【コミカライズ】クソゲー悪役令嬢~ 滅亡ルートしかないクソゲーに転生したけど、絶対生き残ってやる! (タカば)
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悪役令嬢は兄と仲良くなりたい
どうしてこうなった


ハーメルン初投稿です。
表か、コメント等応援よろしくお願いします。


なんでこんなことになったのよ!

 

私は世界で一番かわいい子なんでしょ?

私は一番キレイでステキで、愛さずにはいられない子なんでしょ?

 

だから、最高のオシャレをしてお茶会に参加したのよ!

 

なのに、キラキラの銀髪をした男の子は

「女の子って弱いから遊ばないよ」

って言ってどっかに行っちゃうし!

 

金髪の王子様は

「ひとりでお茶が飲みたいから、ごめんね」

って言って同じテーブルに座らせてくれなかったし!

 

泣きボクロのお兄さんは

「子供がうろちょろするな、帰れ」

って言ってつまみ出そうとするし!

 

なんなのなんなの!

みんな私の言うことなら何でも聞いてくれるんじゃないの?

私が一番ステキでかわいいレディだから、何でも望みがかなうんじゃないの?

 

どうして誰も私の言うことを聞いてくれないの!

どうして誰も私のことだけ見てくれないの!

 

「おい、泣いて暴れるようなら……」

「うるさい! 私悪くないもん!」

 

泣きボクロのお兄さんの手を振りほどいた瞬間、私の体がぐらりと傾いた。

買ったばかりの赤い靴が、芝生の上で滑る。

 

「きゃあっ!」

 

テーブルに思い切り頭をぶつけて、目の前が真っ暗になった。

 

 

===================================================

 

 

 頭をぶつけて、前世の記憶を思い出しました。

 

 目を覚ますと同時に頭に浮かんだフレーズに、私は顔をしかめた。

 異世界転生もののラノベではよくある展開だ。頭を打ったとか、適当なショックで、今まで封印されていた記憶がよみがえり、新しい自分になったことを喜ぶ。

だいたいはそういう展開なのだが。

 

「なんちゅーところに転生してんの、私」

 

 最初に口からこぼれた言葉はそれだった。

 

「あ、あら? お嬢様、気が付かれましたか?」

 

 私の声に気づいた女性が振り返る。お仕着せのエプロンドレスを着た、下働きの女性、いわゆるメイドというやつだ。彼女は私の顔をあわてて覗き込んでくる。

 

「私がわかりますか? 気分は悪くありませんか?」

「大丈夫よ、ミリー。意識ははっきりしてるわ。痛いところもないし」

「お目覚めになられてよかったですわ。すぐにご主人様と奥方様をお呼びしますね」

 

 丁寧にお辞儀をすると、ミリーは部屋を出て行った。

 私はのそのそと体を起こす。

 

 周囲を見回すと、贅を凝らした美しい寝室の光景が目に入った。現代的な豪華さではない。

 ベルサイユ宮殿とか、ノイシュヴァンシュタイン城とか、そんな感じのヨーロッパの古城を思わせる優美なデザインの部屋だ。

 ここには見覚えがある。

 自分の部屋なんだから当然だ。

 私の『今の名前』はリリアーナ・ハルバード、10歳。

 南部地方を治める大侯爵の長女であり、乙女ゲーム『イデアの輪舞』の登場人物だ。

 

「なんでよりによって超クソゲーの最凶悪役令嬢に転生してんのー!」

「えー、それを望んだのは小夜子ちゃんじゃないですか」

 

 いきなり日本語で話しかけられて、私は動きを止めた。

 

「え……誰?」

「はーい、お久しぶりー!」

 

 声のする方向を見ると、デニムパンツにパーカーを着込んだイトコのお姉ちゃんが立っていた。

 

「メイねえちゃん? えええええ? どういうこと? ここってまだ夢の中?」

「はいはい落ち着いて。小夜子ちゃんは起きてるし、ここは現実だから安心してー」

「ゲームの中に転生して生前の知り合いと会話するなんてシチュエーション、夢だってほうが説得力あると思うんだけど?」

「事実は小説より奇なりって言うでしょう」

「奇なり、の範疇をぶっちぎりで越えてるから! なんでここにメイ姉ちゃんがいるの!」

「んーとね、それは私が実はこの世界を守護する運命の女神様だったからです!」

「……は?」

 

 もう一度意識が飛びかけた。

 茫然とする私の目の前で、一瞬メイ姉ちゃんの輪郭がほどける。そして次の瞬間には、女神としか言いようのない神々しい姿の女性が現れていた。

 

「これが本来の私の姿でーす。どう? それっぽいでしょ?」

「口調がメイ姉ちゃんじゃなかったら、もっと説得力があるんだけどね……」

 

 とりあえず、彼女が女神様だということは、間違いなさそうだ。

 

「なんでそんな人が私のイトコだったんだ……」

「ああ、それは暗示ですね。病室暮らしのあなたと知り合いになるために、適当な関係性を刷り込ませてもらいました」

「えええ」

「私が母方父方、どっちのイトコか正確に思い出せます?」

「そ、そんなの……あれ?」

 

 そういえば、前世の両親はどっちも一人っ子だったような……そんな状態でイトコなんてものが存在するはずがない。

 

「わ、わけがわからない……どうしてそんな暗示までかけて、他の世界の女神が私のイトコになってんの」

「それはゲームをしてもらうためですね」

 

 メイ姉ちゃん、いや女神は懐からいくつものゲームソフトを取り出した。

 それは、ヒマを持て余した私に彼女が『テストプレイして』と持ってきた開発中の乙女ゲームたちだ。

 他にやることもなかったから遊んでたけど、あれはマジでひどかった……。

 不公平すぎるパワーバランス、意味不明のフラグ管理、不条理なイベント、初見殺しの伏線。リリース前でデバッグ途中だとメイ姉ちゃんは言っていたけれど、ちょっとやそっとの修正では、どうにもならないと思う。

 

「あれ、ただのゲームじゃなくて、私が管理している世界のシミュレーションだったんですよねえ」

「え」

 

 今なんと?

 

「あれ……もしかして、現実……なの?」

「ある世界にとっては」

「えええええええ」

 

 あんなクソゲーの中で生きる人類がいるの? 不条理すぎない?

 

「若くして病気で命を落とすことになった、小夜子さんの人生に不条理はなかったと?」

「……不条理てんこ盛りだったね、そういえば」

「まあそんな不条理の中にあっても、人の子を幸福へと導くのが私の役目なのですが……どうにも、私にはそのあたりをうまく運ぶ才能がないようで。何をどうシミュレーションしても、必ず世界が崩壊するんですよ」

「ひどい女神だなあ」

「私も、それでいいとは思ってませんよ? やっぱりみんな幸せにしてあげたいですし。そこで、人の子自身の手を借りることを思い付いたんです」

「それが、あのクソゲー?」

「ええ、ポジティブ思考の人の子にハッピーエンドまでの道筋をシミュレートさせ、その攻略情報をもとに世界を導く。完璧な世界救済です」

「うわあ……ゲームのデバッグのつもりが、世界のデバッグをやっちゃってたよ。いいのかなあ」

「みんなが幸せならそれでいいのです。実際、小夜子さんはとてもいい仕事をしてくださいましたよ? おかげで、25もの世界の滅亡を回避できました。あなたは、文字通りの救世主なのです」

「……はあ」

 

 クソゲーで遊んでただけで救世主。いまいちぴんとこない。

 

「でも、それだけ世界を救っておいて、何も報いがないのはかわいそうでしょう? だから、私はあなたに新しい生を与えることにしたのです」

「それが、この転生ってこと?」

「ええ。私が干渉できるのは、あなたがプレイしていたゲームの世界だけです。それでも健康な体を持って新しく生をやり直すのは、若くして病に倒れることになったあなたにとって、救いになると思ったのです」

「はあ……それは、嬉しいんだけどさ。なんでまた、『イデアの輪舞』なの? 遊んだ中ではぶっちぎりのクソゲーだったじゃん」

 

 イデアの輪舞曲は、メイ姉ちゃんからもらったゲームの中で一番のクソゲーだ。

 ジャンルは一応乙女ゲーム。世界を救う聖女に選ばれた少女が、ヒーローたちと協力しながら危機に立ち向かうという王道ストーリーだ。

 しかし、ストーリーは王道でも設定はめちゃくちゃだった。王宮は権力闘争の真っ最中、野山は危険な魔物の巣窟だし、国際情勢は数か国が同時に侵略を企てているカオス状態。選択肢をひとつでも間違えようものなら、スパイや暗殺者にあっという間に殺される。

 その上、世界崩壊の危機である。人同士のトラブルを乗り越えて恋を成就させたとしても、最終的に世界が救えなければそのまま星ごと滅びてバッドエンドだ。

 乙女ゲームのはずなのに、愛が世界を救わないとか、どんな世界観だよ。

 むきになってやりこんでたけど、生きている間に大団円を拝むことはできなかった。

 

「だから、それを選んだのは小夜子さんなんですってば」

「えー?」

「死の間際に枕元に立って、今までプレイしたゲームのどこに転生したいか、ってきいたら……クリア済みのゲームに興味はない。どうせ再プレイするなら、大団円ができなかったイデアがいいって」

「誰だよ、そんな廃ゲーマー発言した奴」

「小夜子さんですよ」

「……」

「覚えがないですか?」

「……ないけど」

 

 死に際のテンションでそれぐらい言いそうな気はする。

 というか、たぶん言ってる。

 

「ヒロインじゃなくて、悪役令嬢なのはなんでなの」

「それも小夜子さんの希望ですね。イデアの世界で起こる悲劇はゲーム開始時点ですでに確定しているのがほとんどでした。悲劇を事前に回避するために、幼少期から貴族社会で影響を与えることのできるポジションとして、リリアーナを選択したんですよ」

「あー……確かに、それはプレイ中から思ってたなあ。ヒロインが現れるタイミングじゃどうにもならない事件ばっかりだったから」

 

 ライター何考えてたんだ、って思ってたけど現実だったのならしょうがない。そもそも、論理的に筋を作るライターが存在しなかったんだから。

 

 だからって、最凶悪役令嬢を選ぶのは思い切りすぎだけど。

 これも死ぬ間際のハイテンションで選んだ道なんだろう。だって、あの時は走馬灯ついでに見た幻想だって思ってたんだもん。実現するなんて思わないじゃないか。

 

 頭を抱える私の隣で、メイ姉ちゃんはにっこりわらった。

 

「偽りの身分での関係ではありましたが、あなたは私のよき友人でした」

「え、なんで話をまとめにかかってるの?」

「願わくば、最高に幸福な人生を」

「ちょっと!」

 

 キラキラを光ったと思ったら、次の瞬間にはメイ姉ちゃんの姿は消えていた。

 

「言うだけ言って消えないでよー!」

 

 これからどうしろっていうの!

 

 




というわけで、お話のはじまりはじまり。

恋愛するには家庭環境がアレすぎて、なかなか恋愛しませんが、魅力的な男性キャラはいっぱい出てくる……はず。たぶん。


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悪役令嬢の濃すぎる家族

「はあ……」

 

 私はベッドの上でため息をついた。

 乙女ゲーム転生、悪役令嬢。正直頭がついていかないことばかりだ。

 だが、このままうずくまっているわけにはいかない。なにしろ、5年後には厄災が起きてこの国どころか星がまるごと滅びてしまうのだ。

 

 せっかく健康な体に生まれ変わったというのに、前世の年齢に追いつく前に死ぬわけにはいかない。

 

 まずは現状把握だ。

 私はベッドからおりてみた。

 

 視線が低い。

 よろよろとおぼつかない足取りで姿見の前に出ると、そこには10歳の少女が映っていた。

 艶のある長い黒髪。ルビーのような赤い瞳。

 はりのある白い肌は、健康そうな薄紅に色づいている。

 

「美少女だ……」

 

 ちょっときつめの顔立ちだけど、私は間違いなく美少女だった。

 すばらしい。悪役令嬢が地味顔じゃ、ちょっとカッコつかないもんね。

 

 鏡の前でニヤニヤしていると、部屋のドアがノックされた。

 メイドかと思ったら、違った。

 

「リリィ、目が覚めたのね!」

 

 ノックの返事も待たずに、巨大な布のカタマリが部屋に入ってきた。

 

「お、お母様……」

 

 シルバーブロンドにルビーアイの女性。今世のお母様だ。

 一目で上流階級出身だとわかる、上品な物腰の人物なのだが……彼女は余計なものをたっぷりとため込んでいた。

 

「あなたがお茶会で倒れたと聞いてから、もうお母様は心配で心配で……」

 

 ぷくぷくの白い手で頭を撫でられる。ぎゅっと抱きしめられると、胸と腹のクッションが私の体を包み込んだ。そう……母は、スーパーダイナマイトマシュマロボディだった。

 どうやって、このマシュマロから自分のような美少女が産まれたのか謎である。

 

「リリィが目覚めたというのは本当かい?」

 

 バタン、とドアをあけてもう一人の人物が部屋に飛び込んできた。

 こちらも一目で高貴な育ちだとわかる黒髪の上品な紳士で……母と同じサイズ感のスーパーマシュマロボディだ。

 

「お父様」

 

 私が母の肩ごしに声をかけると、父は目じりを下げてほっと嬉しそうに笑った。

 大きな手で優しく私の頭をなでてくれる。

 

「よかった……この宝石のような瞳が、もう一度輝くところが見られて安心したよ」

「お父様、おおげさですわ」

「それくらい嬉しいってことだよ」

「……チッ、生きてたか」

 

 忌々しそうな声が、両親の喜びに水をさした。

 

「アルヴィン!」

 

 私たちが振り向くと、そこには私とそっくり同じ黒髪と赤い瞳をした少年が立っていた。両親と違い、私と兄弟であることがよくわかるきつめの美少年。5歳年上の兄、アルヴィンだ。

 

「父様が飛び出していくから、やっと死んだかと思ったが。存外にしぶといな、リリアーナ」

「お前、実の妹に対してなんてことを」

「妹だからこそですよ、父様。王妃様主催のお茶会で、辺境伯の孫にコナかけて、第一王子とお茶が飲めなかったからといって癇癪を起して、止めに入った宰相の息子であるフランドール先輩の手を振り払ってコケて、頭を打ったバカ娘に生きている価値なんかない」

 

 さっさと死ね。

 そう言い捨てて、アルヴィン兄様は去っていった。

 

 リリアーナ・ハルバード。

 侯爵家の長女である私は両親に溺愛され、兄から嫌われていた。

 



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チートアイテムは黒歴史の香り

「うあああああああどうしよおおおおおお」

 

 両親と兄、メイドが去ったあと、私は淑女らしさをかなぐり捨ててベッドの上でのたうち回った。世界を救うために幼少期から活動しようと思ったら、いきなり人間関係でつまずいていた。

 この状況、どうしろっていうの!

 

「あれでしょ? 銀髪の男の子っていったら、騎士キャラポジのシルヴァン・クレイモアでしょ? 貴重なバトルキャラに初対面で嫌われてどうするのよ」

「大変ですねえ」

「金髪の王子様って、比喩表現じゃなくてマジものの王家の跡取り息子じゃない。誰にでも平等に対応する、いつも優しい良い子に同席を拒否られるって、何やったのよ」

「ふんぞり返ってたからでしょうかね?」

「それに、泣きボクロのおにいさんって、大人クーデレポジの宰相、フランドール・ミセリコルデじゃん。多分まだ宰相にはなってないと思うけど……ああいうタイプは一度嫌われると挽回するのがめちゃくちゃ難しいんだってば」

「へえ、そうなんですね」

「しかも、魔法使い教師ポジの兄貴には、死ねばいいなんて言われる始末だし……もうこの時点でほぼほぼ詰んでる気がする」

「うーん、そう言われましても、私の力では小夜子さんの意識をこれ以上過去に送ることはできませんしねえ」

「どうにかならないの……って、メイ姉ちゃん?」

 

 私はがばっと体を起こした。

 そこにはパーカー姿のメイ姉ちゃんが立っていた。

 

「帰ったんじゃなかったの?」

「ひとつ、忘れ物があったので戻ってきました。はい、これどうぞ」

 

 メイ姉ちゃんは私に一冊の本を差し出した。

 革張りの装丁の、立派な本だ。でも、その表紙には『攻略本』と思いっきり漢字がデザインされている。開いてみると、中には日本語でこの世界の成り立ちやキャラの来歴、事件の真相といった細かい情報がびっしり書かれていた。

 文字通りの攻略本だ。

 

「厄災が本格化するのは5年後。その時期まで細かい人間関係を全部記憶するのは難しいでしょう? なので、参考資料としてこの本をプレゼントします」

「マジで? いいの?」

 

 プレイ済みのゲームの内容を5年も覚え続けるのは大変だ。

 特に、あのゲームは伏線やらフラグやらが複雑に入り組んでいたので、余計大変だ。いつでも確認できる資料があるのはありがたい。

 

「でも、気を付けてくださいね。その攻略本の内容は、私がゲームを作成するときに観測した5年後の未来を起点にしています。あなたが未来を変えようと動けばその分、攻略本の情報と離れていきますよ」

「自動で書き換わったりしないの?」

「うーん、私の力は聖女が覚醒する5年後を起点にしないと動かせないので……」

「女神の力もいろいろ制約があるんだね?」

「やろうと思えばいろいろできなくはないのですが……世界に干渉し続けた結果、星ひとつ丸ごと腐敗して滅んだことがあって、過度に干渉しないよう創造神様に止められているんですよ」

「おおう」

 

 過干渉で世界を滅ぼすとか、本当に世界を導く才能がないんだな……メイねえちゃん。

 

「というわけで、この世界に対して私ができることは、小夜子さんをこの世に送り込むことと、この本を与えることのふたつくらい、と決めてるんです」

 

 メイねえちゃんは困ったように笑った。

 

「わかった。なんとかしてみるよ」

 

 私は攻略本をぽんと叩いた。私の行動で内容が食い違っていくとはいえ、これはものすごく強力な予言書だ。使いようによってはとんでもないチート武器になる。

 

「とりあえずこれはどこかに隠しておいたほうがいいのかな?」

 

 日本語で書かれてはいるけど、ところどころ地図やキャライラストが入っていて、一目で異質なものだとわかる。誰かに見られたら大変だ。

 そう言うとメイねえちゃんはにこっといい笑顔で笑った。

 

「安心してください! 目くらましの魔法をかけておきましたから。小夜子さん以外には、装飾過多なポエムが書き綴られた日記帳にしか見えません。誰かが中をちらっと見たとしても、ほほえましい気持ちで元に戻しておいてくれるはずですよ!」

「メイねえちゃん、そういうとこやぞ」

「はい?」

 

 この女神、気遣いのポイントがことごとくズレてるんだよなあ。

 

「はあ……見た目はともかく、チートアイテムが手に入ったことだし、兄様をなんとかしてみるか」

「まずはお兄さんの対応ですか?」

「家の中の問題をどうにかしないと、他人のことまで関われないよ。特に、アルヴィン兄様は時限爆弾キャラだし」

「何なんですか、その物騒なニックネーム」

 

 私は攻略本の兄のページを開いた。



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兄は時限爆弾少年

 アルヴィン・ハルバード。

 南部貴族をまとめる大領主、ハルバード家の長男であり、私の兄だ。

 ゲーム開始時には、王立学園の魔法学の教師として登場する。

 

 本来、領主の跡取りとして父親の元で領地経営の何たるかを学ぶべき彼がなぜ教師をしているのか?

 もちろん理由がある。

 

 彼がハルバード家の家族を心底嫌っていたからだ。

 実家に帰りたくなくて、無理やり教師という理由をつけて学校に残っているのだ。

 

「まあ、実家のメンバーを考えたら、そう思うのも無理はないけどね」

「傍若無人でワガママ放題の妹と、それを止めないぼんやり両親ですからねえ」

「ただ嫌いなだけならともかく、放っておくと『実家はもうダメだ』って見限って、隣国のアギト国に亡命しちゃうのが問題なんだよね」

 

 優秀な跡取りを失ったハルバード家はその後没落。旗印を失った南部はばらばらになり、最終的にアギト国に侵略されて焼け野原になってしまう。

 他のルートにかまけて、彼を放っておくと南部が消えるので、誰を攻略するにしても必ず処理をしなくてはいけない爆弾野郎だ。

 

「あー、だから時限爆弾」

「今世の家族としても、大事な人だから家出なんかせずに、ハルバード家に残ってもらいたいんだけどね」

「和解は難しそうですか?」

「原因の大半は私のワガママにあるから、行動を改めたらどうにかなるんじゃないかな。なんだかんだいって家族だし、毎日顔を合わせながら少しずつ歩み寄っていければ……」

「あれ? お兄さんと同居してましたっけ?」

「あっ」

 

 私は大慌てで攻略本のページをめくった。

 

 そこには、『15歳で王立学園に進学して以降、一度も領地の城に帰っていない』とあった。よくよくリリアーナの記憶を思い返してみると、確かに去年の秋に学校の寮に入ってから戻ってきてない。学校が完全に閉鎖される冬至の休み期間も、王都にある社交用のタウンハウスに数日滞在して、また学校に戻っている。

 

 今日だって、社交の季節だからと領地から私を連れて王都にやってきた両親が、無理やり夕食に誘って学校から連れ出したから顔をあわせたのだ。普通に生活していたら、顔を合わせないまま5年後になってしまう。

 

 やばい。

 

 こんな状況で、10歳の少女に『死ねばいい』と言い放つくらい関係がこじれた家族と、やり直すことができるんだろうか。

 

「まあなんとかなりますよ」

「なんとかできなくて、異世界の人間の手を借りてる女神がそれ言っちゃう?」

「小夜子さんなら、きっと」

 

 ふわりとわらって、女神は姿を消した。

 おそらく、彼女の手助けはこれが最後。今ここからは自分の力で運命を変えなければならない。

 私は大きく深呼吸をした。

 

「やってやろうじゃないの」

 

 世界を救って、幸せな人生を歩んでやる!



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塩分過多で死にそう

 ハーティア王国を救うため、ひいては自分の人生を救うため、兄と仲良くしよう!

 ……と、意気込んでは見たものの。

 

(無理ゲーだったかもしれない……)

 

 夕食の席についた私は、早くも心が折れそうになっていた。

 そこには両親に加えて、王立学園から無理やりタウンハウスに呼び出された兄がいるんだけど……めっちゃくちゃ機嫌が悪い。

 

 父様が話しかけても

「今日はお前のために鴨を用意させたぞ。たっぷり切り分けてやろうな」

「一切れで結構です」

 塩対応。

 

 母様が話しかけても

「この果実水おいしいわね。学園に戻るときには1瓶持っていく?」

「必要ありません」

 塩対応。

 

 当然、私が話しかけても

「お兄様、学園でのお話聞かせて」

「断る」

 塩対応。

 

 すべての会話が塩!

 塩分過多で中毒になりそうなくらい塩!

 うう……小夜子のころから数えると半年ぶりくらいのまともな食事なのに、全然味がしない。

 せっかく、おいしそうな固形物の食事が並んでるのにもったいないよー。

 

「そういえばリリィ、大変だったわね」

 

 気まずすぎる会話に耐えられなくなった母様が、私に話を振ってきた。

 

「せっかく王妃様主催のお茶会に出席したのに、倒れちゃうなんて。体はもう大丈夫? 痛い所はないの?」

「大丈夫です、母様。すっかり元気になりました」

「そう、よかったわ。今年のお茶会シーズンはもう終わりだけど、来年もう一度お茶会に出ましょうね」

「……来年?」

 

 ぞっとするような低い声で、兄様が言った。

 

「コイツを来年も社交の場に出すつもりなんですか」

「ええ、そのつもりよ。確かに今日は失敗しちゃったかもしれないけど、子供はそうやって大きくなるものだわ。また来年もお茶会に出して経験を積ませてあげなくちゃ」

「クレイモア辺境伯に迷惑をかけて、第一王子に拒否されて、さらにフランドール先輩の顔に泥まで塗った人間に、次を与えてやる必要などないでしょう。もっと大きなトラブルを起こしてハルバード家の名前に傷をつける前に、修道院にでも送ったほうがいい」

 

 兄はどこまでも冷たい。

 確かにお茶会の席でかなりやらかしちゃったけどさー、10歳の子供にそこまで言うことなくない? そもそも家から離れている兄に家名うんぬん言う権利はないような。

 ……あれ?

 そういえば、兄が問題視しているポイントってなんかおかしくない?

 どうして、伯爵よりも王子よりも、宰相家の息子に迷惑をかけたほうが、重大事のように語ってるわけ?

 

「……お兄様、フランドール様とお知り合いなんですか? さきほどから、先輩と呼んでいらっしゃいますが」

「フランドール先輩は、王立学校学生寮の監督生だ。入学当初から非常にお世話になっている。あんなに優秀で、すばらしい方はいないというのに、お前ときたら……!」

「ご、ごめんなさい……」

 

 なるほどー。

 馬鹿な妹が敬愛する先輩に悪態ついたのが許せなかったのねー。

 ゲームの記憶が確かなら、フランドールは現在17歳。兄の2学年上だ。ちょうど学園に通っている期間が重なっていたから接点がありそうだな、とは思っていたけど……まさかこんなに仲がいいとは。

 

「まあまあ、落ち着きなさいアルヴィン」

 

 父様が私たちの会話に割って入った。

 

「今回のこと、リリアーナに本気で腹をたてている人は、誰もいないよ。クレイモア辺境伯は、顛末を聞いて『元気があって大変よろしい』とおっしゃっていたし」

「あの方は、とにかく元気ならなんでも許すじゃないですか」

「王妃様も、リリィのことを気に入ったみたいよ」

 

 ふふふ、と母様が笑う。

 

「なにしろ、第一王子であるオリヴァー様と婚約させたい、とのご相談を頂いているんですもの」

「「はあ?!」」

 

 私と兄は同時に叫んだ。

 

「おや、王妃様からもお誘いがあったのか。僕のほうには、ミセリコルデ宰相から、息子と結婚を前提とした付き合いをさせたい、という手紙が来ているんだが」

 

「「はあーーーーーー?!」」

 

 もう一度、私と兄は同時に叫んだ。

 



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悪役令嬢の二つの縁談

 父様と母様から伝えられた唐突な縁談に、私は頭を抱えてしまった。ちらりと横を見ると、兄も同じような表情で額に手をあてている。

 

「アレを見て息子と結婚させたい……? 絶対何か裏があるだろ」

 

 うん。私もそう思う。

 

 だって、あんな大騒ぎした自分に王妃としての適性があるとは思えない。

 それに、宰相家の提案も異常だ。息子のフランドール・ミセリコルデは現在17歳。能力が高く、見た目も美しい彼なら、7歳も年下の私を連れてこなくても、つり合いがとれるご令嬢がいくらでもいるはずだ。

 

 この縁談、どっちにも隠された思惑がある。

 断言していい。

 

 まず、王妃様の意図を考えてみよう。

 ゲームで得た知識通りなら、彼女は普通の王妃ではない。国を蝕み、民を虐げ、人を陥れるのが楽しみ、という非常に迷惑な人物だ。

 要するに、とんでもなく性格が悪い。

 現在のハーティア国社交界が、めちゃくちゃにギスギスしていて、謀略が横行しているのは彼女が原因である。最高権力者の妻が率先して貴族社会に嫌がらせしてるんだもん、そりゃそうなるよね。

 

 そんな彼女が私に声をかけたのは……都合のいいおもちゃを見つけた、と思ったんだろうなあ。

 南部に絶大な影響力をもつハルバード侯爵家のご令嬢、しかも世間知らずでワガママなんてキャラ、社交界に放り込んだらトラブルを起こしまくるに決まってるもん。

 

 だとすると宰相家からの縁談は、王妃様へのカウンターかな?

 彼女の操り人形になる前に、自分のところに取り込んでしまおう、と思っているのかもしれない。

 

「末は王妃か宰相の妻か。うちの娘はなんてすごいんだ」

「ふふふ、将来が楽しみね」

 

 父様と母様は、状況を全く理解していないらしい。

 同時にふたつも舞い込んできた娘の縁談に、喜んでしまっている。

 

「お前……どっちか受ける気か?」

 

 兄が探るように私を見てきた。私は天井を仰ぎ見る。

 ゲームの中のリリアーナ、つまり小夜子が来る前までの彼女ならどうしていただろうか。

 

 ……きっと、ここで王妃様の手を取ったんだろうなあ。

 

 最高権力者である王の妻か、王を支える宰相の妻か。ときかれたら、やっぱり王の妻のほうが身分が上で凄そうだもんね。

 

 そして、王子の婚約者になり王妃のお気に入りの座に座ったリリアーナは、宮廷の悪しき価値観を植え付けられ、最低最悪の悪役令嬢になっていったのだろう。

 だとしたら、私が選ぶべき道は……。

 

「どちらもお断りするわ」

 

 逃げで!!

 

 王子と婚約して、社交界で暗躍するのもアリかな、って思ったんだけどねー。でもどう考えても今以上の無理ゲーでしょ。

 相手は、十年以上も社交界を操ってひっかきまわしている女狐だ。今の私が元のリリアーナより精神年齢が上っていっても、病院暮らしで半分引きこもりみたいな生活をしていた小娘じゃ太刀打ちできない。

 将来的に戦う必要はあるけど、何か対抗できる武器を手に入れるまでは、距離を取ったほうがいいと思う。

 

 宰相の息子であるフランドールとの婚約も却下。

 兄が敬愛しまくってる先輩に結婚を迫ったりしたら、兄弟関係がこじれまくるに決まっている。

 

 というわけで、ここはどちらからのお話も断って、兄との関係修復に集中しよ……あれ?

 

 そこで私は家族が絶句しているのに気が付いた。

 全員、宇宙人でも見るような目で私を見ている。

 

 あれー?

 何かやらかした?

 

 



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悪役令嬢には必殺技が存在する

「せっかくのお話なのに、断っちゃうの?」

「すごくいい話なんだぞ?」

「名声に目がないお前が王家との縁談を断るなんて、天変地異の前触れか?」

 

 おい家族。

 特に最後の兄。妹に対するコメントとして酷すぎないか。

 というツッコミはおいておいて。

 

 そうか、今までのリリアーナの行動を考えると、縁談を断るのは不自然なのか。

 

 今の私は、リリアーナと小夜子が入り混じった別人格だ。

 だから、リリアーナの行動を俯瞰してみることができるし、貴族の常識とは違う目線で物を見ることができる。

 でも、たとえリリアーナを救うための選択であっても、いつもと全く違った言動をとれば、家族が大きな違和感を覚えてしまう。

 

 えーと、えーと。

 リリアーナらしく、かつお断りできる言い訳を考えなくちゃ。

 

「えっと……お父様、お母様。その婚約のお話、王妃様と宰相閣下が言ってきたことなんだよね?」

「ああ、そうだ」

「ということは、王子様や、フランドール様が、私と結婚したいって言ってくれたわけじゃないのよね? そんなのヤだ!!

 私は素敵な旦那様に愛されて花嫁になりたいの! 本人が花束を持って結婚を申し込んでくれるんじゃなきゃダメよ!」

 

 秘技! お花畑《ロマンティック》思考!!

 

 利害関係がからむ高位貴族は政略結婚が一般的だ。

 でも、私はまだ10歳の箱入り娘。結婚に夢を持ってたっておかしくないはず!

 お姫様の絵本大好きな子だし!

 

 宣言すると、両親はアラアラというほほえましい表情になり、兄は心底呆れかえった顔になった。違和感払拭したのはいいけど、そのたびに兄からの好感度が下がるこのシステムどうにかならんかな。

 

「じゃあ、結婚のお話はどちらもお断りしておきましょうねえ」

 

 母様はおっとりと笑う。

 

「俺もそうしたほうがいいと思いますが、王妃様からのお話もありますよね? 断っていいんですか?」

「大丈夫よ、どちらのお話もまだ内内の『相談』の段階だから」

「私たち家族以外は知らない話だ。断っても、どこにも影響は出ない」

 

 おお、ちゃんと断りやすいよう気を遣った提案だったのね。

 

「子供のころの婚約話はだいたいこんなものよ」

「たとえ今婚約したとしても、大人になるまでの間に相性が合わなくなったり、家同士の関係が変わったりするからなあ」

「だから、あくまでも『結婚の約束』なのよね。未成年の婚約は、破棄されやすいの」

 

 へー、そういうものか。

 おっとりお花畑な人たちだと思ってたけど、一応いろいろ考えてはいたんだな。

 

「だから、リリアーナは安心して自分の思う通りにしていいのよ」

「母様、そこは少しは止めてください」

「いいじゃない。子供はのびのびと育つべきだわ。もちろんアルヴィン、あなたも」

「コイツはのびのびというレベルじゃないだろ……」

 

 いやそこはこれから改めますから。

 と言っても信用してもらえないんだろうなあ。でも、がんばるという姿勢は示しておかないといけないね。

 

「私、素敵な方に求婚されるような、立派な淑女になってみせるわ」

「えらいぞ、リリアーナ」

「……具体的には?」

 

 手放しでほめる父様の後に、兄の低い声が続いた。

 10歳の子供に具体策を求める兄、手厳しい。

 

「えーと、まずはお勉強をがんばるわ。読み書きとか計算とか。あとは、みんなに注目される特技があるといいわよね」

「ダンスはどうかしら。かわいいリリィが踊っているところを見たら、みんな夢中になるわよ」

「それで、またダンス用のドレスだの、宝石だのを買い与えるつもりですか?」

「教養に必要な出費よ」

 

 ダンス、と聞いて兄の顔が不機嫌そうになる。

 ゲームで漏れ聞いた話だと、妹と両親が芸事にかまけて浪費するのが心底嫌だったみたいだもんね。

 ふっ、昨日までの私なら、そんなこと知らないからすぐに母様の提案に飛びついていたでしょう。

 でも、今は違う! 伊達に乙女ゲームを極めてませんから!

 わざわざ嫌われる選択肢は選びませんよ!

 ここは、同じ趣味を持つことで距離を縮めよう作戦だ!!

 

「私、魔法が使えるようになりたい! お兄様は魔法が得意なんでしょ? 教えて!」

「……ああ?」

 

 兄の顔が、今までで一番嫌そうな般若顔になった。

 メイ姉ちゃん、この乙女ゲーム選択肢がめちゃくちゃ難しいよ!!!



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あれ? 結局喧嘩してない?

「読み書きも覚束ないお前が、魔法を使いたいだと……? お前、魔法をなんだと思ってるんだ」

 

 えー、よくわかんない。

 ゲームだとパラメータ上げてスキルボタン押したら出たし。

 とか言ったら怒られるので、私は言葉を飲み込んだ。

 

 ゲーム内では魔法学の教師として登場するし、実際使える魔法使いキャラだったから、兄の得意技に寄り添ってみたんだけど、どうしてこうなった。

 

「魔法の行使には、魔術書を読む読解力、術式を構築する計算力、さらに魔法陣を描く技術力が必要だ。お前に魔法を教えたところで、何も理解できなくて放り出すのがオチだ」

 

 つまり、魔法を使うには魔力のほかに基礎学力が必要ってことね。

 そういえば単純に魔力のパラメータだけ上げても、使える魔法の種類が増えなかったな。コマンド操作でやっていたことを現実にするとこうなるのか。

 同時に、兄の怒りポイントも理解する。

 今まで努力して身に着けた技術を『教えてー』って雑に尋ねられたら腹がたつよね。

 

「アルヴィン、もう少し言い方というものがあるだろう」

「父様、俺は事実を言ったまでです」

「リリィ、怒らないでちょうだいね。お兄様はあなたのことを思って……」

「わかったわ。魔法を教えて、とは言わない」

「……そう、わかってくれたのね」

「今のところは、諦めてあげる」

「リリィ?」

「お勉強ができないから、魔法が使えないんでしょう? じゃあ、努力するわ」

「なに……っ」

 

 私の宣言を聞いて、兄も、両親も、後ろに控えているメイドたちも目を見開いた。

 その気持ちはわかる。今まで『努力する』なんて言ったことないもんね。

 でも、今の私は違う。

 目的のために努力できる小夜子、という味方がいるから。

 

「どうしてびっくりしてるの、お兄様。さっきも言ったじゃない、素敵な淑女になるために勉強をがんばるって。そこに目標がひとつ増えただけだわ」

「それは、そうだが」

「まずは、今いる家庭教師に教えてもらって、その……読解力とか計算力とやらを身に着けるわ。魔法が学べるくらい、お勉強ができるようになったら、改めてお兄様に魔法のことを聞くから!」

「お前には無理だ」

 

 兄様は冷ややかな目で私を見る。

 む、さすがにちょっとイラっときたぞ。

 今までが今までだからしょうがないけど、ここまで見下されるとさすがに腹が立つ!

 

「お兄様、今私をバカにしたわね」

「事実バカなんだからしょうがないだろう」

「ちゃんとできるもん」

「なにひとつやりとげてないお前の言葉なんか、誰が信用するもんか」

「むう……ということは、やりとげたら、信用するのよね?」

「ん、まあそういうことになるか」

「じゃあお兄様、賭けをしましょう!」

「賭けぇ?」

「これから私はお勉強を頑張るわ。今年の冬のお休みまでに、魔法を教えてもらう準備を全部終わらせるつもり」

「半年で全部か? 大きく出たな」

「早く魔法を使ってみたいもの」

「……ハッ」

「期限までに本当に全部できたら、私のお願いをきいてちょうだい」

「ふうん? 結局ワガママか」

「違うわ、正当な賭けよ!」

「わかったわかった。冬までに本当にできてたらな」

「約束したからね! ちゃんと冬のお休みに確認しに帰ってきてよね!」

「はいはい」

 

 兄様に軽くあしらわれて、私は頬を膨らませる。

 あっれーーー? 和解するつもりが、喧嘩してない?

 でも、ここで折れたらなんか違う気がするし。

 

 クソゲー世界、攻略が難しすぎだよ!!

 



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お勉強は明日から

 兄様に認めてもらうために、まずは勉強を頑張ろう!

 ……と、思っていた私は早速挫折していた。

 

「うう……気持ち悪い」

「リリィ、あなたのお勉強を頑張ろう、って気持ちはとても良いと思うわ。でも、馬車の中で本を読むのは、諦めたほうがいいと思うの」

「ううう……」

 

 母様に諭されて、私は握り締めていた教科書を放り出した。

 ごとごと、ごとごと、と小刻みに揺れる馬車の中、私はふかふかの座席に横になる。

 社交シーズンが終わった後、私たち家族は兄様を残して領地へと向かっていた。収穫シーズンから、来年の種まきの季節まで領地経営のお仕事に集中するためだ。

 王都から領地までは馬車で5日くらいかかるんだけど……その馬車が問題だった。

 

「こんなに揺れる乗り物だったとは……」

 

 舗装もされていない道を木製の車輪で通るんだから当然といえば当然だよね。乗り物酔いするから、バス旅行嫌いとか言ってごめんなさい。自動車ってメチャクチャ人に優しい乗り物だったんだね。空気のクッションバンザイ。

 誰かこの世界でもゴムタイヤを作ってくれませんか。私の知識じゃゴムの木も発見できないし、精製方法だってわからないよ!

 じっと目を閉じて、胃の中がぐるぐる回る感覚が収まるのを待つしかない。

 

「あなたはまだ小さいんだから、無理して勉強しなくても大丈夫よ」

 

 そうもいかないんです、母様。

 自分の能力を高めること。それは兄様のためだけじゃない、自分のためでもある。

 リリアーナとひとつになってわかったんだけど、実は彼女はとてもいい子だった。

 純粋で、素直で、ただひたすら素敵な淑女を目指す頑張り屋な女の子。

 彼女は周囲の大人の言葉を信じていただけだった。

 

 淑女たるもの、美しくあれと言われて着飾り。

 貴族たるもの、下民と交わるべからずと言われて下々を見下し。

 王子の婚約者たるもの、気高くあれと言われて高慢な態度を取り、最悪な令嬢へと成長してしまったのだ。

 

 大人の言葉がおかしいと気づけなかった無知が、彼女の罪だと言えるかもしれない。でも、年端も行かない子供のころから、王妃を筆頭とした社交界の悪意の中でもてあそばれてきた彼女に、他にどんな道があったというんだろう。

 ゲームの中の彼女には、諫めてくれる大人も、忠告してくれる友達もいなかったのだ。

 でも、今は違う。

 病院に引きこもり気味だったとはいえ、18歳まで生きて、たくさんの世界の価値観に触れてきた小夜子の記憶がある。

 間違いを指摘してくれる、もう一人の自分がいる。

 今度こそ、正しく素敵な淑女になって、幸せな人生を送るんだ。

 

 ごとん、と唐突に馬車が止まった。

 

「ハルバードの城下町に着いたみたいね。リリィ、見てごらんなさい」

 

 母様に言われて体を起こすと、窓の外の風景が変わっていた。

 石造りの巨大な城と城壁、そして城を囲むようにして城下町が広がっている。コンクリートのビルに埋もれてしまっている現代の城じゃない、ゲームの中の作り物の城でもない、本物の、人が生きて使っているお城だった。

 

「わあ……」

 

 えっと、リリアーナの記憶に間違いがなければ、あの、とんでもなく大きいのが、私の『家』なんだよね? なんかスケールがデカすぎて、全然家って感じがしないけど!

 あそこで毎日生活するの?

 お嬢様ってすごすぎない?

 

 茫然とお城を見上げていると、執事のクライヴが馬車のドアをノックした。

 

「奥様、馬車の乗り換えの準備が整いました」

「ありがとう、すぐ行くわ」

 

 そう言うと、母様は私を残して降りて行こうとする。

 

「母様、どこ行くの?」

「お父様と、屋根のついてない馬車に乗っていくのよ。しばらく領地を留守にしていたから、城下町のみなさんに、帰りましたよ、って挨拶するの」

 

 そういえば、ここは新聞もネット環境もない世界だった。領主が帰ったことを知らせるなら、直接顔を見せたほうが手っ取り早いのかもしれない。

 

「リリィはこの馬車で寝ていていいわよ」

「ううん、私も行く!」

 

 私はぴょん、と馬車から降りた。

 私が目指すのは、家族からも領民からも愛される、素敵なご令嬢なのだ。挨拶にはちゃんと顔を出して、覚えてもらわなくっちゃ。

 

 城下町からお城まで、ずーっと愛想を振りまいてたら、夜勉強する体力はなくなるけどしょうがない!

 お勉強は明日から!!



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お勉強は明日から!!

 明日からやるって言ってたことって、明日になってもやれないものだよね。

 

 領地のお城に戻ってきて、さあ本格的に勉強を頑張るぞ! と思っていた私は、何故か音楽室に連行されていた。

 引っ張ってきたのは、母様だ。

 音楽室といっても、ここで楽器を演奏したり歌ったりするわけじゃない。

 私に渡されたのは動きやすいドレスだ。

 

「素敵な淑女を目指すなら、やっぱりダンスのお勉強をしなくちゃね」

 

 その謎のダンス推しは何なんですか、母様。

 逃げようと思ったけど、楽器を構えてスタンバイしてる侍女が4人も並んでたので、そうもいかなかった。

 そうだよね、音楽プレーヤーもスピーカーもない世界だもんね。ダンス音楽をかけようと思ったら、直接人が演奏するしかないよね。

 ダンスのコーチと、お世話係のメイドをいれて、総勢6人もの大人に準備をさせておいて、やりたくないからやだ、とはさすがに言えないよ……以前のリリアーナなら言ったかもしれないけど。

 

 ダンスなんてやったら、午後勉強する体力がなくなっちゃうけどしょうがない。

 他の科目に集中したいとかなんとか説得して、今度から準備をさせないように調整しよう。

 お勉強は明日から!

 明日からは絶対やるから!!

 

「リリィ、まずは基本のステップからね。先生の真似をしてみて」

「はーい……」

 

 リズムがとりやすいよう、静かな音楽をかけてもらいながら、123、とステップを踏んでみる。

 運動って、あまりいい思い出がないんだよね。

 ちょっと走っただけで胸が苦しくなるし、めまいがしてくるし。

 小夜子のころは、体育の時間がひたすら苦痛でしかなかった。

 早く授業が終わってほしいなあ。

 

 ……ん?

 

 ……あれ?

 

 おや……?

 

 何コレ。

 踊るのってたーーーーのしーーーーー!

 

 どういうこと?

 体を動かすのが気持ちいいんだけど!

 ずっとやってると、確かに息は上がってくる。でも、気持ちいい苦しさっていうか。

 全身に血が巡って、体が温かくなるのがわかる。

 

 それに、私の体はどこまでも自由だった。

 頭のてっぺんからつま先まで、自分の体が思う通り綺麗に動いてくれる。

 

 ああ、そうか。

 この体は健康なリリアーナのものだった。

 病弱で、体力のなかった小夜子じゃない。

 健康な体って、動かせばこんなに気持ちのいいものだったんだ。そりゃあ、スポーツやダンスが流行るわけだよ。体が適応できれば、こんなに楽しいものはないもの。

 

 調子に乗ってクルクル回っていると、突然足がもつれた。

 

「あたっ!」

「そのステップは、まだ難しかったみたいね」

「でも、お嬢様は才能がおありですよ。初めてでこんなにうまく踊る子は滅多にいませんもの。さすが、奥様の娘ですね」

「ふふ、リリィ自身がすごい子なだけよ」

 

 椅子に座って私のレッスンを見ていた母様が立ち上がった。

 

「見てて、そのステップは、こうすればいいのよ」

 

 ふわり。

 体を翻した瞬間、母様の体から重力が消えた。

 軽やかに、優雅に。ふんわりマシュマロボディが嘘みたいに舞う。

 その姿は、まるで妖精が踊っているみたいだった。

 

 小夜子として、テレビやネットでいくつものダンス動画を見たことがある。その中には、世界で一番のダンサーと言われていた人のものもあった。

 でも、今の母様はそんな人たちよりもずっと綺麗で、ずっと上手だった。

 

 ええええええ、母様って何者?!

 



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ハルバード侯爵夫妻のかつての栄光

「はあ……やっぱり、奥様のダンスは素敵ですわね。さすが、白百合の君」

 

 母様のダンスを見ていたコーチがうっとりとつぶやいた。

 

「白百合って何?」

「奥様は、ダンスの美しさに感動した国王陛下から『白百合』の二つ名を賜っているのですよ」

「その話はよしてちょうだい。結婚する前のことじゃない」

「マジ……?」

 

 国王から二つ名をもらうって、国一番のダンサーって認められたようなものじゃない。

 結婚する前、ってことは多分そのころはスリムボディだったんだよね?

 そんな人が、何がどうなってこのダイナマイトなマシュマロに。

 しかも、そんな情報はメイ姉ちゃんにもらった攻略本にはなかった。ハルバード侯爵夫人についての記述は『アルヴィンとリリアーナの母親』としか書かれていない。

 どう考えても、国の超重要人物のはずなんだけど。

 

「ふう、これくらいかしらね」

 

 しばらく踊っていた母様は曲の終わりで足を止めた。

 

「えーもうやめちゃうの? もっと見たい!」

「アンコールは嬉しいけど……」

「私も君の踊る姿が見たいな」

「お父様?」

 

 振り向くと、執事のクライヴを従えた父様が戸口に立っていた。

 

「君がリリィにダンスレッスンをすると聞いたから見に来たんだけど、久々にいいものが見れた。たまにはいつもと違うことをしてみるものだね」

「あなた……」

「もう一曲、踊ってくれないか?」

 

 父様がそう言うと、母様はすっとその手を父様に差し出した。

 

「この曲は、ひとりで踊るものではないんですのよ?」

「そういえばそうだったね」

 

 父様は慣れた様子で母様の手を取ると、一緒に踊りだした。

 その姿を見て、私はもう一度言葉を失う。

 えええええ、何この麗しすぎるダンス夫婦!

 母様ひとりでも綺麗だったのに、ふたりになったら迫力がマシマシで別世界が降臨するレベルなんだけど?

 ふたりがダイナマイトなのは変わらない。

 それなのに、花が飛んで妖精が舞う幻が見える……。

 

「もしかして、お父様にも二つ名があったりする?」

「ありますよ」

 

 クライヴがこともなげに答えてくれた。

 

「とはいえ、奥様とは違って少々勇ましい名前ですが。お若いころは、『炎刃』のお名前を賜っておりました」

「騎士に与える名前っぽいね」

「旦那様はかつて王国騎士第一師団に所属していましたからね」

「ふぇっ?!」

「先代ハルバード侯が亡くなり、領地を継ぐと同時に退役されましたが」

 

 待って! 第一師団って、国王陛下直属の近衛騎士団、つまりこの国で一番の花形最強騎士団じゃない!

 そこで二つ名までもらって活躍してた、ってことは間違いなく当時最強ってことでしょ?

 そういえば、騎士キャラのひとりが『第一師団にかつて最強と呼ばれた騎士がいた』って言ってたけど、あれは父様のことだったのか……。

 そんな人が、何がどうなってこのダイナマイトなマシュマロに。

 

 いやそもそも、なんでこんな超重要ハイパー有能夫婦が攻略本では1行解説になってるのさ。

 確かに今は活躍してないけど……ん?

 あああああああ、そうか!

 活躍しないからかーーー!

 あの攻略本は、あくまでも『ヒロイン』目線で観測した情報だ。

 一線を退いて、領地でのんびり隠居している人間のプロフィールなんて必要ない。

 たとえそれが、悪役令嬢にとってどれだけ重要な情報であっても、だ。

 運命の女神からもらったチートアイテムは確かに強力なものだけど、過信は禁物かもしれない。書かれていない情報は多いし、私が行動することで未来も変わる。

 国際情勢や、時代背景は参考になるだろうけど、個人の情報はもっと慎重に扱おう。

 どんな有能キャラが裏に転がってるか、わかったもんじゃない。

 

 でも、この新情報を得られたのは幸運だった。

 兄が私たち家族を嫌っている理由の大半は『失望』だ。大領主であるにもかかわらず、のんびりお花畑でのほほんとしている両親に、努力をしないワガママ娘。

 でも、その3人が実はデキる人たちだってわかったら?

 兄はもう一度、私たちを見てくれるかもしれない。

 

 ううん、きっとそうしてみせる。

 勉強をがんばるのと一緒に、父様と母様もがんばらせて、兄様に認めさせてみせる!

 

 でも、その時の私は気づいていなかった。

 自分の軽い気持ちの決心が、家族に思いもよらないトラブルを呼び寄せることになるなんて。



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賭けの行方

 そんなこんなで冬至の休暇。

 負けず嫌いの兄は私との約束を守って、律儀に領地まで帰ってきてくれた。

 ……しかし、兄と仲直りするはずだった私は、目が合うなり首根っこを掴まれて、頭からお説教されていた。

 あれ? どうしてこんなことに。

 

「何をやってるんだお前は!」

「使用人の健康を守ってただけよ」

「わざわざ仕事を止めさせて、集団で怪しい踊りをさせることの、何が健康だ!」

「毎日の体操は立派な健康法だって!」

 

 お説教の原因は先月から城内で義務化された『体操』だ。

 昼休憩のあと、私を中心に某国民的ラジオな体操をやっていたのを、帰省したばかりの兄に発見され、怒鳴られたのである。

 

「ちゃんと父様の許可はとってるもん」

「あの人はお前の言うことなら何でも許可するだろうが!」

 

 まあ、それはわかってて、体操の義務化をおねだりしたけどさー。

 結果的に使用人たちが健康になったのなら結果オーライじゃない? 現代日本とちがって、怪我や病気が死に直結してる世界なんだから。

 

「まあまあ、落ち着いて。確かに見た目はヘンテコだけど、タイソウをするようになってから、使用人が腰や肩を痛めなくなったのよ」

 

 横からおっとりした声がかけられた。

 

「部外者は黙っててください。……って、どなた、ですか……?」

 

 声の主を見た兄が固まった。

 そこにはシルバーブロンドの、ほっそりとした絶世の美女が立っていた。

 

「声に聞き覚えはあるが……使用人には見えないし、こんなに印象的な親戚はいなかったはずだが……」

「変な子ねえ。たった半年会わなかっただけで、お母様の顔を忘れたの?」

「おかあ……さま……?」

 

 兄の顔が面白いくらいに引きつる。

 

「あの、確かに声は似ていますが、お母様はもっと……その」

 

 兄様、気持ちはわかります。

 もっとボリュームのある人だって言いたいんですよね。

 でも、間違いなくこの人は私たちのお母様ですから。

 

「体形が変わってしまって、サイズ合わなくなったから娘時代のドレスを着ているのだけど、やっぱり若作りすぎたかしら?」

 

 論点はそこじゃありません、お母様。

 

「……リリアーナ、何があった」

「別に何も。私にダンスのレッスンをつけるついでに、一緒に踊ってたらしゅるしゅるしゅるって、しぼんでいっただけ」

「嘘だろ……」

 

 現実です、兄様。

 

「元気な声がすると思ったら、アルヴィンが帰ってきていたのか」

 

 今度は上から声がかかった。

 見上げると、二階の窓から執事のクライヴを連れた男性が私たちを見下ろしている。

 

「まさか、あれは……」

「父様よ」

 

『父様』は、二階の窓を開けるとそこから軽やかに降りてきた。

 鍛えられた体は落下の衝撃をものともせずに吸収し、何事もなかったように優雅にこちらへ向かって歩いてくる。

 兄とそっくり同じ顔をした長身の美丈夫は、にこやかに私たちに微笑みかけた。

 

「おかえり、アルヴィン」

「ただいま戻りました……父様」

 

 

 父親と握手をした兄は、再び私に耳打ちしてくる。

 

「父様もダンスが原因か?」

「あと、練兵場で兵の指導をしている時に、『戦う父様かっこいい!』って言ったら筋肉ムキムキになった」

「……白百合と炎刃の名前は本物だったのか。作り話だと思っていたんだが」

「あー、私も先にその名前聞いてたら、ほら話だと思ってたわ」

 

 ちなみに、伝説の白百合の君の再来に、侍女長を初めとした城内の使用人たちのやる気は爆上がりした。炎刃に仕えることができる、と城内の兵士たちの士気も爆上がりしていて、気が付いたらハルバードのお城は以前とは比べ物にならないほど活気に満ちている。

 領主夫婦が痩せただけなんだけど、美男美女効果ってすごいね。

 

「父様と母様がこんなに変わるなんて思わなかったな」

「変わったのは父様だけじゃないわよ」

「お前は相変わらず、わけのわからんワガママを言ってるだけだろ」

「そうでもないわよ、はいこれ」

 

 私は紙の束を兄様に押し付けた。

 

「なんだこれは」

「私の修了証明書よ。家庭教師全員のサインがあるわ」

「なに……? 数学に、文学、歴史……」

「兄様が指定した科目分、全部あるわよ」

 

 スキあらば私にダンスを仕込もうとする両親につきあっていたせいで、最後のサインをもらったのが昨日になったのは内緒だ。間に合えばいいのだ、間に合えば。

 兄は、両親に向けたのと同じように、別人を見るような目を私に向けた。

 

「お前、何があった」

「半年前のお茶会大失敗で反省しただけよ。やればできる、って兄様に思わせたかったし」

「そう……だったな」

「賭けは私の勝ちね。言うことを聞いてもらうわよ」

「いいだろう、何でも言え」

 

 兄は、やっと真正面から私を見た。

 ふふふふふふ、この時を待ってたのよ!

 

「頭をナデナデして!」

「……は?」

「よくやった、って誉めてー!!」

 

 まだちゃんと認めてないかもしれないけど、もう無理やりにでも認めたってことにさせてやる! さあ!! 私の頭をなでるのだ!!!

 

「は……」

 

 兄様は困ったような顔をしたあと、私の頭に手を置いた。

 

「よくやった」

 

 よしっ! 私の勝ち!!



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悪役令嬢は魔法使いに弟子入りしたい
家庭教師選びは慎重に


 兄様との賭けに勝った午後、私たち一家は談話室でお茶をすることになった。

 家族の崩壊はなんとか防げたような、そうでもないような。

 仲直りしたよ! と断言できないのは、兄様の態度がまだよそよそしいからだ。今も、談話室の端のソファに陣取って、本に目を落としている。まあ、お茶の時間に談話室に来てくれるくらいには、歩み寄ってくれてるんだけどね。

 うーん、これはどうしたものか。

 やっぱりここは、私のほうからもう一歩、兄様に寄り添ったほうがいいよね。

 私は暖炉の近くに座る両親から離れると、兄様のそばまでとことこと歩いていく。

 

「兄様、暖炉のそばに行きましょ、そっちのほうがあったかいわよ?」

「いや、俺はここでいい」

「でも……」

「本当にここでいいんだ。正直……父様も母様も変わりすぎてて、まだ慣れない。落ち着くまでそっとしておいてくれ」

「あー……」

 

 ダイエット中ずっと顔を合わせていた私と違って、兄様がふたりに会うのは半年ぶりだ。長年慣れ親しんできたマシュマロ両親がいきなり別人レベルでビフォーアフターしてたら、混乱するよね。

 兄が家族から離れないよう、両親を改革したんだけど、改革成功したらしたで、別の溝ができるとは。人間関係って難しい。

 まあ、ここで引いちゃったら、いつまでたっても仲良くなれないから引かないけど。

 

「魔法を教えてくれる約束はどうなったの?」

「そういえば、もともとそういう話だったか」

「私、ちゃんとお勉強したんだから。兄様も私に魔法を教えてよ」

「わかった。お前の努力にはちゃんと報いる。お茶の時間が終わったら、俺の部屋に行こう。王立学校に入学する前に使っていた教科書がまだ残っているはずだ」

「やった!」

 

 兄様と一緒にお勉強イベント!

 親密度を上げまくってやるぜ!!

 

「しかし、俺が冬至の休暇でここにいられるのは、長くて数日だ。本格的に魔法を学ぶなら、家庭教師を手配したほうがいいだろうな」

「それなら、もう候補を探させているよ」

 

 母様との話に夢中になっているとばかり思っていた父様が、口をはさんだ。

 

「候補? 俺の家庭教師だったラヴェンダー先生に、またお願いするんじゃないんですか」

「もちろん、最初はそのつもりだったんだけどね。去年腰を痛めてしまって、教師は引退するそうだ。だからリリィの魔法の先生は新しく探す必要がある。……クライヴ」

 

 父様が声をかけると、執事のクライヴがすっと紙束を差し出した。

 

「家庭教師候補の方々の資料にございます」

「見せて見せて!」

「旦那様、よろしいのですか?」

「渡してやってくれ。魔法使いとして優秀なのは当然として、リリィが気に入る先生じゃないとね」

 

 受け取った紙束には名前や似顔絵のほか、出身、家族構成、経歴、雇用条件などが細かく書き連ねられている。あれ? 一応雇う側だけど、こんな詳しい資料を私が見ていいんだろうか。個人情報保護法とか……は、ファンタジー世界には存在しないから関係ないのか。

 興味を引かれたのか、兄様も本を置いて私の手元を覗き込んでくる。私たちは一緒になって履歴書のページをめくった。

 侯爵家の求人ということもあり、先生候補たちの経歴は豪華だった。元王立学校魔法学教師、元第二師団戦略魔法部隊作戦隊長、魔術研究コンクール最高金賞受賞者……。

 

「アルヴィン、気になる人物はいたかい?」

「うーん、3ページ目のソフィア先生はちょっと。去年王立学校で特別講座を受講しましたが、少しクセのある方なので、リリィには合わないでしょう」

「こっちは……東の賢者と名高いディッツ・スコルピオじゃないか。よく依頼を受けてくれたな」

「他でもないお嬢様を指導する方ですからね。ハルバード家の人脈をフルに使わせていただきました」

 

 クライヴを交えて兄と父が真っ当な相談をしている横で、私は別の視点から注意深く履歴書をチェックしていた。

 この中に、攻略対象に関係する人物はいないだろうか。

 小夜子がプレイしていたのは世界救済のシミュレーションを目的とした乙女ゲームだ。その中で攻略対象として出てきた人物はつまり、救国のキーパーソンだ。

 家庭教師選びは、まだ領地から出られない私にとって、外部と接点を持てる数少ないチャンス。なんとかして、新しいつながりを作っておきたい。

 

(この人は王立学校の関係者だから、魔術師キャラとの接点に使える? でも、私たちが入学するのは7年も先だしなあ。第二師団関係者も、あんまり出てこなかったはずだし……)

 

 パラパラと書類をめくっていた私は、最後の1枚で手を止めた。

 名前と、雇用条件を確認する。

 

「これだ……」

「リリィ?」

「お父様、私この人がいい!」

 



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金貨の魔女

 私が魔法の家庭教師に選んだのは、『マヌエラ・エマーソン』という女性魔法使いだった。その名前を聞くなり、兄の顔が引きつる。

 

「マヌエラ? 悪名高い『金貨の魔女』じゃないか」

「知ってるの?」

「王都では有名だぞ。とんでもない守銭奴で、金さえ積まれれば、どんな危険な魔法薬でも作るらしい。どうして彼女を候補に入れたんだ、クライヴ」

「魔法の知識を持つ女性教師は少ないので、少々問題ありの方もリストに載せておりました。……といっても、念のためといった感じですが」

 

 クライヴの意図はなんとなくわかる。

 金貨の魔女は、他の真っ当な経歴を持つ教師候補の引き立て役だ。

 ゲームの選択肢でもよくあるよね。明らかに正解がわかる場面で表示されている、絶対に選んじゃいけないネタ選択肢。

 でも、そういう選択肢ほど選びたくなっちゃうものなんだよなー。

 

 マヌエラを選んだ理由は、彼女の連れている弟子にある。

 弟子の名前はジェイド。私よりふたつ年上の12歳の男の子だ。そして、5年後に最悪最強の死霊術師《ネクロマンサー》として王国西部にある魔の森の一角をアンデッドパラダイスにする人物でもある。

 いやー……骨人間やゾンビを従えながら、師匠の頭蓋骨を愛でる登場シーンのインパクトは強烈だった。しかも、自分の世界にどっぷりつかってて、何回声かけてもブツブツ独り言を繰り返すばっかりで会話にならんし。私の中で、攻略が面倒くさいキャラトップ3にランクインしている人物だ。

 森の一部がアンデッドに占拠されるだけなので、ルートによっては攻略する必要はない。しかし、闇堕ちしないですむならそれに越したことはないだろう。幸い、彼が死霊術師になる原因ははっきりしているから、今行動すれば止めることができると思う。

 

「リリアーナは、どうしてこの方がいいと思ったの?」

 

 母様がおっとりと首をかしげた。魔法使いの弟子の闇堕ちを防ぎたいから、とは言えないので私は別の理由をでっちあげる。

 

「どんな危険な魔法薬でも作る、ということは、この方は薬や治療術にくわしいんでしょう? 戦闘用の攻撃魔法や防御魔法を学ぶより、人を助ける方法を身に着けたほうが、淑女らしいと思うの」

「ふむ、それは一理あるな」

「あっさり納得しないでください、父様」

「お嬢様、魔法薬であれば、薬学の権威である東の賢者様でもよいのでは……」

 

 デキる執事、クライヴが珍しくうろたえる。まさか、私が一番のネタ候補にここまで執着するとは思わなかったんだろう。でも、選んでほしくないなら最初から出さなければいいのだ。

 

「もー、クライヴうるさい!」

 

 そして、この場の決定権を持っているのはクライヴではない。

 

「私はマヌエラがいいのー!!!」

 

 ハルバード家で一番強いのは、私のワガママである。

 

 

 



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お高い女

 兄を王都の学校に送り出して三日後、私はお城でマヌエラを待ち構えていた。

「本当に金貨の魔女を雇うのか?」と兄はめちゃくちゃに心配していたけど、私はさほど危機感をおぼえてはいない。なぜなら、影の薄い両親と違って、金貨の魔女マヌエラについては、攻略本にがっつり記述があったからだ。ゲーム開始の数年前に死んだとはいえ、彼女はジェイドの人格形成に大きな影響を与えた人物なので、当然である。情報は伝聞が多いが、その内容から察するに、彼女は守銭奴でありながらも情の深い女性だったようだ。

 

「お嬢様、お客様がいらっしゃいました」

「応接間にお通しして」

 

 メイドに声をかけられて、私は本から顔をあげた。交友関係の少ない私を訪ねてくるような『お客様』はほとんどいない。きっと、金貨の魔女がこの城に到着したのだ。ドキドキしながら応接間に向かうと、両親と向かい合うように黒衣の人物がソファに座っていた。

 

「こんにちは!」

 

 挨拶すると、お客はすうっと立ち上がる。

 彼女は『ザ・魔女!』と言わんばかりの女性だった。黒い髪、黒い瞳、黒いローブを纏い、唇だけが毒々しいくらいに赤い。濃い化粧が独特の美しさを形作る、まさに『美魔女』だ。

 それだけでも強烈なんだけど、さらに連れている子供の姿が異様だった。魔女と同じデザインの黒いローブを着たその子は、ごついブーツと手袋をして、頭には鳥のくちばしのようなものがついたマスクをすっぽりとかぶっていた。一切肌を見せない彼からは当然表情が全く伝わらない。子供サイズのロボット、と言われても通るかもしれない。

 ちらりと部屋の端を見ると、執事とメイドが顔を引きつらせていた。

 まさかこんなにキャラの濃いコンビが来るとは思わなかったんだろうなあ。

 両親はというと、いつも通りにこにこ笑っていた。この状況で笑える彼らは、何も考えていない……と思ってたけど、実はとんでもなく器が大きいのかもしれない。

 

「初めまして、リリアーナ・ハルバードよ」

「マヌエラ・エマーソンよ。金貨の魔女と呼ぶ者もいるわ。こっちは私の弟子のジェイド」

「会えてうれしいわ」

「そう、私もよ。じゃあお暇するわね」

 

 そう言うと、魔女はいきなりドアに向かって歩き出した。

 

「えー、どうして!」

 

 わざわざハルバード領まで来ておいて、秒で帰ろうとすんなあああ!

 

「どうしても何も、もともと雇われるつもりなんてなかったもの。ここに来たのは、面接を受けるだけでも報酬が出るって聞いたからよ」

「面接のお金目当てだった?」

「ええ。私お金に目がないの」

 

 魔女は悪びれもせずに笑っている。清々しいほどの守銭奴ぶりだ。そういうキャラ嫌いじゃないけどさあ!

 

「だったらそのままウチで家庭教師すればいいじゃない。他の家で働くより報酬がいいはずよ?」

「確かに悪くない額だったわ。でもねえ、専属契約って話でしょ? 私はひとりの依頼人に縛られるのは嫌なの」

「ほんの何年かの話じゃない。あなたには私のことだけ見ててほしいの」

「お断りよ」

 

 ジェイドが闇落ちする理由は、ずばり師匠の死だ。彼女は、金を追い求めるあまりにヤバい筋から依頼を受け、その口封じに殺されてしまう。失った彼女の魂を取り戻すため、ジェイドは死霊術師になるのだ。ジェイドを闇堕ちから救うには、ハルバード領でのんびり私の家庭教師だけやってもらうのが一番良い。

 

「それにねえ、お嬢ちゃんがどんな理由で私を気に入ったのか知らないけど、使用人連中はこんな怪しい女をお城に入れるのは反対みたいよ? おとなしく、普通の教師を雇いなさい」

「やーだー!」

 

 美魔女は取り付く島もない。

 

「お金の問題なのよね? じゃあ、お給料倍でどう?」

「全然足りないわ」

「じゃあ3倍!」

「専属なら10倍は出してもらわないとねえ。でもお嬢ちゃんが言ったところで……」

「乗った!」

「はぁ?」

 

 美魔女の目がぎょっと見開かれた。

 

「アンタ、ちゃんと計算できてる? 10倍ってすごい金額なのよ?」

「その程度なら、私のお小遣いで何とかなる範囲よ。いいわよね、お父様?」

「リリアーナがいいなら、それでいいよ」

「ちょ……この金額が子供の小遣いって……これだからお貴族様は……」

「ほら、10倍出すって決めたわよ。マヌエラ、契約してくれるの、してくれないの?」

「はあ……わかった、わかったわよ。給料は元の倍額でいい。王立学校に入るまでは面倒見てあげましょ。ただし、魔法薬販売の仕事と兼業ね」

「えー!」

「自由時間にちょっと薬を作るだけよ。給料をもらう以上、アンタの指導はキッチリやるから安心しなさい」

「それじゃダメなのー!」

「いいこと? 金貨の魔女は売れっ子なの。今だって、案件をいくつか抱えてるし、アンタの家庭教師代とは比べ物にならないほどの高額依頼の打診だってもらってるの。いくら上乗せされたって足りないわ」

「高額……依頼?」

 

 ひやり、と背筋を嫌な汗が流れる。

 やばい。

 危険な仕事には高額の報酬が支払われる。彼女に打診されているそれは、値段相応の危険が伴っているだろう。

 その中に彼女の死につながる依頼がもう含まれているかもしれない。

 ジェイドが子供だから、彼女の死はまだまだ先だと思ってたけど、彼女はすでに棺桶に片足を突っ込んでる可能性がある。

 ちまちま交渉している余地はない。

 今すぐ彼女に他の依頼全てを破棄させないと!

 

「私を専属で雇いたいなら、人生丸ごと買うくらいのお金を出してもらわなくちゃ」

 

 こうなったら、切り札を使うしかない。

 



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虹瑪瑙

 私はポケットの中の『切り札』を握り締めた。

 多分、唐突にこんなもの出したら、絶対変だと思われる。間違いなく執事は止めるし、のんびり両親もさすがに不信感を抱くかもしれない。

 でも、闇堕ち前のふたりに会えたっていうのに、このまま見殺しにはできない。

 私は世界を救いたい。

 その中にはマヌエラも、ジェイドも含まれている。

 

「交渉は決裂ね」

 

 付き合いきれない、とマヌエラがローブの裾を翻した。私はその背中に追いすがる。

 

「待って! 家庭教師のお給料で足りないなら、私の宝物をひとつあげるわ! だから、私の先生になって!」

「子供が持っているようなおもちゃじゃ私は買えないわよ」

「おもちゃじゃないもん! ほら!」

 

 私はポケットの中から切り札を取り出した。

 それは、古い金細工のペンダントだった。優美なデザインのアクセサリーの中心には、虹色に輝く宝石がはめ込まれている。

 

「イリス……アゲート……?」

 

 金貨の魔女の顔色が変わった。

 イリスアゲート、別名虹瑪瑙。瑪瑙の鉱脈は数あれど、虹色の色彩を持つ瑪瑙はほとんど存在しない。滅多に市場に出回らない稀少な鉱石である。

 前世の世界ではただの宝石だったけど、この世界では強力な解呪の力を持っている。金貨の魔女マヌエラは、弟子にかけられた呪いを解くためにこの石を欲し、無理な取引をして命を落とした。守銭奴なのも、この稀少な鉱石を買う資金を確保するためだ。

 

「これは……本物? 国宝レベルの宝石だろ……まさかそんなものがここにあるはずが」

 

 私たちのやりとりを見ていた執事の顔色も変わる。

 

「奥様! このペンダントはハルバード家に代々伝わる逸品です。それをリリアーナ様に与えたのですか!」

「だって、この子がダンスのレッスンをがんばっていたから~」

「ステップを覚えたご褒美に、宝物庫のアクセサリーをひとつ、もらっていいって約束してくれたもんねー」

 

 うちは、ハーティア建国より続く名門、ハルバード家だ。

 国宝クラスの宝石のひとつやふたつ、宝物庫に転がっている。そして、うちの両親は私がせがめば、何でも与えてくれる人たちなのである。

 金で交渉できないなら、彼女が一番求めている宝石の現物を出すしかない。

 もちろん、この取引にはリスクがある。なんでこんな子供が、ピンポイントで最重要アイテムを持ってるのか、と不審に思われる可能性がめちゃくちゃ高い。周りも、「なんでイリスアゲート?」って思うだろうし。

 でも、このままマヌエラを帰すよりはマシだ。

 

「お前……本気でこの石を渡すつもりか」

 

 急にマヌエラの雰囲気が変わった。余裕のある美魔女ではない、どこか追い詰められた獣のようなまなざしで私を睨んでいくる。美人なせいもあって、正直怖い。

 でも、切り札まで切っておいて、このまま引き下がれない!

 私は顔を上げると魔女を睨み返した。

 

「そうよ」

「この石には俺の命と同じだけの価値がある。俺にこれを渡すということは、俺を丸ごと買うってことだぞ」

「お買い得ね。これをあげる。だから、私の先生になって!」

 

 私はマヌエラにペンダントを押し付けた。震えている手に無理やり握らせる。彼女は、深い溜息をついたあと、手の中にペンダントを握りこんだ。

 

「いいだろう……俺の命、売った」

「買ったわ!」

 

 その瞬間、マヌエラの輪郭が溶けた。頭の先からつま先まで、ぐにゃぐにゃの闇の塊になったかと思うと、また大きく伸びて人の姿をとる。

 再び私の前に現れた金貨の魔女は、男の人になっていた。

 

「へ……?」

 

 黒髪と黒い瞳、黒いローブは変わらない。

 でも、無精ひげを生やしたその顔は、父様たちと同年代くらいのちょい悪イケメンである。

 誰だお前。

 ちょい悪イケメンは、私の前に跪くと深く頭を下げた。私のドレスのスカートをつまんで、恭しくキスする。

 

「東の賢者、ディッツ・スコルピオは、ハルバード家の淑女リリアーナに魂を捧げ、生涯の忠誠を誓います」

「ほああああああ?」

 

 どういうことだってばよ!!

 

「あら~、マヌエラさんは男の人だったの?」

 

 母様が金貨の魔女、いや東の賢者ディッツを見て、のんびり首をかしげる。

 

「魔女の姿は営業用です、奥様。魔法薬を扱う商いは危険が伴いますので、身を守るために真実の姿を隠しておりました」

「ああやっぱり、何か歩き方がおかしいと思ってたんだ」

「旦那様! おかしいと思った時点で止めてください!」

 

 危機感のない元最強騎士の台詞に、執事が悲鳴をあげる。

 彼を雇いたいと言い張った私が言うのもなんだけど、執事にちょっと同情するわー。

 っていうか、東の賢者って何だよ。こんなの攻略本でもゲームでも見た覚えないぞ。

 魔法使いの描写って何かあったかなー……うーん、そういえば、ゲーム内で突然失踪した賢者がいたとかなんとか、そんな台詞があったような。

 マヌエラとして死んだせいで、表の世界では突然の失踪扱いになってたのかなあ。

 そういえばジェイド自身はマヌエラのことを『師匠』としか呼んでなかったなあ……。

 

 だから!

 

 話が始まる前に重要人物が退場し過ぎなんだよ!

 だからこそ、国が危機に陥ってるんだろうけどさ!!

 ほぼフルコンプしたはずのゲームで、新情報出て来すぎ!!

 まともなシナリオライターをよーこーせー!!

 いないからこうなってるんだけど!!

 

「お嬢は俺が女だったほうがよかったか? 必要ならまた姿を変える薬を使うが」

「別にいいわよ。ずっと変身するのは体に悪そうだし」

 

 外面を取り繕わなくなった反動だろうか? 元美魔女は非常にガラが悪かった。

 えーと、この人って弟子の命を救うために、自分の命を捧げた人なんだよね? ジェイドがことあるごとに師匠は素晴らしかった、って言ってたから、誠実で優しい人を想像してたんだけど。弟子目線からの尊敬する師匠フィルター怖い。

 私たちを見ていたクライヴの顔が悲壮感に歪む。顔色は青いを通り越して真っ白だ。

 いきなり性別も口調も変わるような人間、執事の立場からしたら、絶対お断りだよねえ。

 

「旦那様、今からでも遅くはありません。彼を追い出しましょう」

「でもねえ、決めるのはリリィだから」

「お、お嬢様……お考え直ししていただくわけには……」

「やだ!」

「お嬢様あああああ……」

 

 繰り返そう。

 ハルバード家で一番強いのは、私のワガママである。



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KA・WA・I・I!!!

 ディッツとジェイドを迎え入れた翌日、朝イチで私は執事のクライヴに呼び止められていた。

 

「お嬢様、昨日も申し上げましたが、彼らを家庭教師としてお迎えするのは、どうかお考え直ししていただけないでしょうか」

「えー、またその話?」

 

 ハルバードの人間は私のワガママを徹底的に許容する。その筆頭のひとりである彼にしては珍しい。

 まあ、気持ちはわからなくはないけどね。自分の管理下に予想外の人材が入るのは許せないんだろうなあ。私に折れる気はないんだけどさ。

 

「クライヴは元々東の賢者を推してたじゃない。数合わせのネタ候補が、イチ推し候補に化けたんだから、喜んだらどう?」

「それは正体を明かすまでの話です。身分を偽るような怪しい者を、どうして信用できると思うのですか」

「一生忠誠を誓うとか言ってるから大丈夫よ」

「口ではどうとでも言えます。表の顔は立派だったかもしれませんが、裏の顔は怪しい薬を売りさばく者だったんですよ? こんな不審な人間に師事したとあれば、お嬢様の経歴にも傷がつきます」

「それは、ディッツの正体が金貨の魔女だって知られた場合でしょ。クライヴも気づいてなかったくらいだし、黙ってれば、何も知らない人には東の賢者の弟子ってことになるんじゃないの」

「……それに、彼が連れていたあの子供。全身黒づくめで顔さえわかりません。あんな不気味な者までお側に置くつもりですか」

 

 今度は矛先がジェイドに向かった。

 でもあんまり心配する必要はないんじゃないかなあ……。

 

「誰が、不気味な子供ですか?」

 

 低い声が私たちに割って入った。声のするほうを見ると、黒いローブを着たちょい悪イケメンが立っている。

 

「おはよー、ディッツ!」

「お嬢は今日も元気そうだなあ」

「どうしたの、朝早くから」

「ま、ちょっと業務連絡にな。お嬢が昨日指示した通り、受注してた依頼は全部キャンセルしておいたぜ。高額依頼の打診も断った」

「あら、仕事が早いわね」

「ちっとばかし違約金がかかっちまったが……」

「それは必要経費だから、侯爵家に請求していいわよ。クライヴ、対応しておいて」

「……はい」

「太っ腹な雇い主で助かるぜ」

「キャンセルさせた私が言うのもなんだけど、違約金だけで大丈夫? 金貨の魔女の依頼には、キャンセルなんかしたら、後々狙われるようなヤバいものもあるんじゃないの」

「そういう時のための女装だ。今後一切、金貨の魔女に変身しなけりゃ、誰も正体に気づかねえよ」

「それを聞いて安心したわ」

 

 私は胸をなでおろした。多分これで、ヤバい依頼を受ける運命は変えられたはず。

 

「あと、改めて紹介したい奴がいてな」

 

 そう言うと、ディッツは自分の後ろに隠れるように立っていた子供を、私の前に出した。

 

「俺の弟子の、ジェイドだ」

「……初めまして、お嬢様」

 

 ふおおおおおおおおおお。

 

「かぁーわいぃぃーーーー!」

 

 私は思わず、ほとばしる感情のまま素で叫んでしまっていた。

 ディッツが紹介したのは、昨日と同じ黒いローブを着た男の子だ。でも、首から上が昨日とは全くの別物だった。くりんくりんの黒い巻き毛に、白い肌。長いまつ毛に縁どられた大きな瞳は、透き通るようなエメラルドグリーンだ。

 なにこれ! 天使? 天使? マジものの天使降臨しちゃった?

 めちゃくちゃかわいいんだけど!

 髪の毛ぼっさぼさで、目の下にクマつくってげっそりしてた陰気な美青年どこいった? ことあるごとに頭蓋骨を撫でまわしては、イマジナリー師匠と会話していたヤバげな美青年の面影が一切残ってないよ!

 すごい。

 イリスアゲートを渡したら、すぐにジェイドの治療に使うと思ってたけど、まさか昨日の今日でここまで元気になるなんて。

 東の賢者の技術力マジでハンパない。

 

「あああああのあの、あの、お嬢様、ボク、一応お嬢様より年上……かわいいっていうのは……」

「年上だろうが年下だろうが、かわいいものはかわいい。その真理は変えられないわ」

「えっと……?」

「自信もっていいのよ、ジェイドはかわいい!」

「いやー……お嬢、こいつこれでも年ごろだから、かわいいよりはかっこいいのほうが喜ぶと思うぜ?」

「どーせあと何年かしたら背が伸びてかっこよくなっちゃうんだから、かわいいうちは、かわいいって愛でたほうがいいと思うの」

「ええー……」

 

 ジェイドは困り顔だけど、そんな複雑な表情までかわいい。

 かわいいは正義! ジャスティス!

 

「スコルピオ殿、これは一体どういうことですか。昨日の彼は、すっぽりと不気味な仮面をつけていたように思うのですが」

「ちょっとした事情ってやつだ。太陽の光が当たると、皮膚が焼けちまうんで、ああいう恰好をせざるを得なくてな。その病気が昨日やっと治ったってわけだ」

「あら、あの恰好は病気治療のためだったのね。それを不気味だなんて、うちの執事が失礼なことを言ってごめんなさいね」

「いやいや、気にしてねえよ。お嬢は謝らなくていいぜ」

 

 私の横でクライヴの顔が憎々し気に歪む。立場が上の私に先に謝られてしまったせいで、ジェイドの恰好についてそれ以上追及できなくなったからだ。ごめんねー。でも、私はふたりをクビにするつもりはないから、意図的にクライヴの意見は無視するよー。

 

「まあまあ執事殿、そう目くじら立てなさんなって。お嬢に忠誠は誓いましたがね、『雇用条件』は把握しています。当初のご希望通りの働きをお約束します。お嬢にへそを曲げられるよりは、ずっとお得だと思いますよ」

「……まあ、いいでしょう」

 

 クライヴが大きくため息をついた。さすがの彼も何を言ったところで状況が変わらないと悟ったようだ。

 

「クライヴも認めたみたいだし、早速授業ね!」

「いや、今すぐは無理」

 

 ズコー!!

 私のやる気を返せー!

 



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悪役令嬢は従者をゲットした

 魔法の先生をゲットしたはずなのに、全然授業が始まりません!

 

「なんでー!」

「授業で使う本やら薬草やら、もろもろ手配しなくちゃいけねえんだよ! ぶっちゃけると、そもそも雇われると思ってなかったから、手持ちの教材がほとんどねえ」

「そういえば、秒で帰ろうとしてたもんね」

「できるだけ早く準備するから、ちょっとだけ待ってくれ」

「はーい」

 

 そう言うと、ディッツは授業体制について、クライヴと大人の話を始める。態度は砕けているけど、指導は真面目にやってくれるようだ。

 

「あああああの、お、お師匠、ボクもお仕事、したい」

 

 事務的なやりとりをしているディッツの服の裾をジェイドが引っ張った。

 

「と言ってもなあ、魔法を学ぶ以外にお前にやってもらう仕事はねえぞ」

「で、でも……ボク、元気に、なったから。少しでも、おお、お役に立ちたい」

「子供は勉強と遊びが仕事だ。無理すんな」

 

 ディッツはそう言って、ジェイドの頭をくしゃくしゃとなでる。ジェイドは残念そうな顔で俯いた。

 庶民以下は子供でも働かないと生きていけないこの世界で、弟子に勉強してろって言い切っちゃうディッツは、すごーくいい保護者だと思う。

 うーん……でもなあ……。

 ジェイドの事情をゲームを通してしか知らない私には、その病気がどれくらい重かったのか、詳しいことはわからない。でも、ジェイドはジェイドなりに、人の役に立ちたいって思いながら生きてきたんじゃないのかな。一年中ベッドの中にいた小夜子も、同じようなことを考えていたし。

 せっかくのやる気を、保護を理由に切って捨てるのはちょっとかわいそうな気がする。

 

「ねえジェイド、お仕事がしたいなら、私の従者にならない?」

「じゅ、従者? なに、それ?」

「私のそばについて、お世話をする係よ。私の代わりにドアをあけたり、お茶を入れたりするのがお仕事なの。魔法のお勉強も手伝ってくれると嬉しいわ」

「お嬢様、何を言い出すんですか」

 

 私の提案を耳ざとく聞きつけたクライヴの顔がまた引きつる。

 

「だってー、もう10歳にもなるのに、専属の従者がいないじゃない? ジェイドなら見た目もいいし、ちょうどいいかなって思うんだけど」

 

 ちなみに、専属の従者やメイドがいないのは、半年ほど前まで手の付けられないワガママ娘だったからだ。その後、私にもいろいろ思う所があり、自分から従者を指定するようなことはしてなかったんだけど。ジェイドは、この世界で貴重な信用のおける人材だ。できるだけそばにいてもらいたい。

 

「お嬢様、ハルバード家に仕える従者には高度な教養が必要とされます。つい先日まで病気に臥せっていた流れ者には、少々難しいかと」

「大丈夫よ! 足りないのが教養だけなら、お勉強すればいいんだもん!」

「え」

 

 魔法使いの弟子であるジェイドはすでに読み書き計算ができる。礼儀作法を覚えるのはさほど難しくないだろう。

 

「すっごく優秀な執事のクライヴなら、従者の教育くらい簡単よね!」

「あ、その、お嬢様?」

 

 立場上、できませんと言えない執事に、私は笑いかける。その横でディッツも渋い顔をしていた。

 

「お嬢、俺はこいつに、子供らしい生活をだな……」

「心配しなくても、こき使ったりしないわよ。ちょっとかわいいワガママに付き合わせるだけだもん」

 

 まあ、そのワガママのせいで、執事が約一名苦労をしょい込んでいる気はするけど。

 

「お嬢様、専属従者の雇用は、さすがに私の一存では……」

「じゃあお父様の許可をとってくるわね!」

 

 お城の最高権力者のお墨付きがあれば、これ以上何も言えないだろう。

 私は、クライヴに止められる前に、父様のいる部屋へと走り出した。

 

「お待ちください! 旦那様はお嬢様のお願いをお断りしません!」

 

 もちろん、わかっててやってるよ!

 



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閑話:赤の他人のオッサン(ジェイド視点)

 僕の世界は、ずっと暗闇だった。

 

 最初は、あったかいものがずっと一緒だったんだけど、ある日突然冷たくなっていた。それでもしばらくはくっついていたんだけど、いつのまにかそれはなくなってた。

 ひんやりした部屋でぼんやりしていると、大人がやってきて何か悪いものを僕に押し付ける。とても嫌な感じがするけど、それを受け取らないとごはんがもらえない。僕は毎日、嫌なものとごはんを受け取った。

 ごはんのおかげで死なないけど、嫌なもののせいで気持ち悪い。

 このままゆっくり腐っていくんだろう、と思っていたら、部屋に新しい人がやって来た。

 多分、男の人だと思う。その人はひどく怒ってるみたいだった。

 

「……アンタらの提示した額は支払った。コイツは俺がもらってくぞ」

「あなたも物好きですねえ。こんな壊れかけの素材に大金を支払うなんて」

「用途は詮索しない約束だ」

「そうでしたね、お買い上げありがとうございます。またご入用なものがありましたら、お声がけください」

「アンタらともう二度と取引する気はねえよ」

 

 男の人は、僕を毛布でくるむと抱き上げた。

 

「オトウ……サン?」

 

 やさしく抱っこしてくれる男の人のことを、お父さんというのだと、僕を抱いていた暖かいものが言っていた。でもその人は首を振った。

 

「ちげぇよ、俺は赤の他人のオッサンだ」

 

 師匠と呼べ、とその男の人は言った。

 

 師匠と僕はそれから旅に出た。部屋の外の世界は、寒かったり、暑かったり、騒がしかったりしたけど、師匠に抱っこされているうちに怖くなくなった。

 光が体に当たると焼けるように熱くなるから、師匠が特別製の洋服を作ってくれた。ごつごつしてて、ちょっと動きにくいけど、着ているだけで師匠に抱っこされてる気持ちになった。

 旅をしているうちに、僕はいろんなことを知っていった。ごはんは、あたたかいとおいしいこと。師匠と食べるともっとおいしいこと。目が見えなくても、魔力を使えばものの形を捉えたり、文字が読めるようになること。本を読むことで、もっともっとたくさんのことを学べること。

 しばらくして、師匠は新しい商売を始めた。女の人に姿を変えて、魔法の薬を売る仕事だ。師匠は特別な薬を作っては大金で売りさばいて、そのお金で材料を買い、僕のための薬を作る。師匠の作った薬を飲むと、僕の体の中の嫌なものが少しずつ消えていった。

 

 でも、どんな薬を作っても、嫌なものを全部消すことはできなかった。

 

「やっぱ、完全な解呪薬を作るには、ザムドの野郎からイリスアゲートを買うしかないかあ」

「デモ、アノ人、会ウタビに値段ヲ上ゲテルヨ」

「人の足元を見るのがうまい奴だよな」

 

 王都の大きな犯罪ギルドの元締めだったザムドは、虹色の石をちらつかせて、師匠をこき使っていた。多分、あの人は師匠を利用するだけ利用して、石を渡すつもりはない。どれだけお金をためても、薬は完成しないだろう。

 

「いっそ、無理やり奪っちまったほうが早いかねえ」

「ダメ、師匠ガ死ンジャウヨ。イナクナッチャ、ヤダ」

「わかってるって」

 

 薬なんて作らなくていい、って何度言おうとしただろう。

 でも僕の未来を信じて命を削ってくれている人に、『師匠が大事だから、未来なんかいらない』なんて、ワガママは言えなかった。

 目の前に材料があるのに、手を出せない。

 日に日に師匠の声が、暗く沈んでいくのを聞いていることしかできなかった。

 

 あの依頼が来たのは、そんなある日のことだった。

 

 ハルバードのお嬢様の魔法の教師として、面接を受けてほしい。

 面接を受けるだけでも、少なくない報酬が支払われるらしい。気分転換にもいいだろう、そう言って師匠はいつものように姿を変えて旅に出た。小金を稼いで、またすぐに出ていく、そんな予定はお嬢様に会った瞬間吹っ飛んだ。

 

「あげる。だから、私の先生になって!」

 

 僕たちが求めてやまなかった宝石を、お嬢様はぽんと渡してきた。

 

 偽物じゃない。本物の、解呪の力を持った虹色の瑪瑙。師匠も僕も、その場に崩れ落ちるかと思った。

 

 その夜、今まで泊まったどの宿よりも立派な客室に通された僕たちは、早速薬を作った。レシピはもう完璧にできている。イリスアゲート以外の材料だって全部用意してある。師匠が完成させたその薬を飲み干すと、僕の中の嫌なものは嘘みたいに消え去った。

 

「あ……ああ……?」

 

 声が、出た。今までのつぶれたカエルのような声じゃない。人間らしい、男の子の声だ。

 目をあけると、そこには黒髪に黒い瞳をした、男の人の顔が見えた。彼は、顔をくしゃくしゃにして涙を流している。

 

「俺が、見えるか?」

「うん」

「苦しい所はないか?」

「ないよ」

「そっか……そうか……はは……やっと、治してやれたな」

「……ありがとう、お父さん」

「ちげぇよ、俺は赤の他人のオッサンだ」

 

 師匠と呼べ、とまた言われた。

 でも心の中でお父さんって呼ぶのは、いいよね?

 

 

 

 

 ディッツの過去補足

 

 ディッツは駆け落ちを持ち掛けるくらいには惚れていた女性がいましたが、家の事情で女性はとある貴族と結婚。彼女は貴族の子供を産みますが、とんでもなく魔力にあふれる子だったので、逆に「これは俺の子じゃないんだろう」と不貞を疑われ婚家を追い出されています。その後、呪殺を生業とする暗殺集団に誘拐され、親子ともども呪術の道具として搾取されます。事態を知ったディッツが救出に向かいましたが、母親はすでに死んでおり、呪いで体が半分腐った子供が残されていただけでした。暗殺集団を殲滅するほどの力のなかったディッツは、このとき全財産のほとんどを使って、子供を暗殺集団から買い取りました。それが弟子のジェイドです。

 ジェイドにお父さんと呼ばせると、女性が不貞をしていたように聞こえてしまうので、ディッツはあくまでも「他人のオッサン」を名乗っています。

 

 



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従者の着せ替えをして何が悪い

「で、こうなったわけか」

「ぼ、ぼぼ、僕、恥ずかしい……」

「似合ってるんだから、胸を張っていいのよ」

 

 父様に直談判という無茶ぶりをしてから1時間後、私の専属従者となったジェイドは、早速ハルバード家のお仕着せ使用人服を着せられていた。成長期の子供にあわせた、シンプルなチュニックに丈の短い吊りズボン、そして首元にはボウタイが結ばれている。

 かわいい。

 めっちゃかわいい。

 さっきのごついローブ姿もアンバランスでよかったんだけど、年相応の恰好をしているジェイドはより一層かわいい。

 ほめちぎっていると、ジェイドは居心地悪そうに背中を丸めた。

 

「うう……でも」

「いいから背筋を伸ばすの。いい? かわいいっていうのは、すごーくお得な才能なの」

「お、お得? 才能?」

「見たでしょ? ジェイドを着替えさせたメイドたちの反応。顔を隠していた昨日は遠巻きにしてたけど、素顔を見たとたんあっさり使用人仲間として受け入れてくれたじゃない」

「そ、そう、かな」

「せっかく才能に恵まれたんだから、活用していかないと!」

「……はあ」

「まあ、お嬢の言い分は暴論だが、確かに背筋は伸ばしたほうがいいな」

「そう、なの?」

「お嬢の従者になった以上、お前はお嬢の一部だ。しょぼくれた奴を連れてたんじゃ、お嬢が恥をかくことになるぜ」

「あ……そ、そっか」

 

 こくん、とうなずくとジェイドは顔をあげた。まだ顔は引きつってるけど、少なくとも背筋はぴんと伸びている。

 うーむ、教育に関しては、やっぱりディッツのほうが一枚上手だな。

 

「それで、ディッツたちの部屋はここになったわけ?」

「ああ。元は庭師夫婦が住んでいた家らしい」

 

 私たちが立っているのは、城の裏手のボロい小屋の前だった。

 一応城壁の中ではあるものの、城の敷地のはずれのはじっこで、日当たりだってよくない。

 

「専用の寮だってあるっていうのに、他の使用人と一緒にすると面倒だからって、クライヴめ……。ちょっと待ってて、城で一番いい部屋もぎとってくるから」

「待て待てお嬢。城の外に部屋が欲しいって言ったのは俺なんだ」

「あんたマゾなの?」

「違えよ。魔法の実験のためだ。モノにもよるが、やり方によっちゃあ、爆発したり、変な煙が出ることがあるからな」

「あー、居住区の真ん中でそんなことされたら、事件になるわね」

「そういうこと。小屋の中に竃はあるし、近くにボロいが井戸もある。雑草も少し片づければ薬草畑にできるだろ。俺としては最高の職場ってわけだ」

「あああああ、あの、僕も、片付け、手伝う」

「おう、頼りにしてるぜ。なにしろ、他の連中に薬の材料を触らせるわけにはいかねえからな。この小屋の掃除は全部俺たちの仕事だ」

「大変ねえ。魔法の授業が始められるのは、いつになることやら」

「いいや、そうでもないぜ?」

 

 ディッツは、にやーり、と人の悪い笑みを浮かべた。

 あ、これは何かを企んでる顔だ。

 そう思っている私の手に、古びた本と大量の紙束が渡される。

 

「魔法の授業、レッスン1だ。まずは、この本全部書き写してもらおうか」

「はいいいい?」

 



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紙はある。印刷技術はない。

 突然だけど、ハーティア国は紙が豊富だ。

 元は前世の世界と同じで、羊の皮をなめして薄くした羊皮紙が主流だったんだけど、およそ百年ほど前に東方から植物を使った製紙技術が伝わって、各地でたくさんの紙が作られるようになった。だから、読み書きができる上流階級では手紙を送りあい、文章を書き綴ることが文化として定着している。ゲーム内では、手紙に使う紙やインクに何を使うかで好感度が変化するイベントもあった。

 こんな風に素材が流通する一方、情報を広く共有する技術のひとつ、『印刷技術』はまだ確立されていない。時々、輸入品の中に版画もどきが混じっている程度だ。

 そんな状況で、学校で使う教科書のような、同じ内容の本を量産しようと思った場合、人はどうしなければいけないだろうか?

 

 もちろん、一文字一文字書き写すのである。

 全部手書きで!!!!!!

 

「うううう……」

 

 小屋の掃除をするディッツとジェイドの横で、私はひたすら文字を書き写していた。お手本としているのは、ディッツのものらしい、年季の入った魔法の教本である。

 これがとにかく分厚い。

 ページ数がめっちゃ多い。

 角で殴ったら人が殺せるんじゃないかっていうくらい厚い。

 内容自体がわかりやすくて、ディッツが書き込んだ注釈が適切じゃなかったら、早々に魔法の勉強を投げてたかもしれない。

 

「一体何ページあるのよ……これ……」

「えっとえっと……あの……218ページ、くらいだと、思うよ」

「あら、思ったより少ないのね。使ってる紙が分厚いからかしら」

 

 それでもやっぱり多いけどね!

 誰か! さっさと活版印刷技術を確立して!!!

 早く生まれろ、グーテンベルク!!!

 

「ねえディッツ、このお手本を買い取って使っちゃダメ?」

「却下。俺とジェイドが使う本がなくなるだろうが」

「誰かに手間賃を払って写させるとか……」

「それも却下だ。大筋はともかく、細かい注釈は俺の財産だからな。弟子以外に情報を渡すような真似はしたくねえ」

「ぐぬぬ……」

 

 ディッツに正論をつきつけられて、私はうなるしかない。

 でもさあ、さっきからちょっと却下が多すぎない?

 アンタ私に生涯の忠誠を誓ってるはずだよね?

 

「悪いことばっかりじゃねえぞ?」

 

 そう言うと、ディッツは本に書かれた魔法陣の上に手を置いた。

 

「さてここで問題だ、今隠した魔法陣、書いてみな」

「えー! ちょっとしか見てなかったのに、無理に決まってるじゃない!」

「だよな。だが、一回真剣に観察して、自分で書いてみたらどうだ?」

「まあ……ざっくり書けなくは……ないかも?」

「書き写す、って作業には、観察して理解するっつー過程が入るからな。ぽんと渡された本を流し読みするより、しっかり頭に入ると思うぜ」

「むう……」

 

 それを言ったら、印刷された教科書と、タブレットパソコンで勉強をしていた現代日本人の学習能力はどうなるんだろうか。あー……でも、タブレット使ってても、結局反復学習はさせられてたか。

 

「それにな、写本づくりは知識と教養が必要な専門職だ。やりかたを覚えておけば、将来食いっぱぐれねえぞ」

「えええ、えっと、師匠、お城に住んでるお嬢様は……食うに困らないんじゃ、ない、かな?」

 

 実はそうでもない。

 名門ハルバード侯爵家でも、娘が悪役令嬢になって、息子が他国に亡命したら、領地全体が崩壊して一家離散することもある。その未来はゲームで見た。

 そうならないよう努力してるところだけど、万一のために知識を身に着けておいても損にならないはずだ。

 

「しょうがないわね……たまには泥臭い努力もしてやろうじゃない」

 

 私がペンを手に取ると、ディッツは嬉しそうに笑う。お嬢様が手に職をつけることの、何がおもしろいのか。

 私は1ページ丁寧に書き写したあと、次のページに移る。書く前に、その内容にざっと目を通した私は、その中に妙な記述を発見した。

 

「ねえディッツ、これってどういうこと?」



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ぼくのかんがえたさいきょうのまほう

 私が指した部分を見て、ディッツはひょい、と片方の眉を器用に上げた。

 

「ああ、雷の魔法がどうかしたか?」

「どうかって……雷なんて属性、兄様の持ってた教科書には載ってなかったわよ」

 

 ゲームのチュートリアルにも。

 

 この世界の魔法には、よくあるゲームと同じで『属性』が存在する。火、大地、風、水、そして光と闇。ゲームとしてこの世界を体験していた時は『テンプレありがとうございます!』と深く考えずに遊んでいた。

 だから、この世界の魔法は全部で6属性だと思い込んでたんだけど。

 ここに書かれている『雷』って、一体何なの?

 

「あー、それは利用不可属性だな。そうか、最近の教科書にはもう載ってないのか」

「どういうこと?」

「あああ、あの、あのね、雷の属性の魔法はあるんだけど、使えないん、だよ」

「使えない?」

「だって、あの、雷を落とすのは、人間には、無理、だから」

 

 ジェイドは一生懸命説明してくれているけど、さっぱりわからない。

 ある、けど使えない属性魔法、ってこと?

 

「あー、どう説明するのがいいかな」

 

 ディッツは、がりがりと頭をかいた。

 

「お嬢、雷が落ちるのを見たことあるか?」

「あるわよ」

 

 この世界では珍しい自然現象だが、現代日本では夏の風物詩だ。

 

「ソレを人間の魔力を使って再現するのが、雷属性の魔法なんだが……ぶっちゃけ、雷落としに成功した人類はこの世に存在しねえ」

「ええ? 本当に?」

 

 魔法の世界なのに!

 

「確かに雷は強力だし、空からあんなモンを落とすことができたらすげえだろう。だがな、あんなド派手な魔法、魔力がいくらあっても足りやしねえんだ」

「えーと、つまりエネルギー不足ってこと?」

「多分、魔力にあふれた竜でも100頭くらい集まらないと無理なんじゃねえかなあ」

 

 雷には莫大なエネルギーがある、と言う話は聞いた覚えがある。いつか見た古い映画では、そのへんの車のバッテリー程度じゃ、タイムトラベルをするエネルギーが手に入らなくて、わざわざ雷が落ちるのを待ち構えるシーンが描かれていた。

 

 それを人ひとりの力で作りだすのは、魔法の世界であっても不可能らしい。

 

「それだけコストをかけたとしても、起きるのは『雷が落ちた』っつー現象だけだろ? 光が欲しけりゃ、火の魔法を使って種火を作ればいいし、敵を攻撃するなら、もっと他に効率のいい魔法がある」

「がんばって使っても、メリットがあまりないのね」

「それでとうとう、教本から姿を消しちまったわけだ」

 

 よくよく見て見れば、ディッツの教本の中でも雷の魔法は概要を説明しただけで、使い方については何も書かれていなかった。使う方法が存在しないからだろう。

 

「電撃魔法とか、便利そうに見えるのになあ」

 

 自分で電気が作り出せるのなら、スマホも携帯ゲーム機も充電し放題だ。バッテリーを気にせず遊べるなんて、パラダイスじゃないか。通信用の電波だって自分で作れたら、パケット通信料を安くできるかもしれない。

 まあ、家電製品自体が存在しない世界でそんなこと言っても、無駄なんだけどさ。

 

「ん? 雷って使う方法がないから、存在しない属性になってるんだよね?」

「まあそうだな」

「じゃあ、雷以外にも力として認識されていない力は、新しい属性になる可能性がある?」

 

 例えば、重力とか、磁力とか。

 小夜子たち日本人は小学生のころからニュートンのリンゴの話を聞いたり、磁石遊びをして育ったから、どちらの力も身近なものだ。

 でも、この中世に似た世界ではどうだろう?

 この属性の分類から考えると、どっちも存在を認識されてない感じだよね?

 認識できていないものは、利用しようがない。

 でも、認識できている私が術を作れば、利用できるようになる、かも……?

 

「ははっ」

 

 笑い声に顔をあげると、ディッツが生ぬるい表情で私を見ていた。

 

「新しい力かー、うんうん、発見できたらすごいかもなー、発見できたら」

「ちょ……!」

 

 この顔は、見たことがある。

 主に現代日本で。

 

「魔法の勉強を始めた子供はみんな同じことを言い出すんだよなー。新しい術式を編み出して見せる、とか、新しい属性系統図を作って見せる、とか。夢があっていいねえ」

 

 これは、『中二病患者を見る目』だ!

 新しいものを勉強し始めて、『ぼくのかんがえたさいきょうのまほう』を語りだしたのを見て、思わずほほえましくなった大人の目だ!

 確かに今の発言は、それっぽかったけど!

 

「ち、ちがうわよ! 私は、夢物語を言ってるんじゃなくて! 本当に使えそうな属性のことを考えていたの!」

「おー、そーかそーか。じゃあ応用研究に着手できるよう、基礎を固めていかないとな」

「話を聞けええええええええ!」

 

 絶対、新魔法を開発してやるうううううううう!!!!!

 

 

 



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悪役令嬢はお茶会デビューしたい
社交シーズンが始まるよ!


「ううううう、結局新魔法開発できなかった……」

 

 5か月後、王都に向かう馬車の中で私はうなっていた。新魔法を開発して、人を中二病患者扱いしたディッツを見返す、という目標が達成できなかったからだ。

 

 それどころか。

 

「半年近く頑張って、マスターした魔法が初期魔法止まりってどうなのよ……」

 

 今私ができるのはせいぜいライターひとつ程度の火を起こしたり、そよ風を起こしたり、コップ一杯の水を作り出したりする程度だ。ゲームで見たような派手な魔法バトルは夢のまた夢だ。

 

「あのなあ、お嬢の歳で属性初級魔法を全部使いこなすってのは、結構すごいことなんだぞ?」

「王立学園に入学してすぐに使えるようになる子もいるでしょ」

 

 ゲームでは、魔法の授業を受けていたら簡単にポコポコレベルが上がっていた。あんな感じに上達すると思っていたのに、実際は苦難の連続だった。魔力とかいう力の流れはフワッとしていて感じにくいわ、扱いにくいわ、しかも使いすぎると倒れるわで、練習しにくいったらありゃしない。初級魔法をマスターするまで、何度術を暴発させたか、数えきれないくらいだ。

 

「アホ。そういうのは、ほんの一握り……ジェイドと同レベルの規格外な奴か、聖女くらいのもんだ。大概は1年の基礎教養で魔法の適性ナシと判断されるし、そこから先に進んだとしても卒業までに中級魔法を覚えるのがせいぜいだ」

「えー、マジで?」

 

 魔法を覚えるのってそんなに難しいものだったの?

 だったら、あのゲームの難易度設定は何だったんだ。シナリオに加えてそんなところもバグってたんだろうか。

 

「……ん? 今聖女って言った? ということは、聖女ってすごく魔法が得意なの?」

「建国神話では、全ての属性の魔法をまるで息をするかのように容易く扱った、と記録されてるな。実際、聖女の直系の子孫である王族の女子は魔法の適性が高い傾向がある」

 

 ……なるほど、あれはバグじゃなくて聖女設定だからか。

 脇役設定の悪役令嬢の立場では、主人公補正はつけてもらえないらしい。

 

「ああ、あのね。お嬢様はすごく頑張ってる、から! 無理しなくて、いいよ!」

 

 私がため息をついたのを見て、ジェイドが一生懸命励ましてくれた。

 うーん、かわいい。

 彼はここ数か月の従者教育のおかげで、見た目も立ち振る舞いも綺麗になった。

 言葉遣いはまだちょっとたどたどしいけど、それはそれでかわいいから問題ない。

 天使から大天使に進化したそのかわいさに、より一層癒される。

 

「えっと……だから、ボクはお嬢様より年上……」

「あー励まされると元気が出るわー」

「はあ……お嬢様が元気なら、それでいいか……」

「まあ実際、そんなに焦らなくても、コツコツ練習すれば大丈夫だ。そのために、俺たちも王都までついてきたんだからな」

「だといいんだけど」

 

 私は馬車の窓を見た。そこから見えるのは、緑豊かなハルバードの風景ではない。

 石造りの建物がひしめく王都だ。

 

 冬至が過ぎ、花がほころぶ季節になると、ハーティアは社交シーズンを迎える。領地で冬ごもりをしていた地方貴族が王都に集い、他の貴族に営業……もとい、親交を深めるのだ。広大な穀倉地帯を抱える我がハルバード家は、領民の種まきを見届けてからなので、他よりちょっと遅めの参加だ。

 王都に滞在する数か月の間、魔法の勉強をお休みするのはもったいない、とディッツも一緒についてきてくれている。私の専属従者として先に同行が決まっていたジェイドが心配、っていうのもあるけど。

 

「はあ……社交か……」

 

 母様は、『今年こそリリィのお茶会デビューを!』と張り切っているが、私の気分は重い。なぜなら、現在のハーティア社交界は混迷を極めているからだ。最高権力者の妻である王妃自ら、人間関係をひっかきまわしている状況で、まともな交友関係を結ぶのは難しい。

 かといって、名門ハルバード侯爵家の令嬢が、いつまでも領地に引きこもっているわけにもいかない。

 

 面倒くさいなあ、と思っていると、馬車のドアがノックされた。

 

「ど、どうしました?」

 

 従者であるジェイドが私に代わって返事をする。馬車の窓を見ると、そこにクライヴが顔を見せた。

 彼は執事として父様と母様と同じ馬車に乗っていたはずだ。どうしたのだろうか。

 

「少々厄介なことになりました。これから王都のタウンハウスに向かいますが、その間はカーテンを閉めておいてください」

「え? 何か事件?」

「まだ事件にはなっていません。ですが、騒動を起こさないよう、馬車の中でおとなしくしていただきたいのです」

「……わかった。こっちの馬車の警備は俺とジェイドにまかせろ」

 

 何かを察したらしい、ディッツが答える。

 クライヴはうなずくと、窓から姿を消した。恐らく父様と母様の乗る馬車へと向かったのだろう。

 

「予想通り、か」

「何を予想してるのよ、ディッツ! 何が起きてるの?」

「じきにわかる」

 

 大通りに差し掛かったところで、『少々厄介なこと』の正体が私たちを出迎えた。

 



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白百合と炎刃を待っていたものたち

「リリアーナ!」

「お兄様!」

 

 馬車がタウンハウスの玄関に到着するなり、私はそこから飛び出した。出迎えてくれた兄に駆け寄る。

 振り向くと、屋敷の入り口の門に人々が群がっている姿が見えた。

 

「よく無事にたどり着けたね。怖かっただろ」

「うん……!」

 

 よしよし、とお兄様は私の頭をなでてくれた。私もここぞとばかりに甘えて兄に抱きつく。

 

 王都に入った私たち家族を迎えたもの。それは、父様と母様のファンたちだった。

 脂肪の衣を脱ぎ捨て、かつての美貌を取り戻したと知った人たちが、ふたりを一目見ようと大通りから屋敷までの道に詰めかけたのだ。

 現代日本で言う所の、スポーツ選手の凱旋パレードみたいなものなのかな? あんな感じの人の群れが、うちの馬車を取り囲んだのである。警察官や警備員が交通整理をする現代日本とは違って、頼りになるのはうちに仕えてくれてる兵士たちだけ。

 正直、いつ群衆が暴徒になって、馬車に突っ込んできてもおかしくない状況だった。

 そんな中、人をうまくさばいて屋敷まで馬車を運んだ兵士たちは、本当によくやってくれたと思う。あとで差し入れしておこう。

 

「クライヴ、門の前に集まった人たちを解散させてくれ。それから、屋敷の警備を強化するように」

「かしこまりました」

 

 馬車から降りて執事に指示を出すお父様の声も、少し疲れている。のんびり夫婦も、さすがにあんなに人に取り囲まれたら、くたびれるよね。

 

「アルヴィン、出迎えてくれてありがとう。父様と母様は少し大人の話があるから、リリィと先に中に入っていなさい。夕食も先に食べていていいから」

「わかりました。リリィ、おいで。疲れていると思って、甘いお菓子を用意させてるんだ」

「やった! お兄様、ありがとう」

 

 私は、兄のエスコートで屋敷の中に入る。

 そこでは、使用人たちが荷ほどきのために忙しく働いていた。

 

「王都に来るなり、お兄様に会えるなんて嬉しいわ。王立学園の授業はいいの?」

「今日は学校が休みの日だから大丈夫。しばらくは寮に戻らず、ここから学園に通うつもりだ」

「そうなの?」

 

 私は嬉しいけど、授業とか大丈夫なんだろうか。

 

「王都に自宅がある生徒は、自宅通学が認められているんだよ。授業のほうも、今期のカリキュラムは実技以外ほとんど修了しているから、今更焦る必要はない」

 

 そういえば兄様は、ゲームだと卒業後すぐに魔法学の教師になれるくらい、めっちゃ頭いいんだった。余計な心配だったな。

 

「それより、あの父様と母様の姿に慣れるほうが大事だと思うから……」

「あー……」

 

 そういえば、そうだった。

 年度の切り替えである夏休みと違って、冬至のお休みは半月と短い。

 折角ハルバードの家に帰って来た兄様だったけど、数日で学校に戻らなくちゃいけなかったんだ。だから、スリムなふたりとは、まだほとんど交流できていない。

 今年の社交シーズンは、家族の交流を深めるいい機会だと思ってくれたらしい。

 家族の溝が少しでも減るといいなあ。

 

「それで、その後ろのふたりがお前の教師たちか?」

 

 私と並んで歩いていた兄様は、ひょいと後ろを振り返った。そこには、従者らしく私の後ろに付き従うディッツとジェイドの姿があった。

 

「そうよ。ふたりとも、お兄様にご挨拶なさい」

 

 そう言うと、ディッツが恭しくお辞儀した。

 

「お初にお目にかかります、若様。お嬢様の家庭教師として勤めております、ディッツ・スコルピオです。専門は、魔法を使った新薬の開発になります」

 

 次に、ジェイドがぺこりとお辞儀する。

 

「ボクはスコルピオ様の弟子のジェイドです。リリアーナお嬢様の従者として、お仕えさせていただくことになりました。よろしくお願いします、若様」

 

 よし! ひっかからずに自己紹介できた!

 えらいぞジェイド!

 ディッツ以外とほとんど会話したことがなかったから、つい、たどたどしい喋りになっちゃってるけど、練習した定型文なら、すらすら言えるんだよね。

 やればできる子、がんばれ!

 

「お嬢様……その応援の仕方はどうなの……ボク、一応年上……」

「従者を誉めるのは主人の務めよ!」

「いい誉め方を身に着けるのもレディの仕事だろう、リリィ」

 

 はあ、とため息をついてから、兄はディッツたちに向かってお辞儀を返した。

 

「丁寧な自己紹介ありがとうございます。まさか、東の賢者と名高い、スコルピオ様に妹を指導してもらえるとは思っていませんでした」

「いい人材を捕まえたでしょ」

「それは認めるが……どうして金貨の魔女が東の賢者になったんだ? 手紙に書いてあった内容だけだと、何が起こっていたのかさっぱりわからなかったんだが」

「それは口で説明してもわからないと思うわ」

 

 私も、いきなり魔女が魔法使いに化けると思ってなかったもん。

 

「まあ細かいことはいいじゃないですか」

 

 自己紹介が終わったら外面モードは終わり、とばかりにディッツはへらっと笑った。おい、さっきまで背中にしょってた猫どこにやった。

 

「お近づきの印に、おもしろい魔法を見せましょう。そこのメイドさん、ソレ、ちょっとこっちに渡してもらえるかな?」

「ええっ?」

 

 ディッツはいきなりハウスメイドのひとりを呼び止めた。

 



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炙り出された悪意

 おもしろいものを見せてやろう。

 そう言って、ディッツが呼び止めたメイドは大きな銀のトレイを運んでいるところだった。その上には、色とりどりの封筒が、何十通も積まれて山のようになっている。

 

「あ、あの……これは、旦那様たちにお渡しするお手紙なんですが……」

「それをそのまま侯爵様たちに渡したらまずいから、言ってるんだ。ちょっとそいつを調べさせてもらいたい」

「ええ……」

 

 メイドは困惑して後ずさった。

 そりゃそーだ。

 いきなりやってきたちょい悪イケメンに無茶ぶりされて、はいそうですかと頷くような人はうちに雇われていない。

 

「私が命令するわ。そのトレイをディッツに渡して」

「……はい」

 

 屋敷の最高権力者のひとりである私が口をはさむと、メイドは不承不承頷く。

 

「でも、手紙がいつまでたっても届かないと困るわよね。私たちに手紙を渡したことをクライヴに報告しておいてちょうだい」

「わかりました」

「あ、ついでに、人数分のお茶をこっちに持ってくるよう、伝えておいてくれ」

「ディッツ、あんた図々しいわよ」

「でもお茶は飲みたいだろ?」

「否定はしないけどね……」

 

 言っている間に、メイドは踵を返して去っていった。クライヴあたりに指示をあおぎに行ったのだろう。

 

「それで、どんな魔法を見せてくれるんです?」

 

 兄がディッツを見ると、奴はにやりと笑った。

 

「悪意のあぶり出しだ」

 

 彼は懐から銀色のチョークを出すと、その場にしゃがみこんだ。メイドたちがぴかぴかに磨いた大理石の床に、魔法陣を書き始める。

 

「ん……これは、呪術系の魔法……?」

 

 ディッツが描く魔法陣を見ながら、兄がつぶやく。

 

「兄様、この魔法陣わかるの?」

「外側の基礎式だけならなんとか。でも、中央の式は、象徴化されすぎて何が書いてあるのか、わからないな」

「その辺りは、一見して真似できないよう、ブラックボックス化してますからね……と、できた」

 

 よくわからない術式がびっちりと書かれた、直系1メートルほどの魔法陣を完成させ、ディッツは腰をあげた。何をするつもりのものなのか、基礎魔法くらいしか習っていない私には、さっぱりわからない。

 

「ジェイド、起動よろしく」

「はーい」

 

 ジェイドが手をあてると、魔法陣が白い光を放ち始めた。

 その様子を確認すると、ディッツはトレイの中にあった手紙を一通、ポイっと中に放り込む。

 途端に魔法陣の光はオレンジに色を変えた。

 

「ちょっと、何やってんの」

「言っただろ、悪意のあぶり出しだって。うーん、この色は中に刃物が入ってるな」

「はあ?!」

 

 驚く私の目の前で、ディッツは次々に手紙をチェックし始める。

 

「これはシロ、シロ、シロ……こいつは刃物入り。お嬢、危ないから触るなよー」

「言われなくても触らないわよ」

「今度は魔法陣が紫色になりましたよ、賢者殿。これは何を意味しているんですか?」

「薬物入りですねえ」

「手紙に、薬物?」

「結構よく見る手口ですよ。においを嗅いだり、触ったりしただけで、人体に影響が出る毒は結構ありますから」

「ちょっと、今度は魔法陣が赤くなってるわよ! これは一体何なの!」

「それは呪いがかかってる手紙だな。開けた瞬間、顔がただれるぞ」

「嫌―! 何てもの送ってきてるのよー!」

「坊ちゃま、お嬢様、何をされているのですか」

 

 メイドの報告を受けたらしい、クライヴがやってきた。その手には律儀にも人数分のお茶が乗せられている。

 

「東の賢者殿に魔法の臨時講義をしていただいていた。父様たちに届いた手紙のうち、こっちの束は刃物入り、そっちは薬物入り、だそうだ」

「なんですって……?」

 

 さあっと執事の顔色が変わる。

 

「あと、こっちの5通は呪いつきだ」

「手紙の半分が、悪意のある仕掛け付きってどうなのよ」

 

 うちの両親、人気があるんじゃないの?

 なんでこんな嫌がらせをされてるの!

 



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クソリプ

「やはりこうなりましたか……」

 

 悪意のこもった手紙の束を見て、クライヴは重々しい溜息をついた。

 

「やっぱり、ってことは、この事態を予想してたの?」

 

 私が尋ねると、はい、と頷く。

 

「坊ちゃまがお産まれになる前には、時々このような手紙が届いておりましたから。旦那様と奥方様がその……様変わりしてからは、そのようなことはなかったのですが」

「父様と母様が綺麗になったから、嫌がらせをするの? どういうことよ」

「お嬢様、幼い貴方には理解しがたいでしょうが、強い光というものは、時に濃い影を作るのです。旦那様たちは、多くの支持者を得ると同時に、羨望と嫉妬の的にもなってしまっているのでしょう」

「つまりこの手紙はクソリプってことなのね」

「くそり……? リリィ? なんだそれは」

「あ! ちょ、ちょっと言い間違えちゃったわ。くだらない嫌がらせ、って言いたかったの」

 

 いかんいかん。

 思わず現代日本ワードが出ちゃった。

 アプリも何も存在しないこの世界で、リプライとか言っても通じないよね。

 現代日本でもいたよねー。芸能人とかスポーツ選手とか、有名人だったらどんな言葉をぶつけてもいい、って思って暴言吐く人たち。

 どんなにすごい実力があっても、どれだけ強くても、その人は架空のキャラクターじゃない。

 生きた、生身の人間だっていうのに。

 

「この手紙を出した連中は、侯爵家をなんだと思ってるんだ」

 

 兄様は嫌そうに顔をしかめた。

 おっと、そういえばここは身分制度のあるファンタジー世界だった。

 個人情報保護法はないし、人の命は平等だと言う人権派もいない。クソリプを不敬だと判断した侯爵家が、庶民の首を物理的に刎ねちゃうこともできるんだった。

 そう考えたら、よくこんな手紙を出せたものだよね?

 

「旦那様も奥様も、お優しい方ですから……咎めるようなことをしない、と思われているのでしょう」

「つまり、我がハルバード家が侮られている、ということだな?」

「有体に言えば、そう、なりますね……」

 

 今まで何を言われても、ダイナマイトな姿でのほほんとしていた人たちだからねえ。娘の私でも、反撃する姿は全然想像できない。

 

「このままにしておくわけには、いかないな」

 

 兄の目がぎらりと光った。

 あー、そういえば何かされたら全力で反撃する人が、家族にいたわ。

 実の妹ですら、素行が悪いと排除しようとするくらいだもん。赤の他人の愉快犯なんて、ツブしてポイだね!

 

「クライヴ、手紙を全てチェックし、不届きな手紙の送り主を特定しろ。特に悪質なものについては、大々的に告発し、処罰させる。痛い目にあうとわかれば、軽率なことをする連中は減るだろう」

「かしこまりました」

 

 手紙の山をトレイに載せ直すと、クライヴは去っていった。有能な彼のことだ、たとえ差出人が偽名を使っていたとしても、送り主を突き止めてくれるだろう。

 

「はあ……」

 

 手紙の山が見えなくなった瞬間、ほっと息が漏れた。

 人の悪意を目の当たりにして、思ったより緊張していたみたいだ。

 

 これで、収まるといいんだけどね……。

 

 



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悪役令嬢の退屈な日常

「この薬をこう投げて……こう!」

 

 私が薬の入った小瓶を投げると、それは白い煙をあげて爆発した。

 

「お嬢様、手順はすっかりマスターできたね!」

「テスト用の瓶には小麦粉しか入ってないが、本番用の瓶には刺激物が入っている。ちょっと吸っただけでもかなりダメージを喰らうはずだから、不審者には思い切りぶつけてやれ」

「はーい……」

 

 王都に到着してから一週間後、屋敷の外に出られない私は、いつものようにディッツの授業を受けていた。教室は屋敷裏の元物置小屋。薬品を使うから、とハルバードのお城と同じように母屋とは別の建物に引きこもって授業をしている。

 

「はあ……今日も護身術の練習かあ」

 

 王都に来てから、ディッツの授業内容はがらりと変わった。不審者から距離を取って逃げる練習、大声で叫んで人を呼ぶ練習、声が出せない状況で異常を知らせる練習……つまり、非力な淑女むけの護身術だ。

 もちろん、基礎の反復練習は続けていたけど、それ以上の新しい魔法については手を付けられていない。

 

「そうむくれるなよ。今一番必要な知識だぜ?」

「わかってるわよ」

 

 私は椅子に座ったまま、ぶらぶらと足を揺らした。お行儀が悪いけど、これくらいは許してもらいたい。なにしろ、ずーっと屋敷の外に不審者がうろついている状態なのだ、ストレスだってたまる。

 兄とクライヴが協力して猛抗議したおかげで、不審な手紙や、屋敷に入り込もうとする人間は激減した。しかし、それは『激減』止まり。ゼロになったわけじゃない。

 ネットどころか、新聞もろくにないこの世界。ブロマイドも何も販売されてない状況で、あこがれの人の姿を確認しようと思ったら、直接側に行って見るしかないのだ。

 ほぼストーカーと言っても過言ではないファン心理に突き動かされた人々は、罰を受けるとわかっていても、屋敷にやってくる。

 彼らの興味の矛先は、当然子供の私たちにも向けられていた。

 この状況で自衛を考えないほど、私もバカじゃない。

 

「王都の治安にだって影響が出てるはずなのに、騎士団はあんまり取り締まってくれないし」

「そいつはしょうがない。王妃様は白百合が嫌いだからな」

「は……」

 

 なんだその話。

 聞いてない! 聞いてないぞ?

 確かに相性良くなさそうだけどさ!

 

「どういうこと?」

「え? あー……そうか、下の世代はもうあの話は知らねえのか……まずいことを言っちまったな」

 

 ディッツは気まずそうに無精ひげの生えた顎をかく。そういえば、ディッツと両親は同世代。人気絶頂だったころのふたりを、直に見ていてもおかしくないんだよね。

 

「お嬢、聞かなかったことには……」

「できるわけないでしょ。言ったからには説明しなさい」

「俺から聞いたって、執事殿には言うなよ?」

「まあ、言わなくても私の情報源なんてたかが知れてるから、ばれると思うけどね。で、王妃様と母様の間に何があったの」

「直接的には何も。ほとんど話す機会もなかったと思うぜ。ただ……王妃様が嫁いできた結婚祝賀パーティーで奥様がダンスを披露して、主役の王妃様より目立ったくらいで」

「大事件じゃない」

 

 身内のひいき目もあると思うけど、母様は美人だ。ぶっちゃけ王妃様より美人だ。

 そんな人を何故祝賀会で躍らせた!

 主役を食っちゃうに決まってるじゃん。

 

「で、怒った王妃様は、当時まだ独身だった奥様に白百合の称号を与えるよう、陛下に進言した」

「……なんで腹がたったからって、二つ名を与えるのよ。それじゃご褒美じゃない」

「いや~、あれほど的確な嫌がらせはないと思うぜ」

 

 不思議そうな顔の私を見て、ディッツはにやにやと笑っている。

 



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的確な嫌がらせ

 結婚式で花嫁より目立ってしまった貴族女子に『白百合』の称号を与えること。

 それのどこが嫌がらせだというのだろう?

 

「お嬢、奥様の実家が地方の子爵家だってことは知ってるか?」

「ええ。ハルバードのおじい様と違って、あまり関わりはないけど」

「さてここで問題だ。ろくに後ろ盾もないくせに、とんでもなく美人で王家から称号までもらった女子がいる。貴族の男連中はこれを見てどうしようと思う?」

「……めちゃくちゃ都合のいい嫁候補、って思うわね」

 

 二つ名持ちの嫁なんて、どこに出しても自慢できる。

 しかも、実家は権力を持たない田舎貴族。手に入れてしまえば、あとはどうとでもなる。母様を巡って、どんな騒動が起きたのか……考えるだけで胸が悪くなる。

 称号を返上しようにも、国王陛下から賜った褒美だ。おいそれと返せるわけがない。

 

「で、その騒動を収めたのが、ハルバード家だった、ってこと?」

「さすがに、当時宰相家に次ぐ権力を持っていた大物侯爵の跡取相手じゃあ、誰も敵わねえからなあ。旦那様自身も、当時は炎刃として人気があったから、男の魅力で対抗しようとする奴もいなかったみたいだ」

「そしておじい様の権力に守られて平和に夫婦をやっているうちに太って、世間の興味が薄れていったわけね」

「今のハルバード家は、庇護者のいねえ状態で人気だけが再燃している状態だな。今までマシュマロ侯爵と侮られていたぶん、状況はかなり悪いと思ったほうがいい」

 

 それを聞いて、思わず重い溜息が出た。

 

「兄様たちがあれだけ頑張っても、嫌がらせが減らないわけだわ……」

「あ、あのっ、お嬢様のことは、ボクたちが守るから! あ、安心、して、ね!」

「うん、頼りにしてる!」

「わわわわ、だから! ボクの頭はなでなくていいから!」

「……何をやっとるんだ、お前は」

 

 戸口から、ひんやりとした声が聞こえてきた。

 振り返ると兄様が立っている。

 

「あ、あれ? 兄様、どうしてここに?」

「自分の屋敷だ。どこにいてもおかしくないだろ」

「でも、まだ午前中よ? 学園で授業を受けてたんじゃないの」

 

 私は窓の外を見た。間違いなく、昼食前の時間帯だ。

 

「早退してきた。俺経由で父様に関わりたい部外者が学園に入り込んで騒動を起こしたからな。俺が学園にいると周りに迷惑がかかる」

「なんでそうなるのよ! 兄様は悪くないじゃない!」

「部外者を呼び込むようなことをした俺の立場が……いや、そうだな。悪くないのか」

「馬鹿なことをする馬鹿な連中の責任まで、兄様がとる必要はないわよ」

「……そう、だな」

 

 兄様は苦笑すると私の頭をなでた。

 なでなでは嬉しいけど、私は普通のことしか言ってないわよ?

 

「お嬢のそういうはっきりしたところは、かっこいいと思うぞ」

「当たり前よ」

「はは……リリアーナらしい」

「それで、若様はヒマを持て余してこっちに来たわけだ。せっかくですから、お嬢と一緒に魔法の勉強でもしていきますか」

「最近は護身術三昧だけどねー」

「そうさせてもらおう。休んだぶんの単位の事は、今日は考えないことにする」

「単位?」

 

 ジェイドがこてん、と首をかしげた。

 彼にはあまりなじみのない単語だったようだ。

 

「学校の授業のことよ。決められた科目を決められた数だけ修了しないと、進級できないの」

「へえ、学校ってそんな仕組みになってるんだね」

「何他人事みたいな顔をしてるのよ。あんたも、何年かしたら王立学園に通うのよ?」

「ほええええええ? ぼ、ボクが、学園に?」

 

 ジェイドは目をこぼれんばかりに見開いた。

 

 

 



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王立学園はいかにして作られたか

「あーすまんお嬢、俺の教育不足だ。あんたの従者になるなら、そっちの常識も教えておくべきだったな」

「別にいいわよ。つい半年前までは病気だったんでしょ? 学校に通うとか、そういう将来について考えたことがなかったのは仕方ないわ」

「えっと……お嬢様、王立学園ってどういう所なの、かな? お嬢様や若様のような、貴族が通う場所、のはず、だよね」

「確かに生徒は貴族が多いけど、別にそれだけの場所じゃないわよ。実際、あんたの師匠のディッツだって、卒業生のひとりだし」

「ええええええ? 師匠ぉお?」

 

ジェイドが慌ててディッツを振り返る。

 

「あれ? 言ってなかったか?」

「聞いてないよ! それに! なんでお嬢様のほうが知ってるの!」

「私と兄様が知ってるのは、採用の時に履歴書を見たからね」

「し、知らなかった……師匠も貴族だったなんて」

「いや、俺は農村出身の庶民だから」

「ど、どどどういうこと?」

「うーん、これは一度ちゃんと学校について教えておいたほうがいいかもしれないわね」

「じゃあ、リリィが教えてあげるといいよ」

 

にっこり。

お兄様はそれはそれは綺麗な顔で微笑みかけてくださった。

え、何。

今から私が解説する流れになってる?

 

「魔法の家庭教師をつける前に、ハーティアの歴史は一通り学んだんだよね? だったら、全部説明できるはずだよ」

 

にっこり。

 

「……」

 

つきあいが長いようで短い兄にしては珍しいリアクションだ。

だが、なんとなく意図はわかる。

面白がってるな? この兄は!

 

「しょ、しょうがないわね……説明すればいいんでしょ、説明すれば! でも、ちゃんとできたら誉めてよね!」

「当然。頑張った子は評価するよ」

 

やると決めたらやってやろうじゃないの。

 

「リリィ、王立学園ができた、きっかけは何だったっけ?」

「戦争でボロ負けしたからよ」

「正解。よくわかってるじゃないか」

 

兄様は早速私の頭をなでてくれた。ふはは、この調子でもっとなでるが良い。

 

「……せ、戦争? 学校が?」

 

ジェイドが目をぱちぱちと瞬かせる。

まあ、お勉強をする場所が戦争と関係あるなんて、ちょっと想像がつかないわよね。でも、歴史を紐解くとそうなるのだ。

 

「今でこそハーティアは大きなひとつの国だけど、建国王と聖女がまとめるまでは、いくつもの小さな国の集まりだったのよ。ハルバード家も、もとはサウスティっていうひとつの国だったの」

「じゃ、じゃあ、時代が、時代なら、お嬢様は……お姫様だった?」

「500年以上前の建国当時ならそうだったかもね。とにかく、元は別々の国だったことだけわかればいいわ」

「そ、それが、戦争と関係、してくる?」

「ええ。建国から50年後……くらいだったかな? ええと、太陽暦104年に東隣のアギト国と戦争になって負けたのよ」

「ボロ負け、って言ってたね」

「国土の半分が占領されたそうだから、歴史的大敗北よねー。なんとか王都を守り通して、領地を取り戻したけど、停戦までに20年以上かかったそうよ」

「うわあ……大変」

「敗北の原因は、連携不足よ。さっきも言ったけど、元が別の国だったせいで、兵の動かし方も、食料の運び方も、のろしの意味も、ばらばらだったの」

「それじゃ、一緒に戦えない、ね」

「大敗北に反省した国の首脳陣は、貴族子弟……主に兵士を管理して指揮を執る立場の領主候補たちを集めて、騎士教育を受けさせることにしたの。全員が同じ教えを受けていれば、とっさに手を取り合って戦うことができるでしょ?」

「そっか……そうだね」

 

ふむふむ、とジェイドはうなずく。

 

「単純に兵の運用が共通化されただけでも効果があったらしいけど、それに加えて同世代が一緒に勉強することで、新しいつながりが産まれたりもしたそうよ」

「ハーティアの国を強くするために、学校が産まれたんだね。……あれ、で、でも、それだとやっぱり、生徒は貴族ばっかりになるんじゃないの?」

「当初はそうだったみたいね。でも、戦争って騎士だけでやるものじゃないじゃない?」

「う、うん?」

 

ジェイドはまた、目を瞬かせた。

 



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王立学園は共学ではありません

「戦争って、騎士様たちが戦うもの、だよね?」

「でもその騎士が使う武器は誰が作ってるの?」

「鍛冶屋……さん?」

「そして、騎士たちが集まって、敵を迎え撃つ建物は誰が作るの?」

「大工、さん?」

「騎士が戦う間、必要な食糧を手配するのは? 使う魔法を開発するのは?」

「そう、言われてみると……戦争って、たくさんの人が関わって、る?」

「そういうこと。国を豊かにするために、王立学園は領主候補の教育に加えて、他の人材も育てることにしたの。えーと、最初に追加されたのは、騎士に付き従う従騎士科、だったっけ?」

「従騎士科と、工兵科だね」

「あ~そうだった! ふたつ追加だった!」

 

 兄様の指摘に、私は声をあげる。

 

「その後に医療科、魔法科の順で追加されているよ。この追加順と年代は、テストに出るから押さえておいたほうがいいね」

「出た! テストに出るポイント!」

 

 異世界でも、こういう注目ポイントの傾向は変わらないらしい。

 

「リリィ? 出るって……お前はまだあまりテストを受けてないだろ」

「え、ええっと、家庭教師がチェック用に小テストを出してきてたから!」

 

 とにかく!

 

「そういうわけで、今の王立学園では騎士階級以外の庶民も対象に、色々なカリキュラムが用意されているの。ジェイドなら、魔法科の授業を受けるのが適当かしら」

「俺の後輩になるわけだな」

「そ、そうだったんだ。でも、元は貴族向け、なんだよね。授業料とか、どう、するの?」

 

 絶対、高いよね……と、元守銭奴を師匠に持つ従者が不安そうになる。

 

「お前の才能なら俺と同じ、授業料免除の奨学生コースでいけるだろ」

「そ、それ、多分、一番の成績の子じゃないと、ダメ、なんじゃ……」

「俺の弟子のくせにその程度できないわけないだろ」

「ええええ……」

「ディッツ、信頼を通り越して無茶ぶりになってるわよ」

「お金の心配はしなくていい。元々、ハルバード家にはお抱えの騎士や使用人を王立学園に通わせる決まりがあるんだ。毎年何人か通わせるメンバーの中に、リリィの従者が加わるだけだ」

「つくづく、太っ腹な雇い主だな……」

 

 ディッツがため息をつく。

 呆れているのか、感心しているのか。

 

「我がハルバード家は、家臣に支えられて成り立っているからね。人材への投資は惜しまないよ」

「ジェイドはとにかく、のびのび学んでくれればいいの!」

「うん……わかった」

 

 こくこく、とジェイドがうなずく。

 そして、再び首をかしげた。

 

「あれ……? 学校が戦争のためにできたんだったら、女の子はどのコースに行くの? お嬢様も、王立学園には通うんだよ、ね?」

「私は女子部ね」

「じょし、ぶ?」

 

 領主候補を指導する騎士科に比べ、女子部の歴史は浅い。

 できたのはつい、50年ほど前だ。

 

「女子部は、貴族の子女が女主人になるために必要な教養を身に着ける場所よ」

 

 実を言うと、このファンタジー世界では女の子、特に貴族の家に生まれた子の進路はほとんど決まっている。同じ程度の貴族の家のお嫁さんだ。そして、嫁いだあとは子供を産み、女主人として家を盛り立てていくのが仕事になる。

 もちろん、それぞれの適性を生かして、商売なんかを手伝うこともあるけど、表舞台に立つのは主に旦那様のほうだ。だから、女子の教養についてはあまり重要視されてなかったんだけどね。

 

「これもやっぱり戦争が原因よ。西隣のキラウェア国と戦った時に、兵を率いて多くの領主が出陣していったの。夫が不在の間は妻が女主人として領地を切り盛りして守るものなんだけど……あまりに領地経営の知識がなくて、家を潰しかけたところがいくつかあってね」

「戦争そのものより、妻たちが浪費した財政を立て直すほうが、大変だったと言われてるよ」

「で、やっぱり女の子にも教育しないとダメだってことになって、女子部ができたの」

「せ、戦争こわい……」

「私もそう思うわ」

「女子部設立には、もう一つ意味があった、って俺は聞いているぜ」

 

 ディッツがにやにや笑う。こいつがこういう笑いをした時は、だいたい良くない話である。

 

「戦争で親世代が何人も死んだわけだろ? 若い跡取りが嫁さんをもらって領地を継ぐ必要ができたんだ。女子部は、そんな地方領主のお見合いの場として作られた、っていうのは有名な噂だ」

「そういう側面があることは否定しないよ。実際、騎士科と女子部との合同授業があるからね」

 

 あったなー、そんな設定。

 ゲームだと、攻略対象にアタックできる貴重なイベントタイムだったから、全力で参加してたけど。

 

「お兄様も、女子部との合同授業でステキな子と出会ったりしてるの?」

「……お前も参加してみるといい。高級商店の目玉商品になった気分が味わえるぞ」

「なんとなく、どんな目にあうかわかったわ」

 

 美形で成績優秀な侯爵家嫡男だもんねー。

 そりゃーみんな殺到するわ。

 

「まあ、学園に通えなくては、見合いも何もないんだがな」

「それもそうね……」

 

 屋敷の外から、父様の名前を呼ぶ女性の声が聞こえる。

 ファン心理をこじらせたご婦人が、また押しかけてきているのだろう。

 私が外に出て、お茶会デビューできるのはいつになることやら。

 

 

 

 



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にっちもさっちも

「ふう……」

 

 深夜、私はベッドの中でため息をついた。

 社交のために王都に出てきて一か月。全く誰とも社交できていません!

 それどころか!

 屋敷の外に一歩も出ていません!!

 

 どうしてこうなった!!

 

 父様と母様をダイエットさせたせいだけど!!!!

 

「社交めんどい、とか思ってたけど、全くできないのはそれはそれで問題よねー」

 

 ハーティアにおいて、女子の正式な社交界デビューは、王立学園に入学する15歳。

 入学歓迎のダンスパーティーがお披露目となっている。

 それはそれで重要な式典なんだけど、何も全員がそこでいきなりデビューするわけじゃない。大抵は、貴族女子の先輩である母親に連れられて園遊会やお茶会に出席し、子供のころからじわじわ顔をつないでいくのだ。いきなり王立学園でデビューするのは、よっぽど地方から出てこれない貧乏貴族か、庶民くらいのものである。(ちなみに、ゲームのヒロインである聖女は貧乏貴族なので王立学園入学まで表舞台には出てこない)

 

 つまり、王都で積極的に社交をすべき侯爵家の令嬢であれば、11歳ともなれば、お茶会に出てお友達のひとりやふたり、作っておかないといけないのである。

 

 侯爵家の令嬢、という立場を抜きにしても、今の状況はまずい。

 だって、この世界はあと4年もしたら大厄災に襲われるんだから。

 悲劇を止めて、聖女が世界を救える状況に導かなくちゃ生き残れない。家の中に引きこもっていても、何も状況は良くならないのだ。

 

 父様と母様が頑張っているのはわかる。

 毎日どこかに出かけていっては、貴族仲間に協力を求めたり、兄の学園復帰を働きかけたり、私のお茶会デビューの根回しをしたり、してくれている。

 でも、世界を救う才能のない運命の女神と同じくらい、両親に社交の才能はないみたいで、あまり良い成果を上げられていない。

 ふたりとも、完全に見た目と身体能力にパラメータを全振りして生まれてきちゃってるんだよな……。

 領地経営の仕事のほとんどをクライヴに任せているのは、興味がないからじゃない。下手に手を出すと、領地が無茶苦茶になるからなんだ、と知ったのはつい最近のことだ。

 

 どうにかしなくちゃいけない。

 でも、どうしたらいいかわからない。

 

 ……ぐるぐる考えてたら、全然眠くなってこないな。

 

「……トイレ行こう」

 

 もそもそと起き上がると、私はベッドを抜け出した。

 廊下に出ると、寝巻にスリッパ姿でトイレに向かう。

 

 余談だが、この世界は女の子好みのファンタジーご都合世界だ。

 治癒術が広まっているおかげか、魔法があるおかげか、よくわからないけど、とにかく「清潔にしたほうが病気にならない」という考えが広まっているおかげで、前世のヨーロッパと違って、街は清潔で下水道完備。その先の仕組みは不明だけど、魔法の力で水を浄化し川に流しているらしい。

 つまり、うちには水洗トイレがあるのだ!

 しかもちゃんと手が洗える洗面所つき!

 感染症対策には、手洗いうがいだよね!!

 

 そんなことを考えながら、用を足して部屋に戻ろうとすると、私の部屋の前にメイドがひとり立っていた。

 彼女は私の部屋をノックしようとして、廊下に私が立っていることに気が付いた。

 

「あ、あら? お嬢様どうしてそんなところに?」

「ちょっと眠れなくて、トイレに行ってたの」

「そうだったんですか。眠れないのなら、ホットミルクはいかがですか? 下のお部屋で飲みましょう」

 

 メイドは人の好さそうな笑顔を私に向ける。

 私は、一歩下がった。

 

「お断りするわ」

 

 



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悪役令嬢は、使用人の顔を知っている

「お嬢様? ミルクがお嫌なら紅茶はいかがでしょうか」

 

 メイドが一歩私に歩み寄る。私もまた一歩後ずさった。

 

「それ以前の問題よ。私、あなたの顔を知らないわ」

「ああ……そのことですか。こちらのお屋敷に入ったのは、つい一週間ほど前ですから。覚えていただけてないのも、無理はありません」

「それはおかしいわね」

 

 じり、と私たちは笑顔のまま距離を取り合う。

 

「ハルバードの使用人は、毎日私と一緒に体操することが義務付けられてるの。入ったばかりだろうが、古参だろうが、私の見覚えのない使用人は存在しないのよ」

「……っ」

 

 すっとメイドの顔から表情が消えた。

 間違いない、彼女は屋敷の使用人を装った不審者だ。

 

「誰だよ。でかい屋敷のお貴族様は、使用人の顔なんか覚えちゃいねえ、って言った奴は」

 

 彼女の背後の闇の中から、ぬうっと男がふたり、姿を現す。メイドの他にも伏兵がいたのか。

 

「ハ、こんなガキが、何十人もいる使用人を全部把握してるなんておかしいだろ」

「もういい、まだるっこしいやり取りは終わりだ。小娘ひとり、ひっ捕まえちまえばどうとでもなる」

 

 捕まえる、ということは……暗殺ではなく、誘拐目的なのか。

 私は、必死に息を整える。

 安全なはずの屋敷で遭遇した敵に、心臓はバクバクだ。

 真っ白になりそうな頭をフル回転させて、取るべき行動を考える。

 

 大丈夫。誘拐目的なら、すぐに危害を加えられたりはしない。いきなり死ぬことはないはずだ。不審者と会ってしまった場合の行動は何度も練習したでしょう?

 

「来ないで!」

 

 私はパジャマのポケットに隠し持っていた小瓶を彼らに向けて放り投げた。それは、彼らのすぐ近くまで来たところで、パンと小さく音を立ててはじける。

 ディッツお手製の目つぶし爆弾だ!

 お前たちなんて、行動不能になってしまえ!!!

 

「なんだあ、こりゃあ?」

「目つぶしの薬かしらね」

 

 しかし、私の思惑は思いっきり外れた。

 ふっと風がふいて、何かが彼らの周りから流されていったのだ。風は不自然な動きで、危険物を彼らから遠ざける。

 

「残念、お嬢ちゃん。私は風の魔法が使えるんだ。ちょっとやそっとじゃ、触れることもできないよ」

 

 メイドは嫌な顔で私に笑いかける。

 さすが、ハルバード侯爵家に忍び込む賊だ。そこらへんの下っ端とは一味違うらしい。

 

「う……」

 

 私はさらに一歩下がる。

 

「おとなしくしてな。暴れなけりゃあ、こっちだって何もしねえよ」

 

 嘘つけ。絶対乱暴に扱う気だろうが!

 不審者の言葉を信じるほどお人好しじゃないぞ!

 

 と、思い切り怒鳴りつけたい。

 しかし、言葉は喉の奥に張りついて、口から出てこない。

 唇はブルブルとわななくばかりで、まともに動いてくれそうになかった。

 ここは自分の家だ。何人もの兵士が警備のために詰めている。だから、大声を出せばすぐに助けが来るはず。

 だけど、緊張してこわばってしまった私の喉から、声を出す機能は失われていた。

 あれだけ練習したのに、体は思うように動かない。

 

 本当に怖いときは、声も出ないって、本当だったんだ……。

 

 正直、不審者対策をナメてた。

 恐怖と緊張で、練習したことの1割も行動に移せない。自分がこんなにふがいないとは思わなかった。

 何度命を狙われても、不屈の精神で足掻いていた聖女ヒロイン、実はめっちゃメンタル強かったんだね!

 

「さあ来い!」

 

 男のひとりが私に向かって来た。

 

「嫌っ!」

 

 私はとっさに『最後の手段』を投げつけた。

 

 

 



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悪役令嬢の切り札

「何度も同じ手は……」

 

 パァン!!!

 小瓶は、耳をつんざくような音をたててはじけとんだ。同時に、目を灼くような強烈な光を放つ。

 必殺、魔法の閃光手榴弾《マジックスタングレネード》!!

 私だって同じ手は使わないよ!

 

 目つぶしの粉が来るとばかり思っていた男たちは、目と耳を同時に攻撃されて一瞬行動不能になる。

 強烈な一撃だけど、これをやると私自身も行動不能になるから、本当に最後の手段だ。時と場合によっては、かえって状況が悪くなる場合もある。

 だけど、ここは自分の屋敷だ。

 

「お嬢様!!」

 

 異常な音が鳴り響けば、従者たちが飛んでくる。

 ぐらぐらする頭で、声のしたほうに足を向ける。よろけてこけそうになったところを、ジェイドの細い腕が受け止めてくれた。

 

「子供が何人増えたところで……」

「お嬢様に触れるな!」

 

 パン! とまた破裂音がした。

 ジェイドが魔法で不審者の手をはじいたのだ。

 

「ち、分が悪い! ずらかるぞ!!」

 

 男の声を合図に、不審者たちは反対方向に走り出す。

 しかし、その音は途中で止まった。閃光のせいでぼやける目をこらしてそちらを見ると、彼らの前に『鬼神』が出現していた。

 

「娘に……手を出したのは貴様らか?」

 

 見た目はいつもと変わらない。ラフな寝巻を着た私の父様だ。

 しかし、全身から殺気をあふれさせているその姿は、『鬼』としか表現しようがない。

 

「答えない、か。まあいい、捕らえてからゆっくりと聞かせてもらおう」

 

 ぼうっ、っと父様が手に持つ剣が光を放った。

 炎のように赤く燃え上がる剣。それはお伽話で見た魔法剣という奴ではないだろうか。

 えええええええ、父様そんなもん持ってたの?

 炎刃って二つ名、比喩表現じゃなくて、マジで炎の刃持ってたからつけられたの?

 

 父様は、固まっている私の目の前で、不審者たちをなぎ倒した。

 全て一撃。反撃どころか、彼らが武器を構える隙すらなかった。

 

「は……」

 

 意識を失った不審者3人が転がる中、父様だけが傷ひとつ負わずに立っている。

 一瞬で戦闘は終了してしまった。

 ちょっと強い程度の賊では、太刀打ちもできない。これが、かつて現役最強だった騎士の実力なのか……。

 茫然としていると、屋敷のあちこちから足音が聞こえ始めた。

 異常な音を聞きつけて、兵士や使用人がそれぞれ集まってきてくれているのだろう。

 危機は去った、そう確信した次の瞬間、父様の顔がぱっといつもの優しい顔に戻った。

 

「リリアーナ!」

「お……お父様……」

「怖かっただろう、よくがんばったね」

「お父様……」

 

 大きな手が、私の頭をくしゃくしゃとなでる。体を支えてくれていたジェイドから離れると、私はお父様の胸に飛び込んだ。

 

「こ……こわかった……怖かったぁぁ……」

「もう大丈夫だよ」

 

 ぎゅうっと抱きしめてくれる胸に縋って、泣きじゃくる。

 恥も外聞もない姿だけど、本気で怖かったんだから許してほしい。

 

「よしよし……。ジェイドも、よく守ってくれたね」

「ぼ、ボクは、お嬢様、の従者だから」

「そう思っても、行動できる者は少ない。君はいい従者だ」

「お、お父様……お父様ぁ」

「もちろん、一番頑張ったのはリリィだね」

 

 泣きすぎてしゃくりあげ始めた私の背中を、父様が優しくなでてくれる。私は思い切り泣くだけ泣いて、その腕の中で意識を手放した。

 

 

 

 

 



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早朝家族会議

 不審者が屋敷に侵入した翌朝。

 私たち家族は、朝食もそこそこに談話室に集合していた。

 いわゆる、家族会議という奴である。

 

「クライヴ、昨夜捕らえた連中の正体はわかったか?」

「は。王都の犯罪ギルドに所属する、盗賊くずれのようです」

 

 後ろに控えていた執事が硬い声で答える。

 

「目的はお嬢様の誘拐。お嬢様の身柄を盾にとり、その……奥様を思い通りにするのが最終的な目標だったようです」

「……依頼主が誰かわかったのか?」

 

 ちり……と、昨日と同じ殺気を漏らしながら父様が尋ねる。執事は渋い顔で首を振った。

 

「残念ながら、本人たちも依頼人のことは知らされてなかったようです。ただ……最近の動向から察するに、アシュトン伯あたりではないかと」

「そうか。報告ご苦労」

 

 聞きたいことは聞いた、とばかりに父様は手を振る。優秀な執事は、一歩下がった。

 

「まさか……リリアーナに手を出してくるなんて」

 

 母様が重い溜息をもらした。よっぽどショックだったんだろう、その顔は白く青ざめている。

 

「事態は思っていたよりも、ずっと深刻だったようですね」

 

 兄様も、嫌そうに眉間に皺を寄せる。その顔には賊への嫌悪感以上に、連日の気疲れが現れていた。

 

「もう一度、太りなおしたほうがいいのかしら」

「レティシア、それはやめにしようと言っただろう」

「ユリウス……だけど、これ以上子供たちを危険にさらしたくはないわ」

 

 父様と母様は互いに止め合う。

 

「父様、母様。太りなおすというのはどういうことですか。ふたりとも、わざと痩せてたんですか? いやそもそも、太っていたことも意図したことだったんですか?」

「それは……その」

「ええ、そうよ。父様も母様も、わざと太っていたの」

「どうしてそんなことを?」

 

 私も兄様も、驚いて声をあげる。

 二人のダイナマイトバディは尋常じゃなかった。やろうと思ってできる変身じゃない。

 それに、あんな太り方は体にだって負担がかかっていたはずだ。

 

 本当に、なんだってそんなことをしていたんだ。

 

「だって、そっちのほうが楽だったから」

 

 そう言って、母様は笑った。いつものふんわりとした笑顔じゃない。

 疲れて、やつれた笑顔だった。

 

「私たちが若いころ、とても人気があったことは、もう知っているでしょう?」

「ええ……まあ」

「そのせいか、私たち……特に母様はファンに追いかけられることが多くてね」

「その話はちょっとだけ聞いたわ。白百合の名前をもらったせいで、貴族の間で争奪戦が起きたって」

「そんなこともあったわね」

「でも……父様と母様が結婚したことで、騒ぎは収まったんでしょう?」

 

 私の言葉に、ふたりは困ったような顔になる。それはやんわりとした否定だった。

 

「私たちが婚姻を結ぶことによって、表立って干渉する者はいなくなった。しかし、それはおじい様が押さえつけていただけだ。その裏で、私たちはずっと視線を向けられていた」

「そんな時だったわ。私が足を怪我したのは」

「怪我した、じゃないだろう。怪我をさせられたんだ」

「もう証拠も残っていない事故だもの。こだわってもしょうがないわ」

 

 ふう、と母様は小さく息をつく。

 

「私が怪我をしたと聞いて、女性……特に父様のファンはこぞって、お菓子を差し入れしてくれたわ。元気が出るように、って」

「それって、怪我したついでに太れ、っていう意味なんじゃない。母様はその悪意のまんま、太っちゃったってこと?」

「最初は流される気はなかったのよ。でも……気を付けていたのに、太ってしまってね。そうしたら、どうなったと思う?」

「え……」

「世間の風当たりが弱くなったの」

 -

 



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彼らの事情

「私が太ると、太っただけ、私に近づく人は減っていったわ。容色の衰えた者には用はない、とばかりにどんどんいなくなるの。その姿を陰で嘲る人もいたけれど、欲望に満ちた視線を向けられるよりは、ずっと気が楽だったわ」

「私たちは、太ることでやっと世間の目から解放されたんだ」

 

 二人は疲れたため息をつく。

 それを見て、私は『馬鹿なことを』とは言えなかった。

 

 王都に出てきてから一か月。私も兄様も、両親のもとへ集まってくるストーカーたちのバカ騒ぎはずっと目にしてきた。十代の若いころから、あんな連中に囲まれていたら、逃げたくなって当然だ。

 ふたりのとった行動は、自分を守るためのぎりぎりの選択だったんだ。

 

「でも、どうして今更痩せたんです? 美しい姿を取り戻したら、こうなるってわかってたはずじゃないですか」

 

 そうなのだ。

 ふたりは、美しい容姿に引き付けられるファンたちの恐ろしさが身に染みている。

 安らぎを求めて逃げたのなら、そのままにしていればよかったのに。

 

「だって、リリアーナが素敵、って言うんですもの」

「……私?」

「1年前、社交を切り上げてハルバードのお城に戻ったあと、ダンスのレッスンをしたでしょう? ちょっとだけ踊った私を見て、あなたは素敵と言ってくれたわ」

「そういえば、そんなこともあったわね」

 

 踊る母様を初めて見て、実はすごい人なんじゃないの、って思ったアレか!

 

「その時にね、気づいたの。あなたたちから、こんな風に尊敬の目で見られたことって、なかったなあって」

「それは……」

 

 兄様は口ごもる。兄様ってば、両親のことをクライヴに仕事を投げっぱなしの無能夫婦だって思ってたからなあ。私も人のことは言えないけどさ。

 

「確かに今の生活は楽だけど、それはお前たちに誇れるような姿だろうか? そう思ったら、自分たちの行いが間違っているような気がしてね。それで、痩せて元の姿に戻ることにしたんだ」

「でも……この選択も間違っていたわね。子供を危険にさらすことが、正しい行いなわけないもの」

「違う!」

 

 私は思わず叫んでいた。

 

「父様も母様も間違ってない! おかしいのは、嫌がらせをしてくる人たちじゃない!」

「リリアーナ……」

「俺も、リリアーナと同意見です。優秀な者が優秀にふるまって何が悪いんです」

「あなたたちは……こんな私たちを受け入れてくれるの? 迷惑ばかりかけているのに」

「だから! 迷惑をかけてるのは、ふたりじゃないでしょ! 周りに寄ってくる馬鹿な人たちの責任まで、引き受ける必要はないの!」

「そう……そうね」

「おふたりの事情はわかりました。これからの対策を立てるとしても、ふたりが太りなおすのはナシです」

 

 兄様はきっぱりと言い切った。私も隣で全力で頷く。

 

「余計周りがつけあがるだけですし、体にもよくない。何より、いまさらそんな情けない姿を見たくはないです」

「そうだな。だが、どうするべきか……」

「俺に、ひとつ提案があります」

 

 兄様は背筋を正すと、両親に向き直った。

 



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目的を整理しよう

「まずは、目的を整理しましょう」

 

 兄様は私たちの前に手を出すと、指を三本立てて見せた。

 

「現在の父様たちの目標は、社交界で味方を増やすこと、俺の王立学園復学、リリィのお茶会デビュー。このみっつですね」

「ああ、そうだな」

「これを、社交界で味方を増やす、のひとつに絞ります」

 

 兄様は中指と薬指を折り曲げる。立っている指は、人差し指一本になった。

 

「しかし、それは……」

「父様も母様も、精一杯頑張ってくれているのは知っています。しかし、この状況であれもこれも、と手を出せるほど、おふたりとも器用ではないでしょう」

「う」

 

 父様の顔が引きつる。しかし、冷静に状況を分析する息子は引き下がらない。

 

「でも、あなたたちの問題を放置するわけには」

「放置しても大丈夫だから、言ってるんです。俺は、もうすでに父様の後を継いで侯爵になることが決まっています。1年くらい学校の卒業が遅れたところで、将来に大きな影響は出ません。それに、リリィ……お前のお茶会だって別にいいだろ?」

「ええ! 私はまだ11歳だもの。正式な社交界デビューまでには、まだ時間があるわ」

 

 一年の足踏みは痛いが、どっちにしろ両親の問題が片付かないことには何もできない。

 

「元々俺たちの問題は、ふたりに社交界の味方が少ないことに起因しています。状況が安定すれば、自動的に解決する可能性が高い。まずは目の前のことから片付けましょう」

「わ……わかったわ。でも、その間あなたたちはどうするの? ずっと屋敷に引きこもっているわけにはいかないでしょう」

「ふたりで、ハルバード領に戻りますよ」

 

 兄様はさも当然のように答えた。

 えーと、ふたりで、ってことは私も一緒ってことだよね?

 子供だけでハルバード領に行くって言ってる?

 

「王都は人が多く、貴族が賊を雇って差し向けやすい。それよりは、昔からうちに仕えてくれている兵や使用人が守りを固めている、ハルバード城のほうが安全です」

「でも……家族が離れるなんて」

「俺も自分の考えが最善だとは思いません。良い代案があれば従いましょう」

 

 反論しようとして、母様は沈黙した。

 それ、『他に案がないなら、黙ってろ』って意味だよね……。家族を溺愛してる母様を説得するには、強い言葉が必要とはいえ、兄様は手厳しい。

 

「わかった、アルヴィンの提案を受け入れよう」

 

 父様が、重々しく口を開いた。

 

「アルヴィンとリリィはハルバード領に。私たちは王都に残って、社交に集中する」

「坊ちゃまたちには、誰を同行させましょうか」

 

 事務的な話、と判断して執事が口をはさむ。

 

「護衛として、信頼できる騎士を何人かつけてくれ。家庭教師の賢者殿と、ジェイドも一緒だな。クライヴ、お前はここに残れ。領地の管理はともかく、繊細な社交ごとはお前のサポートがなければ回らない」

「かしこまりました」

 

 す、と執事が下がる。

 父様は顔を上げると、兄様を見つめた。

 

「いつの間にか、親に意見ができるほど大きくなっていたんだな……」

「ええ。ですから、頼ってくれていいんですよ」

 

 家族を背負って立つ者、そしてこれから背負うことになる者。両者の視線がぶつかりあう。

 

「ならば、お前にひとつお願いだ。妹を……リリアーナを守ってくれ」

「はい、必ず守ります」

 

 兄様は胸を張って宣言した。

 

 

 



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仲の良い兄妹

 方針が決まった後の兄の行動は早かった。

 朝家族会議をした後、バタバタと準備を始めたと思ったら、夕方には私たちふたりは馬車に乗せられていた。騎士たちが左右を守る中、私たちはごとごととハルバード領に向かって運ばれていく。

 

「ねえ兄様、もしかして領地に帰ることになるって予想してた?」

 

 そうでもなければ、この手際のよさは説明がつかない。

 

「学園に通えなくなったあたりから、少し……な。王都にいても、未成年の俺じゃできることが限られていたし」

「そっか……慌ててたのは私だけか」

 

 私は馬車のシートの上で膝を抱えた。

 

 運命の女神に導かれて、異世界転生。

 ラノベではその先にサクセスストーリーが待っている。

 でも、私のやったことはどうだろう?

 家族をまとめるために両親をダイエットさせたはずなのに、その結果は領地をまたいだ別居だ。

 これが、人の運命を軽々しく変えようとした代償なのだろうか。

 だとしたら、私のやってることって何なんだろう。

 

「何を落ち込んでるんだ? 実は、お茶会デビューがしたかったのか」

「そうじゃないわよ。今回の騒動のそもそもの原因って、私が父様と母様をダイエットさせたせいじゃない? あんなことさせなきゃよかったのかな……って、ちょっと思っただけ」

「痩せたのは、あの人たちの判断だ。お前に責任はないだろ」

「……でも」

 

 きっかけを作ったのは自分だ。

 そして、何もしなかった場合の穏やかな生活を知っている。

 

「お前が俺たちにさんざん言ったことだろう。バカな連中のバカな行動に責任を感じる必要はない。相手が美しかろうが何だろうが、悪意を持って接してくる奴が一番悪いんだ」

「……うん」

 

 兄様の言っていることは、わかる。頭ではちゃんと理解している。

 でも、心が、感情が落ち着いてくれない。

 もっと別の方法があったんじゃないか? もっと別の運命があったんじゃないか?

 そう思うことがやめられない。

 今自分が生きているこの世界は現実だ。乙女ゲームじゃない。

 セーブした場所に戻って、もう一度選択肢を選び直すことはできない。

 自分の決断は自分で受け入れて、その上で行動していくしかないのだ。だからこそ、失敗できなかったというのに。

 

 私がじっと黙っていると、兄様がぽつりとつぶやいた。

 

「俺は……家族が嫌いだったんだよな」

「……あ、それは」

「知ってた、って顔だな。まあ隠そうともしなかったしな。ブクブク太って、仕事もしない無能な親に、ワガママしか言わない面倒な妹、そう思ってたよ。だから、3人がいきなり変わったのを見た時には驚いたよ」

 

 あの時は、『してやったり!』って、めちゃくちゃ得意になってたんだよなー。全部うまくいく、って無責任に思い込んでた自分が恥ずかしい。

 

「その上、家には人が群がってくるし、学校には不審者が入り込んで、関係ない俺まで叱られるし。一年前からずっと、俺の生活は乱されっぱなしだ」

「ご、ごめんなさい……」

「でも……悪いことばっかりじゃなかった、と思ってる」

「そうなの?」

「バカだとばかり思って見下してた両親の本当の姿が見れたからな」

 

 私は兄の顔をまじまじと見た。私と同じ赤い瞳はおだやかに私を見てる。嘘をついている様子ではなさそうだ。

 

「去年までの俺は、家族に絶望していた。勉強を言い訳にして学園にしがみついて……トラブルがなかったら、家族の本質を見ようともせずに、そのまま領地から出奔していたと思う」

「……そうかもね」

 

 実際、兄が出ていく光景はゲームの中で何度も見た。彼がいなくなったあとのハルバード領は、どんな選択をしても焼け野原になっている。

 

「そう沈んだ顔をするなよ。あのままだったら、って言っただろ?」

「今は、そうじゃない?」

「ああ。家族を守るために必死になっている父様たちを見てしまったら、もう見捨てたりはできないよ」

 

 私は、隣に座る兄様の服の袖をぎゅっと握った。

 

「じゃ、じゃあ、兄様は……もう私たちのこと、嫌じゃない?」

「嫌じゃない」

「どこにも行かない?」

「ああ。大事な妹を守らなくちゃいけないのに、家を出たりしてられないよ」

「……そっか」

 

 兄様が私の頭をなでてくれた。じんわりとした温かさが、私の胸の不安を取り除いてくれる。

 私たちは、仲のいい兄妹のように手を握って身を寄せ合った。

 

 

 



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悪役令嬢は領地で暗躍する
悪役令嬢の得意技


 兄とちょっと仲良くなって、家族別居も悪くないか……と思いながら領地に戻ってきた私を待っていたのは、『計算地獄』だった。

 ちょっと何言ってるかわからないと思うけど、私もわけがわからない。

 何故!

 領地でのんびりするはずだった私の前には!

 経理書類が山積みにされているんですか!!

 

「兄様に検算を頼まれたからだけどね!」

「お嬢、魔法の勉強じゃないなら、わざわざ俺の部屋でやらなくてもいいんじゃねえか?」

 

 根城にしている離れのデスクを占領されて、ディッツが困ったように言う。

 

「領地の予算とか、決算書とかをメイドに見せるわけにはいかないでしょ」

 

 教育の行き届いてるうちのメイドさんたちは、読み書きができるのだ。適当に自室で作業してたら、領地の機密情報が漏洩してしまう。

 

「ここには、ボクたちしか来ないもんね。はい、お茶」

「ありがとう! 物分かりのいい従者最高!」

 

 私はジェイドのいれてくれたお茶を飲んで一息つく。

 書類の数字を確認して、計算に食い違いのあるところを見つけては、チェックを入れて訂正のメモをつける。最終的にこの数字をどう扱うかは兄様の仕事だ。

 書類はあと2枚。

 これを片付けたら、午後は久々に思い切り魔法の練習をするつもりなのだ。

 目指せ、中級魔法!

 目指せ派手な魔法バトル!

 

「リリィ、いるかい?」

 

 気合を入れた瞬間、離れのドアが開いた。にこにこ顔の兄様が中に入ってくる。

 その腕には紙の束が抱えられていた。

 

「……兄様、その紙ってもしかして」

「去年1年分の税収記録だね」

 

 それをまた検算しろと。

 重たすぎるおかわりを見て、一瞬目の前が暗くなる。私の気持ちを知ってか知らずか、兄様はテーブルに広げられた計算済みの書類を見て目を輝かせた。

 

「わあ……昨日の今日でもうこんなにやってくれたの? やっぱりリリィは計算が早いな!」

 

 ふっ、病弱小夜子の数少ない有効スキル『そろばん検定1級』を活用すれば、この程度の計算、ちゃちゃっと処理できるわよ!

 

「ありがとう、リリィが手伝ってくれるおかげで、領地の情報が把握しやすくなるよ」

「そ、そう……?」

「優秀な妹がいて、俺は幸せ者だ」

 

 にっこり。

 兄様は、分厚い書類《さらなる仕事》を抱えながらほほえむ。

 

 ……領地に帰ってきて、兄弟の会話が増えてわかってきたことがある。

 それは、うちの兄様はなかなかイイ性格をしていらっしゃる、ということだ。

 洞察力が鋭くて、人間の行動パターンを読むのが得意。そして、人の行動の10手先、20手先を読み、自分がどうふるまえば、相手がどう動いてくれるのか、計算して行動するタイプだ。

 今もそう。

 私を誉めちぎっているのは、そうしたほうが仕事をするからだ。

 

 わかってはいるのだ。

 兄が『妹が計算できてラッキー』と仕事を無茶ぶりしているのは。

 いいように使われているのはわかってる。

 

 だが。

 

「今頼れるのはリリィだけなんだ、お願いできるかな?」

 

 今まで蔑まれまくってた反動で、素直にお願いされると抗いきれない!!

 

「も、もう! しょうがないなあ! わかったわよ、それも検算してあげる!

 お兄様じゃなかったら、許してあげてないんだからね!」

「それ、若様にお願いされたら全部許すって言ってないか?」

「ディッツは黙ってて!!」

「ありがとう。俺ひとりじゃ、書類の計算だけで1年かかるだろうから、助かるよ」

 

 うっ。

 わざとが数パーセントはいってるってわかってるのに、妹にちゃんと感謝してるのもわかるから、嬉しい気持ちが止められない……!

 この卑怯者兄貴ぃぃぃ!!

 よしよし、って頭なでたら機嫌が直ると思うなよ!

 ……ちょっとほっこりするけど!

 

「そうそう、頑張ってるリリィにプレゼントがあるんだ」

 

 兄様は、書類と一緒に抱えていたらしい箱を私の前に置いた。書類のインパクトが強すぎて、全然気が付いてなかったよ。

 

「本当? 嬉しい!」

 

 もー、こういうご褒美があるなら、あるって最初から言ってよー!

 何かな、何かなー?

 兄様は華美なものが嫌いだから、アクセサリー類ではないよね。

 だとしたら、お菓子とか、お茶とか?

 どっちも好物だから嬉しいぞー!

 

 しかし、箱の中に入っていたのは食べ物ではなかった。

 最高級の竹で作られた螺鈿細工の……

 

「そろばん?」

 

 それは、前世で見慣れた道具だった。

 美しい装飾のされた木枠の中に、計算用の珠が整然と並んでいる。

 

「リリィが、前に言ってた計算道具を東の国から取り寄せたよ」

「確かに、あると計算が楽だって言ったけどさ」

「あれ? 使わない?」

「使うけどさ……」

 

 結局、兄様が得するだけじゃん!!!!

 兄様のくれたプレゼントじゃなかったら、叩き壊してるんだからね!!!

 



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お出かけしよう

「ったく、タチの悪い兄もいたものよね……」

 

 数日後、私は馬の鞍の上でぶつぶつと文句を垂れ流していた。馬を操るのは、一緒に乗っているディッツ。いわゆる馬の二人乗りをいうやつである。その隣には、子馬にまたがるジェイドの姿もある。

 

 兄からそろばんをプレゼントされて以降、お願いされる書類はさらにボリュームアップした。作業効率が上がったのだから、もっと回しても大丈夫と判断したのだろう。

 毎日、ちょうど4~5時間でできる量の仕事を渡され、なでなでとお褒めの言葉とともに回収される。

 生かさず殺さずの仕事量。ちょうど私のやる気がでる誉め言葉。

 おかげで、毎日働かされた私はへとへとだ。

 ねえこれなんてやりがい搾取?

 うちの兄、ブラック企業経営の才能ありすぎない?

 

「まあまあ、そう言ってやるなよ。若様もさすがにやりすぎたと反省したから、今日は一日外出してこいって、送り出してくれたんだろ」

「それも、高度な計算の上に成り立つ飴と鞭な気がしてきた……」

「お、お嬢様、元気出して! 今日は、えっと……いっぱい、遊ぶんでしょ?」

「そうね、お城の外なんてめったに出られないのに、文句ばっかり言ってたら損ね」

 

 大きく深呼吸して、気持ちを切り替える。はげましてくれた従者を見ると、私の表情が柔らかくなったのに気付いたのか、にこにこと嬉しそうに笑い返してくれた。

 癒し系従者、最高かよ。

 

「この先の沢ぞいに、薬草の群生地があるんだ。今日はそこで薬草採取の仕方を勉強しながらピクニックだな」

「おお、久しぶりにディッツが教師っぽい」

「ぽいじゃなくて、教師だっつーの」

 

 獣道を抜けて、沢のほとりまで来ると、ディッツは馬の歩みを止めた。私を鞍からおろすと、馬の手綱を手近な木にくくりつける。川の対岸は高さ10メートルほどの切り立った崖になっていて、その上にも木々が生い茂っているのが見えた。

 

「前に書き写した薬草図鑑の内容は覚えているな? そこに書かれていたものを実際に探してもらう。ひとり歩きは危ないから、ジェイドとふたり一組になって行動すること。それから、人影を見つけたら声をかけずに、俺のところに戻ること」

「声をかけちゃダメなの?」

 

 今の私たちは、森に溶け込むために庶民向けのシンプルなチュニックを着ていた。全員髪色が黒いのもあって、ぱっと見はただの親子連れにしか見えない。庶民として近隣住民と親交を深めるのもアリだと思うんだけど。

 

「お嬢は自分が思ってるよりずっとお嬢育ちなんだよ。どこの世界にこんなツヤツヤの髪で、真っ白な手をした庶民がいるかっての。遠目ならともかく、近くで見られたらお嬢育ちが一発でばれるぞ」

「え? そうなの?」

 

 びっくりしていると、ジェイドが隣でこくこくと力いっぱい頷いていた。どうやら本当らしい。

 

「森のこんな人気のないところに来るのは、狩人か傭兵か……少なくとものほほんとした農家のオヤジじゃねえのは確かだ。近寄って変なトラブルを引き起こすよりは、そっと距離をとって避けたほうがいい」

「金持ち喧嘩せず、ってやつかしら」

「なんだそりゃ?」

「気にしないで、なんとなく思っただけだから。用法も間違ってる気がするし」

「とにかく、何か異変を感じたら、すぐに俺のところに来い。そして声を立てるな。そうしたら、俺が必ずお嬢を隠してやるから」

「……そこは、俺がお嬢を守って戦う、じゃないの?」

「無茶言うな。俺に戦闘の才能はねえよ。ジェイドのほうがよっぽど強いくらいだ」

「はあ? あんた東の賢者とか言われてるくらいの魔法使いなんでしょ? 強くないの?」

「魔法使いとしての優秀さと、バトルの強さは別だろーが!」

 

 マジで?!

 



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色男、金と力はなかりけり

 東の賢者と名高い魔法使い、ディッツ・スコルピオは戦闘が全くできなかった!!

 予想外のことに驚いていると、ジェイドがついつい、と私の服の袖を引っ張る。

 

「あ、ああああ、あの、ごめん。師匠が、全然、戦えないのは……本当。戦ってるときに、魔力をコントロールするのが、ニガテ、なの」

 

 そういえば、王都で護身術を習っている時も、「魔力なしでどう逃げるか」「どうやって敵の意表をつくか」などと、とにかく戦闘を避ける方法ばっかり教えられてたな。

 てっきり非力な淑女向けにカスタマイズした授業だと思ってたんだけど、ディッツ自身が今まで積み重ねてきた知恵だったようだ。

 めちゃくちゃ意外だったけど!

 

「考えてもみろよ。ガンガン攻撃魔法を使って戦闘できる奴が、ちまちま薬の研究なんかするか? 俺は研究室でコツコツ薬草を調合するのが性に合ってんの!」

「ええ……それ、胸を張って言うこと?」

 

 まあ、だからこそ、姿を変える魔法薬だとか、一瞬で相手を無力化する閃光弾だとかを開発できたわけだから、一概に悪いことじゃないのかなあ。

 

「ディッツが戦えないのはわかったわよ。だとしたら、3人だけのお出かけって大丈夫なの? 私は初級魔法くらいしか使えないし、ジェイドだって才能があるっていっても、まだ子供でしょ?」

 

 ひとりくらい、護衛騎士を連れてきたほうがよかったのでは。

 

「そこは心配ない。俺たち全員、賢者特製の目くらましの魔法がかけてあるからな。うまいこと距離を取っていれば、俺たちが森を歩いていることなんて、誰も気づかねえよ」

「完全に戦闘を回避できるから安全、ってことなのね」

「ああ。だが腕に自信のある奴ほど、この戦法に納得してくれなくてなー。下手に動かれるよりは、絶対に戦闘を回避するメンツで動くほうが楽なんだわ」

「言ってることはわかるんだけど……」

 

 なんだろう、この微妙な不安感。

 

「あああの、お嬢様、ボク、今お城で、戦闘訓練にも、参加してるの! まだ……騎士様と戦えるくらい強くはないけど……すぐに、強くなるから! ちょっとだけ、待ってて」

「うん、期待してるわ」

 

 そしてこの弟子の安心感である。

 ディッツは私に向かってイイ笑顔を向けてくる。

 

「安心しろ、お嬢! 何があっても、俺がお嬢を危険から隠してやるからな!」

 

 おい師匠。

 かっこいいセリフっぽく言ってるけど、あんまりかっこよくないぞ!!

 

 

「えっと……これがドクダミで……こっちは何だっけ」

「カタバミ、だよ」

「それも、薬の材料になるんだったよね。よし、摘んでいこう!」

 

 私とジェイドはお互いに相談し合いながら薬草の採取をした。魔法使いの薬というと、トカゲのしっぽとか、ヤモリの黒焼き、みたいなイメージがあるけど、ディッツが扱うのは普通の草ばっかりだ。その中には、現代日本で漢方薬として知られていた植物もたくさん含まれている。

 

「不思議な草でキラキラさせるのとかを期待してたんだけどなー」

「そういうのはもっと先だ。薬師の修行は3段階あってな。薬草で普通の薬を作るのが一番目、魔力を使って薬効を強めたり、特定の成分だけを抜き出すのが二番目、魔法と組み合わせて薬草の成分だけじゃ実現できない効果を作り出すのが三番目。全工程をマスターしているのが俺で、ジェイドが2番と3番の間、お嬢は最初の段階の入り口に来たとこ、って感じだな」

「うう……先は長そう」

 

 でも、現代日本の薬剤師だって大学で何年も修行してから新薬開発に関わることを考えると、ディッツの言い分は十分真っ当な話だ。いきなり変な薬を作らせないだけ、彼は誠実な教師なんだろう。

 

「まあがんばれ。知識さえちゃんと積み重ねれば、変身薬とまではいかなくても、効き目のいい薬くらいは作れるようになるからよ」

「はーい」

 

 私は素直に返事をして、薬草をちぎる。何事もコツコツ積み上げるのがお勉強だ。

 

「ねえ、ディッツの話を聞いてて思ったんだけど……その理屈でいくと、最高級の魔法薬以外は、普通に薬の成分だけで病気を治してるの? 治癒の魔法じゃなくて」

「人体に直接影響を与える魔法は、複雑で面倒だからな。修行を積んでない奴の下手な治癒術よりは、出来のいい薬のほうがよっぽど効果的だ」

「……そうなんだ?」

「んー、このあたり、感覚的にわかんねえか?」

「わかんない」

 

 ぷるぷる、と首を振ると、ディッツは無精ひげの生えたあごをかいた。

 

「そういえばお嬢は魔力感知系が苦手だったか。えーと、人間の体の周りには、卵の殻のように魔力の殻があるのは、もうわかってるよな?」

「……なんかそんな話だったわね」

「そこは覚えておけよ。まあ、生き物はだいたい何でも魔力の殻に守られている。だから、直接魔力をぶつけたところで、そう簡単に体が壊れるようなことはない」

「そういえば、属性魔法も魔力をそのままぶつけるというよりは、魔力で起こした現象をぶつけてるような感じね。火魔法で炙って熱で火傷させるとか」

「そう。だから、素人が喧嘩するなら魔法を使うより殴ったほうが早い。治癒はその逆だな。殻ごしに魔力を注ぎ込むようなもんだから、訓練不足な奴が治療すると、ただの薬より効率が悪くなる」

「ふむ……魔力より物理現象、化学反応のほうが、直接体に影響するのね」

「で、でも、魔法と薬がうまく組み合わさった時の効果はすごいんだよ!」

「それは実際にディッツが変身するのを見たからわかるわ」

 

 あれはただの薬効では実現しない。私はうんうん、と頷いた。

 

「いやー、やっと謎がとけてスッキリしたわ。風とか水とかを操れるなら、脳の血管に空気いれたり、ちょっと血液の水分濃度上げたら、人なんて簡単に暗殺できるよなー、って思ってたから」

 

 ちょっとダークめの異能バトルなら、時々見かける展開だ。

 物を動かせる程度の異能があるなら、殺人に大きな力は必要ない。重要器官をちょっといじれば済む話だ。魔法の利用が一般化しているこの世界で、大量殺戮が起きないのは、魔法を受ける側にも免疫があるから、らしい。

 

 うんうん、と納得していると、いつの間にかディッツとジェイドが青い顔で顔をひきつらせていた。

 

「何よ、ふたりとも」

「あ、あああ、あの、お嬢様……」

「お嬢、その話、絶対にヨソでやるなよ。嫁の貰い手どころか、令嬢生命も終わるからな?」

「えー、そんなに危険思想?!」

 

 ちょっとした素朴な疑問じゃーん!

 

「ふざけるな!!!」

 

「……え?」

 

 突然、思いもよらない方向から、ツッコミの声が聞こえて私はぎくりと体をこわばらせた。

 

「ジェイド、索敵」

「……あっち」

 

 師弟コンビは息の合ったやりとりで状況を把握する。ジェイドの指さす方向を見ると、崖の上に何人分かの人影が見えた。

 

 



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襲撃者

襲撃者

 

「ディッツ」

 

 

 

 私たちは事前の取り決め通りに、そろそろとディッツの周りに集合した。彼は私たちをそっと茂みの中に隠してから、油断なく崖の上を見つめた。

 

 

 

 人影たちは、争っているようだった。

 

 さっきの叫び以外にも、何度か相手を罵倒するような声が響いてくる。

 

 

 

「大丈夫だ、ここで静かにしていれば、あいつらには見つからない」

 

 

 

 私を守るように構えながら、ジェイドもこくこくと頷く。

 

 

 

「あいつらは何者なの? あの辺りには街道もなかったはずよね?」

 

「や、野盗の、仲間割れ、とか?」

 

「……それにしては、身なりのいい奴が混ざってるな」

 

 

 

 見ているうちに、人影同士の立ち位置がなんとなくわかってきた。黒装束の男4人が、身なりのいい青年1人を取り囲んでいるのだ。身なりのいい青年は腕が立つみたいだったけど、相手が4人もいるせいで、じりじりと崖っぷちに追い詰められていく。

 

 

 

 ……え、あれ大丈夫なの?

 

 放っておいたら、殺されるんじゃない?

 

 このまま見ていていいの?

 

 

 

 ディッツを見上げると、彼は首を振った。

 

 行くな、という意味だろう。

 

 

 

 でも、このままじゃ、彼は死ぬよね?

 

 

 

 すうっと手の先が冷えていく。目の前の、どうしようもない悲劇が止められない。

 

 ただの子供で、ろくな魔法も何も使えない私では、見ていることしかできない。

 

 

 

 ガキン! という金属のぶつかる嫌な音がして、青年が黒装束の男に武器ごと押された。

 

 その一瞬で、彼はバランスを崩して、背中から崖の下へと落下する。

 

 

 

「やっ……!」

 

 

 

 思わず飛び出そうとした瞬間、ディッツの大きな手が私の口を塞いだ。さらに、もう一本の手が私の体を力いっぱい抱きしめる。ジェイドも私の体にしがみついてきた。

 

 

 

「……んー!」

 

 

 

 私がただ見ている目の前で、青年の体は大きな水柱をたてて川に突入した。あの高さでは着水の瞬間、相当な衝撃があったはずだ。すぐに引き上げないと、彼が死んでしまう!

 

 

 

「こらえてくれ、お嬢。崖の上の奴らは玄人の傭兵だ。戦いはからっきしの俺と、子供ふたりが助けに入ったところで、全員殺されるのがオチだ」

 

「んんん!」

 

 

 

 だからって、彼を見捨てろっていうの?

 

 

 

「何も見殺しにしろとは言ってない。落ちる瞬間に、最低限の守りの魔法と目くらましの魔法をかけておいた。傭兵が捜索を諦めるまで待てば、救助できる」

 

 

 

 でも!

 

 

 

「頼む……俺はあんたを死なせるわけにはいかないんだ」

 

「……お嬢様!」

 

 

 

 もー、あんたたちふたりに懇願されたら、振りほどけないじゃないのー!!

 

 

 

「大丈夫だ。戦闘はポンコツだが、治癒術にはちょっと自信がある。生きてさえいれば、あの兄ちゃんを絶対に救ってやるよ」

 

 

 

 こく、と頷くと、やっとふたりが私を拘束する手がゆるんだ。3人で抱き合ったまま、黒装束の男たちが去るのを待つ。

 

 焦燥感でじりじりとしながら、太陽が傾くまで待っていると、ようやくディッツとジェイドの警戒がとけた。

 

 

 

「もう……いなくなったよ」

 

「た、助けに行っていいわよね!」

 

 

 

 私は焦りで転びそうになりながら、川へと向かった。

 

 ディッツが目くらましの魔法を解除すると同時に、川べりに男の人がひとり倒れているのが見える。

 

 その顔を覗き込んで、私は思わず息をのんだ。

 

 水に濡れたまっすぐな黒髪。血の気がひいて青ざめた頬に特徴的な泣きボクロ。意識のない今は瞼が閉じられているけど、その奥の瞳は美しいサファイアブルーのはず。

 

 

 

 彼は、攻略対象のひとり、フランドール・ミセリコルデだった。



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フランドール

「リリィ? 俺がお茶をいれてくれなきゃ、食事しないってどういう風の吹き回し……」

「お兄様、しぃー」

 

 ディッツの離れにやってきた兄様に、私は静かにするよう告げた。何かを察したのか、兄様は後ろ手にドアを閉めて、私のそばへと近づいてくる。

 

「ごめんなさい、お茶のお願いは嘘なの。使用人に気づかれずに離れに来てもらいたくって」

「……何事だ?」

「緊急事態よ。奥に来て」

 

 私は、兄様と一緒に小屋の奥へとむかった。普段はディッツとジェイドが寝床にしているエリアだ。現在はディッツ用のベッドの上に、別の人物が眠っている。

 

「ディッツ、容体は?」

「そこそこヤバいが、死ぬことはねぇよ」

「賢者殿、彼は誰ですか? それに、ジェイドの姿が見えないようですが」

「弟子は捜索に出てもらってる。それから、こいつは……」

「お兄様のよく知ってる人よ。顔を見て」

 

 そう言われて、ベッドの奥を覗き込んだ兄様は、私がしたのと同じように息をのんだ。

 

「……フランドール先輩?」

「ええ、そうよ」

 

 この色っぽい特徴的な泣きボクロ、見間違えようがない。

 彼はハーティアで王家に次ぐ権力を持つ宰相家の息子、フランドール・ミセリコルデだ。

 

「どうして、こんなところに?」

「それは私もわからないわ。薬草の採取中に偶然、彼が襲われているところに居合わせたから」

「賢者殿、襲撃者は何者ですか?」

「遠目だったからな。黒装束の男が4人、ってことくらいまでしかわからねえよ」

「あなたの印象でいい、他に何か感じたことはありませんか」

「……そうだな、玄人、おそらくプロの殺し屋だ」

「そうでしょうね。そこらの盗賊程度に、先輩が遅れをとるとは思えません」

 

 私もそう思う。

 私は心の中で兄の言葉を肯定した。

 

 フランドール・ミセリコルデ。

 彼は去年の王立学園主席卒業生だ。ゲームの中ではその後宰相に就任し、崩れ行くハーティアを支えるひとりとして活躍する。彼のように家を背負う立場の者が通うのは騎士科、つまり戦闘訓練必須のコースである。そこで主席の座を勝ち取るには、かなりの戦闘力が求められる。

 実際、ゲーム内では、槍と魔法を使いこなす、お役立ちオールマイティーキャラだった。

 その彼を追い詰めて崖から落とすなんて、相当の手練れでなくてはできない。

 

「なんでこんなことになってるのかしら……」

「宰相家は敵が多いからな。王都で何かあったのかもしれない」

 

 ゲームの中の進路は宰相だ。こんなところで殺されたりするような展開はなかったはずである。それよりはむしろ、現在の宰相様のほうが死ぬ可能性が……。

 

「ん……っ」

 

 眠っていたフランドールの長いまつ毛が揺れた。

 苦しそうに顔をしかめて、それからゆっくりと青い目が開かれる。

 

「う……あ?」

「先輩!」

 

 起きた!

 

 



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負傷

 フランドールは、何度か瞬きをしたあと、ゆっくり周囲を見渡した。まだ意識がはっきりしていないのか、その視線は明確な焦点を結んではいない。

 

「フランドール先輩、俺がわかりますか?」

「アルヴィン……? どうして、お前が……」

「ここは、俺の実家であるハルバード城の敷地です。外出していた妹が、偶然あなたの襲撃されている現場に居合わせて、ここまで運んだのですよ」

「妹……?」

 

 私は兄様の肩越しに、フランドールの顔を覗き込む。

 

「覚えていますか? 妹のリリアーナです」

「あ……お茶会で……暴れた……」

 

 ディッツが『お嬢、マジでそんなことしたの?』と目を大きく見開いた。イケメンに顔を覚えられてたけど全然嬉しくないな!

 

「先輩、どうしてこんなことになったか、状況を伺ってもよろしいですか」

「ああ……お前は知る必要があるだろうな。その前に、ひとつ確認したい。俺が襲われた場所の近くに、他に生存者はいなかったか?」

「先輩の従者たちですね……リリィ、見かけたかい?」

「えっと……それは」

 

 兄様が私を振り返った。私はどうとも答えられずに口ごもってしまう。

 フランドールくらいの高位貴族ともなれば、一人旅なんかしない。側近を含めた何人かの使用人や護衛騎士と行動するのが普通だ。だから、彼を助けたあと、崖の上にフランドールの仲間がいないか確認したんだけど……。

 

「俺たちが見つけたのは、ミセリコルデ家の紋章をつけた遺体が4人分。人間の死体があったらしき痕跡が7人分。それだけですよ」

 

 私が困っているのを察して、ディッツが代わりに答えてくれる。多分、紋章つきの遺体がフランドールの仲間で、あとの7人は暗殺者たちの仲間なんだと思う。暗殺者の死体が消されたのは、所持品などから素性を探られないようにするためだろう。

 家臣たちが全滅したと聞いて、フランドールは重い溜息をついた。

 

「そうか……遺体は今どうなってる?」

「下手に遺体をいじったら、あなたを助けた者がいると知られてしまいますからね。申し訳ありませんが、そのままにしてあります。弟子に、周囲の索敵がてら野盗に見せかけて貴重品を回収するよう命じておきましたので、運が良ければ形見が手に入ると思います」

「……配慮、感謝する」

「こちらこそ、力不足で申し訳ありません」

「いや、謝らないでくれ。あなたの責任では……うっ!」

 

 話すために体を起こそうとして、フランドールはうめいた。そのまま、ベッドに背中から逆戻りする。

 

「無理に体を起こしちゃダメですよ! 右足の骨が砕けてるんだから!」

 

 私は、なおも起き上がろうとするフランドールの体を押さえつける。ちょっとはしたないが、怪我を悪化させないためには必要な処置だ。

 

「この痛み……そうか、崖から落ちたときに……」

「ごめんなさい。とっさのことだったから、うちの魔法使いでも、体の重要な器官を守るのでせいいっぱいだったらしいの。あ、でも悲観しなくていいですよ! ディッツは守りの魔法は下手でも、治癒術は得意ですから。一か月もすれば元通りになります! そうよね、ディッツ」

「お嬢の名にかけて、足の完治は保証しますよ」

 

 フランドールが負った怪我のうち、一番の重傷は右足の粉砕骨折だ。現代日本の医療では、即車いす生活が決定するほどの重傷である。粉々になってた骨が全部綺麗にくっついてしまうなんて、さすが魔法の世界の治療術だ。

 

「先輩ほどのひとが、こんな重症を負うなんて……」

 

 状況を把握するにつれ、兄様の顔からどんどん血の気がひいていく。

 うん、私もそこの事情は気になる。

 私たちからの視線を感じ取ったフランは、ベッドに横になったまま事情を話始めた。

 

 

 内容を聞くうちに今度は私の顔から血の気がひいていった。

 まさか、彼を窮地に追いやった原因が、自分だったなんて思わないじゃん!!!

 



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発端

「事の発端は、父が手にしたある人物の汚職の証拠だ」

 

 ふう、と息をついてからフランドールは話しはじめた。

 フランドールのお父さん、ということは現ミセリコルデ宰相閣下のことだよね。

 

「お前たち、第一師団長マクガイアは知っているか?」

「第一師団……お父様が若いころにいたところですよね?」

 

 私はこてん、と首をかしげる。

 

「父様が退役した直後に第一師団に入り、その5年後に第一師団長に就任した方だよ。確かカトラス侯爵家に縁のある方で、実家は伯爵の位を持っていたはずだ」

 

 兄様が補足説明をしてくれた。さすが、記憶力いいなあ。

 えーと、マクガイア、マクガイア……なんか聞いたことがあるなー。日常生活の中じゃなくって、主にゲームの中で。何やってた人だったっけなー。

 

「彼が、アギト国と通じていた」

「アギト……! 建国以来ずっと争っている敵国じゃないですか!」

「ああ。奴はその宿敵から賄賂を受け取り、王都の警備情報などを横流ししている」

「あぁっ!!」

 

 アギト国、賄賂と聞いて私は思わず大きな声を出してしまった。

 

「リリィ? どうしたんだ、いきなり」

「あ……あはは……王家を守る近衛騎士が敵国と通じてたことに驚いちゃって、つい……ごめんなさい、お話を続けてください」

 

 国の名前と犯罪の内容で、私はようやくマクガイアが誰だったのかを思い出した。

 第一師団長マクガイア。ハーティア国崩壊の引き金を引いた国賊のひとりだ。

 ゲーム内の彼は、近衛騎士の地位を利用して王宮の抜け道全てを掌握し、それを逆に利用して国王暗殺の手引きをしていた。そんな状況なので、ゲーム内で王宮からの脱出ルートに抜け道を使うと、ほぼ100%の確率で彼に惨殺される。王家だけの秘密のルートだって言うからついていったのに、まさか抜け道のど真ん中で待ち構えてるとか思わないじゃん。まさに初見殺しの殺人者である。

 本当に……ゲーム中何度こいつに殺されたことか……!

 

 彼が犯した犯罪はこれだけじゃない。

 ゲームが始まる何年か前に、汚職の証拠をつかんだ先代ミセリコルデ宰相と、その娘マリアンヌに暗殺者を差し向けて殺害。汚職の告発自体をうやむやにして、ゲーム開始の4年後までぬくぬくと第一師団長の地位に居座るのだ。

 父と姉を殺されたフランドールは、断絶寸前の宰相家を支えるために20歳の若さで宰相に就任。仕事はできるものの、あまりにも若すぎるということで周囲に軽んじられ、苦労ばかり背負い込んでいた。

 ゲーム内のジェイドもかなりヤバかったけど、ゲーム内フランドールも初登場の姿は結構ひどかった。何日も不眠不休で仕事に追われたせいで、頬はこけ、目の下にはくっきりと濃いクマができていたのだ。病的な美青年色っぽい、とかプレイ中は思ってたけど、実生活でそんな荒れた生活してる人に出くわしたら心配しかないよね。

 

 だから、命の危険があるのは父と姉のほうで、フランドール自身は放っておいても大丈夫、って思ってたんだけど……マジで何があったんだろう。

 

「証拠を握られたと知ったマクガイアは、アギト国と取引先に依頼し、父と姉に暗殺者を差し向けてきた」

 

 だよねー?

 

「そして……その暗殺者をハルバード侯爵が捕らえた」

 

 はぃぃぃ?

 今、なんと言いましたか?!

 



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運命を捻じ曲げろ!

「どどどどうしてそこで父様の名前が?!」

「偶然、だな。社交界での助力を依頼しにうちの屋敷を訪れたところ、不審な動きをする者を見かけたので、とりあえず捕縛したそうだ」

「あー……」

 

 お父様、私たちとの約束を守って、真面目に奔走してたのね……。それで、ミセリコルデ宰相家に行ったら不審者を見つけちゃった、と。

 

「そして、捕らえた者たちを尋問した結果、標的が父と姉であることが判明したそうだ」

「そこまでわかったのなら、マクガイアを暗殺容疑で告発したらいいんじゃないですか? 人殺しを指示した人も罪に問われるんですよね?」

 

 私の問いに、フランドールは首を振った。

 

「高位貴族の告発はそう簡単にはいかない。暗殺者そのものを捕らえても、マクガイアが指示したという明確な証拠がなければ訴えることができないからな。暗殺者たちからは、アギト国出身である、ということと標的の名前までしか得ることができなかったそうだ。

 しかも、せっかくハルバード侯が生きて捕らえてくださったというのに、奴らは翌日には牢の中で息絶えていたらしい」

「プロ意識の高い暗殺者は、失敗と判断した時点で自決しますからね」

 

 そんなプロ意識、いらない。

 捕まったらべらべら情報を全部吐いてほしい。

 

「だが、ひとついいこともあった。命を狙われていると知った父たちは、護衛の数を増やし、屋敷の守りを固めることに成功した。その後も暗殺者が送り込まれてきているようだが、全員近づく前に排除されている」

「そ、そうなんですね……」

 

 私は、顔をひきつらせながらうなずいた。

 ゲームの中の宰相たちは、おそらくこの暗殺者事件で死んでいたのだろう。しかし、痩せてアクティブになった父様が彼らの屋敷を訪れたことで、運命が大きく変わってしまったようだ。

 

 あれ? これ、うちの家以上に運命が変わってない?

 

「宰相閣下たちは暗殺者を退けたんですよね? どうして今度はフランドール先輩が襲われているんです?」

「マクガイアが標的を変更したからだ。宰相本人と娘は警備兵が守りを固めておいそれと手出しができない。代わりに、さほど兵力を持たない周りの者を狙うことにしたんだ。

 最初は、姉の婚約者のポール・セラス伯嫡男。次に姉の叔父にあたるレトリア伯……その他、宰相家にゆかりのある者が次々と殺されていった」

「うん? どういうこと……なの?」

 

 状況がよくわからない。証拠を握ってる宰相本人を消さないと、告発は止められないよね?

 

「このままマクガイアの汚職を追及すれば、宰相は無事でも周りの人間が皆殺しになるぞ、という脅しだな。暗殺の標的になると知られれば、宰相家に協力する者も減る」

「なにそれ、卑怯すぎない?」

 

 兄の分析を聞いて、私は思わず声をあげる。

 

「父が相手にしたマクガイアという男は……いや、アギト国の間者はそういう者たちだ」

 

 やり口がえぐい。

 アギト国がヤバいっていうのは、ゲームで知ってるけどさー。モニター越しに事件を見るのと、目の前で具体的に人が死んだ話をされるのとでは意味が違う。

 

「襲われた、ということはフランドール様もそのターゲットになったんですよね?」

「ああ。もともと、俺は姉と違って周囲が重要視していなかったからな。暗殺者を捕らえた当初は、まさか標的になるとは思わず、護衛騎士もさほど増やさなかったんだ」

「先輩自身も、槍術と魔法の使い手ですしね」

「だが、数の暴力の前には無力だ。外出先で襲撃され、母方の実家を頼って王都から脱出したはいいが、執拗に追われるうちに街道を外れて……気が付いたらハルバード領に入り込んでいた」

「そこを、私が見つけたわけですね」

「どうもそうらしい……」

 

 一気に喋って疲れたのか、フランドールはあおむけのままもう一度大きくため息をついた。

 痩せた父様が宰相閣下を救った結果、矛先がフランドールに向かった……あれ? そもそも、父様をダイエットさせた張本人は私だよね? もしかしてフランドールが死にかけた大元の原因って、私……?

 

「ん? ちょっと待ってください。宰相閣下には子供がふたりいるんですよね? どうしてフランドール様とその姉君で状況が違うんです」

「それは……」

 

 ディッツのふとした疑問に、私も兄様も、そしてフランドールも、複雑な顔をするしかなかった。

 

 

 



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死ねばいい

「俺が産まれた時点で、後継ぎは姉と決まっていたからな」

 

 フランドールは静かにそう語った。ディッツは自分の失言に気が付いてすぐに頭をさげる。

 

「……申し訳ありません。無粋な発言でした」

「賢者殿は気にしないでくれ。うちは貴族の中でもやや特殊な関係だからな」

 

 フランドールと、その姉マリアンヌは腹違いの姉弟だ。

 ミセリコルデ宰相は、北部の有力貴族レトリア伯と協力関係を結ぶために、その娘と結婚。すぐに子供に恵まれ、マリアンヌを授かった。しかし、お産の事故により妻は他界。宰相は残されたマリアンヌを育てるために、若い乳母を雇い入れた。それが、フランドールの母親だ。

 男爵家に生まれながら、若くして夫と子供に先立たれたフランドールの母は、女ひとりで生計をたてるために宰相家に就職。その後どういうやりとりがあったかは不明だが、フランドールを授かり、ふたりは夫婦になった。

 お互い伴侶に先立たれた者同士、ある意味よい組み合わせだったのかもしれない。

 だけど、その縁組に異を唱えたのがマリアンヌの母の実家、レトリア家だ。政治的な思惑によって結ばれた彼らは、フランドールとその母がミセリコルデ家で力を持つことをよしとしなかった。

 彼らを納得させるため、宰相はフランドールが産まれる前にミセリコルデ家を継ぐのは姉マリアンヌである、と正式に誓約書を書くことになった。

 

 だから、ミセリコルデ家の最重要人物といえば、当主とその娘、マリアンヌなのである。

 

 後継ぎではない、と決められたフランドールは、あけすけな言い方をすれば残り物だ。それなりの教育を受けたあと、家を支える仕事につくか、どこか他の家に婿養子に入る予定だったのだが……ゲーム内の彼の人生には、大番狂わせが起きる。宰相暗殺事件だ。

 当主と後継ぎを殺され、何もかもが失われようとしたミセリコルデ家を支えるため、誓約書を無理やり破棄し、彼が宰相家を継いだのだ。

 フランドールが苦労していたのは、なにも若さだけではない。イレギュラーな継承のせいで、後ろ盾を得られなかったせいもある。

 

 私も、この辺りの事情を知っていたから、フランドールが将来宰相になるという未来を知りつつも、次期宰相とは呼ばずにあくまで『宰相の息子』と呼んでいたのである。

 

 しばらくのきまずい沈黙のあと、兄様が口を開いた。

 

「状況は把握しました。先輩はこれからどうするおつもりですか? 俺にできることであれば、何でも協力いたします」

「……では、殺してくれ」

 

 はあ?

 

「せ、先輩?」

「賢者殿の助力により命だけは助かったが、この足だ。暗殺者たちに見つかれば、簡単にとらえられてしまうだろう。単に殺されるだけならまだしも、人質として使われたら父と姉が危険だ」

「いやまあ……その可能性はありますけど……」

「それに、この提案はお前たちのためでもある」

 

 ……はあ?

 

「……どういう意味ですか? フランドール様」

 

 問いただす声が震えた。何を言ってるんだ、この人は。

 

「お前たちと一緒にいるところを、暗殺者に発見されてみろ。奴らは証拠隠滅のためにお前たちの命も奪うだろう。今お前たちの命を守る最善の行動は、できるだけ迅速に俺を城外に捨てることだ」

 

 フランドールは、一切の躊躇なくきっぱりと言い切った。

 

 こ……この人は……!!!

 私は怒りにまかせて、バチン! とフランドールの頬をひっぱたいた。

 

「簡単に命を諦めてるんじゃないわよっ!!!」

「簡単ではない、冷静に判断した結果だ」

 

 ビンタされたというのに、フランドールは静かな表情のまま私を見返してきた。

 彼の言い分はわからなくもない。

 初級魔法しか使えない女の子、戦闘力ゼロのポンコツ賢者、魔法が使えるだけの子供、騎士教育途中の領主候補、右足を粉砕骨折した騎士。こんなメンバーで手練れの暗殺者に立ち向かったところで、殺されるのがオチだろう。

 でも、それがどんなに現実的な判断だったとしても、納得できるかどうかは別問題だ!

 

「い……生きるって、大事なことなのに、そんなに簡単に……」

「ああ、命は大事だ。お前たちを守るために、俺は消えよう」

「だから、そんなのは……!」

 

 言い募ろうとして、フランドールと目があった。彼の綺麗な青い瞳は凪いでいて、強い感情は感じ取れない。彼は、完全に諦めてしまっているのだ。

 

「それじゃ……ダメなのに……っ!」

 

 不意に私の視界が歪んだ。

 ぼろぼろとこぼれる涙が、フランドールの胸元に落ちる。彼はそれを見て不思議そうに首をかしげた。

 

「泣かなくていい。俺はすぐにいなくなる」

「だからそれが駄目なの! あんた馬鹿でしょ! 死んだりしたら、殺すから!!!!!」

 

 私は捨て台詞を吐いて、ディッツの離れから飛び出した。

 

 

 



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アニマルセラピー

「ああああああああああもう!!」

 

 ディッツの離れから飛び出した私は、人気のない植え込みの隅っこでじたばたとのたうち回った。

 

 なんだよもう! 駄目ってなんだよ!

 ろくなこと言ってないじゃん!

 しかも、死んだら殺す、ってどんな捨て台詞だよ!

 あんた馬鹿でしょって……一番馬鹿なのは私じゃんかー!!!!

 

「駄目しか言えないって……子供かよ」

 

 いやまあ、見た目は11歳の子供だけどさー!

 小夜子がいる分大人だと思ってたんだよー!

 くっそう、何も言えなかった自分が悔しい。

 人間想定外のことが目の前にあると、ろくに行動できないっていうのは、王都の襲撃事件でわかってたけど、あんなに頭が真っ白になって、何も説得できないとは思えなかったよ!!

 

 ひとしきり暴れたあと、私は草の上に寝転がった。

 大きく深呼吸をして、息を整える。

 冷静になろうと集中し始めたところで、フランドールの青い瞳がフラッシュバックしてきて、またちょっとイラッとしてしまう。

 

 ……あの目は、苦手だ。

 

 小夜子として、入院していたころに何度も見た目だから。

 他にどんな手立ても残されてなくて、ただ死を受け入れるしかないと知って、諦めてしまった人たちの目。

 死ぬ直前の小夜子も、同じ目をしていたと思う。

 未練を残すようなことをすれば、これからも生きていく人たちの重荷になる。

 だから、何もかも諦めて、死を受け入れることが自分自身の願いだと言い聞かせる。

 他にどうしようもないから、諦めるしかなかったけどさ。

 

 でも、本当の本当の本音を言わせてもらえば、私は

 

「生きたかったよ、やっぱり」

 

 同じように思ってるかもしれない相手を、このまま見殺しにすることはできない。

 世界を救うためだとか、フランドールが攻略対象だとか、そんなこととは関係なしに、助けたいと思う。

 

 とはいえ、そのためにはまず冷静に会話しなくちゃなんだけどさー。

 

「腹たてて暴れてるうちは、駄目だよねえ……」

「にゃぁ」

 

 なんとなくつぶやいた言葉に、返事があった。

 びっくりして体をおこすと、すぐそばに小さな猫がいた。頭の先から手足の先まで真っ黒な毛並みで、瞳だけが輝くような金色だ。

 

「か、かわいい……!」

 

 まん丸なお目目も、短いお耳も、よちよちな手足も、全部がかわいい。

 かわいいオブかわいい!

 ブラボー! 世界かわいい大会猫部門優勝!!!

 

 あ、でも、下手に触ったらアレルギー反応が出て、呼吸困難になるよね……ちょっと離れて見るだけにしたほうが……。

 って。

 思わず猫から距離を取ろうとした私は、そこで気が付いた。

 

「今の自分にアレルギーないじゃん」

 

 さっきまで生き死にのことを考えてたせいで、小夜子の記憶に引っ張られてたけど、今の私は超健康優良児リリアーナちゃんだった。馬に乗せられてその辺の森を探索できる自分が、猫ちゃんに近づいたところで何の問題もない。

 

 と、いうことは……2つの人生初、小動物をなでなでできる……?!

 

 見ると、黒い子猫ちゃんはまだ私を見上げてちょこんと座っている。逃げ出したりはしなさそうだ。私は、昔ネットで読み漁った猫ちゃん漫画の記憶を総動員して、子猫とのファーストコンタクトに挑戦した。

 

 えーと、えーと、猫ちゃんには、急に近づいていかない。

 視線を低くして、そっと人差し指を差し出す……と……。

 

 くんくん。

 

 猫ちゃんは、私の差し出した指先に、鼻を近づけてにおいを嗅いでくれた。

 

 ふおおおおおおおおおお!

 挨拶成功ぉぉぉぉぉ!!

 

 勝利のダンスを全力で踊りたいところだけど、ぐっとこらえて我慢する。

 ここでいきなり立ち上がったら、猫ちゃんは絶対逃げる。

 

 じっと見ていると、猫ちゃんは私の手に額をすりすりとこすりつけてきた。

 

 おおう、めっちゃ柔らかい! あったかい!

 かーわーいーいぃー!!

 

「ねえ、ちょっとなでていい?」

 

 通じないだろうな、と思いつつ声をかけると、猫ちゃんは体を寄せてきてくれた。恐る恐る背中に手をやると、黒くてツヤツヤの毛並みをなでることができた。

 

「かわいい……最高……」

 

 よしよし、となでると子猫は気持ちよさそうに喉を鳴らした。

 子猫、なんて癒される生き物なの。今まで暴れるくらいに不機嫌だった気持ちがどこかに飛んでっちゃったよ。

 アニマルセラピーってすごいね!!

 

「ありがとう、ちょっと元気出たよ」

 

 お礼と一緒に自然な笑顔が出た。

 よし、なんとかなりそう。

 まだ何も問題は片付いてないけど、片付ける気力は出た。この先はもうなんとかするだけだ。

 気合をいれて、立ち上がる。

 フランドールともう一度話そう。彼はまだ説得の余地があるはずだ。

 

「あとで、ご飯持ってきてあげるね」

 

 なでなでのお礼にゆでた鶏肉でも持って来よう。そう思って振り返ったときには、子猫はどこかに行ってしまっていた。

 



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あなたに向き合う

 ディッツの離れに戻ると、入り口前にお兄様とジェイドが立っていた。

 ふたりとも、私の姿を見つけるとほっとした顔になる。

 

「急に飛び出してごめんなさい。ちょっとびっくりしちゃったから……」

「お、お嬢様、大丈夫?」

「うん! アニマルセラピーで元気をもらったから!」

「あにまる……?」

「細かいことは気にしないでいいの」

 

 私とジェイドのやりとりを見て、兄様は息をつく。

 

「まあいい、戻ってきたならよかった」

「フランドール様は?」

「ディッツが看ている。彼がいるうちは、自決することもないだろう」

「そっか……」

 

 でも、自殺の心配をするくらいにはヤバいのね。

 

「よし……」

 

 ドアを開けようと伸ばした手を、兄様が掴んで止めた。

 

「何をする気だ?」

「フランドール様の説得よ」

「あれだけ癇癪起こして飛び出していったのに?」

「大丈夫よ。死にたい、って言ってるのはもうわかってるし、落ち着いて会話できると思う」

 

 でも、兄様は手を離してくれなかった。

 

「また傷つくことになるかもしれないぞ?」

「そうかもしれない……でも放っておけないよ」

「何故そこまでするんだ。俺はともかく、お前はお茶会で一度会っただけだろう」

「……」

 

 生きることを諦めた小夜子の記憶のせいだろうか、彼女と同じ目をしたフランドールを、どうしても見過ごすことはできなかった。

 

「あ、あの人の命を救う、って決めて助けさせたのは私だもん! 最後まで責任を取るのがスジだと思うの」

「……先輩は、犬猫か何かか」

「いや、なんか違うのはわかってるけどさー」

「はあ……お前が自分の行動に責任を持とうとしているのはわかった。……好きなようにしろ」

 

 兄様は、ゆっくりと私の腕から手を離した。

 

「でも、もう駄目だと判断したら手を引くこと。いいな?」

「うん」

「ならよし……まあ、実際のところ、俺では先輩を説得しきれずに困っていたんだ。お前のそのむちゃくちゃな言動のほうが、効果があるかもしれない」

「その言いよう、ひどくない?」

 

 まあ、やることは変わらないんだけどさ。

 

「あの、お嬢様、これ……」

 

 ジェイドが小さな革袋を私に渡した。中を開けてみると、そこには紋章付きのブローチや指輪、そして何名かぶんの遺髪が入っていた。

 

「ミセリコルデ家の騎士の遺品ね。拾ってきてくれてありがとう。大変だったでしょう?」

「う、ううん、大丈夫。ボク、魔力を使って人を探知できるから、見つからずに探索するのは、得意……死体も、平気だし」

「難しい仕事だったことに変わりないわ。あなたが手伝ってくれてよかった」

「……うん」

 

 いつものおふざけは横に置いて、私はジェイドに向かって正式な淑女の礼をする。本人は笑っていても、暗殺者の目を潜り抜けて遺品を回収した功績には最大限の感謝をすべきだ。

 

「それ、あのお兄さんに渡してあげて」

「もちろんよ。生きて持って帰ってもらわなくちゃ」

 

 私はジェイドに笑いかけてから、離れのドアを開いた。

 今度こそあの死にたがりを説得しなくては。

 

 そう思って踏み込んだベッドルームでは、今まさに、フランドールの手でディッツが絞め落とされようとしているところだった。

 

「何やってんのよ!!!!」

 



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能動的自殺志願者

「……戻ってきたのか」

 

 フランドールが手を離すと、気絶したディッツの体がずるずるとベッドわきの床に崩れ落ちていった。

 何がどうなってこうなったのやら。

 彼は右足を固定されたまま、上半身だけの力でディッツを捕らえて首を絞めたらしい。哀れなディッツは、白目をむいて床とキスする羽目になっている。

 

「こ……殺してないでしょうね?」

「軽く首の血管を圧迫しただけだ。命に別状はない」

「なんでこんなことやってんのよ」

「……彼がいては、そうそう自死もできないからな」

「死ぬために監視役を排除したってわけ? しかも、腕の力だけで人ひとり絞め落とすって……どんなゴリラよ」

「……ごりら?」

 

 私は慎重に間合いを取ってフランドールを睨みつける。看病してくれているディッツを気絶させたくらいだ、下手に近寄ったら私も同じことをされるだろう。

 ゲーム内のフランドールは目的のためには手段を選ばないキャラだったけど、今の彼もだいぶヤバすぎないかな?

 なんだよ、自殺のために治療師を排除って。

 

「それだけ元気なら、わざわざ死ななくても暗殺者に対抗できるんじゃないの?」

「そう思うのは、お前が奴らの怖さを理解してないからだ。足が動かない時点で勝ち目がない」

「はぁ……まずは、その考えからどうにかしないとダメか」

「何の話だ?」

「冷静になれ、ってこと。あなた、少し落ち着きなさい」

「俺は冷静だ」

「はっ」

 

 フランドールの返答を、私はわざと鼻で笑ってやった。

 

「死ぬことしか考えてないあんたの、どこが冷静なのよ。生き残ることをちゃんと考えた? 死ぬって結論だけ先に出して、他の可能性を考えもしてないでしょ」

「だが……俺は……」

「命がけで守られたのに、捨てるの?」

 

 私は、ジェイドに渡された革袋をフランドールの胸元に放った。何が入っている袋か察したフランドールは、一瞬顔をしかめたあと、また元の無表情に戻る。

 

「だからだ。これ以上犠牲を出すわけにはいかない。俺も、彼らと同じようにお前たちを守って死ねばいい」

「それが最善だと、本当に思ってるの?」

「ああ。そもそも俺は宰相家において不要な人間だ。いなくなったところで何の問題もない」

「そんなわけないじゃない」

 

 私は、まっすぐフランドールを見つめた。

 

 私は知っている。

 彼が、どれだけ宰相家のために尽くしてきたか。

 どれだけ父と姉を愛していたのか。

 そして、父と姉もまた、どれだけ彼を愛していたのか。

 

 なぜなら、私はゲームの形とはいえ、彼との恋を疑似体験してきたのだから。

 生き残った彼がどれほど苦しんだのか、その心の傷を全て見てきた。そしてその傷が一時の恋や愛で簡単に治らないということも、思い知らされた。

 

 だから、まだ誰も失っていない彼に、同じ苦しみを背負ってほしくない。

 

「あなたが死ねば、まず間違いなく、宰相閣下もマリアンヌ様も傷つくわよ」

「まさか。生まれる前に不用品の烙印を押したのは父だぞ」

「馬鹿ね。それ、言ったの宰相閣下じゃないでしょ」

「……なに?」

 

 フランドールの無表情が崩れた。

 

 



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足掻いてから死ね

「あんたをいらない、って言ったのは父親や姉じゃない。ラトリア伯か、叔父さんとか叔母さんとか、そのへんの親戚じゃないの?」

「それは……そうだが」

 

 答える声は、動揺のためか、微かに震えている。覚えがあるのだろう。

 まあ、私もそんな感じの回想をゲーム画面で見たから言ってるんだけどね!

 ある意味ズルだけど、それは棚に上げておく。

 ズルして人を救っていい、って運命の女神様にお墨付きをもらってるし!

 

「全部嘘に決まってるでしょ。あんたに宰相家で活躍されたら邪魔だからそう言ったのよ」

「だが……俺に継承権がないのは事実だ。取るに足らない者だからこそ、そんな条件をつけて産ませた」

「逆よ」

 

 私は一歩、フランドールに近づく。

 

「どうしても、あなたに産まれてきてほしかったから、不利な条件でも受け入れたのよ」

「そんなこと、あるわけが……」

「ないとは言い切れないでしょ」

 

 ぐ、とフランドールが黙った。

 

「家族と過ごしてきて、自分が愛されてるって思った時が一瞬でもなかったとは、言わせないわよ」

「……っ」

「それに、あなたに生きていてほしい、って願ってるのは家族だけじゃないわよ。あなたのことを先輩、って尊敬している兄様だって心配してる」

 

 もう一歩、私は進む。

 ここはフランドールの手が届く距離だ。危険だとは思うけど、寄り添うためには必要な距離だ、と思った。

 

「私も、あなたには生きていてほしい」

「何故お前が? ほとんど会ったこともないだろう」

「そうねえ……」

 

 攻略対象は救国のキーパーソンだとか、本来の彼が情に厚く優しいひとだからとか、いろいろ理由はある。

 でもそれはゲームの中で彼の人生を覗き見たからだ。今そんなことを説明しても、彼は納得しないだろう。

 私自身の感情だって、それだけじゃない。

 

「ごちゃごちゃした理屈は横に置いておいて、単に生きてる人に生きててほしい、って思うんじゃ駄目?」

「……単純すぎる」

「そう? 悪いことじゃないと思うわよ。生きてるって素晴らしい、それでいいじゃない」

「……」

 

 フランドールは体を起こしたまま、私をじっと見ている。私もその視線を見返した。

 

「だいたいねえ、馬鹿みたいだと思わない? 他人の悪意に流されて死を選ぶなんて」

「……ん?」

「考えてもみなさいよ! 絶対あんたが死んだら喜ぶわよ! マクガイアも、ラトリア伯も! それってなんか腹たたない?」

「……まあ……そう、かな……」

「私だったら、どうせ死ぬなら力の限り嫌がらせして、最大限の迷惑をかけてから死んでやるわ! 絶対、思惑通りにおとなしく死んでやらないんだから!」

 

 人には生まれながらにして生きる権利があり、人生は自由に生きるものである。

 現代日本でそう教えられて育った小夜子のせいだろうか?

 それともワガママ放題に育てられてしまったリリアーナのせいだろうか?

 

 私には、他人の思惑に左右される貴族の人生が理解できなかった。

 

 どうして父様も母様も太って身を隠す必要があるのよ!

 どうして兄様がストーカーのとばっちりを受けてるのよ!

 どうしてフランドールが家の犠牲にならなくちゃいけないの!

 

 好きに生きて何が悪いの!!

 

「どうせ死ぬなら、最後まで足掻いてから死になさい!」

「は……ははは……っ」

 

 苦しそうに体を折り曲げて、フランドールが笑い出す。

 

「ワガママな妹だと聞いてはいたが……これほどとはな」

「私、間違ったことは言ってないわよ!」

「……率直に感情を言葉にできる、それこそが一番のワガママというものだ」

 

 ふう、とフランドールは息をついた。

 

「そうだな……今ここで俺が死んだところで、周りが喜ぶだけだな」

「わかってくれたの?!」

「ああ。俺を追い詰めたことを、地獄で後悔させてから死んでやる」

 

 フランドールは、にぃっと魔王のような黒い笑みを浮かべた。

 

 ……あれ?

 なんかヤバそうなものを覚醒させちゃった?!



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わかればよろしい

「昨日はすまなかった」

 

 翌日、朝からディッツの離れに集合してきた私たちを前に、フランドールは素直に頭を下げた。

 

「せっかくお前たちが助けてくれようとしていたというのに、その手を払うようなことをしてしまった。申し訳ない」

「先輩、どうか顔をあげてください。聞けば、何日も暗殺者に追われ続けていたそうじゃないですか。極限状態では判断が狂ってもしょうがないですよ」

「私はまだ許してないけどねー」

 

 うちの魔法使いを気絶させられたからねー。貴族に面と向かって抗議できないディッツに代わって、ここは私が怒っておかないと駄目よね。

 

「リリィ!」

「いや、いい。アルヴィン。昨日のアレは俺が悪い」

 

 私はフランドールに近づくと、彼の額をぺちん、と軽くたたいた。まあおしおきはこれくらいでいいでしょ。

 

「もう二度と『殺せ』って言わない?」

「ああ、そうだな。この命にかける……のはよくないな。この名前にかけて誓おう、今後自ら死を選ぶことはしない」

「じゃあいいわ、許してあげる」

 

 私が笑いかけると、フランドールは苦笑した。

 わかればいーのよ、わかれば!

 ひとりで得意になっていると、兄様が私を軽く小突いてきた。

 

「……リリィ、いいかげん口を慎め。年上の男性にする言葉遣いじゃないだろ」

「あ」

 

 そういえば、フランドールが死ぬ死ぬ言い出して、キレた辺りくらいから敬語がすっぽ抜けてたわー! いかんいかん、淑女としてふさわしい言葉遣いを心掛けねば。

 

「お恥ずかしいところをお見せしてしまって申し訳ありませんわ。ほほほ」

「別にいい。あれだけ言われたあとに取り繕われても今更だ、普通に話せ。なんだったら、名前もフランでいい」

「そうなの? じゃあ私もリリィって呼んでいいわよ!」

「リリィ!」

 

 兄様が悲鳴のような声をあげた。

 えー、本人がいいって言ってるんだから、別にいいじゃーん。

 

「アルヴィン、お前も気を遣わなくてもいんだぞ。すでに学園を卒業した俺は先輩でもなんでもないだろう」

「いえ、俺にとって先輩は先輩ですから」

 

 こういう堅っ苦しいところが兄様のいいところであり、悪いところでもあるのよね。

 

「まあ、どっちにしろ庶民の俺たちはほぼ全員に敬語だけどな……」

「師匠……そこ、気にするところじゃないよね」

 

「フランが前向きになったところで、作戦会議よ!」

 

 パン、と私は手を叩いた。

 

「これから、どう行動すべきか相談しましょ。もちろん、フランを無事にミセリコルデ家に帰すのが大前提ね」

 

 私の提案に異論を唱える者はいない。よしよし、このまま話を進めよう!

 

「まず、戦力分析だな。俺を狙った暗殺者集団は20人程度。ここに来るまでに10人ほどは仕留めたが、まだ相当数戦力が残っているようだった。恐らく、ここにいるメンバーだけで正面から戦えば全員殺されるだろう」

「俺は魔法を使えばそれなりに戦えますが、妹たちは戦闘訓練すら受けてませんからね」

「一番戦力になりそうなフランが、この足だし?」

 

 骨が砕けてしまったフランの右足は、添え木に固定されている。包帯でぐるぐる巻きのこの状態では、歩くこともままならない。

 

「逃げるにしろ、潜伏するにしろ、戦力の補充が急務だな。アルヴィン、ハルバード家に仕える護衛騎士に協力してもらえないか?」

「う」

 

 私たち兄妹は、言葉を詰まらせた。

 

「それが……そのう……」

 

 お互いに、顔を見合わせて困り顔になってしまう。

 だって……ねえ……。

 

「実は、護衛騎士どころか……この城で信頼できる使用人は、ディッツとジェイドのふたりしかいないんだよね……」

「なに?」

「俺たちハルバード家もまた、アギト国に侵略されているのです……」

 

 



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ハルバード家に潜む悪意

「そちらの状況を、詳しく教えてくれ」

 

 眉間にくっきりと皺を刻みながらフランが尋ねた。

 

「ハルバード城にアギト国のスパイが何十人も潜伏してるの。彼らを招き入れた主犯の名は、クライヴ。ハルバード家を取り仕切る執事よ」

「執事といえば、使用人の一切を管理する立場じゃないか……」

「うちの家においては、それ以上の権限を持ちます。領地の産業の管理、税収の処理、騎士たちの装備の管理……彼はありとあらゆる業務に関わっていますね」

「先代ハルバード侯爵時代はそこまでじゃなかったんだけど、父様の代になって任せる仕事を増やしたみたいね」

 

 とはいえ、有能な部下を頼る、という選択自体は間違っていない。

 なにしろ父様は剣術に秀でていても、政治や経済に関してはポンコツなのだから。下手に実務に関わってたら、世界の終わりが来る前にハルバード家が終わってたと思う。

 

「クライヴは長年、執事という立場を利用してハルバードを裏から操っていたようです」

「本格的に動き出したのは、有能だったおじい様が死んだあとからね。……それでも10年以上は裏切ってたことになるけど」

「よく今まで発覚しなかったな」

「うちの両親は内政に興味がありませんでしたから。……それに、クライヴ自身、甘い汁を吸いつつもハルバードの領地を食いつぶすような真似はしてませんし」

「えっと……執事様、って、実はいい、人?」

 

 ジェイドがううん、と首をひねる。

 

「違うわ。うちを潰したら、もうそれ以上オイシイ思いができないからよ」

 

 金の卵を産むガチョウをわざわざ殺す馬鹿はいない。うまく太らせて、毎日ひとつずつ、卵をいただくのだ。

 

「表向き、うまくいってるほうが、汚職は発覚しづらいからな……」

「そうしておいて、裏でちょっとずつ私腹を肥やして、ちょっとずつアギト国のスパイを採用していって……更に、侯爵家の人間もちょっとずつ洗脳していったの」

 

 リリアーナを宝石好きのワガママな子供に仕立てたのはクライヴだ。バカな買い物をさせれば、裏金づくりのいいカモフラージュになる。

 父と母の適当すぎる行動を諫める家臣がいなかったのもクライヴのせいだ。両親が問題に無関心であればあるほど、クライヴが裏で糸を引きやすい。だから、まともな部下は真っ先に排除された。

 兄が家の中で孤立していたのも、やっぱりクライヴのせい。優秀な跡取りなんて、家にいないほうがいい。家族嫌いにして出奔させたほうが楽だ。

 

 おかしいと思ったんだ。

 父様も母様も、お花畑な部分があるとはいえ真っ当な人たちだ。兄だって、生まれた時から家族を嫌っていたわけじゃない。

 15歳の子供に『妹なんか死ねばいい』とまで言わせたのは、すべて悪質な洗脳が原因だ。

 

「執事の暗躍に気づいたのは何故だ? そこまで巧妙だったのなら、そうそう気づくことなどできそうにないが」

 

 実際、ゲームの歴史ならハルバード家が滅びるその時まで、彼の犯罪は明るみに出ないしね。

 

「ここ10年の帳簿からですね。学園を休学して実家に籠ることになったでしょう? ただヒマを持て余すのは勿体ないので、今のうちから領地の金の流れを把握しようと資料を見ていたんです。そうしたら、ところどころで数字がおかしいことに気が付いて……」

「王都にクライヴが居残っててくれてよかったわよね。彼がそばにいたら、うまくごまかされてたと思うから」

 

 兄様が自分で好きに経理書類を見ることができる、今のタイミングだからこそ犯罪に気づけたのだ。

 

「両親が社交を終えて領地に戻れば、クライヴも戻る。そうなればこれ以上調査することはできない。俺は……いや、俺たちは経理書類を検算し、大急ぎで汚職の証拠を集めているところだったんです」

「おかげで毎日計算地獄だったけどね!」

 

 ふふん、と鼻息荒く私は胸をそらせた。

 

「どうしてお前が威張るんだ?」

「証拠集めの功労者だからよ!」

 

 そう言われてもぴんとこなかったらしい。フランは怪訝そうに首をかしげた。

 

「俺も意外だったんですが、実はリリィは計算が早いんですよ。そろばんを持たせたら、熟練の経理担当者より早く検算します」

「ふっふっふ、もっと褒めていいのよ!」

「はいはい、えらいえらい」

 

 なでなで、と兄様が私の頭をなでた。

 ふふん、もっとなでていいのよ?

 

「なるほど、彼女の功績はともかくとして……状況はわかった。ハルバード城に味方はほとんどいないんだな」

「そうなるわね!」

 

 私が断言すると、フランは肺の空気を全部吐き出すような、深々としたため息をついた。

 

「孤立無援で味方は子供ばかり……よくこんな状況で、俺を助けると言ったな?」

 

 状況と感情は別問題だと思うの!!!!

 

 



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たったひとつの冴えたやり方

「お前たち、そもそも俺を助ける余裕なんかなかったんじゃないか。よくそれで俺に死ぬなと言えたものだな」

「確かに家のピンチだけどー、それとフランを見捨てるのは別問題ですー! あ、今更また死ぬとか言わないでよね!」

「言わん。が……アルヴィン」

 

 私相手では話にならない、と思ったのだろう。フランは視線を兄様に移した。

 しかし、兄様は同じように眉間に皺を寄せて首を振る。

 

「じたばたしても仕方ありません。今の状況から最善の方法を考えましょう」

「それしかないのか……」

 

 二人は疲れた顔でうなだれた。

 なんだよー、雰囲気暗いぞー。

 

「ハルバード家に入り込んだ連中も、フランドール様を追う暗殺者も、元はアギト国から来ているというのが問題ですね」

 

 黙って話を聞いていたディッツが口を開いた。

 

「領内でフランドール様を見失った暗殺者は、土地勘のある城内のスパイに協力を仰ぐでしょう。誰がスパイかはっきりわからない以上、使用人は全員敵と考えたほうがいい」

 

 それを聞いて、ジェイドの顔が青ざめる。

 

「も、もも、もしかして……最初にフランドール様を母屋のほうに運んでいたら……」

「今頃使用人に紛れこんだ暗殺者に息の根を止められてただろうな」

「訳アリだから、って誰にも知らせずに離れに運んだディッツの判断に救われたわね」

 

 つくづく、危機管理能力の高い魔法使いだ。その分正面切っての戦いには向いてないけど。

 

「えっと、今までの話をまとめると、とにかく絶対に裏切らない戦力が必要、ってことよね?」

「ああ。だが、ハルバード家にはアテがないんだろう?」

「ひとつだけ最強のカードがあるわよ。あの人さえ来てくれれば、暗殺者の問題も、クライヴの汚職も全部片付くわ」

「暗殺者もクライヴも……? そうか、父様か」

 

 兄様が顔をあげる。私はにっこりと笑い返した。

 そう、うちには最強騎士の侯爵様がいるのだ。

 

「父様の規格外の強さなら、暗殺者の十人や二十人、簡単に返り討ちにできるわ。それにクライヴだって侯爵本人には勝てないもの。父様に助けを求めましょうよ」

「だが、どうやって危機を知らせる?」

「そこが問題なのよね……」

 

 現在のクライヴは父様の右腕だ。当然、執事として父様に届けられる全ての手紙を見る権限を持っている。下手に助けを求めても、父様の目に入る前に握りつぶされてしまうのがオチだ。

 

「暗号を使うとか? ……でも、父様にそんな小難しいことを求めても通じないわよね」

「小手先の仕掛けは、クライヴのほうが先に解いてしまうだろうな」

 

 父様、黙ってれば理知的な美形に見えるけど、中身は脳筋だからなー。

 

「何かいい伝え方はないか……クライヴは取るに足らないと見逃しても、父様だけは危機と感じるような」

「それ、難問すぎない?」

 

 私たちは頭を寄せ合って考え込む。

 

「……ハルバード侯はお前たち子供を溺愛している、という噂を聞いたんだが、それは本当か?」

 

 しばらく黙っていたフランが、ふと訪ねてきた。私も兄様も、その問いを肯定する。

 愛情の注ぎ方がちょっと歪んでるけど、あれは溺愛と言っていいと思う。

 

「だったら、こんな文面はどうだ?」

 

 そう言って、フランは手元にあった紙に文字を綴った。文面を読んだ私たちは、そのあまりに下らない内容に、思わず顔を引きつらせる。

 

「え……マジでこの内容で送るの?」

「確かに、父様ならこれを読んですぐに領地に戻って来そうですが……」

「下手したらフランが父様に殺されない?」

「その時はリリィがかばってくれ。俺を死なせたくないんだろう?」

 

 それ、余計火に油を注ぎそうなんだけど……。

 フランは、にい、と悪い顔で笑っている。ええ……あんた、そんなに腹が黒いキャラだったっけ?

 

「わ……わかったわよ! 私が守ってあげるわよ!」

 

 兄様といい、ディッツといい、フランといい!

 私の周り、しょうがない人が多くない?

 

「何もしないよりはマシです。とりあえず次の定期便で送りましょう」

「手紙が届かなかった場合はどうしよっか?」

「籠城戦だな。社交を終えたハルバード侯が城に戻るまで、この離れに隠れ住む他あるまい」

 

 戦うことも、逃げることもできないのなら、留まるしかないか。

 

「なあに、逃げ隠れするだけなら、俺の得意分野です。大船に乗った気でおまかせください」

「いつも思うけど、ディッツのその口上、信用していいのか悪いのか、判断に迷うわ……」

 

 

 



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イケメンと共同生活とかそれなんて乙女ゲー?

「差し入れもって来たわよー」

 

 フランを匿うことになった翌日、私は台所から拝借した食料入りのバスケットを持って、離れに入った。そこにはベッドに横になるフランと、何やら薬を調合している魔法使い師弟がいる。

 

「牛乳とチーズ、それからハムもあるわ。たっぷり食べて元気になってちょうだい」

 

 骨折を治療するには、カルシウムと鉄分を取らないとね!

 料理を見て、フランは眉間に皺を寄せる。

 

「そんなに持ってきて大丈夫か? あまり派手にやると、ここに住む人間が増えていると気づかれるぞ」

「平気よ。騎士団の戦闘訓練に参加するようになった従者のために、目指せムキムキパワーメニューを作ってることになってるから」

「ええー……」

 

 へにょ、とジェイドが困り顔になる。

 

「嘘は言ってないわよ?」

 

 実際、ジェイドには情報収集もかねて騎士団の戦闘訓練にもぐりこんでもらってるからねー。ちょっと差し入れのボリュームが多くなっちゃうのは、世間知らずなお嬢様だからしょうがない。

 

「……まあ、食べないことには怪我は治らないか。後でありがたくいただこう」

「今食べないの?」

「ちょうどこれから、包帯を交換することになっていてな」

「お嬢も手伝うか?」

 

 ディッツが、薬棚から包帯や消毒薬を持ってきた。フランの治療ついでに私の実習もしてくれるらしい。

 

「やる!」

「おい……リリィが治療に加わるのか?」

 

 フランが、びきっ、とおもしろいくらいに顔をひきつらせた。

 はっはっは、君の目の前にいるのは、ただのお嬢様ではないのだよ。

 

「私はディッツの弟子だもの。お手伝いは当然だわ」

「そもそも俺はお嬢に治療術を教えるためにハルバード家にいますからね。ちょうどいいので、練習台になってください」

「あ、あのっ、お嬢様が失敗しても、ちゃんと治しますから……大丈夫ですよっ」

「何一つ安心できる要素がない……」

 

 むー、失礼しちゃうわねー。

 

「あのね、治療術の教科書は一通り把握してるし、フランを助けた時だって、応急処置の手伝いはちゃんとしてるの。怪我を悪化させるようなことはしないわよ。ほら、とっとと脱いだ脱いだ!」

 

 私はフランの服に手をかけた。

 粉砕骨折した足以外にも、刀傷や擦過傷が体中いたるところにあるのだ。全部の包帯を替えるのは、3人がかりでも一仕事だ。

 

「女子が男の服を脱がせるんじゃない」

「だったら自分で脱いでよ。直接傷を見ないと手当できないでしょ」

「……女子が男の裸を見るもんじゃない」

「これは治療! 慌てなくても傷口しか見ないわよー。だいたい、11歳の子供に肌を見られたところで、問題ないでしょ」

「だからお前が……はあ、わかった……」

 

 フランは疲れたようなため息をつくと、おとなしくシャツを脱いだ。

 よし、勝った!

 

「お嬢、そっち持ってくれ」

「はーい」

「ん……よしよし、縫った場所はうまくくっついてきてるな。ジェイド、消毒液」

「はいっ」

 

 ディッツはアルコールから作ったらしい、消毒液をフランの傷口に塗る。さすが、戦闘訓練を受けた騎士。フランはぎゅっと眉間の皺を深くしただけで、それ以上表情を変えなかった。

 傷口にアルコールって、相当痛いと思うんだけどねー。

 

「切り傷のほうは、もうあとは消毒さえしておけば治るな」

「体の中はどうやって治療してるの? 大きな怪我をしたあとは、高い熱が出るわよね」

 

 傷口からは、大量の細菌が体に入り込む。怪我の治療と同時に、抗生物質を飲むのは現代医学の基本だ。小夜子も手術の後には抗生物質を飲まされた記憶がある。

 

「お、いいところに気が付いたな。そっちは飲み薬で抑える。ちょうどいい、あとでジェイドと一緒に調合してみるか」

「はーいっ!」

 

 元気よく返事をする私の隣で、またフランが眉間に皺を寄せてため息をついている。

 

「どうしたの、何か文句がありそうだけど」

「子供が調合した薬を飲ませる気か……と言おうと思ったが、普通に肯定されそうな気がしたからやめた」

「ふふっ、わかってきたじゃない」

「東の賢者の名誉のために言っておくが、いくらお嬢の作ったものでも、品質チェックはするぞ? 薬を飲ませて悪化させたらしゃれにならん」

「ってことは、デキが良ければ飲ませるのよね?」

「……デキが良ければな」

「よーし、いい薬作って、フランに飲ませるぞー!」

「……」

 

 フランがまたため息をついた。今のは止めるか応援するか迷ったあげくに、いろいろ諦めたため息だな。彼の眉間の皺が、どんどん深くなってるっぽいけど気にしない!

 この機会に治療術のレベルをアップさせるんだ!

 

 

 



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乳鉢と薬研

 現代日本と違い、ファンタジーなハーティア国では、薬の製造は工業化されていない。当然のことながら、巨大な製薬プラントだとか、化学薬品工場なんてものは存在しない。そんな状況で、人が薬を手にしようとしたら、どうしなければならないだろうか?

 個人で手作りするのだ!

 小さな材料から全部、ひとつひとつ!!

 

 というわけで、私は先日採ってきて乾燥させた薬草をごりごりとすりつぶしていた。

 11歳のか弱い女の子の体で乳鉢を使ってたらいつまでたっても終わらないので、東の国から取り寄せたという、車輪に取っ手を付けたような道具を使っている。

 あー、これなんて言ったっけ? 薬研? とにかく、三日月のような形をした器の中に材料を入れて、上から車輪で押しつぶして、粉末を作るのだ。体重を乗せられるぶん、乳鉢よりは効率がいいけど、それでもしんどい。

 

「うう……手にマメができそう」

「そのときはマメ治療の薬の実習だな」

 

 ひとりで砕けた骨の治療をしているディッツが笑う。高度な技術が必要な粉砕骨折の手当ては、さすがに手伝わせてもらえなかった。

 

「学習機会に事欠かないわね。そのほっぺたをひっぱたいて傷薬治療の実験台にしてやろうかしら」

「はっはっは、ついでに叩いた手のひらの腫れも治療対象だな」

「どんだけ薬を作るのよ……ん? 薬といえば、ディッツって、性別を変えて全然別の人間になる薬を作ってたわよね?」

「あー、そんなのもあったな」

 

 美魔女がちょい悪イケメンに変身した、あの時の衝撃はそうそう忘れられない。

 

「追手から身を隠すなら、薬を使って変身しちゃえばいいんじゃないの?」

「……それは、つまり俺が女になるのか?」

 

 治療がディッツひとりの作業になり、皺が消えていたフランの眉間にまたぎゅっと皺が刻まれた。

 

「そうそう。さすがに、性別まで変えてたらばれないと思うの」

 

 ディッツも結構な美女だったけど、フランが女性になっても綺麗だと思うんだよね。

 ネットでありがちな性転換ネタ画像が見たいなー、なんてそんなヨコシマなことは考えてないよ! ええ、考えてませんとも!

 

 私からの提案を聞いて、ディッツはぽりぽりと無精ひげの生えた顎をかいた。その隣でジェイドも困った顔になる。

 

「お、お嬢様、それはちょっと……」

「なによ、主人のお願いだっていうのに、作れないの?」

「いや、作るのはやぶさかでもねえ。だが、今飲んだら、フランドール様は二度と歩けなくなると思うぞ」

「えー!」

 

 なんでそんな物騒なことになってんの。

 

「今俺が使ってるのは、血肉から体の設計図を読みだして、骨を元の位置に戻す魔法なのな。で、ばらばらになった骨をちょっとずつ元の位置に移動させてる途中なわけだ。そんな状態で、体を骨格から作り変えるような魔法を使ったらどうなると思う?」

「骨が元の位置に戻らなくなる?」

「正解。骨が完全に歪むからやめとけ。お嬢の言う、フランドール様を生きて帰すっていうのは、『五体満足で』ってことだろ?」

「わかってるじゃない。そういうことなら変身薬は諦めるわ」

 

 さすが私の魔法使い。ちょくちょく私の命令にノーと言ってくるけど、ちゃんと先を考えた上で答えてくれるのは助かる。

 

「フランも、まさか身を守るためには足の一本くらい、とか言わないわよね?」

「当たり前だ。ここで足を犠牲にしたら、命を犠牲にしないと言った誓いを破るのと同じだろう」

 

 それに、とフランは顔をしかめて体をゆすった。

 

「数日足を固定しているだけだというのに、左足がだるくて、腰と背中が痛い。この状態で一生を過ごすのは相当な苦痛だろう。進んでそうなりたいとは思わないな」

「右足は感覚を消す魔法を使っていますが、他はそのままですからね。おつらいようなら、治療のあと体位を変えましょう」

「頼む」

 

 我慢強いフランが苦痛を口に出す、ということは、かなり痛いんだろう。そういえば、小夜子も動けない状態のつらさは嫌というほど味わってきた。

 

 ただ寝てばかりいると、筋肉や筋が固まってリハビリがつらいんだよなあ。

 何かしてあげられること、ないかな?

 

 

 



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悪役令嬢の新魔法

「というわけで、新魔法の実験をします!」

 

 フランの傷がほぼふさがったころ、私はディッツの離れでそう宣言した。

 フランの足の治療をするディッツと、おとなしく治療を受けていたフランがぽかんとした顔で私を見る。ちなみにジェイドはお城の訓練所で騎士たちと鍛錬中だ。

 

「……ちょっと前から何かたくらんでると思ったが、今度は何をする気だ」

 

 フランの眉間の皺が深くなる。

 はっはっは、その表情はここ数日で見慣れたもんねー!

 怖くないぞっ!

 

「そう警戒しないでよ。これはフランのためなんだから」

「あー、何をするつもりか知らんが、フランに魔法を使う気なら、事前に主治医の許可を取ってくれ。つまり俺な」

「わかってるわよ」

 

 ディッツは私の我儘をだいたい許容するけど、医者としての一線はきっちり引いてくるもんね。

 

「私が提案するのは、『電気マッサージ』よ!」

「……なるほどわからん」

 

 離れに重い沈黙が落ちる。

 でも、私はめげない。電気を使った治療がこの世界の人たちに理解されないのは予想済みだもんね。

 

「えっとね、体にものすごーく小さな雷を落として、マッサージするの」

「……ますますわからん」

「お嬢、ちゃんと説明してくれ」

「口で説明するより実際に体験したほうがいいわね。ディッツ、この火かき棒持って」

 

 私は、離れの暖炉わきに置いてある金属製の火かき棒を手に取った。私が持つ反対側をディッツに握らせる。

 

「この状態で、手に雷魔法を発生させる……と!」

「うひゃあっ!」

 

 私が電気を発生させると同時に、ディッツは声をあげて火かき棒を取り落とした。

 

「今いきなりびりびりっ、ってきたぞ! なんだこれ!!」

「雷魔法よ」

「なんだと……?!」

「だが、リリィは今ほとんど魔力を込めていなかっただろう。それなのに、賢者殿が驚くほどの衝撃があったのか?」

「フランも体験してみる?」

 

 私はディッツが落とした火かき棒をフランに手渡した。反対側を持って、また雷魔法を発生させてみる。

 ディッツのように叫び声を上げはしなかったものの、フランの顔が引きつって、眉間にぎゅっと皺が寄った。

 

「どうなってるんだ……? 雷を落とすには膨大な魔力が必要なはずだ」

「んー、実験してわかったんだけど、雷には伝わりやすい素材と、伝わりにくい素材があるみたいなのよね」

 

 現代日本では、小学校の理科で習う内容だ。

 

「鉄みたいな金属とか、水とかは伝わりやすい素材。木とか空気は伝わりにくい素材ね。空から雷を落とすのが難しいのは、伝わりにくい素材に無理やり電気を通そうとしているからよ」

「つまり……この火かき棒ごしなら、簡単に雷が落とせる?」

「そういうこと。実は、単に人に雷魔法を使うだけなら、この棒もいらないのよね。人間の体も、雷を通しやすい素材でできてるから」

 

 そう言って、私はフランの手をとった。そこに雷魔法を発生させる。

 

「つっ……!」

「お嬢、俺も俺も」

「はい、ディッツはこの辺とかどう?」

 

 私はディッツの腕に触ると、雷魔法を発生させた。そのとたん、ディッツの腕がびょん、と跳ねる。

 

「なんだ今のは! 雷魔法を受けた腕が勝手に動いたぞ!」

「こっちもだ。雷を受けた手が、びりびりしてうまく動かない」

「それは人間の体が、ものすごーく小さな雷で動いてるからね」

「……は?」

 

 私の説明に、ディッツが茫然とした顔になる。いつも飄々としている彼にしては珍しい表情だ。

 

「お嬢、詳しく」

「だから言った通りよ。人間の体は雷で動いてるの。えーっと、電気を流すと筋肉が縮んで、流すのをやめると緩むんだったかな……」

 

 その体を動かそうとする微弱電流を検知することで、心電図をとったり、脳波を測ったりしてたんだよねー。入院三昧の小夜子の人生では当たり前の技術だけど、この世界では未知の領域だろう。

 

「なるほど、普段微弱な雷で動いているところに、いきなり大きな雷を受けたことで、うまく動かなくなったわけか。お嬢の考えることはいつもながら予想外だな」

「それで、これをどう俺の治療に使うんだ?」

 

 ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました!

