい。

 私は心の底からそう思い──

 

「ああ、巽見姐さんなら信じられる。アンタにウチの競走人生、預けるわ」

 

 メイントレーナーの相生さんから、私が担当になることを説明されたとき、彼女はそう答えてくれた。

 その瞬間から──彼女の夢は、私の夢になった。

 

 そしてさらに、ほんの少しだけ私の野心があった。

 誰にも言わない……いえ、言えない私の夢。

 それはすぐ近くで見ていた彼──ドン底を経験し、同じくドン底にいたウマ娘と二人三脚で歩み続け、気が付けばいつの間にか私とコスモを越えてずっと強くなって……そして栄冠を掴んだ彼。

 あの二人の姿は、私にとっては本当に眩しくて……だからこそ理想のトレーナーとウマ娘として憧れさえ覚えていた。

 もちろん私とコスモの関係を卑下しているわけじゃない。

 でも思うのよ──「もしもコスモの骨折が上手く治って、もっと長く、そして多く活躍出来ていたら」って。

 そして、そんな二人を近くで見てたからこそ──

 

 ──あのトレーナー(乾井 備丈)に……彼に勝ちたい。

 

 しかも彼にしては珍しく担当した、世代最強と言われて期待を集めているウマ娘を破って。

 彼にその気持ちを素直に言えば「強い相手に勝ってマウント取りたがる、体育会系の脳筋的発想だ」と返してくるに違いないけど……それでも私は、彼に挑みたい。

 

 コスモドリームとダイユウサクではできなかった、クラシックレースの舞台での対決を。

 




◆解説◆

挑戦者が現れました(CHALLENGER APPROACHING)
・もちろんロベルトダッシュのこと。
・元ネタはスマブラ。
・本当はゲームの『新世紀GPX サイバーフォーミュラ』から「~新たなる挑戦者~」も考えたんですけど、すでにこのネタは使っていたので。

自己条件のレースに出走
・サンドピアリスの3戦目は、1989年4月1日に開催のれんげ賞という条件戦(400万以下)。
・2007年まで開催されていたレースでしたが、現在ではなくなっています。
・阪神の芝1200(もしくは1400)で開催されていたレースで、1989年の結果はゴールデンリッカが1着。
・サンドピアリスは8着で、中段から抜け出すことができず、いいところなく終わった感じですね。

ロベルトダッシュ
・127話で名前だけ出ていたのですが、今回から本格的に登場です。
・既出の通り『優駿』でのオラシオンのライバルの1頭がモデルなのですが、意外と情報が少なくて……
・その元ネタ通り、「怪我やら多い苦労人」という設定になっており、騎手が関西弁だった(『優駿』は関西と北海道が舞台なので、騎手はほ関西言葉ですが)ので、たまにあやしい関西弁が出てしまいます。
・長めの跳ねた髪の毛や、半眼っぽい目とか、モデルにしているキャラがいるのですが、「どうにも関西弁っぽい言葉が出る」からそれに合わせたという感じですね。
・一人称も色々変遷したのですが、最終的には「ウチ」になりました。


※次回の更新は8月7日の予定です。  



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第51R あまりに余裕がない!


「ロベルトダッシュさん、ですか?」
「そうそう。ダイナ先輩が宣戦布告されたって言ってたけど……シオン、知ってる?」

 あっしがその名前をダイナ姐さんから聞いたのは昨日のこと。
 そのときオラシオンはチーム部屋に顔を出さなかったから、その話をしようと訊いてみた。

「名前は知っています。皐月賞の出走予定者の中に名前もありましたので」

 今日は顔を出した彼女は、思い出すように虚空を見つめながら言う。
 皐月賞も迫り、トライアルレースも結果が出て、おおよそのメンバーも確定してきてる。まだ正式に出そろったわけじゃないから、スポーツ新聞には各紙の予想も入った出走が予想されるメンバーなんかも出てきてるんだわ。
 で、目の前のウマ娘──オラシオンはスプリングステークスというトライアルできっちり勝ちを納めて出走権を確保している、当選確実組の一人。

「へぇ、そういうのチェックしてるんだ? けっこう意外かも……」

 ロベルトダッシュという名前は、トライアルで話題になったものでもないし、セントホウヤみたいに前の年から活躍していたわけじゃないからね。
 あっしだってチラッと小耳に挟んだくらいの情報しかないけど、当初は意外と有望視されていたはずが故障やらが続発して、あれよあれよという間に未デビューのままジュニア期が過ぎてたって感じ。
 結局デビューした時期はの時期はあっしとそんなに変わらなかったていうのは、なんとも可哀想な話ではあるけど、ま、ウマ娘競走(レース)界ではそんなに珍しい話でもない。なにしろケガ人多いからねぇ。
 ところがそんなダッシュさんはそれで終わらず、デビューした後もさらにソエに悩まされたらしくて、その後はまた我慢の日々。さすがにそれには同情するわ。
 そんなわけで春先までレースで見かけなかったんだけど……そこから皐月賞に間に合わせてくるのは、マジで恐ろしいわ。

 ──え? あっしはその間、何をしていたかって?
 それは聞いちゃいけないってもんですわ。

 いや、ね? あっしも先月のレースには勝ったんだよ? ほら、センコーラリアットに勝ったヤツ。
 でも、ちょ~っと遅過ぎたらしいんだわ。
 アレに勝てたのは気持ちよかったんだけどなぁ。アイツ、皐月賞出られなくなって涙目になってたし。
 は? 意地が悪い? そんなの他で勝てなかった本人のせいでしょ?

「あの、ロンマンガン……?」
「あ? えっと……ゴメン、ちょっと他のこと考えてた」
「構いませんけど……でも先ほどの、“意外”というのは、どういうことでしょうか?」
「え? だってシオンくらい強ければ、相手が誰だろうと関係ないじゃん」

 いや、マジでうらやましいわ。
 彼女みたいな才能の固まりなら、どんな相手だろうと真っ向から叩きつぶせてさぞや楽しいでしょうね。
 あの、ダイユウサク先輩の同期の超有名ウマ娘を思い起こさせる低姿勢のスパートとか、どれだけの競走ウマ娘たちが喉から手が出るほど欲してやまないことか。
 あっしも試したことあったけど……アレはムリだわ。
 あれだけ前傾になったらコケるから、普通。
 難易度高いけど速いのも間違いないわけで……アレをできるだけで人生勝ち組じゃん。
 その天才サマは、あっしの言葉に不思議そうに首を傾げている。

「? どんな方が出るか分からなければ、戦略を立てようもないじゃありませんか?」
「え……?」

 今度はこっちが思わず不思議そうに首を傾げ返した。

「どういう、こと?」
「レースに出走するメンバーがどんな経歴でどんな方なのかを頭に入れて、そしてレースを頭の中でどんな展開になるか予想する……くらいはしていますけど?」
「そ、そんなことしてんの?」

 唖然としながら訊くと、彼女はこともなげに「ええ」と肯定した。
 なに、それ?
 オラシオンの強さって、ひょっとして、持って生まれた身体能力とかセンスによるものじゃなくて……

「そうなんだよ、ロンマンガン。オラシオンは頭の中でシミュレーションを何度も繰り返しているんだよ」

 おかげでレース前は上の空になっていることが多い、と彼女のほぼ専属になっている渡海先輩が苦笑を浮かべる。
 それにオラシオンは「そんなことありません」と即座に否定してるけど……その“そんなこと”ってのは、もちろん『それをしているのは当たり前』と言わんばかりだった脳内シミュレーションのことではなく、上の空になってることの方な模様。
 渡海氏相手にちょっと頬赤くしてそんなこと言ったら……ねぇ? イチャイチャすんのは他所でやって欲しいわ。
 ま、それはさておき──

「マジか……」

 あっしは愕然とした。
 そして自分の甘さと不甲斐なさに腹が立ってくる。
 あっしみたいな才能の劣るウマ娘こそ、オラシオンみたいな天才よりも知識や戦略で上回らないといけないと言うのに、それにおいても足元にも及んでないんだから。
 本当に……情けない。

(そんなだから、あっしは皐月賞に出られないんだ)

 オラシオンだけじゃなく、デビュー時期(スタート)がほぼ同じのロベルトダッシュが出走しようとしている。
 ソエのせいで、あっしよりもよほど状況が厳しかったにも関わらず、だ。
 それはつまり彼女の努力が並みじゃなかったことのなによりの顕れだった。

()()()()()()勝利を重ねられて出走できる……そんなわけ、ないのに)

 人事を尽くしてもいないのに天命を待ったところで、何も起こらない。
 その努力が……勝つことへの、それ以前にレースに真摯に向き合う姿勢と覚悟が、今の自分には決定的に足らないと思い知らされる。

天才(バケモノ)が、精一杯の努力をしているんだもの。凡人(パンピー)がそれをしないで追いつけるわけがないわ)

 ──才能だけで勝てるほど甘くない世界。
 ──でも、その才能と努力だけで全てが決まる世界なわけでもない。

 部屋へ入ってきた二人の先輩を見て、それを痛感させられる。
 その車椅子の上に座っているのと、それを押して入ってきたのは対照的な二人だった。
 あふれる才能とデビューから無敗で4連勝してクラシックレースに臨み、将来を有望視されていたのに、たった一度の事故で競走ウマ娘として全てを失ってしまった──ミラクルバード先輩。
 誰がどう見ても才能があるとは思えないデビュー2戦で始まり、その後だって栄光とは遠い場所で数多くのレースを走りながらも、たった一度の強烈な輝きで多くのファンの記憶に強く残った──ダイユウサク先輩。

(才能はあるに越したことはないけど、こんなの最初に配られる手牌みたいなもんだわ。悪けりゃ悪いなりに少しでも良くする努力をして、周囲の傾向やら捨て牌見て戦略立てんのも同じじゃん。そして、目当ての牌を引けるかどうかは運次第……)

 才能と努力と運──特に後の二つこそ大事なのは競走も麻雀も変わらない。

「シオンが祈るのは……人事を尽くしきったからこそ、か」

 あっしは──幸運を天に祈る資格さえ、まだ無い。
 目の前で研修中のトレーナー見習いと話してる彼女と並び立つためには──才能では足元にも及ばないのだから、彼女の何倍もの努力が必要なんだ。

(どうせ勝てない、と諦めるのは簡単だけど……)

 その程度の覚悟しかないなら、最初からこの世界(競走)に足を踏み入れてなんてない。
 あっしは、心に誓う。
 目の前の彼女は、きっと皐月賞で結果を残し──最低でも、ダービーへの切符は確保するだろう。
 その彼女に、その大舞台で、絶対に挑んでやる、と。

「もしもそれが叶わないなら……あっしに〈アクルックス(このチーム)〉にいる資格は、無い」

 それが、高くはないと思っていた自分自身のプライドのどうしても譲れない一線だった。



 

 ──プレッシャー。

 

 過度の期待や、極めて非日常的な状況に置かれた際の精神的な重圧によって陥る極度の緊張状態のことであり、その状況下にあっては平素の実力を出せなくなってしまう。

 アスリートであれば、その実力が高ければ高いほど、戦う舞台が大きくなっていくわけで、その人生において付き物なのは間違いない。

 もちろん、トップアスリート達は無策ではない。

 ルーティーン──個人ごとにことなる所定の動きをすることで平常心を取り戻し、普段のパフォーマンスを取り戻す。

 それを武器に、アスリートはその難敵に立ち向かうのだ。

 

 ──日米で活躍した野球の偉大なる打者は、打席に入ってバットを構える際に……

 ──ラグビーの国際試合で大金星を挙げた際に活躍した選手の、話題になったその独特のポーズ……

 

 そうして大舞台で結果を残していった。

 そして、ウマ娘もまた例外ではない。

 何度、大レースを経験しようとも緊張するのはウマ娘も同じなのだ。

 それは“怪物”だろうが“皇帝”だろうが、大なり小なりプレッシャーを感じるのは当然であり、個々別々のやり方でそれを克服する。

 

 あるウマ娘は、レース前に激しく体を揺さぶり──

 またあるウマ娘は、独特のステップを踏んで心を落ち着かせ──

 そして今、話題になっているウマ娘は祈りを捧げるようにひざまずく──

 

 話題になればなるほど、人気を集めれば集めるほどに、そのプレッシャーは大きくなり、克服するのに苦労するのだ。

 

 だからこそのルーティーンである。

 

 ……では、そのルーティーンを持っていないウマ娘は、どうなってしまうのかと言えば──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──皐月賞開催の一週間前。

 

 クラシック三冠とは別の三冠──トリプルティアラを巡る戦いの火蓋が、一足早く切って落とされようとしていた。

 その桜花賞は、いよいよ出走前になり、ゲート入りを前に各ウマ娘が走路へと姿をみせたところ。

 それはこのレースに出走する私──シャダイカグラも同じなわけで……

 

「──ッ!!」

 

 私が姿を現すや、ひときわ歓声が大きくなった。

 内心驚きながら、平静さを装い……私は密かに大きく息を吸い、こっそり深呼吸をした。

 

「……歓声に応えないの?」

「うわひゃぁッ!?」

 

 突然の横からの声に、私は思わず声をあげていた。

 その反応に、声をかけてきたウマ娘も唖然とした様子でこちらを見ている。

 

「ライトカラー……急に声をかけないでよ」

「あ、うん。なんかゴメン……」

 

 私の反応に、苦笑しながら申し訳なさそうに謝るライトカラー。

 もちろん、彼女が謝る必要なんて無いのに。

 あれだけの歓声があがれば、当然、それに手を振るなりして応えるのはファンサービスの一環と考えれば、当たり前のこと。

 でも、今の私にはその余裕が……無い。

 

「あ、あのさぁ、カグっち」

「なによ、カラー?」

「だ、大丈夫? どう見ても、余裕無いように見えるんだけど」

「ソ、ソンナコトナイワヨ?」

 

 見抜かれた……その動揺を隠そうとした私だったけど、その返事の調子がもう普通じゃない。

 案の定、ライトカラーはジト目で私を見ている。

 

「いや、バレバレじゃん。つーか、もはや逆に隠す気無いようにさえ見えるって」

「う……」

 

 図星を指され、口ごもる私。

 だって仕方ないでしょ? この桜花賞という大舞台で、私は圧倒的なくらいに人気を集めてる。

 次点に差を付けた一番人気、というのは新聞等の報道で知っていた。

 だからこそ……まるで“勝って当然”と言われているかのように感じて、精神があり得ないくらいに張りつめているんだから。

 

(これが、プレッシャー……)

 

 レース前に私はトレーナーから言われていた。「人気を集めて重圧を感じるだろうけど、気にする必要はないよ」と。

 

(奈瀬トレーナーほどの経験があれば、“気にしない”ということができるんでしょうけど……)

 

 若き天才トレーナーである彼女は、こういった大舞台は何度も経験しているハズ。

 それこそスーパークリーク先輩のときとか。

 でも私にとってはこれが初めてなわけで、平常心で挑めるわけもない。

 

「アレ、見習ったら?」

 

 若干、呆れたように私を見ていたライトカラーがチラッと指を指したのは、私に次ぐ二番人気のウマ娘。

 彼女は──

 

「みんな~、応援ありがと~!! マリーちゃんを、よっろしっくね~」

 

 大げさに手を振って愛嬌を振りまいている。

 強心臓ね、と半ば感心したけど……よく考えたら二番人気なのよね、彼女。

 

「私だって二番人気だったら、アレをやる余裕くらいあるわよ」

「え? マジ? こっちから話振っといてナンだけど、あそこまでコビれんの?」

「う……」

 

 まるでファンに応える()()()()のように振る舞う彼女の姿に、やっぱり私は無理だと思ったわ、うん。

 私のことを知ってるライトカラーも、「そういうキャラじゃないじゃん」と言ってるし。

 そうやって自分を見失うほどに私が精神的に追いつめられているのを暴露しているのに気づいて情けなくなる。

 

「あぁ、もう……」

 

 そんな私を見て、ライトカラーは「人気者も大変ね」と苦笑を浮かべてる。

 本当に、本当に大変なのよ。

 これだけ多くの人に期待されてるのに、もし負けたら……

 トレーナーだって自信満々だし、勝てなかったらその顔を潰すことになる。

 

(もしかしたら、面倒を見てくれなくなるかも)

 

 実はうちのチームにはまことしやかに流れているがあった。

 とあるサブトレーナーが独立するという話になったとき、餞別としてウマ娘が一人、そのチームについて行ったというもの。

 仮にそのウマ娘を担当のように面倒を見ていたのなら別に珍しい話でもないけど、実際にはそこまでの間柄ではなかったとか。

 そしてそのウマ娘は成績が下降気味だったため……トレーナーに見限られてたんじゃないか、という話だった。

 

()別じゃなくて()別だった、なんて言われてるけど──)

 

 もしも私が負けたら、私だって放出されるかもしれない。

 今のうちのチームに独立しそうなサブトレーナーがいるわけじゃないけど、何か理由を付けて出されることだって……

 

「カグっち、落ち着いて。表情、ヤバくなってるよ」

「え? あ、うぅ……」

 

 あ~、もう。どうしても思考が悪い方、悪い方へと流されるわ。

 なんでこんなに豆腐メンタルなのよ、私。

 今の私なんかよりも、大レースでもっと圧倒的一番人気になるウマ娘だっているのに……どうやってこの気持ちを抑えつけてるの?

 

(メジロマックイーンさんとか、トウカイテイオーさんとか……って、二人とも圧倒的一番人気で負けてるじゃないの!?)

 

 そんな二人を負かしたウマ娘が、私の頭の中では悪人顔で不気味な笑みを浮かべてた。

 そして彼女達の背後には…………って、あれ? よく考えたらその二人、同じチームのウマ娘よね?

 しかも、それって──

 

「それにしても、ピーちゃんが出られなかったのは残念だわ」

「ピ、ピアリスっ!?」

 

 話題を変えた──きっと私の姿を見かねて、レースから視線を逸らそうとしたんだと思うけど──ライトカラーに、私は驚いて思わず声をあげた。

 だって仕方ないでしょ? 今まさに考えていたのが、そのサンドピアリスのチームのことで、彼女の担当トレーナーのことだったんだから。

 

「ざ、残念? あの()にとっては、その方がよかったわよ」

「え? なんで? 悲しーじゃん。せっかくの大舞台なんだし、ピーちゃんも目指してたわけだし、一緒に走れた方が……」

 

 誤魔化すように、「ふん」とそっぽを向きながら言った私の言葉に、ライトカラーは驚いた顔になっていた。

 確かに、私も普通の精神状態じゃなかったからちょっと辛辣だったかもしれないけど、それが的外れだったとは思ってない。

 

「この場に立てなかったのは、実力がまだ足りないってことよ。己の分を越えて無理をすればしっぺ返しを食らうことになる」

「ま、そのためのトライアルとか、選考なわけだし。カグっちの言うことに一理はあるけど、でも抽選だってあったんだし……」

 

 もちろん知ってる。

 それに外れて出走できなかったウマ娘だって知ってる。そうして夢に挑戦すらできなかったウマ娘が大勢いることも。

 でも──

 

「記念出走するくらいなら、出てこない方がいいわよ。こんなレースにピアリスが出たら、自分を見失うくらいの敗北になりかねないんだから」

「あ~……やっぱり、過保護だねぇ。カグっちは」

 

 そう言って、ライトカラーは急にニヤニヤを笑みを浮かべはじめた。

 それを見て思わずたじろぐ私。

 

「は? そんなんじゃないわよ。ピアリスの実力を考えたら……」

「ショック受けないように考えるなんて、優しいじゃん。普段のカグっちなら『そんなことで諦めるような心構えなら、さっさと競走界から去りなさい』くらい言いそうなのに」

 

「そんな……私はそんなに厳しくないわよ。それに、同部屋相手がコロコロ変わるようなことになって欲しくないだけ。それだけなんだから」

「うわ、テンプレのツンデレ発言。マジウケる」

 

 爆笑し始める彼女に、私は思わず「カラー!」と怒っていた。

 それでも相変わらず笑い続けているライトカラーに、私がムキになりかけたとき──集合の合図があった。

 ハッと我に返り──そして自然と爆笑をやめたライトカラーと顔を見合わせる。

 彼女は「してやったり」と言わんばかりに、ニヤッと笑みを浮かべていた。

 

(あぁ、やられたわ……)

 

 彼女のおかげで少しだけ、プレッシャーから解放されていたことに、私は気付かされるのだった。

 彼女に感謝しつつも、これから競おうとする相手に気を使われたことに複雑な思いだった。

 もちろん、だからってレースで手心を加えるつもりなんてないけど。

 走行している間に出走するウマ娘達がゲートに入っていく。

 

(うん。とにかく落ち着いて……えぇと、奈瀬さんからは、なんて言われたんだっけ……)

 

 すでにゲートに入った私は、再び緊張感が高まる中で、平常心を取り戻そうと必死だった。

 そうそう、トレーナーからの指示は──

 

「コースの都合で前は混むから、今日は中段待機で……」

 

 ──だったかしら?

 普段は先行する私だから、その指示は意外で──

 

 ガコンッ!!

 

「……あ」

 

 ちょ、なんでこのタイミングでゲートが開くのよ!?

 もちろんスタートに向けて集中していなかった私は出遅れて──

 

「え? ……マジ?」

 

 最後方で隣に並んだライトカラーが私を見ているのに気が付いたけど……お願い、そんな目で見ないで。

 その視線から逃げるように、私は脇目も振らずに走り続けるしかなかった。

 

 

 ああぁぁぁぁ、やっちゃったぁぁぁぁ!!

 

 

 これがレース中で走ってなかったら、きっと頭を抱えてたと思うわ。本気で。




◆解説◆

【あまりに余裕がない!】
・ピアリス回ではないものの、トリプルティアラ路線回なのでそれに準拠したルールでのタイトルです。
・オラシオンのクラシック三冠路線の方は小説『優駿』が話の軸なので、史実馬モデルのウマ娘が出せず、実装済みのウマ娘がサッパリ出てこないんですよね。
・だからこっち側は史実を基にしてるから、公式ウマ娘を出してやるぞー!! と意気込んでいたのですが……
・そう、1986年生まれの世代は一頭たりともウマ娘化されていない暗黒期なことをスッカリ忘れてました。
・しかもクラシックレースが話の軸だから、他の世代の馬はレースに出てこないわけで。
・おかげでターキン編終了後の本章は、架空馬モデルか、史実馬モデルのオリジナルウマ娘しか出てこないという、なんともやってしまった感じに……

桜花賞
・ウマ娘ではトリプルティアラと呼ばれているクラシック牝馬三冠の一つで、クラシックGⅠでは最も早く開催されるレース。
・元々は1939年から開催された『中山四歳牝馬特別』で、中山競馬場の芝1800で実施していました。
・戦後は1947年に『櫻花賞』と名前を変え、開催地も京都競馬場の芝1600で開催。
・1950年に開催地を阪神競馬場へ変更。以降は阪神の芝1600で開催することに。
・それ以降に京都で代替開催されたのは阪神大震災のあった1995年と、あとはダイユウサクも浅からぬ縁がある1991年の阪神競馬場の改修の時のみです。
・今回のレースのモデルになったのは、1989年4月9日に開催された第49回のもの。
・ちなみに1988年の第48回はコスモドリームがトライアルでやらかして出られなかったものであり、第50回はダイイチルビーが抽選に外れて出られなかったレース。
・そんなわけで、時代的には遡ってます。
・天気は晴れていましたが、馬場は稍重でした。

()()()()のように振る舞う彼女
・史実の第49回桜花賞の一番人気はシャダイカグラでしたが、二番人気はアイドルマリー。
・そんなわけで、彼女もまた史実馬を基にした本作オリジナルのウマ娘でアイドルマリーです。
・デビューから3連勝で、阪神3歳ステークスに出走して2着。その後はペガサスステークスでシャダイカグラの3着と、若干順位を落としつつも5戦3勝で3着以内にすべて納まっていますので、二番人気もうなずけるところ。
・なお、生涯13戦の内、主戦騎手が外れた3回はコスモドリームやダイユウサクの主戦騎手をつとめた熊沢騎手が騎乗していました。


・これは、『たった二人の《南赤星(アンタレス)》』の主役、ダイイチルビーとそのトレーナーのこと。
・こちらも進めたいのですが、なかなか更新できずに本当にスミマセン。
・なお、史実的にはシャダイカグラの方が一つ年上なので、ダイイチルビーの方が後輩です。

出遅れ
・史実の桜花賞で、シャダイカグラは出遅れてスタート直後に最後尾近くになってしまいます。
・なお、この出遅れについては色々言われているものでありまして……
・それについては次話以降にて。


※次回の更新は8月13日の予定です。  



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第52R 絶対に、負けられない!

 

 ──出走直前の桜花賞。

 

 そのレースへの挑戦権を得ようと挑んだが叶わなかったサンドピアリスは、今はテレビの前でオレや他のチームメンバーと共に観戦していた。

 彼女だけじゃない。翌週に大一番が控えているオラシオンや、それには間に合わなかったもののダービーへ挑もとうしているロンマンガンも、このレースを見るためにトレーニングを休憩して、チーム部屋へと集まっている。

 そして彼女達の面倒を見てくれている先輩のウマ娘達も、だ。

 

(まぁ、オレは自分のトレーナー室で見てもいいんだが……最近、あの部屋へはちょっと入りづらいんだよな)

 

 そう考えて、心の中で苦笑する。

 もちろんそれは、相部屋の巽見からの宣戦布告が原因だ。

 とはいえ……

 

「今日に限っては向こうも関係ないレースなんだけどな」

 

 巽見が面倒を見ているロベルトダッシュはクラシック三冠路線に進むという。

 今日のレースはトリプルティアラの一角なんだから、気にしすぎとも思えるが……

 

「それにしてもシャダイカグラ、か……」

 

 今日のレースの大本命のウマ娘、シャダイカグラ。

 彼女とはサンドピアリスがチームに加入するときに、いろいろあって知っている顔でもある。

 

(彼女のこれまでの成績は7戦5勝、2着が2回……)

 

 ここまで7戦も走って3着以下になったことがないという、極めて優秀な成績。

 それは同期のトップクラスが集まる桜花賞出走メンバーを見ても群を抜いている。一番人気になるのも当然だ。

 

「さすが天才トレーナーだな」

 

 もちろん無敗でクラシックに挑むウマ娘もいるが、そういう存在は希有だ。

 才能あるウマ娘をしっかり育て上げて、優れた成績を積み重ねてクラシックレースの場に挑ませるその手腕はやはり凄い。

 

「オイオイ、ビジョウ。お前だって立派に注目ウマ娘をしっかり育ててるじゃねえか」

 

 オレのつぶやきを耳にしたギャロップダイナが、オラシオンを暗に示しながら呆れたように苦笑する。

 

「オラシオンはどのチームに入るかで争奪戦が起こったほどのウマ娘なんだろ? 世間的には今の成績で当たり前くらいに思われてるぜ」

 

 むしろ逆にオレは批判されている。

 ハッキリ言ってチート級。レア度で言えばSSR……というのがオラシオンの評価。スポーツ界ではよくある“○年に一度の逸材”というヤツだ。

 それこそ無敗でのクラシック挑戦が期待されたレベルで、デビュー戦で5着だったという結果から、オレの指導が悪かったと叩かれているんだ。

 それに比べればシャダイカグラは“世代に○人”といった感じか? 少なければ1人、多くとも二桁になることはまず無い。先ほどの例えで言えば通常レアか、良くてもSRくらいの才能ということになるだろう。

 そういうわけで、オラシオンとシャダイカグラの“生まれ持った才能”という点はかなり差があったわけだ。

 

(にも関わらずこれだけの成績を残しているんだから、あの人には改めてトレーナーとしての実力の差を感じさせられてしまうんだよな)

 

 オレが人知れずに彼女とのトレーナーとしての差に打ちのめされていると、ギャロップダイナが言う。

 

「そうは言ったってあの“シャダイ”のウマ娘なんだろ? シャダイカグラって名前だもんな。あの一族ならウマ娘なら優秀で当たり前──」

「え? カグラちゃんは違うよ~?」

 

 即座に答えたピアリス。

 それにダイナは目を点にして驚いた。

 

「は? いや、だってあいつの名前、シャダイカグラだろ? ()()シャダイの……」

 

 シャダイの名を冠するウマ娘──というのはギャロップダイナにとっては特別な思いがあるのかもしれない。

 彼女のルームメイトで親友だった……道半ばで競走界を去ることになったウマ娘。彼女のことはその代わりにマイル路線を進んで栄冠を掴んだ今でも、ダイナの心に深く突き刺さっている。

 

「え~っと、カグラちゃんにその話をすると『私は“あの”シャダイとは関係ないッ!』ってすごく怒るんだよ~」

 

 そう言って苦笑するサンドピアリスに、「ああ、そういえば」とダイユウサクも思い出して納得する。

 

「確かにたまに関係ないウマ娘もいるみたいね。アタシの有記念の時も1人いたし」

「あ~、覚えてる覚えてる。あの顔色悪かったウマ娘でしょ?バテバテになったツインターボよりも後にゴールしてたからよく覚えてる」

 

 ダイユウサクの話にミラクルバードが頷く。

 メジロ家ではまず無いが、他の家──それがシャダイ級の家でもたまにこういうことがある。

 当の本人が言うには「ヒトでも同じ名字や名前は大勢いるでしょ?」とのことらしい。

 

(確かに全国のスズキ イチロウさんは「野球が得意だろ?」と言われて辟易しているだろうしな)

 

 なんて苦笑しながら見ていると、時間は出走時刻になっていた。

 鳴り響くファンファーレに緊張感が高まる。

 ふと「さぞ出たかっただろうな」とピアリスを見れば、彼女はそういった哀愁はまったく無くワクワクした様子でテレビを見ていた。

 

(良いことなんだか、悪いことなんだか……)

 

 ライバル……ではなくルームメイトが注目を浴びるこのレースに興奮している彼女を見て、オレは少し複雑な気持ちになる。

 確かにトリプルティアラ挑戦に前向きではないオレだが、それでももう少し当事者意識が欲しいところだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そして、ゲートが開く。

 

 ──と同時に、

 

「「「「あ……」」」

 

 と、部屋の中に微妙な声が響きわたった。

 思わず数人が同時に同じ声をあげてしまった原因は……

 

「か、カグラちゃん!?」

「あぁ~、やっちまったわコレ……ゲート入り前の走路(コース)でもガチガチに緊張して、ヤバめの空気出てたもんなぁ」

「これは、いきなり試練ですね」

 

 シャダイカグラが出遅れていた。

 おかげで今の順位は後ろから数えれば片手に余裕ではいるような位置。

 

「シャダイカグラの脚質って、どうだったっけ?」

「えっと、前の方でレースしているイメージしかないけど……」

 

 オレの問いに、ミラクルバードが眉根を寄せて思い出しながら答える。

 だよな。オレもそのイメージしかなかったから訊いたんだが、やっぱりそうだった。

 

「そんなウマ娘が出遅れたのか? この距離だと(つれ)ぇな」

 

 その様子にギャロップダイナは顔をしかめていた。

 桜花賞はトリプルティアラ……それだけではなくクラシックGⅠレースの中でも最短の1600メートル。

 スタートの失敗は距離が長ければ取り戻せるが、短ければ短いほど影響は大きい。

 そして脚質が“差し”や“追込み”よりも、“逃げ”や“先行”の方が大きく響くことになる。

 

「状況的には最悪……か」

 

 スタートの失敗の悪影響をモロに受ける条件が重なりすぎていた。

 いくら実力が頭一つ飛び抜けてるシャダイカグラといえども、この逆境はきつい。

 

「……そうかしら?」

 

 レースの展開を見ながら冷静にそう言ったのは……

 

「ダイユウサク? どういう意味だ?」

「確かにスタートに失敗して出遅れたのは痛いけど、あとは頭と気持ちを切り替えればいいだけでしょ」

「オイオイ、簡単に言うねぇ。さすがグランプリウマ娘さんは違うわ」

 

 揶揄するギャロップダイナに、ムッとするダイユウサク。

 

「スタートの遅れは道中の位置や速度もそうだが、一番デカいのはその精神的な動揺だぜ?」

 

 一方、ギャロップダイナはダイユウサクの視線を無視して、テレビをじっと見ている。

 

「あの“皇帝”サマでさえその動揺のせいで道中トバし過ぎ、結果的には当時のあたしのような条件ウマ娘に負けてんだ。それくらいスタートの失敗はデカい」

「冷静さを失わなければいいってことじゃないの? それ」

 

 事も無げに言うダイユウサク。

 そんな彼女の態度は見ようによっては傍観者視線で理想論を語っているだけのように見えなくもない。

 だが実際には、ダイユウサクというウマ娘はことレースになるとメンタルの強い方なのは間違いない。

 確かに大舞台で圧倒的一番人気なんてことには無縁だったが、ゲートの失敗なんてほぼ無かった……

 ──ああ、そうか。コイツはあのときのことを言ってるのか。

 

「……シニア初年の、9月の条件戦のことか?」

「そうよ」

 

 オレが言うと、ダイユウサクはあっさりうなずいた。

 スタートの上手いダイユウサクが珍しく出遅れたことがあった。

 あれはダイユウサクのデビュー翌年の9月で、阪神レース場で開催された条件戦。たしかミラクルバードがうちのチームに入るとか入らないとか、そういう話があったころだったはず。

 滅多にスタートをミスらないダイユウサクだから、動揺して結果が下位になるのも当然だったんだが……結果的に勝った。

 

(あのときに、コイツ(ダイユウサク)の末脚の良さに気が付いたんだったな)

 

 そしてそれ以降、中段待機からの“差し”という戦術に選択肢が増えたことで、ダイユウサクは強くなった。

 それまで先行ばかりだった彼女が、まさかその末脚で有記念を制することになるなんて、当時は思いもしなかったけどな。

 

「あのなぁ。お前はそう言うけど簡単なことじゃないぜ? まして今日は一番人気のド本命──」

「アタシの時だってそうだったわよ!」

「いつでもやってる条件戦と、生涯一度のクラシックGⅠを一緒にすんな!」

 

 うん。こればっかりはダイナの言うことが正しいな。

 大きな舞台になればなるほど緊張感は増すし、人気に対するプレッシャーも大きい。

 それに、たしかあの時は2番人気だったような……次のレースとゴチャゴチャになってるんだろう。

 

(まぁ、ダイユウサクは変なところで、妙に神経太かったりするからな……)

 

 確かに重賞でテンパったりしたこともあったけど、妙に開き直りが早いというか、いいというか。

 う~ん、人付き合いが苦手で、他の人についてなんにも考えてないからかグゥッ!?

 

「──今、変なこと考えてたでしょ?」

「滅相もない」

 

 ……少なくとも他人のことに鈍感ということはないようだな、うん。

 オレは気を取り直して、レース中継へと視線を戻す。

 が……

 

(あれ? ひょっとして……)

 

 オレはとあることに気付いた。

 レースが中盤を過ぎたころに、前の方にいたウマ娘達の様子がおかしくなっていたのだ。

 

「……どういうことだ、オイ」

 

 同じように気が付いたギャロップダイナが、訝しがりながらつぶやくのが聞こえた。

 オレは考えを巡らせる。

 桜花賞は阪神の芝1600。

 その特徴は──

 

「そうか! そういうことか!!」

「どうした、ビジョウ?」

 

 声をあげたオレを怪訝そうに見るダイナ。

 

「今回……いや、例年の桜花賞は前が窮屈になるレース展開が多い」

「ああ、それは知ってるぜ。でもそれは……」

 

 距離とレース場のせいでやむを得ずそういう展開になりがちなのは有名な話。

 それを回避するにはさらに前に出るか、もしくは──

 

「……中段以降でレースすればそれは回避できるってことだろ? もしくはそうなるのを承知でも前に行くか」

「ああ。前でのレースが有利になるからこそ、前に殺到する。まして今回は大本命が誰の目で見ても分かるくらいに出遅れた」

「いつも以上に前の争いが激化する……ってことか?」

「その通りだ」

 

 その結果、前で競ったウマ娘達は激しく消耗した。

 そうなれば俄然有利になるのは──中段や後方で力を蓄えていたウマ娘達だ。

 そしてその中にはド本命(シャダイカグラ)がいる。

 

「「「なッ!?」」」

 

 レースは第4コーナーを廻り、最後の直線へと入ろうとしていた。

 前にいたウマ娘たちがズルズルと位置を下げていく中で、その集団を切り裂くように1人のウマ娘がスッと伸びていく。

 彼女こそ──

 

「カグラちゃんだぁッ!!」

 

 思わず手を叩いて声援を送るサンドピアリス。

 それに応えるように、テレビの中のそのウマ娘はさらに加速していく。

 しかしそれでも、先頭のウマ娘は粘っている。

 追い抜かれまいと、クラシックGⅠの、最初の栄冠を手にするために、まるでどうにかしようともがくかのような、驚異の粘りを見せる。

 そして──

 

『シャダイカグラ、ようやく二番手に上がってきた!

 外からかわすのか、シャダイカグラ!

 ホクトビーナス先頭! 4番のホクトビーナスを抑えたか~!!』

 

 ──ゴール板を二人のウマ娘が並んで駆け抜けていく。

 

『大歓声大歓声。シャダイカグラ懸命に外を通って追い込んできた!

 ほとんど同時~!

 これはきわどい。内4番のホクトビーナス、そして外18番のシャダイカグラ──』

 

「どう思う?」

「あん? あのなぁ、いくらウマ娘でもカメラじゃねえんだぞ? んなのわかるかよ」

 

 オレが思わず問うと、ギャロップダイナは不機嫌そうに答えた。

 実況の言う通り、本当にほぼ同着のようなレースだったが……オレの目には追い上げてきたシャダイカグラの方がわずかに先だったように見えた。

 とはいえ自信があるわけじゃない。だからつい近くにいたダイナに訊いてしまったんだが。

 そうしている間に──電光掲示板に順位が出る。

 

 1着の場所に点灯したのは“18”の数字。

 

 ──桜花賞を手にしたのは、ファンの期待に応えたシャダイカグラだった。

 それを見た瞬間、オレの背には震えが走った。

 

「接戦だったが……まさか出遅れたのが逆に功を奏するなんて、な」

 

 結果的には熾烈になった前での争いを避け、消耗したウマ娘たちを後目に、一時は最後尾近くになった状況から追い上げて見事に差しきった。

 

「ああ、そうだな。まるでそうなるのが()()()()()()()かのように、な」

「え?」

 

 ダイナの返事に、オレは思わず彼女を見る。

 

「考えてみろよ、ビジョウ。前の争いが熾烈になったのは、あいつが出遅れてチャンスと思ったのが競い合ったせいだぜ?」

「……まさか」

 

 オレもその考えに至ってハッとする。

 

「ああ、これがあのトレーナーの策だったとしたら……さすが《魔法使い》の娘ってところだな」

 

 皮肉気に笑みを浮かべるギャロップダイナ。

 彼女とオレがいきついた考えは──()()()()()()()んじゃないか、というものだった。

 

 もしそれが本当にそうなのだとしたらかなりの策士であり、あの天才トレーナーならそれもうなずける、というもの。

 歓喜にわくシャダイカグラの傍に立つその女性トレーナーに、オレは改めて戦慄するのだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──焦りはあった。

 

 トレーナーの指示は確かに「序盤は前を避ける」だった。

 でも、あんな“出遅れ”をしてしまうなんて、もちろんそんな指示はないし想定外。

 おかげで頭の中はパニックになりかけた。

 ハッキリ言って、序盤から中盤にどこをどう走ったかなんて、サッパリ覚えてない。

 だから気が付けば──第4コーナーを抜けるころ、私はコースの内よりの集団の中を走っていた。

 

(負けられないッ!)

 

 その一念だけで、スタート直後から走ってきたのだけは覚えてる。

 ファンの期待を一番多く背負っている一番人気というポジション。

 今まで全て1着か2着で、トレーナーの期待にも応えられているという自負もある。

 そして何より──私自身の、「ウマ娘の名門の連中を見返してやりたい」という気持ち。

 それら全部をひっくるめての、その思いである。

 

「くううぅぅぅぅッ!!」

 

 最後の直線を迎えて、前の方でレースをしていたウマ娘達の伸びに陰りが見えてくる。

 幸いなことに、序盤の熾烈な先行争いに加わらなかった私にはまだ余裕がある。

 懸命に走るウマ娘達の間を通り──私は、集団から抜け出した。

 

『シャダイカグラ、ようやく二番手に上がってきた! 外からかわすのか、シャダイカグラ!』

 

 先に見えるウマ娘はあと1人。

 そしてその背を完全に捉えていた。

 

「ハアアアァァァァァァッ!!」

 

 追いつき、そして並ぶ。

 だがゴールは目前に迫っていた。

 隣の彼女も必死に力を振り絞る。

 でも──私だってそれに負けるわけには、いかないんだから!!

 

「「──ッ!!」」

 

 並び、もつれるように……二人でゴール板を駆け抜ける。

 そして──

 

『ほとんど同時~!

 これはきわどい。内4番のホクトビーナス、そして外18番のシャダイカグラ──』

 

 ──勝てた。

 

 実況はああ言っているけど、走っていた当事者として私の方が先にいた実感がある。

 事実、しばらくしてから電光掲示板には今日の私の数字“18”が1着の場所に点灯する。

 かなりきわどい勝負になってしまったけど、とにかく私は桜花賞を勝つことができたんだ。

 ジワジワとこみ上げてくる歓喜。

 でもそれを爆発させることはできなかった。

 なぜならトリプルティアラを巡る戦いはまだ1戦目。そして次の戦いは来月に控えている。

 それを考えると、ここで満足してはしゃぐわけには、いかなかった。

 

(……今回のレース、反省するべきところも多いし)

 

 レースを終えた私は、最後に大きく息を吐き出す。

 それは呼吸を整えるためでもあり、気持ちを整えるためのものでもあった。

 

 そして、奈瀬トレーナーの下へといくと──

 

「いいかい、カグラ。これから記者にいろいろ言われるかもしれないけど、気にする必要はないからね」

「え……?」

 

 トレーナーは「おめでとう」と私の走りを賞賛してくれた後、真面目な顔でそう言った。

 

 

 ──その翌日、スポーツ新聞の見出しを見て、私はトレーナーのその言葉の意味を知ることになった。

 

 




◆解説◆

【絶対に、負けられない!】
・前回同様に、トリプルティアラ路線回なのでそれにピアリス回に準拠したルールのタイトルです。
・今回は、完全に桜花賞です。
・1989年の4月9に開催された第49回桜花賞がモデルですが、実は史実ではこの翌週1989年4月16日(第49回皐月賞が開催された日)の新潟競馬場第7レースこそ、ダイユウサクが初勝利を挙げたレースだったのでした。

スズキ イチロウ
・どちらも多い名字と名前なので、同姓同名は多いことかと思います。
・そんな中で、おそらくもっとも有名になったのは、日米のプロ野球リーグで大活躍したどころかレジェンド級メジャーリーガーにまで上り詰めた、イチロー。
・なお、鈴木姓は日本で2番目に多い名字。
・ちなみにイチローの本名は“一郎”ではなく“一朗”だそうです。

シニア初年の、9月の条件戦
・第1章第35話で描かれた条件戦のこと。
・モデルになったのは1989年9月10日の阪神競馬場第12レース。4歳以上900万下の条件戦で、芝の1200でした。

距離とレース場のせい
・桜花賞はすでに解説のとおり、阪神の芝1600です。
・そして当時の阪神競馬場の芝1600のコースは、スタートして間もなく急カーブがあって、外が不利になるため内に殺到する──というメジロマックイーンがやってしまった秋の天皇賞と同じような弊害がありました。
・それを避ける意味もあって、入れ込んだシャダイカグラを見た武騎手は先行ではなく中段待機を考えたのですが、出遅れという結果に。
・なお、現在では阪神競馬場はその後に改装されており、今ではそのような有利不利はなくなっているそうだ。
・…………あれ? でも、本作だと阪神レース場は改装済みだったのでは?
・という弊害が出るので本文中では深くそこに突っ込んでいなかったりします。

()()()()()()()
・1989年開催の第49回桜花賞と言えば、話題になるのはこの「シャダイカグラの出遅れ」だったりします。
・コースの都合で前が混み、不利になることが多いため、シャダイカグラの鞍上の武豊騎手が“わざと”出遅れてそれを避けたのでは? と言われています。
・実際の所は、「中段につけようとは思っていたけど、出遅れたのは完全にミス」だったそうです。
・実際、最後はホクトビーナスとはかなり僅差で、故意に出遅れたとは思えない結果になってますしね。
・本作でもシャダイカグラは同じように疑われてしまうことに……


※次回の更新は8月19日の予定です。  



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第53R いざ、皐月賞へ……


「さて……」

 皐月賞を間近に迎え、オレはオラシオンの最後の仕上げを見ていた。
 うん。調子は良さそうだ。
 前走のスプリングステークスの疲れは感じられない。
 真面目すぎる彼女の性格から、根を詰めすぎたトレーニングをしかねないところだが渡海が上手くコントロールしてくれたらしく、そういった気配も感じられない。

「おやおや、これはこれは……大本命さんの陣営じゃないッスか」

 声をかけられたオレは振り向き──そして振り返らないで無視すれば良かったと後悔した。
 後ろにいたのは、見覚えのあるトレーナーだった。
 かつて、デビュー2戦目の当日に具合の悪かったダイユウサクを支えたときに絡んできた、チーム〈ポルックス〉のトレーナーだった。

(正直、名前覚えてないんだよな、コイツの……)

 オレは嫌悪感が顔に出てしまうのを隠しきらずに、「どうも」と適当に返事をする。

「スプリングステークスじゃ負けたけど、まだ勝負づけはまだ終わってねーからな?」
「……? えっと、なにが?」

 コイツはなにを言い出したんだろうか?
 スプリングステークスというと……まぁ、オラシオンしか出てないしオラシオンが勝ったからオラシオン関係なんだろうが……いったい何のことだろうか。
 負けたってことはコイツが担当してるウマ娘、つまりは〈ポルックス〉所属のウマ娘がレースに出ていたんだろうが……う~ん、どのウマ娘がそうだったんだ?

「ま、とはいえホウヤの調子は最悪で、食欲落ちて顔色も良くない……皐月賞は参加するだけになると思いますが、よろしく頼んますわ」

 イキってた態度を急変させて、急にそんなことを言い出す。なんだコイツ、情緒不安定なのか?
 とはいえ一つ分かったこともある。あぁ、コイツはセントホウヤのトレーナーだったのか。
 でもなぁ、腹芸をやるにしてもヘタクソ過ぎだぞ。なんかもう、口元とかニヤニヤした笑み浮かべてるし。ウソなのバレバレだろ。

(まったく、〈ポルックス〉の先代も、それくらい教えてやればいいものを)

 半ば呆れつつ、オレは優しくも騙されたフリをしてやった。
 露骨にならないように注意しながら「しめしめ……」と僅かに余裕の笑みを浮かべる──フリをする。
 するとニヤニヤ笑いがさらに強さを増した。
 うん。コイツ、本当にバカだなぁ……あまりに残念な姿にオレは同情さえした。
 先代もコレじゃなくてその先輩に〈カストル〉作らせて独立させず、素直に〈ポルックス〉を継がせればよかったのに。
 いや、まぁ……その人を地方に左遷(トバ)した原因になったのはオレだけどさ。

(セントホウヤも可哀想にな。先代とかマトモな環境下で育ったなら、もっと怖い存在になっただろうに……)

 オレはその場にいないオラシオンのライバルの1人に同情した。
 まぁ、こんなでも昨年のは最優秀(リーディング)チーム争いをするほどだったんだからな。

 ……ま、それも先代と彼が育てたウマ娘のおかげだけど。



 

「でも、仕方ないよね~」

 

 軽い調子でそう言って、苦笑を浮かべたのはライトカラーだった。

 彼女は私──シャダイカグラの方を見て屈託のない笑みを浮かべてた。

 

「ふと隣見たらカグっちいるし。しかもスタート直後で最後尾付近(ビリらへん)。こっちがビビったわ」

「…………」

 

 私はそれを苦虫を噛み潰したような顔で黙って聞いてるしかない。

 自分でも思ってたわよ。むしろこっちの方がビビってたわよ。

 本当に焦ったし、必死になって走ったし……

 そうやってどうにか1着をとれたけど──そうしたら、世間様は私が“わざと出遅れた”と解釈し始めたようで。

 

(ホント、勘弁してよ……)

 

 あの大舞台で勝利という結果はすごく嬉しいけれど、その中でも唯一の忘れたい部分なのに……

 もちろん、レースの反省としては思い出すけど原因はハッキリしている。自分のメンタルの弱さが招いたものよ。

 だから必要以上に思い出す必要はないというのに──マスコミはそう言うし、評論家も疑うし、おかげでトレーナーはその対応に追われてる。

 しつこく記者が「あれはわざと出遅れたんですよね?」と訊いてくるのに対し、

 

「さぁ、どうでしょうね。ただ、確かなことは彼女(シャダイカグラ)の独断ではない、ということですよ」

 

 ──と言って誤魔化してる。

 おかげで「どういう意味ですか?」「それはトレーナーの指示ということですか?」「奈瀬マジックだったんですか?」なんて記者に問いつめられ、それを見事に煙に巻いているのはスゴいな、と思う。

 実際には……ただ私が出遅れただけだから、胸が痛むけど。

 そうやってトレーナーが注目を集めてくれているのは、ここまで話題になってしまったら故意にせよミスにせよ、私が妙なことで注目を集めてしまうと判断したんだと思う。

 そこには、「トリプルティアラはまだ続く。次に備えるように」という奈瀬トレーナーの言外の言葉が聞こえてくるようだった。

 

「でも気にすることないよ、カグっち。ど~せ、話題になるのは今週……それも半ばくらいまでだし」

「ま、そうですわね……今週末は皐月賞、ですから」

 

 いつの間にか私達の集団に入り込んでいたメジロモントレーがサラッと言い、新聞を眺めている。

 その特集欄には出走する有力ウマ娘の姿が写っていた。

 綺麗に整ったボブカットの黒髪(青鹿毛)に、生真面目な優等生といった雰囲気のウマ娘が一番大きく写っている。

 

「やっぱ本命はオラシオンで決まりっしょ」

「ですわね。デビュー戦こそ負けたものの、その後は負け無しの4連勝。スプリングステークスでデビュー以来負け無しだったセントホウヤさんに土を付け、その実力を見せつけていらっしゃいますから」

「そうね。距離適正に問題も無いし、どんな天候でも不安がない。本当に強いウマ娘……」

 

 モントレーの言葉を聞いて、私は思わずつぶやいていた。

 特に天候──バ場状態に左右されずに実力を発揮できるのはかなりの強み。それを阪神ジュニアとスプリングステークスという大きなレースで証明しているのは大きい。

 競走関係者なら、誰が見ても悪路に不安を抱くことなんてないでしょうね。

 そういうわけで、まったく付け入る隙がない。

 もしも敵として競うことになるのなら、それは巨大で分厚い壁のようにさえ感じてしまうと思う。

 今はトリプルティアラとクラシック三冠という路線のおかげで対戦する機会はほぼ無いでしょうけど……それもクラシックレースが終わればそうは言っていられない。

 対戦する機会は出てくるはず。たとえば年末のグランプリ、有記念とか──

 

「……ねぇ、ピアリス。オラシオンってどんなウマ娘なの?」

「え? えっと……美人さんで、頭が良くて、しっかりしてて……」

「あのねぇ、そういうことじゃなくて……」

 

 不安を感じて思わず尋ねてしまったけど、それに対してオラシオンの美点を指折り数えて話し始めたサンドピアリスには、私も思わず苦笑してしまった。

 でも、そんな彼女が返してきたのは意外な評価だった。

 

「普段は優しくて丁寧だけど、競走になるとものすごく厳しくて怖くなるよ」

「……え?」

 

 私もオラシオンを見かけたことはある。

 学園内で歩いているところとか、ピアリスに用事があって〈アクルックス〉のチーム部屋を訪れたりした時とかに。

 そのときの彼女は今のピアリスの言葉の前半そのものといった印象。才色兼備で心優しく丁寧……以前、シンボリルドルフ会長が生徒会に入って欲しいと勧誘したのも頷けるわ。

 だからこそ、ピアリスの後半の評に関して、ちょっと信じられなかった。

 でも……

 

「うん。わかりみ……」

 

 そう言ったのは、ライトカラー。

 彼女は思い起こすように目を閉じて、うんうんと頷いている。

 

「そう? 私は想像できないけど……」

「わたくしもそうですわね。彼女には名家出身のウマ娘にも引けを取らない振る舞いが──」

 

 私に便乗してそんなことを言い出したメジロモントレーを「む……」と睨む。

 が、彼女は気がついた様子もなく、とうとうと自分の考えを言っていた。

 いや、名家とか関係ないでしょうに。

 それにオラシオンさんって令嬢(風の噂では“元”になったらしいけど)と言っても、養子縁組でなったものらしいから関係ないし。

 

「勝負になると人が変わるタイプっているじゃない? あのウマ娘(ひと)、まさにそれ」

 

 その“勝負モード”を思い出したのか、少し顔色を青ざめてライトカラーが答える。

 それにピアリスもうんうんと頷いているのでその通りなんでしょうね。

 納得しながら「そういうものなのね」と私がつぶやいていると……ふとモントレーが持っていた新聞が再び目に入る。

 一番大きく写っているオラシオンさんに対抗するように、モントレーのようないかにも「お嬢様です!」と言わんばかりに主張したウマ娘が写っている。

 

「モントレーは、こっちの方を応援しているんじゃないの?」

「……セントホウヤさんですか? ええ、まぁ……心情的には応援したい気持ちもありますが」

 

 セントホウヤさんも一族があるようなウマ娘の出身……出身、なんだけど……私の方は逆になんか無性にイラッとするのよね。うん……

 な~んかそこはかとなく……あの有名な“シャダイ家”のウマ娘を思い出すからかしら?

 そもそも家が違うから全然関係ないんだけどね。

 

「確かにスプリングステークスは惜しかったし。オラシオンをあんだけ苦戦させたの、負けたデビュー戦以外なら初めてじゃん?」

 

 ライトカラーが思い出しながら言う。

 うん、確かにそうかもしれない。そう考えると皐月賞で怖いのは、リベンジに燃えるセントホウヤさんってことになるわね。

 

「あ、でも……トレーナーさんは違う()のこと気にしてたよ~?」

「違う()? いったい誰よ?」

 

 ピアリスがトレーナーというのなら、それはオラシオンのトレーナーでもある乾井トレーナーを指すことになる。

 うちの奈瀬トレーナーも「油断ならない」と評価するそのトレーナーはいったい誰を気にしてるのかしら?

 

「えっとね……このウマ娘だよ」

 

 そう言ってピアリスが指したのは、綺麗なセミロングのオラシオンさんや、御嬢様然と整えた髪型のセントホウヤさんとは真逆の──ちょっと乱雑に跳ねた感じの髪を、一部だけ三つ編みに結って纏めただけで他は伸ばしっぱなしの、ワイルドな感じのウマ娘だった。

 その表情も、真面目そうなオラシオンさんや、高飛車──じゃなくて高貴な感じのセントホウヤさんとは明らかに違う、曲者さを漂わせた半眼のような垂れ目。

 えっと……誰かしら?

 

「あれ? ロベっちじゃん。皐月賞出るんだ……」

「知ってるの? カラー」

 

 私の問いに、ライトカラーは頷く。

 

「うん。ロベルトダッシュって()で、先々週くらいに特別を勝ってたけど……まさか中2週で挑戦してくるとは、予想外だわ」

 

 見れば、戦績は……今年の頭にデビューして初勝利。

 でもそこからしばらく空いて、それでさっきカラーが言っていた先々週のレースで勝ってどうにか間に合ったって感じかしら。

 

(う~ん、成績を見る限りだとハッキリ言って警戒するような相手じゃないと思うけど? しかもオラシオン陣営ならなおさらよね)

 

 しかし、それを警戒しているのは曲者《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》こと乾井 備丈トレーナー。

 誰も勝つと予想していないようなウマ娘で、勝利確実と言われた大本命を破った実績を持つその人が警戒するのだから、なにかあるのは間違いない。

 

(どっちかと言えば、ロベルトダッシュ側の人よね。乾井トレーナーは……)

 

 それこそ世間的にはノーマークな彼女の横に乾井トレーナーがいる方が、よほど怖いと思う。

 もしも今回の桜花賞の出走メンバーで、あのトレーナーが不人気のウマ娘と一緒にいたら、本命ウマ娘としては気が気でならなくなったわよ。

 

(それにしても……)

 

 そのトレーナーが警戒するなんて、いったいどんなウマ娘なんだろう。

 私は半信半疑な気持ちで、新聞に小さく写っているそのウマ娘の顔を見ていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「う~む……」

 

 目前にまで迫った皐月賞。

 確かにオラシオンの仕上がりも順調で、言うこともない。

 ないんだが……

 

「……………………」

 

 オレはトレーナー室の自分のデスクで、席について今までのオラシオンのレース映像を無言で見ていた。

 さっきうなっていたのも、これを見ていたせいである。

 

(確かに、オラシオンは強い……)

 

 直接対決でセントホウヤを破り、皐月賞では一番人気は間違いない。

 まるで先週末の桜花賞のシャダイカグラのように、オラシオンも圧倒的一番人気になるのはほぼ間違いない。

 だが……

 

「──なにを不安がっているのよ、大本命のトレーナーが」

 

 後ろから声をかけてきたのは、この部屋に戻ってきたもう1人の主だった。

 

「どうにも一番人気ってのは不慣れなもんでね」

 

 そう言いつつ苦笑しながら振り返ると、そこには予想通りの人物がいた。

 巽見 涼子。オレのようにトレーナーを真っ直ぐに目指したのではなく別の道へ寄り道したので、オレから見ると“歳上の後輩”になっている相手だった。

 そして今現在は……皐月賞という同じ栄冠を競うライバルでもある。

 

「今まで大本命っていう王者の足下をどう掬ってやろうか、とばかり考えていたからな」

「確かに、そうでしょうね」

 

 巽見もまた、オレの言葉に苦笑を浮かべ返す。

 “皇帝(シンボリルドルフ)”、“現役最強ステイヤー(メジロマックイーン)”、“帝王(トウカイテイオー)”……それらの強敵を相手に、オレはギャロップダイナ、ダイユウサク、レッツゴーターキンというお世辞にもその当時“強い”と言えないようなウマ娘に勝ちを拾わせてきたんだから。

 

「でも、難しく考え過ぎじゃないの?」

「上位力士相手に奇襲で金星稼ぐ曲者が、急に『横綱相撲をやれ』と言われてできるわけないだろ?」

「……それもそうね」

 

 オレの話を聞いてイメージしていたのか、巽見は僅かな間をおいてから納得した。

 

「足下の掬い方を熟知しているんだから、それをされないように気をつけさせればいいじゃないの」

「言われて防げるくらいなら、実力のあるウマ娘なら最初(ハナ)から掬われないさ」

 

 そんな見えている穴を狙っても、“時代を動かす”ようなウマ娘たちでは容易く跳ね返されてしまう。

 時期やタイミング、そのときの本命ウマ娘の調子、そして他の出走メンバー……それらを絡み合い、生じる僅かな隙を付くことで、ようやく道は開かれるんだ。

 シンボリルドルフの時は休養明けで本人が万全ではなかった。

 メジロマックイーンの時は、本人は万全だった。だが、ダイユウサクがそれを上回って実力以上の力を出せる状況が整ったからこそ勝てた。

 トウカイテイオーは、無敗が途切れてメンタルに隙があり、休養明けで勘が鈍っているうえに、周囲も含めて誰かさんが仕掛けた罠にはまって満身創痍だった。

 

「考えつく要因を一々気にしていたら、それこそ胃に穴があくか、頭がおかしくなるかの2択だ」

「なら、絶対的王者らしくドーンと構えてなさいよ」

 

 そう言って巽見は、オレの胸をトンと叩いた。

 

「そうじゃないと倒し甲斐がないわよ」

「お生憎様でした。そういうのはウマ娘に任せてあるし、オレのトレーナーとしての立ち位置も違う。そういうのは奈瀬さん(“王子様”)とか、六平トレーナー(フェアリーゴッドファーザー)東条先輩(〈リギル〉)やその同室のトレーナー(〈スピカ〉)のやり方だろ?」

 

 オレ──《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》のやり方はそうじゃあない。

 

「オラシオンにドーンと目立ってもらって、オレは裏でコソコソと仕掛けてくるのを迎え撃つさ」

「うわ、性格悪っ!」

「お前こそ、考え方が完全に脳筋じゃねーか!」

「なんですってぇ!!」

 

 言い返す巽見の目は、笑っていた。

 そうだ。

 オレとコイツの関係はやっぱりこうでないと、な。

 

「……挑ませてもらうわよ。全力で」

「ああ、もちろん。でもオレ達だって王者じゃない。クラシック三冠に挑む挑戦者だからな」

「そうね。だから……負けないわよ」

「こっちもな」

 

 不適な笑みを浮かべる巽見に、オレもニヤリと笑みを返す。

 そうしてどちらからともなく出した手を握り──正々堂々の勝負の火蓋は切って落とされた。

 

 

 ──だが、オレは思っていた。

 今のオラシオンには足りないものがある、と。

 そしてまったくの勘だったが──このままでは不覚をとりかねない、と感じていた。

 

 しかし、同時に気付いてもいた。

 オラシオンに何が足りないのか──

 それは“時代を創るウマ娘”に必要不可欠なもの──

 正確には“時代を創るウマ娘”が至る()()だが……逆説的に意味は一緒だろう。

 

「“領域(ゾーン)”か……」

 

 巽見と分かれて間もなくオレはつぶやく。

 それを相談できる相手は……一人しかいない。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……で、ボクのところにきたというわけね」

 

 嬉しそうに満面の笑みを浮かべたミラクルバードは、車椅子の上で腕を羽ばたくように激しく上下させて、感情を爆発させていた。

 

「正直、あまりしたくはなかったんだが……」

「えぇ~!? なんでさ!? それってボクが頼りないから?」

「いいや、違う。その話はお前にとってはツラい思い出だろう? それに、今度のレースは皐月賞だからな」

 

 オレは恐る恐る、といった感じになってしまったのはもちろん理由がある。

 車椅子生活を余儀なくされているミラクルバードだが、そうなったのは“ミラクルバード事件”と呼ばれる事故──事故なのに“~事件”と呼ぶのはおかしい気もするが──のせいだ。

 レース中に外にヨレたミラクルバードは、速い速度で上がってきた他のウマ娘と激しく衝突し、地面に頭から落下。その際に打ち所が悪く生死をさまようほどの負傷をしている。

 幸いなことに、一命は取り留めたものの足が動かなくなってしまった。

 そして、その事故の原因というのが……直前にミラクルバードが“領域(ゾーン)”に入りかけたものの失敗した反動でフラついてヨレてしまったせい。

 さらには事故が発生したレースこそ皐月賞だ。

 それらを鑑みて、オレはミラクルバードに相談をすることに抵抗があったのだが……

 

「他のメンバーにはできない話だからな。スマン」

「うん、それは別に構わないけど……でも、他のメンバーにはできないって、どういうこと? ダイナ先輩とかダイユウ先輩は?」

 

 ミラクルバードは「あの二人は違うのかな?」と首を傾げる。

 

「ダイナとダイユウサクに関しては、()()()至ったわけじゃない、というのがオレの見解だ」

「それって、不完全だったってこと?」

 

 半信半疑なミラクルバードにオレは頷いて答えた。

 

「ダイナについては絶対とは言えないが、ダイユウサクについては間違いなく不完全なものだったと言える」

「なんで?」

「アイツ自身の体が、それに適応できていなかったからだ」

 

 確かにあのとき、有記念での最後の直線でダイユウサクが見せた最高の末脚は凄まじかった。

 あの最強ステイヤーであるメジロマックイーンを、長距離(2500m)という相手の土俵にも関わらず上回った一世一代の大駆けである。

 

「以前、他のウマ娘に聞いた話だが……“領域(ゾーン)”というのは誰もが踏み込めるようなものじゃなくて、一部の才能のあるウマ娘にしか、その境地には到達できないもの、だそうだ」

 

 残念ながらダイユウサクはその中の一人ではない。

 それこそさっき列挙した天才達のようなウマ娘でなければ至ることができず、それを完全に制御できているからこそ強いとも言える。

 

「ただし、条件を整ったときに限定的にだが“領域(ゾーン)”に至れるウマ娘もまた存在するんだ」

「え?」

 

 驚いたようにミラクルバードはオレを見た。

 いくつかその候補はオレの頭の中に浮かんでいる。

 例えば──当時すでに“領域”に至っていたと思われるタマモクロスと、その覚醒前と思われるオグリキャップとジャパンカップで死闘を演じた外国のウマ娘。

 彼女の成績を見る限りでは、そこに到達できたのはあのレースだけだったとも思える。

 確実に言えるのはタマモクロスや後のオグリキャップ、さらにはシンボリルドルフ、メジロマックイーンといった面々のように“領域”を自在に使いこなせているようには見えなかったことだ。

 そしてダイユウサクは──さらに言えばレッツゴーターキンも──その『条件が整ったときのみ“領域”に至れる』ウマ娘だったのだと思う。

 ギャロップダイナに関しても、ルドルフを破ったあのレースを考えればそう思えるんだが……その後の安田記念の走りを考えると一概にそうと決めつけられない気もする。

 まぁ、使いこなせていたわけじゃないのは確実だが……

 

「不完全ゆえに、ダイユウサクの場合は制御できずに自分の体の限界を越えてしまったんだろう。前にお前が言ったように、原理的には“火事場の馬鹿力”だったんだとオレも思う」

 

 それを実感しているのは、彼女のその後の成績だった。

 レース後のダイユウサクの脚には確かに負傷はなかった。精密検査をしても異常は出ていない。しかし年が明けての大阪杯や春の天皇賞、高松宮杯ではその末脚は見る影もなく、レースに敗れている、

 負傷していないからこそ、あの“力”を発揮した代償でそうなったのは明らかだった。

 集中力によって完全に制御した状態で体のリミッターを外し、限界以上の力を発揮するものこそ、()()()()領域(ゾーン)”だ。

 その“完全に制御した状態”で無かったゆえに、ダイユウサクは限界を超えてしまい、後遺症を残してしまったのだ。

 

「逆に言えば、過剰に限界を超えたからこそ、ダイユウ先輩はマックイーンに勝てたともいえるんじゃない?」

 

 それ程までにあのメジロマックイーンを真っ向から力でねじ伏せて勝つというのは困難なことだったんだ。

 無茶をしなければ勝てないような強さ──それこそ“時代を創るウマ娘”が持つ実力。

 

「でも……いや、だからこそ! オラシオンが目指すのはダイユウサク(そっち)じゃないんだよ、ミラクルバード」

「先輩じゃない? ってことは──」

「ああ、メジロマックイーン(“時代を創るウマ娘”)の方だ」

 

 ミラクルバードの問いに、オレはキッパリと答えた。

 クラシック三冠を戦い抜き、その後のシニア以上での活躍することを考えれば、やはり目指すべきは後者以外に考えられないんだ。

 

「“あっと驚く”でも“これはビックリ”でも“なんとビックリ”でもない……」

 

 オレが今までサポートした“見えぬ輝き(ダークホース)”なウマ娘たちが掴んだ大金星が脳裏に浮かぶ。

 ただ、それは一人につき一つか二つしかない輝きだった。

 

「勝っても誰も驚かない、GⅠだろうが“勝つのが当然”と言われるほどの王道をアイツは進めるウマ娘なんだ」

 

 シンボリルドルフの七冠のどれが最高か、という論議。

 オグリキャップのレースで“もっとも心に残っている”のは? と訊かれれば最後の有記念と答えるファンは多いだろう。だが“最高のレースは?”と訊かれれば意見は割れるのは間違いない。

 

「そういう話ができるほどのウマ娘に、オラシオンは間違いなくなれる器だ。だが……」

 

 感情を高ぶらせてそこまで言ったオレだったが、力なく視線を落とした。

 彼女がそこまでの才能をもっているのは間違いない。

 だが、本当に過去の“時代を創ってきた”ウマ娘たちのようになるには──

 

「今のアイツには、何かが決定的に欠けている……オレにはそう思えたんだ」

「……なるほどね。それで逆説的に“領域(ゾーン)”の話になるわけだね」

 

 “時代を創るウマ娘”が至るものが“領域”であるなら──そのウマ娘が“領域”に至ることができれば“時代を創るウマ娘”であると言える。 

 

「でもさ、それをボクに相談されても……ハッキリ言って困るよ? ボクは到達できた側じゃないんだし」

 

 ミラクルバード曰く、「踏み込みかけたけど、その感覚の異質さに耐えられずに弾かれた」とのこと。

 しかしオレだってそれは分かっている。ミラクルバードからその話は聞いているんだから。

 

「わかってる。でも、ウチのチームでは少なくとも一番近くまで到達できたのはミラクルバード、お前だ」

「現役時代に声かけてくれた、トレーナーの目に間違いはなかったってことだね?」

 

 まだ〈アクルックス〉結成前に、オレはミラクルバードにスカウトを持ちかけたことがあった。

 残念ながら、ミラクルバードはもう入るチームが決まっていたのでそれに応じてくれることはなかったが。

 それでもあの当時、唯一オレのスカウトをまともに聞いてくれて、「先約があるから、ゴメンね」と申し訳なさそうに断ってくれたのが彼女だった。

 

「そんなミラクルバードだからこそ、感想を聞きたいことがあってな」

「なんのこと?」

「オラシオンの癖は、分かってるよな? レース終盤での……」

「うん。内にヨレるってことだよね? それなら分かってるよ」

 

 もちろん、ミラクルバードが分かっているのをオレも分かっている。

 スプリングステークスのゴール直前で、思わず声を上げているのをオレも聞いていたし、同時に声が出ていたからこそ思いは一緒だった。。

 

「そのこと、トレーナーがオーちゃんにも伝えたんでしょ?」

「ああ。だが、まさかあんな手段を打つとはな」

「うん。実のところ、ボクもドン引きしてるよ……」

 

 顔色悪そうに、「アハハ……」と力なく笑うミラクルバード。

 彼女が呆れるのも無理はない。その対策がなんとも無茶で無謀なものだったと、後で気付いたのだから。

 

「まさか、内ラチすれすれを走ることで、それ以上内側にヨレないようにするなんて、ね」

「一歩間違えれば大惨事だぞ。まったく……」

 

 一方オレは、呆れを通り越して怒りさえ感じていた。

 あまりに自分の体を蔑ろにしている。

 もしもそんなことをお構いなしに悪癖が発動すれば、内ラチに衝突してどんな事態を巻き起こしていたことか。下手をすればミラクルバード事件の再来になっていたところだ。

 ……もちろん、本人の目の前でそんなことは言えないが。

 

「それでトレーナー、その悪癖がどうかしたの?」

 

 問い返したミラクルバードに、オレは心の中でもう一度「スマン」と謝り──話を進めた。

 

「ダイナと話しているときに、“ヨレる”ということで思い至ったんだが……お前の時と一緒じゃないのかと思ってな」

「それって……オーちゃんが“領域(ゾーン)”に入りかけてる、ってこと?」

 

 さすがに今までの前振りがあれば誰だってそれに気付く。

 ミラクルバードは悩むように虚空を見つめつつ、「う~ん、なるほどねぇ……」と眉根を寄せて考え込み、そして答えた。

 

「う、ん……可能性は、ゼロじゃないと思う。うん。でも……“領域(ゾーン)”に至れずに弾かれてるのは、ボクの時よりももっと没頭できていないから、じゃないかな。ほら、オーちゃんがヨレるのはいつも最後の最後だよね?」

 

 ミラクルバードの指摘の通りだった。

 オラシオンがヨレるのは、レースの終盤も終盤。ゴール直前のことが多い。

 それに対してミラクルバードがヨレて衝突したのは、

 

「もっと深く集中できれば、いけるかもしれないってことだよな?」

「でも……そうだね、そのためには短い時間で、より集中するしかないと思う。オーちゃんの、あの無茶苦茶な負けん気が暴走することなく、スッと集中して勝ちへの執念に収束したら──」

「“領域(ゾーン)”へと、至る……か?」

 

 オレの確認に、ミラクルバードは無言で頷いた。

 はっきりと肯定の言葉を口にしなかったのは、絶対にそうなると言い切れるだけの根拠が無かったのだろう。

 だが、彼女の──“領域”まであと一歩のところまで迫れた感覚が、それを理屈ではなく感覚で捉えているように思えた。

 

「だとしたら……」

 

 オレは考えを巡らせた。

 早くスパートをかけて、後ろから追いかけられるような状態ではどうか?

 いや、それだと他のウマ娘が見えずに「負けたくない」という気持ちの行き場がなくなる。

 今までのヨレた展開もそれに近いのではないか?

 だとしたら──

 

「トレーナー?」

 

 ミラクルバードに声をかけられたものの、それすら気が付かないくらいにオレは考えに没頭していた。

 そして一つの結論にたどり着く。

 オラシオンを“領域(ゾーン)”へ至らせるために打てる手段は……

 

 

 ──スパート地点をもっと遅くすること。

 

 

 それがオレのたどり着いた答えだった。

 




◆解説◆

【いざ、皐月賞へ……】
・今回は完全に次への繋ぎの回なのと、ネタ切れのためにオリジナルタイトル。

皐月賞
・GⅠレースであり、八大競走の一つに数えられる大きなレース。
・クラシック世代のGⅠとしては桜花賞に続いて2番目に開催されるレースであり、クラシック三冠の初戦。
・1939年に創設された『横浜農林省賞典四歳呼馬 』というレースが前身。
・戦中の1944年は『農商省賞典四歳』という呼称で能力検定競走として施行。翌年の1945年と1946年は不開催。
・1947年から再開し、名称を『農林省賞典』に変更。1949年からは現在の名称である『皐月賞』になり、中山の開催になりました。
・距離は1950mという謎の中途半端な長さでしたが、翌年から2000メートルに変更し、今に続いています。
・『横浜~』という名称で分かるように、最初は横浜競馬場の1850メートルで開催され、1943年から東京開催になっていました。
・中山で開催されないときは東京で代替開催されています。
・な1984年のグレード制導入でGⅠになり、1995年には指定交流競走になって地方馬にも門戸が開かれ、2002年からは外国産馬が2頭まで出走可能になっています。
東京優駿(日本ダービー)は「最も運のある馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ、そして皐月賞は「最も速い馬が勝つ」と言われています。


※次回の更新は8月25日の予定です。  



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第54R ──黒い風(1)


 スプリングステークス終了後、私──オラシオンはトレーナーから注意を受けましたた。
 ウイニングライブを終え、レースの反省ということで振り返ったときに、あの人は厳しい顔で言ったのです。

「オラシオン。オレはお前の悪癖を指摘したが、アレはどういうつもりだ?」
()()とはなんでしょう?」

 私の問い返しに、トレーナーはこれ見よがしにため息をついて──

「……コース取りのことだ」

 少し憤りを含んだ、厳しい口調で彼は言いました。
 なるほど。そのことですか……想定していたその問いに、私は準備していた答えを返します。

「あの不良バ場では、あのコース以外にありませんでした」
「それは分かる。荒れた内寄りを他のメンバーは避ける中で、内ラチぎりぎりだけは比較的マシだった……そんな危ないところを走るヤツがそもそもいないからな」

 相変わらず厳しい表情のトレーナー。

「しかし、だ。確かにオレはレース前にお前が“内に突っ込むようにヨレるクセがある”と指摘したよな? なのに、なぜ内ラチすれすれなんて位置を走ったんだ?」
「これ以上内側にいけなければ内にヨレることはない、そう判断しました」

 私が答えると彼の目には、その怒りが最高潮に達して力が入ります。
 でもその直後、感情を抑えるように息を吐いて……落ち着いた口調で訊いてきました。

「お前……意識して制御できないから、クセなんだぞ? もしもあの場所から内に刺されば、間違いなく内ラチに激突していたんだ! そうなればお前は──」
「でも、そうなっていませんよね?」

 そうならない自信があったからこそ、私はあのコースを走ったんです。それをウジウジと言われるのは我慢がなりません。
 そう思って反論した私を──さらに大きな声が指摘します。

「なりかけたじゃないか! それに気が付かなかったわけじゃないよね!?」

 その声をあげたのは、トレーナーと一緒に残っていたミラクルバード先輩でした。
 彼女は怒りを露わに──覆面から覗く目には涙さえ溜めて、先輩は反論したのです。

「セントホウヤに並びかけられて、無我夢中になって、それで無意識に内にヨレかけた。だからボクとトレーナーは思わず叫んでいたんだ! 身に覚えがないなんて、言わせないよ!」

 あの明るくて朗らかなミラクルバード先輩が、怒りを露わに言ったということに私は驚いていました。
 温厚で、笑顔を絶やさないというイメージの先輩からは考えられないほどに苛烈な反応。
 それは彼女が本気で怒っているという、なによりの証でした。

「先輩? どうしてそんなに……」
「わからないのかオラシオン。お前のしたことがどれだけ危険なことか。それがミラクルバードにどれだけ心配をかけ、彼女の心を傷つけたのか。あの走りで……」
「そんなッ!?」

 訳が分かりませんでした。
 私は、勝つために最善の走りをしただけ。

「た、確かにリスクがあったかもしれません。でもそれは……もしも私が内にヨレても、私一人が怪我をするだけでした。だから──」

 あのとき、最内を通ったことで悪路を嫌って外へ膨らんだ他のウマ娘達からは明らかに抜け出していました。
 だからもし私が内ラチに激突し、その反動で外へ膨らんだとしても、後続のウマ娘達は避けられるはずでした。
 そして唯一競っていたセントホウヤは反対の外ラチ沿い。さすがにそこまでは吹っ飛ぶことはあり得ない。
 たとえ失敗していたとしても、私だけが自分自身の責任でそれを負い、他のウマ娘に迷惑をかける状況ではありませんでした。

「そういう話じゃないよ! だって……だって、オーちゃんが怪我をしたら皐月賞も、ダービーだって出られなくなっちゃったんだよ? そしたら養父(おじ)さんの例の話(新しい夢)だって頓挫しちゃうし……ううん、なによりも──」

 ミラクルバード先輩はついにしゃくりあげ、言葉に詰まってしまいました。

養父(ちち)の夢……それは確かにそうですが、でもあのレースで負けてしまえばそれこそかなわなくなるところです)

 自身が育て上げた会社を、結局は業績不振で他の会社の傘下に入れて隠居した養父。
 一時は一流企業にまでしたそのバイタリティは“安楽椅子で余生を過ごす”なんてことには我慢がならなかったようで、新たな事業を始めようとしていたのです。

(その事業というのが……ウマ娘のための初等教育機関をつくろうというもの)

 中央や地方のトレセン学園へ入学する前のウマ娘たちを、その年代から整った環境下で育てあげた上で各トレセン学園へとステップアップさせる──そうすることで日本のウマ娘競走のレベルを引き上げる、というのが養父の狙いだそうです。
 そしてけっして豊かだったとはいえなかった私達のいた孤児院も、その教育機関の傘下へ入り、才能のあるウマ娘はさらに恵まれた環境へ、そうでない者もサポートするための知識を学んでその道へ進んだり、“競走”とは無関係の道へ進む支援もできる組織にする……と養父は語っていました。

(早くに母を失って孤児院で育った私にとっては理想郷のようであり、しかし悪く言えば“絵に描いた餅”のような話です)

 実現するのには厳しいのではないかという現実を見る目が、経営学をかじった程度の私でもありました。

『無論、そんなことは分かっとる。簡単な道やない。これを始めるには、シンボルとなるようなウマ娘が必要や』

 その話をした養父に私が素直な感想を返すと、あの人はそう言って遠い目をしたのです。

『今の中央トレセン学園の象徴たるシンボリルドルフ。中央(トゥインクル)シリーズをその活躍で国民的人気に押し上げたハイセイコー。さらに遡って、日本のウマ娘競走(レース)復興の旗印となったシンザン……そんな中心となるウマ娘がおれば、画餅もホンモノになる。なぁ、オラシオン。儂はお前がそうなれる器だと、思っとるんや……』

 まだまだ準備どころか実現のために動き出してもいない、まさに夢のような計画と養父は言いましたが……確かにその目には会社を手放すと同時に失っていた目の輝きを見たのです。
 だからこそ、私はその養父の願いを背負う決意をしました。
 ただその話を私は誰にもしていません。ミラクルバード先輩はきっと養父から彼女の御父様を通じて知ったのでしょうが……
 感情を高ぶらせて泣いてしまった先輩をたしなめるように、トレーナーがその肩に手をおいてなだめていました。

「今のミラクルバードの話、オレは全く知らないが……誰かのために走る、というのは意義のあることだし、素晴らしいことだと思う。だがな、それは自分を(ないがし)ろにしていいということでは、決してないからな」

 多少落ち着いた先輩が涙を拭っているのを見て、トレーナーは私の方へと視線を移してそう言いました。

「お前のお養父(とう)さんが、お前を犠牲にしてまで、夢を実現させようとしているとは思えない。お前が無事に、そして幸せに走ることが大前提なんじゃないのか?」
「それは……」

 トレーナーに言われ、養父が私のことを大切にしているのを思いだし……そして気がついたことがありました。
 私は競走引退後は養父の会社でその経営を手伝うことを考えていましたが、今となってはそれはかないません。
 でも、もしも養父の夢が実現すれば──そこに私の居場所がある。

養父(ちち)は、そこまで見越して……)

 そんな養父の気遣いに、私は驚きと深い感銘を受けたのです。
 そして──

「オラシオン……お前がレースの度に三女神に祈りを捧げ、他の人の思いを、夢を実現させるために走ろうとしているのは理解しているつもりだ。だからこそ、お前の一番身近にいて、自分のようにならないで欲しいというミラクルバード(こいつ)の願いをしっかりと受け止めてくれ」

 私の走りは、ミラクルバード先輩に“あの時”のことを思い出させてしまっていたのでした。
 だからこそ。今ここで涙を流すほどに感情を昂ぶらせ、そしてスプリングステークスのゴール直前には必死に大声で私を止めようとしてくれた。

(たぶん、あの声があったからこそ私は最悪の事態を招かずに済んだ……のでしょうね)

 その強烈な“祈り”が私を止めてくれたのだと思います。
 私がそれを受け止めている間に、トレーナーは「オレから言いたいのはそれだけだ」と言い残し、まだ立ち直っていないミラクルバード先輩の車椅子を押して、部屋から去っていきました。
 ……スプリングステークスの、そしてそのウイニングライブの控え室に残ったのは、私と、今までのやりとりをずっと黙って聞いていた渡海さん。

「ねぇ、クロ。乾井トレーナーも、ミラクルバードも、キミを責めるつもりじゃないんだよ。キミを心配しているからこそ、厳しく言ってくれたんだと思うよ」
「……………………わかってるわ」

 優しく笑みを浮かべて言ってきた彼の言葉に、私は素直になれず、思わずそっぽを向きながら答えてしまいます。
 ええ、そんなことは渡海さんに言われなくても分かっているんです。
 トレーナーも、ミラクルバード先輩も、優しい人だというのは、このチームに所属して長いのですし、百も承知ですから。

「もちろん僕だって、クロがケガをしたらと考えるだけでぞっとするよ。できれば……考えたくはない」
「そうでしょうね。担当のウマ娘が大怪我をしてしまっては、その責は──」
「違うよ! そうじゃない! それだけじゃないんだ!」

 私の言葉に、渡海さんは感情的になって大きな声を出しました。
 それから我に返って、大きな声を出したことに自分でも驚いている様子で……

「それだけじゃない? どういうこと?」
「そ、それは……」

 私の問いに対し、渡海さんはひどくあわてた様子で答えあぐね、言葉を探している様子。
 何度か気まずそうに私へと視線を向けては外しと繰り返し、そして意を決したように──

「ごきげんよう! まだ残っていましたわね、オラシオン……って、何してらっしゃるの?」

 部屋のドアをバーンと勢いよく開けて入ってきたのは、セントホウヤさんでした。
 なんとなく私と渡海さんは、あわててサッと距離をとります。
 そんな様子を──彼女曰く「健闘を称え合い、次は負けないという宣言をしに来た」らしいセントホウヤさんは、訝しがるように私達を見るのでした。



 

 ──いよいよ皐月賞の当日。

 

 先週、シャダイカグラが桜花賞を制した興奮も冷めやらぬまま、阪神レース場から遠く離れていた中山レース場──皐月賞の舞台は熱狂に包まれていた。

 その桜花賞のレースがゴール前までもつれ合うような熱戦だったので、それを期待して盛り上がるファンの心理も当然だろう。

 

「それにしても、中山レース場か……」

「……なによ?」

「いや、レース当日にここにたどり着けなかった誰かさんもグフゥッ!」

 

 そしてオレ達チーム〈アクルックス〉も、さすがに今回は阪神にいっている二人を除いてオラシオンの応援へときていた。

 舞台はクラシック三冠の初戦のGⅠという大舞台であるし、なによりも中央トレセン学園から近い場所での開催だからだ。

 日帰り可能で電車一本で最寄り駅まで来られる、普通は迷ったり間違ったりする余地がないような、そんな中山での開催だ。

 で、それをからかったオレの脇腹に、遠慮のない拳が刺さったわけで……

 

「たどり着けなかったわけじゃないわよ! ちょっと迷って間違えただけで!」

「え? 千葉県にいくのに神奈川県にいたのに()()()()間違えただけって……」

 

 ダイユウサクが怒り心頭で言い放ち、それにミラクルバードが真顔で困惑する。

 まぁ、確かにそうだよな。普通、そんな間違いはしない……

 

「……過ぎたことでしょ、もう。それに今は……いい思い出と言えるわ」

「まぁ…………そうだな」

 

 ダイユウサクの言に、オレは思わず頷いてしまう。

 あのアクシデントがあったから、ダイユウサクの気持ちへのフォローができたかもしれない。

 それを思えば、あのアクシデントも結果オーライと言えるだろう。

 俺たちの前にドーンと構える中山レース場を見て、懐かしそうに目を細めるダイユウサクを見ているとそう思えた。

 そしてその隣には──複雑そうな顔でレース場を見つめている車椅子のウマ娘が目に入った。

 

「ミラクルバード……」

 

 そうだ。今日開催されるのと同じレースで、彼女の競走の道は閉ざされたんだ。

 因縁のレース場であり、今日はその因縁のレースである。

 

「ボクがゴールできなかった中山、そして皐月賞……」

 

 心残りが無いわけがない。

 ミラクルバードにどう声をかけていいのか、オレは答えを見つけられなかった。

 そうして出走経験のある3人が、思い思い見上げるレース場。

 そして──

 

「あっしとしては、観る側でやって来たのはちょいと複雑なんですけど……」

 

 未だここでの出走経験のないロンマンガン。

 今回のレースに出られないことに悔しそうな空気を出しているだけでも、彼女の変化が見て取れる。

 

「いや、それよりも今日は──」

 

 オレは気を引き締める。

 過去でも未来でもなく──今日のレースでどんなドラマが待ちかまえているのか、それを見なければならないのだから。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 今回の皐月賞はフルゲートで22人が走る。

 昨日の発表では私──オラシオンは圧倒的な一番人気。そして昼の発表ではさらに人気が集まっている……ようです。

 

「人気なんて気にする必要ない……ですか」

 

 本バ場入場で走路へと出てくるなり、多くの人で埋まっている観客席(スタンド)から歓声が飛んできました。

 それを聞きながら、私は直前のトレーナーの言葉を思い出したのです。

 もっとも「そんなに人気になるようなウマ娘を担当したこと無いけどな」と苦笑を浮かべてもいたのですが。

 おそらくですが、人気がプレッシャーとなるのを恐れてのことでしょう。

 だから──

 

「高い人気のウマ娘に有利なハンデが与えられるわけじゃない」

「人気が最下位(ビリ)だろうが下から二番目(ブービー)だろうが、一番最初にゴール板を駆け抜けたもん勝ちなんだからな」

「レースそのものには何の影響もないんだから、気にするだけムダだ」

 

 ──なんて必死に言ってましたけど……そこまで言われると逆に気になってしまうんですけど?

 それに、低い人気での下克上を言うのなら、逆に人気が低いときにハッパをかける意味で言うのならまだ分かるのですが、一番人気の私にそれを言うのはどうかと……

 

(慣れていないからこそ、つい出てしまったのでしょうけど)

 

 チームは“吃驚(びっくり)の〈アクルックス〉”と言われ、本人は《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》の異名を持つ、そんな乾井 備丈というトレーナーです。

 下克上はされる側ではなく、する側にいた人ですからね。

 ギャロップダイナ先輩に、ダイユウサク先輩。

 そして……

 

(ターキン先輩……見てくださっているでしょうか?)

 

 怪我を理由に、「チームの荷物になりたくないから」と去ってしまったレッツゴーターキン先輩。

 しかも学園を去った後の行方も、今のところ分かっていません。

 でもきっと、あの先輩のことだから〈アクルックス〉のことが気になって、きっと見ていてくれていると思います。

 だからこのレース……負けられません。

 

「──今頃になって必死に神頼みしても、ムダじゃないのかなぁ?」

 

 心を落ち着け、三女神への祈りを捧げようとした私の耳に、そんな声が聞こえてきました。

 思わず耳がピクッと動き、反射的にそちらへと向けてしまいます。

 その嫌みったらしい男の人の声に、私は嫌悪感を覚えました。

 しかし、反応を見せてしまったのは間違いだったようです。その声はさらに──

 

「ま、スプリングステークスも内側すれすれ走って、外すれすれ走ったうちのホウヤとほぼ同着……走った距離を考えたらこっちの勝利みたいなもんだし」

 

 そんなことをこれ見よがしに言ってきます。

 祈りのために組んでいた手を解き、チラッとそちらを見れば……そこにいたのは〈ポルックス〉のトレーナーでした。それも“先代”と言われている方ではなく、一度はその正トレーナーの座を譲られた若いトレーナーです。

 彼は私が気にしているのに気が付いた様子で、ニヤニヤと笑っていました。

 ただ、気の毒なのは彼の指導を受けているセントホウヤさん。彼女もそのトレーナーの言動をおもしろく思っていない様子で、顔をしかめているのには気の毒に思えましたし、彼女の心根の良さが垣間(かいま)見えてホッとしました。

 ただ、彼女の顔色が少し悪いように見えるのは、気のせいでしょうか……

 

「お~お~、オッサン。つまらないヤジ飛ばしてんなよ」

 

 そのとき、走路側から声があがりました。

 つられて視線を向けると──所々はねた長い髪に、半眼のような垂れ気味の目をしたウマ娘が、面白くなさそうにそのトレーナーを睨んでいました。

 

「オッサン!? だ、誰がオッサンだ!!」

「汚いヤジ飛ばしてるアンタのことだよ、オッサン」

「ま、また言いやがった……誰だ、お前! どこのチームのウマ娘だ!?」

「アンタみたいのに名乗る名前なんて無いわ! それに自分トコのウマ娘が走るレースの、出走メンバーくらい覚えとけっての! アンタらみたいな汚いやり方じゃなく、正面からド本命に立ち向かってやるからな! なぁ、オラシオン!」

 

 そう言って彼女は私の方を見て──ニカッと笑みを浮かべて手を差し出してきました。

 

「ウチの名前はロベルトダッシュ……今日は全力で挑ませてもらうかんね。正々堂々、勝負や」

「……ありがとう」

 

 それに答えて握手をすると──彼女はニヤリと笑みを浮かべて、全力を込めて握り返してきました。

 む……

 私も全力で握ろうと力を込める寸前に、彼女はパッと手を離します。

 

「よろしくな。ウチとアンタ……トレーナー同士も知り合いやしな」

「……え?」

 

 彼女が顎で示した先には──私も見覚えのあるトレーナーがいました。

 

「ずいぶんとセコいマネしているじゃないの、アンタも……」

「ゲッ、巽見……」

 

 先ほどの〈ポルックス〉トレーナーに、こめかみに青筋を浮かべつつ笑顔で絡んでいるそのトレーナー。

 そういえば、ロンマンガンさんが言っていました。ダイユウサクさんの従妹でルームメイトのコスモドリームさんを担当しており、うちの乾井トレーナーとトレーナー室が相部屋になっている彼女が、私達と同じ世代のウマ娘の担当をしていると。

 そしてそのウマ娘の名前が、ロベルトダッシュだというのを。

 

「オマエ、サブトレの分際でこのオレに──」

「やかましいわよ! 正トレーナーを名乗るなら、それにふさわしい態度をしなさい!」

 

 どこからともなく取り出した竹刀をビシッと突きつける巽見トレーナーに、〈ポルックス〉のトレーナーがたじろいでいます。

 それを止めるのか、逆にあおるつもりなのか……ロベルトダッシュは「じゃあね」と私に言ってそちらへと向かいました。

 思わずホッとため息が出て──

 

「おつかれ。色んなのにからまれて貴方も大変ね」

アップショット……」

 

 交友関係のあるウマ娘から声をかけられ、私はさらに気を緩めます。

 クセの強い──ではなく、個性の強い人が多い学園のウマ娘の中で、常識人枠に入る“普通な”ウマ娘で、気さくに話しかけてくれる同級生がアップショットでした。

 そんな気の休まる相手が声をかけてくれて、私は思わず苦笑を浮かべてしまいます。

 

「あのトレーナーも焦ってるのよ」

「……どういうこと?」

「セントホウヤが前走であなたに負けたのがよほど悔しかったのでしょうね。けっこうハードなトレーニングさせて……それが強すぎて、ホウヤは疲労が残ってるのが分かるもの」

 

 アップショットがセントホウヤの方を見る。

 つられて私も見たけれど……自分のトレーナーのことを迷惑そうに顔をしかめている彼女の顔は、言われてみれば確かに疲れが見える。

 ふと私の視線に気づいたのか、キッとこちらへ鋭い視線を向けてきた。

 

「……それだけじゃなくて、ホウヤ自身もずいぶんと入れ込んでる。あんな調子で大丈夫かしら」

 

 傍観者であるアップショットは、その反応を見て苦笑する。

 確かにセントホウヤはレース前だというのに随分と汗をかいているように見えました。

 3月のような寒さを感じる日もなくなり、すっかり春の陽気を感じる季節の4月ですけど、今日は天気の良さが高じて気温も上がっています。

 それでもセントホウヤの汗は気温だけによるものとは思えませんでした。

 

(入念にアップをしたつもりが、入念にしすぎて過剰な運動になってしまった……といったところでしょうか)

 

 ひょっとしたら私以上に緊張しているのかもしれません。

 

「ま、あなたみたいなバケモノと戦うんだから、そうなるのも仕方ないかもね」

「バケモノって……ひどいですよ、アップショット」

 

 私が困惑すると、アップショットは「冗談、冗談」と笑ってごまかしてきます。

 

「でも、実力は冗談では済まないもの。あなたより後ろにいたらどうやっても勝てっこないし、今日は逃げでいかせてもらうわよ」

「え……?」

 

 アップショットは本来の得意な脚質は逃げじゃないはずです。

 本当に? ひょっとして(ブラフ)……と思わず疑ってしまう。

 でも彼女は笑顔を浮かべていて、その真意は読めません。

 そうして私が戸惑っている内に集合の合図がかかり──22名がゲート前へと集まります。

 それぞれが順調にゲート入りしている中で、一人だけゲート入りをためらうウマ娘が……

 

「触らないでくださいまし!!」

 

 ──セントホウヤでした。

 彼女はレース前で気が立っているようで、係員の人にさえも当たっている様子。

 その姿はやはり目立つわけで……ゲート入りを待っている私は、同じく待っていたロベルトダッシュとふと目が合いました。

 

「あはは……」

 

 お互いに気まずそうに苦笑しましたが……彼女の目は言外に「セントホウヤはもう負けたわ」とハッキリ語っていました

 

 

 ──こうして、皐月賞の火蓋は切って落とされるのでした。

 




◆解説◆

【──黒い風(1)】
・今回のタイトルは、皐月賞ということで小説『優駿』でオラシオンの皐月賞が描かれた章のタイトルを、スプリングステークスと同じようにそのまま採用しました。
・え? でも(1)ってどういうこと?。

間違い
・第一章をすっ飛ばして第二章を見ている方が……もしかしたらいるかもしれないので一応。
・この話は、第一章77話でのことですので、そちらをご覧ください。
・元ネタは有馬記念でダイユウサクに騎乗した熊沢騎手が、初めての中山競馬場ということで、当日に道に迷った──というものだったのですが、それが誇張されてとんでもないところにいってしまいました。
・ちなみに……本作のウマ娘・ダイユウサクはその原作エピソードもあって方向音痴という設定です。
・しかし、自覚がないのは……身内にそれ以上にヒドイ方向音痴がいるからなのですが。

記念に出走経験のある
・ここでギャロップダイナに詳しい方は「あれ?」と思うかもしれません。
・元ネタのギャロップダイナは有馬記念に2度出走経験があります。
・一度は、本作のギャロップダイナが語ったように、シンボリルドルフからリベンジを喰らったもの。
・2度目はその翌年で、それが引退レースになっています。
・しかも外からの大駆けで惜しくも届かずにダイナガリバーの2着に。
・馬主が同じだったために、ダイナガリバーの記念撮影に加わり、それを最後に引退──
・というのがギャロップダイナの引退レースなんですが、本作のギャロップダイナはウマ娘時空というのもあって、まだフランス遠征から戻ってきた段階。
・その後の天皇賞(秋)とジャパンカップのイベントも終わっていないので、引退レースの有記念もやってません。
・つまり現時点では、まだ1度しか走っていないのです。

22人
・今ではこんな人数にはなりません。
・1992年からフルゲートは18頭となっているので、それより前に書かれている小説『優駿』では容赦なく超えてきています。
・なお皐月賞で22頭になったのは、1985年のグレード制開始直前で()()()()()()()最後の年が最後です。
・とはいえ、それ以後の1992年までは18頭をきるようなことはありませんでした。
・ちなみに、シンザンの皐月賞の時は25頭立て。
・なお──シャダイカグラが桜花賞をとった1989年だと皐月賞は20頭立て。
・近年では2015年に15頭立てという少ない年があったのですが、1970年あたりだともっと少なく12頭立てのときもあったそうな。

アップショット
・本作オリジナルのウマ娘で、元ネタは小説『優駿』に出てくる競走馬。
・オラシオンと同世代で、主戦騎手の奈良と親しい高野という騎手が乗っていた馬。
・スタート前まで意外と親しく二人が接していたので、本作でもこのような立ち位置になっています。
・ただし小説の不便な点で、競走馬の特徴がまるで書かれていないので髪の色がわかりません。
・ですので外見は読んでいる方々の御想像にお任せします。


※次回の更新は8月31日の予定です。  



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第55R ──黒い風(2)


「どういういことですか? トレーナー」

 ──なんてオラシオンの言葉は聞き飽きた気もする。
 オレはそんなことを考えながら、セミロングの青鹿毛(黒髪)に前髪に綺麗な星形の模様が入ったウマ娘の不満そうな視線を一身に受けていた。

「今回のレースは、スパートのタイミングを遅らせる。コーナーでは仕掛けるな。最後の直線まで我慢しろ」
「それは……でも、そのせいで追いつけなくなったらどうするんですか? 皐月賞ですよ、今度のレースは! 開催地は中山なんですよ!?」
「ああ、分かってる」
「分かってません! 中山の直線が短いのは常識じゃないですか!! その短い直線で、もしも間に合わなければ……」
「もちろんレース展開で仕掛ける場所やタイミングはお前に任せるが、先頭に立つのは最後の最後になるようにするんだ」
「そんなことをする意味がわかりません!! 勝てばいいじゃないですか!!」

 憤然とオレへ抗議するオラシオン。
 その後ろでは渡海が困った顔でオロオロしている。トレーナーであるオレとオラシオンの間で板挟みになっていた。

「スプリングステークスの反省会では有耶無耶になっただろ? お前のヨレる癖についての対策として、できうる限り仕掛けるのを遅くすることで、()()()()()()()()()()()状況を作らないようにしようと考えたんだ」
「ねぇ、トレーナー。でもそれってオーちゃんが追いつくのがぎりぎりになって追いつめられたら、同じことが起きるんじゃないの? 例えばこの前の桜花賞みたいな……」

 オレの立てた作戦に疑問を挟んできたのは、ミラクルバードだった。
 顔の傷を隠す黄色い覆面を付けてもなお整った顔立ちはさすが美人ぞろいのウマ娘といったところ。後ろにピンと流れる縛った髪はまるで鳥の尾羽根のようだ。
 そんな彼女は車椅子に腰掛けたまま、オレへと話しかけている。
 今から数年前の皐月賞で、レース中に他のウマ娘とぶつかる接触事故を起こした彼女は、そのまま派手に転倒して打ち所が悪かったために、未だに彼女の脚は動かない。
 その彼女は今では競走を諦めて、学園では競走ウマ娘をサポートするスタッフ育成科へと転科し、オレのチーム〈アクルックス〉を支えるメンバーの一人になっていた。

「それこそ望むところだ」
「「え?」」

 ミラクルバードと、そしてオラシオンの声が重なる。

「なにを言っているんですか、トレーナー……さっき、いえ前の時もヨレる癖を注意して、それを起こさないようにと」
「ああ、ヨレるなという気持ちに嘘偽りはない。実際に危険だからな」

 抗議するオラシオンにオレはそう答えつつ、チラッとミラクルバードを見る。

「お前がヨレる……それを乗り越えた先にこそ、誰にも負けないウマ娘へと至る可能性があると思っている」
「……正気ですか?」

 訝しがる……のを越えて、狂人を見るような目でオラシオンはオレを見てきた。
 確かに、オレが言っているのは普通に聞けば訳の分からない与太話に聞こえるかもしれない。
 ただの脳内の創作話で、「ファンタジーやメルヘンじゃあないんですから」と言われてしまいそうなほどだ。
 だが──()()

「《領域(ゾーン)》だ」
「《領域(ゾーン)》……?」
「ああ。“時代を創るウマ娘”が至ると言われている、超集中状態……それにお前は足を踏み入れかけているんだ。今までのお前は、集中力が足りていなかったんだ。過剰な負けん気のせいで、相手を意識しすぎていたんだ」

 それが“走り”への集中を妨げていた。
 だから《領域(ゾーン)》に入ることができず、弾かれ、内へ刺さるようにヨレていた。それがオレのオラシオンの“癖”の見解だ。

(だからより()()()()()()()ことへとオラシオンの意識を没頭させることができれば──)

 それこそこの前の桜花賞でのゴール直前のシャダイカグラのような超集中状態になれば、オラシオンなら至ることができるかもしれない。
 今までのレースでは追い込まれたとしても追われる展開だった。
 もしも追いかけることで自分の走りに没頭できるのなら……

「なにを根拠にそんなことを。非現実的です。そんな眉唾なものが──」

 そんなオレの言葉に対して首を振り、否定しようとするオラシオン。
 だが──

「《領域(ゾーン)》はあるんだよ、オーちゃん!」

 ──強く肯定したのは、ミラクルバードだった。



 

 ──スタートした皐月賞。

 

 そして同時にどよめきが起こる。

 誰か出遅れたか?

 先週のGⅠ(桜花賞)を思いだし、オレは悪寒が体を走るのを感じた。

 だが、その心配は杞憂だった。オラシオンは出遅れることなく、それどころかむしろ良いにスタートを切っていた。

 そして観衆のどよめきの原因は──

 

「アップショットが先頭!?」

 

 チーム関係者が陣取る観客席最前列の、その後ろの方からそんな声が聞こえてきた。

 ふむ……

 オレは腕を組み、考え込む。たしかアップショットは今まで逃げた経験はなかったはずだ。

 

「奇策に出たか、それとも……」

 

 急遽の思いつきなのか、それとも万全の準備をした上での奇襲なのか、分からない。

 だが普段の、自分が一番得意とする走りを変えて競走をするというのは難しいことだ。

 自分の実力を一番発揮できるからこそ“得意な走り”なのだから。

 ともあれ、そんな意外なアップショットの逃げに、観客席はどよめき……意外な展開が連鎖する。

 

「む……」

 

 別のウマ娘がそれに触発されて、アップショットの前へと出たのだ。

 あれは確か20番のウマ娘で──

 

「……よくない走りだね」

「先頭か?」

 

 隣にいるミラクルバードの評に、彼女を振り向くことなく走るウマ娘達へ視線を向けたまま尋ねた。

 

「うん。自分で上がっていったっていうよりも、場に流されて興奮しちゃった感じかな? たぶん彼女は最後まで保たない……」

 

 ミラクルバードの推測通り、一度は先頭に立ったそのウマ娘は第2コーナーを廻るころには様子が怪しくなり、早々にアップショットへ先頭を明け渡すことになった。

 そうしてレースの大勢(たいせい)が固まってゆく。

 

「セントホウヤは3番手、か……」

 

 逃げるアップショットを追う位置として悪くはないのかもしれない。

 しかしその意識は、先頭のアップショットを追うというものではなく、中段の8番手という良い位置につけて様子をうかがうオラシオンに追いつかれまいと急いているようにさえ見えた。

 オラシオンの中段待機とその位置は普段通り。その展開にはオレもホッとしていた。この後も余計なことが起きないでくれ、と祈りたくなる。

 

「調整失敗の上に余裕がない……セントホウヤは厳しいね」

「ああ。下手にオラシオンに絡まず、素直に下がっていって欲しいところだな」

「え? トレーナー?」

「あ、ああ。すまない……」

 

 オレの口からついて出た言葉に驚いたミラクルバードがこちらを見ていた。

 別にセントホウヤに悪いイメージはないが、そのトレーナーのイメージから往生際悪くなにか妨害じみたことをしでかすんじゃないか、なんてことを考えてしまっていた。

 セントホウヤ自身は高飛車な面はあっても、根は素直な努力家だということは知っている。

 変なことを疑ってすまなかった、とセントホウヤに心の中で謝っておく。

 そうしている間にも、レースは進む……

 

「……でも、ペースが遅いね。ひょっとしたら逃げられちゃうかも」

「初めての逃げとは思えないくらい上手いな、アップショットは」

 

 ここまで無理した様子もなく、自分のペースで逃げているとオレは思った。

 興奮した他のウマ娘にペースを乱されても仕方がないような展開だったが、それを気にせず走っているあたり、かなり冷静だ。

 オラシオンも良い位置で走っているが、あまりにアップショットに気持ちよく逃げさせるのは正直面白くない。

 だが……オラシオンのさらに後ろには、気になるウマ娘がじっと彼女をマークするように走っていた。

 

「巽見のところの、ロベルトダッシュ……」

 

 オラシオンの2バ身後方の位置にいる。

 彼女がなぜその位置にいるのか、そこでなにをしようというのか、その意図はオレには見えていた。

 

「……やっぱり、巽見は気づいていたか」

「え? なんのこと?」

「ロベルトダッシュだ。オラシオンの右後方に付けてやがる」

「うん、そうだね。でも、それがどうしたの?」

 

 ロベルトダッシュも逃げや先行といった前でレースをするタイプのウマ娘じゃない。

 だからそこにいるのは別に不思議はない、ミラクルバードはそう思ったんだろう。

 

「最後の直線で内につけ、オラシオンを追い出すつもりだろう。内にヨレたら進路妨害を取られかねないところで走り、プレッシャーを与え続ける。イヤらしい走り方をする」

 

 だが効果的なのは間違いない。

 そしてオラシオン自身もその狙いに気づいているはずだ。

 後ろから追い上げられれば悪癖が出かねない。今までなら意識せざるを得ないところだが……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「我慢……我慢だ、クロ……」

 

 お世話になっている乾井トレーナーと、サポート科の先輩ウマ娘であるミラクルバードさんと並んで、僕はレースを見守っていた。

 その周辺には、チーム〈アクルックス〉の他のメンバーが共に祈るようにレースを見ている。

 

「ふ~ん、なるほど……ねぇ」

「どうしたのよ、ロンマン?」

「あ、ダイユウ姐さん。いやね、他の人のレースを見るのも結構参考になるな、と思いまして……」

「そう? シオンの走りを見ても、参考にならないんじゃない?」

 

 ダイユウサクさんが自虐的に苦笑して、「アタシらみたいなのとは次元が違いすぎるから」と言うと、オラシオンの同学年のロンマンガンもつられて苦笑する。

 

「ま、そうなんスけどね。だから他のウマ娘の動き見てると、どうやってシオンに対抗しようとしてるのかなんとなく分かるし、それがどれだけ有効になりそうなのかも分かるっていうか……」

「へぇ、ロンちゃんってそんなことまで考えてレース見てるの~? スゴいね!」

 

 二人の会話を聞いていたサンドピアリスさんが屈託のない笑顔を浮かべています。

 

「ちょっと、いろいろ考えさせられることがあったからね。でもピアリス、アンタもあっしと同じ穴のムジナなんだから、ただ見てるんじゃなくて、ちゃんとレースをよく()て色んなことを考えないとダメだぞ?」

「えっと……うん?」

 

 ロンマンガンの言っている意図がよく分からず首を傾げるサンドピアリスを見て、ロンマンガンは丁寧に解説をしてあげていた。

 解説をすることで、自分の理解を確認しようという意図もあるようだけど……ロンマンガンは最近、変わった気がする。

 以前よりも研究熱心になった……というよりも、競走に対する姿勢に真剣味が増した気がする。

 

(間違いなく、クロの影響を受けている)

 

 クロ──オラシオンが祈るだけでなく、瞑想するようにレースのシミュレーションをしており、それを正確に行うために出走するウマ娘達のこともよく調べている、という話をロンマンガンが聞いてから、彼女の意識も変わったように思えた。

 

(もしかしたら……)

 

 そのせいなのか、ロンマンガンの走りが最近よくなって、記録も伸びてきているという話も聞く。

 乾井トレーナーも、「皐月賞は間に合わなかったが、ダービーには挑戦させたい」とハッキリ言うくらいになっていた。

 もしも彼女がダービーに出れば、その制覇を目標にしているオラシオンとは争うことになる。

 

(その実現のためにも──)

 

 皐月賞の成績上位者は、ダービーへの出走権を得ることができる。

 

(その勝利のためにも──)

 

 この皐月賞という大舞台で実力を見せつけ、ライバルを畏怖させることができればそれは精神的プレッシャーを相手に与えることができる。

 

(だからこそ、クロ。今は我慢だ……)

 

 乾井トレーナーからの指示で、今回のレースは仕掛けを遅らせるように言われている。

 それは彼女の集中力を高めるためでもあるが、今までのレースを見てトレーナーはオラシオンの仕掛けが早すぎると思っていたらしい。

 

『まるで最後の直線全部がゴールだと思ってるんじゃないのか?』

 

 ──というくらいに、焦っているように見えたそうだ。

 仕掛けるタイミングを遅らせ、スパートの時間をできるだけ短くする。

 そうすることでより力をより集中させることができて、短時間で爆発的な加速ができるようになる。

 

(それがトレーナー達の言う《領域(ゾーン)》に入る、ってことなんだろうか?)

 

 確かに超常じみた脚力を発揮するウマ娘は、数えるほどしかいないが確かにいる。

 彼女たちのそれをオラシオンも発揮できるようになれば──間違いなく世代の頂点になることができるだろう。

 ただ、不安もある。

 

(爆発的な加速……)

 

 それを聞いて思い浮かべるのは、やはり有記念でのダイユウサクの走り。

 最強ステイヤーを越えたあの走りこそ、まさに超常じみた爆発的な加速だった。

 だが、それを発揮したダイユウサクは……その後のレースで同じ走りどころか、それまでのような走りさえも難しくなっているようだった。

 

(もしも代償を払うようなものであれば、クロにそんなことをさせるわけにいかないけど)

 

 たとえそれが師匠である乾井トレーナーの指示だろうとも、ウマ娘を潰すような走りをさせるわけにはいかなかった。

 乾井トレーナー曰く、「ダイユウサクのは完全なものではなく、条件が重なってできた一過性のもので、無理に発動したからこうなった」「オラシオンなら実力でその境地に達することができるはずで、完全制御した《領域(ゾーン)》であれば後遺症はない」とのこと。

 そう言われても不安だったけど、シンボリルドルフ会長を例に出され、「彼女は何度も結果を残している」と言われれば、“一発屋”と“七冠”を比べて、なるほどと納得できた。

 

(でも、本当にクロにその才能があるのか……)

 

 その証明のためにも、普段をさらに越えた集中力で《領域(ゾーン)》の世界へと踏み込まなければならない。

 

(だから今は、我慢だ!)

 

 四六時中彼女を見ていたからこそ分かる。

 彼女はトレーナーの指示を忠実に守って、前に行きたい気持ちをグッと抑えながら走っている。

 口や態度は素直とは言えないが、それでも乾井トレーナーをオラシオンは信頼している。

 僕の目にはそう見えていた。

 

 ──レースは佳境を迎えようとしていた。

 




◆解説◆

【──黒い風(2)】
・前回参照。

中山の直線が短いのは常識
・主にゲーム版ウマ娘の実況のせい。
・実際には、函館・札幌・小倉・福島といったレッツゴーターキンが馴染んでいた地方の競馬場の方が短かったりします。
・しかしGⅠが開催される中央の競馬場では最短の310メートル。
・でもこれは、京都の内回りと18メートルしか違わないのですが……ただ、中山の直線はそこに急な登り坂があるので、それが差を詰めるのが難しいのに拍車をかけています。
・なお、地方の中でも新潟だけは例外で内回りは359メートル、そして外回りはJRA最長の659メートルを誇ります。

今まで逃げた経験はなかった
・突然出てきたアップショットというウマ娘に、経験云々もなにもないだろ、とお思いかもしれません。
・でも、実際に小説『優駿』で、アップショットは皐月賞でそれまで影も形もなかったのに、いきなり出てくる競走馬なんですよね。
・で、展開も同じように“初めての逃げ”をやるわけでして……


※次回の更新は9月6日の予定です。  



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第56R ──黒い風(3)


「なぁ、オラシオン。お前、なんで祈ってるんだ?」

 ある日、トレーナーは突然、そんな質問をしてきました。

「私は三女神の敬虔な信徒ですし、神官位も──」
「そういうことじゃなくてだな……」

 私の答えはトレーナーの求めていたものとは大きく逸れていたようで、困ったように頭を掻いていました。

「レース前はどういうことを祈ってるんだ?」
「もちろん私自身の勝利の祈願や、レースの無事な開催です」

 ──人事を尽くして天命を待つ。
 まさにその心境で祈っていますし、そのためにレース前には鍛錬はもちろん体調の調整を万全にし、レース場やそのコースから対戦相手を含めて脳内でのシミュレーション等できる限りのことはしています。いえ、しなければなりません。

(そうでなければ、女神様方に祈る資格さえありません)

 一般の信徒ならともかく、神官位を有している私にはより厳格なものが求められるのは間違いないのですから。

「……一つ、言っていいか?」
「どうぞ」

 私が答えると、わざわざ事前に確認したにも関わらず、トレーナーは躊躇い──それから意を決した目で私を見て、そして言った。

「なんで、神頼みなんだ?」
「……はい?」

 トレーナーの質問の意図が分からず、私は思わず問い返す。

「今、勝利祈願と言ったよな? 競走(レース)に出て勝ちたいという気持ちを、なぜ神様とはいえ他に任せるんだ」
「そ、そんなのは……それはもちろん不確定な要素もあるからじゃないですか。一番速い、一番強いウマ娘が必ずしもレースに勝つ訳じゃありません。運が絡む要素だって……」
「ああ、それはわかるぞ。ダービーは“一番運のいいウマ娘が勝つ”と言われてるくらいだからな」
「そうです、だから──」

 トレーナーの言葉に私が頷こうとした、そのとき──

「──そこが、お前の弱さだ」

 ……え?
 静かに、キッパリと言いきったトレーナーの言葉が、私の胸に深く突き刺さりました。
 唖然としながら、彼の顔をあらためて見つめる。

「お前程の実力を持つウマ娘が、どうしてあんなクセを持っていたのか、疑問に思っていたんだが、やっとわかった」
「……なにが、ですか?」
「お前は、自分の力を信じ切れていないんだ。自分に自信がないから、最後は神という超越した存在に頼る──」

「──違うッ!!」

 私は反射的に思わずそう言っていました。
 トレーナーに一方的に言われて、私の感情はもはや抑えが効かなくなったんです。
 それに任せた言葉が口からついて出て行くのを、私は止められませんでした。

「違う! 違うんです!! 世の中は、そんなに甘くないんですッ!」

 豹変した私に対し、トレーナーは思わず言葉を止めて呆気にとられた様子で見ていました。

「世の理不尽に、人やウマ娘の力は無力です! 不運に対抗できる? なら、どうして! お母さんは死んじゃったんですか!?」
「オラシオン……」

 私の叫びに、トレーナーは沈痛そうに目を伏せます。
 母は幼い私を残して病死しました。注意していれば、それを防げたとでも言うのですか? 病気を気付けなかった、悪化させた母が悪いとでもいうのですか!?

「病気や事故……襲い来る死に対して、私達の力は余りに無力じゃないですか……どんなに医学が発展してもそれは覆せない」

 人の限界は厳然として存在する。

「それ以外にだって理不尽に命は奪われるじゃないですか! ただ道を歩いているだけの人が、暴走した車の事故に巻き込まれたり、事件に巻き込まれたり。そんなヒトやウマ娘の力を越えた不運にさえ抗えるのは、人智を越えた存在である神様しかいないじゃないですか!」

 ああ、三女神様よ。お許しください。
 私は信徒として、神官として許されざる程に罪深き存在です。こんなにも俗な理由で信徒となり、祈りを捧げていたのですから。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 オラシオンの豹変に、オレは少なからず驚いた。
 だが、彼女の内なる心がやっとわかった気がした。
 普段の優等生然とした振る舞いや神官位の奥に隠した、彼女自身の心の闇。
 病気というどうしようもない理不尽で母という唯一の家族を失った彼女が唯一すがることができたのが神という存在であり、彼女の心を守ったのが“祈る”という行為だったのだ。

(幼き日に“人智”の限界を見せつけられたからこそ、彼女は信じられなくなっているんだ。人やウマ娘の……いや、自分自身のことを)

 子供の当時に比べて精神的に成熟した現在になっても、神に祈って護りを求めることが常態化していたために、無意識で自分自身の力を信じきることができない。心のどこかで神様に頼っている。
 そしてそれこそが“領域(ゾーン)”=過剰集中状態への障害になっているのだと直感した。

(もちろん神を祈り、宗教を信じるのは悪いことじゃない。だが、彼女の場合はその無意識レベルでの神への依存のせいで、自分との戦いへの没入を妨げている)

 だが……これは簡単に解決する問題じゃないとも理解できる。
 彼女の三女神への依存の原因は、幼いころに母を失ったこと。
 幼い彼女が自分の気持ちにケリを付けて今まで生きてきたのに、それをひっくり返すのは容易じゃない。

(実際、そこへ踏み込んだだけで今みたいに感情的な反抗を見せたしな……)

 彼女の苛烈な反応は、自分の心を防衛しようとしているように思えた。
 どうするべきか、とオレは迷う。
 今のままでもオラシオンは速く、そして強い。
 ひょっとしたら……いや、おそらくは中央(トゥインクル)シリーズで通用するくらいにはなるだろう。
 シニアの頃には重賞レースの常連になってその中で何度か勝利する──程度のウマ娘に落ち着くことになる。

(……はたして、それでいいのか?)

 重賞の常連ではなくそれ以上──重賞制覇を常として年度代表や懸賞ウマ娘さえも狙えるような才能を持っているオラシオン。
 だが彼女がそうなるためには、殻を破ってもう一段の高みに昇らなければならないだろう。

(それを目指させないのは損失じゃないのか?)

 そう思ったオレの脳裏に、一人のウマ娘がよぎった。

 トレーナーとして育てるウマ娘の理想と目標であり、第二の彼女を生み出すことが夢。
 その夢をかなえることができるウマ娘が、今まさに目の前にいる。

 ──その可能性を逃していいのか?
 ──そのために彼女の今までを否定していいのか?

 それはオラシオンのためではなく、自分自身のために強制しようとしているんじゃないかという思いが、オレを迷わせていた。
 だが……

(多くの人の夢や思いを応えられるようにならなければいけない。それが中央(トゥインクル)シリーズのウマ娘という存在だ。その舞台に立ったからには、その覚悟があって当然──)

 そのウマ娘をサポートするトレーナーがやるべきことは、彼女の心を守りつつ、さらに上へと上り詰めさせることだろう。
 スターとなる存在の誕生を諦めるのは、シリーズのファンを裏切ることになる。
 上を目指さずに可能性を潰すのは、今度はウマ娘本人への裏切りだ。
 だからといって、本人の心を犠牲にすることは決して許されない。

(だが、もしもオレが今から挑むことに失敗して、オラシオンからの信頼を完全に失うことになっても、渡海がいる……)

 支える存在が他にいれば、彼女は走り続けることはできるだろう。
 たとえ〈アクルックス〉から離れたとしても、だ。
 だからオレは──

「なぁ、オラシオン……誰よりもレースで負けたくないと思っているのはお前自身だろう?」
「え……?」

 感情を発散させ、落ち着きを取り戻しかけていたオラシオンは、急に変わった話題に戸惑ったようだった。
 負けたくないという気持ちの、その必死の抵抗こそ内へヨレるという悪癖。

「だからこそ、レースの終盤で追いつめられたとき、最後の最後で神様に(すが)っていた。敗北という結果から逃れたくて……違うか?」
「………………」

 一度、自分の気持ちを吐露したオラシオンは自分を冷静に見つめられる心境になったらしい。
 彼女は無言で思案している。
 だがきっと……肯定はしないだろう。それは自分の弱さをさらけ出すことに他ならなず、負けず嫌いな彼女がオレを相手にそれを見せるとは思えなかった。

「オラシオン……お前は、お前自身が思っている以上に、強いからな」
「え……?」

 オレの指摘に、オラシオンは戸惑う。
 その彼女にオレは根拠となるものを示してやった。
 オレが彼女に差し出したのは……スポーツ新聞。

「お前は強い。それをみんなが知っているからこそ、一番人気になっているんだ」

 皐月賞では圧倒的一番人気となったオラシオン。
 それは出走メンバーの中で一番勝って欲しいと思われていることであり、ファンの夢や希望を託されているということ。

「“祈り”というのは、誰かに願いや思いを託すことだろ?」
「それは……その通りです」
「お前はその名の通りに“祈り”を背負って走れるウマ娘にまでなったんだ。それほどまでに強いウマ娘なんだよ。だからできるはずだ。神に頼らなくても、お前自身の強さで勝利を掴めるはずだ」
「そんな……」

 オレに強く言われても、オラシオンは戸惑うだけだった。
 その手を掴み、オレは強く言う。

「今までレースの最後で三女神に祈るくらいに追いつめられたときに思い出すんだ。お前自身が自分を信じられなくても、その強さを信じてくれる存在がいることを」

 それは〈アクルックス(チーム)〉のメンバーであり、また夢を託す多くのファンであり、そして勝利を願う養父のこと。
 もちろん、その夢の中にはオレのものもあ──

「──なにしてんのよッ!!」

 突然襲ってきた有形力の行使に、オレは為すすべもなく蹂躙され、そのまま吹っ飛んだ。
 オラシオンの「と、トレーナーさん!?」という言葉も聞こえたが、

「このセクハラ現行犯め!!」

 ──というダイユウサクの怒った声の方が何倍も大きかった。
 無論、この後はたづなさんに通報され、「(嫌がる)担当ウマ娘の手を握りしめていた」という、セクハラかつパワハラという訴えを一方的にされ、オレは弁明する羽目になったのだが……



 

 

 ……その場所が迫るうちに、ボクはいつの間にか目を閉じていた。

 

 

 

 思い出すのは、あの日のこと──

 負けなしの4連勝で挑んだあのレース。

 ルドルフ会長以来の、無敗の三冠達成も夢じゃないって言われてたボク──ミラクルバード。

 それまでのレースと同じように……ううん、それ以上にボクの調子は絶好調だった。

 ハッキリ言って、負ける気がしなかった。

 

 今日もまた勝てる。

 

 ……その思いで走っていたボクは違和感に襲われた。

 それまでにないほどに体の調子がよくて、大舞台でのレースにボクの集中力は普段とは比べものにならないほど高まっていて──その《領域(ゾーン)》に足を踏み入れちゃったんだ。

 

(え? なにこれッ!?)

 

 その異質な感覚にボクは戸惑いしか無く、受け入れることができなくて拒絶して──気が付けば、ボクは外へヨレていた。

 そこへ──猛然と上がってきていた他の()がいるなんて、気が付く余裕もなく。

 そして……

 

「────ッ!!」

 

 思わず固く目を閉じる。

 そうしたまま、目を開くことができなかった。

 

 ──ボクが越えることができなかった、皐月賞のあの場所(第3コーナー手前)を、後輩達が過ぎ去るところを。

 

 全身に力がグッと入ったまま、体がこわばって動かない。

 自分でもコントロールできないそのことに戸惑い──そのとき、肩がポンポンと優しく叩かれた。

 

「……大丈夫だ、ミラクルバード。あの場所を……越えたぞ」

 

 温かさを感じる、大人の男の人の声。

 肩から伝わる温もりと共に、それが冷たく固まったボクの心に染み渡っていく。

 ほぅ、と口から息が出て──ボクは目を開けることができた。

 

 ボクが到達できなかった、第3コーナー。

 

 それを越えて先頭のアップショットは走り──何事もなく、他のウマ娘達も駆け抜けていった。

 うん……そうだよね。

 そういうことが起こることが極めて(まれ)なこと。何も起きないのが普通なんだから。

 ごくごく当たり前のことをボクは考えて……大きく、ほぅと、ため息をついた。

 

「悪いな、ミラクルバード」

「ううん。そんなことないよ……」

 

 トレーナーはこっちを見ずに、オーちゃん達の方を見ながら声をかけてきた。

 このタイミングで言うんだから、ちゃんと見てくれているはずなのに、あえて視線を向けないのはボクに気を使ってくれているからだとわかる。

 

「ボクは、みんなをサポートする裏方とはいえ、中央(トゥインクル)シリーズに関わる人生を決めたんだよ。そうする以上は、皐月賞と無関係ってわけにはいかない」

 

 皐月賞はウマ娘にとって人生に一度しか出走チャンスが巡ってこないレースの一つだから。

 それをボクの都合でチームのみんなを避けさせるわけにもいかないし、たとえボクだけが来ないようにしても、今回みたいにボクが関わっていたら不在なことでウマ娘(後輩)たちに迷惑をかけるかもしれない。

 どんな形にしても学園に残る、中央(トゥインクル)シリーズに携わる以上は、避けて通れないんだから、いつかは克服しないといけなかったんだ。

 

「……逆に気を使ってもらってゴメンね、トレーナー」

「いいや、あんなことがあったんだから無理もないさ。今回だって、お前が『行く』と言わなかったら向こう(阪神)に行ってもらうつもりだった」

 

 そうは言うけど、トレーナーがボクに気を使ってくれているのはボク自身が一番分かってた。

 走れなくなったのはショックだった。

 涙が枯れるまで泣き尽くして……それでも競走(レース)が好きな気持ちは残ってた。

 だから、ボクは走るウマ娘(みんな)の応援がしたくて……ううん、競走(レース)に少しでも関わりたくて、転科してまで学園に残ったんだ。

 でも、それでも……

 

(あの事故からしばらくボクは中山レース場さえ怖くて、行けなかった時期さえあったんだ)

 

 自分に何が起こったのか知りたくて、あのレースの映像は見た。

 第三者視線で見たその事故は完全に他人事のようにしか見えなくて、だからボクは無感情に淡々とそれを見て、「ああ、これならそうなっちゃうよね」と思わず納得した。

 でも、実際にレース場に行くとなると話は違ったんだ。

 転科しても関係が続いた、親しい友達が出走するレースでも、中山だけは応援に行けなかった。

 テレビを通さないと応援ができないことにもどかしさも感じたけど、それくらいに中山、特に皐月賞への恐怖は大きかったんだ。

 そんなボクは、この〈アクルックス〉というチームを手伝い、そしてメンバーになったんだけど……あれ以来の中山レース場に行ったのは、ダイユウサクのあの有記念だった。

 

(故意か偶然か、どっちかわからないけど……トレーナーならあえて避けてたって言われても、納得できるんだよね)

 

 ボクはこっそりトレーナーの顔を見上げる。

 訊けばきっと「そんなわけないだろ? そもそもダイユウサクはレースを()り好みできるほど強くなかったんだから」って答えて、それを訊いたダイユウ先輩が怒って……ってなるのが目に見える。

 

(真相は分からないけど……それでも実は、あの日は気が重かったんだ。もちろん先輩の気持ちも分かってたし、チームがそれに向けて頑張っていたんだから。でも……)

 

 当日は憂鬱、とはいかなくても気が重かったのに──完全に想定外のトラブルが発生して、気が付けばバタバタと中山レース場にいたんだよね。

 思い出して、ボクは思わず苦笑してしまう。

 

(そしてそこで──最高のレースを見た)

 

 それは多くの、マックイーンのファンからすれば悪夢のようなレースかもしれない。

 でも、あの二人と共に歩んでその悲喜交々(こもごも)を見てきた側からすれば、あれはまさに二人が起こした奇跡だった。

 

(ダイユウサクに勝機があるなんて思ってなかったあのレース……あの奇跡があったから、ボクは……)

 

 中山レース場の思い出は、ダイユウ先輩のあのレースとその直後のどよめき、それにウイニングライブに完全に塗り替えられた。

 なにしろ、ボクの皐月賞の記憶は途中からないんだから、印象はそっちの方が強くなるのも当然だけど。

 だから、今日もこうして中山レース場になんの(おそ)れもなく来ることができている。

 その経験があるからこそ……今度は、皐月賞を歓喜で塗りつぶして欲しい。

 

「頼むよ、オーちゃん」

 

 最終局面へとレースが進む。

 もう、ボクのレース(皐月賞)が終わった地点は過ぎた。

 だから……できなかったゴールを、皐月賞ウマ娘の栄冠を──

 

「ボクの代わりに、掴んで……」

 

 ボクは思わず、手を組んで祈っていた。

 でもそれは三女神さまではなく、今まさに走っているウマ娘……“祈り”の名を持つウマ娘に向かって祈っていたんだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

(……なんや、おかしい)

 

 ウチ──ロベルトダッシュは、前に位置しているオラシオンの走りに違和感を感じていた。

 ここまでデビュー戦で前塞がれるっていうポカやらかして負けた以外は、全勝のオラシオン。

 今日のレースも大本命に押されてる。

 そんなオラシオンの様子が、今日はどうにもいつもと違うようにしか思えない。

 

(中段に待機しているのは、いつも通りのレース展開のはず。それが、なんでこんなに違和感がある?)

 

 なるほど、確かに序盤から中盤にかけて8番手くらいの中段待機はいつも通り。

 中盤過ぎてから、堰を切ったようにスパートをかけ他を圧倒する……それがいつものオラシオン。

 

(だけど、今日は中盤を過ぎても行く気が見えないって……いったい、どういうことや?)

 

 先頭のアップショットは集団から抜け出して一人で走ってる。

 そのペースがけっして速いものではないのは、こっちもわかってる。

 

(仕掛けるのが遅ければ、まんまと逃げ切られる……)

 

 マークしたオラシオンの背中。

 修道服を模した勝負服の、さらに先にチラチラと見えるアップショットの影の大きさが意外に小さい──つまりは距離がある──ことに内心ヒヤヒヤし始めていた。

 

(かといって、この大本命のマークを外すのは危険すぎる)

 

 ひょっとしたら、故障でも発生したんか? と思わないでもない。

 でも、走る姿からはそれを肯定する要素は見えなかった。

 体調不良や、調子が悪くてペースが上がらない可能性もある。

 

(いや、ないな……)

 

 後ろからオラシオンの走りをじっと見つめながら、そう思った。

 走り方に違和感はない。

 もちろん確かにウチが彼女の右後方にピタリと付いて走って、牽制しているからスパートをかけてこない可能性も捨てきれない。

 けど、そんなことを気にしすぎるようなタマじゃないのは、こっちは百も承知。

 なぜなら──

 

(ソエが出てレースに出られず、走ることもできない間、ウチがやっていたのは、オラシオンの研究や)

 

 間違いなく格が違う……そう思ったからこそ、同期で最強を誇るこのウマ娘を徹底的にマークすることにした。

 クラシックレースのド本命になって、争うことになるのは間違いなくこのウマ娘だと。

 確かにスプリングステークスよりも前ならセントホウヤは無敗で、そっちの方が世間的評価が高かった時期もあった。

 でも──

 

(巽見さんが、『警戒すべきはオラシオン』と断言してた)

 

 あまりに躊躇い無く言い切るトレーナーに、当然、「ホンマかい?」「なんで?」と疑問をぶつけた。

 それに対する答えとして彼女は「トレーナーの実力差」と言い切った。

 

「チームとしての規模なら、断然〈ポルックス〉の方が上やで?」

 

 〈ポルックス〉は、元々チームとして大きい。そのせいで兄弟チーム〈カストル〉が暖簾分けしてできたほどで、しかもそれが解散した際にメンバーの一部を再度取り込んでいる。

 おかげで人数的にも十分に大きなチームのまま。

 かたやその〈カストル〉が消滅した騒動の真ん中にいたダイユウサクを守るためにできた彼女だけのソロチームが〈アクルックス〉である。

 

「所属するウマ娘の数が全然違う。それはウマ娘の間での人気の差の顕れで、それこそトレーナーの差やないの?」

「あのチームは先代が大きくしたチームよ。今のトレーナーはそれに乗っかってるだけ。それよりも()()ダイユウサクだけだったチームを、今の状態にまで持ってきた手腕の方が驚異だわ」

 

 当時は2戦して2TO(タイムオーバー)という超弱小ウマ娘が、異例の待遇で認められたソロチーム。

 そんなものは当然に消えていくものだと思われていたのに、予想外の奮闘によって生き残っている。

 

「逆に訊くけど……〈ポルックス〉のトレーナーが担当していたら、ダイユウサクにマックイーン破って有記念を、レッツゴーターキンにテイオーを破って秋の天皇賞を取らせられたと思う?」

「それはさすがに無いわ。とはいえ、あまりに極端な話やないの?」

 

 あんなの奇跡の(たぐい)だ、とトレーナーに答えた。

 確かにどっちも大金星。

 けどマックイーンは降着騒動で調子を落としていて、テイオーも無敗が途切れた上に怪我からの休養開けで万全じゃなかった。

 だから勝てた……少なくともそう言われてる。

 

「その奇跡を、目の前で同じ人に3度も起こされたら、恐ろしくもなるわよ」

「3度?」

 

 さらにもう一つ……研修生時代に、担当したウマ娘に大金星を取らせているという巽見さん。

 

「は……?」

 

 それがよりにもよって、あの“皇帝を泣かせた”勝利だと説明させれば、そりゃあ絶句するわ。

 もちろんトレーナーとしての実績の格が違うと納得するし、巽見さんが断言するのも頷けるというもの。

 

(実際、今日のセントホウヤを見れば、巽見さんの言うことが正解だったとわかるわ)

 

 可哀想になるくらいに今日のセントホウヤの調子は最悪。

 前走でオラシオンとの直接対決に負けて、それで無理をしたんだろう。

 

(オーバーワークにならんように調整するのが、トレーナーの仕事だろうに)

 

 おまけにさっきのオラシオンへのヤジ。

 そんなことしてる暇があったら、自分のウマ娘のケアしろっての。アップしすぎて汗だくになって、走る前に息切らしてるってどういうこと?

 トレーナーとしてもう論外。

 

(さすがに同情するわ……)

 

 まともなトレーナーが付いてたら、結果は違ってただろうに。

 そのセントホウヤが必死の形相で走って抵抗を見せてたけど、さっき他のウマ娘に抜かれてズルズルと順位を下げていった。

 気の毒には思うが、やはりセントホウヤはもう蚊帳の外。

 やはりオラシオンへのマークは正解だった……そう思いたい。

 

「なぜ動かん? そろそろ動かな間に合わなくなるわ、本気で……」

 

 なにより、先頭のアップショットが無視できなくなってきた。彼女をこのまま気持ちよく走らせたら、逃げ切られてしまう。

 

(仕方ない……動かんオラシオンは不気味やけど、アップショットを放置するわけにはいかん)

 

 前の4、5番手の位置にいるウマ娘の脚色も悪くなってる。それに付き合ってたら間に合わなくなる。

 自分自身がアップショットより前に立てなければ、そもそも1着になれないんだから、オラシオンを気にしすぎるのは危険だ。

 そう判断し、第3コーナーから第4コーナー付近で前二人を内一杯から追い上げ、そして抜かす。

 

「よし、これであとは……」

 

 先頭のアップショットへと照準を合わせ、ペースを上げる。

 チラッと一瞬だけ意識を後方へと向ければ、今し方抜いた2人を避けて、オラシオンは外へと進路をとったのがわかった。

 

(そこへ行くしかないのはわかる。けど、それで仕舞いや。オラシオン……)

 

 ウチはこの時点で、オラシオンへの意識を完全に切った。

 これから4コーナーを迎えるこの地点で外へと進路を取ったということは、コーナーで大幅な距離のロスが出るのは間違いない。

 最内を回り、第3から第4コーナーを最短距離で走れるこっちとの差は歴然としている。

 

(しかも現時点でこっちが前にいる。負ける理由は──無い!!)

 

 現時点で先頭にいるアップショットと違い、オラシオンと同じように脚を残している。

 

「オラアアアアァァァァァ!!」

 

 スパートをかけるのは、ここしかない!

 第4コーナーから直線へと向かうこの位置で、速度を一気に上げた。

 完全に直線へと入る。この時点でのアップショットとの差は2バ身半といったところ。

 

(くッ……意外と差が大きい。ここまでスローペースだったせいや。追いつけるか?)

 

 先頭にまんまと自分のペースで走るのを許したのは、ほとんどのメンバーがオラシオンに警戒しすぎたのが原因。

 その結果が、ウチとアップショットとの差を生んだ。

 オマケに中山の直線は短い。

 思わずウチの心に弱気がもたげてくるが……

 

「だが──そこには上り坂がある!!」

 

 逃げる身に、この最後の坂はキツいはず。

 ウチは、猛然と駆け上がり──

 

「──ッ!?」

 

 そのとき突然、ゾワッと総毛立つような感覚に襲われた。

 それは圧倒的な存在感が後ろから迫る、その危機を本能が教えてくれたものであり──

 

「なん、やてッ!?」

 

 それは一陣の風のように、まるで一瞬で通り過ぎていった。

 漆黒のヴェールと青鹿毛の髪をなびかせた、まさに黒い疾風だった。

 その前髪に白く描かれた綺麗な星形は、黒い夜空に流れた流星のようであり──後塵を拝したおかげで通り過ぎたのがウマ娘だとわかったほどに段違いの速さだった。

 

「オラシオン、やとッ!?」

 

 離されていくその後ろ姿は見間違えるはずもない。レースの序盤から中盤までずっと見続けた後ろ姿なのだから。

 

「バカな!? 今まで同じ距離走ってるんやぞ? ウチががアップショットみたいに逃げたわけでもない。同じように走り、同じように末脚溜めとったはずやのに……」

 

 まるでこっちだけ長い距離を走らされたような、向こうがスタート間もないような、そんな差を感じていた。

 坂を上っていく勢いがまるで違う。

 その姿にもウチは愕然とするしかない。

 

「まるでジェット機とプロペラ機や。別次元の速さ、あんなのについていけるか……」

 

 同じ飛行機でもその2つは推進方法が全く違うし、速度も桁外れに違う。

 今のオラシオンの速さと、ウチも含めた他のウマ娘とはそれくらいの差があるように見えた。

 アップショットが簡単に抜かれる様を見て、呆然とそんなことを考えていた。

 




◆解説◆

【──黒い風(3)】
・前々回参照。
・(3)ってことでまだ続きますので。

向こう(阪神)
・皐月賞のこの日、〈アクルックス〉のメンバー全員がここにきているわけではなく、別の場所で出走するメンバーがいたので、付き添いと一緒に阪神へ行っています。
・実はそのことをスッカリ忘れて、初期稿では普通に全員いたのですが、慌てて変更しました。
・しかし(1)では、登場バージョンがアップされてしまっていたので、それを現在では登場を削っています。


※次回の更新は9月12日の予定です。  



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第57R ──黒い風(4)


 誤解の無いように言っておきますが、私──オラシオンは乾井トレーナーを信用していないわけではありません。
 ダイユウサク先輩やターキン先輩にGⅠ勝利をさせた実績があります。
 そもそも私がこのチームに入ったときは、その栄光も無かったころでしたから。
 それでもダイユウサク先輩やミラクルバードさんを見て、トレーナーとの信頼関係を見たからこそ、このチームに入ったわけですから。
 特にダイユウサク先輩との間に築いた信頼関係は、私の目から見てウマ娘とトレーナーの関係として理想に近いものがあります。

(もちろん、裏切られた……このチームに入らなければよかったと思ったこともあります)

 それは去年の夏以降、なかなかデビューができずに秋も深まったころにまで遅くなったとき。
 そしてそのレースで、いいところ無く負けたとき。

(私はチーム選びで……トレーナーで失敗した。そう思っていた時期もありました)

 その後は負けることなくここまで来ました。
 負けを知って強くなった──そう思えますし、逆に一度負けの屈辱を味わったからこそ、二度と負けたくないという気持ちが強くなったのかもしれません。

(トレーナーのすることや指示には、必ず深謀がある……)

 今ではそう思うようになれましたが……それでも突飛な発想ややり方には眉をひそめてしまうこともありますけど。
 とても勝ち目のない大穴ウマ娘にGⅠを取らせた“びっくり箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)
 そんな彼だからこそ、そう思えた私は今回の指示にも反発を覚えながらも、従うことにしました。
 とはいえすんなりと素直には従えません。
 だって、今までそれで結果を残しているというのに、スパートのタイミングを遅らせろだなんて……

(私の走りに、不満があるとでも言うのですか?)

 自分の走り方にケチを付けられて、面白くないわけがありません。
 調整の最中、そんな私の胸中に気付いた渡海さんが──

「不満が顔に出てるよ」
「そんなこと言われても……」

 走り終えたところでそう言われ、私は思わずそっぽを向きました。
 それを苦笑しつつも黙って見ている彼に、思わず気持ちを吐露してしまいます。

「……今までのように走り、今までのように勝つ。それでいいと思うんだけど」
「確かにそれもそうかもしれない……今までのいつまでも走りが通用するならね」
「通用しないとでも言うの?」

 思わず口調が強くなったのは、これまでの勝ちレースは圧勝しているという自負があったから。
 一度の負けレースだって、実際のレースでの駆け引きを知らなかったのが原因で、実力的に負けた訳じゃないし、今ではそれも克服していると思っています。

「トレーナーは、クラシック後のことまで見据えているんだと思うよ。確かにクロの今までの勝ちレースは圧倒的さ。でも、同世代としか走ってない」
「それは……」

 痛いところをつかれ、私は思わず口ごもってしまいました。
 確かにその通りです。同世代で一番強くても、他の世代ではそうとは限りませんし、一つ上の先輩方でもレース経験が段違いに違ってきます。
 それに一年長くトレーニングを積んでいることにもなります。スタートが違えば、成長速度が違っていても追いつくのはなかなか容易ではありません。
 それがさらに上の世代の先輩方とも戦うことになるのですから……

「そう言っても、機会がないんだから仕方ないわ」
「だろ? でもトレーナーはシニア以後も活躍して欲しいから、現状に満足することなく、さらに速い走り方を探求しているんだと思う」

 そう言った渡海さんは、一人のウマ娘の名前を挙げてきました。

「トウカイテイオー、知ってるよね?」
「もちろんよ。一昨年、最優秀クラシックどころか年度代表さえもとったウマ娘なんだから。というか知らない人はいないでしょう?」
「うん。でも……」

 去年のテイオーさんの調子はあまりよくありませんでした。
 負傷明けの大阪杯では圧倒的な強さを発揮したものの、春の天皇賞ではメジロマックイーンに完敗。他のウマ娘の後塵を拝してさえいます。
 そのレースでの負傷が明らかになって、その復帰レースでは……

「秋の天皇賞では、()()()()()()()()()()()()()()ウマ娘に負けた、というのが世間の目だからね」

 もちろん我がチームではそんなことはありません。ターキンさんの努力を見て、支えて、そして勝ち取った栄光だというのは間違いありませんから。
 でも世間の評価はあまり芳しくないようで……そんなターキン先輩に負けたテイオーさんの評価もよくありません。

「おかげで、テイオーの実力を疑問視する評論家まで出てきたんだよ」
「……え? 本当に?」
「ああ、残念なことにね。無敗で二冠をとれたのは、そもそも世代のレベルが低かったからじゃないか、ってさ」

 結果を見れば、春の天皇賞のメジロマックイーンさん、秋の天皇賞のレッツゴーターキン先輩、有記念のメジロパーマーさん……いずれも奇しくもテイオーさんより一つ上の世代の方々に敗れています。

「でもジャパンカップで勝ったじゃないですか」
「僕もそう思うよ。だけど、クラシックの結果とかを見て期待されたのは、さらに上の強さなんだと思う」
「今までの結果を見れば、GⅠは皐月賞とダービー、それにジャパンカップの三冠。十分に誇るべき成績じゃないですか? それにケガに悩まされていもいます。だからこそクラシック三冠をとれなかったんだし、それに今も──」
「それを含めて、世間の期待を裏切ってしまっているんだよ。世間が期待したのは、それこそシンボリルドルフ会長レベルの強さを期待したんだから」

 テイオーさんが目標とにしていると公言してはばからないシンボリルドルフ生徒会長が三冠達成後も勝利を重ね、七冠という前人未踏の金字塔を立てています。
 それを達成した姿と比べると──

「──ダイナさん、よく勝てたよね」
「ええ……」

 渡海さんが苦笑気味にポツリとつぶやき、私も思わず同意してしまいました。
 それを言うならダイユウサク先輩だって、メジロマックイーンさんによく勝てたと思います。
 先ほどの会話の上の世代の強いウマ娘で真っ先に思い浮かべたのは彼女でしたから。
 
「そんなテイオーの姿を見ているから、トレーナーはクラシック後も見越してクロのことを育てていると思うよ」
「……そうでしょうか?」
「うん。それにもう一人、そういう例がいたからね」

 例? いったい誰のことでしょうか……

「トレーナーが目標にしているウマ娘が誰か、クロは知ってるかい?」
「ええ、一応は……」

 以前、トレーナーから聞いたことがあります。
 初めて国民的アイドルウマ娘と呼ばれたウマ娘に強く惹かれ、憧れたために難関を越えてトレーナーになり、この世界へと飛び込んだのだと。
 それ故に、彼女のようなウマ娘を育てるのが目標だと。

「あのウマ娘の成績も、クラシックレースを境にそれまでの勢いが落ちているんだ」

 地方(ローカル)シリーズでデビューし、無敗のままそこから中央トレセン学園へと転校してきたあの方ですが、破竹の連勝を重ねて挑んだダービーで3着になるとその勢いは失せ、以後の成績だけ見ると()()()()()ウマ娘でしかない、と渡海さんは言います。
 事実、ダービー以降は3勝。しかも当時は無かったグレード制ですが、後にそのままGⅠになったレースは3勝のうち宝塚記念だけ。

「クラシック路線に参加できなかった2代目の国民的アイドルウマ娘とは対照的だけどね」

 2代目というのは誰もが認める人気ウマ娘、ダイユウサク先輩の同期であるオグリキャップ先輩のこと。
 私も走り方を教えていただいたり、接点のある方です。
 あの方も地方(ローカル)の笠松出身ですが、クラシック登録が間に合わずに参戦できなかったそうです。
 そのGⅠ初制覇はクラシックの年の有記念で、そこからラストランになる翌々年の有記念まで6勝して、GⅠをマイルチャンピオンシップ、安田記念と2度の有で合計4度制覇しています。
 無論、クラシック年代でも重賞を数多く勝っているのですが、やはりGⅠを制しているクラシック後の方が目立ちます。

「トレーナーが考えているのは、キミを初代と2代目のハイブリッドにしたいんじゃないかな?」
「ハイブリッド……?」
「ああ。クラシックレースで活躍した上に、その後も勝利を重ねる……でも、そうなるともはや3代目の“国民的アイドルウマ娘”というよりは、2代目の“皇帝”じゃないかな」

 苦笑気味に笑う渡海さん。
 確かにそこまでの強さとなると、あのウマ娘(ひと)の後ろ姿が見えてきます。

「でも、それこそあのレベルの存在感が、キミにとっては必要なんじゃないか? 今のトレセン学園のシンボルのような存在であるシンボリルドルフ(クラス)の……」
「……どういうことですか?」

 意味が分からず思わず眉をひそめる私。

「キミのお養父(とう)さんの夢の話だよ。小耳に挟んだけど……シンボルとなるような存在(ウマ娘)が必要なんだよね?」
「それは……」
「“領域(ゾーン)”の話、クロも聞いているんだろ? “時代を創るウマ娘”が踏み込めるというそれへ、トレーナー達は挑戦させようとしている」

 研修生とはいえトレーナー(サイド)にいる渡海さんは、それを知っていました。

「キミの夢は“養父の夢を叶えること”なんだろう? それならトレーナーの描いている“クラシック後も活躍できるウマ娘”になることまで意識すべきじゃないか?」

 確かに初代の国民的アイドルウマ娘は、ダービー後も人気を継続し、引退してまでも大人気を誇り──今では政治家としてヒトとウマ娘の架け橋になっている。
 ただしそれは、時代やあのウマ娘の性格(キャラ)が広く国民にウケたという事情があるという、特殊な例。
 確実を期すのならば、目指すべきは会長(シンボリルドルフ)や、あの方(シンザン)のような絶対的な強さで世間を驚かせること。
 そのためには、クラシック後の上の世代との戦いにも勝たなければならないのは明らかだった。

「乾井センセイが、そこまで考えてくれているんだから、それに乗らない理由は無いと思うけど?」
「……渡海さん、その言い方はズルいです」

 そう言って浮かべた彼の笑みをは、少し意地の悪いように見えました。
 それに私はため息をつき──トレーナーの方針に従うのを決意しました。
 でも、なんだか渡海さんの口車に乗せられたようで、ちょっとだけ面白くありませんね。

「そういうところ、乾井トレーナーに似てきたんじゃないですか?」

 思えば、ダイユウサクさんも乾井トレーナーの口車に乗せられていたように思えます。
 そう思い出して言った私の言葉に渡海さんは驚いたような顔をして、それからニヤリと笑みを浮かべ──

「それは、誉め言葉と受け取っていいんだよね?」

 そう返してきました。
 その笑みと言葉こそ、まさに影響を受けているじゃないですか、本当に……



 

「くッ……先頭はもうあの場所だというのに……」

 

 第3コーナーを過ぎた後も、私は自分に言い聞かせるように、はやる気持ちを抑えていました。

 今すぐにでもスパートをかけたい気持ちを抑えられたのは、まるで話しかけるような渡海さんの「まだ。まだだよ、クロ……」という声が脳裏に浮かんだからです。

 皐月賞への調整で、もっとも力を入れたのがこのスパートを遅らせることであり、併せで走ってくださった先輩方を見て、はやる気持ちを抑えることでした。

 そのタイミングを客観的に見てもらうために、無線を使って渡海さんから「まだ」と言われ続けていたので、それが脳裏に残っていたようです

 私の前には2人走っていて──ほぼ並ぶような位置にまできていたロベルトダッシュがその内側へと切り込むように進路を取り、抜いていきました。

 そして抜き際に、彼女はチラッとこちらの様子を伺っていました。

 

「まだ、まだ……」

 

 私は脳裏の渡海さんの声を繰り返すように、思わずつぶやいていました。

 いつもと違い、まだスパートをかけない私を不審に思っていたようです。

 

(私をマークしていた彼女がそれでも仕掛けた……つまり今仕掛けなければ、彼女は先頭(アップショット)に追いつけないということ)

 

 あるいは、私になんらかのトラブルが発生して仕掛けられなくなったと思ったか、です。

 それでも内へと切り込むあたりは慎重です。

 

(ここから仕掛けるにしても、内にいる彼女(ロベルトダッシュ)の背を追いかけることになる……)

 

 すでに第4コーナーを通過中。

 今の状況で、さらには前に2人いるのですから、コーナーの最中にその外を回ろうとするればかなり大きなロスになってしまうのは必定。

 

(勝負はやはり……第4コーナーを抜けてからッ!!)

 

 まだ、我慢を続ける。

 そうしてつつ、コーナーの終了に合わせて前を走る5番手、6番手のウマ娘のさらに外へ出る。

 

 そして──4コーナーを抜けた。

 

 残るは最後の直線のみであり、中山の直線は短い。

 短く、そして──急な坂が待ち受ける。

 高さこそ京都の“淀の坂”にこそ劣るが勾配はこちらの方が急。

 その坂を昇る先頭(アップショット)

 2バ身半の位置まで迫ったロベルトダッシュがそれに続いている。

 それを見て──

 

「今……」

 

 私は、グッと身を沈め──そして加速する。

 追いつくか、追いつかないか……微妙な位置にも感じた。

 もしかしたら負けるかもしれない。そんな弱気な考えが頭をもたげる。

 それと同時に──

 

(絶対に負けたくない!!)

 

 生まれたその思いが、私の心を燃え上がらせる。

 でも──衝動的で制御のできないそれは、私の心をともすれば乱そうとしていた。

 だから私は──

 

(違うッ!!)

 

 その思いを否定した。

 アップショットに、ロベルトダッシュに負けたくない。追いつかないと……その考えを、真っ向から否定する。

 

(否──負けるわけには、いかないのです!!)

 

 私に託された養父の夢のためにも──

 いつか届かせようと願っているトレーナーの夢のためにも──

 自分の願いや期待を私へと託した、観ている人達の夢に応えるためにも──

 そして、このレース(皐月賞)をゴールできず、夢敗れた先輩(ミラクルバード)のためにも──

 

(私は、勝たなければ、なりませんッ!!)

 

 焦り、燥し、乱れようとする私の弱い心を、克服するために──さらなる集中へ、私は没頭する。

 私が勝たなければならないのは、アップショットでも、ロベルトダッシュでも、他のウマ娘でもなく──

 

「──私自身に、()つッ!!」

 

 荒れ狂う炎のように暴れていた私の負けん気が──まるでバーナーのように制御された集中し、収束したものへと変わる。

 

 そして私は、不思議な感覚に襲われる。

 

 まるで根本的に違う世界へと踏み込もうとしているような違和感だった。

 あまりの違いに体が順応できず、戸惑い、そして思わず拒絶感を覚える。

 でも──

 

(抗っちゃダメだよ、オーちゃん!!)

 

 ──なぜかミラクルバード先輩の、焦った顔が浮かんだ。

 私にとって彼女は同じ施設で育った姉達ではないものの、彼女たちと同じくらいに信用し、慕っていた相手。

 その彼女の必死な訴えを目の当たりにして、私はその言葉に自然と従い──

 

 

 ──三女神の祝福を(TriGoddess bless you)!』

 

 

 脳裏に浮かんだその言葉と同時に、完全に世界が変わった。

 光溢れ、白一色となった世界。

 それこそ絶対不可侵で、神聖にして決して侵されることのない力に満ちたような──神域。

 

「──ッ!!」

 

 その中で、私はひたすらに走る。

 周囲にウマ娘たちはいるものの、自分の走りに集中する私にはまるで止まったかのように見えていました。

 そんな中でも、私は脚を動かす。

 

 

 前へ、前へ……ひたすら前へ。

 

 

 そんな過程の最中に、ウマ娘を一人、二人とその場に残して。

 その内の一人がロベルトダッシュだったと気がついたのは、すべてが終わってからでした。

 最後に残った一人──アップショットを抜いて、私は先頭に立つ。

 

 

 気がつけば、ゴールまでの距離は100もありませんでした。

 圧倒的な速度で坂を駆け上がっていた私は、他のウマ娘達を置き去りにして先頭に立っていて……

 

 ──そのままゴール板の前を駈け抜けました。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ゴールした勢いのままに私は第2コーナーまで廻り、第3コーナーへの中間点まできました。

 そこでようやく足を止め、改めて掲示板を見ます。

 そこには、1着に私の番号。そして2着との差が4バ身半と出ていました。

 意外と差が付いた、と素直な感想を思い浮かべていると……

 

「──今のレース、勝ったのは私よね」

 

 足を止めて息を整えている私を見て、近くまで来ていたアップショットが苦笑を浮かべつつそう声をかけてきました。

 

「ゴール前で、なにかおかしな黒いのが駆け抜けていったけど……あんなのウマ娘じゃないわよ」

「アップショット……」

 

 苦笑のまま冗談めかして言った彼女の目は──全然、笑っていませんでした。

 悔しさにはらわたが煮えくり返っている。スタートから意表を突いた逃げで主導権を握り、前半をスローペースで、後半も速くなることなく、終始自分のペースでレースを支配できたはずなのに──最後の最後で、私に負けた。

 それも4バ身半という大差を付けられて。

 抜かれるまでは勝利を確信していたに違いないし、だからこそ負け惜しみの一つでも言いたかったんだと思います。

 彼女もまた必死に勝とうと走ったのだから……

 

「……今日の同じ脚、果たしてダービーで使えるかしら? 私はできないと思うけど」

「どういう、意味でしょうか?」

「まるでダイユウサク先輩みたいな末脚だったけど、あのウマ娘(ひと)、あの有以来、勝てて無いじゃない?」

 

 冷ややかな笑みを浮かべて言うアップショット。

 まるで呪詛をかけようとしているかのように、冷たい表情のままさらに続けます。

 

「それに、引退したターキン先輩も天皇賞(秋)(アキテン)だけだったわね……あのトレーナーの(もと)だと、そうなってしまうのじゃないかしら?」

「……黙りなさい」

 

 少なからず苛立った心のままに、私はアップショットを睨みつけました。

 多少、悔しさをぶつけられるくらいは我慢しますが、チームの先輩方の栄光を揶揄することは許せません。

 ましてトレーナーを侮辱するなんて──

 

「なにやってんねん、オラシオン!」

 

 横からかけられた大きな声で我に返りました。

 声のした方を見れば、ロベルトダッシュが少し怒った表情を浮かべてこっちを見ています。

 

「さっさと観客席の前行って、歓声に応えんかい! お客さん、みんな待っとるわ」

 

 そう言って親指で正面観客席を指す彼女。

 それで我に返った私は、「ああ。はい……」と返事をし、アップショットをチラッと見てからそちらへ向かいました。

 彼女は、最後までその目を変えることなく──悔しさを露わに私を見ていたのでした。

 

「5着のウチに、こんなことさせんな」

「ごめんなさい……」

「謝る暇あったら、さっさと行く!」

 

 苦笑するロベルトダッシュさんに見送られて私は観客席の前へと行き──大きく手を振って歓声に応えたのでした。

 

 

 その背後で──

 

「アンタのさっきの言葉。ウチも気持ちは同じや……」

 

 ロベルトダッシュがアップショットにそっと近づいて、彼女と同じ目をしながらそう言っているなんて気付くはずもありませんでした。

 




◆解説◆

【──黒い風(4)】
・前々々回参照。
・これで皐月賞も終わりなので、「黒い風」も終わり。
・ってことは、次からまたタイトル考えないといけないのか……

世代のレベルが低かったからじゃないか
・トウカイテイオーが低迷したせいで、そのような評価を受けていた時期もありました。
・ラストランでの劇的な復活劇もあってトウカイテイオーの評価が上がり、おかげで今ではそんな評価は考えられませんけど。
・それも5歳の天皇賞(春)でマックイーンに負けただけでなく5着で土が付き、その後の天皇賞(秋)ではよくわからない馬2頭(レッツゴーターキン&ムービースター)に持っていかれて7着、有馬記念はバカコンビ(パーマー&ヘリオス)にまんまと逃げられてメジロパーマーの大金星の裏で11着と、精彩を欠いたのが原因。
・とはいえジャパンカップを日本馬としてシンボリルドルフに次ぐ3頭目の制覇をしていますし、件の評価も正確にはその前の天皇賞(秋)後だったりするのですが……
・4歳の東京優駿(日本ダービー)までの活躍で期待されてハードルが上がり過ぎていたので、5歳で裏切られた印象が強かったのだと思います。
・汚名返上も、ジャパンカップで勝利したものの直後の有馬記念で惨敗した上にそこから丸一年走らなかったのでで、できなかったのも大きいでしょう。
・世代の弱さを言われるのも……確かに個性派(ブロンズコレクター(ナイスネイチャ)とか愛され大逃げ馬(ツインターボ)とか)は多いですけど、テイオーの同期で古馬GⅠを勝っているのは安田記念連覇と天皇賞(秋)のヤマニンゼファーくらいしかいません。
・古馬GⅠを見ても春の天皇賞を連覇(メジロマックイーン)春秋グランプリ制覇(メジロパーマー)マイルチャンピオンシップ連覇(ダイタクヘリオス)安田記念とスプリンターズS(ダイイチルビー)の複数冠に加え、単独も宝塚記念(メジロライアン)2年連続の天皇賞(秋)(プレクラスニーとレッツゴーターキン)と、すぐ上の世代の強さが凄かったので、それと比べられてしまったせいでそんな評価になってしまったのかもしれません。

三女神の祝福を(TriGoddess bless you)!”
・オラシオンの“領域(ゾーン)”。
・前章でのはシンデレラグレイ準拠としていたのに“領域(ゾーン)”に関してはゲーム版の固有スキル的な扱いでした。
・今回のこの『三女神の祝福を(TriGoddess bless you)!』は、世界観は準拠を外れたのですが逆にシンデレラグレイのもの的な扱いになります。
・ですのでシンデラレグレイでのタマモクロスの『白い稲妻』、オベイユアマスターの『WILD JOKER』、ディクタストライカの『弾丸蹴脚』、オグリキャップの『灰の怪物(GRAY PHANTOM)』と同じものです。
・ただし……この“領域(ゾーン)”、オベイのの『WILD JOKER』だけは条件が重なった時のみの“限定的な”不完全なものだそうで。
・本作でのダイユウサクの『The Amazing Ugly Duckling』もまた同じで、条件が整った時のみ発揮できる不完全なものでしたが、オラシオンの『三女神の祝福を(TriGoddesse bless you)!』は違い、他のウマ娘と同じ完全版です。
・元ネタが架空馬なオラシオンですが、その作中では間違いなく“時代を創った競走馬”でしたので、完全な“領域(ゾーン)”を使うことができました。
・なお、名前ですが……これは第二章の一番最初に解説したネタの章タイトルの候補『この優れたウマ娘に女神さまの祝福を!』から持ってきました。
・三女神なら「Three Goddesses」になるのですが、なんとなく長いのと語呂が悪いので、ウマ娘たちが信奉する三女神を、三柱一組と捉えて“三ツ星”=TriStarと同じように考えて、“TriGoddess”という造語(?)にしました。

1着
・小説『優駿』で描かれた皐月賞ではオラシオンが1着、アップショットが2着になっています。
・なお、本作は前年が1992年相当になっていましたが、1993年の皐月賞を制したのは公式ウマ娘にもなっているナリタタイシンです。
・さらに言うと、本作ではサンドピアリスがもう一人の主人公になっていて、シャダイカグラが直前の桜花賞を制しているのですが、シャダイカグラが桜花賞を制した1989年の皐月賞馬はドクタースパートでした。
・ちなみに……ロンマンガンも同い年として描かれていますが、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』でロンマンガンがクラシックレースに出る年の皐月賞を制したのは、本作でもウマ娘として出ているアルデバランです。

負け惜しみ
・このシーン、小説『優駿』で皐月賞ゴール直後に、アップショットとオラシオンの騎手がこんな会話をかわしていました。
・アップショットの騎手が、いい人の描写が多かったので、そのギャップに驚かされますが。
・もちろん、悔しさの裏返しになるんですけど。


※次回の更新は9月18日の予定です。  



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第58R 大回帰… そして、ここから始まる


 ──皐月賞の翌週

 京都レース場はあいにくの曇天模様。
 そんな空を恨めしく見上げるウマ娘。
 肩付近まで伸ばしたウェーブのかかった髪に、憂いを帯びたその目はどこか妖艶で……
 そんな妖しげな魅力を振りまくウマ娘。

「それはあっし、ロンマンガン──」
「あのねぇ、アンタ。真面目にやりなさいよ……」

 呆れた目でこっちを見ているのは、ダイユウサク先輩。
 チーム〈アクルックス〉の設立メンバー……というかこの人のソロチームで始まったわけで。
 なにより、あの伝説の有記念でメジロマックイーン先輩をねじ伏せた“世紀の一発屋”──

「なんか失礼なこと考えてるでしょ?」
「滅相もない」
「ウソおっしゃい。ロクなこと考えていないときのトレーナーと同じ目をしてるわよ」

 そう言ってジト目を向けてくる大先輩。

「え? さすがダイユウ(ねえ)さん、イヌトレのことよく見てるんスね!」
「黙りなさい!!」

 カッとなって怒鳴ったダイユウサク先輩だったけど、すぐに冷静になって「ハァ……」と盛大にため息を一つつくと、あっしを手招きした。
 それに従って近づくと──

「アンタ、ちゃんとわかってる? 今日の状況……ダービー出走がかかってるんだらね?」
「ええ、わかってますよ~。といっても、これに勝ったところで確約は無いんですけどね」

 今日のレースは若草ステークス
 オープン特別のコレを勝てば、あっしの成績からダービー出走の芽が出てくる。
 確実ではないけど、これを勝たないと話にならないのは間違いないわけで……

「まぁ……シオンはもう決めちゃってるけど」

 皐月賞はクラシック三冠のGⅠレースな上に、三冠の次のレースであるダービーのトライアルでもあるわけで。
 それに勝利したオラシオンは、その切符をすでに手に入れてるってワケ。

「ええ、そうね。それに皐月賞のあの勝ち方──」
「いや姐さん、言わなくていいッス……お願いだから言わないでください。お願いですから」

 ハッキリ言って、恐ろしい勝ち方だった。
 あの中山の最後の直線──正直、オラシオンは負けたと、あのときは思ってた。
 なにしろトップのアップショットとはかなりの差が付いていた上に、その脚も怪しいところはまったくなかった。
 出走メンバー全員が彼女に完全にしてやられた、と思った。
 それが──そのとき2バ身半後方にいた二番手どころか、直線の直前まで6番手にいたオラシオンが差せるなんて、誰が思う?
 目を疑うとはまさにあのこと。
 あんなの見せられたら心折られるわ。
 ……なんとか折れずに頑張ってるけど。

「チートでしょ、あんなの。異世界召還された主人公かっての! ……あれ? 私またなんかやっちゃいました? ってか?」

 キレるあっしの姿を、冷めた苦笑を浮かべて見るダイユウサク先輩。
 呆れつつも気持ちは分かるわ、といったところでしょうか?