 



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とりあえず服を脱げ

「今のフランは、寝たきりで全身の筋肉が凝り固まってる状態でしょ? そこに意図的に雷魔法を使って、強制的に筋肉を動かすの」

「筋肉を動かせば、血が流れる……雷を使ったマッサージか」

 

 話を聞いていたディッツが、無精ひげの生えた顎をぽりぽりとかく。

 

「ね、いいアイデアでしょ? これなら、力の弱い私でも魔力さえあればマッサージできるわ」

「使う場所を選ぶ必要はあるが……まあ、ケア方法としては間違ってないか」

「よし、主治医の許可が出たわね。フラン、脱いで!」

「何故脱ぐ必要が?!」

「さっき言ったじゃない。雷魔法には伝わりやすい素材と、伝わりにくい素材があるって。シャツみたいな衣類は、雷魔法が伝わりにくいから、直接触るの」

 

 だいたい、フランの肌なんて傷の治療でさんざん見てるんだから、今更だと思うのよね。

 

「傷の手当てと、直接ぺたぺた触るのは別の話だろうが」

「治療に恥じらいを持ち込むのはどうかと思うわ」

 

 抵抗していても、所詮相手は右足を固定されたけが人である。

 私は問答無用でフランの左足を掴むと、マッサージを開始した。

 

「痛かったら言ってねー」

「ぐっ……いいかげんにしろ……と言いたいところだが、くっ……足が……楽になっていく……」

「ふっふっふ、誉めてもいいのよ?」

 

 どうせまた眉間に皺を寄せて難しい顔をするだけだろうけど!

 と、思っていたら、不意に頭に大きな手が乗せられた。フランの手はなでなで、と私の頭をかきまぜる。

 

「ふぇっ!?」

「なんだ……お前を誉めるときは、頭をなでるといい、とアルヴィンに聞いたんだが。違ったか?」

「ち、違ってないけど!」

 

 誉めるときはちゃんと予告してから誉めて!

 手元が狂って大電流を流すとこだったよ?!

 

「雷魔法を使った治療か……使いようによっては、医学を一歩も二歩も進歩させるだろうな……」

 

 私のマッサージを見ていたディッツがなにやら考え込み始めた。

 

「……危険だな」

「どこが?」

 

 わたしがきょとんとするとディッツは器用に片方の眉だけ上げてみせた。

 

「人間の体は、小さな雷で動いているんだろう。それは、心臓や脳も同じだな?」

「そうね」

「心臓や脳に直接、フルパワーの雷魔法を食らわせたら、どうなると思う?」

「えっと……死んじゃう、かも?」

 

 現代日本では有名な武器、スタンガンと同じだ。

 人体に大電流を流せば昏倒するし、場所が悪ければショックで死ぬ。

 

「で、でもでも、事故とかで一瞬心臓が止まっちゃった人に雷を落とせば、もう一度動き出すことだってあるわよ!」

「ああ、そういう可能性もあるな」

 

 そう言いつつも、ディッツの顔は渋いままだ。

 

「……お嬢、俺だって何もこの技術を否定したいわけじゃない。多くの人間を助ける、素晴らしいものだと思う。だが、今言ったような懸念がある以上、軽々しく広めていいものじゃない」

 

 わかるな? と言われて、私はうなずくしかなかった。

 現代日本でもスタンガンは規制されてたし、大きな電流を使った医療器具は厳重に管理されていた。ディッツが言いたいのはそういうことなんだろう。

 

「……」

「しょげるなしょげるな! 何も使うなって言ってるわけじゃない。信用できる人間相手には治療していい。攻撃魔法として応用を考えるのも自由だ。ただ、俺がいい、と言うまでは他人に見せるなってだけだ」

「はーい……」

「待ってろ。お嬢が我慢しているうちに、俺が学会で発表してやるから」

「……はい?」

 

 学会? どゆこと?

 

「下手に広まるとまずいなら、うまく広めたらいいってことだ。これでも医学薬学のジャンルではそこそこ名前が知られてるからな。注意点とあわせてうまーく医学会に報告してやるよ」

 

 そういえばこの魔法使い、二つ名がつけられるレベルの薬学の権威だった!!

 

「論文にはお嬢の名前も載せる。手柄の横取りはしねえから安心しろ」

「いや別に、私ひとりじゃ論文なんて書けないから、そこはディッツの手柄でいいんだけど……」

「ダメだ。お嬢の発想あってこその結果だからな。絶対載せるぞ」

「ええ……」

 

 発想っていっても、現代日本の理科知識だから本当にどうでもいいんだけど。でも、論文の特許に何やら思い入れがあるらしいディッツは聞いてない。

 放っておくしかないのか……と思っていたら、再び頭にフランの手が乗せられた。

 

「いい師匠を持ったな」

「そうらしいわ」

 

 フランに頭をなでられて、私は苦笑した。

 

 

 



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閑話:少女の異常な感情(フランドール視点)

「リリアーナはおかしい」

 

 俺がそうつぶやくと、見舞いに来ていたアルヴィン、手当をしていた賢者殿、薬の調合をしていたジェイド、つまり離れにいた人物全員が俺を見た。

 俺が名前を出した少女自身はダンスのレッスンだとかで現在席を外している。

 ……だからこそ、口にしたのだが。

 

 

「彼女は、ハルバードで育った箱入り娘のはずだろう。それなのに、あの知識量に、状況分析力。あまりにも知りすぎている。何か特殊な情報源を持っているとしか思えない」

 

特に、俺の家庭の事情については、正確に把握しすぎていて恐ろしいくらいだ。

 

「妹がおかしいといえば……まあ、そうなんですが」

「お前は何とも思わなかったのか?」

 

 アルヴィンは、額に手を当てた。突然襲って来た頭痛を耐えるような、苦しげな表情だ。

 

「妹に関しては、生まれた直後からろくなことがありませんでしたから、深く考えたことがありませんでした」

「考えられないほどおかしいのか」

 

 そういえば、監督生として学園で面倒を見ていた時も、頻繁に妹に関する悩みを口にしていたな。その時は、ワガママだとか思慮が浅いとか、もっと別のことで腹をたてていたようだったが。

 

「去年のお茶会で大失敗したあとに反省したとかで、浪費や癇癪は少なくなりましたが……それでも、何かというと突然理解不能な主張を始めるので、もう、妹というものはそういう存在なのかな、と」

「俺も姉はいるが、たぶんリリアーナのあれは規格外だ」

「ですよね……まあ、何があっても家族ですし、今はちょっと諦めてます」

 

 ふう、とアルヴィンは疲れたような顔になる。

 

「賢者殿はどう思う。あなたは、薬師として多くの人と交流してきただろう。あの言動は異常だと思わなかったのか?」

「まあ……お嬢はなあ……」

「最初っから、変でした、からねえ……」

 

 師弟は顔を見合わせる。

 

「どこの世界に、家庭教師雇うのに国宝級の虹瑪瑙を出してくる令嬢がいるかっての」

「えっ、あの虹瑪瑙のペンダント、賢者殿にあげてしまったんですか?」

「すいません、若様。あれはもう諦めてください。弟子の薬に消えてしまいました」

「ああ……そういう事情なら返せとは言わないが……」

 

 くすくす、とジェイドが笑う。

 

「まさか、こんなところでいきなり、虹瑪瑙が手に入るなんて思わなかったよね」

「ザムドの野郎が握ってんのを、ヨダレたらしながら見てたのが、馬鹿みてえだよなー」

「ふたりは、突然そんなものを出してきたリリィを見て、おかしいとは思わなかったのか?」

「だから言ってるでしょう。変だとは思ったって」

「でも、ボクも師匠も、お嬢様がどうして変なのかは、どうでもいいので」

 

 ふたりは、きっぱりと言い切った。

 

「お嬢は虹瑪瑙ひとつで俺の命を買った。そしてこいつが生き残った。その事実だけあれば、後はいいんですよ。

 なんで虹瑪瑙が必要だって知ってたか、どうして俺たちにそこまで執着するのか、どうして雷魔法の使い方を知っていたか、そんなことに興味はありません。ただ、お嬢がお嬢のやりたいように、生きていく手助けができればそれでいい」

 

 それは、忠誠心と言うにはあまりに純粋な感情だった。彼らはその言葉の通り、リリアーナに命を捧げているのだ。

 

「で? フランドール様はどうされるおつもりで?」

 

 今度は、逆に問いが投げかけられた。

 

「あなたのおっしゃる通り、お嬢は変ですよ。ですが、そうなった原因は、お嬢の抱える秘密にあります。あなたは、その秘密に触れてどうするおつもりなんですか」

 

 いつもの飄々とした笑顔を浮かべつつも、こちらを見つめる賢者殿の目は、笑っていなかった。その隣に立つ弟子もまた、強い目でこちらを見ている。

 主人の秘密に、軽々しく触れることは許さない。

 それは彼女の心に傷をつける行為だから。

 

 触れるのであれば、相応の覚悟をしろ。

 

「……結論はまだ出ていない」

 

 俺は、軽く息を吸い込むと背筋を正した。彼らの目をまっすぐ見る。

 

「だが、軽率なことはしない、とだけは誓おう」

「ありがとうございます、フランドール様が思慮深い方でよかった」

 

 賢者殿は目はそのままに、にっこりと笑った。

 

 やはり、リリアーナはおかしい。

 こんな連中を侍らせておいて、無邪気に生きていられるのだから。

 俺は彼女の秘密に向き合うと同時に、彼らにも向き合わないといけないらしい。

 

 

 

 



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厄介な男

「あー! フランが椅子に座ってる!!」

 

 いつものようにディッツの離れを訪れた私は、中に入るなり声をあげてしまった。

 そこには、食事用のテーブルについているフランがいる。足元はまだ包帯が巻かれた状態だったけど、自然な様子で椅子に座っていた。

 

「賢者殿の治療のおかげで、足の骨がほぼ全て元の位置に戻ったからな。あとは、リハビリしながら完全にくっつくのを待つだけだそうだ」

「よかった! ずっと寝てるのってつらそうだったもんね」

 

 よしよし、椅子に座れるなら上半身は自由だな。

 こわばった筋肉をほぐすために、フランにも某国民的ラジオな体操をさせよう。あれは椅子に座っていてもできるから!

 多少見た目がマヌケだけど、気にしない!

 

「……リリィ、お前また何かたくらんでるだろう」

「いえー、なんにもー? それで、今は何をやってるの?」

 

 私はテーブルに近づいた。そこには書類が山積みになっている。

 んー? この数字一杯の書式は見覚えがあるぞー?

 もしかしなくても、この間まで私が半泣きで処理してた経理書類ちゃんたちじゃないかな?

 

「お前たちにただ匿われているのも悪いからな。今日からは、俺も汚職の証拠集めに参加する」

「本当に?! 助かる!」

 

 いやもうマジで心の底から感謝するわ!

 あの数字地獄は勘弁してもらいたいもん!

 

「俺を襲ったのも、ハルバード家に入り込んだのも、元をただせば同じアギト国の連中だ。まとめて地獄を見てもらおうじゃないか……」

 

 くっくっく、と黒い笑みをうかべるフランは、まるっきり悪の黒幕だ。やってることは、正義の味方のはずなのにおかしいなー。

 

「へえ……こんな風に分析してるんだ……」

 

 私はフランの描いた報告書に目を落とした。フランらしい、きっちりとした筆跡で、どこの数字がズレているのか、何が正しくて、どうおかしいのかが理詰めで書いてある。

 こわー。

 私がこんな報告書もらったら泣く自信あるわ。

 さすが王立学園主席卒業生。やることに隙がない。

 

「内容がわかるのか?」

「似たような書式をひたすら計算してたから、ざっくりはね。でも、こんな風に結論を導き出したりするのは無理かなあ」

「そうか。ではこれを頼む」

 

 感心している私の前に、どさりと書類の山が積まれた。その上にリリィちゃん愛用のそろばんが載せられている。

 

「んんん?」

「検算処理が必要な書類をまとめておいた。指定の紙に検算結果を記してくれるだけでいい」

「ちょっと待ってよ! 兄様から渡された書類の2倍くらいあるんだけど?」

「最終的にはその5倍くらい処理する必要がある。書類は厳選しているから、不必要な作業はさせないはずだ」

「証拠集めを手伝ってくれるんじゃなかったの? なんで私の仕事が増えてるのよ!」

 

 私は怒鳴りつけるけど、フランは全く動じない。

 

「適材適所の結果だな。お前は機械的に計算する係。俺はお前の計算結果を分析する係。お前たちが、電撃治療係と記録係を分担していたのと一緒だ」

「ちょ……もしかして、無理やり雷魔法使ったの、根に持ってる?」

「いやあ? 必要な治療だったと納得してるぞ? おかげさまで、こんなに早く椅子に座れるようになったんだからな」

 

 じゃあその邪悪な笑みは何なのさ!

 目がぜんっぜん笑ってないじゃん!

 

「それでどうする? お前がさぼれば、その分執事が逃げおおせる可能性が増えるだけだが」

 

 最近わかったことがある。

 兄様は飴と鞭を使い分けてうまく人を使うタイプだ。それに対して、フランは理詰めで退路を塞ぎ、やらざるを得ない状況を作り出すタイプだ。

 つまり、どっちも厄介で面倒くさくて困った奴らだ!

 

 やればいいんでしょう、やれば!

 

「ううう……やっと数字から解放されると思ったのになー」

 

 私は諦めてフランの向かいに座った。

 逃げたところで状況は変わらない。こういう面倒な作業は、さっさとやっつけるに限る。

 

「いい子だ」

「ふぁっ」

 

 フランの手が私の頭をなでた。

 だから! なでる時は一言予告しなさいよ!

 びっくりして手元狂うから!!

 

「お、お嬢様……っ!」

 

 計算に集中しようとしたところで、離れに新たな人物がやってきた。

 

「ジェイド、どうしたの?」

「お城に、変な人たちが入ってきた」

 

 ジェイドの報告に、わたし達は顔を見合わせた。

 

 

 



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侵入者

 ジェイドは青い顔をして離れに入ってきた。私は彼の手を引くと、手近にあった椅子に座らせる。

 

「まず落ち着いて、水でも飲みなさい。外でそんな顔をしてたら、あなたが何か知ってる、って勘づかれるわ」

「う、うん……」

 

 こくこく、と水を飲んでから、ジェイドはうなずいた。

 

「詳しく話してくれ」

「は、はい。クライヴさんの紹介状を持った人たちが城にやってきました。男の人の使用人が2人、猟師が3人です。全員顔見知りのようでした」

「使用人はともかく、領主不在のこの時期に猟師を増員するのは不自然ね……」

 

 父様は、他の貴族と同様に狩りもそこそこたしなんでいる。だから、城の近くには専用の狩場があるし、そこには獲物を管理するゲームキーパーがいる。しかし、彼らが忙しくなるのは、狩りを楽しむ領主たちが城にいる時期のはずだ。今この時期に増員する必要はない。

 フランの話だと、暗殺者は10人程度だったはずだから、残りの5人は城下町にでも潜伏しているんだろうか?

 

「えっと、旦那様たちがいない間に、騎士様たちと一緒に狩場の整備をするんだって。ターレス隊長の率いる部隊が出るって言ってたよ」

「平時に兵士たちが周辺整備をするのは普通だし……その中には狩場も入ってると思うけど……」

「暗殺者たちだけの捜索では俺が見つけられないから、ハルバード騎士団を使うつもりだな」

「人海戦術ってわけ?」

 

 そんなものに付き合わされる騎士たちはいい面の皮だ。

 

「ターレス……その名前、聞き覚えがあるな」

「なんでフランがうちの騎士を知ってるのよ?」

「いや、直接は知らない。だが……ああ、これだ」

 

 フランは、さっきまで処理していた書類のうちの一枚を取り出した。

 

「騎士団の運用資金が、ターレスの決裁を経てどこかに消えている。それも複数回」

「なるほど、クライヴの汚職仲間ね」

 

 ターレスの率いる部隊は、全員敵と思ったほうがよさそうだ。

 

「ジェイド、あなたは連中の姿を見たの?」

「と、遠目から……ちょっとだけ」

「何か気づいたことがあったら、教えてちょうだい」

 

 彼らはフランを襲っていたとき、手がかりを残さないよう黒装束を纏い、仲間の死体さえ消していた。だけど、城に潜入する場合はそうもいかない。その顔をさらして陽の光の下を歩かなければならないからだ。

 

「えっと……ぱっと見た印象は、普通の猟師さんと変わらない感じ、だったよ。投げナイフとか、針とか、隠し武器を、服に入れてた、かな? あと……みんな、腕の内側に獣みたいな模様のイレズミをしてた」

「獣のイレズミ?」

「こんな……感じ」

 

 ジェイドはテーブルの上の紙に、牙をむく獣の横顔を描いた。フランが眉間に皺を寄せる。

 

「腕の内側にこれが? よくそんなところが見えたな」

「ああ、あの、ボク、魔力を使って刻んだ模様なら、服越しでも感知できる、から」

「それはそれで、すごい魔力感知だな……。だが、この模様が暗殺者たちの組織を示すものであれば……ん? リリィ? どうした?」

 

 私は、ジェイドの描いた模様に釘付けになっていた。

 その獣の横顔に見覚えがあったからだ。

 

 彼らの名前は『魔獣の牙』。

 攻略対象のひとり、ネコミミのツヴァイが所属する暗殺者組織である。

 

 

 

 



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ネコミミ獣人はロマンだと思うの

 ネコミミのツヴァイ。

 

 ゲームの中に出てきた攻略対象のひとりだ。

 何故『ネコミミの』とついているかというと、言葉の通りネコミミが生えているからだ。いわゆる、獣人キャラである。

 

 彼らの祖先は同じ人間だ。でも、魔力の濃い霊峰の山奥に住むうちに、特殊な見た目と力を得るようになった、と伝えられている。彼らは獣人だけのコミュニティを形成して、ひっそりと暮らしていた。

 その力に目をつけたのがアギト国だ。彼らは不干渉だったはずの霊峰に分け入り、獣人を狩り、体のいい奴隷として使役するようになった。

 

 そのうちのひとりが、ツヴァイだ。

 

 彼は一族ごと暗殺者集団『魔獣の牙』に奴隷として売られ、使役されていた。道具としか扱われなかった彼らは、任務ごとに使い捨てられ、ひとり、またひとりと死んでいった。

 そしてとうとう、ツヴァイはゲーム開始の数年前に末の妹を任務先で見殺しにされ、ひとりぼっちになってしまう。

 

 当然、アギト国と魔獣の牙に強い恨みを持ってるんだけど、彼には組織に逆らえない理由があった。獣人たちには、『服従の呪い』と呼ばれる強い呪いがかけてあったのだ。

 魔獣の牙のメンバーが『戦いの言霊』を唱えれば己の意志に関係なく狂暴化させられ、『停止の言霊』を唱えれば意識を奪われ倒れてしまう。

 

 己の意志とは関係なく人の命を手にかける彼は、攻略対象の中でも1、2を争う不幸青年である。

 

 接し方をひとつでも間違えると殺されるから、めちゃくちゃ危険な相手でもあったけどね!

 

「リリィ?」

 

 フランの怪訝そうな声で、私は我に返った。

 しまった、あまりの衝撃に我を忘れて茫然としてしまっていた。こんな風に驚いていたら、不思議に思われて当然だ。

 

「え、えっと……結構怖そうな模様だったから、びっくりしちゃった」

「……そうか」

「フランは、この獣の紋章に見覚えがある?」

「いや」

 

 フランは首を振った。私はジェイドのほうも見てみたけど、従者も困った顔で首を振っただけだった。

 

 ふたりとも魔獣の牙を知らないのー?

 まあ、暗殺者集団が進んで名前を宣伝しているわけがないから、知らないのは当然かなあ……。

 

 うーん、どうしよう。

 

 獣人は危険だ。

 彼らは魔法が使えない代わりに『ユニークギフト』と呼ばれる特殊スキルをそれぞれ持っていた。それらのスキルは、生まれたときに技能が固定されてしまうけど、代わりにどの魔術体系にも入らない強力な効果があった。

 特に、ツヴァイが持っていた『アニマフィスト』は、人間の頭を一撃で吹っ飛ばすくらいの威力がある。やってることはねこぱんちなんだけど、強力すぎて笑えなかった。

 ルートによっては聖女もこの一撃の餌食になるんだよね……。

 

 ゲーム開始の時点で獣人はツヴァイひとりになってたけど、今はその4年前。ツヴァイ以外の特殊なスキルを持った獣人が他にいてもおかしくない。

 

 どうにかして、獣人に気を付けてもらわなくちゃ。

 

 でも……このことを私が知ってるのは絶対不自然だよね?

 暗殺者が獣人を連れてるって、どうやって伝えよう?

 

 



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伝えたい、伝わらない

 フランを守るために、なんとかして暗殺者が獣人を連れていることを知らせなくちゃ!

 

 私は深呼吸すると、慎重に言葉を選んだ。

 

「ねえ、この紋章って獣がモチーフになってるわよね。ということは……獣が関係している暗殺者なのかしら」

「獣、か……犬を使役する者たちなら聞いたことがあるが」

 

 そうだね!

 人間が狩りに使う動物っていったら、犬が一番ポピュラーだね!

 でも、私が伝えたいのはそこじゃない!

 

「でも、この横顔ってネコっぽくない? 鼻短いし」

「トラやヒョウが見世物になっているのは、見たことがあるが……猫科の生き物は犬に比べて躾のコストが高い。暗殺目的で秘密裡に連れまわすのは難しいだろうな」

「ああああ、あの、使い魔、とか……? 呪術の中には、動物を思い通りに操るものがある、って師匠から、聞いたことがある、よ?」

 

 そういう魔女っぽい魔法あるんだね!

 知らなかったよ!

 確かにそういう魔法使ってる暗殺者がいたら怖いね!

 

 でも、私が気にしてほしいのは、ネコミミついてる人型の暗殺者なんだよー!

 

「使い魔か……ん? リリィどうした」

 

 フランがふと私の顔を覗き込んできた。

 

「えっと……」

「……」

 

 気まずい。

 絶対変に思われてる。

 でも、このまま使い魔対策だけされても、獣人には対抗できない。

 

 私が黙っていると、フランは眉間に皺を寄せたあと、私から視線を外した。

 

「……使い魔以外の可能性も、あるかもしれんな」

「そう! 他にないかな? 獣要素のある暗殺方法!」

「ええええ、えっと……フクロウとか、タカに襲わせる……とか……?」

 

 紋章の形とだいぶ違うね!

 

「生き物から抽出した毒を使う?」

「そ、そういうのは、だいたい、蛇とか、クモとか……ですね。猫などの生き物は、毒を持ってない、ですから」

 

 へー、そうなんだ。

 ひとつ勉強になったよ。

 

「ううん、獣の牙や爪を武器に加工できるけど……暗殺向き、ではないよね」

 

 ちょっと近くなったけど、ちがうぅぅ……。

 

「……あと、獣といえば……獣の力を使う種族がいた気がするな」

 

 おお? だいぶ近いのが出てきたぞ?

 

「ど、どういう人たちなの?」

「俺も詳しくは知らん。以前小耳にはさんだ程度だ」

 

 小耳でもなんでもいいから!

 獣人だって言って!

 

「ハーティアとアギトを分ける霊峰の奥に、獣の耳と尾をもった種族がいるらしい。なんでも、俺たちが使う魔法とは、全く違うスキルを使うそうだ」

「魔法とは違う、スキル?」

 

 ジェイドが首をかしげる。

 

「属性のような区切りに縛られないらしい。ただ、強力な反面、どんな術が使えるのかは生まれた時に決まってしまうそうだが」

「すっごい強力な獣の一撃とか、使われたら怖いねー!」

 

 私が付け加えると、フランは一瞬沈黙した。息を吐いてから頷く。

 

「……そうだな。強力なスキル以外にも気を付けるべき能力があれば、もっと恐ろしいが」

「獣の耳を持ってるんでしょ? 感覚が鋭いのかもしれないわね」

「……そう、だな」

「ぼ、ボク、離れの周りをチェックしてくる! 人避けのまじないはしてあるけど、感覚が鋭いなら、それでも気づかれるかもしれないから」

「お願い!」

 

 部屋から飛び出していくジェイドの後ろ姿を見送る。

 よ、よし!

 何とか伝わった! 伝わったぞ!

 私頑張った!!

 

「……ポンコツにも程がある」

「フラン?」

「なんでもない」

 

 何がどうポンコツなのか。

 聞き返そうとしたけど、結局頭をなでなでされてごまかされた。

 



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早熟なれど凡人

「あ~も~……うまくいかないったら……」

 

 私は城の裏手の植え込みで、いつかのように寝転がった。

 少し服と髪が汚れるけど気にしない。落ち込むときには、思う存分じたばたすべきなのだ。

 フランたちに、獣人のことを指摘したけど、正直どこまでちゃんと伝わってるか不安だ。

 

 今まで、運命を捻じ曲げるためにいろいろやってきたけど、今回が一番やばいかもしれない。

 だって、相手はプロの殺し屋だよ?

 女の子ひとりが相手にするにはハードすぎない?

 

 18歳の心が11歳の体の中にあるおかげで、同世代よりちょっとだけ精神年齢は上かもしれない。でも、それだけだ。

 鋭い洞察力があるわけでも、膨大な魔力があるわけでも、高い身体能力があるわけでもない。

 頭は早熟、才能は平凡。

 きっと、私は日本のことわざの通り、『二十歳過ぎればただの人』になると思う。

 そんな自分が人の命、まして世界の運命を握ってるなんて、そんなの手にあまるどころの話じゃない。

 

『まあなんとかなりますよ、小夜子さんならきっと』

 

 って、運命の女神ことメイねえちゃんに言われてその気になってたけど、やれることは限られている。

 だからといって放り出してしまったら、その先に待っているのは破滅だ。

 結局大切な人ごと全てが消えてしまうだけ。

 

「どうしたもんかなあ」

「にゃあ」

 

 つぶやいた声に、合いの手があった。体を起こすと黒い子猫がちょこんと座っている。

 

「今日も会えたね」

 

 私は体を起こして、子猫に向き合った。

 実は、フランと喧嘩したあの日に出会ってから、子猫とは裏庭で時々遊ぶ仲になっていた。今では、私が裏庭にやってくると、向こうから声をかけてくるくらいだ。

 

 つまり、私は子猫になつかれている!

 すごくない? 実は私って、テイマーの才能あったりしない?

 

「にぃー」

 

 期待にきらきら輝く金色の瞳が私を見上げる。

 まあ、子猫の一番の目的は、私自身じゃないんだけどね……。

 

「はいはい、わかってるよー。お肉だよね」

 

 私はドレスのポケットを探ると、中から携帯用のお肉を取り出した。子猫でも食べやすいよう、小さくちぎって置いてやる。水魔法で小皿にお水を注いであげると、子猫のランチ準備完了だ。

 

「にゃあ」

 

 子猫は嬉しそうに鳴くと、すぐにお肉を食べ始めた。

 

「ふふ、かわいい」

 

 小動物って不思議だ。ただこうやって生きて、食事をしているだけなのにめちゃくちゃかわいい。そして、見ているだけでこわばった心がほぐれていく。

 

「あなたには、いつも元気をもらってるね」

「にー」

「いっそのこと、うちの子にならない?」

 

 このまま裏庭だけで会う友達、っていうのもいいけど、この世界の野生動物は放っておくとどんな目にあうかわからない。駆除されたり、誰かに連れて行かれたりする前に、ちゃんとうちの子にして、お城で飼ったほうが安全だ。

 

「うちの子になるとね、毎日おいしいごはんを食べさせてあげられるわよ。なんてったって、私はこの城のお嬢様だから。それに、とっておきのかわいいリボンもつけてあげる」

 

 子猫の金色の瞳が私を見つめている。

 まんざらでもないのかもしれない。

 

「名前は……クロちゃんとかどうかな? でも、女の子だからもっとかわいい名前のほうがいいかな?」

 

 なでようと手をのばしたら、子猫は不意に体をひっこめた。

 そのまま体を翻して去っていってしまう。

 

「あー残念! でも、諦めないからね」

 

 猫ちゃんも、この世界も!

 

 



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侯爵家はつらいよ

 城に暗殺者が入り込んだ、とわかっても私たちの生活は大きく変わらなかった。下手に騒ぎ立てたところで、私たちが関わっていることを相手に知らせるだけだから。

 

「多少離れに入る手順がややこしくなっただけよねー」

 

 そうつぶやきながら、私は離れのドアをあけた。

 現在、ディッツの離れは気配消しの魔法に加え、魔力遮断、音声遮断、などの魔法がかかっている。その上、周囲には『離れの建物を気にかけない』という魔法までかけている状態だ。一般の使用人たちは、離れに人が棲んでいるということ自体忘れてしまっているはず。

 フランが見つかったらおしまいの私たちは、その魔法を崩さないよう、細心の注意をはらって離れに出入りする。

 本当は離れに行かないほうがいいのかもしれないけど、私達兄妹、特に私はずいぶん離れに入り浸ってたから、行かないと逆に目立ってしまう。

 人ひとり隠すって、本当にいろいろ面倒だ。

 

「ああ、リリィか」

 

 私が奥に入ると、テーブルで仕事をしていたフランが顔をあげた。最近のフランの定位置はだいたいここ。椅子に座れるようになったし、そろそろ、固まった右足の筋肉を伸ばすためにリハビリしたいところだ。でも、離れから出れられないせいで、ストレッチ程度しかできていないんだよね。

 

「ディッツは?」

「離れを隠す魔法のチェックがてら、外に薬草を取りに行った。ジェイドは、いつも通り訓練に参加している。昼時には戻るだろう」

「そっか。ここにランチを置いておくから、みんなで食べてね」

 

 私は厨房からもらってきた食事を、離れの台所に置く。男三人分なので、結構なボリュームだ。

 

「そうそう、朝食の時に兄様が言ってたんだけど、今日は離れに来られないって」

「何かあったのか?」

「使用人の調査。ほら、例の暗殺者たちを雇用したことが兄様には報告されてなかったでしょ? 知らない間に人が増えたり減ったりしてるのが気になる、って帳簿を調べてるわ」

 

 巨大な城を構える大侯爵は本来、末端の使用人まで把握する必要はない。覚えようにも人数が多すぎるからだ。大抵は優秀な執事や家宰を据えて管理させる。でも、今回のように執事が裏切り者の場合は別だ。自力で人の流れを把握しなければどうにもならない。

 

「クライヴのクビは決定してるけど、これから先が大変よね」

「ハルバード家は大所帯だからな。あまりにたくさんの使用人を解雇すれば、領地の業務そのものが立ちゆかない」

「かといって、クライヴの息のかかったスパイをひとりでも残していたら、またそこから人が入りこんじゃうし……難しいわね」

 

 しかも、優秀すぎるクライヴは経理担当者とか、騎士のまとめ役とか、専門的な技能の必要な管理職ばかり狙いうちしてスパイを入り込ませている。

 確かに、下っ端を何人も洗脳するより、よっぽど効率がいいけどね! まともな人間にすげ替えるこちらの苦悩も考えてくれませんかね。

 どこかに、優秀な執事と使用人と騎士が転がってないかしら。100人くらい。

 

「兄様ひとりで抱えてたら倒れちゃうから、私も手伝わないと」

 

 気合をいれたところで、フランと目があった。

 彼は何故か私をじいっと見つめている。

 

「……なに?」

「いや。お茶会の時とずいぶん印象が変わった、と思ってな」

「……っ、ま、まだあの時のことひきずる?」

 

 リリアーナ的には、最大の黒歴史なんだけど?!

 

「印象的な出来事だったからな」

「やめてー! 忘れて! あれからもう反省して、行いを改めたんだから!」

「……反省か」

「何よ?」

「お前の行動が変わったのは、それだけか?」

 



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それだけか

「お前の行動が変わったのは、それだけか?」

 

 フランに問われて、一瞬頭の中が真っ白になった。

 お茶会を境に変わってしまった私。その理由が、失敗の反省なんて単純なものじゃないのは、自分が一番よく知っている。

 良くも悪くも、元のリリアーナが強烈なキャラだったから、反省の一言で周りがなんとなく納得してくれていただけで。

 だからといって、おいそれと理由を語るわけにはいかない。

 

「そ、それだけよ」

 

 私は視線をそらして後ずさる。

 

 逃げたい。

 

 でも、フランは私の逃げを許してくれなかった。

 椅子から立ち上がって、私のそばまで歩み寄ってくる。

 

 ちょ、おま。

 いつの間に歩けるようになってんのー!

 絶対、私が逃げると思って、わざと黙ってたでしょ!

 

「本当に?」

 

 長身をかがめて、フランは私の顔を間近で覗き込んでくる。逃げたいのに、サファイアブルーの瞳がそれを許してくれない。

 不自由な右足をかばうために壁に手をついているせいで、体勢はほとんど『壁ドン』だ。

 人生初リアル壁ドンだけど、尋問されてるんじゃ全然嬉しくないよ!

 

「本当よ! 他にどんな理由があるっていうの」

「ああ。お前の抱えるものは、俺が考えるどんな理由でもないんだろう」

「だったら……」

「勘違いするな。俺はお前を追い詰めたいわけじゃない」

 

 今まさに追い詰められてますが何か?!

 

「俺はお前を……」

「にゃあ」

 

 ドアの外から、猫の鳴き声が聞こえてきた。

 一瞬、フランの注意がドアに向けられる。

 

「猫?」

 

 そういえば、人に見つからないよう部屋の中の音は外に漏れないようにしてあるけど、城の異変には気づけるよう、外からの音は聞こえるんだよね。

 

「あ、あれ、私の猫ちゃんだ!」

「おい?」

「野良猫なんだけどね、すごくなついてくれてるの。フランにも見せてあげる!」

「待て、リリィ!」

 

 逃げ場所を探していた私は、とっさにフランから離れると、出口に向かった。ドアを開けると、金色の瞳の黒猫がちょこんと座っている。

 私は子猫を抱き上げると、フランを振り返った。

 

「ほら、かわいいでしょ……」

 

 ずるり。

 手の中に抱いたはずの黒猫の輪郭が崩れた。

 黒い影が床に溶け落ちたかと思うと、それは再び別の形を結び……黒髪の女の子になった。頭には猫のような三角の耳があり、お尻には長いしっぽがある。

 

「え……」

「シャァッ!」

 

 女の子は、猫そっくりの威嚇の声をあげ、フランにとびかかっていった。

 

「くっ!」

 

 とっさに体をかばったフランの腕から、赤いものがぱっと広がる。素手で引っかかれただけのはずなのに、袖は大きく裂け、そこから血があふれ出していた。

 

「獣人……?」

 

 あの子猫が?

 どうして?

 

「リリィ、逃げろ!」

 

 手近にあった火かき棒で応戦しながら、フランが叫ぶ。でも私はそれどころじゃなかった。

 目の前の光景が理解を越えていて、全く受け入れられなかったから。

 

 どうして?

 どうしてこんなことになってんの?

 

「このっ!」

「ぎゃんっ!!」

 

 フランの一撃が、女の子をしたたかに打ち据えた。

 不利を悟ったのか、女の子は身を翻してドアから出ていく。

 

「リリィ、怪我はないか?」

 

 フランが私の顔を覗き込んでくる。

 でも、私は返事ができなかった。

 

 あの女の子は獣人だ。そして、獣人は暗殺者たちの仲間だ。

 つまり、他ならない私自身が、暗殺者をここに引き込んでしまったんだ。

 

「どうしよう……」

 

 



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逃走劇

 女の子の獣人を撃退した直後、私たちは馬に乗って森を疾走していた。

 体が小さすぎる私の馬にはフランが、ジェイドの馬にはディッツが同乗している。二人乗りしている私たちの最後尾を、兄様の馬がついて走っていた。

 

 私たちの作戦は、手紙を受け取った父様が助けてくれるのが最善。だからといって、失敗した時のことを何も考えてなかったわけじゃない。万が一、フランが見つかった時のために持ち出す荷物の準備と、逃走ルートの確認はしておいたのだ。

 

 ピィッ、と兄様が口笛を吹いた。休憩の合図だ。

 私たちは馬の足を緩めて、その場に止まる。

 

「そこの小川で、馬に水を飲ませましょう」

「わかった」

 

 兄様の指示に従って、私たちは馬から降りることにする。フランは私を鞍から降ろしたあと、ふらつきながら地面に降り立った。そのまま、よろめきながら地面に座り込む。

 

「痛みますか?」

 

 ディッツがフランの右足に手を当てると、彼は無言のまま、ただ頷いた。その額には玉のような汗が浮かんでいる。

 骨がくっついたばっかりだっていうのに、リハビリもしてない状態で、馬に乗ってるんだもん、痛くないわけがない。

 

「お嬢、この間教えた痛み止めの魔法は使えるか?」

「だ、大丈夫。できるわ」

 

 私はフランの傍らに跪くと、教えてもらったばかりの魔法をかける。じわじわと魔力が足に浸透するにつれ、フランの息が少しずつ整っていく。

 

「獣人が獣の力を使うとは聞いていましたが、まさか獣そのものに変化するとは思いませんでしたね」

 

 ふう、と息をつきながら兄様が言う。それを聞いて、ディッツが大仰にうなずいた。

 

「あの黒猫は俺も裏庭で何度か見かけてましたけどね、完全に獣にしか見えませんでしたよ。俺の作る薬でも、ああも自然に変身するのは無理です」

「ボクたちが使う属性魔法に縛られない、っていうのは、こういうことだったんだね……」

 

 目を閉じて息を整えていたフランが顔をあげる。

 

「俺たちがハルバード領に来るまでの間、どれだけ追手を撒こうとしても失敗していた理由もわかったな。まさか、人間ではなく猫がついてきているなんて思わない」

「俺たち全員、完全に盲点を突かれていたわけですね」

「あの……だから……その、お嬢様……」

「リリィ、お前が責任を感じることはないんだぞ」

 

 フランの言葉に、私は首を振った。

 

「いいえ、これは私の責任よ」

 

 他の誰にとって盲点だったとしても、私だけは気づくべきだったのだ。

 

 ネコミミ。

 獣人。

 ユニークギフト。

 そして、見捨てられて死んでいた、ツヴァイの末の妹。

 

 パズルのピースは、すべて私の目の前に並べられていた。

 私は気づくことができる立場にいたのに見逃した。

 だから、これは私の失態なのだ。

 

「ごめんなさい……」

 

 私は唇をかみしめる。

 私はいつもこうだ。

 なんとかできる、って思いあがって行動して、結局は大事な人を窮地に陥れる。

 

「……俺、追手が来ていないか少し見回ってきます」

「若様、ボクも行きます」

「それじゃー俺は水でも汲んできますかね」

 

 兄様たちはそれぞれやるべきことをするために、その場を去っていった。あとには、歩けないフランと私だけが残される。

 

「……お前の責任と謝罪はわかった。それで、これからどうする気だ?」

「わかんない……」

 

 私はうなだれた。

 

 

 

 



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足掻いてから死ね

「もしかしたら、私はもう何もしないほうがいいかもしれない……」

 

 家族を救おうと両親をダイエットさせたら、別れて暮らすことになった。

 父様が活動的になったら、宰相が救われた代わりにフランが命を狙われる。

 手がかりに気づかず、暗殺者を隠れ家に引き込む。

 

 運命の女神に後押しされて運命に介入してきたけど、私の行動はいいことばかり起こしてきたわけじゃない。

 私の行動が新たな悲劇を生み出すことになるかもしれない。

 そう思うと、もう何をするのも怖くて仕方がなかった。

 

「だからといって、悪意に流されるまま死ぬ気か?」

「……っ」

「お前が言った言葉だろう」

「フランは……知らないから……! 私に何ができるのかわかってないから、言えるんだよ!」

「それは、お前も同じだろう。俺が何を知っていて、何ができるか知らない」

「私のは……そういうのとは……違うっ」

「違わない」

 

 フランが私の腕を引っ張った。顎を掴み、青い瞳が無理やり私の瞳を覗き込んでくる。

 

「足掻け」

 

 それも私が言った言葉だった。

 

「どうせこのままただ逃げていても、暗殺者に殺されるだけだ。足掻け、奴らに最大限の迷惑をかけてから死ね」

「……っ」

「お前が願うなら、どんな手段であっても、俺が手助けしてやる」

 

 じわりと視界が歪む。

 こんな最低な状況でそんなこと言うの?

 泣くしかないじゃん、こんなの。

 

「げ、言質とったからね……どんなことでも手を貸しなさいよ?」

「ああ、なんでもしてやる」

 

 ふと口を緩めて、フランは私から手を離した。私は大きく深呼吸を繰り返す。

 

 そうだ、落ち着け。

 ただ待っていても運命は良くならない。

 放っておいても世界が滅びるだけ。

 

 私の行動で悲劇が起きるなら、その悲劇の運命さえ捻じ曲げる方法を考えろ。

 大事なものを守るために、最後まで足掻くんだ。

 

 考えろ。この状況を改善するための方法を。

 私にはまだ何かできることがあるはずだ。

 

「……追手を撒くにしても、獣人をどうにかしなくちゃいけないわね」

 

 彼女の感覚の鋭さと、猫に変化するスキルは強力だ。どんなに逃げ隠れしても、相手が彼女を連れている限り、見つけ出されてしまうだろう。

 

「えっと……何か手がかりはなかったけ……」

 

 私はバッグの中から『攻略本』を取り出した。獣人ツヴァイに関する情報の中に、有効なものがあるかもしれない。

 

「いきなり日記を取り出して、何をするつもりだ?」

「ちょっと黙ってて。あと、日記を覗いたら殺すから」

 

 他人には、ポエムな黒歴史ノートに見えてるんだよね。

 そんなもの読みながら対策を考えるなんて、めちゃくちゃ痛い行動に見えるだろうけど、今はそんなことを気にしていられない。

 

 考えろ。

 どこかに、何かあるはずだ。

 聖女だって呪いを何とか躱して、ツヴァイと逢瀬を重ねていたのだから。

 

「一番いいのは、『停止の言葉』を唱えることよね」

「なんだそれは」

「獣人を操ってる呪いを逆手にとって、あの子を無理やり止めるの。でも、呪文には獣人の名前が必要なのよ」

 

 攻略の重要キーワードだから、停止の呪文自体は攻略本に書いてある。ゲーム中に何度も見たフレーズだから、余裕で暗唱できる。

 しかし、問題がひとつある。

 停止の言葉は最後に対象者の名前を呼ばなければ効果がないのだ。

 あの女の子は、死ぬ運命にある『ツヴァイの末の妹』の可能性が高いけど、その名前までは攻略本に書かれていない。

 

「……名前なら、わかるかもしれない」

「マジで?」

 

 フランの言葉に、私は素で叫びそうになってしまった。

 



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君の名は

「ど、どういうこと? フランって獣人に知り合いがいるの?」

 

 予想外のことに、私は思わずフランにくってかかってしまった。私に体当たりされて、足に響いたらしいフランは小さくうめき声をあげて眉間に皺を寄せた。

 

「……いない。前にも言っただろう、獣人に関しては小耳にはさんだ程度だ。だが、その時にこんな話も聞いたんだ。彼らは、生まれた順番に従って、名前をつけると」

「順番……一郎次郎みたいなものかしら」

「イチロウ? ……まあいい。とにかく、生まれた順に彼らの言葉で『一番目』『二番目』とつけていくらしい。だから、家族構成がわかれば名前を当てるのは難しくないはずだ」

「それ、家庭の中ではいいけど、集落の中で見たらそこら中に『一番目』がいて混乱しないのかしらね……」

「さあ? だが今、彼らの文化について考察しても意味はないだろう」

「大事なのは、順番ってことよね」

 

 私は攻略本のページをめくる。

 悲惨な生い立ちのせいか、ツヴァイは自分の家庭ことをあまり話さなかった。イベントを通してわかったのは、弟と妹がいること。彼らのことをずっと気にしていたということくらいだ。

 

「えっと……ツヴァイには弟と妹がいて、妹が末っ子だったはずだから……」

「だとすると3番目か?」

「そのはず……だけど」

 

 何かがひっかかる。

 私は攻略本のページをめくる。この中のどこかに、ツヴァイたちが使っていた獣人の古い言葉の対応表があったはずだ。

 あれを見れば……。

 

「お嬢様!」

 

 周囲を警戒しに出ていたはずのジェイドが戻ってきた。兄も青い顔で一緒に走ってくる。

 

「どうしたの?」

「あああ、あ、暗殺者たちがこっちに向かってる」

「やっぱり獣人相手じゃすぐに逃げた方向を発見されちゃうわね」

「それだけじゃない」

 

 兄様は不愉快そうに顔をしかめて、首を振った。

 

「ハルバード騎士団が一緒に追ってきている」

「かか、風の魔法で、話し声を、拾ったんだけど、魔法使いディッツが外から不審者を引き込んで、お嬢様と若様を攫って逃げた、ってことになってる」

「ひでえ話だな。俺はお嬢に忠誠を誓ってるっていうのに」

「騎士団の者は、ハルバード領の地理を熟知している。俺たちの逃走経路などお見通しだろう」

「包囲されるのも時間の問題ってわけ?」

 

 うちは、歴史ある南部の大侯爵家だ。当然、兵の士気も練度もただの地方貴族とはレベルが違う。相当なプロフェッショナルが追ってきていると思ったほうがいいだろう。

 有能な人間が敵に回ると、本当にタチが悪いな!!

 

「だからといって、このまま殺されるわけにもいかないわね」

 

 私は顔をあげて立ち上がった。その後ろでフランもゆっくりと体を起こす。

 

「立てる?」

「馬に乗るくらいならなんとかな」

「お嬢はフランドール様と一緒だ。馬に乗ったまま、フランドール様に痛み止めと治癒の魔法をかけ続けてくれ」

「ぼ、ボクがかけたほうが、効率はいい、けど」

「ジェイドの魔法は、敵と戦う時までとっておきなさい。そっちのほうが生き残る確率が高いわ」

 

 私たちは、休憩前と同じ割り振りで馬にまたがる。

 

 ただで死んでやるもんか。

 最後の最後まで足掻いてやる!

 

 



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閑話:私を殺して(獣人少女視点)

 私は道具なのだと、奴らは言った。

 

 産まれながらに獣の姿を持つ、異形の化けモノ。だから、モノとして扱われるのだと。

 

 私はモノ。

 だから、命令に従っていればいい。

 

 私はモノ。

 だから、思い通りに動かない時は殴っていい。

 

 私はモノ。

 だから、命令に失敗したら、見捨てていい。

 そのまま野垂れ死にしても構わない。

 

 だって、私はモノなんだから。

 

 家族と引き離されて、私はあちこち連れまわされた。完全な猫の姿に化けることのできる私は、斥候としてとても使い勝手がいいのだそうだ。

 だけど、いくら見た目が猫そっくりでも、猫らしくない行動をとれば怪しまれる。

 勘の鋭いターゲットに怪しまれ、殺されかけることも少なくなかった。

 

 何度目かの大けがのあと、私は奴らに引きずられるようにして国境を越えた。ハーティアという豊かな国の貴族を殺すのだという。

 森の中で追い詰めて、あと少しで殺せるというところで不可思議なことが起こった。

 青年の姿が、まるで魔法のように掻き消えてしまったのだ。

 青年の仲間は優秀だったが、隠れ身の上手い魔法使いはいなかったはずだ。川に落ちたせいで痕跡が途切れたのだろう、と奴らは川下を探し回ったが、青年の姿はどこにもなかった。

 

 どんなに川の流れが急であっても、青年の死体が見つからないのはおかしい。ならば、青年を助けた誰かがいるかもしれない。

 今度はすぐそばにある大きなお城の周辺を探ることになった。

 

 結論から言うと、青年の協力者はすぐに見つかった。

 青年の匂いを纏わりつかせた少女が城の中を歩いていたからだ。青年の手がかりを求めて近づいた私を見て、少女は目を輝かせた。

 

「か、かわいい……!」

 

 初めて言われた言葉だった。

 

 ヒトの姿をしている時は、化けモノと呼ばれるのが普通。猫の姿で街中を歩けば、迷惑な害獣として追い払われるのが当たり前だった。

 親兄弟以外で、自分を見てこんなにも嬉しそうな顔をする者などいなかった。

 

 猫のふりをして、体を寄せるとまるで宝物のように可愛がられた。

 

「ありがとう、ちょっと元気出たよ」

 

 綺麗な笑顔を向けられて、私は思わずその場から逃げ去っていた。

 奴らからの命令を遂行するなら彼女のあとをつけるべきなのだろう。だけど、怖くてそんなことできなかった。

 

 

 少女と出会って、一か月以上が経過した。

 彼女は裏庭を出歩くことが多いらしく、周囲を探索していればその姿を容易に見つけることができた。しかし、彼女が裏庭のどこへ出入りしているのか、それだけはうまく突き止められない。

 よほど腕の立つ魔法使いが、認識をごまかす魔法を使っているのだろう。

 

 その魔法をかいくぐるのがお前の仕事だろう、と奴らに言われるが、わからないものはわからないのだからしょうがない。

 このまま、見つけられないままでいればいい。

 

 いつものように裏庭を歩いていると、少女が植え込みの裏に寝転がっていた。いつも元気な彼女にしては珍しく、悩み事があるようだ。

 

「にゃあ」

 

 でも、私が声をかけると少女はぱっと顔を輝かせた。

 

「今日も会えたね」

 

 そう言うと、てきぱきと食事の用意をしてくれる。私は早速、肉にかじりついた。

 成果が出せないことに苛ついている奴らは、最近ごはんをくれない。

 少女のくれる食事が文字通りの命綱だ。猫のままでいれば、これくらいの食事でもなんとか生きていける。

 

「ふふ、かわいい。あなたにはいつも元気をもらってるね」

「にー」

「いっそのこと、うちの子にならない?」

 

 そう言われて、どくんと心臓が跳ねた。

 

「うちの子になるとね、毎日おいしいごはんを食べさせてあげられるわよ。なんてったって、私はこの城のお嬢様だから。それに、とっておきのかわいいリボンもつけてあげる」

 

 それはなんて魅力的な提案だろう。

 私がただの猫だったら、1も2もなく飛びついていると思う。

 

 でも、私は猫じゃない。少女の匿う青年を追って来た暗殺者だ。

 この体には呪いが刻まれている。逃れようとしても、奴らが言霊を唱えれば従わされてしまう。

 

「名前は……クロちゃんとかどうかな? でも、女の子だからもっとかわいい名前のほうがいいかな?」

 

 盛り上がっている少女から、私は逃げた。

 無邪気な少女の声を聞き続けるには、私はあまりにもみじめだったから。

 私はモノだ。

 女の子に可愛がられる獣ですらない。

 こんな自分がそばにいられるわけがない。

 

 命令そっちのけで、少女のことばかり考えていたせいだろうか。

 私は気が付くと小さな小屋の前にいた。初めて見る建物だ。

 今まで裏庭はくまなく捜索したはずなのに、なぜか一度も見かけたことはなかった。

 ドアの隙間から、少女の匂いがしている。

 無意識に少女のあとをつけてしまっていたらしい。

 

「にゃあ」

 

 小さく声をあげると、すぐにドアが開いて、その奥に少女と黒髪の青年の姿があった。

 

 その後のことは思い出したくもない。

 奴らに刻まれた命令に突き動かされるようにして青年に襲いかかり、反撃された。逃げ出す時にちらりと見た少女の顔は蒼白で、今にも泣きそうだった。

 

 私から情報を引き出した奴らは、すぐに少女たちを追った。

 彼らはうまく痕跡を消しながら逃げているけど、感覚の鋭い自分には全てたどれてしまう。

 嘘を言おうとしても、そのたびに言霊によって意志を縛られる。

 

「見つけたぞ、馬をつぶせ!」

 

 やめて。

 あの子を追わないで。

 あの子を殺さないで。

 

「畜生、馬がねえのにまだ逃げるか」

「大丈夫、歩きで遠くまでは行けねえさ」

「足の悪い男と女子供で、俺たちから逃げられるわけないからな」

「化けモノ! 痕跡をたどれ!」

 

 お願いだから、私を殺して。

 

 

 



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暗殺者たちの道具

「はあっ……はあ……っ……」

 

 私たちは、徒歩で夜の獣道を進んでいた。

 馬はない。途中で追手に殺されてしまった。

 

 持てるだけの荷物を持って、行けるところまで逃げる。それが今、私たちにできる精一杯のことだった。

 

「リリィ!」

 

 唐突にフランが私の腕を引っ張った。

 思わずしりもちをついた私の目の前を赤く輝く何かが横切っていく。遅れて、風を切るような音がやってきた。

 

「火矢……!」

 

 振り向くと、黒装束の怪しげな集団がすぐ後ろまで迫ってきていた。

 

「貴族のお坊ちゃんたちだと思っていたら、なかなかどうして、手こずらせてくれる」

「ただでは死なない、と誓っているんでな」

 

 フランは私を背にかばいながら油断なく槍を構えた。兄様たちもそれぞれに武器を持ち、周囲を警戒する。彼らにかばわれる裏で、私はこっそりと目くらましの準備をする。

 暗い森の中だ。

 この場をしのいで木々に紛れれば、まだ逃げる余地があるかもしれない。

 

「言っておくが、俺たちを振り切ろうとしても無駄だぜ? こっちには便利な道具があるんでな」

 

 そう言って、彼らは荷袋の中から何かを出した。

 

「う……ああ……」

 

 ソレ、は黒髪の女の子だった。頭に猫のような三角の耳と、おしりに長いしっぽが生えている。彼女は暗殺者たちに引きずられるまま、よろよろと前に出る。最初は気づかなかったけど、彼女の服はぼろぼろだった。ところどころに赤黒いシミがついている。

 

「こいつは感覚が鋭くてね。あんたたちがどんなに気配を消しても見つけ出せる」

「……ずいぶん、お疲れのようだけど?」

「ご心配なく。ちょいと呪文を唱えれば、俺たちに道を指し示す。そうなるよう躾けてあるんでね」

「躾? 呪いで無理やり縛ってるだけじゃないの!」

 

 私は思わず怒鳴りつけていた。

 どんなことがあったとしても、女の子をぼろぼろになるまで傷つけていい理由があるわけがない。

 

「威勢のいいお嬢様だ。じゃあまずはあんたからコイツの餌食になるか? 戦わせてもそれなりに使えるんだぜ」

「はぁ?!」

 

 ネコミミの女の子は、ふるふると首を振った。

 

「や……だ……」

「お? まだ抵抗する気かよ。お貴族様にエサもらえたのがそんなに嬉しかったか? そんなところだけ畜生らしくしっぽ振ってんじゃねえよ」

「その子を侮辱するのはやめなさい!」

 

 様々な人種がいることを知りながら育った小夜子の影響だろうか。

 私には女の子が『獣人』という別の生き物だとは思えなかった。耳がついていても、しっぽがついていても関係ない。

 言葉が通じて、心があるのなら、彼女はヒトだ。

 道具として扱われる存在じゃない。

 尊重されるべき、ひとりの人間だ。

 

「はっ、そんなに気にいったんなら、あんたにやるよ」

 

 暗殺者は、女の子の耳元で何かをささやくと、私たちに向かって彼女を放り投げてきた。

 

 

 



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あの子の名前

「おい……嘘だろ?!」

「下がって!」

 

 思わず女の子を救助しようと身構えたディッツを、私は止めた。

 警戒する私たちの前で、女の子は髪を逆立てる。

 

「フーッ!!」

 

 この豹変ぶりは、ゲームでも見た。『戦いの言霊』による狂暴化だ。

 さっき耳元に囁いていたのが、呪文に違いない。

 やせ細った女の子の体のどこにそんなパワーがあったのか、猛烈な勢いで爪を繰り出してくる。

 

「リリィ!」

「わかってるわよ! 凍結《ゲフィーエレン》、四番目《フィーア》」

「なにっ?!」

 

 私が叫ぶと同時に、女の子の体が地面に崩れ落ちた。

 

「どうして、その呪文を……!」

「ごめんなさいね、手品の種は明かさない主義なの」

 

 そう言いつつも、私は思いっきり冷や汗をかいていた。

 あ、当たっててよかった~~~~~!

 ゲームでわかってるツヴァイの家族構成は、両親と弟と末の妹。それだけ考えれば末の妹は『三番目《ドライ》』だ。でも、彼らには単純にその数え方が当てはめることはできない。

 なぜなら、ツヴァイの名前が彼らの言葉で『二番目《ツヴァイ》』だから。

 物語には出てこないけど、姉か兄か、一番目と呼ばれる子供が彼の前に生まれていたのだ。だとすると、末の妹は上から数えて四番目《フィーア》になるはず。

 

 自分たちの手駒を唐突に無力化されて、暗殺者たちに動揺が走る。

 そのチャンスを見逃す私たちじゃなかった。

 

 ジェイドが目くらましの煙幕を発生させ、私たちは走り出す。

 

「お嬢、こいつどうなってんだよ!」

 

 ネコミミの女の子を抱えて走りながらディッツが言う。

 

「服従の呪いがかかってるの! ディッツは呪いに詳しいんでしょ? なんとかして!」

「いきなり無茶ぶりすんな! やれることはやるけど!」

 

 そう言ったかと思うと、ディッツは走りながら女の子に何かを飲ませる。

 

「何やったのよ」

「超強力な眠りの呪いをかけた」

「何やってんのよ!」

「大丈夫だって、服従の呪いより強いからどんな命令うけても起きねえよ。完全に治すのはあとでやればいい」

「あとがあればの話ですけどね!」

 

 先頭を走っていた兄様が、手をあげて足を止めた。たたらを踏みそうになりながら、私たちも慌てて立ち止まる。

 

 木々の間から明かりが見えた。

 私たちが目指す先に、松明を持つ騎士たちがいる。彼らは悠然と馬に乗り、私たちが森から出てくるのを待ち構えていた。

 

「坊ちゃま、お嬢様、出て来てください」

 

 そう呼びかけるのは騎士隊長のターレスだ。

 主君の子供たちが見知らぬ者と一緒にいるというのに、騎士たちは冷静に私たちを見つめていた。心配する気配も、迷う気配もない。

 彼らはフランごと、私たちを獲物と捉えていた。

 

「ここはお出かけには向いておりません、お城に帰りましょう?」

 

 ことさら優し気な声が響いた。騎士たちの間から仕立てのよい執事服を着た男が前に出る。

 

「クライヴ……」

 

 有能にして最悪な執事、クライヴもまたこの場にやってきていた。

 

 

 



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裏切りの執事

 木々の間に隠れていても無駄、と判断した私たちはゆっくりと彼らの前に出た。

 

「王都にいるはずのお前がどうしてここに?」

「親切な部下から、領内に不審者が入り込んだと報告を受けましてね。心配になって城に戻ってきたのですよ」

 

 クライヴはフランを見て大仰にため息をつく。

 

「戻ってきて正解でしたね。槍を携え、魔法使いと結託する者など放置しておけませんから」

「要はスパイからフランが逃げ込んだって聞いて、慌てて帰ってきたってことでしょ」

 

 私が指摘すると、クライヴはぴくりと眉を震わせる。

 

「領内にスパイなどいませんよ」

「じゃあ、あれはどう説明するのよ」

 

 ざざ、と音をたてて私たちの後ろから黒装束の男たちが出てきた。

 

「ああ、あれは私の古い友人です。怪しい者ではありません」

 

 獣人連れた黒装束集団のどこが怪しくないというのか。

 まあ、これだけ関係をべらべら喋る、ってことはここにいる騎士は皆クライヴに取り込まれてしまっているんだろう。下手したら全員アギト国民かもしれない。

 

「坊ちゃま、その不審者をこちらに引き渡してください。無用な争いはしたくありません」

 

 どっちにしろ殺す気のくせに。

 彼らの秘密を知った私たちを生かしておくわけがない。

 全員皆殺しにして、その罪をフランとディッツになすりつけてお終いだ。

 そんなことにさせたくない。でも、正直なところほぼ手詰まりだった。

 

 馬はない、人手もない。

 フランは足を怪我しているし、気絶したままの女の子だって抱えている。

 どう考えても、ここを切り抜けるのは無理だ。

 

 でも、諦めない。

 私たちは誰ひとりとして、こんなところで死ねない。

 

 考えろ。

 最後まで足掻くために。

 

「ねえクライヴ、私と手を組まない?」

「ほう?」

「このまま私たちを殺しちゃったらどうなると思う? 跡取のいなくなったハルバード家は求心力を失うわ。ばらばらになった侯爵家じゃ、甘い汁を吸えなくなっちゃうわよ?」

 

 実際、ゲームでは兄がいなくなったとたんハルバード家は傾く。

 クライヴならその未来が予測できるはずだ。

 

「それにね、この槍を持ってるお兄さん、ミセリコルデ宰相の息子さんにとーってもよく似てるの。城の地下に監禁して、うまく使えば身代金が稼げるわよ。後ろの黒服の人たちも、それを望んでるんじゃないの?」

「なかなか魅力的なご提案ですね」

「私、将来商売上手な奥様になりたいの」

「ですが、お断りです」

 

 執事はきっぱりと拒絶した。

 

「最近のお嬢様は、妙に小賢しくていらっしゃる。下手に話に乗れば、寝首をかかれるのはこちらでしょう。正体を隠すためなら、少々の損は致し方ありません」

 

 何度も思ってることだけど、有能な執事が敵に回ると本当に面倒だな!

 

 キレてる私の隣で、兄様がジェイドに目配せした。

 

「行けるか?」

「はい!」

 

 何かするつもりだ。その気配にターレスが敏感に反応する。

 

「坊ちゃまを止めろ!」

「遅い!」

 

 兄様が手を頭上に上げると、空から大量の雨粒が落ちて来た。騎士も、暗殺者も、私たち以外が全員水浸しになっていく。

 

「なんだ……水魔法?」

「濡れただけだぞ?」

「ジェイド、やれ!」

 

 兄様の命令と同時に、ジェイドが水たまりに手をあてる。そして、フルパワーで雷魔法を発動した。

 

「ぎゃああああああっ!」

 

 突然の衝撃に、騎士も馬もパニックになってのたうち回る。

 兄様が作り出した雨水のせいで通電しやすくなってたところに、ダイレクトに雷魔法を喰らったのだ。しかも、魔法を発動したのは私の何十倍もの魔力を持つジェイドだからたまらない。

 

「このスキに逃げるぞ!」

「待てっ」

 

 走り出そうとした私たちの前に、ターレスの巨体が立ちはだかった。

 雷魔法を喰らったはずの彼は、平然と剣を構えている。よく見ると、彼の取り巻きらしい兵も何人かは無事で、私たちに武器を向けている。

 

「くっ……」

 

 私たちは、その場でにらみ合った。

 

 

 



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裏切りの騎士

「少しは頭が回るようだが、まだまだ場数が足りませんなあ、坊ちゃま」

 

 ターレスはゆっくりを剣をこちらに向ける。

 

「何かある、と感じて雨をすべてはじいて正解でした。いやはや、こんな怪しげな魔法、どこで習ってきたんですか」

「妹の思い付きだよ」

 

 兄様が答えると、ターレスはちょっと目を見開いたあと、大笑いした。

 

「はははっ、クソガキお嬢様がそんなこと考えるわけないでしょう! この状況でまだ嘘をつくとはね!」

 

 嘘じゃないぞー!

 雷魔法は私が考えたんだからね!

 ジェイドのほうが使うのうまいけど!

 

「今生の別れになるのが残念です」

 

 ターレスと部下たちが走り出した。

 私も加勢しようとして……いきなりフランに放り投げられた。そのまま、獣人の女の子を抱えるディッツに突っ込む。

 

「守ってろ!」

 

 フランは叫びながら槍をターレスに振り下ろした。

 ぎぃん、と嫌な音をたてて、フランとターレスが切り結ぶ。

 

 ちょっとー!

 どういうことよ! 私だってちょっとくらいは戦えるんだけど?

 

「お嬢、おとなしくしてな」

 

 いつかの時のように、女の子ごと全力で抱きしめられる。その手は簡単には外せそうになかった。

 

「いくら魔法が使える、っていってもお嬢は11の子供だ。それに、どんな命も失くしたくない、っていう気質は殺し合いには向いてねえ」

「それは……そうだけど!」

「騎士が一番に守るべきは、お姫様だろう?」

 

 おとなしく守られておけ。

 

 ディッツの言うことは、わかりすぎるくらいわかっていた。

 私に戦闘は向いてない。

 誰も傷つけたくないし、どんなヒトの命も奪うのは怖い。

 でも、だからといって傷だらけで戦う彼らの背中をただ見るしかできないのは嫌だ!

 

 ターレスの部下たちは、兄とジェイドを分断する作戦のようだった。さっきはうまくかわしたけど、また同じ攻撃をくらってはたまらないから。

 ふたりは善戦しているけど、雷魔法で大きく体力を使ったせいで、徐々に疲れを見せ始めている。

 

 フランもまた、ピンチだった。

 ターレスの剣を槍でさばき、魔法も使いながら戦っているけど、ここぞという時に力負けしてしまっている。

 

「ふん……お前、右足を怪我しているな? 踏ん張りが足りないぞ」

「うるさい」

 

 フランが剣をかわした瞬間、ターレスは右足を蹴りつけてきた。うめき声をあげて、フランが片膝をつく。上から振り下ろされた剣を、フランは間一髪のところで槍ではじく。しかし、ターレスの猛攻はフランに体勢を整える隙を与えてはくれなかった。

 

「フラン!」

 

 嫌だ。

 こんなのは駄目だ。

 私は世界を救いたい。兄様も、ジェイドも、ディッツも、フランも、大切な人全部守って、みんなで楽しく暮らしたいんだ。

 こんなところで死なせたくない。

 

「いい加減にしなさいよ、馬鹿ぁぁっ!」

 

 私は腹立ちまぎれに、ポケットの中に入っていた閃光手榴弾《スタングレネード》をターレスに投げつけた。一瞬できた隙を使って、フランはなんとか間合いを取る。

 でも、それがフランの限界だった。

 

 かろうじて槍を構えているものの、あちこち血を流すその姿はぼろぼろだ。立っているだけでやっとなんだろう。

 それがわかっているのか、ターレスはにやにやと笑いながら、ことさらゆっくりとフランに近づいてきた。

 

「は……ひとりで逃げればまだ勝算があっただろうに。こんなクソガキかばってご苦労なことですな」

「俺はこいつを守ると決めたんだ。見捨てられるか」

「へえ? まさかアンタそういう趣味? お貴族様の感覚はわからんねえ。まあ奥様に似て綺麗な顔はしてるがね」

「黙れ」

「お前を殺したあと、俺がたっぷり可愛がってやるよ!」

 

 ターレスが大きく剣を振りかぶる。

 ガキンという金属がぶつかりあう音が森に響いた。

 

 

 



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本物の騎士

 ターレスの剣は、フランに振り下ろされることはなかった。

 いや、振り下ろされはした。でも、その直前で何者かがその切っ先を叩き切ったのだ。

 

「誰が、何だって?」

 

 戦場に涼やかな声が響いた。

 争っていたはずの騎士たちも、思わず手を止めてその声の主を見る。

 

「誰がなんだって? 言ってみろ、ターレス」

「だ、旦那、様……っ」

 

 そこには、ユリウス・ハルバード侯爵が静かに立っていた。だらりと降ろしたその手には、ぼんやりと赤く光を放つ炎の魔法剣が握られている。

 単に剣を持って立っているだけ。それなのに誰よりも恐ろしい。

 

「ターレス、それからお前たち。死にたくなければ今すぐ剣を下ろせ」

 

 父様に睨まれた騎士たちは、次々に手から武器を落とした。あまりの恐怖に、戦う気すら失せてしまったらしい。

 

「うわああああああっ!」

 

 いや、ただひとりターレスだけが懐に差していた短剣を持って襲い掛かった。父様は表情一つ変えることなく剣を振るい、ターレスの短剣を斬って捨てた。ついでとばかりに腹に膝を入れ、あっさり気絶させてしまう。

 

「もう向かってくる者はいないな? ……ジェイド、全員に縄をかけろ」

「わ、わかりました!」

 

 ジェイドがあわてて動き出す。ディッツも一緒に走っていったから、手伝ってくれるつもりなんだろう。ひとりでこの人数を拘束するのは大変だ。

 

「お父様! どうしてここに?」

「どうしてって……お前が手紙を出したんだろう。『最近変な男の子に好きだって付きまとわれて困ってるの』って」

「出した……けど」

 

 私が出したのは、なんというか、小学校で困った男子がいるのーくらいのノリの手紙だ。執事なら一笑に付して片付けてしまうような幼稚な内容。

 そんな子供の他愛もないお話を真に受けて、領地に飛んで帰ってくるのはお父様くらいだよ?

 

「城に戻ってきたら、至急の用件ができたとかで先に戻ったはずのクライヴはいないし、騎士団は誘拐されたお前たちを探しに出たというし……」

「それで追いかけてきたの?」

 

 こく、と頷く父様。

 変な手紙をもらって領地に帰ってきたら子供の誘拐騒ぎだもん。そりゃびっくりして飛び出すよね。

 

「街道を馬で走っていたら、ちょうどこの辺りから異様な音と光がしてな」

「派手に大立ち回りをしていましたからね」

「それに、以前リリィが屋敷で爆発させたあれ……スタングレネードだったか、あれによく似た音がしたから、ここだと思って来たんだ」

 

 苦し紛れの閃光手榴弾だったけど、役に立ってくれたらしい。

 私たち兄妹の無事を確認して、ほっと笑顔になった父様はくるりとフランの方を向いた。

 

「それで、リリィにつきまとっているのはお前か?」

 

 父様の目がフランを捉える。

 そこにはターレスに向けたのと同じレベルの殺意が宿っていた。

 やばい、マジで『娘に変な虫がついた!』って思ってる!

 

「ち、違うの、それは誤解! フランはむしろ命がけで私を守ってくれたの!」

「そうか?」

「うん、大事なお友達なの! 殺しちゃ駄目!」

「……」

 

 いい意味でも悪い意味でも、権力に無頓着な父様は、娘に害ありと思ったら宰相家を敵に回してでもフランを殺しかねない。

 せっかく守り通したのに、こんなところで死なせるわけにはいかない!

 

「傷つけたら、お父様とは口きいてあげない!」

「……………………わかった」

 

 ようやく父様は剣を鞘にしまった。

 最強騎士心臓に悪い。

 

「父様、細かい話はあとで話します。まずは、この事態の収拾をつけないと」

「そうだな。ターレスにクライヴに……ハルバードの主要メンバーが裏切り者とは、大変なことになったな……」

 

 私たちは、累々と転がる暗殺者と騎士たちを見て重い溜息をついた。

 

 

 

 



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後始末までが遠足です

 クライヴたちスパイを拘束して、城に戻ってから一週間後。

 私たちは地獄を味わっていた。

 

「兄様、朝渡されたぶんの書類は処理できたわよ」

 

 私は執務机に向かって仕事をしている兄様の目の前に書類を置いた。顔をあげた兄様はすぐ脇に重ねておいた書類の束を私に渡す。

 

「ありがとう、次はこっちをやってくれるかな?」

「……お祭りの協賛金ね。企画の精査もしておいたほうがいい?」

 

 私からの提案に、兄様はほっとしたような苦笑いを浮かべる。

 

「お願い。最終チェックはこっちでやるから」

「はーい」

 

 私の用件が終わると、今度は父様だ。

 

「アルヴィン、この予算計画書だが……」

「それはもうチェックが終わってるので、父様はサインさえしていただければ結構です。終わったら練兵場のほうをお願いできますか」

「わかった。後は頼む」

 

 父様は自分のデスクに戻ると、必要な箇所にサインをする。終わると同時に、騎士たちをまとめる仕事へと足早に向かっていった。

 その後ろ姿を見送っていると、別のデスクで作業をしていたフランが手を上げる。

 

「アルヴィン、騎士団運営費の補正予算案ができたぞ。そっちに……」

「ああ、先輩は立たなくていいですよ。まだ足が治りきってないんですから」

「私が運んであげるわ」

 

 私は席を立つと、フランの作った書類を兄様のデスクまで運ぶ。

 治りかけの状態で森を走り回った上、ターレスに足を蹴られたフランはいまだに松葉づえ生活を送っていた。城に戻って改めて検査したら、くっついたはずの骨にヒビが入ってたんだよねえ。フランの足は災難続きだ。

 

「しかし……部外者の俺が予算案策定にまで関わっていいんだろうか」

「しょうがないじゃない、人手が足りないんだから! 生きてるなら部外者だって使うわよ」

「クライヴとターレスに加えて、彼らの息のかかった使用人や騎士もまとめて地下牢送りになりましたからねえ」

「多いとは思ってたけど、まさか城勤めのスタッフの半分近くがいなくなるとは思わなかったわ……」

 

 おかげで、広いハルバード城は人が減ってがらんとしている。

 ……地下牢だけは罪人がすし詰め状態でぱんぱんだけど。

 

「もう少し穏便に人員を入れ替えたかったわね」

「しょうがない、彼らはスパイを引き入れた上に軍を動かし、領主の子供を殺そうとしたんだ。全員捕らえて処分しなくては、領主の面目が立たない」

「わかってるわよ……」

 

 それでも仕事が多くてつらいのは変わらない。

 

「牢に入ってる中で、戻ってこれそうなメンバーっているの?」

 

 獄中の使用人の中には、直接人殺しに関与しなかった者も多い。

 ハルバード領の法に照らし合わせた場合、2~3日の労役ですむ軽犯罪がほとんどだ。

 戻ってきたら手伝わせるのもアリかもしれない。

 

「いや……今回は難しいだろうな。彼らは全員で結託して、外国からのスパイ活動を支援していた。下手に野に放てばハルバード家を始めとしたさまざまな機密情報があちらに流れるだろう。恐らく全員、二度と陽の光を拝むことはないと思うよ」

 

 二度と陽の光を見ない、ということはつまり……やめよう。

 深く考えたらヤバい結論になりそう。

 

 仕事に集中しよう、と書類に目を落としたところで、誰かが執務室のドアをノックした。

 

 

 



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私の専属

「失礼します」

 

 執務室に入ってきたのはジェイドだった。人が少ないせいで、ジェイドも城の中をあちこち飛び回っている。

 

「若様、医局管理者代理をしている師匠から、薬品の発注申請を預かってきました」

「ありがとう。……いやに多いな?」

「それがどうも、投獄中の前医局管理者が薬を着服していたようで……。棚卸してみたら、全然薬品が足りなくなっていたそうです」

「あいつら本当にろくなことしないわね!」

 

 立て直しをする私たちの身にもなってほしい。

 

「わかった。発注は許可するから、至急薬を補充しておいてくれ」

「かしこまりました」

 

 ジェイドが兄様から決裁済みの書類を受け取る。そこで再びドアがノックされた。

 

「失礼します。ランチをお持ちしました」

 

 入って来たのは、小柄な女の子のメイドだった。黒髪に金色の瞳が印象的な女の子で、頭には猫のような三角形のふわふわな耳がついている。メイド服のスカートに隠れて見えないけど、おしりには長いしっぽも生えているはずだ。

 

「ありがとう、フィーア」

 

 彼女はあの日、暗殺者たちから奪ったネコミミ獣人少女だ。

 ディッツに呪いを解いてもらったおかげで、今では完全に自由の身だ。しかし、子供ひとりでは行く当てがない、というので以前言った通り、『うちの子』になってもらうことにした。

 マナーや読み書きはまだまだだけど、良く働いてくれるから助かっている。

 

「食べながら仕事するから、適当にデスクに置いておいてくれるかな?」

「わかりました」

「あ、ボクも手伝うよ」

 

 ジェイドは書類を一旦置くと、フィーアと一緒にお茶をいれ始めた。

 くりくりの黒髪の美少年と、黒いネコミミ美少女メイドが並んで給仕……!

 なんて絵になる、そしてなんてかわいい光景なの!

 ブラボー! 誰かこのスチルスクショして! SSDに永久保存するから!!

 

「ご主人様……?」

 

 私にお茶を運びながらフィーアが首をかしげる。

 うーん、困った顔もかわいい。美少女とネコミミのコラボ最高か。

 

「リリィの奇行は今更だ」

「フランは黙ってて! あ、そうそう」

 

 私はドレスのポケットを探った。フィーアに会ったら渡そうと思ってたものがあるのよね。

 

「何ですか?」

「約束のプレゼントだよ」

 

 私が出したのは、赤いリボンだった。

 

「前に言ったでしょ、とっておきのリボンをあげるって」

「でも……あれは猫の姿の時の話ですし」

「約束は約束よ。黒髪に金の瞳だから赤い色が似あうと思うのよね。それに、私の専属メイド、っていう目印にもなるでしょ?」

「わ、私がご主人様の専属?」

 

 フィーアの目がまん丸になった。

 

「おお、お嬢様、本気ですか?」

 

 フィーア以上に驚いたらしいジェイドが声をあげた。

 

「そろそろ女の子の側近が欲しかったのよねー。ジェイドひとりじゃ、着替えの手伝いとか困るじゃない?」

「ううぅ……それはそうですけどぉ……」

 

 使える人材はとにかく使う!

 それが今のハルバード家のモットーです!

 

「フィーアもそれでいいわよね?」

「はいっ、精一杯ご主人様にお仕えします!」

 

 こくこく、と頷くフィーアの首元にリボンをつけて、リボンタイ風にする。

 うん、私の見立ては間違ってなかった。

 赤いリボンのフィーア、めちゃくちゃかわいい。

 

「……元暗殺者なら護衛としても優秀になるかもしれないね。いい配置かもしれない」

「本人は単純に気に入ったメイドを側に置きたいだけのようだがな」

「兄様もフランも、余計なコメントはいりませんー」

 

 むう、と頬を膨らませたところで、三度ドアがノックされた。

 今度入ってきたのは、年かさのメイドのひとりだ。

 

「若様、お嬢様、お客様がいらっしゃいました」

「客?」

 

 誰だろ?

 

 

 



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お客様

 練兵場にいた父様と合流して応接室に入ると、そこにはブラウンの髪をしたおじさまと、同じ色の髪の上品な女性がいた。

 

 彼らは、私たちと一緒に入ってきたフランを見ると、一斉に駆け寄ってくる。

 

「フラン……!」

「よく……生きて……」

 

 フランに触れるふたりの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 

「父上……姉上……どうしてふたりともわざわざ……」

「行方不明の弟が見つかったのよ、駆け付けるに決まってるでしょ」

 

 上品な女性、多分フランのお姉さんのマリアンヌさんは、そのままぎゅうっとフランを抱きしめた。フランは一瞬、眉間に皺を寄せたけど、すぐに姉の背中に手を回した。

 ちょっと恥ずかしい、って思ったけど、お姉さんをなだめるのが先、って判断した顔だなーあれは。

 

「それにしても到着が早すぎませんか」

「ハルバード家から早馬の知らせを受けて、すぐに馬車を走らせたからな。……とにかく、生きたお前の顔が見れてよかった」

 

 おじさま、つまりミセリコルデ宰相閣下もほっと息をつく。

 

「お忙しいのに……お手を煩わせてしまいました」

「謝るような話じゃないだろう」

 

 ふたりを見てると、どっちも本気でフランの生還を喜んでくれているのが伝わってくる。

 ほらねー、やっぱりフランはいらない子なんかじゃないんだよー。

 にこにこしながら3人を見守ってたら、フランがこっちを見て、嫌そうに眉間に皺を寄せた。なんでだ。

 

「……ハルバード侯爵、ありがとうございます。息子の命を救っていただいたこと、感謝してもしきれません」

 

 息子の顔を見て落ち着いた宰相閣下は、父様に向き直ると深々と頭を下げた。

 

「いえ、私は偶然部下を止めただけですから。礼なら何日もご子息を匿い続けた息子と娘にしてあげてください」

「ほう?」

 

 父様の武勇で事件を解決したと思っていたんだろう。宰相閣下は驚いて私たち兄妹を見た。

 

「父上、感謝はまずそちらのリリアーナ嬢に。暗殺者に襲われて崖から落ちた俺を、彼女が危険を顧みず助けてくれなければ、そこで死んでいました」

「えっ」

 

 いや、確かに助けろって命令したのは私だけど、救命処置をしたのはディッツだよ?

 あとそれから離れでフランを守ってたのは兄様もジェイドも一緒なんだけど。

 

「ふふ、かわいらしい上に勇敢なのね。なんて素敵なレディなのかしら」

 

 マリアンヌさんが目をキラキラと輝かせて私を見る。

 その上、宰相閣下は正式な騎士の礼を私に贈ってきた。

 

「息子の命を救ってくれたこと、感謝します」

 

 ええええええええ、ちょっと待って!

 こんな目上の人に礼をされるなんてどうしたらいいかわかんないんだけど!

 えっと、淑女の礼? 淑女の礼で返せばいい?

 ああああこんな時に限って、マナーに精通してるメイドも、母様も側にいないし!

 

「も、もったいないお言葉です。私は当然のことをしたまでですから」

 

 淑女の礼を返すと、宰相閣下とマリアンヌさんはにっこりとほほえんだ。

 た、多分これで正解なのよね?

 

 ふっと顔をあげたら、フランと兄様が笑いをこらえているのが見えた。

 面白がるなあああああ!

 ふたりとも、あとで見てなさいよ!

 

「人の命を助けるのは当然、と言いつつも、実行に移せる者は少ない。君はとても立派なレディだ。……お礼に何かプレゼントさせてくれないかな?」

 

 え、プレゼント?

 いいの? 本当に?

 いいって言ったら本当におねだりしちゃうよ?

 周りを見回すと、父様も兄様も、ついでにフランも「いいよいいよ」って顔をしている。

 ……ミセリコルデ宰相家はめちゃくちゃ大きな家だし、ちょっとくらい大きなものをお願いしてもいいよね?

 よ、よーし、おねだりしちゃうぞー?

 

「じゃあ、人が欲しいです! 有能な人材を紹介してください!」

「……は?」

 

 宰相閣下は鳩が豆鉄砲をくらったような顔になった。

 ぶは、とフランが耐えきれずに吹き出す。

 

 なんだよー!

 今一番必要なのは、人でしょー?!

 

 



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悪役令嬢がほしいもの

「なるほど……そういうことか」

 

 私に『人が欲しい!』と主張され、混乱した宰相閣下に説明すること小一時間。スパイの一斉検挙で大変なことになっているハルバード家の現状をやっと理解してもらうことができた。

 

「だからって、いきなり人材紹介しろはないだろ、リリィ……。もうちょっと令嬢らしいことは言えなかったのか」

 

 兄様は額に手を当ててため息をつく。

 

「だって、おしゃれにしろ、趣味にしろ、領地が混乱してちゃ楽しめないじゃない」

「それはそうだが……」

「いや、自分の楽しみよりまず領民を想う、良いことじゃないか。ハルバード侯、良いお嬢さんを持ちましたな」

「自慢の娘です」

 

 娘を誉められて、父様がにこりとほほ笑む。

 

「そういう事情なら、私どもの持つコネクションをフルに活用して、ハルバード家に必要な人材を全て揃えて差し上げましょう」

 

 全部? すごい、宰相閣下太っ腹!

 私は単純に喜んだけど、それを聞いた兄様と父様が腰を浮かせた。

 

「いえ、そこまでしていただくわけには……!」

「あまりにも人数が多すぎます」

 

 んー、息子を助けたお礼といっても、さすがにもらいすぎってことなのかな?

 本気で人を補充しようと思ったら、10人や20人じゃきかないもんね。宰相家でも、それだけ人をかき集めるのは一苦労だと思うし。

 

 でも、宰相閣下は平然としている。見かねてフランが口を開いた。

 

「父上、ハルバード侯は腹芸の通じる方ではありません。下心があるなら、正直に話したほうが早いですよ」

「お前にはお見通しか」

 

 息子につっこまれて、宰相閣下は笑い出す。

 

「……下心、とは何でしょう」

 

 隠された意図がある、と明言されて、さすがのおっとり父様も身構える。宰相閣下は、いえいえ、と手を振った。

 

「お互いに利のある提案ですよ。必要な人材はこちらで揃えます、その代わりハルバード侯、王国騎士団第一師団長になってはいただけないでしょうか」

 

 父様が第一師団長?

 なんでそんな話になってんの?

 今度はハルバード家のメンバーがぽかんとする番だ。

 

「……第一師団長マクガイアが汚職に手を染めていた、という話はご存知ですか」

「噂には聞いていましたが、事実だったんですか」

「ええ。つい一週間ほど前に告発したところです」

 

 フランが襲われる原因になった事件だよね。

 

「現在マクガイアは拘束され、関わった者たちと共に処刑されることが決まっています。……ここで問題になったのが、後任人事です」

「イーサン・グレイシア卿を推す予定だったのでは?」

 

 フランが不思議そうに口をはさむ。

 グレイシア卿は知らないけど、私も首をかしげる。宰相閣下ほどの人が、後任人事も考えずに師団長のクビを切るわけないもんね。

 

「彼は死んだよ」

 

 宰相閣下は、彼が何故死んだのかは語らなかった。

 でもそれだけでおおよその事情は伝わる。地位に固執するマクガイアのことだもん、自分の後釜候補が誰か知ったら、殺しにかかるよね。

 

「私はできるだけ早く、決してアギト国に屈しない強い騎士を第一師団長に推薦しなくてはなりません。ハルバード侯、あなたほど適した人材はいない」

 

 こっちの苦境を助ける代わりに師団長職を引き受けてほしい、ってことか。

 悪い話じゃないと思うけど?

 

 しかし、父様は首を振った。

 

「それは……無理です」

 

 

 

 

 



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せめて一年

「現在のハルバードは、執事と騎士団の隊長を失って混乱しています。こんな状況で第一師団長と侯爵業のふたつを同時にこなすのは不可能です」

「侯爵の領主としてのお仕事に必要な人材は私が用意します。事務的な作業は彼らに任せればいい」

「優秀な部下がいるから、と任せた結果がこの惨状です。領地の立て直しは、ハルバードの者が采配しなければ、領民は納得しないでしょう」

 

 うーん。

 父様の意見は正論だ。領地の立て直しは、失態を犯した侯爵本人が責任持ってやらなくちゃダメ、っていうのはわかる。

 でも父様はクライヴにお願いしないとダメなくらい、領地経営下手じゃん……。

 宰相閣下に素直に甘えたほうがいい気もするんだよなあ。

 

「父様の第一師団長就任が、あと1年先ならまだやりようはあるんですけどね」

 

 兄様がため息をつきながら言う。

 

「一年後、って何かあるの?」

「俺が学園を卒業できる。領主として跡を継ぐ資格が得られれば、すぐ領地を引き受けることができるだろう」

 

 そういえば兄様は学園の2年生だった。今はもう学年の終わりの時期だから、あと1年通えば、卒業だ。

 

「アルヴィンにいきなり領地を任せるのは早くないか……?」

「ついさっきまで、執務室で仕事を回していたのは兄様じゃない」

 

 ぶっちゃけ、今の時点でもう既に兄様のほうが上手に仕事をこなしている。卒業後すぐに代替わりしても、全然問題ないと思う。

 

「アルヴィンが卒業するまでの間、どうするかだな……」

 

 ハルバード侯爵位は世襲制なので、兄様が父様の跡を継ぐのはほぼ決定事項だ。それでも、王国の領主として最低限クリアしておかなければならない資格というものがある。それが、『王立学園の卒業資格』だ。

 どんなに他が優秀であっても、学園を卒業していない者は貴族社会で一人前と認めてもらえない。だから、領主になるなら必ず学園で卒業までのカリキュラムをこなさないといけないんだよね。

 

 一瞬、兄様に留年してもらうことも考えたけど、それもダメだ。ストーカー騒動の時と違って、父様の騎士団長職は10年単位で続く可能性がある。その間ずっと留年しっぱなしというわけにはいかない。最後には卒業しないと。

 

 マクガイアが告発されてしまった今、すぐにでも次の第一師団長を決めなくちゃいけない。

 兄様が領主になるためには、あと1年学園に通わなくちゃいけない。

 

 あとちょっとで解決できそうなのに、あとちょっとで解決できない。

 私たちは、みんなそろって頭を抱えてしまった。

 

「何かないかなあ……」

 

 ふと顔をあげると、フランと目があった。

 彼は何故かじーっと私を見ている。

 

「何?」

 

 フランは私の言葉に答えず、にいっと口の端を吊り上げた。

 おい、なんだその悪い笑顔は。

 すっごく嫌な予感がするんだけど?

 

「父上、ハルバード侯爵、俺からひとつ提案があります」

「何か思いついたのか?」

「アルヴィンが学園を卒業するまでの間、リリアーナ嬢を領主代理にしましょう」

「えええええええええええ?!」

 

 思わず、令嬢らしくない叫びが口から飛び出した。

 何言ってくれてんの?!

 

 



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気が付いたら外堀が埋まってた件について

「フラン……? いくらリリアーナ嬢が優秀といっても、まだ子供だぞ?」

 

 宰相閣下が顔を引きつらせながら言った。

 マリアンヌさんや父様も同じように困惑した顔になっている。

 そうだそうだー!

 私は11歳の女の子だぞー!

 

「俺は無茶を言った覚えはありません。彼女なら可能です」

「確かに……リリィならできなくはない、か」

「兄様?!」

 

 なんで兄様まで納得してるのー!

 

「ハルバード家で起こった執事の汚職事件、証拠集めをしたのは他ならない、リリアーナ嬢だ」

「私は検算してただけだよ! 細かい分析は兄様とフランの担当だったじゃない」

「だが、そのおかげでここ10年の金の流れは把握しているだろう」

「……ざっくりとしかわかんないよ?」

「まずはそれだけ理解していれば十分だ」

 

 どこがどう充分なのさああああ……。

 

「それに、毎日『タイソウ』と称して使用人の顔を見に来るお前は、彼らに信頼されている。お前が城に残るならついてくる者は多いだろう」

「ええ……そうなの……?」

 

 国民的ラジオな体操はほぼ趣味でやってたんだけど……。

 

「頭の回転は悪くない、業務も把握できている、その上使用人に慕われるハルバードのご令嬢だ。永続的には無理でも、一時的な領主代行ならこなせるんじゃないか」

「ちょっと待ってよ!」

 

 私はフランに向かって身を乗り出した。

 

「うちの使用人は私についてくるかもしれないけど、新しい人材のほうはどうするの。さすがに、女の子が上司じゃ来てくれないと思うわよ」

「その点は成人ずみの補佐官を置けば解決できるだろう」

「そんな人材、どこにいるのよ?」

 

 フランは真顔で自分自身を指さした。

 

「ここに。俺がお前の補佐について、ハルバードに残ろう」

「え」

「父上がこれから集めてくるのは、宰相家ゆかりの者たちだ。息子の俺が間に入れば、摩擦を最小限に抑えることができるだろう」

 

 確かにフランは優秀だ。

 その仕事ぶりは、ここ何日も見て来たからよくわかる。

 勘弁してよぉぉぉ……フランのサポートつきなら領地の仕事が回せそう、とか思っちゃうじゃん……。

 

「なんでそこまでしてくれるの……」

「言っただろう、お前が足掻くのなら、どんな手段であっても、俺が手助けしてやると」

 

 言ってたけど!

 てっきり、あの場限りの台詞だと思ってたよ!

 まだ有効だなんて思わないじゃん!!!

 

 どうにも返事できなくて、私は苦し紛れに宰相閣下とマリアンヌさんを見た。

 

「宰相閣下はいいんですか? やっと再会した息子さんなのに、一緒に帰らなくて……」

「命を救ったご令嬢のために息子が決めたことなら、構いません」

「あまり反対する理由もないものね」

 

 いいのかよ!

 それでいいのか宰相家!!

 フランが跡取じゃないからって、進路の自由度高すぎない?

 

「リリィはそれでいいのか?」

 

 父様が私に尋ねた。

 多分、父様は私が本気で「嫌だ!」って言ったら、何があっても許してくれる。

 第一師団が壊滅しようが、兄様が学園を卒業できなかろうが、好きにさせるだろう。

 でもだからこそ、甘えちゃいけない時もある。

 

「……いいわ。領主代理、やってみる」

 

 父様も兄様も、領民も使用人も、誰ひとり見捨てるわけにはいかないから。

 

「ただしフラン! あなただけは馬車馬のようにこき使うから、覚悟しててよね!」

「ああ、望むところだ」

 

 こうして、私は11歳でハルバードの領主代理になった。

 

 

 



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悪役令嬢の新たな日常

「フラン、こっちの書類終わったわよー」

 

 11歳の女の子を領主代理に任命する、っていう無茶ぶりから三か月後。私はハルバード城の執務室で必死に仕事をこなしていた。

 父様と兄様はもうこの城にはいない。ミセリコルデ宰相とともに、騒動の後始末を付けるために王都に行ってしまった。今、この城にいるのは私と、補佐官として残されたフランだけだ。

 

「上申書の承認は完了、経理は担当の者に明日処理させればいいから……今日の業務はこれで終わりだな」

「やったあ~~……」

 

 フランの業務終了宣言を受けた私は、羽ペンを放り出して机につっぷした。

 

「や、やっと寝られる……」

「よく頑張ったな」

 

 私の行儀の悪さを咎めるでもなく、フランが頭をなでてくれる。されるがままになでなでを堪能しながら私はぼやいた。

 

「しょうがないじゃない……フランも使用人も、みんな頑張ってくれてるのに一人だけさぼれないもん……」

 

 ハルバードを守るため、私がたったひとりで城に残ることになった、と聞いた古参の使用人たちは、お嬢様をお守りせねば! とびっくりするくらい奮起してくれた。その熱意は新しくやってきた使用人にも伝わったらしく、来る人来る人「なんてけなげなお嬢様だ!」と熱心に働いてくれる。

 熱は熱を呼び……今やハルバード城は働き者の巣窟である。

 そんな中で、神輿に担がれている私が『疲れたから休みたい』なんておいそれと口にできない。

 

「だが、過密スケジュールは今日で終わりだ。人材がそろって、余裕のあるシフトが組めるようになったからな。使用人たちでできる仕事を、わざわざお前がやる必要はない」

「……ってことは、朝イチの計算地獄はナシ?」

「なしだ」

「ランチしながらの経理チェックもナシ?」

「なしだ。それから、食事休憩の時間はちゃんと確保する」

「夜……もっと早く寝ていい? 毎日」

「起床時間も1時間遅れていい」

「やったあああああ………」

 

 宰相閣下、人を送ってくれてありがとう!

 やっと人間らしい生活ができるよ!!

 余裕のある暮らしバンザイ!

 

 領地の運営がヤバいときに、つらいとか言ってられないのはわかってるけど、根性論で仕事をこなすのはブラック企業のやることだ。短期的にはなんとか回っても、長期的には破綻する。

 今はやる気になってくれてる使用人たちの熱も、いつか冷める。

 その前にまともな運営体制を整えることができてよかった。

 

「頑張ったご褒美に、明日は丸一日オフにしておいた。好きなようにごろごろしていていいぞ」

「マジで?! あああああ……絶対朝寝坊してやるぅぅ……」

 

 まだ机に上半身を投げ出したまま、うなっている私のところに、ふわんといい匂いがただよってきた。

 おや……? これはもしかして、私の大好物のジャム入り焼き菓子では……?

 

「もうひとつのご褒美だ。焼き菓子とお茶で打ち上げしないか?」

「する!」

 

 執務中の休憩場所として使っているソファセットのテーブルに、フランがお菓子を並べてくれる。私は嬉々としてソファに座ると、早速お菓子に手を伸ばした。

 夜中のお菓子が体に悪いのはわかってるけど、お仕事頑張った今日くらいはいいよね?

 

 お菓子をかじっていると、目の前にフランのいれたお茶が置かれる。

 ジェイドのいれたお茶もいいけど、フランのお茶もおいしいんだよね。

 

「おいしい……」

「喜んでいるようで何よりだ」

 

 フランは苦笑しながら私の隣に座る。彼も優雅な手つきでお茶を口に運んだ。

 

「私にお休みくれるのはいいけどさ、フランもちゃんと休んでよ? 補佐官のあなたが倒れても、仕事が回らないんだからね」

 

 凡人の私と違って、本物の有能補佐官フランは、私の十倍以上の仕事を抱えている。当然、仕事時間も多いわけで。彼は私以上に寝てないはずだ。

 

「ちゃんと体調管理はしている。……が、気持ちは受け取っておこう」

「そういう事言う人が、ある日突然倒れたりするんだからね」

「使用人のこともそうだが、お前はずいぶん優しい気遣いをするな」

 

 フランが珍しく口もとを緩ませる。

 こらぁああああ! 普段悪の黒幕みたいな笑いしかしない奴が、いきなりデレるな!

 どう反応していいかわかんなくなるだろ!

 

「ひ、人として当然のことよ!」

「とても、あのお茶会で会った少女と同一人物とは思えないな」

「は」

 

 今、なんて言った?

 

「お前はお茶会で反省した、と言っていたが、俺はまだ納得していない」

 

 ぎし、とソファが鳴った。

 隣に座っていたフランが、いつの間にかティーカップを置いて、その手で私をソファに囲い込んだからだ。

 壁ドンならぬ、ソファドンだ。

 

「リリアーナ、お前の行動が変わったのは、それだけか?」

 

 あれ?

 なんだこのデジャブ!!!

 

 

 



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萌えシチュ?何それおいしいの

「な、なんの話かなー……」

 

 私はフランから目をそらして、そこから逃げ出そうとした。

 しかし、彼の長い腕が進行方向を遮っていて、それを許してくれない。

 誰か呼ぼうにも、ジェイドを含めた使用人たちはとうに寝ている時間帯。父様も兄様も遠くはなれた王都だ。

 こいつめ、普通に言ったら私が逃げると思って、わざわざこの時間帯、しかも囲い込みやすいソファに私を座らせてから話を振ったな?

 理詰めで退路を塞ぐ策略家なんて大嫌いだ!

 壁ドンとかソファドンとかって、乙女ちっくなシチュじゃなかったっけ?

 なんで地獄の門番に尋問されてるような気分にならなきゃいけないの。

 マジで怖いんだけど!

 

「リリィ、教えてくれ。お前に何があった」

「知らないっ」

 

 どうしようもなくて、ソファに顔を埋めた私の耳に、フランがため息をつくのが聞こえてきた。

 あれ……結構落ち込んでる感じ……?

 なんで?

 追い詰めてるのそっちだよね。

 

「……前にも言ったが、俺はお前を追い詰める気はない」

「ソファドンまでしといて?」

「どん……? まあいい。俺はお前の力になりたいんだ」

「……力?」

 

 顔をあげると、フランは複雑そうな顔で私を見ていた。いつも冷静な彼らしくない、困り顔だ。

 

「お前には、大きな秘密があるんだろう。おそらく今の俺からでは想像もつかない内容だ。しかしそれは……お前ひとりでどうにかなるものなのか?」

「……え?」

「俺にはどうも、お前がその秘密を抱えきれずに無理をしているように見えてな」

「あ……」

 

 フランの指摘は正しい。

 実際、私は獣人に関する情報を持っていたのに、うまく扱いきれずに危機を呼び込んだ。

 父様が助けてくれたらよかったものの、私たちだけでは全滅していただろう。

 私ひとりじゃ世界は救えない。

 

「俺はお前を助けたい。だから、その秘密を俺に分けてくれないか? 何かしたいことがあるなら、その方法を一緒に考えよう。お前が足掻くなら、どんなことでも手助けしてやるから」

 

 フランの目は真剣そのものだった。

 心から、私のことを心配してくれている。私が行く道を一緒に歩こうとしてくれている。

 それは何よりも嬉しい気持ちだった。

 

「……なんで、そこまでしてくれるの」

「命を救ってくれた恩人を助けたいと思うのは、おかしいか?」

「おかしく、ないけど」

 

 じわりと目頭が熱くなる。

 子供みたいに泣いてしまいそうだった。

 

 フランの気持ちは嬉しい。

 魔王みたいな顔をしてるけど、本当はすごく優しくて誠実な人だ。

 彼が味方になってくれたら、こんなに心強いことはない。彼と一緒ならどんな敵とだって戦えそうな気がする。

 でも、私が戦う相手は世界だ。

 宰相となったフランが、その運命に屈して死んでいく姿を何度も見た。

 彼を私の運命に巻き込んでいいとは思えない。

 

「だ、ダメ。やっぱダメ」

 

 私はぐいぐいとフランの胸を押した。

 右足が折れてる時だったら、少しはバランスを崩してくれたかもしれない。でも、リハビリして鍛え直している騎士の体はびくともしない。

 

「秘密を漏らす恐れがある、というなら魔術契約でも何でも使って縛ればいい。俺はお前を裏切る気はない」

「そういうことじゃなくて」

「能力的な不安か? お前よりは作戦立案が得意だと思うぞ?」

「そういう意味でもなくて。……あの、すごく危険だから」

「まあ、会った時に死にかけていたから、戦闘力に不安があるのはわかるが……」

「フランに槍を持たせたら強いのは知ってるって。私が言ってるのはそういう危険だけじゃなくて、もっと大きなものだよ」

 

 私はフランの青い瞳を睨む。

 

「フラン、あなたに王様の首をすげ替える手伝いができる?」

 

 

 

 



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王様の首をすげ替えろ

「王の首をすげ替える? どういう意味だ」

「言ったままよ。私はやらなくちゃいけないことがある。でもその目的を達成するためには、王室の解体……最低でも現国王夫妻を排除する必要があるの。王子様が国に残るかどうかは、彼の行動次第ね」

 

 世界救済のために、今の腐った王室は邪魔でしかない。

 今は大きな実力差があるけど、いつかは退けなければいけない相手だ。こんな大それたことに、フランを巻き込むわけにはいかない。

 

 でも……フランはそれを聞くと、大きく息を吐いて肩を落とした。

 

「なんだ、そんなことか……」

「そんなことって、どういうことよ! 勝手に王様の進退語ってるんだよ? だいぶ頭がヤバいこと言ってるって思わないわけ?」

「国王夫妻の可及的速やかな退位と、王子への権限移譲は宰相家と大臣たちの間では決定事項だ。現在、まともな貴族は王子の成長を待ちながら、王妃を排除するタイミングを見計らっている」

「……え」

「国の行く末を妙に知っているお前が、それを言い出したところで、特に驚きはしないな」

 

 そういえば、フランの実家は宰相家。つまり国王のすぐそばで国に関わる政治のスペシャリスト集団だった。

 彼らがあの横暴王妃と影の薄すぎる王を見て、何とも思わないわけないか……。

 

「宰相家が、何故『とどめの剣《ミセリコルデ》』の名前を冠していると思っている。失道した王に引導を渡すのもまた、ミセリコルデの役割だ」

「怖ぁ……。王政っていっても、王様が最高の絶対権力者ってわけじゃないのね」

「お前は妙なところで世間知らずだな……強力なカリスマがトップに立てば国は安定するが、逆にトップが狂えば国全体が病む。国を蝕む愚かな王を廃して国をまともに運用するのは、国政に携わる高位貴族の仕事だ」

「そういうものなんだ……」

 

 なんか、ファンタジー世界の王様って、国の権力を全部牛耳ってるもんだと思ってたわ。

 

「考えてもみろ、建国王と聖女の血筋とはいえ、王族も所詮人間だ。長い歴史の中ではどうしたって能力的に君主たりえない者も出る。その時に道を正すシステムがなければ、国という大きな組織を長く続けることはできないぞ」

 

 さすが国を支える宰相家で育った男。政治に対する視点が違う。

 正直、どうやって王様たちを引退させたらいいかあんまりいいアイデアがなかった私より、ずっと堅実に状況を見据えているみたいだ。

 

「それで?」

 

 ぎし、ともう一度ソファが鳴った。

 フランが私に顔を寄せる。

 

 近い近い近い!

 見た目11歳でも、情緒は18歳なんだから、もうちょっと手加減して!

 

「世間知らずのお前が、何故無謀にも王室排除を目標にする? 説明してもらえるんだろうな?」

「う……」

 

 フランには、もう私の事情に巻き込まれる覚悟がある。

 これ以上、抗いきれない。

 

「いいけど……何を聞いても絶対に、嘘だとか妄想だとか言わないでよね?」

 

 私は全てを洗いざらいぶちまけることにした。

 



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建国神話

「……ふむ、そうか」

 

 深夜、フランに問い詰められた私は、全ての事情を彼に打ち明けた。

 最初の約束通り、私が何を話しても否定することなく聞いていたフランは、ゆっくりと頷く。

 

「つまり、話を要約すると……お前は世界を救うために運命の女神が異世界から遣わした神子、ということか?」

「すっごく簡単にまとめるとそうなるわね」

 

 なんか、そこだけ聞くと自分が大層な存在っぽく聞こえるけど。

 ただし『悪役令嬢』という単語自体はさらりと流された。理解不能な概念だったみたいだ。

 

「お前の言動が年の割に大人びているのは、異界で18歳まで生きた記憶があるから。異常に世界情勢や家の事情に精通しているのは、聖女の視点で未来を垣間見たからであり、予言が記された書物を持っているから。……で、あってるか?」

「だいたいそれでいいと思う」

 

 というか、私の要領を得ない説明でここまで把握できるってすごいな。

 さすが王立学園主席卒業生。理解力がハンパない。

 

「異界の魂を受け入れたというのなら、いきなり人格が変わったことに説明はつくが……。今のお前はひとつの体にふたつの魂が入っている状態だろう。元々のリリアーナとしての意識はどうなってるんだ?」

「うーん、どっちも私、って感じ? リリィとして考えてる時もあるし、小夜子として考える時もあるけど、どれも自分の中の一面って印象だなー。ほら、人間の意識って多面体だし」

「……はあ」

「リリアーナ自身が積極的に今の状況を受け入れてる、ってとこも大きいかな? そのままワガママ放題に育てられてたら、王妃様に利用されたあげくに、王子様との婚約も破棄されて家ごと滅亡するだけだったから」

 

 素敵な淑女になって、幸せに生きたいっていう、最終目標は一緒だからね。

 

「ふむ、お前が納得しているのなら、それでいいのか」

 

 そう言ってフランはまた少し沈黙する。

 眉間に皺が寄ってるから、まだ何かひっかかるところがあるっぽい。

 

「その……ゲームとやらがよくわからないのだが……世界を救う方法を幾通りもシミュレーションをするのはわかるとしても、何故わざわざ恋愛をする必要が?」

「それは聖女の力の根源が、恋だからよ」

「……建国神話にも似たような話があったな」

「あれに書かれてる伝説は、ほぼ事実よ」

 

 設定の裏を知っている私は断言する。

 

「聖女様は建国王に恋をした。そして、彼を救いたいという愛の力で7人の勇士の力を束ねて厄災を封じたの」

「まるで現実味のない話だから、てっきりおとぎ話だと思っていたが」

「事実は小説より奇なり、ってやつね。でも……」

「わかっている、お前の語る言葉を否定する気はない。……少し受け入れがたかっただけだ」

 

 それ、疑ってるって言わない? とは思ったけど言わないでおいた。

 荒唐無稽な話を疑いつつも、受け入れた上で結論を出そうとする態度は十分誠実だ。

 まあ……生まれた時から聞かされてるおとぎ話が、ほぼ事実と言われたら困るよね。

 私も桃太郎が事実、とか言われたら何それって思うし。

 

「私たちにとって、この伝説が他人事じゃないのが困るところなのよね」

「ああ、ハルバードもミセリコルデも、聖女に力を貸した勇士の家系だからな」

 

 世界を滅ぼす厄災と戦ったのは聖女と建国王だけではない。伝説には彼らに協力した勇士7人の名前が記されている。厄災を封じたあと、国を開いた建国王に勇士たちは臣下として仕えた。ハルバード、ミセリコルデ、クレイモア、カトラス、モーニングスター、ランス、ダガー。武器の名前を冠する7家はいずれも勇士たちの末裔なのである。

 

「ゲームの目的は、聖女の恋を支援し勇士7家を守ること。ということはつまりこの先に待ち受けているのは……」

「厄災の復活よ」

 

 

 



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世界救済同盟

「私と聖女が15歳になる4年後、王都に大きな地震が起きるの」

 

 私は未来で必ず起こる、最も重要な出来事を伝えた。

 

「その地震自体はすぐにおさまるわ。でも、それが原因で王城の地下深くで厄災を封じている聖女の力が弱くなってしまうの」

「弱くなるだけか?」

「元がすごく強力な封印だからね、ちょっとヒビが入ったくらいじゃ壊れないわ。でも、厄災にとってはそれで充分。ゆっくりと月日をかけて削っていって、さらに3年後に封印が完全に解き放たれてしまうのよ」

 

 それを聞いて、フランの眉間にきゅっと皺が寄る。

 

「もし伝説が事実なら、大災害になるな……」

「世界は普通に滅ぶと思うわ。でも、厄災に対抗する力も同時に生まれるの」

「それが聖女だな」

「ええ。私の目標は伝説の再現。聖女が勇士をまとめて世界を救うための、お膳立てをすることよ」

 

 フランは首をかしげる。

 

「お前自身が世界を救うんじゃないのか?」

「厄災を封じるのはあくまで聖女の仕事。ただの悪役令嬢が恋をしても、厄災を封じるような力は出ないもの」

「……努力しておいて、最後の最後は人任せか? だったら最初から聖女に生まれていればいいような気がするが」

「それじゃ手遅れになっちゃうからねえ」

「地震から封印が破られるまでには、3年の猶予があると言ってなかったか?」

「ううん、そっちは大丈夫。手遅れになるのは勇士候補のほう」

 

 フランは目を瞬かせる。まだ少しぴんときてないみたいだ。

 

「んー、ゲームの通りの歴史だと、マクガイアの事件で宰相閣下もマリアンヌさんも死んでたのよね」

「なに」

 

 フランがぎょっとして顔をあげる。

 まあまあ、そんなことにはならなかったんだから、いいじゃない。

 

「有能な宰相閣下と跡取が死んだあと、分解しかかった家を支えるためにフランが無理やり宰相になるんだけど……そんな状況で聖女に『世界を救う手助けをしてください!』って言われて、参加する余裕あると思う?」

「ないな」

「ハルバード家も似たような感じで、ゲーム通りなら私は王子様の婚約者として王宮をひっかきまわしてるし、父様と母様はマシュマロボディでのほほんとクライヴに操られたまま、家嫌いになった兄様はアギト国に亡命しちゃうの」

「それはなかなかの悪夢だな……」

「他の7家も同じよ。それぞれ問題を抱えてて、世界救済どころじゃないの」

「同じも何も……ダガー家は随分前に断絶してなかったか?」

 

 そういえばそんな家もあったな。

 まあそれはそれで別のフォローを考えるとして。

 

「で、事前に悲劇を食い止めるために、ハルバード家の令嬢になったわけ」

「あらかじめ対策するために子供時代から介入する、という意図はわかるが……やはり聖女以外になる必要性が見えてこないな。聖女としても幼少期から活動できるのは変わらないと思うが」

「今の聖女の家は地方の貧乏貴族だからねえ。15歳で王立学園に入学するまでは、領地から出ることすらできないもん。そんな状況で侯爵家や宰相家の悲劇を止めるのは無理でしょ」

 

 私の意見を大人が聞いてくれるのは、名門ハルバード侯爵家のお嬢様だからだ。

 平等の意識のないこの世界では名門お金持ちのお嬢様、という肩書ほどチートな武器はない。

 

「……そういうことか」

 

 ふう、とフランがため息をつく。

 いろいろ話して疲れた私もティーカップを持つ。お茶はすっかり冷えてたけど、今はそのほうが心地よかった。

 

「だいたい秘密は話したつもりだけど、フランはどうする? 一緒に世界を変える? それともやっぱりやめておく?」

 

 私はもう一度フランに尋ねた。

 覚悟はあるって言ってたけど、こんなトンデモ話を聞いたあとで、同じ思いでいられるかどうか、わかんないもんね。

 

「俺がこの話から降りるわけがないだろうが。……むしろ、内容を聞いてますます放っておけなくなった」

「え? どこが?」

「こんな国家レベルの問題を、お前みたいな普通の子供がひとりでどうにかできるわけがないだろうが! 今回はうまくいったからいいものの、このまま突っ走ってたらいつか絶対失敗して死ぬぞ!」

「や……でも、メイ姉ちゃんはいけるって言ってたし……」

「世界を救う才能のない神の言うことを鵜呑みにするな」

 

 あーそれ神への冒涜っていうんだからねー!

 正論だと思うけど!

 

 はあ、と大きくため息をついてからフランは私に手を差し出した。

 

「これからは、俺が味方になる。ひとりで何かする前に俺に相談してくれ」

「世界を救う相棒だね」

 

 私はその手を握り返す。

 

「改めて約束しよう。お前が足掻く限り、俺はどんな手段であっても協力する」

「うん! 一緒に頑張ろうね!」

 

 正直な気持ちを言うと、世界を救うなんて大それたことをひとりで抱えるのは苦しかった。フランみたいに頼りになるひとと秘密を共有できるのは嬉しい。

 そう思った瞬間、ぽろぽろと涙がこぼれ始めた。

 

「あ……あれ?」

「なに? 嫌……だったか?」

「ううん、違うの。フランが味方なんだって、ほっとしたら急に涙が出てきて……」

「無理のしすぎだ」

 

 フランがハンカチを私の顔にあててくれる。

 

「お前は、自分で思っている以上に気を張っていたんだろう」

「そっか……」

 

 無理をしている。

 それを知った瞬間から、ずしりと体が重くなる。

 よしよしと頭をなでるフランの手が気持ちよかった。

 

 これからはひとりじゃない。

 そう思うだけでじんわりと体があたたかくなってくる。

 

 こんなに頼りになる相棒ができたんだから大丈夫。

 きっと世界は救える。

 そのためには、まずハルバード領を安定させて他の7家と協力できるようにしなくちゃ。来年の兄様卒業後にはすぐに動けるよう準備しておこう。

 

 

 気合をいれていた私は、その時全く予想していなかった。

 まさか、兄様が王立学園を卒業するまでに3年もかかるなんて……。

 

 

 

 

 




 ということで、フラン編もとい、悪役令嬢領地暗躍編終了です。

 区切りのいいところなので、毎日更新を一旦休止します。
 休止の理由は、毎日更新できるだけの原稿を書くのに疲れたのと、次話以降のプロットがまだ完成していないことです。(7割はできてる、できてますが)

 ちょくちょく気まぐれに外伝的な話を投稿しつつプロットをねりねりします。

 次回更新は9月6日を予定しています。
「リリアーナお嬢様13歳、海辺のバカンス&お見合い編」お楽しみに!!


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閑話:宰相家の肖像(フランドール視点)

「失礼します」

 

 ハルバード城で父と姉と再会したその日の夜、俺は父たちが宿泊している客室を訪ねた。松葉づえをつきながら中に入ると、ちょうどくつろいでいたふたりが腰を浮かせる。

 

「改めてお話する時間が、遅くなってしまって申し訳ありません」

「いい、気にするな。リリアーナ嬢の補佐官になったんだ、仕事が多いのは当然だ」

 

 父にすすめられて、ふたりと同じテーブルに座る。

 

「その件についても、謝罪を。せっかく迎えに来ていただいたというのに、ここに残ると勝手に決めてしまいました」

 

 そう言うと、姉はクスクスと笑い出した。

 

「気にしなくていいのに」

「いえ、父上の意志を聞かずに決めたのは本当ですし」

「だから、許すんじゃない」

「……は?」

「あなた、本当に気付いてないのねぇ」

「何が……ですか?」

 

 姉の言葉の意味がわからない。どう答えればいいかわからず沈黙していると、父が大仰にため息をついた。

 

「初めてだ」

「だから何がですか、父上」

「私の意向でもなく、マリアンヌの意向でもなく、お前自身の意志として、何かをやりたいと言い出したのは今回が初めてだ。自立しようとする息子を親が受け入れる、当然の話だろう」

「……そうでしたか?」

 

 自分も成人した身だ。己の身の振り方はそれなりに自分で考えてきたつもりだ。しかし、言われてみれば、その判断基準は常に家族の利益になるかどうか、だった気がする。

 

「あなたは頭がいいぶん、なんでも先読みして、なんでも先に諦めてしまうから、心配していたの。よかったわ、あなたが自分で選ぶ道ができて」

「そう思わせたのが、あのご令嬢というのは意外だったが」

「ふふ、5年後が楽しみねえ」

「父上……姉上も。アレはそういうんじゃありませんよ」

「そうなの?」

 

 姉はわざとらしくきょとんとした顔になる。全く、この人は。

 

「俺が彼女に手を貸すのは、人としてそうあるべきと思ったから……いわば正義感のようなものです。誰だって、子供が崖にむかって全力で走っていくのを見たら止めるでしょう」

 

 何もかも諦めようとしていた俺をすくいあげた恩人だとは思っているが、さすがに11歳の子供をどうこうしようと思わない。

 

「あくまで騎士道の範囲、と言いたいわけね」

「とはいえ、このカタブツの心を動かしたのは事実だ。お前の言う友情が長く続くことを願うよ」

「そのつもりです」

「……こんなことになるなら、リリアーナ嬢とフランの縁談を無理やりにでもまとめておけばよかったかしら」

「何の話ですか?!」

 

 あの爆弾娘との縁談だと?

 どんな拷問だ!

 

「そんな話初耳です!」

「当然よ。言ってなかったもの」

「去年のお茶会で大暴れしたリリアーナ嬢を、主催の王妃様がいたく気に入ってな。王子の婚約者にしないか、という話が持ち上がったのだ。ハルバードが王妃側に回るのは、宰相家にとって非常に都合が悪い。代わりにフランはどうかと打診していたんだ。結局、どちらも断られて話自体が流れてしまったが」

「リリアーナ嬢が『本人が花束持って結婚を申し込んでくるんじゃないと嫌だ』って言ったんですって。かわいいわよね」

「なるほど、そういう事情でしたか」

 

 多分、あのリリアーナがそのセリフを口にしたのなら、言葉通りの意図ではない。おそらく、王家と宰相家の権力闘争に巻き込まれることを恐れて、両方の縁談から逃げたのだろう。

 

「ですが、結婚する本人に一言も相談なしに縁談を進めないでください。万が一リリアーナ嬢が婚約を承諾していたらどうしたんです」

「普通に結婚させてたわよ? 家の利益になる縁談と言えば、あなたは断らないもの」

「それは……」

 

 俺は姉の言葉を否定できなかった。

 自分は、姉の影として育った。不必要に生まれて来てしまった側室の子として、立場をわきまえ、優秀でありつつも目立たず奢らず、宰相家の道具であり続ける。それが自分に求められている生き方だと信じていた。

 あの頃の自分なら、きっと30歳年上の女でも、10歳の幼女でも、文句ひとつ言わずに従ったに違いない。

 

 だが、生死の境をさまよい、常識はずれの女の子に振り回されたことで、俺の中に意志が産まれた。守りたいと思う存在ができた。

 今の自分は、頭越しの縁談をそのまま受け入れることはできないだろう。

 

「安心して。今のあなたに縁談を押し付けたりしないわ」

 

 姉がほほえむ。

 今までの自分なら、そう言われれば『自分は縁談の道具としても価値がないのか』と傷ついていただろう。だが、父と姉が自分を愛している、と確信が持てた今は別の解釈ができる。

 

「それは、無関心だからではない……俺が姉上の家族だから、ですよね」

「わかってきたじゃない。そうよ、私は勝手なことをしてあなたに嫌われたくないの」

 

 姉は嬉しそうに笑い出す。

 

「フラン、私はお前を跡取にしない、と決めた。だがそれはお前が無価値だからではない。お前はマリアンヌと同じ、私の大事な子供だ。家を背負わないぶん、お前は身軽だ。宰相家だ王家だという価値観にとらわれず、好きな道を選んでいい」

「ありがとうございます……父上。これからは自分の意志の赴くまま進んでみようと思います」

 

 父に背中を叩かれ、姉に微笑みを向けられる。

 つい数か月前までは、家族とこんな風に暖かな時間を持てるとは思っていなかった。

 こんなに意識を変えることができたのは、あの少女のおかげだろう。

 命、意志、家族。

 彼女が俺にもたらしたものは、多すぎて数えきれない。

 その礼はこれからの働きでひとつひとつ返していかなければ。

 

「あ、縁談は強要しないけど、あなたの恋愛を期待しないわけじゃないのよ?」

「え」

「今は確かにつり合いが取れないように見えるけど、7年たてば状況は変わるわ。25歳と18歳なんて、結構見かける歳の差よね」

「だから姉上、邪推はやめてください! 嫌いになりますよ!」

 

 俺は悲鳴をあげた。




 宰相家のあととりとして育てられたマリアンヌさんは結構いい性格しています。父と娘は中身がそっくり親子。

 ミセリコルデ家は、父、姉、弟、後妻の4人家族。後妻であるフランの母が子供ふたりを育てたため、姉マリアンヌも実の母のように慕っています。しかし、後妻の負い目からフランの母はふたりを明確に区別して育て、フランに姉より目立たないよう徹底的に教育しました。(身分差のある世界なので、フラン母の育て方は常識の範囲内。むしろ分け隔てなく育てるほうがヤバい)ちなみにフラン母はフランが10歳の時に病死。
 母の指導を素直に真面目に受け取ったフランは、優秀ではあるものの意志の乏しい青年に育ちました。下手なことを命令するとだいたい従うので、父も姉もうかつなことが言えず、家族間に溝が生じていた感じです。

 フランをリリィと結婚させようとしたのも、一見横暴そうに見えますが、フランの立場だと侯爵家の令嬢を嫁に迎えて後ろ盾を作るのは、逆玉の輿に近い状態なので、親心が結構入ってます。



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閑話:不都合な現実(ジェイド視点)

「ジェイド! やっと見つけた!」

 

 唐突に袖を引っ張られて、ボクはその場に立ち止まった。抱えていた書類を危うく落としそうになって、慌てて持ち直す。これはお嬢様にお渡しする大事な書類だ。城の廊下にばらまいて、汚してしまうわけにはいかない。

 振り向くと、そこには赤いリボンをつけたメイド服の女の子が立っていた。真っ黒な髪の頭には、猫のようなふわふわの耳がついている。ついこの間から同僚になった獣人少女だ。

 

「何、フィーア」

 

 ボクはじろりとフィーアを睨みつけた。フィーアも金色の瞳で睨み返してくる。

 

「何、じゃないっての! あんた侍女長様からの呼び出しをずっと無視してるでしょ。同じご主人様専属ってことで、呼んでくるよう指示されたの。さっさと行ってくれる?」

「じゃあ侍女長様に伝えておいて、今は仕事が忙しくて、そちらにお伺いする時間がありません、って」

 

 クライヴのスパイ事件のせいで人が減った今のハルバード城は、とても混乱している。ミセリコルデ宰相閣下のはからいで、徐々に人が増えてはいるけど、人の受け入れに仕事の調整に、と仕事は後から後から湧いてくる。ボクも、お嬢様の腹心の部下として普通の従者ではあり得ない量の仕事を抱えていた。

 だから、侍女長様の事務的な呼び出しに構っている余裕はない、という返事は嘘じゃない。

 

「そう言って、何度も断ってるからアタシにまで声がかかってるんでしょー? ほら、さっさと行く!」

「だから、引っ張るなって!」

 

 フィーアはぐいぐいとボクの服の袖を引っ張る。無茶な扱いをされて、着古したチュニックの布地が悲鳴をあげた。

 

「服が破れたらどうするんだよ」

「そうなる前に、新しいのを作るんじゃない。いいかげん侍女長様に採寸してもらって、大人用の使用人服に着替えたらどうなの」

 

 侍女長様の用件、それはボクの新しい服の手配だ。もうすぐ15歳になるボクに、ふさわしい服を用意してくれるらしい。使用人の成長にあわせて身の回りの品を用意してくれるハルバード家はとてもいい雇い主だ。しかし、ボクは新しい服から逃げ回っていた。

 ボクの様子を見て、フィーアはにんまりと笑う。

 

「まあねえ? 大人用の服に着替えたせいで、かわいくなくなっちゃうのは残念だと思うけどねえ?」

「う、うう、うるさいよ!」

 

 図星をさされて、ボクは思わずどもってしまう。

 だってしょうがないだろ!

 お嬢様がボクを気に入っている理由の大半は『かわいいから』なんだから!

 

 吊りズボンはロマンだとか、ソックスとズボンの間の膝小僧は聖なる領域だとか、正直意味不明の評価だと思うけど、お嬢様はかわいい子供のボクを気に入っている。だから、できるだけ彼女のおきにいりの姿でいようと、常にかわいい姿の研究をしてきた。

 しかし、つい先日ボクの体はボクに残酷な事実を突きつけてきた。

 ボクは男であり、第二次性徴期に入ればかわいくなんていられない、ってことを。

 

 毎日毎日、寝て起きるたびにボクの手足は発芽したての豆よろしくにょきにょき伸びていく。

 自分がどんな男になるのかわからない、というのも恐怖のひとつだ。

 ボクは血のつながった父親の姿を知らない。つまり、大人になった自分の参考モデルがいないのだ。男として生まれた以上、子供のころどれだけかわいかったとしても、成長してむさくるしいおっさんになる可能性がある。それだけは御免こうむりたい。

 

 今着ている見習い使用人服はぱつんぱつんで動きにくい。

 自分でも限界だとわかっているし、馬鹿だとは思っているけど、大人っぽい使用人服に着替えるには抵抗があった。

 

「大人になるのって、そんなに嫌? アタシにはよくわかんないんだけど」

「き、君には一生わかんないだろうね!」

 

 ボクはフィーアを睨む。

 

 女の子はずるい。

 ボクと同じ、お嬢様に『かわいいから』気に入られている存在でも、その姿が大きく変わることはないだろう。ちょっと大人っぽくなったとしても、絶対かわいい。

 

「うう……お嬢様はどうしてこんな性悪を専属にしたんだろう……」

「腹黒従者に言われたくない」

「無作法者」

「臆病者」

「外面女」

「内弁慶」

「あれー? ふたりとも何やってんの?」

「お、お嬢様!」

 

 ふたりでにらみ合っていると、お嬢様がやってきた。仕事を終えて別室に移動するところみたいだ。

 

「こんなところで話してるなんて、仲良くなったみたいでよかったわ」

 

 いいえ、全然仲良くありません!

 

 心の叫びを握りつぶしてボクは笑顔を作る。隣のフィーアも同じように、にっこりとかわいらしく笑った。

 腹のうちはどうあれ、ボクらはふたりともお嬢様に笑顔でいてもらいたいのだ。

 使用人同士の諍いなんて見せられない。

 

「何か相談事? 困ったことがあるなら聞くけど」

「それは……」

「たいしたことないですよ、ご主人様! ジェイドに新しい服を作るって話をしてただけですから!」

「なっ」

 

 言うなよ!

 

「言われてみれば、ジェイドの服はもうぱんぱんね。手足が伸びたせいかしら」

 

 あああああああああ気づかれたああああああああ………。

 

「ふふっ、大きめの服を用意させなくちゃ。ジェイドはきっと190センチくらいまで伸びるから」

「えー……」

 

 ボクの脳天に雷のような衝撃が走った。

 お嬢様が予言めいたことを言い出したときはだいたい当たる。

 190センチ? 大男じゃないか!

 絶対! 全然! かわいくない!

 

「きっとかっこよくなるわよ」

 

 そう言って、お嬢様は嬉しそうに笑った。

 

「ご主人様……ジェイドがかっこよくなっていいの?」

「当たり前じゃない。かわいいジェイドも素敵だけど、かっこよくなったジェイドもいいと思うわよ?」

「……そう、ですか」

 

 急激に体から力が抜けて、膝から崩れ落ちそうになる。

 ボクが悩んでたことって一体。

 

「新しい服のジェイドが楽しみだわ!」

 

 まあ、お嬢様が笑っているならそれでいいか……。

 

 

 

 数日後、ボクはとうとう大人の使用人服に袖を通し、見習い従者から正式な従者に昇格した。




 フランを脅してた話で片鱗を見せてましたが、ジェイドはお嬢と師匠以外には結構辛辣な毒舌キャラだったりします。

 新キャラ猫ちゃんフィーアも、ちょっとタチ悪めの小悪魔キャラだったり。

 まあ、どっちも裏社会に足突っ込んで生きて来たので、純粋無垢な性格なわけもなく。



 ただ、お嬢様が「かわいいねえ、いい子だねえ!」とことあるごとに褒めたおすので、お嬢様の前では性悪な部分は出しません。にこにこ笑顔を見せながら、裏でお互いに足を踏んづけ合いながら働いてます。


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閑話:攻略対象の実際(リリアーナ視点)

「……なるほど、そういうことか」

 

 領地経営の仕事がひと段落ついたあと、私とフランは執務室でゆっくりとお茶を飲んでいた。側近のジェイドも含めて、周囲に控える使用人はいない。今は領主代理と補佐官ふたりだけの、秘密の経営会議中だ。

 

 というのは建前で。

 

「クレイモア領を長く放っておくと、アギト国に侵略されちゃうんだよねー」

 

 攻略本を片手に、世界を救う作戦会議をしていた。

 

「わかった。この件は早めに接触する機会を考えよう」

「重要ポイントはアレル砦ね。補給路を断たれて孤立したシルヴァンを聖女が助けるラブラブイベントがあるの」

「ああ。俺がアギト国の将軍だったら、この砦は真っ先に潰すだろうからな……だが……その……」

 

 フランの眉間に深い皺が刻まれる。

 

「何よ」

「らぶらぶいべんと……とやらの表現はどうにかならないのか?」

「しょうがないじゃない、元が乙女ゲームなんだから!」

 

 聖女の力の源は恋する乙女心だ。

 だから、世界を左右する大事な事件には必ず恋愛イベントがからんでくる。

 戦争だの暗殺だの血なまぐさい話の間に、乙女心をくすぐるきゅんきゅんイベントが入ってくるのはもう仕様なので諦めていただきたい。

 

「だが、どいつもこいつも聖女に惚れていく話ばかり聞いていると、疲れてくるんだ……こいつら、それしかやることがないのか?」

「聖女が乙女ゲームの視点からしか世界を見れないんだからしょうがないじゃない!」

「理屈はわかるんだが……」

「だいたい、他人事みたいに言ってるけど、フランだって攻略対象のひとりなんだからね?」

 

 そう指摘すると、フランの眉間の皺がますます深くなる。

 

「そこが一番腑に落ちない」

 

 さらに、はあと思いっきり深いため息をついた。

 

「ゲームとやらの歴史では、俺はその時点で家族を失ってひとり宰相として政敵と戦っているんだろう? そんな状況で7歳も年下の小娘ひとりに溺れる姿がどうしても想像できない」

「その小娘に救われる話でもあるんだからいいじゃないの」

「……」

 

 そう言うとじろりと睨まれた。

 うわー怖い。

 泣きボクロが色気だけじゃなくて、殺意もマシマシにするなんて、新発見だわー。

 

「自覚がないみたいだけど、フランの恋愛の仕方って結構やばいからね?」

「なに」

「惚れた相手が逃げられないよう、外堀どころか内堀も埋めたあげくにドロドロに執着し倒すタイプだから」

 

 ジェイドが「攻略がめんどくさい男トップ3」なら、フランは「愛が重い男トップ3」である。他の男と協力する姿を見て嫉妬するなんていうのはかわいいほうで、厄災と戦うと聖女の命が危ないから監禁してふたりで世界の終わりを見るとか、聖女に従わない反乱分子を裏で全部暗殺するとか、とんでもないエンディングがいくつも用意されている危険人物だ。

 聖女の瞳に映るのは自分だけでいいとか言い出して、他の攻略対象をひとりひとり排除するエンドとか、ゲームのジャンル間違えたんじゃないかと思ったわ。

 

 普通のゲームだったら「シナリオライター趣味に走りすぎィ!!」とか思うだけで終わるんだけど、この世界にはライターは存在しない。女神の力でありえたかもしれない未来をシミュレートしていただけだ。

 つまり、選ぶ道によっては、この目の前にいるフランが恋人にそういう執着を見せる可能性があるってことだ。

 

「……ほう」

 

 急にフランの声が低くなった。

 

「俺が……恋人に執着するタイプ、か……ドロドロに」

 

 あの……フランさん?

 なんか目つきが余計怖くなったんですけど?

 

「そういえばお前は聖女として俺との疑似恋愛を体験していたんだったな」

「ソ、ソウデスガ、ナニカ?」

 

 どうしてそこで、にじりよってくるんですかー?

 妖しい目で見つめるのもやめてください!

 泣きボクロ効果で色気が増すの、わかっててやってますよねー?

 

 つう、とフランの長い指が私の頬をなぞった。

 

「俺がどんな風に恋をしていたのか、教えてもらおうじゃないか。じっくりと、な……」

 

 お前こういう時に限って魔王の黒オーラ消すなよ!

 めちゃくちゃかっこいい顔で見つめてくるなあああああああ!!!

 

「そ、そういえば! 宰相閣下たちが生きてる時点で、だいぶ性格が変わってるはずだよね! 今のフランとゲームのフランは別人、ってことで!!!」

 

 私は脱兎の勢いで部屋の端っこまで逃げた。

 振り向くと、フランがぶは、と吹き出すところだった。こらえきれなくなったのか、体をくの字に折り曲げてくつくつと笑っている。

 

 お前はあああああああああ!

 

 ゲームの通りの恋愛はしないかもしれないけど、絶対タチ悪いと思うぞ!!

 



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閑話:悪役令嬢はお風呂に入りたい・前編(リリアーナ視点)

「毎日お風呂に入りたい!」

 

 ハルバード城の執務室に集まった面々に向かって、私は主張した。

 

 補佐官フラン、帰省中の兄様、医局引継ぎ中のディッツ、書類整理中のジェイド、お茶をいれている途中のフィーアが、不思議そうに私を見る。

 

「入りたいなら……入ればいいんじゃないのか?」

 

 ややあって、兄様が言う。

 

 確かにそうだね!

 私はこのお城のお嬢様なわけだし?

 メイドに一言命令したら、あっという間に準備が始まって、一時間もすればお風呂に入れてもらえるだろう。

 でも、命令できるからといって、頻繁にやっていいものじゃない。

 

「お風呂の準備ってめちゃくちゃ重労働じゃない。毎日やらせてたら、メイドがかわいそうでしょ」

 

 日本とは風呂文化の違うこのハルバードでは、お風呂の準備は大量の湯沸かしから始まる。大型の竃を利用してはいるものの、何十リットルものお湯を沸かすのは大仕事だ。しかも、準備はそれだけで終わらない。ぐらぐらに沸いたそのお湯を、浴室まで運んで行って、浴槽に満たさなくちゃいけない。しかも放っておいたらすぐに冷めてしまうから、保温に気を付けながら急いで運ぶ必要がある。

 つまり、ものすごい重労働なんである。

 

「だったら、入らなければいいのでは……」

 

 フランが困惑気味に言う。

 

「運動の後は、汗を流したいの!」

「運動すんなっつー意見は野暮か。お嬢は白百合の娘だしなあ」

 

 ぽりぽり、とディッツが無精ひげの生えたアゴをかく。

 

「社交界に出たら、絶対ダンスを披露させられるに決まってるもの。今のうちに練習しておかないと」

 

 ダンスの天才である母様に勝てるとは思っていない。しかし、娘として恥ずかしくないレベルには踊れるようになっておかないといけない。そのためには、子供のころから地道に基礎を学んでおく必要がある。

 

「ダンサーを優雅に見せるのは、何曲踊っても息が切れない鋼の心肺能力と、ブレない体幹よ。毎日のランニングと筋トレが欠かせないのよ」

 

 そして、トレーニングの後には汗を流したい!

 汗くさい侯爵令嬢なんて絶対嫌だ!!

 

「で、どうしたいんだ? メイドに苦労させたくない、運動はしたい、ではただの我儘でしかないが」

 

 フランの言葉に私はうなずく。

 

「要は、メイドに苦労させずに、簡単に入れるお風呂があればいいのよ」

「なるほど、風呂を改善しろというわけか。それもずいぶんな我儘だが」

「ふっふっふ~、今回はちゃーんとアイデアがあるの。見て!」

 

 私は皆の前に一枚の絵を広げた。それを見て、ジェイドが首をかしげる。

 

「えええ……っと、お嬢様……人が、お鍋で煮られてる……?」

「近いわね」

「新手の拷問方法ですか……?」

 

 フィーアもネコミミをぴこぴこさせながら困惑顔だ。

 

「これがお風呂なの! えっと……この鍋っぽいのが、金属でできた浴槽。で、下に竃があって、炎で直接お湯を温めるのよ。それで、中に入る時には、直接熱があたらないよう、底板をしいてその上に乗るの」

 

 私が描いてみせたのは、いわゆる『五右衛門風呂』だ。社会科の教科書で昔ちらっと見たのを、記憶を頼りに書いてみた。猫の妖怪バスに乗ったりする映画では、女の子ひとりで五右衛門風呂をいれていた。多分、今のお風呂よりは楽に用意ができるはずだ。

 

「却下」

 

 しかし、私の補佐官は一言のもとに切り捨てた。

 

「なんでー!!!」

「この構造だと、今の浴室を改造するだけではすまない。少なくとも、城の一階部分に新たに浴室を作る必要がある」

「そ……それも……そうね……」

 

 台所や洗濯場など、大型の竃が必要な設備はだいたい1階にある。それはなぜか。上層階で火事が出たら大変なことになるからだ。

 

「仮に1階部分に浴室部屋を増設したとして、だ。こんな外部から接触しやすい構造の風呂に本気で入る気か? 不審者に侵入してください、と言わんばかりじゃないか」

「警備を強化……したら、本末転倒よね」

 

 メイドの仕事を減らして、警備兵の仕事を増やしたのでは、問題解決にならない。

 

「ううう……お風呂……」

「まあまあリリィ、来月にはメイドや下働きの数も増えるから」

 

 兄様はよしよし、と頭をなでてくれるけど、問題はそこじゃない。

 お風呂の準備が重労働、という点が解決しないと、気兼ねなくお風呂に入れない。

 

「……コストの低い浴室か」

 

 しばらく眉間に皺をよせて考え込んでいたフランがぽつりとつぶやく。

 

「何かアイデアがあるの?」

「そうだな……」

 

 フランは別の紙に何かを書き始めた。

 

 



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閑話:悪役令嬢はお風呂に入りたい・中編(リリアーナ視点)

「確か、浴室にも水道の配管は通っていたな?」

 

 フランが言うと、兄様がこくりと頷いた。

 

「はい。上層階の貯水槽から各フロアのトイレと洗面所、風呂場などに水を供給しています」

 

 へー。

 各フロアに水洗トイレがあって清潔だなあ、って思ってたけど、そんな近代的な設備があったんだ。

 

「それを、二股に分けて……片方の水を供給直前に高火力で温めて注いだらどうだ」

「熱湯と水を浴槽で混ぜるの?」

「水の配管を合流させて、適温の温水を注いでもいい」

 

 フランは紙に一本の線が二股になり、また合流する様子を描いた。別れた片方に、『加熱設備』と書き加える。

 

「問題は加熱方法よね」

 

 当然、竃などは使えない。

 私は魔法使い師弟を見た。

 

「魔法でどうにかならないの、ディッツ、ジェイド」

「コンパクトで高火力っつーと火魔法が一番ラクだな。書いてみろ、ジェイド」

「えええ……っと……」

 

 ジェイドは懐から虹色に光るチョークのようなものを取り出すと、テーブルの上に魔法陣を描き始めた。

 

「単純に考えると……こう……かな?」

 

 描かれた図形を兄様がまじまじと見つめる。

 

「うーん、悪くないけど1点で加熱してしまうと、高熱でパイプが痛みそうだね」

「加熱する箇所を長くするか?」

 

 兄様の意見を聞いて、フランが図を修正する。左右対称だった配管が、加熱設備のある方だけ長くのびた。

 

「そうすると、今度は全体の魔力の消費効率が悪くなりませんか」

「これを使うのは、魔力量の少ないメイドさんたち、ですからね……」

「なら、パイプを折りたたむのはどうだ?」

 

 フランはうねうねとパイプを蛇行させる。それを見て兄様が目を輝かせた。

 

「さすが先輩ですね。折りたたんでしまえば、一か所に魔力を込めるだけで、パイプ全体の水を温められる……すごく効率がいいと思います。曲がったパイプは職人に作らせるとして……ジェイド、この形に合った術式は組める?」

 

 ジェイドは首をかしげながら、テーブルの上の魔法陣を修正した。

 

「えっと……検証が必要、だけど……これを配管に仕込めば、使用者が魔力を通すだけでお湯ができる……と、思います」

「すごい、ジェイド!」

「あ、で、でも! 魔法陣用の塗料は、魔力を通しやすい代わりに落ちやすくて……使うたびに書かないと、うまく動かない、かも」

「それなら、これを使ってみるか」

 

 兄様は急に立ち上がると、自分の荷物から小瓶を取り出した。中にはとろりとした透明な液体が入っている。

 

「最近王都で開発された、定着液だ。魔力を通しやすいのが特性で、利用方法を考えていたところだったんだが……今書いた魔法陣の上に塗れば、崩れなくなるんじゃないか?」

 

 木工工作に使うニスみたいなものかな?

 ぺたぺたとチョークの上から定着液を塗ってみる。文字はにじむこともかすれることもなく、そこに固定された。

 

「少し魔力が消費されるが、蛇口から湯が出るのなら、風呂を入れる手間は大幅に減るだろうな」

「そうね……」

 

 あれ?

 なんか、瞬間湯沸かし器給湯システム的なものができてる……?

 使ってるのは、ガスじゃなくて魔力だけど。

 

 魔法陣を見ながら、私はおずおずと口を開いた。

 

「あのさ……これ、台所と洗濯室にも設置したら、めちゃくちゃ便利になるんじゃ……ないかな?」

「ああ、そういえばそっちも湯を使うな」

 

 フランは配管の図の隣に、台所、洗濯室、と追記する。

 

「……というか、このシステム自体を売りに出したら商売になるんじゃないか?」

 

 兄様は魔法陣をじっと見つめる。それを聞いて、フィーアが肩をすくめた。

 

「それはどうでしょうか、若様」



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閑話:悪役令嬢はお風呂に入りたい・後編(リリアーナ視点)

「曲げた配管に加熱用の魔法陣を取り付けただけなんですよね? この程度の内容なら、売られた瞬間みんな真似して広まっちゃいますよ」

「ああ、構造は単純だからコピーされたら終わってしまうのか」

「兄様、アイデアを守る法律とかないの?」

「商業ギルド内で技術やノウハウを秘匿することはあるが……模倣を取り締まる法はないな」

 

 ヨーロッパ的ファンタジー世界に、特許や著作権という概念はまだないらしい。

 ディッツがにやーり、と笑った。

 

「真似されたくなきゃ、秘密にしろってことだな。じゃあ……こうしたらどうだ」

 

 ジェイドの書いた魔法陣の隣に、複雑怪奇な魔法陣を書き始める。

 

「何コレ」

「ジェイドの魔法陣と同じものだ。どこがどうなってるかわからないよう、暗号化してあるが」

「すごい!」

「魔法使いの世界も、情報の秘匿と模倣の戦いだからなー。配管の途中で加熱するっつーアイデア自体は漏れるだろうが、安全に加熱できる魔法陣のノウハウを秘密にすれば、優位に立てるんじゃねえかな」

「んー、暗号化されてるだけなんですよね? 定着液のおかげで崩れにくいわけですし、私なら、図形を丸ごとコピーして使いますね」

「う」

 

 フィーアの容赦ないツッコミが入って、ディッツがうなる。

 過酷な人生を歩んできたせいか、フィーアはモノの見方がシビアだ。

 

「開発者が許可した場合しか魔法陣が使えないようにするシステムが必要だな」

「利用者を限定するシステムも欲しいですね」

 

 フランと兄様が難しい顔で考え込む。

 活性化と利用者の制限……なんかどこかで聞いたような話だなー。

 

「あ! アクティベーションコードと、ユーザ登録!」

「なんだそれは」

 

 急に叫んだ私を、全員が見た。

 

「えーとね、魔法陣ごとにコードを決めておいて、入力した時だけ利用できるようになるシステムのことよ。ユーザ登録っていうのは、その名前の通り使う人たちを登録するもの、かな?」

 

 コンピューターのOSとか、有償アプリでよく見かける手法だ。

 ソフト全体の利用を開始する時に必要なコードが、アクティベーションコード。権限ごとに利用者を設定するのがユーザ登録。

 

「それだと、アクティベーションコードが漏れた瞬間、全部使えるようになりませんか?」

 

 フィーアが耳をぴくぴくと動かして言う。

 

「だから、魔法陣ごとに別々のコードを設定するの。全部!」

「全部、だと……?」

 

 ディッツが目をむく。

 

「あー……そうなると、毎回作り直しに……いや、コード入力の部分だけ別にしておいて、後から追記できるようにすればいいのか。ユーザの登録も別ユニットにして……」

「ディッツ、できるの?」

「時間があれば……まあ、できなくはない、か?」

「師匠、ボクも手伝おうか?」

「頼む。俺ひとりじゃ無理だ」

「でもそうなると、商売として流通させるには使い勝手が悪くなっちゃいますよねえ」

 

 フィーアが残念そうに言う。

 でも、兄様はそれを聞いてにっこりと笑った。

 

「そうでもないよ。設置工事にメンテナンスとコードの管理、全部まとめたサービス業として商売にすればいい。幸い、初期投資に必要な資金も、人脈もあるから」

 

 さすが名家。

 いざ何かやろうとした時のフットワークが軽い。

 

 それを聞いていたフランが紙に何かメモを書きつけて、兄様に渡した。

 

「湯を多く必要とする高位貴族の屋敷や王宮なら、かなり需要があるだろう。姉上が好きそうな内容だから、王都に戻ったら協力を仰ぐといい」

「ありがとうございます、先輩」

 

 おお……本当に商売が成立してしまった。

 

「天才が集まるとすごいな……」

 

 私がつぶやくと、フランが苦笑する。

 

「何を他人事のように言ってるんだ、お前が発端だろう」

「私は単にお風呂に入りたかっただけよ。事業化まで考えて言ってないもん」

「それでも、リリィのようにワガママを言う者がいなければ、何も始まらない。だからこの事業はお前のおかげだ」

 

 兄様がクスクスと笑う。

 

「そうだ、せっかくだから給湯システム商会の紋章はハルバードと乙女の横顔をモチーフにしよう。リリィの知名度が爆発的に上がるよ」

「それはやめて!」

 

 それ、歴史に「風呂に毎日入りたいとワガママを言った令嬢」って名前が残るやつじゃん!

 絶対嫌ああああああああああ!!!

 

 その後、魔力式給湯システムは貴族を中心に空前のお風呂ブームを巻き起こし、ハルバードに莫大な富をもたらすことになるんだけど……それはまた、別のお話。



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悪役令嬢はバカンスがしたい
悪役令嬢のお誕生日


「リリアーナお嬢様、13歳のお誕生日おめでとうございます!」

 

 使用人たちの元気な声が、ハルバード城のメインホールに響き渡った。

 

「私のためにお祝いしてくれてありがとう。みんな楽しんでね」

 

 いつもより着飾った私は、にっこりと笑ってお礼を言う。使用人たちから歓声があがって、ハルバード城のささやかなパーティーが始まった。

 

「ご主人様、お誕生日おめでとうございます。飲み物をお持ちしましたよ」

 

 赤いリボンをつけたメイド姿の女の子が私にコップを差し出した。真っ黒な髪の頭の上には、猫のようなふわふわの三角の耳がついている。獣人メイドこと、フィーアだ。

 

「ありがとう、フィーア」

 

 カップを受け取ってお礼を言うと、フィーアは金色の目を細めて笑った。

 かわいい、めっちゃかわいい。

 暗殺者集団から解放されて、うちで働き始めてから2年。栄養たっぷりのごはんをしっかり食べて育った彼女は、文句なしの美少女になった。しかも、真面目に頑張ったおかげで、今では読み書きも作法もほぼ完ぺきだ。

 

「お嬢様、シェフ特製のディナーもどうぞ」

 

 今度は従者のジェイドが声をかけてきた。背の高い彼と目をあわせるため、私は顔をあげる。

 この2年で一番見た目が変化したのはジェイドだ。成長期を迎えて毎日のようににょきにょきと背が伸びた彼は、すっかり大人と変わらない背丈になっている。ゲームの通りなら、ここからさらに20センチは伸びるはずだ。私がいろいろ介入したせいで、性格とか人生とかだいぶ変わったけど、DNAに関する部分は変わらないと思うんだよね。

 繊細でかわいかった顔も成長にあわせて変化した。まつ毛が長くて繊細なところは変わらないけど、その後に続くのは『かっこいい』という形容詞だ。

 うん、今日もかっこいいぞ、私の従者!

 

 お気に入りのふたりに、大好物のディナーを給仕してもらって、私は上機嫌で食事する。

 ホールでは明るい顔の使用人たちが、入れ代わり立ち代わり、お祝いの言葉を口にしては、踊ったり歌ったり、と私を喜ばせる余興をしてくれた。

 

 実はこの誕生日パーティー、ハーティアの慣習にはないものだったりする。

 誕生日は家族の祝い事なので、だいたいは親が企画して親戚や友人など縁のある人々を招くのが普通だ。

 でも、現在父様は王都で第一師団長という激務についている。母様も父様のサポートで手一杯。兄様は兄様で、王都の学校に通っているから、全員おいそれハルバード領に帰ってくることはできない。その上、10歳のお茶会デビューで失敗した後、ほぼ領地に引きこもってきた私には、個人的なお友達もいない。

 

 誕生日に領地でひとりぼっちではかわいそう……と、見かねた使用人たちが自発的にパーティーを企画して祝ってくれるようになったのだ。

 

 何この優しい世界。

 

 今年は2回目だからにこにこ笑って参加してるけど、12歳の誕生日を突然祝ってもらった時には、ホールでマジ泣きしたからね?

 めちゃくちゃ使用人の数が多いはずなのに、いい人しかいないってどういうことなの。

 

「リリィ、誕生日おめでとう」

「もう13歳かー、でっかくなったもんだな」

 

 私の補佐官フランと、家庭教師のディッツがそろってやってきた。

 すでに成人しているふたりは、2年がたってもあまり見た目が変わらない。しいていえば、ディッツのちょい悪ぶりが増したくらいかな。

 

「ディッツ、成長を祝うにしても、もっと言いようがないわけ? でかいはないでしょ、でかいは」

「背が伸びたのはいいことじゃねえか」

「女の子にはもっと言うべきことがあるでしょーが」

 

 うちの魔法使いにはデリカシーはないのか。

 

「女性の魅力云々言うにはまだ……な……」

 

 フッ、とフランが鼻で笑った。

 うちの補佐官にもデリカシーはないのか!!!!

 これでも『つるぺた』から『ふっくら』くらいには成長してるんだからね!

 

「ジェイド、ふたりをホールからたたき出して」

「いいのか? そんなことをしたら、プレゼントが受け取れなくなるが」

 

 フランがリボンのついた箱を取り出した。長さ1メートルほどの細長いそれをわざとらしく見せつけてくる。

 

「それちょっとずるくない?」

 

 私が口をとがらせながらも手を出すと、フランはプレゼントを渡してくれた。見た目に反して、その箱はずっしり重い。

 

 何が入ってるんだろ?

 

 

 



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誕生日プレゼント

 フランから手渡されたプレゼントの箱を開けると、そこには一本の杖がおさめられていた。歩行の助けに使うものじゃない、魔法使いが使う魔道具としてのステッキだ。

 黒地に赤い蝶がデザインされていて、とても美しい。

 思わず見とれていると、ディッツが楽し気に笑う。

 

「設計と魔道具の細工は俺とジェイド、外側のデザインは補佐官殿が王都のデザイナーに作らせたもんだ」

「少し大人向けのデザインだが、杖は長く使うものだからな。すぐにお前のほうが杖に追いつくだろう」

「も……もう! わかってるんじゃない!」

 

 くっ……デリカシーがないって思わせたあとにその発言はずるいぞ!

 

 私は箱から杖を取り出して握ってみた。

 見た目は華奢なのに、なぜかずっしり重い。そして、持ち手部分に金属の突起がついていた。うまくデザイン化してるけど、この金属は異質だ。

 

「あ……これって……」

「『こういうの』がほしい、と言っていただろう」

「えええええ、嘘、本当にアレを作ったの? 無理だと思ってたんだけど!」

「でも、お嬢様にとって、必要なものでしょう?」

 

 ジェイドがにっこりと笑う。

 私が杖につけたいと言っていた機能は、はっきり言ってかなり異質だ。

 この世界の技術で実現させるのは簡単じゃなかったと思う。

 普段の仕事だって忙しいはずなのに、こんなプレゼントまで用意してくれるとは、なんてけなげなの。

 

「ジェイドありがとう~!」

「いや、師匠の俺も設計に関わってるんだがな」

「それを言うなら最終的に完成品にしたのは俺だが……普段の行いのせいか」

 

 そう思うんなら少しは改めろよ、このひねくれコンビ。

 誕生日くらい素直に感謝させろ。

 

「大事にするね」

 

 私は杖をぎゅっと抱きしめた。

 

「ふふ、こんなに素敵なパーティーが今年で終わりと思うと、残念だわ」

 

 そう言うと、一瞬ホールが静かになった。

 あれ? なんか変なこと言ったっけ?

 

「お嬢様……そうか……来年は……」

 

 使用人の一人が残念そうにつぶやく。

 

「来年の今ごろは、王立学園を卒業した兄様が正式な領主としてこっちにいる予定よ。その時は兄様の誕生日を祝ってあげて」

 

 そう、私はあくまでも一時的な領主代理。

 兄様が学園を卒業してしまえばお役御免の存在なのだ。

 

 だいたい、誕生日パーティーを2回も開催してるのもおかしいんだよね。

 私が領主代理を引き受けた当初、兄様はあと1年で学園を卒業する予定だったんだもの。

 

 代理期間が伸びたのには、当然理由がある。

 兄様が留年したからだ。

 といっても、学力に問題があったわけでも、さぼっていたわけでもない。優秀な兄様は家族のためにいつでも頑張ってくれている。

 留年したのは、その家族のための選択が原因だ。

 

 いろいろあったから忘れてたけど、兄様は私を守るために『休学して』ハルバード領に来てたんだよねー。

 当然その間の単位はもらえない。

 勉強が得意な人だから、座学だけならすぐに遅れを取り戻せたと思う。

 でも、兄様が通っているのは、戦闘に関わる『騎士科』だ。当然、戦闘訓練とか集団行動とか、実際に同級生と一緒に体を動かさないと単位がもらえない科目がいくつもあって、2年から3年に進級できなかったらしい。

 

 兄様が帰ってこなければ、私も領地を離れられない。

 それで、2年もの間、領主代理の立場に居座ることになってしまったというわけだ。

 

「女の子から、ちゃんとした成人済みの領主に変わるんだから、喜ぶべきところじゃないの?」

「悪徳代官をこらしめるために、わざわざ各地を回って成敗してくれるお嬢様なんて、他にいませんよ」

「それはフランのせいだからね?」

 

 これは領主代理に就任してからわかったことなんだけど、実は領主に代わって各地方を統括する代官の中に不心得者が結構いたんだよね。多分、スパイだったクライヴが南部を腐敗させるためにわざと放置してたんだと思う。財政を立て直してスパイを追い出す、って時に放っておくわけにはいかないから、私とフランで全部検挙して回ったのだ。

 

「俺が作戦をたてたからといっても、実行に移したのはリリィだろう。評価されてしかるべきなんじゃないのか」

「……評価は嬉しいけど、そもそもあんな作戦立てないでよ!」

 

 正体を隠して村に入り込んで、証拠を掴んで一網打尽……って、私はどこの水戸のご老公だ!!!!

 

「お前はとにかく目立つからな。おかげで俺が暗躍しやすくて助かる」

「それ、誉めてないよね?」

「いやいや、心の底から賞賛してるさ」

 

 おいこら腹黒補佐官。

 頭をなでたら、なんでも許すと思うなよ?

 

「失礼します!」

 

 フランの泣きボクロを睨んでいたら、突然ホールのドアが開いた。

 年かさのメイドのひとりが、あわてて駆け込んでくる。

 

「わ、若様がお戻りになりました!」

 

 それを聞いて私とフランは顔を見合わせる。

 

「あれ? 兄様が戻ってくるのってもっと先じゃなかった?」

「今は学園の卒業試験の時期のはずだが……」

 

 なんか嫌な予感がするぞ?

 

 



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留年!

「ごめん、卒業できなかった!」

 

 帰ってくるなり、私とフランを執務室に連れて来た兄様は、開口一番頭を下げて謝った。

 

「え……どういうこと?」

 

 私はその言葉が信じられない。

 兄様は、身内のひいき目ぬきにしても優秀な人だ。真面目に学園に通っていて、卒業できないなんてことあるはずない。

 

「今年は普通に授業を受けてたんじゃないの?」

「ああ。3年の科目は全てA評価以上で単位を取得している」

「……何があった?」

 

 フランに問われて、兄様は大きなため息をつく。

 

「卒業試験が受けられなかったんですよ」

「ええ……?」

 

 私は首をかしげた。

 卒業試験とは、学園の生徒がカリキュラムを修めたことを認めるための試験だ。他の成績がどれだけよくても、この試験におちたら卒業できない。実際、ゲームの中でも試験をすっぽかしたら卒業できなくなって、誰にも聖女と認められずに見捨てられるエンドを見たことがある。

 でも、そんなことになる生徒は例外中の例外だ。

 学園のほうだって、真面目に勉強してきた生徒を見捨てるような真似はしない。

 簡単なおさらい問題を出して、卒業資格を認めて終わりのはずである。

 そして兄様は、とても優秀な人である。

 受けられなかった、とはどういうことか。

 

「リリィは、王宮の派閥争いを知っているか?」

「わかんない」

 

 私はこてんと首を傾けた。

 領地をまとめるので手一杯だった私は、2年以上ハルバードの外に出ていない。

 完全な領地引きこもり令嬢だ。

 ゲームのおかげである程度王宮事情は知ってるけど、宰相閣下が死ななかったり、父様が第一師団長になったりした今、王宮勢力図は記憶と大きくかけ離れているはずだ。

 

「現在、王宮は宰相派と王妃派のふたつで争っている。宰相閣下の推薦をうけて、当主が第一師団長に就任したハルバード家は宰相派の筆頭扱いだ」

「まあそうなるよね」

 

 宰相閣下の息子を長期レンタルしておいて、派閥に入ってない、とは言えない。

 賄賂と不正が大好きな王妃派より、真っ当な政治を目指している宰相閣下のほうが信用できるからいいんだけどさ。

 

「でもそれって、学園に関係ある?」

「大ありだ。学園にはどちらの派閥からも子供が入学してくる。あそこは王宮の縮図のようなものなんだ」

「へー」

 

 私の知る王立学園は、宰相閣下亡きあと王妃派が完全に支配していた。だから、派閥がどーの、という事件は起きてない。

 私は新鮮な気持ちで兄様の言葉を受け止めた。

 これも私の変えた運命の影響なんだろう。

 

「もちろん、この派閥は生徒だけの話じゃない。教職員にも王妃派、宰相派の両方がいる」

「え、もしかして卒業試験が受けられなかったのって、教師のせいだったの?」

「学園長が王妃派なんだ」

 

 あちゃー。

 

 

 



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派閥争い

「元々、宰相派ということで王妃派教師からは有形無形の嫌がらせを受けていたんだ」

 

 はあ、と兄様は疲れたため息をもらした。

 

「まだ子供の俺たちは、教師たちより立場が弱い。父様や宰相閣下より比較的攻撃しやすいということで、余計標的にされたんだろう」

「それでやられっぱなしになる奴じゃないだろう、お前は」

 

 フランに指摘されて兄様は肩をすくめる。

 

「もちろん、対抗しましたよ。派閥内で結束を強め、情報を集めて、時には王妃派にスパイを送りこんだりしてね。OGであるフラン先輩の姉君、マリアンヌ様にも助力していただきました。俺の計画はほとんど成功していたと思います」

 

 行き当たりばったり行動する私と違って、兄様はとても冷静な人だ。

 うぬぼれでもなんでもなく、兄様は派閥争いの中でうまく立ち回っていたんだと思う。

 でもだからこそ疑問が産まれる。

 

 どうして卒業試験が受けられなかったんだろう?

 

「卒業試験の当日、学園長が子飼いの生徒だけを試験会場へと転移させたんだ。他の生徒は置いてきぼりになった」

「えええ、それいいの?」

「学園長の弁明によると、突発的な事象に即応できる力を試すテストだったそうだ」

 

 いやいやいや、そんな無茶な!

 

「必死に学園長の行方を追って、試験会場にたどりついた時には、もう試験が終わっていた。最終的に落第した3年生は8割にのぼる」

「そ、そんなに……?」

「それはさすがに生徒の父兄が黙ってないだろう」

「もちろんみんな抗議しましたよ。うちの両親だけじゃない、宰相閣下も正式に抗議しました。しかし、学園長の支持者がその声を遮った」

「王妃か」

 

 王妃は、まともな政治をする宰相を消したがっている。その上、兄は彼女が大嫌いな白百合の息子だ。彼女は嬉々として嫌がらせをしたんだろう。

 

「彼女が学園長に賛同したことで、卒業試験の結果は覆せなくなった。さらに来年度以降のカリキュラムも変更されることになり、俺たち3年生はまた1から単位を取得しなければならなくなったんだ」

「つまり、兄様が侯爵を継ぐにはもう一度3年生をやらなくちゃいけない、ってこと?」

「ああ、そうだ。すまない、リリィ。元々お前には無茶ばかりさせていたのに、さらにもう一年だなんて……俺が学園長のたくらみに気づいてさえいれば……」

「生徒の8割を切り捨てるような行動、読み切れないわよ」

 

 王立学園は腐っても学校だ。

 派閥を優先して生徒を見捨てるとは誰も思わないだろう。

 

「フラン先輩にも、うちの事情につきあわせてしまって、申し訳ありません……」

 

 ずうん、と音がしそうな勢いで兄様は落ち込んでしまっていた。

 ここまでしおれた兄様を見るのは初めてだ。二度目の留年が相当にショックだったらしい。

 そういえば、兄様がつまづいている姿は見たことがなかったなあ。もしかしたら、大きな挫折は今回が初めてだったのかもしれない。

 

「アルヴィン、顔を上げろ」

 

 パチン、とフランが兄様の目の前で指を鳴らした。はっと兄様が顔をあげる。

 

「起こってしまったものはしょうがない。俺たちはこれからのことを考えるべきだ」

「あ……」

「幸い、リリィの奮闘のおかげで領地は落ち着いている。あと1年持たせるくらいは問題ない」

「しかし……」

「それでも、俺たちに何か償いをしたいというなら……そうだな、お願いをひとつきいてくれないか」

 

 



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願い事ひとつだけ

「お願い、ですか?」

 

 兄様は不思議そうにフランを見る。

 

「なに、そんなに無茶を言うつもりはない。来年も1年間、王都にいるお前にならできることだ」

「わかりました。俺は何をすればいいですか?」

「王立学園を掌握しろ」

 

 はい?

 

 なんか、悪い笑顔の黒幕がとんでもないこと言い出したぞ?

 

「生徒を見捨てる学園長など、百害あって一利なしだ。そんな奴は引きずりおろしてしまえ。ついでに学園から不正を愛する王妃派を一掃すればいい」

「フラン、それは無茶ぶりが過ぎるんじゃないの?」

「俺はそうは思わない。3年生の授業のやり直しなど、こいつにとってはたいした負担ではない。派閥内に少なくない味方がいる上、名門ハルバード家の後ろ盾と財力がある。ミセリコルデ宰相家の権力も利用できるだろう。そこまで材料がそろっていて、できない男じゃない」

 

 いやいやいや、それでも19歳の若造が学園改革するんだよね?

 無理ではないかもしれないけど、絶対大変だよ?

 

「それにこれはリリィ、お前のためでもあるんだぞ」

「どこが?」

「王妃派と宰相派が争ってるような空気の悪い学校に通いたいか?」

「イヤ」

 

 学校全体が学級崩壊してるようなところには通いたくない。

 

「……」

 

 私たちがやり取りする横で、兄様が大きく息を吐いた。それから、ゆっくりと深呼吸をする。

 

「わかりました。フラン先輩のお願い、実現させてみせます。どっちにしろ、学園をどうにかしなければ、卒業資格問題がずっと残りますから」

 

 顔をあげた兄様は、すっきりした表情になっていた。

 今まで落ち込んで暗くなっていた瞳に光が戻っている。

 

 男同士の友情ってすごいな。

 お前はできる、って無茶ぶりが相手を勇気づけるとか、妹の私にはできない慰め方だ。

 

「リリィ、お前は何かお願いはないのか」

「え、私?」

「1年迷惑をかけるのは、お前も同じだからな。この際、なんでも好きなものをねだってくれていい。俺にできることならなんでもやるぞ」

 

 フランのお願いをきいて、私のお願いをきかないのは、不公平ってことらしい。

 

「えーと、それなら休暇が欲しいわ」

「休みか」

「卒業試験が終わったんだから、兄様はしばらく王都を離れていても平気でしょ? 新学期が始まるまでの2か月間、領主代理を代わってちょうだい」

 

 元々、兄様が学園を卒業して戻ってきたら、バカンスの名目で他の領地へ行って悲劇を止める予定だったんだ。スケジュールがかなり駆け足になるけど、活動できるタイミングがあるなら、逃したくない。

 

「学園掌握のために活動する時間が減るが……これは身から出た錆だな。わかった、引き受けよう。お前は好きに遊んでこい」

「やった! フラン、カトラスに行く準備を進めてちょうだい」

「わかった」

「カトラス? 海辺の観光地として有名な場所だが、何しに行くんだ」

 

 兄様が怪訝な顔になった。私はにっこりと笑い返す。

 

「お見合い!」

 

 



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バカンスといえば海だよね

「お嬢様、見てください! あれが海ですよ」

 

 馬車を降りたところで、御者のひとりが声をかけてきた。峠のてっぺんから下を見下ろすと、山裾の先に青く輝く海が見えた。

 

「海だ……!」

 

 リリアーナとしては生まれて初めて、小夜子としても、子供のころ家族で海水浴に行って以来の海だ。懐かしいような、新しいような気持ちでどきどきする。

 

 2年間の領主代行のご褒美として選んだ場所は海だった。

 正確にはカトラス領、グラン・カトラス。ハルバード領のさらに南に位置するハーティア最大の貿易港だ。穏やかな海と温暖な気候のおかげで、古くから貴族の観光地として人気を集めている。快適な宿はもちろんのこと、海産物を使った地元グルメに輸入ものの高級ファッション、さらには劇場や夜の街といったレジャー施設も充実。侯爵家令嬢がバカンスを過ごすにはいい場所だと思う。

 

「水平線の先に陸地が見えない……話には聞いてたけど、まさか本当にこんな景色が存在するなんて」

 

 おつきのジェイドが茫然と海を見つめる。うちに来るまでは、ディッツに連れられて各地を転々としていたって聞いてたけど、海は初めてだったみたいだ。

 

「生臭いにおいがします……」

 

 横でフィーアが鼻を押さえて顔をしかめる。こっちも海は初めてっぽい。

 

「それは多分、潮のにおいね」

 

 海岸までまだ距離があるはずなのに、獣人の鼻はもう海独特のにおいを嗅ぎつけてしまったらしい。でも、港町にだって嗅覚が鋭い動物はいるよね? 内陸部のハルバードで生活してたから、感じ方が違うのかな。

 

「慣れれば平気だと思うが、気分が悪くなるようなら、俺かジェイドに言え。症状を緩和する薬を作ってやるから」

 

 ちゃっかり旅行についてきた魔法の家庭教師ディッツが言う。バカンス中はそんなに魔法の勉強とかするつもりないんだけど。

 

「カトラスは流通が盛んなぶん、珍しい素材がいっぱいあるんだよなー」

 

 まあ、新薬を開発させるいい機会、と考えればいいのか……。

 

「峠を降りれば、グラン・カトラスに入る。移動は今日で終わりだな」

 

 地図を片手に、フランが旅程を確認してくれる。本来私のお世話係じゃないのはフランも一緒だけど、こっちはちゃっかり枠じゃない。2年も一緒に働いてくれたお礼に旅行に招待したお客様枠だ。バカンスにかこつけて、未来に起こる悲劇を止める作戦の仲間でもある。

 

「やった! 今日はゆっくり眠れる!」

 

 貴族のバカンス旅行だから、ちょくちょく宿場町に寄ってたし、テントで寝る時だってふかふかのクッションがあったけど、移動のことを考えずに眠るのはやっぱり落ち着く。

 

「カトラスの宿はどんなとこかなー、楽しみっ♪」

「宿? 何を言ってるんだ」

 

 フランがいつものように眉間に皺を寄せる。

 え? 旅行に来たら泊まるのは宿だよね?

 どゆこと?

 

 



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貴族の旅行とは

「ええええ……何これ豪邸じゃん……」

 

 峠の上から海を眺めたその日の夕方、私は大きなお屋敷の前にいた。白壁と生垣で囲まれた、美しい白亜の豪邸だ。サイズは小さいけど、建物のクオリティだけで言ったら、王都にあるハルバード侯爵邸と並ぶと思う。

 茫然としていると、フランがあきれ顔で説明してくれた。

 

「貸別荘、というやつだな」

「べっそう」

 

 待って。

 コレ、私の知ってる別荘となんかレベル違う。

 あと宿屋じゃないのはなんでなの。

 

「今回は一か月の長逗留だからな。下手に宿をとるよりは、別荘を借り切ってしまったほうが面倒がない」

 

 面倒がない、って理由でこんなお屋敷を一軒借りる感覚がわからんわ。

 貴族すげえ。

 いや、私侯爵家令嬢だけど。

 

「心配しなくても、屋敷の管理や食事の支度などは臨時雇用の現地スタッフが行う。宿に泊まるのと同レベルの生活ができるぞ」

「心配してるのそこじゃないけど……手配ありがとう」

 

 補佐官の有能さが怖い。

 めちゃくちゃ頼りになるから忘れがちだけど、フランだってまだ二十歳だよね? 世間的には若造のカテゴリに入るはずだよね?

 私、7年後に同じことができる自信ないよ?

 

「ただの適材適所だ。お前はお前にしかできないことをすればいい」

「そんなのあったっけ?」

「……まずは見合いだな」

「あーそうだった」

 

 海でテンションあがりすぎて忘れるところだった。

 私は、ここでお見合いをする予定だった。

 

「わざわざ観光地で会うなんて、貴族のお見合いは豪華ですね」

 

 フィーアがぴこぴこと耳を揺らしながら言う。

 

「んー、場合による、って感じかな。お見合いって言っても、ピンからキリまであるから」

 

 現代日本のお見合いが「両家顔合わせの上で……」っていうのから、街コンとか、マッチングアプリまであるのと一緒で、ハーティアのお見合い事情も様々だ。

 もちろん、親がすでに結婚相手を決めてて、お見合い即結婚、っていう場合もある。でも貴族社会全体で見ると、結婚するまでの過程は結構ゆるい。家族ぐるみの食事会ついでにお見合いとか、劇場のボックス席で演劇見ながら食事しつつお見合いとか。地方出身の貴族子弟が一同に集められる王立学園そのものが、お見合いの場ともいえる。

 今回のお見合いはかなりカジュアルなほう。クレイモア家から一度会ってみないかという問い合わせが来てたので、「バカンスでカトラスに行くから、一緒に遊んでみる?」と誘ったのだ。

 どっちかの領地で会うと、本格的な縁談になっちゃうからね。

 

 ちなみにうちの両親はこの件にはノータッチだ。一応報告はしてるけど、特に何も言われてない。自分たちが結婚するときに、親の持ち込んだ縁談で死ぬほど嫌な思いをしたので、子供たちの結婚には関与しないと決めているそうだ。その結果、娘が自分を苦しめた王妃の息子と婚約しても許容する。究極の放任主義だと思う。

 クレイモア家も、まさか娘が独断で見合いを受けてるとは思わないだろうなー。

 

「ちょっとお出かけしたくらいで、すぐに結婚は決まらないよ」

「でも、お見合いはお見合いでしょ?」

 

 話を聞いていたジェイドが、へにゃりと不安そうに眉を下げる。

 

「本当に結婚が決まったらどうするの」

「あはは、大丈夫だって」

 

 このお見合いが絶対破談になると確信している私は、気楽に笑い飛ばした。

 だって、シルヴァン・クレイモアは女の子なんだもん。

 

 

 



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クレイモア辺境伯のお家事情

 クレイモア辺境伯家。

 うちのハルバード家と同様に、建国の7勇士を先祖とする古い家系だ。

「辺境伯」というと、国のはしっこで田舎貴族っていうイメージがあるかもしれない。しかし、「辺境」とは「国境」。領地は東の隣国アギト国との境にあり、かの国からの侵攻を食い止め、ハーティア中央部を守る役目を代々担っている。

 歴代の当主はクレイモア騎士伯とも呼ばれ、王のみならず他貴族全てから特別な敬意を持って遇される騎士の名門だ。

 

「その名門辺境伯爵家が、まさかこんなバカな嘘をつくとはな……」

 

 カトラスについた翌日、人払いをした別荘の談話室でお茶を飲みながらフランがため息をついた。

 

「だからこそ、今までバレなかったんじゃない? あのクレイモア伯がまさか! って感じで」

 

 今日は長旅の疲れを癒す日、と決めて談話室のソファでごろごろしながら、私は相槌を打った。

 

「クレイモア家は、男子相続が鉄則のお家だもんね……」

 

 フランの実家の跡取が、姉のマリアンヌさんなことからわかる通り、ハーティアでは一定の条件さえ満たせば女子でも家督を継ぐことが許されている。子供が大人になるまで生き残ることが難しい、この国の社会情勢を考えると当然の話かもしれない。

 

 そんな中でも、絶対に跡取は男子じゃなきゃダメ! っていう家がいくつかある。建国王の流れをくむ王家と、男所帯の軍隊を率いる騎士伯家だ。強い男子じゃないと、統率がとれないからってことらしい。現代日本でそんなこと言ったら男尊女卑がーって言われるかもだけど、実際にハルバード家の常備軍を見て来た令嬢としては、それもしょうがないかなって思う。彼らが話をきいてくれるのは、私が最強騎士の娘で、隣にフランを従えてるからだ。私ひとりだけだったら、絶対にまとまってくれてないと思う。

 

 そんな、跡取絶対男子主義のクレイモア家に悲劇が訪れた。

 

 クレイモア伯の嫡男夫婦が、相次いで死亡してしまったのだ。表向きは事故死ということになってるけど、運命の女神にもらった攻略本には「アギト国から送り込まれた刺客による暗殺」とはっきり書かれている。

 

 残されたのは、生まれたばかりの孫娘だけ。

 

 本来なら、親戚筋の有力な男子を養子に迎えるべき事態だ。しかし、クレイモア伯は誰も選べなかった。病弱で軍に向かない子か、私利私欲を貪ることしか頭にないダメ人間しかいなかったのだ。

 だからといって後継者指名をしないで放置すれば、絶対に親戚同士の争いが起きる。クレイモア領を安定させるため、ひいてはハーティアを守るため、クレイモア伯は苦肉の策をとった。それが「孫娘を男子として育てる」だ。

 乳飲み子とはいえ、直系の健康な男子が残されているのなら、周囲を抑えられる。

 

「しょうがなかったとはいえ、クレイモア伯もすごい嘘をつくよね」

「……これは憶測だが」

 

 眉間に皺をよせながらお茶を飲んでいたフランが顔をあげる。

 

「クレイモア伯も一時的な措置のつもりだったんじゃないか」

「いつかは女の子だってばらすつもりだった、ってこと?」

「息子夫婦が亡くなった当時、クレイモア伯はまだ50代だ。若い側室を迎えれば、子供が望めない歳じゃない。親戚の中にも有望な男の子が生まれる可能性もあるだろう」

「ふむふむ、シルヴァンはあくまでも繋ぎ、ってことね」

「しかし、結局代わりの男の子は生まれなかった」

「子供は授かりものだから、そうそう思い通りにはいかないよね」

「いや、多分そういうことじゃない」

「え?」

「クレイモア伯の息子夫婦はアギト国に暗殺されたんだろう? だとすれば、他の有力な男子もまた……」

 

 フランは、とん、と手で自分の首を切るしぐさをする。

 うわあ、そんな黒い真相知りたくなかった。

 

「それで、出来上がったのが男装の麗人キャラとの禁断の百合ルートなわけね……」

 

 

 



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破滅確定百合ルート

「ユリるーと……相変わらずお前の語彙は意味不明だな」

「なによー。女の子同士の恋愛なんて、珍しくないでしょ」

 

 この大陸の国々で主に信奉されているのは、ギリシャ神話っぽい多神教だ。世界を作ったとされる創造神をはじめとした、何百もの神様が各地で祀られている。ハーティア国内では、聖女と建国王を導いたちょっとポンコツ気味な運命の女神様が人気だ。

 現代日本と違って、実際に神様が存在して、直接奇跡をおこしてたせいかな? 神々の伝説はどれもこれも妙に人間くさい。

 お互いが好きすぎて、仕事する時期が重なると効率が落ちるからって、間に夏と冬の神に入ってもらった春と秋の女神たちだとか。永遠を共にするために、夜空に昇り双子星となった男神様たちだとか。

 神様たちがこんな調子なので、人間世界の同性間恋愛もさほどタブー視されてない。

 

「俺も同性同士の恋愛自体を否定する気はない。俺は同性を恋愛対象として見ることはできないが、自分の性的な好みと他人のそれは別だからな」

「恋愛だけなら、結構自由なお国柄よね」

 

 女の子同士の恋愛自体はタブーじゃない。だけど、シルヴァンとの恋愛はやはり禁断のルートだ。なぜなら、私たちは家系と臣下を背負う貴族なのだから。

 

「貴族として生を受けた者は、色恋だけで人生を完結させることが難しい……」

「特に王家と7勇士の家系は、祖先の血を継いでいること、それ自体が重要視されるもんね」

「聖女とクレイモア家の血筋が同時に断絶するのはまずい」

 

 男装の麗人との間には、確実に次世代が産まれない。

 この世界の貴族の価値観だと、血を残すためだけの結婚相手と子供を残しつつ、外に恋人を作る、という選択肢もナシじゃない。でも、恋心を力の根源とする聖女にその選択は無理だ。愛した者以外と結ばれた時点で聖女の力が消える。その上、シルヴァンも聖女も一人っ子で、血筋を託せる兄弟はいない。

 当代聖女さえかわせばのちに脅威が産まれる心配はない、と確信した厄災は復活後に雲隠れを決め込み、彼女たちの死後活動を開始。対抗する力を持たない人間は、なすすべもなく滅ぼされてしまうのだ。

 シルヴァンを恋の相手に選んだ時点で、世界は破滅が確定する。だから私はこのルートを『禁断』と呼んでいるのだ。

 

「彼女のルートでは、断絶に加えて戦争が起きるんだったか」

「シルヴァンルートのメインイベントはアギト国との戦争よ。ついに攻め込んできたアギト国軍と、クレイモアの騎士たちがぶつかるの」

「アギトと戦争になればまず最初に戦うのはクレイモア。それは当然の展開だな」

「でも……あと少しで勝利、というところでシルヴァンが女だってことが暴露されるの。長年信頼してきた当主の正体を知って騎士たちは動揺し、総崩れになるわ」

「……それは、全てアギト国の作戦だろうな」

 

 フランがふう、と息を吐く。

 

「他のまともな後継ぎ候補を暗殺しておきながら、優秀なシルヴァンが残されているのは、女だからだな。奴らは正体を知りながら、クレイモア家に打撃を与えられる最も効果的なタイミングを見計らっているんだろう」

「その、効果的なタイミング、とやらが数年後の戦争ってわけね」

「悲劇を回避するには、シルヴァン以外の後継ぎを用意するか、彼女の秘密を守り通すかの、どちらかが必要だ」

「後継ぎを今から用意するのは無理よね。厄災が起きるのはもう2年後の話だもの。今、男の子がどこかで生まれても間に合わないわ」

「となると、シルヴァンにはもう少し長く……少なくとも戦争が落ち着くまでは、男でいてもらう必要がある」

「性別をごまかす方法ならあるわ。なんてったって、私の家庭教師は『金貨の魔女』なんだから。ディッツの薬を使って完全な男に変身してもらえばいいのよ」

 

 ディッツの作る変身薬は、まさに魔法の薬だ。体のつくりそのものを変えた姿を見て、男装だと思う人間はいないだろう。

 

「……そのあたりが現実解だろうな」

「でも、薬を用意したとして、飲んでくれるかどうかが問題なのよねー」

 

 ほとんど面識のない、他領地の令嬢が用意した薬をシルヴァンがほいほい受け取ってくれるとは思えない。しかも、その薬の効能は彼女の持つ秘密に直結している。

 

 うん、怪しすぎて絶対飲んでもらえないね!

 少なくとも私がシルヴァンの立場だったら、ゴミ箱にポイすると思う。

 

「まずは秘密を共有してもいい、って思えるくらいに信用してもらわないとね」

「……そのためのぎりぎりの手段が、今回のお見合いだ。本気で縁談を進めるのは無理だろうが、顔くらいはつなぎたい」

 

 秘密の内容が内容だから、年上男性のフランでは警戒されてしまう。

 同世代の女の子である自分が一番適任だと思うけど、貴族女子は理由がない限り同世代の男の子に近づけない。

 見合いくらいしか会う口実が作れないって、貴族の生活は本当に面倒だ。

 

「今回は、俺も別にやることがあるから、お前はひとりで行動だ。……できるか?」

「カトラス領の問題は子供の私じゃ無理だもん。フランが好きに動けるよう、自分の仕事はちゃんと自分でやるわよ。任せて」

 

 実をいうと、私がカトラスに来たのは、リゾート地だってこと以外にもうひとつ理由があった。

 この港町には子供の私には直接見せられないダーティな問題が隠れているのだ。

 そっちは逆に、成人男性のフランじゃないと介入は無理だ。

 

 私たちは、視線を交わして笑いあった。

 大丈夫。

 3年前と違って、今の私には心強い味方がいる。

 できることだって少しは増えたはずだ。

 きっと上手に運命が変えられるはず。

 

 

 しかし……お見合い当日、とんでもない人物が現れて、私の計画はしょっぱなから迷走するのだった。

 

 



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来ちゃった(はーと)

 カトラスに到着した数日後、いつもよりおしゃれした私は、保護者代理のフランと、従者のジェイド、フィーアを従えて貴族向けの高級レストランへと向かった。

 

 ついに、お見合いにかこつけてシルヴァンと仲良くなろう作戦の決行日だ。

 

 

 

 気合をいれてレストランのドアをくぐった私を出迎えたのは、白いおヒゲがかっこいいクレイモア伯と、銀髪の美少年にしか見えない男装の麗人シルヴァンと……黒髪の最強騎士だった。

 

 

 

「……お父様?」

 

 

 

 ごしごし、と目をこすってみても父様の姿は消えない。

 

 間違いない。現実の父様が立っている。

 

 なんでこんなところに父様がいるの!

 

 

 

「リリィが初めて、自分の意志でお見合いをすると言い出したからね。気になって来ちゃった」

 

「私の縁談には関わらない、って言ってなかったっけ?」

 

「もちろん、リリィの決めたことには従うよ。でも、ちょっと気になるのはしょうがないと思うんだ」

 

 

 

 最終決定に口は出さないけど、顔は見ると。

 

 相手が下手な男子だったら、父様の顔を見た瞬間逃げ出すんじゃないの、それ。

 

 ……まあ、父様見たくらいで逃げるような相手はそもそも選ばないと思うけどさ。

 

 

 

「それに、久しぶりにクレイモア伯にご挨拶したかったしね」

 

 

 

 父様はぺこりとクレイモア伯に会釈する。

 

 最強騎士と騎士伯。世代は違うけど、同じ騎士同士、昔からつきあいがあるみたい。

 

 

 

「お仕事はいいの? むこう半年は王都を離れられないって聞いてたのに」

 

「ちょうど、王族のひとりが見合いのためにカトラスに向かうことになってね。その護衛として同行させてもらったんだ」

 

「なるほど、半分お仕事なのね」

 

 

 

 王族としても、最強騎士が同行してくれるなら、こんなに心強いことはない。

 

 

 

「とはいえ、王都に仕事を残してきたから、今日の午後には戻らないといけないんだけど」

 

 

 

 リリィとゆっくり食事したかったなあ、と父様は苦笑する。

 

 遠くカトラスまで来て、一泊すらせずに王都に戻るって……それはかなり無茶なのでは。

 

 うーん、父様が私の我儘を許容するから、何も考えずに動いてたけど、心配のあまり無茶をするようなら、私も少しは行動を改めたほうがいいかもしれない。

 

 今度から、心配されないようもっと水面下で動こう。うん、それがいい。

 

 

 

「あ、あのっ……ご挨拶させていただいても、よろしいでしょうか……!」

 

 

 

 ハイトーンのソプラノボイスが、私たちに投げかけられた。

 

 緊張でがっちがちに顔をこわばらせたシルヴァンが、クレイモア伯と一緒にやってくる。

 

 彼は、私たちの前で「ビシッ!」と擬音がつきそうな勢いで騎士の礼をとった。

 

 

 

「初めまして、ボクはシルヴァン・クレイモアと申します。ハルバード侯爵、リリアーナ嬢、お目にかかれて光栄です」

 

「はじめまして、シルヴァン」

 

 

 

 父様がよそいきの顔で軽く礼をする隣で、私も淑女の礼をする。

 

 顔をあげると、シルヴァンはキラキラした目で父様を見ていた。

 

 

 

 あー、この顔はなんか前世で見たことがある。主にショッピングモールのヒーローショーとかで見たやつだ。憧れの英雄を間近で見て興奮している少年の顔だ。

 

 うちのお城でも、たまに領地に帰って来た父様を見て、従騎士や新兵がこんな顔をして敬礼している。

 

 

 

 そういえば、シルヴァンって見た目は綺麗系なんだけど、趣味は剣術、読む本は戦記ものオンリーな、ザ・脳筋騎士だったっけ。

 

 綺麗なお花とかあげても全然好感度上がらなかったのに、肉をプレゼントしたらいきなり2段階くらい跳ね上がって頭抱えたんだよなー。

 

 そんな騎士バカな彼女の前に最強騎士が現れたら、テンション上がるよね。

 

 

 

「悪いな、ユリウス。去年お前が御前試合で戦うのを見て以来、ずっとこんな調子なんだ」

 

「それは光栄ですね」

 

 

 

 その隣で見合い相手が置いてけぼりなんだけど。

 

 えー、どうしたらいいの、これ。

 

 父様のせいで1ミリも興味持たれなくなっちゃったんだけどー!!!!!



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負けイベント

「……ということだったんだ」

「すごいですね……! さすがハルバード侯爵です」

 

 シルヴァン・クレイモアと顔合わせをして、レストランのテーブル席についてから15分。クレイモア伯と父様とシルヴァンは、運ばれてきたお茶やお茶菓子そっちのけで、話し込んでいた。話題は主に父様とクレイモア伯の武勇伝。娘の私も聞いてなかったようなトンデモ話を、シルヴァンが目をきらきらさせながら聞いている。

 その間、私が何をしていたかというと、お茶をすすりながら時々「ああ」とか「そう」とか適当な相槌を打ったくらいだ。

 

 あっれー?

 今日って何のための集まりだっけー?

 私とシルヴァンのお見合いじゃなかったかなぁー??

 

 なんで令嬢そっちのけで男(?)3人が盛り上がっているのさ!!

 父様のことを尊敬してくれてるのは嬉しいけど、今日お話しすべき相手は、その隣の女の子ですよおおおおおお!!

 

 自分自身このお見合いを利用する気満々で、付き合う気がさらさらなかったとはいえ、この仕打ちはないと思うの。

 

 さーてどうしてくれようこの人たち。

 特にシルヴァン。

 

 ここで「私ともお話して!」って言うのは簡単だ。

 まだ子供なシルヴァンはともかく、父様とクレイモア伯はそれなりに常識を持った大人だから、私のツッコミを受け入れて話題を変えてくれるだろう。

 でも、あこがれの騎士とのおしゃべりを止められたシルヴァンはどう思うだろう?

 絶対悪い印象が残っちゃうよね。

 

 男女の恋愛なら、例え悪印象であってもアピールする必要があるだろう。

 でも、私は恋人になりたいわけじゃない。

 シルヴァンと友達になりたいんだ。

 

 考えこんでいると、保護者代理の立場で同席しつつも、気配を殺して静かにしていたフランが、そっと私に耳打ちした。

 

「エサを与えろ」

 

 ほうほう。

 あえて、シルヴァンがもっと夢中になるものを与えてしまえと。

 今日のところは好感度上げを諦めて、次の機会につなぐ作戦ね。

 乙女ゲームでもたまに見かけたなー。その場では絶対パラメーターが変動しない負けイベント。

 

 そうと決まれば、次の一手だ。

 

「うちの孫は、剣術バカでなあ……ワシが止めないと鍛錬ばかりしとるんだ」

「その成果はでているんじゃないですか? 年齢の割に体幹がしっかりしている」

「あ……ありがとうございます!」

「ねえ、シルヴァン様ってどれくらい強いのかしら」

 

 私は笑顔で会話に突撃した。

 クレイモア伯は、ふむ、と自分の孫を見る。

 

「身内のひいき目を抜きにしても、才能のある子だよ。同世代の騎士の中ではほぼ敵なしだな」

「同世代の中では……大人と比べるとどう違うんですか?」

「うーん、まだまだ体ができてないからなあ、比較しづらい」

「……そうだわ! お父様、シルヴァン様と戦って!」

「ん?!」

「実際に戦っているところを見せてもらえば、大人と比較した強さがわかるはずですわ」

「ボクが、ハルバード侯爵と……?」

 

 かあっとシルヴァンの顔に血が上った。

 その顔はかわいいが、決して乙女な反応ではない。

 強者との勝負の予感に、気分が高揚しているのだ。

 

 シルヴァンは筋金入りの騎士バカだ。

 あこがれの騎士との手合わせ以上に嬉しいものはない。

 

「い……いや……そんな不躾な……ハルバード侯爵もご迷惑でしょうし……」

 

 そう言いつつも、口元めっちゃ緩んでるぞー。

 一目見た時から戦いたくてうずうずしてたなー?

 

「父様は迷惑じゃないわよね?」

「まあ……そうだな。リリィが見たいというのなら、戦ってみせようか」

「い、いいんですか……! 光栄です! ぜひ手合わせしてください!!」

 

 思わず頭を下げるシルヴァンを横目に、フランがこっそり席を立つ。

 レストラン側に、模擬戦闘の許可をもらいにいったんだろう。現代日本のファミレスと違って、ここは貴族向けの超高級レストランだ。お客はうちを含めて数組程度しかいないし、広い中庭もある。すぐに、場は整うだろう。

 

 今日はもうお見合いって雰囲気じゃないし、この際開き直って最強騎士と騎士の卵の戦いを楽しむとしますか!

 

 

 

 



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最強騎士と騎士候補

 高級レストランのスタッフのおかげで、父様とシルヴァンの対決の場はすぐに整えられた。優秀な彼らは、広い中庭にテーブルとティーセットを運んで、臨時観客席まで作ってくれる。高級店のホスピタリティ、半端ない。

 

 私たちが見守る中、父様とシルヴァンが向かいあう。

 いきなり勝負することになったから、ふたりとも、持っているのは腰に差していた真剣だ。

 それって危ないんじゃないの? とは思ったけど、クレイモア伯もフランも誰も何も言わなかったから、口がはさめなかった。

 どっちも優秀な騎士だから、死ぬようなことはない、ってことなんだろうか。

 

 ふたりが、剣を構えたところでクレイモア伯のはりのある声が響いた。

 

「はじめ!」

 

 そのとたん、シルヴァンが動いた。

 放たれた矢のように、一直線に父様に向かっていく。父様はほとんど動くことなく、シルヴァンの剣をいなしてみせた。

 バランスを崩されて、シルヴァンはたたらを踏む。

 でも、すぐに体勢を整えてまた向かっていった。

 いなされては立ち向かう。その繰り返しだ。

 

「シルヴァン様、確かにお強いですね」

 

 私が言葉をこぼすと、クレイモア伯がおヒゲの口元を緩ませた。

 

「ほう、リリアーナ嬢はあれがわかりますか」

「時々お城の練兵場を見学してますから」

 

 シルヴァンの剣は、速く、そして鋭い。その上、何度打ち合ってもさらに踏み込んでいけるスタミナがある。うちの城でも、同世代でシルヴァンと同じくらい戦える騎士候補はいないと思う。

 どきどきしながら見守っていると、突然戦いの流れが早くなった。

 うまく表現できないんだけど、急にシルヴァンの攻撃が父様の懐に誘いこまれるように動き始めたのだ。

 

「ユリウスの指導が始まったな」

 

 クレイモア伯が笑う。

 

「指導、ですか?」

「戦いながら、より良い動きを指南するのだよ。うちのシルヴァン相手に、真剣で打ち合いながらあれをやるとは……ユリウスめ、どこまで強くなったのやら」

 

 さすが父様。

 試合するどころか、そのまま指導を始めるとか、相変わらず強さの次元が違う。

 

「そこまで!」

 

 何度も刃を交え、ついにシルヴァンの足元がふらついたところで、クレイモア伯の声がかかった。

 

「あ……ありがとうござい……ました……」

 

 シルヴァンは息を切らせながら父様に礼をする。しかし、その直後に床にへたりこんでしまった。対して、父様は汗ひとつかいてない。異次元の実力差に、娘の私は苦笑するしかない。

 

 私は席を立つとシルヴァンのもとに進んだ。

 滝のように汗を流しながら、必死に息を整えているシルヴァンにタオルと水を差しだしてあげる。

 

「ありがとう。君は……」

 

 水を受け取ったところで、シルヴァンの紫の瞳が私を見た。

 

「リリアーナ・ハルバードよ。今日、あなたとお見合いするはずだった、ハルバード侯爵の娘」

 

 自己紹介してあげると、シルヴァンはひゅっ、と息をのんだ。

 それから戦闘の高揚とはまた別の意味で顔を真っ赤にして、一気に真っ青になった。

 ようやく、今日の集まりがどういう目的で、目の前の女の子がどういう立場なのか理解したみたいだ。

 

「ご……ごめんなさい……!」

 

 お見合いという場でありながら、これ以上ないくらい失礼な行動をとったことに、今更気が付いたのだろう。シルヴァンはタオルと水を握り締めたまま固まっている。

 

 はっはっはー、君の敬愛する侯爵の、大事な大事な愛娘に失礼働いて、ただですむと思うなよー。

 

「ゆ、許して……」

「だめ、許してあげない」

「どうしたら……市内10周でも、スクワット100回でもするから……!」

「そんなのじゃつまんないわ」

「まさか……一週間肉ぬきとか!」

 

 おいクレイモア家。

 普段跡取にどんな罰与えてるんだ。

 

「明日から7日間、カトラス観光につきあって」

「そんなことで……いいの?」

 

 その程度の罰だとは思ってなかったらしい、シルヴァンは紫の目をまん丸にして私を見つめた。

 

「私たち、会ったばっかりじゃない。これっきりになるなんてもったいないわ。父様はもう帰るみたいだし、明日もう一度ゆっくり話しましょ」

「うん……!」

 

 私が手を差し出すと、シルヴァンは笑って握手してくれた。

 

「リリアーナ嬢が大人で助かったよ。明日はシルヴァンに迎えに行かせるから、好きに連れまわしてくれ」

「はい、そうさせてもらいます、クレイモア伯」

 

 クレイモア伯は笑って、シルヴァンと一緒に帰っていった。

 

 よし! 悪印象は残さず、その次の約束ゲットだぜ!

 シルヴァンとの友情作戦はまずまずの成功と言っていいんじゃないかな!

 

「あとは……」

 

 突然人の作戦をぶち壊してくれた父様をどうにかしないとね!!!!

 

 



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無関心ではいられない

「リリィ、見ててくれたかい?」

 

 クレイモア伯が去って、私たち親子と使用人たちだけになったところで、父様が微笑みながら声をかけてきた。いつもなら、『戦うお父様かっこいい!』と飛びつくところだ。

 でも、私は今日ばかりは思いっきりふくれっ面で振り返った。

 

「お父様~?」

「あ……あれ……? リリィ?」

「どこの世界に! 娘の見合いの席で、当事者より目立つ父親がいるの! 父様のせいでめっちゃくちゃじゃない!」

「いや……でも、クレイモア伯とシルヴァンは喜んでたし」

「その間、私とシルヴァンが直接会話した回数って、何回?」

「あれ?」

 

 父様、そういうとこやぞ。

 育ちのせいか、脳筋なせいか、父様って時々変なところでズレてるんだよね。

 フランの一件でミセリコルデ宰相家が後ろ盾になってくれたから、社交界で変な絡み方をされることはなくなったけど、第一師団長としてちゃんとやれているのか、心配だ。

 

「でも……お見合いの席で私にばかり目を向けてしまうような子は、リリィにふさわしくないんじゃないかな?」

「騎士の子の前に最強騎士がいきなり登場したら、どうしても気を取られちゃうわよ。13歳の子供に無茶言わないで」

「……はい」

 

 父様はしゅん、と肩をおとしてしまった。

 心配して駆け付けてくれたその気持ちは嬉しいんだけど。どうしてくれよう、この父。

 

「さっきも言ったけど、私の縁談にはノータッチだっていうのはどうなったのよ」

「うん、リリィが決めたのなら反対しない。その誓いを破るつもりはない。そのつもりだったんだ。でも……リリィが実際に男の子と会うって聞いたら、いてもたってもいられなくなっちゃって……」

 

 はあ、と父様は息を落とす。

 

「……手合わせも、ちょっと意地悪してたかもしれない」

 

 つまり、娘に近づいてきた男が気に入らなくて、思わず威嚇してしまったと。

 ゲームでは、毛嫌いしている王妃の息子と結婚すると言い出しても、一切反対しなかったのに、どうしちゃったんだろう。

 

 ……いや、どうかしたから、こうなったのか。

 

 今の父様はゲームの中のマシュマロ侯爵じゃない。

 子どものために、もう一度前向きに生きようと姿を変えた人だ。その上、ミセリコルデ宰相と手を結び、第一師団長として仕事に励んでいる。

 その結果、以前よりずっと真剣に私たちと関わるようになったんだ。

 

 子どものことをなんでも許すのは、愛しているようでいて、その実態はただの無関心だ。

 私を気に掛けてるからこそ、暴走もしてしまうんだろう。

 

 だとすれば、このお見合いで悪いことをしたのは自分だ。

 父様の心配する気持ちをちゃんと考えてあげられなかった。

 

「……私のほうこそ、ごめんなさい。何も言わずにお見合いするのは、さすがにダメだったわね」

「先に誓いを破ったのは、私のほうだからね。リリィは悪くないよ」

「今度お見合いするときは、ちゃんと父様にも相談するわ。だから、乱入してこないでね?」

「う」

 

 父様の綺麗な顔がひきつった。

 あー、これは娘の結婚自体が受け入れられないことに気づいたな。

 

「……父様、私はハルバード家の長女なんだし、将来絶対結婚はするからね?」

「わかってる……」

 

 絶対わかってない顔で父様はうなだれる。

 

「とりあえず、明日はシルヴァンとのデートをやりなおさなくっちゃ」

「リリィは、シルヴァンのことが気に入った?」

「まあ、そこそこ? ほとんど会話してないから、まだなんとも言えないけど」

 

 そう言うと、父様はうーん、と首をかしげた。

 

「父様はシルヴァンとの縁談を勧められないなあ……いい子だと思うけど……」

「どうして?」

「……多分、あの子との間に子供は望めないよ?」

 

 困り果てた顔で父様が告げる。子供、の言葉で私はぴんときた。

 父様、シルヴァンが女の子だって気づいてる!

 脳筋な父様だから絶対気づかないと思ってたのに!!

 むしろ脳筋だから気づいた?!

 父様は野生の獣みたいな勘で動く時がある。さっきの手合わせで何かを感じ取ったりしてそうだ。

 

 完全なタブーではないとはいえ、父親として、娘が女の子と結婚したいと言い出したら、複雑な気持ちになるだろう。

 私はにこっと笑うと父様に体を寄せた。

 

「心配かけたお詫びに、隠し事をひとつ教えてあげる」

 

 父様に体をかがめてもらって、私はその耳元に囁いた。

 

「私はシルヴァンと結婚したいんじゃないの。お友達になりたいのよ」

「なるほど」

 

 父様は満足げに笑って、王都に戻っていった。

 

 

 



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デートしよう

 翌日、約束通りシルヴァンと私は港町カトラスにお出かけした。

 仕事を抱えて王都にとんぼ返りした父様だけでなく、クレイモア伯も今日は同行してない。若いふたりでごゆっくり、ってやつだ。

 

 といっても、現代日本とは比べ物にならないほど治安の悪いこの世界で、身なりのいい貴族の子供をふたりだけで外出させるような大人はいない。

 私たちふたりの数歩後には服の下に武器を隠したジェイドとフィーアが。さらに、十数メートル離れたところに武装したクレイモア家の屈強な護衛騎士が3人ほどついてきている。

 しかし、人にお世話されるのが当たり前の貴族にとって、護衛や従者は黒子のような存在なので、シルヴァンも私も気にしない。実質「ふたりきりのデート」だ。

 

「リリアーナ嬢、今日はどこに行こうか」

「リリィでいいわよ。私もシルヴァンって呼ぶから。そうね……市場のほうに行ってみない? 地元料理の屋台とか、見て回りたいのよね」

「えっ、輸入ものの宝飾店とか、仕立て屋とかじゃなくていいの?」

「どうして?」

「いやその……女の子は、そういうところのほうが喜ぶって……」

 

 シルヴァンはちらっと後ろに控えている護衛騎士を見た。

 3人いる護衛のうちのひとりは、女性の扱いが上手そうなこざっぱりとしたイケメンだ。彼あたりが、エスコートの作法を指南したのだろう。

 ご令嬢としては紳士の提案に乗ってあげたほうがいいのかもしれない。

 

 だが、私は紳士淑女のやりとりがしたいわけじゃない。

 目の前にいる「シルヴァン」と仲良くなりたいんだ。

 

「宝石も衣装も嫌いじゃないけどね。でも、あなたはそうじゃないでしょ。全然興味のないお店に付き合いで入って、楽しい?」

 

 そう言うと、シルヴァンはふるふると首を振った。

 ゲームでさんざんシルヴァンルートを通ったから、彼女の趣味はわかっている。1に鍛錬2にお肉、34が装備で、5が鍛錬だ。

 繊細そうな見た目と、『男装の麗人』というキャラ付けに騙されて、お花や宝飾品を贈り、何度アイテムを無駄にしたことか。

 デートの行先に仕立て屋を選んだら、好感度が上がるどころかマイナスになったからね!

 普通、『デートする』ってコマンド実行したら、失敗しても少しはパラメータが上がるもんじゃないのかよ! ってコントローラーをぶん投げそうになったわ。

 まあ……現実世界では、デート先で喧嘩して別れるカップルとか普通にいるから、ある意味正しいパラメータ処理なのかもしれなかったけど。

 

 それはおいておいて。

 

 シルヴァンと仲良くなるつもりなら、わざわざ興味のないところに行ってもしょうがない。

 彼女が楽しいと思えるところに行かなくちゃ。

 幸い、私も市場に興味がある。

 

「私、お父様の代理で領地のお仕事をしてるの。だから、カトラスでどんな品物が売られてるか知りたいのよ」

「ここは他の街にはないものがたくさんあるもんね」

「地元の変わった味付けのお料理も、いろいろ食べてみたいんだけど……ひとつ大きな問題があるの」

「も、問題? 食べられないものがあるとか?」

「私、まだ子供だからそんなにたくさん食べられないのよ」

 

 大真面目に言うと、シルヴァンがきょとんとした顔になった。

 

「どこかに、一緒にたくさん食べてくれる人がいると、とっても助かるんだけどなあ……」

 

 じーっとシルヴァンの顔を見つめてみる。彼女はすぐに笑い出した。

 

「わかった! 一緒にわけあって食べよう」

「お願い!」

 

 私たちは、市場に向けて元気よく歩き出した。

 

 

 



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仲良くなるには難しい

「はあ……お腹いっぱい」

「食べたし、歩いたね……」

 

 陽が傾きかけるころ、私とシルヴァンは港のベンチにふたりで並んで座っていた。

 市場をあちこち食べ歩きしたせいで、くたくただ。

 

「知らない街を歩くのって、楽しいわね」

「……そうだね」

 

 私の問いかけに、シルヴァンは複雑そうにうなずく。

 

 今日は一日楽しかった。

 私は間違いなくそう断言できるし、シルヴァンだって、異国のスパイス満載のお肉を食べていたときのあの笑顔が嘘だとは思えない。

 

 でも、一緒にいると楽しいね、と素直に肯定してしまえば、周りが『では婚約を……』と話を進めてしまう。

 性別を偽っているシルヴァンは、そう簡単に婚約者を作れない。私だって、お見合いはともかく本気で婚約する気はない。

 だから、どうしても煮え切らない態度になってしまうんだ。

 

 気まずそうに視線をそらしたシルヴァンは、そこで目をとめた。

 

「あ……」

「シルヴァン?」

 

 シルヴァンは港を指さす。そこでは、巨大な客船に明かりがともされていた。いくつものランタンに照らし出されて、客船はその美しい姿を水面に映し出す。

 

「綺麗だね」

「すごい……これから何か催しでも始まるのかしら」

「船上パーティーじゃないかな。ほら、お客の馬車が来た」

 

 シルヴァンが指す方向を見ると、豪華な馬車が何台もやってくる。乗客はその馬車に見合うだけの裕福な貴族たちなのだろう。

 その中に、ひときわ美しい豪華な馬車があった。

 シミひとつない白馬ばかりがひく六頭立ての車体には、ハーティアを象徴する紋章がデザインされている。乗っているのは、王族だろう。

 

「そういえば、父様が王族のひとりがお見合いするから、護衛してきたって言ってたわね」

「じゃあ、あそこに乗っているのは……オリヴァー様かクリスティーヌ様、かな?」

 

 現在、ハーティア王室に未婚の者はふたりしかいない。

 王妃が産んだ、ただひとりの王子オリヴァー。そして、前国王陛下が側室に産ませた王妹殿下クリスティーヌ。側室が前国王のもとに入ったのが晩年だったので、オリヴァーとクリスティーヌは、叔母と甥の関係だけど同い年の13歳だ。

 どちらも、私たちみたいに海辺でお見合いしててもおかしくない。

 

 見ていると船のほうから燃えるような赤毛の青年が出て来た。

 身なりのいい貴族たちの中でも、ひときわ高級な衣装を身に着けた美丈夫だ。彼は馬車の前までやってくると、そのドアの前に跪く。そして、ようやく馬車の中から女の子がひとり出て来た。

 ふんわりとしたラヴェンダー色のドレスを着た、妖精のような女の子だった。

 輝く銀髪を美しく結い上げた彼女は、洗練されたしぐさで赤毛の青年のエスコートを受ける。

 

「お見合いに来たのは、クリスティーヌ様だったみたいだね。赤毛の男性がお見合い相手かな? 誰だろう……」

「カトラス侯爵嫡男のダリオ・カトラスじゃないかしら。派手な赤毛で有名だもの」

 

 赤毛、カトラス領、お金持ち、というキーワードから、私は赤毛の青年の正体を推理する。7勇士の跡取り息子であるにも関わらず、私の手元にダリオの詳細な情報はない。彼はゲームが開始される前、近い未来に殺されてしまうからだ。ゲームが聖女視点でしか描かれていないから、直接観測できないキャラの情報はほとんどない。

 その代わり、攻略本には兄の死後、後継ぎに指名された弟ルイス・カトラスのプロフィールが詳しく書かれている。

 

 今回のカトラス旅行のもうひとつの目的は、ダリオ殺害の悲劇を事前に止めることだ。

 しかし、カトラスの問題はえぐすぎて子供の私には手に負えないから、フランに丸投げだ。

 こればっかりはどうしようもないので、彼に託すしかない。

 お見合いしながら信じて待つだけだ。

 

 そんなことを考えながら、ぼんやりとダリオとクリスティーヌを見ていた私は、ふとあることに気が付いた。

 

 ラヴェンダー色のドレスのクリスティーヌ。

 男物の騎士服を来たシルヴァン。

 ふたりは、どちらも銀髪に紫の瞳で、とても顔立ちが似ていた。

 

「ボクとクリスティーヌ様、ちょっと似てるでしょ」

「え……ええ、女の子と似てる、って言うと失礼かもしれないけど……」

「小さいころはもっと似てたんだよ。ボクとクリスティーヌ様はいとこ同士だから」

 

 そうだったっけ?

 

 

 



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銀髪☆パラダイス

「シルヴァンとクリスティーヌ様がいとこ同士だなんて、初耳だわ」

 

 そんなの、攻略本に載ってたっけ?

 今ここで黒歴史ポエムな攻略本を出すわけにもいかないので、私はただ首をかしげるしかない。

 

「母様はボクを産んですぐに亡くなってしまったから、ボクらの世代で知ってる子は少ないのかもしれないね」

 

 なるほど、ゲーム開始前に退場したダリオ・カトラスと一緒か。『聖女に観測されてない人間関係』というやつだ。

 

「先代モーニングスター侯爵夫人と、ボクの母様、そしてクリスティーヌ様のお母様は3姉妹でね。全員、モーニングスター家の血が入ってるんだ。だから、みんなおそろいの銀髪なんだよ」

 

 そういえば、モーニングスター侯爵家跡取の攻略対象も、見事な銀髪だったなあ。

 ゲームで遊んでた時は、『いくらなんでも銀髪率高すぎ!』って思ってたわー。でも、血がつながってるのなら似るのは当たり前だ。

 プレイヤーが混乱しないよう、兄弟でも全然別ものにキャラ設定されてる、ゲームのほうが不自然な世界なのかもしれない。

 

「じゃあ、ふたりは子供のころから付き合いがあるの?」

 

 問題だらけの王室の中で、クリスティーヌもまたいろいろとややこしい問題を抱えている。シルヴァンと関係が深いなら、今回のお友達作戦をきっかけに、クリスティーヌに近づけるかもしれない。

 

「うーん……面識はあるけど、付き合いがあるかって言われると微妙かなあ。クリスティーヌ様は、滅多に離宮から出てこないし、ボクも普段はクレイモア領にいるから。3年前に王妃様主催のお茶会でちょっと見かけたくらいだね」

「そうなんだ」

 

 まあ、そうそううまくはいかないか。

 ゲームで垣間見たふたりの性格だと、お互い親戚だからって仲良くするタイプじゃないし。

 その上、どっちも秘密を抱えてるからなあ……。

 

 王室にはあの王妃様がいる。彼女の目をかいくぐる体制が整うまでは、クリスティーヌ様の問題は棚上げしておいたほうがよさそうだ。

 

「3年前のお茶会で印象に残ったのは、むしろ……」

 

 ふとシルヴァンが言葉を切った。

 複雑そうな目で見られて、シルヴァンが何を思い出しているのかを察する。

 

「お、お願いだから、あの時のことは忘れてぇぇぇ……!」

 

 そういえば3年前のお茶会でリリアーナが突撃した相手のひとりだったね!!

 あの件がきっかけで覚醒したとはいえ、あの日の出来事は闇に葬り去ってしまいたい。

 私が頭を抱えていると、シルヴァンはクスクスと笑い出す。

 

「実を言うと、今回のお見合いは破談にするつもりで来たんだ」

「……ふうん?」

「男なら13にもなれば婚約者のひとりでもいるのが普通だ、って親戚に言われてね。でも、ボクはまだ婚約者を作るわけにはいかないから、とにかく誰でもいいから、一度だけでもお見合いして破談にした記録を作りたかったんだ」

 

 普通の女の子相手なら失礼極まりないシルヴァンの告白だけど、私は驚かなかった。だって、私は彼女の正体を知っているから。できることならぎりぎりまで結婚話から遠ざかりたいはずのクレイモア家が、お見合いを持ち掛けてくるなんて、裏があるに決まってる。

 

「おじい様はハルバード侯爵とつきあいが長いから相談しやすいし。それに……お茶会で見たようなワガママな女の子なら、破談にしてもそんなに罪悪感がないと思ったんだ。でも、失敗したなあ」

 

 はあ、とシルヴァンは大きなため息をついた。

 

「君がこんなにおもしろい子だと思わなかったよ。このまま破談にしてそれっきりになるのは……なんていうか」

「もったいない?」

「すごく都合のいいこと言ってると思うけど、そんな感じ。でも破談にしたらやっぱり、気まずいよね?」

「そうでもないわよ。私も、結婚する気はさらさらなかったもの。あなたに会ってみたかっただけで」

 

 こっちも裏があったことを白状してあげると、シルヴァンは一瞬真顔になった。その後、もう一度大きなため息をつく。

 

「そういうことか! 他の女の子と違って、『女の子扱いして!』って言ってこないから、変だなって思ってたんだよ。ええ……お見合いってこういう時は、どうなるの?」

「もう友達でいいんじゃない? 結婚は考えられないけど、仲良くなりましたってことで」

「そうなのかなあ……?」

 

 シルヴァンは、納得いかないって顔だ。

 まあ、1日遊んだくらいで、これからどう付き合っていくべきか、なんて決められないよね。

 

「とりあえず、私との約束はあと6日残ってるんだし、その間は思いっきり遊びましょ。せっかくカトラスまで来ておいて、ごちゃごちゃ考えてたら損だわ」

「い、いいのかな?」

「ちなみに、明日は主に武器を扱う職人街に行く予定です」

「えっ……」

「カトラスの武器、見てみたくない?」

「その誘い文句はずるいって!」

 

 私の言葉に苦笑したあと、シルヴァンは頷いてくれた。

 

 



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有能な悪役ほど迷惑なものはない

 私とシルヴァンは、翌日も元気よくカトラス観光に繰り出した。

 目的地は約束通り、カトラスの職人街だ。

 

「職人の街って聞いたけど、商店街みたいな雰囲気だね」

「表に見えている店舗は、ショーケースみたいなものなんですって。店の奥に行くと、職人が働いている工房があるらしいわ」

「なるほど……」

 

 私は補佐官から仕入れた知識を披露する。シルヴァンは興味深そうにそれぞれの店を覗き込んだ。そこには、王都でも見かけるようなスタンダードな剣に加えて、複雑怪奇な形をしたナイフなどが並んでいる。

 

「これ、どうやって使うのかしら」

「投擲用のものみたいだね。多分、輸入品だと思うよ」

「貿易港ならではの品物ね」

「ひとつ買ってみたいけど、ちょっと高いかな」

 

 値段を見て、シルヴァンの顔が残念そうなものになる。

 

「クレイモア家は歴史が古いけど、あまり懐は豊かじゃないんだよね……」

 

 結婚するつもりはない、とお互いわかっているせいかな? シルヴァンは見合い相手には明かしちゃいけないことまで、明かしてしまった。

 まあ、その件はシルヴァンが暴露しなくても、知ってたけどね。

 

 ハーティア東の国境を守るクレイモア領は、国境ぞいに険しい山があり、決して実り豊かな土地ではない。その上、ひとたびアギト国と戦いになれば、真っ先に戦地となるため、移住希望者は少ない。だけど、隣国からの侵略を止めるには、常に精強な軍隊を配置しておかなくてはならない。

 維持費のかかる騎士たちを抱えながら、やせた土地で暮らす彼らの財政は基本赤字なのだ。

 

 買えないとわかっていても、武器を見るだけで楽しいらしい。目を輝かせながら歩くシルヴァンを観察していると彼女の視線が、ある店のショーケースで止まった。職人街の中では、ややグレードの高い店だ。

 一緒になって店を覗き込むと、そこには一目で出来がいいことがわかる武器が並んでいた。細工は無骨だけどその品質は他店と一線を画している。

 

「いいお店ね」

「ボクもそう思う。でも、ちょっと値段の桁が違うよ。別の店に行こうか」

「いいじゃない、入りましょ」

「え……」

「せっかく旅行に来たんだし。気に入ったものがあれば、プレゼントしてあげるわよ」

「えええええっ」

「いいからいいから!」

 

 クレイモア家は、騎士に対して税が少なく、そのままでは赤字でつぶれてしまう。しかし、国全体として、彼らに財政破綻してもらうわけにはいかない。クレイモア家がつぶれたら、次に侵略されてつぶされるのは王都だ。だから国をはじめとした諸侯からは、毎年軍事費として多額の支援金が渡されている。

 

 うちも、支援している貴族のひとつだったんだけど。

 

 アギト国のスパイだったクライヴが、毎年何かと理由をつけて、ちょっとずつ支援金を減額してたんだよね……。帳簿チェックをしてて、支援額が元の半分になってるのを見たときには、マジで頭かかえたもん。

 クレイモア家に弱体化してもらいたいアギト国スパイとしては、減額一択だよねえ……。

 ハルバードほどの大侯爵家からの支援が滞ったら、クレイモア家は大打撃だ。

 だから、クレイモア家の財政危機はうちの責任、とも言える。

 

 本来、即刻お詫びの品を持って、お金を納めに行く事案だ。しかし、クライヴの不正が発覚してから2年たった今も支援金はさほど増額できてない。それはなぜか。

 うちも結構ヤバかったのだ。

 賄賂を贈りまくる執事に、運営費を着服する騎士隊長、私腹を肥やす悪代官……中間管理職がこぞって税収を中抜きしまくったら、さすがの大領主でも傾きますって。

 スパイを一掃して悪代官を全員身ぐるみ剥いでたたき出してもまだ足りない。兄様が『魔力式瞬間湯沸かし器』で一山あててくれなかったら、何年もしないうちに財政破綻してたと思う。

 

 今年になって、やっと財政が元の水準に戻ったから、機会を見て支援を再開する予定だ。とはいえ、迷惑かけちゃったから、何かお詫びの品は渡したい。

 

 そう思って入った店で、私は予想外の出費をする羽目になった。

 



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武器工房

「これはこれは、お嬢様、お坊ちゃま。ようこそおいでくださいました」

 

 私たちが貴族だと見てとった店主は、子供相手にも関わらず、上機嫌で私たちを招き入れた。店舗の中央に設けられた商談スペースのソファをすすめてくれる。

 私は、シルヴァンにエスコートされてそこに座った。

 

「彼にプレゼントがしたいの。オススメを見せてちょうだい」

「でしたら……こちらなどいかがでしょうか」

 

 商談のチャンスと見たのか、店主は奥からひときわ高そうな武器を持ってきた。

 シルヴァンの体格に合いそうな細身の剣だ。

 

「いい剣だね。つくりがよくて、バランスもいい」

「良いでしょう! つい昨日仕上がってきたばかりの逸品ですよ。ドワーフの専属職人に細工させています」

「どわあふ」

 

 思わず繰り返してしまった。ネコミミ獣人を連れていて今更かもしれないけど、現代日本育ちとしては、ファンタジー種族が出てくるとびっくりしてしまう。

 

「お嬢様はご存知ないかもしれませんねえ。海を渡った西の国からやってきた種族ですよ。金属の扱いに長けていて、とてもよい武器を作ります」

「柄頭に魔法がかけてあるわ。何かしら……」

 

 剣から不思議な魔力の流れを感じて指摘すると、店主は目を見開く。

 

「よくわかりましたね。こいつは土の魔法で強度をあげているんです。だから、見た目が細くても打ち合いで折れたりしません」

「なるほど……よく見たら、文字みたいな模様が彫り込まれてるわね」

「そいつが魔法のタネですな。ドワーフの古いまじない言葉らしいです。私は読めませんが」

「……ジェイド、これは読める?」

 

 私は、背後で黒子に徹していた従者に声をかけた。魔法使いはまじないに通じている。東の賢者の弟子である彼なら、ドワーフの言葉もわかるかもしれない。

 従者はすっと前に出ると、しばらく文字を見つめる。ぱちぱちと数回瞬きしたあと、顔をあげた。

 

「いえ、読めません。さすがにドワーフの文字は専門外なので」

「そう……。ねえ、こんな魔法をかけてある武器は他にもあるの? 彼とお揃いで私も似たものがほしいわ」

「かしこまりました! 少々お待ちください!」

 

 高価な細工物の剣をもうひとつ買う、と宣言されて、店主は大喜びで店の奥に引っ込んだ。彼が私たちの前からいなくなったのを見計らって、私はもう一度ジェイドに尋ねる。

 

「それで、本当は何が書いてあったの?」

 

 さっきの瞬きは、何か裏がある、という合図だ。

 その場で口にしなかったのは、おそらく店主には聞かせられない内容だったから。

 

 ジェイドはもう一度剣に刻まれたドワーフの言葉を見つめてから、口を開いた。

 

「助けてくれ、工房の地下に閉じ込められている、と」

 

 



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カトラスの『特産品』

「地下室に、人が……?」

 

 その言葉を聞いて、シルヴァンも、彼の護衛3人もぎょっとした顔になる。

 

「店主に隠れて外部に助けを求めるために、わざとドワーフの言葉で刻印したのでしょう」

「その職人は、何故閉じ込められてるんだ?」

「……多分、人身売買よ。恐らくどこかで誘拐されて、この工房に売られてきたんだわ」

 

 私が答えると、シルヴァンの顔からさあっと血の気がひいていく。

 

「あり得ない……人を金で売り買いするなんて!」

「でも、そのあり得ないことを商売にする人たちが、カトラスにいるのよ」

 

 これが、『子供の私では手が出せないカトラスの問題』だ。

 

 ハーティア最大の貿易港、カトラス。

 ここでは食料から工業製品まで、多種多様な品物が取引されている。その中でも、ここ数年隠れた目玉商品となっているのが、『人間』だ。

 単純労働を行う雑役奴隷が二束三文で売買される横で、高度な技術を身に着けた職人が高額で取引されている。地下に閉じ込められた彼も、そうやって売り買いされてきたのだろう。

 

 シルヴァンの反応から解るように、ハーティアでは人身売買が固く禁じられている。国にバレたら、売った者も買った者も全員まとめて死刑だ。だからそんなリスキーな犯罪に手を染める者は少数派だ。

 でも、領地を統括している侯爵家が人身売買の元締めだったら?

 こんなに商売しやすい土地はないだろう。

 

「ジェイド、本当に地下に人がいるのか、わかる?」

 

 私が尋ねると、ジェイドはこくりと頷いた。

 

「地下から数名分の魔力が感じられます。ただ、状況まではわかりませんね。フィーア、音は拾える?」

「やってみるわ」

 

 感覚の鋭い獣人フィーアがネコミミをぴんとたてた。工房に意識を向ける。

 

「何か、言い争ってるみたいです。でも細かいことまでは……」

「風の魔法で補助してみよう」

 

 ジェイドはフィーアに手をかざした。風がフィーアに向かってかすかに流れていく。

 

「……聞こえるようになりました。店主が職人に武器への魔法付与を命令しています。ですが、作業ができるほど体力が残っていないようです。拒絶して……暴力をふるわれているようですね」

「ボクたちが行って止めてこよう。リオン、お前はカトラスの警備兵を呼んで来てくれ」

「待って」

 護衛騎士のひとりに指示を出し、奥に乗り込んでいこうとするシルヴァンを止める。彼は不満そうに私を振り返った。

 

「リリィ? どうして止めるんだよ」

「……」

 

 どう言っていいのかわからず、私は言葉につまる。

 

 もちろん、私だってカトラスの人身売買を放っておく気はない。

 だけど、それはフランの担当だ。

 大して証拠もないのに、今警備兵を呼びにいって派手に騒いだらどうなるだろう? きっと店主にはごまかされてしまうし、犯罪が明るみに出ることを恐れた関係者は、雲隠れしてしまう。きっと救えない人がたくさん出るだろう。

 

「地下の職人は、作業もできないほど弱っているんだろう? 見殺しにはできないよ」

 

 助けを求めている職人に残された時間は少ない。そのことが、問題をより複雑にしていた。

 

 私だって、死にそうな人を見捨てたいと思ってないよ!

 でも、今この時だって、全員を助けるためにフランが努力してくれてるの!

 彼の仕事を無駄にするような真似もしたくないの!

 

 ああああもう、自分の頭が所詮凡人止まりなことがうらめしい。

 フランだったらきっと、何かいい手を思い付くに違いないのに。

 でも、この場に彼はいない。

 

 私は、自分の判断だけでどうにかしなくちゃいけないんだ。

 

 考えろ。

 私にできるのは、足掻くことだけだ。

 職人の命も、この街の問題も、諦めてしまったらそこで零れ落ちていってしまう。

 考えろ。

 あの腹黒補佐官なら、こんなときどんな裏技を思い付く?

 

『お前が足掻くのなら、どんなことでも手を貸してやろう』

 

 大丈夫、私には、諦めなければ手を差し伸べてくれる仲間がいる。

 

「誰も諦めろとは言ってないわ。正面きってぶつかる以外にも、方法はあるって言ってるの」

 

 私は腹をくくって顔をあげる。

 やらなくちゃいけないなら、やってやろうじゃないの。

 

「どういうこと?」

「私にまかせて」

 

 その結果、フランに迷惑がかかるかもしれないけど、その時はその時だから!

 

 

 



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悪役令嬢流ワガママショッピング

「お待たせして申し訳ありません、お嬢様」

 

 しばらくして、店主が店に戻ってきた。その額にはうっすらを汗が浮いている。

 職人を折檻して体を動かしたせいだろう。

 

「そして重ね重ね申し訳ないのですが……残念ながら、在庫の中に同じ魔法をかけた武器は、ございませんで……」

「えー、それは困るわ! おそろいがいいの、おそろいが!」

 

 私が『おそろい』を強調すると、店主はしきりに汗を拭きながら言い訳を並べる。

 

「あの、少しお時間を頂くことはできませんか? 魔法をかける商品を選んでいただけましたら、職人に作業をさせて後日お届けにあがります」

「それじゃ遅いわよ。私も彼も明日にはカトラスを出る予定なんだもの」

「でしたら、宿ではなくご自宅のほうに配達いたしますよ」

「それで受け取ってみて、魔法がうまく働いてなかったらどうするの?」

「そ……その時は、一度返品していただいて、再度配達させていただければ……」

「あーもう、まだるっこしいわね!」

 

 私は、ワガママ全開で叫んだ。

 

「いちいち注文するのは面倒だわ。ジェイド、金貨を」

「はい、お嬢様」

 

 ジェイドは懐から金貨の入ったお財布を出した。

 ことさらに、見せびらかすようにして店主の前に金貨を積み上げる。

 

「お店と職人ごと、この工房を買うわ。お金を持って出ていってちょうだい」

「……は」

「自宅に職人を連れて帰って、ゆっくり自分好みの武器を作らせればいいのよ!」

 

 店主の顔から表情がすっぽぬけた。

 

「あなた、言葉はちゃんとわかる? このお店を全部買うって言ったのよ」

「……そ、そうなんですか?」

 

 まあ、言葉がわかってても、理解がついていかないよね。

 そうなると思って、わざと追い詰めるような言い方をしてるんだけど。

 

「し……しかしですね、お嬢様。こちらの工房は私がほんの駆け出しのころから、必死に守ってきた店でしてね。大事なものもたくさん……」

「これじゃ足りない?」

 

 ちゃりん、ちゃりん、ちゃりん。

 ジェイドがさらに金貨を積み上げる。

 

「そそそそそそ、そんなことは!」

「じゃあ商談成立ね!」

 

 にこっ、と満面の笑みを向けてあげると、店主の顔からは脂汗が滝のように流れ始めた。

 こんな要求してくる客、今までの人生でいなかっただろうなあ。

 

「しかしですね……」

「安心して」

 

 私は、笑顔のままかわいらしい声で囁く。

 

「地下の秘密の職人さんのことは、内緒にしておいてあげる」

「な、なぜそれを!」

 

 店主の汗が脂汗から冷や汗に切り替わった。

 

「ごめんなさい、手品のタネは明かさない主義なの。ねえ、考えてみてちょうだい。私たちはこれから、カトラスの警備兵のところに行くこともできるの」

「う……」

「でも、そんなことになったら、あなたは死刑になっちゃうし、職人さんも元いた国へ送り返されちゃうわよね? 私も魔法の剣が手に入らなくて、困っちゃうわ」

「……そ、そのようで」

「ねえ、決めてちょうだい。このまま金貨を持って出ていくか、護衛騎士に警備隊を呼ばせるか」

 

 見つめること数十秒。

 ついに耐えきれなくなった店主は、立ち上がった。

 

「お買い上げありがとうございますっ!!!」

 

 彼はテーブルの上の金貨をひったくると、そのままダッシュで逃げていってしまった。

 

「な……なんとかなった……」

 

 店主がいなくなったのを見届けてから、私はソファにずるずると体を預けてへたりこむ。

 脛に傷を持つ店主は、私に店を売った経緯を言いふらすことはないだろう。職人街で武器屋を店ごと買った変なお嬢様の噂が立つかもしれないけど、多分人身売買組織を刺激するようなことにはならないはず。

 私がせっせと貯めたお小遣いがめちゃくちゃ減ったけど、これはもう必要経費と思って諦めることにする。

 遊びに使う金貨よりは、目の前の人だ。

 

「リリィって、かっこいいね……!」

 

 シルヴァンがまじまじと私を見る。

 

「腹黒補佐官の真似をしただけよ」

 

 フランの悪辣な思考ほど、お子様の健全な成長に悪影響を及ぼすものはないんじゃないかな。今回は役に立ったけど。

 

「ああ本当に……君と結婚できないのが残念」

 

 シルヴァンは複雑な顔で笑う。

 

「私たちの関係に名前をつけるのは後でいいんじゃない。それより、せっかくお店を買い取ったんだから、職人を助けなくちゃ」

 

 私たちの指示を受けて、従者と護衛騎士たちは工房の奥へと向かっていった。

 

 



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その武器は呪われていた!

 工房の地下から発見されたのは、小柄で痩せた男の人だった。

 髪の毛もおヒゲももじゃもじゃなところは、いかにもファンタジー世界のドワーフ! って感じだけど、痩せてやつれているせいか、武器職人には見えない。

 看護が必要な病人だ。

 

 店まで連れてきて、ソファに横たえると職人さんは、ぜい、と苦しそうな息を吐いた。

 

「あんた……たちは……?」

「この店ごとあなたを買ったお嬢様よ。安心して、無理に働かせる気はないから」

「はあ……」

「自分の名前は言える?」

「オラの名前……は……マリク……」

 

 喋ること自体がつらいのか、そこまで告げて職人マリクはまた、ぜい、と息をつく。

 そして、彼の名前を聞いた私も、息をのんだ。

 

「呪われしマリク武器……?」

「リリィ、知ってるの?」

「う、ううん! 似た名前の職人さんがいたから、ちょっと気になっただけ!」

 

 ごまかしつつも、私の心臓はバクバクだ。

 気になったどころじゃない。

 

 この世界で一番ヤバい武器の製造者じゃん!!

 

 といってもヤバいくらい高性能な武器、ではない。

 手にしたらヤバいことになる武器だ。

 

 彼の作った武器はすべて呪われているのだから。

 

 呪われた装備、っていうのはRPGなんかでたまに出てくる罠アイテムだ。見た目は豪華だし、パラメータも上がるからと装備すると、呪われて体力低下とか筋力低下とかのデバフがついてしまう。そういう装備は大抵、解呪のイベントとワンセットになっていて、呪いを解くとデバフが解除されたり、さらにパワーアップした武器に化けたりする。

 

 しかし、マリク武器の呪いにそんなご都合主義は存在しない。

 

 ハーティア国民が手にするとその時点で幸運値がほぼゼロになり、あれよあれよという間に不幸に見舞われてデッドエンドに直行してしまう。解呪しようにも、運勢がめちゃくちゃ悪い状態なので、祝福を扱う神殿なんかに行く途中で空から隕石が降ってきたりして命を落とす。

 まさに、初見殺しの極みの罠である。

 

 製造者のマリクはゲーム開始時点で死んでいたため、名前以外の情報は一切残されていない。調査しようにも、マリクに関するものに近づいた時点でだいたい呪われて死ぬので、聖女であっても謎が解けないのだ。

 

 マリクが何故、こんなにもハーティアを恨んでるのか疑問だったんだけど……工房に売られて死ぬまで働かされたら、そりゃー呪いのひとつくらい残したくなるよね。

 

 危ない危ない。

 助けておいてよかった。

 こんな危険な武器職人さんは、手当をして早めにこの国からお引き取り願おう。

 

「生まれはどこなの? ついでだし、故郷まで送り届けてあげるわよ」

「そ、それは困るだ!」

「え?」

 

 捕まってたんだし、故郷に戻るのって嬉しいんじゃないの?

 

「オラ、精霊銀(ミスリル)を求めてこの大陸に渡ってきただ。ミスリルを見つけるまでは、帰るわけにはいかないだよ」

「ええ……」

 

 どうやら、職人マリクは伝説上の金属を求めてハーティアに来てしまったらしい。

 

 



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精霊銀

「ミスリル……っていうと、おとぎ話に出てくる伝説の金属じゃなかったっけ?」

 

 鍛冶職人マリクの求める金属の名前を聞いて、シルヴァンが首をかしげた。

 

「一応、実在する金属よ。王城の地下で厄災を封じている建国王の剣が、ミスリルでできてるはずだから。あんまり珍しすぎて、どんな金属なのかよくわかってないけど」

「師匠によると、組成自体は普通の銀と変わらないそうです。ですが、何万年も高濃度の魔力にさらされた結果、異常に魔力の循環特性が高くなっているようです」

 

 東の賢者の愛弟子、ジェイドが補足説明してくれる。

 

「ミスリルが欲しい、って。まさか王城に忍び込もうっていうんじゃないわよね?」

「ち、ちがうだ! オラが探しているのは、ミスリルの鉱脈だ!」

「そんなもの、あるの?」

 

 私もシルヴァンも、そして聞いていた他の従者たちも目を見合わせる。

 

「本当だ! お、オラ、何十年もかけて世界中の大地の魔力の流れを調べただ! その中に銀の鉱脈と魔力の終結点が重なってるところがあるだよ! ほれ、これを見てくれ!!」

 

 マリクは懐からぼろぼろの羊皮紙を取り出した。

 そこには大地の形の上に魔力の流れを表すらしい線がいくつも書き込まれている。それらは、ハーティア東部のある1点に収束している。

 

「ここって……クレイモア領の中よね? でも、そんなところに銀鉱脈って無かったような……」

 

 領主代理としてハーティア各地の特産品は把握しているけど、クレイモアから銀、という話は聞いた覚えがなかった。そう思ってシルヴァンを見たら、彼女の顔は青ざめていた。

 

 え?

 マジでクレイモアに鉱脈あるの?

 

「……ある。採算がとれなくなって、何百年も前に閉鎖された場所だけど」

 

 なるほど、すでに資源が尽きている鉱脈なのか。だから、クレイモアの歴史に詳しい人間しか、その存在を記憶していないのだ。

 マリクは外国人にも関わらず、そのありかを正確に言い当てた。魔力の流れについてはともかく、鉱脈を探し当てる技術は確かなようだ。

 

「こんなところからミスリルが……?」

「ある! 絶対でてくるはずだ!」

 

 さっきまで死にそうだったはずのマリクが、シルヴァンに向かって必死に声をあげる。

 彼にとっては、ミスリルこそが命のよりどころなのだろう。

 

「あんた、クレイモアゆかりの貴族なんだろう? 頼む! オラにこの鉱脈を掘らせてくれ!」

「しかし……」

「もう閉鎖されてるってんなら、無用の場所だ。掘りなおしたって損にはならねえだろ? できたモンは全部あんたにおさめるから!」

「ミスリルがほしいんじゃないのか?」

「オラはただ、一生に一度だけでもミスリルで武器が作ってみてえ、それだけだ!」

「……困ったな」

 

 シルヴァンはうーん、とうなったあと、護衛騎士たちに視線を送った。彼らもまた、困り果てた視線を主人に送る。

 シルヴァンは確かにクレイモア家の跡取だ。

 しかし、所詮まだ子供。

 領地の重要資源施設に外国人を連れていくような権限はない。

 

「……恐れながら」

 

 フィーアが静かに口をはさんだ。

 

「彼のようにひとつのことに執着しているタイプは、目的のために手段を選びません。ここで強制的に国外へ退去させても、何らかの手段で戻ってくるでしょう」

「その時にまた、誘拐されないとも限らないわね」

 

 それでまた呪いの武器を量産されたら元も子もない。

 シルヴァンはさらにもう一度、うーん、とうなる。

 

「ここで放り出すのは得策じゃない、ってことだよね。どうしようかな」

 

 人ひとりの人生の判断は、13歳の子供の手にあまる。

 私も、自分の領地の問題だったら、自分の責任で判断できるけど、これはクレイモアの問題だ。下手なアドバイスをして、両家の関係がこじれたら困る。

 

 私は再び沈黙した。

 

 考えろ。

 こんなとき、私の相棒ならどうする?

 

 



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悪役令嬢は必殺技をくりだした!

「ええとつまり……シルヴァンひとりじゃ判断できない、ってことよね?」

 

 しばらく考えてから、私はシルヴァンに尋ねた。彼女は素直にうなずく。

 

 まあ、普通の13歳はそうだよね。

 11歳の小娘を領主代理にして決裁権を渡すハルバード家とフランがおかしいだけで。

 

「じゃ、判断できる人にまかせましょ」

「え」

「シルヴァンが逗留している宿? 別荘だっけ? ともかく、泊ってる屋敷にはクレイモア伯もいらっしゃるんでしょ。彼を連れていって、鉱脈を調査させるかどうか、決めてもらうの」

 

 必殺!

 他人に丸投げ!!!

 

 現場で勝手なことができないなら、判断できる人間に投げればいいのだ。領主代理の2年間、何度この思考でフランに決裁を投げたことか!

 その反撃とばかりに、とんでもない現場作業が飛んできたこともあるけど!!

 

「確かに、ここで判断できるのはそれが限界だね」

 

 はあ、とシルヴァンが息を吐く。

 自分が決めなくちゃ、とかなり気を張ってたみたいだ。

 

「マリク、君の処遇は一旦ボクのおじい様……クレイモア伯の判断にゆだねる。それでいいかな?」

「クレイモアの……領主様に……ありがとうございます……!」

 

 領地のトップに話を繋いでもらえると聞いて安心したのか、マリクはふっとその場に崩れ落ちた。

 

「マリク?」

「気絶したようです」

 

 ジェイドがすばやくマリクの容体を診る。

 

「……ずいぶん衰弱しています。さきほど興奮したのがよくなかったようですね」

「ジェイド、治療できる?」

「現状維持が限界ですね。本格的に治療するなら、専門の環境と薬が必要です」

「保たせて」

「かしこまりました」

 

 さて、ここからは時間との勝負だ。

 シルヴァンが立ち上がると、護衛騎士に指示を出す。

 

「リオン、お前は先におじい様のところに戻って、報告を。それから彼を運ぶための人手と馬車を手配してくれ」

「了解しました」

「うちにも伝令を出したいところね」

「何かあるの?」

「医学の権威、東の賢者がうちの別荘でヒマをつぶしてるはずよ。お酒飲んで寝てなければ、使えるはずだわ」

「そうですね……彼の命を確実に救うのなら、師匠に治療させたほうがいいです」

「となると、ハルバードへの伝令と、マリクにつく護衛と……君を別荘まで送り届ける護衛が必要だね」

「シルヴァン自身の護衛もいるよね?」

 

 護衛騎士の残りはふたり。そして、ジェイドはマリクの治療で動けない。

 微妙に人手が足りてない状況だ。

 

「伝令だけ出して、私はここに残ろうかな」

 

 護衛対象はできるだけ固まってたほうがいいよね?

 

「それはおすすめできません」

 

 フィーアが顔を曇らせる。

 

「先ほどの店主は、ご主人様の常軌を逸した行動に驚いて逃げただけです。時間が経ち、冷静になったあとで、仲間を連れて戻ってこないとも限りません」

「動けない病人と、戦えないご令嬢の両方を抱えて、この店で籠城戦をするのは避けたいな」

 

 じゃあどうしよう?

 

「まずはリリアーナ様をできるだけ早く安全な場所に移してはいかがでしょう」

 

 護衛騎士の提案に、シルヴァンが肯く。

 

「ラウルの言う通りだね。武器職人と侯爵令嬢、狙われるとしたらリリィのほうだろうから」

「マリクのそばには、私だけ残していただければ十分ですよ。どうせ治療のために側を離れられませんし、隠れて待つだけなら少人数のほうが動きやすいですから」

 

 マリクの治療を続けながら、ジェイドが言う。

 彼には鋭い魔力探知能力と、師匠仕込みの戦闘回避スキルがある。逃げ隠れするだけなら、いくらでも方法があるだろう。

 シルヴァンは部屋の中を見回すと、残りの戦力に指示を出した。

 

「では、マリクの護衛はリリアーナ嬢の従者殿にお願いする。ボクは、グレイとラウルと一緒にリリィを別荘まで送り届けよう。ハルバードへの伝令は諦めることになるけど、どうせボクらが向かう先も同じだからね」

「護衛対象の私たちが固まって動くなら、戦力の分散は抑えられるわね」

「それに、護衛対象といっても、ボクは剣で戦えるから」

 

 シルヴァンが腰に差した剣をぽんと叩く。

 

「なるほど、戦力的には護衛対象が私ひとりしかいない計算なのね」

 

 4人でひとりを守る構成なら問題なさそうだ。

 そう言ってひとり納得していると、今度はシルヴァンが首をかしげた。

 

「えっ? ……その子って、侍女だよね?」

「フィーアはむしろ護衛よ」

 

 小柄で可憐な獣人少女は、笑顔で懐から刃物を取り出した。

 

「かわいくしてると、周りが油断してくれるからおとなしくしてるだけなの。戦ったら強いわよ」

 

 多分、ルール無用の殺し合いなら、フィーアがぶっちぎりで勝つと思う。

 

 

 



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辻馬車

 マリクのことはジェイドにまかせて、私たちは武器屋から出た。

 

 現在のメンバー構成は、私、シルヴァン、フィーア、に護衛騎士ふたりをあわせた総勢5人だ。デートに繰り出した時とは違い、フィーアも護衛騎士も、私たちにぴったりとついて歩いている。何かあったときにフォローしてくれる仲間が少ないもんね。

 

「辻馬車を捕まえてきます、こちらでお待ちください」

「頼む、グレイ」

 

 大通りまで出たところで、護衛騎士のひとりがそう言って私たちから離れた。

 辻馬車、っていうのは家や組織の専属じゃない馬車のこと。いわば、この世界版のタクシーだ。女子供の足でゆっくり歩いてたら、別荘につくまで時間がかかりすぎてしまう。馬車でも使わないとやってられない。

 

 来るときはお互い自分の家の馬車を使ってここまで来たんだけど、現代日本と違ってこの世界には駐車場なんてものはない。でっかい貴族むけの馬車を職人街の真ん中に停めっぱなしだと迷惑になるから、一度帰しちゃったんだよね。当然、迎えの時間まで家の馬車は来ない。

 

 私は護衛騎士グレイが向かった方向を見る。今は人通りの多い時間帯なんだろうか? 来た時より増えたように見える人の波にもまれて、彼の姿はすぐに見えなくなった。

 残った私たちは、周囲を見回しながら彼の帰りを待つ。

 

 でも……。

 

「遅くない?」

 

 しばらくしてから、私はシルヴァンに声をかけた。彼女も厳しい顔で頷く。

 

「土地勘のない場所で、馬車の手配に手間取っていると、思いたいが……」

 

 この状況で、最悪のことを考えないほど、私たちは油断してない。

 感覚の鋭いフィーアの意見を聞こうと、声をかけようとした瞬間、彼女のネコミミがぴくん、と動いた。

 

「おふたりとも、こちらへ!」

 

 彼女は私たちの手をとると、強引に裏路地へと入っていく。

 

「フィーア?」

「待ってよ! グレイがまだ戻って……」

「彼は戻ってきません」

 

 走りながら、フィーアが断言する。

 

「辻馬車に声をかけようと気をそらした瞬間、物陰に隠れていた何者かに刺されました」

「どうしてそんなことがわかる?」

 

 急に裏路地へと駆け出した私たちを追って、あとからやってきた護衛騎士ラウルが尋ねる。

 

「彼の悲鳴が聞こえましたから」

 

 私とシルヴァンを路地の奥へと押し込みながら、フィーアが答える。彼女は、護衛騎士に立ちはだかるようにしてナイフを構えた。

 

「は、獣人っていっても、あんな人混みの先の声まで聞こえるものか?」

「私は特に感覚が鋭いので。それに……悲鳴以外にも聞こえましたよ。『ラウルの合図でガキを殺ろう』って台詞が」

「な……」

 

 シルヴァンが息をのむ。

 ……ラウルって、最後に残った目の前の護衛騎士の名前だよね?

 

「ちっ……さすがハルバード家の護衛、ってことか。ガキだと思って油断したぜ」

 

 護衛騎士の目に凶悪な光がともる。

 そこに、さっきまで私たちに見せていた気遣いは一切残されていなかった。

 

「ラウル……?」

「あんたに生きてられたら面倒だ、って方がクレイモアの親戚にいてね。旅行で護衛が減った時を見計らって、殺してこいって依頼されてんだよ」

「何故こんなことを? お前は十年以上もクレイモアに仕えてきた騎士だろう!」

「騎士たるもの清廉たれ、っつー騎士の鑑みたいなジジイの下じゃ、甘い汁もろくに吸えないもんでね。ハルバードのご令嬢と結婚でもすりゃあ、懐も潤うっていうのに、結婚する気はねえと言い出すしよ」

「馬鹿ね。あと半年もすれば、ハルバードからお金が入るのに」

「なに?」

 

 ラウルが『金』の言葉に気を取られた瞬間、フィーアが動いた。

 警戒を誘うようにちらつかせていたナイフとは反対の手で、ポケットから小瓶を取り出し、ラウルに投げつける。それはラウルの顔に当たった瞬間、勝手にはじけて中身をぶちまけた。

 

「ぎゃああっ! 目がああああああっ!」

 

 東の賢者特製の目つぶし薬だ!

 現代の薬品だけの催涙弾と違って魔法がかけてあるから、洗っただけじゃ治らないぞ!

 

「走りますよ!」

 

 フィーアの声に追い立てられるようにして、私たちは走り出した。

 

 

 



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誰も見捨てない

「こちらへ!」

 

 フィーアの先導で、私たちは職人街の裏路地をひたすら走った。

 3人とも、この辺りの土地勘は一切ない。敵の気配を察知できるフィーアの感覚だけが頼りだ。

 

 ぐるぐると角を曲がったあと、人気のない空き家ばかりの路地の奥で、フィーアがやっと止まる。油断なく周囲を確認してから、ぼろぼろの家の中に私たちを押し込んだ。

 

「は、入っていいの?」

「どうせ無人です。避難所として問題ありません」

 

 いやそうじゃなくてね。

 持ち主がいたらとかね?

 ……まあ、中はほこりだらけだし、放置されっぱなしみたいだから、文句言ってくる人もいないか。

 

 正直、走りすぎてもう足がガクガクだったんだ。

 どのみち一息つかなきゃ、逃げられそうにない。

 

「武器屋には戻れそう?」

「駄目です。間に人を配置されました。戻れば、囲まれて捕らえられます」

「進むしかないか……!」

 

 シルヴァンが悔しそうに唇を噛む。

 

「ラウルを雇ったのは、おそらく叔父の誰かだ。前々から、ボクを排除してクレイモアの実権を握りたがっていたから。実を言うと、見合い話の原因も叔父たちなんだ……。彼らは、ボクが女なんじゃないかという、荒唐無稽な妄想を抱いているみたいでね」

「叔父様方に跡取の座を明け渡すことはできませんか? 見逃してくれるかもしれませんよ」

「フィーア!」

 

 トンデモ解決策を提案するフィーアを思わず咎める。

 確かに提案のひとつだけどね? 多分無理だと思うよ?

 

「それはできない」

 

 シルヴァンも首を振った。

 

「ボクはクレイモアの血族として、領民と騎士、そして国に責任がある。蓄えられた財を食いつぶすことしか考えていない人間に、任せることはできない」

「だとしたら、何としても生きて戻るしかないわね」

「狙われているのは、あくまでもボクだ。リリィはここで離れたほうがいいかもしれない」

「こんな土地勘のないところで、子供ひとり置いておけないわよ」

 

 窮地の孤独感は、人から判断力を奪う。

 戦闘訓練をうけた18歳のフランでさえ、護衛を全部殺されてひとり残されたら、判断を見失って『俺を殺せ』とか言い出したりするんだから。

 騎士として育てられたとはいえ、トラブル経験のほとんどない13歳がひとりで逃げたらどうなるか、考えなくてもわかる。

 私もめちゃくちゃ大人ってわけじゃないけど、何度か命を狙われて場数だけは踏んでいる。彼女が自暴自棄になるのを止めるくらいはできるはず。

 

「どうせ、あいつらはラウルの正体を知ってしまった私も殺す気でいるわ。別れたところで、結果は一緒よ」

「……ありがとう。護衛の君にも迷惑をかけちゃうけど、助けてほしい」

 

 シルヴァンが声をかけると、フィーアは首を振った。

 

「私は、ご主人様が誰も見捨てなかったから生きているのです。ご主人様の救いたいという意志を止めたりはしません」

「……リリィはいい部下を持ったね。うらやましい」

 

 シルヴァンは乾いた笑顔を浮かべる。

 

「大丈夫よ。今回は裏切られちゃったけど、誠実に頑張ってれば必ず頼れる味方は現れるわ」

「無理に励まさなくてもいいよ?」

 

 ついさっき古参の護衛騎士に裏切られたばかりのシルヴァンは、あまり信じてくれない。お見合い旅行に連れてくるくらいだもん、シルヴァンだけじゃなく、クレイモア伯からの信頼もあつかったんだろうなあ。

 そんなキャリア充分な騎士が、なにもこんな時に裏切らなくてもよくない?

 ……まあ、こんな時だからチャンス到来とばかりに裏切ったんだろうけどさー。

 

「無理なんかじゃないわ、私の実体験よ。筆頭執事と騎士隊長と地方代官に裏切られて、部下の大半を失っても、頼りになる補佐官が現れて、ハルバードはなんとか持ち直したもの」

「それはすごいね……」

 

 私は大きく深呼吸する。

 なにはともあれ、3人そろって生き残らなくちゃ。

 そのためにはまず、一番体力のない私が息を整えて回復しないと。

 

「フィーア、外の様子はどう?」

「今のところは……いえ、ちょっと待ってください」

 

 フィーアのネコミミがぴくんと動く。

 

「反対方向から人が……」

「追手か?」

「それにしては……何かおかしいです」

 

 私は、ぼろぼろの空き家の窓から外を覗いた。そこには、こちらに向かって全力で走ってくる、銀髪の男の子の姿があった。

 

 

 

 



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銀髪

 空き家から外を伺っていると、銀髪の男の子がやってくるのが見えた。

 彼は誰かに追われているようで、しきりに後ろを振り返りながら走っている。そのさらに後ろからは、男たちの怒鳴り声が響いてきた。

 

「銀髪のガキはあっちだ!」

「捕まえろ!」

 

 私はとっさに空き家から体を出して、男の子に声をかける。

 

「こっち!」

 

 男の子は、すぐに空き家へと体を滑り込ませてきた。

 私たちは元通りドアを閉めて、息をひそめる。

 

 しばらくして、何人もの男たちがやってきて、口々に怒鳴り合いをはじめた。

 

「畜生……見失った!」

「どうなってやがるんだ? ガキはあっちの職人街から逃げてきてるんだろ?」

「なんで反対方向から出てくるんだよ!」

「おいラルフ! あいつで間違いねえよな?」

「わかるかよ……今は目が見えないんだ……クソッ、痛ぇ……!」

「ちっ、使えねえな」

「しょうがねえ、もう一度職人街に戻ってみようぜ」

 

 男たちは軽く相談すると、その場を離れていった。

 彼らの足音が完全に聞こえなくなってから、私たちは大きく息を吐く。

 

「な……なんなんだ……あいつら」

 

 銀髪の男の子は、埃だらけの床に座り込んで、荒く息を吐いた。

 着崩した安物のチュニックをはだけて、ぱたぱたと胸元に風を送る。

 

「あなた、どうして追われてたの?」

「わかんねぇ。歩いてたら突然、『銀髪のガキを捕まえろ!』って男に囲まれたから逃げてきたんだ。正直、ここに飛び込まなかったら捕まってたと思う。……どこの誰か知らねえが、ありがとうな」

「うーん、お礼を言うのは早いと思うわ」

「へ?」

「君が追われたのは、多分ボクのせいだよ」

 

 銀髪の男の子は顔をあげてシルヴァンを見て、びきっ、と固まった。

 うん、その気持ちはよくわかる。

 

 輝くような銀の髪、深い紫の瞳。

 シルヴァンと男の子は、まるで鏡で映したかのように、そっくりだった。

 

 ただ、着ているものと体格が違う。

 細い体を隠すように、ぴっちりと男物の騎士服を着ているシルヴァンに対して、男の子は安物のチュニックとズボンを着ていた。ラフに着崩したその襟元からは、男の子特有の首のラインと胸板が覗いている。

 シルヴァンと同じ中世的な美少年にも関わらず、最初から私が『男の子』と呼んでいたのはそのせいだ。

 

「お前……何モンだ?」

「ボクは、シルヴァン。クレイモア伯爵家の長男だ。君を追っていたのは、おそらくボクを殺そうとしている者たちだね」

「あ……クレイモア? そういうことか……」

「ボクからも質問していいかな?」

「あん?」

「君は何者なの?」

「あー……」

 

 シルヴァンから直球の質問を投げられて、男の子はガリガリと頭をかいた。

 多分、どうごまかそうか考えてるんだと思う。

 

 でも、私は男の子の正体を知っている。

 だから、何か言い訳される前に、その名前を呼んだ。

 

「クリスティーヌ様でしょ、あなた」

「えっ……?!」

 

 今度は、シルヴァンの顔がびきっと固まった。

 



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クリスティーヌ

 私が名前を呼ぶと、シルヴァンが顔を引きつらせ、銀髪の男の子『クリスティーヌ』がうろたえた。

 

「おま……っ、いきなり何を……!」

「王都から離れたこんなところに、シルヴァンそっくりの銀髪の子が都合よく何人もいるわけないでしょ。この子、クリスティーヌ様よ」

「リリィ、君だって港でクリスティーヌ様を見ただろう。顔は似ていたが、あんなに可憐な子が、こんなにガラの悪い奴になるとは……」

「あの時着てたドレスは、ふんわりとした体の線の出ないデザインだったでしょ。化粧して髪を結ったら、あれくらい化けられるわよ」

「し……しかし……クリスティーヌ様は……女の子……で……」

 

 それをシルヴァンが言う?

 とは思ったけど、そのセリフはギリギリのところで飲み込んだ。

 

 シルヴァンがまじまじと見つめていると、男の子は観念したのかぐいっと顔を上げた。

 

「ばれちまったらしょうがねえな。そうだよ、俺はクリスティーヌ・ハーティア。王様の妹殿下ってやつだ」

「ほ……本当に?」

「この状況で嘘言っても始まらねえだろ」

 

 チンピラのような風情で、クリスティーヌはあぐらをかく。

 その姿から女の子らしさは欠片も感じられない。

 

 でも、それが本来のクリスティーヌなんだよね……。

 

 彼女、いや彼はいわゆる『男の娘』キャラである。

 いやーゲーム初プレイのときにはびっくりしたわ。可憐な美少女親友キャラキター! って思ってたら、中身男の子だし。その上ガラが悪くて態度がチンピラで、秘密を知ったが最後、使い勝手のいいパシリとしてこき使われたからね。

 

「そんで? 変に勘のいいお前はどこのお嬢だよ」

「リリアーナ・ハルバードよ。後ろに控えてる子は私の護衛のフィーア」

「ハルバード……第一師団長のとこのワガママ娘か! 毎日風呂に入りたいからって、兄貴に瞬間湯沸かし器会社作らせたっていう」

「会社までは作らせてないわよ!」

 

 毎日風呂に入りたいとは言ったけれども!

 財政難を救うために新規事業が必要だったけど……兄様が事業拡大するのにあわせて、どんどん噂に尾ひれがついていく……。

 

「君は……どうして、女の子の恰好をしていたの……?」

 

 シルヴァンがおそるおそる尋ねた。まだ、クリスティーヌの素性が信じられないらしい。

 

「あー、お家事情ってやつだよ。貴族なら俺と王子のオリヴァーがほぼ同時期に産まれたのは知ってんだろ?」

「うん……まあ」

「前国王と、現国王。両方同時に男が産まれたら、内紛の種になるだろーが」

「少なくとも、ハーティアでの地盤を確かにしたい王妃様からは命を狙われるわよね」

「それで俺の母親は、俺を女として育てることにしたんだ」

 

 クレイモアと同じで、王家もまた男子継承が絶対の家だ。

 女として生まれた者に王位を継ぐ権利はない。

 

 家を継ぐために男になったシルヴァンとは反対に、王位継承権を放棄するために、クリスティーヌは女になったのだ。

 

「そ……そっか……うん。君が女の子として育てられた理由は、わかったよ」

 

 でも、そこでもう一つ疑問がうかぶ。

 

「どうして王妹殿下がそんな恰好で下町にいるのよ」

「それなー」

 

 クリスティーヌは頷くと事情を話し始めた。

 それを聞いて、私の顔から血の気が引く。

 

 ごめん。クリスティーヌを窮地においやったの、私だわ。

 

 

 



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オークションカタログ

「俺がここに来た理由はコレだ」

 

 クリスティーヌは懐から一冊の本を取り出した。全部で20ページほどの薄い本には、何やら商品のイラストと値段が書かれている。

 

「これって、オークションカタログ?」

「お、よくわかったな」

「うちの家に、こういう冊子つきでよく招待状が届くのよ」

 

 ひとつの商品に対して複数の入札者が値段をつけ合い、一番高い値段を付けた者が購入権を手に入れる。それがオークションだ。落札競争自体はイベント会場で行われるけど、商品情報は事前に宣伝もかねて、カタログの形で参加者へと配られる。入札者はこのカタログ情報をもとに、購入計画をたてて参加するのだ。何も情報なしに参加して、欲しいものがなかったり、予算が足りなかったりしたら困るからね。

 ハーティアの大富豪ハルバード家では、時々アクセサリーをオークションで買ってたりしたんだよね。娘の私が浪費しなくなって高価な買い物はしなくなったけど、今でも季節の挨拶替わりに何通も送られてくる。

 

「でも、賞品のラインナップがおかしくないか? こっちに書いてあるのは、人間のプロフィールだろう」

 

 シルヴァンがページを指さす。

 そこには、グラマラスな女性の肖像画があった。

 

「シルヴァン、あなたもついさっきその犯罪の一端を見たでしょ。これは人身売買組織が開催している、非合法なオークションなのよ」

「いわゆる闇オークションってやつだな」

 

 マリクはかなり優秀な職人だったから、過去に開催されたオークションで実際に売られてたかもしれない。

 

「俺はそこで買い物するために、見合いを理由にカトラスまでやってきて、宿を抜け出してきたってわけだ。男の恰好をしてれば、絶対に王妹だなんてバレねえと思ってたのに……」

 

 まさか、シルヴァン・クレイモアと激似になったあげく、暗殺者に狙われるとは思わないよね。

 

「お前、人を買うためにわざわざそんなことを……?」

「俺がほしいのはそれじゃない。こっちの薬だ」

 

 クリスティーヌは、折り目のつけてあるページを開く。

 小さなガラスの小瓶のイラストとともに書いてある商品説明には……。

 

「金貨の魔女の変身薬……? なんだ、これ」

「人間の性別を変える薬だ。飲むと、男は女に、女は男になるらしい」

「そんなものが……?!」

 

 さあっとシルヴァンの顔が青ざめた。

 その気持ちはわかる。彼女自身も、なれることなら男になりたいって、思いながら生きてるはずだから。

 

「君は……何故そんなものを買いに……?」

「見りゃわかんだろ」

 

 クリスティーヌは、自分の胸板を叩いた。

 

「俺の体は成長期に入ってんだ。もうすぐ化粧じゃごまかしきれなくなる。そうなったら、母親ともども王妃に殺されてお終いだ」

 

 そこはちょっと気になってた。

 ゲームだとクリスティーヌは男という性別を感じさせない、線の細い『男の娘』だった。作画担当者女の子として描いてるよね? ってツッコミいれたくなるレベルの美少女ぶりだ。でも、今目の前にいる彼は、記憶より男らしい……というか、ちょっとごつい。

 あと少し背が伸びて体が大きくなったら、ドレスを着ても女の子とは思われないかもしれない。

 私が首をかしげている前で、クリスティーヌは腹立たし気に爪を噛む。

 

「本当なら、この金貨の魔女とは3年も前に契約できてたはずなんだ。化ける薬と、男としての成長を止める薬のふたつを買う予定だった。なのに……あのアマ、いきなりキャンセルとか言い出しやがって!!」

 

 ごめん。

 その注文キャンセルさせたの私。

 

 

 



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魔女を殺したのは誰か

 シルヴァンに向かって金貨の魔女への愚痴を吐き出すクリスティーヌを見ながら、私は心の中でこっそり彼に土下座していた。

 

 ごめんなさい。

 金貨の魔女がクリスティーヌの注文をキャンセルしたのは、私が命令したからです……。

 

 恐らく、ゲームの中で『金貨の魔女』が死んだのはクリスティーヌの依頼が原因だ。

 ディッツは虹瑪瑙を買う金欲しさに、王室からの闇の依頼を引き受けたのだろう。でも、王妹殿下の性別をごまかすなんてヤバイ話に関わっておいてタダですむわけがない。大金を手にしたあとで、刺客を差し向けられて殺されてしまったのだ。

 そして、呪いが解けたはいいものの、師匠を失い悲しみにくれたジェイドは、魔女を蘇らせるために、最悪の死霊術師《ネクロマンサー》になったのである。

 

 ジェイド闇堕ちの悲劇を回避するため、私がディッツと専属契約を結んで注文をキャンセルさせたんだけど……その結果、今度はクリスティーヌが性別をごまかしきれなくなって、困っているらしい。

 

 ジェイドを救うために仕方ない選択だったけど、まさかそれが巡り巡って、クリスティーヌを追い詰めることになってたなんて。

 

 なんでこんなところにフラグが転がってるんだよ!!!!!

 

 もうちょっと、ヒントとか伏線とかないわけ?

 ブーメランの戻ってくるタイミングと場所がぜんぜんわかんないんだけど!!

 はい、ヒントなんかないですねー!!!

 知ってたー!

 

 くっそう、ポンコツ運命の女神が見守ってるだけのこの世界、悲劇フラグ回避するの難しすぎ!

 ハードモードとかいうレベルじゃないよね?

 ナイトメアモードに突入してない?!

 

 とはいえ、私にはここでクリスティーヌを放っておく、という選択肢はない。

 私にはピンチに追いやった者の責任として、彼を救う義務がある。

 

「変身薬の最低落札価格は……高いな。こんな大金、どうやって持ち歩いてるんだ」

「さすがに金貨じゃ無理だから、宝石を用意した。オークション会場で多少買いたたかれるだろうが、まあなんとかなるだろ」

「なるほど……ちなみに、その薬を分けてもらうことはできないか? 金は半額だすから」

「はあ? 何に使うんだ」

「ボクにだって事情があるんだよ」

「この先どれだけ必要になるかわかんねぇからな。お前にやる分はねえよ」

「じゃあ、ボクもオークションに参加しよう。この先はライバルだね」

「てめえ、ずるいぞ! これは俺の薬だ!」

「まだ落札してないでしょ」

 

 ……とりあえず、この口喧嘩を止めないとダメだな。

 

「ふたりとも、そんな危ない橋を渡るのはやめたら?」

「リリィには関係ない話だから」

「お前はすっこんでろよ!」

 

 おおう。

 クリスティーヌはともかく、シルヴァンまで変身薬の話を聞いて、ちょっとテンションがおかしくなっちゃってる。

 私はふたりを止めるために、爆弾を投下することにした。

 

「その薬、飲んだら死ぬわよ?」

 

 

 



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死に至る薬

「この薬を飲んだら死ぬ? どういうことだ」

 

 私の指摘を聞いて、クリスティーヌの顔色が変わる。

 男と見合いをするなんて、正体がばれるリスクを冒してまでカトラスにやってきて、その上警備の目までかいくぐって買いにきた薬が、偽物と言われては冷静ではいられないよね。

 でも、事実は事実だ。

 

「だって、絶対に偽物だもの」

「何故お前にそれが断言できるんだ」

「私の魔法の師匠が、『東の賢者』だからよ。離宮で育ったあなたでも、名前くらいは聞いたことがあるんじゃないの? 薬学の権威である彼はありとあらゆる薬に通じてるの」

 

 隣で、賢者の実像を知っているフィーアが『そうだったっけ?』って顔をしてるけど、今は横においておく。優秀さをちょっと盛り過ぎたかもしれないけど、今この状況ではまず、私の言葉を信じてもらえる裏付けが必要だ。

 

「ありとあらゆる……ってことは、もしかして金貨の魔女の薬も」

「当然、把握してるわ」

 

 本当は、製造者本人だからだけどね。

 

「彼に聞いたところによると、変身薬は投与される人間の血肉から、体の設計図を読みだして作られるそうなの。だから、全てオーダーメイドの特注品。こんな風に不特定多数に向けて売られることは、まずあり得ないのよ」

「誰かのために作られた本物を転売してるかもしれないぞ?」

「可能性はゼロじゃないけど……やっぱりやめたほうがいいわよ。他人の体の設計図を基にした薬で体を作り変えたりしたら、まともな人間の形にならないから」

「……は」

 

 クリスティーヌは口から乾いた笑いを漏らした。

 

「じゃあ……何か……? 俺がここまで来て……やってきたことは、全部無駄だったのか?」

 

 クリスティーヌには悪いけど、現実はそういうことだ。

 単に薬が偽物だっただけならいいけど、下手をすれば毒薬だった可能性すらある。

 

「クリスティーヌ、君が女になりたかった気持ちはわかるが……」

「女になんかなりたくねえよ! 俺は男だ!」

「じゃあ王家のために?」

「それこそねえよ。王家なんてクソくらえだ! どいつもこいつも、1ミリも国を動かせねえくせに、悪意まみれの噂話にばっかり花を咲かせやがって! 他人の足ひっぱってる暇があったら、まともな法案のひとつでも考えやがれ! こんな腐った血筋に縛られて生きるなんて、地獄以外の何ものでもねえよ」

「じゃあどうして……そんなにまでして薬を欲しがったんだ?」

 

 シルヴァンの素直な問いに、クリスティーヌは唇を噛んだ。悔しそうに顔を歪ませる。

 

「矛盾してる、って言いたいんだろ? 俺だって自分のやってることがおかしいってことくらいわかってるよ。何もかも捨てて、国から逃げてしまうのが一番手っ取り早い」

 

 でも、クリスティーヌには、そうできない理由がある。

 

「俺を生かすためだけに、自分の命を削るようにして嘘ついてる母親を見て、『もういい、無駄な努力だ』って、言えるわけねえだろ……」

 

 側室である母親はクリスティーヌを育てるために、前国王が亡くなった今でも王宮ぐらしを続けている。彼が突然失踪したりしたら、彼女がどんな扱いをうけるかわからない。

 

「君は、母上に愛されているんだな」

「こんな情、いらねえ……重たいばっかりで、邪魔だ」

「そうかな。ボクはちょっと君がうらやましいよ。ボクに母の記憶はないから」

「母親はいなくても、まともな保護者がいればまだマシだろ、お前んとこのじーさん、人格者だって、評判いいじゃねえか」

「……それはどうかな」

 

 シルヴァンは苦い笑いを浮かべる。

 彼女の祖父もまた、彼女を愛しつつも男として育てたのだから。

 

「盛り上がってるところ悪いけど、まだ諦めるには早いわよ」

 

 私はクリスティーヌに向き直った。彼は首をかしげる。

 

「変身薬は偽物だったんだろ? これ以上どうしようもねえじゃねえか」

「東の賢者は変身薬を把握してる、って言ったでしょ」

「まさか、薬のレシピを……」

「当然、知ってるわよ」

 

 だって、作った本人だからね!

 



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約束はいらない

「とりあえず、クリスティーヌは私の別荘に来てちょうだい。私専属の魔法使いである東の賢者様は、今回のカトラス旅行にもついてきてるの」

「じゃあ、そこで薬の調合を頼めば……」

「あなたのための、本物の変身薬を作ってくれるわ。安心して、ディッツが面倒くさい、って言っても、作らせるから」

 

 私がわざと冗談っぽく笑って見せると、クリスティーヌは泣きそうな顔で肩を落とした。

 

「ありがとう……助かる」

「変身薬もだけど、あなたのこの先の身の振り方とか……他にも力になれることはあると思うわ。うちにしばらく泊って、相談していかない?」

 

 幸い、私とクリスティーヌは表向き女の子同士だ。

 街中で偶然知り合って仲良くなった、とでも言い訳すれば別荘に泊めても問題ないだろう。

 正直、薬の製造はともかくクリスティーヌの今後については全然何も考えてないんだけど、そこはうちの有能補佐官に丸投げするとして。

 

「わかった。そうする」

 

 ようやくクリスティーヌの顔が自然な笑顔になった。私も経験したことだけど、抱えている秘密を相談できる相手がいると、すごく安心できるんだよね。

 秘密を分けてもらえた側は、その信頼に応えられるだけのことをしなくちゃだけど。

 

「リリィ、クリスティーヌの話を聞いてからでいいんだけどさ」

 

 私たちが笑いあっていると、シルヴァンが声をかけてきた。

 

「ボクの話もきいてくれる? 君に相談したいことがあるんだ」

 

 シルヴァンの相談したいこと。

 それはきっと、彼女の性別に関することだろう。彼女もまた、クリスティーヌと同じ悩みを抱えているのだから。変身薬が欲しいのは彼女も同じだ。

 

「コイツがリリアーナに相談したいこと……? んん……?」

 

 彼女の言葉に含まれる微妙なニュアンスにひっかかりを覚えたのか、クリスティーヌが首をかしげる。

 

「そういえば、さっきも変身薬が欲しいって言ってたな……ということは、こいつってもしかして……」

「はい、詮索はそこまで。秘密があるのはお互い様でしょ」

「俺は正体がバレてるのに、ずるくねえ?」

「あなたは勝手に正体さらして歩いてたんでしょ。事情が違うんだから諦めてよ」

「ええと……それで、話は聞いてくれるのかな?」

「そうね。断るつもりはないけど、約束はしないわ」

「えっ」

 

 シルヴァンが目を瞬かせる。

 今までのやりとりで、まさか約束拒否とは思わなかったんだろう。

 

「勘違いしないで、約束しないだけよ」

「なんだそれ……」

「あのね、ピンチの時に『帰ったら〇〇する』って約束するのは、すごーく縁起が悪いの!」

 

 だいたいそういうことを言ったイイ人ほど、その後とんでもないことになる。

 現代日本では、それを死亡フラグと呼ぶ。

 

 

 



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誇り高きクレイモア

「よし……こっちに見張りはいないみたいだな」

「銀髪の少年を探している者もいないようです」

 

 クリスティーヌとフィーアは路地の間から、大通りの様子をうかがった。彼らの報告を聞きながら、私たちは今まで歩いてきた通りの奥を警戒する。

 

 お互いの秘密を暴露し、利害の一致した私たちは4人全員で安全な場所を求めて移動していた。現在の目的地は、元いた武器屋でも、クレイモア伯の宿泊先でも、ましてやハルバード家の別荘でもない。

 カトラスの治安を守る警備兵の詰め所だ。

 

 奥から人が出てこないか見張りながら、シルヴァンは不安そうな顔になる。

 

「他領の貴族が助けを求めて、対応してくれるんだろうか……」

「バーカ、他領の貴族だからだよ」

「観光はカトラスの重要な産業だもんね」

「遊びにきた金持ち貴族を保護しない、って噂が立ったら、あっという間に客が逃げるぜ」

 

 私たちが考えた作戦はこうだ。

 

 襲撃者たちは、職人街と宿泊先の間に包囲網をしいている。まともに帰ろうとしても、絶対に発見されてしまうだろう。だが、わざわざ危険な帰り道を子ども4人で歩く必要はない。街の治安を預かる警備兵に保護を求め、カトラス侯爵家から別荘へと警備つきで送ってもらえばいいのだ。

 襲ってきているのは、クレイモアゆかりの刺客だから、カトラス警備兵にまでは手が出せないはず。

 

「クリスティーヌが街の構造を把握してくれてて、助かったわ」

「俺は宿から抜け出したあと、単独行動するつもりだったからな。大まかな地理と、重要施設の位置は頭に入れてから来てんだよ」

 

 ひとりで闇オークションに乗り込む予定だったもんねえ。

 迷子になったらそこでおしまいだから、念入りに準備してきたんだろう。

 

「お前らこそ、平和ボケしてんじゃねえの? 案内がいるっていっても、通ってきた道くらいは覚えておけよ」

「……申し訳ない」

 

 ずうん、とシルヴァンが落ち込む。

 このメンバーの中で、本来一番リーダーシップを取らなければいけないのは、騎士見習いである彼女だ。

 周りに頼りっぱなしなことに、責任を感じているのだろう。

 

「クリスティーヌ、今は言わないでおいてあげて。他はともかく、今回は護衛騎士がわざとシルヴァンに情報を与えずにいたみたいだから」

「あー、裏切ったのが古株の護衛だったんだっけ? そんなのに誘導されてたら、判断も狂っちまうか」

「……うちの問題で、君たちを危険にさらしてしまい……申し訳ない」

「お前も大変だな……」

 

 クリスティーヌがあきれてため息をつく。でも、その表情は思ったより柔らかい。似たような秘密をもつ者同士、彼女に同情しているのかもしれない。

 

「俺はいつか家を出るつもりだけどさ、お前も逃げる気はねえの? 面倒だろ、いろいろと」

「……気を遣ってくれてるのは嬉しいけど、ボクはそのつもりはないよ」

「なんで?」

「ボクは、クレイモアが好きだからね」

 

 そう言って、シルヴァンは笑う。

 

「ボクは、クレイモア領の民と、国境を守る騎士たちが大好きだ。彼らが日々を生きて、国を守るためにどれだけ努力しているか知ってる。だから、彼らの忠誠心に値する主でいたい」

 

 その澄んだ瞳に、嘘偽りはなかった。

 彼女は多くのものを抱えて傷ついてもなお、家と民を愛しているのだ。

 

「……さっき、お前は俺を羨ましいって言ったけどさ。俺だってお前が羨ましいわ」

「何が?」

「めちゃくちゃ重い責任を全部背負ってもいい、って思えるくらいの家族や領民のいる人生は、恵まれてると思うぜ」

 

 クリスティーヌとシルヴァンが笑いあう。

 継承を放棄する者と、継承を維持しようとする者。

 家を見限った者と、家を守ろうとする者。

 ふたりの立場は、どこまでも対照的だ。

 

「安全確認できました。通りを渡って移動しましょう」

「よし、あと1ブロック移動すれば詰め所だ。急ごうぜ」

 

 私たちは路地から出て、足早に通りを横切っていった。

 

 



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治療が必要な者は

「このあたりは、また少し雰囲気が違うね」

「扱ってる商売が違うからな」

 

 大通りを渡って、私たちは隣接するブロックへと足を踏み入れた。工房とショールームが並んでいた職人街とは違い、こちらでは食料や日用品などを扱う商店が並んでいる。表通りは普通の商店街だが、裏道に視線を向けると、一見何を扱っているかわからない店も多い。

 

「港町だし、密輸品の取引みたいに、表で言えない商売とかありそう」

「人目を避ける必要はあるけど、あんまり細い道には入るなよ。治安が悪いから暗殺者以外の連中にも絡まれる」

 

 キラキラの銀髪ふたりに高級ドレスの女の子とネコミミの女の子、という、歩いているだけで人目を引くメンバーだから、人自体が少ないところを歩きたいんだけどね……。かといって、髪を隠したり、着替えたりする余裕はない。特にフィーアのネコミミは帽子なんかで隠しちゃうと索敵能力が下がっちゃうし。

 

 とはいえ、私たちは暗殺者たちが警戒している方向とは全然別方向に向かっている。簡単には見つからない、と思いたい。

 

「……!」

 

 周囲の気配を探りながら、先頭を歩いていたフィーアが不意に止まった。

 彼女は音を拾っていた耳ではなく、鼻をふんふんと動かして辺りを見回す。

 

「フィーア、何か見つけたの?」

「待ってください……変なにおいが……」

 

 街の空気の匂いを確かめながら、フィーアが顔をしかめる。じっと見守っていると、彼女のネコミミが突然ぴん、と立った。

 

「隠れる……いや、3人も一度には無理……! みなさん、走ってください!」

「え? なに?」

「とにかく走ろう!」

 

 突然の号令に、私たちはわけもわからず走り出す。

 そのすぐ後ろで、店のひとつの扉が開いた。振り返ってみると、その店の看板には薬屋を表すマークが描かれている。

 出て来たのは、傭兵らしい男と歩く裏切りの護衛騎士、ラウルだった。

 何をどうやって治療したのか、彼はちゃんと目をあけて周りを見ている。

 顔はちょっと腫れているみたいだけど、問題なく戦えそうだ。

 

 薬屋、目の治療、というキーワードから、私は彼がここにいる理由を導き出す。

 そりゃそーだよね!

 上手くシルヴァンの暗殺に成功したとしても、うちの護衛の攻撃で怪我したまんま、クレイモア伯のところに帰れないもんね!

 薬屋とか医者に行って治療してもらうよね!

 正規の医者にかかれるような怪我じゃないから、こういう怪しいところのお店に入るしかないよね!

 

 だからってなんで鉢合わせしちゃうかなああああああああ!!!!

 

「申し訳ありません、目つぶし薬のにおいに気づくのが遅れました」

「しょうがないよ! この街は潮の匂いが濃すぎるんだから!」

 

 獣人は感覚が鋭いぶん、大きすぎる音や濃すぎるにおいが苦手だ。生まれて初めて港町を訪れて、潮の匂いに酔ってしまったフィーアは、ディッツに症状を抑える薬を処方してもらっている。薬の作用で酔いはおさまったみたいだけど、その引き換えに嗅覚が鈍くなっちゃってるんだよね。

 でも、薬を飲んでなかったら、そもそも護衛の仕事ができてないんだから、これはもうしょうがない。相手に発見される前に気づけただけ、よかったと思うしかない。

 

 幸い、敵はふたりだけ。

 これは推測だけど、目の治療のために、シルヴァン包囲網からふたりだけ離脱してきてたんじゃないかな。クリスティーヌの『素直に家を目指さない作戦』自体は成功だったわけだ。

 

 たった今台無しになったけど!

 治療離脱組の行動まで読めるかあああああああ!!

 

「おい、あの銀髪をつかまえろ!」

「どっちのだよ?」

「あ? なんでふたり……?」

 

 後ろから、ラウルたちの困惑した声が飛んできた。

 やっぱり見逃してはくれませんかー!

 

「いいから両方捕まえろ!」

 

 それを聞いて、シルヴァンとクリスティーヌはお互いに目を見合わせた。こく、と頷きあったかと思うと、同時に左右別々の路地へと飛び込んでいった。

 

「ご主人様はこちらへ!」

 

 私は私で、フィーアに手を引かれて別の路地へと進む。

 

「あっ?!」

 

 一瞬、誰を追うべきか判断ができなかったのだろう。

 立ち止まってしまったらしい、男たちの声が少し遠くなる。

 

 彼らはふたり、そして私たちは4人が3方向に逃げている。

 二兎追う者には一兎も捕まえられないぞ!!!

 

 

 



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一撃必殺

「次を右に曲がってください。シルヴァン様と合流できます」

「シルヴァンのほうの追手は?」

「大丈夫です。振り切りました」

 

 ばったり出会ってしまった裏切り護衛騎士ラウルを撒くために、私はひたすら路地をジグザグに走っていた。走るのでせいいっぱいで、それ以上のことを考える余裕なんかない。フィーアに指示されるがまま、角を曲がった。

 

「……誰だ! って、リリィか」

 

 その先には、彼女の言葉通りシルヴァンがいた。息はあがってるけど、大きな怪我はなさそうだ。

 

「君たちだけか。クリスティーヌは?」

 

 シルヴァンの問いに、フィーアは耳をぴくぴく動かしながら答える。

 

「あちらの方角に。護衛騎士と一緒にいた傭兵にまだ追われているようです」

「振り切れなかったか……」

「しょうがないですよ。彼は専門的な鍛えられ方をしていません。こちらから迎えに行きましょう」

 

 離宮でお姫様として育てられてきたからねえ。

 ゲーム内でも体力が最低値な上に装甲が紙同然で、戦闘チームに入れたら即殺されてバッドエンド直行してた気がする。

 ゲームより若干ごつくても、今の彼に正面からの戦闘は無理だろうなあ。

 

「待て。リリィを連れて傭兵のいる方向へ行って大丈夫なのか?」

「敵がひとりだけしかいないのなら、大丈夫です。シルヴァン様は、ご主人様と一緒に左に進んでください」

「おい?」

「仕留めてきます」

 

 シルヴァンが振り返った時には、フィーアの姿が消えていた。

 単にすごい速さで移動しただけじゃない。彼女のユニークギフト、完全獣化で黒猫の姿に変身して走っていったのだ。

 

「あ、あれ?」

「フィーアなら大丈夫よ。実を言うと、あの子はひとりで行動してるほうが強いの」

 

 彼女の得意技は鋭い感覚による索敵と、獣化を使った隠密行動、そして身軽で素早い身のこなしだ。真正面から多人数を相手にする護衛任務より、単独でひとりひとり仕留める暗殺任務のほうが向いている。

 

 ……とはいえ、向いてるからって、暗殺者として使おうとは思わないけどね。

 

 どれだけ才能があっても、フィーアはまだ12歳の女の子だ。汚れ仕事をやらせるよりは、多少スキルが合ってなくても、私の護衛でいてもらうほうがいい。

 

「うわっ!」

 

 シルヴァンと走っていると、すぐ近くでクリスティーヌの声がした。声のしたほうの路地を覗き込むと、クリスティーヌと、地面に倒れた傭兵と、彼に馬乗りになっているフィーアがいた。

 

「い……今、いきなりコイツが倒れて……この子、リリィと一緒に逃げてたよな? どうやって現れたんだ?」

 

 まさか、黒猫が忍び寄ってきて、攻撃してくるとか思わないよね。

 

「ごめんなさい、手品の種を明かさないのがハルバードの流儀なの。フィーア、殺してないわよね」

「はい。意識を奪って、膝を潰しただけです」

 

 ……膝を潰したのは『だけ』って言わない気がする。

 確かにこの状況だと、意識を取り戻しても追ってこれないようにする必要があるけどさあ。

 

「ラウルが来る前に、移動しよう」

 

 とはいえ、こっちを殺しにかかってくる傭兵の安否をこれ以上考えている余裕はない。

 私たちはクリスティーヌの記憶を頼りに、改めて警備兵の詰め所を目指した。

 

「そこの繁華街の先に詰め所があるはずだ」

「人が多いわね」

「っていうか、そこの飲み屋街の治安を見張るために、詰め所を作ったっぽいからな」

 

 繁華街の要所に交番があるみたいなものなんだろうか。

 

 目的地に近づくにつれ、通りに人が増えてきた。その上、飲み屋の店先には早くも酒盛りを始めるガラのよろしくない男たちがたむろしている。

 必然的に私たちは、はやる心とは裏腹に速度を落として歩くしかなかった。

 

「うう……あとちょっとなのに……」

「落ち着け。ここで変な目立ち方してもしょうがねえだろ」

「それは……あっ、と」

 

 注意がそれたせいか、私は酒場の店先で飲むおじさんのひとりにぶつかってしまった。テラス席? と言うには少々乱雑すぎる木箱に座っていたおじさんが顔をあげる。

 

「ごめんなさい」

「ああ、いいよ……道に足を出していたワシが悪い……」

 

 お互いにぺこりと頭を下げたあと、私とおじさんの目があった。

 あれ? この人見覚えがあるぞ……?

 記憶より、かなりやつれた顔をしてるけど、間違いない。少し前にハルバードで何度も見た顔だ。

 それはおじさんも同じだったらしく、目をまんまるにして私を見つめている。

 

「リリアーナ……ハルバード?」

「悪代官……ギデオン?」

 

 なんであんたがここにいる?!

 

 

 



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悪代官の末路

「この小娘ええええええ!! ぶっ殺してやる!」

 

 ガラの悪い酒場で再会した、元ハルバード領代官ギデオンは私の顔を見るなり激高した。飲んでいた酒のカップを放り投げると、ツマミを食べるのに使っていたっぽいナイフを振り回しだす。

 私たちは大慌てで人混みをかき分けながら逃げだした。

 

「お前あのオッサンに何やったんだよ!」

「税金を横領してたから、身ぐるみはいで領地から追い出しただけよ!」

「それは領主として当然の措置だな!」

「税の中抜きなんて、領地を回すための手間賃みたいなものだろうが!」

 

 元悪代官ギデオンは顔を真っ赤にして吠える。

 

 いやいやいや。

 ハルバード家はちゃんと代官としての給料は払ってたから。あと、あの横領額は『手間賃』の範囲を大きく超えてたから!

 

「それをいちいち小娘が口出ししやがって! お前のせいで、俺は家も家族も失って、こんなところでくすぶる羽目になったんだ!!!」

 

 つまり、ハルバードを追い出された上、親族にも見放されて、カトラスの繁華街に流れてきたってわけね。絵に描いたような悪代官転落コースだ。

 でも、ギデオンに同情はしないぞー。

 彼が勝手に増税して私腹を肥やしたせいで、迷惑をこうむった領民がいっぱいいたんだもん。

 

「犯罪に手を染めていたくせに、反省の色なし。その上、大勢の前で殺意を宣言……反撃しても大丈夫かな」

 

 私を守るようにわざと一番後ろを走っていたシルヴァンが急に体を反転させた。振り向きざまに剣を抜いて、ギデオンに肉薄する。

 

「なっ……?」

 

 追っていたはずの子供が突然向かってきたことに驚いたギデオンは、一瞬無防備になる。その隙に、シルヴァンの剣が彼を切り裂いた。

 

「ぎゃあああっ!」

 

 ギデオンは派手な叫び声をあげて、ナイフを放り出した。その手は血で真っ赤に染まっている。あの有様では、もうナイフで攻撃することはできないだろう。

 

「シルヴァン、やるじゃねえか」

「ラウルたちはともかく、一般人相手に遅れはとらないよ」

 

 さすが騎士の子。

 暗殺者たちが訓練を受けた大人の騎士だから逃げに徹してるけど、素人、まして酒に酔ってふらふらのおじさんに負けるようなシルヴァンじゃない。

 

「よかった……じゃあこれで……」

 

 ちゃりんちゃりんちゃりんちゃりん!

 

 警備兵のところに行ける、と言おうとした瞬間、あたりに金属のこすれ合う音が響いた。見ると、ギデオンがまだ無事なほうの手で革袋を振り回している。

 このちゃりちゃりって音、多分中身はお金だよね?

 

「おいお前ら、誰でもいい! そこのドレスの小娘を殺せ! 殺った奴には、俺の金を全部くれてやるっ!!!」

 

 往生際悪すぎ!

 そんなところで根性みせなくてもいいから!!!!

 

 

 



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死刑判決は無理

 悪代官ギデオンは、金をちらつかせて、周囲の連中に私の殺害を指示してきた。

 金になる話、と聞いた男たちの視線が、一斉に私に向けられる。

 

 まさか、いきなりこんなところで殺人依頼して、受けるやつがいるわけがない……とは言い切れない。

 もともとガラの悪い繁華街だ。

 昼間から酒びたりになっているような連中は、金のためなら犯罪でも何でもやりかねない。

 

 ギデオンの必死の形相を見て、クリスティーヌが顔をしかめる。

 

「横領してたんなら、犯罪者だろ? ……あんなヤバいオッサン、さくっと死刑にしとけよ。そっちのほうが後腐れねーから」

「13歳の子供が、死刑判決なんて下せるわけないでしょー?」

 

 ハーティア国で、国土を守る領主に認められている大事な権利のひとつが、司法権だ。現代日本と違い、領地内の犯罪を見定めて罰を与えるのは国じゃなくて、領主なんだよね。領主代理である私も、月に数回のペースで司法官からの報告を確認したうえで判決を下している。

 しかし、その中でもハルバード侯本人、つまり父様でなければ執行できない刑罰がある。それが死刑だ。

 現代日本の倫理観を持つ私に人の命を奪うような判断ができない、っていうのもあるけど、13歳に生死を決められたんじゃ、犯罪者本人も納得できないからね。

 

 だいたい、領主が司法権を持ってるっていっても、ほいほい厳罰を下すことなんてできないんだからね? 捕まったら死ぬ、って思ったらどの犯罪者も死に物狂いで抵抗してきて厄介だし、いざ殺そうものなら親族に恨まれたりして、めちゃくちゃ後腐れるから!

 

 ギデオンを財産没収の上追放にしたのは、温情なんかじゃない。「横領したものを全部返して、領地から出ていくので命だけは助けてください!」と命乞いをさせることで、スムーズに刑を執行し、金を回収していただけだ。

 

 だって、まさかこんなところで鉢合わせしたうえに、命を狙われるとか思わないじゃん。

 

 私は深呼吸して息を整えた。

 大丈夫、周りの男たちは、どうするのが一番得か、状況を観察してるだけだ。

 まだ、すぐに襲いかかってはこない。

 だったら、私にだって反撃のチャンスが残ってるはず。

 

「そんなはした金で、私の命を買おうだなんて、安く見られたものね」

 

 私は、万が一のために隠し持っていた金貨を、ドレスのポケットから取り出した。

 本物の金の輝きを見せびらかすように、軽く手の上に放り投げてキャッチする。

 

「誰でもいいわ。財布を振り回してるおじさんを捕まえた人に金貨をあげる。さあ急いで、早い者勝ちよ!」

 

 宣言すると、私を見ていた男たちは、一斉にギデオンに向かっていった。

 リスクの高い殺人より、人ひとりの捕縛。

 中身の見えない財布より、目に見える金貨。

 どちらのお願いがお得か、なんて酔っ払いでもわかる。

 私はギデオンに群がる男たちの中に、撒き餌よろしく金貨を放り投げると、人混みから身を引いた。彼らが欲しいのは、女の子じゃなくて金貨だもんね。気を取られてくれてるうちに逃げよう。

 

「ご主人様、あと少しで警備兵の詰め所で……」

 

 私たちを先導しようとしたフィーアが、突然横に吹っ飛んだ。

 

「フィーア!」

「待って、リリィ!」

 

 思わずフィーアに駆け寄ろうとした私を、シルヴァンが引き留める。

 つまづきそうになりながらも、なんとかふんばって顔をあげる。私たちの目の前には、裏切りの護衛騎士ラウルの姿があった。

 

 



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再びの騎士

「このクソガキども……」

 

 裏切りの護衛騎士ラウルは、警備兵の詰め所との間に立ちふさがるようにして、剣を構えた。まだ目元を赤く腫れあがらせたまま、鋭くこちらを睨む。

 シルヴァンが一度はうまく撒いたはずだったけど、悪代官ギデオンに絡まれていた間に発見されてしまったらしい。

 人混みの中ではフィーアの索敵能力はやや落ちるし、私たちの注意もギデオンに向けられていた。そのスキに接近し、攻撃の機会を見計らっていたようだ。

 

「ふざけんじゃねえ、さっさと死ねよ!」

 

 ラウルは苛立ちまぎれに、吹っ飛ばされて倒れたフィーアを蹴りつける。細くて小さなフィーアの体は、簡単に道の端まで転がっていった。

 

「ラウル、お前はなんてことを! 騎士の誇りはないのか?」

「ハッ、誇りが俺たちに何をしてくれる!」

 

 シルヴァンが剣を抜いて、ラウルに相対する。

 フィーアが倒れた今、ベテラン護衛騎士の攻撃を受けられるのはシルヴァンだけだ。私とクリスティーヌは、身構えながらも彼らから距離を取った。

 

「こんなところで殺し合いをしていいの? 騒ぎを聞いて警備兵がすぐにやってくるわよ」

「どのみち、お前らを殺さないと俺に未来はねえんだよ」

 

 私たちはすでにラウルの正体を知っている。警備兵が来ても来なくても、どっちにしろ私たちを殺さない限り彼に起死回生の目はない。生きるか死ぬかの瀬戸際で、なりふりなんか構っていられないってことらしい。

 

「ラウル、お前どうしてそこまで……あんなに立派な騎士だったのに」

「騎士たるもの、高潔たれ? 弱きものを助けることこそが、騎士の誉れだ? そんなのは戦場で兵を安く使い潰すための方便じゃねえか!」

「それは違う!」

「何が違うっていうんだ。こっちは命を張ってるっていうのに、俸給はスズメの涙! そのくせ、領民には施しをしろ、領地の整備をしろ、鍛錬は休むな。つきあってられるか!」

「だがそれは、国を守るために……」

「その前に俺たちを守れっての!」

 

 ラウルが鋭く切りつけてきた。シルヴァンは間一髪で白刃をかわす。

 

「その上、跡取は貧弱な無能ときたもんだ」

「な……」

「シルヴァンのどこが無能なのよ!」

 

 私の反論をラウルは鼻で笑い飛ばした。

 

「見たらわかるだろ。体も骨も大きくなる時期だっていうのに、いまだに女のように細くて、力もない。身のこなしは早いが、それだけだ。圧倒的な力の前にはなすすべもない」

「く……」

 

 ラウルの言い分を、私は否定できなかった。

 だってシルヴァンは女の子だから。どうあがいても、パワー勝負では大人の男に太刀打ちできない。

 

「悔しいなら、俺の太刀を受けてみろよ。一発で吹っ飛ばされてお終いだろうがな!」

 

 ブン、とラウルが上段から剣を振り下ろしてきた。

 まともに受けるわけにはいかないシルヴァンは、剣で勢いをいなして、よけようとする。しかし彼女の戦法はラウルにはお見通しだった。

 

「ほらよっ」

 

 避けた瞬間を狙って、体当たりをくらわしてきた。体の軽いシルヴァンは、そのまま壁にたたきつけられてしまう。

 

「う……」

「シルヴァン!」

 

 彼女は必死に体を起こそうと顔をあげる。しかし、次の瞬間すうっと顔が青ざめたかと思うと、くたりと地面に倒れ伏してしまった。

 

「お? 当たり所が悪かったか? いや、この場合は良かったのか。さて、あとはお嬢様と変なガキひとりか」

「……っ」

「おっと、逃げていいのか? シルヴァンも獣人もトドメをさされて死ぬぜ」

 

 ここに留まっても殺す気でしょうが!

 迷っているうちにも、ラウルは剣を構えて迫ってきていた。

 

 



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飛び道具禁止

「来るなよっ!」

 

 クリスティーヌは、隠し持っていたらしいナイフをラウルに投げつけた。しかし、ラウルは余裕でよけて笑う。

 

「はっ、子供だましだな。お前……顔はシルヴァンに似ているが、戦い慣れしてないだろ」

「う……」

「おっと、ハルバードのお嬢様も下手なことを考えないほうがいい。飛び道具を投げてきたら、キャッチしてお前の護衛に投げつけるぞ」

 

 私が閃光手榴弾を用意しているのも、お見通しだったらしい。

 ラウルに蹴られたフィーアは、まだ起き上がれない。そんな体に音と衝撃を受けたら、立ち直れないだろう。

 そんなことを言われて、あえて飛び道具を投げられるわけがない。

 

「おとなしく殺されるのが、一番楽だぜ」

 

 ラウルが近づいてくる。

 一歩、また一歩。

 すでに私たちは彼の間合いの中だ。

 まだ殺されていないのは、彼が私たちをナメきっているせいだ。

 

 でも、ナメてるからといって、逃げられるほどのスキはない。

 

 考えろ。

 こんなところで死んでる場合じゃないはずだ。

 考えろ。

 これは私だけの問題じゃない。

 フィーアとシルヴァンとクリスティーヌも助けなくちゃ。

 このまま死んだら、世界だって終わる。

 

 考えろ。

 でも、何も思いつかないよ!!

 誰か助けて!!!!

 

 ラウルが剣を大きく振りかぶった瞬間……空から影が落ちてきた。

 

「がっ?!」

 

 何が起きたのか、理解できなかったのだろう。

 いきなり頭上から攻撃されたラウルは、体を翻そうとして無様にしりもちをつく。顔をあげようとした瞬間、顔面に蹴りをくらって、意識を失った。

 

 さすが、『騎士科主席の成人男性』馬力が違う。

 普段とは違う安物の黒装束を纏った青年は、ラウルが完全に気絶しているのを確認してから、私たちを振り返った。

 

「フラン!!」

「繁華街で騒ぎが起きていたから、様子を見にきたんだが……どういう状況だ、これは?」

「うーん、なりゆき?」

 

 それ以外、説明のしようがない。

 私の台詞を聞いて、フランはにいっと口を吊り上げて笑った。しかし、サファイアブルーの目は、底冷えしてて全く笑ってない。

 美青年やばい。綺麗な顔で笑顔を作られると、死ぬほど怖い。

 

「ほほう……それは、人がせっかく傭兵に扮して行っていた潜入捜査を、全部台無しにするだけの価値があるんだろうな?」

 

 そういえば、そういう作戦だったね。

 ここは繁華街だから、ちょうど犯罪組織と接触していたところだったのかもしれない。そんななか、いきなり大立ち回りしているお嬢様を助けにいったら、潜入も何もなくなったちゃうよねー。

 

「でも、シルヴァンとクリスティーヌを助けるためには必要なことだったの」

「シルヴァンと……クリスティーヌ?」

 

 そこまで聞いて初めて、フランは銀髪がふたりいることに気が付いたようだ。倒れているシルヴァンと、体を起こそうとがんばってるフィーアと、そしてまだ警戒しているクリスティーヌを見て、目を見開く。

 

「ごめんなさい……邪魔をする気はなかったのよ」

 

 素直に謝ると、フランは肩をすくめて息を吐いた。

 

「……わかった。もともと、どんなことでも手を貸す約束だからな。計画が破綻したなら、また別の方法を考えるまでだ。」

 

 フランは、いつもと同じしぐさで私の頭をなでた。

 

「この惨状を見れば、お前がギリギリまで足掻いたことはわかる。ここから先はまかせろ」

「……うん」

 

 フランにまかせる、と決めたとたん足から力が抜けた。

 そんな気はなかったのに、へたっとそのまま座り込んでしまう。

 

「ご主人様、お怪我はないですか?」

 

 ようやく立ち上がることができたらしい、フィーアがよろよろと歩いてきた。一応立ってはいるけど、相当に体が痛いみたいで、ずっとお腹を押さえている。

 ラウルみたいに体格のいい大人に蹴られたら、ただじゃすまないよね……。

 

「私は大丈夫、ちょっと気が抜けただけだから。それよりフィーアのほうが心配だわ。応急手当しましょう」

「いえ、ご主人様の手を煩わせるほどではありませんから」

「ふらふらしながら言っても説得力ないわよ?」

「ご主人様だって、腰が抜けて立てないじゃないですか」

 

 それはそうだけどー。

 治癒術は立ってやるもんじゃないから大丈夫だと思うのー。

 

「シルヴァン! おい、大丈夫か?」

 

 一方、クリスティーヌとフランはシルヴァンの救助にとりかかっていた。ラウルの体当たりを受けて倒れたシルヴァンの顔色は真っ青で、額には脂汗が浮いている。

 

「まさか、本当に打ちどころが悪かったのか?」

「それにしては、様子がおかしい」

 

 もし頭を打っているのなら、下手に動かすと危ない。

 クリスティーヌがシルヴァンをそっと抱き起こす様子を見ていると、私の隣でフィーアがくんくん、と鼻を鳴らした。

 

「フィーア?」

「ご主人様、お耳をお貸しください」

 

 そして、シルヴァンが気を失った原因をそっと囁く。

 

 あー……そういうことかぁ……。

 

「リリィ?」

「フラン、上着を脱いでシルヴァンを包んであげて。そのまま抱きあげて、別荘に運んでちょうだい」

 

 シルヴァンは怪我で倒れたのではない。

 貧血で倒れたのだ。

 

 

 



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幕間:かわいそうな女の子(シルヴァン視点)

 祖父の目が苦手だった。

 

 もちろん、騎士として尊敬しているし、家族としても愛している。

 祖父に愛されているという実感もある。

 

 しかし……。

 

『すまないなあ、シルヴァン』

 

 ふたりきりになると、決まって向けられる憐れみの目が苦手だった。

 

『本来ならお前は、ドレスを着て城の奥で守られているはずなのに、騎士の真似事などさせてしまって』

 

 女として守られるべき孫娘が、剣をとることに祖父は納得していなかった。

 騎士団を守るために必要だったから、やむなく男として育てた。

 だが、必要だったからといって、正しい行いとも言えない。

 騎士として弱き者、特に女子供を守ることを信条として生きてきた祖父にとって、孫娘を戦地に立たせることは、到底受け入れられなかったのだろう。

 

 だけど、おじい様。

 

 ボクは不幸なんかじゃありません。

 

 ドレスを着るよりも、騎士の姿で野山を駆けまわるほうが好きです。

 毎日の鍛錬を苦と思ったことはありません。

 ただ城の奥底で守られるよりも、この手に剣を持って敵と戦いたい。

 

 騎士として生きることに不満はありません。

 それどころか、騎士としての人生を歩むことができて幸福だと思っています。

 

 だからボクは、憐れな子供なんかじゃありません。

 

 

 ボクは、ボクの存在意義を証明するため、鍛錬にうちこんだ。

 同世代でボクにかなう騎士候補はいない。

 ボクが騎士としての価値を証明できれば、おじい様もあんな目で見なくなるはず。

 

 そう、思っていた。

 

 しかし、大人の男の騎士と本気で戦った時、ボクは思い知らされた。

 結局私の体はどこまでも女でしかなくて。

 男の騎士になんて、なれっこないってことを。

 

 ボクの努力は、結局無駄だった。

 おじい様はそれがわかっていたから、ずっとボクを憐れんでいたんだ。

 

 ボクはかわいそうな子供だったんだ……。

 

 

「シルヴァン?」

 

 目を覚ますと、黒髪の女の子の顔が近くにあった。

 赤い目をしたその子は、ボクと目があうと、ほっとしたように息を吐く。

 

「よかった、目が覚めたのね」

「リリアーナ……?」

 

 女の子の後ろに見えたのは、知らない部屋だった。

 調度品や上品で高価なものであることくらいしか、わからない。貴族向けの宿泊施設だろうか。

 ボクは何故こんなところに。

 いや、それよりもまず……!

 

「ラウルは? それに、君の護衛や、クリスティーヌは?!」

 

 起き上がろうとしたら、強いめまいに頭を揺さぶられた。

 目の前が真っ暗になりそうな衝撃に引っ張られて、ボクは布団に逆戻りする。

 

「急に起きたらダメよ」

「全員無事だから、安心して寝てろ」

 

 クリスティーヌと、リリィの護衛が近づいてきて、私に顔を見せてくれた。ふたりとも、大きな怪我はないようだ。

 しかし、ラウルと対峙した時点で、まともに戦えるのはボクひとりだったはずだ。

 何があったんだ?

 

「あの後すぐに、私の仲間が助けに来てくれたの。彼の手配で、全員私の別荘に運んでもらったのよ」

「助け……?」

 

 部屋の奥と見ると、黒衣の青年と、黒いローブを着た無精ひげの男がいた。

 

「そっちの黒服が、私の補佐官として働いてくれてる、フランドール・ミセリコルデ。騒ぎを聞きつけて助けに入ってくれたの」

「ミセリコルデ家の……」

 

 彼の噂は聞いていた。騎士として、宰相家の一員として、百年にひとりの逸材だと言われていた。そんな青年なら、ラウルごときに遅れは取らないだろう。

 自分とは違って。

 

「お礼を……申し上げなければ」

 

 まためまいを起こさないよう、ボクはゆっくりと体を起こした。彼に向き直ろうとして身じろぎした瞬間、自分の着ている服が目に入る。それは、まるで女の子が着るような、ふんわりとしたフリルつきのネグリジェだった。

 

「なんだ、この服?!」

「ごめん。悪いとは思ったんだけど、私の寝間着を着てもらってるわ」

「なんだってそんなことを……! ボクは……!」

「貧血で体調の悪い時に、体を締め付けるような服を着ていては、治るものも治りませんからね」

 

 奥でひっそり立っていた無精ひげの男が静かに言った。

 彼はゆっくりとベッドサイドにやってくると、膝を折り、ボクに視線をあわせてくれた。

 

「申し遅れました、私はディッツ・スコルピオ。東の賢者と呼ばれることもあります。わが主リリアーナ嬢の命に従い、あなたを診察いたしました」

「貧血……? だが、どこも怪我なんて……」

「怪我ではありません。そして、ご病気でもありません。あなたは、女性ならば誰でも経験する、初潮のショックで倒れたんですよ」

「……そうか」

 

 ああやはり。

 ボクはどこまでいっても女なのだ。

 

 

 



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変身薬の用法

「シルヴァン、安心して! 診察したっていっても、医者としてだから! その後の処置とか、着替えなんかは、私とフィーアがやったの。あなたの性別のことだって、この部屋にいるメンバー以外には知らせてないから!」

 

 自分が倒れたのは生理痛が原因だった、と聞かされて、シルヴァンは青い顔を益々青くさせた。白い顔はこわばり、目はうつろで焦点があってない。

 自分に生理がきたことが、よほどショックだったみたいだ。

 ずっと、男として、騎士として家を守らなくちゃって気を張ってきた子だからなあ……。

 

「大丈夫ですよ。この程度の症状なら、貧血を和らげる薬を飲んで何日か寝ていれば治ります。女性なら、誰にでも起こりうることです」

「ボクは女になるわけにはいかないんだ!」

 

 シルヴァンの悲鳴のような声が部屋に響いた。

 

「ボクは、クレイモアを守らなくちゃいけない! そのためには、男である必要があるんだ! こんなところで……生理なんかで……女になってる場合じゃないんだ……!」

 

 シルヴァンは真っ青な顔のまま、ディッツの腕を掴んだ。

 

「賢者殿、あなたは女を男に変える薬を作れるんだろう? 今すぐボクを男に変えてくれ! ボクは男にならなくちゃいけないんだ! 金だって何だって払う! だから……だから……っ」

 

 シルヴァンの嘆願は、途中から嗚咽に変わっていった。

 ディッツは小さな子供をあやすように、ゆっくりとシルヴァンの背中をなでる。

 

「確かに俺は、人の性別を変える魔法の薬が作れます。……ですが、この薬では、あなたを救うことはできませんよ」

「……どうして」

「薬の効き目が短すぎるんです」

 

 賢者はため息をついた。

 

「この薬は元々、一夜限りの夢を見るために作られたものです。効果が劇的な反面、長続きしません。半日もすれば体が勝手にもとの姿へと戻ってしまいます」

「一生モンの薬じゃねえってことか。戻るっていうんなら、薬が切れるごとに飲めばいいんじゃねえの?」

 

 クリスティーヌが疑問を投げかける。

 

「体を男に変えて、女に戻ったところで男にまた変える……そんな短時間にコロコロ体を作り変えたら、負担が大きすぎて倒れますよ」

 

 ディッツが嫌そうに顔をしかめる。

 彼は数年にわたり、賢者と魔女の二重生活を送っていた。もしかしたら、正体を隠すために薬を飲み続けて、実際にひどい目にあったことがあるのかもしれない。

 

「それに、シルヴァン様もクリスティーヌ様も成長期でしょう? 一度や二度ならともかく、何度も繰り返し使っていたら、体の成長に悪影響を及ぼしますよ。また、似た理由で生理中、妊娠中の女性は服用できません」

「逆に言えば……ほんの数回に限るなら、使えるっつーことだな。……俺が王宮から逃げ出すまでくらいは、なんとかなるか?」

 

 クリスティーヌが首をかしげる。彼はずっと王家に関わるつもりはなさそうだもんね。その場しのぎの薬でも、充分有効だ。

 でも、シルヴァンは……。

 

「では……その薬を飲んで、子を成すことはできますか?」

 

 シルヴァンの問いに、ディッツは首を振った。

 

「無理ですね。男が女に化けた場合は、薬の効果が切れた瞬間に子を育てる器官が体から消え失せます。女が男に化けた場合も……女を抱くことはできても、妊娠させる能力までは獲得できません」

「では……薬を使っても……ボクは女性と結婚して、血を繋いでいくことはできないんですね」

「……残念ながら」

 

 シルヴァンはその場に崩れ落ちると、布団に顔を埋めた。布団からは、彼女が押し殺そうとして殺せない、悲痛な嗚咽が伝わってくる。

 

 ディッツの薬を使えば、シルヴァンもクリスティーヌも、性別をごまかすことはできる。

 クリスティーヌは王家を脱出できるだろう。

 ゲーム内で起きていた、『戦争中に性別がバレて軍が総崩れになる』という悲劇も、薬で回避できるかもしれない。

 でも、シルヴァンの願いは、彼女の本当の悩みは、そんな一時しのぎの薬じゃ解決できない。

 彼女の望みはクレイモアの血筋を繋いで騎士団を存続させていくことなんだから。

 

「こんなことなら……変身薬があるなんて、知りたくなかった……」

「泣くなよ……」

 

 クリスティーヌが複雑な顔になる。彼女のこんな姿を知って、自分だけ助かったと素直に喜んだりできない。

 

「なんとかならないかしら……」

「方法がないわけじゃない」

 

 今までじっと黙っていたフランが口を開いた。

 

「ただし、この部屋にいる者全員が倫理観を捨て、地獄の底まで秘密を持って行く覚悟があるならば、だが」

 

 なんだその条件!

 お前はどこの悪魔だよ?!

 



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倫理など捨ててしまえ

「倫理観を捨てて、地獄の底まで……ね。ずいぶんなことを言い出すじゃねえか、ミセリコルデの。しょうもない案だったら、許さねえからな」

 

 クリスティーヌがフランを睨んだ。しかし、面の皮の厚いうちの補佐官は眉一つ動かさない。

 マジで変な方法だったら取返しつかないんだけど。

 大丈夫だよね? 信用して見守ってていいんだよね?

 

「方法とは……何ですか」

 

 涙で目を腫らしながら、シルヴァンも顔をあげる。

 藁にもすがりつきたい気持ちなのだろう。

 フランは淡々と悪魔の提案を口にした。

 

「シルヴァンとクリスティーヌを入れ替える。シルヴァンを王女として、クリスティーヌを騎士として育てるんだ。それなら性別の問題は解決する」

「な……」

「アホか! そんなことできるわけがないだろ!」

 

 クリスティーヌが叫んだ。

 

「俺はともかく、シルヴァンに王女は無理だ! あっという間に王宮の連中にバレて殺されるだろうが!」

 

 その指摘は正しい。

 シルヴァンは絵に描いたような騎士の子で、脳筋少女だ。

 王妃の悪意に満ちた王宮で、一切のぼろを出さずに王女として生活し続ける、なんてことができるとは思えない。

 

「だいたい、こいつの望みは、クレイモアを守ることだろ? 王女になって、自分だけ家を抜けて、俺に全部任せてはいおしまい、じゃスジが通らねえよ!」

 

 イライラと叫ぶ隣で、私にも疑問が浮かぶ。

 

「血筋の問題もあるわよね? シルヴァンとクリスティーヌはいとこといっても、母方のモーニングスター家の血縁でしょ。王家とクレイモア家では、ここ何代か婚姻が結ばれてないはずよ。クリスティーヌが跡取になったら、そこでクレイモア家の血がほぼ断絶しちゃうわよ」

 

 クレイモアを愛しているのはシルヴァン。

 血を繋げたいのもシルヴァンだ。

 顔が似ているからといって、クリスティーヌに挿げ替えても問題は解決しない。

 

「ああ、だからふたりには入れ替わった上で、結婚してもらう」

「……は?」

「シルヴァン、お前は王女としてクレイモアに嫁ぐんだ。そうすれば、女主人としてクレイモア家に残り続けることができる。血を繋ぎたければ、自分で産めばいい。直系のお前の子なら、父親が誰でもクレイモアの末裔だ」

 

 フランは淡々とメリットをあげる。

 

「婚姻という公の関係は利点が多い。正式に婚約が成立すれば、花嫁修業の名目でクリスティーヌをクレイモア領に移動させることができるからな。今ここですぐに入れ替わるのはリスクが高いが……王都から遠く離れたクレイモア領にふたりで引きこもった後なら、ゆっくりと身分を交換することができる」

「いやまあ、そうかもしれないけど」

「ふたりとも、第二次性徴期に差し掛かったばかり、というのも都合がいい。それぞれ男らしく、女らしく育てば、見間違えるほど似ていた、なんて過去は忘れられてしまうだろう」

 

 そうかもしれないけどさあ!

 

「つまり……問題を解決するためだけに、ふたりに政略結婚しろってこと?」

「言っただろ。倫理観を捨てて、秘密を地獄の底まで持っていくなら、と」

 

 捨てすぎだろーが!!!

 

 

 

 



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利害の一致婚

「好きでもないのに、利害の一致だけで結婚しちゃダメでしょうが……」

 

 補佐官の提案には、血も涙も一切なかった。

 自由恋愛が基本の現代日本人としては、正直ドン引きである。

 

 貴族社会なハーティアでも、完全な政略結婚は実はそんなに多くない。

 確かに貴族の結婚相手は、親が見つけてきたり、親戚が紹介してくれたり、王立学園っていう狭いコミュニティの中で見つけてくることが多いけど、最後には本人同士の相性を見て、お互いが納得する形で結婚が決まる。

 条件重視のように見えても、結婚前後でちゃんと信頼関係は結んでるんだよね。そう考えると、現代日本のお見合い結婚とそう大差ない。

 

 だって考えてもみてほしい。

 親にとっては今まで手塩にかけて育ててきた大事な大事な子供なのだ。どうせなら、幸せに暮らせる相手と結婚させたいと思うのが、親心というものだ。

 ただ、情報伝達技術が発展していないこの世界で、お屋敷育ちの未成年が自由意志で結婚相手を選ぶと、悪い大人に騙されることが多いから、社会経験のある親が段取りしてるだけで。

 

 借金のカタに嫁がせたり、利権のためにうんと年上の相手と結婚させたり、なんてことは滅多にない。というか、親の一存で決められる部分があるからこそ、条件のおかしな結婚は子を大事にしない親として批判の的となる。

 

 ピンチを切り抜けられるからといって、猫の子みたいにあっちとこっちをくっつけて、なんて提案はさすがにアレだと思う。

 

 年齢と家柄のつり合いはとれてるけどね?

 さすがに利害オンリーは、まずいと思うよ?

 

 それはシルヴァンも同意見だったらしく、彼女は首を振った。

 

「確かにメリットの多い婚姻だが、ダメだ。家を出たがっているクリスティーヌを、私の事情に巻き込んで縛りつけるわけにはいかない」

「俺は別にいいぜ?」

 

 しかし、クリスティーヌはけろっとした顔で肯定した。

 

「お前……家なんかクソくらえって言ってただろう……」

「そりゃ、ハーティア王家みたいに腐りはててる家はいらねーよ。でも、クレイモアは違うんだろ? お前が命をかけてでも支える価値があるんじゃないのか」

「……そうだが」

「どうせ、このまま性別をごまかし続けても、どこかのオヤジに嫁がされるか、逃げ出して流民になるかしかねえんだ。伯爵として生きるほうが、ずっといい」

「騎士だぞ? 鍛錬は厳しいんだぞ?!」

「お前、お姫様修行の厳しさを知らねえだろ」

「それは……そう……だが……」

 

 それ以上反論が思いつかないらしい。

 シルヴァンは口をぱくぱくさせて、絶句した。

 

「それよりシルヴァンはいいのか? このままだと、お前の相棒が俺になるんだけど」

「……」

 

 シルヴァンは、クリスティーヌをじっと見た。

 クリスティーヌもまた、シルヴァンを見つめて彼女の答えを待つ。

 

 しばらくしてから、シルヴァンは顔をあげた。両手でパン、と自分の頬を叩く。

 

「ボクも、問題ない。こっちだって、このまま生きたところで何も知らないどこかの令嬢と、偽りの婚姻を結ぶことになるんだ。そんな破滅しかない結婚をするより、絶対に裏切らない共犯者と生きるほうがいい」

「じゃ、契約成立だな」

 

 クリスティーヌが手を差し出すと、シルヴァンが握り返す。

 

 ええええ、フランの悪魔の提案が成立しちゃったんだけど。

 本人が納得してるなら、いいのか?

 いいってことにしていいの?

 

 

 



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真夜中の訪問者

 その日の夜遅く、私たちが泊まる別荘にクレイモア伯が訪れた。

 

 うちからはシルヴァンが無事なことを伝えたうえで、迎えはゆっくりで大丈夫、と連絡したんだけど、明日までは待てなかったらしい。

 貴族の作法としてはかなり非常識な訪問だったけど、私たちは彼を受け入れた。

 

 だって、心配する気持ちはわかるもん。

 

 護衛をつけてデートに送り出してみたら、鍛冶屋でドワーフ職人を拾って予定変更。その上、護衛のひとりは大通りで刺されて発見されるし、本人は他家の令嬢と一緒に行方不明。見つかったと思ったら、護衛のひとりが裏切り者として捕縛された、なんて報告を受けて安心できるわけがない。

 

「このたびは、うちの身内の不始末でお嬢様を危険にさらして……申し訳ない!」

 

 応接間に通すなり、クレイモア伯は私とフランに土下座の勢いで謝罪してきた。

 

「いえ、お気になさらないでください。シルヴァンは私を守るために最大限努力してくれましたし……襲ってきた中には、私を狙う悪人も含まれていましたから」

「か弱い女子を守るのが、クレイモアの騎士の務めです。やはりわれらの責任で……」

「クレイモア伯、この件はお互い様ということで。謝罪よりはシルヴァンについてお話させてください」

 

 いつまでも謝罪しそうな勢いのクレイモア伯を、フランが止める。

 私は事前に打ち合わせていた段取りで、部屋から使用人たちをさがらせた。ついでにクレイモア伯の側近たちにも、別室で待機するようお願いする。

 

「私の側近まで……? シルヴァンに何が? まさか、他の者に見せられないような怪我を?」

「安心してください、シルヴァンは大丈夫です。ですが、どうしてもお伝えしたいことがあるのです。一時でいいのでクレイモア伯にだけお話させてください」

「リリアーナ嬢がそう言うなら……お前たち、別室で待機だ」

 

 もともと、クレイモア伯は私たちに負い目がある。彼はすぐに側近に指示を出してくれた。

 怪訝な様子で彼らが引き揚げたあと、私は隣室に合図した。シルヴァンとクリスティーヌのことは、うちの使用人にもクレイモア伯の側近にも知らせるわけにいかないから、ややこしい。

 

 しばらくして、フィーアが隣の部屋からシルヴァンとクリスティーヌを連れて入ってきた。

 

「おお、無事だったか、シル……ヴァン……?」

 

 ふたりを見て、クレイモア伯の目が大きく見開かれる。

 まあそうなるよね。

 ゆったりとした女もののワンピースを着た銀髪の女の子と、男ものの服を着崩した銀髪の男の子。孫そっくりの子供がふたり同時に現れたら、驚くしかない。

 

「シルヴァンがふたり……いや……これは……?」

「おじい様、ボクがシルヴァンです。そして、こちらは王妹殿下のクリスティーヌ様」

「クリスティーヌ様? いやしかし、あの方は女性で!」

「彼にも、事情があるんです」

 

 自分の孫も同じような状況で育ててしまったからだろうか。クレイモア伯は一瞬うろたえたが、すぐに持ち直した。フランが口を開く。

 

「詳しい話をさせていただいても?」

「ああ……頼む。長い話になりそうだが」

 

 そして、私たちは長い長い話し合いを始めた。

 

 

 

 

 

 



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これからの話をしよう

「なるほど……事情はわかりました」

 

 フランの悪魔の提案も含めて、シルヴァンとクリスティーヌの事情を話し終えると、クレイモア伯は大きく頷いた。

 

「シルヴァン、お前はそれで納得しているんだな?」

「はい、おじい様。ボクは彼と一緒に生きていきます」

 

 迷いのない目でシルヴァンが宣言した瞬間、クレイモア伯の目からぼろぼろと涙がこぼれ始めた。

 

「すまない……すまない、シルヴァン。本来守るべき私たちが不甲斐ないせいで、お前には重荷ばかり背負わせてしまって……今度はクリスティーヌ様まで巻き込んでしまった」

「おじい様……」

「女の子として、守られて生きるべきだったのに……こんなことまで」

「それは違うだろ、じいさん」

 

 今までおとなしく話を聞いていたクリスティーヌが口をはさんだ。

 

「こいつが鍛錬をがんばってきたのは、クレイモアが好きで、騎士が好きだからだろ。こいつ、俺たちと逃げてる間もずーっとクレイモアが、クレイモアがって言ってたんだぜ? 生き残るために嫌々お姫様の振りをしてた俺とは違うんだから、そこはちゃんと認めてやれよ」

「しかし……シルヴァンは女で」

「男とか女とか関係ねえよ。これからこいつは名前も育ちも今までの努力も捨てるんだ。育てたあんただけでも、覚えておかなくてどうするんだよ」

「あ……ああ、そうだな。あなたの言う通りだ」

 

 クレイモア伯はぐい、と涙をぬぐった。

 

「シルヴァンはそういう子だった……」

「女の幸せ云々もあんまり心配すんな。そこは男の甲斐性っつーか……俺がなんとかすればすむ話だからよ」

 

 クリスティーヌがそう言うと、クレイモア伯は一瞬真顔になったあと、破顔した。

 

「は……はは……シルヴァンは、存外良い男を掴まえたらしい」

「まだ立場上は女だけどな」

「よし、わかった!」

 

 クレイモア伯が顔をあげた。そこにはもう、迷いも憐れみもない。

 

「これからは、あなたも私の孫だ。クレイモアの家族として歓迎しよう。婚約が調い次第、母君ともども、我が城でお過ごしください」

「えっ……母さんも?」

「クリスティーヌ様の母君は、シルヴァンの義母となる方だ。家族としてお迎えするのが当然のスジというものだろう」

「母さんも……王宮から出られる……」

 

 クリスティーヌにとって母親は最大の庇護者であると同時に、最大の弱点でもある。

 彼女が王宮から逃れて、クレイモア伯に庇護されるのなら、これ以上心強いことはないだろう。

 

「よろしく、じいさん」

「これからは男孫として、大事に育てさせていただきます。お覚悟を」

「……ほどほどにしといてくれよ」

 

 フランの悪魔の提案を聞いたときにはどうなることかと思ったけど、なんとか丸く収まったっぽい?

 性別以上に大きな秘密を抱えることになったけど、悪いことにならなさそう。

 少なくとも建設的な未来を思い描くことはできるようになったのだから。

 ただただ性別をごまかし、不幸を先延ばしにしているだけよりはずっといい。

 たぶん!

 



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貸しは大体高くつく

 クレイモア伯との話し合いを終えて、外に出るとすでに空は白み始めていた。

 クリスティーヌを宿に戻す方法とか、シルヴァンとクリスティーヌの入れ替わりのタイミングとか、いろいろ細かいことを打ち合わせしていたら、全員徹夜になってしまったのだ。

 彼らを見送ったら、ハルバードのメンバーは一旦休憩だ。

 

「その鞄は、座席のほうに置いてくれ」

「かしこまりました、賢者様」

 

 おっと、ひとりだけこれから仕事の人間がいた。

 

「ディッツ、怪我人の治療をお願いね」

「それと、『特別な薬』の処方だろ? わかってるって」

 

 衰弱している武器職人マリクと、刺されて重傷の護衛騎士グレイの治療に、シルヴァンたちの変身薬の作成などなど。ディッツはこれからが一番忙しい。

 

「あれもこれも、って頼んじゃってごめんね」

「気にすんなって。お代はもうすでに一生分支払ってもらってるんだからよ」

 

 だからって、その約束にあぐらをかいていられるほど、私も鈍感じゃない。バカンスが仕事にすり替わったぶん、あとで何か埋め合わせしてあげなくちゃ。

 ディッツは懐からメモを一枚取り出すと、私の隣に立つフランに渡した。

 

「補佐官殿、メモに書いてある薬品の手配をお願いします」

「承知した」

「お嬢、俺があっちに着いたらジェイドを戻すから、休ませてやってくれ。先に機材と薬を送ったから治療自体は大丈夫とは思うが、ひとりで何人も怪我人の面倒を見て、死ぬほど疲れてるはずだから」

「まかせて。布団です巻きにしてでも休ませるわ」

「はは、そりゃ心強い」

「……クリスティーヌ様のお支度が整いました」

 

 別荘の玄関が開いて、クレイモア伯たちがやってきた。

 振り向くと、クレイモア伯の後ろから、いつもの騎士服を着たシルヴァンと、ふわふわのドレスを着た銀髪の美少女がやってくるのが見えた。

 

「ドレスをお貸しくださって、ありがとうございます。リリアーナ様」

「お……おう」

 

 誰だこの美少女。

 いや、可能性はひとりしかいないけどさ。

 

「ドレスと化粧で化けると思ってたけど、間近で見ると本当にかわいいね」

「十年以上積み重ねてきたお姫様スキルを、ナメてはいけませんわよ」

「その……体格まで少し小さくなってないか?」

 

 シルヴァンも、信じられないものを見る目で、クリスティーヌをまじまじと見る。

 そういえば、さっきまでほぼ一緒だったはずのふたりの目線が、クリスティーヌだけちょっと低くなっている。

 

「あー、スカートの下で軽く膝を曲げて立ってんだよ。小さければ小さいほど、『かわいい』って印象がつくからな。で、男子に視線をやるときは、こう」

 

 きゃるん。

 不思議な擬音が出そうなしぐさで、クリスティーヌはシルヴァンを見た。上目遣いプラス、小首かしげプラス、お手て添えの特盛ポーズである。

 

 なにこれめっちゃかわいい。

 下手な子がやったら、ぶりっ子どころの騒ぎじゃないんだけど、やってるのは超美少女モードのクリスティーヌだ。かわいい以外の言葉が思いつかない。

 うっかり、中身のガラの悪さを忘れてしまいそうだ。

 

「シルヴァン様、私かわいい?」

「か……かか、かわいいけど! 今後はコレをボクがやるのか?」

 

 できる気がしない! とシルヴァンは早くも絶望顔だ。

 

「顔の作りは一緒なんだから、慣れれば平気だって」

「その慣れが問題なんだ!」

「でも、これだけ印象が違うなら、ふたりが並んでも、顔がほぼ一緒って気づく人は少ないでしょうね」

「その上、婚約発表の場では、変身薬を使って体を作り変える予定だからな。お互いの性別疑惑は一旦そこで払拭できるだろう」

「まさか、そこまでやって入れ替わりをするなんて、誰も思わないでしょうからね」

「こんな芸当ができるのは、賢者サマの薬のおかげだ。お抱えの魔法使いを紹介したり、服を貸したり、なんかいろいろとありがとな」

「ボクからもお礼を言わせてくれ。先のことを考えられるようになったのは、君のおかげだ」

 

 せっかくふたりがお礼を言ってくれてるけど、私の内心は複雑だ。私がふたりを助けたきっかけは、純粋な好意だけじゃない。この先に起こる厄災を乗り越えるためだ。そもそも、クリスティーヌのピンチだって、元をただせば私が原因なわけだし。

 でも、そんなことは口に出せないので、代わりに私はにんまりと笑う。

 

「ハルバードに貸しを作ると、高くつくわよ~」

「お、恩は恩だ。なんでもしようじゃないか」

 

 貸し、と聞いてシルヴァンもクリスティーヌも身構える。私は笑顔のままふたりに手を差し出した。

 

「じゃあ……ふたりとも私の友達になって」

「へ」

 

 シルヴァンとクリスティーヌは、同時に鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になった。

 

「ずっと領地に引きこもってたから、同世代の友達っていないのよね」

 

 フランは年上すぎるし、ジェイドとフィーアは友達っていうよりは部下って感じになっちゃったし。世界救済お友達作戦を抜きにしても、対等な友達は欲しいんだよね。

 

「ハ、そういや俺もまともなダチはひとりもいねーわ」

「ボクもだ……」

 

 性別を偽る、なんて大きな秘密を抱えてたら、なかなか友達作ったりできないよね。私も人のことは言えないけど。

 シルヴァンは笑顔で私の手を握り返してくれた。

 

「いいよ、これから先何があっても、ボクは君の友であることを誓おう」

 

 クリスティーヌも握手してくれる。

 

「悪い奴じゃねーしな」

 

 私たちは、お互い笑いあった。

 おおお、最初の計画とはだいぶ違っちゃったけど、なんとか作戦成功じゃない?

 やった、お友達ゲットだぜ!

 

「じゃあな」

「戻ったら、手紙を書くよ」

「うん、またね!」

 

 去っていくシルヴァンたちを、私は明るい気持ちで見送った。清々しい気持ちでリビングに戻ってきて、一息つく。

 

「フランが悪魔みたいな提案を始めた時はどうなることかと思ったけど、丸く収まってよかったわ。あとはシルヴァンたちが夫婦としてやっていければいいけど」

「あのふたりなら大丈夫だろう」

 

 おや?

 血も涙もない提案した奴が、楽観的なことを言い出したぞ?

 

 

 

 



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よくやった

「大丈夫、なんて……ずいぶん甘いことを言うじゃない。どういう風のふきまわし?」

「どうもこうも、俺はいつも通り発言しただけだ」

 

 不思議に思って見上げても、フランの表情は変わらない。

 

「……お前はどう思っていたか知らないが、俺もさすがにあのふたりの相性が悪いようなら、あんな提案はしていない」

「そうなの?」

「無理な夫婦関係は結局破綻して家の衰退を招くことが多い。姉の母の実家がいい例だ」

 

 そういえば、フラン自身も政略結婚の弊害の中で育ったんだっけ。

 

「だが……あのふたりは、俺が『倫理を捨てて』などと強い言葉を使った時も、ずっと相手の事ばかり気遣っていたからな。……悪いようにはならないだろう」

「そっか、そうだよね」

 

 返事をしながら、私は思わず顔がにやけるのを止められないでいた。

 もー、この相棒は!

 結局めちゃくちゃ優しいんじゃないか。

 わざわざ汚れ役を引き受けてまで、ふたりの絆を確認するとか、器用なんだか不器用なんだかわからない。もうちょっと素直になってくれてもいいんだからね?

 

「リリィ、淑女がどうの、と主張するのなら気分次第で俺にハグするのはそろそろやめろ」

「これは騎士をねぎらう淑女の祝福ですー」

 

 フランはジェイドたちと違って、頭なでなではさせてくれないし?

 

「男の頭をなでようとするな。……と」

 

 唐突にフランの手が私の頭に載せられた。そのまま、よしよしとなでられる。

 

「な、なに?」

 

 今誉めるべきはフランであって、私じゃないよね?

 

「俺の方こそ誉めるのを忘れていた。ごたごたしていて、言いそびれていたが……護衛に裏切られて孤立無援の状態で、よく全員生き残った。……がんばったな」

「う……」

 

 今更それを言うのは卑怯ー!

 そうだよ!

 私がんばったんだよ!

 誰も見捨てないためにがんばったの!

 自分ひとりじゃ、全然どうにもならなかったけど、それでも、シルヴァンにもクリスティーヌにも、フィーアにだって不幸になってほしくなくて。

 めちゃくちゃがんばったんだよ!

 

 誰に認められるつもりもなかったから、黙ってたのに。

 そんな風に頭をなでられると、困るじゃん。

 

 顔が上げられなくなって、フランに抱き着いたままになっちゃうのは、しょうがないと思う。

 服に謎のシミができても、文句は受け付けないからね!!

 

「その程度、構わん」

 

 そこで男気を発揮するな。

 ますます顔が上げられなくなるだろーが。

 

「卑怯者ぉ……」

「なにをどうすれば、そんな結論になるんだ」

「フランがずるいこと言うのが悪い」

「……減らず口を叩けるなら、もう大丈夫だな」

 

 私が泣き止んだと判断したフランは、容赦なく引きはがしにかかった。

 おい、レディに何をする。

 

「そういう猫の子みたいな扱いはひどいと思うの」

「文句は猫の子のような行動を改めてから言え」

「私は淑女ですー!」

 

 こうなったら意地でもしがみついてやろうか。

 フランとしょうもない攻防戦を繰り広げている最中に、突然ドアが開いた。普段、何があろうとも必ずノックするうちの使用人にしては珍しい。

 

 顔をあげると、フィーアの金色の瞳と目があった。

 フィーアは私たちを見ると、目をまん丸にして、それから耳まで赤くなる。

 

「あ、あの、失礼しました! ぞんぶんに逢瀬をお続けください!」

 

 その反応を見て、私は今の自分がどんな状況に見えるか、ようやく理解した。何も知らない人にとっては、成人男性と少女が抱き合ってキャッキャしてる構図……だよね。

 

「フィーア、待って!」

 

 これは、そういうんじゃないから!!!

 

 

 



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ポイ捨て厳禁

 フランとのアホなやりとりをフィーアに目撃された私は、あわてて彼から離れた。そのまま飛び出していきそうな勢いの彼女を部屋の中に入れる。

 

 コレはフィーアが勘違いしているようなアレではない。

 がんばりに対する正当な報酬を要求していただけだから!

 やましいことはしてない!

 

「あの、大丈夫ですよ。誰かに言ったりしませんから……」

 

 いやそういう問題じゃなくて!

 私たちはちょっと遊んでただけだから!

 

「ええ、そうですよね」

 

 フィーアは肯定してるけど、目に『わかってますよ』って書いてある。物分かりがいいのはメイドの必須スキルだけど、今ここで発揮しなくていいから!

 言葉通りに受け取ってくれたらいいから!

 行間読まなくていいから!

 

「……もういい」

 

 これ以上の言い訳は逆効果のような気がして、私は諦めた。ちょっと後ろを見ると、フランも眉間に皺を寄せてため息をついている。

 

 ええい、この話はもうやめやめ!

 さっさと話題を変えるぞー!

 そもそもなんでフィーアがここにやって来たのさ!

 

「クレイモア伯たちが帰ったら、寝てていいよって言ったよね? どうしたの」

 

 護衛騎士の裏切りにあってから、今までずっとフィーアは働きどおしだ。安全な別荘に到着したらお役御免、と言いたいところだったけど、シルヴァンとクリスティーヌの秘密を守るために、その後も侍女として身の回りのことを手伝ってもらってたんだよね。

 蹴られた怪我の手当てはしてあるけど、それでもかなり負担になっているはずだ。

 だから、何日かは寝て過ごしてもらおうと思ってたのに、どうしてまだメイド服のままここにいるんだろう。

 

「あの……それが……」

 

 フィーアはおずおずと一冊の本を差し出してきた。

 その派手な装丁には見覚えがある。闇オークションのカタログだ。

 

「ええっ、なんでコレがまだここにあるの? もしかして、クリスティーヌが忘れていっちゃった?」

「忘れた、というよりは無用のものとして捨てられたようです。ゴミ箱をチェックしていたら、中に入っていました」

 

 正規の変身薬が入手できるようになった今、クリスティーヌにとっては無用のものだろう。しかし、一般メイドに見せるには割とヤバい内容が書かれているシロモノだ。置いていかれても困る。

 どうやら彼女は、これを見つけて、慌てて届けに来たらしい。

 

「ごめん、休む前にお仕事頼んで申し訳ないんだけど、焼却処分しておいて」

「それが……」

 

 フィーアはなぜか冊子を胸に抱いて、焼却処分を拒否した。

 

「何かあるの?」

「……こちらを見てください」

 

 フィーアは、カタログの最終ページを開いて見せた。

 その手はわずかに震えている。

 

「ご主人様、対価は一生かけてでも支払います。この品を買ってはいただけないでしょうか」

 

 フィーアがおねだりするなんて、珍しい。というか、そんなワガママを言い出したのは今回が初めてだ。

 しかも、欲しいのは闇オークションで売られている非合法なもの。

 私とフランは最終ページに目を向ける。

 

「……兄を、救ってください!」

 

 そこにあったのは、ある人物のプロフィールだった。

 男性、20代、黒髪、金の瞳、そして猫のような耳としっぽ。

 オークションに出品されているのは、フィーアの兄、ネコミミのツヴァイだった。




 というわけで、「リリィちゃんお見合い編」とりあえずの完結です!
 次話より、「リリィちゃん闇オークション編」に突入します!!

 このまま明日以降もカトラスでのお話を続けて投稿しようと思います!

 ここからお願いです!
 この作品は小説投稿サイト「カクヨム」のコンテスト、カクヨムコン7に参加しています。
 カクヨムコンの一次審査は、読者様からの評価にて行われています。

 もし気が向いたら、☆評価に参加してください。
(他サイトの作品評価に参加していただくのは、ハードルが高いと思うので、ダメ元のお願いです)

「何やっても世界が滅亡するクソゲーに悪役令嬢として転生したけど、しぶとく生き残ってやりますわ!」
https://kakuyomu.jp/works/16816452220372855975

 よろしくお願いします!!


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悪役令嬢は闇オークションに参加したい
闇オークション


 フィーアの兄、ツヴァイが闇オークションで売られている!

 その衝撃的な事実を知ってしまった私は、その日の午後……別荘のリビングでだらだらしていた。

 

 いやでもこれはしょうがないから!

 武器屋で瀕死のドワーフを拾ったり、暗殺者に命を狙われてカトラスの町中を走り回ったりしてへとへとだったところに、男装女子と女装男子を入れ替える陰謀に関わったりして徹夜したんだもん。昼過ぎまでベッドで休んで、だらだらしててもバチは当たらないと思うんだよね。

 

 相棒のフランも、真面目そうな顔を装いながらもだらだら中だ。一応、リビングで本を読んでる風を装ってるけど、さっきから一向にページが進んでない。現代日本でいうところの、速読的なスキルをマスターしている彼にしては珍しい。

 何か考え事をしてるのかな、とも思うけど、休息中にそんなことを聞くのも野暮な気がするので、相変わらず泣きボクロがセクシーな横顔を観察するだけにしておく。

 

 おやつをお代わりすべきか、夕食まで我慢するべきか、と考えていると、ドアがノックされた。声をかけると、フィーアが入ってくる。彼女の手には手紙が一通握られていた。

 

「クリスティーヌから返事が来たの?」

「はい、ご確認ください」

 

 フィーアから手紙を受け取って封筒を開けると、上質でかわいらしい便箋に、わざと雑な書き文字で返事が書き綴ってあった。見た目は美少女、中身はチンピラな彼らしい。

 

「内容は?」

 

 フランが本から顔をあげて尋ねてくる。

 

「自分はもう闇オークションは必要ないから、代わりに参加していいって。参加証替わりの指輪も同封してくれたわ」

 

 これは予想通りの返答だ。彼が闇オークションに参加してまで手に入れようとしていた、『金貨の魔女の変身薬』はすでに東の賢者から入手することが確定しているのだから。カタログ自体不要として、うちのゴミ箱に捨てていったくらいだ。その参加権を私が使いたいと言い出しても、問題ない。

 

 私は封筒から出て来た指輪を観察する。ジェイドと違って魔力探知が苦手な私には、詳しいことはわからないけど、何か魔法がかけてあるみたいだ。きっと、この魔法があるかどうかで参加者を区別しているんだろう。

 

「カタログはある、参加証もある、資金も……ツヴァイひとり買うくらいなら用意できる。参加するための条件は整ったわね。オークションの開催は今日の夜中だっけ?」

 

 私が尋ねると、フランはテーブルに置いておいたカタログに目をやった。

 

「正確には22時だな。まあ、俺たちの目的は最後の目玉商品だから、少々遅くなったところで問題ないが」

「ご主人様、補佐官様……ありがとうございます」

「フィーアは気にしないで。あなたのお兄さんなら私にとっても身内みたいなものだし」

 

 それに、ツヴァイは攻略対象のひとりなのだ。世界救済のキーパーソンである彼は、能力が非常に高い。味方に引き入れて損はない。

 

「でも、なんでこんなところで売られてたのかしら」

 

 ゲームの中のツヴァイは、神出鬼没の暗殺者だ。暗殺組織の指示に従って、王都を舞台に暗躍していた。何の前触れもなく表れて、いきなり殺されてデッドエンド、なんてこともよくあった。その彼が、ゲーム開始から2年も前に捕まって、オークションにかけられているのは何故だろう。

 

「それは多分、ご主人様のご活躍のせいではないかと」

 

 また私が原因なの?!

 

 



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暗殺組織はいかにして瓦解したか

「えっと……ツヴァイが売られてるのは、私が原因ってどういうことかな?」

 

 私は思わずフィーアを問いただしてしまう。

 これまでいろいろやらかしてきた私だけど、妹のフィーアはともかく、ツヴァイには直接関わってこなかったはずだ。

 

「2年前、ご主人様はハルバードに潜入してきた暗殺者集団『魔獣の牙』を捕縛しました」

「フィーアに服従の呪いをかけて、こき使ってた連中ね」

「魔獣の牙は大きな組織で、内部でいくつかのチームに分かれていたんです。各チームはそれぞれ指導者たちからお金と命令を受け取って、活動していました」

「暗殺など、大人数でやるものではない。……が、任務により人材を使い分ける必要がある。嫌な話だが、合理的な組織形態だな」

「はい、それで……ハルバードを襲撃したのが、彼らをコントロールしていた指導者たちだったんです」

「えっ」

 

 なんでそんな大物メンバーが、わざわざハルバードに来てんの。

 

「そう驚くことでもないんじゃないか? 彼らが本来遂行しようとしていたのは、宰相の暗殺。主力メンバーを総動員すべき大規模作戦だ。指導者たちが乗り出してきていてもおかしくない」

「でも、宰相閣下の暗殺自体は、うちの父様が阻止したんだよね?」

 

 そして、本来死んでいたはずの宰相閣下と、フランの姉マリアンヌの運命は捻じ曲げられた。

 

「宰相暗殺は不可能と判断した奴らは、宰相の周りの者……姉の婚約者や俺に標的を変更した」

「えーと、言うことを聞かないと、周りの者が死んでいくぞ、っていう脅しに使おうとしたんだっけ。でも、フランはその襲撃をかわして、ハルバード領まで逃げ延びた……」

「この時点で、魔獣の牙たちの計画は変更に次ぐ変更を余儀なくされていたはずだ。いちいち末端に判断させていてはらちが明かないから、指導者チームもハルバード入りしていたんだろう」

「それを、最後の最後で父様たちが一網打尽にしたのね」

 

 2年前のある時期、ハルバード城の地下牢は罪人でぱんぱんになっていた。その中に、魔獣の牙の指導者たちも入っていたわけだ。

 

「資金と責任者を失った末端のチームは、ばらばらになりました。そのうちいくつかは、野盗として騎士団に討伐されたようです」

「そういえば、やたらと強い盗賊の報告があったわね……」

 

 あれはコントロールを失った魔獣の牙だったのか。

 

「兄は優秀ですが、その反面とても扱いにくい道具でもありました。服従の呪いに常に抗っていましたし、言動も反抗的でした。私という人質を手元に置くことで、やっとコントロールしていたんです。金も呪いを維持する手段も失った彼らは、兄を持て余した挙句に、人身売買組織に売ってしまったのではないでしょうか」

「厄介者が片付く上、逃走資金が手に入る。悪い判断ではないな」

「それが、巡り巡って、オークションに出品された、というわけね」

 

 一瞬、組織が瓦解した時点でツヴァイを助けられたのでは、という可能性が頭に浮かぶ。しかし、この時点ではツヴァイを連れていたチームの消息は不明だ。魔獣の牙が空中分解しているとわかっていても、探して保護するのは無理だ。

 

「ツヴァイを助ける方法は、簡単ね。お金を出して落札してしまえばいいんだもの」

「フィーア同様、服従の呪いがかけられているだろうが、そちらも問題ない」

「ディッツに解除させればいいだけの話だもんねー」

 

 フィーアの呪いが解けたのだ。同じ状況のツヴァイの呪いを解くくらい簡単だろう。クレイモア家の問題でただでさえ忙しいところに、さらに仕事をふられたディッツが忙殺されるけど。

 

「問題は、会場に乗り込んで穏便に落札できるかどうか、だ」

「人身売買組織については、フランが調べていたわよね。どんな組織なの?」

 

 私が尋ねると、フランは眉間に皺を寄せて首をかしげた。

 



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あっ……(察し)

「カトラスの人身売買組織については、まだ不確定要素が多いぞ」

「シルヴァン暗殺未遂事件で、調査を無理やり中断しちゃったからねえ」

 

 カトラスの繁華街で、私たちを助けた時、フランはちょうど犯罪組織と接触していたらしい。他にどうしようもないピンチだったから、フランの力は絶対必要だった。でも、偽装も何もかも放り出して駆け付けたせいで、相手にフランの正体が完全にばれてしまったらしい。しかも、顔を覚えられてしまったから、身分を変えて再潜入するのも難しい。

 

「……補佐官様が、他領の犯罪を調べていたんですか?」

 

 フランが人身売買組織の調査を行っていた、と聞いたフィーアは目を瞬かせた。まあ、普通はそういう反応だよね。

 ハーティア王国において、領主の治める土地は小さな国だ。

 犯罪者の取り締まりは領主の責任であると同時に、権利でもある。

 他の領地の犯罪事情には、内政不干渉として、関わらないのがルールだ。

 もちろん、そのままだと領主自身が犯罪に溺れてしまった時に、止める人がいなくなるので、領主に何かあった時は、小領主を管理支援する立場の大侯爵家や、全ての貴族を束ねる王家などが取り締まる。

 

 今私たちが調べているカトラスは、建国時から続く大侯爵家。

 本来、王家以外は干渉できない。

 

 ハルバード家所属の私たちがやってることは、完全な越権行為なのだ。

 

「んー、詳しいことは言えないんだけどね、カトラスの犯罪を放っておくと国全体に影響するから、どうにかしたいなーと思って調べてたんだ」

「……それって、ご主人様の予言ですか」

「何ソレ?」

 

 予言ってなんだ。

 確かに、ゲームの攻略本は未来に起きる出来事を書いた予言書っぽいけど。

 

「ジェイドに言われたことがあるんです。ご主人様が、理屈を超越した予言めいたことを言った時は必ず当たるから、従えと」

「ジェイドぉぉぉぉ……」

 

 私の雑な行動に、聡いジェイドが疑問を持たないわけないと思ってたけど!

 そんな風に解釈してたのか!!

 

「……ジェイドとフィーアには、もう少し詳しい説明をしておいたほうがよさそうだな」

「ウン、ソウダネ……」

 

 こういう時って、普通ひた隠しにするもんじゃないの?

 ばれるかばれないか、がラノベのドラマになるんじゃないの?

 人知を超えた力があるって、察知された挙句に、やんわり配慮されるってどういうことなの。

 

「気にするな。お前が裏表のない素直な人間なだけだ」

「それほめてないよね? 思慮の浅い単細胞だって言ってるよね?」

 

 穴があったら入りたい。

 私が恥ずかしさでのたうち回っているっていうのに、フランはそれをまるっと無視した。

 

「内政干渉については、今のところ問題ない。勝手に捕まえて裁こうとしたら大問題だが、他領の情報を集める程度はどこの領主もやっている」

「調査をしていたら、たまたま、犯罪組織と出会ってしまった。そういうことですね」

 

 飲み込みの早いフィーアは、そう言って納得している。

 

「調査の結果、カトラスでの人身売買組織および、闇オークションの元締めが現カトラス侯爵、サンドロ・カトラスであることが確定した」

「リスクの高い人身売買を頻繁に行うなど、よほどの有力者が関わっているのだと思っていましたが、領主自身が主導していたんですね」

 

 そういうことだ。

 実は、カトラス侯が関わっていることは、すでに予言の書もとい、攻略本情報で知っていた。

 攻略対象のひとり、ルイス・カトラスとのルートでは、この人身売買問題を解決することが、メインイベントだった。

 

 フランは、すっと人差し指を立てる。

 

「もうひとつわかったことがある。この件、カトラス侯の後ろにもうひとり、黒幕がいる」

 

 

 

 



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黒幕は誰だ

「黒幕?」

 

 攻略本にも書かれていなかった新情報に、私は思わず腰を浮かせた。フランは確信を持って頷く。

 

「元々、こんな大規模な犯罪の主犯がカトラス候であることに、疑問はあったんだ。カトラス候とは、以前王都で会ったことがあるが……見栄っ張りなところはあるものの、凡庸な男だった」

「……言われてみればそうね」

 

 私もゲームの中でカトラス候に会ったことがあるけど、その時の印象もフランの感じたものと大差なかった。欲の皮の突っ張った、ただのおじさんだ。こんな大胆な犯罪に手を染めるほどの度胸があるようには見えなくて、違和感があったんだよね。

 

「そして、条件的な問題もある。確かにカトラス侯はこの港街で絶大な力を振るう権力者だ。貴族としての格が高いから、金払いのいい上客を掴まえるのも難しくないだろう」

「人間っていうヤバいものを商うには、うってつけのポジションよね」

「だが、この犯罪を成立させるには、ピースがひとつ足りない。『仕入れ』の人脈がないんだ」

「仕入れ……つまり、売りものになる人間を調達する人脈ってこと?」

「ああ。調べてみてわかったんだが、どうも売られている商品の質が高い」

「……質が?」

 

 フィーアが首をかしげる。私も一緒になって首をかしげた。

 人身売買は人身売買じゃないの?

 

「人の売り買いの場では、貧困地域から攫って来た一般人を雑役奴隷をして扱うことが多い。細かいことを仕込んだり、させたりすることはまれだ」

「隠れて売り買いしている人材だもんね。親身に技能を身につけさせたりしないかあ」

「だが、この組織では、ドワーフの武器職人のような、特殊技能を持った人間を扱っているんだ。このカタログにも、獣人に加えて教育の行き届いた高級娼婦、海外で名をはせた剣闘士が商品として並べられている」

 

 フランがぱらぱらとページをめくると、そこには華々しい経歴を持つ人間が『商品』として紹介されていた。彼らは優れた技能ごと、人生を売られている。

 

「言われてみれば変ね……技能のある人間は、だいたい教育される過程で人脈ができるわ。攫われたり、売り飛ばされたりしたら、周りが騒ぐんじゃないの」

「これらの人物の多くは外国人だ。恐らく、海外で有用な人材を誘拐し、カトラスに卸しているんだろう」

「国境……特に海まで越えて身柄を運ばれたら逃げようがないし、家族も行方をたどるのが難しくなる……」

 

 そうやって、家族や公の捜査機関を振り切った上で、人を売りさばいているのだ。

 

「こんなこと、ハーティアから外に出たことのないカトラス侯には不可能だ」

「素直に考えれば……きっと、黒幕は外国の有力者なのね」

「人材の出どころはどこか、どの国と手を結んでいるのか、ちょうどそれを調べていたんだが……」

「潜入していた目の前で、私たちが襲われてたってわけね」

 

 彼の行動は、私たちの命と引き換えだ。フランの調査不足を責めるわけにはいかない。

 

「正体不明の黒幕かあ……そんなのがいたら、問題解決が難しいわね」

「主犯はカトラス候なんですよね? 犯人がわかっているのなら、消してしまえばいいのでは」

「それはダメー!」

 

 バイオレンスなフィーアの提案を、私は全力で否定した。

 

 



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重要なのは過程

「人身売買組織のボスだからって、いきなりカトラス侯を殺すのはダメ」

 

 私は思考がバイオレンスなフィーアの提案を却下した。厳しい育ちのぶん、フィーアは私たちでは想像もできない悪意の存在を指し示してくれるけど、今回はダメだ。

 

「何故ですか? 殺せばそれ以上の悪事は不可能になります。一言命じていただければ、証拠を残さずに仕留めてまいりますが」

「フィーアが本気でやればそれくらいはできると思うけどね?」

 

 フィーアは、完全な黒猫の姿に変化できる、ユニークギフトという能力を持っている。猫の姿で敵の目をかいくぐり、目的の人物だけを殺して帰ってくるくらいは朝飯前だろう。

 

「突然組織の長が殺されたら、カトラス領が大混乱になると思うよ」

「カトラスは、貿易港の利権だけでなく、ハーティアの海運全体に影響力を持つ家だからな。その当主が突然死亡したら、ハーティア全体が大混乱に陥る」

「ハルバードで言えば、突然父様が殺されたようなものよね」

「確かに……それは歓迎すべき事態ではないですね」

 

 ハルバードで父様が突然不在になる。そう聞いてフィーアも状況を理解したようだ。

 

「人身売買を止めるっていう目的も達成し辛いわね。これは個人の犯罪じゃなくて、組織犯罪だもの。末端の構成員までちゃんと掴まえないと、何年か後に別の人間を長とした新しい犯罪組織ができるかもしれない」

「単に殺して終わり、というわけにはいきませんね。ご主人様たちは、どうされるおつもりだったのですか?」

「カトラス家嫡男、ダリオ・カトラスによる告発と粛清よ」

「結局殺すんじゃないですか!」

 

 フィーアのツッコミに、フランが首を振る。

 

「結果が同じでも、過程が違う」

「……過程、ですか」

「父親の犯罪を知ったダリオに、関係者を捕縛させて正式に告発させるんだ。他者が犯罪を告発した場合は、カトラス家の失態として家ごと処分を受けるだろう。しかし、告発者が内部の者なら、カトラス家が自らの手で決着をつけた、として問題を家の中でおさめることができる」

「もちろん、身内から犯罪者が出たことに批判は受けるでしょうけど、家がまるごと糾弾されるよりは、ずっとマシなはずよ」

「現カトラス侯を処罰したあとのカトラス運営も、摘発の立役者であるダリオが侯爵となって引き継げば、混乱を最小限に抑えることができるだろう」

「執事の失態を侯爵一家が断罪することで丸く収めた、2年前のハルバードと同じ構図ですね?」

「そういうこと。とはいえ……赤の他人の執事と違って、こっちは侯爵本人が主犯だから、うちよりずっとヤバい状況なんだけど」

「ヤバいからといって、そのままつぶれてもらっては困る。ハーティアの国土で、カトラスの他に海に面しているのは北のモーニングスターだけだ。あんな荒れた海の港だけでは、海運を支えられない」

「ご主人様たちの意図はわかりました。でも……そんなにうまくいくでしょうか?」

 

 フィーアはかわいらしく首をかしげる。

 

「何がひっかかってるの?」

「ダリオの行動です。彼がそんなに都合よく、父親を告発してくれるでしょうか?」

「そのあたりは問題ないわ」

 

 私は断言した。

 

「彼はこのままだと、父親の告発に失敗して、殺されることになってるから」

 

 



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死者こそ救え

「父親を告発しようとしたダリオ・カトラスが、逆に殺される。それが、ご主人様の『予言』なんですね」

 

 フィーアの問いに、私は頷く。

 

「私たちは、彼を死なせないために、カトラスに来たの。非業の死を遂げる、ということは、彼には生きるべき理由があるのよ」

 

 何度か運命を変えて、抱くようになった疑問がある。

 ゲーム内で登場する攻略対象は、確かにみんな有能だ。政治的にも重要なポジションにあり、まさに世界を救うキーパーソンと言っていい。しかし、ゲームに登場する人物だけ注意していれば、それでいいんだろうか?

 

 マシュマロボディでのんびりしていたはずの、『最強騎士』と『白百合』。

 暗殺されていたはずの、『宰相閣下』と『優秀な跡取』

 弟子の命と引き換えに死んだはずの、『東の賢者』

 

 彼らはいずれも、攻略対象と同レベルの優秀な人々だ。

 年齢を重ねているぶん、彼らより強力なカードと言っていい。

 

 元々彼らの運命を狂わせていたのは、主にアギト国だ。

 アギト国は、ハーティアを弱体化させるために、何十年もかけて優秀な者を排除してきたから。だとすれば、ゲーム開始前に殺されたり、排除された人物こそ、真にアギト国の脅威となる人材だったのではないか。

 そして、近い未来に命を落とす、ダリオもまたそのうちのひとりだ。

 

「まだ、仮定の話だがな」

「でも、やってみる価値はあるわ。欲に駆られて人の売り買いをするようなおじさんより、それを止めようとした息子のほうが侯爵にふさわしいと思うもの」

「……ダリオ個人のことはご存知ないのですか?」

「ずっとハルバードに引きこもってたからねえ」

 

 攻略本にもあんまり情報がないしね。攻略対象だったルイスの台詞から考えると、リーダーシップのある、優秀な人だったっぽいけど。

 

「フランも、あんまり親しくはないんだっけ?」

「同じ勇士7家だが、彼とは顔見知り程度の間柄だ。同じ王立学園卒業生だが、5歳も年上のダリオとは、学年が違いすぎる。わかっているのは、そこそこ優秀なことくらいか。……良くも悪くも、現カトラス候が目立っているせいか、関連する情報が少ないんだ」

「キャラの濃い父親のせいで、霞んじゃってるのね。弟のルイスもそんな感じだったなあ」

 

 ルイスルートで必要とされたのは、高度なカウンセリング力だった。父の暴挙に振り回され、すぐに後ろ向きになってしまうルイスを、ひたすらに励まし続けるのがヒロインの主な仕事だった。ダリオも同じキャラだったら面倒くさいなー。

 

「俺が暗殺組織にもぐりこみ、ダリオ殺害の指示が出たところで阻止する計画だったが……正体がばれた今、今後どうするかが問題だな」

「メンバーとして中に入り込むのが無理なら、客として入っていくしかないんじゃない? ちょうどおあつらえ向きに、闇オークションに参加する理由も条件もそろったんだから」

 

 フランが肯く。彼もこの方針に異論はないようだ。

 

「じゃあ早速準備しなくちゃね」

 

 私は立ち上がった。

 オークションなんてところに潜入するなら、それなりの恰好をする必要がある。

 忙しくなるぞー!

 

 しかし、フランは気合をいれている私を猫の子のようにつまみあげると、ソファの上に戻した。

 

「は?」

「お前は留守番」

 

 なんでだよ!!!!!

 

 



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子供は留守番

「なんで闇オークションに参加したらダメなの!」

 

 私はフランにくってかかった。フランは、上から冷ややかに私を見下ろしてくる。

 おい、この構図はわざとだろ。

 

「子供だからだ」

「う」

 

 ド正論が返ってきた。

 

「考えてもみろ、人身売買をおこなっている闇オークションに13歳の少女が参加証を持ってきたとして、中に入れてもらえると思うか?」

「で、でも! クリスティーヌはその作戦で中に入るつもりだったじゃない」

「あいつの計画が、そもそも雑だったんだ。もしシルヴァン暗殺に巻き込まれず、そのままオークション会場にたどり着けたとして、参加できた可能性は限りなく低い」

 

 しかも、オークションに出されていた薬は偽物だったもんね……。

 他に方法がなかったとはいえ、クリスティーヌの行動は無謀もいいところだ。

 

「お前に出番はない。おとなしく待ってろ」

「やだ! だいたい、フランはツヴァイの顔を知らないでしょ。どうやって本物かどうか区別するのよ」

「フィーアを連れていく」

「私より年下じゃん!」

「フィーアは猫になれるだろうが。黒い子猫程度、余裕のある服を着ていけば、中に入れられる。発見されたところで、使い魔だと言い訳すればさほど追及されない」

 

 ぐぬぬ。

 

「ふ、フランだって、犯罪組織に顔が割れてるじゃない。一人で行ったら、バレるんじゃないの」

「俺が潜入していたのは、人身売買組織そのものじゃない。奴らに使われている非合法な傭兵ギルドだ。髪色や衣装を変えれば、ごまかせる」

「それはフランの予想じゃない。連れがいたほうが、より印象が変わると思うなー」

「どこかのお嬢様を連れてるほうが、悪目立ちするんじゃないか。現在、カトラスで闇オークションに参加するなんて暴挙に出るような13歳は、ハルバード家の我儘娘くらいしかいないだろう。お前はそこにいるだけで正体がばれるぞ」

「……私だって変装するもん」

「子供が?」

 

 子供子供言うなあああああっ!

 

「そもそも、お前が闇オークションに参加する理由は何だ? ツヴァイの真贋だけなら、猫の姿のフィーアがいれば、事足りる。お前が絶対に行かなければならない理由が見当たらない」

「理由ならあるわよ。ツヴァイ以外にも、落札すべきモノがあるかもしれない」

 

 私はオークションカタログを広げた。

 

「あのあと、改めてカタログをチェックしてみたのよ。そしたら、キーアイテムになってたものがいくつか見つかったの。ツヴァイはフィーアが見ればいいけど、こっちのアイテムは、私にしか真贋がわからないでしょ」

「……それはいくつある?」

「ええ……数? えーと5個くらい?」

 

 私が怪しいアイテムを指すと、フランはうんうんと頷いた。

 お? わかってくれた?

 

「わかった。俺が全部落札してくるから、留守番していろ」

「はあああああ? 全部? いくらすると思ってんの?!」

「お前がハルバードのお嬢様なら、俺はミセリコルデのご令息だ。その上、補佐官として2年働いたからな。金はそれなりに持ってる」

 

 そりゃ持ってるだろうけど!

 普段私の専売特許になってる、『スキル:お金持ち』を逆に使われると、めっちゃむかつくな!

 

「不測の商品が出たらどうするの」

「それはその時だ。いいから、子供は家で待ってろ」

 

 カチン。

 ダメ押しの『子供』発言が私の感情を逆なでする。

 

「ヤダー!!!!!」

 

 フランのいけずうううううううう!!!

 

 

 

 



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幕間:補佐官殿の憂鬱その1(フランドール視点)

 闇オークションに参加したいなどと、バカなことを言い出したリリィを叱りつけた数時間後、俺は自室で念入りに身支度を整えていた。

 

 宰相家で育ち、数年領主代理として社会生活を送ってはきたものの、さすがに地下組織が運営するオークション会場にもぐりこんだ経験はない。不測の事態であっても、対応できるように準備しておかなくては。

 

 集中して作業していると、ノックの音で手が止まった。ドアを開けると、そこには、訪問を依頼していた人物の姿があった。

 

「いよっ、補佐官殿」

 

 東の賢者と謳われる魔法使い、ディッツが笑いながら立っている。

 

「怪我人の対応でお忙しいのに、お呼びだてしてしまって、申し訳ありません」

「いいって、いいって。元はお嬢のお願いでしょう? 主のワガママをかなえてこその、部下ってね」

 

 ディッツは懐から小瓶をふたつ出して、俺に手渡した。

 

「この赤いのが、汎用解呪薬です。フィーアにかかっていた服従の呪い程度なら、飲ませれば解除できます」

「……すごいですね」

 

 単純に現象を発生させるだけの火魔法や風魔法と違い、呪いはいくつもの要素が複雑に絡まって成立している。一般的な魔法使いでは、分析するだけでも一苦労だというのに、薬ひとつで治してしまえるとは。

 

 ツヴァイ救出で、一番の懸念点は彼にかけられた服従の呪いだ。闇オークションなどと怪しいイベントで、素直に商品の受け渡しが進むとは思えない。

 納品直後に、誰かに暴走の言葉を唱えられたり、自決の言葉を唱えられたら大惨事だ。事前に呪いを無効化し安全に連れ帰るために、賢者の手を借りることにしたのだ。

 

「解呪薬が効かない、飲ませるのが無理、って場合はこっちの黒い瓶の出番です」

「中には何が?」

「超強力な睡眠薬が入っています」

「これも、フィーアの時と同じですね。無理やり意識を奪っておいて、あとで落ち着いてから呪いを解く」

「そういうことです」

 

 魔法使いは、更に注意事項を追加する。

 

「こいつの扱いには気を付けてください。元々、薬を飲み込めない者のために開発した薬ですから」

「飲み込めない? だとしたら、どうやって服用させるんですか」

「火魔法と風魔法を使って霧状にしたものを、顔に吹き付けて鼻などの粘膜から摂取させるんです」

「粘膜から微量接種……つまり、薬効成分が非常に濃い?」

「間違っても、においを嗅ごうとしないことです。そんなことしたら、即昏倒しますよ。これは、補佐官殿が中級以上の魔法を使いこなせる、と聞いたから渡しているんです」

「わかった。ありがとう」

 

 素直に礼を述べると、魔法使いはくつくつと笑い出した。

 

「しっかし……いつもながらお嬢には驚かされますねえ。男装した女の子とお見合いすると言い出したら、次は闇オークションにもぐりこみたいって……あっはははははは」

「笑いごとじゃありませんよ。賢者殿も止めてください」

「嫌ですよ、補佐官殿とお嬢の痴話げんかなんて、関わりたくありませんから」

「痴話げんか……?」

 

 なんだそれは。

 



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幕間:補佐官殿の憂鬱その2(フランドール視点)

「痴話げんかなどと、突然何を言い出すんですか……リリィは7つも年下の子供ですよ」

 

 俺は思わず賢者殿を冷ややかな目で見てしまう。優秀ではあるのだが、口が悪いのだ、この人は。しかし、中年オヤジはどこ吹く風だ。

 

「お互い好きだって言いながら喧嘩してるんですから、痴話げんかでしょう」

「どういう意味ですか。ことと場合によっては訴えますよ」

「だって、補佐官殿がお嬢のオークション行きを却下したのは、危険な目に合わせたくないからでしょう?」

「……否定はしませんが」

「恋愛的なものはともかくとしても、それだけ大事にしておいて、好きじゃないも何もありませんって」

 

 ディッツは、さらにわざとらしくため息をつく。

 

「お嬢にしたってそうです。こっちに顔を出す前に、一度お嬢の部屋に寄って、一通り話を聞いてきましたがね……今回腹を立ててるのは、ワガママが通らなかったからじゃないですよ、あれ」

「それ以外の何があるというんです」

「補佐官殿が、子供扱いしたからです」

「……子供は子供でしょう」

「えー、それを補佐官殿が言います?」

 

 意味がわからないでいると、ディッツは引き続き芝居がかった仕草でびっくり顔をした。絶妙にイラっとする顔だ。

 

「大人並みの判断力があるから、って領主代理という大人の世界に引っ張り込んだのは、補佐官殿でしょう」

「……」

「その補佐官殿本人に、頭ごなしに子供扱いされたから、キレたんですよ」

 

 数時間前のリリィの姿を思い出してみる。

 言われてみれば、『子供』の言葉に特に反応してはいなかったか。

 

「片や相手に認められたい者、片や相手を守りたい者。好き同士の痴話げんか以外、なんだっていうんです」

 

 返す言葉が見つからず、俺は口をつぐむ。

 賢者殿の指摘は間違っていない。

 間違ってはいないが、他に言い方はないものか。

 腹立たしくて、どれひとつ素直に受け取れないんだが。

 

「あーやだやだ。こんな喧嘩、間に入ったら、絶対馬に蹴られるやつじゃないですか」

 

 そう言いながら、賢者殿は肩をすくめる。

 いますぐ槍で八つ裂きにしたい、この中年オヤジ。

 槍の代わりに睨むと、ディッツはにやーり、と人の悪い顔で笑った。

 

「ふたつ、助言をして差し上げますよ、補佐官殿」

「……何ですか」

「まずひとつ。この件に関して、お嬢はめちゃくちゃ怒ってました。仕返しを覚悟したほうがいいかと」

「……自分の言い方が悪かったのは確かです。報復は受けましょう」

「あともうひとつ。お嬢の配下で、あなたより年上は俺だけなんで相談はそれなりに受けますがね、本質的に俺はお嬢の味方でしかないので、気を付けてください」

「どういう意味ですか、それは」

「そのまんまの意味ですよ。ではでは、俺はそろそろ退散しますよ。また仕事が増えそうなんでね」

 

 ひらひらと手をふると、魔法使いは去っていった。

 俺はソファに深々と腰を下ろす。

 

 ……疲れた。

 

 

 



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幕間:補佐官殿の憂鬱その3(フランドール視点)

 賢者殿のいなくなった部屋で、俺は大きくため息をついた。

 

 痴話げんか。

 そんな些細な言葉で、動揺した自分に驚く。

 なんでこんなことになっているのか……考えるだけで頭が痛い。

 

 今まで、リリィとの関係をそんな風に見られたことがないわけではない。

 周りの人間、特にハルバードの者たちは、自分とリリアーナの縁を望んでいる。

 

 少々年齢が上だが、仕事のできる優秀な補佐官。出自は明らかで家同士の関係も良い。

 その上、リリアーナ自身がべったべたになついているのだ。

 これで期待しないほうがおかしい。

 夜中までふたりきりで執務室に籠っていても誰も邪魔しないのは、そういうことだ。

 リリィは気にも留めてないが、外堀を埋めようと密かに活動しているハルバード家臣は多い。

 

 自分自身、リリアーナのことが嫌いなわけではない。

 計算だけで政略結婚を提案する血も涙もない男だと思われたくなくて、言い訳をする程度には、リリアーナの感情に関心があるし、命の危険にさらされていると知れば、調査も何もかも放り出して助けに入るくらいには大事だ。

 

 だが、自分がアレに抱いている感情は、恋愛のそれではない。

 もっと穏やかな、年下の子供を見守る感情。

 アルヴィンがリリィに向ける、妹を想う兄の感情とほぼ一緒だ。

 

 それに、とリリィの姿を思い浮かべる。

 

 薄い胸、凹凸の少ない体つき。

 まだ子供の特徴を残した13歳の少女を見て、恋情を覚えられるような頭の作りはしていない。

 恋愛は欲をぶつける行為だ。

 女性はただでさえ細く壊れやすいというのに、さらに小さな女の子に、そんなもの向けられるわけがない。罪悪感が襲ってくるだけだ。

 

 姉が以前、5年後どうなっているかわからない、と言っていたが、それも無理な気がしている。

 俺にとって、リリィは2年前のあの日、自分を救いあげた天使だ。

 それは今でも変わらない。

 数年たち、それなりに姿が変わったからといってその印象が変わるとは思えない。

 

 きっと、自分は一生リリィを女として見ることはできないだろう。

 ハルバード家臣団には悪いが、別の男を見つけてきてもらったほうが、話は早い。

 それなりの年齢になったら、リリィと相性のよさそうな男を連れてきて逃げよう。

 

 コンコン。

 

 思考の海に沈んでいた俺を、ノックの音が引きあげた。

 

「誰だ」

「ご主人様の準備が整いました」

 

 ドアごしに伝わってくる声は、フィーアのものだ。

 

「準備が整った、とはどういうことだ。リリィは連れていかない、そう言っただろうが」

「……準備できましたので」

「フィーア?」

 

 一向に埒の飽かない返答をするフィーアに苛立ちながら、俺はドアをあける。

 ドアを開けた先、廊下には美女が立っていた。

 

 

 



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幕間:補佐官殿の憂鬱その4(フランドール視点)

 フィーアに呼ばれてドアを開けたら、見知らぬ女がいた。

 

 結い上げた艶のある黒髪、抜けるように白い肌。

 長い睫毛に彩られた瞳は、ルビーのようにきらきらと輝いている。

 極上のパーツを合わせた造作は整いすぎていて、いっそ作り物に見えるくらい美しい。

 

 やや視線を落とした先、体のバランスも完璧だった。

 長い手足、整えられた指先。

 瑞々しい果実のように張りのある胸、その下の細くくびれた腰。

 赤い絹地のドレスは、彼女の体の美しさを引き立てるために作られたとしか思えない。

 

 今まで誰を見ても、そんな感慨を覚えたことはないが、今なら断言できる。

 最高の美女だ。

 俺が今まで見て来た女の中で、間違いなく一番美しい。

 

 誰だ、この女は。

 ここはハルバード家貸し切りの別荘だ。

 部外者が入り込む余地はないはず。

 

 それなのに、何故。

 

 答えが目の前にあるようで、つかめない。

 脳が答えを拒否している。

 

 茫然としているうちに、女はすっと部屋の中に入ってきた。

 俺はあわてて彼女を引き留める。

 

「おい、待て……」

 

 声をかける俺に向かって彼女が振り向く。

 そして、ひどく見慣れた表情で笑いかけてきた。

 屈託のないその笑い方のせいで、つくりものめいた印象が崩れる。花が咲きほころぶような、かわいらしい笑顔だった。

 

「さて、ここで問題です。私は誰でしょうか!」

 

 夜中に俺の部屋に尋ねてきて、こんなバカバカしい問答をしてくる人間はひとりしかいない。

 思い至った答えに、脳を殴られるような衝撃がきた。

 嫌だ、認めたくない。

 

「リリアー……ナ?」

 

 最後の力で声を絞り出すと、彼女ははじけるように笑い出す。

 

「正解!」

 

 誰か嘘だと言ってくれ。

 

「リリィ? お前、その姿は……」

「ディッツに変身薬を作ってもらったの!」

 

 あの野郎。

 なんてことしやがる。

 

「男女をいれかえる薬が作れるくらいだ。年齢操作くらいお手のものか」

「実は性別を変えるより簡単らしいわよ」

「……そうか」

 

 頭の中でディッツの台詞がぐるぐる回る。

 

『俺はお嬢の味方でしかないので、気を付けてください』

 

 あいつ、これを知ってて俺をからかいやがったな。

 何が、覚悟しておけだ。

 

 部屋の隅で立っているフィーアに目をやると、いつもの無表情を装いながら、薄く笑っている。彼女もグルだ。

 

「闇オークションに参加できないのは、子供だからよね? だったら、大人になった今は大丈夫よね!」

 

 大丈夫なわけあるか!

 こんな美女、犯罪組織の巣窟に連れていったらどうなると思ってるんだ!

 

 と、怒鳴りつけたいのに声が出ない。

 

「精神年齢は、もともと18歳だったわけだしね?」

「……病院暮らしの少女の精神だがな」

「ダメ?」

 

 リリィが俺を見上げてくる。

 

 やめろ。

 上目遣いで見てくるな。

 

 そんなポーズもとるな。

 否応なく、胸の谷間が目に入るから。

 

「……」

「フラン、お願い!」

 

 俺が黙っていると、リリィが抱き着いてきた。

 13歳の姿ならよくやっていたおねだりのハグ。だが、今この状況では意味が違う。

 

 身じろぎしようとしたら、俺の胸板とリリィの体の間で、胸がつぶれて形を変えているのが見えた。

 

「……った」

「フラン?」

「わかったから、手を離せ!」

 

 お前は俺の心臓を止める気か!!!!!!

 

 

 

 



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不機嫌すぎる相棒

 フィーアの兄である、ネコミミ獣人ツヴァイを闇オークションから救い出すため、ディッツの薬を使って大人になってみたものの……会場に向かう馬車に乗って早々、私は後悔していた。

 

 だって、目の前に座ってる相棒がめっちゃ怖いんだもん。

 

 元々顔立ちがきりっとしてるせいで、黙ってるだけでも怒ってるように見えるフランだけど、今日ばかりは『怒って見える』じゃなくて、マジで怒ってる。

 その証拠に、フランの眉間には今まで見たことがないほど深々とした皺が刻まれていた。

 

 やばい、めちゃくちゃ怒ってる。

 やっぱり無理矢理ついてきたのはまずかったかな……。

 

 いやでもね?

 ゲームを攻略した私にしかわからない手がかりとか、転がってるかもしれないしね?

 

 フランに子ども扱いされたのがムカついたとか。

 白百合を母親に持つリリィちゃんの美貌を見せつけたいとか。

 いつも上から目線のフランを見返してやりたいとか。

 

 ……すいません、思ってました。

 

 まさかその結果、フランがマジ怒りの上ひとっことも喋らなくなるとは思わなかったんだよー!

 どどどど、どうしよう?

 今からでも引き返す?

 でも、今更そんなことしてたら、ツヴァイがオークションにかけられる時間になっちゃうだろうし。

 この恰好でひとりで帰るわけにもいかないしなあ……。

 

 ちらりとフランの顔を盗み見ると、5分前と全く変わらない表情と姿勢で、むっつりと黙りこくっている。

 うえええええええ、怖いよおぅ。

 機嫌を取ろうにも、そもそも、声をかけられるような雰囲気じゃないよぉぉぉぉぉ。

 

 結局何も言えずに俯いた私の手に、ふかふかの暖かいものが触れた。

 見ると、金色の瞳の黒い子猫が、私の膝の上に座っていた。猫に変化したフィーアだ。

 目の前に黒オーラどころか、ブラックホールすら作り出していそうな男がいるのに、彼女は平然と落ち着いていた。

 放っておけ、ということらしい。

 

 いやあれ、放っておいていいもんじゃないと思うよ?

 ……どう声かけたらいいかもわかんないけど。

 

 馬車の窓に目をやると、明かりのついたカトラスの街並みが見えた。目的地はもうすぐみたいだ。

 

 えーと、えーと。

 馬車から降りる前に話しておくことってあったっけ。

 

「フラン、馬車を降りたあとの身分と偽名はいつも通りでいい?」

「……ん? 何がだ?」

 

 声をかけると、フランの視線が揺れる。

 

「闇オークションに本名で乗り込むわけにはいかないもの。私の偽名はサヨコ、今はお嬢様って歳でもないから、お金持ちの魔女。あなたはその従者のアマギでいい?」

 

 これは、以前から使っている名前だ。

 領主の目が行き届かないのをいいことに、地方で好き勝手していた代官のしっぽを掴むため、現地に潜入するときに使ってたんだよね。

 今日みたいに急な潜入作戦の場合は、下手に新しい設定を考えるより、使い慣れた名前を使いまわしたほうが、間違いがなさそうだ。

 

「役回りも、いつも通りでいいわよね? 私が人の目を引き付ける役で、フランが裏工作係」

 

 役割分担も確認しておく。

 とはいえ、その役以外やれって言われても無理だけど。

 

「ああそれで……ん? お前が人目を引く……?」

「目立つし?」

 

 大人になった今の私は、真っ赤なドレスを着た派手めの美女だ。立ってるだけで、周りの視線を集める自信がある。

 

「待て、そんなことをしたら……無意味に男が寄ってくるぞ」

「そういうもの?」

「っ……ああ」

「じゃあいっそのこと、恋人設定でいく? 今の見た目なら、違和感ないわよね?」

「こっ……」

 

 提案すると、フランの顔がすーっと赤くなったあと、またすーっと青くなっていった。

 

「フラン?」

 

 だ、大丈夫かな?

 もしかして、変な病気だったりしない?

 

「いい……もう面倒だ。いつも通りの設定でいこう。お前は我儘な魔女で、俺はお前の後ろに控える従者だ。ただし、俺のそばを離れないこと」

「うん、わかった。フランの手を離さないようにする!」

 

 宣言すると、フランの眉間にぎゅっと深い皺が寄った。

 

「近づくのは……ほどほどにしてくれ」

 

 どっちだよ?

 

 あとフィーア!

 私の膝の上で猫っぽく体を丸めてるのはかわいいけどさ!

 笑い出すのをめちゃくちゃに、我慢してるよね?

 それもなんでだよ?!

 

 



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大人扱い?

 闇オークションの会場は、思ったより大きな劇場だった。

 普段はオペラなどの演劇に使われているものらしく、外壁には昼間の演目内容を描いたポスターがいくつも貼りだしてある。

 領主本人が主犯だからって、公共施設を遠慮なく使いすぎじゃないのか。

 

 お客のほうも、領主の警備隊が踏み込んでくることがないとわかっているのか、リラックスした雰囲気で劇場の門をくぐる。

 今が深夜と呼べる時間帯で、全員けばけばしい仮面をつけてさえいなければ、普段の催し物と様子は変わらない。ただ演目を楽しみにきた観光客の群れだ。

 犯罪組織の運営する闇オークションと聞いてたから、どんなアンダーグラウンドな場所に連れてかれるのかって思ってたけど、拍子抜けだ。日本でいうところの警察組織そのものが取り込まれてると、ここまで大胆になれるものなんだね。

 

 これだけの人数の大人が、人間の売買ショーを期待しているのだと思うと、気分が悪い。

 カトラス侯爵家には、一刻も早く代替わりをしていただいて、後ろ暗い観光イベントをとりやめていただきたい。

 

 私はフィーアを肩に載せると、フランのエスコートで劇場に足を踏み入れた。

 同時に、会場内の注意が一斉に私たちに向けられる。他の来場者と同じように仮面をつけているとはいえ、今の私は高級ドレスを着た派手な女だ。注目を集めるのはわかっていたので、にっこりとほほ笑みながら視線を受け流す。

 

 子供ながらに、ハルバードのお嬢様として注目されることには慣らされてきたもんね。これくらいは朝飯前さ!

 

 入り口で待ち構えていたスタッフに、クリスティーヌから譲り受けた指輪を渡す。使用人はうやうやしくそれを受け取って、しばらく見つめていたかと思うと、深くお辞儀をした。

 通っていい、ってことらしい。

 

 ほっと大きく息をつきたい内心を隠して、私はフランにエスコートを促す。

 第一関門を突破して奥へ進むと、きらびやかなホールが私たちを出迎えた。

 

 一体どれくらいのロウソクが使われているのか。

 豪華なシャンデリアにともされた明かりが、ホール全体を昼間のように明るく照らしている。そして、美しく着飾った男女が、オークションの始まりを期待しながら、笑いあっていた。

 その人々の中に、当然ながら子供の姿はない。

 今更だけど、やっぱりクリスティーヌの作戦は無謀だったみたいだ。そして、変身薬を飲まないままの、私の潜入作戦も。

 こんなところに子供が足を踏み入れたら、悪目立ちどころの騒ぎじゃない。

 

「あまり視線をあちこちに向けるな」

「劇場がどういう構造になってるのか、気になってるだけよ」

 

 何かあったときに、どこから逃げればいいのか確かめておかないと、いざという時困るではないか。

 

「……だったら、せめて人間の立ってない方を見てくれ」

「この人混みの中で?」

 

 無茶言うな。

 

 ツッコミをいれてみたが、フランは大真面目な顔で『できるだけそうしろ』と断言してきた。だから、そんなの無理だから!

 なんかさっきから、言ってることおかしくない?

 大人扱いってこういうことじゃないよね?

 

「……バルコニー席を確保したほうがよさそうだな」

「何それ」

「それは……ああ、お前は劇場に来たことはなかったか」

「観劇は基本的に大人の趣味だからねえ」

 

 お祭りのショーとは違い、こんな本格的な劇場で行われる演目は、子供向けに公開されてない。エンタメが生活に浸透している現代日本人小夜子も、校外学習で市民ホールに行ったことがあるくらいだ。

 

「こういった劇場は、舞台前に椅子席が並び、その周りを取り囲むようにして、三階建てから四階建てのバルコニー席が作られる。一般庶民が椅子席で肩を並べて座る一方、金もちは半個室のバルコニー席で、ゆったりと酒をたしなみながら観劇するものだ」

「うわー、めちゃくちゃ優雅!」

 

 さすが貴族。

 観劇するにしても、他人と肩寄せ合ってみるような真似、しないよねー。

 

「今回、クリスティーヌが確保したオークション参加権は一般客用だ。金貨の魔女の薬さえ手に入れば、他はどうでもよかったんだろうが……お前を連れて人混みにいくのはな……」

「なによー、迷子になんかならないわよ」

「そういう心配はしていない」

 

 はあ、とフランがため息をつく。

 

「スタッフと交渉してくる。お前もついてこい」

「交渉ごとに私は邪魔じゃない? このへんで待ってるけど?」

「今のお前をひとりにできるか」

 

 フランは私の手を引くと、そのままがっちりホールドしたままスタッフに向かっていった。

 おてて繋いで一緒に行動って……なんか、目の離せない幼児扱いになってない?

 なんか違う気がする!!

 

 



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無い袖は振れない

 突然だが、うちの補佐官フランは交渉事が上手だ。

 条件の付け方がうまいんだと思うんだけど、話しているうちに相手はあれよあれよという間に選択肢を封じられ、気が付いたらフランの思う通りの行動をとらされている。

 私も、何度フランの手のひらで踊らされ、とんでもないことを引き受けさせられてきたか。

 

 そんな彼だから、スタッフに交渉してバルコニー席を確保する、なんて簡単なミッションはすぐに片付けてしまうと思ってた。

 でも、劇場の回答は……。

 

「申し訳ございません、お席をご用意できません。本日のバルコニー席は満席でして」

「予備席もか?」

「ええ……」

 

 客よりは幾分シンプルな仮面をかぶったスタッフは頭を下げる。

 こういう対応は珍しい。貴族向けの施設は、客の無茶ぶりに対応するために、予備の座席やボックスを常に用意しているものだからだ。

 

「こちらは、体の弱いマダムを人混みから離したいだけだ。本来座席として使われていない場所でも構わない」

「そのお気持ちは……重々承知しておりますが……」

 

 ないものはどうしようもない、ということらしい。フランはなおも食い下がっているけど、交渉は難航しそうだ。

 私は話に参加できないので、手持無沙汰だ。フランに手を引かれたまま、ぼんやりしていると横から声がかかった。

 

「それ以上交渉しても無意味ですよ、マダム。今宵彼らに調整できる座席はひとつも残されていませんから」

 

 見上げると、そこには派手なライオンの仮面をつけた男がいた。

 仮面の間から見える瞳の色は緑、ライオンのたてがみが後ろまですっぽりと頭を覆っているので、髪色まではわからない。派手な衣装を気負いもなく着こなしている体は、大きく、厚みがある。戦い慣れしている騎士……それも、かなりお金持ちの貴族だ。

 貴族令嬢としての経験上、ただ高級品を身に着けただけ、という人は何度も見かけたことがある。しかし、目の前の男性は個性の強い素材をうまく使いこなし、自分を演出する道具にしている。普段から高級な品物に慣れ親しんでいる者だけが持つ余裕だ。

 

「あ……っ」

 

 ライオンの仮面の青年を見て、スタッフが顔色を変えた。私の手を握っているフランの手が、わずかにこわばる。

 

「どうしてあなたに、そんなことがわかるのかしら」

「ちょっと、裏方にツテがありましてね」

 

 ライオンの仮面の男は、にいっと口を吊り上げる。

 裏方に繋がる貴族といえばカトラス侯だけど、その可能性は低い。彼は現時点で50代のおじさんだ。しかし目の前の彼はどう見積もっても30歳にはなってない。仮面の下から除く口元にははりがあるし、声も若々しい。

 

「どうです、マダム。人混みがお嫌なら、俺のバルコニー席に来ませんか。せっかくのオークションなのに、ひとりで退屈していたんです」

「え……?」

 

 私を自分の個室に誘ってる?

 つまり、ナンパですか?

 

 きゅっ、フランが私の手を握る力が強くなった。

 

 そう、今の私はフランと手をつないでいる。これは明らかな、『男連れです』アピールだ。

 その自分にわざわざ声をかけて、目の前でナンパって。

 

 この男どういうつもりだよ?!

 

 

 

 



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ライオンの仮面の男

「親切なお申し出、ありがとうございます。ですが、そのようなご提案は間に合っておりますので」

 

 フランがすっと前に出て、ライオンの仮面の男の言葉をきっぱり断った。

 まあ、普通そうなるよね。

 しかし、男の余裕は崩れない。

 

「従者風情には聞いてない。俺はそちらのマダムに話しているんだ」

 

 そして、フランを完全無視して、私に笑いかけた。

 

「マダム、いかがですか? もちろん、そちらの従者が後ろに控えていても、俺は構いませんよ」

 

 どっから出てくるんだ、その自信。

 面の皮の厚さ選手権とかやったら、ぶっちぎりで優勝しそうな勢いだ。

 

 私の手を握るフランの手が、ちょっと痛い。

 大丈夫だってば。そんなに心配しなくても、私もこんな上から目線の謎の男についていこうとか、1ミリも思わないから。

 

「……そうね」

 

 お断りするわ。

 そう口にしようとした瞬間、肩に載せていたフィーアが、ジャンプした。

 そして、仮面の男の肩に飛び乗ると、まるで猫のように(いや見た目は猫だけどね?)スリスリと額を男の頭に擦り付けた。

 

「ん、おお?」

「私の猫が失礼したわね、ごめんなさい」

「いや、いい。ははっ、人懐こい奴だなー」

 

 尚も肩の上に乗ったまま、まとわりつくフィーアを見て仮面の男は口元を緩める。

 リラックスした雰囲気の男性とは対照的に、私たちの顔はひきつっていた。

 フィーアは、猫みたいだけど、猫じゃない。正式な訓練を受けた護衛だ。

 

 だから意味もなく、誰かについていったり、なついたりはしない。それはこの2年間ずっと一緒にいたからわかる。

 彼女の意図をはかりかねていると、フィーアは不意にこちらを向いて、不自然に耳をぴくぴく動かした。そして、最後にゆっくり瞬きをする。

 

 これは符丁だ。

 猫の姿で潜入してもらっている間、フィーアは言葉を話すことができない。でもその間何も伝えられないのでは不便だから、あらかじめ簡単な言葉を伝えられるよう、合図を決めておいたのだ。

 そして、彼女の伝えてきた言葉は、『ダリオ』だった。

 

 目の前にいるこのド派手な自信家ライオン仮面が、私たちが命を救おうと画策しているカトラス家跡取、ダリオ・カトラスだとぅ?

 

 そういえば、シルヴァンとのデート中に、ダリオ・カトラスを見かけたことがあったっけ。フィーアもその時に同行していた。恐らく、獣人特有の勘の鋭さで、あの時見かけた青年と仮面の男との共通点を見出したのだろう。

 

 ちょっと待ってよぉぉぉぉぉ。

 ダリオ・カトラスは父親の愚行を諫めようとして殺されたんじゃなかったの?

 なんでこんなところで主催者側っぽい顔で参加してるのさあああああああ!

 

 しかもなんでこんな色ボケナンパしてんの?

 心の中で絶叫するけど、理由が全然わからない。

 

 わからないけど、このまま放置しておくわけにもいかない。

 

「もう、困った子ね」

 

 私はフランから手を離すと、ダリオの肩に乗ったフィーアに差し出した。

 にゃあ、と小さく鳴くとフィーアはまた私のところに戻ってくる。

 

「この子が気に入ったんじゃしょうがないわ。あなたの席にお邪魔させてもらいましょう」

 

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 乗り込んで、見極めてやろうじゃないの!!

 



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バルコニー席にようこそ

 ライオンの仮面の男……ダリオに案内され、私は劇場の3階にのぼった。フロアロビーの両脇に伸びた廊下の奥に進むと、片側の壁にずらりとドアが並んでいる。これらのドアひとつひとつの先に、バルコニー席があるのだろう。

 ダリオが向かったのは、廊下の奥から3番目。かなり舞台に近い場所だ。

 

「どうぞ、マダム」

 

 ダリオは劇場スタッフに扉を開けさせ、私を招き入れる。足を踏み入れてみると、そこは小ぢんまりとした部屋になっていた。手前に小さなソファとコートかけ。あとで身だしなみを整えるためだろう、鏡も取り付けられている。部屋の奥、バルコニーのそばには椅子が2脚置かれていた。舞台の演出を邪魔しないためだろう、全体的に暗い赤で統一された、上品な部屋だった。

 

「こんな風になってるのね……」

 

 世界中の情報に触れて育つ現代日本人でも、外国の高級劇場を探検した経験はない。二つの人生、どちらでも初めて見る光景だ。

 後ろからフランも一緒にドアをくぐるのを確認してから、もう一歩奥に進む。ダリオは約束通り、フランが後ろに控えているのは許容するつもりらしい。器が大きいのか、何も考えていないのか、どうにもよくわからない人だ。

 

 バルコニーから見下ろすと、舞台では次々に品物が紹介されていた。オークションを調整しているオークショニアが、カン! と小気味よい音を立てて木槌を叩くたびに、商品の値段が決まり買い手のもとに運ばれていく。現在は前哨戦として、椅子席に座っている一般客向けの少額商品を入札し合っているらしい。

 反対側に目を向けると、ちょうど舞台を真正面から見下ろす位置に、ひときわ豪華な席が作られていた。恐らく、オーナーなどの超VIPが座る席なんだろう。よくよく見てみると、そこには見事な赤毛のおじさんが、何人もの美女に囲まれて座っていた。歳は50代くらい。間違いない、ダリオの父カトラス候だ。

 一応ゲームと攻略本情報で確信してたけど、闇オークションの元締めがカトラス侯だってことは確定だ。この後、カトラス候を排除してどうにかこの領地をまともにしていかないといけないんだけど……。

 

 私は隣に立つダリオをちらりと見る。

 

 いや本当にマジでどういうことなの。なんでダリオがこんなところにいるのさ。

 あんた止める側じゃなかったわけ?

 ダリオが駄目だったら、当主と嫡男、ふたりまとめて排除した上に、次男のルイスを引っ張り出さないといけなくなるんだけど? そんなのミッションインポッシブルどころじゃないんだけど。

 

 面倒くさいことになったな……そう思いながら、視線を泳がせる。そこで、私は向かいのバルコニー席におかしな点を見付けた。

 

「あれ、どういうことかしら」

 

 今座っているバルコニー席の向かい側。

 ちょうど椅子席を挟んで対称的に並んでいるバルコニー席が縦に3列、まるごと空席になっていた。

 

「さっきは席がもうないって言ってたのに、ガラガラじゃない」

「ああ、それですか。マダム、舞台側を見てください、下から二番目の席だけ、カーテンが引かれているでしょう?」

「言われてみればそうね。……あら、今カーテンが揺れたわ。あそこには人がいるのね」

「それが、マダムのお願いがお断りされた理由ですよ。カーテンの奥にいる者が、周りの座席まで、全部借り切ってしまっているんです」

 

 どういうことだってばよ?!

 

 

 



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黒幕の影

 私たちがこの劇場でバルコニー席を確保できなかったのは、舞台側の縦3列の席を全部貸切ったとんでもない客のせいらしい。

 軽く見積もっても20人から30人分の席だ。そんなに占領されてしまったら、予備席も何もかもなくなってしまうのも無理はない。

 

「どうしてそんなことをしてるのかしら」

「……警備の都合ではないでしょうか」

 

 後ろから、静かなフランの声がとんできた。ダリオもうなずく。

 

「どうもそうらしい。隣や上下の部屋に人が何人も出入りするんじゃ、警備しづらいんだと」

 

 ハルバード家がカトラスで別荘を借り切っているのと同じ考え方だ。他のお客も出入りする宿泊施設では、食堂やロビーといった共有スペースで、どうしても他人と接触してしまう。接触地点をいちいち警戒するより、建物を丸ごと自分たちのものにしてしまい、出入口だけ重点的に警備するほうが楽だし安全なのだ。

 

「でも、その分お客が入らないわよね。オークションの収益に影響が出そうなものだけど」

「さて……俺もそこまではわかりません。相当な金が動いたか……オーナー以上の権力を持つ者がいるか……」

 

 もしくはその両方か。

 

 別荘を出る前に、フランが語っていた情報を思い出す。この闇オークションでは、カトラス侯の後ろに黒幕がいる。今そのカーテンの先にいるのが、その黒幕だとすれば、異常な好待遇にも、異様な警備体制にも納得がいく。

 

「マダムは、謎の多い男がお好みで?」

 

 ダリオがにやにやと笑う。

 

「そうね。強引な男よりは好みかも」

「連れの背中を見つめるだけの弱気な男よりはいいでしょう」

 

 おーい、それはどういう意味だー?

 背後の気温が2度くらい下がった気がするんだけど。

 

「俺はリオ。マダムのお名前を伺っても?」

「私のことはサヨコとでも呼んでちょうだい。この子はクロ。後ろにいるのは……」

「残念ながら、男の名前に興味はないんだ」

 

 部屋の気温がまた下がった気がする。

 後ろでめっちゃくちゃ黒オーラ出しまくってる男がいるのに、ダリオの笑顔は崩れない。自信家もここまで来ると、いっそすがすがしいくらいだ。

 

「座ってください、マダム。オークションの本番が始まりますよ」

 

 ダリオは私に促すと、自分もどっかりと椅子に座った。

 ここで反論してもしょうがないので、私も座る。

 

 舞台を見ていると、オークションを取り仕切っていた、オークショニアが高価な衣装を着た別の人物に交代した。格式の高いものを扱うのは、格式の高い人物、ということなんだろう。

 

 品物を載せる台もひときわ豪華なものが使われ始める。

 見ていると、絹地のクッションの上に小さな小瓶が載せられて運ばれてきた。

 

「金貨の魔女の変身薬!」という紹介に、会場がどよめく。

 

「あれは、男女の性別をひっくり返す薬なんだそうですよ。マダムはご興味ない?」

「いらないわ」

 

 どうせ偽物だし。

 

「あなたがかわいい子ネコちゃんになるところは見てみたい気がするけど、そのためだけに薬を買うのはねえ」

「勘弁してください。俺は、気の強い女を口説き落として組み敷く方が性に合ってる」

「あらそう、いい趣味してるわね」

 

 本気の発言っぽいあたり、根っからの肉食系みたいだ。

 なんか腹がたつから、女になる薬を無理やり飲ませて男たちの中に放り込んでみたい。

 やらんけど。

 

 ダリオのニヤニヤ笑いと、フランの冷えた視線に耐えながら舞台を見ていると、新たな商品が運ばれてきた。

 

「鉄を引き寄せる鉱石!」

 

 オークショニアが紹介するのは、男性の握りこぶし程度のサイズの石の塊だった。灰色の石に、岩に張りつくフジツボみたいな感じで、正八面体の黒い結晶がいくつもくっついている。

 オークショニアが小さな鉄の破片を近づけると、それは石にくっついてしまった。

 

「変な石だな。デカい水晶だのなんだのを、そのまま飾るような石マニアには売れるだろうが……」

「本物……あれが欲しいわ!」

 

 ダリオが首をかしげる横で、私が願いを口にする。

 ずっと後ろにいたフランがすっと前に出て来た。

 

「お任せください、マダム」

 

 うんうん、いつもながら頼りになるなあ。

 でも、後ろの黒オーラはもっと少な目でいいのよ?!

 

 



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あれがほしいの

私の「欲しいわ」の一言に反応したフランは、バルコニーに立つとてきぱきとオークショニアとのやりとりを始めた。ものすごい勢いでなにかやってるみたいなんだけど、早くてよくわからない。

 

「どうしてあんな地味な石がほしいのか、理由をお尋ねしても?」

「内緒よ。秘密のある女のほうが、おもしろいでしょ」

 

あの石はおそらく、天然の磁石。いわゆる磁鉄鉱ってやつだと思う。多分。

 

電魔法が使えるようになって、次に試してみたのが磁力の魔法利用だった。鉄芯と導線を使えば、電魔法で電磁石を作ることはできる。でも、磁力そのものはまだ操れないんだよね。

ディッツやジェイドに磁力の説明をしてみたんだけど、元がファンタジー育ちなせいか、あんまりぴんときてくれなくて。わかってもらうためには、実験あるのみって思うんだけど、雷魔法からの電磁石って、思ったより魔力を食うんだよ……!!!

ゲームとかやってた時には、何気なく電池を使ってたけど、いざ自分が電池になるとしんどいね!!!

 

だから、いちいち魔力を使わなくても、磁力を観察できる状態の物質を探していたんだ。

本格的な磁力研究が始まるずっと前から、コンパスなんかに使われる天然の磁石があったらしい、ってことまでは知ってたんだけど、どこにどう鉱脈があって、どう手に入れたらいいか全然わかんないから、ずーっと棚上げになってたんだよねー。

 

よしよし、これで研究が進むぞー!!

 

しばらく眺めていると、カン! と木槌の音が劇場に響いた。

どうやらフランが競り落としてくれたみたいだ。会場スタッフが石を舞台から引きあげていく。すぐに清算担当のスタッフがバルコニー席にやってきて、そちらの手続きもフランが無駄なく進めてくれる。

 

「へえ、立ってるだけかと思ったら、割とやるじゃないか」

 

いや、ずっと立ってないといけないのはダリオのせいなんだけど。

フランはにこりともせずに頭をさげる。

 

「ありがとうございます」

「どうだ、オークションが終わったら、マダムとふたりでうちにこないか?」

「うち、とは?」

「今は明かせないが、とある高位貴族にツテがあるんだ。いい人材は厚遇するぞ」

 

正体を隠したままで何を言ってるんだ。だいたい、高位貴族にツテって、ダリオ自身が高位貴族じゃないか。

 

「私からまとめてお断りするわ。貴族のツテにも、お金にも困ってないから」

「へえ、それはなかなか、羽振りのいいことで」

 

ダリオとしても、まともに受けとるとは思ってなかったらしい。笑ってそのまま受け流した。

なんだろう、さっきからの会話。

口説いているというには微妙なものが多いんだよね。

それよりも冷静にこちらを観察しているような雰囲気がある。

ある程度探りを入れられることは覚悟してたけど、なんかそれ以上に警戒されてる感じもあるんだよねー。

まあ、私たちふたりが怪しいのは否定できないんだけどさ。

 

「お次は、古代のアーティファクト!」

 

オークショニアが、また新たに商品を紹介した。緑に金の模様がついた細工物の板みたいだ。

箸休め程度の品なんだろう、オークショニアの威勢のいい声とは反対に、会場の空気は冷静だ。しかし、私はそれを見た瞬間、再び『買い』を決定した。

 

「アマギ、あれもお願い」

 

フランは先ほどと同じように前に出る。

 

「サヨコのほしがるものは、予想がつきませんな。古代の遺物は確かに珍しいでしょうが……あれは用途もわからない変な模様のついた板ですよ?」

「私のお買い物だもの。私が価値を理解していればいいのよ」

 

私は答えながら、じっと舞台を見つめる。

古代の遺物と呼ばれているものには、直線と円で独特の模様が描かれていた。そして、裏側にはびっしりと変な形の石がついている。色は黒だったり茶色だったり、どれも地味なものばかりだ。この世界の基準では、およそ美術品とは言えないもの。

 

だけど、なんかあれ……電子部品っぽいんだよね。テレビとかスマホとか、分解した時に出てくるプリント基板? とかいうやつ。

工作の時間でちょっと見ただけだから、どこがどう、とか、細かいことはわかんないんだけど。なんかめちゃくちゃ見覚えのある雰囲気なんだ。

 

ただでさえ、この世界は陰謀に戦争に災厄にって、ファンタジーものの要素全部乗せの勢いで、いろんなネタが突っ込まれてるのに、その上SF要素とか入ってこないでほしい。

ここは是が非でも競り落としてちゃんと中を見て、SF要素なんてあり得ないってことを確かめたい!!!!

ノーモア新要素!!

 

「他にありませんか?」

 

あんな板が欲しいと言い出すのは私くらいだったらしく、早くも競売は終わりに近づいていた。さっきと同じように落札して終わり、と思っていたところに異変が起きた。

 

「え……そちらの入札ですか?」

 

オークショニアも驚いている。

 

入札してきたのは、謎のカーテン席の人物だった。

 



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見知らぬ入札者

 カーテンの奥の人物、おそらくこの闇オークションの黒幕が入札する姿は、異様だった。

 

 ぴっちりと閉じられたカーテンの中から、黒衣の人物の腕だけが、にゅっと突き出されているのだ。しかも、その手は手袋をしているので、男か女かもわからない。入札の意志はすべてハンドサインで示されるから、手だけ出していれば取引には事足りるけど……腕しか見せない、というのは異常だ。

 オークショニアも一瞬面食らったようだが、さすがプロ。彼はすぐに元通り、入札者たちのサインを読み取り始めた。

 

「カーテンの御仁より、2000が提示されました。それ以上、ありませんか?」

 

 私は、カーテンの奥の人物を交えた入札競争を眺める。

 

「意外ね……購入に興味はないんだと思ってたのに」

 

 黒幕はオークションに『人間』を提供している。立場で言えば、商品を卸す側だ。だから、わざわざ入札に参加してくると思わなかったんだけど。

 

「へえ? どうしてそんなふうに思うんです?」

 

 ダリオの緑の目がこちらに向けられる。

 おっと、このオークションに黒幕がいるなんて情報を、自分たちが握っていることは、内緒だった。適当にごまかしておかないと。

 

「だって、あんなカーテンの奥に引っ込んでいるんですもの。商品に興味がない、出品側のお客だと思ってたのよ」

「オークションでは、売り手が買い手になるなんて日常茶飯事ですよ。そうですね……どこか遠い国から珍しいものを集めて出品し、その資金でこの国の珍しいものを買って帰るつもりなのかもしれませんよ」

「なるほど、そういうこともあるのね」

 

 オークションカタログによると、今競り合ってる古代の遺物は、ハーティア国内で発見されたものらしい。黒幕の目的が海外から人を運び、ハーティアの貴重な品を得ることだと考えれば、辻褄はあう。

 

 そんな思考を遮るように、カン! という木槌の音が劇場に響いた。

 顔をあげると、フランが軽く肩をすくめてお手上げのポーズをとっていた。どうやら、カーテンの人物に競り負けてしまったらしい。

 

「申し訳ありません。購入予算額を超過したので、降りました」

 

 オークショニアはカーテンの人物に落札価格の確認をとっている。彼が提示しているのは、王都にちょっとした豪邸が買えるくらいの値段だった。

 

「いいわ。どうしてもほしい、ってわけじゃないし。引き際も大事よ」

 

 そもそも、自分たちがここに来た目的はフィーアの兄ツヴァイを救出するためだ。余計な買い物ばかりして、彼が手に入らなかったら元も子もない。

 

「お買い物は少し控えるわ。アマギは下がってていいわよ」

「かしこまりました」

 

 フランを下げたあとも、オークションは続く。外国の美術品に、国内の珍品などが次々に並べられては売られていく。カーテンの人物はハーティア、特に古い遺物に興味があるようで、電子基板もどきのほかに、決して錆びない刃物だとか、異様に軽い金属だとかを購入していた。

 個人的に、そのあたりも興味があったけど、今はやめておく。遺物ひとつに豪邸が建つほどのお金を出せる相手と争ってもしょうがない。

 

 美術品などの出品が一通り終わったところで、会場の空気がまた変わった。異様な期待の眼差しが舞台に向けられる。

 オークショニアの指示でスタッフが運んできたのは、下に車輪のついた大きな檻だった。

 中には獣の代わりに人間が入っている。

 

 本日のメインイベント、人間オークションが始まったのだ。

 

 

 

 



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サプライズ

「お次はこちら、異国の歌を奏でるカナリアでございます!」

 

 オークショニアが商品を紹介すると、会場がどよめいた。舞台の上には、美女を閉じ込めた大きな檻が置かれている。恐らく外国人なのだろう、ハーティアでは滅多にお目にかかることのない、褐色の肌が美しい女性だった。彼女は日本の琵琶に似た楽器を抱えて、ぐったりと力なく座り込んでいる。

 

 何度かの激しい競り合いののち、バルコニー席の貴族が勝者となった。

 嬉しそうにガッツポーズを決める貴族とは対照的に、女性の顔が絶望に染まる。貴族のおもちゃになることが確定した女性は、死人のような顔色で運ばれていった。

 

「さて今度は……」

 

 しかし、彼女の絶望などお構いなしにオークションは続く。

 次から次へと、檻に入れられた人間が運ばれてきて、値段がつけられていく。

 

「サヨコは檻の中の商品に興味はないので?」

 

 オークションが人身売買へと移行してから、ずっと黙っている私にダリオが声をかけてきた。

 

「興味があるかないか、って質問だったら、興味はおおありよ。全部買い占めたいくらい」

 

 そして、全員を救いたい。

 

 売られている人たちの肩書はどれも立派なものだった。恐らく、誘拐されてくるまでは、地元で一目置かれる存在だったのだろう。誰も彼も、現在の境遇を受け入れられずに、茫然としていた。

 叶うなら、全員ここから連れ出して、故郷に帰してあげたい。

 

「でも、そんなの無理よね?」

 

 現在の私は、客のひとりでしかないからだ。

 

「ええ。金がいくらあっても足りやしないでしょうね」

 

 実は、金だけの問題ならどうとでもやりようがある。

 ハルバードの財力をフル活用すれば、会場の買い占めだってできない相談じゃない。しかし今彼らを救ったからといってどうなるだろう?

 組織が残されたままでは、第二第三の闇オークションが開かれて、新しく不幸な人が売りに出されるだけだ。ハルバードがいくらお金持ちだといっても、開催されるたび人を買い続けられるほどの財力はない。お金が尽きれば、そこでおしまいだ。

 人を売らせないためには、人身売買組織そのものを破壊する必要がある。

 

 そして、組織を破壊するためには、どうしても『潜り込んで把握する』という過程を踏まなければならない。工作活動をしている間は、誰がどう売られていても、一旦は目をつぶって……彼らを見捨てなければならないのだ。

 

 と、理屈ではわかっていても、いらだつ感情を抑え込むのは難しい。

 

「腹が立つったらないわ」

 

 私にとって、この悪趣味なショーが、何回か体験するうちの一回だとしても、売られる側にとってはそうじゃない。自分の人生を決める、一度きりのオークションだ。誰かに買われて連れて行かれたら、もうその先に真っ当な人生は残されていない。

 わかっていて見過ごすなんて、嫌だ。

 

「サヨコは、ずいぶんとおかわいらしい」

 

 くつくつとダリオが笑う。

 ねえ、その『かわいらしい』、絶対誉めてないよね?

 

 もうやだ、このバルコニー席。

 舞台ではろくなものが売られてないし、ダリオは変な絡み方してくるし、フランはずーっと後ろで黒オーラ出しまくってるし。座ってるだけでストレスがたまる。

 さっさとツヴァイを買って帰りたい。

 カタログによると、今売られているのが最後から二番目。これを耐えればツヴァイの競売が始まる。それまでの辛抱だ。

 

 祈るような想いで舞台を見つめていると、突然オークショニアが勢いよく手をあげた。

 

「ここで、サプライズオークションを開始します! カタログにも載っていない、特別な逸品をどうぞ、ご覧ください!!」

 

 高らかな宣言にあわせて、舞台袖から大きな鳥かごのような檻が運び出されてきた。中には私と同年代の少女がひとり椅子に座らされている。

 その姿を見た瞬間、私は思わず立ち上がってしまった。

 

 彼女の顔に見覚えがあったからだ。

 

「……聖女?」

 

 ゲーム内より少し幼いけど、間違いない。

 あの子は世界を救う運命を背負ったゲームのヒロイン、聖女だ。

 

 

 



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聖女ヒロイン

 なんでこんなところに聖女がいるんだよ!!!!

 

 私は舞台を見つめながら、心の中で絶叫した。

 間違いであってほしい、と何度も見直すけど、間違いなんかない。

 

 赤みがかったふわふわのストロベリーブロンドに、お人形さんみたいにかわいい顔立ち。薬を飲まされたのか、魔法にかけられたのか、目を閉じてぐったりと椅子にもたれかかってるけど、目をさまして微笑んだら、とびっきりの女の子になることを、私は知っている。

 

 なんで!

 聖女が!!!!

 闇オークションで売られてるかなあああああああ!!!!!

 

 どこでどうなったら、こんなことになるんだよ!

 いつフラグが立ったわけ?

 

「こちらのかわいらしい駒鳥は、ハーティア国のれっきとした貴族子女でございます。家名は明かせませんが、貴き血を受け継いだ穢れなき乙女であることを保証いたします」

 

 カトラス侯爵傘下のラインヘルト子爵令嬢ですねー!

 つーか、誰だよ、本物の貴族令嬢を売りに出した奴は!

 一般庶民と違って、貴族の子弟は国の財産だ。将来国を支える大事な人材として、手厚く保護されるべき立場にある。それを売り買いするとか、頭がおかしいとしか言いようがない。

 

 そもそも、聖女は領地でつつましく暮らしている貧乏貴族令嬢だ。売られるようなことには……あー……ひとりだけ、心当たりがあるな……。

 

 ヒロイン聖女こと、セシリア・ラインヘルトの境遇を一言で表すなら、ずばり『シンデレラ』だ。彼女は領地は小さいが古くから続くラインヘルト子爵家令嬢として生を受けた。しかし、誕生と同時に生母が死去。父親はその数年後に、資金援助目的で商家の娘を後妻に迎えた。けど、その後妻が絵に描いたような意地悪母だった。父が強く出られないのをいいことに、継母は連れ子と聖女を明確に区別し、使用人同然に扱ったのだ。父はセシリアをかばっていたけれど、聖女が13歳の時に病気で死亡。家を完全に乗っ取られてしまう。

 童話のシンデレラの場合、王子様に出会わせてくれたのは魔法使いだったけど、ゲーム内でその役を担っていたのは王立学園だった。実は、子供を王都の学校に行かせる余裕のない貧乏貴族のために、国から結構な額の支度金が支給されるんだよね。

 これは、貴い血に産まれた者が貧困を理由に学ぶ機会から遠ざかってはいけない、っていう崇高な理念によるものらしい。実際、この政策のおかげで救われた貴族は少なくないので、悪い制度ではないと思う。(そう思うなら、庶民も学ばせてやれよ、と言ってはいけない)

 ともあれ、支度金に目がくらんだ継母は、聖女に最低限の学用品だけ持たせて、王立学園に向かわせる。そして、ド貧乏貴族として学園に入学した彼女は、秘められていた力を開花させて、学園の貴族たちと恋に落ちるのだ。

 

 そのセシリアがここにいるってことは……継母が売っぱらったんだろうなあ。

 ゲームの回想でしか見たことないけど、ヤバいくらいの守銭奴継母だったもん。きっと、人買いの提示した金額が、学園の支度金より高額だったとか、そんなことなんだと思う。

 

「血筋はもちろん、しっかりとした淑女教育を受け、行儀作法も教えこまれております。この気高き小鳥の鳴き声は、最高の調べとなることでしょう」

 

 会場内の男たちがどよめく。

 ゲスな変態オヤジにとって、育ちのよい少女ほどおいしいご馳走はない。少女が無垢であればあるほど、汚し壊す愉悦が増すのだ。

 

「アマギ、あの子がほしいわ」

 

 私は願いを口にする。ただならぬ雰囲気を察したフランが前に出た。

 多分ものすごい値段になる気がするけど、ここで彼女を見捨てることはできない。どんな手段を使ってでも、彼女を落札しなくちゃ。

 

 フランが入札の意志を示した次の瞬間、カーテンの人物も手をあげた。

 

 



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チキンレース

 オークション会場の注目を集めた、『本物の貴族令嬢』の競売は、カーテンの人物と私たちの一騎打ちになっていた。

 オークショニアがどんどん値段を上げていくけれど、うちも相手も一歩も引かない。

 完全なチキンレースだ。

 

 勘弁してよおおおおおお!

 聖女が正体不明の黒幕のおもちゃになんかにされたら、その時点で世界救済計画が詰むんですけどー!!

 

 聖女の力の根源は、恋する乙女心だ。

 心が気高く、純粋な恋心を抱いていれば、処女性は特に関係ない。

 

 だけど、13歳の世間知らずな女の子が、たったひとりで売り飛ばされて貴族のおもちゃにされたとして。その数年後に純粋な恋心を持って世界を救うなんてことができるだろうか。

 無理!!

 絶対無理!!!

 

 少なくとも、私が聖女の立場だったら、立ち直れない自信がある!

 

 世界を救うためには、まずここで、何がなんでも彼女を救わなくちゃいけない。

 

「サヨコ様……?」

 

 オークショニアとやり取りを続けながら、フランが私を見てきた。

 これ以上はヤバい、ってことなんだと思う。でも、私は首を振った。

 

「ダメ、金額を提示し続けて。お金はあとでなんとかするから」

「しかし……」

 

 そう言っている間にも、聖女の値段は天文学的な数字にまでつりあがっていく。

 

「……」

 

 ふっ、とフランの手が下げられた。入札から降りる、というジェスチャーだ。

 

「ダメよ、そんなことをしたら……!」

「これが限界だ」

「でもっ!」

 

 フランが取引してくれないなら、私自身が!

 そう思ってバルコニーの手すりに身を乗り出そうとした瞬間、世界がぐるんと回った。

 

「ひゃあっ!」

 

 どすん、と体ごとバルコニー席の絨毯の上に引き倒される。どうやら、ダリオとフラン、ふたりがかりで部屋の奥へと引っ張り込まれたらしい。

 

「なんてことするのっ」

「落ち着け」

「あたっ!」

 

 フランに食って掛かろうとしたら、でこぴんをくらった。

 

「限度額を超えた。これ以上は無理だ。お前だってわかっていただろう」

「……でも」

 

 聖女は世界を救う要だ。

 彼女がいなくては、この世界は滅びてしまう。

 

「俺も、アレは無理だと思いますよ?」

 

 横からダリオが口出ししてきた。

 

「あいつの関わるオークションは、全てイカサマですから」

「どういうこと?」

「あのカーテンの奥にいる奴は、オーナーより上です。つまり、このオークション会場で一番偉い。あいつが『買う』と決めたら、他がどんな金額を出しても、その上の金額がつけられるんです」

 

 このイベントは所詮闇オークションだ。

 取引さえ成立していれば、裏で本当に提示した金額を支払うかどうかは、関係ないんだろう。

 

「じゃあ……もうあの子を救うことはできないの?」

「だから、落ち着けと言っている」

 

 フランは私の頭に手をのせた。大きな手がゆっくりと頭をなでてくれる。

 

「あいつは、少女を落札しただけだ。すぐに何かされるわけじゃない。……わかるな?」

 

 にゃあ、と黒猫のフィーアが私に向かって一声鳴いた。

 落札するのが無理なら、その先だ。黒幕に弄ばれる前にオークションそのものから救い出せばいい。

 

「クロ、お願い」

 

 そう言うと、フィーアはバルコニーから身を翻して出て行った。黒猫の姿を利用して、聖女の護衛についてくれるはずだ。

 

「これで、よし」

「納得してるところ、悪いんですがね」

 

 ほっとする私たちの間に、ダリオの声が割って入った。

 同時に、何人もの男がバルコニー席に入ってくる。

 

「ちょっと拘束させてもらいますよ」

 



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おとなしくしていろ

 突然音もなくバルコニー席に侵入してきた男たちによって、私とフランはあっという間に取り囲まれてしまった。多勢に無勢と判断したのか、フランは抵抗もせず、男たちに従っている。戦闘力の高いフランがそんな調子なので、私もおとなしく彼らに拘束されることにする。

 

「理由をお尋ねしてもいいかしら?」

 

 細いロープで手首を縛られながら言うと、ダリオが苦笑する。

 

「これから、大捕り物が始まるんでな。あんたたちには、おとなしくしてもらわなくちゃならねえ」

「あなた、父親を告発する気?」

 

 よかった。ダリオは味方だったらしい。

 父親も息子も同時にどうにかするのは無理ゲーだと思ってたから、正直助かる。

 

「なんで捕り物の一言でそこまでわかるんだよ。まあ、そういうことだけどよ」

 

 はあ、とため息をつくとダリオはライオンの仮面を脱いだ。燃えるような赤毛と、ちょい濃いめのハンサムな顔があらわになる。鋭いナイフみたいなフランとはまた別系統だけど、このクセの強い感じが好きな女性は多そうだ。

 

「頼むからこれ以上不確定要素を増やさないでくれよ。俺は父親に従うふりをして、組織を掌握するだけで手一杯なんだ」

「あら、そんなに迷惑をかけた?」

 

 ルールに乗っ取ってお行儀よくオークションに参加してただけだけどねえ?

 

「クリスティーヌ姫様に売られた参加証を持ってきておいて、それを言うか」

「あら、ちゃんと身元確認してたのね」

 

 指輪を見せただけで中に入れたから、てっきりザル警備だと思ってたんだけど。

 

「表向きは参加者の身元は尋ねないっつーことになってるけどな。ヤバいものを扱うっていうのに、確認しねーとか、ありえねーから」

 

 そりゃそうか。

 犯罪の現場に国王直属の監査人などが紛れていたら、大変なことになる。彼らの警戒はもっともな話なので、私は頷く。

 

「摘発騒ぎに、姫様を巻き込むわけにはいかないから、発見次第こっそりとお帰りいただく手筈になってたんだが……」

「やってきたのは、怪しい男女二人連れだった、ってわけね」

 

 やっと、あの強引すぎるナンパの理由がわかった。

 彼は、私たちを他の客から隔離して正体を探っていたのだ。

 

「姫様の部下、ってわけじゃないだろうが、それでもどこか高位貴族の関係者だろ、あんたら」

「どうだったかしらねえ」

「今は答えなくていいから、とにかくおとなしくしててくれ」

 

 ダリオは私とフランを拘束するロープに魔法をかけた。

 ロープが切れたり焼けたりするのを防ぐ、強化の魔法みたいだ。

 

「悪い奴じゃなさそうだし……捕り物が終わったあとで、身元を確認したら解放してやる。いいか、絶対に動くなよ?」

 

 そう言い残すと、ダリオと男たちはバルコニー席から出て行った。

 ドアの反対側、舞台の方からは歓声があがっている。今日最後の一番の目玉商品、獣人戦士のオークションが開始されたのだ。

 観客の目が舞台に集中している隙に取り囲んで、一網打尽にする作戦なんだろう。

 

「動くな、って言われたけど、そうもいかないのよね」

 

 部屋に残された私たちは、すぐに行動を開始する。

 

 ゲーム内のダリオは、父親を告発しようとして逆に殺されていた。つまり、彼は今夜この場所で、殺される運命なのだ。

 



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悪役令嬢の裏技

「フラン、ロープはほどけそう?」

 

 両手両足をロープで固定されたまま、私はフランに声をかけた。私と同じように、後ろ手に手首を拘束され、足も縛られているフランは肩をすくめる。

 

「すぐには無理だな。少し待ってくれ」

 

 ダリオがご丁寧に強化魔法を使ってたからなあ。

 刃物の一本や二本隠し持っていても、抜けるのには時間がかかりそうだ。しかし、ダリオには死の運命が近づいている。ぐずぐずしているわけにはいかない。

 

「ちょっと裏技を使ってみるわ。フラン、ちょっと目を閉じていて」

「リリィ?」

「いいから!」

 

 フランが目を閉じたのを確認すると、私は自分自身の魔力に集中した。

 ディッツの変身薬には他の薬にはない、とても便利な機能がある。それは、薬の効き目を強制的に切る機能だ。つまり、変身が不要だと思った時はすぐに元の姿に戻れるのだ。

 

 あらかじめディッツに教えられた呪文を口にすると、一瞬で体を覆っていた魔力がほどける。魔力はすぐに再構成され、目をあけた時には、見慣れた子供の視線が戻ってきていた。

 大人から子供へ、身長が30センチ近く縮んだ私の手首は、縛られた時よりずっと細い。

 軽く手を振ると、ロープはあっさり床に落ちた。ついでに足首に纏わりついていたロープも外す。

 

 フランの縄をほどこうと立ち上がると、ドレスの裾が足にひっかかった。

 

 ロープがゆるくなった、ってことはドレスもゆるゆるなんだよねー!

 体にぴったりのドレスなんか着てくるんじゃなかった。肩とか胸元とか、ぶかぶかで今にも落ちそうだ。

 

「おい、何やってるんだ」

「まだ見ちゃだめ!」

 

 とはいえ、ドレスに気を遣ってる場合じゃない。私はフランの後ろに回ると、急いでロープをほどいた。幸い、ロープにかかっていた魔法は『壊されないため』のものだけだったみたいで、手でほどくぶんには、普通のロープと一緒だった。

 

「ほどけたわよ」

 

 拘束が解けると同時に、フランは手を引き抜いて後ろを振り向いた。

 

「ちょ、まだこっちは見ないでって!」

 

 いくら緊急事態でも、このだぶだぶドレス姿は見せたくない!

 しかし、フランは私を上から下までまじまじと見て、それから、はあ~~~~~~……とめちゃくちゃ大きなため息をついた。

 なんなの。それはどういう感情のため息なの。

 

「フラン?」

「いや……リリィはリリィだな……と思っただけだ」

「どういう意味よ」

「……気にしなくていい。少なくとも今は」

 

 なるほどわからん。

 

 私が困惑してるっているのに、フランは妙にスッキリした顔で立ち上がった。

 上着を脱いで、こっちに渡してくる。

 

「とりあえずそれを着ていろ。ドレスを引きずるよりはましだろう」

「ありがたく受けとっておくわ」

 

 一応下着はサイズ調整すれば着ていられるし、腰をリボンで結べば動けなくもない。

 ドレスは放置するしかないので、諦めることにする。

 

 振り返ると、フランはすっかり戦闘態勢になっていた。

 

「どこにそんな武器を隠してたわけ?」

「秘密だ」

 

 上着を脱いだフランは武器だらけだった。まさにひとり武器庫状態である。胸元には投げナイフが何本もさしてあるし、腰のベルトには魔法薬っぽい小瓶がいくつも装着されている。それに、インナーの上に着ているそれ、細い鎖で編んであるけど、鎖帷子ってやつだよね?

 あと、今手に持ってる大振りのナイフ! そんな大きなもの、どこにどう隠してたの?

 さっき、縛られる時にボディチェックされてたよね?

 

「あいつらは、告発計画のために急いでいたからな。深く追求されなければ、これくらい隠すのは難しくない」

「それ、難しくないって思ってるのはフランだけだと思う」

 

 ……深く考えるのはやめておこう。

 今は、ダリオを助けるほうが先だ。

 

「お前はここに……いや、連れていったほうがいいか」

 

 私は戦闘力ほぼゼロだもんね。

 孤立したらすぐに殺される自信がある。

 

 フランはベルトに隠し持っていた魔法薬の小瓶を私に手渡した。おなじみのディッツ特製魔法閃光手榴弾だ。

 

「持ってろ。使いどころは任せる」

「了解!」

 

 フランは私を荷物のように肩にかつぐと、バルコニーから舞台そばへと飛び降りた。

 



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幕間:カトラス侯爵家で最も無駄なもの(ダリオ視点)

 俺の家は昔から無駄なものであふれていた。

 

 無駄な家具、無駄な装飾、無駄な家臣、無駄な女たち。

 父の周りは、常にごてごてとした無駄なもので飾られていた。

 

 貴族の誇りを示すために、必要なものだと父は言った。

 しかし、父が飾れば飾るほど、無駄が増えれば増えるほど、権威は失墜していった。

 

 宝飾品のために土地を売り、

 衣装のために権利を売り、

 何もかも売り払った後には、値段が高いだけのがらくたしか残されていなかった。

 

 何度やめろと言ったかわからない。

 無駄を集めても、結局無駄でしかない。

 誰も救わないし、誰も満たされない。

 こんなことをしても、ただ自分が無駄なものになっていくだけだ。

 

 しかし、父は俺の言葉に耳を貸さなかった。

 子供にはわからない世界だと断言し、破滅への道をただ突き進んでいく。

 そしてとうとう金策に行き詰った父は、人の売り買いにまで手を出した。

 

 人という禁断のおもちゃで遊びたいという外道は、思ったよりも多かったらしい。

 闇オークションが開催されると、今までの借金を返しても余りあるほどの金が転がり込んできた。

 この商売さえあれば、カトラスは未来永劫栄えることができる、と父は笑った。

 そこにかつて見た平凡な父の姿はなかった。

 ただ無駄に取りつかれた狂人がいるだけだった。

 

 その瞬間、わずかに残されていた家族の親愛は消え失せた。

 残ったのは、ただこの狂人を止めなくてはいけないという、使命感だけだ。

 

 俺は、父以外の家族……弟たちを守るため、カトラスの民を守るために、狂人を殺すことを決意した。

 狂人はただ殺しただけでは片付かない。

 カトラスを闇に沈めたのは父だけではないからだ。

 父を狂人に変えた何者か。操っている黒幕も同時に殺さなくては、カトラスの闇を祓うことはできない。

 

 まともな人材を密かに拾い上げ、父の取り巻きを脅し、ゆっくりと時を待った。

 その間何人の人生を見捨てたかわからない。

 しかし、一時の情に惑わされていては、その何百倍もの人生を見捨てることになってしまう。

 

 派手な仮面を被り、父の『お前も商売の良さがわかるようになったか』という反吐の出るようなセリフを受け流し……そしてついに今夜、黒幕本人がオークション会場に現れた。

 父と黒幕、彼らを同時に殺せば、悪夢は終わる。

 

 外道どもの人生はここで全て終わるのだ。

 

「胸糞悪いショーは終わりだ!」

 

 子飼いの兵たちが、会場全てに配置されたことを確認した俺は、舞台上で叫んだ。

 獣人戦士に夢中になっていた連中の目が一斉にこちらに向けられる。

 

「サンドロ・カトラス! 貴様を人身売買の罪で告発する! この会場にいる参加者もだ!」

「ダリオ? お前、父親に逆らうのか?!」

「こんなトチ狂ったバカ、父親なんかじゃねえよ! さっさと死ね!」

 

 父の手勢の配置はわかっている。すでに全員俺の部下が無力化しているはずだ。

 あとは、カーテンの奥に隠れている黒幕を掴まえれば終わりだ。

 バルコニー席を占有して、警備を固めているようだが、そもそも劇場自体を制圧してしまえば意味はない。

 

 俺は、舞台から降りると、観客席側からカーテンに閉ざされたバルコニー席に近づいた。

 カーテンが翻り、中から人が顔を出す。

 

 その瞬間、周りに控えていた俺の部下たちが消し炭になった。

 



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カーテンの奥から

 フランに担がれて降り立った舞台前は、異様だった。

 その光景の中心にいるのは、ダリオだ。

 彼はカーテンに閉ざされたバルコニー席に向かって、剣を構えて立っている。その周りには、よくわからない黒いものがばらばらと散乱していた。

 なぜか椅子席を埋めていた観客や、ダリオ配下の兵士たちの姿がない。

 あんまり考えたくないけど、この散らばってる黒いモノって……多分アレ、だよね?

 一体何がどうなったの?

 ダリオ以外の全員が超巨大な魔力で吹っ飛ばされたとしか、思えない状況なんだけど。

 

「無粋だなあ」

 

 カーテン中の人物が、バルコニーからひょっこりと顔を出した。

 

 そこにいたのは、男の子だった。

 多分歳は私とそう変わらない。子供と言っていいくらいの年齢の少年だ。

 

 恐らく彼はハーティア国民じゃない。

 人種的な特徴が全然違う。

 白磁の肌のハーティア民とは全く違う象牙の肌、髪と目の色は闇より深い漆黒。

 ほっそりとした輪郭の上にあるのは、印象的な切れ長の瞳と、薄い唇だ。彫りの深いハーティア民と全く違う美しさを持つ彼を、現代日本風に表現するなら和風美人、だろうか。

 もちろん、この世界に日本は存在しないから、似たような国がこの世界のどこかにあるんだろう。ハーティアがヨーロッパっぽいのと一緒だ。

 

 彼は、たった今イカサマで競り落とした聖女、セシリアを大事そうにお姫様抱っこして立っている。

 

「やっと愛しの君に会えたっていうのに、邪魔しないでほしいな」

「貴様、俺の部下に何をした?」

「消したよ。だってうるさいんだもん」

 

 ダリオの問いに少年はさらっと残酷な事実を告げた。

 そこには何の気負いもない。ただ、道端の石について語るのと同じ、現状を口にしただけに過ぎない。

 

「君も一緒に消したつもりだったんだけど、腐っても貴族だね。守りの魔法の質が違う」

「そりゃどーも……」

 

 ダリオは少年を睨みつけた。

 主の危機を察知して、椅子席以外のバルコニーやロビーに詰めていた部下が動く。

 

「若様!」

「来るな!」

 

 しかし、椅子席に突入する前にダリオが声だけで止める。

 

「今来ても無駄だ……! 一定以上の守りのない奴は、殺される」

「ふふ、優しいね。とはいえ君の守りも十分とは言えないんだけど」

 

 少年がパチンと指を鳴らすと、何かがダリオの体に巻き付いた。目には見えない糸のような何かは、ぎりぎりとダリオの体を締め上げる。

 

「ぐ……あ……っ」

「一回だけ聞いてあげる。降参して僕のしもべにならない?」

「うるせぇ、クソ喰らえだ!」

「君のお父さんは、ちょっと力を見せたらすぐに従ってくれたのになあ」

「あいつと俺を一緒にするんじゃねえ!」

 

 ぎり、とダリオの体に巻き付いた何かが、ねじれた。

 じわじわと、しかし確実に、ダリオの体のあちこちが、曲がってはいけない方向に向かって曲げられていく。

 

「ぐ……この……化け物め……!」

「あははは! うん、その通りだよ!」

 

 少年は楽し気に笑っている。

 そして次の瞬間、唐突に顔をそむけた。

 

「おっと」

 

 そむけた顔のすぐそばを、黒い何かがかすめていく。

 フランが投げたナイフだった。

 

 



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規格外

 フランの投げたナイフを、少年は聖女を抱えたままひょいひょいとかわした。

 

「もー、危ないなあ。今の攻撃、この子ごと狙ってきたよね?」

 

 少年は口をとがらせる。

 彼が文句をいいながらナイフを避けているすきに、私を隅に降ろしたフランが飛び出した。手に持っている大振りのナイフで、ダリオを拘束している何かを切り払う。

 解放されたダリオは、その場にがくりと膝をついた。

 少年は首をかしげる。

 

「でも、いい腕だね。雑魚ばっかりだと思ってたのに、どこにこんな伏兵を置いてたの?」

「俺の兵じゃねえよ。つーか、お前アマギか?」

「いいから、とにかく立て」

 

 フランは剣を構えたまま、ダリオを無理やり立たせた。

 

「俺が注意を引き付ける。……後退するぞ」

「はあ? ここまできて、さがれだ?」

「まともにやりあって勝てる相手じゃない」

 

 フランの評価は正しい。

 普通、どんな魔法を使っても、いきなり人間を消し炭に変えることはできない。

 生き物の帯びる魔力が、外からの魔力干渉に抵抗するからだ。生き物の抵抗力を上回る、けた違いの魔力で無理やり潰さない限り、そんなこと起きない。

 

 起きるわけがないことを、起こしてるってことは……男の子自身があり得ない存在なんだろう。

 こんな異常な相手に正面から立ち向かって、どうこうできるとは思えない。

 逃げるが勝ち、ってやつだ。

 

「んー、君たち逃げられる気でいる? 僕としては放っておくわけにいかないんだけど」

「貴様の都合は聞いてない」

 

 フランが再びナイフを投げる。

 その瞬間、私は魔法閃光手榴弾《マジックスタングレネード》を放り投げた。

 少年の注意は戦闘力の高いフランに向けられてるはず。別方向からの全然違う攻撃をくらって、行動不能になってしまえ!

 

「ははっ」

 

 しかし、魔法閃光手榴弾《マジックスタングレネード》は発動しなかった。ただの小瓶のように、ころんと床に転がる。

 

「……え?」

 

 もしかして、今の一瞬で魔法閃光手榴弾《マジックスタングレネード》を無力化した? 魔力だけの力技で?

 

「およそ戦えるとは思えない女の子が、爆弾を投げてくる……いい作戦だと思うけど、その程度じゃ僕をびっくりさせられないよ」

 

 少年はクスクス笑っている。

 やばい。

 正攻法も裏技も、少年の魔力の前では、何の意味もなかった。

 そこにあるのは、ただただ圧倒的な力量差だ。

 けた違いの魔力の前に、手も足も出そうにない。

 

「一瞬でも気を引ければよかったんだがな……」

 

 フランの背中が緊張している。

 彼も少年の化け物じみた強さを感じているんだろう。

 少年は全く隙がない。このままでは見逃してもらえないだろう。

 進むにしても、退くにしても、彼の意識をそらす必要がある。

 

 でも……そんなもの……いや。

 たった一枚だけ、彼の気を引くとっておきのカードがあった。

 あとでややこしいことになりそうだけど、考えてもしょうがない!

 私は即座に切り札をきった。

 

「セシリアから手を離しなさい、アギト国第六王子、ユラ・アギト」

「……は?」

 

 突然名前を言い当てられて、少年の顔から余裕が消えた。

 その瞬間、彼の背後に潜んでいた黒猫が、少女の姿になって襲い掛かった。

 

 



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ユラ・アギト

「が……っ、は……」

 

 カーテンの奥に潜んでいた謎の少年、ユラの口から、真っ赤な血が一筋こぼれた。

 こちらからはよく見えないけど、フィーアが持っていた刃物か何かが、体に深く刺さっているんだと思う。傷つけられた苦痛に、少年の体がこわばる。

 

 その隙にフィーアは少年に体当たりして、聖女セシリアを奪った。ふたり一緒になってバルコニーから飛び降りる。彼女の動きを察知したフランが飛び出し、彼女たちが床に激突する寸前で抱きとめた。

 

 アギト国第六王子、ユラ・アギト。

 ハーティアを幾度となく攻撃してきたアギト国の王位継承者だ。滅多に表に出てこない謎の人物で、あれだけゲームをやりこんでいた小夜子も、彼を見たのはたった一度きり。様々な条件が重なって偶然発生した、特殊イベントでしかお目にかかったことがない。

 でも、出現難易度が高いぶん、その印象は強く残っている。

 彼は間違いなく、ゲーム内最強の敵だ。

 

 カトラスを操る黒幕の正体は大物だと思ってたけど、まさか一国の王子が関わってたとはねー。

 でも、ユラが黒幕だと思えば、今までのことに辻褄があってくる。

 国外の優秀な人材を集めることができたのは、国そのものがバックにいるから。

 カトラス候を操り、ゲーム内でダリオを返り討ちにできたのは彼が優秀な王子だったからだ。

 

「ひどいことするなあ」

 

 ぐい、と袖で口元の血をぬぐうと、少年はバルコニーの下を覗き込んできた。

 まだ背中には刃物が刺さっているはずなのに、苦しそうな様子はない。

 

「こんなに体を壊されたのは久しぶりだよ」

「あなた……痛くないの?」

「判断力が落ちるから、痛覚はオフにしてるんだ。でも、このまま放置すると失血で死ぬかな」

 

 できればそのまま死んでもらいたいところなんだけど。

 

「ふうん……どうして僕の名前がわかったのかと思ったら」

 

 ユラの漆黒の瞳が私を見据えた。

 それだけで、なんとも言えない寒気が背中をのぼってくる。

 なんか、嫌だ。

 すごく気持ち悪い。

 彼と目を合わせていたくない!

 

「君が女神の使徒なんだね。はは、ちょっと驚いたよ」

「何の話かしら?」

「しらばっくれても、意味はないと思うけどね」

 

 ふ、と笑ったユラの口から、また血がこぼれた。

 

「うーん、体が限界かあ。もうちょっと遊んでいたいけど、しょうがないね」

「待て! 貴様……!」

 

 ダリオが声をあげる。

 領内をめちゃくちゃにされたカトラス家嫡男として許せないのはわかるけど、ここはこらえてほしい。相手は規格外の魔力を操る化け物だ。

 限界だというなら、このままお引き取りいただいたほうがいい。

 

「大丈夫、君たちが退屈しないよう、とびっきりの置き土産を残してあげる」

 

 ユラはにっこり笑った。

 そして、破滅の言葉を口にする。

 

「狂乱《ラズファイ》、ツヴァイ」

 

 その声に応えるようにして、ガン! とすさまじい音が劇場内に響き渡った。

 振り向くと、全身の毛を逆立てた獣人戦士が自身を閉じ込める檻を殴っていた。鋼鉄で作られているはずの檻は、戦士の拳を受けるたびに飴細工のように曲がっていく。

 

 そういえば、舞台上ではフィーアの兄、ツヴァイが競売にかけられていたんだっけ……。

 アギト国は奴隷にした獣人たちに服従の呪いをかけている。彼らは、言葉ひとつで呪われた戦士たちを自由自在に操ることができるのだ。

 

「獣人戦士を止めるまでに、何人死ぬかな? 大変だと思うけど、がんばって殺してあげてね」

 

 ユラはそれだけ言うと、カーテンの奥へと引っ込んでしまった。

 そのまま、劇場から逃走するつもりなのだろう。ダリオは追いすがろうと一瞬足を踏み出しかけたけど、目の前の脅威がそれを許さなかった。

 

 バーサーカーなツヴァイ、めちゃくちゃ怖いんだけど!

 これをどうにかしないといけないわけ?!



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狂乱戦士

「ガァァァァッ!」

 

 腹の底から雄たけびをあげると、獣人戦士ツヴァイは自らを閉じ込める檻を破壊した。

 鋼鉄製の柵を苦も無く曲げて、のっそりと外に出てくる。

 金色の目は狂気に染まり、爛々と光っていた。

 

 やばい。

 服従の呪いによる狂乱状態だ。

 恐らく彼は、周囲の動くものを全て破壊するか、自分の命が尽きるまで、攻撃をやめないだろう。

 

「凍結《ゲフィーエレン》、ツヴァイ!」

 

 呪いが彼を操っているのなら、同じ力で対抗だ。

 私は、以前フィーアに使った停止の言葉を口にする。

 ゲーム内では、この言葉で彼を拘束することができた。今回も効果があるはず!!!

 

「ガァッ!!」

 

 しかし、ツヴァイは止まらなかった。

 いらだち紛れの拳がこっちに向かってくる。

 

「リリィ!」

 

 間一髪、フランが私を抱えて跳んだ。

 背後を振り返ると、さっきまで私が立っていた場所が粉々になっていた。

 彼の獣人としてのユニークギフト『アニマフィスト』の効果だ。

 

 やってることは、ねこぱんちのはずなのに、破壊力がありすぎて全然笑えないよ!!

 

「ご主人様、ユラが唱えたのは狂乱の言葉です。あれを一旦唱えられたら、もう他の命令は届きません! 死ぬまで暴れ続けます!!」

 

 意識のないセシリアをかばいながら、フィーアが叫んだ。

 

 あれは自爆用の言葉なんだね!

 服従の呪いにはマジで胸糞悪い機能しかついてないな!!

 

「生き残っている奴は何でもいい! 矢でも、魔法でも、遠距離から囲んで攻撃しろ!」

 

 ダリオが劇場内に残る部下たちに命令した。

 

「あいつの武器は拳だ! 距離さえとれば殺せる!」

 

 そのとたん、上階のバルコニー席から矢が飛んできた。

 ダリオの判断は正しい。こんなヤバい狂った戦士は、安全な距離から攻撃するに限る。

 でも、判断は正しくても、私にとって正しいかどうかは別だ。

 

「やめなさい!」

 

 私は舞台前に走りこんだ。

 わざと、兵士たちとツヴァイの間に割り込むようにして立つ。

 

「ツヴァイを殺してはダメ!」

「お前どこのクソガキだ、邪魔すんな!」

 

 今度は血相変えて走ってきたダリオに抱えられた。

 

「ツヴァイは死なせない!」

「死ぬまで暴れるっつー状態なんだろうが! さっさと殺したほうがいいんじゃねえのか」

「やめておけ」

 

 私を追いかけてきたフランが隣に並ぶ。

 

「あの獣人戦士は、ユラに一撃いれて退かせた少女の兄だ。命の恩人の身内を問答無用で殺すのか?」

「お前……嫌なタイミングで、嫌なことを教えてくるな……」

 

 ダリオはがりがりと頭をかく。

 

「作戦変更だ! 直接当てるな、足止めに集中しろ!」

 

 ダリオが声をかけると、バルコニー席からの攻撃の方向性が変わった。

 とにかく、ツヴァイが舞台前から動かないよう、行く手を遮るように矢が飛んでくる。

 

「俺に指図したんだ、あいつを止める方法は考えているんだろうな?」

「当然だ」

 

 ダリオに睨まれても、フランは表情ひとつ変えず、ベルトに装着していた魔法薬の小瓶のひとつを手に取った。

 その黒い小瓶には見覚えがある。

 

「暴れる獣は眠らせればいい」

 

 ディッツ特製睡眠薬の出番ね!

 



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強制睡眠イベント

「薬であいつを眠らせる。それまで、足止めをしろ」

「俺に命令までする気かよ!?」

「なんだ、そんなこともできない無能か……」

 

 はあ、とフランがわざとらしくため息をつくと、ダリオの目が吊り上がった。

 

「お前、あとで覚えてろよ?」

 

 抱えていた私を、ぽいっとフランの足元に降ろすとダリオはツヴァイに向かっていった。

 弓矢の援護を受けながら、ダリオはツヴァイの注意を引く。

 

 その間に、フランはディッツの作った睡眠薬に魔法をかけた。火の魔法で温めると、黒い小瓶からはすぐに紫色の湯気が立ちのぼりはじめた。

 さらに風の魔法を加えると、紫色の湯気がツヴァイに向かっていく。

 

 ディッツの魔法薬の効果は絶大だ。

 あれを吸ったら最後、完全に意識がなくなるはず。

 

 しかし、ツヴァイに薬を吸わせるのは、簡単じゃなかった。

 

「ウォォォッ!!!」

 

 湯気が顔に到達しようとした瞬間、ツヴァイが真横に飛んだ。湯気を危険なものと判断したのか、とっさに距離をとる。

 

「ちゃんと当てろよ!」

「簡単に言うな!」

 

 いくら魔法があるっていっても、特定の空気の塊だけを操って、相手の顔に当てるなんて芸当は簡単じゃない。獣人は身のこなしが軽く、動きも速い。その上、ツヴァイを狙うと同時に、陽動担当のダリオを避ける必要がある。

 見ている以上に、高度なことをやっているんだ、フランは。

 

「ご主人様、私も出ます」

 

 黒い影がツヴァイたちに向かっていった。

 セシリアを隅に移動させたフィーアが参戦したのだ。

 さすが獣人同士というか。フィーアはツヴァイの獣のような動きを上手に読んで、いなしてくれる。

 

「転ばせます! 組みついて!」

「クソ、無礼者ばっかりかよ!」

 

 フィーアがツヴァイの足元に全力で体当たりする。ぐらりと傾いた瞬間、ダリオが突進した。ラグビーのタックルの要領で、全体重をかけてツヴァイを組み伏せる。

 背中から床にたたきつけられて、一瞬ツヴァイの動きが止まった瞬間、紫色の湯気が彼の顔を覆った。

 

「ガァッ………!」

 

 薬を受けてもなお、ツヴァイは立ち上がろうとする。

 その体に、さらにフィーアが覆いかぶさった。

 

「お兄……! お願いやめて! 眠って……!」

「ァアアッ……」

「眠ってくれたら……助けられるから……だから……お願い、お兄……」

「……ア、……アアァ……」

 

 一瞬、妹に手を伸ばしたあと、ツヴァイは急に動きを止めた。

 ばたりと手足を床に投げ出し、それっきり動かなくなる。

 

「死んだ……か?」

 

 ダリオがおそるおそるツヴァイの顔を覗き込んだ。

 意識を手放したツヴァイの顔は土気色だった。ぴくりとも動かない様子に、見ている私たちの血の気が引く。

 ツヴァイの首元に手を当てたフィーアが嫌そうにダリオを睨んだ。

 

「縁起でもないことを言わないでください。兄は眠っているだけです」

「……よかった、睡眠薬が効いたみたいね」

「治療は必要ですが、死ぬことはないと思います」

「よし、それじゃあ連れて帰って、ディッツに診せましょう」

「納得してるところ悪いんだがな?」

 

 私とフィーアの会話に、ダリオが割って入った。

 

「立場上、さすがにタダで帰してやるわけにはいかないんだわ」

 

 振り向くと、さっきまでツヴァイとの戦いを支援してくれていた兵士たちが集結していた。

 とっさに一緒に戦ってたけど、冷静に考えたら、私たち3人は明らかな不審者だ。

 

 あれ? これって逮捕コース?

 

 

 



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一夜明けて

 カトラス闇オークションの摘発騒ぎから一夜明けて、朝。

 私たちはカトラス侯爵邸の一室に閉じ込められていた。一応罪人扱いではないらしく、部屋は客間で、フランもフィーアも、ついでに眠ったままのツヴァイも同じ部屋に集められている。外に見張りの兵がいるのを除けば、知り合いの家にお邪魔しているのと、さほど変わりない。

 

 ちなみに、私が今着ているのは体のサイズにあわせた女の子むけのワンピースだ。カトラス侯爵邸に行儀見習いに来ている貴族子女のおさがりらしい。

 さすがに、フランの上着を羽織っただけの恰好でいるのは恥ずかしかったので、貸してもらえて助かった。

 

「ふぁ……眠ぅ……」

 

 変身したり戦ったりしながら一晩中起きていたせいで、すっかり寝不足だ。

 ただ待っているだけでは、瞼が重くなってくるばかりである。

 

「いつダリオが戻ってくるかわからん。眠いなら寝ていていいぞ」

「ん~……椅子で寝ると体が痛いんだよねえ」

 

 ソファはすでにツヴァイが占領している。

 一瞬、フランにもたれて寝たら温くて気持ちよさそう、というしょうもないアイデアが浮かんだけど、自分で却下した。淑女として、さすがにそれはアウトだと思う。

 

「身元の確認がとれたぞ」

 

 睡魔との戦いに、今まさに負けようとしているとことに、ダリオがやってきた。

 今まで事後処理に奔走していたんだろう、彼の顔はやつれて、目の下にはクマができていた。

 

「ミセリコルデ宰相家長男、フランドール・ミセリコルデに、ハルバード侯爵家長女、リリアーナ・ハルバード。それから、リリアーナづきの侍女フィーアだな」

「ええ、間違いないわ」

「ああああああ……マジかあ………間違いであってほしかった……」

 

 私たちが笑顔で肯定すると、ダリオは床に崩れおちた。

 

「なんで、闇オークションに姫様どころかミセリコルデとハルバードのガキどもが入り込んでんだよ、勘弁してくれよおおおおお……」

「だって、フィーアのお兄さんが売られてたんだもの。助けないわけにはいかないじゃない」

「もっと別の方法を取ってくれ!」

 

 ダリオは涙目だ。

 

「クリスティーヌ姫様と、ハルバードがレンタル中の屋敷と、そのほかもろもろ確認した俺の気持ちを考えろ? 俺はオヤジの告発だけで手一杯なんだよ! お前らの思惑まで構ってられねえの!」

「と、いうことは……私たちがあの劇場にいたことは……」

「なかったことにする。ただでさえ領内が混乱してるっつーのに、ミセリコルデとハルバードの両方と悶着起こす気はねーよ」

「ありがとう! 今初めてダリオをかっこいいと思ったわ」

「そりゃどーも! つうか、あのスタイル抜群のエロ美女はどこいったんだよ! このちんちくりんがアレとか、おかしいだろ!」

「おかしくないですー。成長したらキレイになる予定なんですー。っていうか、スタイル抜群はともかくエロ美女はやめてよね」

「うるせえ、乳を返せ」

「……ユラ・アギトの行方は?」

 

 フランのひやりとした声が、私たちの口喧嘩を遮った。

 

「わからん。多分、もうカトラスにはいねえんじゃねえか」

 

 彼には化け物じみた力があるもんねー。力づくで追手を振り切って雲隠れするなんて、朝飯前なんだろう。

 

「首謀者本人は取り逃がしちまったが、奴の部下たちはなんとか押さえた。まだ捕まえなくちゃいけねえ奴は残ってるが、カトラスでもう一度人身売買をやるのは、難しいと思うぜ」

「よかった……」

 

 これで、カトラスで人生を売られる人間はいなくなるのだ。

 一番心配していたことが解決してよかった。

 

「それから、お前らにプレゼントだ」

 

 ダリオは廊下に向かって指示を出した。

 外で待機していた使用人たちが、次々に箱を部屋に運んでくる。

 

「あ、私のドレス! それに磁鉄鉱と電子基板も!」

「お前らがあの場で欲しがってた品物だ。人間と違って、美術品なんかは俺の裁量で処分できるからな。土産にくれてやる」

「太っ腹ね!」

「それを持って、一刻も早くカトラスから出ていってくれ」

 

 えー、まだ聞きたいことがあるんだけどー?

 



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ラインヘルト子爵令嬢

「用がすんだら、はいさようならって、ひどくない?」

「俺はこの後、見合いに来ていたクリスティーヌ姫様も送り出さないといけないの! これ以上王族やら高位貴族やらに構ってられねーんだよ!」

「そう思うなら、質問に答えてくれ。聞きたいことを聞いたらすぐ帰る」

 

 フランの提案に、ダリオは嫌そうに顔を歪める。

 

「何が知りたい?」

「オークションの最後に出品されていた、ラインヘルト子爵家の令嬢のことだ。彼女は今どうしている?」

 

 そういえば、あの混乱の中でセシリアはカトラスの兵士たちに保護されてたんだよね。

 怖い思いをしてたらどうしよう、って心配してたんだけど。

 

「あー、あいつもこの屋敷で保護してるぜ。さっき目を覚ましたんで、メイドに世話をさせている。報告によると、体調に問題はないそうだ」

「あの子はこれからどうなるの?」

「会場で保護した他の連中と同じように金を持たせて故郷に帰す……とはいかねえなあ」

「子爵家令嬢だもんね」

 

 一般人と同じように、家に戻してはい終わり、とはいかない。

 

「彼女が闇オークションにいたのは、継母が、王都で話題の魔力式瞬間湯沸かし器を購入する金ほしさに売りとばしたから、らしい」

「そんな理由で……?」

 

 ゲーム知識で、継母が金の亡者だと知ってたけど、あんまりにもあんまりすぎる。

 私の横で、フランも重いため息をついた。

 

「元々、人身売買は重罪だが、貴族子女を売ったとなれば、更に罪は重くなるだろう。その継母は……」

「ラインヘルトを監督するカトラスが断罪する。それなりの刑に処すことになるだろうな」

 

 それなり、と言いながらダリオは首をとん、とちょん切るジェスチャーをする。

 人ひとり売った罪は、命で償えってことなんだろう。

 

「あれ? そうなると、ラインヘルトにはセシリアしかいなくなるわよね? 領地の管理とかどうするの?」

「それも、カトラスが代理運営することになるだろうな。セシリア本人も成人するまでは次期カトラス侯、つまり俺が後見人として保護。王立学園卒業後は適当な貴族子弟と結婚させて、子爵家を引き継がせる」

「まあ、妥当な処置よね」

 

 貴族子弟と結婚させる、とか引き継がせる、とか将来を勝手に決められてるけど、貴族の家に生まれた女の子なら、しょうがない。というかむしろ当然のコースだ。

 

「……というのが理想だ」

 

 ん? 理想ってなんだ。

 

「何か問題でもあるの?」

「大ありだ。なにしろ、カトラス家自体が、1年後まで存在しているかどうか、わかんねえからな」

 

 あっはっは、とダリオは乾いた笑いをもらす。

 私の記憶が確かなら、カトラスはハルバードと同じ、建国から続く名門の巨大侯爵家だ。そう簡単につぶれてもらったら困るんだけど?!

 

 

 



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お金がない!

「カトラスの問題……そういえば人身売買にオークションに、って犯罪てんこもりだったわね」

「今、オヤジどもの首でどうにかコトを収められねえか、嘆願書作ってるところだ。まあ、認められるかどうかは五分五分ってところか」

「五分なら、まあいけるんじゃない?」

 

 ダリオが父を捕らえたことで、一応カトラス内でのケジメはついている。その功績を王宮側が評価すれば、カトラスの生き残る可能性があるはずだ。

 だいたい、こんなデカい侯爵家、まともに潰したら国全体が回らないしね。

 サンドロ・カトラス亡きあと、このボロボロ侯爵家を背負える人材って、ダリオくらいしかいないし。

 

「政治的な問題に加えて、もうひとつ現実的な問題があってな……」

「金か?」

 

 フランが尋ねると、ダリオはため息交じりに頷いた。

 

「オヤジの借金がめちゃくちゃなことになってるんだ。闇オークションのアガりをあてにして、返済を待ってたやつらもいる。組織がつぶれたと聞いたら、すぐに金の回収に来るだろう」

「ちなみに、借金の総額はどれくらい?」

「はあ? そんなこと聞いてどうするんだよ!」

「いいから教えてよ。どうせ1年もしないうちに家がつぶれるんなら、恥も外聞もないでしょ?」

「おい、ミセリコルデの。お前ハルバードの令嬢にどういう教育をしてるんだ」

「知らん。こいつは自分で勝手にこうなったんだ」

「ふたりとも失礼ねー。いいからさっさと金額を教えなさいよ」

 

 ダリオはもう一度ため息をついたあと、指を立てて借金額を示した。

 

「いちじゅうひゃく……ふむふむ。なるほど、その程度なのね」

 

 桁を確認してから、私はフランを見上げる。彼も頷き返してくれた。

 

「わかったわ。借金取りが来たら、私のところにまとめてよこしなさい。その債権、全部ハルバードが買ってあげる」

「……は?」

「聞こえなかったの? ウチが債権を買う、って言ったの」

 

 元々、この事件に介入すると決めた時点で、カトラスが財政難に陥っているのはわかっていた。事件を収束させるには、組織を壊滅させただけでは足りない。カトラスの財政を立て直して、闇オークションや人身売買に手を出さなくても、運営できるようにする必要があったんだ。

 だから、借金を引き受ける準備くらいしてある。

 

「カトラスはお金になる商売の多い土地よ。債権者を一本化して、まともな利子で返済計画を立てれば、この程度の借金は返せるはず。いい提案だと思わない?」

「……ガキが天使に化けた?!」

「いちいち失礼ね!」

 

 債権買ってやらねーぞ?!

 

「いや、悪い……ちょっと驚きすぎてな」

 

 ダリオは居住まいを正すと、私に向かって正式な騎士の礼をとった。

 

「リリアーナ嬢、あなたの救いの手に感謝します」

「カトラスの安定を心から応援するわ」

 

 淑女の礼で返してあげると、ダリオはぱっと笑顔になった。

 

「いやマジで助かったわ! こまっしゃくれたガキだと思ったら、やるじゃねーか!」

「そう思うならガキ扱いはやめて」

 

 もう一回言うけど、債権買ってやらねーぞ。

 

「じゃあ女扱いすればいいんだな」

「どういう意味よ?」

「王立学園を卒業したらうちに嫁に来いよ」

「はあ?」

「だいぶ生意気だが、頭は回るし、度胸もある。あと、数年たったら体もエロくなるからな。そこそこ楽しい思いをさせてやるぜ?」

 

 ダリオは笑顔でぽんと私の頭に手を乗せた。

 ここまでのいきさつで、ダリオが悪い人ではないことはわかっている。態度のデカさも、侯爵家嫡男としてはよくある範囲なんだろう。

 でも、なんか腹たつ。

 ぐしゃぐしゃと無遠慮に頭をなでられているうちに、不快感が増していく。

 

「……だから」

 

 ぷつん、と何かが、私の中でキレた。

 

「その下に見る物言いをやめなさい!」

 

 バチン! と音をたてて、ダリオの手がはじかれた。

 

「痛ぇ?! なんだこれ!」

 

 いきなり全力の雷魔法を喰らったら、そりゃー痛いでしょうよ。

 

「乙女の頭を、軽々しく触るなぁ!!」

 

 叫びとともに、ダリオの脳天に雷が落ちた。

 



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頭なでなでを要求する!

「あああああああもう疲れたああああああああ!」

 

 ハルバードの別荘に到着するなり、私はリビングのソファにダイブした。

 この後カトラスの金貸し相手に交渉したり、ツヴァイを治療したりとか、いろいろ用件が山積みだけど、今はとりあえず休憩!!

 

「お風呂の用意を整えますね」

 

 フィーアが早速、メイドのお仕事モードになる。

 

「フィーアも大変だったんだから、休んでいいんだよ? それに、お兄さんについててなくていいの?」

「兄の治療は、ジェイドと賢者様におまかせする他ありませんから」

「んー、それでも休憩はとってほしいかな」

「しかし……」

「じゃあ、他のメイドさんにお風呂とお茶の用意をするよう伝えてちょうだい。でも、それ以上のお仕事は仮眠をとってくるまで出してあげない」

「……わかりました」

 

 フィーアは一礼するとリビングから出て行った。

 律儀な子だから、私が言った通り指示を出してから休むつもりなんだろう。

 

「ふぁ……」

 

 別荘まで帰ってきて気が抜けたのか、あくびが口をついて出た。

 上からフランのため息が降ってくる。サファイアブルーの瞳が心配そうにこっちを見ていた。

 

「お前も、風呂などと言わずにさっさと寝たらどうだ?」

「いろいろあったから、さっぱりしたいの」

 

 たっぷりのお湯に入って、汚れを落としたい。

 特に頭、ダリオがくしゃくしゃにした部分を重点的に洗いたい。

 

「いろいろか……そうだな」

「でも……がんばったわよね、私」

「そうだな。闇オークションに参加したいと言い出した時にはどうなるかと思ったが……人身売買組織は止められたし、カトラスも……まあダリオがしっかりすれば、立て直せるだろう」

「ツヴァイは、ディッツたちに任せておけば大丈夫だろうし、聖女もカトラスの傘下っていうのがちょっと不安だけど、継母にいじめられてるよりは、ずっといい暮らしができるはずよ」

 

 それに、男装生活で苦しんでいたシルヴァンも、女装生活で苦しんでいたクリスティーヌも、幸せな未来に向かって進むことになった。

 あれ? もしかして、思ったよりいい方向に運命が変えられた?

 

「……そうだな。お前ががんばったおかげだ」

 

 私を見下ろしながら、フランが微笑む。

 私もつられて笑って……何かが物足りないことに気が付いた。

 

「あの……フラン?」

「なんだ?」

「よくやったって……誉めてくれないの?」

「ん? 今評価しただろ。お前ががんばったからだと」

「……でも、なでなでは?」

 

 いつもだったら、大きな手で頭をなでてくれるところじゃない?

 放置されると、むちゃくちゃ寂しいんだけど?!

 見つめると、フランの眉間にそれはそれは深い皺が寄った。

 

「……俺がなでていいのか?」

「フラン以外誰がいるのよ」

 

 そう言うと、フランはさらに深いため息をつく。

 

「俺にどうしろって言うんだ……」

 

 私の頭をなでればいいんだと思うよ?

 

 

 

 




 はい、これで「悪役令嬢海のバカンス編」完結です!!!

「(自分の気持ちに)鈍感系主人公」爆誕!!!
 というわけで、フランは薄々気づいているけど、リリィちゃんノー自覚で次章に続きます。

 いつもだったら少し休憩いれるところなんですが、コンテスト中なので、いくつか閑話休題的な話をさしはさんでから、次章「リリィちゃんついに婚約する編」に突入したいと思います。

 ここからお願いです!
 この作品は小説投稿サイト「カクヨム」のコンテスト、カクヨムコン7に参加しています。
 カクヨムコンの一次審査は、読者様からの評価にて行われています。

 もし気が向いたら、☆評価に参加してください。
(他サイトの作品評価に参加していただくのは、ハードルが高いと思うので、ダメ元のお願いです)

「何やっても世界が滅亡するクソゲーに悪役令嬢として転生したけど、しぶとく生き残ってやりますわ!」
https://kakuyomu.jp/works/16816452220372855975

 よろしくお願いします!!


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閑話:それぞれのエピローグ1(クリスティーヌ視点)

「クリスティーヌ、おかえりなさい」

 

 カトラスから王宮に戻ると、早速母が出迎えてくれた。

 若いころは小枝のよう、今は枯れ木のよう、と言われる母のほっそりとした腕が、俺の体を抱きしめる。俺は今にも壊れそうな母の体を、ゆっくりと抱きしめ返した。

 

 母が目配せをすると、乳母以外のメイドたちが下がった。

 俺が男であることを隠す都合上、俺たち親子は『人嫌い』という設定になっている。メイドや侍女たちも、王妃が支配する王宮で前国王という後ろ盾を失った俺たちに必要以上に関わってこない。

 

 結婚前からの母の親友であり、俺に乳を与えて育てた乳母だけが、唯一信用できる他人だった。

 

 完全に人目がなくなったことを確認してから、母は俺に囁いた。

 

「それで……『お見合い』の成果はどうでした?」

「失敗、ではありませんでした」

「……どういうことかしら」

 

 母は首をかしげ、それから乳母を見た。

 今回のお見合い旅行には乳母も同行していたからだ。俺がカトラスで警備の目を盗み、滞在先を抜け出していたあいだ、不在を隠蔽してくれたのは彼女だ。

 乳母は困り顔で肩をすくめる。

 

「私にもよくわからないのですよ。直接クリスティーヌ様に伺ったほうがよろしいかと」

「クリスティーヌ?」

「結果から言うと、トラブルがあって闇オークションには参加できませんでした」

「……薬は?!」

 

 元々青白い母の顔が青ざめる。

 俺は、なだめるように母の背を何度もなでた。

 

「落ち着いてください、母様。性別を変える魔女の薬は手に入りました。それも、本物が5個も」

「どういう、こと?」

「とてもいいトラブルがあったんですよ」

 

 俺はカトラスで出会った、男みたいな女の子と、爆弾みたいな女の子の話を語った。

 荒唐無稽なおとぎ話を聞くような顔で、俺の説明を聞いていた母は、語り終えると同時に深いため息をついた。

 

「……そんなことが。信じられないわ」

「でも、事実です」

「まさか、クレイモア家の子が……女の子だったなんて」

 

 知った事実の大きさに耐えかねたのか、母の体がふらついた。

 

「あの子を王宮の茶会で見かけるたびに、思っていたのよ。クリスティーヌを男として育てていたら、あんな風になっていたのかしら、って。あなたがあの子そのものに成り代わることになるとは……夢にも思わなかったわ」

「シルヴァンも納得していることです」

「そう……」

「私……いや、俺は次期クレイモア伯として、彼女を守ることにしました」

 

 宣言すると、母の目から涙がこぼれた。

 

「あなたが……男の子として……大事な人を守る人生を……送れるのね……」

「はい、だから」

 

 俺は母をもう一度抱きしめると、今までずっと言いたくて言えなかった言葉を告げた。

 

「もう、無理をしなくていいんですよ、母様」

 

 




 エピローグ、クリスティーヌ編です!
 クリスティーヌの口調が、リリィたちの前と全然違いますが、これは母親用の顔、ということで。
 クリスティーヌに女であることを強いている母の前で、本性全開のガラの悪いところを見せると、「バレたらどうするの!」とめっちゃ怒られます。


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閑話:それぞれのエピローグ2前編(クリス視点)

「ああああああ……もう無理―!」

 

 集中力の限界に達した私は、持っていた針と糸を放り投げた。

 色鮮やかな糸が床に散らばる。拾い集めるべき、とは思うが手が動かなかった。

 そのままテーブルに体ごとつっぷして、作業を投げ出してしまう。

 

「うう……つらい」

 

 クレイモア伯爵家嫡男と王妹殿下の婚約が成立して二か月。

 王妹殿下親子をクレイモア伯爵領へ迎え入れて一か月が経過していた。

 ボク…いや、私自身、シルヴァンからクリスティーヌへと名前を変え、お姫様として生活するようになって半月。

 男としてふるまっていた過去を捨て、女として生きる術を身に着けることになったのだが、その修行は早速暗礁に乗り上げていた。

 

 刺繍、レース編み、押し花、楽器演奏、歌唱、などなど……貴族子女がたしなむべき教養とされているものが、ことごとく肌に合わなかったのである。

 何故女子の趣味というものは、ちまちましたものばかりなのか。

 どれもこれも小さくか弱くて、ちょっと力をいれただけで素材はおろか道具ごと壊れてしまう。

 かろうじて、ダンスだけは形になっているものの、気を付けていないと淑女のステップではなく騎士のステップを踏んでしまう。

 

「キラキラふわふわしたものに囲まれた女子って、楽しそうに見えたけど……過酷すぎる……」

 

 ずっと椅子に座りっぱなしだったから、腰が痛い。

 手元ばかり見ていたから首が痛い。

 道具を壊さないよう、気を遣って握りしめていたから腕が痛い。

 

 体中痛いところだらけだ。

 

 ぐったりしていると、不意に部屋のドアが開いた。

 

「よう、クリス。元気か?」

「ヴァン……」

 

 顔をあげると、お姫様から伯爵家嫡男に変身した元クリスティーヌ、現シルヴァンが立っていた。

 

「君はいいよな……かっこよくなったから」

「なんだ、お世辞か?」

「いや、事実だろう」

 

 女でいることをやめたヴァンは、あっという間に男らしくなった。

 元々成長期だったのだろう。

 髪を切り、筋トレを始めた彼は、すっかり男の子だ。

 今更、彼にカツラをつけてドレスを着せたところで、もう女の子に見えることはない。

 

 たくましくなったのは、見た目だけではない。剣などの戦闘技術もめきめき上達している。

 しかも、今まで謀略だらけの王宮で暮らしていた影響か、戦術や策謀などにおいても才能を発揮しているのだ。

 クレイモア伯爵家を率いる者として、これほどふさわしい人物はいない。

 

「それに比べてボ……私ときたら」

 

 放り投げた刺繍糸はからまってくしゃくしゃだ。

 

「ずいぶんへこんでんなー」

 

 ヴァンは針と糸を拾い上げると、余り布にちょいちょいと細工をし始めた。何の変哲もない布地に、あっという間に可憐な花が咲いていく。

 彼の手は自分よりずっと大きいのに、なぜこうも器用なのか。

 世の中理不尽すぎる。

 

「どれもこれも……うまくいかなくて……女子の趣味は難しすぎる」

「じゃあ、やめれば?」

 

 ヴァンは、私の苦悩をあっさり切って捨てた。

 



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閑話:それぞれのエピローグ2後編(クリス視点)

 女子のたしなみに悪戦苦闘する私に向かって、ヴァンはあっさりと「やめれば?」と言ってきた。

 

「いや……それはまずいだろう。私はこれからお姫様として暮らすんだぞ、女子のたしなみは必要なんじゃ……」

「貴族社会で適当にやってくだけなら、最低限のマナーと教養があれば十分。それ以上の女子力なんて必要ないって。リリィの母親のハルバード侯爵夫人だって、ダンス以外は一切何もできないんだぞ?」

「嘘だろ?」

 

 偶然友達になったハルバード侯爵家令嬢、リリアーナの母は国王から最高のダンサーとして讃えられた白百合の君だ。結婚した今でも、ハーティア内でトップクラスの人気を誇る淑女中の淑女である。

 そんな彼女が……ダンス以外できない?

 確かに言われてみれば、それ以外の評判を聞いたことはなかったんだが。

 

「あんなに人気なんだから、他の淑女らしいことも得意なのだと思っていた……」

「お前は女子に夢を見すぎ」

 

 ヴァンは花を刺繍した布をぽいとテーブルの上に投げた。

 

「刺繍だなんだっていうのは、家の中のことができますよ、って婚活アピールだろ。もう俺と結婚するのが決まってるお前に必要ないんじゃね」

「……まあ、そう……なの、か?」

 

 だいたい、とヴァンは付け加える。

 

「見てて気づいたんだけどさー、お前、興味のないことをやらされるの、心底嫌いだろう」

「う」

「無駄に苦手なことを頑張るより、得意なことを伸ばしたほうがいいんじゃねえの?」

「私の得意?」

「剣術とか、馬術とか」

「どちらも好きだが、それは男の趣味だろう」

 

 淑女になる、という目的から逆行しているような気がする。

 

「そうでもないんじゃねえ? リリィのところのヤバめのメイドみたいに、女でも戦う力が必要な奴はいるし。女として、剣を極めるっていうのも、かっこよくていいと思うぜ」

「女として……強くなる……」

 

 女子教育に疲れた私の目に、ヴァンの提案はひどく魅力的に映った。

 男のふりをしていたころから、密かに思っていた。

 胸を押さえることなく、スカートのすそを気にすることなく、私自身の女の体のまま、剣を振るえたら、どんなに楽しいだろうかと。

 それを……本当にやってみる?

 

「いやいやいや! そんなことしたら、君が今まで築いてきたクリスティーヌ姫様のイメージはどうなる! 可憐な美少女だっただろ!」

「生き残るために作った偽の看板なんて気にすんな。クレイモアに嫁いで騎士の真似事をしてみたら思いのほかハマった、とか言っとけば周りもなんとなく納得すんだろ」

「するかなあ……」

「そもそもクリスティーヌ姫様はほとんど表舞台に出てこなかったんだ。この先はお前が好きにイメージを作っていけばいい」

 

 ヴァンは本当に今までの『姫様』に未練はないようで、屈託なく笑っている。

 じゃあ、私は本当に思うまま生きていんだろうか。

 好きな時に馬に乗り、好きな時に鍛錬をして……。

 

「部屋にこもるのをやめたんなら、昼食後に遠乗り行こうぜ。このへん、案内してくれよ」

「そ、そうだね……いや、やっぱりダメだ!!!」

 

 大声で否定した私を、ヴァンは面倒くさそうに見た。

 

「なんだよ、往生際悪いな」

 

 だが、面倒くさくてもなんでも、大事なことだ。

 

「鍛錬したら、どうしてもゴツくなるじゃないか」

「いやそれはいいって……」

「これは君のためでもある。だって、君は私の夫になるんだろう」

「……それが?」

「そ、それが……って! 夫になるってことは……わ、わわ……私と……その……子供ができるようなことを……するんだろう……そのうち!」

 

 なんでこんなことを必死に説明することになっているんだ、私は!

 でも、言い出したら止まれない。

 

「こんな……筋肉質で……その……女っぽくもない、鍛錬ばかりの私などでは……その……そういうことを……する気に……なれないんじゃ………ないのか?」

「お前そんなこと気にしてたの?」

 

 ヴァンが目を丸くする。

 気にするだろ!!

 今まで男として育ってきた女とも呼べない者と結婚させられるんだぞ、君は!

 少しはおいしく食べられるよう、お膳立てするのが礼儀というものじゃないのか。

 

「男のことも女のこともわかってねえんだな」

 

 むに、とヴァンが私の頬を掴んだ。

 自分と同じ色の紫の瞳が近づいてきたと思ったら、唇に温かいものが触れて、離れていった。

 何をされたのか、理解したとたんかあっと顔が熱くなる。

 

「なななななな、い、今、き、きき、キス……!」

「そういう時の反応がかわいいなら、後は正直どうでもいい」

 

 言うだけ言って、ヴァンは部屋を出て行った。

 あとには茫然と椅子にへたりこむ私だけが残される。

 

「……いいのか」

 

 自分が気にしていたことを、ヴァンはとっくの昔に受け入れていて。

 その上で、かわいいと思ってくれたのなら。

 

「そうか」

 

 翌日、私は鍛錬を再開した。

 女として、自分自身として強くなるために。




 クリス(元シルヴァン)のその後。
 クリスを守ると決めたヴァン君(元クリスティーヌ)がいい男に成長しています。

 ヴァン君は実はクレイモアにとってかなりの逸材だったりします。伝統的に脳筋ばっかりだったからね。頭が使えて、軍も動かせるヴァン君がんばれ。


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閑話:それぞれのエピローグ3前編(ツヴァイ視点)

 俺の人生は屈辱に満ちていた。

 体に奴隷の刻印を押され、呪いで縛りつけられ、やりたくもない命令に従わされる。

 引き離された家族は、モノのように扱われて、ひとり、またひとりと死んでいく。

 最後に残された末の妹さえも、無謀な作戦に投入されて行方がわからなくなった。

 探そうにも、拘束された不自由な体ではどこにも行けない。

 

 服従を強いる術者を呪いながら、ただ死なないだけの日を送る。

 暗闇の中でもがく術すら忘れかけたころ、唐突に終わりが訪れた。

 

「……少し、待ってくれ。情報が多すぎる」

 

 清潔なベッドで傷の治療を受けながら、ここに連れてこられたいきさつを聞いていた俺は思わず彼らの言葉を遮ってしまった。内容が濃すぎて自分のキャパシティを越えている。

 妹が潜入先で捕らえられ、その後保護されたところまではわかる。

 だが、侯爵家令嬢の専属メイドになり、お見合いに同行して騎士伯家の暗殺騒動に巻き込まれた挙句に闇オークションに潜入して元締めと対決したとか、何をどうしたらそうなるんだ。

 だいたい、今この部屋にいる人間の素性も、自分の理解を越えている。

 妹と、その雇い主であるハルバード侯爵家令嬢はわかる。だが、東の賢者と称えられる魔法使いが弟子と二人がかりで俺の治療をしているのはなんなんだ。そんな高位の医療魔法使いは王侯貴族しか診ないものではないのか。

 

「お前に関係する情報だけを要約しよう」

 

 部屋の隅で、妹たちが状況説明するのをじっと聞いていた男が口を開いた。彼も、侯爵令嬢の補佐のように立ち振る舞っているが、出自はミセリコルデ宰相家の長男なのだという。何故こんなところでこんなことをしているのか、理解が及ばない。

 

「まず、お前の妹フィーアは2年前ハルバードに保護された。その後、リリィの専属メイドとして働いている」

 

 こくこく、と頷く妹を見る。魔獣の牙に連れ去られた時から少し成長した妹は、とても毛艶がよかった。栄養のある食事を与えられ、大事にされているのだろう。

 最も心配していたことだったので、素直にほっとしてしまった。

 

「次に、お前の身柄は現在ハルバード侯爵家預かりになっている」

「なるほど、ではそのお嬢様が今の俺の所有者か」

「身元引受人なだけよ。別に奴隷として飼いたいわけじゃないわ」

「じゃあ……なんのために俺を引き取ったんだ」

「フィーアのお兄さんだから?」

 

 お人形のような少女は、こてんと首を傾けた。

 わけがわからない。

 

「今のお前は、ハルバード家の食客、といったところだな。特に命じたいこともないから、まずは怪我の治療に専念してくれ」

「……怪我が治ったあとは?」

「あなた次第ね。服従の呪いも解いちゃってるから、故郷に帰るなり、他の一族を探すなり、好きなところに行っていいわよ」

 

 確かに、この体にはもう魂を縛る呪いの紋章はない。

 信じがたいことだが、言葉通りの自由の身になったらしい。

 

「まあ、すぐには結論が出ないと思うから、妹のフィーアと一緒にじっくり相談してちょうだい」

「ご主人様?!」

 

 フィーアと一緒に、と言われて妹はぎょっとした顔になった。

 

「あ、あの……私と兄が一緒に相談するって、どういうことなんでしょうか」

「え……?」

「私はもう、お払い箱なんですか?!」

 

 妹は涙目になって叫んだ。

 

 

 



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閑話:それぞれのエピローグ3後編(ツヴァイ視点)

「ちょっと待って、どうしてそういうことになるの」

 

 自分はお払い箱なのか、と妹に食って掛かられた少女は困り顔になった。

 

「だって……お兄と、ってことは私も一緒に出て行って構わない、ってことなんでしょう? ということは……」

「フィーアは大事な私のメイドよ!」

「だったら……」

「でも、あなたがハルバード家に引き取られたのは、子供ひとりでどこにも行くあてがなかったからでしょ? 自分でメイドの道を選んだわけじゃないじゃない」

「それは……そうですけど……」

「ずっと命令に従わされてきたあなたには、ちゃんと自分自身で選んだ道を歩んでほしいの」

 

 ふう、と少女は息をついた。

 

「元々、成人して自分で生きる力がついたら、一度ヒマを出すつもりだったのよ。お兄さん、っていう保護者が現れて、それがちょっと早くなっただけ」

 

 ヒマを出すつもりだった、と聞かされて、妹の顔がますますひきつる。

 

「フィーアがいらないって話じゃないのよ? フィーアに世話を焼いてもらうのは好きだし、今回だって、あなたがいなくちゃ私は死んでたと思う。でも、それとあなたの人生を縛るのとは、話が違うと思うから」

「……」

 

 恐らく、少女の言葉は正しい。

 行くあてのなかった子供を保護し、教育した上で、自由に将来を選ばせる。

 奴隷として扱われていた自分たち一族に対する、最大限の配慮と言える。

 しかし、獣人という種族は少女が思うよりも義理堅く、忠誠心の強い生き物なのだ。

 恐らく妹は少女を一生の主人と決めてしまっている。

 彼女の言葉が気遣いの産物だとわかっていても、受け入れられないのだろう。

 

 ……しょうがないな。

 

「妹の処遇を俺たちで決めろ、というのなら……もうしばらくハルバードに置いてやってくれないか」

 

 俺が声をかけると、少女はきょとんとした顔になった。

 

「行くあてがないのは、兄の俺も一緒だからな。故郷のあった場所に、集落は存在しない。民は全てアギト国の奴隷にされてしまった。今更戻ったところで意味はない」

「……そう」

「同胞を救うのなら、このままハーティアに留まって、刺客として送り込まれたところを捕獲したほうが早いかもしれん」

「じゃあ、ツヴァイもうちで働くってことになるのかしら」

「暗殺者、諜報員としてはそれなりに使い勝手がいいつもりだ。侯爵家ならそれなりに使いどころがあるだろう」

「それなら、俺がもらっていいか?」

 

 少女の補佐官としてふるまう、奇妙な貴族が手をあげた。

 

「構わない、……というより、その方が助かる」

 

 正直、妹の主人とはいえ年端も行かない少女に仕えるのは抵抗があった。同じ変な貴族の部下になるなら、まだ成人男性のほうがいい。

 

「フランが自分の部下を欲しがるなんて、珍しいわね」

「お前の配下ばかり使っていると、いざという時困るからな」

 

 たった今上司になった男は疲れたようなため息をもらした。それを見て、俺を治療していた賢者が、ぶはっと吹き出す。

 やはり、彼らは俺の理解を越えている。

 

 

 

 




 ツヴァイ兄ちゃん、その後どうなったのエピローグ。
 とりあえずフランの部下になりました。じわじわ暗躍してもらう予定。


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閑話:それぞれのエピローグ4(ダリオ視点)

 美しく整えられた王宮の廊下を、俺は数名の側近を引き連れて歩いていた。

 身にまとうのは最高位の正装。胸にはカトラス家に伝わる紋章付きのブローチが輝いていた。

 先祖伝来のブローチを身に着ける。

 それは、王家から正式にカトラス侯爵と認められた、という証である。

 無事に侯爵位を継承した俺は、ほっと息を吐く。

 

 父、サンドロ・カトラスが手を染めていた人身売買は重犯罪だ。

 本来なら、一族郎党まとめて殺されていてもおかしくなかった。

 

 にもかかわらず、息子の俺がこのブローチを許されたのには、いくつかの理由がある。

 

 ひとつは、俺自身がカトラスに巣食う犯罪者どもを摘発し、父を告発したこと。

 もうひとつは、父の作った借金を整理し、財政危機をかろうじて回避したこと。

 そして……今から会う人物が、俺の爵位継承を支持したことだ。

 

 カトラス家を廃絶し諸侯で分割統治すべし、という王妃派の意見を封殺。たとえ父親であっても犯罪者を許さない、気高き者こそ侯爵にふさわしい。と言って支援してくれたのだ。

 

 まず真っ先に礼を尽くさねばならない相手である。

 

 彼の執務室の前に来ると、一目見ただけで精鋭とわかる兵士と、重厚な扉が俺を迎えた。

 面会の約束を告げると、俺ひとりだけが中に招き入れられる。

 

 執務室のデスクの前には、部屋の主に加え……さらにふたりの人物がいた。

 

「お会いする機会を与えてくださってありがとうございます、ミセリコルデ宰相閣下。そして……ハルバード侯、クレイモア伯」

 

 おかしい。

 俺が約束していたのは宰相閣下だけだったはずだ。

 何故同レベルの重鎮がふたりも同席している。

 

「予告なく同席者を増やして申し訳ない。君は侯爵になったばかりで、いろいろと忙しいだろう? 何人も挨拶周りしていては、大変だろうと思って彼らを招いたんだ」

「お心遣い、感謝します」

 

 かしこまって返事をしてみたが、予告なしに3人いっぺんに面会するのと、ひとりひとり面会の約束を取り付けるのと、どちらが楽か、判断はつかなかった。

 

「私の侯爵位継承は、お三方の助力があったおかげです」

 

 正式な騎士の礼をすると、ミセリコルデ宰相閣下は鷹揚にほほ笑む。

 

「なに、古の勇士の末裔である我ら7家は特別だ。その血筋を絶やしてはいけない……というのは建前で」

 

 宰相閣下はデスクから便箋を一枚取り出した。

 

「実は、少し前に息子から手紙をもらってね。休暇でカトラスを訪れた際、随分よくしてくれたそうじゃないか」

 

 宰相閣下の隣に立つハルバード侯爵も笑う。

 

「私も、娘から手紙をもらいました。カトラスで、『とても素敵なお買い物』ができた、と嬉しそうにしていました」

 

 何のお買い物だ、何の。

 つっこみたいが、つっこめない。

 

「今回のことは、そのお礼のようなものだと思ってくれればいい」

「そう……ですか」

「儂のほうは、詫びのようなものだな」

 

 クレイモア騎士伯が立派な顎髭をさすりながら言った。

 

「聞けば、儂の孫がカトラスで恋に落ちた王妹殿下は、もともと貴殿とお見合いするために、かの地を訪れていたそうじゃないか。せっかくの侯爵夫人候補を奪ってしまったわけだからな」

 

 王妹殿下と結婚する気は1ミリもなかったし、なんなら殿下本人も闇オークション目当てでカトラスを訪れていたんだが。

 何がどうなったら、クレイモア伯爵家嫡男との電撃婚約になるのか、わけがわからない。

 

「……感謝します」

 

 どう答えていいかわからず、そう言うのが精いっぱいだった。

 

 実を言えば、ミセリコルデの長男が闇オークションで大暴れしたのも、ハルバードの長女が闇オークションでお買い物をしてたのも、王妹殿下が闇オークションに参加しようとしたのも、クレイモアの孫が王妹殿下をかっさらっていったのも、公に出ればそれなりの醜聞になる話だ。うまく使えば各家から金や条件を引き出すこともできただろう。

 しかし、強請たかりというのは、交渉事だ。

 父親の後始末に奔走している状況で、そんな面倒くさいことををやっているヒマはなく、全部放置してしまっていたら、それらが巡り巡って、今回の支援につながったらしい。

 情けは人のためならず、と言うべきなんだろうか。

 

「王宮は大きく変わろうとしている」

 

 宰相閣下は、俺に手を差し出してきた。

 

「今こそ、我ら7勇士の末裔は結束すべきだと思わないか?」

 

 その意図は明らかだ。

 支持の見返りに、彼を中心とする派閥に入れ。そういうことなんだろう。

 

「もちろんです、閣下」

 

 断る、という選択肢は存在していなかった。




 ダリオ、重鎮に囲まれてちょっと怖い思いをする、というお話。

 本編投稿時に、「ダリオも連座で死ぬ?」と心配する声が多かったので、説明もかねて。
 国のトップ貴族3人が擁護したので、カトラスはダリオが継ぐことになりました、まる。


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閑話:それぞれのエピローグ5(フラン視点)

 カトラスからハルバードに戻るなり、俺は城主の執務室へと向かった。

 そこには、俺とリリアーナが城を離れる間執務を引き受けることとなった、後輩がいるはずだ。

 

 ドアを開けると、予測の通りアルヴィンがデスクで書類仕事をしていた。

 俺の来訪を認めると、彼は顔をあげてほほえむ。

 

「お帰りなさい、フラン先輩。カトラスでのバカンスはいかがでした?」

「そこそこ実りのある旅行だった。……しばらく予算関係で手続きが増えるかもしれないが、収束可能な範囲だ」

「楽しんでこられたようで、よかったです!」

「……ひとつ、尋ねたいことがある」

 

 俺は執務室に他の騎士や使用人がいないことを確認してから質問を投げかけた。

 

「リリィに年齢を変える変身薬と、母親のドレスを持たせたのは、お前だそうだな?」

「ええ、そうですよ」

 

 アルヴィンは悪びれもせずに、肯定した。

 

 おかしいとは思ったのだ。

 ディッツの作る怪しげな薬はともかく、高級ドレスはそう簡単に手に入らない。常人離れした美しいスタイルの持ち主ならなおのこと。事前にほぼ同じ体形の母親のドレスでも持ち込まない限り、あんな完成度にはならない。

 

 つまり、あの茶番劇には、事前に仕込みをしていた者がいたということだ。

 指摘すると、後輩はなぜか目を輝かせて立ち上がった。

 

「本当に薬を使って大人になったんですか?!」

「……ああ」

「兄の俺が言うのもなんですが、妹は両親の良いところを上手く受け継いでいます。とても美しい娘になったでしょう」

「……悪くは、ないんじゃないか」

 

 実際には悪くないどころではなかったのだが。

 

「お前、何を考えてるんだ。あいつは大人びているとはいっても、まだ年端もいかない子供だぞ。体だけ女になって、間違いが起きたらどうする気だったんだ」

「祝福します! 俺は、妹がフラン先輩とどうにかなってほしかったので」

「……は」

 

 後輩の言葉が信じられず、俺は言葉を失った。

 どうにかなってほしい、ってどういうことだ。

 どうにかってそういう意味だぞ、わかってるのか。

 

 妹を貞操の危機に陥れた兄は、なぜかにこにこと笑っている。

 

「俺、家を出ようと思ってるんですよね」

 

 奴はさらに信じられない言葉を口にした。

 

「おい、待て。そんなことをしたら……」

「ハルバードは大混乱ですよねえ。両親はあの通り、内政には全く向いていませんし。妹は領民から慕われてはいますが、実務能力はまだまだ足りてませんし」

「わかっているんじゃないか。それなら、何故」

「でも、フラン先輩がリリィと結婚してハルバードに残ってくれれば、丸くおさまると思いませんか?」

「……」

 

 否定はできなかった。

 実際この2年間は、リリィと俺のふたりでハルバードを治めてきたようなものだからだ。

 この生活をあと10年、20年と続けることは……実は難しくない。

 

 そうするには、あれと一生をともにする、という覚悟が必要だが。

 

「みんなで幸せになりましょう?」

 

 人を堕落の道に引き込む悪魔は、時に天使のように清らかな姿をしているという。

 後輩は、それはそれは美しい顔でにっこりと笑った。




 兄ちゃん暗躍の上で爆弾発言する、というお話。
 なんで家を出たいかについては、次章明らかになるよてい。

 続きをお楽しみに!!!


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閑話:悪役令嬢は夏祭りを盛り上げたい

「フラン、見て見て!」

 

 私はノックもそこそこに、フランが仕事する執務室に飛び込んだ。書類と格闘していた彼が怪訝そうな面持ちで顔をあげる。

 

「リリィ? お前、夏祭りの出し物を準備していたんじゃないのか?」

 

 そして、私がやるべきだった仕事を指摘した。

 

 カトラスの一件が決着して約一年。兄様が無事王立学園を卒業することが決まって一か月。領主の座を兄様に譲ることが確定した私たちふたりは、ハルバード城を去る準備に追われていた。

 夏祭りの出し物もそのひとつ。

 私が領主代理として参加する最後のイベントで、今まで支えてくれたお礼をするのだ。

 お祭自体も盛大に催す予定だけど、私自身何か素敵な贈り物がしたい、と無理を言って出し物の枠を作ってもらったんだ。

 

「今度は何を思い付いたんだ?」

「ふっふっふー、見て!」

 

 私は、用意していた光魔法を一斉に発動させた。

 赤、青、緑、黄色……様々な色の光の珠が、執務室内に浮かぶ。

 

「これは……綺麗だな」

 

 フランが目を見開いた。

 手伝いをしていた騎士や使用人たちも、仕事の手を止めて思わず光の珠を見つめる。

 

「このカラフルな光の珠を、一斉に打ち上げたらものすごく綺麗だと思わない?」

「ふむ、悪くない」

 

 はいっ!

 フランの『悪くない』いただきましたー!!

 彼がこう言う時は、だいたい『すごくいい!』っていう意味だからね!

 よーし、自信ついたぞー!

 

 実を言うと、普通に花火を打ち上げようとして挫折してたんだよね。

 

 魔法が盛んなこの世界じゃ、そもそも火薬があんまり研究されてない。だって、火魔法とか使った方がお手軽に火が出せるし、爆発だって起こせるから。

 しかも、金属とか鉱石とかの研究もそんなに進んでないから、炎色反応を起こす方法なんて誰も知らないし。

 私自身の知識も使ってみたんだけど、それも無理。

 銅が青緑とか、ナトリウムが黄色とか覚えてても、肝心の火薬に混ぜる方法とかがわからないんだよ! 理科室での実験は、高度に精製された薬品を使ってたしね!

 その『精製する方法』がわかんないよ!!

 

 と、いうわけで方針転換を余儀なくされた私は、光そのものを魔法で作り出すことにしたんだ。

 

「光魔法の明かりといえば、太陽の光のような白色光が普通だが、これはひとつひとつが別の色をしているんだな」

「そんなに難しいことはしてないわよ。光の波長をそろえただけだから」

「……ん?」

「波長を調整したら、色も変えられるの!」

 

 私は赤い光の珠を操作した。

 それはオレンジ、黄色、緑とゆっくり色を変えていく。

 

「待て、これはどうやってるんだ?」

「だから、そろえておいた光の波長を、ぎゅーってして変えるの」

「んん?」

「だって光って波だし」

「……」

 

 そこでようやく、フランの顔がひきつっていることに気が付いた。

 

「……あれ?」

 

 なんか雲行きが怪しいぞ?