「まぁ、凄い末脚だったわよね。まさに化け物級の……あんな末脚持ってるなんて羨ましいわよ、ホントに」
「──え?」

 そう言ったダイユウサク先輩を、思わず凝視してしまう。
 いや、だってこの人が有記念を勝ったときの末脚も負けず劣らずヤバかったでしょ?
 マック先輩の追い上げもスゴいと思ったけど、それ以上の速さで内からゴボウ抜きして先頭に立った姿は、マジで神懸かってた。
 つーか、それを見たから今ここにあっしがいるわけで。
 本人の自覚がないのか、それとも忘れてるのか……

「なに?」
「いや、まぁ、その……ええ、羨ましいですわ、マジで」

 ダイユウ姐さんも含めて、ホントにそう思うわ。
 それがあったら、これから始まるレースだって不安は減るでしょうに。  
 そう思いながら、再び空を見上げる。

「せめて、朝からスッキリ晴れてくれればなぁ……」
「確かに、アンタの気持ちも分かるわ。出走メンバーに、あのウマ娘がいたらね」

 ダイユウサク先輩が同意してくれる。
 今日の天気は晴れたり曇ったりというハッキリしないもの。

 そして今日のレースは天気が左右する……それは出走メンバーを見れば明らかだった。



 

「くぅッ!!」

 

 最後の直線で先頭に並んだあっし。

 併走するウマ娘をチラッと見て、やっぱりコイツとの勝負になったと思ったわ。

 

(正直、カンベンして欲しいわ……って思うのも無理なくない?)

 

 彼女と走るからこそ、つい反射的に意識を向けたのは自分の足下。

 発表では稍重のバ場。

 でも、午前中は“不良”と発表されていたほどだったのが、どうにかそこまで回復したといった有様。

 

(その悪い状態で、ここ(第7レース)まで使われてきたんだから当然──)

 

 コースが荒れるのはそりゃあ当然よ。コーラを飲んだらゲップが出るってレベルでね。

 そんな悪路で競うのは絶対にしたくない相手、それが今、あっしの隣を走ってる。

 

「──ブロンコキッド!!」

 

 悪路を得意とする変わり種のウマ娘。

 バ場状態が悪くなれば悪くなるほど真価を発揮するこのウマ娘は、「良バ場よりも不良バ場の方がタイムが良い」「実は足に水掻きが付いている」「むしろ水面を沈まずに走れる」とネットでネタにされてる程。

 

(御天道様が、もう少し頑張ってくれたら……)

 

 垂れ込める雲と、その上にある太陽を思わず恨んでしまう。

 良バ場なら隣のウマ娘(ブロンコキッド)も真価を発揮できずに、こっちも楽できたでしょうに。

 

「でも、まぁ──」

 

 逆に、曇りっぱなしや雨でも降ったりして、もっとひどい不良バ場でこのウマ娘と競うことにならなかったのは逆に幸いかも。

 荒れているとはいえ、稍重で済んでいるのがまだマシってね。

 

(……こんなことで、泣き言を言ってらんないワケよ!)

 

 迫るゴールに向けて、脚に最後の力を込める。

 そして足へと神経を集中させる。

 この荒れたバ場で少しでも力加減を間違えれば、踏み込む力が分散してしまう。

 そしてそれは、ブロンコキッドが相手では致命的な隙を生みかねない。

 でも──

 

「圧倒的な、とても真似できないような“速さ”が敵じゃないんだから」

 

 脳裏によぎる、先日のレース(皐月賞)

 そこでチームメンバー(オラシオン)が見せつけた、他を一瞬で置き去りにするような加速。

 それは修道服のような彼女の勝負服も相まって神々しくさえ見えた。

 そんなのを相手に競走(レース)するなんて、ハッキリ言って足がすくむ。ヤバいなんてもんじゃないわ。

 でも──

 

本番(ダービー)行ったら“神の奇跡”に立ち向かわないといけないってのに、“水掻き”程度に負けてられるかッ!!」

 

 ──走る前に、心折られるわけにはいかねぇわけよ!!

 こんなブロンコキッド(カエル娘)に負けてたら、シオンに挑戦する資格なんて無いんだから!!

 

(阪神ジュニアの時は雨が降ってた。まさにコイツの独壇場だったはずなのに、それでもシオンは勝った)

 

 だから今日、このウマ娘に負けるわけにはいかない。

 滑らぬように、力が逃げずに地面に伝わるようにと全神経を足下へ集中させる。

 そして──

 

「カアアアァァァァァァァッ!!」

 

 加速する。

 負けられないという一念で。

 それは隣のウマ娘(ブロンコキッド)が相手ではなく──

 彼女を去年、大舞台で負かしたウマ娘でもなく──

 その姿に心折れかけた、弱い自分に対してで──

 

 ピシッ……

 

 そのとき、妙な気配を感じた。

 

「──ッ!?」

 

 わずかに戸惑うけど、それを気にする余裕もない。

 一歩でも間違えば勝負はひっくり返るんだ。

 そんな薄氷を踏むような思いで走路(ターフ)を駆け抜け──

 

『差しきってゴォォォルッ!! ロンマンガン、悪路に滅法強いブロンコキッドをものともせず若草ステークスを制しましたァァァァッ!!』

 

 ──1着でゴールした。

 さて、ダービーに出られるか否か……あとはもう天に運を任せるしかない。

 人事は尽くしたんだから、ね。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「あ~!!」

 

 ロンマンガンが1着でゴールを駆け抜け、アタシがホッと胸をなで下ろした直後に上がった背後からの声。

 それはレースの決着で巻き起こった歓声に負けずにアタシの耳へやたらハッキリと届いていた。

 それに聞き覚えがある気がして、思わず振り返ると──

 

「ダイユウサクさんだ!!」

「あ、ホントだ」

 

 ちびっ子ウマ娘が3人、こっちを見ているのが目に入る。

 それも知らない子じゃなくて──

 

「マリアちゃん?」

「はい!」

 

 その内の一人は、アタシのファンだと言って応援してくれたウマ娘だった。

 あとの二人──満面の笑顔で「お久しぶりです」と挨拶する黒髪のウマ娘は、彼女がキタちゃんと呼ぶ()娘で、複雑そうな表情でこちらを見ている明るい茶髪のウマ娘はサトちゃんというらしい。

 なんで複雑そうな表情を浮かべているかと言えば、彼女は熱狂的なメジロマックイーンのファンだそうで……

 

(ま、無理もないか)

 

 熱心な彼女のファンからは未だに「有制覇を阻んだ」と蛇蝎のように嫌われてることもあるから、別にそこまで気にしないけど。

 とはいえ……プレクラスニーみたいに、降着のおかげで勝ったわけじゃないんだから、嫌われるのはお門違いの気もするのよね。

 それもマックイーンが有記念を勝ってくれればなくなるんでしょうけど、去年はケガで出られなかったし。

 

「でも、ダイユウサクさん……どうしてこんなところに?」

「どうしてって応援よ? チームメイトの……」

 

 こんなところとは言うけど、競走ウマ娘のアタシがレース場にいるのは不思議じゃないこと。

 マリアちゃんが言いたいのは、「なんで学園から遠い京都レース場に?」ということでしょうけど。

 

「あれ? アクルックスの方、誰か出てたっけ?」

 

 そう言って首を傾げたのはキタちゃん。

 隣ではサトちゃんが深刻そうな顔で慌ててスマホをいじってるけど……

 

「う~ん、出てないはずだけど? ダイユウサクさんは目の前にいるし、ギャロップダイナさんは出てないし、ターキンさんは……」

「……引退しちゃったからね」

 

 言いよどむマリアちゃんの後を継いで、アタシは思わず苦笑しながら補足した。

 つられるように力無く、寂しげな笑みを浮かべるマリアちゃん。

 その一方で……アタシとマリアちゃんの会話を聞いて、鬼気迫る顔でスマホをいじっていたサトちゃんがホッと笑顔になった。

 う~ん? 彼女がここまで懸命になって、対照的にそれを苦笑してキタちゃんが眺めているということは──

 

「あなた達のお目当てのレースって、やっぱり……」

「「「はい! 春の天皇賞ですッ!!」」」

 

 三人が声をそろえていい返事を返してきた。

 

「なんと言っても、史上初の春の天皇賞三連覇が掛かってますので」

「うん。マックイーンさんには頑張って欲しい」

「そうだよね。テイオーさんは出てないし、是非勝って欲しいな。まだ春秋制覇にはならないけど……」

 

「「あ……」」

 

 マリアちゃんとアタシの声が重なった。

 あ~、これはキタちゃんがマックイーンファンの地雷を踏み抜いた感じかな?

 アタシに有記念で負けた以上に触れちゃいけないデリケートなところだからね、秋の天皇賞は。

 案の定、澄ました表情を無理に浮かべているサトちゃんのこめかみには、隠しきれないでっかい青筋が浮かんでる。

 

「そ、そうですね……去年の秋の天皇賞は”なんとびっくり”されて大本命でも勝てませんでしたからね~」

「む……」

 

 思わず顔をしかめるキタちゃん。

 彼女の推しは去年の天皇賞(秋)(アキテン)の一番人気だったトウカイテイオー。

 それも圧倒的な一番人気だったけど……勝ったのは〈アクルックス(うち)〉の所属だったレッツゴーターキン。

 なんというか……気まずいわね、これは。

 思わずチラッと、〈アクルックス〉ファンのマリアちゃんを見ると、やっぱり同じように気まずそうな顔をしてる。

 

「で、でもほら……今日はウチのメンバー出てないしね。うん……きっとマックイーンが勝つわよ」

「そ、そうですよね? でもさっきチームメンバーの応援って言ってましたけど、誰ですか? えっと……ひょっとして、オラシオンさん!?」

 

 マリアちゃんが興奮気味に言うと、さすがにキタちゃんとサトちゃんもピクッと反応してこっちを見る。

 なるほど……テイオーファンとしても、マックイーンファンとしても、やっぱりオラシオンの強さは気になるわけね。

 

「違うわよ。シオンはこの前、皐月賞走ったばかりだし……」

「じゃあ次って、NHK杯なんですか? それも回避してダービー?」

「え? えっと、それは……」

 

 目をキラキラと輝かせて訊いてくるマリアちゃん。

 なにしろマスコミの扱いも、皐月賞での圧勝でかなり大きくなってる。ダービー制覇どころか、気の早いところは“三冠間違いなし”なんて見出しも出してるくらいだし。

 トゥインクルシリーズファンの注目を集めるのも無理もない。

 

(プレッシャー感じてるんでしょうね、アイツも……)

 

 そう考えながらトレーナーの顔を思い浮かべる。

 なにしろここまで注目される、大本命なんてなかったでしょうに。

 

(……あのウマ娘(パーシング)で変な注目集めたことはあったんでしょうけど)

 

 そのウマ娘の顔が浮かんできて、ちょっとイラッとして──

 

「お、こんなところにいたのか、ダイユウサク──」

「──ッ!?」

 

 ひょいと視界に彼の顔が現れ、思わず声を挙げそうになった。

 

「ど、どうしたのよトレーナー!?」

「どうしたってお前……そろそろロンマンガンの表彰、始まるぞ?」

「あ、アタシは関係ないけど、アンタはそれ出ないと駄目でしょ!? さっさと行ってきなさい!」

「あ、ああ……」

 

 困惑気味にアタシを見るトレーナー。

 そしてその周辺では──

 

「わあぁ! 乾井トレーナーさんだぁ。《びっくり箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》の……」

 

 ──とマリアちゃんが目を輝かせる一方で、びっくりさせられた側のキタちゃんとサトちゃんは複雑そうな表情だった。

 そんな感じで苦笑を浮かべていたキタちゃんだったけど……

 

「ロンマンガン……さん?」

「ああ。〈アクルックス(うち)〉所属のウマ娘でな。今のレースを勝ったのがそうだ」

「あ、そうだったんですね……」

 

 ちょっと申し訳なさそうにしている様子を見ると、春の天皇賞ばかり気にしていて見てなかったんでしょうね。

 ま、仕方ないわよね。八大レースとオープン特別で格も全然違うし、マックイーンと比較されたらロンマンが可哀想だわ。

 そうこうしている内に、マリアちゃんが改めてトレーナーに挨拶をして、それを返したトレーナーが表彰式へ向かおうとする。

 そして──

 

「ダイユウサク、しばらくそっちにいて良いぞ」

「え? どういうことよ? アタシだってロンマンの──」

「ファンサービスも大事だろ? その3人に付き添ってやってくれよ。まぁ、そこの()がイヤなら別だけど……」

 

 そう言ってトレーナーはサトちゃんを見ながら苦笑する。

 彼もサトちゃんがマックイーンシンパなのは知っているみたいね。

 

「大丈夫です! だって去年の春の天皇賞では、マックイーンさんが〈アクルックス〉のウマ娘をコテンパに負かしてますから。逆に縁起がいいくらいです!」

 

 …………うん、サトちゃん。本人を前にその言葉は無いかな~。

 いくらアタシでも傷つくんだぞ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そうしてアタシは結局、3人と一緒に天皇賞を観戦した。

 

 確かに去年の悪いイメージがあったけど……それ以上に、今年の天皇賞が気になったから。

 それはアタシが勝ったことのあるメジロマックイーンの、春の天皇賞三連覇を見るため──なんかじゃない。

 その本当の理由は──

 

(アンタが目標にしていた天皇賞(春)(ハルテン)を見届けたいと思ったからよ、ターキン)

 

 ケガが原因で引退して行方をくらませてしまったレッツゴーターキン。

 去年の秋の天皇賞を制して、秋春制覇を目標にしていたのを思い出したからだった。

 だからこそ、彼女が出たがっていたそのレースの結果を見なくちゃいけないと、そう思ったのよ。

 

 

 ……結果的には、一緒に見たのを後悔したけど。

 

 

 だって……まさか、マックイーンが負けるとは思わないじゃない?

 三連覇かかってたし、本人もやる気満々で調子も良さそうだし、一番人気だったし──

 それがまさか、負けるだなんて……誰が想像できるってのよ!?

 出走直前まで満面の笑みで「マックイーンさ~ん!」って何度も連呼してる小さなウマ娘の姿を見たら誰だってほっこりするじゃない?

 それが……ゴール直後の悲愴な表情を見たら、いたたまれなくなったわよ。

 

 (ついでに、なんか罪悪感みたいのもこみ上げてきたし)

 

 で、でもほら、アタシが勝ったときは三連覇とか掛かってなかったから、それよりは……ね?

 ともあれ、とてもその場にはいられなくて、「チームの用事があるから」ってそそくさと抜けてきたわ。

 まぁ、実際にロンマンガンのウイニングライブもあるわけで、あながち嘘ってわけじゃないんだけど。

 

「えっと、ロンマンの控え室は……」

 

 京都レース場も関係者側の方に入るのも久しぶりで、ちょっと道を間違えたりして……

 

 ──そしてアタシは見かけてしまった。

 

 勝ったはずなのに涙を流しているウマ娘を。

 あのウマ娘に勝つのがどれほど困難なことかを一番わかっているアタシが、たった今、それを成し遂げたのに誇って胸を張るどころか、うつむいている彼女の姿を。

 それを目の当たりにしたアタシは苛立ち、腹立たしく感じていた。

 

(アナタがしたことは、悪いことではないでしょ?)

 

 もしそれを悪だというのなら……アタシの誇るあのレースも汚されることになるんだから。

 そう考えると我慢できなくなって──アタシはその長い黒髪のウマ娘に声をかけた。

 

「……なんで、泣いてるの?」

「だ、誰……?」

 

 振り返った彼女の怯えた表情に──たった数ヶ月前とはいえいなくなった彼女を思い出し、懐かしささえ感じてしまう。

 

 ……でも、だからこそ彼女が泣いているのが許せなかったのかもしれない。

 彼女がどうしても手に入れたかったその栄冠を、目の前のウマ娘が手にしたのだから。

 

「人に名前を尋ねるなら、まず自分から、じゃない?」

「う……」

 

 そのウマ娘はますます萎縮しながら、申し訳なさげに名前を言った。

 

「ライス、シャワー……です」

 




◆解説◆

【大回帰… そして、ここから始まる】
・今回はダイユウサク編のタイトルパターン「大○○」を採用。
・その理由はもちろん、今回のラストが第1話の冒頭へとつながるため。
・いや~、長かった。だからダイユウサクはロンマンガンの担当になっていたんですよ~!!
というか途中、繋げる気全くなかったんですけどね。
・その件の解説については↓で。
・また、「ここからはじまる」というのは、冒頭につながるという意味と、ロンマンガンのダービーへの道という意味でもあります。

若草ステークス
・阪神で開催される皐月賞のトライアルレース……ではない。それは若ステークス。
・もちろん京都で1月に開催される2000メートルのオープン特別のことでもない。それは若ステークス。
・1989年から2004年まで開催されていた4歳限定のオープン特別のこと。
・89年~93年までは京都の芝2400、以降は04年まで阪神の芝2200で開催していました。(1995年は阪神大震災の影響で阪神競馬場が使えなかったため京都で代替開催)
・ダービーのトライアルレースは皐月賞、青葉賞、プリンシパルステークス(昔はNHK杯)ですので、それには含まれていません。
・ですが、1着だった競走馬は東京優駿(日本ダービー)へ出走している馬が多く、16回中9頭(2002~04年、1999年、93年、92年以外)が出走しており、92年のトーワナゴンは牝馬で牝馬優駿(オークス)へ出走しています。
・なお第1回と2回の勝者は本作にも出てきており、第1回の勝者はロングシンホニー。
・そして第2回の勝者は、大阪杯でダイユウサクと競い、途中で負傷したメルシーアトラ。
・今回のレースのモデルになったレースは──ありません。完全オリジナルです。
・ただ開催日だけは1993年を引用しており、バ場状態もその日を参考にしています。。
・その理由は↓で。

ブロンコキッド
・まさかの2度目の登場、ブロンコキッド。
・聞き慣れない名前で申し訳ありません。架空の競走馬を元にしたオリジナルウマ娘で、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』に登場していた競走馬がモデル。
・前回の登場は、オラシオンの阪神ジュニアステークスのとき(第二章40話)。
・そのときに詳細を解説していますので、詳細はそれを参照にしてください。

春の天皇賞
・今回はアニメ版で言うところの2期8話の天皇賞(春)。
・この後にダイユウサクをピックアップさせるシーンのためにキタサトコンビと本作オリジナルのマリアちゃんが登場。
・でも実は……アニメではサトノダイヤモンドがほんのちょっとしか出てこなかったりします。キタちゃんはレース中、台詞もありません(顔も見切れてる)。
・テイオーもマックイーンも勝たないレースだったので、無邪気なあの二人を出せなかったんでしょうけど。
・なお、〈スピカ〉のトレーナーが2000のタイムで「前回の天皇賞よりも2秒以上早い」と言い、テイオーが「大丈夫に決まってる」と言っていますが、テイオー自身は秋の天皇賞で殺人的ペースにやられて大丈夫じゃなかったような……
・で、どっちでも先頭で逃げてたパーマー。負けたとはいえやっぱりすごいな。
・この元レースの開催日が1993年4月25日。
・第2回の90年以来、土曜日開催だった若草ステークスがなぜか日曜開催になり、春の天皇賞と同じ4月25日に開催になっていたのです。
・どうにか冒頭につなげられないか、と思って日程を見て、そのレース(若草ステークス)の存在に気が付きました。
・それに、原作ではダービーに出走しているのに、皐月賞は出ておらずトライアルに勝った様子も無いロンマンガンを出走させるのを思い付き、今回のレースとなったのです。

ウチのメンバー出てない
・うん。そうなんですよね。()()()()()()()()では、ね。
・でも史実の出走メンバーの中に──

道を間違えたり
・本作のダイユウサクは、モデル馬の有馬記念制覇の際のエピソードで熊沢騎手が“道に迷った”というエピソードがあるために方向音痴の属性が付いています。
・おかげで、今回も道に迷ってます。
・なお同様のエピソード(騎手まで同じ)を優駿牝馬(オークス)制覇で持っているコスモドリームもまた方向音痴属性持ちです。
・ただ、ウマ娘のトレセン学園が府中にあるのに「(同じ府中にある)東京レース場まで迷った」というシナリオの都合上、コスモはとんでもない方向音痴設定になっています。
・そんなわけで、()()()()()()()()()()()()なレベルでしかないダイユウサクは幼いころから「コスモは方向音痴だから」と理解して見ていたために「自分は方向音痴ではない」と思い込んでいます。
・今回も「久しぶりだから」とか言ってますが、シンプルに方向音痴が原因でした。


※次回の更新は9月24日の予定です。  



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第59R 企んでいることなんてない!


 ──季節は5月を迎えようとしていた。

 とはいえ、この4月から5月へ移る時期は、世の中はゴールデンウィークの真っ最中である。
 そういうわけで、4月末から5月頭というのは、どうにも切り替えがあやふやという感じになってしまうのだが……



 

「結局、オーちゃんはNHK杯に出るんだよね?」

「ああ。そのつもりで登録してある」

 

 ミラクルバードの確認にオレがうなずくと、彼女は少し複雑な表情になった。

 

「……出る必要、ある?」

「言いたいことは、わかる」

 

 NHK杯はGⅡの重賞で、ダービーのトライアルレースの一つ。

 成績の良かった者に優先出走権が与えられるのだが……オラシオンはこれまたダービートライアルでもある皐月賞で優勝しているので、すでに優先出走権を得ているのだ。

 おまけに──

 

ダービー(本番)まで中2週になるから、スケジュールがキツくなるのは百も承知だ」

 

 皐月賞で5着以内に入る等してすでに出走権を得たりしている他の陣営は、それを嫌って軒並み回避している。

 それらが目指すのはダービー制覇であり、打倒オラシオンだろう。

 

「他の陣営は、準備万端でダービーに出てくるのに」

「そうは言うが……」

 

 不満そうに頬を膨らませるミラクルバード。

 自分がとれなかった皐月賞をとったオラシオンに、今度はダービーを取って欲しいと願っているからこそ、彼女のことを気遣っているのだろうが……

 

「あまり大きな声では言えないが、NHK杯に出るのはこっちも準備を整えるためだぞ」

「え……そうなの?」

「当たり前だろ。ダービーへの切符は持ってる。実績を稼ぐ必要もない。皐月賞を取ってダービーを狙ってるのに、今さらGⅡ制覇の実績に目くじら立てて取りに行くヤツはいないだろ」

「それはそうだけど……じゃあ、ならなんで? ひょっとして調整代わりとか?」

「“あの方”じゃあるまいし、そんなことでレースに出ないさ」

 

 実際にそういう逸話が残っているのが実に“あの方”らしいところだけど。

 とはいえ、ただでさえオレは以前やらかしたせいで重賞軽視疑惑があるんだから、そんなことができるわけがない。

 

「オラシオンは東京レース場未経験だから、一度走らせたいんだ」

「ああ、言われてみれば確かに……でも、それってそんなに気にすること? ダイユウ先輩だって中山未経験で有に勝ってるし、コスモ先輩だって初の東京レース場で勝ってるよ?」

「コスモドリームはオレの担当じゃないからなぁ……」

 

 思わず苦笑を浮かべてしまうオレ。

 というか、あの従姉妹(ふたり)を参考にはしない方が良いと思うぞ。

 ダイユウサクみたいに下から2番目というほどではなくとも、コスモドリームもまた不人気だった。

 

「おそらくオラシオンは一番人気になるのは間違いない。ということは他のウマ娘のマークを一身に受けることになるからな」

 

 皐月賞でも1番人気で、見事それに応えたんだ。よほどの悪条件や不安要素が無い限りはオラシオンが1番人気になるのは火を見るよりも明らかだった。

 あの二人のように挑戦者であれば大胆にもなれるが、期待を背負う以上は慎重にならざるを得ない。

 

「だからできることはやっておいて不安要素を取り除きたいんだ」

「とは言ってもさ……東京でしょ? すぐ近くだし、そこまで気にしなくても……」

「オレが不安に思っているのは東京レース場という会場よりも、左回りを未経験なことだ」

「あ……」

 

 意外そうに声をあげたミラクルバード。

 オレの指摘通り、今までオラシオンが走ったのはすべて右回りのレースだったのだ。

 確かにミラクルバードの言うとおり、レース場に関してはそこまで気にする必要はないとは思う。

 もちろんレース場ごとに直線距離の差、Rのキツさ、坂の位置や勾配等の差異はあるから経験の差は出るのは間違いない。

 だが、左回りと左回りでは根本的な感覚が違ってくる。

 そしてレース(本番)で初めて経験するのがダービー本番では、余りに無策すぎると判断したわけだ。

 

(完っ全に、オレのミスだけどな……)

 

 とはいえオラシオンの歩んできたレースは既定路線という王道を進んでいる感はある。

 その未経験に気付いたときには、すでにそこから外れることが困難なスケジュールになっていた側面もあるのだ。

 

「ま、幸いなことに、オラシオン本人はNHK杯への出走に乗り気でな」

「そうなの? オーちゃん、体とかキツくないのかな……?」

「根は生真面目で、神経質な面もあるからな。東京レース場を実際に体感して気になる点を洗い出し、不安要素を潰したいんだろ」

 

 とはいえ半分はソレで、もう半分は東京レース場を走らせる機会を逸したオレに対する当てつけ──かもしれないなぁ。

 しかしオラシオンは、チームメンバーや渡海とか他のヤツにはそういうところはないんだが、オレにはやたらと反抗的で子供っぽいところが出るんだよなぁ。不思議なことに。

 こういうオレのポカミスを執拗に突いてきたりな。

 なんてことを考えてると、部屋のドアが開いた。

 きっと巽見がやってきたのだろう。チームの話はここまでにしないとな、と考えていると──訪問者が顔を見せる。

 入ってきたのは巽見ではなく、頭の上にはピンと耳が立ち、臀部には尻尾が揺れていた。

 

「おぅ、ビジョウ! いるか!?」

「ダイナ……お前、そんな入り方していたら、巽見に怒られるぞ?」

「あ~、大丈夫大丈夫。巽見さんとあたしの仲だぜ? 笑って許してくれるさ」

「上下関係厳しいから、下に示しが付かないと怒られるからな?」

 

 入ってきたウマ娘──ギャロップダイナは楽観視して笑っているが、巽見は締めるところは締めるからな。一応、忠告しておいてやった。

 まぁ、相変わらず気楽に笑っているところを見ると、あまり気にした様子はないようだが……

 

「ところで、何の用事なんだ?」

「おお、そうだそうだ。ビジョウがいてくれて助かったぜ。ちょっと相談があってな」

 

 そう言ったギャロップダイナは部屋のカレンダーをじっと見つめる。

 

「ビジョウ、シオンのことなんだが……小耳に挟んだんだけど、NHK杯に出るんだよな?」

「……一応、その予定だ」

 

 巽見の部屋でもあるこのトレーナー室。サポート側にいるミラクルバード相手ならともかく、最近出走していないとはいえ走る側に所属しているギャロップダイナ相手にまでその話をすることをオレは躊躇った。

 だが、幸いに巽見の姿もないから、と判断してオレは答えた。

 

「ってことは、東京だよな?」

「そうだな」

 

 さっきまでその話をミラクルバードとしていたところである。

 それを聞いたギャロップダイナは、なぜかニンマリと笑みを浮かべる。

 イヤな予感しかしないが……

 

「よし、わかった。じゃあその日、ちょっとピアリス連れて京都行ってくるわ」

「「はあッ!?」」

 

 オレとミラクルバードの声が重なった。

 

「きょ、京都っていったいなんで?」

「その日にクラシック特別の開催があるから、それにピアリス出してくる」

「待て待て待て待て待て!!」

 

 ミラクルバードの問いに事も無げに答えたダイナ。その内容はさすがに聞き捨てなら無かった。

 

「あん? なんだよ? 前回だって皐月賞の日だっただろ?」

「確かにそうだったが──」

「それに中山じゃなくて阪神のな。それにあたしだけがついっていったんだぞ」

 

 その通りだった。

 ピアリスの前走は皐月賞の日であり、同じ日の阪神で開催されたダートの条件戦にサンドピアリスは出走していた。

 そして勝利をおさめたわけだが……

 

「でも今回のそれは重賞だろ? GⅢの

「ああ、そんなの知ってるんだろ? でも別に問題ないよな? この前はダートレースできっちり結果出したんだから、今度は芝の適性も確認するってワケだ。両方の適性を見るってのはお前が言い出したことだぞ、ビジョウ?」

「くッ……」

 

 確かにそう言ったのは間違いない。

 だが、あまりにも想定外なレースだ。

 

「だけどな、そのレース……言ってみればダービーの前哨戦だぞ? トリプルティアラ目指してるピアリスには荷が──」

「重いってか? だけどその分……ダービー目指して死にものぐるいの連中と競うことができるんだぜ? ピアリスの実力を見るにはうってつけだろ」

「しかし、そこでもしも惨敗すれば、彼女が自信を失いかねない」

「おやおや、ビジョウ……お前、ピアリスに芝の路線を諦めさせたいんじゃなかったのか?」

 

 意地の悪い冷笑を浮かべ、こちらを見てくるダイナ。

 

「……違う。誤解するな、ダイナ。オレはピアリスの競走そのものに対するモチベーションのことを言っているんだ」

 

 芝だダートだと言う以前に、走ることへの意欲を無くしてしまっては元も子もない。

 

「確かにオレはピアリスの適性がダートにあると思っている。それにせっかくダートで勝利したのにその波を無謀なレースに挑戦させて打ち消したくないとも思っている」

「お前のその気持ちはわかるぜ。だが、ピアリスの気持ちにもなれよ。この後もどっちつかずで走らされるよりも、ここできっちり芝での現実見せて、気持ちを切らせるのも大事なんじゃねえのか?」

 

 そうオレに言ってきたギャロップダイナ。

 彼女をオレは────ジッと見つめた。

 

「……………………なにを企んでいるんだ? ダイナ」

「なにも企んじゃいないさ。ビジョウ」

 

 そう言って彼女はニヤリと笑みを浮かべて即答する。歪められた彼女の唇の間から乱杭歯が見えた気がした。

 コイツ……100%、なにか悪巧みしてるよな。

 しかも2戦続けて、オレの目から離れるように出走予定をし向けてきた。前回は「まぁ、一回くらいは仕方がないか」と送り出したが、それが続けばさすがに不審だぞ。

 絶対の確信を持ってなおもオレが睨むように見ていると──ダイナは肩をすくめた。

 

「オイオイ。疑り深くなったな、ビジョウ。あたしは寂しいぜ? あたしの時はお前もこっち側だっただろ?」

「残念ながら、オレも正トレーナーになったからな。昔と同じってわけにはいかないんだよ」

「やれやれ、おやっさんに似てきたんじゃねえの? そのうちお前の頭も同じようになっちまうぞ?」

「その原因の半分くらいは問題児(お前)だろ?」

 

 先生の名誉のために言っておくが、あの人の頭は決して砂漠化してしまったわけではない。

 ただ、抜け毛を気にしていたのは確かで、若いときには熱帯雨林だったそれが、現実の熱帯雨林(ジャングル)と同じように面積を減らしているらしかった。

 だから指摘するのは弟子の間ではその話は禁忌(タブー)とされていた。

 個人的には、年齢的なもので、どうしようもないんじゃないかと思っていたし、同門では東条先輩も含めてそう考えていた者は多い。

 ともあれ──今は、ピアリスのことだ。

 

「……お前のことだから、話を進めてるんだろ?」

「お? さすがだな。察しがよくて助かるぜ」

 

 オレがため息を付いてからジト目を向けると、ダイナは笑みを浮かべて書類を出してきた。

 (くだん)のレースへの出走登録のため書類で、必要事項は埋まっていて、オレのサインと印鑑があればすぐにでも提出できる状態になっていた。

 

「……本人のやる気は?」

「どんなレースでも走れるのなら幸せそうだからな。普段は一緒に走ったことのないメンバーが多いって説明したら目を輝かせていたぞ」

 

 ダイナの説明もだいたい合っているところが(たち)が悪い。

 こうなるともう降参するしかない。

 芝とダート両方走らせて適性を見ると言ったのはオレだし、ダートで結果を出した以上は芝の方も確認する必要がある。

 オマケに本人も嫌がっているわけじゃないから、避ける理由がない。

 

(ダートと芝、どっちつかずで走らされる気持ちは、ダイナが一番よく分かっているだろうしな)

 

 ギャロップダイナというウマ娘もまた、ダートと芝の両方に出走していたウマ娘だった。

 そしてむしろダートの方でこそ結果を出していたが──あの一戦で評価が劇的に一変する。それまでたった一人にしか負けたことの無かった超一流ウマ娘に、芝で勝ってしまったあのレースだ。

 

(今は、ダイナに任せるのが一番だろうな)

 

 クラシックレースの山場であるダービーが迫っている。

 それへの出走が確定し、人生一度きりの大舞台に挑むオラシオン。彼女には万全の状態でその場へ送り出さなければならない。

 そして、同じレースへの出走に希望を残しているロンマンガン。

 日程的にこれ以上のレースを詰め込むわけにはいかないから結果待ちではあるが、出走に備えて準備をしている。

 その姿はまるで──彼女をサポートしているウマ娘が、阪神レース場新装記念を制してから推薦を得るまで、有記念に備えていたときのようであった。

 そういった訳で今のチーム〈アクルックス〉は、今までまったく縁の無かったクラシック三冠の最高峰──ダービーに向けていっぱいいっぱいだった。

 正直、サンドピアリスの面倒をギャロップダイナに完全に任せられるのはありがたい。

 

「当日は、NHK杯があるからオレはいけないからな。ピアリスのこと、頼んだぞ」

「ああ、任せときなよ。大船に乗ったつもりでさ。それにこっちはその方が好都合……

「ん? 何か言ったか?」

「い~や、全然。精一杯、ビジョウの代わりを務めてやると気合い入れたくらいだぜ?」

 

 オレがジト目で見ると、笑みを浮かべて返すギャロップダイナ。

 その表情、微妙につくりものな感じも否めないが……だが、NHK杯はGⅡだし、オラシオンはその注目株だから、正トレーナーのオレがいかないわけにはいかない。

 本音を言えば、オラシオンと相性のいい渡海とミラクルバードの二人に任せて、オレがピアリスについて行きたいくらいだが……

 

「当日は、ミラクルバードを同行させるからな」

「「えッ!?」」

 

 その場にいた二人のウマ娘から同時に驚きの声があがる。

 ギャロップダイナはてっきり自分だけだろうと思っていたのだろうし、ミラクルバードもまた自分が指名されるとは思っていなかったんだろう。

 ダイナに任せる以上はお目付役は必要だからな。

 かといって渡海ではダイナを御せるとは思えないし、オラシオンのケアをしてもらうという大事な役目もある。

 

「オイオイ……マジかよ、ビジョウ。前回はあたしとピアリスだけだっただろ。それと一緒でいいだろうに。勝った後もウイニングライブまでちゃんとフォローできたぜ?」

「それには感謝してる。だけど前は条件戦だが今回はGⅢの重賞だ。ちゃんとわかるのが一人もいないのはマズいからな」

 

 万が一にでもピアリスが勝ったら……それを考慮しないわけにはいかないからな。

 で、もしも勝って、その準備をまったくしていないという状況だったら……重賞でそれは絶対にお叱りを受けるパターンだ。

 そんなつまらないことでURAから睨まれたくもない。

 

「それにオラシオンの方も今度はGⅡだからな。オレと渡海で十分事足りる」

 

 それにロンマンガンはダービー対策のためにレースを見学させたいからな。

 そうなるとやっぱりミラクルバードに任せるしかない。

 

「焼き鳥娘の面倒まで見ろだなんて、勘弁してくれよ」

「それはこっちの台詞だよー! ボクだってオーちゃんのこと見たいのに。それにダイナ先輩の暴走をボク一人で止められるわけないんだからね」

 

 ミラクルバードが「心外だ!」とばかりに両手をバタバタと振って抗議してくる。

 

「……じゃあミラクルバード、お前と渡海にオラシオン任せていいのか? マスコミ対応も含めて」

「う……」

 

 オレは京都に行ってもかまわない、という姿勢を見せるとミラクルバードもだがギャロップダイナも露骨に顔をしかめた。

 

(やっぱり何か企んでるじゃねえか)

 

 視界の隅で起こったその変化に突っ込みながら、あえてそれは無視してやる。確かに前回苦労させたのは間違いないからな。とりあえず今回のことは不問にしてやる。

 一方で、口ごもり苦笑を浮かべたミラクルバードは「うん。やっぱりボクがいってくるよ」とあっさり引き下がった。

 確かにダイナについては不安は残るが……車椅子のミラクルバードがついて行けばそれを気遣って無茶なことはしないだろう。

 意外とダイナは後輩の面倒見が良いからな。

 

(……コミュ障に半歩踏み入れてるもう一人の年長者(誰かさん)と違って、な)

 

 そう思ってオレがこっそりため息を付くと──再度、部屋の戸が開いた。

 そして──

 

「トレーナー、遅い! シオンもロンマンもピアリスも待ってるんだから! いい加減、練習(トレーニング)を始めるわよ!」

 

 こうしてタイミング良くやってくるあたりは、コミュニケーション能力を犠牲にして、それ以外の能力が発達しているんじゃないかと思ってしまう。

 




◆解説◆

【企んでいることなんてない!】
・オラシオン回のように見せて、実はピアリス回でした。
・そんなわけでピアリス回のルールでのタイトル。
・次はいよいよNHK杯!(ピアリスのレースもあるけど)

NHK杯
・現在ではすでに無くなったレースで、1953年~1995年の間、開催されていました。
・1953年に4歳馬(当時表記)の重賞「NHK盃」として創設され、1970年に「NHK杯」に変更。
・東京競馬場の芝2000で開催されており、1967年だけ中山競馬場で開催。
東京優駿(日本ダービー)のトライアル競走だったのですが……実は、NHK杯を制してダービーを制したのは、初開催を制したボストニアン以下、1957年のヒカルメイジ、ダイゴホマレ(1958年)、ヒカルイマイ(1971年)、カブラヤオー(1975年)と全43回の開催で5頭のみ。他にもトライアルレースがあるので無理もないのですが……
・なお、NHK杯を制した馬の中には、史実ではダイユウサクとコスモドリームの祖父にあたるダイコーターや、乾井トレーナー憧れのハイセイコーの名前があります。
・1985年のグレード制導入でGⅡに指定されています。
・廃止になった翌年の1996年からはNHKマイルカップが創設されており、GⅠレースとなっています。
・新設された、と見るべきだと思うのですが……GⅠに昇格して条件が変わったという見方もあるようです。
・ダービートライアルの座は青葉賞や、距離や開催地から完全に後継レースといえるプリンシパルステークスに引き継がれることとなりました。

逸話
・“あの方”=シンザンは皐月賞とダービーの間にオープン特別(1964年5月16日開催)を走っています。
・しかもそこで2着になってしまい、デビュー以来の連勝が6で止まってしまいました。
・5月31日開催のダービーの2週間前なわけで……中1週で出走、ということになってます。
・しかも、勝ってますしね。ダービー。
・実際、調整が間に合わないから出走したらしいです。

未経験
・今までのオラシオンの出走は新馬戦、未勝利戦、阪神ジュニアステークス、シンザン記念、スプリングステークス、皐月賞の6戦。
・最初の2戦はどのレースと特定していなかったのですが、その後は阪神、京都、中山、中山と東京を一度も経験しておらず、全部右回り。
・これは原作の小説『優駿』も同じで、その理由がないとNHK杯を出走する理由が無くなるので、本作も同様にしています。

前回
・サンドピアリスが史実1989年4月16日に阪神第5レースの400万の条件戦に出走しています。
・ダートの1800メートルで、そこで見事に1着をとりました。
・そしてその日……中山では皐月賞(第49回)が開催されていました。
・ちなみにそっちを優勝したのはドクタースパート。
・……実は今回、致命的な大失敗をしでかしてまして、「黒い風」を書き終えて、一息ついてからこのシーンを書くにあたって「ロンマンガンは若草ステークスに出したけど、そういえばピアリスってこのころ何していたんだろ?」と思って調べることに。
・そして出走レースを見て……同日に皐月賞があるのを見て青ざめました。
・「……ピアリスが皐月賞を観てるシーン、書いちゃった」
・しかも悪いことに、すでに最初の(1)がアップされた直後だったわけで……
・慌ててそのシーンを削るという事態に発展しています。

重賞だろ? GⅢの
・サンドピアリスの5戦目で、NHK杯と同日に開催されていたのは、京都開催のGⅢレース、京都4歳特別。
・ウマ娘世界の名前にすれば、『京都クラシック特別』でしょうか。
・芝の2000メートルでトライアルではありませんが、ダービー前哨戦の一つでした。
・1955年から開催されていた歴史のあるレースでしたが現在では開催されておらず1999年が最後です。
・2000年のスケジュール改正で菊花賞トライアルだった京都新聞杯がこの時期に引っ越してきてその役目を引き継いでいます。
・サンドピアリスが出走したのは第35回。
・なお……ウマ娘時空のために世代が歪んでいるせいでそうなっているのですが、このレースには本作ですでに登場しているオリジナルウマ娘の元ネタが2頭出走していました。
・今まで〈アクルックス〉が挙げた大金星2つとどちらも絡んでおり、レッツゴーターキンの天皇賞(秋)で最後まで競ったムービースターが7枠15番で、ダイユウサクの有馬記念に出走して最下位だったオースミシャダイが8枠17番で、それぞれ出走しています。
・ちなみにその前年の第34回の勝者はオグリキャップ。
・シンデレラグレイでは描写が完全に華麗にスルーされたレースで、ヤエノムテキとの対決だった毎日杯と、レースをダービーと合わせる描写になったNZT(ニュージーランドトロフィー)の間に出走していました。
・ちなみに……これのレースでオグリとブラッキーエールことラガーブラックは再戦していました。2番人気だったのに11着でしたが。
・オグリキャップはダービー出走を認めて貰おうと実力を見せつけるために出走したんでしょうけど……やっぱりダービーへの出走はかないませんでした。



※次回の更新は9月30日の予定です。  



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第60R “その日の“競走(レース)”が終わったら──”


 ──時は5月になっていた。

 4月から5月にかけてあったのは、4月の末にロンマンガンが勝利を飾ってダービーへの登録ができるようになり、それを済ませたことくらいだ。
 あとはそのトライアルレースの結果や抽選次第、ということになるが、ロンマンガンにもダービーへの道は残されている。
 他の二人──オラシオンとサンドピアリスについてはゴールデンウィークの末日である日曜日にレースがあった。
 オラシオンはNHK杯。
 そしてサンドピアリスは同じ日に京都で開催されるクラシック特別だった。


 そして、結局は予定通りにNHK杯に出走したオラシオンは──人気のままに1着でゴール板の前を駆け抜けたのだった。



 

 GⅡとはいえ観客の数は多く、盛り上がる東京レース場。

 その歓声にゴール直後の私──オラシオンは速度を落として走りながら、手を振って応えました。

 応援してもらえることは、本当にありがたいことです。

 一番人気は、自分に期待してくれているということでもあるしそれに応えなければならないという使命感を強く感じます。

 なにより、最近は“誰かの思いを受けて走る”ということが、私にとっての天命のように思えているからでした。

 そうして、私の勝利を願ってくださった皆さんに対し、お礼を返すのは当然のこと。

 私が観客席に一礼すると、さらにワッと一段と大きな歓声が巻きおこりました。

 

「次のダービーでも、これに応えないと……」

 

 場所こそ同じですが、今度はGⅠレース。

 しかも八大競走の一角であり、一生に一度しか挑戦できず、競走ウマ娘全ての憧れと言っても過言ではないレース。

 

 ──日本ダービー

 

 もちろん私もその例に違わず、このレースを目標に今まできたのですから。

 不謹慎ではありますけど、今日のこのレースに出走したのも、次への試金石という側面も強いものでした。

 東京レース場や、左回りという未経験だったものを“レース本番”で体験させるため。

 トレーナーはそう考えていたようです。

 そして私も──

 

(“領域(ゾーン)”……今回もまた、同じ感覚に踏みいることができました)

 

 おそらく皐月賞の前にトレーナーやミラクルバード先輩がいっていた、普通の感覚とは明らかに異なる超集中状態。

 皐月賞で至ったその感覚に、再度挑戦する──私としては、こちらの意味合いの方が大きかったのです。

 そして無事にその目的は果たすことができました。

 

(セントホウヤもアップショットも、ロベルトダッシュもいませんでしたが……それでも、できたのは収穫です)

 

 強敵との競い合いという状況がなければできないという恐れもあったのですが、今日のレースには彼女たちはいませんでした。

 ダービーへの切符を得ている彼女たちはこのレースに出走しなかったため、ライバル不在ということになり──私は逆にその状況を利用したのです。

 

(トレーナーさんの話では、本当に上位(トップ)のウマ娘は、これを自在に使いこなしてくる、ということですからね)

 

 もっとも、その時に彼が挙げた名前は《皇帝(シンボリルドルフ)》やら《白い稲妻(タマモクロス)》やら《怪物(オグリキャップ)》といったとんでもない実績を持つ先輩や、現役でも《最強ステイヤー(メジロマックイーン)》みたいな恐ろしい強さを持つ方達ばかりでしたけど。

 

「これで準備は万端……」

 

 ダービーに向けて、最高の武器が使()()()ことが確認できた私は、さらに自信をを強くして「これなら勝てる」という確信に近いものを感じていたのです。

 

 

 ──誤算が生じ始めていたことに気づくこともなく。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「やっぱり、戸惑いはあったようだね。クロ……」

 

 NHK杯をオラシオンが制し、場内が熱気に包まれるのとは対照的に僕は冷静に彼女が歓声に応えて手を振る様子を見ていた。

 結果を見れば、2着を3バ身も離した圧勝。

 しかし、レースの前半から中盤にかけては初めてのコース、初めての左回りへの不慣れさによるものか、まごつきが見て取れたのだ。

 それでも中段に位置していたオラシオンは徐々に位置を上げて、最後の直線でグンと加速して先頭に立ち、そのまま他を寄せ付けずにゴールしている。

 

「NHK杯に出走させたトレーナー(先生)の差配は間違ってなかった……」

 

 正直な話、オラシオンをNHK杯へ出走させることは反対だった。

 それを先生──乾井トレーナーにも意見として言っていたんだ。

 かといって無碍に却下されたわけでもなかったけど……その反応を見る限り、先生にも迷いはあったんだと思う。

 学園同科の先輩であるミラクルバードさんを入れた3人によるチーム内での意見交換で僕は反対の立場をとった。

 なぜなら──

 

『オラシオンを走らせすぎです』

 

 昨年の11月にデビューして、12月の阪神ジュニアステークス。

 今年の1月のシンザン記念。

 2月に出走はなかったものの、3月にはスプリングステークス。

 そして4月に皐月賞。

 5月には今回のNHK杯に加え、本番であるダービーが待ち受けている。

 

『特にスプリングステークスからの連戦を考えたら、他の陣営と同じようにNHK杯は避けるべきだと思います』

『ああ。オレもそれは分かっている。けどなぁ……』

 

 悩ましげに頭を掻く乾井トレーナーの姿に、その苦悩がよく分かった。

 本音を言えば、先生もやっぱり休ませたかったのだと思ってる。

 

『オラシオンがダイナとかダイユウサクみたいな性格だったら、それで構わなかったんだ』

 

 先生が気にしたのはクロ──オラシオンの性格だった。

 根が真面目、と先生は評している。しかしレースにかける情熱は他のウマ娘の比ではない、とも。

 真面目ということは真摯であり、そこにレースへの情熱が加われば周囲が見えないほどに没頭してしまうことになる。

 それゆえにことレースに関することなら些細なことも気になってしまうし、本番のレースまでにイメージトレーニングを大事にして何度も繰り返している。

 

『東京レース場で本番のレース経験がなければ、やはり情報の精度が落ちると思わないか?』

 

 細かいことを気にしない〈アクルックス〉所属の2人のウマ娘──かたや豪放な性格がその原因のギャロップダイナさん、かたや他への無関心が原因のダイユウサクさん──なら、初めての環境への適応力は高いだろう。

 実際、ダイユウサクさんは初めての中山で有記念を制しているし。

 しかし細かい性格をしているウマ娘はそれで集中を欠く可能性もあった。

 

(その辺りは、気が小さかったターキンさんに近いかもしれない)

 

 去年まで所属していたレッツゴーターキンさんは、些細なことに驚いてビクッとするほどだった。

 それには先生も苦労していたけど、でもその経験があったからこそオラシオンの性格を気にすることができたのだと思う。

 結局は、先生が気にしたその懸念から、NHK杯への出走は決まった。

 なにより、確認したオラシオンが「走りたい」と言ったのが大きい。

 ただ、やはり気になるのである。

 

(やっぱり、体への負担は大きかったと思う)

 

 もちろん怪我を含めて、走り方におかしなところがあったわけではない。

 しかしデビューからここまでレースがなかったのは2月のみで、とくにスプリングステークスと皐月賞は強いライバルの存在もあって過酷なレースが続いた。

 その疲れが体に残っていないはずがないのだ。

 確かに今日のNHK杯は彼女たちが避けたために、連勝中の大本命オラシオンに対抗する者が不在のレースだった。

 まだ出走を確定させられずダービーへの優先出走権を求めたウマ娘達が()()となってオラシオンの連勝を阻めるか、というのが見所と言われてしまっていたほどだ。

 

(でも、逆に言えば今日のレース、もしもセントホウヤ達が出走していたら危なかったかもしれない)

 

 スプリングステークスであと一歩のところまで追い込んできたセントホウヤ。

 皐月賞では先頭に立ち、オラシオン以外には抜かれなかったアップショット。

 同じく皐月賞では不気味な存在感を出していたロベルトダッシュ。

 もしも彼女たちが出ていたら、不慣れな状態でまごついたオラシオンの隙を見逃さなかっただろう。

 

(苦戦したなら、クロはもっと無理をしていたはず)

 

 体への負担が最小限で済んだという面では、彼女たち全員がそろってNHK杯を回避してくれたのは助かった。

 だが、それはそれで、余裕を持って体調を整えられた彼女たちと中2週というスケジュールで戦わなければならないという不安が出てくる。

 だからこそ──

 

(……もう、いいんじゃないか

 

 自分の心の中に、ほんの少しなものの、そういった気持ちがあるのを意識できた。

 オラシオンはここまで7戦6勝。

 その中でGⅠとGⅡを2勝ずつしている。たとえダービーを取らずとも立派な戦績だ。

 

(もう走らせたくない。もういい。もう充分だ……)

 

 僕は自分の頭の中に奇妙な狼狽と、不吉な予兆がもたげてきているのを感じていた。

 ここまで走り詰めな上に、さらなる無理をするであろうダービー。

 彼女(オラシオン)の体はそれに耐えきれるだろうか? ゴールまで保つだろうか?

 NHK杯を回避しなかったことで、余計に不安が膨らむのだ。

 

(もしかしたら……)

 

 実力が十分に発揮できずに苦戦し、先生やミラクルバードさんの言う“領域(ゾーン)”へと至れなかった場合、それまで出ていた彼女の悪癖である“ヨレ”が出てしまうのではないか。

 もしそこへ、レース中に鎬を削っていたライバルが突っ込んできたら……

 

(ミラクルバード事件の二の舞に、なんてこともありうる)

 

 それよりももっと単純に、ゴールまでの間に彼女の脚が限界を超えて耐えきれなくなったとしたら──脳裏には今まで見てきた様々なウマ娘の姿が()ぎる。

 例えば、ダイユウサクさんの有記念の前週開催だった、スプリングステークスでのケイエスミラクルのような……

 それらのシーンを思い出して、思わず身震いしてしまう。

 

(確かにウマ娘競走(レース)では脚の怪我はつきものと言えるけど……)

 

 それが身近なウマ娘──幼なじみであるクロに襲いかかるのは、とても恐ろしいことだった。

 怪我で苦しむ姿を見たくない。

 もしも、ミラクルバードさんのように体が不自由になってしまったら。

 それらの懸念を考えると、ダービーへの出走が怖くなってきたのだ。

 

(ダービー制覇は、クロの夢だから……)

 

 いや、彼女のものだけではない。

 彼女の養父の夢もかかっている。

 ダービー制覇の栄誉は、トレーナーにとっても大きいものなのも間違いない。

 三冠を期待されたものの走れなくなってしまった旧知のウマ娘(ミラクルバード)の果たせなかった夢も背負っている。

 それだけじゃない。顔も知らぬ大勢のファン達がオラシオンのダービー制覇に、クラシックレースの二冠めに期待をかけているのである。

 そしてそれに続いて秋のもう一つも制し、新たな三冠ウマ娘の誕生を。

 

(それでも、僕は……)

 

 それを承知し、理解していても──競走ウマ娘“オラシオン”ではなく、幼なじみの“クロ”の身を案じてしまうのだった。

 だが、もちろん……ダービーに向かって動く大きな歯車を、ちっぽけな自分のワガママで止められるはずもない。

 

(僕にできることは、彼女自身の体調を最大限に気遣って……あとは無事を祈ることしか、ない)

 

 彼女の気性を考えれば、勝利のために体を顧みないことは明らかだった。

 そんな自身にさえ気にかけてもらえない体を少しでも回復させて、万全に近づけて本番を迎えさせる。

 そうして無事にゴールさせる。

 

 ……それこそ僕に与えられた使命だろう。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 一方、京都はどうなったかといえば──

 

 スタート前の走路でウォーミングアップをしているピアリスに、柵を越えたギャロップダイナが話しかけていた。

 

「どうだピアリス、調子は?」

「うん、いいよー! でも、なんかみんなピリピリしてる感じだけど……」

「ああ、そいつは仕方ねえな。ダービーへの出走を賭けてるヤツもいるし」

「え? そうなの? じゃあこれに勝ったらわたしも、オークスに出られる?」

「そいつはちょっと間に合わねえな。オークスまでは中一週だからなぁ」

 

 そう言って目を輝かせるサンドピアリスに、ギャロップダイナは苦笑するしかなかった。

 ただでさえ、今日開催されるNHK杯とダービーの間隔が短いので、オラシオンを走らせるか迷ったくらいである。ダービーの前の週に開催されるオークスに間に合わないのは明らかだった。

 その証拠に、今回のレースに出走しているメンバーで、トリプルティアラ志望のウマ娘はピアリスの他は一人しかいない。

 

「なぁ、ピアリス……今日のレース、結果は気にしなくていいからな」

「え……? どういうこと?」

「順位を気にせずに、楽しんで走ってこい。このレース場の、芝のコースを目一杯楽しんで……しっかり心に刻んでこい。コースの一切合切を、な」

「へ?」

 

 いつの間にか──ギャロップダイナの目は、優しげな笑みから真剣なものへと変わっていた。

 

「まだ、トリプルティアラへの夢は捨ててないんだよな?」

「うん。もちろん! カグラちゃんやカラーちゃん、モンちゃんと一緒に走りたいもん」

 

 彼女の挙げたシャダイカグラ、ライトカラー、メジロモントレーはいずれもオークスに出走する予定のウマ娘。

 彼女たちの中に入り、一緒にレースを走りたいというのは素直な憧れなのだろう。

 そして、サンドピアリスはもう何をどうしてもオークスには間に合わない。

 だったら……

 

「それなら今日の経験は必ず宝になる。だから何位でもかまわねえ。ただこの舞台をしっかりと心に刻むんだ」

「……? えっと……よく、わからないんだけど……」

 

 困惑して見上げてくるピアリスを、ダイナは彼女の頭に手を乗せて少し乱暴に撫でてやる。

 

「今はわからなくていい。しっかりと隅々まで記憶して来るんだ。あとで今日の競走(こと)を鮮明に思い出せるくらいにな」

「うん。わかった」

 

 笑顔で素直にうなずくサンドピアリス。

 彼女は目にはまったく疑いの目がない。自分に全幅の信頼を置いてくれているから──とは思うのだが、そのあまりの素直さに不安を感じないわけではなかった。

 

(駆け引きをやらせるのはまだ難しいな。だからこそ……今日は走るだけでいいんだ)

 

 そんなダイナの意を汲んだように、サンドピアリスは他のウマ娘の影響を避けるかのように前に位置して走った。

 そうして道中は2番手を維持していたが……最後には他のウマ娘に追いつかれて8着という結果。

 またしても芝では結果が出せなかったわけだが……それでもギャロップダイナは満足げにうなずいていた。

 

 

 ──なぜなら彼女の目的は、達成できていたのだから。

 




◆解説◆

【“その日の“競走(レース)”が終わったら──”】
・今回のタイトル、久しぶりに『馬の祈り』という詩の翻訳から
・原文は、“And when the day’s work is done,(その日の“仕事”が終わったら、)”からで──
  “Provide me with a clean shelter, a clean dry bed(安心できるして休める住処と、)
  And a stall wide enough for me to lie down in comfort;(きれいな乾いたわらの寝床をください)
・──と繋がります。
・ウマ娘の“仕事”と言えば競走なので、そのように変更しています。
・今回の話は、どちらもその後の重要なレースにつながることになる話ですので、このようなタイトルになりました。

1着でゴール板の前を駆け抜けた
・え? あっさり決着つけ過ぎ?
・いやいや、小説『優駿』でもこのNHK杯のレース描写が全くなく、いきなりゴール直後から始まるんです。
・そういうわけで、どういう展開で勝ったのもよくわからない上に、出走メンバーもここまで物語に登場したライバルの姿はなく、掘り下げる必要はないと判断して、本作でも同様にスルーしました。

ケイエスミラクルのような
・ここではケイエスミラクルではなく、別の名前を出そうと思ったんです。
・例に出そうと思ったのは、同じ年にダイユウサクが走った大阪杯に出走して負傷したメルシーアトラの予定だったんですが……
・大阪杯のころは、まだオラシオンと渡海の二人はチームに入る前だったんですよね。
・そんなわけでメルシーアトラの印象は渡海にとって薄いものになってしまっていたはずで、それよりも別チームとはいえGⅠレースでの事故でしたのでケイエスミラクルを採用しています。

他は一人
・サンドピアリスが出走した第35回京都4歳特別は17頭立てでした。
・その中で牝馬だったのはサンドピアリスとサンフラワーマミーのみ。
・そんなサンフラワーマミーは、このレースでは16着と結果を残せませんでしたが、その後の夏レースにも出走し続けて9月終盤の条件戦で勝利。
・その後はローズステークス、エリザベス女王杯に出走しています。


※次回の更新は10月6日の予定です。  



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第61R 違う、そうじゃない!


 ──5月半ば。

 東京レース場では、ついにトリプルティアラで最も注目されるレースと言っても過言ではない、オークスが開催されていた。
 本命視されているのは、前走の桜花賞で見事に一番人気に応えたシャダイカグラ。
 その人気は絶大で、他の追随を許さないほど。

 そんな中、出走前の本バ場でも手を振って歓声に応えていた彼女は、桜花賞と違って綺麗な良いスタートを切っていたのであった。



 

「ふ~ん。カグっち、前回とは全然違うじゃん」

 

 ウチ──ライトカラーは後方から、中段に位置したシャダイカグラを見てた。

 前回の桜花賞、スタートに失敗して後方待機のウチと同じところまで下がってきたのを見たときはさすがに焦ったけど、今日はそんなこと無いみたいだわ。

 

(人気者のプレッシャーっていうの? そういうの、大変だもんね)

 

 ま、ウチはそういうのとは縁遠いから関係ないケド。

 もちろんカグっちは競う相手だし、その彼女が失敗したんだから“競走ウマ娘”って立場なら歓迎すべき展開だったのかもしんないけどさ、でもそれを喜ぶのはなんか違うっていうか……

 けど、そこから立て直して1着になったのは、さすがにガチで驚いたわ。

 普通、あんな失敗やらかしたらレースどころじゃないっしょ。少なくともウチはそーなる。その自信はあるわ~。

 

(そういう強さが、一番人気になれるってことなんでしょうけどね)

 

 そして、その失敗を着実に強さに変えるところも。

 だって今日のカグっちのスタートはガチで大成功だった。もちろん、ウチだってほぼ同時にスタートしたんだから、その瞬間のことはわからないけど、それでもスタート直後に好位置につけてたのは間違いない。

 だから今までの彼女だったら、そのまま前に行ったハズなのに……

 

(先行せずに、中段に位置した)

 

 あのレースで、終盤で追い込むという走り方を覚えて、レースの幅が広がったんだと思う。

 それをこのオークス(大舞台)で使ってくるカグっちの度胸は、ちょっとマネできんわ。

 普通なら一番自信のある、使い慣れた得意の展開で攻めるっしょ?

 

(それがウチにとっての“追込み”だけど)

 

 図らずも、少し前に大本命がいるおかげでマークしやすいのは助かる。

 レース中盤も過ぎて位置を上げていく彼女についていくように、こっちも順位を上げていく。

 

(つーか、ここでついていけなかったら、絶対追いつけるわけ無いじゃん)

 

 桜花賞でのスゴかった末脚はしっかり見てる。

 今、引き離されたらそれを越える脚で追い上げないと追いつけないし勝てないってことでしょ?

 だからどうしても食いついていかないと……

 

(ホント、マジでうらやましいわ、カグっち)

 

 ウチは前にいるウマ娘に嫉妬している。

 一番人気になれるほどの実力……そうなれるだけの才能と、最高クラスのトレーナーとチームっていう、そこに至れた環境がうらやましくて仕方ない。

 ウチだって学園(ここ)に来る前は、自信あった。

 もちろん自分が世代一とは言わないけど、それでもそこに近い位置にいるはずだって。

 でも……学園にはウチくらいのウマ娘はゴロゴロいた。

 それに打ちひしがれて、正直キツかった。

 そんな中で、たまたま縁があって、カグっち──シャダイカグラというウマ娘に出会ったんだ。

 

(最初はあの名家の一族か、って誤解したんだけど……)

 

 ま、それはそんな名前してるカグっちが悪いケド。

 でもそうじゃないって知っても……カグっちは奈瀬トレーナーに見いだされて、着実に強くなっていった。

 それがうらやましかった。

 なんでそれがウチじゃないの? って女神様を恨んだときもあった。

 

(それはカグっち相手だけじゃなかったケドね)

 

 そうして打ちひしがれた……でも、落ちこぼれてはなかったウチ。

 でも“王道”から外れたって意識はあった。それこそそこを堂々と走るカグっちをそばで見ていたんだから。

 

(彼女を見ながら……いつかは、ウチも輝きたいって思ってた)

 

 でも、そんな自分を輝かせてくれる存在がいることも、知ってたんだよ?

 ウチだって、()()レースを見ていたし、思わず「え? ガチ?」って声が出るほどに唖然としたんだから。

 どうせ、大本命のマック先輩が勝つんでしょ? って思ってたあのレースを勝ったのは、ほぼ無名のノーマークなウマ娘──ダイユウサク。

 そしてその翌年の天皇賞……レース展開から“マグレ”って言ってる人も多いケド、それでも勝ったのは──レッツゴーターキン。

 その二人が同じチーム所属だって聞いて、そのチームならウチも輝けるって思ったのに……

 

(あのオラシオンと、もう一人がすでに所属してるって聞いたから、諦めるしかなかった)

 

 “吃驚(ビックリ)”の〈アクルックス〉は大きなチームじゃないから、それで定員(キャパシティ)オーバーだと思った。

 たとえチームに入れても、トレーナーからしっかり見てもらえないのなら意味がないと思ったし、それで諦めた。

 

 

 …………ハズだったのに。

 

 

(まさか、あきらかに落ちこぼれてたピーちゃんに声がかかるなんて)

 

 彼女──サンドピアリスのチームが決まって、そのトレーナーの名前を聞いたときには、「ガチ?」と思わず聞いたわ。ウチが入りたいけど諦めたチームだったんだから。

 もしもあの〈アクルックス〉に入れたのなら、《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》の指導を受けられたのなら、ウチにだってきっと機会(チャンス)はある……そう思った時期もあった。

 まさか、ピーちゃんまでをも羨むことになるなんて思いもしなかったケド。

 

(でも、おかげで吹っ切れた)

 

 ウチは思ったんだ。絶対に見返してやるって。

 カグっちの才能を認めた奈瀬トレーナーも、ピーちゃんを選んだ乾井トレーナーも、みんなみんな後悔させてやるって決意したんだ。

 

「チームやトレーナーは確かに重要かもしれないけど、でもそこに入らなければ奇跡を起こせないワケじゃない」

 

 走るのはウチ自身なんだから。

 コーチが走るわけでもないし、チームメンバーが集まってバトンをつなぐリレーでもない。

 ウチ自身が速ければ、それでいい。そんな単純な話ってワケ。

 

(それに──)

 

 見えている背中を追いかけて──足にグッと力を込める。

 大本命の彼女に追いつき、そして追い抜くために。

 

「それになにより……そんなこと、どうでもいいッ!!」

 

 あの二人といたら、最初は“酸っぱいブドウ”みたいな気持ちで思ってたチームやトレーナーの件は、頭の中からすっかり消えてた。

 

(ウチは、カグっちと走り、そして競える存在になりたい!)

 

 彼女に勝ちたい。

 でもそれは、彼女が一番人気だからじゃない。

 彼女が奈瀬トレーナー(“王子様”)の指導を受けているからでもない。

 

(ウチの目標だから。そうなりたいと憧れる存在だから。そしてなによりも……一緒に走りたい、ズッ友だから!!)

 

 だからこそ……全力でぶつかりたい。

 今回を逃せばそれがいつになるか分からないし、クラシックの今だからこそ、他を気にすることなく彼女に全精力を注いで──

 

「そして……勝つんだッ!!」

 

 第4コーナーを回り、最後の直線。

 彼女の横へと進路を取ったウチに──カグっちが気づいてチラッと視線を向けてきた。

 

「カラー!! 来たわねッ!!」

 

 さらに加速するカグっち。

 キツい。厳しい。体が悲鳴をあげそうになってる。

 でも……負けたくない。負けるわけにはいかない。

 だって──これからも彼女の横に立ち続けたいから。

 彼女と対等だと、胸を張って遠慮なくいられる自分でいたいから。

 だからウチは──

 

「負けたく、なぁぁぁぁぁいッ!!」

 

 先頭を走っていたウマ娘をウチとカグっちは追い抜き、そして並ぶようにゴールへと向かう──

 

 

『ライトカラー! シャダイカグラ! どちらか!!

 わずかに外か? わずかに外ライトカラーか!』

 

 

 ──あっという間にゴール板の前を、駆け抜けてた。

 

 

 そしてウチは……桜花賞ウマ娘である彼女と、対等でいられる立場になっていた。

 オークスウマ娘という、そんな肩書きを手に入れたんだから。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……あ~、やっぱ勝負に熱くなると、それ引きずるの間違いないわ」

 

 わたしにそう言ってきたのは、同じチーム所属のロンちゃん……ロンマンガンちゃんだった。

 彼女は、わたし──サンドピアリスが別のレースに出るために直接見られなかった皐月賞のとき、オラシオンちゃんがレース直後に一緒に走ってたウマ娘に絡まれてたって話をしてくれたんだけど……

 ロンちゃん自身も、前にレースで勝ったときに、負けたウマ娘に絡まれたことがあるんだって。

 

「あのときのセンコーラリアットは言いがかりみたいなもんだけど……アイツ自身、皐月賞への出走がかかってたから、今にしてみればキレる気持ちもわからなくはない、かな?」

 

 ダービー出走の結果待ちになってるロンちゃんは、思い出しながらそう言って「うん……」と深くうなずきました。

 

「でも、ラリアットと違って、アップショットも普段は競走ウマ娘にしては珍しく、他に気配りできる良いヤツなんだけど……アイツがあそこまで取り乱すなんて、さすがにアレやられたのは堪えたみたいだね」

「アレ?」

「そ。最後の直線での大逆転劇、よ」

 

 ロンちゃんが言うには、アップショットさんは“逃げ”た上で完全にレースをコントロールして最後の直線に入り、後続との距離を考えると九分九厘、勝利を確信していたはず、だそうな。

 

「まさかあの坂を、あの勢いで上ってくるヤツがいるなんて誰も思わんでしょ」

 

 半ば呆れたような顔で──わたしが見ている映像を見ながら言うロンちゃん。

 なお、わたしがチーム部屋で直接見られなかったシオンちゃんの皐月賞の映像を見ていたら、当日に現地で見ていたロンちゃんが解説してくれて、それで今の話になったってわけです。

 言われて、改めてみて見ると……確かに坂道なのがまったく感じられない勢いでシオンちゃんは走っています。

 それで、並ぶ間もなくあっという間にアップショットさんを抜かして──そのままゴール。

 

「アレは事故みたいなもの……と言いたいけど、事故なら事故で、相手に文句言いたくなるのも仕方ないわな」

「はぁ……」

 

 よく分からない例えでしたが、確かに車に()かれたら相手を怒るだろうってことはわかるかも。

 

「ましてそれが一生に一度の晴舞台、クラシックレースの皐月賞を制しようとしていたのに、頭をひょいと軽々と飛び越えられたようなもんだから。“オラシオン半端ないって! あんな末脚ある? 言っといてよ、持ってるなら……”と嘆きたくもなるわ」

 

 人を救うはずの修道服姿で、絶望にたたき落とすんだから罪が深い──とはロンちゃんの言葉。

 でも、わたしは──この時は、シオンちゃんがすごい勝ち方をしたのは映像でも分かったけど、アップショットさんというウマ娘のことはよく知らないのもあって「ふ~ん、そうなんだ……」くらいにしか思ってなかった。

 

 

 ……だからわたしはまさかその次の月に、しかもすぐ身近で、そんな劇的な勝敗がつくことがあるなんて、思いもしなかったのです。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……で、ピアリス。なんでさっきからあなたはビクビクした様子で私のこと見てるのよ?」

 

 その当事者になったシャダイカグラちゃんが不機嫌そうにわたしを見たので、「やっぱり……」と思ったのです。

 

「それは、えっと、その……」

 

 でもそれをハッキリ言うわけにも行かないわけで。

 だって、近くにはライトカラーちゃんがいるんだから。

 思わずわたしは、カグラちゃんとカラーちゃんの間で、視線を往復させてしまいました。

 

「ひょっとしてアナタ……私とカラーがギクシャクしてると思ってる?」

「う、うん。だってカグラちゃん、オークスで……」

「負けたわよ。カラーに」

 

 カグラちゃんはキッパリとそう言って、近くで話を聞いてたカラーちゃんにジト目を向ける。

 それを受けたカラーちゃんは笑顔で、軽く手を振ってそれに応えた。

 

「でも、それが何?」

「え……? だって、カグラちゃん……悔しくないの?」

「悔しいわよ、もちろん! まだ二つ目とはいえトリプルティアラ制覇がかかってて、そこにあと少しで手が届きそうだったんだから」

「じゃあやっぱり、カラーちゃんのことが憎くなって──」

「だから、なんでそんな考えになるのよ?」

 

 カグラちゃんは不思議そうに首を傾げました。

 

「私の悔しいって思いは、オークスを勝てなかった自分に対するものよ? レースであれをこうしておけばよかった、こうすればよかった、そういう反省と共に生まれる悔しさだわ」

「勝ったカラーちゃんを、嫌いに思ったりしないの?」

「当たり前よ。()()()()()()()()()()()んだから。それをカラーにぶつけるのはお門違いだわ」

「そう、なの……?」

「たとえばそうね……カラーがズルして勝ったのなら話は別よ? 反則になればもちろん降着になるからそんなことはないけど、それでもスレスレの手を使ってきたのなら、カラーを怒るのは当然だわ。でも……そんなことしてないでしょ?」

「うん。してなかった」

 

 カラーちゃんは苦笑を浮かべながら「してないよ~」と手を横に振る。

 もちろんカグラちゃんはそれを疑ってないし、わたしだってそう。

 

「だから私はカラーを妬んだりはしないわ。それは彼女の勝利を汚すものになるし、ひいてはあのレース(オークス)そのものに対する侮辱にもなるんだから」

 

 それからカグラちゃんは。わたしの顔をのぞき込むようにして見た。

 

「ラグビーに、ノーサイドって言葉があるじゃない? 私もその精神は好きだから見習わないとと思ってね。だから体をぶつけ合うほどに激しく競ったレースだったとしても、ゴール板を過ぎれば恨みっこなし、よ」

「……でもさぁカグっち」

 

 良い笑顔で言ったカグラちゃんだったけど……それに対してカラーちゃんはからかうように意地の悪い笑みを浮かべてる。

 

「それって、ウチが勝ったからって部分もあるよね?」

「そんなことないわよ。相手が誰でも──」

「じゃあ、ウチじゃなくて名門出身者だったら? たとえばシャダイの……」

 

 カラーちゃんの言葉で、カグラちゃんは思わず顔をしかめちゃった。

 それに自分でも気づいて……コホンとわざとらしく咳払いをする。

 

「た、確かに相手によってはホントに(ハラワタ)煮えくり返ることもあるかもしれないわね。でも……それでも、後に残さないわ。だって、みっともないじゃない?」

 

 気を取り直して勝ち気な笑みを浮かべるカグラちゃん。

 

「良いレースで負けたなら、良いレースができたことを誇るべきだし、惨敗したならそんなことをしている暇なんてないんだから」

「ま、そーね」

 

 それにカラーちゃんもうなずく。

 そして「勝ったって、次負けるわけにはいかないから、暇はないけどね」と苦笑する。

 

「でもピアリス、なんでそんなことを思ったの? 前のレースで負けたとき、そんなに悔しかったの?」

「ううん、違うけど……」

 

 少し心配そうに訊いてきたカグラちゃんにわたしは首を横に振った。

 そして素直に、ロンマンガンちゃんから聞いた、アップショットさんがシオンちゃんに絡んでいた話をした。

 すると……

 

「「あぁ、アレね……」」

 

 二人は異口同音にそう言って、気まずそうに顔を見合わせてる。

 

「あのねピーちゃん。アレ、仕方ないわ。ウチだってあんな負け方したらグチりたくなるし」

「え? でもシオンちゃん……オラシオン、なにも悪いことしてないよ?」

「確かにそうね。でもねピアリス、アップショットは悔しさの持って行き場が無かったんだと思うわ」

「ん~と……どういうこと?」

「あのレースはアップショットにとっては会心のレースだったはずよ」

 

 初めて見せる“逃げ”という奇襲。

 それに戸惑いながらも、大本命へのマークのせいで追いかけられない他のウマ娘達。

 厳しいマークで囲まれて、動けない大本命(オラシオン)

 ()れて動き出すも届かないウマ娘達。

 策が完全にハマって、非の打ち所がない展開だった……とカグラちゃんは説明してくれた。

 でも──

 

「それでも、負けた。力の差をまざまざと見せつけられて」

 

 カグラちゃんは沈痛そうに顔をしかめて説明する。

 

「ギリギリの接戦でわずかに届かなかった、とかそういうものですらなかった。最後の直線に入るまでに充分な(セイフティ)リードを付けていたはずなのに、終わってみれば4バ身半ものリードを付けられていたのよ?」

「うん。シオンちゃん、すごかった……」

 

 わたしが素直な感想を言うと、カグラちゃんは苦笑を浮かべた。

 

「そうね。でも、他のウマ娘にしてみたら、どうしたら勝てたとかそういう話じゃないわ。小手先ではとてもどうにかなるものじゃないわよ。最高のレースをしたにも関わらず、それさえ通じずに叩き潰されたんだもの……完全にお手上げだわ」

 

 やれやれ、と肩をすくめるカグラちゃん。

 それにカラーちゃんもも「うんうん」と大きく頷いて同意してる。

 

「ウチも、アレを見たらさすがにトリプルティアラ路線でよかったと思ったわ」

「……それについては同感ね。もはや気の毒なレベル。あの“絶対王者(ラスボス)”を倒さないと、一つも取れないんでしょうから」

「ま、ウチは一つ()ったけど♪」

 

 ニンマリと笑みを浮かべてカグラちゃんを見るカラーちゃん。

 その視線に、じっと耐えながらこめかみをヒクつかせるカグラちゃん……やっぱり悔しいんだね。

 

「……感謝しなさいよ、カラー。私がオラシオンくらい強かったら、オークスも取ってたんだからね」

「えっと……それって、感謝するところ?」

「もちろんよ。まぁ、そして残る一つ……エリザベス女王杯は絶対に渡さないけどね」

「あら、それはウチのセリフっしょ。エリ女も2400だし、1600の桜花賞とは違うけど大丈夫?」

「言ってくれるわね、カラー!」

 

 からかうカラーちゃんに、笑顔を浮かべながら追いかけようとするカグラちゃん。

 そうやって一歩踏み出したとことで──

 

「……え?」

 

 不意に、カグラちゃんがガクンとつんのめった。

 どうにか転倒はしなかったけど……わたしは慌ててカグラちゃんに駆け寄る。カラーちゃんも不思議そうに近寄ってきた。

 

「カグラちゃん、大丈夫? どうしたの?」

「だ、大丈夫よ。ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったかしらね。レース直後だったのに……」

「今まで桜花賞にオークスと、トリプルティアラ目指して走り詰めだったし。そりゃ足に疲れもくるでしょ」

 

 秋に向けて夏はゆっくり休まいないとね、とカラーちゃんは苦笑を浮かべてる。

 それにカグラちゃんも「そうね」と同意したけど……なんか、不安だなぁ。

 でも、カグラちゃんはわたしが心配そうに見ているのに気がついたみたいで──

 

「大丈夫よ。エリザベス女王杯にはあなたも走るんでしょう? ピアリス……」

「う、うん……できれば、走りたい……な」

「なら、あなたは夏の間一生懸命努力しなさい。私と、カラーと、あなたの三人で走れるように……」

 

 カグラちゃんが笑顔でそう言って、カラーちゃんも頷いて──

 

「……そんなに甘い世界じゃありませんことよ」

 

 後ろでジト目を向けつつ水を差したモンちゃん──メジロモントレーちゃんに、カグラちゃんが怒って振り向き……

 

 ──わたしは、決意した。

 

 絶対に、エリザベス女王杯に出るんだ。

 そしてカグラちゃん、カラーちゃんと(モンちゃんもいるけど……)一緒に走って、それで──競うんだ。

 トリプルティアラの最後の一つを賭けて。

 

 

 ──この二人なら一緒に楽しく走れて、たとえわたしがどんな順位になっても、きっと誉めてくれるに違いないから。

 




◆解説◆

【違う、そうじゃない!】
・♪違う 違う そうじゃ そうじゃな~い~ 君を逃がせない~♪
・そんなわけでは、今回のタイトルは“アニソン界の大型新人”こと鈴木雅之さんの楽曲タイトルから。
・ピアリス回なので「~ない!」というタイトルのルールに従ってこうなりました。

オークス
・今回のオークスのモデルになっているのは、1989年開催の第50回のもの。
・1989年5月21日に開催。
・天候は曇で、馬場状態は稍重でした。
・そして出走数は驚きの24。多すぎ。
・その中にはシャダイカグラ、ライトカラー、メジロモントレーの他、桜花賞の時に出てきたアイドルマリーも出ています。
・また、翌々年にはダイユウサクやダイイチルビーとスワンステークス、マイルチャンピオンシップで競ったエイシンウイザードの名前もあります。


※次回の更新は10月12日の予定です。  



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第62R 前夜


 ──ダービーが間近に迫り、その前のセレモニーが行われていた。

 そして会場となったその場所に……ロンマンガンの姿があった。
 そう、彼女はダービーへの切符を手に入れたのである。



 

「誰もあっしを見てないのは百も承知ですけど……でも、それこそ本来の〈アクルックス(ウチのチーム)〉らしい姿なもんで。もう一人の方は例外ですからね?」

 

 あっしの言葉に、会場から笑い声が聞こえる。

 すると意地の悪い笑みを浮かべた、眼鏡をかけた記者が手を挙げた。

 

「でも、そのオラシオンが皐月賞とNHK杯で2勝したおかげで、優先出走枠が減って出走できた……なんて話もありますが?」

「あ~、そういう見方もできるかもしれませんね。シオンに足向けて寝られませんわ。せっかく出るんだから顔向けできないようなレースにならないよう、頑張りまーす」

「ということは、オラシオンに勝つ気がないってことですか?」

 

 煽ってくるなぁ、この記者。

 心の奥でちょっとため息をつく。そう言えば、ダイユウ姐さんもあの記者には結構やりこめられたみたいなこと言ってたっけ?

 注意しときなさいよ、って言われた気がする。

 

「あのねぇ、記者さん。そういうことを言って、あまり目立たせないでくれません? 目立ってないとことで勝つから、みんな“ビックリ”するんですからね。ウチの先輩方みたいに……」

 

 ダイユウパイセンのことを思い浮かべたおかげで考えついた話を振ってみると、意外と会場のウケはよかった。

 

「先輩方を見習って、下克上を目指したいと思いま~す! これでいいですか?」

 

 あっしが半ばヤケッパチになりながら、サバサバと言うと──その記者はニヤッと笑ってシオンの方を見た。

 

「なんて言われてますけど、どない思います? オラシオン」

 

 うわ、意地悪いわ。

 それに対し──名前を呼ばれたオラシオンは一歩進み出て、微笑を浮かべて答える。

 

「光栄だと思います」

「え……? 光栄、ですか?」

 

 あの記者、自分でシオンに話を振っておきながら、その答えに戸惑ってきょとんとしてるわ。

 一方、シオンはそんな様子を気にすることなく、さらに答えてるけど。

 

「ええ。チーム〈アクルックス〉の先輩が破ってきた方たちは、どなたも凄い方ばかりです。若輩者である私をそんな皆さんと同列の扱いをしていただいている、というわけですから」

「なるほど。それで光栄、ってワケですか?」

「はい」

 

 笑顔で答えたシオンは、「でも……」と続ける。

 

「幸運でもある、と思っております」

「……そのココロは?」

「私のトレーナーは、その先輩方に“驚きの勝利”をもたらしてきた《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》乾井 備丈ですから」

「対策も万全、というわけですか」

 

 記者の問いには答えず、笑顔のみを浮かべるシオン。

 すると記者は──

 

「なんて言われてますけど、どない思います? ロンマンガン」

「──は?」

 

 話振られると思ってなかったから、思わず変な声出たわ。

 あ~、もう。他にたくさんウマ娘いるんだから、そっちに振って欲しいわ。

 気を取り直して頭を回転させて……

 

「ま、やりにくいのは確かッスね。自牌(手の内)を見られてるようなものですし。ホントやりづらいわ……と言っても、そんな不利な中でも勝ちは諦めませんけど」

 

 肩をすくめつつ、視線を周囲に巡らせ──

 

「他の強そうな皆さんも大勢いるわけですし。シオンだけ見てるわけにはいきませんから」

 

 そう言って、隣にいたロベルトダッシュに「ねぇ? そうでしょ?」と話を振ってやる。

 こっちとしてはもうこれ以上、答えたくないんだわ。それにあっしみたいな弱小マイナーウマ娘の話なんて誰も聞きたくないでしょ。

 あとは話が上手そうなのに任せとけば間違いないし。

 

「なんでこっちに振るんや……」

 

 案の定、小声で文句を言ってきたけど、涼しい顔で笑顔を浮かべてあげたら、仕方ないと不満そうにしながらも話を継いでくれた。

 あとは任せてオラシオンをチラッと見た。

 相変わらず場慣れした様子で、澄ました顔のままインタビューの流れを見てる。

 

(そういうところは、さすが元社長令嬢だわ)

 

 もちろんGⅠレースがもう3度目で、慣れているというのもあるんでしょうけど。でもシオンの話だともっと前から似たような場の経験があったみたいだし。

 やっぱりあっしなんかとは持っているものが違う──からこそ、下克上ってのをやってみたくなるわけよ。

 そして、そんなオラシオンをジッと見つめる影がいるのに気がつく。

 彼女はあっしやオラシオンと同じ列に入ってる──つまりは出走メンバーの一人。

 

(アップショット……意外と執念深いヤツだったのね、アンタ)

 

 ちょっと呆れながら、彼女を見てしまう。

 ピアリスには話したけど、彼女が皐月賞のゴール後にオラシオンに絡んでいた……というのは、実は他のウマ娘から聞いた話。

 あっしも中山レース場にはいたけど、スタンドからは遠目だったから何か話してるのは分かったけど、詳しくはわからなかった。

 ……で、あのレースに出てたヤツが話しきたのを聞いたんだわ。

 

(気持ちは分からないでもないけど、アレをやっちゃったらお仕舞いだわ……ま、彼女自身、本当は後悔してるんだろうけど)

 

 アップショットも本当は根がいいウマ娘だってのは知ってるし。

 思わず言っちゃって、引っ込みつかなくなってるのもあるんだろうけど……でも、負けたくないと言う気持ちに嘘偽りはないでしょうし。

 とにかくこのレース(ダービー)が終わるまでは、今の態度を変えられないでしょうね。

 

(まったく、難儀なヤツ……)

 

 彼女を横目に見ながら、小さくため息をついた。

 そして……気がつけば、インタビューはとっくに終わっていた。

 

 ──ちょっとロベルトダッシュの視線が痛かったけど。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ダービーに特別な思いを抱かない関係者はいないだろう。

 トレーナーであれば、いつかは担当しているウマ娘にダービーを制覇させたいと思うもの。

 師匠もそう言っていたし、東条先輩はそれを有言実行した。

 

 ──だがオレは縁がないだろうと思っていた。

 

 もちろん最初から諦めていたわけじゃない。

 むしろ最初につまづいたから諦めてしまった、という心理的なものが大きい。

 ……オレは今のチームよりも前に、クラシックレースである皐月賞のトライアルの重賞に未出走のウマ娘を走らせるということをしてしまった。

 

(あの時は、担当のウマ娘をどうやってレースで走らせて現実を見せることしか頭になかった……)

 

 奮起を促そうとしたのだが、結果は逆効果。あまりの結果に彼女は競走の道を諦めた。

 そしてオレはといえば、視野が狭くなっていたのに気づいていなかった。

 クラシックレースを侮辱するような行為だったことに思い至り、激しく後悔して──あまりにも申し訳が立たず、クラシックレースに関わることはできないとさえ考えた。

 

(そして幸いというべきかどうか分からんが……)

 

 その後、今のチームを結成したときの唯一のウマ娘は、ダービーやらオークスに出走できるころにはデビューのめどさえ立っていないような有様で、デビューできたのは菊花賞の前の週。おかげでクラシックレースにはかすりさえもしない。

 そんな彼女を担当したのもあって、オレはダービーどころかクラシックレースにさえ縁がないと思っていたし、先の事情からそのことにホッとしていたのも間違いない。

 それ以外の〈アクルックス〉所属のウマ娘たちも無縁だった。レッツゴーターキンは菊花賞に出ていたがそれはオレが担当する前の話だった。競走からその支援に回ったミラクルバードもクラシック三冠に挑んでこそいるが、初戦で躓いてそれ以後の機会を永久に失っている。

 

(だが、オラシオンは……)

 

 彼女を担当し、その実力を知る内にオレは覚悟を決めなければならなかった。

 間違いなく、一流ウマ娘になれる器だと思えたからだ。

 オレが今まで担当してきたような晩成型の遅咲きウマ娘たちと違い、クラシックレースに挑戦することになる──そう思うと過去の過ちが頭をもたげてくる。

 

(オレの都合で、彼女の道を閉ざすわけにはいかない!)

 

 どんな批判も受ける覚悟で、クラシックレースを目指すことを決めた。

 幸いなことに──オラシオンの高い実力は万人が認めるところとなり、オレを批判する声はほぼ無かった。

 こうしていよいよ、クラシックレースの山場であるダービーを迎えることになった。

 

(オラシオンだけでなく、もう一人……ロンマンガンが出走するまでに成績を積み重ねることができたのはうれしい誤算だったが)

 

 だが──同時に困惑もしていた。

 今では複数のメンバーを抱えるようになった〈アクルックス(我がチーム)〉だが、同じレースにチームメンバーが2人以上走るのは初めてのことだったからだ。

 

「まさかそれが、ダービーになるなんてな……」

 

 満員になった東京レース場の観客席の最前列。

 チーム関係者が優先的に場所をとれるそこでオレは、ポツリとため息をつくと……

 

「そんなチーム、なかなか無いわよ」

 

 横からそんな声がかかった。

 そちらへ視線を向けると──

 

「巽見……」

「今日は……いえ、今日こそ負けないわよ」

 

 勝ち気に不敵な笑みを浮かべる彼女──巽見 涼子はダービーに出走するロベルトダッシュのトレーナー。

 三冠の1戦目である皐月賞ですでに対決しており、ロベルトダッシュは5着だった。

 

「クラシックGⅠ制覇トレーナーって意味では、そっちの方が大先輩だからな。お手柔らかに頼む」

 

 彼女が担当したウマ娘で、クラシック三冠でこそないが、トリプルティアラの一冠であるオークスを制した者がいる。

 ただし、それは数年前。

 しかしその後の実績が無いのは、単にあるチームのサブトレーナーである彼女がそのウマ娘以降に担当を持たなかっただけだ──とオレは思っている。

 もしも担当したウマ娘がいれば、きっと立派な成績を残していたはずだ、とも。

 

「……お手柔らかにやって勝てる相手なら考えなくもないけど、どう見ても違うじゃないの」

 

 呆れた顔──少し怒気さえも含んでオレをジトッと睨んでくる巽見。

 

「それどころか、出る必要のないGⅡに出て推薦枠削って、チームメイト(お仲間)の援護射撃するほど余裕なようで……」

「そんなわけないし……お前だってそうは思ってないだろ?」

 

 ロンマンガンが出走権を得たことで、世間ではそんなことをまことしやかに言われている。

 だが実際のところは、ロンマンガンは過去にも多くの勝者がダービーへと駒を進めている若草ステークスで結果を残している。その実績を見ればギリギリだったとは思えない。

 それに巽見のことだから、オラシオンがどうしてNHK杯に出たのかという理由に気づいているはずだった。

 

「さぁ? そうかもしれないわよ? でも……少なくともあのトレーナーはそう思ってるみたいだけど」

 

 一度は苦笑を浮かべたものの、一瞬だけ鋭い目になって彼女がチラッと見たのは──〈ポルックス〉のトレーナーだった。

 オレ──というよりは担当のダイユウサク──とは因縁のチームである〈ポルックス〉だが、今回のダービーには所属しているセントホウヤが出走している。

 そのために、この辺りにいるわけだが──こちらをチラチラと様子をうかがっていた。

 そしてオレの視線に気づくと意味ありげにニヤリと笑っていたが……大方、オラシオンが中二週なのに対して、セントホウヤは皐月賞から充分に休養を取れたので、もう勝ったつもりなのだろう。

 そんな早計に、オレはもちろん巽見さえも呆れている様子だった。

 

(オラシオンを気にする暇があったら、自分のセントホウヤをもっとよく見たらどうだ?)

 

 オレは心の底からそう言いたい。

 セントホウヤは間違いなく才能あふれる良いウマ娘だ。だが調整と出走計画の無さが酷すぎて台無しにしている。

 ジュニア期の早期にデビューするのは良いが、秋までに使いすぎてジュニアのGⅠにさえ出てこられなかった。

 皐月賞トライアルのスプリングステークスにはぶっつけ本番で挑み、そこで無敗を破られたオラシオンを過剰に意識して、皐月賞では過剰なトレーニングでさらに調子を落としている。

 

(別のトレーナー……それこそ巽見みたいなのが育てていたら怖い存在だった)

 

 アイツはきちんとウマ娘に向かい合うし、ウマ娘が気負って過剰鍛錬(オーバーワーク)になりそうでもしっかり止められる。

 

(今、担当しているのロベルトダッシュは、見ている限りそういうのが自制できるタイプだから、その必要はなさそうだけどな)

 

 そういう意味では巽見に手間をかけさせないウマ娘なのだろう、ロベルトダッシュは。

 

「噂の出所、アイツかもしれないな」

「そうね。貴方のこと、恨んでいるでしょうしね」

「……オレを? なんで?」

「姉弟子を地方に左遷(トバ)したのはどこの誰よ? 先輩とダイユウサクでしょ?」

「どちらかといえばあの人のことは目の上のタンコブだったんじゃないのか? ライバルチームだったんだし、とうてい仲良さそうには思えなかったぞ?」

「でも、そのおかげで引退した先代が戻ってきて好き勝手できなくなってたみたいだから、やっぱり恨んでいるんじゃないの?」

「う~ん……」

 

 巽見の言葉にオレが腕を組んで悩む。

 すると──オレと巽見の両脇で「「コホン!」」と咳払いが起きた。

 見ればオレのことをダイユウサクが、巽見のことをコスモドリームがジト目で睨んでいる。

 

「アンタ達、なに親しげに話してんのよ……」

「涼子さん! 乾井トレーナーと仲がいいのは良いけど、今日は敵なんだよ!」

「仲がよくて良いワケ無いでしょ! ()チームなんだから!」

 

 そんな“敵”認定にコスモドリームがちょっと悲しそうな顔をして、ダイユウサクがそれに慌てて……そうこうしている間に、走路には出走するメンバーが姿を現し始めていた。

 

「「……………………」」」

 

 オレは何気なく、巽見を見る。

 彼女もオレを何気なく見たので目が合い……そしてどちらからともなく、距離を取った。

 

 ──同じ場所でこのレースを見るわけにはいかない。

 

 そのケジメだけはつけなければいけなかった。

 少なくとも、このレースが終わるまでは、アイツとオレは同じ場所にいるわけにはいかない。

 オレはオラシオンとロンマンガンのトレーナーであり、アイツはロベルトダッシュのトレーナーなのだから。

 




◆解説◆

【前夜】
・今回のタイトル、ロンマンガン回扱いで、麻雀アニメの『咲-Saki-』の8話タイトルから。
・……ちょうどいいタイトルがあってよかった。

眼鏡をかけた記者
・第一章からちょくちょく出ている、『シンデレラグレイ』の記者、藤井 泉介。
・というか、ウマ娘で出てくる新聞記者って藤井記者か乙名史記者くらいしかいませんし。


※次回の更新は10月18日の予定です。  



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第63R ──長い流れ(1)


 ──ダービー当日。

 ごった返す観客席(スタンド)の中で、私は約束していた人とようやく顔を会わせることができた。
 歓喜に思わず耳を動かしながら、私は老齢に達しているその男性に頭を下げる。

「お久しぶりです。御無沙汰しております、和具社長」
「ああ。久しぶりやな、ファーストワグ

 初めてお会いしたときよりもお年を召してたけど、その笑みから感じられる活力は衰えたようには思えません。
 それを証明するように、その人は悪戯っぽく笑みを浮かべて私に言いました。

「元気そうでなによりだ。だが、一つ間違えとるぞ」
「え?」
「肩書き。もう社長と違う。()社長や」
「あ……」

 私としたことが、なんというミスを。相手は大恩ある方だというのに……
 和具さんは呵々大笑して冗談めかしてくださったけれども、大変に失礼なことをしてしまった。
 この方が心血注いで築き上げた会社だったというのに、今では名前を変えて他の会社の資本の下で経営されている。社長という地位を剥奪されたのは忸怩たる思いがあったでしょうに。

「し、失礼しました……」
「気にするな、気にするな。お前と俺の仲やないか。それにそんなに恐縮されたら指摘したこっちが困る。冗談言ったつもりだったのに俺がイヤミな爺さんみたいになってしまうわ」

 そう言ってなおも笑ってくださる和具さん。
 この目の前の人がまだ社長であり、そして好景気で会社も活況だったころに私のいた孤児院を社会貢献の一環として支援してくださったのが縁だった。
 私の身体能力が優秀だったのを目にかけてくださり、中央トレセン学園への入学を支援していただいた。

(学園では、きわめて優秀な成績を収めたとは言えなかったけど……)

 46戦6勝。それを含めて33戦で掲示板(5着以内)に入ったけど重賞制覇とは無縁だった。
 和具さんにそれを見せたかったんだけど、その夢は後輩達に託している。
 その最たる例こそ、今日、私と和具さんが東京レース場(ここ)にいる理由だった。

「忙しいところ、スマンな」
「いいえ、和具さんにとっては“娘”でしょうが、私にとっても大事な“妹”ですからね、彼女は」

 そう言って私は微笑み、和具さんを見つめた。
 より詳しく言えば──その手にしているものを、じっと見た。

「……ですから、そんな撒き餌を持ってこなくても、ちゃんと来ますよ」
「相変わらず目聡いヤツやな、お前は。とはいえ、何を持って行ったら喜ぶか考えなくていいのは助かるけどな」

 私の視線を感じながら、和具さんは自身が持つ小さな箱を苦笑混じりに掲げた。
 その中には間違いなくシュークリームが入っている、と私は確信している。
 私の大好物を知っているこの人は、現役時代の激励や引退してからこうして会うときは必ず持ってきてくださるのだから。
 受け取った箱の中に、想定通りのものが入っているのを確認すると、私は迷わずそれを口に運んだ。

「ここで食うのか?」
「ええ。この人混みで潰されてしまってはかないませんし、それに持っていても邪魔になってしまうでしょ?」

 半ば呆れたように和具さんが言うのに答えながら、私が箱の中にあったシュークリームを次々と頬張っていく。
 そうして呆然と見られていた私が食べ終えると、和具さんは苦笑を浮かべていた。

「それにしても……」

 気を取り直して周囲へと視線を向ける。
 トゥインクルシリーズファンからは“お祭り”とさえ呼ばれるダービーというイベントに際し、東京レース場の観客席はごった返していた。
 そしてその人混みであふれる周囲を見渡せば──そのほとんどの人が彼女の名前を目にし、耳にし、話題にしている。

「まったく……一目見たときから、タダモノではないとは思うとったが、まさかこんなえらいことになるとはなァ」
「ええ。デビュー戦で負けたときはどうなることかと思いましたけど……」

 その名前こそ、私の“妹”にして、和具さんの“娘”であるオラシオン。
 ジュニアのGⅠを制し、クラシックレースでも皐月賞を1番人気で制し、さらには今日と同じレース場での開催であるNHK杯さえも制した彼女は不安材料もなく、ダントツの一番人気になっていた。

「いや、あそこで負けを経験させたからこそ今の強さがあるんや。負けを知らずに進んで無敗を気にしすぎたり、逆に他を(あなど)って油断するようなことも無い」
「そういう面では運が良かったのか、悪かったのか……」

 確かに負けてもタダでは負けなかったという点では運が良かったのかもしれない。
 でもやはり、競走ウマ娘にとって“無敗”はステータスになる。
 こうしてオラシオンがクラシックレースで活躍すると、やはり“皇帝(シンボリルドルフ)”の『無敗の三冠ウマ娘』という看板が燦然と輝いているのだから。

「運は、良かったやろ。なにしろ()()〈アクルックス〉やぞ?」

 和具さんは冗談めかすように、そしてさも楽しげにそのチーム名を出した。
 その気持ちは、分からないでもない。
 名門出身でもなく、エリート街道からも外れた道を進んだ私にとっても、名門メジロ家のエースをグランプリの舞台で倒した下克上は、驚きとともに痛快でもあったんだから。
 私達のようなウマ娘を支援してくださっている和具さんも同じだったのだろう。

「セントホウヤみたいにならなかったのは、幸いだったと思います」
「一歩間違えれば、そうなっていたかもしれんけどな」
「……そう、ですね」

 私の言葉に、和具さんは深刻そうな顔でため息をついた。
 それにつられそうになる私。
 セントホウヤはジュニア期から無敗だったものの、スプリングステークスでオラシオンと直接対決して負けて以降、すっかりなりを潜めてしまっている。
 本来の実力であればオラシオンを脅かす存在になりそうだったのに、今日もその人気はそこまで高くはなかった。
 そしてそんなセントホウヤが所属したチームこそ、私が現役時代に所属したチーム〈ポルックス〉だった。
 和具さんがその担当トレーナーと懇意にしていたこともあって所属したし、私の後輩もまたそのチームに入った。

「先代のトレーナーだったら、それでも構わなかったともいますが……」

 現在の〈ポルックス〉のメイントレーナーは代替わりして、私が面倒を見ていただいたトレーナーはほぼ隠居状態。アドバイザーにはなっているもの後任者は好きなようにやっているらしく、あまりいい話は聞こえてこなかった。

「そうねぇ……ファースト(ねえ)の言う通りかもね」
「うん、ウチもそう思うわぁ~」
「同意します」

 ──なんて言葉がすぐ側から聞こえ、私は驚きながら声の方を振り向いた。

「あ、あなた達……」
スプリング、ドリーミィ、それにシルバーやないか。来とったのか?」

 私と和具さんが驚いていると、3人のウマ娘はしてやったりと言わんばかりに笑みを浮かべる。

「やっほ~、姉さん。それに、和具社長……」
「ドリーミィ(ねえ)、失礼。和具さんはその肩書きは失って──」
「って、シルバー。アンタも十分失礼よ!!」

 のんびりとしたドリーミィ。それとは対照的に感情を余り表に出さないシルバー。そしてそんな二人にツッコむ常識人のスプリング。
 同じ孤児院で育った、私の後輩ウマ娘達だ。

「あなた達も、オラシオンの応援に?」
「う~ん、本当はそうなんだけど~、建前は違うというか~」
「私達、悲しいことに所属は〈ポルックス〉……」
「そんなわけで一応、セントホウヤの応援ということになってるのよね」

 スプリングが「あはは……」と申し訳なさそうに苦笑する。

「でも~、オラシオンが出るし、きっと和具社ちょ……さんが来ると思ったし~」
エサ(シュークリーム)につられて、ファースト姉も来ると判断した」
「……えっと、お二人が来てるんじゃないかなと思って、探してたのよ」

 相変わらず苦労してフォローしている様子のスプリングがちょっと気の毒に思えて、私も思わず苦笑してしまう。
 三人は「もちろん、気持ちはオラシオンを応援してるけど」と付け加える。

「ありがとな、三人とも。そんな無理をしてまでアイツのことを……」
「大丈夫~。今の私達はレース場内をさすらって~」
「チームメンバーとはぐれて」
「チームからはみ出しだってワケ。偶然、知り合いと会ったからそこで応援しても問題なしよ」
「あなた達ねぇ……」

 そんな3人の様子に私は思わず笑ってしまう。

「ええやないか、ファースト。この広い観客席で会えたのも奇跡みたいなもんや。せっかくだから一緒に見て、アイツの勝利を祈ろうやないか」

 そう私に言った和具さんの顔は──まるで久しぶりに集まった家族に囲まれたかのように、幸せそうだった。



 

「──大丈夫かい?」

 

 出走時間までまだあるため、控え室で私──オラシオンは待機していました。

 そして、つい先程までいたトレーナーがもう一人の出走者であるロンマンガンさんの控え室へと出ていったタイミングで、渡海さんが心配そうに声をかけてきたのです。

 

「なにが、ですか?」

「隠さなくてもいい。今まで付き合いも長いんだから、僕には分かってるよ」

 

 そう言った渡海さんは──私の脚をチラッと見たのです。

 

「負傷などしていませんけど?」

「それも分かってる。検査はしっかりしているし、それは心配していない。でも……」

 

 渡海さんは眉根を寄せつつ、真剣な目で私を見てきました。

 

「疲労は蓄積しているのは間違いない。(なか)2週では抜けきらなかったんじゃないか?」

「そんなこと、ありません……」

 

 思わず目を逸らしてしまい、私の答えがウソだと彼にはすぐに分かってしまったことでしょう。

 彼の指摘通り、NHK杯での疲れがまだ足に残っていました。

 もちろん調整も軽めに終始して、マッサージや食事等の考え得ることを全て試して疲労回復に努めたのですが……私の体は100パーセントには遠い状態でした。

 

「……NHK杯に出た意味はあります。やはり左回りのレースを経験できたのは大きいですから」

「そのせいで本来の力を出せなければ、本末転倒じゃないか」

 

 小さくため息をつく渡海さん。小声で「今更言っても仕方がないけど……」と呟いているのが聞こえてきました。

 トレーナーのNHK杯に出走するという方針に、もっとも強固に反対したのは渡海さんです。

 だからこそ、反対どころか自ら進んで「出走したい」と言った私に少し呆れているのかもしれません。

 

「そうでもありませんよ。体が万全ではなくとも、頭の方は万全にできています。左回りの感覚、それに東京レース場の情報……それらを基に今の私の体調と照らし合わせて勝てるレースを組み立てればいいんですから」

 

 左回りの感覚と、本番と同じ東京レース場の情報。それらを実感として得られたのが大きいことに嘘偽りはありません。

 決して強がりではなく……

 でも渡海さんはそれを聞いて再び小さくため息をつきました。そして改めて私をジッと見てきます。

 

「ねぇ、クロ……マスコミが言ってたNHK杯に出た理由、“ロンマンガンへの支援”というのは完全に的外れってわけじゃないんだろ?」

「突然、なにを──」

「キミはNHK杯に出れば、万全な体調でダービーを迎えられない可能性は分かっていたはずだ。もちろんNHK杯に出なければ、それはそれで情報面で万全ではない。どっちにしても、もしかすると……負けるかもしれない、そう思っていた」

「……あなたが尊敬してやまない乾井トレーナーはよく『ウマ娘競走に絶対はない』と言っていますからね。私だってどんなレースでも“絶対に勝てる”なんて考えません」

 

 私が言うと、渡海さんは首を横に振ります。

 

「……だからこそ、だよ。だからこそキミはもしも自分が負けるとしたら、せめてチームメンバーにチャンスを、と思ったんじゃないのかい?」

「違いますよ。ええ。違います……」

 

 そんな渡海さんに私は──苦笑を浮かべて、首を振りました。

 

「確かに渡海さんの言うとおり、ロンマンガンさんへの支援という気持ちが完全になかったか、と言えばそれは全く無いと否定できません」

「やっぱり……ね」

「でも、違うんです。彼女に機会を与えるなんて、そんな上から目線の、おこがましいものではありません」

 

 私は目を閉じ、チームメイトで同期の、今度のダービーでともに走ることになったウマ娘の顔を思い浮かべました。

 肩付近まで伸ばしたウェーブのかかった髪に、気怠げなタレ気味の目と、皮肉気な笑みがトレードマーク。そして、こと麻雀や賭事となると目の色が変わる……そんなウマ娘。

 初めて会った──彼女の存在を認識した──のは〈アクルックス〉のチーム部屋でしたが、そのころの彼女は「GⅠをとれるような才能はないから、勝てなくても仕方ない」と斜に構えたところがありました。

 正直……そんな彼女が、ダイユウサク先輩に憧れてチームに入ってきた、というのは思うところがありました。

 あの人が歩んだ道は、チームに入る前のことだって知己だったミラクルバード先輩から、その努力と苦悩を聞いて知っていましたから。

 あの有記念にたどり着くまで、どれだけ苦労したか。

 あの奇跡の勝利は、あの方とトレーナーが積み重ねた努力の結晶なのです。

 その勝利を見て憧れたのは分かります。

 でも、「自分には才能はないけど──」と考えている姿勢は、努力を無視して「自分でも勝てる」と言っているように見えましたし、安易な考えだと思っていました。

 

(でも……彼女は、変わった)

 

 私に対して宣言した「本気でクラシック三冠に挑む」という発言から、彼女は真摯に競走に向き合うようになっていました。

 そんな彼女が、ダービーへの出走一歩手前までやってきていたんです。

 その努力を間近で見ていたからこそ、チームメイトとして、応援したくなるのも無理はないじゃないですか。

 

(ううん、違う。私の本音は、それよりもなによりも──)

 

 ──生まれ変わった彼女と、戦いたい。

 

「ロンマンガンさんと競い合いたいと思ったからです。ダービーという大舞台で、本気で挑んでくる彼女と走りたい。それは同情とか安っぽい友情なんかじゃなくて……本気の真剣勝負をしたいんです」

「クロ……」

 

 ──あのトレーナーの指導を受け、そしてあのウマ娘が付きっきりになった()()()()()()()と。

 

「渡海さん、貴方はきっと、ロンマンガンさんの実力では私に到底かなわないと思っているでしょう?」

「それは……」

「あのウマ娘がどこのチームに所属していると思っているんですか? 誰の薫陶を受けたと思っているんですか? 『吃驚(びっくり)の〈アクルックス〉』で、《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》の乾井 備丈ですよ? 奇跡(ミラクル)を起こしてくるに決まってるじゃないですか」

 

 私は──まるでギャロップダイナ先輩やトレーナーように──ニヤリと笑みを浮かべて、私は言っていました。

 

「──そのウマ娘と、私は競いたい。」

 

 彼女(ロンマンガン)が、どこまでダイユウサク先輩や乾井トレーナーの教えを受けて、どれほどの強さになっているのかはわかりません。

 有記念で見せた先輩のあの驚異的な力を、同じように発揮できる保証なんてまったくありませんけど──それでも私は、彼女と、本気で戦いたいと思ったんです。

 

「……なるほど、な」

 

 私の吐露を聞いて、渡海さんはなんとも言えない複雑な表情を浮かべていました。

 そして苦笑を浮かべ──

 

「まったく……そんなにしてまで、あの人に自分のことを見て欲しいのかな」

 

 渡海さんはポツリと呟いて、ため息をつきました。

 

「え……?」

「いや、なんでもない。うん……キミの気持ちは分かったよ。だから──絶対に勝とう、今日のレース」

「ええ、もちろんです」

 

 渡海さんの言葉に、私は力強く頷きました。

 

「もちろんキミに期待を寄せている和具さんや、夢へ挑戦の最中で走ることさえ奪われた旧知のウマ娘(ミラクルバード)。このレースに挑戦さえできなかったチーム先輩達。それに、ここまで見守ってくれたトレーナー……そんなみんなのためにも」

 

 そこまで言って、渡海さんは視線を上げました。

 そこは控え室の天井──さらにその上にある空を見つめるようにして──

 

「そして、誰よりも……キミがその場所に立つことを、一番喜んでくれているひとのためにも、ね」

「一番、喜んでいる?」

 

 誰のことでしょうか?

 直前に渡海さんが挙げた以上に、喜んでくれる人なんて心当たりがありませんが……

 

ハナカゲさんだよ。キミの、お母さんの」

「あ……」

 

 そうだ……そうでした。

 私が幼いうちに亡くなってしまった、私の母。

 記憶の中にその面影はほとんど残ってなくて、数少ない写真の映像のものしかその姿は覚えてないけど……

 それでも──私の頭の中の母は、私に向かって微笑んでくれたんです。

 

(ああ、女神さま達よ。お許しください。今日は……今日だけは、あなた方にではなく別の存在に、私は祈りを捧げます)

 

 私は思わず胸の前で手を組み、目を閉じていました。

 亡き母よ、私の走りを照覧あれ……

 ううん……違う。私が言いたいのは、そういう言葉じゃない。

 

 

 お母さん、わたしの走る姿、見守っていて。

 私、ぜったいに勝つから。

 

「なぁ、クロ……今日のレースが終われば、トレーナーはきっと夏休みをくれる。まず間違いなくね。秋のレースに向けて英気を養うために、体を休めるために。だから……報告しにいこう。ダービーに出走したんだ、ってさ」

 

 遠い目をした渡海さんがそう言い、私も同じ気持ちになっていました。

 思い浮かぶのは、あの故郷を流れる雄大な川の流れ──渡海さんと初めて会ったあの場所のこと。

 それが私にとって、“祈りのウマ娘”としての原風景。

 

(あの場所に帰って、そして再び祈りを──)

 

 亡き母は今でもあの場所で安らかに眠っている。そこで私は報告をする。

 その時に最も良い報告ができるように、私は結果を残さなければならないのです。

 

(だからこそ、このレース……負けられません)

 

 

 ──そうして私は決意を新たに、控え室を後にした。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ヘイ、雀ゴロ!」

「え? 何ですか誰ですか? 知らないカエル娘に話しかけられた。ヤダ怖い……」

「アンタなぁ……」

 

 発走時間が迫る中、走路に出たあっしは、観客席の見覚えのあるウマ娘から話しかけられたんですけど──軽くあしらおうとしたら、恨みがましい目で見られました。

 やれやれ、まったく何だってのよ。

 

「で、なんか用?」

「あのねぇ、人がせっかく激励しようと思って声かけたのに、そういう態度はなくない?」

 

 そう言ってこめかみに青筋立てて、応援しにきたんだか怒ってんだかわからなくなってるのは、前走のレースで競った相手のブロンコキッドだった。

 同期だから当然、このレースを目指していたんだけど──前走で負けたせいで残念ながらダービーには出走できなかったらしい。

 ま、勝負の世界は非情だから仕方ないよね~。

 それでも応援しに来てくれるのはありがたいけど……

 

「あ、ども。ありがとセンキュー。けど、あっしみたいなマイナーウマ娘じゃなくて、別のを応援した方がいいと思うわ。例えばその辺にいる、あんなヤツとか」

 

 え? 態度に感謝が現れてない?

 いや~、ほらこういう大舞台に慣れてないし、おまけに親戚とかチームメンバー以外の誰かに応援されるのも不慣れなわけで。

 おまけにホラ、〈アクルックス〉の正統派としてはレース前に余り注目されたくないわけでして……思わず近くにいたウマ娘を指してしまった。

 あ、でも失敗したわ。コレ──と、思わず親指で指したウマ娘を見て確信した。

 

「げッ、センコーラリアット……」

「あのねぇ、ロンマンガン。人に話を振って、『げッ』はないでしょ? 『げッ』は──」

「アンタも出てたの? ラリアット」

 

 相手を無視してあっしが言ってやると、彼女は「キー!」と言わんばかりに逆上してきた。

 

「ちゃんとセレモニーから出てたわよ! あんたもいたでしょ?」

「いや~、ちょっと影が薄いウマ娘には気がつかなかったなぁ」」

「言わせておけば……今日こそあのときの恨み、晴らしてやるんだから!!」

「あのとき? いや、ちょっと覚えてないッスね」

「忘れんじゃないわよ! 皐月賞前に走ったでしょ? 今日こそそのリベンジをしてやるわ!!」

「あのぅ、盛り上がってるところ悪いんだけどさ……今日のレース、あっしなんざにかまけてる余裕、無いと思うけど?」

「……どういう意味よ?」

 

 相変わらずくってかかってくるセンコーラリアットに対し、あっしはサッと指をさして示してあげる。

 その指の先は──彼女の登場によって、ワッと一気に盛り上がる観客席(スタンド)

 修道服を模した勝負服の、ヴェールから覗く青鹿毛の黒髪。その前髪は白く綺麗な星形の模様が描かれている。

 そのウマ娘は観客席の歓声に手を挙げて応じ、それから胸の前で手を組むとスッと膝を付き──祈りを捧げていた。

 そんな彼女の姿に、センコーラリアットは思わず「う……」と言葉に詰まってる。

 

「これまで7戦6勝。で、6連勝中の今日のド本命……よそ見して勝てる相手じゃないんじゃないの?」

「お、オラシオンが何だっていうのさ! アンタに勝つついでに勝ってやるわ!」

「あのねぇ、オラシオンの方があっしよりもどう考えても強いでしょうが。動揺しすぎ」

「そうだぞ、ラリアット。アンタ、オラシオンと走ったことないだろ?」

 

 変なことを言い出したセンコーラリアットに、傍で聞いていたブロンコキッドが口を挟んできた。

 ああ、そう言えばこのウマ娘はオラシオンと走っていたっけ。

 

「マンガンと走ったときは稍重だったから、アタシは勝てなかった」

「ヲイ……」

 

 いきなり事実をねじ曲げてきよった。

 だけど、そんなあっしの抗議をブロンコキッドは完全にスルーしてくれた。

 

「で、オラシオンは雨の降る中での重バ場──不良と判断されてもおかしくないような中だったのに、まるで歯が立たなかった。こっちの独壇場だったはずなのに」

 

 “足に水掻きが付いている”と言われるほどバ場状態が悪くなればなるほど速くなるという特異なウマ娘、ブロンコキッド。

 その彼女に不良バ場で勝つのはかなり難しいこと。

 良バ場なら十把一絡げのモブウマ娘でしかないが、バ場が荒れれば荒れるほど強くなり、それが不良バ場になれば他が能力を落とすこともあって相対的に一流級の強さを誇るほど。

 しかし、そんな彼女にオラシオンは独壇場(ホーム)の悪天候で真っ向から勝負し、そして力でねじ伏せているのだ。

 

「つまり、シオンに分からせられてしまった、と」

「言い方……」

 

 あっしの確認に、ブロンコキッドは恨めしく、不満そうに睨んでくる。

 それが否定で無いところを見ると、認識は当たってるらしい。

 

(ま、本番レースで走ってないって意味じゃ、あっしもラリアットと変わらないし)

 

 違うのは、同じチームだからその実力をカンニングできたってこと。

 確かにシオンはヤバい。ヤバいくらいに強い。

 でも、今のシオンが調子を落としているのを知っているのは──NHK杯に出て疲れがたまっているだろうと予測する者はいても──数少ないはず。

 

(悪い中でも一流は帳尻合わせてくる、ってダイユウ姐さんが言ってたけど。シオンもそれをやれるのかどうか)

 

 逆に言えば、あっしみたいなのはそこの隙をつく以外にないんだけど。

 そう思って当の本人を見る。

 彼女は片膝を付いて祈りを捧げ……やがて、組んでいた手を解き、スッと立ち上がる。

 そして──

 

「ッ!」

 

 彼女は、今まであっしが見たことのない表情で、チラッとこっちを見ていた。

 練習中にはまったく見たことが無い、余裕のある勝ち気な笑み……のようにも見えたが、不思議とイヤミな感じはしなかった。

 

(お互い、死力を尽くしましょう)

 

 そんな彼女の声が聞こえたような気がして……自分はそういうガラじゃないんだけど、と思ってつい苦笑してしまう。

 

「……シオンと正々堂々真っ向勝負なんて、勝てるわけ無いわ」

「じゃあ、どうするつもりよ、アンタは……」

「え?」

 

 どうやら口にでていて、それを聞いたラリアットが訊いてきたらしい。

 もちろん御丁寧に教えてやるほど、あっしは親切でも聖人君子でもない。

 

「ハッ……それを言うわけ無いでしょ? 自分が狙ってる役を始まる前にバラす雀士がいるわけねーのと同じよ」

「なッ……」

 

 絶句するラリアットを見て、思わずニヤッと笑みを浮かべてしまった。

 そんなあっしはもちろん、いくつか策は立ててきた。

 そのどれが使える状況になるか、それともまったく全部使えずに捨て牌になって負けるか……

 

(やれること全部やって、それで結果がどうなるか……挑戦させてもらうわよ、シオン)

 

 すでに視線を別に動かしていたオラシオンに向かって、あっしは少しだけ真剣な眼差しを向けた。

 いつも垂れ目だの半眼だのと言われてるあっしだけど……こんな目をするのは、麻雀打つときくらいなんだから。

 

 さぁ、シオン……挑ませてもらいますよ。

 あとは出たとこ勝負、だけどね。

 




◆解説◆

【──長い流れ(1)】
・「長い流れ」は小説『優駿』の、オラシオンのダービーが描かれた章のタイトル。
・実は、展開が描かれなかったNHK杯のゴール後の様子が描かれているのも同じ章なのですが、そこはスルーしました。
・(1)となっていますが、実は現時点で書き終わっていないために、何話かかるかわかりません。
・ひょっとしたら2話で終わるかもしれないし、3話で終わるかもしれません。
・2話なら前後編、3話なら前中後編に後で変える予定です。

ファーストワグ
第108話(第二章22話)で登場・解説済みの、オラシオンの姉代わりだったウマ娘。
・すでに中央シリーズからは引退しており、京都の大学に勤めています。
・元ネタが、和具社長の最初の持ち馬だからこういう名前なのですが、おかげで和具社長と血縁関係があるわけでもないのに名前にワグが付いているという変なことになっています。
・偶然の一致、ということで。あまり深く考えないでください。
・なお、その妹分たち3人も同様です。

スプリング、ドリーミィ、それにシルバー
・これまた↑と同じくすでに解説済みのオリジナルウマ娘。
・和具さんが支援して中央トレセン学園に入ったウマ娘たちで、それぞれ正式にはスプリングワグ、ドリーミィワグ、シルバーワグという名前です。
・さすがに「ワグ(和具)」が飽和して↑と同じおかしな状況が悪化し、カオスになるのでみんな愛称で呼んでいます。
・なお、この三人は今のトレーナーをよく思っていません。その理由は第108話(第二章22話)でのオラシオンの件とは別にあります。
・実は3人以外にもう一人、彼女たちと同じ施設出身のオラシオンの先輩にあたるウマ娘(たぶん、なんとかワグという名前だった)がいたのですが、彼女はレース中に負傷して競走ウマ娘の選手生命を絶たれ、引退して学園を去りました。
・そのときに、彼女に無茶をさせて出走を強行させたのが今のトレーナーであり、おかげで3人は不信感を募らせています。
・ただ、一流どころのウマ娘ではないので、移籍しようにもその先が見つからないだろうと、このチームに留まっていました。
・オラシンオンがチーム〈ポルックス〉に来なくてホッとしていたのは言うまでもありません。
(コネ)を利用してオラシオンが所属することにならなかったのも、彼女たちが勧誘に消極的だったおかげです。
・なお、その負傷したウマ娘も、モデルは小説『優駿』に出てきた競走馬。
・物語の最初の方でその存在が語られるのですが、和具社長が所有して最も期待していた競走馬(オラシオンを所有する前)だったのですが、早々に負傷して予後不良になってしまい、それで運がなくなったと思った和具社長は所有馬をすべて売り払って馬主をやめようとしていました。
・そこでオラシオンに出会うわけですが──といっても、オラシオンに会った後に事後的に語られる話ですけど。
・その競走馬の名前が出てこないので、本作でも名称を出せませんでした。
・……なお自分で書いておいてなんですが、個人的には“シルバー”という名前が、『最強出涸らし皇子の暗躍帝位争い 』の主人公を思い出してしまうのです。

ハナカゲ
・オラシオンの亡くなった母親。ウマ娘。
・渡海は、幼馴染なので名前やその姿を知っていたのです。
・モデルはやはり小説『優駿』で登場した。競走馬オラシオンの母馬ハナカゲ。
・ウマ娘では、母親とはいえウマ娘はたとえ“母親”と言えどもモデル馬の母にあたる牡馬のウマ娘が本当の母親にあたる──という描写はしません。
・新しめの世代だと母馬が実装してるウマ娘だったり、そのまた親が実装済みだったり……なんてことも起こりますし。
・オグリ世代とかなら、親世代がシービーとか、マルゼンスキーとかなので、その世代ならそこまで矛盾が出ないかもしれませんが、それでも明言されることはありません。
・ただ、オラシオンは『優駿』に登場する架空馬がモデルですし、その母親ももちろん架空馬ですので、あえて実際の母馬のウマ娘として出しました。
・なお、競走馬ハナカゲはエリザベス女王杯で1番人気、3着だったという成績で、ウマ娘も同様の成績を持っています。
・原作では、オラシオンを生んだ後、クラシックレースを迎える前に死んでしまいました。


※次回の更新は10月24日の予定です。  

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時30分となります。



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第64R ──長い流れ(2)


 ──日本ダービー。

 そのレースの名に、憧れを抱かないわけじゃなかった。
 でもアタシは自分がそのレースに無縁なことは、よく自覚していた。
 なにしろその頃のアタシはデビューできるレベルでさえなかったんだから。
 その頃のアタシにできたのは少しでもマシになるように人一番努力することと、もっとも身近なウマ娘に、クラシックレースの夢を託して応援することだけだった。
 その彼女は、クラシック三冠じゃなくてトリプルティアラに進んだけど──

「……ここにいたんだね、ユウ」
「コスモ……」

 背後から声をかけられて、少なからず驚いたけど……聞き慣れたその声は警戒する必要のないもの。
 そして振り向けば、案の定、見知った笑顔がそこにあった。
 髪を伸ばしているアタシとは対照的な、短くした髪のウマ娘──コスモドリーム。
 レースにすら出走できないアタシは、従姉妹である彼女の応援に熱を上げて、その勝利を自分のことのように喜んだわ。
 そしてコスモは、トリプルティアラの一つを制してる。
 そんな彼女と共に歩んだトレーナーは、今、また一人のウマ娘を育てていた。

「今日は敵、じゃなかったかしら?」
「そうだよ。だからオラシオンの連勝、今日こそウチのロベが止めるからね」
「ロベって、ロベルトダッシュのこと?」
「うん。そりゃあオラシオンに比べれば競走経験は少ないけど、実力は十分にあるし、それになにより涼子さんが面倒見てるんだから」
「わかってるわ、あの人のスゴさは。だって、アタシはコスモのことをずっと見てたんだから」
「え……?」

 アタシが素直な気持ちを言うと、コスモは急に言葉を詰まらせて困惑している様子だった。

「こ、コスモだって……オラシオンの、乾井トレーナーのスゴさは分かってるよ。ユウのこと見てたんだからね」

 慌ててそっぽを向きながらコスモが言う。

「あんなデビューして、どうなることかとコスモがどれだけ心配したことか……」
「アナタねぇ……デビュー戦の話はやめてくれない? 普通、一番良かったレースの話するでしょうに」

 アタシがジト目で睨むと、コスモは悪戯っぽく笑みを浮かべる。

「だからその後にユウが一生懸命頑張ってる姿は眩しかったし、高松宮杯で直接競えたことはどれだけ感謝してもしきれないよ。涼子さんにも、乾井トレーナーにも」

 アタシにそう言うと、コスモは視線を走路へと向ける。
 そこにはアタシ達の後輩の姿があった。

「だから今日もウチのロベと、そっちのオラシオンの対決が、コスモとユウの時みたいに白熱したものになって欲しい。もちろん……コスモ達みたいに中段での順位争いじゃなくて、1着を争うものになって欲しいけどね」
「それはもちろんよ。それに……コスモ、アナタ大事なこと、忘れてるわよ」
「大事なこと?」

 首を傾げるコスモに、アタシは向けていた視線を少しずらして言った。

「〈アクルックス(ウチ)〉から出走するのは、シオンだけじゃないわよ」
「あ……」

 注目を集めるオラシオンの周りには、彼女を警戒するようにライバル視するウマ娘たち──ロベルトダッシュやセントホウヤ、アップショットといった面々──が集まっている。
 でもそこから少し離れた場所で、まるで目立たないのを意識しているかのように念入りにアップする、肩付近まで伸ばしたウェーブのかかった髪のウマ娘がいた。

「ロンマンガン、だっけ? 忘れてた……そっか、だから今日は乾井トレーナーの傍じゃないんだ」

 アタシがロンマンガンの面倒を見ているのをコスモは知ってる。ロンマンガンが勝ってもトレーナーは素直に喜びを分かち合えないだろうし、オラシオンが勝ってもアタシがそうなる。
 そんな事情を察してくれたコスモにアタシはニヤリと笑みを浮かべてあげる。

「“吃驚(びっくり)の”〈アクルックス〉は彼女の方だからね」

 人気薄になった〈アクルックス(ウチのチーム)〉のウマ娘は強いんだから。
 アタシが胸を張って言うと──

「それ、自慢になりますの?」

 後ろから声がかかる。
 振り向けば──

「げッ……セッツ…………」
「ダイユウサク、貴方いい加減に、人を見てそういう反応するのやめなさいよ」

 アタシの反応を見たそのウマ娘──サンキョウセッツが負けじとイヤな顔をしながら、こっちへ近寄ってきた。

「なにしにきたのよ? それにシヨノは?」
「そちらと同じで、わたくしだって後輩の応援ですわ。シヨノさんとはチームが違いますから、今日はおりませんわ」

 なるほど。
 アタシが出走したときにセッツがいるとシヨノロマンもたいてい一緒にいたからなんとなく二人セットのようなイメージだったから、てっきりいるのかと思ったわ。
 すると、コスモが首を傾げてセッツに尋ねていた。

「後輩? 誰かいたっけ? セッツのチームって確か……」
「〈ポルックス〉ですわ。つまりセントホウヤさんです」
「「あぁ~」」

 アタシとコスモの納得した声が重なった。
 すると我が意を得たり、とサンキョウセッツは得意げな顔になり、アタシとコスモに向かって指をビシッと突きつける。

「今日のレースはいわばわたくし達の代理戦のようなもの!」
「……え? それは違うと思うけど……」

 素直なコスモがポツリと漏らしたけど、セッツは聞いてないフリをしてそれを完全に無視する。

「今日こそはセントホウヤさんがオラシオンを、ついでにロベルトダッシュもまとめて破って見せますわ!」
「へぇ……おもしろいじゃん。セッツ。ついでとは言ってくれるね。さすがオークスで実況に勝ちウマ娘として名前を連呼されただけはあるよね」

 後輩をぞんざいに扱われた仕返しとばかりに、コスモが闘志を燃やしながらニヤリと笑みを浮かべてセッツを見る。
 そうやって古傷をえぐられたセッツは指をさした姿勢のまま「う……」とたじろいだけど、すぐに気勢を取り戻して言い放った。

「昨年の最優秀ジュニアの名は伊達ではありませんわ! 今日のレース、絶対にわたくしの後輩が貴方方の後輩を打ち破って、ダービーウマ娘の座に輝くのです! その様を──共に見て差し上げますわ」

「「はい?」」

 言い放ったサンキョウセッツを、アタシとコスモは呆気にとられて見ていた。

「……ねぇ、セッツってひょっとして、チームで居場所ないの?」
「そ、そんなことありませんわ!?」
「それなら、チームメンバーと一緒に見ればいいじゃないの」

 コスモに続いてアタシが言うと、「ぐ……」と押し黙るセッツ。

「わたくしは……優秀なウマ娘では、ありませんでしたから。それに、仲の良い先輩方も、別のところで観戦するようですし……」
「え? セッツと仲の良い相手、いるの?」
「いるに決まってますわ! ダイユウサク、貴方一体わたくしを何だと──」
「なら、そっちと一緒に見ればいいんじゃないの?」
「そ、それは……あの方達は、オラシオン(サイド)と言いますか、彼女の親戚のような方達ですので……」

 彼女にしては珍しく、弱気に口ごもるサンキョウセッツ。
 それを見かねたコスモがセッツの背中をバンと叩いた。

「あぁもう! 分かったよ。ゴチャゴチャした事情はどうでも良いから、コスモ達はコスモ達でそれぞれの後輩の応援するってことでいいよね。ユウ」
「コスモが言うなら……別に構わないわ。セッツがコスモの隣でも怖じ気付かないなら、ね」
「もう、ユウはまたそういう意地悪を言う……」

 さっき自分だって同じネタでからかってたじゃないの、と思ったけど言い返さなかった。
 発走時間が近づいて、出走するウマ娘達がゲートへと移動し始めたのをみて、観客のざわつきが一段と大きくなったから。
 いよいよ始まる、日本ダービーの大舞台。

(でもねセッツ、アタシはクラシックレースの舞台に立てたアナタのこと、ずっとうらやましいと思っていたのよ)

 絶対に口には出さないけど、チラッとだけ彼女へと視線を向けて、そんな思いを頭に浮かべた。

 ──チーム〈アクルックス〉、〈アルデバラン〉、〈ポルックス〉にそれぞれ所属する後輩達の火蓋は、切って落とされようとしていた。



 

 ──ダービー発走直前。

 

 続々とゲートに入っていくウマ娘達。

 早めに入ってスタートを待つ身になったアップショットは目を閉じて精神を集中させていた。

 

『ダービーで同じような走りができるかしら?』

 

 皐月賞のゴール後にそう声をかけたのは私──アップショットであり、かけた相手はオラシオン。

 その言葉が頭の中で何度も響きわたる。

 

(なんであんな言葉を言ってしまったの……)

 

 会心の走りに皐月賞を掴んだと思ったからこそ、そこから完膚無きまでに叩き潰してきた相手であるオラシオンに、悔しさからつい出てしまったものだった。

 本来なら声をかけるつもりはなかった。

 いや……最初は、本当は彼女に「おめでとう」と言ってその走りを称えるつもりだったのだ。

 ところが、いざ声をかけようとして彼女の姿を見て──

 その浮かべている余裕のある笑みで自分が負けたことを思い知らされて──

 

(つい、皮肉めいた言葉が出てしまったのよ)

 

 自己嫌悪になるほどの負け惜しみじみた言葉。

 本当は勝ったのが自分だ、と。

 とんでもない末脚で抜き去られたという、訳の分からない負け方をしたが故の自己弁護のようなものだった。

 

(そうよ。ああでも言わないと、私は自分を保つことができなかった)

 

 でも……そのあとは確かに言い過ぎた。

 次も同じ走りができるか? なんて挑発して。

 そして彼女のチームの先輩を揶揄することまで言ってしまった。

 

(なんであんなことまで……)

 

 激しい後悔と自己嫌悪にさいなまれる。

 あの日から今まで、思い出す度に同じ思いにかられていた。

 しかし、それもこれも……あのレースによって、私自身が極限までに追いつめられたせい。

 

(私は、私にできる最高のレースができたというのに……それでも勝てなかった)

 

 その事実を認めたくなかったから負け惜しみを言い、ささくれだった心が攻撃的な言葉を吐いた。

 心のどこかでは、改めてオラシオンと話し、己の心の醜さ全てをさらけ出して謝りたいという思いもあったのに。

 

(でも、そんなことをすれば……私は二度とオラシオンと戦えなくなる)

 

 それがわかっているからこそ、できなかった。

 

 前走でそれまで隠していた“逃げ”という切り札を切ってしまっている。

 もしもそれで勝てずとも、ギリギリまでに彼女を苦しめることができていたなら、また“逃げ”を出すのか、それともそれまでの走りを使うのか、オラシオンを悩ませることができたかもしれない。

 しかし、完膚無きまでに叩き潰された今となっては──迷っているのは自分の方だ。

 

(NHK杯を回避した分、体調はこっちの方が上回っている可能性が高い。だから今回も逃げれば……今度こそ追いつかれないかもしれない)

 

 そういう思惑はある。

 だが、負けた作戦を再度使うという踏ん切りがどうしてもつかず、迷っていた。

 そして──

 

 

 ──そのままゲートが開く。

 

 

 あ、っと思ったときには遅かった。

 

 

 

『──ああっと、アップショット出遅れた!!』

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「っし……」

 

 ゲートが開くと同時に飛び出すことができ、良いスタートが切れたという自負はあった。

 ……いやぁ~、トレーナーは「ダイユウサクはゲート得意だからよく教えてもらえ」ってあっしに言いましたけど、ダイユウ姐さんの説明は全っ然参考になりませんでしたけどね!

 だって、「開いたら出るだけよ」って当たり前のことしか言わねえんですから。指導されたこっちはどうしろってのよ?

 それに唖然としてたら、なぜか近くにいた他のチームの先輩に「コスモも同じ苦労したよ?」って同情の目で見られるし。

 そんなわけで、この抜群のスタートもあっしの努力の賜物ってワケ。

 

「スタートで出遅れてたら、勝てるわけがない……」

 

 あっしみたいな弱小ウマ娘は、出遅れなんてハンデを背負った瞬間に負け確定だしね。

 

 誰もが認める天才のオラシオン。

 それと負けないくらいの才を持つセントホウヤ。

 彼女たちより後発ながらも頭角を現してきたロベルトダッシュ。

 そして、皐月賞まで虎視眈々と爪を研いでいたアップショット。

 

 そんな彼女たちに対抗できるほどの才を持たないあっしは、いかにミスをせずに食いついていき──勝負どころで一か八かの賭けに出るしかない。

 それこそ“走る雀ゴロ”の競走道ってワケよ。 

 

 

 ──なんて思っていたんだけど“勝負の分け目”ってもんはどこに潜んでいるかわからないわけで……

 

 

「む……?」

 

 そんな“それ”がいきなり、序盤も序盤のスタート直後にやってくるなんてのはさすがに予想外だった。

 あっし……いや、出走メンバー全員が気がつき、戸惑った。

 

(アップショットが、出遅れた? マジ?)

 

 前走の皐月賞で、シオンには負けたものの見事な逃げを見せて2着に入ったアップショット。

 それまで“逃げ”を使わずに意表をついた、完全な伏兵だったのもある。

 でもそれが彼女の今までのレースで最も良かった走り(レース)だったのは、誰もが認めるところ。

 

 だからこそ──誰もが彼女は今回も()()()と思っていた。

 

 そのアップショットが出遅れて……しかも前に出られないでいた。

 そんな予想外の展開に、出走メンバーの中に緊張が走る。

 すなわち──誰が先頭でレースを引っ張るのか、だ。

 

(こうなったアップショットがここから無理をして出てくるとは思えない)

 

 例えばメジロパーマー先輩やツインターボ先輩みたいな逃げ一辺倒のウマ娘なら強引に前に出てきて引っ張る可能性はある。

 でもアップショットはそうじゃない。なんなら逃げたのは前回一度きりなんだから、無理をする理由がない。

 だとしたら──

 

(ひょっとして……ここが勝負どころ?)

 

 あっしの賭博師(ギャンブラー)魂が熱くなり始めているのを感じた。

 幸いなことに、ここで使える(カード)をあっしは隠し持っていた。

 そして、持っていたその切り札を──切った。

 

 

『おっと、ここで先頭に立ったのは……なんと3番のロンマンガン! そのまま後続を引き離し始める!! 意外や意外、ロンマンガンの逃げだ! まるで皐月賞でのアップショットだ~!!』

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「そんな付け焼き刃の作戦など……」

 

 出遅れたアップショットの前走のお株を奪うように前に出たロンマンガンの、“逃げウマ娘以外の逃げ”という作戦に、私──セントホウヤは正直辟易していましたわ。

 とはいえ……

 

(確かに前走は、彼女(アップショット)の意外な走りに驚きましたけど)

 

 結局、前に出ることができなかったアップショットに視線をチラッと向ける。同じことをされたことになる彼女の心理は、どのようなものでしょうか。

 前走を見ればアップショットが“逃げ”の研鑽を行っていたのは明らか。その安易な“モノマネ”には怒りさえ覚えるかもしれません。

 

(出遅れた上にこのようなことがあれば、心が乱されて当然)

 

 皐月賞で2着になった強豪とはいえ、平常心を欠けばその実力を発揮できなくなるのは必定。

 そういう意味では、先頭を走る彼女──ロンマンガンとか言いましたか──の稚拙な作戦……と言えるかどうかも分からない、ダービーの空気に当てられた高揚感による暴走は、私を含めたアップショット以外のウマ娘にとっては僥倖だったと言えるでしょう。

 

「く……」

 

 見れば、やはりアップショットは悔しげに先頭のウマ娘を見ている様子。

 そして先頭で逃げているウマ娘は、他を引き離して独走していました。

 

(あのようなペース、最後まで保つはずがありません)

 

 無謀な先頭よりも、気をつけなければならない強敵(ライバル)がいるのですから。

 彼女は、私のすぐ前を走っている。

 修道服を模した勝負服。頭に被ったヴェールからは、セミロングの黒鹿毛(黒髪)が見え隠れしている。

 

(オラシオン……今日こそは、絶対に……)

 

 この学園に入ってから意識していた相手でした。

 絶対に負けたくないからこそ、早くデビューをして実戦を経験して実力を磨きたかったのです。

 その気持ちのままに夏にデビューした私はジュニアでは連戦連勝。

 誰にも負けない──そんな自信を持ちながらも、心のどこかではやがて現れる彼女の存在が引っかかっていたのでしょう。

 そして彼女は随分と遅れて、秋も深まったころにデビュー。しかもそこで敗戦。

 その結果にトレーナーは浮かれていましたが、私はそれを冷静に見ていました。

 

(こんなところで終わるようなウマ娘ではあるはずがない……そう思ってはいましたが、やはりそうでしたわ)

 

 そこから勝ち続け──その一方でレースに出続けていた私はトレーナーを指導していた先生──(おお)先生からストップをかけられてジュニアのGⅠに出走さえ止められて、オラシオンとは対決できず。

 そうして満を持して挑んだスプリングステークスで私は破れ……無敗を止められたのです。

 

(でも正直、貴方が羨ましかった。いきなり“無敗”というレースを重ねる度に重くなっていく枷をつけられることなく走っていたのですから)

 

 私もそこから解き放たれた──はずでしたのに、今度は別の枷をつけられてしまったのですわ。

 そう……打倒オラシオンという枷を。

 

(貴方がNHK杯に出ている間、私は貴方に勝つ一念で修練しておりましたわ! ですから……今度こそ、勝たせていただきます!!)

 

 定位置とも言える場所でレースを展開している彼女の、すぐ後方に控えて私は虎視眈々と彼女に勝つべく機会を待ち続けるのでした。 

 




◆解説◆

【──長い流れ(2)】
・「長い流れ」については前話参照。
・なお、4話以上になるのは確定しましたので、前話の上中下にタイトルが変わるかも、という心配は無くなりました。

出遅れた
・実は、原作『優駿』ではアップショットは出遅れていません。
・出遅れたのは、アップショットと同じく逃げをうとうとしていたダンガーブリッジという馬。
・実は本作では、今回のダービーはオリジナル展開です。
・というのも、オラシオン達の『優駿』組と、ロンマンガン達の『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』組が混じっているレースになっているので、そのハイブリッドのレースにする必要があったからです。
・そのため、本来なら出遅れないはずのアップショットが、ダンガーブリッジの代わりに出遅れることになりました。

ロンマンガンの逃げ
・この展開は、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』(というよりはその外伝の『Sire Line ─父の血筋─ 』)の原作通りのもの。
・ダービーで息子の竹岡一人(かずと)の騎乗する大本命アルデバランに対し、父である竹岡竜二の乗るロンマンガンは今まで見せたことのない逃げを使いました。
・そしてロンマンガンは単独で逃げることになるのですが……
・↑で解説した通りに原作を改変してまでアップショットには出遅れてもらったのは、この展開の再現のためです。


※次回の更新は10月30日の予定です。  

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時30分となります。



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第65R ──長い流れ(3)


「ロベルトダッシュ、貴方が注意すべきなのはオラシオンだというのは、100人に聞けば100人がそうと答えるわ」
「当然や、そんなの」

 ダービーを前にしたトレーニングの最中、担当の巽見 涼子トレーナーはウチにそんなことを言ってきた。
 もちろん、そんなことは分かっとる。
 デビュー2戦目から負け無しの連勝中、おまけに阪神ジュニアも、皐月賞は本番と前哨戦含めて、さらには前走のNHK杯まで含めてすべて圧勝。ド本命間違いなしや。
 コレに警戒しないアホウなんか存在するはずがない。
 唯一の泣き所は、NHK杯に出走したせいで前走との間隔が中二週と近いことくらい。

「オラシオンが勝ったところで、誰も“吃驚(ビックリ)”なんてせんわ。〈アクルックス〉らしくもない。どんな突拍子もないことをしてくるか分からないのがあのチームやろ?」
「違うわよ」

 肩をすくめながら言ったウチの言葉に、涼子さんはキッパリと否定した。

「あのチームは、奇襲が得意なんじゃないのよ。金杯でも有記念でもダイユウサクは作戦を変えたりしていない。いつも通りの走りをして、いつも以上の実力を発揮して勝ってるだけ」
「いや、せやけど、レッツゴーターキンの秋の天皇賞(アキテン)は……」
「あのレースで奇策を仕掛けたのは、2着だったムービースターよ」

 涼子さんの言う通り、今まで後方でのレースばかりのムービースターが「前でレースをする」と宣言したせいで、確かに他のウマ娘達は動揺して、その結果がアレや。
 むしろ、レッツゴーターキンはその言葉にも、異常なハイペースにも動じなかったからこそ、最後の大外一気の末脚を発揮できたと言える。

「あの気弱そうな先輩が、よくもまぁ、マイペースに走れたもんや」
「そこよ、ロベ」
「……え?」

 涼子さんの指摘が予想外で、思わずトレーナーの方を見る。

「強いて言えば、それをさせた……あの豆腐メンタルのレッツゴーターキンに自分を見失わせずに走らせられたのが、あの“乾井(いぬい) 備丈(まさたけ)”という〈アクルックス〉のトレーナーの力なのよ」
「ってことはなんです? 《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》の本当の力は、“思いもかけない奇策(マジック)”じゃなくて、むしろ()()()()()()()()()()()()ってことだとでも?」

 ウチの疑問に、涼子さんは複雑そうな表情で小首を傾げる。

「ちょっと違うわね。“ここぞという場面で、奇策に頼ることなく、実力以上の力を発揮させる”ってところかしら?」
「実力以上の力って……そんなん、オラシオンでやられたら勝ち目無いわ」
「じゃあ、あきらめる?」

 お手上げとばかりに両手を挙げると、涼子さんは挑発するように笑みを浮かべて訊いてきた。
 そないな質問、答えなんて決まっとるわ!

「んなわけないわ。走る前から諦めてたら勝てるもんも勝てなくなる。それに……涼子さんだって、負けてへんしな」
「私が?」
「ああ。コスモ先輩がオークス取れたのは、間違いなく涼子さんのおかげだって、本人から聞きましたわ」
「そんなこと……あれはコスモがキチンと実力を発揮できたからよ。その後に結果を残せなかったのは、私のせいだけど……」
「謙遜も、過ぎると美徳やなくて毒になるで、涼子さん。少なくともウチは、ダービーに挑戦できるまでに育て上げてくれたアンタには感謝しとるんやから」

 そう言うと、涼子さんは珍しく照れ笑いをした。

 ……乾井トレーナーは、こんな可愛い後輩トレーナーのどこが不満なんやろな?
 同じ部屋に長時間いて、惚れへんなんておかしいやろ。



 

「なッ……」

 

 ダービーはスタート直後から波乱尽くめやった。

 前走の皐月賞で“意外の逃げ”を打って2着に食い込んだアップショット。彼女は今回は最初から逃げ宣言をしていたんや。

 けど……出遅れるという大失敗を犯した。オマケにその善戦のせいで警戒され、なかなか前に出られへん様子。

 

「たとえ出られても、前回と違ってここで足を使わせられたら、厳しいで」

 

 スムーズにスタートして、ノーマークなためにスルスルと前に出られた皐月賞と今回ではなにもかもが違う。

 そうやってアップショットがまごついている間に──まるで前走(皐月賞)の彼女のように抜け出したウマ娘がいたのだ。

 

「なんやて!? ロンマンガン……やと!?」

 

 これには度肝を抜かれた。ハッキリ言って完全に想定外や。

 そもそもロンマンガンというウマ娘は、あまり印象に残ってない。

 確かに、日本ダービーのレース前セレモニーの会見で「上手いことしゃべるヤツがおるわ」くらいには思うとった。

 けど、その走りはと言えば……彼女は皐月賞に出走してもいなければ、その前哨戦(トライアル)にも出てないからよく分からん。

 ついでに言えばダービー(このレース)のトライアルにも出とらん。積み上げた成績と、あとは周囲の成績やらなんやらを加味した“運”でここへのキップを掴み取ったウマ娘や。

 

(ハッキリ言って印象はチーム〈アクルックス〉所属のウマ娘ってだけ。走りについては、よう分からん……)

 

 学園生活では“走る雀ゴロ”の異名を持つほどの麻雀狂いで、その腕前はプロ級じゃないか、と密かに噂されている。

 おかげで賭事が好きなはずのウマ娘からは「勝てないと分かり切ってる勝負は賭事にならねえ」と麻雀での勝負は避けられているほど。

 

(“走る”ことよりも“麻雀”の方が目の色が変わる……なんて話、この場じゃあ何にも役に立たんわ!!)

 

 あぁ、頭抱えたいわ。情報少なすぎる。

 その彼女の数少ない話題に上ったレースの一つが、皐月賞前に彼女が勝ったそれ。

 中山で開催されたそれに出走していたメンバーの中には、今日のレース(ダービー)にも出走しとるセンコーラリアットと、その時に勝てば皐月賞にも出られたのもあって終盤の進路妨害を巡って一悶着あったこと。

 

(あとは、ダービー出走へのキップを手にした、京都でのレースくらいやけど……確かどっちも逃げじゃなかったはずや)

 

 逃げていれば、センコーラリアットとは喧嘩にはなってないだろう。

 だとすれば──

 

(これは意表を突いた“奇策”? けど、こんなん皐月賞のアップショットの二番煎じやないか)

 

 同時に、涼子さんが言っていた言葉が思い出される。

 ロンマンガンもまたオラシオンと同じ〈アクルックス〉のウマ娘や。しかし──

 

「“奇策”に頼るのは、〈アクルックス〉の流儀に反するやろ……」

 

 そんなことで世間様を“吃驚(びっくり)”させるのは明らかに作戦ミスや。

 あの時、涼子さんが言っていたのは「あの人は、普段使わない“奇策”で驚かせるような走りはさせないわ。“できない”ことをさせれば結果が伴わないのは分かり切ってるはずだから」と言うとった。

 

「逃げるはずのアップショットが行かへんから、代わりに行けるとでも思ったんか?」

 

 そんな展開で、ロンマンガンはつい“懸かって”前に出た。ウチはそう判断した。

 ゆえに、放っとけばいずれ潰れる。

 コイツがどんなに前に行こうとも、関係ない。そんなことよりも──

 

「注意すべきは、オラシオンや……」

 

 そのオラシオンの位置は、前から5、6番目といういつものポジション。

 そしてウチは──皐月賞と同じように、彼女のすぐ後ろでピタリとマークしていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……なに、あれ? 先輩の指示?」

 

 だとすれば不可解だわ、と私──巽見 涼子は思っていた。

 出遅れた逃げ宣言のアップショットを見て、その役目を代わるかのように先頭に立ったウマ娘がいた。

 別に、そのこと自体はおかしいわけでも何でもない。私が確認しているデータ上でも“逃げ”で勝った経験のあるウマ娘は他にもいたんだし。

 でも……

 

「ロンマンガンが、“逃げ”るだなんて……」

 

 先頭を切るのはロンマンガンというウマ娘。

 今回の競走(ダービー)でもっとも注目を集めているのはオラシオンで間違いない。二番目は私が担当しているロベルトダッシュで、その次がスプリングステークスでオラシオンに負けるまでは無敗で世代最強の呼び声も高かったセントホウヤ。

 さらには皐月賞で2着に入ったアップショット……といった面子までなら、オラシオン人気で中央(トゥインクル)シリーズで興味を持ったファンでも知っている。実際、先日に見た昼間の情報番組の特集でもその辺りまでは紹介してた。

 彼女たちは皆、皐月賞での結果でこのダービーへの出走権を得たメンバーでもある。

 そして、もちろん他のダービーのトライアルレースで出走権を得たウマ娘も出走している。

 

(例えば、センコーラリアット……)

 

 今は集団の中で待機している彼女は、皐月賞の直前のレースに勝てずにそこへ出走できなかった。

 その悔しさをバネに、別のトライアルレースで結果を出してこの大舞台へとたどり着いている。

 そんなセンコーラリアットが皐月賞へ出る夢を打ち砕いたウマ娘こそ、今先頭に立っているロンマンガン。

 

「だから、弱いウマ娘なんかじゃないわ。でも……」

 

 そもそも弱いウマ娘であれば、このダービーの舞台には立てない。

 確かにトライアルレースで優先出走権を勝ち取ってきたウマ娘ではないけど、重ねた戦績と、優先出走以外という枠をくぐり抜ける運も持ち合わせている。

 だけど、その戦績には──

 

「彼女には“逃げ”ての勝利は無い」

 

 ほとんど話題にもなっていなかった彼女の戦績をじっくりと調べて把握してしたのなんて、彼女の担当を除けば私くらいかもしれない。

 でもその“担当”こそ、私がロンマンガンというウマ娘を警戒させる最大の要因だった。

 

「先輩……《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》らしくもない……そんな“奇襲”を使うだなんて」

 

 逃げウマ娘でもないロンマンガンに、この大舞台の本番で逃げさせるだなんて、本当にあの人らしくなかった。

 あの人が世間を“びっくり”させるのは結果であって、その過程はその異名とは裏腹に堅実な走り方をさせている。

 

「さらに言えば、あのチームには“逃げ”を得意にしていたウマ娘もいない」

 

 “皇帝を泣かせた”ギャロップダイナも、同じく秋の天皇賞を制したレッツゴーターキンも、中段から後方に待機して末脚で勝負するウマ娘だった。

 私が担当していたコスモドリームの従姉妹のダイユウサクはオールラウンダー気味で先行から中段待機の走り方をしていたけど、“逃げ”をこなしていた記憶はない。

 負傷してサポート要員としてチームに所属しているミラクルバードでさえ違う。

 

(もっとも、もし彼女が逃げウマ娘だったら、今みたいなことになっていなかったかもしれないけど)

 

 彼女が4戦4勝で挑んだ皐月賞で起こった接触事故。

 二番手集団にいた彼女が外へヨレて、抜こうと上がってきた他のウマ娘と激しくぶつかり……結果、下半身不随となって競走の道を諦めざるをえなくなっている。

 逃げの脚質だったら、その事件は起こりえなかったでしょうね。

 

「だとすると……」

 

 このロンマンガンの“逃げ”にはどんな意味があるのか。

 いくつか思いついた中で有力なのは、同じチームのオラシオンに対する援護の可能性。

 圧倒的一番人気で、ライバル達の注目と警戒を一身に集めるオラシオン。

 先行から中段での位置で待機するのが彼女の走り方であり、レースの中心に位置するその走り方は当然、多数の目を集めることになる。

 しかし、前回と同じようにアップショットが逃げたのなら──2着という皐月賞の結果を踏まえれば、当然に他のウマ娘達は警戒せざるをえなくなる。

 確かにそんなアップショットをものともしなかったオラシオンの強さは、どのウマ娘でも怖い。

 でも、逃げるウマ娘を放置して好きに走らせてしまうと……もしもオラシオンが間に合わなければ、という疑念も生まれる。

 ましてアップショットは皐月賞ではオラシオンに次ぐ2着。オラシオンだけでなく、アップショットにも勝たなければダービーウマ娘の栄冠は勝ち取れない。

 

(そのアップショットがスタートに失敗して、逃げられなくなった)

 

 たとえそこから逃げの位置につけたとしても、そこまでに使う脚を考えれば、皐月賞での脅威は格段に落ちる。

 やはり警戒すべきはオラシオン──となる場面で、まるで皐月賞を彷彿とさせる場面が現れたら、他のウマ娘はどう思うだろうか?

 

(警戒するわ。普通なら……)

 

 そうなれば、オラシオンに対するその分だけ警戒は薄れる。

 さらには先頭に立ったウマ娘──ロンマンガンが主導権を握れば、オラシオンがやりやすいペースにすることもできるから、アップショットに逃げられた状況以上にその負担は減る。

 ──と、ここまで考えたものの、私はそれを否定する。否定したかった。

 

「らしくない。全っ然、先輩らしくないわ。そんなやり方……」

 

 あの乾井 備丈というトレーナーが、そんな一人のウマ娘を犠牲にして、別のウマ娘を勝たせるような作戦を立てるだろうか?

 確かにチームとして見れば、それは正解かもしれない。それほどまでに私達トレーナーにとっては“ダービーを取らせた”という成果は大きなものであるのも確かだし。

 だがそれは、やはり今まで私が見てきた“乾井 備丈”というトレーナーのやり方に大きく反する。

 私がふと思い浮かべたのは、あの時──彼がまだ正トレーナーでさえなく、研修生だったころ──の記憶だった。

 

 彼が付いていたトレーナーから一人のウマ娘を担当するように言われ、ある大一番を迎えようとしていた時の話だけど……その頃から付き合いのあった私は彼から「手伝ってほしい」と言われ、何の気なしに了承した。

 でも、詳細を聞いて唖然とした。思わず「正気?」と訊いたほどだった。

 それに対して彼は──

 

「当たり前だろ。出走するウマ娘が勝利を目指して何が悪い? むしろ勝利を目指さない理由があるのか?」

 

 ──と、真剣な顔で聞き返してきた。

 私は、到底信じられなかった。

 その大一番こそ、国内最高峰のGⅠレースであり八大競走の一つ、天皇賞(秋)(アキテン)

 出走するメンバーが強敵ぞろいなのは当然だけど……当時の絶対無敵の王者である《皇帝》シンボリルドルフの名前がそこにあった。

 対する彼の担当は、その一つ上の世代でありながら、未だにオープンクラスになっておらず、それまでも勝利はダートでしかないウマ娘。

 いや、私だけでなく、この状況を見れば誰もが思うでしょうね。「勝てるはずがない」と。

 そんな絶望的な中で、自分のウマ娘が“盾”の栄冠を掴むのを本気で信じていたからこそ──あの奇跡は起きたのよ。

 

「……その先輩が、たとえチームメンバーに勝たせるためとはいえ、自分の担当しているウマ娘に“夢を諦めてサポートに徹しろ”なんて言うはずがないわ」

 

 中央の全てのトレーナーがダービーに憧れるように、いえそれ以上に、ウマ娘達はダービー制覇を夢見る。

 トリプルティアラへの道を進んだ者ならともかく──と言いたいところだけど、それでもダービーへと挑戦したウマ娘もいたくらいだわ。

 確かに、ダービーという一生に一度、そのタイミングでしか立てない舞台へ出走するだけでも夢や目標にするウマ娘もいるでしょうね。

 でも──その舞台に立って満足するウマ娘に、「なんで勝利を目指さないんだ?」と訊くのが乾井 備丈というトレーナーであるはず。

 確かに今までの〈アクルックス〉のレースで、「勝たなくてもいい」と言っていたときもある。

 けれど、自分のウマ娘を“負けさせる”レースをさせたのは、私が知る限り一度しかない。

 

(今のチームを作る前の、彼の最大の失敗で、最大の汚点になったあの弥生賞……)

 

 そんなことをまた繰り返すはずがないし、ロンマンガン自身が望んだとしてもそのことがあったからこそ、絶対にさせるわけがない。

 そう思えば……この考えは、根本的に間違えていると言わざるを得ない。

 

「だとしたら、ロンマンガンの“逃げ”はなぜ……」

 

 握った拳を唇にあてながら、考え込む。

 私がそうして考えを巡らせている間にもレースは進み、ロンマンガンと後続の間はどんどん開いていく。

 もはや“大逃げ”と言っていいほどにその差は開いていた。

 

「妥当な流れね。他のウマ娘達は、みんなオラシオンを警戒して動けないんだから。たとえ皐月賞の展開がチラついたとしてもね」

 

 そう、たとえ一人が大逃げしても、他のウマ娘達は彼女への警戒を止めるわけにはいかないのよ。

 それほどまでにオラシオンという存在は大きく、重い。

 しかも経験の無いロンマンガンがあそこまでの大逃げをすれば、どうせ放っておいてもどうせ潰れる──それが出走メンバーだけでなく、見ている者も含めた総意だわ。

 

(だから今のロンマンガンの走りは、オラシオンへの支援にさえならない……?)

 

 ……いや、違う。

 その考えは今さっき否定したばかりじゃないの。

 彼ならロンマンガンにそんなことはさせるはずがない。仮に自発的に彼女自身が発案したとしても、それを許さないはずよ。

 じゃあ、彼女の走りの意味は何?

 

「雰囲気に飲まれて“かかった”? いえ、そういう性格のウマ娘でもないわね……」

 

 先輩とトレーナー部屋が同じせいで、私は幸いなことにロンマンガンというウマ娘の素の性格もよく知っている。

 確かに一見すると不真面目で真剣味にかけるところはある。

 でもここぞというときの勝負掛けの集中力はかなりのものなのよ。そしてその勝負掛かった時は冷静さを失うことはない、生粋の賭博師(ギャンブラー)気質。

 だからこそ、それも()()()()()

 でもそんな性格を考えれば、一つの可能性が見えてくる。

 

「……賭博師(ギャンブラー)だからこそ、一か八かの“奇策”に手を出したってところかしらね」

 

 実際、今の状況()()を見れば、悪くない展開になっているわ。

 大本命の絶対的強者であるオラシオンを警戒するあまりに、他の誰も彼女を追いかけることができないでいる。

 ゆえに、好きなだけ自分のペースで走ることができていて、後続とは大差がついていた。

 

「オラシオンが追いかけないのは、やっぱり体調が万全ではないってことよね」

 

 ウチのロベをはじめ、セントホウヤやアップショットといった皐月賞で煮え湯を飲まされた面々が避けたNHK杯に出走したツケは、やっぱり軽くはなかったみたい。

 ついた大差に観客席(スタンド)ではどよめきさえ起こり始めているくらいだもの。

 このまま逃げ切られてしまうのでは、と思う一方で、でも逃げウマ娘でないロンマンガンだからペース配分ができていないに違いないという確信も──

 

「……待って」

 

 ロンマンガンに“逃げ”は、()()()()

 本当に、そうなの?