 

「悪いが、皆退室してくれ。リリィとふたりで話がしたい」

 

 フランがため息まじりにそう言うと、使用人たちはさっと部屋を出ていった。私がトンデモ発言をして、ふたりきりでみっちりお説教をくらう、というのはいつものことなので、彼らも手慣れたものだ。

 

「……で、光がなんだって?」

「アレー……? もしかして、光が波の性質を持ってるって……この世界じゃ……認識されて、ない?」

「ない」

 

 うおおおおおおお……マジかああああああ……。

 

「詳しく説明しろ。話はそれからだ」

「えーと……光は、波になってるの。で、その波の幅が広いか狭いかで、色が変わるのよ」

 

 私はメモ用紙に波を描いた。

 

「こんな感じで、波がゆるやかな光が赤。波が細かくなるにつれて、紫へと虹色に変わっていくの。見てて」

 

 私はまた光魔法を発動した。

 私が魔力を込めると、暗い赤の光は徐々に明るい赤になり、橙、黄、緑、青、藍、紫、と変化し、さらに暗くなって消えた。

 

「待て、それはおかしくないか? 白色光はどこにいった?」

「えっと白っていう光はないの」

「ない?」

「いろんな波長の光が混ざってるのを、人間の脳が『白』だと認識してるのよ。えーと、光の三原色、だったかな……」

 

 私は緑、赤、青の三色の光の珠を作り出した。

 珠同士を重ねると、それぞれの色が変化してひとつの白い光になる。

 

「術を重ねたことで、変化したんじゃないのか?」

「術の干渉じゃないわよ。……ものすごーく小さくしたら、わかりやすいかな?」

 

 テレビやパソコンのモニターと一緒だ。

 めちゃくちゃ小さな3色の点の集合を見て、私たちは様々な色だと認識している。

 だから、この3色セットの小さな珠をたくさん作ったら、白に見えるはず。

 

 小さな光を作り出してフランに手渡すと、彼はものすごい形相で光を近づけたり遠ざけたりを繰り返していた。

 

「にわかには信じがたいが……否定する材料が見つからない」

「前世だと、当たり前の知識なんだけどねー」

 

 ファンタジー世界って、小学生でも知ってる科学知識が欠けてたりするんだよね。

 何が地雷になるかわからないから困る。

 

「もう一度、虹色に変わる様子を見せてくれないか」

「いいわよー」

 

 フランのリクエストに応えて、私はまた赤から紫へと虹色に光を変化させた。

 

「波の幅が広いのが赤で、紫になるにつれて、狭くなるの」

「赤の最初と、紫の最後で光が暗くなるのは何故だ?」

「これは赤外線と紫外線ね」

「セキガイセン……?」

「んーと、可視光っていって、人間の目には感知できる波の幅に限界があるの。ほら、フィーアやツヴァイが聞こえている高さの音を、私たちが聞こえてない時があるじゃない? あれの、光バージョン」

「ふむ」

「光の波長がすごーく長かったり、短かったりすると、感知できないのよ。これは生き物によって、認識できる幅が違うの。私たちが見ている色がわからない動物もいるし、逆に紫外線や赤外線が見えてる動物もいるわ」

「人間の目では認識できない光……か」

「信じられない?」

 

 そう言うと、フランは首を振った。

 

「いや、なんとなくわかる。獣が俺たちの認知し得ないものを感じ取っている時があるからな。そうか……魔力だけの問題ではないんだな」

「すごいでしょー」

 

 久々にフランをびっくりさせることができて気分がいい。

 気をよくした私は、言わなくてもいいことを言った。

 

「現代日本では、赤外線も紫外線もよく使われてたの。赤外線センサーを使って人間の目を煩わせずに信号を送りあったりとか、紫外線をあてて殺菌処理をしたりとか」

「……殺菌?」

「フランには前に話したでしょ? 空気中には私たちの目には見えない細かい生き物がいて、病気の原因になることがあるって。煮沸消毒やアルコール消毒のできない機材を、紫外線で殺菌できるの!」

「……ほう」

 

 すうっとフランの目が細くなった。

 

「つまり、紫外線には微生物を殺せるほどの殺傷力があると」

「あれ……まあ、そうなる……かな?」

「それを人体に長時間あてたらどうなる?」

「……めっちゃ日焼けして火傷するね。場合によっては、皮膚の病気になる、かも……?」

 

 そういえば、強い紫外線を出す機械は規制されていたような……。

 

「危険なので人前での光の波長変化魔法は使用禁止」

「そんなああああああああああ!!!」

 

 フランのいけず!!!

 たまには私に知識チートさせろおおおおおお!!!!

 

 

 結局、夏祭りでは水魔法で作った水蒸気のスクリーンに光をあてて虹を作ることになった。

 そこそこウケてたけど、なんか納得いかない!!!




 ファンタジー世界での科学話。
 分光実験を行って光が波の性質を持つことを科学的に論じたのはニュートンが最初らしいです。プリズム自体は1世紀ごろからあったらしいですけど。
 クソゲー世界に近代物理はまだ存在しない、という設定なので、リリィちゃん以外光の波長についてはノー知識ということで。

 本編とは全く、全然、関係ない横道ですが、こういうエピソードを書くの大好きです。
 むしろこういう話ばっかり書きたいとかある。


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悪役令嬢は婚約したい
行きたくないでござる、絶対に行きたくないでござる


「なんで私がこんな目に……」

 

 ごとごとと揺れる馬車の中で、私は頭をかかえていた。

 

 馬車に乗っているのは3人。

 できたばかりの新作ドレスを着てとびっきりのおしゃれをした私と、これまたとびきり綺麗な衣装を着せた美青年従者ジェイドと、私のドレスよりはやや地味なものの、めちゃくちゃにかわいいドレスを着せた美少女メイドフィーアだ。

 

 このまま、観劇とかコンサートとかに行けたら最高の衣装とメンバーだと思う。

 

 しかし、あいにくと馬車の目的地は娯楽施設ではない。

 ハーティア最大の悪魔が住まう場所、王宮だ。

 この国で一番格式の高い場所で、この国で一番の悪意が渦巻いている場所。

 

 まあ、私も一応侯爵家の令嬢だし?

 王立学園に進学したら、行事なんかで出入りすることになるだろう。

 進路によっては、将来の仕事場にだってなるかもしれない。

 

 しかし。

 

 14歳までずっと領地にひきこもり、王宮の公式行事に一切参加してこなかった子供が、保護者のひとりも連れずにやってくるような場所じゃない!!

 

 領主代理として一通りのマナー、そして公の場での立ち振る舞いは教育されている。

 冷静に行動すれば、それなりのふるまいができるはずだ。

 

 普通の社交ならそれで充分。

 しかし、今回のイベントはそんなものでは通用しない。

 

 だって、私を招待したのは、王宮に巣食う悪意の親玉、王妃様なんだから!!!

 

 王妃様とはほとんど面識はない。

 大失敗した10歳のお茶会で少し顔を見ただけだ。

 

 しかし、彼女の悪意は知っている。

 

 ハーティア王室に嫁いできた結婚式で、花嫁よりも目立ってしまったダンスの名手に、わざと白百合の称号を与えて、男たちのエサにしようとした。

 白百合がまんまと侯爵家に嫁いで難を逃れたのちも嫌がらせを繰り返し、彼女が怪我をしたと聞けば、その身を案じるふりをしてとびきりハイカロリーなお菓子を贈った。

 そして、王宮のお茶会に出席するようになった白百合の娘に目をつけ、息子との婚約をエサにしてコントロールし、性格最悪の悪役令嬢に仕立て上げた。

 

 彼女は、ハーティア国民が大嫌いだ。

 とりわけ、将来有望な少女、恋する乙女が幸せになることを憎んでいる。

 

 それは誤解じゃない。

 ゲームの形で何度も何度もこの世界をシミュレーションし、彼女の悪意ある罠に命を刈り取られ続けたことで得た確信だ。

 

 断言していい。

 王妃は絶対、ろくでもない罠を用意して待ち構えている。

 保護者のいないタイミングで呼び出してきたのがいい証拠だ。

 

 今すぐこの馬車から逃げたい。

 しかし、いかに侯爵家といっても王妃直々の召喚を断る権力までは持ってない。

 

 ああもう、本当になんでこんなことになってんの……。

 

 私は、幸せだった一か月前を思い返していた。

 



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悪役令嬢の旅立ち

「お嬢様、お気を付けて」

 

 そう言って、侍女長は私の手をぎゅっと握った。彼女の目は今にも泣きそうに潤んでいる。

 彼女の周りを見ると、見送りに集まってきた騎士も使用人も侍女もメイドも、みんな同じような顔で目をウルウルさせていた。

 

「お、大げさよ……!」

 

 なんだよー、いつもてきぱき仕事している、みんならしくないぞー!

 特に侍女長!

 普段のキャリアウーマンっぽいキリッとした雰囲気はどこにやったの?

 

「でも……お嬢様がハルバードを離れるかと思うと……!」

「王立学園に進学するだけだってば」

 

 カトラスでの事件が収束して一年あまり。そして、兄様が無事王立学園を卒業してから一か月が経過して、私は14歳になっていた。

 今度は私が王立学園で勉強する番だ。

 

「入学には、まだ1年もあるじゃないですか。もっとハルバードでお過ごしになっても……」

「もう1年しかないの。入学準備を進めないと」

 

 王立学園に入学できるのは15歳になってからだ。

 だから、本来こんなに慌てて王都に向かう必要はない。他の入学予定者も、地方から王都に向かうのはもっと後だ。しかし、私にはのんびりしていられない事情がある。

 私の隣に立つフランも、少し困った顔で彼女たちをなだめた。

 

「リリィはほとんど王都に出たことがないからな。あちらとハルバードでは生活の仕方が全く違う。いきなり学園で寮生活をする前に、侯爵邸で王都に慣れさせたほうがいい」

 

 この3年間、ずーっと領地にひきこもってばっかりだったからねえ。

 社交的な行事に関しては、10歳でお茶会デビュー失敗してから、一切参加してないし。

 侯爵家の娘が、全くの世間知らず状態で王立学園に飛び込むなんて、危険すぎる。

 

 王立学園入学を待っていたら、防げない悲劇もあるしね。

 

「うう……こんなにかわいらしいお嬢様が、学園に入ったりしたら、すぐに貴公子たちの目にとまって、求婚されるに違いありません……!」

「お、お嬢様が……お嫁に……!!」

 

 うううう、とついに侍女長たちが泣き始めてしまった。

 しかも、ひとりやふたりじゃない。

 感情を抑える訓練をしているはずの騎士まで巻き込んでの大号泣だ。

 

「ちょ、ちょっと! 話が飛躍しすぎだから!」

 

 慌てて声をかけるけど、彼女たちの涙は止まらない。

 

「フラン、いつもみたいに『コレを嫁にもらう猛者がそうそういるわけないだろう』とか、つっこんでよ! 収拾つかないでしょ」

「まあ、可能性がないわけでは、ないしな……」

 

 なんだその歯切れの悪いセリフ。

 ズバっと切り捨てなさいよ、もー!

 

「とにかく、今生の別れってわけじゃないんだから、みんな泣き止んで! 休暇とか、都合がついたら、また戻ってくるから!」

 

 侍女長たちにつきあっていたら、きりがない。

 私はみんなにハグすると馬車に乗り込んだ。さすがに、物理的な距離ができたら彼女たちも落ち着くはず!

 

 しかし、私はなかなかハルバードを出ることができなかった。

 

 まさか城下町に住む領民たちが街道に押し寄せて、こぞって私を見送ってくれるとか、思わないじゃん!!

 



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公言できない価値観

「あー疲れた……」

 

 私は馬車の座席にぐったりと倒れこんだ。

 ハルバード城の門から、郊外へ。城下町を通り過ぎる間、ずーっと見送りの領民に向けて手を振って笑顔を振りまいていたから、めちゃくちゃ腕が疲れた。あと、キレイな姿勢キープのせいで腹筋と背筋も痛い、というか全身痛い。

 

「よくがんばったな。水分を補給するか?」

 

 向かいに座るフランが、冷えた果実水を差し出してくれた。正直喉もカラカラだったから、助かる。カップを受け取ると、思わず一気に飲み干してしまった。

 

「まさか、あんなに人が来るとは思わなかったわ」

「領民から慕われている証拠だ」

「そこがよくわかんないんだけど……領主の娘って言っても、私はまだ14歳の子供だよ。普通こんなに持ち上げる?」

「お前は統治姿勢は、ひどく慈悲深いからな」

「慈悲? どこが?」

「お前は騎士も庶民も使用人も、同じヒトとして扱うだろう。そんな風に全員を尊重しようとする領主は滅多にいない」

「いやそんなの当たり前……」

 

 断言しようとしたら、フランがあきれ顔で私を見ていた。

 

「あれ? 違うの?」

「少なくとも、俺の常識からは外れているな」

「……マジか」

 

 ファンタジー世界で令嬢暮らしを始めて4年。まだこんなところにギャップがあったとは。

 この不思議な世界にもなじんできたかなーと思ってたから、ちょっとショックだ。

 

 人は生まれながらにして、ひとりの人間として尊重される権利を持つ。

 それは現代日本人が当たり前に教えられる人権意識だ。

 しかし、階級制度が明確に人を分けるこの世界では、異質な思想らしい。そういえば、貴族の中では比較的部下や領民を大事にする兄様やフランでも、時々ナチュラルに庶民をモノ扱いする時があるもんね。

 

「多分、おかしいのは私の方よね? 身分制度のある世界なんだし」

「ああ」

「でもどうしよう……この考えを変えるのは難しい気がする……。お仕事してくれる人には、フルオート感謝するクセがついちゃってるんだもん」

 

 その原因の多くはリリアーナの前世、天城小夜子の記憶だ。

 彼女は生まれた時から、とても病弱な子だった。

 現代医学の助けがなければ、1歳の誕生日を迎えることすらできなかっただろう。

 入退院を繰り返す彼女の命を支えていたのは、医者や看護師たちの高度な技術と献身だ。

 

 自分の命はみんなに支えらえれて成り立っている。

 そう思うと、自然に敬意を払ってしまうのだ。

 

「無理に改める必要はない。慕われる、ということはそれだけの価値ある思想なのだろう」

 

 私をなだめるように、フランの大きな手が頭をなでてくれた。

 

「支配階級の人間が『人は皆平等』などと公言したらまずいが、さすがにそこまではやらないだろう?」

 

 こくこく、と私は頷いた。

 私の立場でそんなこと言ったら、革命が起きかねない、ってことくらいはわかる。

 

「民の声に耳を傾ける為政者、くらいのスタンスならいいんじゃないか」

「ありがと。そう言ってもらえてほっとしたわ」

 

 ほっと息を吐いた瞬間、馬車のドアがノックされた。

 返事をすると、ジェイドが窓から顔を覗かせる。

 

「お嬢様、申し訳ありません。もうすぐ次の街に到着するのですが……」

「何かあったの?」

「その……領民が揃ってお嬢様をお出迎えしていて……」

「おおう」

 

 そういえば、領民は城下町以外にも住んでるね!!

 

「わかった。ちょっと休憩したら挨拶に出るわ」

「……お気をつけて」

 

 私は、うーんと延びをする。

 しょうがない、これも領主代理の最後の仕事として、頑張りますか。

 

「でも、私がこんなに人気を集めてていいのかな? これから領主になる兄様が困ったりしないかしら」

「……あいつなら、なんとかするだろう」

 

 私の疑問に、フランは困ったように微笑むだけだった。

 

 

 

 

 



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ハルバード侯爵邸にようこそ

 ハルバード城で侍女や騎士たちに泣かれ、城下町で住民総出で見送られ、さらに、ハルバード領内の村を通過するたびに出迎えられ、お土産を渡され、とんでもなく足止めされた私が王都についたのは、一か月後だった。

 

 ハルバード領から脱出するまで、ずーっと愛想をふりまいていたせいで、もうくたくただ。

 

「疲れた……今日はもう休むからフランは……」

 

 ふと振り返った私の行動は空振りになった。いつも隣にあった、背の高い黒い影はもういない。

 

「あー……」

「補佐官殿がいないことを忘れるなんて、ずいぶんとお疲れじゃねえか。あ、もう補佐官でもないんだったか」

 

 私の行動を見ていた魔法使いの家庭教師、ディッツはけらけらと笑う。

 

「しょうがないでしょー! 3年も一緒にいたんだから!!」

 

 私たち一行の中にフランはいない。

 

 それは当然の話だ。ミセリコルデ家の長男だなんて超レア人材がレンタルできたのは、11歳の女の子を領主代理にしなくちゃいけない、っていう非常事態だったからだ。私が領主代理を降りると同時に、彼の派遣期間も終了しちゃったんだよね。

 王都までは一緒に戻ってきたけど、そこから先の目的地は別だ。彼は直属の部下であるツヴァイを連れてミセリコルデ宰相家に帰ってしまった。

 

「一旦中に入って、お茶にしましょう。体が落ち着けば、気持ちも落ち着きますよ」

 

 ジェイドがにっこりとほほえむ。

 癒し従者は、身長が伸びても相変わらず癒しだわー。

 

「ありがとう、そうするわ」

「途中でお土産にもらったお菓子もあけましょう。きっと元気が出ますよ」

 

 この1年でますます美少女ぶりに磨きがかかったフィーアが、私を気遣うように首をかしげた。黒いネコミミが一緒にぴょこんと揺れて、パーフェクトかわいい。

 いかんいかん。こんなにかわいい子たちに心配かけてちゃダメだよね。

 

 だいたい、フランが実家に戻ったからって、縁が切れたわけじゃないし。

 

 フランは私の世界救済計画の仲間だ。それは、領主代理を降りたあとも変わらない。

 悲劇を食い止めるために、まだまだ彼の手が必要だ。

 

「まずはちゃんと休まないとね。もう領主の仕事はしなくていいんだし、ちょっとのんびりしようっと」

「いや~お嬢はそろそろ本腰いれて勉強しなきゃダメだろ」

「う」

 

 ディッツが痛いところをついてきた。

 

「領主代理を務めたご主人様が、今更勉強することってあるんですか?」

「それが、そうでもないのよ……」

 

 フィーアの純粋な尊敬がつらい。

 実は、3年間の領主代行期間中に領主スキルが上がった反面、学べなかったことも多いのだ。

 普通の子供が歴史や文学、芸事などを学ぶ時期に、毎日毎日領主の仕事ばかりしていたんだから、ある意味当然の話である。結果、税収関係の法律には詳しいのに、超有名作家や詩人の名前はさっぱり知らない、というバランスの悪い令嬢が出来上がってしまった。

 多分、私の能力をレーダーチャートにしたら、ものすごい形をしてると思う。

 

「魔法の腕も薬の知識も、まだまだ足りてねえしな。あと1年で俺の弟子を名乗って恥ずかしくないくらいには仕上げてもらうぞ」

「はーい……」

 

 他の科目も、早いうちに家庭教師を見つけてこないとなあ……。でも、こんなバランスの悪い令嬢に付き合ってくれる教師とか、この世に存在するんだろうか。

 考え込んでいると、母屋のほうからメイドがひとり走ってきた。

 

「お嬢様、お帰りなさいませ」

「ただいま。どうかしたの?」

「それが……」

 

 ハルバード侯爵邸づきのメイドは、青い顔で封筒を私に差し出した。

 

 

 



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素敵なお手紙

 ハルバード侯爵邸づきのメイドは、青い顔で私に封筒を差し出した。

 

 私の名前が鮮やかに記されたその封筒には、ハーティア王家を示す紋章がデザインされていた。封蝋に押された紋章のモチーフは王冠と薔薇の花。

 現在ハーティアでこの封筒と封蝋を使用することが許されているのは、ただひとり。

 王妃カーミラ・ハーティアだ。

 

 やばい。

 なんで地獄の親玉みたいな王妃様から手紙なんか来るの。

 絶対、ろくな用件じゃないよね?

 

「うわぁ……開けたくない」

 

 母様と王妃の隠れた確執を知っているメイドもため息をついている。

 

「とはいえ、用件を確認しないことにはどうにもならないわね。父様と母様はどこ? せめて保護者と一緒に開けたいんだけど」

 

 私がそう言うと、メイドは更に顔色を悪くさせて俯く。

 そこで、私はやっとハルバード侯爵邸の様子がおかしいことに気が付いた。

 

 うちの両親は子供を溺愛している。

 昔は愛の名のもとに放任されてたけど、痩せて前向きになった今は違う。私たち兄妹に興味を持ち、積極的に関わってくれるようになった。

 そんなふたりが、久しぶりに王都に来た私を出迎えないって、おかしくない?

 最強騎士の父様あたりは、馬で王都の入り口まで来るぐらいのことはやりそうなのに。

 

「……もしかして、ふたりともいないの?」

「実は、昨日からご夫婦そろってランス領へ向かっています。詳しいことは聞かされておりませんが、緊急の任務だと……」

 

 マジかい。

 衝撃のあまり、口から変な声が出そうになった。

 

 王都に到着したばかりの令嬢ひとり。

 不在の両親。

 そこに舞い込んでくる王妃直々のお手紙。

 

 絶対わざとだろ!

 両親に相談させないよう、タイミング調整した上で手紙送り付けてきたよね?!

 

「ランス家は王妃に近い立場の家だからなあ……」

 

 ランス領での仕事自体、王妃様の仕込みの可能性がある。

 きっと見なかったふりをするのは無理だ。

 今開けて、今判断しないといけない用件が入っているに違いない。

 

「お嬢様、大丈夫ですか?」

 

 ジェイドが心配そうに私を見る。

 支えてくれる仲間の顔を見て、私は息を吐きだした。

 

「平気よ。まずはこの手紙の内容を見てみましょう」

 

 メイドに渡されたペーパーナイフで封を切ると、美しく飾られた招待状が出て来た。

 貴族特有のごてごてと美辞麗句で飾られた文面がずらずらと並んでいる。読みにくくてしょうがないけど、要約すると中身はこんな感じだ。

 

『明日の午後ガーデンティーパーティーをするから、ハルバード家の者だけで来てね♪』

 

「なん……だと……?」

 

 つまり何か?

 両親不在の状況で、ハルバード家の人材だけで準備して王妃のお茶会に行けと?!

 

 無茶言うなーーーーーー!!!!!!!



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だって嫁いできた姫が国を滅ぼす気満々だとは思わないじゃん

 翌日、王妃の招待を拒否することができなかった私は、王宮に向かって馬車を走らせた。

 着ているのは、これからの社交でお披露目しようと思っていた一張羅のドレスだ。

 いやまあ、これも社交と言えば社交なんだけどね?

 何故デビュー戦が裏ボスとの孤立無援デスマッチなのか。

 

「馬車が永遠に王宮につかなきゃいいのに……」

 

 はあ、と重いため息がどうしても口からついて出る。

 

「ご主人様、王妃様とはそこまで恐れるような方なんですか?」

「王様たちって、国を導く立場の人……なんだよね?」

 

 顔をあげると、フィーアとジェイドが怪訝そうな顔で私を見ていた。

 そういえばこのふたりは、ずっと私と一緒にハルバードで過ごしていたんだっけ。王宮関係のドロドロとした権力関係にうといのは当然の話だ。

 これから王都で暮らしていく上で、彼らも王妃様のことは知っていたほうがいいだろう。私はゲーム知識を交えて、王妃様の立場を説明する。

 

「これは表立って言っちゃいけないことなんだけどね、王妃様はハーティア国を滅ぼしてしまいたいのよ」

「ええ……? どういうこと?」

 

 為政者のトップのひとりが国をつぶそうとしている、と聞いてジェイドの顔がひきつる。

 

「彼女は元々、西の隣国キラウェアのお姫様だったの。東のアギト国ほどじゃなかったけど、キラウェアとの関係もそこそこ悪くてねー……長い小競り合いの末に、三十年くらい前にやっと和平が結ばれたの。その友好関係強化のために二十ニ年前に嫁いできたのが彼女」

「外国の方だったんですね」

 

 ふむふむ、とフィーアが肯く。

 

「でも、この婚姻は完全な失策だったわ。だって彼女は王妃として国を食い破るよう命じられて、送り込まれた刺客だったんだから」

「キラウェアって、和平が結ばれてるん、だよね?」

「表では和平を謳っておきながら、裏で侵略の準備を進めている、なんてことは結構ある話よ」

「国同士の約束を額面通りに受け取ってたら、だいたいバカを見ますからね」

 

 うちのメイドは相変わらずシビアだ。

 

「といっても、彼女が表立ってハーティアに逆らったことはないわ。彼女が意見を言うときはいつも、国のために、人のために、と必ず前置きする。提案自体も良いことのように見えるし。でも、彼女の提案を実行すると必ず良くないことが起きるの」

 

 母様の白百合の称号しかり、ハイカロリースイーツお見舞いしかり、ゲーム内の私の婚約話しかり、表面上のスジを通しておきながら、悪意を振りまくのだからタチが悪い。

 

「そんなに面倒な方なら、排除してしまえばいいんじゃないですか? 王宮には王妃以外の派閥もあるんですよね」

「フランのお父様をはじめとした宰相派ね。でも、そうもいかない事情があるのよ」

「事情?」

 

 フィーアはきょとんとした顔で首をかしげる。

 

「王妃様は外国人なの。それも友好関係強化のために嫁いできたお姫様。たいして悪いこともしていない彼女を無理に排除しようとしたら、『うちの国の姫をないがしろにする気か』ってキラウェア国が怒鳴り込んできて国際問題になるのよ」

 

 ハーティアに攻め込む機会を虎視眈々と狙っているキラウェアは、嬉々として戦争をしかけてくるだろう。こうして、彼女に従うも地獄、逆らうも地獄の最高に扱いづらい王妃様が誕生してしまったのである。

 

「夫である国王がしっかりしていれば、もうちょっと話は違ってきたのかもしれないけどねえ……」

「し、しっかりしてないの? 王様なのに?」

「今その席に座っているのは、何を提案しても肯定する『置物国王』よ。邪魔をしない代わりに何の歯止めにもなってくれないわ。血統主義の弊害ね」

 

 誰も自分にはうかつに手出しできない、と確信した王妃はじわじわ勢力を拡大し、裏側からこの国を腐らせていった。国力が低下する政策は全部賛成。不満がたまって内乱でも起きればなおいい。彼女は一刻も早くハーティアを滅ぼして、祖国に帰りたいのだから。

 

 ガタン、と音がして馬車が止まった。

 話し込んでいるうちに、王宮内に到着したようだ。ここからは、歩いて移動することになる。

 エスコートの準備をするために、従者であるジェイドが先に降りていった。

 

「うだうだしてもしょうがない、か」

 

 敵は王宮に巣食う、しっぽが9本くらいありそうな女狐だ。しかし、彼女は表立って誰かを攻撃することはない。ぼろさえ出さなければ、切り抜けられる可能性がある。

 

 私は深呼吸してから、座席から立ち上がる。

 

 馬車から降りようとした私に手を差し出してきたのは、ジェイドじゃなかった。

 

 



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負けてなんかやらない

 私に手を差し出してくれたのは、フランだった。

 

 彼は普段のシンプルな服とは全く違う、正式な騎士の礼服を着ていた。腰には儀礼用の剣までさしている。落ち着いた色の礼服は一見地味な印象を受ける。しかし施された細かな装飾は、間違いなく超一流の職人の手によるものだ。上品な装飾品はそれぞれが調和し、彼本来の精悍な美しさを引き立てていた。しかも、髪を整えたおかげで露になった泣きボクロが、大人の色気をマシマシにしてるし!

 何これこんな最高に綺麗でかっこいいスチルとか存在したっけ?

 誰か、この光景を永久保存できる記憶媒体プリーズ!!

 

 ……ではなくて!!!

 

「フラン? どうしてここに……」

「賢者殿から手紙をもらった。お前がお茶会の準備でパニックになっているのを、見かねたらしい」

「あ……」

 

 ディッツ、ファインプレーをありがとう!

 さすが、歳を重ねた大人なだけあるね……ってちょっと待った!

 

「で、でもっ! 招待状には、ハルバード家の者だけで来い、って指定されてて……」

 

 絶対あの指定は罠だ。外部に助けを求めたら最後、何をされるかわかったものじゃない。

 そう言うと、フランはふっと口元を緩めた

 

「その程度の難癖、あしらえないように見えるか?」

「……見えない」

 

 腹黒魔王が駆け付けた時点で、言い訳を用意してないわけないか。

 

「さっさと手をとれ。エスコートしてやるから」

 

 ほら、ともう一度差し出された手を取って、私は馬車から降りた。

 フランは自然な仕草で、私の左手を自分の右腕に回させる。

 

「緊急事態が起きたなら、すぐに声をかけろ」

「いやでも……これは運命改変とかの話じゃないし」

「関係ない」

 

 フランはあいた手を私の左手に重ねた。

 

「理由が何でも気にするな。困った時は、俺を頼っていい」

 

 重ねられた手が温かい。

 さっきまで緊張でガチガチになっていた体が、一気にほどけていく。

 

 彼がいる。

 この優しい青年が私の味方になってくれる。

 困ったときは絶対に手を差し伸べてくれる。

 彼のくれた約束ほど頼もしいことはない。

 

 そう思うと、全身に熱い血が巡る。

 

「よし、元気出た!」

 

 私は顔を上げた。

 隣にフランがいるなら大丈夫。

 

 前を向いたら、自然に笑みがこぼれた。

 

 後ろを振り向くと、ジェイドとフィーアがいつものように控えていた。

 フランだけじゃない、私の周りには味方が沢山いる。

 

 従者に、メイドに、機転のきく魔法使い。

 今は引き離されているけど、父様も母様も、兄様だっている。

 

 私はひとりじゃない。

 どんな罠だって、ひとりぼっちで戦うわけじゃない。

 

 王妃様の悪意になんか、負けてやらない。

 

 私はフランに手を引かれて、王宮内へと足を踏み入れた。

 

 

 



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圧迫面接

 王室づきの侍女たちに案内されて、私たち一行が訪れたのはバラ園だった。

 

 バラ園といっても、ただの庭園じゃない。ハーティアの国力をつぎ込んだ、国内最大級のバラの園だ。色とりどりのバラが咲き乱れる光景は、もはや園というよりバラの森である。

 奥には巨大なガゼボがあり、そこに王妃専用の席が設けられていた。

 ガゼボの日陰の下には年代ものの上品なソファに座る王妃様と、脇に10名ほどの王妃様の側近たちがずらっと並んでいる。

 

 なんだこの圧迫面接会場。

 

 私が招待されたイベントって、庭園のお茶会だよね?

 なんで入り口で裏ボスが取り巻きと一緒に待ち構えてるのかなー?!

 

「いらっしゃい、会えてうれしいわ。リリアーナ」

 

 こっちの疑問なんて、まるっと無視して王妃がほほえんだ。

 母様と同い年の40歳のはずなのに、ふんわりと佇む姿は少女のように若々しく、かわいらしい。第一印象だけなら、ただの優し気な若奥様である。

 

「ご招待ありがとうございます。お会いできて光栄です、王妃様」

 

 私はうやうやしく淑女の礼をとった。

 フランも従者たちも、それにならって頭をさげる。

 

「ふふ、少しびっくりさせちゃったかしら。今日のパーティーは少し趣向を凝らしてみたの」

 

 うん、それは見たらわかる。

 

「今回の催しのテーマは、子供同士の交流よ。招待客たちはここで私に挨拶したあと、子供は右手奥の赤薔薇の庭に、保護者は左手奥の白薔薇の庭に別れるの。子供は子供同士、しがらみなんて考えずにのびのびと交流すべきだと思うんだけど……いつも保護者が隣にぴったりついていたら、そんなことできないでしょ?」

「すばらしい、お考えですね」

 

 悪辣すぎてめまいがする。

 建前は『子供同士の交流』だけど、要は気に入らない子供をいきなり圧迫面接で追い詰めたあげく、保護者から引き離して自分の手下の子供たちに袋叩きにさせるイベントじゃねーか!!

 

 フランが隣にいてよかった。

 自分ひとりでこんなところに来てたら、パニックになったあげくに、何を口走ってたかわからない。

 

 こんな特殊なお茶会なら招待状に段取りを書いておけよ、って抗議しても無駄なんだろうなあ。多分『あら、疲れた侍女が説明のお手紙を入れ忘れたのね』って王妃がつぶやいて、無関係な『疲れた侍女』がクビになるだけだろう。

 

「……あら。私が招待したのはハルバード家の方のはずなのに、どうしてミセリコルデ家のあなたがいるのかしら?」

 

 今気づいた、という風に王妃はこてんと首をかしげた。フランはキレイなよそいき営業スマイルで答える。

 

「私の出自はミセリコルデですが、現在の身分はハルバード領主代理補佐官です。社交に不慣れな主を支えるのは当然のことですから」

「変ね。リリアーナは、領主代理を降りたと聞いたんだけど?」

「引継ぎなどの雑事がありまして……まだ契約期間が残っているのです。今回の同行はアフターケアのひとつですね」

「……そう」

 

 フランの言い訳は、嘘っぱちだ。でも、王妃の立場からでは、うちとミセリコルデの間で交わされた契約までは確認することができない。これ以上つっこんでも無駄、と思ったのか王妃はあっさり引き下がった。

 

「リリアーナ、顔をよく見せて。私、あなたに会ってみたかったの」

「……そうですか。光栄です」

 

 どういう意味でですかね?

 

「だって、みんなあなたの噂をしてるんだもの」

 

 どういう噂ですかねーーーー?!

 

 



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噂のあの子

「恐れながら……噂とはどんなものでしょうか?」

 

 私が尋ねると、王妃は嬉しそうに笑った。

 

「たくさんあるわよ」

 

 た、たくさん?!

 

「ええと……『お茶会で大暴れしたお嬢様』でしょ? 『11歳で領主代理をこなす神童』『東の賢者の愛弟子』に、『雷魔法の使い方を考案した異才』、『ダンスの申し子白百合の再来』、『高速計算経理の鬼』『カトラスを買い上げた金満家』『獣人を侍女として使う変わり者』『毎日お風呂に入る潔癖症』『お見合い相手をお姫様に取られた失恋少女』……」

 

 ねえ、最後のほうはもう悪口だよね?

 どんだけ私の噂が回ってんの!!!

 

「そうそう……あと、もうひとつ。『宰相家の傀儡』というのもあったわね」

「え」

「だって、年端もいかない子が、領主代理なんて大役をこなせるとは誰も思わないじゃない? 補佐官が全て采配していると邪推している人がいるみたいね」

「……」

 

 ハルバードにミセリコルデにも、どっちにも失礼な噂だな!!

 

「こんな風に、印象の違う噂がたくさん流れてるせいで、あなたがどういう子か全然わからなくって。それなら下手に情報を集めるより、一度会って教えてもらったほうがいいと思ったの」

「左様ですか……」

「ねえ、この噂、どれが本当なの?」

 

 王妃様は目をきらきらさせて私を見つめてきた。

 いやこの噂、どれが本物とか言われても。自分が流した噂じゃねえし。

 しかも何て答えても全部曲解されそうな気がするし。

 どうせえっちゅうねん。

 

 私は一度深呼吸する。

 視界の端に、ずっと隣に立っているフランの衣装が映る。

 大丈夫、フランが動かないってことは、私が答えられる範囲の難癖だ。

 

「……それらの噂は全部、嘘です」

「全部?」

「はい。噂の原因になったと思われる出来事はありますが、いずれの話も真実とは程遠いです」

 

 私は顔をあげて王妃様を見つめる。

 

「王妃様、噂などお忘れください。私のことは、今目の前にいるこの私を見て、評価してください」

 

 どの噂を肯定したところで、面倒になるのは見えている。

 いっそ全部否定した上で、『お前自身で判断しろ』と返したほうがまだマシだろう。

 王妃本人も、『会って話してみたくなった』と言ってたし。

 

「……そう」

 

 王妃様は、にっこりと笑った。

 顔だけは慈愛に満ちた表情をしてるんだけど、その実何を考えてるかわからない。

 めちゃくちゃ怖いから、その笑顔やめてくれませんかねえええええええ!

 

「あなたのことが、少しわかった気がするわ」

「恐悦至極にございます」

「シレーネ、マリエル、彼女たちをパーティー会場に案内してあげて」

 

 取り巻きの侍女たちが、さっと動きだした。

 王妃様の圧迫面接はこれで終わり、ということらしい。

 

 私とフィーアは子供むけの赤薔薇の園へ、フランと見た目が完全に大人のジェイドは白薔薇の園へと別れさせられる。

 ここからは、王妃様の素敵な罠パーティー第二ラウンドである。

 

 なんとかしのいでみせようじゃないの!!!

 

 



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少女たちの社交界

 王妃づきの侍女に案内された先は赤いバラが咲き乱れる庭園だった。

 お茶菓子とティーセットが用意されたテーブルが、庭園のあちこちにセッティングされている。集まっているお客は、王妃が言っていた通り、私と同世代かそれ以下の子供たちばかりだ。

 

 庭園の中に足を踏み入れると、女の子がふたり、先を争うように私の前にやってきた。

 

「初めまして、レディ・リリアーナ! 私はアイリス・メイフィールド。会えてうれしいわ!」

「私はゾフィー・オクタヴィアよ。初めまして、レディ・リリアーナ! 私のテーブルにいらっしゃらない? とびきりのお菓子があるの」

「ゾフィー、ずるいわ。リリアーナ様は私のテーブルにご招待するつもりだったのに」

「ダメよ、あなたのテーブルのお茶、変なにおいがするもの。侯爵令嬢に腐ったお茶を飲ませるわけにいかないわ」

「腐ってるのはあなたのテーブルのお菓子でしょ。ジャムがくすんで変な色してるんだもの」

「そう見えるのは、あなたの目が悪いからではなくって?」

 

 目の前で喧嘩を始めるご令嬢ふたりを見て、私は軽いめまいを覚えていた。

 

 うわあ、何これ。

 どういう状況?

 

 ふたりの少女には、見覚えがある。

 ゲームの中で悪役令嬢が引き連れていたとりまき、アイリス・メイフィールド伯爵令嬢と、ゾフィー・オクタヴィア伯爵令嬢だ。リリアーナの命令には常に「はい!」で答えるイエスマンであり、彼女の姑息な悪事の実行犯として、あの手この手で暗躍していた。

 

 王子様との婚約を断って領地に引きこもってたおかげで、彼女たちとは遭遇イベントすら起こしてなかったんだけど。何がどうなったら、こんなところで遭遇する羽目になるんだろう。

 

 ちら、と彼女たちの背後、他の少女たちの様子をうかがってみる。

 

 少女たちはアイリスとゾフィーの喧嘩をニヤニヤと楽し気に眺めていた。真っ先に私に声をかけてきたから、現在の序列一位はこのふたりなんだろうけど……多分その地位は絶対じゃない。

 お互いがお互いの足を引っ張り合う、なんとも空気の悪い集まりだ。

 

 少女社交界って、こんな感じだったっけ? ゲームの中の彼女たちは、もっとまとまりがあったと記憶してるんだけど。

 えーと、何が違うんだろ……あ。

 

 その原因を思い出して、私は現状に納得した。

 ゲーム内で少女たちをまとめていたのは、王子の婚約者であり、王妃のお気に入りでもある、ボス猿悪役令嬢リリアーナだ。彼女は持ち前の美貌と家柄と気の強さで、全員をビシッとまとめていた。だから、良くも悪くも意思が統一されていたのだ。

 

 しかし、現実の私は王妃を避けて領地に引きこもっていた。

 

 自分抜きの王宮少女社交界で何があったのか、想像してみる。

 

 彼女たちは、みんなそれなりの教育を受けたそれなりの家の子たちだ。みんなそこそこに裕福で、そこそこにかわいくて、そこそこにお勉強ができる。

 でも、それだけだ。

『勇士七家の流れをくむ富豪の侯爵家令嬢』などという強烈な肩書を持つ子はいない。

 いわゆるモブキャラ属性な子ばっかりだ。

 

 能力も家柄も大差ない少女たちが、王妃様の指導のもと権力争いの真似事をした結果、全員がリーダーを目指して争い合う群雄割拠状態になったんじゃないかな。

 みんな見た目はかわいいのに、ひどい蟲毒の壺もあったもんだ。

 

 今日のお茶会では、新参者の侯爵令嬢を味方に引き込んだ子が勝者なんだろう。

 

「リリアーナ様、わたくしゾフィーのテーブルにいらしてくださいな」

「もちろん、アイリスのテーブルに、いらしてくださいますわよね?」

 

 ふたりはにっこり笑う。

 あんたたちふたり、絶対何かたくらんでるだろ。

 悪役令嬢リリアーナに悪事を命じられたときと同じ、悪い笑い方してるぞー。

 だから、私はにっこり笑って返事をした。

 

「どっちも嫌」

 

 お前らの思惑になんか、つきあってられっか。

 

 

 



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誇り高きぼっち令嬢

 私が誘いを断ると、ふたりともわかりやすく動揺した。

 

「アイリスが断られるのはわかりますが、どうして私が!」

「お断りしたのは、ゾフィーだけですよね?」

 

 君ら、本当にメンタルそっくりだな。

 

「初対面で、人の悪口吹き込んでくるような子と、仲良くしたくなーい」

 

 ド正論で返してやる。

 

 王妃様が熟成させてるギスギス少女社交界だから、当たり前に受け入れられてるけど、一般社会でやったらドン引きものの態度だからね? それ。

 

「フィーア、誰も座ってないテーブルに用意を」

「かしこまりました」

 

 すっ、と滑るようにフィーアが移動した。彼女が侯爵家仕込みの美しい手つきで作業すると、すぐに私ひとりだけのテーブルがセットされる。周囲からの視線を集めたまま、私はそこにすとんと座った。

 視線も言葉も全部無視してお茶を喉に流し込む。

 

 うーんさすが王宮。使ってる茶葉が高級。

 

 序列だとか、所属グループだとか、しがらみだとか、そんな細々とした諍いが発生するのは、彼女たちがヒエラルキーに組み込まれているからだ。関わりたくなければ、そもそもヒエラルキーの中に入らなければいい。

 

 私は彼女たちにハブられたのではない。

 自ら誇り高きぼっちを選んだのだ!!!!!!

 

 私が静かにお茶を飲んでいると、少女たちは私を遠巻きにしながらコソコソと噂話を始めた。自分たちをコミュニティごと拒否した新参者をどうしてくれよう、って相談しているんだろう。

 

 でも、伯爵令嬢ごときが私にそんな口きいていいのかなー?

 我、令嬢ぞ?

 建国当時から続く南の名門ハルバード侯爵家の令嬢ぞ?

 父親は王国騎士団第一師団長ぞ?

 

 私にちょっかいかけたら、普通に家ごとカッ飛ぶからね?

 

 貴族子女の中で孤立している、という噂くらいは流れるかもしれないけど、気にしない!

 同世代の友達なら、もう間に合ってるもんね!

 王妹殿下とクレイモア伯爵家跡取と仲良くしている私に、『やーいぼっち』って言える貴族がいたら見てみたい。

 

 人とのつながりを大事にしててよかった。

 誰も友達がいない、味方もいない、って思ってたら、こんなに堂々とひとりで座ったりできないもん。

 

「ご主人様?」

 

 ふと横を見るとフィーアの金色の瞳と目があった。

 落ち着いていられるのは、彼女のおかげもある。

 実は、将を射んとすればまず馬から、嫌がらせをするならまずメイドから、とテーブルセッティングをする彼女に悪戯した子がいたんだよね。さりげなく足をひっかけたり、スカートを踏もうとしてたみたいだけど、フィーアはそれら全てを華麗にかわしていた。

 そのへんのお嬢さんじゃ、フィーアの動体視力には絶対勝てないからね……。

 改めて、こんなに頼もしい護衛他にいないと思う。

 

 仲間の大事さをかみしめつつ、のんびりと高級お茶菓子をつまんでいると、庭園が突然騒がしくなった。

 少女たちの視線がパーティー会場の入り口に集中する。

 

 何事かと思って私も目を向けると、そこに新たなゲストが登場していた。

 

 金髪碧眼の美少年と、アッシュブラウンの髪の騎士の子が連れ立って入ってくる。

 王妃様のただひとりの息子オリヴァー王子殿下と、ランス騎士伯家次男ヘルムート・ランスだ。

 

 

 

 



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最高のトロフィー

 王子様の登場したことで、お茶会の席はにわかに騒がしくなった。見ていると、王子を先頭に何人もの貴公子候補の少年たちがバラ園に入ってくる。

 

 うぉーい、子供同士の交流ってきいてたけど、王子様たちまで来るとは聞いてないぞー……って、抗議したところで無駄なんだろうなあ。

 多分これも王妃様の策略のひとつだったんだろう。

 私が少女たちに囲まれて困っているところに、王子様を投入して更にパニックに突き落とす作戦だったのかもしれない。私がコミュニティごと彼女たちを全拒否して落ち着いちゃったから、不発に終わったっぽいけど。

 

「王子様、ご機嫌うるわしゅう」

「おひさしぶりですわ、王子様!」

 

 作戦失敗を悟った少女たちの切り替えは早かった。私になんか構ってられない、とばかりに彼女たちは我さきにと王子様たちに向かっていく。王子はあっという間に少女たちに取り囲まれた。

 

 私が縁談を蹴って領地にひっこんだせいで、王子と悪役令嬢が婚約する展開は阻止された。その結果、王子様の婚約者の座はいまだに空席のままだ。

 

 王子は王妃様が用意した最高のトロフィーだ。

 彼の心を射止めた者が、この少女社交界の頂上に立つ。

 だから、女の子たちは全員王子様の関心を引こうと必死だ。

 

「すごい人気ねえ……」

 

 王子を囲む少女の群れを、私は新鮮な気持ちで眺めた。何度もゲームをプレイしたけど、王子の周りがこんなにカオスになっているのは初めて見た。

 ゲームの中では、悪役令嬢である私が『王子の婚約者は私よ!』と強く主張して、他の令嬢を排除して回っていたからだ。

 

 ゲームをしていた時は、『こんな我儘な令嬢につき纏われてかわいそうに』って思ってたけど、悪役令嬢がいなくなったらいなくなったで、今度は令嬢の大群につき纏われているらしい。どっちにいってもかわいそうな王子である。

 

「君は、あっちに行かなくてもいいの?」

 

 不意に横から声をかけられた。

 顔をあげると、見事な銀髪の少年がひとり立っている。

 

 砕けた雰囲気の少年だった。詰襟を開けたり、袖口を折り返したり、と礼服を少し着崩しているんだけど、その崩し方が絶妙でかっこいい。おしゃれに慣れてる高位貴族ならではの着こなしだ。

 

 王子と同様に、彼にも見覚えがあった。

 だから、私はにっこりと笑いかける。

 

「お気遣いありがとうございます、ケヴィン・モーニングスター様」

 

 北の名門モーニングスター侯爵家の末っ子長男、ケヴィンだ。

 もちろん彼も攻略対象で、トンデモ悲劇の運命を背負っている者のひとりだ。

 

「あれ? よく俺の名前がわかったね。君とは初対面だと思ったけど」

「私、クリス様とお友達なの。銀の髪と紫の瞳が同じだから、すぐわかったわ」

 

 ケヴィン、クリス、ヴァンの3人は、全員母親がモーニングスター家出身だ。

 その影響で3人とも髪と瞳の色が一緒なのである。

 モーニングスターの女傑の遺伝子つよい。

 

「ええ……友達? クレイモア伯の孫を取り合ったって聞いたけど……おっと」

「それは誤解よ。私はむしろ、ふたりの恋を応援してるの」

「彼には未練がないの? その上、王子様にも興味はないみたいだし」

「そうよ。ついでに言うと、王子の隣にいるランス家の騎士候補、ヘルムート様にも興味はないわ」

「王子にも騎士にも惹かれないなんて珍しいね。君が興味を持つほどの男を探すのは大変そうだ」

「そうでもないわよ?」

 

 私はケヴィンにもう一度笑いかけた。

 

「私は……ケヴィン様、あなたに興味があるわ」

 

 そう言うと、彼は目をぱちぱちと瞬かせた。

 

 

 



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報告会

「……って感じで、ケヴィン・モーニングスターと知り合いになったの」

 

 王妃様の素敵な罠パーティーに出席した翌日、私はミセリコルデ宰相邸を訪れていた。突然のピンチでパニックになっていた私を助けてくれたフランに、正式にお礼をするためだ。

 

 メイドさんの案内で手入れの行き届いた庭園を進むと、一人用オープンカフェっぽいスペースがあり、そこでフランが出迎えてくれた。

 同じ庭園のティースペースだけど、王宮のバラ園よりもずっと落ち着いていて、居心地がいい。さすがミセリコルデ家、趣味がいい。

 

 フラン自身も、ハルバード城にいた時よりも若干リラックスした恰好をしている。

 ここにいる彼は、ハルバードの補佐官ではなく、ミセリコルデのご令息だからだろう。

 

「そうか。子供たちだけで集まると聞いていたから心配していたが、うまくしのいだようだな」

「王妃様に比べたら、世間知らずな女の子の集団なんてかわいいものよ」

 

 こっちは大人相手に3年も領主代理をしていたのだ。

 同世代の女の子のしょうもない攻撃で傷つくほどやわじゃない。

 でもその経験と自信を思い出すことができたのは、フランのおかげだ。彼がいなかったら、私はただの小娘として血祭にあげられていただろう。

 

「今回は助かったわ。本当にありがとう」

 

 私が頭をさげると、フランの大きな手がその頭をくしゃくしゃとなでた。

 

「気にするな、と言っただろう。俺は俺として、当然のことをしたまでだ」

「むう……そんな風に甘やかさないでよ。フランがいないと何もできなくなったらどうするの」

「ふっ……それはそれで見てみたい気がするが」

 

 何故そこで鼻で笑われるのか。

 解せぬ。

 

「それで、ケヴィンと話したあとはどうなったんだ?」

「彼が王子様に呼ばれちゃったから、そこで終了。王子たちはともかく、ケヴィンとは早めにお近づきになりたかったんだけどね」

「未来の悲劇か?」

「そう。このまま王立学園入学まで彼を放っておくと、前途ある貴族の女の子が3人も死んじゃうの」

 

 そして、彼自身も大きく傷つくことになる。

 

「彼はねー、女の子に優しい、いわゆるチャラ男キャラなのよね」

「ちゃら……お?」

「チャラチャラして、女の子を何人も侍らせてるタイプ。ほら、彼っておしゃれで話がうまくて、女の子に対して愛想がいいから」

「……ちゃらお」

「彼がそうなったのは、モーニングスターのお家柄が原因ね。あそこって、女性ばっかりでしょ?」

「現在の当主も、女性だしな……」

 

 ハルバードが南の名門なら、モーニングスターは北の名門だ。ハーティア北部諸侯をまとめる大侯爵である。

 温暖な南部と違い、北部はとにかく冬の寒さが厳しい。

 農耕可能な期間が短いこともあり、産業は牧畜と林業がメインだ。北端には海岸線があり、漁業をしている地域もあるんだけど、その恵みをいまいち利用しきれてない。真冬になると海岸線が広範囲で凍っちゃうからだ。そのせいで、貿易拠点としてもカトラスほどは利用されてない。

 

「そういう厳しい土地柄だから、騎士伯家ほどではないけど、強い男性リーダーを当主にする傾向があったんだけどねー」

「だが、人は性別を選んで子を設けることはできないからな」

「親戚も含めて、一族全体で女の子ばっかり生まれたんじゃ、女子を当主にするしかないよね。一応、婿という形で男性を迎え入れることはできるし」

「クレイモアの時のように、アギト国がひそかに男子を抹殺していたんじゃないのか?」

「ううん、これは完全に偶然みたい。攻略本に『偶然』ってはっきり書いてあるし」

「……女神の御言葉なら、信じるしかないか」

「それで、現モーニングスター侯爵の娘が女の子ばかり3人産んで、今世代も女系になるのか、って思われてたところに産まれたのが、ケヴィンなのよ」

 

 周り全部女子ばかりのところに産まれた、久しぶりの男子。

 それが彼の悲劇の始まりだった。

 

 



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希望の星

 ケヴィンは、女性ばかり産まれてきたモーニングスター家希望の星だ。

 

 彼は単に男だっただけではない。

 モーニングスター特有の美しい銀の髪と紫の瞳。

 目があえば誰にでも微笑みかける、人懐っこい性格。

 その上、頭の回転も速く、体は健康で運動神経だっていい。

 

 これほど才能に恵まれて生まれてきた子供を、周りは放っておかなかった。

 

 両親祖父母のみならず、親戚一同に目をかけられ可愛がられ、彼はモーニングスター家の愛情を一身に受けて育った。

 

「でも、その一方で、みんなが喧嘩するようになっちゃったんだよね」

「跡取息子の取り合い、ということか?」

「それもあるみたいだけどね。主な対立ポイントは彼の教育方針よ。剣を学ばせるならこの流派がいいだとか、魔法を学ばせるならこの先生がいいだとか」

「ああそういう……」

「元々結束力の強い一族だから、喧嘩が大問題にまで発展したことはないわ。重要なことは当主のモーニングスター侯爵がちゃんと決めてたし。でも、ケヴィンの周りで争いが絶えなかったことには、変わりない」

「あまり、気分のいいものではなかっただろうな」

「しかも喧嘩をしてるのは、自分を愛してくれてる大事な家族たちでしょ? 対応に困るわよね」

 

 私も両親が私のことで喧嘩していたら、どっちをどう止めたらいいかわからない。

 

「その結果、ケヴィンは争いを恐れ、誰の意見でも受け入れる優柔不断な子になっちゃったの」

 

 チャラ男キャラなのも、その優柔不断が原因だ。

 争いが嫌いな彼は、困っている女の子がいれば思わず手を貸してしまう。その上、女の子からの好意を全部にこにこ笑って受け入れ、だれも切り捨てたりしない。その結果、周りが女の子だらけになってしまったのだ。

 

「それは……また別の争いの種にならないか?」

「もちろんなってるよ。それが、ケヴィンの3人の婚約者問題ね」

「その噂は聞いたことがある。本当の話だったのか」

「祖母、母、叔母の3人が推薦した女の子のうち、誰かひとりを選ぶことができなくて、全員と婚約しちゃってるのよ」

 

 親戚の決めた女の子全部と婚約とか、どこのハーレムラノベの主人公だ。

 

 ハーティアは一応、一夫一妻が基本のお国柄だ。

 でも、血を繋ぐことを義務付けられている貴族はその限りではない。子孫繁栄のため、二人目、三人目の夫人を迎えるのは珍しくない。前国王も側室を迎えてクリスティーヌを産ませているし、クレイモア伯だって息子夫婦が孫ひとりを残して亡くなったあと、何人かの側室を迎えている。

 

「妻を複数持つこと自体はタブーではない。だが、14歳の子供が婚約者を3人も持つのは異常事態だな……」

「4人の関係はこじれにこじれた挙句、ついに王立学園入学直前に、女の子たちがお互いに殺し合って全員死んじゃうのよね」

 

 ゲーム内だけで有名な惨劇『血のお茶会事件』だ。

 

 

 



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血のお茶会事件

「それはまた、ずいぶんな悲劇だな」

 

 私の話を聞いていたフランが重々しいため息をついた。

 

「女の子たちが勝手に殺し合っただけだから、ケヴィンが罪に問われることはなかったわ。でも、前途ある少女たちが死ぬ原因を作った、ってことでモーニングスター家は大きく評判を落とすことになるの」

 

 家の衰退は、領地の衰退につながる。

 ゲーム内ではこの事件をきっかけに、北部全体の結束力が失われていった。

 

「ケヴィン自身もひどい人間不信になっちゃってねー、愛想はいいけど、実は誰にも心を開かない、面倒くさい男になるのよ」

 

 ケヴィン攻略に必要とされたのも、やはり高度なカウンセリング能力だった。

 深い心の傷を持つ彼と、本当の意味で仲良くなるのは難しい。何度も何度も交流を重ねて、エンディング直前でやっと『友達になれたかな?』と思えるくらいの距離感だ。最初の距離が近い割に、イベントのイチャイチャ度も低めだし。キャラによっては執着とか監禁とかヤバい展開になることも多い中、さわやか友人カップルエンドを迎える珍しいキャラである。

 

 ゲームプレイ中は他キャラと落差が激しすぎない? と思っていたのだけど、そのへんのバランスを調整するディレクターが存在しないんだから、しょうがない。

 恋人とどれだけイチャイチャしたいかなんて、人それぞれだもんね。

 

「しかし……妙だな」

 

 フランがぽつりとつぶやいた。

 

「利害が対立していたからといって、14かそこらの少女が一斉に殺し合いなどするものか?」

「子供の殺人犯がいないわけじゃないけど……貴族の女の子のやることじゃないよね」

「ケヴィンの婚約者になるくらいだ、全員教育の行き届いた良家の子女だろう。殺人がどれほどリスクの高い行為か理解しているはずだ。何か、裏があるな?」

「正解!」

 

 さすがフラン、勘が良くて助かる。

 

「彼女たちはそれぞれ、ライバルを殺さなくちゃいけないくらい追い詰められてたの」

「悪意ある大人が糸を引いていた、ということか。それは女神の予言書の情報か?」

「ええ。でも攻略本に書いてあったのはそこまで。黒幕がいたことはわかっても、具体的に誰が何をやっていたのかはわからないの」

 

 攻略本が聖女の視点でしか描かれないことの弊害だ。

 彼女が関わった時点で、『血のお茶会事件』は終結していた。黒幕の情報など彼女の立場からでは観測しようがない。

 

「わかった。その先の調査はまかせろ」

「お願い! 実はちょっとアテにしてたの」

 

 フランの実務能力と、ミセリコルデの人脈があれば、なんとかなるだろう。諜報員ツヴァイだっているし。

 

「婚約者たちが殺し合いを始めるのは、いつごろだ?」

「んー、王立学園進学の直前だったから、半年以上先のはずだけど……正確な時期はわからないわね。私がいろいろ動いたせいで、運命が変わった部分も多いし」

 

 父様をダイエットさせたら、フランが死にかける世界だ。今ここで私たちが会話した結果、明日婚約者たちが殺し合っていてもおかしくない。

 

「だとすれば、調査している間、彼女たちの殺し合いを止めておく必要があるな」

「それならひとついいアイデアがあるわ!」

「……なんだ?」

「私が、第四の婚約者に立候補すればいいのよ!」

 

 



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婚約者候補に、私はなる!

『ケヴィンの第四の婚約者候補になる』という提案を聞いたとたん、フランの眉間にぎゅっと深い皺が刻まれた。

 うわー、久しぶりに見たな、この不機嫌そうな皺。

 

 でも、いいアイデアだと思うんだよね。

 

「私はハルバード侯爵家のご令嬢でしょ? 家柄、お金、それに実績もあるから、3人の婚約者たちから真っ先に狙われると思うのよ。でも、私はそう簡単に殺せないじゃない?」

 

 なにしろ、とんでもなく強い護衛を従えてるからね!

 物理《フィジカル》な攻撃はフィーアが、魔法《マジカル》な攻撃や毒物《ケミカル》な攻撃はジェイドが防いでくれる。

 

 箱入りで育てられた良家のお嬢様が、このふたりに勝てる可能性など微レ存以下だ。

 

「私が婚約者たちの殺し合いを防いで、フランが黒幕を探る。いい役割分担だと思うの!」

「またお前の縁談を利用するのか……」

 

 フランは嫌そうにため息をつく。

 

「何よー、クリスとヴァンの時だって、同じことやってたじゃない」

「だからだ」

 

 じろりと睨まれた。

 

「次期クレイモア伯とお見合いして姫に取られた、モーニングスター家の跡取とお見合いして、3人の婚約者と問題を起こした……見合いのたびに噂になっていたら、まともな縁談が来なくなるぞ」

「まあその時はその時よ!」

「……その時、とは?」

「結婚相手がいなければ、ハルバードの田舎にひっこんで、ひとりで隠居生活でも送るわ!」

「……っ」

 

 私が笑顔で答えると、フランは頭をかかえた。

 なんでや。

 

「前世の世界では、そんなに珍しい話でもないみたいよ? 人生、結婚だけが全てじゃないもんね」

「……そうだな」

 

 だからなんで、フランがこの世の終わりみたいな顔してるんだ。

 解せぬ。

 

「実は、ダリオに貸したお金の利息がけっこういい額になってるの。だから私ひとりくらいなら、生きていけると思うのよねえ」

「……」

「フラン?」

「……お前が気にしないというのなら、それでいい。邪魔者がいないのは好都合だしな」

「ん?」

 

 なんか話がつながっていない気がするけど、まあいいか。

 フランの賛成がとりつけられたのなら、作戦を実行に移すだけだ。

 

「まずは、ケヴィンが出席しそうなお茶会に参加できないか、調べてみるわ」

「わかった。あとは……オリヴァー王子とヘルムートは放っておいていいのか? あいつらも『攻略対象』とやらなんだろう」

「あのふたりはパスで。王子の問題は聖女にしか解決できないから、私がどうこうするのは無理。王子の問題に干渉できない以上、側近のヘルムートにも下手に接触しないほうが……」

「待て」

 

 フランが不意に手をあげた。ぷに、と指先が私の唇を軽くふさぐ。

 黙れ、ってことらしい。

 

 意図はわかるけど!

 乙女の唇にいきなり触れるのはどうかと思いますー!

 びっくりしすぎで心臓止まったらどうしてくれる!!

 

 睨む私の視線を無視して、フランは腰をあげた。

 そして、庭の向こうからやってくる人物に声をかける。

 

「姉上」

 

 そちらを見ると、ブラウンの髪の貴婦人の姿が見えた。

 フランの姉、マリアンヌさんだ。

 

 

 

 



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素敵なお姉さま

「ミセリコルデにようこそ、リリアーナ嬢」

 

 フランの姉、マリアンヌさんは優雅にお辞儀した。私もそれに淑女の礼で返す。

 

「ご無沙汰しています、マリアンヌ様」

「ふふ、キレイになったわね」

 

 彼女は私を見てにっこり笑ったあと、弟に向けてぷうっと頬を膨らませた。

 

「もう! リリアーナ嬢がいらっしゃるなら、私にも教えてよ!」

「彼女は俺の客人です。姉上には関係ないでしょう」

「関係あるわよ! 私だってアルから妹をよろしく、って頼まれてるんだから」

「ある……?」

 

 えーと、私の身内で、その愛称で呼ばれてる人って、ひとりしかいないんだけど。

 

「マリアンヌ様と兄様ってお知り合いなんですか?」

 

 私が首をかしげると、フランがあきれたように息をつく。

 

「知り合いも何も、アルヴィンが魔力式湯沸かし器の事業を始めたとき、他貴族へのパイプ役を買って出たのは姉上だ」

「え」

 

 兄様の事業拡大が異様に早いと思ったら、そんな裏事情が!!

 

「アルが王立学園改革をするときも、少しお手伝いさせてもらったわ。男の子たちだけじゃ、女子部と連携が取れないものね」

「そ……それは、兄が大変お世話に!!」

「かしこまらなくっていいのよ。アルとお仕事するのは楽しかったし、私のほうでも色々利益を上げさせてもらってるから」

「そうですか……」

 

 ゲーム歴史の記憶が強いせいで、時々忘れてしまうけど、今のこの世界では宰相閣下もマリアンヌさんも生きている。だから、こんな風に宰相家と交流する展開だってアリなのだ。

 

「リリィちゃんが王都に来たら、お茶会や園遊会に誘おうと思ってたのよ……あ」

「リリィでいいですよ、マリアンヌ様」

「じゃあ私もマリィでいいわ。ふふ、アルとあなたの噂ばかりしていたから、つい親し気にしてしまうけど、よく考えたら会うのは2回目なのよね」

 

 マリアンヌさん、もといマリィさんはクスクスと上品に笑っている。

 

「茶会に誘う、というのはどういった意図で?」

 

 私たちのやりとりを見ていたフランが口をはさむ。そういえば、そんなこと言ってたね。

 

「リリィちゃんを社交界に慣れさせるためよ。普通は母親が指導するものだけど、レティシア様は第一師団長である旦那様のサポートで手一杯でしょ?」

「母は、あまり社交が得意ではありませんからね……」

 

 夫婦ともに、感性で生きる天才型だからねえ。

 人の思惑を読みあう社交とは絶望的に相性が悪い。

 

「だから、代わりに私が社交の場に連れていってあげる。もちろんレティシア様からも許可をいただいてるわ」

「ありがとうございます、マリィさん!」

 

 ミセリコルデの長女が参加するお茶会。それはつまり、宰相派貴族の集まる場所だ。王妃様の素敵な罠パーティーとは違って、まともな感性のお嬢様がいるはずだ。

 なんて頼りになる味方なの!

 もう心の中でお姉さまと呼ばせてもらおう。お姉さま最高!!

 

「うふふ、私たちが手取り足取り、最高のレディにしてあげる」

「ありがとうございます。……ん? たち?」

「姉上、何故複数形なんですか」

「あなたにも手伝わせるからに決まってるでしょ?」

 

 マリィお姉さまは、弟に笑いかけた。

 

 

 



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ゆとり教育

「フラン、あなたはリリィちゃんの家庭教師になりなさい」

 

 お姉さまはビシッと弟に命令を下した。

 

「私は仕事の都合上、社交指導までしかできないわ。足りない分は、あなたがカバーするの」

 

 え? フランが家庭教師? いいの? 確かに頭はいいけどさ。

 

「……俺が?」

 

 フランも私と同じ疑問を持ったらしく、うっすら眉間に皺が寄る。

 

「あなたに拒否権はないわよ。そもそもリリィちゃんのお勉強が進んでないのは、保護監督者の責任なんだから」

「その責を否定するつもりはありません。ですが、俺は男です。女子部で学ぶような詩作や芸事の指導はできませんよ」

 

 フランは王立学園の卒業生だけど、あくまで騎士科の生徒だ。

 ダンスくらいはできるけど、ドリーミーなポエム作ったりとかは無理だよね?

 

「そこは大丈夫。今年度から大幅にカリキュラムが変わったから」

「ええ?」

 

 それは初耳だ。

 

「アルの王立学園改革の成果よ。大半が芸事で占められていた女子部のカリキュラムを刷新して、歴史学や社会学、数学といった、直接女主人として立つときに必要な科目に変えたの。騎士科の一般教養とほぼ一緒の内容だから、フランが教えられるはずよ」

「ず……ずいぶん思い切りましたね?」

 

 ゲーム内では、詩作プレゼン競争とか、キラキラ編み物選手権とか、各種ミニゲームの舞台となっていた芸事科目が全消しとか。ゲーム世界を破壊するどころの話じゃなくなってるんだけど。

 

「そう無茶な話でもないわよ。20年前の水準に戻っただけなんだから」

 

 20年前。

 嫌な予感のするタイミングだ。

 

「もしかして……その芸事科目を増やしたのって……」

「王妃様よ。良家子女に最も必要なものは雅やかな教養だそうよ」

 

 やっぱり。

 ゲーム中でもなんか変だとは思ってたんだよ。

 知識の増える勉強コマンドが少ないのに対して、ダンスとか歌とかのコマンドばっかり用意されてたから。

 プレイ中何度『君たち、勉強しよ?』と思ったことか。

 あのおかしなカリキュラムは、国力を下げたい王妃様による悪意マシマシゆとり教育だったらしい。

 

 良家子女の教育水準が上がるのはいいことなんだけど、ますます攻略本がアテにならなくなってきたなあ。

 

「あとで、来年度の授業予定表をください。確認して指導します」

「ふふ、わかればよろしい」

 

 白旗をあげた弟を見て、マリィお姉さまは満足そうにうなずく。

 

「フランが家庭教師なら、改めて得意不得意を確認する手間が省けるわね。私の科目の好みも知ってるわけだし」

「……そうだな。確か、女子部以外の科目も受けたいと言ってなかったか」

「魔法学と、領地経営学かしら。その場その場で必要な箇所しか勉強してないから、ちゃんとまとめて学んでみたいのよね」

「あら、それなら早めに婚約者を決めないとね」

 

 マリィお姉さまが爆弾発言を放り込んできた。

 どうしてお勉強に婚約話が入ってくるの?!

 

 

 



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令嬢たちの婚約事情

「王立学園の授業を受けるのに、どうして婚約者が必要なんです?」

「男あさりが目的でないと証明するためね」

「……はぁ?!」

 

 なんだその理由!!

 

「王立学園が地方貴族たちの貴重なお見合いの場になっていることは、知っているわね?」

「……はい」

 

 私は頷いた。ゲームもそういうイベントがメインだったしね。

 

「だから学園内では男女の交流がそれなりに認められているし、騎士科と女子部の合同授業もあるわ。でも、それだけじゃ足りないっていう女子がいてね……」

「女子部以外の授業にもぐりこんで、男子生徒に声をかけた?」

「それだけならよかったんだけどね。うっかり高位貴族の男子を口説き落とすことに成功しちゃって、大問題になったのよ」

 

 なんて迷惑な。

 

「それ以来、婚約者のいない女子が外部科目を申請しても、断られるようになったの」

「ううう……学校側の言いたいことはわかりますけど、面倒くさい……。男でも女でも、好きな科目を勉強すればいいじゃないの~……!」

 

 私は思わず頭を抱えてしまった。

 男女の教育格差がつらい。

 でも、血統と婚姻が重視されるこの世界では、学校の懸念もわかるので、横暴だと抗議するわけにもいかない。

 

「申し訳ありません。姉上が当たり前のように他学部の授業を受けていたので、事情がわかりませんでした」

「あのころは私にもキールがいたからね。男子がこっちの裏事情を知らないのは仕方ないわ。社交にあわせて、リリィちゃんの縁談のことも考えていきましょう」

 

 マリィお姉さまはにっこりとフランに笑いかける。

 

「ね~フラン、あなたも相談に乗ってくれるわよね」

「……そういうことは、自分が婚約してから言ってください」

 

 ばちり、となぜか姉と弟の間で火花が散った。

 ええええ、今のやりとりのどこに喧嘩するポイントがあったの?

 ミセリコルデ家ワカラナイ。

 

「キールが死んでもう3年になります。婚約者不在の理由が理由ですから、今まで口出しする者はいませんでした。しかし、そろそろ決めないと面倒な親戚が介入してきますよ」

 

 現在のマリアンヌさんは、フランよりひとつ上の22歳。

 貴族の一般的な感覚であれば、結婚していてもおかしくない、というかあと数年で行き遅れと呼ばれてしまう年齢だ。しかし、彼女には婚約者すらいない。

 3年前の宰相暗殺未遂事件の時に婚約者が殺害されてしまったからだ。

 

「はいはい、わかってるわよ。女宰相になるためには、男性の配偶者が必要だし。でも条件のあう相手がいないのはしょうがないじゃない」

「ええっ、マリィさん、モテそうなのに?!」

「ありがとう。でもモテるだけじゃダメなのよ。私の夫はあくまで宰相の配偶者。結婚したら宰相になれると勘違いしている男じゃ困るの」

 

 男尊女卑な階級社会だもんね。

 女子が家を継ぐって言ってても、婿に入ったら好きにできると思う男性は多いよね。

 

「能力の高い男に限って、自分が主導権を握りたがるのよね……。かといって、こっちに寄りかかってくる無能も遠慮したいし」

「そう考えると、見つけるのは難しいですね」

 

 宰相家にまで入って、野望のひとつも持たずにいられる男性は少数派だろう。

 

「はあ……どこかに、能力が高くて家柄がよくて次男坊以下で、前に出ず私のことを一番に支えてくれる可愛げのある男っていないかしら」

「条件をひとつかふたつ変更したら、いるんじゃないですか」

 

 フランがため息まじりにつっこむ。

 

「変更できないから困ってるんじゃない。特に可愛げについては絶対妥協しないわよ」

 

 最重要ポイントはそこなのか。

 それでいいのか宰相家。

 

「私のことはいいのよ。リリィちゃんは気になる男の子はいないの?」

「でしたら、先日お茶会でお見掛けしたケヴィン・モーニングスター様がかっこいいな、って思います」

「……え」

 

 マリィお姉さまは言葉を失ったあと、フランを見て私を見て、それからもう一度フランを見た。

 なんだその視線移動。

 意味がわからん。

 

「そうなの?」

「はい!」

 

 私が笑顔で答えると、マリィお姉さまも笑い出した。

 

「わかったわ。じゃあ、モーニングスター家のお茶会にも出られるようにしてあげる。楽しみにしててね」

「はーい!」

 

 お姉さま大好きっ!

 

 



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ぼっち令嬢ふたたび

 王都で生活を始めて一か月後、私はマリィお姉さまと一緒に馬車に揺られていた。

 

 今日はモーニングスター侯爵主催のお茶会だ。侯爵様本人は当然のこと、ケヴィンも出席することが決まっている。

 待ちに待った接触イベントだというのに、私は不安な気持ちでいっぱいだった。

 

「だ……大丈夫かなあ」

「大丈夫よ、リリィちゃんはかわいいから。今まで出席したお茶会や園遊会でも、好意的に受け入れられていたでしょ?」

「宰相派の大人には気に入ってもらえましたけどね……」

 

 子供ながらに領主代理の大役をつとめた、という実績がウケたらしい。お茶会の席で謙虚にふるまうと、みんな褒めてくれたし可愛がってくれた。

 しかし、問題は同世代の女の子たちである。

 

「女子全員から遠巻きにされてるんですがそれは」

 

 大人たちに挨拶した後、交流しようと向かっていくと、みんなすーっと離れていくのだ。教育の行き届いたお嬢様だから、あからさまな意地悪とかはないけど、とにかく距離が遠い。

 王妃様に教育された根性悪令嬢にいくら嫌われても気にならないけど、普通のお嬢様にまで避けられるのはしんどい。

 

 まあねえ、変な噂てんこもりな上、王妃様に目をつけられてる要注意人物だもんね。

 下手に接触して、変な噂が立ったら嫌だよね。

 ふふ……つらくなんかないさ……ちゃんと友達はいるもんね……来年の春になったらクリスとヴァンに遊んでもらうんだ……。

 

「多分そんな理由じゃないと思うわよ」

 

 顔をあげると、マリィお姉さまが苦笑していた。

 

「王都暮らしの貴族の子は、すごく警戒心が強いのよ。みんな、多かれ少なかれ王妃様のお茶会メンバーと関わりがあるから」

「ああ……あのメンバーと『仲良く』するのって大変ですからね」

 

 こと悪知恵において彼女たちほど頭の回る者はいない。会話をしたが最後、どの発言がどう曲解されて、何をされるかわかったもんじゃない。

 警戒し、問題を避けるのは、大事な処世術だ。

 

「あの子たちは人との交流が少し怖くなってるだけよ。誠実にふるまっていれば、わかってくれるわ」

「そうでしょうか……」

「そうなの! はい、背筋を伸ばして顔をあげる! 今日はあなたのお目当てのケヴィンが出席するパーティーよ。暗い顔をしてちゃ、何も始まらないわ」

 

 マリィお姉さまはにっこり笑う。

 つられて、私の口元も緩む。

 

「ケヴィン様に、かっこ悪いところを見せられませんしね」

「男をオトす最大の武器は、とびきりの笑顔よ!」

 

 茶化されて、とうとう笑い出してしまった。

 私にはやらなくちゃいけないことがある。とりあえず、女の子同士の交流は二の次だ。

 世界をどうにかしないと、人付き合いもしてられないからね!

 

 よし、がんばろう!!

 

 

 しかし、お茶会早々やっぱり女子に避けられてしまうのだった。

 



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ケヴィン君と三人の婚約者たち

 お茶会に参加した私は、早々にぼっちと化していた。

 

 次期モーニングスター侯爵のエルマ様、つまりケヴィンのお母様に挨拶したところまではよかった。マリィさんに紹介してもらって、『あら、賢そうな子ねえ』とか社交辞令をもらって、大人たちに当たり障りのない挨拶をして。

 

 一通りの儀式をこなして、子供たちが集まってるエリアに足を踏み入れたとたん、即ぼっちである。

 

 右を向いても左を向いても、交流できる相手がいないんですけどぉおおおおお!!!

 

 視線を向けたら、みんなそそくさと距離を取るんですが!

 近寄ろうとしたら、みんなすすすっ、って同じ距離を取ったまま移動するんですが!

 誠実なふるまいって、どうすればいいんですかねえええええ!!!!

 

 ぼっち!

 圧倒的ぼっち!!

 これはさすがに寂しくなっちゃうぞー!!!!

 

「どうしたの?」

 

 途方にくれていると、横から声がかかった。

 そちらを向くと銀髪の少年が立っている。ケヴィンだ。

 

「あ……あはは……一緒にお茶を飲む子が見つからなくて」

「そういえば、王妃様のお茶会でもひとりでいたよね」

 

 笑顔だけど、彼の声音は心配そうだ。お茶会でひとりぽつんと立っている姿が、放っておけなかったらしい。これは怪我の功名というやつだろうか。

 元々の目的は彼なので、私も笑い返す。

 

「どうやら、みんなに怖がられちゃってるみたいなのよ」

「変なの。こんなにかわいいのに」

 

 ケヴィン、そういうとこやぞ。

 さらっと初対面で『かわいい』が出るからチャラ男になるし、女の子が寄ってくるんやぞ。

 今回は好都合だからつっこまないけど。

 

「ありがとう。せっかくだし、何かお話しましょうよ」

「じゃあハルバードのことを教えてよ。俺、南のほうへは行ったことないから」

「領地が王都を挟んで正反対にあるものね。私も北の生活には興味あるわ」

「北は雪ばっかりだよ?」

「でもそれが……」

「ケヴィン様! そちらのかわいい方はどなたかしら」

 

 ケヴィンと話していると、また別方向から声がかかった。

 そちらを見ると、女の子が三人そろって立っている。それぞれの顔と名前は一致しないけど、どういう立場の子なのかはわかる。ケヴィンの婚約者たちだ。

 ケヴィンが新参者に声をかけているのを見て、やってきたっぽい。

 

「ハルバード侯爵家のリリアーナ嬢だよ。ええと、この子たちは……」

「ケヴィン様の婚約者のエヴァ・オルソンですわ」

 

 背の高い少女がおしとやかにお辞儀した。立ち振る舞いが美しく、ザ・お嬢様といった品格がある。フラン担当の身上調査によると、彼女の実家は子爵家。古くからモーニングスター家に仕えている一族だ。ケヴィンより3つ年上らしい。

 

「私が、ケヴィン様の婚約者のライラ・リッキネンよ」

 

 自己紹介しながら、じろっと睨まれた。私の婚約者にちょっかいかけないでよ、という主張みたいだ。彼女の実家に爵位はない。しかし、その父親は王都で食品を手広く扱うリッキネン商会の会長だ。下手な貧乏貴族よりもよっぽど裕福なお嬢様である。実際、3人の中では一番高価なドレスを着ていた。宝飾品も一級品だ。

 

「……ケヴィン様の婚約者の、フローラ・ベイルマン……です」

 

 一番小柄な女の子が、ぼそぼそと自己紹介した。ちょっと引っ込み思案な子らしい。でもふわふわのプラチナブロンドで、ふわふわのドレスを着た姿はお人形さんみたいでかわいい。彼女の実家は領地に豊かな森を持つ北部の伯爵家だ。彼女はケヴィンより3つ年下らしい。

 

 年上のお姉さまエヴァに、同い年で気の強いライラ、引っ込み思案な妹キャラのフローラ。

 ハーレムラノベのヒロインだったら、なかなかいいバランスの配置だ。

 この3人全員と結婚とか、人によってはめちゃくちゃ羨ましい立場なんじゃないかな。

 

 でも、3人だけで満足してちゃだめだぞー。

 

「初めまして、皆さま。リリアーナ・ハルバードよ。私もケヴィン様のことが気に入ったわ。今後も『末永く』仲良くしてもらえると嬉しいわ」

 

 そう言ってにっこり笑うと、びきっ、と空気が固まった。

 

 

 



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仲良くしましょう?

 私と婚約者たちの緊張した空気に気づいているのかいないのか、ケヴィンはにこにこと笑っていた。

 

「俺も君と知り合えてうれしいよ、リリアーナ嬢」

「リリィでいいわよ。あなたとは親しい付き合いがしたいから」

 

 ほぼオブラートが破けた状態の宣戦布告を聞いて、エヴァ、ライラ、フローラの三人の顔が固くなる。侯爵家の娘がアプローチかけてきたら慌てるよねー。

 最初に切り込んできたのは、強気少女ライラだった。

 

「リリアーナ様? もうすでに親しい方のいるケヴィン様に、『親しく』なんてはしたないんじゃないかしら」

「そうなの? もうすでに3人も仲良しがいるんですもの、4人でお話しても構わないんじゃないかしら」

 

 みんなで仲良くしましょうよ、という提案にライラの顔がひきつる。その隣でエヴァがおっとりと笑った。

 

「リリアーナ様は、ずいぶんと心が広い方なのね。ふふ……でもみんなでずっと仲良くできるかどうかはわかりませんわよ」

「あら、どうして?」

「だって、私たちはそれぞれ、侯爵様やエルマ様に推していただいて、ケヴィン様と親しくしているんですもの。おひとりでは、私たちほど親しくはできないんじゃないかしら」

 

 婚約者になるには、親族からの推薦が必要、と。

 婚姻は家と家を結ぶ問題だから、彼女の指摘はおおむね正しい。

 ただ、君たちの目の前にいるのは、ハルバードの我儘令嬢だ。その程度で引くようなら、こんなちょっかい出してない。

 

「まあ! それならお父様にお願いしてみようかしら。騎士団と侯爵家、両方から推薦してもらえれば、いいわ!」

 

 後ろ盾が必要というなら、いろいろ手段があるんだよねー。

 家格はモーニングスターと同じ侯爵家だし。

 本当にその手段を使っちゃうかどうかは別として。

 

「え? 俺と仲良くするのに、特に資格はいらないよ? 普通に遊べばよくない?」

 

 ケヴィンはきょとんと首をかしげる。

 わかっているのか、いないのか。

 ゲーム通りの性格なら、婚約だ推薦だってややこしい問題に発展しそうなのを察して、わざとはぐらかすくらいはやりそうだけど。

 

「あ……あの……リリアーナ様……ひとつ、質問いいですか」

 

 フローラがおずおずと声をかけてきた。うむ、美少女の上目遣いかわいい。

 

「私に答えられることなら、なんでもどうぞ」

「リリアーナ様は雷の魔法をお使いになると聞きました。本当なのですか?」

「よく知ってるわね」

 

 3つも年下の子に雷魔法のことを聞かれるとは思わなかった。

 ライラが苦笑する。

 

「フローラは魔法が好きなの。私たちもよく、魔法を見せてってせがまれるわ」

 

 まだ11歳のフローラは、彼女たちにとってもライバルというよりは妹のような存在らしい。普段から彼女のちょっとした我儘を許容しているようだ。

 

「俺も雷魔法には興味があるな」

「ケヴィン様のお願いというなら、お見せしましょうか」

 

 この3年で雷魔法の利用方法は研究が進んでいる。

 怪我しない程度のパフォーマンスなら、できるようになったんだぞー!

 



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悪役令嬢の楽しい雷実験

「では、魔法の杖を使って実験しましょうか」

 

 フローラに雷魔法を見せてほしいとせがまれた私は、魔道具のステッキを取り出した。赤い蝶をあしらったそれは、何年か前にフランたちにプレゼントしてもらったものだ。

 

「ちょっとあなた、それをどこから出したの?」

 

 突然出現したステッキに、ライラがぎょっとした顔になる。

 

「ごめんなさい、手品の種は明かさない主義なの」

 

 スカートの中から出しただけだけど、私は笑ってごまかした。

 実は、私のドレスは全部特別製で、スカートのギャザーの間にはステッキを持ち歩くための隠しポケットがついていたりする。しかもこういう仕掛けはひとつじゃない。万が一のための救急魔法薬とか金貨が入るポケットも標準装備だ。特に危険だと感じた時のために、攻撃用の薬品をいれられるドレスだってある。

 ふんわり広がった貴族令嬢のスカートって、秘密がたくさん隠せて便利だね!!

 伊達に何度も命を狙われてないぞー!

 

「実験対象は……やっぱり、最初に魔法を見たいと言っていたフローラ様かしら」

 

 私はステッキをフローラに向けた。

 

「フローラ様、ステッキの先を握ってくださいな」

「こうですか?」

 

 フローラは素直にステッキの先を握りこむ。

 

「皆様は、私がいいと言うまでフローラ様に触れないでくださいね」

 

 他の3人にお願いしてから私は杖に魔力を込めた。少しずつ雷魔法を発生させていく。

 

「ふわぁ……?」

 

 しばらくすると、フローラの髪がゆっくりと持ち上がり始めた。重力に逆らって、ふわんふわんに広がっていく。

 それを見て、エヴァが首をかしげた。

 

「どういうことかしら、初めて見る現象だわ」

 

 ライラも不思議そうにフローラの様子を見る。

 

「風の魔法……じゃないわよね? 空気が全然動いてないもの」

「フローラ、大丈夫?」

 

 ケヴィンが声をかけると、フローラはこくんと肯いた。

 

「少し、そわそわするけど……大丈夫」

 

 ふははははは、皆さんもうおかわりいただけただろうか!

 これぞ秘技! 静電気魔法!!!

 現代日本人なら一度は目にしたことがありそうな、静電気の実験だ。

 

 小さな女の子にいきなり雷を落としたら危ないからね!!

 

「フローラ様、杖を持っていないほうの手を上げてくださいます?」

「こう、ですか……?」

「ありがとうございます。では次にケヴィン様、フローラ様の手にそっと触れてみてください」

「う、うん……」

 

 ケヴィンはおそるおそるフローラに手を伸ばした。ふたりの手が触れようとした瞬間、パチン! と勢いよく火花が散る。

 

「うわっ!」

「きゃあ!」

 

 ふたりは慌てて飛びのいた。

 

「ケヴィン様、大丈夫ですか?」

「フローラ、怪我はない?」

 

 エヴァとライラがそれぞれ慌ててふたりに駆け寄った。

 

「だ、大丈夫……ちょっとピリッとしただけだから」

「びっくりしました……」

 

 フローラは目を丸くして茫然としている。

 

「今おふたりの間ではじけたのが、雷です。といっても、自然界の落雷に比べたら、ものすごーく小さいものですけど」

「本当に雷が落とせるんだな。すごい技術だ」

「でも、規模が小さすぎない? こんなの役に立つのかしら」

 

 ライラは疑わしそうに私を見る。

 

「本物の落雷レベルの雷を落としたら人死にが出るから、研究室ではこれくらいの規模で実験しているの」

 

 効果が過小評価されるのは承知の上で、私はそう説明した。

 

 雷は直接人体に作用できる魔法だ。

 魔力と術式の理解さえあれば、誰でも人間スタンガンに変身できてしまう。

 だから、詳しい使い方を広めるのは、法整備や取り締まり方法が決まってからだ。直接人体に雷が落とせるくせに、わざわざ静電気を使ったのだって、詳しい使い方をごまかすためだし。

 

 もちろん、雷魔法をずっと秘密にするつもりはない。安全で有益な利用方法については、医学の権威ディッツ師匠が段取りしてくれている。何年かしたら、正式な医療技術として広まるだろう。

 それまでは、大道芸と思われてるくらいがちょうどいい。

 

「でも、雷を落とす理屈を理解している、というのは大変なことですわね」

 

 エヴァは私の杖をじっと見た。

 ふふふふ、そうでしょう、そうでしょう。

 誰も知らない画期的な技術を持つ女の子はどうですか! モーニングスター侯爵家にとってすごく有益だと思いませんか!

 

 私と同じことを思ったらしい、婚約者三人の表情が緊張する。

 

「その魔法は……」

 

 ケヴィンが口を開いたところで、会場が一斉にざわついた。振り向くと、会場に新たな人物が入ってくるのが見えた。

 銀髪のキリっとした初老の貴婦人。モーニングスター家当主、ヘレナ・モーニングスター侯爵だ。

 



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モーニングスター侯爵

「おばあ様、ご機嫌うるわしゅう」

 

 ケヴィンが祖母に向かってお辞儀した。同時に3人の婚約者たちも頭をさげる。私も一緒になって、頭を下げた。

 

「みんな元気そうで何より。ケヴィンも……それからあなたたちも」

 

 モーニングスター侯爵は、私たちに笑いかける。

 

「あら、あなたは初めて見る顔ね」

「リリアーナ・ハルバードと申します。本日はお招きありがとうございます、お目にかかれて光栄です」

「ハルバード……あなたが侯爵家の……」

 

 侯爵様は目を見開いた。

 貴族特有の、探ったり値踏みしたりする見詰め方じゃない。

 何かとんでもないものを見つけた時のような、驚き混じりの視線だった。

 

 はて。

 何かそんなに驚くようなことやったっけ?

 ……色々心当たりはあるけど、多すぎてわからない。

 

「おばあ様?」

 

 ケヴィンも祖母の態度を不審に思ったみたいで、不思議そうに声をかけた。

 それを聞いて侯爵様は、はっと我に返る。

 

「ねえ……ケヴィン、楽しくおしゃべりしていた所に申し訳ないんだけど、リリアーナ嬢をお借りしていいかしら?」

「え」

「少しだけ、ふたりでお話したいの」

 

 何故に。

 ケヴィンはともかく、モーニングスター侯爵と私に接点はない。

 私にも、侯爵にも、特別話す用事なんてなかったはずだけど。

 

 まさか、ケヴィンの第四の婚約者候補作戦を察知してお説教コース?!

 

 内心パニックだけど、この場で侯爵様の誘いを断るという選択肢はない。私はひきつった顔で笑い返すしかなかった。

 

「侯爵様と直接お話ができるなんて光栄ですわ。貴重な機会に感謝いたします」

「いい子ね。ついていらっしゃい」

 

 侯爵はにっこり笑うと優雅に踵を返した。

 すたすたと歩いていく後ろに、私は慌ててついていく。

 

 いやマジで全然用件がわかんないんだけど!

 

 パーティーの場で、ホストとお客が個別に話すのはよくあることだ。

 でも、場所を変えてふたりっきり、なんてことはまずない。それは他のお客をないがしろにすることになるからだ。

 でも、そんな異例の扱いをしてまで、私と話したいってことって何だろう。

 

 私があわあわしているうちにも、侯爵様はどんどん屋敷の奥へと進んでいく。

 

「ここから先はプライベートエリアなの。護衛の子は遠慮してちょうだい」

 

 こっそり後ろからついてきていたフィーアを振り返って、侯爵様はほほ笑んだ。顔は笑っているけど、有無を言わせない迫力がある。

 

「ご主人様……」

「大丈夫よフィーア、外で待ってて」

 

 私が命令すると、フィーアは引き下がった。

 

「ごめんなさいね、どうしても完全なふたりきりで話したかったのよ」

 

 そう言って、侯爵様は自分の護衛も退席させる。

 シンプルなつくりの客間で、私と侯爵様はふたりだけになった。

 

「お話とは、何なのでしょうか?」

 

 困惑している私の前で侯爵様は居住まいを正す。

 そして、深々と頭を下げた。

 

 



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誰にも内緒の話

 侯爵様は、私に向かって深くお辞儀をした。

 

「レディ・リリアーナ・ハルバード。あなたに深く感謝いたします」

「か……感謝……?」

 

 感謝って何だ。

 ありがとうってことなんだろうけど、全然意味がわからない。

 

「頭を上げてください、侯爵様! あなたにそのようなことをしていただく理由がありません!」

「理由ならあるわ」

 

 侯爵様は顔をあげるとにっこり笑った。

 

「あなたは、私の甥と姪の縁を結んでくれたじゃないの」

「あ……」

 

 うっかり忘れていた。

 クリスとヴァンはいとこ同士。そして、母親はふたりともモーニングスター家の娘だ。

 そして侯爵様は三姉妹。長女の侯爵様が家を継ぎ、次女がクレイモア家に嫁ぎ、末っ子の三女が前国王の側室として王宮に入ったのだ。

 だからヴァンもクリスも、侯爵様にとっては妹たちが産んだ大事な子供だ。

 

「イルマ……末の妹から、話は聞いてるわ。あなたは、自分の名誉も危険も顧みず、あの子たちを助けてくれたのでしょう? 伯母として礼を尽くすのは当然のことだわ」

「わ、私は、当たり前のことをしただけですから」

「それでも、あなたの助けがなくては、あの子たちは救われなかった。あなたはとても素晴らしいことをしたのよ」

「救うって……あれ? もしかして、侯爵様はクリスたちの事情を……」

 

 侯爵様はすっと唇の前に指を立てた。知ってるけど言わない、ってことらしい。

 やっと、この強引なふたりきりの理由がわかった。

 クリスとヴァンの秘密は他にもらすわけにはいかない。

 

「イルマは元々、王家ではなくモーニングスター傘下の貴族に嫁ぐはずだったの。でも、その前の年に北部を大寒波が襲ってね。王家から援助を引き出す口実として、側室に上がることになってしまった」

 

 私は無言でうなずく。

 本来結婚相手など選び放題のモーニングスター家の娘が側室になったのには、当然裏事情がある。領民を守るために貴族子女が生贄となるのは、そう珍しい話ではない。

 

「子を授かり、地盤が固まると思った矢先に前王に死なれてしまってね……その後、権力を握った王妃から子を守ろうと苦労していたわ。私も助けたかったけれど、なかなかそれもできなくて」

 

 侯爵様は苦いため息をつく。

 

「あの子が、クレイモアで穏やかな生活を送っていると聞いて、心底ほっとしたの。ありがとう、妹と甥を助けてくれて」

「ヴァンとクリスだけでなく、侯爵様まで幸せになれたのなら、よかったです」

 

 そう答えると、侯爵様は頷いた。その目はわずかに潤んでいる。

 

「何か困ったことがあったら、言ってちょうだい。モーニングスターがあなたの味方になるわ」

「味方だなんてそんな……あ」

「何かあるの?」

「えっと……実は、さきほどお話していたケヴィン様と仲良くしたいな、って思っていまして……でも、彼にはもう3人も婚約者がいるでしょう? 彼に声をかけるのを、少し見逃していただけると、嬉しいのですけど」

 

 あの3人のうちひとりは、侯爵様が推薦したお嬢さんだ。それを押しのけて第四の婚約者候補になるのは、かなり失礼にあたるんだよね。今更だけど。

 

「まあ、あなたがケヴィンを……?」

 

 侯爵様はまじまじと私を見た。

 

「やっぱりダメですか?」

「いえ、そんなことはないわ。ケヴィンとあなたじゃ、あの子がダメすぎてつり合いがとれそうにないだけで」

 

 そんな逆評価で却下されたら困るのですが。

 

「婚約者問題は、あの子自身が解決するべきと思って放置していたけど……今のままじゃ埒が明かないのも確かね。あなたのような外部の手を借りるのもいいかもしれない」

 

 侯爵様は頭に手をやると、かんざしのひとつを引き抜いた。鈍く光るそれを私の手に握らせる。そして、いたずらっぽく笑った。

 

「貸してあげるわ。北部で一番のお守りよ」

 

 

 



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進捗どうですか?

「というわけで、こちらをお借りしましたー!」

 

 数日後、家庭教師の名目でハルバード侯爵邸を訪れたフランに、私はかんざしを見せびらかした。

 フランが補佐官から若い男性家庭教師にジョブチェンジしたせいで、勉強部屋には監視役が同席するようになったけど、会話のノリは変わらない。どうせその役を担うのは、事情をだいたい理解しているフィーアとジェイドだからだ。

 

「モーニングスター家の紋章入りのかんざしか。ずいぶんなものを渡してきたな……」

 

 紋章いりの装身具は権威の証だ。

 それを身に着けることを許された、ということは、それほど認められたことを意味する。

 非公式ながら、私もケヴィンの婚約者候補に仲間入りである。

 

「いきなり現れていきなり認められた第四のご令嬢! これは絶対、一番に狙われるわね!」

「……」

 

 フランは額に手をあてて、むっつりと黙っている。

 

「フラン?」

「頭痛が……」

「何よー、自分だって賛成してたじゃない」

「せいぜい、婚約者に声をかけてきた厄介な女程度で済むと思ったんだ。まさか、モーニングスター侯爵本人が認めるとは思わない」

 

 何故睨まれるのか。

 頑張ったはずなのに、理不尽だ。

 

「フランのほうの首尾はどう? 調査は進んでる?」

「オルソン家とリッキネン家の問題についてはおおむね把握した。だが、黒幕の正体まではつかめていない」

 

 それでも問題自体はもうわかってるんだ。

 相変わらずフランは仕事が早い。

 

「今持っている証拠だけでも、令嬢たちの排除は可能だが……黒幕を放置したままでは、また侯爵家が狙われるだろう」

 

 フランは私をちらりと見る。

 

「巻き込まれた令嬢も汚名をかぶることになる」

「それは絶対避けて! お願い」

 

 現時点で、彼女たちはライバルを蹴落とすことを強要されている被害者だ。

 未来で殺人を犯す可能性はあるけど、まだ何の罪も犯していない。

 

 貴族社会における令嬢の立場は厳しい。

 少しでもスキャンダルが起きれば、あっという間に転落人生へと真っ逆さまだ。

 大人に脅迫されただけで失脚とか、かわいそうすぎる。

 

「黒幕確保にあわせて、救済方法を考えてみる。少し時間をくれ」

「ありがとう! ……あれ? そういえばフローラの問題は?」

 

 フランが突き止めたのは、姉系令嬢エヴァ・オルソンと強気令嬢ライラ・リッキネンの問題だけだ。妹系令嬢フローラ・ベイルマンの名前はまだ上がってない。

 

「実は、ベイルマン家からは何も出てきていない」

「フローラ本人も、まだ11歳の子供だしねえ」

 

 しかし、女神にもらった攻略本には『3人が全員殺し合った』とある。フローラが犯行に及んだ理由が、必ずあるはずだ。

 

「そういえば……ちょっと気になることがあったんだよね」

 

 私はお茶会で感じた違和感をフランに報告してみた。それを聞いたフランは、頷く。

 

「確かにその方向では考えてなかったな。調べてみる」

「よろしく! でも、黒幕の反撃には気をつけてね」

「お前も、これ以上余計な問題を起こすなよ」

「失礼ね~。私だってこれでも注意して振舞ってるんだから。ケヴィンの問題以上のことは起きないわよ」

 

 みなさんおわかりいただけただろうか。

 上記の一言が、トラブルを呼び込むお約束台詞、俗に言う『死亡フラグ』である。

 こんなに派手なことをしていて、新しい問題が発生しないわけがなかった。

 

 

 

 

 



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ファーストコンタクト

 フランと今後の対策を話し合った数日後、私はまたドレス姿でお茶会に顔を出していた。社交に慣れるにはまず場数が必要、ということでイベント参加頻度は結構密だ。

 

 といっても、今日も今日とてぼっちなんですがね?

 

 せめてケヴィンやその婚約者のうち誰かが参加しててくれたら、強引に話しかけにいくこともできるんだけど。強気少女ライラあたりは面倒見がいいから、ぷりぷり怒りながらでも相手してくれるし。今回みたいな事情さえなければ、ツンデレかわいい友達になれそうなのになー。

 

 まあ、ぼっちお茶会にも慣れてきたし、大人に顔を売っておけばいいか……。

 

 早々に人との交流を諦めて、会場の隅でため息をついた時だった。

 

「ご主人様」

 

 近くに控えていたフィーアが不意に声をかけてきた。

 

「あちらの方々が、ご主人様にお話があるようです」

 

 振り向くと、女の子が5人固まって立っていた。年齢は私と同じか、ちょっと下くらい。どの子も仕立てのいいドレスをセンスよく着こなす、育ちの良いお嬢様だ。

 そして彼女たちは全員、顔色が真っ青だった。

 顔を引きつらせ、目にウルウルと涙をため、手足もぷるぷるさせながら、身を寄せ合って立っている。

 さながら、猛獣を目にしたハムスターの群れである。

 

 なんだこの決死の表情。

 怖がられている自覚はあるけど、さすがに何の関係もないお嬢様に喧嘩を売ったりしないぞー。

 見つめると、彼女たちはびくっと体をすくませた。

 うむ、埒が明かない。

 

「初めまして、私、リリアーナ・ハルバードと申します。お目にかかれてうれしいわ」

 

 とりあえず、挨拶してみる。私が軽くお辞儀すると、自分たちが名乗ってなかったことに気が付いたのか、お嬢様たちは次々に自己紹介を始めた。

 

「わ、私は、コレット・ローランサンですっ……! ははは、初めまして」

「私は、ミリアナ・レミントンです……! ふわぁ……お美しい……」

「わわ私、ローズマリー・ゴールドでひゅっ……」

「サラ・ハーひょ……ハートベル、です……お会いできて光栄ですぅ……!」

「ドロテア・ロクサンヌです! 初めまして!」

 

 彼女たちの家名はいずれも聞いた覚えがある。確か都市に住む伯爵家、子爵家だったはずだ。

 自己紹介がすむと、お嬢様たちはお互いにうなずき合う。そしてリーダー格の女の子、コレットが意を決して口を開いた。

 

「あ、ああああのっ、実は私たち、リリアーナ様にお伺いしたいことが……あって……!」

「何かしら?」

「ケヴィン・モーニングスター様とご婚約されるって、本当ですか?!」

「ちょっといいな、って思ってるところよ」

 

 私は今のところケヴィンの『婚約者候補』だ。だから彼らの前以外でその関係を断言するわけにはいかない。私は微妙な言い回しで答えた。

 

「おおおおおっ、おやめに、なってくださいっ!!」

「あなたも、ケヴィン様に思いを寄せるひとりなのかしら」

「ち、違います!」

 

 コレットはぶんぶんと首を振った。

 

「ケヴィン様にリリアーナ様はもったいないです!!! おやめください!」

「…………はい?」

 

 なんですと?

 



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そこに嫁ぐなんてとんでもない!

 お嬢様たちの主張を聞いて、私は首をかしげた。

 

 婚約者が3人もいるケヴィンに声をかけて、非難をうけないとは思ってない。でも、『お前はケヴィンなんかにはもったいないからやめとけ』なんて台詞を聞くとは思わなかった。

 彼女たちの心理がさっぱりわからない。

 

「……どうしてそう思うの?」

「だ、だって! リリアーナ様ほど素晴らしいご令嬢はいらっしゃいませんわ!」

「……はい?」

 

 私、耳が悪くなったのかな?

 この子たち、素晴らしいとか言い出したんだけど。

 どう答えていいかわからず、黙っているとコレットたちは口々にしゃべりだした。

 

「私たち、先日の王妃様のお茶会のお話を伺ってます!」

「王妃様の悪意に満ちたパーティーに招待されても、一歩も引かず毅然と対応したとか!」

「その上、アイリス様やゾフィー様の誘惑にもなびかず、ひとり孤高を貫いたんでしょう?」

「なんて強く、気高い方なのかと……私たち感動いたしました!」

 

 話しているうちに興奮してきたのか、彼女たちは頬を赤らめて瞳をうるませている。

 

「あなたたち……私が怖いんじゃないの?」

「とんでもありません!」

「私たち、いいえ! この場にいる令嬢はみんな、リリアーナ様のファンです!!!」

 

 ファン?

 好きなものを応援するファン?

 その意味で合ってる?!

 

「ええと……じゃあ、みんなが私に声をかけないのって……」

「リリアーナ様のように高貴で素晴らしい方に声をかけるなんて……そんな、恐れ多いことできませんわ」

「今お話しているのだって……緊張で……立っているのもやっとですもの」

「きっと、あとで他の子たちに、抜け駆けだって責められてしまいます」

 

 彼女たちの言葉を聞きながら、私はその場で気絶しそうなレベルのめまいを感じていた。

 ええと、つまり何?

 王妃のお茶会以外で私がぼっちだったのって、好きすぎて避けられたってこと?

 

 確かに、たまにいるけどさあ!

 イケメンクラスメイトをアイドル化して、近くに行くの恥ずかしい、なかなかおしゃべりできないっていう思春期女子! いや目の前にいるお嬢さんたちみんな箱入りの思春期女子だけどさ!

 君たちは恥ずかしいだけかもしれないけど、遠巻きにされたこっちは、ハブられてるのと一緒だからぁぁぁぁああああああ!!!

 コミュニケーションして!

 本物のアイドルじゃないんだから、同じ人間として扱ってえええええええ!!!

 

「でも……それでも……リリアーナ様がケヴィン様とご結婚されるのは、お止めしないと……って、思って!」

「そういえば、ケヴィン様にはもったいない、なんて言ってたわね。どうして?」

「リリアーナ様には、もっとふさわしい相手がいると思うんです!」

 

 コレットは、ぐっと拳を握り締めた。

 

「今の王宮で、王妃様に堂々と発言できるのはリリアーナ様しかいらっしゃいません! オリヴァー王子と結婚して王子妃となり、この国を導いてください!!」

 

 それだけは、絶対嫌!!!!!!!!!

 

 

 

 



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お前もか

「あああああ……疲れた……」

 

 ガーデンパーティーから戻ってきた私は、ドレスを脱いで化粧を落とすとベッドに倒れこんだ。疲れた。めっちゃ疲れた。体力もだけど、気疲れしすぎてMPがほぼゼロだ。

 

 コレットたちに『王子妃になって!』とせがまれた後、パーティーは大変なことになった。

 私が彼女たちと話しているのを見つけた、他のお嬢様たちが『コレットたちだけズルい!』と次々乱入してきたからだ。

 そして何を思ったのか、全員が『リリアーナ様は王子妃になるべき』と謎の主張を繰り返す。

 子供の言うことだから……とかわそうとしていたら、なぜかそれを見ていた大人まで、『王子妃にふさわしいのはリリアーナ嬢』などと言い出すし。

 

 いや無理だから。

 絶対無理だから!!!

 

 能力とか家柄とか関係ないから! 運命的なもので無理だから!

 王子は特別な存在だ。聖女以外の女の子じゃ、絶対に彼を救うことはできない。何をどうしたって、一緒に破滅していくだけだ。

 それがわかっていて『はい、よろこんでー!』なんて、言えるかああああああ!!!

 

 みんなどんだけ王妃様に苦労してるの!

 そういうのは、ぽっと出の年端もいかない子供に期待しないで、自分でどうにかしてください!!!!

 

 彼らの囲みを突破して家に戻るまで、言質を取られないよう立ち回るのがめちゃくちゃ大変だった。

 マリィお姉さまに合流して報告したら笑われるし。

 この事態を予想してたのなら、あらかじめ教えておいてくださいよぉぉぉ!!!

 

「お嬢様、お風呂に入りますか?」

 

 心配そうな声がかけられた。

 顔をあげるとメイドさんたちが心配そうにこっちを見ていた。パーティーに随行したフィーアは休憩中だから、側にいるのは屋敷担当の彼女たちだけだ。

 

「ん……髪を洗いたいから、入ろうかな……」

 

 パーティー用の整髪剤って、セットが崩れない代わりに強力なんだよね。放置してたら、あとで頭がとんでもないことになってしまう。

 私の発言を聞いて、何人かが風呂場へと向かっていった。

 

「ずいぶんお疲れですね。やはり………縁談のことで?」

「まあ、そんなところかなあ」

 

 あいまいに答えながら体を起こす。

 いかんいかん。

 主人の縁談なんて本来干渉しないはずの使用人が、こんなことを言ってくるなんて。

 よっぽど心配をかけちゃってるみたいだ。

 

 そう思っていたら、彼女たちは何故か謎のアイコンタクトを始めた。

 ぼんやり見ているうちに、あちこちからメイドさんたちが続々と集まってくる。ここは寝室だから入ってこないけど、廊下には男性の使用人も来ているみたい。

 

 全員そろったところで、彼女たちは一斉に私に向かって跪いた。

 

「お嬢様、無礼は承知で進言いたします。ケヴィン様との縁談は、どうかお考え直しください」

 

 ブルータス、お前もか。

 

 

 

 

 



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ハルバードの至宝

「理由を聞かせてもらえる?」

 

 主人の縁談に意見する、という無礼を働いたメイドたちに、私は問いかけた。

 彼女たちは侯爵家に勤める優秀なスタッフだ。もちろん、どこまでが自分の領分なのか、ちゃんと理解している。

 そんな彼らが、あえてその境界線を踏み越えて意見するのは異常だ。

 

 使用人程度、などと一蹴していいものではない。きっと大事な理由がある。

 絶対に耳を傾けるべきだ。

 

 集まったメイドたちのうち、一番年かさのメイドが口を開いた。

 

「おそれながら……お嬢様は、かけがえのないハルバードの宝です。他家に嫁がせては、大きな損失となるでしょう」

「つまり、私に独り身でハルバードに残れと」

「そこまでは申し上げるつもりはありません。しかし……ハルバードに連なる者を伴侶とし、領内に留まっていただきたい、と思っています」

 

 ハルバード領に残る。

 それは単にそこに暮らすというだけの意味じゃない。領主の親族として、運営に関わってほしいってことだ。

 

「3年前のクライヴの事件の折、ハルバードは一度滅びかけました。そんなぼろぼろの侯爵家を守り、立て直したのはお嬢様です。私たちは、何度お嬢様に救われたか、わかりません」

 

 メイドたちはさらに深く頭を下げる。

 よく見れば、意見しようと集まってきた使用人たちは、全員ハルバード領出身だ。使用人として以上に、領内に家族を持つ者として恩を感じているんだろう。

 

「お願いです、お嬢様。ハルバードに残り、アルヴィン様を支えてください」

 

 使用人たちの願いを聞いた私は、大きく息を吸い込むと……。

 

「やだ」

 

 と、バッサリ断った。

 

「お嬢様……!」

「ハルバードの立て直しは私ひとりの力じゃないの。お父様が第一師団長として活躍して名声を集め、お兄様が王都で学業を修めながら事業を立ち上げて財産を作り、ミセリコルデ家から人材援助してもらって、やっとなんとかまとめたの。私の力なんて微々たるものよ」

 

 私は立ち上がって、メイドたちを見下ろす。

 

「それに、よく考えてみなさい。私とお兄様の統治姿勢は似ているようで違うわ。私が残れば、きっといつか意見の対立が起きる。そのときに私が下手に支持を集めてごらんなさい、ハルバードが私とお兄様の間で割れるわ。あなたたちは、ハルバードをばらばらにしたいの?」

「そ……そんなことは……!」

「あなたたちが、ハルバードを愛しているのは知ってる。私のことを評価してくれてることもね。でも、指導者は領内にふたりもいたらダメなのよ」

「……」

 

 メイドたちが俯く。

 彼女たちが、本気で私を想ってくれているのはわかる。だからこそ、頷くわけにはいかなかった。

 

「この件はもう忘れなさい。私も聞かなかったことにするから」

 

 兄様以外のリーダー候補なんて、存在させてはいけない。

 

 次期ハルバード侯爵は兄様。

 その前提が揺らいだら統治なんてできない。

 

「お嬢様……」

 

 別のメイドの声がした。

 

「何? これ以上の話はないわよ」

「それが……お客様がお見えになっていまして……」

 

 彼女は純粋に用事を持ってきた子だったらしい。

 

「着替えたらすぐ行くわ」

 

 来客って、また縁談じゃないだろうな?

 



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そんな結婚は嫌だ

「なんだ、ダリオか」

 

 応接間のソファに客を見るなり、私はそう言ってしまった。

 燃えるような赤毛の濃いめイケメンは、嫌そうに顔を歪める。

 

「なんだとはご挨拶だな? 俺は侯爵様だぞ?」

「そして、私に多額の借金がある債務者よねー」

「確かにそうだけどな! 相変わらず可愛くねえガキだな」

「悪いわね。今ちょっと変な縁談が多くて、イライラしてたのよ」

「……お前に縁談ねえ。そういえば俺の側近にも、お前に求婚しろって言う奴がいたな」

「はぁ?!」

 

 何それ。

 絶対嫌なんだけど。

 

「カトラスの借金を整理したとき、ハルバード家ではなく、お前個人から金を借りる形にしただろ?」

「そういえばそうだったわね」

 

 家同士で金の貸し借りをしてしまえば、それは上下関係に発展してしまう。

 しかし、ハルバードはカトラスを救うつもりはあっても、その後家臣として従える気まではない。

 ハルバードとカトラスを対等の侯爵同士としておくために、あくまで私とダリオの個人的な取引としたのだ。

 個人の取引というには額が大きすぎるけど、それは横に置いておく。

 メンツ重視の貴族には建前が必要な時があるのだ。

 

「で、だ。その莫大な借金ごと、お前がカトラスに嫁に来たらどうなる?」

「……帳簿上は、借金がプラスマイナスゼロになるわね」

「カトラス財政は一瞬で超黒字に転換! 崖っぷちだったカトラス経済が再生してみんなハッピー、ってな」

「そんな貧乏くさい理由で嫁に行かないわよ?!」

 

 だいたい、私にメリットが一切ないんだけど?!

 

「だから即却下したさ。カトラスからお前に縁談が来ることは絶対にねえよ」

「借金を理由に12も年上のおじさんと結婚とか嫌すぎる……」

 

 ダリオが悪い奴じゃないのはわかってるけど、そんな結婚は嫌だ。

 

「俺だってお断りだ。気の強い女は好みだが、お前はそんなレベルじゃねえだろ。こんな爆弾一生抱えたかねえよ」

「失礼すぎない?!」

 

 借金の利子を吊り上げるぞ?!

 

「だから、そういうところが可愛くねえんだよ。ったく」

 

 ダリオはため息をつくと、自分の横に置いてあった箱をテーブルの上に載せた。木製の大きな箱で、分厚い本が2~3冊は入りそうなサイズだ。

 

「そういえば、何の用でうちに来たの? ヒマなの?」

「それを言う前に、お前が『なんだダリオか』とか言い出したんだろうが。まあ、仕事ついでのご機嫌うかがいってやつだ。こいつは土産」

「開けていい?」

「好きにしろ」

 

 早速箱を開けてみると、中からひんやりとした冷気があふれ出てきた。箱は二重構造になっていて、金属製の内箱の中には、霜をまとった魚が何匹も並んでいる。

 

「これ……海でとれるお魚よね? まさか、ここまで凍らせて持ってきたの?」

 

 ハーティア王都は大陸の内陸部に位置している。北に行っても南に行っても、海岸線にたどりつくには街道を何百キロと移動しなくてはならない。

 その間、魚を凍らせたままにする? 現代日本ならともかく、このファンタジー世界ではまず不可能なことのはずだ。

 

「手品の仕掛けは、この箱?」

「ああ。こいつはお前の兄貴と共同研究中の保冷庫だ」

 

 



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保冷庫

「お兄様とあなたが共同研究? どういうこと?」

「カトラス経済再生のテコ入れ案のひとつだ。王都を中心にバカ売れしてる魔力式瞬間湯沸かし器はもちろん知ってるだろ?」

「私が知らないわけないでしょ」

 

 富と一緒に、侯爵令嬢は潔癖症というひどい風評被害をもたらした技術だ。忘れようにも忘れられない。

 

「あれは水に熱を加える術式だが、それを反転して熱を奪ったらどうだ、って話があってな」

 

 ダリオは箱に手を伸ばすと、木箱の中に収まっている金属製の内箱を持ち上げた。底の部分には、見たことのない魔法陣が描かれている。

 

「箱を持って魔力を循環させれば、一定温度に保てる仕掛けだ。これは小箱サイズだが、断熱処理を施した馬車の荷台にこいつを使えば、大量の鮮魚を運ぶことができる」

「今まで発酵させるか、干物にするしかなかった海の魚が冷凍で流通するのね! すごいじゃない!」

 

 海魚と川魚では味が全然違う。豊かな海の恵みが王都で味わえるのは大きな強みだ。

 

「まだ試験段階だがな」

「もう十分商売になると思うけど、何が問題なの?」

「コストだ。必要な時だけ魔力を加えればいい湯沸かし器と違って、こいつは常に冷やす必要がある。微力でも常に魔力循環させ続けなきゃいけねえんだ。ここにこの箱ひとつ持ってくるのだって、魔力もちが3交代制でずっと抱え続けてきたんだぜ」

「停電したら冷蔵庫がただの箱になるのと一緒かあ……」

「テイデン……?」

「んー、こっちの話。気にしないで」

 

 この世界では便利な動力として魔力が使われている。でも、魔力は身近であると同時に、電気のようにひとつの場所に貯蔵することはできない。使うとなったら、必ず人間が操作する必要があるのだ。

 

「そんなに人件費がかかるのなら、このおみやげの売値って……」

「金貨で取引するレベルだな」

 

 魚数匹に金貨。

 とてもじゃないが、庶民には一生手の出ない金額だ。貴族でもおいそれと買うことはできないだろう。輸送できても高価すぎて売れないんじゃ商売にならない。

 

「国家の威信を示す王族の晩餐会でお披露目して、そこから貴族向けの高級品として徐々に広めていく計画だ」

「人員確保も課題よね。魔力が強いのに、ただひたすら保管庫にはりついて循環させるだけの仕事をしてくれる人材なんて、いるのかしら」

 

 魔力持ちができる仕事はたくさんある。

 ただ箱を持ってるだけのお仕事だなんて、私だったら1日で飽きる自信がある。

 

「そっちは福祉政策として募集をかけるつもりだ」

「福祉?」

 

 予想外の単語が飛び出して、私は首をかしげた。

 

「騎士の中にもいるだろう。戦闘で足や腕をなくして、魔力はあるのに戦えなくなった奴とか、心の病気で動けなくなった奴とか。そのままじゃ露頭に迷うだけだが、魔力さえ提供できれば給金を払ってやれる」

「女子供の救済策にもなりそうね」

「女は一度体を売ると、なかなかマトモな職につけなくなるからな。その前に保管庫勤務で救済できれば、他の道も見つけてやれる」

「……おお、ダリオがまともな為政者っぽいことを言っている」

「まともな為政者なんだよ! これでも!」

 

 ダリオが悲鳴のような声をあげた。

 それでも私に借金してることは変わらないし。

 

「あれ? ここの術式変わってるわね」

 

 冷却用の魔法陣を眺めていた私は、その一部に目をとめた。妙に簡略化されていて、効率がいい。誰かが書いた大きな術式を誰かが途中で書き換えたような印象だ。

 

「ああ、そこはセシリアが手を加えた所だな」

「……せしりあ?」

 

 なんでそこで聖女ヒロインの名前が出てくるの?

 

 

 



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チート聖女

「セシリアって、去年の事件でカトラスが保護した子よね?」

「ああ、ラインヘルト子爵家唯一の継承者だ」

 

 セシリアは1年前継母に売られ、カトラスの闇オークションの商品となった子爵令嬢だ。お忍びで参加していたアギト国第六王子にお買い上げされるところだったんだけど、その直前にダリオが会場をまるごと摘発。継母断罪後はカトラス家の保護下におかれることになった。

 

 そして、数年後の厄災に立ち向かう予定の聖女ヒロインでもある。

 

「どうしてセシリアが保冷箱の開発に?」

「あいつは優秀だからな」

「……?」

 

 状況がわからず、私は首をかしげた。

 ゲームの記憶通りなら、セシリアは継母の虐待のせいで無教養なド貧乏令嬢だ。

 魔法陣を書き換えたりするような知識はないはずなんだけど。

 

「なんだ、お前わかってて助けようとしてたんじゃなかったのか?」

「あ……あれは……! 自分と同じ貴族令嬢が売られてたから、かわいそうになっただけよ。あの子とは直接会ったこともないわ」

「ふうん?」

 

 もちろん、助けた理由は未来の救世主だからだけど、それを告白するわけにはいかない。

 

「それより、あの子が優秀だっていう理由を教えて」

「あいつはお前と一緒で来年王立学園入学だろ? だから相応の教養をつけさせるために、家庭教師をつけたんだ。そうしたら、あっという間に全教科をマスターしちまってな」

「家庭教師……」

 

 教師をつけたと聞いて納得した。

 ゲーム内の聖女はきちんと計画してパラメータ上げをすれば、入学一年目で学年トップに躍り出て、他学部の学位までとって主席卒業することができた。あのゲームは乙女ゲームであると同時に、聖女の世界救済シミュレーターだ。設定通りの才能が彼女に与えられているのだとすれば、現実世界においては正に成長チートの才能おばけである。

 今の彼女は、システムに例えるならゲーム開始の1年以上前から先取りして、勉強コマンドを実行している状態だ。突発イベントなどに邪魔されず、学習に集中していたのなら、急成長してもおかしくない。

 

「この魔法陣も、俺が開発しているのを横で見ているうちに、改善案を思い付いたそうだ」

「見ているだけで……? 本当に?」

 

 私自身もディッツから魔法を学んでいる身だ。保冷箱に使われている技術が、どれだけ高度かくらいはわかる。それを見ただけで理解し、改善までして見せた?

 成長チートにもほどがある。

 

「セシリアの才能は本物だ。女子部だけに通わせておくのはもったいない。王立学園に入学したら魔法科の授業も受けさせるつもりだ」

「婚約者のいない女子は、他学部の授業を受けようとしても断られるって聞いたけど?」

「カトラス侯爵家の力でちょっとな。俺直筆の推薦文を添えれば、魔法科も嫌とは言わないだろ。以前と違って、王妃の悪影響も少なくなってるようだし」

 

 学園の教師陣が恐れているのは、男あさり目的の『お行儀の悪い』令嬢の参入だ。カトラス侯爵家の後ろ盾のある優秀な学生であれば、断られることはないだろう。

 

「まあ……セシリアと弟のルイスを結婚させたらどうか、って話もあったんだがな」

「そ、そんな話があったの……?」

「ちょうど同い年だし、ルイスの婿入り先としても悪くない家だからな」

 

 予想外の縁談にぎょっとする。

 侯爵家次男を婿にとって子爵家を継ぐ。それは悪い話じゃない。

 むしろ、田舎貴族の娘にとって破格の縁談だ。

 カトラスにとしても、優秀な人材を親戚として囲うのはよくある話だ。

 

 しかし、セシリアは聖女。

 無理矢理政略結婚を強いれば、恋する乙女パワーが失われてしまう。

 

「結局その話は流れちまった。本人に『勉強できなくてもいいから、縁談は卒業まで待ってくれ』って頭を下げられたんじゃなあ。ルイス自身もさほど乗り気じゃなかったようだし」

「それでも頭さげたくらいで、よく侯爵家との縁談を断れたわね」

「俺だって親に死なれて継母に売られた子供に、婚姻を強いるほど鬼じゃねえよ」

 

 それを聞いて、私は心の中でこっそり安堵の息をついた。

 セシリアの恋のためとはいえ、またカトラスと悶着を起こすのは避けたかったから。

 

「お前も東の賢者から魔法を教わってるんだろ? 同じ魔法科の授業を受けるなら、気にかけてやってくれ」

「……私の婚約者問題が片付いたらね」

 

 侯爵直筆の推薦文をゲットできるのは私も同じだ。父様におねだりすればすぐに書いてもらえるだろう。でも、今の私は3人も婚約者がいる男の子に声をかける、困った令嬢だ。

 問題を全部片づけて、正式な婚約者を作らないと私の魔法科編入は無理な気がする……。

 

 

 

 



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悪役令嬢の欠点

「……というわけで、いろんな方向から変な縁談が来てるんですよ」

 

 ダリオがうちにやってきてから数日後、私はミセリコルデ家を訪れていた。

 といっても、遊びに来たわけではない。多忙なマリィお姉さまから淑女教育を受けるのが主な目的だ。その後、フランの学科指導まで予定されている。

 今日は丸一日お勉強デーだ。

 

「あなたの欠点は、その自己評価の低さねえ」

 

 一通りのマナー講習を終え、私の話を聞いていたマリィお姉さまは、苦笑した。

 

「フランやアルに囲まれて、うぬぼれる暇すらなかったんでしょうけど……リリィちゃん、あなた自分が優秀だと思ってないでしょう。まして、誰かに恋されるなんて、これっぽっちも考えてないんじゃないの」

「えっ」

 

 恋するはともかく。

 私が恋、される?

 

「ケヴィンのこともそう。モーニングスター家にとっての有益性をアピールしたり、婚約者たちを挑発したりしてるけど、肝心のケヴィンには何もしてないわよね」

「う」

「ケヴィンのことは全然オトす気がないし、ケヴィンに好かれるとも思ってないんじゃないの?」

「……う」

「お姉さん、リリィちゃんの真意が知りたいわぁ」

「……も、黙秘で」

 

 さすがフランの姉、鋭い。

 でも、真実をそのまま話すわけにはいかない。

 

 実は、今のケヴィンが誰にも恋する気がないことも、だからこそ誰かひとりを選ぶことができないことも知っている。

 でもそれはゲームをさんざんプレイして、ケヴィンにひたすらよりそって交流したからだ。

 そんな怪しい情報をフラン以外の人間に語ったところで、頭の状態を心配されてしまうのがオチだ。

 

「確かにリリィちゃんは噂の的よ。正直、これだけ極端な評価が飛び交ってるのは不自然だと思う。でも、噂が広まるには、その話を信じさせる根拠が存在するの」

 

 マリィお姉さまは、その白い手で私の頭をよしよしとなでた。

 フランの大きな手とはまた違う、くすぐったい感覚だ。

 

「あなたはすごい女の子だってことを、忘れないで」

「そうでしょうか……?」

 

 家柄、財産、容姿は生まれによるものだ。勉強や仕事は頑張ってるけど、フランや兄様には遠く及ばない。目の前に出されたものを、ただひたすらこなしてただけだ。

 そう言うと、マリィお姉さまは困ったように微笑む。

 

「それから、もうひとつ。あなたには将来があることを忘れちゃダメよ」

「しょうらい……まあ、この先学園にも通いますしね」

「そういう2年3年の話じゃないわ、10年先の話よ。リリィちゃん、あなた大人になった先のことを考えてる? 自分がこの先、どう歳を重ねていくのか、想像もしてないんじゃないの」

「……っ」

 

 マリィお姉さまの指摘に、私は何も答えることができなかった。

 

 

 



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十年先の未来

 10年先のことを考えていないでしょう。

 マリィお姉さまにそう言われて、私は返す言葉がなかった。

 

 その指摘は正しい。

 正鵠ストレートど真ん中だ。

 

 天城小夜子としての人生は、15歳になったころには死期が見えていた。

 早々に大人になることを諦め、せめて残された日々だけでも楽しく過ごそうと、ゲームに没頭していた。

 

 この世界だって、数年もすれば厄災に襲われる。その時までに全てを整えていなければ、星ごと全部滅んでバッドエンドだ。

 だから私は、ひたすら目の前の問題に向かっていた。

 

 でも、リリアーナの人生はそれだけじゃない。

 

 まだ世界は滅んでいない。

 まだこの国は崩壊していない。

 厄災を退ける可能性はちゃんと残されている。

 

 災いを全て退けた先には、十年、二十年と続く『大人になった先』の人生が待っている。

 

 そんな当たり前のことを、私は一切考えていなかった。

 素敵な淑女になって幸せな人生を全うしたい、なんて口では言っていたけど、それはただ言葉を掲げていただけだ。

 小夜子が死んだ歳、この世界が滅びる予定の歳、18歳より先のことが何も見えてなかった。

 

 だから、無鉄砲に自分をエサにできたし、危険にも飛び込んでいけたのだ。

 その行動が長い人生にどんな影響をもたらすかなんて、これっぽっちも考えてなかったんだから。

 

「まだまだ修行が足りないなあ……」

 

 私はため息とともにテーブルに沈み込んだ。

 自分の考えなしな行動が恥ずかしすぎて、頭が上げられない。

 

「リリィちゃんは、何かやりたいことはないの?」

「あー……いえ。……今は、特に」

 

 私はゆるゆると首を振った。

 18歳より先のビジョンそのものがなかったのだ。やりたいこと、と言われても世界救済以上のことが出てこない。

 

「じゃあこれは宿題にしましょう。特に期限は作らないから、何か見つけたら教えてね」

「はーい……」

 

 そう言ったところで、客間のドアがノックされた。

 マリィお姉さまが返事をすると、フランが入ってくる。

 

「あら、もうこんな時間なのね。教師役はフランに交代しましょ」

「ありがとうございました……」

 

 私は淑女の礼をすると、去っていくマリィお姉さまを見送った。

 

 実は、将来やりたいことが全くないわけじゃない。

 フランの顔を見た瞬間、思ったことがひとつだけある。

 

 それは、彼と過ごしたハルバードでの日々だ。

 

 領主代理の生活は、大変だったけど充実していた。あの暮らしを続けられたら、きっと楽しい人生になるだろう。

 でも、ハルバード侯爵を継ぐのは兄様だ。

 能力的な問題もある。私がまがりなりにも領主代理を名乗れたのは、フランが実務面で助けてくれたからだ。私ひとりきりではきっと何もできない。

 兄様が学園を卒業し、フランがミセリコルデに戻った今、私が願う未来をかなえる方法はない。

 

 私は、私ひとりで叶えられる人生を探さなくちゃいけないんだ。

 

 

 



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未遂事件

 マリィお姉さまから宿題を出されてから一か月後、私はいまだにぐだぐだと悩んでいた。

 季節が冬になり、窓の外の風景が寂しくなってきたのもあって、気分は沈んでいくばかりだ。

 気にかかることがあるせいか、自室で勉強していてもイマイチ進まない。こんな調子では次の授業でまたフランに叱られてしまう。

 

 十年後の未来を考える。

 それは、前世を含めた今までの人生で一番の難問だった。

 

 貴族令嬢の進路は多いようで少ない。

 家柄のつり合いのとれる貴族のお嫁さんになるのが普通だ。むしろ、それ以外の人生はほぼ存在しないと言っていい。

 黙っていても、みんなどこかに嫁がされるのが現実だ。

 

 でも、マリィお姉さまが私に尋ねているのはそこじゃない。

 

 女性が嫁いだからといって、全員同じ人生をたどるわけじゃないからだ。

 結婚したあと王宮にあがり侍女として活躍する女性。乳母として主君の子を守り育てる女性。サロンを開いて芸術家の育成に力をいれる女性。自らデザインを手がけてファッションリーダーとなる女性。

 結婚はゴールじゃない。

 他家に入り子供を産んだ先でも、みんな自分の人生を生きている。

 

 もちろん、嫁ぎ先によってはままならないこともあるだろう。

 でも、できるかどうかと、自分がどうしたいかは別だ。

 何がしたいのか決めておくだけでも、選べる道は増える。

 

「といっても……人生の目標なんてそうそう決まらないよねえ」

 

 今の私は王立学園進学前の14歳。

 高校受験前に人生を決めろ、と言われているようなものだ。

 大学を卒業する二十代になっても人生に迷う学生は多いというのに、この歳で決めきれるものじゃない。

 

 なまじ、やりたいことが全くないわけじゃないのがなあ……。

 いや、やれないんだけどさ。

 

「お嬢様、薬物検査の結果が出たよ」

 

 不意に声をかけられて、私は顔をあげた。声のしたほうを見ると、書類を抱えたジェイドが立っている。

 考え事に夢中で、ノックの音に気が付かなかったみたいだ。

 

「ありがとう、何か見つかった?」

「昨日のお茶会でお嬢様にサーブされたお茶から、ジギタリスが検出されたよ」

「ジギタリス……聞いたことがあるわね。心臓の治療に使う薬じゃなかった?」

「師匠やボクが処方すれば薬になるけど、多量に摂取すれば心不全を起こして死ぬよ。効果が現れるまで3時間から4時間かかるから、犯行をごまかしたい暗殺者にとって便利な薬だね」

「なるほど……その毒をお茶に混ぜたのは、エヴァよね」

「真っ青な顔で、お嬢様にお茶を勧めてたもんね……」

 

 私は昨日のお茶会の様子を思い返す。

 故意か偶然か、お茶会に同席していた姉系令嬢エヴァが珍しく私にお茶を渡してくれたのだ。その時の彼女は、見ているこっちが気の毒になるくらい顔色が悪かった。私に毒を盛っているという自覚があったんだろう。

 側に控えていたジェイドの協力で、カンペキな『飲んだふり』をして見せたら、今にも気絶しそうな顔になっていた。

 

 目の前で自分の盛った毒を飲まれたら、平気ではいられないよね。

 

「それともうひとつ。お茶会でお嬢様が着ていたドレスから呪物が見つかったよ」

「あら、何かひっかかる感じがしたと思ったら、やっぱり呪いだったのね」

 

 ジェイドはポケットから折りたたまれたハンカチを取り出した。開いてみると、そこにはビーズで作ったピンブローチがあった。ブローチは小さく地味で、私の派手なドレスにひっかけたら、他の飾りに紛れて見えなくなってしまいそうだ。

 

「結構完成度の高い呪物だよ。呪いに詳しくない人間だったら、着けられたことにも気づかないんじゃないかな」

「これも遅効性?」

「うん。何日かかけて病気を引き起こすタイプだね」

「これを仕掛けたのは、ライラかなあ……」

「突き飛ばすふりをしながらお嬢様に呪物を着けてたけど、思いっきり挙動不審だったし……」

「しかも、その後心配そうに何度もこっち見てたわよね」

 

 普段強気なくせに、どうにも悪者になりきれないご令嬢である。

 

「毒はともかく、呪物はどうする? 呪いを持ち主に返すこともできるけど」

「やめてあげて。ライラも自分の意志でやってるわけじゃないんだし」

 

 私に呪物を押し付ける直前、ライラの腕を掴んで脅しつけている女の姿があった。恐らく、彼女がライラの脅迫者なのだろう。それがわかっていて呪い返しなんかできない。

 

「無害化して保存を……」

 

 私たちの会話をノック音が遮った。私はぎょっとして音のした方向を見る。

 そっちには窓しかなかったはずだからだ。

 

 でも、窓の外を確認すると同時に私は警戒を解いた。そこに現れた影は見知ったものだったからだ。

 ひとりはメイド服を着た小柄な少女、もうひとりは黒いマントを羽織った男性。ふたりとも、そっくり同じ黒髪に金の瞳で、頭には猫のようなふわふわの耳がついている。

 

 私の専属メイドフィーアと、その兄ツヴァイだ。

 



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無茶ぶり

 バルコニーに現れた人物を確認した私は、すぐにジェイドに窓を開けさせた。ネコミミ兄妹は音もなく部屋に滑り込んでくる。

 

「あなたがフィーアと一緒に来るなんて、珍しいわね」

「主の命で手紙を運んできたら、妹に外の『掃除』を手伝わされてな」

「そうじ」

 

 私専属の侍女兼メイドのフィーアが、外回りの掃除をすることはまずない。

 彼女がお片付けしたのは、屋敷の周りを徘徊していた生きたゴミではないだろうか。

 目を向けると、フィーアはにっこりと天使の笑顔になった。

 

「ご安心ください、ご主人様。全員生きたまま捕縛しております。恐らく3人の婚約者のうちのどなたかの手の者と思いますので、後で詳しくご報告いたしますね」

「あ、ありがと……」

 

 その詳しい報告のために何をするつもりか。とてもバイオレンスなにおいがしたけど、黙っておいた。

 つっこんだら、負けな気がする。

 

「これを受け取ってくれ」

 

 ツヴァイが封筒を差し出した。そこには宛名も差出人の名前もない。

 

「フランからよね? ここで開けても大丈夫?」

 

 うちにもミセリコルデ家にも手紙の配達を請け負うメッセンジャーボーイはいる。わざわざツヴァイにこっそり運ばせたということは、それだけ人に見せられない内容、ということだ。

 

「妹と、そこの従者には見せていいと言っていた。内容を読んで、不明点があれば俺に聞いてくれ。補足説明するよう指示されている」

「わかったわ」

 

 私は封筒を開けると、中の手紙を引っ張り出した。

 報告書らしいその紙束には、見覚えのあるきっちりとした筆跡が整然と並んでいる。

 

「ふむふむ……3人の婚約者たちを脅してる人たちの証拠が集まったのね。なるほど、こんな風に脅されたら、従うしかないわ……」

  

 

 少女たちの置かれた状況は厳しい。追い詰められて、侯爵令嬢に毒や呪いを仕掛けるほどに。

 

「黒幕の確保のめどがついたのなら、あとは全員捕まえるだけだけど……ん、んんん?」

 

 報告書の後半は、今後の捕縛計画だった。そこにはとんでもない指示が書いてある。

 

「ちょ……マジでこんなことやれって言ってる……? そりゃ、できなくはないけどさ……」

 

 思わず、手紙を運んできたツヴァイを見てしまう。彼は金の瞳を伏せると首を振った。

 

「お前がそう言い出したら、『やれ』と伝えろと……」

「あーいーつーはーっ!!」

 

 悪代官検挙時の水戸のご老公ムーブといい、今回といい、何故こうも計画が派手なのか。私が派手だからといって、計画まで派手にする必要がどこにあるのか。

 私に変な噂が多いのって、半分くらいはフランの責任な気がするよ?!

 また噂が増えたらどうしてくれるわけ?

 

「でも、全員捕まえた上で、モーニングスター内の誤解をとくには、こうするしかない……かなあ……」

「お膳立てはこちらでやる。お前はシナリオ通りに動けばいい、と」

「やればいいんでしょ、やれば!」

 

 3人もの前途ある少女を死なせるわけにはいかないし、モーニングスター家を没落させるわけにもいかない。

 私は、腹をくくることにした。

 

 

 



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幕間:それぞれの思惑(視点多数)

「よう、エヴァ。この間のお茶会ではうまくやったみたいじゃねえか」

「……」

 

 叔父の言葉にどう答えていいかわからず、私は俯いた。

 三日前のお茶会で、私は叔父の言う通りある人物に毒を盛った。すぐにバレると思ったその毒は、すんなりと少女の口に入り、咎められることなく帰宅することができた。

 ……帰宅できてしまった。

 私は今や毒殺犯だ。

 その命令を下した叔父は、ニヤニヤと笑いながら毒々しいデザインの小瓶を私の手に乗せる。

 

「もう一度だ、エヴァ」

「そ……そんな……! あれっきりだって……!」

「あれで終わるわけないだろ。邪魔者はまだふたり残ってるんだぞ」

「でも……っ」

「ひとり殺したら、ふたりも三人も変わらないだろ。お前がケヴィンのただひとりの妻になるまで繰り返せ」

「で……できませんっ……!」

「アレがどうなっても、いいのか?」

「……」

 

 叔父は毒の小瓶を私に押し付けた。小さな瓶のはずなのに、ずしりと重い。

 

「俺もお前には幸せになってほしいと思ってるんだ。みんなで仲良く暮らそうぜ」

「うう……っ」

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、なんで呪物が増えてるのよ!」

「殺したい相手がまだいるからに決まってるでしょ、おばかさん」

 

 真っ赤な唇をゆがめて、女は笑った。

 

「ライラちゃん、最初に言ったでしょ? あなたにはケヴィンの妻になって、モーニングスターの財産を握ってもらうって。それなのに、あなたときたら……他の婚約者の面倒をみたりして……やる気あるの?」

「だ……だから……侯爵令嬢に呪いのピンをつけたでしょ! もうこれ以上は嫌よ!」

 

 叫んでも女には響かない。

 彼女はニヤニヤと笑うばかりだ。

 

「あなたの意志なんて関係ないわ」

 

 女は強引に私に呪物を持たせた。一見綺麗なアクセサリーだけど、これを着けられたら最後、人は呪われて病気になる。私の家族のように。

 

「敵はまだ残ってるの。全部終わるまで、がんばってね」

「く……」

 

 私はただ、唇を噛むことしかできなかった。

 

 

 

 

「小娘たちが動き出したようだ、フローラ」

 

 男の言葉に、私は顔をあげた。

 

「では……そろそろ?」

「お前のその姿を見て、疑いを持つ者はいない。隙を見て行動に移せ」

「わかったわ」

 

 私はドレスのチェックに取り掛かった。

 少女たちが本気で動くつもりなら、容赦などいらない。ただ闇に葬ればいい。

 

「ケヴィンの妻の座は……私のもの」

 

 思わず口から笑みがこぼれた。

 

 

 

 

 

「どうしたらいい……」

 

 俺は部屋でひとり頭を抱えた。

 

 ある日家族から、女の子を次々に紹介された。

 このうちのひとりを、妻として選ばなくちゃいけないらしい。

 

 自分にとっては結婚も恋愛も遠い話で、とてもじゃないけど誰かを選ぶことはできない。

 本当は彼女たちに会った時に、全部断るつもりだった。

 でも、彼女たちには事情があった。自分が断ってしまったら、その時点で彼女たちの命運は尽きてしまうだろう。

 彼女たちの悲壮な顔を見て、選ぶことも、突き放すこともできなかった。

 どうすればいい?

 どうすれば彼女たちを救える?

 

 なんとかしたいと思っても、自分はただの子供だ。

 ただ全員を受け入れるふりをして、時間をかせぐことしかできない。

 

 そうこうしているうちに、ハルバード侯爵家からとんでもない女の子が現れた。

 彼女が独り勝ちしてしまったら、もう3人を守れない。

 

 俺はどうしたらいい?

 どうしたらよかったの?

 

 誰か、彼女たちを助けて。

 

 

 



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奇妙なお茶会(ケヴィン視点)

 久しぶりに行われたお茶会は奇妙なものだった。

 

 昼食会もかねたパーティーに呼ばれたのは、主にモーニングスター家の親戚ばかり。

 加えて、エヴァ、ライラ、フローラの3人もそれぞれ後見人や家族ごと招待されていた。今の関係通り3人全員と結婚したら、彼らも含めて親戚づきあいをすることになるだろう。

 その光景はモーニングスター一族の未来予想図を見ているようだった。

 

 ホールに入ると、奇妙なテーブルに案内された。

 

 テーブルの中心に座るのは、祖母であるモーニングスター侯爵。その両脇に2つずつと、正面にひとつ、席が用意されている。

 

「ケヴィン、そこに座りなさい」

 

 祖母の指示通り、俺は正面に座る。しばらくすると、婚約者たちがやってきてそれぞれ両脇に座らされていく。

 いつも上品なエヴァ、ドレスが素敵なライラ、小さなフローラ。

 

 そして、最後に席がひとつ残った。

 

「あれ? リリィは来てないの?」

 

 祖母に婚約者候補として認められて以来、俺が出席するパーティーには必ず顔を出していた、黒髪の女の子がいない。モーニングスター家のパーティーともなれば、絶対に来ると思ったのに。

 

「あの子は欠席よ」

 

 祖母がそう言うと、エヴァとフローラの顔がさっと青ざめた。

 

「先日行われたフランネル伯爵のパーティーに出席したあと、体調を崩して伏せっているそうなの」

「フランネル伯爵の? そういえば、ライラもそのパーティーに出席するって言ってなかったっけ」

 

 話を振ろうとそちらを向くと、ライラはさっと視線をそらした。それだけじゃない、なぜか彼女はカタカタと小刻みに震えていた。

 

 体調の悪い素振りはなかったか、と聞こうとしただけなのに。

 

「ライラ?」

「わっ、わたしは……何も知らないわっ! そ、それに、パーティーにはエヴァだって来てたはずだしっ!」

「そうなの?」

 

 エヴァのほうを見ると、彼女はぶんぶんと首を振った。

 

「確かに、私もパーティーには行きましたけどっ……すぐに帰りましたわ!」

 

 涙目で主張する彼女の顔色は、ますます悪くなっていく。

 その様子はただごとじゃない。

 

 パーティーで何かが起きたんだ。

 それも、取り返しのつかないほどマズいことが。

 

 どくどくと急に鼓動が速くなり始めた。

 彼女たちは婚約者で友人だ。ややこしい関係だけど、一番近くで見てきた女の子たち。

 不幸になんか、なってほしくない。

 それなのに、守れなかった?

 

「エヴァ……?」

「私は……何も……ひぃっ!!」

 

 ガタン、と大きな音をたててエヴァが体をこわばらせた。

 俺のほうを見て、目を大きく見開いている。

 

「エヴァ? どうしたの」

「あ……ああっ……!」

「ちょっと、変な顔してないで……ひゃぁっ……!」

 

 エヴァの視線の先を追ったライラも悲鳴をあげた。

 俺に驚いたわけじゃない。俺の後ろに何かを見つけて驚いたのだ。

 

「何が……!」

 

 振り向くと、そこには赤いドレスの女の子がいた。

 艶のある長い黒髪に、きらきらと輝くルビーアイ。

 

 リリアーナ・ハルバードがいつものように美しく笑っていた。

 

 

 

 



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ショータイム

 従者とメイドを従えて、私はパーティー会場に登場した。

 美しく飾られたホールには、役者が全員そろっている。

 

 シナリオはフラン、主演は私。

 モーニングスター侯爵家大掃除ショーの始まりだ。

 

「ご招待いただいたのに、遅れて申し訳ありません。侯爵様」

 

 私はにっこりと笑うと淑女の礼をした。

 

「いらっしゃい、リリアーナ。この程度気にしないわ」

 

 侯爵様は驚きもせずに笑う。

 当然だ。彼女も共犯者なのだから。

 

「あ……あああっ」

 

 エヴァが真っ青な顔であとずさる。

 私はフィーアに持たせていた小瓶を受け取ると、エヴァの前に置いた。

 

「ごきげんよう、エヴァ。先日はとってもおいしいお茶をありがとう」

「……っ」

「あの素敵な苦みは、隠し味のおかげね。あんまりおいしかったから、そっくり同じ成分の薬を作ってみたの。あなたも飲んでみない?」

「い、いやああああああっ! ごめんなさいっ!」

 

 私から逃げようとして、エヴァは椅子から落ちてしまった。そのまま頭を抱えて蹲ってしまう。

 

「そうそう、ライラにもお礼をしないとね」

 

 くるり、とライラに顔を向けると彼女もまた真っ青な顔で顔をこわばらせた。

 その前に、ビーズのピンブローチを置く。

 

「かわいいブローチをありがとう。お礼に、たっくさん祈りを込めたブローチをプレゼントしたいんだけど、いいかしら?」

「ややややっ、やめてっ! 謝る! 謝るからぁっ!!!」

「素直でよろしい」

 

 人間、素直で誠実が一番よねー。

 

「リリィ……? これって一体どういうこと?」

 

 ケヴィンが茫然と私を見上げていた。フローラもきょとんとした顔でこっちを見ている。

 

「大したことじゃないわ。エヴァに毒入り紅茶をもらって、ライラに呪いのブローチをもらっただけだから」

「ちょ……それって、君が死ぬんじゃ……!」

「私はそう簡単に死なないわよ。優秀な護衛がいるもの」

 

 私は後ろに控えているフィーアとジェイドを紹介する。このふたりの目を盗んで、私に危害を加えられるような人間は、ほとんどいない。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 

 エヴァはまだ頭を抱えて蹲っている。

 うーん、ちょっと脅し過ぎたかもしれない。

 

「そんなに怯えなくてもいいわよ。ふたりにはそんなに怒ってないから。私を殺せって、無理やり命令されたんでしょ?」

「あら、そんな不届き者がいるの? どなたか知りたいわね」

 

 モーニングスター侯爵が、わざとらしく首をかしげる。

 私は茶番劇のシナリオ通りに犯人の名前をあげた。

 

「エヴァの叔父のブルーノ・オルソン氏と、ライラの遠縁のテレサ女史ですわ」

「まあ、大変。そんな卑怯な方はつかまえないと!」

 

 侯爵様がそう言った瞬間、会場に詰めていた警備兵がふたりにとびかかった。

 いきなり捕り物が始まるとは思っていなかったのだろう、彼らは抵抗する間もなく拘束される。モーニングスター家の親戚一同が見守る中、侯爵様の前へと引き出される。

 

 必殺!

 関係者一同の前で犯人暴露ショー!!!

 情報伝達の発達してないこの世界で、下手に内輪で犯人を指摘したら、後々変な噂になるからね! 大事な話は全員の前でやりましょう、ってことらしいよ!

 フランの意図はわかるけど!!!

 

 侯爵様も巻き込んで関係者全員集めて犯人指摘とか、どこの推理小説の探偵だよ!!!

 

 しかも計画を立てた本人は当日になってドタキャンするし!

 侯爵様の力を利用した以上スケジュール変更なんてできないんだからね?!

 証拠や関係者をツヴァイが全部用意してくれたから、フラン自身は必ずしも必要ないけどさ! 責任者として同席するのがスジってもんじゃないの?

 

「私がライラを脅した? 何を根拠にそんなことを!」

 

 警備兵に拘束された女が叫ぶ。私はにっこり微笑み返した。

 

「もちろん、ぜーんぶ証拠はそろってますわよ」

 

 やらなきゃ解決しないから、全部やるけどね?!

 

 



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ざまぁ

「エヴァが侯爵令嬢に毒を盛っただと? 俺は関係ない!」

 

 侯爵夫人の前に跪かされた男が叫んだ。姉系令嬢エヴァ・オルソンの叔父だ。

 

「そいつが勝手にやったことだ! なあ、そうだろ……! そうだと言えっ!」

 

 叔父はエヴァを怒鳴りつける。彼女はびくっと身をすくませた。

 こんな命令してる時点で、関係あるって白状しているようなものだけどね。

 

「あ……ああ……わ、私は……」

「答えなくてもいいわよ、エヴァ。身内を人質に取られてるんじゃ、本当のことなんて言えないもの」

「何を言い出す、小娘!」

「ツヴァイ、連れてきて」

 

 私が命令すると、会場の奥から黒装束の男が現れた。マントのフードでネコミミを隠しているけど、金の瞳は見間違えようがない。彼はその腕の中に小さな男の子を抱えていた。

 男の子を見たとたん、エヴァが立ち上がる。

 

「マーティン!」

「姉さま……!」

 

 エヴァは男の子に駆け寄ると、ぎゅうっと力いっぱい抱きしめた。

 

「マーティン……マーティン……!」

「弟を人質に取るとか、ひどいことするわよね」

「何故ここにあのガキが……! 地下牢にいたはず……」

 

 もちろん、助けたのはツヴァイだ。獣人の身体能力と鋭い感覚を使えば、そんなに難しいことでもなかったらしい。

 

「モーニングスター侯爵、告白します!!」

 

 弟を腕に抱きながらエヴァが叫んだ。

 

「私、エヴァ・オルソンは叔父に脅迫され、リリアーナ様を殺そうとしました! どうぞ相応の罰をお与えください!」

 

 姪に罪を告発され、叔父は言葉をなくす。

 

「お、オルソン家の騒動に私を巻き込まないで! 私は何もしてないわよ」

 

 ライラの遠縁らしい女が言う。

 

「家族を人質にとっているのはあなたも同じでしょ?」

「同じ? どこが? ライラの両親は屋敷で普通に生活しているわ。地下牢に押し込められたりしてないわよ」

「でも、病気でずっと伏せってるわよね?」

 

 私が指摘すると、女の顔がひきつった。

 

「ちょっと無作法かと思ったけど、ライラのご両親の部屋を調べさせてもらったわ。そうしたら、部屋の隅から呪いのアクセサリーが見つかったの」

 

 私はフィーアから小箱を受け取ると、蓋をあけた。そこには地味なデザインのビーズアクセサリーがふたつ並んでいる。もちろん、入手してきたのはツヴァイだ。

 アクセサリーを見せると、女の顔から血の気が引いていった。見覚えのあるデザインだったのだろう。

 しかし彼女は顔をこわばらせたまま首を振る。

 

「それを私が仕掛けたと? どこにそんな証拠があるの」

「証拠はこれから出てくるわ」

 

 私は女の目の前でビーズアクセサリーを手に握りこんだ。

 

「あなた、呪いの不思議な性質を知ってる? 壊すと呪いの力がかけた本人にかえっていくの」

 

 私はアクセサリーを握り締める。

 ぎりぎりと力を入れると同時に、手の中から黒い煙が立ち上り始めた。

 

「や、やめてっ!」

「あら、どうして? あなたは無関係なんでしょ?」

「やめて! お願いだから!! まだ死にたくないっ!!!!」

「人の命を脅かしておいて、死にたくないとか……自分にはずいぶん甘いのね」

 

 私はビーズアクセサリーをぽいっと投げ捨てた。

 

「安心して。それはすでに無害化してるから、ただのアクセサリーよ。あなたじゃないんだし、本当に人が死ぬようなマネはしないわよ」

 

 手から立ち上った黒い煙は、ただの演出だ。

 私が種明かしすると、女はへなへなとその場に崩れおちた。

 

「モーニングスター侯爵、告白いたします」

 

 ライラは椅子から立つと、侯爵様の前に跪いた。

 

「私はテレサに脅されてリリアーナ様を殺そうとしました。私にも罰をお与えください」

 

 ふたりの少女の告白を聞いたモーニングスター侯爵は立ち上がった。

 

「エヴァ、ライラ、あなたたちに罪を問うことはいたしません」

 

 その言葉に、会場の空気がざわつく。脅されたとはいえ、ふたりがやったのは殺人未遂だもんね。

 

「リリアーナも言ったでしょう? あなたたちふたりには、怒っていないと。あなたたちは大人に脅された被害者だわ。害されようとした本人が無傷で許すと言ってるんだもの、それ以上責める必要はない」

 

 そして、会場に集められたモーニングスター家の親戚一同を見渡す。

 

「これはモーニングスター侯爵としての裁定よ。彼女たちにはケヴィンの婚約者を降りてもらうけど、モーニングスターの家族であることに変わりないわ。彼女たちを責めるのは、私の決定に逆らうということ。皆、わかったわね?」

「はいっ!」

 

 罪人を除いた全員が侯爵の言葉にうなずいた。

 ゲームではばらばらになってたけど、この結束の強さが本来の姿だったのだろう。

 

「……では、ケヴィン様の婚約者は私とリリアーナ様だけになりますわね」

 

 ぽつんとフローラがつぶやいた。

 私は彼女を振り返る。

 

「あなたが、本物のフローラ・ベイルマンだったらね」

 

 少女から天使の微笑みが消えた。

 



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あなたはだあれ?

「リリアーナ様? 何をおっしゃってるの?」

 

 一瞬顔色をなくしたものの、フローラはすぐにかわいらしい微笑みを浮かべて首をかしげた。その様子はいつもと全く変わらない。

 しかし、今はその変化のなさが不気味だった。

 私はポーカーフェイスを装いながら、フローラを見つめる。

 

「あなた、フローラじゃないわよね」

「意味がわかりませんわ。私の名前はフローラです」

 

 フローラが立ち上がり、私に向かって一歩進む。

 その瞬間、私は従者に命令した。

 

「ジェイド」

 

 次の瞬間、ジェイドのしかけた魔法が発動し、フローラはべしゃっと床に倒れこんだ。

 

「きゃあっ! な、なに……っ、服が、床に……っ!」

 

 猛烈な力で地面に引き倒されたフローラは、あわてて体を起こそうとした。しかし、何かにさえぎられて、体を床から離すことすらできない。

 

「いい格好ね」

 

 私はフローラのすぐそばまで近寄ると、彼女を見下ろした。

 

「何なの、この魔法! 風の魔法とも土の魔法とも違う! こんな風に……体だけを引っ張るなんて……!」

「引っ張ってるのは人の体じゃないわよ。その証拠に、私はなんともないでしょ?」

 

 私はフローラのふわふわの袖をめくりあげた。

 

「あなただって、服の下に武器を隠し持ってなければ、倒れたりしないわ」

 

 大きく広がる袖の下、ほっそりとしたフローラの腕には隠し武器らしい刃物が装着されていた。それらが床に張りついているから、フローラは立ち上がれないのだ。

 ちょっとかわいそうかと思ったけど、スカートのほうもめくってみる。

 太ももにもくるぶしにも、刃物が仕込まれていた。体が起こせないみたいだから、胴体にも何か武器が入っているんだろう。

 

「鉄だけを引き付ける魔法……? なんなのそれ!!」

 

 かわいらしい妹令嬢の仮面をかなぐり捨ててフローラが叫ぶ。

 

「ごめんなさいね、手品の種は明かさない主義なの」

 

 私はあえて何も答えずに笑う。

 彼女を床に張り付けているのは、新開発の磁力魔法だ。去年カトラスで手に入れた磁鉄鉱をジェイドが分析して完成させた、最新極秘技術である。

 私の魔力じゃ強力磁石程度でしかないけど、魔法のエキスパートであるジェイドが使えば、工場なんかで使われている超強力電磁石なみの力を出すことができる。今の彼女は完全武装で電磁石の上に載せられている状態だ。

 

「なんてこと……魔力探知は完璧に隠蔽していたはずなのに」

 

 まあ、魔力じゃなくて物理現象で発見したからねえ。

 

 最初におかしいと思ったのは、彼女に静電気魔法を使った時だ。

 なかなか静電気がたまってくれなくて、思ったより魔力を消費しちゃったんだよね。何か金属製の道具を身に着けていないと、こうはならない。

 しかも、魔力探知による武装チェックをしたはずなのに、だ。

 おかしいと思って、雷魔法と磁力魔法の合わせ技で金属探知魔法を作ってみたら、彼女が体のありとあらゆるところに金属を仕込んでることがわかったんだ。そんなものを隠し持っている女の子が普通の令嬢なわけがない。

 

「あなたの様子がおかしいから、ベイルマン領に人をやって調べてみたの」

「な……」

 

 びくっとフローラが体を震わせる。

 

「報告を聞いてびっくりしたわ。フローラは2年も前から病で臥せっているそうじゃないの。しかも、ご両親であるベイルマン夫妻も、何者かに脅されてずっと領地から出ていないそうだし」

 

 私はフローラを見つめる。

 もちろん、出張したのはフランとツヴァイである。ほぼ全部このふたりの手柄だけど、そんなことおくびにも出さずに私は笑う。

 

「ねえ、あなた。そしてあなたを会場に連れてきた自称フローラのお父様。……あなたたちは、誰?」

「……ちっ!」

 

 舌打ちと同時に、フローラが体を起こした。

 武器を持つのは不可能、と判断して服を脱ぎ捨てたのだ。下着姿のまま、私に向かって手を伸ばす。しかし、彼女の手が私に届く直前、横から現れた影がフローラを組み敷いた。

 フィーアが偽フローラを拘束したのだ。

 

 モーニングスター侯爵がフローラを見下ろす。

 

「あの優しいベイルマン夫妻を脅して成り代わるなんて……なんということを。あなたたちふたりは、厳罰に処すことにします」

 

 偽フローラと、会場の隅で警備兵に拘束された偽フローラの父の顔から表情が消えた。

 ここにはモーニングスター家の関係者が全員そろっている。逃げることも言い訳することもできない。

 

「さて、これで3人の婚約者の問題は片付きましたわね」

 

 私はくるりと体を反転させると、椅子に座ったまま茫然としているケヴィンの方を向いた。

 

「最後に残った私が、唯一の婚約者候補ですわ、ケヴィン様」

 

 残るは、ケヴィンの問題だけだ。

 

 

 



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未来の後悔

「ケヴィン様、今まであなたの周りに侍っていた婚約者たちは、全員いなくなったわ」

 

 私はケヴィンに向かって一歩踏み出した。

 ケヴィンは椅子に座ったまま、びくっと後ずさる。

 

 今回のモーニングスター家の問題、根底にあるのはケヴィンの優柔不断だ。

 そもそも彼がしっかりしていれば、弱みに付け込んで家をどうこうしようという連中も現れたりしない。

 

 モーニングスター家を強くするためには、何よりもまず彼が強くなくちゃ。

 

 ゲーム内の彼は、こう語っていた。

 

『俺は、あの時言わなくちゃいけないことがあったんだ』

 

 彼は3人の婚約者たちが殺し合ってしまったことを後悔していた。彼女たちをただ受け入れることしかできなかったこと。大人に助けを求めることもできず、彼女たちの問題に介入することもできず、結局死なせてしまったことが大きな心の傷になっていた。

 

 ゲームの中ではすでに事件は終わっていて、後悔する彼をただ慰めることしかできなかったけど。

 

 私は、あなたの未来の後悔を知っている。

 言えばよかった言葉、選ぶべきだった選択を知っている。

 

『ちゃんと口に出したら、未来は変わっていたのかな』

 

 そうだよ、言えばきっと世界が変わる。

 未来の願いを、今叶えてあげる。

 

「私が、あなたのただひとりの婚約者よ」

 

 目の前にいるのは、婚約者3人を黒幕ごと片付けたとんでもない女の子だ。

 条件が揃ってるからって、こんなヤバい女の子に迫られて、はいそうですかと頷ける人間なんていない。

 フランと私でそう演出した。

 

 思惑通り、ケヴィンは私を見て恐怖に顔を引きつらせている。

 

 怖いでしょ?

 逃げたいでしょ?

 決断を迷ってる暇なんてないよ?

 

 私はケヴィンに向かって手を差し伸べた。

 

「ケヴィン様、私と結婚してくれますわよね?」

 

 そう言った瞬間、ケヴィンの感情が爆発した。

 

「ごめんなさいっ! 君とは結婚できない!!!」

 

 公の場で、彼が初めて見せる拒絶の言葉。

 それを聞いて会場の大人たちが息をのんだ。

 

 ケヴィンは椅子から立ち上がる。

 顔はこわばったまま、目には涙をためているけど、しっかりと自分の意志を言葉にする。

 

「君が嫌いなわけじゃない。でも、俺はどの女の子とも恋愛をする気はないし、結婚することもできない」

 

 求婚を断られているのに、私は嬉しさで笑いそうになってしまった。

 決断し、拒絶できるなら、もう周りの思惑に流されたりしないはずだ。

 

 よくできました。

 さあこれでモーニングスター家の問題は全部かいけ……

 

「だって俺、ゲイだから」

 

 …………………………………………はい?

 

 



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それどんなクソゲー

 ケヴィンに結婚を迫ったら、ゲイだと告白されました。

 どういうこと? 意味がわからない。

 

 目の前で苦しそうに語るケヴィンが、嘘をついているようには見えないけど。

 

「ずっと前から、違和感はあったんだ。女の子と話しているのは平気なのに、相手が男だと、どきどきして言葉が出なくなる。周りに女の子が多いから、慣れてないだけだと思ってたんだけど……どれだけがんばっても、緊張してしまう」

 

 ケヴィンはぎゅっと目を閉じた。

 

「おばあ様たちに婚約者を紹介されたときもそう。みんな、かわいくて魅力的な女の子だと思ったけど、誰かひとりを守りたい、って思う気持ちは産まれなかった。友達として仲良くしたいとは思ったけど……それ以上の感情は出てこないんだ。それでやっと気づいた」

 

 ふう、とケヴィンが大きく息を吐いた。

 胸を押さえる手はカタカタと小刻みに震えている。

 

「俺は……女の子を恋愛対象として見れない。……きっと、この先何があっても、俺が伴侶として選ぶのは男性だと……思う」

 

 告白と同時に、ケヴィンの瞳からぽろぽろと涙がこぼれおちた。

 

 その様子を見ながら、私は心の中でこの世界をゲーム化した運命の女神を全力罵倒していた。

 乙女ゲームの攻略対象が、LGBTキャラってどうなのよ?!

 確かにね? 現代日本では、結構な割合で同性しか恋愛対象として見れない人がいることが広く知られている。だから、乙女ゲームみたいにたくさんの男の人を集めたら、そのうち何人かはLGBTの可能性はあるけどね?

 そういうのは非攻略キャラでやってくれませんかね?!

 

 どうしてケヴィンのルートだけ、恋愛描写が薄味だったのかわかった。

 だって恋愛してないんだもん。

 

 ケヴィンが女性を恋愛対象として見れないんじゃ、ヒロインがどれだけ恋してアタックをかけても友達にしかなれない。

 何がさわやか友達カップルエンドだ。

 ただの友情エンドだよ、それは!!!!!!

 

「おばあ様……俺を廃嫡してください!」

 

 ケヴィンはモーニングスター侯爵の前に跪いた。

 

「俺は、妻をとれません。みんなが望む、立派な侯爵になって血を繋いでいくことができないんです。こんなに期待してもらっているのに……俺はみんなの思う通りの男になれない……ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」

 

 泣き崩れるケヴィンを見て、私はようやく問題の根底に何があったのかを理解した。

 彼は察しのいい子だ。周囲が自分にどんな行動を期待しているのか、幼いころから知っていたのだろう。にもかかわらず、自分が絶対にそうなれないことを確信してしまった。

 自分が家族の理想の姿になれない。

 その自信のなさが、誰の意見も否定できない優柔不断につながっていたのだ。

 

「謝らなくていいのよ」

 

 モーニングスター侯爵は膝を折るとケヴィンを優しく抱きしめた。

 

「そんなことで、あなたを廃嫡したりしないわ」

「おばあ様……?」

「だって、あなたは私の大事な孫だもの」

 

 にっこり笑うその表情は柔らかい。モーニングスター侯爵としてではなく、祖母としての笑顔だった。

 

「ケヴィン! もう……バカね!」

 

 じっと見守っていた観客の中から、女性がひとりと女の子が三人飛び出してきた。ケヴィンの母親と姉たちだ。彼女たちは祖母と一緒になって末っ子長男を抱きしめる。

 

「そんなの、気にしなくていいの」

「あなたが誰を伴侶に選んだって、構わないのよ」

「子供ができなくったって何よ」

「姉さんたちが、後継ぎを産めば問題ないわ」

 

 口々に慰められて、ケヴィンはまた別の涙を流す。

 

「いいの……こんな俺で……」

「あなたがいいの」

 

 モーニングスター侯爵がそう言うと、会場から一斉に拍手がおきた。彼女の決定と、ケヴィン自身を認める拍手だ。ケヴィンが受け入れられずにいた個性ごと、モーニングスターが彼を受け入れた瞬間だった。

 

「よかったわね、ケヴィン」

 

 私が声をかけるとケヴィンは、はっと顔をあげた。家族に抱きしめられながら、申し訳なさそうな顔になる。

 

「あ……あの……そういうことで……君との結婚は……ごめん」

「謝らなくていいわよ。元々本気で結婚する気なんてなかったし」

「え」

 

 鳩が豆鉄砲をくらったような顔のケヴィンを見て、祖母が笑う。

 

「リリアーナ嬢は協力者よ。婚約者たちの問題を片付けて、あなたに勇気を出させるために手を貸してくれたの」

「な……なんで?」

 

 ふう、と私は大仰にため息をついた。

 

「あのね、侯爵家が落ちぶれて北部が荒れたら、難民はどっちに向かうと思う?」

「南……じゃないかな。食料があるし」

「そう、南! 北の跡取がふらふらしてたら、南のハルバードが迷惑するの。わかったら、もうちょっとしっかりしてちょうだい」

「うん……がんばる」

「期待してるわね」

 

 一同に淑女の礼をすると、私は会場を後にした。

 静かな廊下に移動し、会場の話し声から十分距離をとったところで、やっと全力で息を吐いた。

 

「ああああああ……なんとかなったああああ……」

 

 ケヴィンがLGBTを告白し始めたときにはどうしようかと思ったけど、なんとか丸く収まったみたい。多分私ひとりじゃ、無理だった。侯爵様の器の大きさとカリスマに感謝するしかない。

 

 しかもこんなピンチにもフランはいないし!!

 あとで何発か殴らないと気が済まない。

 っていうかこんな重大事に来ないってどういうこと? まさか、何かあったんじゃないでしょうね? 心配事まで増やしたくないんだけど?

 

 一旦帰ろう、とジェイドに指示を出そうとしたときだった。

 モーニングスター家のメイドさんが私に封筒を持ってきた。

 

「ミセリコルデ家から、リリアーナ様にお手紙です。至急お渡しするように、と」

「私に? しかもミセリコルデから?」

 

 封筒の差出人は、マリィお姉さまだった。

 なんで私がここにいることを知ってるんだろ?

 

 開けてみると、奇妙なことが書いてあった。

 

『犯人を捕獲。至急来られたし』

 

 何の犯人だよ?!

 

 

 

 



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SE・I・ZA

 人間、予想外の光景を見ると、脳が処理を拒否してくるものである。

 私はミセリコルデ家の応接間に足を踏み入れた瞬間、状況が理解できなくて固まってしまった。

 

 モーニングスター家の騒動を片付け、さあ帰ろうという時に受け取ったマリィお姉さまの呼び出し。とにかく至急来いという内容だったから、自宅に寄らずそのままミセリコルデ家に直行したんだけど。

 護衛は置いてひとりで応接間に入るよう指示されて中に入ったら、目を疑うような光景が私を出迎えた。

 

「いらっしゃい、リリィちゃん」

 

 マリィお姉さまはいつものように美しく笑っている。

 しかし足元がいただけなかった。そこには大の男がふたり並んで正座させられていたのである。

 

 ひとりは彼女の弟であるフラン、そしてもうひとりは私の兄アルヴィンだ。

 

 フランはともかく、なんで兄様がここに?

 領主のお仕事のために、ハルバード城にいるはずだよね?

 あそこから王都まで何キロ離れてると思うの?

 

 しかも、なんでふたりして正座?!

 ほぼ罪人扱いだよね?

 何の罪でこんなことさせられてるの?!

 

「マリィさん、犯人を捕まえたって書いてありましたけど……このふたりが何かしたんですか?」

「ええ、とっても悪いことをしたから、呼び出してお仕置き中なの」

 

 ふふふ、とマリィお姉さまは笑っているけど、フランと兄様は無表情で俯いている。

 フランが今日のモーニングスター家大掃除ショーに来なかった理由はこれか。

 マリィお姉さまに捕まったんじゃ、家を出られないよね。

 ……マジで何やったの、ふたりとも。

 

「ちょっと前に言ったでしょ? あなたはすごい子だけど、こんなに両極端な噂がいくつも飛び交ってるのは異常だって」

 

 そういえばそんな話もあったな。もともと目立つのは自覚してたから気にしてなかったけど。

 

「あなたの悪評を流したのは王妃様だけど、反対にあなたがすばらしい、っていう噂を流した犯人はアルよ。共犯がフラン」

「兄様?!」

 

 私は思わず兄様を見た。

 

「どうしてそんなことしたの?! 私の評価を上げても、何もメリットがないじゃない!」

「妹のほうがデキがいいなんて噂、自分が侯爵位を継ぐのに邪魔でしかないわよねえ……」

 

 私たちふたりに詰め寄られて、兄様は正座の姿勢のまま苦笑する。

 

「実は、ハルバード家を出ようと思って」

「へ」

 

 それは青天の霹靂だった。

 

 兄様がハルバード家を出る。

 それはゲーム内でも起きた出来事だ。兄様は行動次第では私たちを捨ててどこかに行ってしまう。

 世界を救う一員とするために、いやそれ以上に大事な家族だから離れてほしくなくて、私は自分を変え、家族を変えた。

 そのはずだったのに、兄様がまた家を出る?

 

 筋書きを変えたはずなのに、また運命が元に戻るなんて。

 それじゃ、私がやってきたことって何だったの?

 

「兄様……私たちのこと、嫌いになったの?」

 

 全部無駄だったの?

 

 私はへなへなと兄様の前にへたりこんだ。

 

 



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長男が家を出る身勝手な理由

 ポンと肩に手を置かれて、私は顔を上げた。家を出るつもり、なんていったくせに、兄様はとても優しい顔で私を見ていた。なんでそんな顔をしてるの? まるで私のことが大事みたいじゃないの。

 

「俺は、お前が大好きだよ。もちろん、父様も母様も好きだ。ハルバードが嫌になったわけじゃない」

「だったらどうして……!」

「好きな人がいるんだ」

「え」

 

 予想外の理由が飛び出してきた。

 兄様に、好きな人?

 

「でもその人は婿を取らなくちゃいけない立場でね。代わりの後継ぎを用意しないと、結婚できそうにないんだ」

「それで……私をハルバード侯爵にするために、評判を上げようとしたわけ?」

「うん、そう」

 

 こくりと兄様は頷いた。

 兄様は優秀な後継ぎ長男だ。好きな人ができたからといって、ほいほい婿入りできる立場じゃない。だから代替案を用意したっていう理屈はわかる。わかるけど。

 

「な……何考えてるの! 私ひとりで後を継いでも、仕事が回せるわけないじゃん!」

「だから共犯者を用意した」

 

 兄様は一緒に正座させられてるフランを指す。

 つまり、フランと一緒にハルバードを継げと。

 

「たたたたた確かにそれならなんとかなるけどっ!」

 

 それは私の望んだ未来でもあるけどっ!

 そんなことあっていいの?

 嬉しいけど、状況が唐突すぎて頭がついていかないよ!!!

 

「ふうん、好きな人ねえ……素敵な話」

 

 いつの間にか、マリィお姉さまが兄様を見下ろしていた。

 その顔は笑顔なのに目が据わっていて怖い。

 

「でも、色々画策する前に、まずやるべきことがあるんじゃないの?」

 

 お姉さまは口元だけさらに笑みを深める。

 ぞっとするような笑顔。例えるなら、般若の笑顔だ。

 何故ここでマリィお姉さまがめちゃくちゃ怒ってるのか、意味がわからない。

 

「……そうですね」

 

 兄様は正座を崩すと、マリィお姉さまに跪いた。

 そしてお姉さまの手をとり、口づける。

 

「レディ・マリアンヌ・ミセリコルデ。私をあなたの伴侶にしてください」

 

 唐突なプロポーズに、私は唖然とした。

 え? そうなの?

 兄様の好きな人って、そういうこと?

 私はやっと、マリィお姉さまが怒っていた理由がわかった。

 そりゃー自分へのプロポーズ抜きで、周りを巻き込んで外堀埋められたら怒るよねえ。

 

 そういえば、マリィお姉さまは言ってたっけ。

 お姉さまは女性ながら宰相家を継ぐことが決まってる。結婚するなら『能力が高くて家柄がよくて次男坊以下で、前に出ず私のことを一番に支えてくれる可愛げのある男がいい』って。

 兄様はマリィお姉さまの理想そのものだ。

 ただし、侯爵家の跡取長男であることを除けば、だけど。

 

 婿に入れない、という条件を妹巻き込んで無理やり解決するとか、我が兄ながら無茶苦茶である。

 いや私に不満はないですけどね?

 少しは相談してくれてもよくないですか?!

 ここ数か月の私の苦悩を返せ!!!!

 

「ありがとう、とっても嬉しいわ。でも」

 

 マリィお姉さまは般若の笑顔のまま、兄様の襟首をつかんだ。

 

「答えを返す前に、ふたりきりでじっくりお話合いをしましょうか?」

 

 お姉さまは、そのままズカズカと部屋を出ていった。兄様も引きずられるようにして退場していく。

 後には、私と正座したままのフランが残された。

 

 

 



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彼が共犯者となった身勝手な理由

「だ……大丈夫かな……」

 

 マリィお姉さまに引きずられて出ていく兄様を見送って、私はおろおろとつぶやいた。

 お姉さまはものすごい剣幕で怒っていた。あの調子で兄様のプロポーズを受け入れてくれるんだろうか。

 

「……大丈夫だろ」

 

 正座のままフランがため息をついた。

 

「即断らずに『話し合い』と言ってるんだ。脈がないわけじゃない。あとはアルヴィンがうまくやるんじゃないのか」

「そ、そうね……」

 

 今回はちょっとアレな方向に計画を進めてたけど、兄様は妹の私から見ても優秀な男の人だ。きっとマリィお姉さまを口説き落とすに違いない。

 あと、残された問題と言えば……フランと私のことだけだろう。

 私は彼を振り返った。

 

「兄様と共犯だった、ってことは……フランは、ハルバードに来てくれるのよね?」

「そのつもりだ」

「どうして?」

 

 尋ねると、フランは一瞬沈黙した。

 

「……端的に言うと、楽しかったから、だな」

「ハルバードが?」

「ああ」

 

 フランはじっと私を見る。

 

「王都にいたころは、常に影でいることを義務付けられていた。出来過ぎず、落ちこぼれず、そこそこの位置で姉の道具であり続ける。俺自身、それでいいと思っていた」

 

 彼は優秀な『弟』となるべく育てられた者だ。そのあり方に満足していてもおかしくない。

 

「しかし、ハルバードでお前の補佐に回ったことで立場が変わった」

 

 くつくつとフランは笑う。

 

「あの生活はさんざんだった。上司は11歳の子供がひとり。人材は足りないし、領内は大混乱、その上お前の側近はクセの強すぎる者ばかり。あの時俺は、生まれて初めて、持てる力の全てを使って働いたんだ」

「王立学園を主席で卒業しておいて、よく言う」

「ハルバードの惨状がそれ以上だった、ということだ。だが……その結果、南部が落ち着き復興していく姿を見るのは、嬉しかった」

 

 ふとフランが口元を緩める。

 滅多に見ない、優しい顔だ。

 

「再び領主となるお前の隣で働く生活は、きっと楽しい。だから、俺はアルヴィンの誘いに乗ったんだ」

「そ……そう、なんだ……」

 

 フランの告白を聞いて、私は動悸が激しくなるのを感じていた。かあっと顔が熱くなる。

 

 私の隣に彼がいてくれる。

 一緒にハルバードに来てくれる。

 誰に頼まれたのでもなく、自分の意志で。それが楽しいからって。

 

 何よりも嬉しい言葉だった。

 フランが隣にいてくれるなら、私は無敵だ。きっとハルバードを守っていける。

 

「ありがとう、フラン! 私、立派なハルバード侯爵になってみせるね!」

「ああ」

「兄様とは話がついてるし、人材も問題ない。あとは……そうだ、女侯爵として立つには配偶者がいるよね! フラン、都合の良さそうな相手っていないかな?」

 

 べしゃっ。

 

 私が問いかけると、フランはその場に崩れ落ちた。

 あれ? もしかして正座しっぱなしで、足がしびれた?

 



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その計画には穴がある

 フランと一緒にハルバードの領主になる。

 そう決めた私は、新たな問題に直面していた。

 

 配偶者問題である。

 

 モーニングスター家しかり、ミセリコルデ家しかり、女性が爵位を継ぐことは認められている。しかし、いくつか条件がある。

 そのうちのひとつが、出自の確かな男性配偶者の存在だ。

 

 私がハルバード侯爵になるには、必ず誰か結婚相手を見つけなくちゃいけない。

 

 でも、現在の私は『モーニングスター家の嫡男にちょっかいかけた令嬢』である。その上、クレイモア家のシルヴァンとお見合いして振られた噂もある。仕事関連はともかく、恋愛関係の評判はさんざんだ。

 こんな残念令嬢のもとに婿入りしてくる男性など、貴族社会に存在するんだろうか。

 

「ハルバード家の親戚から見つけてくるとか……? でもそれじゃあ、命令で結婚させるようなものだしなあ……」

 

 ぶつぶつ言ってる私の隣で、フランが体を起こした。そのまま行儀悪く床にあぐらをかく。

 その眉間にはくっきりと皺が寄っていた。

 ついさっき、優しい笑顔でハルバードに来るって言ってたのに、なんでお前は不機嫌なんだよ!!

 未来の上司が困ってるんだから、相談に乗ってよ!

 

「王立学園で探すという手も……あ」

 

 そこまで考えて、自分の計画に巨大な穴が空いていることに気が付いた。

 ダメだ。

 この計画は破綻する。

 私に侯爵は無理だ。

 

「ご、ごめん、フラン! やっぱりさっきの話はナシで!!!! 家を出てどこかでひとり暮らしする!」

「おい……?」

「無理、絶対無理ぃぃぃぃ!」

「おちつけ!」

 

 べしっ、と頭を叩かれた。

 レディの頭に何をする。

 

「お前の思考がおかしいのは前からだが、今度は何を思い付いた」

「そ……それは……そのう……」

「いいから話せ。姉上とアルヴィンが結婚すると決まった以上、俺とお前はすでに運命共同体なんだ。隠すとためにならんぞ」

 

 ぎろりと青い瞳で睨まれる。そこまで怒らなくてもいいじゃないの。

 

「わ、笑わないで聞いてよ? ほら、政略結婚って相手を条件で選ぶことになるじゃない? 感情は横に置いておいて」

「そうだな」

「でも、私の恋愛観って現代日本の女の子なんだよ。恋愛結婚が基本なんだよ。それなのに……条件で選んだ人と結婚して子供のできるようなこととか……キスとかできない。好きな人とじゃなきゃ、無理ぃぃ……!」

 

 顔から火が出るような想いで告げると、なぜかフランが頭を抱えていた。

 

「どうしてくれよう、このポンコツ娘……」

 

 絞り出すような低音ボイスが響いてくる。

 あの、ポンコツは自覚してるけどね?

 

 見捨てないで、お願い!!

 

「では、別の角度から考えよう」

 

 はあ、と息を吐き出してから、フランが新しい提案を出してきた。

 

「爵位の継承だとか、アルヴィンの思惑だとか、しがらみを全部横に置け。それから、お前がキスできる男を探してみろ」

「……私が、キス」

「まずお前が納得できる相手でなければ、意味がないんだろう? そこから考えるんだ」

「でもそんなことしたら兄様は……」

「あいつは自分のエゴだけで動いてるんだ。妹のお前がエゴで動いたところでお互い様だ」

 

 フランは私に向かって男の名前を挙げる。

 

「ジェイドは?」

「うーん、大事な従者だけど、キスしたい感じじゃないなあ」

「ディッツは?」

「父様と同世代はちょっと」

「ヴァンは?」

「クリスがいるじゃない」

「オリヴァー王子は?」

「死にたくないから嫌」

「ケヴィンは?」

「あの子、ゲイだし」

「……っ、そ、そうか。ダリオは?」

「借金持ちのおじさんは嫌」

「ルイスは?」

「会ったことないし」

 

「……俺は?」

 

 最後の問いを聞いた瞬間、私は息をのんだ。

 

 



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キス

 フランとキスできるか。

 

 その問いを投げかけられて、私の思考が一瞬止まった。

 

 この青年と私がキスをする?

 あり得ない。

 そんなこと、私が望んだって、できない。

 なのに可能性を考えただけで、キスが頭から離れない。私を見つめる青年の唇から目がそらせない。

 私が、あの唇に触れるなんて、そんなこと。

 

 不意にフランの手が私の頬に触れた。

 

「大丈夫そうだな」

 

 ゆっくりとフランの体が近づいてくる。

 彼が何を意図しているのか察した私は、慌ててその胸板を押し返した。

 

「ま、待って! 待って! だめっ!」

「何がだめだ? お前は俺とキスできるんだろう」

「だだだだ、だ、だからだめなんじゃないの! 私は! フランとならキスできるんじゃなくて、フラン以外とキスできないのっ!」

 

 この世界の運命の女神はどうかしてる。

 なんでこんな運命を運んでくるんだ。

 

 よりにもよって、好きな人の目の前で、好きだって自覚するなんて。

 しかも気持ちが全部フランに筒抜けだよね?

 

 何がフランと一緒にハルバード侯爵になりたいだ。

 フランがいたら勇気が出るとか、なんでもできそうな気がするとか、全部フランが好きだからじゃないか!

 

 だめだ、恥ずかしすぎる。

 地面に穴を掘って埋まりたい。

 こんなのあんまりだ。

 

 せめてこの部屋からだけでも逃げ出そうとしたら、フランの手が私を抱き寄せた。体ごとフランの腕の中に閉じ込められる。

 

「それなら問題ない」

「なにが!」

「俺もキスしたい。……お前だけと」

 

 トンデモ発言に、私の頭がまた一瞬停止した。

 フランが私とキスしたい? それって、それってつまり……。

 

「フランってロリコン?」

 

 べしゃっ。

 

 ふたたびフランが床に崩れ落ちた。

 抱きかかえられたままなので、私も一緒に寝転がる。

 

「お前という奴は……」

 

 地の底から響いてくるような、低音ボイスが漏れ聞こえてくる。ゆらりと顔を上げるその姿は暗黒のオーラを纏っていて、まるで墓場から這い出して来た幽霊のようだ。

 やばい、めちゃくちゃ怖い。

 怒らせたの自分だけど。

 

「何故この状況でその発言になるんだ。俺のことが好きなんだろうが」

「だって、どう見たって私はまだ子供じゃない。私がフランを好きなのはわかるけど、フランが私を好きになる理由がわかんないよ」

 

 元々、子供を恋愛対象として見られるタイプでもなければ、説明がつかない。

 

「突然大人の姿になって現れて、俺の頭をひっかきまわしたのはお前だろうが!」

 

 痛い痛い痛い。

 騎士の本気の握力で頭を掴まないでください。

 頭が割れちゃうから!

 

「大人? それって、カトラスの闇オークションの時の?」

 

 そういえば、あの時のフランは様子がおかしかった。

 てっきり私の暴挙に怒ってるんだと思ってたんだけど、私の姿にびっくりしてただけだったの?

 

「……フラン、もしかしてあの時の私、結構好みだった?」

「……」

 

 こく、とフランが頷いた。

 

「実は割と本気で、私のことが好きだったりする?」

 

 こく、ともう一度頷いたフランはいつもの無表情だったけど、その顔は赤かった。耳もピンク色に染まっている。

 誰かが私に恋をする。

 それどころか、好きな人が私に恋をする。

 

 そんなの、あり得ないって思っていたけど、あり得るの?!

 



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言葉にならない

 私を腕に抱いたまま、フランが息をついた。眉間にはまた皺が寄っている。

 

「……正直なところ、お前に抱いている感情を言語化するのは難しい」

「そう?」

 

 単純な好き、って気持ちじゃないのか。

 

「最初は純粋な保護欲だったんだ。お前は俺の命を救った恩人で、子供だった。アルヴィンと同じように、妹として可愛がっていればそれでよかった」

「まあ……そうなるよね」

 

 私もそれが当然だと思ってた。

 だから、フランが私に恋してくれるなんて、全然思いもよらなかった。

 フランと一緒にいるって決めても、その気持ちが恋だって思わなかったのだって、想いが絶対叶わないと思ってたからだ。

 

「それなのにお前ときたら、大人よりずっと鋭いことを言うかと思えば、幼児のように駄々をこねるし、達観していると思えば、諦めが悪いし。どうにも扱い方を測りかねていたら、大人の姿で突撃してきて……お前に胸を押しつけられて、俺がどれだけ混乱したか、わかってないだろう」

 

 いやそんなに睨まれても。

 あの時は私だって必死だったんだもん。

 

「俺は多分、一生お前のことを見捨てられない。どこにいても思い出すし、何をされても無関心ではいられない。だったら……側にいるしかないじゃないか」

 

 愚痴のような、文句のような言葉。

 それでもなぜか嬉しいのは、この人の大事な部分にいるのが私だって、わかるせいだろうか。

 

「リリアーナ」

 

 フランの手がもう一度私の頬に触れる。

 

「一緒にハルバードで暮らそう」

「うんっ!」

 

 私が頷くと、唇が重なった。

 ちゅ、と軽く触れてフランの顔が離れる。

 

「本当にキス、しちゃった……」

 

 ふたつの人生合わせて初のキスだ。

 

「お前、あっちで18まで生きてたんじゃなかったのか」

「あっちの私は入退院を繰り返す病弱少女だもん。まともに恋愛する余裕も体力もなかったわよ。だ……だから……その……恋人とかそーいうのは……全部フランが初めてというか……」

「ふうん」

 

 にい、とフランの唇が吊り上がる。

 なんでお前今日イチいい笑顔になってんだ。

 思考が理解不能なのは、お互い様だと思うぞ。

 

「あのさ、フラン……私がんばるから」

「何を?」

「私が子供だから、待たせちゃうことが、いっぱいあるよね。がんばって、早く大人になるから……」

 

 ぷに、と私の唇をフランの指先が押さえた。

 突然の接触に、どくんと心臓が跳ねる。

 お前乙女に何をする。

 

「焦らなくていい。どうせあと数年の話だ。その後50年一緒にいられるなら、どうということもない」

 

 結婚やばい。

 一緒にいる、のスケールがデカい。

 10年先のビジョンが見えてなかったのに、いきなり50年の話とかどうしろと。

 

 混乱している私の頭をフランの手がゆっくりとなでる。

 

「今は子供扱いだが、成人したら覚悟しろ。……めちゃくちゃにしてやる」

 

 お前乙女に何する気だよっ!!!!!

 

 

 

 

 



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その後の話

 モーニングスター家の事件が終結して数か月後、私はハルバード侯爵邸でお客を出迎えていた。

 

「今日はお招きありがとう」

 

 お客は、私を見るとにっこり笑って花束を差し出してくれる。

 

「わあ……早咲きのバラじゃない! 綺麗……!」

「ふふ、折角君に会えるからね。おばあ様の温室から分けてもらったんだ。……うん、やっぱりこの赤い色は君に似合う」

 

 そう言って、ケヴィンはにっこり笑った。

 この台詞を下心ゼロで嘘偽りなく口にできるのが、ケヴィンのいいところで、悪いところだ。罪作りにもほどがある。

 

「ありがとう、部屋に飾らせてもらうわね」

 

 言葉は甘くても、一切他意がないことはわかってる。私もにっこり笑って受け取ると、彼を中庭へと案内した。そこでは既にお茶の用意がすっかり整っている。

 

「どうぞ座って。今日はケヴィンのために、ハルバードのお菓子を用意したの」

「南部のお菓子だね。あまり食べたことがないから、楽しみだな」

「おいしすぎて、ほっぺたが落ちるわよ。……それで、そっちは今どうなの?」

 

 一通りの社交辞令を交わしてから、私はケヴィンを見つめた。あえて、あいまいな言い方をすると、彼は苦笑する。

 

「まあ、おおむね落ち着いた、かな? 俺の、その……個性については、みんなびっくりしたみたいだけど、家族が納得してるのなら口出しするようなことじゃない、ってことになったみたい。おばあ様のカリスマのおかげだね」

「それだけじゃないでしょ」

 

 モーニングスター侯爵は、確かに尊敬すべき女性だと思う。でも、最終的に受け入れてもらえたのは、ケヴィンが元々愛されてきたおかげだと思うけどなあ。そう指摘しても、ケヴィンは困ったように笑っている。

 本人はまだコンプレックスを全部消化できてるわけじゃなさそうだ。

 

「三人の元婚約者たちは、どうしてるの?」

「……エヴァは結婚したよ」

「えええ? 早くない?」

 

 ケヴィンとの婚約解消から、まだ数か月しかたってない。まさか、醜聞逃れのために強引に結婚させられたりしたんだろうか。私が慌てていると、ケヴィンはクスクスと笑いだす。

 

「実は、ずっと昔から結婚を誓い合った幼なじみがいたんだ。それを知らずに、おばあ様が俺との婚約を打診したら、勝手に叔父さんが乗り気になっちゃってね」

「それで、無理やり婚約させられてたのね。かわいそう」

「これ以上他のトラブルが起きないうちに、もう結婚しちゃおうってことになったみたい。おばあ様直々に祝福したから、モーニングスター家内の問題はゼロ。きっと幸せになるよ」

「よかったあ……」

 

 本当に好きな人と結婚できるのなら、令嬢としてこれ以上幸せなことはない。

 

「フローラと彼女の両親も大丈夫。脅迫者が捕まったことで、元の生活に戻れたそうだよ。フローラ自身はこのまま田舎で生活するみたい」

「えっ……もしかして今回の事件のせいで、王都に出られなくなった、とか?」

 

 それはそれで、寝覚めが悪い。

 

「ううん、事件は無関係。病弱な子だから、元々社交界には出さない予定だったんだって」

「それで今まで公の場に出てきてなかったのね」

 

 偽物が成り代わるには、うってつけの生い立ちだったわけだ。

 

「あとはライラなんだけど……彼女が一番難しい立場かな」

「お金持ちの商人の娘だけど、爵位はないものね」

 

 彼女は下手な貧乏貴族よりよっぽどいい暮らしをしてるし、地位も高い。しかし悪い言い方をすれば庶民だ。悪意ある貴族の悪口には弱い。

 

「おばあ様が彼女に非はないって言ってても、まだあれこれ言う人はいるみたい」

「巻き込まれただけなのにね……」

「そこで、リリィにお願いがあるんだ。秋から王立学園の女子部に通うんだよね? ライラも同じ学年だから、気にかけてもらえないかな。俺が直接かばうと、また噂になっちゃうし」

 

 ケヴィンのお願いに、私は笑って頷く。

 

「いいわよ。婚約者問題で争ったはずの私が仲良くしてれば、悪口も言いにくくなるものね」

 

 ライラのツンデレなところは、嫌いじゃない。

 

「みんな収まるところに収まったみたいだし、事件はおしまいかしら」

「……」

 

 私の問いに、ケヴィンは素直に同意してくれなかった。周囲を確認して、側に控えているのがフィーアだけなことを確認してから口をひらく。

 

「その件について、君の意見が聞きたい」

 

 

 



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不審点

「君が告発したあと、モーニングスター家で改めて裏付け調査が行われた」

 

 そう言いながら、ケヴィンは懐から封書を取り出した。封蝋にはモーニングスターの紋章、差出人欄には侯爵様の美しい署名がある。侯爵様直々の報告書だ。

 

「私の指摘に、何か間違いがあった?」

 

 受け取りながら訪ねると、ケヴィンは首を振った。

 

「いや、君は正しかった。自分ではなかなか調べられなかった罪人を、証拠付きで告発してくれて助かった、っておばあ様も言ってたよ」

「部外者なぶん、動きやすかっただけだけどね」

 

 私は肩をすくめた。

 実は、あの告発劇はいろいろと危ない橋を渡っていたりする。

 人質の救助や証拠集めのためとはいえ、ツヴァイがそれぞれの家に不法侵入しているし、フローラの調査は深いところまで調べすぎてて、ほとんど内政干渉である。

 私の派手なパフォーマンスと侯爵様のカリスマで全員騙されてくれたけど、冷静にツッコまれていたらそこで終わりだった。フランのシナリオを信用してないわけじゃないけど、丸く収まるまでずっと緊張しっぱなしだったのだ。

 

「……でも、腑に落ちない点がいくつか残ってる」

 

 ケヴィンは封書に目を落としながら、眉をひそめる。

 

「まず、エヴァが持たされていた毒。詳しく調べたら、ものすごく毒性が強いことがわかった」

「……らしいわね」

 

 ジェイドとディッツの調査で、その毒性を知っていた私も顔をしかめる。

 

「それから、ライラの持たされていた呪物。彼女の家に仕掛けられていたものも含めて調べたら、かなり精度が高かった。どっちも、ちょっと闇市場に足を突っ込んだ程度じゃ、手に入らないものらしい」

「入手経路はわかったの?」

 

 ケヴィンは首を振る。

 

「ずいぶん尋問したけど、はっきりしないそうだよ。脅迫したことは細かく覚えてるのに、凶器の入手方法になると急に証言があやふやになる。まるで、そこだけ夢でも見てたみたいに」

「夢……催眠術や話術の類じゃなさそうね」

 

 呪いや魔法の存在するこの世界では、もちろん人の心に作用する魔法もある。でも、その対抗手段として生き物は無意識に魔力という殻を纏っている。干渉するには、高度な技術と膨大な魔力が必要になる。

 

「偽フローラについても不審な点が多い。彼女たちを拘束したあと、彼らの屋敷に兵士を向かわせたんだけど、そこは既に火が放たれたあとだった。勤めていた使用人ごと、全部燃えてしまって一切の証拠が消えてしまった」

「証拠隠滅のためとはいえ、すさまじいわね。偽フローラたちから、証言はとれたの?」

「それもダメだった。一週間くらいは普通に黙秘してたんだけどね。……ある日突然生きるのをやめてしまった」

 

 不思議な言い回しに、私は首をかしげた。

 

「生きるのをやめる、ってどういうこと?」

「ほぼそのままの意味だよ。音にも光にも反応しなくなって、ただその場にうずくまるだけになっちゃった。食事もとってくれないから、結局そのまま……」

 

 台詞の最後は、ケヴィンの口の中で消えてしまった。でも言いたいことはわかる。

 何にも反応せず食事もとらない人間が『生きる』のは無理だ。

 

「彼女たちの変装術はとても高度だった。そのへんの犯罪者ギルド程度には真似できない」

 

 ケヴィンはゆっくりと一つずつ指を立てていく。

 

「毒、呪い、偽物……どれもこれも、ただ俺の婚約者の座を奪い合っただけにしては、道具が強すぎる。おばあ様は、この事件の裏にもうひとつ大きな悪意が隠れている、と言ってた。そして、リリィがその正体に気づいているだろう、とも」

 

 ケヴィンは私をまっすぐ見つめた。

 

「事件を解決してくれた君に、これ以上求めるなんて図々しいとはわかってる。でも俺は3人の元婚約者として、将来のモーニングスター侯爵として、裏を知る必要がある」

 

 居住まいを正すと、すっと頭を下げる。その様子はいつか私にお礼を告げてくれた侯爵様の姿によく似ていた。

 

「君の知っていることを教えてほしい」

 

 

 



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悪役令嬢の推測

「ケヴィンに頭を下げられたら、嫌とは言えないわね」

「じゃあ……」

 

 ぱっと顔をあげたケヴィンに私はにっこり笑いかけた。

 

「ただし、これはひとつ貸しよ。あとで私のお願いを聞いてちょうだい」

「もちろんいいよ、俺にできることなら何でも」

 

 ケヴィンも気安く笑う。ダリオあたりだと『お前、一体何を要求する気だ!』とか言いそうなところだけど、彼は自然体だ。女の子のお願いに慣れてるんだろうなあ。

 

「これから話すことは私の推測よ。証拠は何もないし、下手に公言すれば足元をすくわれるわ。モーニングスター侯爵様に報告してもいいけど、話すタイミングには気を付けて」

「わかった」

 

 私自身、もう一度周囲に目をくばる。この場に自分たちしかいないことを確認してから口を開いた。

 

「モーニングスター家を狙ったのは、アギト国よ」

「アギト国の有力者ってこと?」

「いいえ、国そのものよ」

 

 私が断言すると、ケヴィンの紫の瞳が見開かれた。

 

「まさか……そんなこと」

「でも、国がバックにいたのなら、納得できる点が多くない? 精度の高い毒物に呪物、訓練されすぎた刺客に、異常な速さの証拠隠滅……」

「それは、そうだけど」

「納得できない?」

「背景が大きい割にやったことが小さすぎて……。彼らがやったのって、結局俺の婚約者たちを争わせただけだよね。それも、どれかひとつの勢力に加担したんじゃない。全員を同時に焚きつけてる。目的がわからないよ」

 

 ケヴィンの疑問は当然だ。

 私だって、元から答えを知ってなくちゃ、彼らの目的に気づけなかったと思う。

 

「ねえケヴィン、想像して? もし、あの事件に私が乱入しなかったらどうなってたと思う?」

「君がいなかったら……? うーん、標的がばらばらになって、3人がお互いに殺し合った……かな?」

「あの子たちに、私のような護衛はいないわ。毒でも呪いでも刃物でも、きっと簡単に死んでしまったはず。未来ある良家の女の子が、モーニングスター家の花嫁の座をかけて何人も死んだら、きっととんでもない醜聞になったでしょうね。侯爵様のカリスマでも、収拾がつかないレベルの大混乱よ」

「まさか、モーニングスターの権威を落とすために? たったそれだけの目的で?」

「それだけってこともないでしょ」

 

 3人の婚約者の死が、北部にどれほどの影をもたらしたのか。ゲームを繰り返しプレイしていた私にはよくわかる。あれは取返しのつかない悲劇だったのだ。

 

「モーニングスターは北部の要よ。諸侯がばらばらになったら、その隙をついて攻めることができるわ。精強な騎士の守るクレイモアを避けて、北東から攻め込むことだってできるかもしれない」

 

 ことの重大さを知ったケヴィンは大きなため息をついた。

 

「なんて回りくどい作戦なんだ。でも……そうか、だからこそ国が裏にいるなんて、誰も思わない」

「アギト国を、領地や財産を求める普通の侵略国と思わないほうがいいわ。彼らはこの国を憎んでる。ハーティアを滅ぼすためなら、どの国とも手を結ぶし、どんなに高いコストだって払う。最終的に国が終わるなら、この大陸全土が焼け野原になったって構わないの」

 

 国という組織は、そもそも利益を守るために作られる。

 何かいいことがあるから、人は集まり指導者を受け入れるのだ。

 しかし、アギト国は違う。運命の女神に仇なすためだけに、厄災の神が作り上げた国だ。

 目的のためにどんな手段をとるのか、予想がつかない。

 

「悲劇を回避したからって、アギト国の悪意が消えるわけじゃない。また、何かをしかけてくるでしょうね」

 

 この先は、ゲームに記録されていない。

 シナリオから外れた先にどんな罠が待ち受けているのか、私に知る術はない。

 未来が見通せないのは正直怖い。

 でも、これから国を背負う者のひとりとして、立ち向かわなくては。

 

「彼らに対抗するために、私たちは手を組むべきだと思うの」

「それが君のお願い? 俺にメリットしかないじゃない」

 

 ケヴィンに手を差し出すと、彼はにっこりわらって握り返してくれた。

 

「あら、私に味方するのは大変よ? だって次はどこに乱入するかわからないもの」

「そ……それは確かに」

 

 今さら、私が爆弾娘なことに気が付いたらしい。ケヴィンの顔がちょっとひきつる。

 

「そこまで警戒しなくても大丈夫よ。私の友達として、他のお客に会ってもらうだけだから」

「えっ、ここに誰か来るの?」

 

 ケヴィンが首をかしげたところで、タイミングよくフィーアが来客を知らせた。

 ふふふ、実は今日のお茶会には特別ゲストを招待してるんだよね。

 

「フィーア、お客様をお通しして」

「ちょ、ちょっと待ってよリリィ!」

 

 ケヴィンはびっくりしてるけど大丈夫。

 素敵な友達だからね!

 

 

 

 

 

 



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銀髪パラダイスふたたび

「いらっしゃい、ふたりとも!」

 

 メイドたちに案内されて、お茶会の席にやってきたふたりを私は出迎えた。

 一年前カトラスで知り合った元女装男子ヴァンと、元男装女子クリスだ。

 

 久しぶりに彼らと対面した私は、その姿を見て思わず驚きの声をあげてしまう。

 

「ヴァン……? めちゃくちゃ背が伸びてない……」

「厚みもだいぶ増えたぜ。騎士訓練のおかげだな」

 

 たった一年で、ヴァンは様変わりしていた。

 伸びたのは背丈だけの話じゃない。剣を握る手は無骨に大きくなった。その上体はどこもかしこもがっしりしていて、騎士服ごしでも、筋肉がついていることがよくわかる。長かった髪を短く刈り込んだその姿は、どこからどう見ても男の人だ。

 

 あれー? ゲームだと女の子として王立学園に通ってたよね?

 今のヴァンにドレスを着せても女の子に見える気がしないんだけど?

 そういえば、金貨の魔女から変身薬だけじゃなく、男としての成長を止める薬も買うって言ってたっけ……そんな未来は捻じ曲げたからいいんだけど、ディッツの奴どんだけ強力な薬を作ってたの。

 

「少し筋トレしただけで、あっという間に筋肉がつくんだからな。うらやましい体質だよ」

「いやいや、ヴァンをうらやましがってる場合じゃないでしょ。クリスだってめちゃくちゃ美人になってるじゃない」

 

 変わったのはクリスもだ。

 胸を押さえ込む下着を脱ぎ捨てた彼女は、すっかり女性らしくなった。といっても、かわいいという印象は受けない。しなやかなボディラインに一切の無駄がないからだ。顔をあげ、ぴんと背筋を伸ばして立つ姿はとても美しい。

 しかもドレスのデザインが最高だった。フリルやレースの少ないシャープなデザインのドレスが、彼女のきりりとした美しさをより一層ひきたてている。

 かっこいいアスリート系美少女最高!

 

「き、きれい……? そうか?」

 

 本人には美少女の自覚はないらしい。クリスは困ったように顔を赤らめる。

 照れ顔まで最高か。

 

「うん、すごくキレイ! ヴァンの婚約者じゃなかったら、私がお嫁にほしいくらい!」

「人の婚約者にばっかり手を出してんじゃねえよ」

 

 ヴァンがあきれ顔でつっこみをいれてきた。

 

「あれ? ケヴィンの婚約者話って、そっちの耳にも入ってるの?」

「あれだけデカいゴシップ流しておいて、耳に入るも入らないもねえだろうが」

 

 そう言ってから、同席しているケヴィンに目を向ける。

 

「で、そのケヴィンがここにいるってことは、なんかうまくいったのか?」

「そういうこと! さっき新しい仲間としてゲットしたところよ。ヴァンたちとも仲良くしてもらいたくて、同席させちゃった」

 

 いきなり話の矛先を向けられて、ケヴィンがびくっと体をこわばらせる。

 

「え……えっと……?」

 

 ケヴィンはうろうろと視線をさまよわせる。そういえば女所帯で育ったから、女慣れはしてても、男の子と話すのは苦手だったっけ。

 

「それもあるけど……あんまり印象が変わってたから」

「王宮で何度か会ったことがあったか?」

 

 ヴァンはちらりとクリスに目くばせする。クリスもこっそり頷いた。

 そういえば、離宮にこもっていたクリスティーヌはともかく、シルヴァンはクレイモア伯に連れられて、何度か王宮に上がってたはずだ。ケヴィンと会っていてもおかしくない。

 しかし、ヴァンは笑顔でしらばっくれた。

 

「まあ、会ったっていってもガキのころだからなー。ほぼ初めましてみてぇなもんだろ。どうせ秋からは王立学園で一緒になるんだし、仲良くしようぜ」

「い……いいの? リリィの噂を知ってるってことは、その後の俺の噂も……」

 

 さらに、ケヴィンのコンプレックスもあっさり流す。

「別に気にしねえよ、その程度」

 

 そして爆弾を投下してきた。

 

「クレイモア騎士団にも男夫婦は多いしな」

 

 マジで?

 

 



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クレイモア夫婦事情

 クレイモア騎士団に男夫婦が多い?

 なんだその話。

 

 ヴァンの爆弾発言の真偽を問いただすように、私が目を向けると、クリスは苦笑しながらうなずいた。

 

「うちのおじい様は『戦場で働いてくれるなら、他は気にしない』、というおおらかな方だからな。家督を親戚に譲って気楽な田舎騎士生活をしている男夫婦が多いんだ」

 

 聞いてないぞ、そんな裏設定。

 わざわざヒロインに聞かせるような話じゃないけどさ。

 

「ってわけで、お前の個性は割とどうでもいい。ただし恋愛の話はナシな。俺の嫁はクリスって決まってるから」

「そうなんだ。じゃあ、よろしくね……えっと、友達として」

 

 少年ふたりは握手し合う。

 

「クリス……ヴァンが成長しすぎじゃない?」

 

 なんだあのかっこいい生き物。そう囁くと、クリスは神妙な顔で頷く。

 

「ああ、正直手に負えない。私は相変わらず女らしいことは何ひとつうまくできないというのに……このままじゃ置いていかれそうだ」

「そんなことはないんじゃないの。そのドレスとかすごくセンスがよくて素敵よ」

 

 現在の貴族社会の流行は、レースを贅沢に使ったフリルたっぷりのふわふわドレスだ。その流れを完全無視したあげくに、凛とした美しさを演出するこのドレス選びは、なかなかできない。

 

「ああ、そのドレス選んだの俺」

 

 ヴァンはこっちの会話にまで爆弾を投入してくる。

 さすが元お姫様、ファッションセンスの格が違う。ではなくて!

 

「自分の衣装は面倒くせえけど、嫁を飾るのって結構楽しいのな」

「俺もその気持ちはわかる。女の子が着飾ってるのって、見てて幸せになるよね」

 

 ケヴィン、ボケにボケを重ねないで。

 これはこれでダメなんじゃないの。

 

「今はいいかもしれないけど、社交界に出てファッションの話になったらどうするの。自分で受け答えできないと困るわよ」

「そこはぬかりない。クリスには魔法の言葉を教えてあるからな」

「何それ?」

 

 ヴァンはにやにやと楽しそうに笑っている。

 

「クリス、言ってみろよ」

「い、今言うのか? ここで?」

「ここは身内しかいねえし、練習だと思ってやってみろって」

「う、うう……」

 

 クリスはため息をつくと、『魔法の言葉』を唱え始めた。

 

「この……ドレスを選んだ、のは……ヴァンが……このドレスを着ている私が……綺麗だと言ったからで……流行りとかそういうのは……」

 

 耳まで真っ赤な照れ顔つきで、この台詞である。

 なんだこのかわいい生き物。

 この照れ照れ美少女に、それ以上つっこめる人間など、この世界にいるだろうか。

 いや、いない。

 

「ヴァン、あなたいい趣味してるわねー……」

「どうとでも」

 

 ヴァンはテレ顔の嫁を見て楽しそうに笑っている。君たち、1年でラブラブになりすぎじゃないの?

 

「まあ、ファッションはこれで乗り切れたとしても、細かい女子トークに合わせるのは無理だから、王立学園ではフォロー頼むな」

「元々、そのつもりよ。逆に私が女子部外の授業に参加するときは助けてよね」

 

 私が女侯爵となるためには、実技をのぞくほとんどの騎士科単位をとらなくちゃいけない。周りのフォローは絶対必要だ。

 

「あれだけ派手な噂を流してたお前が、外部科目受けられんの?」

 

 元お姫様として、ヴァンも男女の教育格差問題は知っていたらしい。不思議そうな彼に向かって、私はふふんと胸をそらす。

 

「そこは大丈夫、ちゃんと婚約者はいるから」

「また何かの計画か」

「違うわよ! 今回のはちゃんとした、本物の婚約者! まあ……色々あって、公式発表はまだだけどさ……」

 

 今まで派手に動き回ってたせいで、私の評判はめちゃくちゃだ。

 そんな中でミセリコルデ家との縁談を公表しても混乱するだけ、ということでまだフランとの関係は伏せられている。王立学園入学までには発表する予定だけど、今はまだ噂が沈静化するのを待ってる状態だ。

 自業自得とはいえ、面倒くさい。

 

 それを聞いて、ケヴィンがほっと息を吐いた。

 

「よかった……! 俺の家のことで、リリィにも迷惑をかけたから心配してたんだ。お相手は、俺も知ってる方?」

「えへへ……実はね……」

「フランドール・ミセリコルデだろ?」

 

 私の秘密を、ヴァンがあっさり言い当てた。

 

「なんでわかるの?!」

 

 お前本当に爆弾発言多いな?!

 

 



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知らぬは本人ばかりなり

 一年ぶりに会ったはずの友達に、いきなり恋人の名前を言い当てられて私はパニックになった。

 

「なんでーっ!」

「いや、見たらわかるだろ」

「見たら、って! ヴァンがフランに会ったのは1年前のカトラスじゃない!」

 

 しかも、あの時はヴァンとクリスの問題を解決するために、バタバタしていた。一緒に会話した時間なんて数時間がいいところだ。

 

「あの状況の何を見てどう判断してるの……」

「あいつが現れたとたん、顔をキラッキラさせといて何言ってんだ。その後もことあるごとに頼りまくってたし」

「え」

 

 ちょっと待て。

 確かにフランのことはずっと前から大好きだったけど!

 あのころは補佐官としか扱ってなかったはずだよ?!

 

 い、いや待て。

 これはヴァンの主観だ。

 彼は王宮育ちなせいで、人の思惑の裏の裏を読むクセがついている。深読みしすぎて正解に行きついただけかもしれない。

 あの場にはクリスもいたはずだ。彼女の印象は違うかもしれない。

 助けを求めるように視線を向けたけど、クリスは苦笑いになる。

 

「ずいぶん仲がいいようだから、私もてっきり、ふたりは恋人なのかなー……と」

 

 脳筋クリスにまでそう思われてた?!

 

「嘘でしょおおおおお……」

 

 恋愛感情を自覚したの、つい数か月前なんですけど?

 なんで周りばっかり、私がフランを好きだって思ってるわけ?

 

「お前気づいてなかったの? マジで?」

「わかるわけないでしょ!!」

 

 むしろわかってたら、一緒にいなかったよ!

 ええええ……なんなのそれ。

 

 私がフランと一緒に過ごすようになったのは3年以上も前だ。

 それから今まで、ずーっと周りに恋心を見守られてたってこと?

 そういえば、当のフランにだって、告白前から気持ちを気づかれてたな……。

 え? 知らなかったの自分だけ?

 

 これはひどい。

 恥ずかしすぎて死ねる。

 

「このまま消えたい……」

「ま、まあそんなに落ち込まないで。これからは恋人としてふるまえるわけだし」

 

 ありがとうケヴィン。

 君の優しいフォローだけが心の支えだ。

 

「いいもん、婚約発表で見せつけてやるもん……」

 

 今更くよくよしていてもしょうがない。

 起きたことは起きたことだ。

 結局フランは私の気持ちを受け入れてくれたわけだし。

 小夜子の時には体験できなかった、友達と一緒の学校生活(恋人つき)を、思う存分楽しんでやるもん。

 

 

 

 でも、私はこの時もう少し深く考えるべきだった。

 私の恋心なんて、誰が見てもわかるんだってことを。

 

 一目見れば、一番大事な人が誰なのか、簡単にわかってしまうってことを。

 

 

 



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やっぱり行きたくないでござる

「ふう……」

 

 ごとごとと揺れる馬車の中で、私は何度目かのため息をついた。それを見て、同乗している侍女のフィーアが苦笑する。

 

「やはり、王城は緊張しますか」

「あの王妃様のお膝元だと思うと、どうしてもね……」

「しかし、今回は正式な舞踏会ですし、他の貴族の目もあります。表立った妨害行為はないのでは?」

「だといいんだけど……」

 

 私たちが向かっているのは、王城内の巨大ホールだ。そこには、今年王立学園に入学する予定の貴族子弟が一同に集められている。本日の催し物の名前は『国王様主催の入学者歓迎パーティー』少年少女たちが正式な社交界への第一歩を踏み出す、お披露目パーティーでもある。ただのお披露目と侮るなかれ。会場には国王夫妻のみならず、国内の主だった貴族が列席し、未来のハーティアを支える若者たちを迎えいれるのだ。

 王妃は立場上、その悪意の刃を表立ってふるうことはない。

 しかし油断ならない人であることに変わりない。

 

 それに、懸念材料は他にもある。

 

 聖女ヒロインの登場だ。

 ゲームでは、貧乏すぎて歓迎パーティーに参加できず、ひとり寂しく入寮手続きをするところから物語が始まっていた。しかし現在のヒロインはド貧乏などではなく、カトラス侯爵家の身内だ。ダリオのことだから、ちゃんと親代わりとしてドレスや馬車を用意していることだろう。

 セシリアをダリオから正式に紹介されたら、どうしたらいいのか。

 私の中ではまだ答えが出ていない。

 

 ゲームの中でヒロインの素性や裏設定は嫌というほど見て来た。

 しかしそれはゲームのコントローラーを握っていた私の視点の話だ。今この世界で生きて判断している彼女が何を思い、どう生きようとしているかはわからない。

 なまじ裏を知っているだけに、どう扱っていいかわからないのだ。

 

 世界を救うという目的がある以上、関わらないわけにもいかないんだけど。

 

「ええい、やめやめ!」

 

 私は首を振った。いつもだったら全力で首を振るとこだけど、ヘアセットが崩れるから控え目に。

 

「今日は自分の婚約発表なんだから、かわいく笑顔でいなくちゃ」

 

 実はそうなのである。

 噂が沈静化したら、私とフラン、兄様とマリィお姉さまの婚約を発表しよう、って話だったんだけど、タイミングが合わなくて今日になっちゃったんだよね。

 なにせ、宰相家と侯爵家で長男婿入り交換結婚である。本人たちは納得していても、なかなか発表しづらい。

 

 お披露目会場で婚約発表ってどうなんだ、と思ったんだけどハーティアでは珍しいことではないそうで。既に嫁ぎ先が決まっている女子が、王立学園で他の男子に声をかけられないよう、この場で婚約を宣言するカップルが多いらしい。

 国の有力者のほとんどが集まってるから、改めて発表会とか開く手間も省けるしね。

 

 ゴトン、と音をたてて馬車が止まった。

 外では王宮づきの使用人たちが、下車の準備をしてくれている物音がする。

 

「よし……」

 

 ホールの入り口は広い階段になっている。ここから先はパートナーのエスコートで歩かなくちゃいけない。フランが待っててくれるはずだから、ここから先は大丈夫。

 

 しかし、馬車から降りようとした私に手を差し出してきたのは、フランじゃなかった。

 

 



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悪意

 お披露目パーティーの会場前で馬車を降りた私の前には、信じられない光景が広がっていた。

 

 私の馬車から、ホールの入り口まで、まるで壁を作るようにずらりと並ぶ正装の騎士たち。

 騎士たちの後ろから、何事かとこちらを見ている大勢の貴族たち。

 騎士たちの先頭に立ち、私に手を差し出している少年。

 真新しい正装に身を包んだ彼は、太陽のようにきらきらと光る金髪と、透き通るようなグリーンアイをしていた。

 

 ハーティア唯一の王位継承者、そして王妃様の息子であるオリヴァー王子だ。

 

 彼は茫然としている私の手を引いて、馬車から降ろす。

 そして、優雅な仕草で花束を私に捧げた。

 

「レディ・リリアーナ・ハルバード、私と結婚してください」

 

 はあああああああああ?

 王子様お前なんて言った?!

 結婚してくださいってどういう意味なの!

 

 こんな、騎士も貴族も見てる前で結婚してくれとか、公開プロポーズにしか見えないんだけど? いやそのまんま公開プロポーズなのか!?

 仮にも一国の王子が、すでに婚約者がいる女子にプロポーズとか、何考えてるの?!

 

 私は、パニックのまま叫びだしたくなるのを、なんとか抑える。

 落ち着け、落ち着け!

 オリヴァー王子と私には、ほとんど接点がない。

 彼の唐突な行動には絶対裏があるはず!!

 

 まず第一の問題は、私にはすでにフランっていう婚約者がいるってことだ。婚約済みの女子に王族がプロポーズするなんてあり得ない。

 ……いや。

 そこで私はある事実に気づいた。

 

 私とフランの婚約は、あくまで内輪の話だ。

 今日このパーティーで発表するまでは、非公開であり、王室側にとっても『知らない話』だ。だから、私がフランのエスコートで舞踏会に現れるまでは、誰がプロポーズしたっておかしくない。オリヴァー王子は公式的にはさほど間違ったことをしてないのだ。

 

 このプロポーズに問題がないとして……もしこの場で断ったらどうなる?

 考えを巡らせていたら、ふと視線を感じた。思わず視線の方向、ホールの二階バルコニーを見上げると、そこには側近たちに囲まれてこっちを見下ろす王妃様の姿があった。

 目があった瞬間、王妃様はにんまりと笑う。

 

『断ってごらんなさい』

 

 言外に告げられて、ぞっとした。

 

 侯爵家とはいえ、私はあくまで臣下の娘だ。王家の正式な縁談を断るのは大変な失礼にあたる。しかも、こんな衆人環視の場で。

 嫌だと言った瞬間、王妃様は声高に糾弾してくるだろう。

 

 しかし不敬だと批判されたからって、私たちはきっとただでは終わらない。父様は第一師団長だし、フランの実家だって宰相家だ。モーニングスター家やクレイモア家、カトラス家だって味方になってくれるかもしれない。

 そうなれば、たとえ相手が王家であったとしても、対抗できる。

 ……対立、できてしまうのだ。

 

 そんなことになったら、王室の権威は失墜する。場合によっては国が王室と諸侯の間で割れてしまうだろう。

 国がそんな大混乱になってしまったら……王妃の思うつぼだ。

 彼女はこの国を滅ぼしたくてうずうずしているんだから。

 国が荒れれば、混乱に乗じてキラウェアの兵が王都になだれ込んでくるだろう。

 

 私は王妃様を睨んだ。

 

 そもそも、最初からおかしかったんだ。

 王妃様の罠が、パーティーに呼びつけてそれでおしまいだなんて。

 きっと彼女は、私がフランと一緒に現れた時点で、私の大事な人がフランだと見抜いていた。だから、私が最も幸せになる瞬間に、彼を取り上げる計画を立てた。

 

 自分でも言ってたじゃないか。

 王妃様は、ハーティア国民が大嫌いだ。

 とりわけ、将来有望な少女、恋する乙女が幸せになることを憎んでいるって。

 

 フランを頼りにしている私を、彼に守られている私を、憎まないわけがない。

 

 王子との婚約か、内乱か。

 究極の選択をつきつけられて、私は拳を握り締める。

 

 こんな王子ぶんなぐってやりたい。

 今すぐ、王妃をぶっとばしたい。

 

 でも。

 

 王子と私を囲む騎士たちの向こうに、黒髪の青年の姿が見えた。

 彼は真っ青な顔でこちらを見ている。

 

 今この時点で国を壊すわけにはいかない。

 そんなことになったら、もっとよくないことが起きる。

 

 世界を救うためにこの世界に産まれた私が、とれる選択肢はひとつしかない。

 

「ありがとうございます、オリヴァー王子様」

 

 私は差し出された花束を受け取った。

 

「ぜひ私をあなたの花嫁にしてください」

 

 無理矢理唇の端をつりあげる。

 その瞬間、目の端からつうっと涙がこぼれ落ちた。

 

「どうした?」

 

 オリヴァーが不思議そうに私を見る。私は震える唇で、なんとか言葉を絞り出した。

 

「うれし涙ですわ」

「……そうか」

 

 こうして、私は最悪の形で社交界デビューを果たした。

 

 

 

 

 

 

 

 




 はい! というわけで「リリィちゃんついに婚約編」完結です! 嘘は言ってない! 嘘は言ってないですよ! 相手が相手なだけで!
 世界の問題も、厄災のことも、王妃様のことも、何も解決してないのに、普通にフランとラブラブになって終われるわけないじゃないですかーやだー!

 ひたすらテンプレの逆をいくお話ではありますが、王子様の婚約かーらーのー!婚約破棄展開があってこその悪役令嬢モノ、ってことで!
(普通の悪役令嬢ものが冒頭1ページで直面する問題まで35万字かけたともいう……)

 とはいえ幸せにはするつもりなので、めっちゃ広げた風呂敷は畳む方向でご期待ください!


 プロットのストックがつきたので、一旦毎日更新は休止します。
 1~2か月プロット制作期間をもうけて、更新ストックを作ったら戻ってきますのでしばらくお待ちください。
 更新再開を毎回チェックするのが面倒だよって方は作品フォローよろしくお願いします!

 ではでは~しばらくお待ちくださいねぇ~!


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悪役令嬢は学園生活を謳歌したい
入寮


 ゴトン、と音をたてて馬車が止まった。

 ぼんやりしているうちに、馬車が目的地に着いたようだ。

 

「お嬢様、少し待ってて」

 

 同乗していたジェイドが先にドアを開けて降りていく。馬車の外からはごそごそと人が作業する音が聞こえてきた。主人を降ろすための準備をしているのだろう。

 しばらくして、もう一度馬車のドアが開いて、手を差し出してきたのは……ジェイドだった。

 

「どうぞ」

「……ありがと」

 

 私はほっと息を吐いて、ジェイドの手を取る。

 馬車を降りたら、予想外の人物が手を出してたことが多かったせいで、すっかりトラウマだ。

 

「ご主人様、大丈夫ですよ。前回は遅れを取りましたが、もう迷いません。今後、許可された者以外が馬車に近づいたら、相手が誰であろうとも排除します」

「……あ、ありがと。でも、ほどほどにしてね」

 

 メイド兼護衛のフィーアが気合を入れる。

 彼女なら、本当にやりそうで怖い。

 

 私はジェイドにエスコートされて馬車を降りると、顔をあげた。

 そこには、古い石造りの巨大な建物がそびえたっている。

 といっても、王宮やうちの屋敷みたいに豪華なデザインじゃない。稲妻型の傷のある男の子が魔法を勉強してそうな、重厚で真面目な雰囲気だ。ハーティアの未来を支える貴族の子供がともに学ぶ場所、王立学園である。

 私も、今日からこの学園で3年間を過ごすことになっている。

 

 周囲を見回すと、同じような入学予定者が、使用人を連れて行ったり来たりしている。

 人の多さを目の当たりにして、ジェイドが目を丸くした。

 

「すごい人数だね……」

「数日だけの話よ。荷物を運びこんだら、使用人は帰っていくから」

 

 王立学園は全寮制の寄宿学校だ。特別な理由がない限り、生徒本人しか学舎に滞在することはできない。うちも荷運び用の使用人は連れてきてるけど、学生として学ぶ予定のジェイドやフィーア以外はすぐに帰る手筈になっている。

 

「何百人もの貴族子弟を、護衛もつけずに一か所に集めて生活させるんですか? 襲ってくださいと言わんばかりの施設ですね」

 

 思考がシビアなうちのメイドが、あきれてため息をついた。それを聞いて、ジェイドがこてんと首をかしげる。

 

「むしろ、警備のためにまとめてるんじゃない? 毎日家から通ってたら、通学中の護衛が大変だよ」

 

 馬車は結構運用コストのかかる乗り物だ。

 うちみたいに大きな家ならまだしも、下級貴族家庭で毎日警備つきの馬車を出すのは無理だ。かといって、何もせずに送り出したら、あっという間に誘拐される。

 そう言われて、フィーアは神妙にうなずいた。

 

「毎日が襲撃チャンスになるわけね。それよりは、入寮のタイミングだけ警備を強化して、施設全体を見張ったほうがよさそう」

「それに、馬車列の管理も大変よ」

 

 私は後ろを振り返った。そこには何台もの馬車が列になって続いている。

 言うまでもなく、馬車という乗り物は大きくて場所をとる。その上乗り降りに時間がかかる。

 バスも電車もタクシーもないこの世界で、毎日始業時間にあわせて人数分の馬車がやって来ようものなら、学園前はたちまち馬車渋滞になってしまう。

 しかも、動力源である馬は生き物。

 毎日数百頭ぶんの馬糞がばらまかれる道とか、絶対近寄りたくない。

 

「結局、生徒をまとめて管理したほうが早いのよね」

「ご主人様を他人と一緒に生活させるのは、不安ですが……」

「そのための護衛よ。頼りにしてるからね、フィーア」

「はいっ! まずは入寮の手続きをしてきますね」

 

 フィーアが早速仕事にとりかかろうとしたところで、建物から人がやってきた。服装や態度から察するに、学園の職員っぽい。

 

「リリアーナ・ハルバード様ですね! お待ちしておりました。こちらで受付と荷物の引き渡しをいたします」

「あら、いいの? 他の子たちは並んでるみたいだけど」

「王子殿下の婚約者様をお待たせするわけには、いきませんから」

 

 あー……そういやそうだったわ。

 

 

 

 



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悪役令嬢の立場

「ご主人様は、いまだハルバード侯爵家の令嬢です。王家の付属物のように扱うのはやめていただけますか」

 

 私を「王子殿下の婚約者様」と呼んだ学園の職員をフィーアがじろりと睨んだ。

 その視線の鋭さに、職員がひるむ。

 

「やめなさい、フィーア。彼はただ職務を全うしているだけなんだから」

 

 王子の婚約者、という肩書は侯爵令嬢という肩書を上回る。彼が私を王家の一員扱いするのは当然の話だ。

 

 入学歓迎パーティーの夜、王子の公開プロポーズを受けた私は正式に彼の婚約者になった。

 王子様の求婚に愛など存在しない。そこにあるのは、どす黒い王妃の悪意だけだ。

 

 全く、やってくれる。

 

 彼女は王子にただ一言「結婚してください」と言わせるだけで、ハルバードとミセリコルデの縁談と、さらに両家の跡取問題までひっくり返してしまった。

 おかげでどっちの家も大混乱だ。

 フランとも、あの夜以来会えていない。

 

 じっとしてても解決しないのはわかってる。でも縁談がぶち壊しになったことがショックすぎて何も考えられなかった。茫然としてたらいつの間にか入寮である。

 

 3年もの間、好きでもない王子の婚約者として学校に通うとか、地獄じゃねーか。

 友達と恋人に囲まれた楽しい学生生活どこいった。

 

「これから3年間、よろしくお願いするわね」

 

 とはいえ、おおっぴらに王室批判するわけにはいかない。

 私は淑女の仮面をつけて、職員に笑いかけた。

 

「私たちの部屋はどこになるのかしら」

「はい。リリアーナ様とフィーア様は女子寮4階の特別室、ジェイド様は男子寮3階の一般室になります」

「特別室? ……それに一般室?」

 

 ジェイドが、またこてんと首をかしげる。

 

「寮は寄付金の額と身分でエリアが分けられてるのよ」

 

 階級社会なこの国では、学校だってもちろん階級制だ。

 男子寮の一階は食堂などの共有スペース、二階は庶民向けの大部屋、三階は中堅貴族向けの三人部屋、四階は高位貴族向けの広い二人部屋となっている。そしてさらにその上、五階には王家と勇士7家の大貴族専用のサロンつき特別室がある。

 女子寮もほぼ同じつくりだけど、男子と違ってこっちは良家のお嬢様しか通わないので、庶民向け大部屋エリアが存在せず、二階から中堅貴族向けフロアになっている。

 ハルバード侯爵令嬢の私はメイドと一緒に特別室、庶民出身だけど侯爵家所属のジェイドは中堅貴族むけの一般室、というわけだ。

 

 ちなみに、ゲームだとヒロインはド貧乏すぎて入れる部屋がなく、地下の物置で暮らしていた。どんだけ底辺スタートなんだよ! とコントローラーを握り締めながら悪態をついた覚えがある。

 

「部屋割りに問題はないわ。案内してくれる?」

「それが……」

 

 職員は懐から書類を一枚取り出した。

 

「魔法科より召喚状が発行されています。先にそちらに向かったほうがよろしいかと」

 

 受け取った書類には、魔法科の研究室のひとつに向かうよう指示が書かれていた。

 

「確かに、寮でごちゃごちゃしてたら遅くなっちゃうわね。荷物の搬入はお願いしていいかしら?」

「はい、責任をもってお運びいたします」

「よろしくね」

 

 用件を終えて、職員は立ち去っていった。

 その背中を見送ってから、私たちは顔を見合わせる。

 

 入学早々魔法科の先生に呼び出されるようなこと、したっけ?

 



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迷路化してる学園とかロマンだよね

 入寮早々呼び出しを受けた私は、ジェイドとフィーアを連れて魔法科の研究棟へと向かった。

 

 召喚状を発行したのは魔法科の学長だけど、向かう先は研究室のひとつ。教師の誰かが学長に依頼して召喚状を発行してもらったっぽい。

 

 用件は何だろう?

 心当たりがない……というより、ありすぎてわからない。

 

 対外的には「東の賢者の愛弟子」で「雷魔法を操る鬼才」だからねえ。私自身はちょっとだけ理科知識のある凡人なんだけど。

 

「学校って、ずいぶん複雑なつくりをしているんですね」

 

 建物の位置関係を確認しながら歩いていたフィーアが言う。一緒に歩いているジェイドも苦笑した。

 

「似たような建物が多いから、気を付けていないと迷っちゃいそうだ」

「学園全体が複雑なつくりなのは、しょうがないわ。なにせ、元城塞だから」

 

 私は女神の攻略本から入手した情報をふたりに語る。

 

「建国時に王都防衛のために作られたけど、新しい砦や街道ができたことで、戦略的な意味がなくなっちゃったの。でも建物自体は頑丈でしょ? もったいないから学校として再利用したんだって」

 

 いわゆるひとつのエコというやつである。

 何百人も人間を収容する施設を新しく建てるのって、恐ろしくコストがかかるからね!

 

「その上、学部や研究室が増えるたびに増築してきたから……」

「あー……なるほど、だから変なところに変な建物があるんだね。よくわかったよ」

 

 ジェイドが疲れたため息をつく。

 この世界にはまだ、「生活導線」なんて概念はない。せいぜい都市計画をする役人が人通りのことをちょっと考えるくらいだ。無計画に施設を増やした結果、学園は巨大な迷路と化している。

 その上、建国時に砦だった名残で、地下には王城への秘密の抜け道があったり、超古代の重要設備が眠ってたりするのは内緒だ。

 

 ゲーム時にはアイコンタップ一発で目的の施設に行けたけど、実際に暮らすとなると不便極まりないね! 何も考えずに脇道それたら、あっという間に迷子になる自信があるよ!

 

「複雑な建築構造に、死角の多い通路、その上用途不明の部屋多数……」

 

 フィーアが嫌そうな顔でつぶやく。護衛担当の彼女にとって、これほど面倒くさい状況はないだろう。複雑さでいけばハルバード城も似たようなものだけど、あっちは信頼できる騎士が何人も詰めてたからね。

 

「危険個所チェックはボクも協力するよ。全体的な構造把握には、魔力探知を使ったほうが効率がいいからね」

「……せいぜいアテにしておく」

 

 彼女が信頼できる数少ない同僚、ジェイドが励ましても彼女の表情は明るくならない。常に最悪の下を考えられるのが彼女の持ち味なんだけど、ずっとピリピリしてるのは見ていて心配だ。

 

「私もできるだけ、危険なマネはしないようにするわ。……って、ふたりとも、何変な顔してるのよ」

「お嬢様はそう言いながら、危険地帯に頭から突っ込んでくからなあ」

「まさかの信用度ゼロ?!」

「ご主人様への忠誠心と信用度は別ですから」

 

 どっちかひとりだけでもフォローしてよ!

 

「もう……さっさと研究室に行くわよ! 道はこっちでいいんだっけ?」

「その先の建物みたいだよ」

 

 他の建物に埋もれるようにして、一軒の小屋が建っていた。研究室の看板がついているけど、デザインは質素で極端に窓が少ない。元は倉庫として作られたものみたいだ。

 

「リリアーナ・ハルバードです。召喚を受けてまいりました」

「おう、よく来たな!」

 

 ドアを開けると、見慣れたちょい悪イケメンが私たちを出迎えた。

 

 

 



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権力の使いどころ

「ディッツ?! あんた、なんでこんなところにいるのっ!」

 

 王立学園の魔法学科教師に呼び出されて研究室に来てみたら、そこにいたのはうちのお抱え魔法使い、ディッツ・スコルピオだった。

 

「今期から俺も王立学園の教師だからだ」

 

 さも当然、という顔でディッツはニヤニヤ笑っている。

 

「王立学園にお前ら3人だけじゃ不安だからってな、若様が権力にモノをいわせてねじこんだんだよ」

「えええ……」

「お嬢にも一応一言断っておいたんだがなあ……全然聞いてなかったな」

「え」

 

 そうだったっけ?!

 ぱっと横に立つ魔法使いの弟子兼従者に目を向けると、彼は困り顔でこてんと首をかしげた。

 

「うん、ちゃんと言ってたよ」

 

 部下のこんな重大報告を右から左に流してたって、どんだけ上の空だったんだ私……。

 

「でもまさか、こんなに立派な研究室がもらえると思ってなかったなあ」

 

 ジェイドはぐるりと部屋の中を見回す。

 ボロそうな外観とは裏腹に、内装は思ったより快適だった。大きな薬品棚と机、竃などがそろった研究室に、くつろぎのソファスペース。さらに地下室と二階もあるようだ。

 

「これも若様のはからいだ。寮生活じゃ寝室にも他人がいて、おいそれと密談もできないだろ。ここをお嬢の秘密基地として使えってよ」

「離れの秘密基地かあ。やってることが、ハルバード城とまるっきり同じね」

「安心するだろ?」

「うん、すごく嬉しい!」

 

 兄様の心遣いに感謝だ。

 自分だって縁談を壊されてショックだったはずなのに、私のことを考えて手を回してくれるなんて。今度帰省したら、ちゃんとお礼を言わなくちゃ。

 

「しかし、そう頻繁に利用していいものでしょうか」

 

 フィーアが顔を曇らせる。

 

「ご主人様は王子と婚約したことで、社交界の注目の的となりました。幼いころからの魔法の師とはいえ、男性の管理する建物に頻繁に出入りしていたら、あらぬ醜聞を招くように思います」

「その対策も考えてある」

 

 ディッツはにやっと笑った。

 

「王立学園に研究室を構えるにあたって、新しく女の助手を雇うことにした。常に女性職員のいる研究室なら、変な噂も立たねえだろ」

「助手!?」

 

 ジェイドがぎょっとして声をあげた。その顔は真っ青だ。

 私の従者である以上に、師匠の一番弟子であることにプライドを持ってる子だからなあ。自分以外の誰かが師匠を手伝うことが相当にショックだったらしい。

 

「落ち着け、落ち着け。助手っつっても、この研究室を出入りするための肩書みてえなもんだから。あいつはあいつで別の仕事があるんだよ」

「そ、そう……」

「俺が安心して薬品を任せられんのが、お前だけなのは変わらねえから。こっちでも一緒に研究室の掃除をやろうぜ?」

「うん……やる……」

 

 涙目の弟子の背中を、師匠が叩く。この5年で背は伸びたけど、こういうところはまだまだ少年のままだ。

 

「面倒くさい奴……」

 

 フィーアがぼそっとつぶやく。その瞬間、ジェイドがものすごい形相でフィーアを睨んだ。

 ソレ、今言っちゃいけないやつー!!

 

「あ~、とにかく新しい助手は二階にいるから、挨拶してこい」

「3年間お世話になる相手だものね。そうさせてもらうわ」

 

 私は二階に続く階段に向かった。

 

 でも、ディッツの助手としてもぐりこめるような女性の人材って、いたっけ?

 

 



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助手の正体

 倉庫の二階は、居住スペースになっていた。

 広めのリビングの中心には、ソファやローテーブルなど生活に必要な雑貨が細々と置かれている。奥にいくつか並んでいる扉の先が、それぞれのベッドルームなのだろう。

 

 ソファに座って本を読んでいたらしい女性が、私の姿を認めてすっと立ち上がった。

 

 背の高い女性だった。年齢は私より少し上、二十代くらいだと思う。黒髪に黒いローブを着ているせいで、闇の中から溶け出してきたような風情だ。

 

 そして、彼女はめちゃくちゃスタイルが良かった。

 普通さあ、あんなゆったりしたデザインのローブを着たら、ボディラインってぼやけると思うのよ。

 しかし、そこにあるのは隠れるどころかむしろ存在感を主張するダイナマイトマウンテン。

 しかも腰のところめっちゃくびれてるよね? 服の構造から考えて補正下着は一切使ってないよね?

 

 同じ女として嫉妬する場面かもしれないけど、あまりにレベルが違いすぎて、そんな気すら起きない。ディッツよ、どこからこんなワガママボディ連れてきた。

 

「……?」

 

 私がじっと黙っていると、女性がふと首をかしげた。いかんいかん、このままじゃただの不審者だ。手遅れな気がするけど、一応淑女の礼をとる。

 

「えっと、初めまして。リリアーナ・ハルバードよ」

「ドリーと申します」

 

 自己紹介した彼女は、かなりの美人だった。透き通るようなサファイヤブルーの瞳に、整った白い顔。かわいいという印象を受けないのは鋭い眼差しのせいだろうか。怜悧な刃物のような美しさだ。

 

 軽く頭を下げた彼女は、さらりと髪をかきあげる。

 その瞬間、目元の色っぽい泣きボクロが露になった。

 

「え」

 

 おい待て。

 なんでそこにホクロがある。

 

 黒髪、サファイヤブルーの瞳、泣きボクロの美人。

 それらの特徴を持った知り合いがいるんだけど、なんで君がその要素全部盛りで立ってるわけ?

 絶対偶然じゃないよね?

 

「ちょ……ドリーってもしかして……」

「ははっ……」

 

 茫然とする私の目の前で、彼女は笑い出した。こらえきれなくなったのか、体をくの字に折り曲げてくつくつと笑っている。

 顔や体の作りは全然違うのに、笑い方だけは私の好きな人と同じだ。

 

「ちょっと、本名がフランドールだから、ドリーって……安易すぎない?」

「変に呼び間違えなくていいだろう。どうせ、俺が女になっているなんて、誰も思わない」

「そうだろうね!」

 

 ああもう何考えてんだコイツ。

 会いに来てくれたのはめちゃくちゃ嬉しいけど、もうちょっと普通の方法で来てくれませんかね!

 感動の涙も何もかも、全部ふっとんだわ!!

 

 

 

 

 

 



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執着

「この格好は、伊達や酔狂でやってるわけじゃない」

 

 私の反応をひとしきり楽しんだあと、フランは真面目な顔でそう言った。

 私はというと、好きな人がセクシーワガママボディ美女になった、という目の前の現実をまだうまく呑み込めずにいる。

 ディッツの薬で変身したにしても、印象変わりすぎじゃないのか。

 

「これはお前の風評対策だ。王家は表向き、俺たちの縁談を知らなかったことになっているが、そんなわけはない。俺とお前が偽装もせずに会っていたら、たちまちスキャンダルとして取り上げられるだろう」

 

 ディッツの変身薬を知るのはごく限られた人間だけだ。女装どころか体形まで変化させているのを見て、正体を見抜ける人間なんかいない。完璧な偽装工作だ。

 

「と、必要だと頭で理解していても、面倒くさいことこの上ない」

 

 フランは私をじっと見る。

 

「……こんなことになるなら、子供だなんだと言ってないで、一度抱いておけばよかったか」

「へぁ」

 

 今なんつった?

 それ、ハグとかの意味じゃないよね?

 フランは、にいっと口の端を吊り上げる。

 

「俺という男に穢しつくされて、他の誰の花嫁にもなれない、と知っていればあんなクソガキの花束など受け取らなかっただろうに」

「そ……そそそそそ、それは、あのっ……」

 

 どう答えたらいいかわからず慌てていると、フランはふっと視線をそらした。

 

「冗談だ。たらればの話をしたところで、何の足しにもならん」

 

 本当か?!

 本当に冗談か?

 目がマジにしか見えなかったんだけど? 相手が女性の体だってわかってるのに、身の危険を感じたぞ?!

 

「お前と王子の婚約に納得していないのは、俺だけじゃない。お前の家族も、俺の父も姉も受け入れる気はない」

 

 私の縁談は、兄様たちの縁談でもあるから、当然の話だ。

 

「それだけじゃない。クレイモア家、モーニングスター家、カトラス家、お前が関わってきた者たちも不快感を示している」

「え……他の家は関係なくない?」

「関係はある。俺たちは高位貴族だ。ほぼ全員が生涯王家と関わる立場にある。ただでさえ現国王が置物以下だというのに、その後継ぎが仲間の娘に迷惑をかけるアホでは困る」

「ぶっちゃけすぎてない?」

 

 言いたいことはわかるけど!

 今の私の状況を現代日本風に例えると、社長の息子が重役の家族にちょっかいかけたようなものだ。現代ならさっさと退職すればいいけど、ここはファンタジー階級社会。辞表を出してはいおわり、というわけにはいかない。

 

「お前はあの日、身を挺して内乱の危機を回避した。その恩に報いるため、大人たちは全力で動いている。すぐに解決するのは難しいが、諦めるな」

「うん……」

「俯くな」

 

 フランは私の頬を掴むと、強引に私の瞳を覗き込んできた。

 

「足掻け」

「……っ!」

「王妃の悪意に流されるな。黙っていても、状況は変わらない。足掻いて足掻いて、最大限の迷惑をかけてやれ。お前が望むなら、俺は何でもする」

 

 睨みつけてくるフランの青い瞳にともるのは、強い執着の炎だ。

 そうだ、フランはこういう人だった。

 

 愛が重くて面倒くさい男トップ3。

 聖女が自分以外を見ないよう周りの男を排除したり、監禁して世界の終わりを見るような男が、目の前で王子にプロポーズされたくらいで諦めるわけないね!

 今まで邪魔する者がいなかったから顕在化してなかっただけで、フランも十分ヤバい奴だったわー。

 

「クソ王室の都合など知らん。お前は俺のものだ」

 

 でも、もっとヤバいのは自分かもしれない。

 ドロドロの執着心を見せられて、独占欲を目の当たりにして、怖いと思うどころか嬉しいんだから。

 

「……うん、がんばる」

「いい子だ」

 

 フランはふと口元を緩ませると、私から離れた。

 

「帰るの?」

「いや、しばらくここに潜伏する。姉から学園内の調整役を命じられているからな。それに……『攻略対象』も排除する必要がある」

 

 んん? 何か不穏なことを言い出したぞ?

 

 

 

 



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それどんなクソゲー

「ごめん、フラン。今めちゃくちゃ不穏な言葉を聞いた気がするんだけど」

「攻略対象排除のことか?」

 

 何の罪悪感もないのか、フランはけろりとしている。

 いや排除とかどういうことなの。

 

「これはお前のためなんだぞ?」

「どこが!」

「女神の作ったゲームの中には、『悪役令嬢リリアーナ』がその立場を追われるルートがある。覚えているな?」

「……王子様ルート、だよね」

 

 聖女がオリヴァー王子と恋におちるルートだ。婚約者が別の女に心奪われたことに激怒した悪役令嬢は、あの手この手で聖女をいじめて、結局公衆の面前で婚約破棄を言い渡されてしまうのだ。

 

「王子が優秀な少女と恋に落ちたのならば、お前が婚約者である必要はなくなる。王室の問題解決にも聖女の力が必要なのだから、お前のみならずこの国全体にとって、最も望ましいルートと言える」

「だからって、聖女に『王子ルートを選びなさい』とも言えないでしょ」

 

 聖女の力の根源は、恋する乙女心だ。それは政略や契約で無理やり関係を持っても発現しない。彼女が心から好意を寄せたときにしか、世界は救えないのだ。

 だから私は今まで、彼女の行動には直接関わってこなかった。

 

「それはわかっている。聖女に好意を強制できない。だが……この先産まれるはずの恋の芽を摘むだけなら可能だ。周りの良い男が全て排除され、王子しか残されていなかったら、彼と恋する以外ないだろう」

 

 にい、とフランは悪い笑顔を浮かべる。

 確かに理論上はそうだけどさあ!

 

「なに、今までお前がやってきたことと、あまり変わらない。すでに俺はお前以外見る気はないし、アルヴィンは姉を。ヴァンとクリスは生涯の共犯者で、ケヴィンはゲイ。あと残された数名の問題を解決して、聖女と出会う前に幸せにしてやればいい」

「言うのは簡単だけど、本当にそんなことできるの?」

「すでに、カトラス家次男ルイスは国外に出した」

「はいいいいい?」

 

 カトラス侯爵家ルートが、すっぱりカットされただとう?! どんな入学妨害やったんだよ!

 

「悪いようにはしていない。本人が貿易を学びたいと言っていたから、勉強のために交易船に乗せるようダリオに進言しただけだ」

 

 ルイスが王立学園で騎士教育を受けることになったのは、兄ダリオが殺されて自分が家を継ぐことになったからだ。次男として領主以外の夢を持っていてもおかしくない。

 以前、彼がセシリアとの縁談を断った理由がわかった。地方子爵家に婿入りしてたら、商人としては生きられないもんね。

 

「他の連中も同様だ。苦労人の職人が有名工房からスカウトされたり、野心ある商人が王都に店を構える権利を得たりするだろうが、誰も不幸にはならん」

 

 フランはくつくつと笑う。

 

「言ってることは正しい気がするけど、なんか納得いかない……!」

 

 20人以上いた攻略対象がゲーム開始前に勝手に排除されたあげくに、王子ルート1本に制限されてるとか、それどんなクソゲーだよ!

 

 

 

 



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らしく、いきましょう

「もう、何を考えてるんだか……」

 

 ディッツの研究室からの帰り道、私はぶつぶつと文句を言いながら歩いていた。思い出すのはフランの言動である。何をどう間違ったら、攻略対象全排除なんてヤバい思考に行きつくのだろうか。

 

「ご主人様、顔がニヤけてますよ」

「うっ」

 

 隣を歩いていたフィーアが容赦なくツっこんできた。

 ちなみに、ジェイドは研究室に置いてきた。ディッツと打ち合わせがあるだろうし、帰る場所も男子寮だから別行動だ。

 

「……そんなに緩んだ顔してる?」

「してます」

「うああああああ」

 

 なんであんな執着心見せられて喜んでるかなあ、私!

 こっち睨んでる顔とかどう見ても悪鬼だし、そもそも女性に化けてる最中だっていうのに、ドキドキするのが止められない。

 自分にこんな性癖があったなんて、知りたくなかった。

 フランだったら何でもいいとか、ベタぼれ過ぎだろ自分。

 

「いいんじゃないですか、それで。沈んでいるよりずっといい顔だと思いますよ」

 

 うちのメイドは私を甘やかしすぎる。

 好きな人に会えたからって、緩みっぱなしの顔で歩くとか、主としての威厳は……って、今更か。

 

「前向きになったことには変わりないものね」

 

 私は意識して背筋を伸ばす。

 人生がピンチだらけなのは、いつものことじゃないか。

 うずくまっていても何にもならない。いつも通り、何ひとつ取りこぼさないよう足掻くだけだ。

 

「よーし、まずは寮の片付けからね!」

「私たちは特別室でしたっけ」

「そう! サロンつきで贅沢仕様だから、居心地いいと思うわよ」

 

 南の名門ハルバード侯爵令嬢が入居するのは、専用サロンあり、専用浴室あり、専用調理室あり、と何もかもが別格の女子寮特別室だ。

 しかも『王家か勇士7家の者以外お断り』という厳しすぎる入居制限のせいで、フロアにはほとんど誰も入ってこない。

 

「今年の同居人はクリスだけだから、フィーアも気楽に過ごせるだろうし」

「他の勇士七家の女子は通ってないんですか?」

「去年まではケヴィンのお姉さんたちが入ってたけど、入れ替わりで卒業になったみたいね。他の家は男の子ばかりだから、みんな男子寮に集まってるんじゃないかしら」

 

 条件が折り合わなくて、誰も入居しなかった年もあるらしい。そう考えれば、男子寮に何人も入っている今年のほうが、珍しい事態なのかもしれない。

 

「荷物は運び終わってるだろうから、さっさと整理して……」

「そこをどいてくださらない?」

 

 女子寮のドアをくぐり、二階に上がろうとしたところで鋭い声が降ってきた。

 

「へ?」

 

 見上げるとひとつ上のフロア、二階から三階へ上がる階段の前に、女の子たちが何人も集まっている。

 

「何やってるのかしら」

「喧嘩のようですね」

 

 ぴこぴこ、とネコミミを揺らしてフィーアが答えてくれた。

 私たちも二階に上がって立ち位置を観察してみると、人垣の中心に騒ぎの元らしい女の子が3人、立っている。

 3人とも知っている子だった。

 

 ひとりは元ケヴィンの婚約者ツンデレお嬢様ライラ・リッキネン。残りふたりは元(?)悪役令嬢の腰巾着、アイリス・メイフィールド伯爵令嬢と、ゾフィー・オクタヴィア伯爵令嬢だった。

 

 あんたたち、こんなところで何やってんの?

 

 



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仁義なき女子バトル

 女子寮に入るなり、女の子同士の喧嘩に出くわした私は人垣の前で立ち止まった。

 この騒ぎを避けようにも、彼女たちが上のフロアに通じる階段を塞いでしまっているので、迂回できない。

 

 それに3人とも知らない間柄でもないので、無視できなかった。

 

 ひとりは、元ケヴィンの婚約者のツンデレお嬢様ライラ・リッキネン。北の食材流通を一手に引き受ける大商人、リッキネン商会の娘だ。

 そしてあとのふたりはゲーム内で悪役令嬢リリアーナの腰巾着として活躍していたアイリス・メイフィールド伯爵令嬢と、ゾフィー・オクタヴィア伯爵令嬢だ。私がゲームに反して王妃と距離をとった結果、彼女たち自身が王妃の手下に収まっていたはずだ。

 

 3人の様子を見て私はこっそり首をかしげる。

 私の記憶では彼女たちに接点はなかったはず。というか出会う前にライラが『血のお茶会事件』で死んでいたはずだ。

 運命を捻じ曲げ、ライラが生き残ったことで接点ができたのだろうか。

 

「聞こえなかったのかしら。そこをどいてくれないと、部屋に行けないんだけど」

 

 ライラが不機嫌そうに言う。しかし、アイリスとゾフィーはにやっと、実にいやらしい笑顔になった。

 

「あら、この先は貴族専用のフロアですのよ」

「あなたのような爵位もないお家の方の部屋なんて、あるのかしら」

「はぁ?!」

 

 なんて絵に描いたようないびり。

 王妃様のもとで、女子同士の権力闘争とは何たるかを学んだ彼女たちは、まず最初のターゲットにライラを選んだらしい。

 

 確かに三階は中堅から高位貴族むけのフロアだけど、女子寮の部屋割りにはもうひとつルールがある。それが寄付金の額だ。

 ライラの実家リッキネン商会は、娘を侯爵家の婚約者に推せるほどの大商会である。

 そこらの貴族より、よっぽど格式が高いし裕福だ。

 本来はそう簡単に下に見れる相手じゃない。

 

 でも……。

 

「そもそも、よく学園に入学できましたわね?」

 

 クスクスとアイリスが笑う。それを聞いてゾフィーも笑う。

 

「だって、婚約者にふられたんでしょう? しかも、恋愛対象に見れないからって……」

「ふふ、私だったら恥ずかしくて外にも出られませんわ」

 

 今のライラには、格好の攻撃材料がある。

 ちょうどいいカモ、というわけだ。

 

「そんなの、あなたたちに関係ないでしょ」

「私たちは、令嬢としてのふるまいを語っているだけですわ」

 

 クスクス、クスクス。

 アイリスとゾフィーが笑うたびに、少女たちの間に嫌な空気が流れる。

 

 私は一歩、前に踏み出した。

 

 ダメだ。

 これは何かダメだ。 

 そのままにしちゃいけない。

 みすごしたらダメなことだ。

 

「ごめんなさい、フィーア。早速だけど騒動に首を突っ込むわ」

「謝罪は不要です。周囲の警戒はおまかせを」

「助かるわ」

 

 私はずいっと少女たちの人垣に割り込んだ。ライラとアイリスたちの前に立つ。

 

「あなたたち、何を騒いでるの?」

 

 彼女たちの視線が、一斉に私たちに向けられた。

 

 

 



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マウント勝負

「リリアーナ……ハルバード……?」

 

 私が前に出ると、少女たちはそれぞれの感情を返してきた。ライラは単純に驚きを。そしてアイリスとゾフィーは警戒心を示す。

 彼女たちが警戒する気持ちはわかる。

 

 私はお茶会でアイリスたち王妃派に喧嘩を売った令嬢であり、同時に彼女たちが熾烈な争奪戦を繰り広げていた王子様《あぶらあげ》をかっさらっていったトンビだ。感情の話だけ言えば、八つ裂きにしたいほど憎い相手だろう。

 しかし、王妃派は身分を重んじる権威主義だ。身分を使って特別扱いを求める彼女たちは、格上の侯爵令嬢をないがしろにできない。

 

 仲間にすべきか、排除すべきか。

 迷った末にアイリスは猫なで声になった。

 

「大したことではありませんわ。貴き血に連なる者として、わきまえるべき分というものを教えていましたの」

「へー」

 

 わきまえるべき、ねえ。

 

 ゾフィーは心配そうな顔で私に近づく。

 

「リリアーナ様は不安じゃありませんの? このような方とひとつ屋根の下なんて。殺されそうになったのでしょう?」

 

 王妃という情報ソースを持つ彼女たちは、モーニングスター家の騒動の詳細を知っていたらしい。殺人未遂、という罪を聞いて見守っていた少女たちがざわついた。気丈に振舞っていたライラの顔色も青ざめる。

 私はわざとどうでもよさそうな声を出した。

 

「それがどうかしたの?」

「え……?」

 

 殺されかけた一件を持ち出せば、私もライラを糾弾する仲間に入ると思っていたのだろう。ふたりの顔がひきつる。

 

「あなたが命を狙われたのは、事実なんでしょ?」

「その当人が気にしてないし、どうでもいいって言ってるの。彼女は大人に脅された被害者よ。罪なんてないわ」

「しかし……」

 

 反論しようとするゾフィーを見据える。彼女は唇を噛んで押し黙った。

 

「ライラは尊重されるべき優秀な女の子よ。私とモーニングスター侯爵がそう判断したわ」

「しかし」

 

 さらに言い募ろうとしたアイリスを睨んで言葉を封じる。

 

「侯爵家の判断に、あなたごときが口をはさむの?」

 

 権威をかさにきていたところに、さらに上の権威を持ち出されて彼女たちは逃げ場を失う。

 私もこういう権力の使い方は好きじゃないけどね。でも貴族としての格以外の価値観がない彼女たちに言うことをきかせるには、こうする外ない。

 

「そういえば、元々ライラの部屋がないって話だったわよね」

 

 私はくるりとライラを振り返った。

 

「いやあの……私の部屋はあるはずで……」

「だったら、ウチのフロアに来たらいいわ!」

「え」

 

 その場に集まっていた少女たちが全員顔色をなくした。

 

「ルームメイトがクリスだけで、ちょっと寂しかったのよ。行きましょ! きっとクリスもあなたを気に入るわ」

 

 私は強引にライラの手を引いて階段を上がる。立ちふさがっていたアイリスとゾフィーはフィーアが上手に脇にどけてくれた。

 

「待ちなさいよ! あんたのフロアっていったら、最上階の……」

 

 もちろん、専用特別室だよ!

 

 



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特別室にようこそ

「リリアーナ! ちょ、ちょっと待って! 待ってったら!」

「はいはい、もう階段上がっちゃったんだから入る!」

 

 私はツンデレお嬢様ライラを四階特別室のサロンに押し込んだ。

 年月を重ねた上質な調度品が私たちを迎え入れる。一歩中に入るなり、ライラは絨毯にへなへなと座り込んだ。

 

「は……入っちゃった……王族と侯爵家専用サロン……」

「何よー、ライラだってケヴィンと婚約したままだったら、ここに入居してた可能性があったのよ?」

「だから余計に重要性がわかるの! あああああどうしよう……」

「じゃあ、あのまま放っといてほしかった?」

「……それは」

 

 ライラは視線を泳がせる。

 公衆の面前での喧嘩はリスキーな行為だ。勝てば力を示すパフォーマンスになるけど、負ければ赤っ恥をかくことになる。だからアイリスたちは吟味に吟味を重ねて、どう言い返されても絶対に勝てる相手としてライラを選んだ。その判断は残酷なほどに正しい。

 ソシャゲのPVPと一緒だ。レベルや装備を確認して、これなら勝てると判断したからこそ勝負をふっかけられる。

 私が割って入らなければ、ライラは確実に『負け令嬢』のレッテルを貼られていただろう。

 

「ありがとう……正直な話、助かったわ」

 

 ふう、とライラはため息をつく。喧嘩を仕掛けられたのがショックだったのか、いつもの気の強さが見えない。ライラはちょっとツンとしてるくらいのほうがかわいいのに。

 

「……でもいいの? こんなことしたら、あなたが寮母に怒られるわよ」

 

 そういえば、ここの寮母は伝統と格式と賄賂と贔屓を重んじる王妃派のギスギスヒステリーおばさまだった。私のしでかしたことを聞いたら、きっと血相変えて怒鳴り込んでくるだろう。でも、逆に言えばその程度のことしか起きない。

 さんざん命を狙われて育ってきた私にとって、どうでもいい説教はちょっとうるさいBGMみたいなものだ。

 

「ちょっと怒られるくらい気にしないで。何もライラだけのためってわけじゃないから」

「どういうこと?」

 

 ライラが目を丸くする。私はずいっとライラに顔を寄せた。

 

「あの騒ぎを私が見て見ぬふりをしたら、どうなってたと思う?」

「どう……って、私があの子たちに追い払われて終わりでしょ」

「終わりじゃないわよ。あの子たちの行為を認めちゃったら、女子寮では権力をかさに着て下の子たちをいじめていいって空気になるでしょ」

 

 階級社会のこの世界で人類皆平等とまでは言わない。

 でも、同級生に身分を気にしてびくびくするような生活をさせたいとも思わない。

 

「いじめなんてやろうとしても、リリアーナ・ハルバードに恥をかかされるだけだってわからせておかなくちゃ」

 

 私が気合を入れて宣言すると、ライラはくしゃりと表情を崩した。

 

「あんたのそういうとこ……」

「変かしら」

「ううん、嫌いじゃないわ」

 

 そう言って笑った顔は、ちょっとだけツンとしている。

 うんうん、ライラはそのほうが絶対かわいい。

 

「誰?」

 

 ほっとしていると、部屋の奥から声がかかった。すたすたと迷いのない足音が近づいてくる。

 

「あ……やば」

 

 さあっとライラの顔から血の気が引く。

 そういえば、この特別室には私以外にもうひとり、入居者がいたんだっけ。

 

 



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カッコカワイイお姫様

「なんだ、リリィか」

 

 専用サロンにやってきたのは、クリスだった。

 自室という気安さからだろう、彼女はラフな男物の部屋着でスリッパをひっかけている。髪だって纏めずそのままだ。

 しかし、その手にはなぜかシンプルなデザインの剣が握られている。一応刀身は鞘に収められたままだけど、戦う気満々の構えだ。

 

「下から血相変えて人がやってくるから、何事かと思ったよ」

「すばらしい警戒心だと思います」

 

 おい、うちのメイド。

 そこはツッこむとこだろう。

 

「リリィとフィーアはわかるとして……その子は誰?」

 

 剣を降ろして、クリスが首をかしげる。

 

「ライラよ。下に部屋がないっていうから、連れてきちゃった」

「そうか。それは災難だったな!」

「も、もも申し訳ありません。すぐにお暇しますから!」

「気にしないで。好きなだけいてくれて構わない」

 

 クリスは屈託なく笑う。

 

「い……いいんですか……?」

「リリィが連れてきたんだったら、いい子なんだろ?」

 

 クリスは笑顔のままライラに手を差し伸べた。そのまま優しく立たせてあげる。

 こういうところは、男装の麗人王子様スタイルが残ってるみたいだ。

 

「ありがとう、ございます……」

 

 立ちながら、まだライラは目をぱちぱちと瞬かせている。私が軽く肩を叩くと、やっと我にかえったらしく、あわてて背筋を伸ばした。

 

「ちょっと、クリスティーヌ様がこんなにフランクな方だなんて聞いてないんだけど……!」

「嫁ぎ先でイメージチェンジしたそうよ。かっこいいわよね」

「確かに……かっこいいけど……!」

 

 クリスはにっこり笑う。この1年で『笑ってごまかす』というテクニックを習得したらしい。多分、教えたのはヴァンあたりだろう。

 

「私のことは、クリスと呼んでくれ。長ったらしい呼び方は好きじゃないんだ」

「えええ……」

「敬語も使わなくていい。学年も同じなんだろ? 同世代の友人として扱ってほしいな」

「いいいいえ、それはさすがに恐れ多い……!」

「そうやって、みんなが遠巻きにすると私もクリスも友達ができないんだけど?」

「う」

 

 恐縮するライラにつっこむと、彼女はへの字口で言葉をつまらせた。

 そして、緊張でぷるぷるしながらゆっくりと口を開く。

 

「よ、よろしく、クリス」

「はは、ふたり目の女友達だ!」

「お……王族と友達……」

 

 ライラはまだ握手した手を見てぷるぷるしている。身分を理由にして距離をとられたら、こっちが寂しいので早々に慣れていただきたい。

 

「アイリスたちとやりあって疲れちゃったわ。片付けの前にお茶にでもしようかしら」

「準備を……」

 

 ドアの側でひっそり控えていたフィーアが歩き出そうとして、その動きを止めた。黒いネコミミをぴんと立てる。

 

「フィーア?」

「誰か来ます」

 

 私はサロンを見回した。

 私、クリス、フィーア、ライラ。

 特別室のメンバーは全員揃っている。

 ここに上がってこれる人なんて、他にいたっけ?

 

 

 

 

 



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ミセス・メイプル

「失礼しますよ」

 

 ノックの音とともに入ってきたのは、地味なワンピースの上からローブを羽織ったおばさまだった。丸顔にへにゃっと垂れた目もと、体全体のフォルムも丸くて福々しい。丸いのは体だけじゃない。まとっている空気もふんわりと丸く穏やかだ。この世界で現代日本のアイテムに例えるのも変な話だけど、なんだか土産物の福人形っぽい。

 

「初めまして、リリアーナ、ライラ、フィーア。私は寮母のマーガレット・メイプルよ。気軽にミセス・メイプルと呼んでちょうだい」

「え……」

 

 私は淑女らしい仕草を忘れて、ミセス・メイプルをまじまじと見てしまった。

 

 ゲームの設定通りなら、ここの寮母は王妃派のギスギスヒステリーマダムだ。間違っても、こんなに優し気で福々しいおばさまではない。

 あれー? この人って、ギスギスマダムをおさえて生徒のフォローをして回ってた副寮母さんじゃなかったっけ? なんで寮母になってんの。

 

「リリアーナ?」

 

 ミセス・メイプルのおっとりとした視線が向けられる。

 いかんいかん。初対面のおばさまをじっと見つめたら失礼よね。

 

「失礼しました、ミセス・メイプル。私はリリアーナ・ハルバードです。本日よりお世話になります」

 

 私が頭を下げると、ライラ、フィーアと身分の順に自己紹介する。それから私はもう一度頭をさげた。

 

「申し訳ありません……うっかり寮母は別の方だと勘違いしていたもので……」

「ふふ、気にしないで。確かに私が寮母になったのはつい最近のことだから」

「そうだったんだ」

 

 クリスが目を丸くする。

 

「入寮手続きのときに、とても慣れていらっしゃるようだったから、てっきり昔から寮母なのだと思ってた」

「それまでも、ずっと副寮母として勤めていましたからね」

「ええと……前任者の方は……」

 

 地位に固執する元気なギスギスマダムが早々退職するようには思えないんだけど。

 私が尋ねると、ミセス・メイプルは、へにゃっとちょっとだけ眉を下げた。

 

「アルヴィン様の学園改革の折に、退職されてねえ」

 

 兄様の学園改革。その一言と彼女の困った様子で、私はなんとなく何が起きたかを察した。

 きっと、学園全体の改革ついでに女子寮にも査察が入って、退職に追い込まれたんだろう。叩けばもうもうと埃が出る真っ黒マダムだったからなー。

 

 女子寮トラブルイベントの半分くらいに関わっていた(もう半分は悪役令嬢リリアーナ)マダムがいなくなってたのはありがたい。兄様! そして多分女子部担当のマリィお姉さま! 学園を改革してくれてありがとう!!

 

「ライラのことであなたたちにお話したいことがあって」

 

 ミセス・メイプルに視線を向けられて、ライラはびくっと体をふるわせた。

 

「あ、あの、すぐに特別室から出ていきますから!」

「叱るなら私を叱ってちょうだい。連れ込んだのは私だわ」

「ふ、ふ、ふ。そんなに慌てないで。あなたたちを叱りにきたわけじゃないから」

 

 ミセス・メイプルはまたおっとりと笑った。

 

 

 

 



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寮母の采配

「まずはアイリスたちと何があったのか、教えてちょうだい」

 

 私たちをサロンのソファに座らせると、ミセス・メイプルも座って居住まいを正した。

 

「すでに、彼女たちから話は聞いてるんじゃないですか?」

 

 ライラは首をかしげる。アイリスみたいなタイプは、印象操作をするため真っ先に教師や寮母にあることないこと言いつける。彼女たち目線の事件詳細は耳に入っているだろう。しかしミセス・メイプルはやんわりと首を振った。

 

「喧嘩をした子たちがいたら、両方から別々にお話を聞くことにしているの。それぞれに言い分があるはずだから」

 

 ミセス・メイプルの冷静な様子に、私は感心する。身分の高い女子、特に悪役令嬢リリアーナの主張だけ鵜呑みにしてヒロインたちを糾弾していたギスギスマダムとはえらい違いだ。

 

 私たちは、ライラがアイリスに絡まれていたことや、私が割って入ってその場から連れ出したことを説明した。話を止めたりせず、にこにこと笑って聞いていたミセス・メイプルは最後に大きく頷く。

 

「ありがとう、状況はわかったわ」

「では……」

「ふふ、最初に言ったでしょう? ライラを叱ったり、罰を与えるようなことはないわ。安心してちょうだい」

 

 それを聞いて、私もライラもほっと息を吐く。

 

「アイリスとゾフィーには、よく言って聞かせることにするわね」

 

 どうやら、彼女たちはお説教コースらしい。それだけ聞けば手ぬるい印象だけど、入寮当日に喧嘩をふっかけて返り討ちにあったあげくに、寮母から説教されるのはご令嬢としてかなりのダメージだろう。

 それを聞いて、ライラは腰を浮かせた。

 

「わかりました。では、私は自分の部屋に戻りますね」

「あ、ちょっと待って」

 

 ミセス・メイプルがライラを引き留めた。彼女は困惑しながらも、ソファに座りなおす。

 

「あの……私がここにいるのは場違いですから」

「その件なんだけどね、クリス、リリアーナ、ふたりにお願いがあるの。ライラをしばらく特別室で預かってもらえないかしら」

「へ」

 

 私たち3人は同時にきょとんとした。

 ミセス・メイプルはへにょ、と眉尻を下げる。

 

「さっきアイリスたちとお話してきたんだけど、まだ冷静になりきれてなかったの。ライラと顔をあわせたら、きっとまた興奮してしまうわ」

 

 つまり、あのふたりは全然反省してないし、まだまだライラに危害を加えるかもしれないから、引き離しておきたいってことですね?!

 

「そういうことなら構わない。好きなだけここにいていいよ」

 

 クリスがにこにこ笑って答えた。私も同意見だ。

 

「どうせなら、そのまま卒業まで同室でいいんじゃない」

 

 そもそもこの広いフロアをふたりだけで使うのはもったいない。折角の寮生活、仲間は多いに越したことはない。

 

「それはさすがにダメじゃないの? 商人の娘の私がひとりだけ特別室に入れてもらうのもトラブルの種になるわ」

「少々のことは気にしないで。あなたのことはモーニングスター侯爵からくれぐれもよろしく、と頼まれているから。それに、あなただけじゃないの」

 

 ミセス・メイプルはおっとりと爆弾発言を追加する。

 

「もうひとり、特別室で預かってもらいたい子がいるのよ。特例もふたりいれば、印象は紛れるでしょ?」

「どんな子ですか?」

 

 なんと、問題児がもうひとりいるらしい。

 私自身、結構な問題児であることを棚に上げて尋ねてみる。ミセス・メイプルは入り口のドアを振り返った。

 

「さっき、ここに連れてくるよう副寮母にお願いしたから、そろそろ来るはずなんだけど……」

「えええええええええ、ちょっと待ってください! なんでそこの階段まで上がるんですかっ! 私は下でいいです! なんだったら、地下の物置でもいいですから!!!」

 

 のんびりしたミセス・メイプルの言葉を遮るように、女の子の慌てた声が響いてきた。

 なんか聞き覚えのある声だぞ、これ。

 

「無理無理無理無理無理無理! 特別室なんて雲の上の部屋で生活するなんて、むぅぅーりぃぃー……!!」

 

 バタン! とドアを開いて副寮母らしい女性と一緒に入ってきたのは、ストロベリーブロンドのふわふわ美少女だった。

 その姿は忘れようにも忘れようがない。

 聖女(予定)のセシリア・ラインヘルト子爵令嬢だ。

 

 

 



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小動物令嬢と猛獣令嬢

 副寮母に引っ張られて特別室にやってきたセシリアは、とにかく挙動不審だった。半分副寮母の後ろに隠れながら、辺りをきょろきょろと見回している。

 小柄なこともあり、その姿はおびえる小動物のようだ。せっかくの美少女が台無しである。

 そんな彼女に、ミセス・メイプルは変わらずおっとりとした笑顔を向けた。

 

「セシリア、ごきげんよう」

「ごご、ごきげんよう、ございます」

「今日からあなたの部屋はここよ。ルームメイトと仲良くしてちょうだいね」

「いやいやいや、それはダメですよ。私はただの貧乏田舎子爵令嬢なんですから。最上階なんて恐れ多い……三階いえ、それどころかもっと下の部屋でも贅沢なくらいです」

「何を言ってるの。あなたのことはカトラスの身内として扱ってほしい、とダリオ・カトラス様直々にお願いされてるの。侯爵家の一員ともなれば、特別室に住むのが当然でしょう?」

「それ絶対当然じゃないやつです。ダリ兄が妹扱いしても、私が子爵家の子でしかないのは変わりませんから特別扱いしちゃダメです。だから下の階の部屋を」

「却下よ」

「そこをなんとか! 皿洗いでも、部屋掃除でも、なんでもやりますから!」

「そんなこと、余計にさせられないわ」

「うううぅぅぅ、単なる平凡令嬢として世界の隅っこでおとなしく慎ましく生活したいのに、何がどうしてこうなった……」

 

 セシリアはぶつぶつ言いながら頭を抱えている。

 なんだこの状況。

 世界を救うはずの聖女が、ひたすら情けないこと言ってんだけど。

 

 ミセス・メイプルはへにょ、と眉をさげる。

 

「……とまあ、一事が万事この調子なの。とっても優秀な子なんだけど、あまり人付き合いが上手じゃなくてねえ」

 

 確かに。

 セシリアの言動は控え目に言って、割とヤバい。

 私やライラとは別の意味で悪目立ち一直線コースだ。

 

「カトラス候にも特に気を付けておいてほしい、と言われてるし……できれば、あなたたちで面倒みてほしいのよ」

「まあ、放っておける感じではないですよね」

 

 私がそう言うと、セシリアはびくっと体をふるわせた。

 目があうなり、顔からすーっと血の気が引いていく。

 

「リリアーナ……ハルバード……? クリスティーヌも……? マジで……」

「そんなに怯えなくても、取って食べたりしないわよ」

 

 にっこりとほほ笑みかけてみたら、セシリアはとうとう副寮母の後ろに隠れてしまった。

 なんでや。

 

「私……そんなに怖いかしら」

「喧嘩っ早いのが見抜かれてるんじゃないの?」

 

 クリスが冷静につっこむ。

 失礼な!

 ハルバード領では慈愛のお嬢様で通ってるのに!

 

「入寮早々喧嘩に首つっこんでおいて、温厚はないだろ」

「モーニングスター家の騒動にも首を突っ込んでたもんね」

「ちょ、待って」

 

 もしかしてトラブルに突っ込んでく喧嘩上等お嬢様って思われてる?!

 

「ご主人様が騒動に関わることで、多くの者が救われています。誇ってよいことかと」

 

 それ喧嘩云々は否定してないよね?

 誰か私をフォローして!!!!

 

 

 



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学園生活の始まり

 翌日から、学園生活が始まった。

 

「あああ面倒くさい。もうはさみで切ろう」

「待って! 取返しのつかないことになるから!!!」

 

 朝、制服に着替えてサロンに行くと、なぜかクリスとライラが騒いでいた。私と同じように制服を着てソファに座ったクリスの頭を抱えるようにして、ライラが何かやっている。

 

「どうしたの?」

「あ……リリィ、ちょっとこれ見てよ!」

 

 ライラが手を離すと、抱えていたクリスの頭が露になる。そこには、絡まりまくった銀髪があった。

 

「なにこれ……」

「学園の生徒は自分の身の回りのことを自分でやるのがルール、と聞いたからな。自分で髪を結おうとしたら、こうなった」

 

 クリスの見事な銀髪はねじれてぐっちゃぐちゃだ。どうやら昨日のラフスタイルも、自分で髪をどうこうできなかったから、らしい。

 でも、ウチに遊びに来たときには、キレイに整えてたよね?

 

「普段はどうやってまとめてたの?」

「それはヴァ……んんっ! ……こほん。使用人にやってもらっていた」

 

 次期クレイモア伯にやってもらってたんですね!

 わかりました!!!

 つーか、毎日髪を触らせるとか、君たちマジで仲いいな! 羨ましいわ!!

 

「ほどいて結い直そうにも、この状態でしょ? どうにもならなくて困ってるのよ」

「うう……いっそ全部切ってしまいたい。ドレスに長髪が必要なら、その時だけカツラをかぶればいいだろう」

 

 君はどこのフランス貴族だ。

 

「私もほどくのを手伝うから、諦めないで」

 

 とはいえ、この髪を授業開始までになんとかできるんだろうか。私も一緒になって首をかしげていたら、サロンに新たな人物が現れた。

 

「お……おはよう、ございます」

 

 蚊の鳴くような声であいさつしてきたのは、弱気小動物令嬢のセシリアだ。騒いでいる私たちを見つけると、反射的に部屋を出ていこうとする。

 

「待って、逃げないで。困ってるから手伝ってちょうだい」

「え……? 困ってるって……」

 

 おそるおそるやってきたセシリアに事情を説明する。彼女はじっとクリスの髪を見つめたあと、そっと手を伸ばした。

 

「多分、ここをこうすれば……」

 

 彼女はしゅるしゅるしゅる、とまるで魔法のように髪を解きほぐし始めた。ものの数分で銀髪は元通りになる。それだけじゃない。彼女はついでにほどけた髪を三つ編みにまとめてくれた。しかも、サイドの髪がばらけない編み込みスタイルだ。

 

「これで、どうでしょうか……」

「すごーい! あっという間じゃない」

 

 私が手放しでほめると、セシリアは目を丸くした。そんな彼女にクリスも笑いかける。

 

「ありがとう、助かったよ」

「い、いえ、私は、少しお手伝いしただけですから……」

「謙遜しなくていい。君は私の髪と一限目の単位の救世主だ」

 

 クリスがセシリアの手をとって握手すると、彼女はますます困惑顔になる。

 

「く、クリス様って……女性なんですね……」

「うん、そうだが?」

「お姫様が女の子なのは当然じゃないの?」

 

 変な子、とライラが首をかしげる。

 

「あああああ、あ、あ、その。昨日はすごく、かっこいい姿、だったので。でも、髪を整えると、すごく女性らしい方だなって、思って……!」

「昨日の格好のほうが楽なんだがな」

「さすがにアレで外に出ちゃだめでしょ」

 

 私とクリスがくだらないことを言っているのを見て、ライラがため息をつく。

 

「はあ……一時はどうなる事かと思ったけど、なんとか身支度できたわね。急いで食堂に行くわよ。初日から特別室のメンバーが遅刻なんて、笑い話にもならないわ」

「移動は不要ですよ」

 

 フィーアの声が割って入った。

 見ると、いつの間に来たのか、彼女は巨大なフードワゴンを押しながらサロンに入ってくるところだった。

 

「特別室メンバーは、サロンで食事可能です」

 

 特別室、本当に至れり尽くせりだな?!

 



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朝ごはん

 フィーアが運んできたのは、パンあり、卵あり、フルーツありの贅沢ブレックファーストだった。できたてのメニューがサロンのテーブルに広げられる。

 

「おいしそう~!」

「えええええ……特別室だからって、別室で朝食なんていいんですか……私なんか食堂の隅っこで十分ですよ?」

 

 セシリアがぷるぷると震えながら朝食を見る。

 

「構いません。というより、皆さん極力こちらで食べてください。大勢と一緒に食事をとられると、毒見ができませんので」

「Oh……」

 

 フィーア以外の全員の口から、変な声が出てしまった。

 あーそういえば私、王子の婚約者だったわ。クリスはお姫様だし。

 ふたりとも命を狙われる可能性の高い立場だったわー。

 

「だ、だったら、貧乏子爵家の私は下に行っても……」

「アイリスたちの悪戯の餌食になりたい?」

 

 彼女たちは昨日の一件で、私を敵と認定した。特別室入りして、友達になったセシリアもライラもまとめて標的になっているはずだ。私やクリスのような押さえもなしに一人歩きするなんて、襲ってくださいと言わんばかりの行動である。

 それを指摘すると、セシリアは『ひっ』と小さく悲鳴をあげたあと、ぶんぶんと全力で首を左右に振った。

 

「いいじゃない、とにかく食べましょ。フィーアも座って」

「いえ、私は……」

「学園で生活する以上、フィーアも表向きは学生でしょ? あまり特別扱いしないで、同じ学生としてふるまってちょうだい」

「う……」

「これは、ご主人様命令よ」

 

 ご主人様命令で、ご主人様扱いするな、とは我ながら矛盾も甚だしい。でも、こうでも言わないとフィーアは『メイド』の位置から動こうとしないからなー。

 

「……わかりました」

 

 フィーアはしぶしぶ私の隣に座る。

 

「身の回りのことも分担しないとね。特別仕様の部屋だけど、担当の使用人が入るわけじゃないし」

「いえ、家事は私が」

「だーめ、分担するの」

 

 また仕事をしようとするフィーアを私は止めた。

 

「あなたの一番の仕事は私の護衛でしょ? 勉強と家事と私の世話までやってたら、パンクしちゃうわ。まずは護衛の仕事に集中してちょうだい」

 

 ここは部下がたくさんいるハルバードじゃない。交代要員もない状況で、いつものように私に構ってばかりいたら、さすがのフィーアでも疲れてしまうだろう。

 そう言っていると、なぜかセシリアは私をまじまじと見つめている。

 

「どうかした?」

「いいいいい、いえ、なんでもありません。リリアーナ様って、面倒見が……いいなって……思って……」

「ご主人様はすばらしい指導者です。だから、生活をお支えするのは当然なのです」

「わわ、私、掃除と洗濯は得意なので……! 一緒に暖炉の掃除とか、絨毯のシミヌキとかさせてください」

 

 こらこら、聖女がメイドと一緒になってどうする。

 

「同級生にそんなことまで頼めないわよ」

「気にしないでください。私は家事が好きなので……むしろ学園にも行かずに一日中家事だけやってたいとかある……もう家事代行だけで生きていたい」

 

 それはそれでだめだろ。

 

「……侯爵家の身内の子爵令嬢が家事代行はどうかしら。そもそも、ダリオからそれなりの額のお小遣いももらってるんじゃない?」

「だだだ、ダリ兄の感覚で渡された『お小遣い』なんて、額が多すぎて手を付けられませんよっ! 小市民に金貨は多すぎます!」

 

 元々金満家のカトラス家だもんね。金銭感覚が庶民とズレてるのはしょうがない。

 でもそれ以上に気になる発言があったな。

 

「掃除の分担は追々決めるとして、ひとつ聞いていいかしら」

「な、なんでしょう?」

「どうしてダリオが『ダリ兄』なの?」

 

 話を聞いていたライラも不思議そうな顔になる。

 

「カトラス侯とは、血縁ではないのよね?」

「えええと……それは……そのぅ……」

 

 セシリアは、うろうろと視線を泳がせた。

 

 



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ダリ兄

「た、たいした話じゃないんですよ? 面白くもないので、そのままにしておいてもいいんじゃないでしょうか」

 

 セシリアの『ダリ兄』呼びについて突っ込むと、彼女はぷるぷると震えながら視線をさまよわせた。私はひらひらと手を振る。

 

「まあまあ、たいした話じゃないなら、話してもいいじゃない」

「そういう話は、秘密にしてると余計勘ぐられるわよ」

「ええー……」

 

 私とライラに言われて、セシリアは肩を落とした。ゆっくりと事情を話し始める。

 

「…………もう、ご存知かもしれませんが、うちの家は断絶寸前でカトラス家の保護を受けています。実家でひとり暮らしは危ないから、とカトラスのお城に引き取られたときにダリ兄が『家族として扱うから、家族として呼んでほしい』とおっしゃって……思わず『お父様』と呼んだら、いついかなる状況でも『ダリ兄』以外の呼び方は許さない、と命令されてしまったんです!」

「ぶふっ……!」

 

 私は思わず吹き出してしまった。

 ダリオには悪いが、これは笑うしかない。ちょっと横を見ると、フィーアも無表情を装いながら、ネコミミをぴこぴこと揺らしている。

 

 ちょっと濃いめのイケメンマスクのせいで老けて見られがちだけど、ダリオはまだぎりぎり二十代だったはずだ。その歳でセシリアくらいの女の子に『お父様』と呼ばれたらショックに違いない。

 

「ダリ兄の機嫌を損ねてしまった私が悪いんです……! ただでさえラインヘルト家はお荷物だというのに、これ以上ご迷惑をおかけするわけには……」

「いやそれ、単純にショックだっただけだと思うわよ」

「しかし……」

「本気で怒ってたら、わざわざ『ダリ兄』に訂正しないでしょ」

 

 うちに保冷庫を持ってきたとき、ダリオは楽しそうにセシリアの話をしていた。他学部の授業を受けさせたり、寮母に口ぞえしたりとあれこれ世話を焼く姿は、突然増えた妹がかわいいただのお兄ちゃんである。

 

「カトラス候がそんなにおもしろい方だとは、知らなかったな」

 

 クリスも笑う。公式記録ではお見合いしたことになってるけど、実は一度も会ったことのない人だからねえ。

 

「私にとっては、会うたびクソガキ扱いする失礼な人だけどねー」

「それ、絶対原因はリリィにあるでしょ」

 

 ライラはあきれ顔だ。

 

「え~ちょっと債権者であることをかさに着てるだけだよー」

「やっぱり原因はリリィじゃない!」

 

 わはは、ばれたか。

 

「ご主人様、そろそろ時間です。食器を片付けて教室に向かわなくては」

 

 ダリオの話で盛り上がっているうちに、いつの間にか時間が経っていたらしい。私たちは、それぞれ手分けして食器をワゴンに戻すと席から立った。

 一度個室に戻って筆記用具を取ってこなくちゃ。

 

 サロンから出ていこうとした私たちの背中に、ライラが声をかける。

 

「クリス、リリィ、ふたりとも胸の『赤薔薇』を忘れてるわよ」

 

 おっと、そうだった。

 

 

 

 



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契りの赤薔薇

私は自室から筆記用具と一緒に小さなバラのブローチを持ってくると、ローブの胸元の目立つ位置につけた。クリスも同じように胸元に赤いバラを付ける。

 

「ふたりとも、婚約者がいるんだからバラを忘れちゃダメよ」

「は~い」

 

ライラに言われて、私とクリスは異口同音に返事をした。

 

「装飾品が増えるのは面倒だな」

「でも、バラを忘れて男子生徒に声をかけられたら、そっちのほうが面倒ごとになるしねえ」

 

私はため息をつく。

 

王立学園は、地方貴族にとって大事なお見合いの場だ。他の社交場よりも男女の交流が広く認められている。だがもちろん、声をかけてはいけない相手もいる。それが既に婚約者のいる生徒だ。

お互いに不幸な事故を避けるため、結婚が決まっている生徒は相手から贈られた赤薔薇のブローチを胸につけることが慣例となっている。

 

クリスはヴァンから、私は王子から贈られたものを身に着ける。ちなみに、入学歓迎パーティーの前にフランからもらった手作りのバラは部屋の宝石箱の中だ。正直、王子がよこしてきたバラは捨てたいが、そうもいかない。

ゲーム内の悪役令嬢リリアーナは、ことあるごとに赤薔薇を見せつけて「私が! 王子の婚約者ですのよ!」と主張してたけど。

 

「……そうやって、結局目印をつけるくらいなら制服自体を廃止してもらいたいですね」

 

私たちの支度を見ていたフィーアが面倒そうに言う。

 

「そんなにおかしい?」

「おかしいというか、みんな同じ服に同じような髪型なので、区別がつきづらいんですよ。不審者の選別が難しくなります」

 

年ごろも一緒だからなあ。クリスやセシリアみたいに目立つ髪ならともかく、暗い髪色の子はみんな一瞬で集団にまぎれてしまう。

 

「男子が制服を着るのはわかります。あちらは騎士を育てる場なのですから。でも、女子は関係ないでしょう」

 

現在、王立学園では男女ともに制服着用が義務付けられている。男子は王国正規軍制服を簡略化したものを。女子はシンプルなワンピースの上から学園の紋章入りのローブを羽織っている。

男子が制服を着るのは、必要なことだ。騎士教育とは軍人教育。同一装備で同一行動ができるよう訓練しなければならない。

 

しかし、女子は一般教養を学ぶだけだ。それだけ見れば制服を着る必要はない。

 

「んん~……それにはちょっと情けない理由があるんだよねえ」

 

事情の裏側を知っている私は、苦笑した。

 

「赤薔薇ひとつとってもわかる通り、ここはお見合いの場じゃない? だから、女子部ができた当初は、みんなこぞって着飾って授業に出てたのよ」

「まあそうなりますよね」

「ちょっとしたおしゃれならいいけど、みんな自分をアピールするために、どんどん派手になって、毎日が夜会状態になっちゃったのよ」

 

これでは授業にならない、と判断した学園側が制服着用ルールを課したのだ。

さらに、服が一緒なら髪型を、髪型が一緒なら髪飾りを、髪飾りがダメなら靴下を、といたちごっこが繰り広げられた結果、現在では『制服の改造禁止、髪はまとめて、ヘアピンは装飾なしの黒のみ、夜会のような過度の巻き髪禁止、靴下は白のみ』というブラック校則もびっくりな服装規定ができあがっている。

どこの世界でも学生がしでかすことは一緒だね!

 

「……女子って」

 

フィーアが額に手をあてた。ネコミミがへなっと垂れてるから、多分呆れてるんだと思う。

 

「ここの国というか……王立学園の女子は、学校生活が縁談とか派閥とかに直結してるぶん、特別面倒くさいことになってるのよね」

 

女子グループ的なものはあっても、家のパワーバランスまで考えることはあまりない現代日本の学生がうらやましくなってくる。

 

「だからって、逃げたところで問題は解決しないし。どうにかするしかないのよね」

 

なにせ、ここは貴族ばかりが集まる王立学園。現代日本の学生と違って、卒業したら進路ごとにバイバイするわけじゃない。メンバーのほとんどは、その後も引き続き同じ『ハーティア社交界』で顔を突き合わせ続けるのだ。

卒業後、楽しい人間関係の中で暮らしたいなら、まず学生の今から改善しないと。

特に私とクリスは特別室に入居する、産まれながらの学級委員ポジだ。恩恵が多いぶん、下の子たちが安心して暮らせるよう見てあげなくちゃいけない。

 

「まあ、やるだけやってみましょ」

 

私が気合をいれていると、セシリアが苦笑する。

 

「リリィ様は強いですね」

 

伊達に喧嘩上等侯爵令嬢やってないからね!!!!!

 

 



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嵐の前

「講義室に入ったら、またアイリスたちが絡んでくると思ったけど……結構平和ねえ」

 

 その日の午後、私はあくび混じりにそんな感想をもらした。私の横で、クリスもノートを持ち直しながらうなずく。

 

「何かあったら、かばおうと思って警戒していたんだがな」

 

 私は講義の終わった教室を見る。

 そこでは、同じ制服を身にまとった同学年の女の子たちが、それぞれ筆記用具を手に次の講義が行われる教室へと移動を始めていた。

 

 王立学園には、現代日本のようなクラス分けは存在しない。固定クラスがないから、席順とか席替えとかもない。各々、事前に受講申請した教室を回って、卒業までに必要な単位をそろえる形式だ。そこだけ見ると、大学っぽい。通ったことないけど。

 

 必修科目の時には同じ教室に同級生が集まるけど、それだけだ。アイリスたち王妃派の女の子が部屋の奥に陣取っていても、その反対側に座っていれば問題ない。

 

「要は近づかなければいい、ってことね」

「う~ん、それはどうかな……」

 

 私たちを見ていたライラが、首をひねる。

 

「タイミングを見計らってるだけかも」

「そのココロは?」

 

 推理の根拠を尋ねてみる。

 ライラは教室を出ていくアイリスとゾフィーに視線を向けた。ふたりは、わざわざこっちをじろっと睨んでから教室を出ていく。それを見てセシリアがびくっと身をすくませた。

 

「まず第一の根拠は、あの態度よ。あの子たち、ぜんっぜん反省してないでしょ」

「みたいだね……」

 

 ミセス・メイプルのお説教は彼女たちに響かなかったらしい。

 

「第二に……あの子たちって、自分たちの勝利を確信したときだけ、喧嘩をしかけてくるんでしょ? 座学じゃ勝ち目がないからおとなしくしてるんじゃない」

「うん……? 座学勝負で絶対に勝てるほど、私の頭は良くないわよ」

 

 暗算は得意だけど、暗記科目その他はそれなりだ。領主仕事に追われて、勉強できなかった時期もある。事前にフランから授業内容を教えてもらってるから理解できてるけど、それがなかったら平均点をとるのがやっとだろう。

 対して、彼女たちは王妃にお目通りが叶うレベルの貴族だ。教育にたっぷり投資されて育った彼女たちが、私より成績が良くてもおかしくない。

 

「でも、あの子たちは王妃派でしょ? 去年まで王妃様が進めてきたカリキュラムといえば、ダンスや音楽とかの芸事ばかりだったから」

「あー……王妃の教育方針に従って、そればっかり勉強しちゃってたのか……」

 

 彼女たちは両親家族含めて王妃派だ。王妃様の教育指導方針を肯定する立場として、娘に数学や社会学を学ばせたりできないだろう。

 

「だとしたら、仕掛けてくるのは次の必修ダンスの授業か」

 

 うむうむ、とクリスが納得する。ライラは苦笑した。

 

「でも、大丈夫よね。なんといっても、あなたは『白百合』の娘なんだし」

「いや普通に負ける可能性はあるよ」

「はあ?!」

 

 私の自己評価を聞いて、ライラが目を丸くする。

 だって、私は『白百合の娘』でしかないからね!

 

 



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負け戦はしない主義

 ダンス用のレッスン室に移動しながら、私はライラたちに自分のダンスレベルを説明する。

 

「ダンスの練習はちゃんとやってたわ。白百合の娘が、ダンスなんか全然踊れません、じゃ困るから」

 

 ランニングと筋トレ、某国民的ラジオな体操は私の日課だ。ダンスに必要な基礎練習を欠かしたことはない。

 

「だから、人並み以上には踊れるの」

 

 音楽プレイヤーも、レッスン動画もないこの世界では、ダンスの差は教育環境の差でもある。お金持ちのハルバード城では、専属ダンスコーチと楽士侍女を常駐させ、常に最高の環境で教育してくれた。だから、踊れることは踊れるのだ。

 

「でも……結局『人並み以上』程度なのよね……私のダンスって。どう頑張ってもダンスの申し子『白百合』には手が届かないの」

「嘘でしょ……」

 

 ライラはまだ信じられないみたいだ。しかし、事実は事実。

 

「私がいくら健康で体力があるからって、毎日5時間夢中で踊り続けて、ケロっとしてるハイパーダンサーと同じことはできないわ」

 

 無尽蔵の体力に天性のリズム感。その上、一度見た振り付けは全て完璧に踊り切って見せる理解力と記憶力。

 あんな天才に対抗するなんて、女子高生が金メダリストと張り合うようなものである。

 普通に無理だ。

 

「だから、あのふたりにダンス勝負を持ち掛けられたら、負けるかもね」

「なにしれっとした顔で、負け前提の話をしてるのよ……」

「こういう勝負は、勝ち前提で行動すると痛い目みるからねえ」

 

 補佐官に勝負を持ち掛けて、何度返り討ちにあったことか。だが、私もただ勝負に負け続けてきたわけじゃない。負けたらどうするか、負けないためにはどうするべきかを学んできた。

 

「ふふ、対抗策ならあるわよ。私も彼女たちと同じことをすればいいの」

「同じ?」

 

 クリスが首をかしげる。

 

「負けが見えてる勝負はしない! アイリスたちから喧嘩を売られても買わなければいいのよ」

 

 自分がピンチになるとわかっていて、同じ土俵に乗る必要はない。相手がダンス勝負をもちかけるなら、ダンス以外の勝負に持ち込めばいいのだ。

 

「それが本当にできたらいいですけど……」

 

 そこの護衛、心配そうな顔にならない。

 確かに理由次第では、明らかにヤバそうな喧嘩でも買うとこあるけどさあ!

 そこまで信用されないと、傷ついちゃうぞー!

 

「それくらいの判断力はあるわよ」

 

 ぼやきながら、私はレッスン室のドアをあけた。

 そこには、すでに集まっていた同級生と、ダンス教師の姿がある。話しながら歩いていたせいで、私たちが最後になったみたいだ。

 

「遅れてすいません」

 

 私が頭を下げると、先生はにこりと上品に笑った。

 

「大丈夫よ、まだ始業ではないから。あちらのテーブルに置いてある紙を一枚ずつとって、壁際に並んでちょうだい」

「はーい」

 

 私を先頭にして、先生の指示通り移動する。全員がお行儀よく並んだのを確認すると、先生は授業を開始した。

 

「はじめまして、みなさん。私が一年生のダンス講師のルーナ・モントーレです」

 

 挨拶をするモントーレ先生はそれだけで所作が美しい。さすが、王立学園でダンスを教えるだけのことはある。

 

「これから3年間ダンスを学んでいただきますが、まずはあなた方がどれだけ踊れるのか確認いたします。手元の紙を見てください」

 

 指示通り紙を見ると、そこには簡単なイラストでダンスの振り付けが書かれていた。この振り付けは見たことがある。誰でも最初に習う、基本のステップだ。

 振り付け用紙がだいぶ使い込まれていることから察するに、モントーレ先生はあらかじめ振り付けをイラストで解説してから、実技に入るスタイルっぽい。

 

「私が手拍子をするので、呼ばれた子から順番に書いてある通りに踊ってください」

 

 ただ見ただけではダンスの腕前はわからない。実際に踊らせてみて、おおまかな実力を測るつもりみたいだ。とはいえ踊るのは基本中の基本だし、アイリスたちがいくら上手でも大きな差はできないだろう。

 

 ほっとして紙から顔をあげた瞬間、アイリスとゾフィーと目があった。彼女たちは私を見て、にや~っと笑う。

 

 

 君たち、何か悪戯を仕掛けたね?

 

 

 



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ちょっとしたイタズラ

 ダンス担当教師モントーレ先生はぐるっと部屋を見回したあと、自信なさげに端っこに立っているセシリアを見た。

 

「では、最後に教室に入ってきたあなた……名前は?」

「セシリア……ラインヘルトです」

「ではセシリア、前に出て」

「わ、私が最初ですかぁ……!? そそそそそそんな恐れ多い! 私より上手な方はたくさんいます。私はみなさんが踊り終わった後で隅っこでちょっと踊るだけでいいですから」

 

 セシリアのマシンガン弱気トークにも、モントーレ先生は笑みを崩さない。

 

「踊りの上手下手は関係ありません。このレッスンはみんなが楽しく踊るためにあるのですから。さあ、前に出て」

「うぅぅぅ……」

「書いてあるのは、基礎の簡単なステップですから難しく考えなくても大丈夫ですよ」

 

 セシリアはおっかなびっくり前に出る。

 その様子を見ていると、すっとアイリスとゾフィーが近づいてきた。

 

「あらあら、あんなに緊張して大丈夫かしら」

「手足をぷるぷるさせて、まるで産まれたての動物みたい」

 

 クスクス、と彼女たちは笑っている。何かたくらんでいるのは明らかだ。

 私が黙っていると、彼女たちはセシリアの持っている振り付け用紙をに視線を送る。彼女たちにつられてそれを見た私は、やっと悪戯に気が付いた。

 

 セシリアの紙だけ、振りつけが違う。

 詳しくはわからないけど、明らかにイラストの密度が違った。基礎のステップじゃない、かなりハイレベルな内容だ。

 

「うまく、『振り付けの通り』踊れるかしら」

「ふふ、わざと複雑なことをして、大失敗しないといいけど」

 

 振り付け用紙をすり替えたのは君たちだろーが!!

 

 手品の種は簡単だ。

 私たち特別室組の教室入りが遅れているのを知った彼女たちは、配布される紙の一番下だけをハイレベルな内容にすり替えたんだろう。用紙の紛れこみはよくある話だ。

 私達が内容の違いに気づいて、悪戯が不発になってもダメージはゼロ。もし気づかずに私たちの誰かが踊って失敗したら、大成功というわけだ。

 

「あんたたち……何てことしたの」

 

 さあっと顔から血の気が引いていく。

 君たちは、なんだってまたセシリアに悪戯をしかけたんだ。

 そんなことしたら、とんでもないことになるぞ。

 

「まああああっ! すばらしいわっ!」

 

 レッスン室にモントーレ先生の嬉しそうな声が響いた。

 

「え……」

 

 アイリスたち王妃派の女の子たちは、絶句する。私もその光景を見て言葉を失った。

 

 そこには複雑なステップを軽やかに踊る少女がいた。みんなと同じ制服を着ているはずなのに、妖精が花と一緒に舞っている幻が見える。

 ハイレベルな振り付けを渡されたセシリアは、その全てを完璧に踊り切った。

 

 無尽蔵の体力に天性のリズム感。一度見た振り付けは全て完璧に踊り切って見せる理解力と記憶力。間違いなく白百合と同レベルの天才である。

 

「え……私、何かやっちゃいましたか?」

 

 立ち止まったセシリアは、踊っていたときとは打って変わって自信なさげにおろおろと辺りを見回す。モントーレ先生は目をきらきらさせてセシリアをハグした。

 

「こんなに素晴らしいダンサーは白百合以来……いえ、白百合以上ですわ!」

「ええええええっ、わ、わわ私は振りつけの通りに踊っただけです! ききき、基礎のステップなんですから、誰にだってできますよっ!」

「あら、別の紙が混ざってたみたいね。あなたの振り付けは、最高難易度のステップよ」

「えええええええ………」

 

 この日、授業の陰で行われていた『女子対抗ダンス勝負』はぶっちぎりでセシリアが勝利をおさめた。

 当然、私とアイリスたちとの勝負はドローだ。

 

 

 聖女ヒロイン、やべえ。

 

 

 



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噂のあの子は私じゃない

「うう……どうしてこんなことに……」

 

 しょんぼり、と肩を落として歩きながら、セシリアがため息をついた。その横で私は苦笑する。

 

 セシリアが女子対抗ダンス対決をぶちこわしにしてから3日。

 彼女がぶちこわしにしたのは、ダンスの授業だけではなかった。歴史学をやらせれば定説の誤りを指摘し、社会学をやらせれば統計の矛盾点を指摘、数学のテストでは教師が冗談で付け加えた超難問に正解する。

 全ての授業をぶちこわしまくったセシリアは、今や女子部で最も注目される生徒だ。

 

 あまりのことに、『王子と電撃婚約したトンデモ侯爵令嬢』のことなんて、みんなすっかり忘れてしまっている。

 今こうやって歩いていても、すれ違う生徒が目を向けるのはセシリアのほうである。

 侯爵令嬢として矢面に立つことが多かった私が、逆に忘れられるのは珍しい。

 おかげで私自身はぐっと動きやすくなった。

 なるほど、フランが私を囮にして暗躍したがるわけだ。

 派手な女の子がいたら、みんなその後ろにいる影なんか目を向けないもんねー!

 

「ダリ兄の嘘つき……王都の子供は小さいころから家庭教師にみっちり教育されているから、これくらいの勉強できて当たり前だって言ってたのに……全然違うじゃないですかああああ……」

「それはダリオの作戦でしょうね」

 

 ここ数日、セシリアを観察してたけど、彼女は『普通の生徒』であることにこだわりがあるようだった。騒がず目立たず、女子の群れの端っこでおとなしくしていたい。それが彼女の希望だ。

 しかし、運命の女神が彼女に与えたのは万能の才覚と成長チート。

 うもれさせてしまうには、あまりに惜しい。

 

「下手に本当のレベルを教えたら、本気で勉強に取り組まないって、見透かされてたのよ」

「そんなところまで察しが良くなくてもいいのにぃぃ……」

 

 セシリアは涙目になる。護衛のために後ろに控えていたフィーアが口をはさんだ。

 

「差し出がましいようですが、セシリア様はご自分が有能であるということを、お認めになったほうがよろしいかと」

「私はそんなんじゃ……」

「セシリア様がどう思われようと、すでに周りはあなたの力を認めています。極端な過小評価は、無用なトラブルの原因となりますよ」

「フィーアさん……」

「自身を正確に把握し、振舞っていただいたほうが、ご主人様への影響が少なくてすみます」

 

 結局ツッコミの理由はそこかい。

 身もふたもないセリフに、セシリアは一瞬あっけにとられたあと笑い出した。

 

「そういうところは、やっぱりフィーアさんなんですね……」

「まずは次の授業から、少し行動を改めてみたら? 新しい授業で、女子部のクラスメイトも少ないし」

 

 今私たちが向かっているのは、魔法科の講義室だ。女子は婚約者かそれなりの人物の推薦状がなければ受講できない。クリスやライラがいない代わりに、アイリーンたち面倒な王妃派女子もいないのだ。

 周りの女子の反応にいちいち怯えず、自分のふるまいを見つめ直すいい機会だ。

 

「でも……今度は男子生徒がいるんですよね?」

「そっちは大丈夫。騎士科には頼れる友達がいるから」

 

 いざとなったら、ヴァンかケヴィンのどっちか盾になってもらおう。そう考えていると、講義室の間に作られた中庭から声がかかった。

 

「やあ、リリィ」

「えっと……ケヴィン……ごきげんよう?」

 

 久しぶりに会う友達だっていうのに、私は思わず挨拶に疑問符をつけてしまって。でもそれはしょうがないと思う。

 だって、ケヴィンは右に3人、左にも3人。合計6人もの女の子を侍らせていたのだから。

 

 

 



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ケヴィンの騎士道

「久しぶりだね、これから魔法科の授業?」

 

 ケヴィンは左右に女の子を侍らせたまま、にこにこと私に笑いかけてきた。

 え、なんなの。

 これってどういう状況なの。

 っていうか、ケヴィンさん? 女の子と一緒にいるのに他の女の子に声かけて大丈夫?

 みんなずっとにこにこ顔のままだけどさあ!

 

「リリィと一緒にいる子は、初めましてだね。俺はケヴィン・モーニングスター。よろしく」

「せ、セシリア・ラインヘルトです……」

「ラインヘルト! そうか、君が噂の才女だね。かわいくて賢いってすごいな」

「ええええええ私はそんな」

 

 突然ストレートに誉められて、セシリアが真っ赤になる。

 その様子を見ていた女の子たちは、上品な仕草でケヴィンから離れた。

 

「ではケヴィン様、わたくしたちは授業に戻ります」

「うん、またね」

「ごきげんよう」

 

 女の子たちは丁寧にお辞儀すると、笑顔で去っていった。

 うむ、わけがわからん。

 

「どうして婚約者がいたときよりモテてるの?」

「う~ん、あの子たちはモテてるわけじゃないよ」

 

 ケヴィンは苦笑する。

 

「彼女たちが俺と一緒にいるのは、安全だから。俺は正式にゲイだって公表しているから、間違いが起きようがないでしょ?」

「まあ……そうよね」

「でも、周りの男からしてみれば、モーニングスター家の男がそばにいることには変わりない。彼女たちに気があったとしても、強引に手を出すことはできなくなるよね」

「つまり、さっきのアレは彼女たちを守るため?」

 

 ケヴィンなりの騎士道、ということらしい。

 

「そういうこと。ラインヘルト嬢もこっちの授業で何か困ったことがあったら、俺のところに来て。いつでもかばってあげるから」

「はい……ありがとうございます」

「私にはないの?」

 

 つっこんでみると、ケヴィンは笑いだす。

 

「君は最強の護衛を連れてるじゃない。魔法科にだって従者を入学させてるし。下手にかばったら恨まれるから、やらないよ」

「懸命なご判断と思います」

「逆に、フィーアが困っている時は俺のところに来ていいからね。友達の身内は、俺の身内でもあるから」

「お気遣い感謝いたします」

 

 無表情ながら、フィーアが頭をさげる。下心のないストレートな好意はうちの護衛も嬉しいみたいだ。

 

「ふたりは魔法科の授業を受けるんだよね? 俺も受けるから一緒に行こう」

 

 おっと、そういえば授業のためにこっちまで来たんだった。

 ケヴィンに連れられて、私たちも歩き始める。

 

「騎士科のほうはどう? ヴァンとジェイドが一緒なのよね?」

「えーと……」

 

 尋ねると、ケヴィンは微妙な顔になった。端正な顔を歪ませて首をひねる。

 

「落ち着いてるといえば落ち着いてるんだけど……いや、やっぱアレはアレだよなあ……」

「ケヴィン?」

 

 なんだその不穏な言い回しは。

 ケヴィンは疲れたため息をもらす。

 

「ん~なんというか、説明しづらいんだよね。見ればわかるよ」

 

 奥歯にものが挟まったような顔のまま、ケヴィンは講義室のドアをあけた。

 

 そこには、教室の奥の端に仏頂面で座るヴァンと、教室の前の端でヘルムートと一緒に不機嫌そうな顔で座るオリヴァー王子がいた。

 

 うわーこの教室、空気悪ぅ……。

 

 



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教室は戦場だった

「何これ……」

 

 講義室に入るなり、私は思わずつぶやいてしまった。

 魔法は重要な戦術のひとつのため、魔法基礎は騎士科1年生の必修授業だ。だからここには、騎士科生徒がほぼ全員そろってるはずだ。

 

 そんな中、講義室の最後尾でヴァンが、最前列で王子が仏頂面で座っている。

 彼ら以外の一般生徒はというと、友達同士のグループを作りながら、全体的に部屋の奥よりに座っていた。王子の周りだけ、キレイにドーナツ状の空白ができていて、ヘルムート以外誰もいない。

 

 アイリスたちと対立してる私が言うのもなんだけど、騎士科の雰囲気やばくない?

 王室と勇士七家のひとつがあからさまに対立してるとか、まずいでしょ。一般生徒が全然王子に近寄ろうとしてないのも問題だし。

 

 何がどうしてこんなことになってるの。

 そして、こんな状況で私とセシリアはどこに座って授業を受ければいいの。

 顔だけは笑顔を張り付けたままだけど、背中になんか嫌な汗をかいてる気がする。制服の生地が分厚くてよかった……じゃなくて!

 

「ヴァン」

 

 判断に困っていると、一緒に入ってきたケヴィンがヴァンに声をかけた。むっつりした顔で窓の外を眺めていたヴァンの紫の瞳がこちらに向けられる。

 

「ああ、お前らか」

「さっき廊下で会ったから、一緒に来たんだ」

「こっち来て座れよ。クリスの話も聞きてえし」

「そ、そう……ね……」

 

 ケヴィンにも促されて、私は教室の奥へと足を向ける。

 ヴァンとはクリスも含めて友達だから、一緒に授業を受けるのは普通の話だ。

 

 でもこれ、婚約者の王子を無視することになりませんかねぇー?!

 この状況で彼にどう声をかけたらいいかも、わからないんですけどね?

 

 案の定、私が教室の奥へと移動しはじめたとたん、ヘルムートが席から立ち上がった。

 

「お前……」

 

 睨まないで!

 余計そっちに行きたくなくなるから。

 座ったままの王子も、私に鋭い目を向ける。

 

「お前はそっち側なのか」

「……意図をはかりかねます」

 

 だってそもそもハルバード家は宰相派だし、ヴァンとケヴィンとはずっと前からの友達だし、パーティーで一言求婚されただけの王子様よりずっとこっち側ですけどね?

 問い詰められても困るんですよ!

 

 王子も席を立とうとした瞬間、一般生徒たちが動いた。それぞれが、誰と相談するわけでもなくすっと私と王子たちの間に入る。

 彼らの視線は王子に向けられていた。私はその背にかばわれた恰好だ。

 

 えっと……騎士科のみなさん?

 そこの王子様は、君たちが将来仕える予定の君主様ですよね?

 王子より先にその婚約者守っていいの?

 

「貴様ら……」

 

 王子の目がつりあがる。

 何かを言おうとした瞬間、パンパンと手を叩く音が講義室に響いた。

 

「静粛に、授業を始めますよ」

 

 振り向くと、男性の担当教官が入ってくるところだった。彼は教室の異様な空気を無視して教壇にあがる。

 

「全員着席するように」

 

 教官の指示で、生徒たちは椅子に座る。私もあわててヴァンたちのとなりに座った。王子とヘルムートだけが腰を浮かせたままだ。

 

「しかし……」

「オリヴァー、ヘルムート、着席を」

「……はい」

 

 教官の有無を言わさない口調に圧された王子は、しぶしぶ椅子に座る。教官はそれらの行動も全部まるっと無視した。

 

 えええええ騎士科ってこんな空気で授業してるの?

 私まで巻き込まないでほしいんだけど!!

 



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騎士科は地雷原

「どういう状況か、説明してくれる?」

 

 放課後、私はヴァンとケヴィンをディッツの研究室に引っ張り込んだ。もちろん、外では言えない話をするためだ。勢いでセシリアも連れてきちゃったけど、それは置いておく。空気の悪い魔法科の授業を受けるのは彼女も一緒なわけだし。

 

「へー、こんなにいい部屋あったんだな」

 

 ヴァンは部屋を見回してのんきなことを言っている。それを聞いて家主こと、東の賢者が笑った。

 

「お嬢が連れてきたメンツは覚えておくから、好きな時に来ていいぞ」

 

 その横に控えていた黒衣の美女、ドリーがセシリアに視線を向ける。

 

「ここには私もいます。女子おひとりで訪れても大丈夫ですよ」

「あ、ありがとうございます……」

「みなさん、お茶が入りましたよ」

 

 彼らの前にジェイドがお茶を持ってきた。それぞれの前に茶器を置くと、部屋全体にお茶の香りがただよった。

 緊張していたセシリアの表情が和らぐ。

 

「あ……いい香りですね」

「ふふ、ジェイドはとってもお茶をいれるのが上手なのよ~」

「え? ジェイ……彼が……?」

「なんてったって、ハルバード侯爵家仕込みだからね……って、ちがーう!」

 

 私は思わず自分につっこんだ。

 

「お茶のためにここに来たわけじゃないの! お茶はおいしいけど!!」

「あ~教室のことか?」

「そう! なんで真っ二つになってるの」

 

 特別室組と王妃派で喧嘩してる女子部でも、もうちょっと穏やかだぞ!

 ヴァンは嫌そうに顔をしかめる。

 

「あれは王子がアホなのが悪い」

「ストレートだね?!」

 

 ヴァンの後ろで、ドリーがくっと口元を吊り上げる。いやいやいや笑いごとじゃないから。

 

「だってそうだろ。ハルバードとミセリコルデっていったら、ハーティアを支える二大名家だぜ? そいつら怒らせたうえに、クレイモアとカトラスとモーニングスターにまで反感買って、どうやってこの先国をまとめるつもりだっていうんだよ」

「勇士七家のうち、5家だもんね」

「ダガーは断絶してるし、あとはランス家ぐらいだろ。王家の肩もつっていったら」

 

 確かに王は国のトップだ。

 しかし、国とは王に使える家臣あってこそ成り立つものである。ハーティアで勇士七家からの支持は治世に大きく影響する。

 

「その状態で王子でござい、ってふんぞり返ってみろよ。アホすぎてつきあいたくなくなるだろ?」

「まあ……そうかもしれないけどさ……」

 

 でも、それだけじゃあの教室の空気の説明がつかない。

 だって敵意を表してるのはヴァンだけじゃなかったから。なぜか騎士科の生徒も教師も全員王子に冷たい。王子ということで一定の敬意ははらってるけど、それ以上のフォローは拒否しているように見えた。

 婚約の裏事情を知っているヴァンやケヴィンならともかく、一般生徒に王子へ敵意を向ける理由があるように思えないんだけど。

 

「ああ、それはハルバード……というか、アルヴィンさんとリリィが騎士科の恩人だからだね」

「へ?」

 

 ケヴィンの説明をきいて、私は首をかしげる。

 学園改革した兄様はともかく、私がどうして騎士科の恩人に?

 何もしてないけど?

 

「三年前の落第騒動の話だよ」

 

 それを聞いて、私はますます首をかしげた。

 

 



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落第事件顛末記

「三年前に、騎士科生徒の8割が卒業試験を受けられなかった事件は覚えてる?」

 

 ケヴィンにそう言われて、私は頷き、セシリアが首を振った。

 田舎で暮らしていたセシリアには、知りようのない事件だよね。

 

「学園内で王妃派と宰相派が対立してね。アルヴィンさんの卒業を阻止しようと、王妃派の学園長が試験を妨害したんだ。騒動に巻き込まれて、騎士科のほとんどの生徒が卒業資格を得られなかった」

「それがきっかけで学園改革が起きて、学園長は追放されたのよね」

「うん。その裏で……落第させられた生徒たちはどうなったか知ってる?」

 

 今度は私も首を振った。

 事件自体は聞かされてたけど、ハルバードに引きこもっていたので、その後の詳しいことは知らない。

 

「彼らはみんな既に進学先も就職先も決まっていた。それなのに、試験一つで卒業証書が得られなかったんだ。当然進路に影響が出る」

「王立学園の卒業資格は重要なステイタスだもんね」

「いくら妨害があったといっても、詳しい事情を知らない人にはただの『落第生』だ。将来が閉ざされようとしている同級生に手を差し伸べたのが、アルヴィンさんだった。もう一年受講する意志のある生徒には、学費と生活費の支援を。学園を去らなくてはいけない生徒には、学力を保証する書類を発行して就職を支援したそうだよ」

「ええ……それって、ものすごくお金がかかるんじゃ……」

 

 聞いていたセシリアが青ざめた。

 騎士科は1学年に百人以上が在籍している。落第生全員分の支援となると、とんでもない金額になるだろう。

 でも、うちは大富豪ハルバード侯爵家だ。

 

「まあ、出せない額じゃないわよね」

 

 私があっさり肯定すると、セシリアはさらにぎょっとした顔になった。

 

「アルヴィンさんの支援は、落第生だけじゃなくその兄弟や家族、卒業生を雇用する予定だった各行政機関も救ったそうだよ」

「……兄様が騎士科の恩人なのはわかったけど、どうしてそこに私の名前が出てくるの? やっぱり私は何もしてないじゃない」

「当時在学していた姉さんたちから聞いた話だけどね、アルヴィンさんはことあるごとにこう言ってたそうだよ。『自分が学園改革を行えるのは、領主代理を引き受けてくれた妹のおかげだ』って」

「あ」

「さらに、『同級生を支援するお金も、妹のアイデアで給湯器事業を興せたからだ。妹には感謝してもしきれない』ってね」

「あああああ……」

 

 そんな風に説明されたら、みんな私に恩を感じますね!

 わかりました!!!!

 

「何も考えずに同級生を助ける人じゃないと思ってたけど……騎士科をまるごと味方につけるために一芝居うったわね……兄様ぁ……」

「……そういうわけで、騎士科はほぼ全員が宰相派、というかハルバード派なんだ」

 

 ヴァンが顔をしかめる。

 

「そこに、詳しい事情はわからねえが、ハルバードの兄妹をめちゃくちゃ怒らせたらしい王子が入ってきたら……まあ、対応は冷たくなるわな」

「そもそも、騎士科が大変なことになったのは王妃様のせいだったし」

 

 王子様、かなりやばくね?

 



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ゲームじゃない!

 国を立て直そうと思ってるのに、王子と王妃が未来の貴族家当主たちからものすごい恨みを買ってました。

 状況が深刻すぎて、茶化す気にもならない。

 

 えーこれどうやったら、改善すんの。

 だいたい、王子様のキャラがおかしくない?

 

「……オリヴァー様って、そんなに恨まれるような方でしょうか」

 

 隣で話を聞いていたセシリアがぽつりとこぼした。それを聞いてケヴィンが首をかしげる。

 

「セシリアはどうしてそう思うの」

「あ、あああっ、あの、優秀だと伺っていたので! 風の噂で!」

「あいつも生まれた時から英才教育は受けてきたからなー。勉強も武術も人並み以上にはできるはずだ」

 

 そうなんだよね。

 王子は攻略対象。つまり、ヒロインと恋に落ちる可能性があるほど、優秀な人だ。

 

 実際、王子ルートでは聖女と力を合わせて両親に対抗し、国を立て直そうとしていた。国を蝕む母親に反発し、己の存在意義に苦しむ彼を支えるのが、王子ルートの聖女の仕事だ。

 そもそも登場シーンの時点で母親も悪役令嬢も毛嫌いしてたんだよね。

 自分を王子というコマにしか見てないからって。

 

「……そもそも王子様と王妃様って、こんなに仲よかったっけ?」

 

 私が疑問を口にすると、ケヴィンは腕組みをして天井を見つめる。

 

「そういえば、子供のころは一緒にいるのを見たことがなかったなあ。王妃様のパーティーに出席するようになったのって、ここ数年の話じゃない?」

「手駒が減って、息子が惜しくなったんだよ」

 

 ヴァンが吐き捨てるように言った。

 なにそれどういうこと?

 

「何年か前までは、王妃派っていえば王宮の一大勢力だっただろ」

「貴族に加えて、騎士団や王立学園にまで影響してたわよね」

 

 ゲームでは、王妃の勢力範囲に何度涙をのんだことか。どこに行っても、何をやっても王妃様の息のかかった貴族に邪魔されるからね!

 

「その風向きが変わったのが、4年前のマクガイア汚職事件だ」

「あー、宰相閣下が第一師団長を告発したあの事件!」

 

 フランがハルバードに転がり込んできたり、父様が第一師団長になったりした事件だ。忘れようにも忘れようがない。

 

「ハルバード候が入ったおかげで、騎士団は正常化。王妃と関係していた貴族は宰相が根こそぎ取り締まった。さらに、お前の兄貴が王立学園の王妃派を全員追い出した」

「あれ……? そう考えると、今の王妃様の協力者って結構減ってる?」

「まあ一時期ほど多くはねーな。かといって少ないわけでもねーけど」

 

 ヴァンは肩をすくめる。

 

「で、だ。それだけ味方が減ってる状況で、自分の地位の根拠になってる、『息子』を放っておくと思うか?」

「思わない……」

 

 理屈はわかるけど、今まで放置してたくせに勢力維持のために息子へすり寄るとか、王妃様のお腹、真っ黒すぎない?

 ケヴィンが疲れたため息をつく。

 

「そういえば、王妃様のお茶会に呼ばれたとき、彼は結構楽しそうに参加してたんだよね。お母様に招待されたって」

「今まで無視してきた母親が急に構ってくれるようになったから……喜んじゃったんだね……」

 

 事情が事情なだけにいたたまれない。

 そういえば、ゲームイベントで幼少期を寂しく思い出すシーンあったね。本当は母親に愛されたかったって、涙ながらに語ってたね。

 ゲーム内では自分を愛さない両親を反面教師にして、なんとか周りを愛そうとする子だったけど! いざ母親に関心を向けられたら、こうなっちゃうかー!!

 

 国を立て直すために王宮の問題を解決してたら、王子様がマザコンになったよ!

 どうすりゃいいの!

 



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ランス伯爵家の弱み

 今まで冷たかった家族が、自分を見て笑ってくれる。

 それは、機能不全家族で育った子供が一度は見る夢だ。私だって、塩対応だった兄様に頭をなでてもらえた時は、涙が出るほど嬉しかった。

 

 でも、家族のために自分を変える努力をした私と、ただ王妃に利用されるようになっただけの王子とは状況が違う。

 何より、私はあの王妃が息子を1ミリも愛していないことを知っている。

 

 家族に愛されたと喜んでいる子供に、それはまやかしだと告げなくちゃいけないなんて、残酷すぎるだろ。

 

 ヴァンはがりがりと頭をかく。

 

「従者なんだからヘルムートも、ちったぁ止めろって話なんだけどなー」

「あの子はあの子で、王子の言うことなら何でも従うように言われてるからね……」

 

 王宮に出入りして育った分、王子たちの事情を知っているケヴィンが困り顔になる。

 

「ランス家が王室の言いなりになってるのも問題だよね。どうしてそこまで、王家や王妃の肩を持つんだろう」

「なんだ、ケヴィンお前知らねえの?」

「知らないって、何を?」

「ランスは王家にデカい弱みがあるんだよ」

 

 ランス伯爵家は、ハーティアの西の国境を守る騎士の名門だ。キラウェアとはじめとした、西側諸国からの侵攻を何度となく食い止めてきた歴史がある。本来なら、東部防衛の要クレイモア伯爵家と同等に扱われる。

 

「弱みの発端は200年前の駆け落ち事件ね」

「あ~……歴史の授業で習った……ような?」

 

 ケヴィンが首をかしげる。

 事件っていっても、それをきっかけに戦争が起こったとかじゃないから、歴史書でもあまり大きくは取り上げられない。でも、ランス家にとっては最も重要な事件のひとつだ。

 女神の乙女ゲームでも重要なエピソードだから、攻略本には詳細が載せられているけど。

 

「ハーティア王家と勇士7家は受け継ぐ血統そのものが重要。だから、外国から人を入れることはあっても、子供を国外に嫁がせたりすることはないわよね」

「ああ、なんかそんな話だったね。国王の兄弟姉妹はだいたい国内の貴族と婚姻するって」

 

 仕事の都合で国外に出ることはあっても、血族がそのままハーティアの外に居つくことは法で禁止されている。その結果、建国から500年が経過して血が混ざった現在では、王家と勇士7家は全員が遠い親戚関係にある。

 

 駆け落ち、外国に嫁げない、というパズルのピースを渡されたケヴィンは、はっと息をのむ。

 

「駆け落ち事件って、もしかして……」

「そう。当時のランス家末っ子が、王女様を連れて国外に逃亡したのよ。……その王女はランス家長男に嫁ぐ予定だったらしいわ」

「うわあ……それは、王家の怒りを買っただろうね……。ちなみに王女様たちはその後どうなったの?」

「あまり長生きはしてないんじゃないかなあ。北東の霊峰あたりで足取りが消えたそうだから」

 

 霊峰といえば、獣人くらいしか住めない厳しい土地だ。お城育ちのお姫様が生きていけるとは思えない。攻略本もそこまでしか記録していなかった。

 

「ランス家はその事件以来ずっと、王家に対して弱腰なのよね」

「いやでも200年も前のことだよね? ずっとそのままって変じゃない?」

「そこはかわいそうだと思うんだけどね……」

 

 私は重いため息をつく。

 

「汚名を返上しようとした現ランス伯は、西側諸国と融和したって手柄をたてるために、キラウェア国の第二王女カーミラと王太子の結婚を提案したのよ」

「ええええっ、つまり王妃様が嫁いできたのは、ランス伯が勧めた……から?」

「ランス家が王妃を否定できないのは、そこが原因だよなー。王妃が悪いって話になったら、そいつを呼び込んだランスも悪いって話になるから」

 

 あーやだやだ、とヴァンは悪態をつく。

 ランス家にも王妃にも思う所が山ほどある彼は辛辣だ。

 

「ヘルムートにも、王子にも事情がある、っていっても放っておけないよね……」

 

 何故ならハーティア国王位は世襲制で、現国王の子はオリヴァー王子しかいないからだ。

 

 

 



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その問題は誰のせいか

「え~と……今までの話をまとめると、これからのハーティアをなんとかするには、王子を王妃様から引き離さないとダメ……ってこと?」

「あいつがこのまま王になるなら、そういうことだな」

「ええええええ……」

 

 いきなり王子の婚約者にされただけでも面倒なことになってるのに、マザコン王子の目を覚ませて、さらに王妃を退陣に追い込まないといけないとか、だいぶ無理ゲーじゃない?

 

「でも……こうなったのも……自分のせい……?」

 

 そもそも、王妃が彼に接近したのは王子がひとりだったからだ。

 10歳の私は王妃怖さに彼との婚約を拒否した。その後も、彼女と関わりたくなくて王宮関係のイベントはできるだけ避けてきた。

 王家の問題は聖女にしか解決できないからと言い訳をして、ひとりにした。

 ずっと彼を放置し続けておいて、今更自分たちの望む姿に成長してないからといって、不満をもらすのは筋ちがいだろう。

 

「だから……私は……」

 

 すっぱーんっ!

 

 突然、頭を叩かれて思考が途切れた。

 あわてて顔を上げると、いつの間にか私の後ろに移動していたドリーが、冷ややかに見下ろしている。

 乙女の頭に何をする。

 いや今は乙女同士だけどさ!

 

「全ての出来事が、お前ひとりの責任なわけあるか。うぬぼれも甚だしい」

「え……でも……」

「今の状況は、貴族全員の責任だ」

 

 ドリーが断言すると、ヴァンとケヴィンが頷いた。

 

「俺も王妃が面倒くさくて王子を避けてたひとりだからな」

「俺もだ。そもそも、人と本気で関わってこなかったしね……」

「いやふたりには事情があったから……」

「それはお前もだろ。11歳で領主代理やらされてた奴が王家の問題まで関われるかよ」

「それはそうなんだけど……」

「よし、決めた」

 

 ヴァンが立ち上がる。

 

「リリィ、王子の件は一旦俺たちに預けろ」

「ほぇ」

「男の立場で考えてみろ。あんな孤立した状態で、女に、しかも婚約者にかばわれたら、余計こじれるぜ」

「え? そういうもの?」

 

 アイリスたちと対立しているところを想像してみる。そこに王子が割って入ってきたら……うん、確かにややこしいことになりそう。

 

「それにね、リリィ?」

 

 ケヴィンも立ち上がって笑う。

 

「今日の授業中、君の様子を見てたけど……王子との婚約をまだ受け入れられてないよね? 彼と冷静に向き合える?」

「う……それは、そのう」

「できないよね?」

「……はい、その通りです。ごめんなさい」

 

 できないことを、無理にやろうとしてしまいました。

 

「あはは、謝らなくていいよ。さっきも言ったでしょ、王子の問題は俺たちの問題でもあるって。騎士と王子の間にできた溝は、騎士科の俺たちが解決しなくちゃ」

 

 ぽん、と頭に手が載せられた。見上げると、ドリーの青い瞳と目があった。

 

「あなたは何でも、自分の問題にしすぎるんですよ」

「……わかった」

「その代わり、女子部のほうはお前がどうにかしろよ。女の争いこそ、俺たち男が手出しできねえからな」

「りょーかい!」

 

 あっちはあっちで、放っておけないもんね!

 

 



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疲れた時にはイベントだよね

「ただいまぁ~」

 

 セシリアと私はへとへとになりながら特別室のドアを開けた。ディッツの研究室で話しこんでいたせいで、すっかり日が落ちてしまっている。フィーアを連れててよかった。学園の敷地内とはいえ、暗い石造りの廊下をか弱い女の子だけで歩くのは怖い。

 

「おかえり、ずいぶん遅かったな」

 

 相変わらず、寮ではラフな格好のクリスがひょこっと顔を出す。サロンが騒がしくなったのに気付いたのか、ライラもやってきた。

 

「下から夕食のワゴンが届いてるけど、どうする? 毒見が必要って言ってたから、食べずに待ってたけど」

「失礼しました。すぐに準備いたします」

 

 フィーアがさっとワゴンに向かっていった。私はふたりに頭をさげる。

 

「ゴメン! 私のせいで……」

「気にしなくていい。毒見が必要なのは私も同じだ。それに……騎士科で何かあったんだろ?」

 

 クリスが肩をすくめる。

 

「ちょっと、騎士科でってまさか……」

 

 不穏な空気を察したライラの眉が吊り上がる。

 

「セシリア、男子にいじめられた? 気が弱そうだからって悪戯されてない?」

「いいいい、いえいえ! 私は大丈夫です! リリィ様がかばってくださってるので!」

「問題は別よ」

 

 私はクリスとライラに騎士科の空気の悪さを説明した。話を聞いたふたりの口から、重いため息がもれる。

 

「騎士科の様子はヴァンからも聞いていたが……そこまでとは」

「どーにもならないから、ヴァンとケヴィンに丸投げしてきちゃったわ」

「ヴァンが任せろ、と言ったのなら大丈夫だろ」

「……だといいけど」

 

 クリスの言うことはもっともだけど、やっぱり心配になってしまう。

 話していると、フィーアがフードワゴンを持ってやってきた。毒見は全て終わっているのか、彼女はいつものてきぱきとした手つきで配膳を始めようとする。

 

「あ、ちょっと待って」

「なんでしょう?」

 

 それを見たクリスが慌てて止めた。

 

「今日は無礼講パーティーにしよう!」

「……はい?」

 

 フィーアはお皿を手に持ったまま、きょとんとする。

 

「疲れてるときにテーブルマナーを気にしながらごはん食べたら、余計疲れるだろ? たまには絨毯に転がって、思いっきり行儀悪くごはん食べない?」

「ちょ……それ……」

 

 ライラが顔をひきつらせる。床でごはんを食べるなんて、淑女にあるまじき行動である。

 でも……

 

「いいわね、おもしろそう!」

「えええええ? リリィ様!?」

「いいじゃない、どうせこのフロアには私たちしかいないんだから。普段いろいろ見られてる分、羽を伸ばしたってバチは当たらないわ」

「ゆ……床ですよ?」

「やると結構楽しいぞ」

 

 クリスはすでに絨毯の上で胡坐をかいている。

 オヌシ、さてはこの行儀悪い食事会に慣れてるな?

 

「クレイモアのおじい様と、時々こうやって食事をするんだ。体面を気にしてても、肩が凝るばっかりだからさ」

「悪いおじいちゃんだなー」

「それは否定できない」

 

 クリスは楽し気に笑う。

 しょうがないお姫様もいたものである。

 

「セシリア、部屋着に着替えてきましょ」

「え……」

「確かに、くさくさしてたってしょうがないもの。おもしろそうなイベントには全力参加したほうが人生楽しいわ」

 

 彼女が突然無礼講だなんだと言い出した理由は明白だ。

 こんな風に思いやってくれる友達の気持ちを、無碍にするわけにはいかない。

 それに、日本人だった小夜子の記憶があるぶん、床に座って食べるごはんにそこまで抵抗はないんだよねー。

 

「あわわ……」

 

 慌てるセシリアの背を押して、私は寝室に向かう。

 女同士のディナーイベントとか、絶対楽しいやつだよね!

 

 

 

 



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クレイモア式令嬢育成法

「へえ……なかなかいいじゃない」

 

 着替えて戻ってくると、すでにパジャマパーティーの準備は整っていた。

 テーブルは端に寄せられ、絨毯の上に広げた敷物の上には今日の夕食がつまみやすい形で並んでいる。ふと見ると、いつのまに着替えたのかフィーアもゆったりとしたデザインの部屋着だった。

 

「ふふ、ミセス・メイプルが見たらびっくりするわね」

 

 すでに胡坐でくつろいでいるクリスの正面に座る。あとからやってきたライラも覚悟を決めたのか、絨毯の上に座り込んだ。

 

「ちょっとドキドキしますね……」

 

 セシリアがおっかなびっくり敷物の端に座る。さらにその端に……と移動しようとしたフィーアを掴まえる。

 

「今日は無礼講って言ったでしょ。フィーアも近くに座ってよ」

「もう……しょうがないですね」

「よし、みんな座ったところで乾杯するか」

 

 ニコニコ顔でクリスがそう宣言する。

 

「乾杯っていっても、お茶しかないけど?」

「酒ならあるぞ」

 

 クリスは平然と何かを私たちの前に置いた。一抱えほどある木製のオブジェ。それはミニサイズだったけど、明らかな酒樽だった。

 

「えええええええ? クリス、どうやってそんなものを持ち込んだの!」

 

 ここは超名門お嬢様だけが通う王立学園女子寮である。当然、酒の持ち込みはご法度だ。

 

「引っ越しの荷物に入れてきたけど?」

「いやそれ止められるでしょ!」

「うん? 何も言われなかったぞ?」

「……特別室組は、荷物チェックはありませんから」

 

 フィーアが静かに説明を加える。

 確かに私も自室に魔法薬を持ち込んでるけどね?

 

「だからって、酒を樽ごと持ってくるとか……クレイモア家は誰も何も言わなかったの?」

「これはおじい様からのプレゼントだ。友達ができたら一緒に飲めと」

 

 おじぃちゃあああぁぁん……!

 孫娘に何を持たせてるんですかあああああああ!

 

「ヴァンは何て……」

「私が荷物にコレを入れてたら、『こっちもオススメだ』って、もう一つ樽を……」

 

 婚約者あああああぁぁぁぁ……!

 

「ふたりして未成年の女子に何やってんの」

「確かに完全な大人じゃないが、もう夜会には呼ばれる歳だろ。そろそろ酒の飲み方を覚えておいたほうが安全だ、って言ってたぞ」

「それはまあ……そうなんだけど」

 

 下手にパーティーで酔っ払って恥をかく前に、自分の許容量は知っておいたほうがいいかもしれないけどさ。

 

「はあ……もうバカバカしい」

 

 ライラがため息をついた。

 だよね、なんかおかしいよね。

 同意を求めようとする私の目の前で、ライラはカップをクリスに差し出した。

 

「一杯ちょうだい」

「まかせろ!」

「ライラぁ!?」

「身分だなんだと人がいろいろ考えてるのに、お姫様がこれで、侯爵令嬢がアレなんだもの。気を遣ったこっちがバカみたいじゃない。無礼講だっていうなら、好きにさせてもらうわ」

「おぉ……」

 

 開き直ったライラは頬を膨らませながら、クリスから酒の入ったカップを受け取る。

 

「皆様、ご安心ください。東の賢者より万が一のための二日酔い解消薬を預かっています。明日の授業に支障は出ないかと」

「安心すべきところは、そこなのかな……」

「じゃあリリィは飲まない?」

「飲むわよ!」

 

 私だってストレス発散したいもん!

 

 



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お姫様の秘密

「かんぱーい!」

「か、かんぱーい……」

 

 今日は無礼講で騒ごう、と決めた私たちは勢いよく乾杯した。少し遅れて、セシリアがおどおどとカップを持ち上げる。

 

「せっかくだし、何か話しましょうよ。……っていっても、何を話すべきなのかよくわかんないけど」

「わかんないって、リリィ……」

 

 ライラが私を見て呆れる。

 しょうがないじゃん、立場上同世代の友達少ないんだよ。

 

「クレイモアの飲み会だと、こういう時は秘密を暴露し合うな」

 

 ついに飲み会と断言してしまったクリスがアイデアを出す。

 

「ひひひ秘密……? そ、そんなものを話さないといけないんですか?」

「あはは、怯えなくていいよ、セシリア。秘密といってもちょっとしたことでいいんだ。そうだな……私の秘密からいこうか」

 

 クリスはにやっと笑った。

 

「……実は、酒樽はまだあと二個ある」

 

 つまり合計四個の酒樽が女子寮に持ち込まれているわけか。

 

「どれだけ酒を持ち込んでるのよ!? あと、その調子だと、絶対つまみになるものも隠してるでしょ!」

「干し肉とか燻製チーズならあるよ。といっても、こっちは非常食だけど」

 

 それを聞いて私たちは頭を抱えてしまう。

 どんだけワイルドなんだ、このお姫様。クレイモアでの育ちを差し引いたとしても、やることが豪胆すぎるだろう。

 フィーアがふう、と重いため息をもらす。

 

「クリス様、あとで食料品だけでもチェックさせてください……保存食は定期的に新しいものと交換しないと、いざという時に困るので」

「そうだね、もうばらしちゃったし……フィーアにはあとで保存箱を見せてあげるね」

 

 おおざっぱなクリスが消費期限を考えて管理するとは思えないもんね……。女子寮特別室からネズミや虫が大量発生とか、笑い話にもならない。

 

「じゃあ次! 誰かない?」

「うーん……そうねえ……」

 

 私たちはそれぞれ考え込む。

 私もそれなりに秘密は持ってるけど、その大半は本物の機密情報だ。女子会でちょっと共有できるかわいい秘密が少ない。

 ぐぬぬ、こんなことで苦労するハメになるとは。

 

「では、僭越ながら私が」

 

 す、とフィーアが手をあげた。

 

「珍しいね、フィーア」

「場を盛り上げる話題を提供するのも、その……学生らしいふるまいと聞きましたので」

 

 補足説明がちょっと学生らしくないけど、その姿勢は学生らしくていいと思うよ!

 

「それで、どんな秘密なんだ?」

「フィーアって、全然自分のことを話さないから興味あるわ」

 

 クリスとライラも興味津々、とフィーアを見つめる。

 

「では私のネコミミにご注目ください」

 

 うんうん、いつも通りふかふかモフモフでかわいいね!

 

「このネコミミは、消すことができます」

 

 そう言った瞬間、ぴこぴこ動いていたネコミミが、跡形もなく消えてしまった。

 

 

 

 



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ネコミミの秘密

「は……え……?」

 

 私は、目の前の状況が信じられず、何度も瞬きした。

 しかし、何度見直してみてもフィーアの頭にかわいいネコミミがない。普通の人間と同じ、丸い頭のラインがあるだけだ。

 

「ええええええええ? あのふわふわのお耳は!? チャームポイントはどこに? モフモフカムバック!!」

「リリィ、落ち着きなさいよ」

「落ち着いてられないわよっ! モフモフが……! モフモフが……!」

「すぐに戻せますよ」

 

 言うが早いか、フィーアの頭にまたネコミミがにょきっと生えた。

 

「ええええ……」

 

 なんだそれ。

 安心したけど納得いかない。

 

「おもしろいな。獣人はみんなそうやって耳を隠せるのか?」

「いえ、おそらく私だけです。これはユニークギフトを応用した術ですから」

 

 フィーアのユニークギフトは、『黒猫への完全変化』だ。その変化の過程で、うまく耳の出し入れをしているんだろう。

 

「そんな風にできるのなら、普段から隠してたほうがいいんじゃない?」

 

 ライラが心配そうに言う。

 

「確かに……隣にリリィがいるから誰も何も言わないが、フィーアのネコミミを不躾に見ている生徒は多いからな」

「モフモフがって言っておいて、なんだけど……フィーアが隠したいなら、隠していいのよ? そこはあなたの自由だと思うし」

 

 しかし、フィーアは首を振った。

 

「どうせ今更です。ご主人様の専属になった時点で、私が獣人であることは周知の事実でした。取り繕ったところで、余計からまれるだけです」

「そうかもしれないけど……」

「それに、この耳はとても便利なんですよ」

 

 フィーアはにやっと笑った。

 

「みなさん、私を見るときは必ずこの耳を見ます。私といえばネコミミ、ネコミミといえば私。むしろネコミミで私かどうか判断していると言っても過言ではありません」

「いや誰もそこまでは言ってないと思うけど……」

「これは確定的事実です。そして、ネコミミで認識されている私が、このように耳を隠して歩いていたとして。彼らは果たして、私だと気づけるでしょうか?」

「あ……」

 

 私たちは言葉を失う。

 普段から目立つアイコンを見せつけておいて、いざという時に隠す。ネコミミという大きな特徴を逆手に取った、とんでもない隠密術である。

 フィーアをネコミミで認識している他人はもちろん、顔をよく知っている私たちでも気づかない可能性は高い。

 

「内緒ですよ」

 

 にっこり微笑まれて、私たちは降参する。

 これはとんでもない秘密を知ってしまった……!

 

「次はどなたの秘密にしますか?」

「う~ん……」

 

 今秘密を話していないのは、私、ライラ、セシリアの三人だ。

 私はカップに残っていたお酒を飲み込んでから口を開く。

 

「じゃあ、ちょっと重めの秘密を……。私と王子の婚約は、王妃の策略によるものだわ」

 



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侯爵令嬢の秘密

 王子との婚約は王妃の策略だった。

 私の秘密の暴露を聞いて、ライラとセシリアは息をのんだ。

 

「また重い秘密を……」

「でも、こういう機会でもないと話せないし」

 

 私が苦笑すると、ライラも諦め気味のため息をついた。

 

「王子様の扱いが何か変だと思ったら……やっぱりそういうことだったのね」

「そんなに態度に出てた?」

「あんな嫌そうな顔で赤薔薇を胸につけてたら、誰だって『何かあるな』くらいは思うわよ」

 

 あちゃー。

 

「フィーアは側近だからわかるとして、クリスが驚いてないのは知ってたから?」

「ああ。入学前に元々誰と婚約するつもりか、教えてもらってたんだ」

「ええええ……お、王子様の他にお相手がいたんですか?」

 

 セシリアがあわあわとうろたえながら尋ねて来た。私はこっくりと頷く。

 

「うん」

「それなのに……王子様のプロポーズを、受けたんですか?」

「全貴族の目の前で公開プロポーズされて、お断りなんかできるわけないでしょ」

「そんな……」

 

 セシリアの顔が青ざめる。ライラがずいっと私に顔を寄せた。

 

「ちなみに、相手が誰だか聞いていい?」

「ここまで言ったら隠してもしょうがないわよね。フランドール・ミセリコルデよ」

「宰相の……!?」

 

 セシリアがまた息をのむ。

 

「そう、宰相の息子のフラン」

「宰相家のフラン様っていえば、どこかの領主補佐官になったって聞いたけど……そっか、それがリリィの家だったのね」

「私がハルバードの領主代理をしている間、ずっと支えてくれてたの」

「領主代理と補佐官の関係が、恋愛に発展したのね。うん……なんかしっくりきた。そっちのほうがよっぽどリリィらしいわ」

「王子様以外に好きな人がいるなんて、どこにも公言できないけどねー」

「いいじゃない!」

 

 ずい、とまたライラが顔を近づけてきた。

 その目はなぜか潤んでいる。

 

「いいじゃない、恋愛しても! 貴族だからって気持ちを押し込めるなんて変よ」

「お、おう……?」

「好きなら、その人と一緒になればいいのよ。私だって……私……だって……」

 

 言っているうちに、ライラの目からぼろぼろと涙がこぼれだした。

 

「私……私ね……元は親戚に押し付けられた縁談だったけど……本当はね……本気で……ケヴィン様のことが、好きだったの……」

 

 ライラの手元を見ると、カップの中のお酒がすっかりなくなっていた。

 どうやら彼女は泣き上戸だったみたいだ。

 

「縁談はあんなことになっちゃったし……ケヴィン様が……女の子を好きにならないって……わかってるけど……好きなの……」

「そっか……」

「好き……ケヴィン様ぁ……まだ好きぃぃぃ……」

 

 よしよし、と背中をなでてあげるうちにも、ライラの涙はどんどんあふれてくる。

 客観的に見て、ケヴィンはとてもいい男だ。あんなに気配りのできるイケメンと婚約して、好きにならずにいられないだろう。

 しかしライラとケヴィンの縁談は暗殺未遂事件になってしまった。ケヴィンがゲイを公表したこともあり、ライラの恋が成就する可能性はゼロだ。状況的に親兄弟にすら想いをうちあけられないだろう。

 これは今、ここでしか吐き出すことのできない気持ちだ。

 

「好きぃぃぃ……」

 

 何度か目の『好き』を繰り返したあと、ライラはそのまま絨毯の上に崩れ落ちてしまった。泣きはらした顔で、すうすうと寝息を立て始める。

 

「寝てしまったか」

「今日の女子会はここで終わりにしたほうがよさそうね」

「私がライラを部屋まで運ぼう」

「私は食器を片付けますね」

 

 クリスとフィーアがそれぞれに動きだす。

 

「じゃあ私は部屋に……」

「待って」

 

 引き揚げようとしたセシリアの手を私は掴んだ。

 

「もう少しだけ、ふたりで話さない?」

「え……」

「私はまだ、あなたの秘密を聞いてないわ」

 

 

 



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聖女の秘密

「私の秘密って、どういうことですか……」

 

 セシリアを私の寝室に連れてくると、彼女はおどおどと辺りを見回した。その様子は相変わらず警戒する小動物っぽい。

 

「貧乏子爵家の私に、大した秘密はないですよ?」

「あるでしょ、人に言えない秘密がたくさん」

 

 私が言い切ると、セシリアはびくっと体をすくませた。

 

「その中でも私が一番知りたいのはあなたの前世。セシリア、あなた転生者でしょ」

「テンセイ……シャ?」

「セシリア・ラインヘルトとして生まれる前の話よ。あなた、現代の日本人として生きた記憶があるんじゃないの?」

 

 さあっとセシリアの顔が青ざめた。

 

「ど……どうしてそう、思うんですか……」

「言動から、なんとなくね。あなた、私が意地悪な悪役令嬢としてふるまってないことに驚いてたでしょ。それに、クリスが本物の女の子だってことにも驚いてた。それに……ジェイドを見た時もそう。あなた、彼のことを『師匠を亡くして狂った死霊術師』だと思ってなかった?」

「……っ」

「だから、あなたのことを転生者……それも女神の作った乙女ゲームをプレイしたことのある子だと思ってたんだけど。違う?」

 

 彼女は、私が介入して捻じ曲げた運命を見て、いちいち驚いていた。

 女子会の時もそうだ。

 セシリアはフランの名前を聞いて「宰相の」と言っていた。それは家族を失い宰相になった運命を知っていたからこそ出た言葉ではないだろうか。

 聖女は転生者で、女神の乙女ゲームプレイヤー。

 そう考えれば、彼女のちぐはぐな言動にも納得がいく。

 

「正体を知って利用しようとか、そういうんじゃないの。私も転生者だから、転生者同士協力できたらいいなって思って」

「リリィ様が転生者……?」

「そう、侯爵令嬢として産まれる前は、日本で高校生やってたわ。病弱すぎて18歳で死んじゃったけど」

 

 セシリアはごくりと喉を鳴らした。声を震わせながら、言葉を紡ぐ。

 

「もしかして……天城、小夜子さん……?」

「私の名前を知ってるってことは、知り合い? 身近で転生した人がふたりも出るなんて、どういう人選してたんだろ」

「い、いえ! 違います! わ、わわわ……私は転生者ではありません」

 

 しかしセシリアはふるふると首を振った。

 

「私が、私として生きた記憶は一度きり……このセシリア・ラインヘルトとしての人生だけです。他の人として生きたことはありません」

「だったらどうして……」

「わ、わわ、私は……プレイ動画民なだけですから……!」

「はい?」

 

 なんだその現代日本ワード。

 

 

 

 

 



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乙女ゲーム実況プレイ動画

「え……ちょっと待って今なんて言った……プレイ動画……民?」

 

 いきなり飛び出してきた現代日本、しかもネット用語に頭が混乱する。

 

「あの……ゲームプレイ動画ってわかりますよね?」

「うん、わかる。あんまり見てなかったけど」

 

 ゲームで遊んでいる様子を記録した動画のことだ。ゲームを四苦八苦しながらプレイする動画は結構な人気ジャンルだった。ジャンルによっては公式が動画のアップを推奨していることもある。

 私自身は『ゲームはまず自分でやってみる!』ってタイプだったから、そんなに興味がなかったんだけど。

 

「私は……小夜子さんのゲームプレイ動画を見たんです」

「そんなもの録画してないけど?」

 

 病院のベッドの上で実況動画とか撮る余裕はない。

 そもそもあれは『開発中のゲーム』という設定だったはずだ。未発表ゲームの情報をネットに流出するほど、私のネットリテラシーは低くない。

 

「私が、13歳の時です。義母に売られた私は、カトラスの闇オークションで競売にかけられました」

「……ダリオから聞いてるわ」

 

 その場にいたことは、まだ内緒だ。

 

「変な薬を嗅がされて、身動きできなくて……気が付いたら、暗い部屋で誰かに抱きかかえられてました。見上げると黒い瞳の男の子が、私を見ていて……」

 

 恐らく、それはアギト国第六王子ユラ・アギトだ。

 彼がセシリアを落札した直後の記憶だろう。

 

「彼の目を見てると、すごく怖くなって……私はまた気を失いました。そして次の瞬間、スイッチが切り替わるみたいに意識が女神の世界に飛んだんです」

「女神の世界?」

「夢の中の世界、って感じです。明るくてキレイなんですけど、私と運命の女神様以外は、なんだかぼやけて見えて、現実感がないんです」

「確かにそれは、夢としか思えないわね」

「そこで、女神様が言ったんです。『厄災と出会ったことで、運命が繰り上がりました。あなたを聖女として覚醒させましょう』って」

「あ~……本来出会うはずのなかった相手と会ったせいで、また運命がねじ曲がったのね」

 

 ここ数年で何度も経験した、運命捻じ曲げあるあるだ。

 あっちを曲げたら、こっちが歪む、でフラグがごちゃごちゃになるあれである。

 

「そこで、女神様から世界救済の予習として、小夜子さんのプレイ動画を見せられました」

「なんでやねん」

「……は?」

「ごめん、思わずつっこんじゃった。え……私はただひたすら遊んでただけで……いつプレイ動画が……?」

「あ、編集担当は女神様ご本人だそうです」

 

 なんですと?

 

「小夜子ちゃん、プレイ中の言動も楽しいから張り切っちゃった……って」

「プライバシーぃぃぃ……!」

 

 女神様には、人間の法律とか関係ないかもしれないけどさあ!

 

「じゃ、じゃあ……もしかして、ジェイドルートプレイして『ヤンデレ美青年キター!』って叫んでたのも……」

「見ました」

「クリスティーヌルートで『チンピラすぎんだろこのお姫様、ギャップ萌えとかそんなレベルじゃねーぞ』って言ってたのも……」

「見ました」

「フランルートで『いいからとりあえず寝ようよ! 膝枕か? 膝枕がいいのか?』って言ってたのも……」

「見ました」

「ぎゃあああああああああああああ」

 

 メイ姉ちゃん、なんてことをしてくれる!!

 

 



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せいじょは こんらん している!

 ノリノリで乙女ゲームをプレイしていたら、その様子を女神が勝手に動画した挙句に聖女に見せていました。

 なんだよこの羞恥プレイ!

 

 女神様、お願いですから乙女ゲームのプレイ動画が少ない理由を考えてください!

 性癖全開で萌え散らかしてるところなんか、誰にも見せたくないからだよ!

 

「あ……あの……このことは……誰にも言いませんから……絶対」

「お願い、墓まで持ってって」

 

 精神的ダメージが大きすぎて、立ち直れる気がしない。

 あの駄女神、絶対許さん。

 

「ええと……私や攻略対象の裏事情を知ってたのは、ゲームをプレイしてたからで、逆に現状を知らないのはカトラスで育ったから、ってことでいい?」

「はい。ダリ兄から大まかな情勢は聞いていましたけど、詳しいことまでは……」

 

 セシリアの今の身分は子爵令嬢だ。身内とはいえ一介のご令嬢に、王宮のドロドロした状況を語らなかったダリオの判断は間違ってない。

 

「女神から未来を教えてもらったはずだったのに、いざ王都に来てみたら宰相閣下は生きてるし、騎士団長様はハルバード侯爵だって言われるし、そもそもダリ兄だって死んでたはずだし……もうわけがわからなくて」

「そのへんは全部、私が運命を変えたせいね。私が転生してきてるって話は、メイ姉ちゃんから聞かなかったの?」

「小夜子さんがいる、ということだけは……少し。でもまさか、ここまで歴史が変わってるとは思わなかったんです」

「えっと、なんかごめん?」

「いえいえいえ、リリィ様が謝ることはないです! そのおかげで、たくさんの方が助かったんですから。少なくともダリ兄が生き残って、カトラスが安定したのはいいことだと思います」

 

 ただ……とセシリアは言葉を切る。

 

「ゲームと現実の歴史が食い違いすぎて、もう何を信用したらいいのやら……」

「キャラも歴史も変わったせいで、ほぼ別ゲーだもんね」

 

 しかも、フランが裏工作したせいで、選べるルートはもうほとんど残っていない。

 

「それで、何をするのも怖くなってしまって」

「目立たず騒がず隅っこで、って言ってたのはそれが原因?」

 

 こくん、とセシリアは頷く。

 

「今の状況だと……私が王子様と恋をするのが、一番いいルートだってことは理解しています。でも、無理です」

「王子のことが好きになれない?」

 

 現状、彼はやらかしマザコン王子だしね。あの状態で好きになれっていうのはいくらなんでも酷な気がする。

 そう言うと、セシリアは首を振った。

 

「彼がどう、という話じゃないんです。私は誰にも恋しない……恋できないんです!」

「え、マジで?」

 

 恋する乙女心が根源の聖女が、とんでもないことを言い出した。

 

 

 



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恋なんてできない

「恋できないって、どういうこと? もうすでに好きな人がいるとか?」

「……違います。恋をする……誰かに心を傾けるのが、怖いんです」

 

 そう語るセシリアの指先は震えていた。

 

「だって、私聖女なんですよ? あなたの恋次第で世界の運命が変わります、って言われておいそれと誰かに恋なんかできますか?」

「乙女ゲームではよく言われる台詞だけどね」

 

 自分の選択次第で世界が変わる。

 そのキャッチコピーで無邪気に喜べるのは、所詮ゲーム機の中の出来事だからだ。自分の選択で本当に世界そのものが変わってしまうと聞かされて、選択できるかと言われたら私もうなずく自信はない。

 ヒロインセシリアにとっては、乙女ゲームが現実なのだ。

 

「……私には無理です」

 

 セシリアはまた首を振る。

 

「王家の問題も、世界の問題も、何もかも重すぎます。いきなり私は世界を救う聖女だって言われて、小夜子さんの記憶を渡されて、はい頑張ってって言われても受け止められません」

「セシリア……」

「私に世界を救う勇気なんて、ないんです」

 

 とうとう涙をこぼし始めたセシリアの背中をなでる。泣いてる女の子をなだめるのは今日二回目だ。

 私は心の中で女神に悪態をつく。

 

 あのー運命の女神様?

 あなたがポンコツなのは前々から知ってましたけどね?

 救世主に知識を与えようとして、余計混乱させないでもらえますか!

 しかも自分の運命を知ったせいで、怯えちゃってるんですけど?

 わざわざ救世主のやる気をそいでどーすんの!!

 

 世界を救う才能がないにも程があるだろ!

 

「わかった、無理に恋しろとは言わない」

「え」

 

 私が宣言すると、セシリアがぱっと顔をあげた。目をまんまるにして私を見つめる。

 

「だって、私はフランと恋愛結婚したいんだもん。それで、セシリアに王子との恋愛を押し付けるのは筋違いってものでしょ」

 

 自分は自由恋愛するのに他人に政略結婚もどきを強要するなんて、ダブルスタンダードもいいところだ。

 

「王家の問題についても、こっちでどうにかできないかやってみる」

「い……いいんですか」

「よく考えたら、世界のことをあなたひとりに背負わせるのは変だわ。この世界の問題は、この世界の人間全員の問題だもの」

 

 ハンカチでセシリアの涙をふいてあげると、セシリアは眉を下げた。

 どう反応していいかわからないらしい。

 

「本当にいいんですか……恋だけじゃなくて、王家のことまで……。私は……鍵を握ってるのに」

「確かにあなたは、王家の継承問題を解決する鍵を持ってる。それは、全てをひっくり返すことのできる最強のジョーカーよ。でも、そのカードを切った瞬間、あなたの人生は決まってしまう」

 

 セシリアは唇を噛んだ。私はゲームプレイヤーとして、セシリアの持っているカードの中身を知っている。そして、カードがどれくらい重いのかも。

 

「カードを切るかどうか、決めるのは私じゃない。セシリアよ」

「ありがとうございます……」

 

 セシリアは深々と頭を下げた。

 

 

 



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ほうれんそう

「というわけで、聖女と王子をくっつけて穏便に問題を解決しよう作戦は失敗しました!」

 

 聖女と秘密を暴露しあった翌日、私は朝イチでディッツの研究室を訪れた。

 ドリーに状況を洗いざらいブチまけるためである。

 共同作戦でまず一番大事なのは『報・連・相』だよね!

 私の話を聞いていたドリーは、眉間に深々と皺を寄せると、超重量級のため息をついた。

 おーい、淑女がやっていい顔じゃなくなってるぞー。

 

「ご、ごめんね……?」

「いや……お前が謝る必要はない。全ては世界を救う才能のない女神が悪い」

 

 ほんそれ。

 世界を救うの下手なんだから、おとなしく見守ってるだけにしてほしい。

 全て善意の行動なだけに、下手な邪神よりタチが悪い。

 

「聖女が自ら王室を引き受けたほうが楽だったが……致し方あるまい」

 

 ドリーは軽く首を振ると顔をあげた。

 

「他に何かアイデアあるの?」

「まあ、色々とな。聖女と王子の思考を誘導して、無理やり恋人関係に持っていくことも、できなくはないが……」

「ドリー……!?」

「冗談だ。後でお前にバレた時が怖い」

「そこは聖女にバレたらとかじゃないの?」

 

 ドリーは肩をすくめる。

 

「腹黒はともかく、人心操作までやったらお前は俺を軽蔑するだろう。聖女ごときにどう思われても構わないが、お前に嫌われるのだけは困る」

「う、うん……」

 

 こらそこー!

 女の姿でそういうこと言わない!

 なんか変な扉が開きそうになるから!

 ただでさえ中身が好きな人だからって、無駄にドキドキしてるんだぞ?

 

「そもそも、王子がボンクラだった時点で、ヤツを使った王室改革が難航するのはわかっていた。聖女が恋をしない可能性も視野に入れている」

 

 相変わらず、ドリーの王室評価はさんざんだ。

 気持ちはわかるけど。

 

「お前が、聖女に恋愛も救済も強要しなかったのは、現時点では正解だ。運命に怯えている聖女が、横から何と言われたところで自発的に行動できないだろうからな」

「……だよね」

「聖女の件は一旦棚上げだ。いつものことだが、まずは目の前のことを片付けるとしよう」

 

 ドリーは立ち上がると、デスクから本を数冊持ってきた。

 

「何するの?」

「授業の準備だ。今の肩書は非常勤講師だからな」

「うわー……そういえばそうだった。ドリーがその姿で教壇に立ってるとことか、違和感しかないけど」

 

 ドリーは呆れ顔で私を見る。

 

「お前も他人事じゃないぞ。俺が担当しているのは『攻略対象接近イベント』である、男女合同授業だからな」

「あ」

「せいぜい、教師の指導に従い真面目に授業を受けることだ」

 

 そういやそんなイベントありましたね!

 



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交流イベント

「リリィ、先に来てたんだな」

 

 大講堂の椅子に座っていると、クリスとライラが声をかけてきた。彼女たちの後ろには、相変わらず不安そうな表情のセシリアもいる。

 

「ドリーに用事があったから、ちょっとね」

「東の賢者様の助手……だったっけ。ずいぶん綺麗な方ね」

 

 ライラに言われて教壇に視線をやると、ドリーが他の教員と打ち合わせしている姿が見える。こうやって働いてる分には、ちょっと美人な女教師にしか見えない。

 ライラたちは、他の講義の時と同じように私の隣に座ってくる。いや……彼女だけ、ちょっと私に体を寄せてきた。

 

「あの……わかってると思うけど、昨日のアレは……その、気の迷いだから」

「何かあったっけ?」

 

 昨日のアレとは、アルコールのせいで暴露してしまったライラの秘密だろう。私はわざとそらっとぼける。

 

「何って……!」

 

 横で聞いていたクリスが笑う。

 

「飲み会の秘密は、全てなかったことにする。それもルールのひとつだよ」

「だからあの話はおしまい! 全部忘れましょ」

 

 私たちが笑っていると、ライラはぷうっと頬を膨らませた。

 

「簡単に忘れられない秘密をしゃべっておいて、よく言うわ」

 

 まあ、王子のアレコレについては、知っててもらったほうが動きやすいっていう打算コミで暴露したんだけどねえ。この話を引っ張ると、自分の首も絞めそうなので話題を変えることにしよう。

 私は改めて大講堂を見回した。

 

「合同授業は今日が初回だけど、さすがに人が多いわね」

「一年生だけとはいえ、騎士科と女子部の生徒が全員集められているからな」

 

 表向きの目的が生徒間の交流なこともあり、この授業は全員必修だ。大してスキルも身につかないし、正直サボってしまいたいが、そんなことをしたら二年生に進級できない。クリスたちと同じ学年でいたいなら、出席するしかないのだ。

 生徒たちがそれぞれに着席する様子を眺めながら、授業が始まるのを待っていると、急に講堂がざわついた。

 入り口を見るとちょうどオリヴァー王子が入ってくるところだった。彼の側にはヘルムートに加えて、なぜかケヴィンがいる。

 

「珍しい組み合わせね」

「王子がぼっちのままじゃ困るからな」

 

 いつの間に入ってきたのか、ヴァンが声をかけてきた。彼は席順が決められていないのをいいことに、婚約者の隣に陣取る。

 

「授業の間は、できるかぎり俺かケヴィンがつくようにしてるんだ」

「騎士科に影響力のあるふたりが王子に接近したから、空気が変わったのね」

 

 騎士候補生と王子の間にあった不自然な空白がなくなっている。親しいかどうかはわからないけど、少なくともお互いに声をかけるくらいはできてるみたいだ。

 

「あそこまで打ち解けたのは、ケヴィンのおかげだな。あいつのふわふわした雰囲気がなかったら、とっくの昔に俺と王子で大喧嘩してるぞ」

 

 ヴァンがガリガリと頭をかく。

 にこにこ顔ができるのはヴァンも一緒だけど、こっちは9割以上外面だからなあ。仮面をかぶり続けるにも限度があるんだろう。

 気配り上手のケヴィンのコミュ力には感謝しかない。

 

「まあ接した限り、完全なアホっていうよりは箱入り息子なだけっつー感じだから、まだ可能性はあるだろ」

 

 腐っても攻略対象だからねえ。

 聖女が命を預けるに値するだけのポテンシャルはあるのだ。

 

「クリス、あとセシリアとライラだったか? 騎士科は俺がなんとかするから、そこの侯爵令嬢をくれぐれも押さえててくれよ?」

「わかった」

「ちょっと待ってよ、何それ!」

「どう考えても、このメンツで一番喧嘩っ早いのお前だろーが」

 

 失敬な!!

 夫婦そろって私を何だと思ってるんだ!

 



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伝説チュートリアル

「授業を始めますよ」

 

 ドリーがパンパンと手を叩きながら、授業開始を宣言した。お行儀のいい貴族子弟たちはすっと会話をやめて教壇に注目する。そこにはドリーの他に、ダンス担当のモントーレ先生と、文学担当のマグナル先生が立っている。全員この授業に必要な先生だ。

 ドリーは淡々と授業の解説をする。

 

「この授業は、生徒間の交流を目的としています。……といっても、いきなり交流しろと言われても困るでしょう。そのきっかけとして、あなた方にはひとつ課題が与えられます。毎年恒例ですから、みなさんご存知ですね」

 

 生徒の何人かがこくりと頷く。

 女子部ができて、合同授業が始まった時から存在する伝統の課題だから当然だ。

 

「課題は学年演劇。年度末のパーティーで、ある劇を上演していただきます」

 

 学年全体に大きなイベントを設定し、目標に向かって協力することで交流を図る。現代日本でもよくある手法だ。学園乙女ゲームで言うところの文化祭や演劇祭、体育祭ポジのイベントである。

 

「演目は、この国に伝わる最も古い伝説のひとつ、『建国神話』です」

 

 これも去年と一緒だから、やっぱり生徒は驚かない。

 それどころか、クリスの隣に座るヴァンは面倒くさそうにため息をついた。

 

「今更建国神話とか、面倒くせえ……」

 

 建国神話は、文字通りこの国ができるまでのお話だ。国のアイデンティティーに関わる話なこともあり、ハーティア国民、特に貴族は繰り返しこの話を聞かされて育つ。現代日本でいうところの白雪姫とかシンデレラみたいな存在だ。

 だから、今更一から演じろと言われたところで、出演者も観客も飽きてしまっている。

 しかし、飽きたからといってやめてもらっては困るのだ。

 

「神話を風化させないための大事な教育なんだから、真面目にやりなさいよ」

 

 ゲーム通りなら、神話で語られる荒唐無稽な災害が数年のうちに発生する。そのとき伝説を頼りに厄災の神に立ち向かうのは、他ならないヴァンたち勇士七家の者たちなのだから。

 

「わかってるって。どうせ舞台の上に引っ張り出されるのは決まってるからな」

 

 ヴァンの言葉を補足するかのように、ドリーが段取りを進めた。

 

「まず、配役ですが……今年は半数ほどがもう決定しています。まず、建国王にオリヴァー」

 

 いきなり主役が決まったというのに、生徒たちは驚かなかった。この配役も慣例だからだ。ハーティアには伝説に関わる血統がいくつも残されている。在学生に王家と勇士の末裔がいる場合は、そちらが優先的に配役される決まりだ。

 だから、他の配役も……。

 

「勇士クレイモアはシルヴァン、勇士モーニングスターはケヴィン、勇士ランスはヘルムート。以上4名は伝統にのっとり、勇士を演じていただきます」

「はーい」

「わかりました」

 

 呼ばれた生徒たちは、それぞれに返事をする。

 そんな中、私はすっと手をあげた。

 

「先生、私も勇士ハルバードの末裔です。男装して彼を演じたいですわ」

 

 男装、の提案にいままで静かだった生徒たちがざわついた。

 しかし演技指導役のルーナ先生はにっこり笑って否定する。

 

「ダメよ、リリアーナ。あなたはオリヴァーの婚約者なのだから、聖女役を演じてもらわなくちゃ」

 

 そんな伝統もありましたね!

 

 



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デッドロック

「建国王に恋した聖女が、七勇士の力を束ねて厄災の神を封印した」

 

 建国神話を一言で表すとこうだ。

 お話の中で、最も重要な要素は聖女の恋する乙女パワー。だから建国神話は歴史もの、軍記ものであると同時にロマンスでもある。

 私が建国神話を桃太郎とか言わずに『白雪姫』とか『シンデレラ』と言っていたのもそのせいだ。

 

 つまり、建国神話も要所要所にラブラブイベントが指し挟まるのである!

 中でも最後の戦いに向かう建国王と聖女がキスする場面は、屈指の人気シーンである。

 舞台の演出とはいえ、若い男女が人前でいちゃいちゃするのはそれなりにタブーだ。

 だから、建国王と聖女は婚約者同士がやるのが慣例。今回の建国王オリヴァーの婚約者といったら私だから、その流れでいくと私が聖女をやるのが当然の話なわけで。

 当然といっても、引き受けたいもんじゃないけどね!

 ゲームの悪役令嬢リリアーナは、鼻息荒く『婚約者の! わたくしが! 聖女でしてよ!』って再三主張していた。しかし今の私は別人だ。何が悲しくて好きな人の指導のもと、別の男の恋人役をやらなくてはいけないのか。

 

「私が聖女役なんて光栄ですわ、モントーレ先生。でも、私はこんな黒髪でしょう? 聖女様は輝くようなストロベリーブロンドだと伝えられています。私なんかより、もっと似合う子が……」

 

 そう言いながら、セシリアに視線を向けようとしたら、彼女は既に教室の端へと避難していた。

 おーい、君が恋愛を恐怖してるのは知ってるけどさ。

 話を振る前に全力で逃げちゃうのはどうかと思うの。

 

「リリアーナ様に自信がないというのなから、他の女子でもいいんじゃないですか?」

 

 私たちとは反対側に座っていた女の子が手をあげて言った。アイリスだ。隣に座っているゾフィーも彼女の発言に乗っかる。

 

「リリアーナ様の言う通り、聖女様の衣装は明るい髪色の子が似合いますもの」

 

 そう言って、彼女は自分のやや濃いめの金髪をかきあげる。

 

「建国神話を熟知している子もたくさんいますわ。きっと素敵な演技をしましてよ」

 

 そういうアイリスの手には去年までの台本が握られている。上級生の誰かから入手したものなのだろう。彼女たちは明確に聖女の座、そして王子のお相手の座を狙っていた。

 私と王子の間がぎくしゃくしているのを知った上での行動だろう。

 いい度胸をしていらっしゃる。

 

 本音を言えば、聖女の役なんて誰かにあげてしまいたい。

 王子の相手なんてごめんだ。

 

 ただし、アイリスとゾフィーはダメだ。

 婚約者持ちの王子の恋人役に立候補するような王妃派女子の好きにさせたら、それはそれで別の面倒ごとに発展する。先のことを考えれば、王子は王妃派とできるだけ距離を取らせたい。

 

 王子にはセシリアみたいな普通のいい子と仲良くなってほしい。しかし、まともなお嬢様は私が隣にいるのを見た時点で、恋の芽が生まれないよう礼儀正しく距離をとってしまう。

 私が婚約解消するには王子のお相手が必要、王子のお相手を探すには私との婚約解消が必要。

 なんだこの地獄のデッドロック状態。

 解決できない条件は、バグって言いませんか!

 

「リリアーナ」

 

 モントーレ先生が口を開く。私の名前を呼んだだけ、ってことは私の判断でこの状況を収めろってことなんだろう。ヴァンとケヴィンも私をじっと見ている。

 フォローする様子がないから、ここはお前が折れろってことっぽい。

 最後にドリーを見たら、彼女は眉間に皺を寄せたまま肩をすくめた。

 

 ……しょうがない。

「わかりました。聖女役、精一杯つとめさせていただきます」

「ええ、お願いね」

 

 私の返答を聞いて、モントーレ先生はにっこり笑った。

 

 

 

 



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後世に残すべき物語

 週二回の男女合同授業は、思ったよりスムーズに進められた。

 指導役のドリーの采配がうまいのか、王子が率先して周りに協力したおかげなのか、大きなもめごともなく全員の役割分担が決まり、それぞれが与えられた仕事に集中している。

 

「よっ……と!」

 

 道具係や衣装係が今年の舞台演出について相談する一方で、出演者たちは基本の動きを確認していた。そのなかのひとりヴァンは刀身一メートルほどの両手剣を振り回す。彼の役を象徴する武器、クレイモアだ。

 

「だあ~っ、重てぇ!」

 

 一通り型をなぞったあと、ヴァンは剣を床に置いて座り込んだ。その額にはびっしりと汗が浮いている。

 

「刃引きずみとはいえ、マジものの武器を使って演舞をやれとか、演出したやつ頭おかしいんじゃねえの?」

「う~ん、それが伝統だからねえ」

 

 ヴァンをなだめるケヴィンの手にも、トゲトゲの鉄球がついた大振りのメイス、モーニングスターが握られている。こちらもトゲの針先は丸くなっているものの、鉄球は本物だ。本気で当てたら人間の骨くらい軽く砕けるだろう。

 

「白銀の鎧を身に着けた七勇士がそれぞれ戦うソロ演舞は、みどころのひとつになっちゃってるし」

「演舞が見たいだけなら、ますます模造剣でいいじゃねえか」

 

 はあ、と息をつく彼に白い手が差し出される。婚約者のクリスだ。

 

「クレイモアの扱いには、コツがいるからな。ちょっと貸してくれ」

「え」

「肩に力を入れずに、遠心力を利用して……こう!」

 

 彼女は、重いクレイモアをまるで羽のように軽々と扱ってみせた。美しく完璧に、クレイモアのソロを舞ってみせる。さすが生まれも育ちもクレイモアのお姫様。家を象徴する武器の扱いが板についている。

 教室のあちこちから感嘆のため息が漏れる中、ヴァンだけが頭を抱えた。

 

「勘弁してくれ……」

「婚約者のクリスができて、自分ができないなんて言えないね」

「全くもってその通りだよ! ったく、『祈る』が見せ場の聖女様は楽でいいよな」

 

 ヴァンが私を睨む。

 

「誰も非力な女の子にバトル要素なんか求めてないもの。それに、私だってさぼってるわけじゃないわ。ちゃんと聖女のベールを作ってるわよ」

 

 ねえ、と隣で一緒に作業をしているセシリアに声をかける。彼女はベールに使うレースを編みながら苦笑した。裏方希望の彼女は、手先の器用さを生かした衣装係だ。

 ちなみにライラは小道具係のまとめ役だ。一度逆境を乗り越えた彼女は、いろいろ吹っ切れたのか元気にそれぞれの担当者の間を飛び回っている。さすが大商会の娘、人の間を取り持つのがうまい。

 

「今の王国騎士団の制式武器は片手剣だろ。なんでわざわざクレイモアを振り回す必要があるんだ……」

 

 納得がいかないのか、次期クレイモア伯は己の家名を表す武器に悪態をつく。

 

「戦場では弓だってナイフだって使うんだから、ひとつくらい余計に習ってもいいじゃない。うちの父様だって、愛刀は片手剣だけどハルバードも使うわよ」

「最強騎士と一緒にするなよ」

 

 学年演劇で末裔が勇士を演じるのは国全体の慣習だ。だから槍が得意なフランもナイフ術だけは訓練しているし、魔法戦闘が基本の兄様もハルバードを使う。ダリオだって何が得意かは知らないがカトラスの訓練は絶対しているはずだ。

 それに、この学年演劇はそう馬鹿にしたものではない。

 

 数年後にはみんなそれぞれの武器を持って厄災と戦うハメになるからね!

 

 



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新要素は突然に

「ヴァンは型の練習と一緒に体力づくりもしたほうがよさそうだな」

「うへえ……」

 

 クリスの指摘にヴァンは顔を歪ませた。彼が騎士訓練を始めたのは二年前。いくら体格が良くなったとはいえ、生粋のクレイモア騎士ほどの体力はないらしい。そこへケヴィンが追い討ちをかける。

 

「本番だと白銀の鎧も着せられるはずだよ」

「あー……それもあったか……もう白い服でいいじゃん」

「鎧も伝説の重要なエピソードだから、省略できないんじゃないかなあ」

「重要ってアレか? 勇士が神殿の塔よりデカい白銀の鎧で戦ったってやつ」

 

 白銀の鎧、と聞いてクリスが目を輝かせた。

 

「巨大な鎧に乗り込んで化け物と戦うなんて、おもしろそうだ!」

「ロマンだよね。舞台じゃさすがにそんなもの用意できないから、出演者が鎧を着るだけだけど」

「それこそ絵空事じゃねーか。全部カットでいいよもう……」

 

 銀髪三人組の会話を、私たちは生ぬるく見守る。セシリアはコソコソと私に耳打ちした。

 

「リリィ様、白銀の鎧ってアレですよね……」

「うん、アレだよ」

 

 ゲームに出て来た巨大ロボのことだよ。

 

「……ですよね」

 

 巨大ロボ、といってもビーム兵器で宇宙戦闘するようなスケール感のロボではない。七日間で世界を焼け野原にしそうなレベルの超兵器である。建国王と勇士七名は、それぞれ巨大な神の鎧に乗り込み、厄災が差し向けた悪しきドラゴンやモンスターと戦ったのだ。勇士七家が武器の名を冠しているのは、ただの厨二センスではない。鎧の持っていた兵装が、そのまま家名になっただけだ。

 

「アレが本当だとしたら、王城の下には……」

「鎧を格納した、本物の『乙女の心臓』が眠ってるんじゃない?」

「……っ!」

 

 レースを編んでいたセシリアの手が止まる。

 

『乙女の心臓』は、聖女が操ったとされる超兵器の名前だ。伝説によると、見た目は巨大な城のようだったらしい。ソレは、聖女が祈りをささげると空を飛び、各地で暴れまわる巨大な悪魔のもとへ神の鎧を運んだそうだ。

 なんだその空中母艦。

 ゲームでこのエピソードを見た瞬間、私は思わずコントローラーをブン投げそうになった。

 ただでさえファンタジー要素盛り盛りで、国同士の思惑とか、王宮サスペンスとか、陰謀ミステリーとかでお腹いっぱいだっていうのに、ここへきてSF展開である。

 超兵器バトルとか、一介の令嬢にどうしろと。

 魔法パワーがSF的な描写になってるのかなーと思ってたけど、どうもそうじゃないっぽいし。

 二年前にカトラスで手に入れた、『電子基板っぽい古代の遺物』とか、どう見ても本物の電子機器なんだよなあ……。

 女神の……いや創造神の趣味がよくわからない。

 

「アレって本当に動かせるんでしょうか」

「さあ? アレの操縦席に座ること自体が、超無理ゲーだったからねえ」

 

 乙女の心臓についての知識が『らしい』とか『そうだ』とかになる理由はそこだ。あのゲームは、そもそも人同士の争いがヤバすぎて、どのルートにいっても勇士の大半が死ぬ。しかも敵の手を潜り抜けて、運よく操縦席にたどり着けたとしても、そこでゲームクリアになるわけじゃない。裏切りの騎士マクガイアが先回りしてて、中に入ったとたん首を刎ねられたりするからだ。

 

「でも今の情勢なら、少なくとも起動するくらいはできるんじゃない?」

「現在の第一師団長はハルバード侯ですし、勇士の末裔もダガー家以外はそろっていますからね……」

 

 ふう、とセシリアがため息をつく。

 乙女の心臓を起動できるのは聖女、つまりセシリアだけだ。

 厄災に立ち向かうには、やはり彼女の力が必要になる。

 

「リリィ様、私は……」

「急がなくていい、って言ったでしょ。そこは本当に厄災のモンスターが現れた時に考えましょ。他にも気を付けなくちゃいけないことは山ほどあるんだし」

「な、なにかありましたっけ?」

 

 おやお気づきでない。

 特別室組ってことでいつも私の側にいるから、あんまり危機感がないのかな。

 大事なぶん、世界の運命どうこうといった問題に気を取られがちだしね。

 

「今のあなたは、子爵家の跡取娘でしょ。あなたと結婚すれば子爵になれる上、カトラス候と繋がりができるってことで、家督を継げない次男以下の男子たちが本気で狙ってるわよ」

「ひっ……!」

 

 セシリアは小さく悲鳴をあげた。

 個人的には、もうこの際だからアプローチしてきた男子の誰かと恋してくれてもいいんだけどね。

 

「ほら、セシリアのすぐ後ろに……」

「きゃああああっ」

 

 背後に人の気配を感じたセシリアは、声をあげて逃げていってしまった。そこまで怖がらなくていいじゃないのさー。

 

「な、なんだったんだ……」

 

 私に声をかけようとしていた男子生徒が、茫然と彼女の背中を見送る。

 

「あの子はちょっと恥ずかしがりやなんです。それで、何の御用ですかオリヴァー様」

 

 男子生徒は、ヘルムートを従えた王子様だった。

 



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台本

 私がレース編みの手を止めて顔をあげると、王子は冊子を三冊、差し出してきた。

 

「ドリー先生から、今年の台本の配布を頼まれたんだ。各担当班に一冊ずつ、それから台本を読み込まないといけない出演者に三冊」

「ありがとうございます」

 

 この国には紙はあっても、印刷技術はまだ存在しない。だから劇の台本みたいに同じものをみんなが共有する場合でも、そうたくさん配ることはできない。みんなで回し読みして使えってことなんだろう。

 

「王子に使い走りのようなことをさせるとは、あの教師……」

 

 ヘルムートが眉をひそめる。

 

「いいんだ、ヘルムート。各班の調整役に志願したのは俺だ」

 

 こうやって本を配ったり、仕事をこなしていればそれだけ、騎士科生徒と話す機会が増えるもんね。王子は王子なりに、状況を変えようとしているらしい。

 

「何をもってきたんだ?」

 

 私と王子が話しているのに気付いたらしい。演舞の練習をしていた銀髪三人組がこっちにやってきた。

 

「今年の台本ができたんですって。みんなで共有して使えって」

「オリヴァー、中を見てもいいか?」

「ああ、確認してくれ」

 

 ヴァンが一冊手に取ったので、私も一冊取ってページをめくってみた。クリスが後ろから手元を覗き込んでくる。

 

「今年はドリーがアレンジをしたのね。ふうん……」

 

 読み進めていると、教室のあちこちからどよめきが起き始めた。みんな台本を読むうちに、思わず声をあげてしまったらしい。ヴァンもまた、台本を読みながら首をかしげる。

 

「なあ……聖女の出番がめちゃくちゃ少なくなってないか?」

 

 ざっと見た感じ、物語は建国王と勇士の活躍が中心だった。聖女の登場シーンは10もなく、最後のキスシーン以外はほとんど活躍しない。全体的な雰囲気もロマンス劇というよりは、軍記ものに近かった。

 今までの学年演劇の傾向と比べると、明らかに異質である。

 私たちが顔を見合わせていると、アイリスとゾフィーがこっちにやってきた。読んだばかりの台本を持って、ニヤニヤ笑っている。

 

「リリアーナ様、今年の台本はずいぶん風変りのようですのね」

「わたくし、びっくりしてしまいましたわ」

「……そのようね」

 

 ヴァンと一緒に台本を見ていたケヴィンが、オリヴァーを見る。

 

「ドリー先生は何か言ってた?」

「うーん……なんでも、50年以上前の古い台本をベースにしたと」

「それって女子部ができる前よね?」

 

 数百年の歴史を誇る王立学園だが、女子寮ができたのは比較的最近の話だ。そう指摘すると、王子はこくりと頷く。

 

「国の歴史を伝えるために、創立当初から建国神話の演劇は行われてきたんだって。でも、そのころは女子生徒がいなかったから、外部から女優を迎えて上演していたそうだよ」

「ゲストを中心にするわけにはいかないから、建国王や勇士が活躍するシナリオにしていたのね」

「でも、どうしてわざわざそんなことを……?」

 

 クリスがもっともなツッコミを口にする。

 今は女子生徒がいっぱいいるもんね?

 

「ドリー先生が言うには、男子生徒の救済策だそうだ」

「んん?」

 

 予想外の理由に、王子とヘルムート以外の頭に疑問符が浮かぶ。

 

「例年、メインキャストは生徒間で争奪戦になるんだけど、今年は既に半分以上が決まっているだろ? それも……俺みたいに婚約者のいる生徒で」

 

 王子はちらりと私を見る。

 

「それじゃ、女子生徒の前でかっこいいところを見せたい生徒がかわいそうだ、ってことで聖女のロマンス部分を削ったんそうだ」

「ふーん?」

 

 アイリスとゾフィーは、にんまりと笑う。

 

「こんなに活躍の場が減らされるなんて、リリアーナ様おかわいそう」

「ドリー先生、リリアーナ様がお嫌いなのかしら」

 

 むしろ愛しか感じませんが何か?

 

 

 

 



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職権濫用

 私はドリーがアレンジした台本を握り締めた。

 何が、男子生徒への救済措置だ。ただの私情じゃないか。

 お互いストレスがたまるとわかっていて、何故ドリーが学年演劇の指導を引き受けたかわかった。教師の立場で授業をコントロールし、王子との接触を抑えるつもりなのだ。

 さすが愛の重い男、執着心が大人げない。

 お前学園に潜入して何か仕事してたんじゃなかったのか。今のところ、攻略対象の排除と王子の邪魔しかしてないんだが、それでいいのか。

 ……こんなの見て、嬉しくなってしまう自分も大概だが。

 

「リリアーナ嬢、さすがにこんな台本では不満だろう。俺のほうから、ドリー先生に抗議することもできるが」

 

 気が付くと、王子が心配そうに私を見ていた。

 そういえば、端から見れば教師の勝手な采配で出番が削られた状態なんだった。

 野心あるご令嬢ならここは文句のひとつもつけたくなる状況だろう。ゲームの悪役令嬢リリアーナなら『わたくしが! ヒロインでしてよ!』と猛抗議しているところである。でも今の私はそうじゃない。

 

「構いません、この台本でいきましょう」

 

 私がさらりと受け入れると、王子とヘルムート、そしてアイリスたち意地悪女子もきょとんとなる。

 

「だって私、すでに地位も名誉も実績も十分ありますもの。ここは騎士候補生に花を持たせてあげなくては」

 

 なにしろ私は名門お金持ちのハルバード侯爵令嬢だ。その上『11歳で領主代理をこなす神童』『東の賢者の愛弟子』『雷魔法の使い方を考案した異才』と実績に事欠かない。

 今更学生演劇で頑張らなくても、十分やっていけるのだ。

 にっこり笑ってやると、アイリスとゾフィーの顔が歪んで赤くなった。

 

「そうか……君が、そう言うなら」

 

 王子も引き下がる。ヴァンが読んでいた台本から、顔をあげた。

 

「なあ、台本の共有はどういうルールにする? 三冊だけじゃ、回し読みにも限度があるだろ」

「あ、ああ……だから、各班ごとにそれぞれ写本を作って共有しろと言われて……」

「オリヴァー様、でしたら私たちが写本を作って差し上げますわ!」

「出演者は皆さまお忙しいですものね。そのような雑務は私たちにお任せくださいまし」

 

 アイリスたちが食い気味に提案してきた。雑務を引き受けることで王子や他の出演者からの好感を得たいんだろう。物欲主義な王妃派らしい点数の稼ぎ方だ。

 

「それは助かるけど、いいのか?」

「ええもちろん! 出演者全員分、揃えてみせますわ」

 

 ゾフィーがこっちに目を向ける。

 

「もちろんリリィ様のぶんも。きっと、聖女の役作りでお忙しいですものね」

 

 なんだこれ。

 敵に塩を贈ったつもりか。

 

「結構よ」

 

 私はため息まじりに、提案を断った。

 

「王立学園の生徒は、自分のことは自分でやるのが原則じゃない。台本一冊分くらい、自分で書き写すわよ。元々写本づくりは得意だし」

 

 だいたい、君たちに任せたら絶対何か悪戯を仕掛けてくるだろう! 変な心配するより、自力で片付けたほうが早い。

 

「君にそんな特技があったなんて意外だな」

 

 王子が不思議そうに私を見る。高位貴族は、だいたい教科書も何もかも召使が用意するのが基本だもんねー。でも庶民出身のうちの師匠はややスパルタだ。

 

「魔法の家庭教師が、『教本は自分で写して作れ』という方針だったので。結局、魔法の教本どころか、薬品図鑑や薬草図鑑まで作らされましたけど」

「ふうん……じゃあ俺も自分で写本を作ろうかな。リリアーナ嬢、コツを教えてもらってもいい?」

 

 興味をそそられたらしい、王子が私の手元を見る。

 え。写本は自分のためにやるんですが。

 なんか王子イベントのきっかけみたいにされても、困るんですが。

 私が返答に困っていると、パン! とヴァンが手を叩いた。

 

「いいな、写本勉強会! ひとりで作業してても効率悪いし、全員でちゃちゃっと片付けようぜ!」

「あ……いや、俺は……」

「いいアイデアね、ヴァン! 早速出演者を集めましょう。女子の取りまとめは任せて!」

「男子のまとめは俺とオリヴァーがやる。よろしくな!」

 

 こうして、私たちは穏便に写本づくりに取り掛かるのだった……。

 

 



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幕間:王子様の純情(オリヴァー視点)

「……と、これで最後か。チェック頼む」

 

 深夜、サロンのテーブルに向かっていた俺は、最後の一行を書き終えて顔をあげた。できたばかりの紙片を、隣で作業していたケヴィンに渡す。彼は素早く文面のチェックを始めた。

 

「オリヴァーがやってたので最後か。思ったより早く終わったな」

 

 俺の向かいで、同じ作業をしていたヴァンがう~んと延びをした。

 

「リリィが渡してくれた『写本づくりのコツ』メモが役に立ったね」

「大人数で効率よく作業する方法まであったのは助かりました」

 

 ヘルムートがテーブルの上を見る。そこには、バラバラになった台本があった。いちいち1冊の本を回しながら複写していたのでは効率が悪いから、と一旦本をほどいてそれぞれが担当ページを複数枚写していたのだ。

 

「仕事の仕方ひとつで、こんなに効率が上がるなんて……リリアーナ嬢はすごいな」

 

 素直に感想を口にすると、ヴァンが肩をすくめる。

 

「あそこは、いろいろあったからな。並の令嬢の十人分くらいの仕事をこなさねーと、やってけなかったんだろ」

「その、いろいろの中でヴァンやケヴィンと友達になったん……だよね」

 

 俺が探るような視線を向けると、ふたりが真顔になった。

 

「なに、お前リリィに興味あんの」

「婚約者だからね」

 

 彼らふたりがリリィと気安く呼ぶのが気になるくらいは。今まで特に咎めるようなことをしてこなかったのは、ふたりが婚約者持ちとゲイだからだ。

 

「婚約者っていっても、母親に言われてプロポーズしただけだろ?」

「プロポーズしただけ、って……人生の重大事じゃないか。確かに、きっかけは母様だったけど……それだって、彼女が俺の伴侶にふさわしいって思ったから、勧めてくれたわけだし」

「母親がお前を想って……ね」

 

 ヴァンの目がすうっと細くなる。

 彼は時々、よくわからないタイミングでこの顔をする。怒っているのとは違うようだが、その感情ははかりかねた。

 

「それに実際話してみたら、すごくいい子だったし。騎士科生徒のために、自分の活躍を譲るなんて、そうそうできないよ。それに、今日の写本の知識もすごく役に立った。彼女とはいい夫婦になりたいな」

 

 そう言うと、ヴァンは大きなため息をつく。

 

「お前、そういうところマジで素直なんだよな……」

「そ、そうかな?」

「褒めてねえよ」

 

 そう言うヴァンの肩をケヴィンが『言い過ぎ』と叩く。しかし、何が何を言い過ぎたのか、よくわからない。どこに変なところがあったんだろうか。

 

「リリアーナ嬢は俺が花束を渡したとき、涙を流してくれたんだ」

「おい……」

「うれし涙だって、言ってた。こんなに綺麗な子が、泣くほど喜んでくれた縁談なんだ。俺は、一生をかけて彼女を幸せにしてあげたい」

 

 今でもあの時の美しい姿は目に焼き付いている。きっとこの感情を初恋というんだろう。

 しかしその思考は、途中で邪魔された。ヴァンがまた重いため息をついたからだ。

 

「な、なに? ヴァン」

「お前は……その興味と感情を、花束を渡す前に持つべきだった」

「どういう意味だ? 花束を渡したから、彼女は泣いてくれたんだぞ」

「世の中には、取返しのつかねえ順番ってモンがあるんだよ……」

 

 そう言うヴァンの顔は、俺を非難しているくせに、ひどく傷ついているようだった。ケヴィンも難しい顔で俯いている。ヘルムートを見たが、彼もヴァンたちの感情がわからないようだった。

 

 でも、わからないなりに、彼らが何かを深刻にとらえているのはわかる。

 俺は何を間違えたというんだろう。

 

 

 



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デスマーチプロジェクト

 長期プロジェクトには、だいたい不測の事態がつきものである。

 長くやっているうちに最初は見えなかった問題がでてきたり、出来るはずのことが出来なくて、方針転換をしたり。

 仕事に慣れたプロでもよく起きる問題だ。まして、私たちはまだ学生、見通しの甘さが大問題を引き起こす、なんてこともよくある。だから学年演劇はかなり余裕をもってスケジュールが立てられていた。遅れが出た場合の予備日も確保してあった。

 しかし、学期末に迫る初夏、上演まで一か月を切った現在の私たちは、修羅場のさなかにいた。

 スケジュールが押しに押していたからだ。

 

「リリィ様、小道具の剣の修理が終わりました」

「ありがとう、ジェイドにチェックさせるからそっちの棚に置いておいて」

「リリィ様、布地の再発注の件ですが……」

「もうできてるわ。フィーア、彼女にファイルを渡してあげて」

「かしこまりました」

 

 事前に用意していた注文書をフィーアが女子生徒に渡す。彼女はそれを大事そうにぎゅっと胸に抱きしめた。

 

「ペアの子と一緒に、それを教務課に届けてちょうだい。途中で誰に見せても、渡してもダメよ。いい?」

「はいっ!」

 

 少女たちはぱたぱたと走っていった。私は中断していた作業を再開する。

 

「レース編み……あとちょっと……」

「リリィ様、少し休憩してください。ここのレースは私がやっておきますから」

 

 セシリアが私の手を押さえた。

 

「でも、今日中に仕上げないとだし」

「この数か月でスキルが上がったので、私ひとりで大丈夫ですよ。リリィ様はリリィ様にしかできないことに、集中してください」

「味方の成長チート、頼りになるぅぅぅ……」

 

 私は編み物の道具から手を離すと、椅子の背もたれにぐったりと体を預けた。

 王子の婚約者で侯爵家のご令嬢、その上領主代理経験者ということで、私は自然発生的に女子部生徒全体のまとめ役になっていた。

 大道具の設計から、小道具の製作、衣装のデザイン、なんなら男子生徒の演舞指導コーチの手配にまで私が関わっている。

 本来、いかに学級委員ポジといっても一生徒がここまで企画に関わることはない。

 ほとんどは各担当班のリーダーが処理するべき問題だ。しかし、そうできない事情がある。

 私の評判を落としたい王妃派生徒が、作業を妨害しまくっているからだ。

 ちょっと目を離したすきに備品が消えている、なんてのはかわいいもので、設計書の数字が書き換えられているとか、演舞用の武器が壊れるよう細工されてるとか、シャレにならない内容も多い。セシリアが編んでいるこのレースのベールも、実は三枚目だ。しかも腹がたつことに、これら全部の悪戯で私に疑いが向くように仕掛けが施されている。

 全部証拠つきで身の潔白を証明し続けてるけど、疑いは疑い。いちいち説明するのも面倒くさいんだよ!

 

「リリィ、この間の雨でダメになった小道具、全部修理が終わったわよ」

「ありがとう、ライラ~……」

 

 段取り上手の商人の娘、頼りになる。

 

「さっき、各班を回ってきたけど、全体の雰囲気は落ち着いてきてるわ。妨害しようって子はもうほとんど残ってないみたい」

「やっとかあ~……」

「チェック体制の強化と、ミセス・メイプルの根気強い指導のおかげね。王妃派の子たちって、そもそも価値観が歪んでるから、大変だったと思うわ」

 

 妨害を阻止する最短の方法は、問題を起こす生徒を排除することだ。犯罪行為の証拠を掴み、それなりの処分を与えて学校から追い出してしまえばいい。

 しかし、彼らはまだ15歳。やっと社交界に足を踏み入れたばかりの子供だ。

 小さなころから王妃の悪意にさらされた彼らは、加害者であると同時に被害者でもある。

 一歩足を踏み外したら最後、這い上がる余地すらない貴族社会で、切り捨ててしまうのはかわいそうすぎる。

 

「あんたのその温情、いつか身を滅ぼすわよ」

「そうならないようがんばる……」

 

 それに、これは私のためだけじゃない。

 

「王子、何を持ってらっしゃるんですか?」

 

 私は教室に入ってきた王子とヘルムートに声をかけた。彼らの手には一抱え程度の大きさの木箱がある。

 

「ゾフィーに頼まれた工具を運んできたんだが」

「またですか……」

 

 この方針は、王子のためでもある。

 



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真綿で首を絞めるような改革

 ゾフィーに頼まれたと言って、王子は木箱を私のところに持ってきた。見たところは、何の変哲もない木箱のようだ。私は後ろに控えているフィーアとジェイドに指示を出す。

 

「ジェイド、木箱を受け取って危険物チェックお願い」

「かしこまりました」

 

 ジェイドはさっとふたりから木箱を受け取ると、すぐに作業を始めた。彼ならゾフィーがどんな悪戯を仕掛けていても、全部見抜くだろう。

 

「リリアーナ嬢……そんなチェック必要ないだろう。彼女も同じ学年の生徒だ」

「彼女に限った話ではありません。新たに持ち込まれた機材はチェックする、全体のルールです」

 

 それに、アイリスとゾフィーはミセス・メイプルにどれだけお説教されても行動を改めない、筋金入りの王妃派だからね!

 しかし……。

 

「彼女はみんなの力になろうと努力する、いい子だぞ? 何もあるはずがない」

 

 王子の目にはこう見えちゃってるんだよなあ。

 私は、心の中でもう何度ついたか知れないため息をついた。

 王子にとって、私やヴァンたちは王立学園入学で顔を合わせた、比較的新しい知人だ。それに対して、アイリスたち王妃派生徒は子供のころから王宮で顔を合わせてきた、いわゆる幼なじみである。しかも、彼女たちは王子に気に入られようと、常に一番いい顔を見せてきた。

 私たちの評価はどうあれ、彼にとってはいつも親切にしてくれた優しい女の子なのである。

 そんな彼女たちを一方的に断罪して排除したらどうなるか。

 彼女たちをかばう王子と騎士科の大戦争になってしまうのがオチだ。

 将来騎士科を率いる立場の王子がそんなことをしたら、王室改革どころではない。

 だから面倒でも、ひとりひとりゆっくりと穏便に、王妃派生徒の意識改革を進めてきたのである。

 

「彼女ひとりの話はしてません。ただ事故が続いているから、細かいチェック体制をしいているだけです」

「それは……そうだが。あまりに厳しすぎるんじゃないか」

 

 箱を渡してきたゾフィーあたりが、『厳しすぎてつらい……』とでも言ったんだろうか。原因を作ったのは彼女自身なんだが。

 

「私は、女子部を束ねる者として責任があります。このルールは変えられません」

「……そうか」

「お話はこれで終わりですか? 私はまだ仕事がありますので」

「ええと……」

「リリィ様、大道具用の染料をお持ちしましたわ!」

 

 ドアが開いて、アイリスが入ってきた。その手には小ぶりなバケツほどの容器がある。

 ちょっと待て、染料? なんでこんなタイミングで?

 

「アイリス、あなたは小道具班の在庫チェックがお仕事でしょう! 大道具用の資材なんか、関係ないはず……!」

「その関係ないはずの染料が小道具班に届いたんです。どちらにお持ちすればよいですか?」

「わざわざ持ってこなくていいわよ!」

 

 私の制止も聞かずに、アイリスは染料の入った容器ごとこっちに来る。遠目にも、その容器のフタがぐらぐらしているのがわかる。

 

「止まりなさい!」

「あっ」

 

 私たちのすぐ目の前でアイリスが躓いた。いや、わざと躓いた。

 彼女の手から染料がすっぽ抜ける。その先にいるのは私じゃない、セシリアだ。そして彼女の手には一か月以上かけて製作した聖女のベールがある。

 やめてえええええええ!

 



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限界点

「きゃあああっ」

「危ないっ!」

 

 悲鳴をあげる私たちの目の前で、宙を舞った染料はセシリアのベールに……ぶちまけられなかった。とっさに動いたフィーアが容器をはじいたのだ。

 跳ね返った容器は来た方向に戻り、アイリスにぶつかった。

 頭から染料をかぶってドロドロになったアイリスはその場にへたりこむ。

 

「な……」

 

 王子も、私も、周りにいた生徒全員が、茫然とアイリスを見る。

 彼女は次の瞬間声をあげて泣き出した。

 

「ひどぉい、リリィ様! 染料をかけさせるなんて!」

 

 いやいやいや! そもそも染料をベールにかけようとしてたのそっちだよね?

 むしろ君が謝るほうだよね?

 でも、染料をかぶって泣く彼女は、見た目だけは完全な被害者だ。

 

「アイリス、大丈夫か?」

 

 しかも王子が気遣っちゃうし……。

 ねえ、その前に彼女が染料を持ち込んだことを気にして?

 フィーアが弾かなかったら、どうなったか考えて?

 

「オリヴァー様……」

 

 アイリスは泣きながら王子にすがる。彼は自分が汚れるのにも構わず、ハンカチで彼女の顔をふいた。

 女の子を気遣うのは悪いことじゃないですけど、時と場合を考えてもらえますか。

 

「リリアーナ嬢」

 

 アイリスをまとわりつかせたまま、王子が私を振り向いた。構図だけなら、すっかり私が悪者だ。だからといって引くわけにはいかない。

 

「私は謝りませんよ」

「しかし彼女は……」

「服が汚れたのはお気の毒と思いますが……染料を持ち込んだのは彼女、制止をきかずに近づいてきたのも彼女、躓いたのも彼女。全て自業自得です」

「他にやりようはあったんじゃないのか?」

「あの状況で他に何が? フィーアが動かなければ、染料まみれになっていたのは、何の関係もないセシリアです。私は私の友達を守ったまでのこと」

 

 私は、フィーアとセシリアを背にかばうように立つ。

 私に困惑顔を向ける王子の後ろで、アイリスの口元がわずかに持ち上がった。王子の同情を引けた時点で勝ち、とでも思ってるんだろうなあ。

 

「だが、彼女をこのままにしておくわけには」

「そうですね。アイリス、寮に戻って着替えて。片付けはこっちでやっておくから。汚れた服の購入費はハルバードに請求していいわ」

「それだけか……?」

「それ以上何があるんです。彼女は染料をかぶっただけ、怪我もないようです。むしろ、服の購入費を出して床掃除を引き受けるだけ、親切だと思っていただきたいですね」

「ううっ……」

 

 泣き顔のまま、アイリスはその場から走り去った。

 マジで床掃除を押し付けていったよ、あの子……。

 

「リリアーナ嬢、あんまりじゃないのか」

 

 それはあなたのほうだと思います、王子。

 

「前から思っていたが、君は彼女たちにきつくあたりすぎだ。確かに彼女たちは俺の幼馴染みだが、君が気にするようなことは……」

「そんな心配、1ミリもしてません」

「い……いちみり?」

「以前、担当者別のトラブル発生件数表をお渡ししましたよね? アイリスもゾフィーも、問題を起こす頻度が飛びぬけて多いんです。仕事全体を円滑に進めるために、問題児を重点的にケアする。それだけのことです」

 

 私は王子を見据えた。

 

「そ……そうかもしれないが、俺の意見を少しは聞いてくれてもいいだろう」

 

 私の意見は聞かないのに?

 

「君は俺の婚約者だ。言うことに従ってくれないか」

 

 そこで婚約者の肩書を持ち出すか。

 ぷつん、と私の中で何かがキレる音がした。

 すうっと手足の先が冷えていく。

 

「そういえば、私はあなたの婚約者でしたね」

「だったら……」

「それはただ、将来結婚することを約束しただけのこと。それ以上でも、以下でもありません」

「な……」

「婚約者だからって何でも言うことをきくと思ったら大間違いです」

 

 私は体のいい奴隷じゃねーからな!?



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やらかし悪役令嬢

「やっちゃったあああああ……」

 

 ディッツの研究室に転がり込んだ私は、ふかふかソファにダイブして思いっきりため息をついた。

 何やってんだよ私。

 穏便に王子を成長させようとみんなで頑張ってきたのに、私が喧嘩してどうすんの。

 ソファでじたばたしていると、頭にぽんと手が載せられた。

 思わず顔を上げたら、私を見下ろすドリーの青い瞳と目があった。

 

「疲れとストレスで限界だったんだろう。あの状況ではしょうがない」

「でも……」

「いまだに王妃派を擁護しようとする王子が悪い。この一年、騎士科関係者全員から説教され続けておいて、いまだに物の見方が変わらないのは鈍すぎる」

 

 奴の目はガラス玉か?

 と相変わらず辛辣なドリーの台詞を聞いて、思わず笑ってしまう。

 ソファに座り直していると、ディッツがひょっこり顔を出した。

 

「この後の授業はないんだろ? 気持ちが落ち着くまでごろごろしていけよ。そのための避難所だ」

「ありがとう、ディッツ。でも、戻って生徒のフォローしないと」

「待て」

 

 腰を浮かそうとした私の肩をドリーがぐっと押さえた。私の体はソファに逆戻りしてしまう。

 

「今戻っても、場が混乱するだけだ。事の顛末はヴァンとケヴィンに伝えておいたから、この先はあいつらに任せろ」

「でも……」

「そもそもはお前が疲れていたせいで起きたことだ。教員指導だ、休め」

「……はい」

 

 もう休む、と決めたら急に体が重くなった。自分で思うよりずっと疲れていたらしい。やらなくちゃと思うと、疲労を無視してしまうのは私の悪いクセだ。

 

「疲労回復に良いお茶をいれますね」

 

 そう言ってジェイドが台所に移動した。興奮して気づいてなかったけど、教室を飛び出した私のフォローをするために、フィーアともどもついてきてくれたらしい。

 気遣いのできる従者と侍女バンザイ。

 

「ご主人様、申し訳ありません……私がついていながら」

 

 お茶を飲んでぼんやりしていると、フィーアが深々と頭をさげてきた。ネコミミが垂れているところを見ると、本気で落ち込んでいるようだ。いつもプロ意識の高い彼女にしては珍しい。

 

「あなたが謝ることなんてないわよ。フィーアが助けてくれてなかったら、セシリアが大変なことになってたわけだし」

「あの場面では、容器をはじき返さずに、キャッチするのが最善手でした。余計なトラブルに発展した原因は私にあります……」

「いやいやいや、弾いただけでも超反応だからね? あなたにそこまで要求できないわよ」

「……でも、いつものフィーアならできたことだよね」

 

 フィーアの隣でジェイドがぼそっとつぶやいた。フィーアは一瞬反論しようと口を開いて……結局口を閉じた。

 

「疲れているのは、フィーアもでしょ。君も座ってお茶を飲みなよ」

 

 はい、とカップを渡されて、フィーアは不承不承ソファに座る。今まで自分のことでいっぱいいっぱいだったけど、よく見ればフィーアもちょっと顔色が悪かった。いつものふわふわネコミミもちょっと毛艶が悪い。

 

「フィーア、ごめんなさいね。いつも私が連れまわしてるせいで……」

「いえ、ご主人様は悪くありません!」

「そうだよね。自分の抱えてるトラブルを主人に報告しないフィーアが悪いんだもんね」

「ジェイド! あんただって同じ状況でしょ!?」

 

 ちょっと待て。

 お前ら何を隠してる。

 



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モテ期

「フィーア、ジェイド」

 

 私はにっこり笑いながらふたりの名前を呼んだ。

 フィーアがびくっとネコミミを立てる。

 

 数年つきあって分かったことなんだけど、このふたり、特にフィーアは私に心配かけまいと自分の怪我や病気を隠そうとするクセがある。忙しい私を気遣ってくれる忠誠心はありがたいんだけど、それで倒れてしまっては元も子もない。

 

「何を隠しているのかしら?」

「……それは、その。たいしたことでは」

「何人もの男子生徒に求婚されて、つき纏われてるんだよね」

「ぐっ……!」

 

 元々、話をふった時点で暴露するつもりだったらしい、ジェイドがあっさり報告した。フィーアはぎっとジェイドを睨む。

 

「それは、ジェイドも一緒でしょ? 何人の女の子からラブレターをもらってるのよ」

「ボクは声をかけられる程度だもん。君みたいに行く先々で掴まれそうになったり、通路の陰に引っ張り込まれそうになったりしてない」

「アタシだってちゃんとかわしてるわよっ!」

「ちょっとそれ……おおごとじゃない……」

 

 四六時中男子生徒に絡まれては、気の休まる暇がない。疲れて当然だ。

 

「どうしてふたりがモテてるの? 確かにふたりとも、美人で有能だけどハルバードにいたころは、浮いた話なんてなかったわよね」

 

 私が不思議そうにしていると、横で聞いていたディッツが笑い出した。

 

「まあハルバード侯爵のお膝元でバカやる奴はいねえからな。だけど、ここは王立学園だ。直接監督する高位貴族はいない」

「監視の目が緩んだから、手を出す奴が増えたってこと?」

「まあ考えてみろよ、お嬢。お前はこの先何があっても、こいつらふたりをクビにすることはないだろ? つまり、将来の侯爵様だか王妃様だかの側近になるのが確定してるわけだ」

「そう……ね」

 

 すでにふたりは一生ものの側近だ。よほどの事情がないかぎり、私から彼らを手放すことはないだろう。

 

「しかしこいつらはどっちも庶民出身。爵位はなくとも、いや爵位がないからこそ、これから成りあがりたい商人や役人候補から見たら絶好の獲物なんだよ」

「あー……」

「ボクは男だし、体格もいい方だから強引なことはされないんだけどね。フィーアは一見小柄でおとなしい女の子に見えるから」

 

 フィーアのかわいい容姿は、相手の油断を誘う効果がある。しかし、それは翻せばナメられやすいってことだ。

 フィーアのネコミミが、苛立ちまぎれにぴこぴこと揺れる。

 

「ご主人様の名誉のため、穏便にかわそうとしているのに、あいつらときたら……ああ……いっそもう全員ねじ切ってしまいたい……」

 

 何をだ、何を!

 

「いや、切るだけじゃ生ぬるい……石臼で挽き潰したい……ごりごりごりって……」

 

 だから何を!

 

「あなたたちにちょっかい出さないよう、通達を出しましょうか?」

「逆効果だろ~。それだけお前にとって大事だってことだから」

「モテる原因は、そもそも私だもんね……」

 

 かといって、ふたりから離れるという選択肢はない。

 じっと話を聞いていたドリーが口を開いた。

 

「いっそ婚約してしまえばどうだ」

 

 君は一体何を言い出すのかな!?

 



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カモフラ婚約

「フィーアがしつこく言い寄られるのは、特定の相手がいないからだろう。婚約者という公のパートナーがいれば、誘いを断りやすくなる」

「待って待って、そもそも婚約とかしたくないから、困ってるんでしょ?」

「何も本当に結婚しろとは言ってない。身を守るための仮の婚約だ」

「つまりカモフラージュ婚約ってこと?」

 

 こく、とフランは頷く。

 

「悪くないアイデアだけど、カモフラ婚約する人の立場はどうなるのよ。そんな都合のいい相手なんて」

「いるだろう、目の前に」

 

 ドリーはフィーアを見たあと、ジェイドを見た。

 視線に気が付いたふたりは、お互いにまじまじと見つめ合う。

 

「私と……ジェイドが婚約ですか?」

「悪い話じゃないだろう。ふたりとも庶民出身の側近だ。立場が同じだから、婚約したところで派閥のバランスは変わらない。何年も前からの同僚というのも都合がいい。結婚を誓ったところで誰も不審に思わないだろう」

「……確かに、ボクたちならお互いに他意がないのはわかりきってる」

「遠慮なく利用し合えて楽ですね」

「フィーア? ジェイド?」

 

 いいの?

 そんな理由で婚約しちゃっていいの? 君たち。

 

「フィーア、婚約しよう」

「喜んで」

 

 ふたりはがしっと握手を交わした。

 いまだかつて、こんなにムードのないプロポーズがあっただろうか。

 あれー? 婚約とか結婚とか、もっとロマンのあるものだと思ってたんだけど?

 

「そのまま結婚することになっちゃったらどうするのよ、ふたりとも」

「カモフラージュ結婚すればいいんじゃないかな。どうせ、お嬢様が結婚するころには、ボクも結婚しておかないと側にいられないし」

「なにそれ」

「お嬢様は異性だから。独身のままずっと仕えてると、変な噂になっちゃうんだよね」

 

 それはわかるけどさあ!

 

「私も近いうちに出産しないといけないので、相手が必要です」

 

 今度は侍女が爆弾発言を始めた。出産って何だ、出産って。

 

「ええ……? 子供がほしいの? フィーア……」

「はい。ご主人様の御子をお育てするには、私自身が母乳の出る体になっておかなくては」

「Oh……」

 

 フィーアの忠誠心はありがたい。彼女のように一生をかけて仕えてくれる部下なんか、そうそう他に見つからないだろう。

 しかし、コレはさすがに行き過ぎなんじゃないだろうか。

 

「フィーア、ジェイド、あなたたちの主人として、ふたりの婚約を認めます」

「ご主人様、ありがとうございます!」

「ただし、それは婚約まで!」

「え?」

 

 私が断言すると、フィーアがきょとんとした顔になった。

 

「正式な結婚と、出産は不許可とします」

「な、何故ですか!」

「当たり前でしょうが! 母乳を出したいから出産したいなんて、許可しないからね! 産まれた子供がかわいそうじゃない!」

「……!」

 

 本気で悪いと思っていなかったっぽいフィーアは、目を丸くして固まった。

 この世界の結婚なんて、多かれ少なかれ利害が絡むのはわかっている。

 だけど、利害百パーセント婚約はともかく、利害百パーセント出産はダメだ。私の倫理観が許さない。

 

「ふたりが正式に結婚するのは、ちゃんと恋愛してから。情もないのに子供作ったら、その場でクビにするから!」

「そんなあああ……」

 

 研究室に、フィーアの悲痛な声が響いた。

 

 

 

 



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幕間:やっていいことと、わるいこと(ゾフィー視点)

「ゾフィー、早くしなさいよ」

「ま、待ってアイリス」

 

 私は、姿隠しの護符を握り締めると、アイリスの後に続いて外に出た。

 最近の私たちの生活は窮屈だ。

 寮母はもちろん、女子寮の生徒全員が私たちの行動を見ている。

 少しでもルールから外れたことをすれば、すぐに教師に報告されてお説教だ。

 女子寮を出入りするのだって、姿隠しの護符を使わなくては見咎められてしまう。

 

「さっさと行かないと、見つかった時に面倒だわ」

「だったら、こんな遅い時間に行かなくても……」

「ちょっと消灯時間を過ぎただけじゃない。こんな時間から、本当に寝てる子なんていないわよ」

「……そうかもしれないけど」

 

 学園に来るまで、私たちは無敵だった。

 真面目ぶったお馬鹿さんたちを出し抜いて、いつも一番を取ってきた。

 ルールは抜け道を探るもの。

 ライバルは罠にかけるもの。

 そうやって、マヌケな子の足を引っかけて回ったら、大人はみんな褒めてくれた。

 手段を選ばず上に行けるあなたは偉い、って王妃様が微笑んだ。

 

 でも、学園に入ったとたん、空気が変わった。

 抜け道を使おうとしたらふさがれる。

 罠は全部見破られる。

 誰かの足をひっかけようとしたら、その前に足を押さえられる。

 その空気の中心にいるのは、侯爵令嬢リリアーナ・ハルバードだ。富も名声もある彼女が、率先して真面目にまともに行動するものだから、誰も表立ってズルができなくなった。

 最初は一緒に悪戯を楽しんでいた子も、ひとり、またひとりといなくなって、気が付けば女子寮の中で私とアイリスだけが孤立していた。

 他人は所詮出し抜く相手。

 騙されるほうがお馬鹿さん。

 そう思ってきたけど……本当に正しかったんだろうか。

 

「お待たせしてしまって、すいません」

 

 乱立する学園の建物の陰、もう使われていない物置小屋に入ると、既に待ち合わせの相手が到着していた。

 金色の髪に緑の瞳をした美しい王子様と、アッシュブラウンの髪の騎士見習い。オリヴァー王子様と、ヘルムート様だ。

 

「いや、さほど待っていない。こんなところまで足を運ばせてしまったのは、俺だ。気にしないでくれ」

「オリヴァー様は、お優しい」

 

 アイリスはにこにこと笑う。

 日暮れ後に、寮の外で男女が密会する。誰かに見られたら最後、大スキャンダルになる行動だ。しかし、王子は『そちらはヘルムート様をいれて男子がふたり、こちらも女子がふたりいます。逢引きではありませんよ』というアイリスの言い訳を信じているようだった。

 

「優しいのは君たちだよ。劇の上演日が近いせいか、みんなピリピリしていてね。今日のことだって、ケヴィンは『リリィには近づくな、自分の頭で考えろ』としか言ってくれないし」

「みなさん、お忙しいものね」

「しっかり話を聞いてくれるのは、君たちだけだ……」

 

 オリヴァー王子はため息まじりに、周りの騎士候補生や婚約者に対する不満をもらす。アイリスはそれらの言葉を、ひとつひとつ丁寧に聞き取り、彼の意見を肯定した。

 甘い労わりの言葉を聞いて、王子は満足そうに微笑む。

 ねえアイリス、そんなことしていいの?

 彼は今まで王子という立場で甘やかされてきた。騎士科の生活を苦しいと感じるのは当然だ。でも、今必要なのは苦しみを取り除く癒しではなく、苦しさを乗り越える強さではないだろうか。

 甘やかして依存させればその分利用しやすいけど、その先に彼自身の健やかな成長はあるんだろうか。

 

「私には、リリアーナ嬢の心がわからない……」

「オリヴァー様の素晴らしさに、緊張しているだけですわ。それに、お疲れなんじゃないかしら。監督している学年演劇でトラブルが起きてばかりですもの。……自分の関わることばかりで」

「ああ……そういえば、事故が起こるといつも最初に彼女に疑いがかかるな」

 

 そう仕向けたのは、自分たちだけど。

 

「君たちのトラブル件数がどうのと言っていたが……結局自分が一番トラブルの目なんじゃないのか……」

「自分の不出来が心苦しくて、私たちに当たってしまうのかもしれませんわね」

「……」

 

 私たちが立てた作戦はこうだ。

 そもそも王妃様がリリアーナを王子妃に指定したのは、手元に置いて飼い殺しにするためだ。学年演劇でも何でもいい、リリアーナ嬢の評判に傷をつけ、在学中に何としても『ダメ令嬢』のレッテルを貼り、王妃様に逆らえない立場に落とす。

 その裏で私たちが王子を甘やかして篭絡。表向き王子妃はリリアーナとしながら、側室として彼を操るのだ。

 最初はいいアイデアだと思った。

 だから私もアイリスと一緒になってリリアーナを陥れようと躍起になっていたのだ。

 でも、これって本当にいいアイデアだろうか。

 側室って、お妾さんってことだよね?

 王子様の心はつかめても、正式な花嫁にはなれないんだよ?

 本当にそれっていいことなの?

 

「婚約者とのかかわりに迷いがあるのですね」

「それは……」

 

 にい、とアイリスの唇が笑みを刻む。

 

「相手の心を掴む、とっておきの手をお教えしますわ。あなたを想う娘なら、必ず喜んでくださるはず」

「本当か?」

 

 アイリスは王子の耳に口を寄せると、『相手の心を掴む方法』を囁く。

 その方法は、きっと王子とリリアーナの間に決定的な溝を作ってしまうだろう。

 私たちの計画に必要なことだ。

 でも、それって本当にやらせていいことなのかな?

 

 

 

 



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決壊

「ああ~なんとか間に合った~……」

 

 舞台の袖で、私は疲れたため息をついた。

 学年演劇上演まであと二日。ようやくの通しリハーサルである。本来、一週間前までに終わらせておくべきリハーサルが、こんな直前になってしまったのは、もちろん度重なる妨害のせいである。

 一応まだ学生ってことで取り締まってないけど! アイリスもゾフィーも外でやったら一発逮捕ものの犯罪だからね? 全部失敗してるんだから、いいかげん諦めて!

 

「衣装が間に合ってよかったです。リリィ様、お綺麗ですよ」

 

 目にクマをつくりながら、セシリアが微笑む。

 妨害をかいくぐりながらせっせと作った聖女の衣装は、ようやく今日完成だ。セシリアの成長チートと才能のおかげで、王室御用達レベルのドレスが出来上がっている。度重なる作り直しにめげず、努力してくれた彼女に感謝だ。

 

「ありがとう、セシリア」

 

 これで、ドレスが恋人のためのものなら、もっとテンションが上がるんだけどね。

 私は舞台をちらりと見た。そこでは、他の出演者たちと一緒になって演舞を行うオリヴァー王子の姿があった。

 あの一件以来、彼とはほとんど会話していない。

 台詞の読み合わせをする以外は、徹底的に避けてきた。下手に言葉を交わしてしまえば、喧嘩に発展しかねないからだ。会話が必要な場面でも、常にヴァンとケヴィン、そしてクリスが間に入ってくれている。

 苦手な相手でもにこにこ笑って会話するのが大人かもしれないけどさー! いろいろありすぎて、冷静でいられないんだよー!

 しかもなんか王子は私と接触を持とうとがんばってるし……。

 状況が何も変わらないのに、話しかけられても困ります!

 あああああ、はっきりノーと言えない侯爵令嬢の立場が憎い。

 自分の出番が極端に少ないのが不幸中の幸いだ。このリハーサルだって、演舞の後で王子を激励するシーンさえこなしてしまえば、もう出番はない。キスシーンだってあるけど、フリでいいってことになってるし。

 

「リリィ、出番よ」

 

 小道具の出し入れをしながら、全体の進行を確認していたライラが私に囁く。私は光魔法でまばゆく照らされた舞台へと足を踏み出した。

 

『勇士と王がここに集いました。今こそ、厄災の神に立ち向かう時です』

『ああ……愛しい人、聖女よ。あなたを守るため、この命を賭して戦いましょう』

 

 熱っぽい視線を向ける王子によりそい、その手をとる。

 

『死んではなりません。あなた方は既に聖なる鎧と血の絆で結ばれた身。彼らはあなた方の血に連なる者の手がなければ、目覚めることはできません』

『なに……?』

『厄災を封じたあとも、我らが手を取り合い血を繋いでいかなければ、いつか復活した厄災に立ち向かうことはできないでしょう』

『聖女よ、ならば私は誓おう。必ず生きて戻り、あなたとともに聖女と王の血を繋いでゆくと』

『その誓い、必ず……』

 

 王子の体が近づく。

 私は軽く目を伏せて、身をこわばらせた。

 このフリだけやり過ごせば終わり。

 ここだけやったら終わり。

 だから、さっさと終わってくれ。

 終われ終われ終われ終われ、と呪文のように心で繰り返していると、何かがおかしいことに気が付いた。

 

 王子の体が近い。顔も近い。

 フリですむ距離じゃない。これは、フランとキスした時と同じ距離感だ。

 違和感を覚えてる間にも、吐息と熱が間近に迫ってくる。

 こいつ本気で……!

 王子の意図を理解した瞬間、感情が爆発した。

 

「嫌ぁっ!」

 

 バチン! と派手な音をたてて、全力で王子の顔を張り飛ばした。

 

 

 



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ぶっちゃけトーク

「リリアーナ嬢、待て、待ってくれ!」

 

 王子の声を背中に聞きながら、私はディッツの研究室へと全力で走っていた。

 とてもじゃないけど、舞台になんかいられなかったからだ。

 マジでキスしようとするとか、ありえない!

 体は熱いのに、背中は全面鳥肌が立っている。

 いやだ。

 無理。

 こんなの絶対許せない。

 

「待て……!」

「ご主人様に触るな!」

 

 すぐ後ろでバチンと派手な音がした。

 振り返ると、手を押さえて痛そうな顔をしている王子と、私を背中にかばうように立つフィーアの姿があった。

 

「この……侍女のくせに!」

 

 王子についてきていたヘルムートが気色ばむ。

 

「フィーアは悪くないわ。私の代わりに王子を振り払ってくれただけだもの」

 

 追いかけてきたのは、王子たちだけのようだ。ヴァンたちは混乱する舞台をおさめてるところなんだろう。

 

「王子こそ何を考えてるの? キスはフリだけって話だったでしょ」

「婚約者にキスして何が悪い」

 

 ほう。

 何が悪いときましたか。

 

「私は婚約者である前にひとりの人間です。許可なく女子に触るのは失礼よ」

 

 女性の地位が低いこの世界でも、いや女性が抵抗できないからこそ、無理矢理セクハラは紳士にあるまじき絶対のタブーとされている。

 婚約者とか臣下とか関係なしに、お前のやったことはただの最低行為だからな?

 

「俺は王子だぞ」

「それが何? あんたなんて肩書がなければ、ただの考えの甘いおぼっちゃんじゃない」

 

 研究室へ向かう途中だったせいか、辺りに他の生徒の姿はない。王子を止める者がいない代わりに、私を止める者もいない。

 もういい。

 キレたついでだ、言いたいことを言ってやる。

 

「あんたとキスなんて、絶対嫌。また同じようなことをしたら、ビンタじゃ済まさないから」

「嫌……? どうしてだ……! 君は俺のことを好きなんじゃないのか。女の子は好きな相手にキスされたら喜ぶものだろう?」

 

 私の拒絶が本気で理解できなかったらしい。

 王子は真っ青のまま、おろおろと目を泳がせる。

 

「なんでそう思ったわけ? 学園に入るまでしゃべったことすらなかったじゃない」

「だ……だって……花束を渡したとき、君は泣いてくれたじゃないか。うれし涙だって……そ、それは……俺に気持ちがあったからだろう?」

「んなワケないでしょ」

 

 ずばっと切り捨てたら、泳いでた目がそのまま凍り付いたように固まった。

 

「近衛兵に取り囲まれて全貴族に監視されてる中で、王子の求婚を断れるわけないでしょ? あれは、無理矢理婚約させられたことに、腹が立って悔しくて泣いてたの! その場を丸くおさめるために、うれし涙だってごまかしただけよ!」

「悔しい……? ごまかしてた……? そんな、嘘だろう……」

「本当のことよ。だいたい入学してから今まで、ずっと距離を取られてたっていうのに、どうして私があなたに気があるって勘違いできたの」

「だって……それは……君が緊張してるからだって……アイリスたちが教えてくれて……」

「勘違いもいいとこね」

 

 王子はふらりと一歩、こっちに足を踏み出す。

 

「あ、あの時、好意がなかったとしても……王家との縁談だ。女の子は……喜ぶものじゃないのか?」

「どこ調べの話よ。少なくとも、私にとっては最悪だったわ」

「最……悪?」

 

 自分の価値を保証する絶対のブランド、王家を否定されて王子は茫然とする。彼の周りはそれをありがたがる子ばっかりだったけどね。

 

「あの時私は家を出る兄に代わって、侯爵家を継ぐはずだったの。兄も私も望んで選んだ道だったわ。家族の将来を丸ごとぶちこわしたあんたを、私が愛するわけないでしょ」

「リリアーナ嬢、不敬だぞ!」

 

 ヘルムートが何か言ってるけど、知るか。

 

「私は絶対、あんただけは嫌!」

「このっ……」

 

 断言した瞬間、王子が激高した。ぶんっと大きく腕を振りかぶる。

 腹立ちまぎれの一撃なんて、フィーアが叩き落すだけだけどね!

 後ろにさがりながら、フィーアの背を見る。しかし応戦しようとした彼女は、くたりと地面に崩れ落ちた。

 

「フィーア!?」

「え……っ? 俺はまだ何もしてないぞ?」

「うるさい、黙って!」

 

 私はしゃがみこむとフィーアの首筋に手を当てる。

 彼女の体は燃えるように熱かった。額にはびっしりと汗が浮いていて、顔が赤い。

 原因はわからないけど、明らかな体調不良だった。

 

「フィーア、しっかりして!」

「ご……しゅじん……さま……」

 

 ヘルムートが前に出て、私たちに手を差し出してきた。

 さすがにヤバいと判断したらしい。

 

「医務室まで運ぼうか?」

「触らないで」

「な……緊急事態だろう!」

「他意はないわ。この子、身内以外に体を触られるのを極端に嫌うの」

 

 私はよいしょ、とフィーアを背負った。私も体力のある方じゃないけど、細くて小さなフィーアくらいなら、なんとかなる。幸いなことにディッツの研究室は目の前だ。

 

「リリアーナ嬢……」

「ついてこないで。近寄ってきたら、本気で攻撃するわよ」

 

 王子がそこに立ち止まったのを確認して、私は研究室へと向かった。

 

 

 



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サービス残業禁止令

「過労だな」

 

 フィーアを診察したディッツは、あっさりとした口調でそう断言した。

 

「病気や感染症じゃない。単に疲れて倒れただけだ」

「そう……よかった」

「まあこのまま放っておくと、他の病気の原因になるから休ませる必要はあるけどな」

 

 それでも、深刻な病気じゃなくてよかった。この世界の医療水準では、ちょっとした病気でも命取りになりかねない。

 

「やっぱり働きすぎが原因?」

 

 外でタイミングを見計らっていたのだろう、寝ているフィーアの服を整えたところでジェイドが診察室に入ってきた。

 

「そうみたい。でも……ジェイドと婚約したおかげで、トラブルは減ったのよね? どうして倒れちゃったんだろ……」

「余裕ができたからって、深夜の女子寮巡回警備と早朝学園一周警備チェックとかしてたからじゃない?」

「はあ!? いつ寝るのよ、それ!」

「だから寝てないんだよね、フィーア?」

 

 ジェイドに指摘され、フィーアは嫌そうに顔をしかめる。これは体調不良のせいだけじゃなさそうだ。

 

「ボク言ったよね? こんな生活してたらいつか倒れるって。ひとりで仕事を抱えこんでるばっかりじゃ、絶対につぶれるって」

「ぐ……しかし、女子寮の周りの気配に違和感が……見回りの手を抜くわけには……」

「それで肝心な時に倒れるとか、無様以外何者でもないよね」

「……っ」

 

 フィーアの金色の瞳がジェイドを睨みつける。図星なだけに反論できないっぽい。

 

「君はもうちょっと周りを頼らないとダメ。あとでボクが女子寮に侵入者排除の魔法をかけておくし、違和感調査も手伝うから一旦休みなよ」

「でも……」

「主人命令よ、フィーア。私への報告なしに警備を強化するのは不許可とします」

「……わかり、ました」

 

 暴走の原因が、私への忠誠心だと思うと心苦しい。しかし、無理にでも止めないとフィーアは私を守ろうと際限なく突っ走ってしまう。

 

「とりあえず、今日は研究室に入院だな。熱が下がるまで女子寮に戻るのは禁止。こっちはドクター命令な」

「なっ……」

 

 ディッツにまで命令されて、フィーアは口をぱくぱくさせる。

 

「妥当な判断ね。側にいたら無理にでも私を守ろうとしちゃうから」

 

 正規の医務室じゃないけど、ここはフィーアの婚約者と身内が管理する研究室だ。泊まって問題ない。

 

「しかし、ご主人様……それは……」

「はいはい、文句は元気になってから言う」

 

 ジェイドは毛布でフィーアをぐるぐる巻きにすると、そのままひょいと担ぎ上げた。抵抗することもできず、彼女はそのまま運ばれていく。

 

「殺す……あとで絶対殺す……!」

 

 ……あの子たち、一応婚約者同士のはずなんだけど。

 あんな調子で大丈夫なんだろうか。

 

「まあ、犬も食わないなんとやら、って奴だろ。フィーアのことはこっちに任せて、お嬢は自分のことに集中してくれ」

 

 ディッツは診察室の外に目をやった。フィーアたちとは別に、ソファスペースに何人も集まっているようだった。

 

「わかった、行ってくる……」

 

 まずは、私を心配して研究室に集まってくれた友達に謝らなくちゃなあ……。

 

 

 



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大丈夫

「王子と喧嘩して、フィーアが倒れたって? 容体は?」

 

 ソファスペースに顔を出すと、ライラが真っ先に声をかけてきた。見ると、彼女に加えてクリス、セシリア、ケヴィン、ヴァンと特別室組が集合していた。彼らの後ろに、ドリーもひっそりと立っている。

 

「大丈夫、怪我はしてないわ。私を守ろうとして疲れが出たみたい。今は奥でジェイドに看病されてるわ」

 

 みんな、それを聞いてほっと息をつく。喧嘩して倒れたって聞いたら、大怪我を心配するところだもんね。過労で倒れた程度ですんで、本当によかった。

 

「あの……思わず飛び出しちゃったけど、舞台はどうなったの?」

 

 私が尋ねると、ヴァンがフンと鼻息をもらした。

 

「リハーサルは中止。道具類は全部片づけて、全員寮に帰らせた」

「私のせいで……ごめ……」

「謝んな」

 

 私の言葉は、強引に遮られた。

 

「ここにいる誰も……お前が黙ってキスされてたほうがよかったなんて、思ってねえよ」

「……悪いのはオリヴァーだ」

 

 そう断言するケヴィンに、いつもの柔らかな笑みはなかった。能面のような無表情で座っている。あまりのことに、表情を作る余裕すらないみたいだった。

 

「そういえば、王子はどうなったの?」

 

 フィーアの救護が最優先で、廊下に放置してきちゃったけど。

 

「彼は男子寮の寮監が連れていったよ。あの様子なら徹夜でお説教コースじゃないかな」

「それで反省するといいんだけどな」

 

 そうは言っても、相手は今までさんざん叱られて、それでも意識が変わらない王子様だ。

 これで素直に行動が改まるとは思えない。

 

「学年演劇の上演はもうすぐなのに……どうにかしなくちゃ」

「まずはリリアーナ、あなたは女子寮に戻りなさい」

 

 ドリーが静かに命令を下した。

 

「え、それじゃ何も……」

「今のあなたは冷静ではありません、王子との対話など考えられないでしょう。対策はこちらで考えますから、一旦部屋で休みなさい」

「いいんですか?」

「どーせ、喧嘩っ早いリリィに任せたところで、王子がビンタされる回数が増えるだけよ。戻って甘いものでも食べて寝てなさい」

 

 ライラのその評価はどうかと思います。

 気遣いはありがたいけどさあ!

 

「じゃあ、お言葉に甘えて……休んできます」

「私も一緒に行こう。今のリリィをひとり歩きさせられない」

 

 クリスがソファから立ち上がった。

 

「たまにはフィーア以外の護衛を連れるのもいいだろう」

「ありがとう、頼りにしてるわ」

 

 私はクリスと一緒に研究室のドアに向かう。

 ふと振り返ると、ドリーと目があった。彼女は軽く肩をすくめて、口の端を吊り上げる。

 

「大丈夫ですよ」

 

 ドリーがこんな風に笑う時には、何か企んでる時だ。

 だったら、まだできることはあるはず。

 まだ大丈夫。

 私は顔をあげて、女子寮へと向かった。

 

 



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幕間:悪魔の勧誘(セシリア視点)

 リリィ様が去ったあと、研究室には微妙な沈黙が流れた。

 ヴァン様がケヴィン様と目をあわせたあと、大きくため息をつく。

 

「リリィは休ませたけど……これからどうすっかなあ……」

「今までさんざん王子を説得してきてこの状況だもんね。これから改善する方法なんてすぐには思い浮かばないよ」

「あーもう、マジで面倒くせえ」

 

 ふたりがぼやいていると、奥に立っていたドリー先生が、急に私たちの前へと歩を進めてきた。

 

「作戦がないわけではない」

「ドリー先生?」

 

 突然雰囲気が変わった彼女を見上げて、ライラが怪訝な顔になる。いつもおとなしく、一歩下がっている彼女らしくない。立ち方や仕草も男性的だ。

 

「だが、それを語る前に、ひとつ秘密を告白しようと思う」

 

 何を? と問い返す暇もなかった。

 ドリー先生の姿がぐにゃりと歪んだ。輪郭がほどけて影のように変化する。その影はぐうっと縦に伸びたかと思うと、全く別の姿をとった。

 黒髪と青い瞳は変わらない。しかしそこにいたのは、明らかに男性だった。すらりと手足の長い、鍛えられた騎士だ。

 

「ああああああっ、お前、ミセリコルデの!」

 

 ヴァンが叫び声をあげる。

 

「え? え? え? ドリー先生が……男の人?」

「待って待って、どういうことなの!」

 

 ケヴィン様とライラも目の前の光景が信じられないのか、パニックになっている。リリィ様からドリー先生の正体を聞いていた私も、実際に変身した姿が信じられない。

 

「ヴァン以外にこの姿で会うのは初めてだな。改めて自己紹介をしておこう。俺の名はフランドール・ミセリコルデだ」

「待ってください、フランドール様はリリィの……あの……その……」

「まあそういうことだ」

 

 ライラの疑問を、フラン様は肯定する。ヴァン様はガリガリと頭をかいた。

 

「やっぱりそうか! なんか雰囲気がおかしいとは思ってたんだよ!」

「俺があのじゃじゃ馬を放置するわけがないだろう」

「だろうな! スゲー納得した!」

「あなたの秘密はわかりましたけど……何故わざわざ俺たちに?」

 

 ケヴィン様がそう尋ねてしまうのは当然だ。

 ただ王子を更生する作戦を相談するだけなら、こんな秘密の暴露は必要ない。

 しかしフラン様はにいっと口の端だけ吊り上げてほほ笑んだ。その青い瞳は底冷えしていて、全く笑っていない。

 

「共同作戦を行う上で、下手な秘密はない方がいい。それに……この作戦には少々、俺個人の意趣返しが含まれていてな……何故そんなことをするのか、いちいち説明する手間が省ける」

「意趣返しってお前……あ」

 

 フラン様にツッコミをいれそうになったヴァン様が表情をなくした。ケヴィン様も、ライラも、私も何故フラン様が怒っているのか、その理由に思い至る。

 

「恋人が目の前でキスされそうになってたら……怒って当然……ですね……」

 

 ケヴィン様の声は震えていた。

 見ている私も怖い。

 フラン様は私たちの前に紙束を置いた。

 

「これは、一年がかりで調べ上げた学園の内通者リストだ。王妃派だけでなく、キラウェア国、アギト国、その他の国から入り込んできた者も入っている。こいつらは、王妃に踊らされているアイリスやゾフィーとは違う。本物のスパイだ」

「まだこんなにいやがったのか」

 

 リストの名前を確認しながら、ヴァン様が顔をしかめた。

 

「王子に現実をつきつけ、小娘どもを処罰し、ついでにこいつらもまとめて拘束するプランがある」

 

 にい、と笑うフラン様は、まるっきり悪の黒幕だ。

 

「やりましょう」

 

 意外にも、真っ先に返事をしたのはケヴィン様だった。

 

「王子の行動は目にあまります。今変えなければ取返しがつかなくなる」

「アレがあのまま玉座に座るとか、悪夢だもんな。俺もその話に乗るぜ」

「私もフランドール様に協力します。こんな状況、黙って見てられないもの」

 

 ヴァン様とライラが同意する。

 私は……。

 

「セシリア、お前はどうするつもりだ」

 

 フラン様が私を見た。

 

「インパクトのある女子生徒がいると助かるんだが」

 

 何をさせたいかはわからないけど、インパクト、ということは私を表舞台に立たせたいんだろう。

 私が人前に出て、何かを変える。

 そう思った瞬間、喉から声が出なくなった。

 沈黙しているうちに、フラン様の眉間に皺が寄っていく。

 

「……お前の事情は聞いている」

 

 彼はリリィ様の恋人であり、共犯者だ。

 だから女神の運命も全て教えられているんだろう。私が、運命を拒否していることも。

 

「状況には同情するし、受け入れられない気持ちも理解できる。だが逃げ続けてどうなる」

「……」

「一年、あいつと共に過ごしてどう思った? 問題に立ち向かうあいつを見て、何も感じなかったのか?」

 

 私は首を振った。

 いつも矢面に立って戦うリリィ様の姿はどれも目に焼き付いている。

 だから、どうにもならない『婚約』という問題で苦しむ彼女の姿は見ていて痛々しい。

 

「全部受け入れろとは言わない。だが、逃げるな。戦う者の前にしか道は現れないぞ」

 

 その厳しい言葉に、私は何も答えることができなかった。

 

 

 




すいません、家族急病(もう熱は下がりましたが)につき、続きを書く余裕がありません。次回更新は少しお時間ください。
多分今月中には再開できると思います。

これから盛り上がるぞーというところで休止ですが、最終話までプロットは完成してるので、ちゃんとリリィちゃん学園編のオチまでは描き切る予定です。
復活するまで少々お待ちください。


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幕間:明日が怖い(セシリア)

 女子寮特別室の広いベッドで、私はため息をついた。

 消灯時間を過ぎてからずいぶん経つ。いつも女子生徒のおしゃべりする声で騒がしい女子寮も、今はしんと静まり返っていた。

 結局、イエスともノーとも言えず黙りこくってしまった私に、答えを求めることを諦めたのか、フラン様はそのまま作戦会議を始めてしまった。話だけ聞いて、参加する気になったら声をかけろ、ということなんだろう。

 

 フラン様の意図はわかる。

 私は将来聖女になることが運命づけられている。

 厄災に立ち向かうのなら、今の時期からその姿をアピールしておいたほうがいい。

 王子の行動を正して、王妃派を排除するこの作戦は、絶好のチャンスだ。

 意図も、理由も、全部頭ではわかっている。

 でも行動しようとすると、とたんに体が動かなくなった。

 行動は状況を変える、そして状況は全ての運命を変えていく。

 女神に才能を与えられた私が本気で動けば、世界がどれだけ姿を変えるのか。私には全く予想がつかなかった。

 

 未来に何が起きるのか、そんなものわからないのが普通だ。

 みんな明日何が起きるか知らないまま毎日を過ごしている。

 しかし、自分はこの先に待ち構える災厄や、悲劇の情報を知っているからこそ、その先に起きる未来が怖くてしょうがなかった。

 

 だからといって、震えて蹲っていても状況は変わらない。

 悲劇は私の怯えなんて無関係にやってくる。

 

 だから、立ち向かわなくちゃいけない。

 頭ではわかっているけど。

 それでも手足は冷えて強張って、思い通りに動いてはくれなかった。

 

 もう一度ため息をついて、自分の喉がカラカラに乾いていることに気が付いた。

 そういえば、考え込むあまり、夕食も食べていなかった。もちろん飲み物だって口にしていない。

 悩むのはともかく、ここで自分まで倒れて足を引っ張るわけにいかない。

 ふらふらと廊下に出た私は、サロンに置かれている水差しに手を伸ばした。

 持ち上げてみると、思ったより軽い。

 そこには一口ほどしか水が残されていなかった。

 

「そっか……フィーアさんが……いないから」

 

 特別室の備品管理は彼女の仕事だ。過労で寝込んでいる今、水差しの手入れをする者は他にいない。

 自分より年下の女の子が倒れるほど努力をしているというのに、自分ときたら。

 自己嫌悪でまた更に体が重くなる。

 

「水……補充しなくちゃ」

 

 私は水差しを手に取ると、階段に向かった。

 一段降りるごとに、少しずつ範囲を広げながら周囲の魔力を探知する。この索敵方法はジェイドさんの真似だ。

 本来戦場で斥候が使うような魔法だけど、女子寮にはリリィ様たちを敵視する王妃派の子たちも寝起きしている。用心して、しすぎることはないはず。

 

 ゆっくりと建物の魔力のゆらぎを確認しながら、厨房へと向かう。料理用の水道まであと一歩、というところで強烈な違和感を覚えた。

 

「……っ?」

 

 探知の魔法に異常はなかった。しかし、何か大きなズレを感じる。

 何かが無理やり探知の結果を塗りつぶしているような、そんな感覚だ。

 異常を感じる方向を見ても、そこにはただ廊下があるだけだった。

 何の変哲もない夜の女子寮の風景。

 しかし、私の魔力が危険を告げている。

 

 怖い。

 今すぐ部屋に戻って布団をかぶって寝てしまいたい。

 けれど、今の女子寮で異常を追えるのは、私だけだ。

 怖いからといって放りだすには、大事な友達が多すぎる。

 

「……」

 

 フィーアさんの真似をして気配を消し、私は違和感を追う。

 ソレは裏口に向かうと、ドアに接触した。音もなくドアが開いて、外から月光が差し込んでくる。

 月の光に照らされて浮かび上がったのは、アイリスさんの姿だった。

 

 

 



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幕間:愛し君(セシリア視点)

 女子寮から抜け出したアイリスさんは、すたすたと迷いなく歩きはじめた。

 私は慎重に彼女の後を追う。魔力を隠蔽して気配を消すのは初めてだけど、フィーアさんとジェイドさんの使っている方法だから、大丈夫なはず。

 アイリスさんは裏庭まで来ると、木陰に声をかけた。

 

「お待ちになった?」

「いいや、全然」

 

 制服を着た男子生徒がひとり、すぐに木陰から出てくる。顔は見えなかった。茂った木の葉が上半身を覆うように影を落としているからだ。

 アイリスさんは嬉しそうに笑う。

 

「あなたが贈ってくれたこの『姿隠しの護符』は効果絶大ね。寮母はおろか、あの汚らわしい猫女でも気づかないのよ」

「君たちのために、特別にあつらえたものだからね」

 

 男子生徒は笑う。

 フィーアさんが気にしていた女子寮の違和感は、彼女だったみたいだ。誰かが出入りしているのはわかってたけど、護符に遮られて正体が掴めなかったのだ。

 私は産まれて初めて聖女の才能に感謝する。

 異常に気づけたのは、ジェイドさんとフィーアさんのやり方を両方知っている私だからだ。

 

「そういえば、いつもの相棒の姿がないみたいだけど」

 

 男子生徒がアイリスさんに尋ねた。相棒、とは一緒に悪戯をしていたゾフィーさんのことだろう。

 ふん、とアイリスさんが鼻は鳴らす。

 

「あの子はもういいの。すっかり怖気づいちゃって、付き合い悪いのよ」

「計画の遂行に問題はないの?」

「ふふ、私を誰だと思ってるの。万事滞りなく進んでるわ」

 

 クスクスとアイリスさんが笑う。

 

「今日まで地道に布石を打って、準備は万端。学年演劇の大舞台であの女の評判を徹底的に落としてやるわ。オリヴァー様最愛の寵姫におさまるのは、私よ!」

「やっぱり君はすごいね」

 

 アイリスさんのとんでもない宣言を、男子生徒は笑って流す。

 

「そうだ、頑張る君にプレゼントをあげよう」

 

 男子生徒はポケットから何かを出した。ペンほどの大きさのそれを、アイリスさんに握らせる。

 

「これを使えば、ゾフィーだって君の言うことをきいてくれるはずだよ」

「まあ……感謝しますわ」

「君の計画が成功することを、祈ってる」

「ええ、きっとあの女を蹴落としてみせますわ」

 

 アイリスさんは優雅に淑女の礼をすると、女子寮に戻っていった。

 下手に鉢合わせしないよう、私はその場にじっと身を隠す。ふと男子生徒のほうを見ると、風がふいてきて、木の葉を揺らした。差し込んだ月光が男子生徒の顔を明るく照らす。

 

「……!」

 

 それを見て私は絶句した。

 彼は王立学園の生徒なんかじゃなかったからだ。

 この国では滅多に見ない象牙の肌、ほっそりとした輪郭に薄い唇。そして、光を全て吸い取ったような闇色の髪と瞳。

 直接会ったのは二年も前だけど、その記憶は強烈に焼き付いている。

 アギト国第六王子、ユラ・アギトだ。

 

 ぞわっと背筋に悪寒が走る。

 彼は危険だ。

 ハーティアを憎む厄災の王子は、常に悪意を持って行動する。

 彼がアイリスに手を貸しているのなら、ただの子供のイタズラじゃ終わらない。きっと、ひどく良くないことが起きる。

 

 戻って、リリィ様に知らせなくちゃ。

 それから……。

 

「臆病な君に何ができるの?」

 

 すぐそばで、囁かれた。

 振り向くと目の前にユラの顔がある。いつの間に移動したのか、ユラは身を隠す私の隣に立っていた。

 

「!」

「ああ、逃げないで」

 

 さがろうとした私の腰を、ユラの手が抱く。

 ただ腰に手を当てられただけだというのに、それ以上体が動かなかった。まるで蛇に睨まれた蛙だ。

 

「久しぶりだね、愛しい君」

「わ……私は……っ!」

「こんなに震えて、かわいい……ふふふっ」

 

 私を見つめるユラの黒い瞳には、何の光も見いだせない。ただ暗い穴があるだけだ。

 それが心底恐ろしい。

 

「君は、頑張らなくていいんだよ」

「……な、にを」

「女神のつくった歪な世界は僕が壊してあげる。君はただじっと、膝を抱えて震えていればいい」

 

 ユラはあいている手で私の髪をひと房すくいあげると、愛おしそうにキスした。

 

「弱くて脆くてかわいそうな君。どうか、ずうっとそのままでいて」

 

 底冷えするような声で囁いて、ユラは幻のように姿を消した。

 

 

 



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上演前トラブル

「おはようございます、リリアーナ様! 今日はがんばりましょうね!」

「リリアーナ様、私たち精一杯お手伝いいたします!」

 

 同級生に激励されながら、私は王立学園の演劇ホールに足を踏み入れた。

 今日はついに学年演劇の上演日である。

 学生イベントとはいえ、貴族子弟が一年がかりで準備した大がかりな劇だ。今日だけは特別に外部からのゲストを招待して劇を披露することになっている。

 ゲストの多くは、生徒の親族だ。

 

「……うわーお父様たちも来てる」

 

 演劇ホールの窓から外を見ると、両親が所有する紋章つきの馬車があった。

 

「おじい様も来ているのか」

 

 寮から一緒にホールにやってきたクリスが、隣の馬車の紋章を確認して言う。

 馬車留めにはクレイモア、モーニングスター、ランス、カトラス、さらにはミセリコルデの馬車まであった。生徒が在籍している私たちはともかく、ミセリコルデは関係ないんじゃないの。

 

「ヴァンの演舞を見たら、何て言うかな」

「クレイモア伯なら、精進が足りん! とか言うんじゃないの」

「勘弁してくれ……俺にあれ以上の演技はむりだ」

 

 私たちが笑いあってると、ヴァンとケヴィンが顔を出した。彼らも今来たところらしい。

 

「まあ、王家の馬車もありますわ!」

 

 生徒の誰かが声をあげた。よく見ると剣と心臓をモチーフにした王家の紋章を付けた馬車もある。こんなところに国王が来るわけないから、来てるのは王妃様かなあ。

 私とフランの婚約をブチ壊しにした王妃の前で王子とキスシーンを演じるとか、何の罰ゲームだ。

 

「そういえば、王子とヘルムートは?」

 

 母親が見に来たのなら、喜びそうなものだけど。尋ねるとヴァンは首を振った。

 

「あいつが下手に陣頭指揮をとると混乱するからな。出演前まで待機させてる」

 

 ……未来の国のリーダーとしてそれはどうなの。

 いやまあ、今までの行動を考えたら、ヴァンの処置が妥当だと思うけどね?

 

「君たちのほうこそ、ライラは一緒じゃないの?」

 

 私とクリスが一緒にいるのを見て、ケヴィンが首をかしげた。

 

「道具係の準備があるとかで、先に女子寮を出たの。これから準備室の様子を見てくるから、一緒に来る?」

「そうだね。俺も着替える前に状況は確認したいし」

 

 私たちは4人まとまって準備室に向かう。中を覗くと、部屋は妙に静かだった。

 ライラを中心とした何人かの生徒が、その場に立ち尽くしている。

 

「ライラ、どうしたの?」

 

 彼女たち道具係は開園前の今が一番忙しいはずだ。こんなところでぼんやりしていていいんだろうか。

 私たちに気づいたライラは、ゆっくりと振り返る。

 彼女の目は吊り上がり、顔は強張っていた。態度はツンツンしてても実は優しい彼女にしては珍しい、心底怒ってる顔だ。

 

「ちょっと、怒りで思考停止してた……」

「え、何それ」

 

 怒りって何事?

 困惑していると、ヴァンが声をあげる。

 

「おい、昨日ここに置いてあった模擬剣はどうした? いや、それだけじゃない、衣装も、小道具も全部……」

「ええそうよ」

 

 ライラが低く答えた。

 

「劇に必要な道具が、全部なくなってるの!」

「えええええええ」

 

 言われてみれば、準備室は空っぽだ。

 道具なしでは、とてもじゃないけど劇の幕はあげられない。

 

「まあ、大変。誰かが片付け場所を間違えちゃったのかしら」

 

 パニックになっている私たちに、場にそぐわない明るい声が割り込んできた。振り返るとアイリスがにんまりと笑って立っている。

 

「道具も管理できないなんて、誰が責任を問われるんでしょうね……」

 

 いや原因はアイリスだよね?

 絶対君が道具を隠した犯人だよね?

 とは思うけど、今は何も証拠がない。

 

「まず最初に君を尋問してもいいんだけどね?」

 

 クリスがじろりとアイリスを睨んだ。鋭い視線を受けて、わずかに怯む。

 

「わ、私は何も知らないわよ」

 

 パン、とヴァンが手を叩いた。

 

「そこのハエはほっとけ。ケヴィン、生徒を全員集めてくれ。犯人捜しは後回しだ、まずはなくなった道具を探すぞ!」

 

 

 



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失態

「モーニングスター見つかりました!」

「建国王の冠、発見です!」

 

 開演時間が迫るなか、生徒たちは男女を問わず舞台裏を走り回っていた。アイリスたちが隠した舞台の道具を探し出すためである。

 どれも少し探せば見つかる場所にあるものの、とにかく数が多い。

 チェック担当のライラと、全体指揮担当のヴァン以外は、とにかくそこら中の棚や暗がりを開けて回った。当然私も捜索のお手伝いだ。

 

「もおおおお、最後の最後で何てことを!」

 

 一晩でこれだけの道具を隠すのはアイリスひとりじゃ無理だ。

 手を貸した生徒は相当な数にのぼるだろう。寮母たちの説教が無駄だったのか、それともアイリスに従わざるを得ない理由でもあるのか。

 後で証拠を集めて全員説教しないと気が済まない。

 

「教師に助けを求められないのがきついわね……」

 

 何しろ、今日は客席に王妃様をはじめとした国の重鎮が集まっている。教師たちは彼らの対応で手いっぱいだ。それに万一舞台裏の騒動が王妃の耳に入ったらまた別の面倒ごとになってしまう。

 

「リリィ様、裏口を見てきてください!」

「わかったわ!」

 

 いけない、いけない。

 考えるのは後だ。

 とにかく、道具を見つけて舞台の幕を上げないと。

 劇場の裏まで走ってきた私は、さすがに息が切れて立ち止まった。

 

「ここで、道具を隠せそうなところは……」

 

 人気のない裏口を出て周辺を見回す。その瞬間、がしゃんと裏口の鉤が音を立てた。

 

「……え?」

 

 慌てて裏口に駆け寄ったけど、ドアは動かなかった。誰かが裏口に鍵をかけてしまったのだ。

 突然劇場から締め出されて私は混乱する。

 

 この状況で裏口を閉めるとかある?

 そんなことをしたら、中に戻れない。正面入り口に回ろうにも、ここからじゃ暗い裏道を通らなくちゃいけない。

 

「フィーア、ドアを……」

 

 振り向いて、私は気づいた。

 私は今、ひとりだ。

 フィーアは入院中だ。何も言わなくてもついてきてくれる、便利な護衛はいない。

 だから孤立しないよう、自分で気を付けなくちゃいけなかったのに。

 

「……!」

 

 この状況は絶対罠だ。

 留まっていたら、絶対よくないことが起きる。すぐに誰かと合流しなくちゃ。

 別の入り口を求めて裏道に目を向ける。

 以前見た地図が確かなら、壁沿いに進めば正面脇の入り口にたどり着けるはず。

 

「待って……!」

 

 走り出そうとした私の耳に、女の子の声が聞こえた。

 振り向くと木々の間から、制服姿の女の子がよろよろと歩いてきた。

 

「ちょっと、どうしたの?」

 

 彼女はひどい有様だった。髪はぐしゃぐしゃで、制服は泥だらけで襟元が乱れている。

 顔は殴られでもしたのか大きく腫れあがっていた。

 

「あなた……ゾフィーよね?」

 

 いつも令嬢然としていた彼女には、あり得ない姿だ。誰かに何かされたとしか思えない。駆け寄ると、彼女はぼろぼろと泣き出した。

 

「わ……私……やめようって、言ったの……こんなの……変だって……」

「え、ええと……?」

「でも、アイリスは……絶対あなたを……潰すって……!」

「落ち着いて。すぐに誰か呼んであげる」

「だ、だめ……っ、いやぁぁっ!」

 

 びくん、とゾフィーが体をのけぞらせた。

 そのまま地面に倒れてのたうち回る。その姿はまるでスタンガンを押し付けられた人みたいだ。

 もちろん、私は雷魔法なんか使ってない。

 

「ゾフィー、しっかりして!」

 

 慌ててゾフィーを助け起こすと、乱れた胸元の奥がちらりと見えた。少女の肌に似つかわしくない、どす黒い模様が目に入る。

 

「ちょっと、ごめん」

 

 私はゾフィーの胸元を大きくあける。そこにあったのは、植物の根のように体に広がる黒々とした呪いの紋章だった。

 形はフィーアに着けられていた服従の呪いに似ている。

 でも今目の前にあるコレは、それよりはるかに禍々しかった。

 

「嫌だって言ったら……アイリスが……胸に何かを押し付けて……そしたら……」

「何てもの持ち出してるのよ……!」

「アイリスの言う通りにしないと、こ、殺される……! リリィ様……助けて……!」

 

 必死に縋り付いてくるゾフィーを抱えて、私は途方にくれた。

 

 

 



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罠の真意

「ごめんなさい……リリィ様……ごめ……なさ……うぅぅ……」

「はいはい、それはわかったわよ」

 

 ぐすぐすとなきじゃくるゾフィーを抱えて、私は王立学園の裏道を歩いていた。ちらりと後ろに向けた視線の先に、演劇ホールの明かりはない。ゾフィーに言われるまま歩いているうちに、かなり離れた場所まで来てしまった。今から戻ったところで、開演時間に間に合うかどうか。

 

「アイリスはただのイタズラ娘じゃなかった、ってことね……」

 

 今まで起きたトラブルが、せいぜい窃盗や器物破損程度だったから油断していた。彼女はじっくりと狡猾に、今日のこの時を狙っていたのだ。

 あの一斉道具隠しは陽動だ。

 生徒全員をパニックに陥れ、浮足立った隙に私を孤立させる。生徒たちが私の不在に気が付いたときには、あとの祭というわけだ。

 数日前のキス未遂事件で、私と王子の不仲は学園中に知れ渡っている。

 このまま舞台に上がらなければ、『王子を拒否して学年演劇をすっぽかしたダメ令嬢』のレッテルが貼られるだろう。

 単純に王子妃の資格なしとみなされるだけならいい。婚約解消の口実に使えるなら、この際多少評判が落ちたところで構わないし。

 しかしあの腹黒王妃のことだ。私をダメ令嬢として下に置きつつも婚約関係は続けさせ、飼い殺しにするつもりなんじゃないかな。

 恋人と引き裂かれて王子と結婚させられた挙句、義母と愛人に虐げられる。

 いかにも彼女が喜びそうな展開だ。

 だからといってゾフィーを見捨てて逃げることもできなかった。

 

「ううっ……」

「しっかり立って。歩かなくちゃ、いつまでたっても終わらないわよ」

「は……はい……いぁあっ……」

 

 彼女に刻まれた呪いはヤバい。

 ディッツの元で呪いや癒しについて学び、実際の症例も何度か見てきたけど、こんなに強い呪いを見たのは初めてだ。しかも効果が強いだけじゃない、タチの悪さも深刻だ。呪いは彼女の心臓に絡みつくようにして根を張っている。私程度が無理に解呪しようとしたら、すぐに死んでしまうだろう。

 呪いを解くには、東の賢者レベルの技術が必要だ。

 こんなひどい呪いに苦しめられている女の子を、放っておけない。

 

「はあ……」

 

 私は新鮮な空気を求めて、大きく口を開けた。大声を出すつもりだと思ったゾフィーが、びくっと体を震わせる。

 

「安心しなさい。この状況で無駄に助けを呼んだりしないわ」

「ご……ごめんなさい……ごめんなさいっ……」

 

 彼女に与えられた命令は大きくみっつある。

 私を指定した場所に連れてくること、私以外に助けを求めないこと、そして私に助けを呼ばせないこと。

 そのどれかひとつにでも反したら、心臓を掴まれるような激痛に襲われる。

 私が助けを呼んでいるかどうか判定しているのはゾフィー自身なので、彼女の前で怪しい行動をとるわけにはいかない。

 

「あ……あそこです……」

 

 呪われたゾフィーが私を引っ張ってきたのは、裏庭の隅に建てられた小屋だった。古くてぼろぼろだけど、人の出入りはあるのか周囲に雑草は少ない。

 

「やっと来たか」

 

 小屋の裏に潜んでいたらしい制服姿の男たちが、ぬうっと姿を現す。

 彼らは制服こそ着ていたけど、学園の生徒ではなさそうだった。制服の着方がおかしいし、サイズも合っていない。何より顔がどう見ても十代の少年じゃなかった。学生を装うために、変装しているんだろう。

 

「お嬢さん、ご苦労。ここから先は俺たちに任せな」

「あ……あなたたちは……」

 

 ゾフィーは震える声で男たちに尋ねる。

 

「その先は訊かねえほうがいい。そっちのお姫さんがこの後どうなるかもな」

 

 ニヤニヤと男たちは下品に笑う。『ダメ令嬢のレッテルを貼る』のがアイリスの目的なら、このまま拘束していればすむ話だ。しかし彼らは、それ以上のことをするつもりのようだった。

 

「最低……」

 

 私は感情のままに彼らを睨みつけた。

 予想通りすぎて、腹が立つ。

 でも私だって無策でここに来たわけじゃねーからな?

 ポケットには武器になる魔法薬が入ってるし、雷魔法だって使えるからな?

 ゾフィーに隠れて居場所の手がかりを残してきたから、助けが来るのも時間の問題だからな?

 

「さあお姫さん、連れの命が惜しけりゃこっちに来るんだ」

 

 男のひとりが手を差し出す。

 この手をとったが最後、ひどいことをされるんだろう。

 

「だ、ダメ……それは絶対ダメ……っ!」

 

 蒼白な顔のゾフィーが私と男の間に割って入った。

 

「ゾフィー! 呪いに逆らったら……」

「ああぁぁっ!」

 

 胸を押さえてゾフィーが悲鳴をあげた。どれだけ呪いに負荷をかけられたのか、口から泡を吹いて倒れた彼女はそれっきり動かなくなる。

 

「ゾフィー!」

 

 私はゾフィーを抱えたまま、男たちとにらみ合った。

 

 



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令嬢不在事件(オリヴァー視点)

 ヴァンの指示通り、ヘルムートと共に遅れて演劇場に入った俺の目に飛び込んできたのは、ばたばたと走り回る同級生の姿だった。役者も裏方も関係なく、みんな必死の形相で道具のチェックをしている。

 

「ヴァン……」

 

 おずおずと声をかけると、ヴァンはすぐにこちらを向いた。

 

「御覧の通りだよ。大変なことになった」

「みたいだな……」

「収拾はつきそうなのか?」

 

 ヘルムートが尋ねると、ヴァンは肩をすくめる。

 

「こっちはな。だが……」

「リリィはどこ?」

 

 舞台裏にケヴィンの声が響いた。

 生徒たちはそれぞれ自分の周囲を確認し、彼女の姿が見えない事を知ると順に顔色をなくしていった。ざわざわと少しずつ動揺が広がっていく。

 

「誰も見てないのか?」

 

 クリスが再度生徒たちに声をかける。しかし、リリアーナ嬢の姿を見た者は誰もいなかった。

 全員が道具の紛失に気を取られている隙に、彼女は消えてしまったのだ。

 リリアーナ嬢が行方不明、という事実を突きつけられて目の前が暗くなる。

 まさか、本当にこんなことが。

 意識が飛びそうになった俺を引き戻したのは、肩の痛みだった。ヴァンの手が俺の肩を支えるように、強く掴んでいる。

 

「ぐらついてる場合じゃねえぞ」

「わ、わかってる」

 

 リリアーナを探すべきか、道具を探すべきか。今後の方針を求めて生徒の視線がヴァンに集中する。そこへ、不似合いなくらい明るい声が割りこんできた。

 

「リリィ様はほうって置けばよろしいのよ。あの方はきっと、逃げてしまったんですわ」

「アイリス……」

 

 人ひとりいなくなったというのに、彼女はにこにこと笑っていた。

 

「だって、つい二日前だってあの方は、オリヴァー様とキスを演じるのが恥ずかしいと言って逃げてしまったではありませんか。反省したとおっしゃってましたけど、大舞台を前にして怖気づいてしまったんですわ」

 

 そのセリフは、一見筋が通っているように見えた。

 確かに彼女は一度舞台を投げ出してしまっている。だが、その原因は彼女の至らなさではない。

 

「あいつは自分の仕事を放り出す奴じゃねえよ」

「でも、事実この場にいらっしゃらないじゃありませんの」

 

 アイリスは生徒たちの間から歩み出てくると、俺に向かってほほ笑んだ。

 

「舞台直前に姿を消すような方は無視して、私たちだけで演劇をやりましょう?」

「しかし、彼女は大事な聖女役で」

「代役を立てればいいのです。以前より親しくさせていただいている私なら、きっと王子にあった恋する聖女の演技ができますわ」

 

 すらすらと提案を口にする彼女の様子は、いつもと全く変わりがなかった。王子の婚約者が行方不明になっているというのに、心配するそぶりもない。そのあまりに落ち着いたふるまいが、彼女の異常さを際立たせていた。

 俺が見ていたアイリスという少女は、何だったのか。

 ヴァンはため息ひとつついてから、嫌そうに判断を下した。

 

「確かに代役は必要だな」

「では……!」

「勘違いすんな、お前じゃねえ。おい、準備できてるか?」

 

 ヴァンが声をかけると、女子をまとめていたライラが頷いた。奥から聖女のドレスを着た女子生徒をひとり連れてくる。

 華やかなストロベリーブロンドの少女は、建国神話で語られる聖女そっくりだった。

 

「セシリア……! 何故あなたが!」

「リリィ様に頼まれていたんです。何かあったときには、私が代わりを務めるようにと」

「セシリアはずっとリリィの側にいたからな。こいつなら聖女役くらい、軽くこなせる」

 

 セシリアが女子部全教科でトップに立っていることは全員が知っている。リリアーナ嬢をのぞけば、彼女以上の適任はいないだろう。

 

「子爵令嬢ごときが……!」

「黙れよ、伯爵令嬢風情が」

「……っ」

 

 ぎりっ、とアイリスがヴァンを睨む。しかし、勇士七家相手では分が悪いと悟ったのか、反論を飲み込む。

 

「で、では……セシリアを代役にして劇を始めるのですね。先生方に、そのようにお伝えしなくては」

「待てよ、話はまだ終わってねえぞ」

 

 その場から立ち去ろうとしたアイリスをヴァンが呼び止めた。

 

 

 



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因果への応報(オリヴァー視点)

「……何のお話でしょう?」

 

 呼び止められ、アイリスが振り向く。ヴァンは笑顔を張り付けた彼女の顔を睨みつけた。

 

「お前、なんでリリィが帰ってこねえって、断言できたんだ?」

「それは……先日のリハーサルで、あの方が逃げたから……」

「まだ開演までそこそこ時間があるぜ。なのに探すことすらせずに、代役の話を持ち出したのは、あいつが帰ってこない確信があったからだろ」

「何が言いたいんです?」

 

 アイリスもまた、いらいらとヴァンを睨む。

 

「つまり、リリィを隠した犯人はお前だろ、ってことだ」

 

 しん、と生徒全員が静まり返った。

 

「あ、あはははっ、ヴァン様は冗談がお上手ですね! 私はずっとここで道具探しをしていたんですよ。リリィ様を連れ出したりなんか、できません」

「自分でやらなくても、命令は下せるだろ。ケヴィン、クリス!」

 

 ヴァンが指示を出した次の瞬間、ふたりが近くにいた生徒を取り押さえた。床に引き倒された彼らの顔を見て、アイリスの顔がこわばる。

 

「お前がそこの生徒ふたりと話していたのを確認している。こいつらに、リリィを誘導して演劇場から閉め出すよう指示したな?」

「知りませんわ。ただ同級生と話していただけで犯人だなんて、失礼じゃありません?」

「……だとよ。おいお前らふたり、このまま黙ってたらお前らがリリィ誘拐の犯人ってことにされるんだが。いいのか? それで」

「ち、違います! 私たちはアイリス様に脅されたんです!」

「少し誘導するだけでいいからって……全部証言しますから……助けてください!」

 

 押さえられた生徒たちは口々に命乞いを始めた。

 

「く、口から、出まかせですわ」

「へえー」

 

 返事をするヴァンの声は冷たい。

 アイリスを見る生徒たちの視線も冷え切っていた。誰もアイリスの言葉を信じていないのは明白だった。

 

「お前のやったことは、侯爵令嬢の誘拐だ。今までの演劇妨害みたいなヌルい犯罪じゃねえ。大罪人として裁かれることを覚悟しやがれ」

「私が……罪人……? まさか」

 

 アイリスは問いかけるが、誰も彼女を肯定しなかった。

 もちろん、俺もそのひとりだ。

 

「オリヴァー様は私を信じてくださいますよね?」

 

 すがるような視線を向けられたが、俺は目をそらした。彼女に手を差し伸べるなんてこと、できるわけがない。

 

「何よ……みんなあの女の味方ってわけ? 馬鹿じゃないの? あんな、考えなしで態度がデカくて顔がいいだけの女! かばう価値なんてない! あんな女死ねば……ふふ、ふふふふふっ」

 

 リリアーナ嬢に悪態をついていたアイリスは、突然笑い出した。

 唐突な感情の変化に、見ていた俺たちは面食らう。

 

「確かに私は罪人になるかもしれない。でも、あの女だって破滅よ!」

「……何が言いてえんだ」

「あいつを連れ出した先に男を何人も用意したの。いまごろ令嬢の名誉も尊厳もズタズタにされているころだわ! 私を捕らえていい気になってるかもしれないけど、ボロ雑巾みたいになったあいつを見て、笑ってられるかしら?」

 

 尊厳も名誉も、とはそういうことなんだろう。

 ひとりの人間に向ける悪意の深さを目の当たりにして、背筋が凍る。子供のころから知っていたはずの少女のどこにこんな醜悪な部分があったのか、理解できない。

 

「お前バカだろ」

 

 呆れたようにヴァンが言う。

 

「俺たちは、お前が何を計画していたか、実行犯は誰なのか、全部把握してたんだぞ? それだけ知ってて、リリィを本当にひとり歩きさせるわけないだろ」

「え? でも、呪いは確かにあの子が小屋に入ったって……」

 

 アイリスは慌てて何かを握りこんだ。

 何かの呪具のようなものを持っているようだ。

 

「それはお前を騙すためだ。リリィが罠にかかったと確信させるために、手下が待ち構える場所まではわざと行かせたんだよ。今頃は現行犯で全員捕縛されてるはずだ。もちろん、あいつの名誉も尊厳も傷ついちゃいねえ」

「……そんな」

 

 ヴァンの言葉は真実だ。自分も昨日の夜の時点で今日起きることを知らされていた。聞いたときには嘘としか思えなかったが、実際に目の前で予想通りの事件が起きたのでは信じるしかない。

 

「アイリス、お前は自分が賢いつもりだったんだろう。でもな、実際は全部見透かされてひとり負けしただけなんだよ!」

「嘘……嘘……嘘よ! 嘘おおおおお!」

 

 アイリスは半狂乱で叫びだした。

 

「クリス、今捕まえてる奴と一緒にアイリスを裏口まで連れていってくれ。そっちにミセリコルデ家から派遣された騎士がいるはずだ」

「わかった」

 

 クリスは実行犯をまとめて連れていく。

 その姿を茫然と見送っていると、ヴァンが俺の体を引っ張った。強引に廊下へと連れ出される。

 

「な、なにをする!」

 

 追って来たヘルムートごと隣の控室に押し込まれ、振り向いたらケヴィンがドアを閉めるところだった。

 

「お前の説教は、まだ終わってねーぞ?」

 

 

 



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王たる資質(オリヴァー視点)

「説教だと? 王子はあの悪女に騙されていただけだろう!」

 

 説教、と言い出したヴァンに向かってヘルムートが食ってかかった。彼は冷ややかに見返す。

 

「それが問題だっつーの。俺らは何度も言ったよな? アイリスもゾフィーも根性悪だ。あいつらを操ってる王妃も信用するなって」

「母親を疑えって言うのか!」

「そうだ」

 

 はっきりと断言した。

 

「俺やケヴィンや、騎士科の連中の話を聞かないで、あいつらを信用した結果何が起きた?」

「そ……それは……」

「わかってんのか? さっきまで、この国は内乱一歩手前だったんだぞ」

「内乱? 令嬢の誘拐が何故そんなものに……」

「ハルバード侯爵令嬢誘拐未遂、だ」

 

 ヴァンは事件内容を訂正する。

 

「ハルバード候は娘を溺愛している。暴行されたらなりふり構わず犯人を殺すくらいにはな。第一師団長を務める南の名門侯爵がそんなことしてみろ、国が割れてバラバラになるぞ!」

「そ……そんなこと……知らない……!」

「それがお前のダメなところなんだよ!」

 

 バン、とヴァンは壁を叩いた。その勢いに思わず身をすくませてしまう。

 

「見たいものだけ見て、都合の悪いことは一切聞かない! 証拠を突きつけられたら、『知らなかった』だあ? そんな言い訳通用するかよ!」

「で……でも」

「でもじゃねえ! 王様って地位には国中の利権が集まるんだ。アイリスみてえに、利益のためにはどんな嘘でもつくって奴が群がってくる。王は全ての嘘を見抜いて、国を導く責任があるんだ」

「それだと……君の言うことすら、疑うことになるんじゃ……」

「ああそうだ。自分以外全てを疑う、それでやっとスタートラインに立てるんだ」

 

 ずっと俺を睨んでいるヴァンは、本気でそう思っているようだった。

 

「しかし、王の息子は俺しかいないから……」

「はあ? お前まだ玉座に座れる気でいんの?」

 

 ヴァンは俺の王位継承すら否定した。彼の言うことが信じられなくて、ケヴィンを見る。

 いつもほほ笑んでいたはずの彼は、無表情にうなずいた。

 

「前国王がいくつでクリスを産ませたと思ってんだ。お前の親父はその時よりずっと若いぞ。以前ならともかく、王妃の勢力が弱くなった今なら側室のひとりやふたり、侍らせるのは難しくない。来年の今ごろには弟か妹が増えててもおかしくねえ」

「……っ」

「ああ、俺がクリスに子供を産ませるのもいいな。そしたら俺は王の父親だ」

「く、クリスは臣籍降嫁予定で!」

「降嫁予定、だ。まだ婚約状態だから王位継承権自体は無くなってねーぞ。それにあいつが産む子供は前国王の孫。血の濃さだけで言ったら、お前と一緒だ」

 

 自分が王位を継がない。

 予想外の将来を突きつけられて頭が真っ白になった。自分は産まれた時から王子として、継承者として育てられてきたのに、今更それを失うというのか。

 

「現国王が置物だ、無能だって言われながらも、玉座に座ってられるのは何もしねえからだ。薬にもならねえ代わりに毒にもならねえ。最低限、国政の邪魔にはならない。だがな……」

 

 ヴァンが俺の胸倉を掴んだ。

 それは臣下が王に対してやることではない。

 

「母親や女の甘言に踊らされて、余計な手出しをする王は明らかに邪魔だ。排除するしかない」

「お前、王子になんてことを!」

 

 ヘルムートが俺からヴァンを引き離そうと駆け寄る。しかし、途中でケヴィンに足をかけられ、床に転がされた。

 

「君も同罪だよ、ヘルムート」

「何が……!」

「主が間違った道を選んだ時、泥をかぶってでも正すのが臣下の仕事だ。オリヴァーと一緒になって騙されて、流されているだけの君に存在価値はない」

「俺は、王子に逆らうことは……!」

「そう言われてても、諫めなくちゃいけないんだよ。側近の意味を理解してる? 一連托生なんだよ? 彼がもし地位を追われたら、君の地位はどうなるの」

「あ……」

 

 起き上がろうとしていたヘルムートは、そのまま力なく床に転がった。

 

「騎士科はお前を矯正するために一年かけた。それでも直らねえってんなら、別の『方法』を考えるしかない。……お前が何かできる時間はあまり残ってないぞ」

「……」

 

 彼らに何を言うべきか。言葉を探していると、部屋のドアがノックされた。

 

「ヴァン様、ケヴィン様、舞台の用意が整いました!」

「わかった。すぐ行く」

 

 ヴァンは胸倉を掴んでいた手を離した。

 

「舞台に上がるぞ、建国王様?」

「は……? この状況で劇を……?」

 

 突きつけられた現実に頭をかき回されて、まともに喋れる気がしない。舞台に上がるなんて無理だ。

 しかし、ヴァンとケヴィンは強引に俺の腕を引いて戸口に向かう。

 

「お前は戦場で敵と戦ってる時にも『今そんな気分じゃないから無理ですー』って言うつもりか。責任から逃げんな」

「大丈夫、セリフが飛んでも、演舞を間違えても、フォローするよ」

「俺たちは『まだ』臣下だからな」

 

 彼らに引きずられて、俺は舞台へと向かった。

 

 

 



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一方そのころ

「来ないで!」

 

 意識を失ったゾフィーを抱きかかえて、私は叫んだ。

 

「ははっ、威勢だけはいいな」

 

 男子生徒に変装した男たちが私たちに向かって近づいてくる。彼らをただ睨むふりをして、私はこっそりポケットに手をいれた。ここには万が一のために持ち歩いている魔法薬がある。

 お前らなんか、魔法閃光手榴弾をくらって行動不能になればいい!

 音と光で騒ぎになるかもしれないけど、この際そんなことは言ってられない。

 

「このっ……!」

「ソレはまだ使うな」

 

 私が魔法薬を発動させようとした瞬間、すぐ後ろから声がかかった。聞きなれた、でも最近聞いていなかった低い声。

 そこにいるのが誰か確認するより早く、ふたつの人影が男たちの前に躍り出た。

 

「な……誰だ……!」

 

 影は男たちの問いには答えず、まっすぐ突進していく。

 その後は、あっという間だった。

 男たちはろくに反撃することもできずに手足を切り裂かれ、地面に叩き伏せられる。気が付いたときには、全員が意識を奪われて転がされていた。

 

「うわぁお……」

 

 さすが、騎士科主席卒業生と獣人暗殺者。容赦ない。

 

「怪我はないか?」

 

 自分たち以外に動く者がいないことを確認してから、フランが私を振り向く。私はゾフィーを抱えたまま、へなへなとそこに座り込んだ。

 

「ない……大丈夫」

「そうか」

「来てくれてありがとう……フラン。それからツヴァイも」

 

 私が声をかけると、ネコミミの青年はこくりと頷いた。

 ほーらーねー!

 やっぱり助けが来たよー!

 アイリスの企みなんて、そう簡単に成功させてやらないんだから!

 

「俺たちもいるぜ」

 

 ひょこ、と森の中からディッツとジェイドが顔を出した。彼らも闇に溶け込む黒衣を纏っている。

 

「ジェイド、他に敵の気配は?」

「ありません。昨日セシリアが報告してくれた内容をもとに探知方法を修正したので、『姿隠しの護符』を使っていても見落としません」

「わかった。……ツヴァイ、倒した連中を拘束しろ」

 

 ツヴァイは無言のまま、持っていたロープで男たちを縛り始めた。

 

「さて、俺はこっちだな」

「ディッツ、お願い。私じゃどうしようもないの」

 

 近づいてきたディッツたちにゾフィーの胸元を見せる。その黒々とした呪いの刻印を見て、魔法使い師弟は顔を歪めた。

 

「年端も行かない女になんて術を……」

「呪いは解けそう?」

「そこそこ時間はかかると思うが……なあに、虹瑪瑙が必要なほどじゃねえ。大丈夫だ、治してやれるよ」

「よかった……」

 

 私はほっとして息を吐いた。今までのことはともかく、ゾフィーは反省してアイリスを止めようとしてくれていた。できることなら助けてあげたい。

 

「とはいえ、呪いの傷を医務室の連中に見せるわけにはいかねえな」

「どんな噂が立つかわからないもんね。ボクが研究室まで運ぶよ」

 

 ジェイドがゾフィーを抱き上げた。

 

「そっちに転がってる連中は……」

「俺が運ぶ」

 

 男たち全員を縛り上げたツヴァイが立ち上がった。

 

「どうやって?」

 

 襲撃者たちは結構な人数だ。強烈ねこぱんちが繰り出せるユニークギフトのおかげで腕力が強化されてるといっても、ひとりで抱えて移動するには多すぎない?

 疑問に思っていたら、ツヴァイは小屋の裏から荷車を引いてきた。完全に荷物扱いで、男たちを載せていく。

 なるほどなるほど、荷車があれば問題ないね!

 

「はあ、これで一安心……って、あれ?」

 

 あれよあれよという間に後始末を終え、襲撃者たちとゾフィーを連れて去っていくツヴァイと魔法使い師弟を見送っていた私の頭に、ふと疑問が浮かぶ。

 なんか全員準備が良過ぎない?

 ここで何が起きるか、あらかじめ全部知ってたみたいな手際の良さなんだけど。

 見上げると、フランが呆れ顔で肩をすくめた。

 

「王妃派に狙われている状況で、俺がお前から目を離すと思ったか?」

「思わないけどね?」

 

 あらかじめ教えてくれててもいいと思うの!

 

 



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腹黒魔王の思惑

「どういうことか、事情を説明してくれるのよね?」

 

 フランの青い瞳を睨むと、彼は黙ってぼろ小屋のドアを開けた。それからこちらを手招きする。

 外では話せないこと、らしい。

 私は彼の指示通りドアをくぐって中に入った。

 でも素直なのはここまでだからねー?

 ちゃんとワケを話してくれなくちゃ、暴れてやるんだから!

 

「お前に何も伝えなかったのは、アイリスを罠にかけるためだ」

 

 ドアを閉めてから、フランは目的を語りだした。

 確かに騒動の元凶は彼女だけどね!

 

「……アイリスが、あれだけ妨害工作をしておきながら、説教程度で済んでいたのは何故だと思う?」

「うーん、大した悪事じゃなかったから?」

 

 今回の誘拐事件以外でやったことといえば、劇の道具を盗んだり壊したり、といったしょうもない悪戯だ。イラつくけど。

 

「それは半分正解で、半分不正解だ。アイリスが今まで大きな罪を犯さなかったのは、全て未然に防がれていたからだ。お前たち特別室組の生徒には、常に強力な護衛がいる。教師も手厚くフォローしてきた。王妃派の罠は重大な事件に発展する前に、その芽が摘まれていたんだ」

「でも、それっていいことよね?」

「本来はな。小さな事件のうちに問題のある生徒を発見し、説教して道を正す。学校とはそういう場だ。しかし……何をやっても反省しない者もいる」

「アイリスみたいな?」

 

 こくりとフランが頷く。

 

「何をしても矯正される気のない人間に、指導は意味をなさない。学園に残り続ける限り、常にまともな生徒の生活を脅かすだろう。だが、退学処分にしようにも、窃盗程度では根拠が弱い」

「……え。ちょっと、まさかフラン!」

 

 フランの目的に思い至った私は、ぎょっとする。腹黒魔王はにいっ、と悪い笑顔になった。

 

「そうだ。奴を家ごと貴族世界から追放するために、侯爵令嬢誘拐という大罪をわざと実行させてやったんだ」

 

 追い出したいからって、わざと犯罪を誘発させるとか、どんなマッチポンプだよ。

 

「私が事情を知らされなかったのは、確実に誘拐事件を起こすためね。……下手に知ってたらアイリスに勘付かれるから」

「お前は、ハッタリはともかく長期的に誰かを騙す嘘は下手だからな」

 

 フランの評価は正しい。ぐうの音も出ないくらい正しい。

 わかるけど腹が立つこの気持ちは、どこに持っていけばいいんでしょうね?

 

「でもなんでわざわざ、学年演劇の発表当日に事件を起こさせるのよ。アイリスの思惑がそこまでわかってたなら、事件発生日も操作できたわよね?」

 

 侯爵令嬢誘拐事件なんてものが起きたら、学生たちは大パニックだ。とても劇どころじゃない。一年の努力が水の泡である。

 

「そこは心配ない。お前の代役はちゃんと用意しておいた。ついでにスパイも摘発したかったしな」

「何の話よ」

 

 いきなり場違いな単語が飛び出してきて、一瞬思考が止まる。アイリスは王妃の息がかかってるけど、所詮一介のお嬢様だ。本物の犯罪者であるスパイとは縁がない。

 

「長く王妃派の支配下にあった王立学園には、まだ何人もスパイが潜んでいる。騎士を派遣してまとめて拘束したいが、情報を扱っている連中は周囲の変化に敏感だろう?」

「学校って、人の出入りが少ないから、異分子が目立ちやすいものね」

「だが、学年演劇の日だけは別だ。子供の晴れ姿見たさに、何人もの高位貴族が訪れるからな。護衛騎士が大量に入ってきても不自然じゃない」

「……ハルバードはともかく、ミセリコルデの馬車まであると思ったら、そういうこと? どんだけ職権乱用してんの!」

 

 要人警護任務だと言えば、学園に騎士が増えても不審に思われないだろうけど!

 

「学園を訪れた護衛騎士のもとに『偶然』入る侯爵令嬢誘拐の知らせ。いたいけな少女を救うため、居合わせた彼らは一斉に学園を捜索する。不審な動きをしている者を片っ端から拘束し、取り調べてみたら……『なぜか』全員学園関係者を装ったスパイだった」

「ウワー、スゴイ偶然ー」

 

 清々しいまでの別件逮捕である。この世界に現代日本のような捜査規則が存在しないからって、ここまでやっていいんだろうか。

 

「……というのが建前で」

「まだ理由があるの?」

 

 お前ひとつの事件にどんだけ思惑を巡らせてんだよ!

 

「学年演劇の公演日は俺個人にとって大きな意味がある」

 

 フランはにいっと口の端を吊り上げた。

 顔の形は笑顔なんだけど、瞳は笑っていない。そこにはいつか見た執着の暗い炎がある。

 

「この俺が……観客の前でお前が王子とキスを演じるのを、許すと思ったか?」

 

 

 

 



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独占欲

 私はフランの言葉に絶句した。

 つまり何?

 私を舞台に上げないために、侯爵令嬢誘拐事件を起こさせたの?

 確かにね? 誘拐されかけてショックを受けたご令嬢に、ヒロイン役を演じろと命じる大人はいないけどね?

 だからって、ここまで大がかりな仕掛けにする必要ある?

 

「フランって……」

「何か問題が?」

「ないよ! もう!」

 

 フランの行動が常識外れすぎて、怒ってた気持ちがどこかに吹っ飛んでいってしまった。

 君は私に執着しすぎじゃないのか。

 こんな激重感情見せられて、引くどころか嬉しくなってる自分も自分だけどさ。

 

「お前は、唇も、肌も……髪の毛一筋に至るまで、全部俺のものだ」

 

 静かに告げられて、とくりと心臓が鳴る。

 そして気づいた。

 目の前の恋人が久々に男の姿をしていることに。

 多分、アイリスの手下を捕らえるには、腕力のない女の姿は都合が悪かったんだろう。

 あの格好も嫌いじゃないんだけど、女の子の私が恋をしてるのは、やっぱり男性のフランだ。

 大きな手や、低い声にドキドキしてしまう。

 つーか、相変わらずかっこいいな、こんちくしょう。

 こんな美青年と狭い小屋にふたりきりとか……。

 ん? ふたりきり?

 私は、はっと顔をあげた。

 そういえばツヴァイたちは全員、自分の仕事をするために行ってしまった。ここは学園の中でも外れにあるから、生徒も教師もやってこない。

 完全なふたりきりだ。

 小屋にフランと自分しかいないのだと意識したら、途端に心臓が早鐘を打ち始めた。

 やばい。男のフランが久しぶりすぎて、どんな顔したらいいかわからない。

 うろうろと視線をさまよわせていたら、ばちりとフランと目があった。奴はにやりと腹黒笑顔とはまた別の笑みを浮かべる。

 お前、私が何故緊張してるか、わかってるな?

 しかも知ってて楽しんでるだろ!

 私は慌てて小屋のドアに手を伸ばした。

 

「何をするつもりだ」

 

 低い声が私を止める。

 

「じ……事件は収束したんでしょ? だったら戻らないと。みんな心配してるはずだし」

「その必要はない」

 

 後ろから伸びてきたフランの手が、ドアノブを握る私の手に重なる。

 手のひらの熱い体温が伝わって、また心臓がどくんと跳ねた。

 

「ヴァンたちには事前に計画を伝えてある。誰もお前の心配はしていないさ。……それより」

 

 フランは私の手を握りこんだまま、後ろに立った。

 

「せっかく仕掛けを施したのに……あまり早く戻ったら、代役を立てた意味がなくなる」

 

 ふっ、と吐息が耳にかかる。

 

「俺がいいと言うまで、外に出るな」

 

 耳元でささやかれて、私は身動きがとれなくなった。そのまま背後からぎゅうっと抱きしめられる。

 

「……っ」

 

 吐息が、胸板が、硬い腕が、大きな手が私に触れる。

 突然、フランの体を全身で感じさせられた私は、パニックに陥った。

 彼と恋人同士になったのは一年以上前だ。王妃に縁談を壊されるまでは、婚約者として普通に付き合っていた時期もある。でもその頃の自分の体はまだ子供で、ろくにキスすらしていなかった。あれは恋人と言ってても、おままごとでしかなかったんだと思う。

 でも、今のコレは違う。

 男の人が、女を求める抱き方だ。

 大人の恋人同士が、こんな触れ方をするなんて聞いてない!

 信じられないことに、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

 なんならもっと強く抱きしめられたいとさえ思ってしまう。

 きっとこの状況はやばい。

 このままフランの腕の中にいるのは危険だ。

 そう思うのに心地よくて、離れなくちゃと思う気持ちと、もっと欲しいという気持ちが両方頭の中で大暴れしている。

 

「こ……こんな、何もない小屋で……ただ、待ってろ……って言われても……」

 

 なんとかひねり出した言い訳を、フランは鼻で笑う。

 彼の手が私の顔に触れる。強引に後ろを向かされた私は、正面からフランの青い瞳を見る羽目になる。そこには今まで見たこともない欲がにじんでいた。

 

「だったら、俺とキスでもしていれば、いいんじゃないか」

「……んんっ」

 

 そして、私たちは長い長いキスをした。

 

 

 



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大団円?

「リリィ、無事か?」

 

 慌てた様子でクリスが医務室に飛び込んできた。クリスだけじゃない、彼女の後ろから同級生が何人も入ってくる。学年演劇が終わると同時に移動してきたみたいで、出演者は全員舞台衣装のままだった。

 

「平気よ、ちょっとびっくりしちゃっただけ」

 

 私が体を起こして笑いかけると、女子生徒たちが一斉に集まってきた。

 

「リリィ様よかった……!」

「ドリー先生が無事に救出してくださったと知らされていましたけど、心配で心配で……」

「怖くて立つこともできなくなったのでしょう? おかわいそうに!」

 

 裏事情を知らない彼女たちは、うるうると目を潤ませる。

 私が医務室に担ぎこまれたときに立てなかったのは事実だけどねー。今までさんざん命を狙われて育ってきた私は、誘拐されかけた程度のことで前後不覚にはならない。

 腰砕けだったのも、涙目だったのも、原因は部屋の隅でしれっと女に化けてる男のせいだ。

 お前は十六歳になんちゅうキスをしやがる。

 少女漫画と乙女ゲームでしかキスを見たことのない女の子には、刺激が強すぎますからぁぁ!

 しかも抗議したらしたで、嬉しそうに笑って取り合わないし。

 なんなら更にキスされるし。

 何故私はこんなにタチの悪い男を選んでしまったのか。今更後悔しても、後の祭りだけどさあ!

 

「ま、なんにせよ無事で何よりだ」

 

 白銀の鎧を着たままのヴァンとケヴィンが笑う。裏を知ってる彼らは冷静なものだ。

 

「ふたりとも、フォローしてくれてありがとう」

「礼は言わなくていい。大元は、俺たちの問題だからな」

 

 そう語る彼らの中に、王子とヘルムートの姿はなかった。攫われかけた婚約者の元に現れない、ということは、男子は男子で何かあったらしい。

 

「女子のほうは、セシリアとライラが助けてくれたしね」

「え?」

 

 ケヴィンの言葉が信じられず、私は目を丸くする。

 面倒見のいいライラが今回の捕り物劇に加わっていたのはわかる。しかし、ひたすら目立たず、すみっこにいたいというセシリアが手を貸したのは意外だった。

 

「ふふ、見てよ! この仕上がり!」

 

 ライラがクスクス笑いながら、生徒の人垣の中から女の子をひとり引っ張ってきた。

 ストロベリーブロンドの美少女、セシリアだ。丁寧に作られた美しい聖女のドレスとベールを着た彼女は、まさに伝説の聖女そのものだった。

 ゲーム内では舞台で聖女役をやる選択肢もあったから、セシリアの聖女姿を見るのは初めてじゃない。でも、現実の彼女はスチルより何倍も綺麗だった。

 

「うわあああ、セシリア素敵~~~!」

 

 あまりの美少女ぶりに思わず声が出てしまう。

 

「あ、あの、リリィ様……?」

 

 ただ脳内に記憶してるだけじゃもったいない。

 誰か私に記録媒体をください! 複数コピーして永久保存しておくから!