 私は何か致命的なことを見落としている、そんな直感があった。

 必死で頭を働かせる。

 そして──答えは、私とロベの会話の中にあった。

 

「ダイユウサクも、レッツゴーターキンも……作戦を変えたりしていない。いつも通りの走りをして、いつも以上の実力を発揮して勝ってるだけ」

 

 そうだ。あの先輩は……担当のウマ娘に“できないことはやらせない”はず。

 ということは──その考えに至り、私は戦慄する。

 

「ロンマンガンは、“逃げ”の走りが……できる、ってこと?」

 

 その考えを基にレースの現状を見て、愕然とした。

 大差を付けて走るロンマンガンの姿は、完全に大逃げを打ったウマ娘のそれ──昨年の有記念の光景が脳裏に浮かぶ。

 あのレースを勝ったのは、途中までダイタクヘリオスと共に大逃げをして、そのまま逃げ切った──メジロパーマー。

 

「ッ……なんで、こんなことに気づかなかったのよ、私は……」

 

 悔しくて仕方がなかった。

 なぜ、乾井トレーナーはロンマンガンをダイユウサクと組ませたのか。そこにまで考えが至り、自分の浅慮に情けなくなる。

 

「ロンマンガンは、これと言った強みがないウマ娘……でも、強いていえばなんでも無難にこなせることが強み」

 

 器用貧乏と言えばけっして良いイメージじゃないわ。

 でも、どんな状況にも対応できる器用さが特徴ということもである。

 それを生かすには──トップランクを邁進した他のウマ娘と違って数多くのレースを経験し、様々な走り方で勝利をもぎ取ってきたオールラウンダーの経験は大きな糧になるはず。

 

「それに磨きをかけていたとしたら、彼女が何枚もの“切り札”を持つことを武器にしたウマ娘だったとしたら……」

 

 手元の牌と場(レースの状況)を読んで狙う役(作戦)を変えられる──そんな麻雀の基本のような、多くの引き出しを持って臨機応変に走り方を変えられるウマ娘。

 それがロンマンガンだったとしたら……当然、“逃げ”の脚質さえも武器(モノ)にしていてもおかしくは、無い。

 

 

『ご覧ください! 向こう正面でこの差! これだけの差が付きました!

 大逃げです! ロンマンガンの大逃げだ!!』

 

 

 ロンマンガンと他のウマ娘の距離は、もはや危険なほどに開きに開いていた。

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──ロンマンガンのダービー出走が決まる少し前のころ

 

 

「あの……パイセン。この前アップショットに“意外の逃げ”を先にやられちまったワケですけど、どう思います?」

「どう思うって……どういうことよ?」

 

 皐月賞直後のトレーニングで、あっしはダイユウサク先輩に尋ねたんだけど、パイセンは訝しがるような目でこっちを見てきた。

 質問に質問で返すな! って言いたいところだけど、まぁ、確かに自分でも思うけど漠然としすぎてて答えようがないわコレ。

 

「偶然にも、あっしも()()してたワケじゃないっすか。それを皐月賞でやられたわけで。もしもダービーに出られて、そこであっしがやったとしたら……二番煎じみたいにならないですかね?」

「まぁ……そう思うかもしれないわね」

 

 腕を組み、ちょっと考え込んでからダイユウサク先輩はそう答えた。

 ですよね~。

 

「あ~、やっぱりそうか~。ってことはコレ、奇襲にも何にもならないし、使えねーってことッスね」

()()()?」

 

 頭を抱えて嘆いたあっしだったけど……先輩は心底不思議そうにこっちを見ていた。

 それに思わず困惑してしまうと、先輩は言った。

 

「例えばアップショットがダービーでも同じ手を使ったなら、それはもう奇襲にはならないわよ? でも、アンタが使う分には十分奇襲になるでしょ?」

「え……? でもアップショットがやったんだから、みんな警戒してると思いますけど」

「それは“アップショットの逃げ”を警戒してるわけでしょ? 他に想定外のウマ娘が逃げれば十分に意表はつけるんじゃないの? 例えば……もしもシオンが“逃げ”たらアップショットの二番煎じだと思う?」

「あ……」

 

 盲点というか、完全に失念してたわ。

 自分がされる側に置き換えてみれば、確かにすでに“逃げ”があると分かっている()()()()()()()()()()()が逃げるよりも、想定外の相手に逃げられる方が余程動揺するのは明らかだった。

 

「それにね、ロンマン。アンタは今まで使ってこなかっただけで、きちんと練習して鍛え上げていたじゃないの。自信持ちなさいよ」

「それは……そうですけど」

「むしろ逆にやりやすくなったわよ。“アップショットの走りを見て()()()”って思ってもらえれば、油断してもらえるわ」

「ああ、確かに。アップショットについて行くにしても、相手が逃げない状況で一人旅な状況になっても、『どうせできないのに無理しやがって』と思ってもらえる、と」

 

 ま、アップショットが逃げたらあっしは逃げるつもりないけどね。

 シオンに負けたとはいえ、皐月賞の出走メンバーで他に負けなかった見事な“逃げ”に張り合えるかといえば、自信はない。

 それにアップショットが逃げたら、周囲は当然に警戒して“逃げ”を勝たせない走りをするわけで。

 その状況下であえて逃げで挑むのはあっしにとって見えている地雷を踏みに行くようなものだから。

 

「〈アクルックス(ウチ)〉の『ビックリ』っていうのは意表をつくことじゃないのよ。想定外のことを起こすことこそ、“ビックリの〈アクルックス〉”なんだから。アタシも、ターキンも、走り自体は“奇策”を使った訳じゃないわ」

 

 う~ん、この人が言うと説得力が違うわ。

 なにしろ有記念で世間様を“ビックリ”させたウマ娘。

 でも確かに言われてみれば、ダイユウ姐さんもターキン先輩もその末脚こそ驚異的だったけど、走り自体はオーソドックスな中段や後方での競走そのもの。

 

「だから、アンタのそれにもっともっと磨きをかけないといけない。『できないことはしない』というのがトレーナーの教えだし。“できてる”レベルにまでもっていかないと。でも〈アクルックス(ウチ)〉には“逃げ”を得意にしてるメンバーはいないから……」

 

 そう言ってパイセンは不意に横を振り向いた。

 そこへ──

 

「ウェーイ! タユウ、元気してる?」

 

 満面の笑顔を浮かべ、底抜けの明るさと共に一人のウマ娘がやってきた。

 そんな彼女にダイユウ姐さんは苦笑混じりの笑みを浮かべる。

 

「ボチボチってところかしら。でも、今日は来てくれてありがとう」

「なッ……」

 

 なん、だと……

 2人が会話するその光景に思わず絶句してしまう、あっし。

 そんなことに気付いてない様子で2人は話してる。

 

「ホントはズッ友のパマちんも連れてきたかったんだけど、都合つかなくてさ~」

「大丈夫よ。アナタだけでも助かるわ。それになんといっても彼女は連覇がかかっているんだもの。宝塚連覇と、春秋グランプリの3連覇。しかもそれにマックイーンが出てくるとなれば、なおさらね」

「あ~、そっか。で、その前のグランプリ制覇がタユウだもんね~。しかもマックイーンに勝ってるし」

「ま、まぁね」

 

 

 そんなヘリオス先輩の言葉に謙遜して恥ずかしがるような顔になり、ダイユウサク先輩はこっちを見た。

 

「色んな脚質で走ったアタシだけど、“逃げ”は最初のころに少しだけやったくらいしか経験なくて教える自信もないから、特別コーチを呼んだのよ。ダイタクヘリオス……知ってるわよね?」

「よろ~。ウチとタユウとお嬢は、名前がダイで始まる繋がりのダイシンユウ(大親友)だし!」

「……は?」

 

 いや、そりゃあ知ってますよ?

 ヘリオス先輩のことは。なにしろGⅠのマイルチャンピオンシップをはじめとして他にも重賞を制してるし、ターキン先輩がとった秋の天皇賞(アキテン)にも出てたし。

 でも、まさかそんな繋がりがあるなんて予想外だわ。

 だって、ダイユウ姐さんってコミュ障で友達少ないって、トレーナーとかバードパイセンが──

 

「……なにか言いたそうね、ロンマン」

「いえ、滅相もない」

 

 あっしが慌てて首を横に振ると、ダイユウ姐さんはあっしに向けていたジト目をやめて、笑みを浮かべる。

 

「さぁ、覚悟しなさいよロンマン。アンタが温存して“隠していた爪”、シニアGⅠクラスの逃げの専門家(スペシャリスト)と一緒に研ごうじゃないの」

 

 そう言ってパイセンが浮かべた笑みは──まるで悪巧みをする子供のようで、トレーナーがよく浮かべるそれにソックリだった。

 




◆解説◆

【──長い流れ(3)】
・「長い流れ」については前々話参照。
・なお、今回の最後の部分を「あれ? 読んだことある」という方。スミマセン、前話のアップ時にはそこに掲載されていた部分です。
・その後、午後5時前に差し替えを行い、今回の話に移動していました。
・そのため前話のその部分は、セントホウヤ視点の別のシーンに変わっていますので、よろしければどうぞ。
・差し替えた理由は、ロンマンガンの逃げのネタ晴らしが少し早すぎたと判断したためです。

おかしい
・主に、巽見トレーナーの酒癖の悪さが原因かと思います。

賭事が好きなはずのウマ娘
・名前は出しませんでしたが、ウマ娘時空になっていて時代関係なく登場することになっている本章なのでナカヤマフェスタのことかと思われます。
・リスクのある勝負こそ好む彼女ですが、ロンマンガンとは何度か麻雀勝負をすでにしており、“ガチ”なのを知っているのでリスクのある勝負以前の話と思っている、という設定になっています。
・それほどまでに麻雀ガチ勢で、かなりの腕前を誇るロンマンガンですが、ダイユウサクだけは一緒に麻雀を絶対にやりたがりません。
・以前、お遊びでやっていたら、とんでもない豪運で“大三元(ダイサンゲン)”を連発され、真剣にやっても勝てなかったためです。曰く「“腕”関係なく“運”だけで勝たれたらどうしようもない」。

別のトライアルレースで結果を出して
・『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』組のセンコーラリアットはダービーのトライアルレースの青葉賞に出走しています。
・ただし原作ではその結果は不明。『Sire Line ─父の血筋─ 』では競馬新聞に書かれた穴馬特集の記事が小さなコマにあり「青葉賞で見どころあり!」という見出しがついていたので、おそらく青葉賞で勝っておらず、しかし優先出走権は得た、といったところでしょうか。
・そのため本作ではそのような戦績になっています。
・ちなみに青葉賞の優先出走権は、2009年以前は3着まで(それ以降は2着までになりましたが)得られていたので、作品の時期的に3着以内に入っていたと思われます。
・なお、『じゃじゃ馬~』ではなく現実世界では、青葉賞で優先出走権を得てダービーに出走した競走馬の中で優勝した馬は、2022年現在いません。
・しかし原作でのセンコーラリアットは……


※次回の更新は11月5日の予定です。  

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時30分となります。



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第66R ──長い流れ(4)


 ──そうしてダービーが始まったそのころ、遠く離れた地でそのレースの中継を見守る、一人のウマ娘がいた。


「あの、その……ごめんなさい。社長さん、忙しい時間なのに……」
「構わんよ。アンタこそこのレースを見なかったら、仕事が手に付かないだろうしねぇ。そんな状態じゃ、どんなドジをされるかわかったもんじゃない」

 社長さん──私のことを働かせてくれている牧場の主たるその人が笑うと、一緒にテレビを見ていた従業員のみなさんがドッと笑いました。

「うぅ……そんなぁ」

 私がそんな風に見られていただなんて。
 そんなドジなウマ娘じゃないと思うんですけど……確かに、臆病な私は些細なことでオドオドしているかもしれませんけど。

「悲しい顔しなさんな、嬢ちゃん!」
「そうそう。社長はあんたのファンだったんだから。あんたが来てくれて、ここで働いてくれてるのが、なによりも嬉しいくせに、からかってんのさ」
「まるで好きな子に意地悪する小学生みたいにな!」

 従業員さん達はそう言って、さらにドッと笑います。
 それを聞いた社長さんは慌てて否定しますが、その笑いという火に油を注いでいるだけにしか見えません。
 もちろん、私は社長さんが意地悪な人だなんて思ってません。
 この辺りで路頭に迷い、困っていた私を見かねて声をかけてくださり──それからこうして牧場でお世話になっているんですから。

「ほら! レース、始まっちまったぞ。今年の日本ダービーが。後輩も出てるんだろ?」
「は、はい……3番と、10番の……」
「10番? 10番って確か、圧倒的一番人気で大本命のウマ娘じゃなかったか?」
「ああ、確か皐月賞も圧倒的な強さで勝ったっていう──」
「ええ、オラシオンさんです……」

 私がつい申し訳なさそうに言うと、周囲は「おぉ……」と騒ぎ始めてしまいました。

「で……ひょっとして、もう一人出てんのかい?」
「そうなんです。ロンマンガンさんというのですが……」
「ロンマンガン? まるで麻雀みてえな名前だな」

 そんな誰かのつぶやきを聞いて、数人が笑いだしていました。
 そうしている間に、発走時間になり──今年の日本ダービーは始まっていました。
 ゲートが開いて、ウマ娘(後輩たち)が走り始めます。
 一人だけ出遅れた()がいて……そして、スルスルと前に抜け出していったウマ娘が一人。
 そんな彼女は──

「あれ? 実況が名前言ってたけど、この先頭走ってんのが後輩さんかい?」
「え、えっと……そう、です。たぶん……」
「たぶん、ってなんでそんなに自信なさげなのさ? ほんの数ヶ月前だろ? 学園にいたのは」
「そうですけど、でも私がいたころと違うといいますか……」

 あれ? 彼女、本当にロンマンガンさんでしょうか? 他に似たような名前の()はいなかったと思うんですけど。
 でも、なんで……先頭走って後続に大差を付けてるのでしょう?


 ──ロンマンガンさんって、逃げウマ娘でしたっけ?


 私──レッツゴーターキンは、お世話になっている牧場の事務室でテレビ中継を見ながら、思わず首を傾げていました。




 

「なるほど……」

 

 2位以下に大差を付けて先頭を走っているロンマンガン。

 遠く、小さくなったその姿を見て私──オラシオンは思わずそう言ってしまいました。

 盛大に離された2位集団の前の方には、本来であれば逃げていたアップショットの姿もあります。

 逃げ宣言をしていたにも関わらず、出遅れた彼女はロンマンガンを追いかけて──ということはせずに、先行の位置を走っています。

 

(出遅れたせいでここまでくるのでさえ脚を使ってしまっている。ロンマンガンをさらに追いかけて追いついても、もはや脚が残ってない状態になると判断したのでしょう)

 

 後続を引き離した一人旅になり、もはや“大逃げ”という状態になっているロンマンガン。

 しかし冷静に考えれば、このダービーという同世代きっての実力者が集まるレースで、“逃げ”の実績がないロンマンガンがそんな走りをしたところで、2400のこのレースを逃げきれるはずがない、と考えるのは妥当だと言えます。

 ましてそれが、前回のレースで似たような展開をしかけたアップショット自身なら、その難しさもわかっているでしょうし。

 それでも無理して前の方に位置したのは、その矜持のせいとも言えます。

 

「それにしても、ダイユウサク先輩といろいろなことを試していたのは知っていましたが、まさか逃げの研究までしていたなんて……」

 

 ロンマンガンは自分のことを過小評価しているウマ娘でした。

 だからこそ、至った結論が“どんな状況にも対応できる臨機応変(オールマイティ)ウマ娘”というわけでしょう。

 一つのことに特化しても他にかなわないと判断し、強さでの真っ向勝負ではなく相手の弱点を突く。そこに勝機を見出したのは自己分析の末というのはわかります。

 でも、それは──逆を言えば、専門家(スペシャリスト)と比すればその能力は一段劣り、かなわないということでもあるのですから。

 

(もしも先頭が、出遅れなかったアップショットだったら……状況は厳しかったでしょう)

 

 皐月賞で見たアップショットの走りは、間違いなく“逃げウマ娘”のそれでした。

 今までは先行だったのを、完全に切り替えてきたのだと思います。

 だから、その彼女がもしも大逃げをしていたのだとしたら──私はとっくに追い上げていましたし、そうなれば思わしくない体調の下で、体力を余計に消耗するという事態になっていたことになります。

 

専門家(スペシャリスト)ではない以上、付け入る隙は必ずある)

 

 ダービーの距離は決して短くない2400メートル。

 この2400という距離を逃げ切るスタミナが、ロンマンガンに果たしてあるかどうか……私には疑問でした。

 だから他のウマ娘が一人でも彼女を追いかければ、その目論見は(つい)えるように見えていましたし、そんな危険な手段だと思っていたのです。

 でも──

 

「……確かに、良い手ですね」

 

 誰一人として彼女を追いかけないこの状況に、私は思わず再びつぶやいていました。

 抜け出している先頭を除けば、団子状態ともいうべき展開。

 そんな状況で私は集団の中に身を置いていました。

 私の二バ身後方には、ロベルトダッシュがいる。

 そしてその内側にはセントホウヤもいる。

 彼女たち2人だけではなく──周囲のウマ娘たち全員から感じる、私への警戒。

 

(私を警戒し、そして自分はどうせ逃げきれないと思われている……だからこその大逃げ)

 

 そして差が付いて、一人旅になった今では完全に自分のペースで自由に走れているはず。

 そんな状況は、ハッキリ言って面白くありません。

 

「大本命を警戒するあまりに、大逃げするウマ娘にまんまと逃げられるだなんて、まるで昨年末の有記念……」

 

 あのレースで、本命の1番人気だったトウカイテイオーさんは調子を落としていたそうな。

 そこまで一緒だんなんて、なんと皮肉なものでしょうね。

 思わず自虐的に笑みを浮かべかけ──

 

「なるほど。そういうことですか」

 

 あのレースを制したのはメジロパーマーさん。ですが、途中まで一緒に大逃げをしていたのはダイタクヘリオスさん。

 そのヘリオスさんは、その前の年のマイルチャンピオンシップやスワンステークスで一緒に走った縁で、ヘリオスさんに話しかけられて──あの先輩にしては珍しく──交友関係が存在するそうな。

 

「ダイユウサク先輩を通じて“逃げ”の専門家(ダイタクヘリオス)から指導を受けていたのなら、今回の作戦をとるのもわかります。でも……」

 

 ──それでも、やはり専門家(スペシャリスト)の“逃げ”と比較すれば、やはり甘いところがあります。

 例えば──ペース配分。

 

(アップショットに、今の時点で、今の差を付けられていたら今日の私では追いつかなかったでしょう。でも……ロンマンガン相手なら違います!)

 

 その詰めの甘さに気づいたのか、それとも皐月賞の自分と姿を合わせて負けん気を刺激されたのか──アップショットがペースを上げました。

 それに併せて、私もペースを上げる。

 

「──ッ!」

 

 3コーナーの手前で、レースは動き出し始めたのです。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……ここが正念場だぞ、ロンマンガン」

 

 オレは思わずつぶやいていた。

 担当するウマ娘が同じレースに出走するというのは初めての経験だった。

 しかもそれが中央(トゥインクル)シリーズでも最高峰レースの一つ、日本ダービーだというのだから、こっちとしては戸惑いしかない。

 そのレースの大本命がウチのチームメンバーの一人であり、そして目下のところ先頭で大逃げしているのが、もう一人のメンバーである。

 その大逃げを許していた状況が、変わりつつあった。

 

「アップショットか……」

「本来なら逃げていたのは彼女だったもんね。怖いと言えば怖いかもしれない」

「いや、出遅れたせいでここまで脚を使いすぎている。アップショットは脅威じゃない」

 

 隣で一緒に見ていたミラクルバードにオレが答えると、それが正しかったことを証明するようにアップショットの行き足にあやしさが見え始めた。

 そして集団はジリジリと先頭に迫っていく。それでも2番手はまだアップショットだった。

 先頭は依然、ロンマンガン。

 一方、本命のオラシオンは集団の中にいる。その中では、後方にいたセントホウヤがオラシオンに並びかけて、外は5、6人が一団となって先行集団に取り付く。

 

「オラシオン、まだだぞ……」

「うん。府中の直線は500もある。まだ焦ることないよ、オーちゃん。我慢我慢……」

 

 祈るようにつぶやくオレ達。

 それが通じたのか、3コーナーでは我慢していたオラシオンだったが──そこを廻ったところで、ついにセントホウヤがオラシオンの前に出る。

 そこで──オラシオンの目の色が変わった。

 

「マズいな」

「うん。早すぎるよ……」

 

 セントホウヤに負けじとペースを上げたオラシオンは、その外に並ぶ。

 そのまま4コーナーを廻り──位置を下げてきたアップショットの外を通って横に並ぶ。

 その瞬間──

 

「「あッ!」」

 

 声を上げたオレ達の目の前で、外へ膨らんだアップショットとオラシオンの肩がぶつかった。

 マズい、とオレは思った。直前に同じ言葉をつい口に出していたが、それとは比にならない。ペース配分と接触では意味合いが全然違う。

 だが、オレの心配をよそにオラシオンは抜群の体幹と恵まれた筋力で、崩れかけた体勢を立て直していた。位置的にもほんの少し外にはじかれた程度だった。

 思ったよりも接触の衝撃は小さかったらしい。不幸中の幸いだ。

 

「……気持ちも切れてないね」

「当たり前だ。あれだけ負けん気の強いウマ娘が、こんな程度でやる気なくすわけ無いだろ」

 

 場面は最後の直線へと入っていた。

 先頭はロンマンガン。

 そして──その後方には、猛然と追い上げるオラシオンが迫っていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……ったく、最後に上り坂用意しとくなんて性格悪いわ。このレース場」

 

 思わず愚痴が口をついて出る。

 ま、そうは言ってもそういうレース場多いけどさ。

 つまり、きっとレース場設計する設計士は何奴(どいつ)此奴(こいつ)も性格悪いってこと。

 走る方の身にもなれっての、マジで。

 

「後ろから来るのが、アレなんだし。ホント、気が滅入るわ~」

 

 この坂さえなければ、もう少し希望が持てるんだけどさ。

 東京レース場の、最後の直線にそびえる坂。

 ここまで一人旅で、そりゃあ自分のペースで走れましたよ? 競う相手がいないから張り合う必要もなかったんだから。

 だからって、無理せずに走ったわけじゃないんだから。

 後ろにいる面子(メンツ)を考えたら、のんびり走ってたらあっという間に追いつかれて“逃げ”じゃなくなる。

 ほぼ無視されて大差を付けたけど、それだってセーフティリードなんかじゃない。

 現に──

 

「マンガン!!」

 

 先頭切って追い上げてくるのは、やっぱりあのウマ娘だった。

 

「シオンッ!!」

 

 追い上げてくる彼女の気迫に気圧されないように、あっしは精一杯の声で応じる。

 上り坂なのもあって、その差はグングンと詰められていく。

 でも……こういうのは、あっしのキャラじゃないんだけど──

 

「ド根性~ッ!!」

 

 死力を振り絞り、坂を駆け上がる。

 く~ッ!! ホント、マジでキツい!

 さっきも思ったけど、やっぱりこのコース考えたヤツ、絶対性格悪いわ。

 ウマ娘にこっぴどくフられたとか、ウマ娘に特別に恨みがあるとか、そうじゃなければこんなコース考えないわ。普通。

 

「カアアァァァァーッ!!」

「くうぅぅぅぅぅーッ!!」

 

 頂上まであと少し、というところでシオンが横に並ぶ。

 あっしにできるのは、死力を尽くして粘ることのみ!!

 

「この、バケモノめッ!! あの差を詰めてくるなんて──」

「貴方こそ、あれだけ脚を使ったハズなのに、こんなに粘るなんて──」

 

 横に並ばれ、思わず口からでたあっしの嘆きに、驚くべきことにシオンが応じた。

 チラッと、一瞬だけ横に視線を向ける。

 そこには──オラシオンの苦しげな顔があった。

 

(シオンだって、苦しいんだ。苦しいのは、自分だけじゃない!!)

 

 以前のままなら──ダービーやクラシック三冠を()()()()()()()と最初から諦めていたのなら、シオンに負けても当然と思っていた。

 でも、今は──

 

(あの日から、あっしだって努力してきた。シオンにも負けないくらいに頑張ってきたって自負はある! 彼女の近くでその姿を見てきたんだから!!)

 

 ──だからこそ、絶対に……負けたくないッ!!

 

 歯を食いしばり、腕を懸命に振る。

 重くさえ感じる自分の足を、持ち上げて振り下ろし──それを全力で繰り返す。

 最も身近にいた、最も強いウマ娘。

 それと、鎬を削るような全力の勝負ができているんだ。

 

「……いつものシオンなら、とっくに抜かれている」

 

 皐月賞で、そしてNHK杯で見た彼女の走り。

 乾井トレーナー(イヌトレ)や、バード先輩(パイセン)が話していた“領域(ゾーン)”と呼ばれる境地をオラシオンはまだ使っていない。

 いや、万全じゃない今の体調では使()()()()んだ。

 

「アレが出せないなら、まだ勝負になるはず──」

 

 こうなったらあとは我慢比べ。

 坂を上りきって、そこからゴール板まで──意地でも絶対に抜かせるわけにはいかない。

 才能の無いあっしでも、あんな反則じみた末脚がなければ──

 

「ハアアアァァァァァァァ!!」

「ッ!?」

 

 シオンの気合いの声が耳に飛び込んでくる。

 そして──真横に並んだオラシオンの姿が、前へとズレていく。

 くぅッ! その“領域(ゾーン)”とやらを使わなくても、ここまで力を出せるっての?

 チート使わなくても強いとか、どんだけ存在そのものがチートなんだよ!

 ふざけんな! イヤになるわ、マジで……

 

「クッソォォォ!!」

 

 勝負の天秤が完全にオラシオンに傾いたのを自覚したあっしは、思わず叫んでた。

 そして、オラシオンがその声に反応するようにチラッとこちらを見て──その目が驚き、一瞬で警戒の色を帯びる

 

「──ッ!!」

「そこや!! オラシオン!!」

 

 なッ!?

 オラシオンの外を走るあっしの耳に、その声は反対側から聞こえていた。

 彼女を気にする余りに無警戒になっていた大外。

 そこを一気に駆け上がってきていたウマ娘──ロベルトダッシュが、あっしら2人に並ばんと、迫ってきていたのだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ロンマンガンが、今まで大逃げをしたとは思えないほどの粘りに、私は正直驚かされました。

 彼女は“逃げ”を得意としていなかったという認識だったし、それを隠しながらここまで見事なものに昇華させていたことには、敬意さえ覚えます。

 

(でも──)

 

 それでも、やっぱり彼女は“逃げの専門家(スペシャリスト)”ではないんです。

 もしもそれが、たった一つの武器を磨いてきたような専門家(スペシャリスト)の走りだったら、万全でない今日の私ではきっと負けていたでしょう。

 詰めの甘さの残る、まだ荒削りなその“逃げ”では、私に勝ち目はあるんです!!

 

「ハアアアァァァァァァァ!!」

 

 私の末脚は、まだ伸びる。

 その確信と共にさらに力を振り絞ると、真横にいたロンマンガンの姿が遅れていくのが見えました。

 

(これで──)

 

 ──勝てる。

 そう確信した瞬間、彼女の向こう──大外を上がってくる影が目に入ったのです。

 

「そこや!! オラシオン!!」

 

 上がってくるそのウマ娘は、ロベルトダッシュ。

 その姿を見てハッとした私は、自分がロンマンガンとの競り合いに夢中になり過ぎて、視野が狭くなっていたことに気づかされたのです。

 大外のロベルトダッシュだけでなく、他のウマ娘達が距離を詰めてくるのを感じました。

 その中に──内側の後方に、セントホウヤが追い上げてくるのも感じていました。

 

「──ッ!」

 

 残りはわずか。でも、このままだと追いつかれてしまうかもしれない。

 急に広がった意識の中で、自分が危機的状況にいるのを思い知らされた、私は──決意しました。

 皐月賞で初めて体験したその感覚。

 それをさらにNHK杯で自分のものとしたという自負はあります。

 でも──絶好調からはほど遠い今の私の体調で、果たしてその“領域(ゾーン)”へと踏み入ることができるのか。

 

 ──でも、躊躇は一瞬でした。

 

「やるしか、ないッ!!」

 

 使わないに越したことはないと思っていました。それで勝てるのなら危険な橋を渡る必要はない、と。

 それは激しく体力を使い、体への負担が大きいのです。

 でも、ロベルトダッシュに追いつかれるわけにはいかない。内からくるセントホウヤにも。

 それ以外のどのウマ娘にも、私は負けられない。

 自分が背負っているもののためにも。

 私に思い(祈り)を託してくれている人達のためにも。

 そして、たった今まで競っていたロンマンガン(仲間でライバル)のためにも──私は“領域(ゾーン)”へと踏み込むしかない!

 

「三女神よ、照覧あれ──」

 

 祈りの聖句を唱えつつ精神を集中させ、私はグッと体勢を低くして力強く踏み込み──

 

「……っ!?」

 

 そこで私は想定外の事態に見舞われたのです。

 皐月賞で掴み、NHK杯で試したはずのその感覚に没入することができず、私は戸惑うことしかできませんでした。

 

(なんで!? この大事なときに──)

 

 激しく動揺し、一瞬で千々(ちぢ)に乱れる集中していたはずの私の心。

 その直後──“領域(ゾーン)”へと至れなかった反動ともいうべき違和感が、私に襲いかかってきたのです。

 

「くッ──」

 

 脱力感に襲われて、私はバランスを崩しかけました。

 それは今までにも何度か味わった感覚でした。

 かつてトレーナーをはじめ、私の走りを見ていた方達が“悪癖”と捉えていたものでした。

 

 

 ──そしてそれは、かつて皐月賞で初めて“領域(ゾーン)”へと踏み入りかけたミラクルバード先輩が戸惑い、自ら拒絶してしまったがために起こったこと──

 

 

 死力を尽くして走る私は、その勢いのままに──内側へと()()()のでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ロンマンガンを抑えて、先頭に立ったオラシオン。

 大外から迫るロベルトダッシュ。

 そして後方から他のウマ娘達が迫ってくる。

 そんな中、オラシオン(オーちゃん)は普段スパートをかける時のように、低い姿勢での走りになった。

 そして、力強く足を踏み込み──

 

「なッ!?」

 

 その光景を見て思わず声を出した瞬間から、まるでボク──ミラクルバードの意識はスローモーションのように一連の動きを捉えていた。

 いつもならそれで爆発的に加速するはずのオーちゃんは、まるで何かに弾かれたかのように、内へと()()()

 そして、そのヨレた方には、そのすぐ後ろに別のウマ娘が迫ってるのが、ボクには見えていた。

 

 ──セントホウヤ。

 

 オーちゃんの勢いが弱いのを見て、好機と判断をした彼女は、今年になって負け続けているその宿敵を破らんと猛然と追い上げていたんだ。

 そんな彼女の進路上へと、思いっきり出てしまったことになる。

 

(マズい! ダメだッ!!)

 

 進路妨害ももちろんだけど、それ以上にボクの頭を支配したのは、自分自身の皐月賞の悪夢だった。

 その時の光景と、目の前の光景が──重なる。

 

 ──ゆっくりと流れる光景の中で、進路が横へ流れるオラシオン。

 ──強く踏み込んでグンとそこへ迫るセントホウヤ。

 ──二つの影が引き寄せられるように近づいていく。

 

 そんな光景にボクは、いてもたってもいられなかった。

 真っ先に浮かび、そしてそれしかボクにはできなかったのは、人智を越える力にすがることだった。

 

(三女神様ッ!! ボクのことなんてどうなってもいい! オーちゃんがボクみたいになんてならないように──お願いしますッ! どうか、どうかッ……!!)

 

 もう祈りにさえなっていない。

 でも焦る気持ちと、オーちゃんと、そしてセントホウヤがこのままだと大変なことになってしまうという焦り。

 もしも2人が衝突したら、今の勢いだと大変なことになっちゃうのは間違いない!

 

「オーちゃんッ!!」

 

 親友の……もっとも親しい後輩の危機に、思わず──ボクは思わず大声とともに立ち上がっていた。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 自分の体が内側へとヨレたのは、ハッキリ自覚がありました。

 ヨレた原因は、足の力のバランスが崩れてしまっているせい。

 その崩れたバランスを自力ではどうしようもなく──内側へと踏み込んでしまった足。

 そして──後ろから急速に気配が迫っているのに気が付いたのはその時でした。

 自分でも危ないとわかったのですが、“領域(ゾーン)”へ踏み込めなかった反動なのか、立て直すだけの力が体には入らず──

 

「オーちゃんッ!!」

 

 ──その時、大歓声の中で聞こえるはずのないその声が、ハッキリと私の耳に届きました。

 いえ、耳というよりも、私の魂に触れたのです。

 

「──ッ!!」

 

 スローモーションのように流れていた景色でしたが、その声はそれを破るように私の体に一瞬で力をみなぎらせたのです。

 力を取り戻した私の体は、失いかけていたバランスを取り戻し、一歩だけ内側にヨレた体勢を素早く取り戻していました。

 そして落ち掛けていたペースが、グンと上がる息を吹き返して再加速していたのです。

 まるでその声に込められた祈りが、私の体に力を取り戻させる奇跡を起こしたかのようでした。

 

「なんやてッ!?」

 

 大外で迫っていたはずのロベルトダッシュが思わずあげた声が、ハッキリと聞こえました。

 彼女に追いつかれ、並ばれかけたはずでしたが、私が再び前へと出たのがわかりました。

 そして、そんな私に再び追いつくための余力はロベルトダッシュには残っておらず──距離も無かったのです。

 

 

 かくして(オラシオン)は先頭でゴール板の前を駆け抜けたのでした。

 

 

 ──でも本当の正念場は、これからだったのです。

 電光掲示板に数字はなく、“審議”を知らせる表示が点灯していたのですから。




◆解説◆

【──長い流れ(4)】
・「長い流れ」については前々々話参照。
・(5)までの到達が決定し、優駿編クライマックスのレースに相応しく連続タイトルの最長になりました。
・ちなみに、これをアップした最近GⅠ、2022年の天皇賞(秋)では奇遇にも大逃げした馬(パンサラッサ)が、最後に1番人気(イクイノックス)が差して勝利という結果でした。
・もちろん狙ったわけではなく、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』のレース展開がまさにそうだっただけ(ロンマンガンの大逃げ&逆転負け)です。

3番と、10番
・それぞれの原作通りの馬番です。
・ロンマンガンは3番で、オラシオンは10番でした。被らなくてよかった。
・なお、他に原作でわかるのはアルデバラン(本作では出てないけど)の12番と、センコーラリアットの18番くらいです。
・『優駿』組もオラシオン以外は原作では馬番はほぼ出てきません。

大逃げ
・2番手以下を大きく引き離しての逃げ。2番手と一緒に大逃げするときもあるけど。
・圧倒的な差をつくり、そのマージンを使ってレースを制するのですが、その分、圧倒的なスピードとスタミナが要求されます。
・そのため、使うのはそもそも逃げを得意としている馬や、大逃げそのものを得意とする(ツインターボのような)場合。
・気性のせいで抑えが利かないために“大逃げになってしまう”馬もおり、それはウマ娘になっても変わらず、今回のロンマンガンの大逃げは高揚感からそうなったと他のウマ娘達は思っています。
・“大逃げ”といえばツインターボや、メジロパーマー、サイレンススズカといった有名馬も多いですが、私の一番好きな大逃げレースはやっぱり2009年のエリザベス女王杯でのクィーンスプマンテ。
・テイエムプリキュアとの“ふたり”での大逃げで制したのは本当に見事でした。他がブエナビスタを警戒しすぎたせいだけど。

臨機応変(オールマイティ)
・読み切り作品で脚光を浴びたロンマンガンですが、本編の方はほとんどレース描写が無いので、どんな脚質を得意としているのかの描写はほぼ有りません。
・菊花賞での描写もレース中はなく、ゲート入りに手こずったくらいで、どの位置にいたのかもわからないレベル。
・唯一はやはり『Sire Line ─父の血筋─』での日本ダービーだけなのですが、そこでは本作と同じように大逃げ。
・それが初めての逃げでしたし、その後も菊花賞でも前3頭の中に入っていないことから、明らかに逃げていません。
・そんな感じで、ロンマンガンは謎が多く、どんな脚質を得意にしているのかわからなかったので、逆に「どんな走り方でも走れる」ウマ娘という設定になりました。
・もちろん「どんな走り方でも()()()」ウマ娘ではありません。
・普通は↑で解説したように、逃げ馬でもなければ大逃げなんてできないんですけど……

接触
・小説『優駿』では、ダービーで走行中にオラシオンはアップショットと衝突しています。
・これはそれの再現。
・心理描写こそありませんが、彼女が終盤で冷静さを欠いた遠因でもあります。

駆け上がってきていたウマ娘
・今回のダービー、小説『優駿』と『Sire Line ─父の血筋─(じゃじゃ馬グルーミン★UP!)』のハイブリッドになっている、という説明はすでにしていますが──メンバー等の大筋は『優駿』がベースになっています。
・ですので大外からロベルトダッシュがあがってきたのは『優駿』と同じ。
・一方、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』での最終版の展開はといえば、その前の大逃げしたロンマンガンと競うという本作でのオラシオンの役目になったのは、やはりそっちでの圧倒的一番人気だったアルデバランでした。
・そしてその死闘を制し、最後に勝ったと思ったアルデバランの騎手・竹岡一人が手を挙げた瞬間──大外からきたセンコーラリアットが抜いて勝利しています。
・そんなわけで、ここでのロベルトダッシュは『じゃじゃ馬~』でのセンコーラリアットの役でもあるのです。
・本作ではセンコーラリアットも走ってるはずなんですが、主役はオラシオンですのでロベルトダッシュがその役目に就きました。
・……ラリアットがその役目だと勝っちゃうしね。


※次回の更新は11月11日の予定です。  

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時32分となります。



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第67R ──長い流れ(5)


 ──あの一瞬のことを、ボクは生涯忘れない。
 人生の最高点からドン底へと突き落とされた、あのときのことを──


 デビューから4戦4勝の負け無しで挑んだ皐月賞。
 ボク──ミラクルバードは、無敗でクラシック三冠に挑んだんだ。
 もしも、このまま順調に勝ち進んで、皐月賞もダービーも、そして秋の菊花賞まで勝ち続ければ、会長(シンボリルドルフ)以来の“無敗の三冠ウマ娘”になれる。
 正直なところを言えば、その頃はボク自身がそれがどれだけの偉業なのか、分かっていなかったんだと思う。
 でも、一つだけ確かで、それが嬉しくて勝ち星を重ねられていたのは──お父さんがとっても喜んでくれたことだった。
 毎日、楽しみに来てくださるお客さん達のために焼鳥を焼いてる、無骨なその手で頭を撫でてくれる。

『スゴいなぁ、お前は……あんなことがあったのに、ホントによく頑張って走ってる。お前のガンバリを見て、父さんもどれだけ元気づけられてることか……』

 そんなボクの目元を隠すように付けられた覆面。
 まるでプロレスラー……なんて揶揄する()もいたけど、これを外すわけにはいかなかった。
 幼いころに、走っていて他のウマ娘とぶつかって、顔を蹴られるような形になってできた大きな傷。
 ドン引きするくらいにひどい傷跡になったそれは、ボクは未だに好きになったヒトにさえ、見せることができないでいるほどだった。

 ……だって、それが原因で嫌われたくなんて……ないもん。

 ウマ娘はみんな容姿端麗で、そういうのを見慣れているんだから。そんな中でボクの素顔を見られたら、きっと嫌われちゃう。そんなの我慢できないよ。
 そんな大怪我の痕を隠す覆面を、まるで自分の責任かのようにそっと撫でながら、お父さんはさっきの言葉を言ったんだ。
 でも、違うよ、とボクは言いたかった。
 地元神戸で話題になるほどの焼き鳥の名店。その名は関西に轟いて大阪とか京都からだってお客さんが来るくらいに、お父さんはがんばっていたんだから。
 お父さんの頑張りがあったから、ボクはここまで成長できたんだよ。
 それを言いたくて、それを証明したくて……頑張った結果が、4戦4勝という結果なんだから。

(ボクが勝ちを重ねることで、お父さんがスゴいことの証明になるんだから)

 そして、それが少しでも広告になって、もっと一杯のお客さんがきて、お父さんの焼き鳥の良さに感激してくれる人が増えたら──

「さらなる高みへと──羽ばたいてみせる!!」

 前の方でレースをしていたボクは、向こう正面から3コーナーへと向かう途中で、皐月賞という大舞台でいつも以上に高ぶった気持ちを収束させて──脚に力を込めたんだ。
 そして──


 ──悪夢は、起きた。


 いつもとはかけ離れた奇妙な感覚。
 まるで時間の流れが変わったかのようなそれにとらわれてたボクは……その違和感を()()()()

 ──気持ち悪い。
 ──イヤだ。

 直感的にそう思ったボクは、次の瞬間には我に返っていた。
 そしてその一瞬の間で、ボクは外へとヨレていたことに気づいて──

 後ろから、かなりの勢いで上がってきていたウマ娘に気が付いたのは、まさにぶつかる直前──

 あっ、と思う間もなく、ボクはぶつかった衝撃で宙を舞っていた。
 天が芝の緑で、地が空の青──そんな逆さまになった景色が、そのときのボクの目に最後に映ったものだった。


 ──そしてボクは、走るどころか、立つ脚さえも失ったんだ。



 

「オーちゃんッ!!」

 

 思わずボクは身を乗り出した。

 グンと視界が高くなって、その光景がボクの目に飛び込んでくる。

 ゴール板の前を先頭でゴールを駆け抜けたのは、オラシオン……この学園に入る前からよく知っているウマ娘だった。

 これまで、デビュー戦以外は圧倒的な強さで後続に差を付けていたけど、今日はわずかに半バ身の差。

 それでも1番で駆け抜けたその姿に、ボクは「ほぅ……」と大きくため息を付く。

 そして──視界がグラリと傾いた。

 

「え?」

 

 体が傾く感覚。

 バランスが取れていたはずの体幹が、わずかな揺らぎから加速度的にズレていく。

 そしてそれに対してボクは、バランスを取り戻す手段を持っていなかった。

 

「──ッ!!」

 

 倒れる、という恐怖感。

 それに対して、「こんな感覚、いつぶりだろうか」という場違いに冷静な感想が頭に浮かぶ。

 転ぶ衝撃に対して覚悟して、身を固くしたけど……それはやってこなかった。

 ある程度の傾きで、横からサッと手が伸びて、ボクの体を支えてくれたんだ。

 

「……大丈夫か、ミラクルバード」

「う、うん……ありがと」

 

 予想外に近いその顔──乾井トレーナーの心配そうな、そして驚いたような顔にボクは驚いていた。

 でも、体を支える足に力が入らないボクは、自力で体勢を整えることができない。

 力強く両肩を掴んでくれたトレーナーが、ゆっくりとボクの体を車椅子へと戻してくれる。

 下がる感覚が止まってお尻が落ち着く感覚に、ボクは小さく「ほっ」と安堵の息を吐いた。

 

「ありがとね、トレーナー」

「ああ。ともかく倒れなくてよかったよ……ところで、ミラクルバード」

「なに?」

「お前……いつの間に自力で立ち上がれるようになったんだ?」

「えっ?」

 

 呆気にとられて、ボクは思わずきょとんとした顔でトレーナーをじっと見つめていた。

 いやいや、立ち上がるどころか、ボクの足は相変わらず動かないよ?

 あの事故からだいぶ経っているけど、その感覚だけは全然変わらない。

 リハビリ……とは銘打っているけど、正直、足の感覚をとにかく取り戻すために刺激を与えるというのが実状。

 それでも全然、目処が立っていないんだから──

 

「でもお前、今、立ち上がったよな?」

 

 ボクが言外に「あり得ない」と主張して苦笑するのを見て言ったトレーナーの言葉に、ハッとする。

 

 

 そうだ。今、確かにボクは……

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──オレはその光景に、愕然とするしかなかった。

 

 東京レース場の最後の直線。

 そこでオラシオンはロベルトダッシュに追い上げられていた。

 逃げたロンマンガンが死に物狂いの粘りを見せたがために、オラシオンはそれに気づくのが遅れ──そこで生まれた焦りが、彼女の走りを狂わせた。

 そして……“領域(ゾーン)”を使えるようになって克服したと思っていたその悪癖が、ここで出たのだ。

 

「こんなところで、よりにもよってそいつが出ちまうなんて……」

 

 オレが思わず口に出して悔しがる中、内へと()()()オラシオン。

 しかしその内には──後方からセントホウヤが上がってこようとしていた。

 その光景に、オレは思わず「危ない!」と声が出そうになった。

 それが出なかったのは──

 

「オーちゃんッ!!」

 

 すぐ横で起こった大きな声に、オレが驚いたからに他ならない。

 その聞き慣れた声が誰のものか、オレにはすぐに分かった。オラシオンと古くから付き合いのあるミラクルバードだ。

 彼女が思わず声を上げたのも、理由は推測できた。ミラクルバードが他のウマ娘と激しく衝突したあのときと、シーンが重なったからだろう。

 おそらく、ロベルトダッシュに気を取られたオラシオンは、“領域(ゾーン)”に入ろうとしたが、集中を欠いていたことや万全ではない体調から至ることができず、思わずヨレたのだろう。

 まるで、初めて“領域(ゾーン)”へと踏み入りかけた違和感で拒絶してしまったミラクルバードと同じように。

 あのときと同じように後方から迫るウマ娘の姿に、ミラクルバードは祈る思いで叫んだのだと思う。

 そして──彼女の祈りは通じた。

 

「──ッ!!」

 

 ヨレて体勢を崩しかけていたオラシオンが、驚異的な体幹を見せて体勢を立て直すと、最後の力を振り絞ってもう一伸びして見せたのだ。

 その走りに、ロベルトダッシュが驚く。

 セントホウヤも、衝突どころかその影さえも踏むことさえできず、さらに差を付けられていた。

 粘っていたロンマンガンだが、ロベルトダッシュに追い抜かれ、オラシオンに食いついていくことはできない。

 

 

 そして──オラシオンはゴール板の前を駆け抜けていった。

 

 

 そこまでの短い時間が、とても長く感じた。

 ゴールを見届けたオレは、ふと隣に目を移し──

 

「──っと、」

 

 倒れかけていたミラクルバードへと手を伸ばし、その身を受け止める。

 そうか。妙に声が大きく聞こえたと思ったら、コイツ立っていたのか。

 そりゃあ、普段の位置よりも近いから大きく聞こえるはずで──

 

 ──いや、待て。

 

 ミラクルバードが立ってるのは、おかしいだろ。

 足が不自由で普段は車椅子生活をしているし、しかもあの事故からだいぶ月日が経ったが、それでも足が動かなくてリハビリは上手くいってないって話のはずだ。

 それが、どうして──

 

「ありがと、トレーナー」

 

 オレが思考をフル回転させていると、ミラクルバードが恥ずかしげにしながら礼を言ってくる。

 その彼女にオレは、素直な疑問をぶつけた。「今、立ち上がったよな?」と。

 

「え……あ、うん……」

 

 彼女自身、戸惑っている様子だった。

 そしてすでに車椅子へと座っていたが、再びそこから立ち上がれるような気配もない。

 どうにか足に力を込めようとしている様子だったが……再現は不可能そうだった。

 

(ミラクルバードの必死な祈りが──二つの奇跡を起こしたのかもしれないな)

 

 それが“祈りのウマ娘(オラシオン)”の脚に力を与え──

 お返しとばかりに、ミラクルバードの麻痺している彼女の脚に、入らないはずの力を込めて立ち上がらせた──

 

 その場で起こった2つの奇跡を目の当たりにしたオレとしては、そうでもなければ説明が付かなかった。

 だが──それ以上は、その件を考えることはできなかった。

 

 

『勝ったのは、先頭でゴールを切ったのはオラシオン! 一番人気に応えた。そして二着はわずかに及ばずロベルトダッシュ!

 ……そして三着には伏兵、今日は逃げたロンマンガンが脅威の粘りで入りました──が、いえ……掲示板には審議の表示ですッ! 着順表示も出ておりません!!』

 

 

 場内に流れる実況に、東京レース場内はどよめき、周囲がざわつき始めたからだ。

 その一方で、オレは思考を、今のミラクルバードに起こったことからレース結果へと戻しつつ、「だろうな」と冷静に受け止めていた。

 今の最後の直線で起こったことを考えれば、当然のことだと思う。

 確かに勝った……いや、一番入線したのはオラシオンだった。しかし──

 

(あのヨレ──最後の直線での明らかな斜行だ。しかもその後方にはセントホウヤがいた。進路妨害をとられても仕方がない)

 

 オレはその状況を理解していた。

 確かに直後に立て直してはいる。しかし斜行したことには変わりなく、それで内のセントホウヤの行き脚が悪くなったのなら──進路妨害ということになる。

 

「トレーナー、今のって……」

「分からん。オレの位置から全てが見えたわけじゃないからな」

 

 実際のところ、オレだってこの見解が正解かわからない。上から見ていたわけでもないので、セントホウヤとオラシオンの位置関係が正確にわからない。

 そこがハッキリしなければ、そうだともそうじゃないとも言い切れない。

 しかし──

 

「降着だ!! 誰が見ても降着だぞォ!! 直線で内側に斜行だ!!」

 

 そんな中で大声を上げて、こっちを見るトレーナーいた。

 勝ち誇ったような笑みを浮かべて言うのは──

 

「〈ポルックス〉の……」

 

 オレが視線だけ向けたのに対し、ミラクルバードは露骨に嫌そうな表情を浮かべていた。

 明らかな挑発。

 しかしそれにムキになって反論する必要なんて無い。

 オレは起こったことを理解しているし、それはオラシオンがしてしまったのは覆らない。

 だからそれをごまかしたり、反則ではないと殊更に否定するつもりもない。

 そう思って言い捨てたのと同時に──

 

『お知らせいたします。ただいまのレースで、10番・オラシオンが最後の直線走路で内側に斜行した件につき、審議いたします』

 

 ──というアナウンスが流れた。

 やはり、と思う一方で〈ポルックス〉のトレーナーが嫌らしくニヤリと笑みを浮かべたのが見えたために、オレは心底呆れて視線を逸らした。

 

(こんなヤツの相手なんて、していられないな……)

 

 そんなことよりも、オラシオンの着順がどうなるのか。

 オレは祈るような心境で、視線を審議の表示のみになっている掲示板へと向けた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 場内がどよめく中、大きな声が耳につくのを私は不快に感じていた。

 

「あんなもの、反則に決まってるだろ! 一昨年の秋の天皇賞だって──」

 

 ゴチャゴチャと言っているそのトレーナーの口に、私──巽見 涼子は我慢できず手元にあったファイルを突っ込む。

 

「ふごッ──」

 

 フン、情けない顔ね。

 そんなヤツの顔を思いっきり見下しながら、私は言い放ってやった。

 

「黙んなさいッ! アンタも一端(いっぱし)のトレーナーなら、裁定委員の結果を黙って待ちなさいよ!」

 

 そのまま睨みつけてやると、アイツは呆けたように静かになった。

 ふぅ、これで少し落ち着いたわね。

 私はそう思いながら視線を移す。

 その先では、さっきのトレーナーとは対照的に、静かにその裁定を待つトレーナーの姿があった。

 

「先輩……」

 

 スポーツインストラクターを目指し、少し寄り道をしてこの世界に入った私よりも年下で、そしてトレーナー歴では私よりも上になる、そんな年下の先輩。

 彼が担当したウマ娘こそ、今まさに委員が協議する原因となっているウマ娘だった。

 

(確かに、オラシオンが斜行したのは間違いない)

 

 その事実は覆らない。

 その行動によってセントホウヤが進路妨害を受けたのか、そこが問題なのだ。

 もしも進路妨害が認められれば、オラシオンの順位はセントホウヤの下となる。

 それは一昨年の秋の天皇賞で、スタート直後に斜行して進路妨害となったメジロマックイーンが影響を受けたウマ娘よりも下の順位となったのと同様に。

 彼女(オラシオン)もまた、1番入線をしたというのに2着どころかそれ以下となってしまう。

 そして、代わりに1着となるのは──

 

「ロベ……」

 

 両膝に手を付いて上半身を(かが)ませ、呼吸を整えているロベルトダッシュ。

 私が担当しているウマ娘。

 今のレースで2番入線した彼女こそ、繰り上がって1着になるかもしれないウマ娘だった。

 でもその表情は──厳しい。

 

(当然よね。勝負としては()()()んだから)

 

 まるで睨むように、確定しない掲示板に鋭い目を向けている。

 それが私には、彼女が「余計なことすんな!」と言っているように見えた。

 NHK杯から短い間隔での出走で万全とは言い難い調子だったオラシオン。

 対してロベルトダッシュは、皐月賞から整えられたおかげで万全だった。

 そんな有利な条件だったというのに、彼女の脚はオラシオンに届かなかった──現実をハッキリと突きつけられた気持ちは、察して余りある。

 

(私だって、似たような経験はあるもの)

 

 学生時代は剣道を嗜み、全国大会にも出たことがある。

 その経験の中で、どうやっても勝てない相手に遭遇したことは何度もあった。

 団体戦でそんな相手と戦い、私は負けたけど、他のメンバーが勝ってチームは相手に勝利した、なんてこともある。

 無論、勝利は嬉しかったけど……私の中にはやりきれない悔しさが残った。

 

(ううん、そんなものじゃないでしょうね……)

 

 私の方はそれが団体戦のルールなのだから、チームとして勝ち上がるという結果は当然のこと。私を揶揄する者なんているはずがない。

 でも……もしも今回のレースでオラシオンが降着になれば、ダービーの栄冠はロベルトダッシュのものになる。

 そしてそれは2番入線での優勝という“屈辱の栄冠”として残ることは間違いなかった。

 

(あの秋の天皇賞の……プレクラスニーみたいに、ね)

 

 レッツゴーターキンが制した秋の天皇賞から遡ること一年前。同レースをぶっちぎりの一番入線したメジロマックイーンが降着になったことで、優勝が転がり込んだのは2着のプレクラスニーだった。

 

(彼女は“盾の栄冠”を掴んだはずなのに、その姿は気の毒でさえあったわ)

 

 ウイニングライブでは観客は困惑し、陰口は叩かれ──彼女はその屈辱に対して逆襲(リベンジ)を誓ったという噂さえ聞こえてきた。

 実際、マイラーだというのにマイルチャンピオンシップもスプリンターズステークスにも出走せず、2500の有記念でマックイーンに挑戦状を叩きつけている。

 

(……あのレースはそんな事情に関係ない誰かさんが、奇跡の走りを見せて勝っちゃったのよね)

 

 私がチラッと視線を移した先で、そのウマ娘は私の教え子(コスモドリーム)と一緒に掲示板をじっと見ているけど。

 そうして、有記念を制することはかなわず、着順でもマックイーンに勝てなかったプレクラスニーは、さらに打倒マックイーンにのめり込んでいったのだ。

 でも、彼女のその後は──ほぼ語られることは無い。

 

(なぜなら……壊れてしまったから)

 

 その“妄執”と言得るほどの執念は、過剰なトレーニングを招いて無理がたたり、彼女は負傷してしまった。

 そしてその怪我は、競走ウマ娘として致命的なものだった。

 そういう経緯を経て、彼女は失意のまま学園を去ることになってしまったのだ。

 

(そんな結末を見ると、あの秋の天皇賞(レース)に人生を狂わせられたと思えて仕方がないのよ)

 

 もしも、マックイーンの降着が無ければ……プレクラスニーはもっと余裕のある競走人生を過ごせたに違いない。

 たとえそこで秋の天皇賞を掴めなかったとしても、有記念ではなくマイルチャンピオンシップやスプリンターズステークスに出て、そこで勝利していた可能性だってあったはず。

 もちろん、ダイタクヘリオスもダイイチルビーも楽に勝てるような相手じゃないけど、それでも彼女が有記念──いえ、打倒マックイーンにかけた情熱をそちらに向けていたら、十分に勝ち目はあったはずよ。

 そして、もしも息長く活躍できていれば翌年の春のGⅠや、さらには秋の天皇賞だって再挑戦できたはず。そこで栄冠を掴めるほどの才を間違いなく持っていたんだから。

 

(まぁ、去年の秋の天皇賞にプレクラスニーが出ていたら、きっとあのハイペースに巻き込まれていたかもしれないけど……ね)

 

 あのレースを勝った、先輩のチームから去ってしまったウマ娘の顔が頭をよぎる。

 ともあれ……今回の結果次第では、まさしくプレクラスニーを襲ったことが他人事ではなくなるかもしれないのよ。

 もしもオラシオンが降着という結果になれば、それが現実味を帯びてくる。

 

(もちろん、ダービー制覇は一生に一度しか挑戦できないものだから、ロベに取って欲しいという気持ちはあるわ)

 

 でもそれで、重い十字架を背負ってしまうのだとしたら……どっちが彼女のためにはいいのだろうか。

 こんな思いをさせてくれているオラシオンを少しだけ恨めしく思いながら電光掲示板を見ることしか、今の私にはできることはなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 先頭で入線した私でしたが、その勢いのままに走路を走っても、途中で足を止めていました。

 このダービーという大舞台で、先頭きってゴール板前を駆け抜けたのだから、正直な気持ちを言えば、ウイニングランをしたかったのです。

 でも、私の心の中には後ろめたさがありました。

 

(やって、しまいました……セントホウヤの前を、進路をふさいでしまった)

 

 その自覚があったから、私はウイニングランをせず、観客の声援に応えることができなかったのです。

 場合によっては、降着処分になるでしょう。

 もしもそうなれば、私を期待し、思いを託して応援してくださったファンの方々を大きく裏切ってしまうことになります。

 しかも、力及ばず破れたのではなく、1番入線しておきながら、私自身のミスでそれを棒に振ってしまうことになるのですから。

 足を止めて、胸に手を当てて呼吸を整えつつ──様々な視線が自分に刺さるのがわかりました。

 

 確定しない順位への不安。

 私がしてしまったことへの不満。特にセントホウヤのファンからは恨みがましい目で見られています。

 そして……一番強い感情が籠もった視線が、ロベルトダッシュから浴びせられていました。

 その強烈なまでの“不満”の感情は、よく理解できます。

 

(もし逆の立場であれば、私だって同じ思いに駆られるでしょうから)

 

 力及ばず2着になったにも関わらず、先着のウマ娘が反則で降着処分になって、1着が転がり込んできたら……その試合に勝って勝負に負けたというような状況に、絶対に納得できないことでしょう。

 いつの間にやら彼女のやり場のない怒りが込められた視線は、結果を求めて電光掲示板へと向けられました。

 そして、それ以上に……なによりも不快な「負けてしまえ」という露骨な視線を向けてくる、〈ポルックス〉のトレーナーの目。

 それに顔をしかめかけ──私の目に、乾井トレーナーの姿が映りました。

 

「あ……」

 

 その直前までの思考で弱り切っていた私は、恐る恐るといった歩調になりながら彼の下へと歩き進みました。

 

「オーちゃん……」

 

 彼の隣で、車椅子に座ったミラクルバード先輩が、どう声をかけていいか分からず戸惑っているのがわかります。

 私はそんな先輩に顔向けできず、トレーナーの方を向くと勢いよく頭を下げました。

 

「下手な走り方をして、申し訳ありませんでした」

 

 そんな私に、トレーナーは最初は驚き、そして困惑したように頬を掻き、そして最後には──

 

「……あれが下手な走り方だって? 冗談言うなよ」

 

 ため息をついてから、苦笑を浮かべてそう言いました。

 そんな反応に私は思わず目を丸くし、ミラクルバード先輩も「え?」と困惑した様子で振り向いています。

 

「お前は一生懸命走った。それだけだろ、オラシオン?」

「私のせいで……私がヨレたせいで、こんな事態になってしまいました」

「審議のことなら気にするな。もしも『抜かれまい』と思って、()()()内へと進路を取ったなら、オレはお前を叱らないといけないが……違うだろ?」

 

 もちろんそんなつもりはありませんでした。

 でもそれは私の言い訳でしかないんです。わざとでなければ良い、などという理屈は通じません。

 私がなにも言えずに黙っていると、トレーナーは優しい笑みを浮かべて、私の頭の上にポンと手を乗せました。

 

「お前とロンマンガンの勝負は……見事だったぞ」

「え……?」

「正直、ロンマンガンの大逃げが決まったと思った。あれはもう作戦勝ちだ。周りはお前を警戒して動けない連中ばかりで、しかも全員があの大逃げを見て『どうせ最後まで保たない』と判断していた。ただ一人、アップショットだけが遅ればせながら気付いて追い上げたが、あの時点の彼女には追いつけるほどの力が残ってなかった」

 

 それに触発されて皆がペースを上げたからこそ、ロンマンガンさんは追いつかれてしまった。

 そう私は思っていたのですが…… 

 

「だが実際には、アイツは最後まで追いつかれずに走り抜けれたはずだった……辛抱強く末脚をためていたお前がいなければ、だけどな」

「私、ですか?」

「ああ。あの位置から追いつけたのはオラシオン、お前だけだった。あの坂での走りはお前も、ロンマンガンも、どっちも見事だったぞ」

 

 意地で粘るロンマンガン──

 意地で追い込む私──

 その攻防は手に汗握ったとトレーナーは言いました。

 

「追い上げてきたのがお前だったからこそ、ロンマンガンはペースを上げざるをえなくなって逃げきれなかった。ま、そこでスタミナを余計に使ったから、ロベルトダッシュにも抜かれてしまったけどな」

「そんな……」

「そこで悲しげな顔をするなよ。確かにロンマンガンは意地を張らずにすんなりとお前を通していれば、残した余力で2着はキープできたかもしれない。だが……あの場面で、抗いもせずに2着でいいと思う競走ウマ娘がいるか?」

 

 それは……確かにトレーナーの言うとおりだと思います。

 ウマ娘の本能は走ることこそ喜びで、競走を志すからには“誰よりも早く走ること”こそが目標なんですから。

 それにロンマンガンが勝負事となると、負けが見えたときは手を引くのが早いんですけど、勝ちが見えたときは誰よりも貪欲になるんです。

 今回の終盤の粘りでは、私もつくづく思い知らされましたけど……

 

「それでもあれを“情けない走り”だとオレが認めたら、競ったロンマンガンを誉められなくなるからな。それはカンベンしてくれ」

 

 トレーナーは苦笑したままそう言って、少し離れた走路に寝転がったままのウマ娘──ロンマンガンさんを指します。

 

「あの走りを叱ることはできない。アイツが挑み、それに応えたお前のことも、オレは叱れないさ」

「でも、斜行(あれ)はその後のことで……」

「アイツと競って、死力を尽くしたからこそああなったんだろ?」

 

 もちろん体調が思わしくなかった、という理由もありましたが……ヨレて斜行したのは、余力がなかったせいでもあります。

 

「それに、もしもあの斜行で接触が起こっていたなら、オレはもちろんセントホウヤや〈ポルックス〉に謝りに行ったが、それでもお前のことを責めたりはしないぞ。真剣勝負の結果なんだからな」

 

 私の頭の上に乗せられていた彼の手が、私の肩へと移動します。

 そして軽くポンポンと叩かれ──

 

「胸を張れ、オラシオン。たとえ降着になっても……今日のレースは恥じるようなものじゃなかった」

「トレーナー……」

 

 彼の言葉が胸に染み入り……激しい後悔に(さいな)まれていた心を救ってくれたのです。

 私が思わず顔を上げたその時──場内アナウンスが流れた

 

『おしらせいたします。10番のオラシオンが、最後の直線走路で内側へと斜行した件につき審議いたしましたが──』

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「……長いわね」

 

 ダービーのゴールから、そして審議のアナウンスがあってから、アタシ──ダイユウサクがそう思うくらいの時間が経っても、電光掲示板に数字は現れないでいる。

 それだけ時間が経っても、アタシの所属するチームのメンバーであるロンマンガンは、走路の芝に大の字で横になったままだった。

 

(大丈夫かしら?)

 

 そんな彼女の様子にアタシは不安を感じていた。

 今までレース本番で逃げたことがなかった彼女が、一時は2位以下に大差を付ける大逃げを敢行したのよ。無理をしていないわけがないわ。

 さらには最後の直線の、上り坂でのオラシオンとの張り合い。

 正直、ロンマンガンがあそこまで頑張れるなんて、粘りを見せるなんて思ってもいなかった。

 逃げきれずに集団に飲まれて──あっけらかんとした表情でアタシ達の前に現れて「いや~、逃げきれなかったッスわ」と笑みを浮かべる、なんてことまで予想してたのに。

 結果的にはオラシオンに抜かれ、大外からきたロベルトダッシュにも抜かれたけど、最後の粘りで後続の追い上げを断ち切って、3番で入線している。

 

(それだって立派な結果よ)

 

 人気上位のセントホウヤやアップショットよりも前の順位なんだし、この審議の結果次第ではオラシオンよりも上の順位になり、ダービー2着という結果にもなり得るんだから。

 

(……ちょっと、本気で動かないわね)

 

 再度視線を向けても、横になったままのロンマンガンが本気で心配になり──アタシは思い切って走路に入ると、そのまま彼女に駆け寄った。

 そんなアタシに気づいた何人かが、「何事か!?」と訝しがるように見たけど、駆け寄った先のロンマンガンが寝転がったまま動かないことに気づいて納得すると同時に、心配そうな目を向けてくる。

 

「ロンマン! 大丈夫なの!?」

 

 アタシが声をかけたとき、芝に寝転がったロンマンガンの腕は隠すように顔にかかり、その表情が見えなかった。

 そのことがアタシの不安を助長させる。

 

「ロンマン!!」

「だぃ………ッス、パイセン……」

 

 かすかに聞こえた、かすれたような声は「大丈夫」と言っているようだった。

 でも、そんなか細い声で言われても安心なんてできないわよ。

 さらに注意深く彼女を見ると──呼吸のための胸の上下が不規則なように見えた。

 

(やっぱりまだ呼吸が乱れているじゃないの……)

 

 たしか吸入用の酸素をミラクルバード(コン助)が持っていたはず。

 その姿を探し求めて振り返ったアタシの耳に「うぅッ……」という嗚咽の声が聞こえた。

 

「……え?」

 

 思わず声のした方を見て──その声が、アタシの足下からだと気がつく。

 それは、地面に転がったままのロンマンガンからだった。

 

「ロンマン……」

 

 よく見れば、顔を隠すような腕は、しっかりと両目を覆っていた。

 その口は酸素を求めて大きく開かれているのではなく、時折悔しさをかみしめるように食いしばっていた。

 

 そう……ロンマンガンは、泣いていたのだ。

 

 今回のレースという“場”で、周囲の状況から自分の勝ちが見える最善の手を打ち、そして勝利まであと一歩というところまできたのに──届かなかったのだ。

 彼女は間違いなく全力を出すことができた。

 ううん、それ以上の力を絞りきれるところまで出したのに──及ばなかったんだもの。

 その涙は当然だと、アタシは思っていた。

 

「パイセン……あっし、悔しい、ッス……」

「ええ、そうね。悔しくて当たり前よ。あれだけ練習して、このレースに出るために頑張って勝って、本番に備えてさらに練習して……本番でもあんなに頑張って、あと一歩だったんだから。悔しくないわけないわ」

 

 ここに至るまでだって、人一倍苦労していたんだから。

 アタシはロンマンガンから視線を外し、未だ確定しない電光掲示板を見つめる

 

「あとちょっと……あと少しで、シオンにだって……勝てたのに。なんで……もうちょっと頑張れなかったんだろ、あっし……」

「彼女の方が競走に本気で取り組むのが早かっただけよ。それを、ここまで詰められたんだから……もう少しよ」

 

 アタシが言うと、彼女は「うん……」と答えて、少しの間口を(つぐ)んだ。

 確定しない結果に、観衆が固唾をのんで掲示板を見守る中、アタシの周囲はロンマンの嗚咽の声だけが聞こえていた。

 そして──

 

「パイセン……スゴいッスね」

「ん? なにが?」

「パイセンは、こんなに悔しい気持ち、何度も経験してるってことッスよね?」

 

 ……うん。ちょっとだけイラッとしたわよ。そういう場じゃないってのはわかってるけど。それでもやっぱりね。

 アタシは確かに「一流ウマ娘だ!」なんて胸を張って言える成績じゃないかもしれない。

 周囲にはオグリキャップやスーパークリーク、ヤエノムテキみたいな優秀な成績をおさめたウマ娘がたくさんいたんだから。

 そんな彼女達を意識しないわけにはいかなかったし、それと比べればそんなことを言えなかったもの。

 でも、それだって勝ったレースの数は10を越えてるのよ?

 そしてそれは、たくさんのレースに出走した結果。さっきあげた3人やメジロアルダン、サクラチヨノオー達に成績では及ばずとも、彼女達よりも多くのレースを走ったんだから。

 

「……そうよ。それも何十回も、よ」

 

 アタシはそれらの光景を思い出しながら、言ってやった。

 もちろん惨敗したレースもあった。

 惜しくも届かなかったレースは、沢山あった。

 一年近く勝利から遠ざかったこともあった。

 そんなアタシの経験から言えるのは──

 

「でも、悔しいから……次こそ、と思えるのよ」

 

 確かに、勝ったから次も勝ちたいって思える。

 でも勝利の喜びの他に、負ける悔しさが加われば、もっともっと勝利に貪欲になる。

 心折られて、その勝利を「どうせ酸っぱい」と(ひが)みはじめない限りね。

 

「だからね。たとえ負けても、無駄なレースなんて、一つもないの……ううん、違うわね。負けたレースでも、無駄なレースにしちゃいけないのよ。だから今は、存分に悔しがりなさいよ、ロンマン」

 

 あれだけオラシオンと良い勝負ができたのに、今行われている審議の結果がどうなろうとロンマンガンにダービー制覇の栄冠が転がり込んでくることはない。

 それだけが本当に……アタシにとっても悔しかった。

 

 そして彼女の手がその栄冠に届かないのなら──苦労を見ていたもう一人の後輩が掴むのを祈るしかない。

 

(シオンの方が、ロンマンよりもつきあいが長いんだものね……)

 

 チームの中での編成上、アタシはロンマンガンの面倒を見ることになったから今まで感情移入してたけど、それを抜きにすれば彼女の勝利を祈りたい気持ちは大きいんだから。

 なにしろアタシが金杯の後でなかなか勝てないときも、そして有記念のときも、彼女はアタシを応援してくれたんだもの。

 

(入線は1番なんだから……あとはもう運を天に任せるしかない!)

 

 アタシにできるのは祈って審議の結果を待つしかなかった。

 そしてその運こそ、我ら〈アクルックス〉が他の強豪チームにも負けないところなんだからね

 そして……その審議の長さに、アタシの心の中に、「やっぱり斜行で降着かしら」と不安が首をもたげてきたその時──アナウンスが流れた

 

 

『おしらせいたします。10番のオラシオンが、最後の直線走路で内側へと斜行した件につき審議いたしましたが着順を変更するには至らないと判断し、入着通どおり確定いたします』

 

 

 電光掲示板の1着には“10”の数字が出る。

 同時に、ワッと観客席から大きな歓声があがった。

 

 それを聞いて、アタシはホッと胸をなで下ろした。

 




◆解説◆

【──長い流れ(5)】
・「長い流れ」については前々々々話参照。
・おそらく次でこのタイトルも終わりかな……

多くのレース
・競走馬ダイユウサクが走ったレースは38戦。
・ちなみにオグリキャップは37戦、スーパークリークが16戦、ヤエノムテキ23戦、メジロアルダン14戦、サクラチヨノオーは10戦。
・サクラチヨノオーが少ないのは故障で引退が早かったせいで、アルダンも引退こそ遅いですが故障で走れない期間が長かったから。
・逆にオグリキャップがあれだけ有名な馬な割に多いのは、笠松時代に12戦も走ってるのが影響していると思われます。
・晩成型の競走馬はランク上げに苦労するので、レース数も多くなりがちで、その典型であるダイユウサクはまさにそのタイプ。
・同じくクラシックに縁が無く晩成型だったバンブーメモリーも生涯39戦と多くのレースを走っていました。
・バンブーはデビューは87年11月と、ダイユウサクよりも1年近く前にデビューしていました。その分、ダイユウサクの引退はバンブーの約一年後でしたので、活躍期間的にはほぼ同じですが。
・やはり馬主さんは使ったお金を少しでも取り戻したいので、なかなか勝てない馬は結構な頻度で出走することになります。
・例えば……本作ではおなじみのサンキョウセッツはダイユウサクやバンブーメモリー以上の43戦を走っていますからね。


※次回の更新は11月17日の予定です。  

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時32分となります。



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第68R ──長い流れ(6)



『──着順を変更するには至らないと判断し、入着通どおり確定いたします』





 

 アナウンスを聞いても私──オラシオンはまるで他人事のように、無反応でした。

 いいえ、無反応だったのではありませんね。

 むしろいろいろな感情が爆発しすぎて、どれも表に出てこられず──硬直(フリーズ)していたという方が正しいのだと思います。

 

「やったな、オラシオン」

「……………………え?」

 

 目の前のトレーナーが、落ち着いた様子でそう言ったのも、私が感情を爆発させるきっかけを逸した原因の一つだと思います。

 

「おめでとう。お前が、ダービーを制したんだ」

「私が……」

 

 未だ実感ができず、戸惑っていると──

 

「やったね! オーちゃん!! おめでとう!! すごいよッ!! ホントにスゴい!!」

 

 トレーナーの横で、車椅子から飛び出さんばかりの勢いでミラクルバード先輩が歓喜を爆発させていました。

 その姿を見て、ようやく実感がじわじわとわいてきたのです。

 

「私が、ダービーに……勝った、勝てた……んだ」

 

 思わず自分の手を見つめる私。

 でも──

 

「──嘘だ!!」

 

 すぐ近くの観客席から、怒鳴るような大声が走路へと響いてきたのです。

 

「こんな不公平な審議結果、受け入れられるか!! あからさまな斜行で、それによる進路妨害だぞ!? これが反則にならなかったら、いったいなにがなるっていうんだ!」

 

 声の主は〈ポルックス〉のトレーナー。

 

「あ……」

 

 そう、です。

 私の走りは、明らかに斜行でした。

 そしてそのせいで他のウマ娘の行く手を阻んでしまったのも事実。

 その陣営には抗議して、不服を申し立てる権利はあることは間違いありません。

 

(やっぱり、私は──)

 

 戸惑い、そして表情を曇らせかけると──

 

「何言ってんのや、オッサン! 審議が終わって、それで確定したんやぞ!! それ以上わめくな!!」

 

 〈ポルックス〉のトレーナーに向かって怒鳴るウマ娘がいたのです。

 声のした方を思わず振り向いて──

 

「ロベルト、ダッシュ……」

 

 ──私は少なからず驚きました。

 彼女こそ私が降着になって最も得する、2着から優勝へと繰り上がるはずのウマ娘なのですから。

 それが……なぜか、進路妨害を主張する声に賛同するどころか、むしろ抗議するなんて。

 怒鳴り散らしてそのトレーナーを黙らせた彼女は、私の方へと歩いてきました。

 そして──

 

「おめでと、オラシオン。惜しいとこまでいったと思ったけど、結局勝てなかったわ。ホンマ、強いなぁ」

 

 そう言って彼女は片手を差し出してきました。

 呆気にとられながら、思わず渡しも差し出した手を──彼女は笑みさえ浮かべて、ガッチリと痛いほどに握ってきたんです。

 

「っ……」

「ったく、シケたツラしとる場面やないで、オラシオン。今日の勝者……今日の主役なんや。アンタがそんな呆けた顔してたら、シマらんわ」

 

 彼女の手荒い祝福に、私は苦笑気味のぎこちない笑みを返すことしかできませんでした。

 やはり心の底から嬉しいというわけには──

 

「ふざけるな! オラシオンは負けだ! ほんとは失格だ!! それを日本ダービー(一年に一度のお祭り)で、それもダントツの一番人気だったから降着にしたらファンの不満が爆発する。それを恐れて降着にできなかっただけだ! 断固抗議してやる!」

 

 再び声をあげる〈ポルックス〉のトレーナー。

 それにロベルトダッシュは再びキッと睨みつけましたが、それに怯むことなくトレーナーは騒ぎ続けています。

 周囲の視線が集まり始めたその時──

 

「おやめなさいッ! 見苦しい!!」

 

 ──凛とした声が周囲に響き、それに圧されたトレーナーもさすがに黙っていました。

 おかげで静寂が周囲を取り巻き──そして声の主が静かに歩みを進め、私の方へとやってきたのです。

 

「おめでとうございます、オラシオン」

 

 そのウマ娘は、私に向かって悠然と一礼したのです。

 

「ありがとう……ございます、セントホウヤ」

 

 それに答礼する私。

 でも、彼女のそんな行動にはロベルトダッシュ以上に驚かされていました。

 なにしろ彼女は──

 

「なぜ頭を下げる!! なぜオラシオン(そいつ)の勝利を認めるんだ、セントホウヤ!? お前がまさに妨害されたんだぞ! それを──」

「お黙りなさいッ!!」

 

 三度騒ぎ出した〈ポルックス〉のトレーナーを、自分の担当にあたるその人を、セントホウヤ自身がキッと睨みつけて一喝したのでした。

 

「ホウヤ、お前……」

「それ以上、みっともない真似をするな、と言っているのですわ。トレーナー」

「バカを言うな! お前こそ黙っていろ!! 本来ならもっと上の順位だったのを主張してやると言っているんだからな! お前は邪魔されたからあんな順位になって──」

 

 ムキになって大きな声を出すそのトレーナーを、セントホウヤはどこか呆れた顔で見ていたのですが、今の言葉で「あんな順位?」と小声で言い、静かに怒りだしていました。

 

「……上り坂のせいで、私の脚はあれ以上伸びませんでしたわ。無論、オラシオンの位置に関係なく、です」

「そんなはずはない! オラシオンが内にヨレたからこそ、お前は前に出られなかったんだ! そう言って、後は俺に任せればいいんだ!!」

「貴方に任せろですって!?」

 

 完全に怒り心頭となるセントホウヤ。

 普段の彼女からは想像できないほどに、苛烈に怒り始めたのです。

 

「貴方に任せたところでどうなるというのですか!? たとえ彼女(オラシオン)が降着になろうとも、順位が一つ繰り上がるだけではないですか!! そうやって今のレースにケチを付けることこそ、共に走った仲間(ライバル)たちを愚弄することに他なりませんわ!!」

 

 その言葉に、周囲にいた共にレースを走ったウマ娘たちは大きくうなずいていて……私は驚きました。

 きっと、私のせいでレースを台無しにされて怒っていると思っていたのですから。

 そして、それに後押しされたセントホウヤはさらにトレーナーに言い寄ったのです。

 

「あの順位は自分自身のせい。それ以上でもそれ以下でもありません。あの時点で精一杯だった私の前を誰が横切りながら走ろうとも邪魔したことにはなりませんわ。もっとも……それが私よりも遅かったら別ですけど」

 

 そう言って彼女はチラッと私へと視線を向けてきました。

 そうでなかったことは、今のレースを見ていた誰もが分かっていることです。

 

「確かに、あのときオラシオンは目一杯になっていたと私自身も思っていましたわ。実際、内へとヨレてきましたし。ですがそこから再加速して、ロベルトダッシュさんを引き離しています。おそらく今の審議の結果も、そこを見て私への妨害には至らなかったと判断したのでしょう」

 

 セントホウヤが自分のトレーナーへと言い放ちます。

 それを聞いていた彼は、悔しげに歯噛みしなつつ──ついには怒鳴り散らしました。

 

「黙ってろ!! お前は黙ってオレの言うことを聞いていればいいんだ!! オラシオンを降着させる。そのために抗議するんだ! だからお前は進路妨害をされた、そう言うんだ!!」

「………………ハァ」

 

 セントホウヤはこれ見よがしにため息をつき、大げさに肩をすくめます。

 

「……進路妨害が認められて、ダービー制覇の栄光がどこか別のウマ娘にいくくらいなら、皐月賞と併せて一人に持たせた方が秋に倒すのに手間が省けるというものですわ。オラシオン、貴方を打倒すればいいのですから」

 

 セントホウヤは興味を失ったように、トレーナーから私へと視線を移します。

 でもその言葉を聞いて、聞き捨てならんとばかりに割り込んでくるウマ娘が一人──

 

「ハッ、言ってくれるやないか、セントホウヤ!! ま、とはいえ気持ちはウチも同じや」

 

 声の主は、ロベルトダッシュ。

 怒ってるかと思いきや意外にもスッキリした顔で、不適な笑みさえ浮かべていたのです。

 

「確かに、勝ったとしてもオラシオンよりも前でゴールを駆け抜けてなければ、そんなもんに何の価値もない。そないな転がってきた勝利なんざいらんから、そこでアホみたいに騒いで欲しがってるトレーナーにでもくれてやる、と思っていたところやで」

「それは奇遇ですわね……でも、それだと私に転がり込んでしまいますわ。私もそんな勝利に興味はないのは同じですから……」

 

 ロベルトダッシュ同様にセントホウヤも不適な笑みを浮かべます。

 そして二人は──

 

「オラシオンの三冠阻止するのは、ウチや!」

「その役目、譲るわけにはいきません!」

 

 ──私に対して宣戦布告をしてきたのです。

 ここまであからさまな挑戦状を受けないわけにはいきません!

 

「ええ、望むところです。私も全力で……三冠に挑ませてもらいますから!」

 

 だって私はダービーウマ娘に、そしてクラシック二冠のウマ娘になったのですから。

 どんな挑戦だって、受けて立たないといけないんです!

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──オラシオンへの挑戦を宣言した私、セントホウヤ。

 

 もちろんその言葉に嘘はありません。

 ですが、それに向けて不安が無いわけではありません。

 無論、私自身の実力は──現時点ではオラシオンに負けている()()()()()()()

 スプリングステークス、皐月賞に続いてダービーでも負けたのですから。

 ですが、その才では決して負けていないはず!

 なんと言っても、私は昨年の最優秀ジュニアウマ娘なのです。

 そして“吉永”の一門であり、なによりセントエストレラに連なる者として、このまま負け続けるのは沽券に関わるのですわ!

 

(ですから、秋には絶対にリベンジいたします!)

 

 そう決意した私でしたが──ふと視線を他へと向けます。

 私の視線の先には、恨みがましくこちらを睨んでいるトレーナーがいました。

 その目は、自分の意にそぐわぬ私に対し激しい怒りを越えて、憎悪さえ抱いているように見えます。

 そんな視線に私は──ますます気持ちが冷めていくのを感じていました。

 

(自分の担当ウマ娘をまるで敵のように見るような方は、もはや信用できませんわ)

 

 愛想が尽きた、というのはこのことを言うのでしょう。

 しかし今、トレーナーから離れては今後のレースを走れなくなるおそれがある……

 

(かといって、この方についていったところで、オラシオンに勝てないのは火を見るよりも明らかですわ)

 

 この人の指示に従っても、今までオラシオンに勝てていない。

 いいえ、それだけではありませんわ。

 この人に従っていたばかりに、オラシオンどころかその無名に近いチームメイトにさえ負けているではありませんか!

 

(ロンマンガンさん、とおっしゃいましたか……)

 

 完全にノーマークだった彼女の予想外の走り。

 それは私の心に衝撃を与えるのには十分すぎました。

 

(私は、伸びていないのでは? もしかすると、今のままでは……)

 

 今の自分に対する疑問と、そして私自身ではなくオラシオンへの妄執を露わにするトレーナーの姿を見れば、彼への不信感は増すばかりでした。

 そうして気持ちが切れてしまえば──この人の下でトレーニングなど出来ようはずがありません。

 形式だけのトレーナーになったとしても、自分自身の考えたトレーニングだけできちんとしたトレーナーがついているライバル達についていけるかどうか……

 さすがにトレーナー無しではあまりにもハンデが大きすぎます。

 

(まして相手は“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”の乾井 備丈……)

 

 一昨年の有記念以降、実績を出しているトレーナー。

 さらにはロンマンガンという十把一絡げに思っていたウマ娘を、ダービー3着にまで育てた張本人でもある。

 そんなトレーナーがオラシオンにはついているのに、トレーナー無しで挑むのは無謀というもの。

 

(ただでさえ強大な相手に立ち向かうというのに、私にはその環境さえないというの?)

 

 あまりにも不利すぎる。

 かといって、今のトレーナーが頼りになるとは思えませんし、願わくば先代に復活していただきたいところですが、それも難しいでしょう。

 ああ、いったいどうすれば……

 

「なぁ、セントホウヤ。アンタの考えてること、なんとなく分かったわ」

「……え?」

「だからアンタにいい話あるんやけど……乗る気、ないか?」

 

 どうやら悩んでいたことが顔に出ていたようで──察したロベルトダッシュが、ニヤリと笑みを浮かべていたのです。

 ……そんなに、わかりやすい表情をしていたのでしょうか?

 そんな彼女は「ちょいと耳貸せや」と内緒話をするために私へ顔を寄せてきました。

 

 その内容はといえば──

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そして、ダービーの表彰式。

 

 そこには優勝したオラシオンと、その関係者が集まっている。

 オラシオン本人と、担当トレーナーである乾井 備丈。

 さらにはチームスタッフである研修生の渡海と、共に並んで見守る車椅子に座っているウマ娘──ミラクルバード

 彼女の存在は、かつて今のオラシオンのようにクラシック三冠を期待されたウマ娘ということでマスコミの注目を浴びていた。

 

「と、トレーナー……」

 

 想定外の注目を浴びてミラクルバードはオレに不安げな視線を送ってくる。

 気持ちは分からないではないが、かといって止めるようなことではないからな。実際、渡海も含めてだが、ミラクルバードのサポートがなければ、オレとオラシオンのコミュニケーションがとれず、今回どころか去年の時点で破綻してもおかしくなかった。

 そういうわけで、功労者である彼女(ミラクルバード)が讃えられないのはおかしいからな。

 不安そうに見上げるミラクルバードに対して、オレは「安心しろ」と笑みを返しながら頭の上にポンと手を置いた。

 心なし、気持ちよさそうに目を細めた彼女はそれで落ち着いたようで、マスコミのカメラに向かって笑顔さえ返していた。

 

(やれやれ……)

 

 意外な危機を乗り越え、オレは視線を周囲に向ける。

 オレ達チーム関係者以外では、オラシオンの家族が来ている。

 しかし顔を出したのはオラシオンの養父ではなく、姉代わりに育ったウマ娘だった。

 オレと目があった彼女──孤児になったオラシオンが育った施設で姉代わりだったファーストワグというウマ娘──は、オレに向かって軽く会釈してきた。

 微笑を浮かべ、優しげで大人びた雰囲気を持つ彼女は、昨年の夏にオラシオンが相談しに行った相手だったことを思い出す。

 どうやら彼女は、オラシオンの養父である和具氏と直前まで一緒に観戦していたらしいが……

 

「和具さんの体調、大丈夫ですか?」

 

 本来であればこの場にいるべきその人の代わりに、ファーストワグさんが来ているのは体調不良の申し立てがあったからだ。

 オラシオンから聞いている限りでは健康面に不安があるわけではないらしい。それでも彼女の養父ではなく祖父と言っても納得されるほどには高齢だ。

 

(まして心臓に悪いようなレースだったからな……)

 

 ロンマンガンが道中で圧倒的な差をつけたこと。その後最後の直線で異常な粘りを見せたこと──これはオレにとってはどちらも教え子なのだから影響なかったが、和具氏にとっては気が気ではなかっただろう。

 その直後のオラシオンの斜行からの流れは、オレも当事者だったのでよくわかる。

 着順が確定するまでは、胃が痛くなるほどに緊張したさ。

 もっとも、オラシオン本人と会話していたので、気が紛れていたというのはあったが。

 そういうことも無かったであろう和具氏に同情しながら訊いたオレに対し、ファーストワグさんは少し困った顔をした後、苦笑気味な表情でオレへと顔を近づけてきた。

 

「乾井トレーナーだから言いますけど、実は体調不良というのは方便なんです」

「方便?」

 

 驚いて問い返すオレに、彼女は「ええ」と先ほどよりは神妙な面もちで答える。

 

「和具さんが社長を退いた経緯はご存じですか?」

「一応、簡単にはオラシオンから聞いていますが……事実上の吸収合併の際に、自ら身を退いたとか」

「その通りです。でも和具さんは残った社員達のことも気にしていて……会社を身売りさせた張本人がこういう場面にノコノコ出てきて目立つわけにはいかん、と(おっしゃ)って私を代理にして、観客席のどこかから見ていると思います」

「それは……」

 

 なんとも申し訳ない気持ちになった。

 和具氏は、企業の社会貢献の一環としてファーストワグさんやオラシオンがいたウマ娘の孤児院を支援していたらしく、施設への支援だけでなく二人のように才能を見いだしたウマ娘をトレセン学園に推薦して援助するということもしていたそうだ。

 そんなウマ娘達の中でダービー制覇は、今回のオラシオンが初めて。

 その経緯を考えればその思いは察して余りあるし、表彰式を自ら辞退するというのがどれだけ残念なことか。

 

「おそらくですけど、残った社員の皆さんは、そんなこと気にしないと思うんですけどね。和具さんはとても良い方ですし、恨む人なんてきっといないんじゃないかと……」

「それを気にするくらいの方、ですからね」

 

 和具氏とのつきあいの浅く、オラシオンや目の前のファーストワグほどに彼の人となりをしらないオレではあるが、今の話を聞いただけでどれだけ周りの人を大事にする人かは伝わっている。

 だからこそ“愛娘(まなむすめ)”の晴れ舞台に同席させられないことが本当に悔やまれる。

 

「そう言っていただけるのは、名代として嬉しく思いますよ。乾井トレーナー」

 

 ファーストワグさんはそう言って、再度頭を下げてきた。

 

「そして、彼女(オラシオン)の姉代わり代表としても、お礼を言わせてください。本当にありがとうございました」

「姉代わり、代表?」

「はい。和具さんの代わりにここに立つのも、彼女たちと少し揉めたんですが……」

 

 そう言って彼女がチラッと見た先を見ると、恨めしそうにこっちを見ているウマ娘が3人。

 しかしその面子を見て、オレは思わず苦笑してしまう。

 

「いや、あの中の誰かではマズいでしょ」

「ですよね? さすがに現役の、他のチーム所属のメンバーでは、ねぇ……」

 

 オラシオンと、そしてファーストワグと同じ施設出身のウマ娘達だった。

 しかもさらに問題なことに、彼女たちの所属はよりにもよって〈ポルックス〉である。

 和具氏と、あのチームの先代が仲が良かったこともあって所属したそうで、ファーストワグも現役の時はあのチームに所属していたらしい。

 彼女たちがファーストワグを見る目以上に、オレに対しては敵対的な気配を感じるのは、やはりあのチームとの因縁が原因なのかもしれない。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 表彰式の中に入っていたのは、〈アクルックス〉の中でも乾井トレーナーと、研修生の渡海と、サポートのミラクルバードだけ。

 それ以外のメンバーは、というと、あっし──つまり、ロンマンガンの下へと集まってた。

 ……この状況、顔をしかめたくなる。

 気を使われてる感じが露骨すぎて、本気で気まずいんですけど。

 

「……なんでこっちに来てるんスか? みんな、ダービーの表彰式に出たことある訳じゃないでしょうに」

「うわ~、かわいくないわね」

 

 あっしの言葉に、ジト目を向けてきたのはダイユウサク先輩。

 対してもう一人の先輩──ギャロップダイナ先輩は肩をすくめながら、意地悪くニヤリと笑う。

 なんかイヤな予感が……

 

「なんだロンマン、一人で泣きたいから離れて欲しいのならちゃんと言えよ。オイ、ピアリスにダイユウサク、聞いたか? 一人にしてやろ──」

「なッ!? ち、違う! 違いますってば! なんでこういう時ばかりダイユウ姐さんはダイナ姐さんと連携して離れようとしてるんです!?」

「え? あ、ゴメンねロンマン。気が利かなくて……」

「違うっていってるじゃないッスか!」

 

 あ~、もう! ダイユウサク先輩はともかく、ダイナ先輩にあの姿を見られたのは、本当に大失敗だった!!

 そうやって頭を抱えていると──

 

「みんな、ロンちゃんを応援してたんだよ? だからシオンちゃんじゃなくてこっちに来てるんだから……」

 

 サンドピアリスが無邪気に言った。

 え? ホントに? と思って二人の先輩を見ると──ダイナ先輩は気恥ずかしげに視線を逸らして頭をガシガシと掻いている。

 一方でダイユウ先輩は目が合うと優しげな笑みを浮かべてうなずいた。

 

「もちろんよ。アタシが面倒見たんだから、その責任くらいはとらないとね」

「それに、お前の方が〈アクルックス〉らしいウマ娘だったからな。人気薄からの、ド本命を打倒する……どちらかと言えばそっちの肩を持ちたくなるのは当然だろ」

 

 ダイユウ先輩の言葉に、ダイナ先輩も乗っかってくる。

 そっか……あっしのこと、先輩達は応援してくれたんだ。

 ちょっと感激しちゃうわ。

 なにしろこの二人は、有名な《皇帝を泣かせたウマ娘》と《世紀の一発屋》なんだから──

 

「まぁ、あたしらは勝ったけどな」

「そうね。ついでに言えば、ここにいないターキンもね」

「なッ!? そりゃないッスわ、先輩方……」

 

 上げて落とすのやめてくれます? しかもなぜか息ピッタリに合わせてまで。

 思わずがっくり膝を落としたわ。

 というか、今回の件で本当に思い知らされた。

 ダイナ先輩とダイユウ先輩とターキン先輩のやったこと──絶対王者の大本命をあっしらみたいなウマ娘が倒すのがどれだけ大変で、どれだけスゴいことなのか。

 それに、オラシオンは身近な存在だったけど……やっぱりスゲーわ、っての思い知らされたし。

 あぁ……勝ちたかったなぁ。

 あと少し、とも思うけど──その少しが永遠に縮まらない気がする。

 

 そう、表彰式を終えて記念撮影の準備を見ている自分(あっし)と、その場所に立って待っている彼女という現実の、厳然たる距離がそれを証明しているように感じた。

 

 ああ、やっぱり……あっしは自分が思うように大舞台(ビッグタイトル)には縁がないウマ娘なんだろう。

 それらが続く王道を進むオラシオンとも、少ない機会(チャンス)をつかみ取った先輩方とも違って。

 関係者たちが集い、記念撮影に備えて集団が形成されていくのを、黙って見ていて──突然、背中がポンと押された。

 

「──え?」

 

 思わず、たたらを踏んで数歩前に出てしまう。

 いや、誰よ? 無関係なあっしが、場違いに出ちゃったみたいじゃないの。

 少し憤りを感じながら振り返ると──こともなげに立っていたのは、ギャロップダイナ先輩だった。

 彼女は、さも当然のように──

 

「お前も、撮影に混ざってこいよ」

 

 ──と言ってのけた。

 その内容に、あっしは思わずぽかーんとしてしまったわけですが……我に返って、素っ頓狂な声をあげてしまった。

 

「はあっ!? な、なんでそんな……無関係で、レースに勝ったわけでもないのに──」

「無関係じゃないだろ? 立派なチームメイトじゃねえか」

「そりゃそうですけど、でも、今の今まで同じレースで競って──」

「ああ、オラシオンとの勝負は見事なもんだったぜ。だから遠慮することはねえ……オイ、ビジョウ!!」

 

 あぁ!? ダイナ先輩が大きな声を出して乾井(イヌ)トレ呼んじゃったし。

 

「どうしたんだ? ダイナ」

「記念撮影、ロンマンも入れてやってくれよ。一回目、終わったんだろ?」

 

 正式なというか、公式な、記録に残る撮影の方はつい今し方終わった模様。

 それに対して次はもう少し自由な撮影──という間隙をついて、ダイナ先輩はトレーナーに声をかけたわけで。

 とはいえ、やっぱり主役を無視するわけには行かない。ダイナ先輩はちらっとオラシオンへと視線を向ける。

 

「もちろん……お前がイヤじゃなければだけどな、優等生」

 

 釣られるように乾井トレーナーもオラシオンのことを見る。

 いや、これほぼ強制じゃん。選択肢が「はい」か「Yes」しかないってヤツ。

 自分の晴れの舞台の写真撮影に、いくら同じチームとはいえ、同じレースを走ってた“敗者”を入れるなんて──

 

「ええ。もちろん構いません。大歓迎ですよ、ロンマンガンさん」

 

 ……彼女(オラシオン)は笑みさえ浮かべてそう言いきって、あっしへと手をさしのべてきた。

 いや、さすがに……唖然としたわ。

 修道服デザインの勝負服も相まって、もう完全に聖女だわコレ。

 そこに一点の迷いも躊躇もなく、百パーセント善意の笑顔を向けられて、ゴチャゴチャ考えてたこっちが逆に恥ずかしくなる。

 

(いや、ホント、かなわんでしょ。こんなウマ娘に……)

 

 競走の実力だけじゃない。人格という面でも差をつけられた気がするわ。

 だって、確かにシオンはGⅠ制覇も3度目になるけど、やっぱりダービーは特別じゃん。

 その栄冠を手にして、注目を独り占めしたいと思って当然なのに。

 あっしにとっては3着だって大戦果。初めてのGⅠだったんだから。

 それを祝福してくれる器の大きさに、心が打ちのめされる思いだった。

 実力があって、こういう舞台に慣れているから……というよりは、彼女の生来のものだと思う。

 だからこそ人の気持ちを受け止める──“祈り”を背負って走るウマ娘たりうるんだと思えた。

 

(でも……だけど、さ……)

 

 自分が負けず嫌いだから、負けっぱなしはイヤだと思うからこそ──彼女が差し出した手を受け、撮影の輪に入って彼女の横に立ちながら、思ってしまう。

 あっしは、そこまで善人にはなれないのは分かってる。

 勝負で目の色が変わり、勝ち目を見たら全力で、何を犠牲にしてでも拾いにいく。そんな賭博師(ギャンブラー)気質なんだから、むしろ真逆の悪人側に近いかも。

 だから、せめて勝負くらいは……一度くらいは、コイツ(オラシオン)に勝ちたいわけよ。

 うん。心の底からそう思う。

 人格では決して負けないから、競走で勝ちたい。オラシオンに──

 

「……シオン」

「なんでしょうか?」

 

 撮影の合間に、あっしは思わず彼女に声をかけていた。

 

「次は、負けないからね」

「はい?」

「次に勝負するときは、絶対にあっしが勝つ。どんな(作戦)を使っても、泥臭く、貪欲に勝ちをねらって……必ず下克上してみせる。そうして世間を驚かせてやるわ」

 

 あっしは、精一杯──ダイナ姐さんや乾井(イヌ)トレのあの笑顔を思い出して真似ながら──ニヤリと笑ってみせた。

 一瞬、驚いた顔をしたシオン。それから言葉をしっかりと受け止めるかのように、目を閉じる。

 

本命喰い(ジャイアントキリング)十八番(おはこ)の〈アクルックス〉のウマ娘にそう言われるのは光栄です。でも……」

 

 そう言って目を開くと、その顔に勝ち気な笑みを浮かべて──宣言した。

 

「私も〈アクルックス〉のウマ娘ですからね。負けませんよ」

 

 ああ、それでこそオラシオンだわ。

 さっき聖女だと言ったけどそんなのは彼女のほんの一部でしかない。

 その本質は誰よりも負けず嫌いの、あっしなんぞよりもずっとずっと競走ウマ娘らしいウマ娘なんだから。

 こんなにスゴいウマ娘が挑戦を受けてくれるんだから、もっと研鑽を積まないと。

 きっと今以上に強くなる彼女よりも──それを越えなければ、勝てるわけがないんだから。

 

「次のクラシック……秋に下克上、みせてやるわ」

 

 思わずあっしもシオンと同じような、勝ち気な笑みでそう言い返してた。

 直後、ストロボの強烈な光の嵐が起きる。

 

 ──こうして今年のダービーは幕を閉じ……翌日の新聞には、そのときの笑顔が紙面の一面を飾ってた。

 

 

 ──もちろんシオンしか載っておらず、あっしはフレームアウトしてるけど。

 

 

 ま、いいけど別に。

 主役はシオンだったんだし。

 3着だったし、オマケで写り込んだところで嬉しくも何ともないし。

 

 ──でも、秋は絶対に、負けない!!

 

 




◆解説◆

【──長い流れ(6)】
・「長い流れ」については前々々々々話参照。
・……という解説も今回でやっと最後です。
・なお、結構投げっぱなしでダービー終わってしまったかな、という自覚はあるのですが、小説『優駿』の終わり方はもっと投げっぱなしだと個人的には思ってます。
・なにしろ表彰式やって、小説そのものが終了だったりしますから。

声をあげる
・なお、このときに〈ポルックス〉のトレーナーが言っていたセリフこそ、原作の『優駿』でオラシオンの斜行が認められなかった理由──の最有力候補とされています。
・これを言っているのが関係者ではなく予想屋なので確定事項ではありませんけど。
・ちなみに、原作はメジロマックイーンよりも前の時代のものなので、斜行の反則に対して“後着”ではなく“失格”になるところでした。
・このセリフを言った予想屋も別にオラシオンを目の敵にしていたわけではなく、むしろ応援する側(大本命だったのだから当然ですけど)だったので、原作ではもっとマイルドな言い方です。

“吉永”の一門
・セントホウヤの元ネタは、小説『優駿』に登場する同名の競走馬。
・その競走馬を生み出したのは吉永ファームという一世を風靡している大牧場で、そのモデルは現実での社台ファームと思われます。
・本作ではそこ出身の競走馬をモデルにしたウマ娘は“一門”を形成している、ということになっています。
・ジュニア未満の年齢のウマ娘を対象とした競走専門の英才教育機関──を経営している、という設定です。
・ゲーム版に出てくる“クラブチーム”の名門だと思っていただければ。
・つまり、和具さんがやろうとしていることはこれに近いもの──というのも和具元社長が吉永のやり方を参考にして新しいことをしようとしているという原作オマージュでもあります。

セントエストレラ
・本作オリジナルのウマ娘。その元ネタは小説『優駿』に登場する同名の種牡馬。
・吉永ファームが所有する名種牡馬であり、吉永ファームのモデルが社台ファームなら、このセントエストレラのモデルはもちろんノーザンテースト。
・セントホウヤはスイットサックルと、このセントエストレラの仔であり、同世代の中ではセントエストレラの最高傑作……ではないんです、実は。
・「吉永さんはオーナーズ・ブリーダーだから、一番いい馬は他人に売らねェよ」というセリフが文中にあり、その直前には「関東に吉永の持ち馬であるセントエストレラの三歳(オラシオン達と同世代)の牡馬が4頭おり、吉永の隠し馬である」という旨の説明があります。
・ですので、セントホウヤ以上のライバルが出てくる……と思いきや、出てこないんですよね。
・伏線なのかと思っていたんですが、セントホウヤ以上にライバル的立場になるロベルトダッシュは、関西馬である描写がありますし馬主も違います。
・一応、それっぽいのはアップショット。
・関西が舞台の『優駿』では珍しく関東馬ですし、皐月賞の前の登場シーンで「セントホウヤと互角の評価を受ける関東馬」という紹介のされ方をしていますが、血筋についての説明が見当たらずハッキリしません。馬主が誰なのかも出てきませんし。

声をかけた
・この場面、実は史実のオマージュだったりします。
・もちろん()()()()()()()()()()()()()は小説『優駿』というフィクションの中でしかありません。
・キーになるのはこのアクションを起こしたウマ娘──ギャロップダイナ。
・その元ネタ競走馬のラストランとなった1986年の有馬記念のこと……
・フランス遠征が残念な結果に終わり、帰国後も結果が芳しくなく、特にジャパンカップは10着と大敗。有馬記念での引退を決める。
・2000の秋の天皇賞を制したとはいえ本来はマイラーであるギャロップダイナが2500の有馬記念には、その前年の結果もあって期待する者は少なく11番人気でした。
・しかし、そのラストランでも輝きを見せるギャロップダイナ。大外から抜け出したダイナガリバーへ大外から迫り、半馬身及ばぬ2着という結果を残しました。
・本作のギャロップダイナがひねくれた性格なのも、その辺りの“不人気だと活躍する”という戦績も反映されています。
・そして1着だったダイナガリバー。その名前で察せられると思いますが、馬主がギャロップダイナと同じだった縁で、ダイナガリバーの記念撮影にはギャロップダイナも並んで加わりました。
・ですので今回、“ロンマンガンが記念撮影に混ざる後押しをする”という役目が与えられました。
・というのも、流れ的にがギャロップダイナのラストランを描く機会が無さそうなので、オマージュとしてここで使った次第です。


※次回の更新は11月23日の予定です。  



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第69R “あなたの未来に加護のあらんことを”


 ──ダービーが終わり、記念撮影が行われていた。

 連続で瞬くストロボの光を浴びながら、チームメイトの2人──オラシオンとロンマンガンが笑顔を浮かべてる。
 それを見て、わたしは──

「2人とも、スゴい!!」

 思わず手をたたいて喜んでた。
 今日のレースが脳裏に浮かぶ。
 完全に想定外で、ダイナ先輩さえも驚いていたロンマンガンの大逃げ。
 気が付けばすごい差がついていて、そのまま逃げ切っちゃうと思ったのに、それに追いついたオラシオン。
 そこからの2人の勝負──意地で粘るロンちゃんと、意地でも差すシオンちゃんの白熱した争いを見て、思わず胸が熱くなった。
 そんな2人をあらためて「スゴい!」と思うと同時に──

「……私、も……」

 思わず口から、その思いがついて出てた。
 ロンちゃんがシオンちゃんを目標にがんばってたのは知ってる。
 シオンちゃんもシオンちゃんで、このダービーに勝つことを目標に、今までがんばってきたのも知ってる。
 その2人が競い合う姿は──本当に輝いて見えた。
 そして、わたし自身もそうなりたいといつの間にか思ってた。

(ライバルと競い合って……)

 そう思いかけて、ふと疑問に思う。
 わたしにとって、好敵手(ライバル)って誰?
 オラシオン? ロンマンガン?
 ううん、違う……確かに同じチームだし、クラシックレースに挑んでるのは一緒だけど、わたしが狙うの別の路線なんだから。

 ──トリプルティアラ。

 もう既に桜花賞とオークスは終わっちゃったけど、私はそのレースに出たくてがんばった。
 路線変更して、2人を追いかける?
 そんな気持ちが無いわけじゃない。
 でもわたしは──それよりも初志貫徹して、最後のトリプルティアラを目指したいと思っていた。
 だってカグラちゃんやカラーちゃん、モンちゃん達と一緒に走りたいんだから。
 トリプルティアラに挑戦する彼女たちの方がチームメイトであるはずの2人よりも不思議と身近に感じられる。
 そんなみんなと競走したい。彼女たちが目指すレースにわたしも出たい。自然とそう思っていた。

「あれ? という、ことは……そうなのかな?」

 わたしにとっての好敵手(ライバル)は……カグラちゃんやカラーちゃん達、ということなのかもしれない。
 だったら──わたしも、走りたい。
 まるで今日みたいなレースを。
 今日みたいに大きなレースで、カグラちゃん達と勝負がしたい。

 ダービーの余熱が籠もった胸の中で生まれたその思いは、わたしの口から溢れ出てた。

「ねぇ、ダイナ先輩……」
「ん? どうした?」

 ロンちゃんと送り出した張本人で、チームでわたしの面倒を見てくれてるギャロップダイナ先輩。
 頭の後ろで髪をひとまとめに束ねた彼女の、ちょっと怖いときもある目がわたしを優しく見つめる。

「エリザベス女王杯、目指したら……ダメ、かな?」
「ピアリス、お前……」

 唖然とした顔のダイナ先輩。
 あぁ、やっぱり……わたしの実力じゃあ出られるわけないよね。
 思わず苦笑いをして誤魔化そうとした、その時──

面白(おもしれ)ぇじゃねえか」

 ニヤリと歪み、笑みを浮かべたその顔は、ちょっと怖かったけど……でもそれ以上に頼もしく思えたのです。


 ──その日から、わたしの運命の歯車は、あの瞬間に向けて廻り始めたのでした。




 

 故郷を流れる川。

 それを目の前にして──私の記憶よりも、川幅が狭いことに少しだけ驚きました。

 でもそれが、この川を見ていた頃の私から今の自分に成長したせいだと気付いて、納得したのです。

 

(お母さん……私、ここまで大きくなれたんだよ)

 

 その川の流れに向かって、あのころを思い出しながら、あのころのように祈っていました。

 母の体調が良くなりますように……一生懸命に祈ったその願いは叶えられなかったけど、でも今の私の言葉は天に届くような気がしました。

 

(お母さんが亡くなってから、いろんな人と出会って、その人達のおかげで今の私があって……その私が、あんな大きな舞台に立てたんだから)

 

 胸中に浮かぶのは、あの日──ダービー当日の、東京レース場の熱狂でした。

 スタート前の興奮した空気。

 ゴールした瞬間の大歓声。

 その後の困惑したどよめき。

 そして──着順が確定したときの、再びの歓声。

 そんな大勢の人達の感情が大きな流れのようにうねり、たゆたい、私の中にも入ってきました。

 

(あなたの娘は……そんな大舞台を無事に走りきるだけじゃなく、最高の結果をえることができました)

 

 それができたのは、やっぱり出会った人達の支えのおかげなのですが……それでもやっぱり、お母さんが見守ってくれていたからだと思うのです。

 そうでなければ、きっとあの時──ゴール前で内へヨレてしまったときに失速して、セントホウヤと激突していたかもしれない。

 もしかしたら私も……ミラクルバード先輩のように、走ることができなくなっていたかもしれません。

 

(先輩といえば……)

 

 ふと頭をよぎった、母が亡くなってから出会ったいろんな人達の一人であるウマ娘、ミラクルバードさん。

 私も見ていた皐月賞で大きな怪我をし、そこから歩くどころか足の感覚を失っていた彼女でしたが……あのレースの時、立ち上がっていたそうです。

 正直な話、私も「そんなことはないのでは?」と疑っていたのですが、本人や隣にいた乾井トレーナーを含めた周囲の話を総合すると、どうやら間違いないらしく──

 

『オーちゃんを一生懸命応援してたから、三女神様から奇跡のお裾分けをもらっちゃったみたいね』

 

 ──と、悪戯っぽく笑みを浮かべていました。

 それ以降はもちろん立ち上がることはできていないのですが、それでもきっかけになったのか、感覚がほんの少しだけ戻ったようです。

 とはいえ、まだまだ立つどころか足をわずかに動かすことさえ困難なようですが、『今までゼロだったのものが、0.0001にでも進めたんだから、この意味は大きいんだよ』と嬉しそうでした。

 困難な道でしょうけど努力し続ければ、いずれは立ち、そして歩くことができるようになる可能性も出てきた、と御医者様も言っているそうです。

 そうなれば、ウマ娘としてもっとも望むことである“走る”ことが、彼女にとって“見果てぬ夢”ではなくなる日が来るのかもしれません。

 

(まぁ、その話を先輩がしているとき、別の先輩はすごい目でトレーナーを見ていましたけど……)

 

 その形相を思い出して、思わずクスッと笑ってしまいました。

 なんでも、ミラクルバード先輩は瞬間的に立ち上がったものの、バランスを崩して倒れかけ、それをとっさに乾井トレーナーが抱き留めたそうなんですが……それが面白くなかったようですね、ダイユウサク先輩は。

 

『あのなぁ……ミラクルバードが倒れそうなのを見殺しにできるわけないだろ? そのままにしてたら大変なことになってたぞ』

『……だからって、抱き留めることないじゃない。イヤらしい……』

『あ~、そういえば僕、あのとき色んなところに触られちゃったかも』

『なッ!? バード、お前そういうウソつくなよ! コイツにそういう冗談通じな──』

 

 先輩に思いっきりかかとで足を踏まれて悶絶していましたっけ、トレーナー。

 そういう姿は少し情けなく思ってしまいます。チームを預かる身なんですから、しっかりとして欲しいものですね。

 それに──“私の”トレーナーでもあるんですから。

 

「クロ!」

 

 川に向かい、胸の前で手を組み合わせて目を閉じていた私に、背後から声がかかりました。

 振り返ると──幼なじみであり、私に“祈り”を教えてくださった方が近づいてくるところでした。

 

「渡海さん……実家は、よろしいのですか?」

「ああ。とりあえず顔は見せたし、これからハナカゲさんのお墓参りしたあとに、また行くからね」

「なるほど」

 

 今回、私が生まれ故郷を訪れたのは、夏休みを利用して母の墓前にダービーの制覇を、そしてクラシック二冠を含めた今までのことを報告するためでした。

 それに故郷が同じで、今も実家がそこにある渡海さんと一緒にきたんです。

 

「でも、お墓の前にここで祈りたいだなんて……たまに変わったことするよな、クロは」

「変わったことではありませんよ?」

 

 渡海さんの言葉に、私は思わず少しだけ眉をひそめてしまいました。

 

「ここは私にとって大切な場所です。生まれて初めて“祈る”ということを教えてもらった場所であり──」

 

 そう大事な思いでの場所……

 

「それを教えてくださった貴方と出会った場所なのですから」

 

 そう言って私は──今まで支えてくれたその人に微笑んでいたのでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──とある日のこと。

 

 さてと、とばかりに準備万端整えて、ヘルメットを被りかけたオレは、思わずその手を止めていた。

 この時期の夜明けは一年の中でも早い方に分類される。

 だというのに、夜明け間もないこんな時間にオレの前に立ち、そしてとジト目を向けるその存在に唖然としないわけがなかった。

 

「お前、どうして……」

「どうして、はこっちのセリフなんだけど」

 

 その頭の上でにある耳は、明らかに不機嫌なことをその動きで主張している。

 恨めしく睨んでいるジト目は、もはや見慣れたものだった。

 オレとコイツ……ダイユウサクの付き合いは、昨日今日始まったものじゃないからな。

 ともあれ、機嫌だけはとっておくとするか、と考えてオレは言い訳をしてみた。

 

「説明しただろ? ダービーが終わったから長期休養だって。オラシオンは明らかに調子を落としていたからな」

 

 オラシオンは昨年11月のデビューから連戦を続けていた。

 確かに調子を落としたのを見て、2月にも出走を回避して休息を入れたこともあったが、この半年の間で見れば小休止程度にしかなってない。

 そして、さらにその後は皐月賞の前哨戦と本番、NHK杯にダービーと気の抜けない激戦を走り抜けることになったしな。

 ダービーを終えた今、オラシオンは秋に再び始まるクラシック戦線に備えるため、少し長めに夏休みをとって早い時期から休ませるのは当然だった。

 

「もちろん、知ってるわよ。シオンは旅行に出かけたし……」

 

 そんな長期休暇を利用して、彼女は母の墓前に報告したいということで、生まれ故郷へと旅立っていった。

 オラシオン本人もしっかりしてるし、そこが地元の渡海もつけているので、きっと無事に着いていることだろう。

 なにより秋にはクラシック三冠という偉業への挑戦がある。

 ここで気分転換して英気を養い、しっかり備えて欲しいものだ。

 

「オラシオンだけじゃなく、ロンマンガンにも休養を言いつけたぞ。アイツもオラシオンほどじゃないにしても連戦だったからな」

 

 皐月賞へ出走しなかったことや、そもそもデビューが今年になってからだったのでその分の差はあるが、それでも体への負荷が貯まっているのは間違いない。

 なにより、ダービーでは無茶とも言える“大逃げ”なんかもやったんだから、慎重になるべきところだろう。

 確かにダービー3着という結果に本人のモチベーションが上がっているのはわかった。

 やる気があるのはとても良いことだが、それで前のめりになりすぎのは危険だ。

 

「やっと本人のやる気が出てきたっていうのに休ませたの?」

「そうは言うが、秋に向けて体を一度しっかり休めませないといけないのは、オラシオンと一緒だぞ? そこで無理にトレーニングさせて、ケガしたら元も子もない」

「それは分かるけど……」

「本人も、しばらくゆっくり休めと言ったら嬉しそうにしてたしな」

「む……せっかく少しは真面目になったと思ったのに」

 

 複雑そうに顔をしかめるダイユウサク。

 ロンマンガンというウマ娘は、ウチのチームに来たときから自分を過小評価して斜に構える傾向があった。

 無論、頑張るときは頑張るし、その集中力は高い。

 

(良く言えば、力の入れどころと抜きどころがハッキリしている要領のいいウマ娘、といったところだけどな)

 

 つまりは頑張らないときは頑張らない。

 そしてそんな姿勢は、がむしゃらに頑張り続けたダイユウサクからはもどかしく見えたんだろうな。

 今回のダービーの結果を自信にして自己評価を改め、もっと勝利にどん欲になって欲しいと思うのはオレも同じだ。

 しかし生まれ持った“要領の良さ”──今回で言えば頑張るのと休むことの切り替えの早さ──は、やはり健在なんだと思ってもいる。

 

「きっと、ロンマンったら麻雀ばかりしてるわよ。引きこもりみたいになってネット対戦三昧とか言って」

「体を休めてくれるならそれでも構わないさ。下手に張り切って隠れてトレーニングされるよりはマシだ」

 

 不満げなダイユウサクに対し、オレは苦笑混じりに答える。

 その畏れがあるのが、オラシオンだ。

 アイツは真面目な上に負けず嫌いだから、接戦になったダービーの結果に不甲斐なさを勝手に感じ、休めと言いつけていてもこっそりトレーニングしかねない。

 彼女が生まれ故郷に帰るのに渡海を付けたのは、それを見張るという意味もあった。

 

「……で、2人に休みを言いつけたから、自分もどこかに行くつもり?」

「ま、しばらく長期の休みも取れていなかったし、久しぶりに……な」

 

 目の前にいるダイユウサクが有記念で勝った後──は大騒ぎで年末年始までお礼やら挨拶で急がしかったからな。

 ようやく一息つくころにはレースへの出走を再開。しかも今度はスランプで頭を悩ませ、その後はターキンの加入やオラシオンをデビューに向けて奔走したり……と、気がつけば一年以上があっという間に過ぎていた。

 

「秋になれば……いや、その前から秋に向けて忙しくなるのは間違いないんだ。今の時期にやりたいことをやっておかないと、またできなくなっちまう」

 

 皐月賞とダービーを制したオラシオンが挑むのは、菊花賞。

 それを制すればクラシック三冠という大きな勲章を手にする。

 しかし、その偉業ももちろん一筋縄ではいかない。

 ロベルトダッシュやセントホウヤといったライバル達が黙って見ているだけなわけがなく、さらに実力を付けて挑んでくる彼女たちを返り討ちにしなければならないのだ。

 そして、同じチームであるロンマンガンの目標もまたクラシックレース。残る一冠の制覇を狙っているのは彼女も同じ。ダービーで確かな手応えを感じてやる気が盛り上がっている今、さらに成長できるはずだ。

 そしてオラシオンの間近にいるからこそ打倒の気持ちは強いだろうし、そのための努力が大変なことはロンマンガン自身が一番肌で感じているだろう。

 

「だからその前に、ってわけだ、お前もロンマンガンが休みの間は自由にしていていいぞ。実家に帰っても構わないし、せっかくの夏休みなんだからコスモドリームあたりとどこかに出かけたらどうだ?」

 

 6月の後半から7月に入ると、中央(トゥインクル)シリーズでは重賞が極端に減って、トレセン学園でも夏休みの空気が早くも流れることになる。

 ジュニア期の新人たちのデビューシーズンでもあるが、あいにくとウチのチームには今年のジュニア世代がいない。

 従姉妹のコスモドリームとなら、一緒に実家に帰るもよし。仲がいいんだからどこかに旅行に行くのもいいだろう。

 

「ピアリスはどうするのよ?」

「あぁ、それに関しては……ダイナが『あたしに任せておけ』って言ったから甘えることにした。『お前も疲れてるだろ? 二人同様に休め』だとさ」

 

 ウチのチームにはあと一人、サンドピアリスがいるんだが……確かに他の2人には溝をあけられた感はあるんだよな。

 

(芝では勝てないのが、ちょっとな)

 

 重賞にも挑戦したが、結果を残せなかった。

 とはいえダートで好走しているため、それほど不安視はしていない。そこはダートの経験が豊富なダイナの指導の賜物だろう。

 任せておけば、このままダートで活躍してくれるに違いない。

 

(なにしろ、名前がサンドピアリス(砂の貴婦人)だからな)

 

 ピアリスにしても、去年の夏のターキンみたいにレースに出走するならともかく、ねらいはやっぱり秋のレースになる以上は、夏の一時期をダイナに任せてしまって構わないだろう。

 

「……で、バイクで出かける、と」

「お、おう……久しぶりだしな」

「ふ~ん、なるほどね……」

 

 愛車の傍らに立つオレに対し、ダイユウサクはゆっくりと歩み寄り──その手にはいつの間にやらヘルメットを持っていた。

 

「それって、あの日の……」

「そ。あの有記念の日にお世話になったヘルメットよ」

 

 その頭の上にある耳に障らない、ウマ娘用のヘルメットは確かにあの時にダイユウサクに渡したヘルメットだった。

 ダイユウサクは笑顔でそれを被ると、平然とタンデムシートに座ってきたのだった。

 

「オイ、お前……」

「出かけたらどうだ、って言ったのはアナタでしょ?」

「それはコスモドリームと、って言っただろうが」

「……なに、アタシが付いていったら困るの?」

「そりゃあ……宿の予約とか、全部一人にしてるし、困るに決まってるだろ」

 

 一人旅のソロツーリングの予定だったんだから、当然だろ?

 でも、ダイユウサクはヘルメットの奥からジト目を向けてくる。

 

「……本当に困るのは、目的地じゃないの?」

「はあ? お前、なに言って──」

「ターキンに会いに行くんでしょ?」

「………………」

 

 図星だった。

 レッツゴーターキンが姿を消して数ヶ月、彼女から無事を知らせる手紙が届いた。

 しかし今まで電話で連絡を取ってもいない。

 オレは彼女の話を聞きたいと思っている。

 

 なぜ、突然引退したのか。

 そして──ここへ戻ってくる気はあるのか。

 

 その内容が内容だけに、彼女と直接顔をあわせて話すべきだと思い、電話連絡をしていない。

 かといってオラシオン達クラシック世代を抱えているオレには、彼女に会いに行く時間を作ることは今までできなかった。

 ダービーが終わり、夏を迎えたことでオラシオンとロンマンガンが休養に入って余裕が生まれたオレは、ダイナからピアリスの面倒を見るとの申し出があったことで、やっと彼女の様子を見に行く時間ができたのだ。

 

「……ダイナ先輩がピアリスの面倒を任せろって言ったのも、アナタを送り出すためでしょ?」

「かもな」

 

 ギャロップダイナは、ぶっきらぼうだが後輩の面倒見はいい。

 それに彼女自身、ターキンのことが気になっているんだろう。

 

「ターキンに会いに行くなら、アタシも行かないといけないわ」

「……なんで?」

 

 ダイユウサクの言葉に、オレは思わず首を傾げる。

 ターキンとそんなに仲良かったか?

 

「アタシは、〈アクルックス(ウチのチーム)〉のリーダーなんだし」

「……え?」

 

 思わず驚きの言葉が口をついて出る。

 瞬間、「しまった」と思ったが……もう遅い。案の定、ダイユウサクの表情が見る見る不満で不機嫌なものへと変わっていく。

 

「……なにか不満でも?」

「いや、それは……」

 

 思わず口ごもるオレを、ジト目でじっと睨むダイユウサク。

 いや、だってさ……人付き合いあんまり得意じゃないだろ? 他の人に無関心なところあるしな。だから他を引っ張っていくタイプでもない。

 

「〈アクルックス(ウチ)〉は元々、アタシとアナタで始まったチームでしょ! それなのに……」

「分かってるさ」

 

 不満そうな顔が、不安そうな顔になっているのを見て、オレは思わず苦笑する。

 もちろん、オレだってそう思うさ。

 ロンマンガンとレッツゴーターキンは、お前の有記念を見てウチのチームにきた。

 オラシオンだって、オレとお前で中央(トゥインクル)シリーズに挑んでいる姿を見て、ウチのチームに入るのを決めた。

 “吃驚(ビックリ)の〈アクルックス〉”というのも、あのレースがあればこそだ。

 

「ただ、リーダーとか主将(キャプテン)とか考えたことが今まで意識したり考えたことがなかったからなぁ」

 

 人見知りな性格をしているダイユウサクに、精神的に無理をさせてまでリーダーという立場を押し付けたくなかったというのが本音だ。

 でも、面倒を見させたロンマンガンがダービー3着に入るほどの成長を見せたのは、彼女の功績も大きかった。特に“逃げ”の先生を知り合いから連れてくるなんて、以前は考えられなかったことだ。

 精神面での成長を実感し、それに喜びを感じる。

 

「でも、〈アクルックス〉の中心にいるのは間違いなくお前だよ、ダイユウサク」

 

 そう言うとパッと表情が明るくなる辺りはやっぱり成長したんだろうな。前なら無関心、なんなら面倒くさそうにしていただろうし。

 

「だからリーダーとして、チームのウマ娘代表として、ターキンに会いに行くわ。ひょっとしたらチームから去った原因がアナタかもしれないでしょ? そうしたらその元凶に理由をいえるわけ無いじゃないの」

「それは、そうかもしれないが……」

 

 う~ん、一理あるような気もする。

 まぁ、近い世代であり、まして同じウマ娘だ。オレに言えないことを話す相手も必要だな。仕方がない。

 オレはため息をつき──

 

「じゃあ、行くか」

「ええ、もちろん」

「我が侭言ってついてくるんだから、なにがあっても文句言うんじゃないぞ」

 

 オレが言うとダイユウサクは頷き──エンジンをスタートさせ、ダイユウサクを後ろに乗せたまま愛車を走らせた。

 遥か遠くの、レッツゴーターキンがいる場所へ向かって。

 

 

 ──それからダイユウサクにちゃんと準備をさせてから出発したのだが……

 

 

「……なんでさっきから全っ然、前に進まないのよ」

「渋滞だからな」

 

 出発してほどなく、一般道で交通渋滞に捕まったオレ達。通勤時間帯に入っちまったから仕方がないわな。

 だが、オレの後ろにいるお嬢様はだいぶ不機嫌なようで。

 

「隣の車線、ガラガラに空いてるじゃない」

「そっちはウマ娘専用レーン。バイクでなんて走ったら交通違反でキップ切られるわ!」

 

 車道と歩道の間にあるそこは、確かに誰も通っていない。

 その存在に不慣れな人ならともかく、ウマ娘競走(レース)の関係者であるオレがそんな交通違反をしたらあまりに体面が悪すぎる。

 もしもそんなことをして、さらに学園にバレればお叱りを受けることになる。そうすれば間違いなく──

 

(たづなさんに失望されてしまう……)

 

 学園のあらゆる情報が集まる理事長の下で秘書をしている彼女なら、きっとそれを知ることになるだろう。

 そうなることは、絶対に避けなければならない。

 

「こんなんで、ホントにターキンのところにたどり着けるの?」

「アイツのいる牧場まで渋滞が続いてなければ、な」

 

 なんか妙にイライラしているな、と感じていた。

 まぁ、バイクは風を感じるから、実際にウマ娘が走る感覚に近いのだと思う。

 そして歩行者が車の渋滞に巻き込まれるなんてことがないのはウマ娘も同じだから、今みたいな状況はウマ娘にとっては“走りたいのに走れない”というフラストレーションが溜まる状況なのかもしれない。

 そんな仮定を重ねた推論を考えていると──おもむろに、ダイユウサクがバイクから降りた。

 

「あれ? どうした? やっぱり行くの諦めるのか?」

 

 それならそれで全然構わないどころか、むしろ大歓迎なんだが……

 オレが内心ほくそ笑んでいるとダイユウサクはキッと睨んでくる。

 

「違うわよ。その車線、アタシが走る分には全然問題ないわけよね?」

「そりゃそうだ」

「こんなところでジッとしていられないわ。先に行くから後から追いついてきなさいよ」

 

 ふむ、なにを言い出すかと思えば……と、我が侭を言い出したダイユウサクに少しの呆れとこの旅での今後の不安を感じたオレだったが、その直後にピンときた。

 なるほどな。このタイミングでこんなことを言うとしたら──やむを得ないよな。

 バイクを降りていそいそと走る準備を整えているダイユウサクを、オレは温かい目で見た。

 

「……トイレか」

 

 ピタッとその動きが止まる。

 そしてダイユウサクはおもむろにオレへと近づくと、オレの被っているシステムヘルメットの特徴ともいうべき前面をカパッと開き──露わになった顔面に、彼女の拳がガッと突き刺さった。

 

「違うわよ!! 全っ然、違う!! 誤解も甚だしいわ!!」

「お前なぁ! それならそう言うだけでいいだろ! わざわざヘルメットこじ開けてまで殴るようなことじゃないだろうが!! 下手すれば、バイク倒していたところだぞ! そうなったらそれで傷が付いて──」

「倒れてないし傷ついてないんだからいいじゃないの! そんなことよりも、アンタのその心無い言いがかりのせいで、アタシの乙女心の方がよほど傷ついたわよ!!」

 

 え? トイレ行く行かないで精神的に傷つくものなの?

 というか、乙女心って……今時言うか、普通。

 ダイユウサクがオレの愛車を『そんなこと』呼ばわりしたのはカチンと来たが、それ以上にその言い回しがツボに入って、内心笑いそうになっていた。

 で、それに気づいたダイユウサクがさらに怒りだし──まぁ、なんというか出発早々に波乱になった。

 

 

 ──その後、なんだかんだで先行して走っていったダイユウサクが待っているのを、からかい半分で無視して置いていってやった。

 ちょっとした仕返しのつもりだったんだが──必死の形相で追いかけてきたのは、怖かった。

 

 ……さすがグランプリウマ娘だな、アイツ。やっぱ速いわ。

 




◆解説◆

【“あなたの未来に加護のあらんことを”】
・今回のタイトルは『馬の祈り』から。
・終盤にある
  “And your God will (そして、あなたの神は)reward you here and hereafter.(今世と来世であなたを祝福するでしょう。)
の部分を意訳。
・あなたの未来──これは、〈アクルックス〉の未来であり、これからの秋レースのこと。
・もちろん冒頭で決意を固めたあのウマ娘も対象です。
・実は、予定では今回で第二章の最後の話になる予定だったんですが、普段の2倍から3倍の文字数という、あまりにも文章が長くなったために2話に分けました。
・そうすると、第二章が70話ちょうどになりますし、更新日も11月の最後の更新ということでストンと落ち着きますし。
・……ん? 第二章の最後?

リーダーとか主将(キャプテン)とか
・アニメ版の〈スピカ〉では“リーダー”と呼ばれていたので、チーム代表のウマ娘はきっとリーダーだと思います。
・なのでダイユウサクの直前の台詞ではそちらになってました。
・ただ、書いている人としてはチームの印象が部活のように感じているので、“リーダー”というよりは“主将(キャプテン)”なイメージ。
・巽見トレーナーは大学まで部活動やっていたので、彼女の方が“主将(キャプテン)”と呼びそうですけど。

失望
・そういえば第二章では、乾井トレーナーの「たづなさんLOVE」ネタが減ったなぁ。
・まだトレーナーの気持ちが変わってないのは、やっぱり一番つらい時期に助けてもらったのが原因。

システムヘルメット
・一見、フルフェイス。しかし実はバイザーだけでなく前面が開いてジェットと同じ感覚になる……のがシステム型のヘルメット。
・これの一番の良さは──そんなギミックがあってなんとなくカッコいいところ。
・真剣な話をすると、眼鏡をかけているとフルフェイスって着脱に眼鏡を外したりかけなおしたりと結構面倒なのが、見た目はほぼ同じなのに楽に眼鏡をかけたままで着脱できるのがポイント高かったりします。
・書いている人はその基準で選んでいるんですが、フルフェイスのデメリットのもう一つに、口が覆われているせいでヘルメットをかぶっていると会話が難しくなるというものがあります。
・ETC非対応の料金所とか不便で仕方ありません。
・これはバイザーをあげても基本的に解決しないのでフルフェイスでは逃れられない宿命なのですが、システムだと前面を開ければ普通に会話できて解決できます。
・乾井トレーナーはバイクに乗って追いかけてトレーニングを見ていることもあったので、直接声が賭けられるようにシステムを被っています。


※次回の更新は11月29日の予定です。  



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第70R “三女神の祝福を!(アーメン!)



 そして……時は過ぎ、季節は秋。


『さあ、この京都レース場ではクラシック三冠の最後を飾るレースが開催されようとしています。
 “もっとも速いウマ娘が勝つ”皐月賞……
 “もっとも運の良いウマ娘が勝つ”日本ダービー……
 そしてこのクラシックレースでは最長、GⅠレースでも屈指の長さを誇る菊花賞は“もっとも強いウマ娘”が制すると言われております。
 その世代最強決定戦に、夏、秋を経てさらに成長したウマ娘達が挑みます』

 実況の声に応えるように、歓声が起こった。
 走路に姿を現したこのレースへの挑戦者を迎えるその声は、晩秋の高い空へと響きわたった。
 そして──不敵な笑みを浮かべたウマ娘が、手を挙げてそれに応える。

『春先からの成長、という意味でもっとも顕著なのはこのウマ娘かもしれません。
今年の1月にデビューした後に故障に泣かされたものの、そこから這い上がって皐月賞へ出走し5着。その後のダービーでは2着と、着実に成績を上げて菊花賞に挑む──ロベルトダッシュ!』

 大本命が存在する今回のレースで、彼女に対抗できるウマ娘としてもっとも期待されているのが彼女だった。
 2番人気のウマ娘の紹介に、観客席からも大きな歓声が起こった。
 そして……次のウマ娘が姿を現す。
 同じように歓声に手を振る彼女だったが──心なしか、その仕草が少しだけぎこちないように見えた。
 その姿に観客は、「ひょっとして調子が悪いのか?」と不安を抱くが、それは杞憂。
 なぜなら彼女のそんな態度は別のところに理由があるからだ。

『さて続いては、もっとも環境が変化した、というのならこのウマ娘でしょう。
昨年の最優秀ジュニアという栄冠を持ちながらも思うように結果を残せず、不本意な春となった彼女は、思い切ってチーム移籍という手段を取りました。
心機一転を果たし、勝負服も一新したセントホウヤ。その実力が再び花開く!!』

 3番人気となったのは彼女だった。
 ダービー直後に〈ポルックス〉から離れた彼女が入ったチームは、ロベルトダッシュに誘われたチーム〈アルデバラン〉
 来るもの拒まずが信条の〈アルデバラン〉では、チームのメインである相生(あいおい)トレーナーが担当となって彼女を夏から鍛え直し──秋のレースでは完全に復活。さらに成長したロベルトダッシュと共に、頂点を目指していた。
 ただ……勝負服は〈アルデバラン〉の先輩、コスモドリームと同じくプロテクターのようなものが付いたそれは、お嬢様然とした彼女にとってはだいぶ恥ずかしかった様子。
 お披露目になった菊花賞のセレモニー会場では盛んに「話が違いますわ」と言っており、今もその不満は解消していないらしい。この場に現れてからのぎこちない動きもそれが原因だった。



 

 実況による各自の紹介が続いている。

 それにつられてあっし──ロンマンガンは思わず紹介されたウマ娘へとチラッと視線を向けていた。

 もちろん、さりげなくだけど。

 さすがに紹介されてるのと別のウマ娘をわざわざ盗み見るようなひねくれた真似は、さすがにしませんってば。

 なにしろ、わざわざ実況が情報付きで教えてくれるわけで。それに、自分が注目を浴びているという状況になれば、普段の心理状態を維持するのはなかなかに困難なもの。

 そこに生まれる隙から、隠そうとしている本音や本性が見え隠れすることもある。

 その辺りの勝負のアヤは競走一辺倒のウマ娘なんぞよりも勝っているという自負はある。

 ──普段から真剣勝負(麻雀)で鍛えてるもんで。

 

(ただ、そういうのはネット対戦だとなかなか鍛えられないのがネックなんだけど……)

 

 表情や仕草という情報がどうしても制限されるからどうしようもない。

 かといって、雀荘通いってわけにもいかないのが辛いところ。いくら勝負のためのトレーニングと称しても学園が許す訳ないし、隠れていこうにもダービー3着のせいで“知る人ぞ知る”レベルには顔が売れてしまってる。

 そんなわけで、なかなか最近は“顔を付き合わせてのハイレベルな対人戦”ができていないけど、それでも今までの経験ってのがあるんで。

 だから──今、紹介されてるアップショットが妙に吹っ切れた心境になってるのは読めてる。

 

(前のダービーの時は、なんか思い詰めた様子だったけど。そのせいで出遅れたワケだし)

 

 悩みすぎて、迷いすぎた。

 それが逃げるか逃げないかで迷って最後まで踏ん切りが付かなかったせいなのか、それとも他に悩む原因があったのかまでは知らないけど。

 でも今日はそんな様子がない。こんなにも迷いが無い様子に加え、そしてダービーで失敗しているのと皐月賞での成功したといえる走りを考えれば──

 

(今日のアップショットは逃げ一択。しかも迷い無く高い集中で決めてくるはず)

 

 そうなると前回みたいなレース展開は期待できない。

 あっしのようななんでも屋(オールラウンダー)の逃げでは、彼女のような“逃げ”もしくは“先行”でも前の方に位置する専門家(スペシャリスト)のそれに対抗できない。

 

(アップショットは、秋のレースでその傾向を強めて磨きをかけてきてる)

 

 皐月賞まで隠していた逃げを、もはや惜しみなく使っている。

 ま、手の内バラしたんだから当然だけど。 

 しかしそうなると、こっちは手を一つ潰されたも同然。

 とはいえ……ダービーでの手がまた通じるかどうかも疑問だけど。

 

「なにしろ、相手は……あの大本命様、なんだから」

 

 観客席から、今までで一番の大歓声がわき上がった。

 無論、誰が姿を現したのか、実況が誰の紹介を始めたのか、考えるまでもなく明らかだった。

 

 

『──これまでデビュー戦でのたった一度だけの敗戦を経験し、それ以降は無敗を続けるウマ娘。

皐月賞とダービーを制覇して二冠を戴き、秋のレースでも圧倒的な強さで勝利を重ねた彼女。

今日、このレースで三冠という偉業に挑むウマ娘。その名は……オラシオン!!』

 

 

 ああ、もう。ホント、イヤになるわ。

 夏の間、休養を取ったオラシオンは秋で猛威を振るった。季節的にもまさに台風のごとく。

 なんで同じ世代になってしまったんだろうか、と心の底から彼女の信奉する三女神様たちに苦情を申し立てたい。「あのチートキャラ、反則だろ」と。

 まぁ……他の世代にも、たまにそういうウマ娘現れるから、運が悪かったと諦めるしかないんでしょうけどね。

 それでももう少し、手加減というか……例えば詰めの甘いアルデバラン先輩や、なかなかやる気を出さないストライクイーグル先輩のいる世代だったら、と思わなくもない。

 

(……とはいえ、あそこはあそこでヤシロ先輩もいるし難しいか)

 

 考えてみれば三強が競うよりも、絶対的強者に注目が集まった方が、あっしらみたいな“見えぬ輝き(ダークホース)”には有利なわけで。

 そしてチームの先輩方も、そういう大本命を相手に金星を掴んできたんだから。

 

「一丁、本家〈アクルックス〉の輝き、見せてやりますか……」

 

 注目されないウマ娘の恐ろしさ、大本命に見せてやろうじゃないの。

 シオン、アンタきっとロベとかホウヤとかアップショットとかの有力ウマ娘(強者)の視線に囲まれて、あっしの視線になんて気づかないでしょうけど、今日は勝たせてもらうわ。

 そのために色々と打てる手を打ち、持てる限りの策を用意してきたんだから。

 願わくば──このあっしの勝利を願う祈りの声が、祈りのウマ娘(オラシオン)の耳には届きませんように。

 そう思った直後……

 

 

『──油断ならない曲者(クセモノ)。誰があのダービーでの走りを想像できたか。

〈アクルックス〉所属、あの“人気薄の魔術師”が送り出す“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”の真なる中身とは彼女のこと。

世を驚かせる走りを見せろ、ロンマンガン!』

 

 ……いや、実況さん。ちょっとタイミング良すぎでしょ。

 案の定、オラシオンがこっち見たもんだからバッチリと目が合っちゃったじゃない。

 しかも不敵な──まるでライバルに対する笑みみたいなのを浮かべてるし。

 もう完全に意識されてるわコレ。ホント、やり辛いわ~。

 

 ──なんて感じで、決まらないのがやっぱりあっしらしいと言いますか、なんと言いますか……

 

 他の出走者全員分の紹介も終わり、バ場への入場から今度はスタート時間が迫ってゲート付近に集まる。

 いよいよ……と高まる緊張感。

 あっしのゲート入りの番がやってきて──

 

「──っ!?」

 

 あれ? なんだろ……なんで、中に入れ、なくて……

 体が強ばって動かない。

 その一歩が踏み出せず、逆に思わず後ずさってしまう。

 そんなあっしの様子を見て、係員の人達がかけよってくる。

 うわ、ちょっと情けなくて格好悪いわ。変に目立つし……

 

(というか、なにこれ。ひょっとして緊張してんの?)

 

 今までこんなことは無かった。

 ゲートに入るのが、こんなに怖いと思うなんて……そう思ったとき、ふとトレーナーの話を思い出した。

 

「──ねぇ、トレーナー。中央のトレーナー試験ってマジで難しいってホント?」

「ああ、本気で難しかったぞ。あの試験の時は、さすがにオレも緊張した」

「マジで? あの乾井(イヌ)トレさえ緊張するとか、ウケるわ~」

 

 思わず笑ってしまったあっしに、トレーナーは真面目な顔で返してきた。

 

「あのな、マンガン。合否のかかった試験で緊張するというのは、それだけ本気で、全力で、それに打ち込んできたってことのなによりの証なんだぞ」

「え……?」

 

 意外にも真剣なその言葉に、思わず驚く。

 

「真剣に取り組まなかった試験、落ちたって構わない、落ちて当たり前と思ってる試験に臨むのに緊張するヤツはいないだろ? 全力で取り組んで努力したからこそ、その努力が報われなかったらと畏れ、否定されたくないからこそ緊張するんだ」

「ああ……なるほど」

 

 とっさにあっしはそう答えたけど……ホントのところは理解していなかったんだと思う。

 だからその時、トレーナーが言った言葉をほとんど聞き流してた。

 

「だからもし試験やレースで緊張したときには、その緊張した分だけ自分が努力した証だと理解するんだ。それだけそのことに全力で取り組んで、だからこそ失敗したくない、失敗できないと自分で思っている。それだけのことをしてきてそれに臨んでいるのだと考えられれば……それが自信に変わるだろ?」

 

 自分がその状況になった今だからこそ「ああ……なるほど」と心の底から思える。

 ダービーでオラシオンに負けて以来、本気で取り組んできた。

 トレーナーやダイユウ姐さんの助言に素直に従ったし、体を休めろと言われたときでも体は休めても勝負勘を鍛える頭だけは絶対に休ませなかった。

 自分が考える策を、突拍子もないものも含めて思いつくものは全部吐き出して、それを脳内でシミュレートを繰り返した。

 

(シオンは、脳内でシミュレーションを何度も繰り返してるらしい。その試行回数を越えない限り、アイツの意表を突けるわけがない!)

 

 まともにぶつかり合えば勝ち目がないのは百も承知。

 だからこそ、こっちはあらん限りの方策を立てて、その万策の中の一つが的中することに賭けるしかない。

 だからこそ、考えに考えた。

 これほど努力したことは、今まで生きてきて無かったと言い切れるくらいに、一つのことに打ち込んだ。それだけは自信を持って言える。

 

(ああ、だからこそあっしは緊張しているんだ。それも──足がすくむほどに)

 

 それが“頭”で理解できれば、トレーナーの言葉が活きてくる。

 そう、この緊張は努力の証なんだ。

 できる限りのことを尽くしたという証であれば、畏れるのではなく自信を持つべきなんだ。

 あの言葉の後、「ま、師匠の受け売りだけどな」と悪戯っぽく笑って表情を崩したトレーナーの表情まで思い出した。

 

「そう……細工は粒々、後は仕上げを──」

 

 あっしは自信を持ち、トレーナーや先輩方が浮かべるものを意識しながら、ニヤリと笑みを浮かべて──ゲートへと足を踏み入れた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 秋の高い空に、ファンファーレが響きわたり、その直後にはそれを上回る大きな歓声が巻き起こった。

 

 私はもう一度、三女神様へと祈りを捧げる。

 胸に手を当て、目を閉じ──多くの感情が渦巻くレース場で、私へ期待や希望といったものが向けられているのを感じる。

 私のことを応援してくれるファンの方達にはいくら感謝してもしきれません。

 そしてクラシック三冠がかかったこのレース、その瞬間を見たいと願う人達も多いようです。

 セレモニーでもそれに関する質問は多かったですし、昨日やその前にはテレビで特集もしていました。

 

 ──オグリキャップの後を継ぐ、新世代のアイドルウマ娘

 

 そう評しているマスコミもありました。

 もちろんあの偉大な先輩に追いつけたなんて思っていませんし、今のクラシック期の先まで活躍しなければ、並ぶことさえできないのは明らかです。

 でも、その評価は否が応でも……

 

(トレーナーさんの夢は、叶ったのでしょうか)

 

 その考えに至ってしまいます。

 あの人は最初の“国民的アイドルウマ娘”と呼ばれたウマ娘の熱狂的ファンだったと聞いています。

 そしてその夢は──自分の手で“国民的アイドルウマ娘”を育てること。

 もしも私がこのレースを制し、クラシック三冠を達成すれば、その夢に近づくのは間違いありません。

 

(そして、その栄冠は養父(ちち)が始めようとしている新しい事業……トレセン学園入学以前のウマ娘を対象にした養成機関の起業を始める際に、私という存在がこれ以上無いほどの広告になる)

 

 養父の新たなる夢を叶えるための一助となれるなら、本望と言うものです。

 そして……一陣の冷たい秋風がレース場を吹き抜けていく。

 同時に脳裏に浮かんだのは──北にある牧場で働いているというウマ娘の姿でした。

 

(ターキン先輩……見てくださっているんでしょうか)

 

 夏の休養期間で、とある牧場でお世話になっている先輩のところへトレーナーとダイユウサク先輩が会いに行ったそうです。

 御恩を返すために、しばらくそこでお世話になると決めたレッツゴーターキン先輩。

 彼女はその牧場の方々と一緒にダービーを見ていてくださったようで、私宛の応援のビデオレターをトレーナー達に託してくれました。

 そこには変わらぬ先輩の姿と、彼女を受け入れた方々が私を応援してくださっている様子が映っており……私にとっては面識の無い方々の熱心な姿を見るのは新鮮であり、「負けられない」という気持ちを新たにできました。

 私の背には、私の知らない人の思いまでも乗っているということが実感できましたので。

 

(チームの先輩方の思いは、複雑なところもあるでしょうけど……)

 

 今回の菊花賞にも、私だけでなくロンマンガンが出走しています。

 彼女の人気は前回よりは上がったとはいえ、私やロベルトダッシュ、セントホウヤ達よりもさらに下になっています。大本命喰い(ジャイアント・キリング)を成し遂げた二人の先輩は、きっと心情的にロンマンガンの方を応援することでしょう。

 少し羨ましく、そしてちょっとだけ寂しい──それが私の偽らざる感想です。

 多くの人から応援してもらえるのはもちろん嬉しいですけど、身近な存在(顔を知っている相手)からの期待というのは大きいですから。

 もちろん、お二人が私のことを気にかけてくれているのも知っているのですが……さすがにトレーナー程に平等というわけにはいかないようです。特にダイユウサク先輩はロンマンガンのトレーニングに付き合っていましたし。

 そんな彼女に何気なく視線を向け──

 

「あら?」

 

 思わず声が出てしまいました。

 彼女はゲート入りをなぜか躊躇っている様子。

 普段は飄々(ひょうひょう)としているイメージが強かったので意外に思ったのですが、この大舞台で彼女も緊張しているということでしょうか。

 私がそう思っていると──彼女は、ニヤリと笑みを浮かべたのです。

 

「──ッ!」

 

 明らかに、頭のスイッチが切り替わった様子でした。

 今までの戸惑った様子は無くなり、レースに集中している。そんな変化が見て取れました。

 自信を持ってゲートへ踏み入るその姿に、私の警戒心は今までにないほどに反応していました。

 

 そして──その感覚こそ、気持ちがいい。

 

 私もまた、笑みを浮かべていました。

 強敵となった彼女の気力が充溢するのを感じます。

 そしてそれ以外にもクラシックレースで競い合った強敵(ライバル)達──

 

 ──ダービーでの迷いは吹っ切れ、皐月賞のキレを感じさせるアップショット。

 ──走る度に強さを磨き、貪欲に勝利を狙っているロベルトダッシュ。

 ──そして、環境を変えて纏う気が澄みきり強さを増したセントホウヤ。

 

 そんな彼女達に加え、それ以外のウマ娘達の私に対する「絶対に負けない!」という思いが、渦を巻くように周囲を取り巻いているのが感じられました。

 

(でも……それに私は、負けない)

 

 背負った方達の思いはもちろん、なにより私自身の「絶対に負けたくない」という思いの強さが他の誰よりも強いのですから。

 そうして正も負も含めた周囲の思いが、私をさらに高めてくれる。

 一度、目を閉じて意識を集中し、暴走しそうな程の思い(ちから)を一つ処に纏める。

 

(今日の、今の私なら……絶対に負けない)

 

 多くの期待を背負ってこそ──

 強き敵愾心に打ち勝ってこそ──

 そして、栄冠を掴んでこそ──

 

「私は、国民的アイドルウマ娘に、なってみせます──」

 

 その決意を胸に目を開く。

 

 

 そして──ゲートは開いた

 

 

『さぁ、始まりましたクラシックレースの最後を飾る菊花賞! 良いスタートを切ったのは押しも押されぬ大本命──』

 

 

 新たな三冠ウマ娘の誕生に向けて私──オラシオンはスタートを切った。

 

 

 

第二章 ~A HorseGirl’s Prayer~  ──完──  

 




◆解説◆

【“三女神の祝福を!(アーメン!)”】
・今回のタイトル、「アーメン」は『馬の祈り』の最後の一節“AMEN”から。
・この“アーメン”、直訳すると意味合い的には「その通り」や「まことに」、「確かに」、「そうありますように」といった意味だそうです。
・無論、“三女神の祝福を!”という意味にはならないのですが、前話のタイトル『あなたの未来に(神の)加護があらんことを』を受けての「そうありますように」という意味で、このようなタイトルになった次第です。
・で、この“三女神の祝福を!”は、もともと第二章のタイトル候補だった『この優れたウマ娘に女神さまの祝福を!』からです。
・そんなわけで『この素晴らしい世界に祝福を!』が元ネタ──だけでなく、『護くんに女神の祝福を!』も元ネタに含まれています。

チーム〈アルデバラン〉
・元々、セントホウヤの名前が「セント〇〇ヤ」なところから、『聖闘士聖矢』ネタになっているチーム〈アルデバラン〉はセントホウヤの所属チームになる候補でした。
・しかし原作のセントホウヤの騎手は性格があまりにも極悪に最悪だったので、相生トレーナーや巽見トレーナーにその役目を負わせるのは無理だったため別のチームの所属になったという経緯があります。
・同時に、シナリオ的には恵まれなかったセントホウヤに救いをあげたかったものですから、チーム移籍という流れになりました。そうなるとその移籍先はこのチーム以外考えられませんでした。
・トレーナーや環境も最高レベルですし。
・原作『優駿』はダービーの決着で話が終わるので、もちろん騎手や調教師が変わるという要素はありません。
・ですのでif設定気味のオリジナル展開ということになります。
・しかし有力ウマ娘に三行半突き付けられた〈ポルックス〉はこの後大丈夫なんでしょうかね。
・……三部の副題は『逆襲の〈ポルックス〉』に──なんて、そんなわけはなない。

世代だったら
・原作ネタ。
・ロンマンガンの『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』での同世代はまさにアルデバラン、ストライクイーグルと同じでした。
・次の台詞にある“ヤシロ先輩”もまた、その世代のヤシロハイネスのこと。
・本作ではこの3人は上世代の先輩になっていますが、センコーラリアットとブロンコキッドはロンマンガンの同世代でした。

人気薄の魔術師
・これはロンマンガンの主戦騎手、竹岡竜二の異名。
・乾井トレーナーもまさにそうなので、この異名をあえて使いました。
・なお余談ですが、この竹岡竜二が騎乗したロンマンガンですが、原作が一人だけ違うので『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』ではしっかりと菊花賞が描かれており、ゲート入りに手間取ったときに目立った後はまったく話題にもならずに着外で終わるという結果になっています。
・人気薄じゃなくなっていたんでしょうかね。
・一方でこの場面で話題になっていない、同じ原作出身のセンコーラリアットはダービー制覇に続き、菊花賞は3着という結果。
・皐月賞出られなかったのもったいなかったですね。いったい誰のせいなんでしょうか……
・とはいえ、それはあくまで()()()()で、ウマ娘となった本作の結果が同じになるとは限りません。

※これにて第二章は完結となります。
・あれ? ピアリスは?
・という疑問ももっともです。エリザベス女王杯はまったく触れていませんし。
・サンドピアリスの話は“続章”という形でこれから描く予定でして、第二章本編はここで一区切りつけることにしました。
・その理由はいくつかありまして、まず──当時のころの牝馬三冠の最後のエリザベス女王杯の日程が、クラシック三冠の最後の菊花賞の翌週だったことです。
・牝馬三冠がエリザベス女王杯から秋華賞になった1995年以降、菊花賞の方が日程では先になり、現在もそうなっています。
・第二章のラストは今回のように菊花賞のスタートで切りたいと思っていたので、エリザベス女王杯が終わっているのならそれで良かったんですけど……当時の日程では菊花賞の方が先になってしまいます。
・第二章のタイトルが『A HorseGirl’s Prayer 』(ウマ娘の祈り)という、どう考えてもオラシオンが主役なものになっている為、オラシオンの話が一区切りついたところでこの章も終わらせるのが当然、という理由が主なもの。
・第二章のタイトルにある主役を示す表示に、サンドピアリスの名前が入っていないのは、そのためです。
・そういうわけで次はこの話の続きとなる、サンドピアリスが主役の“続章”となりますので引き続きよろしくお願いいたします。


※次回の更新は12月5日の予定です。  



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続章 The HorseGirl’s Miracle ~サンドピアリス~
第1R サンドピアリスは勝てない……



 ──菊花賞から、時は遡る。

 夏休み。
 一般的な学校と同じように、トレセン学園でも使われる言葉だが、意味合いは少しだけ違っていた。
 もちろん教育機関的な役割のある学園だから、授業が休みになる期間は他とほぼ一緒である。
 しかし……ウマ娘競走(レース)の最高峰、中央(トゥインクル)シリーズもまた“夏休み”ともいうべき期間が存在し、それが一般的な学校のそれとは少しばかりズレているのがややこしい。
 一般的には春も秋もシーズンの最後のレースは最強決定戦(グランプリ)と言われており、春シーズンのラストは宝塚記念ということになる。
 それが終われば夏シーズンとなり、その過酷な気象条件を鑑みて……なのかは定かではないが、ともかく夏は重賞レースが極端に減る。
 7月頭のころもすでにそうだが、8月にもなるとさらに顕著だ。
 そして、それを補うようにジュニア期のウマ娘達によるメイクデビュー戦が始まるのだ。
 デビューを迎えるウマ娘達にとっては晴れの舞台の始まりであり、そこへ照準を向けて頑張っている。

 ──無論、間に合わずにデビューが秋にズレ込んだり、ジュニアではなくクラシック期に入ってからとなるウマ娘達も珍しいわけではない。
 まぁ、クラシック期の秋──同期が秋の天皇賞で盾を競っている時にデビューするようなウマ娘もいたわけだが。

 閑話休題。ともあれ、夏である。
 重賞レースがめっきり減ったクラシックやシニアの先輩ウマ娘達も、もちろんただ休んでいるだけではない。そんな怠惰な夏休みを過ごせば他と差が付くのは歴然……等というフレーズは、まるで受験勉強の夏期講習の宣伝のようでもあるが、それが事実だった。
 学業が休みなのを利用して強化合宿を張ったり、少ないとはいえ主に遠隔地で開催される大きなレースへ挑戦して武者修行をしたり、と。
 このように夏は、秋に控える重賞の数々を狙って、さらに実力を鍛えるための季節でもあるのだ。
 そうして秋を迎え、ウマ娘は春に比べて大きく成長して帰ってくる。


 ──はず、なのだが……




 

「……勝てないな」

 

 その結果を見て、自分のトレーナー室のデスクでオレは思わず言っていた。

 8月までの夏休み期間はとっくに終わり、それが過ぎてもなお暑さが続いた9月も過ぎて、涼しさを感じるようになった10月も終わりを迎えようとしている

 まさに秋という過ごしやすい気候から冬へ向かおうと気温が下がりつつある、そんな時期である。

 だから──もちろんクラシック二冠を達成し、残る一つに向かって邁進中のオラシオンのことではないし、同じレースに挑もうとしているロンマンガンのことでもない。

 どちらも秋になって休養が明けてから、レースには勝っている。ついでに言えばオラシオンは負けてさえいない。

 では、誰のことかと言えば──

 

「まぁまぁ……落ち着けよ、ビジョウ。ピアリスも頑張っているがちょっとだけ結果が付いてきていないだけさ」

 

 そう言いながらオレの背中をバシバシと叩き、豪快に笑い飛ばしているのはギャロップダイナ。

 一番付き合いの古く、気心の知れた相手ならではのリアクションだが……彼女が面倒を見ているサンドピアリスこそ、オレが言った「勝てない」ウマ娘だった。

 

「そうは言っても、秋に入って三連敗だぞ?」

 

 9月に1戦、10月に2戦走って勝ちは無し。

 ついでに言えば、春のレースの最後も負けているので現在のところ四連敗中ということになる。

 思うように結果が出ていないというのに楽観的なダイナに向けて、オレはついジト目を向けてしまっていた。

 サンドピアリスもクラシック期ではあるが、他の二人と違ってクラシック重賞戦線を走り続けているというわけではない。春にはその前哨戦を走らせたこともあったが、結果がでなかった。

 まぁ、サンドピアリス(砂の貴婦人)の名が示すように、彼女の適正は芝ではなくダートにある様子だったから、仕方がない。

 実績ではそれがより顕著だった。

 今までダートを走れば好走。今までの勝利はすべてダート戦のものだ。

 対照的に芝を走ると結果が出ない。

 

(それが春レースだったんだけどな……)

 

 オレはピアリスを秋になってダート戦に専念させて走らせているが、そんな春の結果を見れば当然の反応だろう。きっと他のトレーナーだってそうしているはず。

 ところが、夏を経て秋になったら、そのダート戦も勝てなくなってしまったのだ。

 

「9月のレースは休養明けで感覚が戻っていなかった、というのならまだわかる」

 

 もちろん皆が皆、休養明けは勝てないというわけじゃあない。

 しかしレース間隔が空けば勝負勘は鈍るし、それを取り戻すのは実戦以外ではなかなか難しいのも確かだ。

 一般レースを調整代わりに使っていたという、その成績からいまや超VIPの誰かさん(シンザン)は別格にしても、高い実力で有名な他のウマ娘達も長期間の休養明けレースでよもやの負けをしているのは多い。

 

(ま、〈アクルックス(ウチ)〉お得意の大金星を狙うのは、そういう“隙”を狙うしかないからな)

 

 ギャロップダイナはその顕著な例だ。あの“皇帝”サマがぶっつけ本番で天皇賞(秋)に挑んだおかげでスタートで躓いて勝負のアヤが狂った。それがなければさすがに勝てなかったのは間違いない。

 レッツゴーターキンだって、確かに道中の異常なハイペースはあったが、もしも準備万端でトウカイテイオーが臨んでいれば精神的に余裕があってもっと冷静なレース運びができたかもしれない。そうなればペースに乱されずに勝っていたかもしれない。

 そして、ダイユウサクの時はといえば………………そういう事情はないな、うん。

 

(アイツ、マックイーンによく勝てたよな)

 

 思い出し、しみじみと思ってしまった。

 そんなアイツの勝ったときの勇姿を思い出して浸っていたが……いや、そういう場合じゃない、と我に返る。

 そういえばダイユウサクもまた、長期休養の明けは成績が良くなかったイメージだった。

 しかしそれだって1、2回走れば勝てずとも手応えみたいなものは感じていたさ。

 だがピアリスは三連敗の負け方も良くない。

 

「しかも結果は8着、9着、6着……お世辞にも良い結果とは言えないからな?」

「2戦目から3戦目は尻上がりに順位は上がってるだろ。いい兆候だぜ?」

「せめて最後が掲示板(5着以内)に入っていたなら、オレもそう思うけどな」

「あと1つだろうが。ケチケチすんな」

 

 そう言って豪快に笑うダイナ。だがオレは彼女に同調することはできなかった。

 負けるにしても善戦したものの惜しくも逃した、とかなら仕方がない。だが現実は惜しくもなんともない。完全な負けだし、一時は先頭に立ったという状況もない。

 走りが良くなってきているという印象も、あまり感じられないのも問題だ。

 

「……まるで、勝ち方を忘れちまったみたいなんだよな」

 

 もっと言えば、ダートでの走り方を忘れているようにも見える。

 なにしろレースでのピアリスの走りには手を抜いている様子はまったくないし、性格的にもそうすることは考えられない。むしろダービーでのチームメイト二人の走りに感化された様子も見受けられるくらいだ。

 こうも結果が出ないと夏の鍛錬をサボったのではないか、という疑いも出てくるんだが……オレは再びジト目をダイナに向けた。

 

「何か、企んでないか? お前」

「ハァ? んなわけ無いだろ。それに何かってなんだよ?」

「ちょっと小耳に挟んだ話なんだが、夏の間にピアリスを芝で走らせていた……なんて姿が見られているみたいなんだが?」

「……誰情報だよそれ。そんなもん事実無根さ。大方、ウチのチーム内を混乱させようとして嘘を──」

「奈瀬さんに言われたんだよ。“クラシック三冠では足りませんか?”ってな。訳分からなかったから詳しく聞いてみたら、芝コースをピアリスが走っているのを見たと言っている」

 

 オレが食い気味に言うと、ダイナは黙り込む。

 その反応を確認してからジッと見ると、やがてダイナは肩をすくめた。

 

「Hé、Hé……誤解だぜ、ビジョウ。確かにあたしはピアリスを芝を走らせた。だが、それはあくまで試しに走らせたりとか、雨後にダート走って脚への負担やらケガのリスクを避けるために芝で走らせたり、そういうのが理由だ。それ以上でも以下でもない」

「……お前が推してきた、直近2戦のダートの条件戦が京都レース場開催なのも、か?」

「当然にして偶然だ。ダート戦も地方(ローカル)シリーズならともかく中央(トゥインクル)シリーズだと限られてるし」

 

 肩をすくめたまま、頭を横に振って「やれやれだぜ」と言っているダイナは、もう見るからに怪しい。

 かといって……ここで問いつめても絶対に白状しないだろう。

 それになにを企んでいるのか、大体の予想は付いている。

 

(トリプルティアラの最後の一つへの出走、だろうな)

 

 その路線への出走をピアリスが望んでいたのはもちろん知っているし、春はその夢が叶わなかった。

 それもトライアルやら本戦に抽選で外れて出られなかったとかではなく、純粋に実績不足、力不足が理由だ。

 

「ダイナ、お前がピアリスの夢の後押しをしたいというのは分かる」

「なんのことか分からねえが、とりあえず礼は言っとく」

 

 あくまでとぼけるダイナ。

 

「で、オレ達トレーナーもまた、ウマ娘の夢を叶えるためにいるわけだ」

「おう。それなら──」

「それと同時に、現実を見せるのもまたオレ達の仕事なわけだ」

 

 オレがそう続けると、なにか言おうとしていたダイナは黙り込んだ。

 そして睨むようにオレをジッと見ている。

 

ピアリス(あいつ)の夢を、壊そうってのか?」

「冷静になれ、ダイナ。今のピアリスの成績で……出走できると思うのか? エリザベス女王杯に」

 

 剣呑な空気をまとい始めたギャロップダイナに、オレは冷酷なまでの事実を突きつけて頭を冷やしてもらう以外になかった。

 本気で怒ったウマ娘には、ヒトでは太刀打ちできないし。

 

「確かにアイツは春に勝利して実績を稼いでいる。だがダートだ。しかもそのダートさえ秋になって成績が落ちているんだ。出走できるわけがない」

「あたしの秋の天皇賞(アキテン)と違って、だいぶ弱気じゃねえか。相棒」

 

 諭すようにオレが言うと、彼女はそう返してきた。

 随分と懐かしい呼び方をしてきたな、と思った。

 あのころはダイナがそう呼んできた時期もあった。ちょうどあのレースに挑もうとしていたころだったな。

 

「お前のときは、出走が()()()()()()だろ。確かにあの時にオレは『走る以上は勝つ確率は誰にもある』とは言った。だがピアリスは違う。出走してないウマ娘の勝利は“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”の中には入ってないんだ」

 

 それはオレだけじゃない。“フェアリー・ゴッド・ファーザー”だろうが“魔術師”だろうが、どんな優秀なトレーナー(大先輩方)だろうとそれは不可能なことだ。

 

「……エリ女にピアリスを出せれば、いいんだろ?」

「それが可能なら、な」

 

 オレだって鈍感じゃない。ピアリスがエリザベス女王杯に出たがっていることくらい気が付いている。

 トライアルレースで勝てとは言わなくとも、せめて秋に全勝……少なくとも1勝に加えて入賞くらいしてくれれば、出走の希望は持てたんだが。

 出走が絶望である以上は、それよりも自己条件のレースに出て実績を重ねた方が良いと思っている。そこで立て直して経験を重ねれば、GⅠを含めた重賞レースへの道が開くかもしれない。

 ピアリスが一緒に走りたいと思っている相手──同期生のシャダイカグラやライトカラーだと思われる──とはそこで対戦する機会はあるだろう。

 

「夢を追うのを急ぐあまりに勝利から遠ざかったのは、本末転倒だ」

「ッ……」

 

 今にして思えば、夏休みにオレを旅行に行かせたのも、その後のオラシオンとロンマンガンの面倒を見るのに忙しいだろうからとピアリスの面倒見を買って出たのも、ダート路線に専念させると言ったオレの想定から外す為だったんだろう。

 夏に芝の技術を上げるためにダートを疎かにしたツケが、秋になって顕れてしまったに過ぎない。

 こうなると、このあとのダートの条件戦でも結果を出せるかどうか……

 

(ギャロップダイナのしたことは、結果的にはピアリスの足を引っ張った)

 

 

 ──少なくともこのときのオレは、そう思っていた。

 

 




◆解説◆

【The HorseGirl’s Miracle】
・直訳すると“あるウマ娘の奇跡”。
・第二章の続章ということで、第二章のタイトル『A HorseGirl’s Prayer』と対になるものにしました。

【サンドピアリスは勝てない……】
・エリザベス女王杯前の秋のピアリスの結果は3連敗。
・本章のタイトルは「(ウマ娘名)は~ない」で統一する予定です。

結果
・サンドピアリスは春(5月)に芝のGⅢ(史実では毎日放送京都4歳特別)へ出走したあと、そこから休養に入って復帰したのは9月後半に開催されたダートの条件戦、秋分特別。
・それを含めてそこから自己条件のレースを3戦出ています。
・史実では1989年9月9月23日に秋分特別、10月7日と10月28日に4歳以上900万以下のレース。
・そのいずれもダートの1800という共通点があります。
・春はデビュー戦含めてダートでは2戦2勝だったのですが、結果は8着、9着、6着と奮いません。
・なお、9月23日と10月7日のレースでは道中2番手という前でのレースをしていたのを、10月28日のレースでは道中8番手という中段での展開に変えていました。
・以後、前でのレースをしなくなるので、ここで適性を見つけたという感じでしょうか。

京都レース場開催
・↑で挙げた4歳以上900万の条件戦は、史実では京都競馬場での開催。
・話に組み込みやすかったので、ダイナがわざと選んだというように変えています。
・少しでも京都レース場に慣れるため……って、ダート走ってたら走るコースそのものが違うじゃん! というツッコミはやめてください。(笑)
・ちなみに秋分特別は阪神での開催です。

限られてる
・重賞ならともかく、条件戦ならそんなことないんですよね。
・現に10月7日の東京第12Rで距離が1700なものの同条件の条件戦が、10月28日も同様の距離の同条件戦があったりします。
・なお、東京と京都以外に福島もレース開催しているんですが、10月になって未勝利戦天国になっており、あっても400万の条件戦でした。


※次回の更新は12月11日の予定です。  



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第2R ライトカラーは気付かない


 ──夏の終わりのころ

「自分で言うのもなんだけど、アナタも物好きね……」

 皮肉じみたそんな言葉だったけど、相手の意図はよく分からなかった。
 だって、相手の目元は奇妙な形の大きな眼鏡──瞳が見えないんだからサングラスなのかしら──で隠れていたから。
 ただなんとなく、呆れているようにも感じた。

「ワタシの施術をもう一度受けようだなんて。それも自分で探してまで、ね」
「待っているだけだと、間に合いそうにありませんでしたので」

 そんな私──シャダイカグラの言葉に、ため息を付く白衣を羽織った人影。でもどことなく嬉しそうな感じではあった。

「信用していない人も多いみたいだけど?」
「あの“皇帝”はこれで復活したと聞いています。その実例があれば十分です」

 逆に言えば、もはやそういったものに頼らなければならないほど、私は追いつめられている。
 私自身というよりも私の体……この脚が、よ。

(春に無理したツケだとでも言うの?)