 私のテンションが爆上がりしたのを見て、女子生徒も盛り上がる。

 

「ヴァン様たちがセシリアをリリィ様の代役に、とおっしゃった時にはびっくりしましたけど、すばらしい聖女ぶりでしたわ!」

「伝説の再現画を見ているようで、裏方の私たちも、思わず見とれてしまいました」

「リリィ様はご自身に何かあった時のために、とセシリアに代役の練習をさせていたのでしょう?」

「すばらしい判断、まさに慧眼でございますわ!」

「あはは……」

 

 お前は嘘が下手だからとついさっきまで何も知らされてなかった、とは言えず、私はあいまいにほほ笑む。

 

「……何かあった?」

 

 こっそり声をかけてみたら、セシリアはむっと何かを睨んだ。いつも気弱な彼女らしくない、怒りの表情だ。

 

「自分の行動の結果とはいえ、あまりに取るに足らない者と思われるのは……腹がたって」

 

 なるほどわからん。

 でも、前向きに問題に取り組めるようになったなら、いい傾向なんだろうか。

 

「妨害していたアイリスは捕まったし、リリィは無事! 劇も大成功したってことで、打ち上げやろうぜ!」

 

 ヴァンの言葉に、集まっていた生徒がおおお、と盛り上がる。

 元々劇が成功する想定で裏方がパーティーの準備をしていたらしい。

 

「嫌なことは忘れて騒ごう!」



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エピローグ(オリヴァー視点)

「王子……やっぱり引き返しましょう。こんなのマズいです」

「うるさい。俺は何としても、母様に会いたいんだ!」

 

 学年演劇を上演した日の夜、俺は王宮の地下を歩いていた。王家の者とごく近い側近しか知らされない、極秘の抜け道だ。王立学園と王宮を結ぶ、細く長い地下道は俺を一晩で目的地へと運んだ。

 

「しかし、この道は緊急事態用で、こんな私的に使うものでは……」

「俺と母様の緊急事態だ!」

 

 おろおろと、役に立たない言葉を並べるヘルムートを叱りつける。

 俺の言うことなら何でも従うよう、躾けられているくせに、今更何を。

 俺はカンテラを持ち上げて、地下道の壁に刻まれた模様を確認する。複雑な暗号のようなそれは、右に曲がれば王妃の寝室に到達できることを示していた。

 俺は迷わず右の道を進む。

 細い階段を登っていくと、極端に狭い通路に出た。そこに窓はなく人ひとりが体を縮めてやっと通れるくらいの幅しかない。恐らくここは王妃の寝室の隣の壁だ。王宮にはところどころ不自然に壁の厚い場所がある。間に隠し通路を通すためだ、と知識では知っていたが、実際に自分が使うことになるとは。

 

 不安そうに背後を振り返っているヘルムートを置いて、ゆっくりと進む。

 壁に取り付けられた装置を動かせば、扉が開いて中に入れるはずだ。壁の中に隠すように取り付けられた小さなレバーに手を伸ばそうとした時だった。

 

「ああもう、腹立たしいったら!」

 

 壁越しに、母の声が響いてきた。いつもの優しく柔らかい声音じゃない、ヒステリックな叫び声。だけど、これは間違いなく母のものだ。

 俺は思わずレバーから手をひっこめた。

 

「あのご令嬢は残念でしたね。せっかく僕も手を貸してあげたというのに」

 

 母のヒステリーに返事をする者があった。若くてやや高めの声だが、明らかに男のものだ。王妃の寝室に王以外の男の声があることに、驚いて身動きがとれなくなる。何者なのだ、この男は。

 

「アイリスのことはいいのよ。どうせあの子の計画なんて、成功しないんだから」

「おやかわいそうに」

「あの子と、リリアーナの周りにいる人間とじゃ、役者が違うわ」

 

 面倒くさそうに母はため息をつく。

 

「それより……あの子が聖女役じゃなかったのがむかつくわ。好きでもない男とキスを演じさせられて、苦痛に歪む顔が見たかったのに……!」

 

 バシン、と何かを叩きつけるような音が聞こえる。

 俺は母の言葉が信じられなかった。

 母は知っていたのか? リリィが自分を愛していないことを。

 その上でリリィが苦しむ顔を見に学園に足を運んでいたのか?

 

「あのむかつく白百合の娘も、小賢しい宰相の娘も、愛した男と結婚するなんて許さない。ハルバードとミセリコルデの婚姻なんて、絶対に阻止してやるんだから」

「そのために、王子の縁談を利用するんですか? 実の息子でしょう」

「あれの話をしないで。あの方の血を引いてない子供なんて無意味よ」

 

 あれ、とは自分のことなのか。

 自分は名前さえ呼ばれない存在なのか。

 

「あれは、置物王のコピーよ。顔も瞳の色も、なにもかもがそっくり! 少しでもあの方に似ていれば、可愛がれたでしょうに……ああ、おぞましい! あんなものが、半分自分の血でできているなんて、耐えられない! 私はあの方の子を産むはずだったのよ!」

 

 母の呪詛が頭を殴りつけてくる。

 自分は母にとって、何だったというのか。

 

「派閥のためじゃなければ、視界にも入れたくないわ」

「王妃の地位を維持するためには、母と子という関係は必要ですからね」

「マクガイアが生きていれば、わざわざこんなことしなくてよかったのよ。騎士団と手を組み、王立学園を掌握した私に逆らう者なんていなかった!」

「それはそれは……」

 

 突然パン、と乾いた音が響いた。母が男の頬を平手打ちしたらしい。

 

「何を笑ってるの? これはあなたの責任でしょう。アギト国の暗殺者が、約束通り宰相を殺していれば!」

「ええ……それは我らの失態です」

「ハルバードの騎士バカが宰相を助けなければ……湯沸かしバカ息子が学園に手をいれなければ……宰相の改革がなければ……ああもう、何もかもがうまくいかない! こんな国、さっさと滅びてしまえばいいのに!」

 

 悲鳴のような母の声は、容赦なく通路にまで響いてくる。耳をふさぎたいのに、ふさげない。

 

「私は一刻も早く祖国に帰って、あの方に会いたいの!」

 

 それが、母の何よりの願いのようだった。

 

「だから、僕が来たんです。直接この国を滅ぼすために」

 

 ひとしきり叫んで疲れたのか、母は大きくため息をついた。

 

「……必要な身分は手配したわ。次年度からあなたも王立学園の生徒よ」

「ご配慮ありがとうございます。では計画通り、未来のハーティアを担う若者を腐らせていくことにしましょう」

「失敗したら許さないから」

「ええ、承知しています」

 

 母の部屋から男の気配が消えた。

 ドアを開ける音も足音もしなかったが、どうにかして去っていったらしい。

 

「王子……」

 

 そっとヘルムートの手が俺の肩に置かれた。

 しかし、俺は何も返事できなかった。それどころか身動きひとつできない。

 つきつけられた事実に、茫然とするしかなかった。




 王子絶望! というところで「リリィちゃん学園奮闘編」完結です!
 事実を知ってしまった彼が、どう動くかについては次章をお楽しみに~!

 一区切りついて、プロットのストックもなくなったので、またしばらく休載します。とはいえ何もしないわけではなく、プロットをコネコネしておりますので、完成までのんびりお待ちください。

 そして!
 今回はひとつ、重大発表があります!
 なんと! クソゲー悪役令嬢がいずみノベルズ様より商業書籍化します!
 あこがれの紙の本!

 発売日は2022年秋を予定!
 商業書籍特典など、細かい情報は活動報告やツイッターなどで報告するので、気になる方はお好みのツールでフォローしてください!

 ちょうど今書籍の校正作業をしているのですが、イラストレーター様の描いたリリィとフランの姿が、もう……もう……って感じで、妄想が二次元に生まれ変わった!(落ち着け文字情報も二次元だ)と、日々嬉しさにのたうちまわっています。

 書籍版クソゲー悪役令嬢、ご期待ください!


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番外編
【書籍発売記念SS】キャラ変ポイント(12歳リリアーナ視点)


「あとはここにサインだ」

「はーい」

 

 フランに指示されて、私は書類にサインした。処理の終わった書類を受け取ったフランは、それをひとつにまとめる。

 

「今日の仕事はこれでおしまいよね?」

 

 ハルバードの領主代理に就任して、そろそろ一年。人の入れ替えに引き継ぎに、とバタバタしていた領内もようやく落ち着きを取り戻し始めていた。私自身も、領主のお仕事に慣れてきたおかげで、生活に余裕がある。今日みたいに、陽のあるうちに業務が終了することも珍しくなくなってきた。

 夕食まで少し時間があるし、たまには部屋でだらだら過ごしたい。しかし、うちの補佐官はわずかに眉間に皺を寄せた。

 

「いや、面談の予定が一件入っている」

「誰の?」

 

 人の管理は領主の大事な業務のひとつだ。だから、私も時々使用人や騎士たちと直接面談して、仕事内容を調整したり、職場の問題を聞き取り調査したりしている。ミセリコルデ宰相閣下に手配してもらった人材がハルバードになじむにつれて、その回数は少しずつ減ってたんだけど。

 

「お前が拾って来たデザイナーだ」

「ああ、ジェラルドのことね」

「そろそろ契約更新の時期だ。この半年の仕事を評価して、新たに契約を結ぶ必要がある」

「もうそんな時期なのかあ……」

 

 ジェラルドは、半年前に私が拾ってきた服飾職人だ。病気の奥さんを抱えて、食うや食わずのどん底生活をしていたところを、『侯爵令嬢の気まぐれ』で取り立てた。もちろん、彼の雇用は完全な気まぐれじゃない。溺愛両親しかいなかった去年ならいざ知らず、腹黒魔王補佐官がそばについている現在では、勝手に散財するような真似はできない。首根っこ掴まれてお説教コースだ。

 

 私が彼を拾ったのは、将来聖女と恋をする可能性がある人物、つまり女神の作った乙女ゲームの攻略対象だったからだ。

 ゲームの中の彼は、かなりパンチのきいたオネエ系デザイナーだ。

 男性でありながら派手なドレスを身にまとって王宮を闊歩し、厳しくも適格なファッションアドバイスをしてくれる。彼に才能を見出されたヒロインがシンデレラのように美しく変身していくのが、彼のシナリオの見どころだ。

 実は、彼がオネエになった原因は妻の死だったりする。

 優秀だが身分の低いジェラルドは伝統が重視されすぎる旧弊な服飾職人業界でひたすら冷遇されていた。妻の薬どころか食べるものすら満足に買うこともできない彼は、ただ妻がやせ細って死ぬ姿を眺めることしかしかできなかった。妻の死後、業界に復讐を誓った彼は貧しくも誠実な青年からオネエへとキャラ変。天才的なデザインセンスと、なりふり構わない営業活動でのし上がり、ファッション業界のトップリーダーとなるのである。

 世界救済の観点だけで見れば彼に関わる必要はない。カリスマファッションリーダーだけど、結局デザイナーでしかないからだ。ルートによっては出会いイベントすら発生させず放置することだってできる。

 それなのに、わざわざジェラルドを探し出したのは彼の奥さんが心配だったからだ。

 貧困が原因で数年後に病死する、なんて未来を知っておきながら放置するのは寝覚めが悪い。うちでデザイナーとして雇い、ついでにディッツに診察させて死の運命を回避させたらどうかと思ったんだよね。狙い通り、ハルバードで栄養のある食事と適切な治療を受けた奥さんは回復し、今ではジェラルドと一緒に元気に働いている。

 

 ……と、そこで終わればいい話だったんだけど。

 

 私はデスクの引き出しから、ファイルを一冊取り出した。ジェラルドから提出されたデザイン画集だ。そこには、色鮮やかな貴族少女向けのドレスがいくつも描かれている。どれも綺麗でかわいらしいんだけど……。

 

「なんか、普通なのよね」

 

 ジェラルドの提出したデザイン画は、そこそこクオリティが高かったけど、それだけだった。よく言えば無難、悪く言えば凡庸。このデザインが、王宮でブームを巻き起こすとは思えない。侯爵令嬢のお抱えには役不足だ。

 

「攻略対象のはずなんだけどなあ」

「それは、妻が生きているからだろう」

 

 フランが残酷な事実を指摘した。

 

「ジェラルドが王宮で注目されるようになったのは、『オネエ』だったか? 女装デザイナーに転身してからなんだろう? 人は親しい者の死などの逆境に陥った時に大きく成長する。お前に救われ、妻と幸せな生活を送っているジェラルドには、才能を開花させるほどのモチベーションが存在しないんだ」

「幸せだから、平凡なままってこと?」

 

 フランはこくりと頷く。

 理屈はわかるけど、なんか納得いかない。生き延びるのは間違いなくいいことなのに、その結果ジェラルドが普通の職人で終わってしまうのは惜しい。なまじ、オネエな彼がデザインしたドレスを知っているだけに残念だ。

 

「ジェラルドには、待遇のいい工房を紹介すればいいんじゃないか。職人としての腕は悪くない」

「確かにそれなら貧乏生活に戻ることはない……か。わかったわ」

 

 私がそう言うと、すぐに使用人がジェラルドを呼んできた。

 やってきた彼の表情は硬い。何の話をされるのか、理解しているのだろう。

 

「お嬢様……面談の機会を与えてくださり、ありがとうございます。契約終了のお話ですよね……」

 

 私は無言のまま頷く。自分から拾っておいて、転職を勧めるのは気分が悪い。しかし、領主代理として、評価にそぐわない好待遇を放置するわけにもいかない。

 ジェラルドのことは嫌いじゃないんだけどねー!

 

「最後に……これを見てはいただけないでしょうか」

 

 彼は真新しいデザイン帖を私に差し出した。

 転職宣告前に最後のチャンスがほしい、ということだろう。

 私も一度はジェラルドを拾い上げた身。できれば放り出すようなことはしたくない。フランに目を向けて、彼が頷いたのを確認してからデザイン帖を開いた。

 見た瞬間、私は言葉を失う。

 

「……素敵」

 

 それは今まで見たことのないドレスだった。ゲーム内で見たドレスはとにかくインパクト重視だったんだけど、このデザインは全く別系統の美しさだった。斬新でありながら明るく上品。

 これを着て出かけたらきっと楽しい。そう確信させてくれるドレスだった。

 

「こんなに綺麗なデザイン……一体何があったの?」

 

 ジェラルドはただ妻と平凡な生活を送っていたはずだ。才能が開花するほどのストレスは存在しない。

 尋ねると、ジェラルドは嬉しそうにはにかんだ。

 

「実は、妻に子ができまして」

「え」

 

 これから父親になる男は、背筋を伸ばしてまっすぐ前を向く。

 

「ただ漫然と仕事をしていたのでは、子に誇れる親になれませんから」

「……なるほど」

 

 人が成長するきっかけは、悲劇だけではない。彼は家族を守るために成長したのだ。

 それ以来、私のドレスは全てジェラルドがデザインしている。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 




 クソゲー悪役令嬢商業書籍出版記念!
 というわけで、本編のちょっと後に起きた出来事を描いてみました。

 デザイナー系オネエキャラ。ヒロインの預かり知らないところで救われて妻子とともに幸せなデザイナー人生を送るの巻。

書籍の詳しい情報のアレコレについては、発売日まで近況ノートに詳しくご報告していきますので、ご興味のある方はそちらをチェック!


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悪役令嬢は女神のダンジョンから脱出したい
いきなりダンジョン


「……さん! 小夜子さん!」

 

 必死に呼びかける女の子の声で、私は覚醒した。

 夢とも現実ともつかないふわふわした感覚が薄れて、徐々に意識がはっきりしてくる。

 

「ん……?」

 

 目をあけると、制服姿のセシリアの姿がある。彼女の顔はかわいそうに、不安でひきつっていて、今にも泣きだしそうだ。そして彼女の隣には、なぜか男子の制服を着たアギト国第六王子ユラの姿があった。彼は更になぜか額に大きなツノを生やしていた。似合っているけどめちゃくちゃ禍々しくて怪しい。

 

「小夜子さん、大丈夫ですか? 痛い所はありませんか?」

「いや特に痛くは……って、どうして小夜子呼び?」

 

 確かに私の前世の名前は小夜子だけど、現世でそれを名乗ったことはほとんどない。セシリアだって、普段は私のことを『リリィ様』と呼んでいたはずだ。不思議に思ってセシリアを見ると、彼女は「それは……」と私の体を見つめた。

 

「ん?」

 

 彼女の視線を追って、私も自分の体を見下ろしてみる。

 私が着ていたのは、制服じゃなかった。

 

「んんんんん!?」

 

 色は鮮やかだけど、ダッサいデザインの小豆色のジャージのジャケット。その下はブサかわ系の変な顔をした猫のプリントTシャツ。履いているズボンはというと、ジャケットと同じダサジャージズボンだ。ジャージの袖からのぞく手は細く小さく骨と皮ばかりで、血色が悪い。慌てて袖をめくってみたら、手首から肘にかけて無数の針痕があった。

 

「……っ!」

 

 おそるおそる、頭に手を伸ばしてみる。そこには豊かな黒髪のかわりにダブダブのニット帽があった。帽子の下には産毛すら生えていない。投薬治療の副作用で、すべて抜けてしまったからだ。

 

「あ……あああっ!」

 

 今の自分の姿を認識したとたん、悲鳴が口をついて出た。何もかもがぐらぐらして、目の前の景色がまともに捕えられない。

 コレは、天城小夜子だ。

 産まれた時からひどい虚弱体質で、入退院を繰り返し治療の甲斐もなく18で寿命が尽きてしまった、ちっぽけで弱い子供。

 どうして私が小夜子に?

 私は悪役令嬢に転生して、健康優良児リリアーナになったんじゃなかったの?

 もしかして今までのは夢?

 病床で現実を忘れるために作り出した妄想だったの?

 そんなはずはないと否定したいのに、目の前の貧弱な体が否定させてくれない。

 

「わ、わたし、……は」

「リリィ様!」

 

 がしっ、と強く肩を掴まれて私は我に返った。

 顔をあげると、セシリアの澄んだ緑の瞳と目があう。

 

「しっかりしてください。あなたは、リリィ様で小夜子さん。そうでしょう?」

「あ、ああ……そう、ね」

 

 落ち着け。

 目の前のセシリアは現実だ。彼女は私がリリアーナであり、小夜子であることを知っている。

 それは、「私と彼女が友達になった過去」がちゃんと存在することを示している。

 リリアーナとしての人生は、6年以上を過ごしたハーティアの日々は、妄想なんかじゃない。

 

「ありがとう、落ち着いたわ」

「……よかった」

「ショックで人格が壊れてたほうが楽だったのに」

 

 ほっとするセシリアの横で、ユラがぼそっとつぶやく。ぎっ、とセシリアが射殺さんばかりの勢いで隣の男を睨んだ。

 

「あなたは黙ってて」

「はいはい」

 

 相変わらず仲悪いなこのふたり。私もユラのことは好きじゃないけど。

 

「ええと……これってどういう状況?」

「私にも、詳しいことはわかりません。気が付いたら私とリリィ様のふたりでここにいたんです」

「僕はカウントされないの?」

「しません」

 

 セシリアはユラのことを見ようともしない。

 私はとりあえず周りを見回してみることにした。今いる場所は、正方形の小さな部屋だった。現代日本の感覚で例えると、8畳間くらい。ちょっと広めのリビングくらいの広さだろうか。石造りの部屋には窓も明かりもないのに、なぜか明るくて床の模様やお互いの様子をはっきり確認することができた。四方を囲む壁のうち、セシリアたちの背後にある壁にだけ大きな扉がひとつある。出入口はそこだけみたいだ。

 

「なんかここ、見覚えあるんだよね……」

 

 シンプルなつくりの部屋だけど、どこかが記憶にひっかかる。

 規則正しい模様が刻まれた壁をぼんやり見つめていた私は、やっとその答えにたどりついた。

 

「ここって、もしかして『女神の迷宮』?」

「多分そうです」

 

 あのポンコツ女神関係の施設かあああ……!

 道理で見覚えがあるはずだよ!

 

 私はここに至るまでの経緯を思い返した。




 本日より新章開始です!
 仕事その他との兼ね合いで、今回から火、木、土の週三回更新に切り替えます。
(毎日はやっぱりきつい)
 次の更新は11/1です!


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新学期

「リリィ、ただいま!」

 

 ばん、と元気よくドアをあけてクリスが女子寮最上階特別室の専用サロンに飛び込んできた。フィーアと一緒にのんびりお茶を飲んでいた私は笑顔で彼女を迎える。

 

「久しぶりね。夏休みは楽しかった?」

「ああ。クレイモアで朝から晩まで、思いっきり鍛錬してきた!」

 

 にっこり笑う彼女の頬は、健康的に日焼けしている。

 お姫様が真っ黒になるまで鍛錬三昧とかいいのか……とちょっと思わないでもないけど、元気に運動するのがクリスだ。楽しかったのならそれでいいんだろう。

 学年演劇の上演日に侯爵令嬢が誘拐されかける、という大事件が起きてから二か月。長い夏の休み期間を経て私たちはふたたび王立学園で新学期を迎えていた。

 王立学園の寮は入寮開始の昨日から学生やその関係者でごったがえしている。

 

「今回はクレイモアみやげもたくさん持ってきたんだ。あとでリリィにも分けてあげるね」

「それは嬉しいわね。……あら、その髪飾りは?」

 

 クリスは美しい銀髪をひとつにまとめて、銀細工のアクセサリーをつけていた。指摘するとクリスはにこっと嬉しそうに笑う。

 

「いいだろう、お気に入りなんだ」

 

 クリスがアクセサリーをつけた上に、お気に入りだと? ファッションに一切の興味を示さなかった脳筋少女のクリスが? いや待て、婚約者の次期クレイモア伯からのプレゼントとか、そういうオチかもしれない。

 見ているとクリスはアクセサリーを外して見せてくれる。

 それは鞘に収められたクレイモアをモチーフにしていた。武器モチーフのアクセサリーというと、奇妙に聞こえるかもしれない。しかし、私たち勇士七家は家のシンボルが武器だ。嫁ぎ先を象徴するクレイモアを身に着けるのは、むしろ自然なことだ。

 

「これは、こうするとな……」

「あ、剣が抜けた」

 

 クリスが柄を握ると、小さなクレイモアは鞘から美しい刀身を覗かせた。

 

「綺麗な上に、いざという時には武器として使えるんだ! どうだ、すごいだろう!」

 

 美少女が目をキラキラさせて言うことがそれか!

 ていうか、お気に入りポイントはそこなのかよ!

 

「この研ぎ澄まされた刃……クリス様の腕前なら、このサイズでも十分武器として扱えるでしょう」

 

 待って、うちのメイドさん。同調しないで。

 確かに私やクリスの立場を考えたら、護身用の隠し武器のひとつやふたつ持っててもおかしくないけどさ。

 なんなら私自身も護身用の魔法薬は持ち歩いてるけどさ!

 こんなに嬉しそうに語りあうべきことかなあああああ?

 ボケにボケを重ねるふたりのせいで、ツッコミが追いつかない。

 

「そういえば、リリィ以外の子はまだ来てないの? ライラあたりは早めに寮に入ってそうだけど」

 

 今更サロンに私とフィーアしかいないことに気づいたらしい。クリスが不思議そうに首をかしげた。

 

「ライラは三階の二人部屋よ。あの子に嫌がらせする王妃派の子はいなくなったし、去年がんばって他の女子とも友達になってたしね」

「そっかあ~。寂しいけど、ライラが努力した結果じゃしょうがないね。セシリアも三階?」

「それが……」

 

 説明しようとしたところで、サロンのドアがノックされた。返事をすると、涙目のセシリアがドアを開けて入ってきた。

 

「リリィ様ぁ~……三階に私の部屋がないんですぅぅぅぅ……!」

「当然よ。あなたの部屋はこのフロアなんだから」

「どうして! 王妃派の嫌がらせはなくなったじゃないですか!」

「あなたの問題は何ひとつ解決してないからでしょ」

「そんなああああああああ」

 

 セシリアは泣きそうな顔で頭を抱えた。

 




次の更新は11/3です!


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問題だらけの救世主

「セシリアって、何か問題あったっけ?」

 

 ショックでその場に崩れ落ちるセシリアを、クリスが不思議そうに見る。特別室でのんびり過ごしているうちに、彼女もセシリアの問題を忘れてしまったらしい。

 

「たくさんあるわよー。そもそもセシリアの実家は地方とはいえそれなりに格式の高い子爵家で、ご両親亡きあと婿をとって家を継ぐことが決まってるわ」

「ふむふむ、領地つきの後継ぎ娘というわけだな」

「彼女を保護しているカトラス侯爵家との関係は良好。その上、全教科ぶっちぎりトップの才女で、去年の学年演劇で聖女役を務めて社交界の注目を集めた美少女……となると、男子生徒が放っておくわけがないのよ」

 

 家柄、財産、地位、能力、美貌と貴族女子に求められる能力のほとんどを持つ女の子だ。これで興味を持つなというほうが無理な話だ。

 

「婿入り希望の貴族次男坊以下はもちろん、既に婚約者のいる男子や格上の後継ぎ息子までセシリアを狙ってるって話だからねえ」

 

 だというのに、本人の性格は気弱な引っ込み思案。

 ひとり歩きさせようものなら、強引な男子にどんなアプローチをされるか、わかったもんじゃない。それに、気を付けなきゃいけないのは男子だけじゃない。これだけ男子人気が高いと、どうしたって女子から嫉妬の的にされる。去年侯爵令嬢誘拐未遂の罪で逮捕されたアイリスみたいな強烈ないじめ女子はいないけど、やっかまれて何かしらトラブルになる可能性はある。

 

「人付き合いがうまくないんだから、まだしばらくは私やクリスの側にいて守られてたほうがいいんじゃないの」

「……はい」

 

 セシリアはしゅん、とうなだれる。

 ……まあ、この状況も本当は良くないんだけどね。

 彼女は『恋する乙女パワー』を根源とする聖女だ。誰かに恋をしてこそ、真価を発揮する。近い未来に厄災が訪れることを考えたら、いつまでも男子と距離をとっているわけにはいかない。いつかは誰かを選んでもらわないと、世界が滅ぶ。

 とはいえ、運命に怯えまくって震えてるセシリアを無理やり男子のところに引っ張って行っても、状況が悪化するだけだし。私ができるのは、恋愛恐怖症をこれ以上悪化させないよう保護することくらいだ。

 こんな状況で、恋する乙女パワーが産まれるんだろうか。

 恋愛感情は義務や強制で生まれるものじゃないからなー。自然発生的な感情に世界の運命の鍵を握らせる創造神と運命の女神の意図がわからん。

 

「納得したなら、ふたりとも自分の部屋に行って制服に着替えてきて。もうそろそろお客が到着する時間だから」

「客?」

 

 クリスがきょとんとした顔になる。

 地方貴族のセシリアはともかく、王族のクリスには正式な通達があったはずだぞー。

 

「私たちの学年に、キラウェアからの留学生が来るのよ」

「西の隣国から……ですか?」

 

 キラウェア出身の王妃一派と国内貴族の軋轢を知っているセシリアが訝しむ。

 

「内情はどうあれ、表向きは王族の婚姻で結ばれた友好国だからね。お互いの文化を学ぶために、王立学園に留学生が来るのはおかしい話じゃないわ」

「でも……」

 

 説明しても、セシリアの表情は暗い。まあ、気持ちはわかるけど。

 

「あなたも私も『想像してなかった』登場人物よね」

 

 女神のつくったゲームには、西の隣国キラウェアからの留学生、なんてキャラクターはいなかった。完全にイレギュラーな人物だ。

 私が運命を曲げて回ったせいで、新たに産まれた出会いなんだろう。

 当然のことながら、彼らに関する情報は女神の攻略本を持つ私たちでもわからない。

 

「未来がわからないなんてこと、当たり前なんだから。とにかく会ってみなくちゃ」

「そ……そうですね」

「そのうちひとりは、現国王の三女シュゼット様らしいわ」

「王族じゃないですか……!」

 

 そして、ハーティア王妃カーミラの姪にあたる。

 鬼が出るか蛇が出るか……って、実生活でこんな言いまわし使う日が来ると思わなかったよ!

 




次の更新は、11/5です!

そして、重大発表!
クソゲー悪役令嬢2巻発売決定!
詳しいことは活動報告にてチェックよろしくです!


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それぞれの夏休み

 制服に着替えたクリスとセシリア、そして護衛のフィーアを連れて王立学園の入り口に向かうと、すでに多くの生徒が留学生の出向かえに集まっていた。その中に銀髪の少年二人組を見つけて、声をかける。

 

「ヴァン、ケヴィン!」

 

 銀髪コンビのうちのひとり、女子受け抜群の美少年が柔らかくほほ笑んで振り返った。モーニングスター家の末っ子長男ケヴィンだ。

 

「ひさしぶり。みんな元気そうだね」

「ケヴィンも元気……というか、ちょっとたくましくなった?」

「夏休み中、ずっと騎士に混ざって訓練してたからね。少しだけど筋肉がついたんじゃないかな」

「かっこよくなったと思うわよ」

「ふふ、ありがとう」

 

 私たちがにこにこ話していると、すぐ横でもうひとりの銀髪少年が大きくあくびした。次期クレイモア伯でありクリスの婚約者のヴァンだ。

 

「お前らか……ふぁ」

「ヴァンはずいぶん眠そうね」

「俺も休みの間は、ずっとクレイモアで訓練漬けだったからな。体を酷使したせいで眠くて眠くて……」

 

 よく見たら、ヴァンは随分くたびれていた。一応制服は着ているけど襟はよれてるし、上着のボタンも半分くらいしか留めてない。カジュアルファッションというより、単に疲れて雑になっただけっぽい。

 

「手加減メニューのはずだったんだがな?」

「クレイモアは基準がおかしい」

 

 東の国境を守るクレイモアは、ハーティアの中でも特に腕自慢の脳筋騎士が集う場所だ。そもそもの訓練基準が全国平均レベルとズレている。わけあって数年前までお姫様生活をしていたヴァンがぼやいてしまうのは当然だ。

 

「まあでも、訓練した甲斐はあるんじゃない? 学期末に比べて厚みが増えたように見えるわよ」

「……これくらい成果がなくちゃ、やってらんねえよ」

 

 ふわぁ、とまたヴァンはあくびする。

 

「こっちにいる間は、休ませてもらうぜ。じいさんのしごきに比べたら、学校のほうがまだマシだ」

「みなさん大変だったんですね。そういえば、私が帰省したカトラス侯爵領もダリ兄を筆頭に軍事訓練に力をいれてるようでした」

「ハルバードも似たような感じね。父様が騎士団長をしている王都の第一師団も巻き込んで、大規模な軍事演習をしていたわ」

「ハーティアは今、宰相閣下主導で全国的に富国強兵策を進めてるところだからな」

「……何か、あるんでしょうか?」

 

 ヴァンの富国強兵策、の言葉に反応してセシリアが不安そうな顔になる。ゲームの通りなら、私たちが学園に在籍する三年間のどこかで厄災が起きる。救世主としてその予兆に敏感になってしまうのだろう。しかし、ヴァンは首を振った。

 

「何かあるっつーか、あった、ってのが正しいな。スパイ騒ぎやら汚職騒ぎやらのせいで、あちこちガタがきてたから。各地の軍を鍛え直して、あらためて敵勢力に備えようってっことなんだろ」

「うちの国は、東にも西にも火種を抱えてるもんね……」

「もしかしたら全部リリィのためかもしれないよ?」

「はぁ?」

 

 突然ケヴィンに名前を出されて、私はぽかんと口をあけてしまった。

 富国強兵策が、なんだって私に関係してくるんだ。

 




次の更新は、11/8です!


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富国強兵

「これはもしかしたら、の話なんだけどね」

 

 クスクス、といたずらっぽく笑いながらケヴィンは説明を始める。

 

「リリィと王子の婚約は王妃様の意向なわけだよね。宰相閣下やハルバード侯がそれに異議を唱えられないのは王妃……引いてはキラウェアと対立できないからだ」

「まあ……そう、ね」

 

 だいぶヤバい言いまわしがあったけど、とりあえず突っ込まないでおく。

 

「でも、国全体の軍事力が上がって、キラウェアと対立しても平気……となったら宰相閣下たちの意見は通りやすくなるんじゃないかな?」

「理屈としては、そうなると思うけど……」

 

 子供の結婚のために、国全体を動かしちゃうのは親としてどうなの。王族の結婚って政治的に大きな意味を持つと思うんだけど。

 

「だーかーらー、政治的に解決しようってんだろ、大人連中はさ」

 

 ヴァンもケヴィンの推理に賛成らしい。確かに筋は通らなくもないけどさ。

 

「い、いいのかな……こんな私的なことで国を動かして……」

「いいんじゃね? お前の結婚話は宰相家の後継問題にも関わってんだから。充分国にとって重大事だって」

 

 そういえば私とフランの結婚は、兄様とフランの姉との結婚でもあったんだった。私とフランが結婚できず侯爵家を継げないままでは、マリィお姉様が兄様を婿にとって女宰相になれない。

 ケヴィンも苦笑する。

 

「そもそも、王妃に気を遣ってばかりの宮廷情勢がよくないしねえ」

「国を安定させるには、どっちみち東西両方の隣国と張り合う力をつける必要がある。お前らの話がなくても、いつか同じことになってただろうよ」

 

 つまりこの富国強兵は必然だった、ということだ。

 

「わかった。じゃあ……みんなが強くなって、政情が変わるのを待ってる」

「まかせて」

 

 にこっとケヴィンが笑う。

 それを見て私は胸が熱くなるのを感じていた。

 一年前、無理矢理王子と婚約させられた時には、ショックすぎて何も考えられなかった。でも、今は違う。頼りになる友達がたくさんいて、大人たちも自分のことを大事に想ってくれている。まだ、私の未来は変えられるはず。

 

「リリィ様は大事にされていますね」

 

 セシリアが羨ましそうに笑う。私はパン、とその背中をちょっと強めに叩いた。

 

「何言ってるのよ。あなたも私の友達じゃない。ダリオにとっても妹なんだし」

「え……あ……?」

「セシリアは変なところで他人行儀なんだよなあ」

 

 クリスもセシリアに肩を回す。

 

「私とは友達じゃないなんて言ったら怒るぞ」

「それは……そのっ……!」

「つまり、あなたにだって味方はたくさんいるし、切り開ける未来はあるってこと」

 

 聖女になる運命があるからって、人と距離を取ってたら解決できる問題も解決できない。

 今年からはセシリアにも自分で味方を作っていってもらわなくちゃ。

 

「は……はいっ! が、がんばります……!」

 

 よしよし。

 俯いてばかりじゃ、いい未来なんて来ないもんね。

 顔を上げたセシリアのかわいい顔を眺めてなごんでいたら、急に生徒がざわついた。彼らの視線を追うと、校舎のほうから誰かやってくる。

 キラキラと輝く金髪の少年と、アッシュブラウンの少年。オリヴァー王子と従者のヘルムートだ。




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傷心王子

 王子とヘルムートは、学園の入り口までやってくると馬車留めの前で止まった。警備の騎士や職員と何やら打ち合わせを始める。

 彼が代表して留学生たちを出迎える段取りのようだ。

 相手はキラウェアのお姫様だ。王族が対応するのが筋ってことなんだろう。

 ……だとすると、私も王子の婚約者として隣に並んだほうがいいんだろうか。

 王子に視線を向けたら、ちょうど彼と目があった。軽く首を傾けて『行きましょうか?』と意思表示すると、彼は軽く片手を上げる。簡単だけど拒絶の仕草だ。来なくていいってことらしい。

 

「いいの?」

 

 ケヴィンが不思議そうに私を見る。

 

「王子がいいって言うなら、そうなんでしょ」

 

 学年演劇の上演日、私が誘拐されかけた事件の日から、王子の態度はずっとこんな感じだ。特に用事がない限り、一切声をかけられない。公式行事でエスコートする時でも最低限の接触しかしないし、口を開いても挨拶的な定型文しかしゃべらない。

 でも、避けられてるのは私だけじゃない。王妃派の貴族も宰相派の貴族も学園の同級生にも、側近のヘルムートにさえもこの調子なのだ。

 笑顔の仮面をかぶってただ黙々と公務をこなす彼は、プログラムに従って動くロボットみたいだ。

 私は楽だけど、周りとこんなに距離をとってて王子業に支障が出ないのかちょっと心配になる。

 あの日何かがあったっぽいんだけど、詳しいことはわからないんだよね。

 誰かが踏み込んだほうがいいのかもしれないけど……そうするには彼の傷を丸ごと抱える覚悟が必要だ。既にフランを選んでしまった私がやることじゃない。

 誰かが彼の心に触れることを期待して見守るしかないのが現状だ。

 人間関係って、難しいね!

 

「あいつまた面倒くせえことになってんな……。まあ、暴走して変なことを始めるよりはマシか?」

 

 ヴァンが嫌そうに顔を歪める。まあまあ、とケヴィンがその肩を叩いた。

 

「王子は今、静かに考えるべき時期なのかもしれない。俺たちのほうが寮で顔を合わせる時間が多いし、見守ってあげようよ」

「お前、あの事件の時一番キレてたじゃねえか。よくそんな風に思えるな」

「反省して行動を改めようとしている人まで、見捨てたりしないよ」

 

 にこにこと笑っているケヴィンの言葉に嘘はない。

 なんだこの徳の高い生き物。

 

「ケヴィンって実は菩薩様の生まれ変わりじゃないの」

「ボサツ……?」

「あ、ごめん。ええと……慈悲深いなーって思っただけ。あ、見て見て! 留学生たちが到着したみたいよ!」

 

 ガラガラと音を立てて、何台かの馬車が列になって学園に入ってきた。

 外国製らしい馬車は、デザインも描かれた紋章もハーティアとはセンスが違う。しかしどれも一流の職人が手掛けた立派なものだ。キラウェアの国力の高さの表れだろう。

 生徒たちがじっと見守るなか、馬車列は馬車留まで入ってきてぴたりと止まる。

 御者たちが手際よく馬車を固定し、踏み台を準備する。

 ゆっくりと馬車のドアが開き、中から男性がひとり出て来た。

 上質な騎士服を着た、背の高い男性だった。すらりと手足の長い、一目見て騎士とわかる鍛えられた体。怜悧なナイフのように研ぎ澄まされた美貌の目元には、特徴的な泣きボクロがあり、独特の色気を醸し出している。

 彼の姿を見た瞬間、特別室組の生徒全員が思わず息をのんでしまった。

 あのー、これはどういうことですか?

 何故! キラウェアのお姫様の馬車から、ミセリコルデ家の長男が出てくるんだよっ!




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シュゼット姫

 外国の馬車から出て来た自国の高位貴族の姿を見て、生徒たちが茫然とする中、フランドール・ミセリコルデは馬車を降りると優雅に後ろを振り返った。馬車の奥に乗っている誰かにそっと手を差し出す。彼にエスコートされて、新たに姿を現したのはドレス姿の美しいお姫様だった。

 王妃カーミラによく似た、明るいブロンズ色の髪に青緑の瞳。顔も手も小さく繊細で、愛くるしいお人形みたいな女の子だ。

 彼女はフランに手を引かれて王子の前まで来ると、お手本みたいにキレイな淑女の礼をとった。

 

「お初にお目にかかります。キラウェア国王の三女、シュゼット・キラウェアと申します。お会いできて光栄です」

「あ……ああ、丁寧なごあいさつ、ありがとうございます。私はハーティア国王の第一子、オリヴァー・ハーティアです。王立学園はあなたを歓迎いたします」

 

 オリヴァーも礼を返し、その周りで見守っていた私たちも一斉に頭を下げた。

 社交的な挨拶を経て、オリヴァー王子とシュゼット姫は微笑みあう。

 

「よろしくお願いします。私、ハーティアの文化にとても興味がありましたの! ここで学ぶ機会が得られて、とても嬉しいです」

「左様ですか。それで、ええと……彼は何故ここに?」

 

 さすがに黙ってはいられなかったらしい。王子は学生たちが一番気になっていたことを尋ねた。

 

「カーミラ叔母様のはからいですわ。慣れない異国での生活は、何かと不便なことが多いだろうから、と留学中のアテンド役として彼を遣わしてくださったの」

「……そうですか」

 

 フランは無表情で説明を付け足す。

 

「王立学園の卒業生のうち、シュゼット姫の接待ができる高位貴族という条件で選ばれたそうです」

 

 ふーん、そうなんだー。

 この国の高位貴族の子女は、だいたいが王立学園の卒業生だ。わざわざ7つも年上の異性を呼ばなくても、ケヴィンのお姉さんたちとか、マリィお姉様とか、もっと波風の立たない人材はいくらでもいたと思うけどねー?

 断言していい。

 この人選、絶対王妃の悪意だろ!

 無理やり王子と婚約させられて、ただでさえストレスがたまってるっていうのに……恋人がかわいいお姫様をエスコートしてるのを見せつけられるとか、何の拷問だよ!

 ふざけんな! その男の手は私のものだ!! って叫んで暴れてやりたい。

 でも、ハルバード侯爵令嬢であり、王子の婚約者であるという立場がそれを許してくれない。

 必死に顔を作ろうとしていると、ぽんと両側から肩を叩かれた。

 

「リリィ、落ち着いて」

「私たちはわかってますからね」

 

 クリスの紫の瞳と、セシリアの緑の瞳が私を心配そうに見ていた。

 理解のある女友達最高……!

 腹が立つ状況は変わらないけど、味方がいると思えば少しは落ち着ける。大丈夫、まだ侯爵令嬢として笑顔の仮面をつけるくらいの余力はある。

 とにかく、この出迎えセレモニーを乗り切ろう。

 八つ当たりして暴れるのはその後だ。

 息を整えているうちに、王子と王女の社交辞令はつつがなく進み、王女以外にも数名の貴族が馬車から降りてきて自己紹介を始めた。全員キラウェアのそれなりの地位の貴族子弟で、能力が高いらしい。

 まあ、こんな外国に王女がひとりでやってくるわけないよね。

 学生とは言ってるけど、中には護衛や使用人として来てる子もいそうだ。

 

「この学園には、貴国の重要なお家の方も多く通っていると聞きましたわ」

「ええ。では主だった者をご紹介しておきましょう」

 

 今度はこっちの学生紹介らしい。

 視線を向けられて、私たち特別室組の生徒は一歩前に出る。

 

「ええと、銀髪の彼が……というと、紹介し辛いな」

 

 ヴァンもケヴィンも、同じ銀髪に紫の瞳で学年も一緒だからねえ。状況を察したヴァンが率先して略式の騎士の礼をとる。

 

「私は、クレイモア伯爵家嫡男、シルヴァン・クレイモアです」

 

 その隣でケヴィンも礼をとる。

 

「私は、モーニングスター侯爵家嫡男、ケヴィン・モーニングスターです」

「よろしくお願いします。おふたりはよく似てらっしゃるけど、ご兄弟ではないのですよね……?」

「私の母がモーニングスター家の出身なのです。そして、私の婚約者であり、国王の妹でもあるクリスティーヌ・ハーティアの母も、モーニングスター家出身。私たち三人は全員が親戚関係にあります」

「まあ、そうなんですね……!」

 

 名前を出されたクリスが前に出て、同じように騎士の礼をとる。

 流れでお辞儀してるから誰もつっこんでないけど、スカートの時は淑女の礼をしなくちゃダメだと思う。私もつっこめないけど。

 

「それから、クリスティーヌ叔母様の側の、ストロベリーブロンドの女子が、セシリア・ラインヘルト子爵令嬢です。全ての科目でトップに立つ、とても優秀な生徒です」

「よ、よよよ、よろしくお願いします」

 

 クリスの隣でセシリアも騎士の礼をとった。

 慌てたせいで思わず真似してしまったっぽい。落ち着け、聖女。

 

「そんなにすごい方と一緒に学べるなんて光栄です」

「そして、その隣にいるのが……」

 

 王子はそこで言葉を切った。

 最後のひとりは自分で名乗れ、ってことらしい。私は一歩前に出ると、丁寧に淑女の礼をとった。

 

「ハルバード侯爵家長女、リリアーナ・ハルバードです。オリヴァー王子様の婚約者でもあります」

「レディ・リリアーナ様! あなたがそうなんですね? ずっと、お会いしたいと思っていたんです!」

 

 私は、会いたいとは思ってなかったけどね?

 




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侯爵令嬢の国外評価

 シュゼット姫は嬉しそうに、私のところまでやってきた。私のほうが背が高いせいで、自然と上目遣いで見つめられることになる。

 うわあ、なんだこれ。

 本物のお姫様のキラキラ上目遣い、めちゃくちゃかわいい。

 一瞬、嫉妬心を忘れて見とれちゃったじゃないか。

 

「リリアーナ様のお噂はかねがね伺っておりますわ」

「遠く離れたキラウェアにまで、私の話が伝わっているんですか?」

「ええそれはもう!」

 

 シュゼットはにこっと笑う。

 

「11歳の幼いころから領主代理として、お家を守ってらっしゃったんでしょう? それに魔力式給湯システムの発案者はリリアーナ様だとか。かの技術は、私たちキラウェアにも伝わり、おかげで多くの民の暮らしが豊かになりましたの」

 

 兄様……どれだけ事業拡大してんの。キラウェアにまで技術提供してるとか、聞いてないんだけど?

 

「ハーティアの貴き勇士の血に連なる侯爵令嬢でありながら、優秀な領主であり技術者でもあるなんて、まさに淑女の鑑ですわ。こんなに素晴らしい方が未来の王妃様だなんて、オリヴァー王子様はお幸せですわね」

「んン”ッ……」

 

 私は思わず口から出そうになった変な声を、ギリギリのところで堪えた。

 よくやった私の口と喉の筋肉。褒めてつかわす。

 

「リリアーナ様?」

 

 きょとんとしているシュゼットに私は慌てて笑い返す。

 

「ゆ、友好国の王女様にそんな風に思われているなんて、恐悦至極にございます……ほほほ」

 

 なんだこの拷問みたいな会話。

 相手に一切悪意がないからタチが悪い。

 それに、シュゼットの認識はそんなに間違ってないんだよなー。

 私はハーティアで王家に並ぶほど格式の高い侯爵家のご令嬢だ。領主代理に新魔法開発にと実績には事欠かない。その上、なりゆきとはいえ王妃派と大戦争を繰り広げた挙句に、女子寮の生徒を統率してしまったのだ。そこだけ見れば、これほど王子妃にふさわしい女子はいないだろう。宰相閣下の意向に気づいているはずの宰相派の中にも、私を王子妃にと望む勢力は少なくない。

 どれだけ能力があっても、王子以外の男が好きって時点で、王子妃失格なんですけどね!

 本当に! 人間関係って! 難しいね!

 

「シュゼット様は、リリアーナ嬢と同じ女子寮特別室に入居することになります」

 

 アテンド役らしく、フランが説明を付け加えた。

 彼女はキラウェアのお姫様だ。うちの女子寮の基準で考えたら、王族扱いで特別室に入るのが妥当だろう。

 つまり、私は特別室の住人として彼女を受け入れて、面倒をみなくちゃいけないわけだ。

 沈む私とは対照的にシュゼットはぱあっと顔を輝かせる。

 

「リリアーナ様と同じフロアなんですね!」

「え、ええ……」

「あああああ、あのっ、私とっ、クリス様も同じフロアなんです! よろしくお願いしますっ!」

 

 セシリアがあわあわしながら間に入ってきた。クリスも一緒になってシュゼットに手をさしのべる。

 

「よろしく、シュゼット」

「こんなに素敵な方たちとご一緒できるなんて。よろしくお願いします!」

 

 ロイヤルスマイルがまぶしい。

 私はこれから、毎日この笑顔を見ることになるのか。

 複雑すぎて感情が処理できないんですがそれは。

 

「お互いの紹介はこれくらいで。みなさん一旦中に入ってご休憩ください」

 

 王子、ナイス助け船。

 自己紹介が終わったら、次は休憩だよねー!

 一度離れてクールダウンしようか! 主に私が!

 しかし、シュゼットは困ったように視線をさまよわせた。

 

「あの、実はひとりだけ……紹介できていないのです」

 

 ハーティア側のメンバーは、全員きょとんとなる。馬車から出て来た生徒は全員紹介してもらった気がするけど?

 

「王都観光がしたいと、別行動をとった者がおりまして……」

「ではその方の紹介はまた機会を改めて」

 

 王子が段取りを調整しようとした時だった。

 

「すみませーん、遅れました!」

 

 カッコ、カッコ、と軽やかに蹄の音を響かせながら、青年がひとり学園に入ってきた。毛並みの良い馬に、キラウェア風の騎士服。彼が別行動をとっていた留学生なのだろう。

 

「ユーライア、あまり勝手をしないでちょうだい」

「申し訳ありません。異国の風景に見とれていたら、思ったより時間が経っていて」

 

 青年はひらりと馬から降りて、シュゼットの隣に立つ。

 その姿を見て、私とセシリアは思わず息をのんでしまった。後ろに控えているフランとフィーアも、無表情を装っているけど、私たちと同じ気持ちだと思う。

 彼はこの国では滅多に見ない象牙の肌をしていた。ほっそりとした輪郭に薄い唇。そして、光を全て吸い取ったような闇色の髪と瞳。

 こいつがキラウェアからの留学生?

 どう見ても、アギト国第六王子、ユラ・アギトじゃねーかっ!




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ユーライア・アシュフォルト

「こちらは、キラウェア留学団の最後のひとり、アシュフォルト伯爵家三男のユーライア・アシュフォルトです」

「カーミラ様の推薦により、学園で学ぶ栄誉を賜りました。同じ教室で学ぶ仲間として、どうぞ気軽にユラ、とお呼びください」

 

 シュゼット姫からユーライアと紹介された黒髪の青年は優雅にキラウェア式のお辞儀をした。目の前の異常事態が信じられなさすぎて、私もセシリアも二の句が継げない。

 

「どうされました、レディ。私の顔に何か?」

 

 私たちがじっと見ていることに気が付いたのだろう。ユーライアは私たち……主にセシリアに微笑みかけてきた。

 顔っていうか、何かっていうかさあ……!

 

「その……ハーティアでも、キラウェアでも、あまり見ないタイプの方でしたから、驚いてしまって」

 

 ユラはキラウェアの服は着ていても、人種的な特徴はアギトの民そのものだ。キラウェア国民に見えなくてびっくりした、ってことにしておこう。ついでに、出自についても尋ねられるし。

 

「ああ、この肌と髪の色ですか。私の母がアギト国の出身なのですよ。5人いる子供のうち、私だけが母の血を色濃く受け継いでしまって」

 

 私に不躾な言葉を投げかけられても、ユラはにこにこと笑っている。

 

「こんなナリですが、私は誓って、ハーティアに仇なしたりはしません」

 

 いやいやいや、お前ゴリッゴリの敵対勢力だろーが!

 つっこみたいのに、つっこめない。

 

「……まだ気になりますか?」

 

 一歩、ユラがセシリアに歩み寄った。

 セシリアは私の陰に隠れるようにして、一歩下がる。

 

「いいい、以前お会いした方に、少し似ていたから……思わず……びっくりしてしまって」

「へえ、私に似た方が」

「えええ、で、ですから、お気になさらずっ!」

「ちなみに、その方とはどちらでお知り合いになったのか、詳しく伺っても? この国でこの容貌は珍しいでしょう、私の親戚かもしません」

「詳しく、って……」

 

 セシリアは言葉を詰まらせる。

 そんなもの、言えるわけがない。

 私とセシリアがアギト国第六王子ユラを目撃したのは、三年前のカトラス闇オークションだ。ユラの本当の出自を指摘しようとしたら、どうしてそんなところにいたのか、説明する必要が出てくる。闇オークションの商品になってた、なんて醜聞が明るみに出たら、ユラを糾弾する前にセシリアの令嬢生命が終わる。

 にいっとユラは闇色の瞳を細めて笑った。

 こいつ絶対、セシリアを追い詰めて楽しんでるだろ!

 

「ユーライア、そこまで」

 

 にらみ合う私たちの間に、シュゼットの静かな声が割って入った。

 

「初対面の女性に、あれこれと詮索するものではないわ」

「これは失礼。あまりにかわいらしい方だったので、思わず」

「……あなたも私も、学生であると同時にキラウェアの名前を背負ってるの。国の名に泥を塗るような行動は控えてちょうだい」

「かしこまりました」

 

 上司の言葉に従い、ユラはすっと身を引いた。しかし、その顔は相変わらず不気味なにこにこ笑顔のままだ。

 この場は引き下がったけど、反省するつもりなんか一切ないだろ!

 

「全員そろったようですし、中に入りましょうか」

 

 王子がやっとセレモニー終了を呼び掛けた。シュゼットを先頭にして、キラウェア留学団ご一行が移動を始める。

 彼らが離れていったのを見送ってから、私とセシリアは大きくため息をついた。

 ええー……このメンバーで全寮制学園生活を送るの?

 ヤバい予感しかしないんだけど!

 




カクヨムのほうで、誤って2話同時公開してしまったので
こちらでも本日2話公開としました。
たっぷり読めてお得だね!(とほほ……)


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報告!連絡!相談!

「情報共有を求めます!」

 

 消灯時間も過ぎた深夜、私はこっそり女子寮を抜け出して、魔法の師匠ディッツが管理する研究室にやってきた。

 私が来ることは予測していたらしい。女性教師『ドリー』に変身したフランが、眉間に深い皺を寄せて出迎えてくれる。ちなみに家主のディッツの姿はなかった。振り向いたら、いつの間に移動したのか、ここまで護衛してきたフィーアの姿もなかった。痴話げんかはふたりでやれ、ってことなんだろう。

 

「……王妃にねじこまれた」

「でしょうね!」

 

 わかってはいたけどね!

 どうしてくれよう、この胸のモヤモヤ感!

 

「宰相家として、正式に断るつもりだったんだが……受け入れ直前に加わった留学生、ユーライア・アシュフォルトの出自がひっかかってな」

「あー」

「推薦者が王妃な上、容姿があの第六王子そっくりと聞いて放置できなかった。たとえ波風が立つとしても、アテンド役として留学生たちの間に入る必要がある」

「まあ……実際ユラだったわけだから、その判断は間違ってはないわよ」

 

 ドリーの青い瞳が私を見つめる。

 女の姿だから、いつもより身長差が少ない。

 

「立場上、シュゼット姫のエスコートをする機会は多くなるだろう。だが、これはあくまで調査のためだ。どんなに距離が近く見えても、俺が彼女に心を傾けることはない。だから……」

「そこは疑ってない」

 

 食い気味に断言すると、フランは目を丸くした。

 

「フランみたいな愛情激重執着タイプが、そう簡単に心変わりするなんて思ってないわよ。私と王子がキスする姿が見たくないからって、王立学園を巻き込んで侯爵令嬢誘拐未遂事件起こすような男が、浮気するわけないじゃない」

「まあ……そうだが」

 

 フランは困惑した表情で私を見つめる。

 だったら、どうしてフランがシュゼットをエスコートしているのを見て怒ってたんだって話になるもんね。

 

「わ……私が……その、キレてたのは……たぶん、羨ましかったからなんだと思う……」

 

 言葉にしてから、実感する。

 あの時感じた嫉妬心は、フランの気持ちを疑ったからじゃない。

 彼女がただの女の子として、当たり前の恋人候補としてフランの手を取って歩いていたからだ。

 王子からのプロポーズがなければ、あの場所に立っていたのは私だ。私の場所に立って、私のフランの手を取って屈託なく笑う姿が、羨ましくて妬ましくて、腹が立ってたのだ。

 

「自分でも、ちょっと理不尽だな……とは思ってるの。何も知らないシュゼットには関係ない話だし……だいたい、こんなことでいちいち怒ってたら、公式行事で王子が私をエスコートする姿を見せられてるフランはどうなるんだって話だし」

「そこは怒っていいんじゃないか。俺もお前を連れてる王子を見たら、『殺すぞクソガキ』くらいは思ってる」

「マジか」

 

 大真面目に告白されて、私は思わず吹き出してしまった。

 

「私たちって、変なところで似た者同士なのね」

「そのようだ」

 

 ドリーはほっそりとした手で私の頭をなでる。

 

「お前に負担をかけることになるが、少しだけ我慢してくれるか」

「……できるだけがんばる」

 

 東にも西にも火種を抱えているこの国では、キラウェアとの外交は大事なことだ。留学中は、しっかりシュゼットを接待する必要がある。

 

「でも、あとでちゃんと甘やかしてよね!」

 

 そう言うと、ドリーはふっと口元を緩ませた。

 

「今日は、女の姿で会いに来て正解だったな」

「いつも以上に人の目があるからねえ。……って、何か違う意味で言ってる?」

 

 女に変身している男は、にいっと口の端を吊り上げる。

 

「男の姿の時にさっきの台詞を聞いていたら、立場も後先も考えずに、手ひどく可愛がっていただろうからな」

 

 ちょっと待て。なんだその言いまわし。

『手ひどく』なんて修飾語、可愛がるって動詞につけるようなものじゃないと思うの。

 いろいろ問題を片付けて、無事に王子との婚約が破棄されたとして……私はその後、この男からどんな目に合わされるんだろう。

 今更、ちょっと怖くなってしまった。




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お姫様は悪役令嬢と仲良くなりたい

「リリアーナ様!」

 

 学園の廊下を移動していると、後ろから声が追いかけてきた。

 振り向くと制服姿のシュゼット姫が小走りでやってくる。その後ろには彼女についてゆっくり歩くフランの姿もあった。

 

「シュゼット様、どうされました?」

「算術の授業が休講になったと伺って、お探ししておりましたの。次の魔法学の授業まではお暇でしょう? 一緒にお茶を召し上がりませんか?」

 

 シュゼット姫は期待に目をキラキラ輝かせながら私を見つめる。私は答えるべき言葉を探しながら、あいまいにほほえんだ。

 同じ女子寮で学園生活を始めてから数日。シュゼットはいつもこんな感じだ。毎日毎日、私がどこで何をやっていても、追いかけてくる。

 追いかけてくるだけじゃない。

 講義室では必ず隣に座るし、食事のタイミングはいつも一緒。隙あらばお茶に誘うし、三日に一度は王都観光のお誘いがある。

 あの王妃の親戚、ということもあって警戒してたんだけど、まさかこういう方向で接触されるとは思わなかった。

 見ている限り悪意はなさそうなんだけど、必ず後ろにフランを連れているせいで、どうしても複雑な気分になってしまう。常にフィーアを連れている私が、護衛兼世話係のフランを連れて歩くなとは口が裂けても言えないし。

 

「申し訳ありません、この時間はクリスと一緒に騎士科の戦闘訓練を見学する約束をしているんです」

 

 私は用意していた言い訳を口にした。

 クリスとの約束は本当だけど、目的は別だ。ずっとシュゼットにべったりくっつかれている私を息抜きさせようと、気をきかせてくれたのだ。

 

「まあ、騎士の戦う姿を見学なさるんですか? 恐ろしいでしょうに……」

 

 シュゼットは青緑の瞳を見開く。

 うちの脳筋姫様と違って、箱入りのお姫様は戦闘訓練なんて野蛮なものには近寄ろうとしないはず。次の授業まででいいから、休憩させてくれ。

 

「私は父の鍛錬で見慣れておりますから。では、魔法の授業まで少しお暇を……」

「私もご一緒させてくださいませ!」

 

 なんでや。

 シュゼットは気合をいれているのか、両手の拳を固めて頬を赤くさせる。

 

「お忙しいリリアーナ様がわざわざ足を運ぶということは、意義のあることなのでしょう? 私も共に学びたいです」

「ええと」

 

 いやそんな大層なもんじゃないですけどね?

 

「シュゼット様……無理をして倒れたら、午後の授業が受けられなくなりますよ」

 

 フランが表向きシュゼットを気遣う形でやんわり止める。しかしやんわり程度の言葉では彼女は止まらなかった。

 

「もちろん、リリアーナ様にご迷惑をかけることはしませんわ」

「いやでも」

「気分が悪くなったら、すぐに退席いたします。端で見ているだけでいいですから……!」

 

 うるうる、と上目遣いで見つめられること30秒。

 

「……………………わかりました」

「ありがとうございます!」

 

 私が了承すると、シュゼットはぱあっと顔を輝かせた。いそいそと私に並んで歩き始める。ちらっと後ろを見ると、フランがこっそり肩をすくめていた。

 いやだってしょうがないじゃん!

 悪意があるならともかく、ただ『仲良くなりたい!』ってアタックしてるだけなんだもん! こんなにまっすぐ好意を向けられて、無碍に扱えないよ!

 

「訓練は少し怖いですけど……ハーティアの騎士候補生には興味がありますわ」

「そんなにこの国が気になりますか」

「ええ……ここ十年ほど、わが国にはあまりハーティアの情報が入っておりませんでしたから」

「そうなんですか?」

 

 一応表向きは友好国なんだけどね?




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勇士不在

 シュゼット姫と並んで歩きながら、私は西国事情を考える。

 

「あまり交流できてないのは……やっぱり三十年前の戦争の影響でしょうか」

 

 うちの国では『キラウェアからの侵略戦争』と記録されている出来事だ。最終的に先代ランス家当主率いるハーティアが勝利して国土を守り抜いた。その後の和平策のひとつとして、カーミラ第三王女を王妃に迎えている。

 しかしシュゼットは首を振った。

 

「いえ、むしろ戦後は交渉のために両国の高官が頻繁に行き来していました。今よりずっと多くの情報が交換されていたようです」

「じゃあ、どうして……?」

「ダガー家の不在が原因でしょう」

 

 後ろで影に徹していたフランが口をはさんだ。私たちに振り向かれて、説明を始める。

 

「我ら勇士七家は国家に対して大きな役割を持っています。政治を司るミセリコルデ、南部諸侯をまとめるハルバード。ダガー家は外交手腕に長けた者が多く、各国の窓口として活躍していました」

「ダガー家は没落して断絶したって話よね?」

 

 私の問いにフランは頷く。

 

「二十年ほど前になるでしょうか……ダガー家当主一族が若くして亡くなる不幸が続き、傍流のフェルディナンド・ダガーが伯爵位を継いだのです。しかし彼も子に恵まれず……結局十年前に病死して断絶となりました」

「どなたか養子を迎えられませんでしたの?」

 

 こてん、とシュゼット姫がかわいらしく首をかしげる。

 貴族家を維持するために、血の繋がらない後継者を迎えるのはよくある話だからだ。

 でもハーティアではそうもいかない。

 

「それは無理ですね。ダガーは勇士七家のひとつですから」

「勇士だから……?」

 

 シュゼットはまだぴんときてないらしい。私も説明に加わる。

 

「王家と勇士七家は、女神に与えられた『白銀の鎧』と血の絆で結ばれています。だから、絆ある者……当主の血統とある程度以上近くないと、後継資格が得られないんですよ。これは明確にハーティア国法にも書かれています」

「……伝説上のお話ですよね?」

「我が国では聖女が恋の力で厄災を封じたという伝説が、事実として扱われます」

「本気で……?」

 

 シュゼットは目を丸くする。

 あれが絵空事だったらよかったんだけどねー。ほぼ事実な上に、他人事じゃないからシャレにならない。

 

「シュゼット様、真にこの国と親しくしたいのなら、建国神話を否定してはいけません。おとぎ話のようでも、国のアイデンティティーですから」

 

 フランが静かに忠告した。

 確かに、隣国王女が公の場で神話を否定したらヤバい。シュゼットも危うさに気が付いたのか、こくこくと頷いた。

 こういうところは素直なんだよね。

 

「とにかく、ダガー家不在のせいで国交がうまくいってないのね。あれ? だとしたら、今現在キラウェアとの外交窓口になってるのはどこなんだろ?」

「……西の国境を預かるランス家ですね」

「あー……」

 

 フランから答えを聞いて、私は頭を抱えたくなった。

 キラウェアと一番近い場所にいるんだから、外交窓口になるのは当然の話だけどねえ。カーミラ王妃を批判できず、王家の言いなりになってる家に外交手腕は期待できない。

 シュゼットも思うところがあるらしい。おずおずと小さな口を開く。

 

「確かにランス家の方々にはお世話になっているのですけど……私は、両国の交流はもっと自由でいいと思います。フランドール様のご実家の宰相家もそうですし、王家とも直接やりとりができれば……」

 

 そう言って、私を見つめる。

 なるほどー外交窓口を増やすなら、より影響力のある貴族と繋がりたいよね!

 次期王子妃とか絶好の相手だよね!

 でも、君が一番仲良くなりたいと思ってるご令嬢は、何が何でも王子との婚約を破棄するつもりでいますからあああああああ!

 




2巻発売決定! オマケSSのテーマ募集中です!
次の更新は11/24です!


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姪と叔母

「ハーティアと交流するのなら、まずは近しい血族を頼るべきでは?」

 

 外交のために未来の王子妃と仲良くなりたい、というシュゼットに頭に浮かんだ疑問を投げてみた。

 シュゼットは王妃の姪だ。わざわざ私に近づかなくても、王室そのものにパイプがあるはず。しかしシュゼットはうーん、とかわいらしく眉を寄せる。

 

「実は、カーミラ叔母様のことはあまり存じ上げないのです」

「そうなんですか?」

 

 姪ってかなり近い血族だと思うんだけど。

 

「叔母様が嫁いだのは国境を隔てた異国ですから。嫁いでから一度も帰国されていないこともあり、お顔を合わせる機会がなかったのです」

 

 カーミラが嫁いだのは二十年以上前。当然、シュゼットは産まれていない。

 確かにこの状況では繋がりが遠くなるか。

 

「もちろん、兄であるお父様とはお手紙を交わしていたそうなのですが、それも時候の挨拶程度で、子供の私たちはお言葉を頂いたこともありません。ですから、叔母様は私にご興味がないと思っていたのです」

「その割には、アテンド役を手配してますよね?」

 

 てっきり、もっと深い間柄と思ってたんだけど。

 シュゼットはこくこくと頷いた。

 

「ええ。だから私、とてもびっくりしてしまって……! 留学の打診の時には一切お返事がなかったのに、出国直前になってユーライアを推薦したり、フランドール様をお遣わしになったり……この件について、リリアーナ様はどう思われますか?」

「え、ど、どうって?」

「オリヴァー王子様とのご婚約は叔母様の意向と伺っています。義理の母娘としてお付き合いのあるあなたなら、叔母様の意図をご存知なのではないですか?」

「いや付き合いないのは私も一緒だし」

「え」

 

 思わず出た言葉に、シュゼットの顔から上品な表情がすっぽ抜けた。

 

「14まで領地で育ったので、王室の方々にお目通りする機会がほとんどなかったのです。私が婚約者に選ばれたのは家柄と能力を買われたからですね」

「そ、そうなのぉ……?」

 

 ついでにお姫様らしい口調も崩れる。

 本気で私と王妃の仲がいいと思ってたらしい。

 情報の少ない国外からうちの王室を見てたら、そう思うのかもしれないけどさあ。とはいえ、何も知らないっぽいシュゼットに『王宮内は王妃と宰相がガチバトル中で、私の婚約もフランの派遣も、ユラの推薦も全部王妃の悪意だよ!』とは言えないしなあ。

 本気で外交するならいずれ知ることかもしれないけど、今暴露しても混乱するだろうし。

 本音と建前ムズカシイ。

 

「一旦、王妃様のことはおいておきましょうか。繋がりの浅い者同士であれこれ言ってもしょうがない気がします」

「そうですね……」

 

 まだショックが抜けないらしい。茫然とするシュゼットを連れて私は騎士科の訓練場へと向かった。

 




2巻発売決定! オマケSSのテーマ募集中です!
すいません、別件仕事でリソース配分失敗してストックがなくなりました……
(月末締め切りであと5万字書かねばならぬ)
というわけで12月から連載再開します。申し訳ありません。


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お姫様と見学会を

「クリス、お待たせ!」

 

 騎士科の訓練場わきのベンチに銀髪の美少女を見つけると、私は声をかけた。彼女は振り向いて、それから苦笑いになる。私の後ろにフィーア以外の人物がついてきたからだ。

 

「騎士科の訓練を見学すると言ったら、彼女も興味をもったみたいなの」

「今日はよろしくお願いします!」

 

 シュゼットにぺこり、と礼儀正しくお辞儀されると、クリスも拒絶できない。

 私たちは三人でベンチに並んで座った。護衛役のフランとフィーアは身分に関係なく私たちの一歩後ろに立って控える。

 シュゼットはぐるりと訓練場を見回した。

 

「思ったよりシンプルなんですね」

「大型の機材はあえて置かず、状況に合わせて備品を出し入れしているそうですよ」

 

 訓練場、と呼んでいるけど要は学校の運動場だ。校舎に囲まれる形で広くて平らなグラウンドが作られている。サッカーゴールの代わりに戦闘訓練用の備品が置かれているくらいで、他は現代の校庭とさほど変わりない。

 

「学校のカリキュラムは数年ごとに変わるからな。ふふ、今年はどんなことをやっているんだろう」

 

 クリスは期待にきらきらと目を輝かせる。

 

「見るだけでいいの? クリスのことだから、自分も参加したいとか言うと思ったのに」

「さすがに学園の訓練に入っていけないのはわかってるよ。でも、内容を知ってたら女子寮に帰ったあとで自主練習できるから」

「なるほど、見学でも十分勉強になるのね」

「あとでフィーアを貸してよ。女子寮じゃ組手のできる相手がいなくて退屈してたんだ」

「いいわよ。フィーアも運動したがってたし」

 

 戦闘訓練に参加できないのはフィーアも同じだ。いくら有能でも、私の後ろに付き従ってるだけじゃ彼女の体もなまってしまう。クリスはちょうどいい訓練相手だ。

 

「あ、あの……よろしいですか?」

 

 おずおずとシュゼットが私たちの会話に入ってきた。

 

「さきほどのお話ですと、クリスティーヌ様が女子寮で騎士訓練をされる、ということになりますけど……」

「そうだよ」

「ど、どうして?」

「趣味だ!」

 

 にこっ、とクリスは屈託なく笑った。

 

「ハーティアの妹姫様はお体が弱く、離宮の奥でひっそりとお暮しあそばれている、と伺っていたのですが……?」

「それは何年か前までの話だな。13の時にヴァンと婚約してクレイモアに移り住んだのをきっかけに、剣術と馬術を始めたんだ」

「ええええぇぇぇぇ………」

 

 シュゼットは目をぱちぱちと瞬かせている。

 でもこれは当然の反応だ。『クリスティーヌ姫』は確かに深窓の姫君だったから。去年の女子寮でも、自由に行動するクリスを見て生徒たちがパニックになっていた。私だってヴァンとクリスの入れ替わりを知らなかったら、彼女と似たような顔をしてたと思う。

 

「どっちも楽しいぞ。シュゼットもやってみるか?」

「いいいいえ、た、多分私には無理です。あの……剣術を学ばれて、婚約されているシルヴァン様は、ご心配なされないんですか?」

「全然! むしろ剣を振ってない方が心配されるな」

「……」

 

 ついに、感嘆の声をあげることもできなくなったらしい。シュゼットは絶句してしまった。

 

「あそこは騎士の家だから、いろいろとおおらかなんですよ。あまり深く考えないことです」

「……そう、なんですか」

 

 言葉は肯定しているけど、シュゼットの顔は『理解できない』とでも言いたげに引きつっていた。私も大概規格外だけど、クリスの脳筋キャラも規格外だからなあ。

 

「それより、授業が始まるみたいだぞ」

 

 校舎からシンプルな運動着に着替えた生徒たちがぞろぞろ出てきた。騎士科は去年から持ち上がりなので、メンバーは見知った者がほとんどだ。銀髪コンビに金髪の王子様。彼について歩くアッシュブラウンの側近などなど。そこにキラウェアからの留学生らしい生徒が何人か混ざっている。

 

「あら……?」

 

 参加メンバーを見ていたシュゼットが首をかしげた。

 

「どうしました?」

「ユラがいませんわ。彼も騎士科の訓練を受けるはずなのに」

「……っ」

 

 要注意人物が予定通り行動していない、と聞かされて後ろに立っていたフランの気配が緊張する。探しに行くべきか、私も腰を浮かそうとした時だった。

 

「もう授業が始まりますよ。急いでください」

「愛しい人との逢瀬が名残惜しくて」

 

 セシリアが、ユラと手をつないで現れた。




次の更新は12/06です!


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聖女と厄災

 ベンチに座る私たちの前に、ストロベリーブロンドの美少女と黒髪和風美青年がやってきた。彼らは仲睦まじく手をつないでいる。しかもただの手繋ぎじゃない。指と指をからませる、いわゆる『恋人繋ぎ』というやつだ。

 

「御託はいいですから、いいかげん手を離してください」

「はあ……僕の手はまだあなたのぬくもりを感じたがっているんだけど」

「私の手は解放されたがっています。離して」

 

 セシリアがじろりと睨むと、ユラはやっとセシリアの手に絡ませていた己の手をほどいた。それから私たちに目を向ける。

 

「おや、この授業は女子の見学が許されているのか。いいなあ……私もあんな風に見守られていたら、『おとなしく真面目に』授業が受けられる気がするんだけどなあ」

「……さっさと行きなさい」

「えー」

「そこで見てますから」

「ありがとう、愛しい人」

 

 ちゅ、とセシリアの手にキスするとユラは上機嫌で男子生徒に混ざっていった。その姿を見送ってから、セシリアは大きなため息をつく。

 

「あああああもうあの男は……」

「だ、大丈夫? セシリア」

「疲れました……」

 

 ベンチの端をあけると、セシリアはぐったりとそこに座り込む。

 

「何があったの」

「研究棟の奥に入り込もうとしていたので、阻止していました。手をつないで案内してくれないと、訓練場に戻れないと駄々をこねられて……」

 

 それであの恋人繋ぎになったらしい。

 ユラがこの学園に現れてから、新たに加わった日常のひとつがこれだ。甘い言葉を囁きながら挑発するユラに、キレて追いかけるセシリア。ユラの正体が正体なだけに、無視することもできず、セシリアはずっと振り回されっぱなしだ。

 

「あの者はまた……! 女子生徒に何度もからむなんて、私のほうから処罰しましょうか?」

「いいえ……目の届かないところに行かれると、かえって困りますので……」

 

 憤慨するシュゼットをセシリアが止める。

 何せ相手は規格外の魔力を持つ規格外な存在だ。カトラスでは魔力だけの力技で何十人もの人間を消し炭にしたこともある。こんな危険人物を下手に放り出すわけにはいかない。同レベルの規格外な力をもつセシリアが監視して動きを封じるのが最適解だ。

 そのはずなんだけど。

 ユラのほうは、どうもこっちの事情をわかった上で、セシリアを連れまわして喜んでるっぽいんだよなあ。

 君たち宿敵同士なんじゃないのか。

 ユラが甘いセリフを吐くたびに、セシリアのストレスがたまっていくから、嫌がらせとして最適解だとは思うけど。

 

「彼と約束してしまいましたし、私もここで訓練を見学していきます」

「お疲れ様、ゆっくり休憩していって」

 

 はあ、とセシリアがもう一度ため息をつく。

 助けてあげたいけど、ユラの力は一般人では太刀打ちできない。うちの優秀な魔法使いジェイドが魔力勝負でかろうじて対抗できるかどうか、ってところだ。それだって魔力勝負に限った時だけの話で、そこに規格外の身体能力まで加わったら、確実に負ける。

 今のこの平穏は、ユラの気まぐれとセシリアの努力で成り立っている。悔しいことに。

 

「せっかくだから、セシリアも一緒に訓練を分析しよう」

「それもそうですね……」

 

 クリスの提案にセシリアが頷く。

 

「セシリアさんも、剣術を学んでいらっしゃるの?」

「いえ……経験はありません。ですが、だいたいのことは見れば真似できますから、この機会に覚えておきましょう」

「えっ」

「あの男に対抗するには、物理手段を身に着ける必要があります」

 

 生徒たちを見るセシリアの緑の瞳には暗い光が宿りつつある。

 やばい、結構本気だ。

 もともとひきつっていたシュゼットの顔が、さらに引きつる。

 

「ハーティアって実はすごくワイルドなお国柄なんでしょうか……?」

 

 しまった、否定できねえ!




次の更新は12/08です!


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騎士物語

「始めるぞー」

 

 教師の号令で騎士科の訓練授業が始まった。

 キラウェアからの留学生も交えた生徒たちは整列して、教師の指示に従って体を動かし始める。彼らは一糸乱れぬ姿で剣の型をなぞっていく。

 それを見てシュゼットは目を輝かせた。

 

「まあ……剣術の訓練を見たのは初めてですが、そろって剣を振る姿は美しいですわね」

「今訓練しているのは二年生だからな。型を熟知しているぶん、全員でそろえやすい」

「一年のときは、全員で同じ動きをするだけでも苦労してたもんねえ」

「各家でそれぞれ訓練を受けていても、学校の授業はまた別物だ」

 

 見ているうちに、型の稽古は終わったらしい。

 彼らはグループに別れると、模擬剣を使って打ち合いを始めた。実戦に近い形式のせいか、あちこちで剣のぶつかる鋭い音が響きはじめる。

 

「先ほどの型の訓練は、剣を振る姿で良し悪しがわかりましたけど……、こんな風にばらばらに戦っていると、誰がどう強いのかはわかりませんわね」

「評価しようと思ったら、見る側にもそれなりの経験が必要ですからね。私も大まかな腕はわかりますけど、細かい評価は無理です。クリスくらい経験がないと」

「クリスティーヌ様から見て、彼らの中で誰がお強いんですか?」

 

 シュゼットが尋ねる。彼女は深い紫の瞳で稽古する少年たちを見つめた。

 

「この学年なら、ジャスティン、カイル、ベルモード……オリヴァー王子も強いほうだが、覇気がちょっと足りないかな。あと身内びいきになるかもしれないが、ヴァンとケヴィンも実力を上げてきたと思う」

「夏休み中、みっちりしごかれてたもんね」

「しかし、何といってもヘルムートだな。彼は他の生徒たちより頭ひとつぶん抜けて強い」

 

 クリスはいつも王子に付き従う、アッシュブラウンの生徒の名前を挙げた。

 

「まあ……彼が?」

 

 意外だったんだろう、シュゼットが目を丸くする。ヘルムートの仕事は王子の後ろに立ち、常にサポートすることだ。彼自身が注目されることはあまりない。

 でも私たちが目を向けた先で、ヘルムートは自分より体格のいい生徒をいともたやすく打ち負かしていた。よくよく見れば、周りの生徒に比べて彼の太刀筋がひと際鋭いことがわかる。

 それもそのはず、彼だって攻略対象のひとり。聖女の伴侶となる可能性のある勇士のひとりだからだ。

 ヘルムートのルートを一言で表すなら『騎士物語』だ。

 彼の実家ランス伯爵家は、クレイモアと並ぶ騎士の名門だ。西の国境を守ると同時に、多くの騎士を排出し王国騎士団を支えてきた。代々伯爵家の男子は国境警備の任につく前に王国騎士で修行する習慣があり、ヘルムートの兄、次期ランス家当主も数年前から王国騎士第一師団に入っている。ゲームではこの時に汚職騎士マクガイアに取り込まれ、自身も汚職に手を染め王妃派の傀儡となっていた。犯罪者となった兄を告発しランス家と騎士団を正常化するのがヘルムートルートのメインテーマだった。

 

 そんなルートはとっくの昔に全部消し飛んでいるんだけどね!

 

 五年前に宰相閣下が告発したことにより、マクガイアは失脚。最強騎士ハルバード侯爵が第一師団長に就任して、騎士団は正常化してしまった。ヘルムート兄の入団はその後なので、汚職関わるタイミングなんか存在しない。王妃派になるどころか今ではすっかり父様の忠実な部下だ。ランス伯が彼に代替わりしたら、現存する勇士七家は全て宰相派になってしまうだろう。

 結果、ヘルムートは活躍の機会を失い、ただ日々を王子の腰巾着として過ごしている。

 兄になりかわりランス家当主になるチャンスが消失したのはかわいそうだけど、もともと彼は次男だ。立身出世はどこの貴族家の少年でも負う苦難である。王子の側近としてチャンスが与えられているぶんだけ、他より恵まれているだろう。

 だから、彼には王子の側近として頑張ってもらいたいんだけどね。

 去年の学年演劇の事件での様子を聞いた限り、かなり努力しないとだめっぽい。いくら勇士七家が頑張っても、王室関係者がしっかりしないと結局国が病んでしまうので、頼むからしっかりしてほしい。

 

 そう思いながらヘルムートを観察していると、彼の動きがおかしいことに気が付いた。

 

「リリアーナ様、騎士の訓練は厳しいと伺っておりましたけど、あのように激しく切り結ぶものなのですか?」

 

 シュゼットが不安そうに私を見上げてきた。

 

「いえ……ヘルムートのあれはちょっと激しすぎる気がします」

「相手の実力にあわせた動きをしてない。あのままじゃ怪我人が出るぞ」

 

 彼の戦いぶりに、クリスも眉をひそめる。

 案の定、教師がヘルムートたちの間に入り、指導を始めた。何やら説教をしてヘルムートが反論しているみたいだ。はらはらしながら見守っていたら、急に教師がこっちを向いた。

 

「フランドール! 立ってるだけで暇だろ? ちょっと手伝ってくれよ!」

「……俺?」

 

 私たちの後ろでひっそりと立っていた青年が、嫌そうに眉間に皺をよせた。

 




次の更新は12/10です!


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挑発

 実技担当の若い教師は、苦笑しながらフランに声をかける。

 

「ランス家のお坊ちゃんは、騎士科の訓練じゃ生ぬるすぎて話にならんのだと。ここは一度、騎士科のカリキュラムをきっちりこなした卒業生の実力を見せたい」

「そういう生意気な生徒を指導するのがお前の仕事じゃないのか?」

「できなくはないけどさあ、俺じゃいつもと同じ説教になるだろ。たまには新しい刺激もいれないと。同期を助けると思って、手を貸してくれよ」

「……俺は職務中だ」

「シュゼット様の警護っていっても、ここは学園だろ。側にクリスもリリアーナの護衛もいるんだ。ちょっとくらいお前が抜けても問題ないって」

「騎士が職務放棄を勧めるんじゃない」

「頼むよ、後で一杯おごるから!」

「彼の指導は、本当に有益なんですか?」

 

 押し問答をしているフランと教師に、妙に明るい声が割って入った。見ると、黒髪の異邦人がクスクスと笑っている。

 

「いろいろ理由を並べてらっしゃいますが、ただヘルムートに負けるのが嫌で戦いを拒否しているのでは?」

「おい……」

 

 失礼すぎる物言いに、教師の顔色が変わる。私たちのすぐ隣でも、シュゼットとセシリアが顔をひきつらせた。しかしユラは止まらない。

 

「聞けば、フランドール殿は卒業後どこかの領地の補佐官をされていたとか。デスクワークばかりの生活を送って、腕がなまっていらっしゃるのでしょう」

 

 ざわっと生徒たちに動揺が走る。騎士科を優秀な成績で卒業した生徒が、その後職務に追われて腕前を鈍らせるのはよくあることだからだ。実際、フランは卒業後武芸に関わる実績をあげていない。

 フランがミセリコルデ宰相の息子であり、学園の主席卒業生だと知っている生徒たちは表立って何も言わなかったが、視線は疑念を表していた。

 

「先生……もういいです……」

 

 ヘルムートが引き下がる。年上の高位貴族に喧嘩を売るのは得策じゃないって思ったんだろう。でもその声はふてくされていて、全然納得している顔じゃなかった。

 表面上は収まったように見えるけど、これって絶対よくない状況だよね?

 腕に自信のない先輩のために矛先を収めた後輩みたいな構図になってるんだけど!

 勝手にフランの評判を落とさないでくれるかな?

 

「……はあ」

 

 フランが大きくため息をついた。その眉間には深々と皺が寄せられている。

 

「人がおとなしくしていれば、どいつもこいつも好き放題……こっちがどれだけ我慢していると思ってるんだ」

 

 彼は上着を脱ぐと、隣にいたフィーアに渡した。その瞳には凶悪な光が宿っている。

 ここしばらく表には出してこなかった、魔王モードのフランだ。

 

「いいだろう。軽く稽古をつけてやる」

「おお……やってくれるなら、ありがたい。じゃあヘルムートとフランはこっちに来て……」

「そんな段取りは不要だ。ヘルムートひとりでは準備運動にもならん。全員まとめて相手をしてやるから、かかってこい」

 

 あからさまな挑発に、今度はヘルムートの顔色が変わった。

 知らないぞー。

 普段はすました顔をしているから冷静に見えるけど、実は結構大人げないからな、その男。

 

「せ……先生、まとめてかかってこいって……ど、どうすれば……」

 

 まさか数十人もの生徒がひとりに襲い掛かる訓練など、やったことがないのだろう。生徒が怯えるような視線を教師に向けた。しかし教師は楽しそうに笑い出す。

 

「言った通りだ。全員好きな武器を持ってフランに打ち込め。心配すんな、どうせ当たらないから」

「マジで?」

「いやでも武器を好きに選んでいいっていうんなら、ヘルムートは……」

 

 生徒たちの視線がヘルムートに集まる。彼は今まで使っていた木製の片手剣を置くと、木製の模造武器がしまわれた箱から1.5メートルほどの棒を取り出した。槍術の練習用に作られた、模造刀ならぬ『模造槍』だ。

 それを見てまた生徒たちがざわつく。

 ヘルムートの家名は槍。彼らは名前の通り幼いころから槍術を叩きこまれて育つ。

 当然ヘルムートも剣より槍が得意だ。

 しかし、槍が得意なのはヘルムートだけではない。

 フランもまた木製の槍を手にして、軽く構えた。

 

「来い。それとも何か? 騎士科の生徒は腰抜けの集まりか」

 

 フランの台詞を聞いて、生徒のひとりが木剣で切りかかる。それを皮切りに、乱戦が始まった。




次の公開は12/13です!


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槍VS槍

「す……すごいですわね」

 

 訓練場の有様を見て、シュゼットが茫然とつぶやいた。

 そこではフランが騎士科を一方的に蹂躙していた。

 生徒たちはなんとかして一撃いれようと次から次へと襲い掛かっていくけど、全てかわされ全員猫の子のようにいなされる。

 

「うわっ!」

「踏み込みが遅い。ダッシュ10本」

「はあああっ! ……あでっ!」

「無駄が多い。素振り100回」

 

 しかもフランからの反撃には、厳しい一言指導のオマケがついてくる。

 

「次」

「や、やああっ……!」

 

 攻撃を促され、オリヴァー王子がフランに向かっていった。フランは眉一つ動かさず、剣を握る王子の手を槍の腹で叩いた。

 

「ぐっ」

 

 思わず剣を落とす王子とすれ違いざまに、足をひっかけて転がす。王子は顔面から訓練場の地面につっこんだ。

 

「殺す気でこい。今のお前は助言する気にもならん」

「あ……ありがとうございました」

 

 すぐには起き上がれず、よろよろと訓練場の端へと移動する王子からフランが離れていく。そこへ、左右から同時に生徒が襲い掛かった。

 全く同じ色の銀髪コンビ、ヴァンとケヴィンだ。ひとりでは太刀打ちできないと踏んで、即席協力攻撃を編み出したらしい。

 しかしフランはそれを見た瞬間、即座にヴァンへと体ごと向かっていった。

 

「うおっ?!」

 

 体当たりをくらわされてヴァンが吹っ飛ぶ。相棒がいきなり倒され、ケヴィンの思考が途切れた。その一瞬の隙を見逃すフランではない。振り向きざまに槍をケヴィンに叩きこんだ。

 

「わあっ!」

 

 彼らもまた、訓練場の地面に転がされる。フランはふたりまとめて冷ややかに見下ろした。

 

「コンビネーションは悪くない。だが、まだ実力が釣り合ってないな。ヴァンは走り込み30本、体力をつけろ。イメージ通りの動きができるようになれば、化けるだろう。ケヴィンはイメージトレーニングだな。相棒が心配なのはわかるが、戦場で思考を止めればそこで死ぬぞ」

「わかった……やってくる……」

「ありがとうございました……」

 

 ぜい、とふたりは息をついているけど、フランは涼しい顔をしている。まだまだ体力が余ってるみたいだ。

 

「お願いします」

 

 ヘルムートが槍を構えてフランに声をかけた。それを見て、フランはだらりと手を降ろした。一応まだ槍を手に持っているけど、構えを解いた状態だ。

 

「な……」

「来い。この程度のハンデはくれてやる」

「バカにして……!」

 

 ヘルムートは、槍を振ってフランに突っ込んでいった。

 しかし渾身の一撃はあっさりかわされる。

 

「挑発で思考を単純化させるな」

「単純化など……!」

 

 二撃、三撃、とふたりは槍で打ち合う。今まで一撃で沈められてきた他の生徒に比べて、各段に高度な応酬だ。だけど、どちらが強いかは傍目にも明らかだった。

 うまくさばいているように見えたヘルムートの槍がブレ、フランがその肩をしたたかに打ち据えた。

 

「左右のバランスが悪い」

 

 次は脇腹に一撃。

 

「体幹が弱い。槍に振り回されるな」

 

 さらに脛を叩かれて、ついにヘルムートはがくりとその場に膝を折った。

 

「足さばきが遅い。もっと速く動け」

「ぐっ……!」

「全体的に基礎が荒い。まずは騎士科の授業をすべてこなせ。応用はそれからだ」

「わかり……ました……。ありがとうございます……」

 

 足が痛くて立てないらしい。ヘルムートはその場に座り込んでしまった。

 

「治療が必要な場合は、一旦訓練場から出て……」

 

 ヘルムートを立たせるため手を出そうとしたフランは、突然背後に向かって槍を振りぬいた。とっさの一撃を受けて、ユラが吹っ飛ばされる。ヘルムートに意識を向けたその隙に背後から襲い掛かったらしい。

 

「……っ!」

 

 セシリアと私が同時に息をのむ。

 フランの槍が間に合ったからいいものの、あと一瞬でも遅かったら木剣が頭を直撃していた。

 

「……隙をつく戦法は悪くないが、もう一歩踏み込んだほうがよかったな」

「ありがとうございま~す」

 

 他の生徒同様に地面に転がされたというのに、ユラはけろりとしている。フランはため息ひとつつくと、他の生徒の指導へと向かっていった。

 

「強いとは聞いていたが、すさまじいな……」

 

 観戦していたクリスがほう……と息を吐いた。

 

「踏んだ場数が違うもの。学生じゃ相手にならないわよ」

 

 なにせ、学園卒業後に暗殺者から命を狙われたのを皮切りに、悪代官をこらしめたり、暴走した獣人と戦ったり、と何度もヤバめな実戦を経験しているのだから。その上最強騎士のお膝元ハルバード城で騎士たちを統率していた実績もある。学生どころか一般の現役騎士より格段に強い。

 

「ずいぶん、フランドール様のことにお詳しいんですね」

 

 シュゼットがまた不思議そうに私を見てきた。

 

「私が領主代理をしていた三年間、補佐官を務めていたのは彼ですからね」

「え」

 

 私の隣でクリスが『そんなことバラしていいの?』って顔をしたけど気にしない。フランがハルバードの補佐官をしていたのは公的に記録された事実だ。下手に隠したほうが、邪推される。だから私は素知らぬ顔で説明を加える。

 

「彼は私にとってもうひとりの兄のようなものです」

「そうなんですね……」

 

 しゅん、となぜかシュゼットは下を向いた。

 

「せっかく、アテンドについていただいているのに……私は知らないことばかりです。フランドール様のことも、リリアーナ様のことも」

「そのことなんだけどさあ……」

 

 今日何度目かのシュゼットのびっくり顔を見た私は、思い切って疑問をぶつけることにした。

 

「シュゼットは私を何だと思ってるわけ?」




次の更新は12/15です!


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お友達の作り方

「え……リリアーナ様は……リリアーナ様、ですわよね?」

 

 問いの意味がわからなかったのか、シュゼットはきょとんとした顔になった。

 

「まあそれはそうなんだけど、シュゼットは私のことを『次期王妃』ってラベルづけして見てるよね」

「だって、それは……」

 

 私はシュゼットの反論をわざと無視する。

 

「確かに私は王子と婚約してるから、次の王妃になる可能性は高いわよ。でも、まだ婚約状態で結婚したわけでも、彼が王位を継承したわけでもないじゃない。途中で婚約が解消されたり王子が廃嫡される可能性だってあるわけよ」

「ええ……」

「それに私を構成する要素って、王子だけじゃないわよね。

 私は勇士七家の流れをくむハルバード侯爵家の長女で、第一師団長の娘で、ハルバード領の領主代理だった。今は王立学園女子部の二年生。東の賢者の弟子でフィーアとジェイドのご主人様で、それからフランの友人で、クリスの友人で、セシリアの友人でもあるの。あなたは私っていう人間を作る王妃以外の面をちゃんと見ようとした?」

「そ……それは……」

 

 反論しようとするシュゼットの唇が震える。そんなこと、思いもしてなかったんだろう。

 

「ここは王立学園で、あなたは国の名前を背負ってやってきた留学生だから、身分を完全に無視することはできないわよ。でも、見るべきことはそれだけかな? 学生としての私とか、ただの女の子の私って意味ないかな?」

 

 私がずっとシュゼットに抱いていたモヤモヤの正体はこれだ。彼女は筋金入りの箱入り娘で、世間知らずだ。事前に仕入れた情報以上のことがたくさん転がっている現実に、全く気付いてない。次期王妃しかり、アテンド役しかり、既にカテゴリに入れてしまった人物にどんな面が隠されているのか、何も想像していない。

 それゆえに、王立学園に留学しておきながら、次期王妃と仲良くなることしか考えていないのだ。

 

「シュゼット自身だってそうでしょ? キラウェアの王女様だけど、きっとそれだけじゃないよね? 国王の娘だとか、誰かの妹だとか、留学生たちの友達だとか、他の面はいっぱいあるわけでしょ。でも、王女として接してこられたら、私だって王女として扱うしかできなくなっちゃう」

「あ……!」

 

 自分のうかつさに気づいたのか、シュゼットはかあっと顔を赤くした。

 

「そ、そうですわ……リリアーナ様は王子妃である前に、誰かの子供で……友達で……ひとりの人間なのに」

 

 私はシュゼットに改めて手を差し出した。

 

「ねえ、王立学園女子部二年のシュゼットさん? 私は王立学園女子部二年のリリアーナっていうんだけど、お友達にならないかしら?」

 

 我ながら、この行動は軽率な気がする。

 相手が私をただ『次期王妃』だって見るのなら、私だってシュゼットを『お姫様』として扱って他の一切を無視することもできる。あの王妃の姪ってことを考えたらそのほうが安全かもしれない。

 でも私が今ここで友達に囲まれながら学生生活を送れるのは、誰も見捨てなかったからだ。キラウェアのお姫様だからって、シュゼットをこのまま見捨てるのは何かが違う気がする。

 

「リリアーナ様……! よ、よろしく、お願いしますわ」

 

 シュゼットはおずおずと手を握り返した。私も彼女の手を握る手に力をこめる。

 

「様なんてつけずに、リリィでいいわよ。こっちも敬語はやめるし」

「そうさせてもらいますわ……」

 

 シュゼットは大きく息を吐いてうなだれた。

 

「リリィって、実はかなり砕けた方でしたのね……」

「砕けたどころか、仲間うちでは結構口が悪いぞ」

 

 クリスが笑顔でいらない一言を付け加える。

 

「生き方自体がフランクすぎるクリスに言われたくないわよ!」

「はっはっは、どうせ王家から離脱するのは決まってるからな。好きに生きるさ。というわけでシュゼット?」

 

 はい、とクリスもシュゼットに手をさしだす。

 

「この学園は、リリィと友達になるためだけにあるわけじゃないと思うんだが、どうかな?」

「よ、よろしくお願いします。ええと……クリス、でよいのかしら」

「それでいい。長ったらしいのは嫌いだ」

 

 クリスはいつものように明るく笑っている。こういう時、彼女の屈託のない性格はありがたい。

 

「特別室組の生徒以外にも、おもしろい子はたくさんいるから、彼女たちとも仲良くなるといいわよ。オススメはツンデレな商人の娘かなー」

「また王族? とか言って、あっちもプルプルしてそうだけど」

「いいんじゃない、商売のチャンスってことで」

「わ、私がんばります!」

「うん、一緒にやっていこうシュゼット」

 

 私たちは、ただの友達みたいに笑いあった。

 




次の更新は12/17です!


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幕間:首輪つきの悪魔(セシリア視点)

「ちょっと来なさい……!」

 

 騎士科の訓練授業が終わると同時に、私はユラを空き教室に引っ張った。人がいないのを確認してから、ドアを閉める。

 

「これはこれは、熱烈な逢瀬のお誘いだね」

「違います! あなた、何を考えているんですか!」

「ああこれ?」

 

 ユラは運動着の首元をくつろげた。

 白くほっそりとした首には、茨をモチーフとした銀のチョーカーが巻き付いていた。そこから胸板に向けて黒々とした呪いの模様が広がり、あちこちからじくじくと赤黒い血がにじみ出している。

 

「君から直接静止の命令を受けたのは初めてだったけど、効果絶大だね」

「そう思うのなら何故、あんなことを……!」

 

 彼に呪いが発動したのは、訓練の最中だった。ヘルムートに気を取られた一瞬、この男は本気で殺すつもりでフラン様に斬りかかったのだ。私がチョーカーを通して呪いを発動させ、動きを止めなかったら彼は絶命していただろう。

 

「ちょっとしたイタズラ心? 一度呪いの効果を見てみたかったし」

「それが好奇心でやることですか」

 

 相変わらずこの男は何を考えているかわからない。

 

「そういえば、痛覚を操作できるのでしたね。自分の体が壊れようがどうなろうが、問題ない……」

「いやいや、今はちゃんと痛覚をオンにしてるよ。君から与えられた苦痛だよ? ひとつひとつ、全部味わっておかなきゃ」

「はあ?」

 

 驚く私に、ユラはずいっと顔を近づける。

 

「だいたい、このチョーカーを作ったのは君でしょ。実際にどんなことが起きるのか、確かめておかなくちゃいけないんじゃないの」

「そんなの……本当に使うつもりじゃ……!」

 

 確かにチョーカーの製作者は自分だ。

 学園に突如現れたユラの行動を制限するため、自分の命令に絶対服従する道具があれば便利だと思って設計した。今まで蓄積した知識を使い、去年ユラがアイリスに与えた残酷な呪いの道具までも参考にして作り上げた品だ。

 しかし、物は作っても本気で使うつもりはなかった。

 こんな道具を作ったところで、ユラが身に着けなくては意味がないからだ。

 学園の工房でチョーカーを完成させ、我に返って廃棄しようとした瞬間、横から伸びてきた手がひょいとそれを掴み上げた。ユラの手だ、と思った時には遅かった。彼は私が止める間もなくそのチョーカーを自分の首に巻いてしまったのだ。

 

「だって君が僕のために作ってくれたアクセサリーだよ? 僕を想い、僕のことだけ考えて作ったチョーカーなんて、つけずにいられるわけ、ないじゃない」

「それがどれだけ苦痛を与えるものか、わかってるんですか?」

「わかるよ。実際に今、苦しめられてるからねえ」

 

 クスクスとユラは笑う。

 

「だいたい君も知ってるでしょ? 僕がどんな存在か。君が女神の力の端末であるのと同様に、僕は厄災の神の端末だ。この程度じゃ死なない」

「う……」

「僕を殺そうと思ったら、五寸刻みに刻んで、更に灰にするくらいしなくちゃ。それだけやっても、また別のところに別の端末が産まれるだけだけどさ」

 

 ユラの言葉は正しい。

 正しすぎて吐き気がする。

 

「この程度の呪いで震えるくらいなら、やめちゃえば? 僕に任せてくれたら、女神の力でいびつに歪んだ世界を全部なくしてあげるよ。君だってそっちのほうが楽なんじゃない?」

「だ、ダメ、です……それは……!」

 

 今まで生きてきた16年の間に、新しい兄たちと大事な友達ができた。なくせないものが数えきれないほどある。ユラを好きにさせたが最後、それらは全て消えてしまうだろう。

 

「だったら、戦うしかないね」

 

 ちゅ、とユラが私の頬にキスした。

 漆黒の目が楽しそうにきらめく。

 

「いつかちゃんと殺してね、聖女様」

 

 教室から出ていくユラを、私はただ見送ることしかできなかった。

 




次の更新は12/20です!


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お姫様は成長期

 訓練場の一件から一か月、私たちの学園生活は表向き平穏に続いていた。

 フランが時々騎士科の訓練に混ざってストレスを発散していたり、クリスがセシリアを巻き込んで女子寮で鍛錬してたり、シュゼットが特別室以外の女子のお茶会に出入りし始めたりしてるけど、大きな事件にまでは発展していない。

 心配事といえば、相変わらずセシリアがユラに振り回されてることくらい。今日も、学園のお休みを利用して朝からユラと待ち合わせているらしい。

 

「行動だけは、つきあいたてのカップルみたいなんだけどな……」

 

 私は特別室のサロンでぬるめのお茶を飲む。

 助けてあげたいけど、ユラのちょっかいが絶妙に学園規則に反しないせいでうまく手がだせない。ちょっとずつ顔色が悪くなっていくセシリアをはらはらしながら見守るしかない状況だ。

 ぼんやり考えていると、サロンのドアが開いてシュゼットが入ってきた。

 

「ごきげんよう」

「おはよう、シュゼット。これからおでかけ?」

 

 私がそう尋ねてしまうのは無理もない。今日の彼女は制服を脱ぎ、頭の先からつま先まで、完璧にドレスアップしていたからだ。

 

「ええ。ミセリコルデ宰相閣下のお招きで、王宮の見学に参りますの」

「へえー、それはすごいね」

 

 私たちを単なる王子妃や姫君として見なくなったシュゼットは、めきめきと頭角を現し始めた。若干十六歳でハーティアに乗り込んでくるくらいだから、元々素養があったんだと思う。視野を広く持ち、相手をまっすぐとらえる、ということを覚えた彼女は、あっという間に学園内での人脈を広げた。今となっては、トンデモ侯爵令嬢として恐れられている私より、よっぽど友人が多い。

 宰相閣下との見学会も、彼女自身の手腕によるものだろう。

 

「今日は王宮で噂の、『武器検出ゲート』を見せていただく予定ですわ」

「魔力隠蔽を全部無視して武器を見つける装置ね」

 

 武器検出ゲートとは、現代日本の空港なんかに置いてある金属探知ゲートだ。何年か前にケヴィンの婚約者騒動で活躍した金属探知魔法が元になっている。ほぼ趣味で作ったようなものだったんだけど、その有用性に目をつけた兄様が汎用装置として開発。王宮や関所など、重要施設の警備システムとして導入されることになったんだっけ。

 金属探知機のセンサー部分を魔法使いが肩代わりすることで誕生した技術だけど、他が発展してないのに金属探知だけピンポイントで実現してるのは、不思議な気分だ。

 

「あの装置を作ったのも、リリィなのでしょう?」

「私はアイデアを出しただけよ。術式を完成させたのはジェイドだし、システムとして王宮に売り込んだのは兄様よ」

「やっぱり! あなたが発端でしたのね」

「んん?!」

 

 妙な言い回しに、私は顔をあげた。

 

「シュゼット、あなた友達にカマかけたわね?」

「ちょっと確証がなかっただけですわ。だいたい、この国の革新的な新技術の出どころといったら、ハルバード家出資のアール商会ではないですか。今更何を隠し立てしているのだか」

「うう……シュゼットが鋭いよぉ……」

「念のため伺いますが、装置の原理をご教授いただくことはできませんの?」

「それはダメ。手品の種を明かさないのがハルバードの流儀……っていうか、国防に関わる技術だから教えられない」

「でしょうね。せいぜい装置の性能を見てびっくりしてくるとしますわ」

 

 なんか、ここ一か月でむちゃくちゃたくましくなってないですか、お姫様!

 

「下に馬車を待たせているので、そろそろ行きますわね」

「うん、行ってらっしゃい」

「……それと」

 

 シュゼットはサロンを横切って階段側のドアを開けてから、こちらを振り返った。

 

「フラン様にエスコートしていただきますけど、他意はありませんから心配なさらないでね」

「ふぇっ……? 何の話?!」

「改めて徹底的に情報収集した結果、王宮の勢力図はほぼ把握しましたの。だから、宰相閣下がご子息を誰と結婚させたいとお考えになっているかも、存じ上げておりましてよ」

「ちょ……シュゼット……!」

「行ってまいりますわね」

 

 にっこり笑って、シュゼットは階段を降りていった。

 訓練場で話したあの時、シュゼットがいい方向に成長できたらいいな、とは思ったけど! ちょっと成長しすぎなんじゃないですか?!

 相変わらず自分の恋心ばっかり周りに見透かされてるのが恥ずかしすぎるんだけど!

 

「ああもう……穴があったら入りたい」

 

 人がいないのをいいことに、ソファで行儀悪く膝を抱えて体育座りをしていたら、階段のほうからぱたぱたと足音が近づいてきた。

 

「シュゼット、忘れ物でもした?」

「リリィ様!」

 

 しかし、入ってきたのはセシリアだった。その顔は今にも泣きそうだ。

 

「ユラを見失ってしまいました……」

 

 なんだって?!




次の更新は12/22です!


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行先不明

「見失ったって、どういうこと?」

 

 自室で休憩中だったフィーアも加えて、三人で女子寮の階段を降りながらセシリアに尋ねた。彼女は青い顔で説明を始める。

 

「研究棟の薬品に悪戯しない、という約束で今日は図書室につきあうことになっていたんです。しかし、時間になっても彼が現れなくて」

「ユラのきまぐれはいつものことじゃない?」

「彼は思い付きでバカな提案はしますが、私との約束は破らない……というより、破れないはずなんです。不審に思って辺りを探しても見つからず、学園全体を魔力で探知したのですが、彼を発見できませんでした」

「この広い学園全部を探知したんだ?」

 

 なんかさらっとすごいこと言われた気がするんだけど。

 まあ、相手はセシリアだし、やろうと思えば本当にできるんだろう。

 

「彼はこの学園の敷地から出ない、という約束をしています。それが破られた気配はないので、どこかにはいるはずなのですが」

「ユラが本気で逃げ隠れしているのなら、厄介ね。セシリアが見つけられないものを、一般人が見つけたりできないわ」

 

 女子寮を出て、研究棟に足を向ける。

 

「まずはジェイドに協力させましょ。探知能力だけならセシリア以上だもの」

「そうですね……」

 

 急ぎつつも、淑女の品位を保ちながら廊下を急ぐ。校舎のすぐそばまで来たところで、見慣れた銀髪の少年少女と出くわす。ヴァン、ケヴィン、クリスの銀髪トリオだ。

 

「セシリア、リリィ!」

 

 三人は私たちを見るなり声をかけてきた。

 

「みんなそろってどうしたの?」

「どうしたのはこっちの台詞だよ」

 

 ケヴィンが珍しくむっとした顔で答える。

 

「セシリアが血相変えて走っていくから、気になって追いかけてたんだ。何かあったの?」

「それ……は……」

 

 セシリアが視線をさまよわせる。

 何かあったといえばあったんだけど、ユラがいなくなったとストレートに伝えていいものか。状況を説明しようと思ったら、ユラに関する全てを話さなくてはならなくなる。

 しかしユラとセシリアの事情は聖女の事情だ。

 

「ったく、こいつらは……クリス!」

「了解」

 

 ヴァンが言うと、クリスはがしっと私とセシリアに腕を回した。右にセシリア、左に私、クリスは片腕ずつで私たちをホールドしてしまう。

 

「連れていくぞ」

「わかってる」

「え、ちょっと、クリス? はなしてよ!」

「だーめ。今自由にしたら、ふたりとも逃げるだろ」

「だからって……」

 

 ずるずると否応なく引きずられる。

 これがただの襲撃者なら、フィーアがすぐに割って入るけど、相手はクリスだ。どう手を出していいかわからず、フィーアもおろおろと私たちを見守るしかない。

 

「いいから来いって」

 

 強引に連れていかれた先は、ディッツの研究室だった。三人は私たちをいつものソファに座らせると、自分たちも向かいに座る。

 

「さて、全部吐いてもらおうか?」

 

 何を?




次の更新は12/24です!


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踏み込むべき一歩

 私とセシリアのふたりをソファに座らせると、ヴァンは不機嫌そうにこっちを睨んできた。

 

「お前らがユラのことで何か秘密を抱えてるってのは、もうわかってんだよ」

 

 ケヴィンも穏やかな彼にしては珍しくしかめっ面だ。

 

「たとえ友人であっても話せないことはある。僕らにも明かせない秘密はあるからね。だから、君たちのことには触れないようにしてたんだけど、もう限界なんじゃないかな?」

「う……」

「実際、どうにもならなくなって、困ってんだろ?」

 

 そう言われるとぐうの音も出ない。

 私たちはユラを制御しきれなくなって、見失ってしまった。セシリアは真意を探ろうとしていたけど、それもわかっていない。

 完全な手詰まりだ。

 それは、ユラの強大な力のせいでもあるし、シュゼットや他のことに気を取られて調査しきれなかった私たちのせいでもある。

 クリスがぽんと私たちの肩に手をのせる。

 

「確かに私は考えることが得意じゃない。でも、ふたりのためにできることはゼロじゃないと思ってる」

「別の角度から考えたら、答えが出ることだってあるよね」

「ぐじぐじ考えてねーで、俺たちを巻き込んで頼れよ」

 

 そう言ってもらえるのは嬉しい。

 でもこの問題は……。

 

「わかりました。話し……ます」

「セシリア?」

 

 迷う私の隣で、セシリアが決断した。

 

「リリィ様も新学期が始まった時に言ってたじゃないですか。私もこれからは頼れる仲間を作っていくべきだって。ここが、仲間を作るチャンスだと思うんです」

 

 いつも泣きそうな顔でうろたえていたセシリアは、きっと顔をあげる。

 

「彼の事情を話しても、それでも明かせない秘密はまだあります。どうしても言えないことだって……それでも、頼っていいですか? 助けてください、って言っていいですか?」

 

 セシリアの問いに、三人は頷く。代表してヴァンが言葉をくれた。

 

「いいぜ、話せよ」

「ありがとう……ございます」

 

 セシリアは大きく深呼吸してから、ユラの本当の素性を口にした。

 

「……ユラの本名はユラ・アギト。アギト国の第六王子です」

「はあ?! アギトの王子?」

 

 アギトのスパイくらいは予想してても、王子だとは思いもよらなかったらしい。ヴァンが声をあげた。ケヴィンも目を丸くする。

 

「ええ……王族をスパイとして敵国に送り込んできてるの?」

「いやでも、六番目なんだろ? 継承権が低い捨て駒だと考えればアリなんじゃないのか」

「アギト国は末子相続の文化だから、次期国王はユラよ」

「マジで?!」

 

 再びヴァンが声をあげた。

 

「国王どころか、国内で一番権力を握ってるのはユラでしょうね」

「それはおかしくない……? そんな重要人物、今ここで処刑されたら国が大混乱だよね」

 

 ケヴィンも信じられないようで、目を丸くしている。セシリアがふう、と疲れたため息をついた。

 

「処刑されない自信があるんですよ」

「劇場にすし詰めにされていた観客数十人を、魔力だけの力技で消し炭に変えたことがあるからね。並の騎士じゃ戦う前に消されて終わりよ」

「なるほど……だからいつもセシリアが一緒だったんだね。他の生徒に手出しさせないために」

 

 こくん、とセシリアが頷いた。

 

「でも、これはチャンスなんじゃねえのか?」

 

 ヴァンが眉をあげる。

 

「留学直前になって、あいつをねじこんできたのは王妃なんだろ? うまくすれば、アギトのスパイを送り込んだ国賊として、王妃個人を告発することが……」

「それは無理」

 

 彼の提案を私はすっぱり切って捨てた。

 

「さっき、セシリアが『それでも明かせない秘密がある』って言ったでしょ。私とセシリアは、ユラがアギトの王子だって知ってるけど、何故そんなことを知っているのか、明かすことはできないのよ。そんなことをしたら先にセシリアの人生が終わるわ」

「ユラと王妃を告発するには、別の証拠が必要。そういうことだな」

 

うむ、とクリスが頷く。

 

「令嬢ひとりの人生と国とどっちが……とは言えないよね、ヴァン?」

「わかってるよ」

 

 ヴァンは惜しそうにしながらも頷く。

 

「まず当面の問題は、ユラの行方ね」

 

 私はふう、と息を吐いた。その隣でセシリアがぎゅっと拳を握る。

 

「ユラが留学してきてから、ずっと一緒にいましたけど、彼が何を考えているのかさっぱりわかりませんでした。何をしたいのかも……」

「なら、これから推理してみようぜ。俺たちで」

 

 ヴァンがにやっと笑った。

 

「うーん、推理で結論が出るかな……」

「この中で一番トラブル経験があるのはリリィだろ。今までどうしてきたんだ」

 

 うっ。

 さすがヴァン。的確に痛い所をついてくる。

 

「そ、そーいう考える仕事はフランの担当だったから……」

「あいつはお前を甘やかしすぎだ」

 

 これは甘えじゃなくて、適材適所だと思うの!




次の更新は12/27です!


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文殊の智慧

「まずは、ユラの行動分析だな……」

「セシリア、申し訳ないんだけどユラの行動について思い出してもらっていいかな?」

「は、はいっ!」

 

 ケヴィンに問われて、セシリアが背筋を正した。

 

「ユラはいつも君になんて声をかけてた?」

「……実は、ユラから声をかけられることは、少なかったです。大抵彼が何か悪質なイタズラを仕掛けようとしているのを見つけて、私が注意していました」

「イタズラをして話しかけさせるって、構って野郎かよ」

 

 ヴァンが嫌そうな顔になる。ケヴィンが苦笑した。

 

「それはある程度当たってるんじゃないかな。彼はセシリアに声をかけられると、嬉しそうにしていたから」

「うう……」

「注意したあとはどう? あの性格だと反省はしなさそうだけど」

「確かに自分を顧みるようなことはありませんでしたね。私が注意すると、いつも決まって『イタズラはやめるから、ひとつお願いをきいてほしい』とワガママを言ってました」

「君はそれを聞いていたの?」

 

 こくん、とセシリアが頷く。

 

「とんでもないワガママなら拒否しましたけど、一緒に食事しようとか、どこかを案内してくれとか、他愛もないことばかりだったので」

「そこだけ聞くと、ただのはた迷惑な口説きテクだな」

「実際、一緒に行動していた間は歯の浮くようなことばかり言ってましたよ」

 

 ワガママを言って振り回して、甘いセリフを吐く。それは求愛行動のひとつのようだけど、その結果ユラはセシリアに益々嫌われている。アギト国の主がそんなことでいいんだろうか。

 

「なあ、そのワガママって具体的に覚えているか?」

 

 話を聞いていたクリスが口をはさんだ。考えるのは旦那の仕事、と会議ではいつも静観を決め込んでいる彼女にしては珍しい。

 

「具体的に、ですか?」

「ああ。武道でよくあることなんだが、下手に言葉を分析するより、直接太刀筋を見たほうが、相手の人柄がわかることがある。口では大きなことを言っていても、実は慎重派だったりとかな。ユラは素の言葉をほとんどしゃべらないだろ? 台詞は一旦おいておいて、セシリアに何をさせたかを考えてみたらどうだ」

「確かにそれはアリだな。でもここ一か月のユラの細かいワガママとか……」

「大丈夫です、全部記憶していますから」

 

 セシリアは疲れた顔で笑った。

 

「今回はありがたいけど、記憶力がいいのも考え物ね……」

「いいです、この際自分の能力は最大限利用します」

 

 セシリアは覚悟を決めたのか、ユラのイタズラとワガママを順に紙へと書き出していった。すぐに膨大な量のワガママリストができあがる。

 それを見て、ケヴィンが首をかしげた。

 

「確かに、イタズラはタチの悪いものが多いけど、ワガママのほうは他愛のないものばかりだね」

「イタズラとワガママ、天秤にかけてセシリアが従いやすいようにしてたんじゃない」

「……こうやって見ると、イタズラの手口はバラバラだけど、ワガママはどこかにつきあってほしい、って内容が多いな」

 

 ぽつりとヴァンがつぶやいた。

 そう言われて、改めてワガママリストを見ると、場所の名前が多く記されている。主な目的が食事や休憩だったりすることもあるけど、だいたい場所指定で希望が出されていた。

 

「でも、場所は全部バラバラよね?」

「そうだけど……いや、バラバラすぎねえか?」

 

 ヴァンがはっと息をのんだ。新しく紙を持ってくると、簡単な学園の地図を書く。そこへセシリアが連れ出された場所をひとつひとつ記していった。

 

「中庭……裏道……第二花壇……」

「こうしてみると、学園中を満遍なく連れまわされているのがわかるわね」

「もちろん、機密資料のある研究施設付近は避けられていますけど、これは……分散しすぎていませんか?」

「デートって、場所の好みで行先が偏ったりするものよね? でも一度行った場所にもう一度訪れることはしていない……」

「もしかして、セシリアを連れまわすこと自体が、目的だった?」

 

 ケヴィンの推測にヴァンが首をかしげた。

 

「っていっても、それで何の得が?」

「ちょっと待って」

 

 ざわりと嫌な予感がして私は顔をあげた。立ち上がって、研究室に詰めている魔法使いの助手に声をかける。

 

「ジェイド、あなたに預けていた『攻略本』を持ってきて」

「こちらに」

 

 すっ、とジェイドは立派な革張りの日記帳を差し出してきた。私はそのページをぱらぱらとめくり始める。

 

「お前……こんな時に日記を出すとか、大丈夫か?」

「黙ってて。これも明かせない秘密のひとつだから」

 

 重要資料だけど、他人には黒歴史ポエムにしか見えない祝福がつらい。でも今はそんなことに構っていられない。

 王立学園は、女神の乙女ゲームの主な舞台だ。ただの学校としてではなく、世界を救済するための様々なイベントが発生する。中には聖女が訪れただけで発生するフラグもある。

 ユラの目的が、聖女訪問によるフラグ発生だったら?

 彼女を連れていくことで、何かを見つけ出そうとしていたのだったら、辻褄は合わないだろうか。

 小夜子としてゲームを真剣にプレイしていたのはもう6年以上も前の話だ。大筋は覚えていても、細かい攻略テクニックは忘れてしまっている。攻略本に情報があるとわかっていても、どこを見ればいいかはすぐにわからなかった。でも攻略本が読めるのは私だけだ。

 

「あった……!」

 

 ページのある一点、地図が書き添えられた箇所に目的の情報を見つける。

 

「セシリア、開かずの図書室イベントよ」

「あ……!」

「何の話だ?」

 

 ヴァンたち、乙女ゲームの事情を知らないメンバーは置いてきぼりにされて訝しがる。でも、説明している暇はない。

 

「とにかく図書室に急ぐわよ! フィーア、ジェイド、あなたたちも来なさい。戦力がいるわ」

「かしこまりました」

 

 従者たちを連れて、私たちは図書室へと向かった。




次の更新は12/29です!


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開かずの図書室

「こっち!」

 

 突然の緊急事態に、私たちは慌てて図書室へ飛び込んだ。

 いつもは調べものをする生徒が何人も出入りする場所だけど、休日の今日は人影がなくがらんとしている。いや、ふたりだけ学習用のデスクで本を開いている生徒がいた。

 

「お前ら……」

 

 がたん、と音をたててアッシュブラウンの髪の男子が立ち上がった。その隣に座っていた金髪の少年もこちらを見る。ヘルムートとオリヴァー王子だ。

 

「君たちも勉強か?」

 

 何か調べものをしていたらしい、オリヴァー王子の前には本やノートが何冊も置かれていた。授業以外であまり姿を見かけないと思ってたけど、ここにいたのか。

 とはいえ、彼らに構っている余裕はない。

 

「え、ええ。ディッツに面倒な課題を出されてしまって。急いでいるので、ごきげんよう!」

 

 うちのちょい悪魔法使いなら、何か聞かれても適当にごまかしてくれるだろう。私はにっこり笑うと、そのまま奥へと向かった。普段は誰も入ってこない、古い歴史書ばかりが並ぶ書架を目指す。

 

「え~と、あれなんだっけな……」

 

 目的の本棚の前に到着した私は、改めて攻略本を開いた。ゲームでは目的地までアイコンタップ一発で行けるし、怪しいアイテムにはガイドが表示されるけど、現実のイベントアイテムにそんなものは存在しない。ゲームと現実のギャップを埋めないと必要な情報にたどりつけない。

 

「リリィ様、これじゃないですか?」

 

 セシリアが歴史書のひとつを指した。その本だけタイトルが周りの本とズレている。

 

「それだわ。押し込んで!」

「はい」

 

 セシリアが本に触れると、ゴゴ……と重たい音がして本棚がズレた。その奥に古めかしいデザインの扉が現れる。本一冊押し込んだだけで現れる隠し扉ってどうなの、という心配は必要ない。この程度で毎回動作していたら危なすぎるから、普段は休眠状態だ。この書架にはスイッチとは別のセンサーが設置してあって、聖女が足を踏み入れるとスイッチが有効になる。ユラはセシリアを連れまわすことで、彼女が訪れなければ動き出さない隠し部屋を探していたんだろう。

 

「おい、これって……」

「隠し部屋、だよね」

 

 ケヴィンとヴァンが青ざめる。そしてクリスが別の意味で顔色を変えた。

 

「中に何があるのか、わくわくするな。……でも、ドアノブがない?」

「ドアに文字盤があるでしょ。これにパスワードをいれるのよ。手がかりは、ここに書かれた意味不明な詩よ」

「昏き太陽の上に捧げられた白鳥の檻を探せ……? なんだこりゃ」

 

 ゲームの謎解き要素になっていたイベントだ。詩の意味を推理しながら、図書室中の本を調べなければ謎が解けない仕組みになっている。でもこの状況でいちいちイベントに関わっている暇はない。私は再び攻略本のページを開いた。

 

「セシリア、私が言う通りに入力して。月の下に眠るは漆黒のアナグマ」

 

 セシリアの白い手が文字盤を操作する。入力が終わると同時にがちゃりと小さな音がして、ドアが音もなくスライドする。その先には、細い階段がまっすぐ地下へと延びていた。

 固定パスワードなんて、一度謎が解けてしまえばただ文字を入力するだけの雑魚イベントだ。攻略本を持っている私の敵じゃない。

 

「リリィ? これってどうなってるの?」

「説明はあと。さっさと行くわよ」

 

 どんな魔法が使われてるのか。明かりが等間隔に設置されていて、階段は明るい。歩くのに問題はなさそうだ。

 

「ご主人様、先頭は私が」

「そうね、お願いフィーア」

 

 この先にトラップはなかったはずだけど、私たちの推理が正しければユラが先行しているはずだ。警戒するに越したことはない。私たちは順番に隠し通路へと足を踏み入れた。

 ジェイドを殿にして、全員中に入ったところでケヴィンが振り返る。

 

「ドアはあのままにしてていいの? 他の生徒が見たら大変なことに……」

 

 彼が心配そうに言っている間に、ドアはまたすーっとスライドして閉じていった。

 

「心配しなくても一定時間がたてば勝手に閉まる仕組みよ」

「そ、そっか……すごいね……」

「なんだって、こんなものが学校の図書室にあるんだよ」

 

 階段を降りながら、ヴァンが頭を抱える。

 

「王国史を勉強したのなら、知ってるでしょ? 王立学園の建物は、王都防衛のために作られたの。この先には空中要塞『乙女の心臓』を支援する管制施設が眠っているわ」

 

 彼らはそれを聞いて息をのんだ。

 




次の更新は12/31です!


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神造兵器

「……待って、待ってくれ。建国神話ってあれだろ? おかしな絵空事ばっかりの」

「絵空事じゃないの」

 

 動揺するヴァンに、私はきっぱりと言い切る。

 

「建国神話はただのおとぎ話じゃない。本当にあった現実の事件よ。初代聖女は女神の力で巨大な城を空に浮かべ、白銀の鎧に乗り込んだ勇士たちとともに、厄災を封じたの」

「それが事実だとして、何故お前らがそれを知ってるんだ?」

「手品の種を明かさないのがハルバードの流儀、なんて台詞じゃごまかされてくれないわよね」

「当然だ。お前の言動は手品の範疇を越えてる」

「……ユラを止めたら詳しく話すわ。どこまで信じてもらえるか、わからないけど」

 

 セシリアとふたりして、ここまでゲーム情報全開の行動をしたのだ。私に忠誠を誓っているフィーアやジェイドはともかく、ヴァンたち三人は説明しなければ納得しないだろう。

 

「ご主人様、また扉です!」

 

 先頭を歩いていたフィーアが振り返った。

 そこには入り口と同じような古めかしい扉がある。こちらには文字盤も変な詩もない。セシリアが近づくと、ドアはまた音もなくスライドした。

 私たちは急いでドアの先へと踏み込む。

 そこでは想像しうる中で最悪の状況が待ち受けていた。

 

「意外に早かったね」

 

 殺風景な灰色の部屋で、ユラが振り返った。彼の前には銀のレリーフに縁どられた高さ二メートルほどの姿見があった。鏡は銀色に輝きながらも、真正面に立つユラの姿を映してはいない。ただの姿見ではないことは明らかだった。

 異様なのはそれだけじゃない。銀のレリーフに触れるユラの手からは、どす黒い何かが溢れ出ていた。黒い何かはじわじわとレリーフを黒く染めていっている。

 詳しいことはわからないけど、あれはきっとよくないものだ。

 

「ユラ、その手を放しなさい!」

「断る」

 

 セシリアの命令を拒否した瞬間、ばちんとユラの首もとで何かが爆ぜた。ユラの制服が首元からじわじわと赤く染まっていく。しかし、ユラは薄笑いを浮かべたまま、レリーフに添える手に力をこめた。レリーフはどんどん黒くなっていく。

 

 私のすぐそばから、ひゅっと風を切って何かが飛んでいった。フィーアの投げたナイフだ、と認識した次の瞬間ユラは身動きひとつせずにナイフを弾き飛ばす。次いでジェイドが放ったらしい魔法もあっけなく防がれる。ユラお得意の『魔力だけの力技で全部弾く』だ。

 

「ユラ!」

「嫌だ」

 

 ユラは何も写さない鏡面に手をあてた。とたんに、頭上から抑揚のない声が降ってくる」

 

『認証……エラー……認証……エラー…… 遺伝子を……確認できません』

「まだ他に人が?」

 

 システム音声に馴染みのないフィーアが、ぎょっとして天井をふりあおぐ。だけど説明している暇はない。

 

「無駄よ、あなたにそこに入る権限はない!」

「だからハックしてるんじゃない」

 

 鏡全体が真っ黒になる。ユラの仕業なのは明らかだった。

 

「ユラ、やめなさい!」

 

 セシリアが叫ぶ。

 ユラの首からびしゃっと派手に赤い血が噴き出した。普通の人間なら、明らかに命に係わる量の鮮血だ。ユラは体を赤く染めながら、それでもにやりと笑う。

 

「甘いよ聖女様」

 

 灰色の床に血だまりだけを残して、ユラは姿を消した。




次の更新は1/3です!


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ログイン権限

「ユラ、待ちなさい!」

 

 セシリアは鏡に駆け寄ると、ユラがやっていたように鏡面に手を当てた。黒かった鏡はセシリアに呼応するかのように金色に輝く。

 

「入れて!」

『遺伝子を確認。当代聖女であることを認証。ログインを許可します』

「ちょ、待って。セシリア!」

 

 私が止める間もなく、セシリアの姿も消える。

 

「追います」

 

 黒い影が動いた、と思ったら今度はフィーアが鏡に手を当てていた。鏡は金から元の銀色に戻る。

 

『認証エラー。遺伝子を確認できません』

「ぎゃんっ!」

 

 宣言と同時に、フィーアが鏡から弾き飛ばされた。

 

「フィーア!」

 

 床に転がったフィーアをジェイドが助け起こした。大きな怪我はなかったみたいで、フィーアはすぐに立ち上がる。

 

「どうして……?」

「認証、って言ってたでしょ。ある一定の条件をクリアしないと、この鏡の先には行けないの」

「解せません……ユラは入れたのに」

「さっきの黒い何かのせいね。システムに悪さをして無理矢理中に入っていったのよ」

 

 私は血に汚れた床を踏み越え、鏡に近づく。ユラが無茶をしたせいで、レリーフは一部が黒く焼け落ちていた。今度は私が鏡面に手をあててみる。

 

「ご主人様、危ない!」

「お嬢様っ!」

 

 従者たちが慌てるけど、フィーアの時のような反発はない。セシリアと同じ淡い金に光る。

 

『遺伝子を確認。ハルバード侯爵の子であることを認証』

「セシリア以外も行けるのか?」

 

 ヴァンが声をあげる。私は手をあてたまま、彼らを振り返った。

 

「ここは『乙女の心臓』を支援する管制施設の入り口なの。だから、聖女と王族、それから勇士の末裔であれば入室できるわ」

「なるほど、だからセシリアとお前はオッケーで、フィーアは弾かれたわけだ」

「となると、このメンバーで中に入れるのは……」

 

 ケヴィンが私たちを見回す。

 

「ハルバードのリリィ、モーニングスターの俺、それからクレイモアのヴァンに王族のクリス、かな?」

「フィーアとジェイドはここでお留守番ね」

「しかし……!」

「あなたたちが必要ないってわけじゃないの。これ以上誰も来ないように見張っていて。ヘルムートや王子が入ろうとしたら大変だから」

「それは、わかりますが」

 

 フィーアとジェイドは不服そうだ。こんな異常な状況で私から目を離すわけにはいかない、という彼らの気持ちはわかる。でもシステムはそんな事情考慮してくれない。

 

「セシリアをひとりにできないもの。行くしかないわ」

「それはそうなんだが……リリィ? このイデンシってなんなんだよ」

 

 ヴァンが嫌そうな顔で鏡を睨んだ。

 

「どうしてこの鏡がお前の親を知ってるんだ?」

「そうね……ディッツの医療魔法にも使われてる技術なんだけど、生き物の血肉にはどんな風に体を作るか、その設計図となる情報があるの。それが遺伝情報」

「……その話は知ってる」

 

 ヴァンもクリスも、血肉の情報を使って性別を変える薬を作ってもらったことがあるもんね。

 

「その設計図の大元の情報って、どこから来ると思う?」

 

 私の問いかけに、うーんとケヴィンが首をかしげる。

 

「親……かなあ?」

「正解。子の設計図は、母親のお腹の中で父母両方の設計図を混ぜて作られるの。同じ両親でも似てない兄弟がいるのは、設計図の混ぜ方が違うせいね」

「だから、設計図同士を比較すると、誰が誰の子かわかる……ってこと?」

 

 そうそう。理解の早い友達で助かる。

 

「この管制システムは遺伝子を調べることで、有資格者を正確に判断してるの」

「いや……にしたって、そもそもどうして王家や勇士の遺伝子? 情報をこいつが知ってんだ」

 

 なぜかヴァンは遺伝子話に食い下がる。

 

「王族と勇士七家は継承のときに王宮の水盤に血を捧げる儀式をするでしょ? 実はあれってこことか『乙女の心臓』と繋がってて、歴代王位継承者と勇士七家の遺伝情報を全部記録してるのよ」

「あー……じゃあもしかして、偽王が玉座に登らんとするとき、水盤が赤く染まるっていう伝説は……」

「ここと同じ、認証エラーね」

「エラーね、じゃねえだろーが!」

 

 ヴァンが派手につっこみをいれた。

 あれ? そんなにびっくりすること?

 

「お前、俺とクリスの本当の素性を知ってて、何のんきなこと言ってんだよ! 遺伝情報を直接確認されるってことは、今ここで認証するのもヤバいし、継承の儀式だってパスできねえんじゃねえか!」

「あー、継承の儀式には抜け穴があるからそこは平気。ヴァンとクリスなら問題ないわ」

「マジなんだろうな?」

「うん、そこはマジ。っていうか、マジじゃなかったらあんなこと提案してない」

「ヴァン……? クリス……?」

 

 ケヴィンが不思議そうにヴァンとクリスを交互に見た。嘘が下手なクリスはさっと目をそらす。

 

「管制システムに関しては、もうしょうがないんじゃない? 中に入った時点でアイコンに継承してる家のロゴが入るもん。でもこれは外部に漏れる情報じゃないし。……ケヴィンには事情を話すことになるけどさ」

「いつかは話そうと思ってたけど……ここで覚悟を決めることになるとは思わなかった!」

 

 いきなり腹をくくる羽目になったヴァンと、突然の告白に驚くケヴィンと、ケヴィンなら大丈夫だろうと楽観的なクリスを連れて、私は銀の鏡の中へとログインした。

 

 




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それなんてクソゲー

 管制施設に無理やり入っていったユラとセシリアを追いかけて、私はヴァンたちと一緒にログインした。そのはずだったんだけど。

 

「なんでこうなってんの……」

 

 私は改めて自分を見下ろした。

 そこにはダサジャージを着た細くて貧弱な小夜子の体がある。側にいるのはセシリアと、何故か頭に毒々しいツノを生やしたユラだ。ヴァン、ケヴィン、クリスの銀髪トリオの姿は見えない。

 

「そもそも、ダンジョンにいるのもおかしくない?」

 

 私は立ち上がって周りを見回した。シンプルな正方形の部屋は、規則正しく並んだ石造りの壁に囲まれている。ここは女神ダンジョンのスタート地点だ。

 

「ログインしたら、ロビーに出るはずですよね」

 

 セシリアも首をかしげる。

 そもそも、私たちが入ったのは巨大空中要塞『女神の心臓』の運用を支援する管制施設のはずだ。ゲームでは、開かずの図書室の奥の鏡から中に入るとまず最初に広いロビーに案内された。そこにはいくつも扉が並んでいて、コントロールルーム、女神ダンジョン、ミニゲーム施設、などなど目的にあわせて扉にアクセスする仕組みになっていた。間違ってもこんな風にいきなりダンジョンのスタート地点に出たりしない。

 不思議に思っていると、突然何の前触れもなく目の前の風景が揺れた。プログラムがバグった時のような、耳障りなノイズ音とともに壁がモザイク状に変色する。

 

「な……っ」

 

 驚いているうちに、ノイズ音は唐突におさまった。同時にモザイク状の変色も消え失せる。

 もしかして、これ。

 

「システム全体がバグってる?」

「そうみたいだねえ」

 

 ユラがのんびりと相槌を打った。

 

「魂がふたりぶんあるのに、侯爵令嬢がひとりの人間としてログインしたのが悪かったんじゃない? バグったあげくに異物として別IDにされちゃったんだね」

「あーだから小夜子としてここに……って! ちょっと待てぇ!」

 

 私は反射的にユラに食ってかかった。

 

「確かにリリアーナには私の魂も入ってたけど! そもそもバグの大元の原因は資格もないのに無理やりレリーフ焼き切って中に入ったあんただろーが! 責任転嫁すんなっ!」

「あ、ばれた」

「当たり前だっ!」

 

 ユラは厄災の分身みたいなものだから、性格が悪いのは当然なんだけど、本当にタチが悪いなこいつ。

 

「こんなところにいてもしょうがないし……セシリア、一旦ログアウトして立て直そうよ」

「ええ、それなんですけど」

 

 セシリアは悲し気に眉を下げた。

 もしかして、これ。再び。

 

「まさか、ログアウトできない……とかないよね?」

「そのまさかです」

「ログアウト不可だんじょんんんんん……! どーこーのーウェブライトノベルだよおぉぉぉぉ」

 

 思わず、床に手をついて叫んでしまったのはしょうがないと思う。

 いかん。叫んだらめまいが。

 

「愛しい人と迷宮にふたりきり。ロマンあふれるシチュエーションだね」

「さらっと私の存在を無視すんな。あんたと同じダンジョンにカンヅメとか絶対ヤだからね」

 

 人の神経逆なでする技だけは一流のユラを、私とセシリアで睨む。

 

「小夜子さん、この先どうしたらいいと思いますか? 正直、この管制システムやダンジョンは私の常識とはかけ離れすぎていて、何をすればいいのか見当もつかないんです」

「だろーね……」

 

 セシリアは多少女神の乙女ゲームの知識があるけど、所詮実況プレイ動画民だ。実際にパソコンやゲームに親しんで育った私とは経験値に大きな差がある。

 

「通常ログアウトができないんだとしたら、一旦このダンジョンの攻略を進めたほうがいいと思う」

「どうして?」

「このダンジョンは聖女の教育を目的に作られたものだから」

 

 万能の才覚を与えられたとはいえ、セシリアは地方育ちの子爵令嬢だ。いきなり空中要塞を渡されたところで運用できない。このダンジョンは攻略を通して厄災との戦い方を少しずつ学ばせてくれる施設なのだ。

 本来はキャラのレベル上げ用施設なんだけどなー。

 何がどうしてこうなった。

 いや全部ユラが悪いのか。

 

「ボスを倒したりポイントを貯めたりすれば、その分セシリアが管制システムを利用できる権限が増えるはず」

「その権限を拡張していけば、バグを修正できるんでしょうか……?」

「多分ね。そんなシステムを直接触るような権限をゲットするとなると、かなり深いところまで攻略しないとダメな気がするけど」

「いやあ、そんなダンジョンの奥底まで女の子ふたりだけで行くなんて大変だね」

 

 ユラはにこにこと笑っている。

 

「あんた何他人事みたいは顔してんの? 諸悪の根源のくせに!」

「だって僕は頭数にいれないんでしょ。ふたりともがんばってね♪」

「この……!」

 

 気弱なはずのセシリアの眉がつりあがる。

 性格最悪の厄災の化身と、煽り耐性ゼロの聖女と、病弱少女。

 こんなパーティーメンバーでダンジョン攻略とかクソゲーにも程があるだろ!




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すてーたすおーぷん

「ダンジョンを攻略するとして、まずはそこのドアから出ましょうか」

「待って、セシリア」

 

 立ち上がってドアに向かおうとしたセシリアを私は呼び止めた。

 

「いきなり外に出ないで。あの女神、ゲームバランスデザインの才能もないから。手ぶらで歩いてたら、第一階層でも普通に死ぬよ」

「ええー……?」

「あはははっ! 確かに」

 

 私の女神評がおもしろかったらしい、ユラは腹を抱えて笑い出す。私は彼を無視して、ジャージのポケットに手をつっこんだ。大きめのポケットからは立派な革張りの日記帳が出てくる。

 

「攻略本は私の装備として持たせてもらえたみたいだね」

 

 周回プレイしたとはいえ、この巨大な女神ダンジョンの全マップまでは覚えてない。RTA(リアルタイムアタック)するなら、攻略情報は必須だ。私は攻略本を確認すると、部屋の壁の一点を叩いた。すると壁の一部がスライドして中から一抱えくらいの箱が出て来る。上蓋部分が丸い素朴なチェスト。いわゆる宝箱というやつだ。

 

「小夜子さん? どこからそんなものが!」

「周回特典の初期ボーナスボックスだよ。私の存在が周回認定されたっぽい」

 

 ボックスの中にはマントとかナイフとか、ダンジョン攻略に使えそうなアイテムがたくさん詰まっていた。これを持ち出さないなんて、もったいない。

 

「アイテムボックスに、薬草、ポーション、このへんのベタなアイテムは全部持っていかないと。あとは……あー! なんでこんなものが!」

 

 ファンタジーなアイテムとは明らかに異質なモノを見つけて私は思わず叫んでしまった。

 ちょうど子供の両手に収まるくらいの機械。にぎりやすい丸いフォルムをしていて、スティックやボタンがいくつもついている。

 

「この世界でもう一度、ゲームコントローラーを見ることになるとは……」

「何それ、女神のアイテム?」

 

 ユラが興味深そうに私の手元を覗いてくる。

 

「似たようなものかな。多分大元の設計は私の世界のエンジニアだと思うけど」

 

 私はなつかしのゲームコントローラーを握りこんだ。

 とたんに、目の前に映像が浮かび上がる。画像は平面的で、そこにはマップだとか時間だとか、細かい情報が描かれていた。

 

「すてーてたすおーぷん……」

「小夜子さん?」

「なんか、コレ見たらそう言うのが作法らしいから。えーと、これはダンジョン内の情報を得るための道具だね。これは私が使っていい?」

「お願いします。私には、ちょっと感覚がわかりません」

 

 お互い、得意分野で作業を分け合ったほうがいい。私は装備品をセシリアに渡してから、改めてメニュー画面を開いた。そこにはダンジョンマップとメニューリストが並んでいる。

 まだ攻略を始めていないからだろう、マップには今いる部屋しか描かれてなかった。

 ゲームにはオートマップ機能があったから、歩けば勝手に情報が増えるはず。

 メニューから試しに『ログアウト』を選んでみたけど、ボタンが機能してなかった。ちぇっ。次に『パーティ』を選ぶと、ここにいる三人のステータスが表示された。

 

「セシリア、ジョブは聖女……能力値は高いけど、レベルは五。まあ妥当な数値ね」

 

 彼女は天才だけど実際に何かと戦ったことはない。経験値でアップするレベルは低くて当然だ。

 

「ユラは……うへえ」

 

 ユラの項目を見て、私は思わず声をあげてしまった。ジョブやプロフィール欄が見事に文字化けしてしまっている。レベルはカンストの九百九十九、スキルリストには確認しきれないほどのスキルが並んでいる。

 

「うん? でも、パラメーターは意外に低いな?」

 

 だいたい、レベル五十の魔法戦士くらいの値だ。強いけど、絶対に殺せないほどじゃない。そう言うとユラは首をすくめた。

 

「ここに来たときに、システムに干渉されちゃってさ。力が制限されてるみたいなんだよね」

「チート認定されてナーフされたんだね。システム、ぐっじょぶ」

 

 ユラが本来の能力通りだったら、ダンジョン攻略なんて一瞬だ。最下層まで一気に降りてボスを倒して終了である。でもこんなチートキャラ、好き勝手行動させるわけにいかない。

 ユラのステータスを確認していた私は、ひとつ気になるアイテムを発見した。

 

「ねえ、この服従の首輪って何? 解除不可って書いてあるけど」

 

 機能は『セシリアへの絶対服従』

 なかなか物騒なアイテムだ。この悪魔がセシリアに従ってくれるのは助かるけど。

 

「あ……」

 

 セシリアの顔がひきつる。その横で、ユラがうれしそうに制服の首元をくつろげた。そこには茨をモチーフにした禍々しいチョーカーが巻き付いていた。

 

「彼女からのプレゼントだよ!」

「ええと……彼を拘束するつもりで作った……呪いのアクセサリー……です」

 

 ヤバいものを作った自覚はあるのか、説明しながらセシリアは背中を丸めて小さくなっていく。

 

「さっき鏡のところでユラが血を流してたのって、これが原因かぁ……」

「彼を止めようと思って、呪いを発動させたんですけど、止めきれませんでした」

「ダメだよ~。僕を止めようと思ったら本気で殺すつもりで発動させないと。最後の一瞬でためらったでしょ」

「う……」

「なんでユラが説教側に回ってんだよ!」

 

 お前がシステムに悪さをしなけりゃ呪いも発動しないんだってば!




次の更新は1/10です!


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病弱少女のステータス

 

「はあ……アホらしい。他のところを確認するか」

 

 私は自分のステータスを表示させた。セシリアやユラの名前がハーティアの公用語で記されるなか、私だけ『天城小夜子』と漢字が表示されている。

 

「異界の文字っておもしろいね。それで、君のステータスは……うわあ」

 

 今度はユラが声をあげる。

 彼とは対照的に、私のステータスはめちゃくちゃ低レベルだった。

 体力、腕力、素早さなど、フィジカル関連は軒並み一桁。体力だって二桁程度しかない。

 知力や精神力など心に関するパラメーターはやや高いけど、それだけだ。そんな才能があったところで活用できるスキルがひとつもない。

 予想はしてたけど、我ながらこれはひどい。

 

「ねえ、魔力値の表示が変なんだけど、これも文字化け?」

 

 ユラが魔力の保有ポイントを指す。ユラやセシリアはレベルにあわせた数値が表示されているけど、私だけ『-』表示になっていた。

 

「それは私に魔力がないからじゃない?」

「はあ? 魔力がない? それでどうやって生きてるの」

 

 信じられない、とユラが目を丸くする。

 いつも余裕たっぷりの彼にしては珍しい。ここへ来て初めて本気で驚いたみたいだ。

 

「どうやっても何も、私にしてみたら魔力のほうがわけわかんない力だっての。私の世界は物理現象オンリーで、神も仏も魔法も全部空想上の存在だから」

「神が……存在しない……? そんなものあり得るのか?」

 

 ユラはとうとう頭を抱えてしまった。

 

「そこまで驚くことかなあ」

「私も彼も、神と直接つながってるようなものですからね。それらが一切存在しない世界、と言われるとぴんとこないです」

「そういうものなんだ?」

 

 私にとっては神の存在を強く感じる、というほうがぴんとこない。

 運命の女神とは何度か会ってるはずだけど、彼女が妙に人間臭くてノリが軽いせいで、いまいち偉大な存在と思えないし。

 

「うーん、私はバトルに参加するのは無理かなあ」

「この数値では、低レベルの攻撃を一度受けただけでもゲームオーバーになりかねませんからね。ダンジョンでは、私が小夜子さんを守りましょう」

「レベル五で?」

「う」

 

 ユラのつっこみに、セシリアが言葉をつまらせる。

 珍しくやる気になってるんだから、即座に水をささないでもらえますか?

 

「まず最初に頼るべきは僕でしょ? システムに能力を制限されているとはいっても、現時点で一番強いんだから。服従の首輪で縛られたら、反抗できないし」

「ついさっきそれで制御しきれなくて、失敗したところなんですが」

「それで? 僕の力を使わずに先に進めるの?」

「……」

 

 現実問題を引き合いにだされるとつらい。

 私はプレイヤーとして何度か女神のダンジョンをクリアしたけど、中に入る時は必ず戦闘能力のある攻略対象を連れていた。ヒロインのレベルが低いうちは、彼らに守ってもらうのがセオリーだ。ユラが提案しているのは、それと同じだけど。

 

「攻略にあなたの力を使うわけには……」

「そういうことなら、利用させてもらおうよ」

「小夜子さん?!」

「何も、ずっとユラを頼れって言ってるわけじゃない」

 

 私はメニュー画面を切り替えた。

 そこには、勇士七家の紋章とともに、一緒にログインしてきたはずの友達のアイコンが並んでいる。王家を表す剣にヴァン、モーニングスターにケヴィン、クレイモアにクリス、そしてハルバードにリリアーナ。私が別IDになっている影響か、リリアーナのアイコンだけノイズがかかっている。

 

「このダンジョンは攻略を進めるとパーティーメンバーが増やせるんだ。さっさとポイントためて機能解放して、ユラをお払い箱にしよう」

「いいアイデアですね!」

 

 私たちは気合をいれて、ダンジョンに足を踏み入れた。

 

 

 




次の更新は1/12です!


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攻略開始?

「開けるよー」

 

 私たちを守る肉壁、もとい序盤お助けキャラと化したユラがドアをあけた。ついに女神の理不尽ダンジョン攻略開始だ。彼が周囲の安全を確認したのを見てから、私たちふたりもダンジョン内に足を踏み入れる。

 そこは岩壁がえんえんと続く、薄暗い洞窟だった。

 硬そうな灰色の岩盤をくりぬくようにして、洞窟が四方八方へと延びている。その様子は、アリの巣を思わせた。

 

「なるほど、ゲーム画面の風景を直接見るとこんな感じになるんだ」

 

 私はきょろきょろと辺りを見回す。

 幸いなことに、壁にはところどころ魔法で作られたらしい明かりがあり、完全な暗闇はない。カンテラや松明のような明かりをわざわざ持ち運ばなくてもよさそうだ。このあたりもゲームの設定通りだ。

 

「うわ……何この洞窟。気持ち悪ぅ」

 

 同じように周囲を確認していたユラが、嫌そうに顔を歪めた。

 

「気持ち悪いってどのへんが?」

「何の変哲もないダンジョンの洞窟ですけど」

 

 セシリアも一緒になって首をかしげる。それを見てユラは大仰にため息をついた。

 

「洞窟のくせに、どこもほとんど高低差がなくて、天井の高さが一定って地形として異常すぎない? そのくせ壁面には人の手で掘った痕跡はないし。……だいたい、この洞窟のどこを向いても空気が一定量流れてるんだけど、通気口とかどうなってるわけ?」

「そこは考えるだけムダじゃないかな。女神の作ったご都合洞窟だもん。それっぽく見せかけた人工の通路だと思うしか」

 

 ネズミの国ランドのアトラクションにいるようなものだ。一見自然の風景のように見えていても、結局は女神の手の中で作られたもの。現実との食い違いを議論しても意味がない。

 自然を研究した高低差あり、横穴あり、浸水あり、酸素残量ありの本格ダンジョンゲーもないわけじゃないけど、そんなのいちいち気にしてたら攻略が進まないし。

 

「えーと、現在地はと」

 

 私はコントローラーを操作してマップ画面を呼び出す。ドアから出歩いたおかげで、表示されるエリアが少しだけ広がっていた。

 

「小夜子さん、どちらに向かいますか?」

「まずは『気配感知』とか『ダンジョンサーチ』とかの探索に便利なスキルを取りにいこう。そこの分岐を右にいった先に、スキルが覚えられるアイテムがあったはずだよ」

「ダンジョン内で、サーチスキルが覚えられる……?」

 

 またしても、ユラの顔が歪む。

 

「迷宮って、侵入者を排除するために作るものだよね?」

 

 その本気の困惑顔を見て、私は何故彼がこんなに戸惑っているのか理解した。

 システムをハックしてるから、てっきりユラもゲーム知識があるのかと思ってたけど、実は違うみたいだ。さっきもゲームコントローラーを見て珍しそうにしてたし。

 彼があくまでこの世界の理だけで動いてるのだとしたら、この洞窟はゲーム画面じゃない。侵入者の命を刈り取ろうとする危険な罠だ。のんきに探索スキルだ、マップだって言ってる私たちのほうが異常に見えるだろう。

 

「そこは目的が逆だね。ここは、侵入者を拒む迷宮じゃない、あくまで『聖女の教育施設』なんだよ。迷路も罠も全て乗り越えられる障害として設定されてて、致命的な失敗をしない限り最下層のゴールまで到達できるようになってるの」

「ダンジョン内で攻略を助けるアイテムやスキルが手に入るのも、その一環なんですね」

「乗り越えられる障害、ね……」

 

 は、とユラが息を吐いた。

 さっきまでの困った顔じゃない。どこか不気味な黒い笑いだった。

 

「……ユラ?」

 

 セシリアが眉をひそめる。

 

「なんでもないよ。いかにもあいつららしい施設だって思っただけ。それよりのんきに話してていいの? 何かがむこうから来たんだけど」

 

 ユラが洞窟の一方を指し示す。

 通路の先からは、真っ黒な毛皮のネズミが現れた。デザイン自体は路地裏でよく見かける、いわゆるドブネズミだ。しかしその大きさが異常だった。普通のネズミの数十倍、狩猟用に飼われている中型犬に匹敵するサイズだ。

 

「序盤のザコ敵、ケイヴラット……かな……?」

 

 ゲーム画面だとザコでも、実際に目にすると結構ヤバいな?!




次回の更新は1/14です!


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ダンジョンクリーチャーって実際に見ると怖くね?

 女神のダンジョン攻略を始めた私たちは、早速ゲームの設定通りザコ敵と遭遇していた。ケイヴラットと名付けられたそいつは、序盤でプレイヤーに蹴散らされるためだけに配置された敵だ。

 しかし、それはゲーム機の中の話。

 所詮モニターの中の出来事だから、ザコ敵無双ヒャッハー! なんて台詞が吐けるのだ。

 異常にデカい敵意むき出しの獣に睨まれたら、普通に怖い。

 

「……っ」

 

 しかもこっちは一撃いれられたらおしまいの、ザコ敵以下のザコプレイヤーキャラである。

 一歩さがった私の前に、セシリアが立った。彼女はボーナスボックスから手にいれたナイフを手に、しゃんと背筋を伸ばしてケイヴラットを見据えている。

 

「ここは私が」

「その必要はないよ」

 

 パチン、と指を鳴らす音が響くと同時に、こてんと大ネズミはその場に倒れた。その姿はあっと言う間に光の粒となって消え、後には討伐報酬っぽいネズミの牙が残される。

 

「ユラ?」

「まずは僕を頼れって言ったしね。当面の護衛は任せなよ」

 

 そう言ってユラはセシリアに笑いかける。

 あの死にっぷりから察するに、即死魔法っぽいものを使ったらしい。山ほどスキルを持つ彼にとってはネズミ一匹殺すくらい朝飯前だ。

 

「それで? こうやって敵を殺しながら進めばいいの?」

「……まずはそれでいいと思う」

 

 私は大きく深呼吸してから返答した。デカい獣怖いとか言ってられない。ダンジョン脱出のためには、ナビ役の私がしっかりしなきゃ。私はマップと攻略本を見比べながら歩きだす。

 歩く途中、何度か動物の姿をした敵キャラが現れたけど、それらは全てユラの即死魔法で片付けられた。

 

「ラスボスの化身が味方になるとすさまじいな……」

「ふふ、弱体化されてもスキルの数は変わらないからね」

 

 強敵が味方になったらめちゃくちゃ強い、というゲームのお約束が現実になったようなものだ。頼もしいけど素直に喜べない。

 

「ダンジョンを出て、もう一度敵対した時が面倒ですね……」

「敵わないって思ったら、いつでも降参してくれていいよ?」

「しません」

 

 ユラとセシリアの問答は相変わらず不毛だ。否定されるのがわかってるなら言わなきゃいいのに。でもなんかセシリアに拒絶されるのを楽しんでるフシがあるんだよな。

 

「何を考えてるんだか……」

 

 呆れながら首を振った私は、その先に目的のオブジェクトを発見した。

 

「宝箱発見!」

「あの中にスキルアイテムがあるんですね。行きましょう!」

「ええー……」

 

 はしゃぐ私たちとは対照的に、ユラの顔が今日何度目かの困惑顔になる。

 

「岩ばかりの洞窟に唐突に宝箱が置いてあるって……どう考えてもおかしいでしょ」

「そう言われても、そういうお約束だし」

「誰と約束してるの」

「ゲームシステム?」

 

 そこにつっこみをいれていてもしょうがない。ボックスを開けると、キラキラと淡い金色の光を放つ本が出てきた。セシリアに渡すと本は光の粒になってすうっと消えていく。

 

「……セシリア、どんな感じ?」

「ううん、表現し辛いですね。急に感覚が鋭くなったような気がします」

 

 今セシリアが覚えたのは『気配感知』のスキルだ。ゲームではダンジョン内の敵の居場所がマップ内にマーキングされるようになる。試しにマップ画面を開いてみると、今まで通ってきた通り道に赤や黄色のアイコンがいくつも出現していた。

 

「これがスキル取得の効果?」

 

 ユラがマップを覗き込んで首をかしげる。

 

「多分。セシリアが感じてる敵の気配をマップ上に可視化したらこうなった、って感じかな?」

「自分でもなんとなくの気配はわかりますけど、こうやってマップで共有できると便利ですね」

「ダンジョン内でしか使えないスキルだけど、敵が今どこにいるかって情報は大事だからね。うまく使っていこう」

 

 先に進もうとメニュー画面を切り替えようとした私は、情報の一部がおかしいことに気が付いた。

 

「ん?」

 

 これってどういうことだ?

 

 




次の更新は1/17です!


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経験値分配ロジック

「小夜子さん、どうされました?」

「ん~ちょっとセシリアのパラメーターがね」

 

 私はステータス画面を表示して、セシリアに見せる。

 

「ここに来るまでに何度かバトルしたけど、あんまりレベルが上がってないんだよ」

 

 表示されたセシリアのレベルは六。ザコ敵相手とはいえレベルの上昇率が低すぎる。

 

「僕のレベルは……って、こっちは参考にならないか」

「すでにレベル九百九十九でカンストしてるからね。ユラはこれ以上経験値が入りようがない」

 

 脱出のためには、セシリア自身にも強くなってもらわなくちゃいけない。だから、経験値取得効率は大事な問題だ。

 

「え~と何が問題だったかな……」

 

 おなじみの攻略本片手に私は首をひねる。私は女神のゲームを『乙女ゲーム』として遊んでいた。レベル上げ用のサブイベントダンジョンの仕様にまで気を回してない。

 だからってわかりません、で放置するわけにもいかないし。

 

「確か……ここのバトルシステムは、貢献度制で経験値を配分してたような」

「コウケンド?」

 

 セシリアも首をかしげる。同じように首をかしげるポーズでも、美少女のセシリアがやるとめちゃくちゃかわいい。

 

「ここでは、敵とのバトルに勝利すると、パーティーメンバーに経験値が与えられるの。これが増えるとレベルが上がって、スキルやパラメーターボーナスが得られる。ふたりともここまではわかってるよね?」

「はい!」

 

 こくこく、とセシリアが首を縦に振る。

 

「この経験値の振り分け方にもいろいろあって……一番単純なのが頭割り」

「参加したメンバー全員で均等に分ける考え方ですね」

「そうそう。ネズミとかコウモリとかを倒すたびに、三で割って全員に配るんだ。でも、それにしてはセシリアも私も全然レベルが上がってないよね?」

「別のロジックがあるわけだ」

 

 ユラの指摘に私は頷く。

 頭割り配分だと、レベルの高いお助けキャラに引率してもらって、低レベルキャラが楽々レベルアップ! ってこともあるんだけど、女神のダンジョンではそうはいかないらしい。

 

「多分、ここのシステムではバトルでどれだけ活躍したか評価して、貢献度にあわせた配分をしてるんだと思う」

「貢献が少ない、つまり戦闘中何もしてない……?」

「そういえば、出て来た敵は全部僕が即殺してたね。ああはは、それじゃあ活躍のしようがないか」

「またユラのせいですか……」

 

 セシリアが嫌そうな顔になる。

 

「愛しい人を危険から遠ざけてただけなのに、睨まれるって理不尽すぎない?」

「どうだか」

 

 こいつのことだ、戦闘を見ているだけじゃレベルが上がらないって、薄々わかっててわざと即死魔法連発するくらいのことはやってておかしくない。

 

「では、次からは私も敵の討伐に積極的に参加しますね」

「がんばろう、愛しい人。女神は君に獣の肉を割きその命にとどめを刺すことをお望みのようだけど、野蛮に戦う君もきっと素敵だよ」

「言い方ぁ!」

 

 戦闘に参加するってことは、確かにそうなんだけど!

 言い方ぁ!!!

 

「あ……あの、セシリア大丈夫……? 直接戦闘が嫌だったら、魔法を使うとかアイテムを使うとか、他にもレベル上げの方法はあるからね?」

 

 そもそも、ヤバいとわかっててもユラを殺せなかった優しい子だ。敵キャラとはいえ、その手で殺して回るのはストレスになるだろう。

 しかし、彼女は大きく息を吐くと武器を手に顔をあげた。

 

「大丈夫です。私がひるんでばかりいては、小夜子さんを守れません」

 

 それに、とセシリアは付け加える。

 

「相手が獣の姿をしている分には平気です。もともと実家では下働き同然の生活をしていて、鳥をシメたり肉の下処理をしたりするのは私の仕事でしたから」

「おおう……」

 

 お嬢様暮らしをしていたからすっかり忘れてたけど、ここは精肉工場もないファンタジー世界だった。シンデレラな貧乏生活をしていた彼女にとって、害獣駆除も獣肉処理も慣れた仕事のひとつだったらしい。

 

 聖女つょい。

 

 私たちはセシリアを先頭に再びダンジョン探索を開始した。

 




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成長チート

 セシリアが自分も戦うと決めてからのダンジョン攻略は、びっくりするくらい順調に進んだ。

 

「おっと、三匹同時に登場だね。僕が順番にそっちに流すから一匹ずつ確実に倒して」

「はい!」

 

 セシリアが返事をすると同時に、ユラがわざとスキを作る。彼が相手をしていたネズミ三匹のうち一匹がこっちに向かってきた。とはいえ、そのネズミの足取りはヨロヨロしていて、足元がおぼつかない。多分すり抜けざまにユラが何か弱体化の魔法を使ったんだろう。

 セシリアは途中で見つけた幅広のマチェットを振ると、急所を一刀両断した。

 命を刈り取られたネズミは、血しぶきひとつあげることなく、光の粒となって消えた。

 

「次いくよー」

 

 ユラののんびりとした声が響いて、またネズミが向かってきた。デバフが弱いのか、さっきのネズミより勢いがある。でもセシリアは危なげなくまた急所を切り裂いた。

 

「じゃあ最後……」

「そのまま抑えていてください」

 

 セシリアは最後に一匹だけ残ったネズミに視線を移す。狙いを定めるように、マチェットの先がネズミにつきつけられた。

 集中する彼女の周りの空気が、すうっと研ぎ澄まされていく。

 何度目かの呼吸のあと、彼女は小さくつぶやく。

 

「……そこ」

 

 ぴん、とマチェットの先で何かを軽く小突くような仕草をした瞬間、ネズミはこてんとその場に転がった。他のネズミと同様に光となって消えていく。

 

「セシリア、今のって……」

「ユラの魔法を真似てみました」

 

 やっぱりそうか。

 

「初めてにしては上手だよ、さすが僕の愛しの君」

「でも、まだ改良の余地がありますね。集中するのに時間がかかりすぎます」

「そこは慣れだね。次から集中的に練習していく?」

「……そうしましょう」

 

 いやいやいや、いくら聖女っていってもセシリアの成長スピード早くない?

 マチェットで雑魚敵を瞬殺した上に、ユラの即死魔法までコピーってどうなの。

 まだ攻略を始めて一時間くらいしか経ってないんですが。

 ここはまだ第一階層なんですが。

 

 覚悟を決めた成長チート聖女つょい。

 

 しかも、教師役のユラがまたチートなんだよね。

 口調は今まで通り軽いんだけど、戦闘指導に手抜きはなかった。セシリアが傷つかないよう最大限配慮しつつ、彼女が倒せるギリギリの範囲の敵を与えてとどめを刺させる。時には自分が壁となり敵集団を押さえ、時には強敵に魔法をかけて弱体化させて。さながら、子供に狩りを教える親狼のような丁寧さだ。

 

「今はネズミ程度だからさばきやすいけど、この先って何が出てくるの?」

「第一階層は大型化した獣がメインかな。第二階層に行くとスライムとか歩きキノコとか状態異常スキルを持ったモンスターが出てくるよ。第三階層までいくとガーゴイルとかハーピーとか、さらに複雑な動きをする奴が多くなってくるね」

「ふうん……そう考えると、この階層で基礎を固めたほうがいいかな」

「ユラがそう思うのならそうして。どっちみち機能解放のための討伐ポイントを稼がないといけないし」

「はいはい」

「でも、ユラとしてはセシリアが強くなっていいの? 敵側から見たら都合が悪いと思うんだけど」

「この程度は問題ないよ。相手が弱すぎてもつまんないし」

「……っ」

 

 だから、なぜお前はいちいちセシリアに喧嘩を売るのか。厄災だからなのか。

 

「それに、どのみち聖女様を強くして機能解放しないと、外に出られないしねえ」

「ハックする能力があるのですから、ご自分ひとりで脱出できるのでは?」

「それは無理かなー。さっきも言ったけど、システムに干渉されてかなり能力をはく奪されてるんだよ。今の僕はダンジョンをさまよう探索者としての自由しか許されてない」

「それは、よかったって言うべきなのかな……」

 

 割と判断に困る状況だ。

 

「では、せいぜい真面目に指導することですね」

「おおせのままに、お姫様」

 

 うやうやしく頭をさげるユラは、腹が立つくらい優雅だった。

 こういう時だけ王子様スキルを発揮すんのやめろ。

 

 




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はじめてのボス戦

 セシリアの戦闘訓練をしながらダンジョンを回り、ポイントやアイテムを集めて第一階層のボスのところにたどりついたのは、それからさらに一時間後のことだった。

 今まで一定の幅で続いていた洞窟が不自然に広がり、その先に大きなステージのような広場を作っている。ボス用戦闘フィールドというやつだ。

 生態系も何もかも無視した巨大なカエルが、水場もないのに広場中央に居座っている。

 カエルの背後を覗き見てみたら、その先に取ってつけたような大きな扉が見えた。

 

「洞窟の中の建造物なのに、錆びひとつないピカピカの扉……不自然すぎる光景だね。本来は罠と判断すべきだけど」

「きっとあれが、次の階層への入り口なんでしょう」

「あいつを倒して、第二階層にいけば『パーティーメンバー追加』の機能が解放されるはずだよ」

「やっとユラとの三人旅から解放されるんですね……」

「僕としては、ずっと君との二人の時間を堪能したかったんだけど」

「だからしれっと私の存在を無視すんな」

 

 隙あらば喧嘩を売るユラの言動にはだいぶ慣れたけど、ツッコミだけは止められない。

 

「レベル上げのためにわざと迷宮をぐるぐる回ったから、ポイントは十分。やりくりしたら、三人ともいっぺんに呼べると思う」

「ヴァン様たち全員ですか? よかった……!」

「ええー? そんなに増えるの?」

 

 セシリアがぱっと顔を輝かせて、ユラが顔を曇らせた。

 へへーん、銀髪トリオが復活したら、ハブられるのはユラのほうだからなー?

 

「あのカエルが簡単に倒れないよう、肉体再生の呪いでもかけようかな」

「やめなさい」

 

 セシリアがぴしゃりと言うと、ユラの動きが不自然に止まった。どうやら『服従の首輪』が作動したらしい。迷宮の外のように血こそ吹き出さないものの、ユラを服従させる機能はしっかり働いているようだ。

 

「しょうがないなあ」

 

 ユラは肩をすくめると、そのへんに落ちている小石のひとつを拾い上げた。その間に私は素早くメニューを操作する。ボス戦は通常戦闘と違って、経験値が多かったりするからいろいろ設定しないと。

 

「じゃあ、早速いくよ?」

 

 私が操作し終わったのを見届けてから、ユラはカエルに石をぶつけた。

 そのとたん、待機状態だったカエルの視線がこちらに向く。戦闘が始まったのだ。

 病弱少女が戦闘中にできることはほとんどない。せいぜい邪魔にならないよう、隅に避難しているくらいだ。攻撃のほとんどはユラが受け止めるから、あとは彼に頑張ってもらおう。

 

「グェエエエエ!」

 

 カエルは不気味な鳴き声を響かせたあと、なぜか『私』に向かって勢いよく舌を伸ばしてきた!

 

 

 




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ヘイト管理

「うひゃあああっ?!」

 

 身をすくませる私の前にセシリアが割って入り、さらにユラがカエルの舌をはたき落とした。

 

「君の相手はこっちだよ!」

 

 ユラが何か黒いモヤのようなものを体に纏う。それを見て、カエルは攻撃のターゲットを彼に変更した。自分が攻撃されやすいよう『挑発』スキル的なものを発動させたっぽい。

 

「び……びっくりした……!」

「さすがにボスはただの獣とは違う動きをしますね。でも、どうしていきなり小夜子さんを狙ったのでしょうか」

「たぶん、『一番体力の低い者を狙う』ってロジックで動いてるんだと思う」

 

 ゲージ満タンでも、瀕死状態のユラより体力ないからね! 弱い者から狙うっていうのは、狩りのセオリーだけど、一瞬マジで死ぬかと思ったよ!!

 とっさにかばってくれたセシリアと、不本意ながらユラにも感謝だ。

 敵ごとに行動ロジックが違う。こんな簡単なルールを見落とすなんて、いくらブランクがあったからって、ゲームセンスが鈍り過ぎだ。

 

「ロジックが固定なら、彼女を囮にしたほうが狙いが定まっていいんじゃない?」

 

 すさまじい勢いで舌攻撃を繰り出すカエルに応戦しながら、ユラがのんびりと言う。

 

「小夜子さんは攻撃を一度受けただけでも死ぬんです! そんな危ないことさせられません! それくらいなら……」

 

 ゆら……とセシリアがユラそっくりの黒いモヤを纏った。

 今の一瞬でユラの挑発スキルをコピーしたらしい。

 

「私が受けてたちます」

「ええええっ、ちょっと待ってよ!」

 

 ターゲットがいきなり切り替わって、ユラがあわてる。

 

「君を傷つけさせるわけには!」

「そう思うのなら、麻痺でも毒でも適当なデバフを打ち込んでください。どうせ攻撃していれば、いつかはこちらが敵視されますから」

「あああもう!」

 

 ユラが手を振ると、カエルの動きが鈍った。

 セシリアの命令通り何かデバフ魔法を使ったらしい。セシリアはマチェットを構えてカエルに肉薄する。鮮やかに、舞うようにマチェットを振るとカエルは動きを止め……次の瞬間には光になった。

 単純に切り裂いたんじゃなくて、即死系の魔法を一緒に使ったっぽい。

 バトルを繰り返したのは数時間だけのはずなのに、成長速度がやばい。

 彼女は私を振り返ってにっこり笑った。手にしているのはマチェットなのに、それでもかわいい美少女やばい。

 

「どうです、経験値は上昇しましたか?」

「ボスボーナス含めて、これでちょうどレベル二十! いいペースだよ」

「あとは機能解放ですけど……」

「そっちは、奥のドアを開いて第二階層に行かないとアンロックされないみたい。今のでポイントボーナスも入ったから、階層移動したらすぐにヴァンたちを呼ぼう」

「それはいいけど……いきなり怖いことしないでくれる?」

 

 はしゃぐ私たちの間に、ユラの不満そうな声が割って入った。

 

「何が?」

「いきなり自分をターゲットにさせるとか、心臓が止まるかと思ったよ」

「何を今更。そもそもあなたは私を殺したいんじゃないんですか?」

 

 セシリアが問い返すと、ユラは大仰に肩を落とす。

 

「僕が君を殺そうとしたことなんて、一度もないよ。だいたい僕は聖女と勇士の家系を直接殺せないんだし」

「へ?」

 

 なんだその制限。

 初耳だぞ?

 




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負け邪神

「あれ? 君たち本気で知らないの?」

 

 ユラは聖女と勇士を殺せない。そう聞いて、びっくりした私たちを見てユラもまたびっくりした顔になった。

 

「今まで私たちがどれだけあなたを警戒していたと思うんです。あなたこそ、こんなことバラしてよかったんですか?」

「ん……まあ、特別隠してた話でもないから、言っていいんじゃないかな。厄災の神本体はともかく、端末である僕には君を直接手にかける権限はないんだ」

「権限の問題なの?」

 

 ちょっと何言ってるかわからない。

 

「僕は彼女を殺すことを世界に許されてない……明確に権限の問題でしょ」

 

 ユラは肩をすくめる。

 いやいやいや、世界が許してないって、ますます意味がわからない。

 

「だいたい変だと思わなかったの? 厄災本体はまだ封印されてるとはいえ、僕はこの世界の誰よりも強いんだよ。王宮に出向いて王族と高位貴族を根こそぎ殺せばハーティア国なんて簡単に潰せる」

「でも、そうならないのは、権利を制限されているから……ですか?」

「そういうこと」

 

 いつの間に接近したのか、ユラはするりとセシリアの首に手をそえた。

 

「迷宮の外で君の細い首に手をかけて、本気で締めようとしたとする」

 

 ぐ、とユラの指が曲がる。

 

「僕らの実力差じゃ、呪いを発動させる前に君の首が折れておしまいになるはずだよね」

「やっ……!」

 

 セシリアがとっさに後ずさる。首から手を離されたユラは苦笑した。

 

「大丈夫だよ、そんなことは起きない。隕石が落ちてくるか、地震でも起きるか、何かしらの数奇なる運命(ストレンジフェイト)が発生して邪魔される。世界はそう『設定』されてるんだ」

「待って、それはおかしくない? あんたに殺された人間が何人いると思ってんの。獣人一族に、ケヴィンの婚約者たちに、シルヴァンの両親に……ダリオだってあんたに殺されそうになってた!」

「勇士の血を引かない一般人は対象外だよ。ダリオも本当に殺そうとしたわけじゃない。彼は死なない程度にボロボロにしてから、父親に殺させるつもりだったんだ。血族同士の争いなら強制力は働かないから」

「いやにあっさり教えたと思ったら、直接の殺人以外は全部ノーカンなわけか。だとしたら、シルヴァンの両親殺害も……」

「直接手を下さずに、暗殺者を差し向けた。そういうことですね?」

 

 アギト国の侵略作戦がいやに遠回しな理由がわかった。直接手が下せないから、周りの者に殺させていたのだ。

 セシリアに睨まれて、ユラはくつくつと笑う。

 

「こう見えて、運命の制限は結構強力でね。運命係数の高い人間を害そうとすると、必ず反作用が起きるんだ。血族全体を罠にかけて根絶やしにしようとしても、シルヴァンみたいに孫ひとりだけ生き残ったりするし。結局五百年以上かけて断絶に成功したのって、ダガー家くらいだったな」

「それもやっぱりあなたの仕業でしたか……」

「睨まないでよ。僕は所詮あくせく働いて人心を腐らせるしかできない、無力な存在なんだからさ」

「いやそれ充分迷惑だから」

 

 その影響でどれだけの人間が不幸になったと思うんだ。

 多分これらの工作活動が全部成功した結果が、『何やっても世界が滅亡するクソゲー』世界だったんだろう。そう考えると、彼の計画は半ば以上達成していたと言える。

 そんな事実、ヤバくて明かせないけど。

 

「本当にタチ悪いな……」

「そういう文句は創造神に言ってよ」

「なんでそこで創造神が出てくるわけ?」

「だって僕をそう作ったのは、創造神だから」

 

 

 




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乗り越えるべき苦難

 ユラの言ったことが信じられず、私は一瞬フリーズしてしまった。

 

「え、待って。待って待って待って。どういこと。ユラ……っていうか、厄災の神を作ったのは創造神って、なんなのそれわけわかんないんだけど」

 

 この世界がご都合ファンタジー世界だからって、神様の成り立ちなんて深く考えてこなかったことは事実だ。でもそれにしたって納得いかない。

 

「細かい理屈を彼らに求めても無駄だよ。元々神なんてものは全員おおざっぱなんだから」

「そこは否定できないけどね?」

 

 メイ姉ちゃんのポンコツ具合を知ってる身としては、むしろ『わかるぅー!』って言っちゃいそうだけどさ!

 

「彼らが言うには、さ。この世界はそのままだと平穏すぎるんだって。ただ安寧を貪るだけの世の中じゃ、人間は渇望しない、努力しない。だから、創造神は彼らが必死になって戦うべき困難を作り出した。それが厄災の神だよ」

「わざと作った……災い……?」

 

 言われてみれば、創世神話には『創造神が世界のあまねく全てを作り上げた』とあったはず。そう考えれば、厄災自体もそのうちのひとつだとして、不自然はないけど。

 

「でも、お優しい創造神はヒトに困難を与えるにあたって、手心を加えられた。厄災は、必ず人の手で打倒されるべきである、とね」

 

 ユラの顔が歪む。

 笑っているのか、怒っているのか、判断がつかなかった。

 

「どんな力を持っていても関係ない。どれほど窮地に追い込まれているように見えても、結局ヒトが勝利する。僕はこのダンジョンと一緒だ。ヒトが成長するための糧として消費されるだけの負け邪神なんだよ!」

 

 その叫びは、初めて聞く声だった。

 いつものすました声音じゃない。余裕のない荒々しい口調。

 きっとこれがユラの本心なんだろう。

 

「そこまでわかってるなら、どうしてわざわざ神様の思い通り、不幸をばらまいて歩いてるわけ? 立ち位置に不満を覚えるくらい自我があるなら、やめればいいのに」

「は……僕が今まで神に逆らわなかったとでも?」

 

 私の疑問を、ユラは鼻で笑った。

 

「やつらの意図に添いたくなくて、活動をやめてみたこともある。善行を積んだことだってある。東の荒れ地で苦しむ人々に気まぐれで手を貸してみたら、勝手に国ができあがった。ただの氏族としてまとまっていればいいものを、運命の女神を嫌う思想に染まり、敵対心を持ち、気が付いた時にはハーティアに困難を与える敵対国家へと変貌していた」

「……アギト国の成り立ちってそんなだったの」

 

 厄災を至上の神としてあがめる国だと聞いてたから、てっきり洗脳でもされているのかと思ってたんだけど。実際はもっと根が深いみたいだ。

 

「ちょっと手を貸しただけでこれだ。僕がそこにいる、ただ歩いていた、ただ家族として生まれ落ちた、それだけで周囲は身を滅ぼしていく」

 

 ユラは私を見る。

 

「ねえ君にわかる? 何も得られない人生がどれだけ惨めか。どれだけ努力しても結局負ける勝負がどれだけ不毛か。僕はこの世界でただひとり神が『幸せにしたい』と思うヒトの枠から外れているんだよ」

 

 ヒトの形をしたヒトの敵は、ヒトのように苦しみを吐露する。

 

「逃れたくても逃れられない……殺されても自殺しても、結局この魂は厄災の神と紐づいているから、またどこかの母体から産まれ直すだけだ」

「だからって……どうしてわざわざ星を滅ぼすようなことをするんですか」

 

 セシリアが震える声で問いかける。ユラは彼女を振り向いて……笑ったようだった。

 

「それが唯一救われる道だからだよ。僕の魂はこの世界に縛り付けられている。運命を滅ぼすには、世界ごと滅ぼすしかないじゃないか」

 

 その悲壮な顔を見て、私はやっと腑に落ちる。

 何故彼がこれほどまでに露悪的で、破滅的なのか。

 彼はずっと終わりにしたかったんだ。

 決して報われることのない、不幸しかない人生を。

 

 




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不幸自慢

 ユラは幾度となく繰り返す厄災の神の端末としての人生に飽いていた。

 その努力の行きついた先が『滅亡ルートしかないクソゲー世界』だ。私が転生せず、あのままの運命をたどっていたら、きっと彼の望みは叶っていたのだろう。

 

「世界の滅亡がご不満なら、聖女の君が僕を滅ぼしてよ。君が魂の一かけらも残さないくらいに分解してくれれば、万に一つでも死ねるかもしれない」

 

 ユラはセシリアの前に跪いて、その手を取る。

 狂気に満ちた黒い瞳は本気だ。

 自分の運命がよっぽど呪わしいんだろう。その気持ちはわからないでもない。

 縋り付かれたセシリアも、彼の手を振り払えず瞳を揺らす。

 私は思わず一歩前に踏み出した。

 

「うっさい、あんたの無理心中に私たちを巻き込むな」

 

 だからって、そんなクソ主張認められるか。

 

「あんたの生い立ちはかわいそうだと思うけど、だからってはいそうですかって一緒に死んでられないから」

 

 割って入られたユラは不快そうに眼を細めた。

 

「ふん、君に僕の何がわかるの」

「わかんないよ、邪神の化身の気持ちなんて。でも逆に聞くけどさ、あんたに私の何がわかるの?」

 

 私はずいっとユラに詰め寄った。

 

「あんたに、人生一度も健康だったことのない子供の気持ちがわかる? 自分が絶対大人になれないって診断された子供の絶望がわかる? 何をやってもどうあがいても、一か月後には死ぬんだって確信した人間の覚悟がわかる? 死んで逃げたくても親がどれだけ自分の生を願ってるかわかるから、自殺もできない苦しさがわかる?」

 

 私は無理やりセシリアとユラの間に立つ。セシリアはびくっと体をふるわせた。

 彼女は優しいから、強い感情をぶつけられるとどうしても引きずられてしまう。

 今彼女の心を守るのは私の役目だ。

 

「ユラは人生に終わりがこないことを不幸だって嘆いてたけど、私からすれば長生きできるあんたはすごく恵まれてる。ねえ、十八で死んだ私はすごーく不幸だから、長生きできるあんたを殺していい?」

「はあ?」

 

 私の提案に、ユラはぽかんとした顔になった。

 

「殺していいわけないよね? つまり不幸自慢に意味なんかないんだよ。自分が不幸でかわいそうだからって他人に何してもいいわけないじゃん」

 

 どうしようもない不幸を背負わされたのが、自分だけだと思うなよ?

 死ぬ間際まで、私がどれだけ運命を呪ったかなんて知りもしないくせに。

 家族に心配かけないよう笑顔を取り繕いながら、どれだけの言葉を飲み込んできたのかなんて知らないだろ。

 

「不幸を他人を傷つける免罪符にすんな。どんな経緯があったとしても、私はユラのやったことを絶対許さない」

「僕が君を直接傷つけたことってあったっけ?」

「そもそもクライヴを洗脳してハルバード家をめちゃくちゃにしてたのはユラじゃん。それに、獣人を捕らえて奴隷にしたのも、カトラスの闇オークションで人を売買してたのも、ケヴィンの婚約者たちに殺し合いをさせたのも、だいたい全部ユラでしょ。さんざん人の人生を壊しておいて、今更不幸ぶるな!」

 

 十八で死を経験した人間をなめるなよ?

 

 



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あの子の中身。

「えーと……? すまん、ちょっと待ってくれ」

「ここが女神のダンジョンで……? え? この森がダンジョン?」

「とにかく敵を倒せばいいんだな!」

「待て待て待て! いきなり飛び出していくな!」

 

 バカな寝言ばかり囁くユラを黙らせて、第二階層へ移動した私たちは、早速解放された機能を使って、ヴァン、ケヴィン、クリスの三人をパーティーメンバーとして呼び出した。

 タンカを切ったせいで、私たち三人では空気が悪すぎて耐えられなかったともいう。

 協力者として一緒に戦ってもらおうと彼らに事情説明したんだけど……与えられた情報が多すぎて、早速パニックになっていた。

 気持ちはわかる。

 元々実況プレイ動画民だったセシリアと違って、全員生粋の異世界民だもんね。

 

「ここは女神の作った不思議なダンジョンで、敵を倒して先に進めば脱出できる。とりあえずそこまで理解してくれればいいよ」

「まあ……そうするしかないんだろうけどさ」

 

 ヴァンはがりがりと頭をかく。

 

「細かい注意点は、その都度私かセシリアが説明するから、ゆっくり慣れていって」

「それはいいんだけどよ」

「何?」

「お前がリリィの『中身』だってのが、わかんねえ」

「あー……」

 

 ですよねー。

 今の自分はリリアーナ・ハルバードとは似ても似つかない。初対面の妙なダサジャージの女の子が、いきなり友達っぽく話しかけてきたら戸惑うよね。

 

「まあ……私はなんていうか……」

「異界からやってきて、リリアーナの人生を乗っ取った存在だよね!」

「言い方ぁ!!!」

 

 そりゃーリリアーナにとっては、突然現れた人格だけどさ!

 ユラお前さっき反論されたこと根に持ってるだろ!

 いかん、ヴァンたちの視線が冷たい。どうにかしてうまく説明しないと。でも悪役令嬢だの、ゲームだの、と説明しても伝わりそうにないんだよな。

 えーと、えーと、こっちの世界の人間が理解しやすい言葉ってあったっけ。

 

「私は……その……この世界が危機に陥ってるのを心配に思った運命の女神が、異界から遣わした神子……みたいなもの、かな?」

「なるほど、異界からの使者か」

 

 ふむふむ、とケヴィンが頷く。

 ありがとうフラン。君に一度説明してたおかげで、なんかいい感じに伝わる言葉が見つかったよ!

 

「リリアーナとは十歳のころからのつきあいだね」

「とすると……もしかしてお茶会の時と、お見合いですごく雰囲気が変わってたのって……」

 

 クリスがカトラスで感じていた違和感を口にする。

 

「私がリリアーナと一緒になってたからだよ」

「なるほど、数年来の謎が解けたよ」

 

 おおざっぱなクリスが気にするほど、キャラが違ってたのか……。まあ、違和感あっても、普通は別の魂が混ざってるとは思わないよね。

 

「神の遣わした存在……って割には普通の人間っぽいのな」

「元は普通の人間だもん。といってもあっちの世界基準だけど」

 

 自分が無力な子供だってことは、私が一番よくわかってる。

 

「私は産まれた時から体が弱くてさ。十八の若さで死んだのをかわいそうに思った運命の女神が、こっちの世界に連れてきてくれたんだ。でもほら……ここって厄災の神とかいるじゃん」

 

 私は禍々しいツノを生やしたユラをちらりと見る。

 

「このままほっといたら、世界が滅びてまた大人になる前に死んじゃうから、世界を救うためにいろいろ走り回ってたんだよ」

「リリィに意味不明な行動が多いのはそのせいか……」

 

 何かいろいろ思い当たることがあるんだろう、ヴァンがため息をつく。その肩をケヴィンがぽんぽんと叩いた。

 

「そのおかげで俺たちは助かったんじゃない。君たちが今ふたりに別れてるのは、ええと……ダンジョンのせい?」

「まあそんなところだね。ひとつの体にふたつ魂が入ってたから、別扱いになったみたい」

「世界にとって、女神の使徒は異物だもんね」

「言い方ぁ!」

 

 お前本当に余計な一言多いな!

 




次の更新は2/4です!


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フレンドリーファイア

「元のっつーか、こっちの世界で産まれたリリアーナのほうはどうなってんだ?」

「ん~……そこは私もよくわかんない」

 

 私はメニュー画面を開くと、パーティーメンバー候補一覧ページを表示した。ヴァンたち三人がメンバー登録されたので、候補に表示されているのはリリアーナだけだ。

 しかし、私というイレギュラーが存在するせいなんだろう。彼女のアイコンにはノイズがかかっていて、キャラ詳細も閲覧できない。

 討伐ポイントを稼げば、ヴァンたちのようにパーティーメンバーとして召喚できると思うけど、この状態で彼女を呼び出したとして、何が起こるかわからない。バグやノイズに対処できる機能を手に入れるまでは、そっとしていたほうがよさそうだ。

 

「システム側からしたら、こっちのほうが正規IDのはずなんだけどね」

「人格どころか、IDまで乗っ取ってたりして」

「言い方ぁ!」

 

 その可能性はあるけど!

 いちいち怖いこと言うのやめてくれない?

 

「……サヨコ、そこのツノつきを一発殴って追い出していいか?」

 

 話を聞いていたクリスが拳を構えた。

 

「人手が増えた以上こいつはいないほうがいいだろう」

「思い切りのいい助言ありがとう……。でも、殴るのはともかくとして、追い出すのはちょっとやめたほうがいいかな」

「何故だ? 部隊に不和をもたらす人間は、下手な強敵より恐ろしい。士気を下げるばかりのこいつをそのままにしていても、いいことはなさそうだが」

 

 クリスの言いたいことはわかる。

 実際、私もユラと喧嘩して空気を悪くさせたひとりだし。でも私たちには彼を追い出せない理由がある。

 

「説明するより、実際にやってみたほうが早いかな。クリス、思いっきりユラを殴ってみて」

「よし、まかせろ!」

 

 言うが早いか、クリスはキレイなフォームでユラに右ストレートをお見舞いした。

 女子とはいえ鍛錬を重ねた騎士の拳だ。ガードもしてなかったユラはそのまま吹っ飛ばされるはず……だったんだけど。

 

「なんだこれ?!」

 

 悲鳴をあげたのはクリスだった。

 

「クリス、大丈夫か?」

 

 婚約者の顔色が変わる。クリスは青い顔で自分の拳を反対の手でさすった。

 

「確かに殴ったはずなのに、手ごたえがない……実感がなさすぎて気持ち悪い……!」

「ユラ、てめえ何やった!」

「ひどいなあ、僕は何もやってないよ」

「じゃあなんで!」

「落ち着いて、ヴァン。ユラが何もやってないのは本当。同士討ち(フレンドリーファイア)防止機能っていって、パーティーに登録されたメンバー同士では、お互い傷つけあわないようになってるの」

「何故そんなものが……」

「ここが元は戦闘訓練用の施設だってことは説明したよね。連携の練習もしてないメンバーに怪我させないためだよ」

 

 所詮ここは訓練場。

 どれだけ敵と戦ったところで、ダンジョン外の本物の敵は減らない。

 出陣する前の訓練で使い物にならなくなったら本末転倒だから、ダンジョン内はプレイヤーが大怪我しないよう様々な制限がかけられている。

 

「だったらなおさら追い出したほうがいいんじゃないか。パーティーメンバーじゃなくなったら、心おきなく殴れる」

「逆だよ。私たちの身を守るために彼をパーティーに入れてるの」

「逆……?」

 

 クリスは不思議そうに首をかしげる。

 

「さっき軽くパラメーターを確認したよね? セシリアが二十、ヴァンが二十四でケヴィンが二十六、一番レベルが高いクリスでも三十どまり。それに対してユラはレベルカンストの超高パラメーターキャラなんだよ。パーティーから外して戦えるようになったとして、全滅するのはこっちのほう」

「やだなあ、そんなことしないよ」

 

 ツノつきの悪魔はニヤニヤ笑う。

 

「もう一度仲間にして、って呪いつきで(ていねいに)お願いするだけで」

「……つまり言うこときくまで生き地獄を味わわせるってことだろーが」

 

 彼を封じる方法が絶対ないわけじゃないけど、現時点では無理だ。

 

「それに、システムへの干渉問題もある。さっき、入り口でレリーフを焼いてたの見たでしょ? 何の制限もなくダンジョンを歩かせたら、どこでどう不具合を起こして回るかわかんないよ」

「結局目の届くところに置いて、セシリアの首輪につないでるのが、一番安全ってことか」

「不本意ながら、そうなります」

 

 セシリアが疲れたため息をついた。

 望むと望まざるとに関わらず、ユラの手綱を押し付けられてしまった彼女には、ずっとストレスがかかっている。

 

「状況はわかった。そういう事情ならユラを追い出すのは一旦棚上げだ」

 

 完全に諦めたわけではないらしい。クリスは大きく頷いた。ケヴィンがにこりと柔らかな笑顔を私たちに向ける。

 

「これからは俺たちが間に入るから、安心してね」

「ありがとう~……! 持つべきものは、コミュ力の高い仲間だね!」

 

 こんなに心が救われる笑顔が他にあるだろうか。いやない。

 

「まずは森の迷路っぽい第二階層踏破を目標にしよう」

「何かあるのか?」

 

 ヴァンに尋ねられて、私はメニュー画面を切り替えた。

 そこには階層ごとにアンロックされる機能の一覧、俗に言うスキルツリーっぽいものが表示されている。

 

「第三階層まで行ったら、人工知能による対話型ダンジョンナビゲーションが解放されるんだ」

 

 バグを直すなら、まずはナビゲーション機能をゲットしないとね!




次の更新は2/7です!


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連戦ボーナス

「目標を発見、仕掛けるか?」

 

 開けた場所にぽつんと生えた大きな木を見つめて、クリスが言った。意見を求められたヴァンも同じように木を見つめる。そこには、わざとらしいくらいに大きな蜂の巣がひとつ、枝にくっついていた。奇妙な果実からは、やっぱり大きなハチが出入りしている。

 

「いきなり突っ込むのはナシだ。巣の中にどれくらいハチが詰まってるかわからねえ。サヨコ、なんか情報あるか?」

 

 名前を呼ばれて、私は攻略本のページをめくる。

 

「あそこにいるのは、ダンジョン用に作られたモンスター『キラービー』だよ。働きバチはだいたい三十から四十。そいつらを全部倒すと、女王バチが出てくる」

「成虫以外の気配もするんだけど?」

 

 私たちとは違うものが見えているのか、ユラが巣を見つめながら言う。

 

「それはサナギかな? 女王バチと戦ってると、一定時間ごとに羽化した働きバチがでてきて加勢するから」

「女王バチが出てきたら、あとは早めに決着をつけろってことだな」

「あんなあからさまに怪しい蜂の巣なんて、避けて通ったほうがいいと思うけど……」

 

 一緒になって蜂の巣を見ていたケヴィンが困り顔になる。

 

「それは無理。蜂の巣の中に埋まってる宝石が、ボス部屋の扉を開けるカギになってるから」

「冒険小説ではありがちな展開だけど、まさか自分でやるはめになるとはね」

 

 苦笑しつつも、攻撃をやめるつもりはないらしい。

 頼れる仲間たちは、それぞれに武器を手に持った。ヴァンは小回りのきく片手剣、ケヴィンは打撃重視のモーニングスター、クリスは使い慣れた大振りの両手剣クレイモアを装備している。

 

「女王が出てくるまでのハチの数は有限なんだろ? あんなでかいの、いっぺんに四十匹も相手にしてらんねーから、外に出て来たやつをちまちま削って、最後に女王を倒すぞ」

 

 ヴァンが作戦を指示する。クリスたちはそれに頷いた。

 第二階層の探索を始めて早三十分ほど。攻略は驚くほどてきぱきと進んでいた。さすが騎士として軍人教育を受けた三人組。作戦行動に無駄がない。

 

「僕が即死魔法を使えば、全部いっぺんに片付けることもできるけど?」

「ユラが経験値を総取りしても無駄でしょ。あんたは最低限のサポートをする係」

 

 レベルカンストキャラを活躍させたところで、私たちに得るものはない。

 

「先に攻撃力と防御力上昇の加護をかけますね」

 

 セシリアが祈りをささげるように手を組んでヴァンたち三人に魔法をかける。彼女も一応マチェットを持っているけど、前衛メンバーが加わった現在、彼女ポジションは後衛サポートだ。

 

「じゃあ、ハチを少しずつ釣っていこうか。最初は二匹でいい?」

 

 ユラが黒いもやのようなものを指先にまとわりつかせた。

 ボスガエルの時にも使っていた、挑発スキルの応用版だろう。ふっともやが巣に向かったと思うと、引き寄せられたらしいハチが宣言通り二匹こっちにやってくる。

 

「来い!」

 

 クレイモアを振り、クリスがハチに切り込んだ。一匹仕留めたところで、もう一匹がクリスに迫る。しかし、その動きはお見通しだったようで、ヴァンが剣でその勢いをいなす。剣に行く手を阻まれて、行先を見失ったところをケヴィンのモーニングスターが強打した。

 あっけなくハチは全滅する。

 

「これくらいは楽勝だね。じゃあ次は三匹いってみよう」

 

 にやり、と笑うとユラがまた黒いもやを出現させる。

 

「あ、ちょっと待て!」

「体勢を整える時間を……!」

 

 止める間もあらばこそ、黒いもやは蜂の巣へと飛んで行ってしまう。次の瞬間には三匹に増えたハチがこっちに向かってきていた。

 

「だーもうっ! クリスは右端から攻撃、ケヴィンは左側からフォロー! 囲まれるなよっ!」

 

 ヴァンの指示を受けて、三人は隊列を変える。

 セシリアも私の隣から彼らに加護の魔法をかけ続ける。直接戦闘に加わらなくても、遠隔支援をしていれば功績としてカウントされ、経験値が得られるからだ。

 

「これで、みっつめ!」

 

 クリスがクレイモアの剣の腹でハチを叩き落す。

 三対三でもまだ余裕があるのか、鮮やかな勝利だった。それがわかっているのか、ユラもにやにや余裕の笑みを浮かべている。

 

「じゃあ次は四匹いってみよう」

「おいユラ待てって!」

「お前それ、毎回一匹ずつふやすつもりだろう!」

 

 銀髪トリオの言うことをユラは意図的に無視した。

 

「大丈夫大丈夫、手に負えなくなりそうだったらデバフを追加するから」

 

 忍者はその脚力を鍛えるために、畑に植えた葦を毎日飛び越えるのだという。

 成長の早い葦は恐ろしいほどの速さで伸び、その成長速度にあわせて訓練した忍は驚異的なジャンプ力を獲得するのだという。

 だがそれはただの伝説だ。

 成長速度をはるかに超えたスピードで課題をだされたら、ついていけない。

 五匹が六匹に、六匹が七匹に、と順に増えていくハチを相手にヴァンたちは悲鳴をあげた。




次の更新は2/9です!


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状態異常の時に限ってボスキャラが出てきたりするよね

「いってえ!」

 

 バチン! という大きな音とともにヴァンが声をあげた。

 ついに八匹にまで増えたハチを相手に、防御の手が回らなくなったのだ。かろうじて急所は避けたが、ハチの針を受けた腕からぱっと血しぶきがあがる。

 

「ヴァン!」

 

 婚約者の怪我に気を取られて、クリスの集中が途切れる。

 その隙をついて、ハチの一匹がこっちに向かって飛んできた。そいつの狙いは私だ。社会的な生き物であるハチは、一階層のボスと同様に一番弱い者を的確に狙ってくる。

 思わず身構えた私の目の前で、じゅっと音を立ててハチが消し炭になった。

 

「ダンジョンを出るまでは守る約束だからね」

 

 にやにやとユラは笑っている。

 かばってくれたのはありがたいが、そもそもヴァンたちが対抗しきれないほどのハチをおびき寄せた犯人もユラなので、素直にお礼を言う気になれない。

 

「ヴァン、大丈夫?」

 

 他のハチを片付けて、クリスとケヴィンがヴァンのもとに集まった。ヴァンの腕は紫色に腫れあがっている。どうやら、ハチの毒を受けてしまったようだ。

 

「やばいな……」

 

 三人の顔が青ざめる。

 ここはダンジョンの中で、当然のことながら医者も衛生兵もいない。自分たちだけで対処しなくてはいけない状況だ。

 しかも。

 

「君たち、ぼんやりしてていいの? 巣からおもしろいのが出て来たよ?」

 

 ユラが楽し気に声をかける。

 そこに現れたのは、今まで戦ってきたハチの十倍はあろうかという巨大な女王バチだった。体も大きいけど、アゴも脚も、そして振りかざす毒針も大きい。

 

「ちょうど働きバチが全滅したところだったんだねえ」

「うげ……」

「早めに倒さないと、また働きバチがふえちゃうね。大変!」

 

 一切大変とは思ってなさそうなユラは、心底楽しそうにヤバい状況を解説してくださる。言ってることは間違ってないけど、このカルい口調が私たちの神経を逆なでする。

 

「解毒と止血は私にまかせてください!」

 

 セシリアが加護の時と同じ、祈るようなポーズを取った。小さく呪文を唱えると、ヴァンの腕の傷がみるみるふさがっていく。本来あり得ない治療速度だ。

 一瞬でHPを満タンにする治癒魔法を実行したら、現実にはこうなるってことなんだろう。

 

「ヴァン?」

 

 クリスが心配そうにヴァンを見る。安心させるように、ヴァンはにやっと笑った。

 

「大丈夫だ。あのデカいの、まかせられるか?」

「もちろん!」

 

 剣を握り直すと、クリスは放たれた矢のように駆け出す。その後ろについて、ケヴィンも走る。ヴァンはあえてその場に残り、女王バチを見据えた。戦い方を考えているんだろう。

 私は攻略本を片手に叫ぶ。

 

「ヴァン、そいつの弱点は目の間! 毒針を使おうとタメ動作した瞬間を狙って!」

「了解。クリス、ケヴィン、タメ動作まで牽制! 毒針を使おうとした瞬間にクリスが一撃をたたきこめ!」

 

 指示を出しながらヴァンも走り出す。

 素早く動く女王バチを三人がかりで抑え込んだ。大きな脚を切り払い、攻撃のチャンスをうかがう。女王バチがくっと体を曲げ、一瞬動きを止めた。必殺のチャンスだ。

 しかし同時に蜂の巣から羽化したばかりのハチが二匹出現する。

 どちらを攻撃すればいいのか、クリスの視線が揺れた。

 

「あっ……」

「いいからやれ! こっちはなんとかするっ!」

 

 ヴァンの声に呼応するように、クリスはクレイモアを振った。重い剣を叩きつけられた女王バチは絶命する。

 その後ろで、クリスのフォローをしていたヴァンとケヴィンがそれぞれ相対していたハチを叩き落した。鮮やかな連携プレーだ。

 

「はあ……」

 

 見守っていた私の口からも大きなため息がもれる。

 

「これで……終わり……?」

 

 ヴァンたち三人は、まだ蜂の巣に意識を向けている。ユラがじっと巣の奥を探るように見つめた。

 

「敵の気配はないね。女王が死んだ時点で巣の中で待機していたサナギや幼虫も全滅したみたい。親切な設定だ」

「もうハチが出てこないならそれでいい。巣の中に宝石があるんだっけ?」

 

 ヴァンは無造作に蜂の巣に手をのばす。

 サイズが大きいから、木から取り外すのも一苦労だ。

 

「うん、それで……」

 

 蜂の巣をもぎ取ったヴァンに使い方を説明しようとした時だった。

 ドドッ、ドドッ、と何か獣が走るような足音がこっちに近づいてきた。それも複数。

 

「おや、新しいお客さんかな?」

「嘘だろ?」

「ご……ごめん、ヴァン……まだちょっと戦闘は……」

 

 ケヴィンがぜい、と息をつく。

 そりゃそうだ、ユラのせいでさっきから連戦続きなんだから。

 

「右の道に向かって走って! その先にセーフエリアがあるから!」

 

 私は攻略本を抱えて走りながら叫ぶ。

 ヴァンたち三人もお互いをかばうようにして走り出した。

 

「逃げるぞ!」

 

 戦闘の成果を確認する間もないまま、私たちはひたすら追ってくる獣の群れから逃げた。




次の更新は2/11です!


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セーフエリア

「な……なんとかなった……」

 

 木々に囲まれた広場のひとつに駆け込んで、私たちはその場に座り込んだ。そこには誰が置いたわけでもないのに焚火があり、煌々と燃え尽きない明かりをともしていた。

 振り返ると、追って来た獣の群れは広場の手前で引き返していくところだった。

 セーフエリアと決められた場所に敵キャラは入ってこれない。ダンジョンの大事なルールのひとつだ。

 

「はあ……はあ……」

 

 走りすぎて喉が痛い。

 体を起こすこともできなくなって、私はごろりと地面に寝転がった。

 

「小夜子さん、大丈夫ですか?」

 

 セシリアが心配そうに顔を覗き込んでくる。私は無理やり口の端をつりあげた。

 

「息を整えれば……なんとか」

 

 ダンジョンにいるせいだろうか? 細くて貧弱なのは変わらないけど、体から病気はなくなってるようだった。発作が起きないなら、この程度は耐えられる。

 

「いや~大変だったね」

 

 くすくすと、ひとりだけ余裕のユラが笑う。

 

「大変だったのはお前のせいだろ!」

 

 クリスがそのへんに落ちていた石をユラに投げつける。同士討ち防止機能が働いているのか、石はユラを素通りして向こう側に飛んで行った。

 

「いやいや、僕は純粋に君たちの成長に協力してるだけだよ。集団戦闘のいい練習になったんじゃない?」

「確かにそうなんだけどね?」

 

 私は体を起こして、メニュー画面を開いた。

 ユラが次々に敵を釣ったせいで、経験値ポイントには連戦ボーナスが追加されていた。全員が一気にレベル三十にならぶ急成長である。

 でも、あんな心臓に悪い戦い方、そう何度もやりたいと思わない。

 

「ステータスを確認していいか?」

 

 ヴァンが私の手元を覗き込んできた。私はそれぞれのパラメータやスキルが確認しやすいよう、画面を調整する。

 

「レベルの他に、スキルが増えてるな……名前だけだと、どんな効果があるのかわからねーけど」

「それぞれの特性にあわせてつけられたものだから、戦ってるぶんにはそこまで気にしなくていいと思うよ」

 

 ダンジョンのシステムは、探索者たちの性格を的確に分析した上でスキルを付与していた。

 先陣を切って敵を倒すクリスには、集中力アップなどのバフスキルと大打撃をもたらす必殺技スキルを。周りと合わせるのが得意なケヴィンには、連携スキルと追撃スキルを。戦場を把握し仲間に指示を出すヴァンには、観察スキルと仲間を鼓舞するバフスキルが与えられていた。

 第一階層で戦闘スキルを伸ばしていたセシリアは、後方に回ってからは一転、仲間を支える加護や治療スキルが急成長している。

 私はというと……うん、レベルは上がってるっぽいけど、パラメータもスキルも全然増えてないよ! レベル一からレベル五になっても、村人は村人ってことだね!

 

「経験がそのままスキルになってると思えばいいのか……?」

「ねえ、この『スタースマッシュ』って何かな? 俺はこんな技を身に着けた覚えがないんだけど」

 

 一緒になってステータス画面を見ていたケヴィンが不思議そうに言った。

 詳細説明には『流れる星のごとき速さで鉄球を飛ばし敵を粉砕する』と書いてある。確かにケヴィンはモーニングスターを扱えるけど、鉄球を飛ばしてまで攻撃できない。

 

「それは銀の鎧『モーニングスター』の兵装スキルだね。そっか、セシリアがレベル三十になったから、鎧の兵装スキルがアンロックされたんだ」

 

 画面を切り替えると、ヴァンには『ソーディアン』のスキルが、クリスにも『クレイモア』のスキルが追加されている。どれも強力な技なので、積極的に使っていただきたい。

 

「なんでそんなもんが追加されるんだよ!」

 

 ヴァンがぎょっとした顔になる。

 それを見て、ユラがおかしそうに笑いだした。

 

「君たちまだ気づいてなかったの?」

「何をだよ!」

「……ここは、戦闘訓練の場だっていったでしょ。想定してるのは人や獣との戦闘だけじゃない。白銀の鎧を操って厄災が召喚する悪しき魔物と戦う訓練もさせてるんだよ」




次の更新は2/14……と言いたいところですが、息子病気療養中につき製作している余裕がありません。14日に更新がなかったら「力尽きたんだな……」と思っててください……。


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こいつ……動くぞ!?

 このダンジョンは聖女のためだけに存在するのではない。白銀の鎧を駆る勇士候補の訓練場でもある。そう説明してみたけど、ヴァンたちはいまいちピンときてないようだった。

 

「三人がどれだけ騎士として訓練してても、突然未知の武装だらけの巨大な兵器に乗せられたら、どうしていいかわからなくて困るよね?」

 

 ファンタジー世界で育ったセシリアが突然巨大空中要塞『乙女の心臓』を渡されたところで、持て余すのと同じだ。そんな離れ業ができるのは宇宙で生まれ育ったニュータイプか、最強騎士ハルバード侯爵くらいのものである。

 

「それに、訓練場の問題だってあるし」

「あー……白銀の鎧って、確か教会の塔よりデカいんだったか」

「そんなのが、王都の近くを歩いていたら大騒ぎになるね……」

 

 実際に学園の周りを歩いているところを想像したのか、ケヴィンが苦笑した。

 ゲーム内の描写から推測した感じだと、白銀の鎧はどう少なく見積もっても二十メートル以上はある。そんな巨大な鎧が、一発で山に穴をあけるレベルの高火力兵器を振り回してたら、悪しき邪竜やモンスターと戦う前に国土が焼け野原になってしまう。

 このダンジョンは、周りに被害を出さずにスキルを学ばせる狙いもあるのだ。

 

「何も知らない十四歳の息子をいきなり汎用人型決戦兵器に乗せちゃダメって話だね」

「はあ?」

「いや、こっちの話」

 

 女神がどこかの司令よりは訓練の大事さを理解してくれていてよかった。いやそもそも、こんなわけのわからない運命に巻き込むなって話だけど。

 

「ということは、白銀の鎧に乗れる可能性もあるってことか?」

 

 巨大ロボに乗れると聞いて顔を輝かせたクリスを、ヴァンが笑った。

 

「まさか! そんな神話みたいなことが……」

 

 しかしヴァンの軽口は途中で止まった。私もセシリアも彼らにつっこまなかったからだ。

 

「え……? マジで……?」

「この騒ぎの元凶を見てみなよ」

 

 私はニヤニヤと笑っているユラを指す。彼の額には、相変わらず禍々しいツノが生えている。それは明らかな邪神の象徴だった。

 

「えっ……まさか、本当に厄災の神が復活すんの……? いやだってアレは神話の話で……でも、こいつが邪神の化身だとすると……えー、マジかよ!」

「ちなみに、建国神話の内容はほぼ事実だから」

「嘘だろって言いたいのに、否定できねええ……」

 

 ヴァンはそのまま頭を抱えてしまった。隣に立っているケヴィンの顔もひきつっている。

 ふたりは当事者だもんねー。

 巨大ロボに乗れますと言われて素直に喜べるわけがない。

 

「ここから脱出したら近いうちに乗ることになると思うから、兵装スキルは重点的に練習しておいたほうがいいんじゃない」

「了解した。ふふ、白銀の鎧に乗るなんて、楽しそうじゃないか!」

 

 クリスだけがひとりウキウキである。学年演劇のころから、白銀の鎧がお気に入りだったもんね。

 

「ダンジョンの外には操縦シミュレーターもあったはずだから、あとで使ってみようか」

「いいな、それ!」

 

 それを聞いたユラがにやにや笑う。

 

「いや~いい約束だね。ここを脱出したら何かする! 物語みたいな誓いだよ」

「うっさい、死亡フラグみたいな言い方すんな!」

 

 だからいちいち人の神経を逆なでするんじゃない!




なんとか間に合いました。
次の更新は2/16です!


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建国神話の意義

 セーフエリアで一息ついた私たちは、ダンジョン探索を再開した。

 目指すはボスが待ち構えている広場。いわゆるボス部屋である。

 ボス部屋をあける鍵は蜂の巣からゲットしてあるので、あとは部屋の前を目指すだけだ。……といっても、ここは鍛錬目的のダンジョン。そう簡単に前には進ませてくれない。

 ある程度進むごとに、どこからか敵が現れては行く道を遮ってくる。

 

「ヴァン、右の通路からニワトリが来る!」

「ニワトリ……って、なんだありゃ、でっけえ!」

 

 ドッドッドッ、と人間の背丈ほどある派手な雄鶏が森の木々の間から現れた。武器を構えたヴァンたちが、私とセシリアを守るように陣形をとる。先頭に立つクリスがクレイモアをニワトリに突きつけた。

 

「ただ大きくなっただけのニワトリ、か?」

「いや、なんか後ろにヘビみたいな奴がいる! 気をつけろ、クリス!」

「ヘビとニワトリ……そうか!」

 

 ケヴィンが何かをひらめいたのか、モーニングスターを手に走り出した。

 

「おい、ケヴィン!」

「あっちのヘビは俺にまかせて! それと、石化よけのまじないを!」

「はいっ!」

 

 ケヴィンの指示に従って、セシリアが全員に魔法をかける。

 敵対する存在だとわかるのか、ニワトリは翼を広げてこちらを威嚇してきた。同時に、全身から紫色のモヤのようなものが立ち上る。

 

「あれはなんだ……?」

 

 ヴァンがニワトリを睨む。さすがのクリスも、モヤを見て踏み込むのをやめた。明らかに害がありそうな色だもんね。

 

「あれは石化の呪いを持つ毒だね。セシリアが石化よけをしたから、しばらくは大丈夫。ケヴィンが蛇の相手をしてる間に、ニワトリを倒して!」

 

 ニワトリの後方、その巨体の先でケヴィンが戦う姿が垣間見える。何がどう連動しているのか、ケヴィンが蛇らしき影に攻撃を加えるたびに、ニワトリの動きが鈍った。

 

「よし、石化よけが切れる前に行くぞ」

「わかった!」

 

 ヴァンとクリスが同時に踏む込む。ニワトリは彼らを警戒して後退しようとしたが、後ろをケヴィンに押さえられているので思うように身動きがとれない。怯んだところにクリスのクレイモアが迫った。普通の剣ではありえない、エメラルドグリーンの光をまとわせた大剣は、ニワトリの頭を簡単に切り裂いた。『クレイモア』の兵装スキルだ。

 

「ふうっ……」

 

 どさりと大きな音をたててニワトリが地面に倒れる。横倒しになったニワトリをよくよく観察すると、尾羽の間からなぜか、人間の動体ほどもある太さの巨大な蛇がにょきっと不自然に生えていた。

 

「さっきからチラチラ見えてた蛇はこれか! ……っつーか気持ち悪い化け物だな」

 

 見ているうちに、不気味なニワトリは他のモンスターと同様に光の粒となって消える。

 

「すぐに倒せてよかったね」

 

 今回のバトルの功労者、ケヴィンが武器を持ったままにこにこ笑う。

 

「お前の行動が的確だったからな。しかし、よくあいつが石化の呪いを使うってわかったな」

「だいたいこのダンジョンのことがわかってきたからね。コレ、多分『建国神話』に出てくる石化の魔物『コカトリス』じゃないかな」

「正解」

 

 私は攻略本片手にケヴィンの推理をジャッジする。ヴァンが目を見開いた。

 

「なんでわかった?」

「このダンジョンが、俺たち勇士の末裔を鍛えて邪神に対抗させるために作られたのだとしたら、出現する敵にも意図があるんじゃないかって思ったんだ」

 

 その推理も正しい。

 邪神が復活した先に待つのは、神の力で作り出された魔物の氾濫だ。普通の獣や軍隊と戦う感覚で指揮していたら、あっという間に負けてしまう。魔物の生態は指揮官に必須の知識だ。

 

「建国神話に出てくる魔物は大体出てくると思ったほうがよさそうだね」

「うえ……学年演劇はともかく、歴史書レベルの建国神話は把握してねえぞ。逆にケヴィンはコカトリスなんてよく覚えてたな」

「俺は姉さんたちと聖女ごっこをして育ったから。聖女役の姉さんを守る騎士の役ばっかりやってたから、敵のモンスターも自然に覚えちゃったんだよね」

 

 それはそれで、知識の継承としては有効な手段だと思います。

 

「ふむ、だとしたらここで十分戦闘経験を積んでおけば、来るべき日に備えられるってことか?」

「いや、それはどうだろうな?」

 

 ヴァンは嫌そうな顔でツノつきの悪魔を見やった。




次の更新は2/18です!


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深淵を覗く深淵

「ダンジョンで、モンスターの生態を勉強したとして、それが全部利用できるかどうかは怪しいな」

「何故そう思うんだ?」

 

 婚約者の考えに、クリスはきょとんと首をかしげる。

 

「だって、ここに邪神の親玉と繋がってる奴がいるんだぜ? こいつのことだ、セオリー通りに倒しにいったら足元をすくわれるような罠を仕掛けそうで怖い」

「コカトリスだと思って石化対策だけして戦ってたら、腐食の呪いを使われて全滅するとか、ありそうだよね」

 

 ここまで同行してきて、ユラの根性の悪さは心底理解させられている。私は大きく頷いた。

 

「やだなあ~さすがにモンスターの特性までは変えられないよ。ちょっと行動パターンを変えるくらいで」

「それだけでも迷惑だっての。だいたい、特性は変えられないっていうセリフ自体も罠な可能せいがあるし」

「ひどい誤解だ。僕ほど正直に生きてる男は他にいないよ?」

「嘘しか言ってないじゃん!」

 

 口先三寸と謀略で世界を滅亡に導いてきた男がいまさら正直ぶったところで、誰が信用するか。心の底から迷惑な男である。

 

「とはいえ、目の前のダンジョンは建国神話やサヨコの攻略本の知識が有用なんだろう。出た後のことは、出た後で考えよう」

「クリスの言う通りだな。ダンジョンの中でごちゃごちゃ考えててもしょうがねえ」

「さっきの戦闘で兵装スキルが効果的だってことはわかったし、うまく使っていこう」

 

 ケヴィンがにこりとほほ笑む。

 その笑顔はすごく心が癒されるんだけど。私はあまり素直に頷けない。

 彼らは確かに優秀なんだけど、パーティー全体で見るとちょっとバランスが悪いんだよね。ダンジョンの出入りができない以上、このメンバーで頑張るしかないんだけど。

 

「ふふ……」

 

 私の懸念がわかっているんだろう、ツノつき悪魔がにやにや笑う。それを見てヴァンが目を吊り上げた。

 

「お前、何が言いたい」

「いや別に~? 兵装スキルの活用、いいんじゃない。それでダンジョンを制覇できたらみんな幸せなんだし」

「いやに含みのある言い方だな? 一緒に行動しているんだ、必要な情報は共有しろ」

「隠し立てするほどのことじゃないよ。女神の使徒だって気づいてることだもの」

 

 本当か? とヴァンたちに視線を向けられて私は頷く。

 

「実はちょっと……このメンバーで行動し始めてから気づいたことだから、今まで言わなかったんだけど」

 

 セシリアも気づいていたのか、困り顔で私と一緒に頷く。

 

「どうせ、ボス部屋に行ったら嫌でもわかるよ。あの先にいるのって、マンティコアでしょ?」

「なんでユラがボス情報を知ってるの」

「だって僕が教育用に作るなら、絶対あそこに配置するもの。次の階層のボスがハルピュイアで、更に次のボスはスキュラでしょ」

「ぐっ……」

「おもしろいよね~。自分の手駒を他人に攻略させるとしたら、どう配置するかって考えたらダンジョン設計者の思考が読めるんだもの」

 

 なんという思考の逆転。

 これはリバースエンジニアリングと言っていいんだろうか。

 改めて思う。

 有能な敵キャラなんていらねぇ!




次の更新は2/21です!


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アンバランスパーティー

「なるほど……これは難題だね」

 

 蜂の巣から手に入れた宝石を使って、ボス部屋の扉を開けたケヴィンは小さくため息をついた。他の仲間も同じような表情で頷く。

 おなじみ、次の階層へと続く扉前の広場に鎮座する巨大なボスモンスター。

 マンティコアと名付けられたソレは、一見ただのライオンのように見えた。しかしサイズは普通のライオンの数倍はあるし、そのしっぽにはサソリっぽい鉤爪がついている。その上鬣に覆われた頭は微妙に人間の顔っぽい。正直キモい。

 人を襲う化け物なんだから、人間の嫌悪感を煽るデザインなのは当然かもしれないけど。

 私はいつものように攻略本を開いて、ボスキャラの特性を解説する。

 

「マンティコアは一応、ライオンの魔物だね。巨体だけどフットワークが軽くてすばしっこい。たてがみには物理攻撃半減の効果があって、普通の武器じゃ歯が立たない。攻撃のメインはあの前脚だね。とにかくパワーがあるからまともに殴られたらやばい。あとサソリっぽいしっぽは見たまんま毒攻撃してくるから要注意。あと、一番気を付けなくちゃいけないのが、あいつの口」

「ヒトの顔に似ているぶん、普通のライオンより小さくて攻撃力が低そうだが?」

 

 クリスは見た通りの疑問を口にする。

 

「牙がない代わりに、別の武器を持ってるんだよ。人間と同じ口と舌を持ってるおかげで、魔法の呪文を唱えることができるんだ」

「前脚としっぽだけでもヤバそうなのに、物理攻撃半減の上に魔法まで使ってくるのかよ……」

 

 ヴァンがガリガリと頭をかく。

 

「なんでダンジョンのモンスターは毒だの石化だの、面倒くさい特性ばっかり持ってるんだ」

「単純な力勝負じゃすぐ負けちゃうからねえ。絡め手は戦略の基本だよ」

「そういやモンスターのモデルはお前の配下だったな! 納得の面倒くささだよ!」

 

 ほんそれ。

 

「このメンバーだと、ちょっと相性が悪いね」

 

 ケヴィンがへにゃ、と眉を下げる。

 そう、これがパーティーの抱える『バランスの悪さ』だ。

 

「三人とも物理戦闘は強いんだけど、その反面魔法戦闘はあまり得意じゃないから」

 

 彼らと一緒に学校生活を送ったから、全員の魔法学の成績は知っている。クリスは元々魔力の多いほうじゃないし、ケヴィンも同じくらい。一番魔力があるのは王家の血をひくヴァンだけど、戦闘中に術を行使できるってほどじゃない。

 

「この中で一番戦闘用の魔法が使えるっていうと、セシリアか?」

 

 ヴァンが視線を向けると、セシリアはこくこくと頷いた。彼女は魔法学の授業でもその才能を発揮していた。うまくやれば大技を使うこともできるだろう。でも彼女は浮かない顔だ。

 

「私が戦闘に集中してしまうと、今度は回復ができなくなりますので……」

「そこなんだよなー」

 

 セシリアは現在、メンバーの能力強化と状態異常防御、さらに怪我の回復と後方支援を一手に引き受けている。物理戦闘だけなら、前衛三人に支援がひとりでうまくバランスが取れてたんだけど、これに魔法戦闘が入ってくると手が足りなくなってくる。

 特に今回の敵は毒だの魔法だの絡め手を多く使う。回復手段を用意しないと危険だ。

 

「ユラは回復魔法が使えないんだったな?」

 

 尋ねられて、私は頷く。

 ユラ本人ではなく、私に聞いてくるあたり、ヴァンもわかっていらっしゃる。

 

「スキルリストを確認した感じだと、仲間をノーリスクで支援するスキルは一切持ってないね。体力を回復させスキルも一応あるけど、そのついでにアンデッドになったり、理性を失って暴走したりするから」

 

 さすが邪神。ろくなスキルがない。

 

「僕が攻撃に回ってもいいけど? この程度なら一撃死させられるよ」

「……それだと、俺たちに恩恵がないだろ。ボス討伐ボーナスはメンバー全員で分けたほうがいいんだよな?」

「うん。経験値ボーナスがつくし、討伐称号があったほうがスキル効果が高くなるから」

「だとしたら、できるだけユラ以外のメンバーで戦いたいな。白銀の鎧の兵装スキルを使えば、強力な一撃は出せるけど……使ってみた感じあまり魔法の力って感じがしないんだよね」

 

 ケヴィンの感想は正しい。

 彼ら自身が物理戦闘に特化している影響で、使える兵装スキルも物理特化なんだよね。兵装で一撃が強化されていても、物理攻撃であることに変わりない。

 私たちは考え込んでしまった。




次の更新は2/23です!


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物理パーティーはつらいよ

「一応、兵装をレベルアップさせていけば、魔力を使った攻撃もできるんだけどねー」

 

 私はメニュー画面を操作して、クリスの持つクレイモアの兵装スキルツリーを表示した。分岐のひとつをたどっていくと、魔法兵器の項目がある。

 

「でも、まだ全然レベルが足りてない。それに頑張って機能解放したところで、魔力量の少ないクリスがこれを使っても、火力の足しにならないよ」

 

 ポイントの振り直しはできるけど、総量には限りがある。

 クリスみたいなタイプは使いどころのないゴミスキルにポイントを使うより、得意を伸ばして物理特化戦士にしたほうがよさそうだ。

 

「それは賛成……だけど、どうして王女がクレイモアの兵装を使ってるんだろーね? 不思議だな~」

 

 他のメンバーと一緒になって、クリスのスキルツリーを眺めていたユラが要らない一言を放った。

 

「本来は次期クレイモア伯が使うべきスキルだよね? だけど彼が使っているのは王家のソーディアンのスキルだ。うわあ不思議!」

「うっさい。わかってるくせにわざとらしく不思議がるな」

 

 私はユラの言葉を冷たく切り捨てる。彼はくつくつと楽しそうに笑った。

 

「まあねえ。性別を偽るなんて面白いネタ、いつ使ってやろうかって手ぐすね引いて待ってたのに、いきなり婚約発表した上に身分を交換しちゃったんだもん。あれは久しぶりにびっくりしたな」

 

 ユラが笑う横で、ヴァンとクリスの顔から血の気が引く。彼らの秘密はとっくの昔に敵に知られていて、ただ見逃されてただけだったのだ。カトラスで身分を交換する決断をしていなかったら、今頃どこでどう利用されていたか。

 

「今更、俺たちの性別のことを引っ張り出しても無駄だぞ。もう肩書と性別が一致してるんだからな」

「わかってるよ。関係者全員が事実を知った上で口裏をあわせてるんだもの。性別ネタはもう使いようがない」

 

 使えなくなった情報に未練はないのか、ユラはけらけらと笑っている。しかしその途中でふと不思議そうな顔になった。

 

「……でもひとつだけわからないんだよね。ふたりの婚約発表パーティーは僕も見てたんだけど、ふたりとも交換前なのに性別が変わってたよね? あれってどうやったの?」

 

 首をかしげる様子に嘘はないように見える。どうも本気で何が起きたかわかってないようだった。

 東の賢者ディッツは、元の運命ではゲームが始まるずっと前に殺されていたはずの人間だ。その上、彼は身分を隠すために『金貨の魔女』に変身して薬を売っていた。性別を変える薬も、元は彼自身が変装するために作ったもので、売り物ではなかったらしいし。恐らく彼に関してはユラの情報網をすり抜けてしまっているのだろう。

 でも、そんなことユラに教えてあげる義理はない。

 

「悪いけど、手品の種は明かさない主義だから。せいぜい不思議がってれば?」

「つれないなあ。せっかくの計画を全部ぶちこわしにされたかわいそうな僕にヒントくらいくれてもいいじゃない」

「やらないよ! っていうかもともと勇士七家を陥れる計画を立てるな! 実行すんな!」

 

 怒鳴ってみても、世界に仇なすことが運命づけられている邪神の化身はどこ吹く風だ。

 

「はあ~……クレイモアの継承は邪魔できなくなっちゃうし、王室の火種は減っちゃったし、いいとこなしだよ」

「うん? ってことは、お前はもう俺の継承に手出しできねえってことか?」

 

 ユラのうさんくさいセリフを聞いていたヴァンが顔をあげた。

 

「王女が君の側にいる限りは、何をしても無駄だからね」

「……さっきここに入る前のリリィもそんなことを言ってたな。クリスがいれば大丈夫とかなんとか……あれってどういう理屈だ?」

「あーそういえば」

 

 慌てたから、細かい説明してなかったな。




次の更新は2/25です!


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セキュリティホール

「王家と勇士七家がその位を継承する時には、王宮にある『継承の水盤』に血を捧げなくちゃいけない。これはみんな知ってるよね?」

 

 私は継承の手続きについて、おさらいした。

 王家にとっても勇士の末裔にとっても大事な儀式だから、その場にいるメンバーは全員頷く。

 

「部外者はただの儀式だと思ってるけど、実はこの水盤はこことか空中要塞『乙女の心臓』と繋がってて、捧げられた血の情報を記録してるんだ。さらに先代の遺伝情報と比較することで、継承に値するほど近しい血族なのか確認もしてる」

「そこで、血族じゃねえって判断されたら水盤が赤く光る……だったよな?」

 

 王宮に伝わる神話のひとつだ。

 水盤に血を捧げた程度で親子関係がわかるなんて、この世界の住人にとってはおとぎ話に聞こえるだろう。でも、女神が作り上げた設備にはしっかりDNA鑑定機能が搭載されている。

 

「もう、ここにいる全員が知ってるからぶっちゃけるが、俺はクレイモアじゃなくて王族だ。俺が血を捧げたら、じいさんの孫じゃないのがバレるんじゃねーの」

「普通はね。でも、あの水盤がチェックしてるのって投入された血の情報だけじゃん。直前でクリスの血にすり替えたら、クレイモア伯の孫だよって承認されるよ」

「……は?」

 

 それを聞いたヴァンとケヴィンの表情が固まった。

 

「えええ……そんな単純なことで、ごまかせるの?」

「そんなんで認証を通せたら、乗っ取り放題だろ!」

「いや~そうでもないんだよね、これが」

 

 にやにやとユラが笑う。私は小さくため息をついた。

 

「確かに、一代に限っては誰かに成り代わるのは無理じゃないよ。でも、それだと先が続かないから意味がない」

「先ってどういうこと?」

 

 ケヴィンが首をかしげる。

 

「ええと、例えば王様Aとその影武者Bがいたとして、BがAの地位を奪おうと思ったとするよ。Aを殺してその血を採り、継承の儀式で血のすり替えをしたとする」

「Bの成り代わり成功だよな?」

「うん、Bが若いうちはそれでごまかせると思う。でも、その次の世代、Bの子どもCは王位を継げるかな?」

「あ、それは無理だね」

 

 ケヴィンがぽんと手を叩く。私も頷いた。

 

「そう、CとAに親子関係はないから、Cが水盤に血を捧げた時点でBの成り代わりがバレちゃうんだよ」

「うーん、子どもに直接継がせるとバレるのなら……Aの甥や姪……近しい血族を後継ぎに据える、とか?」

「それはアリだけど、結局元の血族に系譜が戻ってきてるから、血筋乗っ取り自体は失敗だよね」

「自分の子どもがいるのに、親戚に王位を継承すんのも不自然だしな」

「それじゃ……Aを生かしておいて、Bの子が産まれると同時にこっそりAにも子どもを作らせてたらどう? それで、代々Aの血族から血だけを採取してどこかに隠しておくとか」

「非人道的なアイデアだけど、まあ考えうる方法だよね。でも、自分の継承の嘘を暴くかもしれない一族をずーっと極秘に飼っておくって、すごくリスキーじゃない?」

「しかもこの世界は運命の女神が味方してるからねえ。途中で何かすごい『偶然』が起きて、隠された血族が表舞台に出てくるんじゃないかな」

「なるほど、結局乗っ取りがバレるから、すり替えても無駄ってことになるのか」

 

 一代限りの乗っ取りにさえ目をつぶれば、結局『血族を繋げる』という目的は達成できる。厄災の神復活まで関係者の血を伝えるには十分な機能なのだろう。もっと穴のないシステムを作っておけ、と言いたいところだけど文句を言ってもしょうがない。

 すり替えできないよう生きた人間から直接DNAを採取するシステムもあったっぽいんだけど、どうやら、五百年の歴史の中でそっちは壊されちゃったみたいなんだよね。誰が原因とは言わないけど。血統の記録が残ってるだけ、ありがたいと思うしかない。

 ふむふむ、と頷くケヴィンの横でヴァンがはっと顔をあげた。

 

「……いや、もうひとつだけ水盤の継承チェックをごまかす方法があるんじゃないのか。乗っ取りがダメなら、血を混ぜてしまえばいい」

「正解!」

 

 さすが当事者。理解が早い。

 

「ん? どういうことだ? 途中から理屈がさっぱりわからないんだが……」

 

 クリスがおろおろと婚約者たちを見る。確かにちょっとややこしいから気持ちはわかるんだけどね。

 

「俺とクリスのパターンだ。じいさんからクレイモアの爵位を継承する時、俺はクリスの血を使ってすり替えを行う。本来はこの後、さらに次のクレイモア伯が継承する時に乗っ取りがバレるはずだ。でも、俺の嫁はお前、つまり乗っ取られた本人だ。お前が産んだ子なら継承に問題は出ない」

「そういうこと。被害者Aと犯人Bが協力関係で、彼らの間で子どもを作るのなら、乗っ取りはバレない。だから、ヴァンとクリスの場合は大丈夫なんだ」

 

 性別を入れ替え、身分を入れ替え、さらに結婚までしてしまう彼らならではの解決策だ。

 

「他の誰も真似できない理由もわかるね。誰かの身分を乗っ取ろうと思ったら同性を対象にするから、間に子どもなんて生まれない」

「言われてみたらそうなんだけどな……これ、血のすり替えができなかったらヤバかったんじゃねえの。提案に乗っててアレだが、ミセリコルデはわかってて言ってたのか?」

「そのへんは全部考えた上だと思うよ。あの時点で既にフランは私の協力者で、水盤のシステムについては大体全部知ってたから」

「……お前んとこの副官、頭ん中どうなってんだ?」

 

 フランの頭の中が謎なのは同意するけど、その言い方はないと思うの!




次の更新は2/28です!


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代替案

「あいつの頭の中身はともかく、状況はわかった」

 

 継承システムのセキュリティホールに納得したヴァンは、すっきりした顔で伸びをした。しかし、隣の婚約者はまだ困惑顔だ。

 

「待て、私はまだよくわからないんだが……」

「お前が俺の嫁なら問題ねーって話だ。お互い離れるつもりがないなら、これ以上気にする必要はねえよ」

「そうか、今までと何も変わらないんだな」

 

 ほ、とクリスは安堵のため息をつく。ヴァンもいつも通りにやっと笑い返した。

 ナチュラルにいちゃつくクレイモア夫婦うらやましい。

 

「とはいえ、あのキモいライオンを倒す方針はまだ決まってないんだけどなー」

 

 ヴァンがちらりとボス部屋を覗き込んだ。

 私たちがボス部屋に入るまではイベントが始まらないのだろう。不気味なライオンモンスターはお行儀よくボス部屋の真ん中に座っている。だからといって、あれを飛び越えて次の階層には行かせてもらえないけど。

 

 私は所持品ボックスから、今まで拾ってきたアイテムを取り出した。それぞれ種類ごとにヴァンたちの前に並べた。

 

「今まで治療はセシリアに頼ってきたから、アイテムに余裕はあるんだ。回復ポーションに薬草、それから各種状態異常回復薬もそろってる。威力は少ないけど、魔法攻撃できるスクロールとかもあるから、ヴァンたち三人がアイテムを使ってセシリアは魔法攻撃に集中する、って作戦はどうかな」

「悪くない、っつーかそこが現実解だな」

 

 ヴァンがダンジョン産の薬を手に取る。出どころは怪しいけど、システムメッセージ通りの効果が得られるはずだ。

 

 

「じゃあ、サヨコの作戦通り前衛と敵の牽制は俺たち三人、セシリアが魔法攻撃、ユラが最低限の援護。回復はアイテム頼り、ってことで進めるか。サヨコ、アイテムを配ってくれ」

「はーい」

 

 私は収納ボックスからアイテムを取り出してそれぞれに分けていく。今までため込んできた薬全部だから、結構な量だ。

 

「あー……モノがいっぱいあるのはいいんだが、数が多すぎるな」

 

 目の前に並んだアイテムを見て、ヴァンが顔をしかめた。

 確かに、どれも手のひらに収まる小瓶サイズとはいえ、ポーション十本に毒消し五本とか、控え目に言って邪魔すぎる。

 

「さすがにコレを全部制服のポケットに入れるのは無理かなあ」

 

 瓶を拾い上げながらケヴィンはへにゃ、と眉を下げる。

 

「薬の取り違えも怖えな。回復薬だと思って飲んだら、毒消しだったとか大事故だろ」

 

 ゲーム画面であれば、アイコン選択一発で使いたいアイテムを使いたいキャラに渡せてたけど、実際に瓶を配って運用しようと思うと面倒くさい。現実世界のユーザーインターフェイス、デザインセンス悪すぎか。

 ケヴィンが横から薬を種類ごとに分け直す。

 

「役割ごとに、持つ薬の種類を変えたら? 直接敵と切り結ぶ俺とクリスは、万が一のための回復薬を持つ。少し距離を置いて俺たちの指揮をとっているヴァンが、必要に応じて状態異常回復の薬を使う」

「まあそれが一番安全か……それでも持ちきれない分はどうすっかな。サヨコに持たせるとか?」

「わ、私?」

 

 突然話をふられて、私はぎょっとした。

 

「薬の種類はお前が一番よくわかってるだろ。必要に応じて所持品ボックス? だったか、そこから出して俺に渡すだけならできないか?」

「う~ん、難しい気がするなあ。走るの遅いし体力ないし。投げて渡そうにも飛距離もコントロールも、並以下だから」

 

 いまだにフィジカルパラメーターが全て一桁の私は、全くもって戦闘に向いていない。下手に戦いに介入したら足をひっぱりまくる自信がある。

 それを見て、クリスが神妙に頷いた。

 

「非戦闘要員を戦略に組み込むのは、不確定要素が多い。避けたほうがいいだろう」

「じゃあ、そこだけ僕が手伝おうか? 女神の使徒が選んだ薬を、対象者の側まで魔法で運ぶんだ。その程度なら、さほど貢献度を奪ったりしないだろうし」

「お前が……?」

 

 ヴァンを始め、全員が嫌そうな顔でユラを見た。

 確かに、ユラに仲介してもらえば薬運搬の手間は省けるだろう。ただ、戦闘で背中を預けるには、絶望的に信用できないだけで。

 

「ダンジョンから脱出したいのは僕も同じだからね。今までだって、戦闘中はしっかり協力してきたじゃない」

「俺たちがキャパオーバーになるまでハチの群れを釣っておいて、よく言う」

「それだって、結果的には経験値ボーナスになったじゃない。同じパーティーにいる限り、僕は味方だよ」

「……しかしな」

「これくらいは信用しようよ~」

「ユラ」

 

 しばらくじっと黙っていたセシリアが口を開いた。聖女に名前を呼ばれてユラの顔から笑顔がひっこむ。

 

「マンティコアとの戦闘の間だけでもいいです。イタズラせず、真面目にサポートしなさい」

 

 びり、とユラの首元が異音がした。解除不可装備『服従の首輪』が作動したのかもしれない。

 ユラはうやうやしくセシリアに頭をさげた。

 

「……愛しの君が望むのなら、仰せのままに」

「迷っていても仕方ありません。進むしかないのなら、悪魔の手も借りましょう」

「それもそうだな」

 

 私たちは覚悟を決めると、ボス部屋の中に足を踏み入れた。




次の更新は3/2です!


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ボス戦やるよ!

 マンティコアとの戦闘は、一見問題なく進んだ。

 

「クリス、右脚を防御! ケヴィンは追撃!」

 

 ヴァンの指示に従い、クリスとケヴィンが走る。後方に待機している私の横で、セシリアは自分の魔力に集中していた。呪文らしい言葉をつぶやくたびに、彼女の周りの空気がどんどん研ぎ澄まされていく。

 

「くっ!」

 

 ケヴィンの腕を、サソリの尾がかすめた。

 

「ケヴィン!」

「平気!」

 

 一瞬、毒消しの瓶を投げようとしたヴァンを、ケヴィンが声だけで止める。サソリの鉤爪は腕をひっかいただけで、毒に犯されるほどではなかったみたいだ。

 ほっと息をつく間もなく、マンティコアは前脚を騎士三人に向かって振り上げる。

 一度受けただけで致命傷になりかねない、重い一撃をクリスがいなした。バランスを崩したマンティコアの胴体に向かって、ケヴィンが紫色の光をまとわせたモーニングスターを振り上げる。

 兵装スキルを使った強烈な一打は正確に急所をえぐった。

 しかし、不気味なライオンの化け物には大した打撃にはならない。一度地面に転がりはするものの、けろりとした顔でまた襲い掛かってきた。

 

「物理攻撃がきかねえって聞いてたが、まさかここまでとはな……!」

 

 クリスのフォローをしながら、ヴァンが嫌そうに顔をしかめた。

 魔力以外の方法であのバケモノを倒すことはできない。はらはらしながら、彼らを見守っていた私の隣でふっとセシリアの声が途切れた。呪文の詠唱が終わったのだ。

 

「ヴァン!」

 

 言霊で魔法を構築しているセシリアはそれ以外の言葉を発せない。私は彼女に代わって攻撃のタイミングを知らせた。声に反応して、ヴァンたち三人の動きが変わる。

 

「退避!」

 

 ヴァンの鋭い声に従って、三人が同時にその場から飛びのいた。敵に取り残され、マンティコアの周囲がぽっかりとあく。

 そこへ、青白い炎の塊が出現した。

 人の体ほどもある大きな火の玉は、マンティコアの体を包み込む。たてがみごと全身の毛皮を燃やされ、化け物は初めて苦痛の叫び声をあげた。

 

「やったか?」

「あと半分!」

 

 敵の残存HPを確認して叫ぶ。野生の獣なら、ある程度痛手を受けた時点で逃げるだろう。しかし、こいつはダンジョンクリーチャーだ。十分の一でも百分の一でも、HPが残っていたら生きているのと同じ。絶命するまで攻撃をしかけてくる。

 

「もう一撃、いくぞ!」

 

 体勢を整えて、クリスがマンティコアに向かっていく。しかし、化け物は騎士たちを無視してセシリアに体を向けた。己の体力を大きく削ったセシリアを、『より危険な脅威』とみなして、最優先攻撃対象としたのだ。

 

「足止めくらいはいいかな」

 

 私たちの側でのんびりあぐらをかいていたユラがぱちんと指を鳴らす。今にもこっちへ飛び掛かってきそうだったマンティコアは、不自然に脚を止めた。その隙をついて、武器をそれぞれ金、緑、紫に光らせたヴァン、クリス、ケヴィンの三人が攻撃を加える。

 物理的に行く手をふさがれ、騎士たちを倒さなくてはセシリアに近づけないと判断したのだろう。マンティコアはふたたびクリスたちに向かって攻撃を加え始めた。

 セシリアはもう一度自分の魔力に集中する。

 

「ぐっ……!」

 

 ケヴィンの腕からぱっと赤い血が散った。踏み込んだクリスを攻撃してきたサソリの尾をはじこうとして、逆に腕を切り裂かれたようだ。今度は毒をまともにくらったようで、腕は毒々しい紫色に染まっている。

 

「カバーする! 治療!」

 

 ケヴィンの立ち位置に割り込むようにして、ヴァンが前に出る。治療のために後ろに下がったケヴィンの目の前に毒消しと体力回復の薬瓶がぽとんと落ちて来た。

 私が選んだ薬をユラが彼の前まで運んだのだ。

 

「サヨコ、ありがとう」

 

 私に向かってにこりとほほ笑んでから、ケヴィンが薬を使う。ダンジョン産の薬は、あっという間にケヴィンの猛毒を治癒した。本来あり得ない回復速度だけど、もう誰もつっこまない。いちいち気にしていてもきりがないからだ。

 ケヴィンが戦線に復帰すると同時に、セシリアの呪文詠唱が終わった。

 

「ヴァン、来るよ!」

「退け!」

 

 ヴァンの命令に従って、また全員がマンティコアの周囲から飛びのく。再び襲い掛かってきた青い火の玉に焼かれて、ライオンの化け物は絶叫した。毛皮を燃やされ、その場にのたうち回る。

 

「よし、効いてるな」

「気を付けて! 瀕死状態になると、攻撃が激しくなるから!」

 

 私は叫ぶ。

 瀕死で弱るどころか大暴れを始めるのはボスキャラあるあるだ。マンティコアの周りに拳大の火の玉がいくつも出現し、主を守るように漂いだした。近寄ろうとすると、火の玉がこっちに向かって飛んでくる。

 

「面倒だな……!」

「さっさと殺してしまおう!」

 

 火の玉をかいくぐってクリスが大剣を振るう。ただの牽制のつもりだったその一撃は、焦げたライオンの毛皮をやすやすと切り裂いた。

 

「なに? 刃が通る?」

「たてがみが燃えたからか!」

 

 相手の攻撃手段が増えたが、逆にこちらの攻撃も通る。

 勢いづいた三人は、それぞれに攻撃を加え始めた。マンティコアも対応しようとするが、いっぺんに三方向から攻撃を加えられたのでは、対応しきれない。周囲に浮いていた火の玉もなくなり、化け物が一瞬無防備になった。

 

「そこだ!」

 

 クリスがマンティコアの喉元に剣を叩きつけた。喉どころか首そのものを大きく切り裂くそれは、まさに絶命の一撃だ。

 しかし勝利を確信したその一瞬が命取りだった。

 

「クリス!」

 

 マンティコアに肉薄するクリスの死角、ライオンの巨体の向こうでサソリの尾が『伸びた』通常の生き物ではあり得ない伸縮率で伸びあがったその毒針がクリスに襲いかかる。マンティコアに剣を突き立てたままのクリスは、避けようとしても体が動かない。

 毒針がクリスの体に刺さる直前、ヴァンが無理やり彼女の前に割って入った。

 

「ヴァン!」

 

 婚約者の目の前で、毒針は深々とヴァンの胸を貫いた。




次の更新は3/4です!


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ふっかつのじゅもん

「ヴァン!」

 

 どさりと力なく地面に転がるヴァンの姿を見て、クリスが悲鳴をあげた。

 彼女たちの周りでマンティコアの巨体が光の粒となって消えていく。あの毒針の一撃は本当に最後の悪あがきだったんだろう。

 体を貫いていたサソリの尾が消えて、ヴァンの胸にはぽっかりと穴があき、そこから大量の血が溢れ出していた。いつも輝いていた深い紫の瞳に光はない。彼がもう絶命していることは明らかだった。

 クリスは血で汚れるのも構わずに、婚約者の体にすがりついた。

 

「ヴァン! ヴァン、起きろ! 何やってんだ、死んでる場合じゃないだろ!」

 

 彼女の瞳からはぼろぼろと涙がこぼれる。あまりの状況に、ケヴィンもまたその場に茫然と立ち尽くしていた。私はクリスとヴァンの側に駆け寄る。

 

「ずっと一緒にいるっていったのに……! 嘘つき! 起きろ! 起きろってば!」

 

 がくがくとヴァンの体をゆさぶるクリスの手に、自分の手を重ねた。

 

「クリス、落ち着いて。大丈夫だから」

「何が大丈夫だ! こ……こんな……胸に穴があいて……! 血が……!」

「大丈夫だよ」

「だからどこが!」

「セシリア、あのスキルはアンロックしてあったよね」

 

 私は一緒にクリスの側にやってきていたセシリアを見上げる。彼女はしっかりと頷いてくれた。

 

「はい、準備できてます。残存魔力も問題ありません」

「じゃあお願い」

「え……?」

 

 セシリアはヴァンの体の側に跪くと、両手を組み祈るような姿で呪文を唱え始めた。このダンジョン内だけで有効な、特別スキルだ。

 彼女が言葉を紡ぐと、ぼんやりとヴァンの体が光り始めた。ううん、光っているだけじゃない。光とともに胸にあいていた穴がふさがっていく。地面に広がっていた血もいつの間にか消えていった。

 みるみるうちにヴァンの体は服ごと元の姿に戻っていった。

 セシリアの呪文が途切れると同時に、ふっと光が消える。

 そして明らかに絶命していたはずのヴァンの瞳に、生の光が戻った。

 

「ん……? あれ?」

 

 ひょこ、と何事もなかったように体を起こす。自分でも状況が把握できないのか、きょとんとした顔で辺りを見回した。

 

「どうなってんだ、これ?」

「ヴァン!」

 

 元気な婚約者の姿を見て、我慢できなくなったんだろう。クリスはヴァンを全力で抱きしめた。

 

「わあっ! ちょっ、待て! 痛い痛い痛い!」

「ヴァン! ヴァン! ヴァンっ!」

「だから、手加減……」

「生きてる……生きてるぅぅぅ~~~!」

 

 泣き出してしまったクリスに抵抗するのを諦め、ヴァンは大きくため息をついた。

 

「……で? どういう状況だ? 俺はあのバケモノにやられて死んだはずだよな?」

「だよね……」

 

 ヴァンが生き返ったのを見て気が抜けたのか、ケヴィンもその場にへなへなと座りこむ。

 

「さっきも言ったでしょ。このダンジョンは探索者が大怪我しない仕組みになってるって。ここにいる限りは、たとえ死ぬような怪我をしても生き返ることができるんだよ」

「死者蘇生? そんな魔法まで使えるのかよ!」

「正確には死のうとしても死ねない状況だね」

 

 ユラがにやにや笑いながら補足する。

 

「死ねない?」

「えーとね、そもそもここは現実の世界じゃないんだよ」

 

 私の説明を聞いて、ヴァンとケヴィン、そして泣いていたはずのクリスもぽかんとした顔になった。




次の更新は3/7です!


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フルダイブ型VRRPG

 事態を飲み込めずにいるヴァンたちを前に、私は言葉を探した。

 

「仮想現実とかシミュレーションとか言っても、通じないよねえ」

「うん、わからん」

 

 ファンタジー世界の語彙、難しい。

 

「そうだね……現実じゃない世界……全員で同じ夢を見てる状態、って言えばわかるかな?」

「同じ、夢……」

 

 ケヴィンが首をかしげる。まだ実感がないみたいだ。

 

「元々、私たちは銀の鏡に触れてこのダンジョンに来たんだよね? あの鏡の先には、ダンジョンがあったんじゃない。人間の体から魂を分離させて夢の世界に送りこむ機械と、夢を見ている間体を保存する機械があったんだよ」

「それで、俺たちは魂だけにされてこのダンジョンに放り込まれたと」

「まあそんな感じだね」

 

 現代日本でも、まだ実現しきれていなかった『フルダイブ型バーチャルリアリティ』ってやつである。

 

「これが全部……作り物?」

 

 クリスが不思議そうに周囲を見回す。ヴァンが眉をひそめた。

 

「あれは『乙女の心臓』を支援する管制施設って話じゃなかったのか」

「うん、それも間違ってない。『夢を見せる機械』は、ダンジョンの夢も見せるし、管制施設の夢も見せることができるの」

「夢の使い分けか。なんだってそんなことを?」

「これは私の推測だけど……多分維持コストの問題だと思う」

 

 そう言うと、ヴァンはますます顔を歪ませる。

 

「だって、どう考えてもモンスターと戦闘訓練できるダンジョンとか、何百年も維持できないじゃん。土地とか生き物の問題もあるし、仕掛けだってメンテしなくちゃすぐに動かなくなるだろうし」

「まあ……王家の抜け道も、実は近衛がこっそり手入れしてるって話だしな」

「管制施設だってそう。『乙女の心臓』の支援に加えて、『白銀の鎧』のシミュレーターとかも必要だし。それぞれ部屋を用意して全部維持するのは無理ゲーだよ」

 

 人工物って、人の手入れがなかったらびっくりするくらい早く壊れていくんだよね。廃墟系の写真見て、何十年前の建物だよって思って調べたら実は数年前まで人が住んでたとか、よくある話だ。

 

「厄災の復活は数百年単位のことだからね。機能ごとにあれこれ施設を維持するんじゃなくて、たくさんの機能を持つ『夢を見る機械』と『体を維持する機械』だけを作って、その維持管理にリソースを集中させたんだと思う」

 

 その結果、表向きはこぢんまりとしているものの、実際は多彩な機能を持つバーチャルリアリティ空間ができあがったんだろう。

 

「私たちの魂は今、肉体を離れて夢を見ている。だから、どんなモンスターとも戦えるし、現実には存在しないスキルを使うこともできる」

「そして、どんな怪我だって治るし、死んだってすぐに復活できる……ということだな?」

 

 ぎゅ、とヴァンの体を抱きしめたままクリスが問いかける。私は頷いた。

 ケヴィンがほう……とため息をつく。

 

「リリィが小夜子とふたりになってる理屈もこれで説明できるね。本来ひとつの肉体に紐づいてる魂はひとつだ。でも、リリィの中には君もいた」

「魂を分離させて仮想空間に出現させようとしたら、魂がふたつでてきたから分裂しちゃったんだと思う」

「そういうことは最初っから言ってくれ……と言いてえが……」

「うーん……これをいきなり説明されて、全部理解できたかどうかは怪しいね」

 

 そもそもパーティーメンバーとして召喚された時点で軽くパニックになってたもんね。

 

「説明が遅くなってごめん……攻略が順調だったから、死んだ時のことを話しそびれてた」

「いやいい。俺もまさか自分があんなかばいかたすると思わなかったからな」

 

 婚約者の危機に、思わず体が動いてしまったんだろう。私から見れば、すごくヴァンらしい行動だと思うけど。

 

「とにかく、このダンジョンにいる限りは誰も死なないから安心して」

「いや、それはどうだろう?」

 

 にやりとツノつきの悪魔が笑った。

 

「それは健全な肉体が存在する場合の話だよね。女神の使徒、君がここで死んだとして、はたして生き返ることができるかな?」




次の更新は3/9です!


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異邦人

「何を言い出すんですか! 小夜子さんが生き返らないなんてこと……!」

「……」

 

 セシリアが否定を求めてこっちを見たけど、私は何も言えなかった。それは、私自身も考えていたことだったからだ。

 

「本当に……?」

 

 ユラは肩をすくめた。

 

「なにも意地悪で言ってるわけじゃない。君たちが見ようとしてない悲劇の可能性を提示してるだけだよ」

「どういう意味だ?」

 

 ヴァンがじろりとユラを睨む。その視線を受け流して、悪魔は語る。

 

「ダンジョン探索をしながら、データのやりとりを観察してたけどね、肉体から魂を分離して夢の世界に送り込んでいる、って表現には少し誤りがある。魂は体から離れてはいるものの、しっかり繋がりは残っていてダンジョンでの経験を肉体へとフィードバック……蓄積していると言ったほうがいいかな、とにかく情報を還元してる」

「情報を戻す……? どうしてそんな仕組みになってるんだろう」

「それはやっぱり、ここが訓練施設だからだね。本来夢はただの夢。どんな壮大な冒険をしたところで、目覚めれば全部なくなってしまう。でも、施設側としては訓練が無駄になったら困るよね? だから情報を一部肉体に還元して、体を強化してるんだ。ダンジョン内のレベルアップほどじゃないけど、外に出たら体がパワーアップしてるはずだよ」

「それとサヨコの死がどう関係してくるんだ」

「だって女神の使徒に体なんてないじゃない」

 

 言われて、息が詰まった。

 

「肉体はいつか魂を戻すための器であり、同時に記憶媒体だ。さっき絶命した彼は、肉体に蓄積されたデータをもとに再構築されていた。侯爵令嬢の体に居候していた女神の使徒がここで死んだとして、どこからデータを呼び出せばいいんだろうね?」

「ぐ……」

 

 仲間たちの視線が私に集まる。でも彼らに告げる言葉は見つからなかった。

 悔しいけど反論できない。

 

「侯爵令嬢の体かな? でもあの子はバグった状態で待機状態にされてるよね。単に読み出せなくて消えるだけならいいけど、どっちをどう読みだしたらいいかわからなくて、また変なデータが出来上がったら大変だ」

「バグってるのはあんたもでしょ」

 

 私はユラのツノを睨む。

 

「僕は魂に紐づいた肉体がしっかり存在するからね。それに、どうせここで死んだところで、また別の母体から産まれ直すだけだから、大した痛手じゃないよ」

 

 くつくつとユラは笑った。人の不幸を喜ぶ心底楽し気な笑いだった。

 

「魂の再生ができなかったらどうなるかな~? 元の世界に帰るのかな? でもさすがに世界の境界を越えた魂が同じ場所に戻れるわけないか。この世界の輪廻の輪にちゃんと入れるといいねえ。でも魔力なしだなんて構成要素が異質な魂だからな~失敗して浄化も分解もできないバグったゴーストになりそう!」

「う……」

 

 声が出なかった。

 反論したい、言い返したい。

 でもユラの指摘はどこまでも正しくて、私の存在の危うさを的確に指摘していた。

 私は運命の女神がノリで連れてきた余計な存在。

 それは事実だ。

 息を吸ってるはずなのに、苦しい。

 言葉を吐きだせない。

 私、は。

 

「そんなことは起きません」

 

 凛とした声がユラを否定した。

 見上げると、セシリアが私をかばうように立っていた。

 いつも自信なさげに曲げていた背筋を伸ばして、ユラに相対する。

 

「小夜子さんは死なせません。私が守ります」

「……へえ」

 

 ユラの顔が不快そうに歪む。

 

「必ず守り抜いて、元に戻します」

「それを侯爵令嬢が望んでいたらいいけどね」

 

 聞かなきゃいい。

 そう思っていても、ユラの言葉は呪いのように心に突き刺さった。




次の更新は3/11です!


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【悲報】

 第三階層は、海の底だった。

 

「うわ……なんだこれは」

 

 いきなり切り替わった風景を見て、クリスが声をあげた。彼女の気持ちはわかる。今まで森の土だった地面には白い砂が敷き詰められ、緑の木々の代わりにカラフルな珊瑚が生えている。

 

「なんか、独特の圧迫感があるね」

 

 ケヴィンもきょろきょろと不安そうにあたりを見回した。ヴァンがため息をつく。

 

「景色はもう気にすんな。どうせ夢の世界だ。なんかこういう壁紙を張ったデカい迷路にいると思ったほうがいいんじゃねえの」

「身も蓋もないですが、その通りだと思います……」

 

 セシリアが苦笑する。

 その様子をぼんやり見ていると、ヴァンにぽんと背中を叩かれた。

 

「それで? 俺たちは階層を移動したんだよな。ナビゲーション機能とやらが使えるようになったんじゃねえのか」

「あ、そ、そうだね」

 

 そうだ、ぼけっとしてるわけにいかない。

 状況がどうあれ、私たちはこのダンジョンを攻略しないと外に出られないんだから。

 

「ちょっと待ってね」

 

 私はメニュー画面を開いて、機能をアンロックした。これで人工知能を使った対話型ダンジョンナビゲーションシステムが使えるはずだ。

 

『アンロック確認しました。ナビゲーションを開始します』

 

 機械的な、硬い口調の男性の声がどこからともなく聞こえてくる。

 

「誰だ……? 声の出どころがわからない……!」

 

 クリスが剣を構えて周囲を警戒する。

 いきなり謎の声っていうか天の声が聞こえてきたらびっくりするよね。

 

「大丈夫だよ、クリス。これはナビゲーションの声だから。えーと……こっちの言葉でわかりやすく言うと……『夢を見せる機械』を管理している精霊? みたいなものかな」

「危険なものではないんだな?」

「うん。だから今は剣を降ろそうか」

 

 私が言うと、クリスは構えを解いた。でも、やっぱり得体のしれない声は不気味らしく、剣を手にしたまま、周囲に気を配っている。

 

『初期登録を行います。聖女資格者の名前を登録してください』

 

 聖女、と言われてセシリアが私に視線を向ける。私はこくりと頷いた。この状況で『聖女』の資格があるのは彼女だけだ。

 

「セシリアです」

『登録しました。初めまして、セシリア。私はナビゲーションシステムAIです。あなたのことを教えてください』

「はい、わかりました」

 

 このあたりのやりとりは、ゲーム内で何度か繰り返している。特にアドバイスしなくても、実況動画民のセシリアなら滞りなく手続きを進めることができるだろう。そう思って見守っていると、ヴァンがこそこそと声をかけてきた。

 

「あの声が、お前の言ってた『精霊』なんだろ? なんでいちいちあんな質問してくんの」

「聖女っていっても、それぞれ別の人間だからね。ユーザー……ええと、利用者ごとに使いやすいようカスタマイズしてるんだよ」

 

 今のAIは産まれたての赤ん坊みたいなものだ。これからセシリアと対話させ、成長させる必要がある。

 

『最後に、私の名前を決めてください』

 

 名前を尋ねられて、セシリアが一瞬沈黙した。名づけは大事な儀式だ。

 彼女の言葉次第で、AIの印象が決まる。

 

「ここにいない侯爵令嬢の名前からとって、ハルバードのハルとかどう?」

「絶対やめて」

 

 ニヤニヤ笑うユラの言葉を私は全力否定した。

 世界で一番縁起の悪いAIの名前をつけようとすんな。偶然だと思うけど心臓に悪いからやめてほしい。

 セシリアは笑顔でユラを無視すると、AIに名前を告げた。

 

「では『もちお』でお願いします」

「へ……」

『もちお、で登録しました』

「独特の名前だね?」

 

 私たちも、ユラさえも驚いて思わず目を丸くする。私たちが驚くのを見て、セシリアもまた驚いておろおろと視線をさまよわせた。

 何故ここで現代日本雑ネーム。

 しかもめちゃくちゃ聞き覚えがある。

 

「え……でも……小夜子さんはいつも、AIにこの名前を……」

 

 確かにそうだけどね?!

 

「それ、おじいちゃん家の猫の名前ー!!」

「えええええ? そんな、てっきり小夜子さんの世界の神聖な名前かと!」

「いちいち名前つけるのが面倒くさくて、ペット系の名前全部それにしてただけだよ!」

 

 ゲーマーなら一度は直面する『ゲームごとにいちいち別の名前をつけるの面倒くさい問題』である。

 遊び始めこそあれこれ毎回悩んでつけてたけど、ゲームの累計本数が二桁になったころには考えるのが面倒くさくなってくる。そんなことで悩む暇があったら、ゲームの内容で悩みたい。

 それで、だいたいのゲームは主人公を『さよ』、ペットは『もちお』にしてたんだけど。

 まさかその名前をセシリアが使うとは思わなかったよ!

 

「えええ、えっともちおがダメなら……」

『はい、なんでしょう』

「いや今のはもちおを呼んだのではなくてですね」

『はい、なんでしょう』

 

 すでに名前の登録は完了してしまったらしい。AIは『もちお』の名前にしっかり反応している。

 

「もう、もちおでいいんじゃね? これなら他の名前とカブんねーし」

「えええええ……」

「名前をあれこれ考えてる時間が惜しいしね」

 

 うん、私もそう思ってゲームの名づけは適当にしてたんだけどね?

 多分このAI、ダンジョンを出ても、管制システムを管理するAIとしてずっと付き合うことになると思うよ? それどころか、女神の心臓を動かす時にだって使うことになるよ?

 この世界の歴史書に『聖女を支える誇り高き精霊もちお』とか記録されたらどうしよう。

 もうどうしようもないけどさ!

 

「もちお、ユーザーを登録します」

『はい、登録者の名前を教えてください。敬称は不要です』

「小夜子、シルヴァン、ケヴィン、クリスティーヌです」

『……登録しました』

 

 登録されるユーザーの中にユラの名前はない。当然だけど。もちおに問いかける権利を得た私は口を開いた。ここからが大事な操作だ。

 

「もちお、ダンジョンシステムのバグを修正して」

『ダンジョンとは、地下牢を意味する言葉です。古い時代に作られた遺跡などの迷宮を指すこともあります』

「いや言葉の意味は聞いてないし! もちお、バグを修正したいんだって」

『バグとは、虫を意味する言葉です。コンピューター用語においては、欠陥やプログラムの誤りを指す場合があります』

「んんんんん……そうじゃなくてね?」

 

 なんだろう、この話の通じなさ。

 

「もちお、このダンジョンシステムで起きてるバグを修正したい。方法を教えて!」

『ちょっと、何を言っているかわかりません。もう一度お願いします』

「おい、これって……」

 

 ヴァンたち、この世界で育ったファンタジー民が顔をひきつらせる。その横でユラだけがおかしそうに笑っていた。

 

「……もちお、今何時?」

『王都ソーディアンは午後五時二十五分です』

「もちお、今日の天気は?」

『王都ソーディアンは曇り時々晴れです。明日は晴れ、降水確率は二十パーセントです』

「もちお、今日のおすすめ料理は?」

『南部風、牛肉と根菜のシチューです。レシピは以下になります』

「もちお、今日の猫は?」

『白猫のるるちゃんです。画像はこちらです』

「……もちお、ダンジョンシステムのバグを直して」

『ちょっと、何を言っているかわかりません。もう一度お願いします』

「もちおぉぉぉぉ……」

 

 私はコントローラーを握り締めてうめいた。

 

『はい、なんでしょう』

「お前はどこのスマホアプリだよ! このクソゲーがっ!!!!」

 

【悲報】ナビゲーションAIがアホだった。

 




次の更新は3/14です!


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幕間:最終面接(シュゼット視点)

「出してくれ」

 

 フランドール様が御者台に向かって声をかけると、馬車が進み始めた。カツコツという小気味よい蹄鉄の音と、ゴトゴトと車輪の回る音が伝わってくる。

 私は、座席に座り直すと居住まいを正した。

 真正面に座るフランドール様も、私の様子に気づいたのか視線をこちらに向ける。

 

「結果は、いかがでした?」

「……結果とは?」

 

 右目の下にぽつんと泣きボクロのある青年は私を見つめた。研ぎ澄まされたナイフのように鋭い面差しは、美しいけれど恐ろしい。でも、今は気圧されるわけにはいかなかった。

 私は今日、彼の父である宰相閣下の案内でハーティア王宮を見学した。武器検出装置をはじめとした、王宮の最新設備を見せてもらいながら見学エリアを一周。その後は姉のマリアンヌ様も交えて会食もした。ハーティアの政治を担うミセリコルデ家の話を直接聞く、とても有意義な一日だった。

 しかし、この見学会の真の目的はそこではない。

 

「最終試験、だったのでしょう? 私がミセリコルデ家と手を結ぶに値するかどうかの」

 

 彼はこの一か月あまり、私たち留学生につきっきりだった。生活をサポートするアテンド役なのだから、当然といえば当然かもしれない。しかし、おそらく彼の本当の仕事は別だ。

 留学生の世話人である彼は、私たちの生活全てを把握していた。授業の得意不得意、図書室で借りた本、食事の好物、購入品の傾向、手紙の送り先。それらの情報を手掛かりに、彼は留学生全員をすっかり調べ上げていた。私たちの誰がどのキラウェア貴族と関係あるのか。王妃と繋がりがあるのは誰か。そして、人柄そのものが信用に値するか。

 その調査の総決算が今日の見学会だ。

 

「……ぎりぎり、及第点といったところですね」

 

 試験官の評価は厳しい。

 しかし、合格は合格だ。

 私はできるだけ表情を変えないよう気を付けながら、小さく息を吐いて止めていた呼吸を再開した。

 

「元々ミセリコルデ家はあなたを拒絶するつもりでした。王妃と手を結んでいるようなら徹底的に利用する。そうでない場合は、模範的な留学生活だけ送らせて、速やかにお帰りいただく……その予定でした」

「私は、とても勝算の薄い勝負をしていたのですね」

「ええ。ですが、リリアーナがあなたを受け入れてしまった」

 

 フランドール様はわずかに眉間に皺を寄せてため息をつく。

 

「一度懐に入れた相手を追い払うような真似をしたら、嫌われる」

 

 青年は大真面目な顔でそう言い切った。

 首の皮一枚つながったのは喜ばしいが、判断基準が侯爵令嬢の機嫌ひとつなのはいかがなものだろうか。黙っていると、フランドール様はくっと口の端を吊り上げた。

 

「そう馬鹿にしたものでもありませんよ。彼女は勇士七家を始めとした、高位貴族当主のほとんどから気に入られています。友人なのだと知れば彼らもあなたの話に耳を傾けるでしょう」

「あの方は、とんでもない最強のカードだったのですね」

「友情ひとつで外交の窓口を手に入れたあなたは運がいい。大事にすることです」

 

 そう言いながらも、フランドール様は底冷えするような視線を私に向けた。信頼は責任でもある。もし彼女を裏切るようなことがあれば、彼は容赦なく私を切り捨てるだろう。

 

「……肝に銘じます」

「そうしてください」

 

 こちらを睨んでいた青年が、わずかに表情をゆるめた。これで面接はおしまい、ということらしい。私は今度こそ大きなため息をついた。

 

「はあ……結局同級生の友情に助けられるなんて、人のつながりは予想できないことばかりですわ。ミセリコルデ家と縁を結ぶにあたって、あなたと政略結婚する覚悟すらしてたのに」

「それはなかなか、大変な覚悟だ」

 

 私の決死の覚悟を、フランドール様は鼻で笑った。

 

「そう笑わないでくださいませ。王家の婚姻は同盟の基本と教えられてきたのですから。でも、この国に来て考えを改めましたわ。政略によって嫁いできたキラウェアの姫君を政敵とする宰相家は、政治的な花嫁を望まない」

「その通りです」

 

 フランドール様は大きく頷く。ほぼ本音だ。

 心の底から私との婚姻を望んでいないのだろう。彼が誰を愛しているかを考えれば、当然の話かもしれないが。

 

「まさか、カーミラ叔母様がこれほど恨みを買っているとは思いませんでしたわ」

「シュゼット様は、王妃とキラウェアの密約をご存知ないのですか?」

「何の……話です?」

 

 嫌な予感がした。

 




次の更新は3/16です!


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幕間:密約(シュゼット視点)

「王妃の立場でハーティアを弱体化させ、キラウェアの属国にすればカーミラ王妃は帰国できる。そんな約束がある、という情報を掴んでいます」

「そ……そんな、あり得ません!」

 

 あまりに荒唐無稽な約束事に、私は思わず声を荒げてしまった。

 

「王族の婚姻は、政治戦略のひとつです。でもそれは、お互いの関係を強くし、両者の繁栄を導くためのものですわ。王女を悪意の尖兵とするなんて、そんなバカな話……」

「ですが事実、ハーティア王室は衰退させられています」

 

 そう言われてしまえば、反論し辛い。

 現実問題として叔母は謀略の限りを尽くしてハーティアを蝕んでいるのだから。

 

「ご家族から何か聞いていませんか?」

「全く……いえ……ハーティアへの輿入れを一度拒絶したことがある、とはうかがっておりましたけど……男児を授かり、二十年以上も王の妻として生活しておきながら……まさか……」

「彼女はずっと、キラウェアに想う相手がいたようです」

「そのような記録は……ございません」

 

 私が知らないだけかもしれないが。

 だけど公的記録上、叔母に恋人が存在しないのも事実だ。

 

「でも……」

 

 この国に留学して、直接自分の目でハーティア王室の現状を確かめるようになってから、ずっと違和感があった。

 父の話を聞く限り、カーミラ叔母は聡明な女性だった。しかしこの国に嫁いでからの彼女は、乱心したとしか思えない。何故こんな国を陥れるような悪手ばかりとるのか。全く理解できなかったのだけど。

 国に帰り、恋人に会いたい一心だったのならば、説明がつかないだろうか。

 

「もし、その話が本当なら……叔母様が密約を交わした相手は、先代キラウェア国王、私の祖父だと思います」

 

 私は心の底に押し込めていた記憶を掘り起こす。

 祖父が死んだのは、私がまだ小さな子どもの時だった。直接会ったのは片手の指に足りるほど。しかし、あの恐ろしさは忘れられない。

 

「祖父は、妻子も孫も……国すらも、自分の駒と思っていたようですから。異国との婚姻を拒絶する叔母にそんな戯言を囁いてもおかしくありません」

 

 政略に利用できる価値があるかどうか。

 ただその一点で値踏みされていたと気づいたのは、成長してからだ。

 

「でも今の国王、私の父は違います。祖父の圧政に懐疑的だった父は、人に人として敬意を払います。少なくとも、家族をただの駒として扱ったり、愚かな嘘でだますような真似はいたしません。信じていただけるか……わかりませんが」

 

 言いながら、声がどうしても小さくなってしまう。

 祖父を反面教師として育った父は、とても誠実な人だ。私が両国の関係改善のために行動できるのは、その先で必ず父が支援してくれると信じられるからだ。

 しかし、ハーティアの高位貴族はそんなことなど知らない。

 何年も叔母の悪意にさらされ疲れ切っている彼らに、父は祖父とは違うと言っても、信じてはくれないだろう。

 叔母様……おじい様……あなた方はなんてことを。

 

「あなたの言葉を鵜吞みにはできません」

「その、通りです」

「ですが、かの方は国交のためとはいえ異国に行きたいという娘の我儘を許す程度には、甘いようだ」

 

 フランドール様は私に手を差し出した。

 

「疑うばかりでは、建設的な未来が得られません。これからのために、手を結びましょう」

「……感謝いたします」

 

 私はその大きな手を握り返す。

 やっとたどりついた。

 全てはここからだ。

 安堵に胸をなでおろしながら、心の中でこっそり叔母のことを思う。

 フランドール様は確証のないことを口にしない。叔母に想う人がいたのは、おそらく事実だ。

 愛する人と引き離され、戻りたいという願いを利用された叔母。祖父目線から見れば、彼女は嫁いだ後も奉仕し続ける、キラウェアの忠実な王女だろう。

 しかし私がミセリコルデ宰相家との外交ルートを開けば、立場は逆転する。

 現国王である父目線で見た叔母は、友好国に嫁ぎながら両国の関係を悪化させた罪人だ。

 しかしその立場を憐れと思うには、叔母は罪を犯し過ぎていて。

 どうにもならない状況に、気持ちが沈みかけた時だった。

 コンコン! と鋭いノック音が車内に響いた。

 

「どうした」

 

 フランドール様が音のした方向、御者台の小窓に向かって声をかける。すると、小窓ごしに青年が顔を覗かせた。フードを深くかぶったその青年は、フランドール様の従者として紹介された人物だ。

 

「前方から、妹が」

 

 言葉は短い。しかしそれだけで状況は伝わったようで、フランドール様の顔色が変わる。

 

「馬車を止めろ」

 

 私は馬車の急停止にそなえて、座席にしがみついた。

 

 

 

 




次の更新は3/18です!


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幕間:危機(シュゼット視点)

 馬車を急停止させると、フランドール様はすぐに降りていってしまった。はしたないと思いつつ、私も開け放たれた馬車のドアから外を伺う。

 すぐにとんでもないものがこちらに向かってきた。

 馬に乗る少女だ。

 小柄な女の子が大きな馬にまたがっている、というだけでも異様だが、彼女の格好がさらに異常だった。少女は王立学園の女子制服を着ており、頭には猫のような黒い毛に覆われた三角の耳がある。リリアーナの側近、フィーアだ。

 彼女の乗っている馬をよくよく見ると、その馬装には王立学園の紋章が刻まれている。

 おそらく、学園の備品として飼われている馬を拝借したのだろう。

 フィーアは忠実な部下であると同時に、リリアーナの護衛だ。

 彼女がリリアーナの元を離れて単独行動するなんて、まずあり得ない。

 つまり、リリアーナによほどのことが起きたのだ。

 

「フィーア!」

 

 フランドール様の前まで来ると、フィーアは馬を停めてその場に降りた。よほど急いでいたのだろう、彼女は息を整いきれずにぜい、と苦しそうにため息をつく。

 

「ご主人、様が……フランドール様でなくては、助けられません」

「わかった」

 

 短く答えると、フランドール様はこちらを振り返った。

 

「申し訳ありませんが」

「状況はわかりました。行ってください」

 

 リリアーナを助ける彼を止める理由はない。彼女は私の友達でもあるのだから。

 フランドール様は御者台にいた従者に声をかける。

 

「ツヴァイ、お前はシュゼット様を女子寮までお送りしろ」

「かしこまりました」

 

 従者が短く答える。

 フランドール様は、フィーアが乗ってきた馬にふたたび彼女を乗せると、自分もその後ろにまたがった。

 

「失礼します!」

 

 最小限の別れの言葉だけを残して、フランドール様は去っていった。

 その背中を見送ってから、私は馬車の座席に座り直す。残された従者が、静かに馬車の扉を閉めた。ややあってから、王立学園に向かって馬車が走り出す。

 

「……見せつけてくれますわね」

 

 誰ともなく、つぶやいてしまう。

 ミセリコルデ宰相家との政略結婚を諦めた理由は、もうひとつある。

 そもそもフランドール様がリリアーナにベタ惚れしているからだ。

 王侯貴族にとって、結婚とは政略のひとつである。婚姻関係ひとつで外交窓口が作れるのなら、安い物だと言う者もいるだろう。

 しかし、婚姻は政略であると同時に、信頼関係でもある。

 自分に一かけらも情を持たない男に嫁いで、得られるものなどありはしない。

 

「はあ……」

 

 去っていくフランドール様の目は、まっすぐにリリアーナだけを見ていた。

 あんな風に、ただひたすらに愛情を注がれたら、どんな心地がするだろう。

 王女の自分にそんな恋愛はさせてもらえない。

 私はリリアーナのことが、ひどく羨ましくなってしまった。

 

 

 




次の更新は3/21です!


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追いかけっこ

「ったくしつこすぎだろ!」

「とにかく走りましょう」

「もちお、セーフエリアまでのルートを案内して!」

「かしこまりました。こちらへ」

 

 落ち着いた男性の声で返答があったかと思うと、真っ白なちょいぽちゃ猫が先頭に立って走り出した。全員慌ててその白猫の姿を追う。

 ポンコツAIナビもちおを加えた私たちは、二時間後の現在、第三階層を突破して第四階層にまで到達していた。

 海底ダンジョンのお次は再びの森ダンジョンだ。

 しかし森ダンジョンといっても二階層とは傾向が違う。道端にお花が咲いているような明るい森の小道ではなく、鬱蒼とした木々が生い茂る樹海ダンジョンである。生えている木々は意味もなく節くれだって曲がりくねってるし、黒い葉っぱの間から差し込む陽の光は弱弱しい。

 出現するモンスターも、樹海にふさわしいホラーなデザインだ。

 首無し鎧のデュラハンとか、人面コウモリとかやめてほしい。作り物だってわかってても、おどろおどろしい見た目で迫ってこられたら、普通に怖い。

 しかも、この階層の厄介な仕掛けはこれだけじゃない。

 

「は……」

 

 ぜいぜいと荒い息をつきながら、私は首だけで後ろを振り返った。

 そこには私たちを追ってくる狼の姿があった。

 当然普通の狼ではない。本来目があるべき場所は大きくえぐれ、そこから青い陽炎のような炎が噴き出している。体も下半身からしっぽにかけて闇に溶けるように透明化していた。

 死して尚獲物を追う幽霊狼である。

 マーキングされたら最後、倒すかセーフエリアに逃げ込むかしない限り、どこまでも追ってくるという面倒くさいモンスターだ。その上厄介なことにコイツは単体モンスターじゃなかった。

 

「来た!」

 

 私たちの最後尾、殿を務めていたクリスが叫ぶ。

 狼のさらに後ろ。森の木々の間から人の身の丈を軽く超える異様な影が姿を現した。

 体のラインはかろうじて女性に見える。しかし、腰から下は巨大な蛇で、首の上には狼のような仮面をつけた顔が、どこかの仏像っぽく六つもついている。武器を持つ腕も異様で、普通の両腕の他に背中から更に一対、腕がにょきっと生えている。第四階層のボス、『スキュラ』だ。

 下手に人間に似た要素が残っているからこそ、生理的嫌悪を誘うモンスターだ。これに比べたら、単純に巨大化しただけの蜘蛛のほうがずっとマシである。

 

「……!」

 

 六つの顔のうちのどれかが、呪文を唱えた。

 言葉が終わると同時にスキュラのすぐそばに新たな幽霊狼が出現する。

 

「まだ増えんのかよ!」

 

 それを見てヴァンが悪態をついた。

 そう、幽霊狼はスキュラの眷属であり召喚モンスター。つまり、スキュラを倒さない限り無限湧きする設定なんである。他でも思ったけど、なんでこう次から次へとタチの悪いモンスターばっかり出てくるかなあ!

 

「ヴァン、全員の消耗が激しい! これ以上戦うのは難しいよ」

「わかってる! もちお、セーフエリアまであとどれくらいだ!」

「15メートル先の角を右に曲がれば、目的地に到着します」

「だとよ! あとちょっとふんばれ!」

「わ……わか……」

 

 彼らの後を追って走ろうとして足がもつれた。

 がくんと体が傾いて、その場に膝をついてしまう。

 貧弱な私の体はどこまでも無力だ。こんなところで足を引っ張ってる場合じゃないのに。

 

「小夜子さん!」

 

 立てない私を絶好の獲物と判断したんだろう。狼たちが一斉にとびかかってきた。

 

「しょうがないね」

 

 それを見てユラがぱちんと指を鳴らす。どこからともなく現れた真っ黒な鎖が狼とスキュラに巻き付いた。束縛系の魔法だろう。動きさえ止めればなんとかなるはず。

 そう思って全員が安堵した時だった。

 

「なっ……!」

 

 バキン! と派手な音をたてて鎖が引きちぎられた。

 狼たちはまた襲い掛かってくる。

 

「このっ!」

 

 一瞬の足止めの間に追いついてきたクリスが、狼の頭をクレイモアで強打した。鋭い悲鳴をあげて狼は後退する。

 

「ごめん、触るよ」

 

 その隙にケヴィンがぐい、と私の腕を引っ張った。そのまま肩にかつがれる。途端に視界を流れる景色の速度が速くなった。彼は見習いの身といっても鍛えられた騎士だ。荷物を抱えていても、病弱な村人より彼のほうがずっと速い。

 

「ごめ……」

「大丈夫だから、掴まってて」

「行け!」

 

 私たちは転がるようにしてセーフエリアに飛び込んだ。

 すぐ後ろまで迫っていたエリアボス、スキュラはゲームの仕様に従っておとなしく姿を消した。

 

「はあ……なんとかなった……」

 

 全員で大きくため息をつく。

 私もケヴィンの腕から降ろしてもらって、その場にへたりこんだ。

 

「階層が深くなったら、その分敵が強くなるとは聞いていましたけど……すさまじいですね」

 

 武器を握り締めたまま、セシリアがうなだれる。その横でクリスが首をかしげた。体力のある彼女も、狼に追いかけまわされたせいで息があがっていた。

 

「しかもあのスキュラとかいうボス! 扉から離れて歩き回っているのは、どういうルールだ?」

「第三階層までは、ボスは階段前の部屋に居座ってたよね?」

 

 ケヴィンも不思議そうだ。

 

「敵が毎回同じ手口で来るとは限らないでしょ。そろそろ応用力を試そうって考えなのかもね」

 

 ツノつきの悪魔、ユラがひとりだけ楽しそう言う。意見自体は普通の考察なんだけど、ニヤニヤ笑いつきで語られるとなんか腹立つ。

 

「いやそもそも、アレ全部お前の配下の魔物なんだろ。まずお前の性格の悪さどうにかしろよ」

「そうは言っても、コレを設計したのは女神だしねえ」

 

 ヴァンのつっこみもどこ吹く風だ。

 

「敵が絡め手を使うのも厄介だけど、物理耐性が面倒だね」

 

 ケヴィンが眉間に皺を寄せながら腕を組む。私たちのパーティーは、相変わらず物理多めの編成だ。耐性持ちに出て来られるとつらい。

 薬で回復しつつ、セシリアに対応してもらってるけど、薬や道具は有限だ。セシリア自身の負担も大きい。

 

「サヨコは、このダンジョンを何度かクリアしてるんだよね? その時はどうしてたの?」

「魔法の得意なメンバーを仲間にいれてた。アルヴィン先生とか」

「うん……? リリィのお兄さんはハルバードにいるんだよね? それに、先生?」

 

 ケヴィンはますます首をかしげる。

 

「キャラの前提が違うんだよ。ゲーム内の歴史だと、アルヴィンは家族嫌いで家を飛び出して、王立学園で魔法科の先生やってたんだ」

「先生……? 実業家じゃなくて?」

 

 商才が開花したのは、リリアーナの我儘につきあいだしてからだからねー。

 

「フランも悪くないけど、あっちだと宰相やってるからスケジュール調整が難しいんだよね。あとは『クリスティーヌ』とか」

「俺?」

 

 現在進行形で物理キャラをやっているヴァンが目を丸くした。

 

「クリスと婚約してヴァンになってなかったら、女装男子のままだったからね。性別を偽るためには、筋肉がつけられないでしょ? だから魔法で武装してたんだよ」

「なるほど……じいさんのところで騎士訓練していた時間を、全部魔法の勉強に回していたら、そうなってたかもしれない……か?」

「そのへんは、もう『もしもの世界』でしかないけどね」

 

 ヴァンが魔法の才能を伸ばしていたら、楽だったかもしれないけど、今更言ってもしょうがない。

 メンバーについて実はもうひとつ裏技があるんだけど、黙っておく。

 私たちはここから脱出した後も戦い続けなくちゃいけない。その時になって、情報をユラに利用されたら困る。

 

「メンバーの入れ替えかあ……うーん、今その攻略方法を聞いても困っちゃうね。現状、俺たちはダンジョンの出入りができないわけだし」

「そこは女神も想定してなかったんだと思う。状況にあわせて仲間を入れ替えさせることで、来たるときに最適なメンバーをそろえる。それも狙いだったんじゃないかな」

 

 このダンジョンは、脱出できない事態を想定して設計されてない。組み合わせによっては攻略不可、いわゆる詰み状態になる可能性は大いにあった。

 

「このメンバーで、あと魔法が得意といえばコイツだけど……」

 

 全員の視線がツノつきの悪魔に集中した。ユラは肩をすくめる。

 

「今の僕はあんまりアテにできないと思うよ」

「どういう意味だ?」

 

 ヴァンが眉をひそめた。ケヴィンも疑わしそうな目でユラを見る。

 

「そういえば……さっきも、狼を拘束するのに失敗してたよね」

「まさか、今更自分の眷属を攻撃できないとか言い出すんじゃないだろうな?」

 

 クリスがユラを睨むけど、彼はその鋭い視線を笑って受け流した。

 

「そんなことはしないよ。戦闘に関しては手を抜かないって、愛しの君に誓ってるからね。さっき失敗したのは単純なパワー不足」

「うん? お前はめちゃくちゃ高レベルなんじゃなかったのか? どうして今更そんな話になってるんだ」

「状況が変わったからだよ。女神の使徒、君ならわかってくれるよね?」

 

 ユラに話をふられて、私は不承不承頷くしかなかった。

 

 




次の更新は3/23です!


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カンスト経験値

「えーと、第二階層で私はユラが高レベルすぎて追い出せないって言ったけど、それはあの時点での話なんだよね」

 

 説明しながら、私はメニュー画面を展開した。

 

「あの時のパーティーのレベル平均はだいたい二十五。対してユラはレベル五十の魔法戦士相当のパラメーターだった」

「レベルが二十以上違う相手とは勝負にならねえ。……そういうことだよな」

「うん。でも、今のヴァンたちは違う」

 

 各メンバーのステータスを順に表示させていく。現在は、ヴァンがレベル五十五、ケヴィンがレベル五十四、クリスがレベル五十六。成長特性のあるセシリアに至ってはレベル六十二だ。

 

「私たちのパラメーターが、ユラを上回っている……?」

 

 数値を見比べていたセシリアが目を丸くした。

 

「普通のゲームだったら、高レベルキャラも他キャラが成長する間にちょっとずつ成長するし、レベルが追いついた後は同じスピードで成長するものなんだけど……」

 

 私はユラのパラメーターを見つめる。

 名前の隣に表示されたレベルは最高値の九百九十九だ。

 

「ユラは経験値がカンストしてる。つまり、これ以上成長できないんだ」

「え……? じゃあ、ユラのパラメーターはずっとこのままなんですか?」

「システム上はそうなる。この四階層の敵キャラのレベルはだいたい五十五で、ボスが六十。ユラのパラメーターだと、相手のほうが強くて押し負けちゃうんだよ」

「なるほど、だからユラはあてにできねーのか」

 

 こんなところまで、序盤お助けキャラムーブしなくても良いんだけどね。

 

「確かにそれは残念かもしれないが……パラメーターが上回った、ということはようやくコイツを追放できるんじゃないのか」

 

 パキ、と拳を鳴らしてクリスが微笑んだ。うん、気持ちはわかるけどね?

 

「それはまだちょっと待って。レベル数依存の超必殺技とか、隠し玉を持ってる可能性があるから。そういうスキルを使われても瞬殺できる程度にはこっちが成長しないと、危険だと思う」

「レベル差自体はまだ健在、ということか……難しいな」

「共存するって道はないわけ?」

「そういうセリフは、共存したくなるような善行を積んでからにして」

 

 私がユラをパーティーに入れたままにしてるのは、慈悲じゃないからね? そっちのほうが安全ってだけだからな?

 私たちを見て、ヴァンがため息をつく。

 

「結局、このメンバーでやりくりするしかないってわけか。……もちお、『スキュラ』の現在位置を教えてくれ」

「はい、こちらです」

 

 ヴァンが命令すると、セーフエリアで一緒に休憩していた白猫が立ち上がった。ヴァンの目の前に地図が表示される。地図にはセーフエリアに集まる私たちのアイコンと、少し離れたところに敵を示す大きな赤いアイコンが描かれていた。

 スキュラの移動にあわせているんだろう、赤いアイコンはゆっくりと地図上を移動している。

 

「スキュラの残存体力は?」

「三十二パーセントです」

「このフロアに残されたアイテム『スキュラの核』はあといくつだ?」

「あとひとつです。この核を破壊すると、スキュラのヘルハウンド召喚可能上限が一に、さらに『防護の仮面』が機能停止します」

「……スキュラの核のありかは?」

「地図にポイントします」

 

 もちおの声とともに、地図上に緑のアイコンが出現した。

 

「もちお、ご苦労。……コイツが意外に使えるってのだけが、救いだな」

「腐っても女神の作ったナビだからねえ」

 

 当初、全く会話の成り立たなかったもちおだけど、第三階層を突破して機能拡張したことで、ちょっとだけ人間らしい返事をするようになった。

「システムチェックしてバグを直す」みたいな、複雑な命令は実行できないけど、元からある機能をカスタマイズしたり、拡張したりするくらいはできるようになっている。

 今私たちの目の前にいるこのちょいぽちゃでブサかわな白猫も、カスタマイズの賜物だ。

 天の声がどこからともなく降ってくるのが、どうしても気持ち悪いというクリスの希望で、『もちお』の存在を示すアバターを作ったのだ。

 モデルはもちろん、おじいちゃん家の猫もちおだ。

 白猫がしゃべるのってどうなの、と思ったけどファンタジー育ちのメンバーはそれで納得したらしく、もちおを仲間のひとりとして扱っている。

 

「第四階層を突破したら、今度はシミュレーション? ができるようになるんだったか?」

 

 ヴァンの問いかけに私は頷いた。

 

「うん。今まではただ命令に結果を返すしかなかったけど、拡張後は結果予想……ええと、命令を実行したら何が起こるのか、とか、結果のために何をしなくちゃいけないか、とかそんなことまで答えてくれるようになるはず」

「だいぶできることが増えるな」

「そんなにいろいろできるんなら、最初から全部の機能を解放しておけばいいのに」

 

 横で聞いていたクリスがうんざり顔で言う。

 まあいちいち機能解放のために階層を潜っていくのは大変だもんね。

 でも、と私は思う。

 

「これも安全策のひとつだと思うよ。強い権限は強い武器と一緒だから」

「うん?」

「あとから気づいてぞっとしたんだけどさ……バグ修正ってことは、このシステム内の不正データを正すってことなんだよね。で、私はリリアーナの体に入ってた、他人の魂でシステム的には不正データの一種じゃない?」

「……うん?」

「ってことは、何も考えずに『バグを直して』って命令してたら、今頃私自身が不正なものとして消去されていた可能性が……」

 

 ぶは、と話を聞いていたユラが噴き出した。

 笑ってんじゃねえ。不正データはお前も一緒だぞ。

 

「コレに限らず、強力な命令は深刻な事故の元だからね。もちおが何をできるのか、ちゃんと理解した上で命令できるよう、段階的に機能を解放してるんだと思う」

「言ってる意味は正直よくわからないが……とにかく、危険だから制限してあるんだな。わかった、サヨコが消えるのは嫌だから我慢する」

 

 神妙な顔で頷かれて、私も頷き返した。

 軽率な命令、駄目、絶対。

 

「第四階層もあとちょっとだ。スキュラの核を壊して、さっさと倒すぞ」

 

 ヴァンが立ち上がった。

 話しているうちに、全員の息は整っている。目的地に向かって移動できそうだ。

 

「もちお、もう一度スキュラの場所を教えて」

 

 命令すると、敵キャラアイコンつきの地図が表示された。

 あれ? なんか近いな?

 さっき見た感じだったら、もっと遠くを歩いててもよさそうなのに。

 

「ねえ、スキュラの体力ゲージの色がおかしくない?」

 

 横から地図を覗き込んでいたケヴィンが言った。確かに、さっきまで黄色だったゲージがオレンジ色になっている。

 ……オレンジ?

 

「もちお、スキュラの残存体力を教えて」

「二十九パーセントです」

「さっきまで三十あったろ。なんで減ってるんだ?」

「あー……もしかして、さっき足止めに使った鎖の魔法のせいで、毒が回った……とか?」

 

 珍しく、ユラが困惑顔になった。

 お前なんてことをしてやがる。

 

「ユラ」

 

 セシリアに睨まれて、ユラが降参のポーズになる。

 

「これは、おふざけでもイタズラでもないって! ステータス差があるから、足止めはともかく毒の効果まで通ると思ってなかったんだよ」

「どうだか」

「勝手に体力が減ってるならいいんじゃね?」

「普通はね! でも、スキュラは移動ボスなんだよ!」

 

 地図上のスキュラは、一歩、また一歩とこちらに近づいてきている。

 やばい。

 

「あいつは体力が三十パーセントを切ると、セーフエリアを無視してどこでも襲ってくるようになるの! 今すぐ『スキュラの核』を破壊しにいかないと全滅する!」

 

 事態を理解して、ヴァンたちの顔色が変わる。

 スキュラの足音が、ずんっ、と直接響いてくる。地図上のアイコンも、もうすぐそばだ。

 

「走れ!」

 

 私たちは大急ぎでセーフエリアから飛び出した。

 

 

 




次の更新は3/25です!


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強制ボス討伐

「後ろからきてる!」

「早すぎんだろ! サヨコ、先に行け!」

「わわ、わかってるけど!」

 

 鬱蒼とした森の中、私たちは大急ぎでボスモンスターの弱点『スキュラの核』を目指していた。その後ろからは、幽霊狼とボスモンスターが追ってきている。

 装備とアイテムをそろえてからアタックしようと思ってたのに、とんだ大番狂わせだ。

 

「つくづくいらないことばかり……!」

 

 足の遅い私をかばって走りながら、セシリアが忌々し気に漏らす。気弱なセシリアが悪態つくって、相当だぞ。横を見たら、ユラは走りながら頭を抱えていた。

 

「いやさすがに今回は不可抗力だから。仕掛けてもいない悪戯で君に憎まれるのは耐えられない」

 

 ねえそれ、意図した悪戯で憎まれるのはオッケーって言ってない?

 相変わらずユラの落ち込みポイントが意味不明なんだけど。

 

「もちお、『スキュラの核』は!」

 

 ヴァンが叫ぶ。存在を主張するように、白猫がジャンプした。

 

「この奥、7メートル先です」

「サヨコとセシリアは先に行け! 敵はここで食い止める!」

「はいっ!」

「行こうか、愛しの君」

「お前はこっちだ」

 

 セシリアと一緒に先行しようとしたユラの首根っこをヴァンがひっつかんだ。セシリアと引き離されて、ユラの顔が嫌そうに歪む。

 

「毒でも麻痺でもなんでもいい。持ってるスキル全部使ってスキュラを止めろ。能力が低いんなら、全力出しても邪魔になんねーだろ」

「ったく、勘のいい指揮官は面倒くさいったら……!」

 

 ユラは舌打ちしながらもその場にとどまった。

 セシリアに『戦闘の手は抜かない』と誓っているユラは、指揮官の命令に逆らえない。彼の影が床一杯に広がったかと思うと、モンスターたちに襲い掛かっていった。

 

「私が道を開きます。小夜子さん、走って!」

「わかった!」

 

 私は攻略本を開けながら必死に走る。

『スキュラの核』は、イベントオブジェクトだ。破壊に武力は必要ない。ただ解除パスコードを入力すればいい。本来はダンジョン中に散らばったヒントを元にコードを推理するイベントだけど、そんなもの私には関係ない。直接コードを入れるまでだ。

 

「3、5、8……9! オッケー!」

 

 番号が間違いないことを確認して、私は決定ボタンを押した。

 背後から、耳が痛くなるような甲高い悲鳴があがる。振り向くと、スキュラが四本の腕で頭についたいくつもの仮面を押さえてのたうちまわっていた。弱点破壊が成功したのだ。

 

「よし……これで!」

 

 スキュラを押さえていたヴァンたちが勢いづく。私は彼らに向かって叫んだ。

 

「油断しないで! 核破壊後、HPが十五パーセントを切ったら、最期の大暴れモードに入るから!」

「そんなことだろうと思った!」

 

 クリスが剣を構えたまま、敵を睨む。彼らの目の前で、仮面を破壊されたスキュラは六つの口を同時に開いた。すさまじい咆哮がびりびりと辺りの空気を震わせる。

 叫び声が収まると、スキュラの姿が変化していた。

 小さな青白い光がいくつも出現して、ボスを守るようにただよっている。

 

「もちお、スキュラの白い光は何だ!」

 

 ヴァンの叫びに、白猫が冷静に答えを返す。

 

「スキュラの最終防衛システムです。あの光を纏っている間は、全ての物理攻撃が無効化されます」

「また物理かよ!」

 

 舌打ちして、ヴァンがこっちを振り返った。

 

「セシリア、魔法で攻撃! ユラ、お前もだ! 回復のことは考えるな!」

「はいっ!」

「はいはい」

 

 セシリアが詠唱を始める。その横で私は所持品ボックスを開いた。

 彼女が攻撃魔法を使っている間、ヴァンたちの命を支えるのはアイテムだ。さっきセーフエリアを慌てて飛び出してきたから、薬の再分配ができてない。私がみんなに配ってあげないと、誰も回復できなくなってしまう。

 

「ケヴィン!」

 

 腕から血を流すケヴィンに回復薬を投げる。マンティコア戦ではユラに投げてもらってたけど、今のユラは魔法戦闘中だ。自分でなんとかしなくちゃ。私の貧弱さを予想していたのか、ケヴィンはこっちに走ってきて、薬をキャッチしてくれた。

 

「ありがとう。でも、あまり前に出ないで!」

「でも……ケヴィン!」

 

 薬を飲もうとしたケヴィンに、スキュラの攻撃が迫る。飲みかけの薬を放り出して、ケヴィンはその刃を受け止めた。

 

「くっ……!」

 

 回復させてあげたいけど、無力な私は見ていることしかできない。ヴァンがフォローに入ろうとこちらに足を向けた時だった。

 どんっ、と大きな音がしてスキュラの顔がはじけた。セシリアの魔法攻撃が当たったんだ。

 よく見ると、スキュラの体には無数の黒い鎖がまとわりついている。多分こっちはユラの魔法だ。鎖もまた、じわじわとスキュラの体力を奪っている。

 

「もちお、スキュラの残存体力は?」

 

 私はナビに尋ねた。全員が目の前の判断で忙しい中、問いかけできる余裕があるのは私だけだ。

 

「五パーセントです」

「ってことはあと一撃!」

 

 セシリアは真剣な顔で詠唱を続けている。ボスモンスターの体力を削るような大技は、その威力に比例して集中に時間がかかる。彼女の顔は真っ青だった。

 スキュラは、ゆっくりとセシリアに視線を向けた。

 さっきの攻撃で、最大の脅威がセシリアだと判断したのだ。

 

「行かせない!」

 

 流れる血もそのままに、ヴァン、ケヴィン、クリスがスキュラの前に立ちふさがった。物理攻撃がきかない以上、彼らにできるのは間に立って肉壁となることくらいだ。スキュラの四本の腕が彼らに襲い掛かる。

 

「ぐっ……あぁっ!」

 

 受け止めそこねて、ケヴィンが吹っ飛ばされた。そのまま周囲の木に激突して、動かなくなる。

 

「ひるむな!」

 

 仲間が戦闘不能になっても、クリスとヴァンはスキュラから視線を外さない。

 幸か不幸か、仲間の死には慣れてしまった。今彼らがやるべきことは、ケヴィンを助けることじゃない。セシリアを守ることだ。

 スキュラがふたたび腕を振り上げる。

 黒い鎖に絡みつかれて、その動きは緩慢だ。このまま持ちこたえていれば、セシリアの魔法であいつを倒せるはず。そう思った矢先に、突然鎖が消えた。

 

「ユラ!」

 

 鎖は彼の担当だったはずだ。何故消えるのか。

 ユラを振り返った私は、すぐにその原因を理解した。

 

「ごめ……限……界」

 

 がはっ、と黒い血を吐きながらユラがその場に崩れ落ちる。いつのまにそうなっていたのか、ユラはHPもMPもゼロになっていた。限界以上に魔力を使いすぎて、魔法が維持できなくなったのだ。

 

「ああもう肝心な時に!」

 

 ヴァンとクリスが必死にスキュラを止めようとする。でも、無駄な努力だった。

 拘束を解かれたスキュラの一撃は、彼らを木の葉のように吹き飛ばしてしまう。

 

「あ……」

 

 やばい。

 ぞっと悪寒が背筋を這いのぼる。

 今残っているのは、無力な私と詠唱中のセシリアだけだ。

 魔法を放つ前にセシリアが絶命したら終わりだ。私たちは全滅してしまう。

 ダンジョン内に真実の死は存在しない。ゲームオーバーになっても、きっと少し前の状態からゲームが再開するだろう。全員セーフエリアに蘇生されるはず。

 でも、私は?

 セシリアたちと違って、私に肉体はない。

 死者蘇生が正しく実行される保証はどこにもない。

 再開時に私だけいない、なんてこともありうる。

 全滅は、危険だ。

 生き残りたいのなら、今ここでスキュラを倒さなくては。

 

「小夜……」

「詠唱続けて!」

 

 私は立ち上がると、そのへんにあった石をひろいあげた。

 足りない腕力で、それでも力いっぱいスキュラに向けて投げつける。

 

「来い!」

 

 ぐる、とスキュラの視線がこっちに向いた。

 ダンジョンモンスターが攻撃対象を選ぶパターンはふたつある。ひとつは脅威度、そしてもうひとつは対象の貧弱さ、だ。

 いまだにHPが一桁の私は絶好の獲物だ。

 私は全力でセシリアとは反対方向に走り出した。

 

「……っ!」

 

 追いつかれたら、死ぬ。

 セシリアと一緒にいたって、死ぬ。

 でも、私がセシリアが詠唱を終えるまで持ちこたえたら?

 敵さえ倒せば私たちの勝ちだ。

 私が囮になれば、勝利の可能性が残る。

 それがわずかなものだとしても、道があるなら賭けるしかない。

 

「死んで……たまるか!」

 

 がしゃん! と背後で大きな音がした。

 スキュラが何かをなぎ倒したんだろうけど、確認はできない。今の私に後ろを振り返ってる余裕なんかないからだ。

 死にたくない。

 生きたい。

 生き延びたい。

 一度死んでおいて今更? いいや、一度死んだからこそだ。

 小夜子としての人生は、ずっと死と隣り合わせだった。

 自分に先がないことはわかってた。

 だから、後に未練を残さないよう、自分を納得させて、感情を全部押し込めて、無理矢理穏やかな死を迎えた。

 でも女神から与えられた二度目の生は違う。

 健康な体と、優しい家族と、頼もしい仲間がいる。

 将来を誓いあう恋人もできた。

 この世界に産まれて、始めて未来に夢を描くことができたんだ。

 明日は何が起きるのかな、ってわくわくしながら眠る幸せを手放したくない。

 ずっとあの人と一緒にいたい。

 こんな重い未練を抱えて死ねない。

 死んでたまるもんか。

 

「ひ……っ!」

 

 すぐ背後に風を感じた。

 スキュラの持つ武器か、爪か牙か。何かはわからないけど、私を殺そうとする何かが、ぎりぎり通り過ぎていったんだろう。

 息が苦しい。

 これ以上走れないと体が悲鳴をあげている。

 でも、私はまだ、諦めない。

 なお先に進もうと、足を踏み出そうとした時だった。

 ピンポーン、と唐突なチャイム音が響いた。もちおの淡々とした声が続く。

 

「外部よりログイン申請を受けました。許可しますか?」

「外部……っ、きょ、許可しますっ!」

 

 セシリアが叫ぶように応えた。何かが、フィールドに出現しようとしている。

 

「誰でもいい……っ! お願い、小夜子さんを助けて!」

「承知した」

 

 ガツン! とごく近くで何かがぶつかる音がした。

 振り向くとそこには、ずっと求めていた青年の後姿があった。




次の更新は3/28です!


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コンプレックスパニック

 フランは、持っていた剣で襲い掛かってきたスキュラの攻撃を受け止めると、力任せに押し返した。勢いに押されて、スキュラがわずかに後退する。

 

「……?」

 

 あまりに手ごたえがなかったせいだろう。敵を押し返しながらも、フランの反応が困惑したものになった。

 

「そい……物理、きかな……」

 

 まだ荒い息を必死に整えて、言葉を紡ぐ。それで状況を察したらしいフランは、口の中で何かをつぶやいた。

 スキュラが再び武器を振り下ろしてきた。

 ヴァンたちをなぎ倒した一撃だ。しかしフランは青い火花を散らしながら、持ちこたえる。

 何か魔法を使った防御スキルなんだろう。

 

「ぐ……っ!」

 

 スキュラの攻撃を受け止めるフランの横顔が苦痛に歪む。

 相手は数人がかりで倒すはずのボスキャラなんだから、当然だ。彼ひとりでどうにかなるものじゃない。でも、一瞬の足止めさえできれば十分だ。

 スキュラの背後から飛んできた火の玉が、炸裂した。

 セシリアが詠唱していた魔法が完成したのだ。

 甲高い悲鳴をあげながら、スキュラが光の粒となって消えていく。

 私たちの、勝利だ。

 ただ三人だけ生き残った私たちは、勝利の余韻にひたることもできずに、ぼんやりとその場に立ち尽くす。

 

「……それで、これはどういう事態なんだ?」

 

 ややあって、フランがつぶやいた。

 そういえばとにかく助けてもらったけど、フランは何も事情を聞かされていない。混乱するのは当然だ。状況を説明しなくちゃ。

 私が口を開こうとした瞬間、くるりとフランがこちらを振り向く。

 綺麗な青い瞳と目があった。

 

「……あ」

 

 途端に、言葉が出なくなった。

 どくどくと、さっきとは別の意味で鼓動が速くなる。熱いはずの体がすっと冷えて、手先が震えだす。

 

「お前……小夜子か?」

「っ!」

 

 名前を呼ばれた瞬間、私は恐怖にかられて逃げ出した。

 

「あ、おい!」

 

 困惑する声が後ろから追ってくるけど、構ってられなかった。

 駄目だ、嫌だ、怖い。

 彼の前にいられない。

 ずっと会いたかったのに、ずっと一緒にいたかったのに。

 でもそれはリリアーナとしての話だ。

 小夜子のままで、彼の前に立つなんてこと、できない。

 

「小夜子!」

 

 がし、と後ろから伸びて来た何かに捕まった。そのまま、フランの腕の中に閉じ込められる。

 所詮私は病弱少女だ。

 騎士の足から逃げられるわけもなかった。

 

「や……離して!」

 

 だからってそのままでもいられない。

 私は往生際悪く、じたばたともがいた。

 

「お前小夜子だろう! どうして逃げるんだ!」

「無理……無理ぃぃ……!」

「だから落ち着け! 勝手に結論を出して勝手に逃げるな!」

 

 ぎゅうっと抱きしめられたせいで、もうどこにも行けない。

 私は必死で、かぶっていたニット帽を引き下ろして顔を覆った。こんなことしたって無駄だってわかってる。でも、フランの前に顔をさらせなかった。

 

「だ……だって、こんな格好、フランに……見せられない……」

「は?」

「ほ、本当の私は、ブスで貧弱で……リリアーナみたいに、綺麗じゃないもん。こんなの、フランに見られたら……き、きらわれ……」

 

 ぼろ、と涙がこぼれる。

 ああ嫌だ、なんて情けない。

 小夜子の私は、心も体もダメすぎる。

 フランみたいに、かっこよくて綺麗な男の人と恋愛して、私の恋人よって言えたのはリリアーナの体だったからだ。健康で綺麗な女の子だって自信があったから言えたこと。

 小夜子の体は骨と皮ばかりで、傷だらけだ。

 もし健康だったとしても、顔のつくりは平凡な日本人そのもので、何やっても美少女になんてなれない。

 こんなブス、フランどころか、誰にも好きになってもらえない。

 あの青い瞳が失望に曇る姿が見たくなくて、私は必死で目を閉じる。

 

「なんだ……そんなことか」

 

 恐怖に縮こまっている私の耳に届いたのは、思いのほか穏やかな声だった。

 ぽんぽん、と優しく背中を叩かれる。

 

「俺たちは結婚するんだろう? 一生を共に、という誓いは病める時も変わらない。少々かたちが変わったからといって、お前を嫌うわけがないだろう」

「びょ……病気とか、そういう問題じゃないし……!」

「似たようなものだろう」

 

 仮想世界で分裂してるのは、『似たようなもの』でくくれる事態じゃないと思います!

 

「だいたい、フランってリリィの見た目も結構好きじゃん!」

「確かにそれも要素のひとつだがな。お前はそれだけじゃないだろう」

 

 もう一度、フランの手が私の背中にあてられる。暖かい手だった。

 

「ツラの皮の良し悪しだけで、こんな面倒くさい女に惚れてられるか」

 

 背中をよしよしされて、私は返す言葉を失う。

 

「で? そろそろ泣き止んでくれないか。俺としては久々に抱きしめた恋人に、拒否されるほうがつらいんだが」

「……まだちょっと無理」

 

 私はぎゅっとフランの胸にしがみついた。

 だってしょうがないだろ。

 さっきは怖くて涙が出てたけど、安心した時にだって涙は出るんだから!

 そろ……と頭に移動しそうになったフランの手を止める。

 

「おい」

 

 頭ナデナデは、いつもやってもらってたことだけどね!

 

「触っちゃだめ。っていうか、触らせられない。……それと、顔も見ないで」

「俺は気にしないが……」

「私が、嫌なの!」

 

 フランが嫌わないって言ってくれても、ブスなのは変わらないから!




次の更新は3/30です!


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お膝抱っこ

「なるほど……そういうことか」

 

 スキュラを討伐した私たちは、死亡した仲間を蘇生させて第五階層に移動していた。階段直後のセーフエリアで、体力を回復させながらフランに事情を説明する。

 ……それはいいんだけど。

 

「状況がわかったのなら、そろそろ降ろしてもらえない?」

「断る」

 

 私のお願いを、フランはすげなく却下した。

 非常に強い意志を感じる。

 だけど私は反論せずにはいられなかった。

 

「人をいつまで膝の上に乗せてる気だよ! この手を離せ! 降ろせ!」

 

 何を隠そうこの男、私が泣いていたのをいいことに、パーティーメンバーの救助から第五階層への移動、そして状況説明を経て現在に至るまで、ずーっと私を抱っこしたままだったのだ。私が何度『大丈夫だから降ろせ』と言っても聞く耳持ちやしねえ。

 

「お前が見るな、と言ったんだろう。触る他に生存確認する方法があるとでも?」

 

 確かに言ったのは私だけどね?

 ダサジャージを着た小柄な少女を膝に乗せて腰を抱いている、細マッチョのファンタジー騎士二十三歳成人男性ってどういう絵面だよ。

 私が見るなって言った意味わかってる?

 

「声とか気配でわかるだろ」

「その程度では不十分だ」

「どういう判断基準?!」

「俺の基準」

 

 だめだこいつ。どうにもならねえ。

 

「誰か……」

 

 助けを求めて、仲間に目を向けたら全員さっと視線をそらした。

 心優しいセシリアまでも、あさっての方向を向いて決してこちらを見ようとしない。

 

「薄情者ぉぉ……」

「わざわざ馬に蹴られに行くバカはいねえってことだ。諦めろ」

 

 ヴァンの言うことは、ごもっともだけどね!

 

「その……フランさんはどうして、ここに? シュゼット様とお出かけされてましたよね?」

 

 痴話げんかを横に置いてケヴィンがフランに尋ねた。助かったから深く考えてなかったけど、言われてみたら確かに不思議だ。この世界にはスマホも通信機もないのに、どうやって私たちの危機を知ったんだろう。

 

「ジェイドの機転と、フィーアの機動力のおかげだな」

 

 相変わらず私を膝に乗せたまま、フランが大真面目に説明する。

 

「お前たちが鏡の中に消えたあと、いつまでたっても出てこないので、ジェイドが俺を呼ぶ案を出したようだ」

「王都に勇士の末裔は何人かいるけど、ジェイドたちが頼れる範囲で、事情に通じてるっていうとフランくらいしかいないもんね」

「それで、本人は『開かずの図書室』に誰も入らないよう警備しつつ、機動力のあるフィーアに呼びに行かせたらしい」

「外は大丈夫なのか? リリィの配下がミセリコルデ家に駆けこんだら、また何か言われそうなもんだけどよ」

 

 ヴァンの懸念に、フランは首を振る。

 

「まあ、今回は大丈夫だろう。幸いその場にいたのは、シュゼット姫だけだ。あの方は今日の会合の結果、ウチの陣営と手を組むことになった。リリィの醜聞になるようなことは口外しないだろう」

 

 いつの間にそんな取り決めが。

 ミセリコルデ家、有能すぎか。

 

「問題はこれからどうするかだが……」

 

 フランの言葉に、その場にいた全員が沈黙する。

 彼の登場で危機は脱したけど、『ダンジョンから出られない』という状況は変わっていない。むしろミイラとりがミイラ、遭難者がひとり増えて、状況が悪くなったとも言える。

 小さくため息をついて、ヴァンが口火を切った。

 

「目下の課題は、魔法の火力不足だな。フラン、アンタは魔法がどれくらい使える?」

「中級程度の魔法ならそれなりに。だが、制御特化型であまり派手な火力はない」

「レベルは問題ないんだけどねー」

 

 私はメニュー画面を開いて、フランのステータスを開いた。

 彼のレベルは現在五十七。破格のレベルだけど、これはハルバードで騎士を統率しながら死線を潜り抜けてきた結果だろう。

 魔法攻撃のスキルもあるけど、彼の言葉通り威力はそれなり、保有している魔力量もそれなりだ。槍を使った中距離魔法戦士。それが彼のジョブだ。

 

「ここにアルヴィンがいたら楽だったんだがな」

「それはサヨコも言ってたな」

 

 クリスが相槌をうつ。私も頷いて、メニュー画面を操作した。

 

「第五階層まで来たし、機能拡張したら外と通信できなくはなさそうなんだけど……」

「今は保留だな。ハルバードは遠すぎる」

「ジェイドたちに伝えたとして、ここからハルバードに早馬を出して、それを見たアルヴィン兄さんが学園まで大急ぎで駆けつけて……って、何日かかるか」

「その間、私たちはずっとダンジョンから出られないんですよね……」

 

 セシリアが大きなため息をつく。このヴァーチャルリアリティ施設は、体を保存する機能をあわせ持っている。一年くらいは中に入ったままでも死んだりしないけど、世間はそんなこと許してくれない。

 

「高位貴族が図書館に行ったまま、何日も行方不明。とんでもねースキャンダルだな」

 

 ヴァンが顔をしかめる。フランも同じ表情だ。

 

「ジェイドたちが隠蔽工作したところで、ごまかしておけるのは明日の夜明けまでだろう。この件を穏便に済ませるなら、早急に脱出する必要がある」

「ただでさえ苦しいのに、時間制限つきか……まあ予想はしてたが」

「……魔法使いが増えずとも、セシリアが攻撃に集中できればいいんだな?」

 

 しばらく考えていたフランがそんなことを言い出した。

 

「それは、まあ……私が攻撃できれば、その分火力は出せます。でも、私が攻撃に回ったら、今度は回復が……」

 

 アイテムを使った回復に限界があるのは、さっきのスキュラ戦で実証済みだ。

 

「その回復を補えばいい。リリィをメンバーに加えよう」




次の更新は4/1です!


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悪役令嬢の実力

「リリィを? あいつ戦力になるのかよ?!」

 

 真っ先に声をあげたのはヴァンだった。その気持ちはわかる。変な噂は山のようにあるけど、リリィ自身は深窓のお嬢様だ。戦闘スキルとは縁がない。

 しかしフランは平然と言い放った。

 

「あいつの二つ名を忘れたのか?『東の賢者の愛弟子』だぞ。賢者殿にみっちり教え込まれた上で、ハルバード城の兵士相手に治療訓練を受けている。下手な軍医より有能だ」

「ええええ……?」

 

 私を含む全員が目を丸くした。

 リリアーナの治療術って、世間的にそんななの?

 初耳なんだけど。

 

「その辺りの意識は小夜子なのか……。リリィの治療術は使える。これは身内のひいき目を抜いた客観的な評価だ」

 

 話を聞いていたクリスが、ううんとうなる。

 

「友達を悪く言うつもりはないんだが……じゃあ、何故リリィは普段からそのスキルを使ってこなかったんだ。リリィが誰かを治療しているのを見たことがないんだが」

「それは、使う必要がないからだな。リリィの側には常にジェイドがいた。リリィが軍医程度なら、あいつは熟練の医者レベルだ。専門家がいれば、手を出さず任せる。あいつはそういう奴だ」

「部下が有能すぎて、技能を使うタイミングがなかったのか」

 

 リリィの立場は『侯爵令嬢』。意思決定し、部下たちが仕事しやすいよう手配するのがお仕事だ。現場で手を使うことじゃない。

 

「能ある鷹は爪を隠すどころの話じゃねえだろ。何が凡才侯爵令嬢だよ」

「それはしょうがないんじゃないかなー……」

 

 リリアーナの周囲はとにかく有能な人間が多い。

 最強騎士に、至高ダンサー、辣腕若手実業家に、東の賢者。世界トップクラスの技能を日常的に見ている彼女が、『平均値』を見誤ってしまってもしょうがない。

 

「リリィ様の技能については、納得しました。しかし、加入させるといっても、今のリリィ様は……」

 

 セシリアは不安げに視線をさまよわせた。私は無言でメニュー画面を切り替える。

 パーティーメンバー候補画面には、相変わらずノイズのかかったリリィのアイコンが表示されている。

 

「ノイズがかかっているだけで、呼び出せなかったわけじゃないんだろう?」

「それはそうだけど。……あ、だとしたら」

 

 私は、お座りポーズで待機している白猫を見た。

 ここはもう第五階層だ。ナビゲーションAIの機能を解放する条件はそろっている。

 

「もちお、『シミュレーション』機能を解放して」

「かしこまりました」

 

 ピコン、と音をたてて白猫が一瞬光る。

 

「もちお、待機状態のリリアーナを呼び出したら、何が起きる? シミュレーションして」

「少々お待ちください」

 

 白猫はしばらく沈黙したあと、いつもの淡々とした口調で結果を報告した。

 

「リリアーナ・ハルバードは天城小夜子とIDが重複しています。フィールドに召喚した場合、コンフリクトが発生しエラーとなります」

「コンフリクトを解消するには?」

「リリアーナ・ハルバードと天城小夜子の統合処理を行う必要があります」

「トウゴウ……ショリ……? 具体的に何をするの?」

「両者のデータを融合し、ひとつのデータにまとめます」

「つまり、私がひとりに戻る?」

「IDをひとつにすることを、『ひとりになる』と表現するのなら、その通りです」

「……」

 

 私が、リリアーナとひとつになる。

 朗報のはずが、私は素直に喜べなかった。

 彼女と私はずっと一緒だったのに。

 

「元に戻れるんだ、よかったねえ」

 

 のんびりとした声が投げかけられた。ずっと黙っていたツノつきの悪魔がニヤニヤ笑いながら私を見ている。

 

「素直に戻れたらいいね」

「……何が言いたい」

 

 フランがじろりとユラを睨んだ。私の腰に回しているフランの手が、緊張する。

 

「言ったままの意味だよ。女神の使徒は元々、女神が気まぐれに連れてきた存在だ。いきなりそんなものと生きる羽目になった侯爵令嬢は、今頃ひとりを満喫してるはずだよ。折角別れることができたっていうのに、もう一度他人を同居させろって言われて受け入れられるのかな?」

「……」

 

 ぎゅうっ、と心臓を引き絞られるような痛みを感じて私は胸を押さえた。

 それは、ずっと感じていた不安だったから。

 私は異邦人だ。

 どれだけ一緒に過ごしてきたとしても、リリアーナにとっては別人格。

 本当に受け入れられていたかどうか、わからない。

 急に現れた他人を疎ましく思っていた可能性はある。

 だとしたら。

 彼女に拒絶されたら、私は。

 

「単に拒絶されて、はじき出されただけならいいけどね? 主導権を握られたあげくに、侯爵令嬢の中で女神の使徒が消えちゃったりしてね。そしたら、君の意志はどうなるのかな?」

「……それ、は」

 

 息が、苦しい。

 動揺している場合じゃないのに。

 

「それとも……」

 

 さらに何か言おうとしたユラに向かって、ひゅっと何かが飛んで行った。

 見上げると、ユラの体にフランの持っていた剣が刺さっていた。攻撃したけど、同士討ち防止機能のせいで無効化されたらしい。

 

「黙れ」

 

 冷たく言い切ると、フランは腰を抱くだけじゃなく、後ろから両手で抱きしめてくれた。

 

「……ったく、らしくもなく弱気なことばかり言うと思ったら、こいつのせいか」

「ユラのせいって、私は」

「あいつのせいだ。いつものお前ならこの程度の戯言、聞く耳持たん」

「え」

 

 いやでも状況を考えたらね?

 

「セシリア、俺もあの白猫に命令できるか?」

「あ、はいどうぞ! もちお、フランドールをユーザー登録します」

「かしこまりました。ご命令をどうぞ」

「もちお、待機状態のリリアーナを召喚して、小夜子との統合処理をしてくれ」

「フラン?!」

 

 唐突な命令実行に、私は思わずフランを見上げた。

 リリアーナとの統合は必要なことだと思うけど、もうちょっと心の準備とか、安全策とか、やるべきことがあると思うんだけど。

 でも、私の大好きな青年は落ち着いて笑っている。

 

「心配しなくても、お前が消えることはない」

「なんで」

「あいつも、俺が惚れた女だからな」

 

 説明になってないよ!

 パニックになっているうちに、もちおの処理が始まった。私の前に、王立学園の制服を着た女の子の姿が現れる。

 豊かな黒髪に、すんなりと伸びた手足、女性らしい丸みを帯びた体。

 濃い睫毛に縁どられた赤い瞳はきらきらと輝いていて、唇は健康的に色づいている。

 体にノイズがまとわりついているけど、そんなことで彼女の美しさは損なわれない。

 私とは天と地ほども違う、絶世の美少女だ。

 全身を表示し終わったリリアーナは、うーん、とのびをした。

 

「あ~やっと出られたぁ~!」

 

 整いすぎてお人形みたいだった顔に、イキイキとした表情が宿る。

 彼女はフランの腕の中にいる私を見つけると、笑顔でこちらに手を差し伸べてきた。

 

「小夜子、来なさい。ひとつに戻るわよ!」

 




次の更新は4/3です!


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あの子の中身

「え……」

 

 リリアーナから手を差し出され、茫然としていたらフランが私を膝から降ろした。立たせて、彼女に向かって背中を押してくれる。

 いやなんでだよ。

 わけがわかんないんだけど。

 

「いいの……? 私とひとつになって」

「当然でしょ」

「へえ~侯爵令嬢は心が広……」

「三下は黙ってなさい」

 

 ユラの言葉を、リリアーナがぴしゃりと遮った。

 

「人が動けないからって、べらべらと……これ以上は言わせないわよ」

「リリアーナ? なんでユラの言動を知ってるの?」

「小夜子と私は繋がってるからね。待機してる間も、あなたの感じたことや考えたことは、全部伝わってたわよ」

「ぜ……全部?」

 

 ってことは、ダンジョン攻略しながら考えてたあれこれとか、フランに抱っこされながら悩んでたあれとかそれとかも全部筒抜けだったってことですか。

 

「何よ今更。いつものことじゃない。私はあなたで、あなたは私なんだから」

「……そう、だけど」

 

 私がうまく答えられないでいると、リリアーナは小さく息をついた。それから、ユラを振り返って睨みつける。

 

「ずいぶんといじめてくれたわね。アンタだけは許さないんだから」

「いじめ? 何が?」

「小夜子に向けた言葉、全部よ。異物? 余計なもの? ひとりになった私が自由を満喫してる? そんなもの、全部アンタの妄想でしょ。事実じゃないし、私が感じたことでもない。そうやって小夜子の不安を煽って、追い詰めたことの、どこがいじめじゃないのよ」

 

 リリアーナはもう一度私に向き合う。

 

「小夜子も小夜子よ! 私のことを一番理解してるのは、あなたでしょ? 私以外の言葉を信じて、勝手に落ち込んで勝手に卑屈になってどうするの」

「……あ、えと」

 

 そうは言っても、私はまだ彼女の言葉がうまく呑み込めない。

 嫌われてないことだけは、わかるんだけど。

 

「侯爵令嬢様は、女神の遣わした存在が迷惑じゃなかったと?」

「そうよ。私が小夜子を嫌だと思ったことなんてないわ」

 

 彼女はきっぱりと断言した。

 そこまで言い切るとは思っていなかったのか、ユラもちょっと面食らう。

 

「だって、あなたが初めてだったもの」

 

 ふっと笑う表情は柔らかい。

 

「私をいい子だって信じて、幸せにしてあげるって言ってくれたのは」

「え……」

「あなたと出会った十歳の時、私は不幸の底にいた。両親は生きることを諦めて、ぶくぶく太って日々をやり過ごしていた。兄様は家族を嫌って、怒りを周りにぶつけていた。私は執事から悪意ある教育を受けたせいで、何が正しくて何が悪いかもわからない子供だった」

 

 それは、ゲームの歴史のままのリリアーナだ。

 この世界で裕福な家に産まれて置いて何が不幸か、と言われるかもしれない。

 しかし環境が整っていても、家族が家族として機能していない家庭では子供は決して幸せになれない。

 

「わがまま放題だった私を気にかけてくれたのは、あなただけだった。私を、本当はがんばり屋だって言って、素敵な淑女になる未来を信じてくれたのは、小夜子だけだったのよ」

「でも、それは……」

「うん。小夜子自身の死にたくない、っていう保身もあったと思う。でも、そんなのどうでもいいの」

 

 リリアーナが一歩、私に向かって踏み出した。

 

「十歳からの今日まで、私は楽しくて幸せだった。それだけでいい」

 

 いいのか、それで。

 人ひとりの人生なんだけど。

 私がどうにも踏み出せずにいると、だいたいさあ、とリリアーナがあきれ顔になった。

 

「あなたと何年一緒にいたと思ってるのよ。今更普通の人生なんてつまんないわよ」

 

 さっさと来なさい、と両手を広げられて。

 私は誘われるようにして、彼女の手を取った。

 

「統合処理を開始します」

 

 どこか遠くで、もちおの声が響いた。

 私とリリアーナは触れ合ったところから輪郭が溶けて、そのままひとつに集約されていく。

 私はあなた。あなたは私。

 私の中には病弱日本人の心と、ファンタジー世界の侯爵令嬢の心が同居している。

 どちらの個性も私のもの。

 私は小夜子でリリアーナだ。

 ふたつに別れていた魂は、これでようやくひとつに……

 ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ!

 溶け合う心地よさは、唐突なノイズ音によって遮られた。目の前の景色がノイズに埋め尽くされる。いや、私自身がノイズまみれになってるんだ。

 

「リリィ!」

 

 フランの声が焦りで高くなる。

 リリィが小夜子を受け入れるところまでは予想してたけど、処理そのもので問題が発生するとは思ってなかったんだろう。

 私はばらばらになりそうな体で、必死に叫んだ。

 

「もちお……何が起きたの!」

「統合処理中にエラーが発生しました。処理が継続できません」

「エラーの原因は!」

「IDが小夜子とリリアーナの二重に定義されています。存在を一意に定義してください」

「一意に……って!」

 

 とんでもない難問を突き付けられて、私は言葉を失う。

 魂を一意に定義する。

 産まれながら魂がひとつしかない人間には当たり前のことだ。

 でも、私は小夜子で、リリアーナだ。

 どっちも同じ私なんだ。

 どちらかひとつなんて、決められない。

 決まらないのが私だって、そう決めてしまった。

 

「あ……ああっ!」

 

 ばり、とまたノイズが走った。

 体がばらばらになりそうだ。

 でも、私は、ワタし、で。

 ふらりと足元がゆらいだ瞬間、ぎゅっと抱きしめられた。

 ノイズまみれで周りが見えないけど、誰の腕かはわかる。

 

「要はお前を一言で表せばいいんだな?」

「た……多分!」

 

 しかし自分の人格が多面体と定義した私を、一言で表す言葉なんて見つからない。

 

「だったら……お前は『俺の女』だ」

 

 なんだそれ、とつっこむ間もなかった。

 強引にキスされた瞬間、体を蝕んでいたノイズがぴたりと止まる。

 

「定義を受諾しました。このIDを『フランドールの女』として定義します」

「ちょ」

「魂の再構築を開始します」

 

 待って、その定義ってどうなの。

 存在を決められた私は、フランを想う恋心を中心に再構成されていく。

 そこにエラーも矛盾も存在しなかった。

 リリアーナが好きなのはフランで、小夜子が好きなのもフランだ。

 執着心をこじらせた面倒くさい男を愛する気持ちは、どっちの私にとっても同じ。

 そこに一切のズレはなく、あっという間に私が私として形作られていく。

 

「統合処理終了しました」

 

 もちおの言葉で、私は目をあけた。

 景色にノイズはない。

 自分の体を見下ろすと、豊かな黒髪と、いつかカトラスで着ていた鮮やかな赤いドレスが目に飛び込んできた。ドレスに見合うプロポーションも健在だ。

 

「よかった……」

 

 ほっ、とフランが安堵のため息をもらす。

 もう一度、ぎゅっと抱きしめられた。

 それはいいんだけどね?

 私が安定したから、結果オーライなのかもだけどね?

 

「こんな人前でキスすんなぁっ!」

 

 恥ずかしさのあまり、思わず全力パンチを繰り出してしまったのは、しょうがないと思うの!

 




次の更新は4/6です!

【書籍情報】
「クソゲー悪役令嬢3巻」が4月末に発売決定!
加筆やSSなど、書籍情報について活動報告などでぽつぽつ配信していく予定です。
ご期待ください!


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公開羞恥プレイ

「恥ずかしいいいいいいい……」

 

 IDを統合して、正式なパーティーメンバーになった私は、あまりの恥ずかしさに絶叫していた。

 開いたメンバーリストには、名前欄に「リリアーナ・小夜子・ハルバード(フランドールの恋人)」と、はっきりくっきりしっかり表示されている。

 ミドルネームよろしく小夜子の名前が挟まっているのはまだいい。

 小夜子も私だから。

 でも、この『(フランドールの恋人)』まではいらない。

 事実だけど、わざわざ名前欄に書く情報じゃない。

 

「統合処理が無事終わったんだから、いいんじゃないのか?」

 

 何が悪いのかわからない、という顔でフランがわざとらしく首をかしげる。

 そりゃー独占欲拗らせてるフランにしてみたら、恋人が自分の名前を掲げてるのは嬉しいだけかもしれないけどね?

 この名前はダンジョン内に限らず、管制システムでも、『乙女の心臓』でも使われる。このままだと巨大空中母艦に乗ってる間、ずっと『(フランドールの恋人)』ってラベルをつけて歩くことになりかねない。

 なんだよその公開羞恥プレイは!

 

「もちお……名前の変更ってできる?」

「データベースに登録されたID名は変更できません」

 

 ユーザーを区別するための名前だもんねー。

 コロコロ変えたら困るよねー。

 

「う、うーん……うーん……じゃ、じゃあ、画面に表示される名前だけ、変えることってできる? データベースはそのままでいいから」

 

 通信プレイゲームとかで使うプレイヤー名みたいなものだ。他人と名前がかぶってもいいように、IDとは別の名前を設定できることがよくある。

 

「表示名の変更は可能です」

「やった! リリアーナ・ハルバードに変更して!」

「かしこまりました」

 

 すぐに名前欄が切り替わった。

 恥ずかしい括弧書きが消え、私は安堵に肩を落とす。

 

「よかったああ………」

 

 ため息をついている私の肩に、ばさりと上着がかけられた。さっきまでフランが着ていたものだ。

 

「その格好で前かがみになるな。見えるぞ」

「胸のあいてるドレスになったのは、フランのせいでしょうが!」

「さっきから気になってたんだけど、どうしてリリィだけそんな格好なの? 雰囲気もなんだか大人っぽいし」

 

 ケヴィンが恐る恐る尋ねてくる。私はもう一度ため息をついた。

 

「フランの女なせいね。私っていう魂の定義に、フランの主観が混ざっちゃってるのよ。このドレスと見た目は……多分、フランの中の理想の私……かな?」

 

 もちおにお願いして、すぐそばに鏡を出現させる。

 改めて確認した私の姿は、二十歳くらいまで成長していた。この姿は見覚えがある。闇オークション潜入のために変身した時のものだ。

 フランが私を恋愛対象として見るきっかけになった事件でもある。

 彼の中では、あの時の私の姿が強烈に焼き付いているんだろう。

 私もこの姿は嫌いじゃない。

 でもダンジョン内でする格好じゃないのも確かだ。

 

「もちお、『お着換え』機能を解放して」

「かしこまりました」

 

 私が命令すると、メニュー画面に新たな機能が追加された。

 

「何を始めるんですか?」

 

 セシリアがきょとんと首をかしげる。

 

「着替えよ。さすがに胸のあいたドレスでダンジョン攻略なんかできないわ」

 

 メニューを切り替えると、様々なデザインの衣装がずらりと表示される。

 

「こんな機能あったんなら、早く言ってくれよ。装備がどうのって、やりくりしてた俺がバカみてーじゃねえか」

 

 強そうなデザイン衣装を見て、指揮官ヴァンがぼやく。

 

「これはあくまで見た目だけの機能だから。強そうに見えても、実際のスロットにセットしてある装備以上の強度になったりしないの。いわば……お遊び要素?」

「ダンジョン内で見た目だけ変えてどうすんだよ……」

 

 もちろんラブラブイベントを起こすためだよ!

 ダンジョン内でいつもと違った格好のヒロインちゃんを見て、ドキドキしてもらうための仕掛けなんだ!

 ……とは言えず、私はやんわりとほほ笑む。

 世間には言わぬが花という言葉もあるのだ。

 見た目変更は重要だけど、RTA(リアルタイムアタック)中にやるような要素じゃないから、放置してたんだよね。結局男女ともに、制服が一番動きやすいし。

 

「とはいえ、今の私には大事な機能ね」

 

 リリアーナ用の衣装リストを表示させ、その中から無難なデザインの服を探す。途中で小夜子ジャージとかセーラー服とか水着とか、どこでどうデザインを引っ張ってきたのか、ビキニアーマーとかもあったけど、見なかったことにする。

 結局、露出が少なくて動きやすい、という理由で王立学園女子制服を選択した。

 見た目が二十代に成長しているせいで、女子大生が無理やり制服を着てる感じになっちゃったけど、これはもうしょうがないものとする。

 なんか妙にエロいとか考えちゃダメだ。

 

「これで、よし」

 

 設定を終えたところで、誰かの手が私の体に回った。振り返ると、クリスが私を抱きしめながら大きなため息をついている。

 

「あ~やっとリリィに会えた……」

「え、何それ」

 

 私はずっとここにいましたが?

 

「私にとっては、どっちも違和感があったんだ。サヨコも、変な模様がついてるリリィも。ふたりがひとつになってわかった。私の友達は、このリリィだ」

「そういうものなんだ?」

 

 自分としては心の中にキャラがふたりいる感覚だったけど、外から見たら混ざった状態の私がいつもの私なのか。

 

「落ち着いたんなら、スキルを確認してもらっていいか? フランにお前が使えると聞いてたが、本当か確認したい」

「いいわよ!」

 

 ヴァンに尋ねられた私は、にんまりとわらった。

 




次の更新は4/8です!


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悪役令嬢のステータス

 私はメニュー画面を開き直した。自分のステータス画面に移動……と、その前に。

 

「もちお、私のステータス画面の参照権限を変更。ユラのみ非表示にして」

「かしこまりました」

 

 指定すると、後ろでユラがちっと舌打ちした。

 魔力ゼロの小夜子と違って、リリアーナはこの世界の住民だ。当然多彩なスキルを持っている。その中にはジェイドと一緒に開発中の極秘技術もあるはずだ。当然、ユラには非公開である。

 

「手品の種は明かさない主義なの。あんたはそこでせいぜい悔しがってなさい」

「あ~やだやだ、侯爵令嬢は小賢しくて」

「その言葉、そっくりそのまま返してやるわよ」

 

 権限をもう一度確認してから、私は自分のステータスを広げた。

 レベルは五十八、ジョブは治療師として登録されている。

 

「リリィ、お前レベルが高すぎないか? クリスでも初期レベルは三十だぞ」

「確かに、場慣れしてるところはあったけど……」

 

 レベルの高さを見て、ヴァンとケヴィンが首をかしげる。フランもわずかに眉間に皺を寄せた。

 

「今まで命を狙われてきた回数を考えれば、レベルは高くて当然だが……それでも、いきなり俺より上というのは不自然だな」

「小夜子の経験値が加算されたんじゃない? ジョブが村人だったから、うまく利用できなかったけど、ダンジョンを走り回った経験自体は無駄じゃないもの」

「なるほど」

「レベル上げを考えなくていいのは楽ね。パラメーターも悪くない値だし」

「精神的なパラメーターはサヨコと一緒だけど、フィジカル値の上昇がすごいね……」

 

 数値を確認していたケヴィンが茫然とつぶやく。

 

「最強騎士と至高ダンサーの娘だもの。体力は高くて当然よ」

 

 生まれ持った才能を腐らせないよう、毎日しっかりダンスレッスンしてるしね! これでみんなと一緒に走れるよ!

 

「でも、直接戦闘は期待しないでね。そっちの才能はほぼゼロだから」

「誰がやらせるかよ。だいたい、お前を前線送りにしたら、フランに殺されんじゃねーか」

 

 それはそう。

 ちらっとみたら、フランはにこりとこちらに笑いかけてきた。穏やかそうに見えるけど、目が全然笑ってない。

 私に前衛は無理だね!

 

「あと細かいスキルは……と」

 

 私はそこで口を閉じた。

 レベルはともかく、この先の情報をユラに与えるわけにはいかない。

 仲間に目配せすると、彼らもこくりと頷いてくれた。物分かりのいい仲間、頼もしい。

 私のメインスキルは仲間の傷を癒す回復魔法だ。傷の深さに応じて、消費魔力を変えられる省エネ型。セシリアが蘇生魔法を使っていたのを見ていたおかげか、私にも同じスキルが標準装備されている。

 予想通りというかなんというか、直接戦闘に使えるスキルはほぼゼロだ。その中で何故か投擲のレベルだけ妙に高い。これは多分、ことあるごとに魔力閃光弾をブン投げてきてたせいだろう。

 攻撃魔法は雷がメインだ。

 出力がかなり高いけど、発動条件に『対象との接触』と書かれている。人間スタンガンに変身するには、相手に触れってことだろう。前衛に加わらない私には、宝の持ち腐れなスキルだ。

 

「ねえ……これ何?」

 

 とんとん、とケヴィンが攻撃魔法一覧のある一点を指先でつついた。

 そこには『磁力魔法』『重力魔法』のふたつが並んでいる。どちらも、魔力を消費する割に効果が低い『死にスキル』というやつだ。でも、今うまく使えないのは、開発中だからだと思う。

 私は唇の前で指をたてて、にっこりと笑った。

 

「内緒♪」

「……だね」

「いきなりパーティーを全滅させるようなスキルじゃないから、安心してて」

「本当だろうな?」

 

 ヴァンが疑わし気に見てくるけど気にしない! 実際問題、この魔法を使ったところでちょっと鉄を引き寄せたり、物を持ち上げたりする程度だからね!

 最後は、生産系スキルだ。

 私以外にはセシリアくらいしか持っていない、珍しいスキルである。

 リストには『製薬』『錬金術』『効果付与』のみっつが並んでいる。これはディッツの教育の成果だろう。細かく確認すると、ダンジョン探索に有用なアイテムを生産するスキルのほとんどがそろっている。

 これがあれば、かなり攻略が楽になるはずだ。

 私はセシリアの手をとる。

 

「セシリア、この先の回復は私にまかせて。あなたが小夜子を守ってくれたぶん、今度は私があなたを助けるわ」

「リリィ様……ありがとうございます!」

 

 戦力が整ったことだし、この先はガンガン攻略するぞー!

 

 

 




次の更新は4/11です!


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パーフェクトパーティー?

「来たぞ!」

 

 ヴァンの声で、全員が身構えた。

 白い石畳の通路を、がしゃ、がしゃ、と音をたてながら鎧を着た兵士が歩いてくる。彼らは一通り兵士らしい装備を身に着けているけど、鎧も剣も、その下に身に着けた衣類もすべてぼろぼろで、あちこち汚れて錆びていた。ぼろぼろなのは装備だけじゃない。本人もだ。シワシワの皮膚は緑色に変色し、口からはどろりとした赤黒い何かが垂れている。その上目はうつろで、虹彩は完全に白く濁っていた。

 どう見てもゾンビ兵です。ありがとうございます。

 彼らの後ろからは、ゆらゆらと煙のようにゆらめく死霊の姿もある。

 第五層地下神殿ステージのご当地モンスター、リビングデッドご一行様である。

 人間っぽいどころか、ベースが人間そのものなので、心の底から気持ち悪い。

 しかし、彼らを見てもさほど恐怖は感じなかった。

 なにしろ戦力が大幅にアップしてるからね!

 

「フランとクリスがゾンビ兵に対応! 俺とケヴィンが死霊を牽制する。リリィは支援魔法、セシリアは広範囲浄化魔法だ!」

 

 ヴァンの指示に従って、メンバーがそれぞれのポジションへと走っていく。彼らの後を追うようにして、白い光が飛んでいく。

 私が放った『呪い防御』の魔法だ。

 呪いを解く魔法も持ってるけど、そもそも呪われないに越したことはないからね。

 

「はあっ!」

 

 クリスがクレイモアをふるう。物理的な体を持っているゾンビは、やすやすと吹っ飛ばされていった。しかし、動く死体は、手足が壊れているにも関わらず、ゆっくりとまた起き上がってくる。

 クリスとフランがゾンビたちの相手をしている間に、死霊が横合いから彼らに襲いかかった。ヴァンとケヴィンが間に割って入る。

 死霊の手がケヴィンに触れようとした瞬間、ばちんと白い光が弾けて死霊の手を消し飛ばした。私の『呪い防御』の魔法効果だ。よしよし、うまく機能してるな。

 

「どいて!」

 

 さらにケヴィンがモーニングスターを叩きこむと、質量がないはずの死霊の体が削れた。これも、私が事前に武器へと付与した聖なる力の加護だ。実体のない死霊を完全に倒すことはできないけど、体力を削るくらいはできる。

 

「みなさん、さがってください!」

 

 セシリアが叫んだ。

 祈るように胸の前で組んだ手には、強い光が集まっている。

 リビングデッドの呪いの力を消し飛ばす、浄化の魔法だ。

 

「来い!」

 

 フランたちが道をあけると、吸い込まれるように浄化の光が放たれ……全ての敵を焼き尽くした。あとには浄化されたドロップアイテムだけが残っている。

 

「おーすごいすごい」

 

 ぱちぱちぱち、と後方で待機していたユラがのんきに拍手した。私たちは無言で彼の祝福を無視する。

 

「……聞きたいんだが」

 

 いや、クリスが不機嫌そうに口を開いた。

 

「もうコイツは無能なんだよな?」

「第五階層の平均レベルは六十だしね。攻撃魔法どころか麻痺も毒も拘束も挑発も、通らないんじゃないかな」

 

 事実ユラはこの戦闘で何も行動していない。

 効果がなくて無駄だからだ。

 

「だったら、いっそのこと敵の前に放り込んで戦闘不能にしたらどうだ? 追放できないならせめて、物言わぬ死体にしたほうが面倒がない」

「お姫様はエグいことを考えるね」

 

 しかしその容赦ない提案は、ユラの言動にストレスをためている聖女の心を掴んだらしい。セシリアがうっすらと笑った。

 

「どうせここは夢の世界ですからね。ユラがモンスターに殺されたところで、本当に死ぬわけじゃありません。静かになるなら、それもいいんじゃないですか」

「えー、君に愛を囁けなくなるのは、悲しいよ」

 

 ユラがわざとらしく口をとがらせる。

 その態度が余計セシリアの神経を逆なでしてるってこと、わかっててやってるんだろうなあ。

 その余裕の笑みが癪に触って私は口をはさんだ。

 

「どうせ、蘇生されなくても平気なスキルがあるんでしょ」

 

 少し前から違和感はあったんだ。

 スキュラ戦でもHPとMPがゼロになった後、いつの間にか復活していた。誰もユラに蘇生魔法を使った覚えはなかったのに、だ。

 ユラは苦笑しながら肩をすくめる。

 

「ダンジョンの仕様のせいかな? 死ぬようなダメージを受けてもHP1ポイントで復活するんだよ。生きてさえいれば、そのうち自己再生スキルで完全復活する」

 

 ユラも首をかしげているあたり、現実世界では起きない現象なのだろう。

 

「死体っていうモノになった僕の体を運ぶのは平気でも、瀕死でうめいたり血を吐いたりしている僕を連れ歩けるほど、感情捨ててないでしょ。やめておいたら?」

「結局、この迷惑な男を連れて歩くしかないんですね……」

 

 セシリアが肩を落とした。

 

「まあ、悪いことばっかりでもないよ」

 

 私はセシリアの背中をぽんと叩く。

 

「小夜子がいない今、このパーティーの最弱キャラはユラなわけでしょ? 敵にとっては絶好の獲物な上、殺しても死なない。わあ、最高の囮だね!」

「……察しのいい侯爵令嬢は嫌いだ」

 

 私もユラが大嫌いだよ!

 

 

 




次の更新は4/13です!


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病弱少女のコンプレックス

「あと十メートルでセーフエリアです」

 

 先頭を歩く白猫が、落ち着いた声でお知らせしてきた。

 もちおが向かう先を見ると、暗い地下神殿の中にあって、妙に明るいエリアが見える。フィールドの石畳はどこも苔むしてて、ところどころ石が割れてたりするんだけど、セーフエリアの床だけはぴかぴかだ。

 安全地帯がわかりやすいのは助かる。

 

「ちょっと待ってね」

 

 私はセーフエリアの中心に向かうと、古びた燭台にロウソクを置いた。火をつけると、青白い炎が辺りを照らし始める。

 

「これでよし。三十分は安全が確保できるわよ」

「ありがとな、ちょっと休憩にするか」

 

 ヴァンがそう宣言して、私たちはそれぞれセーフエリアに腰をおろした。私はもう一度ロウソクの状態を確認してから、端っこに座る。すぐ隣にフランがやってきた。

 

「いちいち特殊なロウソクをともさないと、ゴーストがやってくるのか。面倒なシステムだな」

「ちょっとずつ条件を厳しくして、サバイバル能力を鍛えようとしてるんだと思う。ロウソクの在庫管理もゲーム性のうちってことだね」

 

 私は所持品ボックスを開くと、中から薬の材料を取り出した。万が一にそなえて、必要なアイテムをそろえておかないと。

 作業がしやすいよう、素材を並べようとしたらフランに手を掴まれた。

 

「何?」

 

 いきなり触られたら、どきっとするんですが。

 

「仕事の前に五分休憩だ」

「メンバーの休憩中がクラフターのお仕事時間なんだけど?」

「それだと、お前の休憩時間がないだろう。移動に戦闘に製造に……ずっと集中したままじゃないのか」

「あー……」

 

 そういえば。

 小夜子と違って、体力もスキルもあるからってちょっと張り切りすぎていたみたいだ。

 私は素直に素材から手を離した。

 

「お前は十分頑張っている、休め」

「はーい」

 

 返事をしてから、私は何かが物足りないことに気が付いた。

 

「ここは、よくやったって頭をなでてくれるところじゃないの」

 

 見上げて尋ねると、フランはわずかに目を泳がせる。

 

「しかし、さっきは……」

 

 さっき、と言われて私は自分の記憶を掘り起こす。私がフランのなでなでを拒否したことって……あったな。しかもつい先ほどの話だ。

 それどころか、ダンジョンでフランと再会してから、見るなと言ったり離せと言ったり、キスするなと言ったり、さんざんなことしか言ってない気がする。いろいろあったとはいえ、助けてくれた恋人に対してあんまりな対応である。

 ちゃんと、話さなくちゃ。

 

「……ごめん。小夜子がなでなでを嫌がったのは、もう気にしないで」

「あれもお前の一部だろう。それに、あの嫌がり方は尋常ではなかった」

「フランが嫌いで、拒否したわけじゃないの」

 

 私はフランにもたれかかった。

 

「多分もう気づいてると思うけど、小夜子はコンプレックスの塊なのよ」

「……ああ」

 

 私に寄り添いながらフランが息を吐く。

 

「あの子、ずっとニット帽をかぶってたでしょ。走って汗をかいても、服をはだけたりしなかったし」

「そうだな」

「あの子は全身傷だらけだったの。帽子の下にも、人に見せられない傷がある。それを他人……特に好きな人に触られるのは絶対のタブーだったのよ。これは、あなたが気にする気にしないの問題じゃない。小夜子が嫌なの」

 

 私の言葉をフランは静かに聞いている。

 

「コンプレックス自体は悪いことじゃないと思うの。私が今、全力で生きてやろうって思うのは、その裏返しだから。でも、あの時はストレスでとにかくテンパってて」

「知ってる」

 

 でしょーねー。

 されてる時は気づかなかったけど、フランが私を抱っこして離さなかったのは、恋人に触れたかっただけじゃない。精神的に追い詰められて暴走していた私を、放っておけなかったからだ。

 

「今は、平気か?」

 

 そろりとフランの手が動く。いつものなでなでの仕草だ。

 

「大丈夫。……っていうか、なでてほしい」

 

 頭にフランの大きな手が乗せられて、わしわしとなでられる。あたたかい、いつものなでなでだ。

 

「このままキスしたいが……」

「それは今の姿でも拒否するわよ」

 

 セーフエリアの端にいるといっても、すぐそばに仲間がいる。これ以上のいちゃいちゃは私の羞恥心が耐えられない。

 恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 だから、そんな残念そうな顔でこっち見てもダメだからね?

 プリーズ建前! カムバック臆面!

 

「俺としても、リリィの判断が正しいと思うぜ?」

 

 苦笑しながら、ヴァンが声をかけてきた。

 

「日常的に婚約者といちゃついているお前に言われる筋合いはない、と思うが」

「あんたほどベッタベタしてねえよ! 目のやり場に困るから、少しは慎め!」

 

 ほんそれ。

 私もいろいろといたたまれない。

 何故この男は変なところでぶっ壊れているのか。原因はなんとなくわかってるけど!

 

「どうしたの? わざわざ声をかけてくるってことは、何かあったのよね」

「まあな。この先の攻略について、相談したい」

 

 なるほど。

 リーダー会議ってことですか?

 




次の更新は4/15です!


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リーダー会議

「まず確認だが、この第五階層を突破したら脱出できる可能性が高いんだよな?」

 

 ヴァンの問いかけに、私は顔をあげた。

 

「それは、本人に聞いたほうがいいわ。……もちお、来なさい」

 

 声をかけると、ちょいぽちゃ白猫がやってきた。もちおは私たちの前まで来ると、ちょこんとお行儀よくおすわりする。こういう所は猫というより犬っぽい。

 

「もちお、第五階層を突破することで、アンロックされる機能について教えて。ナビゲーションAIに関することだけでいいわ」

「……『コードプログラミング』機能が解放されます。あわせて、『自己診断』と『自己修復』の機能も解放されます」

「ぷろぐ……なんだそれ」

「診断と修復は、なんとなく想像がつくが……リリィ、わかるか?」

「え~と……ここまで専門用語っぽい話になると、私もちょっと。もちお、コードプログラミング機能について教えて」

「コンソールを操作して、新規プログラムを作成する機能です」

「まじか」

 

 いきなり機能を解放しすぎだろ。

 こっちとしては好都合だけど。

 私がうなっている横で、フランとヴァンがきょとんとした顔になっている。プログラムがどうこう、とかファンタジー住民には縁が遠すぎる。

 

「ええと……この施設を動かしているプログラム……うーん、魔法の記述を、直接操作して新しい魔法を開発できるようになる……感じかな?」

「直接操作って、危険なんじゃねーのか。複雑な魔法を横からいじくったら暴発すんだろ」

「アルヴィンの給湯器事業でもたまに聞く話だな」

「お湯を早く沸かしたいからって、出力をいじったら爆発したって事故ね。まあ……事例としては似たようなものかも」

「やっぱ危険なんじゃねえか」

 

 まあまあ落ち着いて。

 

「その安全策として、『自己診断』と『自己修復』の機能があるんだと思う。もちお、コードプログラミング機能を使用して、誤ったプログラムを組み込んでしまった場合、問題を解消することはできる?」

「可能です。システムは常にバックアップを取っており、過去のデータを参照して問題が発生する以前の状態に戻すことができます」

「オッケー! ありがとう、もちお!」

「どういたしまして」

 

 ちょいぽちゃ猫が心なしか凛々しく感じる。

 拡張したもちお、頼りになるね!

 

「えーと……つまり?」

 

 私のテンションが上がりまくってる一方で、ヴァンとフランは再びの困惑顔だ。

 

「要は、問題が起きる以前のデータを使って、システムを元に戻せるってこと。もちお、シミュレーションして。この修復機能を使って、現在起きている『ログアウトできない』という問題を解消できる?」

「……可能です」

「んんん、最高!」

「どういうことだ?」

 

 じろり、とフランが私を見た。猫型AIを私が褒めちぎっているのが気に入らなかったらしい。心の狭い恋人って面倒くさいね!

 

「第五層を突破しさえすれば、拡張した機能を使って外に出られるってこと!」

 

 言い切ると、ヴァンが大きく安堵のため息をついた。

 

「よし……それならまだなんとかなるか」

「どういうこと?」

「セシリアが限界だ。できるだけ早くダンジョンから脱出したい」

 

 ヴァンの言葉に、私たちは目を丸くした。

 

「限界って……」

「フランが来るまでのサヨコと一緒だ。ダンジョンっていう閉鎖空間でユラの悪意に絡まれ続けて、精神的に追い詰められてる」

 

 それは私も感じていた。私も大分不安定だったけど、それはセシリアも同じだ。ユラを死体にして引きずっていこうとか、聖女にあるまじき危険な提案に賛成するくらいには疲弊している。

 

「サヨコがいた間は、もうちょっとしっかりしてたんだ。自分よりずっと弱い仲間を守らねえと、って気を張ってたんだろう。だけど……お前はリリィに戻っただろ? 踏みとどまる理由がなくなって、緊張の糸が切れちまったみたいだ」

「……それは」

 

 つまり何か。私が元気になったせいで、セシリアの心が折れてしまったと。

 

「お前が戻ったことが悪いって言ってるわけじゃない。フランが助けに来て、リリィが回復魔法を使えるようになってなかったら、どのみち全滅してた」

 

 突然のダンジョン探索で、否応なくリーダーとなった指揮官は、悩まし気にため息をつく。

 

「だけど、今にも壊れそうな仲間を放置するのは、話が違うだろ」

「私にとってもセシリアは大事な友達だもの。助けてあげなくちゃ」

 

 私はメニュー画面からダンジョンマップ画面を表示した。まだ探索を始めたばかりなせいで、マップは大半が表示されていない。

 

「第五階層、地下神殿のテーマは『鬼ごっこ』なのよね」

「鬼ごっこ……なんか嫌な予感がする名前だな……」

 

 私は苦笑した。ヴァンの予感は正しい。

 

「第四階層のボスは、私たちを追いかけてきてたよね? 第五階層はその反対。広いダンジョン内を逃げまわるヴァンパイアを捕まえて倒さないといけないの」

「攻略にめちゃくちゃ時間がかかるやつじゃねーか!」

 

 ゲームの展開としてはおもしろいんだけどね?

 強制RTA(リアルタイムアタック)勢としては迷惑この上ない。

 

「ダンジョン中に明かりを灯して、ヴァンパイアの逃げ道を塞ぐのがセオリーなんだけど……そんな手間のかかる方法で攻略してたら、脱出する前にセシリアがつぶれるわね」

「何か裏技はないのか?」

「ん~……」

 

 私は攻略本を取り出してページをめくる。

 一応邪道ルートがないわけじゃないけど、あれは好感度と引き換えなんだよなあ。そんなことしたらキャラ攻略が……ん?

 

「好感度は必要はないのか」

「リリィ?」

 

 怪訝そうなヴァンとフランに私はにっこりと笑いかけた。

 

「囮作戦でいきましょう!」

 

 

 

 




次の更新は4/18です!


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囮作戦

「全くやってくれるね……」

 

 地下神殿の薄暗い部屋の一角で、ユラが悪態をついた。私はにっこり笑ってその言葉を受け流す。

 

「ダンジョン攻略に必要なことだから、諦めて!」

「僕を囮にするとか、よくこんな残酷なことを思いつくね」

 

 はあ、とため息をつきながらもユラは逆らわない。その姿を見て、セシリアもにっこりとほほ笑んだ。

 

「ダンジョン攻略のために手を貸す……まさか、その誓いを破るとは言いませんよね」

「愛しの君のお願いなら、従うしかないんだけどね? 君と離れて行動することになるなんて、寂しさで気が狂いそうだ……」

「私は、とっても嬉しいですよ」

 

 にこにこ顔のまま答えるセシリアの目は笑ってない。

 少々……いや、かなりお疲れのようだ。

 早く作戦を実行して、セシリアを解放してあげなくては。

 

「フロアボスのヴァンパイアは、常に暗がりに隠れてるの。この『破魔のロウソク』で照らされると、別の暗がりに移動する特技を持ってるわ」

「走って逃げるわけではないんだよな?」

 

 クリスが確認する。私は頷いた。

 

「瞬間移動……えーと、距離も時間も無視して、一瞬で別の場所に現れるの」

 

 いわゆる、テレポーテーションというやつである。

 

「暗がりから暗がりにぴょんぴょんジャンプされたら、いつまでたっても捕まえられないから、ダンジョン中にロウソクを置いて、逃げ場をふさぐのがセオリーよ。でも、いちいちそんなことしてたら時間がいくらあっても足りないから、別の方法をとります!」

 

 私は暗がりに座るユラを見た。

 

「ヴァンパイアは暗がりに探索者がいた場合……その中で最もパラメーターの低い者のすぐそばに現れて、攻撃してくるの」

「ロウソクで照らして追い詰めた、と思った瞬間、別の暗がりにいる誰かが襲われるってわけか」

「本来は、暗がりに取り残されるメンバーが出ないよう、助け合わせる試練よ」

 

 暗闇でお互いをかばいあうドキドキイベント。なかなかアツい展開である。

 しかし、今はそんなことで盛り上がってる暇はない。

 

「今回はその特性を逆手にとるわ。メンバーのひとりを囮にして、ヴァンパイアをおびき寄せるの。もちろん、囮はユラね!」

「ひどい!」

 

 暗がりでユラがわざとらしく傷ついたふりをする。どうせ本気で言ってないだろうから、周りの視線は冷たいままだ。

 これが邪道と呼ばれるのは、もちろん乙女ゲームにあるまじき作戦だからである。

 仲間のひとりを暗がりに置き去りにするとか、提案するだけでドン引きされて好感度だだ下がりである。しかし、現実の私たちがやってるのは乙女ゲームじゃない。

 邪神の化身を囮にしたところで、心を痛めるようなメンバーはいなかった。

 

「まあ、作戦の決定権は君たちにあるから、従うけどね……たった数時間で勇士の末裔が立派な殺戮者に育って、女神はさぞお喜びだろう」

「言うに事欠いて、殺戮者よばわり? ここはゲームの世界でしょ」

「だけど、経験は現実だ」

 

 にい、とユラは嫌な笑い方をする。

 

「ここはよくできた殺人者養成所だよ。最初は大型の動物、次は異形の獣、そして、ヒトの特徴を残したキメラに、二足歩行の魔物。最後はほら……ほぼ人間と姿の変わらないアンデッドだ。仕方ないから、敵だからと理由をつけて、少しずつ殺人行為に慣らされている」

「慣れって……」

「疑うなら、このダンジョンを出たあと、対人戦闘をしてみればいい。びっくりするくらい効率よく、人が殺せるようになってるよ」

 

 否定は、できなかった。

 確かに第一階層から第五階層にかけてのモンスターデザインは、彼の言う通り段階的に人間へと近づいていたから。経験を重ねたヴァンたちは、仲間の死に眉一つ動かさず、敵を屠ることができるだろう。

 私自身、『ゲームの世界だから』を免罪符にして、普段は考えもしない感情無視の思考をしている自覚はある。

 だからって言うに事欠いて殺戮者はないだろ。

 

「囀るなよ、邪神の手下が。お前の手口はもうわかってんだよ」

 

 ヴァンがユラを鋭く睨んだ。

 

「殺戮者結構。リリィとセシリアはともかく俺たちは騎士、つまり職業軍人で殺人者予備軍だ。いつか前線で人を殺しまくることになる、ってことは全員覚悟してんだよ」

「ひるんで仲間を失うくらいなら、少しくらい壊れてたっていい」

 

 婚約者の死を経験したクリスもまた、強い瞳でユラを見る。一番戦闘経験の多いフランが、冷ややかにユラを見下ろした。

 

「お前の話はそれで終わりか? さっさと行動を開始したいんだが」

「終わりじゃないよ」

 

 ユラは歪な薄笑いを浮かべる。

 

「囮になるのは構わないけどね、やっぱり愛しの君と離れるのは嫌だ」

「私はヴァンパイアを捜索に行きます。ここには残りませんよ」

「うん、だからさ」

 

 その時になって、私はやっと異常に気付いた。

 ユラの周りだけ、異様に闇が濃い。黒髪に黒い瞳という色素を抜きにしても、彼は他のメンバーに比べて暗く見える。

 

「探しに行かなくてもいいよう、呼び寄せておいたよ♪」

 

 ぬう、と彼の背後から白い手が伸びた。次いで、死体のように真っ白な顔が闇の中に浮かび上がる。漆黒のドレスを身にまとった赤い瞳の女、ヴァンパイアだ。

 

「構えろ!」

 

 ヴァンの声に呼応して、私たちは戦闘態勢に入った。

 




次の更新は4/20です!


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4/28に3巻発売です

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不死なるもの

「リリィ、結界!」

「はいっ!」

 

 ヴァンの指示で、私は用意していた魔法を発動させた。集まっていた私たちごと、ヴァンパイアを取り囲むようにして光の柱が出現する。

 ヴァンパイアをおびき寄せても、そのままじゃ光を当てたと同時にまた逃げられちゃうからね! 捕まえておく仕掛けもちゃんと用意してあるよ!

 

「アァァァァッ!」

 

 ヴァンパイアがいらいらと腕を振り回した。私たちは武器を構えながら、慎重に距離をとる。敵の攻撃を直接受けるのはクリスと、フランだ。

 

「そいつは、回復力が異様に高いの! とにかく攻撃して、回復のスキを与えないで!」

「だとよ。ケヴィンは俺と一緒に前衛の連携。セシリアは片っ端から魔法を詠唱。リリィは……」

「回復と支援でしょ!」

 

 私は、彼らに守りの魔法をかける。

 ダンジョン内の回復魔法は、すぐに傷を消してくれるけど、痛みは痛みだ。怪我をしないに越したことはない。まあ、ボス相手に無傷で勝利するのは難しいんだけど。

 

「はあっ!」

 

 クリスがヴァンパイアに切り込む。肩口から大きく切り裂かれて、ヴァンパイアが後退した。すぐに傷口がふさがっていくけど、体力ゲージは減っている。彼らの攻撃は着々とヴァンパイアの体力を削っていた。

 

「気を付けて、もうすぐ体力が半分になるわ!」

「どうせ、攻撃パターンが変わるんだろ」

「正解! 触手が出てくるわよ!」

 

 そう言った瞬間、ヴァンパイアの背中がぼこりと盛り上がった。そこから、植物のつるのような細長い何かが何本も飛び出してくる。

 

「うわ……」

 

 クリスが嫌そうに顔をしかめた。細長いものがにゅるにゅるとのたうつ様子が気持ち悪かったらしい。私も気持ち悪い。

 

「触手に気を付けて! 捕まったらそこから血を吸われるわ!」

「吸血鬼って、噛みついて血を吸うものじゃなかったっけ?」

 

 触手をはじき飛ばしながら、ケヴィンが困惑顔になる。

 

「それだと、一度に一体からしか吸えないからねえ。効率化ってやつ?」

 

 戦闘不参加の囮邪神がのんびりと語る。そんな効率化、いらない。

 

「要は、こいつをかわしながら、本体にダメージを与えればいいんだろう!」

 

 触手を振り払って、フランが踏み込んだ。突き出された槍の穂先がヴァンパイアを貫く。こういう時、リーチの長い槍は便利だ。

 全員が効率よく機能しているパーティーは、時に絶大な火力を発揮する。回復能力が高いはずのヴァンパイアの体力ゲージはみるみる減っていった。

 

「あと二十パーセント……触手の数が増えるわよ!」

 

 ぶわ、とヴァンパイアの背中が翻ったかと思うと、触手が倍増した。触手自体の動きには慣れ初めてきたものの、この数は多すぎる。

 フランたち前衛組の手からこぼれた触手が私に向かってきた。しかし、ぶつかる直前に魔法の詠唱をしながら、セシリアがマチェットで斬り飛ばした。さすが聖女、本気で戦わせたら強い。

 

「あと一息……!」

 

 ヴァンパイアにとどめを刺そうと、全員が本体に集中しようとした時だった。

 

「あれっ?」

 

 のんきな声とともに、人影がひとつ宙を舞っていった。

 触手にからみつかれたユラだ。

 

「えええええ?!」

 

 そういえば、ユラもヴァンパイアの攻撃対象だった。低レベルで抵抗もできない格好の獲物でもある。

 しかし、どうせ何をやったところで、ツノつきの悪魔は死なない。今までさんざん迷惑をかけられた恨みもあってか、誰も彼をかばわずその姿を見送ってしまう。

 しかし、触手に手繰りよせられ、吸血鬼に直接とりつかれたユラは、不敵に笑った。

 

「え……?」

 

 なんだ、今の笑いは。

 間違いない、何かろくでもないことを考えてる顔だ。

 何が起きた? 私は何を見落とした?

 疑問はすぐに氷解した。

 

「リリィ! ヴァンパイアの体力が!」

 

 ボスの体力ゲージが変化していた。二十パーセント程度だった体力がみるみるうちに五十パーセント以上にまで回復していく。

 

「ユラの血を吸って回復してるんだ! あいつを触手からひきはがして!」

「ちっ!」

 

 フランが槍を突き出し、クリスが触手を切り裂いた。しかし、がっちりとユラにとりついたヴァンパイアは離れない。

 

「まずい……!」

 

 本来吸血によるHPドレインは有限だ。捕まった人間が脱出するか、最悪死んでしまえば体力の吸い取りはそこで止まる。

 だけどユラは自力で触手から脱出できない低パラメーターで、さらに不死の自己回復能力持ちだ。ユラを取り込んだヴァンパイアは、無限に回復できてしまう。

 

「おいこれ、どうやったら倒せるんだ……?」

 

 私たちは茫然と彼らを見つめた。

 

 

 

 




次の更新は4/22です!

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千日手

「はあ……はあ……」

「ち、これもダメか……!」

 

 地下神殿に、落胆のため息が落ちる。

 もう何度目のアタックだろうか?

 私たちは、ユラを取り込んだヴァンパイア相手に苦戦を強いられていた。

 

「攻撃力自体は、たいしたことないんだけどね」

「無限回復が厄介だな」

 

 フランが眉間に皺を寄せながら、ヴァンパイアを見る。モンスターは触手をうねうねと動かしながら、笑っていた。絡まれているユラもなぜか薄笑いだ。

 バシ、とヴァンが悔しそうに石造りの壁を叩く。

 

「あと一歩火力が足りない……! セシリアがフルパワーで魔法を叩きこんで、リリィの強化魔法をつけた俺たちが総攻撃を加えても、あと少しのところでヴァンパイアの回復能力が上回る」

「こっちの魔力とアイテムは、有限だもんね」

 

 レベル上げしてアイテムを補充すれば勝てるかもしれないけど、ヴァンパイアに追いかけられながら雑魚敵まで相手にするのは危険だ。それに、地道なレベル上げは時間がかかりすぎる。

 

「どうすれば……」

 

 セシリアがぎゅっと手を握り締めながら座り込む。かなりまいっているんだろう、その顔は蒼白だ。限界が刻一刻と近づいてきている。

 

「アイデアがひとつ、あるんだけど」

 

 沈黙する私たちに能天気な声が投げかけられた。見ると、吸血鬼にとりつかれたまま、ユラが相変わらずにやにや笑っている。

 

「聞きたくないわ」

「まあまあ、遠慮せずに。このまま膠着状態が続いても、消耗するだけでしょ?」

 

 私たちの拒絶なんて意に介さずユラはぺらぺらとしゃべる。

 

「ねえ愛しい人、僕を正式なユーザーとして登録してよ」

「……は?」

 

 ユラのお願いの意味がわからず、セシリアは顔をひきつらせた。

 

「本来レベル九百九十九なのに、レベル五十程度に弱体化されているのは、僕がシステムに無理矢理侵入した不正ユーザーだからだ。僕を正式なユーザーにしたら、弱体化が解けて本来の力を取り戻せる。こんなヴァンパイアなんて一撃だよ」

「できません。そもそも、ここには勇士の末裔しか登録できませんから」

「そんなことないよ。……だよね? 女神の使徒」

「……」

 

 ユラに問いかけられ、とっさに答えが思いつかなかった私は沈黙した。ユラはくつくつと笑う。

 

「厄災の神との戦が、何百年単位の話だと思ってるの。勇士の遺産は血族に託すのがもっとも有効だっていっても、そううまくいくもんじゃない。いざ決戦となった時に、勇士としてふさわしい強者ばかりが集まるとは限らない。ダガー家のように、血族そのものが途絶えていることだってある。でもそれじゃ邪神と戦えないよね? 女神は白銀の鎧に乗るべき勇士が集まらなかった時のための保険をかけてたはずだ」

「それが、血族外のユーザー登録ですか」

「正解! ダガー家の枠をあけて、僕を君の勇士として登録すればオッケーだよ」

「……リリィ様」

 

 セシリアがすがるような目を私に向けてきた。

 急な提案に、判断がつかないんだろう。

 私はいてもたってもいられなくなって、座り込むセシリアのすぐ隣に腰をおろす。

 

「ユーザー登録機能自体は……あるわ」

 

 私もユラに気づかれたくなくて、ずっと黙っていた裏技だ。セシリアさえ許可すれば、勇士以外の人間だって白銀の鎧に乗れる。そんなことが公になったら敵も味方も大混乱だ。

 

「じゃあ……」

「でも、絶対許可しちゃダメ」

 

 私はセシリアの肩を強く抱きしめる。

 

「ユーザー登録こそが、ユラの狙いよ」

「僕は愛しの君を助けたいだけだってば」

「その手には乗らないわ。正式ユーザーになったら、ダンジョンどころじゃない、システム全てのアクセス権を得る。今ですら、反則レベルのハッキングをかけてるってのに、そんなことになったらシステム全体……ううん、最終兵器『乙女の心臓』すらユラのものになりかねない」

「……っ!」

 

 セシリアの顔から更に血の気がひいた。

 

「そもそも、この脱出不能な『詰み』状態こそがアンタの狙いだったんじゃないの? ストレスで視野の狭くなった私たちに、最強キャラっていうカードをぶらさげて、ユーザー権限をゲットしようとしたんでしょ」

 

 だいたいユラが掴まったこと自体が不自然だったのだ。ダンジョンモンスターは全てユラの配下がモデルになっている。ヴァンパイアの特性だってユラは熟知していたはずだ。触手にとりつかれたら、どうなるかくらい理解していただろう。

 

「……知らなければ、幸せに脱出できたのに」

 

 デジタルネイティブなめんじゃねーぞ。

 パソコンだデータ通信だって、ユーザーの権限の大事さは嫌っていうほど教えられて育ってるからな?

 

「それで? 僕の提案を却下した女神の使徒は、これからどうするつもり? 他の手が思いつかないから、膠着状態なんじゃないの」

「アンタにシステムを好き勝手されるよりはマシよ」

「何も思いつかないまま、ずっとここにいるつもりなんだ? 高位貴族の子息がそろって行方不明になったら、王都は大混乱になるよ。ミセリコルデの長男まで姿を消してるから、侯爵令嬢駆け落ち疑惑のおまけつきだ。こんな絶好のチャンスに、王妃派貴族はおとなしくしてくれるかな?」

「……小物ほどよくしゃべる、とは真理だな」

 

 ユラの言葉を低い声が遮った。

 

「だが、勇士以外もユーザー登録できる、とはいいことを聞いた」

「フラン?」

「ユラを登録するのは危険だ。もちろん許可できない。だが……別の人間ならどうだ?」

「別……って、誰のことだ?」

 

 ヴァンが困惑顔で周囲を見回した。

 ここには、私たち正規ユーザーしかいない。追加で登録すべき人物がいるように思えなかった。

 

「いるだろう、すぐ外に。ジェイドを仲間にしたら、そこのヴァンパイア程度一撃で消し炭にできるんじゃないか」

「その手があったか!」

 

 ジェイドは優秀な魔法使いだ。

 子どものころから東の賢者のもとで学び、ハルバードの騎士たちと共に訓練してきた。経験豊富で、セシリアと同レベルの魔力を持つジェイドなら即戦力である。

 

「外と通信する機能はあったはずだから、呼びかけてみましょ。もちお、『外部通信』の機能をアンロックして」

「かしこまりました」

「はあ? 何考えてるの、君たち!」

 

 ユラが声をあげた。

 

「バグの発生でこのダンジョンは不安定になっている! もうすでに中にいる僕ならともかく、外から資格のない者を呼び込んだら、どんな不整合が起きるかわからないぞ!」

「不整合ならもう起きてるじゃない。今更ちょっとくらい壊れても平気よ」

「これ以上、このダンジョンにいたくねーしな」

 

 うんざり顔のヴァンの隣で、婚約者もそっくり同じうんざり顔になる。

 

「ヴァンパイアの相手は、もう飽きた」

「……外でゆっくりお茶が飲みたい」

 

 ケヴィンも苦笑する。フランがこくりと頷いたのを見てから、私はセシリアに声をかけた。

 

「セシリア、いいわよね」

「はい。お願いします……」

「もちお、外とつなげて」

「かしこまりました」

 

 お願いすると、私たちのすぐ目の前に大きな姿見が出現した。ここに入ってくるときに見た、銀のレリーフの鏡だ。

 鏡はまばたくように数回、明滅したあとに一組の男女を映し出した。背の高い癖毛の青年と、小柄なネコミミ少女。ジェイドとフィーアだ。

 鏡の変化に気づいたフィーアが振り返り、ジェイドとともに鏡を覗き込んでくる。

 

「ご主人様!」

「お嬢様……! 無事ですか?」

「私は平気よ」

 

 にっこり笑いかけると、ふたりはほっとした表情になった。

 主人が友達と一緒に姿を消したら、そりゃー心配するよね。

 

「ふたりともありがとう。あなたたちがフランを呼んでくれたおかげで、助かったわ」

「お嬢様が無事なら、ボクたちはそれで構いません」

「早速お願いがあるの。ジェイド、その鏡に手を当てて」

「しかし……それは」

 

 ジェイドがちょっと身を引く。

 相棒のフィーアが吹っ飛ばされたのを見ているせいだろう。

 

「事情が変わったの。あなたを中に入れるようにするわ。ええと……これはさすがにセシリアが命令しないとダメかしら。お願いできる?」

 

 私が声をかけると、セシリアはこくんと肯いた。

 

「もちお、ジェイドさんを新規ユーザーとして登録してください」

「かしこまりました。対象者は、鏡に手をあててください」

「……はい」

 

 ジェイドがおそるおそる鏡に手を当てた。

 鏡が一瞬金色に光って……

 

「遺伝子を確認。ダガー伯爵の子であることを認証」

 

 ん?

 もちおの処理を見守っていた私たちは、全員目が点になった。

 誰が……誰の子、だって?

 

「新規登録の必要はありません。ログイン申請を許可しますか?」

「きょ……許可します!」

 

 セシリアが叫ぶように返事をすると、鏡の向こうのジェイドの姿が消えた。すぐ私たちの目の前、ダンジョンの中にジェイドが現れる。

 

「え、と……? お嬢様?」

「ジェイドって、ダガー伯爵の子だったの?」

 

 私が食いつくようにして質問すると、ジェイドはおろおろと首を振った。

 

「えええええええ、し、知らないよっ!」

「ディッツは何か言ってなかったの?」

「ええと……き、貴族らしい、ってことは……聞いてる、けど……ボボ、ボクを捨てた人なんて、ロクなものじゃないだろうからって……それ以上たずねたことなかった……です。師匠がいれば、他に家族なんていらなかったし」

 

 それは、実の親のことなんて気にならないくらい、ディッツがいい保護者だったってことなんだろうけど!

 少しは気にしてたほうがよかったかもしれないね!

 

「バカな……ダガー家は断絶したはず……」

 

 ユラが茫然とジェイドを見た。

 今まで私たちをさんざん苦しめてきた相手が驚いているのは、気分がいい。

 

「これこそが、ユラの言ってた数奇なる運命(ストレンジフェイト)ってやつじゃないの? ツメが甘かったわね」

「この……!」

 

 目を吊り上げるユラを私は無視した。

 

「ジェイド、あっちのヴァンパイアを倒したいの。手を貸して」

「えええっと……何か人を取り込んでる……みたいだけど?」

「平気よ。あいつはどうせ殺しても死なないから!」

 

 ジェイドを仲間に加えた私たちは、ヴァンパイアを瞬殺した。




次の更新は4/25です!

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セキュリティ強化

「申請を受諾しました。ログアウトします」

 

 もちおの声とともに、私たちはダンジョンを脱出した。

 一瞬の浮遊感のあと、周りの空気が変わる。目をあけると、そこは灰色の部屋だった。何もない殺風景な部屋の中、ぽつんと銀のレリーフに囲まれた銀の鏡がある。

 現実世界の管制施設入り口だ。

 ぐるりと辺りを見回すと、フラン、セシリア、ジェイド、ヴァン、ケヴィン、クリス、とダンジョン内にいたメンバーが勢ぞろいしている。

 

「ご主人様……!」

 

 フィーアが走り寄ってくる。

 がんばって無表情を保とうとしてるけど、目がちょっと潤んでいた。ずいぶん心配をかけてたんだろう。

 

「大丈夫よ、フィーア。あとはあの悪魔を追い出すだけだから」

 

 私は部屋の端に出現した、邪神の化身を睨みつけた。

 ログアウトでシステムから外に出されたのはユラも同じだ。現実世界に戻ったせいだろう、その額にツノはない。そして、制服の首元は赤く染まっていた。ダンジョンに入る直前、セシリアに呪われた傷がまだ残っているんだろう。

 

「ち……」

 

 余裕のへらへら笑いをかなぐり捨てて、ユラはこちらを睨む。

 相手を憎たらしいって思ってるのはこっちも一緒だけど。

 

「ユラ、出ていって」

 

 ぶつっ、と音がしてユラの首がますます赤く染まっていく。セシリアが呪いの力を強めたんだろう。

 

「忌々しい女神に使徒どもめ……いいよ、今日は退いてあげる。でも、またここには来るから」

「無駄ですよ。もちおに命令して、セキュリティを強化しました。この先にはもう、私が許可した人しか入れません」

 

 セシリアが静かにユラを見据える。ユラは口の端を歪めた。

 

「それはどうかな? 僕がハックしたせいで、装置の一部は焼け落ちてる。破損部分を足掛かりにすれば、再侵入は可能だ」

 

 侵入時にユラが無茶をしたせいで、銀のレリーフは黒く変形していた。ただの装飾に見えて、実はシステムを構成する重要な装置なんだろう。

 

「もちお、自己修復機能を使って、レリーフを修理してください」

「できません」

 

 もちおの残酷な解答を聞いてセシリアは顔をひきつらせた。対照的にユラの顔に余裕が戻ってくる。

 

「これが修理できなくても、あなたが入ってこれないよう結界を張れば……」

「それで四六時中監視して生活するの? 大変だね、ずっと警戒しながら生活するなんてさ。君が神経を尖らせてる一方で、僕はたっぷり英気を養って自分のタイミングで攻撃できる。分の悪い勝負だ」

「く……」

 

 私は一歩前に出るとセシリアの手を握った。動揺する彼女にかわって、ナビゲーションAIに問いかける。

 

「もちお、レリーフが修理できない理由は?」

「材料が足りません。修理には、|精霊銀(ミスリル)が十五グラム必要です」

「みすっ……」

「それって、伝説上の鉱物じゃないの?」

 

 ケヴィンが目を丸くした。

 

「組成自体は、普通の銀と変わらないらしいけどね。……建国王の武器に使われてるって話だから、同じ建国神話に関わる管制システムで使われててもおかしくないけど」

 

 よりによって、ミスリル。

 そんなもの建国時から五百年続くハルバードの宝物庫にだって存在しない。

 

「あははははは、修理は無理そうだね!」

 

 灰色の部屋にユラの哄笑が鳴り響いた。対抗するアイデアが浮かばなくて、私はただ唇をかみしめることしかできない。

 

「ミスリルがあればいいのか?」

 

 クリスの声が割って入った。

 

「そういう話、だけど……」

「じゃあ、これを使おう」

 

 クリスはポケットから銀細工を取り出した。クレイモア家を象徴する武器をデザインした、本当に切れる剣型の髪飾りだ。

 

「もちお、これは使えるか?」

「……純度九十九パーセント以上のミスリルですね。使用可能です」

「じゃあ修理してくれ」

 

 クリスが鏡に当てると、髪飾りはふっと姿を消した。少しして、銀のレリーフがひとりでに動き出したかと思うと、元通り美しい姿を撮り戻る。

 

「修理完了しました」

 

 もちおの宣言を聞いて、ユラの顔から今度こそ笑みが消えた。

 

「……は? どうしてそんなものが出てくるんだ? 国内のミスリルは全て回収した! 鉱脈を発見できる可能性のあるドワーフだって、闇オークションで葬ったはず……!」

「囚われの鍛冶職人を店ごと買った、変わり者の侯爵令嬢のせいじゃないかな」

 

 クリスがおかしそうに笑う。

 ミスリル、闇オークション、ドワーフ、鍛冶職人といえば。

 

「あ……マリク武器?!」

「君がお見合いの時にお買い上げした彼だよ。クレイモアで保護してたんだけど、去年本当にミスリルの鉱脈を掘り当ててね、試作品としてあの髪飾りが納品されたところだったんだ」

 

 そういえば、ミスリルで武器が作りたいって言ってたね!

 

「道理でアクセサリーにしては切れ味がいいわけだわ……武器職人が作った剣なんだもん」

「女神め……どこまでもふざけたことを……!」

 

 ユラが声を荒げる。

 今の状況は、それぞれが必死に生きて来た結果だけど、運命の女神を敵とするユラには、すべてが女神の仕業なんだろう。

 

「ユラ」

 

 ぶつ、とまた嫌な音がした。ユラの首に巻き付いた呪いのアクセサリーが、ぎりぎりと食い込んでいく。

 

「あなたは、ダンジョンを殺戮者養成所だと言いましたね。その評価は確かに当たっています。今の私はあなたを殺せる……!」

「ぐ……ううっ!」

 

 ごおっと強いが吹いた。全員が身構えた次の瞬間、ユラの姿が消えていた。

 

「逃げましたか」

「さすがに不利、ってわかったみたいね」

「よかった……」

 

 ふっとその場に崩れそうになったセシリアを、あわてて支える。ずっと気を張りっぱなしだったもんね。

 

「やっとダンジョンから脱出したし、解散って言いたいところだが……」

 

 ヴァンがガリガリと頭をかいた。

 

「確認したいことがある。リリィ、セシリア、つきあってくれるよな?」

 

 ヴァンの問いかけに、私たちは頷いた。

 

 




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ダガー伯爵家

「ディッツ、起きてる?」

 

 開かずの図書室を脱出した私たちは、全員でディッツの研究室に押し掛けた。研究室の奥から、無精ひげの魔法使いがひょっこり顔をだす。

 

「寝てられるわけないだろ。お前らが身動きとれないっていうから、俺が特別課題を与えて外出させたってことにしたが、それでよかったか?」

「とても助かったわありがとう!」

 

 察しのいい有能な部下ってありがたいね!

 

「それはそれとして、聞きたいことがあるの。ジェイドの父親が誰か、知ってる?」

「は?」

 

 ディッツは鳩が豆鉄砲をくらったような顔で、私を見た。そのあと、ジェイドを見てから後ろにいるヴァンたちを見る。

 

「お嬢……ジェイドの産まれなんて、今まで一度も気にしたことなかっただろう」

「事情が変わったの。教えて」

「ぼ、ボクからも、お願い」

「~~……っ」

 

 ジェイド本人からお願いされたら断りきれない。ディッツはしばらくうなったあと、大きなため息をついたあと、口を開いた。

 

「……ジェイドの父親は、ダガー伯爵家最後の当主、フェルディナンドだ」

「やっぱり……!」

 

 女神のDNA鑑定装置は正しく機能していたようだ。

 

「どうして、ジェイドがディッツの弟子に?」

 

 勇士の末裔は国から手厚く保護されるはずだ。しかし、私が十歳の時に出会ったジェイドは、呪いに蝕まれて、まともな子供の姿をしていなかった。

 

「あんまり気分のいい話じゃないぜ。それでも知りたいのか?」

「教えて。多分、ここにいる全員が把握すべき事情だから」

「……しょうがねえな」

 

 ディッツは、私たちをソファに座らせると話し始めた。

 

「フェルディナンドは、ダガー家と言っても傍流の産まれでな。家督とは無縁の男だった。しかし、伯爵家直系の連中がぱたぱたとあいついで亡くなって、奴に継承権が回ってきたんだ」

「ダガー家に不幸が続いた、って話は私も聞いてるわ」

 

 多分、その事件を裏で操っていたのも、ユラなんだろう。

 

「急に大きな権力を持ったフェルディナンドは、すっかり気が大きくなっちまってなあ。本来手が届かなかったはずの、男爵家の令嬢を強引に嫁にした。だが、その男爵令嬢ってのが、見た目は綺麗だが曲がったことの許せない、とんでもないカタブツで……フェルディナンドとは全くといっていいほど、ソリが合わなかった」

 

 政略結婚ではよくある話である。

 よくある話だけど……。

 

「結局、妻が妊娠したころにはすっかり夫婦仲が冷え切っててな。産まれた子供があまりに魔力に溢れてたんで、魔法使いと浮気したんだろうって難癖つけて子供と一緒に追い出しちまった」

「えー……それだけで?」

 

 勇士の家系は女神のDNA鑑定施設が使える。誰の子供かちゃんと確認する手段があったのに、その程度の理由で追い出すなんてひどすぎる。

 

「当時フェルディナンドはまだ二十代だったからなあ。すぐにまた別の女との間に子ができると踏んでたんだろう。しかし、何度妻を変えても子はできず、ヤケになって娼館を手当たり次第に渡り歩いた挙句……病気をもらって死んじまった」

 

 因果応報、というにはあまりにえぐい結末である。

 それで結局、最初の妻との間にできた子供だけが生き残っていることも含めて。

 

「俺がジェイドを拾ったのは、こいつが二歳くらいの頃だったかな。離婚したって聞いたんで顔を見に行ったら行方不明になってて、母親を見つけた時にはもう子供を残して死んでた。俺はそれを引き取って、今に至る……ってわけだ」

「……話してくれてありがとう」

 

 私はディッツに素直にお礼を言った。

 正直、妙にジェイド母個人の描写が細かい、とか何故彼女は『魔法使い』との浮気を疑われたのか、とか、どうして家族でもないディッツが彼女を捜索してたのか、とかツッコミたい箇所は多々あったんだけど、それは言わぬが花ってやつなんだろう。

 

「勇士の末裔は国をあげて保護すべき存在です。賢者殿は何故、その素性を隠したんですか」

 

 フランがディッツに問いかける。ディッツは、苦虫をかみつぶしたような渋面になった。

 

「それは貴族の理論でしょう。ダガー家は、あいつを子どもごと切り捨てて死に追いやった。そんなところにジェイドを戻せませんよ」

「心中お察しします……」

 

 しかも、ハルバードに来るまでのジェイドは、体を呪いに蝕まれて生きるか死ぬかの瀬戸際だった。詳しくはわからないけど、そうなった原因もダガー家なんだろう。

 情の深いディッツが、明かさなかったのも無理はない。

 

「とはいえ、知った以上放置もできないのですが」

「えっ」

 

 フランの言葉に、ジェイドがびくっと体を震わせる。

 

「お前も見ただろう、邪神との戦いは既に始まっている。ジェイドには早急に家督を継いで欠けた勇士の席を埋めてもらう必要がある」

「ぼぼぼ、ボクはお嬢様の従者ですっ! 伯爵になんか、なれませんっ!」

「そうは言っても、これは国の指針だからな……」

「嫌ですううぅぅぅ……!」

 

 ジェイドは涙目で頭を抱えている。

 私に忠誠を誓ってくれるのはありがたいんだけど、伯爵になる未来を棒に振らせるのは主としてどうなのと思う。

 っていうかどうしよう。

 

「なればいいんじゃないの、伯爵」

 

 静かに話を聞いていたフィーアが言った。

 

「私みたいな獣人どころか、貴族のお嬢様が選び放題になるわよ」

「君との結婚契約も破棄しないからね?!」

 

 ジェイドはついに悲鳴をあげる。

 そっちの問題もあったか。

 彼が伯爵になってしまったら、獣人の庶民婚約者は不適当と言われるだろう。

 あれ? でも君たち、カモフラージュ婚約者じゃなかったっけ?

 

「フランドール様……」

 

 ディッツがフランに声をかけた。その様子は、どう見てもジェイドの伯爵家復帰をよろこんでいる雰囲気じゃない。

 

「わかっていますよ。これほどまでに拒絶している者を、無理矢理伯爵の席に座らせたところで、いい結果にならないのも。下手をすれば、逃げられるか壊れるか……肝心な時に使えなくなる可能性がある」

「フランドール様、それじゃ……!」

「家督継承は一旦棚上げだ。ただし、父宰相には念のため報告させてもらう。それから、白銀の鎧などダガー家の血が必要な場合には、どんな状況であっても協力してもらうぞ」

 

 そこがフランなりの妥協点らしい。

 

「わわ、わ……わかりました……」

 

 ジェイドはしゅん、とうなだれた。

 主として、こんな時どういう顔をしたらいいのかわからない。

 

「話はこれで終わりか? だったら、全員一度自分の部屋に帰れ。明日は今日のつじつま合わせで忙しくなるから、休んでおかないと身が持たないぞ」

「それもそうね。ありがとう、ディッツ。私たちは寮に戻って……」

「ちょっと待て」

 

 腰を浮かせかけた私たちを止めたのはヴァンだった。

 

「ジェイドのことも大事だがな、俺の聞きたいことは、まだ全部聞けてねえぞ」

「ええ? 何か他にあった?」

「セシリアの素性だ!」

 

 えーそれ聞いちゃいます?

 見たら、クリスとケヴィンも真剣な顔で私を見ていた。セシリアが聖女と知らないディッツだけがきょとんとしている。

 

「あの場にユラがいたから、あえてつっこんでなかったが……な、ん、で! ラインヘルト子爵家なんてところから、聖女が生えてくんだよ! 血統に従って聖女が産まれるなら、王家だろ!」

 

 そうなんだよね。

 聖女は建国王に恋をして世界を救った。邪神を封じたあと、ふたりはもちろん結婚して、ハーティア王室を開いている。だから、王家とは建国王の血統であると同時に、聖女の血統でもあるのだ。

 

「俺たち貴族が、王家に何を言われてもへいこら頭を下げているのは、いつかあいつらの中から聖女が産まれるって信じているからだ。どういうことか、納得のいく説明をしてもらうぞ!」

 

 

 

 




次の更新は4/29です


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王家の遺伝子

 東の空が明るく白んできた早朝、俺は王子とともに王立学園の廊下を歩いていた。

 時折職員と行きあうが、俺たちを咎める者はいない。

 夜が明けたあとなら、寮生の外出は認められている。騎士科の生徒の中には、この時間から朝練を始める者も多いからだ。

 

「王子、本当に調べるんですか?」

「お前も見ただろう。彼らの様子は尋常ではなかった」

 

 俺たちが向かうのは、図書室だ。

 目的は勉強ではない。昨日起きた不可解な出来事を調べるためだ。

 昨日、俺たちは図書室で侯爵令嬢リリアーナたちと遭遇した。彼女たちは、俺たちに挨拶だけすると、焦った様子で図書室の奥へと向かっていった。

 王妃の策略で無理やり婚約させられたリリアーナが、王子を無視するのはいつものことだ。おかしなことが起きたのはその後だ。

 彼らはリリアーナを始めとして、リアクションが大きな者が多い。人の上に立つ者として、日常的に発声訓練をさせられているから、声も良く通る。

 静かな図書室では、細かい話はわからなくとも、彼らがどこにいるかくらいは雰囲気でわかった。

 だからどう、とも思っていなかったのだが……しばらくして彼らの声が急に聞こえなくなった。密談をしている、というわけでもない。完全な無音だ。

 不審に思って彼らの向かった方向に行ってみたが、誰もいなかった。

 図書室の出入り口は、ひとつだ。

 自分たちが勉強していたテーブルのすぐそばを通らなければ、部屋から出ることはできない。

 窓も確認してみたが、開けられた形跡はなかった。

 彼らはどこに行ったのだろうか。

 不思議に思って、しばらくそこで待ってみたが、彼らの行先はわからなかった。

 変化が起きたのは、それから一時間ほど経過した後だった。

 黒髪の少女が現れたのだ。

 女子制服に、猫のような三角の耳。リリアーナの侍女のフィーアだ。

 彼女は、書架の奥から現れると、急ぎ足で図書室から出ていった。俺たちが何度も確認して、誰もいないことを確認していたはずなのに。

 リリアーナの周囲には、言動のおかしな連中が多い。

 どうせまた、何か理解不能なことをして、騒ぎを起こそうとしているんだろう。

 巻き込まれたくなくて、王子に自室に戻らないかと提案したが、彼は首を振った。

 『何かが起きている』と断言し、その場にとどまることを宣言する。ただ居座るだけではない、書架の影に移動して出入りを監視するとまで言い出したのだ。

 正直面倒くさい、と思ったが主の命令は絶対だ。結局王子に従って、コソ泥のように身をひそめる羽目になった。

 それから何時間経っただろうか?

 西の空が赤く染まるころ、フィーアが図書室に戻ってきた。ひとりではない。

 彼女の隣には、シュゼット姫の世話役として王立学園に滞在しているフランドール・ミセリコルデの姿があった。

 彼らはやはり急ぎ足で図書室の奥へと向かい……やはり気配が消えた。

 それきり、また誰も出てくる気配がない。

 やがて、図書室の閉館時間になったが、結局書架の奥は無人のままだった。王子はまだ監視を続けたそうだったが、司書に部屋を追い出され、俺たちは寮に戻ることとなった。

 寮の特別室に、ヴァンとケヴィンの姿はなかった。

 東の賢者、ディッツから課題を与えられて外出しているとの話だったが、おそらく嘘だろう。

 王子は一晩中、何かあるとぶつぶつ言い続け、結局俺たちはまた図書室を調べることとなったのだ。

 

「彼らは、みんなこの歴史書の棚を目指していた……」

 

 図書室に入ると、王子はまっすぐ奥へと向かった。並べられた本を、ひとつひとつ丁寧に調べていく。

 

「一番可能性が高いのは、抜け道ですが」

「王子の俺や近衛のお前が知らない隠し通路を、リリアーナ嬢たちが知っているのは、おかしくないか?」

「侯爵家独自のツテがあるのかもしれませんね」

 

 なにしろ古い建物だ。

 俺たちの知らないしかけがあっても、不思議ではない。

 

「それはそれで問題なような……ん?」

 

 王子が、ふと立ち止まった。

 緑色の背表紙の本をじっと見つめている。

 

「この本だけ、妙にほこりが少ないな……」

「最近誰かが利用したんでしょうか?」

「その誰か、が彼女たちなのかもしれない」

 

 王子は、本を引き出そうとしたあと、何故か本を押し込んだ。ゴゴ……と重たい音がして本棚がズレ、奥に古めかしいデザインの扉が現れる。

 

「隠し部屋?!」

「彼女たちはこの先に行ったんだろう。急に気配が消えた理由はこれだな」

「しかし……これはどうやって中に入るんでしょうか? ドアノブも何もありませんが」

「中央に文字盤がある。ここに何か入れればいいんじゃないか」

 

 王子は、扉に取り付けられた文字盤に目を向ける。

 そこには『昏き太陽の上に捧げられた白鳥の檻を探せ』とあった。詩のようだが、意味がわからない。

 

「謎かけ、か。太陽が王室の象徴だとして……」

 

 文字盤を見つめながら、王子が思考する。リリアーナの件で評価を下げている王子だが、元々は文武に秀でた優秀な王子だ。特に文学や歴史学は得意分野で、騎士科でもトップクラスの成績を修めている。こういった謎かけは得意分野だ。

 しばらくして、王子は文字盤を操作し始めた。すぐに、ドアがスーッと音もなくスライドする。

 覗き込んでみると、階段がずっと下まで続いていた。明かりが等間隔に設置されていて、中は明るい。

 

「行くぞ」

 

 護衛の俺が止める間もなく、王子は階段を降り始める。あわてて後を追っていくと、またドアがあり、その先に妙な空間が広がっていた。

 家具も何もない、ただただ灰色の壁と床に囲まれた部屋だ。

 部屋の奥にはぽつんと銀のレリーフに縁どられた鏡がある。

 鏡は銀色をしているくせに、何故か俺たちの姿を映し出してはいなかった。

 

「ふむ……」

「お待ちください」

 

 鏡に触れようとした王子を、間一髪のところで止める。

 こんな怪しいもの、王子が触って怪我でもしたら、あとで何と言われるか。

 

「俺が先に調べてみます」

 

 不思議な鏡面に手をあててみる。途端に鏡は金に輝きだした。どこからともなく、男の声が響いてくる。

 

『遺伝子を確認。ランス伯爵の子であることを認証』

「……え?」

『第二認証に移行します。ランス家の子にログイン権限は付与されていません。ログインを拒否します』

 

 ふっと金色の輝きが消えた。

 鏡は元の銀に戻る。

 

「ランス家の子であることは認めたが、中には入れない、ということか」

 

 王子はふむふむ、と頷いている。

 

「俺が触ったらどうなるかな」

 

 同じ勇士の末裔でも、王家には聖女の血が流れている。伯爵家とは反応が違うかもしれない。王子は、すっと手を上げると鏡に手を当てた。

 

『認証エラー。遺伝子を確認できません』

「なにっ!」

 

 ばちん、と派手な音がして王子の手がはじき返された。

 

「王子!」

「平気だ! ……どういうことだ? 俺はハーティア王家第一王子、オリヴァーだぞ!」

「王家と勇士では、反応が違うのかもしれません。ここは一度戻って」

「もう一回だ」

 

 俺が止める間もなく、王子は鏡に手を伸ばす。

 

『認証エラー。ハーティア王家および、勇士七家いずれの遺伝子も確認できません』

 

 ばちん! と先ほどより派手な音がして、今度こそ王子はふっとばされた。俺は慌てて駆け寄って、体助け起こす。

 

「お怪我は?!」

「大丈夫……だ。しかし、どういうことだ。七家はともかく、王家の遺伝子すら……確認できないとは」

「……そう、いえば」

 

 俺たちは顔を見合わせた。

 オリヴァーはハーティア王家直系の第一王子。そのはずだ。

 何故認証されないのか。

 結論を口にできず、俺たちは沈黙する。

 

「……まさか」

 

 真っ青な顔で、王子が口を開きかけた時だった。

 ずんっ、と大きな衝撃が下から突き上げてきた。

 ゴゴゴゴゴゴとすさまじい音をたてて、足元が、いや建物全体が大きく揺れる。

 

「危ない!」

 

 俺はとっさに王子をかばって床にふせた。

 





はい、というわけでクソゲー悪役令嬢『女神ダンジョン』編完結です!
セシリアと王子の血統の謎、そして巨大地震のその後については次章をお楽しみにって感じです!

今回ほとんど何もしてないのに、またひどい目にあっている王子……強く生きてください。


次章のプロットねりねり&4巻書籍作業により、連載を休止します。
再開まで一か月ほどお待ちください!
折角なので、連載再開までの間に一度読み返してみるのもいいかもしれません。
実は王家うんぬんに関しては、書籍1巻相当ぶんからずーっとちまちま伏線がはってあったりしますので。書籍①~③は文章がまとまってて読みやすいですよ!(ダイマ)


そして! 4/28 書籍3巻発売です! 現在発売中ー!!
「クソゲー悪役令嬢③王都ソーディアン~難あり縁談しか来ないけど、絶対婚約してやる!」
書籍版もよろしくお願いします!!


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悪役令嬢は大災害を生き残りたい
未明の大地震


 ごごご……というわずかな地鳴りで、私は目を覚ました。

 危険な音だと本能的に感じて、体を起こす。と、同時にどすん! と大きな縦揺れが体をゆさぶる。なにがなんだかわからないまま、私はベッドにしがみついた。

 必死に目をあけると、ベッドどころか部屋全体が揺れている。

 クローゼットのドアは勝手にあいて中の服が揺れ、本棚におさめてある本がばさばさと床に落ちてくる。

 

「地震……!」

 

 前世で何度か体験した災害。

 そして現世で初めて体験する災害だ。

 つい数時間前、昨夜遅くまで前世の人格『小夜子』として女神のダンジョンをさまよっていたせいだろう。過去と現在の記憶や感情がごちゃごちゃになって、うまく頭が回らない。

 必死に息を整えながら、ベッドの上でひたすら身を守る。

 ゆさゆさと建物全体を襲う揺れは、ゆっくりとおさまっていった。

 

「結構……長かったわね」

 

 それに揺れ幅も大きかった。

 ここが王立学園女子寮の最上階、四階であることを差し引いても揺れすぎだ。部屋のインテリアはすっかりぐちゃぐちゃになってしまっている。

 私は念のため、スリッパではなく靴をはいて廊下に出た。

 

「ご主人様!」

 

 揺れが収まると同時に部屋から出てきたんだろう。フィーアが真っ青な顔でとんてきた。

 

「お怪我は!」

「ないわ。大丈夫よ」

「建物がこんな風に揺れるなんて、何事でしょうか?」

「建物じゃなくて、地面そのものが揺れたのよ」

「え……?」

 

 フィーアがきょとんとした顔になった。

 ハーティアは大陸の中心部にあり、地盤が安定している地域がほとんどだ。フィーアどころか大半の国民が未体験の災害だろう。私だって、リリアーナとしては初めてだ。

 

「リリィ……? 何が起きてるの?」

「ただごとじゃ、ないよな?」

 

 それぞれの部屋から、クリスとシュゼットも顔を出す。朝の鍛錬でもするつもりだったのか、クリスはすでに制服姿だった。

 

「リリィ様、これって……地震ですよね?」

「よくわかったわね、セシリア」

 

 真っ青な顔のセシリアも顔を出す。彼女も制服姿だけど……これは、早起きして着替えたんじゃないな。襟元がよれよれだ。きっと昨日帰ってきてからパジャマに着替えて眠るだけの余裕がなかったんだろう。よく見ると、目元に濃いクマができている。

 セシリアはもじもじと言葉を紡いだ。

 

「カトラスには、火山地帯が……あるので」

「ベティアス山は有名よね」

 

 ハーティア南の沿岸部であるカトラスには、火山に加えて地盤のゆるい地域がそれなりにある。セシリアはこの災害を実体験として知っているんだろう。

 

「災害、ってことは敵襲じゃないんだな?」

 

 思考が物騒なクリスがため息をついて肩を落とす。

 そうも言いきれないのがつらいところだ。

 私が視線を送ると、セシリアが暗い顔でうつむいた。

 

「……この災害を起こしたのは、ユラよ」

 

 私が断言すると、セシリア以外の全員の顔が強張った。キラウェアの王族として、今のところまだユラの上司にあたるシュゼットが目を丸くする。

 

「どういう、ことですの? 昨夜、あなた方が夜遅くに帰った来た時に、ユラが裏切ったとは……聞いてましたけど」

「あいつは裏切り者で、アギト国の手先なの。昨日私たちに罠を仕掛けて失敗したから、次の一手として、王宮の地下深くに眠る邪神の封印に手をかけたんだわ。この地震は封印にヒビが入ったせいで起きたものなの」

 

 何故そんなことがわかる、とは誰も聞かなかった。

 ほとんどのメンバーは私が人知を超えた情報源を持っていると知っているからだ。知らないのはシュゼットくらいだけど、彼女もまた私が突然おかしなことを言うのにはもう慣れている。

 

「だとしたら、これから……」

 

 ギシッ……。

 

 そのまま廊下で話しこもうとした私は、言葉を切る。

 嫌な予感がして、ぞっと背筋に悪寒が走った。

 



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耐震構造なにそれおいしいの

「リリィ?」

 

 私の様子を見て、クリスが首をかしげた。

 その間にも、嫌な予感はどんどんとふくらんでいく。

 

「さきほどの揺れで、ご気分を害されたのでしょうか?」

 

 フィーアもこてんと首をかしげる。

 違う、そうじゃない。

 私が恐ろしいのは、そういうとこじゃない。

 私の前世、小夜子だったころは、地震をそう怖いと思ったことはなかった。住んでいたのは内陸部で、生活のほとんどは設備の整った病院だ。少々揺れたところで、ちょっと物が落ちてびっくりするくらい。もちろん、震度6を超えるような巨大地震にまで発展したら大変だけど、幸い私が生きているうちにそこまでは体験しなかった。

 しかし、このファンタジー世界の女子寮はどうだろう。

 この建物の柱って、木じゃなかったっけ。

 壁を支えてるのは、レンガと漆喰だよね。

 多分、地下深くまで鉄の杭を打ったり、壁に鉄筋が入ってたりしないよね。

 つまり、耐震設計なんて一切されてないよね?

 

「みんな、急いで建物から出て! 今すぐ!」

「突然どうした?」

「いいから、早く!」

「リリィはいつも急ですわね。待っててくださいまし、今着替えてきますから」

 

 のんきに自室に戻ろうとするシュゼットの寝間着を私はひっつかむ。

 

「そんな暇ないの。すぐに階段を降りて」

「えええ?」

「女子寮の中庭には目隠しの囲いがあるから、気にしないで! とにかく出るの。セシリアも行って!」

 

 私はふたりの背中を押して、自分も歩き出す。

 もしかしたら、私の心配は杞憂で、ただ怖くなって大騒ぎしてるだけかもしれない。

 ただ少し、嫌な音がしたってだけだし。

 でもじっとしていられなかった。

 友達が建物の下敷きになって潰れるくらいなら、あとで『お騒がせしてごめんなさい』って謝るくらい、どうってことない。

 

「建物に残ってる生徒を全員避難させるわ。クリス、手伝って! フィーアは退路の確保!」

「わかりました!」

 

 みしみしという嫌な音を聞きながら、私は階段を降りる。

 異常を感じ取ったのか、女子生徒の半分くらいは、不安そうな顔で廊下に出ていた。私は腹の底から声を出して、号令をかける。

 

「全員、中庭に出なさい!」

 

 シュゼットと同じ、『着替えなきゃ』と思ったのだろう。生徒の何人かが部屋に戻ろうとする。私は彼女たちを引き留めるようにして、言葉を重ねた。

 

「着替えてはダメ! 物を持ってもダメ! やってたことは全部中断して、とにかく外に出なさい!」

「外に出ろ! これは命令だ!」

 

 侯爵令嬢の声に、王妹クリスの声も重なる。

 状況がわからなくとも、高貴な者の命令は聞くべき、って思ったんだろう。身分最高位生徒の台詞を聞いた女の子たちはすぐに行動を開始してくれた。

 こういう時は、身分制度に感謝だね!

 フィーアのように、高位貴族が残っていたら避難しづらい生徒もいる。声をかけながら私も一緒になって階段をおりる。

 逃げ方を知らない淑女たちは、途中でコケたりぶつかったりしながら、もたもた階段を降りていく。

 ああもう、こんなことなら、避難訓練をカリキュラムに入れるよう提案しておけばよかった! 地震じゃなくたって、火事とか敵襲とか、避難しなくちゃいけないことって多いのに。

『逃げ方を訓練する』なんて、考え自体が存在しないファンタジー世界で理解してもらえたかどうかわかんないけど!

 

「ご主人様、見てください。女子寮が……!」

 

 外に出て、後ろを振り返った私は、ぞっとした。

 女子寮の形がおかしい。明らかに歪んでいる。

 

「……傾いてる、よな?」

 

 私の隣に立つクリスが、建物の傾きにあわせて首をかしげる。

 これは本格的にやばい。

 

「全員建物から離れて! 学年ごとに整列して、点呼! 姿の見えない子がいないか、確認!」

「はいっ!」

 

 指示を飛ばしていると、女子寮の反対側から人影が走ってきた。

 体格のいい男性と、黒いローブを着た女性教師。

 女子寮の警護を担当している護衛騎士と、教師に化けたドリーだ。

 

「リリアーナ!」

「今避難させているところです」

「よくやった」

 

 ドリーが緊張した面持ちでこくりと頷く。

 

「残っている者は?」

「それは……」

「リリィ様、ライラがいません!」

「ミセス・メイプルのお姿も……!」

 

 点呼をとっていたらしい女子生徒が、あいついで報告してきた。大事な友達の名前が出てきて、私は女子寮を振り仰ぐ。

 

「ライラ!」

 

 三階の窓に、人影が見えた。

 



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緊急避難

「ライラ!」

 

 私は女子寮三階に向かって声をかけた。廊下の窓から、ライラがこっちを向く。彼女は、福々しい雰囲気のかわいらしいおばさま、ミセス・メイプルを支えるようにして立っている。

 

「残っている子がいないか、確認していたら上から物が落ちてきて……!」

 

 ミセスメイプルの額に赤いものが見える。

 点検中に怪我をして、身動き取れなくなったミセス・メイプルを助けようとして、ライラも身動き取れなくなってしまったんだろう。

 中に入って手を貸すべきか。

 護衛騎士が建物に入ろうとした時だった。

 

 べきべきっ!

 

 大きな音がして、建物が傾いた。窓にはまっていたガラスが砕けて落ちてくる。中庭に集まっていた女子生徒の間から大きな悲鳴があがった。

 

「入るのは無理か?!」

 

 護衛騎士とドリーが顔を見合わせる。

 この建物はもう限界だ。今から階段をのぼっても、一緒に潰されてしまう可能性がある。

 護衛騎士がライラの立つ窓のすぐ下に駆け寄った。

 

「飛び降りろ! 受け止める!」

「で……でも……!」

 

 ライラがたじろいだ。

 それもそうだろう。

 彼女がいるのは三階。すぐに降りて、すぐにキャッチできる高さじゃない。落ち方によっては骨折どころじゃすまないかもしれない。普通に怖い。

 でも、ためらっている間にどんどん建物は傾いていく。

 

「飛ぶんだ!」

「で……でもっ……!」

「いきなさい!」

 

 どこにそんな力があったのか、ミセス・メイプルが立ち上がるとライラの背中を押した。押し出されるようにして、ライラの体が空中に放り出される。

 女子生徒の間から悲鳴があがる中、護衛騎士、ドリー、クリスが三人がかりでライラを受け止める。

 

「ぐっ……!」

 

 彼女たちは一塊になって中庭に転がった。見たところ、ライラに大きな怪我はなさそうだ。

 

「ミセス・メイプル!」

 

 私は残る寮母を振り返った。彼女は窓にもたれかかって、荒く息をついている。べきん、とまたどこかで何かが壊れる音がした。ミセス・メイプルも今すぐ飛び降りないと危険だ。

 

「もう一度……」

「待ってくれ、今ので肩が……!」

 

 無茶な受け止め方をしてしまったんだろう。護衛騎士が左肩を押さえてうめいた。

 

「私はいいから」

 

 すっかり諦めた表情でミセス・メイプルが力なくほほ笑む。

 確かに、ここから階段を降りるのも、飛び降りるのも無理ゲーに見えるけどね?

 

「そんなのダメよ!」

「リリアーナ?」

 

 この程度で諦めてたら、喧嘩上等侯爵令嬢なんてやってられない。

 

「飛び降りて、ミセス・メイプル! 私がなんとかする!」

「でも……」

「いいから、早く!」

 

 びしびしびしっ、と今度はミセスメイプルの側の壁に大きなヒビが入った。

 もう時間がない。

 

「受け止める勝算はあるのか?」

 

 隣に並んだ黒いローブの女性教師が声をかけてきた。私はドリーの青い瞳を見返して頷く。

 

「怪我しない程度には、なんとか」

「承知した。手を貸せ、フィーア」

 

 私の横を黒い影がふたつ、駆け抜けていく。

 フィーアとドリー。

 ふたりが女子寮外の壁を蹴るようにして壁面を登る。

 彼女たちはミセス・メイプルが立ち尽くしている窓まで到達すると、彼女の体をひっつかんで窓の外に投げ飛ばした。ミセス・メイプルの丸い体が空中に放り出される。

 

「ええっ……?」

 

 彼女たち自身はその反動を利用してくるりと回転すると、窓枠に着地していた。

 身が軽いほうだとは思ってたけど! ふたりとも、どういう身体能力してるんだよ!

 いや、今は驚いてる場合じゃない。

 ミセス・メイプルだ。

 私は彼女の落下地点に走りこむと、ありったけの魔力を込めて魔法を展開した。

 

「発動せよ、無重力(ゼロ・グラビティ)!」

 



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悪役令嬢の奥の手

 女子寮の生徒全員が注目する中、ミセスメイプルは中庭へと自由落下してくる。

 私はありったけの魔力を込めて、彼女を地面へと引き寄せる力に抵抗した。下へと落ちる力とは真逆の方向、真上に向けて同種の力を加える。

 その力が釣り合った瞬間、ミセス・メイプルの体はふわん、とその場にとどまった。

 地面から五センチほどの位置で彼女が一瞬静止する。

 

「……ぷはっ!」

 

 魔力の限界に達した私が力を抜くと、ミセス・メイプルはどすんと今度こそ地面に着地した。でも、高さ五センチのところから落ちたのと一緒だから、たいした衝撃じゃない。

 

「あ、あら……?」

「だ……大丈夫……ですよね……」

 

 ぜい、と息をつきながら声をかけると、ミセス・メイプルびっくりした顔のまま、こくこくと頷いた。

 

「ええ、ええ、平気よ、リリアーナ。どうして無事かわからないけど」

「なら……よかった……」

 

 魔法の使い過ぎでくらくらするけど、ミセス・メイプルが生きてるならそれでいい。

 私がその場にへたりこんでいると、その後ろでベキッ! と今までで一番大きな音がした。振り返ってみている間に、建物がすごい勢いで傾いていく。ミセス・メイプルを助けるために三階の窓に上がっていたドリーとフィーアも慌ててその場から離れた。

 まさに、あっという間っていうのは、こういうことを言うんだと思う。

 私たちが見ている前で、入学から今朝まで、一年以上寝起きしていた女子寮の建物はとんでもない量の土埃を立てながら、ぺしゃんこにつぶれてしまった。

 

「わぁお……」

 

 それしか言葉が浮かんでこない。

 

「ありがとう、リリアーナ」

 

 いつのまにか、ミセス・メイプルが私の側にまで移動してきていた。茫然としている私の背中をやさしくなでてくれる。

 

「私たちが生きているのは、あなたのおかげよ。あなたがすぐに避難を指示したおかげで、女子寮生徒全員が助かったわ」

「いやそんな……」

「そこは、誇るところだと思いますわよ」

 

 寝間着姿のシュゼットもにっこり微笑みかけてくれる。

 

「私からもお礼を言わせてください。あのまま部屋で着替えていたら、今頃逃げ遅れてましたもの。ねえ、みなさま?」

 

 シュゼットが視線を送ると、中庭で一塊になっていた女生徒たちがわっと集まってきた。よっぽど怖かったんだろう。泣いている子も多い。

 

「ありがとうございます、リリアーナ様!」

「わ、わたし……もう少しで二度寝するところで……!」

「わたくしも、化粧品を持ち出そうとしてて!」

「すぐに出なさい、ってリリアーナ様が言って下さらなかったら……あああ、考えるだけでも恐ろしいですわ」

 

 全員地震災害は初めてだったんだろうなあ。

 邪神の封印破壊、なんてことがない限り、ほぼ百パーセント地震なんて起きない土地だし。

 

「着替えをするな、物を持つなは、いい指示だったな」

 

 うんうん、とクリスもうなずいている。

 

「どこでそんなやり方を覚えたのか、は聞かないほうがいいんでしょうね、きっと」

「う」

「ミセス・メイプルを受け止めたあの魔法も不思議ですわよねえ……空間に作用する魔法というと風魔法ですけど、風なんて吹いてませんでしたし」

「それも内緒! 手品の種は明かさない主義だからー!」

 

 つーか、さっきの魔法は国家機密ですので!

 



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重力魔法

 私のキメ台詞、『手品の種は明かさない』を発動すると、女友達はおとなしく引き下がってくれた。

 私はほっと胸をなでおろす。

 さっき使ったのは、開発中の『重力魔法』だ。重力を魔力で操る新魔法である。

 こういう一般的な属性魔法に縛られない技術は、国家防衛に関わるからって秘匿するよう、フランはおろか兄様にも宰相閣下にも直接口止めされている。だから部外者、それも他国人のシュゼットには口が裂けてもばらせない。

 とはいえ知ったところで重力魔法の実用化は難しいんだけどね。

 重力を自由自在に操るなんて、我ながらすごい魔法だと思う。しかし、いかんせんまだまだ問題が多い。

 第一の問題は使える人間がめちゃくちゃ限られるってこと。

 この世界の魔法は、力に対する理解と実感が必要だ。一般的な火をつけるとか風を起こす、といった魔法は自然現象を目にしているぶん、誰でも理解しやすいんだけど、目に見えない力はそうもいかない。

 地球が丸いと思ってない、下手したら地面がまったいらで、星は地球を中心に回っている、なんて考えてそうなファンタジー住民に、『万物はお互いに引き合う力を持ってる』とか『私たちは丸い地球の中心に向かって引っ張られてる』なんて解説しても、全然通じないんだよね。

 だから、重力魔法自体を発動できる人間がほとんどいない。

 開発に関わったディッツとジェイドがうっすら理解している程度だ。

 使える人間が少ない、ということは、それだけ研究が進まないってことでもある。理解されず、効率化されてないから、何をやるにしても異常に魔力を消費する。

 東の賢者の愛弟子として、十一歳のころから魔法を学んでいる私でも、ミセスメイプルを一瞬浮かせるのがせいいっぱいだ。災害の現場で連続して同じことを繰り返しやれ、と言われても三人目くらいで魔力切れで倒れると思う。

 六十キロの荷物を浮かせるのに、六十キロの荷物を抱えるのと同じだけ、魔力的なコストがかかるのでは、大きなことはできない。

 軽くするのがダメなら重くしてみよう! と思って過重力をかけて人を止めることも考えてみたんだけど、そっちもうまくいかなかったんだよね。鎧を着ている騎士は普段から重りを持ち歩いてるようなものだからかな? 父様クラスになると瞬間的に二Gとか三Gとかかけても、突破してきちゃうんだよ……。

 押さえようにも先にこっちの魔力が尽きて、倒されるのがオチだ。

 全く使えないよりはマシだけど!

 もうちょっと楽に知識チートさせてくれてもいいと思うの!

 

「リリアーナ、気分は悪くなっていませんか?」

 

 重力魔法がどれだけ負担がかかるか知ってるせいだろう。女子生徒たちのお礼合戦が一段落してきたところで、ドリーが声をかけてきた。ローブの上から羽織っていたマントを、私の肩にかけてくれる。

 女の姿でも、気遣ってくれる恋人ありがたい。

 

「ちょっと疲れたけど平気。魔力を使わなければ、すぐに戻ると思う」

「わかりました。体調に違和感をおぼえたら、すぐに報告してください」

 

 そうやってぽんぽん頭をなでてもらえたら、もうそれで疲れが結構ふっとんでいくけどねー。

 

「あなたはそう言って、無自覚にやせ我慢するので、信用ならないんですよ」

「むう……とはいえ、のんびりもしてられないし」

 

 私は、女子寮前の門に目をやった。

 嫁入り前の女子が寝泊りする建物、ということで寮の周りには目隠し用の塀と出入りを管理する門がある。その前に何人もの人影があった。

 女子寮が崩れたのを見て、心配になったほかの生徒や職員が集まっているんだろう。

 彼らの先頭には、見慣れた銀髪の少年たちがいた。

 

 

 

 



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救援

「ヴァン、ケヴィン!」

 

 ドリーと一緒に門に向かうと、そこに集まっていた生徒たち全員の視線が私たちに集まった。とはいえ、全員と話すわけにもいかないので私たちは銀髪の少年ふたりに声をかける。

 

「お前ら無事だったか……って、ええと」

「私も無事だ」

 

 私の姿を確認したあと、さらに奥を見ようと視線を上げたヴァンに向かって、クリスが声をかけた。走ってきて私の隣に並ぶ。

 婚約者の無事を確認して、ヴァンはほっと息を吐いた。

 ケヴィンが困り顔で私を見る。

 

「リリィ、そんな格好で出てきていいの?」

「しょうがないじゃない、緊急事態だったんだから」

 

 今の私は寝間着の上からドリーのマントを羽織っているだけの姿だ。侯爵令嬢が男子の前でしていい格好じゃない。

 

「着替えも何もかも、全部瓦礫の下だからな……」

 

 制服姿のクリスが肩をすくめる。彼女が着替えていてくれたのだけが、不幸中の幸いだ。お姫様まで下着姿では、対応に困る。

 

「女子寮のほうからものすごい音がしたから来てみたんだけど、何が起きたの?」

 

 ケヴィンが首をかしげた。

 女子寮は基本的に男子禁制で、さらに中を覗けないよう目隠しの壁と魔法で囲ってある。門前にまで来なければ、中の様子はわからないのだ。

 

「さっきの地震で、女子寮の建物が全部崩れちゃったのよ」

「あれが? 全部?」

 

 私の報告を聞いて、集まってきていた男性陣は全員ぎょっとした顔になる。

 

「安心して、すぐに避難したから全員無事よ。そっちの状況は?」

 

 反対に尋ねたら、ケヴィンがにこりと柔らかくほほえんだ。

 

「男子寮は無事だよ。生徒のほとんどは、災害救助方針にそって動いてる」

 

 軍は災害救助も仕事のうちだもんね。まだ学生だけど、騎士科生徒も対処方法を知ってるはずだ。

 

「ただ……全員の安否確認にはちょっと手間取ってる」

 

 ヴァンが顔をしかめた。

 

「女子生徒と違って、男子は結構融通がきくからな。門限無視して研究室に泊りこんでる奴や、夜も明けないうちから鍛錬始めてた奴とかがいて、全員揃わねえんだ」

「それは心配ね……」

「まあ、それでも建物全部が崩れた女子寮よりはマシだ」

「俺たちとしては、すぐにでも女子寮の救助に入りたいところだけど……」

 

 ケヴィンが遠慮がちに視線を私に向けてきた。私は相変わらず、寝間着にマントを羽織っただけの状態だ。

 

「いきなり男子生徒を入れるのは無理ね。着の身着のままで何も持たずに出てきたから、ほぼ全員寝間着姿なのよ」

 

 淑女のあられもない姿を見た、見ない、であとあと問題になるのは避けたい。

 

「当面の安全は確保できてるから、まずは避難先と着替えの調達をお願い。男物でもなんでもいいから」

「わかった。用意しよう」

 

 一緒に聞いていた男性教師のひとりが頷いた。

 

「あとは……」

「リリアーナ!」

 

 相談していたら崩れた女子寮のほうから、声がかかった。振り向くとミセス・メイプルがこちらにやってくるところだった。誰かに手当してもらったんだろう、さっきまで血を流していた寮母の額には包帯が巻かれていた。

 それはいいんだけど。

 

「あなた、何をやってるんですか」

 

 あれ? 寮母を怒らせるようなこと、やったっけ?

 

 



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黒煙

 心優しいふっくら寮母、ミセス・メイプルは軽く腰に手をあてると、ぷんぷん、と擬音がつきそうなくらいコミカルな仕草で、私を叱りだした。

 

「淑女が、そんな格好で殿方の前に出てはいけませんよ」

「でも、着替えもありませんし」

「そう言うと思いましたよ。無事だった倉庫から予備の服を出してきましたから、着なさい」

 

 彼女は抱えていた包みのひとつを渡してくれる。中には女子制服が一式入っていた。

 着替えがあるのは正直ありがたいけど、今は非常事態だ。

 

「制服は、体の弱い子を優先してください。私はマントを羽織っていれば動けますから」

「……その格好は、動けるとは言わないでしょう」

 

 返そうとしたら、ドリーが複雑そうな視線を送ってきた。

 緊急事態だったから今まで口を挟まなかったけど、着替えられるならそうしてほしいっぽい。

 

「あなたはこの場で指揮官の立場にあります。目のやり場に困る姿では、人の前に立って指示を出しづらいと思いますよ」

「う……」

「そうよ。周りを助けたいなら、まずあなたが十分な格好じゃなくちゃ」

 

 ミセス・メイプルにまで言われてしまっては、抵抗できない。

 私は受け取った服を両手で抱きしめた。

 

「わかりました、有難く受け取ります。では護衛のフィーアにも制服を用意してもらえますか?」

「そっちはもう渡してあります。今着替えているところですよ」

 

 さすが寮母、私の行動はお見通しらしい。

 

「リリィが着替えてきたら、責任者で集合して細かい行動方針を決めるか」

「そうね。こういう時ってどこに助けを求めたらいいのかしら」

「通常は王都の正規軍を待つべきだが……」

 

 私たちに説明しながら、教師のひとりが王都方面を振り仰ぐ。と、同時に彼の顔がひきつった。

 

「おい……あれ……」

 

 彼の視線を追った私たちも、同じものを見て息をのんだ。

 王立学園を囲む城壁の先、王都方面の空は真っ黒だった。

 暗いとかそういうんじゃない。もうもうと大量の黒煙があがっているんだ。

 

「あ……」

 

 そこで私は思い出した。

 この地震は、王宮地下にある邪神の封印がほどけたのが原因だ。つまり、震源地は王宮。当然王都中心部が一番揺れたはずだ。

 王立学園があの揺れでこれ、ってことは、王都は……。

 

「リリィ様……あれって……」

 

 ふら、と女子生徒のひとりが黒煙を見上げながら、私のそばにやってきた。よれよれの制服を着こんだ明るいストロベリーブロンドの少女、セシリアだ。彼女の顔色は、真っ青を通り越して、紙のように白い。空を見上げる緑の瞳もうつろで、いまいち焦点があってなかった。

 

「あれは、その……」

 

 説明しようとして、私は言いよどむ。彼女の様子は普通じゃない。こんな状態の彼女にショッキングな現状をそのまま伝えていいものだろうか。

 

「……私、見てきます!」

 

 彼女はそう宣言するやいなや、門を開けて飛び出していった。

 やばい、ひとりで行かせるのは絶対マズい。

 

「待ちなさい!」

 

 追いかけようとしたら、ぐっと肩を掴まれて止められた。振り向くと、ドリーが眉間に皺を寄せたまま、心配そうにこっちを見ている。

 そういえば、まだ寝間着姿だったね!

 このままじゃ追いかけられませんね!

 私があせっていると、すぐにクリスが飛び出していく。

 

「私が行く! リリィたちは着替えてから来て!」

「お願い!」

 

 

 



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惨状

 大急ぎで制服に着替えた私は、フィーアを連れて学園を取り囲む城壁へと向かった。元々城塞だった王立学園には、城壁の各所に周囲を見回すための物見やぐらが造られている。セシリアが向かったのは、そのうちのひとつだ。

 学園の東側、王都に一番近いやぐらの階段を駆け上る。

 屋上に出ると、ストロベリーブロンドをなびかせながら立つ少女の姿があった。その隣には、彼女を風から守るようにして立つ、銀髪の少女の姿もある。

 

「セシリア、クリス」

 

 声をかけると、クリスだけがこちらを振り向いた。セシリアはまだ、黒煙のあがる都市の方向を食い入るようにして見つめている。

 セシリアの隣に立つと、私の目にも王都の惨状がとびこんできた。

 黒煙の原因は、やはり火事のようだった。

 王都のあちこちで大きな火の手があがり、その中のいくつかは、炎そのものが竜巻のように渦となって吹き上がっている。

 

「どうして火事が……? まさか、この機に乗じて王都に敵が?」

 

 遅れてやってきたフィーアが疑問を口にする。

 

「地震火災、ってやつね。地震が起きたのは早朝だったでしょ? パン屋とか、火を使う商店はもう仕事を始めてただろうから、火の入った竃が壊れたりして火事になったんでしょう」

 

 地震が起きたら、次は火事が起きる。

 現代日本人がよく耳にする災害知識だけど、地震を体験したことのないファンタジー世界の住民にとっては、理解が追いつかない状況だろう。

 

「……この地震を起こしたのは、ユラですよね」

 

 ぽつりとセシリアがつぶやいた。

 

「私が……彼を拒絶したから」

 

 ため息とともに漏れた台詞を聞いて、私は何故彼女の様子がおかしかったのかを察した。

 

「それは違うわ」

 

 セシリアの手を取って、無理やり視線をこちらに向けさせる。

 

「あなたが考えてることは、だいたいわかるわよ。昨日の一件で、ユラは『乙女の心臓』にも、管制施設にも介入できなくなった。超兵器に手出しができなくなったから、最終手段として封印破壊に踏み切ったんでしょう。まさかこんな早くに切り札を使うとは思わなかったけど」

「だとしたら、やっぱり……」

 

 セシリアはまた俯く。

 女神のゲーム知識を持つ者として、私たちはユラが未来に引き起こす悲劇の一部を知っている。だから、何か起きると、その責任の一端が自分にあるのではと思ってしまいがちだ。でも、私もセシリアも、世界の悲劇全てを背負ってられないし、そんな責任もない。

 

「だからって、あいつに『乙女の心臓』を渡せないでしょ。あのまま、管制施設をハックさせてたら、もっとひどいことが起きてたわよ」

「そうなん……ですけど……でも、他にやりようがあったんじゃないか、って」

「昨日のアレ以外に、何がどうできたっていうの」

 

 バグった女神のダンジョンの中で、私たちがとれる行動は限られていた。

 あれ以上のことをしろって言われても無理だ。

 

「管制施設を乗っ取ろうとしてたのはユラ! 封印を壊したのもユラ! 世界を滅ぼそうとしてるのもユラ! 悪いことをしようって決めて、実行したやつが悪いの!」

 

 この事態がセシリアのせいなんかであるもんか。

 そう断言しても、セシリアは顔をくしゃくしゃにして涙をこぼす。

 

「でも……私は……」

 

 ふら、とセシリアの体が傾いた。

 糸の切れた人形のように、力なく崩れ落ちていく。

 

「セシリア!」

 

 間一髪、地面に激突する直前でクリスがその体を受け止めた。

 

「セシリア! 私の声が聞こえる? セシリア!」

 

 ぱしぱし、と軽く体を叩いてみても反応がない。完全に意識を失っているようだ。

 浅く息をする彼女の額には、脂汗が浮いている。

 

「リリィ、これって……」

「昨日からストレス続きだったからね。多分、キャパオーバーを起こしてるんだと思う」

「ずっと緊張してたからな……」

 

 クリスはセシリアの体に手を回すと背に負う。このまま、安全なところまで運んでくれるつもりなんだろう。

 力なくクリスの背によりかかるセシリアの顔を覗き込んでみる。

 心労がたたって、セシリアのかわいらしい顔が台無しだ。

 きっと今、彼女に必要なのは支えてくれる誰かだ。でも、血の繋がった家族はもうすでに亡くなっているし、新しくできた後見人も、彼女の全てを受け入れてくれるほどの間柄じゃない。転生者としてかなり近い立場にいる私でも、セシリアは頼ろうとしてくれない。

 聖女の力の根源は、恋する乙女心だ。

 彼女が純粋に誰かを想い頼りにする……恋をすることで救われ、世界も同時に救われるんだと思う。

 でもこの状況で、彼女が自発的に心を預けられる相手って、現れるんだろうか。

 

 

 

 



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救助活動開始

「ヴァン、状況は?」

「まあそれなり」

 

 校舎に戻ると、すでに臨時避難所が設営されていた。制服を着た騎士科生徒たちが、教師の指示に従って、あちこちせわしなく走り回っている。

 生徒の中心人物として陣頭指揮をとっていた、ヴァンとケヴィンがこっちを見る。クリスに背負われたセシリアを見て、二人とも顔がこわばった。

 

「おい……セシリアは」

「大丈夫、怪我はしてないわ。意識がないだけで」

「昨日からいろいろあったからね。疲れちゃったみたいだ」

「それはしょうがねえな」

 

 裏事情を知っているせいだろう、倒れた原因を聞いてヴァンは息を吐いた。

 

「救護エリアはどこなの? セシリアを寝かせてあげたいんだけど」

「ああ、それなら……」

「お嬢様!」

 

 クリスが案内しようとしたタイミングで、ジェイドがこっちに走ってきた。みんな揃いの紺のマントを着ているなか、彼だけは医療関係者であることを示す白いマントを着ている。

 彼は学生だけど、医学薬学の権威である東の賢者の一番弟子だ。スキルを考えれば当然の話だろう。

 

「体に不調はありませんか?」

「私は大丈夫よ。でも、セシリアが倒れてしまったの。診てもらえる?」

「かしこまりました」

 

 ジェイドはクリスからセシリアを受けとると、優しく抱き上げた。顔色と呼吸を確認してから、婚約者にも目を向ける。

 

「フィーアの体調は?」

「お気遣いなく、ジェイド様」

「……」

 

 にこり、と貼り付けたような笑顔を向けられてジェイドは沈黙した。

 そういえばこっちはこっちで、こじれてたんだっけ。

 ジェイドがダガー伯爵になるかどうかは一旦棚上げ中だけど、フィーアは『婚約解消して伯爵になっとけ派』だからなあ……。

 関係のこじれた従者たちの間に挟まれた主は非常に居心地が悪い。

 私は別の話題をジェイドに振った。

 

「救護所の状況は?」

「校医と医療研究者が中心になって、怪我人や具合の悪くなった生徒を診ています。師匠も一緒に働いてますよ。……ボクはお嬢様と一緒に行動することもできますが」

「今はいいわ。ふたりとも救護に集中しててちょうだい」

「かしこまりました。必要な時には呼んでください」

 

 ぺこりと頭を下げると、ジェイドは去っていった。微妙な空気の板挟みになっていた私はこっそり胸をなでおろす。どっちも大事な部下だけど心臓に悪いよ!

 

「とりあえず、セシリアの安全は確保ね。女子寮のみんなは?」

 

 尋ねられて、ケヴィンが柔らかく答える。

 

「さっき予備の服を配布して大講堂に移したところだよ。瓦礫から私物を掘り出すのは、もっと落ち着いてからだね」

「当面の生活必需品は、男子寮や他のところから引っ張ってくるしかねえな。……王都の様子はどうだった?」

 

 ヴァンに話をふられて、クリスが軽く首をふる。

 

「あちこちで大きな火事が起きてた。あっちからの救援はアテにしないほうがいい」

「市民の保護が先だろうからな……わかった。とにかく学園内でどうにかしよう」

「男子生徒の点呼はどうなったの? 連絡がつかない生徒がいるって言ってたけど」

 

 都市計画なんか考えずに作った王立学園には、雑に建てられた建物も多い。人知れず瓦礫の下敷きになってる生徒がいてもおかしくはない。

 きいてみたら、ヴァンは嫌そうな顔になった。

 

「今一番の問題はそれだな」

「うん?」

「おい、あいつら見つかったか?」

 

 ヴァンが生徒のひとりに声をかける。たずねられた生徒はぶんぶんと首を左右に振った。

 

「ジャスティンたちが捜してますが、見つかったという報告はありません」

「そうか、ご苦労」

「誰がいないの?」

 

 嫌な予感がする。

 避難所の設置や救助など、今はひとりでも人手が必要な状況だ。そんななか、わざわざ人員を割いてまで探さなきゃいけない生徒は限られている。

 

「キラウェアからの留学生ユラと……それから、オリヴァー王子、ヘルムートが見つかってない」

 

 

 



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行方不明者

「ユラは逃亡者として扱います」

 

 ヴァンやクリスたちの近くで、キラウェアからの留学生たちを取りまとめていたシュゼットは、きっぱりそう言い切った。

 

「ええええ、いきなりその決定でいいの?」

「構いませんわ。戻ってくる可能性はほぼゼロなんでしょう?」

「まあ……そうなんだけど」

 

 昨日私たちが女子寮に帰ってきた時点で、非公式に『ユラがハーティアの国宝を奪取しようとして、失敗したあげくに逃亡した』と報告されていたお姫様は、冷徹な判断を下す。

 

「昨日の件はまだ正式に届け出されておりませんが」

 

 留学生と女子生徒の面倒を見るため、彼女のそばにいたドリーがたずねた。

 

「国外での活動ということもあり、キラウェア留学生には『いついかなる時でも所在を明らかにすること。点呼に応じなかった場合は逃亡とみなす』というルールがあるのです。今回はこれを適用しましょう」

 

 シュゼットがそう宣言すると、側にいた留学生たちは一斉に頷いた。

 

「単なる行方不明者として放置して、のちのち舞い戻られたほうが面倒ですわ。キラウェア生徒のフリをして、変なところに入り込まれたら困りますもの」

「ありがとう、正直助かるわ」

「お気になさらず、彼の愚行は私たちにとっても不利益になりますもの。……あとは王子たちですわね」

 

 シュゼットがため息をつき、ドリーが眉間に皺を寄せる。私も一緒になってため息をついてしまった。

 突発的な災害時には決まって行方不明者が出るものだけど、今回は一番いなくなっては困る人物の所在がわからなくなっていた。

 この国唯一の王子、オリヴァーがどこにもいないのである。

 

「怪我人の救助のこともあるし、だいたいの場所は探したんだけどな……一向に見つからねえんだ」

 

 ドリーとフィーアを連れて、ヴァンたちのところに戻ると、ヴァンも同じようにため息をついた。横でクリスも首をかしげている。

 

「何か手がかりはないの?」

 

 そう聞くと、ヴァンはまた首を振った。

 

「お前らがセシリアを追ってた間に、聞き込みをしてみたがさっぱり。今朝はやくに、制服を着て寮から出て行ったってとこまではわかってるんだが」

「まさかユラに誘拐されたとか……」

 

 ケヴィンが心配そうな顔になる。

 普通の王族だったら、ありうる話なんだけど。

 

「その可能性は低いでしょう。意味がありません」

 

 ドリーが即答する。

 王子の裏事情を知っている私たちは、そろって沈黙した。

 

「……だよなー」

「彼がいなくなっても実は困らない、と私たちが知っている……ということを、ユラもまたわかっているはずです」

「だったら、どうしてあいつはいないんだ!」

 

 ガリガリ、とヴァンが頭をかく。

 その気持ちはわかる。

 欠点の多々ある王子様だけど、さすがに自分の責任は理解している。災害時に自分がいなくなれば、どれだけ周りが混乱するかはわかっているはずだ。だから、わざと姿を消すようなことは絶対しない。

 だとすれば、不測の事態で身動きがとれなくなっている、と考えたほうがいいだろう。

 

「結局人海戦術で探すしかねえのかよ? この忙しい時に!」

「うちのジェイドの魔力探知させるって手もあるけど、今は救命作業に集中させたいのよね」

「……そもそも、現状では探索精度がかなり落ちると思いますよ。あちこちで普段使われないような魔法を使っていますから」

 

 婚約者フィーアが付け加えた。婚約どうこうがなければ、お互いを理解してて、最強従者コンビなんだよなあ、ふたりとも!

 

「空飛ぶ使い魔とか、持ってる奴いなかったか?」

 

 ヴァンに尋ねられて、ドリーが眉間に皺を寄せる。

 

「今年の生徒の中にはいませんね」

「確かに空から探せたら楽だけど……あ」

 

 空から、という言葉がひっかかって、私はそこで言葉を切った。ドリーがこちらを振り向く。

 

「何か思いつきましたか?」

「開かずの図書室が使えるかも」

 

 隠し部屋の名前を出すと、その場にいた全員の顔つきが変わった。

 

「アレは管制施設。つまり、周囲の情報を集めて支援するためのものなの。多分、観測に必要な機能があるはず」

「行ってみましょう」

 

 私たちは、うなずきあった。

 

 



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ドミノ倒し

 図書室は、大変なことになっていた。

 

「うわあ……」

 

 あまりの惨状に思わず声が出てしまう。

 地震のニュースで、棚から本が落ちる映像は何度か見たことがある。でも、目の前の光景はそれ以上だった。本棚から投げ出された本が床一面に広がり、さらにその上に本棚そのものが倒れていた。しかも倒れてるのはひとつだけじゃない。倒れた本棚が隣の本棚を倒し、倒された本棚がさらに隣を……と連鎖的に倒れて、絵にかいたようなドミノ倒し状態になっていた。

 製紙技術はあっても、まだ印刷技術が存在しないこの世界で本は貴重品である。食べ物みたいに、潰れたら再起不能ってわけじゃないけど、この量の本がぐしゃぐしゃになっているのは心が痛む。

 

「もったいないなあ」

「のんきなこと言ってる場合じゃないぞ」

 

 ヴァンが嫌そうに顔をしかめた。

 

「え?」

「だって、俺たちの目的地ってこの図書室の一番奥だよね?」

 

 ケヴィンも困り顔で苦笑する。

 隠し部屋の入り口があるのは、図書室の一番奥、古い歴史書のあるコーナーだ。つまり、この広い図書室いっぱいに広がった本の海をかき分けていかなきゃたどり着けない場所なわけで。

 

「細かい本の整理は後回しだな。とにかく、奥まで行ってみよう」

 

 思い切りのいいクリスが、先頭をきって歩き出した。あわてて私たちもその後につづく。とにかく、道をふさいでいる本棚をどけて、道を確保しなくちゃいけない。本棚そのものをヴァンとケヴィンが担当する中、私たちは落ちている本を拾って、邪魔にならない場所へと積み上げた。

 

「フィーア、これお願い」

「かしこまりました」

 

 この場には、隠し部屋の事情を知るメンバーということで、ヴァン、ケヴィン、クリスに加えて、ドリーとフィーアもいる。特別室メンバーがそろって離席するのはどうかと思ったけど、むしろいい判断だったみたいだ。フィーアとふたりだけだったら、絶対隠し部屋までたどりつけなかった自信がある。

 

「なあ、あんたどうせシュゼットの世話役って肩書きもあるし、リリィとふたりきりにさえならなきゃいいんだろ? 手伝うなら男に戻ってやってくれよ」

 

 何個かめの本棚を移動させたところで、ヴァンがドリーに声をかけた。

 そういえばそうだった。ドリーは元々薬の力で変身したフランだ。災害現場では馬力の出せる男の姿のほうが都合がいいはず。力仕事を嫌がるタイプじゃないのに、どうしたんだろう。

 ドリーは本を積み上げながら、嫌そうに眉間に皺を寄せた。

 

「今は男に戻れない。クールタイム中だ」

「あー……あれかぁー」

「うん? 何それ」

 

 ヴァンが納得する横で、ケヴィンがきょとんとした顔になった。何度か薬を飲んだことのあるヴァンと違って、ケヴィンは詳しい使い方までは知らないもんね。

 

「性別変更薬は、連続使用できないのよ。短時間で何度も変身してたら、体に大きな負担がかかるから」

「昨日の夜、リリィたちを女子寮に送り届けるのに変身して、その後男に戻って……今朝クールタイムぎりぎりで女に化けたところだったんだ。あと数時間はこのままでいないと、体がもたん」

「ぶっ倒れるよりは、まだ女の格好で動いてたほうがマシ、か。わかった」

「悪いな」

「いいって、昨日帰る前にクリスを引き留めて、あんたに護衛やらせたのは俺だし」

「……私がご主人様たちについていられればよかったのですがね」

 

 本を積みながらフィーアがぼそっともらす。

 実はこのふたり、ダンジョンを出たあとそれぞれ婚約者と話すことがあるからって言って別行動してたんだよね。

 

「いいいいいや、あれは気にしなくていいからね! いきなり地震が起きるなんて、誰も予想つかないから!」

「あの男が素直に伯爵家を継いでいれば済んだ話です。全く面倒な……」

 

 ねえ、本当にきみたちどれだけ感情こじらせてるの?

 主人としてめちゃくちゃ心配よ?

 

「隠し部屋のドアが見えたぞ!」

 

 本棚を動かしていたヴァンが声をあげた。見ると、古い本ばかりが並んだ、見覚えのある本棚の姿がある。さすがに奥が隠し通路になっている棚は、壁にがっちり固定されているようで、そこだけ様子が変わっていなかった。

 

「こっちの本棚もどけて……」

「スイッチを押すわよ」

 

 目印になっている本を押し込む。でてきたドアにパスワードを入力して、ドアを開けてみたら……

 

「え?」

 

 なぜか、扉の奥から王子様が出てきた。

 

 



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発見!

「リリアーナ嬢? ……それに、ヴァンとケヴィンも」

 

 隠し扉から出てきた王子は、ぱちぱちと目を瞬かせた。彼の後ろには、従者のヘルムートの姿もある。

 ええええええ何これ、何なの。

 これどういう状況?

 王子様を探すために隠し部屋に来たら、隠し部屋の中から王子様が出てきたんだけど?

 

「お前ら、なんでこんなとこにいるんだよ」

 

 私が口を開く前に、ヴァンが疑問を投げかけた。

 それを聞いて、ヘルムートの眉が吊り上がる。

 

「それはお前らが……っ!」

「昨日、君たちが図書室で何かしてたのが気になってね。今朝早くから調べてたんだ」

「わ……私たちは何も……!」

 

 隠し部屋を開ける前は、ちゃんと人払いをしていた。入るところを見ていた生徒はいなかったはず。

 私の反応を見て、王子は苦笑した。

 

「直接ここを開ける現場を見なくても、わかることはある。あんなに大騒ぎしながら図書室に入ってきたのに、突然気配が消えたら気になるよ」

「あ……」

 

 確かに言われてみればそうだけど!

 まさか、そこまで観察されてるとは思わなかったよ!

 あの時は緊急事態だったとはいえ、我ながらウカツすぎる。

 

「隠し部屋に入ったはいいけど、ちょうど中に入ってる時に地震が起きて、出られなくなってたんだね」

 

 ケヴィンがそこら中で倒れている本棚を見て言った。さっきまで、隠し扉の前は本棚が倒れかかっていた。こんな状態じゃ開けるに開けられない。その上、秘密を守るために隠し部屋には防音処理がされている。大声で叫んでも、見つけてもらえなかったんだろう。

 

「俺たちのことはいい。そもそもお前ら、こんなところで何をしてた?」

 

 じろり、とヘルムートがこちらを睨む。王子たちの立場からしたら、こんな隠し部屋にこもってたなんて、不審以外何者でもないよねー。

 しかし、ヴァンは平然とヘルムートを睨み返した。

 

「俺たちも、昨日偶然ココを見つけたとこなんだよ。何か利用できるようなものはないかって調べてたら、結構時間が経ってたってだけで。お前らのほうこそ、中で何か見つけなかったか?」

「おま……」

「いや、何も」

 

 反論しようとした従者を、王子が止める。

 

「あそこには大きな鏡がひとつだけだっただろう。銀色なのに、こちらを映さないのが不気味で、()()()()()()()()よ」

「俺らも似たようなものだな。さんざん調べ回ったが、鏡以外見つからなかった。……とんだ骨折り損だ」

 

 本当は見つからなかったどころの話じゃないんだけど、バレたらただじゃすまない。私はじっと押し黙ってふたりのやりとりを見守る。

 

「王立学園には、王宮同様古代の遺物があるとは聞いていたが、こんな肩透かしもあるんだな。それで……今外はどうなってる?」

「大騒ぎだ。図書室の惨状を見てもわかる通り、地震で学園どころか王都の周りはぐっちゃぐちゃだ。特に女子寮は建物全部が倒壊してる」

「女子寮が?」

 

 ぎょっとして王子は私を見た。私はことさら平気そうな顔でにっこりとほほ笑む。

 

「すぐに避難したから、全員無事よ。私物が全部瓦礫の下になって、不便なだけ」

「……そうか、よかった」

「それで、避難所を作りつつ生徒の安否確認をしてたんだけどよ……」

 

 そこまでで、ヴァンの言いたいことは伝わったらしい。王子はこくりと頷いた。

 

「王子の俺が行方不明で、騒ぎになったと」

「念のため、図書室を調べに来てよかったよ。隠し部屋の中じゃ他の生徒には見つけられないからね」

 

 にこ、とケヴィンが微笑みかける。

 ここに来たのは偶然だけど、そういうことにさせてもらおう。王子様相手に管制施設がどーのとか、詳しい話はできない。

 

「……状況はわかった、すぐに避難所に合流しよう」

「俺が案内するよ。詳しい状況も歩きながら共有しよう」

 

 ケヴィンが本をよけて作った通り道に立つ。王子とヘルムートはそれに従って歩き始めようとして……そこで足を止めた。

 

「うん? リリアーナ嬢たちは? 行かないのか?」

 

 そこはきづかず行ってほしかったかなあ!!

 

 



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ログイン

 私たちを心配そうに振り返る王子に向かって、ヴァンはひらひらと手を振った。

 

「俺たちは、既に安否確認されてっからな。残ってここの後始末してから行く。変な鏡しかねえっていっても、隠し部屋を一般生徒に見せるわけにいかねえだろ」

「だったら俺も……」

 

 戻ろうとした王子を、ケヴィンが慌てて引き留める。

 

「君が戻らないと、生徒の捜索が終わらないよ。今は一秒でも早く本部に合流して、全員救助活動に集中させてあげないと」

「わ、わかった」

「行こう!」

 

 王子たちが去っていくのを見送り、彼らが図書室を出たのを確認してから、私は大きなため息をついた。

 

「あ~びっくりした……」

「まさか隠し部屋の中から、王子が出てくるとは思わなかったな」

 

 下手にしゃべるとボロが出ると思ってたんだろう、ずっと黙りこくっていたクリスが口を開く。

 

「隠し部屋については、図書室への出入りも含めて偽装する必要があるな」

 

 本棚の陰から、ドリーが顔を出す。彼女に至っては王子たちと話す間、完全にその姿を消していた。勇士七家の末裔とその従者はともかく、一介の女性教師が隠し部屋の秘密に関わっているなんて、王子たちに気づかれるわけにはいかないからだ。

 

「普段は図書の貸し出しを装えばある程度ごまかせるが、災害で混乱している中、わざわざこんなところに足を運んでいては目を引いてしまう」

「今回は鏡しかみつけられなかったみてえだけど、それ以上のことに感づかれたら面倒だよな」

「……本当に、それだけなのでしょうか」

 

 フィーアが訝し気に王子たちが去っていった方向を見やる。

 

「だと思うわ。元は王族か勇士七家の末裔なら入室可能な設定だったけど、昨日ダンジョンを脱出した時点で、私かセシリアの許可した人間じゃないとアクセスできないよう変更しておいたから」

 

 触れたところで得られるものなど何もない。変な鏡があるだけだ。王子はそもそも接近すらしなかったようだし。

 

「ここしか出入口がないってのが一番の問題だよな。何かいい手はないのかよ?」

 

 ヴァン話を振られて、私は首を振る。

 

「そこまではわかんない。中に入ってもちおに直接たずねたほうがいいと思うわよ」

「わかった、ちょっと行ってくる」

 

 ヴァンが隠し部屋へ続く階段を降り始めた。本当に管理AIもちおに会いにいくんだろう。

 

「フィーア、この場所を軽く隠して見張りをお願い」

「かしこまりました。お気をつけて」

 

 護衛に指示を出してから、私たちも階段を降りる。王子が見つかったから、捜索自体は必要なくなったけど、それ以外にも、やってほしいことはたくさんある。

 魔法の鏡にアクセスして、仮想空間にログインすると、昨日とは別の場所に通された。

 薄暗いダンジョンではない。広くて明るい、大きなお屋敷の玄関ホールのような場所だった。普通のお屋敷と違うのは、壁一面にデザイン違いのドアがずらりといくつも並んでいることだろう。

 

「また、変なところに出たな。これもバグってやつか?」

 

 私の後に入ってきたクリスがきょろきょろと周囲を見回す。先にログインしていたヴァンも、物珍しそうにあたりを観察していた。

 

「これが正しい処理よ」

「ユーザーは、まず最初にこのロビーを訪れていただく仕様となっています」

 

 私たちが入ってきたのを知って、ブサカワ系ぽっちゃり白猫が姿を現した。

 

「目的ごとに、対応する扉にアクセスすると、専用ルームに遷移します」

「なるほど、この奇妙なドアは目的をわかりやすくするためのアイコンなのか」

 

 最後に聞きなれた低い声がロビーに響いた。

 

「えっ……?」

 

 振り向くと、男の姿のままドリーのローブを着たフランが立っていた。

 

 

 



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強制変身解除

「フラン? その格好大丈夫なの?!」

 

 私たちはぎょっとしてフランを見た。フラン自身も変化に驚いたみたいで、自分の体をしげしげと見降ろしている。

 

「特に不調は感じられないが……もちお、俺はログイン前女性の姿だったはずだ。男になっているのは何故だ?」

「ユーザーはこちらのインターフェイスへ、肉体によらず魂だけでアクセスしています。アバターは体の状態に関わらず、システムに認識されている姿で表示されます」

「なるほど、俺の魂が男として登録されているからか」

「これはこれで不思議ね」

 

 しばらくこっちの姿は見られないと思ってたから、ちょっと嬉しいけど。

 

「リリィも他人事じゃないだろう。こっちで見る姿はやっぱりちょっと大人みたいだ」

 

 クリスが苦笑する。

 そういえば、私自身『フランの女』として登録されてるから、フランと釣り合いの取れる二十代バージョンなんだよね。

 

「ここにいるのは、あくまでアバターだから本体に影響はない、ってことでいいのかしら」

「はい。あ、……いいえ、少々お待ちください」

 

 もちおは不穏なことを言って、急に動きを止めた。

 不自然な硬直の裏で、何かを処理しているっぽい。頭の上に「Now loadng」とかキャプションが出そうな風情だ。

 

「もちお?」

 

 その不気味な沈黙やめてくれませんか? 嫌な予感しかしないんだけど!

 三十秒ほどの停止のあと、もちおは申し訳なさそうに頭をさげた。

 

「……お待たせいたしました。申し訳ございません、肉体保存処理の都合で、強制的に魔法薬の効果を解除しておりました」

「え」

 

 強制解除って何だ。

 

「俺の体を男に戻したのか?」

 

 さっとフランの顔色が変わる。

 彼はこの非常時にも関わらず『あと数時間は戻れない』って言ってた。つまりそれだけ副作用が深刻だったってことだ。東の賢者の弟子として、私もそれがどれぐらい危険かは理解している。

 下手したら、フランの体は……!

 私たちの剣幕に驚いたのか、白猫はあわあわと前脚をあげる。

 

「大丈夫です、落ち着いてください。肉体の変質解除は、こちらの処理機能で行いましたので、肉体へのダメージはありません。……念のため、二十四時間は性別を変えないほうがよいと思われますが」

「体に負担はないのね?」

「はい」

「だったら最初からそう言いなさいよっ! もおおおおおお、驚かさないで!」

「申し訳ありません!」

 

 心臓に悪い白猫は全力もふもふの刑に処してやる! どうせ本物の猫じゃないから、乱暴になでても問題ない。虐待される猫は存在しないのだ。

 

「まあ、かえって都合がいいんじゃねえか? 今は男のほうが動きやすいだろうし」

「その意見には同意だが、ひとつ問題があるな」

「副作用なしで変身解除してるんなら、それでいいだろ」

 

 フランは苦笑しながら自分の服をつまむ。

 

「世話役フランが、女教師ドリーのローブを着てたら変だろ」

「あ」

 

 性別変更薬はあくまでも肉体に作用する魔法だから、衣装はそのままだったね!

 

 

 



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指令室へようこそ

 私は改めて、フランの姿を確認した。

 ゆったりとしたユニセックスなデザインのローブだったから違和感がなかったけど、彼が着ているのは明らかに女性教師ドリーの服である。

 

「特に今日は、この格好で女子寮や避難所を歩き回ってたものね。すぐに同じだってわかっちゃうか」

 

 生徒と違って、教師たちは全員私服だ。関係ないはずの彼らが全く同じ服を着ているのは、あきらかにおかしい。

 

「変装バレのリスクは避けたい。できれば着替えたいが……」

「ディッツの研究室まで、こっそり移動するのも危険よね」

「研究室には着替えがあるんだな?」

 

 話を聞いていたヴァンが口をはさんだ。フランが頷く。

 

「だったら、フィーアに取りにいかせればいいんじゃないか。あいつなら、人目を避けて行って帰ってくるくらい、できるだろ」

「あ、そっか」

 

 フィーアは隠密特化型の護衛だ。

 黒猫に変身できる『ユニークギフト』も併用すれば、誰にも気づかれずに服一式持ってくるくらい朝飯前だ。

 クリスがさっと踵を返して、出入口に向かう。

 

「だったら、私が知らせてこよう。フィーアが服を取りにいってるあいだ、代わりの見張りも必要だろうし」

「ありがとう、クリス!」

「システムがどう、とか細かいことを考えるよりは、敵を警戒するほうが楽だからな。気にするな」

 

 仮にもお姫様を見張りに立たせるってどうなの、とは思うが、能力を考えたらこれが適材適所だ。ここは素直に頼っておこう。

 彼女がログアウトしていったのを見届けてから、私たちは改めてもちおに向き直った。

 

「さて……フランの姿が変わってたから前後しちゃったけど、ここに来たのはもちおにお願いがあるからなの。外で大きな地震があったのは、知ってるわね?」

「はい、認識しています」

「被害状況を詳しく知りたいの、使える機能を提案して」

「かしこまりました。では、オペレーションルームにお入りください」

 

 もちおが言うと扉のうちのひとつ、いかめしいデザインの扉がぼんやりと光った。扉の前にも、『指令室』と文字が浮かび上がっている。

 こういうところはいちいちゲームっぽい。運命の女神の趣味だろうか。

 

「こっちに入ればいいんだな?」

 

 ヴァンが早速ドアを開けて入っていく。私たちもあわてて後を追った。

 中に入るなり、私は思わず足を止めてしまう。

 そこはファンタジー世界風の会議室だった。内装は落ち着いたシンプルなデザインで、中央に十人くらいで囲んで座る長机が据えられている。

 

「えええ、何これ」

 

 びっくりしている私を見て、ヴァンとフランが怪訝そうな顔になる。

 

「何って、いかにもな作戦指令室だろ」

「王宮の騎士団作戦室も、似たような内装だが」

「いやだって、オペレーションルームっていったら、もっとこう、SFっぽい感じだと思うじゃない!」

「えすえふ?」

 

 ますます怪訝そうな顔をされてしまった。

 くっ、ジェネレーションギャップならぬ、ワールドギャップがつらい。

 

「リリアーナ様はともかく、ヴァン様とフランドール様は、機械的なデザインに馴染みがありません。適応しづらいと判断して、一般的な指令室をモチーフとさせていただいております」

 

 ド正論である。

 SFにロマンを感じられるのは、SFを摂取して育った現代日本人だけだからね。

 人間誰だって慣れない環境で新しいことを覚えるのはストレスになる。できるだけ慣れ親しんだ形で提供するのが筋だろう。

 

「とはいえ、機能までアナログではありません」

 

 とっ、と白猫が長机の上に飛び乗る。同時に、机の上には大きな地図が浮かび上がった。このデザインは見覚えがある、王都を中心としたハーティア国の地図だ。

 

「それと、こちらを」

 

 もちおが壁のひとつを振り仰ぐと、壁一面がモニターに変わった。こちらには地図ではなく地上を直接真上から撮影した風景画像が表示される。

 それを見てフランの眉間にぎゅっと深い皺が寄った。

 

「これは、ハーティアの……国土か?」

「衛星写真っぽい雰囲気ね」

「……リリアーナ様のおっしゃる通り、監視衛星から撮影した画像になります」

「あるの? 人工衛星!」

 

 

 

 



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サテライト

「リリィ?」

「お前いきなりどうしたんだよ」

 

 突然騒ぎ出した私を見て、恋人と男友達が目を丸くする。

 ふたりが若干引いてるっぽいけど、今はそれどころじゃない。

 人工衛星が運用されてるって、それどんなファンタジーSFだよ。

 

「ええと……月が、丸い地球の周りを回ってる衛星なのはわかる?」

「ジェイドが重力魔法を開発している時に……そんな話を聞いたような」

「いやお前ら何言ってんだ。この地面が丸いとか正気か?」

 

 フランがうろ覚えの物理知識を口にして、ヴァンがそれを真っ向から否定した。君たちはそこからかぁー!

 

「えーと、こっちの壁に映ってるのは、ものすごーく高いところから、すっごい技術を使ってハーティアの国土を直接写し取った画像なのよ」

「すっごい高いところ? 北にある霊峰とかか?」

「……詳しい話はあとで、もちおにレクチャーしてもらって」

 

 私は早々に説明するのを放棄した。

 彼らの知識どうこうの問題じゃない。積み重ねた常識が違いすぎるんだ。

 私の技術でひとくちに説明するのは、無理!

 

「えーともちお……ちなみに、その人工衛星って、写真をとるやつだけ?」

「監視衛星のほかに、観測衛星が5基、航行衛星が10基、通信衛星が7基、通信ネットワーク用超小型衛星が172基現存しています。五百年前はこの三倍の衛星が存在したのですが」

「打ち上げから五百年も経ってるのに、三分の一でも生き残ってるほうがすごいわよ。観測衛星は、地上の様子を記録してるとして……通信衛星とかがあるってことは、衛星通信とかGPSが使えるってこと?」

「はい。空中母艦『乙女の心臓』を運用するには、必須の機能ですので」

「戦闘機をいくつものせた、めちゃくちゃ大きな飛行機を飛ばすようなものだもんね。それくらい用意するのが当然かあ」

 

 これはいいことを聞いた。あとで利用できそうだ。

 

「状況はわかったわ。もちお、王都を中心に壁の画像を拡大してもらえる?」

「かしこまりました」

 

 返事と同時に、表示されていた衛星写真の解像度が変わった。

 

「このへんは王宮か? まあ絵が見れるなら、理屈はどうでもいいけど」

「だがこれでは……」

 

 フランがひっそり眉をひそめる。

 映像の大半は、真っ黒で詳細がわからなかった。

 

「この黒いのは、火事の煙よね」

「はい。監視衛星は真上から王都をとらえておりますので」

「煙のせいで、何にも見えねえな」

 

 ヴァンも顔をしかめる。私はもう一度もちおを見た。

 

「もちお、監視カメラとか……王都の様子を直接見る機能とかってないの」

「監視カメラは、王宮地下の『乙女の心臓』関連施設内にしか設置されていません」

「なるほど、そうなるのね。王宮そのほかは、空中母艦が封印されたあと、人間の手で作られたわけだから……。何か、代わりになる機能はある?」

「管制施設内に、偵察ドローンが50機保持されています。使用しますか?」

「あるんだ? ドローン」

 

 もうなんでもアリだな!

 

 



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なんでもアリ

「ドローンのモデルはこちらになります」

 

 もちおのすぐ横に、ファンタジー世界には不似合いな、機械的な物体が出現した。大判の本くらいのサイズの四角い黒い箱には、いくつものプロペラがついている。ぶうん、と音をたててプロペラが回りだしたかと思うと、その四角い箱は指令室内を飛び始めた。

 

「なんだ、これ」

「こっちの言葉で言うと、空飛ぶ使い魔、かな? 箱にレンズがついてるでしょ? ここに人間の目にあたる機能があって、見たものをこっちのモニターに表示させてくれるのよ」

「このドローンが撮影している映像をお見せしましょう」

 

 もちおがそう言うと、壁の映像が切り替わった。衛星写真のかわりに、指令室の様子を映し始める。今飛ばしているドローンが映した映像ってことだろう。

 

「えーと、いきなり50機全部出すのはもったいないから、とりあえず王都に20機派遣して。この王立学園の周りにも3機出して、周りを警戒して。見つからないように」

「かしこまりました」

 

 もちおがこくん、とうなずくと壁の映像が切り替わった。

 画面が細かく分割され、別々の景色を映し始める。これはドローンが見ている映像なのだろう。

 

「すげ……」

 

 展開についていけないらしい、ヴァンが茫然と壁を見つめている。

 

「GPSが使えるってことは、ドローンの現在位置もわかるのよね?」

「こちらに出します」

 

 長机に表示されていた地図の映像が変化した。ドローンの現在位置らしい、赤い点が王立学園を中心にいくつも記される。

 

「よし、これで王都の様子がわかるわね」

「便利なのはいいが、少し困ったな」

 

 地図と景色を見比べていたフランが眉をひそめる。画期的な技術のどこに問題があるというのか。

 

「この映像は、指令室でしか見れないんだろう。隠し部屋が国家機密である以上、勇士七家の者しか中に入れない。この状況で、高位貴族の中心人物が図書室にこもりきりなのは、都合が悪い。外に連絡する手段が限られるのも問題だ」

「今でも、外にクリスを見張りに立たせてる状態だもんね。状況がわかっても、指示が出せないのは困るわよね……」

 

 隠し部屋を発見した王子の件もある。

 ここを頻繁に出入りしていたら、いつか王子以外にも発見されてしまうだろう。

 いずれ『乙女の心臓』を動かす時には、何人も騎士を入れることになるだろうけど、それはずっと先の話だ。

 

「では、こちらの通信端末をお使いください」

 

 もちおは、ごとごとごとっ、と立て続けにみっつ、黒い板を私たちの前に出現させた。大きさは、私の手のひらにちょっと余るくらい。つるりとした外観の無機質な機械だ。

 めちゃくちゃ見覚えのあるアイテムである。

 私はそのひとつを手にもつと適当なボタンを押した。

 黒い板のガラス面が明るくなる。しばらく待っていると、画面にアプリアイコンが並んで表示された。

 

「汎用通信計算装置です」

「スマホじゃん!!!!」

 

 本当に何でもアリだな!

 

 



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アイテム配布

「リリィ、これは何なんだ?」

「通信機の一種? これを持ってる人間同士で話したり、情報を共有できたりするの。えっと……ドローンの映像は……」

「こちらのドローンアプリになります」

 

 白猫に教えられるまま、私はアイコンをタップする。

 ドローンの現在位置を示す地図と一緒に、映像が表示された。フランは画面を覗き込んでふむ、とうなずく。

 

「この道具を介せば、外でも一部の機能が利用できるのか」

「ドローン以外にもいろいろあるみたいね。カメラにメッセに……ゲームアプリまで?」

 

 画面をスクロールすると、カラフルなアイコンが数えきれないくらい出てくる。ぱっと見ただけじゃ、全部の機能を把握しきれない。

 

「スマホを使ったことのある私でも、わからないアプリが多いわね。使い方はもちおが全部ガイドしてくれるのよね?」

「もちろんです」

 

 こくこく、とガイドAIはうなずいた。

 

「この世界に電源とかないと思うんだけど、動力はどこから?」

「魔力循環式です。持ち主が身に着けていれば、そこから微弱魔力を電流に変換して充電できます」

「高位貴族はほぼ全員魔力持ちだから、持ってるだけで半永久的に動くのね。なにこの夢のアイテム」

「……よくこんな便利な道具がぽんぽん出てくるな。いくら邪神との戦いが予言されてたからって、用意しすぎじゃねーのか」

「そもそも『乙女の心臓』運用には、関係者同士の密な連絡が必要ですから。これでもまだ設備機能のほんの一部ですよ」

「えぇ……」

 

 ひとつで戦略の概念をひっくり返すようなアイテムが次々に出現したというのに、これでも一部と聞いてヴァンが頭を抱えた。フランも無表情のままだけど、くっきりと眉間に皺が寄っている。気持ちはわかる。私も全部はついていけてない。

 

「いきなりシステムまるごと渡されても扱いきれないだろうし、今は端末だけで十分だわ。これって三台しかないの?」

「こちらの在庫は50台ですが、『乙女の心臓』側には1000台以上備蓄されています。機能がフル稼働すれば、追加生産も可能です」

「だったら、今ここにいない、ケヴィンやクリスも使えそうね。……ダガー家の血族だから、ジェイドにも渡せるかな」

「……ここにアクセスしたことのない、勇士の末裔にも配ることはできるか?」

 

 手の中でファンタジースマホを弄びながらフランがたずねた。

 

「セシリア様から一部権限を委譲されている、リリアーナ様が登録許可すれば可能と思いますが」

「誰に渡したいの?」

「まずは宰相として災害対応をしている父だな。それと、騎士団長であるハルバード侯」

「指揮官が災害現場をリアルタイムで把握できたら楽よね。私が許可して、ドローンに運ばせればアリかな?」

「だったら、クレイモアのじいさんにも渡せねえか?」

「国境を守護している辺境伯と連絡が取れるのは、助かるけど……王都にいる父様たちはともかく、クレイモア伯って、領地にいるはずよね? そんな遠くまでドローンが飛んでいけるかな」

 

 私の記憶が確かなら、ドローンのバッテリーはさほど長くもたなかったはずだ。

 しかしもちおはきりっとした顔で断言する。

 

「ハーティア国内であれば、配達可能です」

「さすが神造兵器……」

 

 もう細かいことは考えるだけ無駄な気がしてきた。

 

「だったら、アルヴィン兄様と、ケヴィンのおばあ様であるモーニングスター侯爵にも渡しましょう」

「カトラス家のダリオも該当者でいいんじゃないか」

 

 フランが赤毛の濃いめイケメンの名前を出す。

 

「白銀の鎧を動かすってなったら、『カトラス』のパイロットはどう考えてもダリオだもんね……」

 

 カトラス家は六人兄弟だけど、国外に留学中のルイスをのぞけばあとは全員小さな子供だったはずだ。戦える血族は彼しかいない。

 

「同じ勇士家の当主でも、ランス伯爵はナシだな。あいつに渡したら即王妃側に渡るぜ、賭けてもいい」

「言われなくてもやらないわよ」

 

 ランス伯爵は、腹黒王妃を王室に引き入れた諸悪の根源だ。彼にこんな強力すぎる超兵器を渡すわけにはいかない。かろうじて、ヘルムートの兄、伯爵家長男が父様の部下として教育されているけど、彼がどれだけ信用できる騎士になるかは、まだ未知数だ。

 ラスボスとの決戦時に、断絶したはずの『ダガー』の鎧があるのに、『ランス』の鎧はない、という事態も十分ありうる。

 

「あと残っている血族というと……ヘルムートとか?」

「あいつもナシだろ。信用度でいったら、父親とほとんど変わんねーぜ。だいたい、一緒にいる王子に何て説明するんだよ」

「オリヴァーはそもそも、王家の血を引いてないもんね……」

 

 私たちはうなずきあった。

 



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王家の秘密

「当代の王女は、セシリア様ではないのですか?」

 

 話を聞いていた、ナビゲーションAIもちおが首をかしげた。

 

「もちおは王室の現状を知らないんだっけ」

「私は昨日まで休眠状態でしたから。血統の記録も、王宮の水盤から送られてきた遺伝子情報を参照しているだけですし」

「なるほど、データはともかく詳しい人間関係はほとんどわからないのね」

 

 こくこく、と白猫がうなずく。こういうしぐさはただの猫っぽくてかわいい。

 

「今、王宮で王様だって言われてる人は、全くの偽物なのよね」

「なりかわり、ということですか?」

「本人もなりたくてなったわけじゃ、ないみたいだけどね」

 

 私は、女神の攻略本をアイテムとして取り出す。ページをめくると、そこには王室の血統に関わる秘密がびっしりと書かれていた。

 

「ことの始まりは、四十年以上前に起きた襲撃事件よ。産まれたばかりの王子を殺そうと、アギト国から王宮に何人もの刺客が送り込まれてきたの。このままでは王子が殺されてしまう、と思った乳母のひとりが、よく似た赤ちゃんを連れてきて、すり替えた」

「味方側の起こしたすり替えだったのですか」

「そう。もちろん、事件がおさまったら元に戻すつもりだったんだけど、乳母は襲撃に巻き込まれて死んじゃって……敵も味方もすり替えに気づけなかったのよ」

「誰かひとりくらいには、共有しとけって話だけどなー」

「厳重に警備されているはずの王宮で、王子が殺されかかってるんだ。内通者を恐れて、秘密を洩らせなかったんだろう」

 

 フランが当時の状況を推察する。女神の攻略本に書かれた筋書きも似たようなものだ。

 

「襲撃がおさまって、表向き平和になった王宮で、すり替えられた偽物はそのまま王子として育てられていったの」

「……それはおかしくはないですか? すり替えられた王子……現国王は、二十年前に正当な王として継承の儀を行い、遺伝子サンプルを水盤に提出しています。データに矛盾はありませんでした」

 

 もちおはまた不思議そうに首をかしげた。え

 話している裏で、継承時のデータを再検証しているのかもしれない。

 

「あなたがチェックしたのは、血の遺伝子だけでしょ」

 

 あの認証システムには、明確なセキュリティホールがある。血さえ本物であれば、『誰が水盤に投入したか』なんて、チェックしないのだ。

 

「だとすれば、儀式で使われた本物の血はどこから出てきたんですか」

「それも、殺された乳母ね」

 

 私はさらに攻略本のページをめくる。

 

「優秀な魔女でもあった乳母は、本物の存在を示す証拠として、王子の血を魔法で冷凍保存していたの。自分のやったことを詳しく書いた手紙とともにね」

「証拠が残っていたんですね。であればますます、発覚しなかった理由がわかりません」

「それらを見つけたのが、王位継承の儀式を明日に控えた偽王子だったからよ」

 

 ヴァンが肩をすくめる。

 

「まあ隠すよな。偽物にとっちゃ、自分の地位を脅かす証拠そのものなんだから」

「彼は事実を公表せず、乳母の手紙を焼き捨てた。自分が偽物と知りながら、本物の血を利用して王位を継いだのよ」

「……やはり、理解できません。当代の継承の儀をごまかしたとしても、次代の継承時に必ず発覚するのに」

「だが、今の平穏は得られる」

 

 フランが眉をひそめながら言った。

 

「継承当時、国王にはまだ子供がいなかった。血統の嘘がばれるのは二十年以上先の話だ。今まで王族としてぬくぬくと育てられてきた国王に、事実を公表して野に下る決断はできなかったんだろう」

「でも、知ってしまった事実と、自分がやった継承の不正は国王の中に残り続けたの。本物の王でない自分が、政治に関わってもいいのか? そう迷って決断できなくなった彼は、誰の提案にも逆らわない『置物国王』になってしまったのよ」

 

 




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出生の秘密

「俺としては、偽国王が継承の前日に、出生の秘密を知ったってとこが引っかかるんだよなー。出来過ぎてるっていうか」

「十中八九、作為的なものだろう。ユラのことだ、入れ替わりを知った上であえて放置し、わざと継承直前に偽国王だけが発見できるよう証拠に細工をするくらい、やりかねん」

「あいつ、そういう悪趣味な運命の悪戯演出、好きそうだもんね」

 

 だからこそ、邪神の化身なんだろうけど。

 

「なるほど。おおむね、王室の状況は理解しました。では、本物の王はどちらにいらっしゃるのでしょうか? セシリア様がお産まれになっている、ということは少なくとも十六年前までは生きていたはずですよね」

「それが、今は亡きラインヘルト子爵よ」

 

 私はカトラス家の保護下にある名家の名前を出した。

 

「本物の王子は、まず乳母の手で王都中心部の孤児院に預けられたの」

「あとで迎えに行くつもりだったんなら、そのへんが妥当な預け先だろうな」

「でも、乳母は殺されてしまったでしょ? 彼はそのまま孤児として成長して、当時子供のいなかった先代ラインヘルト子爵に養子として引き取られたの」

 

 血統が何よりも重要視される王家や勇士七家と違い、他貴族家は実子以外への相続が認められている。家の存続のために、優秀な養子をとるのはよくある話だ。

 

「子爵家ゆかりの女性を妻に迎えて、爵位を継承したそうよ」

「それで、セシリアが子爵令嬢として育った……ってとこまではわかるんだけどよ。なんでカトラスの妹分ってことになってんだ?」

「それはそれで、いろいろ事情があるのよ」

 

 ヴァンの素朴な疑問にどう説明するべきか、私は返答に困ってしまう。かわりにフランが口を開いた。

 

「セシリアが産まれたあとに子爵家で不幸が続いたんだ。まずセシリアの母が出産直後に病死し、後妻を迎えたが直後に子爵自身も亡くなっている。後妻の浪費で子爵家が傾き、セシリア自身の身に危険が及んだため、カトラスが子爵家ごと保護した」

「あーそういう」

 

 貴族家では財産をめぐるいざこざが珍しくないせいだろう、ヴァンは納得顔でうなずいた。

『セシリア自身の身に及んだ危険』が、魔力式給湯器ほしさに後妻がセシリアを闇オークションに売り飛ばし、あわやユラにお買い上げされそうになってた、ってことまでは言わなくてもいいだろう。話がややこしすぎる。

 

「俺たち特別室組のメンバーは、昨日初めてセシリアの素性を知ったわけだがフランドール、あんたの関係者……大人連中は誰がどこまで知ってるんだ?」

「ほとんど誰も。知っているのは俺の父だけだ」

「宰相本人じゃねーか!」

 

 ヴァンが驚くのと一緒に、私もびっくりして目を丸くしてしまった。血統の裏事情を宰相閣下まで知ってるなんて、私も初耳なんだけど?

 

「お前の入れ替わりの時と同じだ。国政に少なからず関係する以上、政治のトップが事実を知っておく必要がある」

「だったらどうして、あのアホ王子を放置してるんだ。あんたの口ぶりだと、ほとんど最初から、国王の入れ替わりを知ってたよな? 知っててどうして何もしねえんだよ」

「それにはもちろん、理由がある」

 

 




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大人たちの思惑

「王家の血がすり替えられている。この事実がわかったとして、今発表したら何が起きると思う?」

「置物王と腹黒王妃が追放されて、めでたしめでたし……ってわけにはいかないんだろうなあ」

「その通りだ」

 

 フランが静かに肯定する。

 

「すり替え直後ならともかく、俺たち貴族はすでに何十年も置物国王を主君としてまつりあげてきた。いきなり偽物だったと言われても、はいそうですかと受け入れられる者は少数派だろう」

「役立たずだなんだと言いながらでも、貴族は結局王家を中心につながりあってるからなあ」

「遺伝子検査ができる超古代技術があるからいいものの、他の王室だったらアウトだったわね」

 

 なにしろ先代国王もセシリアの父親もすでに死んでしまっている。当時の記録も焼かれているから、DNA以外の証拠はゼロだ。セシリアが血統を主張しても鼻で笑われて無視されるのがオチだろう。

 

「この問題の最も穏便な解決方法として、俺たちが目をつけたのがセシリアの婚姻だ」

「あ」

 

 婚姻、と聞いてヴァンは、はっと顔をあげた。

 

「まさか……俺とクリスがやったことを、王子とセシリアにもやらせようとしてたのか?」

「逆だ。王子とセシリアを使って継承の歪みを隠蔽しようと計画していたから、お前たちが現れたときに、入れ替わりを提案できたんだ」

「ハ、いきなりとんでもないことを言い出すと思ってたら、しっかり前知識があったわけだ」

「女神の攻略本でも、その可能性は示されてたわ」

 

 私はもう一度本を開く。王子ルートのページには、王室の存続方法が書かれていた。

 

「本来、オリヴァー王子が王位を継承する時に血統の嘘がバレる。でも王子とセシリアが結婚すれば話は別よ。継承の儀で王子がセシリアの血を捧げて、ふたりの間で子供を産めば、すり替えの事実を隠したまま血を繋いでいけるの」

「王宮の混乱を考えたら、それが一番平和か……」

 

 逆に、私が王子と絶対結婚したくない理由はここにある。血統に嘘のある王子は、聖女と結婚しない限り、その地位を追われることが確定している。愛があれば一緒に失脚しても……という話もあるかもしれないけど、私はそこまで王子に思い入れはない。沈むとわかってる泥船にわざわざ乗り込みたいとは思わなかった。

 

「実際俺と父は去年までその方向で動いていた。宰相家がカトラスを支援したのはセシリアを保護させる意図もあったんだ」

 

 フランは悩まし気なため息をつく。

 

「元が没落寸前の貧乏子爵家令嬢でも、カトラス侯爵家の後ろ盾があるなら王妃候補として推せる」

 

 カトラスゆかりの優秀なお嬢様として王立学園に入学させ、そこで王子と関係を持たせるつもりだったらしい。ロマンスのシナリオとしては悪くない。

 

「問題は、セシリアが『恋する乙女心』を根源とする本物の聖女だってことよね」

「まさかオリヴァーが、聖女に一切興味を持たれないレベルのボンクラだとは……」

 

 ぎぎぎ、とフランの眉間にそれはもう深い皺が寄る。

 自分の結婚を邪魔されたあげくに、聖女まで取り逃がしてるんじゃなあ。王子に対する評価がダダ下がりになってもしょうがない。

 

「女神のゲームだと攻略対象、つまり恋に落ちる可能性が高い人物だったんだけどね」

 

 実際、ゲーム内では周りのことをよく見ている、心優しい王子様だったんだけど。何がどうしてこうなった。いや、王妃が変に王子に構ってマザコンにしちゃったのが悪いのか。

 

「お前ら何言ってるんだ? 国の安定がかかってるんだから、恋だなんだって言ってないで、無理にでも結婚させればいいだろ」

 

 貴族らしい価値観を持つヴァンが不思議そうな顔になる。そうもいかないのが、運命の女神の見守る世界の恐ろしいところだ。

 

「聖女の『恋する乙女心』っていうのは、誇張でも何でもないのよ。彼女が自然発生的に好意を持った時にしか、能力は開花しないの。政略結婚を強制したら、その時点で力が消えて、世界が滅ぶわ」

「女ひとりの気持ちが存亡を左右する世界って何なんだよ?!」

 

 そのツッコミは正しいんだけどね!!

 





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ツイてない国

「そこはもう、『この世界はそういう仕組みだから』と考えるしかないわね」

 

 運命の女神に世界を救う才能がないのは仕様だ。

 すでにそう成り立ってしまってる世界に今更異議を申し立ててもしょうがない。世界がそう『ある』なら、あるなりに行動するしかないのだ。

 

「聖女として産まれたセシリアにとっては災難以外なにものでもない……とは思ってるのよ。自分の心ひとつに世界の運命を託されちゃってるんだから」

 

 私が彼女と同じ立場だったとして、フランとのんきに恋愛できてたかどうか自信はない。

 

「宰相家、あんたとオヤジさんはどう考えてんだよ」

「セシリアが王子に惚れなかった時点で別プランに移行した。現国王夫妻を強制排除し、セシリアを王位につける方向でひそかに動いている」

「ま、妥当な判断だよな。王宮の混乱より、救世主と正統な血筋のほうがずっと大事だ」

 

 この国は聖女の血筋を中心に形作られている。

 正当な王族の保護の前には、貴族たちの反発なんて小さな問題だ。

 

「どっちにしろ、今のオリヴァーに王は荷が重すぎる」

「何もしないだけならまだいいが、あいつは王妃に情で訴えられたら、流されかねないからな」

「とはいえ、正統な王族であるセシリアにも、統治者の才能があるかというと……微妙なところね」

 

 女神に与えられた才能はともかく、本人はすみっこで平穏無事に暮らしたい小動物令嬢だ。女神のダンジョンでユラに立ち向かうだけの気概は見せるようになったけど、炎に巻かれた王都を見て倒れてしまうようでは、まだまだ弱い。

 

「気質はしゃあねえ。最低限、担がれる神輿の役さえやってくれりゃあ、俺たちがなんとか……って、それじゃ今の置物国王と同じになるか」

「国政は回せるだろうが、厄災に立ち向かうとなったら、難しいだろうな」

 

 フランも冷静に肯定する。

 厳しいけど、その判断は正しいように見える。

 

 

「偽物王に、気弱な王女に……つくづく統治者に恵まれてねえ国だな、クソ」

 

 ヴァンは悔しそうに爪を噛む。

 ただの臣下であれば、運が悪かったですむかもしれないけど、本来の彼は王の弟。セシリア以外に唯一残された直系の王族だ。彼らの叔父として抱える想いがあるんだろう。

 

「お前が戻るのはナシだ」

「わかってるよ。王妹が実は男で、婚約者と入れ替わってました、なんて話は王様が取り換えられてたって話以上に受け入れられねえ。俺は、シルヴァン・クレイモアだ」

 

 ヴァンはがりがりと頭をかいて立ち上がった。

 

「ヴァン?」

「ちょっと外で頭冷やしてくる。フィーアが戻ってくるまでは、待機で大丈夫だろ」

「ああ、それで構わない」

「だったら私も」

 

 ヴァンに続こうとしたら、苦笑して止められた。

 

「お前はここにいろよ。どうせ外に出たら、そいつとは一緒にいられねえんだから」

「そ……それは、言われてみれば」

 

 ここは管制施設が作り上げた仮想空間だ。中で誰が何をしてるかなんて、外からは絶対にわからない。スキャンダルを避けなくちゃいけない私たちにとって、絶好の逢引き場所だ。

 

「じゃ、またあとでな」

 

 だからって、いきなりふたりきりで残さないでいただけますか?!

 

 

 




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ふたりきりの密室

 私が止める間もなく、ヴァンはログアウトして出ていってしまった。

 

「あ……う……」

 

 残された私は、うろうろと視線をさまよわせる。振り向くと、いつのまに移動してきたのかフランがすぐ隣に立っていた。常に側にいるはずの白猫の姿もない。AIの高度な判断でそっと席を外してくれたらしい。

 するっと肩に手が回されて、引き寄せられる。

 フランの体温をダイレクトに感じて、かあっと頬が熱くなった。

 ひょっとして、この状況はすごくマズいんじゃないだろうか。

 仮想空間は完全な密室だ。私たちが何をしていても、誰にもわからない。

 そう、何をしていても。

 

「あ……」

 

 フランの青い瞳が私をじっと見つめている。その眼差しからは、彼が何を考えているかわからなかった。

 彼は一体、私に何をするつもりなのか。

 私は何をするべきなのか。

 何を言ったらいいのかわからなくて、固まっていたら。

 

「ぶっ……くくくくく……はははっ!」

 

 こらえきれなくなったらしい、フランがとうとう笑い出した。

 

「フラン?!」

「わ……悪い。そこまで警戒するとは思わなくて……」

「今までさんざん煽っておいて、それ言う?」

「それはそうなんだがな……は、はは……」

 

 体をくの字に曲げてまで笑っているのは、かなりツボに入った証拠だ。この男、どうしてくれよう。

 

「心配しなくても、この空間内ではせいぜい抱きしめてキスする程度のことしかできない」

「そうなの?」

「おそらくだが、それ以上のことをするための機能が、存在しない」

「……管制施設だもんね。人体の感覚は再現してても、男女のいちゃいちゃに必要なプログラムまでは作られてないのか」

 

 どんなにリアルに作りこまれていても、ここは仮想空間。システム側が用意してない行動は、やろうと思ってもできない。

 

「でも、どうして開発者でもないフランに、そんなことがわかるの」

 

 デジタル関係とは無縁だったはずのフランが、私以上に機能を理解しているのは不自然だ。私が首をかしげていると、フランはあいまいに笑った。

 

「女のお前にはわからないだろうが、感覚的にな……」

 

 つまり、自分の今の体にそういう機能がある感じがないと。

 そんな事実は知りたくなかったかなぁー?!

 

「ああもう、ドキドキして損した! もちお、レイアウト変更! 壁のモニターが見える位置にソファを出して!」

 

 命令すると、無言でソファが出現した。男女ふたりで座るのにちょうどいい、ふかふかソファだ。

 もうこの際だから思いっきり甘えてしまおう。

 私はどすんとソファに座った。フランもその隣に座ってくる。

 

「なでなでして! たくさん!」

「承知した」

 

 フランは苦笑しながら頭をなでてくれる。

 大きな体にもたれかかって感じる体温が、心地よかった。

 

「……そういえば、この端末は連絡をとるのに使えると言っていたが、どうやるんだ?」

 

 フランがもちおに渡されたスマホを手に取ってささやく。私も同じようにスマホを手に持った。

 

「このアイコンが通話。お互いが離れたところにいても、声を届けて会話することができるの。文字を送り合えるメッセージアプリもあるけど、フランたちにタッチタイプとかフリック入力しろって言うのは無茶な話よね」

 

 入力画面自体はこっちの世界の言葉になってるけど、タイプライターもキーボードも触ったことのない彼らには、何が何だかよくわからない機能だろう。

 

「なんとなくで使えそうなのは……」

 

 つらつらとアプリを見ていた私は、そこで手を止めた。

 




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カメラの正しい使い方

「カメラアプリとかどうかな?」

「……かめら?」

「さっき出て行ったドローン、空飛ぶ使い魔と同じ機能よ。ここについてるレンズで写した映像を保存できるの」

「映像……保存……?」

「使ってみたほうが早いわね。フラン、ちょっとこっち向いて」

「うん?」

 

 きょとんとしているフランにレンズを向けて、シャッターボタンを押す。カシャッと小さく音がして、画像が保存される。改めてスマホの画面を見ると、そこにはフランの顔が映し出されていた。

 

「かっ……こよ……」

 

 セルフスチル保存ありがとうございます。

 このスマホ私のだよね?

 管制施設を出たあとも持ち歩けるんだよね?

 つまり、人目にさえ気を付ければ、いつでもフランの顔を見放題ってこと?

 あれ? これって、夢の『カレシの写真ゲット』シチュですか?

 

「ふおぉぉ……」

 

 思わず、変な声が口から出てもしょうがないと思う。

 こんなの喜ぶしかないじゃない!

 

「リリィ?」

「あ、ごめん。こんな風に風景がそのまま保存できるの」

「……確かに、便利だな」

「カメラは両面についてるから、切り替えたら……ねえフラン、ちょっとこっちの画面見て」

「こうか?」

 

 私はインカメラに切り替えると、フランに体を寄せた。一緒になってスマホを見る。

 そのままシャッターボタンをもう一度。

 今度は私とフラン、ふたり並んでる写真がとれた。

 あこがれの!

 カレシとツーショット写真ゲットだぜ!

 

「うわあ……本当にツーショットだぁぁ……」

 

 これはロックかけて永久保存するしかない。

 絶対に消去不可だ。

 

「お前との絵姿は悪くないが、いいのか? こんなものを他人に見られたら……」

「スマホ自体がそもそも重要機密だから、人のいる所では使わないわよ。それに、持ち主以外操作できないよう、ロックもかかってるし」

 

 スマホの利用者自体が限られまくっているこのファンタジー世界で、情報を抜き取ってくるハッカーなんてほとんど存在しない。管理さえ気を付ければ、流出する危険性はほぼゼロだ。

 

「……なら、いいが」

 

 今度はフランが自分のスマホでカメラアプリを起動させる。

 何度か指令室の中に向けてシャッターを切っていたかと思うと、不意にこちらを向いた。

 

「リリィ」

「え、私?」

「恋人の絵姿がほしいのは、お前だけじゃない」

 

 言いながら、スマホ片手に見つめられると、また頬が熱くなる。

 そういえばそうだった。

 私がフランの写真で喜ぶのと同じように、フランも私の姿で喜ぶんだったね……。

 気持ちは嬉しいけど、なんだか気恥ずかしい。

 

「こ、こう?」

 

 ポーズをとったらカシャ、とシャッター音が静かな指令室に響いた。

 

「表情が硬いな。もう少し笑った顔のほうが嬉しいんだが」

「ええぇ……」

 

 そんなこと言われても。

 恋人の写真を撮るシチュエーションが初めて、ってことは逆に撮られるのも初めてなんだよ。小夜子の時は自分の姿が好きじゃなかったから、あんまり写真を撮らなかったし。

 せっかくなんだから、かわいく笑わなきゃって思うのに、顔はどんどんこわばっていく。

 

「リリィ」

「ま、待って、待って……笑顔になろうとはしてるんだけど」

「恥じらう姿は、それはそれでかわいいんだがな」

「今そういうこと言わないでー!」

 

 余計緊張するから!

 私が慌てている間にも、フランは恐ろしい勢いでカメラの使い方を覚えて、こちらを撮影してくる。恋人のひきつった顔ばかり撮って君は何がしたいんだ。

 

「ただ撮られるのが緊張するなら、さっきみたいにふたりで撮るか?」

「え、あ」

 

 私の返答を待たずに、フランは自分のスマホをインカメラに切り替えて体を寄せてきた。さっきと全く逆の構図だ。自分も同じことをやってたはずなのに、フランが撮っていると思っただけで心臓が跳ねる。

 

「カメラを見ろ」

 

 密着しているから、声が近い。

 カシャ、とシャッター音がまた鳴った。

 

「顔をあげて」

 

 耳元でささやかれて、私は逆に俯いてしまう。

 

「ね、ねえ……っ、からかっておもしろがってるでしょ!」

「ばれたか」

「もうっ……!」

 

 顔をあげたら、フランの青い瞳と目があった。彼は器用にスマホのカメラをこちらに向けたまま、私を見つめている。

 カシャ、とまたシャッター音がした。

 

「いい顔だ」

 

 唇を寄せられて、吐息がからむ。

 私はとっさに手をのばすとフランの大きな手ごと、スマホをつかんだ。レンズが私の手にふさがれて、画面が真っ黒になる。

 

「こういう時の顔は……撮っちゃダメ……」

「酷なことを言う」

 

 ちゅ、と唇が触れ合った。

 この仮想空間でできるのはここまでだ。そうわかっていても、リアルな感覚が気持ちいい。抱きしめ合ったまま、もう一度キスしようとして。

 ヴーッ! ヴーッ!