 桜花賞を制した私は、オークスに挑戦したけど“樫の女王”の座は掴めなかった。
 そして休養に入ったのだけど……オークス直後から感じていた脚の違和感は、その休養を経ても無くならなかったのよ。
 精密検査を受けたけど、骨折しているとか骨に異常は無かったわ。
 そもそもずっと痛みがあるとかそういうワケでもなかったし。
 ただ、疲労感がなかなか抜けなかったり、トレーニング中に思うように動かなくなることがあった。
 そんな明らかな脚部の不安を抱えることになった私は、トレーナーと共に色々と試すことにした。
 プールでのトレーニングやダートでの走行練習、できるだけ脚に負担がかからない練習方法を模索しつつ、根本的な原因の解明とその治療を目指したんだけど……

(結局、原因はわからず。だから治療方法も不明)

 ハッキリとした病名は御医者様の口からは出なかった。
 でも、秋のレースを迎えるにあたって、この脚をこのままというわけにはいかない。
 結果、小耳に挟んだ噂──シンボリルドルフ会長の調子が上がらなくなって引退を囁かれたことがあったものの針治療で復活した、というもの──を信じて、藁にもすがる思いでそれを試したのよ。
 そして手応えが感じられたからこそ、二度目のそれを今まさに受けているというわけ。

(これで、完全に良くなればいいんだけど。もし、良くならなかったら……)

 せめてこの秋のシーズンだけでも──
 トリプルティアラのレースが終わるまで……私の脚よ、お願いだから……



 

 ──10月

 

 エリザベス女王杯の前哨戦、ローズステークスが開催された。

 その結果は──シャダイカグラが1着。見事に人気に応えた。

 それはつまり、共にそのレースへ出走していた“樫の女王”が、その期待に応えることができなかったということでもある。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「……ズルくない?」

 

 レース明けの月曜日の朝。

 シャダイカグラを見たウチ──ライトカラーは思わずそう言っていた。

 開口一番にそんなことを言われた彼女は目を丸くして戸惑ってたけど……でもね、ウチの気持ちは収まらないわけで。

 

「あんだけ走れるなら最初から言ってよ。カグっちの脚、マジで心配したんですけど?」

「あ~……えっと……ゴメン、なさい?」

 

 困ったように苦笑いしながら彼女はとりあえず謝る。

 でも、それを横で見ていたウマ娘が呆れた様子で口を挟んできた。

 

「……まともに取り合う必要なんてありませんわよ、カグラさん」

「なによ、モンっち。アンタだって心配していたんじゃないの?」

「そ、そんなことありませんわ!」

 

 ジト目を向けると彼女──メジロモントレーは慌てた様子で視線をそらす。

 その反応だけで雄弁に語ってるようなものなんですけど?

 

「あ~あ、脚部不安なってウワサ、信じるんじゃなかったわ。全然不安なさそうじゃない」

「あのねぇ、カラー。私に言われても困るわよ。私が流したわけじゃないんだから」

 

 ま、確かに不利な情報をあえて流す必要なんてないもんね。

 それを受けても一番人気は変わらなかったんだし、きっと次のエリザベス女王杯(エリジョ)も、また一番人気なんでしょ?

 まぁ、カグっちがそういうことをするウマ娘じゃないってのはウチも知ってるけど、あのトレーナーが絡むと正直分からくなるのよね……

 

(トレーナーとしての手腕も一流だけど、意外と策士なのよね)

 

 あれだけの指導技術を持ちながら、さらに盤外戦術を使うこともあるんだから、ホントにハンパない。

 それを考えると、あの人がニセ情報(ブラフ)を流してもおかしくない。ムービースターの件(前科)があるんだし。

 

「カラーさん。そもそも貴方……信じる信じない以前の話ではありませんか? そんな順位では」

「あ~、そういうこと言っちゃう? ああ、もう傷ついたわ~。立ち直れないわ~」

 

 メジロモントレーにジト目を向けられて、ウチは大げさに机に突っ伏して顔を隠した。

 なんて言ってるメジロモントレー自身が、そもそもローズステークスを走ってないけど……うん、まぁ、確かに彼女の言うとおりなんだわ。

 今回のレース、ローズステークスでのウチの順位は8着。しかも10人中。上位争いに絡むことさえできなかった。

 そんな不本意なレースだったから、ほとんど八つ当たりに近い。

 ゴメンね、カグっち。

 

「噂を信じて私の心配してくれるのはありがたいけど……それで自分の調子落としてたら意味ないじゃない」

 

 そんなカグっちは複雑そうな表情でウチのことを見てる。

 心配そうだったけど、それが急に勝ち気なものへと変わる。

 

「“樫の女王”がそんな体たらくだと困るわ。エリザベス女王杯でリベンジさせてもらうんだからね」

「そう簡単にさせるつもりないし。ウチの方こそトリプルティアラ2つ目を取らせてもらうから」

 

 カグっちの挑発に顔を上げて、負けじと言い返してあげた。

 そうやって二人で笑みを浮かべていると──

 

「その最後の一冠は二人のどちらかのもの、というわけではありませんわ。メジロの名にかけて、意地でも取らせていただきます」

 

 そこに加わるモントレー。

 正直な話、彼女はこの夏と秋で調子を上げてきてるから怖い存在になってる。

 トリプルティアラの春の二つを一つもとれなかった──しかも一つをウチみたいなのにとられた──という結果にメジロ家のプライドを傷つけられたらしいし。休んでいる場合じゃないとばかりに夏もレースに出走してたし、その上にみっちりと鍛えたんだって。

 ローズステークスに出てこなかったのも、ウチのローズステークスの前走と同時期のGⅢクイーンステークスに勝ったり、そんな夏のレースで勝ってて実績が足りていたからみたい。

 逆にウチは……な~んか調子が下降気味。秋のローズステークスの前に走った秋の復帰戦も負けたし。

 夏にトレーニングをサボったわけでもないのに。ホント、ワケわかんないわ。

 ま、だからって自信がないワケじゃないんだから。もちろん二人以外の出走メンバーにも譲る気ないし。

 

(……というか、他ってどんなメンバーでるんだっけ?)

 

 まぁ、あと1ヶ月くらい後の話だし、確定してる()の方が少ないけど。

 そんなことを考えてたら、ふと視線を感じてそっちを見る。

 そこには……小柄なウマ娘がジッとこちらを見ていた。

 

「ピーちゃん?」

 

 見ていたのはサンドピアリス。普段は明るく爛漫な彼女にしては珍しく、浮かない顔をしてる。

 そんな暗い表情で──カグっちを見てた。

 

(あ~、疎外感を感じちゃったかな? 別に仲間外れにするつもりなんてまったく無かったんだけど……)

 

 シャダイカグラのルームメイトである彼女は、条件戦のダートをメインに走ってる。

 だから話には付いていけないもんね。

 ちょっと罪悪感を感じて──

 

「で、ピーちゃん。最近どーよ?」

 

 ウチは笑みを浮かべ、話題を変えるべくサンドピアリスに話しかけた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「カグラちゃん……」

 

 ローズステークスを制した彼女──シャダイカグラが、共に走ったみんなを相手に話しているのを見ながら、わたしは複雑な気持ちになっていた。

 さっきのカラーちゃんの言葉には思わずドキッとした。

 でも、さすがカグラちゃんはそんなことをおくびにも出さないで、笑顔さえ浮かべてる。

 

(わたしにはそんなこと、できないよ……)

 

 そんな彼女の姿を見ながら、わたしは悲しい気持ちで一杯になっていた。

 その理由は、ローズステークスを終えて戻ってきたその足で彼女から打ち明けられた、彼女の今後に関すること。

 

『ねぇ、ピアリス。あなたにだけ、あなただから伝えるんだけど……』

 

 部屋に戻ってきたカグラちゃんにレースの勝利に『おめでとう!』と言ったら、そう切り出してきたんです。

 急に改まったカグラちゃんにわたしが『なあに?』と問い返して……一度だけ言葉を躊躇った後、その顔に笑顔さえ浮かべて、言った……

 

 

 

『私ね、エリザベス女王杯を最後に……引退するから』

 

 

 

 あまりにもあっけらかんと──カグラちゃんがまるで明日出かける予定を言うくらいの気軽さで言ったものだから、わたしも『え?』って問い返してた。

 でもそれに、彼女は答えずに笑顔のままだった。

 頭の中でその言葉を反芻させて……その意味を理解して……唖然とした。

 

『なんでッ!?』

 

 口をついて出た言葉。

 それしか出なかったし、それ以上を言う余裕さえなかった。

 だって、カグラちゃんは桜花賞を勝ったし、オークスも惜しかったし、最後の一つのエリザベス女王杯に向けてローズステークスにも勝ったんだよ?

 勝てなくなって負けが多くなったわけでもないし、ミラクルバード先輩みたいに走れなくなったワケじゃないんだし。

 色々聞きたい気持ちばかり先走って──

 それ以上に驚きのあまりに考えがまとまらなくて──

 言葉が出ないわたしに、カグラちゃんは苦笑いしながら答えた。

 

『脚が……限界なのよ』

 

 いつだったか……夏前にカグラちゃんがなにもないところで(つまづ)いたことがあった。

 思えばあれが兆候だったのかもしれない。

 夏を迎え、カグラちゃんの様子がおかしいことに同じ部屋のわたしは気付いてた。

 盛んに脚を気にしてたし、脚のマッサージをしている姿もよく見かけた。

 気になって訊いたら、最初は『気のせいよ。大丈夫』なんて言っていたのに、だんだんとその表情がかげっていって……夏の盛りの頃には深刻そうな顔になってた。

 それでもわたしには『大丈夫』って言ってたけど……その隠しきれない悲愴な空気からはとても大丈夫になんて思えなかった。

 

(そのカグラちゃんが……夏の終わり頃に、普通に走り始めた)

 

 そんな姿を見て、ホッとした。

 ああ、もう大丈夫になったんだ……って。

 いろんな治療法を試してるって言ってたけど、その効果が出たんだ。だからまた普通に走れるようになったんだ──そう思ってた。

 それが……違っていたと、カグラちゃんはわたしに説明しはじめた。

 

『ルドルフ会長とか、いろんな人が回復したって言ってた笹鍼も試したのよ。おかげで調子は戻ったように思えたんだけど……』

 

 でも、やっぱり脚の調子は再び悪くなった。

 もう一度行って、どうにか復調したけど……それがかりそめのもので、いつまで保つのか分からない。

 ともあれ、そのおかげでローズステークスを制して、エリザベス女王杯へのキップは手に入れた。

 でも……そのレースの後は…………

 

『私の脚は、もう……ね。だから最後に悔いの無いように、トリプルティアラの最後の一つには挑戦したいのよ。そこで、私は……』

 

 カグラちゃんが笑顔でいるのは、それが限界だった。

 その目から一筋の滴が落ちて──

 

「──で、ピーちゃん。最近どーよ?」

 

 不意にかけられた声で、わたしは我に返った。

 見ればカラーちゃんがニコニコしながらわたしの方を見てる。

 

「え、えっと……」

「ダート路線、ガンバってるんでしょ?」

「う、うん……がんばってるけど……勝て、なくて……」

 

 わたしはそう言うと誤魔化すように「えへへ……」と苦笑いした。

 そんなわたしにカラーちゃんは、「仕方ないな」って感じでつられて笑って、モンちゃんはちょっと冷ややかな目で見てきて……

 そして、カグラちゃんがわたしを見る目は──どこか、うらやましそうなものに見えて仕方がなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──話は、10月末に戻る。

 

「ったく、アイツ……頭固すぎだろ」

 

 放課後の練習時間に、トレーナーから離れてわたしと二人になった途端、ギャロップダイナ先輩は急に愚痴り始めました。

 

「先輩、ひょっとしてエリザベス女王杯のことですか?」

「ああ。どうにもアイツはダート路線に固執して、お前を芝で走らせる気は無いらしい」

 

 わたしの練習を一手に見るようになってくれたダイナ先輩。その方針で実は芝の練習ばかりしてる。

 ダイナ先輩が「アイツ(トレーナー)にバレないようにはしねえと」って言って、最低限のダートの練習はさせてもらってるけど……

 でもそのおかげで、ダートでの出走の成績が落ちて、秋になってから三連敗なわけで……さすがに、これは良くないよね。

 

「あの、ダイナ先輩……これ以上、みんなに迷惑かけるわけには──」

「気にすんなよ、ピアリス」

 

 さすがに自分のわがままをこれ以上は通せないと思って言ったんだけど、ダイナ先輩はそう言ってわたしの頭の上にポンポンと軽く手を乗せました。

 

「もうエリザベス女王杯しかないんだろ?」

「それは……そう、ですけど……」

 

 あの日──カグラちゃんから引退の話をされて、わたしは彼女と一緒に走りたいという夢を諦められなくて、ダイナ先輩に話しました。

 ぶっきらぼうで破天荒なところもありますが、根は優しい先輩なので話しても大丈夫だと思ったので。

 それに……こんな話を一人で抱えるのは、わたしには重すぎて、誰かに相談せずにはいられなかったし。

 

「でも、トレーナーさんの言うとおり……です。三連敗している私が、エリザベス女王杯に出るのなんて無理ですし、これからのことを考えたら、それよりもダートの方を──」

「この先、ダートを走ったって先はたかがしれてるぞ?」

「え……?」

 

 思わずそう言ったダイナ先輩をじっと見てしまいました。

 

今の中央(トゥインクル)シリーズではダートの重賞は少ねえからな。この先もダートで活躍したいって思うんなら、地方(ローカル)シリーズに移籍した方がマシかもな」

「そんな……」

「ダートを走ってたあたしが言うんだぜ? ま、その数少ないダートの栄光を取りに行こうと、ビジョウは考えてんだろうけど……んなこと気にする必要ねえだろ」

「トレーナーさんが一生懸命考えてくれてるのに?」

「んなもん()()()()()だ。優等生(オラシオン)やら雀ゴロ(ロンマンガン)の面倒見てる内に、大事なこと忘れちまってるのさ」

「大事なこと、ですか?」

「ああ。なによりも大事なことさ」

 

 わたしが思わず首を傾げると、ダイナ先輩は得意げにニヤリと笑います。

 

「一生に一度しかねえあたしらの人生なんだから……走りたいレースを走る、それこそがウマ娘にとっては譲れないところじゃねえか。ましてそれが一生に一度しか走れねえレースならなおさらだ。ダートの条件戦なんざ、エリ女の後にいくらでも走れるんだし」

「先輩……」

「ま、かく言うあたしだって、例の秋の天皇賞(アキテン)には出たくて出たわけじゃねえけど……だけど、ダイユウサクが有に出たがったときは、手を尽くしたって話だけどな。その時のこと、忘れちまったっていうなら……あたしが代わりにやってやるさ」

 

 ダイナ先輩は「任せとけ」と言って、今度はわたしの肩をポンポンと軽くたたいてくれました。

 そしてわたしに背を向けると、大きく息を吐いて──

 

「背に腹は代えられねえし。アイツに頼みにいくしかないか……」

 

 と、つぶやいて校舎の方へと歩いていきました。

 ……ひょっとして最後のって、ため息だったのかな?

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──まったく、エラい奴ってのはいけ好かねえ。

 

 もちろんアイツの偉業は認めてる。

 秋の天皇賞(アキテン)であたしに負けたからって、こっちの方が上だなんてマウントとる気もねえし。

 

 ……きっちりリベンジされたしな。

 

 スゴいウマ娘だよ、アイツは。御尊敬申し上げるぜ。

 だが──やっぱり面白くはないんだよな、アイツを頼るのは。

 とはいえ、今回の件はあたしでは解決できない。

 サンドピアリスのレースに出たいという願望を叶えるどころか、トレーナー(ビジョウ)の意向を変えることさえできなかったんだから。

 

 で……いけ好かねえ相手に頭を下げる覚悟を決めて、ここ──生徒会室へとやってきたわけだが、アイツ以上にいけ好かねえヤツが立ちはだかってくれた。

 おかげであたしの堪忍袋は破裂寸前にまで膨れ上がってる。

 

「だからぁ、アイツに会わせろって言ってんだろうが!」

「アイツ、では分からん」

「ここに来てんだから、誰のことだか分かんだろうが! この部屋の主だよ、ヌ・シ!!」

「ルドルフ会長なら──」

「分かってんじゃねーか……」

 

 手間取らせやがって──と、舌打ちするや、あたしの相手をしていたウマ娘の目が鋭くなった。

 

「会長なら、多忙につき会うことは叶わん。日を改めて──」

「ハァ? ふざけんな。居るなら会わせやがれ! こっちだって暇を持て余してるわけじゃ──」

「会長はこれから、大事な方とお会いする約束があるんだ。他の者と会っている暇など無い!」

「大事なお方ぁ? あ~あ~、イヤんなるぜ。上昇志向が透けて見えて……将来のVIP様になるべく今からコネづくりか?」

「なッ!? たわけたことを……先輩とはいえいくらなんでも言葉が過ぎる!」

「なんだ? お上品なお言葉をお使いすればいいんですかい? けど残念だったな。アイツが“皇帝”サマなら、こっちとらそいつ相手に下克上した“革命家(テロリスト)”だ。言葉が(きたね)えのは仕方ねぇだろ?」

「ぐぬぬ、言わせておけば……」

 

 あたしが言ってやると、そのウマ娘は怒り心頭で睨みつけてくる。

 さも今にも噛みつかんばかりの様子で、まさに怒髪天をつかんばかりといった様子だ。

 ま、アイツのシンパなら、あたしのことは元からさぞ気にくわないだろうよ。

 あたしがいなけりゃ七冠は八冠になってただろうし、初の春秋制覇の偉業もアイツのものになってただろうからな。

 その()()()やら勝ったレースでの箔(日本勢初のジャパンカップ制覇)を考えたら、カツラギエースよりも嫌われていて当然だ。

 

「──構わない。入れてくれ、エアグルーヴ」

 

 あたしが門番代わりをからかってやってると、そんな声が扉越しに聞こえてきた。

 

「し、しかし会長……」

「時間もまだそこまで押していない。理事長もまだお見えになられていないし、話をする時間くらいはある。もっとも、ここで押し問答をしていたらその貴重な時間もなくなってしまう」

「……わかりました」

 

 主からのお言葉で、忠犬は恨みがましくこっちを睨みながらもその部屋へと通してくれた。

 ニヤリと笑みを浮かべてやったら、ワナワナと肩を震わせ始めたのはケッサクだ、

 だが──あたしを迎えたそのウマ娘の顔に面と向かうと、その爽快さも消し飛んだけどな。

 

「……まさかキミが一人でやってくるとは、思いもしなかったよ。ダイナ」

「奇遇だな、会長。あたしもこんな日が来るとは思ってなかったさ」

 

 素直に歓迎の意を示したアイツ──シンボリルドルフに対し、あたしは思わず皮肉気に笑みを浮かべながら肩をすくめてそう返していた。

 それに対し、会長は困ったように苦笑する。

 ああ、まったく……あたしはこのウマ娘が苦手で仕方がない。

 競走ウマ娘の王道のど真ん中を堂々と、真っ直ぐに突き進んできた彼女は、あたしにとっては眩しすぎるんだ。

 その覇道の数多くの白星が煌めく中にある──たった二つの黒星。それをあたしなんぞが付けちまった、ってのが心の奥で疼くのかもな。

 

(もちろんあのレースは、あの勝利は、あたしの誇りだ)

 

 降着やら失格になって転がり込んできたわけじゃねえし、堂々と戦い、そして勝ち取ったあの勝利に、当然後ろめたいところなんてない。

 あの勝利は、あたしの勲章であることは間違いない。けどな……

 ただ、その後はアイツに勝てなかった。GⅠ(安田記念)はとったがアイツのいないレースだ。

 そしてアイツが立派になればなるほどノドに刺さった魚の骨みたいに、あたしの気持ちを刺激してくるんだ。

 アイツが皆の信頼を集める“正義の味方”である以上、あたしは悪役になるべきだって具合にな。

 だからつい、こんな返しをしてアイツを困らせちまうのは……あたしの本意じゃあない。

 ま、軽口たたいていると余計に困らせる上に、取り巻きの我慢が限界を超えちまうかもしれねえから、さっさと本題に入るか。

 

「相談、があってな」

「なるほど。キミの性格上、自分自身の問題では無さそうだが……詳しく聞かせてくれないか?」

「御明察どおり、あたし自身じゃなくて、チームメイトの件でな。後輩がどうしても出たいレースがあるが、ビジョ──ウチのトレーナーがそれを許さず、登録さえしてもらえそうにない」

「ふむ……」

「出走枠を確保してもらえたら、さすがに頑固者でも許可するとハズ……ってなわけで、出走枠を手配してもらいたくってな」

「ちなみに、レースは?」

エリザベス女王杯(エリジョ)さ」

 

 あたしが言うと、会長(ルドルフ)の傍で話を聞いていたウマ娘が気色ばんだ。

 

「そんなことできるわけがない! 我々にそんな権限はない!」

「……そうなのか?」

 

 相変わらず怒っているそのウマ娘をよそにルドルフに確認すると、彼女は苦笑しながらうなずいた。

 なおも収まらない部下をなだめ、それからあたしへと説明する。

 

「生徒会という立場上、我々は学園に所属するウマ娘全てに公平でなければならない。だから誰かのために出走枠を用意することをすれば、それは望む者全てに同じようにしなければならなくなる」

「なるほど、理屈だな。じゃあ……例えばその話を理事長に繋ぐ、なんてことは? ウチのチームのダイユウサクが有記念へ出走したときみたいによ」

 

 ルドルフにできないのなら、と思って言ったその案に対し彼女は首を横に振って否定した。

 

「希望するレースを走らせてもらえないという担当トレーナーに対する異議申し立て、ということなら然るべき部署に訴えて、手続きをするべきだが……それがしたいわけではないのだろう? それに、あのレースの優先出走枠はトライアルレースの結果で得るものだ。有記念のように推薦枠は無い」

 

 ルドルフが言うと、隣の部下もうんうんと頷いている。

 まぁ、言われてみればその通りだな。藁にもすがる思いで来ちまったけど。

 

「……そっちのトレーナーからウチのトレーナーに言ってもらうってのは?」

「確かに、東条トレーナーはそちらの乾井トレーナーの姉弟子ではある。しかしそれぞれ独立してチームを持っている以上は難しいところだろう。それこそ他のチームの方針に外から口出しすることになってしまうし、東条トレーナーも難色を示すと思うぞ」

 

 ルドルフが腕を組んで考え込みながら答えてくれた。

 その真摯なところは真面目なアイツらしいと思ったし、ありがたく思えた。

 そしてだからこそ……あたしの頼みがお門違いなのが、実感できた。

 これ以上、ここで粘ってもルドルフを困らせるだけで解決はしない、と判断する。

 

「ところで、〈アクルックス〉でエリザベス女王杯に出たいということは……サンドピアリスかい?」

 

 おや、よく知ってるな。

 さすが会長と言いたいところだが、冷静に考えたらバケモノだな、このウマ娘。

 ピアリスみたいな、重賞さえ勝ってないようなウマ娘のことさえ把握しているんだから。

 

「ああ、そうだぜ。ま……なんとか別の方法考えてみるわ。邪魔して悪かったな──」

「いや、ダイナ。ちょっと待って欲しい」

「……あ? 無茶なこと言って時間とったのは悪かったが……」

「違う違う。なにもキミを責めようというわけじゃないんだ。確かに私も、理事長も、キミの力にはなれそうにないが……なってくれそうな方を紹介できそうだと思ってな」

 

 力になってくれそうなヤツ? いったい誰のことだ?

 東条さんがダメなら、トレーナー連中は全部ダメだろ。あたしももうおやっさん──ビジョウの師匠くらいしか頼るアテが()えと思ってたところだが、そっちのコネならあたしが直接ある。

 

「ルール上、優先出走枠というわけにはいかないから、確実に出走させられるわけじゃない。だが……トレーナーに出走のエントリーを説得するのには、これ以上ない味方じゃないか?」

「いったい誰だよ、そいつは?」

 

 もったいぶるルドルフの言い方にもどかしさを感じてつい言葉が荒くなると、ルドルフの取り巻きが「そいつだと!?」と聞き咎めてきた。

 いや、誰だかわかねえんだから無礼も何もないだろ。

 

「さっき、“大事な方とお会いする”予定がある、と言っていただろう?」

「ああ。覚えてるぜ……」

「その方の言うことなら、キミのトレーナーは間違いなく聞いてくれるだろうよ。それに──件のウマ娘の関係者でもある」

 

 …………え?

 ルドルフが理事長と一緒に迎えるほどのVIPで、ウチのトレーナー(ビジョウ)が言うことをきく。さらにピアリスの関係者……

 それって、あの初代国民的アイドルウマ娘以外、考えられないような──

 

「このタイミングで来るなんて、キミは本当に運がいいな、ギャロップダイナ」

 

 ああ。そいつは自覚してるぜ、ルドルフ。

 アンタに勝ったあのレース以来な。

 

 

 ──かくして、天上人のようなそのウマ娘に会ったあたしは事情を説明し……後日、連絡がきたトレーナーは血相を変えて、出走エントリーをすることになった。

 無論、優先出走枠が無いので抽選になったわけだが……“運の良い”あたしがついているんだから出走枠を見事に引き当てられたのも、当然のことだけどな。

 

 

 そして……運命のあの日を迎えることになった。

 

 




◆解説◆

【ライトカラーは気付かない】
・シャダイカグラの状態に気付かないライトカラー。
・自分の成績不振の理由もわからないし。
・そしてピアリスが次にどのレースを走るかなんて、気付くわけもなく……

これ
・このとき、シャダイカグラが受けようとしているのは笹針。
・史実での笹針治療の成功例として名高いシンボリルドルフ(皇帝)ですが、これをやったのは5歳のとき。
・宝塚記念の直前で故障が判明して回避した後は回復が思うようにいかず原因不明の筋肉痛に教われる等しており、計画していた海外遠征も取りやめになったり、引退の話が出たりしています。
・その時に「イチかバチか」で笹針治療を行い、そこから回復に向かって引退宣言を撤回できるほどになりました。
・なお……そんな感じで治療が長引いたおかげで、秋の天皇賞はぶっつけ本番で挑み──ギャロップダイナに負けることになります。
・一方、史実のシャダイカグラですがオークスの後に脚部不安が生じて夏に二度の笹針を受けています。
・その効果があったのか、秋初戦を見事に勝っていました。
・なお、笹針ということで、ここで出ているのは笹針師──つまり安心沢刺々美をイメージしています。
・本作ではゲームとは違いもっと信用度が高いので、ゲーム版でスゴ腕だったとされているその師匠の方が、イメージに近いのかもしれません。

夏もレースに出走
・史実のメジロモントレーはローズステークスには出ず、秋は10月頭のクイーンステークスで勝利しています。
・また、オークス後は6月は出走していませんが、7月と8月に函館開催の条件戦(それぞれポプラステークス、函館特別)に出走しており、4着、1着と結果を出しています。
・おかげでエリザベス女王杯での人気はシャダイカグラに次ぐ2番人気になっていました。

引退
・史実のシャダイカグラの引退宣言は意外と早く、ローズステークスのころには「エリザベス女王杯で引退」と決まっていたようです。
・牝馬なので大事にされたというのもあるでしょうが、脚部不安の深刻さを物語っています。

今の中央(トゥインクル)シリーズではダートの重賞は少ねえ
・“今の”=当時の、という解釈でお願いします。
・シャダイカグラがクラシック期のころのダート路線はGⅠはともかくGⅡさえもありませんでした。
・GⅢもフェブラリーステークス、札幌記念(ただし90年から、根岸ステークス、ウィンターステークスの4つだけ。
・このように、このころの日本の中央競馬のダートは芝で勝てない馬が出るレースという扱い。
・そんなわけでダートで勝っているとハンデが増える上に先がなくなっていくので、ダートを走り続けるなら地方移籍しかありませんでした。
・現在ではGⅠレースもありますし、状況が変わっています。

出走エントリー
・実際、史実でのこのときのサンドピアリス陣営は連敗中なのもあって、賞金を稼ぐべく次走を自己条件のダート戦と考えていました。
・そんなサンドピアリスがエリザベス女王杯に出てきたのは、その馬主の事情が原因となります。
・馬主ができたばかりの一口馬主クラブだったので、「初年度からGⅠ出走馬が出たら、いい宣伝になる」からという強い押しがあったために、エリザベス女王杯への出走をエントリーしました。
・また、エリザベス女王杯の前週開催の菊花賞に、史実ではピアリスと同い年のムービースターが出走する計画だったのですが……抽選に外れてしまい、その主戦騎手の岸滋彦騎手が初のGⅠ騎乗を逃してガッカリする姿を見て、GⅠに出してやろうと吉永忍調教師がサンドピアリスをエントリーしたという話もあります。
・すると見事に抽選に当たり、何はともあれエリザベス女王杯へ出走することになったのです。


※次回の更新は12月17日の予定です。  



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第3R メジロモントレーは気に食わない


 ──エリザベス女王杯の出走メンバーが発表されたその日、シャダイカグラは目が点になった。


◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 桜花賞を勝ち、オークスでも結果を残し、ローズステークスを勝ったんだから、自分の名前がそこにあるのは疑っていなかったわ。
 その自分の名前が無い──わけじゃない。まずはそれを確認しないと、と思って真っ先にしっかりと出走表にあるのを見たもの。
 8枠20番。20人で走るから、私よりも外には誰もいない最大外。
 ハッキリ言って不利だけど、2400も距離があれば取り返すことはいくらでもできるわ。
 中途半端に真ん中になって囲まれるよりは、片側に誰もいないのはいっそ割り切って走れるし。
 そんなことを考えつつ、気になる相手の名前を探す。
 今年の“樫の女王”──私と最後まで競ってその座を掴んだライトカラー。
 桜花賞もオークスも結果を出せなかったものの、秋になって気炎を上げているメジロモントレー。
 そんな親しい好敵手(ライバル)達の名前を見て、密かに闘志を燃やす。
 特にカラーには負けられない。オークスのリベンジをしないと。
 それ以外のメンバーももちろん強敵ぞろいだけど。
 とりあえず、1番から名前を見て……1番の()はオークスとローズステークスで見かけたような気がする。
 2番は見たことないわね。
 3番のレディゴシップはオークスでは結果が出なかったけど、秋は今まで3戦1着1回2着2回。しかもクイーンステークスでモントレーにわずかにクビ差と調子を上げてるのは間違いない。要注意ね。

(特に、彼女とあと一人には負けたくないのよね、個人的に……)

 4番は……名前間違ってない? “ズ”が足りないような気がするけど。
 5番シンエイロータス。桜花賞にもオークスにも出てない彼女だけど、春にデビューして夏前の初勝利から3連勝、そして前走のローズステークスでは私のすぐ後の2着。この夏で急速に力を付けた強敵よ。よく注意しないとね。
 そして6番はサンドピアリス──

「……ん?」

 あれ?なんかやたらと見覚えのある名前を見た気がしたけど。
 …………なにこれ?

(ちょっと待って……)

 一度目を閉じ、そして深呼吸をする。
 大きく息を吸い、そして吐く。
 そのままこめかみを押さえ──

(うん。私……疲れてるのよ、きっと)

 最近の自分の疲弊は自覚してる。
 エリザベス女王杯を前に鍛錬を積まないといけない。
 でも脚への不安から、思うようにトレーニングができない。
 そんなジレンマで焦る気持ちは露わだったみたいで、トレーナーからも「焦れば全てが終わりになる」と諭されたこともあるわ。
 そうして肉体的にも精神的にも疲労のピークだったから……()()()()()()()()()()()()()のよ。うん。
 ダメね。こんな状態じゃ、レース本番で実力を発揮することなんて──

「──って、見間違いじゃなくてちゃんとあるぅぅぅぅッッ!?」
「ど、どうしたの、カグラちゃん?」

 目を開き、あらためて出走表を見た私の目には、しっかりと“6番サンドピアリス”の名前が書いてあるのが映ってた。
 思わずあげた私の声に、ルームメイトが驚いた様子でこっちを見ている。
 そう、その──サンドピアリス本人よ。

「どうしたのはこっちのセリフよ!! いったいどうしたって言うのよ、ピアリス!!」
「え? なにが……?」
「なにって決まってるでしょ、コレよコレ!!」

 私は出走表が書かれた紙を彼女に向かって突き出して、それをバシバシと手で叩く。
 不思議そうに小首を傾げたピアリスは、眉根を寄せながらそれをじっと見つめ──

「エリザベス女王杯?」
「そうよ! ピアリス、あなたいつの間に……ううん、あなたの最近のレース結果って──」
「えっと……ダートの自己条件戦で3連敗中、だよ?」

 申し訳なさそうに「あはは……」と力なく苦笑するピアリス。
 ええ、それは私も知ってるわ。
 去年、なかなかチームに入れなくてデビューも遅れた彼女。
 私と同じトリプルティアラ路線に進むと言っていたけど、レースで勝ってはいたものの条件戦だけ。重賞で結果を残していない彼女は、桜花賞もオークスも出られなかった。
 秋になって、得意だったダート戦でも勝ててない。

(それが──なんで?)

 そう思う私の疑問も、無理もないことだと思うんだけど。
 春に比べて成績が落ちているのは明白だもの。
 それに聞いた話だと、春の結果を踏まえて、芝のレースでは勝てないから──

「ダート路線に専念のはずじゃなかったの?」
「う~ん……ダメでもともとで試しに出走登録したら、運が良いことに抽選で通っちゃって……」

 相変わらず力なく苦笑するピアリス。
 でも……それでもダートの条件戦は毎週どこかで開催されているでしょうに。
 言ってしまえば、ピアリスがエリザベス女王杯に出走するなんて無謀にしか思えなかった。
 重賞の経験はあるけどそこで勝ったことはない。それどころか芝で勝ったことがない。
 おまけに2400という距離も彼女にとっては長いように感じる。今まで走ったことないでしょ? こんな距離……

(なんで、そこまでして……)

 私がそう思ったとき、ピアリスの表情が苦笑から不安げなものへと変わるのが分かった。
 そしてどこか……申し訳なさそうで、悲しそうで。

「ぁ……」

 思い至り、思わず声が出た。
 それでもどうにか声を抑えることができたのは不幸中の幸い。

(なんでエリザベス女王杯に出走してきたか、って……全部、私のせいじゃないの)

 中央(トゥインクル)シリーズの舞台で一緒に走ろう、と私は彼女に言った。
 私の桜花賞(走り)を見て、彼女も目指すと言った。
 そして──私は、エリザベス女王杯で引退すると、彼女に打ち明けた。

(私のために……私と一緒のレースで走るために、彼女は無理を通してでもエントリーしてきたんじゃない! それを私は……)

 彼女の心意気に、グッとくるものがあった。
 このレースにかける思いもあって、思わず感極まりかけるけど──それで涙を流すわけにはいかないわ。
 私は気持ちをこらえて、笑顔を向ける。

「ええ、わかったわ。私も……最後に一緒のレースで走れて嬉しいわ。ありがとね」

 私が言うと、ピアリスの顔はパッと晴れ渡り、満面の笑顔で「うん!」と心地よい返事をしてくれた。
 ああ、私は……幸せ者ね。
 自分の脚の弱さを恨めしく思ったけど、最後のレースでこんな嬉しいサプライズを用意してくれたんだから。

(だからこそ……絶対に、負けられない)

 共に走る彼女(ピアリス)に、私の最後の姿(レース)を一生忘れないよう、その瞳に焼き付けさせるためにも、ね。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 ──その出走表にある名前に戸惑ったのは、シャダイカグラだけではなかった。

「なぁ、このウマ娘……誰だ?」
「サンドピアリス? 知らない子ですね」
「出走するだけあって確かに勝ってるレースあるけど……でも全部ダートの条件戦じゃない?」
「いや待て、所属チームよく見ろ。あの〈アクルックス〉だぞ?」
「ゲェ──ッ! じゃあワンチャンある可能性も……」
「待て待て、冷静になれよ。直近の3戦がダートの条件戦で、しかも8着、9着、6着だぞ? いくらなんでもあり得ないって」
「そうそう。いくら“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”とはいえ、ダイユウサクもターキンも、その前に一応は重賞勝ってたんだぞ。きっと思い出出走だろ」
「だよなぁ。“ビックリ箱”もさすがにネタ切れか……」


 等々。
 世間の人々は、その見慣れぬ名前に首をひねりながらも──気に留めることはなかったのである。


 だから……まさかあんなことになるなんて、このときは想像もしなかったのです。




 

 ──そしてレース当日。

 

 担当ウマ娘がエリザベス女王杯への出走するは初めての経験だった。それどころかトリプルティアラのレースに出たことはない。

 クラシックレースへの出走はオラシオンとロンマンガンのおかげで経験していたが、やはりまた違った雰囲気がある。

 

「……なんで、そんなに顔色悪いのよ」

 

 オレの隣に立つウマ娘が、怪訝そうな顔で見上げて、そんなことを訊いてきた。

 ダイユウサクだった。

 開催地が京都なのでチーム全員で来るつもりはなかった。特に先週、大舞台を終えたばかりの二人──オラシオンとロンマンガンは学園で休ませようと思ったんだが、全員が頑として「絶対見に行く」と譲らなかったので今回はチーム総出ということになった。

 だから、ダイユウサクもいるわけで、実際──彼女の言うとおりオレの顔色は良くなかったと思う。

 そういう自覚はあった。

 だが、ダイユウサクはその理由を勘違いしていた。

 

「ピアリスが不安なのはわかるけど……」

「違う。いや……違わなくもないが、たぶんお前が考えているのとはちょっと理由が違う」

 

 出走するチームの所属ウマ娘、サンドピアリス。

 確かに彼女の成績は、これまで見事だったとは言い難い。2勝あげているが、いずれもダート戦だし、しかも春レースの結果だ。

 現在4連敗中で、秋レースは3戦全敗。しかも得意にしていたはずのダート戦で、だ。

 そしてエリザベス女王杯はもちろん芝のレース。ピアリスが勝ったことがない芝である。

 かつ距離も2400。今までのピアリスの最長レースは5月に走った芝のGⅢ重賞で、2000メートル。ここまで長いレースは走った経験がない。

 良い材料が見つからないどころか、探せば不安材料しか出てこない。

 そんなピアリスに対し、オレはレース前に──

 

『一人でも二人でもいいから、抜かしてこい』

 

 ──と送り出している。

 無論、出走する以上は誰でも万に一つの勝機がある──というのがオレの持論だし、諦めているわけでもない。

 しかし、その成績は出走メンバーから一段以上劣っているように見えるのは無理もないこととで、ピアリスはいわば()()()()ウマ娘になってしまっているのだ。

 それを証明するように……今日の人気は、20人中20番目。

 

「最下位人気、か。実績と直近の成績考えれば妥当だとは思うが……でも、あの時のダイナやダイユウサクの人気でさえ最下位(ビリ)ではなかったもんな」

「「下から二番目(ブービー)で悪かったな!!」わね!!」

 

 無意識に言っていた独り言に、語尾の違う二つの怒声が返ってくる。

 見れば、あからさまに不機嫌なギャロップダイナとダイユウサクがこっちを睨んでいた。

 

「同じ大一番でも先週は一番人気、今週は最下位だなんて。スッゴい極端だよね」

 

 そう言って苦笑するのは車椅子のウマ娘、ミラクルバードである。

 彼女は現役の時には低い人気で走るなんてことなかったから、完全に他人事といった様子だった。

 

「オイ、ビジョウ……それでビビって顔色悪い、なんてまさかそんな情けない理由じゃねえよな? 天下をあっと驚かせる“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”サマがよ」

 

 不満げな目をジト目、そして嘲笑へと変えてオレを見てくるギャロップダイナ。

 そしてコロコロと変わる表情は、昔を懐かしむような遠い目になった。

 

「あたしの時はもっと堂々としてただろ? 本気であの最強ウマ娘(ルドルフ)相手に勝ちを考えてたってのにさ」

「ああ、そうだな……」

 

 ダイナの時は──無我夢中だったからな。

 立場もサブトレーナーでさえない研修生だったし、負けて失うものも無いから一矢報いてやる、という気持ちだった。

 なにより、恐れを知らない若さ……というよりは未熟さが大きかった。

 

(だが、今回は違う)

 

 オレは正トレーナーだし、チーム〈アクルックス〉を背負う立場だ。

 だからこそ──責任の重さが違う。

 このトリプルティアラの一角であり、クラシックGⅠの最後(トリ)を飾る大レースに()()()()()()()を出してしまうことが、どれほど重いことか。

 それこそオレの顔色が悪い──胃が痛くて仕方ない理由だった。

 

(オレには、その前科があるからな)

 

 GⅠでこそないが、クラシックレースの前哨戦という大舞台に場違いな出走をさせて大失敗している。

 そしてそれからドン底を味わって、トレーナーを辞める寸前までいった。

 そんな心的外傷(トラウマ)がオレの胃を痛めているのだ。

 

(いや、オレが叩かれるのはまだいい)

 

 なにしろ“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”なんて言われるくらいだから、低人気には慣れている。

 もしもピアリスが──さっき挙げたような悪条件を揃えた彼女が、この大舞台で大敗を喫したとしても世間では「不発だった」という程度の評価だろう。

 しかしピアリス本人はどうだ?

 大勢の観衆の注目が集まる中での圧倒的な惨敗は、いくら明るく元気な彼女とはいえ、それこそ心的外傷(トラウマ)になりかねない。

 

(あのときと……パーシングと同じように、競走がイヤになって、走るのをやめてしまうかもしれない)

 

 今は、走るのが好きだという気持ちを取り戻した彼女だが、その人生から“競走”を奪ってしまったのはオレの罪だ。

 そして、それを繰り返すわけにはいかない。

 たとえサンドピアリス本人が望んだレースだったとしても、やっぱりオレは止めるべきだったんじゃないか──

 

「──アタシはピアリスの気持ち、分かるわ」

「え?」

 

 考えにふけっていたオレは、ふと隣からの声で思わず振り向いていた。

 それまでじっとオレを見ていた様子の彼女──ダイユウサクは、オレの視線が向けられると微笑んでから、走路(ターフ)へと視線を向けて遠い目になる。

 

「シャダイカグラはピアリスのルームメイトなんでしょ? 自分よりもずっと先にいるその存在に追いつきたい。同じレースを走って……勝負したい。それは私も同じだったから」

 

 ダイユウサクにとってその存在はコスモドリームだった。

 ルームメイトで従妹である彼女は、サンドピアリスとシャダイカグラ以上に近しい関係だったことだろう。

 そしてコスモドリームもまた、トリプルティアラの一冠──オークスを制したウマ娘。

 

「アタシも格上挑戦した高松宮杯でコスモと競走(はし)ったけど、夢だったそれを叶えられたのは本当に良かったと思ってる。たとえあのレースで最下位になっていたとしても……きっと走らなきゃよかったなんて思わないわ」

「ダイユウサク……」

「だから、安心なさい。ピアリスは、どんな結果でも後悔なんてしないわよ。むしろ出られなかった方が後悔したはずなんだから。これが……シャダイカグラの引退レース(ラストラン)なんだもの」

 

 そう、シャダイカグラはこのレースを最後に引退するのを発表している。

 脚に不安がある──と言われているが、それでも彼女に有終の美を飾って欲しいというファンの声援を受けて、これまでのトリプルティアラのレースと同じように一番人気になっていた。

 

「確かに……その通りですね。抽選で選ばれたのも三女神様が与え賜うたの御慈悲なのかもしれません」

 

 黒髪(青鹿毛)が風になびくのを押さえながら、走路を見つめてオラシオンが言う。

 神職者らしいその言葉の後に、彼女は祈りの言葉を囁いて、胸の前で手を組んでいた。

 

「ピアリスさんの望みが、無事に叶えられますように……」

 

 その祈りは──秋風に乗って高い天へと吸い込まれていった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「あのような方が、クラシックレースに出てくるなど……」

 

 発走時間が迫り、走路に出たわたくし──メジロモントレーはそのウマ娘を見ながらひどく心がささくれ立つのを感じておりました。

 なぜなら場違いなウマ娘が神聖であるべきGⅠの走路(ターフ)に紛れ込んでいるのですから。

 クラシック三冠とトリプルティアラに路線が別れこそすれども、どちらも世代最強を競うというのがクラシックレース。

 このレースに出走するメンバーには、当然に品格というものが問われますわ。

 それこそ、これまでの間に積み重ねた勝利や実績がこのレースへの出走に足りうるものか、ということ。

 

「2勝を挙げているといっても、ダートの条件戦(砂場遊び)ではお話になりませんわ。しかもそこでさえも勝てなくなっているというのに」

 

 思わず冷ややかな目を6番の彼女へ向けてしまうのも無理はないかと思いますわ。その程度の成績で、この大舞台に上がってきたのですから。

 このような場に出てくるなんて、貴婦人(ピアリス)どころかとんだ“灰かぶり”ではありませんか。

 大方……どうせ出走できたのも大物VIPの圧力でしょう?

 

(存じていますわよ、貴方の背後には()()元国民的アイドルウマ娘がいることくらい)

 

 名門メジロ家のウマ娘として、そんな()()を使って出てきたようなウマ娘に負けるわけにはまいりません。

 我がメジロ家は確かにウマ娘競走の大家ではありますが、その中でも競い合っているのです。

 だからこそ、この中央トレセン学園でもトップクラスの実力者を幾人も排出しているのですわ。

 

「それにしても……おのれ、乾井 備丈(まさたけ)

 

 そのウマ娘は自分のトレーナーのところへと行き、何事か話しています。

 ちらっと「一人でも二人でも抜かしてこい」等と言っていたのが聞こえましたが……その傍らのウマ娘共々、思わず睨んでしまいましたわ。

 

(あのウマ娘も、VIPである親戚コネを使って有記念に出走し、我がメジロ家が掴むはずだった栄光をかすめ取った……)

 

 そう、本来であれば票も集まらずに出走していないはずのウマ娘。

 それがまさか、あのような……

 無論、彼女が苦労して歩んだ道を否定や罵倒するつもりはありませんわ。

 しかし、そのような反則じみた手を使うなど……なんと汚いトレーナーなのでしょう。

 そして、それに飽きたらず今回も同じように──

 

(貴方に恨みはありませんわ、ピアリスさん。むしろ、あのトレーナーにいいように使われていることには憐憫の情さえ抱いております)

 

 わたくしのライバルたるシャダイカグラのルームメイトである彼女のことは、性格も知っております。

 朗らかで素直なその性格を、あの性悪で世間を騒がせることしか考えてない悪質トレーナー(テロリスト)に悪用されているのでしょう。

 そのことには心から同情いたします。だって……貴方のような弱いウマ娘が、こんな場違いなレースに出走することになったのですから。

 

「あのトレーナーが担当したという例のウマ娘のように……結果に心が打ちのめされてしまわないかが気がかりですが……」

 

 とはいえ、そのようなトレーナーに当たってしまった運の悪さを悲しむしかありませんわ。

 競走は厳しいものであり“強い”ウマ娘しか生き残っていけない厳しい世界なのです。そしてその“強さ”とは速い等の身体的なものだけではなく、困難や苦難にぶつかっても挫けないという精神的なものも併せたものなのですから。

 もしも今回のことで心が折れるようでは……この道をあきらめた方が本人のためかもしれませんわね。

 

「それに……わたくしとて、今日のレースはそのようなことを気にかける余裕も御座いませんわ」

 

 深呼吸をして、平静を取り戻す。

 このような些事を気にして心を取り乱しているようでは、勝てる相手ではありませんもの。

 今から挑む──シャダイカグラというウマ娘は。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ウチ──ライトカラーにとっても、このエリザベス女王杯はマジでノドから手がでるほど欲しい栄冠。

 なんで? って……ウチの世間での評価は低く、今日の人気もイマイチだったからよ。

 いや、ちょっと待って。なんでマジでこんなに低い?

 仮にもオークスウマ娘よ? 今年の『樫の女王』よ?

 

(それがなんで、7番人気!?)

 

 確かにカグっちの人気に負けるのは分かる。

 桜花賞ウマ娘だし、ウチもオークスではなんとかギリギリ勝てたんだし。

 脚部不安が噂されててもラストランなんだから、当然応援したくなるわ。

 まぁ……モンっちに負けるのは、ギリ分からなくもない。

 名門メジロ家の令嬢だし? 春も人気高かった上に秋でも結果残してるし。

 けどさ、ならウチが3番人気でよくない?

 誰よ、カッティングエッジって? 

 確かに去年デビュー3連勝して、春を棒に振っての復帰戦4着とまずまずみたいだし。

 でもさ、なんかおっかないウマ娘なんだけど……三白眼でやたらと目つきが怖くて、しかも不機嫌そうにやたらと睨んでくるし。

 怒ってるのかと思って訊くと、「キレてないッスよ」って返してくるのが持ちネタ……みんなあの目で睨まれて、恐怖に屈してるせいで人気が上がってない?

 反則じゃん、そんなの! 圧力に屈しちゃダメ!!

 

(って、こっち睨んできてるし)

 

 怖い目つきでこっちをジッと見て……完全にキレてるじゃん。ヤバ……

 で、彼女だけじゃなく他にもウチより人気集めてんのが沢山いるし。

 3連勝でローズステークスに出走して2着のシンエイロータス。

 オークスの後から調子を上げてるレディゴシップ。

 そのオークスではウチとカグっちの後で3着だったヤンゲストシチー

 

(……みんな同い年なんだから一番若い(ヤンゲスト)とかないし)

 

 まぁ、とにかく……ウチの人気はその後くらいで真ん中よりやや上といったところ。

 それが意味することは──

 

『オークスはフロック(まぐれ)

 

 つまりは世間のみんながそう思ってるってワケ。

 確かに……それまでの戦績も、そこからの戦績も、どっちも優れてるなんて言えないけど。

 でもね、あのオークスでカグっちとゴール直前まで競った。

 そして、勝った。

 それは紛れもなくウチ──ライトカラーがしたことだし、その結果こそ自信になってる。

 だから……負けられない。

 絶対に勝たないといけない。

 これ以上、あのレースを“まぐれ”と言われないために。

 “樫の女王”の名を、ウチに負けたカグっち自身を貶めないためにも。

 

 両手で挟み込むように、自分の頬をパンと叩いて──視線を上げる。

 そしてふと──そこに一人のウマ娘が視界に入った。

 周囲のウマ娘達が──ウチも含めて──勝利(栄冠)を求めて目をギラつかせてる中で、彼女だけは場違いなくらいに雰囲気が違ってた。

 だから目立ったんだろうけど……この大舞台に、目を輝かせながら周囲を見てる。

 

「ピアリス……」

 

 サンドピアリス。

 ウチもよく知る、カグっちのルームメイト。

 トリプルティアラ路線を志望していたけど、春は出てこられなかった彼女の実績は、お世辞にも良いとは言えない。

 周囲の評価はウチ以上に低く、実力不足と見られてしまって最下位人気になってた。

 

(気持ちは……分かるわ)

 

 それでも彼女が出てきたのは、きっとシャダイカグラと走りたいから。

 このレースが最後と宣言してるカグっちと走るには、このレースに出走するしかないし。

 世間の“思い出作り”というのはある意味あってるかも。

 でもウチは、それを責めたりバカにするなんてできない。

 競争相手(ライバル)であると同時に、中央(トゥインクル)シリーズで活躍するという同じ夢を抱いて努力してきた親友とその舞台で走りたいという一念は理解できる。

 

(それで、どうにか滑り込んででも出走してきたのはヤバい。抽選を見事に抜けてくるあたり、その運もヤバい)

 

 端から見れば場違いなんでしょうけど、ウチはそう思ってない。

 だからピアリス……一生懸命走りなよ?

 ウチも、全力で走るからさ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 目の前にあるスタート用のゲート。

 その前で私──シャダイカグラは目を閉じていた。

 

(今のところ、痛みは──無い)

 

 前走のローズステークスでもなんともなかったし、おかげで勝ってこのレースに臨むことができたわ。

 そしてもうあと一レース。これさえ終われば、それで済むんだから。

 トリプルティアラの最後のレース。

 桜花賞をとり、オークスではギリギリ届かなかった。

 だから最後に、最後の一つをどうしても掴みたい。

 

(私が、中央(トゥインクル)シリーズを走った証として……)

 

 目を開ける。

 私とオークスで最後に競い、そして“樫の女王”になったウマ娘の姿があった。

 同じくオークスで競った名門メジロ家のウマ娘の姿もある。

 他にも桜花賞やオークス、前走のローズステークスで競ったウマ娘達がゲートへと入っていき、集中力を高めている。

 そして──その、どのレースでも見ることのなかったウマ娘がいた。

 

「うん! うん……」

 

 少し興奮気味で──でも緊張感無く、楽しんでいる様子で、彼女はゲートへと入る。

 でも私がトレセン学園で過ごす中で最も目にし、話をし、間近で接してきたウマ娘──サンドピアリス。

 

(最後の最後で、あなたと同じレースを走れるなんて……ね)

 

 思い出として最高の舞台(シチュエーション)よね。

 だからこそ、私は……最高の結果を残してみせる。

 今までたった一人しか成し遂げていないトリプルティアラの完全制覇という偉業に並ぶことはできないけど、それに限りなく近づいたウマ娘になってみせる。

 

(だからこそ──私の脚よ、最後まで……三女神様よ……)

 

 ──そう思ったとき、係員からゲートへと促された。

 気がつけば、他のウマ娘達は全員入っていて、私が最後の一人になってる。

 

(そんなことに気がつかないほど、不安になっているのかしら)

 

 そう、思わず神頼みをしてしまうほどに。

 正直な心境を言ってしまうと、胸の前で手を組んで祈りたいくらいだけど……そんなことをしたら、「まるで祈りのウマ娘(オラシオン)」なんて言われるわ。

 もちろん、彼女の実力は圧倒的だし認めるところだけど……だからこそ、彼女の二番煎じにはなりたくないのよ。

 それでこのレースに勝ったとしても()()()()()をしたおかげ、なんて言われるのは御免だわ。

 

(あと、たった2400メートルだけもってくれればいいのよ)

 

 そうすれば──私は、勝てる。

 そう……()()()()()()()()()”になんて頼る必要なんてないのよ。

 勝利とは努力の結果なんだから。

 そして私の競走人生をかけてきた研鑽は、そんな神や奇跡に頼るような脆弱なものなんかじゃないんだから。

 

(神様に祈るなんて……弱気になっていた証拠よ)

 

 そんな心構えじゃ、勝てる競走(レース)も勝てなくなるわ。

 もちろん“祈りのウマ娘”を揶揄しているんじゃないわよ? あれは彼女のルーティーンでもあるんだし。

 私みたいな敬虔でもないウマ娘が祈るのとはワケが違う。

 

(私は──実力で栄冠を掴みにいく。実力を出せば、結果は自ずとついてくる)

 

 その自信は、ある。

 奈瀬トレーナーに鍛えてもらった私なら、絶対に掴めるはずよ。

 

 そして、私はゲートへと踏み入れ──神にすがることなく自分の足で立ち、スタートを待った。

 

 

 

 そして間もなく……ゲートが開き、エリザベス女王杯は始まった。

 

 

 




◆解説◆

【メジロモントレーは気に食わない】
・彼女が不満なのは、やっぱりピアリスのことであり、それ以上に気に食わないのは乾井トレーナーのこと。

1番の()
・シャダイカグラが出走した1989年開催の第14回エリザベス女王杯。
・その馬番1番だったのはシルビアワン。1988年11月にデビューしてオークス前までに2勝しオークスに出走するも結果は10着。
・ローズステークスにも出走していますが7着。
・ただ、秋はその前も勝っておらず……勝利はオークス前の2つだけでエリザベス女王杯に出走しています。
・それもダート戦のみ……と、オークスに出ているところは違いますが、まるで誰かのようです。

2番
・史実2番はグローリーアゲン。
・前年秋にデビューして勝利を飾っていますが、2戦目は翌年の9月10日の条件戦と春レースを棒に振ってます。
・そのレースも勝って2戦2勝でローズステークスに挑むも4着。その後の条件戦を勝利して、勝利は条件戦だけな物の4戦3勝でエリザベス女王杯に出走しています。
・馬名は8文字(最大9文字まで)なのに、なんで「アゲイン」じゃないんだろう? と思ったのですが、「アゲン」は馬主さんの冠名だった模様。
・1967年生まれのトライアゲンが最初に付けられた「アゲン」で、2020年生まれのフューチャーアゲンをはじめ、今年(2022年)のSTV賞を制したフォワードアゲン等がおり、長く馬主を続けられているようです。

3番のレディゴシップ
・オークスで7着だった以降、夏の条件戦で2着、1着と好成績を残してクイーンステークス2着という成績で出走。
・人気も5番人気と、なかなか上の方でした。
・エリザベス女王杯後は、次走を含めてオープン特別を3勝。重賞中山牝馬(GⅢ)で4着、中山記念(GⅡ)で2着という成績を残して、1990年の9月に引退しました。
・本作のシャダイカグラがどうして対抗意識を燃やしているのかと言えば、元ネタ競走馬が社台ファーム生産のノーザンテースト産駒で、馬主は社台レースホースという完全な社台グループの馬なため。
・“あと一人”──12番カッティングエッジと合わせて、どちらも社台グループの競走馬が元ネタなので、本作では“名門シャダイのウマ娘”ということで非シャダイのシャダイカグラは目の色を変えてます。

4番
・馬番4番だったのはラブオンリーユー。
・ええ、最近の競馬を知ってる人だと「え?」と思わず思ってしまう名前です。
・というのも2016年生まれで、2019年のオークス馬という有名なラヴ()オンリーユーがいますからね。
・一方、このラブオンリーユーは前年9月デビューで4月の未勝利戦と5月の条件戦で勝ち、ローズステークスは6着。エリザベス女王杯まで12戦も走っていました。
・その後はオープンに昇格できず、一度だけ障害を走ったりしながら90年の8月に引退しています。
・なお、ラブとラヴズは血統的にも馬主的にも関係はありません。
・ちなみにエリザベス女王杯の実況を担当した杉本アナの「ラブオンリーユー」の名前の読み方が個人的なツボにはまっていて大好きです。

5番シンエイロータス
・直前までの成績は作中の通り。
・その好走から、本番では史実でシャダイカグラ、メジロモントレー、カッティングエッジに次ぐ4番人気でした。
・そして史実で大波乱となったレースの中で、上位人気馬の中では唯一、掲示板を確保した馬でもありました。
・他は20頭中、真ん中以下人気の馬ばかりでしたので。

大舞台
・もちろん菊花賞のこと。
・本作ではオラシオンやそのライバルたちが出たレースになっていますが、89年の菊花賞を制したのはバンブービギン。
・1番人気が制した固いレースでした。
・5月から活躍し始めた馬だったのですが菊花賞で引退しており、ついでに言うとダービー馬のウィナーズサークルも菊花賞を最後に引退。皐月賞のドクタースパートはその後サッパリ……と、86年生まれの競走馬が一人も公式ウマ娘になっていないのを示すように、活躍できていません。

カッティングエッジ
・同名の競走馬を元にした本作オリジナルのウマ娘。
・その名前や実況で「キレ者」と言われたりしていたので、いつも怒っているキレキャラ……のように勘違いされている、という設定です。
・その原因が目のせいになっているのは、『オーバーロード』のネイア・バラハのオマージュです。

ヤンゲストシチー
・前年にデビューしていたヤンゲストシチーは、11月末の5戦目(ちなみにデビューは10月頭。走らせすぎ……)で初勝利。
・そこから3連勝していて、その3つ目はチューリップ賞と桜花賞に向けて万全でしたが、結果は9着。
・オークスでは3着に入ってエリザベス女王杯の前のサファイヤステークスでは2着になっています。
・なお、3番人気だったシンエイロータス以下、レディゴシップは4番人気、ヤンゲストシチーは5番人気という順で名前を並べました。
・なおヤンゲストシチーは、エリザベス女王杯後は牝馬系の重賞を中心に出走しますが、その後に1着はなく、結局最後の勝利はチューリップ賞でした。
・ちなみに名前のヤンゲストは、母のヤングシチーからかと思われます。


※次回の更新は12月23日の予定です。  

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時35分となります。


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第4R シャダイカグラは止まらない



 ──ゲートが開いて20人のウマ娘が一斉に飛び出し、クラシックレースのラストを飾るエリザベス女王杯は始まった。




 

『ゲートが開いた。シャダイカグラ好スタートを切りました。シャダイカグラが絶好のスタートを切りました』

 

 うん。最高のスタートが切れた。

 一番外のゲートから出た私──シャダイカグラには確かな手応えがあった。

 最大外なので片側には誰もいないし、内側にも私よりも前に人影はない。

 でも──

 

『桜花賞とは違って20番枠シャダイカグラ、絶好のスタートでこれから先頭に行く構えですが、内を通りまして内枠から一人、ラブオンリーユーでしょうか、このあたりが先頭に立とうと言うところですが──レディゴシップ、レディゴシップが先頭に立ちました』

 

 ──私は先頭を他のウマ娘に譲る。

 もしも誰もついてこないのなら、先頭に立ってペースを作るという手もあったかもしれない。

 でも一番人気の私を好きに走らせてくれるはずがない。案の定、他のウマ娘──“逃げ”を得意にしている彼女たちが来たので、執着することなく譲ったわ。

 今の状況で私には先頭を“逃げ”てレースをつくるほどの自信はないもの。

 もしも彼女たちと同じ策をとって競うことになれば、間違いなく限界まで体に負担をかけることになる。

 それよりももっと全体が見渡せて、負担の少ないところに身を置くしかない。

 

(中段や後方での待機も、今の私には難しいかもしれない)

 

 最後の直線での末脚勝負は、その加速を爆発させる性質上、瞬間的な足への負担は大きい。

 脚に不安を抱える私にとってそれは避けたい。

 だから私は──

 

『レディゴシップ先頭であります。それからファンドリポポが2番手であります。それから15番のキオイドリームが3番手。

 シャダイカグラは現在、ヤンゲストシチーを内にして、5枠の2人を挟んで、外を通って7番手辺りといったところでありますが。しかし先頭集団の良いところについています』

 

 ──前の辺りに位置して、隙をうかがう先行策をとる。

 これこそ、私にとっての最善の策。

 奈瀬トレーナーもきっと、そう考えているはず。

 

『レディゴシップが抜け出しました。第一コーナーをカーブして、レディゴシップが先頭でありますが、唯一の8枠がシャダイカグラ。そしてファンドリポポが2番手であります。ファンドリポポが2番手。それから6枠から一人キオイドリーム。その後ろに9番ヤンゲストシチー』

 

 先頭を行くレディゴシップが気にならないわけじゃない。

 彼女も間違いなく強敵。それを前に行かせるのだから、もちろん怖さはある。

 でも、私なら──巻き返せる自信がある。

 2番手、3番手のウマ娘たちもこのレースに出走できるくらいなんだから実力は確かなはず。

 でも……彼女たちから脅威を感じない。

 ただ、気になるとしたら──そういう私をマークするウマ娘に囲まれて身動きがとれなくなること。

 だから──

 

『それをかわして、外から行ったのがシャダイカグラであります。今日も8枠で一人、誇らしげに咲くシャダイカグラ。

そしてこのシャダイカグラをマークするようにリアルプリティが5番手にあがりました』

 

 コーナーでは内を走るのに比べて距離は伸びるし、当然に内を走る者よりも速く走らなければ抜くことはできない。

 でも囲まれて自分のペースで走れなくなる方が、今の私にとってはリスクが高い。

 そう判断して、私は外へと進路を取っていた。

 相変わらず、他のウマ娘たちからのマークは厳しい。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

『おっとあがってきた5枠のメジロモントレーであります。それから5番シンエイロータス、それからスッとヤマフリアル。そして9番ヤンゲストシチーはちょっと内々で後退気味。

それから14番のホウヨウファイナル。その外へ16番リリーズブーケ。そしてキレ者カッティングエッジ12番がここにいます。

それから4番のラブオンリーユー、そして6番のサンドピアリスであります』

 

 

(大本命は、前でレースしてる……)

 

 後ろでのレースになった私──カッティングエッジは、前に並ぶウマ娘たちをジッと見つめて様子をうかがう。

 

(こうして後ろから見る分には、誰にも何も言われないし)

 

 それが正面から、そして横からだとそれ以上に大変なことになるんです。

 併走してチラッと見ただけで──相手のウマ娘は、ギョッと驚いた表情になるし、気の弱い()相手だと「ひぃッ!!」と悲鳴をあげられたことは数限りなくありますし。

 

(それは、私の目つきのせいだけど)

 

 私の目は──ほんのちょっぴりだけ──他のウマ娘に比べて鋭いようで、誰に似たのかその目は三白眼で、しかも鋭く切れ長という形状はよく怖がられてしまうようです。

 普通に視線を向けただけでも、睨んでいるように見えるみたいで──子供の頃から「なんで怒ってるの?」と訊かれたことは数限りなし。というかもはや聞き飽きている状況。

 

(何度、「怒ってない」「キレてない」と言ったことか……)

 

 心の中でこっそりため息をついてしまう。

 もちろんそれも精一杯普通の表情で言ったつもりなんだけど、それが「怒りを抑えている」「我慢している」と、さらに誤解を広めてしまうようで──いつの間にやら“キレ者”なんてあだ名が付いてたワケで。

 

(切れ味良さそうな名前のせいなんじゃないかな……)

 

 カッティングエッジという私の名前は、それはもう触れる者皆傷つけるくらいに鋭い名前。

 そして──そんな私の目を見ただけでは怖じ気付かないような実力上位者は、今は前の方に集まってる。

 後方の位置にいる私は前の様子がよく見えていた。

 

(前のペース、意外と速い)

 

 2400と決して短くない距離のこのレース。でもかなり良いペースで展開している。

 だからこそ前の方からわざわざ位置を下げ、私はあえてこの後ろの方へと位置した。

 そのペースを生み出したのは、大本命シャダイカグラが良いスタートを切ったのが原因。

 

(皆がマークする彼女の出足がよかったことで、逃げの面々が速いペースで入ることになった。シャダイカグラ本人は先頭からは退いたけど、それでも上がったペースはそのまま……)

 

 大逃げする者もおらず、切れることなく集団となって前の方は固まっている。

 そうなるとスタミナ消費が激しい前でレースをしている面々は、これからキツくなってくるはず。

 つまり、後方待機策が有利と判断した──ええ、ペースについていけなくなったわけじゃありません!

 

(すぐ後ろにいるのは、人気が最下位(ビリ)下から二番目(ブービー)の2人だもの……)

 

 後方待機有利な展開になって、しかも周囲は実力が劣るウマ娘。

 もちろん、さらに後ろには5人いるし、その中にウマ娘に警戒すべき相手がいないわけじゃない。

 なにしろ今年の“樫の女王”はさらに後ろにいるのですからね。

 でも──ここから私の()()()()()の脚を見せてあげようではありませんか。

 3番人気はダテじゃないんですから。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──レースが中盤をすぎて、動き始めていた。

 

『こんな大勢(たいせい)で坂を上りまして第3コーナーでありますが、さぁシャダイカグラは──おっと2番手にあがっている。シャダイ2番手だ。15番キオイドリームが先頭、シャダイカグラ20番が2番手にあがりました』

 

 もう仕掛けようというのですか、カグラさん……

 いえ、彼女の実力を持ってすれば、ここでの仕掛けが早すぎるということはありません。

 ならばわたくしも、ここで後れをとるわけには行きませんわ!!

 

『そして3番手──おっと内から3番のレディゴシップ後退。外からメジロモントレー。外からメジロモントレーが早くも上がってきました』

 

 シャダイカグラさんが2番手に上がった以上は、わたくし──メジロモントレーも動かないわけにはまいりません。

 名門メジロ家の一員として……桜花賞には出走できず、オークスでは及ばなかった以上、このエリザベス女王杯だけでも絶対に手にしなければならないのです。

 ラモーヌさんが達成したトリプルティアラの完全制覇を目標としたわたくしが、その一つもとれないなんてこと、絶対に許されませんわ!!

 

「さぁ、カグラさん! これからが──勝負ですわよ!!」

 

 3コーナーを過ぎて4コーナー、そして最後の直線こそがレースの勝敗を分ける天王山。

 わたくしの目は、カグラさんの背中をしっかりと捉えていたのです。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

『それからファンドリーポポ、そしてシンエイロータス、ヤマフリアルであります。

リリーズブーケも差を詰めた。カッティングエッジはまだ上がってこない。ライトカラーがいる。ライトカラーがいました』

 

 2番手に位置し、最後のコーナーから直線に向けて万全の位置を確保した私、シャダイカグラ。

 それでも油断はできない。

 思いがけずハイペースになったけど、それでも私のスタミナはまだ十分に残ってるし。

 先頭を走るウマ娘をこの先で抜くことはおそらく可能。

 怖いのは──後ろから来るウマ娘達よ。

 

(すぐ後ろにモントレーの気配があるのはビシビシ感じてる。それに、カラーがそのまま後ろで終わるはずがない!)

 

 オークスでゴール直前まで競った相手だもの。

 最近、調子が悪いのはわかってるけど、それでもあの走りを忘れることなんてできないわ。

 

『さぁ、第3コーナーから第4コーナーの手前でありますが──』

 

 ここからがいよいよクライマックス。

 ゴールまでの間に、カラーは絶対にやってくるはず。

 そうでなければ許さないわ。

 あの勝負で私に勝ち“樫の女王”となったんだから、もう一度ここで戦わせなさい!!

 

「来なさい、カラー! あなたの実力は、こんなところで終わるはず──ッ!?」

 

 なッ!?

 いったい、何が──私の頭は真っ白になる。

 

「──ぅくッ」

 

 さらに加速しようとして力を込めたはずのその脚は──突然反旗を翻し、激痛をもって反抗を示した。 

 戸惑い、そして……理解する。

 脚部の不安が──ついに本格的に牙をむいてきたのだ、と。

 

(こんな!? ゴールまでもう少しだというのに……)

 

 4コーナーの途中で──私は、速度を上げることができずに順位を下げることしかできなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──その瞬間、出走していたウマ娘達に戦慄が走った。

 

『おっとシャダイは? シャダイは後退か? シャダイ後退したか。おっとシャダイ後退、集団に沈んだ。シャダイカグラピンチ、シャダイカグラピンチ』

 

「──カグラさん!?」

「──カグっち!?」

 

 彼女と親密であり、そして共に切磋琢磨してきた良き好敵手(ライバル)──メジロモントレーと、ライトカラー。

 シャダイカグラの異変を察知して驚きの声を思わず上げた2人だったが──直後の反応は対照的だった。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──メジロモントレーは、シャダイカグラの負傷を確信した。

 

 すぐ前を走っていた彼女が急速に失速したのだから疑いようもない。

 そして彼女に流れていた脚部不安の噂と、それを裏付けるかのような引退宣言。

 

(そう……あなたの脚は、保たなかったのですわね……)

 

 ここから鎬を削るような真剣勝負ができると思っていたのに、と一抹の無念を感じつつ、後退するシャダイカグラを避けながら、モントレーは気持ちを切り替えていた。

 シャダイカグラが消えた以上、このレースをとるのは自分だ、と。

 たとえ競うべき相手が急にいなくなり、心にぽっかり穴があいたような喪失感があったとしても……

 

 

『メジロモントレーが差を詰める。メジロモントレー、内からファンドリポポが差を詰める』

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──後方から一気に順位を上げてきていたライトカラーは、急速に後退していくシャダイカグラの姿に激しく動揺していた。

 

 いったい、なにが……疑問に思いながら、そして思い至る。

 ローズステークスの前に流れていた噂──シャダイカグラは脚部不安を抱えている。だから夏の間も全力で走り込むことができなかった──それが真実だったということを。

 ローズステークスでの走りには、そんなものを微塵も見せなかったからデマ、もしくは狡猾なトレーナーが流したブラフとさえ思っていたのに。

 

(カグっち、そんな……)

 

 下がっていく姿が、スローモーションのように流れていく。

 無念そうで悲しげな彼女の顔を見たライトカラーはいたたまれなくなっていた。

 その表情が脳裏に焼け付き……これからシャダイカグラといざ真剣勝負と思っていた彼女の心は乱れに乱れ──そこからスパートをかけられるような状態ではなくなっていたのである。

 

 

『さぁ、このあたりでリアルプリティか。シャダイは完全に沈んだ。シャダイは完全に沈んだ』

 

 ──悪夢の4コーナーを越えて、レースは最後の直線を迎えようとしていた。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「カグラちゃん!?」

 

 もちろん、その光景はわたしも見てた。

 前の方にいて、先頭に立とうとしていたシャダイカグラ──カグラちゃんが、急に失速して、後ろの集団に飲み込まれていくのが。

 おかげで、カグラちゃんを避けるために、あわてて進路を変えるウマ娘がいたりして──後ろの方にいたわたしは、幸いなことに予め見えていたので、ある程度余裕を持って避けられたけど。

 でも……わたしはかぐらちゃんが心配になって、思わず彼女へと寄って手を伸ばしかけ──

 

「止まるなッ!」

 

 明らかに苦しげな顔をして、それでもどうにか走るカグラちゃんはわたしが触れるのを拒絶した。

 その激しい反応に、わたしはびっくりして「え……」と戸惑うけど──

 

「何をしているの、ピアリス! なぜ足を止めようとしているのよ!」

「そんな、わたしは──」

 

 苦悶の表情のまま、それでも足を止めず走りながら、大きな声で言ったカグラちゃんのその反応に戸惑いました。

 わたしは、それ以上近づくことができなくなって──カグラちゃんの姿はわたしの横へ並びます。

 

「競走ウマ娘が足を止めるのは、ゴール板を駆け抜けた後よ! だから私だって──」

 

 格段にペースが落ちながらも、必死に歯を食いしばり、前へ──ゴールへと駆けようとし続けるカグラちゃん。

 その姿は、とても見ていられなくて──

 

「行きなさいッ! ピアリスッ!!」

「──ッ!?」

 

 思わずビクッとなるわたし。

 その間も苦しげなカグラちゃんの姿が、だんだんと後ろへと下がっていく。

 そして苦痛に顔を歪ませながらも、人差し指のみを立てた右手を突き出し、わたしへと示す。

 

ナンバーワンサイン……)

 

 その意味が分からないわたしではありません。

 そしてカグラちゃんは──

 

「私が1着を取るのは、たとえどんな“奇跡”が起きてももう無理よ。だからッ」

 

 痛みのあまり睨め上げるようにわたしを見ながら、その口元に笑みを浮かべて言いました。

 

「──あなたが、“奇跡”を起こしなさい……サンドピアリスッ!!」

 

 突き出した右手の、出す指を人差し指から親指に変え──“健闘を祈る”のハンドサインを出して、カグラちゃんはさらに後ろへと下がっていく。

 わたしは、その姿を振り払うように視線を前へ向ける。

 

 

 ──そしてわたしは、沸き上がる感情のままに……一気に加速した。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──最後の直線へと至り、レースは大混乱の様相を呈していた。

 

 それは2番手につけていたシャダイカグラの失速が、後続のウマ娘たちに大きな影響を及ぼしていたせい。

 彼女を避けるために、内でレースをしていた面々はコース変更を強いられている。

 大本命のウマ娘で他のウマ娘たちからマークされていたこと、さらには避ける前のウマ娘を含めてさらに避ける必要が出る等して、さらに混乱に拍車をかけたのよ。

 トリプルティアラのレースでのこのような事態に──私、ダイユウサクはあるレースを思い出していた。

 

「まるで、コスモの時の……」

 

 コスモドリームが一躍有名になったオークス。

 そのレースでも有力視されていたウマ娘がレースの途中で負傷し、競走中止になっていたわ。

 そこで起こった混乱で、レース終盤では乱戦模様となり──それまでほぼ無名だったコスモドリームが制した。

 アタシが直接目にした、思い出深いレースよ。

 

「今回は、あのときと決定的な違いがある」

 

 思わず言ったアタシの呟きに反応したのは、隣にいたトレーナーだった。

 

「あのとき、スイートローザンヌが負傷したのは序盤だった。でも今回は終盤の勝負所……その影響は比べものにならないほどデカい」

「でも、それはみんな同じ条件じゃないの? 後ろでレースをしていたウマ娘だって追い上げてくる辺りだし、同じように影響を受けるハズよ」

「誰もが最後の直線に向けての準備をしていた時に、前走者を避けるという“余計なこと”をさせられたんだ。機先を制された形になる先行のウマ娘たちの方が影響が大きい」

 

 なるほどね。確かに後ろのウマ娘たちであれば、もう少し早いタイミングでペースを上げているし、“すぐ目の前”の事態じゃないから備える余裕も多少はある。

 それでも集団が動けば、それを避けるのに余計なスタミナを使うことになったり、ペースを落とす必要が出てくるけど。

 唯一、影響を受けないはずのシャダイカグラの前を走っていたウマ娘は、これまでの速いペースによって一杯一杯になっているのは明らか。

 

(そうなると俄然有利になってくるのは、後方かつ外を走っていたウマ娘──)

 

 トレーナーの指摘通り、シャダイカグラをマークしてその後ろにつけていたウマ娘たちの足の伸びは悪い。

 しかも、その面々は軒並みシャダイカグラに次ぐような人気を集めるほどの有力ウマ娘ばかり。

 

(これは、荒れるわね……)

 

 案の定、外から後方にいたウマ娘たちが一気にあがってくる。

 中でも明らかに一人のウマ娘が桁違いの末脚を見せて、猛然と上がってくるのがわかった。

 その姿を見て──アタシは絶句する。

 

「なッ──」

 

 二の句が継げない、とはまさにこのこと。

 その顔は、アタシ達にとっては出走メンバーの中であまりにもなじみのある顔で──

 そして、よく知るからこそアタシ達にとっては最も予想外の顔で──

 それでも、見たことのないくらいに勝利に飢えた、誰よりも競走ウマ娘の顔をしていた──

 

 

『さぁ、先頭はずっと外を通りましてその中から一人、サンドピアリスか──』

 

 

「「「サンドピアリスッ!?」」」

 

 その実況を聞いても、信じられなかったチームメイトの声が響きわたる。

 

『──おお、なんとサンドピアリスだ。サンドピアリスが先頭!』

 

 実況さえも戸惑っている。

 最下位人気。しかもダートでしか勝ったことがないピアリスが、芝のGⅠエリザベス女王杯の最終局面で先頭に立つなんて、予想できるわけがない。

 確かに有記念でアタシも下から2番目の人気だったわよ。むしろ最下位人気は絶不調だったけど引退レース(ラストラン)だから出走したようなウマ娘だったんだもの。実質的には最下位よ。

 それでもアタシは重賞をとった経験があったわ。ピアリスにはそれも無い。

 ……まぁ、有記念に出走するにはそんな実績でもなければ無理なんだけど。

 

『そして懸命にシンエイロータス、ヤマフリアル、さらにシンビクトリーも突っ込んでくる』

 

 それでも先頭は変わらない。

 実績のないピアリスが先頭に立つその状況に、思わずトレーナーを見て──また驚く。

 え? あまり驚いてない?

 それに……その向こうにいるギャロップダイナは驚くどころか不敵にニヤリと笑ってるし。

 

「なんで……驚いてないの?」

「オレか?」

 

 トレーナーの問い返しにアタシがうなずくと、彼はダイナ先輩と同じように笑みを浮かべて──

 

「さすがに勝てるとは思ってなかったさ。でも……」

 

 もう体勢はほぼ決まった。

 今のピアリスの勢いなら追いつかれないし、追従するウマ娘達がそれ以上の速さで追い上げる様子もない。

 

「……()()()()()()()()()()()()()けどな」

「え……?」

 

 トレーナーの言葉に驚き、真意を聞こうとしたその瞬間──どよめきや悲鳴混じりの歓声が、一気に大きくなった。

 反射的に視線を走路へと戻す。

 先頭のウマ娘は、まさにゴール板の前を駆け抜けようとしていた──

 

 

『しかしビックリだ! これは番号6番──サンドピアリスに間違いない!』

 

 




◆解説◆

【シャダイカグラは止まらない】
・止まるわけにはいかないシャダイカグラ。
・続章の主役はサンドピアリスになっていますが、裏の主役はシャダイカグラです。

後ろでのレース
・今回も、今までの史実のクライマックスレースのように、史実の実況ほぼそのままにあわせているのですが……これだと位置関係がうまく伝わらないと、反省中。
・この辺りは3コーナーの手前付近になるのですが、カッティングエッジは13番手、ラブオンリーユーが14番手、サンドピアリスが15番手という位置取りで、さらに後ろに5人いるような状況です。
・圧倒的に逃げてるのはいないのですが、前の方が速いためにやや縦長の展開になっていて、史実の実況もここで各馬の位置解説を止めて、先頭へと戻ってしまっています。

一気に順位を上げて
・↑で解説したように、史実でも実況でカットされた5頭。実はその中にライトカラーが入っていました。
・でもさすがオークス馬。3コーナーで13番手、4コーナーでは9番手まで順位を上げています。

ナンバーワンサイン
・このシーン、久しぶりの『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』のオマージュです。
・TV版第18話「超光速の罠」の終盤、ブーツホルツがハヤトのアスラーダに体当たりを仕掛けたところを、シューマッハが間に入って庇ったシーン。
・その直後の気遣うハヤトと、叱咤するシューマッハのやりとりをオマージュしました。
・その時のシューマッハはリタイア、一方史実のシャダイカグラはリタイアしていないという違いがあるので、シャダイカグラは走り続けている……というちょっと締まらない感じになってしまいましたが。
・さすがに距離と走ってる時間が違うので、立ち止まれば挽回不能ですし。(自動車レースも止まったらさすがに挽回不能だと思いますが)
・なおこのオマージュ、本来なら別で使う予定だったんです。
・使いたかったのは、公開を途中で止めた『たった二人の最南星(アンタレス)』でのクライマックス、スプリンターズステークスで使うつもりでした。
・主役であるダイイチルビーの好敵手・ケイエスミラクルは競走中止していますし。
・ただ、止めてしまったのでここで使うことになりました。
・そんな想定だったので、第一章第74話冒頭ではそれっぽいシーンが書かれています。
・なおもちろんダイイチルビーは優勝しているのですが……元ネタのハヤトはそのレース優勝してません。(笑)
・最後までトップ争いをするのですが3着。でも初めて表彰台でした。


※次回の更新は12月29日の予定です。  

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時37分となります。



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第5R サンドピアリスに間違いない!


「負けられない……絶対に負けられない!」

 その一念で、わたしは走る。
 思いはそれで一杯になったけど、不思議と頭の中は逆に冴えていく。
 そして思い浮かぶのは──ダイナ先輩と一緒に見た、京都レース場の映像。

『いいか、ピアリス。ここの特徴は……』

 トレーナーが菊花賞を控えたシオンちゃんやロンちゃんに付きっきりになって忙しいのをいいことに、ダイナ先輩はわたしにエリザベス女王杯対策をしてくれた。
 おかげでこのレース場のことはしっかりと頭に入ってるし、対策もできてる。

『今までのレースとは桁違いにレベルが高いレースだからな。お前の脚では先行について行くのは無理だろ。狙うなら一発逆転の追込み、それしかない』

 ダイナ先輩が言ったのは、自分の経験に基づいた逆転論でした。
 前でレースをして全体を支配して、逃げることも許さず、後方からの差しを牽制しつつ勝つ。それが王道の勝ち方。
 でもそれは本当に強いウマ娘ができる『勝つべくして勝つ』方法。
 例えば、カグラちゃんみたいな……

(そういうのに憧れるけど……でも、わたしには今回のレースでは絶対にできない走り方)

 カグラちゃんだけじゃなくて、他の皆もすごいメンバー。
 それにわたしはダートの方が得意。
 そんな中で前の方でレースをしてもついて行くのがやっとで、最後の直線では余力なんて残ってない。

『マイラーのあたしが、2000の天皇賞(秋)(アキテン)で勝てたのは後ろでレースしてスタミナ残していたからさ。確かに2400対策はしっかりやったが、だからこそ後方からの末脚勝負を仕掛けるんだ』

 ダイユウサク先輩も、レッツゴーターキン先輩も、末脚勝負であの大金星を挙げてるんだもん。
 そんな〈アクルックス〉伝統の走りを、ダイナ先輩は指導してくれた。

(あのときは、上手くいかなかったけど……それでも、そこから精度を上げてるもん!)

 今まで先行で走っていたけど、直前に走った条件戦ではこの作戦を試すために使ってる。
 結果は残せなかったけど……でも、手応えはしっかり感じてた。
 わたしの中でも問題点がわかった。
 だから──

「カグラちゃんがとるはずだった、このレース……代わりに勝つのはカラーちゃんでも、モンちゃんでもなくて──」

 遠くなっていくけど、背後から感じるカグラちゃんの気配。
 そこから確かな絆を感じる。
 うん……カグラちゃんが力を貸してくれる、そんな感じがした。
 その力を感じて、わたしの血が熱くなるのを感じた。
 そして沸き上がる力で──わたしの脚は芝を力強く蹴って、さらに速度を上げる。

「わたしが──勝つッ!!」

 カグラちゃんと繋がる──そんな不思議な感覚の中で、わたしはさらに不思議な感覚を感じていた。
 きっとこれが……カグラちゃんも感じていた、踏み入れていた感覚。
 こんな()()みたいなこと信じられないけど……でも、今のわたしはその感覚をハッキリと感じて、不思議な“領域”へと踏み入ってる。
 そして、これだけは分かる──勝つ、と。

「ヤアアアアァァァァァァッ!!」

 最後の直線で、わたしは外へと進路を取ってた。
 これもダイナ先輩のアドバイス。

『ターキンもあたしも程度の違いはあれど、外から仕掛けた。なぜだか分かるか?』
『えっと……内には他のウマ娘がいっぱい走ってるから?』
『その通り。誰だって走る距離は1メートルでも短くしたいから、たとえ直線になっても内側は混んでいる可能性が高い。そいつらを避けるのに右に左に進路を振ってたら、ロスが大きいからな』
『で、でも、ダイユウ先輩は……』
『ありゃあ特殊な例だ。前が集団(ダンゴ)になっていなかった幸運に加え、間をすり抜ける技術があいつにあったおかげさ。前者はともかく、後者はまだお前にはないからな』

 デビューが遅く成績も振るわなかったダイユウサク先輩は多くのレースを走っていて、その分、レース経験が豊富。そこで培った技術と勘だとダイナ先輩は評価してた。
 もちろん経験の少ないわたしには、すり抜けていく自信なんてないし、それに──内側は混戦模様になってた。
 だからわたしは、外から抜け出して──


『さぁ、先頭はずっと外を通りましてその中から一人、サンドピアリスか──』




 

 

『おお、なんとサンドピアリスだ。サンドピアリスが先頭!』

 

 

 ──猛然と加速して大外から出てきたそのウマ娘の姿に、内で先頭争いをしていたウマ娘達は「なッ!?」と度肝を抜かれた。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「そんな!?」

 

 メジロモントレーは思わぬ伏兵の出現に戦慄した。

 良いスタートで常に前にいたシャダイカグラに負けじと対抗心を燃やし、彼女の作り出したハイペース勝負に真っ向から立ち向かった。

 そのカグラが突然の失速──彼女を避けるのに無理をしたのもあって、脚は思うように速度を上げない。

 そして──外の後方からきたそのウマ娘に、ついて行くことはできなかった。

 

「あんな……あのようなウマ娘に、負けるなんてッ!!」

 

 名門メジロ家のウマ娘として……その矜持が許さなくとも、脚は前へと進まない。

 その背中を見て──彼女のトレーナーにまたしてもしてやられた、という気持ちがこみ上げてくる。

 

「おのれ、乾井 備丈。一度ならず二度までも……」

 

 悔しさが胸にあふれる中、心のどこかでは気がついていた。

 自分が負けたのは、乾井 備丈のせいではない。

 すぐ身近にいたはずのあのウマ娘の、本当の実力を見抜けずに(あなど)った自分の心に負けたのだと。

 

 

『そして懸命にシンエイロータス、ヤマフリアル、さらにシンビクトリーも突っ込んでくる──』

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 シャダイカグラの異変に動揺してしまい集団に飲まれたライトカラー。

 抜け出せない中で外からいったその背中に、驚いていた。

 

「ピーちゃん……」

 

 スタート前に心の中でエールを送っていた。

 シャダイカグラのルームメイトとして、彼女のラストランに花を添える存在としてがんばってほしい。

 その気持ちにウソなんてない。

 でも──いざ彼女が抜け出したこの光景を見て、気付いたわ。

 

(ウチも、心のどこかで……ピーちゃんが勝つワケない。ううん、ウチだってピーちゃんなんかに負けるワケないって、そう思ってたし)

 

 あのどうにか出走権を得たような小さなウマ娘に、“樫の女王”になったウチが負けるハズがないと思い込んでた。

 慢心とか油断とか……そういうのとも違う。

 

(ウチは、カグっちとかモンちゃんとか、上ばっか見てて──足下が疎かになってた)

 

 言い方悪いけど、心のどこかで「さすがに負けない」って馬鹿にしてたんだと思う。

 でも……そうよ、そうなのよ。彼女もまた──

 

「〈アクルックス〉のウマ娘だもんね。仕方ないわ」

 

 苦笑いするしかない。

 落ちこぼれかけてたウチが、あのチームなら輝かせてもらえると憧れた存在(チーム)

 選んでもらえなかったけど、むしろそれに反骨心を持ったからこそ掴めた栄冠(オークス)

 

(ウチが自力でそれをできたんだし。“吃驚(ビックリ)の〈アクルックス〉”なんだからそれ以上のことやってくるのも当然、か)

 

 外から抜けていったピーちゃん──サンドピアリスが先頭に立ったのが分かった。

 他の皆よりも前に抜けていて、それに追いつけるのは誰もいない。

 

「いけ! ピーちゃん。悔しいけど……」

 

 このレースの主役は、ウチじゃなかったみたい。

 それはモンちゃんでもカグっちでもなく──“人気薄の魔術師”に魔法をかけられた、灰かぶりならぬ“砂かぶり”の淑女(サンドピアリス)だったんだわ。

 

 

『──しかしビックリだ! これは番号6番、サンドピアリスに間違いない!』

 

 

 先頭でゴール板の前を駆け抜けるサンドピアリス。

 

 こうしてウチが見ている目の前で、たった一つのレースで人生を変えたシンデレラガールは生まれた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──最下位人気のウマ娘が、GⅠレースを制する。

 

 そんな目を疑う奇跡に京都レース場のみならず日本中が驚いているその時、それに比べればささやかかもしれない……そんな奇跡が起きていた。

 普通なら走るのを止めるほどの負傷したウマ娘が、どうにかゴールへと至る──そんな小さな奇跡が。

 

 

「……あと、少し…………」

 

 もう感覚が麻痺してきたのかもしれない。

 当初は頭へと響くようだった激痛が、今はほとんど感じなくなっているように思える。

 でも、遠くなりかける意識が定期的に戻るのは、やっぱり痛みのせいなのかもしれない。

 何度、脚を止めようかと思ったことか。

 でも止まるわけにはいかなかった。

 

(ピアリスに、あんなことを言ったんだもの……)

 

 彼女に、「勝て」って言ったんだから。

 あの小さな体で、他のウマ娘に立ち向かえと言った手前、私が頑張らないわけがいけないんだから。

 流れる景色の速度は全然違う。

 それは自覚しているけど、止まるわけにはいかない。

 かろうじて、どうにか……()()

 歩いてしまえば──レースを止められてしまうから。

 

(あぁ、ピアリス……勝ったのね……)

 

 視界が霞んで、前の方でなにが起きているのかよく分からない。

 でも──

 

 

『サンドピアリスだ。サンドピアリスであります。なんとなんと6番サンドピアリス、ビックリしたエリザベス女王杯、6番のサンドピアリスが勝ちました!』

 

 

 ──そんな実況は聞こえてたから、彼女の勝利は伝わってるわ。

 自分で託しておいてなんだけど、まさかあの()が……という思いがある。

 でも、だからこそ、本当によくがんばったね……と言ってあげたい。

 

(そのためにも……)

 

 彼女と、胸を張って会うために……私は、ゴールしないと。

 いつもならあっという間に駆け抜けるはずの距離が、本当に長く感じられた。

 ゴール板がこっちに向かってくる速度って、こんなに遅かったっけ?

 それでも私は、脚を止めることなく進み続ける。

 そして──

 

『6番のサンドピアリスでありますが、シャダイカグラは故障。シャダイカグラは故障です』

 

 ──私は、どうにかゴール板の前を通り過ぎた。

 やっと……終わった。

 

(どう? ピアリス。私はちゃんと──)

 

 ゴールしたわよ。

 そう思っている間に脚から最後の力が抜けて、私は膝から崩れ落ちるように倒れ──

 

「──カグラちゃん!!」

 

 走路(ターフ)へ倒れる直前に、誰かが私を抱きとめてくれた。

 その聞き慣れた声。

 そして、私を受け止めるには小さく思える体。

 それでもしっかりと、私を支えて倒れるのを止めてくれたのは──

 

「ピアリス……ありがと」

 

 支えられながら見えた彼女の顔は、今にも泣き出しそうなほどに心配している顔だった。

 それを見て、どうにか笑顔を作ったつもりだけど……ちゃんと笑えてるかしら?

 どうやら彼女はゴールして速度をゆるめると、そのままゴール前まで戻ってきたみたい。

 私のことを心配して──

 

「うん。わたし、やったよ……勝ったよ? ちゃんと、カグラちゃんの代わりに」

「代わり、なんかじゃないわよ。あなたが勝ったのは……自分の力で、なんだから」

 

 支えられていた私だったけど、どうにか足を地につけて、しっかりと立つ。

 どうにか自力で立った私は──ピアリスの頭に手を乗せ、そして撫でる。

 

「がんばったわね……」

「……わたし、ちゃんと約束守ったよ。守れて、よかった」

 

 感極まったピアリスが、私に抱きついてきた。

 あの、ピアリス……私が怪我人だって忘れてない?

 ちょっとだけ痛かったけど、それでも私はがんばった彼女を祝福したくて我慢した。

 そうね、もう……走る必要はないんだもの。ちょっとくらい無理したって、大丈夫よ。

 私はピアリスの背中へ手を回し、そしてしっかりと抱きしめる。

 

 

「……おめでとう、ピアリス」

「ありがとう、カグラちゃん!」

 

 

 ──最下位(一番人気)から1番入線した勝者(最下位人気)への祝福。

 その光景にレース場は大歓声に包まれる。

 互いの健闘を讃え合う私たちの下へ、近付くウマ娘がいた。

 その気配で顔をあげると──不機嫌そうに眉根を寄せたメジロモントレーと目が合った。

 

「カグラさん、貴方……まさか、これで引退などと言いませんわよね?」

「……え? 私、レース前に──」

「ラストランがこのような結果で、貴方はよろしいのですか? 完全燃焼したと言えるのですか!?」

 

 怒っているようなモントレーの強い口調に、思わず気圧される。

 でも、彼女の言っていることは正鵠を得てもいる。

 もちろん私だってもどかしいわよ。いいえ、モントレーなんかよりも私の方がよほど悔しいわ。だって自分自身のことなんだから──

 

「悔いがないなんて言える訳ないでしょ。だけど……私の脚は、まさに限界を迎えたのよ? だからこそ、こんな不本意な結果だったんだから、どうしようもないじゃない!」

「ならば……脚を治して、また挑戦すればいいことではありませんか」

 

 怒っていたはずのモントレーはその表情を一変させ、爽やかな笑顔さえ浮かべている。

 そして私へと手を差し伸べていた。

 

「勝ち逃げなんて、絶対に許しませんわ! いいですか、絶対に脚を治してレース場に戻ってきなさい。そしてその時こそ勝負を挑み……リベンジをさせていただきますわ! そして、その際には──」

 

 モントレーは私へと伸ばしていた手をそのまま横へと移動させて──隣にいたウマ娘をビシッと指さす。

 

「ピアリスさん、もちろん貴方にも走っていただきますわよ!」

「え?」

 

 完全に他人事だったのに、いきなり言われたピアリスは、案の定ぽかーんとした顔で、モントレーのことを見てた。

 でも、彼女の言葉は私も意外だった。

 名門メジロ家のウマ娘であるモントレーはプライドが高いから、まさかピアリスに勝負を挑むなんて、思いもしなかった。

 

「今日のレースで納得がいかなかったのはわたくしとて同じこと。制した貴方もまとめてリベンジしますわ!」

「そんな……わたしは、モンちゃんになんて全然及ばない──」

「モンちゃん言うな! それに、及ばないなんても言わないでくださいまし! 今日、こうして貴方は同期最高峰の20名と競い、そして1着になったのですから」

 

 モントレーは諭すように、ピアリスへ言う。

 

「自分を卑下することは、共に走った他の19名をも卑下することと心得なさい。それが──“女王”になった者が持つべき矜持ですわ」

「う、うん……わかった。モンちゃん」

「で、ですからモンちゃんとは呼ば──」

「お? いいねいいね。なんか面白い話してるじゃん。ウチも混ぜてよ。それに」

 

 マイペースなピアリスにモントレーが食ってかかろうとしたとき、横からモントレーの肩に抱きつくように、ライトカラーが現れる。

 

「カグっちが脚治して、また競走(はし)るって話なら、ウチも一緒に走らせてもらうわ」

「カラーさん! まったく、勝手なことを。とはいえ、まぁ貴方も一応は“樫の女王”ですものね。仕方なく……」

「なにいってんの、モンっち。この中で、一番格が下のは、アンタだからね?」

「はい……?」

 

 呆気に取られた顔で聞き返すモントレーに、カラーは悪戯っぽい笑みを浮かべて答える。

 

「だって、カグっちは桜花賞、ウチはオークス、そしてピーちゃんがエリザベス女王杯(エリ女)……トリプルティアラを一つも取っていないのは、アンタだけだし」

「あ……」

 

 気がついたメジロモントレーが青ざめるのを見て、私とピアリスは思わず吹き出した。

 そして笑う私たちに、モントレーは「キーッ!」と悔しそうな声をあげる。

 

「やはり納得がいきませんわ!! やっぱりカグラさんが脚を治した後、正々堂々と勝負ですわ!! そうして貴方達3人に勝って、わたくしこそトリプルティアラ路線最強だったことを証明してみせますわ!!」

 

 必死なまでにムキになったモントレーの姿に、私とピアリスとカラーは心の底から笑い……

 

 

 ──こうしてエリザベス女王杯は幕を閉じた。

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──それから数日後のこと。

 

 

「まったく……この世の春ってところかしら?」

 

 トレーナー室が同じである巽見 涼子が向けてきたジト目に対し、オレは苦笑で返した。

 

「そんな訳ないだろ。運が良かっただけなんだから」

「クラシックレースをあれだけ勝っておいて、そんなことがよく言えるわね」

「その半分以上がオラシオンのおかげだぞ? 放っといても勝つような天才の、な」

 

 だからオラシオンに関してはオレの手柄なんかじゃない。

 アイツがたまたまウチのチームに入りたいと言ってきたからこその成果。もし別のチームに行っていれば、そこで同じ結果を出していただろう。

 ようはくじ引きに当たったようなもので、運が良かっただけというのはそういうこと。

 

「そんなわけないでしょ? 才能だけで簡単に勝てるのなら苦労しないし、もしそうならトレーナーは軒並み失業するわ。確かに生まれ持った才能に左右される面は大きいけどそれだけじゃない。その良い例が……この前のレースだっていうのはどんな皮肉よ」

 

 呆れから憤慨へ。巽見の表情がコロコロ変わる。

 

「ピアリスのレース、あれこそ運が良かっただけだろ」

「そうね。あの()が勝つなんて、誰も思ってなかったものね」

「だろ?」

 

 20人中の最下位人気。

 春のダート条件戦で2勝しているだけのウマ娘が、重賞で勝利や好成績を複数回収めていたウマ娘が入り交じる中で勝利するなんて、予想できるわけがない。

 

「……でもトレーナー、アナタ言ってたわよね? あのとき」

 

 今まで部屋の中にいたものの黙っていたウマ娘──ダイユウサクがじっとこちらを見つつ口を挟んできた。

 

「あのとき?」

「そうよ。エリザベス女王杯の最中に……勝てると思ってなかったけど勝てないとも思ってなかった、とかなんとか」

「ああ、確かに……言ったな」

 

 サンドピアリスがゴールする直前だっただろうか、確かにオレはダイユウサクにそう言った気がする。

 

「あれはどういう意味? ピアリスに勝ち目があると思ってたってことでしょ? レース開始前はあんなに不安がっていたのに」

「そりゃあ……出走する以上はどのウマ娘にだって勝つ可能性はある──」

「──そういう意味じゃないわよね、先輩?」

 

 オレが持論を展開して誤魔化そうとしたが、それは巽見に邪魔された。

 ダイユウサクと巽見の両方から向けられた問いつめるような視線に、オレはため息混じりに答える。

 

「不安だったのは、もちろんピアリスがダントツの最下位(ビリ)になる可能性もあったからだ。でも、当然だろ? 実績面で見れば最下位人気もうなずけるようなものしか残してこなかったんだから」

 

 2400の距離が未知の領域な上、芝で未勝利だぞ?

 それが条件戦はもちろんオープン特別くらいのレベルならともかく、最高峰レースの証GⅠレースだったんだから、周囲の実力は高くて当然。

 そんな中で走れば──スタート前では今回の結果よりも可能性の高い未来だったのは間違いないだろ。

 

「最悪の場合、タイムオーバーも覚悟してたからな」

 

 重賞でタイムオーバー、となれば当然批判は免れない。

 むしろオレは前科があるし。

 

(結果だけを見れば、負傷が原因とはいえ一番人気だったシャダイカグラがまさにそうなったんだから、なんとも皮肉なものだけどな)

 

 もちろん、シャダイカグラの結果を見て批判するヤツなんていないが。

 そして“タイムオーバー”という単語に、古傷をえぐられたダイユウサクは複雑そうな表情を浮かべる。

 一方、巽見はそれを気にせず──むしろ気にしたのか、そこに触れないようにするかのごとくさらに話を振ってきた。

 

「それなら出走させなければよかったじゃない」

「仕方ないだろ……抽選、通っちゃったんだから」

 

 オレ、出す気無かったし。

 まぁ……あのウマ娘(ひと)に、直接、頼まれちゃったら……断るわけにはいかないだろ?

 だって、な。信じられるか? あの“最初の国民的アイドルウマ娘”から頼まれたんだぞ?

 断れるわけが……って、もちろん私情なんてないぞ。

 今やウマ娘とヒトの関係をより良くすることの尽力して架け橋となっているあの人の考えや行動に共感して、協力しただけなんだからな。

 

 …………オイ、巽見にダイユウサク。なんでジト目でこっち見てんだよ。

 

「勝てると思ってなかった、のは分かったわよ。じゃあ、なんで勝てないとも思ってなかったの? 勝ち目なんて無かったのに」

 

 呆れたようにため息をついた後、ダイユウサクはそう訊いてきた。

 

「勝ち目ならあったぞ」

「ハア!? 今、言ったじゃないの。タィ…惨敗の覚悟もしてたって」

 

 くってかかるダイユウサクに、オレは苦笑を浮かべながら答える。

 

「負ける覚悟はしてた。でも、勝つ可能性がないわけじゃなかった」

「え? ……勝つ可能性、あると思ってたの? 勝った今だから後出しで言ってるだけじゃない?」

 

 オレの言葉を聞き咎め、巽見が疑わしげにオレを見る。

 

「あ、もちろん貴方の持論の例のアレは抜きにして、よ?」

「もっとハッキリした根拠があったんだよ」

 

 ダイユウサクも半信半疑の目を向けてきている。

 オレはため息混じりに説明を始めた。

 

「サンドピアリスが不利だった点を挙げれば正直キリがないが、一番大きいのは芝レースでの勝ちがなかったことだ」

「それって実力が足りてなかったせいじゃないの?」

「勝った今でも、それが言えるか?」

 

 オレに問い返されて黙り込むダイユウサク。

 実力は足りていた……レースを制してそれは証明されている。

 もちろん──あの時、アイツはきっと過剰な集中状態──いわゆる“領域(ゾーン)”へと踏み行っていた可能性は高い。

 だが、それも含めての実力だ。

 

「お前も含めてだが、芝を主戦場にして活躍してるウマ娘は芝のレースが“得意”か“超得意”なウマ娘ばかりだ。それに対してサンドピアリスは……芝への適性は良くて“普通”止まりだ」

 

 あくまで彼女を見てのオレの感想だが、おそらくトレーナーのほとんどは同じ感想を持つだろう。

 むしろ“芝レースこそ正義”の今の中央(トゥインクル)シリーズでは芝を得意にするウマ娘ばかりなんだ。

 その中で芝レースを勝てないのは、ピアリスの芝適正が低いのを証明している。

 そして同じトレーナーである巽見もまた否定せずむしろ「うんうん」とうなずいているところを見ると同意見なようだ。

 

「そうやって得意にしている連中が多くいる中で、芝のレースに出走するのは大きなハンデを背負うようなもの。だからオレはアイツをダート路線に進ませようと思っていた」

 

 少なくとも春の終わり頃での走路適性は、ダートが得意で芝が普通といった案配だった。

 

「そこから芝を得意に持っていったってこと?」

「いや。ダイナがやったことだが……アイツ、発想の転換をしやがったんだ」

「どういうこと?」

 

 トレーナーとしての興味をくすぐられたのか、巽見が身を乗り出してくる。

 

「アイツは春レースの終わりには、サンドピアリスをエリ女に送り出すつもりだったらしくてな。巽見、エリザベス女王杯のコースは?」

「京都レース場の2400メートル。もちろん芝よ」

 

 ウマ娘競走(レース)に携わる者にとっての常識問題を、こともなげに答える。

 

「そう……で、芝への適性が他に劣ると判断したダイナは、それ以外の適性で他を圧倒し覆そうとした」

「それって距離? 中長距離の適性を鍛えたってこと?」

 

 巽見の問いに、オレは首を横に振る。

 

「2400──」

「え? そんなの限定的すぎるわ──」

「違うぞ、巽見。2400メートルへの適性だけを鍛えたんじゃない」

「は?」

「それに加えてアイツは京都レース場のコース研究もさせたんだ。そうやって……サンドピアリスを京都2400メートルのスペシャリストに仕立て上げたんだよ」

 

「「──はい?」」

 

 呆気にとられ、話を聞いていた二人は目を点にする。

 オレだって、エリザベス女王杯の出走が決まって真相を聞かされた時は、同じ反応をしたさ。

 聞けば、夏以降は芝もダートも関係なくひたすら2400メートルだけを意識して走らせ、座学では京都レース場のデータを集めて学習と研究をしていたそうだ。

 そのせいでそれまでの秋レースで結果を出せなかった、と言われれば呆れもするしな。

 

(だが、それで──皆無(ゼロ)だった勝ち筋が、ほんの僅かでも見えたのは確かだ)

 

 それに、もしもダイナの面倒を見ていたころのオレだったら、同じことをしていたかもしれない、とも思った。

 そういう面ではダイナがオレの考えを汲んでくれていたようで、少しだけ嬉しかったというのもある。

 

「開催するレース場と距離の適性に特化したってこと?」

「ああ。そうやって芝の不利を打ち消すどころか逆に適正面で上回る、というのがダイナの狙いだ」

 

 しかしそのあまりにも極端なやり方には、さすがに巽見も唖然としていた。

 

「もちろん、事前に成果を確認できなかったから当日までは半信半疑だ。だから惨敗も覚悟していたというわけだ。だが、無策だったわけでもない。ロンマンガンじゃないが一発逆転のための牌は揃えていたってわけだ」

「呆れた。それこそ賭け(ギャンブル)じゃないの……」

 

 巽見はため息を一つついて、オレをジト目で見る。

 もちろんオレだってその自覚はある。

 サンドピアリス本人からしてみれば、その無謀なものに人生を“全賭け(オールイン)”させられたようなものなんだから。

 

「でも、そうまでしなければ勝てなかった──」

「勝ち負けが全てじゃないでしょ! そんな行為、ハッキリ言ってトレーナー失格よ。このレースの後だって、彼女の競走ウマ娘としての人生は続くのよ?」

 

 エリザベス女王杯はクラシックレース。生涯一度しか走ることができないレースなのだから。

 そんなレース“のみ”に焦点を合わせた育成方針に対する巽見の怒りはもっともだった

 

「アイツ本人が望んだことだけどな……」

「それでも、よ!」

 

 生涯ただ一度になる親友との真っ向勝負に人生を賭ける、そのことに躊躇いはなかったサンドピアリス。

 確かに、教育者としては巽見の考えが正解なんだろうが……オレは、そうは思えなかった。

 

 ──ギャロップダイナ。

 ──ダイユウサク。

 ──レッツゴーターキン。

 ──そして、サンドピアリス。

 

 オレが携わり、見事にGⅠを勝利したウマ娘達。

 他の常勝を誇るようなウマ娘達の栄光に比べれば、彼女たちが掴んだ大金星──ダイナはGⅠで2勝を挙げたが──は、閃光のような一時の短い輝きだったかもしれない。

 でも、その一勝は負けないくらいにファンの心に強く焼き付いていることは間違いない。

 

(それもまたウマ娘の輝き方だと、オレは思うけどな)

 

 夜空に輝く星の中には、太陽よりも何千倍もの輝きを放っている星があるという。

 そしてその星の生涯は、太陽よりもずっと短いらしい。

 そんな輝き方の星があるように、同じく短時間で強くしか輝けないウマ娘だっているのだから。

 

 そして──そんなウマ娘が、オレの下に集まりやすいらしい。

 

 納得できずに未だにオレを睨んでいる巽見。

 彼女の言い分は真っ当だし、所属している〈アルデバラン〉はそんな王道を歩むウマ娘の姿に魅せられて集ったチームだしな。

 しかし全てのウマ娘が、そんな王道を進めるわけじゃない。

 そんな王道から外れたウマ娘にも──

 

「……失礼いたします」

 

 巽見がオレへの批判を言っている最中、トレーナー室の部屋がノックされて声がかけられた。

 思わず声を止めた巽見。

 オレが「どうぞ」と声をかけると、戸が開いて一人のウマ娘が入ってきた。

 

「確認いたしますが、“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”の……〈アクルックス〉担当の乾井トレーナーの部屋は、こちらでございましょうか?」

 

 入ってきたウマ娘は深々と頭を下げると、慇懃なまでに丁寧にそう言った。

 思わず一度巽見と顔を見合わせて、それからオレは「そうだ」と答えた。

 

「ということは……貴方様が、乾井 備丈(まさたけ)様でいらっしゃいますね!! ああ、早速お会いできるなんてなんという僥倖……」

 

 彼女は大げさなまでに驚き喜ぶや、サッと間合いを詰めて、いつの間にかオレの手を両手で握りしめていた。

 いや、いくらウマ娘でも速すぎだろ。全然見えなかったぞ。

 

「乾井様……(わたくし)、貴方様のチーム、〈アクルックス〉に是が非でも加入いたしたくて、矢も盾もたまらず参上した次第でございます」

「は? はぁ……」

 

 ズイッと顔を迫らせてきたそのウマ娘に、オレは圧倒される一方だった。

 ……もちろん、すぐ近くでもう一人のウマ娘の表情が見る見る不機嫌になっているのに気がつく余裕なんてない。

 

「この前のエリザベス女王杯でのサンドピアリス様の走りを見て、(わたくし)、全身に電撃が走ったようなショックを受けました。そしてあの走りに憧れたのでございます。あのように、なりたいと……」

 

 ああ、まぁ、そういう風に憧れるのもいるのかもな。

 でも……さすがに最下位人気だぞ? 最下位人気になりたいとは思わんだろ。

 ……と言っても、下から二番目人気だったダイユウサクに憧れてロンマンガンもウチに来たんだっけな。

 

(わたくし)も来年はクラシックの年を迎える年齢。で・す・の・で、なにとぞ、なにとぞ貴方様に(わたくし)めの担当を……(わたくし)を〈アクルックス〉入れていただけないでしょうか?」

 

 大仰な動きで、オレにアピールするそのウマ娘。

 オレがポカーンと呆気にとられて見つめていると、端で見ていた巽見がフォローした。

 

「ようは、チーム加入希望者ってこと?」

「その通りでございます」

 

 彼女は大仰に一礼して、そのままの姿勢で止まり、オレの返事を待っている様子だった。

 う~ん、正直な話……ダイナやダイユウサクはともかくとして、来年はシニア初年を迎えるオラシオン、ロンマンガン、サンドピアリスがいて手一杯な感はある。

 だが、わざわざこうしてここに来て、こうしてアピールする熱意を見せられるのは悪い気はしない。

 そうなれば──

 

「わかったよ。でもとりあえずキミの走りを見せてくれないか?」

「ッ!? あ、ありがとうございます!! それでは早速準備を──」

「ああ、その前に一つ教えてくれ」

「……なんでございましょうか?」

 

 廊下へと飛び出しかけていたウマ娘を呼び止めると、彼女は首を傾げた。

 そんなやる気にあふれているウマ娘を、無碍にするわけにはいかないな。

 走りを見ての感想はともかく、オレは彼女をチームに入れるのを、内心ほぼ決めていた。

 だからこそ尋ねた。

 

「キミの名前は?」

「これは失礼いたしました。(わたくし)、興奮のあまり名乗るのを失念してしまうだなんて……」

 

 そのウマ娘は恭しく一礼する。

 ああ、またクラシックレースに挑む一年が始まるのか。

 縁がないと思っていたこともあったんだが……不思議とワクワクする感覚にとらわれているところを見ると、満更でもないらしい。

 

(わたくし)、名前をタケノ──」

 

 

 

 ──こうしてまた一人、〈アクルックス〉のメンバーが増えた。

 

 

 

続章 The HorseGirl’s Miracle  ──完──  




◆解説◆

【サンドピアリスに間違いない!】
・大波乱となった1989年の実況といえばこのフレーズ。これをタイトルに使わない理由がありません。
・正直、前話と本話のタイトルを逆にしようとも考えたのですが、前話ラストで出るはずのこの実況が、タイトルにすると早々と文中に出てしまうんですよね。
・それを避けるのもあって、順番を逆にしました。
・なお、このとき実況を担当したのは杉本清アナウンサー。今回、文中で流れている実況もその実況を基にしたものです。
・そのため「~であります」が多いです。
・数多くの名実況で有名な杉本清アナウンサーですが、個人的には一番スゴイ実況は、やはりこの1989年のエリザベス女王杯だと思っています。
・というのもこのレース、終盤で大本命シャダイカグラが故障発生して失速。他の有力馬達もそれを避けたりして伸び悩み、結果的には20番人気のサンドピアリスが優勝し、2着は10番人気ヤマフリアル、3着は14番人気シンビクトリー、4着に15番人気のホウヨウファイナル、5着でようやく4番人気のシンエイロータスという、そりゃもうとんでもない大波乱でした。
・なので最後の直線について杉本アナ自身が「よくわからない馬ばかりが来て焦って焦って焦りまくった」と後日語るほど。
・その「焦りまくっている」中でも冷静に、最下位人気のサンドピアリスの名前がサッと出てくるのもスゴイ。
・……いや、ほら……ね、あったでしょ? 本命が競走中止して大混戦になった挙句、勝った馬じゃなくて他の馬の名前(サンキョウセッツ)を間違えて言ってしまった事件が。
・それだけでなく、並みのアナウンサーならを先頭の名前を連呼してしまうところを他の「よくわからない馬」にも言及するのは、本当に冷静です。
・そして最もスゴイのは、実況でしゃべり続けているのに「間違いない!」がちょうどゴールのタイミングとピッタリ合っているところ。まさに神業です。
・色々と“神実況”と言われるものがありますが、書いてる人にとっては“最高の実況”は杉本アナの高い技術と、「サンドピアリスに間違いない!」のフレーズが生まれたこの実況こそナンバーワンです。

ゴール板の前を通り過ぎた
・エリザベス女王杯でレース中に負傷したシャダイカグラでしたが、その記録は競走中止ではなく完走しており、記録は2分36秒4。
・1着のサンドピアリスからは約8秒、19着のミキノルーブルからも約4秒の差を付けられましたが、どうにかゴールしています。

脚を治してレース場に戻って
・シャダイカグラはレース後、レース中に負傷した多くの馬がその末路をたどるのとは違い、予後不良という最悪の結末は回避しました。
・しかしもちろん、レースに復帰はしていません。レース後には競走能力喪失という診断が出ています。
・その後は繁殖牝馬となり、あまりいい結果を出せたとはいえませんでしたが、2005年に動脈瘤破裂で亡くなっています。
・しかし、それでも産駒のエイブルカグラからアスクコマンダーが生まれ、そこからトレノエンジェルからその子へと、現代まで彼女の血は受け継がれて残っています。

そう言った
・前話で乾井トレーナーが言ったのは──「さすがに勝てるとは思ってなかったさ。でも……」「……()()()()()()()()()()()()()けどな」
・このセリフの前半も実は元ネタがありまして……
・『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』の第6話「ROUND6 LIFTING TURN」でドイツGPで初めてハヤトがフィル=フリッツのアルザードに勝った時に言った「勝てるとは思ってなかった」から。
・なお、ハヤトの場合、「勝ちたいとは思ったけどね」と続くので、そこはちょっと変えてます。
・……ところで、あのリフティングターン。空中を行くとはいえ事前にぶつかりかねないくらいにかなり強引に行くのは反則じゃないかと思うのですが……

京都2400メートルのスペシャリスト
・史実のサンドピアリスは、エリザベス女王杯の後、勝てずに引退しています。
・その中で、2着と3着に1度ずつ入っています。
・どちらもGⅡで……90年の京都大賞典と91年の京都記念で、その京都記念が引退レースになっています。
・そしてこの2つのレースと、エリザベス女王杯に共通するのが……開催地が京都で、距離が2400メートルということ。
・その、サンドピリアスが京都2400でなぜか結果を残したことから、この設定が生まれています。
・その前の説明の「他のウマ娘は芝が得意か超得意」というのはゲーム内の適正で言えば芝適正AかSで、ピアリスの普通は「芝B」適正だと思ってください。


※これにて第二章は完全に完結となります。
・この後の予定ですが……一応、間章を一つ入れてから、第三章を始める予定になっています。
・なにぶん私事で少しバタバタしていて、落ち着くのに少し時間がかかりそうなので、開始時期は未定です。早く始めたいと思っているのですが。
・第三章の主役は……第二章ですでに2度ほど登場しているウマ娘がつとめる予定です。
・その名前は──始まってのお楽しみ、ということで。


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間章・その2 夢をかなえて ~ギャロップダイナ~
──1──



『しかしビックリだ! これは6番──サンドピアリスに間違いない!』

 ──その実況で決着が付いたエリザベス女王杯。
 喜びの歓声よりも、戸惑いのどよめきの方が大きかった観客席。
 20人中20番人気……そんな彼女の勝利を、あたしは驚きはしなかった。

(そのために、いろいろ頑張ってきたんだからな。ピアリスは)

 彼女の努力を一番間近で見てきたのはあたしだという自信はある。
 トレーナーのビジョウ……乾井 備丈(まさたけ)は、クラシック三冠に挑むウマ娘やらそれを阻もうと挑戦する他のウマ娘の面倒も見なきゃいけなかったからな。
 それどころか……あいつは当初、エリザベス女王杯に出す気もなかったみたいだし。

(ま、あの成績なら仕方ねえけど……)

 サンドピアリスの今までの成績は、けっして自信を持ってエリザベス女王杯に挑戦できるようなもんじゃなかった。
 重賞未勝利。
 それどこか芝では勝てず、ダートでの勝利しかない。
 そんな成績にあたしが親近感を覚えるのは……無理もないだろ?
 だが……いや、だからこそあたしはビジョウがエリザベス女王杯に出すつもりさえない態度が、寂しく──正直ガッカリしてたんだよな。

(あいつにもあいつなりの事情があるのも理解してる)

 乾井 備丈が過去に犯した大失敗。そのせいで重賞挑戦、特にクラシックレースに慎重になっている。少なくともあたしにはそう思えた。
 だからこそ、あたしはあいつのケツを蹴っ飛ばすために会いたくないヤツに会いに行ったし、結果的にピアリスをエリザベス女王杯に出すことが出来た。
 それもこれも……弱気になって()()()()()()()()あいつに、思い出して欲しかったからだ。

(──あたしと“あの”天皇賞に挑んだときの、どこまでも前向きだったあの気持ちを)

 見上げる空は、あの時と同じ高く澄んだ秋の空。
 そして視線を下ろせば……二人のウマ娘が抱き合っている。

 ──最下位人気で1着となったサンドピアリス。
 ──1番人気で最下位となったシャダイカグラ。

(その姿、その名前……あのウマ娘を思い出すじゃねえか)

 負傷した足をあからさまに庇っている、その痛々しい立ち姿。
 そして彼女が名前のせいでそこの出身と勘違いされる名門“シャダイ”を冠する名。
 シャダイカグラ(優等生)サンドピアリス(劣等生)の姿がぼやけ、あたしと()()の姿に重なり──そして、(にじ)む。

「……ッ」

 それで自分の瞳に涙が溜まっているのに気が付いた。
 もちろんピアリスがエリザベス女王杯と制したのは、同じチームの仲間として、彼女の面倒を見た者として嬉しい。
 だが、これは……歓喜の涙なんかじゃない。

(これは、悔し涙だ……)

 人知れず、その涙を乱暴に腕で拭う。
 あの日……あたしが今日のサンドピアリスのように栄冠を掴んだその日、誰よりも苦しんだあいつの傍らにあたしがいられなかったという後悔。

「あのとき、あの場に居たら……」

 思わず口をついて出た言葉だった。
 もちろん、そうだったら今のあたしはここにいないだろう。
 それでもあれは、今でもあたしにとって本当に一番の心残りだった。
 だから──


 シャダイカグラの隣で支えているピアリスの姿が──あたしには、GⅠ制覇の栄冠よりも何よりもそれが羨ましくて仕方がなかった。




 

 ──その日、あたしの機嫌は最悪だった。

 

 面白くねぇ……ああ、本当に面白くねえ。

 その感情をどうしても隠しきれずに顔に出ちまっていたせいで、チーム部屋に戻るや入学以来の腐れ縁の相方にあっさりとそれを指摘された。

 

「どうかさなったの? ダイナさん」

 

 小首を傾げ、不思議そうに見つめるその顔を見てあたしは内心「しまった」と後悔した。

 ったく、自分の短慮が本当に嫌になる。

 もう少し冷静さを持っていれば、部屋に入る前に深呼吸の一つでもして落ち着いてから入ったというのに……

 

「……なんでもねえよ、お嬢」

「そのような様子には見えませんでしたけど?」

 

 ほら、きやがった。

 あたしの相方のお嬢は普段はポヤポヤしているくせに、こういうところは妙に鋭い。

 しかもあたしが触れてほしくないときに限って、ここぞとばかりに突いてくる。

 

(確かにあたしがイライラしてんのは間違いないけど、な)

 

 その原因──それを突き詰めるとお嬢が関わっていなくもない。

 だからこの面倒なことに首を突っ込ませるわけにはいかねえんだが……

 面倒くせえことになったと思って、思わず頭をガシガシと掻いた。

 

「……アイツが変なこと言い出しやがったから、ちょっとな」

「アイツ? ええと……あの研修生さんのことかしら?」

「ああ。そうだ」

「あらあら、最近は仲良しだと思って安心していたのだけど……」

「あぁ? アイツとあたしが仲良し? んなわけねえだろ」

 

 思わずお嬢を睨んだけど、そんな相手はどこ吹く風といった様子でクスクスと微笑んでいた。

 あ~、お嬢を相手にしてるとほんとに調子が狂うわ

 

「それで、彼はあなたにどんなことを言ったんです?」

「ッ、それは……」

 

 そもそも、アレを言ったのはあいつが言い出したことじゃねえ。だから本当ならあたしのイラつきの原因はあいつじゃなくてその親方、トレーナー(おやっさん)だ。

 そして、あたしは迷った。

 もしもそれを含めて素直に答えてこの話を続けていくと……マズいことになりかねない。

 かといって微笑んでじっとこちらを見るお嬢の圧力を前にして、誤魔化したり他の話にすり替えられそうにもない。

 結果として、あたしは観念して話すことにした。

 

「…………秋の天皇賞に出ろ、だとよ」

「天皇賞? それって──」

「ああ。みんな御存知の、あの“皇帝”陛下の復帰戦さ」

 

 あたしらの世代でミスターシービーがやった“クラシック三冠”を、その翌年に()()で達成したウマ娘。その強さから“皇帝”と呼ばれている彼女の名は──シンボリルドルフ。

 クラシックからシニアになってもその強さは変わらず、去年のジャパンカップで外国勢(マルガイ)ではなくカツラギエースに()()()の負けを喫したものの、今までその時のたった一敗のみ。

 そんな絶対王者サマはその後に有記念と春の天皇賞を合わせて五冠を達成し、六冠めに目を付けたのが秋の天皇賞ってわけだ。

 そんなルドルフも春の天皇賞から休養に入っていて──

 

「ぶっつけ本番でGⅠ制覇狙うってんだから豪勢なもんだ。こっちにも少しくらいお裾分けして欲しいもんだぜ」

 

 あたしはこれまで31戦走ってる。その27戦目でようやく春に安田記念でGⅠに初挑戦したってレベルでしかない。

 オマケに言えば、オープンクラスに昇格さえしていない。

 

(ま、()()()がどこまで本気か知らないが、一応は有記念への出走を目標にしてはいるけど……)

 

 さすがにこれはお嬢にも言ってない。

 あたしの現状(オープンクラス前)を考えれば、かなり厳しい夢のまた夢って話だ。だから分不相応なその夢を公言するのは大きすぎて、少しばかり……いや、かなり恥ずかしい。

 ま、夢や目標はデカい方が良いからって立てた秘密の目標だったしな。

 

(とはいえ、お嬢のことだから「素敵な目標」とか言って賞賛して、決してバカにしないのだけは分かっちゃいるが……)

 

 案の定、今のあたしの話を聞いて「まぁ……」と目をキラキラ輝かせてる。大方、夏の安田記念に続いて二度目になるGⅠ挑戦と楽観的に見ているからだろうな。

 もちろんそんなに良いもんじゃない。

 あたしは他のレースへ出走予定だったのを、急遽予定変更してこの無謀なレースをブッ込まれたんだ。

 

(勝ち目なんざあるわけがない)

 

 思わずため息をつきたくもなるってもんだろ。

 なにしろ今までたった一度しか敗戦がない、現役最強ウマ娘を相手にしなけりゃなんない。

 予定通りのレース──自己条件の府中ステークス──に出てればまだ勝ちの可能性はあった。

 そしてそうやって実績を積み重ねれば夢へと近づいていける。たとえ歩みが遅くとも、オープンクラスに昇格して、そこでまた勝つことができれば有記念への出走という夢に──たとえそれが地獄に垂らされた蜘蛛の糸のような希望でも──つながっていくはずだった。

 

(確かに、このレースで結果を残して目立つことが出来れば、人気投票で出走が決まるあのレースなら、そのチャンスは生まれるかもしれない)

 

 もちろんこのレース(天皇賞(秋))に勝てるなんて思ってない。勝つのはどうせルドルフだろ。

 それでも……仮に2着や3着にでも入れたら、ファンの目に留まって有記念の投票で票が入り、ひょっとしたら末席にでも転がり込めるかもしれない。

 2ヶ月後というスケジュールになるがむしろ時期的には申し分ない。ここで目立つことができれば、そのまま投票期間に入って確率が上がるだろ。

 そう……目立つことが()()()()、の話だ。

 

(他のヤツらにしたって、少なくともあたしよりも実績が上……)

 

 国内最高峰のレースなんだからオープンクラスばかりなのは当然。格上挑戦するにしたってレースを選ぶべきだし、コレ(天皇賞)を選ぶのはあまりにもクレイジーだ。

 

(勝てないレースに出ろって言われても、テンション上がんねーよ)

 

 まったく、夢も希望もない話だろ?

 ま、ここまで格の高いレースだと勝ちを目標にしてないウマ娘達もいるけどな。

 なにしろこの国の最も尊い名前が入る“八大競走”の一つだ。その出走表に自分の名前が乗るだけで栄誉、なんて考えるのも居る。

 いわゆる“記念出走”とか“思い出出走”とか言われるヤツだ。

 特に今回は“絶対無敵”の大本命がいるんだから、そういう気持ちで走るのも多いだろ。

 

(だけど……それを除いても、ルドルフ以外が弱いなんてこともありえねぇ)

 

 そういう「出走できれば満足」みたいなウマ娘以外にはどんなのが参戦するか?

 答えは簡単。

 あいつの6冠目を阻むべく、目の色を変えて出走してくる、真剣(ガチ)で打倒ルドルフを狙ってる連中だ。

 

(そんなヤツらが遅いわけがない)

 

 当然、現役世代でもトップクラスの連中に違いない。

 また2000メートルという中距離にしては短めな天皇賞(秋)の距離も絶妙だ。

 マイラーにとっては絶望的なほど長いワケじゃなく、ステイヤー(長距離適正者)が対応できないほどペースが速くなるほど短くもない。

 

(上位がハイレベルな戦いになるのは間違いねえし、そんな中で上位に食い込めるワケがねえ)

 

 そして倒すつもりで出走できないようなウマ娘は、先の“記念出走”組を除けばこのレースへの出走を避けるはずだからな。

 

 

 ……たとえばそう、この目の前にいるウマ娘(お嬢)のように。

 

 

 目標のレースが別にあるあたしにとって“思い出出走”するほど思い入れがあるわけがなく、そしてその目標に対して足踏みにしかならない今回の出走。それでも出なけりゃならない理由がそれ。

 あたしがわざわざ自己条件の出走を変更してまで、無謀な挑戦(秋の天皇賞)に挑むことになったのは、お嬢──シャダイソフィアをそのレースに出させない為なんだから。

 

 あたしがトレーナー(おやっさん)の名前を出すのを避けたのも、それが原因ってワケ。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──落ちこぼれのあたしだが、もちろん最初(ハナ)からそうだったわけじゃない。

 

 これでも地元じゃ有望視されてたし、だからこそこの中央トレセン学園へと進学した。

 なんといっても地方(ローカル)じゃない中央のトレセン学園。ウマ娘にとっては国内最高峰の学び舎はそうでもなければ来られやしない。

 

(全国から実力のあるウマ娘が集まる学園だからこそ、ナメられるわけにはいかねえ)

 

 学園の教室に入ったあたしの席の隣に現れたのは──このポヤポヤした雰囲気のウマ娘だった。

 彼女はあたしの顔を見るなり、にっこりと笑みを浮かべたのをよく覚えてる。

 

「あらあら、初めまして~。シャダイソフィアと申します。これからよろしくお願いしますね~」

 

 のんびりとした口調で、微笑を浮かべたまま丁寧に頭を下げたそのウマ娘。

 高みを目指し走りに飢えた連中(ヤツら)が集うウマ娘の修羅界……この学園をそんな風に想像していたあたしにとって、それは狼の群の中に羊が混じっているようにしか見えなかった。

 

 ……だが、結論から言えば、そいつは()()()()()()()()()だった。

 

 正直、隣の席の縁で話すようにはなっていたが、こんな性格のウマ娘なら大したことは無いとナメてかかってた。

 だが選抜レースで実力を見せつけられ、あたしは絶句するしかなかった。

 持っていたはずの自信──少なくともこののんびり屋に負けるはずがないと勝手に思っていた──は簡単に砕け散った。

 それもそのはず……彼女の出自を見れば納得もしたさ。

 彼女の印象である“蝶よ花よと育てられた良いところの御嬢様”というあたしの推論は確かに当たってた。

 でもそれがよりにもよって、あの有名なメジロ家と並び立つような名家“シャダイ”の大事な御令嬢だともなれば話は違う。速くないわけが無い。

 選抜レースでの優秀な結果を引っ提げてチームに所属した彼女は、「気の知れた相手がいて欲しい」と強引にあたしを同じチームに巻き込んだ。

 

(ま、おかげでおやっさんがトレーナーになったって環境には感謝してるけどな)

 

 そして迎えたデビュー戦でも、2着に10バ身も離した圧勝をして結果を出している。

 そんな彼女がクラシックレースに挑まないはずもなく……トリプルティアラ路線へと進み、見事に桜花賞ウマ娘になってみせた。

 

 ……そこまでは順調だったんだ。

 

 だが、なにを思ったかおやっさんは奇行に走った。

 トリプルティアラの桜花賞をとったはずのソフィアが次に目指したのは……()()()()だった。

 

 ああ、その通り。オークスじゃなくてダービーだ。

 

 ……こうして見ると、あたしに秋の天皇賞(アキテン)に出させようとしたり、変なことをしでかす片鱗はこのころからあったのかもしれねえ。

 まぁ、どうしてもシャダイからダービーウマ娘を出したいとか、そんな事情があったんじゃねーの? 知らねえけど。

 で、ダービーに出走したんだが……ああ、もちろん結果は分かってるよな? なにしろあたしらの同期には()()クラシック三冠ウマ娘サマがいたんだぜ。

 

 もちろん、当時はあたしはお嬢のことを速いと思ってた。とても追いつけない。勝てないってな。

 ところがあいつは……そのお嬢を歯牙にもかけなかった。

 その姿に愕然としたさ。

 

 ──上には上がいる。

 

 まさにそれを見せつけられたんだから。

 で、お嬢もそれで調子を崩した。

 しかも、それが長く尾を引いてシニア初年は未勝利に終わっちまったってわけさ。

 

 ……あ? あたしの方はどうしたかって?

 

 ああ、デビュー戦は勝ったぜ。

 でも……その後は微妙な戦績だった。

 ま、あたしのことはどうだっていい。正直、落ちこぼれのあたしがお嬢と比較されるのは面白くねえし。

 あたしにはお嬢みてえなGⅠ制覇どころか重賞勝利とか、そんな輝かしい栄光にだって無縁だった……それだけで十分だろ。未だに条件ウマ娘なんだし、お察しくださいってヤツだ。

 そんなうだつの上がらないあたしだったからこそ──あの日、トレーナー(おやっさん)()()()と共に現れた。

 

「ダイナ、今日からコイツがお前の面倒を主に見るからな」

 

 自分の代わりとして、あの()()()を連れてきやがったんだ。

 もちろん、気にくわなかったさ。

 確かにあたしは結果を残してなかった。シニアも2年目になってるというのに、まだ条件戦で(くすぶ)っている。

 そりゃあ、おやっさんもサジ投げて、研修生が好き勝手にやれる教材にしようってもんだ。

 

 ……けどな、あたしにだってプライドってものがあんだよ!!

 

 あたしはそのままで終わる気は無かったし、無論、そのいけ好かねえ研修生の言いなりになる気なんて無かった。

 逆にコイツのことを逃げ出させてやる、そんなつもりでそいつを睨みもした。

 ところが……

 

「なぁ、ダイナ。ちょっといいか? 思いついたんだが──」

「──あ? そんなの上手くいくワケねえだろ」

「ダメで元々。上手くいったら儲けもんだから……」

「ふざけんな! それをやるのはお前じゃなくてあたしだぞ──」

 

 こいつはあたしが思っていたような、品行方正で真面目な性格では無かった。

 ともすれば、師匠(おやっさん)にも黙ってコソコソしながらも挑戦的なことを試してみる……型や常識にとらわれないやつだったんだ。

 

「──ダメで元々というか、ダメでも失うもん無いもんな、お前の場合?」

「よし分かった。トレーニングじゃなくてケンカしたいんだな、お前は」

 

 なんてぶつかりながらも、いつの間にか口車に乗せられて──

 そのうち、あたしの方からも突拍子もない提案をするようになって──

 そんなのがバレて、おやっさんに二人で怒られたりして──

 

 気が付けば、あたしは勝利を重ねていた。

 あいつの「芝に挑戦しつつ、それがダメでも得意のダートで勝ちを稼いで、とりあずオープン昇格を狙っていこう」という提案に乗って。

 

 そして密かに二人で決めた目標──他愛ない会話の中であたしが言った「有記念に出走する」に向かって、少しずつでも前に進み始めていたんだ。

 




◆解説◆

【夢をかなえて】
・タイトルは科学戦隊ダイナマンのエンディングテーマ「夢をかなえてダイナマン」から。
・例によってダイナ繋がり。
・「(どぅあれ)~だぁって~ (どぅあれ)~だぁって~」という部分が印象的。
・ダイナマンのテーマって「夢」なんですよね。
・そんなわけで間章2の主役はギャロップダイナです。

シャダイソフィア
・定番の実在馬を元にした本作オリジナルウマ娘。
・ギャロップダイナのルームメイトは彼女しか考えられなかったんですけど、実はギャロップダイナは美浦、シャダイソフィアは栗東なんですよね、トレセンが。
・それで急遽、同じ教室の入学時の隣同士というある意味ベタな設定をぶち込みました。
・ルームメイトも十分ベタですけど。(ダイユウサクとコスモドリーム、サンドピアリスとシャダイカグラで既に使ったネタだし)
・元ネタの競走馬はギャロップダイナと同じく1980年生まれで、栗毛の牝馬。
・そして1983年の桜花賞馬であります。
・その父はギャロップダイナと同じくノーザンテースト。
・なので本来ならコスモドリームとダイユウサク以上に親戚でおかしくない血縁関係の近さなんですけど、ぶちゃけノーザンテーストの子供を全員親戚にすると、ウマ娘ってかなりの数が親戚になってしまうので……

ダービー
・せっかく桜花賞をとったシャダイソフィアを、陣営はなぜかダービーに出走させます。
・これには当時ダービーをとれていなかった社台グループの「ダービーをどうしてもとりたい」という意向のせいだと言われています。
・また優駿牝馬(オークス)に関しては同期の牝馬にダイナカールという有力馬がいたのでそちらに任せ、勝つ見込みのある牡馬がいなかったので桜花賞で結果を残してるシャダイソフィアが選ばれた、そうな。
・しかし相手は三冠馬ミスターシービー。勝てるわけありません。
・このダービー挑戦以降、調子を落としている感があるので本当にもったいない。


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──2──

 

「ふふふ……6月の札幌のレースは、本当に笑ってしまいました」

「うるせえなぁ。仕方ねえだろ、靴が脱げちまったんだから」

 

 もちろん途中でそれに気付いたが、履き直してるヒマなんてもちろん無かった。

 で、構わずそのまま全力で走って──1着で駆け抜けたんだが結果は反則で無効。

 

「そういうお嬢は、久しぶりに勝利してたもんな」

「え~? そんなことありませんよ。その前に勝ったのは3月だったんですし……」

「ああ、そっちが久しぶりだったんだっけな。1年4ヶ月ぶりだったか?」

「……あら? そんなに間があいていたかしら?」

「あのなぁ、自分のことなんだからしっかり把握しておけよ。まさか次に出走するレースがわからない、とか言うなよ?」

「え? えぇと……」

「本気で分からねえのかよ、お嬢……」

 

 眉根を寄せて悩むお嬢の姿にあたしは思わず苦笑する。

 

「スワンステークス、だろ?」

「ああ。そうでした~。たしかそのような名前のレースで、開催日は……」

「10月27日。あたしの走る秋の天皇賞(アキテン)と同じ日」

「え? あら……そうなの? でも、同じ日なら直接応援が──」

「あのなぁ、お嬢。スワンステークスが開催されるのは京都だぞ?」

「そうなの? でも天皇賞が開催されるのも確か京都じゃなかったかしら~?」

「それは春の天皇賞(ハルテン)。秋の開催は東京。しっかりしてくれよ……」

「あら、まぁ……それじゃあダイナさんの走る姿を見て応援することはできないのね。残念だわ……」

 

 本気でしゅんとしょげるお嬢の姿に、あたしは再び苦笑してしまう。

 

「そうだな。あたしも……お嬢の勝つ姿が見れないのは残念だ」

「私だって、あなたの勝つ姿、直接見たかったのに~」

 

 そう言って頬を膨らませるお嬢だが……いや、ちょっと待て。

 

「オイオイ。今までのあたしの説明、聞いてなかったのかよ。一緒に走るのはシンボリルドルフと、その周りもとんでもないヤツらばかりだぞ? あたしの勝ちなんて──」

「でも……あの“研修生”さんは、諦めていないんでしょう?」

 

 そう言ってクスクスと微笑むシャダイソフィア。

 ったく、どこで盗み聞いていたんだか。

 

(そうなんだよ、あいつ……何を勘違いしてんだか、勝つつもりなんだよな)

 

 天皇賞(秋)(アキテン)への出走を聞かされたときはノセられて同意しちまったけど、後々になってよく考えればやっぱり勝ち目はねえのがよく分かる。

 というかあの時、周囲にお嬢いなかったよな?

 にもかかわらずそれが分かるってのは……あたし以上にあいつとお嬢の絆があるように思えて、なんだか面白くねえんだよな。

 

 ……あ? もちろんお嬢のことを心配して、だぞ?

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 トレーナー候補の私がトレセン学園の敷地内にいるのは当然のことよ。

 でもそんな私──巽見 涼子が、今この場にいるのは、完全に成り行きだった。

 

「……正気ですか?」

 

 私は思わずそう訊いていた。

 不思議と縁のある先輩──乾井 備丈(まさたけ)から、「研修中に現役ウマ娘の面倒見てるんだが手伝ってくれないか?」と言われたので、この経験は自分の糧にもなると思って了承した。

 それもGⅠレースへの調整の手伝いと聞けば、間違いなく貴重な経験になると思うのは当然でしょう?

 なのに……私はさっきの言葉を言いながら、こめかみを押さえて沈痛そうな表情を浮かべることになってる。

 これはいったいどういうこと?

 

「話が違います。私は経験を積ませてくれるために呼ばれたんだと思いました」

 

 だって、先輩が担当してるというウマ娘の成績を見れば、明らかに“思い出出走”だと思うわ。

 だというのに、この人は──

 

「それが()()()勝ちを狙っていくだなんて……」

「あ? そんなの当然だろ。なぁ、チュン太郎……?」

 

 そう言って笑みを浮かべた先輩が向けた視線の先には、私と同じように手伝いに駆り出された同期生──先輩から見れば後輩──の朱雀井が、やっぱり戸惑いの表情を浮かべてる。

 その反応を見れば、彼も私と同じように考えていたのは明らかだった。

 そんな私達の反応に見かねた様子で、件のウマ娘が口を開く。

 

「なぁ、研修生。お前の後輩が言うように、やっぱ勝つとか無理だろ? 現実的に考えて……」

 

 私達と同じように立っていた、先輩が面倒を見るウマ娘──たしかギャロップダイナって名前だったかしら──が居心地悪そうに苦笑しながらそう言った。

 

(こうして見ると、先輩だけが浮き足立って「勝つ」と言っているみたいね)

 

 私は心の中で呆れに近いため息をついた。

 

(その根拠のない前向きが、どれだけ指導される側を傷つけるか……この先輩はちっともわかっていない)

 

 私はスポーツインストラクターの資格を持ち、私自身も武道に打ち込んである程度の結果を残している。

 そんな体育会系だからこそ「努力は報われる」という信条を持っている──と思われがち。

 

(でも、だからこそ私は知ってる。スポーツの世界に存在するトップクラスとそうでない者の間に圧倒的な“嘆きの壁”があることを)

 

 大学時代まで剣道に打ち込んだ私は、競走と剣道と競技こそ違えどその存在を嫌と言うほどに思い知らされたんだから。

 全国大会出場と全国大会制覇の常連とでは天と地の差ほどもの差があるわけで……

 同じ全国大会出場者でも、格が違う。

 その格上相手に対してはどんなにあらがおうとも太刀打ちはできなかった。それを経験として知っているのよ

 

(……少なくとも私は勝つことができなかった)

 

 そういう人を相手に所属校同士の団体戦で勝ったことはある。

 でもその時だって直接対決で負けたのを他の人の試合結果で勝てたというだけ。それを“勝った”だなんてとても言えないわ。

 そういう()()を知っているからこそ先輩のいう夢は、私には実現不能な絵空事にしか思えなかった。

 生まれ持った才──と言うのはもちろんその人に対する侮辱だと分かってる。努力があったからこその実力なんだから。

 でもそのスタート地点が違っていたら? そう思わざるをえないような天才を相手にして、その差を見せつけられてきたのよ。

 だって……私だって必死に努力して、真剣に打ち込んで来たんできたのに、それでも届かなかったのよ。

 

(どんなに頑張っても届かない相手はいる。それ以上、どうしろっていうの?)

 

 そんな現役時代の経験を、目の前にいるウマ娘にも当てはめて考えてしまう。

 

(シンボリルドルフは間違いなく天才だわ。対してギャロップダイナも中央トレセン学園に入れたんだから実力はあるのは間違いないけど……でも、今回の出走だって運に恵まれて出場できたようなものなんだから)

 

 その差は歴然だった。

 無敗の三冠ウマ娘にして現在はたった1敗しかしていない五冠ウマ娘。

 そんなのを相手に勝つ? それこそ同等の才能でもなければ不可能だし、彼女にそれがあったらとっくにオープン昇格してるでしょ?

 彼女だってその自覚があるから──

 

「走る前から諦めるのか? らしくないぞ、ギャロップダイナ」

 

 苦笑していたウマ娘──ギャロップダイナに声をかける先輩。

 そんな彼に対してギャロップダイナは苦笑をやめ、真剣な面持ちになって返す。

 

「そう言うけどな、予定してた府中ステークスじゃないんだぞ。GⅠだぞGⅠ。それもかつての八大レース、秋の天皇賞だからな?」

 

 無論、彼女は自分の立場を理解してる。夢を見て地に足が着いていない先輩に現実を教えようとしているように私には見えた。

 でも先輩は、態度を変える様子はない。

 

「どんなレースだろうと関係ないさ。走るからには勝利を目指していいはずだろ? 無敗のウマ娘だろうがなんだろうが、ゲートに入れば立場は誰も一緒だ。()()()()()()()()()でしかない」

「……そうは言うけど、無茶な理屈だろそれ」

 

 ついに呆れたような表情を浮かべるギャロップダイナ。

 そんな彼女に対して、先輩は不満そうな顔になる。

 

「オイオイ、弱気すぎるぞ。どうしたんだ、お前らしくもない」

「お前こそ、強気過ぎんだろ研修生」

「シンボリルドルフだけスタート地点が違うわけじゃないだろ? お前だって条件ウマ娘だからって、箱根駅伝の学連選抜みたいにどんなに頑張っても参考記録になるわけじゃない。1番入線すれば当然、1着として扱われるんだ」

 

 そう言って笑みを浮かべる先輩。

 

「せっかく走るんだから狙おうじゃないか。“皇帝”サマと違ってこっちは負けても失う物も無いんだから」

 

 そのウマ娘はどんなレースだろうと“勝って当然”と世間では思われてる。

 だからこその大本命。史上初の“天皇賞春秋制覇”は彼女だとはやくも新聞(マスコミ)は騒いでいる。

 かたや誰からも期待されていない──これは私もこの時知らなかったけど、彼女の正式な担当トレーナーさえも別のウマ娘のレースを見に行くことになっていた──ウマ娘。

 そんな彼女は下を向いてうつむきながらガリガリと頭を掻いて……それから上げた顔はニヤリと悪い顔で笑みを浮かべていた。

 

「ったく好き勝手言ってくれるよな、研修生。ああ、わかったよ。その口車、乗ってやろうじゃねぇか」

 

 そんな笑みにつられるように、彼もまたニヤリと笑みを浮かべる。

 そのウマ娘は彼に対し、初めてそう呼んだ。

 

「これから頼むぜ、相棒」

 

 差し出されたその手を先輩は握りしめ、そして「ああ」と力強く頷く。

 それを傍らの朱雀井はクイッと眼鏡のブリッジを押し上げつつ、興味深そうに見て笑みを浮かべていた。

 

 そんな彼らを──私は、複雑な思いで見ていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そうして、心を一つにした3人が行動を開始した。

 先輩はウマ娘──ギャロップダイナに指示を出してコースを走らせ、一方で朱雀井は「情報を集めてきますよ」と言ってフラッとこの場を去った。

 根が真面目で、かつ凝り性な彼のことだからきっとキッチリ偵察してくるんでしょうけど……

 で、私はと言えば、ギャロップダイナが離れたタイミングで先輩に話しかけていた。

 

「……焚き付け過ぎじゃないですか?」

「出走するだけで十分。ケガ無く無事で帰ってこい、ってアイツに言えと?」

 

 後ろから声をかけた私に、彼は振り返りもせずにそう言った。

 

「安易に『勝てる』とか『勝て』と言うのはやめた方がいい、と言ってるんです」

 

 その言葉が彼女をどれだけ傷つけ、追いつめると思ってるの?

 それを想像できる私は、少なからず先輩の行動にイラついていた。

 スポーツに人生を──少なくとも10代という大事な時期を捧げた私達の気持ちを、そうしていない先輩になんて分からないでしょう?

 その言葉は、あまりにも無責任にしか見えなかったから……

 

「──今回の出走、オレだって本当は反対だ」

「え……?」

 

 直前までは茶化すような態度だった先輩の口調が、明らかに変わっていた。

 それに戸惑う私を置いて、先輩はさらに続ける。

 

「あいつを任されてから今まで地道にやってきたつもりだ。時間こそかかっているが、少しずつ結果も出てきてる。おかげでオープンクラスが目の前にまでこぎつけた。だからこそ本音を言えば、今までのペースでコツコツと着実に経験と実績を積み重ねたかったさ」

「なら、なんで──」

 

 その理由は、薄々分かってる。

 先輩はあくまで研修生であり、トレーナー……チームを背負って立つメインはおろかサブトレーナーの立場でさえないんだもの。

 案の定、彼は小さく──私から隠すようにため息をついて答えた。

 

「おやっさんだよ。シンボリルドルフに挑む一部の気概ある連中以外は出走メンバーが寂しいことになりかねないらしくてな。そのルドルフを担当してるセンパイの手前、うちから誰も出さないってわけにはいかない、だそうだ」

 

 同じトレーナーを師に仰ぎ、すでに独立している先達がルドルフの担当らしい。

 そんな彼女への手向けとして、師匠として一人くらいはレースに出走させようということだそうだ。

 でも、そんな理由での出走なら他人事ながら私だって腹が立ってくる。トレーナー同士の面子のせいでウマ娘が蔑ろにされているように見えて仕方ない。

 まして出走するのが実力や実績が足りているウマ娘ならともかく、今のギャロップダイナは実績が圧倒的に足りてないんだから。

 

「でも、それならなにも彼女じゃなくてもいいんじゃないの?」

「うちのチームだって他と一緒さ。こんな()()()()()()()に、有望なウマ娘を出して自信喪失させるわけにはいかない」

 

 先輩はそう言うと「やっと調子が上がってきたシャダイソフィアを挑ませて、歯車を狂わせるわけにはいかないし」と付け加えた。

 ギャロップダイナの親友だという彼女は、秋の天皇賞を避けて同じ日に京都開催のレースに出るとのこと。

 そして、先輩やそのチームの人が『おやっさん』と呼ぶチームのメイントレーナーはシャダイソフィアについて京都に行くらしい。

 それを聞いて私は完全に憤った。あまりにもあのウマ娘──ギャロップダイナが可哀想だ、と。

 そして同時に思い、それを言葉にする。

 

「なら、余計にここで頑張る必要なんて無いわ! 勝ちをねらいに行かなくても、トレーナーだって“思い出出走”のつもりなんでしょう?」

 

 それに対し先輩は──振り返って笑みを浮かべる。

 怒っていた私にとってその表情は、まるで頭から冷や水をかけられたようだった。

 

「せっかく出走できるんだぞ? 勝ちを目指さない理由はないだろ?」

「な……だから、それが無責任だと言うのよ! 勝てるレースならともかく、そんな相手じゃないでしょ!?」

 

 思わず強く言った私に対し、彼は──

 

「聞いた話なんだが……昔、とある県立高校の野球部の監督に、ある大学生が訊いたそうだ。『甲子園を狙ってないんですか?』ってな」

 

 視線を私から、遠くを走るギャロップダイナに移して、話し始めた。

 突然変わった話に付いていけず、思わず黙った私に構わず続ける。

 

「で、その監督は目指してないと答えた。そういうレベルじゃないからってな」

 

 それは私にとって頷ける話だった。

 高校の運動部全てが日本一を目標にしているわけじゃない。

 硬式野球の甲子園。サッカーの天皇杯。ラグビーでの花園……その他、インターハイとか全国大会に出場できるのは、競技人口から見れば本当にごくわずかでしかないんだから。

 本気で目指す人は強豪校に入るんだし。

 

「だが、その大学生は『目指すべきだ』と言ったそうだ」

「逆よ! その大学生の方がおかしいわ」

 

 反射的に私はそう言っていた。

 実際に競技するのは高校生達。彼らに無理な目標を押しつけるのは正しいとは思えない。

 

「『せっかく高校で野球をやっているのに、目標にしないのは()()()()()()()()』って言ったんだとさ」

 

 そんな私に対してそう言った先輩は──再びニヤリと笑みを浮かべたような気がして、その一方でその目は純粋に輝いているようにも見えた。

 同時に私もハッとしていた。その大学生は選手達のことをしっかり考えていたんだ、と。

 学生時代をスポーツに捧げた私は、それを終えたせいで忘れていたものがあったのかもしれない。

 それは……高みを目指して努力することへの楽しさ。目標を達成したときの高揚感。

 いずれも上を見上げていなければ味わえない感覚だけど──私はいつのまにかそれをやめてしまっていたみたいね。

 まぁ、だからこそ……選手を引退したんだけど。

 

「それをきっかけにその監督は甲子園を目指した。そして……高校時代から有名で(のち)にプロ野球で誰もが知るような選手を2人も擁した名門校を破って優勝させたんだ」

「え……?」

「そして、その監督はスカウトされて別の高校に移り、その高校を甲子園に何度も出場させるだけじゃなく優勝もさせた。そうしてその高校からは多くのプロ野球選手が生まれることになったんだ」

 

 その話は確かにすごい、と思う。

 だけど──私は「でも」と思った。それはたまたま恵まれていただけじゃないの? と。

 無名校が有名校に勝つことは、それはあるでしょ。でもそれは運がよかっただけかもしれないし。

 

「なぁ、巽見……誤解がないように言うが、オレは別にその高校と同じようにギャロップダイナなら強敵を倒せると思ってるんじゃないんだ」

 

 先輩は「オレが名監督と同じなわけがないしな」と自虐的に苦笑する。

 もちろんそれに同意することも否定することもできない。まだ研修生な先輩が将来どんなトレーナーになるかわからないんだから。

 

「指導者側にいるオレたち(トレーナー)が、最初から『勝てない』と諦めるのは間違いじゃないかとオレは思うんだ。もしその監督が“勝ちを目指さないのは選手が可哀想”という考えに至れなかったら、最初(ハナ)っから諦めたままだったら……その監督と会うこともなくプロ野球選手になれなかった人もいたかもしれない。本当なら()()()()()()()()()()のにな」

 

 その考えはわからなくもない。

 一流アスリートには優れた指導者との運命的な出会いというものが確かにある。だからもしもその出会いがなければ結果が違っていたかもしれないという“if”はあるでしょうね。

 

「そう考えたら、簡単に可能性を捨てるのは“もったいない”と思わないか? 出走するからにはたとえ僅かでも勝つ可能性はあるのに」

 

 その考えこそ素人的と思って、つい睨んでしまう。

 実力差という厳然たるものが存在する以上は、勝負の世界ではそんなことはないのよ。

 そんな思いが先輩にも伝わったらしく、彼はからかうように笑みを浮かべて言った。

 

「オレとお前、当然にお前の方が足が速いけど……競走したらオレが勝つ可能性だってあるだろ。例えばお前がスタートで()けたりすれば」

「そ、そんな都合の良い話……」

「でも、あり得ない話じゃないだろ? たとえ距離が長くても、お前がその拍子に怪我をしたとしたら? それでオレを追いかけるどころじゃなくなってたらオレの勝ちだ」

 

 ヒトの何倍もの速度で走れるウマ娘は当然に体が強いけど、それでも転んだりケガをすることはある。

 だから先輩の言うことは間違いじゃない。

 間違いじゃないけど……納得はしがたい。

 

「だから……オレ達トレーナーが諦めちまうわけにはいかないだろ?」

 

 先輩はそう言って再び視線を彼女に向けて──

 

「たとえアイツが勝てる可能性が限りなくゼロに近くても、な」

「あ……」

 

 先輩は、現実が見えてないワケじゃない。

 でも諦めるわけにはいかなかったんだ。たとえ僅かでも可能性を掴ませるために最大限の努力をしようとしているだけ。

 そのためにはまず……本人がやる気にならないといけない。だからこそ『勝ち』を口にしていたんだ。

 

「オレとアイツ、それに朱雀井(チュン太郎)もだが……勝ちを拾うためにきっと暴走しがちになって無茶をすると思う。だからお前がオレ達のブレーキ役になってくれ。オレ達がバカなことをしそうになってたらインストラクター視線で遠慮なく止めて欲しい。これ以降を考えて、アイツの体に負担にならないように」

 

 絶望的でも諦めずに勝利を目指す──それがトレーナーとしての先輩の矜持。

 そしてそのための手段として私を選んだのなら……

 

「わかったわ。そういうことなら遠慮なくいくわよ」

 

 私は全力を以て、それをサポートしましょう。

 

 ……で、案の定、このあとでいろいろ無茶なトレーニングを始めようとするバカ2人──じゃなかった3人を止めるのに私は忙しくなるのだった。

 




◆解説◆

6月の札幌のレース
・札幌日経賞のこと。ギャロップダイナが出たのは1985年6月9日に開催のレース。
・初のGⅠ挑戦になった安田記念の次走で、1800のダート戦。
・なお、スタート直後に落馬。
・落馬の扱いはウマ娘だと本当に困るのですが、今回は本作のコスモドリームの例と同じように靴が脱げた判定になりました。
・なお、史実のこのレースでギャロップダイナは空馬なものの1馬身半の差をつけて1番入線しています。


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──3──


「──お前、あたしが出番のときに笑ってただろ?」

 天皇賞のセレモニーが終わるやいなや、やってきた不機嫌そうなウマ娘にオレは絡まれた。
 ムスッとしたその顔を見るとさらに笑いそうになったが、どうにか堪える。
 これ以上は本気でヘソを曲げなかねいからな。
 案の定、不満そうに口を尖らせながらオレへ文句を言ってきた。

「ああしろって言ったのはお前だぞ!? そうでなければあんな態度……」
「悪い悪い。指示通りにやってくれて感謝してるよ」

 そう言ってオレは彼女──ギャロップダイナをなだめる。
 今週末に行われるGⅠレース、秋の天皇賞。そこに出走するウマ娘の集うセレモニーでオレはギャロップダイナにある指示を出していた。
 それは──

「無難な回答にばかりしてくれたおかげで、悪目立ちも含めて他の陣営からは目を付けられなかっただろ。目論見は成功、ってところだな」
「ケッ、おかげでクソつまんねえことしか言えなくてこっちはストレスだ。あんなコメント、テレビ局はもちろんマニアックな専門誌の記者でさえ取り上げねえよ」
「それが狙いだからな」

 ──格上挑戦なので精一杯頑張る。
 ──このような格式の高いレースに出走できて光栄。
 ──まして周囲のレベルの高いウマ娘達と肩を並べて走れるだけでも栄誉。
 等々……これ以上ないくらいに“思い出出走”をアピールさせたのだ。

「とにかく目立たない、それこそが作戦なんだから」
「あ~、お前の同級生だったか? 眼鏡のあいつが考えた作戦なんだろ?」

 歳はそうだがここでの歴はオレの方が一年だけ先輩だけどな。
 まぁ、とにかくアイツ──朱雀井(すじゃくい) 駿太郎(しゅんたろう)、通称チュン太郎が考えたってのはその通りだ。
 同い年で同じようにトレーナーを目指すことになったオレ達だったが、難関と言われているトレーナー試験に何の因果かオレの方が一年ほど早く合格した。だからオレの方が先輩ということになってる。
 だがオレよりよほど真面目にトレーナーを目指していたアイツが立てた作戦は、確かに理にかなっているように思えた。

『──ギャロップダイナが勝つには、ノーマークから不意を付いてのラッキーパンチに賭けるしかない』

 後輩(朱雀井)の考えたとおり、出走する強豪達に真っ向から挑めば絶対に勝てないのは明白だった。それくらいトップランクのオープンウマ娘と条件ウマ娘の間には差がある。
 だからこそ「こっちは出られるだけで満足です。勝負をフッ掛けません」と人畜無害のフリをしていれば、十把一絡げのモブウマ娘と思ってくれるのは間違いない。

「けど、少し気にしすぎじゃねえのか? あたしみたいな落ちこぼれ、最初(ハナ)から相手にするヤツなんていねーよ」
「逆に言えば、少しでも警戒されれば簡単に潰されちまう相手ばかりってことだろ。念には念を入れておいて損はないしな」
「ったく、行儀よく振る舞うなんて慣れてねえから、本当に疲れちまうわ」
「……アレで行儀よかったのか?」

 受け答えを思い出し、思わず笑いそうになりながらオレが言うと、ギャロップダイナは睨みつけてきた。

「アァ? 当たり前に決まってんだろ?」
「ただ無愛想なヤツにしか見えなかったけどな」

 苦笑しながらオレが言うと、彼女はさらに眉をつり上げる。
 必要最低限の答えしかしなかったギャロップダイナ。おかげでボロが出なかったし、いかにも『こういう場は不慣れです』という感じだったから成功していたけどな。
 しかし、まさかアレがこいつにとって最大限の“品行方正”のつもりだったのかと思うと笑いがこみ上げてくる。

「ビジョウ、テメぇ……」
「え?」

 ん? いつの間にかギャロップダイナめ。呼び方が変わってるな。
 おやっさんに任されて以降、ずっと“研修生”呼びだったのに。

「チュン太郎がオレのことビジョウ(備丈)ビジョウ(備丈)と呼ぶから呼び方が伝染(うつ)ったのか?」
「うっせぇ! お前こそあたしのことを長ったらしく“ギャロップダイナ”“ギャロップダイナ”っていつまでよそよそしく呼んでんだよ! お前の後輩達は“ダイナ”って言ってんのによ」
「あれ? ギャロップダイナさん……ひょっとしてオレにそう呼ばれたかった?」
「ふざけんな!」

 怒号と共に、割と本気の蹴りがオレに向かって飛んできた。
 巽見みたいに武道に打ち込んできたわけでもないオレは、それをまともに喰らうしかなく──



 

 

(秋の天皇賞……)

 

 その当日、ゲートに入った私──シンボリルドルフは集中を高めようとしていたものの、つい雑念が頭に浮かぶのを止められないでいた。

 

(春の天皇賞以来の出走……レースの勘が戻っていない証かもしれないな)

 

 かといってそれを押し込めて無理にやろうとしたところで却って集中できなくなるものだ。

 むしろ思考を巡らせて気持ちを落ち着かせた方がいい。私はそう判断した。

 

(前のレースになる春の天皇賞を制した私がこれに勝てば、史上初の“天皇賞春秋制覇”、か……)

 

 今まで誰も成し遂げていない記録だが、それには理由があった。

 それは(ひとえ)に、かつては“天皇賞を春でも秋でも一度勝ったら以降は二度と出走できない”という制限があったからに過ぎなかった。

 私が目標にしてきた偉大なる先達たちには春秋問わずに“盾”を手にした方々もおられるが、それを2つ手にした方はいないのはそれが理由。

 

(その枷がなくなったからできるようになったからこその初の栄誉というのは、正直複雑な気分ではあるが……)

 

 その強さを見れば、制覇した後も出走できたなら必ず盾を手にしていたであろうと思う方は何人もいる。

 それを差し置いて、と思うのは我が儘だろうか。

 

(トレーナーなら……)

 

 きっと「そんなこと、恥じる必要なんて無いわ。自分が成したことを誇りなさい」と言うことだろう。

 セレモニーで記者達を前に「ウマ娘競走に絶対は無くともルドルフに絶対はある」とまで言った私のトレーナーなら、間違いなく──

 

(そういえば……)

 

 レース前に行われた催し物では、出走するウマ娘達が挨拶をしている。

 無論、私も出席しているし、そこで他のウマ娘達の様子を見ている。そして注意すべき相手を確認していた。

 その中で……一人だけ、格上挑戦の“条件ウマ娘”がいたのが引っかかっていた。

 

(でもそれは“格上挑戦”だからではないし、彼女の実力から警戒すべきと思ったわけでもない……)

 

 彼女は、いかにも()()()()()()()コメントに終始していた。

 その姿は警戒に値するものではなかったし、記憶していた経歴もそれを物語っている。GⅠは初ではないが結果を残しているとは言い難いものだったのだ。

 でも──彼女が言った最後のコメント

 

『このような強豪の皆さんに混じって走れるだけでも栄誉です』

 

 その瞬間に彼女の口の端が、ほんの僅かに──ニヤリと口を歪めたように見えたのだ。

 本当に瞬間的なことだったので、私の見間違いかもしれない。

 実際、あの場での彼女の殊勝な態度を見ればそれが当然だと思った。

 

(考え過ぎか……やはり久しぶりのレースということで必要以上に気を回しているのかもしれないな)

 

 気にしなくていいような相手に勝手に心揺さぶられて自滅するようでは、あそこまで言ってくれたトレーナーに申し訳が立たない。

 私は彼女のためにも勝たなければならないと思い、遠くにいるはずのトレーナーに目を向ける。

 

(いた……)

 

 彼女はなにやら若い男から挨拶を受けている様子だった。

 

(そういえば、彼女の師匠が担当しているウマ娘も出走するとか……)

 

 といっても、その師匠は他の担当ウマ娘が出走する関係でセレモニーには出席したものの今日は東京にいないとトレーナーが仰っていた。

 その代理のトレーナーが彼女に挨拶にきたのだろう、と二人の様子からなんとなく察する。

 そんな若い男性トレーナーを見て──

 

「……なんだ?」

 

 私は思わずつぶやいていた。

 妙な居心地の悪さを感じてのことだった。

 まるで身近に悪戯が仕掛けられているような、不安に満たない程の落ち着かない気持ちになる。

 彼を見いていると、そんな油断なら無いようなものを感じる気がして──

 

 ──その彼が、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

 それはおそらくトレーナーとの会話の中で出たものだろう。

 しかしその表情は……あの“条件ウマ娘”が浮かべたように見えた笑みに重なった気がした。

 

(なんだ、今の感覚は……)

 

 妙な動揺は私をひどく落ち着かなくさせていた。

 レース直前だというのに、集中しきれないのもあって焦燥感のようなものを感じる。

 

 ──その直後、ゲートが開いてレースが始まる。

 

 いくら心が乱れていても、それで出遅れるような私ではない!

 だが……

 

「……くッ!」

 

 踏み出した一歩目は、私の思い描くそれとは明らかに違っていた。

 私は、スタートで(つまづ)いたのだ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

(やべえな、やっぱり……)

 

 ゲートから飛び出したあたし──ギャロップダイナ。

 出遅れることなくスタートを切れたことに内心ホッとする。

 そしてその直後にコーナーが待ち受けているせいで内が窮屈になりがちな東京芝2000のコースを気にしつつ、大本命の姿を探した。

 そしてその姿を見つけたときのあたしの素直な感想が、今のそれ。

 

(オイオイ、もうとんでもなく前にいるじゃねーか)

 

 彼女がなびかせる長い髪や、緑色の勝負服は否が応でも目に入る。

 その姿がだいぶ先を走ってることに少なからず焦りを感じていた。

 

(アレより前を走って、しかもそのまま先にゴールしたってのか? カツラギのヤツあり得ねえだろ……)

 

 あたしは心の中で呆れかえっていた。

 今まででたった一人だけ、シンボリルドルフに土を付けたウマ娘がいる。

 その名はカツラギエース。去年のジャパンカップで彼女は逃げ切って勝ったのだ。

 もちろん2000メートルの今回とジャパンカップじゃ距離が違うからペースも違うだろうが、それにしたってマイルじゃねえんだぞ?

 

(ここで離されてたら、追いつけねえ)

 

 ただでさえあたしは落ちこぼれで、実力はこの中では一番下なんだ。ついて行かなければ勝てるわけがない。

 足に力を込め、先行してるヤツらを追いかけようとして──ふと、頭にあいつの言葉が()ぎった。

 

『できないことは絶対にするな』

 

 ──それは、トレーニング中にあの研修生が言った言葉だった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ルドルフに勝つには、彼女よりも前でレースをするしかない」

 

 そう言いながら眼鏡を押し上げたのは、あの研修生が連れてきた後輩の男だった。

 

「彼女に勝つには、彼女の唯一の敗戦を参考にするべきだ」

 

 そう主張した眼鏡の後輩クンは、去年のジャパンカップのカツラギエースの話をし始める。

 ま、確かに唯一の勝利を参考にするのは分かる。

 だが、あたしはカツラギじゃねえんだぞ? 同じことをやれって言われてもな……

 

「キミが乗り気じゃないのは分かる。しかしルドルフと末脚勝負をして勝機があると思うのかい?」

「絶対負けねえ、って言いたいところだが……ま、無理だな」

 

 あたしにとっては苦々しい顔でそう答えるのが精一杯だった。

 気持ちだけで勝てるような相手じゃないのは百も承知。

 で、ルドルフのレースはイヤと言うほど目の前の候補生(眼鏡クン)に見せられてる。おかげで頭に残ってるし、データとしてラップを見てもいるがもちろん勝てる気がしねえ。

 

「だから、レース終盤で少なくとも彼女の前にいなければ勝てない」

 

 その理論は分かる。

 追いつけないんだから前にいなけりゃ勝てるわけがない。そりゃそうだ。

 だが……もっと大きな問題がある。

 それはあたしがそもそも前でレースできるかどうかって話。

 あたしは露骨に表情に出ていたらしく、目の前の候補生は察して何か言おうとし──

 

「それでも、前に出て──」

「いや。それは違うぞ、チュン太郎」

 

 そこへ割り込むように研修生が口を挟んできた。

 今まで黙っていたそいつの急な反応に、あたしはもちろん後輩クンも驚いたように彼を見た。

 いつになく真剣な表情で、彼はキッパリと言う。

 

「前でのレースは駄目だ」

「ビジョウ……キミだって分かっているだろ? 末脚勝負で“皇帝”に勝てるはずがない。その後ろでレースをすれば追いつけないままゴールすることになる。それが見えていないはずがない」

「だけどギャロップダイナの持ち味は終盤での追い込みだ」

「その利点がルドルフに及ばないからこそ、前でレースしなければならないと言っているんだ」

 

 眼鏡の後輩にしては珍しく感情を高ぶらせて反論していた。

 もちろん自分の実力なんざわかっちゃいるが、こうも悪し様に言われれば面白くねえんだが……その辺りの気遣いに欠けるな、こいつ。

 

(この調子じゃ、将来トレーナーになったときに付いたウマ娘は苦労するだろうな。お気の毒様……)

 

 そうしてあたしが密かにイラついていると──研修生は真剣な面持ちで問いただした。

 

「自分の得手を捨てて勝てるような相手か? シンボリルドルフというウマ娘は」

 

 その言葉で眼鏡クンは冷水をかけられたように黙り込んだ。

 だが、それでも反論しようとしているようにあたしには見えた。

 そこへ──

 

「いいか、チュン太郎。お前の作戦は、オレは悪手だと思う」

「なぜだい? ルドルフの唯一の敗戦は“逃げ切られた”ものだ。誰も彼女を追い抜いて勝てた者はいない」

「シンボリルドルフの問題じゃないんだ。ギャロップダイナが“前でレースをする”という無理をするのが問題なんだ」

「それしか勝機がないとしても?」

「ああ、当然だ。できないことはするべきじゃない。なぜなら──()()()()んだぞ? 勝てるはずがないだろ」

 

 今度こそ、眼鏡クンは絶句した。

 あたしもまた、なにも言えなかった。「できない」と断言されるのはおもしろくないところだが、反論の余地はない。まさにあたし自身が自分でそう思ってたんだから。

 だから──心のどこかで、こいつがそう言ってくれたのを喜んでいた。

 

「得意な作戦で最善を尽くしてもまず勝てないような相手に対して、不得意な作戦で戦えば余計に勝てるわけがないだろ」

 

 真面目な表情をフッとゆるめ、苦笑を浮かべてそう言った研修生。

 そんな彼に対し、眼鏡の後輩は──天を仰ぐように上を向き、そしてふぅと息を吐き出す。

 

「あぁ……すまない、ビジョウ。僕は自分を見失っていたようだ」

 

 大仰なその仕草にあたしは呆気にとられた。

 いや、芝居じゃあるまいし、こんな反応するヤツいるのか?

 なんて思いながら見ていたんだが……それを気にした様子もなく、彼は研修生の方を見て、晴れ渡ったような笑顔を浮かべた。

 

「確かにキミの言うとおりだ。未だ条件クラスをくすぶっているようなウマ娘が、慣れぬ作戦で“皇帝”を出し抜くなんてマネができるはずがない。それができるようなら昇格しているだろうからな!」

「オイお前、あたしにケンカ売ってるよな? そうだよな?」

 

 思わず掴みかかろうとしたあたしの前に、慌てて研修生が割り込んで止めてきた。

 止めんな、研修生。とりあえずそいつ一発ブン殴らせろ!

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

(あの後輩、いつかあとでブン殴る……)

 

 あのときのことを思い出し、同時にあのムカッ(ぱら)がたったことも思い出した。

 だけど、必死の形相であたしとあいつの間に入った研修生──ビジョウの顔を思い出して「フッ」と笑みがこぼれちまった。

 

(ああ……そうだよな、ビジョウ。できないことはすんな。それがお前の指示だったな)

 

 焦りかけていた心がスッと落ち着くのを感じる。

 まともにやっても勝てない絶対的な強者が相手だぞ。小細工が通じるようなタマじゃねえ。

 あたしにできるのは──最善(ベスト)を尽くす以外にない。

 そんな()()()な手段では勝てねえのは百も承知だが……それでも万に一つが転がり込んでくるかもしれない勝機(奇跡)に対応できるように。

 

 そしてふと、レース直前にあいつと別れる寸前のことを思い出した。

 それまであたしに「走る前から諦めるな」と発破をかけ続けていた研修生──ビジョウ(備丈)が笑みを浮かべて最後に一言、言いやがったんだ。

 

「なぁ、ダイナ。楽しんでこいよ?」

 

 思わず「はぁ?」と怪訝な表情になっちまった。

 そんなあたしにあいつは苦笑を浮かべて反論する。

 

「あのなぁ……このレースに“勝つ”って話、言い出したのはお前だろ? ビジョウ」

「せっかく大舞台に出走するのに『負けてもいい』なんて言えるか?」

 

 そう言ったヤツは苦笑を再び笑みへと変え──

 

「どんな結果でもお前の相棒のシャダイソフィアに笑って話ができるように、楽しんで走れよ。あとは無事にゴールしてくれれば……少なくともオレはそれでいいさ」

「スタート前だっていうのに、急にヌルいこと言ってんじゃねーよ」

 

 正直な話、拍子抜けした感は否めなかった。

 だが……『シンボリルドルフに勝て』というよりは遥かに『楽しんで走る』ことの方があたしにとっては()()()()()なのは間違いない。

 

(ったく、言うことをコロコロ変えんじゃねーよ)

 

 ──だけどそのおかげで、心がどこか軽くなったのは間違いなかった。

 ま、やれるだけのことはやってやろうじゃねえか。

 走路(ターフ)へと向かうあたしはそんな心境になっていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──その予兆は静かに起こり始めていた。

 

 躓き出遅れた“皇帝”。

 取り返そうとする彼女と、負けまいとする有力なライバル達()

 それらの要素が絡み合い、レースはハイペースで展開していく……

 




◆解説◆

セレモニーで
・史実で「ルドルフに絶対はある」という言葉が出たのは、1985年の天皇賞(秋)のレース後だったりします。


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──4──


(クッ、余計な体力を使ってしまった……)

 私──シンボリルドルフが想定外に消耗しているのに気が付いたのは、4コーナーを終えて最後の直線にかかかろうとしたところだった。
 秋の天皇賞の舞台である東京レース場の直線は長い。
 その長い直線を最後に控え、思うように伸びていかない自分の脚に、僅かながら焦りを感じたのだ。

「やはりスタートでの──」

 あの躓きが原因なのは間違いなかった。
 春の天皇賞から本番のレースを長期間離れていたせいで勘が狂っていたのは疑いようもない。
 しかし、それだけではない。
 無敗ではなくなったとはいえ、まだ“1敗”のウマ娘。『たった1度しか負けてない』という肩書きは、それでもまだ価値があるだろう。
 しかし逆に言えばもう、後はない。『2敗のウマ娘』にはもはや看板として何の価値もない。
 故に、負けられない。

『────を越えろ』

 長年、URAで言われ続け、目標とされてきたまさに呪文のような言葉。
 あまりの強さに“神”とまで言われたそのウマ娘。彼女を越えることこそ彼女以降のウマ娘に課された使命だった。
 偉大な先輩方の中には迫った方達もいた。人気と国民的知名度なら越えたとされた先達もいる。
 しかし……成績で彼女を越えるウマ娘はいない。

(光栄なことに、私にはそれが手が届くところまで来ている)

 そんな伝説と化している“あの方”だが幾度かの敗戦をしていた。
 レース本番に向けての“調整”では本気で走らず手を抜くために、困り果てたトレーナーが窮余の一策としてたどり着いたのが『レースを走らせて調整する』というもので、その結果として『勝利を逃したのはそれでも2位』というのも含めて有名な逸話だった。
 そんな御仁を()()()──そのための看板として欲しかった“無敗”はもう無いが、それでも“1敗”という免罪符を手放すわけにはいかなかった。

(だからこそ……もう、負けることはできない)

 負けられない重圧。それも原因の一つだっただろう。
 そしてもう一つ、“伝説を越える”ための金看板──“初の天皇賞春秋制覇”だ。
 春の天皇賞を制している私にかけられた期待。
 そして春の天皇賞を制した直後の私なら、そこまでの重圧は無かったと思う。

(しかし、夏の絶不調を体験した今の私はあのころとは違う)

 天皇賞の後、私は体調を崩した。
 そしてそれはなかなか治らず、調子があがらない。負傷も疑ったがどんなに検査しても骨折や炎症等は見つからなかった。

(そんな私に突きつけられたのは──『引退』の二文字だった)

 まったく想定もしていなかったそれに、私は頭が真っ白になった。
 焦り、私はいろんなことを試した。最終的には針治療という科学的根拠の乏しいものにまで手を出し──それが功を奏して、どうにか復帰ができた。
 本当に幸いなことではあったが……同時に今まで抱いたことがなかった恐れを感じようになった。
 それは──

『私は、いつまで走れるのだろうか?』

 いつまでも頂点にいられる──そんなはずはないことは頭では分かっていた。
 しかしそれが急に現実として突きつけられた衝撃は、私を不安にさせるのに十分すぎた。
 そして思った。走れる間にできることは全て終わらせなければならない、と。
 春秋制覇を達成には“秋の”天皇賞をとらなければならない。
 もし今年を逃せば、当然のことながら次は来年の秋だ。
 だが──

(果たして、来年の秋に出走できるのか?)

 そんな強迫観念が、最悪の夏を過ごした私に生まれている。
 引退直前なほどに追い込まれた調子は、秋が深まった今でも万全とは言い難かった。
 それでも今年の秋の天皇賞(アキテン)を逃すわけにはいかない。
 だからこそ回避せず、休養明けで一戦も挟まめないほどギリギリのタイミングでも出走しなければならなかったのだ。

「しかし! それでも私は──」

 スタートで躓いたのは明らかに長期の休養で勝負勘が鈍っていたからだ。
 それを挽回すべく、私は走路(ターフ)を駆けた。
 そして今、まさに──最後の直線で先頭に立とうとしていた。

(く……)

 ここまで無理をしたツケは間違いなく体に来ていた。
 だからこそ体に負担がかかり過剰にスタミナを使うあの感覚──“領域(ゾーン)”へ踏み込むことへ躊躇いが生まれた。

(それでも……勝てる!!)

 先頭まであと少し。
 しかしまだ残るゴールまでの距離を考えれば、無理をするリスクを犯さずとも追い抜くことができると私は判断した。

「~~ッ!」

 死力を尽くし、顎が上がりかけている先頭のウマ娘──リキサンパワーに並び、そして追い抜く。
 あとはこのままゴール板の前を駆け抜けるのみ。

(後続はここまで競ってきた者達ばかり。余力のある者などいるはずがない!)

 横に並ぶはウィンザーノット。
 死力を尽くして走る彼女だが、私の前には至らない。
 さらに後ろから迫るのは……ニホンピロウィナーか?
 迫るその脚が止まり、届かないのを確信する。
 そうだ。今まで最後の直線で私を追い抜いたウマ娘などいない。
 たった一度の敗戦も私が追いつけなかったレースだったのだ。

「誰も私に追いつけない……追いつけるわけがないッ!」

 そして迫り来るゴールが私の目に入った。
 見えた勝利。
 そして初の春秋制覇という栄光。

(私は、越えられる)

 “神”とまで賞賛され、以降のウマ娘の呪縛となったそのウマ娘──シンザンを。
 それを越えるという、長年の夢とされたその実現を確信し……

「勝っ──」

 ゴールを前に、それを確信した。

 ──その瞬間だった。


『外から──ギャロップダイナ!!』



 後方から一陣の風が吹いた。
 一人のウマ娘が連れてきたその風は……私を追い抜き、そして去っていく。

「な……ッ!?」

 私の意識の範囲から外れた、外を通って追い抜いてきたウマ娘の姿に私は愕然とする。
 誰だ? という疑問が頭に浮かぶ。
 今回のレースで私に対する有力候補の名前が次々と浮かぶが──そのいずれでもない。

『外からギャロップッ!!』

 ──ギャロップ、ダイナ?
 いったい誰だ……?



 

 最後の直線を迎えるころ、あたしは後ろから数えた方がどう考えても早い位置にいた。

 

 2000メートルが長いと感じる距離を主戦場にしているあたし。

 それに加えて大本命ルドルフがカッとばし、それに負けじとライバル達がついて行ったおかげでできあがったハイペースなレースになった。

 そんな状況だから、こんな位置(最後方)で走っていてもあたしの消耗は激しく、判断力が少しばかり弱くなっていたのかもしれない。

 だからもうレースに勝つとか“皇帝”サマがどうとか、そんなことは頭の中になかった。

 

(そういや、スタート前にあいつ(ビジョウ)が言ってやがったな……)

 

 こんな位置でもひたすらにゴールまで走り抜けるという以外に考える余力が無くなっていた。

 それでも……いや、こんな状況にまで追い込まれたからこそ、あいつの言葉が頭に浮かんでいた。

 

『──楽しんでこいよ』

 

 あぁ? あいつ……どういう考えでこんなこと言いやがったんだ?

 楽しむ? こんな後ろで走って、いいところなく終わる競走で、なにを楽しめってんだ?

 

(ま、ソフィアに何の話もできねえってのは……確かに面白くは()えなぁ!)

 

 ならせめて──1人か2人は、追い抜いてやらねえと!

 あたしは最後の直線で死力を振り絞った。

 どうせ周囲はあたしよりも格上(オープンクラス)ばかり。そいつらを追い抜いて、ソフィアに「愉快痛快」ってな具合に話してやろうじゃねーか。

 

(まずは──1人。続けざまに、2人……)

 

 とりあえず2人をブチ抜いてやったが、それでも次の背中はすぐ前に見えた。

 ならそれも抜いてやろうじゃねえか!

 

(3人目、そして4人──)

 

 ……だんだん抜かしていくのが楽しくなってきやがった。

 次々と現れる敵を、片っ端から倒してく──ああ、そうか。まるで時代劇の殺陣(たて)だな、こいつは。

 そう思いついて──あたしはいつの間にかニヤリと笑みを浮かべて、現れる背中を次々と撫で斬りにしていった。

 

「次! 次ッ! 次次次次! その次──」

 

 内の方で固まってる連中をまとめて外から抜き去る。

 まとめて倒した感があって、実に爽快だった。

 で、次は縦に2人並んで走ってやがる……その後ろにいた方を抜き去る。

 そして次は前にいた──緑の勝負服のウマ娘の番だ!

 

「その次は──」

 

 そいつを追い抜き──視界が、なぜか一気に開けた。

 あ? 何が起こった?

 あたしは思わず眉をひそめ、そして気が付いた。

 

「あん? 前に誰もいねーじゃねえか……」

 

 スローモーションのように流れる景色の中で、最後に追い抜いたウマ娘の姿がゆっくりと後方へ流れていくのが視界の端に映っていた。

 彼女の驚愕した表情は──ん? コイツどこかで見たことあるような……

 

(それに緑の勝負服……コイツ、ルドルフじゃねえのか?)

 

 なんだ、あの後輩クンが言った通り、ぶっつけ本番のルドルフは調子が悪かったらしいな。

 あたしになんざ抜かれちまうような下の順位なんだから本当に体調が最悪で──

 

 

『あっと驚くギャロップダイナ!』

 

 

 急に耳に飛び込んできた実況の声。

 ああ、確かに……ルドルフのヤツ、マジで驚いてやがる。まさに“あっと驚く”って感じの顔だな。

 あ? そういえばなんであたしは実況に名前呼ばれてんだ?

 

「──って? は?」

 

 いや、待て……

 さっき急に視界が開けて、前に背中が無くなったんだよな?

 そういえばほぼ同時に、ゴール板みたいのも見えてたような気もするが……

 

 

 それって──あたしが勝ったってことか?

 

 

 秋の天皇賞を?

 いや、あの絶対王者に、あたしが……勝った、のか?

 

「マジ、か? いや……これ、マジだ!!」

 

 あたしの後方にシンボリルドルフがいるのを確認し、こみ上げる感情と共に思わずガッツポーズをしたのは、もう反射みたいなものだった。

 

 

 

『──あっと驚くギャロップダイナ、右手を高々と突き上げた!』

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──京都。

 

 レース本番を前に、周囲がざわつくのをわたしは感じていました。

 思わず頭の耳をピンと立て、声の方へと向けてしまいます。

 

「“皇帝”が負けたってよ!」

「えっ? 負かしたの誰だよ? ウィンザーノットか? ニホンピロウィナーか?」

「いや……全然、注目されてなかったヤツだ。しかも……」

「しかも?」

「オープン昇格してない、条件ウマ娘に負けたらしい」

「はあッ!?」

 

 

「──え?」

 

 思わず声が漏れてしまいました。

 あのレースで、条件ウマ娘って……まさか、ひょっとして……

 

「オイオイ、“皇帝”以下あれだけそろってたメンツが、揃いも揃ってそんなのに負けたのか!?」

 

 驚いているその人たちを尻目に、わたしは思わず微笑んでいました。

 出走メンバーの中で、条件ウマ娘なんて一人しかいないのですから。

 

 すごい……

 信じられない……

 

 でも、ここまで話題になっているということは、きっと本当に起こったことなのでしょう。

 

「どうした、ソフィア?」

 

 わたしの変化に気が付いて、トレーナーさんが声をかけてきました。

 思わず驚きのあまり声が出てしまっていましたしね。

 

 

「いえ、ちょっと噂を小耳に挟みまして……“皇帝”さん、負けてしまったそうです」

「本当か?」

 

 どうやらトレーナーさんはまだ知らなかった御様子。

 

「2敗目か……で、誰に負けたんだ?」

「ダイナさんですよ」

「──は?」

 

 わたしが言うとトレーナーさんは呆気にとられたように問い返してきました。

 そして次の瞬間、思わずと言った様子で苦笑を浮かべました。

 

「なんだソフィア、緊張していたのか? こんなところで冗談を言うなんてお前らしくもない……」

 

 そこへ──

 

「た、たたた大変です! トレーナー」

 

 チームのサブトレーナーの一人が血相を変えて飛び込んできたのです。

 レース直前ですし、周囲の目もあります。トレーナーさんは眉をひそめ、やってきた人をたしなめようとしますが──そのただならぬ様子に思わず言葉を飲み込んだ様子でした。

 

「なんだ、どうした?」

「そ、そそそそそれがですね。おおおお驚かないでくださいよ?」

「いいから落ち着け、いったい何が──」

「だ、だだッだ、ダイダイダイダイダイナ──」

「……なんだ? 大爆発でもするのか?」

「ち、違います! ダイナが! ギャロップダイナが、勝ちましたッ!!」

 

 硬直するトレーナー。

 

「──あ? いやいや……待て、待て待て待て待て。アイツの出ていたレースって確か──」

「はい、秋の天皇賞(アキテン)ですッ!! 《皇帝》に……シンボリルドルフに勝っての勝利です!!」

 

 わたしと同じように最初はピンときていなかった様子のトレーナーさんでしたが、ふと何かに思い当たって、その表情がガラッと変わりました。

 掴まれていた手を振り払い、逆にやってきた方の肩をガッと掴み返して──

 

「一応、確認するが……ギャロプダイナが、勝ったんだよな?」

「はい!」

 

 真剣な面持ちでそう問い返すトレーナーさんの姿は、自分の中にでている答えを正解と答え合わせするかのようで……

 

「あのダイナが、シンボリルドルフに!! しかも盾ですよ盾!!」

 

 驚きと同時に歓喜を爆発させて報告するサブトレーナーさん。

 それを聞いた瞬間、答え合わせの結果にホッとするように息を吐き──

 やがてその事実に驚きがこみ上げ──

 そして……後悔するように、空を見上げて目を閉じ──

 

 その姿にわたしは、トレーナーさんが心の中でダイナさんに謝っているように見えました。

 

「お、おやっさん?」

「わかっとる! わかっているさ。よくぞ……よくやったな、ダイナ。それに乾井も……」

「はい、まさか勝つだなんて。それもルドルフに土を付けて……あの、ギャロップダイナが、本当に……」

「乾井には、悪いことをしてしまったな。全部アイツに押し付けちまった。今頃は大慌てだろうに」

 

 ええ。チームスタッフの大半は、メイントレーナーさんと共にわたくしのレースのために京都に来てしまっています。

 一方、ダイナさんは開催地が学園からすぐの東京レース場ということで大丈夫だろうと、最低限のスタッフ──ほぼ担当になっている研修生の乾井さんと彼を手伝う後輩さん達くらい──しか残っていなかったはずです。

 

「あらあら、大変でしょうねぇ……」

 

 わたしが思わずその光景を頭に浮かべて笑ってしまい、それを聞いたトレーナーさんは、地肌の見える頭をペシッと叩いたのでした。

 

「ああ、まったく想定外だ。しかしなぁ、ソフィア……誰がアイツが、ギャロップダイナがシンボリルドルフに勝つと予想できる? ダート(バンカー)から抜けられず、芝で(グリーンに)勝て(のせられ)なかったようなウマ娘だぞ?」

「あら? ゴルフではそういうのを“ちっぷいん”というのでは無かったのでしょうか?」

 

 思わずクスクスと笑ってわたしが言うと、トレーナーさんは「一本とられた」と苦笑しました。

 

「ま、確かにそういうこともあるな。だが、やったことはチップインなんてもんじゃあない。ホールインワンよりももっと有り得ないようなことだからな」

 

 最弱の札が、最強の札を負かす──それこそダイナさんが教えてくださったトランプ遊びの大富豪でいうところの「革命」のように、わたしには思えていました。

 

(“皇帝”を倒す辺りも史実のそれに一致しますし……)

 

 わたしは思わず空を見上げ──この空と繋がっているはずの東京レース場で起きた、いえ起こされた“奇跡”に思いを馳せました。

 そして視線を下ろし、自分のレースへと足を踏み出しました。

 

「ソフィア……」

「トレーナーさん、わたしも……ダイナさんに負けない走りをしてきますわ」

 

 勝敗を口にするまでもない。

 彼女がやってのけた偉業に傷を付けないため……そして共に勝利を分かち合うために勝利は絶対条件なのですから。

 

「祝勝会は、東京で行いましょう」

「ああ、わかっとる。行ってこい!」

 

 わたしの意を汲んだトレーナーさんが力強くうなずいてわたしを送り出してくれました。

 

 

 

 ──それが、気負い過ぎだったのかもしれません。

 

 

 

 レース中、わたしは“鳥籠”に囚われました。

 冷静に周囲を見ることができていれば、もしかしたら避けられたかもしれない事態。

 苛烈な競走(レース)の中で前と横を塞がれ、行くことも退くこともままならなくなった状況。

 まるで静かに圧搾してくる万力のように、外を走るウマ娘が内へと寄り──わたしは、内ラチとの間に挟まれる。

 

 

 そして…………それは、起こったのでした。

 

 



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──5──

 

 ──修羅場

 

 まさにその言葉が今の状況だった。

 オレ達が面倒を見ていたウマ娘ギャロップダイナがレースに勝った。

 それは本当に喜ばしいことだ。

 それが重賞──国内最高峰レースのGⅠな上、天下の“八大競走(レース)”ともなればまさにお祭り騒ぎだ。

 しかもそのギャロップダイナは(プレ)オープンという条件ウマ娘。その彼女が絶対王者シンボリルドルフを破っての勝利だというのだから、まさに盆と正月が一緒に来たようなもんだ。

 それだけならいい。ホント、それで済ませて欲しかった。

 一番の問題は──

 

「なんでチームのスタッフがオレらしか居ねえんだよぉぉぉぉッ!!」

 

 もう頭を抱えたかった。

 オレ、研修生よ?

 確かにおやっさん──“先生”の指導を受けてはいるけど、厳密な立場的にはチームメンバーには入らないんじゃないの?

 ……なんてオレの疑問は、「他にチーム(〈ミモザ〉)のスタッフがいない」という現実の前には「そんなこと言ってる場合じゃない」と打ち消されるわけで。

 誰も予想していなかったのはチームでもそうだったという勝利を前に、オレはGⅠ勝利後というイベントの応酬に完全に翻弄されていた。

 

「ど、どどどうすんだよ、ビジョウ?」

 

 それはもちろんGⅠ初制覇のギャロップダイナも慣れるどころか経験さえなく、完全に浮き足立ってオレを見ている。

 

(ああ、もう……助けてくれ、おやっさん!!)

 

 なんで京都に行ってるんだよ。

 GⅠレースだぞ?

 八大レースだぞ?

 どう考えても、こっちのレースの方が大事だろ?

 

(まぁ、まさか勝つなんて思いもしてないだろうしなぁ)

 

 それに比べれば京都──シャダイソフィアこそ勝ち目のあるレースだ。それで向こうに行っちまったんだろうけど……マジで勘弁してくれ。こんな研修、普通無いだろ?

 見るに見かねた東条先輩が手伝ってくれてるおかげでなんとかなってるけど……

 

(それはそれで、あまりに失礼な話だよな)

 

 東条先輩はたしかに元はウチの師匠──おやっさんの教え子でオレにとっては姉弟子にあたるような人だけど、それでも惜しくも破れた2着のウマ娘の担当トレーナーに手伝ってもらうのは、やはり非道いと思う。

 ましてそれがシンボリルドルフなんだから……

 

「変に気を使う必要はないわよ、乾井クン」

「……え?」

「確かに悔しい気持ちはあるし、複雑な思いなのは確かだけど……だからって弟弟子、それも研修生のあなたが困り果てるのを見て溜飲を下げるような趣味はないわ」

「東条先輩……」

「それに……困るのよ」

 

 東条先輩は小さくため息をついてから、悪戯っぽく微笑して話を続ける。

 

「仮にも私の教え子であるシンボリルドルフを破った相手が情けなくみっともない醜態をさらしているようでは、ね」

「は、はぁ……」

「だから、しっかりこの後もしっかり働いてもらうわよ。貴方主導でね」

 

 笑みが消え、彼女の目が一瞬鋭くなったようにオレには見えた。

 うん……この人、ひょっとしたらSなんじゃ……

 

 ──オレがそう恐れを抱いたそのときだった。

 

「ビジョウ!!」

「チュン太郎? お前、どこに──」

 

 しばらく姿を見かけなかった後輩が勢い込んで走ってくるのを見て、これで人手が増えると内心喜んだのだオレだったが──その陰った表情に気が付くべきだった。

 チュン太郎こと朱雀井(すじゃくい) 駿太郎は一気にオレの側まで駆け寄り、深刻な表情で小声で話しかけてきた。

 

「大変なことになった……」

「今でも十分大変なんだが?」

「そういう意味じゃない。それに茶化してる場合でもない……」

「ん? なにがあった?」

 

 オレが問い返したとき、ちょうどそこへ──

 

「お? そんなところにいたのか、ビジョウ。ちょっと聞きたいんだが……」

 

 慣れないことの連続に若干疲れた様子ながらも満更ではない笑顔を浮かべたギャロップダイナがやってきて──

 

 

「シャダイソフィアが負傷した。それもかなりヤバい状況だ」

「「──え?」」

 

 駿太郎の言葉に、オレとダイナの言葉が一致した。

 ダイナがいることに気づいていなかったオレと駿太郎は、思わず彼女を振り向き──次の瞬間、駿太郎はダイナに胸ぐらを掴まれていた。

 

「どういうことだ、オイ!? ソフィアが、どうしたって?」

「く、苦しい……」

「落ち着けダイナ! そして離せ。チュン太郎(コイツ)の話を聞かないと」

 

 慌てて間に入り、ダイナの手を離させる。

 苦しそうにしていた駿太郎は呼吸を整える間さえも惜しんで説明を始めた。

 

「さっき急報が入ったんだが、京都開催のスワンステークスでシャダイソフィアは負傷して競走中止になった。競った展開で窮屈になり、内ラチとの間に挟まれたらしい」

「んだと!? それで、ケガの状態は?」

 

 興奮した様子で問うギャロップダイナに対し、駿太郎は首を横に振る。

 

「詳しい容態までは入ってきていない。ただ救急車で運ばれたと──」

 

 その言葉で彼女が今までオレが見たことのないほどに動揺し、考えることを放棄したかのようにその瞳から力が無くなったのだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──あれから、色々変わった。

 

 自分が栄冠を掴んだ時のことを重ねて思い出していたあたしは、目の前で勝利したウマ娘と最下位になって破れたウマ娘が抱擁している姿を見て彼女を思いだしていた。

 

(ソフィア……)

 

 あたしがあのレースで得たものはもちろん大きい。

 まずは無事にオープンクラスに昇格したこと。

 ……あと一勝すれば、というくらいに手が届きかけていたんだからGⅠレースを制すれば当然そうなる。お釣りの方がデカいくらいだ。

 そしてGⅠタイトルホルダーという地位。しかもあの“皇帝”サマに勝ったというオマケ付き。

 

(そのオマケが、なぁ……)

 

 当時を思い出して、思わずため息を付きたくなる。

 ソフィアの危機を知ったあたしは当然、即座に京都に行こうとした。

 

 ──が、無論できるわけがない。

 

 レースを終えたウマ娘を待っているのはウイニングライブだ。

 あたしが着外なら一人くらい減っても事情が事情だけに許されたかもしれない。

 だが、よりにもよってレースを制したウマ娘が不在になるのは許されるわけがない。

 それでもあたしは、散々にゴネた。なにがなんでもソフィアのいる京都へ行く、と。

 当然、研修生──ビジョウは困り果て、あたしをどうにかしてウイニングライブに出そうとなだめすかしてきた。

 

「ソフィアは大丈夫だ」

「その場におやっさんがいるんだし」

「なんなら他のスタッフもあっちにいるから万全だ」

 

 んなこと関係ねえ! と騒ぐあたしに平手打ちしてきたヤツがいた。

 思わず「なにしやがる!」と睨みつけたが……それが“皇帝”──シンボリルドルフだった。

 

 ──GⅠを、中央を無礼(なめ)るな。

 

 圧倒的な存在感で威圧しながら、あいつは言い放った。

 GⅠ、それも八大レースを制したのだからその責任を果たせ、と。

 事情も理解しているし同情もする。だが栄光のために全てを捨てる覚悟がないのならレースに出てくるな、と。

 そのときは「負けた腹いせかよ」と反発したが……今にして思えば、当然だと思う。

 もちろん、あたし()()()に負けちまった口惜しさはあったんだろうが──全ての現役競走ウマ娘の代表たる地位についている現在の姿は、あいつの立場やこれまでの実績に対する“覚悟”なんだと思った。

 そしてそれはあたしには眩しすぎる。

 そんな彼女についたたった二つの黒星の一つをつけた者として、あの我が儘で駄々をこねた姿は今思い出しせばあまりにもダセえし、恥ずかしくなってくる。

 

(ま、今のレースの勝者(サンドピアリス)に勝者の覚悟があるかと訊かれたら、疑問だけどな)

 

 もしも彼女の親友(シャダイカグラ)が負傷したのが、あたしのように別のレース場だったら、きっとあのときのあたしと同じような反応をしただろう。

 で、トレーナー(ビジョウ)を困らせるわけだ。

 

(そういう意味では、お前が羨ましいよ。ピアリス……)

 

 抱き合う2人の姿を見て、自分たちの姿を重ねて──その叶わなかった幻想に、思わずため息のようなものが出た。

 

 あたしはオープン昇格やらGⅠ勝者、天皇賞ウマ娘やらいろんなものを得た代わりに──親友を失った。

 

 あの日以来、シャダイソフィアが学園に帰ってくることはなかった。

 なぜなら──

 

(競走ウマ娘シャダイソフィアはあの日、死んじまったんだから……な)

 

 もちろん天皇賞を勝ったこと──あの“皇帝”(シンボリルドルフ)に勝ったことはあたしの誇りであり、一分の後悔もない。

 だが……その最後の瞬間に立ち会えなかったことは、あたしの一生の心残りになるのは間違いなかった。

 

(あの後……)

 

 ()()()()()()()()()()とやらはイヤと言うほど取らされた。

 天皇賞(秋)(アキテン)の後、晴れてオープンクラスになったあたしの初レースはジャパンカップというGⅠの大舞台だった。

 それに……ビジョウと語ったあこがれの舞台だった有記念にも立って夢を叶えられたのは、デカいお釣りのおかげだ。

 だが──そのことごとくで“皇帝”サマに目を付けられ、リベンジされ、実力差をきっちり教え込まれて“責任”を果たされたってわけだ。

 

(ったく、大人気ねえ……)

 

 あたしが真っ向勝負でルドルフと毎回のように死闘を演じられるのなら、準オープンであの場に居なかったのがわからねえのかよ。

 2度コテンパンにのして満足したのか、それ以上絡んでくることはなかったし……あたしも“皇帝を泣かせたウマ娘”としての責務はそれで果たしたと思い、新たにできた目標を目指した。

 

 それは──ソフィア(お嬢)の分まで走ること。

 

 夢半ばで散った彼女の代わりに、栄冠を掴む。

 そのためにマイルレースの頂点の一つ安田記念に挑み……そして、勝った。

 ま、元々はあたしの得意距離はそっちだからな。ジャパンカップも有記念も本来の距離(得意分野)じゃねえのを“責任”として走ったわけだからな。

 

「ま、お嬢が居なくなったからこそ掴めた栄冠、かもしれねえけどな」

「あら、何の話かしら?」

「──ッ!?」

 

 独り言に応える声に、あたしは思わず驚く。

 なにしろその声は──

 

「お、お嬢ッ!?」

 

 ──たった今思い浮かべていたウマ娘(シャダイソフィア)のそれだったのだから。

 

「お久しぶりね、ダイナさん。お元気そうで何より……いつの間に、留学から帰ってきたの?」

「オイオイ……だいぶ前の話だぜ、そいつは」

 

 笑顔を浮かべ、のんびりとした口調で話すその姿はあのころと全く変わっていなかった。

 

「お前の方こそ、無事で何よりだ。どこかでくたばっちゃいないかと向こうでも心配してたからな」

「もう、失礼な……」

 

 ニヤリと苦笑しながらあたしが返すと、シャダイソフィアは不満そうに頬を膨らませる。

 確かにあの日──シャダイソフィアは死んだ。

 ただし競走ウマ娘として、だ。

 あのレースによる負傷はシャダイソフィアのウマ娘競走における選手生命を絶ったが、命に関わるような怪我ではなかった。

 

(まぁ、レース中にそんな(ひで)ぇケガするヤツなんて、まず居ねえけどな……)

 

 と考えたところで……そういえば〈アクルックス〉(うちのチーム)には居たんだったな、と思い直す。

 

「で、一般人になって学園を去ったウマ娘が今日はどんな用事で来たんだ?」

「ただの一般人ではなく、ウマ娘競走の(いち)ファンとして今年のトリプルティアラの最後のレースを見に来ただけよ?」

 

 クスクスと微笑を浮かべて返すシャダイソフィア。

 そして、「それに……」と言って付け加える。

 

「我らが“()()()()のウマ娘”がそんな大事なレースに挑むんだもの。見届けないわけにはいかないじゃない?」

 

 それを聞いて──あたしは思わず呆気にとられ、開いた口がふさがらなくなる。

 そのあたしの反応を見てソフィアが小首を傾げる。

 どうにか脱力から抜け出したあたしは、こめかみを押さえつつ、彼女に教えてやった。

 

「あのなぁ……アイツ──シャダイカグラは、お前んところ(シャダイ)とは無関係だぞ?」

「あら? えっと……そうなのかしら?」

「自分自身でそう公言してるから間違いないだろ。調べたり、他のヤツ(シャダイ関係者)に聞いたりしなかったのか?」

「え、ええ……シャダイって名前だから、てっきりそうだと……」

 

 少しだけ気まずそうに笑みを歪めるシャダイソフィア。

 ま、シャダイって名前が付けばそう思っちまうのも仕方ねえけど……そういえば、ダイユウサク(“世紀の一発屋”)唯一の栄光のあのレースにも“シャダイじゃないシャダイ”が出てたらしいし、そういうヤツも意外といるんだろうな。

 あたしがそれを教えてやると、ソフィアのヤツは「まぁ……」と驚いていた。

 

「相変わらずだな、お嬢……」

 

 そのシャダイという名門一族の令嬢の、どこか浮き世離れした雰囲気にあたしは苦笑してしまう。

 そして……視線を再び今日の主役へと戻す。

 あのときのあたしのように期待を背負わずに栄冠を掴んだウマ娘に自分を重ね──

 一族でこそないものの、シャダイの名を冠するウマ娘にソフィアの姿を重ね──

 

「あなたが今考えていること、当てましょうか?」

「……いや、いい」

 

 あの日──負傷したソフィアの傍にいたかった、というあたしの願望。それを当の本人から指摘されるのは小っ恥ずかし過ぎるだろ。

 

「じゃあ、わたしが自分の気持ちを言うわね」

「は?」

 

 思わずソフィアの方を見ると、彼女は真正面からあたしを見つめ──

 

「わたしはあの日……わたしの親友があのレースを制して『“皇帝”を泣かせたウマ娘』として歴史に名を残したことを、生涯誇りに思っているわ」

「お嬢……」

「だからあのレースに……そして京都レース場にあなたが居なかったことを残念がったり悲しく思うことなんて絶対にない。ただ一つだけ残念だったことは──」

 

 彼女は悪戯っぽく微笑み、そして言う。

 

「あなたの勝利を二人で祝うことができなかったこと……ただそれだけよ」

 

 それを言うと彼女は満足げに一つうなずいて、視線をあたしから走路(ターフ)へと戻した。

 つられるように、あたしも彼女の視線を追い──サンドピアリスとシャダイカグラの2人を見た。

 

 

 ──お互いに讃え合いそして助け合っているその姿。

 それを羨ましいと思う必要なんて、最初から無かったのをようやく気づかされた。

 




◆解説◆

※間章が無事に終わり、やっと3章開始……といきたいところですが、ふと思いついた話があったので、それを書こうと思います。
・主役がチーム〈アクルックス〉のウマ娘ではないので、間章ではなく外伝的な「外章」という形になると思います。
・時代的にも、この場所に入るのではなく、本来なら1章と2章に入るべきな所なんですけどね……
・これまでの本作にも登場している、本作オリジナルのウマ娘(史実馬モデル)が主役の予定です。


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第三章 Outrun by The Feathers of Icarus! ~ダイタクヤマト~
第1R SOS!! 蘇れ〈最南星(アクルックス)



 ──初めての担当ウマ娘で大失敗をしたトレーナーがいた。

 正トレーナーになり、初めて担当するウマ娘。
 彼女へ自分の夢を一方的に押しつけて、それが重荷になっていると気付かなかった。
 素直でない彼女の性格とのすれ違いは重賞でのデビューという状況に追いつめ、そして敗北によって彼女に夢を諦めさせてしまった。

 ──デビュー戦で大失敗をしたウマ娘がいた。

 優れたとはお世辞にも言えない痩身で、中央トレセン学園( こ こ )へ来てしまった彼女。
 遅れた成長期のせいで遅れに遅れたデビュー戦。
 そこで13秒ものタイムオーバーをしてしまったそのウマ娘は、次戦でも再度タイムオーバー。
 体調不良をおしてのレース、という状況は学園に於いて免罪符にはならなかった。


 そんなトレーナー……乾井 備丈(まさたけ)と、ウマ娘……ダイユウサクは出会い、チームを結成した。
 日本に存在するどのウマ娘競走(レース)場からもその輝きを見ることができない、天の南極にもっとも近い位置で輝く最南星を名前にいただいたチーム……〈アクルックス〉。
 

 二人三脚で中央(トゥインクル)シリーズを戦い……その末にどうにか大舞台(グランプリ)・有記念への切符を手にする。

 ──レースの大本命は春の天皇賞をとった希代の最強ステイヤー。

 そして、そんな彼女を打倒せんと気炎を上げるGⅠ覇者達──
 ──同じ一族に生まれ、切磋琢磨し合った宝塚記念ウマ娘。
 ──“繰り上がりの栄冠”の汚名返上を目指す秋の天皇賞ウマ娘。
 ──気になる相手の興味を惹こうと違うレース()へと進んだMCS(マイルチャンピオンシップ)ウマ娘。
 彼女達の下の世代も、怪我して出られぬクラシックレース二冠の同期の無念を晴らすため、また自分達が一人にしてやられた弱い世代ではないと証明するため、虎視眈々と機会をうかがう。

 ──そんなウマ娘(強者)達を相手に、一世代上のウマ娘(弱者)は奇跡を起こした。
 誰もが勝てぬと思った彼女は、誰もが勝つと思っていたウマ娘を破り、世間を驚かせたのだ。

 周囲で多くのウマ娘達が綺羅星のように輝く中で、強烈な輝きを放ち金輪際現れないとさえ言われたウマ娘(アイドル)──オグリキャップ。
 彼女が起こした一年前の奇跡(感動)を忘れかけていたファン達に、彼女の同世代(オグリ世代)のその最後の残光が、一瞬なれども強烈に輝きを残した。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 ──そして、そんな結果を出した〈アクルックス〉の下へ、他のウマ娘達も集まった。

 あるウマ娘はダイユウサクの有記念を目の当たりにし、夢と希望を抱いた。
 輝かしく走り歌う一流ウマ娘のように燦然と光り照らすことは出来ずとも──閃光のように、ただの一瞬でも強烈に輝くことはできるのではないか。
 一流と呼ばれる彼女達から見れば圧倒的に才の劣る自分であってもそれができるのはでないか、と。

 そんな彼女のその夢は、秋の天皇賞で花開くことになる。
 前年の年度代表ウマ娘や、前年のMCS(マイルチャンピオンシップ)覇者を相手に、見事に勝利してその輝きを見せつけた。
 花形映画俳優(ムービースター)以上の脚光を浴びて、その舞台(レース)の主役となったウマ娘──レッツゴーターキン。


 ──またあるウマ娘は、トレーナーとウマ娘の絆の強さに惹かれた。
 彼女はその潜在能力の高さに早くから有望視されていた。
 才能だけで評価し、自分を取り込もうとするトレーナー達に辟易していた彼女は“天才”とは真逆の存在と、彼女と共に歩むトレーナーの存在を知己のウマ娘から知らされる。
 その2人の有り様に惹かれた彼女──オラシオンは〈アクルックス〉を選び、クラシック三冠に挑み皐月賞、そしてダービーと次々とレースを制していく。


 そんな優等生もいれば、2人の先達のように結果を残せず、舞踏会(クラシックレース)に呼ばれないシンデレラ(“砂”かぶり)もいた。
 彼女は魔女ならぬ“人気薄の魔術師”の魔法を受けて、最後の舞踏会(エリザベス女王杯)に参加する。
 親友(パートナー)の想いを受け取り、舞台(レース)を制した“砂の貴婦人”──サンドピアリスは注目の的となる。

 まるで“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”の異名を持つようになった彼が初めて栄冠を掴んだ“相棒”──ギャロップダイナが起こした史上最大の“下克上”のように。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 ──そんな〈アクルックス〉所属のウマ娘達がクラシックレースを席巻してから早数年……


 〈アクルックス(見えぬ輝き)〉の光は、そのチームの黎明期に戻ったかのように、再び見えなくなっていた。
 その翌年も、オラシオンはその変わらぬ実力を持ってシニアレースへと殴り込み、年上世代相手に結果を残した。
 彼女だけではなく、次の世代──唯一抱えていたクラシック世代のウマ娘も、見事に前年のサンドピアリスに続いてのエリザベス女王杯という栄冠をもたらした。

 ──しかしその輝きも、まるで泡沫の夢(バブル)のように弾けた。

 翌年にオラシオンが早々に引退してしまうと、状況が一変したのである。
 絶対的エースを失った〈アクルックス〉。
 2年連続でエリザベス女王杯制覇をもたらした2人も、シニアではGⅠ制覇という輝きは残せなかった。
 チームメンバーでGⅠタイトルを持っていないロンマンガンが、やっと秋になってチームにとってのその年の初の重賞勝利をもたらしたという体たらく。
 かつての栄華はどこへやら。
 一世を風靡した『ビックリ(驚愕)の〈アクルックス〉』は、すっかり『ガッカリ(落胆)の〈アクルックス〉』または『やっぱり(予想通り)の〈アクルックス〉』、もしくは『サッパリ(まるでダメ)の〈アクルックス〉』なんて言われる始末。

 しかし、当の担当トレーナーはといえば……「ダイユウサクが有記念を制する前に戻っただけ」などと考えて、危機感を感じていなかった。
 実際、彼とダイユウサクだけだったころに何度か乗り越えたチーム存続の危機を考えれば、それが無い分だけ気が楽だったのだ。


 ……そうして、何人かのウマ娘がチームを“卒業”していき……また、物語が始まろうとしていた。


 “見えぬ輝き”が、再びその烈光を放つ瞬間の──


◆  ◇  ◆  ◇  ◆


実績や名声だけで
結果が決まるのなら
この世はちっとも
面白くなんかない。

逆転や番狂わせが
想定外と誤算こそが
日々を彩るのだ。

どこかに潜むはずの
次なる「!」を
待つとしようか。




 

 ──その日、オレ……乾井(いぬい) 備丈(まさたけ)はトレーナー部屋で自分のデスクで仕事をしていた。

 

 といっても、3人のクラシック世代を抱えたころや、それに加えてさらにもう一人加わったころから比べれば仕事量は格段に減ったので余裕さえある。

 まぁ、ぶっちゃけヒマに近い。

 

「オラシオンの存在は、大きかったな……」

 

 ふと当時を思い出し、思わずつぶやていた。

 アイツが重賞レースで活躍していたころは本当に忙しかった。

 それに比べれば仕事量的には楽なんだが、それも過ぎるのはよろしくないのは分かっている。

 そんな葛藤を感じていると──すぐ近くから反応があった。

 

「そうね。今は比べるべくもなく、ヒマだものね」

 

 頭上の耳をせわしなく動かしながらそう言ったのは、オレの担当しているチーム〈アクルックス〉の最初のウマ娘──ダイユウサクだった。

 

「まさか早々に引退するなんて思わなかったわ。まだ十分に走れたのに……」

「元々、アイツは養父の事業の手伝いをしたいという夢があったからな」

 

 彼女(オラシオン)が、早期に引退したのはもちろん理由があった。

 ダービーをとるという夢を達成した彼女

 その夢は、早くに親を亡くして孤児になった彼女を手厚く支援した養父のものでもあった。

 受けた多大な恩を返すにはそれだけでは不十分と、オラシオンは次なる夢のために動いていた。

 彼女はシニアでも十分な実績を残すと、体が限界を迎える前に引退することを決めたのである。

 もちろん世間は驚いたし、チームのオレ達だって戸惑いはあった。

 

「でも、それにしたって、まだシニア初年だったわけでしょ? 次の年だって活躍できたはずなのに……」

()()()()と違ってジュニアのころから活躍してたからな。ウチのチームでは珍しい早熟タイプだった。ピークが來るのも早かったんだろ」

 

 人にしろウマ娘にしろ、スポーツ選手のピークは個人差がある。

 高校時代に大活躍したもののその後は伸び悩んだり、逆に高校時代は無名でも大学やそれよりも上になってから頭角を現す者もいる。

 ただし、得てして早熟だった選手は、衰え始めるのも早い傾向にある。もちろん例外もあるが……

 しかしオラシオンの場合、ピークが過ぎて成績が悪くなってきたので引退したというわけではない。むしろその前の“成績を落とす前”に引退したのだ

 

(成績を悪くすれば自分の価値が下がっちまう。広告塔になることを考えての判断としては正しいんだろうが……ビジネスライクというか、ドライというか)

 

 ウマ娘の孤児院だけでなく、トレセン学園に入学以前のクラブチームの運営という彼女の養父が始めた事業。

 その看板に自分の名前を使うのだから、良いイメージまま引退したかったというのは分かる。

 しかし、走ることに真面目で、競走(レース)にかける思いが誰よりも強かった彼女が、それをスッパリ捨てたのには違和感と驚きがあった。

 逆に言えばそれほどまでに養父の新事業を真剣に考えており、全力でサポートをしていこうという考えの顕れだろう。

 

「……ウチの将来有望な若手まで引き抜いていってくれたけどな」

「ああ、彼のことね……」

 

 ダイユウサクは無関心な様子でそう言う。

 やっぱり他人に対する興味が薄いんだよな、ダイユウサクは。

 そんなことを考えつつも思い出し、思わずため息が出る。

 彼女(オラシオン)が連れて行ったのはウマ娘じゃなかった。〈アクルックス(ウチ)〉で研修をしていた、彼女の幼なじみだったトレーナー候補生の渡海だ。

 彼は研修が終わるとトレーナーを目指さずに、オラシオン達が始めた事業で学園で学んだことを生かすべくそちらへ就職してしまったのである。

 

「おかげで、学園内での〈アクルックス(ウチ)〉の評価は落ちるし……」

 

 もちろん不祥事ではないから、そこまで露骨なものじゃない。

 そもそも中央(トゥインクルシリーズ)のトレーナーはきわめて狭き門で、学園のスタッフ育成科を卒業したから必ずなれるものじゃない。

 しかし、トレーナーを目指す者がスタッフ育成科へ入学する時点でさえ難関で、それを突破できた者は将来有望なトレーナー候補ということでもある。

 

「でもそれって、アンタがオラシオンのトレーニングをかなり任せてたからでしょ? なのにトレーナーにならない上、担当してたオラシオンに連れて行かれたんだから、当然じゃないの?」

 

 優秀なウマ娘と共にあった優秀なトレーナー候補。

 それをみすみす余所(よそ)に奪われたんだから、URA関係者はお(かんむり)になるのも当然だろう。

 URA関係者──つまりは理事長秘書も同じ評価になるだろうなぁ。

 

「たづなさんの中のオレの株が、下がっちまう……」

「……その株、下がりに下がってもう紙屑同然の価値しかないわよ。ジンバブエドル並ね」

「紙以下じゃねえかオイ」

 

 ダイユウサクがジト目でにらみながらぶつけてきた辛辣な言葉に思わず返す。

 そんなオレ達の様子に──

 

「……辛気くさいわねぇ」

 

 見咎めて、同部屋になっている巽見もまたジト目を向けてきた。

 他チームでサブトレーナーをしている巽見(たつみ) 涼子(りょうこ)は、相変わらずオレと同部屋のままだった。

 まぁ、気心が知れているし、他のヤツに変わる方が面倒くさいからそのままで全然構わない。

 だからオレは学園に何も言っていない。

 それで変わらず現状維持で続いているということは巽見の方もなにか都合がいいんだろうな、きっと。

 

「悪かったな。チームを持ってると悩みも多いもんで」

「それはお気の毒様。私は相変わらず悩み無く気楽な立場でいさせてもらってますけど」

 

 巽見の〈アルデバラン〉のサブトレーナーという立場も以前からまったく変わっていない。

 オレの正直な感想を言えば、そろそろメイントレーナーとして独立してもいいとは思う。

 トレーナーとしての実力は十分にある上、なによりも実績がある。

 オークスウマ娘のコスモドリームに、ダービー2着だったロベルトダッシュを担当していたんだから、普通にチームとして誇れる実績をすでに個人で持っている。

 

相生(あいおい)さんは、よほど手放したくないんだろうな……)

 

 そんな彼女の実績は、トレーナーになる前に学んでいたスポーツ科学への深い知識の賜物(たまもの)だ。

 チーム〈アルデバラン〉の正トレーナーが手放したくないと考えるほどに優秀というわけだ。

 

(もしかしたら後継者に考えているのかもしれないけど、相生さんはそれを考えるほど歳は食ってないしなぁ)

 

 相生さんはオレ達よりも少し上の世代だが、それでもまだまだ現役だ。

 六平トレーナー(フェアリー・ゴッド・ファーザー)奈瀬 英人(魔術師)、それにヤエノムテキのトレーナーのようなだいぶ年上の人達もいるし。

 そうして上の世代の顔を思い浮かべ──

 

(……ッ)

 

 ──自分の胸がズキリと痛んだ。

 脳裏に浮かんだのは、オレの師匠の顔だった。

 確かにずいぶんと上の世代の方だった。それでも今挙げた上の世代よりも同じか下くらいで、引退するには早かった。

 それでもあの人が辞めたのは……オレが起こした不祥事のせいだ。

 初めて担当したウマ娘が原因となったことに関して、オレは処分を受けていない。

 そのウマ娘に対するパワハラや関係を迫った、という疑惑は事実無根と分かって晴れたからだ。

 そして……デビュー戦が重賞だったというのも、それができてしまうルールの方がおかしいということになり、結果的にはお咎め無し。

 

(そう、ルール上は問題なかった……)

 

 しかし、今ではルールが変わってできなくなっているほどに大きな問題でもあった。

 だからこそ師匠は、自分の教え子がしたことに道義的な責任を感じて、自主的に廃業したんだ。

 もちろんオレは止めた。辞めるべき──この業界を去るべきなのは事を起こしたオレだったなんだから。

 でも、師匠は──

 

『オレは十分に働いたさ。だがお前はまだ一人も育てていないじゃないか。ダイナの素質を見抜いたお前がそれで辞めちまうなんて、あまりにもったいない』

 

 と言い、さらには「第二、第三のダイナを育てろ。それで許してやる」と言い残して去っていった。

 さらにはオレを絶対に辞めさせないように教え子──姉弟子の東条ハナ先輩──に言い聞かせたらしい。

 もちろん、師匠のチームをオレが引き受けるわけにはいかず、オレは自分のチームを作ることになって──オレは、隣にいるウマ娘を見た。

 

「……なによ?」

 

 訝しがるように見てきたウマ娘──ダイユウサクを担当し、〈アクルックス〉を立ち上げたんだ。

 そして一方、師匠のチームはといえば……

 

 

 ドンドン!!

 

 

 オレが物思いに耽っていると、部屋のドアが荒々しくノックされた。

 思わず巽見と顔を見合わせると──すぐに勢いよくドアが開いて人が一人、慌てた様子で入ってくる。

 

「──兄さん、いる!?」

 

 入ってきたのは、活発そうな雰囲気の若い女性だった。

 うむ……若い女性というか、まぁ、そういうガラでもないんだけどな。コイツの場合。

 案の定、オレを見つけたその女は、返事も待たずにサッと距離を詰めてきて、オレの手を取った。

 

「よかったぁ、いてくれて……」

 

 満面の笑みを浮かべる彼女。

 ──すぐ横で不機嫌そうに睨んでいるウマ娘の気配を感じないでもないが、本人にはそれが伝わっていないらしい。

 一方で、部屋の中にいたもう一人が「コホン」と咳払いをする。

 

「……いったい何事? 緋子矢(あかしや)トレーナー」

「あ、涼子さんもいたんですね。ごめんなさい……」

 

 シュンとしょげる彼女の姿に、失礼さを見咎めて強い口調だった巽見も、思わずたじろぐ。

 一方で、そんな殊勝な態度を気にもせず、不機嫌そうに睨んでいるウマ娘はいるわけで。

 それを見ながらこっそりため息をついて、オレの手を握ったままの彼女に半ばあきれながら訊いた。

 

「で、いったい何の用だ? レナ子」

 

 彼女とオレはよく知る仲だった。

 緋子矢(あかしや) 礼菜(れいな)

 オレのせいでトレーナー辞めることになった、オレの師匠の娘であり、オレや東条先輩の妹弟子。

 そして、師匠のチーム〈ミモザ〉を受け継いだトレーナーだ。

 その彼女は、オレの言葉でハッと思い出した様子で振り向き──

 

「兄さん、お願い! そっちのチームで、ウチのメンバーを一人受け入れてくれない!?」

 

 彼女はオレの手を離すと目の前で手の平を合わせて、そう懇願してきた。

 




◆解説◆

【Outrun by the Feathers of Icarus】
・第三章のタイトルですが、開始当初は『新たなる旅立ち』というものでした。
・第一章と第二章のように時間的に連続しているのではなく、少し時間が空いたため再出発(リスタート)という意味を込めてこうなりました。
・はい。時間が空いたというわけで前章ラストで出てきたウマ娘は、すでにデビューしてクラシックレースまで終わっている状況で……彼女が第三章の主役というのはミスリードでした!(笑)
・『Outrun by the Feathers of Icarus』は直訳すると「イカロスの羽根で逃げ切れ」。
・このタイトルの理由は追々、ということで。

【SOS!! 蘇れ〈最南星(アクルックス)〉】
・もちろん元ネタがあるタイトルですが、これもネタ晴らしはもう少し先で。
・なお、第三章のタイトルは「~!!(もしくは!)──」という感じで統一しようと思ってます。

重賞勝利
・これは原作ネタ。
・ただ原作ではシニア初年の出来事になるのでタイミング的にはちょっとズレるのですが……
・その年、ロンマンガンはGⅡのオールカマーを制しています。
・ちなみにロンマンガンの戦績で作中唯一ハッキリとタイトルまで分かっている重賞勝利だったりします。(他はいくつか重賞に出走しているけど結果が描かれていなかったり、重賞制覇をしているけどレース名が明らかになっていなかったり)
・まぁ、脇役な上に主人公が関わる牧場の産駒でもないので、詳しく描写される方が珍しいわけで。
・その原作ではこのオールカマー制覇が所属厩舎でその年初の重賞タイトルになった、というのがあったのでここで使いました。
・その前の年だとオラシオンが活躍していたことになっている年なので、さすがに9月後半にあるオールカマーまでオラシオンが勝ってなかったは無理があったので……

早期に引退
・オラシオンは小説『優駿』の主役馬が元ネタで、作中はシニア期どころかクラシック三冠の最後まですら描かれておらず、日本ダービー制覇までで話が終わっています。
・おかげで「クラシック三冠達成」についても本作では明言を避けているのですが、もちろんシニア後の結果も濁す必要があり、かといって「活躍して引退。その後は養父の事業の手伝いをする」という本作での設定もあるので、メンバーとして残していると実績を考え続けなければならないのと、あまりに強すぎて主役を食ってしまうので、物語開始前に退場願うことになりました。
・OGなので、チョイ役で顔を出す可能性はもちろんありますが。

緋子矢(あかしや) 礼菜(れいな)
・本作のオリジナルのトレーナーで、チーム〈ミモザ〉の現在の(メイン)トレーナー。
・乾井トレーナーの師匠で〈ミモザ〉の先代トレーナーの娘で乾井よりも歳が下。
・巽見や朱雀井よりもさらに下の世代で、一人前になるのとほぼ同時に〈ミモザ〉を引き継いでいます。
・乾井の研修時代から、トレーナーの娘なのでちょくちょく出入りしていた関係で交流がありました。
・甘え上手なので、乾井は彼女の頼みをつい聞いてしまう傾向にあります。
・『緋子矢』とは「赤く(緋色)て北(“子”の方角)を指す矢」という意味で、つまりは羅針盤(コンパス)のこと──という()()
・チーム〈ミモザ〉のトレーナーなので、チームの名前は一等星からなんですが「ミモザ」=アカシアという植物でもあるのでそこから採用。
・「あかしや」という名字は決まったのですが、「明石家」だと他のイメージが強すぎるので、このような当て字になりました。
・トレーナーの名字には方角を入れるというルールに従って「()(=北)」が入ってます
・“赤”や“朱”も考えたのですが、“赤”だとどうしても「あかごや」と読んでしまうので。
・“朱”は気に入っていたんですがすでに“朱雀井”がいるのと、朱雀から真逆の南のイメージなので却下され、“緋”の字を使うことに。
・なお、礼菜は学生時代からあだ名でから「アカ子」「アカちゃん」と呼ばれており、乾井の研修時代にチームに顔を出した際もそう呼ばれていたのですが……
・師匠も同じ苗字なのでさすがに「アカちゃんとかアカ子とは呼べない」となり、子が残って乾井は「レナ子」と呼ぶようになりました。
・なお『礼菜』の由来は、ミモザ=オジギソウでもあるので。(むしろこちらの方が正式だそうな)
御辞儀(オジギ)から“礼”をとり、名字に“子”を使ってるのと巽見の名前が“涼子”でかぶるので礼子は除外。
・植物なので“菜”を採用して礼菜となっています。


※次回の更新は7月21日の予定です。  



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第2R 決断! 誰かがこれをやらねばならぬ

 

 ──アタシはその“ヒト”をジト目で見続けていた。

 

 ホント、馴れ馴れしいわね。赤の他人を“兄さん”だなんて。

 と言っても……彼女はウチのトレーナーを普通にそう呼ぶ。……忌々しいことに。

 そしてそれをアタシを含めたチームメンバーはそれを知っている。

 それというのも──

 

「そっちのメンバーって……〈ミモザ〉の、か?」

「ええ。もちろんそうよ」

 

 笑顔でうなずくその人は、チーム部屋が〈アクルックス(ウチ)〉の隣になってるチーム〈ミモザ〉のトレーナー。

 なんか読みにくい漢字で“アカシヤ”とかいう変わった名字だったのはよく覚えてる。

 隣だから〈アクルックス(ウチ)〉が部屋で騒ぎになると「うるさい」って注意してくる相手でもあるわ。

 とはいえ、ウチのトレーナーが向こうの先代が引退する原因になったりしてるけど、そもそも〈ミモザ〉で研修していたし、そのときに()()()()()ような実績を出してるおかげで敬意さえ持たれてるみたい。

 もちろん敵対もしてないし、嫌われてるわけでもないから、よっぽどでなければ苦情は来ない。

 まぁ、ウマ娘も三人寄ればかしましい……なんてこともあるから、そういうのはお互い様なところはあるのよね。

 

「こっちも別に余裕がないほど忙しいってわけじゃないから、受け入れるのはやぶさかじゃないが……」

「ホント!? ありがとう!!」

 

 そこまで聞いたらトレーナーの言葉を絶つように食い気味で感謝の言葉を言うと、彼女は抱きつきそうな勢いで、トレーナーの手を自分の手で包むように握っていた。

 

(…………やっぱりイラつくわね。その馴れ馴れしい態度)

 

 親しい仲にも礼儀って必要だと思うし、仮にもウチのトレーナーはアンタの先輩にあたるわけでしょ?

 それなら敬意を払うべきだし、キチンとした態度でお礼を言うべきだわ。

 見なさい。隣にいる上下関係と礼儀作法に五月蠅い巽見トレーナーも、眉をひそめて文句を言いたそうにしてるわよ。

 ……まぁ、アタシが文句を言うような話じゃないし。

 でもきっと巽見トレーナーが咎めてくれるわよ。

 

「いやいや、早合点するな。受ける以前にどういう経緯なのか教えてくれ」

「あ……そうよね。全然説明してなかったっけ……」

 

 気を取り直した彼女は申し訳なさそうに眉を下げつつ、表情豊かに説明を始める。

 

「〈ミモザ(ウチ)〉のサブトレのことは知ってる?」

「もちろん。オレだって面汚しとはいえおやっさんの一門だからな」

「もぅ。そんなことないよ。まったく兄さんはいつまでも過去引きずって卑屈なんだから……」

 

 不満げに頬を膨らませる緋子矢トレーナー。

 なんでも緋子矢トレーナーは先代の娘としてチームを急遽受け継いだので、先代の下でサブトレーナーをしていた人がそのままサブトレーナーとして補助することになったそう。

 だからウチのトレーナーから見てもその人は同じ先生の下に付いた同門。

 目の前の緋子矢トレーナーは年齢や実績から自分ではなくその人こそ正トレーナーとしてチームを継いで欲しかったらしい、って話をトレーナーが前にしていたわね。

 

「その人、実家の都合で中央トレセンを辞めることになったのよ」

 

 説明によれば、地方出身のその人は実家の親の面倒を急に見ないといけなくなったらしい。

 不幸中の幸いで、その近くには地方(ローカル)のトレセン学園があったので、そこに移ってトレーナーを続けられるらしいから、転職してまったく別の仕事に就くわけじゃないみたい。

 でももちろん中央(ここ)を去るわけで……

 

「そうなると、私一人では今の人数を見きれないのよ」

「新たにサブトレを探せばいいじゃないか」

 

 ウチのトレーナーが至極まっとうな提案をする。

 人手が足りなければ補充すればいい。《ビックリ箱》なんて異名を持つ人から出たのは驚くほどに普通の正論だった。

 

「今のメンバーだって〈ミモザ〉が良くて集まった連中なんだから、出て行くのは嫌がるだろ?」

 

 とはいえその正論も、アタシ達ウマ娘側から言わせて貰えばその通りなのよ。

 チームという環境が変われば走りへの影響は計り知れないわ。今までできていた走りが思うようにできなくなる、なんてことまで十分に考えられること。

 環境を変える、というのはそれくらいにハイリスクなんだから。

 

(……もちろん逆の可能性もあるけど)

 

 アタシはそれで救われた側だしね。

 とはいえ、よ。アタシみたいに前のチームに居られなくなったのならやむを得ないと思う。

 トレーナー側の都合というのはターキンと同じだけど、彼女の場合はチームが事実上休止状態になったんだから「チームを変えざるを得なかった」という意味ではアタシと同じ。

 でも、チームが残ってるのにトレーナー側の都合だけで「面倒見きれなくなったから他のチームに移籍してくれ」なんて言われるのなんて、冗談じゃないって思うわよね。

 チーム内で上手くいっていたんだとしたら、なおさらそうよ。

 でも、トレーナーの指摘を受けて緋子矢トレーナーは頬を膨らませてあからさまに不満そうにした。

 

「それって簡単な話じゃないの、兄さんもわかるでしょ?」

 

 恨みがましい視線をウチのトレーナーに向けつつ小さくため息をついているけど、当のトレーナーはピンと来ない様子で首を傾げていた。

 

「そうか? チームを持っていないトレーナー候補生なんて、探せばいくらでもいるだろ」

「抜けた穴が大きすぎるの! あの人の存在、〈ミモザ〉(ウチのチーム)ではそれくらいに大きかったんだから。ほぼ専属で担当してたウマ娘達だっているし……」

「それは……まぁ、な。おやっさんが残した後ろ盾だったんだから」

 

 本来ならチームを任されていた程の実力者だったって言うんだから、その人が居なくなれば影響は大きいでしょうね。

 

「そんな人の代わりなんてそうそういないわよ。サブトレーナーでデビュー後のウマ娘を完全に任せられる人なんて限られるんだから。それこそ……」

 

 トレーナーをジト目で見ていた緋子矢トレーナーは、チラッと巽見トレーナーを見る。

 

「涼子さんみたいな人じゃないと」

「高望みしすぎだろ。“樫の女王”(オークスウマ娘)を育てたのにサブトレやってるような特殊なヤツを例に出すな」

「む……」

 

 半ばあきれたようにトレーナーが言うと、涼子さんは眉をひそめ抗議するように睨んでる。

 トレーナーが「お前のようなサブトレがいるか」と苦笑しながら返したら、それに反論しようと涼子さんが口を開きかけて──緋子矢トレーナーが遮るように言う。

 

「でも、それくらいの人が抜けたんだから仕方ないじゃない。そんな経験のあるトレーナーがチームも持たずにフリーでいたり、まして他のチームのサブトレをしているのを引き抜くなんてありえないでしょ?」

「それはそうだが……」

 

 再度、不満そうに頬を膨らませつつジト目を向けられ、ウチのトレーナーはたじろいでいる。

 

「兄さんと違って実力も実績もない私のところに研修生なんて来ないし」

「実力と実績? そんなもの、ウチだってないぞ」

「あのねぇ……兄さんはどれだけ自己評価低いの? 有に秋の天皇賞とった時点でもスゴかったのに、その後のクラシックで──」

「アレはオラシオンの功績だ。もし彼女が〈ミモザ〉に入っていたら、レナ子だって同じ結果を残せたさ」

 

 興奮する彼女をなだめるようにトレーナーが言って、それから「〈ポルックス〉に入ってたら無理だったかもしれないけどな」と冗談めかしつつ苦笑した。

 まぁ、彼女(オラシオン)の同期で同じくらいの才能があると言われ最優秀ジュニアをとったセントホウヤが、そのチームで伸び悩んだことを考えると現実味ありすぎて冗談には聞こえないけどね。

 もちろんそれで落ち着くわけもなく、余計に声を荒立てる緋子矢トレーナー。

 

「私にはサンドピアリスにエリザベス女王杯(エリジョ)とらせるなんて無理。しかもその翌年もチームで連覇させるでしょ? だいたい、涼子さんのこと“オークスウマ娘を育てたサブトレ”って言ってるけど、〈ミモザ(ウチ)〉の研修時代にやったこと忘れてない?」

 

 まったく持ってその通り、と言わんばかりに涼子さんが「うんうん」と頷いてる。

 

「ダイナのことなら、それこそオレだけの手柄じゃないからな。おやっさんが作り上げた土台があってこそだし、それに加えてチュン太郎と巽見が手伝ってくれたからこそだ」

 

 涼子さんの功績が大きかったのは、コスモのオークス制覇が物語ってる──とトレーナーが持ち上げるものだから、涼子さんがむず痒そうな何とも言えない表情になってる。

 

「とにかく、〈ミモザ(ウチのチーム)〉にはサブトレーナーの心当たりもないし、チームの規模を縮小せざるを得ないってわけなの。たとえサブで新人トレーナーが入っても、いきなり担当持たせるわけにもいかないし」

 

 そこで悲しげな表情をする辺り、緋子矢トレーナーも今のチーム状況に罪悪感を感じてる様子。

 話になっている〈ミモザ〉を去るサブトレーナーだって家庭の都合で移籍するわけだし、気の毒な話だけど……

 

「そこまでじゃなくても、お前が今のメンバー全員を見られるくらいにサポートできる優秀な若手を探せばいいんじゃないか?」

「……それが容易じゃないのは、ある意味兄さんのせいでもあるんだけど?」

「え?」

 

 ジト目を越えて、明らかに抗議する視線を向けてくる緋子矢トレ。

 それに戸惑いながらたじろぐウチのトレーナー。

 

「なんでそれがオレのせいになるんだ?」

「優秀なトレーナー候補生を一人、外部に流出させたのはどこのどちら様でしたっけ?」

「う……」

 

 そのつもりはなかったんでしょうけど、とぼけたような形になったトレーナーに対し、緋子矢トレは満面の笑顔に青筋を立てて言った。

 でも言ってることは……うん、正しいわね。

 

「あの子だったら、ウマ娘を預けられて担当にもできたのに。あのオラシオンを実質的に担当していたようなものだったんでしょ?」

「それは、まぁ……」

「兄さんの弟子なんだから、実質的に同門だったんだし」

 

 不満そうに頬を膨らませた赤石トレーナーに対し、バツが悪そうに頭を下げるトレーナー。

 さっきトレーナーもチラッと言っていたけど、うちの〈アクルックス〉は〈ミモザ〉の先代トレーナーの指導を受けた乾井トレーナーが独立した、同じ一門の言わば派生チーム。

 その一門衆と言える渡海って元研修生を、〈ミモザ〉がサブトレーナーとして迎え入れるのはスムーズにいったでしょうね。なにより今の〈アクルックス〉には余裕があるんだから引き抜かれても問題ない。

 

「……それとも〈アクルックス(そっち)〉がヒマで、()()を〈ミモザ(うち)〉にくれるっていうのなら大歓迎よ? なんなら好待遇で──」

「却下」

 

 悪戯っぽく笑みを浮かべて言う緋子矢トレーナーに、ウチのトレーナーは即答した。

 彼女? ……いったい誰のこと?

 

「ミラクルバードを渡したら、オレの仕事が立ちいかなくなる。〈アクルックス〉の大事なメンバーだ」

 

 ああ、ミラクルバード(コン助)のことね。

 元競走ウマ娘だけど、レース中の事故で足が動かなくなって、車イス生活を余儀なくされて学園の競走コースからスタッフ育成コースに転科した経緯を持つ()

 アタシとトレーナーだけだったチームに入って、サポートしてくれたのはありがったかったけど……ちょっと、トレーナーに懐きすぎなのが気になるのよね。

 まったく、刷り込みされた雛鳥じゃないんだから……

 アタシが内心でため息をついてると、トレーナーも合わせたようにため息をつくのが聞こえた。

 なにかをあきらめような様子で──

 

「……事情は分かった。ウチで面倒を見よう」

「ホント!? ありがと。とっても助かるわ……兄さんのところなら間違いないもの」

「それを言うなら、〈アクルックス(ウチ)〉なんかよりも、東条先輩の〈リギル〉を頼ったら良かったんじゃないのか?」

 

 トレーナーがそう言うと、緋子矢トレーナーは慌てて首を横にブンブンと振りながら「とんでもない」と答えた。

 

「ハナ(ねえ)さんのところみたいなエリート集団に、ウチの()が付いていけるわけないわよ」

「ウチが落ちこぼれ集団みたいな発言だな」

 

 そう言って……トレーナー、なんでこっちを見るワケ?

 仮にも有記念をとったウマ娘に対して、あまりにも失礼だと思うけど。

 

「そんなこと思ってないわ。〈リギル〉のレベルが違いすぎるって話よ。兄さんには迷惑をかけちゃって申し訳ないんだけど」

「気にするな。師匠にはお世話になったし、返しきれない恩も──」

「っと、それ以上は言わない約束でしょ。お父さんもそれを聞いたら怒るわよ、きっと」

「……お前が先生や師匠じゃなくて“お父さん”と呼ぶことにもな」

 

 その言葉を聞いて緋子矢トレーナーは「いけない!」と慌てて口を押さえるのを見て、トレーナーは苦笑してた。

 バツが悪そうに笑みを浮かべた緋子矢トレーナー。彼女は持ってきていた資料をトレーナーに見せる。

 

「うちのメンバーから誰でも好きな()を、と言いたいところなんだけど、やっぱりいろいろ都合があって……親御さんの手前とかね。だから移籍する候補はこの2人のどちらかなんだけど──」

 

 ……緋子矢トレ。なんで“好きな()”のところで意味深にこっちに視線を向けてくるのかしら?

 トレーナーがどのウマ娘を担当しようと、アタシには関係ない──

 

「こちらにいらっしゃいましたか、乾井トレーナー様ッ!!」

 

 その瞬間に、トレーナー室の戸をバン!と勢いよく開け放って現れたウマ娘。

 彼女の姿を見てアタシは思わず頭が痛くなる。

 

「さぁさぁさぁさぁ、今日も張り切ってトレーニングに参りましょう♪」

 

 目を爛々と輝かせ、周囲をまったく見ずにマイペースを貫く彼女に、アタシはこれ見よがしに盛大にため息をついてから注意する。

 

「あのねぇ、おタケ。今、来客中よ。この状況を見て、トレーナーが応対しているのわからない?」

「おや、御局(おつぼね)泥棒猫──もとい、ダイユウサク先輩ではございませんか。これはこれは御挨拶が遅れ、た・い・へ・ん失礼をいたしまして(わたくし)非常(ひじょー)に心苦しく感じております」

 

 慇懃に頭を下げる後輩ウマ娘の無礼な対応に、アタシは思わずこめかみをヒクつかせてしまう。

 すると入ってきたもう一人のウマ娘が、そのウマ娘の頭をポンと軽く叩いてたしなめた。

 

「おタケ、そうやって無意味にパイセンを煽らない。で、パイセンも一々おタケにイラついてたらキリがないのはもうわかってるでしょ?」

「それはもう、ね。でもロンマン……後輩指導はアンタの担当よ」

 

 すっかり先輩姿が板に付いたロンマンガンだった。

 この目の前にいるおタケ──問題児のウマ娘のおかげで彼女も随分と先輩として成長したように見えるわ。

 

「は? いつの間にあっしがコイツの指導役になってんの?」

「もちろん来たときからよ。最後輩だったじゃない」

「いやいやいやいや、ピアリスいたでしょ?」

「あの()に後輩指導ができたと思ってる? それもこんな先輩をなんとも思ってないのを相手に厳しく、よ」

「そりゃあ無理でしょうけど……」

 

 ロンマンガンも、オラシオンが居なくなって面倒を見る負担が大きくなったのはアタシだってわかってる。

 もっとも当のおタケは、アタシ達の会話を気にした様子もなくトレーナーにまとわりつくように近寄ってる。

 そしてトレーナーはといえば……それを気にした様子も無く、緋子矢トレから渡された資料を食い入るようにジッと見つめていた。

 やがて選んだ1枚を緋子矢トレーナーに渡す。

 

「……うん。こっち……かな」

「え? ホントに? でも実績面ではもう一人の方が──」

「歳が一つ下だろ。そのウマ娘の方が〈ミモザ(そっち)〉への思い入れがそれだけ強いはずだ。他の連中とのつながりも強いだろうし」

「それは確かにそうかも。でも、いいの?」

「ああ。とりあえず本人と話がしたい。それに話はあくまで本人が了承したら、だからな」

「それはまぁ……本人の意向を無視するわけにはいかないものね」

 

 トレーナーはおタケを気にする様子もなく、緋子矢トレーナーに答えている。

 その資料には写真が貼ってあった。

 偶然目に入ったその画像……長い黒髪に青い差し色を入れた髪の毛がアタシの印象に残った。

 

 

 その特徴的な髪の毛は──アタシにとって不思議と既視感のあるものだった。

 

 




◆解説◆

【決断! 誰かがこれをやらねばならぬ】
・もうなんかそのまんまのタイトル。
・書いてみたら意外と長くなった割に、話があまり進んでいないという……
・はい、反省してます。

実績もない
・本作におけるチーム〈ミモザ〉は現在、お世辞にも有力チームとは言いづらい状況です。
・先代が急な引退をした上に後継者が新人トレーナーだったせいでウマ娘側からの信頼がガクッと落ちており、オマケに悪い噂が立った乾井トレーナーを育てたチームとして敬遠され、有力なウマ娘からは完全に避けられてしました。
・他チームも勧誘するときに「あのチームはそうだから入るのはやめてウチの方がいい」と言われる始末。
・そんな悪評の中でも、緋子矢 礼菜トレーナーの明るく優しい性格もあって和気あいあいとした雰囲気で、ウマ娘同士の仲の良さでメンバーが集まったチームになっています。
・そのため、結果は伴っていないようで……
・有記念やら天皇賞(秋)、クラシックGⅠで結果を出している〈アクルックス〉の方が実績としては全然上です。(先代の成果は除く)
・なお、一人目の育成に失敗した乾井トレーナーが〈ミモザ〉のサブトレにならなかったのは自分が入れば余計に〈ミモザ〉を追い詰めてしまうと考えたから。
・礼菜トレーナーは「助けてほしい」と頼み込んでいたのですが、乾井はそれだけは絶対に譲らず、自分のチームを新設するべくトレーナーにしてくれるウマ娘を探し続けていたのです。

居なくなって
・ちょっと現在の〈アクルックス〉の状況を整理します。
・ダイユウサクはまだチームにいます。
・第一章のシングレ時空から第二章のアニメ・ウマ娘時空になっているので年代関係なくなっている……ってあれ?ダイユウサクって引退する話を第二章でしてましたよね、確か。
・そこはまぁ……メタ的なことを言うと、ダイユウサクいなくなったら〈アクルックス〉じゃなくなってしまうような気がして相変わらず登場させているんですけどね。
・一応、言い訳ではないですけどチームにいる理由で、本文中で明言する気がまったく無い裏設定として、「実は競走科ではなくスタッフ育成コースに転科していた」というものがあります。
・第一章の始めの方でコスモドリームのサポートをするために転科すると言うダイユウサクに「今からでは間に合わないし、競走をやってからそっちに進んでもいい」と説得していました。
・その言葉に従った……というか、チームから出ていきたくなかったから。
・レッツゴーターキンは相変わらず戻ってきてません。
・オラシオンは前話で解説した通り引退済み。
・で、迷っているのがサンドピアリスとギャロップダイナ。
・正直、ピアリスは「引退してチームを去っている」という前提で考えていたんですが、別に残っていてもいいかなと。シャダイカグラと勝負するという約束も果たせてなさそうですし。
・ギャロップダイナは……シングレに於けるルドルフとかマルゼンみたいに「謎に残ってるウマ娘」って感じですかね。あまり積極的に出す気はありません。
・ロンマンガンは使いやすいキャラで、まだ現役としてチームに残ってます。
・ピアリスの翌年にエリザベス女王杯を制した彼女もまた現役競走ウマ娘として残っています。

本人
・第2話が終わっても、まだ主役本人が登場していない……
・いったい誰なのか? まだ引っ張ってますが、結構ヒント出してます。
・チーム移籍の話も、元ネタになった競走馬が厩舎移籍をしているのを引っ張り出してエピソードにしました。
・たぶん、次の話には出てくると思うんですが……

※次回の更新は7月27日の予定です。  



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第3R 巡る因果! 憧れのウマ娘(ひと)と憧れのチーム


 私──いや、ウチには憧れてるウマ娘(ひと)がいた。

 その走りを見た瞬間(とき)、まるで稲妻が体を駆け抜けたかのような衝撃を受けたのを覚えてる。
 そしてゴール後の弾けるような、どこまでも明るい笑顔。
 その太陽のごとく眩しい笑顔にハートを射抜かれた。

(これです。この方こそ──)

 まさに運命的な出会い。
 あの人が理想となり、『あの人のようになる』が目標になった。
 だからこそ、彼女を理解しようと懸命になり、いろいろ調べて──あの人を真似るところから始めた。

 理想像がそこにあるんだから、その通りになるのを目指せばいい。

 かくして“私”は“ウチ”になり、口調から服装もあの人に合わせ、普段の振る舞いも彼女に合わせることにした。
 真っ黒だった髪の毛にも青の差し色を入れて同じように……じゃなくて、オソロにして──



 

「そういえば聞いた?」

「え? カミ先輩、それってなんのこと?」

 

 ウォーミングアップのジョグ中に、一緒に走っていた一つ上の先輩ウマ娘が訊いてきたのをウチは聞き返していた。

 トレーニング中の何気ない雑談……のはずが、彼女の口から出てきた次の言葉はそんなものじゃなかった。

 

「チーム移籍の話。やっぱりあたしかあんたのどっちかみたいだわ」

「は?」

 

 頭が真っ白になりかける。

 いや、真っ白になってる場合じゃあない!

 

「ど、どどどどどういうことだし?」

「だから、ウチのチームから誰かを出すって話になってるらしくて、それがあたしかヤマピーのどっちかって話になってるらしいよ」

「まず誰かを出すって話から聞いてないし!」

 

 わた──ウチが焦って詰め寄ると先輩は「そこから?」と戸惑いながらも説明してくれた。

 

「前提として、あたしとヤマピーがお世話になってるサブトレが中央(ここ)から外れるって話は?」

「それは知ってるし」

 

 ウチらが所属してるチーム〈ミモザ〉。その歴史は意外とあって今の正トレーナーは二代目になる、っぽい。

 初代トレーナーは今のトレーナーの正に先代になるらしく、彼女の父親ですごく優秀だったという話を聞いた。

 GⅠウマ娘も輩出したし、弟子のトレーナーも多く育て上げ、その中には独立して強豪チームを率いているトレーナーもいるそうな。

 そんな弟子の一人がやらかして……その責任をとって自ら身を退き、当時新人だった今のトレーナーに〈ミモザ〉を引き継がせた。

 もちろんそれでは所属しているウマ娘達が不憫になると優秀なサブトレーナーをつけて。

 で、今では正トレーナーもしっかりとチームの手綱を握り、そのときチームに残っていたサブトレーナーは完全な補助役になっていた。

 

「サブトレ、親の面倒見なきゃいけなくなったから、地元に近い地方のトレセン学園に移籍す(うつ)るって話、ですよね? マジ不憫……」

「そ。でもウチの(メイン)トレ、手一杯だったみたいで……」

 

 ジョギングしながらガックリと肩を落としてうなだれる先輩を見て、内心「器用なことをするなぁ」と思わず感心しつつ、ウチは苦笑を浮かべる。

 

「それでチーム移籍? ウチか先輩が?」

「そういうこと。って、前に(あか)()()トレーナーに訊かれたよね? そうなっても大丈夫?って」

 

 正トレーナーの緋子矢さんは人が良い。それに惹かれたからこそウチもこのチームに入ってるわけだし。

 

(ただ、少し人が良すぎる感じもするけど……)

 

 ウマ娘同士がそうなように、トレーナー同士だって勝負の世界。

 だから人が良いってだけだと苦労するのがこの業界。

 素直に速さを競うだけじゃなく、情報戦を仕掛けて騙し討ちなんてことも起こる世界だし。

 そういう意味では少々不安になるくらいに我らが緋子矢 礼菜トレーナーは“いいひと”なんだけど……

 ……ああ、そう言えば彼女の困り果ててる様子に同情して、思わず「大丈夫です」って応えたような気が。

 って、そんなウチも大概お人好しかも、ね。

 

「ああ……うん、そういえば聞いてたし、答えてた。大丈夫って」

 

 思わず「アハハ……」と乾いた笑いを浮かべて答えたら、先輩もまた苦笑を浮かべてた。

 

「ま、ウチらは緋子矢トレってよりはあの人に面倒見てもらってて、それが居なくなるわけだからね。他のメンバーに比べたら移籍対象になるのも当然といえば当然だけど」

 

 担当として面倒を見てくれてたサブトレも“いいひと”だった。

 なにしろトラブルで急に先代が引退するとき、経験の勝る自分じゃなくて血筋優先の実の娘にチームを引き継がせるのを納得するだけじゃなくて、その補佐役として残ったほどなんだから。

 そんな人に面倒見られたら、ウチらも“いいひと”になるのもある意味で当然じゃね?

 

「とはいえ移籍先も、見ず知らずのところじゃなくて“一門”のところみたいだから」

「一門? ってことは……ひょっとして〈リギル〉?」

「バカね。そんな名門に行けるわけないでしょ」

 

 そういってため息をつく先輩。

 先代のお弟子さんがトレーナーやってるチームだから一門。その中で一番有名なのは、やっぱり東条トレーナーの〈リギル〉。

 あの《皇帝》をはじめ超一流のウマ娘達が集うチーム。トレセン学園でもっとも有名なチームと言っても過言じゃない。

 逆に言えばそれだけハードルが高いというわけで……

 

「冗談に決まってるじゃん。入れても付いていけるわけないのは分かり切ってるんだから」

 

 思わずため息が出る。

 ウチらみたいなレベルのウマ娘があんな超一流チームに所属してしまったらつぶれてしまうのは誰だって分かる。

 

「そうね。数ヶ月で追い出されるオチが見えるわ」

 

 あっさりと先輩も同意。

 あのチーム、本気でレベルが違いすぎるし。

 オープンクラスどころかGⅠ出走して上位人気当たり前って感じなんだから。

 〈リギル(うち)〉みたいに「みんなで楽しく走りましょ」って雰囲気(ノリ)と明らかに違う、ガチガチのガチなチーム。

 

「じゃあ、そんなウチらでも受けてくれそうなチームってどこです?」

「そこは緋子矢トレがしっかり考えてくれたみたいね」

 

 〈リギル〉の話題で暗くなっていた先輩の表情がわずかに明るくなった。

 気を楽にした様子で、少し苦笑気味に答える。

 

「再生工場みたいなところだから、ホントにあたしら向けだわ」

「……再生工場?」

「そ。そういう実績に関していえば、かなり優秀なチームよ。枯れ木に花を咲かせてみせる、まるで花咲か爺さんみたいにね」

「むしろ全然、イメージできないんですけど……」

 

 思わず首を傾げてしまう。

 

「少し前に話題になったことがあったでしょ? 誰も勝つなんて思ってなかった落ちこぼれ(灰かぶり)をGⅠ優勝で一夜にしてスターに押し上げた《人気薄の魔術師》……」

「え? それって──」

 

 心当たりがあるその異名に、胸がドクンと大きく鼓動を打った。

 ウチ──いや、わたしはその競走(レース)を直接見たんだから。

 

乾井(いぬい) 備丈(まさたけ)トレーナー……彼が〈ミモザ(うち)〉の一門なのは知ってる?」

「それは、もちろん……」

 

 チーム(〈ミモザ〉)史上最高──いえ、中央(トゥインクル)シリーズの歴史でも屈指の下克上(大金星)を挙げた大先輩がいる。

 その担当トレは緋子矢トレーナーの父親ということになってるけど、彼女を実質的に指導していたのは、その当時チームにいたトレーナー研修生だったというのは我がチーム内ではそこそこに知られている話。

 

(……もっとも、その彼が正トレーナーになった直後に盛大にやらかして、その緋子矢トレの父親が引退する原因を作ったので、チーム内の評判は悪いけど)

 

 そんな彼が、再起して立ち上げたチームこそ──

 

「つまりそういうこと。移籍先はあの“驚愕(ビックリ)”の〈アクルックス〉よ」

「……マジ?」

 

 思わず目を見開いていた。

 そのチーム名も彼の名前も知っていたし、決して忘れるわけがなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──そのチームの名前を知ったのは、()()レースだった。

 

 

 マイルチャンピオンシップを制し、てっきりスプリンターズステークスに挑戦すると思っていたあのウマ娘(ひと)が挑んだのは、年末の最強決定戦(グランプリ)・有記念。

 もちろん注目していたのはあこがれのあのウマ娘(ひと)だけど、異常なハイペースに最後にはついていけなくなったその姿に「あぁ……」と思った。

 入れ替わるように前に出たのは淡色の長い髪をなびかせる大本命のウマ娘──メジロマックイーン。

 そんな展開に心のどこかで諦めていた。

 言い訳のように「いくらあのウマ娘(ひと)でも仕方ないか、マックイーン相手だし」と思った……そのとき──

 

 

『ダイユウサクだダイユウサクだ! これはびっくり、ダイユウサクーッ!!』

 

 

 マックイーンよりも内を抜け、それ以上の末脚で私のあこがれも、先頭を意地で走っていたウマ娘をも追い抜いて──ゴールしていた。

 

 前年に引き続いて起こった年末の奇跡(ミラクル)

 

 トレーナーに抱えられた状態で片手を挙げている彼女の姿に驚愕を越えて、心が震えるのを感じ──あこがれのウマ娘に、彼女以外のウマ娘に惹かれてゴメンナサイ、とひそかに謝罪した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──次にその名を心に刻んだのは、やっぱりあのウマ娘(ひと)が出走したレースだった。

 

 例のレースの翌年、ウチのあこがれのウマ娘(ひと)は晩秋の東京レース場で天皇賞(盾の栄誉)に挑んだ。

 その終盤、東京レース場の長い最後の直線で、あのウマ娘(ひと)は先頭に立ち──本命だったトウカイテイオーとの死闘を演じていた。

 それに決着が付きテイオーが前へと出て、「あぁ」と気落ちした──そのときだった。

 

『外から後続が押し寄せてくる! 一番外からレッツゴーターキン!!』

 

 ──え?

 まったく予想外の風が吹いた。

 大外を通って駆け上がってくる二人のウマ娘が、先頭に立っていたトウカイテイオーに追いつき、そして抜き去っていく。

 

『レッツゴーターキン、ムービースター! レッツゴーターキン、ムービースター!』

 

 そして……私が呆然と見つめるその目の前で、前の方にいたそのウマ娘が先頭でゴール板を駆け抜けた。

 

『なんとビックリ、レッツゴーターキン!!』

 

 まさに実況の言うとおり。想定外のウマ娘の大金星に驚かされ、唖然とするしかなかった。

 隣でテイオーを応援していた小さなウマ娘も、完全に言葉を失ってる。

 でも、そんな光景に……

 

 

 ──トクン

 

 

 一度、鼓動が大きく脈打つのがハッキリと感じられた。

 下から数えた方が早いような人気──誰もが勝利を諦めるような状況だったはず。

 そんな絶望的に追いつめられていた戦況を一気にひっくり返す──そのカタルシスに、私の心が震えた。

 まるで、私の()()()()()()()()()が呼応するかのように。

 

(でも、違う! 違うはず!! 運命を感じるのはあのウマ娘(ひと)じゃないんだから! あのウマ娘(ひと)だったんだから!!)

 

 必死に首を横に振って否定する。

 そう、運命を感じたのは今もコースにいる青い差し色の入った髪のウマ娘。そのはず。

 そしてそのウマ娘(ひと)は、レースに負けながらもどこか楽しそうに笑みさえ浮かべ、勝利したウマ娘のことを見ていた。

 思わずその視線を追って……妙にオドオドした、とても勝利したようには思えないほど落ち着きのないウマ娘を見る。

 彼女は戸惑いながら、近づいてきたトレーナーと言葉を交わし……そして勝利を知って感極まると、抱きついて感情露わに泣き出していた。

 

「…………あの、人は」

 

 それで気がついた。

 抱きつかれているトレーナーが、年末のグランプリで勝利したウマ娘を抱え上げていたトレーナーと同じ人だということに。

 

 気が付けば思わず調べていた。

 彼女の、彼女達の所属チームの名──〈アクルックス〉を。

 そしてそのトレーナーの名前──“乾井 備丈”を。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──そんなことがありつつ“あのウマ娘(ひと)”にあこがれ続け、中央トレセン学園でジュニア期を迎えた。

 そうしてデビューに向けてチーム探しをすることになったとき、もちろん頭の中でそのチームが候補にあがった。

 

 でも……躊躇った。

 

 確かにあのトレーナーはスゴい。《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》の異名を得て、誰も予想していないようなウマ娘を大舞台で勝たせる。まさに《人気薄の魔術師》。

 チームも『驚愕(ビックリ)の──』とか『見えぬ輝き(ダークホース)の──』という形容が頭に付くほど。

 

 ……まぁ、彼女達2人の“奇跡”の後にも、所属ウマ娘が最低人気でGⅠ勝利なんてことをすれば、さもありなん。

 

 その逆境での大勝利に心揺さぶられたのは間違いない。

 それに自分の実力だって、わかってる。

 学園に入って、自分がどの立ち位置にいるのか。周囲のレベルと比べての自分の実力というものが。

 最初から同期の中で実力上位で、ジュニア期から勝ち星をどんどん掴んでクラシックタイトルを狙っていく……そんな理想が夢物語でしかないのに気づかないはずがない。

 

 そう……運命を感じて憧れたあのウマ娘(ひと)のような強さを、私は持ち合わせていなかった。

 

 だからこそ、そのチームに希望の光を見るのだけど……でも、その門を叩いてしまうと、あのウマ娘(ひと)への憧れが、揺らいでしまう気がして仕方がなかった。

 トゥインクルシリーズに憧れたのは、必死に努力してこの学園に入ったのは、あの人のようになりたい、そして輝きたいと思ったからこそ。

 でも……もし、あのチームに入ってしまえば、自分の中で感じた有記念や天皇賞(秋)(アキテン)の時の感情を全肯定して、その前に感じた運命的ななにかを全否定するような気がして……

 

 私は踏ん切りが付かなかった。

 

 かといって、自分の実力を知ったからこそ、そのあこがれのウマ娘(ひと)と同じチームに入る勇気も無く……心のどこかで入りたいそのチームの、部屋の前まで来てしまった。

 でも……

 

「却下!却下! 大却下よーッ!!」

 

 そのチーム部屋の入口前で苦悩していたら、部屋の中から大きな声が聞こえてきて、思わずビクッと肩を振るわせていた。

 ショックを受けている間に、反論の声が部屋から聞こえてくる。

 

「ど、どうして自分が駄目なんですか!?」

「当たり前でしょ! ふざけてるの?」

「ふざけてません! 大真面目です!! 超真剣(マジ)です!」

「は? アンタ、ウチが『驚愕(ビックリ)の〈アクルックス〉』って呼ばれてるってだけで選んだんでしょうが!」

「なッ……そ、そんなこと……」

「誤魔化そうとするな! 目が泳いでるわよ!!」

「ど、どうしてそれが……」

「バレないとでも思ったの? アンタの名前みたら明らかでしょ、こんなの!」

「なッ!?」

「ビックリシタナモーなんて分かりやすい名前でごまかせると思ったの!?」

 

 ……えっと、なんかだいぶ取り込み中?

 中から響く大きな越えに戸惑っていると──

 

「あ~、もう隣また騒いでる……」

「あのウマ娘(ひと)、外だと人見知りな程に他に無関心なのに、チームのことになると大騒ぎするから……」

「チームで止める人も居ないしねぇ」

「バードちゃんくらい?」

「かもね。ダイナ先輩は煽って逆に騒ぎ大きくするタイプだし」

 

 隣の部屋から、賑やかそうに話をするウマ娘の一団が出てきてそのチーム部屋を見ながら言う。

 一方で、部屋の方からは──

 

「ウチは真剣に勝利を目指す競走チームなのよ! だから今までの結果がある。ウケ狙いのお笑い芸人なんて募集してないのッ!」

「あ? オイオイ、冗談はやめてくれよ。まるでそのお笑い芸人みたい異名を持つお前が、まさかそんなことを言うわけないよな、《世紀の一発屋》サン?」

「なッ!? なななな──」

 

 さらにもう一人の声が加わって、余計に騒がしくなった模様。

 それを外で聞いていた面々は苦笑を浮かべる。

 

「でも最近はシオンちゃんがピシッて言うようになったみたいよ」

「彼女に言われたら、さすがに下の世代からでもそりゃあ言うこときくわ。あの実力と実績見せつけられたらなにも言い返せないし」

 

 外の彼女達がそう言うと、それを証明するように……テレビやメディアでも聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「先輩、落ち着いてください。それにダイナ先輩も煽らないでください。せっかく来てくださったというのに驚いているではありませんか。うちのチームにあこがれて来たというのに……」

「ハ、ハイ! 私、オラシオンさんのようになりたくて──」

「あ~、後輩チャン? 言っとくけど、それはやめた方がいいわ。シオンにそんなこと言ったらガチでハンパじゃないキツさの同じトレーニングつきあわされて、付いていけないと音を上げたら『どうしてですか?』と本気で不思議な顔されるから。天才マジパネェって思い知らされるだけだから」

「うん。わたしもロンちゃんに賛成……ものすごく苦労すると思うよ? やめといた方がいいと思う」

「マンガンさんにピアリス……私のこと、そんな風に思っていたんですか?」

「え? うん……」

「むしろシオンはガチで自覚無い系? 競走のことになると目の色変わってるのを、自分で分かっていらっしゃらない?」

「そ、それは……」

「そんなこと問題なし(ノープロブレム)、でございます。(わたくし)の敬愛するトレーナー様にお任せすれば──」

「おタケ、アンタは黙っとき……」

 

 さらには部屋内にいたらしい多数のメンバーの声が聞こえ、室内はさらにかしましい状況になっていた。

 それに気付いた外のウマ娘達は思わず苦笑いしながら顔を見合わせ──

 そんな彼女らの中でふと目をこちら向けた一人と、私は目が合う。

 

「あれ? ……ひょっとして、入るチーム探してる新入生?」

 

 そのウマ娘が目をパチクリとさせながら訊いてきたので、思わず答える。

 

「え? あ、はい。まぁ……そんな感じで」

「え~、どこに入るか決めたの? ひょっとしてまさか……〈アクルックス〉?」

「悪いこと言わんからやめときな。ここはキビシーお局サマみたいな先輩がいるから」

「無自覚スパルタ系の、天才的なウマドル様もいるしね」

「その点、うちなら和気藹々だし! 先輩もみんな優しーよ♪」

「って、ウチのチームの宣伝するんかい!」

「あっちには目つきと口と雰囲気の悪いおっかない先輩もいるけど、こっちはいないよ?」

「いやいや、あのウマ娘(ひと)、元はウチのチーム所属でしょうに」

 

 いつの間にか囲まれてた!?

 その彼女たちが揃えて纏っている上着には、あの日見た南十字座(サザンクロス)の意匠が描かれていた。

 

「──ッ」

 

 それに思わずハッとする。

 でも……違う。

 十字の下の星を強調していたあの意匠と違って左の星を強調しているし、書かれているロゴも“β・clux:Mimosa”となっていた。

 そんな服をまとい、こっちを取り囲んだ先輩方はさらに距離を詰めてグイグイと迫ってくる。

 その圧に押されつつ──

 

「あ、あの……えっと……なんてチームなんですか?」

「うちのチームの名前は〈ミモザ〉っていうんだよ!」

「そそ! チームの歌だってあるんだから。はい、みんな。せ~の!」

 

「「「「「♪ガラスの──」」」」」

 

 ──ッ!? 綺麗にハモってる!?

 ワンフレーズ歌い上げた先輩達の美声に、思わず拍手してしまっていた。

 直後、その反応に気を良くした先輩達は、妙に圧のある笑みを浮かべてさらに押され──

 

 …………そうしてチーム〈ミモザ〉の一員になっていた。

 その場の流れに押されたのは否定しない。

 でもトレーナーの緋子矢さんの人の好さも含めて、チームの空気も良くて入ったことを後悔したことは一度もなかった。

 

 

 ──そう、思うような成績をあげられなかったのは、実力のない自分が悪いんだから。

 

 




◆解説◆

【巡る因果! 憧れのウマ娘(ひと)と憧れのチーム】
・やっと登場した第三章主人公。
・でもまだ名前が出ない。
・さて、だ~れだ?

隣でテイオーを応援していた小さなウマ娘
・キタちゃんのこと。
・第二章第31話参照。
・そう、第3章主人公はすでに登場していました。
・あのときキタちゃんと張り合っていたウマ娘が本章の主人公です。

南十字座(サザンクロス)の意匠
・第二章31話に出てきた、乾井トレーナーが着ていた〈アクルックス〉のスタッフジャケットに描かれていたマーク。
・コレは〈ミモザ〉所属のウマ娘が考えたもので、友好の証として〈ミモザ〉のものを流用して考案してくれたもの。
・なおε星を含む5つの星が描かれており、α星とγ星、β星とδ星の間には線が引かれて十字を描いて分かりやすくしている。
・〈ミモザ〉のものはβ星を、〈アクルックス〉のものはα星を他の星よりも明らかに大きく描いて強調。
・その強調した星だけ色を変えており、〈ミモザ〉のものは由来であるオジギソウ(ミモザ)の花の色のピンク、〈アクルックス〉のは目立つように金色にしている。
・それ以外の星は白。

♪ガラスの──
・アカペラに定評のある()()()()()()()()()()()()のとある曲。
・仲のいい〈()()()〉の先輩方は、それぞれパートを担当して完璧に歌えるようです。
・当初、7文字書いていたら、別に曲を特定できるわけでもないのに歌詞使用うんぬんで通報されたんで、許可だのなんだのの手間も面倒なので変えました。
・ここまで短くして、どんな詩かもわからない状態にしても通報されるんなら──もうお手上げですわ。


※次回の更新は8月2日の予定です。  



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第4R 理解不能!? 模倣品(イミテーション)の価値

 先輩から聞いた話が、いよいよ本当の話だったと分かったのはそれからすぐのことだった。

 

 なにしろ担当トレーナーの緋子矢トレから「ゴメン!」と突然目の前で手を合わせて謝られて、移籍メンバーに自分が選ばれたのを知らされたから。

 そして移籍先の、新しく担当となるトレーナーと会うことに……

 

 ──そのトレーナーは、意外と普通なヒトだった。

 

 “ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”とか、“人気薄の魔術師”なんていう異名から格好はともかく性格はかなり奇抜なんじゃね? と想像していたけど、多少砕けた雰囲気で話しかけてくる程度。

 言ってしまえばどこにでもいそうな人──それがウチにとって乾井 備丈というトレーナーと接触した最初の印象。

 むしろその人に寄り添うように傍らにいる2人のウマ娘の方が印象的だった。

 

 一人は、車椅子の上でニコニコと笑みを浮かべている、目の付近を覆う黄色い覆面が特徴的なウマ娘。

 将来を有望視されていたものの大きな事故を起こして走れなくなったウマ娘。

 それがなければオラシオンの前に“時代を作っていた”とまで言われる存在で……その事故が有名なこともあって、ミラクルバードというその名前を知らないウマ娘はきっといないと思う。

 

 でも、もう一人──ウチにとっては彼女の方がよく覚えている顔だった。

 

 あの年末の最強決定戦(グランプリ)で、奇跡を起こしたウマ娘。

 ただの一度の勝利で歴史に名を刻み、まさに一夜にして世に存在を知らしめた、真のシンデレラウマ娘(ガール)

 

(このウマ娘(ひと)が、あの……)

 

 その後のレースでは結果を残していないけど、むしろそのことがこの人の強烈な個性として世に印象を残している。

 だって世の人はこのウマ娘のことを《世紀の一発屋》──

 

「……なに? なにか言いたいことあるの?」

「なッ? め、滅相もない……」

 

 ジト目でそのウマ娘に見つめられ、思わず戸惑ってしまう。

 そんなウチの反応を見て、彼女は「フン」と興味を失ったようにそっぽを向いた。

 

「先輩は、人見知りして他人に興味ない風なクセに、妙に勘だけは鋭いから気をつけた方がいいよ」

「コン助ッ!!」

 

 車椅子の上でニコニコしながら言うそのウマ娘に、さっきのウマ娘──ダイユウサク先輩が抗議の声をあげる。

 でも、彼女は一向に気にした様子もなく、相変わらずニコニコしながら「よろしくね」と挨拶をしてきた。

 思わず素直に「よろしくお願いします」と返しそうになりかけ……ハッと気付いて、私──いや、ウチは満面の笑みを顔に張り付かせた。

 

「チーム移るとか最初はマジ意味わからなかったけど、とりまガチでがんばるんで、パイセン方にトレピもヨロ~!」

 

 顔の前で傾けたピースを作って、ウィンクしながら言った。

 すると──

 

「「「………………」」」

 

 あれ? なんか……この場に居合わせた先輩2人とトレーナー、ガチで固まってるんですけど。

 いや、一人……ダイユウサク先輩はなにかに耐えるように視線を下げ、肩をワナワナと震わせてる。

 ウケて笑いとか呼応したいのを我慢してるのかなと思ったら、うつむいた状態からゆらりと上げた顔は──明らかに怒っている。

 

(ゲ……)

 

 おかしい。

 前のチームだったら「よろ~!」とかみんな返してくれるはずなのに。

 そんな怒り心頭の先輩の横で、車椅子の上のミラクルバード先輩はウチと彼女の顔を見比べて「あはは……」と乾いた笑いを浮かべてる。

 

「……アンタ、真面目にやる気あるの?」

「まぁまぁ、先輩。確かにウチにはいないタイプだけど、学園内にはいろんな()がいるんだし……それにウチに移籍は決まってるんだし、追い出すわけにはいかないんだから堪えて、ね。ねぇトレーナー」

 

 間に入って取りなすミラクルバード先輩は、救いを求めるようにトレーナーを見上げる。

 そのトレーナーは……素っ気なく「ああ。そうだな」と答える。

 そんな感じでトレーナーがとりあえず何も言わなかったので、ダイユウサク先輩も不満そうにしながらもそれ以上は言ってこなかった。

 隣でホッとした顔をするミラクルバード先輩。

 だけど……

 

「まぁ、別にそういうウマ娘がいるのは分かる。だからそれをとやかく言うつもりはない」

 

 納得したはずのトレーナーが、スッと一歩前に踏み出してきた。

 

「口の利き方がどうとか、そんなことを口うるさく言うつもりも無い」

 

 チームによって、トレーナーが厳しいところだとその辺りから注意・指導されることもあるって聞いたことがある。

 でも、それは気にしないと目の前のトレーナーは言う。

 それなら……この人は、どうして剣呑な目でこっちを見ているんだろう?

 さらにズイッと顔を寄せてくるトレーナー。

 

「だが……お前はどうしてそんな無理をしてるんだ?」

 

 ウチをじっと見つつトレーナーがポツリと言った。

 そしてその言葉が自分の心にグサリと刺さった気がした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 オレの指摘に、そのウマ娘はひどく驚いた様子だった。

 やっぱりな……それでオレの直感が合っていたのを確信する。

 

「…………え?」

「お前、本当はそういう性格じゃないだろ?」

 

 無論、完全に勘だ。

 この目の前のウマ娘のことは資料こそ見ている。だが、顔を合わせるのは初めてだ。詳しく知っているわけがない。

 資料にはこれまでの成績や身体能力ばかりで、性格についてなんて書いているわけがないんだからな。

 一応は担当トレーナー(レナ子)からどういうウマ娘かくらいは聞いてはいる。

 ()()()()()()()()()()性格で同じようなウマ娘といることが多い、と。

 しかし、こうして直接会ってみると……どうにも違和感があった。

 

「どこか演じているというか、誰かを意識してるというか……あぁ、そうか。()()()()()か」

 

 話しながらオレの頭の中では心当たりのウマ娘が一人が浮かんでいた。

 そのウマ娘は〈アクルックス(うち)〉とも因縁浅からぬ関係だった。なにしろダイユウサクとレッツゴーターキンの()()()()()の両方に出走していたからな。

 だからこそオレも印象に残っていたし、おかげでこのウマ娘の立ち居振る舞いからすぐに思いついた。

 

(パリピというかギャルというか……うちにはいないタイプだったが)

 

 そこまで考えが至り、ほぼ確信した。

 やはり本質は違う。オレの目にはこのウマ娘本来の性格はそうではないように思えて仕方ない。

 あのウマ娘のような天性の明るさや人懐っこさではなく、それを無理に作っているように見えてしまった。

 それを必死に真似てそのウマ娘の見た目(ガワ)を被って演じ、おかげで彼女本来の姿がオレには見えなかった。

 

 それが酷く(いびつ)に見えてしまい──気持ちの悪ささえ感じていた。

 

(なぜだ。なんで、真似をするんだ……)

 

 オレには理解できなかった。

 オレだってトレーナーとして尊敬している相手はもちろんいる。例えば師匠(おやっさん)だ。一から基礎をたたき込んでくれた上に、自分の責任でオレなんかに一人のウマ娘を任せ、貴重な経験を積ませてくれた恩人だ。

 同門の東条先輩もそうだ。その慧眼で才能あるウマ娘を集め、しっかり育て上げて結果を残し、最強軍団を組織しつつある。

 物知り顔で「天才を集めてるだけ」なんて悪口を叩くヤツもいるが、それは結果を見て言っているだけだ。

 才を見抜き、それを育てるのがいかに難しいことかがわかっていない。

 たとえトレセン学園入学以前にずば抜けて優れた成績を残した“期待の星”が入学後に伸び悩む……なんてことは掃いて捨てるほどある。

 本人の才が()()()()だったのか。

 それとも担当トレーナーが伸ばせずに腐らせてしまったのか。

 そんなことは神ならぬ身に分かるわけがない。

 現実世界はステータスが数値化されて限界値まで可視化されているようなゲームじゃないんだから。

 そんな中でも最上級の結果を残しているからこそ、先輩を尊敬している。

 もちろんそうなりたい、と思う気持ちはある。

 だが、だからといって彼女の真似をしようとは思わない。口調や普段の姿を意識して真似るなんて……もちろん男女の性別差があるが、それを差し引いても“先輩のコピー”を目指したりなんてしない。

 そこにオレ(個性)がないその方法が、オレにとって“正解”のはずがない。

 オレである必然性がない。

 それでたとえ結果を出したとしても、そんなもの「オレがやった」と胸を張れるのか?

 そんなこと、できるわけないだろ!

 

「憧れの先輩を“ああなりたい”と目標にするのはわかる。だが、どんなに憧れて真似しようとも……対象そのものにはなれないんだぞ」

 

 物真似するだけで《魔法使い》やら《フェアリー・ゴッド・ファーザー》になって結果を残せるなら苦労はしない。

 どんなに真似しようとも東条先輩にはなれないし、師匠(おやっさん)にもなれない。

 もちろん〈スピカ〉のトレーナーや〈カノープス〉の南原さん、身近で良く知る相手の巽見やら朱雀井(チュン太郎)だって無理だ。

 

(仮になれたとして、それがなんだ!?)

 

 他人(ひと)様のやり方をなぞって成功して、その先に何がある?

 ああ、先人が作った道を同じように登る山は、道を作る側に比べれば遥かに楽だろうよ。

 だがこれ(ウマ娘競走)は登山じゃあない。同じ道をたどれば誰でも頂上(テッペン)に登れるようなシロモノじゃないんだ。

 

 そしてそんなやり方は──オレの矜持(プライド)が許さない。

 

 実績や名声だけで結果が決まるのなら、ちっとも面白くなんかない。

 最初は意識さえしていなかった。

 無我夢中で、目の前のウマ娘達と上を目指すので精一杯だったから。

 だが──

 

 ギャロップダイナ

 ダイユウサク

 レッツゴーターキン

 サンドピアリス

 そして……………………

 

 彼女達と時を過ごして結果に一喜一憂する間にオレは悟った。

 逆転や番狂わせが、想定外と誤算こそが、オレの心を熱くさせ、そして奮わせることに。

 それこそがオレの目指すものであり、世間がオレ──《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》に求めるものだと理解した。

 それこそが自分(個性)というものだ、と。

 

「人もウマ娘も、誰か他の人になることなんてできやしないんだ。まったく同じ存在なんてないし、なり得ないんだ」

 

 それが分かれば、誰かと同じであることに魅力も意義も感じない。

 人もウマ娘も生まれもった才能も違えば、育ってきた環境だって違う。

 だから誰かをそっくり真似たところで、同じこと(走り)ができるわけがない。

 なぜなら──違う存在なんだから。

 違う存在である意味がない。

 

「憧れの存在に、近づこうとするその気持ちは評価する。目標を立て、努力するその姿勢も素晴らしい。だが……オレはそのやり方が正解とは思えない」

 

 オレは目の前のウマ娘に問う。

 

「〈アクルックス(ウチ)〉のダイユウサクやレッツゴーターキンとも競ったことのある()()()()()に憧れるのはいい……」

 

 オレが厳しい目を向けると、彼女は「へ?」と戸惑った目で呆気にとられていた。

 

「……だが、お前は()()()()()()()()じゃあない」

「そ、それは……」

 

 そんなこと分かっている。

 ああ、そう言いたいだろうな。

 今までの中央(トゥインクル)シリーズでの成績だって彼女とは比べるべくもない。

 それでも「彼女のようになりたい」と強く願ったからこそ手段を間違えたんだろう。

 

 だからこそ──正さなければならない

 

 オレは目の前にいるウマ娘に向かって問うた。

 あのウマ娘と同じように青の差し色を入れた黒髪を伸ばした、彼女の目を真っ直ぐに見つめ──

 ──そして、尋ねた。

 

「お前は誰だ? ……()()()()()()()

 

 




◆解説◆

【理解不能!? 模倣品(イミテーション)の価値】
・やっと明らかになった第三章の主人公。
・そのダイタクヤマトとは……
・なお、第三章のタイトルに必ず「!」を入れているのは、『宇宙戦艦ヤマト』の各話タイトルを意識した結果。
・基本的に「──! ────」といった感じの形式になっていたので。


ダイタクヤマト
・同名の実在馬を元にした本作オリジナルのウマ娘。
・モデル馬は1994年3月13日生まれ。牡の黒鹿毛。
・父はウマ娘になっている、マイルチャンピオンシップを91年、92年と連覇したダイタクヘリオス。母は3戦未勝利で引退したダイタクブレインズ
・生涯成績は40戦10勝。2着6回、3着5回。
・タイトルも取っており、2000年の最優秀短距離馬と最優秀父内国産馬をとりました。
・その勝ちレースで最も有名なのは2000年のスプリンターズステークス。
・本章のタイトル『Outrun by The Feathers of Icarus!』の「Outrun(逃げ切れ)」は、その時の有名な実況「逃げ切り、逃げ切り、逃げ切り~!」から。
・……この実況を聞くと「逃げ切りっ!Fallin’Love」を思い出すんですよね。
・もしも運営がダイタクヤマトのウマ娘を実装したら、逃げ切りシスターズのメンバーに入りそうです。
・本作オリジナルになるダイタクヤマトのウマ娘は、他のウマ娘のように史実で父馬だったダイタクヘリオスに運命的なものを強く感じており、意識しているという設定。
・ここでの登場が本作で初めての登場というわけではなく、第二章のレッツゴーターキンが挑んだ秋の天皇賞のシーンで登場していた、ダイタクヘリオスの熱烈なファンのウマ娘として登場していました。
・そのターキンの勝利に心が動いたのは、彼女もまた〈アクルックス〉に入る運命(大穴勝利)を持っているウマ娘だから。



※次回の更新は8月8日の予定です。  



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第5R 号砲一発!! ダイタクヤマト始動!!

 

「あんなこと言っちゃって大丈夫だったの? トレーナー」

 

 新メンバーになる……予定だったウマ娘、ダイタクヤマトとの顔合わせの翌日にオレは自分のトレーナー部屋で一人のウマ娘から問うような視線を送られていた。

 車椅子に腰掛ける彼女は、落ち着かない様子で耳をピコピコと動かし、目元を覆う黄色い覆面の奥からこちらをジッと見つめてきた。

 

 ミラクルバードというのが彼女の名前。

 

 かつては競走ウマ娘としてこの学園に入学し、頭角を現してクラシックレースでの活躍を期待された存在だった。

 デビュー以来負けなしで、クラシック三冠も夢じゃないと言われたが……初戦の皐月賞で、その夢を絶たれた。

 

 それも彼女の競走人生ごと、だ。

 

 レース中に起きた大きな接触事故で派手に転び、その打ち所が悪く意識不明に。

 一時期は命さえ危ぶまれた彼女。

 どうにか意識を取り戻したものの、下半身不随になってしまっていた。

 事故以来、彼女は走るどころか自力で立つことさえ容易ではない。

 そうして競走(レース)の道を諦めざるを得なくなった彼女は、それでも競走界に残ることを選択して転科してスタッフ育成コースへと進んで競走ウマ娘をサポートする側になったのだ。

 オレはそんな彼女に声をかけ、ダイユウサクと2人だけだったチームに加わった最初のメンバーでもある。

 

「ねぇ? ボクの話きいてる?」

「聞いてるぞ。しっかりとな」

 

 あえて無視していたら、ミラクルバードは車椅子を漕いで近寄らせて服の袖を掴んできた。

 

「なら答えてよ。大丈夫だったの? (あか)子矢(しや)トレーナーには引き受ける、って約束してたんでしょ? それなのに……」

 

 不満げに頬を膨らませるミラクルバード。

 彼女が怒っているのも無理はない。オレはあの時、ダイタクヤマトに対して言ってしまったのだ。

 

「チームに()れられない、なんて言っちゃうんだから」

 

 そう言って抗議の目を向けるミラクルバードに対し、オレは書類作業を止めてため息をつき、そして彼女に言った。

 

「条件付きだっただろ。今のままだったら、ってな」

「それでもだよ。緋子矢トレーナーは引き受けてもらえる前提で考えてるよ、きっと」

「レナ子とは『そのウマ娘も同意したら』って話になってるから大丈夫だ」

「大丈夫じゃないじゃん!? その条件だともしダイタクヤマトが〈アクルックス(ウチ)〉に入るのに同意してたら余計ややこしくなるよ」

 

 頭を抱えそうな勢いで心配するミラクルバード。

 そこまで悩む必要はないはずだけどな。

 

「ウチが絶対に引き受ける話じゃないってことだろ。それをレナ子も了承しているんだから問題ない」

「じゃあ、ダイタクヤマトがダメならもう一人の方……なんて言ったっけ?」

 

 思い出そうとしてもなかなか名前が出ないでもどかしそうに悶絶しているミラクルバードに、資料を思い出しながら正解を告げる。

 

ダイタクカミカゼ

「そうそう。そっちを引き受けるってこと?」

「それは……」

 

 緋子矢 礼菜が〈ミモザ〉から〈アクルックス〉へ移籍する候補として挙げたウマ娘は2人。

 一人はもちろんダイタクヤマトだが、もう一人は一つ年上になるダイタクカミカゼというウマ娘だった。

 ダイタクヤマトの移籍の話がこじれれば、当然に彼女を引き受けるという話になるのは想像に難くない。

 だが、そんなミラクルバードの言葉にオレは苦虫を噛み潰したような表情で難色を示すしかなかった。

 

「……難しいな」

「え? 緋子矢トレーナーとの約束でしょ? 一人引き受けるのは」

「それはそうだ。だが、ダイタクヤマトに話をした後だからな。最初は別に持って行った話を、上手くいかなかったからそっちで……となったら、選ばれた本人はどう思う?」

「そ、それは……もの凄くビミョウな空気になるよねぇ」

 

 思わず「あはは……」と乾いた苦笑をするミラクルバード。

 オレはダイタクヤマト本人と話をしてしまってるし、そのことは〈ミモザ〉メンバーにも伝わっていると思って間違いない。あのチームは全員の仲が良く和気藹々とやっているからこの手の情報が広まるのは早いはずだ。

 その中で自分にも話が来て、移籍してみたらダイタクヤマトは残っていたとなればさすがに思うはずだ。

 

「自分が本命じゃなくて、ハズレで選ばれたって思うだろうからな」

 

 例えばプロ野球のドラフト会議でのハズレ1位なら、まだ他に大勢いる候補の中から選ばれたという自負で自分のプライドを保つことができるだろう。

 しかし今回の場合、去る予定の〈ミモザ〉のサブトレが担当しているウマ娘は2人しかいない。2択の中で選ばれなかった側なのに移籍となれば彼女のプライドが傷つくだろうし、なによりオレに対する信頼は皆無(ゼロ)どころか不信(マイナス)になるのは間違いない。

 

(その状態で、彼女(ダイタクカミカゼ)を引き受けるのは……)

 

 すでにシニア世代。

 オマケにダイタクヤマトよりも一つ年上。彼女よりも多少実績面で勝っているとはいえ信頼関係が崩れてるのが前提では、担当する自信はオレにはない。

 

「でも、そっちも引き受けないってなったら〈ミモザ〉の問題が解決しないよ。もう……そもそもトレーナーはなんであんなこと言ったの? ダイタクヤマトのこと、気に入らなかった?」

「そういうわけじゃないんだが……」

 

 オレは腕を組んでのけぞり、イスの背もたれに体を預けながら天井の一角を見つめる。

 それでイスはギッと金属音を奏でた。

 

「確かに、まぁ……()()ダイタクヤマトは好ましくない」

「ほら、やっぱり。それって性格? あのギャルっぽいのが駄目なの? 確かにウチのチームにはいない性格だけど、ロンちゃんがヒドくこじらせたと思えば、そこまでじゃないと思うけど?」

 

 ミラクルバードの言葉には「だから考え直してダイタクヤマトを受け入れてあげようよ」というのが透けて見え、オレは思わず苦笑する。

 優しくて面倒見のいい彼女らしいと言える。

 

「ロンマンガンのとはちょっと違うだろ。アイツは博徒(ギャンブラー)だから相手に自分を見せないようにしているだけだ」

「自分を偽ってる、だっけ? トレーナーがダイタクヤマトに言ってたのは……」

 

 あの時、オレがダイタクヤマトに言った言葉を思い出しながらつぶやくミラクルバード。

 オレはギャルっぽい性格をわざわざ作っている彼女の姿勢がどうしても気に入らなかった。

 自分を偽ったままの状態の彼女を、担当したくなかった。

 

「……わかるだろ、お前なら」

「うん……」

 

 今まで長いことチームをサポートしてくれているミラクルバードはオレを一番身近で見てきたウマ娘かもしれない。

 走る側だったダイユウサクよりも、オレに近い立場だったと言える。

 だからこそ理解しているはずだ。

 

「相手へのリスペクトならオレも咎めるつもりはない。ただ“憧れる”と“真似る”は違う」

 

 ダイユウサクやレッツゴーターキンが競ったことのある相手でもあるダイタクヘリオスに彼女は憧れており、その真似をしているのは明らかだ。

 レナ子に見せてもらったデータの戦績を見ても、逃げ一辺倒の走りを見ればその思いの強さも分かる。

 

「憧れた相手みたいになりたいと思うのは誰だってそうだと思うけど……」

「姿形を真似たところで対象(ソレ)にはなれるわけがない。憧れた相手から影響を受けるのは技術や内面であるべきだ」

 

 走り方を真似たところで、それを再現できる素質がなければ逆に遅くなる。

 例えば目の前のミラクルバードが縁をつないでウチにやってきたオラシオン。

 彼女は地を這うような低い姿勢でのスパートで他を圧倒する速度を出し、数々の重賞を制した。

 大差をひっくり返した皐月賞なんかはその典型的なレースだ。

 その走りはダイユウサクの同期で誰もが認める実力者、オグリキャップを彷彿とさせるもの。

 もちろんそれを参考にして取り込んだものだが……なによりもその走りがオラシオンに合っていた、というのが大きい。

 オグリキャップと同じように、強靱さと柔らかさを兼ね備えた足を持っていたからこそ再現できたわけで、それを持たずにただオグリキャップに憧れて真似した多くのウマ娘は思うように記録は伸びなかった。

 それこどろかフォームを崩して自分を見失い、埋もれていったウマ娘もいた。

 

 ──そのウマ娘のようになりたい。

 

 そう()()()という気持ち(“夢”)は大切にするべきだ。

 分かりやすい目標になるし、壁に当たったときのモチベーションにもなる。

 しかし安易に()()()のは違う。

 本人と真似られる対象は別人であるという根本的な問題があり、その才の差が()()()()()となって突き付けられることになる。

 

「ベルトをしめて叫んだりステッキ振り回したところで、実際に特撮ヒーロー(キャロットマン)やら魔法少女(プリファイ)なれる(変身できる)わけがない」

 

 その現実から目を背けたら、レースで結果を出せるはずがない。

 同じやり方をしたら結果が出るなんて必勝法は、少なくともウマ娘競走(レース)界には存在しない。

 攻略方法があるゲームの世界じゃあないんだからな。

 

「それはそうだけど……」

「もちろん競走(レース)の結果が全てと決めつける気もないけどな。姿形を真似(コスプレし)て、()()()()()()()()()()()という欲を満たすのも一つの形だろ」

 

 “憧れ”にも様々な形がある。

 『彼女のようになりたい』という気持ちの行き先が、『走り』になるのか『容姿』になるのか。

 しかし残酷なことに、『走り』に行きつく前に“才能”というあまりにも無慈悲な壁に阻まれることが多いのも事実だ。

 この業界に身を置いているからこそオレだってよく分かる。

 分かるからこそ『容姿』の真似を完全に否定するつもりもない。

 

「厳しいこと言ってた割には意外と寛容だね、トレーナー」

 

 意外そうに微笑むミラクルバード。

 無論、オレは首を横に振る。

 それは乾井 備丈としての感想であり、トレーナーとしての判断となれば違う。

 

「だがその“誰かをそのまま真似る”というのは〈アクルックス(ウチ)〉のやり方とは違う。それをやりたいのならチームに入れるわけにはいかない。それがダイタクヤマトに言った言葉の真意だ」

 

 オレはあの時──金杯の発走前にダイユウサクに言った。『お前はオグリキャップじゃない』と。

 レッツゴーターキンに秋の天皇賞前に言った。『お前はダイユウサクじゃない』と。

 別のウマ娘(ひと)の姿を夢想したところで、()()()()()()()ら勝てるわけがない。

 そして……オレは今のダイタクヤマトはまさに、憧れるあまりに本来の自分を見失っていると判断したんだ。

 だから──

 

 コンコン

 

「あれ? 来客?」

 

 部屋のドアをノックする音が聞こえ、ミラクルバードの耳がピクッと動いてそちらを向いた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 この部屋を訪ねてくるのはオレか巽見に用事があるんだろうが……サブトレで今は担当を持っていない巽見を訪ねてくる相手は少ない。

 そしてオレに用事があるのはたいてい〈アクルックス〉メンバーだからノックしてすぐに部屋に入ってくる。

 

(……まぁ、ノックを忘れて巽見に怖い目で睨まれる連中もいるが)

 

 そのはずなんだが──今回の来客は、部屋に入ってくることはなかった。

 返事がなかったせいか、再び「コンコン」と同じように扉がノックされたのを見てミラクルバードが「どうぞ」と声をかける。

 すると……

 

「失礼いたしますッ!」

 

 大きな声と共に扉がサッと開き、人影が入ると同時に勢いよく頭を下げて一礼した。

 その大仰な反応に少しだけ驚く。

 とはいえそこまで驚かなかったのは、そんな大げさな入室には耐性があったからだ。

 ウチのメンバーには一人、ちょっと変わったヤツがいるからな。

 それに比べればこれくらいは許容範囲。

 ああ、本当にアイツはもう少し大人しくなってくれると助かるんだがな。タケノ──

 

「乾井 備丈トレーナーは御在室でしょうか?」

 

 その声で思考を中断されて我に返る。

 頭を下げたまま尋ねてきたその姿に、ミラクルバードは呆然としているところだった。

 真横を向いているピンと頭上に立った耳に、入ってきたのがウマ娘だと分かった。

 

「ああ。オレがそうだけど……」

 

 オレがそう答えるや、バッと勢いよく頭が上がった。

 そしてそのまま直立不動の姿勢をとるウマ娘。

 

「先日は大変失礼いたしました! 己の心得違いを深くお詫びすると同時にそれを改めましたので是非とも自分に御指導御鞭撻のほどを。何卒よろしく御願い致します!!」

 

 浅く頭を下げた姿勢……警察や軍での敬礼(ドラマ等でよく見る顔の前で右手をかざすのは着帽時のもの)をキビキビとした動きで行った彼女は、再び直立の姿勢に戻った。

 その顔を見て、オレは思う。

 

(誰だ?)

 

 艶やかなほどに綺麗な黒髪は、青みがかっていたオラシオンのそれ(青鹿毛)とは違い、赤みがかった茶系統のもの(黒鹿毛)だった。

 長さも首もと辺りで切りそろえられていた彼女と違って、肩から背に届こうというくらいに長い。

 そして一番特徴的だったのは、生真面目さを象徴するかのように横一文字に切り揃えられた前髪。

 あまりに真っ直ぐすぎて目を惹いていた。

 

(……こんな特徴的な前髪のウマ娘を見ていたら覚えていないわけがないんだが)

 

 どうあってもこの目の前のウマ娘の名前は出てこなかった。

 しかし、この様子ではこれが初対面というわけではないだろう。

 いや、マジ分からん。誰だ、コイツ……

 

「えっと……誰? だっけ……」

 

 困惑したオレの気持ちを代弁してくれたのは、共に部屋にいたミラクルバードだった。

 あぁ、助かったぞ。ミラクルバード。

 さすがにここまで雄弁に初対面じゃありませんってヤツを相手には面と向かって訊けなかったからな。

 そして件のウマ娘はといえば、苦笑を浮かべながら訊いてきたミラクルバードに少しだけ慌てた様子で再度敬礼して──

 

「し、失礼しました! わたッいえ、自分は、()()()()()()()でありますッ!!」

 

 そんな彼女のあまりにも意外で衝撃的な返答に──

 

 

「「はい?」」

 

 

 オレとミラクルバードは思わず同時に首を傾げた。

 いや、ダイタクヤマトって……あのダイタクヘリオスの劣化コピーギャルみたいなヤツだっただろ?

 違うだろ、これ……というオレの感想はミラクルバードも一緒だったらしく、彼女はさらに尋ねていた。

 

「ダイタクヤマトって……昨日の?」

「はい! そうです!!」

「でも、雰囲気というか様子というか、姿というか……変わったよね?」

「これが本来の自分なんです。それを偽っていたのを、乾井トレーナーに指摘されて改心したんです!!」

 

 ……え? これが本当の姿?

 あまりにも偽りすぎ。というか完全に別人じゃねーか。

 彼女曰く、あの後で髪色を戻したり髪を整えたりしたらしい。

 メイクも落とし、自分の素の姿になって今日やってきたということだった。

 

「これを見抜いたトレーナー殿の慧眼には感服いたしました。さすが《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》、なんでもお見通しですね」

 

 そう言って敬愛100%の視線を向けてくるダイタクヤマト。

 ええと……オレ、超能力者じゃないんでさすがにそこまで見抜けるわけ無いからな。

 明らかな過大評価に、心苦しくてたまらない。

 というか、こんなの予想不能だろ。

 もちろんそれをわかっているミラクルバードからは疑いのジト目が向けられているわけだが。

 

「このダイタクヤマト、トレーナー様に忠誠を誓い、一命を()してその御指導に報いる所存ですので、これからよろしく御願い致します!」

 

 再度一礼し、顔を上げる彼女。

 

(……いや、忠誠とか誓う必要も、一命を賭す必要もないからな?)

 

 と、そのあまりにも重い思い詰めっぷりに多少の不安を感じなくもない。

 しかし真面目な性分の顕れなのだろうと前向きに納得する。

 だからこそ……オレはそんな彼女の生真面目さに正面から向き合わなくてはならない。

 昨日、オレは確かに彼女に言った。「今のままなら、チームに入れられない」と。

 別人の皮を被り、自分を隠していた昨日までの彼女であれば。

 だが──今の姿にそれはない。

 そしてその一歩を踏み出すには、今までの自分のスタイルを捨てるには、間違いなく覚悟を必要としたはずだ。

 

 その覚悟と決意に……報いなければならない。

 

 なによりも今の彼女の、その本来の姿にオレは『面白い』と思っていた。

 興味をひかれていた。

 可能性を感じていた。

 実績や名声を覆して結果を出す──奇跡(ミラクル)を起こさせる小さな小さな光を。

 逆転、番狂わせ……想定外に誤算。

 オレ自身もまた、自分の心が久しぶりに揺さぶられるのを感じていたのだ。

 

「……わかった。お前がウチに入るために、オレに言われた通りに“変わる”決心をしたというのなら、もちろん歓迎する。お前の“夢”を実現するために、全力でサポートさせて欲しい」

 

 そう言ってオレは手を差し出した。

 それを、彼女は困惑したようにオレの顔と何度か見比べていた。

 戸惑いながらミラクルバードに視線を向けて、彼女が苦笑しているのを見て──それがようやく握手だというのに気が付いて掴んだ。

 

「これからよろしくな、ダイタクヤマト」

「はい! よろしくお願いします!!」

 

 そう言って彼女は、ここにきて初めて笑顔を浮かべた。

 意外と人懐っこそうなその顔はオレにダイタクヘリオスの笑顔を思い浮かべさせた。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──かくして、〈アクルックス〉に新メンバーが加わった。

 その名は……ダイタクヤマト。

 果たして彼女こそ“次なる『!』”なのであろうか。

 それはまだ神のみぞ──いや、全能たる神でさえもそれはまだ……

 




◆解説◆

【号砲一発!! ダイタクヤマト始動!!】
・『宇宙戦艦ヤマト』の第2話のタイトル「号砲一発!!宇宙戦艦ヤマト始動!!」から。
・前話までのダイタクヤマトは本来の姿ではありませんでした。
・やっと本当の姿を見せたので、こらから「始動」となります。

ダイタクカミカゼ
・同名の実在馬を元にした本作オリジナルのウマ娘。
・モデル馬は1993年5月26日生まれ。牡の鹿毛。
・ダイタクヤマトと違ってダイタクヘリオスの産駒ではなく、むしろヘリオスとは母が同じの半兄弟にあたります。
・生涯成績は52戦9勝。2着3回、3着9回。
・ただし9勝の内の3勝は、地方競馬の高知での勝ち星。2000年9月からは高知競馬場へ移籍しています。
・今回、チーム移籍の候補になったのは1998年にあったダイタクヤマトの転厩が元ネタ。
・石坂調教師が橋口厩舎から独立する際に、橋口調教師がご祝儀として所属馬のダイタクヤマトかダイタクカミカゼを石坂に譲るという話になり、結果としてダイタクヤマトを譲ってもらったというエピソード。
・血統や成績から譲る側の橋口さんはてっきりダイタクカミカゼを選ぶと思っていたそうですが、「一年若くてその分長く走れるから」とダイタクヤマトを選んだそうな。
・その後はかたやG1ホース、かたや地方落ちと明暗を分けることに……
・本章の第3話に出てきた「カミ先輩」がダイタクカミカゼです。

本当の姿
・史実の戦艦にしても、宇宙戦艦にしても、ギリギリまでその姿を隠して見せないようにするのはヤマト(大和)の伝統芸なのです。
・そんなわけで、前話までの姿は自信喪失して自分を見失ったダイタクヤマトが憧れにすがりついた結果、“ダイタクヘリオスになってしまった”姿でした。
・一直線に切りそろえられた前髪と、長い後ろ髪は“大和撫子”の要素から。
・黒鹿毛なので赤みがかった黒髪ということになっています。


※次回の更新は8月14日の予定です。  



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第6R ヤマト沈没!! 彼女が自分を偽った理由


 ──私が彼女の“偶像”にすがるようになったのは、あのウマ娘がきっかけだったのは間違いありません。

 クラシック期を迎え、一生に一度しか挑戦できない、ウマ娘の誰もが憧れる栄冠へ向かって踏み出そうとした……彼女に出会ったのはまさにその時でした。
 その走りを見せつけられ、私は思った。

 ……格が違う。

 その世代に一人の天才、と呼ばれるウマ娘がいる。
 でもそんな中には、10年に一人と呼ばれる天才もいる。
 重賞常連となり、GⅠ制覇をめぐる争いの中心となる彼女たちは“時代を担うウマ娘”と呼ばれることになります。
 これまでもそういうウマ娘達が時代を築いてきたのはよく知っています。
 彼女たちが持つ、有名な異名や二つ名が頭をよぎる。
 そうして……その彼女もまた、きっとそういう“名前”を世間から与えられることになるんだろう、と漠然と思いました。

 あの速さは間違いなく……“次の時代を創る”と思えましたから。

 到底かなわないことを思い知らされた私は自分を見失うことに。
 そうしてアイデンテティを完膚無きまでに破壊された私は、心の拠り所だった“憧れの偶像”にすがりつくことで、どうにか自我を保った。

 だって、そうでもしないと──私が走る意味がわからなくなってしまいそうでしたから。

 自分の実力では到底太刀打ちできない。
 それが分かっているからこそ、憧れのウマ娘のなりきり(アバター)となることでその力を借りようとした。

 そして……そうしてしまったことで、たとえレースに負けようとも自分の“なりきり”度合が足りないとか、そして本当の自分が負けていないとか、無意識に心の中で言い訳していたのかもしれません。



 

 ──正式にダイタクヤマトを〈アクルックス(うち)〉で預かることが決まり、オレは色々と連絡をしていた。

 

 もちろん学園の事務方へ連絡してチーム移籍の手続きをする、といった制度上必要不可欠なことはもちろん、絶対に連絡をしなければならない相手がいた。

 

 ……正直な話、あまりしたくはない相手ではあった。

 

 トレーナー部屋にある電話の受話器を掴む前に、思わず小さくため息をついてしまう程度には拒絶していた。

 相手に対して嫌悪感を抱いているわけじゃない。

 むしろ──あまりに申し分けなさすぎて、オレがその人に対して顔向けできないせいだ。

 意を決し、受話器を握りしめたオレは、その人へと電話を架けた。

 コール音がして数秒後、相手が電話をとる。

 

「……ご無沙汰をしています、先輩」

『ああ。中央の学園からだから誰かと思ったけど……キミか、乾井クン』

 

 緊張していたオレとは対照的に、相手からは砕けた感じの明るい声が返ってきた。

 電話の相手は〈ミモザ〉での研修時代にお世話になった先輩であり、つい先日までそのチームに所属し、メイントレーナーの(あか)()() 礼菜(れいな)を補助し続けたサブトレーナーだった。

 その人は、師匠が長年自分の補佐として手元に置いており、もっとも信用していた弟子といっても過言ではない。

 そしてオレがあんなことをしでかさなければ……研修を終えたばかりのレナ子(礼菜)に補佐を譲り、独立してチームを立ち上げていただろう。

 師匠(おやっさん)が引退し、チームを娘に譲らなければ……

 

『ヤマトを引き受けてくれるんだって? いや~、楽しみだなぁ』

「楽しみ、ですか?」

『そりゃあそうだろう? なんといっても()()乾井 備丈が担当してくれるんだからね。キミが育てたウマ娘達が残した成果を考えればワクワクするよ』

「それは……あれはオレの成果なんかじゃありませんよ」

 

 オレが答えると、先輩は『う~ん』と唸り、芳しくない反応を見せた。

 

『礼菜から聞いてたけど、随分とまぁ謙虚というか卑屈というか……自己評価が低いねぇ、キミは。あれだけ世間の注目を集めるウマ娘を育てておいて』

「オラシオンのことなら、それこそ彼女が生まれ持った才能のおかげですよ」

『その才能を伸ばせるのもトレーナーの才能なんだけどね。私の方はサッパリさ。なにしろヤマトは……伸び悩んでいたからねぇ』

 

 受話器の向こうで、先輩が苦笑を浮かべているのがわかった。

 ダイタクヤマトはシニア期を迎えたものの未だにオープンクラスに到達できていない条件ウマ娘だった。

 

『ま、だからこそキミに期待するわけだよ、乾井クン。礼菜もさすがだね。いい相手を見つけてくれたよ』

「そんな、オレなんて……」

『キミの本当の才能は、オラシオンのようなウマ娘を育てること、じゃあないだろ? ねぇ、《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》?』

 

 楽しげに、そして悪戯っぽい口調で先輩は言う。

 

『そんな箱の中に私が面倒を見たダイタクヤマトが入ったとなれば、期待しちゃうじゃないか』

「あいにくと最近は“()き箱”とか“ゴミ箱(ダストボックス)”とか言われてますけど?」

 

 そんなオレの返しに、先輩は「あはは」と笑った。

 

『いつもいつもビックリ箱だったら誰も驚かなくなるだろうよ。慣れちゃってさ。ハズレくじ(スカ)の中にアタリがあるからこそ驚きとワクワクがある。そう思わないかい?』

 

 全部当たりくじだったら、引く意味なんてないだろう? という先輩の言葉は、まぁ、分からなくもない。

 “競走に絶対はない”からこそ面白いんだし、一流とは言い難いウマ娘達も夢を見ることができるんだから。

 

『それに世間の皆はキミのことを表面上では散々に評価しようとも、期待しているんだよ。《人気薄の魔術師》がどんな奇術(マジック)を見せてくれるのか、をね。そしてそれは私も同じさ』

 

 先輩の声のトーンが変わる。

 それにはほんの少しだけ……申し訳ないという後ろめたさを感じた気がした。

 そしてそれは、オレに対するものじゃないこともわかっている。

 

『だからこそ……私では扱いきれずに“秘密のままの秘密兵器”になってしまったヤマトを、キミが日の目を見せてくれる。そう信じているよ』

 

 その先輩にオレが返せるのは「頑張ります」と返すのが、今のオレには精一杯だった。

 オレが“絶対に成功させる”と約束しないのを知っている先輩は、その言葉で満足してくれたようだった。

 

『遠征でウチの地元の近くに来たら、顔を見せてくれると助かるよ。ヤマトを連れてね……って、そういえばキミ、とんでもないのを地方(ローカル)に送り込んでくれていたね』

「え?」

 

 オレが育てたウマ娘で、地方(ローカル)シリーズで活躍しているヤツなんていたか?

 戸惑いながらも首を捻ったが……心当たりはサッパリない。

 どういうことだろう、と思っていると──

 

『ウマ娘じゃなくてトレーナーだよ。私みたいに元は中央(トゥインクル)シリーズでやっていたらしくてね。キミの名前を出したら、親の(カタキ)のような目で見られたよ』

「はぁ!?」

 

 先輩の話す内容にも驚いたが、それを楽しげに「あっはっは」と笑いながら話すことにも驚かされる。

 オレ、誰かに恨まれるようなこと、って、あ……

 

「ひょっとして、その人ってまさか──」

『ああ。〈カストル〉ってチームを担当していたらしいね、彼女──』

 

 その先の話は聞きたくなかったし、記憶にない。

 ……悪いけど先輩、どんなに近くに行ったとしても顔を見せに行くことはできないな。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──さて。

 そんな先輩が手塩にかけて育てていたダイタクヤマトだが、これまでの成績を見ると……滑り出しは順調、と言えずともまずまずのスタートを切れていたのはわかる。

 と、トレーナー部屋で手元の資料を眺めつつ、オレは物思いに耽っていた。

 

「なにしろデビューはジュニアの9月……」

 

 新人(メイクデビュー)戦が始まるのはジュニアの6月。

 その開幕に間に合わなかった、というのは確かだがそれに無理矢理照準を合わせる必要性はほぼ無いと言っていい。

 確かに早い内にデビューする利点がないワケじゃない。

 早い段階でいい結果を残せればファンの目に留まりやすいのは間違いない。

 また、早い時期であればそれだけ本人はもちろん周囲もまたトレーニング期間が短いということになる。

 それはトレーニングの成果による“伸び”の差が大きくなる前の、極端に言えば“ドングリの背比べ”を狙うこともできるわけで、「周囲も未熟な内に勝っちまえ」という乱暴な手法もできなくはない。

 

(だがそれは、結果を残せれば、という話だ)

 

 負けを重ねれば、そしてそれが次の結果を期待させるようなものでなければ、もちろんファンの目は厳しくなっていくだろう。

 確かにメイクデビュー戦はジュニアの7月から始まる。

 しかしクラシック期になってもそのレースはあるし、クラシックになってから初出走(デビュー)するウマ娘も珍しくない。

 成長速度はウマ娘(ひと)それぞれ。“勝てる”と思えるようになってからデビューするのが基本であり、その見極めがトレーナーにとっても重要なのである。

 

(で、レナ子と先輩は9月頭で“いける”と判断したってわけだ)

 

 さっきも言ったとおり、メイクデビュー戦はクラシック期まであるし、クラシック期でのデビューは晩成型のウマ娘なら珍しくもない。

 そんな中で9月にデビューさせているのだから早い方に入る。育成は順調だったんだろう。

 晩成型……遅咲きの多い〈アクルックス(うちのチーム)〉の中ではかなり早い。

 ジュニアのGⅠをとったオラシオンのデビュー時期でさえ、もっと後になったしな。

 

(結果は3着と、まずまずといったところか)

 

 もちろん理想はデビュー戦での初勝利。

 だがデビュー戦で勝てるのは、もちろん出走者の中で1人しかいない。

 一つのレースに10人近くの出走者がいると考えれば、デビュー戦で勝利できたウマ娘の割合は1割程度なんだから、デビュー戦で勝てないのが珍しいなんてわけじゃない。

 勝利まで後少しの3着という結果は、次のレースに期待を持たせるのに十分だろう。

 

「前にいたのは2人だけなんだから、メンバー次第では勝てたということでもあるしな」

 

 そんなオレの考えを肯定するように9月末に同じ阪神レース場の新人戦に出走し──結果は2着。

 道中は終始2番手で、先頭をきったウマ娘にそのまま逃げ切られたというレース。

 これまたジュニアの9月という時期と2着という順位、さらにはレース展開を考えれば、運に恵まれなかったという印象が強い。

 なにかのアヤが変わっていれば、初勝利を得ていてもおかしくなかっただろう。

 

「その後、10月半ばに走らせているのを見ると、手応えは感じていたんだろうな」

 

 2戦走ったので新人戦へは出られなくなり、新潟のジュニア未勝利戦に出走したダイタクヤマト。

 しかし結果は順位を落として4着。

 

「ま、未勝利戦の方がレベルが高くなるのは当然だからな」

 

 すでにデビューして何戦か競走(はし)ってる連中が出走してくるし、“勝ってないから落ちこぼれ”とかいうような時期でもない。

 さっきの説明通りレースに勝てるのは十数人に一人で、まだまだ走ったレースの数も少ないんだから。

 むしろ出走メンバーの「勝ちたい」という気持ちが強まり、練習にも熱が入ってくる。

 そうして貪欲に勝ちを狙ってくるんだから厳しいレースになるのも当然だ。

 

(……それがクラシック未勝利、それも11月ともなれば修羅場と化すけどな)

 

 11月の福島の通常営業(普段の光景)だが、それはまさに後がないウマ娘達が集う地獄絵図。

 それに比べれば遙かにマシだが、新人(メイクデビュー)戦よりもレベルは高く、順位を落としたとしてもさほど気にすることはない。

 気にするべきは、このダイタクヤマトのように“勝てそうで勝てない”レースが続くことで負けグセがついて、本人のモチベーションが下がることだ。

 

(そして同時に……なぜ、勝てないのかを真剣に考えるべきタイミングでもある)

 

 言い方は悪いが、ジュニアのメイクデビュー戦は玉石混淆といった有様で、生まれ持った才能や実力差が如実に現れるレースでもある。

 時代を担うウマ娘も、日の目を見ることなく終わるウマ娘も、未出走(デビュー前)なら立場は同じで、そこに差がないのだから。

 その後は一生交わらない実力差があったとしても、メイクデビュー戦だけは別。

 だからこそ作戦や適性を考えずとも、才能による身体能力の差に任せて勝ててしまう。

 それが数度レースを重ねることで得手不得手を把握し、戦略を組み立てていくわけだ。

 

「ここまでのレース、ダイタクヤマトは全てダートを走っている……」

 

 おそらく考えあってのことだろう。

 だがそれを改めたのか、次の11月頭のレースでは京都の芝コースで行われたジュニア未勝利戦に出走している。

 そして……

 

「初めて先頭(ハナ)をきって、そしてそのまま逃げ切り……」

 

 見事に初勝利を挙げた。

 これまでのレース、ダイタクヤマトは3番手や2番手、4番手と前の方でレースをしている。

 そしてそのままゴール板を通過するというレースばかり。

 時期的に考えれば、彼女がどう頑張っても追いつけなかったというケースも十分に考えられるが、末脚に期待できないと下した〈ミモザ〉陣営の判断は合理的だったといえる。

 

「そして本人的にも、本望だっただろうしなぁ」

 

 オレは、小さくため息をついた。

 逃げ切り勝利こそ、彼女が憧れた姿だっただろう。

 ダイユウサクと2人──ミラクルバードを入れれば3人だったが──だったころ、出走させたマイルチャンピオンシップ。

 そのときの彼女、ダイタクヘリオスの走る姿を思い出していた。

 

 先頭をきって走り、そしてそのまま1着でゴールする。

 

 憧れたウマ娘の理想的な展開そのままの走りで勝つことができれば、さぞや興奮したことだろう。

 それを反芻するかのように、11月末に開催された阪神芝1400の条件戦さざんか賞で再び逃げ切って勝利している。

 ダートよりも芝の適性が高く、そして“逃げ”という勝ちパターン(得意戦術)も手に入れた。

 ジュニアGⅠには間に合わなかったかもしれないが、その成果を引っ提げてクラシックレースに挑戦できるのは大きかっただろう。

 

「その自信が、叩き折られなければ……な」

 

 クラシックレースの開幕戦といっても過言ではない1月半ば開催のGⅢ、シンザン記念。

 グレードレースともなれば、さすがに周囲の実力は違う。

 先頭で逃げるという勝ちパターンに持ち込めなかったのもさることながら……途中から上がってきたウマ娘に完全に力負けしていた。

 結果は、8着。

 今まででもっとも悪い着順だ。

 もちろん重賞初挑戦ということを考慮すれば、やむを得ない結果だったのかもしれない。

 だが……

 

(おそらくダイタクヤマトは、ここで挫折を味わったはずだ)

 

 このレースを制したウマ娘に圧倒的な実力差を見せつけられて。

 世界(ワールド)(クラス)の実力を持つと言われた彼女の名前は──シーキングザパール

 

「ここまで順調に来ていた成績が、ここから明らかに落ちている」

 

 2連勝して波に乗ったはずのダイタクヤマトだったが……勝てなくなっていた。

 彼女の実力を見せつけられ、自信を失い、そして──ここからはオレの推測だが、憧れる偶像にすがりついたんだろう。

 レナ子の話によれば、この頃から髪に差し色を入れたり口調が変わったりしたらしい。

 

「自分の実力では勝てない。でも“あこがれのウマ娘(ひと)”なら勝てるはず……」

 

 その存在に()()()()()()()()()、勝てる。

 そう思いこみ、藁にすがったのだろう。

 ……そんなことをして、勝てるはずもないのに。

 

「“別の誰か”になんて、なれるはずがないんだ」

 

 オレはそうつぶやいて、思わず再びため息をついた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 私は、ジュニアの年の最後の方でやっと自分の走りを見つけた。

 それが“あこがれのウマ娘(ひと)”と同じものだったことに歓喜した。

 結果を出したその走り方に自信を持って……クラシックレースに挑める、と思っていた。

 

 シンザン記念での敗戦……

 

 確かにあのウマ娘は強かった。

 8着に終わった自分との圧倒的な実力差も感じた。

 その差に愕然としたのも確かです。今の私じゃとても敵わない、と。

 でも……

 

 それでも私は、そこで心折られたわけじゃない。

 

 シーキングザパールの走りは私が目指すものではなかったんですから。

 だからこそ負けても、自分の信じた道を進み続ければいつか勝てるかもしれない。

 

(いいや、あの人のあの走りを私ができれば、きっと勝てる)

 

 その思いで邁進することができた。

 それが砕かれたのは──何気なく目にした、私が出走さえしていないレースだった。

 2月頭に開催されたそのレース。

 圧倒的な速さを誇り、先頭を切って走るそのウマ娘。

 

 誰も追いつく可能性さえ感じさせないその速さ──まさに“異次元の逃亡者”だった。

 

 結果を見れば、メイクデビュー戦とはいえ7バ身もの差を付けた圧勝。

 そんな私が理想とし、私の“憧れた存在”の到達点ともいうべき場所に、すでにいる彼女の姿に愕然とするしかなかった。

 その実力を証明するように、彼女はクラシックレースで頭角を現していく。

 

 私の理想の“走り”はもう…………

 

 それでも彼女に対抗できる光景が浮かばなかった。

 “逃げ”という同じ土俵で戦う以上、彼女には絶対に勝てない。

 

 そんな存在が、同期にいる。

 

 その事実に、私は心折られてしまった。

 ゆえに、私は……私は自分の憧れるウマ娘の“強さ”を真似ることができないと悟り、姿形を真似ることで自分の気持ちを誤魔化すことしか、できなかった。

 

 

 ──それで優秀な結果を残せずとも、見失った自分にそれ以上の強さを持っているとは思えなかったんですから。

 

 




◆解説◆

【ヤマト沈没!! 彼女が自分を偽った理由】
・「ヤマト沈没」は『宇宙戦艦ヤマト』の第7話のタイトル「ヤマト沈没!!運命の要塞攻略戦!!」から。
・7話という序盤で察せられるように、もちろんその話でヤマトは沈みません。(笑)

彼女
・第一章の序盤でダイユウサクを担当してやらかしたチーム〈カストル〉の女トレーナーのこと。
・この人の復活、実はけっこう考えてるんですよね。
・地方から有力ウマ娘引っ提げて中央に殴り込んで〈アクルックス〉のウマ娘と対決……みたいな展開を。
・“どこの地方(ローカル)トレセン学園に左遷(トバ)された”と明確にしていないのはそのせい。
・今回の“先輩”の移転先をハッキリさせていないのもそのあおりを受けています。
・ただ、対象になるモデル馬がいないんですよねぇ。
・地方馬出てくるのって、本章だと転厩後からになるので、()()()()()の前走くらいなんですよね。
・で、その地方馬の着順は……最下位なワケで、もう完全にギャグ要員にしかならないじゃん!

デビュー
・モデルの実在馬ダイタクヤマトのデビュー戦は1996年9月8日阪神第5レースの3歳新馬戦。
・12頭立て。ダートの1200。天候は晴。馬場状態は良。
・3~2番手と前方でレースしたダイタクヤマトですが、後ろから追い込んできたケンタシチーとフライトワンに抜かれて3着でした。

新潟のジュニア未勝利戦
・実在馬ダイタクヤマトの3走目は10月12日に新潟で開催された第5レース、3歳未勝利戦。
・8頭立てで4着と奮いませんでしたが、わざわざ解説に取り上げたのはこのレースの騎乗が大崎昭一騎手だったこと。
・そう、1992年にレッツゴーターキンで天皇賞(秋)をとった大崎騎手です。

初勝利
・ダイタクヤマトの初勝利は4走目になる1996年11月2日に京都の第1レース、3歳未勝利戦。
・芝1200。天気は曇で馬場状態は稍重でした。
・それでの好走を評価されて3番人気だったダイタクヤマトは、初めての芝で先頭(ハナ)を切って走り、そのまま逃げ切って見事に勝利しました。

シーキングザパール
・ダイタクヤマトは1994年生まれのいわゆる97世代。
・同期には公式ウマ娘も多く、シーキングザパールはその中の一人です。
・そのシーキングザパールとは1997年1月15日に京都で開催されたシンザン記念で対決。シーキングザパールは1着、ダイタクヤマトは8着に敗れています。
・元ネタ競走馬は短距離~マイルで活躍しており、距離的には短距離専門のダイタクヤマトと重なるのですが活躍時期が異なるので、同じレースを走ったのはこのシンザン記念だけです。
・ですので、本作ではシーキングザパールは出てきません。
・まぁ、公式化こそしていませんが、他の()()()()()()()()娘は出てくることになりますけどね。

異次元の逃亡者
・サイレンススズカのこと。
・97世代ですので彼女とも同期ということになります。
・一応、第三章も年代は第二章に引き続いてウマ娘時空になっているアニメ版準拠になっているのですが……ウマ娘って第1期の主役だった98世代との対比で97世代の学年とか年齢がよく分からんことになってるんですよねぇ。
・サイレンススズカやタイキシャトルはスペシャルウィークの年上なのは間違いないんですが、シーキングザパールはエアグルーヴに「先輩」と呼ばれて年上になってるし。
・マチカネフクキタルは……よくわからん。

心折られて
・ここ、ちょっと(かなり)盛ってます。
・というのも史実のサイレンススズカが頭角を現すのはシニアに入ってからです。
・実際、ダービーは9着だったりその年の天皇賞(秋)は6着、マイルチャンピオンシップに至っては15着です。
・ですのでこの時点(デビュー直後)に心折られることは無い時期なんですが、あくまで“史実とは違う”ということで。
・たぶん翌年の大活躍の片鱗を見たんでしょう。
・なお、距離的な面でシーキングザパール(と書いていませんがタイキシャトル)に絶望し、“逃げ”という戦術面でサイレンススズカに心折られたという状況です。


※次回の更新は8月20日の予定です。  



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第7R 試練!! 進むべき道を探せ


 ──留学から帰ったあたしは、立派にトレーナーとなった“相棒”のチームへと入った。

 この認識は確かに正しい。
 留学前……それこそあたしが留学できるなんて大層な身分になる前から世話になったあいつが、今や一人前のトレーナー様になってチームを持っていたんだ。世話にならない理由がねえ。

 ……ま、あたしが居ねえ間のゴタゴタやら、あたしが夢を語った有記念を勝手に他のウマ娘にとらせてたのは癪に障るところだけどな。

 それはともかく、だ。
 だが、他のチームにいく頭がなかったかと言えば、決してそんなわけじゃなかった。
 チーム〈ミモザ〉。
 あたしのもう1人の……最初の“相棒”に引っ張られて所属したチームだ。
 あいつ(彼女)との思い出が、良いも悪いもひっくるめてその名前には詰まっている。

 おっとりした良いとこの令嬢と思ってたら、あたしなんぞが及ばない実力を持ったウマ娘だったこと。
 “お嬢に負けたくない”“いつか、必ず勝つ”その一心で研鑽に励んだ時期。
 壁にぶつかり、なかなかレースに勝てない日々。
 そこで出会った研修生(あいつ)と、ぶつかったり馬鹿をやったりして──挑むことになったあのレース(天皇賞(秋))
 そこで得た勝利(下克上)と……失った、“相棒(あいつ)”。
 彼女(あいつ)の分まで走ると誓い、そして挑んだ春のマイルレースの頂点(安田記念)

 あのチームに思い入れが、無いわけがない。
 もちろん研修生への恩義は感じていたし、一人前になってもやるだろうあいつのやる面白いことに興味もあった。
 だが、それを差し引いてもあたしの気持ちは傾いていたんだ。
 あたしの原点(スタート)と、転機(出会い)と、栄冠(思い出)が埋まった、あのチームに帰ることへ。

 ──だからこそ、この学園に来て真っ先に訪れたのはそのチームだった。

 そして……現実を知った。
 だからマルさん(マルゼンスキー)と連絡を取り合い、あいつの居場所に案内してもらった。



 

「さて、ダイタクヤマト……本格的な指導に入る前に、差し当たってお前の適性を改めて確認したい」

「はいッ!」

 

 そのウマ娘の前でオレが手元の資料を眺めながら言うと、直立不動の彼女から威勢良く短い返事が返ってきた。

 その大きな声にチラッと彼女──ダイタクヤマトへと一度視線を向け、そして戻す。

 心の中でため息をつきながら……

 

(どうしてこうなった?)

 

 確かにオレは、アイツの当初の様子は本来の彼女ではなく無理をしている姿だと思った。

 だからこそ指摘した。そのままではいけないと判断したことに間違いはないと信じている。

 本来の性格に戻ったのであれば喜ぶべきことだし、なにより自分がさせたのだから受け入れなければならない。

 それは分かっちゃいるんだが──

 

(いくらなんでも、落差(ギャップ)がヒドいだろ……)

 

 こういう性格だったなんて想像できるわけ無いだろ? その前までへらっと笑って「よろ~☆」とか言ってたのが、大真面目な顔で「ヨーソロー!」とか言い出しかねないんだから。

 今の返事だって、ビッと片手を挙げて敬礼しかねないような勢いだったぞ?

 真面目なのは美徳だし、なにより言うことを聞いてくれそうだから助かるんだが……なんというか堅苦しいし、そして“重い”。

 冗談で言ったことさえも大真面目に真に受けて、それを元にトレーニングし始めそうで怖いんだよなぁ。

 

「……どうかしましたか? トレーナー殿」

 

 考えにふけって言葉が止まったオレに対し、一直線に切り揃えた前髪越しに戸惑いと不安の目を向けてくるダイタクヤマト。

 憧れのウマ娘を意識した髪の毛の青い差し色はすっかりなくなって、本来の黒髪(黒鹿毛)になっており、同じように意識していた髪型も纏めていたのを解いて背中に広がり、風にたなびいている。

 

「いや、気にするな。トレーニングを考えていただけだから……」

「ハイッ! ありがとうございますッ!!」

 

 再びの威勢のいい返事。

 自分なんかのために──という言外の言葉が聞こえてオレはまたこっそり心の中でため息をついた。

 う~ん、そういうところがどうにもやりづらい。

 担当ウマ娘に真摯に向かい合うなんて、トレーナーとして基礎中の基礎で当然のことだろ?

 それをわざわざ大げさに受け取られて、必要以上に感謝されても調子が狂うんだよな。

 こうなるとダイユウサクの不愛想さが少し恋しくなってくる。

 まぁ、ともかく──

 

「お前の実力を見るために“合わせ”をやってもらう」

「わかりました!」

 

 直立不動の返事は、やっぱり敬礼しかねないほどの勢いだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 最初にダイタクヤマトと走ったのはサンドピアリス。

 芝コース、距離を2400に設定しての実戦形式。

 その結果は──

 

「ピアリスの圧勝だな」

「そうだね」

 

 楽しげに笑顔を浮かべていたサンドピアリスと、苦しげにいっぱいいっぱいだった感じのダイタクヤマトの表情はまさに対照的。

 ゴール地点でそんな二人が駆け抜けて行くのを見ていたオレは、傍らにいる車椅子のウマ娘──ミラクルバードへ話しかけた。

 

「ピーちゃんの得意距離だもんね、2400は。それにヤマちゃんの得意距離ってもっと短いんじゃないの?」

「それはわかってる。だが一応、長い距離も見ておこうと思ってな」

 

 今までのダイタクヤマトの出走歴を見ると、そのほとんどが短距離

 当然それには気づいていたが、あまりにも一辺倒だったので長距離への適性を一応は確認したかったというわけだ。

 

「担当したからには、色んな可能性を探っておくべきだろ」

 

 オレは、ダイタクヤマトがイメージをガラッと変えてやってきた日のことを思い出す。

 髪色を戻し、髪型もガラッと変え、偽っていた性格を元に戻した。

 それは彼女が変わる決意の表明に他ならない。

 彼女がそう覚悟を決めたのなら、オレもそれに応えなければならない。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「条件ウマ娘だからって、オープンクラスのサンドピアリスに負けても仕方がないとはならないからな」

 

 そう言い切ったトレーナーの言葉に、ボク──ミラクルバードは思わず目元を隠す黄色い覆面の奥で、目を丸くした。

 

「え? 随分と強気というか……高い(こころざし)だね」

 

 苦笑気味になりながら、つい口から感想が出ちゃった。

 でも仕方ないと思わない?

 だって、ヤマちゃん──ダイタクヤマトはシニアの年代になってもまだ条件戦を戦ってるようなウマ娘だよ?

 対してピーちゃん──サンドピアリスはクラシックGⅠの一つ、エリザベス女王杯をとった。

 あのレースを、大本命(シャダイカグラ)の故障が原因で起きた大波乱(マグレ)と評する人も多いけど、それでもその後(シニア)重賞で2着や3着に入ったりして実力を示してる。

 だから二人の間に実力差があるのは当然のこと、とボクは思うんだけど……

 

「当たり前だ。厳しい目で見て適性を判断して勝てるレースを狙っていかなきゃならない。年齢が上がってのオープン昇格ってのはそれくらい厳しいんだ」

 

 あ……

 真面目なトレーナーの目で、ボクは思い出していた。

 ダイユウサク先輩とトレーナーが、オープン昇格にどれだけ苦労したのかを。

 ボクが競走ウマ娘をやっていたときは、幸いなことに早い時期に勝ちを重ねられたからクラシックGⅠにすんなり登録できた。

 その成功体験があったから、オープン昇格はスムーズにいくものって感覚だった。

 だからシニアになっての昇格が難しいのを知らなかったんだ。

 ジュニアとクラシック期のレースは同年代と競うのが多い。

 もちろん、そこでも実力差はある。

 でもシニアになると上の世代との戦いが格段に増える。

 

「シニアってことは、対戦相手は少なくとも経験が自分と同じかそれ以上の相手になる。そいつらを相手に勝たなきゃいけないってことだ」

 

 トレーナーは呼吸を整えているダイタクヤマトを見ながらそう言った。

 

(年上相手になれば、積み重ねた努力の量とレース経験の差が歴然なんだよね……)

 

 これはクラシックの春までしか走れなかったボクには未体験のこと。

 覆しようのない積み重ねというハンデを背負って戦う不利。

 そんな中で突きつけられる自分の実力と限界。

 それを目の当たりにしながら見なければならない現実と、それでも上を目指すために見続けなければならない夢。

 

(GⅠとか重賞レースにある華やかさとはかけ離れた、ドロ臭い争いがそこにあったのをボクは見た)

 

 オープンクラスに向けて皆が血眼になって競うのが条件戦──特に準オープンというその目前にまできている階級(クラス)は熾烈だった。

 ダイユウサク先輩は、そこを抜けるのに一年近い時間を使ってる。

 そして、シニアで条件ウマ娘のダイタクヤマトがまず挑まなければいけないのは、そんな先輩達と同じ道。

 それをトレーナーは理解してるからこそ貪欲に勝ち筋を探しているし、ダイタクヤマトの潜在能力を見ている。

 

(ボクは、まだ……甘いってことだよねぇ)

 

 自分の感覚に頼ってしまっていたことを心の中で深く反省。

 同時にボクには思いつかないことを考えられるトレーナーを尊敬する。

 

「もちろんサンドピアリス相手に勝たないといけないってわけじゃない。互角とはいかなくとも、この距離を得意とするウマ娘相手に対抗できる片鱗でも見つかれば、可能性はあると判断できる」

 

 なるほど、ね。

 でもトレーナー、ヤマちゃんはピーちゃんに完敗してるけど……どういう判断になるのかな、これ?

 そして、この次は──って、んん?

 ボクは気になってふと視線を横にずらした。

 

「……で、そこでなにしてるの? ダイユウ先輩」

「見てわかるでしょ? アップよ」

 

 少し離れた場所でジャージを着たダイユウサク先輩が、入念に準備体操をして体の筋を伸ばしてた。

 

「もしかして、走るの?」

「ああ。ダイユウサクには悪いが、次は中距離適性を見ようと思ってな」

 

 2000を走らせようと思う、と答えたのはダイユウ先輩じゃなくてトレーナー。

 ってことは、これってトレーナーの指示だよね?

 でも……ダイユウ先輩が走るのには不安があるよねぇ。

 

「大丈夫なの? トレーナー」

「言いたいことはわかる。だが、他に適任者がな……」

 

 そう言ってトレーナーが苦々しい表情を浮かべた。

 うん? 他にって、チームメンバーはいるよね?

 確かにターキンとかオーちゃんとかいなくなっちゃったメンバーもいるけど……

 

「ロンちゃんは?」

「オールラウンダーのアイツの強みは、様々な走りで相手に対応できること」

「うん。それはわかる。でも、それならもちろん中距離もいけるよね? オールカマーも勝ってるんだよ?」

 

 オールカマーは2200メートルのGⅡなんだから。

 ボクが首をかしげると、トレーナは苦い表情のまま答える。

 

「わかってるさ。でもアイツの強みを生かそうとすると、その走りは基本的に受け身になるんだ。相手の出方を見て使う手を決めて勝つ……いわば後出しジャンケンと同じだからな」

 

 よく言えば“後の先”とか“カウンター”。

 それってつまり相手の使う作戦を真っ向から叩き潰すわけで……

 

「勝つためにはそれでいい。だが、実力を計るための走りには向いていない」

 

 ああ、そっか。

 ロンちゃん──ロンマンガンの得意としてる駆け引きは、今回みたいなあくまで走りを見るための“合わせ”にはむしろ邪魔になる、と。

 そしてそんな強みを使わせないとなると……なんでも“そつなくこなせる”レベルというロンちゃん相手に善戦したとしても、今度は本当に適性があるのかが曖昧になっちゃうし。

 だから対戦相手に選ばない、と。

 

「じゃあ……おタケは?」

 

 近くを「♪ベ~ルベルベル ベルベット~♪」と口ずさみながら走るウマ娘を横目に見ながら、彼女のことをトレーナーに訊いてみた。

 そのウマ娘の頭上では、ちらちらとウマ耳がこちらに向いて様子を伺っているのがわかった。

 相変わらず、こっちというかトレーナーを意識してるのがバレバレなその姿には、思わず「あはは……」と乾いた笑いを浮かべるしかない。

 

「……アイツ、自分のアピールしか考えてないだろ?」

 

 沈痛そうな表情を浮かべてトレーナーがそれだけを言った。

 うん、予想できた。

 トレーナーのことが好きで好きでたまらない彼女の行動原理は、いかにトレーナーに見てもらうか。

 そうなると他のウマ娘(ダイタクヤマト)の走りを見たいと考えているトレーナーの邪魔になるのは、明らかだよねぇ……

 

「たしかに、ね」

「そういうわけで他にいないからアタシにお鉢が回ってきたってわけ。それともコン助、アンタが走ってみる?」

「もう、先輩の意地悪……」

 

 ため息混じりにアップを続けるダイユウ先輩を、ボクは黄色い覆面越しにジト目で見た。

 悪態ついてそんなこと言うけど、本心ではそんなこと思ってないのは長いつきあいで分かるよ。

 

「……でも、ホントに大丈夫なの?」

「アンタよりもアタシの方がマシでしょ? 走れるんだからね」

 

 ボクは心配しているのは、ダイユウ先輩の脚だ。

 一世一代の末脚を大舞台で見せた彼女の脚は、それ以降なりをひそめてしまった。

 おかげで翌年のレースでは精彩を欠くことになって、《一発屋》なんてあだ名までもらうことになった。

 その後、コスモ先輩と競ったエキシビジョン的なレースでは復活してたけど、それでもやっぱり不安はある。

 そこで頑張りすぎて再度……どころか余計に悪化させた可能性立ってあるんだし。

 そんなボクの不安をよそに、ダイユウ先輩はこともなげに言った。

 

「そんなに不安にならなくて平気よ。それとも参考にならないほどヤマトよりもアタシの方が遅いとでも?」

「ま、可能性はあるな。何しろデビュー2戦はタイムオーバーでグゥッ──」

 

 もう……トレーナーってば余計なことを言ってすぐにダイユウ先輩を怒らせるんだから。

 案の定、サッと近づいた先輩に脇腹を殴られてるし。

 

「……それだけ早く動ければ、大丈夫そうだな」

「御理解いただけたようで、なによりね」

 

 額から変な汗を流しながら強がるトレーナーと、澄まし顔で答える先輩。

 夫婦漫才じみた仲の良さを感じて、思わず「む~」と思ってしまうけど……いつの間にか1人のウマ娘がやってきていた。

 その彼女は、近づきながらボク達に話しかけてくる。

 

「──Hé、2000はお前の距離じゃねえだろ、ダイユウサク。その距離の実績で言えば、ここにいないターキンか……あたしだろ?」

 

 その声を聞いて、露骨に顔をしかめるダイユウ先輩。

 さらにそれを見て、ニヤリと意地悪く笑うそのウマ娘。

 ジャージさえ着ずに、黒のタンクトップにホットパンツというラフな過ぎる格好は、学園内では完全に目立っていた。

 頭の後ろで纏めた髪を靡かせつつ、乱杭歯を露わに不敵な笑みを浮かべた彼女は──

 

「よぉ、ビジョウ。面白そうなことやってるじゃねえか。あたしも混ぜろよ」

「ダイナ……」

 

 ギャロップダイナ。

 奇しくもダイタクヤマトと同じ、〈ミモザ〉から〈アクルックス〉へと移籍してきたウマ娘だった。

 




◆解説◆

【試練!! 進むべき道を探せ】
・比較的そのまんまなタイトル。

ほとんどが短距離
・ダイタクヤマトのここまで(転厩した1998年まで)で短距離以外だったのはシンザン記念(京都芝1600)、アーリントンカップ(阪神芝1600)、マーガレットステークス(京都芝1600)、逆瀬川ステークス(阪神芝1600)の4レースのみで、全40戦でもそれにマイルチャンピオンシップ(京都芝1600)が加わって5レースだけ。
・そんなわけで一番長くても1600までしか走ってません。
・だから2400でピアリスに勝てるわけが無い……

重賞で2着や3着
・サンドピアリスが2着だった重賞はラストランになった1991年の京都記念(GⅡ)。
・本作のサンドピアリスはまだ引退していない様子なので、まだ走っているようですね。
・たぶん、シャダイカグラの復活を待っているのでしょう。
・3着だったのは1990年のG2京都大賞典(GⅡ)。先の京都記念を併せて、どちらも京都芝2400メートルのレースです。
・なおこの時の京都大賞典で勝ったのはスーパークリークで、そのラストランになっています。
・だからオグリキャップは出ていませんが、ひょっとしたら『シンデレラグレイ』で扱われて出てくるかも……
・──と思ったけど、そもそもオグリのラストランで確実に出てくるんでしたね、ピアリスは。

中距離もいける
・架空馬なのでデータが無いロンマンガンですが、出走したのがキチンと判明しているレースは
  ダービー   2400(3着)
  菊花賞    3000(不明)
  オールカマー 2000(1着)
  毎日王冠   1800(不明)
  天皇賞(秋) 2000(4→5着※進路妨害で降着
  有馬記念   2500(不明×3※3回出走
  大阪杯    2000(3着)
くらいです。
・このデータを見る限りでは、むしろ中距離レースを得意にしているように見えますね。
・それを参考にして本作のウマ娘・ロンマンガンはマイルから長距離をそつなく走れるという設定になっています。

アイツ
・もはや正体をほとんど隠さなくなってきてるアイツ。
・しかしモデルになってる実在馬は11戦5勝で2着1回に3着2回と、実は〈アクルックス〉メンバーの中ではオラシオンを除けば最上位クラスの勝率を誇っていたりします。
・彼女がトレーナーが好きで好きでたまらなくなっている理由は、モデル馬のラストランになった1993年の天皇賞(春)での大敗の理由がフケ(発情)だったため。

格好
・ギャロップダイナの私服は、本作で彼女のモデルになっている『BLACK LAGOON』のレヴィの服と同じもの。
・しかし今回明言していませんけど、時期的には4月くらいの春先(新学期)がイメージなんですが、ちょっとその格好だと寒すぎやしませんかね?


※次回の更新は8月26日の予定です。  



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第8R 歴然たる壁! 希望の火を与えし者


「それじゃ新入り、相手してやんぜ。このギャロップ姐さんがな」

 自信ありげに割り込んできたウマ娘──ギャロップダイナが次の合わせの相手になった。
 もちろん割り込まれた形になったダイユウサクは不満そうだったが……

「ダイナに任せる。ただし距離は1400な」

 というオレの決定でダイユウサクはなにか言ってくることはなかった。
 確かに2000メートルはアイツの得意にしていた距離でもある。
 そして実績面では2000の秋の天皇賞(アキテン)を制したギャロップダイナにはかなわないのも事実だが、やっぱり対抗心があったんだろう。
 距離が変わったことでそのプライドも保たれたというわけだ。
 逆にギャロップダイナはオレに向かって、チラッと探るような視線を向けてきた。
 ただ、それも一瞬で──すぐに表情を戻している。
 オレの意図を分かってくれた、と思っていいだろう。

「トレーナー、適性を見るんじゃなかったの?」

 ダイナが訊きもしなかった一方で、素直にオレの決定に疑問を呈してきたのはミラクルバードだった。

「苦手分野の走りだけじゃなく、得意分野での実力も確認しないと駄目だろ?」

 ダイタクヤマトが短距離ばかり走っていたのは百も承知。
 ではなぜオレはそっちの実力を確認せずに長距離と中距離の適性を測ろうとしていたか?
 答えは、短距離が得意なウマ娘がうちのメンバーにいなかったから、という簡単な理由なんだけどな。
 確かにいろんなレースに出走した関係で、ダイユウサクは短距離レースにも出走している。
 阪神1200のレコードを出したこともある。
 だが、経験を重ねるごとに短距離への適性に対してオレは疑問を持ち始めていた。
 実感として2000メートルの方が結果を出しているし、有記念をレコード勝ちしたのを考えたら、やはり短距離よりもある程度長い距離の方が合っていたと思って間違いない。
 そして本人もその自覚はあるらしい。不満そうにしてはいても、言葉にして訴えてこないのはその顕れだろう。
 一方でギャロップダイナ。
 有名すぎる“《皇帝》を泣かせたウマ娘”の異名もあって、天皇賞(秋)のイメージが強いがコイツの本質はマイラーだ。
 実際、安田記念を制している。
 短い距離の走りに対応しやすいのはどっちと訊かれれば、オレはダイユウサクよりもダイナを選ぶ。

「ま、あたしは走れればなんでもいいぜ? 1400なんてマイラーのあたしに寄せた距離じゃなくても1200だろうが1000だろうが全然構わねえ」

 さっきの視線でそんなオレの信頼を確信できたからこそ、2000の距離にこだわらずに話を受けてくれたのか。
 その辺りは、やっぱり流石だと思える。
 長い付き合いだからこそ、こういうツーカーのやりとりができるんだからな。



 

 ──始まった、大先輩との合わせ。

 

 距離は1400。

 前に走った2400は自分にとっては明らかに長い距離です。

 でも今回は慣れた距離で、自分でももっとも性に合うと思っている短距離。

 先輩は「1200でも1000でも」と言ったけど、トレーナー殿は「1400だ」と頑として譲らなかった。

 そこになにかしらの意図があるのでしょうけど──ハッキリ言って、それを考える余裕なんてありません!

 

「くッ!!」

 

 得意な距離を走る私は、先輩よりも前の位置をキープしています。

 でもピッタリとついてくるその走りを見れば、精神的な余裕なんて全くない。

 なにしろ先輩が持っている武器──あの《皇帝》を後ろから抜いたという唯一無二の実績を持つ末脚を考えれば、背中に刃を突きつけられているようなもの。

 

(前へ。もっと前にいかないと……)

 

 距離を離すべく、さらに脚に力を込める。

 1400という短距離。全力疾走で走りきれば──

 

「……やっぱヌルいな。お前()

 

 ボソっと聞こえた、走っているはずなのに妙に鮮明に耳に入ったその声。

 そして次の瞬間──

 

「──ッ!?」

 

 私の横を、圧倒的な早さで駆け抜けていく先輩。

 その驚異的な末脚に、驚くことしかできない。

 

(これが、“《皇帝》を泣かせたウマ娘”……)

 

 中央(トゥインクル)シリーズ最強は誰か? という話題になれば必ずその名が挙がるウマ娘、現生徒会長のシンボリルドルフ。

 その彼女に勝ったことがある日本のウマ娘は、たった2人しかいません。

 1人は初の日本勢ジャパンカップ制覇を成し遂げ、まさにそのレースで皇帝相手にも逃げ切ったカツラギエース。

 そしてもう1人……今の私と同じオープンクラス前という立場にも関わらず、格上挑戦で挑んだGⅠでルドルフ会長に勝利して下克上を成し遂げ、彼女に悔し涙を流させたウマ娘──ギャロップダイナ。

 そんな伝説的なウマ娘が、私の相手をしてくれている。

 そしてその走りを、今、目の前で見ている。

 

(速いッ)

 

 1400という私にとって得意な距離であっても、先輩の末脚にはついて行くことができませんでした。

 あっという間に差を付けられ、彼女がとっくに駆け抜けたゴール地点を、かなり遅れて通過することに……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 そんな結果であっても、私にとっては全力疾走だったんです。

 大きく肩で息をして、どうにか呼吸を整えようと努める……そんな私に、その先輩は近づいてきました。

 

「ま、あのチームにいたんだから仕方ねえけど、色んなもんが足りてねぇな」

 

 む、と思わず顔をしかめてしまいました。

 先輩──しかも彼女も同じチームに所属していた過去がある──とはいえ、〈ミモザ〉(前のチーム)をけなされるのは、やはり許せないのです。

 そんな私の表情の変化に「お?」と意外そうな反応をするギャロップダイナ先輩。

 

「前のチームを悪く言われて面白くねえ、ってところか? だけど、お前にとっては悔しいかもしれないが、あたしだってあのチームの現状が悔しかったんだぜ?」

「悔しい? どうしてですか?」

「決まってんだろ。あたしやソフィア、それにガリバー……仲間たちが鎬を削り、上を目指して目をギラつかせながら切磋琢磨してたチームが、あんな“仲良しクラブ”に堕落しちまったんだぞ?」

 

 乾いた笑いを浮かべながら、先輩は大げさに肩をすくめる。

 でも……“堕落”だなんて評価は酷いです。

 そうまで言われては黙っていられません。

 私は反論しようと口を開きかけ──

 

「あそこまで変わっちまっていたからこそ、あたしは理解できたのさ。おやっさんの〈ミモザ〉は無くなっているってことにな。だから、未練を感じることなく躊躇せずにビジョウの〈アクルックス〉を選ぶことができたことには、感謝しちゃいるけどな……」

 

 苦笑混じりに言った先輩の……どこか寂しそうな顔を見てしまっては何も言えませんでした。

 ダイナ先輩は先輩なりに、当時の〈ミモザ〉に思い入れがあったんでしょうね。間違いなく。

 そうでなければ戻ろうとは思わないでしょうし、悔しいという感想も出てこないはずです。

 

「あたしが帰国したとき〈ミモザ〉のメンバーも困った顔してたからな。あたしみたいなのが入ってきたら、さぞ迷惑だったんだろ」

 

 誤魔化すようにそう言って豪快に笑うと、先輩は私のところに近寄ってポンと肩に手を置いたのでした。

 そして──

 

「お前、本当はこっち側に来たかったんだろ?」

「そ、それは……」

 

 思わずギクッとした。

 本当なら〈アクルックス〉に入りたいと思っていたのに、流れで〈ミモザ〉に入ったのを、まるで見ていたかのような先輩の指摘は私の心に深く刺さりました。

 

「理想のウマ娘(ヤツ)みたいになりたいと思うのなら成績だってそうなりたいと考えるのは当然だ。だが、お前はあのチームで結果を出せていなかった」

 

 ギャロップダイナという先輩は、さらに私の心を抉ってくる。

 その顔に意地の悪い笑みを浮かべて……

 

「さぞ居心地はよかっただろうな。だがあの空気は、真剣(マジ)で強さを求めるには毒でしかねえ」

 

 表情を一変させ、「あたしみたいなヤツにとっては、な」と苦々しくゆがめる先輩。

 

「究極的に言っちまえば、自分以外の他のウマ娘はみんな敵──なんて考えも笑っちまうような空論ってわけじゃねえんだ。むしろそっちの方が真理に近いんじゃねえか?」

 

 条件さえ合えば、どんなに仲のいいウマ娘同士でも同じレースで顔を合わせて競うことになる。

 そして、そこに馴れ合いはない。

 むしろ仲がいい相手だからこそ、親友だからこそ──真剣勝負で競い合う。

 

「それが競走ウマ娘ってもんだろ」

 

 と、ギャロップダイナ先輩。

 その彼女は言う。

 競走(レース)に心惹かれ、愛し、それに命を懸けているからこそ真剣(ガチ)でぶつかる。

 真剣(ガチ)でやりあったからこそ、より一層相手を理解できる──

 

「でも、その割には会長殿とは──」

「うっせぇ、黙って聞け」

 

 先輩の拳が私の頭を小突いて黙らせられました。

 うぅ……つい思ったことが口をついて出ただけなのに。

 

「そんな中で『仲良く走りましょ』なんてのは、あたしから見たら誤魔化しにしか見えねえ。そんな勝ちを諦めた連中の『GⅠ勝利なんて一部の限られた天才サマ達が分け合ってるもの』なんて負け惜しみには笑っちまう」

「GⅠを2勝してる先輩だって天才(そっち)側じゃないんですか?」

(ちげぇ)よ。あたしは……シービーやルドルフとは違う。シニアになっても芝で勝ずにオープン昇格さえできなかった、落ちこぼれ側さ」

 

 懐かしむように遠い目をした先輩が、ちらっと私に視線を向けてきました。

 それが「お前と同じ、な」と言外に言われたような気がしました。

 

「そうでないウマ娘が天才の強さに心折られちまうなんてのもよくある話だが──」

 

 う……

 微妙に「天才に心折られる」というその言葉、私の心にグサリと突き刺さるのですが……

 

「──それでも諦め悪く勝利に飢えた“落ちこぼれ”に希望を与えてくれたのがあのビジョウさ。天才達が独占していたはずのそれを奪って落ちこぼれ(あたしら)にくれたんだからな」

 

 まるで、神が取り上げた火を人間に与えたギリシャ神話のプロメテウス。

 確かに私も他の人に与えられた“希望の火”を見て「私も欲しい」と思った側でした。

 でも学園で“本当の天才”という神じみた同期を目の当たりにして心折られ──

 

「お前の目は場に流されてここに来ましたって目じゃねえ。自ら〈アクルックス(ウチ)〉に来た連中と同じ目をしてる。まだ諦めちゃいない、こっち側の目だ」

 

 前のチームにいる中で、すっかり消えたと思っていたその火でしたけど、確かに密かに私の心の中では燻っていたようです。

 ギャロップダイナ先輩はニヤリと不敵な笑みを浮かべ私を見てきました。

 

「〈アクルックス(ウチ)〉に来たからには楽しい日々が始まる。それだけは保証してやるぜ。お前が上を目指す限り、だけどな」

「それは……無論です。粉骨砕身の覚悟で──」

 

 言い掛けたところで、先輩はあきれたように手を横に振りました。

 

「やめろやめろ、そんな覚悟。マゾがテメェの体痛めつけて性癖満足させたところで、速くなんてなりゃしないぜ?」

「マッ!? わ、私はそそそんな趣味なんてありません!!」

 

 その慌て振りがツボに入ったのか、私の反応を見て先輩はひとしきり豪快に笑い……そしてスッと立ち上がりました。

 それから私に背を向けてると、後頭部から縛ってまとめた一房の髪とホットパンツから覗く尻尾を左右に揺らしながら歩き始めました。

 そして──

 

「ぬるま湯にいたせいで足りてねぇものだらけだぞ。特にマイラーのあたしに追いつかれてるようじゃ、逃げ専の短距離専門(スプリンター)としては“速さ”が全然足りねぇよ」

 

 ──振り返りもせず、そう言いながら頭上で手を振って去っていく先輩の背中は「ま、頑張るんだな」と如実に語っていました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「さて……」

 

 ダイタクヤマトとの合わせが終わり、他のウマ娘達は自分達のトレーニングやそのサポートへと去っていった。

 この場に残ったのはダイタクヤマトとオレ、それに車椅子に座ったミラクルバード。

 

「チーム加入後の方針を決める……以前に少し話をしたい」

「なんでしょうか?」

 

 オレの問いに、ダイタクヤマトは神妙な面持ちになっていた。

 

「目指す未来像(ビジョン)についてだが、“憧れのウマ娘(ダイタクヘリオス)のようになりたい”というのは間違いないな?」

「はいッ!」

 

 勢い込んで、元気良くうなずくダイタクヤマト。

 わかりやすいのはいいことなんだが……オレは苦笑を浮かべるしかない。

 

「あのウマ娘のように、ということは……多くの重賞に出走し、そして結果を残す。そういうことでいいんだよな?」

「もちろんであります! ヘリオスさんは──」

 

 語り始めたダイタクヤマトの憧れに対する賞賛を、半ば聞き流しながらオレは考えていた。

 ダイタクヘリオスはマイルチャンピオンシップの連覇で有名なウマ娘だ。

 だからこそマイラー、という印象になりそうなものだが、そういうわけでもない。

 有記念には、ダイユウサクが勝利した時と翌年のメジロパーマーが制した時に出走している。

 2500の長距離に分類される有記念に、だ。

 そしてそのメジロパーマーの時には、その前の週に1200(短距離)のスプリンターズステークスに出走。

 しかしマイルGⅠはマイルチャンピオンシップだけでなく安田記念にも出走しているし、それ以外にも秋の天皇賞(2000m)やら中距離レースにもでている。

 

(どんなレースにも対応できる、距離だけを見ればオールマイティなウマ娘……)

 

 それがオレのダイタクヘリオスに対するイメージ。

 MCS(マイルチャンピオンシップ)を2年連続でとっているくらいだから、一番得意なのはマイルレースだとは思う。

 脚質が逃げを得意としているのは知っている。

 オールラウンダーを目指したロンマンガンに対して“逃げ”の指導を、ダイタクヘリオスにお願いしたこともあったが、それはその距離に対する幅広い対応力を期待したという思惑もあった。

 彼女が短距離の逃げ、中距離の逃げ、長距離の逃げ……それらすべてのコツを知っていると判断したからこそ、だ。

 

「ダイタクヘリオスのようになりたい、か……」

 

 そのウマ娘がいかに優れた存在か、今も滔々と語るダイタクヤマトを横目にオレは気づかれないようにそっとため息をついた。

 

 憧れの存在──

 

 運命を感じ、その姿に目を奪われ、その存在と同じようになりたいと(こいねが)う。

 ウマ娘競走という世界……いや、スポーツ界では比較的よく見かける光景でもある。

 世界的に愛される競技に於いて、この国が伝統や技術レベルで劣っていてもなお本場のトップリーグに所属して活躍を見せる選手。

 はたまたこの国の競技レベルが世界大会で優勝できるほどの実力を持ちつつも、おいそれとは活躍できない発祥国のズバ抜けた超一流リーグに所属し、他に類を見ないめざましい活躍で世界中を魅了する日本人選手。

 他にも競技の有名(メジャー)無名(マイナー)を問わず、世界大会を何度も制覇して絶対的王者となった選手たち。

 それら伝説的選手(レジェンド)と呼ばれる存在に熱狂し、同じ競技をする後輩たちが目標にするのは自然なこと。

 

(だが……誰もが、そうなれるわけじゃない)

 

 極々僅かな存在(ひと)にしか到達できない場所。

 

 生まれ持った身体的才能だけでは至れず──

 ひたすら一途に研鑽に励む生真面目(ストイック)さと──

 壁にぶつかっても決して折れずに努力する精神的な強さを持ち──

 共に励む仲間、世代の強弱、優秀な師との出会い等の周囲の環境──

 ともすれば勝敗さえも左右する、神の気まぐれで揺れ動く幸運──

 

 それら内的外的要因を含めて全てに恵まれてやっと至れるかどうかという座。

 そんな奇跡的存在だからこそ強烈に輝いて注目を集める。

 誰もができないからこそ憧れる。

 

 そう。誰もがなれる存在では──無い。

 

 その非常なまでの現実を……オレは、突きつけなければならない。

 この中央トレセン学園に入学できるだけでも、優れた才を持っているはずのウマ娘でさえそうしなければならないんだ。

 だが、避けて通るわけにはいかない。

 彼女に選択をしてもらう必要がある。

 理想の姿のみを追い続け、現実を見られなかったオレが犯した最初の失敗を繰り返さないためにも。

 そうして折ってしまった、彼女の未来を無意味にしないために。

 

「ですから、ダイタクヘリオスさんは──」

「なぁ、ダイタクヤマト……」

「……え? なんでしょうか?」

「チームに入る前にオレが言った言葉、覚えてるよな」

「それはもちろんですよ」

 

 ──お前は、ダイタクヘリオスじゃあない。

 

「その言葉が胸に刺さったからこそ、ここにいるんです」

「そうか……」

 

 あの時、オレはダイタクヘリオスという“他人を真似て”自分を押し殺しているダイタクヤマトの姿に我慢ができずに突き放した。

 その盲目的な模倣をやめて自分を取り戻した今の彼女に対して、どんなに“推し”に強い思いを描いていようと同じことを感じることはない。

 彼女は、変わったんだ。

 でも……だからこそ選択肢を出した。

 

「その上で言う。お前にはダイタクヘリオスほどの器用さは無い。それが今のアイツらとの合わせで確信できた。だからオレがお前に示せるこれからの道は……二つだ」

 

 オレはそう言って人差し指と中指を伸ばした手をダイタクヤマトへ突きつけた。

 




◆解説◆

ギャロップ
・よく考えたら“ダイナ”って冠名なんで、“ギャロップ”と呼ぶべきだったんじゃ……
・と思ったんですけど、ギャロップって乗馬用語(一番速い走らせ方)なので使い辛かったせいで避けた結果がこれなんですけどね。
・名前的にも「ダイナ」の方が個人の名前っぽさもあるし。
・今さら変えるのも大変なので、本作では“ダイナ”を通します。
・そもそも、乾井トレーナーはウマ娘に関しては名前を愛称でほぼ呼びません。
・パーシングを「パーシィ」と呼ぶほどに距離を縮めていたのに裏切られたので、その精神的外傷(トラウマ)のせいです。
・なのでダイユウサク以降のウマ娘は基本的にフルネーム呼びです。
・例外的にレッツゴーターキンだけは名前が長かったり、前のトレーナーの影響があったりで「ターキン」と読んでる場面がいくつかあります。
・メタ的なことを言うと、“ダイユウサク”のウマ娘をどう略して呼ぶか(ユウサクではあまりにも男名過ぎるので)迷った結果でフルネーム呼びにしたんですが、ターキンだけは名前が長くて短くした場面がありました。
・ギャロップダイナはその例外で、パーシングを担当する前からの付き合いなのでメンバーの中では唯一、略して呼ぶ相手です。

ガリバー
・その前に名前が出ているソフィアはシャダイソフィアのこと。
・で、このガリバーとはダイナガリバーのこと。
・ダイナガリバーは実在馬をモデルにした本作オリジナルのウマ娘。
・モデルの実在馬は1983年3月23日生まれの鹿毛の牡馬。ギャロップダイナは3歳年上になるので結構な後輩。
・1986年のダービー馬。社台グループ初のダービー馬で、ノーザンテースト産駒としては唯一。
・生まれたときから大柄でバランスの良さから期待された馬でした。
・そんなわけで馬主さんに気に入られて“サクラ(なんとか)”という名前になる可能性もあったんですが、「顔に鼻までかかる大流星がある馬は大成できない」という迷信のせいで忌避され、調教師に「面倒みられません」と断られたりしてます。
・その年の有馬記念を制しており、年度代表馬と最優秀4歳牡馬をとっています。
・この有馬記念には同期で公式ウマ娘になてるメジロラモーヌも出走しています。
・翌年の87年は4月の日経賞で3着とった後は毎日王冠、有馬記念では精彩を欠き、その年で引退。
・種牡馬としては桜花賞馬のファイトガリバーが産駒として有名。
・そして2012年4月26日にこの世を去っています。
・成績やシャダイの礎を築いたという意味では、シャダイ系が解禁された今のウマ娘では実装されてもおかしくない存在。
・なお、有馬記念の記念撮影で2着だったギャロップダイナと一緒に写真を撮っており、そのエピソードから本作では仲がいいという設定になっています。
・名前の元ネタの『ガリバー』と実際に大柄だったことから高身長のウマ娘です。


※次回の更新は9月1日の予定です。  



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第9R 一大決心!! Let's go!もう迷わない

 トレーナー殿は私にピース……というかVサインを突きつけてきました。

 なるほど。これは私に勝利を約束してくださる、という意味ですね。

 などと考えているとトレーナー殿は説明を続けます。

 

「一つは……お前が憧れたダイタクヘリオスと同じ道。彼女のようにいろんな距離のレースに出走する」

 

 な、なんと……

 もちろん決まっているじゃないですか!

 憧れのダイタクヘリオスさんと同じ道を歩めるなんて、理想以外の何物でもありません。

 私は迷わずに──

 

「も、もちろんそれで──」

「しかし断言する。この道を行けば()()()()()()()からな」

「え……?」

 

 思わず絶句してしまいます。

 トレーナー殿が告げた言葉の内容もさることながら、その真剣な彼の目に驚かされて。

 そしてそれが、この“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”と世間で呼ばれるトレーナーが出した揺るぎない結論だと思い知らされて……

 夢の実現を否定される、その非情な言葉に言葉を失っていました。

 

「さっき、サンドピアリスに2400で全然かなわなかったな?」

「そ、それはそうですけど……でも、ピアリス先輩は2400の重賞で結果を残しているじゃないですか。そんなウマ娘(かた)と比較されても……」

「違う。アイツが結果を出しているのは、()()()2400だ」

「と言いますと?」

 

 私が浮かべた疑問に、トレーナーはすぐに答えてくれました。

 

「アイツは専門家(スペシャリスト)なんだよ。“京都レース場2400メートル”という本当に限られた条件に極振りしたウマ娘なんだ」

「……はい?」

 

 思わず呆気にとられる。

 え? そんなことあります?

 そんなウマ娘(ひと)、いるんですか?

 極端にしても、あまりにもやりすぎではないでしょうか。

 

「エリザベス女王杯で彼女の“憧れ”と競いたい。そのためだけに彼女は自ら進んでそうなった。そのレースへの思いに自分の競走全てを賭ける価値を見たんだろう。そしてそうしなければその“天才”と並ぶことは絶対にできなかった……」

「才能の差、ですか?」

 

 私の問いに、トレーナー殿は曖昧にうなずく。

 ハッキリと断言はできないけど、否定できないといったところですかね。

 

「クラシックレースだからな。サンドピアリスが真っ当に育って挑むには時間がなかった。それにその憧れた対象はエリザベス女王杯での引退を表明していた。だからこそその一戦にかけるしかなかったんだ」

「そ、それは……事情はわかります。わかりますけど……」

 

 それでも、選んだその余りに極端な手は、私には悪手にしか思えませんでした。

 

「サンドピアリスが得意にしているバ場はダートだ。そのせいか、芝への適性は標準的なここ(トレセン学園)のウマ娘に比べると明らかに劣っていた」

「でも、エリザベス女王杯はもちろん芝……」

「そうだ」

 

 私の言葉にうなずくトレーナー殿。

 

「その明らかな弱点を補うために2400という距離に走りを徹底的に合わせ、京都レース場のコースが夢に鮮明に出てくるほどにその情報を頭に叩き込んだ。レースは幸運……といっていいかどうか、ハプニングもあって彼女は勝つことができた。しかしその代償に極端な条件を背負ったウマ娘になってしまったというわけだ」

「う~ん……良かったような、悪かったような……?」

 

 思わず首を傾げてしまいますが……しかしトレーナー殿は私に厳しい視線を向けているような?

 

「サンドピアリスの件はどうでもいい。彼女自身が望んだことで、そうなっちまった以上は今からじゃどうしようもないし、本人も納得している。問題は……そのサンドピアリスにかなわなかったお前の方だ」

「あ……」

「説明したように、サンドピアリスは“京都の2400”という限られた条件下なら一流ウマ娘たちとも張り合える。実際、その条件の重賞に勝ってこそいないが2着に入って結果を残しているからな」

 

 おかげで《一発屋》呼ばわりされていない、とトレーナー。

 

「逆に言えば、サンドピアリスはその条件を外れれば並の実力のウマ娘でしかないということでもある」

 

 確かに2400メートルという条件は満たしていたものの、場所はトレセン学園の練習用コース。

 トレセン学園所属のウマ娘なら、新入生でもない限り誰でも走り慣れているし、本番のレースの開催地ではないここを得意とするほど研究する意味がないコース。

 私と先輩に、少なくともコースでの有利不利は存在しなかった。

 

「さてダイタクヤマト。お前はダートが不得意でその分、芝を得意としているよな?」

「はい……」

 

 トレーナー殿の言いたいことは分かります。

 確かにピアリス先輩も2400という得意距離でしたが、芝という私が有利な状況も与えられていた。

 負けるにしても、それでいい勝負ができていたのならともかく……

 

「距離とレース場という双輪があってこそのサンドピアリスに、2400という距離の片輪だけであの負け。スタミナに不安があるのは明らかだな。短距離しか走らせなかったレナ子──(あか)()()トレーナーの判断が理解できた」

 

 トレーナーのいうことは確かです。

 とはいえ、それは2400の話なんですよ?

 そこまで長くない2000メートル、もしくはせめて……

 

「それなら、ヘリオスさんが得意にしていたマイル戦に挑戦を──」

「ダイナと走って、そう思えたか?」

「……思えませんでした」

 

 おもわずうなだれてしまう私。

 1400という私の得意距離でもギャロップダイナ先輩に完膚無きまでに負けました。

 マイルチャンピオンシップでこそないものの、同じ1600のGⅠ安田記念を制したことのある先輩。

 彼女から逃げ切ることなんて……今の私には、不可能にしか思えません。

 

「だがな、ダイタクヤマト……お前の人生なんだからオレはこの道を完全否定はしない。勝てずとも憧れた人の道をなぞるのも人生の選択肢の一つだとは思うし、理解できる」

 

 あ……

 トレーナー殿が厳しい表情を緩めて優しげな目になったことで、私はホッとする。

 直後にそれがワナだったと気づかされることになりましたが。

 

「でも、()()()()()()()?」

「え……?」

「お前が憧れたのは、レースに勝利しウイニングライブで輝くヘリオス(太陽)じゃないのか?」

 

 あのマイルチャンピオンシップの……ダイイチルビーさんやケイエスミラクルさんの恐ろしいまでの追い上げを抑えこんで勝利した瞬間の輝き。

 ウイニングライブで私の心に深く刻まれた、眩しいほどの笑顔の輝き。

 

「推しと同じ道をなぞることに何の意味がある? レースに勝った姿にこそ憧れたんじゃないのか?」

「それは……はい。その通りです」

 

 トレーナー殿の言葉は、私の目の前に突きつけられた凶器のようでした。

 ヘリオスさんと同じ道を歩んでも勝てない──そう断言したんですから。

 

「だからもう一つの道は……勝つための道、だ」

 

 再び手を私に突きつけるトレーナー殿。

 今度は2本ではなく1本、人差し指ピンと立てた状態。

 

「ダイタクヘリオスのような万能(オールラウンド)さを捨て、特化型(スペシャリスト)を目指す」

「……ピアリス先輩みたいな?」

「さすがにそこまで極端にするつもりはないぞ」

 

 思わずジト目になってしまった私に、苦笑を返すトレーナー殿。

 

「さっきのダイナとの走りを見て思った。お前は末脚を売りにできるほどの力強さ(パワー)も期待できない」

「う……」

 

 確かに“逃げ”を多用している私ですが、末脚に自信がないからこそそうなっているわけで……

 

「それに加えスタミナも不安を残すとなれば……あとは“速さ”を生かして伸ばす以外にないだろう。そこを徹底的に鍛えて“短距離の逃げ”という武器で戦う。そうやってオープンクラスを目指し重賞制覇を目標とする。それがもう一つの道だ」

 

 そう言ってトレーナー殿は、私に決断を迫った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 勝敗を捨てて“憧れ”を追うか。

 “憧れ”を追うのを諦め、勝利を目指すか。

 

 どちらも目指すことができれば、それにこしたことはない。

 だがそれをできる才を持つ者は、そういない。

 そしてそれを達成できる者はもっといない。

 例えば──“皇帝”(シンボリルドルフ)の姿に憧れ、そのようになりたいと願ったトウカイテイオー。

 無敗でクラシック二冠を達成した彼女は、間違いなくその才はあった。

 

 しかし……運がなかった。

 

 度重なるケガや不調が災いし、彼女が憧れた“皇帝”になることは叶わなかった。

 だが、それを乗り越えてグランプリを制した彼女の姿は眩しくさえあった。

 

 ──それが次の“憧れ”へとなる程に。

 

 そう。憧れる存在になるには、同じ道である必要なんて無い。

 もしもこのまま憧れ(太陽)だけを目指して一直線に羽ばたき続ければ、お前の才能(蝋で固めた翼)は耐えられずに壊れ(溶け)てしまう。

 だからダイタクヤマト、お前も……

 

「それで……勝てますか?」

 

 オレの出した選択肢に悩み、うつむいたダイタクヤマトは顔を上げることなく訊いてきた。

 

「もしも、トレーナー殿のおっしゃる“専門家(スペシャリスト)”になれば、絶対勝てるんですか?」

「……それに対してオレが言えるのは、これしかない」

 

 それはあの時(ダイナの勝利)のときにオレの偉大な先輩が言ったことに真っ向から対する言葉。

 そしてあのレース以来の、オレの曲がらぬ信条でもある。

 良い意味でも、悪い意味でもあるその言葉は──

 

「ウマ娘競走(レース)に“絶対”は無い」

「……今まで何度も絶対を壊(奇跡を起こ)してきたトレーナー殿がそれを言うと、重みが違いますね」

 

 皮肉めいたダイタクヤマトの言葉。

 それを黙殺して、オレは言葉を重ねる。

 

「だからこそこうも言える。もしかしたらダイタクヘリオスと同じように様々な距離のレースを走って結果を出せるかもしれない。さっきの結論がオレ達の見立て違いで、その可能性が無いってわけじゃないんだからな」

 

 レースに出走すれば、誰にだって勝利する可能性はある。

 上手く(ダイス)の目が揃って勝つことができるかもしれない。

 たった一度の勝利を目指すなら、それでもいいだろう。

 だがそんな勝利を重ねてオープン昇格を目指すのは、当たり目を何度も引き続けるような“本当の奇跡”でも起きなければあり得ない話だ。

 それに、オレ達(〈アクルックス〉)のGⅠ勝利を奇跡と呼ぶ連中は多いが、その“万が一の勝利”のためにオレは彼女たちに“人事を尽くして”きたつもりだ。

 その結果としてどこかにおられる三女神サマとやらが“天命”を授けてくださったんだろう。

 

(……なんてテキトーなことを考えているとオラシオンに『(バチ)が当たりますよ』なんて言われるんだろうけどな)

 

 その“人事を尽くす”ことこそ、ダイタクヤマトに対しては短距離路線への特化だと考えている。

 それをしないということは、本当にただ何もせずに幸運だけを祈るようなもの。

 そんな運任せで無責任なことを、ウマ娘の人生がかかっている競走でできるわけがない。

 

「ここまできてそんな魅力的な提案をしないでください、トレーナー殿」

 

 ダイタクヤマトが困り顔で苦笑しながら顔を上げる。

 その目はしっかりとオレを見つめていた。

 

「伊達にこの歳(シニア)まで走ってきていませんからね。そんな大本営発表みたいな絵空事を信じるほど、自分はバカじゃありません」

 

 オレが差し出していた人差し指を立てた手が、彼女の両手に包まれる。

 

「自分が憧れるものにヘリオスさん以外のものがあるのですよ、トレーナー殿。どうしようもない絶体絶命の状況さえも覆す、そんな秘密兵器に憧れていたんです」

 

 彼女は悪戯っぽく苦笑しながら「ちょっと子供過ぎますかね?」と言い、さらに言葉を重ねた。

 

「だから……ヘリオスさんのレースを見ていて、ダイユウサク先輩とレッツゴーターキン先輩の勝利する姿に心震えていたんです。カッコイイって……だから、そっちを目指してもいいのでありますよね?」

 

 そう言って笑顔を浮かべるダイタクヤマト。

 まっすぐに切りそろえられた前髪と、背中に流した長い黒鹿毛が一陣の風になびく。

 そして浮かべた勝ち気な笑みは──今までオレが育てた愛バ(教え子)たちと重なった。

 

「もちろんだ、ダイタクヤマト。オレがお前を全力でサポートする。だから……」

 

 握られていない方の手で、彼女の両手を包むように重ねる。

 

「一緒に、世間を驚かせてやろうじゃないか。〈アクルックス〉の次なる“!”(ビックリ)にさせてやる」

「……トレーナー殿、ありがとうございます」

 

 ダイタクヤマトは笑顔でうなずき、サッと敬礼した。

 

 ──こうしてダイタクヤマトはチーム〈アクルックス〉の一員となり、“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”乾井 備丈(まさたけ)のウマ娘の一人となったのだった。

 




◆解説◆

【一大決心!! Let's go!もう迷わない】
・ダイタクヤマトが、憧れへの執着を振り切って完全に自分の道を歩み始める話でした。
・それは〈アクルックス(見えぬ輝き)〉の道なわけで、ダイタクヘリオス(輝く太陽)とは真逆の裏街道。
・そこへ進んだということで、第一章の「大○○」、第二章前半の「Let's~」、第二章続章の「~ない」という特徴を複合させたタイトルになりました。

才能(蝋で固めた翼)
・本章のタイトル『Outrun by The Feathers of Icarus!』の元ネタ、ギリシャ神話に登場する『イカロスの翼』のこと。
・とある事情で幽閉されたイカロスとダイダロス親子は、蜜蝋で鳥の羽根を固めて翼をつくって空を飛んで脱出しました。
・……なんで空飛べるようになるんだよ。蜜蝋スゲーなオイ。
・で、自由自在に空を飛べるイカロスは調子に乗って「太陽にもいけんじゃね?」と勘違い。
・太陽神に向かって飛んでいき、当然に太陽の熱で蝋が溶けて──残念ながら墜落死しましたとさ。『DEAD END』
・そんなギリシャ神話の太陽神こそ()()()()。もちろんダイタクヘリオスの名前の元ネタです。
・古代ギリシャでは太陽は天空を翔けるヘリオス神の4頭立て馬車と考えられていました。
・ダイタクヘリオスに憧れて、近づきたい! でも近づくことができない……それをダイタクヤマトの心境になぞらえて、本章のタイトルに使った次第です。

カッコイイ
・本作のダイタクヤマトがヘリオスに憧れているのは「運命的なものを感じたから」ですが、それとは別に『絶望的な状況を覆して勝つ』ことも琴線に触れます。
・それはもちろん、元ネタの史実馬が、周囲がGⅠホースに囲まれるという絶望的な状況で勝利を挙げたから、ではあるのですが──
・それとは別に、名前の「ヤマト」から大日本帝國海軍の超弩級戦艦『大和』が秘密兵器のまま絶望的戦況を覆すことができずに撃沈してしまったため、その名前に引っ張られている、という設定があります。
・ダイユウサクやレッツゴーターキンの勝利に惹かれたのもそれが理由。


※次回の更新は9月7日の予定です。  



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第10R ヤマト発進!! オープン昇格への挑戦!!


 ──ダイタクヤマトが〈アクルックス〉のウマ娘として初戦を迎えたのは5月の半ばだった。

 (プレ)オープンまできているダイタクヤマトが目指すべきは、兎にも角にもオープンクラス昇格だ。
 オレがその目標を立てると、彼女自身も自覚があったようでやる気を見せてうなずいていた。

降級前も、届きませんでしたから……」

 そう言って寂しそうに苦笑したダイタクヤマト。
 シニア初年のある時期に所持ポイントが下がる制度。重賞常連のようなウマ娘たちはさておき、条件ウマ娘やギリギリでオープン昇格した者等はそこで降級という処分を食らうことになる。
 その例に漏れず、ダイタクヤマトもシニア初年のまでに準オープンというオープンクラス直前まできていたのに、その下のランクに落とされていた。
 ジュニア期は順調に見えたダイタクヤマトだったが、クラシックに入るやあきらかに調子を落としていた。
 それでも秋には条件戦を走って復調の兆しを見せ、11月に約1年ぶりの勝利を掴んで準オープンへと昇格している。
 そこからオープン昇格を目指し、翌年明けから春までに4戦を走ったのだが……結果が出ずに降格してしまった、というわけだ。
 まぁ、再昇格目指して夏もレースに出続け、9月になってその結果が実り、再び準オープンに戻れたのだから良かったんだが……翌月には昇格直後の条件戦で7着と壁をまたも見せつけられたわけだ。

(シニアの準オープンクラスは本当に厳しい)

 オープンクラスになる、という明確なラインはやはり競走ウマ娘として目標になる。
 それが手の届く場所にまできているんだ。そりゃあ血眼になるのも当然だろう。
 そしてシニアとなると世代という壁が取り払われることでライバルが増えることになり、全体的なレベルも上がる。

(おまけに降級の件もあるからな)

 降級してしまうことで心折れてしまい、学園を去るウマ娘も多いのだ。
 というか、この制度の主な目的はおそらくはそれだろう。
 現状のルールでは、どんなに多く出走して負けを重ねても、その成績でランクが下がることはない。つまりは上がる一方というわけだ。
 だから極論を言えば、現役にしがみついて居続ければいつかは勝ちを積み重ねてオープンクラスを狙うことは可能なわけだ。

 ……勝てなければ話にならんけど。

 そうやって「諦めません勝つまでは」とばかりに居続けるのが多くとなると……URA的には困ることになってくる。
 だからこそ、伸び悩むウマ娘に対して最終的な(クラス)が下がらない内に引退させる──それくらいのことは考えていそうだしな。

(黒岩理事みたいな合理的な人が考えそうなことだ)

 と、理事というURAでは雲上人ながら、ロリウマ娘な理事長共々なにかと縁のあるあの眼鏡の理事を思い浮かべていた。

(とはいえ、URA側の事情も分かる)

 毎年、中央トレセン学園には多くの入学生がやってくる。
 そしてもちろん施設には限りがある。
 引退するウマ娘がいなければ学園は飽和状態になり、施設の利用がしづらくなるという悪環境になりかねない。
 それは中央トレセン学園の、ひいては日本のウマ娘競走(レース)全体のレベル低下を招きかねない問題なのだ。
 だからこそ降級制度という“引き際”を用意することで引退させる。
 それでも、どうしても競走に勝ちたい一心で続けるウマ娘に対しては、地方(ローカル)への移籍という道を用意している。
 そうやって新陳代謝をはかっているわけだ。

(ま、お偉いさん達にしてみれば有能で有望なウマ娘たちだけが残って欲しい、と思ってるんだろうが)

 もちろんその事情は分かる。
 天才的なウマ娘たちがGⅠのような大舞台で輝くことで、さらに有望有能なウマ娘たちが学園に集まって切磋琢磨する。
 それが理想だろう。
 日本のウマ娘競走のレベル向上を考えれば、URAという組織がその理想を実現するためのルールを作って運用するのは当然だ。

(……ということは、オレみたいなトレーナーは疎まれているんだろうなぁ)

 その輝けるウマドル様たちの光を、別のウマ娘に掠め取らせている……という立場になっているのがオレ。
 ……オレだって狙って始めたわけじゃないぞ?
 まぁ、色んなウマ娘がいるわけだし、歩みが遅いのもいるわけだ。
 そういった、早くから才能を発揮する天才達の活躍やそういった連中を推したいURAの思惑に負けずに努力し続ける彼女達も報われて欲しいと思った。

(きっかけは、間違いなくアレだったな……)

 初めてアイツに出会った日──熱が出ててもレースに出走し惨敗。そんなボロボロな姿を見て「どうにか勝たせたい」と心の底から思った。
 そこが原点で、今もこうして中央トレセン学園でトレーナーを続けられている幸運に恵まれているのはありがたいことだ。
 そして……降級を経てもなお上を目指して努力するダイタクヤマトも、もちろん報われて欲しいその一人だ。

 薫風ステークス。
 準オープンクラスの条件戦であるそれに挑むわけだが──



 

「……負けました」

 

 薫風ステークスを終えた最初のトレーニングで、私はトレーナーの前でガックリと肩を落としながら、レース結果を報告しました。

 もちろんレースを見ていた彼がその結果を知っているのは百も承知なわけですけど──

 

「うん。次のレースだが……」

「え?」

 

 あれ? さほど気にしていない?

 思わず訝しがる目を向けてしまうと、それにトレーナー殿は気がついたようです。

 

「どうした?」

「いえ、せっかくトレーナー殿の指導を受けたというのに、負けてしまい申し訳なく……」

「腹を切って詫びる、とか言うんじゃないだろうな?」

「……トレーナー殿がやれと仰せなら」

「バカ、止めろ」

 

 慌てた様子で止めてくださるトレーナー殿。

 それから小さくため息をついて……

 

「いいか、ダイタクヤマト。今回のレースでの負けはそんなに気にしちゃいない。オレが指導して間もないんだから結果云々って時期じゃない。それに前走は去年の秋だったからレース間隔もだいぶ開いている」

「それは……その通りですけど」

「オープン昇格を目標にしてるが焦っても仕方ない。それよりも今回は、今のお前の実力を確認したかったという意味が大きい」

「今の、でありますか?」

 

 私の問い返しに、トレーナー殿は大きく頷きました。

 

「ああ。今まで演じていたのをやめて()()()()()()()として走った、その実力だ」

 

 そういえば、そうでした。

 そして前走の7着という結果で、私の心が折れかけていたのでした。

 でも今回は……

 

「結果は3着。悪くない結果だろ? しっかりお前の走りとして“逃げ”もできていた」

 

 トレーナー殿の言うとおり、レース中は先頭(ハナ)をきって走れたんです。

 まぁ、ゴールまでそのままいけたらよかったんですけどね。

 

「でも、最後には差されてしまいましたし……」

「それは今後の課題だな。これからのトレーニングで最後まで逃げ切れるようになればオープン昇格なんてすぐだ」

 

 うぅ……

 トレーナー殿は簡単にそうおっしゃいますけど、それがどれほど難しいことか……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──で、次のレースだが春レースは出ないで夏に照準を合わせる」

「夏に、でありますか?」

 

 トレーナーは今後の方針を私に伝えてきました。

 でも薫風ステークスを終えた今はまだ5月の上旬。

 夏まではまだまだ時間がありますし、その間のレースをすべてスルーしてしまうのはあまりにももったいなくありませんか?

 出走して勝ちを狙う実力が無いから鍛錬に費やす、とトレーナーが判断したのかもしれませんけど。

 でも──

 

「夏はそれこそ合宿とかをして集中的なトレーニングで飛躍的に能力を高めるべきではないでしょうか?」

「もちろんそれも考えている。だが、夏開催のレースにはそれはそれで魅力があるんだ」

 

 私が思わず首を傾げると、トレーナー殿の隣にいたミラクルバード先輩が苦笑して説明してくださいました。

 

「ヤマちゃんの言うように確かに夏は学園の授業も休みだし、トレーニングに専念できる環境になるから鍛え時なのは間違いないよ? でもそれって他の()たちも一緒だよね?」

「それはもちろん……そうでありますね」

「だから、今のヤマちゃんみたいに夏のレースを避けようとする()達も多いんだよ。つまりライバルが減るってこと」

「ミラクルバードの言うとおりだ。6月に出走するよりも、その分を鍛錬に力を入れて層の薄い7月のレースで勝ちを狙う」

「それって……なんかセコくないですか?」

 

 さすがに脱力してコケたりはしなかったけど、つい言ってしまいました。

 案の定、微妙な表情を浮かべるトレーナー殿と苦笑するミラクルバード先輩。

 それを見て「しまった」とは思ったのですが、出てしまった言葉を消すことはできません。

 ならば退かずにさらに踏み込んで……

 

「やっぱり戦うからには正々堂々と──」

「お前が、鎌倉武士みたいな名乗り合い後の一騎打ち(やぁやぁ我こそは……)で勝てるなら、な」

 

 トレーナー殿に逆にジト目で返され、「う……」と言葉を失うしかありませんでした。

 

「そもそも弱点を突く……防御の()()()()ところを狙うのは戦いの常套手段じゃないのか?」

「む、それはそうでありますけど」

「なら問題ないだろ。反則をしろとか汚い手を使えって言ってるわけじゃないぞ?」

「む? むむ? それはそうなんですけど……でもやっぱりセコいというか姑息というか……」

「ああ。だから次のレースは格上挑戦する。それで問題ないな?」

「え?」

 

 準オープンの私が、格上挑戦ということは……オープンクラスのレースということになりますよね?

 ひょっとして、重賞──

 

「オープン特別だけどな」

 

 ──ではないのですね。

 期待はずれのような、でも少し安心したというか……

 

「ヤマちゃん、夏レースでも相手は格上なんだから気を引き締めていかないとダメだよ」

「は、ハイ! 了解であります!」

「いい返事だ。そんなわけで、そのレースに向けて特別コーチを用意した。お前もよく知る“逃げ”の経験者で──」

「え?」

 

 ひょっとして……それってまさか?

 トレーナーが紹介し、その背後から現れたそのウマ娘は長い黒髪に青い差し色が入った私の憧れの──

 

「は~い、ロンマンガン先輩ですよ。みんな拍手~」

「……ハ?」

 

 ──ウマ娘ではなく、肩付近で切りそろえられたウェーブのかかった髪のウマ娘だった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「…………あのさ乾井(イヌ)トレ。この空気、マジでどうすんの?」

 

 恨めしげにオレを見つつ、顔を寄せて小声で話しかけてきたウマ娘。

 ウェーブのかかった髪を肩辺りまで伸ばしたロンマンガンだ。

 そしてその視線の先では冷めきった目をしているダイタクヤマトがいる。

 そんな2人を所在なさげに「あはは……」と苦笑するのは黄色い覆面に車椅子のウマ娘──ミラクルバードが見ていた。

 

「言われたからやったけど、この後にトレーニングできる空気じゃないじゃんコレ。完全に『誰だお前』って言ってる目だし。もしくは『お呼びじゃない、引っ込めボケ』」

「それは言い過ぎだろ。アイツは礼節はわきまえてる感じだぞ?」

「逆鱗に触れなければそうでしょうよ。でもさっきのは完全にやってるわ。敏感なところにお触り(タッチ)どころか完全に平手打ち(ビンタ)かましたようなもんよ?」

 

 ロンマンガンの言葉を証明するように、ダイタクヤマトの氷点下の視線が彼女の心境を雄弁に語っていた。

 でも、そう言われてもな……

 

「現実問題として、ウチのチームで()()()()“逃げ”できるのはお前くらいだろ?」

「それ、頼りにされてるどころか選択肢がなくて選ばれた、って言わない?」

 

 ロンマンガンも冷めた様子で大きくため息をつく。

 

「そんなことはない。これでも頼りにはしているんだぞ。どんな走りでもそつなくこなせる器用さがお前の武器だからな」

「……ふ~ん、そんなこと言って(おだ)てたって別に……ま、でも他にいないんだから仕方ない。そこまで言われたらやるしかないわぁ……あぁ、メンドくさ」

「うっわ、わかりやすいツンデレ」

 

 ロンマンガンの反応に、ミラクルバードが小声でつぶやいているのが聞こえる。

 余計なこと言って、ロンマンガンのやる気を削がないでほしいんだけどな。

 実際、ロンマンガンを頼りにしているのはオレの本心だ。

 決して強いとは言えない彼女だが、変幻自在の走りでオレの立てた作戦に応えてくれる。

 おかげで“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”の申し子と呼ばれ、“何でも屋(ジャック・オブ・オールトレイデス)”という隠れた異名を持つほどになった。

 そんな世間に「ま、別にいいけど」と満更でもない顔をしていたしな。

 

(でもさすがにダイタクヤマトの反応は、ロンマンガンには可哀想だな)

 

 アイツだってこのために自分のトレーニング時間を犠牲にしている。 

 悪ノリしちまったオレに責任もあるし、ロンマンガンのためにもフォローしてやるか。

 

「あのなぁ、ダイタクヤマト……ロンマンガンが“逃げ”を教わったのは他でもない。お前の憧れるダイタクヘリオスだぞ?」

「……え?」

 

 お、いい食い付きだ。

 この名前を出せば間違いないと思っていたぞ。

 

「なんで……」

「ウチのチームは終盤の末脚勝負な連中ばかりで、オレもそっち(逃げ)を教える自信がなかったからな。何度か同じレースを走って仲良くなってたダイユウサクが連れてきて──」

 

 目を閉じて当時の光景を思い出しつつ、ちょっと得意げになって解説をし始めたオレ。

 そんなオレの袖を引っ張るウマ娘がいた。

 

「あのトレーナー、ちょいといいッスかね? ヤマトの様子が変なのに気づいてます?」

「あん? そんな訳……」

 

 あるか、と思って改めてダイタクヤマトを見てみると──

 

「目からハイライトが消えて、どこ見てんだから分からない感じになってるよね?」

 

 ロンマンガンの言ってるとおりになっていた。

 オマケに、うわ言みたいに『なんで私はその場にいなかったの?』『なんで私には教えてくれないの?』とかブツブツ言って、病んだ感じになってた。

 うわ、怖っ……

 

「なに他人事みたいに見てんのさ。地雷踏んだのトレーナーよ? その自覚ある? というかどう収拾つけんのコレ。なんか完全にあっしのこと『この泥棒猫!』みたいな感じで見てるし。口ほどに雄弁に語っちゃってるし──」

 

「こォのォ、泥棒猫があああぁぁぁァァッッ!!!」

 

「「「──語るどころか絶叫したーッ!」」」

 

 思わずオレとロンマンガンとミラクルバードの声が一致した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──なんて一幕がありつつも、ともあれヤマちゃんはロンちゃんから指導をうけることになった。

 

 たしかにダイタクヘリオスのことになると人が変わっちゃうけど、根は真面目な()だからね。

 自分のために時間を割いてくれている先輩にも、もちろんしっかり気を使える娘だもの。

 そうやってロンちゃん相手に気を使っちゃうんだから、現役じゃないウマ娘が指導できればいいんだけど……

 

「ボクが走れれば、良かったんだけどねぇ」

 

 学園内の走路を走っている2人の姿を遠くに見つつ、ボクは自分が腰掛けている車椅子と自分の脚を思わず目を向けてしまった。

 確かにあの時──オラシオンがダービーでぶつかりそうになって思わず立ち上がって──以来、ボクの脚はほんの少しずつだけど、リハビリの結果が出始めてきていた。

 脚に力を入れる、という感覚がほんの僅かだけど戻ってきたんだから。

 とはいえその程度だから、立ったり歩いたりはまだまだ。走るなんて……

 

(無理、なのかな)

 

 まぁ、ボクも逃げウマ娘じゃなかったから、たとえ走れても逃げ専のヤマちゃんにキチンとタメになることを教えられたか分からないけど。

 それでもやっぱり力になってあげたいんだよね。結果が出ていなくともがんばる()達を応援したくなるのはトレーナーから影響受けちゃったのかな、やっぱり。

 ボクよりも彼女達に近い位置──走路内の一番外側で様子を見ているトレーナーを見ながらそんなことを考えてた。

 だから──走路の外から様子を見ているそのウマ娘に気がついた。

 

「あれは……」

 

 学園に所属しているウマ娘なら、わざわざそんなところで見ていなくても走路の内側に入って見ればいいのに。

 そう思ってしまうくらいに、彼女はじっと走るウマ娘達を見つめていた。

 そうしている理由──()()()()()()()()()()()()のも含めて、ボクには彼女の状況が理解できた。

 松葉杖をついた彼女の気持ちも。

 

「……こんなところでどうしたの? サイレンススズカちゃん、だっけ?」

「っ!? あなたは……」

 

 体の凹凸の少ないスレンダーな体型と長い髪、それに切れ長な目が特徴的なウマ娘。

 彼女は振り向いてわずかに視線を下げ、話しかけたボクを驚いたような様子で見る。

 

「……ミラクルバードさん?」

「あれ? ボクのこと、知ってるの?」

「勿論です。だって、ぁ……」

 

 理由を言おうとして、何かに気がついた様子で言いよどむサイレンススズカ。

 良い意味で有名じゃないことを気にしちゃったのかな。そんなこと気にしなくてもいいのに。

 

()()サイレンススズカに名前を覚えてもらってるなんて、感動だねぇ」

「そんな!? ミラクルバードさんこそ無敗でクラシック三冠を狙えるって言われていた方じゃないですか。私はジュニアもクラシックも……」

「実際のところは一つも取れずに競走引退するしかなかったんだから意味ないよ。結果を出してるキミの方がずっとスゴいんだからね」

 

 去年のサイレンススズカは凄かった。

 圧倒的な速さで出走するレースをことごとく圧勝していたんだ。

 

「〈アクルックス(ウチ)〉のメンバーで、去年活躍できたのいなかったから、実は密かに応援してたんだよね」

「あ、ありがとうございます。光栄です……でも……ごめんなさい」

 

 悲しげに目を伏せる彼女。

 その視線の先は──彼女の脚だった。

 圧倒的な人気で挑んだ秋の天皇賞で彼女は…………負傷したんだ。

 競走ウマ娘としての生命が危ぶまれるほどの大きなケガ。

 幸いなことに彼女が所属する〈スピカ〉のトレーナーの気づくのが早かったのと、チームメンバーの迅速かつ的確な対処のおかげで、走れなくなるという最悪の事態は免れたみたい。

 それでもまだ治療中とかリハビリ中、といったところかな?

 

「謝る必要なんてないよ。それよりも治療は順調?」

「はい。おかげさまで」

「でも辛いよね、走れないのは」

 

 ボクが苦笑しながら言うと、彼女は「はい」と素直に頷いた。

 まさに“同病相哀れむ”。

 そうなったウマ娘じゃないとこの気持ちは理解できないもん。

 車椅子のボクと松葉杖の彼女は、遠くを走るダイタクヤマトを見た。

 

「ヤマちゃん──ダイタクヤマトから聞いたんだ。同期に凄い強さの“逃げ”ウマ娘がいるって」

「ダイタク、ヤマトさん?」

 

 ピンときてない様子。

 まぁ、学園は規模が大きいしいくら同期でも全員の名前とか覚えきれないもんね。同じレースで顔を合わせたりでもしない限り。

 

「あそこで走ってる黒鹿毛のウマ娘だよ。ダイタクヘリオスに憧れて“逃げ”を武器にしてるんだけど」

「そうですか……」

 

 寂しそうにポツリと言うサイレンススズカ。

 興味なさそうなところを見ると、ヤマちゃんの走りは、彼女の気を引けるほどの速さはなかったみたい。

 彼女はただ単に“走れるのが羨ましい”だけなのかも。

 悲しいことにヤマちゃんはまだ条件ウマ娘。その実力差を考えればその反応も当然と言えば当然か……

 

「うらやましいよね。思わず『なんで自分がこんな目に』って世の中恨みたくなるくらいにさ」

「え? はい……」

 

 ボクの場合はこうなってから随分と経ったけど、こんな状態になっちゃったときの気持ちは今でも忘れようがない。

 正直荒れたし、やさぐれもした。

 何の不自由もなくできていたことができなくなるなんて、誰が想像できようか。

 いつもこの手に届いたものを無くして気づく……辛さ。

 どんなに嘆いてもどうしようもないことを思い知って、少し落ち着いたときに……トレーナーに声をかけられたんだけどね。

 

「リハビリは大変?」

「はい。それはもう」

「頑張ってね。キミはまだ……きっと走れるんだから」

「え……?」

 

 ダイタクヤマトの方を見ていたサイレンススズカが驚いたようにボクの方を振り向いて──そして気がつく。

 何年も前の事故なのに、未だに立つことさえままならない車椅子のウマ娘。

 

「自分の分まで走って……なんてボクみたいなマイナーな存在が言うのはおこがましいかな?」

「そ、そんなこと……」

 

 すっかり恐縮した様子の彼女だったけど、気を取り直して居住まいを正すと「がんばります」と言ってくれた。

 その答えにボクは思わず笑みを浮かべ──

 

「治って走れるようになったら、ヤマちゃんとも走ってあげてよ。キミが走れるようになる頃には、ぜったい速くなってるから」

「は、はあ……」

 

 戸惑う様子のサイレンススズカ。

 その彼女にボクは思わずニヤリと笑みを浮かべてしまう

 

「GⅠレースで圧倒的一番人気になるキミみたいなウマ娘に、誰も予想できずにぴょいっと勝って世間を驚かせるのが〈アクルックス〉のスタイルだからね」

「それは……よく知ってます」

 

 思わず苦笑を浮かべるサイレンススズカ。

 知ってる?

 ああ、そうか。彼女ってシンボリルドルフの〈リギル〉からテイオーが所属してる〈スピカ〉に移籍したんだっけ?

 そりゃあ、よく知ってるはずだね。

 

「だから……期待してますよ」

「え?」

「私の同期の彼女が、世間を驚かせることに」

 

 そう言って彼女は、ダイタクヤマトを見つめながら微笑んでいた。

 




◆解説◆

【ヤマト発進!! オープン昇格への挑戦!!】
・『宇宙戦艦ヤマト』の初代アニメの第3話「ヤマト発進!!29万6千光年への挑戦!!」から。

降級
・以前にも解説した気がしたのですが、何話で解説したのか忘れて見つからなかったので再度解説。
・現実の競馬ではすでに廃止された制度ですが、2019年という最近になって廃止された制度なので、ウマ娘に登場するほとんどのウマ娘はあった頃に現役だったのが多いです。
・「4歳(旧5歳)夏季競馬開始時に収得賞金を1/2にする」というもの。
・これによって賞金でクラス分け(オープン、1600万、1000万、500万、未勝利)されているのが下のランクに下がるのが多くいたので『降級制度』と呼ばれていました。
・ウマ娘公式では公式ウマ娘に選ばれるような競走馬は降級に無縁な実力の競走馬ばかりで、また現在では廃止された制度なのもあるのか触れることが無く、有無についてさえ正直わかりません。
・しかし本作ではあるものとしています。

薫風ステークス
・ダイタクヤマトの21戦目は東京開催の条件戦、薫風ステークス。
・準オープンとはいえ、クラシックの条件戦なのでゲーム版では実装されていないレースです。
・ダイタクヤマトが出走したのは1999年5月9日に開催されたレースでしたが、距離は1400で芝レース。
・ただ、2001年で一度は姿を消したのですが、2006年に1600のダート戦で復活し、その後はその条件で現在まで開催されています。
・なお、1967年から始まった(当初は中山開催)歴史のあるレースですが1978年で開催が止まったことがあったので、二度目の復活ということになります。
・距離もなかなか安定せずに1600~2500で開催され、1999年、2000年、2001年の3年間だけ1400という短距離での開催になっています。
・ちなみに1999年の薫風ステークスを制したのはエアスマップ。


※次回の更新は9月13日の予定です。  



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第11R 勝てぬウマ娘!! 決意の挑戦状


「……7月に小倉? オープン特別に出るの?」
「はい。このレース、どうしても出たいと思いまして……」

 担当しているウマ娘からたっての願いということで、わたし──(あか)()() (れい)()は聞いたものの、正直驚いてしまった。
 だって7月といえば、やっぱり合宿を行って実力の底上げをするのがセオリーでしょ?
 デビュー戦の始まるジュニアはともかく、それ以外は重賞レースが少ないこの時期はじっくり腰を据えて練習に励み、長所を伸ばしたり短所を補ったりする絶好の機会だもの。
 とはいえ確かにレースが無いわけじゃないわ。
 特に7月は8月に比べれば重賞も開催されるし……

(でも、ねぇ……)

 レースに出たいと言ってきたウマ娘を見る。
 いかにも走りやすさを重視したように髪をかなり短く(ベリーショートに)している彼女は、ダイタクカミカゼ。
 チームメンバーが多くなっていたので、サブトレーナーにほぼ任せっきりになっていたウマ娘だけど、個人的な事情でサブトレーナーが学園をいなくなっちゃって、改めてわたしが面倒を見ることになった。

「オープンクラスになってるあなたがわざわざ7月のレースに出なくてもいいんじゃないかしら?」
「オープンクラスだから、です」

 意気込む彼女に対して、わたしは思わず頭上に『?』マークを出さんばかりに首を傾げてしまった。

「私は当然、条件戦には出られません」
「それはそうね」
「かといってオープンクラスのレースは、私の実力ではそう簡単には勝てません」

 悔しげに目を伏せるダイタクカミカゼ。
 うん……気持ちは分かる。
 確かにオープンクラスに昇格するのは大変だけど、彼女の言うとおりにオープンクラスになってレースに勝利するのはさらに大変なことなのよね。

(条件戦を走っている間は、ある意味で近い実力のウマ娘と走ることになる)

 同じ時期に勝利数が近いのだから、同じ条件のランクにいるウマ娘と実力的には似たり寄ったりということになる。
 当然、走ったレースのメンバーによって相手が悪くて勝てなかったり、逆に良くて勝ちに恵まれたりするから、ことはそう単純じゃないんだけど。
 それでもまぁ、やっぱり同じ条件なら似たような実力のウマ娘と競うことになりやすいのは真理よ。

(でもオープンクラスになるとその実力の枠というか枷というか、そういうものが急に無くなる)

 早い段階からGⅠをいくつも取るようなウマ娘なら、もちろんオープンクラス。
 でも逆に何十戦もレースを走って負けを重ねながらも、なんとか勝ち星をかき集めてやっとオープン昇格できたウマ娘もいる。
 たとえ過程に差があろうとも、どっちも同じ(クラス)として扱われるのが世の(ことわり)
 確かにハンパな実力ではオープン昇格もままならない。
 だけど昇格できたウマ娘の中でも実力はピンからキリまでって言葉が当てはまるくらいに広いのよ。

(だから勝てなくなるウマ娘も多い)

 かといってレースで勝てないからと条件戦に出走することは許されない。
 格上挑戦はできても格下挑戦は不可能。
 走っても勝てないことが続けば精神的に追いつめられることになるし、モチベーションも下がる。
 それでもあきらめずに勝利を狙うには──

(……勝てるようになるまで鍛えるか、勝てるレースを探すしかない)

 そして彼女は後者を選んだ。

「夏は重賞は少ないせいで休んだり鍛錬に力を入れたりするウマ娘は多い。だからこそ狙い時なんです」

 秋の重賞戦線を見据えて夏を鍛錬に費やすのはセオリー通り。有力ウマ娘であればあるほど、無理に夏に出走するのを避ける。

「私は、勝ちたい……」

 もちろん、どのウマ娘にとっても夏休み中に実力を伸ばす機会(チャンス)なことに変わりはない。
 それでも目の前の1勝を掴みにいきたい。
 彼女はそれほどまでに勝利に飢えていたのよ。
 その決意を見て、わたしも決めた。
 
「わかったわ。そこまで気持ちが決まっているなら私は全力でバックアップするだけよ」

 わたしの言葉で彼女は悔しげに伏せていた顔をパッと上げる。
 驚いたような彼女に、わたしは大きく頷いた。

「出ましょう。そして勝ちましょうね、ダイタクカミカゼ……」

 目指すレースの名は──北九州短距離ステークス



 

 レース当日──

 

 出走するため小倉レース場へとやってきた私。

 ついに降り始めた雨を恨めしく思いながら見上げていたら、そこで思いがけないウマ娘(かた)を見たんです。

 

「カミ先輩じゃないですか!」

「……奇遇ね、ヤマピー」

 

 見間違うはずもありません。

 ベリーショートの髪もその表情も忘れるはずがありません。

 ダイタクカミカゼ先輩。

 私が所属していたチーム〈ミモザ〉でお世話になり、メイントレの緋子矢トレーナーではなくサブトレーナーから指導を受けていた仲間でもあります。

 そういう意味では、チームの他の先輩達よりも身近にいた先輩なんです。

 

「まさか同じレースで走れるなんて、感激です」

「前にも一度、走ったことがあったわね」

「はい、去年の初めのころに……」

 

 先輩の仰るとおり、カミ先輩とは以前一度だけ同じレースで一緒になったことがあります。

 私はもちろん、カミ先輩もまだオープン前だったので条件戦でした。

 私にとってはシニア期になって初めてのレースで結果は芳しくなかったのですが、カミ先輩はそのレースを勝利。その後にもう一戦で勝利してオープンクラスに昇格したんです。

 もちろんその当時は同じチーム〈ミモザ〉のウマ娘でしたけど。

 

「それにしても……随分と変わったわね」

「一年半も経ったんですから、それは私だって変わりますよ……」

「そんな前の話じゃなくてチーム移籍してからの話。そこまでイメチェンしといてトボケられると思ってる?」

 

 思わず首を傾げた私に、先輩はジト目を向けてきました。

 

「イメチェンと言われても、元に戻しただけですし……」

「分かってる。チームに入ってきた時から知っているんだからね。けど、そんな思い切ったことをするなんて、やっぱりチーム移籍の影響?」

「そう……ですね。自分だけだったら、変える勇気はなかったと思いますし」

 

 一直線に切りそろえた前髪と後ろに流した長い黒髪(黒鹿毛)

 当時の、そして今の私はまさに化粧っ気のないウマ娘。

 チーム〈アクルックス〉に移籍する直前の、髪に青い差し色を入れたりギャルっぽいメイクをしたりしていた時とは、私は明らかに変わったんです。

 

「ふ~ん……」

 

 値踏みするような視線を私に向けてくるカミ先輩。

 

「まぁ、変わってても変わってなくても同じレースを走るからには容赦しないわよ。別のチームになったんだから心おきなく叩きつぶせるし」

「なッ!? そんな」

 

 私が思わず驚くと、カミ先輩は苦笑を浮かべます。

 

「驚くようなことじゃないでしょ? 前に走ったときと違って、別のチームなんだし遠慮する必要ないんだから」

「それはそうですけど、でも……」

 

 確かにその通りです。

 でも、この前まで同じチームで同じトレーナーの下で走っていたのに、急に離れてしまうなんてなんか寂しいじゃないですか。

 カミ先輩が向けてくるのは、明らかに一年半前とは違う視線でした。

 どこか後輩を見守る優しさのあったそれではなく、敵を倒さんとする獰猛さを帯びていました。

 それにショックを受けて、思わず後ずさる──

 

「──ッ!!」

「ちょっと!?」

 

 そのせいでいつの間にか後ろにいたウマ娘に気づかずぶつかりかけてしまいました。

 

「あ、ごめんなさい……」

大丈夫(ノープロブレム)よ」

 

 慌ててぶつかりかけた相手に振り向いて私が頭を下げると、彼女は笑みさえ浮かべながら平気なのを主張するように手を振って答えました。

 そして少しだけ視線が下がり──たぶん、私のつけたゼッケン番号を見たようです。

 さらにチラッとカミ先輩にも視線を向けて、すぐに戻しました。

 すると、彼女は苦笑を浮かべて肩をすくめました。

 

「無事で済んでなによりだったけど、でも気をつけてよネ。せっかくいつになく絶好調(ベストコンディション)で走れそうなのに、こんなところで躓く(アクシデント)なんてゴメンだわ」

「はい、すみませんでした」

「ヤマトだのカミカゼだの、ワタシの故郷(ステイツ)から見たらブッソウな名前だからって、ギョクサイ覚悟でぶつかってきたワケじゃないでしょ? ならいいワ」

 

 ぶつかってしまったのは緩くウェーブした長い髪のウマ娘。

 ところどころ発音が日本人離れしているところを見ると、海外からの留学生でしょうかね。

 人好きのする笑顔を浮かべていた彼女は、観客席(スタンド)の一角へ視線を向けて笑顔を苦笑へと変え──

 

「カノジョみたいに走れなくなんてなりたくはないものね、お互いに」

 

 ──私のトレーナーの横にいる車椅子のウマ娘を見たのでした。

 それはもちろんミラクルバード先輩。

 

「ッ!」

 

 確かに先輩は過去のレース中の接触事故で再起不能になったけど、でもそれはわざとやったことなんかじゃありません!

 揶揄されるいわれなんて無いのに……もちろんこの場はぶつかりかけた私が悪いのですが、さすがに黙っていられないじゃないですか。

 一言文句を言おうと口を開きかけたのですが──彼女の表情をあっけらかんとした笑いとばすような空気からは悪意は感じられませんでした。

 でも──

 

「今日のレースはくれぐれも邪魔をしないでね。ワタシはこんなところで止まってるわけにはいかないんだから」

 

 観客席からこっちへ視線を戻した彼女の笑みは、鋭く威圧するかのような雰囲気へと変わっていました。

 

「こんな、ところ?」

「ええ。ワタシはもっと大きな舞台で走りたいのよ。こんな狭いところ、ハッキリ言って眼中にないわ」

 

 狭い?

 確かに小倉は東京や阪神、京都と比べてしまったら、小規模ではありますけど。

 大きな舞台ということは重賞レース……ひょっとしてGⅠレースのことですかね。

 

「私なんて格上挑戦でオープン特別に出るのが精一杯で。グレードレースなんてとてもとても……」

「それが日本の、というのならチガうわよ?」

「え……?」

 

 呆気とられてポカーンとしてしまった私に、彼女は不適な笑みで答えました。

 

「ワタシが狙うのは──世界(ワールド)よ。ワタシの名前の通りにね」

 

 ウィンクしながらそう言い残し、彼女は片手を上げて「Bye!」と去っていきました。

 名前? 彼女はいったい……

 

「……彼女が出てくるなんて、ね」

 

 つぶやきながら揺れる長い髪を厳しい目で見送り、レース本番では必ず頭に巻く鉢巻を締めるカミ先輩。

 いつも以上に力強く見えたその手が、彼女の強さを現しているかのように見えました。

 




◆解説◆

【勝てぬウマ娘!! 決意の挑戦状】
・元ネタは『宇宙戦艦ヤマト』の初代アニメの第21話「ドメル艦隊!! 決死の挑戦状」から。
・「ダイタクカミカゼ!!」と名前を出そうと思ったんですけど、主役でもライバルになるわけでもないのにタイトルに名前出すのもどうかと思って「勝てぬウマ娘」と誤魔化しました。
・ダイタクヤマトもまた「勝てぬウマ娘」なので。ダブルミーニングです。

勝利に飢えていた
・ダイタクカミカゼは当該時期になる1999年7月の時点では、ちょうど一年前になるオープン昇格になった1998年7月以来、勝利していません。
・オープン昇格から1年の間に4度レースを走っているのですが、全て重賞ではなくオープン特別ながら7着、8着、9着、9着と結果を残せていません。
・まぁ、オープン昇格直後の1戦から2戦目までは8月から翌年の4月と10ヶ月空いているのですが。
・……ちなみに今回の出走にゴチャゴチャ理由付けてますけど、実はそのオープン直後の初戦と同じレースなのです。(笑)

北九州短距離ステークス
・それがこの北九州短距離ステークス。
・元ネタになるのは1999年7月17日に小倉競馬場で開催されたレース。
・なお小倉競馬場新装記念レースだったそうで……どこかで聞いたような記念ですね。
・ダイタクヤマトの22戦目となるもので、天気は雨ながら馬場状態は良でした。
・北九州短距離ステークスは歴史のあるレースで、創設されたのは1983年。
・その際は1300万以下の条件戦でしたが、翌84年から2001年まで夏のオープン特別になり、2002年から再度1600万以下の条件戦に変更。その後は2019年に2月の開催になってから再びオープン特別になるという、なかなか変遷の激しいレースです。
・なお勝った馬の中に公式ウマ娘になった馬はいませんが、ゲームではしっかりと実装されているレースです。
・ただしウララ、ウィンディ、ファル子、マチタン、コパは目標レースと重なるので出走できません。
・もちろん現在の開催時期となるので夏場ではなくシニアの2月後半開催になっています。

同じレース
・ダイタクヤマトとダイタクカミカゼが同じレースを走ったのは、1998年1月10日開催の新春ステークス。
・京都芝1200で開催の、1600万以下の条件戦でした。
・そのレースの1着はダイタクカミカゼ。
・一方、ダイタクヤマトは3着と健闘。
・ちなみに実はダイタクヤマトの方こそ1番人気で、ダイタクカミカゼは5番人気でした。

彼女
・1999年の北九州短距離ステークスといえば彼女を触れないわけにはいきませんね。
・それにしてもこのウマ娘、いったい(なに)(ワールド)なんだ?(笑)
・一応は本作オリジナルのウマ娘なのですが、最近になって海外レースが実装されたので公式ウマ娘化も意外とありそうなウマ娘です。
・──というわけでこのウマ娘の解説は次回にて。


※次回の更新は9月19日の予定です。  



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第12R 驚異の世界(ワールド)!! 記録(レコード)を超えたウマ娘


 ゲートが開き、スタートした北九州短距離ステークス。

 私──ダイタクカミカゼは出遅れることなく飛び出す。
 そしてそんな私の前を走るウマ娘達の中に彼女の姿はあった。

(やっぱり、そうくるわよね)

 見知った名前が、予想通りの展開をしかけてきた。
 ダイタクヤマト。
 一つ年下とはいえ同じトレーナーの下で指導を受けてきた彼女のことはよく知っている。
 だからこそ彼女は前でレースをするのは想定してた。

(あこがれの、ヘリオス十八番(おはこ)だもんね)

 その親戚だからこそ私に興味を持ったんでしょうけど。
 しかし今日のレースは彼女にとって格上挑戦。スタート直後に先頭に立つ彼女のスタイルは確立できずに5番手という位置で前を塞がれている。
 これが(プレ)オープンとオープンクラスの実力差よ。

「でもね、ヤマト……」

 そんな後輩にチラッと意識を向ける。
 だからこそ私は──

「貴方に負けるわけにはいかないのよ」

 明らかにヘリオスを意識した外観としゃべり方をやめて、入学当初の元に戻った彼女。
 それがあのトレーナーの指示なのは明らかに分かる。
 チーム〈アクルックス〉のトレーナー、乾井(いぬい) 備丈(まさたけ)

 その名前を思い浮かべ──
 すっかり変わった後輩の姿を見て──

 そうしている内に私の心の内に複雑なものが溢れ出してくるのが分かった。

(そんなことをして、勝てるとでも言うの?)

 彼女がなぜ、憧れのウマ娘の外見(ガワ)をまとったのか。
 それこそ彼女が心が他のウマ娘に負けてしまったからよ。
 だからこそ自分ではない誰かを演じなければ、心が保たなかった。
 その弱さを克服せずに誤魔化してきた彼女よ?
 今更つけていた分厚い衣を剥がして自分をさらけ出しても、それで勝てるわけがない。

(負けるわけには、いかない……)

 あのとき──トレーナーに出走の意志を伝えたときに『勝ちたい』と言った、その言葉に嘘偽りはない。
 でも、トレーナーに嘘をついたことに後ろめたさも感じてる。

(私が勝ちたいのは、()()()じゃないわ)

 絶対に負けたくない相手に勝ちたい。
 その思いで出走を決意したんだから。
 後輩である彼女からそのレースに出走するというのを聞いて、私も出走を決めた。
 去年は同じチームにいた後輩──ダイタクヤマト。

(彼女に勝ちたい、というのも嘘じゃない。でも──)

 本当の理由はそれも違う。
 そもそも彼女はまだ条件ウマ娘。オープンクラスの私にとっては勝って当たり前の存在。
 そう。格下なんだ。
 格下なのに──

(なのに、なぜ……)

 走りながら、思わず悔しくて歯噛みをしてしまう。
 ダイタクヤマトが〈ミモザ(チーム)〉から去ったのは自分の意志じゃなかった。
 私と彼女の2人の面倒を見てくれていたサブトレーナーがチームを去ることになり、人手不足のせいで、一門の他のチームに移ったという事情がある。
 私か彼女のどちらか一人、という話だった。

(もちろん〈ミモザ〉に思い入れがないワケじゃないわ。でも……)

 実のところ、私はこの話に期待していた。
 もちろん緋子矢トレーナーにもお世話になったけど、面倒見てくれたのはサブトレーナー。
 だから緋子矢トレーナーには他のメンバーほどには恩義を感じていないと思う。
 そしてなにより、オープンクラスになってから伸び悩んでいる私にとって環境を変えることは現状を変える希望になるものだったのよ。

(ましてそれが“吃驚(ビックリ)のアクルックス”なら──)

 予想外のウマ娘に大金星を取らせることに定評のあるチーム。
 そこに所属することができれば、私にだって機会はあるはず。
 だからこそGⅠ制覇という途方もない夢が、実現するかもしれないという淡い期待を持った。
 もしもGⅠウマ娘ともなれば、間違いなくトゥインクルシリーズの歴史に名を残すことができるのよ。
 私の密かな夢……その道が開くことに、密かに心躍らせてた。
 でも──

(──選ばれたのは、ヤマト)

 正直な話、自分が選ばれるものだと思っていた。
 私の方が一つ歳上で、実績面では明らかに上回っていたんだから。
 それに、こちら側の都合でウマ娘を一人移籍させるという、明らかに〈アクルックス〉側に迷惑をかけるという話のはず。
 なら、マシな方が行くのが筋でしょう。
 そして選択権も〈アクルックス〉の乾井トレーナーにある。

(もしも比べられたのがジュニアのウマ娘なら、そっちを選ぶのも分かる)

 実力的に私よりも下なのは当然だけど、どう化けるかわからないんだから。
 でもダイタクヤマトも私より一つ歳下とはいえシニア世代なことに変わりはない。
 そうなればやっぱり実績や実力を見るのは当然で……乾井トレーナーは自分を選ぶ、という自負があった。
 そんな自惚れがあった。

 それが…………裏切られた。

 ダイタクヤマトがチーム移籍をするという話を告げられ、私は愕然とした。
 差し込むはずだった光が閉ざされ、闇に包まれた気さえしていた。

(なぜ、私じゃないの!?)

 もちろん面と向かってそんなことを言えないし、抗議もできない。
 周囲は「残れてよかったね」なんて言ってくる。
 そんな中で選ばれなかったことを騒ぎ立てるほど空気が読めないウマ娘じゃないわ。
 でも──現状から抜け出す手を差し伸べてくれなかった乾井トレーナーには、恨めしい思いを抱いた。

(ヤマピー、あなたに恨みはないのよ。私が目にもの見せたいのは……乾井 備丈(まさたけ)、あなたの方だから)

 自分を選ばなかった、ダイタクヤマトを選んだ、乾井トレーナーに一泡吹かせたい。
 あなたが選んだウマ娘よりも選ばなかった自分の方が優れているというのを見せつけてやりたい。
 そうして、上から目線で「あなたはハズレを引いたのよ」と現実を突きつけてやりたかった。
 だからこそ──

(このレースで勝ち、ダイタクヤマトを打ちのめす)

 見ていなさい、乾井 備丈。
 あんたの選択を、絶対に後悔させてやる!!



 

(速い!!)

 

 前を走るウマ娘たちの速度に、私は面をくらいました。

 先頭争いをする3人に並んでそこに加わるどころか、彼女たちに離されています。

 

(これが……これがシニアのオープンクラス)

 

 私なりに(プレ)オープンという厳しい階級(クラス)で戦ってきたという自負はありました。

 それでも、まったく通じずに自分のレースができない──

 私と走った数ヶ月後にはオープン昇格したカミカゼ先輩は、上のクラスでもまれていました。

 その先輩でさえなかなか勝てないのも知っていました。

 トレーニングで一緒になることもあり、その実力だって知っている……つもりでした。

 二つのクラスの実際の実力差は、私が考えていた以上に感じられました。

 

(この速度(ペース)でゴールまで保つ、の……?)

 

 何人かの背中の向こうに見え隠れする先頭を走るウマ娘。

 その彼女が、いくら1200(短距離)とはいえ最後までこのペースで走れるとは思えませんでした。

 ただ走りきればいいというわけではありません。

 レースである以上、他のウマ娘の追い上げを振り切り、先頭でゴールにたどり着かなければいけないんですから。

 この速度ではスタミナ切れを起こして、ゴール前に失速してしまいます。

 

(でも……)

 

 格下で“逃げ”を得意として末脚の伸びに期待できない私が、もしもここで離されたら……

 ついていけない私が格上相手に、勝てるでしょうか?

 今は後ろにいるカミ先輩をはじめ、後ろから来る他のオープンクラスのウマ娘よりも前に出られるでしょうか?

 

(──できるわけ、ありません)

 

 私の唯一の武器である“逃げ”の展開に、多少強引でも持っていくしかないのです。

 少なくとも前の方にいなければ──

 

(そうして、万が一の可能性にかけるしかない!)

 

 ここで先頭についていけなければ、それよりも前にゴールすることは絶対にできない。

 たとえ無謀でも彼女達を上回らなければ私は勝てない。

 

(だからこそ──ここで退くという選択肢は、無い)

 

 もしも負けてしまったら、トレーナー殿が立ててくださった手薄な夏の内に勝ち星を稼ぐという計画が狂ってしまう。

 だから速度を緩めるわけにはいかない。

 ペースを落とさずに走るしかない。

 4番手に位置した私は、先頭の二人がレースを引っ張るのに、必死でついて行くことしかできません。

 そうして──3コーナーを過ぎて直前にいたウマ娘の脚が怪しくなり始めたのを感じました。

 

(前へ! 前に出るしかない!!)

 

 コーナーで外へ出て仕掛けるのは上策ではないのは十分承知!

 実力の劣る私が余計に距離を走ることになるのはリスクでしかないのは分かってます。

 それでも、これを抜いて前に出なければ──さらに前を走る二人に追いつくなんて、無理なんですッ!!

 

「ここでッ!!」

 

 外から仕掛け、一人抜く。

 前を走るのはあと二人──三番手に上がった私は、必死で前に食らいつく。

 

(キツい!)

 

 やっぱりこのペース、速い。

 それでも私は我慢して我慢して走り続けるしかないんです!

 そうでなければ先頭に追い付けない。

 たった1200という短い距離。

 時間にしてほぼ1分くらい。

 ですから、我慢しなければ──

 

「かはッ──」

 

 1200メートルは最後の直線に出るのまで早い。

 あっという間に終わると言っても、だから楽というわけじゃありません。

 ついに、私の息は切れてしまう。

 それでも先頭のウマ娘はペースが落ちずに、どんどん背中が離れていく──

 

(どうにかして、ついて行かないと……)

 

 失速する気配のない先頭。

 一方でジリジリと位置が下がっていく私。

 後方からくる他のウマ娘に抜かれ──どうにか抜かれまいと死力を振り絞っても、脚がついてこない。

 

(くッ! やっぱり末脚が──)

 

 チームの先輩方が誇る武器が、これほど羨ましいと思ったことはありません。

 先頭(ハナ)をきって走らなかったんだから、それで追い上げるしかないというのに。

 そうして私を追い抜いていくウマ娘たちですが──先頭の彼女に追いつけるウマ娘はいません。

 このまま誰も──

 

 

 ……と思った、次の瞬間でした。

 

 

「──ッ!?」

 

 後方から──ものすごい勢いで追い上げていくウマ娘に目を奪われました。

 私はもちろん一瞬で抜き去られ、前にいた他のウマ娘たちも抜き去られていきます。

 

「先、輩……?」

 

 ちらっと見えたその横顔は、私が何度も見たことのあるものでした。

 ベリーショートの髪に“必勝”の鉢巻を巻いたその姿は、見間違えるはずもなくダイタクカミカゼ先輩。 

 限界を迎えた私からグングン遠ざかっていくその姿に驚きを隠せませんでした。

 

「これが、オープンクラスの実力……」

 

 私と同じレースを走った時とは明らかに違う末脚。

 その走りはあっという間に他のウマ娘を抜き去り──それでも、2番手。

 そのウマ娘の背中は遥か前にあり──大きく広げたリードが縮まることさえ許しません。

 

「クッ!!」

 

 思わず声をあげた先輩の悔し気な声が聞こえました。

 カミ先輩は長い鉢巻の端を風になびかせ、さらに死力を振り絞りますが──届かない。

 

 

 そうして──まさに別次元の強さを見せつけて、そのウマ娘はゴール板の前を駆け抜けていく。

 

 

 その直後に、悔しげな表情を隠そうともせずにカミ先輩がゴールする。

 そして私は……満身創痍の状態ながら、どうにかゴールを駆け抜けました。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 カミ先輩からさらに数人挟んでゴールした私はそこで力尽き、走路(ターフ)に転がるようにして横になりました。

 

「ハァッ……ハァッ……」

 

 呼吸が、きつくて……酸素が、欲しい……

 大量の空気を欲して大きく息を吸いたいけど、そんな余裕がなくて荒い呼吸を繰り返すことしかできない。

 そこへ──私の口になにかがあてがわれて、呼吸が一気に楽になりました。

 

「……大丈夫か?」

 

 うっすらと目を開けると、心配そうにのぞき込むトレーナー殿の顔が見えました。

 その手には吸引用の酸素。

 おかげで呼吸に少しだけ余裕ができた私は、笑みを浮かべようと目を細めながら頷きました。トレーナー殿を少しでも安心させないと……

 

「無理するな。しばらく横になって休んでろ」

「は、はい……」

 

 トレーナー殿は露骨にホッとした表情はしませんでしたが、安心したのか私から他へと視線を外します。

 その視線の先を追えるほどの余裕は私にはなく……

 しばらくジッと同じ方を見つめていたトレーナー殿でしたが、そちらへ視線を向けたまま、ポツリとつぶやきました。

 

「……すまなかったな、ダイタクヤマト」

「トレーナー殿?」

 

 呼吸は整いつつありましたが、まだ立ち上がる余裕はありません。

 寝転がったまま問い返すと、トレーナー殿はやっぱり視線をそっちへ向けたままでさらに続けました。

 

「完全に想定外だった。あんな実力のウマ娘が出てくるなんてな」

「ふふ……“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”のトレーナー殿でも、想定外で驚くことが、あるのでありますね」

 

 トレーナー殿の反応が面白くて、笑みと共についそんなことを言ってしまいました。

 そんな私の言葉に、トレーナー殿は苦笑を浮かべます。

 

「もちろんオレだって驚くさ。特にウチのメンバーの走りには驚かされてばかりだぞ」

「先輩方、でありますか?」

「ああ。アイツ等の金星の中で『勝てる』と思って送り出せたのなんて2人しかいなかった」

 

 2人……というと誰でしょうかね?

 1人はきっとオラシオン殿でしょう。そうなるとあとは……

 

「少なくとも今回は勝ちを狙っていた。だが、今日の負けは気にしなくていい……いや、気にするな」

「トレーナー殿、さっきからいったいなにを……」

 

 その様子が少しおかしいと、やっと気がつきました。

 トレーナー殿はジッと電光掲示板を見つめているのだとようやくわかり、そして観客席(スタンド)からはどよめくような声が起こっていることが、落ち着いてきたことで分かってきました。

 

「お前が今日のあのウマ娘よりも速い走りができるのなら、それこそGⅠだってとれていたんだ。スプリンターズステークスだろうが、高松宮記念だろうが」

「え……?」

 

 やっと呼吸が整い、休んで力が戻ってきた私は状態を起こす。

 そしてトレーナー殿の視線を追い……それを見て、絶句した。

 

「なッ……」

 

 終始先頭だったウマ娘が走りながら、片手を挙げる。

 それに呼応するように、観客席を揺らすような大歓声がわき起こった。

 

芝1200のレコードタイムなんてものを出されちまったんだから、お手上げだ」

 

 トレーナー殿の慰めは、それが原因でした。

 

『1分06秒9のURAレコードタイムを0.4更新です!』

 

 掲示板に映った記録は1分06秒5……確かに速いペースだとは思っていましたので納得です。

 

「だからダイタクヤマト、お前が遅かったわけじゃない。相手が速すぎただけだ」

 

 そんなトレーナーの言葉を聞きながら、私はそのウマ娘を見ていました。

 歓声に応えて、手を振る彼女。

 緩くウェーブのかかった長い髪の彼女を、私はレース中に見ましたた。

 そして……それ以前、出走する直前にもです。

 

「彼女は……」

 

 ゼッケン番号は10番。

 あいにく私は覚えていませんでしたが、覚えていたトレーナーはハッキリと彼女の名前を言いました

 

「──アグネスワールド。あの走りなら、まさに世界に通じるかもしれないな」

 

 まるで茶化すように苦笑混じりに冗談めかすトレーナー。

 でも……その目は冗談を言っているようにも諦めているようでもなく、本気で悔しそうにしているのだと私には感じられたのでした。

 まるで──

 

『次は、勝つ』

 

 ──と。

 




◆解説◆

【驚異の世界(ワールド)!! 記録(レコード)を超えたウマ娘】
・元ネタは『宇宙戦艦ヤマト』の初代アニメの第4話「驚異の世界!!光を飛び越えたヤマト」から。
・もちろんアグネスワールドのこと。
・2話連続でタイトルから外される主人公。
・ぱっと見でワールドレコード出したように見えてしまうのは反省してます。

ヘリオス
・実在馬のダイタクカミカゼはダイタクヘリオスとは異父兄弟。
・その関係で本作では親戚扱いになっています。
・なので期はヘリオスの方が上なんですが、カミカゼは呼び捨てしています。
・ヤマトと違って入学前から知っている間柄、という設定です。

芝1200のレコードタイム
・1999年の北九州短距離ステークスでは、当時の日本の芝1200のレコードタイムが出ました。
・時計は1分06秒5。
・現在(令和5年9月)の時点では、昨年(2022年)開催のCBC賞でテイエムスパーダが出した1分05秒8。ついに1分06秒の壁を破っています。
・今では10位タイとなってしまった記録なのですが、他の記録が軒並み2021以降というここ数年で出ているものばかり。
・この記録を20年以上前に出したというのは本当にすごいことです。
・そして、この記録を出したのは──

アグネスワールド
・実在馬を元にした、本作オリジナルのウマ娘。
・元ネタは同名の1995年4月28日生まれの黒鹿毛の牡馬。
・アメリカ合衆国生まれで、日本で調教された外国産馬。
・実は公式ウマ娘になっているヒシアケボノと母親が同じで半弟だったりします。
・日本では1999年CBC賞等のG2を2勝しているもののGⅠ制覇は無しなのに、外国のGⅠを2勝しているという変わった経歴の持ち主。
・今回の元ネタのレースでレコードタイムを出した実績を引っ提げて渡仏し、アベイ・ド・ロンシャというレースを制覇。
・帰国後に重賞制覇し、国内GⅠにも挑戦。
・その後にイギリスで2戦走ってGⅡを2着、ジュライカップ(GⅠ)を制覇。
・帰国後のスプリンターズステークスに挑戦し、その後にアメリカのGⅠに出走して8着を最後に引退。
・日本よりも海外での活躍が目立つという、今まさに海外レースが実装したゲーム版にうってつけのウマ娘だったりします。
・そんなわけで、これから実装は十分あり得ますね。
・なお外国産馬が元ネタかつ海外での活躍がメインになるウマ娘なので、タイキシャトルと同じく海外からの留学生ということになっています。
・本作オリジナルのウマ娘ということで、緩くウェーブのかかった長い髪が特徴的な、ステレオタイプのアメリカ娘的な陽気で細かいことを気にしない性格になってます。


※次回の更新は9月25日の予定です。  



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第13R 遠き勝ち星! 運命の相手を探して……


 ──北九州短距離ステークスを走り終えて、控え室へと戻ってきた私、ダイタクカミカゼ。

 頭からタオルを被り、部屋に置かれた椅子に腰掛けると、前屈みになってうなだれていた。

「負けた……」

 ……届かなかった。
 いえ、届くとか届かないというレベルの話ではないほどに、差を付けられていた。
 確かに私は2着。
 でも1着との差はあまりにも歴然としていた。

『エキサイティングな末脚だったわね』

 その1着のウマ娘は、余裕の笑みさえ浮かべながら2着の私にそう声をかけてきたのよ。
 レースを終始、先頭(ハナ)で支配した彼女が出した記録(レコード)を見れば、それも仕方ない結果と言える。
 でも──

(悔しい)

 最後の直線で自分の理想とも言える走りができただけにそう思えた。
 そんな走りをしても届かなかったのが、本当に──悔しい。

「……どこか痛めた?」

 そう声をかけてきたのは、(あか)()()トレーナー。
 その彼女の言葉に私は無言で首を横に振った。

「そう……」

 私の答えに、トレーナーはホッとした様子で息を吐いた。
 それからポツリと付け加える。

「……いい走りだったわよ」
「でも、負けました」
「そうね。でも立派な2着だわ」

 トレーナーは慰めるように優しい笑みを浮かべて言う。

「あの雨の中で、あれだけの追い上げを見せたんだもの。しかも相手は新記録(レコード)……胸を張っていい結果だと思うけど?」
「勝つためにあえて夏レースに出たというのに、それで勝てなかったんですから。結果を出せたとは言えません」
「ううん。アナタ、勝ったじゃないの?」
「え……?」

 私の着順は今さら言わずとも2着。それが“勝った”とは……?
 突然、言ったトレーナーの言葉の真意がわからず、思わず見上げるようにして問い返す。
 そんなトレーナーは私をのぞき込むように見て、笑みを浮かべる

「勝ったでしょ? ダイタクヤマトに」
「それは……」

 ギクッとした。
 それをどうにか心の奥底に押し込めて誤魔化そうとする。
 でもそんな私を見透かしたように、トレーナーは笑いながら言った。

「確かにあたしはポンコツトレーナーだけど、それでもさすがに分かるわよ。アナタの目的くらいは、ね」

 返す言葉が見つからず、なにも言えない私に対してトレーナーはさらに続ける。

「今までこっちの指示に素直に従っていたアナタが、急に自分から出たいレースを指定してきた。しかもそこにヤマトが出ているんだもの。分かり易すぎるくらいだわ」
「……そうでしたか」

 あまりの申し訳なさにトレーナーをまともに見ることができません。
 私が彼女を意識したのが分かれば、自ずと私がなにを考えていたのかまで推測できるはずです。
 トレーナーがそれに気がついているとなると、あまりにも申し訳が……

「カミカゼ、しっかりしなさい!」

 案の定、緋子矢トレーナーはビシッと言い放ちました。
 反射的に顔を上げ、思わずトレーナーを見て……私を真剣な面もちで見ている彼女の視線に気づきました。

「アナタの気持ち、よく分かったわ」
「トレーナー……」
「今のレースはともかく、レースに勝ちたい気持ちに嘘は無いんでしょ?」
「……え?」

 想像していた指摘とは違うその言葉に、戸惑ってしまう。
 でも──直後にそれがトレーナーがあえてそう言っているんだと理解できた。

「勝てない現状を変えたい。どうにかして勝ちたい。だからアナタは……」

 彼女は言葉を一度切り、悔しそうに目を閉じて首を横に振る。
 そして目を開くと、私の両肩を掴んできた。

「そこまで勝利に飢えているのなら、あんなことをしている場合じゃないわ!」
「あんな、こと?」
「ええ。格上挑戦の条件ウマ娘に意識を向けて過ぎた。それが今回の敗因じゃないの!」

 図星だった。
 私はつまらない嫉妬から格下相手のウマ娘に執着していた。
 そのせいで……先頭を走った彼女に追いつくことができなかった。
 もちろん、勝ったウマ娘を最初から意識(マーク)していたら追いついて勝てた……なんてことは言えない。彼女が出した偉大な記録(レコード)と、自分の実力を考えれば当然だ。
 でも、もしも「勝ちたい」「勝たなければ」という意識を最初から彼女に向けていたら──ひょっとしたら彼女に完敗するのではなく、一矢報いることができたかもしれない。

「今日の最後の直線は、良い走りだったわ。だからこそ……もったいない」
「はい……」

 あれは自分でも会心の走りだった。
 だからこそ私も思う。もったいなかった、と。

「年下の格下を負かしたところで、それに何の意味があるの? アナタは……満足できたの?」
「できませんし……意味なんて、ありませんでした」
「でしょうね。だからアナタの目標は──今、あたしが決めてあげるわ」

 そう言った緋子矢トレーナーは、まるでその兄弟子のトレーナーのように不敵な笑みを浮かべました。

「アグネスワールドを倒す。それでどう?」
「そ、それは……」

 今日まさに1200のレコードを出すという、ある意味で短距離走者(スプリンター)の頂点に立った彼女に挑むのは、オープン昇格以来結果を出していない私のようなウマ娘にとっては大きすぎる目標に思えました。

「もしも彼女に勝てたら、それこそGⅠ制覇も夢物語なんかじゃないってことなんだけど。違う?」
「その通りです」

 私が答えると、彼女は満足そうに頷きます。

「夢を実現させる、そのためにトレーナーがいるんだからね。そして今のあなたのトレーナーは、誰?」

 そう言って緋子矢トレーナーは再び不敵な笑みを浮かべたのでした。



 

 ──8月。

 

 夏真っ盛りのこの時期、私──ダイタクヤマトはレースに出走しました。

 前回のオープン特別の結果は6着。

 格上挑戦の厳しさをまざまざと見せつけられ、自己条件のレースに出走したのであります。

 舞台が前走と同じ小倉レース場だというのは──ひょっとしたらトレーナー殿はこっちのレースこそ本命と考えていたのかもしれません。

 小倉は前走が初挑戦でしたから、一度経験させるためにあえて格上挑戦させたのか、と。

 それを先輩方に訊いたら──

 

「無論、勿論、当然に確実にその通りに“間違いない!”でごさいます。あの方のことですから二手三手先を読み切っているのは言うまでもありません。で・す・の・で、アナタが無様に敗走するのも当然織り込み済み、というわけですわ」

「グフッ」

 

 おタケ先輩の容赦ない言葉のナイフに切り裂かれたのであります。

 

「まったく、トレーナー様がせっかく直々に指導してくださっているというのに、なんという情けない姿……そんな後輩のあまりの無様っぷりに(わたくし)、涙が止まりません。あぁ、トレーナー様……なんと御可哀想に」

「おタケちゃん……」

 

 なんとも気まずそうに、隣でサンドピアリス先輩が苦笑しています。

 先輩がそんな表情をするなんて珍しいことなんですが……それを気にした様子もなく自分の世界に没頭してなにやら言い続けているおタケ先輩。

 すると近くにいた別の先輩が、そんな彼女をチラッと見て、それから面倒そうにしながら──

 

「考え過ぎよ」

 

 ──とだけ言い残し、スタスタと去っていきました。

 む? ダイユウサク先輩、ですよね? 今の……

 相変わらず素っ気ないと言いますか、私達にも無関心といいますか。

 

 でも、去った先でトレーナーのことを小突いているように見えるのは、気のせいでしょうかね?

 

 ……で、肝心のレース結果は、2着。

 またしても勝ち切れませんでした。

 そんな私にトレーナー殿は「まだ気にするような時期じゃない。切り替えてドンドン行くぞ」と次の出走予定を決めてくださいました。

 そして次走は夏を過ぎ──9月中旬に阪神レース場の条件戦。

 

 それがトレーナーが決めたスケジュールでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──チーム移籍して、未だ勝ち星無し。

 

 その事実に、私は少しばかり焦りを感じていました。

 ……いえ、ウソです。

 少しなんてもんじゃありません、かなり焦ってます。

 だってもう半年近く経つんですよ?

 出走数だってひのふのみ……何度も出走しているんです。

 だというのに、結果が──

 

「どーせヤマトのことだから、『うわ、私の成績負けすぎ。マジヤバくね?』とか考えてんでしょ?」

「ロンマン先輩……」

 

 チームの部屋でこっそり頭を抱えていたら、あっさり先輩に見つかってしまいました。

 半眼でこっちを見ているのはロンマンガン先輩。

 けっして呆れているのではなくもともとこういう目つき……だそうです。

 

乾井(イヌ)トレに迷惑かけてる、とかもね」

「それはもちろんでありますよ! 自分が勝てないせいで、トレーナーやチームの評判を落として──」

「あぁ、別に気にしなくていいから、そんなことはさ」

「気にしなくていい? そんなことって……」

 

 私が戸惑う傍らで、ロンマン先輩は苦笑混じりに手を振ります。

 

「あのさ、ヤマト。ここ最近のうちの成績、知ってる?」

「それは〈アクルックス〉なんですから、〈ミモザ〉(前のチーム)とは違って──」

「んなことないって。実際のとこ、シオンの引退でエース不在になってからサッパリなんだわ。おタケは集中力なくしてレースに出走すらしない。ピアリスも実力発揮できる条件厳しすぎてなかなかね」

「そうだったんですか……」

「……ま、あっしは重賞勝ったけど」

 

 目を伏せてそう言ったロンマンガン先輩は、心持ち胸を張ってるように見えた。

 ちょっと自慢したかったのかも。

 そんな私の視線に気づいて、ロンマン先輩は少し恥ずかしげに咳払いをして気を取り直し──

 

「ともかく、そんな感じで今の〈アクルックス〉は評判なんてとっくに落ちてんの。アンタが勝てないくらいで落ちる評判なんて、もともと無いって話よ」

 

 そう言ってため息をつく。そして「ホント、情けないことにね……」と呟いているのは先輩の方こそ勝てないことを気にしているようでした。

 

「だから気に病む必要なんてないし、そういうの気にせずガムシャラに走んなよ。というかそんな余裕無いでしょ? 昇格まで自己条件ならあと2勝くらい必要なんだし」

「う……」

 

 その通りなんですよね。

 この前みたいな格上挑戦したならともかく、準オープンのレースを1回勝ってもオープンクラスにはまだ届きません。

 でも、格上挑戦なんて……この前のウマ娘(アグネスワールド)のようなのが出てきたらと思うと、勝てる気がしませんし。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「──あまり、いい傾向じゃないかもね」

「なにがだ?」

 

 トレーナー室で作業のために端末を叩いていたオレは、じっと考え込んでいたミラクルバードのつぶやきを耳にして、つい訊いてしまった。

 彼女が一瞬驚いた顔をしたのを見るに、そのつぶやきは無意識だったんだろう。

 つい口をついて出たんだろうが、オレがツッコんでしまった手前、無かったことにはできない。

 オレも聞かなかったことに今更できないし……申し訳なく思っているとミラクルバードは苦笑しながら話してくれた。

 

「ヤマちゃんのことだよ」

「ダイタクヤマトか? オレはそんなに悲観的に見てはいないが……」

 

 準オープンに昇格直後で、ウチにくる前だった福島の条件戦は7着。

 それはともかくとしてウチに移籍した今年になって3着、6着、2着ときている。

 その6着だってハッキリ言えば相手が悪かった。レコードを叩き出すようなレースじゃなければ掲示板に入れたかもしれない。

 現に次走の、この前のレースは2着だ。

 

「勝利まであと一歩、ってところまできているんだからいい傾向だと思っているが?」

「確かに3戦走って上向いてきているよ。でも……走る側からしたらもう3戦したのに勝ててない。時間的にも移籍してから結構経ってるよね?」

「そりゃあ、まぁ……な」

 

 薫風ステークスに出走するまで間があったし、その薫風ステークスのあった5月からだってすでに3ヶ月経過している。

 

「そうなってくると焦りも出てきちゃうよ」

「焦る必要なんてないんだけどな……」

「トレーナーは長い目で見られるからそう思うんだよ。クラシックを過ぎてシニアに入って、自分はあとどれくらいやれるか、伸びしろはあとどれくらいあるのか、ピークを過ぎるのはいつなんだろう、って考えてたら誰だって焦るよ。ウマ娘(ボクら)にしてみたら気が気じゃない」

「だが、余計なことを考えていたら集中力は落ちるし、集中を欠いた状態でトレーニングしても身にならないぞ?」

「そう。だから伸び悩む……負の連鎖だけど、ヤマちゃんはそれに入りかねないよ、今のままだと」

 

 ミラクルバードが気にしているのは、ダイタクヤマトの真面目なところだという。

 彼女は「そのせいで余計に思い詰めちゃうんじゃないかな」と気にしていた。

 そうなると──

 

「……ライバルでもいれば、な」

「ライバル? ヤマちゃんに?」

「ああ。意識する相手がいれば目標にもなるし、勝負に集中しやすくなるからな」

 

 レースそのものに対して“勝たなければいけない”とか、オープンクラスに“昇格しないといけない”と思うのはどうしてもプレッシャーになる。

 それは“勝ちたい”という思いよりも、“負けられない”という気持ちが強くなりがちだからだ。

 それに戦う相手が漠然としすぎていて、“誰にも負けることができない”と自分を追いつめてしまう。

 だが、特定の相手に“勝ちたい”とか“負けたくない”というのは違ってくる。

 意識が集中し、負けん気がレースに対するプレッシャーをいい意味で忘れさせてくれる。

 

「……でも、〈アクルックス(うちのチーム)〉のウマ娘(みんな)に、ライバルがいたことってあったっけ?」

 

 う~ん、そういわれるとなぁ……

 

「ダイユウサクは基本的に他人に無関心だからな」

 

 しいて言えばコスモドリームくらいか?

 とはいえ、あの2人は早熟型と晩成型でピークが噛み合わなかったから、同じレースで競い合ったわけじゃない。

 初めてぶつかった高松宮杯はコスモドリームはオークス後の伸び悩んでいた時期で、一方のダイユウサクは格上挑戦で、背伸びしてやっと重賞初挑戦。

 結果的にはここから伸びていくことになるが、このころは実力的にはまだまだといったところ。

 まさか有記念を勝つなんて想像できるはずもない。

 

「妙にメジロマックイーンを意識していた時期もあったが……」

「あれはライバルって感じじゃないでしょ。トレーナーには分からない感覚だろうけど、ウマ娘(ボク達)ってなんか理由もなく妙に特定の誰かが気になる、気にくわないって衝動に駆られることがあるらしいよ。ボクはそういう感覚になったこと無いけど」

 

 う~ん……ウマ娘の魂は異世界にいる別の生き物に宿っていたものが流れてきている、とまことしやかに言われているが、その前世での因縁ってヤツなんだろうか?

 まぁ、ダイユウサクはそんな感じだった。

 

「レッツゴーターキンは、気弱すぎて他のウマ娘を意識するどころの騒ぎじゃなかったし」

「あ~、そうだよねぇ」

 

 オレが言うとミラクルバードはどこか懐かしげに苦笑する。

 レッツゴーターキンが居なくなって数年が経つ。

 オレは彼女に会いに行ったことがあるが、車椅子のミラクルバードを連れて行くことはできず、そのためターキンが去ったきり再会していない。

 そのレッツゴーターキンは一際臆病なウマ娘だった。だから他人を意識してライバル視なんてことができようはずもない。

 他も──サンドピアリスは天才のシャダイカグラとは実力が違いすぎてライバルと言うよりは親友。ギャロップダイナに至っては《皇帝》に初顔合わせで勝ってからはぐうの音も出ないほどに叩き潰された。

 相手との実力差を考えるとライバルと主張するのは憚られる。

 

「オープンクラスでもなければ、なかなか同じ時期に同じランクにいてレースで何度も鎬を削る、なんて展開にはならないしな」

「確かに。条件戦だとランクが変われば顔を合わせなくなるし、昇格するタイミングが同じにもなりづらいから……」

 

 レースの結果で昇格するのだから、同じレースに出た2人がそこで同時に昇格することは無い。

 しかしオープンクラスに昇格すれば話は別だ。大舞台で何度も顔を合わせることはザラにある。

 そう、オラシオンのように早々に昇格すれば、その後は何度もライバル達と争った。

 セントホウヤやロベルトダッシュはまさにそんな相手だった。

 そしてその中に、ロンマンガンも入る。

 彼女は重賞制覇の経験こそあるが、GⅠタイトルが無い。

 口さがないファンは“善戦ウマ娘”とか“〈アクルックス〉のホワイトストーン”とか言うが、その理由はGⅠのことごとくをオラシオンと競ったからだ。

 

『あっしとしてはライバルのつもりなんで。一応は』

『彼女が弱いと思ったことはありませんよ。少なくとも向こうがデビューしてからは』

 

 ロンマンガンとオラシオンはお互いにそう評価していた。

 確かに結果的にはオラシオンが勝ち続けて脚光を浴びてロンマンガンは割を食うような形になってしまったが、逆に言えばロンマンガンと切磋琢磨したからこそオラシオンの活躍があったのは間違いない。

 

(とはいえ、だ……)

 

 やっぱり条件戦を走っている間は、なかなかそういう相手を見つけられないのも確か。

 同期や同じチームといった縁があればそういう相手が見つかるかもしれないが、ウチのチームにはダイタクヤマトと期が近いのがいないし、そもそも短距離を主戦場にしているのもいない。

 同期といっても、シニア2年目のこの時期に今さらそんな相手が見つかるわけもない。

 

「どこかにそんな相手、いないもんか……」

 

 ため息混じりに言ったオレを、ミラクルバードは苦笑しながら見ていた。

 

 

 ──そんなことを悩みつつも時は無情に過ぎ9月中旬になった。

 ダイタクヤマトの次のレースは目前に迫っていた。

 




◆解説◆

【遠き勝ち星! 運命の相手を探して……】
・今回は元ネタなしのオリジナルです。
・運命の相手に「darling」とルビを振るか迷いましたが、やめました。
・ええ、次に出てくるのは……彼女です。

自己条件のレース
・ダイタクヤマトが北九州短距離ステークスの次に出走したのは、同じ小倉開催だったやまなみステークス。
・芝1200で、1600万の条件戦でした。
・1988年から2000年まで開催されたレースで、1997年は芝1700、1998年はダート1800(この年だけ阪神で開催)で行われた以外は芝1200でした。
・勝ち馬の代表は1995年に勝利したヒシアケボノくらいでしょうか。

2着
・やまなみステークスは2着でした。
・なお、1着だったのはスピードスター。
・ダイタクヤマトよりも歳が一つ上の牡馬。
・この時の勝利でオープン昇格しています。
・ダイタクヤマトはこの後、オープン昇格後に3戦連続で同じレースを走ることになるのですが……じゃあライバルかと言われると、そうでもない感じ。
・それ以上に縁のある相手がこの後に出てくるので、スピードスターは登場することなくサラッと流されました。


※次回の更新は10月1日の予定です。  



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第14R 遂に来た!! 準オープン戦線波高し!!


 ──阪神レース場。

 準オープンの条件戦を迎え、出走するウマ娘達が走路に集っていた。
 そんな中、1人のウマ娘が出走しようとするウマ娘へと手を振っている。
 それに気がついた彼女は、手を振っている相手の下へと近づいたのだった。

「パーマーさん、わざわざ来てくださったんですの?」
「うん。一応、アドバイスしたから気になっちゃって……」
「なにをおっしゃいますか。我が家で“逃げ”の第一人者といえば、パーマーさんではありませんか」
「そんなことないよ。メジロ家には他にもいるよ」
「いいえ、そんなことありません。なにより(わたくし)がそう思ったからこそ、走りを見ていただいたのですから」

 恐縮するウマ娘と、彼女を持ち上げるウマ娘。
 その恐縮している方を周囲の観客達はチラチラと視線を向けていた。
 なにしろ有名なウマ娘である。
 春秋最強決定戦(グランプリ)覇者である彼女。
 同期のメジロ家に有名な2人がいるが、それに負けず劣らずの実績を残したウマ娘、メジロパーマーである。
 彼女が武器にした“逃げ”に目を付け、教えを請うたのが相手のウマ娘だった。

「あの有記念での大逃げこそ、(わたくし)の理想の走り。忘れようがありませんわ」
「そこまで評価してくれるのは素直に嬉しいよ」

 満更でもない笑顔を浮かべるパーマー。
 でも彼女は思っていた。そこまで頑張れたのは一人だけじゃなかったからだ、と。
 一緒に走ってくれたズッ友がいたからこその、あの結果だった。
 そのズッ友であるところの彼女は、その前週にGⅠレース(スプリンターズS)を走っていた。

『前年にお嬢が制したレースだし。ウチが取らないと……』

 前年にそのレースを制したウマ娘は、学園を去っていた。
 だからこそ彼女はそれを他のウマ娘に渡したくはなかったのだろう。
 結果としてはその栄冠を掴むことはできなかったが、それでも出ないという選択肢はなかった。
 だからパーマーは思った。たとえ一緒に走らずとも、見守ってくれるのだと。
 そう思ってズッ友と話をして……どうにも話が噛み合わないのに気づく。

『ウチも出るけど? 有記念に』
『え……?』

 思わず絶句するパーマーに彼女は軽い調子で応えた。

『投票なら去年も出られたし今年もイケるっしょ? それに去年、あのセンパイに負けたのは心残りなんだよね。マックイーン相手ならともかく、まさにビックリだったし』

 満面の笑顔で彼女は『誰も注目してないのに勝つとか、超ウケる』と盛り上がっていた。
 そして──

『だから今年はウチらがビックリさせてやろーじゃん』
『ウチ“ら”?』
『もちろん。ウチとパマちん、二人ならイケるっしょ?』
『当然!』

 彼女に言葉に反射的にそう応えて──その通りの結果を残せた。
 あのレースに彼女が出走してくれたことが、近くで共に走ってくれたことがどれだけ支えになったことか……それは間違いなかった。

「パーマーさん、(わたくし)には夢があります」

 昔を思い出していたパーマーは、傍らのウマ娘から話しかけられて引き戻される。
 彼女は勝ち気な笑みを浮かべてパーマーをじっと見ていた。

「夢? どんな?」
「それは“運命の相手”を見つけることですわ」
「運命の……?」

 突拍子もない夢に、思わず首を傾げてしまう。
 しかし彼女はそれを気にした様子もなく、自信をもって頷いた。

「その通りです。中央(トゥインクル)シリーズで結果を残し、そして“運命の相手”を見つけることこそ(わたくし)の夢なのですわ!」

 つまりは“レースで結果を残して注目を集めて、そして意中の相手を探したい”ということ? とパーマーは思った。
 ウマ娘もいろんな()がいるから「勝ってモテたい」と考えたり、「そこでいい相手に見初められて幸せになりたい」と思う娘がいてもおかしくないか、と考えていた。

「……お互いに意識し、尊敬し、切磋琢磨する相手。例えばパーマーさんとヘリオスさんのような親友であったり、マックイーンさんとテイオーさんのような好敵手(ライバル)であったり──」
「あ、そっちなんだ」

 彼女が“運命の相手”というので、てっきり異性のことだと思っていたらそうではないらしい。
 どうやら探しているのは“共に走る相手”のことのようだった。
 熱く語った彼女は、その熱を逃がすように「ほぅ」とため息をつきながらボヤく、

「……まぁ、そのような運命の方が易々と見つかるとは思っておりませんけど」
「でも、見つかるといいね」

 パーマーはその優しい性格からつい「きっと見つかるよ」という言葉が出かけていた。
 でも、それは余りにも無責任な言葉な気がして押し止めていた。
 なにより、彼女は理想の一つとして自分とヘリオスの関係を挙げてくれた。そんなヘリオスとの出会いや、自分との関係を安易に見つかるようなものとすることに抵抗があったのだ。

「ええ。その通りですわ。どこかに(わたくし)の“運命の相手”となる方……いらっしゃらないものでしょうかね」

 そう言って憂いを帯びたため息をつく。

 彼女の名は、メジロダーリング
 “運命の相手(darling)”を探し求めるウマ娘。



 

 ゲートが開き、私は一気に駆けだした。

 トレーナー殿の教えで、このスタートを十分に訓練していたので不安はありませんでした。

 

『短距離ではスタートの失敗が大きく響く』

 

 出遅れのミスは、距離が伸びれば伸びるほど挽回がききます。

 でも、逆に短ければ短いほど致命傷になるのです。

 それが後方から追い上げる差しや追込みならともかく、先頭(ハナ)を切る“逃げ”にとってはさらに顕著に。

 

『出遅れるようなウマ娘は“短距離の逃げ専”なんて夢のまた夢だ』

 

 私の目指す道(スプリンター)にとって、スタートこそすべて……とは言いませんが、そこで躓いているようではお話になりません。

 しかし、〈アクルックス〉(うちのチーム)では末脚勝負を得意にしている先輩ばかりで、しかも主戦場の距離も長め。

 スタートを意識して鍛えた先輩がほとんどおらず──

 

『なんでアタシとコスモが……コスモは余所のウマ娘よ?』

『大丈夫だ。巽見と相生さんにはちゃんと許可取ってる』

『というわけでよろしくね、ダイタクヤマト。ところで……コスモってどうしてここに呼ばれたのかな?』

『スタートの悪い見本、だそうよ』

『なッ……そんな!? あんまりだよ、乾井トレーナー!!』

『まぁ、ちなみにアタシは良い方の見本だけど』

『あのなぁ、ダイユウサク。お前が本当にスタートが得意でちゃんと理論がしっかりしてるなら、コスモドリームを呼ぶ必要なんて無かったんだからな?』

『う……』

『ほら、やっぱりユウのせいでコスモが割り食ってるじゃないか~!!』

 

 ──思わずそのときのやりとりを思い出してしまう。

 そんな感じで良い例と悪い例をじっくりと見比べさせられて、自分の中でそれを落とし込んだりして、研究してきたのです。

 

(……さすがに、気まずかったのですが)

 

 心の中で苦笑してしまいました。

 コスモドリーム先輩のスタートが繰り返す度に「え?」とか「あ……」とか言って、だんだんと意識し過ぎてますます悪くなるという悪循環にはまっているのを見れば、さすがに申し訳なくなってくるのですよ。

 一方で、ダイユウサク先輩は「なんでこんな簡単なことできないの?」ってあおるし。

 

(仮にもオークスウマ娘ですよ、コスモドリームさんって)

 

 トリプルティアラの一角をとったウマ娘だというのに、あまりにもぞんざいな扱い。

 とはいえ、そのダイユウサク先輩も有記念という大レースを制した方なんですけどね。

 そんな大先輩のプライドという尊い犠牲を払って行われた特訓の成果もあって、無事にスタートをきることができたのです。

 そうして私は先頭(ハナ)をきって走ることができました。

 先頭と言うことはすなわち──

 

(自分の前には誰もいない……)

 

 視界には誰もいないコースが広がり、その中を走るという光景。

 これこそ“逃げ”のウマ娘にとって最高の景色。

 確かに前に誰もいないという状況は、レースを勝ったウマ娘なら誰もが目にする光景かもしれません。

 しかし“逃げ”という走り方は、たとえ一時的にでもその光景を体験でき、しかもそれを長く堪能できる。

 そして勝利を掴むときは、それをずっと独り占めしたままゴールすることになるんです!

 

『あん? バカか、お前は? そんな景色よりも、後ろからバッサリ追い抜いて自信満々で走ってる連中の度肝を抜いてやった方がよっぽどスカッとすんだろうが。愉快痛快ってヤツだ』

 

 追い込みを得意とする先輩は、呆れた様子でそんなことを言っていましたが……

 でも、やっぱり私はこちらの景色の方が性に合っている。

 なによりこの景色は──

 

(憧れのあの人も見た景色のはずです)

 

 同じ“逃げウマ娘”なら、そうして勝ちを重ねていったんですから。

 私もあのウマ娘のように──

 

(そう、なりたいのですッ!!)

 

 その光景を目に焼き付けつつ、誰にも譲れないという思いで走り続けたのでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

(前に一人いるのは計算外でしたが……)

 

 二番手付けた(わたくし)──メジロダーリングは先頭のウマ娘の背後にピタリと付けました。

 こうして後ろについてプレッシャーを与え続け、かつ風除けにすることで(わたくし)自身の体力温存をすることができるのです。

 

 ひょっとして……セコい、とか考えてらっしゃいます?

 

 いいえ、そんなことはありませんわ。

 いわゆるスリップストリームと呼ばれるこの作戦。モータースポーツからヒトのマラソン等、いろいろなレースで使われている技法ですのよ?

 ですので、これは常套手段。

 ある意味、このような状況では定石と言っても過言ではないものですわ。

 

「なにより(わたくし)は……勝たなければならないんです」

 

 準オープンまでたどり着き、オープン昇格目前まで来ているのです。

 あと1勝……そうすれば(わたくし)は、晴れてオープンウマ娘の仲間入りができるのですから。

 

(同期の活躍をただ見ているだけの生活から、抜け出して見せますわ!)

 

 (わたくし)は今、クラシックの年。

 同世代のウマ娘達の上位陣(トップクラス)はクラシックレースで鎬を削っております。

 もちろんそこにはオープンクラスの方達もいれば、すでにジュニアやクラシックGⅠを制してGⅠウマ娘の栄冠を手にした方もおられます。

 

 ──スティンガーさんにアドマイヤコジーンさん。

 ──テイエムオペラオーさん、アドマイヤベガさん。

 ──プリモディーネさん、ウメノファイバーさん。

 

 その中に、(わたくし)も加わらなければなりません。

 

(そう! 名門の……メジロ家の名にかけて!)

 

 たしかに、未だに条件戦を走っている(わたくし)は些か出遅れている感は否めませんわ。

 それでもけっして追いつけないわけではないと信じています。

 なにより、諦めるわけにはいきません。

 (わたくし)の弱点は持久力(スタミナ)だと自覚しております。だからこそクラシック三冠やトリプルティアラといったクラシックレースを目指さずに短距離(スプリント)レースに照準を絞っているのですわ。

 その甲斐あって、オープンクラスはすぐ目の前まで来ているのですから。

 そのためにも──

 

「ここでッ、こんなところで……足踏みしているわけには、いきませんッ!!」

 

 コーナーを抜けて最後の直線へ至る。

 後ろから迫ろうとする気配は感じていますが、それが届かないという確信もありました。

 だから──

 

「あとは、前にッ!」

 

 先頭を走り続けていた、その一人。

 彼女さえ抜かしてしまえば今日の栄冠と──ノドから手がでるほどに欲しているオープンクラスに手が届く。

 だから──

 

(勝ちます! なんとしても、このレースに)

 

 だけど──その背に、追いつけない!

 必死に足に力を込めて、地面を蹴る。

 それでもその背に届かない。

 

「くッ──」

 

 あと少し……届きそうで届かない。

 なにより彼女の背中は──近づいてこない。

 

「……っ」

 

 全力を尽くして、ゴール板の前を通過しましたが……前には1人。たった一人だけ、(わたくし)よりも先に駆け抜けた方がいたのでした。

 

 結果は、2着。

 オープンクラスまであと一つ、届きませんでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「勝った……」

 

 先頭を譲らずにゴール板を駆け抜けて、全力を出していた速度を緩めながらその事実を頭の中で反芻する。

 

「やっと、勝てた……」

 

 前回の勝利は実に一年近く前のこと。

 準オープンから降格したのを戻してから遠ざかっていた勝利は、本当に感慨深いものでした。

 歓喜と共にこみ上げてくるものがありましたが、私はグッとこらえつつ足を止めます。

 そうして喜びを噛みしめようと──

 

「おめでとうございます」

 

 不意にかけられた声に振り返ると、緩く波うった長い髪を頭の後ろで一纏めにしたウマ娘がいました。

 どうやら彼女が私に声をかけたようです。

 その胸には8番のゼッケン。今回のレースに出走していたウマ娘に間違いありません。

 ただ、名前については私も覚えておらず……

 

「メジロダーリングと申しますわ。今のレース、2着だった者ですが……すぐ後ろでずっと見させていただきましたけど、本当にお見事な走りでしたわ」

「あ、ありがとう、ございます……」

 

 戸惑いつつ答えると、彼女は負けた直後とは思えないほどに良い笑顔を浮かべて、私に向かって手を差し伸べてきました。

 それを反射的にとると……観客席から大きな拍手が起こります。

 

「わ……」

 

 思わず観客席へと振り向くと、隣の彼女はその隙をつくように繋がった手を高々と挙げ、もう片方の手を観客席へ向けて振り──さらに大きな拍手と歓声が起こります。

 

「ほら、1着の貴方が声援に応えないでどうするんですの?」

「え? あ……」

 

 慌てて私が手を振ると、割れんばかりの歓声が響きわたったのでした。

 そんな反応に驚いて、尻尾が反射的にピーンと立ってしまいます。

 それに気づいた隣の彼女──メジロダーリングと名乗ったウマ娘は苦笑気味の笑みを浮かべました。

 

「フフッ、負けはしましたが不思議とイヤな気持ちにはなりませんわね。もちろん悔しくはありますけど」

 

 歓声が落ち着くと、彼女は改めて私の方へと振り向きます。

 そして勝ち気な笑みを悪戯っぽいそれへと変え──

 

「お名前、教えてくださらないのかしら?」

「あ……すみません。ダイタクヤマトっていいます……」

「ダイタク?」

 

 私が名乗ると、驚いた表情になるメジロダーリング。

 それから笑顔を浮かべると腰に手を当てて胸を張ります。

 

「良い名前ですわね。しっかりと覚えましたわよ」

 

 そんな彼女の笑顔は、メジロダーリングというその名前と共に私の記憶にもしっかりと刻まれたのでした。

 




◆解説◆

【遂に来た!! 準オープン戦線波高し!!】
・今回の元ネタは『宇宙戦艦ヤマト』の第23話「遂に来た!! マゼラン星雲波高し!!」から。
・編集に時間が無く迫っていたので、ほぼまんまです。
・“遂に来た”はもちろんダイタクヤマトの移籍後初勝利、だけでなくライバルとなるウマ娘が初登場したというのにもかかっています。

準オープンの条件戦
・今回のモデルになるのは、1999年9月11日(土)で開催された阪神競馬場第11レース、仲秋ステークス。
・1600万以下の条件戦で、芝1200。
・仲秋ステークスは1968年に第一回が開催された古いレースでずっと条件戦なのですが、開催されなくなる期間も多いちょっと変わったレースです。
・69年の開催で一度終わり、その後に1997年に復活して今回のモデルである99年で再度終了。2012年に再復活して2018年まで開催。
・そして今年(2023年)は三度目の復活を果たして9月17日に開催されました。
・なお、今年の勝ち馬は3歳牡馬のセッション。昨年の2歳未勝利戦以来の勝ち星でした。

メジロダーリング
・毎度おなじみ、実在馬をモデルにした本作オリジナルのウマ娘。
・そのモデルは同名の、1996年5月28日生まれで鹿毛の牝馬。
・スプリント重視という当時のメジロでは珍しい血統の馬で、短距離・マイル路線にも充実する方向へ舵を切った中央競馬に合わせたもの。
・新しいメジロの血統として期待されたものの……産駒で目覚ましい活躍ができた競走馬はおらず、2000年代以降のメジロ牧場は成績が低迷し解散してしましました。
・なお、メジロダーリングは中央競馬唯一の直線重賞レースである新潟開催のG3・アイビスサマーダッシュの初代勝者として名を残しています。
・本作ではダイタクヤマトのライバルとなるウマ娘であり、史実でも9度も同じレースで対決してます。
・しかもそのうち1つは香港の重賞。一緒に海外遠征してるほどの仲という……
・もう彼女以外に相方は考えられませんでした。
・メジロ家ということで、本作ではサンキョウセッツ(第一章)、セントホウヤ(第二章)、メジロモントレー(同続章)、シャダイソフィア(間章その2)に続く、毎度のように登場するお嬢様キャラです。
・ただ、「今までのメジロ家とは違う(短距離血統)」ということで“深窓の令嬢”ではなくもっとアグレッシブなお嬢様という性格付けを目指しています。

同世代
・メジロダーリングは、史実ではダイタクヤマトと2歳差。
・そのため最強世代を挟んでその下の世代になります。
・99世代。いわゆる覇王世代となります。
・現在(2023年10月)で実装されているウマ娘はテイエムオペラオー、メイショウドトウ、モンジュー、アドマイヤベガ、ナリタトップロード、そしてハルウララと結構な大所帯になっています。
・なお文中下で書かれている同期の名前はそれぞれ……
  スティンガー   :阪神3歳牝馬ステークス
  アドマイヤコジーン:朝日杯3歳ステークス
  テイエムオペラオー:皐月賞
  アドマイヤベガ  :ダービー
  プリモディーネ  :桜花賞
  ウメノファイバー :オークス
というGⅠを勝利したウマ娘になっています。
・ナリタトップロード(菊花賞)とブゼンキャンドル(秋華賞)が外れているのはタイミング的に開催前だから。
・ちなみにスティンガーを先に思い浮かべているのはダーリングが牝馬なせいです。


※体調不良による遅延のため、次回の更新は10月13日の予定です。  



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第15R ウマ娘よ勝利のために泣け!!


 ──間が悪い場面に出くわしやすい、とはオレは思っていない。

 トレーナーという職業柄、そういう場面をちょくちょく目にしているのは確かなことだが。
 ウマ娘競走(レース)に限らず、スポーツの世界というのは華々しい表面の裏では、その何倍もの挫折やら諦観やら、それにまつわる悲哀等の感情やら……そういうものが渦巻いている。
 当事者である選手本人はともかくとして、一歩退いた立場にある指導者となるとなかなかそれらのことについては難しい。
 共に嘆き悲しんで共感することも必要だろうが、それだけでは前に進めない。
 叱咤激励して拍車をかけようにも、相手がついてこなければ気持ちは離れる一方だ。
 そして、それが自分の担当ならまだしも──

(こういう場面に遭遇するのが、一番気まずいんだよなぁ)

 今さっき終わった、オレが担当するウマ娘のダイタクヤマトが出走したレース。
 最高の結果を出した彼女は「やりました! トレーナー殿!!」と満面の笑顔を浮かべ、抱きつかんばかりの勢いでやってきた。
 さすがにその勢いのままにぶつかってくることはなく、目の前まで来て急ブレーキをかけて止まると、なにかを期待するような上目遣いで見てきたので「よくやった」とねぎらいながら頭を撫でた。
 それを甘んじて受けながら「えへへ……」と笑顔を浮かべていた彼女を、表彰式へと送り出し、その勇姿を見た後で思い出したように用を足し……そこから戻ってくる通路の端で、オレはそれを見かけてしまったのだ。

 ──人通りから離れたその場所で、悔しげに涙を滲ませるウマ娘を。



 もちろん、悲喜(ひき)交々(こもごも)の感情溢れるウマ娘競走(レース)界に於いて、そんな光景は珍しくないどころかありふれたものだ。

 オレだってその認識はあるし、担当ウマ娘の涙も何度も見ている。

 

 ……大抵の場合、見て見ぬふりをしているけどな。

 

 普段ならオレもそれを見て見ぬ振りして通り過ぎるところだったが……彼女の顔を見て思わず足を止めてしまったんだ。

 

(ん? コイツは──)

 

 緩く波うった髪の毛を後頭部で一纏めにした髪。

 勝ち気さを示し、かつ高貴さを顕したような跳ね上がった細い眉と、つり上がり気味の大きな目。

 その姿は、ついさっきオレが見かけた姿だった。

 

「メジロダーリング……」

 

 その名が思わず口をついて出るが、そのつぶやきに彼女が気づいた様子はなかった。

 先のレースでダイタクヤマトに続いて2着だった彼女は、もちろん表彰式にもその顔はあった。

 なにより1着で駆け抜けたダイタクヤマトに真っ先に声をかけ、共に観客の声に応え、その間はずっと明るく振る舞っていたように見えた。

 

(もちろんだが、悔しくないわけがないよな)

 

 2着といえば善戦したといえる。

 これが重賞レースなら十分に評価されるだろう。

 でも……条件戦となると違ってくる。

 

 ──勝たなければ意味がない。

 

 もちろんまったく意味がないわけじゃない。

 だが、昇格が至上の命題である条件戦に於いて1着と2着では越えようのない壁があるんだ。

 下の方ならともかく、オープンクラス直前の(プレ)オープンクラスが熾烈な理由はそこだ。

 現にダイタクヤマトだって、この1勝を手にするのに1年近い時間がかかってしまった。

 そして昇格するのには、あと1勝必要だ。

 

(もしアイツが次勝つのに、また同じ時間が必要だったら……)

 

 肉体的な最盛期(ピーク)の時期や、精神的要素である動機や意欲(モチベーション)を考えるとオープンクラス昇格はかなり厳しい。

 もちろんオープンクラスはバケモノ(クラス)の連中と競わなきゃならなくなるかもしれない高難度の世界。

 それでもそこに足を踏み入れたか届かなかったかでは、後で評価が全然違ってくる。

 

(たしかメジロダーリングは、あと1勝だったな)

 

 担当が出走するレースに出るウマ娘のデータとして記憶した中にそんな情報があった気がする。

 つまり、もしも今回のレースでダイタクヤマトではなく彼女が勝っていれば晴れてオープンクラスだったのだ。

 今年がクラシックの年になる彼女なら伸び代も大きく、オープンクラスというさらに大きな舞台での成長と飛躍も十分に期待できる。少しでも早く昇格したいはずだ。

 

(だからこそ、今回の敗戦は悔しさがより強かったに違いない)

 

 だというのに気丈に振るまい、そして勝者ダイタクヤマトを立ててくれた。

 自分の気持ちを押し殺して。

 そんな彼女を放っておくことは…………オレにはできなかった。

 

「……ありがとうな、メジロダーリング」

「え?」

 

 オレの声に振り向いた様子の彼女。

 だが、オレと目が合うことはない。

 あえて背を向け、視線を斜め上の天井に向けて見つめたまま彼女に話しかけたからだ。

 仮にもメジロの名を冠するウマ娘。

 そんな名家の令嬢である彼女のプライドを傷つけることは本意じゃない。

 

(……メジロ家の他の御令嬢のプライドは、今まで何度も傷つけてるし)

 

 ふとそれに思い至って心の中で苦笑する。

 まぁ、それもレースの結果だし、正々堂々とした勝負の結果だ。

 

「おかげでダイタクヤマトも声援に応えられたし、観客も盛り上がった」

 

 そう言うと、彼女はオレがダイタクヤマトのトレーナーであることに思い至ったらしい。

 隠すように涙をそっと拭うと気丈に答えた。

 

「……出走したレースを盛り上げるのは、中央(トゥインクル)シリーズ所属の競走ウマ娘として当然のこと。御礼を言われる筋合いなど、ございませんわ」

「それが当然と思い、感情を押し殺してでも行動できるウマ娘を、オレは尊敬する」

「そん、けい……?」

「ああ。さすがメジロ家のウマ娘だ……なんて、オレに言われても嬉しくはないか」

 

 自虐的に苦笑を浮かべてしまう。

 大舞台でメジロ家のウマ娘達に一泡吹かせてきて、その上で今回も彼女を悔しがらせる片棒を担いでいたんだからな。

 そのオレがどのツラ提げてって話ではある。

 しかしそれでも、彼女の表の顔と裏の顔を見てしまったオレは彼女を賞賛したかった。

 それが彼女が隠したいものを偶然見かけたものだったとしても。

 

「“情け”のつもりですか?」

「そんなわけあるか。間違いなく本心だ。そんなつもりだったら声をかけずに見て見ぬ振りするさ」

「なら、そうなさってくださればいいものを……」

 

 不満げな口調でつぶやく彼女。

 気丈な仮面の奥に素顔が見えた気がして、オレは思わず笑みを浮かべてしまう。

 

「性分なんだろうな。オレは、報われなくても努力し続けるヤツが好きなんだよ」

「えっ……?」

「白鳥が水面を優雅にスイスイと進む姿よりも、必死に足をバタつかせている水面下の方が気になっちまう。そんな(あま)邪鬼(じゃく)なもんでね」

 

 少し躊躇ったが、オレは彼女を振り返った。

 驚いた様子でこっちをジッと見つめる彼女と目が合う。

 

「だからこそ、その努力が報われてほしい……そう思うのは担当だろうがそうじゃなかろうが関係ない」

 

 呆然と見つめてくる彼女と長いこと目が合い続け、なんとなく気恥ずかしくなったオレは視線を逸らす。

 そのまま誤魔化すように(きびす)を返し──

 

「もちろんウチのチームのウマ娘とかち合った時は、手加減なんてできないけどな」

 

 背後に向けてそう言い放ち、オレは去ろうとする。

 そんなオレに対し彼女は──

 

「当然ですわ。正々堂々ではない勝負に価値なんてありませんもの。でも……いえ、だからこそ、次は必ず勝たせていただきます」

 

 勝ち気な笑みが頭に浮かぶような、そんな言葉を聞いてオレは嬉しくなる。

 

「そう簡単に負けないぞ。ウチのウマ娘達は……」

 

 彼女に見せずに苦笑を浮かべつつ、オレはそう言い残してその場を去った。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──良い走りができた。

 

 だというのに結果がついてこなかった。それが今日のレース。

 もちろん常に前に一人居続けられ、そのまま逃げ切られた今回の走りを客観的に見れば“良い走り”と称することはできないでしょう。

 でも、そのたった一人いた前走者を抜きにすればペース配分等のレースの手応えは明らかに良いものでした。

 

 そんな走りができたからこそ……負けたという事実が悔しい。

 

 レース直後は、(わたくし)の会心の走りが及ばないほどに見事な走りをした1着のウマ娘を賞賛する思いが強かったのです。

 だからこそ彼女の勝利を讃えようと近づき、そして声をかけました。

 ですが、時間が経つにつれて自分の走りが及ばなかったことに対する怖さや彼女の走りに対する嫉妬、昇格できなかったことに対する焦りや後悔といった昏い感情が首をもたげてきました。

 そのような醜悪なものを余人に見せるわけにはいかず──表彰式を終えた(わたくし)は、人知れず離れてその感情を処理しようとしたのです。

 

 ──まさかそれを、他人に見られてしまうなんて。

 

 声をかけられたとき、本当に焦りました。

 まさか他人(ひと)がいるなどと思っておりませんでしたし、だからこそ(ナマ)の感情を表情に出してしまっていたはず。

 それを見られるなんて、知らぬ人に裸を見られるようなものです。

 ましてそれが存じ上げない殿方となればなおのこと恥ずかしい。

 

 でも──彼は、そんな(わたくし)の姿を褒めてくださったのです。

 

 いえ、それどころか“気になる”とか“好き”などと……

 呆然としている中、彼はやおら背を向けて歩いていこうとしてしまいます。

 

(お待ちください)

 

 という言葉は喉の下まで出掛かりましたが、それ以上あげることはできませんでした。

 代わりに出たのは──

 

「次は必ず勝たせていただきます」

 

 ──という言葉。

 ああ、悲しいことに(わたくし)は競走ウマ娘なのですわ。

 そして貴方様は……よりにもよって今回の勝者のトレーナーという、悲しくも敵である存在。

 しかし(わたくし)の直前の台詞は、本来であれば嘆きと共に出てもおかしくないもの。

 それをむしろ晴れ晴れとした気持ちでそれを言うことができたのはなんとも不思議な感覚でした。

 どうしていいのか分からないその感情を抱え、遠くなっていく背中を見つめることしかできません。

 遠ざかっていくジャケットの背に描かれた、一番下の星が強調されて意匠化された南十字座(サザンクロス)と“αーcrux”のロゴ。

 

「見つけたかも、しれませんわね……」

 

 思わず(わたくし)はそう言っていました。

 そんな彼とすれ違うようにして、一人のウマ娘が近寄ってきます。

 

「ダーリング、こんなところにいたんだ。急にいなくなるから探したんだよ?」

「申し訳ありませんでした、パーマーさん……」

 

 心配そうな、そしてどこかホッとしたような表情を浮かべているのは、トレーニングで(わたくし)を支援してくださったメジロパーマーさんでした。

 その彼女は、(わたくし)の体に触れ、異常がないのを確認し──

 

「……ひょっとして、さっきのトレーナーになにかされた?」

「いえ。そんなことはありませんけど……」

「そっか。ならよかった。一時期悪い噂が流れてた人だから心配しちゃったよ」

「悪い噂、ですか?」

 

 苦笑を浮かべる先輩に訊くと、「今では事実無根と明らかになってる話だけどね」と説明してくださいました。あの人が担当のウマ娘に乱暴をはたらいたとまことしやかに噂されていたことがあったのを。

 (わたくし)にはとても信じられないことでしたが……

 

「ところでパーマーさん、あの方を御存知なのでしょうか?」

「うん。まぁ……ね。知ってるもなにも、あのチームの()に秋の天皇賞で負けて、御婆様から『あんな無名のウマ娘に“盾”を取られるなど恥を知りなさい!』と怒られたことがあるし……」

「あら……申し訳ありません。イヤなことを思い出させてしまったようで」

 

 決まり悪そうにするパーマーさんに、(わたくし)は思わず頭を下げると苦笑を浮かべて許してくださいました。

 

「ううん、大丈夫。それでもまだマシな方だからね。マックイーンの時は御婆様は三日三晩寝込んでうなされ続け、モントレーの時は卒倒したって話だよ」

「……はい?」

 

 (わたくし)が首を傾げると、パーマーさんは困惑した様子でした。

 

「あれ? ダーリングこそホントに知らないの? 意外と知名度あるトレーナーなんだけど」

 

 言われてみれば、記憶にあるような気もするのですが、その名前が出てきません。

 なんとももどかしい状況ですが……それを察したかのようにパーマーさんが説明してくださりました。

 

「あたしの時はレッツゴーターキン、マックイーンの時はダイユウサクさん、モントレーの時はサンドピアリスで世間を驚かせた“驚愕(ビックリ)の〈アクルックス〉”……」

 

 もちろんそのレースのことは聞き及んでおりますし、勝ったウマ娘とその顔も存じておりますわ。

 でも──

 

「……その乾井(いぬい) 備丈(まさたけ)トレーナーだよ」

 

 ──まさかあの方が“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”だったなんて。

 確かに(わたくし)のようにクラシック期で伸び悩むウマ娘達にとって、その名前はすがりたくなるもの。

 例えるのなら、シンデレラを夜会に送り出す魔法使い。

 そして白雪姫を魔女の魔法から解き放つ王子様……というのはさすがに言い過ぎかもしれませんわね。

 

「いいえ……」

 

 一度はそう思ったものの、先ほどの出来事を思い出してそれを改めます。

 (わたくし)にとってまさに“王子様”なのかもしれませんわ。

 本日負けた相手である彼の教え子と再び競い、(わたくし)の実力を見せつけ──“星”を掴んでみませますわ。

 それにしても、彼女の名前は──

 

「ダイタク……」

「え? なにか言った?」

 

 (わたくし)のつぶやきを耳にした隣のウマ娘が、無邪気に聞き返してきます。

 そう、(わたくし)を指導してくださったパーマーさんの親友の名前にもまた“ダイタク”の文字が入るのです。

 

「いえ、奇妙な縁だと思いまして」

「うん?」

 

 (わたくし)とパーマーさんの“メジロ”と、彼女とパーマーさんの親友の“ダイタク”……再び出会った奇縁といえるでしょう。

 ですが、(わたくし)とあの方は、親友ではなくあくまで敵なのです。

 そう、好敵手(ライバル)と呼ばれる関係こそ(わたくし)達にはふさわしく思うのですわ。

 




◆解説◆
【ウマ娘よ勝利のために泣け!!】
・今回の元ネタは『宇宙戦艦ヤマト』の第24話「死闘!!神よガミラスのために泣け!!」から。
・序盤はともかくこの中盤に来て主役がまったく登場しない回になりました。


※ストック枯渇につき、次回の更新は10月25日の予定です。  




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第16R さらば条件戦! オープン(クラス)より愛をこめて!!


 ──勝利の興奮も冷めやらぬ、レースの翌日。

「トレーナー殿! 今日はどのような鍛錬を──」
「落ち着け。今日は休みだ」

 両手を体の前で握りしめて、元気にやる気をアピールしているダイタクヤマト。
 オレが彼女にそう言うと、あからさまに「えぇ~」と落胆し、不満げな目を向けてきた。
 その反応に思わずため息が出てしまう。

「あのなぁ。昨日の今日だぞ? レースの疲労は体に残っている。それをしっかり抜かないとケガするだけだ」
「しかしヘリオスさんは、スプリンターズステークスを走った翌週に有記念に出てたじゃないですか」
「ああ、そうだな。で、その有記念の後に引退している」

 オレが返すとダイタクヤマトは「あ……」と自分の失言に気がついた。
 しかし容赦してやる気はない。

「だから無理ができたんだぞ。お前もここで走るのを止めるのならそれで構わないが、どうする?」

 もちろん構わないなんてことはない。
 一度面倒を見ると決めた以上、彼女が心の底から引退を決意するか、オレのことが嫌になってチームを離れたいと思うまで付き合う。
 そういう方針でトレーナーをしている。
 前者の例はオラシオンで、後者の例はパーシングだ。
 仮にこんなところでダイタクヤマトが諦めてしまったら、彼女もオレも不完全燃焼で悔いが残るのは明らかだ。

「うぅ……」

 ともあれ、ダイタクヤマトは悔しそうに押し黙った。
 ダイタクヤマトがこれほどまでにやる気になっているんだからそんな選択をするわけがない。
 しかしそのやる気が、少し過剰になっているようにオレの目には見えた。

(だが、この流れを活かしてもう一勝といきたい気持ちはもちろんある)

 今回の1勝。好走を続けていたものの結果が出なかったダイタクヤマトにとってやっと“波がきた”とも言える。
 今までの、ダイタクヤマトの積み重ねがやっと実を結んだんだ。
 〈アクルックス(ウチ)〉に入ってからはもちろん、移籍前に〈ミモザ〉にいた頃から実績を積み重ね、降格制度も乗り越え、オープン昇格まであと一つだ。
 そしてそんな勝利したレースも転がり込んできたような勝ちじゃない。しっかり実力で掴み取ったものだ。
 まさに今まで培ってきたものがダイタクヤマトの実力として発揮されたからの勝利。
 その“波”に乗りたいと思うのはオレも同じだ。
 だが──

「しかしトレーナー殿。昨日の走りは我ながらよくできたものだと思っているのであります。だからこそその感覚を忘れない内にもう一走り……」
「無理してケガをしたら本末転倒だし、ここは無茶が必要な場面でもない。却下」 

 ──焦ったら駄目なんだ。
 気持ちが先走れば、心と体のバランスが崩れて走りに齟齬が生じる。
 しかし結果を出したことで、今の自分を全肯定する気持ちが強いはず。
 だからその小さな狂いに気づかず、それが歪みを大きくさせていく。
 その結果として勝てなくなったことに焦りを感じ……さらに狂わせる。

(そうなったらと完全に負の連鎖と、その循環だ)

 好事魔多し。
 だからこそ、傍で見ているオレ達トレーナーは客観的な目で、ウマ娘のはやる気持ちを抑えなければならない。

 ──なぜなら、オープン昇格は終着点(ゴール)ではなく出発点(スタート)なんだから。

 そこから強敵相手に勝負をしなければならないというのに、体をボロボロにしながら満身創痍で昇格しても戦い続けられるはずがない。
 確かにオープン昇格を目標にするウマ娘も多い。
 だが、オレはそんな連中には「ウイニングライブでセンターに立つことを目指すほどに目立ちたがり屋のウマ娘サマがずいぶんと謙虚な目標だな」と言ってやりたいくらいだ。

中央(トゥインクル)シリーズの歴史に名前を残す──それくらいは言って欲しい)

 もちろん年度代表やら最優秀ナントカという表彰をとれればそれは最高なんだろうが、そんなのは才能と実力と運が全てそろわない限り不可能で、できるのはごく一部の一握り。
 記録(レコード)を残すのだって同じだ。そう簡単にできるもんじゃない。
 しかし少なくとも重賞制覇なら、第何回のそのレースを誰が勝利したという歴史は残る。
 もちろん毎年のように開催されるから、その名が注目されることはないかもしれない。
 だが、少なくともURAの歴史に名を刻むことができる。
 調べればその名前は勝者として残っている。
 自分が歩んだ道を誇るために、少なくともそこは目標にして欲しいんだ。
 今までオープンクラスに昇格するウマ娘は無数におり、それだけではそうはならないんだから。
 だからそこを目標にしたらいけないとオレは思っている。
 ダイタクヤマトにも、そう考えているからこそ──

「ここ数日は、レースで受けた体のダメージを回復させ、疲労を抜くことに専念するように」
「そんな……トレーナー殿、せめて少しだけでも走らせてください!」
「却下。今日は体をほぐすくらいの運動にとどめること……ミラクルバード!」

 オレが振り返ると、すぐ近くで他のウマ娘と打ち合わせをしていた車椅子に黄色い覆面がトレードマークのウマ娘が気がついてすぐに寄ってくる。

「はいは~い。どうしたの、トレーナー。なにか用?」
ダイタクヤマト(コイツ)が体を休ませるように、しっかり目を光らせておいてくれ」
「うん。わかった」

 オレの指示に、ミラクルバードは首の上で纏めて小鳥の尾羽根のように短くピンと伸びた後ろ髪を上下に振りそうな勢いで笑顔を浮かべる。
 今や〈アクルックス(ウチのチーム)〉には複数のウマ娘がいる。そしてトレーナーはオレ一人しかいないので、その全てを見なければならない。
 その証拠に……遠くで自主トレをしながらもわざとらしくチラチラと視線を送ってくるヤツもいるし、知り合いを見つけて──

「モンちゃんどうしたの?」
「で・す・か・ら、モンちゃん言うなと何度言えば……」

 ──と話し始めているウマ娘もいる。
 ダイタクヤマト一人を見ているわけにはいかないんだ。
 だから彼女が休みであれば……

「トレーナー、ちょっといいっスか?」
「ああ、ロンマンガンか。どうした?」
「あっしの走りなんですけど──」

 自己研鑽に励む他のウマ娘を見る時間に充てなければならないからな。
 適正距離の幅が広く、かつ適性脚質が多い(オールラウンダー)ロンマンガンが考案してきた彼女ならではの策について評価と助言を求められ、オレはそれに応じた。

 ……ダイタクヤマトが「トレーナー殿……」と捨てられた子犬のような目でつぶやいてきたが……うん、無視だ無視。
 その目を見ているとオレの気持ちが揺るぎかねない。

 ミラクルバード、他人事のように面白そうに見てないで、早く連れて行ってくれ。



 

 ──ダイタクヤマトがそんな調子だったので、次のレースも早めに組んでいた。

 

 肉体的に調子がよく、精神的にも乗っている。

 幸いなことにレースでの負傷もなく、その疲れも少し休んだことで回復してすぐにトレーニングにはいることができた。

 オレが考えた“波に乗りたい”というのを実行できる、そう思って出走させた。

 

 だが……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 その日の私──ダイタクヤマトは調子が悪いわけではありませんでした。

 

 その証拠に体はよく動きますし、スタートを失敗したわけでもありません。

 いつも通りの短距離レース。

 いつも通りに前でのレースを展開し、そして逃げる。

 それを普通にできていたのですから。

 そう、まるで勝利した前走の焼き直しのように。

 ただ一つ、違う点があるとすれば──

 

『またお会いしましたわね、ヤマトさん』

 

 前走で私に続いて2着だったウマ娘──メジロダーリングさんが出走前に声をかけてきたこと。

 私を見かけた彼女は近づきながら声をかけてきて……

 

『前回は不覚をとりましたが、今回は負けませんわ!』

 

 勝ち気な笑みを浮かべてそう言うと『正々堂々、勝負ですわ!』と言い残し、一纏めにした緩く波うった赤みがかった茶髪──鹿毛の髪を揺らしながら、『オーッホッホッホ』と高笑いのような声を残して去っていきました。

 終始上機嫌で圧の強い彼女に戸惑いましたけど……その彼女が、今、私の前を走っているんです。

 

先頭(ハナ)をとられました──)

 

 前回は終始先頭をきって走った私。

 その時に2番手だったダーリングさんがお返しとばかりにその位置にいるのです。

 今回のレースも相変わらずの1200(短距離)

 なんとしても彼女についていくのはもちろん、勝負を仕掛けるタイミングもシビアなものになります。

 

(少しでもペースが落ちれば、前に出る!!)

 

 後ろにピタリとついて、前を走る彼女にプレッシャーを与え続ける。

 楽に走らせては、隙をつけずに終わってしまいます。

 そして最後の直線に入って──

 

(今ですッ!!)

 

 彼女を抜くために、残っていた最後の力を足に込め、地を蹴る。

 力を温存して最後に賭けるような末脚勝負のウマ娘ほどの加速はできません。

 それでも前にいるウマ娘は先頭を走り続けて足を消耗しているはず。

 

(追いつけるはず──いえ、追いつかなければ!!)

 

 先頭に追いつきかける。

 そしてそんな私の動きに気づいたのか、チラッと視線を斜め後ろに向けてきたダーリングさん。

 そんな彼女は──

 

(えっ?)

 

 今……気のせいでしょうか、

 少しだけ見えたダーリングさんの顔は私の動きを嫌がってしかめるどころか、楽しげに笑みを浮かべたように見えました。

 何故、そのような──

 

「──迷うな! ダイタクヤマトッ!!」

「ッ!」

 

 観客席(スタンド)から響く大歓声の中に紛れながら、なぜかハッキリと聞こえたトレーナー殿の声。

 そうです、こんなことに気を取られている暇なんてないのです。

 その声で我に返って、さらに足に力を込めましたが──

 

「くッ……」

 

 追い、つけない……

 私と彼女の間にある差は縮まることなく、ただ時間と距離だけが過ぎていきます。

 迫るゴール板。

 焦る気持ち。

 しかし──どれだけ焦って必死に手足を振ろうとも、その背に追いつくことはかなわなかったので、あります……

 

「届かなかった」

 

 沈痛な気持ちを隠せずに、目を伏せてゴールを駆け抜けるしかありません。

 そんな私とは対照的に、1着をとったウマ娘は歓喜を爆発させながら、声援に手を挙げて応えるのでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 レースを終え、走るペースを下げて立ち止まった私は、両膝に両手を付き下を向いて呼吸を整えていました。

 

「負け、ました……」

 

 敗戦の二文字を突きつけられ、悔しさがこみ上げてきます。

 

 せっかくの前走からの良い流れが……

 この勢いに乗って、一気にオープン昇格を果たしたかったのに……

 トレーナー殿が目をかけてくださっていのにこの体たらく……

 あと少し、どうしてもう少し頑張れなかった……

 

 様々な考えや感情が私の頭をよぎり、グチャグチャになってきます。

 もっと何かできていたはず。

 それがレース前のことであったり、レース中のことだったり……思い浮かぶのは後悔することばかりでした。

 そんな私は──ふと、近づいてくる気配に気が付きました。

 

(トレーナー殿、でしょうか……)

 

 しかしいったいどんな顔をしろというのでしょう。

 終始先行され、そのまま一度も前に出ることなく……良いところも見せ場もなく終わってしまったウマ娘が、どのような顔であの人に会えと言うのでしょうか。

 その気配が私の直前で足を止め──地面を見つめる私の視界に、スッとたおやかな手が差し出されたのでした。

 

「あれ……?」

 

 その華奢に見える手は明らかに女性のもので、大きくてゴツいトレーナーのそれではありません。

 それを視線で追いかけ、顔を上げ──その手の主を視界に入れました。

 彼女は笑みを浮かべ、こちらを見ていました。

 まさに前走の時と同じように……

 

「今日は、勝てましたわ」

 

 その結果を突きつけてきた彼女。

 一瞬、心がズキリと痛んで思わずうつむいてしまいます。

 

「前回に負けず劣らず良い走りでしたわ、貴方の走り……」

「……え?」

 

 驚いて顔を上げ、再び彼女の顔を見ました。

 前回彼女が名乗ったメジロダーリングという名前はちゃんと覚えています。

 そのメジロダーリングが笑みを浮かべて私の走りを賞賛してくれたんです。

 

「でも私、今回は負けて……」

(わたくし)は前回の貴方の走りを見て、貴方に負けないように研鑽したのですから当然ですわ」

「私に?」

 

 問い返しに「ええ」とハッキリ頷くメジロダーリング。

 

「同じ脚質を得意とする者として、前回の貴方の走りは感銘を受けましたわ。だからこそ興味を持ちました。貴方に。そして……その走りを教えたトレーナー様に」

 

 目を伏せ、どこかウットリしているような雰囲気のメジロダーリング。

 あれ? トレーナー殿とどこかで会ったのでしょうか?

 まぁ、以前からのファンという可能性もありますけどね。トレーナー殿はGⅠレースで本命視されるような強いウマ娘からは嫌われる一方で、そんなレースに大穴勝利(シンデレラストーリー)を夢見るウマ娘からの人気は根強いものがありますから。

 

「そして、今日もそんな貴方がすぐ後ろにいたからこそ(わたくし)も気が抜けず張り合い続けることができたのですわ。だからこそ後続に追いつかれずに走り切れた……今日の勝利は貴方という相手がいたからこそ、ですわ」

 

 それは同じレースを走り相手に言う言葉としてはいささか配慮に欠けるものでした。

 だって、負けた相手に「アナタのおかげで勝てました。ありがとう」と言っているんですから。

 

(でも……)

 

 ……なぜでしょう。不思議とイヤな気持ちにはなりませんでした。

 彼女が人好きのする明るい笑顔を浮かべているからでしょうか?

 それともほんの少しの付き合いしかない私にでも分かるくらいに、屈託のない彼女の性格によるものでしょうか?

 そう。彼女は前回、自分が惜敗したにも関わらず私を立てて祝福してくれたじゃないですか。

 ですから今回は自分が──

 

「ありがとうございます。そして、おめでとうございますメジロダーリングさん」

「こちらこそありがとうございます。ダイタクヤマトさん」

 

 ──差し出された手を握ると、彼女は一段と晴れやかな笑みを浮かべてそう言ったのです。

 それから微笑へと変えて、さらに言いました。

 

「次は貴方の番ですわ」

「私の、番?」

「ええ。今回の勝利で(わたくし)は昇格しました。ですので一足先にオープンクラスで待っていますわ。貴方と再び同じレースで競えることを願って」

 

 彼女が握る手にギュッと力を込めたのがわかりました。

 おかげでその言葉がただの社交辞令なんかじゃなくて、本心だというのが伝わってきます。

 

「あと一勝(ひとつ)、必ず勝ち上がってきてくださいませ。貴方こそ、(わたくし)の……“宿命のライバル”なのですから」

「へ……?」

 

 想定外の単語に、私は思わずポカーンとしてしまいました。

 ですが彼女はそんな反応をまったく気にした様子はありません。

 

「今日のレースで確信いたしました。貴方と一緒ならもっと素晴らしいレースができる、と」

「あ……」

 

 それは不思議と共感できるものでした。

 彼女と競う(走る)のは──たとえ勝敗がつくものだとしても──楽しいものだと。

 そして勝っても負けても、彼女相手なら清々しい気持ちになれるんです。

 だからこそ、また同じレースで一緒に競い(走り)たい。

 その気持ちで、私も自然と握る手に力がこもってしまいました。

 

「ですので、オープン昇格してくださいませ。それが貴方の義務ですわ」

「ええ。絶対に……」

 

 私が力強く頷くと、彼女も勝ち気な笑みを浮かべ──

 

「なるべく早くお願いしますわね。(わたくし)、あまり気が長い方ではありませんので」

「もちろんでありますよ、メジロダーリング殿」

 

 握っていた手をほどき、私は一歩下がり──右手を顔の前にかざし、敬礼しました。

 彼女の今日の勝利と昇格に。

 そして、上のクラス(オープン)で再び戦うという誓いに敬意を示して。

 




◆解説◆

【さらば条件戦! オープン(クラス)より愛をこめて!!】
・今回の元ネタは『宇宙戦艦ヤマト』の第10話「さらば太陽圏! 銀河より愛をこめて!!」から。
・条件戦から「さらば」したのはメジロダーリングなので、愛を込めているのはもちろんダーリングさんです。
・はい、ダイタクヤマトが昇格する……と思わせての、というタイトルです。

次のレース
・今回のモデルになるのは、1999年10月9日に開催された京都競馬場第11レース、京洛ステークス。
・1600万以下の条件戦で、芝1200。
・1991年に第一回が開催された京洛ステークスですが、次が93年、その次が95年と安定して開催されず、95年以降は最後になっている2015年まで毎年開催。
・2007年以前は93年を除いて1600万(もしくは1500万)以下の条件戦でしたが、2008年からと93年だけはオープン特別出の開催です。
・なおこのレース、1番人気がダイタクヤマトで2番人気がメジロダーリングでした。
・前回と今回、それに次走のダイタクヤマトは騎手が武豊騎手だったのですが、対するメジロダーリングの前回と今回はといえば、その弟の武幸四郎騎手でした。


※色々あって進まず、次回の更新は11月6日を予定していますが延びるかもしれません。  



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第17R 幸運の使者


 ──そのレースに敗れたとはいえ、ダイタクヤマトの志気は衰えるどころかますます上がっていた。

 それに気が付いたオレは驚きもしたが、ともあれ良い傾向だと思っていた。
 負けたと言っても2着。勝利はすぐ目の前にあったんだ。
 調子がいいのは間違いないし、「次こそは」と前向きになってくれるのはありがたいことだ。出鼻をくじかれて意気消沈してしまうことも考えられたんだから。
 これまでの付き合いで実感してるが、ダイタクヤマトの性格は真面目だ。
 ギャロップダイナのような荒さもなければ、ダイユウサクのようなコミュ障気質なところもない。
 レッツゴーターキンのように悲観的過ぎたり、逆にサンドピアリスのような楽観的過ぎるところもない。
 ロンマンガンのような卑屈さもなければ、オラシオンのような天才肌の気難しさもない。

(……その真面目が過ぎて考え込み、出た結論がダイタクヘリオスの真似(コピー)という分厚い皮を被ることだったわけだが)

 それを忠実にこなしていたのもある意味では彼女の真面目さの証でもある。
 ともあれ、素直で真面目というのが彼女の本質だ。
 それを考えれば()()()()()()という結果だけを見て、考え込みすぎてしまうおそれは十分にあった。
 なにしろそれまで1年近く勝てていなかったんだから。またその泥沼にはまるんじゃないかと不安になってもおかしくない。
 そう考えると遙かに良い傾向ではあるのだが……その前向きさにオレは少しだけ(いびつ)さを感じていた。

 ──その過剰な“前向き”が“前のめり”になりすぎていることに。

 しかし、オレはそれを「やる気になっているから」と黙殺した。
 それがよかったのか悪かったのか──結果はすぐに顕れた。



 11月半ばに京都で開催された自己条件戦に出走したダイタクヤマト。

 その結果は──

 

(6着。完敗だな……)

 

 突きつけられた現実にオレは静かに大きく息を吐く。

 しかも先の2戦とうって変わって先頭切って走ることさえできず、いいところを全く出せずに終わった敗北だ。

 

(良い流れできていると思ったんだが)

 

 手応えを感じていただけに衝撃を受けていた。

 これまで何人かの競走ウマ娘の面倒を見てきたし、その連中はダイタクヤマトのような成長が遅いヤツの方が多かった。

 それだけに、条件戦を抜け出してオープン昇格できる実力の見極めがついているつもりだった。

 その基準で見ればダイタクヤマトのここにきての好走はそのウマ娘の強さがハッキリと現れる本格化の予兆に思えた。

 

 だからこそ今回の負けが想定外であり、意外だった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ……なんてことを考えながら、オレは〈アクルックス〉のチーム部屋へと向かって学園の敷地内を歩いていた。

 今日のトレーニング、走ったばかりのダイタクヤマトは休ませる。

 しかし他のメンバーはもちろん通常通りのトレーニングがある。

 ミラクルバードがトレーナー室の方へ来ていなかったので、先に行っているんだろう。

 

「しかし……」

 

 つぶやきのような独り言が口をついて出て、自然とため息をついていた。

 ダイタクヤマトのレース結果をまた考えてしまったからだ。

 

(いかんな)

 

 思わずやってしまった行為を反省する。

 トレーナーが不安な姿を見せたら、ウマ娘達に示しがつかない。

 彼女たちは感情の機微に敏感だ。ダイタクヤマト本人がおらずともオレの様子を見た他のメンバーから伝わってしまう可能性が高い。

 弱気なところを隠すのもトレーナーの大事な役目の一つだからな。

 

「……もし、そこのトレーナーさん」

 

 気を取り直しながら歩いていたところで、ふと横からそんな声がした。

 なにしろここはトレセン学園。トレーナーという存在はそれこそ山ほどいる。おそらくトレーナーという人種の人口密度はきっと日本一だろう。

 だから自分のこととは思わなかったが……それでも気になって声の方を向く。

 

 そのウマ娘と目があった。

 

 思わず彼女の視線の先を振り向くが……しかしそこには誰もいない。

 ということは、つまり──

 

「……オレか?」

「ええ。その通りです」

 

 うんうんとうなずく、明るい色をした短めの髪のウマ娘。輝いているように見えるその瞳が特徴的だった。

 彼女の姿を見て、オレは恐る恐る確認する。

 

「ええと……マチカネフクキタル、だったか?」

「その通りですが、よく御存知ですね。乾井トレーナー」

 

 頭にダルマの飾りをつけた見た目もさることながら、彼女はダイタクヤマトの同期だからこそ、オレは名前と顔を記憶していた

 しかもただ同期のウマ娘というわけではない。ウチのメンバーの多くのように、オープンクラス昇格に手こずるウマ娘とは違って、重賞で活躍するような世代の中でも有力ウマ娘の一人である。

 

「そっちこそよく知ってるな。オレみたいな落ちこぼれトレーナーのことを」

「落ちこぼれだなんてとんでもない。有名な“世間を驚かせる”方じゃないですか」

 

 マチカネフクキタルはニコニコと笑みを浮かべながら、「冗談言わないでください」とばかりに片手で招くような動きでオレを軽くたたいてきた。

 

「それで、いったい何の用なんだ?」

 

 マチカネフクキタルとは今まで面識なんてなかった。

 オレが担当しているウマ娘と同じレースになることもなかったし、仲の良い相手もいなかったはず。

 しいていえば、先の説明通りにダイタクヤマトが同期だということくらいだが……

 

「トレーナーさんを見ていてピンと来まして……ちょっとアドバイスを」

「アドバイス? オレに?」

「はい。なにか深刻に悩んでますよねぇ? それも競走(レース)のことで」

 

 輝くような目で見つめながら、ズイッと身を乗り出してくるマチカネフクキタル。

 そういえば聞いたことがあった。彼女は趣味というか、占い好きなウマ娘だったと。

 しかし「悩んでいますね」と言うのは占い師の典型的な手口だと何かで見たことがある。

 人間──ウマ娘もだが──生きていて何の悩みないようなヤツはいないからな。

 そしてトレセン学園にいる者ならウマ娘だろうがトレーナーだろうが、悩み事が競走のことになるのは当然だろう。

 だからオレは「おお、当たってる!」と驚くどころか「胡散臭い」という感想が先行して……つい彼女を不審者を見るような目で見てしまった。

 

「どうやらまったく信用されてない様子。『私は騙されない』みたいな顔をしてますね……」

「当たらずとも遠からずだな。あいにく占いとかそういうのは信用していないもんで」

「おや? 聞いたところでは、ダイユウサクさんの有記念の前に『勝つ夢を見た』と言っていたそうじゃないですか」

「う……」

 

 ずいぶん懐かしい話をしてくるじゃないか。

 確かにあの時はそういうこともあった。

 

「あれは夢が正夢になったって話だろ? 占いとは関係ない」

「夢でも占いはできますよ? 正夢なんてまさにその典型です。さぁさぁ、占いに興味が出てきたんじゃないですか?」

 

 グイグイとくるマチカネフクキタル。

 ずいぶんと人懐っこいというか、愛想がいいというか……さっき名前が出たダイユウサクとは真逆だな。アイツ、無愛想だし。

 

「ま、信じるも信じないもトレーナーさんの自由ですけど……いいですか? 今から直後にくる連絡に対して何も考えずに『まかせた』と返事をしてください」

 

 一方的に告げてきたマチカネフクキタルの占い──といってもいいのかわからないようなそれ。

 その突拍子もない指示に、オレは目が点になっていた。

 

「どんな連絡がくるか分からないのに、か?」

「ええ。考えても時間の無駄、というよりは時機を逸してしまうので即断即決でお願いします。そうすればきっと道が開けることでしょう。そんなトレーナーさんの今日のラッキーアイテムは帽──」

 

 ──というマチカネフクキタルの言葉を遮るように、オレのスマホから「ピロン」と電子音が鳴った。

 思わずそれを見つめ、マチカネフクキタルも途中で言葉を止め、固唾をのんでオレのことを見ている。

 恐る恐るスマホの画面を見てみると……

 

「げ……」

 

 ウチのメンバーからの連絡だった。

 しかも『菊かおる今日この頃……』というまるで手紙のように始まるえらく長文で──って、こんな長くて回りくどい文章をよこしてくるのは、一人しか心当たりがない。

 絶対アイツだ。タケノ──

 

「トレーナーさん、急いで返事をしてください」

「はぁ!?」

「言ったじゃないですか。早くしないと時機を逸してしまいますよ。幸運が逃げちゃいます!」

 

 真剣な目でオレを急かしてくるマチカネフクキタル。

 確かに直前にそんな説明をされているし、オレだってもしもそんな簡単なことで道が開けるならそれに越したことはない。

 だが……よりによってアイツからの連絡だぞ?

 詳しい内容も確認せずに『まかせた』なんて安易に返答したらどうなることか。

 

(アイツの話に不用意に乗るのはあまりにも危険だ。しかし……)

 

 真剣な目でオレを急がせるマチカネフクキタル。

 といっても、あまりにも長文過ぎてパッと見ただけではどんな内容なのかサッパリ分からん。

 

「ほら、トレーナーさん。急いで──」

「わかったわかった!」

 

 彼女の剣幕に圧され、オレは内容も確認しないまま急いで『任せた』とだけ返信を送った。

 うぅ……このあとどんなことが起こるのやら。

 

「ふぅ、これで一安心です。これであなたもハッピーカムカム福よ来い、です」

「……本当に大丈夫なんだろうな?」

 

 もしもさっきのが『トレーナー様との婚姻届を役場に提出してこようと思うのですが』とかいう内容だったら、オレの人生が終わることになる。

 不安な気持ちをストレートに顔に出してマチカネフクキタルを見たら、彼女は笑顔で「大丈夫に決まってるじゃないですか」と何の憂いもなく言ってきた。

 その顔を見ると信用したくもなるんだが……

 

「──あ、フクちゃん先輩。やっと見つけた~」

 

 そこへ一人のウマ娘がやってくる。

 声をかけられたマチカネフクキタルは振り返り──

 

「おや、タンホイザさんじゃないですか。いったいどうしたんですか?」

 

 やってきたのはマチカネタンホイザ。頭の帽子から片耳を出した、どこかのんびりした雰囲気のウマ娘である。

 

「実はこの前お店で見かけて気に入って、衝動的に買った帽子があったんだけど……よく見たらなんというかこのおマチさんにはちょっと合わないかな、って思って。それで引き取ってくれるヒトを探しているんだけど、フクちゃん先輩ならどうかな~って」

「ふむ。どんな帽子でしょうか?」

「えっと、ちょうど持ってきてるんだけど……」

 

 マチカネタンホイザは帽子を集めるのが趣味らしい。

 そんな彼女が持ってきたのはちょっと変わった帽子で、いわゆる普通のおしゃれな帽子ではなかった。

 

「これは……う~ん、わたしにもちょっと合わないんじゃないかと……」

「そうかな? 意外と合うかもしれないって思ったんだけど」

「ええと、わたしの場合は幸運を呼ぶ麦わら帽子みたいなのの方が──って、コレです! トレーナーさん」

 

 マチカネタンホイザと話し始めたので用事が終わったと思い、去ろうとしたオレへ急に振り向くマチカネフクキタル。

 

「コレってなにが?」

「ラッキーアイテムですよ! さっき途中で言いそびれてしまいましたが、ラッキーアイテムは帽子なんです!」

「あ、あぁ……」

 

 勢い込んで言うマチカネフクキタルだったが、突拍子もない彼女の話とテンションについていけなかった。

 一方で、マチカネタンホイザの方は(くだん)の帽子を手にしながら、興味深そうにオレへと視線を向けている。

 

「ということは、こちらのトレーナーさんが引き取ってくれるということ、かな?」

「はい! その通りです」

 

 オレの返事も聞かずに、なぜか得意げに力強くうなずくマチカネフクキタル。

 一方的に決めないでくれ……とも思ったが、ホッとした様子でマチカネタンホイザが「よろしくお願いします」と差し出してきた帽子を見て、オレはピンとくるものがあった。

 

(ま、これならアイツに似合うだろう……)

 

 さすが、センスのいいマチカネタンホイザが気に入っただけあってデザインも良いし、作りもしっかりしている。

 オレは彼女に「大切に使わせてもらうよ」と言ってそれを受け取った。

 その横で、マチカネフクキタルは満足げな笑みを浮かべていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──そして今、目の前には簀巻きになったダイタクヤマトが横たわっている。

 

 その横には誇らしげな──まるで命令を忠実にこなして御褒美を待っている忠犬のような──顔のウマ娘が立っていた。

 ブンブンと振っている尻尾はまさに忠犬のそれである。

 その光景に、オレは思わずこめかみを押さえながら沈痛そうにうつむくことしかできなかった。

 そして、その姿勢のまま問う。

 

「……どうしてこうなった?」

 




◆解説◆

【幸運の使者】
・今回の元ネタは『宇宙戦艦ヤマト2199』の第1話「イスカンダルの使者」から。
・初代アニメのタイトルだけだとそろそろネタ尽きてきたので。
・今回、ヤマトの出番無いかったから、というのもあります。

自己条件戦
・このレースのモデルは、1999年11月12日に開催された京都競馬場第10レース、桂川ステークス。
・鞍上はここ2戦と同じ武豊騎手。そして1番人気で挑んだダイタクヤマトでしたが、道中は3、4番手になってしまい、結果は5着。
・前にいた3頭が最終順位は後ろから3頭になっているので、それにひっかきまわされたという感じでしょうか。
・前走と同じコース同じ距離だったのに、ダイタクヤマトの記録は2秒近くも遅くなっています。

幸運を呼ぶ麦わら帽子
・おそらく“開運麦わら帽子”のこと。
・『轟轟戦隊ボウケンジャー』の27話に出てきたプレシャス。
・敵によって最悪の運勢に固定されたボウケンレッドこと明石暁が厄除けのために変身した“開運フォーム”の装備の一つ。
・開運フォームはサージェス財団が収集した運気を上げるために特化した装備を集めたもので、開運麦わら帽子以外に、幸運を呼ぶスカーフ、ラッキーふさふさしっぽ、厄除けブレスレット、ハッピー法被の全部で5種類。
・ちなみに開運フォームという名前はその話では出ず、46話本編後のミニコーナーでまさかの再登場を果たした際に名称が判明。
・マチカネフクキタルの本来の勝負服も“5つのラッキーアイテムを装備”していたり、「全ての幸運を一身に溜め込んだラッキーの化身」と称した“フルアーマー・フクキタル”が100円ショップアイテムの集合体なので、設定上はガチの伝説の幸運の宝物を集めたこの開運フォームは彼女にとっては憧れの存在なのかもしれません。
・余談ですがその27話は同作きってのギャグ回で、せっかくの開運フォームも名乗りの爆炎が燃え移るという、「あれ概念的なものじゃなくて物理的なものだったんだ」と視聴者に衝撃を与えました。
・なお、『アイドルマスターシャイニーカラーズ』の公式Web4コマ漫画第53話『重装備』にてジンクスや占いを気にするアイドルの風野灯織がオーディション突破のために開運フォームを(デザインそのままで)身にまとってネタにしています。
・もしもアニメ3期の6話でキタちゃんがサトちゃんのジンクス突破のために持ってきたアイテムが開運フォームだったら大爆笑していたところでした。


※ちょっとスランプでなかなか進みません。次回の更新は11月18日の予定です。  



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第18R 焦燥のヤマト!! 揺るがぬ精神(こころ)を会得せよ!!

 

「……どうしてこうなった?」

 

 簀巻きにされたウマ娘──ダイタクヤマトを目の前にして、オレは思わず言っていた。

 それに応えたのは、まるで捕ってきた獲物を見せつける飼い犬のように自慢げな様子で尻尾を振るウマ娘だった。

 

「これは異なことを。(わたくし)が先ほどトレーナー様に確認をとったではありませんか? ですからこの(わたくし)、全身全霊を込めた全力をもって、対処致したのです」

「これが?」

 

 思わず地面に転がっているダイタクヤマトを見る。

 ホント、どうしてこんなことになってんだ?

 というか絵面がヤバ過ぎるだろ、コレ。

 こんなのが他の人、それもたづなさんになんて見つかっちまったら──

 

「……トレーナー? おタケちゃんに、いったい何を頼んだの?」

 

 冷ややかな声が、オレの隣のやや下方から聞こえてくる。同時に刺すような視線も感じる。

 車椅子に腰掛けたミラクルバードからのそれであり、黄色い覆面の奥には明らかにジト目で見つめる瞳があった。

 

「何って、それは……」

 

 答えようとしたが、それに窮する。

 なにしろオレは内容も見ずに返事をして、その結果がコレなわけで……

 というか、素直に従ったらとんでもねえことになってるじゃねえか、マチカネフクキタル!!

 言いよどむオレに対してミラクルバードは深くため息をついてから、厳しい目を後輩へと向けた。

 

「おタケちゃん、なんでこんなことになってるの?」

「当然、トレーナー様の命令、でございます」

 

 よどみなく出た答えに、ミラクルバードが再びオレへジト目を向けてくる。

 そんな反応に気付いていないのか、彼女は説明を始めた。

 

(わたくし)、トレーナー様のご指示を無視してトレーニングに(いそ)しむ後輩を発見したため、即座に御報告したのですが……トレーナー様の信頼篤く全権を委託された(わたくし)めは、この心得違いも甚だしい後輩を捕獲してトレーナー様の御前に引っ立てて参った次第でございます──」

 

 なるほど。やっと全容が見えたな。

 ダイタクヤマトのヤツ、オレが休めと指示を出したのにも関わらず勝手に自主トレしていたのか。

 それを止めてくれたのは──方法はともかく──よくやってくれた。

 事情を聞いたミラクルバードも大きくため息をつく。

 その理由は、やりすぎた彼女に対するものか、彼女に任せたオレに対するものか、それとも指示を無視したダイタクヤマトに対するものか……

 

「──この(わたくし)、トレーナー様の御指示とあれば例え火の中水の中、でございます。いかなることでも」

「よし。トレーニングに戻れ」

「オフゥ……」

 

 ガクリと膝から崩れ落ちながら天を仰ぎ、大げさに悲しみをアピールする彼女。

 まぁ、いつもの反応だし。とりあえず放っておこう……

 それに、いつまでも喋らせていると尾鰭をつけて余計なことを言い出して余計にこの場を混乱させそうだからな。

 そういうわけでとりあえず御退場願った。

 なんだかんだでオレの言うことを一応は聞く彼女は、チラチラとこちらを見ながらも練習用のコースへと歩いていく。

 

(ともあれ、ダイタクヤマトだ)

 

 一方で、簀巻きにされたままのダイタクヤマトは観念したのか動く様子はない。

 

「それで間違いないのか? ダイタクヤマト」

「はい。おおむねその通りであります……」

 

 神妙に縛についているダイタクヤマトはオレの問いにそう答えると、しゅんとした様子でその耳を垂れさせた。

 容疑を認めたダイタクヤマトに、オレは思わず頭をガシガシと強く掻いた。

 

「ダメだろ……レースの次の日だぞ? この前のレース後もそう言ったが、きちんと体を休ませないと」

 

 他のスポーツもそうだが、たとえ走るために生まれてきたような存在でも競走(レース)の本番を走れば間違いなく体に負荷が蓄積する。ヒトだろうがウマ娘だろうが同じなんだ。

 それは短距離だろうが長距離だろうが関係ない。距離が短ければペースが速くなるんだから当たり前だ。

 レースの勝利という栄光を目指して全力で走るのは、体に負担がかかるのは言うまでもない。

 

「無理をすれば体へダメージが必ず来る。お前自身に自覚がなくともな。それを無視して無理を続ければどうなるか……オレの口からいわなくてもわかるだろ?」

 

 ただでさえ競走ウマ娘の脚はケガをしやすいと言われている。その顕著な例がダイユウサクの同期だったメジロアルダンだ。

 才能あふれた彼女だったがケガに泣かされていたのは明らかだった。

 もしもケガがなければ、さらに強力なオグリキャップのライバルになりえていただろう。

 そんな彼女がケガに細心の注意を払っていたのは間違いないし、それでもケガをしてしまうほどにウマ娘の脚というものは繊細なんだ。

 それを休ませずに無理なんてしたら──あっという間に再起不能なほど深刻な負傷を負うことになる。

 その姿を思い出し、オレは思わず固く目を閉じた。

 

「走れなくなることがどんなに辛いことか、ウマ娘じゃないオレには実感としてはわからない。だが、そうなったヤツらを何人も見てきている」

 

 研修時代に見たシャダイソフィア。

 負傷後の彼女の姿も、それで取り乱したギャロップダイナの姿も、今でも思い出す。

 幸いなことにオレが担当しているウマ娘でそうなったヤツはまだいない。

 しかしそれがいつ、誰に起こるかなんて分かりはしない。

 ダイタクヤマトだけじゃなく、オレが関わる全てのウマ娘にそうなって欲しくないのはトレーナーとして当然の感情だろう。

 

「し、しかしでありますが、先のレースの体たらくを考えるととてもジッとしていられなくて……」

 

 悔しげに目を伏せるダイタクヤマト。

 彼女のその気持ちが理解できないわけじゃない。

 目標である昇格まであと1勝。

 それをギリギリで逃した前々走。

 今度こそは、という気持ちで挑んだ前走が掲示板にも入れない完敗、と悪化した成績。

 焦るなという方が無理だ。

 まして生真面目な性格の彼女は、気楽な気持ちで「さて、次また頑張りますか!」と簡単に切り替えることもできない。

 まさにオレが危惧した『前のめり』な姿勢になっている弊害だった。

 それをどう(いさ)めるか──オレが考えようとした時だった。

 

「ねぇ、ヤマちゃん。ボクは……トレーナーと違ってウマ娘だし、キミやみんなと違って走れなくなったから、さっきトレーナーの言った気持ちはそりゃあもう痛いほどに実感してるけど──」

 

 自虐的に苦笑を浮かべつつ言い始めたミラクルバード。

 彼女は言葉を切り、真剣な表情へと変えて言う。

 

「……辛いよ。ホントに」

「スマン」

 

 ミラクルバードにその言葉を言わせてしまい、オレはすぐに謝った。

 あまりにも無茶なダイタクヤマトの姿にオレは冷静さを失っていたらしい。少なくともミラクルバードの前でしたらいけない話だった。

 

「なんでトレーナーが謝るのさ!? ボクはヤマちゃんに知って欲しくて」

「悪かった。ゴメンな……」

 

 慌てた様子のミラクルバードの頭を、その傍らから少し乱暴に撫でつつ、オレは謝罪を繰り返した。

 それを見てダイタクヤマトもさらに神妙な面もちで謝罪した。

 

「あの……先輩。それにトレーナー殿。本当に申し訳ありませんでした。私の考えが浅はかだったせいで、ご迷惑とご心配をおかけしてしまったようで……」

 

 深く頭を下げたダイタクヤマトに対し、ミラクルバードはその背負ったハンデをまったく意識させないような朗らかな笑みで応える。

 

「浅はかとかじゃなくて、ヤマちゃん、なにか焦ってない? どうしてそんなに急いで昇格したがってるの?」

「それは……もう私もシニアになって長いですし、いつまでも条件ウマ娘というわけには──」

 

「……スプリンターズステークス、か?」

 

 オレの指摘にダイタクヤマトはわかりやすく肩をピクッと動かして反応した。

 図星だな、これは。

 オレは小さくため息をつく。

 中央(トゥインクル)シリーズのGⅠレースは距離に注目すると、明らかに中距離から長距離が多い。

 短距離のGⅠはスプリンターズステークスと高松宮杯から距離を縮めて芝1200のGⅠに格上げされた高松宮記念しかない。

 スプリンターズステークスの歴史はGⅠでも別格と言われる八大レースに比べれば短く、高松宮記念に格上げされたのはさらに最近になってから。

 中央(トゥインクル)シリーズの近距離軽視の傾向が改善されてきていると言えるが、まだまだだ。

 その数少ない近距離重賞の秋の最高峰であるスプリンターズステークスに、生粋の短距離走者(スプリンター)であるダイタクヤマトが出たいと思うのは当然だろう。

 

「スプリンターズステークスの開催は12月。前走でオープン昇格していたら間に合っていたかもな」

 

 オレのつぶやきにダイタクヤマトの肩が再びビクッと反応する。

 それから少しの間があり、彼女は口を開いた。

 

「……ライバルだと言ってくれたウマ娘(ひと)がいたんです」

 

 うつむいた彼女はやっと素直に気持ちを吐き出し始めたのだった。

 

「ヘリオスさんに対するパーマーさんのような、そんな一緒に走れる相手が私にもやっとできたんです。その彼女が……オープンクラスで待っているんです。一刻も早く追いつかないといけません。そして彼女とまた競うのなら最高の舞台で走りたかった。だから……」

「同じオープンクラスのウマ娘としてスプリンターズステークスに出走する。そのためにこの前のレースはなんとしても勝ちたかったのか」

「はい……」

 

 格上挑戦ではそのウマ娘と同等とは言えない。

 ただ同じレースで競うのではなく、追いついて対等に競い合いたかったんだろう。

 彼女との約束を守るために。

 その夢が破れ、追いつめられ、焦った結果がレース直後だというのに体を休めずにトレーニングしてしまったというわけか。

 

(これは、難しいな……)

 

 たぶん、ダイタクヤマトの体はオレの読み通りに本格化(成長期)に入っている。

 ただメンタルがついてこなかったために結果が伴わなかった。

 そして今のままだと、実力を完全に発揮できるかわからない。

 もしもまた勝てなかったら、今度こそ体と精神のバランスをおかしくしてスランプに陥り、そのまま勝てなくなることだって十分にあり得る。

 さて、どうしてものか……とオレが思ったとき、ここに来る前から手にしていた“それ”のことを思い出した。

 

(ふむ……なるほど、な)

 

 彼女の言ったことは、確かに正しかったのかもしれない。

 ダイタクヤマトにかけるべき言葉が見つかり、オレはひそかに彼女に感謝した。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 オレは簀巻きにされたままのタイタクヤマトを解放した。

 手を貸して立たせ、その両肩に手を置く。

 オレが見ると、ダイタクヤマトは戸惑った様子で首を傾げた。

 

「トレーナー殿?」

「なぁ、ダイタクヤマト。さっき名前が出たダイタクヘリオスってお前から見てどんなウマ娘だ?」

「ヘリオスさんでありますか? それは──」

 

 考え込もうとするダイタクヤマトにオレは一つ条件を付け加える。

 

「一言で、な」

「え? う~ん……」

 

 悩む彼女。

 とはいえ、この条件を付け加えないと延々といいところを上げ続けかねないからな。

 それほどまでにダイタクヤマトにとってあこがれの存在なわけだが。

 

「“太陽”ですかね。どんなときも明るい笑顔を向けてくれて、そして私にとっては絶対的な唯一無二の存在であること。まさに“太陽(ヘリオス)”です。燦然と輝く目標であり、彼女がいたからこそこの学園で走っている今の私があるのですし……」

「なるほど、な」

 

 オレはダイタクヤマトに目指すべき自分のなりたい(ビジョン)を持って欲しかった。

 今のダイタクヤマトは現れた好敵手(ライバル)の存在を意識するあまり、自分を見失っているように見えた。

 そのウマ娘のライバルたる自分になろうとして、本来の自分が見えなくなっている。

 だからこそ、ダイタクヤマトが次のステップに上がるために、揺るがぬ芯となるものが必要だと思った。

 

(ダイタクヤマトの原点は、やはりダイタクヘリオスへのあこがれ……)

 

 その気持ちを忘れるな、というのは正解に思えなかった。

 なにしろウチのチームに入る前までは“ダイタクヘリオスになる”のを徹底して、それで結果が出ていなかったんだから。

 だからこそ『お前も“太陽(ヘリオス)”になれ』というのは明らかな間違いだと思っている。

 だからこそ──

 

「お前は()()()()になれない、っていうのは前に言ったよな?」

「それは、はい……」

 

 訝しげにオレを見上げるダイタクヤマト。

 何を今更、同じことを言い出すんだろう、といったところか。

 

「お前が目指すべきものは別にある。ダイタクヘリオスじゃないお前の名前は?」

「ダイタクヤマト、ですけど……」

 

 そう答えた彼女の頭の上に、オレは持っていた帽子を乗せた。

 その天辺(てっぺん)に開いた穴に彼女の肩耳を通して。

 

「そうだ。お前はダイタク()()()だ。お前が目指すべきは、太陽(ヘリオス)じゃないんだ」

「これは……」

 

 その帽子は軍帽のデザインだった。

 たしかにマチカネタンホイザが被るには少しばかり似合わない。

 だが──生真面目で、それを現すかのように一直線に切りそろえられた前髪の彼女には、その帽子がよく似合っているように思えた。

 

「お前が目指すのは……戦艦だ」

「──はい?」

 

 呆気にとられるダイタクヤマト。

 そしてオレの隣にいるミラクルバードも「トレーナー、急に何言ってるの?」と言わんばかりのポカーンとした表情でオレを見ている。

 まぁ、確かに突拍子なさすぎたかもしれないが……無論、オレも考えなしに言ってるわけじゃない。

 

「世界最大級を誇った超弩級戦艦。その戦艦のように大きく構え、揺らぐことなく目標に向けて突き進む──そんなウマ娘を目指すんだ」

「揺らぐことなく、突き進む……」

「その通りだ」

 

 戸惑った様子でつぶやくダイタクヤマトに、オレは大きくうなずいた。

 

「今のお前なら、誰かの真似じゃなく確固たる自分のスタイルで走れるようになっているだろ?」

「それは、その通りですが……」

「揺るがない自分の象徴として、ダイタクヘリオスが“太陽(ヘリオス)”であったように、自分と名前が同じそれをイメージするんだ」

 

 ダイタクヘリオスを真似て拠り所としていたダイタクヤマトは、言い換えれば自分に自信を持てなかったということでもある。

 それに見合うだけの実力をもった今だからこそ、理想像(ビジョン)を描いくことで理想の自分を意識する。

 その核となるイメージを描くのに、彼女の名前を考えたらそれ以外にオレは思いつかなかった。

 戦中戦後を通して今なお世界最大級の戦艦として名を残し、我が国の特別な感情を抱かせる、帝国海軍の象徴たる(ふね)──

 

「その名は……大和(ヤマト)

 

 手にしたスマホでその姿と歴史が綴られた情報を調べ、ダイタクヤマトに手渡す。

 今一ピンときていなかった彼女は、オレから渡されたスマホを興味深く見つめていた。

 そして──

 

「あの、トレーナー殿。申し上げにくいんですが、この艦って沈んでますよね? それってやはり縁起が悪いのでは……」

 

 恐る恐るといった様子で言うダイタクヤマト。

 ウマ娘競走(レース)の世界にも“沈む”という言葉がある。

 集団から抜け出すことができず、また抜け出して走っていたものが集団の中に埋もれてしまう様を“バ群に沈む”とか単に“沈む”と言う。

 得意の脚質が逃げであるダイタクヤマトなら後者の状況になるだろうし、逃げのウマ娘の負けパターンでそう言われることが多い。

 だからダイタクヤマトがそれを厭うのは分かる。

 しかし──

 

「確かに大和は沈んでいる。それも敵の攻撃を受けてだ」

「ほら、やっぱり──」

「戦艦が簡単に沈むか!」

「ッ!?」

 

 オレの反論にダイタクヤマトはビクッとして尾をピーンと立たせる。

 

「戦艦大和は敵の猛攻に長時間晒されているのに耐え、その上で沈んだんだ。決して簡単に沈んだわけじゃない」

 

 大戦末期の絶望的な戦況の中で、まさに決死の覚悟で出撃した戦艦大和。

 それでも11隻の空母から出た航空部隊の攻撃を受け、魚雷が何本刺さっているか分からない状態になるまで攻撃に耐えたんだ。

 

「それに同型2番鑑の武蔵も沈んでいるが、それもまた猛攻に耐えた末に轟沈している。大和級戦艦は耐久力が高かったんだ」

「その耐久力を、見習えってことでありますか?」

「そうだ。どんなに厳しい戦いでも、耐えて耐えて耐えまくって、そして沈むことなくゴールを駆け抜けて、その勇姿を日本国中に見せつけてやれ。不沈鑑といわれるくらいに」

「不沈鑑……悪くない響きでありますね!」

 

 考え込んできたダイタクヤマトだったが、やっと明るい声で答えてくれた。

 反応を見るに乗り気になってくれたようだ。

 

「ま、ウチのチームだと浮沈鑑ってよりは幸運鑑の方が合ってるかもしれないけどな」

「それだと別の(ふね)になってしまいますよ。雪風とか宗谷とか……」

 

 思わず苦笑するダイタクヤマト。

 乗ってきた彼女にオレも悪乗りをして言い返す。

 

「じゃあ改名するか? ダイタク()()()とかどうだ?」

「そんなぁ……ヒドいですよ、トレーナー殿」

 

 情けない声を出しつつ笑うダイタクヤマトに、オレも思わず笑みを浮かべる。

 その彼女はふと深厚そうな顔になって言った。

 

「でもトレーナー殿。さすがに戦艦だと、速いイメージがないのですが……」

「そうか? 大和級戦艦は意外と速いんだぞ」

「え? そうなのでありますか? とあるゲームでは低速だったような?」

「巨体のイメージが強いからな」

 

 デカくて重いから、遅いという印象がついてしまったんだろう。

 実際のところ、大和型の最高速度は27ノット。

 さっきダイタクヤマトが名前を出した特務鑑・宗谷の方が遙かに遅い。

 

「速いイメージの方がいいのなら、宇宙戦艦の方でもいいぞ?」

「えっ?」

「ワープは光速よりも速く移動できるからな」

 

 そう言ってオレは再び笑う。

 どこかで光速にこだわっていたウマ娘のくしゃみが聞こえたような気がした。

 




◆解説◆

【焦燥のヤマト!! 揺るがぬ精神(こころ)を会得せよ!!】
・今回の元ネタはほぼオリジナルなのですが、原形は『宇宙戦艦ヤマト』の第8話「決死のヤマト!! 反射衛星砲撃破せよ!!」から。
・ほとんど原形とどめてない気が……

大和(ヤマト)
・大日本帝國海軍が建造した超弩級戦艦で、当時世界最大を誇った大和級戦艦の一番艦(ネームドシップ)である戦艦大和のこと。
・その全長は263メートル、排水量6万4000t。
・諸減について詳しく解説するとキリがないのと、本作は『艦これ』の二次創作でもないので以下省略。
・今では日本人が誰もが知っている有名な戦艦ですが、その存在が広く知れ渡ったのは戦後の1952年に発行された「戦艦大和ノ最期」と、翌年に同作を映画化した「戦艦大和」がきっかけ。
・大日本帝國海軍では秘密兵器扱いだったので国民の認知度も低かったせい。
・その後は宇宙戦艦になって銀河の彼方まで旅立ったり、とあるMMOの緊急クエストの敵になってプレイヤーたちにボコボコにされたり、と日本国民に愛されている(?)戦艦です。
・ちなみに書いてる人の中でダイタクヤマトのキャラ付けの外観含めたイメージを『艦これ』の大和にしようかと思った時期もありました。
・でもあっちは落ち着き過ぎていて、正直なところ成績的には優等生とはいえないダイタクヤマトとはちょっと違うなと結果的に選ばなかった経緯があったりします。

猛攻に耐えた末
・戦艦武蔵の方が大和よりも猛攻に耐えて沈没しています。
・戦艦武蔵の最後の戦いはレイテ沖海戦で、推定雷撃20本、爆弾17発、至近弾20発以上。9時間以上の戦闘の末に沈没。
・対して大和は坊ノ岬沖海戦にて上記の攻撃を受けて2時間近くで沈没。
・これは大和の耐久力が低くて後発の武蔵が改良されていたわけではなく性能は変わりません。
・その原因としては──
  ともに出撃していた艦艇の数が大和の方が少なく攻撃が集中した。
  武蔵の時よりも敵の攻撃が激しかった。
  大戦末期は燃料不足による訓練が満足にできなかった。
  武蔵の撃沈の方が先で、あまりにも時間がかったから攻略法を研究していた。
というものが挙げられます。
・特に最後のは魚雷の被害が左舷に集中していて、その結果として沈没の際には横転して転覆しています。

意外と速い
・と乾井トレーナーは言っていますが、大和型の最高速度27ノットというのはけっして速ものではありません。
・ただし、戦艦として目立って“遅い”というものでもないので言っています。
・例えば金剛級戦艦の最高速度は約30ノットと明らかに上回っていますが、大和級は史上最大の45口径36cmメートル3連装砲を3基も搭載しており、船体の重さが違います。
・空母等の他種の船には劣りますが、規模の面で大和型よりも劣る長門型や扶桑型戦艦の最大速度は25ノットであり大和型の方が速いのです。

特務鑑・宗谷
・超幸運艦にして、大日本帝國海軍の生き残りとして今も現存している奇跡の艦。
・帝國海軍としては2代目の宗谷にあたる艦で、元はロシア向けの耐氷能力を持った商船ボロチャエベツとして他2隻と共に建造開始。
・しかしソ連との関係悪化のため引き渡されず、商船・地領丸として就航。
・備え付けてあった音響測深儀に注目した帝國海軍がそれ利用した測量艦・運送艦の運用を考えて買い取り、改装の上に宗谷の名前がつけられ横須賀鎮守府所属の特務艦に。
・その後は紀元二千六百年特別観艦式に出たりして、時代は第二次世界大戦へ。
・激しい戦いによる危機を奇跡としか思えない幸運でことごとく避ける。
・一例として──
  激戦ミッドウェー海戦に参加→鈍足のために先行していたため難を逃れる。
  4発の魚雷が襲撃→2発回避。1発は艦の下を通過。1発が当たるも不発。
  トラック島の空襲で座礁→総員退艦するも翌日自然離礁して無事。
  横須賀で修理中に敵の空襲→一緒にいた長門に攻撃集中。
  その時、攻撃で艦内に気化したガソリンが充満→缶に火が入っておらず無事。
  輸送任務中に敵が接近→突然発生した濃霧に紛れて港に逃げ込む、
  そんな感じで終戦まで生き残る。
  もともと商船だったので、他の生き残りのように他国に引き渡されずに残る。
・戦後は海上保安庁が灯台補給船として使用。
・その後は南極観測船を新造する金が無いので、幸運を見込まれて大改修されます。
・そして押し付けられた南極の「接岸不可能」な海岸に負けず見事に接岸。
・合計6度の南極観測を成功させた後に離任。
・海上保安庁の巡視船として1979年まで活躍。
・引退後に解体の話が出るも、旧海軍や南極観測隊のOB含めた多数の嘆願で保存が決定。
・そうして今も東京都のお台場にある船の科学館に存在し続けています。  
・なお、書いている人が大好きな艦です。
・大和型よりも宗谷が遥かに遅いと書かれていますが、その最大速度は驚きの12ノット。
・この速度であの大戦を生き残ったのが本当に幸運です。

宇宙戦艦
・本章の各話タイトルでお世話になってる『宇宙戦艦ヤマト』のこと。
・大和型戦艦がベースになっているので、全長もほぼ同じ。
・ただし、放送中の資料だと300メートルを超えていたり、その数値が一定ではなかったりと曖昧で、後になって固まった設定のようです。
・原作者の松本零士氏が「戦艦大和よりも30メートル程度長い、ロケットノズルが付いている分長くなっている」と答えているので293メートルが正しいのだと思われます。
・主機関が波動エンジンになっているため、空間跳躍(ワープ)が使えます。
・なお、こっちの戦艦も沈んでいます……
・ちなみに……本作でのダイタクヤマトが初登場した時には『宇宙戦艦ヤマト』のネタばかり入れていたんですよね。
・“府中の彼方になにか背負って旅立”とか“手を振る人に笑顔で答え”とか主題歌ネタを主に。
・あの時はまだ第三章の主人公になるかどうかわからなかったのですけど。
・話をすっ飛ばされて、「謎の先輩・おタケ&ヤマちゃん」の片割れになる可能性がありました。

光速にこだわっていたウマ娘
・ひょっとしてコイツのことですかね?


※とりあえず今月中は今のペースで。次回の更新は11月30日の予定です。  



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第19R 急げヤマト!!  好敵手(ダーリング)は待っている!!


 ──12月。

 私は中山レース場のゲートで、スタートを待っていました。
 出走するのは条件戦
 12月といえば、貴重な短距離GⅠであるスプリンターズステークスの開催月。
 実際に出走できるかどうかはさておき、格上挑戦するという選択肢もあったのです。

(でも、今の私の目標はオープン昇格)

 条件ウマ娘からシニア級のGⅠを勝利して一気にオープン昇格する、というのは前例がないわけではありません。
 その一人が、実際にそれをやったウチのチームの大先輩(ギャロップダイナ)がいらっしゃいますし。
 もちろん同じことをしろと言われても、それは私にとっては奇跡でも起きなければ無理なこと。
 特に短距離レースは中・長距離に比べて重賞が少ないし、その最高峰であり春秋に1つずつしかないGⅠは短距離走者(スプリンター)の猛者達にとって垂涎の的。ハイレベルなレースになるのは間違いありません。
 もちろん、私も短距離走者(スプリンター)の端くれとして、それに挑戦したい気持ちがないわけではありません。
 でも──

(オープン昇格は手が届くほどに近くに来ているのです。リスクの高すぎる賭けをする必要はありません)

 一発逆転。ハイリスクハイリターン……いかにもロンマンガン先輩が好きそうなシチュエーションですが、「堅実に狙う」というのはトレーナー殿の考えでした。
 その話を彼がした時にたまたまギャロップダイナ先輩がいて、ニヤリと茶化すような笑みを浮かべた彼女に「あたしの時とは対応が違うじゃねえか」と絡まれておりましたが。
 それに、そんな寄り道をしている暇もないのです。

(彼女が、(オープン)で待ってくれているのですから)

 こんな私のことをライバルだと言ってくれたウマ娘。
 その彼女が差し出した手を握りしめて誓った約束です。長く待たせるわけにはいきません。

(年内の出走はこれが最後になります。なんとしてでも……)

 昇格しなければなりません。
 そのために──勝利を掴む!!

 伏せていた目を開ける。
 集中力は十分。
 そうしてゲートが開いた瞬間──私は飛び出した。



 

「なぁ、ダイタクヤマト。“逃げ”という脚質の本質をお前はどう思っている?」

 

 今回のレースに備えて鍛錬中のある日、走り終えた私にトレーナー殿が尋ねてきたことがありました。

 その前に私が「自分は逃げウマ娘なので、イメージするのは戦艦よりも駆逐艦とかの方が合っていませんか?」と聞いたからなんですけど。

 もちろん自分の名前に合わせたイメージということは理解しております。

 でもそこに違和感があるとしっくりこないのです。

 戦艦よりも軽快な駆逐艦の方が“逃げ”のイメージに近いのではないかという考えがよぎってしまうのです。

 現にその時も走っていて違和感を感じたからこそ、トレーナー殿に言ったわけですが……

 

「“逃げ”の本質、でありますか? それはなんといっても他を寄せ付けない“速さ”ではないでしょうか」

 

 だからこそ戦艦よりも駆逐艦の印象。

 戦艦といえば先頭を切るよりも、艦隊(集団)の真ん中でドーンと鎮座し構えているという印象が強いですし。

 そうなるとやっぱり“逃げ”ではなく中段待機からの“差し”だと思えてしまうのです。

 そんな私の答えにトレーナー殿は首を横に振りました。

 

「確かに短距離ならとくに“速さ”は重要だ。でもオレが訊いているのはそういう必要な“要素”じゃない」

 

 ええと、どういうことでしょうか?

 トレーナー殿の意図が分からず戸惑っていると──

 

「いいか、ダイタクヤマト。“逃げ”というのは『にげる』ことじゃない」

 

 ますます不可解なことを言い出します。

 思わず私は考え込んでしまったのですが、それでも理解できませんでした。

 自分なりに出た結論をぶつけます。

 

「しかしトレーナー殿、後ろの走者から逃げるからこそ“逃げ”なのでは?」

 

 レースの光景を思い出しても、先頭をきる走者達はやっぱり後ろのウマ娘達から逃げていますよね?

 後ろにいるウマ娘から追いかけられているわけですし。

 そう言う私を見てトレーナー殿はキッパリと言ったのでした。

 

「違うな。お前は根本的なことを間違えている。“逃げ”の走りの本質は『たたかう』ことなんだ」

 

 トレーナー殿が出した解答に対して私は「んん~?」と戸惑いながら悩んでいました。

 いったいどういうことなんでしょうか?

 そんな様子に気付いたトレーナー殿が解説をしてくださいます。

 

「“差し”や“追込み”といった末脚勝負は『機会(チャンス)を見極め逃さない』という瞬間的な勝負だ。それができれば勝てるしできなければ勝てない」

 

 もちろん逆転できる位置取りを確保するという大前提の争いがあってこそだが、とトレーナー殿。

 

「それに対して逃げの勝ちパターンは先頭を切って走り“レースを支配する”ことだ。最序盤から主導権を握り、それを他に譲ることなくゴールまで走り続けなければいけない」

 

 自分がゴールまで走り抜けられるペース配分という戦略に則った戦いであり──

 後ろから来る大多数のウマ娘達からの重圧(プレッシャー)との戦いでもある。

 序盤は本当にこのペースで勝てるのか、という不安と戦い──

 終盤は尽きかけるスタミナに対してどれだけ耐えられるかという持久戦を強いられる。

 トレーナー殿はレース中の戦いを一つ一つ数えるように挙げていきます。

 

「他のウマ娘全員とスタートからゴールまで徹頭徹尾全力で戦い続ける。それが“逃げ”という走りだ。その名称とは裏腹に、少しでも気持ちに逃げが入れば勝つことはできない」

 

 特に私のような“逃げ一辺倒”なら尚更だ、とトレーナー殿は冷静にそう説明してくださいました。

 おかげでその真意が見えた気がします。

 

「常に、戦い続ける……?」

「それができるのは2種類のウマ娘しかいない。1つは何も考えずに走れるウマ娘──」

 

 純粋に走るのが好き。

 他のウマ娘と競い走ることが好き。

 ただ単純に一番先頭で走り続けたい。

 そんな単純明快かつ純粋な気持ちで走る者には、弱気や気持ちが負けるという概念すらない。

 だからこそ走ることのみに極度の集中して没頭をすることができる。

 それが強い、とトレーナー殿。

 でも、そんなことができるのは本当に限られたごく一部のウマ娘だけ、と付け加えました。

 

「純粋に走るのが好きなのか、考え無し(バカ)なのか。いずれにしても生まれついての性格だ」

 

 そう言ってから「どっちになるかは紙一重だけどな」と苦笑します……けど結構ヒドいこと言ってますよね?

 私が「むむ……」と顔をしかめると、トレーナー殿は苦笑したまま私をじっと見つめてきました。

 

「ダイタクヤマト、お前はそうはなれない。いろいろ考えすぎるから性格的に無理だ」

 

 トレーナー殿が言うには「ダイタクヘリオスへの憧れという動機が強すぎるのも原因」だそうで、「自分の走りに絶対の自信を持っていないからだ」と指摘されました。

 ちなみにそのヘリオスさんはどちらかと言えば何も考えずに走れるタイプだそうです。

 好きなことに対して脇目もふらずに一生懸命になれる、というのがその根拠だそうで──

 

「素っ気ないダイイチルビーに対して、めげることなくアプローチしているのは何度も見かけていたから知っているさ」

 

 懐かしむように思い出している様子のトレーナー殿。

 ダイユウサク先輩が有記念を制した頃の話だそうです。

 そしてそのタイプのもう一人として例を挙げたのが──

 

「サイレンススズカだな」

 

 そんな同期の名前に思わずピクッと耳が動いてしまいました。

 直接対決したことこそありませんが、それでもその名前と走る姿はしっかりと脳裏に焼き付いています。

 あんな走りができたら──同期ながらそんな憧れを抱いてしまうほどに。

 走ることに純粋な思いを持っている、とトレーナー殿は彼女をそう評しました。

 だからこそ揺るがず、強い、と。

 

「そんな天与の性格を持ってないヤツが“逃げ”の道を進んだのがもう1つの種類の方だ。そして、それこそがお前が目指さなければならない道でもある」

「そ、それは……?」

 

 少し怖じ気ながら問うと、トレーナー殿は自身の胸をドンと叩きました。

 

「とにかく精神的に強いウマ娘だ。さっき言ったように競走では終始戦い続ける“逃げ”のレースを、決して挫けずに走り続けるのは他の脚質に比べて心がタフでなければならない。それこそ──」

 

 厳しかった表情から、ニヤリと笑みを浮かべる。

 

「──何ものにも負けない“戦艦”(クラス)の精神が必要なんだ」

 

 並外れた打たれ強さと、どんな障害もぶち破る力強さ。それこそ戦艦のイメージであり、巡洋艦や駆逐艦じゃあちょっと頼りない。

 と、トレーナー殿はそう言って笑うのでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──強い心で。

 

 その一念で、私は走路(ターフ)を駆ける。

 今までで一番ともいえるほどに集中できたおかげで、私は良いスタートが切れました。

 そのまま先頭に立って走り続けている。

 3レースほど前──ほとんど1年ぶりに勝てたあのレースでの感覚が蘇ってくる。

 それは昇格まであと1勝と迫った中での前走と前々走では感じられなかったもの。

 

(無意識のうちにプレッシャーを感じてそれに押しつぶされていたということ、でありますか)

 

 もちろん相手のレベルが低かったわけじゃありません。

 前々走で常に前を走られたメジロダーリング殿はもちろん素晴らしかったです。

 でも──

 

(もしも、私がプレッシャーに負けることなく、怖じ気付くことも無駄に力むようなこともなく走っていたら……)

 

 あの時よりももっともっと集中し、かつダーリング殿の隙をつこうとし続けていたら……もしかしたら勝てたかもしれない。

 無論、過ぎたレースに於いての仮定など希望的観測でしかありません。

 しかし──

 

「重圧に負けなければ、私はもっと速く走れるということ!」

 

 そんな考えが私に自信と勇気を与えてくれる。

 後ろを走る他のウマ娘達の気配が迫る。

 それは自分の残りのスタミナにも大丈夫かという疑念を産みかけていた。

 

 ──これからのレース展開に対する不安。

 ──これまでのレース展開に対する後悔。

 

 それらが私の心を責め立てようと準備を整えている。

 でも──

 

『プレッシャーで思い出したんだけど、前に乾井(イヌ)トレからプレッシャーって自分の努力が無駄になるかもしれないってビビるのが原因なんだ、って言われたことあったわ』

 

 それはトレーニング中に先輩に言われた言葉。

 

『だから自分がプレッシャーを感じてるって思ったときは無駄になるのを恐れるくらいに努力してそれに打ち込んできた証だから自身を持て、ってさ』

 

 そう……確かに怖い。

 もしもこのレースに勝てなかったら──

 オープンクラスに昇格できなかったら──

 そしてそのまま引退することになったら──

 

 ──私が今まで競走に打ち込んできたことすべてが無駄になる。

 

 それが怖い。

 自分の力が本当に、このまま先頭で駆け抜けられるほどにあるのか。

 そんな疑念こそさっきから私の心を責め立てるものの正体だ。

 

(違う。大丈夫なはず……)

 

 私がこれまで積み上げた努力は、けっして少なくなかったはずです。

 

(大丈夫に、違いない)

 

 その積み上げてきたものはしっかり私の体に根付き、実力となっているに違いありません。

 なぜなら──

 

(絶対に、大丈夫ッ!!)

 

 トレーナー殿が認めてくれたから。

 確かに私には、早くから重賞戦線で活躍してGⅠ制覇を狙うような天与の才はない。

 それでも、同じように才を持たないウマ娘達に、奇跡の勝利を授けてきたトレーナー殿が認めてくださった努力が、私にはあるッ!

 

(だから大丈夫! 絶対に、負けない!!)

 

 最後のコーナーを過ぎて、私は未だに先頭をキープしていた。

 後ろから感じる気配が一段と大きくなる。

 最後の直線を迎え、後方のウマ娘達が温存していた力を使って追い上げてきているのです。

 それらの気配と、抜かれることに対する恐怖が襲いかかってくる。

 

(でも負けない! 戦艦のように、耐えて、耐えて、耐える──)

 

 これまで先頭を切って走ったツケが私の体に負荷となって襲いかかってくる。

 バクバクと速い鼓動を打つ心臓。

 呼吸を乱そうとする息苦しさ。

 軽快だった足もいつしか重さを感じるようになってきている。

 

(でも、それでも──耐えるのですッ!!)

 

 自分を責めてくる不安や恐怖に、私は耐える。

 それらの内面的要因はまるで撃ち込まれる砲弾のようであり、襲い来る後続のウマ娘達といった外的要因はさながら迫る魚雷のよう。

 それでも私は、挫けることも負けることもなく──さらに足に力を込める。

 

(逃げ切ってやる! 絶対にッ!!)

 

 歯を食いしばり、全力を尽くす。

 胸が痛い。

 酷使した手足が「無理~」と悲鳴をあげかける。

 どんなに吸っても酸素が足りないと肺が、全身が抗議する。

 それでも──

 

「──私は、沈まないッ!!」

 

 沈む──迫る集団にのまれるなんて、絶対にイヤだ!

 そう、戦艦は沈まないのです!

 沈むことなく戦い、その勇姿をもって味方を鼓舞する。

 それこそ、トレーナー殿が言った『何ものにも負けない戦艦(クラス)の精神』でしょう。

 

「だから私は、勝つッ!!」

 

 追い上げてくる後ろの気配の圧が明らかに下がった。

 それを感じながら私は必死に脚を動かし続け──いつのまにかゴール板の前を駆け抜けていた。

 

「──ッ!!」

 

 勝った……

 それに気がつき、私は思わず握りしめた拳を空に向かって突き上げていた。

 わき上がる歓声。

 走る速度を緩め、そして電光掲示板へと視線を向ける。

 1着に2番──自分の番号を確認し、それが点滅していないことも確認した。

 

「──勝った。勝てた。つまり、やっと……」

 

 オープンクラスへの道が開いた。

 喜びが、じわじわと広がってくるのを感じる。

 それが胸一杯になって溢れんばかりになったそれを解放するかのように、私は大空に向かって両手を挙げた。

 

「バンザーイ! バンザーイッ!! やりましたよ、トレーナー殿!! それに礼菜さんッ!! そして──」

 

 私をここまで導いてくれた乾井トレーナーに感謝を。

 その基礎を作ってくれた(あか)子矢(しや)トレーナーにも。

 そして、そんなチーム〈ミモザ〉時代に指導してくださりお世話になった、今は地方へといってしまったサブトレーナーの方になによりも感謝を!

 一度は届きかけて、降級制度のせいで遠のいたオープンクラスですけど、貴方達のおかげで私もやっと昇格できました。

 腕を振り上げる度に巻き起こる歓声。

 そして腕を挙げたまま、観客席(スタンド)へと手を振りました。

 歓声が落ち着いたところで腕をおろして、今まで振っていた手をジッと見つめる。

 

(これから先は、今までよりももっと厳しい舞台になるんだ……)

 

 これからレースで競うことになるのは、オープンクラスの猛者達。

 私みたいなやっと昇格したウマ娘だけじゃなくて、GⅠGⅡといった重賞常連のウマ娘とも肩を並べて走らなくちゃいけない。

 

「カミ先輩……」

 

 先に昇格していたダイタクカミカゼ先輩の顔が浮かぶ。

 私よりも速いはずの先輩も、オープンクラスではなかなか結果を出せていないらしい。

 私はそんな世界に足を踏み入れたんだ。

 今までの成績を考えたら……そのことに不安を感じないわけがない。

 でも──

 

「やりましたわね! ヤマトさんッ!!」

 

 スタンドのトレーナー殿やチームのみんながいる辺りへ近づいていた私に、大きな声がかけられたのはその時でした。

 反射的に声の方へ視線を向け、満面の笑みを浮かべて拍手をし、私の勝利を讃えていくれているウマ娘に気がついたんです。

 

「このたびの勝利おめでとうございます。それでこそ(わたくし)のライバルですわ!」

「ダーリング殿!!」

 

 彼女の気持ちに応えたいという思いが、不安という名の暗雲を払ってくれる気がしました。

 それを証明するかのような、晴れやかな笑みを浮かべた彼女は溢れんばかりの自信をまとったいつもの調子で言うのです。

 

「さぁ、これで貴方もオープンクラス。以前よりももっともっと大きな舞台で競い合おうじゃありませんか!」

 

 観客席(スタント)走路(ターフ)の距離は遠くて手が届きませんが、それでも彼女の差し出された手が私にはハッキリ見えた気がしました。

 ですので──

 

「はい! 望むところです!!」

 

 私は大きく頷き──チーム伝統ともいえる勝ち気で不敵な笑みを浮かべることで、彼女の差し出した手をしっかりと掴んだのです。

 直後のダーリング殿が浮かべた満足げな笑みが、私達の心が通じているなによりの証拠に思え──私は、何の憂いもなくその階段を上がることができたのでした。

 

 

 次なるステージ──オープンクラスという最高峰の舞台に上がる階段を。

 

 




◆解説◆

【急げヤマト!!  好敵手(ダーリング)は待っている!!】
・今回の元ネタは『宇宙戦艦ヤマト』の第13話「急げヤマト!! 地球は病んでいる!!」から。

条件戦
・ここのモデルのレースは1999年12月5日に中山で開催された仲冬ステークス。
・芝1200のレースで当日の天気は曇り。馬場状態は良でした。
・仲冬ステークスは2020年まで開催されていた準オープンの条件戦で、毎年11月末~12月の頭に開催されていました。
・なお歴代の優勝者の中で、ウマ娘になりそうなほどの実績を残した競走馬はダイタクヤマトくらいです。


※次回の更新は12月12日の予定です。  



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第20R 大試練!! 高松宮記念、出走前


 ──年が明けた。

 年末の開催の無い期間はともかく、複数の現役競走ウマ娘を抱えるウチのチームはなかなか長期の休みというわけにはいかない。
 そんな中、ダイタクヤマトはオープン昇格した勝利以降、長期の休みに入っていた。
 壁を越えた御褒美に、年末年始に帰省したりのんびり過ごさせる……という思惑もあったが、純粋にアイツの体を心配しての判断だ。
 ウチのチームに移籍しての初出走から昇格するまで長期の休みを取らずにレースに出走し続け、走り詰めだったからだ。

(それこそ夏レースにまで出走していたからな)

 その(こん)を詰めた甲斐あって、目標であるオープン昇格を決めたんだ。
 そしてなにより、オープン昇格後はレベルの上がった厳しいレースが待っている。
 それに備えるためにも今までの疲れを一度完全に抜く必要があった。

(幸い、この時期の短距離の重賞も少ないからな)

 ダイタクヤマトは適性距離が限られているために、狙うレースも絞りやすい。
 その彼女がオープン昇格して目標とするのは──もちろん短距離レースの最高峰だ。



 

 ──3月。

 

「あの、トレーナー殿……私、なんか場違いじゃないでしょうか?」

「格上挑戦でもないのに、なんでそんなに(ぶる)ってるんだよ、ダイタクヤマト」

 

 一杯一杯になっているのがあからさまで、ひきつった苦笑いを浮かべて精神を保っているようなそのウマ娘の表情に、オレは少しあきれながら言った。

 

「だ、だってGⅠですよ? 初挑戦ですよ? 冷静になるなんて無理に決まってるじゃないですか!」

「そうか? 他の連中はそうでもなかったぞ?」

 

 思い返せばダイユウサクのGⅠ初挑戦──つまりは〈アクルックス〉のGⅠ初挑戦──は秋の天皇賞だった。

 まぁ、多少は緊張はしていたかもしれないけど、アイツ意外と普通だったよな。

 オレに関して言えば……GⅠという舞台どころか秋の天皇賞そのものが初体験でもなかったし。

 で、その初体験だった秋の天皇賞は、ダイナが勝つと微塵も思ってない師匠(おやっさん)から丸投げされてたし、それに反発したダイナとオレは良い意味で吹っ切れてて意識することも無かったからな。

 

(むしろ意識する余裕がなかったのかもな。今にして思えば……)

 

 なんてことを考えていると──

 

「周囲も凄いメンバーばかりでありますよ! まさに現役短距離走者(スプリンター)のオールスターです」

「年に2度しかない短距離GⅠだからな」

 

 その昨年末の短距離GⅠスプリンターズステークスの出走者が多く名を連ねていた。

 もちろんそれを制したブラックホークの名前もある。

 純粋な短距離走者だけでなく、様々な距離のGⅠレースの経験があるようなウマ娘もいる。

 そしてそんな中に、ダイタクヤマトも走ったレースで1200の日本記録(レコード)を出したウマ娘もいた。

 そのレースの後で海外に渡り、重賞レースで結果を残した──

 

「あら、アナタ確かダイタク……なんだっけ?」

 

 気軽に声をかけてきて明るく笑顔を浮かべている彼女こそ、そのアグネスワールドだった。

 

「ヤマトです! ダイタクヤマト……」

「そうそう、そういう名前だったワ。ゴメンなさいネ、カミカゼの方は覚えてたんだケド……」

 

 悪びれた様子で愛嬌のある悪戯っぽい笑みを浮かべるアグネスワールド。

 そんなフレンドリーで茶目っ気のある姿を見ていると、彼女が記録保持者(レコードホルダー)という強者であることを忘れてしまいそうだった。

 

「あのレースはエキサイティングだったから、走ったアナタのこともちゃんと覚えてるわよ」

 

 その割には名前忘れてるじゃないか、と思わずツッコみそうになる。

 一方、名前を忘れられていた当の本人はそれを気にした様子もなく「光栄です!」と感激している模様。

 その反応に満足げな笑みを浮かべたそのウマ娘は──

 

「今日のレースは、もっとエキサイティングなものにするわよ」

 

 そう言ってオレに一瞬だけ視線を向けて片目を閉じ、「bye!」と手を振って去っていった。

 う~ん……これは挑戦状だろうか?

 とはいってもダイタクヤマトはやっとオープンクラスに上がったようなウマ娘で、彼女が警戒どころか意識する相手でもないだろうに。

 

(もちろん、負けるつもりで出走させてはいないが)

 

 ウマ娘競走(レース)に絶対はない。それがオレの信条だ──と思った瞬間、尻に激痛が走った。

 

「──ッ!! って、何だ!?」

「敵のウィンクに鼻の下伸ばしてるんじゃないわよ」

 

 冷め切った声が振り返ろうとした後ろから聞こえてくる。

 その声はもう聞き慣れたもので──

 

「ダイユウサク、お前!!」

「腑抜けてたみたいだから、気合いを入れ直してあげたのよ」

 

 オレが怒ると彼女はプイとばかりそっぽを向って言いのける。

 

「だいたい、オープン昇格祝いにGⅠ出走なんてちょっとナメ過ぎじゃないの? 昇格直後の初戦に選ぶなんて」

「お前もそうだったけどな」

 

 オープン昇格直後にGⅠ走ったのはダイユウサクも同じ。コイツの場合は秋の天皇賞(アキテン)だったけどな。

 同期と比べて大幅に出遅れたダイユウサクにとってオグリキャップやヤエノムテキ達とやっと肩を並べて走れるレースだったからこそ選んだというのもある。

 ともあれダイユウサクの厳しめな言葉でダイタクヤマトの耳がしゅんと垂れ下がるのに気付いたオレは即座にそう返していた。

 さすがに言い過ぎだ。

 一方、それを聞いたダイユウサクは面白くなさそうにムッとした表情になっている。

 

「だから特別感が無くなっちゃうじゃないの……」

 

 ブツブツと何かつぶやいていたがよく聞こえない。

 一方で、ダイユウサクの機嫌が悪くなったことでダイタクヤマトもオロオロしはじめていた。

 まったく、先輩のくせに今から出走するヤツの邪魔してどうするんだ。

 

「本当なら今回の高松宮記念の前に、1回でも走らせたかったんだ。だが思った以上に調整に時間がかかって間に合わなかったんだよ。お前の時と違ってな」

 

 ダイユウサクの時は昇格してすぐにそれまでの流れでGⅠ出走させたから、休養明けの今回と違って調整が楽だったというのもある。

 長期の休養を挟むと、やはりどうしても難しさが出る。

 大なり小なりレース勘が鈍るし、初戦では連戦中と違ってテンションが上がりきっていないし、逆に気持ちが先走って入れ込みすぎる場合もある。

 それらを見極めるためにも、一度本番のレースを挟みたかったのが本音だ。

 

「申し訳ありませんでした、トレーナー殿……」

 

 するとますますしゅんとしたダイタクヤマトが申し訳なさそうに頭を下げる。

 テンションが下がった彼女を見て、ダイユウサクは何か言いたそうにオレを睨んできた。

 わかってるよ。落ち込ませてどうするんだ、ってことだろ。

 

「謝ることはない。それを回避したかいあってちゃんと間に合ったじゃないか」

「それはそうでありますが……」

「しっかりとこの大舞台に向けて準備できたんだ。胸を張って走ってこい」

「はい……」

 

 励ましたものの、まだ少し落ち込んだままのダイタクヤマト。

 どうしたものか、と考えていると──

 

「なるほど。そういう事情でしたのね」

 

 ダイタクヤマトの背後からやってきたウマ娘が納得した様子で頷いていた。

 その声を聞いて、ダイタクヤマトは嬉しそうに振り返った。

 

「ダーリング殿!!」

「ご機嫌よう、ヤマトさん。それに……その、ええと、ヤマトさんのトレーナーさん」

 

 彼女は朗らかに笑みを浮かべてダイタクヤマトに挨拶した後、少し困惑した様子でオレにもしてきた。

 そしてその姿にダイタクヤマトの表情がパッと明るくなる。

 その反応にホッとしつつ、ダイタクヤマトの気持ちを上向けてくれた彼女に内心で感謝する。

 自身のオープン昇格の際にダイタクヤマトにライバル宣言をしてやる気を焚きつけてくれたメジロダーリングだった。

 

「久しぶりだが今日はよろしくな、メジロダーリング。」

「は、はいッ!」

 

 オレの言葉にやや緊張した面持ちになったメジロダーリング。

 しかしそれも無理はない。

 なにしろGⅠレースだし、彼女もまた生粋の短距離走者(スプリンター)だからな。このレースに賭ける思いは並々ではないだろう。

 それにダイタクヤマトと違い、彼女は年末の短距離GⅠスプリンターズステークスに出走している。良いとは言えなかったその結果へのリベンジをしたいという気持ちがあるのは間違いない。

 このレースに賭ける彼女の思いを察すれば、顔が赤くなるほどに気分を高揚させるのも当然だ。

 

「……なんとなく考えてることは分かったけど、それたぶん的外れよ」

「ハァ? そんなわけあるか」

 

 すぐ側で不機嫌そうにジト目を向けてくるダイユウサクに言われてそう返す。

 このGⅠという大舞台を前に、出走するのに興奮しないウマ娘なんているわけが無い。お前だってそうだっただろうが。

 オレがダイユウサクを睨むと、メジロダーリングは悪くなった空気を変えるかのように「コホン」と咳払いをし、改めてダイタクヤマトへと向き直った。

 

「約束通り、上がってきてくださいましたわね。ヤマトさん」

「はい! もちろんでありますよ、ダーリング殿」

「スプリンターズステークスでは少々寂しく、そして残念に思っていましたけど……貴方とこのような大舞台で共に走れること、本当に心の底から嬉しく思いますわ」

 

 心の底からの満面の笑顔で差し出されたメジロダーリングの手を、ダイタクヤマトも勝ち気な笑みを浮かべながら掴む。

 

「お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。でもダーリング殿とは、胸を張り同じ立場で走りたかったので……」

「もちろんその気持ち、理解していますわ。もしも逆の立場だったら(わたくし)だってそうしていたと思いますし」

 

 相手が自己条件で自分が格上挑戦では“好敵手(ライバル)”とは名乗れない。

 だからこそダイタクヤマトは昇格にこだわって12月の頭の条件戦を選び、見事に勝利した。

 実はそこからスプリンターズステークスまで2週間あった。

 無理をすれば出走できない間隔ではあったが──オレは彼女と話し合い、回避させた。

 夏から走っていたせいで慢性的な疲労が体に溜まっており、「出走できても“記念出走”にしかならない」とオレは言った。

 それはそうだろう。国内トップクラスの短距離走者(スプリンター)ウマ娘たちが、目の色を変えて照準を合わせて調整してくるんだ。

 そんな連中を相手に、やっとオープン昇格したウマ娘が生半可な準備で挑んで勝算なんてあるわけがない。

 中身を仕込む(いとま)が無く、ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)じゃなくて空き箱にしかならなかった。

 そんな状態でオレは出走させたくはなかったが、それでも本人に確認した。

 そしてダイタクヤマトも言った。

 

『私もそのような勝機のない出走は……したくありません。まるで坊ノ沖での大和ではありませんか』

 

 ──と。

 一緒に走るだけでは意味がない。共に競えるだけの力がなければ好敵手(ライバル)に対してあまりにも失礼だと言った彼女は、『ダーリグン殿をガッカリさせたくはありません』と回避に同意した。

 だからこそ──

 

「今回も、正々堂々勝負でありますよ!」

「ええ、望むところですわ!」

 

 手を握り合った二人のウマ娘は、笑顔でそう誓い合っていた。

 その背後で号令がかかり、出走するウマ娘達がゲートに向かって移動を開始する。

 それを合図に──笑顔だった二人の目が一気に真剣味を増して、その間に火花が散った。

 お互いに笑みを不敵なそれへと変えて、手を離す。

 

 そうしてお互いに振り向いて一歩踏み出した彼女達の関係は、もう好敵手(ライバル)──競うべき敵へと変わっていた。

 




◆解説◆

【大試練!! 高松宮記念、出走前】
・今回の元ネタは『見えぬ輝きの《最南星(アクルックス)》』の29話、「大緊迫!! 高松宮杯、出走前」から。
・…………え?
・というのも自虐ネタでして、実はアップ時のタイトルで高松宮杯と高松宮記念を間違えていたのです。
・今回は晴れて高松宮記念が舞台になりましたので、あえてこのタイトルにしました。(笑)
・なお一応、『宇宙戦艦ヤマト』の第14話「銀河の試練!!西暦2200年の発進!!」から“試練”をいただいています。

高松宮記念
・1998年からその名前で開催されているレース。
・その前身は高松宮杯で1996年から1200のGⅠになりましたが、それ以前はGⅡレース。
・なおそれについては第一章30話で解説済み。
・ちなみにその時にもチラッとだけ触れているんですけど、3月開催になったのが2000年からで、今回のレースはその2000年のレースがモデルになっています。


※次回の更新は12月24日の予定です。  



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第21R 絶体絶命!! 地獄の短距離(スプリント)GⅠ


 ──高松宮記念はGⅠレースである。

 かつては高松宮杯という名前であり、そのころは距離も今より長かった。
 それが高松宮記念になり距離は1200に、グレードもGⅡからGⅠになったことで春の短距離GⅠという個性のあるレースへと変貌した。

 ──そのGⅠに賭けるウマ娘がいた。

 彼女は今回GⅠ初挑戦となるダイタクヤマトとは対照的にGⅠ経験は豊富。
 生まれ持ったその才能から早くから期待された彼女は、長距離から様々な距離のGⅠを走っている。
 しかし未だにGⅠタイトルは無し。
 そして今回、高松宮記念にGⅠ初制覇の夢を賭けてきた彼女は、緑色のドレス型の勝負服を身にまとい、初春の風に緩くウェーブのかかった髪をなびかせている。

「周りは強敵ばかりだからな」
「そんなことは当然でしょう?」

 トレーナーの言葉に彼女は眉をひそめつつ返すそのウマ娘。
 勝ち気で強気な性格を如実に表すその瞳。
 それは自信の実力を映す鏡でもあった。

「今までだってそうだった。だから──」

 その手が届かなかった。
 自分が積み重ねてきた努力には自負がある。
 そして傍らにいるトレーナーの能力を疑うわけがない。
 もしそんなトレーナーだったらそもそも担当に選んでいない。信頼しているからこそ傍らに立つのを許しているのだから。
 しかしそれでも勝てなかったのは──相手が強かったから。
 ただそれだけ。
 少なくともそのウマ娘はそう思っていた。
 だからこそ、今度こそ、GⅠ制覇という栄冠を掴むために努力と研鑽を重ねてこの場に立っている。
 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、トレーナーはスタート前で走路に散らばった出走する他のウマ娘達に視線を走らせている。

「去年のスプリンターズステークス覇者に、海外重賞経験もある1200の日本記録を持ってるウマ娘。それ以外にも……短距離走者(スプリンター)の猛者ばかり」
「知っているわ。去年の年末のGⅠ(スプリンターズステークス)でも見た顔だもの」

 そんな強者達を見ながら彼女は、その強気の目を変えずにハッキリと言い放つ。

「相手が強いってことは、倒しがいがあるってことよ」

 無論、強がりなどではない。
 それができるという自信があった。
 それをできるだけの鍛錬を積み重ねてきたのだ。
 だからこそ──

「今度こそ、負けないわ」

 痩身ながら背の高いトレーナーを見上げるように、彼女は不敵な笑みを浮かべる。
 そんないつも通りの彼女を見て、フッと表情をわずかに緩めたトレーナーは視線を逸らしながら言う。

「上を見るのは当然だ。だけど足下をすくわれないように気をつけろよ」

 そんな意外な言葉に、拍子抜けしたようにきょとんとした表情になるウマ娘。
 出走メンバーを見れば警戒すべき相手は多い。
 そんな中だからこそ強者へ意識を向けるべきで、それこそ他に気を配る余裕なんて無いのでは、と思ったからだ。
 しかし自分が信頼するトレーナーの助言(アドバイス)
 今度こそGⅠを掴むという強い決意を持っているのは彼も同じはず。
 その彼の言葉を信じない理由がない。

「……誰のこと?」
「6番のウマ娘だ」

 周囲を見渡し、出走表を思い出しながらそのウマ娘を探した。
 今日のレースはGⅠ。ゼッケンを付けずに皆それぞれの勝負服に身を包んでいるので見ただけでは番号がわからない。
 しかしそのウマ娘の今日のこのレースにかける意気込みは人並みではない。
 だから出走メンバー全員の情報は頭に入っており、勝負服だけで見分けられた。
 そして彼女を見つける。
 大戦時の軍服のようなデザインの勝負服と、それに合わせた帽子を被っているウマ娘だった。

「見覚えのないウマ娘ね。期待の新人?」

 思わず首を傾げてしまう。
 名前を見ても経歴がパッと浮かんでこなかった。
 だからこそ新人かと思ったのだが……

「いや。一つ上だぞ」
「歳上なの? 全然記憶にないけど?」
「それはそうだろ。昨年末にオープン昇格したばかりのウマ娘だからな」
「なによそれ。この私が注意を払うような相手ではないでしょう?」

 ただでさえやっとオープン昇格してきたような実力だというのに、それが歳上だというのではなおさら低くなる。
 警戒するに値しない有象無象。十把一絡げのごくごく平凡な──オープンクラスに昇格している時点でけっして平凡ではないのだが──ウマ娘であると彼女は判断した。
 しかしトレーナーの返した言葉は意外なものだった。

「ああ。警戒するべきなのはその“ウマ娘”の名前じゃない」
「……どういうこと?」

 意味が分からず思わず眉をひそめてしまう。
 一方、トレーナーはまだ彼女を見つけられ無い様子で、視線を追うことでようやく同じ相手を見つけた様子だった。
 しかし彼が見たのは──その傍らにいるトレーナーだった。

「その所属チームが問題なんだ」
「チーム? いったいどこよ?」

 思わず彼女もまたそのトレーナーを見る。
 その顔を見てスッと名前が出てくるほど有名なトレーナーではないと思った。
 例えば《フェアリー・ゴッドファーザー》とか《ターフの魔術師》とか《王子様》とか……そのクラスの“担当トレーナーがその人の時点で警戒すべき相手になる”ような有名人ではない。

「〈アクルックス〉だ」
「ッ! それって確か──」

 軍服風の勝負服に、長い赤みがかった黒髪(黒鹿毛)で前髪は直線的に揃えられたウマ娘に話しかけているその男。
 タイミング良く彼が動き、着ているスタッフジャンパーの背中がこちらを向く。
 そこに描かれた下の星を強調した南十字星の意匠と“α-clux”のロゴがそれを雄弁に語っていた。
 その彼の名前は──

「乾井 備丈(まさたけ)トレーナー。“ビックリ箱(ジャック・イン・ザボックス)”とか“人気薄の魔術師”とか言われてるな」

 彼女もその異名は聞いたことがあった。
 むしろこれまで何度と無くGⅠタイトルに挑戦してきた彼女が知らないはずがない。
 周囲からGⅠ勝利を期待されてレースに挑んで勝てなかった彼女とはまさに対照的な存在。
 フンと鼻先であしらいながら、面白くなさそうに視線を逸らすウマ娘。

「大層な呼ばれようだけど走るのはトレーナーじゃなくてウマ娘よ。肝心の彼女はこれまで実績も無いわ」
「同じような目立たないウマ娘を今まで何度も勝たせているのがあのトレーナーだぞ?」

 だからこそ警戒するべき、だという彼の主張はよく分かった。
 本気でGⅠ制覇を目指すからこそ、その“伏兵”の存在は不気味だし命取りにもなる。
 しかし──

「その余裕があったらね」

 なにしろ周囲は強敵ばかりである。
 そんな中で弱小ウマ娘にまで注意を払えるかどうか……

「ま、(キング)の敵じゃないわ。正々堂々、正面から叩き潰すだけよ」

 踵を返し、そのトレーナーとウマ娘に背を向けるウマ娘。
 ただ彼女は、一瞬だけそのトレーナーを厳しい目で睨んでいた。


 ──彼女の名は、キングヘイローという。




 

『──スタートしました』

 

 初めての大舞台に緊張があったのは間違いありません。

 ゲートが開いて、私は飛び出しました。

 

『──17名、綺麗なスタートを切りました』

 

 出遅れることなく、スタートに失敗しなかった私は前へ出ようと加速します。

 いつも通りの戦略(“逃げ”)

 私の武器はそれしかない。

 だからそこに迷うことはありません。

 

(たとえどんなウマ娘達が相手でも、揺らぐことなく──)

 

 確かにオープンクラスという立場は一緒でありますが、出走している他のウマ娘達は私なんかと実績が違う。

 昨年末の短距離王者決定戦《スプリンターズステークス》を制したブラックホークさんはもちろん、それに出走した面々が今回も名を連ねています。

 そんな中で──ダーリング殿がスッと抜け出して先頭に立とうとしていました。

 

(負けられません!)

 

 彼女との対戦は今まで1勝1敗。

 彼女の前でレースをして勝利し、彼女に前でレースをされて敗北しています。

 つまり勝つためには、彼女より前に出ないといけません!

 

『──まず先行争いに入ります』

 

 彼女に追いつき、そして前に出る。

 そのために──

 

「ッ!!」

 

 前に出ようとした私を阻む尻尾と背中がありました。

 GⅠの舞台ゆえに纏う服が勝負服になっていても、私は前にそれを見ている記憶があるのです。

 

『──アグネスワールド』

 

 圧倒的な速さで、私の目の前で1200のレコードタイムを叩き出して見せたそのウマ娘。

 その時の勝利でオープンクラスへと昇格し、その後は海外の重賞で結果を残して凱旋した彼女。

 

『──これを制してシンボリスウォードあるいはメジロダーリング。アグネスワールド。ダイタクヤマトは4番手につけました』

 

(くッ、前が塞がれました……)

 

 先頭のダーリング殿ともう一人をピタリとマークするように後ろに付けたアグネスワールド。

 あの時よりも一段と大きくなったように見えるその背中に阻まれ、私は前に出ることができない。

 1200という短時間勝負でGⅠというハイレベルなレースの中、記録保持者(レコードホルダー)を相手に距離と体力をロスしてその前に出る勇気は、ありませんでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「…………」

「ヤマちゃんにとって難しい展開だね」

 

 オレが苦虫を噛み潰したような顔になりそうなのをどうにかこらえていると、傍らの下方からそんな遠慮のない声が聞こえた。

 振り向いて確認するまでもなく、車椅子に座ったミラクルバードの声だった。

 

「確かにな……」

 

 オレは彼女にそう返すのが精一杯だった。

 その指摘通り、ダイタクヤマトにとっては本当に厳しい展開なのは間違いない。

 ダイタクヤマトと先頭のメジロダーリングとの実力差はさほど無い……はずだ。

 だが、そのメジロダーリングの後ろには彼女をマークするようにピタリと付けているウマ娘がいる。

 アグネスワールド。

 彼女が記録を持つ1200のレースで、その存在を意識しない短距離ウマ娘(スプリンター)はいないだろう。

 そのアグネスワールドよりも前に出られなかったのは、本当に痛い。

 

「理想は先頭、せめて2番手か3番手に付けたかった。なによりその2番手の壁がとんでもなく分厚い」

「アグネスワールドが強いのは分かるけど……そこまで悲観することかな?」

「実力上位で得意な脚質が同じウマ娘相手に前をとられているんだぞ」

 

 状況は最悪と言っていいだろう。

 

「かといってスタートが悪かったわけでもないんだ」

「確かに出遅れてなかったけど、でも先頭(ハナ)をとれなかったのはスタートが原因じゃないの?」

「もっと単純な話だ」

「単純な話?」

 

 オレは走るダイタクヤマトから視線を外すことなく、ミラクルバードの問いに簡潔に答えた。

 

「周りのレベルが高すぎる」

 

 純粋に力不足。

 中央(トゥインクル)シリーズに所属する現役短距離ウマ娘(スプリンター)の文字通りトップクラスが多数出走している。

 ダイタクヤマトが今まで走ってきたレースとは文字通りレベルが違う。

 

(もちろんそんなことは覚悟していた)

 

 頭では分かっていた。

 オレだって昨日今日トレーナーになったわけじゃない。今まで担当したウマ娘に何度もGⅠレースというものに挑戦させているんだ。

 もちろんダイタクヤマトだって伊達にこれまで中央で走っていたわけじゃないし、オープン昇格まで果たした実力を持っている。

 その実力があれば、充分に戦えるはずだと判断したんだ。

 ただ、今回のレースは今までオレが担当した彼女達と挑戦したレースとは一つだけ違うことがある。

 それは、高松宮記念が短距離レースだということ。

 

短距離(スプリント)GⅠを、オレ自身が舐めていたってことだ」

 

 担当のウマ娘を短距離の重賞に出走させたことはもちろんある。

 ダイユウサクは有記念に出走する前にスワンステークスを走らせっている。

 だが、ダイタクヤマトのような()()()()()()()()()を担当した経験は無い。

 だからこそ頭では分かっていても、ちゃんと理解していなかったんだ。

 

「数少ない短距離GⅠ。距離が短いからこそ自力と集中力がモノを言う……そんな短距離(スプリント)競走(レース)の基本さえ分かっていなかった」

 

 今もダイタクヤマトはレースに付いていけていないわけじゃない。

 しかしその彼女が勝つにはやはり先頭(ハナ)を切って走り、レースの主導権を握る必要があった。

 強豪相手にそれをするには、ただ良いスタートを決めるだけじゃ駄目だったんだ。

 スタート直後にさらに集中力を高めて抜け出す。そこまでしなければ先頭を奪うことはできない。

 

(序盤からハイペースになる短距離レースでの“逃げ”……そこで抜け出す本当の難しさをわかっていなかった)

 

 後悔が頭をよぎる。

 自分の見込みの甘さに、ダイタクヤマトを付き合わせてしまったことに対して申し訳なささえ感じていた。

 思わず噛みしめた歯がギリッと鳴った。

 “逃げ”を唯一絶対の武器にしているダイタクヤマトは戦う(すべ)を奪われたようなもの。

 そうさせてしまったのは、オレの完全なミスだ。

 

(こんなこと、二度とさせないと誓ったはずなのに……)

 

 無謀な出走は絶対にさせない。

 それがオレが過去に犯した致命的なミスから得た教訓であり、その犠牲になってしまった彼女のためにも繰り返すことは絶対にしないと誓ったはずのことだった。

 だから世間から“驚愕(ビックリ)の〈アクルックス〉”と呼ばれていても、それが“無謀な挑戦”だったことは一度もなかった。

 少なくともオレの中ではそうだった。

 有記念後のダイユウサクだって不調は知っていたが、原因不明のそれさえなければ、あの時の輝きが戻れば勝てると信じていたからこそ送り出していたんだ。

 

(クソッ……オレ自身が《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》なんて呼ばれて、思い上がっていたんじゃないのか!?)

 

 何度も“奇跡の勝ち”を体験したせいで、自分で気付かない内に驕り高ぶっていたんだ。

 勝利を貪欲に狙い入念に準備して挑み、それでも掴めないのがGⅠ勝利という栄光だというのに。

 オラシオンが居なくなってから結果を出せなくなったのも、彼女自身の強さで勝てているのを勘違いしたオレの(たが)が緩んでいたせいだったんだ。

 

「でもトレーナー、ヤマちゃんは前の方で頑張ってる。まだ諦めていないよ」

 

 ──そんなオレの後悔をよそに、レースは進んでいく。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 短距離レースは距離はもちろん短い時間での勝負でもある。

 

 ゆえに展開も早い。

 コーナーを過ぎればあとは最後の直線を残すのみだった。

 そんな終盤でも、ダイタクヤマトは位置を下げることなく前の方で走っていた。

 

(この背中から、離れるわけにはッ!!)

 

 前にいるウマ娘こそ1200の最速記録(レコード)を持つ最速の短距離走者(スプリンター)

 この距離においてもっとも信頼できる指針が目の前にある以上、それを追いかけない理由がない。

 そして引き離されてしまえば、待っているのは敗北。

 

(彼女の前に出なければ勝ちはないのですから!)

 

 短距離レースで、ゴール直前に彼女の足が極端に鈍るとは思えません。

 もしもそうなったら、同じペースで走っている自分もそうなってしまう可能性が高い。

 

「だからッ! なんとしてもッ!! 食らいついていくッ!!」

 

 彼女の背後に位置したのは、なにもペースの目標にするだけじゃない。

 真後ろに付くことで風除けにして自分の負担を減らす。そうして最後に抜く余力を残す──

 

『──スリップストリームって呼ばれてる。車のレースからヒトのマラソンまで幅広く昔っから使われてる古典的な手だけど、それだけ有効ってワケよ』

 

 トレーニングの最中にそれをロンマンガン先輩から教わりました。

 手法として知っていたものの前走者に近づかなければ意味はなく、そのために接触の危険性があること、それを意識して前走者が使ってくるフェイント等の揺さぶりも教えてくれました。

 でも──

 

(揺さぶりは、無い)

 

 細かい加減速や左右の進路等で後続に負担をかけることができますが、もちろんそれをやれば自分自身の足が鈍るのです。

 するまでもないと歯牙にもかけられていないのか、それともそれをする余裕がないのか……

 

(それを私は後者と思い込む!)

 

 そうでなければ私の心が負けかねません。

 隙あらば仕掛ける──そう思っていた私でしたが、その横を一人のウマ娘が下がっていくのが見えました。

 それは──

 

「ダーリング殿……ッ」

 

 今まで先頭を切っていたメジロダーリングが、一杯一杯になってペースを落とした姿でした。

 下がってきた彼女がチラッとこちらを見て、一瞬だけ目が合いました

 

(もしも私が前に出られていたら──)

 

 ダーリング殿と先頭を争っていたら、違っていたレース展開になっていたかもしれないという考えが頭をよぎります。

 そうすればダーリング殿は後ろにいたアグネスワールドが加える重圧(プレッシャー)を意識することはなかったかも知れませんし、私も違う心持ちで走れたはず……

 

 ──などと考えたのを、まるで読まれたかのようでした。

 

「なッ!?」

 

 前にいたアグネスワールドが、隙をつくように加速したのです。

 それは完全に油断でした。

 私の意識が離れたのをまるで見ていたかのようなタイミングで──彼女がフッと不敵な笑みを浮かべたようにさえ思えました。

 そして、次の瞬間……まるで堰をきったかのように、疲労感が一気に襲いかかってきたのです。

 

(こんな……スタミナが、切れたというのですか!?)

 

 いえ、切れてしまったのはスタミナではなく私の心

 グンと離れたアグネスワールドさんの背中に「追いつけない」と思い知らされてしまったのです。

 

(ここ、まで……)

 

 心が折れ、沈んでいく私の闘志──

 

(…………沈む?)

 

 ふと、その単語が引っかかる。

 そうだ……沈むわけにはいかないんです。

 簡単に、沈むわけには──私は、そうトレーナー殿と約束したのです。

 

(揺らぐことなく、目標に向かって突き進む戦艦の心を持つ──)

 

 だからこそ心を沈ませるわけには……いきませんッ!!

 歯を食いしばり、顔を上げる。

 遠ざかっていくアグネスワールドの背中。

 それでも私は、負けない。

 気持ちで負けるわけにはいかないんですッ!!

 どうにか食らいついて行こうと死力を振りしぼろうとする。

 

(重い……)

 

 上がらない脚。

 それでも私は上げて、その脚で地を蹴る。

 前へ。

 ひたすらに前へ。

 息が切れ、顎が上がろうとするのをどうにか抑える。

 それでも──そうしている間にも、その背中は遠ざかろうとする。

 そして背後からは多くの足音が迫る。

 

(イヤだ! 沈みたくありません!!)

 

 私の意識は前よりも後ろへと向いてしまう。

 迫る足音たち。

 それにどうにか抗おうとした、その瞬間──

 

「ッ!?」

 

 ──私の横を“緑”の風が駆け抜けていったのでした。

 




◆解説◆

【絶体絶命!! 地獄の短距離(スプリント)GⅠ】
・今回の元ネタは『宇宙戦艦ヤマト』の第12話、「絶体絶命!! オリオンの願い星、地獄星」から。
・ダイタクヤマトの話もそろそろ佳境に入り、絶体絶命な状況も残り少ないと思って採用。
・そういえば第三章は30話くらいで終わらせたいという計画を立てていたような気がしますが、今回こそ本当にそれくらいになりそうです。

キングヘイロー
・言わずと知れた公式ウマ娘。
・初期実装組の一人であり、最初はその育成が目標レースの距離が多岐にわたるせいで初心者には難しいと言われていました。
・というかここでわざわざ解説する必要が無いほどに有名ですが……モデルは1995年4月28日生まれの鹿毛の牡馬。
・両親が世界的名馬で関係者の期待を一身に受け、重賞でもいい成績を残すもののGⅠ制覇をなかなかできませんでした。
・そして最強世代と言われた同期たちが引退する中、高松宮記念に挑みます。
・今回のモデルになっている2000年の高松宮記念の前走はダートGⅠのフェブラリーステークスにまで出走しています。そこまでしてGⅠを取らせたいという関係者の熱意を感じます。
・なおそのレースは初のダートで、砂を被るのを嫌がって動かずに残念な結果に……
・引退後は種牡馬としても優秀な産駒を輩出し、中でも有名なのは公式ウマ娘にもなっているカワカミプリンセスですね。
・ところで作中に公式ウマ娘の名前とか姿が登場したのはこの章でもありましたが、対戦するレースシーンで登場するのは久しぶりですね。
・本編ではレッツゴーターキンの阪神大賞典でメジロパーマーやナイスネイチャと走った以来ですかね?
・もちろんその後の間章ではギャロップダイナがシンボリルドルフと走ってますけど。


※次回の更新は来年1月5日の予定です。よいお年を。  



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第22R Can you feel my soul


 ──それは去年の忘年会だったと思う。

 その年のシーズンが終わった納会、あるいは中央のトレーナー達の慰労会のような集まりだった。
 そこで私は一人のトレーナーにある質問をした。
 してしまった、と言った方が正しいかもしれない。
 アルコールが入り、酔った勢いがあったのは間違いない。
 なぜならそれは内容的にシラフではとても訊けないものだった。
 そんな私の質問は──

「どうしたらGⅠレースに勝てますか?」

 ──というもの。
 それに対して相手は──

「……それ、オレに訊くのって間違いじゃないですかね?」

 なんとも複雑そうな顔で苦笑を浮かべてそう言った。
 そうして視線を周囲に走らせる。

「こんな場なんですから他にたくさん居るじゃないですか。六平(むさか)さんやら《ターフの魔術師》、それ以外にも今までGⅠウマ娘を何人も出してきたような大先輩方が」
「そういう人達の教えは幾度も受けてきたので。近い年代の人の意見を聞きたいんです」

 そう返すと彼はなおも苦笑して自分で答えようとはしなかった。

「それならそれで〈リギル〉の東条先輩とか〈スピカ〉のあの人とか──」
「あの人達はGⅠ勝つのが当たり前すぎて、あまり参考にならなさそうで……」

 思わずこちらも苦笑してそう言うと彼は黙り込んで少し考え込み、「それもそうだな」と納得する。
 そもそも〈スピカ〉所属のあのウマ娘は担当ウマ娘と同世代のウマ娘。ダービーと秋の天皇賞で直接対決で敗れた彼女を担当しているトレーナーに、どんな顔をして訊けというのか。

「失礼ながら、貴方は誰もとれると思ってなかったウマ娘にGⅠを取らせている。しかもそれを何度も」
「運が良かっただけですよ」
「1度ならそうかもしれません。しかしまぐれや奇跡は2度も3度も起こりません。それに……」

 謙遜するように苦笑する彼に、私は思わず言った。
 そしてグラスを握る手に思わず力がこもる。

「まぐれでもなんでも、たった一度でいいんです。私はどうしてもGⅠを取りたい……いや、彼女にとらせてやりたいんです」

 担当しているウマ娘のポテンシャルは間違いなくその栄冠を掴めるレベルのはず。
 それでも届かないのは、トレーナーである自分の力が足りていないせいだ。
 そんな私のことを彼が横目でチラッと見るのがわかった。

「どうしたらGⅠで勝てるか、ね……」

 彼はつぶやき、グラスに残っていた液体を一気に煽り、そして言う。
 シリアスになりかけていた空気にはそぐわないような笑顔を浮かべて。

「そんなものわかるわけないじゃないですか」

 こちらを向いてあっけらかんとそう言った彼を、思わず見てしまう。
 でも彼はそんな私の視線に気付かず──いや、あえて無視するように続けた。

「“ウマ娘競走(レース)に絶対は無い”。誰かさんが担当のウマ娘の名前出して否定していた話ですが……これはオレのトレーナーとしての原点で、譲れない信条なんですよ」

 他から刺すような視線を感じなくもない。きっと今の彼の言葉が彼女の耳に入ったんだろう。
 でも彼はどこか遠くを見るようにして言う。

「だから諦めないし、どんなレースでも勝てる要因を探す。なければそれを用意して担当しているウマ娘に持たせ、そうやってレースに送り出してやる……それがトレーナーの仕事じゃないですか?」
「それは、わかります……」

 もちろんそれはトレーナーの基本。
 私だってやっている。やっているつもりだ。
 だからこそ他のレースでは勝っている。
 でも、GⅠだけはどうしても手が届いていない。
 だからこそこの人にあって自分にはない、足りない何かがあると思って訊いたんだ。
 それが“運”とかいうあやふやで、自分や担当ウマ娘の頑張りではどうにもならないような要素だとしたら……余りに理不尽だと思った。
 にもかかわらず返ってきたのはありきたりな答え。自分勝手だと分かっていながらも期待を裏切られたような気持ちになってしまう。
 そう思って手にしていたグラスを煽り──その時、彼はポツリと付け加えた。

「それと……ウチの連中は、貴方が担当されてるウマ娘と違って、何度もGⅠに出られるほど立派なヤツらじゃないんですよ」
「え?」

 驚いて思わず振り向いてしまうと、彼は「彼女のことで悩んでいるんでしょう?」と苦笑していた。
 さすがに……質問が露骨すぎたかな、と反省する。

「GⅠという大舞台の常連、言わばその舞台(レース)の“主役(本命)”やら“二枚目(対抗)”みたいな上位予想とは違って、台本(出走表)に名前を載せるのがやっとな“端役(無印)”のヤツばかりでしたから」

 それは、わかっている。
 そんなウマ娘達なのに“主役を食って”制覇させたのがこの人だ。
 その要因を、勝利した秘密を知りたかった。
 彼女を勝たせるためにも、彼女を“そんな勝利”から守るためにも。
 私の期待に応えるように彼はどこか懐かしそうに言う。

「だからこそオレは、最高の状態で彼女達を晴れ舞台に上げたかった。そしてそれをやっただけです」
「最高の、状態?」

 思わず問い返すと、彼は空になったグラスを見つめ──何かを思い出すように──頷いた。

「ええ。慣れない大舞台で緊張するのは誰でも当たり前です。だからとんでもない小心者でも不安にならないように気を使いましたね。レース前にとんでもない大失敗やらかしたのもいたし……」

 さも楽しげに笑みを浮かべる彼。
 最高の状態というのは肉体的なものはもちろんそういうメンタルを含めての話で、と付け加えた。
 そして思い出を語り始める。

「そう……あの時のダイユウサクはまさに最高の仕上がりであの舞台に送り出せたんです。今まで担当した他のウマ娘(ヤツ)を含めても最高です。『あれと同じかそれ以上の状態にしろ』と言われても二度とできる自信はありません」

 そう言って彼は、私の方を見て誇らしげに言った。

「──オレがやった“最高の仕事”です」

 思わずゴクリと唾をのんでしまう。
 だからこそあの無名だったウマ娘が、圧倒的な強さと人気を誇ったウマ娘(最強ステイヤー)に、長距離という彼女の独壇場で勝つことができた。
 まさにその自信は、その最高の結果に裏付けられている。
 果たして今までの自分は、そう言い切れるほどの仕事ができたことがあっただろうか、と考えてしまう。

「ただでさえウチの連中は実力的には人気上位のウマ娘達には及ばない。だからそうでもしなければ勝利できる最低の条件さえ整いません」

 彼はもちろんそれだけでは勝てないと言った。
 レース中に起こる大なり小なりのハプニング。
 例えば、逃げウマ娘達が生み出した異常なまでのオーバーペースや、有力ウマ娘のレース中の負傷。
 それらで勝負のアヤが狂って万が一の可能性が生まれる。
 その万が一を掴むには、心身を研ぎ澄ませ気を充溢させた最高の状態にする必要がある、と。
 そこまでの状態になれば、わずかな隙──勝機を見つけることができる。
 逆にそこまで至らなければ最初(ハナ)から勝ち目はない、と苦笑しながら断言した。

「最初に掴んだのがそんな勝利だったせいですかね。本当はもっと手が掛からずに勝ってくれるのを担当したいんですが……」

 例えばオラシオンのような、と言って自虐的な笑みを浮かべている。
 でも言葉とは裏腹にどこか楽しげな雰囲気を出している彼の本音は違うところにあるように思えた。
 
「だからオレには必勝法なんて無い。そうなったのも下克上された“先輩”と《皇帝》の呪い──」
「あぁ? 乾井~、アンタ、さっきといい今といい、私のことバカにしたぁ?」
「って先輩、いつの間に近くに……しかも酔っぱらってますよね?」
「酒の席で酒を飲まないヤツがいるか!」
「しかもベロンベロンじゃないですか! あぁ、〈スピカ〉の人に押し付け…じゃなくて面倒見てもらおう。おい巽見(たつみ)、あの人呼んできて~!」
「ふぁ~い?」
「って、お前こそ酒飲んだらダメだろ!! 誰だ、コイツに飲ませたの!?」

 シリアスだった空気を吹き飛ばし、二人の酔っぱらった女性トレーナー相手に振り回されるその人は優秀なGⅠトレーナーには到底見えない。
 それを苦笑しながら眺めつつ、でもこの人を含めてこのチームは外観で判断してはいけないと思った。
 どんなに情けない姿をさらしても、その中身はまさに驚異的な人なのだから。

(さすがは“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”……)

 この人の話を聞き、担当ウマ娘に対してGⅠを取らせようとする姿勢は極めて真摯でストイックで──見習うべきだと思えた。


 だからこそ、今回は自分の担当である彼女を()()()()()()()()()()()()と送り出せたという自負がある。
 ……そのレースに、彼の担当ウマ娘がいたのはなんとも皮肉なことだったが。



 

 

 ──ハッキリ言って、私はその名前を嫌っていた。

 

 

「あ~、レース出たのにまた勝てなかったよ~」

「私も私も~。なかなか勝てないよね」

 

 それはある日のこと。

 トレーニングの最中に休憩していると聞こえてくるそんな声。

 その言葉とは裏腹に、この声からは私は悔しさを微塵も感じることができなかった。

 なんとも脳天気な声としか感じられない。

 

「ね。私らだってGⅠ目指してるのに~」

 

 本当に?

 偶然耳に入ったものとはいえ、私は思わずそう聞きたくなってしまう。

 本気でそう思っているのならもっと真剣味を帯びて必死にトレーニングするはずじゃないかしら?

 

(少なくとも、私はそうだ)

 

 その自負がある。

 だからこそ直前まで負荷をかけていた体を休め、そしてこれからやるべきトレーニングメニューを頭の中で考えていた。

 もちろんそれは今日だけのことなんかじゃないわ。

 昨日も一昨日も、一週間前も一ヶ月前も、一年前も同じようにトレーニングをして研鑽を積んできてる。

 それが私の当たり前よ。

 

(でも……それでも私は掴めていない)

 

 中央(トゥインクル)シリーズにおける最高ランクの競走、GⅠレース。

 その大舞台は何度も経験したけれど……

 

 ──その勝利は未だ無し。

 

 これまで優勝予想に名前が挙がったことも何度もあったわ。

 そんな評価こそ、私の積み重ねた努力に対するものだと思えば誇らしくも感じられる。

 そしてその(たび)に周囲の期待は膨らんで、私もそれに答えようと必死だった。

 

 ──でも、それが結果を伴わなければ何の価値もない。

 

 手が届かない悔しさ。

 なまじ下バ評で優勝候補になんて名前が挙がるからこそ、余計にそう感じる。

 いっそのこと、そこに自分の名前が全然なければもっと軽い気持ちで挑めるのかもしれない。

 もしくは私自身が最初から諦めて「どうせ酸っぱいブドウよ!」と言えたら、どんなに楽かしら。

 

(もう少しで手が届きそう……見えているからこそ、苦しい)

 

 そんなGⅠ制覇の栄冠を掴むのがどれほど大変なことか──さっきの台詞を言った彼女達が理解しているとは全く思えなかった。

 そんな彼女達と似たようなウマ娘達を見るのはなにも今日が初めてじゃない。

 同じように気楽に「GⅠを勝つのが夢」とまさに非現実的な夢物語のように言うウマ娘はそれこそたくさんいる。

 実際にはGⅠレースに出走できないような実力のウマ娘達だって、夢を語るのは自由だし、楽よ。

 だから……

 

「こんなに勝てなくて大丈夫かな?」

「大丈夫、大丈夫。デビューから2戦連続でタイムオーバーしたのにGⅠ取った先輩だって居るんだから」

「え? マジ?」

「あ、それ聞いたことある。それってアレでしょ?」

 

 こんな話を耳にしたことは何度もあった。

 そうして彼女達が挙げるチーム名こそ──

 

 

 ──“驚愕(ビックリ)の〈アクルックス〉”

 

 

 GⅠレースで誰も勝つと思っていないようなウマ娘を優勝させてしまう。まるで奇術(マジック)

 どんなに望んでもそれを掴めない私から見ればまさに理解不能なもの。

 あたかも都市伝説とか学園七不思議のような、正直言って眉唾物の信じがたいような話でもある。

 でもそれはそんな根も葉もないようなものとは違って実際に存在しているチームで、実際に起きた話なのよ。

 それは私も知っている。

 

 ──なぜか?

 ──実際に調べたからよ。

 

 あまりにもGⅠ勝利に飢えた私は、自分になにが足りないのかを探し求めて過去のGⅠウマ娘を調べた時期があった。

 それで知ったのは本命視されて多くの声援を受けて、何度もその栄冠を掴む本当に強いウマ娘もいれば、私のように何度も挑戦しても掴めなかったウマ娘もいるということ。

 そしてその一方で注目をまったく集めず目立たなかったのに、スッとそれを掴んでしまうウマ娘もいるという事実。

 

(その最たるものが“世紀の一発屋”の異名を持っているウマ娘……)

 

 それこそさっきのウマ娘達が騒いでいた、デビュー2戦連続でタイムオーバー殿(しんがり)負けから始まって有記念制覇までのし上がった先輩のこと。

 それはドン底のデビューから始まって最後には年末の最強決定戦(グランプリ)を制覇するという最高の成功譚(サクセスストーリー)

 そんな彼女の話は“努力は報われる”という美談として学園のウマ娘に伝わっている一方で──

 

「あの話、マジウケるよね~」

「いくらなんでもそれよりはマシなデビューだったわ」

「あ~、私だってあのチームに入れれば、GⅠ制覇も夢じゃないのにな~」

 

 なんて笑い話にするウマ娘もいる。

 だから私はその名前が嫌いだった。

 もちろん彼女の名前じゃない。新記録(レコード)でGⅠを制したという尊敬に値する相手なんだから。

 

 

 ──私が嫌いなのは、そのチーム名と共に耳にする《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》という担当トレーナーの異名。

 

 

 人気薄からの“奇跡の勝利”?

 そんなもの、私からしてみればそれは“悪夢”でしかない。

 負けた側からすれば多くの期待を背負いながらそれに応えることができなかったということ。

 もちろんあのチーム──あのトレーナーの教え子達が制した大きなレースは映像として見ている。

 けっしてレベルの低いレースだったわけじゃない。

 むしろ人気と実力を買ね揃えた猛者達を破って栄光を掴んでいる。

 でもその光景は本当に意味不明だった。

 

(勝って当たり前のウマ娘が負け、負けて当たり前のウマ娘が勝つ……)

 

 閃光のような、一瞬の輝きを放って勝利を掴む。

 その姿はまさに魔法だわ。

 メジロマックイーンやトウカイテイオーといった名だたる有力ウマ娘に勝つというのが、どれほど困難なことか。

 その難易度が分かるからこそズル(チート)を使っているかのようにさえ見えてしまう。

 そしてその異質な光景は、自分自身の努力を否定されているようでもある。

 だからこそ私は落第ウマ娘(落ちこぼれ達)のように“憧れ”ではなく、その理解不能な現象に対して“畏怖”や“嫌悪感”さえ感じていた。

 

(でもそれだけじゃない)

 

 もちろんその奇跡のような勝利は、そのウマ娘達が努力した結果だって理解してる。

 でもその“努力する”というのは中央(トゥインクル)シリーズ所属のGⅠ制覇を目指すウマ娘としてやって当前のことでしかない。

 だからこそ思う。

 

 ──GⅠを勝てないウマ娘が努力をしていないわけじゃない。 

 ──それまで勝てていなかったウマ娘だけが努力をしているわけじゃない。

 

 もちろん〈アクルックス〉所属のウマ娘達を否定もしないし、結果を出したその努力は讃えられるべきだと思っているわ。

 だけどするべき努力は自分もしているし、それが他よりも劣っているとか怠けているとか、そんなことは絶対にありえない。

 なによりそれは、私を支えてくれるあの人(トレーナー)に誓って言えるわ!

 だからこそ私は感じていた。

 

(努力をしないようなウマ娘が語る安い夢と共に出てくるその名前が、すごく不快なのよ!)

 

 落ちこぼれでも勝てる──それはGⅠ制覇を本気で目指す者達への冒涜のように聞こえる。

 まるで結果が出ないことへの免罪符。

 だからこそその名前は、堕落へと誘う悪魔の名にさえ思えてしまった。

 私自身は乾井というトレーナーを意識して見たこともないから顔も知らない。

 でもそんな“悪魔”のような存在を()(かつ)のように嫌っていたのよ。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

(なにより、私の周囲にいた強者(ライバル)達はそんなものに安易にすがるウマ娘なんていなかったし、そんなウマ娘達に絶対に負けない!)

 

 もちろん、この私もよ!

 なぜなら私は──キングだから!!

 

「ライバルが強いほど、私も強くなるんだからッ!!」

 

 思い浮かんだのは一見すれば“強者”というイメージからはほど遠い雰囲気のウマ娘──スペシャルウィーク。

 他の同期のライバル達──セイウンスカイやエルコンドルパサー、グラスワンダーも同じように強さが表に出ているウマ娘じゃない。

 それでもいざ競走(レース)となればいずれも“強者”に早変わりするウマ娘達よ。その実力は間違いないものだったわ。

 

(そんな彼女達と共に歩んだ私が、弱いわけがない!)

 

 そして──今回のこの短距離走者(スプリンター)最高峰のレースに集った面々なんだから強くて当たり前。

 秋の短距離GⅠ(スプリンターズステークス)の覇者もいれば、1200の記録(レコード)保持者もいる。

 そんな彼女達に勝つからこそ、私は名乗ることができる。

 

「私は、キングなんだからッ!!!」

 

 それは自分の名前に課せられた使命。

 

 最高の舞台で──

 最高のメンバーと競い──

 ──そして、最高の結果を掴む。

 そうすることで名乗ることが許される称号(もの)こそ“王者(キング)”。

 そうなることを義務づけられたのが、この私──キングヘイローよ!!

 

 顔をあげて前を見つめ、そして歯を食いしばる。

 全身に気を漲らせ、脚に力を込める。

 

(今まで共に走ったウマ娘(ライバル)達の強さを証明するために──)

 

 地を蹴ってグンと加速する。

 手足をフル稼働させて、その勢いのままに他のウマ娘を抜いていく。

 

「私はもう、誰にも負けない!」

 

 共にGⅠへ挑戦を続けた、あの人の姿を頭に()ぎらせ……

 

(私とあの人(トレーナー)が積み重ねた研鑽が報われるために──)

(二人でもがき続けたことが、無駄ではなかったと証明するために──)

(私達の力が、頂点に立つにふさわしいものだと示すために──)

 

 私はついに先頭を走るウマ娘に並んだ。

 さらに強く脚を踏み込む。

 

「絶対に、勝つッ!!」

 

 そのウマ娘は1200の最速記録(レコード)を持ちm海外の重賞レースで優勝してきたまさに世界(ワールド)(クラス)の実力者。

 

「ッ!?」

 

 その前に出て──彼女の驚く顔が横目に見えた。

 その表情が後ろに流れていく。

 彼女はもう一度前に出るどころか、私について行くこともできなかった。

 それだけじゃない。

 他の誰も私の前に出ることはできない。

 私の前には誰もいない、先頭の光景を見ながら──

 

 

 ──私はそのままゴールを駆け抜けた。

 

 

 無我夢中で必死の思いで走り続け、大歓声で我に返る。

 そうしてやっと今のレースに、私が勝ったという事実に気が付く。

 今のレース……高松宮記念──つまりはGⅠレースに勝利したことに。

 

「~~~~~~ッ!!」

 

 そうして念願の、初めてのGⅠ制覇という栄冠を、私は手にした。

 その歓喜の感情の赴くままに、私は手を天に向かって突き上げていた。

 

 ──努力は、報われる。

 

 それをなによりも実感しながら。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──もちろんオレはその光景を見ていた。

 

 オレの担当である灰と青の軍服デザインの勝負服のウマ娘がバ群に埋もれた中で、後ろから一気に全てを抜き去っていった緑色の勝負服のウマ娘が勝つ瞬間を。

 もちろん負けた悔しさはあった。

 でも、勝てる武器を彼女に用意できなかったという後悔の方が強い。

 そうしているオレの近くで、痩身の男性トレーナーが呆然と立っていた。

 

「キング……」

 

 一見すると血色が悪くさえ見えてしまう彼。

 その彼は……自分の担当ウマ娘が勝った姿を目の当たりにしながらもまだどこか受け止められていない様子だった。

 

「やっと……やっと、勝てた……」

 

 そんな彼が涙を拭っていた。

 もちろん彼のことは記憶にあった。そしてその担当ウマ娘のことも。

 期待されて学園に入ってきたウマ娘で、その前評判通りに勝ち星を重ねたものの今までGⅠ勝利にだけは縁がなかった。

 様々な距離のGⅠレースに挑戦するも勝てず、それをトレーナーもだいぶ悩んでいる様子だった。

 オレみたいなトレーナーにどうやったらGⅠを勝てるか相談しにくるくらいだったんだからよほど追いつめられていたんだろう。

 去年の暮れのことを思い出し、オレはそのトレーナーに近寄る。

 そして──

 

「おめでとうございます」

「あ……ありがとうございます」

 

 目頭を抑えていた彼は、オレの祝福の言葉に頭を下げて答えた。

 涙を流す気持ちはよく分かる。

 ダイナの時は無我夢中だったからともかく、ダイユウサクの時は長く共に苦労して掴んだ勝利だったからこそ感慨深かった。

 レッツゴーターキンのときだってそうだ。長い間苦労して、その結果が報われたんだからな。

 彼女──キングヘイローも“良い成績を残しながらもGⅠだけは勝てない”という、オレの担当のウマ娘よりも一段高いところで苦労し、もがき続けてようやく掴んだ栄冠だ。

 その成果を讃えて、素直に拍手をしていた。

 そんなオレに車椅子を動かしてスッと近づき、物言いたげに見上げる視線があった。

 

「いいの?」

「なにが?」

「だってヤマちゃん、負けちゃったんだよ? 悔しくないの?」

 

 オレへの抗議というよりは、素直な疑問といった様子のミラクルバードだった。

 う~ん、事故で引退を余儀なくされる前の現役時は連戦連勝だった彼女にとっては勝利こそ全てという感覚は抜けきらないのかもしれない。

 

「ダイタクヤマトのトレーナーとしては、そりゃあ悔しいに決まってる」

「そう見えないけど……」

 

 そう言って不満そうに少しだけ頬を膨らませるミラクルバード。

 そんな彼女にオレは笑みを浮かべて答える。

 

「でもトレーナーってのは、思春期のウマ娘を指導するっていう“教育者的な立場”でもある。その視点で見れば、苦労が報われる光景には賞賛したくなるもんさ」

 

 スゴい選手がつくり出すスゴい光景というのがスポーツの醍醐味だが、それもまた醍醐味の一つだ。

 

 …………もちろん、悔しくないわけがない、けどな。

 

 でも勝者を讃えるのはスポーツマンシップだ。

 ウィニングライブでダイユウサクを支えてくれたメジロマックイーンを、ギャロップダイナをフォローしてくれたシンボリルドルフの姿をオレは決して忘れない。

 そして実際に走るワケじゃないオレでさえそれを弁えているんだ。実際に走った経験のある彼女が弁えてないはずがない。

 ミラクルバードは「うん、そうだね……」とつぶやいて、なにを思ったかキングヘイローのトレーナーへと近寄る。

 う~ん、男の心理として涙をあまり見られたくないと思うんだが……それでも勝者を讃えようとするミラクルバードの気持ちを邪魔するわけにもいかず、止めなかった。

 

「おめでとうございます、トレーナーさん」

 

 彼女は車椅子の上から見上げるように、黄色い覆面の奥の目を笑みで細めてそう言う。

 それに気が付いたトレーナーは、オレの時と同じように

 

「ありがとう」

 

 ──と返していた。

 だが、それだけでミラクルバードは終わらない。どこからともなくパックを取り出して差し出した。

 

「あのこれ、つまらないものですが……」

「焼き鳥渡すな!」

 

 思わずツッコみのように頭をパンとはたいてしまうオレ。

 一方、ミラクルバードは恨みがましい目でオレを見上げてくる。

 

「お祝いなんだから邪魔しないでよ、トレーナー」

「あのなぁ……今ここでコレもらっても困るだけだろうが。今から表彰式とかあるんだぞ?」

 

 表彰式に焼き鳥のパックを手にしながら出ろとでも言うのか、このウマ娘は。

 

「ここで食べれば大丈夫じゃない?」

()れも、()うで()ね」

「って、受け取ったアンタも食うのかい!」

 

 涙ながらに焼き鳥を食い始めた彼にツッコまざるを得なかった。

 




◆解説◆

【Can you feel my soul】
・今回の元ネタは『オーバーマン キングゲイナー』のEDテーマの「Can you feel my soul」から。
・今回の話は主役がキングヘイローだったのでタイトルは直前までOPテーマの方から「キングヘイロー・オーバー!」だったのですが、ちょっと露骨すぎるということで遠慮してEDテーマをそのまま使いました。
・キングヘイローとそのトレーナーの関係から取ったタイトルでもあるので、あながち的外れでもないと思ってます。
・え? 変える前の方がよかった? そう言われたら戻そうかな……


※次回の更新は1月17日の予定です。  



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第23R 打ち砕かれた自信


 ──高松宮記念で11着。

 ダイタクヤマトの初のGⅠ挑戦の結果がそれ。
 掲示板から外れた着外という意味では悪い結果だったと言えるだろう。
 だが強豪短距離走者(スプリンター)がひしめく頂上(トップ)レースという状況を考えれば、レース内容自体はそれはそこまで悪くないものだとオレは思っている。
 それに“先頭(ハナ)をきる”というダイタクヤマトの勝ちパターンを封じられていたことを考えれば、充分に善戦したと言えるだろう。
 だからオレは……次のレースにはある程度の自信を持って彼女を送り出そうと思っていた。

 そのはずだったんだが…… 



 

 刻々と変わる川面の様子をただぼーっと眺める。

 

 そうしていた私──ダイタクヤマトは「ハァ」と大きなため息をついていました。

 こんなことをしている場合ではない、という気持ちはもちろんあるのです。

 でも……

 

「高松宮記念の結果は、あまりにも……」

 

 オープン昇格した私の初めての順位がアレ(11位)では、トレーナー殿に合わせる顔もありません。

 

 ……まぁ、レース直後に顔を合わせてますけど。

 

 ともあれ、あのような結果だったのだからもっと頑張らなければ! という気持ちはもちろんあります。

 そのために今まで頑張ってきたのですし。

 でも……あのレースのレベルの高さに打ちのめされたのもまた事実なんです。

 勝ったキングヘイローはもちろん、ブラックホークやアグネスワールドという一流の短距離走者(スプリンター)達に対し私の実力はあまりにも至っていない。

 

(なにも良いところもなく、それどころかなにもできずに負けた……)

 

 ライバルであるダーリング殿は逃げウマ娘としてレースを牽引した。

 結果的には追いつかれて沈み、順位的には私よりも下でした。

 でも彼女は自分のレースが形を成していたという点では私よりも結果を残したように見えるのです。

 それに対して私は、彼女を含めたあの出走メンバーを相手に手も足も出なかった。

 

(そんな私が、今後オープンクラスのレースを本当に戦っていけるのでありますか?)

 

 オープンクラスでの初戦を終えて首をもたげてくる不安。

 もしかすると昇格後1勝もできずにターフを去ることになるのでは?

 

(現に、カミ先輩も……)

 

 かつては同じトレーナーの指導を受けた一つ上の先輩もオープン昇格後に苦しんでいるのを思い出してしまいます。

 そんなイヤな考えが頭に浮かんでは消える。

 ジッと川面を見つめていても、その悩みが解決するはずがないのですが、このモヤモヤはいかんともしがたく……

 

「……やっぱりこんなところに居やがったか」

 

 背後からかけられた声に振り返ると、乱杭歯を見せながらニヤリと笑みを浮かべているウマ娘がいました。

 見覚えのある先輩──ギャロップダイナさんです。

 

「ま、ここら辺にいるんじゃねえかとは思ったが、ドンピシャだったな」

 

 そう言いながらなにやらスマホを操作しながら私の方へと近寄ってきました。

 

「ダイナ先輩……いったいどうしてここへ?」

「んなもん決まってんだろ。お前を探してだよ」

「え?」

「お前、トレーニングをサボって──」

 

 先輩が言い掛けたところで「ピロン♪」と音がしました。

 それで機先を削がれ、私に向けようとしていた手が宙を泳いでいます。

 先輩殿は「ったく、調子が狂う……」と愚痴りながら、気を取り直して再び──

 

「お前、サボってこんなところに──」

 

 再び「ピロン♪」という音が響いて先輩の言葉を遮りました。

 案の定、先輩は「あ~……」と言葉を継げなくなり、それからうつむいて頭をガシガシを掻きます。そして「間が悪ぃな、本当に」と再びの愚痴。

 すると続けざまに「ピロン♪ピロン♪ピロン♪」と何度も──

 

「あぁッ! 五月蠅(うるせ)えぇッ!!」

 

 キレた先輩はスマホを再び操作して、誰かに電話をかけた様子。

 そして出た相手に対し、「今、連れてくから黙って待ってろ!!」と一方的に怒鳴り散らして通話をきりました。

 そして「ハァハァ……」と肩で呼吸をしてから、私の方を睨み上げてきたんです。

 

「練習出てねーんだってな、ヤマト」

「う、それは……」

 

 先輩に指摘され、私は言葉を失います。

 その通りなんです。トレーナー殿に会わす顔のない私は、チームに顔を出すことができずに練習もサボってしまいました。

 とはいえ、ズル休みをするわけにもいかず、自主トレと称して学園の近くを走り、こうして河川敷まできたのですが。

 

「負けて気まずいって気持ちは分からなくもないぜ。だがレース後に音信不通になるのはやめとけ」

 

 そう言った先輩は私から目をそらして大きくため息を付いた。

 

「ビジョウが心配する」

「トレーナー殿が?」

 

 戸惑った私の問いに、先輩殿は大仰に肩をすくめて答えました。

 チーム所属のウマ娘は私以外にもいますし、その指導で忙しいと思い込んでいたので意外でした。

 

「あいつ、レース後に連絡取れなくなってそのまま辞めちまったのが2人もいたからな。ある意味トラウマになってんだよ」

「そうだったので、ありますか」

 

 先輩が少し呆れ気味でそう言ったのは私という不甲斐ない後輩に対してですかね。それとも意外と繊細なトレーナー殿に対してでしょうか。

 それにしてもトレーナー殿に多大な心配をかけてしまったということですね。

 本当に申し訳ありません……

 

「今も本人は冷静だと言ってんのに露骨に様子がおかしかったからな。そこでヒマな先輩サマが一肌脱いで探してやったってわけだ」

 

 トレードマークとも言える意地の悪いニヤリとした笑みを浮かべた先輩がそう言いながら近付いてきました。

 思わず笑みをひきつらせて、後ずさりしたくなるところでしたが……

 

「ほらよ!」

「え? わッ!?」

 

 近くまできた先輩が投げた物を反射的に受け取ると、掴んだ物が意外と熱くてお手玉をしてしまいました。

 そんな私の様子に声を出して笑う先輩。

 冷静になればそこまで熱いものではないのに気づき、思わず恨みがましい目を向けてしまいました。

 

「なにもそこまで笑わなくても……」

「良いリアクションだったもんでつい、な」

 

 それから笑みを意地の悪いものへと変えてさらに続けます。

 

「どうせならロンマンと組んで漫才でも始めたらどうだ? いいコンビになるんじゃねえの?」

「それは……誉めてくださっているんでしょうか?」

「んなわけねぇだろ。練習サボるような悪い後輩に競走(レース)諦めた先の道を示してやっただけだ。聖職者(シオン)みたいにな」

 

 オラシオン(シオン)先輩……ダイナ先輩やダイユウサク先輩よりも下の世代ですが、私が〈アクルックス〉に来た頃にはすでに引退していた方です。

 でもその活躍はもちろん知っています。

 何度もGⅠや大きなレースを制し、“一時代を築いた(トップアイドル)”と言われた程のウマ娘でしたから。

 

(……私に彼女みたいな強さがあれば、今みたいな悩みは無かったんでしょうかね)

 

 考えにふけって思わず出てしまう小さなため息。

 それを見たダイナ先輩が少しだけ眉をひそめたのが分かりました。

 

「安心しろ。たとえお前がその気になっても、ロンマンの方はまだまだ引退する気は()えよ」

 

 すぐにまたニヤリと乱杭歯を見せるダイナ先輩。

 彼女は自分の手元にあるもう一つの缶を私に見せると──

 

「……これから湿った話しようってんだ。アイスじゃ締まらねえだろ?」

 

 そう言った先輩の笑みは、今度は意地悪さを感じませんでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ギャロップダイナ先輩は私と同じように川面の方へ向くと、それから缶コーヒー片手に話し始めました。

 

「確かに11着は上出来とは言えねえ。だけど充分な結果だったんじゃねえのか?」

「……本当に、充分な結果でしょうか?」

 

 懐疑的な私に対して、先輩は頷いて答えてくれました。

 

「メンツ考えればそうだろ。右を向いても左を向いても短距離(スプリント)重賞の常連だ。確かに勝ったのは距離問わず(オールラウンダー)だったが、それでもGⅠ経験は豊富だ。GⅠ制覇(それ)欲しさに砂漠(ダート)にまで出てくるくらいに飢えたヤツだったんだからな」

 

 少し呆れたような表情で「ま、そこまでこだわる気持ちはわかんねーけどな」と遠い目をする先輩。

 やはり無欲の方が、勝利の女神は微笑むのでしょうかね。

 

「対してお前はGⅠ初挑戦。重賞経験だってお世辞にも多いとは言えねえ。まぁ、この前まで条件ウマ娘だったんだから仕方ねえけどな」

「それは……そうでありますけど」

「そんなお前が、キングヘイローやらブラックホークみたいな連中に加え、海外GⅠ優勝経験のあるヤツ(アグネスワールド)までいる中で走ったんだ。最下位(ビリ)じゃなかっただけマシだろ」

 

 高望みしすぎだ、と言う先輩に私は思わず苦笑してしまいます。

 なぜなら──

 

「最初のGⅠで会長殿(シンボリルドルフ)に勝ったダイナ先輩にそれを言われましても……」

「アレが初めてじゃねえよ」

「え?」

 

 先輩の反応に、思わず驚いてしまいました。

 

「あたしの場合、格上挑戦での金星のイメージが強えからな。よく勘違いされるがその前に安田を走ってる。ま、結果は言わずもがなってヤツだが……」

 

 私自身、てっきりそうだと勘違いしていました。なによりあのレースのインパクトが強すぎますから。

 すると先輩は苦笑を浮かべ──

 

「まさかシニアにもなってオープン昇格も出来ねえような条件ウマ娘が、同じ年に2度もGⅠに格上挑戦するとは思わねえもんなぁ」

 

 ──そう言って缶コーヒーを呷りました。

 それから思い出すように小さく「あたしも思ってなかったけどな」と付け加えたのです。

 

「そうだったんですか……」

「いくら“驚愕(びっくり)の〈アクルックス〉”でも、初挑戦でGⅠとったのなんてシオンとピアリスくらいだぞ。もっともシオンの場合は出走メンバー全員が初挑戦だけどな」

「ジュニアのGⅠですから、そうなりますよね」

 

 私も思わず苦笑してしまう。

 そもそもクラシックまでの期間を考えるとGⅠレースに挑戦できる機会が少ないですからね。ジュニアなんてさらに少ないのに翌週開催ですし。

 そう思っていると「あ~、あとおタケもそうか」と先輩殿は付け加えます。

 

「で、シニアでGⅠ初挑戦するってことはジュニアやクラシックの時期に、GⅠに挑める実力が無かったってことでもある」

 

 私の方へチラッと視線を向けて、「あたしもお前も、ダイユウサクもな」と付け加えます。

 ダイユウサク先輩がGⅠを勝ったのは3度目の挑戦でしたっけ?

 あの方は同世代のクラシックレースが終わるころにデビューしたと聞きました。

 

「あたしらみたいな晩成型(遅咲き)が加わるのもあって、シニアのGⅠはレベルが高くなる」

「でも、早熟で早く引退するウマ娘もいますよね?」

「そりゃそうだ。特にジュニアで結果残してるヤツは総じて引退が早い」

 

 もちろん例外で長く活躍するのもいるけど、とダイナ先輩。

 

「早熟のヤツらが去っても晩成のヤツらが加わって、強豪と言われるのは人数的にトントンってところだろうな。だがシニアGⅠが厳しい理由はそこじゃねえ」

「その理由は?」

 

 私が問うと、ダイナ先輩はニヤリと笑みを浮かべます。

 

「決まってんだろ、同期以外とも競うってことだ。お前の戦場である短距離(スプリント)はクラシックレースを最初(ハナ)から避けるのも多いけどな」

 

 クラシックレースは基本的に中距離から長距離で、一番短い桜花賞でも1600のマイル。短距離レースは存在しません。

 だから純粋な短距離走者(スプリンター)は最初からクラシックレースを眼中に入れずに短距離レースで他の世代と競う道を進むのも多いのです。

 

(ダーリング殿もその一人……)

 

 彼女と初めて顔を会わせたのは去年でしたが、彼女にしてみればクラシックの年でしたから。

 

「そういう意味でも短距離はレベルが高いんだよ。早くから上と競って結果出す必要があるし、だからこそ早い時期からハイレベルなレースで揉まれているってことでもある」

 

 再び缶コーヒーを呷るダイナ先輩。

 

「ただでさえ難易度の高いシニアGⅠな上にハイレベルな短距離。普通に考えたら初挑戦でいい勝負ができるわけがねえよ」

「それは……」

 

 再び川面へと視線を移した先輩は、どこか呆れたような目をして苦笑した。

 

「もしそんな実力があったなら、そいつはとっくにどこかでGⅠに出走してるはずだからな」

「だから初挑戦で良い結果が出なくても気にするなってことでありますか?」

 

 それがウジウジと悩んでいる自分への、そして自分の高くはない実力への皮肉のように聞こえ、つい問い返してしまいました。

 言ってから「失敗した」と心配しましたが、先輩は気を悪くした様子もなく返してきました。

 

「もちろん初挑戦で想定外の事態(アクシデント)があったりして勝つヤツもいる。だが、今回のレースみたいに十分に強豪(メンツ)が揃っていればそれもなかなか難しい」

 

 一人が失敗しても、他が失敗するとは限らない。

 もしも絶対的な一人が注目されていたレースはその一人の一挙手一投足に他が振り回される。

 だからその一人が致命的なミスを犯したとすれば……勝利は幸運なウマ娘に転がり込むこともある。

 それが実力伯仲のウマ娘が多数混在しているレースであれば、隙あらば他の実力のあるウマ娘につかれることになり、共倒れになる可能性は低い。

 そんな先輩殿の仰ることはわかります。

 だとしても──

 

「でも、私は自分の走りができませんでした」

 

 それは私のような実力の劣るウマ娘は最善を尽くせなければ、話にもなりません。

 そんな──〈アクルックス(我らがチーム)〉の十八番(おはこ)である──“万に一つの奇跡”も先輩方は自分の力を発揮していたからこそのものです。

 

 ダイユウサク先輩の内から切り裂くような末脚。

 レッツゴーターキン先輩の大外一気。

 サンドピアリス先輩の混戦からの抜け出し。

 そしてもちろん……目の前にいるギャロップダイナ先輩の《皇帝》さえも倒した直線での追い上げ。

 

 いずれも“自分の走り”をしたという大前提があってこそ。

 トレーナー殿からの「自分にできないことをするな」という言葉も、裏返せば「自分のできる形にしろ」ということでもあるわけで……

 

「……“逃げ”られなかったことか? 」

 

 先輩の問い返しに私は頷きました。

 私の得意──いえ、唯一の武器である“逃げ”。

 それだけを磨き上げてきたはずなのに、その形にすることさえできませんでした。

 そのことを後悔していると、先輩はあからさまに呆れたように大きくため息をついたんです。

 

「あのなぁ、ヤマト……そんな実力巧者が集まってんだぞ。相手に得意な走り方を簡単にやらせるわけねえだろ」

「え……? でも自分のような弱小ウマ娘のことを警戒する方なんているはずが──」

「そいつはあたしらのせいだな。お前のチームの()()()()先輩方の、な」

 

 さも楽しげにニヤリと笑うダイナ先輩。

 

本気(ガチ)でGⅠ狙ってる連中は出走メンバー全員の情報なんざ頭に入ってる」

「全員分でありますか?」

「今は一度に走る人数も減ったから昔に比べれば楽なもんだろ」

 

 さも簡単なことのようにあっけらかんと言う先輩。

 

「実力の高い強豪ウマ娘と言われる連中が、身体能力任せで重賞制覇してると思ったら大間違いだってのは、あたしもシオン(オラシオン)を見ていて分かったことだけどな」

 

 速いウマ娘が強いんじゃない。

 そんなヤツがさらに研究という頭脳戦まで持ち出して必死で勝ちにくるから強いんだ、とダイナ先輩。

 

「西部劇であるような場末の酒場での鉄火場(ドンパチ)ならともかく、デカい戦争を勝つには“武器”だけじゃなく“ココ”も必要なことくらい分かるだろ?」

 

 先輩はコンコンと自分の頭を小突きながらそう言います。

 

「それに、お前を塞いだヤツは以前に同じレースで走ったことあったよな?」

「はい……」

「そいつが同じ“逃げ”を得意とするヤツなら潰してくるのも当然だ」

 

 先輩に指摘されて考えれば考えるほど、自分が情けなくなってきます。

 そうして落ち込んでいる私に気づいたのか、先輩は苦笑を浮かべて励ましてくださいました。

 

「逆に考えろ。海外GⅠとってくるような強者に、お前の“逃げ”は警戒されたんだぞ? それってお前の脚が(つえ)えヤツに認めらてたってことじゃねえかよ」

「本当に、そうでありましょうか……?」

「そうだぜ。で、お前はあのレースでは“逃げ”に入ることさえできなかった。つまりお前の“逃げ”がアイツらに通じなかったわけじゃねえ。その上、強豪相手にその手の内を見せてさえ無いってことだ」

 

 ──お前はなにもできなかったワケじゃない。

 ──なにもできなかったことで、できたことがある。

 ダイナ先輩はそう言いました。

 

「出走メンバー全員を気にするような強豪連中サマは、お前のことを低く評価するだろうな。『ああ、()()()()()ウマ娘か』って具合にな」

 

 そう言ってダイナ先輩はニヤリと不敵な笑みを浮かべました。

 それはトレーナー殿も見せるもので──

 

「いい感じに布石が打てたじゃねえか。“驚愕(ビックリ)の〈アクルックス〉”に相応しい、絶妙な一手だぜ」

「布石……でありますか?」

「ああ、そうだ。なにしろあたしもダイユウサクもターキンも、()()を掴んだのは2度目の挑戦の時だぜ?」

 

 ダイナ先輩は、私の背中をバンと強く叩きます。

 

「次の挑戦のためにもしっかりオープン特別とか走って足元を見つめて来い。オープン昇格してからまだ走ってねえだろ? 悩むのはそっちで勝てなくてからでいいさ」

「…………はい」

 

 先輩の言葉に私は大きく頷いたのでした。

 

 ──この直後、私はトレーナー殿のところへと馳せ参じ、「御心配をおかけして申し訳ありませんでした」と頭を下げ、その指導を受けたのです。

 

 

 そうしてトレーニングを再開して……私はオープン昇格後の2戦目を迎えたのでした。

 




◆解説◆

【打ち砕かれた自信】
・今回の元ネタは『宇宙戦艦ヤマトⅢ』の第21話、「打ち砕かれた希望」から。
・なぜか『~2』を飛ばして『Ⅲ』から。
・今回の状況でちょうどよく使えそうなタイトルが無かったんですよね……

2人
・ヘヴィータン……じゃなくてパーシングと、レッツゴーターキンのこと。
・奇しくも第一章と第二章でそれぞれ一人ずつという……第三章でも誰かそうなるんでしょうかね。
・パーシングの場合、第一章よりも前の話ですけど。
・トレーナーにとってはやっぱりかなりショックだったようです。


※次回の更新は1月29日の予定です。  



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第24R ヤマト、徹底抗戦せよ!


 ──高松宮記念から約1か月後。


 4月の頭に桜が咲く関東から約1か月かけて青森から函館にまで登っていく桜前線。
 さすがに4月後期ともなれば、ここ福島も東北地方とはいえ一番南であり桜前線はとうに過ぎている。
 福島の桜の名所と言えば“三春の滝桜”であり、見ごろは4月の中旬。
 それを1週間ばかり過ぎたこの時期の福島に、ダイタクヤマトとメジロダーリングの姿があった。

 無論、福島レース場での出走のため、である。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「……調子はどうだ、ダーリング?」
「ええ、問題ありませんわ。今日ももちろん、真っ先に先頭(ハナ)をきって走ってご覧にいれます」

 トレーナーの問いに大きく頷いて答えました。
 そんな(わたくし)に……トレーナーは少しだけ躊躇う様子を見せてから「そうか」と言いました。
 あら? なにか不安を感じていらっしゃるのでしょうか?

「安心してくださいまし。今日のレースも(わたくし)の“宿命の好敵手(ライバル)”がいるのですわ。恥ずかしい走りなどできるはずもありませんし、今日こそは……再び彼女に勝ってみせます」

 そう言って共に走路に立つウマ娘達の中の一人を見つめました。
 真っ直ぐに切りそろえられた前髪が特徴的で、伸ばした後ろ髪を風になびかせたそのウマ娘──ダイタクヤマトさん。
 彼女と初めて共に走り、敗北し、好敵手(ライバル)と認め──その次のレースで(わたくし)が勝利してオープン昇格した。
 今日こそはそれ以来となる彼女からの勝利を掴むのです。

「ふむ……まぁ、それならいい」
「ええ、お任せくださいませ」

 自信をもって笑顔で返すとトレーナー様は納得した様子で(きびす)を返し、去っていきます。
 しかし、その足をふと止めて──ポツリと付け加えたのです。

「木を見て、森を見ず……などということにはならないように、な」
「え?」

 突然言われたその言葉の意図が分からず思わず声をあげてしまいましたが……戸惑っている間にトレーナー様はそのまま去ってしまいました。
 (わたくし)は思わず──

「……どういうことでしょうか?」
「えっと……私にはよくわからないけど、相生さんが仰るんだから意味のある言葉なのは間違いないと思うわ」

 ──すぐ近くにいたチームのサブトレーナーさんに問うてしまい、彼女もまた困惑気味に返してきたのでした。
 本来であれば彼女から指導を受けたい、とトレーナー様にも申し上げたのですが、「それではお前のためにならん」と却下したのもトレーナー様でしたし……彼に嫌われているのでしょうか?

「ともかく、悔いの残らないよう全力を尽くして来なさい」
「言われるまでもありませんわ!」

 いえ、そんなことはありませんわね。
 サブトレーナーさん同様に、トレーナー様もまた(わたくし)のことを信頼してくださっている。その期待に応えてこそ競走ウマ娘というものですわ!

 さぁ、ヤマトさん……今日もまた、全力で挑ませていただきますわよ!!

◆  ◇  ◆  ◇  ◆


「あら、こんなところで会うなんて……」

 聞き覚えのあるそんな声に、アタシ──ダイユウサクが振り返ると、細い目をさらに細めたウマ娘がいた。
 そしてその隣には彼女の手前、どんな態度をとったらいいか決めかねているような、微妙な顔をしたツインテールのウマ娘がまるでセットのようにいる。

「……奇遇ね、シヨノロマン。心臓の方は大丈夫?」
「ええ、おかげさまで……」
「無視すんな!」

 目と体の細いウマ娘にしか挨拶を返さなかったアタシに対し、案の定そのウマ娘は怒ってきた。
 うん、このウマ娘はそれくらいがちょうどいい。

「で、こんなところまでなにしにきたの? セッツ」
「アンタねぇ……やっぱりシヨノと私で扱いが違いすぎるんじゃありませんこと?」

 不満タラタラな様子でアタシを見ているツインテールのウマ娘はサンキョウセッツ。
 オラシオンがクラシックの時期には、彼女のライバルと同じチームだったこともあってよく顔を合わせた相手だった。
 でも、そのウマ娘──セントホウヤがトレーナーと不和になってチームを離脱してからは今回のようにレース場で顔を合わせることは減っていた。
 理由の半分は、彼女のチーム(〈ポルックス〉)次代のエース(セントホウヤ)に去られて急に勢いを失ったこと。
 そしてもう半分はウチのチーム(〈アクルックス〉)最強エース(オラシオン)が早々に引退して、一気に勢いを失ったこと。

(それだけ見れば似たもの同士でもあるのよね……)

 そんなことを考えながら──ふと、出走表を見る。
 はたして〈ポルックス〉所属のウマ娘はいただろうか?

「まぁまぁ、セッツ……私と彼女は親戚の応援なんです。あなたは同じチームの後輩の応援でしょう?」

 刺々しいセッツをやんわりとなだめたのは、大和撫子のシヨノロマン。
 そういう姿を見ると……アタシはどうにも複雑な思いになる。
 というのもこのシヨノロマン、どうやらウチのチームのトレーナーの好みのど真ん中(ストライク)らしいのだ。
 性格もだが見た目が特にそうらしく、本人は「オレの理想は初代の国民的ウマ娘だ!」と否定するけど、なんとなく分かるのよね。
 “推しのアイドル”と伴侶に求めるものが別、ってよく言うし。

「ちょっと! シヨノの話、ちゃんと聞いていますの?」
「あ、ごめん。親戚で、アンタ達2人ってことは、ひょっとして……」
「はい。“あの方”の、です。少しだけ遠い親戚ではあるのですが……」

 そう言って苦笑するシヨノロマン。
 アタシとは一応は遠い親戚……ということにはなっていて、いろいろと恩をいただいてお世話になったURAの重鎮である“あの方”。アタシはその方と直接の血のつながりはない。
 でもシヨノロマンとサンキョウセッツは間違いなく“あの方”の血を継いでおり、その2人がやってきたのだから、直系の親戚が今回のレースにでているのだろう。

「それにしても、その“遠い親戚”が出走するだけでわざわざ来るなんて、親戚づきあいも大変ね」
「よかったですわね、そんな面倒くさがりのアナタが直系の親戚じゃなくて」
「セッツ! あ、えっと……実は前回も同じレースに出ていたんですよ? 大きなレースだったのでお会いしませんでしたが……」

 半ば呆れながらアタシが言うとセッツが皮肉を返してくる。それにシヨノロマンは慌てて誤魔化そうとしていた。
 それをチラッと見ながら、アタシはシヨノに訊く。

「どの()がそうなの?」
「ええと、それは……」
「ちょっと、無視しないでよ!」

 苦笑しながらシヨノロマンが出走表で指したのは9番のウマ娘だった。



 

『ダイタクヤマトが先頭だ。ダイタクヤマトが先頭だ──』

 

 彼女に先頭をとられたのは、正直なところあまり良い展開とはいえ無かった。

 間に一人挟み──ボクは3番手をほぼ併走しているウマ娘チラッと見る。

 

「くッ、さすがヤマトさん、ですわッ!」

 

 そんなつぶやきが聞こえた彼女は先頭のウマ娘を意識している様子で、間に入っている2番手のウマ娘を睨みつけるように見ている。

 

(彼女と先頭が逆だった方が、まだやりやすかった)

 

 そんな考えが頭をよぎる。

 なにしろ前走の高松宮記念ではまさに彼女──メジロダーリングが先頭で走っていた。

 しかし結果として、そこで力尽きて下位に沈んでいるから特に怖さを感じない。

 そして今まさに先頭を走っているダイタクヤマトも前走は同じで、今日の彼女とは逆に3番手付近を走っていた。

 

(あのレースでダイタクヤマトも二桁順位に沈んでいるのは同じ。とはいえ──)

 

 あのとき、彼女はアグネスワールドに頭を押さえられていた。

 おかげで好きに走れなかったのは間違いなかった。

 だからこそ今回、自由に逃げてレースの主導権を握っているという前回とは明らかに違う状況は不安を感じるところだった。

 

(彼女を先頭に出して、はたして大丈夫だったか……)

 

 前のレースでは、GⅠ常連の猛者が何人もいた。

 ダイタクヤマトを前にいて抑えた逃げウマ娘もいたし、そんな彼女さえ含めて後ろから抜き去ったウマ娘が勝っている。

 重賞ですらない今回のレース、出走メンバーの実力は比べるべくもなく下がっている。

 

(確かにダイタクヤマトはオープン昇格したばかりのウマ娘。でも経験豊富なベテランでもある)

 

 今まで積み重ねた経験を考えれば、油断していいような相手じゃない。

 案の定──

 

(ッ! やっぱり粘る、このウマ娘……)

 

 4コーナーを回って最後の直線を迎えるが、その脚が衰えない。

 短距離の逃げは、大きなリードを奪って追いつかれる前にゴールまで逃げ込めるような中長距離レースとは少し趣が違う。

 なぜなら、それほどの大差(セーフティ・リード)を付けられるほどの(いとま)はないからだ。

 それゆえにスタミナ切れで少しでも失速すればあっという間に追いつかれ、そうなってしまえば逆転の目はない。

 後方からのウマ娘達にの末脚(スパート)に負けないほどの速さを最後まで維持できなければ、その逃げウマ娘はバ群に沈むしかないのだ。

 

(まだ……失速しない、なんて)

 

 現に、先頭とボクらの間にいた2番手のウマ娘は下がってきた。

 隣のメジロダーリングは歯を食いしばって必死の形相で食い下がってる。

 きっとボクもほとんど同じ顔をしているだろう。

 そのウマ娘よりも前に出なければ、勝利はないんだから。

 それでも──その背には届かない。

 結局、そのウマ娘が沈むことはなかった。

 

「く……やっぱり、先頭を走らせちゃいけなかった、か……」

 

 そう思ったボク──トロットスターは心の中で苦笑するしかなかった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 私──ダイタクヤマトは少し前の光景を思い出していた。

 

『GⅠを走ってみてどうだ?』

 

 トレーナー殿に心配をかけ、頭を下げてトレーニングに復帰した日、まず何よりもも先にそれを問われたのです。

 

「……なにもできませんでした」

「最初はそんなもんだ……と言いたいところだが、そうなっちまったのはオレの責任だ」

 

 私の答えにトレーナー殿は苦笑を浮かべ、それから「悪かった」と頭を下げたのです。

 そんなトレーナー殿に私はあわてました。

 

「そ、そんな!? 自分のせいであります! もっと実力があれば──」

「高松宮記念に出走するのを決めたのはオレだ。お前の今の実力を知っていて、それで出走の判断をしたんだ」

「しかしトレーナー殿、あのレースは短距離走者(スプリンター)のあこがれの一つでありますよ。多少無理をしてでも出たいと思うのは当然のことですし……」

 

 私が言うと、トレーナー殿は再び苦笑を浮かべます。

 

「だから()()()()でも出たい、ってか?」

 

 それからうつむき、「はぁ……」と盛大にため息をついたのです。

 

「あのなぁ、ダイタクヤマト。オレはそういうの嫌いなんだよ」

「え……?」

 

 思わず問い返すと、トレーナー殿は言いにくそうに顔を歪めながら、ガリガリと頭を掻きました。

 

「ただ出走すれば満足……それも考え方の一つだと思うし、それを否定する気もない」

 

 オープンクラスだってウマ娘競走の競技人口を考えればほんの一握り。

 中央(トゥインクル)シリーズのGⅠは間違いなく国内最高峰のレースであり、望めば誰もが出走できるようなレース(モノ)じゃない。

 トレーナー殿はそう言って、GⅠ出走に憧れるウマ娘の気持ちへ理解を示しました。

 そう……私のようなウマ娘が中央シリーズのオープンクラスに居られることは、本当に幸運なんです。

 ──などと言うと、トレーナー殿は「お前の実力で勝ち取ったもので、幸運なんかじゃないぞ」と言うのでしょうが。

 

「勘違いしないで欲しいが、実際に走るお前らウマ娘(サイド)はそれで良いと思ってるんだ。ウマ娘に限らずどんなスポーツにも言えるが活躍できる時間は限られている。そしてGⅠに出走できることは栄誉なのは間違いない。出走表に名前を残したいと思う気持ちは分かる。だけどな……」

 

 そこで一度言葉を切ってトレーナー殿は私から視線を外し、どこか遠い目をして言ったのです。

 

「……トレーナーの立場で見れば、それではダメなんだ」

 

 その視線の先に、私にはトレーナー殿が犯したという失敗を見ている気がしました。

 先輩方から聞いた話であり、また学園内にも未だに残っている噂です。

 トレーナー殿が担当したウマ娘を重賞レースでデビューさせたというもの。そこでヒドい結果を出したウマ娘は即座に引退してしまった……らしいのです。

 

「万に一つの勝利も無くただ走るなんて余りにももったいないし、余りにも残酷だ。こんなに虚しいレースはない。見ている側だって心躍るものが一つもない」

 

 その経験に基づいて──いえ、その後悔から胸に刻んだ戒めなのかもしれません。

 

「せっかく競走(レース)を全力で走るんだ。展開次第ではひょっとしたら……なんて“万に一つの勝ち筋(見えぬ輝き)”を用意しておきたい。オレはそう思っている」

 

 トレーナー殿が「ラストランだからと満身創痍で最後の記念に出てきたウマ娘の思い出づくりは別として」と言ったのは、やはりそういうウマ娘を見たからでしょうか。

 

「だからこそ昨年末、昇格直後のスプリンターズステークスを回避させた。昇格への連戦で体が満身創痍だったお前を出走させても勝ちが見えなかったからな」

 

 それでも一応は意志確認をしたのは、やはり短距離GⅠは春秋2回しかなく、その数少ない機会を一方的に奪いたくはなかったから、だそうです。

 だからこそ私が回避を申し出て、ホッとしたとも言いました。

 

「オレはお前をGⅠ出走で満足させて、そこをゴールにするつもりが無かったからな」

「しかしトレーナー殿。現に十分に体を休ませた私でも、高松宮杯ではまったく通用せずに──」

「自分のレースがまったくできなかった、だろ?」

「はい……」

 

 耳を伏せ、うつむきながら私が言うとトレーナー殿はそんな空気を変えるようにニヤリと笑みを浮かべました。

 

「なら、自分のレースができるようになればいい。GⅠという大舞台でな」

「──はい?」

 

 思わず顔をあげ、困惑しながら首を傾げてしまう私。

 

「昇格前にオレはお前に“戦艦になれ”と言った。強く耐えて沈まぬ逃げウマ娘になれ、と。だから速さとその粘りばかり重視して、肝心なことを見ていなかったんだ」

「肝心なこと、でありますか?」

「ああ。それは……序盤の争いだ」

 

 スタート直後の団子状態から抜け出して先頭に立つ。

 時間にすれば意外と短いもので、そうかからずに序盤の体勢が決まるものです。

 

「ですがトレーナー、自分だって昨日今日“逃げ”を始めたわけではありませんよ? これまでだって何度も逃げて勝っているではありませんか」

「条件戦クラスならそこを意識しなくても抜け出せたんだが、この前の高松宮杯(GⅠ)で思い知ったんだよ。重賞にもなればその駆け引きのレベルがかなり高い。現にそれに負けて、お前は自分のレースをできなかった」

「それは、そうであります……」

「気を落とさないでくれ。これはオレが“逃げ”への研究が低かったせいでもあるんだ。最初に関わったダイナが末脚勝負で『序盤なんて関係ねえ』って感じだったから無意識に軽視しちまっていたんだ。今にして思えばダイユウサクが“逃げ”で大成しなかったのもそれが原因かもしれないな」

 

 少しだけ寂しそうに苦笑しつつそう言って、トレーナー殿は説明を始めました。

 

「誰もが1つでも前を目指す終盤と違って、序盤は良いスタートを切っても後方や中段で待機しようとするヤツもいれば、前には居たいが先頭を嫌ったり、逆にお前と同じように先頭を狙うのもいる。その採る作戦によって思惑が入り乱れるからこそ、抜け出すには高度な駆け引きが必要になる」

「駆け引き……」

「そうだ。自分の得意な場所に位置するのは当然だが、警戒する相手を得意な形にさせないのも重要だからな」

 

 トレーナー殿はレッツゴーターキン先輩が勝った秋の天皇賞を挙げて、後方でのレースを得意にしていたムービースターというウマ娘が逃げ宣言というブラフを仕掛けたような“盤外戦術”もあると言いました。

 

「あとからの取り返しがつかない“逃げ”ウマ娘にとって序盤争いは最重要。重賞クラスの高度な争いを勝ち抜くために、逃げにとって最も重要な『序盤の抜け出し』を徹底的に強化する」

 

 そう言ってトレーナー殿は、後ろを振り返ります。

 そこにはロンマンガン先輩とダイユウサク先輩がいました。

 

「“逃げ”も武器にするあっしにとっては、それはいい勉強になるんで。ま、よろしく……」

「なんでアタシが……」

 

 ロンマン先輩が逃げてダービー2着に入れたのは、逃げると思われていた有力ウマ娘が出遅れた上に、初の逃げで警戒されていなかったから奇襲が成功したからで、今でもどんな走り方をしてくるか周囲は読めないので無警戒な場合もあり、そんな「行けるときは行く」というスタンスだそうです。

 そんな朗らかなロンマン先輩に対して不満げな様子のダイユウ先輩殿。

 

「お前に来てもらったのは抜け出す勘の良さをかってのことだ。出走経験だけは豊富だからな」

「勘なんて、そんなの説明できるわけないんだからやるだけ無駄よ! あのときだって気づいたら前に道ができていたんだし……」

「その道が見えたってことだろ」

「それは……そうだけど」

「何度も繰り返している内に、コイツ(ダイタクヤマト)にも見えるようになる……いや、見えるようになるまで繰り返すだけだ」

「「──え?」」

 

 驚いて思わずトレーナー殿を振り向く。

 同時にダイユウサク先輩もイヤそうにトレーナー殿のことを見ていた様子。

 そんな私達にトレーナー殿は、いつものニヤリという笑みを浮かべるのでありました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──未だその研究は継続中。

 

 出走するウマ娘一人一人の得意な脚質を覚えて、その上で誰がどの位置になるかを頭に叩き込む。

 それでも奇襲で突然、使ったことのない作戦を立ててくるという想定外にも対応しなければならない。

 

(前に出ずにスタートの勢いを止めるウマ娘を避けて、牽制してくるウマ娘の目をかいくぐって……同じ“逃げ”ウマ娘には絶対に負けない!)

 

 研究中とはいえ、今日のレースでは序盤の先頭争いを勝ち抜くことができたのであります。

 チラッと意識を向ければ、やや後方に複数のウマ娘に混じって好敵手(ライバル)がいるのがわかります。

 

「ダーリング殿であれば、相手にとって不足なし!」

 

 それどころか気を抜けば間違いなく先頭を奪われ、そのまま逃げられてしまうに違いありません。

 先頭(ハナ)というレースの主導権を握った私は、それを誰にも渡すことなく全力で逃げ続けます。

 第3、4コーナーを抜けていよいよ最後の直線へ──

 

「ここからが、正念場……」

 

 私が譲らぬ先頭を、後方で待機していたのも含めた他の全員が全力で奪いにくる。

 その猛攻をしのいで死守しなければならない。

 そんな中で虎視眈々と私にピタリと狙いを付けているのは──

 

「やっぱり、貴方ですか! ダーリング殿!!」

「当、然ッ……ですわッ!!」

 

 (ふね)に迫る魚雷のごとく危険な影。

 そしてその数は3つ

 ダーリング殿の他にもいるようですが……その誰にも追いつかれてなるものかッ!

 

「私は、沈まないッ!」

 

 目に入るゴール板。

 気力が落ちて下がりそうになる視線を必死に上げ──

 体力がつきて上がりそうになるアゴを必死に下げ──

 

「カアアアァァァァァァァッ!!」

 

 私は全力で耐える!

 悲鳴をあげかける体を全力で回し──そして、ゴールを駆け抜けた。

 

 

 ──1着11番ダイタクヤマト

 ──2着 9番トロットスター

 ──3着 6番メジロダーリング

 

 

 そして私はオープン昇格後の初勝利を飾り……どうにか自分の走りに自信を持つことができたのでした。

 




◆解説◆

【ヤマト、徹底抗戦せよ!】
・今回の元ネタは『宇宙戦艦ヤマト2』の第22話、「ヤマト・徹底抗戦せよ!」から。
・ストレートなタイトルですが、そろそろクライマックスが近づいてきているので、これ以降だと逆になかなか使う機会が無さそうなのでここで使いました。

出走
・今回のレースのモデルは、2000年4月23日開催の福島第11レース、やまびこステークス。
・芝1200のオープン特別で、当日の天候は晴れで良馬場でした
・なお、やまびこステークスは今ではダートの1150メートルのレースで2019年から開催されています。
・しかもオープン特別ではなく“3勝クラス”の条件戦です。
・ちなみに……そうなる以前は芝のオープン特別だったんですけど、今回のモデルの2000年から18年開催してなかったり、その直前は1990年でその前が1980年の不定期で3回な上に距離も1200、1800、1200とコロコロ変わったレースでした。

相生さん
・相生さん? ひょっとしてダーリングの所属チームって……

トロットスター
・実在馬をモデルにした本作オリジナルのウマ娘。
・モデルは1996年生まれの鹿毛の牡馬。
・メジロダーリングの同期で、ダイタクヤマトから見ると2つ歳下ですね。
・2001年にはJRA最優秀単距離馬に選出されており、それもそのはず同年の高松宮記念とスプリンターズステークスの春秋スプリントGⅠを制覇しています。
・高松宮記念が1998年からなので、初の……と言いたいところですが、前身の高松宮杯が1996年から1200のGⅠになっており、その年にフラワーパークが両制覇を達成しているので初達成は残念ながら違いますね。
・勝利だけ見ると単距離ばかりですが、1600等のマイルレースにも積極的に出走して2着と結果も出しており、そこまで極端な単距離馬というわけでもないようです。
・今回のレースは9番での出走。
・つまり、冒頭でシヨノロマンとサンキョウセッツが応援に来ていたのはこのトロットスターのこと。
・というのも母の母の母の父がシンザンだったので、そのため二人には久々の登場を願いました。

3つ
・ここで追いかけていたのはトロットスターとメジロダーリングとあと一人。
・じゃあ、結果的に最後のその一人が4着だったかといえば……違います。
・史実では4番入線したラムジェットシチーが降着処分となって11着になっております。


※次回の更新は2月10日の予定です。  



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第25R 好敵手(ダーリング)! 堕ち往くか愛のウマ娘よ!!


 オープン昇格から2戦で、昇格後初勝利をおさめたダイタクヤマト。
 それで確かな手応えを感じたオレは、GⅢレースに挑戦させた。

 ──函館スプリントステークス

 7月開催のそのレースの前、6月にもオープン特別を走らせたが結果が振るってなかったので、一抹の不安を覚えていたが……

 ──結果は2着。

 あと少しといったところだったが、なにはともあれ重賞での2着だ。
 ダイタクヤマトもまたその結果に自分が強くなっている実感を感じたことだろう。



 

「この前のレースは勝利こそ逃しましたが良い勝負でしたね、ダーリング殿」

 

 学園内を歩きながら、隣のメジロダーリング殿に話しかけたのですが……返事がありません。

 思わず彼女を振り向いたのですが、真剣な顔で何かを思案している様子で、私の話を聞いていなかったようです。

 

「ダーリング殿……?」

「は、はい!? な、なんでしょうか、ヤマトさん!?」

「前回のレースのことです。お互いに1着は取れませんでしたが、私は2着でダーリング殿は3着。良い勝負だったと思いまして……」

「ええと……ええ、間違いなく良い勝負でしたわ!! 重賞という舞台で上位入賞できたのですから。まぁ、欲を言えば勝てなかったのはもちろん残念で……」

「はい、悔しいのでありますよ」

 

 重賞制覇まであと一つ届きませんでした。

 それがダーリング殿に負けたのなら悔いはありませんが、他のウマ娘に負けたのですから悔しさもひとしおです。

 ですから、今回のように最後まで2人でしのぎを削り、最終的にはどちらかが勝つ──というような理想的なレースがしたいのです。

 

「次こそはワンツーフィニッシュを決めて、表彰式で2人で握手する──という夢を叶えようじゃありませんか、ダーリング殿!

「え? あ、は、はい……そのとおりでありますわね、ヤマトさん」

「……ダーリング殿?」

 

 どうにもダーリング殿の様子がいつもと違うように思えます。

 なぜかどこか上の空のような……

 私、なにか嫌われるようなことをしてしまったのでしょうか?

 そう思って彼女をじっと見てしまい、それに気がついたダーリング殿は誤魔化すような苦笑気味のぎこちない笑みを向けてきたのです。

 

「どうかさないました? ヤマトさん……」

「いえ、私は別にどうもしませんが、ダーリング殿こそ今日は様子がおかしいような……」

「そ、そそそんなことありませんわよ? (わたくし)、いつも通りの常に平常運転でございますわ!」

 

 そういって「オホホホー」といつもの笑い声をあげるのですが、どこか歯切れと元気が悪く感じられてしまいます。

 ですがここで心配をしてしまうと、何かを隠そうとしている様子の彼女をかえって追いつめてしまいそうです。

 だとすれば……気を使い過ぎるのは逆効果になってしまうかもしれません。

 ですでの、そこに触れないのが正解ですね。

 

「なるほど、それを聞いて安心しました。次もまた同じレースで競い、さっきの言葉を叶えて互いの意気をあげましょう!」

「え? えっと……」

 

 なぜか驚いた様子で、戸惑いの声をあげるダーリング殿。

 ひょっとして聞いていなかったのでしょうか?

 私は思わず首を傾げてしまい──

 

「ワンツーフィニッシュ、ですよ。ですからまた同じレースに出走を──」

「お、同じレースを、ですか?」

「もちろんその通りです。今まで何度も競い合ってきた好敵手(ライバル)ではありませんか。いまさら別のレースを走るなんて、かえって寂しいですよ」

 

 どうにも歯切れの悪いダーリング殿の反応に、私はあえて笑顔を浮かべて応えました。

 でも……私の頭の片隅にとあるイヤな考えが浮かんでいたのです。

 

(同じレースに出て、ダーリング殿と私では私の方が着順が上のことの方が多いのですよね)

 

 ただ私の方が歳が上です。その分、レース経験も上ですから、逆に言えば彼女に負けられないという私の気持ちが強いのも確かなんです。

 でも……

 

(もしかしたらダーリング殿は、私と走るのが嫌になってしまったのではないのでしょうか?)

 

 ……などとことを考えてしまうのは自分の驕りでしかありません。ですので自分を戒め考えないようにしていたのです。

 しかし今の反応を見るとそう見えなくもない。

 もし本当に、ダーリング殿が私と走るのが嫌なのだとしたら私は……

 

「もちろんですわ、ヤマトさん。貴方は(わたくし)の永遠の好敵手(ライバル)ですもの。共に走り、これからも切磋琢磨していきましょう」

 

 そんな私の不安を払拭するように、ダーリング殿はいつもの自信にあふれた笑みを浮かべて応えてくださいました。

 百パーセント嘘のないその表情に「ああ、よかった」と心の中でホッとため息が出ます。

 

 

 ──おかげで彼女の、「そのためにも(わたくし)は……」という小さなつぶやきを聞き逃してしまったのですが。

 

 

「ではダーリング殿、次はどのレースに出走する予定でありますか?」

「ええと……それは、その……漁火ステークス、ですわ……」

「え? いさりび、ステークス……でありますね」

 

 ちょっと声が小さくて聞こえづらかったのですが、私が確認するとダーリング殿はなぜか視線を逸らしながら、「ええ、その通りですわ……」と肯定しました。

 うん。レースの名前はしっかり覚えました。

 そうなれば善は急げです。

 

「わかりました。では私も同じレースに出走できるよう、トレーナー殿に頼み込んできます」

「……ヤマトさん? お待ちにな──」

「では後ほど、また!」

 

 私は次のレースの予定を決めるべく、トレーナー殿の下へと走ったのでした。

 もちろん学園内ですので、廊下を走るのは許されているのです!

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

漁火ステークス?」

 

 そのレースの名を聞いて怪訝そうな顔をするトレーナー殿の様子から察するに、重賞のような大きなレースではないようです。

 そう考えながら私は大きくうなずきました。

 

「はい! 次走はそのレースに出たいのでありますよ!!」

 

 トレーナー殿の部屋を訪れるとトレーナー殿は在室していました。

 ノックして一礼してから入室した私。

 トレーナー殿はサポートしてくださる先輩のミラクルバード殿と一緒に、なにか作業をしている様子でした。

 長居して邪魔しては申し訳ないと、私はさっそく用件を切り出し、そのレースへの出走を希望したのです。

 しかし──

 

「え……?」

 

 戸惑うような反応はトレーナー殿やバード先輩ではなく、横から聞こえてきました。

 むむ、他にこの部屋に誰かいましたっけ……と思って振り向くと、そこには女性のトレーナーが机に向かっていました。

 トレーナー殿と相部屋になっている巽見さんというトレーナーの方でした。

 一瞬だけ気まずそうにした彼女は、気を取り直して机に向かい、聞かなかったフリをしたようです。

 乾井トレーナーは〈アクルックス〉のメイントレーナーで、巽見トレーナーは〈アルデバラン〉というチームのサブトレーナーで、お互いに別のチームなのです。

 ですので、チームのことにはお互いに干渉しないというスタンスだそうで、今のはそれに抵触したので聞かなかったことにしたのでしょう。

 一瞬だけ巽見トレーナーを怪訝そうに見たトレーナー殿でしたが、彼女のそんな態度に再び私の方を見て──

 

「ダメだよ、ヤマちゃん」

「え?」

 

 私の発言以降、なにやらパソコンに向かっていたバード先輩がキーボードを打つ手を止めつつ、その画面をじっと見つめながら言い──私は思わず首を傾げてしまいました。

 

「ダメって……どういうことですか、先輩?」

「どういうこともなにも、ヤマちゃんはそのレースに出られないよ?」

「出られない? なぜ……でありますか? 私はオープンクラスに昇格しています。ですからダーリング殿が出られるレースにはすべて出られるはずです」

「あ~……、それについては私の方から説明した方がいいかしらね? 乾井先輩」

「あ? オレにはサッパリわからんが、事情を知っているなら頼む」

 

 私と同じように事情がわからないトレーナー殿がそう答えると、巽見トレーナーは気まずそうな表情で私を見てきました。

 

「あのねぇヤマト、あなたがオープンクラスなのはその通りよ。でもね、ダーリングの方が……今はオープンクラスじゃないのよ」

「……はい?」

「ああ、そういうことか」

 

 私が戸惑う一方で、トレーナー殿はたったそれだけのやりとりで理解したらしく、握った拳で自分の手のひらをポンと叩きました。

 その音に思わず振り返ってしまうと、私の視線に気づいたトレーナー殿がため息混じりに教えてくださいました。

 

「ダイタクヤマトも体験していることだが……巽見、それって“降級”だろ?」

「ええ、正解よ……」

 

 巽見トレーナーは沈痛そうな顔でそれにうなずくのでありました。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ──それは少し前のこと。前走のレース、つまりは函館スプリントステークスに出走する希望をトレーナーに伝えたときのことですわ。

 (わたくし)──メジロダーリングがそれを言うと……

 

「なるほど。つまりそれは格上挑戦、ということか?」

「……格上?」

 

 相も変わらず険しいまでにしかめた表情をしたトレーナー。

 その無愛想な顔で訊いてきた意図が分からず、思わず問い返してしまいました。

 

「トレーナー様、(わたくし)はオープン(クラス)ですわ。いかにGⅢ……重賞レースといえど、格上挑戦にはなりませんわ」

「ダーリング、お前はオープンに昇格してから何勝した?」

 

 (わたくし)の言葉を無視するかのように問うてきたトレーナー。

 その態度に不満を感じはしましたが相手は担当トレーナー。敬意を払うべき相手であり、素直にその問いに答えます。

 

「そんなこと、数えるまでもありませんわ。昇格後だって幾度も勝利を重ね──」

 

 一つとして決して忘れることのない、自分が出走したレースを思い出しつつ……答えようとして、思わず言葉が途切れました。

 

「幾度も、勝利を……」

 

 え、ええと……そ、そんはなずありませんわ。

 現に(わたくし)はオープン昇格してから何度も出走したではありませんか。

 ヤマトさんとも競い合いましたし……昇格を決めたあのレースから一度として着順で勝てていないのは悔しいことですけど。

 

(着順で、勝ててない……?)

 

 内心冷や汗をかきながら、その事実に息をのむ。

 先ほどから思い浮かべているレースの光景ですが、やはりヤマトさん──ダイタクヤマトの姿ばかりが印象に残っています。

 互いに得意な脚質は同じで、前の方で競う間柄ですから同じレースにでていれば近い位置での走りになりますから。

 (わたくし)よりも昇格が遅かったとはいえ、その後は何度もレースで顔を合わせた彼女に、着順で──

 

「しょ、勝利を……」

 

 ──先着していない、ということはすなわち……()()()()()()ということ、ですわ。

 ええと、ヤマトさんが出ていなかったレースでは──と、(わたくし)は必死に記憶を辿るのですが、そのことごとくにヤマトさんの姿があるのです。

 つまりそれは、そのレースでは勝てていないということ。

 

「え? あれ……(わたくし)の勝利、少なすぎ?」

「“少ない”ではない。無し(ゼロ)だ」

 

 思わず口元を両手で覆った(わたくし)に対し、トレーナー殿はキッパリと告げたのです。

 その冷酷なまでの事実を。

 

「そ、そんな……」

「確かに昇格してからスプリンターズステークス、高松宮記念と2つのGⅠやGⅢの阪急杯という高いレベルのレースが続いたこともあった。だが……オープン特別でもお前は勝てていない。昇格してから一度たりとも、な」

 

 腕を組み、じっと目を閉じて噛みしめるように言ったその言葉は、衝撃のように心に広がっていきます。

 

「そしてお前は今年、シニア初年だ」

「もちろん存じておりますわ」

「ならばわかるだろう? その歳の春レースが終わるとなにが起こるか」

「ハッ!? ま、まさかそれは……」

 

 そこまで言われれば、(わたくし)とて心当たりはあります。

 今までの実績への評価が見直され、再評価を受ける時期なのです。

 

「オープン昇格してから勝てなかったお前は崖っぷちにいた。そして、その崖が崩れた……」

「降、級……ということでしょうか?」

「うむ……」

 

 恐る恐る言った言葉にトレーナーは沈痛そうに目を伏せたまま、しかしハッキリとうなずいたのでした。

 突きつけられた事実に、足下が崩れ落ちるかのような衝撃におそわれてしまいます。

 そうして呆然としている(わたくし)を、チラッと一瞥するトレーナー。

 

「ゆえにお前は(プレ)オープンの条件クラスとなる。すなわち重賞レースへの出走は格上挑戦となるわけだ」

(わたくし)が降級、だなんて……」

「忠告はしていたはずだぞ」

 

 トレーナーの声には呆れの色がわずかに感じられました。

 同時に失望も……

 それで思い出したのですが、以前、「木を見て森を見ず、ということにならないように」とトレーナーは言っておられたのです。

 

好敵手(ライバル)を見つけたのはいい。おかげでオープン昇格できたと言っても過言ではない。だが……お前は彼女との勝負に執着するあまり、あるものを失っているとオレは感じていた」

「あるもの、ですか?」

「“レースそのものに勝利する”という執着だ」

 

 キッパリと言い放つトレーナー様の言葉が胸に刺さりました。

 思わず反論の言葉も浮かびましたが、けれでも(わたくし)自身に自覚があるからこそそれを口に出すことができませんでした。

 

「今にして思えばオープン昇格前はもっと貪欲に勝ちに飢えていたようにオレには見える。それを昇格後に失っていたのだとしたら、油断としか言いようがない」

 

 それこそまさに、好敵手(ライバル)という“木”ばかり見て、勝利から離れている自身の状況という“森”を見ていなかったことに他なりません。

 その助言さえ見落としていたなんて……

 無論、自分自身の性格的に「それならそうと回りくどい言い方をせず、ハッキリ言って欲しかった」と思い、その言葉が出かかりました。

 でも……トレーナーの、そしてチーム〈アルデバラン〉の方針は『来るもの拒まず、去るもの追わず』という自主性をなによりも尊重するもの。

 トレーナーからしてみれば、「自分で気づいて欲しかった」というところなのは間違いありません。

 そんなトレーナーの期待を裏切ってしまったのですから──(わたくし)も、覚悟を決めなければなりません。

 

「……格上挑戦で構いませんわ。それでも次のレース、函館スプリントに出走させてください」

「それでいいのか? お前が好敵手(ライバル)と認めたウマ娘は、対等の立場にこだわって昇格に固執していたようだが」

「ヤマトさんらしい、実直な考え方だと思います。ですが……(わたくし)にも同じように、譲れないものがあります」

「ほぅ……」

 

 伏せていた目が開かれ、その鋭い視線が刺さるかのように向けられました。

 

「先に昇格したという矜持(プライド)ですわ。昇格後の初勝利さえ先んじられ……これ以上彼女に負けるわけにはいきません」

 

 もしもそうなれば……私は彼女の好敵手(ライバル)である、と胸を張って言えなくなってしまう。

 ゆえに──勝つ。

 それ以外の選択肢はない。

 

「次のレースこそ勝利し、そしてオープンクラスに再昇格して見せますわ!!」

「……わかった」

 

 決意を聞いて、言葉少なに答えつつ小さくうなずくトレーナー。

 その姿勢こそ(わたくし)に対する信頼。

 誇り高きメジロのウマ娘として、それに応えなければなりません。

 たとえそれがオープン特別よりもハードルの高いGⅢの重賞レースだったとしても……

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 ──結果、3着で破れた(わたくし)矜持(プライド)は地に墜ち、オープンクラスから転げ墜ちていた私自身も昇格することはできなかったのです。

 

 




◆解説◆

好敵手(ダーリング)! 堕ち往くか愛のウマ娘よ!!】
・今回の元ネタは『宇宙戦艦ヤマト』の第25話、「イスカンダル! 滅び行くか愛の星よ!!」から。
・メジロダーリング回であり、彼女が降級ということでこのようなタイトルになりました。
・“愛のウマ娘”って前にも使ったな、と思ったら第二章で出てきたフケ状態になったダイイチルビー(本作オリジナルver.)のことでしたね。


函館スプリントステークス
・1994年に手薄だった夏季の短距離重賞を充実させる目的で創設されたGⅢレース『札幌スプリントステークス』が前身。
・4歳(現在の3歳)以上が対象で、名前の通りに札幌競馬場で、芝1200のレースとして施行。
・1997年から開催地が函館に変更になり、その関係で名前も現在の『函館スプリントステークス』に変更。
・そうして函館での開催になったのですが、2009年は函館競馬場のメインスタンド改築工事中のため、2021年には東京五輪のマラソン競技を札幌で開催する関係での日程調整で、それぞれ函館ではなく札幌での代替開催になっています。(もちろんレース名は変わらず)
・2006年から夏競馬を盛り上げる目的で設定したサマーシリーズの中の最初期から設置された『サマースプリントシリーズ』の一つとなり、その第1戦となりました。
・今回のレースのモデルは、もちろんダイタクヤマトとメジロダーリングが出走した2000年7月2日開催の第7回のもの。
・ダイタクヤマトが2着、メジロダーリングは3着で、1着はタイキトレジャー。
・タイキトレジャーは96年4月25日生まれでメジロダーリングの同期。
・この函館スプリントステークスとは相性がよく、翌年と翌々年は2着に入っています。
・もっともその翌年(2001年開催)に勝った馬こそ、今回のリベンジを果たすことになるメジロダーリングなのですが。

漁火ステークス
・モデルは2000年7月16日開催の函館開催の1600万以下の()()()で、1200メートルの芝レース。
・漁火ステークスは函館開催なのは共通で、1996年に芝2000メートルのオープン特別で始まったレース。
・翌年から1600万以下の条件戦になり、距離も1800メートルに変更されて1999年まで開催。
・その後、2000年、2001年のみ1200メートルで開催、2002年で再び芝1800になり、翌年2003年はダートの1700で開催。
・それを最後に一時期開催されなくなりましたが、2007年に芝1800で復活し、翌年は再度ダート1700で開催。
・一年空けて2010年から芝1800に戻るも2012年は開催せず、翌年の2013年の開催が現在のところ最後になっています。
・そういう歴史なので短距離というよりはマイル戦での開催が多いレースですが、メジロダーリングが出走したのはその数少ない短距離でした。
・そんな2000年の漁火ステークスにメジロダーリングは1番人気で出走するのですが……

巽見トレーナー
・はい。巽見トレーナーがダーリングのことに詳しいのは、もちろんダーリングが〈アルデバラン〉所属のウマ娘だからです。
・前回、相生さんが担当していたという描写がありましたし、あの時に出てきたサブトレーナーは巽見です。
・ダーリングの所属チームは当初、決まっておらず名前を出さない予定だったのですが──色々あって、〈アルデバラン〉所属になりました。
・ただ、条件戦を戦っているころに移籍して所属になっている……という設定でして、これに関してはモデル馬に厩舎移籍や主戦騎手が変わったという元ネタがあるわけでは無く、完全に本作の都合によるオリジナルの展開です。
・なお、本来はダーリングは巽見トレーナーに担当してもらいたかったようですが……


※次回の更新は2月22日に予定していますが、体調不良の影響で延期する場合も。  



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第26R さらば 夢の舞台よ

 

「条件レースである以上は、どうがんばっても出走できないぞ」

「それは……はい、そうですね」

 

 オレが告げるとダイタクヤマトは目に見えるほどにしょぼーんと落ち込み、うなずいた。

 今までメジロダーリングとは昇格後の全てのレースを一緒に走ってきた仲だから、気持ちは分からないでもない。

 だが、こればかりはどうしようもないことだ。

 そうしていると……控えめにコンコンとドアがノックされ、「失礼いたします」とウマ娘が申し訳なさそうに入ってくる。

 

「……ダーリング、ちゃんと説明なさい。言いづらかったのは分かるけど、自分の口で話すべきことでしょう?」

「ごめんなさい……」

 

 入ってきたウマ娘──メジロダーリングは巽見に、そしてダイタクヤマトにそれぞれ深く頭を下げた。

 

「ヤマトさんには本当になんと謝罪すればいいか……こんなことになってしまって……」

「そんな! 謝る必要なんてないじゃないですか、ダーリング殿」

 

 頭を下げたメジロダーリングに驚くダイタクヤマト。

 

「勝負は時の運、私だってたまたま昇格して2戦で勝つことができただけです。それに、ダーリング殿はGⅠに2度も挑戦しているじゃないですか。あれほどのハイレベルなレースであれば勝てなくとも仕方がありません」

「それが勝てていない理由にはなりませんわ。他のレースにも出ていますし、重賞以外のオープン特別に勝てなかったのは(わたくし)の完全な力不足です」

「それこそ紙一重の結果ではありませんか。前回のレースを見れば明らかです。これからも共に走ってがんばりましょう!」

 

 笑みさえ浮かべて励ますダイタクヤマト。

 だが、それはメジロダーリングにとっては辛いだろうな、とオレは思った。

 ダイタクヤマトがオープンである以上、同じレースで走るというのならメジロダーリングの方が合わせるしかない。

 

(だが、それは非現実的な話だよな)

 

 そう思いながら悲しげにうつむいているメジロダーリングをチラッと見た。

 そうなると彼女は毎回毎回格上挑戦するということになってしまう。

 さらに言えば彼女はオープン昇格後に一度も勝てていない。

 オープン特別で勝てなかったから降格したのに、勝てなかったオープン特別に出ていたら、それこそ昇格することはできないだろう。

 

(条件戦を走って結果を出し、再昇格を狙うのがセオリーだ)

 

 巽見はもちろんほとんどのトレーナーがそれを選ぶだろう。担当になっている相生さんも王道を好むから同じ選択をするはずだ。

 案の定、メジロダーリングは首を横に振る。

 

「いいえ、ヤマトさん。(わたくし)は昇格するまで同じレースを走るつもりはありません」

「えっ……?」

 

 メジロダーリングのその言葉が意外だったらしく、ひどく驚いた上場になるダイタクヤマト。

 そんな彼女をジッと見つめ、メジロダーリングは胸に手を当てて宣言した。

 

「先のレースで貴方に勝利して再昇格できなかった以上、これ以上恥をさらすわけにはまいりません。貴方の好敵手(ライバル)として相応しいウマ娘として、オープンクラスに必ず戻ってきますわ」

「ダーリング殿……」

「そんな寂しそうな顔をしないでくださいませ、ヤマトさん。そんなに時間をかけるつもりはございません!」

 

 そう言ってメジロダーリングはビシッとカレンダーを指さす。

 

「秋までに必ず勝利を掴み、昇格してみせますわ!」

「ダーリング……」

「可能ですわよね、巽見さん?」

 

 思わず声をかけてしまった巽見が、ジッと見つめられるという思わぬ反撃を食らって狼狽える。

 

「私はあなたの担当じゃないわ」

「では客観的な意見をお願いします」

「……あのね、ダーリング。貴方は相生さんが担当なのよ? そう言えば分かるでしょ。あなたのやる気次第、といったところね」

「なら、再昇格間違いなしですわね」

 

 勝ち気な、そして自信にあふれた笑みを浮かべるメジロダーリング。

 今は7月前半だが、彼女は夏も出走し続けて昇格を目指すことになるだろう。

 ふむ、ということは──

 

「それなら丁度いい。ダイタクヤマト、お前は少し休め」

「トレーナー殿!? しかしダーリング殿も出走するのですから、私ももっとレース経験を──」

「今の時期の過酷なレースに無理に出走する必要はない。それよりも重賞が増える秋に備えて調整する。そっちの方が重要だ」

 

 猛暑の中のレースはともすれば危険だ。

 普段以上に体力を使うことになるし疲労の度合いも大きい。場合によっては体調を崩して秋以降を台無しにするおそれだってある。

 その秋以降には短距離も大きなレースが開催される。

 セントウルステークスやスワンステークスといった重賞。

 そして短距離GⅠの元祖、スプリンターズステークス……

 

「前走の結果を見れば、重賞制覇まであと少しってところまで来てるんだ。間違いなく実力は上がっている。だから焦るな」

「トレーナー殿……」

 

 困ったような表情をしているのは、やはりまだ自信が持てないのと、メジロダーリングがレースにでているのに自分は休んでいていいのかという不安だろう。

 チラッと彼女を見ているところからもバレバレだ。

 そんな視線に気づいたメジロダーリングは苦笑気味に微笑むと、ダイタクヤマトに話しかける。

 

「ヤマトさん、昨年は(わたくし)(オープン)で待ちましたけど、今年は貴方が待ってくださいまし。もし貴方が体調を崩してしまったら、せっかく昇格しても元も子もありませんわ」

「ダーリング殿……」

「それに先ほど申し上げたように(わたくし)はさっさと昇格いたします。去年の貴方のように、昇格した頃には秋レースが終わっていた、なんてことにならないように……」

「なッ!? それはあんまりじゃないですか~!」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべるメジロダーリングに、ダイタクヤマトは痛いところをつかれて情けない声を上げる。

 そんな2人のやりとりに、オレと巽見は思わず笑っていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 ダイタクヤマトと道を(たが)えたメジロダーリング。

 彼女はすぐさまに自己条件のレースに出走した。

 

 ……だが、勝利を掴むことはできなかった。

 

 先頭(ハナ)をとることができなかった彼女だったが、その先頭をとったウマ娘が下がり、その前に出ることができた。

 だが──背後からきたウマ娘に抜かれ、惜しくも2着

 ゴール板の前を駆け抜けた彼女は、僅差での惜敗に悔しげに顔を歪めていた。

 

 そして──

 

「オープン特別に出る、だと?」

「ええ、次走……いえ、それ以降も勝てなければ格上挑戦を続けます」

 

 そんな宣言をしたメジロダーリングを、担当トレーナーである相生は一瞥し、そして訝しがるように眉をひそめた。

 

「冷静になれ、ダーリング」

「もちろん冷静ですわ、トレーナー様。」

「では訊くが、今のお前に最も必要なものはなんだ?」

「当・然、勝利以外にございませんわ!」

「ならば理解しているだろう? オープンクラスのレースで勝ったことがないお前が、オープンクラスのレースに出続けるなんてことをするのは、ただの無謀だということが」

「無謀なんかではありません!!」

 

 相生の言葉に言い返すダーリング。

 

「先のレースで痛感いたしましたわ。“条件戦なら勝てる”そんな心の甘えがあったからこそ勝つことができなかったのだと」

「それが分かっているのならば油断せずに条件戦に挑めばいい。無理に上に挑戦する必要など──」

「それこそが甘え以外のなにものでもありません!!」

 

 相生の言葉を遮って、ダーリングの大きな声が響きわたる。

 

「条件戦を勝って昇格したとしても、それは前回昇格した時と同じではありませんか! そしてまた同じように昇格後に勝てないようではそこに何の価値がありましょう?」

 

 言い放ち、拳を握りしめるダーリング。

 

(わたくし)が求めるのはオープンクラスへの昇格などではありません! そこでの勝利であり、そして重賞制覇ですわ。そうでなければ次代のメジロ家を担うものと期待をしてくださった方達に申し訳が立ちません!!」

 

 思い浮かべるのは、彼女を送り出してくれたメジロ家の者達であり、今まで中長距離を十八番にしていたメジロ家に短距離という新しい風を期待した当主の御婆様、そして自分の武器である“逃げ”を磨いてくれたメジロ家のウマ娘──メジロパーマー。

 そして……自分が認めたライバルのウマ娘。

 

「なにより“条件戦を勝利しての昇格”などというぬるま湯に浸かっていては、ヤマトさんに勝てるわけがありませんわ! 彼女に勝てたのは前回昇格したレースのただの一度きりではないですか! それ以降はことごとく後塵を拝しているような不甲斐なさではありませんか……」

 

 目を閉じて拳を握りしめた手がブルブルと震えているのは、彼女の悔しさの現れであった。

 

「まして彼女はすでにオープン特別で勝利を収めているのです。それに並べずに好敵手(ライバル)などと称するのは余りにも恥知らずというもの!」

「あえて困難な道を選ぶ、というわけか」

「ええ。そうでなければ成長は望めません。自分の殻を破るためにも“挑戦”しなければなりません!」

 

 決意を込めて目を見開き、言い放つダーリング。

 そんな彼女を見つめ、相生は「フッ」と厳しかった表情をゆるめた。

 

「いいだろう、メジロダーリング。お前のその“無謀”にオレが付き合ってやる」

「トレーナー様……?」

「我がチーム〈アルデバラン〉の方針は『来るもの拒まず』……ゆえに上を目指し挑戦しようとする者を全力でサポートするのが〈アルデバラン〉というチームであり、オレのやり方だ」

 

 ともすれば『暑苦しい』と評される“昭和のイケメン顔”な相生トレーナーが不敵な笑みを浮かべる。

 頼もしいその表情に彼女の気が晴れやかなものへと変わっていく。

 

「無論、指導は厳しいぞ」

「ええ、望むところですわ!」

 

 そんな彼の言葉に、お嬢様然としたメジロダーリングは大きくうなずいた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「なるほど、それでダー様は最近、姿を現さないってわけだ」

「ええ、そうなんです……」

 

 共にトレーニングをしているロンマンガン先輩の言葉に、私──ダイタクヤマトはうなずきました。

 思わず小さなため息のようなものまで出てしまいましたが……

 残念ながら漁火ステークスでは2着だったダーリング殿は再昇格することができませんでした。

 おそらくさらにレースに出走して昇格に挑戦することになると思います。

 

「う~ん8月もレースに出るってことは、秋レースにいきなり出てくるってことは無いんじゃね?」

「やはり先輩もそう思われますか……」

「ヤマトの次走はセントウルの予定だっけ? さすがにそれには間に合わないでしょ」

 

 トレーナー殿から言われている次の出走予定は9月前半に開催されるセントウルステークスです。

 7月に2走しているダーリング殿が次のレースで昇格できたとしても1ヶ月以上は空けて休養を入れてくるはず、とロンマン先輩は分析していますし、私もおそらくそうだろうなと思っています。

 春のレースからまとまった休養をとっていないのですから、そのまま秋レースに出続ければケガをしてしまうかもしれません。

 

「セントウルってことは阪神開催か。ってことは、バードパイセンの実家で食事会が期待できるから……んん? アレってアンタの客じゃないの、ヤマト? ダー様ではないみたいだけど」

「え?」

 

 次走にダーリング殿がいないのがほぼ確定し、気落ちしていた私はどこか上の空でジョギングしていたようでした。

 先輩が指した方を見ると……そこには見覚えのある先輩ウマ娘と、彼女のトレーナーがいました。

 

「ひょっとして礼菜(れいな)さんと……カミ、先輩でありますか?」

「やぁ、ヤマピー。なんだか久しぶりだね」

 

 ショートカットの髪にトレードマークの日章旗模様の鉢巻きをしめたウマ娘──ダイタクカミカゼ先輩が、嬉しそうに笑顔を浮かべていました。

 そして改めて私のことをじっと見た彼女は、小さくうなずいたのです。

 

「うん……いい表情になったね。遅ればせながらオープン昇格後初勝利おめでとう。それにこの前の重賞も惜しかったね」

「あ、ありがとうございます……」

 

 晴れやかな笑顔で私をたたえてくれる先輩。

 その様子がどこかおかしく感じて、私は不安を覚えていました。

 なぜなら──そんな先輩の表情とは対照的に、いつも明るいはずの緋子矢(あかしや) 礼菜トレーナー殿が今にも泣き出しそうなほどの表情になっているからです。

 

「実はヤマピー……いや、ヤマトに挨拶をしにきたんだ」

「挨拶、でありますか?」

 

 思わず首を傾げると、カミ先輩は「そういえばそっちが素だったもんね」と笑みを浮かべました。今の私の話し方に違和感があったようです。

 それからコホンと咳払いをして、彼女はあらためて口を開きました。

 

「実は、中央(トゥインクル)シリーズから去ることになったんだ」

「………………え?」

 

 こともなげに、少しだけ苦笑気味の笑みを浮かべて彼女が言った言葉の意味を、私は一瞬理解できませんでした。

 それが頭に染み渡り、理解できて口から思わず漏れた当惑の声。

 それを無視して、先輩は続けます。

 

「あの時……キミが〈アクルックス〉に移籍する時、本当は悔しかったんだ。なんでオープンクラスになっているウチを選ばないんだってね。乾井トレーナーを恨みさえした。礼菜さんには申し訳なかったけど……」

 

 そう言って苦笑しながら緋子矢トレーナーをチラッと見るカミ先輩。

 相変わらず悲しげで今にも泣き出しそうな彼女の様子に、その表情が「仕方ないなぁ」と言わんばかりに少しだけ呆れの入った笑みになりました。

 カミ先輩の話を聞いたら、礼菜さんのそんな様子も納得できるものなのですが……

 

「でも、やっぱりさすがは『ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)』だね。その目は確かだったよ。キミはちゃんとオープン昇格して、さらには昇格後初勝利を納めた。でも私には……できなかった」

「ごめんなさい、カミカゼ……」

 

 礼菜さんの謝罪の声がポツリと響く。

 それにカミ先輩は思わず苦笑を浮かべて振り返った。

 

「そんな意味で言ったんじゃないですよ、礼菜さん。私にはそれだけの才しかなかったってことですから。オープンクラスまではどうにか昇格するのがやっとで、その舞台で勝てるほどのウマ娘じゃなかった、それだけのこと」

 

 自分のことは自分が一番分かっている、そう言ったカミ先輩は吹っ切れた様子でした。

 

「できることは精一杯やって、それでも勝てなかったんだから」

「でも、私がもっとしっかりしていれば──」

「さっきはああ言いましたけどチーム〈ミモザ〉所属でよかったと思ってます、トレーナー」

 

 あえてトレーナーと呼んで、その感謝を伝えるカミ先輩。

 

「確かに常勝軍団みたいなチームじゃないけど、その分、あの空気が好きでした」

「それは私のやり方が緩かったってこと?」

「違いますって。ピリついた緊張感の中で上を目指すというのはやり方の一つだとは思います。でもそれは、上にいけるからこそそれが維持できるわけで……私はきっとそれに耐えられなかったと思いますから」

 

 カミ先輩は礼菜さんへと近づき、その小さな体を支えるように手を添えました。

 

「〈ミモザ〉だったから……面倒を見てくれたのがあの人と礼菜さんだったから楽しく走り続けられたんです。もしも他のチームだったらきっと競走を、走ることを嫌いになってここを去ることになっていました」

「カミカゼ……」

「だからこそ──私はまだ、走り続けられるんです」

 

 慰めるように、でも力強く、彼女はそう言って笑顔を浮かべました。

 

「カミ先輩? それってどういう……」

中央(トゥインクル)のオープン(クラス)じゃ1勝もできなかったけど、まだこのダイタクカミカゼは燃え尽きたワケじゃない。まだまだ走りたいって思ってる。だから……移籍することにした。地方(ローカル)シリーズに」

地方(ローカル)移籍ですか!?」

 

 私が驚いてあげた声に、カミ先輩は大きくうなずきました。

 確かに中央(トゥインクル)シリーズから地方(ローカル)のトレセン学園へ転校するということは、逆のケースに比べれば多々あることではあります。

 

 ──国内最高峰の中央では勝てずとも、地方なら活躍できるかもしれない。

 

 競走(レース)への熱意が冷めぬまま成績不振に陥り、それでも勝利への渇望が抑えられずに“引退”の決意ができないウマ娘が選ぶ選択肢。

 カミ先輩はまさにそんな“不完全燃焼”なウマ娘だったのでしょう。

 そしてそれを燃やす場所を求めて、新天地を探した。

 

「いろいろ探して、結果的に高知に行くことが決まったんだ」

「それは……遠い、ですね」

「ちょっとだけ、ね」

 

 この関東にも地方(ローカル)シリーズはある。例えば大井や船橋は中央ではなく地方(ローカル)のレース場になっています。

 でもカミカゼ先輩が転校する先は四国にあるトレセン学園。ちょっとだけ距離があるなんて話じゃないような気がしますが。

 

「ともあれ、秋になったら向こうの所属になるから。今日はお別れを言いに来たってわけ」

「寂しく……なっちゃいますね」

「なにを言うんだよ、ヤマピー。交流戦だってあるんだから顔を合わせるかもしれないでしょ。それにキミにはもう……立派な仲間がたくさんいるじゃないか」

 

 そう言ってカミ先輩は周囲を見渡す。

 2人に会う前から一緒にいたロンマンガン先輩が少し離れた後方に、そして何事かと思ってやってきた他の先輩方──サンドピアリス先輩やダイユウサク先輩、それにおタケ先輩──がこの場に集まりつつあった。

 そんな先輩達の姿を見て、そして私へと視線を戻す。

 

「だからこそ期待しているよ、ダイタクヤマト……縁あって同じ名を冠し、同じレースを走った経験のあるキミが、〈アクルックス〉のウマ娘にふさわしい結果を残してくれることを。この偉大な先輩達に負けないくらい世間を驚かせる──そんなウマ娘になってね」

「え……?」

 

 戸惑う私に、カミ先輩は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「そうしたら……同じレースを走ったとか、同じチームにいたとか自慢できるからね」

「なッ……」

 

 思わず脱力しかけた私を、カミ先輩は大きな声をあげて笑うのでした。

 それから先輩方にも「お世話になりました。ヤマトをよろしくお願いします」と頭を下げると、緋子矢トレーナーを支えるように連れて〈ミモザ〉のチーム部屋の方へと歩いていきました。

 去り際に背を向けたまま大きく手を振った手を止め、それから戦闘機乗りのやる「健闘を祈る」というハンドサインを出して……

 

 

 ──こうしてダイタクカミカゼ先輩は、中央トレセン学園から去っていったのでありました。

 

 




◆解説◆

【さらば 夢の舞台よ】
・今回のタイトルの元ネタは、『宇宙戦艦ヤマトⅢ』の第23話「さらば 夢の星よ」から。
・もちろん夢の舞台である中央(トゥインクル)シリーズを去ることになるダイタクカミカゼからのタイトル。

2着
・前話で話題になっていたように、メジロダーリングが出走した自己条件のレースは漁火ステークス。
・モデルは2000年7月16日に開催されたレースで、勝利したのはアプリコットデュー。
・当時のダーリングと同じ1600万以下の条件馬での勝利でしたが、その後は勝ち星に恵まれずにオープン昇格することなく条件馬のまま引退しています。
・展開としては、メジロダーリングはレース中3番手につけていたのですが、最終版まで1~4番手までが混戦になっていたのを、中段にいたアプリコットデューに差され、結果的には一歩及ばずにハナ差の2位でした。
・なお後ろから追い上げて5番入線したイカルスドリームが12着に後着処分をくらっています。

去っていった
・ダイタクカミカゼは1998年7月の文月ステークスでオープン昇格して以来、北九州短距離ステークスでアグネスワールドの2着に敗れたのが最高位で、結局は勝利することができませんでした。
・そして2000年7月15日に開催された北九州短距離ステークスで10着に敗れたのを最後に、その走る舞台を地方の高知競馬場に移します。
・なお、7月14日にメジロダーリングの漁火ステークスが開催されていたので、最終レースはその翌日でした。
・その後は移籍直後に2連勝し、結果的には10走して1着3回、2着1回、3着2回と結果を残して引退しました。
・移籍後はダートレースを走り、単距離ばかり走っていた距離も伸ばしたのですが、2400メートルの重賞(高知県知事賞)で勝つなどしており、そちらの方が適性があったのかもしれません。


※次回の更新は3月5日の予定です。  



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第27R 急げダーリング!!  好敵手(ヤマト)は待っている!!


 ──8月後半

(これ以上、遅くなることは許されません……)

 レース開始直前。(わたくし)──メジロダーリングはスタートに備えて一度目を閉じて集中力を高めていました。
 7月の漁火ステークスの後に出走した8月の前半のオープン特別。その結果は再びの2着。惜しいところでまた手が届かなかったのです。

(でも……)

 オープン特別で2着。
 (わたくし)にとっては、オープン(クラス)のレースでは今までで最もよい結果。
 それが確かな手応えと、このクラスのレースでも十分に戦えるという自信になったのです。

(ですから……勝つ)

 目を見開き、スタートに備えます。
 このオープン特別で勝利を収め、再びオープンクラスへと昇格する。
 そしてそこでまた、(わたくし)のライバルと鎬を削るようなレースを展開することができる。

(ヤマトさんをこれ以上待たせるわけにはいきませんわ!)

 8月が終われば9月に入り、秋レースが始まってしまう。
 なんとしてもその前に、(わたくし)はオープンクラスへと舞い戻らなければならないのです!

(とはいえ……)

 なりふり構わず、という気構えであればレースのグレードを下げて自己条件での出走をすればいい。
 その考えが頭を過ぎらなかったわけではありません。
 しかし、そのようなことをしてしまえば、トレーナー様に見限られてしまうことでしょう。

『相生さんの好きな言葉は“初志貫徹”よ。よく変更を許されたわね……』

 とは、当初の自己条件での昇格からオープン特別への出走へ変えた(わたくし)へサブトレーナーの巽見さんが言った言葉ですわ。
 相生トレーナーは私のことを見限るどころか、熱心に指導してくださっています。

『ハードル下げたんならともかく、逆に上げて自分を追い込んでいるんだから、むしろ相生さん好みの道だろ、それ』

 驚きながら不思議そうにしていた巽見さんに、同じ部屋にいて話を聞いていた乾井トレーナー様がそう仰っていました。
 それを信じるのなら、再び変更するようなことがあればトレーナー様に失望されてしまうのは間違いありません。

(なにより、(わたくし)の……いえ、メジロ家のウマ娘としての矜持(プライド)が、それを許しません!)

 今まで中長距離を主戦場としていた我がメジロ家で異端児とも言うべき(わたくし)に、短距離レースという新たな舞台を用意してくださった御婆様。
 それがなければ、中央トレセン学園に来ることさえかなわなかったことでしょう。
 その大きな期待に、今の(わたくし)がしっかり応えられているかと尋ねられれば、けっして肯定などできるものですか。
 メジロ家の新たな道を拓く──家の名を背負う以上はその名に恥じぬように、メジロ家のウマ娘に相応しい立ち居振る舞いというものがあるのですから。

(オープン昇格などという通過点のために、その矜持を捨てるなどありえませんわ)

 より高いハードルを越えることにこそ意味があり、そこで掴んだ勝利こそ価値がある。


 ──ゲートが開いてレースの幕が上がる。


 それを掴むために、(わたくし)は走り出す。




 

 ──9月。

 

 自分のトレーナー室の机についていたオレは、画面に映し出されているレースの映像をジッと見つめていた。

 

 先日開催された重賞レース、セントウルステークスの映像である。

 

 そのレースにはオレの担当しているウマ娘が出走していた。

 芝1200の短距離GⅡレースというレース条件を挙げれば、誰が出走したかすぐに理解できるだろう。

 言わずもがな、ダイタクヤマトだ。

 

「…………」

 

 オレが黙ってみている中、出走した16人のウマ娘はそれぞれに全力で駆け、そしてゴールの前を通り過ぎていく。

 その光景を見て、オレは思わず腕組みをしながら、イスの背もたれに寄りかかった。

 

「7着、か……」

 

 お世辞にもいい結果を残した、とは言い難い成績だった。

 7月の頭に重賞に出走したダイタクヤマトを、オレは予定通りにそれ以降を完全に休ませた。

 8月は重賞が無い上に、そして過酷な気温からレースに出走した場合の体への負担が大きい。

 最近のURAはそんなウマ娘達が出走を避けがちな夏シーズンに、どうにか彼女たちをレースに引っ張り出して盛り上げていこうとしている雰囲気はある。

 

(とはいえ、まだまだ夏の出走を避ける傾向は強い)

 

 夏に合宿をやって実力アップを図ったり、秋レースに備えて調子を合わせるのが“王道”という流れは変わっていない。

 オレもそれに乗ってダイタクヤマトには秋に備えたわけなんだが──こと短距離戦線に関して言えば、昨年とは事情が大きく様変わりしている。

 オレが頭を悩ませているのは、この後のダイタクヤマトの出走計画だった

 

「セントウルステークス、か……」

 

 過去に、オレは他のウマ娘をこのレースに送り出したことがあった。

 そう、ダイユウサクだ。

 当時はまだ条件ウマ娘で、オープン昇格のために必死になっていたころのこと。本当に懐かしい。

 この重賞で3着に入ったことが自信となって、次のムーンライトハンデで勝利してオープン昇格したんだったな。

 純粋な短距離専門(スプリンター)なダイタクヤマトと違って短距離から中距離まで走れたからその前にCBC賞も走ってるし、翌年にはスワンステークスも走っている。

 

(あの年は結果的には最強ステイヤー・メジロマックイーンとかち合う秋の天皇賞を避けて短距離・マイル路線へと舵をきったからな)

 

 9月頭に開催されるセントウルの頃はまだそれを決め切れておらず、それを避けて夏休み明けは得意の2000メートルのレースを走らせた。

 しかし短距離路線と最初から決めていればセントウルステークスやスワンステークスという短距離重賞を走り、マイルチャンピオンシップを経て、12月開催のスプリンターズステークスを最終目標とする。

 それがあの頃の短距離走者(スプリンター)達の進む道だ。

 実際、後輩の朱雀井が担当したウマ娘はその王道を経て、その年のスプリンターズステークスを制している。

 しかし……

 

「……()()()()は事情が違うんだよなぁ」

 

 秋レースのスケジュールが大幅に変わったのだ。

 その影響を特に顕著に受けたのこそ、短距離走者(スプリンター)たちだった。

 昨年まで12月の有記念の前週に開催されていたスプリンターズステークスが大幅に前倒しになり、なんと9月末か10月頭になる週へと開催が変わった。

 

「開催時期の変更はともかく、2ヶ月はあまりにデカすぎる……」

 

 秋レースを戦い続ける中で調子を上げていき、そして最後に最高の舞台を迎える……それがスプリンターズステークスだったのだ。

 例えるなら時期的にも短距離走者(スプリンター)にとっての有記念であり、まさに最強決定戦(グランプリ)なのである。

 それが秋レースの中頃どころか序盤から中盤にさしかかるあたりでの開催に変更になれば、その影響は本当に大きい。

 

「去年までだったら、まだ調子を見る余裕があった」

 

 スワンステークスや といった短距離重賞への出走を重ね、そこでの結果で実力と調子を見極めてスプリンターズステークスへの出走を決めることができた。

 しかし今年からはそれを見極めるべき事前の重賞(プレレース)が少なすぎる。

 

「確かに函館スプリントでは2着だった。だが……」

 

 ハッキリ言ってしまえば、あのレースはメンバーが弱かった。

 開催が夏だったというのもあっただろう。

 しかし今回のセントウルは明らかにメンバーが違う。

 

「ブラックホークやスギノハヤカゼ、マイネルラヴ……重賞をとったり上位に入ってる連中が複数いた。その中でダイタクヤマトは……」

 

 今し方見ていた映像を思い出す。

 ダイタクヤマトは高松宮記念と同じように前の方にこそいたものの、先頭(ハナ)に立てずにそのままバ群に沈んでいった。

 前走の函館スプリントの見る影もなく、彼女の強みをまったく発揮できなかったと言える。

 

「やっぱり先頭(ハナ)をきってこそ、だな。アイツは」

 

 それで最後に追いつかれたという展開だったならともかく、自分のレースができていないのだからそれ以前の問題と言える。

 函館スプリントでできていたものが、出走メンバーが強くなったセントウルでできなかったとなれば、その原因は明快だ。

 

「たとえオープン(クラス)の中でも、実力上位者達にはダイタクヤマトの“逃げ”は通じない……」

 

 オープン特別では勝利し夏の重賞では2着と結果を出しているのだから、そこまでの実力はある。

 しかし重賞常連で、しかも上位に食い込んでくるような連中相手では実力不足なのは、高松宮記念と今回で明らかだった。

 

「そうなるとスプリンターズステークスは回避する、しかないか……」

 

 いくら数少ない短距離(スプリント)GⅠとはいえ、勝ち目のないレースへの出走は避けたいというのがオレの信条だ。

 ましてGⅠは高松宮記念ですでに経験している。経歴に同じ箔を付けるよりも結果を重視するべきだ。

 それにダイタクヤマトが意識している相手(ライバル)のメジロダーリングは、おそらく出走してこない。オープン再昇格のために7月8月と出走を重ねて休まなかった。

 

(ま、それでもキッチリ秋までに昇格させるあたり、さすが相生さんだよな……)

 

 今年は開催時期が早まったせいでスプリンターズステークスには間に合わなかったが、去年までなら十分に間に合っていただろう。

 一方オレはといえば、去年のスプリンターズステークスにダイタクヤマトの昇格を間に合わせることができなかった。

 

(去年のメジロダーリングが昇格直後に出走してるのを見ると、やっぱりさすがの手腕だな)

 

 ひょっとしたら昇格しなていなければスプリンターズステークスに格上挑戦で出走したかもしれない、とふと思う。

 だが実際には彼女は昇格し、おかげで今まさに休養に入っている。実際に前哨戦のセントウルステークスにも出走しなかったのを見るとスプリンターズステークスは回避と見てほぼ間違いない。

 その彼女が出てこないとなれば、ダイタクヤマト自身が「出走したい」と主張することもないと予想がつく。出てくるのなら絶対に「出る!」と言い張るだろうが……

 そう考えれば、まだ実力的に厳しいスプリンターズステークスを回避してオープン特別あたりに出走して貪欲に勝利を取りに行くべきだろう。

 

「……だけど、なぁ」

 

 オレは目の前の端末を叩いて、今後のレース開催計画を眺める。

 10月の終わりに開催のスワンステークスには挑戦したい。

 短距離専門のダイタクヤマトにとってスプリンターズステークスを回避すれば、次のGⅠは来年3月の高松宮記念になる。

 そこにはなんとしても出走させたいし、それに通じる実力を持たせなければいけない。

 そのためにも重賞経験を積み重ねたい、と考えての判断だ。

 

肝心(かんじん)(かなめ)のスワンステークスはともかくとして、問題はそれまでなんだよなぁ……」

 

 開催スケジュールを見てオレはため息をついていた。

 スワンステークスまでの間のちょうどいい開催時期に、ちょうどいいくらいの芝短距離のオープン特別が見あたらなかった。

 そうなるとダイタクヤマトにとってはレース期間が開いた上に、重賞を連戦ということになる。

 

(そこで結果を出せればいいが……スワンステークスでも同じような負け方をすれば、問題はより深刻なことになりかねない)

 

 自分の実力に自信が持てなくなり、一度疑ってしまえば……精神的な枷は本人を長期間苦しめることになる。

 ダイタクヤマトは函館スプリントの好成績で自信を持ったところだろう。その上でのセントウルでの敗北は精神的に堪えているはず。

 スワンステークスでそれを繰り返せば、負け癖がつく事態も十分に予想できる。

 

(思えば、ダイユウサクもレッツゴーターキンも長期の不振(スランプ)があった)

 

 年始に金杯を制したあの年のダイユウサクは、春レースこそ惜しいところはあったものの足の爪をやっ(故障し)てから調子が狂って秋レースも敗戦続き。

 ようやく勝利したのは12月の阪神レース場改装記念特別で、そこでの活躍を認められての推薦で有記念に出走できた。

 そしてレッツゴーターキンは奇しくもそれと同じころに不振が始まって〈アクルックス(うち)〉に来る前からの負けが重なって8連敗にまでなり、1年も勝利から遠ざかっていた時期があった。

 そしてもしも次、同じような負け方をすればダイタクヤマトにも同じことが起こりかねないとオレは危惧している。

 

「だからこそスワンの前には一度走っておきたいところなんだが……」

 

 思わず頭をかきむしってしまう。

 このまま悪いイメージのままでスワンステークスに出走させたくなかった。

 しかし出走できるレースがない。1200の条件戦の開催はあってもダイタクヤマトは出走できないからどうしようもない。

 いったいどうしたら……いっそ、スワンステークスを回避してオープン特別に出すか?

 

「いや、それは弱気すぎるだろ」

 

 短距離の重賞だってそんなに数があるワケじゃない。

 スワンステークス以外にはCBC賞くらいしか秋の短距離重賞はない。

 高松宮記念だって、春レースでは早い方に開催されることを考えれば、秋での重賞出走は必要だし重要だ。

 逆に、もしも秋の重賞で結果を出す──少なくとも実力上位の連中相手にも通じるという確信が得られなければ、来年の高松宮記念出走も考え直す必要が出てくる。

 

(そうなると……)

 

 オレは思わず拳を握りしめていた。

 その先──来年の秋となってしまえば、はたしてダイタクヤマトは走れるだろうか?

 今のままならオープン特別くらいなら十分に通じる実力を持っているし、勝てる見込みはある。

 しかしその上の重賞を勝つウマ娘になるには、さらに一つ上の高みに昇る必要があるとオレは感じている。

 そう、あと少し……ほんの少し、なにかが足りていない。

 

(……それを補う“なにか”を探すにしても、問題はダイタクヤマトの年齢だ)

 

 彼女の同期たちは中央(トゥインクル)シリーズを引退し始めている。ライバルと言っているメジロダーリングも、彼女から見れば2つも期が下の相手である。

 彼女自身も成長線がいつ頭打ちになり、それどころか下り坂に入ってもおかしくない。そんな年代だ。

 

(ダイタクヤマトは今年の秋の重賞に出られなくて、来年のスプリンターズステークスに出られるか?)

 

 そう考え──オレは、決意する。

 勝負をかけるなら今しか、無い。今年の秋に勝負を仕掛けなければ、ダイタクヤマトはここまでのウマ娘ということになってしまうだろう。

 そうなるとますますスワンステークスの重要度が増す。

 そうなんだが……となればやっぱりセントウルの後に一度も走らせずにスワンステークスを走らせたくはない。

 

「………………いっそ、発想を逆にしてみるか」

 

 スワンステークスの前にダイタクヤマトが走れる可能性のあるレースが、一つだけある。

 そう、スプリンターズステークスだ。

 もちろんオープン特別とは比べものにならないほど難易度は高くなるし、セントウルの二の舞──高松宮記念を入れれば三の舞──になる可能性はかなり高いと言えるだろう。

 だが……

 

「仮に同じように先頭(ハナ)に立てず、手も足も出ないで負けたとしても精神的なダメージは少ないはず」

 

 セントウルステークス以上の実力者が集まる、まさに今の短距離走者(スプリンター)の最高峰が競うレースになるのは間違いない。

 いってしまえば「負けて当然」「ダメもと」というヤツだ。

 それよりも、そんな最高峰のレースを走ること自体がダイタクヤマトにとって良い経験を積むことになるはず。

 それがスワンステークスにつながり、そこで結果を残せれば……さらにその後につながっていくはず。

 正直な話をすれば、そういう出走のさせ方はオレの「勝機が全くないレースには出さない」という信条に反するからしたくはない。

 レース最序盤で抜け出して先頭(ハナ)に立つコツを掴めれば、ダイタクヤマトは──

 

「……待てよ?」

 

 考えにふけっていたオレは、あることに気がついた。

 高松宮記念に、今回のセントウルステークス……ダイタクヤマトは一度も先頭(ハナ)に立っていない。位置的にも“逃げ”たとは言えないような展開だった。

 そして函館スプリントステークスは先頭(ハナ)に立ったが……強豪ウマ娘は出走していなかった。

 つまり──

 

「……勝算が“無い”わけじゃあない、な」

 

 オレは思わずニヤリと笑みを浮かべていた。

 ダイタクヤマト本来の走りがGⅠで通じるかどうか──そこにオレは“ごく僅かな勝機(見えぬ輝き)”を見つけたのだった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「しかしさすがダーリング殿ですね。早々と昇格を決めたんですから」

「そんなこと……本来であれば、7月のオープン特別で決めておくべきでしたわ」

 

 学園内の廊下を私──ダイタクヤマトはダーリング殿と歩いていました。

 彼女が約束通りにオープンクラスへ再昇格したことは本当に嬉しく思わず笑顔になってしまいますが、対照的に彼女の表情は曇っていました。

 

「8月を休養に当てられれば、間に合ったかもしれませんのに……」

「間に合う? 何にでしょうか?」

「決まっていますわ。秋の短距離GⅠ、スプリンターズステークスです。(わたくし)短距離走者(スプリンター)にとっては当然の目標ではありませんか」

 

 曇っていた表情を不満げなものへと変えるダーリング殿。

 

「よりにもよって今年から開催日を2ヶ月も前にするだなんて……ついていませんわ」

 

 今年は重賞のスケジュールに大改訂があり、特に例年12月──ジュニアのGⅠと有記念の間の週に開催されていたスプリンターズステークスは、10月の頭に開催と大きな変更がなされたのです。

 でも、それを聞いたときに私が思ったのは──

 

「2ヶ月も間があったら、もっと調整も楽だったでしょうね……」

 

 ──スプリンターズステークスに出走した翌週に有記念へ出走したダイタクヘリオスさんのことでした。

 もしも次週の有記念を考慮しなくてよかったら、思い切った走りでスプリンターズステークスを制したかもしれない。

 もしも前週にスプリンターズステークスを走っていなければ、有記念を逃げ切ったのはメジロパーマーさんではなかった可能性だって……

 

「まったくですわ。今までとのあまりの差に、去年出走された皆さんも調整を苦労しているという話をよく耳にしますもの」

 

 その勝者と同じメジロ家出身のダーリングさんは、どうやら私の独り言を勘違いされている様子。

 独り言を聞かれてしまった気恥ずかしさと、ストレートに不満をぶちまける彼女の姿に思わず苦笑をしていまいます。

 

「そういえばダーリング殿は、去年()出走しているんでしたね」

「その通りですわ。ですが今年は誠に残念ながら観戦するしか……」

「では、今年は私と立場が逆転ですね」

 

「……はい?」

 

 私が言うと、驚いた様子でギュンと勢いよく首をこちらに向けてくるダーリング殿。

 その剣幕に驚いてしまうわけですが──

 

「ど、どういうことですか!? ヤマトさん!!」

「どういうもなにも、今年のスプリンターズステークスに私は出走する予定で、逆にダーリング殿は出走しないとのことでしたので……」

「それですわ! なんで!? どうしてスプリンターズステークスに出走を? そうと知っていれば、(わたくし)だって……」

 

 さっきまでの不満顔から一転、絶望的なまでに悲しげな表情へ変えたダーリング殿。

 彼女が言うにはトレーナーの相生さんが「セントウルの結果を見れば出てこないだろう」と確信し、裏付けるように巽見さんも「先輩の信条を考えたら出しませんよ」と言ったので回避が決まったそうです。

 おかげで10月までの休養になっていたようですが……

 

「今からでも遅くありませんわ! (わたくし)もトレーナー様に直訴して出走を──」

「さ、さすがにそれは間に合わないんじゃないかと思いますが、ダーリング殿」

 

 相生トレーナーの下へと駆けようとするダーリング殿を必死に引き留めることになったのでした。

 まぁ、それから彼女からは泣きそうな顔で「ズルいですわ」「あんまりですわ」とさんざん言われることになったのですが……

 




◆解説◆

【急げダーリング!!  好敵手(ヤマト)は待っている!!】
・今回のタイトルは本章第19R「急げヤマト!!  好敵手(ダーリング)は待っている!!」の対となるもの。
・その割にはダーリングの昇格シーンをカットしているような……
・それは主人公とそうでないウマ娘の差と言いますか、ここでダーリングに視線をズラしてしまうのはあまりにも横道にそれ過ぎてしまう感があるのでサラッと流しました。
・あまり寄り道している暇もなくなってきたので……

セントウルステークス
・今回のレースに該当するモデルは、2000年9月10日に開催された第14回のもの。
・例年通りの阪神競馬場芝1200で開催。当日の天気は晴れの良馬場。
・優勝したのはビハインドザマスク。1996年生まれでメジロダーリングの同期。
・この年の6月にオープン昇格して、本章で何かと縁のある北九州短距離ステークスにオープン特別に初挑戦して勝利。その後の小倉日経オープンでも勝利して3連勝で重賞初挑戦。
・前年と前々年のスプリンターズステークス覇者やら強敵たちを破って初挑戦で重賞制覇。
・新進気鋭の実力者となり、4連勝という絶好調の状態で晴れてスプリンターズステークスへと駒を進めることになります。
・そして2着は前年のスプリンターズステークス覇者であるブラックホーク。3着は出走馬中最高齢(93年生まれでエアグルーヴやシンコウウインディが同期)だった古豪スギノハヤカゼ。
・4着には前々年(98年)のスプリンターズステークス覇者のマイネルラヴが入りました。
・なお、セントウルステークスについての解説はこちら
・そこにある「2000年から1200になった」という、まさにそのレースがコレでした。
・それ書いてる当時はそのレースに触れるなんて思ってもいませんでしたが。

大幅に変わった
・この変更、地味にウマ娘だと困る話なんですよね。
・2000年よりも前に活躍した競走馬だと、今の開催時期とあまりにも違い過ぎて、ゲーム版だとかなり違和感があります。
・例えばダイイチルビーとか……史実をなぞればマイルチャンピオンシップで負けた悔しさをバネにスプリンターズステークスで勝利、という感じなのに順番完全に逆になりますからね。
・シンデレラグレイだと昔のスケジュール通りに話が進むのですが。
・なお、本文中に出てくるCBC賞ですが、ダイユウサクの時は6月開催で2000年は12月開催になのですが、変わったのは1995年からでこの時のスケジュール改編は関係なかったりします。
・しかも2006年以降は上半期の6月や7月の開催に戻ってるし。

昇格
・メジロダーリングは8月の最後になる札幌開催のオープン特別、キーンランドカップで勝利して再昇格を果たしています。
・前の3レースが3着、2着、2着と惜しかったので無事に昇格出来てなによりですね。
・そして2か月で4レース走って無理をさせたので休養に入りました。次のレースは10月の終盤となります。


※次回の更新は3月17日の予定です。  



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第28R ヤマト、あの太陽を見よ!


 スプリンターズステークスの開催を前に、セレモニーが開催されていた。
 居並ぶ出走者に対し、インタビュアーのマイクが向けられる。


 ──今回のレースに対する意気込みをお願いします。


「当然、この私──キングに相応しい栄冠、春秋短距離(スプリント)GⅠ制覇以外にありません」

「今年このレースの連覇を狙えるのは去年勝ったあたしだけ。高松宮は節操なしに走るウマ娘(ヤツ)に持って行かれたけど、こっちにも短距離専門(スプリンター)としての矜持(プライド)があるんで。なんでも屋に好き勝手させる気は無い」

「去年は他に持って行かれたけど、今年こそその座を奪還して一昨年以来の座に返り咲くよ。捲土重来ってヤツだね」

「ニホンのウマ娘として海外でGⅠをとってるのに、地元(ニホン)のGⅠをとってなかったらカッコつかないじゃない? 誰が芝1200の最速記録(レコード)を持ってるか、教えてアゲるワ」

「4連勝中で調子も良い。セントウルでは強敵も下しているし、勝つ自信はある」

「重賞の中でもGⅠは別格さ。年に二度しかない短距離走者(スプリンター)の最強決定戦、ノドから手が出るほど欲しいのは誰も同じ。当然、貪欲に狙っていく」

「名前からしてまさに短距離走者(スプリンター)の為のレース。まして今回は周囲もオールスターのようなメンバーで、短距離走者(スプリンター)の1人としてあこがれの舞台に立てただけでも光栄です」


 そして…………


「勝ちたいですね。自分の憧れる先輩が、どうしても取りたがっていたレースですから」

 ──憧れの先輩?

「はい! そのウマ娘(ひと)が憧れたウマ娘と名前を並べたくて、どうしても勝ちたかったレースだそうです。翌週の有記念にも出走する予定だったのに」

 ──それはハードなスケジュールですね。

「今年からはそうはなりませんけどね。残念ながらその方は栄冠を掴めなかったんですが、その想いを受け継ぎたい……誰かがそれをやらねばならないと、期待されるウマ娘でありたいと思っています」


◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 例年と変わった年間スケジュールの影響でかなり早い開催になった短距離ウマ娘の祭典を前に、世間の注目も集まっていた。

「やっぱりキングヘイローだよな。高松宮記念制覇も感動したけど、今までの努力が報われたのはやっぱり嬉しいわ」
「いやいや短距離専門(スプリンター)のウマ娘からしてみれば、あのレース結果は忸怩たるものがあっただろ、絶対に。死にものぐるいで取り返しに来るだろうから、さすがのキングも厳しいんじゃないか?」
「出走メンバーが豪華だもんなぁ。去年と一昨年ののスプリンターズステークス覇者に、去年と今年の高松宮記念ウマ娘が揃い踏みだぞ?」
「それに加えてジュニアとクラシック限定とはいえGⅠウマ娘がそれぞれ1人。さらには海外GⅠを制した現在(いま)の芝1200記録保持者(レコードホルダー)まで……他の出走者だってほぼ重賞勝利経験者しかいない。こりゃあ本当に誰が勝つか分からんぞ」

 そんな強者しかいない、まさに短距離走者(スプリンター)最強決定戦となった今回のレース。
 そんな中で…………

「オイ。この人気薄になってるウマ娘って、たしか……」
「ああ、()()〈アクルックス〉所属だよな、たしか」
「ゲエェーッ! ってことはヤバいんじゃないのか? もしも人気が下位も下位になったら割と本気で」
「落ち着け落ち着け。『ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)』がガチで勝ちを狙ってるときは目立たないように当たり障りのないコメントさせているんだぜ」
「じゃあ、今回は?」
「思いっきり“勝ち”を意識してるコメントだな、コレは」
「ってことは……なるほど、トレーナーも本気じゃないってことか」
「短距離ウマ娘なら誰でも出走したいレースだしな。とはいえ高松宮でも完全に力負けしてたし、春から夏にかけて好走もしていたとはいえあれはメンバーが弱かったから」
「確かに。で、セントウルでの良いところなしの7着だからな。望み薄──というか、まぁ、勝ちはないだろ」
「そもそも、オラシオン以外の〈アクルックス〉メンバーによる“驚愕(ビックリ)GⅠ制覇”なんてタケノベルベットのエリ女が最後だぞ。何年前の話だよ?」
「だよな~。《ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)》もネタ切れになって今や完全に《空き箱(エンプティ・ボックス)》だもんな」
「そうそう。それに“絶対的一強”相手ならともかくこれだけ豪華メンバーが揃っていたら“万が一の勝利”なんて起こりえないって……」

 向き合って「アハハ」と笑い合うファン達。
 その考えはどうやらほとんどのウマ娘競走(レース)ファンは同じだったようでネットの掲示板でも同じような会話が繰り広げられていた。
 その結果、レース当日の出走メンバーの人気は1番人気のアグネスワールドに集まりつつも、上位伯仲といったところ。


 そして……誰も勝つとは思っていないダイタクヤマトの人気は、出走メンバー中で最も低いものになってた。



 

 ──10月頭。

 

 スプリンターズステークスが開催される地にに〈アクルックス〉メンバーはやってきていた。

 もちろんトレーナーであるオレも同伴し、そのメインスタンドの最前列に陣取っている。

 そして、その前の走路側には今日の主役側のウマ娘が立っていた。

 

 

 青と灰色の配色にされた、海軍制服をイメージした勝負服。

 上からぴょこんと耳が飛び出た軍帽は彼女の真面目な性格を顕しているかのよう。

 そしてそれは一直線に切りそろえられた前髪もまた同じであり……

 長く伸ばした後ろ髪は、10月の爽やかな風になびいている。

 

 

 ダイタクヤマト。

 オレが担当している競走ウマ娘であり、師匠(おやっさん)が残したチーム〈ミモザ〉の現トレーナーである(あか)子矢(しや) (れい)()トレーナーから預かったウマ娘だ。

 当時は条件ウマ娘で、オープンクラスまであと少しといった場所にいた彼女も無事に昇格して約1年。

 全力を尽くして昇格したせいで去年は見送るしかなかった短距離走者(スプリンター)の夢の舞台に、今年はこうして立つことができたことはオレも感慨深いものがある。

 その一方で──

 

「ああ、どうしてこの舞台に、(わたくし)が立てていないのですか……?」

 

 チーム(〈アクルックス〉)メンバーの集まっているすぐ横に陣取った、緩く波打った髪を後頭部で束ねてウマ娘の尾のように垂らしたウマ娘がもどかしそうに、そして悔しそうにこの舞台を見つめている。

 そんな彼女、メジロダーリングは直前までオープン昇格のために頑張ったがために披露を考慮してこの大舞台を回避したのは、皮肉なことに去年のダイタクヤマトと同じであった。

 

「こんなことなら去年ではなく、今年に出走したかったですわ!」

「まぁまぁ、ダーリング。来年の高松宮とかこのレースで競い合えばいいじゃない」

 

 そう言って苦笑しながら彼女をなだめているのは、同じメジロ家のウマ娘のメジロパーマー。

 彼女を含めて、彼女の同期の某マックイーンやらそれ以外にも某モントレーを相手に大事な大事なGⅠレースで“下克上”をやらかしているウチのチーム(〈アクルックス〉)

 そんな経緯でメジロ家にはたいそう評判悪いらしく、最重鎮であらせられメジロのウマ娘達からは“御婆様”と慕ったり恐れられている存在から、オレは蛇蝎のように嫌われているらしい。

 さっきメジロパーマーから挨拶されたとき、彼女がこっそり『実はダーリングってば、〈アクルックス〉に入りたいと言い出して御婆様に大反対されて断念したんですよ』なんて言いながら教えてくれた情報だ。

 

(メジロダーリングも「さすが御令嬢」と思えるくらいに気遣いのできる、()()()ウマ娘だからな。先輩達に気を使ったところもあるんだろ)

 

 メジロパーマーはレッツゴーターキンに秋の天皇賞を持っていかれたのを気にしていない様子だが、メジロモントレーはサンドピアリスに負けたのを悔しがっているのは聞いたことがある。

 

(だが一番の問題はやっぱり……アレだろうな)

 

 奇しくも今日の舞台である中山レース場で開催された()()レース。

 オレの隣に立つ、茶髪(鹿毛)の長い髪を後ろに流しておでこが強調された髪型のウマ娘、ダイユウサク。

 彼女が一躍有名になったレースもまたこのレース場で行われたのである。

 重賞勝利こそしていたものの推薦枠で出走した不人気ウマ娘に、圧倒的な人気を受けて本命視されていたメジロマックイーンが負けたレースであり、メジロダーリングでなくともそこは気を使うことだろう。

 むしろウチのチーム(〈アクルックス〉)に入りたいとか言ってる時点で、だいぶアウトな気がするけどな。

 

「うぅ、でも人気が一番下だなんて……誰からも期待されてないんでありますかね?」

「人気なんて気にする必要ないわよ、ヤマト」

「珍しく意見があるじゃねえか、ダイユウサク。そうだぜヤマト。あんなもん、どんなに高かろうが何の意味もなねえ。人気でハンデがつくわけでもなければ、枠が外や内に変わるわけでもねえんだ」

 

 一方、そんなメジロ家の方々を気にすることなく、チームメンバーの前に立っているダイタクヤマトに声をかけたダイユウサク。

 そんな彼女同調したのはギャロップダイナだった。年齢的には一番上だがダイタクヤマトと同じようにチーム〈ミモザ〉から移籍してきた形になっているのでチーム最古参というわけではない。

 まぁ、オレとの付き合いが一番長いのは間違いなく彼女になるけど。

 

「……とか言ってる割に、なんでダイユウ(ねえ)さんもダイナ(ねえ)さんも楽しげに満面の笑み浮かべてんスかね?」

「それは御二方のGⅠで一番低い人気が下から2番目(ブービー)で、ヤマトさんがそれを下回ったから、でございましょう」

 

 先輩二人に遠慮なく胡乱げなジト目を向けていたロンマンガンに、律儀に答えた後輩ウマ娘は案の定、ダイナから「あ? おタケ、お前──」と怒られている。

 

「言ってることはその通りなんだけどね。人気が高くても有利なワケじゃないし……」

 

 小鳥の尾羽根のように後頭部で束ねた髪がピンと延びた髪型のウマ娘が、目元を覆う黄色い覆面の奥で苦笑気味に目を細めていた。

 今も車椅子に座った彼女──ミラクルバードは将来を有望視された競走ウマ娘だった。

 

「オイ、聞いたかダイユウサク。あの焼き鳥娘、事故るまで負けたことがねえからって上から目線だぞ」

「コン助……」

 

 ウチのチームのウマ娘では少数派である『GⅠで一番人気になったことがある』側からこその、そちら目線での感想といったところだろう。

 

「そ、そんなことないけど……」

 

 2人の先輩に詰め寄られて苦笑するミラクルバード。

 彼女が競走ウマ娘であることを失うことになった事件の現場もまた、奇しくもこの中山レース場であり、ここで開催された皐月賞だった。

 

(見たところ、心的外傷(トラウマ)もなくなったようだな……)

 

 スタッフ育成コースへ転科した彼女の助力を受けながらダイユウサクを担当していた頃は、あの有記念まで中山でのレースを選ばなかったのは……ま、偶然ってヤツだな。そういうことにしておいてくれ。

 ともあれ、ミラクルバードにとって辛い思い出の場だった中山のイメージを払拭して、こうして元気にこの場にいられるのはダイユウサクの有記念と──

 

「お二人とも、バード先輩をいじめないでください。それに人気なんて意味がないと自分で仰っていたじゃないですか。私もそう思いますよ……勝ってしまえば関係ない、と。ねぇ、ピアリス?」

 

 後ろからの聞き覚えのある声に、メンバー全員が振り向く。

 

「え?」

「今の声……」

「ええ、あっしが聞き間違えるはず無い。紛れもなくヤツです」

「えぇ!? まさか……」

 

 彼女に名前を呼ばれたサンドピアリスが驚いた様子でそのウマ娘を見つめる。

 服装こそ大人びたスーツスタイルだったものの、艶やかな美しい黒髪(青鹿毛)をボブカットにした在籍当時のままの髪型で現れたのは──

 

「オーちゃんッ!?」

「シオン!!」

「シオンちゃん!?」

 

 彼女と一番つきあいの長いミラクルバードと、共に切磋琢磨したロンマンガン、サンドピアリスから名前を呼ばれ、彼女はかけていたサングラスを外す。

 オラシオン。

 かつて〈アクルックス〉に所属しており、間違いなくウチのエースだったウマ娘。

 他のメンバー達が数少ないGⅠ出走の機会をつかんで一躍名をとどろかせたのと違い、天与の才をさらに伸ばして多くのGⅠを制した“時代を創った”側のウマ娘。

 その中の一つに皐月賞があり、それをミラクルバードの目の前で見せつけたことで、彼女の心的外傷(トラウマ)克服に貢献していた。

 今回、ここまでサングラスなんかをかけて顔を隠してきたのも騒ぎになるのを避けるため。ブームを起こし、そして短期間で風のように競走(レース)界から去った彼女の存在は一部では伝説的にまでなっている。

 彼女の名前にあやかって名付けたウマ娘の親も多かったらしい。

 

「こ、この方が、あの……」

 

 緊張するダイタクヤマト。

 早々と引退し、養父の家業を手伝って広告塔として活躍している彼女は多忙だった。

 おかげで今の今までOGであるにもかかわらず、ダイタクヤマトとの面識がなかったのだ。

 

「はじめまして、ダイタクヤマトさん。活躍は拝見させていただいているし、遠くからながら応援させてもらっていました。今日もがんばってくださいね」

「は、はい……」

 

 オラシオンが差し出してきた手をダイタクヤマトがつかみ握手をする。

 そして手が離れると、オラシオンは胸の前で手を組んでスッと膝を付いた。

 

「彼女に、三女神の祝福があらんことを……」

 

 目を伏せ、祈りの祝詞を呟くオラシオン。

 その姿にダイタクヤマトは感激した様子だった。

 

「あ、ありがとうございます! オラシオンさんに必勝祈願していただけるなんて……」

「いえ、むしろ略式で申し訳ありません。あまり時間をとるわけにもいきませんでしたし。()()祈願と言われるほどでは……」

 

 彼女のレース前のルーティーンとして有名だった“祈り”。

 それがポーズなだけではなく彼女は正式な三女神教の神官位を受けた修道女(シスター)であり、現役時代の勝負服も修道服を元にデザインされたものだった。

 

「忙しいところ悪かったな、オラシオン。来てくれてありがとう」

「まったくです、と言いたいところですが、かわいい後輩のためですからね。それに連れてきてほしいと言われれば……」

 

 オレが礼を言うと、オラシオンはそっぽを向きながら答えた。

 その様子を見てミラクルバードは苦笑を浮かべる。

 

「まったくオーちゃんは相変わらずトレーナーに素直じゃないんだから……」

「そ、そんなことありません!」

「ところでトレーナーは誰を連れてきてって言ったの? トカちゃん……はいないみたいだけど」

 

 ミラクルバードの言う「トカちゃん」とは、オレの下で研修生としてついていた渡会(とかい)というトレーナー候補生だった人のこと。

 トレセン学園のスタッフ育成コースに所属していたのだが、卒業するとトレーナーの道には進まずにオラシオンと一緒に彼女の養父の家業を手伝うことになったのだ。

 

「あの人のことなんて……知りません!」

「あれ? 喧嘩でもしたの?」

「おおかた、トレーニングと称して若い別のウマ娘に浮気してるのがバレたんだろ?」

 

 オラシオンの反応に首を傾げるミラクルバードに、ニヤリとからかうような笑みを浮かべたギャロップダイナが加わる。

 

「違います!! それに相手は“若い”どころか“幼い”ですよ!? 学園に入る前の年齢なんですから……手を出すなんてあり得ません!」

 

 それにムキになって否定してしまったら、肯定しているようなものだぞ?

 特にダイナが相手なんだから……案の定「しっかり嫉妬してるじゃねーか」と呆れとからかい半々の笑みを浮かべている。

 

「と・に・か・く、違いますから。連れてきたのは彼ではなく──」

 

 相手にするとドツボにハマっていくのは現役時代の経験から学んでいたらしい。

 話題を強引に変えるべく、オラシオンはそう言って足下に視線を向けた。

 全員がつられて視線を下げる。

 

 

 ──そこには、段ボールが1箱置いてあった。

 

 

 それもそれなりの大きさである。

 具体的に言えば、身を屈めた人が一人入れそうな程。

 しかも微妙に動いているようで……

 

「……なんか、ものすごく見覚えのある光景なんだけど」

「奇遇スね、パイセン。あっしもそうですわ」

「ったく、相変わらずだよな、アイツは……」

「ボクはむしろ懐かしいって思っちゃうよ」

 

 

 ダイユウサクとロンマンガンにギャロップダイナ、さらにミラクルバードがそれぞれジト目、呆れ顔、イラつき顔、苦笑を浮かべてそれを見つめている。

 一方、他のメンバー……連れてきたオラシオン以外はピンとこない顔でこの不審物を不思議そうに見つめている。

 あぁ、そういえばサンドピアリスがチームにきたのはアイツが出た後で、在籍が重なってなかったな。

 一方で、もう一人のこれが何か分かっていないウマ娘はといえば、サンドピアリスがどこか警戒しているのとは対照的に、飄々とした様子で無警戒に近いていく。

 それが唯一、近づいた存在なわけで──

 

「お久しぶりですッ! トレーナーさん!!」

 

 ──誰かが近づく気配を感じたダンボール箱の中にいた存在が勢いよく箱を開け、バッと飛び出した。

 両手を挙げて立った彼女と──近づこうとしていたウマ娘の目が合う。

 だが……面識のない2人は、お互いにポカーンとした様子で見つめ合うしかなかった。

 

「あの、その……あぅ……ええと、どちら様……でしょうか?」

 

 あたふたしながらも尋ねる、箱から出てきたウマ娘。

 オドオドした様子は「相変わらずだなぁ」と思ったが、自分から声をかける姿には「成長したなぁ」と思ってしまう。

 それに対して、尋ねられたウマ娘はといえば、いつも通りの様子で慇懃なまでに優雅に頭を下げて──

 

「問われて名乗るも烏滸(おこ)がましいですが、乾井トレーナー様の最終兵器彼女とはワタシのこと。その名をタケノ──」

「……おい、アイツ自分をしれっと“彼女”とか言ってるぞ」

「相変わらず命知らずッスね。どうします? ダイユウ(ねえ)さん」

「なんでアタシに振るのよ……」

「なんでって……一番怒りそうなの、ダイユウ先輩なのにねぇ」

 

 よりにもよって歴代ナンバー1の変わり者と接触してしまったそのウマ娘が救いを求めるように知っているメンバーを見たものの、その連中は完全に他人事の傍観者と化している。

 その状況に今にも泣き出しそうな表情になった彼女にオレは──

 

「久しぶりだな、レッツゴーターキン」

「と、トレーナーさぁぁん!!」

 

 ──声をかけるや、一杯一杯になったウマ娘に無我夢中で力一杯に抱きつかれることになったオレは、危うく担当ウマ娘の晴れ舞台が始まる前に病院送りにされそうになった。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「これで〈アクルックス〉メンバー勢揃いだな……まぁ、渡会(とかい)がいないのはもちろん分かっているが、ウマ娘は全員揃ったな」

 

 居並ぶウマ娘達を前にトレーナー殿はそう言いました。

 普段のメンバーに加えて、私が初対面な方が2人。

 とはいえ、どちらも名前と顔は知っているのです。

 オラシオンさんは活躍時期が短いとはいえ一時代を築かれたウマ娘ですからね。

 

「そういえば、オーちゃんのことを映画にするって話はどうなったの?」

「え? そ、それはその……」

「あ~、それ知ってるわ。たしか某テレビ局の開局周年記念作品で撮影するヤツっスよね? 主演は女優やってるメリーナイス先輩と発表したら、熱烈なシオン信者から『オラシオンは黒髪(青鹿毛)なのに、茶髪(栗毛)選ぶとかありえない!』『原作ならぬ現実改変!』とか散々言われてた気が……」

「そうなんです。撮影は始まっているみたいですけど、先輩には本当に申し訳なくて」

「それならシオンちゃんが自分で出ればいいのに」

「そんなの無理です!! 演技なんてできませんし、そもそも私を題材にした映画がつくられると聞いただけでもどれだけ恥ずかしいことか」

「なら、なんで許可したんだよ?」

「あまりにも熱心に話を持ってくる方がいたので、断り続けるのも申し訳ないと思って、つい……」

 

 尋ねられ、申し訳なさそうに答えるオラシオン先輩。

 

「でも、忙しそうなのによく来られたわね」

「“後輩の晴れ姿を見に来てくれ”とトレーナーさんから頼まれましたから」

「トレーナーに?」

「はい。それとターキン先輩のことも連れてきて欲しい、と。同じ北海道にいるから頼むと言われまして……」

 

 そう言って先輩は、居並ぶ中で端っこの方にまだどこかオドオドした様子で立っているレッツゴーターキン先輩をチラッと見ました。

 

「あぅ、その……すみませんでした。お手数をおかけして……」

「先輩は気にする必要ありません。しかしトレーナー、貴方は簡単に“同じ北海道”と仰いますが、道内は広いんですからね? 他の県と一緒の感覚で言わないでください」

「それは、すまなかった」

 

 オラシオン先輩に詰め寄られ、トレーナー殿は申し訳なさそうに頭を下げていました。

 

「しかしビジョウ、なんでまた優等生やらターキン呼び寄せて“全員集合”なんてさせたんだ? ひょっとして……なにか企んでやがるのか?」

 

 トレーナー殿を()ジョウ()と呼ぶダイナ先輩が楽しげにニヤリと笑みを浮かべて問いました。

 一方、問われたトレーナー殿はといえば──

 

「なにも企んじゃいないさ、ダイナ。短距離専門のコイツ(ダイタクヤマト)が出られるGⅠはスプリンターズステークスか春の高松宮記念くらいだ。だけど高松宮記念は中京開催。中山開催の今回の方が集まりやすい……ただそれだけさ」

 

 ──そう言って、皆の注目を避けるように視線を逸らしながら答えます。

 

「なるほどなぁ。そりゃあ確かに理屈は通ってる。全員で名古屋にお泊まりできるほどウチのチームもビジョウも(ふところ)は熱くは()えのは確かだ。最近は随分と世間様を“驚愕(ビックリ)”させるのをサボっちまってるからな」

 

 苦笑を浮かべたダイナ先輩がロンマンガン先輩、ピアリス先輩、おタケ先輩といった面々を「オマエらがだらしねえからだぞ?」と言わんばかりに一瞬だけ厳しい目で睨みました。

 ……もちろん、私もその中に入っていたわけですけど。

 

「わかったぜ、ビジョウ……ま、そういうことにしとくわ」

 

 そんなトレーナー殿の答えにさも楽しげに、そして意味深にニヤリと口を歪めるダイナ先輩。

 その様子をにトレーナー殿は苦笑を浮かべます。

 

「学園から近いというのはなにもオレ達(〈アクルックス〉)を集めやすいってだけじゃないからな。他のゲストも呼ぶのにも中山なら気軽に声をかけられる。まぁ、東京程じゃあないが……」

 

 そう言ってトレーナー殿が向けた視線の先にはウェーブのかかった髪を後頭部で束ねた、チーム外のウマ娘──ダーリング殿の姿がありました。

 

(わたくし)出走()られないのは本当に無念ですが……がんばってくださいまし。(わたくし)の分までも」

「当然でありますよ、ダーリング殿」

 

 む? ということはダーリング殿を呼んだということでしょうか?

 今まで他の〈アクルックス〉メンバーに気を使って声をかけてきませんでしたが、確かにダーリング殿は観客席のチーム関係者ゾーンにいます。

 でも、ダーリング殿なら声をかけずとも見に来てくれたような気がしますが……

 

(それこそ中山レース場という近場の開催ですし)

 

 そしてその横には……場違いなところにいる様子で落ち着かないような、どこか気まずげな苦笑を浮かべたメジロパーマーさんがいらっしゃいます。

 レッツゴーターキン先輩を見かけた彼女は少しだけホッとした様子で話しかけていました。

 

「久しぶりだね、ターキン。元気そうで安心したよ」

「ぱ、パーマーさん!? あ、あの、その……そちらもお元気そうで、なにより……です」

 

 話しかけられた先輩は、驚いた後は消え入りそうな音量へと下げていきつつペコリと頭を下げると──側にいた別の先輩の影に隠れてしまいました。

 その影に入ることになったのはウチではパーマーさんと縁のあるもう一人の先輩──ダイユウサクさんでした。

 

「ちょ、ちょっと人を盾にしない……あぁ、もう。ターキンは相変わらずね。で、パーマーはどうしてここに? ウチのトレーナーに呼ばれたの?」

「理由は2つ、かな。1つはダーリングの引率」

「引率? 連れてこられないと中山(ここ)にたどり着けないほど方向音痴なの? この()

「そんなお前やコスモドリームみたいなのが他にいてたまるか……ッ!?」

 

 すかさずツッコんだトレーナー殿のわき腹に先輩が繰り出した拳がいい感じに(クリーン)ヒットして、黙らせれました。

 

「違う違う。どうしてもスプリンターズステークスを見に行きたいと言うダーリングが御婆様から厳命されたんだよ。『十把一絡げの有象無象ではなく“勝者”の走りを見て学んでくるように』って。そのお目付役というか……」

 

 そう言ってパーマーさんは苦笑し、トレーナー殿をチラッと見ます。

 

「アナタのところの“御婆様”には、ウチのチームは随分と嫌われてるから」

「まぁね。その原因の一端は私にもあるんだけど……」

「で、もう一つは?」

「それは、そちらのトレーナーさんが呼んだ“ゲスト”から一緒にいこうって誘われたからなんだけど……」

「「ゲスト?」」

 

 思わず声が重なる。

 

「うん。現地集合にしたから少し遅れてるみたいだけど……ああ、来たみたいね」

 

 パーマーさんがそう言って振り返る。

 そこには──彼女に向かって大きく手を振って笑顔を浮かべているウマ娘がこっちへ向かってきていた。

 

「え……?」

 

 思わず、私の口から声が出てた。

 黒髪に青の差し色を入れたその特徴的な髪をサイドポニーにした姿を、忘れるわけがない。

 そのどこまでも明るい太陽のような満面の笑みを、この私が見間違えるはずがない。

 だって、なぜならそのウマ娘(ひと)は私にとって──

 

「ウェーイ、パマちん。遅れてゴメンね」

「全然オッケー。ちゃんと時間に間に合ってるし」

 

 駆け寄ってパーマーさんとハイタッチをする。

 

「あ、パイセン。どーもッス。ダービー前はお世話になりました」

「お~、ロンちゃんじゃん。最近どーよ? 爆逃げしてる?」

「いや~、あっし逃げ専じゃないッスからね。なんでも屋(オールラウンダー)なもんでなかなか……」

 

 ロンマンガン先輩がオラシオンさんに対抗するために、ダイユウサク先輩の伝手を使って逃げの指導を受けた方であり──運命的なものを感じて憧れ、私がこの世界にくるきっかけになったウマ娘なんですから!

 

「ヘリオス、さん……?」

 

 思わずつぶやきのような小さな声が私の口からこぼれていた。

 それに彼女の耳が反応するようにピクッと動いて、それから彼女の視線がこちらへと向けられる。

 

「お? おぉ!! 今日のレースに出走するウマ娘って、キミだよね!?」

「は、ハイ!!」

 

 そんな憧れのウマ娘──ダイタクヘリオスさんが近づいてきて、私の両手を奪うように掴み、握ってくださったのです。

 

「会見見たよ! ありがとね。お嬢がとったこのレースをとれなかったのはガチで心残りだったし。ヤマちの言葉、マジでエモかった」

「こ、光栄で……あります」

 

 や、ヤマち……ヘリオスさんから、あだ名を付けていただけるなんて……

 私がガチガチになりながら答えると、ヘリオスさんは不思議そうに首を傾げました。

 

「あれ? ひょっとして緊張してる系? ダメじゃん、大事なレース前なのに」

「いや、パイセン。その原因、あなたなんスわ……」

「ガチで!? それ困る……ええと、あたしいない方がいい系?」

「せっかく来てくれたのに、そいつは困るな。ダイタクヘリオス」

 

 ワタワタし始めたヘリオスさんを落ち着かせたのは、トレーナー殿の言葉でした。

 

「ロンマンガンの時といい、なんかことあるごとに頼みごとをして悪いな」

「全然問題無し! 言われなくても今日のレース、鉄で応援来ようと思ってたし。さっきも言ったけど会見でヤマちが言ってくれたの嬉しかったから。むしろ良い席を用意してもらえてこっちが助かるくらい」

 

 そう言って笑みを浮かべるダイタクヘリオスさんの笑みは──やっぱり私にとっては太陽のようにまぶしいのでありました。

 

 

 そして──スタート時間が迫り、ゲートへの集合の合図がかけられたのでした。

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「………………」

 

 ゲートに入った私は、目を閉じて集中を高めていました。

 その脳裏によぎる、直前の光景。

 

『確かに今回のレース、お前はファンからの人気は一番低かったかもしれない。でも、お前のことを期待する人はこうしてちゃんといる』

 

 トレーナー殿……ありがとうございます。

 先輩方はもちろんのこと、私のためにヘリオスさんまで呼んでくださっていただなんて……

 

『それは人数の問題なんかじゃないんだ。お前の走りを、勝利を見たいと願うその人達のためにだけに走ればいいんだ』

 

 トレーナー殿の言葉にダイユウサク先輩やミラクルバード先輩たちチーム所属の先輩方に、オラシオンとレッツゴーターキンのチームOGの先輩方、そしてダーリング殿(宿命のライバル)にパーマーさんが頷き、そして……ヘリオスさんが満面の笑顔で親指を立ててくださいました。

 

『他の出走ウマ娘のファン? そんなもの気にする必要なんて微塵もない。お前は〈アクルックス〉のウマ娘なんだぞ』

 

 そう言ってトレーナー殿は不敵にニヤリと笑みを浮かべます。

 

『──そんな連中(世間)驚愕(ビックリ)させてやるのが、オレ達のやり方だろ?』

 

 それは“ビックリ箱(ジャック・イン・ザボックス)”を仕掛けた子供のような表情で……

 それを思い出しつつ目を開く。

 そして間もなく──

 

 

 ──目の前のゲートが開いたのでした

 

 




◆解説◆

【ヤマト、あの太陽を見よ!】
・今回のタイトルは『宇宙戦艦ヤマトⅢ』の第25話のタイトル「ヤマト あの太陽を撃て!」より。
・ここの「あの太陽」はもちろん、ダイタクヘリオス(太陽)のこと。

ほぼ重賞勝利経験者
・出走した中でそれまでに重賞制覇していないのは、外国馬でデータが不明なベストオブザベストを除くとダイタクヤマトとタイキブライドルのみ。
  ①ビハインドザマスク:直前のセントウルステークス(G3)
  ②ブラックホーク:前年のスプリンターズステークス等
  ③タイキブライドル:無し
  ④キングヘイロー:同年の高松宮記念等
  ⑤マイネルラブ:前々年のスプリンターズステークス等
  ⑥スギノハヤカゼ:97年のCBC賞(G2)等
  ⑦ベストオブザベスト:海外馬(香港)のため不明
  ⑧マイネルマックス:同年のマイラーズカップ(G2)、96年の朝日杯3歳(ステークス)(G1)等
  ⑨アグネスワールド:前年CBC賞等(英・仏のG1勝利有り)
  ⑩マサラッキ:前年の高松宮記念等
  ⑪ユーワファルコン:同年の中日スポーツ賞4歳(ステークス)(G3)(現ファルコンステークス)
  ⑫ブロードアピール:同年のシルクロードステークス(G3)
  ⑬シンボリインディ:前年NHKマイルカップ(G1)
  ⑭ジョーディシラオキ:同年のチューリップ賞(G3)
  ⑮ダイタクヤマト:無し
  ⑯タイキトレジャー:同年の函館スプリントステークス(G3)
・クラシック重賞だけの制覇者も入っていますがそれも2頭のみ。これだけ揃うのは豪華メンバーであることは間違いありません。
・同年の高松宮記念を同じ条件で調べたところ、それでも17頭中9頭でした。
・なお、ベストオブザベストは残っているデータを見つけられませんでしたが、香港から来るくらいだから実力もあったのでしょう。当日も5番人気でしたし。
・その結果、ダイタクヤマトは……

人気は、出走メンバー中で最も低い
・2000年スプリンターズステークスで、ダイタクヤマトの人気は16頭中16番の最下位。
・でも同じ重賞未勝利のタイキブライドルは12番人気なんですよね。
・そちらは5月のスプリングカップ(GⅡ)で3着で好走していますが、それ以降は春はともかく秋レースも未出走でぶっつけ本番。調子の良し悪しを見る以前の問題です。
・対してダイタクヤマトはセントウルの7着でも1着で今レース3番人気だったビハインドザマスクと0.4秒差しかなかったのに最下位人気。

GⅠで一番低い人気が下から2番目(ブービー)
・ダイユウサクの人気が下から2番目(ブービー)だったのは「これはビックリ」な1991年の有馬記念ですが、ギャロップダイナの人気が下から2番目《ブービー》だったのは1985年の「あっと驚く」天皇賞(秋)……ではなく、翌86年の有馬記念。
・85年の天皇賞(秋)では17頭中13番人気でした。単勝88倍は現在(2023年開催まで)でも天皇賞(秋)としては最高配当になっているのは変わりません。
・書いてる人はこれを勘違いしていた時期があったので、今までの作中で間違ったことを書いていそうなので、気付いた方がいたら教えていただけると助かります。
・そしてそんな86年の有馬記念はギャロップダイナの引退レースで、下から2番目(ブービー)人気ながら2着に入っています。
・なお第二章で留学から帰ってきた本作のギャロップダイナは、その時点でこのレースがモデルになったレースはなかったので、GⅠでの下から2番目(ブービー)人気を体験していないはずなのですが……
・今回ダイユウサクと一緒になって笑顔を浮かべているところを見ると、第二章から第三章までの間にそれがモデルのレースがあった模様。
・ちなみに勝ったダイナガリバーも公式ウマ娘化はしていないのですが、実はこのレースで実装済みのウマ娘が出走したりします。
・それがよりにもよってメジロラモーヌだったりして……彼女も引退レースだったのですが12頭中9着。
・史実通りにダイナガリバーの記念撮影にギャロップダイナもちゃっかり参加しているので、またいらないところでメジロ家の怒りをかっていそうな乾井トレーナーでした。
・…………あれ? 下から2番目(ブービー)人気でGⅠ制覇したメンバー、もう一人いなかったっけ? たしかエリザベス女王杯で──

彼女の名前にあやかって名付けた
・“オラシオン”の名前がつく馬名、実はかなり多いです。これまでに40頭強もいます。
・一番古いのは1982年生まれの馬まで遡り、その年に小説の『優駿』の第1章が発表されていました。
・競走馬として名前が付くのは当歳の時ではないとはいえ、かなり早いですね。
・その一番最初の現実の“オラシオン”、牝馬なんですよね。原作は牡馬なのに。
・ちなみにその父はハイセイコーだったりします。
・その後は1985年、1999年、2013年にそれぞれ“オラシオン”がデビューしていますが、いずれも大成していません。
・もちろん小説の人気もさることながら、やっぱり1988年に公開された映画『優駿 ORACIÓN』の影響が大きいです。
・それを物語るように1985年生まれから爆発的に増えます。3歳になるのが1987年ですし、86年や87年生まれは本当に多い。
・とはいえ、映画のブームも終わったあとも、まるで冠名かのように“オラシオン”の名前が付いた競走馬はコンスタントに出続けています。
・まぁ、その理由の一つに「親の名前を引き継いだ」というのがあるので、これに関しては小説や映画の影響とは言えませんが……
・それでもそういうのも無しに“オラシオン”の名前が長年にわたって付けられるのは、本当に大きな影響を与えたと言えると思います。
・なお現役にもその名が残っており、サトノダイヤモンドの血をひいたサトノオラシオンが走っています(2024年現在)。
・また“DMMバヌーシー”のDMMドリームクラブが所有するラオラシオンもいます。
・“ラオラ・シオン”の可能性も考えたのですが英語表記が「La Oracion」なので、ちゃんと“オラシオン”の系譜(?)と言えるでしょう。
・サトノオラシオンと同じ2021年生まれの馬です。
・頑張って勝利を重ねて“オラシオン”の名が付いた競走馬の重賞制覇を見てみたいですね。応援しております。


※次回の更新は3月29日の予定です。          

※ただし時間が午後7時ではなく午後3時35分となります。



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第29R 激戦! スプリンターズステークス(短距離最強決定戦)


「では、行って参ります!」

 そう仰った(わたくし)好敵手(ライバル)、ダイタクヤマトさんは軍服風の勝負服に合わせるかのように、キビキビとした動きで顔の前に右手をかざして敬礼をしました。
 そして(きびす)を返すと、スタート地点のゲートへ向かって駆けていきます。
 その姿を見送り──

「パーマーさん、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「なに? ダーリング」
「今日のヤマトさん、どう見えました?」
「調子ってこと?」
「はい」
「うん……普通、かな」

 (わたくし)が頷くと、パーマーさんはとても答えづらそうに苦笑しながらも答えてくださいました。

「悪くは見えなかったけど、良さそうにも見えなかった。今日のレースは……正直言うと厳しいかも。あのメンバーを相手に彼女がいつも通りだったとしたら、ね」

 最後の言葉を真剣な表情で言ったところが、パーマーさんの本音であることを如実にあらわしています。
 調子が良いウマ娘はやはりレース前の様子に如実に顕れると言われております。
 いつも以上に動く体のおかげで、どうしてもやる気や自信が表情や態度に出てしまいますわ。

(場合によっては充溢した気が体からあふれて立ち昇るように見える──などという噂もありますし)

 そしてもちろん調子が悪ければ実力を十分に発揮できませんし、逆に良ければ実力以上の力が出て良い結果を残せるのです。
 そして今回出走する強豪たちに対し、ヤマトさんは実力以上の力を出せなければとても太刀打ちできないというのはパーマーさんならずとも誰もが感じていることです。
 それを踏まえての感想なのでしょうが……(わたくし)の意見は違うのです。

「パーマーさん……ああ見えてヤマトさん、絶好調なはずなのですわ」
「えぇ!?」

 ヤマトさんを遠目で見ていた(わたくし)の顔を、驚いて思わず見るパーマーさん。
 それから確かめるようにヤマトさんの方を振り向き、それが信じられなくて何度か視線を往復させていました。

「本当に? とてもそうは見えないけど……」

 パーマーさんは春秋の最強決定戦(グランプリ)を制した上に、障害レースの経験さえあるほどレース経験豊富な方。その目をもってしても(わたくし)の言葉は信じられないようです。
 確かに(わたくし)の目が公平さを欠いているのでは? と疑う気持ちはわからなくはありません。
 しかしもちろん、そう断言できる根拠があります。

「実は先日、内緒で合わせをやらせていただいたのですが……」
「それ、御婆様が知ったら怒られるんじゃない?」
「ええ。ですから黙っていてくださいね」

 思わず悪戯っぽい微笑みで誤魔化します。
 (わたくし)も休養明けのレースに向けて調整を始めなければなりませんでしたから、渡りに船だったのですわ。
 その時の話ですが──

「ヤマトさん、走り始めたら別人のようでしたわ。明らかにいつも以上の速さが出ていました。何度も本番(レース)で共に戦ったからこそ違いが分かるのです」
「確かにそれなら絶好調なんだろうけど……でも、今日の様子はとてもそう見えないけど?」
「はい……でも不思議なことに、その時からその絶好調がまったく表に出ておりませんわ」

 そう言うとパーマーさんは訝しがるように(わたくし)をのぞき込みました。

「それって……いつも通りにしか見えなかったってこと?」
「ええ。調子の良さに気をはやらせることもやる気をあふれさせることもなく、まさに自然体といった様子でしたわ」

 おかげで(わたくし)の調子が狂いそうでした。いつも通りの様子で今まで以上の実力を出すのですから。
 むしろ逆にこちらの調子が悪いのかと勘違いしそうになってしまうほど。

「ですから、今のヤマトさんは傍目には分からないでしょうけど、最高の状態に仕上がっているはずなのです」
「それって……そんな話を聞いたら、あの時のことを思い出しちゃうんだけど」

 そう言ってパーマーさんは、〈アクルックス〉メンバーの方へ──レッツゴーターキンさんへと視線を向けました。

「あの時の彼女も、特別に調子がいいとは感じなかったんだけどね」

 そしてその傍らには、有記念でマックイーンさんを破ったダイユウサクさんもおられます。
 特集で目にしたことがありましたが、彼女は担当の乾井トレーナーに『今までで最高の仕上がりで、同じ状態にしろと言われても再現できない』と言わしめた程の絶好調だったそうです。
 にも関わらず、当時の人気は下から2番目の(ブービー)

(しかしよく考えれば……ハッキリ言ってそれは異常なことですわ)

 引退レースだから出走したほどに絶不調だったウマ娘しか下にいない程度の人気しか集まらなかった事実。
 もしもそれがモントレーさんが負けたサンドピアリスさんのように、それまでの成績を考えれば人気が極端に低いというのならまだ分かります。しかしダイユウサクさんは直前のレースでは圧勝していらっしゃったのですわ。
 その結果を踏まえた上でレース前に絶好調なのが見て分かれば、そのような人気になろうはずがありません。
 無論、レース前の姿を大勢のファンが見ていて、その中には目の肥えた競走(レース)ファンも大勢おられたはずだというのに……

「つまり、観客も含めて真の調子には気づいた方はいらっしゃらなかったということ……」

 それに気づいたからこそ、(わたくし)は思い至ったのです。
 世間を驚かせる勝利を掴む〈アクルックス〉の──乾井備丈トレーナーが“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”たる所以はそこにあるのかもしれない、と。
 勢いよく照りつける太陽や激しいゲリラ雷雨をもたらす猛暑の夏空のような激しいものではなく、澄み渡った秋空のような泰然自若たる──言うなれば“自然体の絶好調”。

「そう。今日のヤマトさんこそまさに──“見えぬ輝き(ダークホース)”」

 端から見ても誰も気づぬその状態こそまさに〈アクルックス〉の真骨頂であるとしたら……(わたくし)は彼女のチームの先輩方の顔を思わず見てしまうのでありました。



 

 このレースに挑むにあたり、トレーナー殿から指示されたことがありました。

 挑戦が決まったとき、もちろん私は不安しかありませんでした。

 

「もちろん勝つつもりだぞ?」

 

 出走の真意を問うた私に、トレーナー殿はこともなげにそう言いました。

 そして勝つための策としてトレーナー殿が出したのは──

 

「『できることをする』こと。そして、『できるないことをしない』こと。その2つだ」

 

 思わず呆気にとられた私。

 その顔を見たトレーナー殿はさすがに──

 

「もちろん『できること』をただやるだけじゃ、あのメンバーには勝てないけどな」

 

 そう言って苦笑しました。

 曰く、「重賞実績だけなら、有記念や宝塚記念だってそうは揃わない豪華メンバー」と評していましたし。

 

「だからただやるだけじゃ到底足りない。『できることをする』ことに全力を尽くすんだ。そうでなければ“万が一”の勝利はない。その僅かな機会をつかむことさえできないんだ」

 

 そう言ってトレーナー殿は作戦を伝えてきました。

 それは──

 

「なんとしても先頭(ハナ)に立て」

 

 そう言ったトレーナー殿。

 もちろん、それにも呆気にとられました。だって“逃げ”なんて今までの作戦とまったく同じなんですから。

 あの不可能を覆す奇跡を起こしてきた“ビックリ箱(ジャック・イン・ザ・ボックス)”ですよ? どんな奇策を使うのかと期待するじゃないですか。それなのに……

 私がそれを口にすると──

 

「“逃げ“以外? それで勝てるのか? もちろん1人や2人じゃなくあのメンバー全員相手にしてだぞ」

「そ、それは……」

「言っただろ? 『できないことはするな』ってな」

 

 口ごもる私にトレーナー殿はそう言って不敵な笑みを浮かべたのです。

 確かに、付け焼き刃が通じるようなメンバーではありません。

 それでも私は首をかしげてトレーナーを見ます。

 

「確かに私には“逃げ”以外の選択肢はありません。でも、それが通じる相手とはそれこそ思えないのですが……」

「それが、そうとも限らない」

 

 そう言ってまずます自信を不敵な笑みを深くするトレーナーに、私は困惑してしまいます。

 

「序盤から先頭に立った全力の“逃げ”。それをお前は今回のほとんどのメンバーに対して手の内を見せていないんだ。高松宮記念もセントウルでは先頭を取れずに3、4番手だった。上手く先頭に立てた函館スプリントに出走していたのは先着したタイキトレジャーだけ」

「あ……」

 

 彼女に負けたことに一抹の不安を感じなくもないですが、トレーナー殿曰く「あの豪華メンバーの中では気にするような相手じゃない」と続けました。

 むしろ勝てたからこそ油断している、とも。

 

「自分に自信を持て。今のお前の“逃げ”ならあの連中にだって通じるレベルになっている」

 

 そう言われた私は自分を──いえ、そう仰ったトレーナー殿の言葉を信じて、私は今回のレース──先頭(ハナ)を全力で奪いに行ったのです。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

『一瞬の祈り、スプリンターズステークス……スタート!』

 

 

 実況の声と共に戦い(レース)の火蓋は切って落とされたのでした。

 

 

『少しばらついたたスタートとなった。タイキブライドル後ろからです』

 

 

 スタートは成功。

 順調に前に出ることができた私ですが──いざ先頭(ハナ)を狙おうとしたところ、スッと現れたほかのウマ娘に奪われてしまったのです。

 

 

『さぁ、先頭争い。叩いてダイタクヤマトそれからタイキトレジャーという8枠の2名が好スタート、中をついてユーワファルコン、この辺り行きたいところ』

 

 

「前にいるのは──」

 

 その姿は以前に競った時に見たアグネスワールドの背でも、直前のセントウルで見続けることになったブラックホークのそれでもない。

 

「──たしか、11番のウマ娘……」

 

 その番号には覚えがありました。

 出走表を見ながらトレーナー殿が各ウマ娘の注意する点を挙げていたときのこと、彼女についても話をしていましたから。

 

 

「出走メンバーはお前ともう1人以外はみんな重賞勝利の経験がある。だが、その中で11番と14番の2人だけは意味合いが違う」

「意味合い、でありますか?」

「ああ。他はともかくその2人は今年がクラシックの年で、制しているのも中日スポーツクラシックステークスにチューリップステークス、どちらもクラシック限定のレースだ」

 

 ジュニアやクラシックのような出走する世代が限られるレースと、年齢に関係なく出走できるシニアのレースには大きな差があるのです。

 上の世代とは積み上げてきた鍛錬と経験の差があって、下の世代が勝つにはそれを覆すほどの才と実力がなければかないません。

 

「……ま、中長距離しかないクラシック三冠はもちろんトリプルティアラだってマイル戦までだ。お前らのような短距離走者(スプリンター)から見ればそっちを早々に見切りをつけて、早い内から適正距離の無差別(シニア)に出て経験積んだ方がいいと考えるのもうなずける」

 

 それで勝てるウマ娘もいるけど、それは天才といわれるようなごく一部のウマ娘。

 そして彼女たちは、そうではないとトレーナー殿は断言したのです。

 

「本当に天才だったらシニアの短距離重賞に出走して結果を残すか、距離適正をある程度無視してでもクラシックGⅠに出てるはずだろ。しかしこの2人は違う。乱暴な物言いになるが、同世代と競っていい結果を残しただけの言わば井の中の蛙だ」

 

 ()()()の重賞を制していないという点では、私やタイキブライドルと同じだと言いました。

 だからこそ、他のウマ娘たちに比べれば実力的には一段落ちる、と。

 

(だからこそ、彼女には負けられない!)

 

 前を走るウマ娘への対抗心がわき上がってきました。

 トレーナー殿の指示は『先頭(ハナ)をとれ』です。2番手ではそれを達成していません。

 なんとしてでも前に出なければ。

 その思いで仕掛けたのですが──

 

「ッ!」

 

 彼女は私の仕掛けに気づいてペースを上げ、前を譲りません。

 なんの、負けてなるものですか。

 このままペースを上げて、前のウマ娘を──

 

 ──その時でした。

 

『言っただろ? 『できないことはするな』ってな』

 

 トレーナー殿の言葉が頭をよぎったのです。

 それで頭に登っていた血がスッと下がるのを感じました。

 そして──

 

(これ以上のペースで走ったとして、最後まで走れるのでしょうか?)

 

 この大舞台、私がムキになって前を追いかければさらにペースは上げてくるはず。

 途中で相手が諦めて先頭に立てたとしても、それは一時的なこと。ここで脚を使ってしまえば、最後まで保つわけがありません。

 それを周囲の強豪達が見過ごすわけが無いじゃないですか。

 

(そうです。そのペースで走りきるなんて、私には“()()()()”──)

 

 道中の先頭(ハナ)にこだわりすぎる余りに、それを最後まで維持できなければ何の意味もない。

 そして相手は年下で、クラシック世代のウマ娘。経験だって積み上げてきた努力だって私の方が絶対に上なはずなんです!!

 

(気にするべきなのは前ではなく──)

 

 チラッと背後を伺えば、虎視眈々と機会をうかがう猛者の姿がある。

 それを意識するや「やはりペースを上げて“逃げる”べきでは?」という考えが頭をもたげてくるのです。

 でも──

 

(その不安に、負けるわけにはいかない)

 

 前を走るウマ娘に負けない。

 後ろから迫る強豪達にも決して負けない。

 そしてなによりも。前に逃げきられてしまうのでは? 後ろに追いつかれてしまうのでは? という迷い──自分に負けないこと。

 

「──“逃げ”とは“たたかう”こと、でありますよね、トレーナー殿」

 

 それが乾井トレーナーの教え。

 “逃げ”とはスタートからゴールまで終始戦い続ける走り方。

 逸る自分の気持ちと戦いながら、私は2番手にピタリとつけたのでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

「よしッ! いいぞ!!」

 

 先頭(ハナ)につかんと争っていたダイタクヤマトが、無理に仕掛けずに落ち着いたことに、オレは思わず拳を握りしめ、言葉が口をついて出ていた。

 抜け出し損ねて3番手4番手の位置で“先行”に押さえ込まれる展開を回避できたのだから、スタートは最高の出来だったと言っていい。

 おかげで()()()()()()()という越えなければならない最低限のハードルを越えることができた。

 その上で、ここでオレの“先頭(ハナ)をとれ”という指示を意固地に守って無理をしなかったのは本当に大きい。

 

 

『さぁその4番手以下ですが……前に2名、3番手タイキトレジャー。その後ろからこの辺り固まってアグネスワールド早めの競走になっている。それからマイネルラヴここにいる』

 

 

 周囲に一流の強豪しかいないこのレースの中で、そのカテゴリーに入らないダイタクヤマトは薄氷を踏んで進み続けるようなギリギリの戦いをしなければならない。

 

(高松宮記念……それ以前の彼女が記録(レコード)を出した北九州の時と違い、アグネスワールドの前に出られたのはデカい)

 

 彼女は海外の、それも欧州のGⅠを制したまさに世界(ワールド)(クラス)のウマ娘。

 序盤からその後ろを走っていたら以降は前に出られる機会は皆無なのは間違いない。

 そんなスタート直後から一つでも踏み外したら終わりな綱渡りのようなレース。

 ともすれば胃が痛くなるような状況だが、そんな()()()()()()()に自然と口の端がニヤリと笑みを作っていた。

 そこへ、やや下方から呆れたような声と、覆面(マスク)越しの呆れたような視線が飛んできた。

 

「よく笑えるよね、トレーナー」

「そういうお前も笑ってるだろ、ミラクルバード」

「ボクのは苦笑いだよ。自分では分かってないと思うけど、トレーナーってばまるでロンちゃんみたいな賭博師(ギャンブラー)っぽい笑い方になってるよ」

 

 なるほど。この大舞台で一か八かの大勝負を仕掛けたという意味では、彼女の指摘は正しい。

 まぁ、一流の賭博師(ギャンブラー)は表情なんて表に出さないだろうし、出したとしたらそれは偽装(ブラフ)の可能性が高い。

 ロンマンガンのもそうだろう。

 

「ヤマちゃんは重賞未勝利。前走(セントウル)だって惨敗ではなかったけど完敗だったのは間違いないし。好走した前々走(函館スプリント)でも勝てなかった相手までいる……」

 

 視線をオレから走るウマ娘たちに戻したミラクルバードがため息をつきそうな感じでぼやく。

 勝ち目がないのに、なぜ出走させたのか?

 ミラクルバードの様子から言外の抗議をしているように感じられた。彼女は今回の挑戦をオレらしくない判断と思ったのだろう。

 

「案の定、観衆(ファン)からの応援は芳しくなかったな」

「芳しくないとかそういうレベルじゃないよ! 最下位だよ!? ピーちゃんのときとは状況も違うし!」

 

 サンドピアリスがエリザベス女王杯に出走したときも人気は最下位だったが、彼女にはどうしても出走したい理由があった。

 相部屋の親友の引退レースだったからこそ、最初で最後の“本番での競走”をしたかった。

 そんな順位を度外視できる目的が、今回のレースにダイタクヤマトは持っていない。

 強いて言えばセレモニーでの会見で言った「あこがれの先輩の思いを引き継ぐ」ことだろうが、それは別に今年しかできないわけじゃなく、無理に出る理由にはならない。

 だからこそミラクルバードは出走させたことに不満に思っているのだろう。

 

「そんな人気になるってことは見てる観客も他の出走メンバーも確信したわけだ。コイツは大したことがない、と」

「え……?」

 

 半ば怒っていたミラクルバードが驚き、その気勢がそがれる。

 

「そういう意味ではセントウルでいい感じ毒をまいたことになったのは幸運だった」

 

 彼女がこちらを見ているのに気づきながら、オレはニヤリと意地悪い笑みを浮かべた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

『最内ブラックホークの白い手袋。あと外を回ってジョーディシラオキでしょうか。それからベストオブサベスト、香港のウマ娘──』

 

 

 海外からの招待選手だろうがなんだろうが、誰にも負けるわけにはいかない。

 あたし──ブラックホークは周囲を走るウマ娘たちを警戒しながら、走り続けていた。

 春秋二大短距離(スプリント)制覇──春レースの高松宮記念と秋レースのスプリンターズステークス。ともに1200メートルのGⅠレースであり、短距離走者(スプリンター)たちの憧れでもある。

 その双方を制した者は、今の名前になってからはまだ誰もいない。

 高松宮記念が名前を変える前の高松宮杯でGⅠになっていた時に達成した一人のみ。

 前年、スプリンターズステークスを制したあたしはそれを狙っていたが……高松宮記念では、負けた。

 それも、純粋な短距離走者(スプリンター)では無いウマ娘に。

 

(他のライバル(スプリンター)ならともかく……)

 

 

『10番のマサラッキはここにいた。タイキブライドル、あと外を回ってはスギノハヤカゼでしょうか。それからマイネルマックスが追走しています。

 先頭から後方までそれほど澱みなくなく流れています』

 

 

 去年あたしと二大短距離(スプリント)を分け合ったマサラッキ。

 その前の年のスプリンターズステークス覇者のマイネルラヴ。

 それ以外にも、スギノハヤカゼのような短距離(スプリント)の古豪。

 そういった短距離(スプリント)で鎬を削ってきた相手に負けたのなら、まだ納得できたのかもしれない。

 でも負けたのは今まで距離に見境無く走り、GⅠへの渇望のあまり短距離にまで手を伸ばしてきたようなウマ娘(キングヘイロー)に、だった。

 

(ハッキリ言って、短距離走者(スプリンター)にとって屈辱だった)

 

 そんなマイルから長距離まで走った彼女が、()()()()()()()()()()()という事実。

 単純に考えればそのウマ娘の適正距離が短距離だったと考えるだろうが、世間的にはこうも見えてしまう。

 

 ──スプリント(短距離)レースのレベルは低い。

 

 あたしや今まで短距離一筋で走ってきた者達(仲間達)にしてみればプライドを破壊されたに等しい。

 しかしどんなに悔しくとも結果が全てであり、確定したレースを覆すことはできない。

 そして彼女は今回のレースにも出ている。

 その狙いは明らかに──二大短距離(スプリント)制覇。

 

(それが今まで1度しか達成されていないのは、短距離(スプリント)界は群雄割拠で、それだけレベルが高いってこと)

 

 短距離走者(スプリンター)の、そして前年の覇者の矜持(プライド)として、その達成だけは阻まなければならない。

 なによりも、まさにその名を冠したGⅠを短距離走者(スプリンター)以外にとられるわけにはいかない。

 

(もしも達成されたら、ますます勘違いされることになる)

 

 一度ならず二度やられたら偶然だの幸運だのと言い訳もできない。

 短距離走者(スプリンター)の名に賭けて、スプリンターズステークス連覇こそあたしに科せられた使命だ。

 

(短距離はスタートからゴールまで短いせいでミスの挽回が難しい)

 

 そういう意味では細かなミスを覆せる余地のある長距離と比べると、地力よりも運的要素が高いかもしれない。

 それが二大制覇や連覇を難しくしている要因の一つとも言える。

 

(だからこそ油断ができない)

 

 絶対にこのレース(スプリンターズS)を譲れないあたしは、前走のセントウルステークスであるウマ娘を気にしていた。

 正直、成績だけを見れば警戒に値するようなウマ娘ではない。

 それでも警戒する理由は、彼女の所属するチームにあった。

 

(──〈アクルックス〉)

 

 ダイユウサクという先輩から始まったそのチームは、その最初のウマ娘が起こした奇跡を伝統のように繰り返し、GⅠレースで“驚愕(ビックリ)の勝利”を幾度と無く掴んでいる。

 それが別々のウマ娘で行われているのだから、ウマ娘それぞれの素質もさることながらトレーナーの力によるところが大きいはず。

 その教えを受けたウマ娘を警戒するのは、絶対に譲れないレースを走るのだから当然だった。

 でも……

 

(結果としては拍子抜けだった)

 

 今日も出走し、前で走っている彼女の姿を視界に捉えるが──なんの感慨も沸いてこない。

 その時のレースは、逃げを得意としているはずなのに先頭争いに参加することさえできず凡庸な走りでしかなかった。

 さらに前のレースで良い走りだったという評価を聞いていたので警戒したのに、拍子抜けにもほどがある。

 

 

『16名、最後方に1番のビハインドザマスク、彼女は最後方待機策を選んでいます。

その前にブロードアピールの不気味な存在です』

 

 

 むしろ彼女を気にするあまり、あたしの方が隙をつかれた。

 好調とはいえ重賞未勝利という格下だった彼女──ビハインドザマスク相手にしてやられて後塵を拝し、初の重賞勝利をプレゼントする羽目になった。

 確かに彼女は連勝中で波に乗っていたのは間違いないけど、オープン昇格して間もないようなウマ娘。

 そんな相手に負けたことが──そんな自分を許すことができない。

 

 

『さぁ、先頭から後方まで16名、ほとんど等間隔。』

 

 

 周囲は強敵ばかり。

 それでも──だからこそ──負けられないッ!!

 件のウマ娘は、今日も成績通りの十把一絡げのウマ娘でしかなく、警戒するに値しない!

 なによりも警戒すべき相手は、多すぎるほどにいる。

 

 

『3、4コーナー中間地点、前は2名の態勢になりました。ダイタクヤマト思い切って行っている。それからユーワファルコンです。3番手タイキトレジャーです。』

 

 

 視線を上げて前方の先の方へと視線を向ける。

 件のウマ娘と、もう一人が先頭を争って走っているのが見えた。

 

(今日は先頭(ハナ)争いができているみたいだけど……あの実力でこのメンツが作るレースに耐えられるはずがない)

 

 今までの成績を見れば前走がたまたま調子が悪かったわけじゃない。

 それは確信と言ってもいい。

 現に先頭で逃げる2人を後続のウマ娘達はピタリとマークし続け、自由にさせていない。

 そしてそのウマ娘達もまた、短距離の強豪達なのだから──

 

彼女(ヤマト)は……いずれ必ず、沈む」

 

 このレース、彼女を含めた先頭をきるウマ娘達が潰れてからこそが本番。

 あたしを含めて、それを虎視眈々と待っているんだ。

 

(そしてそれはもう間もなく起ころうとしている)

 

 そう確信していた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

『早くも大歓声、難しい4コーナー。さぁ短い直線、スプリンターズステークス』

 

 

 レースもいよいよ終わりが見えてくる辺り。

 走るワタシたちの熱意(ボルテージ)最高潮(クライマックス)へと向かっている。

 

(たしか日本語では“カキョウ(佳境)”と言うのだったカシラ?)

 

 そう思いながら、すぐ前で先頭付近を走る2人のウマ娘のことをワタシ──アグネスワールドは捉えていた。

 勝負を仕掛けるべく、距離を詰めようと脚にさらなる力を入れる。

 このレース場はコーナーが終わってからゴールまでの距離は短めに設計されている。

 

 

『さぁ後続各員、さぁGⅠ級ウマ娘追い込んでくる』

 

 

 他の走者達もいよいよスパートをかけようとしていた。

 GⅠ級──前年や前々年のこのレースに春の短距離(スプリント)GⅠも含めて制したウマ娘達が出走しているメンバーの中で、ワタシは国内GⅠレースを勝っていない。

 でも、欧州(ヨーロッパ)遠征を行い、そこでGⅠを取っている。日本国内よりも歴史の長いウマ娘レースの本場とも言うべき場所で。

 だからこそこのレースを勝って国内GⅠを取りたいという強い気持ちになっているし、その実績が自信となってこのレースに挑めている。

 しかし、それよりも──

 

(ワタシは、この国で誰よりも速く1200メートルを走れル!!)

 

 確かに開催場所こそこのレース場じゃないわ。

 でも、どんなに他の出走メンバーが強く、大きな実績を誇ろうとも、最速記録(レコード)という“誰よりも速い”ことを証明する厳然たる事実がなによりも冷静にさせてくれていた。

 

(あの時のレース……)

 

 ワタシが記録を出したレースを思い出し、そしてそこに前を走るウマ娘がいたことを思い出す。

 たしか、レースが始まる前にぶつかりかけたウマ娘だった。

 

(……このレースに出ているのが、そちらではなく彼女の方だったらエキサイティングだったカモしれないのに)

 

 あの時、その場にいたもう一人を思い出しながら、ワタシはそう思っていた。

 頭にハチマキを巻いたウマ娘。名前は確か、そう……ダイタクカミカゼ。

 前を走るウマ娘と違い、彼女とはあのレースから何度か顔を合わせることになった。

 

(モチロン、ワタシが負けるはずがナイ)

 

 記録(レコード)を出したあのレースが確固たる自信になったからこそ、あのレースで食らいついてきた彼女の印象がよりハッキリと頭に残っていた。

 なによりもあの時に垣間見えた、決してあきらめない強い心──

 

大和(ヤマト)(ダマシイ)、というのだったカシラ?)

 

 その輝きの片鱗をあのレースで見たからこそ、ワタシは彼女とのレースに期待した。

 でも……彼女はあれ以降、伸びてくることはなかった。

 彼女の世代はワタシよりも上になる。それを考えれば無理もないかもしれない。

 そして彼女が輝きを見せることなく中央(トゥインクル)シリーズから居なくなったのを聞いたのは、秋レースが始まってからのことだった。

 

(だからこそ……)

 

 あの時、彼女と一緒にいたこのウマ娘がこのレースにいて、彼女がこの場にいないことが残念で仕方がない。

 

 もしも彼女が出走していたら──

 もしもそれが全盛期の彼女だったら──

 もしも彼女が環境の整ったチームに所属し、そこで研鑽していたとしたら──

 

 いくつものif(もし)が頭をよぎる。

 でも……それは(ムナ)しいダケ。

 

「カミカゼはもう……墜落(クラッシュ)してる」

 

 現実には彼女は(ヌル)い環境で過ごし、その全盛期はとっくに過ぎた。

 そしてこの場にいるのは別のウマ娘。

 そのウマ娘も──前を走っているものの勢いは風前の灯火といったところ。

 

「彼女が沈む(ロスト)までアト少し……保つはずがナイ」

 

 さらに前の先頭(ハナ)を走っていたウマ娘は限界を迎え、いよいよ下がり始めている。

 彼女と同じペースで走っていたヤマトというウマ娘の終焉も迫り、ワタシはさらにペ

ースを上げた。

 




◆解説◆

【激戦! スプリンターズステークス(短距離最強決定戦)!】
・今回のタイトルは『宇宙戦艦ヤマト2』の第18話のタイトル「決戦・全艦戦闘開始!」より。
・実は今回のタイトルは急造なので、無難な感じのタイトルになりました。
・元々今回と次回で使うことを考えていたタイトルを一つにまとめて次回のタイトルにしたのが原因。

実況
・本作お馴染みになった、クライマックスレースでの実況。
・今回のレースは2000年のスプリンターズステークスがモデルで、実況は青嶋アナのもの。
・この実況、スプリンターズステークスという単距離レースのせいなのか、展開も早くあっという間にゴールするのを危惧してか非常に早口です。
・正直、聞き取るのが大変すぎでした。再生速度を0.75にして普通のレベルで、それでもところどころ聞き取りづらく、間違えている部分もあるかと思いますが……
・なおレースであるスプリンターズステークスそのものの解説については以前解説をしていますのでこちらを。


※次回の更新は3月29日の午後3時36分となります。  



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第30R 必死の逃亡!! ヤマト渦中へ!!


 ──私には憧れた“走り”があった。

「爆逃げ、ウェェェイ!!」

 誰よりも目立つ場所(先頭)で笑顔で走り、そのままゴールする。
 そんな彼女が見せた輝きに魅せられて、私は同じ場所(学園)を目指し、そこで同じ走りを目指した。
 でも──そこで同期に異次元の“逃げ”を見せつけられ、戦わずして私は挫折した。

(私は、ああは走れない)

 その走りに愕然とした。
 圧倒的な速さで先頭を走り続け、そしてゴールする。
 まさに完璧な“逃げ”の理想型。
 頭に思い描く夢そのままの走りがそこにあった。

(夢は、自分にできないからこそ夢……)

 しかしそれを実現できてしまう彼女。
 その彼女の走りと自分ができる走りとの差に絶望するしかなかった。

 そんな彼女がこだわったのは……“先頭の景色”
 ゆえに最初からとばして先頭(ハナ)に立つ。
 後続を突き放し、それを誰にも譲らずにそのまま先頭でゴールする──


 どんなに乞い憧れようと、私にはすべてのレースでそれをできる才覚はない。
 もしもそんなことをすれば私は確実に──()()ことになる。
 それが分かるからこそ、その走りは手の届かない“夢”でしかなかった。



 

 ハッキリ言って、かなり厳しい状況でした。

 

 後ろからのプレッシャーはかなり強い。

 それを振り切るように前へ前へと走るしかない。

 いっそハイペースで走ってしまえば、それを振り切れるかもしれない。

 でもそれは一時的なこと。必ず後ろから来る彼女たちに追いつかれてしまう。

 

「我慢、我慢……」

 

 耐えて耐えて、かつ、後ろのウマ娘が前に出るのを許さない。

 ともすれば前を走る彼女のことを共に逃げる同志のように錯覚してしまう。

 そんな苦しいレースが続く中……ついに均衡が崩れようとしていたのです。

 

「ッ……む、無理~……」

 

 ついに前を走っていたウマ娘の脚が完全に怪しくなり、ペースが落ちたのです。

 それを見た私は躊躇い無く抜き去る。

 苦しげな彼女の顔が一瞬だけ視界の端を横切り……ついにトレーナー殿がこだわっていた先頭(ハナ)へと立ったのです。

 その瞬間──

 

「ッ!!」

 

 一気に開けた視界。

 前には誰もおらず、ただ走路(ターフ)の緑が広がるのみ。

 今までのレースの時と同じ光景のはずなのに……違っていた。

 そそり立つ観客席(スタンド)からの、圧のような大歓声。

 背後からの刺さるような気配を感じながら、そんな強者達の前にいるという高揚感。

 そしてなによりも──この瞬間(いま)1位(ハナ)に立っているという勝利への希望。

 

「これが……先頭の、景色……」

 

 圧倒的な実力差を感じていた、同じ逃げ()を進んだ彼女(サイレンススズカ)の言葉。

 ひょっとしたら──ううん、たぶん彼女の言うそれと私の見ているこれ(いま)は違うのでしょう。

 でも……それでも私はこの光景に心打たれ、そして惹かれた。

 

(いつまでもこの光景を見ていたい。これを誰かに奪われるなんて──)

 

 ああ、でも……現実は残酷だ。

 背後から迫るGⅠ級のウマ娘が放つ、強大で強烈な気配(プレッシャー)

 それも一つや二つじゃない。

 疾風怒濤のごとく押し寄せるそれを前に、前で走り続けていた私は今にも飲まれようとしていました。

 それに対する私は限界寸前。前で走り続けた手足は重くなりつつあり、息も苦しくなってきています。

 

(この位置をキープし続けるのも、もはや……)

 

 それをどんなにイヤだと思っても、その荒れ狂う波は私を飲み込み沈めようと迫り来る。

 その圧倒的な力と、それを見せつけてくる現実を前に──

 

(ええ……この景色が見られただけでも私は……)

 

 ──そう思いかけた、その時でした。

 

 

 

「いっけ~!ヤマち!!」

 

 

 私の目が、観客席(スタンド)にいる無数にいる人混みの中で、まるで奇跡のように彼女を見つけたのは。

 大歓声の中──本来ならその声が聞こえるような状況ではないはず。

 にもかかわらず、私の耳にはそれがハッキリと聞こえたのです。

 

(そうだ……私は、勝たないと。勝ってあのウマ娘(ひと)の思いに応えないといけない!あの人の思いを受け継いで、成就させるために!!)

 

 折れかけていた心が、くじけかけていた闘志が、紙一重でつながる。

 

「バイブス上げてけ! ぶっちぎれッ!!」

 

 そうして向けた視線の先で、腕を突き上げたウマ娘がいた。

 笑顔で応援するその姿はまさに──

 

「あぁ……やっぱり貴方は私にとっての、太陽(ヘリオス)です」

 

 見る者を明るく元気づけ、希望と行くべき道を照らす存在。

 どんな苦境でも笑顔を忘れずに走り続けた彼女こそ、私にとっての理想のウマ娘。

 そんな憧れの人に応援されたのです。ここであきらめられるわけないじゃないですか!!

 それに私は負けるわけにはいかない。

 なぜなら──

 

「勝利を掴みなさいッ! ヤマトさん!!」

 

 そう、あのウマ娘が見ているのです。彼女が応援してくれているのです。

 続いて聞こえたその声で、再び手足に力が戻るのを感じました。

 共に競い合い、高みを目指すと決めた、ヘリオスさんにとってのパーマーさんのような存在。

 私の好敵手(ライバル)──メジロダーリング。

 ヘリオスさんにももちろんですが、その側に立つ彼女の目にも無様な姿は見せられないのです!

 さらにその近くには──

 

「負けるな、ヤマト!」

「ヤマちゃん! 逃げきってッ!!」

「あと少し、三女神よ加護を!!」

「がんばって、ください……ッ!」

「気張れ、後輩(ヤマト)ッ! 和了(ロン)見えてんぞ!!」

「ヤマトちゃん、負けないで!!」

「ここまできたんだ! 下克上してやれや、ヤマト!」

(わたくし)のトレーナー様の薫陶を無駄にするような愚行、絶対に許しません!」

 

 ──先輩達の姿があった。

 そしてその中心には彼の姿がもちろんあるのです。

 私を見つめるその目に力を込め──

 

「死中に活だ!! ダイタクヤマト!」

 

 ──言い放ったトレーナー殿の大きな声が、ハッキリと聞こえたのでした。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 それはスプリンターズステークスの出走表が発表された直後のことでした。

 あまりの豪華すぎる名前の羅列を目にした私が不安を隠しきれずにいると、トレーナー殿が言ったのです。

 

「勝てるわけがない……そう思ってるか?」

「はい、もちろんです。こんな強い方達を相手に、私なんかが太刀打ちできるはずが……」

「うちのメンバーの中に、大舞台のレース前にそう言ったヤツがいた」

 

 唐突なトレーナーの言葉に、私はポカンとして目をパチクリさせてしまいました。

 

「え? えっと、どなたのことでしょうか……」

 

 勝てるわけがない大舞台に挑んだ先輩方はそれこそ何人もいるわけで。

 

「ダイナだよ」

「ギャロップダイナ先輩でありますか!? それは……イメージが違うといいますか……」

 

 ハッキリ言って意外でした。反骨心あふれるあの方がそんなことをいうように思えませんでした。

 意外と冷めてるときは冷めてるダイユウサク先輩とか、お会いしたことはありませんが噂ではかなり悲観的だったレッツゴーターキン先輩とかならまだわかりますが……

 

「アイツ、自己条件のレースに出る予定だったのを急遽で秋の天皇賞に変更したんだ。で、あのシンボリルドルフ(“皇帝サマ”)を相手に勝てるわけがない、ってな」

「そ、それは……」

 

 思わず苦笑してしまいます。さすがに相手が悪いとしか言いようがありません。

 先輩のことなので口を濁すしかありませんでしたけど、同じ状況だったら私も同じことを言っていたはずです。

 当時のギャロップダイナ先輩は条件ウマ娘だったはず。

 聞けば芝での勝利さえなかったというではありませんか。

 でもトレーナー殿は、首を横に振ります。

 

「あの時のアイツにも言ったんだが……出走するウマ娘には誰もが同じように、等しく勝利のチャンスが与えられているんだ」

 

 確かにその通りではあります。

 理屈ではその通りなんでしょうけど……私の考えとは関係なくトレーナー殿は話を続けます。

 

「GⅠレースに条件ウマ娘が出走しようが、人気投票で出走が決まる最強決定戦(グランプリ)に推薦枠で出走しようが、順位に関係ない参考記録になるわけじゃないんだからな」

「しかしトレーナー殿、そうは言いましてもダイナ先輩の場合は相手を考えれば──」

「それはお前も同じだぞ、ダイタクヤマト」

 

 私の反論を無視するように遮って、トレーナー殿はポンと私の肩に手を乗せて優しい笑みを向けてきました。

 

「それまでの成績なんて出走表(それ)に名前を乗せちまえば関係ないんだ。スタートのゲートは横一線。誰もが平等なんだからな」

「それはそうでありますけど……」

 

 でも、そもそもの実力が違うわけで……

 実際に出走表に並んでいる名前の中には短距離GⅠ制覇に名を連ねたウマ娘も複数いますし。

 なによりも──

 

「今回のレースは、目の前で最速記録(レコード)を出すのを見せられたウマ娘だっているじゃないですか」

 

 アグネスワールドが芝1200の記録を出した北九州短距離ステークスには私も出走していたんですよ。トレーナー殿だって目の前で見ていたじゃないですか。

 私がそれを指摘すると──

 

「お前はオレ達の勝利だって実際に見たんだろ? ダイユウサクとレッツゴーターキンが勝利するところを、その目で(じか)に」

 

 マイルチャンピオンシップで勝利するダイタクヘリオスさん姿を見て感銘を受けた私は、直後の有記念を見に行っていました。

 そして“推し”にしていたのでその翌年の秋の天皇賞も。

 

アレ(下克上)を自分がすると思ったら、ワクワクしてこないか?」

「い、いえ……それよりも怖くて膝がガクガクしてきそうです」

 

 そう言って苦笑しながらあの時のことを思い出していました。

 大本命メジロマックイーンが敗れた時の観客席(スタンド)のざわめきを。

 前年の年度代表だったトウカイテイオーをはじめヘリオスさんも含めたGⅠウマ娘達を、後方から一気に抜き去ったときの戦慄を。

 あの時の困惑する観客(ファン)達の姿を見ていただけに、恐ろしくさえ思えてしまうのです。

 でも彼はそうではないようで……

 

「そうか? 実績や名声だけで結果が決まるのなら面白みなんてまったくないだろ。逆転や番狂わせ、想定外やら誤算があるからこそ日々が()()()()()。そうは思わないか?」

 

 そう言ってニヤリと笑みを浮かべるトレーナー殿。

 さっき名前の出た我がチーム最年長の先輩が時折浮かべるのとそっくりなその表情に、性格が一番似ているのはそのウマ娘なのかもしれないと、思わず苦笑してしまいます。

 とはいえ我がトレーナー殿が“皇帝”を倒した実績で“革命家(テロリスト)”を自称している方と性格が似ているというのは一抹の不安を感じてしまいますね。

 そしてそんな彼は言葉を続けるのです。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()のも、勝負の醍醐味だろ?」

「あ……」

 

 なぜでしょうか。

 今まで共感できなかったはずだったのに、その言葉だけは私の心に大きな波紋となって広がっていくのがわかりました。

 そして同時に思い出します。

 

『これはビックリ、ダイユウサク~ッ!!』

『レッツゴーターキン、ムービースター! レッツゴーターキンだッ!!』

 

 あの時、(ライブ)で感じた胸が熱くなった感覚。

 応援していたヘリオスさんが負けたはずなのに、勝てないと思われていたウマ娘が番狂わせを起こす光景に心を打たれたことを。

 さらには──

 

『外からギャロップッ!! あっと驚くギャロップダイナ!』

『これは番号6番、サンドピアリスに間違いない!』

『先頭は、タケノベルベット独走でゴールイン!』

 

 ──直に見たわけではなく映像として見た先輩方のレースも、私の心を奮わせるものだと気づくのです。

 もちろんオラシオンさんのような、圧倒的な強さで周囲の期待に応える姿にも憧れます。

 でも、私の心の奥底──私の魂は絶望的な逆境を跳ね返す強さにこそ、どうしようもなく惹かれるのです。

 そんな本意に気づいた私の様子を見て、トレーナー殿が自信を持った笑みを浮かべて、ハッキリと言ったのです。

 

「お前が勝っていいんだ、ダイタクヤマト」

「自分が、勝つ……」

 

 もちろんその勝ち筋など分かるわけもありません。

 自信などあるはずもありません。

 でも不思議とそれを意識すると、胸が熱くなるほどの高揚感を感じてしまうのです。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

「死中に活だ!! ダイタクヤマト!」

 

 トレーナー殿のその声で私の心臓がドクンと大きく脈動するのを感じました。

 私は、勝ちたい。

 この逆境を打ち破り、祈るように見ている先輩達の気持ちに応えたい。

 

(否──応えなければなりません!)

 

 もしも諦めたら──レースから“にげ”たら敗北しか残らない。

 “逃げ”とは“たたかう”こと。トレーナーはそうおっしゃいました。

 今の最も絶望的で苦しい場面において、生き延びるには“たたかう”しかない。

 周囲と戦い、そして己と戦い──勝つ。

 幸いなことに、応援してくれる仲間が、好敵手がいる。

 

「私は……太陽(ヘリオス)にはなれない」

 

 その中にいる憧れの先輩。

 かつては彼女そのものになりきろうと真似したこともありましたが、私は同じ道を歩くことはできなかった。

 なぜなら……それは本当に本当にごく単純な理由。

 

 ──私は彼女(ダイタクヘリオス)じゃないから。

 

 それを思い知らせてくれたのはトレーナー殿でした。

 そう、私の名前はダイタクヤマト。

 

「私は──戦艦(ヤマト)だ!」

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

『さぁ後続各員、さぁGⅠ級各ウマ娘追い込んでくる』

 

 

 後ろから追いかけてくる一流の短距離走者(スプリンター)達の気配が、一際強くなった。

 ここがまさに勝負どころであり、天下分け目の(いくさ)()

 例えるならば関ヶ原──いえ、もしもここでの結果が違っていれば全く違った歴史になったかもしれなかったミッドウェー海戦といったところでしょうか。

 

(あの戦いにあの艦は、一応も参加していたんですけどね……後方でしたが)

 

 艦隊の核ともいえる重要な艦だったからこそ、前で戦うことを許されなかったのです。

 

(もし私があの艦だったら……存在理由をかけて、前で戦いたいと思うのでしょうか……)

 

 そんな妄想のような考えが浮かぶほどに、尽きかけていた体力で朦朧としかけている今の私。

 そこへ後方から一斉に他のウマ娘達が先頭を飲み込まんと押し寄せてくる。

 まさに絶体絶命の危機。

 

(だからこそ──負けられない!)

 

 うつむきかけていた顔をどうにか上げる。

 これまで前でレースをしていたせいで悲鳴をあげかけている私の体はまさに満身創痍。

 その状態はもはやミッドウェーではなく坊ノ崎海戦──現実でのあの戦艦の最期の姿かもしれません。

 でも──

 

(ヤマト)はッ! 沈まないッ!!」

 

 弱い考えを振り払うように、全身に力を込める。

 今、沈むわけにはいきません。

 

「戦艦とは──皆の希望を背負って戦う存在(もの)だから」

 

 ライバルの、そして憧れの人の声援が──

 奇跡を起こしてきた先輩達の願いが──

 そして……

 

 

(先輩達に負けないくらい世間を驚かせる──そんなウマ娘になってね)

 

 

 遠く離れた先輩からの託された夢が、私の背中を押してその力を奮い立たせるのです。

 皆の期待と夢と希望を背負うからこそ、沈むわけにはいかないのです。

 その使命を帯びた存在こそ──戦艦。

 

大和(ヤマト)とは、大日本帝國海軍が誇った超弩級戦艦のこと!! 世界最大の、戦艦のことッ!!」」

 

 トレーナー殿が示してくれた“かくありたい”と思い描く理想の姿。

 私はそれになると、決めたのですから。

 

「──戦艦は、沈まないッ!!」

 

 自然と言葉が口をついて出ていた。

 もはや限界で、そんな余裕なんて無いはずなのに。

 気炎を上げ、そしてトレーナー殿がそのときに言った言葉──“戦艦の精神”を思い出す。

 みんなの期待に応えなければならないという思いが過剰なまでに集中した私は──心のままに叫んでいました。

 

 

戦艦が簡単に、沈むかぁぁぁ(They ain't going to sink this battleship, no way)ッ!!」

 

 

 ──そして、世界が切り替わった。

 

 皆の思いや願いが流れ込んだかのように、体に再び力が漲るのを感じた。

 そして確信する──いける、と。

 

(機関始動!! エネルギー充填、120%……)

 

 再び蘇った力を手足に込めて、力強く大地を蹴る。

 そして顔を上げる。

 

(照準固定……両舷、増速ッ!)

 

 現実世界を映す目が、ハッキリと坂の向こうの終着点(ゴール)を捉えていた。

 残る距離はあとわずか。その間、得た力を最大にまで振り絞るのみ。

 もはや後ろを気にする余力も必要も──無い!!

 

「意識を前方に集中……喰い、破るッ!!」

 

 そうして──グンと再加速する自分(ダイタクヤマト)

 今にも追いつかれよう、バ群に飲まれようとしていたが──まるで恒星のような青白く強烈に輝くオーラを放っていた。

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

『間もなく残り200の標識になる。

逃げる2名逃げる2名。最内のブラックホーク追い上げていく』

 

 

 レースも最終盤。

 各ウマ娘が残る力を振り絞り、スパートをかけていく。

 そんな中でレース序盤から先頭(ハナ)をきっていたウマ娘2人は、もはや後ろから追い上げてくるウマ娘に対抗する力を残しているはずがなかった。

 

(絶対に、沈む)

 

 それが後続各ウマ娘の共通認識であり、バ群に飲まれて落ちてくる2人を回避しつつ他のウマ娘をどう出し抜くかの争いになる……ハズであった。

 案の定、そのうちの1人は力を失い下がってきたのだが──

 

「「「なッ!?」」」

 

 追いかける強豪達は完全に驚愕していた。

 先頭をきって走り、その結果死に体になったと思い込んでいたウマ娘が──今や完全に息を吹き返して加速したのだから。

 

「なッ!? ……沈まない、だと!?」

 

 その光景に猛禽類のような鋭い目を驚きに見開くブラックホーク。

 彼女の目は、満身創痍で沈むのを待つだけだったはずのウマ娘が、それどころか青白いオーラを纏って息を吹き返す姿を捉えていた。

 

 

『ダイタクヤマト突き放す突き放す突き放す!

 まだ後ろは来ない!まだ後ろは来ない!』

 

 

 沈みかけていたそのウマ娘は今や後続を引き離そうとさえしていた。

 その光景は、後ろにいた実力巧者のウマ娘達が来ないのではなく、ダイタクヤマトが再加速したかのように見えるほど。

 そんな中──

 

 

『アグネス来た、アグネス2番手アグネス2番手アグネス2番手。』

 

 

「絶対に、追いついて見せル! ワタシは最速の──」

 

 最速記録を出したあのレースで彼女を歯牙にもかけなかったアグネスワールドが、今や全力を振り絞って勝負を仕掛けていた。

 しかし……追いつけない。

 

「What's happen!?」

 

 思わず声がついて出る。

 距離は詰まっている。でも、追いつくことができない。

 

 

『大外!大外からブロードアピール!前に2名、ブラックホークが2番手争いだが──』

 

 

「なぜ沈まない!?」

「くッ、こんな……聞いてないわよ、こんなの!!」

 

 他のウマ娘も必死に追い上げるが、それでも驚異の粘りを見せるダイタクヤマトには

届かない。

 

 

 そして──出走していたウマ娘たちはゴールラインを通過する。

 

 

 実況はマイクを握りしめ、思わず立ち上がり、そして叫ぶ。

 興奮した声が場内に響きわたった。

 

 

『逃げ切った!逃げ切った!逃げ切った!

ダイタクヤマト、逃げきり逃げきり逃げきりッ!!』

 

 

 それに応えるかのように──死力を振り絞って先頭を守ったダイタクヤマトは高々と拳を突き上げる。

 空を覆うの隙間からスポットライトのように日が差し込み、その姿を照らすのだった。

 




◆解説◆

【必死の逃亡!! ヤマト渦中へ!!】
・今回のタイトルは前半と後半で元ネタがあり、前半は『宇宙戦艦ヤマト』第15話「必死の逃亡!! 異次元のヤマト!!」から。
・そして後半は『宇宙戦艦ヤマト2199』で使われたBGMのタイトル「ヤマト渦中へ」。
・主題歌「宇宙戦艦ヤマト」をアレンジしたもので、スパロボVでのヤマトの戦闘BGMになっています。
・なおスパロボVでは題名が「降下するヤマト」になっていますが、これはなぜか『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』でのを採用したため。
・このBGMを採用したのは、今話のクライマックスでダイタクヤマトが自分のスキル=“領域(ゾーン)”を発動させた際のイメージ曲がまさにコレなため。
・元祖ともいうべき「ヤマトのテーマ」もいいのですけど、今作のシーンとはイントロの物悲しさが少しだけ違うような感じがしたので。
・ぜひともこの曲を脳内で流してください。

戦艦が簡単に沈むか(They ain't going to sink this battleship, no way)
・本作オリジナルウマ娘であるダイタクヤマトの固有スキルであり、シングレ的にいうなら“領域(ゾーン)”。
・皆の期待や希望、夢に応えたいと強く願うダイタクヤマトの思いの顕れで、レース最終盤でスタミナが回復した上に速度が上がる。
・英語表記があるのはシングレでの“領域(ゾーン)”でもあるため。
・その元ネタは今までさんざん採用してきた『宇宙戦艦ヤマト』シリーズではなく、映画『バトルシップ』での有名な台詞。
・「~!!」と感嘆符が付くので強い口調なのかと思いきや、映画では意外と淡々と言ってるんですよね、このセリフ
・英語表記の「They ain't going to sink this battleship, no way」はもちろん元の原文の台詞から。
・なお、本作ではこのネタを以前に一度使っていたりします。
・もちろん、ここで使うための前振りでした。

青白く強烈に輝くオーラ
・上記のスキルを使ってからは“戦艦大和”から、背負った希望と夢に応える“宇宙戦艦ヤマト”に切り替わるイメージです。
・その後の台詞も作中に出てくるものからイメージしていますし、このオーラは宇宙戦艦ヤマトの切り札である“波動砲”を発射する直前の光のオマージュ。
・実際のレースでも、ダイタクヤマトは終盤に異常な粘りを見せ、再加速したかと思うほどに後続馬を一度引き離しています。


・スミマセン、ここは史実と変えました。
・実際の2000年スプリンターズステークス当日の中山の天気は曇り。
・それどころか馬場は稍重と雨上がりな状況で、日が差し込むような天気ではありません。
・でもやっぱりせっかくの勝ったシーンなので、見栄え重視にしました。
・ウマ娘の世界では、ゴール直後に晴れ間が差したと思ってください。


※次回の更新は4月10日の予定です。  



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