 けたたましい警告音が鳴り響いた。

 

 

 

 




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緊急事態

「もちお、何が起きたの!」

 

 私は立ち上がってナビゲーションAIに命令した。

 長机の上に白猫が姿を現す。

 

「王立学園に、正体不明の一団が近づいてきています」

 

 ぱっ、と壁のスクリーンが切り替わった。

 ドローンが映したらしい映像が表示される。同時に、長机の地図も王立学園周辺の拡大地図へと変わった。そこには追加情報として、ドローンの撮影位置と、不明な一団の現在位置が記されていた。

 

「もう学園の目の前だな」

 

 さっと位置関係を確認したフランがつぶやく。

 私はモニターに視線を移した。

 奇妙な集団だった。

 服装はばらばら、というよりちぐはぐ。下着や寝間着に何かを羽織った格好の人が多い。服自体の質はあんまりよくないし、髪や手も荒れ気味だ。そして全員あちこち煤けていた。

 年齢層もばらばらで、女性や子供を男性が中心になってひっぱってる感じだ。

 

「全員貴族ではなさそう……王都の庶民街に住んでいた市民かな?」

「火事で焼け出されて、避難してきたようだな」

 

 彼らは体力のない子供たちをかばいながら、ゆっくりと移動する。目指しているのは、明らかに学園だった。

 

「申し訳ありません、悪意ある武装集団ではなかったので、発見が遅れました」

「まずいわね」

 

 さっきとは別の理由で心臓が早鐘を打ち始める。

 この状態は危険だ。

 黙って見ているわけにはいかない。

 

「フラン」

「わかっている、先に行け。俺は着替えてから追いかける」

 

 最後にもう一度だけぎゅっとフランの手を握ってから、私は管制施設をログアウトした。

 

「ヴァン、クリス!」

 

 鏡の前に出ると、ふたりが緊張した表情でこちらを振り返った。

 

「なにごとだ? 急にスマホってやつが鳴りだしたんだけど」

「王都からの避難民が学園に向かってるわ」

 

 私はスマホにドローン映像を映しながら説明する。

 ヴァンからスマホの説明は受けていたんだろう、クリスは驚くことなくその映像を見つめる。

 

「王都は火事だからな。逃げ出す奴は出るか」

「すぐに対応しなくちゃ、手遅れになるわ」

「わかった。フランドールは……」

「ご主人様!」

 

 話していたら、荷物を抱えたフィーアが走りこんできた。

 

「いいタイミングね、フィーア! わたしたちは大門に行くわ。フランに服を渡したら、あなたも一緒に追いかけてきて」

「かしこまりました」

「行きましょう!」

 

 フィーアに指示を出してから、私たちは走り出す。ここから、学園の正面入り口である大門までは少し距離がある。がんばっても、門に着くころにはすでに避難民が到着しているだろう。

 

「面倒ごとになってなきゃいいけど」

 

 しかし、だいたいそういう嫌な予感は的中する。

 



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城門

 王立学園の建物はそもそも、教育機関として作られたものじゃない。

 地下に管制施設があることからわかるように、空中母艦『乙女の心臓』を支援する施設として建てられたものだ。数百年の間に新たな街道ができて戦略的な意味がなくなったあと、建物を再利する形で学校として生まれ変わった。

 だから、この学校にはあちこちに戦闘用の砦としての機能が残されている。

 学園そのものをぐるりと取り囲む城壁と、大門がその最たるものだ。

 

「避難民が門に近づいてるからって、そんなに慌てなくてもいいんじゃないか?」

 

 一緒に走りながら、クリスがのんきなことを言うのはそのせいだ。

 高さ五メートルほどの分厚い城壁に埋め込まれるようにして作られた門は重厚で、ちょっとやそっとのことでは開けられない。それこそ、攻城戦用の兵器でも持ち出さないかぎり破壊できないだろう。

 城壁自体も高さがあって、外に張り出す構造になってるからそう簡単によじ登れない。

 この堅牢なつくりも、貴族用の学校として採用された理由のひとつだ。

 

「門は災害対応ルールにそって、騎士科生徒が厳重に閉じていたはずだ。猫の子一匹入れないよ」

「私は攻撃を恐れてるわけじゃないの」

「おい、門の上に誰かいるぞ」

 

 ヴァンが視線を上げる。門の上部にゆらゆらと動く人影が見えた。

 現代日本人が『門の上に人』と聞いたら「何故?」と首をかしげるかもしれない。でも、王立学園は日本の住宅街の門とは全く別物。西洋の堅牢なお城とその門だ。門の両脇は石造りの壁で固められ、それぞれに見張り用のやぐらがある。当然、内側からやぐらに上がるための階段だってついている。

 避難民に気づいた騎士科の生徒たちが、やぐらの上から様子を確認しているんだろう。

 

「登ってるのは……って」

 

 メンバーを確認しようとした私は、思わず絶句してしまった。

 右往左往する生徒たちの中心に輝く、キラキラの金髪。そして、くすんだアッシュブラウンの髪。間違いない、王子とヘルムートだ。少し離れてケヴィンのふわふわの銀髪も見える。

 周囲に大人の姿はなかった。

 学園内のことで手一杯の教師にかわって、高位貴族の彼らが指揮をとっているんだろう。

 異変に気付いてすぐに対応する、行動力があるのはいいことだ。

 でも、避難民の集団みたいに、イレギュラーなものが来たときには、下手に自分で動かずに、大人を頼ってほしいかな!

 ゲームのプレイヤーとして、この先に起こりうる悲劇を知っている私は心の中で悲鳴をあげた。頼むから、何もしないでいただきたい。

 

「助けてくれ!」

 

 門の側に来たところで、向こう側から本物の悲鳴が聞こえてきた。

 

 




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王子様の奮闘

「落ち着くんだ!」

 

 やぐらの上から王子が責任者として避難民に声をかけた。すぐに怒りまじりの声がかえってくる。

 

「子供じゃ話にならん。大人の責任者を出してくれ!」

「先生方は、他の対応で手いっぱいだ。話なら俺が聞く」

「あんたが?」

「俺はハーティア国第一王子、オリヴァー・ハーティアだ。お前の話は俺の責任の届く範囲で聞き届けよう」

 

 ざわざわ、と避難民たちが騒ぎ出す。

 

「あーいーつーはー……」

 

 私の横でヴァンが頭を抱えた。

 

「王子がほいほい身分を明かしたうえに、聞き届けようとか宣言するなよぉ……」

「まだ権限の届く範囲、って言ってるだけマシじゃない?」

 

 指導者として、責任をとる姿勢は必要だけど、彼が責任の範囲以上のことをしかねないのが怖い。はらはらしている間に、王子を交渉相手として認めたらしい避難民たちが要求を口にし始めた。

 

「王都で火事が起きたのは気づいてるか?」

「ああ、こちらからも煙が見えていた」

「なら話は早い。俺たちは住む家を焼かれて逃げてきたんだ。全員着の身着のままで、食料も金もなく、今日寝る場所もない。どうか保護してもらえないか?」

 

 案の定、彼らの目的は身の安全の確保だったようだ。

 女性のものらしい、高い声が重なる。

 

「子供がいるの。少しだけでいいから休ませて」

「お腹すいたぁー!」

 

 その後はもう、誰も順番なんて守らなかった。

 何十人も集まった人々は口々に要求を王子に向かってぶつける。私の立っている門の下からじゃ詳しいことはわからないけど、きっと外は大変なことになっているんだろう。

 

「そうか……」

 

 対応する王子の声が震える。

 管制施設内で見たドローン映像によれば、彼らは言葉通り着の身着のままだ。全身真っ黒にすすけて、ありあわせの服をどうにか身にまとっている姿は、憐れを通り越して恐れを感じる姿だろう。

 

「わかった、すぐに対処しよう。誰か門をあけ……」

「お待ちなさい!」

 

 王子が指示を言い終わる前に、私は無理やり声を挟んだ。

 門の外を見下ろしていた王子がぱっとこちらを振り向く。

 

「リリアーナ嬢?」

「門を開けてはいけません」

 

 私は一歩前に出た。

 これは絶対に止めなくちゃいけないことだから。

 

「何故だ? 市民の保護は、貴族、いや王族としての務めだ」

 

 貴き者の務め(ノブレス・オブリージュ)だね。知ってるよ!

 

「ですが、それは力ある者だけが行うこと。今の私たちには無理です」

「おい誰だか知らねえが、姉ちゃんは口をはさまないでくれるか? 王子様だってんなら、国で一番力を持ってんだろ?」

 

 持ってないよ。

 言うとややこしくなるからつっこまないけど。

 

「リリアーナ嬢、ここには人を収容する建物も、食料の備蓄もある。彼らを助ける余裕はあるはずだ」

「それでもダメです。物資だけでは人を助ける余裕とは言わないんですよ」

「あんた、俺たちを見捨てるってのか!」

 

 野次馬の声に、王子の顔がさっと青ざめる。

 私が言いたいのはそういうことじゃないのに。

 

「助ける力がないって言ってるの」

 

 私の言葉に、避難民たちが騒ぎ出す。

 王子は門の内と外、私たちと避難民を見比べる。彼の肩をケヴィンがそっと抑えた。

 

「君もか?」

「俺も全部理解してるわけじゃないけど、彼女がああ言う時は必ず理由がある」

「オリヴァー、一度降りてこいよ」

 

 ヴァンも声をかけた。

 

「う……」

「王子様、俺たちを助けてくださいよ! 女の意見と目の前の怪我人、どっちが大切なんだ!」

「……!」

 

 直接助けを求められて、王子の顔色が変わる。

 避難民たちは口々に叫び出した。

 

「助けて!」

「私たちを助けられるのはあなたなんです!」

「見捨てないで!」

 

 王子は門の外を振り向く。そしてその下に広がる後継を食い入るように見つめた。

 

「俺は……彼らを……」

「王子」

 

 もう一度声をかけようとした時だった。

 黒い人影が私の横を駆け抜けていった。影は、恐ろしい勢いでやぐらに駆け上ると、王子の体をひっつかんで、門の内側に放り投げる。

 

「門は開けるな、絶対にだ!」

 

 フランの低い声が響き渡った。

 




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断固拒否

「お、王子っ!」

 

 門の内側にいた騎士科生徒たちが、フランに投げられた王子を慌てて受け止めた。とっさの状況とはいえ、フランも一応生徒が反応できる場所に落としてたんだろう。彼は怪我もなく地面におろされる。

 無事を確認して、もう一度門の上を見るとフランが避難民たちを見据えるところだった。

 

「静まれ」

 

 ただの一言。

 しかし、その強い言葉に圧倒されて、しんとあたりが静まり返る。

 

「ここからは、王子にかわって俺が対応する」

「あ、あんたが? 何者なんだ」

「ミセリコルデ宰相家子息、フランドールだ」

「……宰相家の」

 

 王族ではないものの、勇士七家に連なる者と聞いて避難民たちはさらに怯んだ。いや、数名反発する者が残っていた。

 

「門を開けないってのはどういうことだ! やっぱりあんたも火事にあった市民を助けないっていうんだな?」

「いいや」

 

 フランは冷静に否定した。

 

「だったらなんで……」

「そもそも、お前たちは何を勘違いしている?」

「か、勘違い?」

「そこに掲げられている看板の通り、ここは『王立学園』。優秀な貴族の子供たちを教育するための機関だ。市民の保護施設ではない」

 

 そうなんだよね。

 現代日本だと、当たり前のように避難場所に指定されている学校だけど、こっちじゃ学校の扱いそのものが違う。災害が起きたからって市民を収容する機能も支援する機能もない。

 

「王立学園に所属する大人たちは、まず第一に学園内の子供たちを保護する責を負う。学園は、彼らの身を守るため、部外者の立ち入りを拒否する」

「貴族の子供と庶民の子供は違うっていうのか?」

「ああ。学園は在学生とその他を明確に区別する」

 

 断言、だった。

 きっぱり言い切られて、相手も一瞬絶句する。

 

「だ、だったら、私の子はどうすればいいんですか。火に追われてここまで逃げてきて……もう歩くこともできません」

「貴族じゃないからって見殺しにするのか!」

「そうは言ってない」

 

 すうっとフランは腕を上げた。

 壁の外の一方向を指し示す。

 

「南にミセリコルデ家が設営した臨時避難所がある。そこまで行けば、安全な寝床が用意されているはずだ。食料も衣類もたっぷりある」

 

 保護先があると聞いて、市民たちの反応が変わった。

 

「……なんだ、ちゃんと避難所があるんじゃないか」

「だったらそっちに行けば……」

「ま、待ってくれ!」

「何だ?」

「南に避難所があるっていっても、ここからまた移動しなくちゃいけなんだろ? 命からがら逃げてきて、怪我した奴も多いんだ。せめて中で少し休ませてくれないか?」

「駄目だ」

 

 フランは折れない。断固拒否である。

 

「動けないというなら、そのあたりで座っていろ。水くらいは差しいれてやる」

「はぁ?」

「避難所の設営が完了したら、ミセリコルデの騎士が学園まで見回りに来る手筈になっている。避難民を収容するための荷馬車つきでな。動けない者は彼らが運ぶ」

「だけどもう、クタクタで……」

「先ほどから気になっていたんだが」

 

 じろり、とフランが避難民たちを睨みつけた。

 

「災害から逃げてきたにしては、ずいぶんと元気な者がいるようだ。お前たちは門を開けろと何度も主張しているが、何が目的だ?」

「いや……それは、助けてもらいたくて」

「だったら、外の避難所を頼れ。必要な救済措置は全て用意されている」

「だけど」

「それとも何か? どうしても王立学園内に入らなければならない理由でもあるのか」

 

 フランの言葉に、避難民たちはふたたびしんと沈黙する。

 

「もう一度言うぞ。王立学園は、部外者の立ち入りを禁ずる。もし、この言葉に反して学園に入り込もうとした場合は、それが何者であっても侵入者として排除する!」

 

 びりびりとフランの声が響く。

 避難民のみならず、その場にいた騎士科生徒たちも身をすくませた。

 

「行け! 避難所はお前たち全員を受け入れる!」

「は、はいっ!」

 

 壁ごしに、人々が動く気配が伝わってきた。フランの指示に従って、臨時避難所に向かうのだろう。私たちは、ほっと安堵のため息をもらした。

 




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罠イベント

「フラン、お疲れ様!」

 

 門の物見やぐらから降りてきたフランに声をかける。彼は私たちの姿を認めて、にこりと笑いかけてきた。

 一緒に降りてきたケヴィンが、力なく肩を落とす。

 

「フランさん、助かりました……俺だけじゃ王子を止められなくて」

「気にするな。ああいう手合いの相手は、お前たちにはまだ早い」

 

 ずっと身構えていたクリスが、持っていた武器から手を離して大きく深呼吸する。

 

「門を開けずにすんでよかったな」

「一度開けたら、もうそこでアウトだったからね」

 

 この先に待ち受けていた悲劇を知っている私は胸をなでおろす。

 実は、この避難民イベントはゲームでも発生する。

 大地震自体は、邪神の封印破壊で必ず起きることだからだ。

 結果、火事で混乱した王都から無事に見える王立学園へと、必ず市民の一部が押しかけてくる。

 しかし、これはユラの仕掛けた罠だ。

 避難民の中には一般市民に見せかけた賊が何人もまぎれこんでいる。

 門をあけ、避難民を受け入れたが最後、彼らが学園中で暴れ回る仕掛けだ。敵の襲撃なんか予想していなかった騎士科学生は抵抗する間もなく殺され、女子寮は彼らに蹂躙しつくされる。もちろん聖女だって襲われてバッドエンドだ。

 悲劇を回避するための絶対の条件、それは門の死守だ。

 人でなしと言われようが、なんだろうが、彼らを中に入れてはいけない。

 もちろん、そんなことをしたらイベントに関わった攻略対象との関係はぎくしゃくしてしまうけど、大虐殺が起きるよりはマシである。

 好感度は上げ直せるけど、命は取り返せないからね!

 とはいえ、今日のこの日まで私自身はこのイベントをそこまで危険だとは思ってなかったんだよね。

 去年の侯爵令嬢誘拐事件の時に、王妃派女子をはじめとした王立学園内のスパイは一掃していたから。今の学園は騎士科を中心に、規律正しくまとまっている。

 災害が起きれば大門を閉ざし、周りで何が起きようとも中の生徒たちを守る。そのルールが徹底されるはずだったから。

 門を開けるようなバカはいないとたかをくくっていたら、まさかの王子ご乱心である。

 王子の後先考えない優しさがつらい。

 私だって、「誰も見捨てない」を信条に動くところはあるけど、それは全員の命に責任を持った上での話だ。

 命を助けるために、別の命を犠牲にするような無計画なマネは絶対しない。

 ああ、王子になまじ行動力と地位があるのが面倒くさい。

 お願いだから避難所の奥でおとなしくしててほしい。

 こう考えると、置物国王ってバカにされてても、邪魔だけはしない現国王って実は偉大な存在だったのかもしれない。偽物だけど。

 

「しかし、よくあんな都合のいい場所に避難所があったよな」

 

 フランを交えた私たち高位貴族メンバーでぞろぞろと避難所に移動しながら、ヴァンが言った。それを聞いてフランがにやっと笑う。

 

「偶然なわけがあるか、あれは俺が用意したものだ」

 

 




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大人の戦い

「えっ……あんた、アレを予想してたのか? 全部?」

 

 ヴァンがぎょっとした顔になる。ケヴィンも目を丸くして、フランを見た。

 

「俺が何年秘密を共有してると思ってるんだ。六年前の時点で、大地震が起きることはわかっていたからな。父宰相に進言して、避難所を設置させていた」

 

 つまり、六年前も前からすでにイベントを想定して動いていたと。

 

「え……」

「王都もあまり心配しなくていい。病院などの公共施設を中心に、補強工事や延焼防止措置を講じている。派手に火事が起きているように見えても、都市機能の大部分は無事なはずだ」

「えー……」

「事前に聞かされていたイベント内容に比べて、避難民の到着が早かったが、これはむしろ開発が進んで避難路が整っていた結果だろうな」

「えええええ……」

 

 もう、「えー」しか言葉が出てこない。

 なんだよこのスパダリ。

 有能がすぎないか。

 

「むしろ、女子寮の倒壊を予測できなかったのが痛いな」

「あっちはゲーム上では無事だったんだから、しょうがないでしょ」

 

 いつもの『悲劇を回避したらめぐりめぐって別の所で悲劇が起きる』だろう。ゲーム攻略本は優秀な予言の書だけど、運命を曲げて回っている以上いつもその通りになるとは限らない。

 

「理屈はわかるけどよ、宰相もよくその進言を受けたな。王都で地震とか、普通信じられねえだろ」

 

 言われてフランは笑う。

 

「六年前にハルバード家と関わった時点で、ミセリコルデ家は一生分の奇跡を体験させられている。いまさら息子が少々変なことを言い出したくらいでは驚かんよ」

 

 そういえば、いつもフランのことばっかり気にしてたけど、宰相閣下自身もいろいろ大変な目にあってたんだっけ。

 自分と娘の暗殺事件に始まって、騎士団長の断罪劇に息子の奇跡的生還。再会したと思ったら、本人は十一歳の女の子の補佐官になると言い出すし。その二年後には、息子の依頼で王弟と伯爵令嬢の入れ替わりに関わって、さらに翌年はハルバードと長男入れ替え結婚計画だもんね……。

 宰相閣下目線の人生も波瀾万丈すぎる。

 

「リリィは何も知らなかったの?」

 

 ケヴィンにたずねられて、私はぶんぶんと首を左右に振った。

 知ってたら、城壁であそこまであせってないってば!

 

「領地で仕事に埋もれてた私に、そんな気遣いできるわけないじゃない」

 

 むしろ、私の面倒みながら父親に話を通していたフランがおかしいのだ。

 

「気にやむ必要はない。ただの適材適所だ」

 

くつくつとフランはおかしそうに笑う。

 

「避難所の整備も都市の補強も、国主導の公共事業だ。侯爵家とはいえ一介の令嬢が関わる問題じゃない。これは大人の、宰相家の仕事だ」

 

 そう言い切るフランの姿は、いつも以上に大きく見えた。

 世界の危機だとか、国の存亡だとか。

 ゲームの中の世界ではそんなとんでもない事件が起きるたびに、十代の主人公を中心に子供たちが必死になって戦っていた。そこに大人が出てくることは少ない。

 でも現実の世界には、優秀な大人はたくさんいて、彼らも世界をよりよくするために、私たちを助けるために動いてくれている。

 世界はゲームプレイヤーと攻略対象だけでできてるわけじゃない。

 生きている人たち全部でできているんだ。

 自分たちだけで世界を救う気になってたなんて、傲慢もいいところだ。

 

(もう十分現実を生きてるつもりだったのになあ)

 

 まだ私の中にはゲーム気分が残ってたらしい。

 

「……ありがとう」

 

 フランにだけ聞こえるよう、ぼそりとつぶやく。

 フランもまた、私にだけわかるよう軽く肩をすくめた。

 

 今日ほど王子の婚約者の立場が煩わしいと思ったことはない。

 人目さえなければ、だきついて全力で感謝の気持ちを伝えるのに。

 いつか絶対、全力で今まで我慢してきた気持ちをフランにぶつけてやる。そう心に誓って、私は女子生徒たちが待つ避難所へと向かった。

 



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幕間:ぼっち王子(オリヴァー視点)

「王子、お守りできず申し訳ありません」

 

 避難民たちが去ったあと、城壁の側に座り込んでいた俺のそばに、やっとヘルムートがやってきた。俺は軽く手をあげる。

 

「いい。さっきのは投げられて当然だ」

「しかし……」

「むしろ、彼が止めてくれてよかった」

 

 職責を全うできなかったことを悔やむ従者を止める。

 部外者の立ち入りを拒まれ、悔しそうに去っていく避難民の男たち。その姿は助けが必要な弱者には到底見えなかった。

 

『王立学園内に入らなければならない理由でもあるのか』

 

 彼らに庇護を受ける以外の目的があることを示されて、ぞっとした。

 この学園には貴重なものがたくさんある。

 何百年も前から伝えられてきた貴重な資料に、高価な実験器具。

 騎士教育のために用意された数々の武器。

 そして戦う術を持たない、か弱い少女たち。

 悪意を持つ者たちにとって、この学園は宝の山だ。理由をつけて入り込もうとする不届き者はいくらでもいると、わかっていたはずなのに。

 押し寄せてきた市民を前に、まともな判断ができなくなっていた。

 

「……何が、王子か」

 

 自分はいつもこうだ。

 母が勧めてくれた縁談は、侯爵令嬢を陥れるための罠だった。

 幼なじみたちは学園内に不和の種をばらまく、悪意ある生徒だった。

 親切な女友達と思った少女は自分の寵姫の座ほしさに、婚約者を傷つけようとしていた。

 そして、今回。

 助けようと手を差し伸べようとした避難民は、学園を狙う賊だった。

 信じた相手が、ことごとく悪意の刃を隠し持っている。

 どれもこれも見抜けない自分は、周りを危険にさらしてばかりだ。

 

『自分以外全てを疑う、それでやっとスタートラインに立てるんだ』

 

 数か月前、ヴァンにつきつけられた言葉が胸に刺さる。

 信じることで関係を築いてきた自分にとって、あまりに受け入れがたい言葉だった。しかし、何度も裏切られた現実は、彼の言葉が正しいと冷酷に証明してくる。

 だからといって立ち止まることも許されない。

 もう誰も信じるまいと人から距離を置けば意気地なしと言われ、他者を助けようと動けば余計なことをするなと叱られる。

 王とは、人を頼り頼られる存在なのではないのか。

 いや、そもそも。

 

(自分は王子でもないのだったか)

 

 隠し部屋にあった不気味な鏡は、『ハーティア王家および、勇士七家いずれの遺伝子も確認できません』と断言した。つまり、俺の体に王家の血は一滴も流れていない。

 どこの誰とも知れない、馬の骨というわけだ。

 母は想い人の血を引かない俺を内心疎んでいた。自分が父の子であることは間違いないようだ。

 しかし、ならば血統のどこで偽物が混ざったというのだろうか。

 正しく継承の儀式を行った父もまた、正統な王族のはずなのだから。

 ……いや、どこで間違ったかなんて、もう関係ない。

 どんなにがんばっても、俺は王にはなれない。

 その現実の前には、経緯も理由も、なにもかもが無意味だ。

 ふと顔をあげると、友人たちと一緒に去っていくリリアーナの姿が見えた。災害の混乱の中にあっても、彼女は変わらず強く美しい。

 彼女は俺に対して一度も見せたこともない花のような笑顔を、共に歩く青年に向けていた。

 暴徒と化していた避難民を鮮やかに追い払った青年だ。

 彼は賢くたくましく、ゆるがぬ強さを持っている。

 俺は何を思い違いをしていたんだろうか。

 どう考えても、彼女にふさわしいのは俺じゃない。あの青年だ。

 

『ハルバードとミセリコルデの婚姻なんて、絶対に阻止してやるんだから』

 

 そんな呪詛の言葉を放ったのは母だったか。

 聞いた直後は何を言っているのかわからなかったが、その後両家のことを調べたらすぐに理由がわかった。

 神童とうたわれるリリアーナが領主代理をしていた三年間、ミセリコルデの長男が補佐官として派遣されていた。彼とリリアーナの歳の差は七歳。少し離れてはいるが、政略結婚の多い貴族の間では珍しい年齢差ではない。

 俺はただ、彼らの仲を裂くためだけに利用された駒だったのだ。

 感情面でも、能力面でも、血統の貴さでも劣る俺にはもう、何ひとつ彼に勝るものがない。

 完全な敗者だ。

 

「王子、大丈夫ですか」

 

 ヘルムートが顔をのぞき込んでくる。

 母の息がかかった者たちが排除された学園で、俺に声をかけるのはもうこの従者だけだ。だが彼もまた、ランス家の命令がなければここにいないだろう。

 この心配そうな顔も、俺を心配しているんじゃない。

 俺を倒れさせた責任に問われることを、憂えているのだ。

 

「平気だ」

 

 足に力をこめて、なんとか歩き出す。

 真実はともかく今の俺はまだこの国を司る王族の子だ。こんなところでぼんやりしていたら、周りの足を引っ張ってしまう。

 なんてみじめなんだろう。

 誰も俺を頼りにしないし、俺もまた誰にも頼れない。

 俺は、ひとりだ。

 




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寮母は心配性

「リリアーナ、クリス! おかえりなさい!」

 

 避難所に戻ってくると、頭に包帯を巻いたままのミセス・メイプルが出迎えてくれた。福々しいぷくぷくの手で、ふたりまとめてぎゅうっと抱きしめてくれる。

 

「門前で何かあったと聞いて、もう心配で心配で……」

「避難民の一部が騒いでいただけです。他の避難所に移動したので、もう大丈夫ですよ」

「そう……よかった。あなたたちに怪我はないのね」

「ああ、全員かすり傷ひとつないよ」

 

 クリスがにこりとほほ笑みかけると、やっと安心したのか、ミセス・メイプルがほっと手をはなした。

 

「あまり無茶をしてはダメよ、あなたたちは女の子なのですから」

「はは……」

 

 私はあいまいに笑い返した。

 無茶しないでいたいのはやまやまだけど、女子だからと奥にひっこんでいたところで勝手に問題が解決するわけじゃないからなー。また言いつけを破って叱られる未来しか見えない。

 

「あなたたちと一緒にいた男の子たちは?」

「ヴァンとケヴィンと、それからフランは騎士科の詰め所に行きました。また難民を装った火事場泥棒が来るかもしれないから、歩哨を強化するそうです」

「避難と怪我人の手当てだけでも忙しいのに……大変ね」

 

 ミセス・メイプルはほう、とため息をつく。

 子供を預かる寮母としては生徒全員が心配なんだろう。

 

「女子寮の生徒たちは今どうしてますか? 体調を崩している子はいませんか」

「ええ、あの子たちなら……」

 

 彼女が説明しようとした時だった。

 

「ミセス・メイプル」

 

 見慣れたちょい悪イケメン魔法使いが声をかけてきた。彼もまた弟子同様、医療関係者であることを示す白いマントを羽織っている。

 そういえば、彼も怪我人の治療にあたっていたんだった。

 ディッツは私たちの姿を認めて、いつものようにへらりと笑う。

 

「お嬢たちも一緒か、ちょうどいい。全員に報告だ」

「怪我人の状況ね」

「救護室に担ぎ込まれた女子生徒のうち、打ち身だとか擦り傷だとか、軽いけがの生徒は手当が終わった。貧血を起こして倒れた生徒も何人かいたが、そいつらも目を覚ましてきてる。薬を飲ませたから、全員落ち着き次第他の生徒に合流できるだろう」

「それはいい知らせだ」

 

 クリスもほっとした顔になった。

 

「寮がつぶれる前に、全員避難してるからな。大怪我した奴はいない。ただ……」

 

 そこで、ディッツはぽりぽりと無精ひげの生えたあごをかいた。

 

「セシリアがちょっと良くねえな。あいつだけはいつまでも意識が戻らない。呼吸も脈拍も安定しているから、すぐにどうこうってことはないだろうが」

「まあ……」

 

 ミセス・メイプルが心配そうに口に手をあてる。人一倍気弱な彼女のことは、寮母も常々気にかけていたからだ。

 

「セシリアは無理に女子寮に戻さず、ディッツが診ててくれないかしら。彼女はただびっくりして倒れたってだけじゃなさそうだから」

「わかった。ミセス・メイプルもそれでいいか?」

「ええ。お願いします」

 

 医者に生徒を託し、寮母は丁寧にお辞儀した。こういう対応は慣れていないのか、ディッツは居心地悪そうに苦笑する。

 

「男子生徒の被害状況はどうなの?」

「こっちはそこそこ怪我人が出てるな」

 

 ディッツはまたあごをさすりながら、顔をしかめた。

 

 




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医務室の被害

「男子は屋内での怪我がほとんどだな。落ちてきた本で頭をぶつけたやつ、割れた食器を踏んで足を切ったやつ……それから、怪我人を救助しようとして自分が怪我した奴」

 

 救助活動中に、レスキュー隊員が怪我するのはよくある話だ。まして、ここにいるのはほとんどが騎士見習い。救助中の事故率が高いのは当然かもしれない。

 

「男子寮まで崩れなくてよかったぜ。女子寮と違って、誰も外に出ろなんて指示は出してないから、何人逃げ遅れてたことやら」

 

 倒壊した女子寮の様子を思い出して、私たちは改めてぞっとする。今回はたまたま私が呼びかけていたからよかったものの、何も指示がなかったら女子の大半は瓦礫の下に埋まっていただろう。

 

「でも結局男子寮は無事だったから……重傷者は出てない?」

 

 クリスの問いに、ディッツがうなずく。

 

「命に関わる怪我をした奴はいねえ。骨折だの、切り傷だのがほとんどで、応急処置もすんでる。しかし、経過にはちょっと注意が必要だな」

「処置がすんでるのなら、あとは薬を飲んで寝てればいいんじゃないのか?」

 

 騎士の子として、怪我に慣れているお姫様がきょとんとする。ミセス・メイプルもおっとりと首をかしげた。

 

「騎士科には元々、傷手当の専門医がいますものねえ」

 

 生傷の絶えない士官学校ならではの人事だ。しかし、ディッツは首を振る。

 

「その薬が足りないんですよ」

「あなたの研究室にストックが山ほどあったでしょ」

 

 私はディッツの研究室を思い返す。建物を一棟まるごと改造して作った秘密基地には、所せましと薬品の瓶が並べられていたはずだ。

 

「あれは使えねえ。全部ダメになった」

「ダメって、あ、もしかして……」

「揺れたのは男子寮だけじゃねえんだよ。校舎も研究棟も同じ被害にあってる。もちろん、俺の研究室もだ」

 

 私は図書室の惨状を思い出す。

 あれと同じことが、ディッツの研究室でも起きてたのだとしたら……。

 

「薬品や本をいれてた棚が全部倒れて、ぐちゃぐちゃだ。ただ倒れただけならまだしも、容器が壊れて中身が混じったものも多い」

「異物が混ざった薬はもう使えないわね」

「倉庫の奥にしまい込んでた薬が、かろうじて使えるって状況だな。あとは薬草園に生えてるやつと、魔法使いの魔力頼みだ」

「困りましたね……」

 

 ミセス・メイプルが大きくため息をついた。

 

「普通の災害時なら、王都からの救援物資に頼るところなのですけど」

「王都自体が火事で大変なことになってますからね」

 

 フランは災害対策を進めていたと言っていたけど、王都にどれだけ体力が残ってるかはまだ不明だ。下手にアテにしないほうがいいだろう。

 

「ディッツ、私も治療の手伝いに入るわ。専門医じゃないけど、ある程度は……」

「お嬢は待機」

 

 私の提案はこつんと額を小突かれて遮られた。

 

「聞いたぞ。ミセス・メイプルを助けるために重力魔法を使ったんだって? まだ魔力が回復してないのに、魔力頼みの治療なんかさせられるか」

「う、でも」

「お前を倒れさせたら、後が怖いんだよ。いいから専門職に任せておけ」

 

 フランと同様に、ディッツもまた頼れる大人のひとりだ。ここは彼の言葉に従うのが正しい選択だろう。はがゆい気持ちは残るけど。

 

「……はい」

「いい子だ。ほら、友達が呼びにきたぞ」

 

 ディッツが視線を移す。見ると、だぶだぶの男子制服を着た女子生徒がこっちに走ってくるところだった。彼女はいつもの調子で、心配しながらぷりぷり怒ってる。

 

「やっと戻ってきたわね!」

「心配かけてごめん、ライラ」

「そう思うなら、ひとりで飛び出す回数を減らしてちょうだい。……手があいたのなら、来て。みんな集まってるから」

 

 彼女に促されて、私たちは女子生徒が集められている講堂へと向かった。

 

 




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部屋割り

 大講堂には、大勢の女子生徒が集められていた。ひとりになるのが怖いのか、彼女たちはそれぞれいくつかのグループに別れつつも、お互いよりそって座り込んでいる。彼女たちが身に着けている服は、男子制服だったり、ローブだったりと、てんでばらばらだ。騎士科が用意した備品の限界なんだろう。でも、寝間着よりはずっといい。

 

「みんな、ちゃんと着替えられたみたいね」

 

 声をかけると、少女たちはぱっと一斉に顔をあげた。

 

「リリアーナ様!」

「門の外で何があったのですか?」

「騎士科の方々が一斉に向かっていったと……」

「大丈夫よ!」

 

 私はことさら明るく笑ってみせた。クリスも一緒に元気いっぱいの笑顔になる。

 

「問題は全部片付いた。困るようなことは何もない」

「みんな、ゆっくり休んでていいのよ」

 

 女子生徒の中心である私たちが『大丈夫』と太鼓判を押したことで安心したんだろう。生徒たちはほっとした表情で座り直した。

 

「さすがの影響力ですわね」

 

 留学生同士で講堂の隅に陣取っていたシュゼットが話しかけてきた。彼女もだぶだぶの騎士科制服を着ている。ライラより若干小柄なせいか、よけいに制服が大きく見えた。

 

「この中でトラブル慣れしてるのは私とクリスぐらいだから。そう言うシュゼットだって、ずいぶん落ち着いてるじゃない」

「私も王族のはしくれですもの。危機的状況ほど、落ち着くように教育されてますわ」

「おお……」

 

 さすがお姫様。教育水準が高い。

 私が感心していると、シュゼットは苦笑する。

 

「とはいえ、下手なことをしてしまわないよう、おとなしく座っているのがせいぜいなのですけど」

「いやそれ、十分すごいと思うわよ」

 

 どこかの王子様と大違いである。

 この状況でシュゼットが冷静でいてくれるのは、正直な話めちゃくちゃ助かる。自分たちのことで手一杯なのに、他国のお姫様にまでパニックで暴れられたら、手に負えない。

 

「シュゼット様、リリアーナ、少しいいですか?」

 

 今度はライラを連れた副寮母が声をかけてきた。彼女の手には校舎の見取り図らしい紙が握られている。今度は何なんだろう。

 

「無事な教室棟を仕切って、女子生徒の寝泊りする部屋を用意しました。配置について相談させてください」

「そっか、女子寮にはもう入れないですもんね……」

 

 相談してもらえて助かった。勝手に変な場所に部屋を用意されると身動きできなくなるところだったから。

 副寮母は丁寧に見取り図を示しながら説明を始める。

 

「一般生徒は基本的に一部屋につき十人。寮の部屋割り方針は身分制でしたが……」

「今はそんなこと気にしてる場合じゃないですよね。できるだけ仲の良い生徒同士で、お互いに助け合えるように入れましょう」

「私もそう思います。どの子も突然の災害で不安定になっていますからね」

「特に不安定な子は、ミセス・メイプルたちのそばに配置したほうがいいかもしれません。……先生方には負担をかけることになりますが」

 

 災害にショックを受けているのは、教師も一緒だ。混乱している中で生徒のケアまでするのは、かなりの重労働だろう。しかし副寮母は気丈にほほ笑む。

 

「むしろ、そういう時のために私たちがいるのです。安心して頼ってください」

 

 問題教師が一掃された王立学園、頼もしすぎる。ゲーム通りのギスギスマダムが支配する女子寮じゃ、こんなにスムーズに部屋割りが進まなかっただろう。

 

「シュゼット様をはじめとしたキラウェア留学生は、ひとつの部屋にまとまっていただこうと思います」

「そうしてくださいませ。私たちもそちらのほうが安心できますわ」

 

 副寮母の配慮に、シュゼットも笑みで返す。しかし副寮母はちょっと困り顔になった。

 

「とはいえ、シュゼット様たちだけでは何かとご不便かと思いますので……ハーティアの学生も同じ部屋で寝泊りすることをお許しください」

「私たちだけでは、何かあったときに気づきにくいですものね。わかりました、お願いいたします」

 

 シュゼットが素直に受け入れると、副寮母はあからさまにほっとした顔になった。避難所生活は情報が錯そうすることが多いから、仲介役になる生徒がいたほうが便利だろう、っていうのが理由だけど、きっとそれだけじゃない。

 多分、この状況で他国人の生徒たちを単独行動させられないんだろうなあ。行方不明になっている問題生徒もいるわけだし。

 留学生の部屋に入る生徒は、悪い言い方をすれば監視役だ。

 シュゼットはこの程度の意図に気づかないほど鈍くない。きっと全部わかった上で、受け入れてくれたんだろう。彼女の心の広さに、重ね重ね感謝だ。

 

「シュゼット様の部屋には、私が入ります」

 

 ぺこりとライラが頭をさげた。

 

「あなたが同室ですの? ふふ、同級生が一緒でほっとしましたわ」

 

 この人選も意図的なものだろう。

 ライラは去年特別室に入っていた生徒で、私たちとシュゼットの両者に親しい。監視を抜きにしても、連絡役として適任だ。

 

「あとはリリアーナとクリスの部屋ですが……」

 

 寮母が私たちを心配そうに見る。

 先生方の好きにしてください、って言いたいところだけど、そうもいかないんだよなあ……。

 




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部屋割り(特別対応)

「勇士七家メンバーには個室を用意していただけないでしょうか?」

 

 私は、無理を承知で副寮母に要望をあげた。横で話を聞いていたクリスがきょとんとした顔になる。

 

「リリィ? 私は別に大部屋でも問題ないぞ」

「クリスだけならそうかもしれないけどね?」

 

 騎士育ちなクリスのサバイバル能力が高いのは知ってるけど、今はその能力を発揮するところじゃない。できれば彼女にも人の目を避けられる場所を用意したい。

 

「この非常時に今度は何を言い出すのよ」

 

 ライラがあきれ顔になる。

 その気持ちはわかるけど、今は構っていられない。

 非常時だからこそ必要なものもある。

 

「私ひとりが駄目なら、クリスとフィーアの三人で一部屋でもいいので!」

「……何か事情が?」

「いろいろと」

 

 ただし『いろいろ』の内訳は説明できません!

 自分でも無茶を言ってる自覚はあるけど、通す必要のある話だ。

 

「……しかし」

 

 副寮母は、きまずそうにちらりとシュゼットを見た。彼女がそんな反応をしてしまうのは当然だ。だって、たった今シュゼットに、監視役のライラとの同室を認めさせたところだもんね。その直後に、自国の高位貴族に個室を与えるのは失礼すぎる。

 明らかな不公平采配だ。

 とはいえ、私にも裏事情があるので、折れるわけにもいかない。

 

「しょうがないですわね」

 

 私たちの沈黙を見かねたシュゼットが、肩をすくめた。

 

「どうしても必要なのでしょう? 用意して差し上げたら良いのではありませんか」

「シュゼット様がそうおっしゃるなら……でも、三人で一部屋ですよ? それ以上の場所はそもそも用意できませんから」

「充分です! ありがとうございます!」

 

 個室をゲットして、私は小さくガッツポーズをとる。

 よーしこれでかなり動きやすくなったぞー。

 理解のある友達ほどありがたいものはない。

 と、思っていたら、シュゼットはにんまりと笑った。

 

「ただし、これはひとつ貸しですわよ」

「う」

「昨日の夜のことといい、今回といい、貸しばかりがどんどん増えていますわねえ」

「ううっ」

「これは機会を見て、たあっぷり返してもらわなくては」

「あ……あの、その、頼ってるばかりのつもりはなくてね? いつか必ず恩返しはするつもりで!」

 

 借りっぱなしで終わりにする気はないよ!

 今は返す機会がないから、積み重なっちゃってるけど!

 

「く、ふふふふっ……」

 

 あわてていると、シュゼットはこらえきれずに笑い出す。

 

「わかってますわよ、非常事態ですもの。でもいつか返してくださいね」

「もちろん!」

 

 そう答えたところで、『個室が必要な事情』が発生した。ポケットにいれたアイテムが、わずかに震えている。クリスも気が付いたみたいで、顔をあげた。

 

「……なるほど、コレか」

 

 私は副寮母に向き直る。

 

「申し訳ありません、事情ができたので早速個室を使わせてもらいます!」

 

 私はシュゼットたちに詫びると、クリスと一緒に講堂を飛び出した。

 




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オーパーツ

 副寮母が用意してくれたのは教室棟の隅の部屋だった。

 部屋を確保しただけで、まだ寝泊りする準備が整ってないのだろう。殺風景な部屋には机と椅子がいくつも並んでいる。先に入ったフィーアが素早く部屋の中を確認し、窓のカーテンを全部閉めていった。

 私も廊下側から部屋の中をのぞけないよう、持ってきたシーツで目隠しをする。

 

「準備完了しました。窓はすべて閉鎖、周囲の気配もありません」

 

 ネコミミをぴくぴくさせて、フィーアが報告した。

 彼女の鋭い感覚でも、他に人がいないというなら安心だ。

 

「最初はリリィが何を言い出すのかと思ったが、確かにコレを使うなら人目を避けるべきだろうな」

 

 椅子のひとつに腰かけながら、クリスがポケットから黒い板を取り出した。管制施設から持ち出した異世界産のスマホだ。神の造り出した超アイテムは、クリスの手の中でわずかに振動を繰り返している。

 

「スマホは存在そのものが国家機密だからね」

 

 現代日本ではありふれた通信機でも、ここでは超一級のオーパーツだ。

 最低限通信するための密室はそれぞれに必要だろう。

 

「ハンズフリーでこっそり通話できる機能とか、追加してもらうかな……」

 

 よくよく考えれば、着信がくるたびに隠れる指揮者は不審だ。図書室から出てこない私を観察してた王子と同じように、関心を持った誰かが聞き耳をたてる可能性がある。

 いつもの女子寮なら大きな問題はなかっただろう。私もクリスも特別待遇で個室があったから、『ちょっと部屋で仕事』とか言えばどうにでもなったはずだ。

 でも個室が建物ごと倒壊した上、災害対応で周りに必要とされることが多いこの状況では使いにくい。

 正体を隠して活躍する変身ヒーローってこんな気持ちだったんだろうか。

 周りが全く気が付かないご都合展開がほしい。面倒くさくてしょうがないから!

 私は自分のスマホをポケットから取り出すと、画面を確認した。

 着信欄には白い猫のアイコンと『もちお』の名前が表示されている。スマホを配布したメンバーではなく、管制室からの連絡だったらしい。

 ナビゲーションはしてても、積極的に使用者にコンタクトをとることのなかったAIにしては珍しい。何か非常事態でも起きたんだろうか。

 

「はい、もしもし?」

 

 ボタンを押すと、ビデオ通話モードが起動した。見慣れた白猫が管制施設のロビーを背景にして表示される。しかし、次の瞬間画像が揺れた。いや、それだけじゃない、声もガサガサでよく聞き取れない。

 

『……さま、……を』

「もちお?」

 

 なんだろう、このノイズ。通信障害っぽいけど。

 

『……しん、機器を……窓……て』

「窓?」

 

 試しに教室中央から、窓際へと移動してみる。すぐに画像がクリアになった。もちおの声も聞き取れるようになる。

 

『リリアーナ様、聞こえますか?』

「聞こえるわ。あなたは聞こえる?」

『はい、ご対応ありがとうございます』

「ごめん、用件の前に聞きたいんだけど、さっきのノイズってなに? 窓際に来たら減ったけど」

『遮蔽物による通信障害ですね』

「え?」

 

 なんだそれ。

 もちおの説明がよくわからなくて、私は首をかしげる。建物で通信障害ってなんだ。建物の中ってむしろ通信が安定する場所ってイメージだったけど。

 

「リリィもわからない話なのか?」

「私もスマホ事情が全部わかってるわけじゃないから……」

 

 考えこんでいたら、スマホの画面が切り替わった。アンテナのついた建物が書かれたイラストが表示される。そのアンテナはスマホと通信しているみたいだった。

 

『この通信機器は、本来各所に設置した基地局を介して送受信する設計になっています』

「私の知ってるスマホもそんな感じね」

『しかし、現在の地上には利用可能な基地局が存在しません』

「あ」

 

 監視カメラの時と同じだ。

 王立学園も含めて、ハーティアの国土には基地局も通信ケーブルも残っていない。端末はあっても情報を中継する機械が存在しないのだ。

 

『そのため全ての通信機器は、一旦大気圏外の通信衛星を経由しています。なるべく遮蔽物のない場所でご利用ください』

「そういうことかぁー……」

 

 私は思わず頭を抱えてしまった。

 通信衛星の電波が届かない場所では、スマホがつながらない。

 基地局がないことで産まれた弱点。オーパーツだからこそ存在する問題だ。

 

「リリィ?」

「この通信端末は建物の奥みたいに屋根が分厚いところだと、うまくつながらないってこと。窓とカーテンくらいは大丈夫だけど、なるべく空の見えるところで使ったほうがよさそうね」

「へえ……神の作った機械にも不思議な弱点があるんだな」

「私も、まさかこんな理由でつながらないとは思ってなかったわよ。説明ありがとう、もちお。それで、用件は何だったの?」

 

 すっかり脱線してしまったけど、もちおも理由があって連絡してきてたはずだ。

 

『それが……』

 

 申し訳なさそうな顔で白猫が頭をさげる。

 

『ドローンのひとつが、撃墜されました』

「え?」

 

 なにごとだよ?!

 

 




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撃墜事件

「は……え? ドローンが撃墜……?」

 

 私は、白猫の報告が信じられなくて思わずスマホを握り締めた。

 神の作り上げた管制施設に保管されていたドローンは、現代日本で使われていたものよりずっと高性能だ。命令したら、勝手に目的地まで飛んで行って仕事をしてくれる設定になっている。もちろん障害物だって自動で避けてくれるはず。

 それを、誰かが撃ち落とした?

 

「敵襲か?」

 

 クリスがさっと顔色を変える。

 まさか、ドローンがユラに気づかれた?

 それもこんなに早く?

 しかしもちおは白くてぷくぷくの前脚をぶんぶんと左右に振った。

 

「違います! 撃ち落としたのはハルバード侯爵です」

「お父様?!」

「ドローンを不審物と認識したようで、攻撃されてました」

「お父様あああああぁぁぁ……」

 

 ドローンはファンタジーなこの世界の人々にとって未知のアイテムだ。あれを機械でと認識する人間はおそらく存在しない。空を飛ぶ異質な姿を見て、誰かが飛ばした『使い魔』と思うのが普通の感覚だ。

 多分敵対勢力が放った刺客だと思ったんだろう。

 この災害時に空を飛ぶ不審な影は、警戒対象だと思いますが!

 だからって、いきなり処分しないでください!

 

「代わりのドローンを派遣することも可能ですが……」

「今はやめて。また撃ち落とされるだけだわ」

 

 お父様は野生動物じみた勘で動くところがある。

 一度不審だと判断したものを見逃したりしない。何度代わりを送り込んだところで、全部切って捨ててしまうのがオチだ。そんなもったいないこと、してられない。

 

「とはいえ、どうする? ドローン抜きでは渡す方法がないんじゃないか」

 

 クリスがむう、と口をとがらせる。

 問題はそこだ。

 私たちは今、生徒全体を守るために王立学園に籠城している状態だ。部外者が入り込めないかわりに、私たち自身も外に出ることができない。ドローン以外の方法で、スマホを外に持ち出すのは無理だ。

 

「ハルバード侯に通信端末をお届けするのは控えますか?」

「う~ん、せっかくだから宰相閣下と楽に連絡とれるようにしてあげたいんだよね」

 

 ふたりは行政と武力のトップだ。

 彼らが伝令を使わずに連絡を取り合えたら、動きやすくなるはず。

 

「そういえば宰相閣下には渡せたのか?」

 

 クリスが尋ねる。もちおはこくりとふわふわの頭を縦に振った。

 

「はい。ドローンや通信機器の姿に多少驚かれていましたが、リリアーナ様のお名前を出して説明したところ、ご納得いただけました」

「そこ、私の名前なの? 息子じゃなくて?」

 

 声をあげる私を見て、クリスが笑い出した。

 

「宰相閣下の周りで奇跡を起こしているのは、だいたいリリィだろうからな」

「ご主人様のご活躍が評価されているのは、よいことだと思います」

「なんか、納得いかない……!」

 

 とはいえ、宰相閣下にスマホが届いているのはいい知らせだ。この際だから、利用させてもらおう。

 

「もちお、宰相閣下にコールして」

 

 機械が使えないなら、人力で!

 




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ホットライン

 もちおに命令すると、すぐにスマホの表示が切り替わった。

 ギュスターヴ・ミセリコルデと宰相閣下のフルネームが表示されて、コール音が鳴り始める。おなじみの動作だけど、ファンタジー世界で体験するのは、違和感が大きすぎてなんだか居心地が悪い。

 

「思ったより時間がかかるな」

 

 なんとなくじっと黙ってたら、待つのに飽きたっぽいクリスがそんなことを言い出した。

 

「私たちと同じ事情なんじゃないかしら。宰相閣下も、部下から離れてこっそりアイテムを使うとなったら、段取りが大変だと思うし」

『……現在、王宮側の簡易指揮所を移動中です』

「思った通りの状況っぽいわね。もちお、こっそり音声通信だけできるアイテムってない? 目立たないイヤホンとかマイクとか」

『作戦活動用のワイヤレスイヤホンマイクであれば、ご用意が可能です』

「やっぱりあるんだ?」

 

 スマホの画面が切り替わって、ワイヤレスイヤホンがいくつか表示された。

 身に着けるタイプの通信機は昔からあるから、管制施設に用意されてるのは自然な話なのかな。

 

「じゃあ、それも人数分改めて配布してちょうだい。できるだけ目立たないデザインで」

『かしこまりました。……あ、先方と繋がるようです』

 

 もちおがつぶやいたかと思うと、また画面が切り替わった。

 インカメラを不思議そうにのぞき込む、上品なおじさまの姿が表示される。フランの父、宰相閣下だ。災害対応で走り回っていたせいだろう、いつもきっちり整えていた髪は少し乱れていて、服も全体的に煤で黒く汚れていた。

 私は自分のカメラを確認してから、にっこりと淑女の微笑みをうかべる。

 

「お久しぶりです、宰相閣下」

『ああ……リリアーナ嬢、君か。元気そうな顔が見れてよかった。クリス様も』

「ご無沙汰しています」

 

 私の後ろで、クリスも軽く頭を下げた。

 疲れてはいても、気力は尽きていないらしい。宰相閣下はいつもの落ち着いた理知的な笑みをこちらに向けてくれた。

 

『顔を見て無事を確認できてよかった。受け取った時は面食らったが、思った以上に便利な道具だな、これは』

「ぜひお役立てください」

『ありがたく使わせてもらうよ。……それで、何かあったのかな? 君のことだ、何の意味もなく連絡してこないだろう』

「お話が早くて助かります」

 

 私は素直に頭をさげた。

 理解のある大人に感謝だ。

 

「父に関することです。実は、閣下にお渡ししたスマホと同じものを、父に届けようとしたのですが」

『ああ、私もこれでハルバード候と連絡を取り合えたら、と思っていた。それで?」

「その……ドローンを父のところに派遣したら、撃墜されてしまって」

『げきつい』

 

 閣下が真顔になった。

 その気持ちはわかります!

 

「父にスマホを渡す方法について、相談させてください」

『……わかった』

 




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ハイテク機器のアナログ対応

『私が直接ハルバード侯に通信機を渡すのは無理だな。お互い、持ち場を離れられない』

 

 少し考えてから、宰相閣下は首を振った。

 

「おふたりとも、災害救助の指揮をとられてますからね」

『だからといって、部下に運ばせるのも不安だ。この混乱している状況では信用に足る者があまりに少ない』

 

 汚職騎士の粛清と行政改革のおかげで、かなりまともになった王宮だけど、まだまだ王妃派の貴族つまりユラの息のかかった人間は多い。この混乱に乗じてどんな暗躍をされるかわかったものじゃない。そう思えば、宰相閣下の警戒は当然だ。

 

『……これは、勇士の末裔であれば誰でも持てるのか?』

 

 しばらくして、宰相閣下がたずねてきた。私は首を横に振る。

 

「いいえ。勇士の末裔で、さらに私かセシリアが許可した人だけが持てます。……なので、同じ勇士であっても、ランス伯やヘルムートにはお渡ししていません」

『いい判断だ』

 

 宰相閣下は満足げにうなずく。そして、にやりと笑った。

 

『では、娘のマリアンヌはどうだ?』

「マリィお姉さま! それなら大丈夫だと思います!」

 

 そういえばそうだった。

 マリィお姉さまも、私やフランと同じ勇士七家の末裔だ。十分スマホを持つ資格がある。

 そして、宰相閣下が信頼する有能跡取でもある。

 

『災害が起きる前から、マリアンヌには後継として仕事を手伝わせていた。私の名代として、ハルバード候を訪問しても不自然はないだろう』

「わかりました。もちお、スマホとアクセサリーを二台分用意して、マリアンヌお姉さまに届けてちょうだい」

『かしこまりました』

 

 画面の中で、白猫がこくりとうなずく。あとはもちおがいい感じに調整してくれるだろう。

 

「ありがとうございます、閣下」

『これは私にとっても益のあることだ、礼にはおよばない』

「元は父が野生児すぎるのが原因なので……それと、もうひとつお礼を申し上げたいことがあります」

 

 そう言うと、閣下は不思議そうな顔になった。

 私は一旦フィーアにスマホを持たせると、背筋を伸ばしてからカメラに向かって丁寧にお辞儀する。

 

「地震にそなえ、街を整備し、避難所を設置してくださったのは閣下だと、フランから聞きました。ありがとうございます、閣下のおかげで王立学園の生徒が救われました」

 

 避難所の設置を進言したのはフランだけど、実際に予算を確保して全ての手配を整えたのは宰相閣下だ。彼こそが私たちの命の恩人と言える。

 私の後ろでクリスもまた頭をさげた。

 

『それも感謝の必要のないことだ。そもそも、身分の上下に関わらず民全てを救うのが宰相家の役割だからな。……だが』

 

 ふと、宰相閣下が優しくほほ笑む。

 

『私のしたことで君たちが助かったのなら、これほどうれしいことはない。生きていてくれてよかった』

「はい、本当にありがとうございました!」

『できるだけ早いうちに、学園にも正規軍を救助に向かわせる。それまで、持ちこたえてくれ』

「まかせてください、私たちは結構強いので!」

『いつもながら君は頼もしいな。わかった、学園の生徒たちをよろしく頼む』

 

 私たちはお互い笑顔で通話を終了した。

 さーて、あとは助けが来るまでふんばるとしますか!

 

 




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無自覚疲労

「通信機が必要な用事は終わったから、女子生徒と合流しましょうか」

 

 通話を終了させた私は、後ろに座っていたクリスを振り返った。

 生徒のまとめ役ポジションのはずなのに、呼び出されて席を外してばかりだ。ある程度落ち着いてきたことだし、ここからはしっかり働かないと。

 

「ん……」

 

 てっきり一緒になって気合をいれてくれると思った友達は、なんとも歯切れの悪い返答をする。不思議に思って顔を見たら、顔もぼんやりしていた。眼の焦点も微妙にあってない。

 

「クリス?」

「あー……すまない。リリィは先に戻っててくれないか、ちょっと頭がくらくらするんだ」

「それ、ちょっとって言わないわよ」

 

 元気で健康が取柄のクリスがぼんやりしてるなんて異常事態だ。ただの疲れだけならいいけど、感染症だったら大変なことになる。

 私はクリスの額に手を当てた。

 

「熱はなさそうだし、顔色もそこまで悪くないけど」

「んー」

「すぐにディッツを呼びにいって……」

 

 ぐうううう……。

 

 クリスの状態を細かく確認しようとした私たちの耳に、とてつもない音が聞こえてきた。多分、クリスのお腹のあたりから。

 

「あれ?」

「ん?」

 

 私たちはお互いに顔を見合わせた。静かに控えていたフィーアが、ごほんと咳払いする。

 

「……失礼ながら、クリス様のめまいは空腹によるものではないでしょうか」

「あっ」

 

 よくよく考えてみたら、私たちは全員、地震でたたき起こされてから走り回りっぱなしである。その間に、食事をした記憶も、水を飲んだ記憶すらない。めまいくらい起こしても不思議じゃない。

 

「空腹とめまいの区別がつかなくなるとは……どうかしてるな」

 

 自分自身の状態が信じられなかったのか、クリスが目も目を丸くする。

 

「非常事態で緊張しっぱなしだったもの、しょうがないわよ」

 

 アドレナリンの過剰分泌で、空腹感や疲労感がわからなくなっていたんだろう。

 災害現場とか、緊急事態ではたまに聞く話だ。

 

「お水を飲んで、少し何かお腹にいれましょ。食事と休憩をとれば、落ち着いて感覚が元に戻るはずだから」

「わかった、そうする」

 

 今はたいしたことないけど、疲労と空腹は免疫力を低下させる。丈夫なクリスでも、このまま放っておいたら、倒れて大変なことになるだろう。

 

「問題は、この状況で食べ物が残ってるかってとこよね」

 

 地震が揺さぶったのは図書室や医務室だけじゃない。食堂だってかなり揺れたはずだ。火事こそ起きてないけど、中は棚から落ちてきた食器類でぐちゃぐちゃのはずだ。まともに料理ができるとは思えない。

 

「その心配はなさそうですよ」

 

 フィーアがネコミミをぴくぴくと震わせた。すん、と軽く何かにおいをかぐ仕草をする。

 なにを感じ取ったのか、彼女は廊下に出ると私たちを案内して歩き始めた。

 

 

 




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非常食

「いいところに来たな!」

 

 フィーアに連れられて中庭に出ると、ちょうど作業中だったヴァンとケヴィンが私たちを見つけて手を上げた。銀髪少年たちは、ふたりとも手におたまや鍋を持っている。よく見ると、彼らと一緒にいる騎士科生徒数人もそれぞれ中庭で火をおこして料理を作っていた。

 

「ふたりとも、どうしてこんなところで料理?」

「もう昼過ぎだろ? ぼちぼち腹が減った奴が出てくる時間だけど、厨房はどこもぐちゃぐちゃで使えねえからな」

「無事だった行軍訓練用の調理器具を使って、食事を作ってるんだよ」

「軍用の機材なの? これ」

 

 よくよく見てみると、彼らが使っているのは無骨な大鍋だ。使われている食器には装飾も何もなく、最低限料理を乗せる皿としての機能しかない。フォークやスプーンなどのカトラリー類も見当たらなかった。

 しかし食器や調理器具が最低限でも、食材は寮の食糧庫のものだ。鍋からはおいしそうないいにおいがただよってきている。

 

「なんでもいい……食べさせて。お腹すいた」

 

 クリスが婚約者にあわれっぽい声をかける。ヴァンは苦笑しながら、お皿にスープをよそって、パンと一緒に渡した。

 

「食え食え! 腹が減ってたら、何もできないからな」

「ありがとう!」

 

 クリスは満面の笑みで器を受け取った。

 スプーンもなしに直接皿からスープを飲むとか、深窓のご令嬢が見たら卒倒しそうな食べ方だ。しかし、彼女はもともと騎士伯家の出身。おじいさんにかなりワイルドに育てられた影響で、全然気にならないみたいだ。というか、むしろめちゃくちゃ馴染んでる。

 

「リリィも食べる?」

 

 ケヴィンがそっとお皿を差し出してくれた。メニューと食器はクリスと一緒だ。

 私も非常時のお行儀は気にしないほうだけど。

 

「私はあとでいいわ。他の子がちゃんと食べてからで」

「その、他の子のために、食べてほしいかな」

「なにそれ」

 

 ケヴィンは困り顔で苦笑する。

 

「騎士科の男子生徒は、こういう野戦料理でも平気で食べるんだけどね」

「行軍中は自給自足が原則だものね」

 

 どんなに裕福な騎士でも、戦場にメイドや使用人を連れてはいけない。戦地では、派遣された兵士だけで寝泊りして食事をとるものだ。時には敗走し、ひとりだけで荒野を生き延びなければならないことだってあるだろう。

 だから、騎士科生徒は全員野営訓練でサバイバルスキルを身に着けさせられる。

 彼らにしてみたら襲撃の恐れのない中庭で作る、野菜たっぷりスープはピクニックみたいなものだろう。

 

「でも、女子寮の子たちはそうもいかないでしょ」

「全員深窓のご令嬢だからねえ」

 

 騎士科と女子部では、そもそも学校に通う目的が違う。

 騎士が心身を鍛え民を守る術を身に着けるのが目的だとしたら、女子は教養を身に着けよりよい家の花嫁になるのが目的だ。そこにサバイバル訓練などという科目は存在しない。

 有事の心構えも『なんとしても生き延びろ』じゃなく、『敵に穢される前に美しく自決しましょう』だしなあ……。

 

「配給用の皿に配膳されたスープが、食事として認識できないみたいで」

「あれで目を輝かせるクリスのほうが、レアケースよね」

 

 蝶よ花よと育てられてきた彼女たちの感覚は、わからないでもない。寮の専用サロンで地べたパジャマパーティーやった時だって、お嬢様育ちのライラはすごく驚いてたし。

 

「でも、リリィはこういうの平気だよね?」

「まあね」

 

 今まで何度も命を狙われてきた私だ。いまさら野戦料理くらいで驚いたりしない。

 

「女子寮最高位の侯爵令嬢とお姫様が、おいしそうに食べてくれたら、少しは彼女たちの意識が変わると思うんだけど?」

「わかったわ、まかせて」

 

 こういうお仕事は得意分野だ。

 私がにっこり笑って器を受け取ると、ケヴィンも嬉しそうに笑った。

 

 




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パフォーマンス

「クリス、行くわよ」

「ええっ、まだごはん食べてないんだけど」

「そのごはんを、あっちで食べるの」

 

 私が移動先を指し示すと、クリスは不満げにぷう、と頬をふくらませた。

 

「食べるだけならここでもいいじゃないか」

 

 お腹すいてるのはわかってるけどね!

 騎士はともかく女子が立ち食いはダメだと思うの。

 それにここじゃオーディエンスが少なすぎる。

 

「あっちで座って食べましょ。フィーア、食事と一緒に飲み物も運べる?」

「かしこまりました」

 

 私はクリスを連れて、わざと女子生徒たちが集まる講堂の窓から見える位置に移動した。無事なベンチを見つけて、そこに座り込む。クリスもすぐ隣に座ってきた。

 

「もう食べていい?」

「いいわよ。フィーアも一緒に食べましょ」

「はい」

 

 私たちは、いっせいに料理に口をつける。

 男子生徒たちが心を込めて作ってくれたスープは、思ったよりずっとおいしかった。

 

「野戦料理の割に優しい味ね」

「うん。野菜たっぷりだ」

 

 テーブルマナーだけは上品に、しかしすごい勢いでクリスが料理を平らげていく。こんな早食い、ミセス・メイプルに見つかったら叱られそうな気がするけど、今は何も言う気が起きなかった。だってこんな幸せそうにごはんを食べる美少女、誰も止められない。

 

「んー……お腹が落ち着く……」

 

 私も自分で思っていた以上にお腹がすいてたらしい。

 クリスにつられるのもあって、ちょっと早食いだ。喉につまらせないよう気を付けないと。

 こんなしょうもない理由でむせて、ディッツのお世話になるなんて恥ずかしすぎる。

 

「おかわりもらってくる」

 

 ぺろっと一食ぶん平らげたクリスがすっと立ち上がった。いそいそとヴァンたちのいるところへ歩いていく。本来はひとり一食なんだろうけど、今は止めないでおいた。きっとクリスに甘い婚約者はおかわりをよそってくれるだろうし、それに……。

 

「今度は何を始めましたの?」

 

 講堂から出てきた女子生徒が私に声をかけてきた。ブロンズ色の髪が綺麗なお姫様と、ツンデレお嬢様が呆れ顔で私たちを見ている。

 よし、かかった。

 クリスがうっきうきでごはんを食べてる姿に気を引かれたんだろう。

 女子寮に影響力のある生徒を釣りあげて、私は心の中でガッツポーズになる。

 

「お昼ごはんよ!」

「それが……?」

 

 シュゼットは困惑しながら、私の手元の食事とクリスの様子をかわるがわる見ている。

 非常時でも冷静たれ、と教育されていた彼女も、さすがに皿から直接料理を食べろとは指導されなかったんだろう。状況が受け止めきれずに、淑女の顔がひきつっている。

 

「すっごくおいしいわよ!」

 

 にこっと笑ってあげると、シュゼットの顔がさらに引きつった。私は畳みかけるように言葉を重ねる。

 

「味付けはシンプルだけど、使ってるお肉は男子寮の貯蔵庫のものだし、野菜だって校内の菜園で採れたものだわ。いつもの食堂メニューと大差ないわよ」

「でも、スプーンもなしにパンだけで食べるって……」

「そこが楽しいんじゃない」

 

 にこにこ顔のままの私に、シュゼットがたじろぐ。

 興味はあるけど踏ん切りがつかないっぽい。気持ちはわかるけど、そこは思い切って食べちゃったほうがいいと思うぞー。箱入り娘でも食事が必要なのは騎士と変わらない。野戦食でもなんでも食べてもらわなくちゃ。

 

「なんだ、君たちも食べに来たのか?」

 

 次はどう声をかけようかと思っていたら、クリスが戻ってきた。

 その手には案の定大盛のスープとパンがある。

 

「早く行ってもらって来い! めちゃくちゃおいしいから!」

「え……あ……」

「ヴァン! ふたり分お願い!」

「わかったー!」

 

 お姫様が次期伯爵に配膳を依頼してしまい、シュゼットの逃げ場が塞がれた。これで『食べたくない』なんて拒否したら、大変な失礼なことになってしまう。

 私は食器を横に置いて、シュゼットの背中をぽんぽんと叩いた。

 

「食べなさいよ。お腹がすいたままじゃ元気が出ないわ」

「それはそうなんですけど」

「大丈夫、生きるためには、女の子だってたまにはお行儀悪くなってもいいのよ」

「……うう」

「あんたって、いつもそうよね……」

 

 ずっとシュゼットの後ろに控えていたライラが、はあ……と大きなため息をついた。

 それからシュゼットに向き直る。

 

「シュゼット様、腹をくくりましょう。どちらにせよ食事は必要ですし、私たちが食べ始めれば、他の女子たちも口をつけるでしょう。彼女たちを救うためにも、私たちが勇気を出すべきです」

「そ……そうですわよね」

「どうせ、我が国のお姫様がアレで、伯爵令嬢がコレなんです。外聞がどうこう言う者なんて出ませんよ」

 

 野戦食仲間ゲットは嬉しいけど、その評価はどうかと思うの!

 




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場数

「思ったより……味は普通ですのね」

 

 パンをスープにひたして、おそるおそる口に運んだ異国のお姫様は、びっくり顔のままつぶやいた。

 

「言ったでしょ、食材はいつもと一緒だって」

「はい、おいしいです」

 

 一口食べて、ふっきれたんだろう。シュゼットもライラも、もくもくと食べ始める。

 やっぱりお腹はすいていたみたいで、一口食べるごとにその顔色が明るくなっていった。

 それを見て、講堂の奥からまた女の子が何人かずつ出てきた。彼女たちもまた、私やシュゼットたちをじっと観察してから、ヴァンたちのもとへと歩き始める。

 

「これで、よし」

 

 流れができたらもう大丈夫。

 私はひとり、またひとりと食事を始める女子生徒から視線を外して、自分の食事を再開した。騎士科の男の子たちがせっかく作ってくれた手料理だ、完食しないともったいない。

 スープの最後の一滴までパンでぬぐって、顔を上げたらこちらをじっと見るシュゼットと目があった。

 

「どうしたの? 何か嫌いなものでも入ってた?」

「いいえ。食事に問題はありませんわ。ただ……あなたの肝の太さがつくづく信じられなくて。どう教育されたらこうなるのかしら」

「ん~~教育っていうより、私のはただの経験則よ」

「経験……?」

「十一歳の時に執事と直属の騎士隊に裏切られて、兄と従者だけで山の中を逃げ回ったのに比べたら、こんなのピクニックと変わらないから」

「え」

 

 私の噂話は知っていても、騎士たちに殺されかかったところまでは知らなかったんだろう。パンを持っていたシュゼットの手が止まる。隣でクリスが笑い出した。

 

「お見合いに行ったら護衛に裏切られて、子供だけで逃げ回ったとかな」

「そんなこともあったわね」

 

 ただその一件は非公開情報なので、あまり簡単に口にしないでいただきたい。

 変な逸話が多すぎるせいで誰も深くつっこんでこないけど。

 

「子供のころから、騒動に首を突っ込んでばっかりいたせいで、何度も危ない目にあってるのよ。それで、万が一のことがあっても死なないよう、魔法の教師からサバイバル指導も受けてるの」

 

 公にはなってないけど、東の賢者は金貨の魔女として裏世界で活躍していた過去がある。こと身を隠して逃げ回るスキルにかけては、彼の右に出るものはいない。

 

「だから、何かあってひとりになったとしても、自分で煮炊きをしながら馬に乗ってひたすら逃げるくらいのことはできるの」

 

 我ながら、生き残る技術だけ見れば、かなり高スペックなご令嬢だと思う。

 ただ敵が王妃様だとか邪神だとかなので、いくらスキルを積んだところで、たいして安心できないんだけどね!

 

「……敵わないわけですわ」

「すごいでしょ、って自慢するものでもないか」

 

 だけど、と食事する女子生徒を見ていて少し思い直す。

 

「女子寮生徒には、ある程度場数を踏ませておいたほうがよかったかも」

 




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生死を分ける訓練

「もっと危ない目にあってたほうがいいってことか?」

 

 クリスが首をかしげる。

 私はぶんぶんと首を振った。

 言いたいことはわかるけど、言い方は考えていただきたい。

 

「ええと、実際に危険なことをさせる必要はないのよ。ただ、最低限……地震が起きたら、まず身を守るとか、すぐ避難するとか。避難所では不自由な生活になるよ、とか、そういうことを学んでおいたほうがいいなって思ったの」

 

 現代日本の避難訓練の考え方だ。

 学校や病院で避難訓練を受けていた時は、『だるいなー』としか思ってなかったけど、実際に予備知識なしで右往左往している生徒たちを見ていればわかる。

 避難知識の有無は生き死にを分けるのだ。

 邪神の封印が揺らいだハーティアでは、これから災害の頻度が上がる。

 次同じことが起きたとして、今回みたいに全員無事とは限らない。

 

「最低限避難訓練は必要よね。あと、野戦食の試食会」

「このスープを、わざわざ食べさせるんですの?」

 

 シュゼットが目を丸くする。

 

「大事なことよ」

 

 大きくうなずいて、私は中庭に目を移す。

 彼女たちにとっては、被災することそのものが大きなストレスだ。こんな状態で、食べたこともない料理を、想像もつかない作法で食べさせられるのは、さらに大きなストレスになる。

 私たちが食べて見せたことで、やっとスープに口をつけるようになったけど、こんなパフォーマンス、毎回やってられない。

 

「何かあったとき、こんなものが出ますよってあらかじめ知ってれば、あの子たちだって手を出しやすいでしょ」

 

(今思えば、非常食クッキーの試食とか、結構大事な教育だったんだなあ……)

 

 小夜子は体質的に食べられるものが少なかったから、災害で流通が止まった時の食事は重要な問題だったんだよね。急に食べ慣れないものを渡されても困るだろうからって、おやつに長期保存パックのアレルギー除去クッキーが出たのはいい思い出だ。

 

「でも、それって難しいんじゃありませんの」

「どうして?」

 

 今度は私が首をかしげる番だ。

 

「貴族はプライドこそが大事ですもの。わざと粗末なものを食べさせる訓練なんて、家の威信に傷がつきますわ」

「えぇー……」

 

 言いたいことはわからなくもないけど、非常時のプライド面倒くさい。

 だからって無理に押し付けるのも何か違う。各家庭に考えが広がらなくちゃ訓練の意味がない。

 

「じゃあ、避難訓練と一緒で試食会も学校のカリキュラムのひとつにするのはどうかな。国主導で、淑女の心得として体験させる、みたいな感じで」

「……それなら、アリかもしれませんわね」

 

 階級に関わらず在学生全員が体験することだ。各家庭の事情に関わらないから、反発は少ないだろう。

 

「落ち着いたら、女子部の先生とミセス・メイプルに提案してみましょう」

「私も協力しますわ。その訓練はキラウェアでも有益と思いますから」

「問題は、学校がいつ再開できるかってことよね……」

 

 荒れ果てた学校を眺めて私たちはお互いため息をつきあった。

 




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おいでよハルバードの城

「一番の問題は女子寮だな」

 

 クリスが視線を上にあげた。いつもなら、中庭の垣根ごしに四階建ての女子寮の屋根が見える方角だ。しかし、今そこに建物の姿はない。

 

「生活基盤そのものがなくなってるんじゃ、勉強は無理よね」

「この場合、授業はどうなるんですの?」

「多分、寮を再建するまで休校じゃないかしら」

 

 寝泊りする場所もないのに嫁入り前の女子を何十人も預かってられない。不幸中の幸いというか、何というか、女子部のカリキュラムは花嫁修業がメインだ。卒業資格が就職に直結している男子学生と違って、嫁ぎ先が決まるのなら無理して通う必要はない。この機会に自主退学して結婚してしまう生徒は多そうだ。

 

「だとすると私の留学はここまで、ですわね……」

 

 ほう……とシュゼットが残念そうなため息をもらす。

 ハーティアとの外交戦略が裏にあるとはいえ、表向き彼女の留学目的はお勉強だ。学びの場そのものが存在しないのでは意味がない。

 キラウェアとしても、宿舎すらない学校にお姫様を置いておけないだろう。

 

「やっと仕事が軌道に乗り始めたところだったのに、残念ですわ」

 

 そういえば、つい昨日フランからシュゼットが『こっち側』になったと聞いた。ミセリコルデ家とパイプを作り、新しい外交ルートを作るきっかけができたところだったんだろう。成果を出す直前で仕事を辞めさせられるのはくやしいに違いない。

 これでシュゼットが男子なら、『もう一度おいでよ』と言うところだけど、彼女は王族女子。数年後には結婚して子供を産まなくちゃいけない。身軽な外交活動ができるのは、今回が最後なのだ。

 私としても、せっかく仲良くなった彼女と別れるのは残念だ。

 

「だったら、ハルバードに来る?」

 

 ふと思いついたアイデアを口にしてみた。

 シュゼットはぱちぱちと目を瞬かせる。

 

「あなたのご実家ですか?」

「そう。この地震は王都を中心に起きたものだから、南部まで被害は出てないはずよ。避難を理由にハルバードへ移動して、そこでお勉強を続けるってのはどうかしら」

 

 いわゆる疎開ってやつだ。

 

「ハルバード城なら、安全は確保できますわね。でも、キラウェア本国を納得させるには、相応のカリキュラムが必要ですわよ」

「南の名門ハルバード家をナメないでちょうだい」

 

 私はにやっと笑った。

 

「ダンスの申し子白百合直伝のダンスレッスンでしょ、東の賢者仕込みの医療魔法授業、さらに、大富豪の実業家アルヴィン・ハルバードの経済学授業も受けられるわ」

「お父様が聞いたら卒倒しそうですわね。どうして学園から出たほうが授業水準が上がるんですの」

 

 シュゼットは額に手をあてた。いろいろついていけないらしい。

 

「世話役のフランをそのまま連れていけば、ミセリコルデ家との外交ルート交渉も続けられるでしょ」

「あなたも嬉しいでしょうしね」

「ナンノコトデスカー?」

 

 混乱する状況で、下手にお世話担当を変えないほうがいいだろうなーって思っただけですよー。下心なんてありませんよー?

 

「そのハルバード留学、私も行ったらダメか?」

 

 なぜかクリスがずいっと身を乗り出してきた。

 うちの家格なら、お姫様がもうひとり増えても問題ありませんが。

 

「だってハルバードといったら、最強騎士のお膝元だろう? きっと精強な騎士たちが訓練を……!」

 

 目をうるうるさせながら、おねだりする姿はかわいいんだけど、内容がだいぶアレだった。めちゃくちゃクリスらしいけど!

 

「いいわよ、クリスも一緒に行きましょ」

「やった!」

「いっそのこと、女官や侍女希望の女子生徒も全員連れていって、ウチで教育しちゃうかな……」

 

 休校中、暇になっちゃう女子部の先生たちも連れていけば、雇用も守れて一石二鳥だ。それなりに費用はかかるだろうけど、ハルバード家はお金で問題解決するのが得意だし。

 父様たち正規軍の救援が来たら提案してみよう。そうしよう。

 楽しい学生生活の続きを夢見て、私たちは笑いあう。

 しかし、その計画は実現できなかった。

 




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避難生活の朝

 翌朝、私たちを叩き起こしたのは、スマホの振動音だった。

 もちおから報告をもらった私とクリスはすぐに身支度を整えて、フィーアを連れて外に出る。門に向かって歩いていると、ヴァンとケヴィンの銀髪コンビがやってきた。

 

「ふたりも、スマホに起こされたとこ?」

 

 尋ねたら、ケヴィンは首をすくめた。

 

「そんなところだね」

「いきなり枕元で音がするとびっくりするのな……」

 

 ヴァンがしかめっつらで首を振る。

 スマホ目覚ましは現代日本人にとって割とよくある日常だけど、ファンタジー育ちのふたりには完全な非日常だ。驚くのも無理はない。

 

「そのうち慣れるわよ。そういえば、フランとジェイドは?」

 

 スマホが支給されているのは彼らも同じだ。連絡を受けた彼らが、そのままじっとしているとは思えない。

 

「あのふたりは先に門に向かってる。俺たちはリリィたちと合流しておけって」

「わかったわ、行きましょ」

 

 私たちは並んで門に向かう。

 門へ向かう理由は昨日と同じ。学園に何者かが近づいてきている、ともちおから報告を受けたからだ。

 同じ訪問者の接近にも関わらず、のんびり対応してるのは、彼らが見知った相手だからだ。

 

「フラン!」

 

 城門の裏側から、物見やぐらに声をかける。

 黒髪に黒衣の青年がさっとこちらを振り向いた。彼の隣には白いマントを羽織った黒髪の青年の姿もちゃんとある。

 

「状況は?」

「もうすぐ到着しそうだ。お前たちも確認するか?」

「はーい」

 

 私たちはぞろぞろと物見やぐらを上がっていく。

 

「わ……本当に来てる」

 

 王立学園と王都を結ぶ街道には多くの人影があった。

 整然と歩を進める騎馬と歩兵。そして物資を乗せた荷馬車たち。その規律正しい様子を見るだけで、彼らが正式に訓練を受けた騎士たちだということがわかる。

 ハーティア王国騎士団、正規兵だ。

 宰相閣下の『救援を送る』という約束が、早くも実現したらしい。

 

「まさか、一晩で援軍が来るなんて思わなかったわ」

 

 驚く私を見てフランが苦笑する。

 

「ここにいるのは重要人物ばかりだからな。それに、指揮官自身がいてもたってもいられなかったんだろう」

「指揮官?」

「先頭の騎士をよく見てみろ」

 

 フランに促されて、騎士たちの隊列に目をこらす。

 彼らの先頭はひときわ雄々しい黒毛の軍馬だった。跨っているのは立派な騎士服を着た美丈夫だ。指揮官らしいその騎士の立ち姿には見覚えがある。ここからは黒髪までしか確認できないけど、きっと間近で見たら瞳の色は私と同じ赤なんだろう。

 

「お、お父様……?!」

 

 この忙しい時に、第一師団長が何やってるのよ?!

 

「ここにはハーティア唯一の跡取王子と、隣国の王女がいる。第一師団長がわざわざ迎えに来ても不思議はないんじゃないか」

「おかしくはないけどね?」

 

 絶対半分くらいは私情だと思うの!

 

 




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声を大にして叫びたい

「リリアーナ!」

 

 開け放たれた城門をくぐり、学園内に入ってきたお父様は私の姿を見るなり、馬を降りて駆け寄ってきた。

 待って最強騎士。

 指揮官がいきなり隊列から離れて家族のもとに走ってくるんじゃありません。

 応えていいものかどうか迷っていたら、父様の部下らしい王国騎士たちは苦笑いしながらそれぞれうなずく。どうやら、父様のフリーダムな気質は部下全員わかっているらしい。

 それはいいことなのか悪いことなのか。

 

「お父様」

 

 とはいえ、私を迎えに来てくれた父様を無碍にするわけにはいかない。

 私も駆け寄ると、父様は笑顔でぎゅっと抱きしめてくれた。

 

「お前が無事でよかった」

「私もお父様に会えてうれしい」

 

 なんだかんだ言っても、やっぱり家族に会えるとほっとする。みんな被災してるなかひとりだけズルしちゃって悪いかな、と思うけど安心してしまうのは止められなかった。

 父様も私の無事を確認して安心したのか、ほっと息を吐いた。

 私から体を離して顔をあげると、私の後ろにいる同級生たちを見た。

 

「君たちにも、怪我はないようだな。オリヴァー王子と、シュゼット姫は?」

 

 王国騎士として、王族の保護を真っ先に考えるのは、当然の優先順位だ。

 ヴァンが男子生徒を代表して一歩前に出る。

 

「オリヴァーは問題ありません。現在はヘルムートの護衛のもと、寮の部屋で寝ています」

 

 女子生徒の安否報告は私の仕事だ。

 

「シュゼット姫にもお怪我はありません。避難所の部屋で休んでいただいています。あちらも同級の女子生徒がついているので、安全は確保できています」

「ありがとう。彼らが無事なのは、きっと君たちが頑張ってくれたおかげだな」

 

 父様は騎士団長の顔でほほえむ。

 

「ここからの安全確保は私たちにまかせてくれ。誰か、二名ずつ別れてオリヴァー王子とシュゼット姫を保護しろ」

 

 指示を出されて、騎士数名が隊列から離れた。それを見てジェイドとフィーアが動き出す。

 

「案内します」

「よろしくお願いします」

 

 男子寮はともかく、女子寮生徒が今どこで寝てるかなんて、わからないもんね。部屋にいきなり騎士が入ってきたら怖いだろうし。女子のフィーアが付きそうのが無難だと思う。

 彼らが去っていくのを見送ってから、私は改めて父様を見上げた。

 

「ありがとう、お父様。こんなに早く、助けにきてくれると思わなかったわ」

「宰相閣下と連携しやすくなったからな。避難誘導がスムーズにできた」

 

 父様はいたずらっぽく笑うと、右耳をトントンと軽くたたいた。そこには、明らかに異質なものがついている。イヤーカフみたいなアクセサリーを装ってるけど、それはどう見ても片耳用イヤホンマイクだ。

 

(マリィお姉さま、配達成功してたんだ)

 

 よかった。

 この世界ではスマホもドローンも再現不可能な超オーパーツだ。そう何個も壊されるわけにはいかない。

 

「ハルバードのお屋敷はどうなってるの? お母様は怪我してない?」

「屋敷はほぼ無傷だ。レティシアがびっくりして転んだ拍子に、少しすりむいたくらいで問題は起きてない」

「よかった……」

 

 私がほっとしていると、今度は父様が心配そうな顔になった。

 

「女子寮が倒壊した、と報告を受けたが……本当に?」

「ええ。一階から四階まで全部潰れて、ぺしゃんこよ」

「住む場所がないのは、困ったな……」

「屋敷は無傷なんでしょ? だったら、私と、ついでにシュゼットやクリスも泊めてあげられない? それで、落ち着くまでハルバード城で……」

「ダメだ」

 

 私のウキウキハルバード留学計画は、ダメの一言で終了した。

 父様はものすごく嫌そうな顔で、私に説明する。

 

「最重要護衛対象として、オリヴァー王子とシュゼット姫、クリスティーヌ姫を王宮で直接保護することになった」

「え」

 

 国として王族を重要視するのは当たり前の話だけどさ。

 

「……また、王子の婚約者であるお前も、王族に準ずる立場として王宮で保護されることになる」

「ええええ……」

 

 つまりなんですか?

 計画がダメになった上、私まで王宮で暮らさないといけなくなったと。

 

「こういう時って、下手に被災地にとどまるより地方に逃がしたほうがいいんじゃないの」

「数年前から宰相閣下の提言で大規模な補修工事と食料の備蓄が進んでいたんだ。おかげで、今この地域で一番安全な場所は王宮なんだ」

 

 そうですねー。

 王宮が無事なら下手に地方に移動させないほうがいいですよねー。

 

「不本意だと思うが、我慢してくれ」

 

 今日こそ声を大にして叫びたい。

 王子との婚約関係、破棄させてくれませんかねえぇぇー!!

 

 

 

 

 

 

 

 




何故か墓穴につながるファインプレー!
さすがの宰相閣下もこの事態は予想してなかったでしょう。

というわけで、クソゲー悪役令嬢地震災害編これにて完結です!
気になるところで終わってますが、続きをお楽しみに、ということで!

しばらくプロット作成のために更新をお休みさせていただきます。
再開までしばらくお待ちを!!!



いつも読んでくださってありがとうございます!
よければレビュー、評価よろしくお願いします!!


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番外編
悪役令嬢はハロウィンイベントを成功させたい


「トリックオアトリート!」

 

 ハルバード城のエントランスに、元気な声が響いた。

 エントランス奥に作られたバルコニーからそちらをのぞき込むと、思い思いに仮装した子供たちが何十人も集まっているのが見える。あちらからも私の姿が見えたようで、彼らは一斉に歓声をあげた。

 

「リリアーナ様だ!」

「領主様、お菓子ちょうだい!」

「イタズラするぞー!!」

 

 私はバルコニーから、子供たちに微笑みかける。

 

「まあ、こわいオバケさんたち。イタズラされてはたまらないわ、お菓子を差し出しましょう」

 

 用意していた口上を語る。

 それを合図に、控えていた使用人たちが一斉にお菓子をばらまきはじめた。子供たちはうれしそうに歓声をあげてお菓子を拾った。

 

「やったー、おいしそう!」

「お嬢様ありがとう!」

「みんな、元気に過ごすのよ」

「はーいっ!」

 

 お菓子に夢中な子供たちを確認してから、私はバルコニーからさがった。

 

「ふう……これでよし」

 

 今年のハロウィンイベントも、つつがなく終えられそうだ。

 女神の見守るファンタジー世界だというのに、この国には現代日本とそっくりな「ハロウィン」イベントがなぜか存在していた。オバケの格好をして呪文を唱える子供に、大人が怖がるふりをしてお菓子を与えるアレである。

 私もまだ十二歳の子供だから、本来ならあの子たちと一緒になって「お菓子ちょうだい!」と言ってるところなんだろうけど、今の立場は「領主代理」。残念ながらお菓子を配る主催者側だ。

 

「よくやったな」

 

 バルコニーから城内に戻ると、黒髪に青い瞳の青年が声をかけてきた。私の補佐官のフランだ。セレモニーが終わるのを待ち構えていたらしい。

 

「子供たちに喜んでもらえてよかったわ。そっちの首尾はどう?」

「城内に入ってこれない下町や貧民街の子供向けに、菓子を配布している。同時に健康状態も確認もさせ、深刻な者は保護する手はずだ。地方でも各代官を通して配布を指示してあるから、そのうち報告書が届くだろう」

「これで、子供の冬越え率が少しでも上がるといいんだけど」

 

 生活インフラが整備されていた現代日本と違い、ファンタジー世界のハロウィンの開催目的は若干シビアだ。季節はこれから厳しい冬になる。地域ぐるみで子供たちに栄養あるものを与え、寒さを乗り越える体力をつけさせるのがねらいだったりする。

 地域ぐるみの栄養対策、となればイベントの出資運営はその地を治める領主の仕事だ。

 事務仕事だけでも忙しいのに、イベント運営とかどうしろと、と思ったけどそこは伝統行事。幸い去年までもずっと騎士や使用人が中心になってイベント運営していたおかげで、ノウハウはちゃんと残ってくれていた。悪徳執事クライヴのせいで年々お菓子の質が下がって不満がでてたみたいだけど、今年はたっぷり予算をかけたから満足度も高いはず。

 

「汚職官僚を排除し、地域福祉に予算をまわしている。去年より悪くなることはないだろう」

「……そうね」

 

 フランの言葉を信じたいけど、この世界は医療も流通も現代日本とはくらべものにならないからなー。流行り病で村ひとつ簡単に全滅する世界ではそうそう安心できない。

 

「お前はよくやっている。あまり気にしすぎるな」

 

 ぽん、とフランの手が私の頭にのせられた。

 わしわしと優しくなでられる。

 いやこういうの嫌いじゃないですけどね? 領主の立場としては、こんなことで軽率に不安を忘れていいのかなって……うん、気持ちいいしまあいいか。

 

「お前は、呪文を唱えないのか?」

 

 ぼんやりしていると、そんなことをたずねられた。

 

「私は主催者側じゃない。言ってどうしろっていうのよ」

 

 そんなことをしたら、子供に配るお菓子が一個減るじゃないか。用意した予算は、全部街の福祉用だ。つまみ食いしていいものじゃない。

 

「お前だって、冬に向けて体力をつけるべき子供だろう」

「平気よ。私は領主として、元からいいもの食べさせてもらってるもの」

「……だが、イベント準備のために、忙しくしていただろう」

「それは当然の仕事で……」

 

 さらに反論しようとしたら、頭からずぼっと何かをかぶせられた。

 外そうとよく見てみる。どうやら、子供たちがオバケの仮装によく使っている布袋みたいだ。

 

「おお、怖い。こんなところにオバケがいる」

 

 フランが私を見てわざとらしく肩をすくめる。

 呪文を唱えろってこと?

 私が?

 なんなんだよこの茶番劇。

 一瞬布袋を脱ぎかけて、私はそこで手を止めた。

 いやでも、この青年が何も考え無しにこんなことさせるかな?

 絶対何か意図があるよね?

 見上げるとフランはずっと楽し気にほほえんでいる。

 

「と……とりっくおあ……とりーと?」

 

 言ってみた。

 フランは、待ってましたとばかりに笑う。

 

「イタズラされてはかなわないな。お菓子を差し出そう」

 

 どこにどう隠していたのか。

 フランはマントの中から、箱をひとつ取り出した。まるで手品だ。

 受け取って開けてみる。

 そこには、ケーキがひとつおさまっていた。フルーツがこれでもかともりもりに乗せられていて、宝石箱みたいに輝いている。

 

「おいしそう……! いいの、こんなに豪華なお菓子」

 

 キラキラの新鮮フルーツだけど、季節感おかしくない? 旬が春とか夏とかのはずだよね。この世界で季節ズレしたフルーツを手に入れようとしたら、とんでもないコストかかるよね?

 

「ここのところがんばっていたからな。俺が個人でお前用に手配した」

 

 がんばりへのご褒美が豪華すぎる。

 そういえばこの男、宰相家産まれの王都育ちだったわ。贅沢の仕方を知る高位貴族の御曹司だったわ……。

 

「うちの補佐官がスパダリすぎる」

「……すぱだり?」

「ううん、なんでもない。……ありがとう」

 

 フランが個人で用意したってのは本当なんだろう。

 だとしたら、私は素直にこのケーキを受け取るべきだ。

 でも。

 

「体力をつけるためっていっても、私がひとりで食べるにはちょっと多いわ」

「食べきれないぶんは、ジェイドやフィーアに下げ渡せばいい」

「……む」

 

 私は変なところで察しの悪いフランのマントをつかんだ。

 

「お茶の相手をしなさい。でないと、イタズラするわよ」

「……それは困るな」

 

 部屋に戻った私は、フランと一緒に高級フルーツケーキを堪能した。

 

 




 特に脈絡なく、軽率にハロウィンSS。
 時系列としては領主代理になった最初の年の秋。

 本編の連載再開については、もうしばらくお待ちください。
(がんばって書いてます)


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悪役令嬢は王宮で過ごしたい
正規兵の実力


「団長、女子寮のがれき撤去準備完了しました」

「ご苦労。上層部から順に解体してくれ。貴重品は丁重に保管すること」

「かしこまりました!」

 

 王立学園に派遣されてきた王立騎士団第一師団の救助活動は、めちゃくちゃに手際がよかった。彼らは学園敷地に入るやいなや、建物自体が倒壊した女子寮を中心に、大きな被害を受けた建物の整理を始めた。そのかたわら、学園に住めなくなった生徒たちの避難準備を進めていく。

 その動きには一切の無駄がない。

 

「俺たちも頑張ってたつもりだが、やっぱ本職にはかなわねえな……」

 

 生徒たちの指揮をとっていたヴァンが感心半分、くやしさ半分で現役近衛騎士を眺める。父様はクスクスと笑った。

 

「いや、君はよくやったほうだ。想定よりもけが人が少なく、物資の損耗も軽微だ。住む場所を失った女子を抱えていなければ、男子生徒だけであと一か月は持ちこたえられただろう」

「うまくやってたら、救助が一か月後回しにされてたって聞いて、喜んでいいか腹たてていいか、ちょっとよくわかんねえんだけど」

 

 わかりづらい父でごめん。

 本人はストレートに褒めてるつもりだと思います。

 

「さすが花形部隊第一師団……あれっ? でも民間人の救助は近衛の仕事ではないような」

 

 彼らの職責は王族とかの要人警護が主だったはずだ。

 それを聞いた父様が苦笑した。

 

「汚職騎士の追放を期に部隊の再編制が進んでな……今の第一師団は有事の際に独立行動可能な遊撃隊、つまり何でも屋のようなものだ。昔ながらの近衛部隊はまた別に編制されている」

「ハルバード候ほどの実力者を、王族のそばに立たせておくだけなんてもったいないですから」

 

 状況報告のために後ろに控えていたフランが付け加えた。父様は深々とため息をつく。

 

「君の御父上の人使いの荒さに、驚かされる毎日だよ」

 

 そういえば、父様を今のポストに推したのは宰相閣下だった。

 あの有能宰相が放っておくわけがなかったわー。父様の自由すぎる気質を考えると、下手に要人警護をやらせ続けるより身軽な精鋭遊撃部隊として運用したほうが向いてそうだし。

 

「団長、避難用馬車の準備ができました!」

「ご苦労。では東地区から順に生徒を送り届けろ」

「はっ!」

 

 父様の指示を受けて、また騎士が走っていく。

 彼らは生徒たちを地区ごとに振り分け、それぞれ親元まで送り届けるらしい。その中には東の商人街に自宅のあるライラの姿もあった。彼女とはここで一旦お別れだ。

 

「王都に保護者が確認できる者はそちらへ。地方出身で王都に保護者がいない者は一旦こちらで引き取る。男子は騎士団預かり、女子は王宮預かりだ」

「身元引受人が誰か確認が取れない者はどうしましょうか」

「学園にそんな者がいるか?」

 

 父様が首をかしげる。

 王立学園は身元が明らかな上流階級むけの学校だ。男子部には庶民もいるけど、彼らだって地元の領主や有力者から推薦を受けた者ばかりだ。後見人のいない生徒は存在しないはずである。

 

「女子名簿のうち、ラインヘルト子爵家のご息女の家族欄が全員死亡で空白になっています。本人に身元引受先を訪ねようにも、意識不明で治療中でして……」

「ラインヘルト? 聞いたことのある名前だな」

「私の友達よ!」

 

 思わず会話に割って入ってしまった。淑女としてははしたない気がするけど、友達を引受先不明で変な扱いさせるわけにはいかない。

 

「セシリア・ラインヘルトはカトラス侯爵家の身内よ。侯爵本人が後見人になってるわ」

「ふむ、ならば侯爵家の屋敷に送り届けるべきか」

「しかしカトラス侯は現在、王都にいらっしゃいません。保護者本人のいない屋敷に意識のない女子をただ預けてよいものか……」

「しかし王宮の医務室で面倒を見るのもな」

「あ、あのっ、お父様! セシリアをうちで預かれないかしら!」

 

 私はたまらず再度口をはさんだ。

 




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クソゲー悪役令嬢5巻が12月29日に発売されます!
書籍版もどうぞよろしくお願いします!


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搬送先

「他家の女子をうちで? お前は家に戻れないだろう」

 

 それはわかってますよー。

 自分が王子様の婚約者として、王宮で保護されるってことは。

 でもセシリアをこのまま放っておけない。

 

「実はセシリアの容態があまりよくないみたいなの。王宮の医務室じゃきっと悪化しちゃうわ」

 

 これは本当にそう。

 表向きは地震の激しさにショックを受けて倒れたってことになってるけど、それだけじゃない。前日に女神のダンジョンに閉じ込められて、邪神にストレスをかけられたのが主な原因だと思う。

 

「うちなら母様もいるし、設備の整った屋敷でディッツに診てもらえるでしょ」

「東の賢者殿は学園に出向……ああ、そうか。ここを閉鎖したら、彼も屋敷に来ることになるのか」

「よろしいのですか? 勝手に移送したことがカトラス侯に知れたら」

「大丈夫よ、私が話を通しておくから。ちゃんと説明すれば、ダリオも嫌とは言わないはず」

 

 そろそろ、ドローンで運ばれたスマホがダリオに届いているころだ。

 メッセか通話で軽く説明しておけば、問題ないだろう。

 私がセシリアを大事にしてるのは、彼も知っている。

 

「わかった、誰か東の賢者殿に今の話を説明して、侯爵邸方面の馬車にふたりを乗せてくれ」

「かしこまりました!」

 

 父様の命令を受けて、また騎士が走っていく。

 

「これで、よし」

 

 私はほっと息を吐いた。

 表向きは天涯孤独の子爵家令嬢だけど、セシリアの本当の身分は王室直系の姫君で世界を救う聖女だ。目の届かない王宮の医務室で、一般人に看病させるわけにはいかない。万が一、彼女の身に何かあったらその時点でこの国どころか世界が滅んでしまうのだから。

 彼女の本来の居場所のはずの王宮が一番の危険地帯、っていうのもどうなのって話だけど。

 

「さて……避難のメドは立ったみたいだし、俺たちは行くかあ」

 

 第一師団の救助活動を見ていたヴァンとケヴィンが立ち上がった。

 

「どこ行くの?」

「後始末。第一師団が助けてくれるっつっても、細かい作業はいくらでもあるからな」

「特別室組として、生徒全員が避難するところまで、面倒みなくちゃいけないし」

 

 その論理だと、私も女子特別室組として後始末に加わらないといけないのですが。

 そう言うと、ケヴィンが笑いだした。

 

「あはは、君はまずシュゼットたちと王宮に行かなきゃいけないんでしょ?」

「俺たちは、王都に家があるからな。泥臭いことは任せて、目の前の仕事に集中しろよ」

 

 モーニングスター家もクレイモア家も、勇士七家の名に恥じない屋敷が王都にある。騎士たちの話ではどちらもあまり地震の被害を受けてないみたいだった。帰る場所のある彼らは、一番身軽な貴族生徒というわけだ。

 ここは素直に彼らの好意に甘えておこう。

 

「ありがとう、ヴァン、ケヴィン。またね」

「おう、また今度会おうな」

 

 ひら、と手を振って銀髪コンビは己の責務へと向かっていった。

 

「クレイモアも、モーニングスターも、よく育っているな」

 

 彼らの後ろ姿を見て父様がほほえんだ。

 貴族作法が苦手な父様はお世辞も社交辞令も言わない。心の底から本音の誉め言葉だ。

 

「ふたりとも自慢の友達なの。今度会ったら、直接言ってあげて。きっと喜ぶわ」

「そうしよう」

「団長、シュゼット姫のお仕度が整ったそうです」

「わかった。では彼女を馬車に……いや」

 

 指示を出す途中で父様は言葉を切った。

 

「出る前に、少し話がある。シュゼット姫とクリスティーヌ姫を会議室に集めてくれ」

 

 わざわざ会議室にってことは、表立って話せないことなんだろう。疑問の視線を向けてみたら、父様は困り顔になった。

 

「お前にも関係ある話だ。リリィと、配下のふたり。それからフランも来なさい」

 

 ……絶対いい話じゃないよね?

 




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事前説明会

 騎士たちが用意した会議室には、すでにシュゼットとクリスがいた。父様が目くばせすると、室内警備をしていた騎士たちがさっと出ていく。一般兵には聞かせられない話、らしい。

 父様の姿を認めたシュゼットが腰を浮かせた。

 

「ハルバード侯……あの」

「お疲れでしょう、挨拶は不要です。どうぞ、座ったままで」

「ありがとうございます」

 

 父様に制されて、シュゼットはすとんとソファに逆戻りした。

 どこでどう都合をつけたのか、シュゼットは昨日までのだぶだぶの騎士服から、真新しい女子制服に着替えていた。あんな恰好のまま、他国の姫君を移送できないってことなんだろう。

 私たちもそれぞれ席につき、全員が聞く体制になったところで、父様がシュゼットに向かって深々と頭をさげた。

 

「シュゼット姫様、このたびは女子寮の不具合など、多くのご不便をかけ申し訳ありません」

「いいえ、すべては人知を超えた災害によるものです。お気になさらないで、頭をあげてください」

「お言葉、感謝いたします」

 

 父様はすっと背筋をただした。そして懐から何か黒いものを取り出す。

 

「これからの予定について、ご説明させていただきます」

 

 ことん、と小さな音をたててテーブルに出されたものを見て、私たちは息をのんだ。手のひらサイズの、ガラス質で真っ黒な板。昨日から私たちの間で使われている通信機器、スマホだ。

 

「お父様?!」

 

 私やクリスたちはともかく、シュゼットは外国人だ。国家機密をホイホイ見せていいわけがない。私たちが慌てていると、父様は軽く肩をすくめた。

 

「シュゼット姫様おひとりだけであればコレを見せても良い、と宰相閣下から言付かっている。大丈夫だ」

「そ、そうなの……」

 

 宰相閣下の決定なら、私が口を出すことじゃない。

 それだけシュゼット姫を信用に足る相手だと判断しているんだろう。

 

「リリィ? あの黒い板は何ですの?」

「ハーティアの国家機密。何をする道具かは、見てればわかるよ」

「さすがに、シュゼット姫にまでコレをお渡しすることはできません。しかし、どんなものかは知っていただいたほうが、話がしやすいとのことです」

 

 父様はスマホをこちらに向けて立てると、画面の電源を入れた。ナビゲーション用のちょいぽちゃブサカワ猫が表示される。

 

「もちお、宰相閣下につないでくれ」

『かしこまりました』

 

 もちおがこくりとうなずくと、すぐにコール音が鳴りだした。

 突然鳴り出した異質な音に、シュゼットがびくっと体を震わせる。

 

「な……何が起きてるんですの? それに、あの猫は何なの?」

「怖いことは起きてないわよ。直接話すために宰相閣下を呼び出しているだけ」

「ええ……? しかし、あの方は今、現場で災害対応の陣頭指揮をとっていらっしゃるはず」

「そんな忙しい人と話すための機械なの」

『お待たせしました。皆、そろっているようだな』

 

 困惑しているシュゼットの目の前で、画面が切り替わった。

 どこかの臨時指揮所なのだろう、天幕を背景に宰相閣下の姿が映し出される。

 

『三日ぶりですな、シュゼット姫』

「え……ええ、またお会いできてうれしい……ですわ」

『ご不便をかけたこと、直接謝罪したかったのですが、このような形になって申し訳ありません』

「いえ、災害は誰が悪いわけでもありませんから。閣下がお忙しいのは承知しております」

『ありがとうございます、そう言っていただけると助かります。さて今後ですが……皆様には、王宮に避難していただきます』

「はい」

 

 こくり、とシュゼットがうなずく。それはもとから聞いていたことだ。

 

『そして、王宮での姫様の接待役なのですが……叔母上のカーミラ様が担当することになりました』

「え」

 

 それ、ダメじゃね?

 




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手札の多いご令嬢たち

「父上」

 

 フランの低い声が会議室に響いた。

 宰相閣下はほとほと困り果てた、という風情で片手を額に当てる。

 

『言うな。お前の言いたいことはわかっている。これは悪手だ』

 

 ですよねー。

 この部屋にいる全員の政敵、王妃様が保護者ってどういうことなの。

 

『ただ、行政官も騎士も総出で災害対応に当たっているなか、他国の王女を接待できるほどの知識と力を持ち、かつ動けるだけの余裕のある人物となると王妃しかいないのだ』

「行政改革が進んだ現在、王宮の女官以外にあの方が干渉できる部署はありませんからね」

 

 つまり王宮で唯一暇なヒト、ということなのか。

 

『逆に王宮の女の仕事はいまだ王妃の手の内にある、とも言える』

 

 宰相閣下は苦い息を吐く。

 

『忙しく働いている殿方に代わり姪をお守りさせてください、と申し出られてどれだけ腹がたったか……』

 

 王妃お得意の、親切提案にみせかけた罠だ。

 あの悪意の化身のような女性が、このチャンスに何も企まないわけがない。

 

『本来なら、全員学園にとどめておきたいところなのだ』

「でも、肝心の女子寮が壊滅していますからね」

 

 私の言葉に、宰相閣下はうなずく。

 

『個室もベッドもないところに居させるわけにはいかない。かといって無事な王宮を差し置いて貴族家に招くわけにもいかない』

「ひ、避難所生活には慣れましたわ。あと少しくらいなら……」

「無理だ、シュゼット」

 

 学園にとどまろうとするシュゼットを、クリスが否定した。

 

「昨日に比べて、すごく顔色が悪い。ほとんど眠れなかったんだろう。君がこれ以上教室で寝るのに耐えられるとは思えない」

「う……」

「それにシュゼットが耐えたとしても、他の子たちが耐えられるかどうか」

「ほかの……子、ですか?」

 

 自分以外の話を持ち出されて、シュゼットはきょとんとした顔になった。

 

「私たちは姫君と高位貴族なの。キラウェアの留学生も含めて、下の家の子たちは私たちが避難しないことには、おいそれと王宮で保護してもらえないわ」

 

 これはこれで身分制度の難しいところである。

 私たちは上の者として、下位貴族女子の避難先を作ってあげなくちゃいけない。後始末に回っているヴァンたちとは別の、私たちの責任だ。

 

「でも……王宮で私たちの世話をするのは、叔母様なんですのよね」

 

 箱入り娘に避難生活は難しい、かといって王宮に行けば王妃の悪意が待ち受けている。

 まさに行くも地獄、戻るも地獄の状況だ。

 

『そこで、クリスティーヌ様とリリアーナ嬢だ』

「私たち?」

 

 いきなり名前を出されて、私とクリスはお互いに顔を見合わせてしまった。

 

『本来はクリスティーヌ姫様は輿入れ先のクレイモア家、リリアーナ嬢は実家のハルバード家にお連れするのが妥当だ。しかし、ふたりを保護対象にすればシュゼット姫とともに王宮で過ごさせることができる』

「それは、危険にさらされる令嬢が増えるだけではないのですか……?」

 

 シュゼットが困惑顔になるのを見て、宰相閣下は苦笑した。

 

『そのふたりは、普通の『ご令嬢』ではありませんので』

「あ。え、ええ、そうでしたわね」

 

 シュゼットが私たちを見る。クリスのかたわらには、使い込まれた無骨な剣があり、私の後ろには天才魔法使いジェイドと、最強護衛フィーアが控えている。

 とりつくろわず、この子らトンデモ令嬢だったわーって言っていいのよ?

 

『今までと同じように、フランをシュゼット姫の世話役としておつけしますが、王宮の奥向きは王妃が管理する女の園です。男では介入できない問題が起きる可能性が……いや、必ず起きる』

 

 敵を自分のテリトリーに引っ張り込み、罠にかける。腹黒な王妃たちの得意とする戦法だ。去年の王立学園では、王妃派女子アイリスとゾフィーが同じような手口をよく使っていた。

 

「私たちはシュゼットの護衛というわけだな。いいだろう、任された」

 

 クリスはスマホに笑顔を向ける。こういうときの彼女は頼もしい。

 

「私もシュゼットを守ります。腕力はないけど、罠に対抗する手札が多いもの」

『おふたりとも、助かります』

 

 画面越しに宰相閣下が頭を下げる。

 彼ほどの地位の大人が小娘に謝るってことはよっぽどの状況なんだろう。ここは腹をくくって引き受けるしかなさそうだ。

 

『現在、マリアンヌに指示して、王妃に影響されない女官と住居を用意させています。しかし、どんなに急いでも手配に数日かかります。その間だけ、なんとか持ちこたえてください』

 

 マリィお姉さまが動いているのなら、手配のメドはたっているのだろう。

 あてもなくただ我慢するだけでは、すぐに心が折れてしまう。しかし、期限があるのなら、いくらでも持ちこたえようがある。

 

「大丈夫、私たちに任せて」

 

 私とクリスは不安そうなシュゼットに笑いかけた。

 あの大地震を耐えたんだ、王妃の罠だって乗り越えて生き残ってやろうじゃないの。

 

 




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押し問答

 覚悟があったところで、いざ困難を目の前にぶら下げられたら、気持ちが萎えるのはしょうがない話で。

 目の前でにこにことほほ笑む女官を見て、私は即座に逃げ出したい気分になった。

 いや、逃げんけど。

 

「この先は男子禁制となっております。お二方はお引き取りを」

 

 この場にいる女官を束ねる立場にあるらしい、濃い蜜色の髪に明るい翡翠の瞳をした女性は、ローゼリア・シュヴァインフルトと名乗った。お仕着せのエプロンドレス姿の女官たちと違い、彼女だけ一段仕立てのいいドレスを着ている。

 彼女はそろそろ日も暮れようかという王宮に到着した私たちを見るなり、早速チームの分断を図ってくれていた。現在のターゲットは、頼れる男手ふたり。フランとジェイドだ。

 

「私は父よりシュゼット姫の警護も任されています。おそばを離れるわけにはまいりません」

 

 フランが青い瞳で鋭くローゼリアを睨む。イケメンの怒り顔、めちゃくちゃ怖い。しかしローゼリアは表情を一切変えずにフランを睨み返した。

 

「この先は湯殿となっております。いかな理由があろうとも、男性が立ち入ることは許されません」

「こちらも離れることは許されていない。無事が確認できる距離に立たせてもらう」

「まあ、なんてこと」

 

 ローゼリアはことさら芝居がかったびっくり顔をしてから、こちらを振り返った。

 

「シュゼット姫様、クリス姫様、お待たせして申し訳ありません。この融通のきかない男をさがらせたら、すぐにお風呂ですからねぇ」

 

 ちょっと待てそこの女官。

 その言い方だと、フランたちが入浴の邪魔をしてるみたいじゃないか。

 

「女子寮がなくなって、体を洗う余裕もなかったのですよね? キレイな御髪がほこりでくすんでしまっていますわ。たっぷりお湯を使って頭の先からつま先まで、汚れを落としましょう。……この不埒な男どもがいなくなってから」

「不埒とはずいぶんな言いようだな」

「これから湯に入ろうという女子から離れようとしないんですもの。不埒以外の何だとおっしゃいますの?」

「あなたこそ護衛騎士を何だと思っている。私たちが警護対象の体を見ることはない、状況を察知できる程度の距離に立たせろ、と言っているだけだ」

「だから、その距離がここなのです。お引き取りください」

「却下だ。遠すぎる」

 

 ローゼリアが私たちを案内しようとしている通路は、かなり先まで奥が続いている。どう見ても、何かあったときにすぐ駆けつけられる距離じゃない。フランたちが立ち去ったあとにどこまで連れていく気やら。

 

「この奥に武器を持った賊が入り込んだらどうする」

「まあ、そんなこと起こりませんわ!」

 

 私たちを害する気満々のローゼリアはわざとらしく驚いた顔になった。

 

「この廊下の先へと踏み入ろうとする者は、すべてこちらの『武器発見機』にて調べられますので。賊など入りようがありませんわ」

 

 ローゼリアが廊下の入り口を指し示す。

 言われてみれば、そこだけ門のような造りになっていた。検査と警備担当なのだろう、ローゼリアの後ろに控えていた女官数名が、装置を起動させる。

 

「さあさあ、姫様たち! こちらへどうぞ」

 

 行けるわけないだろうがっ!

 




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魔力式金属探知機

『武器発見機』とは、私がアイデアを出し、ジェイドとアルヴィン兄様が作り上げた新システムだ。ゲートを通すだけで、金属製の武器を持っているかどうか検査することができる。現代日本では空港なんかでよく見かける、いわゆる金属探知機と同じものだ。

『電磁誘導』という物理現象で金属を検知するマシンに、魔力隠蔽技術は意味をなさない。武器の発見を魔力探知に頼っていた、ファンタジー世界の住民にとって、まったく異次元の技術である。検知のメカニズムをいまだ理解していない者たちからは、神の門として恐れられていた。

 商売人な兄様が、王宮に売り込んで導入させたとは聞いていたけど、まさかこんなところでお目にかかるとは思わなかったよ!

 

「確かに、ソレは優秀なシステムだがな……」

 

 金属探知機が有効なのは、その先に安全が確保されている場合だけだ。

 敵の根城の入り口に置かれているソレは、私たちを無理やり武装解除させる悪魔の門に他ならない。まずい、こんなところで持ち歩いている武器を発見されるわけにはいかない。

 

「まずはクリスティーヌ様、どうぞこちらに」

「あ、おい!」

 

 いくら鍛えてるからって、非武装の女官相手に手をあげるわけにはいかない。ローゼリアに手を引かれて、クリスはゲートをくぐらされた。そのとたん、ピー! とけたたましいエラー音が廊下に響き渡る。

 

「あら? どうしてこんな……」

「コレが反応したんだろう」

 

 クリスは、羽織っていたマントをばさりと翻した。腰にさげている剣があらわになる。

 

「まあ……。いやですわ、淑女がそんなものを持ち歩くものではありませんよ」

「嫁ぎ先が武勇を貴ぶ騎士の名門だったのでな。コレは私の新しい趣味だ」

「姫君がなんと恐ろしい……クレイモア伯がなんと言われるか」

「笑って許すさ。この剣をくれたのは、当のクレイモア伯だ」

 

 まさかクレイモア伯爵とあろう者が、孫の嫁にそんなものをプレゼントしているとは思わなかったらしい。ローゼリアの笑顔が初めてひきつった。

 クリスは懐からもう一振り短剣を取り出す。

 

「ちなみにこっちは、婚約者のヴァンからもらったものだ」

「辺境伯家は、女子になんてものを贈ってるんですか……!」

 

 でもなー。

 クリスが喜ぶプレゼントっていったら武具か馬具か肉だぞ。

 あのふたりは、彼女の趣味をよく理解してると思う。

 

「えええっと……そのような危険物については、こちらでお預かりさせていただいて……」

「断る」

 

 シュゼットの護衛という裏任務を持つクリスは、指示を秒で拒否した。

 

「しかし、規則としても淑女としても、それは」

「ええー? あなた、女子から婚約者とそのご家族に贈られたプレゼントを取り上げるの?」

 

 私がわざとらしく口を挟んだら、翡翠の瞳で睨まれた。

 美人がすごんだ顔も怖いね。でもその程度でひるむ私じゃない。

 

「災害にあったうえ、婚約者と引き離されて心細いでしょうに!」

「いやそれとコレとは……」

「不安よね、クリス!」

「あ、あー! ヴァンがいないと不安ダナー! 剣を持ってないと落ち着かないナァー!」

 

 かなり大根演技だけど、及第点だろう。姫君のワガママに押されて、ローゼリアが引き下がる。

 

「わ、わかりました……! では、剣は一旦こちらでお預かりして、ゲート通過後に返却させていただきます。通過する間だけならよろしいでしょう?」

「返してもらえるなら問題ない」

 

 クリスは腰の剣と、短剣をローゼリアに渡した。

「一旦預けたら武器の持ち込みOK」の言質、とらせていただきました! この勢いでフィーアの隠し武器の持ち込みと、私の魔法薬の持ち込みを許可させてしまおう。

 改めて通過しようとして……ピー! とまたけたたましいエラー音が廊下に響いた。

 

「ん?」

「あら……今度は何に反応したのでしょう」

 

 ローゼリアも、クリスも不思議そうな顔になる。

 その後ろで私はぞっと背筋が粟立つのを感じていた。

 




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スマホは検査ゲートをくぐる前にお預けください

「クリスティーヌ様、他にもまだ武器をお持ちなんですか?」

「いや、もう何もなかったはずだが」

 

 クリスはきょとんとした顔のまま、自分の服やポケットをぽんぽんと叩きながら確認している。私はあわてて、彼女のマントを引っ張った。

 

「もぉーしょうがないなあクリスは! 私がチェックしてあげるから、こっち来なさいよ」

「リリィ?」

「フィーア、あなたが先にチェックしてもらって!」

「……かしこまりました」

 

 別の検査対象を差し出しておいてから、クリスの体を引き寄せる。フィーアは持ち歩いている隠し武器の数が多いから、時間がかかるはず。

 

「私はこれ以上武器は持ってないぞ?」

「持ってるわよ」

 

 私はマントで体を隠しながら、クリスのポケットからスマホを引き抜く。

 

「それは武器じゃないような」

「あのゲートが検出してるのは、『武器』じゃなくて『金属』なの。スマホは表面が強化ガラスになってるからそんな風に見えないだろうけど、中にはぎっちり金属部品が詰まってるわ」

 

 空港のゲートをくぐる前に、スマホやキーホルダーを一旦預けさせられるアレである。

 何事かと近づいてきたフランに、自分とクリス、ふたりぶんのスマホを押し付けた。

 

「持って、離れてちょうだい」

「おい」

「今、この状況で、王妃派に『超技術の詰まった板』の存在を知られるわけにいかないでしょ」

 

 多くの新発明を生み出してきた私の持ち物は、王妃たちに注目されている。護身用の魔法薬はともかく、スマホはダメだ。もちろん、ユーザ登録とか顔認証とか、他人に使わせないためのロックをかけてあるけど、そもそも盗まれて弄り回されるような状況を避けたい。

 

「だがな」

「ここで押し問答してたってしょうがないし」

 

 私は顔色の悪いシュゼットを見る。

 

「どっちにしろ、お風呂と着替えは必要よ。これ以上シュゼットを消耗させられないわ」

「……」

「フランとジェイドが別行動になるのは、もともと想定の範囲内よ。男ふたりをお風呂やトイレにまで連れていけない」

 

 だからこそ、宰相閣下は私とクリスを彼女につけたのだ。

 

「私たちは大丈夫。これを持って、行って」

 

 フランは私の目を一瞬見つめたあと、大きなため息をついた。

 

「……わかった。一旦別行動をとることにする。だが、離れたままになるつもりはないからな」

「当然よ」

「いいか、お前が使える武器はなんでも使え。ためらうな。……そして、自分の力では手に余る、と判断したら空の見える場所に全員で逃げろ。後始末はどうとでもしてやる」

「心強いわね」

 

フランに笑い返す。

 彼がどうとでもするというのなら、どうとでもしてくれるんだろう。

 いざというときの切り札を持たされることほど、心強いものはない。

 私は、顔を上げると、悪意に満ちた笑顔を浮かべる女官たちのもとへ向かった。

 




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次なる作戦

「待ちなさい、あなたはこっちよ」

 

 ローゼリアたち女官が次にターゲットにしたのは、フィーアだった。

 私たちが事前の説明通り浴室へと案内される一方、フィーアだけが別方向に促される。フィーアは身をひるがえして、私の隣に立った。

 

「私は姫様がたの護衛です。おそばを離れるわけにはいきません」

「その汚らしい格好で?」

 

 ローゼリアの翡翠の瞳が小柄なフィーアを見下ろす。

 

「獣のような耳だけでも見苦しいというのに、埃だらけで制服はぼろぼろ……とても貴人のおそばに侍る姿ではないわ」

 

 私たち三人と違って、フィーアには身分も立場もない。

 庶民の獣人に敬意を払う必要はないってことなんだろう。人権が保証されてないこの世界で、こういう扱いされるのは珍しくないけど。

 

「フィーアの姿は、私たちを守って働いてくれた結果よ。彼女をさげすむ物言いは許さないわ」

 

 だからといって、容認するわけにはいかない。

 私は主人として側近の尊厳を守る責任がある。

 

「でしたら、なおのこと、その侍女はあちらに行くべきですわ」

 

 しかしローゼリアの表情は変わらない。

 相変わらず、仮面のようなきっちりとした笑顔だ。

 

「何が言いたいか、よくわからないんだけど」

「侍女のための浴槽と着替えを用意してあります。埃を落とし、主人の格に見合った姿をしてこそ、護衛の本分を全うできるのではありませんか?」

「……」

 

 ローゼリアの提案は間違っていない。

 貴族に仕える使用人は、主に恥をかかせないよう、見た目を美しく保つのも仕事のひとつだ。一介の侍女ひとりのために浴室を整えるのだって、王宮の基準で考えれば破格の待遇だ。

 フィーアがそばから離れる、という状況でさえなければ。

 

「結構よ。フィーアには入浴の手伝いもさせたいの、初対面の女官に髪を触られたくないし」

 

 手伝いの名目で一緒にお風呂に入って、交代で体を洗えば離れずにすむだろう。

 しかし私の提案を、ローゼリアはニコニコ顔で否定する。

 

「それは無理ですわ。入浴に使う道具が、彼女には扱えませんもの」

「侯爵家仕込みの侍女が、風呂道具を使えないとでも?」

 

 それ主張したら、フィーアだけじゃなく、侯爵家にも喧嘩を売ることになるからな?

 

「いえ、そうではなく。警備の都合で、魔力式給湯器をはじめとした機材のほとんどにユーザ……使用者登録が必要なのです。ですから、部外者の彼女には何のお手伝いもできませんの」

「ゆうぅぅざぁ登録うぅぅ……」

 

 私は思わずうめいてしまった。

 魔力式給湯器って、そういう設定だったね!!!!

 




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ユーザ登録

「そうなのか、リリィ?」

 

 きょとんとした顔でクリスが訪ねてきた。給湯器発明の裏事情を知る私は力なくうなずくしかない。

 

「アール商会……アルヴィン兄様が扱う新式の魔道具は、警備と情報漏洩対策で、利用者を制限する仕組みになってるのよ」

「部外者が入り込んできたからといって、おいそれと機材を使うことができない。結果侍女に変装しようが騎士に変装しようが、何も動かせず不審者として発見される。すばらしい発明だと思いますわ」

「あーソウダネー」

 

 私もそう思うよー。

 なにしろ、ユーザ登録機能をつけようって言ったの自分だからねー。

 なぜ自分のところで作った技術に首を絞められなければならないのか。

 

「ご安心ください、リリアーナ様。クリスティーヌ様の剣と同じことですよ」

 

 ローゼリアは、金属探知機ゲートで一度預けられたクリスの剣を見る。

 

「お手入れしたら、すぐにお戻ししますので。ああそう、着替えのついでに王宮の設備が使えるよう、ユーザ登録もしてしまいましょう。そうすれば、次からは彼女も私たちと同じように仕事ができますわ」

 

 ローゼリアの言い分は、腹がたつほど筋が通っていた。

 彼女たちは何も間違ったことは言ってない。事情を知らない人がこの会話を聞いたら、なんて慈悲深い侍女だと褒めさえすると思う。

 これが彼女たちの手口だ。

 善意の皮を被った言葉に流され、気が付いたら窮地に追い込まれている。

 

「……ご主人様」

 

 ちらりとフィーアが私を見る。

 残念ながら、抵抗する理由付けがこれ以上思い浮かばない。

 何が何でもフィーアをそばに置くか、別行動を許容するか。

 

「わかったわ。フィーア、お風呂に入ってきなさい」

「……っ、かしこまり、ました」

「ご協力感謝いたします。さあ、あなたはこちらへ」

 

 女官たちに連れられて、ネコミミメイドが去っていく。その後ろ姿を見送るローゼリアはにっこにこの笑顔だ。

 むかつく。

 

「リリィ、良いんですの?」

「お風呂とユーザ登録が終わったら返すって約束させたからね。仕度が終わったら帰ってくるわよ」

「約束を守る保障はなさそうですけど」

「その時はその時。私の侍女をどうしてくれたんだってねじこんで、騒ぎにしてやるわよ」

 

 フランもだけど、フィーアだって引き離されて黙っているようなキャラじゃない。身の危険を感じたら、何がなんでも女官たちを振り切ってくるだろう。

 フィーアを連れていくなら連れていくといい。

 危害を加えたら、反撃されるのはそっちだからな?

 

「さて、あとはシュゼット姫様たちの入浴ですわね」

 

 ローゼリアが明るい翡翠の瞳をこっちに向けてきた。笑顔を浮かべながら予想通りに提案をしてくる。

 

「リラックスできるよう、それぞれに湯舟を用意いたしました。順番にご案内させていただきますわね」

 

 ですよねー。

 部下の分断の次はグループの分断。

 私たち三人をばらばらにすることで、分離作戦が完了するんだろう。

 しかしさすがにシュゼット護衛の最後の砦である私たちが、引きはがされるわけにはいかない。ここはどんな理由をつけてでも彼女のそばにいなくちゃ。

 ローゼリアに反論しようとした私は、後ろからぎゅうっと手を握られた。

 

「え、な、なに?」

 

 振り返ると、シュゼットがぷるぷると震えながら、立っていた。彼女の右手は私の手を、左手はクリスの手を握りしめている。

 

「い、嫌ですぅぅぅ!」

「シュゼット姫?」

 

 ローゼリアがぎょっとして目を見開いた。

 そりゃそうだ。私たちだけならともかく、他国からの賓客の機嫌をそこねたら責任問題になる。

 

「女子寮がなくなって……知らない場所に連れてこられて、ただでさえ心細いのに……お友達と離れるなんて嫌ですぅぅぅ! リリィとクリスがいなくちゃ、お風呂に入れませんっ!」

「えええええ……」

 

 涙目のお姫様に主張され、さすがのローゼリアも全面降伏した。

 




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お風呂タイム

「はあ……」

 

 お湯に身を任せながら、シュゼットが大きくため息をついた。

 王宮の贅をこらした浴室には巨大な浴槽が用意されていた。私たち三人どころか、十人入ってもまだ余裕がありそうなくらいの大浴場である。

 ローゼリアたちはシュゼットをもてなすために、かなり頑張ってくれてたみたいだ。

 そこに私とクリスまで入ってくるとは思わなかっただろうけど。

 ざぶ、とシュゼットの隣に座ってから浴室の入り口を見る。私たちの体を洗い終わった侍女たちは名残惜しそうな顔でこちらを振り返りながら、浴室を出て行った。

 三人だけでゆっくりしたいから、一旦出て行ってほしいというシュゼットのワガママに従わされたのだ。

 

「まさか、道理もわからない子供のフリをする羽目になるとは、思いませんでしたわ……」

 

 さっきまでのふるまいを思い出したんだろう、シュゼット頭をかかえた。その顔が赤いのはお風呂に入っているからだけじゃない。

 

「いやいや、名演技だったぞ!」

 

 私とは反対側に座りながら、クリスが笑う。私も笑った。

 

「身分の高い女の子の涙とワガママは、ある意味最強カードだからね」

「だからこそ、絶対に使うまいと心に決めておりましたのに! おふたりが必死に守ってくださってる中、あんなことしか言えなかった自分が情けない……」

「そんなことないわよ」

 

 私はシュゼットの手を握る。

 

「言い返す手札が残り少なくて困ってたの。シュゼットが間に入ってくれて正直助かったわ」

 

 認めたくはないけど、ローゼリアはやり手だ。

 単純な口喧嘩では言いくるめられておしまいである。まだこちらのほうが立場が上で助かった。

 

「体を洗っている間も、まだ何か仕掛けようとしていたようだしな」

 

 むう、とクリスが天井を睨む。

 

「あれね……。クリスの体を洗っていた侍女が『クリスティーヌ様は、子供のころからおへその隣にホクロがありましたよね?』なんて言い出した時にはどうしようかと思ったわよ」

 

 当然の話だが、王宮にいたクリスティーヌと現在のクリスは別人だ。

 成長途中で増えるホクロは双子でも全く同じにならない。

 いとこ同士である彼らもホクロ位置は別のはずだ。

 王宮の悪意の黒幕である王妃は、クリスとヴァンの入れ替わりの真実を知っている可能性がある。彼女に『クリスティーヌ』ではないことの証拠をつかまれたら、どう悪用されるかわからない。

 

「偶然同じところにホクロがあったからいいようなものの、さらに追及されたら大変なことに……」

「偶然じゃないぞ」

 

 けろっとした顔でクリスが爆弾を放り込んできた。

 

「社交界デビューして、肌の出る服を着るようになったからな。ヴァンと私のホクロはふたりで『同じ』にしてある。だから私のホクロは追及しても無駄だ」

「は……?」

 

 どういうことだよっ?!

 



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おそろいのホクロ

「どうもこうも、ホクロを消すのは難しいが新しく『作る』のはそう難しくないだろ。おじい様と義母上に協力してもらって、それぞれの体に『増やし』たんだ」

 

 増やし方は単純な化粧ではないのだろう。

 その証拠に、体を洗われ湯舟に浸かっている今も、彼女のホクロが消えることはない。

 

「……まさか、そんな理由で刺青をいれたの?」

「いや、これは特殊な染料を使ったペイントだ。記録したテンプレートに沿って、肌を染めてる」

「ぺいんと」

 

 確かにそういうの、現代日本にもあったし、ディッツの作った薬にも『絶対落ちない眉墨』とかあったけど。

 

「半年ごとに塗りなおすのは面倒だし、私は刺青でもいいと言ったんだがな。ヴァンが『女の肌に消えない痕を残すのは嫌だ』と言い張って……」

「クリスはヴァンに愛されすぎじゃない?!」

 

 唐突にノロケを突っ込んでくるのやめていただけませんか!

 

「どこが愛……いや、そうか……そういうことか~……」

 

 反論しようとしたクリスは、急に顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

 なんだこのかわいい反応。

 いつもだったら「いいだろう!」と笑顔で胸をはるところなのに。

 

「う、うるさいな。やっと実感したところなんだよ」

「あれだけいちゃいちゃしておいて?」

「だからあれは! 共犯者だって思ってたからできてたことで! その……そういうのは……」

 

 クリスは耳まで赤くなっている。

 ええー?

 あれだけ一緒にいておいて、気持ちがおいついてきたのが今ってどういうこと。

 クレイモア夫婦の思考がわからない。

 旦那のほうはどう思って……いや、こんなになってるのはクリスだけか。

 感覚派の彼女と違って、ヴァンは自分の感情を俯瞰してみてるところあるからなあ。

 今度会ったら、そのへんのところつついてみよう。

 

「思考がわからないのは、リリィも同じでしてよ。今のホクロの話、私が聞いてていいものとは思えないんですけど」

「あれ? そうだっけ」

「ホクロを増やした話、おふたりのよく似た容貌……婚約するまでのクリスティーヌ姫の噂、クリスの剣術趣味。全部あわせると恐ろしい結論が出そう……」

「その件については、そのうち。宰相閣下が秘密兵器を見せてもいいって言ったくらいだし、クリスの事情も話すことになると思う」

「聞きたいような、聞きたくないような……あああ、やっぱり聞きたくないかも」

 

 他国の国家機密なんて、あんまり知りたくないだろうなあ。

 しかし、ここまで巻き込まれた以上、あきらめてもらうしかない。

 

「それよりはこれからのことを考えましょ。絶対、着替えにも何か仕込んでるはずだから」

「ボロボロの服を出してくるとか?」

「それはナイと思う。多分もうちょっと捻った方向で来るんじゃないかな」

「理由をお聞かせ願ってもよいかしら?」

 

 首をかしげるシュゼットに私はうなずいた。

 

「今回の件は、そもそも王妃の申し出あってのことなのよ」

「宰相閣下もおっしゃってましたね。あちらから協力させてくれ、と言われたと」

「そのやりとりがあった上で、王妃直属の女官が身柄を引き受けた。だからそこから先は全部王妃の責任なのよ。シュゼットに何かあったら王妃が責められることになる」

「だから、ローゼリアはシュゼットにだけは強く出ないのか」

「そう。私とクリスにだって直接的な嫌がらせはできないはず。どっちも伯爵家や侯爵家が黙ってないからね。今までの分断作戦だって、表向きは全部私たちのためにしてることでしょ」

「味方から離されるのは困るが、結局三人で王宮の浴室を使ってるわけだしな……」

「現状だけ見れば、ただ接待されているだけですわね」

 

 王妃側の落ち度はない。

 今のところは。

 

「だから、着替えも、この後用意される食事や寝床も最高級品のはず」

「風呂から出たら、フィーアも戻ってくる予定だしな」

 

フランとジェイドのふたりとも、遠からず合流できるはずだ。

ひとりにさえならなければ、大丈夫のはず。

はず、はず、はず。

全部そのはずだ。

 

「でも……あの王妃がそんな無駄なことをするかな?」

 

 疑問を口にする。

 トラブルが起きれば王妃の責任になる。だから、こちらもおとなしくしていれば、何事もなくマリィお姉さまの用意した女官たちのところへ行ける、と思う。

 しかし、王妃側から見たら、それはあまりに旨味がない。

 憎い私たちを懐にいれておいて、ただで帰すなんてつまらないじゃないか。

 何かあるはずだ。

 彼女が私たちを招いた思惑が。

 そしてそれは……脱衣所で着替えを見た瞬間姿をあらわした。

 




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悪意まみれ

「姫様方、リラックスできましたでしょうか」

 

 お風呂から上がってくると、侍女たちが大きなタオルを持って待ち構えていた。その中心には相変わらずローゼリアがいる。

 彼女は笑顔で私たちにドレスを差し出してきた。

 

「皆様とても仲がよろしいので、お揃いのドレスにしてみましたの」

「まあ……なんてきれいな緑」

 

 体を拭かれながら、シュゼットが思わず目を見開く。

 そう思うのも無理はない。ドレスはどれも、新緑を思わせる明るい緑に染められていたからだ。

 現代日本ほど染色技術が発達していないこの世界で、明るい色を鮮やかに表現することは難しい。こんなにキレイな緑を出すのは至難の業だろう。

 三つ子コーデ風に並べられた三枚のドレスは、どれも上質な絹地と、幾重にも重なるレースで彩られている。これらが最高級品であることは疑いようもなかった。

 

「素敵でしょう? きっと、シュゼット様のブロンズ色の髪と青緑の瞳によく合いますわ」

「クリスティーヌ様の銀の御髪と紫の瞳も映えると思います」

「リリアーナ様の黒髪には……その、意外性があってよいと思いますわ……ほほほ」

 

 姫君たちを口々に褒めたたえていた女官たちは、最後のひとりを見て言葉を濁した。

 自分にパステルカラーが似合わないのはわかってるよ!

 王宮勤めの女官なら、うまくごまかすくらいの語彙は持ってて!

 だけど、私の顔が引きつってる理由はそこじゃない。

 ドレスの緑に見覚えがあったからだ。

 

(よりにもよって、コレを持ってくる?)

 

 あまりの状況に言葉が出ない。

 私が黙っていると、ローゼリアたちはさらに小さな容器をテーブルに並べ始めた。

 

「お化粧品も、王都で人気の最高級品をご用意しました。花の香りの美顔水に、クリーム。それから、こちらが白粉《おしろい》になります」

 

 ぱかりと蓋をあけたそのケースには、少女に似合いそうな優しい色合いの真っ白な粉が詰まっている。その美しい粉にも見覚えがあった。

 

「口紅はこちらを」

 

 手の先に乗るほどの小さな容器が示される。

 中には明るい朱色の軟膏のようなものが入っていた。

 

「緑のドレスには、少し黄みが勝った赤が合いますわ」

 

 ローゼリアは翡翠の瞳を細めてにっこり笑う。

 

「……!」

 

 王妃の思惑は、殺意だ。

 嫌がらせとか、陰謀とか、計略とか、そんなちゃちなものじゃない。

 ストレートに、私たちに殺害の意志を向けている。

 彼女たちの接待をそのまま受けたらダメだ。

 全部拒否しなくちゃ命にかかわる。

 私は深呼吸して息を整えると、腹の底から声を出した。

 

「ばっ……かじゃないの?!」

 




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ダメだし

「リリアーナ様? どうされました?」

 

 ローゼリアがぽかんとした顔で私を見た。

 ううん、彼女だけじゃない。この場にいた全員、シュゼットやクリスまでもが私を見ている。それもそうだろう、こんなタンカの切り方、滅多にやらないからね。

 しかし私は彼女たちの驚きを無視して、上から目線でローゼリアを睨みつける。

 

「どうしたもこうしたもないわよ。気の利かない連中ね」

「ええ……? 何かご不満な点でもありましたか」

「全部」

「は?」

「あなたたちが持ってきたもの全部がダメ!」

 

 まさかの全否定に、ローゼリアの表情が固まる。

 

「あなた状況わかってる? 風呂上りに持ってくる服がコレって、バカなんじゃないの」

「これは王都で流行のデザインを用いた最高級品で……」

「ドレスの質がどうこうじゃないの。ドレスを着せようっていうのがダメ!」

 

 衣装をジャンルごと否定されて、女官たちが困惑顔になる。

 ただひとり、顔をまだ笑いの形にとどめているローゼリアが反論する。

 

「しかし、このあとは王妃様との晩さん会が予定されています。それなりの格好をしていただかないと」

「そんなのキャンセルに決まってるでしょ」

「いえ、しかし」

「いい? 私たちは大災害にあって、生きるか死ぬかの生活をしてたの。すっ……ごく疲れてるの! やっとお風呂に入って一息ついたいたいけな子供に、ドレス着て晩さん会に出席しろって、シュゼットを殺す気?」

「そんなつもりは……」

 

 ローゼリアの視線がゆらぐ。

 すかさず、シュゼットがタオルを体に巻いたままその場に座り込んだ。

 

「うう……おなかすいた……ねむい……」

 

 ナイス。

 意図をくみ取ってくれる仲間って、頼もしいね。

 

「そうね。そこの、生なりの布地でできた服をよこしなさい。シュゼットに着せるから」

 

 脱衣所の棚に置いてあった布地を指さす。

 棚の前に立っていた女官がこわごわそれを取り出した。

 

「よろしいのですか? これは、蒸気浴(サウナ)用の浴衣(よくい)ですが」

「体を締め付けたりしないってことよね、好都合だわ。ほらさっさと三人分渡す!」

 

 私はひったくるようにして、女官から服を受け取った。座り込んでいるシュゼットに着せて、自分も同じものに着替える。クリスも同じ格好だ。

 

「ではせめて、美顔水だけでもいかがですか」

「結構よ」

 

 私は美顔水とやらが入った瓶を、脱衣所の窓から放り投げた。女官たちの間から悲鳴があがる。

 

「私たちをいくつだと思ってるの。こんなにおいの強い変な水を塗らなくても、栄養のある食事をとって、たっぷり寝ればそれだけで肌がキレイになるわよ!」

「この……っ」

 

 初めて、ローザリアの顔が怒りにゆがむ。

 しかし私が王妃に接待されるべき侯爵令嬢である以上、彼女は手が出せない。

 

「全員出ていって! さっさと私の侍女を返してちょうだい!」

 

 叫び声とともに、私は女官たちを脱衣所から追い出した。

 




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死に至るドレス

「リリィ……? コレには理由がありますわよね?」

「もちろん」

 

 静かになった脱衣所で、シュゼットが私にたずねてきた。私はうなずいてから肩をすくめる。

 

「私には何がなにやらさっぱり……」

 

 クリスが不思議そうな顔でドレスに手を伸ばす。

 私はとっさに彼女の手をつかんで止めた。

 

「触っちゃダメ。それは毒よ」

「ドレスが?!」

 

 驚いたクリスは思いっきり後ろにさがる。

 

「何年か前に、はやりの緑の生地を身に着けた侍女がバタバタ倒れる事件があってね……ディッツと調べたら、銅の精錬途中で出る猛毒のヒ素化合物を使って染めてたことがわかったの」

 

 王女としてある程度毒の知識があったのだろう。ヒ素、と聞いてシュゼットの顔からも血の気が引く。

 

「じゃあこれって……緑青《ろくしょう》の緑……なんですの?」

「そのドレスを着たら……、そうね。すぐ死んだりはしないけど、染料に触れた部分が腫れたりするかも」

 

 私はテーブルに並んだ化粧品にも目を向ける。

 

「あの白粉《おしろい》も毒よ。鉛白を使えば、柔らかで輝くような白になるけど、常用すれば鉛中毒になるわ。口紅の朱色も鉛丹でやっぱり鉛。使い続けたら体を壊すでしょうね」

 

 窓から放り投げちゃったからもう確認しようがないけど、多分美顔水にも何かしらの毒が入っていたんだろう。どこかで回収して、成分を確かめたいところだ。

 

「全部……毒……」

 

 理解がついていかないらしい、クリスが呆然とつぶやく。

 私も強烈すぎる悪意にめまいがしそうだ。

 

「で、でもこれは、明確な殺意ですわ! 叔母様が私たちを害そうとしたとして、抗議すれば、状況を変えられるかも」

「それは無理」

「どうして……!」

「だって、これが毒だって知ってるのは私やディッツみたいに、医療知識がある人間だけなんだもん。あなたたちふたりだって、気づかなかったでしょ?」

「それはそう……ですけど……」

 

 私は、改めてテーブルに広げっぱなしの化粧品を見る。器はどれも美しく飾り立てられていた。中身も含めて一級の職人が作ったものなのだろう。

 

「ドレスも化粧品も、市場で普通に売買されている商品だわ。これだけじゃ悪意の証明にはならない」

 

 科学が未発達なこの世界では、鉱物毒の危険性がまだ広く認知されていない。

 トップクラスの研究者が集まる王立学園でも、硫化水銀の結晶である辰砂を不老不死の妙薬として大真面目に語る学者がいるくらいだ。

 緑の染料も、輝く白粉も、朱色の口紅も、庶民にとってはキレイな高級品でしかない。

 薬学の権威ディッツ・スコルピオに師事した私だからこそ、気づけた異常事態だ。

 これらを持って王妃に抗議したところで、「そんな危険なものだとは知らなかった」としらを切られたら追及できない。それどころか、王妃の心づくしの歓迎を曲解する恩知らずだとか、由緒正しい業者が納入した商品を毒入りと喧伝する営業妨害者だといわれる可能性すらある。

 

「まったく、悪辣にもほどがある」

 

 私はただ苦々しく顔をゆがめることしかできなかった。

 




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最終目標

「叔母様は……何を考えているのかしら」

 

 毒だらけの小物を見つめながら、つぶやいた。クリスは不思議そうに首をかしげる

 

「毒だし、私たちを殺したいんじゃないのか」

「それだけではない気がするのです。リリィも言ってたじゃありませんの。ここで起きたことは、すべて叔母様のせいになると。今ここで私たちが死んだら、叔母様は確実に責任をとらされますわ」

 

 祖国に会いたい人がいる王妃は、己の命に固執している。自分が処罰される危険は冒さないだろう。どんなに悪意ある陰謀であっても、逃げ道を確保したうえで実行する。そんな彼女が直接殺しに来るのは不自然だ。

 

「目的は別にある? ……でも、毒は毒だし」

 

 害意があるのはわかる。

 でもその結果、彼女は何を成し遂げたいのだろうか。

 考えろ。

 王妃は頭のいい女性だ。

 思いつきで行動したりしない。

 その裏には必ず論理的な思考が存在する。

 

「多分……彼女の望みは、この場での殺害じゃない」

 

 しばらく考えて出した私の結論に、シュゼットが顔をあげた。

 

「理由は?」

「即効性がない。この場にある毒はすべて、常用することでじわじわ体をむしばんでいくタイプだわ」

 

 だからこそ、規制されず市場に出回ってるんだけど。

 

「なるほど。では、私たちが何も気づかずドレスを着て接待を受けたとして……その後どうなると思います?」

「少しずつ体調不良を訴えるようになるだろうね。でも、災害で疲れ切ってるから、ただの病気か、王妃の接待のせいなのか、区別がつかない」

「じわじわ弱らせてから、殺す?」

 

 話を聞いていたクリスの出した結論を、私は首を振って否定する。

 

「それも違う気がする」

「……むう。それにも理由があるんだろうな?」

「もちろんよ。出発する前に宰相閣下が言ってたじゃない、マリィお姉さまが新しい女官と住居を用意してるって。微毒でじわじわ殺すには時間が足りないの」

 

 宰相家は私たちを放置しない。それは王妃だってわかってるはずだ。

 

「回りくどい……! 殺したいならいっそ目の前で斬りつけてくれば楽なのに!」

「それやったら、自分の身が危うくなるからねー。王妃としては自分の管理下にないところで、ひっそり死んでくれるのが一番なんじゃない」

「……そうですわ、それですわよ!」

 

 シュゼットが突然声をあげた。

 いつもおしとやかな彼女らしくない言動に、私もクリスも目を丸くしてしまう。

 

「な、なにごと?」

「それですわよ! 叔母様は、自分の責任の外で私に死んでほしいのですわ」

「ごめん、私もちょっと何がなんだか」

「リリィが言ったんじゃありませんの。数日後には移動が決まっていると。そこが大事なのですわ!」

 

 王妃の手から逃げ出すことが大事とは、これいかに。

 だめだ、まだよくわかんない。

 

「いいです? もし、叔母様の手を離れたあと、宰相閣下のもとに移動した直後に私が毒の症状で死んだら、みなさんどう思われますか?」

「宰相が殺したと思うわね……」

 

 私はドレスと化粧品を見る。

 これらはレンタル品じゃない。

 日用品を丸ごと失ったかわいそうな少女のために、用意されたプレゼントだ。もし悪意にも毒にも気づいてなければ、移動先でも使い続けただろう

 その先でシュゼットが中毒死したとして。

 まず犯人として注目されるのは死亡時の管理責任者。つまりマリィお姉さまと宰相閣下だ。

 

「キラウェアの末姫が、留学中のハーティアで宰相に殺された。そうなったら、叔母様はお父様……国王陛下に嬉々として進言するでしょうね。『娘を殺したハーティアに正義の鉄槌を!』と」

 

 シュゼットの父親は先代国王と違って穏健派だと聞いている。実際、ハーティアから技術提供が始まって以降は、外交に力を入れているから、利のない戦争は仕掛けない主義なのだろう。

 しかし、彼はゲーム内の歴史でハーティアに攻め込んでいた。おそらく利があれば戦争をしかけるタイプなのだ。

 そんな人物が娘を殺されて黙っているとは思えない。

大規模地震で不安定になっているハーティアに、怒りに燃えるキラウェア軍が攻め込んできたらどうなるか。考えるだけでも恐ろしい。

 

「ますます、のんびりしてられないわね」

 

 王妃の目的は間接的な殺人だ。

 早々にフィーアと合流して逃げ出さなくては。

 逃げ道を探して、部屋を見回していると、脱衣所のドアがノックされた。

 




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ネコミミアサシンメイド

「はい、どなた?」

「失礼します」

 

 ノックに返事すると、女官がひとり入ってきた。お仕着せのエプロンドレスを着ているから、ローゼリアより立場が下の一般女官だろう。

 彼女は部屋の中を見回して、ちょっと驚いた顔になった。

 

「何か?」

「い、いえ! 何でもありません! さきほどは失礼いたしました。その……いつまでも脱衣所にいてはお寒いでしょう。お部屋に移動されてはいかがでしょうか」

 

 どうやら、案内係として差し向けられたらしい。

 確かに、こんなところで毒に囲まれていてもしょうがない。

 シュゼットとクリス、そして女官の視線が私に集まる。その場の判断をゆだねられた私はこくりとうなずいた。

 

「わかったわ、案内してちょうだい」

「はい、こちらになります」

 

 女官の後を追って、私たちは廊下を歩きだした。しずしずと美しい脚運びで歩く女官の背中に声をかける。

 

「私の侍女にもお風呂を使わせていたはずだけど、今どうしてるの?」

「そ、それは……! あの、機材へのユーザ登録に手間取っておりまして」

「手際が悪いわね」

「……申し訳のほども、ありません」

 

 少し意地悪してみたら、ぴんと伸びていた女官の背筋がみるみる丸くなっていってしまった。

 ちょっといじめすぎたかもしれない。

 女官に聞こえないよう、こそっとシュゼットが話しかけてくる。

 

「フィーアは大丈夫ですの?」

「女官たちのところから逃げ出したみたい」

「逃げ……?!」

「さっき女官が部屋に入ってきたときに変な顔をしてたでしょ。姿が見えないから私たちのところだろうと思って来たのに、脱衣所にもいなかったから驚いてたのよ」

 

 ローゼリアたちを追い出す直前、私は『私の侍女を返して!』と主張していた。

 侯爵令嬢の侍女を見失っておいて、そのまま報告するわけにもいかず、とっさに『ユーザ登録に時間がかかっている』と言い訳したようだ。

 

「それはそれで心配じゃありません……?」

「むしろ、安心したわ。あの子はひとりで行動してる時が一番強いの」

 

 フィーアは護衛だけど、スキルセットは隠密特化型のネコミミアサシンメイドだ。単独で逃げ隠れしてこそ本領が発揮される。王宮の女官程度では彼女を見つけられないだろう。

 必死にフィーアを探し回っている女官たちには悪いけど、ジョーカーが一枚増えるのは正直助かる。

しかし、ちょっと浮上した気分は、案内された部屋を見てふたたび急降下した。

 

「こちら、王宮で一番美しい『緑の間』にございます」

「うぇ……」

 

 ベッドもソファもカーペットも、ついでに壁紙まで緑の部屋ってどうなのかなあ?!

 緑が鮮やかすぎて目に痛いよ!

 




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緑の間

「リリィ、これって……」

「あー……さっきのドレスと同じ染料ね。色が一緒だわ」

「部屋が全部? 嘘だろ?」

 

 客間に通された私たちは、案内の女官が退出すると同時に声をあげてしまった。

 調度品すべてが同じ緑で統一されていたからである。

 三人並んで寝ても余裕がありそうな、キングサイズのベッドは緑。天蓋のレース生地も緑、ふかふかのカーペットも緑、どっしりとして座り心地のよさそうなソファも緑、その上のクッションも緑。もちろんカーテンも壁紙も緑だ。

 単純に同じ色を使わず、濃淡に変化をつけ要所に差し色を配置することで、部屋全体のバランスがとられている。この部屋のデザインだけ評価するなら、同系色をうまく使った最高に美しい部屋と言えるだろう。

 染料に猛毒が使われていなければ、の話だが。

 

「広くて寝心地よさそうだけど、このベッドは使わないほうがいいんだろうなあ」

「ヒ素中毒になるからねえ。ソファも座っちゃダメだし、スリッパも脱いじゃダメだと思う。っていうか、そもそもこの部屋で呼吸してること自体がアウトな気がする」

 

 私は慎重にカーテンを避けて窓を開いた。

 せめて風通しはよくしておいたほうがいいだろう。

 

「こんな緑だらけのお部屋……お世話をする女官にも良くないんじゃないですの?」

「毎日掃除してるだけで、中毒になるだろうね。ベッドシーツを洗濯してるランドリーメイドも被害にあってるんじゃないかな」

「女官は王妃の配下だろうに」

「末端の雑役女中は使い捨てなんでしょ」

 

 多くの権利を持つ貴族には、使用人をヒトとして認識してない者がいる。王妃がそのタイプの人間だったとしても、私は驚かない。

 

(自分の力では手に余る、と判断したら空の見える場所に全員で逃げろ)

 

 別れる前に告げられた言葉が頭をよぎる。

 この事態はそろそろ手に余る状況と言わないだろうか。

 毒だらけの客室に友達を一晩だって泊まらせたくない。だけど、逃げるにしたって、もう少し理由がほしい。

ただ出て行っただけじゃ、王妃の厚意を受け取らない恩知らず令嬢って言われるだけだしなあ。

 考えていたら、また部屋がノックされた。

 返事をすると女官を従えたローゼリアが姿をあらわした。彼女たちは大きなワゴンを押して入ってくる。ワゴンからはいいにおいが漂ってきていた。

 

「ご夕食を用意いたしました。お疲れでしょうから、こちらのお部屋でそのままお召し上がりください」

「……私の侍女はどうしたの? あの子に毒見をさせたいのだけど」

 

 いないのはわかりつつ、質問する。彼女も答えを用意していたのだろう。淡々とうなずいた。

 

「あの娘はまだ仕度中です」

「ユーザ登録に手間取ってるっていっても、時間がかかりすぎじゃないの?」

「申し訳ありません。しかしながら、こちらもあの娘の無作法さに手を焼いておりまして」

 

 ほうほう、フィーアのせいにすると。

 あの子がその場から逃げ出す、つまり職務放棄したのは事実みたいだしね。

 こう言っちゃうってことは、彼女の行方不明について何かしら責任を押し付ける理由が作られているんだろうなあ。

 私は追及をやめて、ワゴンを見た。

 ローゼリアと問答している間にも、女官たちはてきぱきと食事の準備をしている。どの料理もできたてでおいしそうだ。きっと、材料自体は最高級品が使われているのだろう。

 しかし、賭けてもいい。

 あの中には遅効性の毒、もしくは微毒が仕込まれているに違いない。

 

「シェフが腕によりをかけて用意しました。どうぞお召し上がりください」

 

 にっこり笑顔が恐ろしい。

 いただきます、とは言えずに私たちは視線をさまよわせた。しん、と緑だらけの部屋に沈黙が落ちる。その次の瞬間、ぐうううぅぅ、という大きな音が響き渡った。

 クリスの白い頬がさっと赤くなる。

 

「あの、これはその」

「クリスティーヌ姫は運動がご趣味ですものね! さぞかし、おなかがすいてらっしゃいますでしょう?」

「いや……」

 

 いくら食いしん坊のクリスでも、この状況で料理に手をつけるほど馬鹿じゃない。

 にこにことほほ笑んだまま迫られて、クリスがじりっと後ろにさがった。

 どうしよう?

 また難癖をつけて彼女たちを部屋から追い出そうか。

 でも、そんなことをしたって、ごはんが食べられない状況は変わらない。毒だらけの部屋でただただ消耗するだけだ。

 かといって理由もなく出て行ったら、それはそれで私たちが批難されることになる。

 部屋と、料理と、ローゼリアの翡翠の瞳を見比べながら、必死に思考している私の背後から、黒い影が飛び出した。

 




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ナシよりのナシ

 何かいる、と認識した時にはもう事態は進行していた。

 

「フシャアアッ!!!」

 

 威嚇の声をあげながら、真っ黒い何かがテーブルの上に飛び乗ってくる。ソレは、並べられた料理をお皿ごと蹴散らして回った。

 

「きゃああっ! な、なにがっ! 悪魔?!」

「ね、猫ですっ! 黒い猫が!」

 

 予想外の侵入者に、緑の部屋はパニックになった。

 

「おい……っ」

 

 思わず剣を抜こうとするクリスの手を、私はとめた。その耳元でこっそり囁く。

 

「待って。猫は味方よ」

「む……?」

 

 私たちの様子を見て何か感じ取ったのか、シュゼットも無理に猫を追わずに私たちのそばへと避難してきた。

 事態を静観している間も、黒猫は部屋の中で暴れまわる。料理だけじゃない、ベッドもソファもカーペットも、全部めちゃくちゃだ。女官たちは猫を捕まえようと必死に手を伸ばすけど、触れることすらできない。

 

「この……汚らしい獣が!」

 

 ローゼリアがさっとスカートに手をやった。どこにどう仕込んでいたのか、スカートの合わせから短剣が姿をあらわす。どうやら、彼女にも戦闘の心得があるらしい。

 猫を攻撃されたら困る私は、腹に力を込めて大きく叫んだ。

 

「んもぉぉぉ、信じらんなぁぁあい!」

 

 突然叫ばれて、女官たちの動きが一瞬止まる。ローゼリアも集中がそがれたのか、剣を持つ構えが緩む。

 

「あなたたち、さっきから何なのよ!」

「何、と言われましても」

 

 ローゼリアが聞き返してくる。ほとんど思考が挟まらないセリフを聞いて、私は内心ほくそえんだ。いい感じの混乱具合だ。

 

「お風呂の段取りは悪い、変な着替えを持ってくる、侍女の仕度もできない! やっと部屋に案内したと思ったら、今度は侵入者? 武器探知の先に賊は入ってこれないんじゃなかったの?!」

「しかしこれは獣で」

「現に部屋はめちゃくちゃになってるじゃない! 獣だろうが何だろうが、侵入者は侵入者よ!」

 

 部屋の惨状は明らかなトラブルだ。

 一見無茶な要求にも見えるけど、ネズミをはじめとした害獣の駆除だって使用人の仕事だ。部屋を荒らされた責任を追及できる。

 

「こんなところに一秒だっていられないわ!」

 

 これなら、もう十分。

 王妃の接待から逃げる口実、ゲットだぜ!!!

 私の『出ていく宣言』を聞いて、女官たちが浮足立つ。

 

「お待ちくださいリリアーナ様! すぐに代わりの部屋をご用意いたしますので」

「え~? ここが一番美しい部屋なんでしょ? 格下の部屋に通されて、それで待遇がよくなるとは思えないんだけど~?」

「う、美しさでは劣るかもしれませんが……ここより広いお部屋……などは」

 

 最初に自信満々で『一番美しい』って紹介しちゃったからねー。

 これでもっと豪華な部屋が出てきちゃったら、じゃあさっきの紹介は何だったんだって話になるし。

 我ながらずいぶん嫌な性格のクレーマーだな、と思うけどしょうがない。

 私の仕事はローゼリアとケンカして、部屋から出ていくことだ。

 

「いいからどいて。シュゼットの接待は私が自分でやるわ」

「そうはまいりません!」

 

 ざざ、と女官たちがドアの前に並んだ。

 実力行使で私たちを部屋に閉じ込めようってことらしい。

 その程度で止められると思うなよ?

 




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脱出

「……そう。部屋から出す気はないってこと」

 

 私はドアの前に並ぶ女官たちと、彼女たちを従えるローゼリアを見た。

 彼女たちの決意は固そうだ。

 王妃が仕事を果たせない女官を許すとは思えないもんね。

 かわいそうと思うけど、こっちも気を遣ってあげられる余裕はない。

 私は構わずシュゼットの手をとると、彼女たちとは反対方向、窓に向かって走り出した。

 

「えええ?」

「出口はひとつじゃないってことよ。クリスはひとりで行けるわね?」

「まかせろ」

 

 クリスは一足先にひょいと窓枠を乗り越えた。

 女官たちから悲鳴があがる。

 

「ここは三階……っ!」

 

 その程度なら自力で着地できるのだよ、あのお姫様は。

 

「リリィ?」

 

 シュゼットがおびえた目で私を見た。私は笑顔のまま彼女の手を引く。

 私にクリスみたいな身体能力はない。

 でも、彼女にはない魔法が使える。

 

「行くわよ! 着地はまかせて!」

「信じましたからね!」

 

 私はシュゼットを抱きかかえて窓枠を飛び越えた。

 重力に逆らって魔法を展開する。

 

無重力(ゼログラビティ)いぃぃぃ……!」

 

 小柄な少女とはいえ、魔法だけで人間ふたりぶんを支えるのは大変だ。魔力を消費して、地球の中心からの力に全力で抗う。体の魔力をほぼ使いはたしたところで、やっと足先が地面についた。

 

「これは……ミセスメイプルを助けた時の……魔法……ですわね」

「そういうこと。さ、すぐに走るわよ」

 

 緑の部屋の窓を振り返ると、ローゼリアが真っ青な顔でこちらを見下ろしているのが見えた。バタバタと女官たちが廊下を走る音も聞こえる。何人かが階段を使って降りてきてるんだろう。

 ぼんやりしている暇はない。

 魔力不足でくらくらするのも、今は無視だ。

 

「どっちに行けばいい?」

 

 私たちに並びながら、クリスがたずねてきた。

 

「このまま中庭を進んで。建物の中に入っちゃダメ」

 

 フランは、『空の見える場所に全員で逃げろ』と言っていた。あの状況でわざわざ条件をつけたのには、必ず意味があるはずだ。ここは彼の言葉の通りに行動したほうがいい。

 

「にゃあ」

 

 いつの間に降りてきてたのか、黒猫が姿を現した。

 私たちと一緒に、いやちょっと前に出て走り出したから、先導してくれてるらしい。彼女のことだから、獣人の超感覚で行くべき場所がわかっているのかもしれない。

 早くフランたちと合流しなくちゃ。

 猫のあとに続いて走っていたら、突然横から伸びてきた手に抱き留められた。

 

「え……あ!」

 

 一瞬、追手につかまったのかと、慌てて顔をあげたら青い瞳と目があった。

 彼は深々と眉間に皺を寄せ、嫌そうな顔で私を見下ろす。

 

「お前はまたそういう格好を……」

「これは不可抗力だもん!」

 

 浴衣(よくい)のままなのは、しょうがないと思うの!

 




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ミセリコルデ

「とりあえずこれを羽織れ」

 

 フランは自分の着ていたマントを私の肩にかけた。仲間の登場に、シュゼットもクリスも足を止める。

 

「姫様がたはこちらをお召しください」

 

 いつの間に用意したのか、後ろにひかえていたジェイドが、ふたりに上着を差し出した。彼女たちも浴衣(よくい)にマント姿になる。

 

「君はこっち」

 

 ジェイドは自分の着ていた上着を脱ぐと黒猫にかけた。一瞬、マントの下に黒猫の姿が隠れたと思ったら、にょきっと布地が立ち上がり、中からフィーアがいつものネコミミスタイルで顔をだす。

 マントのすそから素肌の手足が見えていることから察するに、どうも下は全裸っぽい。

 この子は何をどうやってあそこまで来たんだろうか。

 たずねたところで、詳しいことは語ってくれなさそうだけど。

 

「……猫の正体が、フィーアですの?」

「味方って、そういうことか!」

 

 シュゼットとクリスがフィーアの姿を見て声をあげる。

私は口の前に人差し指を立てた。

 

「内緒よ」

「言ったところで、誰も信じませんわよ」

 

 だからこその奥の手なんだけどね。

 私は改めてフランを見る。

 

「ふたりともずいぶん都合よくあらわれたわね。どんな手品を使ったの?」

「お前たちと別れたあと、監視衛星とドローンを使って外から王宮を監視していた」

 

 フランは手の中のスマホをトントンと叩く。

 空の見える場所へ、とはつまり監視衛星の目の届く範囲へ来いってことだったらしい。

 

「その手があったかぁ……」

 

 そういえば私たちは女神の超兵器が使えるんだった。

 君、私より上手にスマホを使いこなしてない?

 ソレ受け取ったのって、数日前の話だよね?

 

「ずいぶんな接待を受けたようだが、向こうに戻る余地はあるか?」

「ナシよ。あんなところ一日だっていられないわ」

「ふむ……」

 

 フランの目がすうっと細くなる。

 事前に約束した『どうとでも』の手段を考えているんだろう。

 方針を待つ私たちのところに、バタバタといくつもの足音が近づいてきた。

 

「姫様!」

 

 蜜色の髪に翡翠の瞳の女官を先頭に、エプロンドレスの集団が走ってくる。結構距離をあけたと思ってたのに、もう追い付いてきたらしい。監視衛星の助けもなく探し当てるとは、彼女たちはかなり高度な探索能力を持っているようだ。

 

「さあ、お部屋に戻りましょう」

「ダメだ」

 

 私たちに駆け寄ろうとした女官を、フランとジェイドが遮った。

 ぎり、とでも音がしそうな勢いでローゼリアがフランを睨みつける。

 

「なぜあなたがここに? ここは男子禁制と言ったは……きゃっ」

 

 ローゼリアの言葉が遮られた。フランが無言で紙を一枚、彼女の目の前に突きつけたからだ。

 

「何ですか、これ? 許可証?」

「中庭までの立ち入りを許可するものだ。俺とジェイドは合法的にここに立っている」

「まさか……誰がそんなものを……!」

「国王陛下だが」

「な……!」

 

 許可証に押された承認印を見て、ローゼリアは絶句してしまった。

 見ている私たちも言葉が出ない。

 そりゃ王妃に対抗しようと思ったら、それ以上の権力者から許可をもぎ取る必要があるけどさ。

 マジで王様の印もらってくる人初めて見たわ。

 いくら相手が何でもうなずく『置物国王』でも、この短時間で話を通すのは並大抵のことじゃなかっただろう。

 

「政治をつかさどるミセリコルデを舐めないでいただきたい」

 

 宰相家、優秀すぎて怖いよ!

 

 




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続・押し問答

「あ……あなた方の侵入については不問とします。ですが、姫様方をこのまま庭に立たせるわけにはいきません」

 

 ローゼリアはシュゼットに視線を移す。

 

「さあ、まいりましょう。新しいお部屋にご案内いたします」

「嫌っ……!」

 

 シュゼットは、さっと私の後ろに隠れた。

 

「姫様、あの」

「だ……だって、あなたたち、全然なってないんですもの! お、お風呂の、段取りは悪いし、変な服を着せようとするし……その上、お部屋に突然猫が飛び込んできたんですのよ? 恐ろしくて、つつ、ついていけませんわ!」

 

 お姫様は涙目で必死に反論する。言い分が私のセリフ丸パクりだけど、喧嘩慣れしてないお姫様にしてみたら、かなりがんばったほうだと思う。

 

「そ、それは必ず改善いたしますので」

「どうやって?」

 

 横から口をはさんだら、翡翠の瞳にぎろっと睨まれた。

 そんな顔されたって、もう怖くないぞー。

 

「具体的に説明してくれる? 根拠のない話には乗れないわ」

「それは……」

 

 小娘が即、具体策を要求してくるとは、思わなかったんだろう。ローゼリアが言いよどむ。

 こっちは十一歳の時から腹黒魔王に詰められて育ってるからね!

 反論には代案を!

 主張には具体性を!

 仕事の基本だよ!

 

「まず、姫様がたにそれぞれ新しい部屋を用意させていただきます。もちろん、鳥も獣も入る余地のない、厳重な警備をしいたお部屋です」

「この期に及んで、なにシレっと私たちを別にしようとしてるの。シュゼットは、不安だから私たちと離れたくないって再三言ってるでしょ。全然配慮が足りてないわ」

「……皆様で過ごせるお部屋にいたします」

「害獣対策も足りないわよね。警備を厳重にするって言葉だけじゃ、やっぱり具体性に欠けるもの。最低限、部屋で暴れた猫を捕まえてくるくらいは、してくれなくちゃ」

 

 まあその猫は、侍女の姿で私の後ろに控えてるから、どんなにがんばったって、つかまらないんだけど。

 

「わかりました。猫はかならずとらえます! ですから今は」

「もういい」

 

 低い声が反論を遮った。

 

「お前たちはシュゼット姫様たちに無礼を働いた。これ以上、関わらせられない」

「だったらどうされるのです? 現実問題、どこかでもお部屋に案内しなければ、シュゼット姫を休ませて差し上げることができません」

 

 問題はそこなんだよね。

 宰相側の準備が整ってない。マリィお姉さまが超がんばってくれてるはずだけど、全部手配するにはまだ何日かかかる。

 

「あなたこそ、提案に具体性がないんじゃありません?」

「まあまあ、しばらく見ない間に元気な女官が増えたこと」

 

 フランとローゼリアのにらみ合いを遮ったのは、のんびりとした声だった。そちらを見ると、上品なご婦人がひとり、こちらに向かって歩いてきている。

 ……ええと、どなたさま、ですか?!

 




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乳母は最強?

 突然現れたご婦人は、全く見覚えのない女性だった。

 年頃は多分、うちの両親と同年代。艶のある長い銀髪と、薄い色の瞳はモーニングスターの血統を思わせる。

 モーニングスター侯爵と縁ができたおかげで、北方貴族の知り合いも何人かいるけど、彼女は見たことがなかった。

 しかし私以外に、彼女を知っている人物がいた。

 

「タニア!」

 

 クリスがぱあっと顔を輝かせて、彼女のもとへと飛び出していったのだ。

 

「クリスティーヌ姫様、御無沙汰しています」

「元気そうでよかった! 会えてうれしい!」

「姫様こそ、よくご無事で」

 

 ふたりはうれしそうにハグしあう。

 そして、ご婦人はこちらを振り向くと、優雅にお辞儀した。

 

「シュゼット姫様、リリアーナ様にはお初にお目にかかります。私の名前はタニア・ホルムクヴィスト。クリスティーヌ姫様の乳母にございます」

「クリスの、乳母やですの?」

「はい、生まれた時からずっとお世話してまいりました」

「なぜあなたがここに……引退されたはずでは」

 

 ローゼリアが幽霊でも見るような目で、タニアを見つめる。

 

「ええ、そのつもりでしたとも。姫様がシルヴァン様とご婚約されたことで、乳母の手を必要としなくなりましたからね。でも、この大災害でしょう? 姫様が難儀していると聞いて、たまらず駆けつけてきたのですわ」

 

 ふふふ、とタニアは上品にほほ笑む。

 なぜだろう、笑顔を絶やさないのはローゼリアと一緒なのに、めちゃくちゃ怖い。

 

「……た、タニアさんが、王都郊外で隠居されていると伺っていたので、急遽お声がけさせていただきました」

 

 タニアの後ろからさらに、マリィお姉さまが姿を現した。いつも淑女らしくふるまうお姉さまだけど、今日は珍しく頬を赤くして息をきらせている。

 

「あら、もっとゆっくりついてきてもよかったのに」

「そうはいきません……! どのような訓練をすれば、あんな速さで歩けるんですか」

「淑女のたしなみですわ、お嬢さん」

 

 どう見てもただ者じゃないご婦人はいたずらっぽく笑う。

 

「さあ姫様がた、私と一緒に参りましょう」

「ちょっと、どこに行く気ですか!」

 

 笑顔で立ち去ろうとするタニアに、ローゼリアが食ってかかった。

 

「王宮にクリスティーヌ様がお戻りになったんですよ。行くべき場所はあちらでしょう」

「あの建物はもう何年も使われていません。とてもお客様をお通しするわけには」

「あそこは、モーニングスター家の出資で、ちゃんと定期的に手入れがされていますわ。あなた、そんなこともご存じないの? 現役の王宮勤めなのに?」

 

 わざとらしいびっくり顔で言われて、ローゼリアの顔がさっと赤くなる。

 仕事が一級品の乳母は、嫌味も一級品だ。

 

「あの……行くってどちらなんでしょう?」

 

 私はおそるおそる尋ねた。

 クリスティーヌの乳母が案内するんだから、絶対安全な場所だろうけど、行先は知っておきたい。

 タニアはにこにこ顔で答えてくれる。

 

「王宮最奥、姫様が暮らしていた離宮ですわ」

「あ……」

 

 そういえばそうだった。

 クリスティーヌは王宮育ち。つまり、生まれ育った家が王宮の中にあったんだった。確かに『クリスティーヌ』が過ごすのにこれほどふさわしい場所はない。

 

「お世話については、このタニアにお任せください。何不自由ない生活をご用意させていただきます」

「そんなこと、できませんわ!」

 

 私たちを逃がすわけにはいかない、ローゼリアがなおも食い下がった。

 




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追い付いてきた援軍

「王宮の女官はすべてこちら側です。あなたに従う者は下働きひとりだっていません、そんな状態でどんなおもてなしをするんです」

「手際の悪い者を何人集めても、意味はないわ。そちらのかわいらしい侍女がいれば十分ことたります」

 

 言外に無能はいらないと断じて、タニアがほほ笑む。

 さすが、クリスティーヌの母親と一緒に何年も王妃と戦ってきた乳母。所詮若手のローゼリアとは格が違う。

 

「で、では! せめて私どもで用意した衣類や化粧品をお持ちください!」

「結構よ。あなた方の都合であつらえたドレスなんて、姫様方の体にあわないもの」

 

 そもそも全部毒まみれだしね。

 受け取っておいて使わないって手もあるけど、『いいドレスでしょ?』なんて使用感を聞かれたら返答に困る。そもそも受け取らないほうがいいだろう。

 

「建物があっても、生活用品をそろえなくては、暮らすことはできませんわ」

「そちらについては、お気遣いなく」

 

 今度答えたのはマリィお姉さまだ。

 

「もうそろそろ、援軍が到着する予定ですので。ああ……来たわね」

 

 お姉さまは自分が来た方向を振り返った。奥からまたひとり走ってくる人物がいる。

 女子制服を着たその少女の姿には見覚えがあった。見覚えどころじゃない、つい昨日まで一緒に過ごしていた友達だ。

 

「はあ……はあ……お待たせしました。どうして、全員……こんな奥で話し込んでるん……ですか……!」

「なりゆき?」

「あなたのなりゆきは、紆余曲折がありすぎなのよ! あああもう、また変な格好してるし!」

 

 友達はいつも通り鋭くツッこんでくる。こうやってツンツンしながら心配してくれるところがかわいいんだよね。

 ローゼリアはライラを冷たく見据えた。

 

「彼女があなたの言う援軍ですか? 下働きがひとり増えたところで、状況は変わりませんよ」

「ライラ、私がお願いしたことは?」

 

マリィお姉さまは、ローゼリアの言葉を無視してライラに声をかける。

 

「すべて整えました。シュゼット姫、クリスティーヌ姫、リリアーナ様三人すべての日用品と食料と衣類を離宮に納品完了しております」

「姫君の仕度を? あなたが? なぜ!」

 

 動揺するローゼリアに、ライラは礼儀正しくお辞儀した。

 

「申し遅れました、私はライラ・リッキネン。しがない商人の娘にございます。このたびは、親しい友人として、姫様方の身の回りの品をご用意させていただきました」

 

 ライラの実家、リッキネン商会は北の流通を一手に引き受ける国内最大手商会のうちのひとつである。しがないどころの話じゃない。

 災害で混乱する王都で、高位貴族用の衣装をそろえようと思ったら、大規模の商会の協力が必要だろう。だとしても。

 

「今朝まで私たちと一緒にいなかった?」

「だから、最初の馬車で家に送ってもらったのよ」

 

 そういえば、第一便にライラが乗り込むのを見かけた気がする。

 え? もうその時点から今回の計画は始まってたの?

 

「ヒト、モノ、場所、全部そろいましたわね」

 

 タニアがにっこり笑った。反論をすべて封じられたローゼリアは黙るしかない。

 私たちは優秀な乳母について、その場をあとにした。

 




「クソゲー悪役令嬢」重大発表!!!
マイクロマガジン様より、コミカライズされます!

詳しくは活動報告&Xの告知にて!
@takaba_batake


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離宮

「ここが、クリスティーヌ様の育った離宮よ」

「うわあ……すごい宮殿……」

 

 マリィお姉さまの案内で、王宮の奥にやってきた私たちは、白くそびえる離宮を思わずまじまじと見つめてしまった。

 その建物がひときわ異様なつくりをしていたからだ。王宮の敷地内のはずの宮殿の周囲には深い堀があり、細い橋一本で外界とつながっている。宮殿そのものが美しい見た目をしているから一瞬だまされそうになるけど、構造は砦に近かった。それも籠城戦用の。

 

「ここから先はあなたたちで行ってちょうだい。私はまだ、やることがあるから」

 

 マリィお姉さまだけが、集団から一歩離れる。次期女宰相として、災害対応の仕事があるのだろう。忙しい中、私たちのためにここまで動いてくれたことに感謝しかない。

 

「マリィお姉さま、ありがとうございます」

 

 私たちはそろって頭をさげる。お姉さまはいつものように優雅にほほえんだ。

 

「国と、外交と、何より未来の妹のためだもの。これくらいさせてちょうだい。フラン、あとは頼んだわよ」

「かしこまりました」

「みなさん、ごきげんよう」

「……ツヴァイ、姉上を送ってさしあげろ。しばらく護衛につくように」

 

 どこでどう控えていたのか。物陰からゆらりと人影が現れた。深くフードを被った黒装束の男は、そのまま物音ひとつたてずにマリィお姉さまの後をついていく。

 ビジュアルだけ見たら、まるっきり都市伝説に出てくる幽霊である。

 しかし、彼に命令した人物が人物だったので、誰もツっこまなかった。フランは信用できない相手に家族をまかせたりしない。

 

「さあこちらへ。橋を渡れば、安全地帯ですよ」

 

 この建物を知り尽くしている乳母は、慣れた様子でさっさと進んでいく。私たちも彼女のあとについて橋を渡った。

 

「中は思ったより普通なんだな」

 

 宮殿に足を踏み入れたクリスが、物珍しそうに周囲を見回す。

 こらこら、初めて来たような反応をするんじゃありません。君はここで生まれ育ったって設定でしょうが。

 このメンバーでは今更な話だけど。

 

「それはそうですよ、ここで姫様とイルマ様と私が暮らしていたんですから」

 

 来客を罠にかけるために作られた王妃の客間と違って、離宮のインテリアには確かな人間の生活感があった。壁には目に優しいタペストリーが飾られ、床には肌触りのいいカーペットが敷かれている。

 全体的に柔らかなデザインが多いのは、クリスティーヌの母イルマさんの趣味だろう。

 部屋に入っただけで、ほっと落ち着くような雰囲気がある。

 でも振り返った先にあるのは堅牢な造りのドアと細い橋だ。

 

「外部とつながる道が橋だけなんて、不便ですね。これも、王妃の嫌がらせだったり……?」

 

 私がたずねると、姫君の乳母は苦笑した。

 

「いいえ、イルマ様が望んでこのつくりにしたのですよ。クリスティーヌ様は、お小さいころ、他人に肌を見せられない事情がありましたから。出入口を橋ひとつとすることで、人の流れを制限していたのです」

「ここは、クリスティーヌを守る砦だったんですね」

「ええ、ですから、クリスティーヌ様もシルヴァン様ものびのびと暮らせる今が、とてもうれしいのです」

 

 ほほえみながら語る、その言葉は本音だろう。

 孤立し、砦に閉じこもるようにして暮らす王宮生活は、とても息苦しかったに違いない。実際、私たちが十三歳の時に出会った『クリスティーヌ姫』は、性別を隠すために、かなり無理をしていたようだ。ゲーム版に至っては、男としての成長を妨げる薬を飲んで、体を作り替えさえしている。

 そこまでしても、彼らの先に待つ未来は『性別がばれて断罪される』か『性別を隠して同性に嫁ぐ』かの二択だ。幸せになれないまま、ただ生きるだけの人生を歩むのは不幸でしかない。

 

「もう誰にも、この幸せを奪わせたりしません。皆さまは、私がお守りします」

 

 決意を口にするタニアの瞳には、強い光が宿っている。

 彼女もまた本物の忠誠心を持つ者なのだ。

 

「ありがとう、よろしく頼む」

 

 彼女が育てた少年の伴侶として、クリスがその言葉を受け取る。彼のためにも、私たちは元気で過ごさなくちゃ。

 

「まずは食事ですね。少々お待ちください。リッキネンのお嬢様が用意した食材で、何かお腹が温まるものを作りましょう」

「お手伝いします」

「あなたはいいわ」

 

 一歩前に出たフィーアを乳母は止める。

 

「こちらの厨房も、ユーザ登録がなければ使えないのですか?」

「いいえ、ここが使われていたのはずいぶん前ですからね。細かい登録が必要な魔道具も、武器を検知するゲートも取り付けられてないの」

 

 そういえばクリスたちが婚約したのは四年前だ。魔力式給湯器は今ほど普及してないし、武器探知機は開発もされてない。住人のいなくなった建物に、わざわざ新技術を設置する意味はない、ってことなんだろう。

 

「ではなぜ」

 

 タニアはフィーアのことを『かわいらしい侍女』と言っていた。王宮の女官たちみたいに獣人だからって差別するタイプには見えないけど。

 ネコミミ侍女を見てタニアが苦笑する。

 

「あなた、自分をよく見てみなさい。それは仕事のできる格好かしら?」

 

 フィーアはいまさら自分の姿を見下ろした。

 詳しいことはわからないけど、結構な無茶をして王妃派女官のところから逃げ出した彼女は、いまだにマント一枚の姿だ。

 

「あ……」

「まずは着替えね」

 

 私たちは全員で顔を見合わせた。

 




書籍⑤巻発売まであと5日!
詳しい情報は活動報告とXにて!
@takaba_batake


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お着換え

「この箱でいいのか?」

「はい、お願いします!」

 

 ライラの指示に従って、部屋の奥からフランとジェイドが大きな箱を持ってきた。箱にはリッキネン商会の荷物であることを示す焼き印が押してある。中身は私たちのために彼女が用意してくれた衣類だ。

 

「申し訳ありません、宰相家の方に荷物運びをさせるなんて」

「気にしなくていい。今ここで動ける男手は俺とジェイドだけなのだから」

「出入口が極端に制限されてるせいで、誰も入ってこれないのよね」

「警備の都合はとてもよいですが」

 

 ネコミミメイドが周囲を警戒するようにあたりを見回す。それを聞いてジェイドがうなずいた。

 

「外から人が入ってこれないよう、堀がかなり深くなってたからね。しかも、水中にも塀にも罠がたくさん仕掛けられてるし」

「仕掛けを素直に信用したりはしませんが、外敵の侵入ルートはかなり絞れるかと」

「このまま、制限は続けるか。そこの橋を通過できるのは、この場にいる者と姉と……そうだな、ツヴァイまでとしておこう。武器探知機も設置するよう指示しておく」

「さっきの彼か。身のこなしは良さそうだったが、何者なんだ?」

 

 マリィお姉さまのあとについていった黒い影の名前を出され、クリスが首をかしげた。そういえば、このメンバーだとツヴァイと面識がない子もいるのか。

 

「彼はフィーアのお兄さんよ。フランの従者として働いてるの」

「なるほど……納得した」

 

 武闘派姫君は神妙にうなずいた。

 武術をたしなむ者として何か感じるところがあったんだろう。

 

「この板を外せばいい?」

 

 ジェイドが箱のふたに手をかけてライラに尋ねた。彼女がうなずくとすぐに、べりべりと音をたてて、くぎ付けされていた板が引きはがされる。中には色とりどりの衣装が詰まっていた。

 

「仕事に必要だろうから、先にフィーアの服を出すわね。うちの屋敷で使っているお仕着せの衣装セットをまとめて持ってきたから、とりあえずこれを使って」

「ありがとうございます」

 

 服を受け取ると、フィーアはさっと退場していった。

 すぐに着替えてタニアを手伝うつもりなんだろう。

 

「こっちの青いのはシュゼット用ね。赤がリリィで、緑がクリス」

「みどり……?!」

 

 差し出された服を見て、クリスがぎょっとした顔になる。

 

「あれ? クレイモア家って紋章に緑を使うわよね。だから、合いそうな色にしてみたんだけど」

 

 加えてクリスは見事な銀髪に紫の瞳だ。緑が映える。だからこれまでも緑の服は何度も着てきた。しかし今日だけは身に着ける気にならないだろう。

 

「い……いや、もう緑はいい……」

「落ち着いて、クリス。さっき見た緑とは質感も色も違うから。全然別の染料で作ったものよ」

「緑がどうしたっていうのよ?」

 

 顔色の悪い私たちを見て、ライラが首をかしげる。

 

「さっき、目にもまぶしい緑のドレスを着せられそうになったのよ……」

「まぶしい? もしかして、あの染料か」

 

 ディッツと一緒になって、緑の染料事件にかかわっていたフランの顔色が変わる。その後ろで、ジェイドもまた顔をこわばらせた。

 

「ええもう、それはそれは見事だったわよー。ドレスだけじゃなく、シーツもカーテンも全部緑!」

「うわぁ……」

 

 ジェイドが思わずうめいてしまったのはしょうがないと思う。

 

「だから緑の何が問題なのよ」

 

 事情を知らないライラだけが、ひとり首をかしげたままだ。

 

「何年か前に、明るい緑の染料がはやったことあったでしょ」

「ああ……安くて色がきれいだからって、王都じゅうが緑になってたわね。あの生地を使うと肌がかぶれるって報告があったから、ウチでは扱わなかったけど」

「リッキネン商会の判断が真っ当すぎる」

「次からドレスはリッキネンに発注しよう」

「だからなんなの!」

「あの染料の元は猛毒なのよ」

 

 毒、と聞いてライラの顔もひきつった。

 

「しかも毒は染料だけじゃなかったの」

 

 私はローゼリアたちから受けた接待について、細かく説明する。私たちが推理した王妃の目的まで報告したところで、部屋に重い沈黙が落ちた。

 

「あの毒婦め……楽に死ねると思うなよ……」

 

 とてつもなく低い声がフランの唇から漏れでる。

 その瞳が今どんな色をしているのか、恐ろしくて確認できなかった。

 恋人でも怖いものは怖い。

 ライラがため息交じりにつぶやいた。

 

「学年演劇の時も思ったけど、フランドール様って一番怒らせたらいけないタイプだと思うわ」

 

 私もそう思う。

 




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ナイトコール

「ああああ~久しぶりのベッド~!」

 

 私はぼすっと顔からベッドにダイブした。

 ライラが布団を持ち込んで、タニアが整えたベッドはこれ以上ないくらいふかふかだった。シーツの手触りがいいし、いいにおいがする。

 呼吸するだけで毒に侵されそうだった王妃の客間とは雲泥の差だ。

 

「しかも全員ひとり部屋……天国すぎる」

 

 部屋の中にシュゼットたちの姿はなかった。人の多い場所で寝泊りして疲れたでしょう、とタニアがそれぞれの部屋を用意してくれたのだ。信頼できる仲間が警備している場所なら、三人ひと塊でいる必要はない。私たちは久しぶりに個人の自由時間を堪能していた。

 

「タニアさんのごはんもおいしかったし……はあ……やっとリラックスできるうぅぅ……」

 

 もうこのまま寝てしまおうか。

 今日はこれ以上何もできる気がしないし。

 そう思っていると、わずかな振動が伝わってきた。顔をあげると、枕元に放り出したスマホがヴー……と震えている。

 

「今ごろ着信? 誰からだろ」

 

 画面を見たら、フランの名前が表示されていた。

 私はあわてて通話ボタンを押す。

 

「はい、もしもし?」

『……俺だ。今話して平気か?』

「うん。ちょうどそれぞれ部屋に引きあげた後だから」

 

 男性のフランとジェイドは、夕食をとった後すぐに離宮から出て行っていた。女ばかりの宮殿に、未婚の男が残るのは外聞が悪い、という判断らしい。

 もうちょっと一緒にいられると思ったのに、残念。

 

「何かあった?」

 

 スマホに映し出されたフランの背景は、どこかの個室のようだった。

 ふたりも今日は王宮のどこかに泊まると言っていた。客間で何か問題でも起きたんだろうか?

 

『いや、何もない』

 

 しかし、青年は軽く首を振った。

 

『強いて言うなら、そうだな……通話機能を使いたかったから、だな』

「何それ。ただ呼んだだけーみたいな通話」

『ダメか?』

「いやだってそんな意味のな……」

 

 画面越しのフランが、少し残念そうな顔になったのを見て、私はやっと彼の意図を悟った。

 

「ない、ことはないね……」

 

 恋人の声が聴きたい、なんてこの世で一番大事な用じゃないか!

 つまりこれはアレですか!

 お休みコールってやつですか!

 前世の自分が甘いイベントに縁がなかったせいで、気づくのが遅れちゃったよ!

 

「声が聴けて……うれしい……デス」

『俺もだ』

 

 美しい青年の表情がふっとやわらぐ。

 私の好きな顔だ。

 

「あ……あのね、フラン。さっきは助けに来てくれて、ありがとう。王様から許可をもらってくるなんて、大変だったでしょ」

『この程度、どうということもない』

 

 嘘だ。

 私が見ていない間、必死に走り回っていたに違いない。

 

『お前を守れたのなら、それで』

 

 甘い言葉を聞くたび胸が苦しくなる。

 この青年はもともと、常識的な羞恥心を持っていた。むしろ恋愛感情を表に出さない、恥ずかしがりやの部類に入っていたと思う。

 こんな風に、あからさまに好意を口にするようになったのは、私が王子様と婚約してからだ。

 正式な婚約者がありながら、想いを通わせる私たちは、世間一般でいえば不貞を働いている状態だ。

 どんなに愛し合っていたところで、神の前で将来を誓うことも、互いを縛る契約を結ぶこともできない。

 私たちの間にあるのは、いつか一緒に暮らそうっていう口約束だけだ。

 人目のある場所では、知人以上の距離に立つことさえできない私たちの間柄は、ひどく脆い。ただ愛という薄氷の上に成り立っている関係だ。

 このつながりは、お互いの気持ちを疑った瞬間、きっと壊れてしまう。

 だから彼はことさらに愛を口にするのだ。

 私が疑わないように。

 不安で壊れてしまわないように。

 

(結局、優しいんだよね、フランは)

 

 真面目だった青年は、私のためにどこまでも変質していく。彼の愛情に報いるために、私にできることはひとつだ。

 

「来てくれて、うれしかった。大好きだよフラン」

 

 私もまた、恋人に愛情を返す。

 彼が揺らがないように。

 張りつめた心が壊れないように。

 

『……ああ、悪くないなこれは』

 

 それを聞いて、フランが不自然な笑みをうかべた。

 




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ASMR

「フラン?」

 

 脈絡のない言葉にとまどって、私は声をかける。フランは苦笑しながら、トントンと自分の耳を叩いた。そこには、父様たちがつけているのと、同じタイプのイヤホンマイクがつけられている。

 そういえば、スムーズに連絡をとりあうために、スマホ所持者全員にイヤホンマイクが配られたんだっけ。でも、今フランがいるのは個室だよね?

 

「わざわざイヤホン使う必要なくない?」

『離宮と違って、俺のいる客室は隣にまた別の人間が泊まっているからな。スピーカーから響いてくるお前の声を聴かれて、あらぬ噂になったら困る』

「それは、私も嫌かも」

 

 宰相家の御曹司の泊まる部屋から、夜な夜な聞こえてくる若い女の声。

 大変いかがわしいスキャンダルに発展しそうだ。

 自分相手に恋人の浮気疑惑が流れるとか、シチュエーションが複雑すぎる。

 まだ、『宰相家の御曹司は、相手もいないのにぶつぶつ独り言を言っている』という噂がたつほうがマシだ。

 

『だから、お前の声をイヤホンで聞いていたんだが、スマホのスピーカーを使うより、音がクリアで声が近い。……こうやって耳元でお前の声を聴くのは悪くない』

「へーそうなんだ?」

 

 イヤホンマイクの意外な長所だ。

 

『……前の世界で使ってたんじゃないのか?』

「じっくり通話機能を使うような知り合いが、いなかったのよ」

 

 ぼっち入院患者をいじめないでください。

 両親とは連絡をとってたけど、『声をクリアに聞きたい』なんて思うような相手はいませんでしたからぁー!

 

「こっちもやってみようかな」

 

 私は荷物の中から自分のイヤホンマイクを取り出した。

 フランの真似をして、イヤホンに設定を切り替える。

 

『どうだ?』

「ぴゃっ!」

 

 突然耳元に流れてきたフランの声に、思わず喉から変な音が出てしまった。

 

『すまん、声が大きすぎたか?』

「う、ううん、ボリュームはちょうどいいわ。いきなり低音イケボを耳元で聞いたからびっくりしちゃって」

『ふうん?』

「わ、悪くないわねー、イヤホン音声」

『リリアーナ』

「……っ」

 

 瞬間、私は息をのんだ。

 ただ名前を口に出したんじゃない。明確に、愛おしいという感情を乗せて、自分の名前が告げられた。

 あまりに甘い声音に、とくとくと心臓が早鐘をうつ。

 

『よく聞こえるだろう?』

「クリアすぎて、耳元でささやかれてるのと一緒なんだけど?!」

 

 だからなんで!

 ファンタジー世界の住民の君が、元現代日本人の私より、スマホを使いこなしてるんだよ!

 

『リリアーナ』

「ちょ、待って……!」

『リリアーナ、愛してる』

「ま、待って、待ってってば!」

『なぜだ? 恋人に愛を伝えて何の問題がある』

 

 それは君が恋人の反応を見て、おもしろがる悪い男だからです!

 

「ささやくこと自体はダメじゃないわよ。ちょっと待てって言ってるの」

『うん?』

 

 私は画面越しのフランにびしっと指をつきつけた。

 

「せっかくイケボでささやいてくれてるんだもん。録音して永久保存しなくちゃ」

『……ろく、おん?』

「カメラ機能の写真と一緒よ。こうやって通話してる音声も動画も全部記録できるの。えっと……ここをこうして……はい、お願い! もう一回!」

『そう威勢よく言われると、興がそがれるんだが』

「言うだけじゃない。ちょっとした恋人のお願いくらい聞いてよ!」

 

 スマホごしに、フランがため息をつくのが聞こえてきた。

 これはこれで需要があると思うけど、今ほしいのはコレジャナイ。

 私がこちらのマイクをミュートにして黙っていると、しばらくしてから期待通りの音声が流れてきた。

 

『リリアーナ』

「……っ」

 

 マイクは電源自体が落ちている。だから私の声が録音されることはない。

 でも、耳元で甘くささやかれたら声が出なかった。

 

『リリアーナ、愛している。お前は俺のものだ』

 

 ちゅ、とキスするリップ音のオマケつきである。

 恋人のファンサがすぎる。

 セルフASMR音声ありがとうございます!

 

『リリアーナ?』

「ああああああ、ありがとう! いい……すごくいい……何百回でも聞ける」

 

 あわててマイクに電源をいれて返事をすると、またあきれのため息が聞こえてきた。

 だっていいものはいいんだから、しょうがない。

 

『満足したようだな』

「そりゃーもう!」

『では、今度はこちらのお願いを聞いてもらおうか』

「え」

『音を残せるとは、いいことを聞いた。……俺も、恋人のかわいらしい声が記録したいんだが?』

「え、あ……マジで?」

『ちょっとした恋人のお願い、なんだろう?』

「そーだけどぉぉぉ……」

 

 その後、私はフランが満足するまで何度も愛をささやかされた。

 




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幕間:報告会(ローゼリア視点)

「……そう。小鳥は全部、籠から逃げてしまったの」

 

 報告を聞いて、王妃様は目を伏せた。白い頬に影が落ちる。

 整えられた指先が、とん、とん、とひじ掛けを叩いた。

 これは彼女がとても機嫌が悪い時のしぐさだ。

 

「せっかくあれほどお膳立てをして……宰相に直接交渉までしたのにね……」

「……」

 

 何とも返答できず、私は沈黙する。

 王妃様は意見も言い訳も必要としない。

 私がここで何を進言しても、不快感をあおるだけだ。

 

「小鳥は要塞の中へ。私に残ったのは、小娘ひとりもてなせない無能者という評価だけ。ミセリコルデの者たちは、これ幸いと批判してくるでしょうね」

 

 ふう、とさらに吐息が漏れる。

 

「今度はどれほどの権限が取り上げられるか」

「も、申し訳……ありません……」

「謝罪は不要よ」

 

 決して許しているのではない。

 王妃様が求めるものは、『成功した』という報告だけだ。

 今までどれほど成果をあげていても関係ない。彼女の求める言葉を発せない者は等しく無能で無用の存在である。

 これは切り捨てられる前兆だ。

 

「……あなたを拾ったのは、間違いだったかしら」

 

 私を見る青緑の瞳はどこまでも冷えている。

 

「連座にかけられる子供に哀れを覚えて、懐にいれてはみたけれど、こうも役にたたないのではね。わざわざ危険を冒して、あなたをそばに置く理由って何かしら」

「お……恐れながら!」

 

 私はたまらず声をあげた。

 私が今生きて王宮にいられるのは、王妃様の側近だからだ。

 不要と判断された瞬間、私の首は断頭台にかけられる。

 

「まだ小鳥は森のなかにいます。必ずや、あなたの望む姿へと変えて見せましょう」

「好きにしなさい」

 

 王妃様は立ち上がった。

 背を向けて部屋から去っていく。

 

「私が聞きたい、と思う報告以外耳に入れないように」

「かしこまりました……」

 

 支配者は振り向きもせずに去っていく。

 部屋にひとり取り残された私は、こぶしを握り締めた。

 

「まだ、まだよ……」

 

 私には復讐すべき相手がいる。

 

「宰相家も、ハルバード家も、絶対に許さない。そのために何だってやってきたのに」

 

 一矢も報わずに死ねない。

 あんな小娘ひとりに手こずっている場合ではないのだ。

 罠のことごとくを台無しにした生意気な小娘。

 ハルバード家というだけでも腹立たしいというのに、宰相家に守られ、モーニングスター家からもクレイモア家からも助力される。誰もかれも、なぜあんな小娘ばかり守るのだ。

 ……いや、守られるからこそ。

 

「あの娘が壊れた時、周りはどれほど悲嘆にくれるでしょうね」

 

 そうだ、やつらは私の大事なものを奪っていった。

 ならばやつらの一番大事なものを奪ってやればいい。

 

「リリアーナ・ハルバード。お前だけは、絶対に殺す」

 

 決意を胸に、私は次の計画の準備を始めた。

 




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マジックスタングレネード

 

「これは、こう構えて……こう!」

「わかりました! こうですわね! えいっ!」

 

 シュゼットが的向かって小瓶を投げた。少女の手の中におさまるくらい小さなそれは、空中でひとりでに砕けると、中庭の芝生に白い粉をばらまく。

 

「割と様になってきたんじゃないか?」

 

 小瓶の軌道を見ていたクリスが言った。

 私は落ちた粉と的の位置を見比べる。

 

「方向は悪くないけど、ちょっと発動タイミングが悪いわね。これだと、まだ対象から距離があるわ」

「うう……ちゃんと発動させないと、って思うと焦ってしまって」

「それは慣れの問題ね。練習用のダミーはたくさんあるから、好きなだけ試してカンをつかんでちょうだい」

「がんばりますねっ!」

「……お前ら、何やってんの」

 

 中庭ではしゃいでいた私たちにひややかな声がかけられた。

 振り向くと、そっくり同じ色の銀髪の少年がふたり、あきれ顔でこっちを見ている。

 

「ヴァン!」

 

 クリスがぱあっと笑顔になったかと思うと、婚約者のもとへとすっ飛んでいった。うれしそうにハグしあうふたりから一歩離れて、ケヴィンが苦笑する。

 

「今投げてたのって、ただの小瓶じゃないよね? 魔法薬?」

「粉自体は普通の小麦粉よ。ただ、投げた先で砕ける仕掛けは、私が持ち歩いてる魔力(マジック)閃光手榴弾(スタングレネード)と一緒だけど」

 

 投げ方をマスターしたら、実物をプレゼントする予定だ。

 

「他国のお姫様に、なんて物騒なモンの使い方を教えてるんだよ」

「今一番必要なコトじゃない」

 

 離宮に暮らす私たちは、敵地の真ん中で籠城しているようなものなのだ。

 自衛手段はいくらあっても足りない。

 

「十歳の時から私を守ってくれた護身武器よ。きっとシュゼットのことも守ってくれるわ」

「ありがとうございます、リリィ!」

 

 薬品の詰まった小瓶を手に私たちは笑いあう。

 

「離宮に引きこもる羽目になって、気が滅入ってるかと思ったら、これだよ。あ~心配して損した」

「皆様、毎日元気に過ごしていらっしゃいますよ」

 

 彼らを門から中庭まで案内してきたらしいタニアが、彼らのやや後ろでくすくすと笑う。

 

「それにしたって自由すぎねえか? ほっといていいのかよ。俺の時はやれ勉強しろ、芸事をやれ、日に焼けるな、っていちいち口出ししてきてたくせに」

「姫様方はもう立派な淑女ですもの。私が指導することなんて、何ひとつありませんわ。それよりもヴァン様、その言葉遣いは次期クレイモア伯としていささか品位に欠けるのではありません?」

「……ダチと話す時くらい、好きにさせろよ」

 

 クリスには指導不要と言いつつ、自分にはしっかり指導するタニアに、ヴァンが顔をしかめる。とはいえ、それで彼女を不敬と咎めないのはやっぱり、彼女が育ての親だからだろう。

 

「まったく、体ばかり大きくなって」

「俺は騎士修行だけで精いっぱいなんだよ。そのうえ作法だなんだと、無茶言うな」

「当然の話でしょう」

「あ、あの、タニア! ヴァンはいつもがんばってるぞ?」

 

 乳母と婚約者の口喧嘩が心配になったらしい、クリスがおずおずとヴァンをかばった。タニアは一瞬彼女の顔を見たあと、笑いだす。

 

「ふふ、わかってますよ。姫様のおっしゃる通りなのは」

「タニア……お前、クリスと俺で態度が違いすぎないか?」

「それも当たり前の話です」

「差別が過ぎる」

 

 なおも軽口の応酬を続けるふたりを、クリスが心配そうな顔で見比べる。

 でも、気にする必要はないと思うなー。

 

「みなさま、お茶の準備が整いました」

 

 応接室を整えていたフィーアが顔を出した。タニアはそちらに向き直る。

 

「ご苦労様、今朝焼いたナッツのタルトも出してちょうだい」

「む……」

 

 タルト、と聞いてヴァンが反応した。おや、もしかしなくても好物かな?

 タニアの指示を受けて去ろうとしたフィーアを、ケヴィンが呼び止める。

 

「フィーア、俺たちの手土産も運んでもらえるかな。モーニングスターの果物と、クレイモアのチーズと、それからお酒はヴァンのチョイスだっけ?」

「カトラスの十年モノな」

「まあ素敵」

 

 酒の銘柄を聞いて、タニアがにっこりと笑った。どうやらこちらは彼女の好物らしい。

 

「なんだ、結局仲がいいんじゃないか!」

 

 まぎらわしい、と膨れるクリスを見て私たちも笑った。

 

 




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離宮警備事情

「それで、王宮の外はどうなってるの?」

 

 みんなで仲良くナッツのタルトをわけてから、私はヴァンたちにたずねた。ふたりはお互いに目くばせを交わしあう。

 

「その前に、離宮の状況が知りたい。入ってくるとき、タニアとフィーア以外に使用人を見かけなかったが、誰がどう警備してるんだ?」

 

 警備が気になるということはつまり、それだけ他人に聞かせられない話がしたいってことなんだろう。私はこくりとうなずいた。まずはお互いのカードの確認だ。

 

「離宮に常駐している人間の護衛は、フィーアとタニア。それから橋の手前に配置された警備兵だけよ」

「正気か?」

「こっちには神の目があるもの」

 

 タニアがお茶をサーブして引き下がったのを確認してから、私はスマホをテーブルの上に置いた。画面にブサカワ系ちょいぽちゃ猫の姿が表示されたかと思うと、次の瞬間には建物の風景が何枚も表示された。それらは、どれも王宮の風景を映し出している。

 

「橋と堀を中心に監視カメラが五か所、さらに夜間はドローン二台で周囲を警戒してるわ。もちおが常に画像を解析して、不審な影があれば即座に通知、迎撃する仕組みになってる」

 

 二十四時間三百六十五日、一時もかかさず監視ができるのはAIの強みだ。

 

「なるほど、超兵器があるから、下手に人員を増やさないほうが安全なんだ」

「護衛騎士は全員父様と宰相閣下の配下ってことになってるけど、ここは王宮だからね。どこに王妃派が潜んでるかわからないわ」

 

 今回の離宮ぐらしは急に決まったことだ。護衛を増やそうにも騎士の素性をひとりずつ確認している時間はない。いちいち警戒するくらいなら、いっそいないほうがマシだ。

 

「本当はジェイドも常駐させたかったのよね」

 

 私は最も身元の確かな側近の名前を出す。彼は魔法をはじめとした多彩なスキルを持っている。これほど心強い味方は他にいない。

 

「だが、離宮は男子禁制じゃなかったのか、とローゼリアとかいう王妃派侍女につっこまれて、外に出さざるを得なくなった」

「それは俺のせいだな、悪い」

 

 ヴァンが悔しそうにツメを噛む。

 もともとこの離宮は彼に接する人間を制限するために作られた。

 力の強い男性騎士は真っ先に排除されたのだろう。

 

「気にするな。お前が生き残るためにできたルールだ。いまさら言ってもしょうがない」

 

 それを聞いてケヴィンが素朴な疑問を口にした。

 

「ジェイドは今どこで何をしてるの? おとなしく外で待つタイプじゃないでしょ」

「フランについてもらってるわ。今の宰相家は人手がいくらあっても足りないから」

「あー……なるほど。だからあの機動性なわけか」

 

 ヴァンがすうっと目を細める。

 おや、何を知っているというのかな?

 

「思わせぶりなこと言ってないで、話すならちゃんと話してよ」

「お前こそ、あいつとスマホでつながってんじゃないのかよ」

「フランもジェイドも、みんな忙しそうでなかなか話しかけられないのよ。離宮にひきこもってるから、噂話も拾ってこれないし」

 

 フランとゆっくり話せたのは、結局初日のあの夜だけだった。

 その後は夜でも昼でも取り込み中で、たまにメッセージアプリ越しに返事があるくらいだ。

 私だって、この大変な時に『私と仕事、どっちが大事なの?』と、鬼着信するほどバカじゃない。相手に配慮して連絡を控えるしかない。

 一番時間に余裕がありそうなのはAIもちおだけど、彼は彼でアクセスできる情報に限りがある。監視衛星で王国全土を撮影するのは得意だけど、密室で人の口に上る話を聞きこんでくるのには向いてない。

 

「災害が起きて一か月、外はどんな状況なの?」

「良くはねえな。全然」

 

 王宮の外で生活していた少年ふたりは、断言した。

 




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王都被害状況

「まず王都の被害状況だな」

「宰相閣下のおかげで、危機的状況は防げたって聞いたけど」

 

 私の言葉に、ケヴィンは軽く肩をすくめる。

 

「地震規模の割に、びっくりするくらい被害は少なかったそうだよ。でもゼロだったわけじゃない」

 

 王立学園からも、王都が燃える様子は確認できてたもんね。

 

「道幅が広い高級住宅地は無事だったんだけど、建物が集まってる下町が大きな打撃を受けた」

 

 ファンタジー世界に、現代日本のような建築基準法は存在しない。経済的な理由で、庶民向けの住宅街はどこも四階建てから五階建ての家がぎゅうぎゅうに詰まっている。道幅は狭いし、建物の作りだって粗い。そんなところで大規模地震が起きたら、どんなに行政が頑張っても被害が出てしまう。

 

「家もそうだけど、市場や職人街が焼けたことで、庶民向けの流通がほとんど止まっちゃった。今は国内商会が総出で復旧にあたってるそうだよ」

「ライラの実家も、大きな商会でしたわね。大丈夫でしょうか……」

 

 シュゼットがほう、とため息をもらす。彼女を安心させるように、ケヴィンはにこりと微笑みかけた。

 

「リッキネンの主な商業圏は北部だから、流通拠点の被害は少なかったみたい。王都をメインにしていた他の商会を助けて回ってるってさ」

「詳しいわね」

「北部の盟主モーニングスターは、リッキネンとつながりが深いからね」

 

 だから、ライラはケヴィンの婚約者だったのだ。

 残念ながら、そちらの縁はつながらなかったけど。

 

「流通は商会が頑張ってるとして、問題は流す物資の確保よね。王室の備蓄だけじゃ、絶対に足りないでしょ」

「そこは、各地方領主の力の見せどころだね。ハルバードを中心とした南部穀倉地帯から食料が、林業が盛んな北部地帯から建材がとんでもない速さで集められてるって」

「まるで、王都の様子を見通してるみたいだ、って噂されてるが……」

 

 ヴァンがテーブルに置かれたスマホを見る。

 

「ハルバード領のアルヴィン兄さまも、モーニングスター領の侯爵様も、スマホを持ってるわ。宰相閣下から直接支援要請を受けてるんじゃないかしら」

「手品の種はそんなところだろうな」

 

 明かさない主義の手品の種が!

 知られてる!

 

「あと、下町の情報といえば……そうだ、災害救助の現場で、アール商会の評判があがってるみたいだよ」

「兄様が?」

 

 突然兄の持つ商会の名前が出て私は目を瞬かせた。

 

「お前、妹なのに知らねえの?」

「兄様が際限なく規模を拡大していくから、事業内容を把握しきれないのよ」

 

 将来宰相の夫として王都で暮らすなら、必要なことだと思いますけどね?

 

「避難所、特に医療施設で魔力式給湯器が活躍しているんだって」

「医療現場で熱湯が使えるのは、助かるわね」

「あれは水と魔力さえあれば動かせるからな」

 

飲み水、包帯、医療器具、災害救助の現場は消毒が必要なものばかりだ。そこで菌を直接殺す効果のある熱湯が、薪や炭などの燃料なしに使えるのはありがたい。

 

「あの技術で、ひとつでも多くの命が助かるなら、こんなにうれしいことはないわ」

「まあ……それはいいんだけどよ……」

 

 ヴァンが複雑そうに顔をゆがめた。ケヴィンも困り顔で苦笑する。

 

「アール商会って、紋章にハルバードと乙女の横顔を使ってるよね?」

「それが何か?」

「人名救助の女神として、ハルバード侯爵令嬢の人気も上がってるんだよ。これほど王子妃にふさわしいご令嬢はいない、って……」

 

 アール商会の乙女の横顔のモデルが私だってことは周知の事実だ。

 さらに、給湯器の発案者が私だってことも有名な話だ。

 だから給湯器の紋章を見た避難民が、私を連想するのは当然の話だと思う。

 でも。

 

「それは心の底からうれしくないかな!」

 

 私は王子妃にだけはなりたくないんだってば!

 




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東部国境戦線

「で? 共有したい情報はこれだけじゃないわよね?」

 

 私は額に手を当てながらたずねた。うう、聞きたくない評判を聞いたせいで、フランそっくりに眉間に皺を寄せてしまいそうだ。イケメンはともかく、アレは淑女のやる表情じゃない。

 

「下町の被害と救援情報だけじゃ、人払いをするほどの秘密にならないわ。他でもっとヤバいことが起きてるんでしょ」

「よくわかってんじゃねえか」

 

 ヴァンは大きくうなずいた。

 

「これはまだ正式に報告されてない情報だが……昨日、クレイモア領国境にアギト国からの襲撃があった」

「なにっ?!」

 

 クレイモア産まれの姫君が思わず腰を浮かす。

 

「落ち着け、国境守備に問題はねえ。クレイモア騎士団が、きっちり追い返したそうだ。今は砦をはさんでにらみ合いしてる」

「……そうか」

 

 すとん、とクリスはソファに座りなおした。

 ヴァンがその背中を優しく叩く。

 

「さすが、国境の守護神クレイモア辺境伯だぜ。王都が危機に陥っている時こそ、アギト国からの侵略にそなえるべし、って俺がスマホで警戒を呼び掛ける前に砦の防備を固めてたんだから」

「おじい様らしい」

 

 老伯爵には、邪神の悪意などお見通しだったようだ。私もほっとして息を吐く。

 

「義母上はどうされている? あの方を防衛戦に巻き込めないだろう」

 

 祖父の無事を確認したクリスは、次に婚約者の母親の身を案じた。クリスティーヌの婚約を期に、母親のイルマさんもクレイモアに移ってたんだよね。

 

「母さんは避難させたって。国境からだいぶ離れた、スコルピオって村にいるらしい」

「いい場所に移ったわね。あそこならインフラも医療設備も整ってるから、過ごしやすいと思うわ」

「なんでお前が、東部の田舎町を知ってんだよ?」

 

 クレイモア夫婦の話に口をはさんだら、訝しがられた。

 

「スコルピオ村は、ディッツの出身地なのよ。東の賢者を見出して王立学園に送り出した名村長、ってことで他より優遇されてるの。ディッツ本人も定期的に医療支援をしてるみたいだし」

 

 庶民なディッツが貴族の前で名乗っている『スコルピオ』はファミリーネームじゃない。出身地を名前に添えることで、故郷をアピールしているのだ。

 

「東の賢者殿にゆかりのある村なら、安心だな。ええと、この話をタニアには……」

「開戦の情報はすぐに公開されるだろう。内地に避難したってとこまでは、伝えていい」

「ありがとう、きっと安心すると思う」

 

 ふたりは、長年王妃と戦ってきた戦友だ。やっと手にした安住の地が戦場になったと聞いたら、心配でたまらないだろう。

 

「あれ? クレイモア伯がアギト国軍を撃退したって、それだけ? いや戦争が始まったのはおおごとだけど、対処できてるなら機密情報ってほどじゃないような」

「まさか、他にも何か起きているのか?」

 

 私たちの問いに、ヴァンが硬い表情でうなずく。

 

「国の西側も戦場になりそうだ」

「西……っ!」

 

 シュゼットが息をのんだ。

 




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西部国境戦線

「まさか、このタイミングでお父様が挙兵? そんな……ありえませんわ……」

「その通りだ。兵を送ってきてるのはキラウェアじゃない」

「じゃあどこが?」

 

 クリスが首をかしげた。

 

「これは地図があったほうがいいな。リリィ、頼む」

「もちお、スマホにハーティア西部の地図を表示して」

『かしこまりました』

 

 白猫が返事をすると同時に、画面が切り替わった。地図にはハーティア西部、ランス領の先にキラウェアの国土が描かれている。

 ヴァンは指先で国境を示すと、そこからさらに南へと滑らせた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「今回狙われているのはキラウェア国境の南、魔の森と呼ばれる樹海だ。ここに、大陸南西部のダルムールって国が兵を送り込んできている」

「南西……人の住む領域ではない、と国境線が引かれていなかった地域ですわね」

 

 母国が攻め込んできたのではない、と知ってシュゼットは、ほっと息を吐いた。

 私は疑問を口にする。

 

「魔の森に侵入してくるって、正気? あんなアンデッドパラダイスで、人間が生きていけると思えないんだけど」

「アンデッド? 何言ってるんだ」

「あそこは森が深いけど、幽霊が出るって話は聞いたことがないよ」

「でも、現にジェイドが……あー……いや、そっか、その未来はなくなってたんだった」

 

 説明している途中で、私は自分の勘違いに気づいた。

 王国西側の魔の森には、最悪の死霊術師(ネクロマンサー)の根城があり、中に迷い込んだ者すべてをアンデッドに変えてしまう。その伝説が存在したのは女神のゲームの中だけだ。

 敬愛する師匠を蘇らせるために、禁忌の呪術に手を出すはずだった魔法使いは、今では私の忠実な部下として働いている。

 

「リリィ、何をご存じなのですか?」

「ごめんなさい、気にしないで。ちょっと記憶違いしてただけだから」

 

 心配そうなシュゼットに、私は手を振った。

 いろいろと王家の秘密をバラしてしまったシュゼットだけど、さすがに転生だとか女神のゲームだとかの話まではできない。

 

「えっと……アンデッドがいないのなら、あそこは普通の森よね。兵士が入ってきてもおかしくないのかしら」

「まあ、森が深いうえに底なし沼やら、毒沼やらがそこら中にあるから、人の暮らしに向かねえんだけどな」

「ダルムールは、西側諸国としてキラウェアとも交流のある国です。しかし……妙ですね」

 

 西の姫君は眉をひそめる。

 

「かの国はいくつかの氏族がまとまってできた小国です。大国ハーティアとコトを構えるほどの力はないはずですわ」

「今回の派兵で、ハーティアそのものを侵略する意図はないと思う。奴らがほしいのは、樹海の開拓権あたりじゃないかな」

 

 ケヴィンが推理を披露した。きっとそれは大きく外れてはいないだろう。

 危険な樹海でも、地道に森を切り拓き沼を埋め立てれば集落ができる。そして国土が広がれば国力も一緒に上がっていく。

 アンデッドのような呪われた存在がないのなら、十分考えられることだ。

 

「ヨソの土地なら勝手にしろと言いたいとこだが、そうもいかねえ。樹海を押さえたら次に目がいくのはその東……ハーティア南部穀倉地帯だからだ」

「国の食糧庫を危険にさらせないわね」

 

 現代日本で農業国というと田舎の印象を受けるかもしれない。

 確かに南部農業地帯は、ひたすら田園風景が広がっている地域だ。

 しかし近代産業が発達していないファンタジー世界で、毎年安定して食料を生産できる温暖な土地ほどチートな武器はない。枯れず、尽きず、飢餓を駆逐する豊穣の国。

 だから南部貴族(ハルバード)は富豪なのである。

 

「こっちはランス騎士伯が迎撃に出るの?」

「いいや」

 

 ヴァンは首を振った。

 

「友好国っていっても、キラウェアとはそこまで気の置けない間柄じゃねえからな。国境守護のランス騎士団は動かせねえ」

「じゃあ誰が?」

「南部穀倉地帯を守るんだぜ、南の盟主ハルバード侯爵が出るに決まってんじゃねえか」

「お父様……!」

 

 今度は私が息をのむ番だった。

 

 




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国内治安事情

「確かに、クレイモアもランスも動かせない、となったらお父様が出るのが妥当ね。第一師団長としてハーティア国直属の騎士を動かしやすいし」

「南部諸侯からの支援も受けられるしな」

「東にはクレイモア伯、北西はランス伯、南西にお父様がいるなら……国境はひととおり守られてる、って考えて大丈夫かしら」

「今のところはな」

「何よ、その不安になる評価は」

 

 私のつっこみに、ヴァンは肩をすくめる。

 

「国の危機はこれだけじゃねえからな」

「まだあるの?!」

「残念ながらね……」

 

 ケヴィンがあいまいな顔で笑った。

 

「モーニングスター領にいるおばあ様から、おかしな知らせを受けたんだ。北東の霊峰のふもとで、狼を連れた女の幽霊が出たって。その女は腰から下が獣で、頭にいくつもの仮面をかぶっていたって」

「……なにそれ」

 

 その特徴には聞き覚えが、いや、見覚えがあった。

 

「まるっきり、スキュラじゃない」

「それだけじゃねえぜ。東部では人間の顔をした獅子が出たって噂になってる。血を抜かれて、カラカラに干からびた死体が出たってのは西部の話だったかな」

「マンティコアに……ヴァンパイア」

「人を石に変える巨大な鳥の噂も出回ってるよ。どうやら王国各地に、建国神話の化け物が出現しているみたいだ」

「なるほど……それも女神の予言通りってわけね」

 

 ゲームでは邪神の封印が破壊されると同時に、各地でモンスターが出現する設定になっていた。封印破壊の後に起きることをストレートに予言していたんだろう。

 

「各領に所属する騎士たちが、それぞれ化け物退治にあたってる。しかし、ただ賊を倒すのとは勝手が違うからな、相当てこずってるって話だ」

「全国から王国に支援要請がきてるけど、王都が地震被害にあった上に、東にも西にも敵がいる状態でしょ?」

「国に地方を助ける余裕はないでしょうね……」

「逆に、国境で何かあっても国内から兵を補充できないんじゃないか?」

 

 中央も地方も、目の前のことで手一杯。

 問題が起きすぎていて、誰もお互いのことを助けられない状態だ。

 これは、やばい。

かなりやばい。

 

「偶然にしては、できすぎていませんか?」

 

 シュゼットが不安そうに私たちを見る。

 私はいつものように大丈夫だよ、とは言ってあげられなかった。

 

「もちろん偶然じゃない。東西同時侵略も、化け物の出現も、全部ユラが裏で糸を引いてる」

「ユラが……え? しかし、戦争の計略はともかく、化け物の出現なんてどうやって」

「彼ならできるのよ。伝説に記された邪神の化身だから」

「まさか、そんなことが」

 

 私たちが無言でいる間に、すうっとシュゼットの顔から血の気がひいていく。

 

「……以前、フランドール様に言われたことがあるのです。ハーティアでは建国神話を事実として扱うようにと。……もしかして、『そう』なんですの?」

 

 私はうなずく。

 

「建国神話は本当に起きた事件で、これから起きる厄災の予言なの」

 

 シュゼットは青ざめた顔で黙りこくっている。

 状況が非現実的すぎて、どう答えていいかわからないんだろう。

 でも事実は事実。

 目の前に突き付けられたそれを受け入れるしかない。

 

「あいつが邪神の封印を壊してから、まだたった一か月だぜ? それでここまで国を追い詰めるとか、手際よすぎんだろ」

 

 実はこれでも全然マシなほうなんだけどね。

 ゲームでは東部国境を守るクレイモア騎士団は跡取りが女子であることが発覚して弱体化してたし、王国騎士団は汚職騎士マクガイアのせいでやっぱり弱体化。そもそも宰相閣下とマリィお姉様が何年も前に死んでいる。

 ユラの仕掛けた罠が全部成功していたら、兵が東西から侵入してきた時点で国が滅んでいただろう。

 

「今ハーティアがまだ国を維持できてるのは、宰相家のおかげだな。特にフランドール」

 

 なぜそこでフランの個人名が出てくるのかな?

 




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影宰相

 私がきょとんとした顔をしたら、ヴァンもつられてきょとんとした顔になった。

 

「お前そっちの話も知らねえのか……って、連絡とれてないんだったか」

「状況が状況だからね」

 

 フランに通話していいならとっくにやってる。

 でも、めちゃくちゃ忙しい相手に、構ってくれなんて子供みたいな駄々をこねて、負担をかけたくない。

 

「さっきまでの話で、不自然に思うところなかったか? 東の国境はともかく、どうして西国の侵攻に気づけたのか、とか。各地の化け物の出現状況をどうやって把握してるのか、とか」

「言われてみれば……ダルムールの兵が集まっているのは魔の森を越えた先ですわよね?」

 

広大な樹海を越えて敵を察知するなんて、どんなに高い物見やぐらを作っても無理だ。

 

「手品の種は、やっぱりコレかしら」

 

 私はテーブルの上に置かれたスマホを見た。

 

「神の目は、ハーティアの国土以外も見ることができるんですの?」

「むしろそっちが本来の仕事よ」

 

 監視衛星は雲よりはるかに高い空の上から地表を観測できる。大量の物資とともに移動する人間の集団を見つけるなんて朝飯前だ。城壁の死角に隠された伏兵も、通常の進軍ルート外から近づく隠密兵も全部丸見えである。

 

「モンスターのサイズにもよるけど、巨大な化け物の発見にも使えるんじゃないかしら」

「あと、国内の兵の配備状況と、進軍速度の把握な。どこに何があって何が動かせるか、全部わかるってのは大きな強みだぜ」

「これだけ国内外でトラブルが起きてるのに、破綻なく国が動かせてるのは、宰相家が適切に指示を出してるからだ」

「まさに、情報革命ね……」

「で、その革命の立役者だって言われているのが、息子のフランドールだ」

「珍しいわね。フランが自分の名前を表に出すなんて」

 

 私は首をかしげた。

 フランは根っからの黒幕キャラだ。生まれたときから姉を立てるよう躾られた彼は、常に一歩下がって裏方に徹する。それは家を出てからも同じで、私を領主代理に仕立て上げたあとは、派手な少女の後ろで暗躍していた。

 

「それは、方便っつーか、説得力のためだろうな」

 

 またよくわからない理由が飛び出してきた。

 

「宰相閣下は長年王室に仕えてきたし、マリアンヌさんも何年か前から王宮に出仕してるでしょ? だから良くも悪くも周りが実力を把握してるんだよ。そんな状況である日突然、ありえないレベルでさらに有能になったら?」

「何があったんだ、ってみんな疑問に思うわね」

「でも、その理由は明かせない。さらに疑問は加速するだろうなあ」

「主の隠し事は、部下の忠誠を鈍らせる……」

 

人心操作が得意な邪神にとって、格好の獲物だ。

 

「そこで、フランドールだ。あいつは、王立学園を卒業して以来、王宮に出入りしてねえからな。せいぜい、シュゼットの世話役として学園に顔を出していた程度だ。そんな奴が『来たる予言の日のために、各国の動向に目を光らせていた。さらに、古文書を研究して化け物退治の方法も調べていた』って言い出したら?」

「まあ……宰相閣下が言い出すよりは……違和感はない、かな?」

 

 それでもかなり盛ってる気がするけど。

 

「単純に屋敷にこもってた宰相家の息子、ってだけなら信じられなかっただろうが、あいつには『ハルバード復活の奇跡』っつー実績がある」

「たった十一歳の女の子を領主代理にすえて、大侯爵家を立て直した男なら、やりかねない。そういうシナリオね」

「あんまり優秀だからって、裏で『影宰相』って呼ばれてるらしいぜ」

「かげさいしょう?!」

 

 なんだよその中二病ネーム。

 めちゃくちゃ似合うけど。

 

「とはいえ……あいつを知ってる俺たちとしては、それでも今の有能さが信じられねえんだけどな」

「リリィからジェイドを借りてるなら、魔法関係の仕事はある程度任せられるけど、それでも処理しなくちゃいけない情報が多すぎるよね」

「あいつの頭の中どうなってんだろうな?」

「それは、新しいデバイスのおかげかも」

 

 私はポケットから新兵器を取り出した。

 




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スマートグラス

「なんだこれ、レンズ……いや、眼鏡か」

 

 私がテーブルの上に出したのは、視力矯正に使われる装具、いわゆる眼鏡だ。レンズの加工どころか、曇りのないガラスを作ること自体が難しい、この世界ではかなりの高級品だ。

 

「コレで何ができるかは、かけてみればわかるわ。もちお、ヴァンとケヴィンに一時的な利用権限を与えて」

『かしこまりました』

「もちおが出てくるっつーことは、これも女神のアイテムなんだな」

 

 ヴァンはおそるおそる眼鏡をかける。

 そして次の瞬間、大きく目を見開いた。

 

「おぉ?! なんだこれ、すげえな!」

「ヴァン?」

「ケヴィンもかけてみろよ! おもしろいから!」

 

 ヴァンはいそいそとケヴィンに眼鏡を手渡した。受け取ったケヴィンも、眼鏡をかけたとたん大きな目をいっぱいに見開いて呆然とする。

 

「なにこれ……ええ? この絵は……浮かんでるんじゃなくて、眼鏡に、映ってる?」

「……リリィ?」

 

 シュゼットが恐々私に声をかけてきた。その青緑の瞳は不審そうに揺れている。

 

「スマートグラス、っていうアイテムよ。眼鏡をかけると目の前の景色に、もちおが作り出した映像が重ねて表示されるの」

「この絵はすぐ目の前にしか出せねえの? 歩く時とか邪魔そうなんだけどよ」

 

 ケヴィンから眼鏡を取り返したヴァンが、もう一度かけなおしながらたずねてくる。その目は好奇心にキラキラと輝いていた。

 

「画面の端をつまむジェスチャーをして、横にひっぱってみて。その通りに移動するから」

「お……こうか? おおお、動かせた動かせた!」

「さらに、画面の上で指を広げる動作をすると拡大縮小もできるわよ」

「こうして……おっ、こうやって画面を増やして……ほうほうほう……」

 

 すっかりスマートグラスが気に入ったらしい。

 新しいおもちゃを手にした子供のように、画面を弄り回して遊び始めた。

 

「その眼鏡は、単純に情報が表示されるだけじゃないの。同じように眼鏡をかけている者同士で、同時に操作したり情報を共有することもできるわ」

「なるほど、コレを使ってフランさんとジェイドで共同作業をしてるんだね」

「この離宮に移ってきてすぐ、だったかな? フランに『スマホは画面が小さすぎて、一度に処理できる情報が少なすぎる』って相談されたのよ」

 

 私はテーブルの上に置きっぱなしになっていたスマホを取り上げる。

 コレは確かに便利な道具だけど、個人の通信用アイテムだ。国家規模の軍事作戦みたいな大規模情報処理には向いていない。

 

「最初はモニターとキーボードを用意しようと思ったんだけど、それだと目立つし持ち歩きづらいでしょ?」

「うーん、モニターもキーボードもわからない俺にそう言われても、何て言っていいかわからないかな」

 

 ケヴィンが苦笑する。

 そりゃそうだ。

 

「そこで、もちおと相談して用意したのが、スマートグラスよ。これならただ眼鏡をかけてるだけにしか見えないからね。眼鏡に何が表示されてるかも、ちょっと横から覗き込んだだけじゃわからないし」

「これなら、際限なく画面が増やせるから、情報を並行処理しやすいな……」

 

 ヴァンは何もない空中を指先で次々になぞっていく。画面を増やして遊んでいるのだろう。

 スマートグラスは、使用者の指先の動きを読み取って入力を受け付けている。ファンタジー世界だからか、傍目には眼鏡をかけた人間が、怪しい魔法の実験をしているようにしか見えなかった。

 それを見て、彼の婚約者が珍しくあきれのため息をつく。

 

「そんなものをつけて、よく平気でいられるな……」

「え? めちゃくちゃおもしろいぞ? お前もかけてみろって」

「ソレだけは絶対断る」

 

 さらに珍しいことに、彼女はヴァンの誘いをきっぱり断った。

 

 




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3D眼鏡って向き不向きあるよね

「リリィ?」

 

 スマートグラスをかけなおしながら、ヴァンがこっちに目を向けた。説明求むってことなんだろう。

 

「視界全体を使うせいか、体質的な向き不向きがあるのよ。眼鏡のテストをした時に、クリスにもかけさせたんだけど、すぐに気分が悪くなっちゃって」

「えぇ? そんなに?」

「私はむしろ、ソレをつけてはしゃげるヴァンが信じられない……」

 

 クリスの顔は真っ青だ。初めてスマートグラスをつけた時のことを思い出しているんだろう。

 

「私も使ってみたけど、一時間が限界だったわ。それ以上になると頭が痛くなってきちゃうの」

 

 現代日本でも、VRゴーグルやスマートグラスを使うと気持ち悪くなる、という人はいた。クリスはその中でも特に合わない体質だったんだろう。小夜子も3Dアクションゲームですぐに乗り物酔いみたいになってたから、その気持ちはわかる。

 

「宰相家のメンバーも、フランとマリィお姉さまはうまく使えてるみたいだけど、宰相閣下は合わなかったみたい」

「そんな風には見えねえけどな……」

 

 ヴァンはスマートグラスを外すと、不思議そうにそのレンズを見つめた。

 

「体質が合うなら、いい道具だと思うわ。もちお、ヴァンとケヴィンにもスマートグラスを配布できる?」

『かしこまりました。ご自宅のお部屋にドローンで配達いたします』

「頼む。これがあれば、俺もじいさんの東部国境防衛戦に協力できるからな」

「ああ、その手があったわね」

 

 ヴァンは騎士科で軍略を学んでいる。監視衛星を利用しながらクレイモア伯と協力できれば、東部防衛の大きな戦力になるだろう。

 

「俺もこれを使って北方のモンスター退治に協力できないか、試してみよう。指示を出せる人間が増えれば、それだけ宰相家の負担が減るはずだから」

「ありがとう~!」

 

 ケヴィンの気遣いが心の底からうれしい。

 

「リリィたちのためだけってわけじゃないんだ。俺たちも国の危機に何かしたいって思うし」

「お互い『跡継ぎが危険地帯に来るな』って言われて、王都に足止めくらってたからなー」

 

 領地が不穏な状況だっていうのに、ふたりが帰郷しなかったのには、理由があったらしい。

 

「安全な場所で情報を分析するだけなら、おばあ様も嫌とは言わないでしょ」

「うちのじいさんもな」

 

 私は侯爵様たちを過保護とは思わなかった。

 戦場は真実、人の命が消える場所なのだから。

 

「もちおのことだから、屋敷に戻ったらモノはもう届いてるだろうな」

「帰る前に、宰相家の執務室に寄ってみる? 使い方とか、情報の共有方法とか、フランドールさんと話しておいたほうがいいと思うよ」

「俺たちの立場じゃ、そう何度も王宮の中央まで来れねえもんなあ」

「じゃあ、ふたりを迎えるよう、私からフランにメッセージを送っておくわ」

「よろしくね」

「そのついでに、ちょっとお願いしたいがあるんだけど」

 

 お願い、と言われてヴァンとケヴィンが身構えた。

 ふたりとも、警戒しすぎじゃないの。

 私がお願いって言いながら、ちょくちょく無茶ぶりをするのは事実だけどさー!

 

「大したことじゃないわ。フランに会ったら、彼の写真を撮ってきてほしいの」

「お前、あいつの写真なんかいくらでも撮ってるだろ」

「でも眼鏡バージョンはまだ見たことないの!」

「は?」

 

 急に応接間の空気が冷えたのを感じる。

 だけど、恋する乙女はそんなことで止まっていられないのである。

 

「スマートグラスを手配した直後に忙しくなっちゃって、結局眼鏡をかけたところを直接見てないのよ!」

 

 この世界で眼鏡はめったに見かけない高級品だ。

 つまり眼鏡そのものがレアシチュエーションなのである。

 泣きボクロがセクシーで、瞳が鋭いフランが眼鏡をかけたら、きっと、いや絶対似合うに決まっている。

 

「お……おう?」

 

 困惑するヴァンの隣で、ケヴィンが私に微笑みかける。

 

「わかった、必ず撮ってくるよ」

「ケヴィン大好き!」

 

 眼鏡バージョンのスチル、ゲットだぜ!

 




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幕間:からっぽ王子(オリヴァー視点)・幕間:騎士物語(ヘルムート視点)

「王子、ハルバード侯の出陣が決まったそうですよ」

 

 ヘルムートに声をかけられて、俺は読んでいた本から顔をあげた。

 

「聞いている。出陣式には俺も列席するよう、宰相から指示を受けているからな」

 

 王立学園が閉鎖されてから一か月、王宮の自室に閉じ込められるようにして過ごしてきた。見送りでもなんでも、外に出て側近以外と話せるのはありがたい。

 俺のうれしそうな様子を見たヘルムートは、不満そうにフンと鼻から息を吐きだした。

 

「それでいいんですか、王子」

「第一師団長であるハルバード侯は、王国軍を率いて魔の森の侵入者を討伐するんだ。国家の威信を託す者を、王族が見送るのは当然の話だろう」

「そうではなくて!」

 

 望む答えを得られなかったヘルムートは、声を荒げた。

 

「ハーティアの国土が脅かされているんですよ。王子のあなた自身が討って出ないでどうするんですか」

「最強騎士が指揮するのに、俺の出る幕なんかないだろう。初陣も経験していない子供がついていっても、足手まといになるだけだ」

「だからって……王都にいて、どうやって初陣に出るんです」

 

 ヘルムートはいらいらと爪を噛んだ。

 このしぐさは最近始まったクセだ。

 

「王宮に閉じこもっていたら、ずっと子供のままじゃないですか」

「戦を経験していないのは、父も同じだ」

「それであの方が今、何と呼ばれていると思うんです」

 

 側近の不敬な発言を、俺は聞き流した。

 この部屋に他に誰もいなくてよかった。もし誰かの耳に入っていたら、ヘルムートを罰しなくてはならなかっただろう。

 

「有事の対応を宰相家にまかせきりの王室は、権威が落ちつつあります。今ここで戦功をあげなければ、ますます……」

「戦功が必要なのは、ヘルムート、君だろう?」

「ち、ちが……っ! 俺はあなたのためを思って」

「とりつくろわなくていい」

 

 俺は首を振った。

 

「理由はわからないが、俺はどうやら王家の血を引いていなかったらしい。継承の儀を行えないから、遠からず失脚することになるだろう」

「……」

 

 ぐ、とヘルムートが唇を噛む。

 

「そんな俺のそばにいては、お前も道連れになる。その前に、戦で大きな功績をあげて、別の主に仕えたい……そうだろう?」

 

 ヘルムートは生粋の騎士だ。

 武力以外に己の身を立てる術を持たない。

 偽王子の側近という立場から一発逆転を狙うなら、戦場に出て活躍するほかないだろう。

 

「だが……」

 

 こんな血気にはやった余裕のない子供を戦場に出して、功績をあげられるとは思えない。単身で敵陣に飛び込んで、袋叩きにあう未来しか見えなかった。

 資格を持たない自分の人生に彼を巻き込んでしまったことは、申し訳ないと思う。見放されてもしょうがない。だからといって、死地へ向かおうとする幼馴染を、そのまま見送ることもできなかった。

 

「側近を辞めたいのなら、しかるべき部署に異動させよう」

「待ってください。俺が望んでるのは、そんなことじゃ……!」

「安心しろ。従者の仕事を放りだした、なんて誰にも言わせない。お前の経歴に傷をつけず、穏便に離れられる理由をつけてやるから」

「そうじゃ……なくて……!」

「少し休む。お前も休憩してくれ」

 

 側近の有様が見ていられなくなって、俺は踵を返した。寝室に逃げ込んで扉を閉める。物理的な壁に隔たれて、やっと大きく息をつくことができた。

 

「悪いな……」

 

 何も持たない俺には、手を離してやることしかできない。

 

 

================================

 

「……オリヴァー、さま」

 

 目の前でドアを閉められ、追いすがる俺の手は宙を切った。

 気持ちの持って行き所を失ってその場に座り込む。

 

「ちが……ちがう……ちがうんです」

 

 説明したいのに、口はうまく動かない。

 戦功を求める気持ちは確かにあった。

 実績をあげて地位を確保するチャンスがあるのは、王子の素性がまだ明らかになっていない、今だけだ。

 人の生き死にが交錯する戦場ならば、万に一つ、逆転の可能性がある。

 しかしそれは俺だけの話じゃない。

 オリヴァーにだって必要なことだ。

 今この瞬間、オリヴァーの正体が明かされたらどうなるだろう。

 何の実績のない王子は、ただ血統を偽っただけの罪人だ。利用価値のない路傍の石として処分されるだろう。

 しかし、戦場で大きな功績をあげた英雄であればどうだ?

 彼の命を惜しむ者が出るのではないか。

 生き残る余地がで残るのではないか。

 

「俺が目指していたのは……誰かの騎士じゃない、あなたの騎士だ」

 

 騎士は生まれた時からのあこがれだった。

 姫君を守り悪しき竜と戦う騎士物語を読んでは、英雄を夢見た。

 仕えた相手は姫君ではなく王子だったが、それはそれでよかった。

 民の上に立つ王のそばに控える騎士の姿は、俺の目標だった。

 ただ主君に仕えていられればそれでよかったのに。

 なぜこうなってしまったんだろう。

 どこで道を間違ってしまったんだろう。

 

「結局さ、彼は器じゃなかったんだよ」

 

 優しい声が耳に響いた。

 

「君という剣を使うに値しない」

「それは……」

 

 顔をあげたら、『友達』と目があった。

 彼は闇色の瞳を細めてにっこりと笑う。

 

「優れた剣には、優れた使い手がいなくちゃ」

 

 一言ごとに、彼の言葉が優しくしみ込んでくる。

 ああ、そうだったのか。

 間違えたのは、そこだったのか。

 

「君がいるべき場所はここじゃない」

 

 象牙の肌の手が、そっと俺の手に重なった。

 

「君にふさわしい主は別にいる」

 

 手をひきあげられる。

 行くべき場所があると思ったら、すんなり立ち上がることができた。

 友達は漆黒の瞳をいっそう細めて、うれしそうに笑った。

 俺もつられて笑う。

 なんだ、こんな簡単なことだったのか。

 

「さあ」

 

 手を引かれた。

 俺は王子の部屋の扉に背を向ける。

 

「君のためのお姫様を探しに行こう」

「うん……」

 

 外へとつながる扉に手をかけたら、ドアノブがいつもより軽く回転した。

 まるで、決断を祝福するように。

 



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聖女の容態

「おまたせっ!」

 

 リビングに入ると、シュゼットとクリスはすでに身支度を整えていた。フィーアを連れて、あわてて入ってきた私を迎える。

 

「まだ約束の時間まで間がありますわ。そんなに慌てなくてもよろしくてよ」

「ひさびさに、ジェイドから報告を受けていたんだろう? もっとゆっくり話しててもよかったのに」

「必要な話はちゃんと全部聞いたから。それに……」

 

 私は後ろに控えるフィーアを見た。

 フィーア同席でジェイドと話してると、相変わらずなんとも言えない空気になるんだよね。彼らの婚約問題は、一か月以上たった今でも絶賛こじらせ中である。

 フィーアに邪険にされているジェイドがあまりにかわいそうで見ていられず、早々に会話を切り上げてしまった。

 従者の恋愛問題ムズカシイ。

 

「何か新しい情報はあったか?」

「父様のダルムール兵討伐作戦は順調に進んでいるそうよ。フランたちがスマホを通じて後方支援をしているみたい」

「後方と密に連絡が取れるのは、やはり助かるな」

 

 うむうむ、とクリスがうなずく。

 

「それと、地形の把握ね。監視衛星で魔の森全体を分析できるでしょ? 危険な底なし沼や毒の発生する泉を避けて通れるから、兵の損耗が少ないって」

「危険地帯をあらかじめ予見できるなんて、ますます便利ですわね」

 

 もう驚く気も起きないらしい、シュゼットは苦笑した。

 

「フランのことだから、ただ避けるだけで終わってなさそう。敵兵を追い詰めるのにも使ってるんじゃないの」

「あの方なら、それくらいやりかねませんわね」

 

 なぜか必ず安全地帯に陣取っている最強騎士。

 退路はすべて毒沼にふさがれていて、気が付けば逃げることも進むこともできなくなっている。

 そんな戦場、怖すぎる。

 

「あとは……そうそう、セシリアのことも聞いたわ」

 

 離宮に移ってから、ずっと会えていない友達の名前をあげる。

 実を言うと、ジェイドは二日前からハルバードの屋敷に強制収容されている。ずっと働きづめでついに倒れたから、フランが屋敷に戻したのだ。睡眠をとって体調を戻すついでに、あちらの様子も確認してきてくれた。

 

「意識が戻ったのか?」

 

 クリスが気遣わしげな顔になった。彼女は大地震のあと、倒れたセシリアを直接介抱している。だから余計心配になるんだろう。

 でも私は首を振った。

 

「ううん、まだ眠ったままだって」

「そうか……って、うん? おかしくないか?」

「セシリアが倒れてから、もう一か月以上たちますわよ? その間ずっと眠っているんですの?」

 

 ふたりの疑問は当然だ。

 人間が生きていくためには、定期的な飲食が必要だ。

 現代日本で意識不明で何年も寝たきり、なんて話ができるのは、高度な医療技術で生命活動を維持できるからだ。

 点滴どころか、注射器の存在すら怪しいこの世界で、意識のない人間を一週間以上生かし続けるのは至難の業だ。せめて水を口にする程度の意識レベルがなければ、体をもたせられない。

 

「でも、生きてるのよ。セシリアは」

 




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奇跡の子

 私は医療魔法使いでもある従者の言葉を思い返す。

 

「寝てるだけで、健康上の問題はないみたい。血色もいいし、呼吸も安定してるって。脱水で肌がカサカサになることも、寝たきりで筋肉が衰えることもないそうよ」

 

 長く寝返りを打たないことでできる褥瘡も、一切できる気配がないそうだ。

 なんてうらやましい。

 

「ええ……?」

「寝ている間は、飲まず食わずのはずだよな?」

 

 トンデモ話に慣れてきたシュゼットも、さすがに困惑顔だ。クリスは首をひねる。

 

「東の賢者、ディッツの見立てによるとセシリアの持つ膨大な魔力が、生きるために必要な要素……この場合は、水分とか栄養素ね、これらを周囲から集めて体に循環させてるんだって」

「魔力ってすごいんだなあ」

 

戦闘は物理派の姫君がふむふむとうなずいている。横でシュゼットが額に手を当てた。

 

「すごいどころの話じゃありませんわ。私も王女として、魔法はひととおり学びましたけど、いくら魔力があるからって、何日も寝たままでいられる術なんて聞いたこともありませんもの」

「セシリアには可能なのよ」

 

 私はセシリアが奇跡を起こすことに驚かない。

 

「あの子は特別だから」

 

 血統の意味でも、役割の意味でも。

 彼女は世界の命運を握る鍵だ。

 きっと運命の女神が彼女を見放すことはない。

 

「生きてるぶんには一安心、と言いたいところだけど……目を覚まさないのはやっぱり心配ね」

 

 倒れる直前、セシリアには強いストレスがかかっていた。

 女神のダンジョン内で邪神に絡まれ続け、脱出したと思ったら翌朝には王都が燃えていた。実は王女、という素性を暴露され、王族としての責任をつきつけられた直後に、あの光景を見るのはキツい。

 私たちがそばにいる、と励ましたくても相手は夢の中だ。

 眠ったままでは何の手助けもしてあげられない。

 

「王都がもう少し落ち着いたら、一度屋敷に帰って直接セシリアの容態を見てこようと思う。それまでは引き続き、ディッツに看病させるわ」

「そうする他、ないか」

「問題はそれがいつかってことよね」

「復興のめどは、まだ立ちそうにありませんか」

 

 シュゼットは窓の外を見た。

 堀と塀に囲まれている離宮からでは、その先の市街地の様子を見通すことはできない。

 時々スマホごしに伝えられる情報によると、がれきの撤去や避難場所の整備は進んでるみたいだけど、完全復活には程遠いようだ。さらに、東西同時防衛に、魔物の出現。事態は良くなってない。なんとか悪くなる前で踏みとどまってるだけだ。

 

「ごめんね。今日みたいなことになる前に、どうにかしたかったんだけど」

「あなたが謝る必要はありませんわ。悪いのはユラですもの」

 

 話していると、ちょうどタニアがやってきて来客を告げた。

 私たちはそろって立ち上がる。

 

「危機的状況で外国人留学生を留めおくことはできない。大人の判断はおおむね正しいと思います」

 




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帰国前

「シュゼット様!」

 

 離宮をつなぐ細い橋のたもとに、学生服を着た少年少女の姿が見えた。シュゼットとともに、キラウェアからハーティアにやってきた留学生たちだ。私たちが離宮の門から手をふると、女性教師の引率でこちらにやってくる。

 

「姫様、お元気そうでよかった!」

 

 彼らはそろってシュゼットに笑顔を向けた。シュゼットもほほえみを返す。

 

「あなたたちも、息災だったようで何よりですわ。あまり会えてなかったけど、不自由してなかったかしら」

「いいえ。宰相家の方々が、良くしてくださったので」

「宰相閣下には感謝してもし足りませんわね。あら……ミリアムはどうしたの? 姿が見えませんけど」

 

 留学生たちの顔を確認していたシュゼットが不思議そうな顔になった。引率の女性教師が肩をすくめる。

 

「トイレに忘れものをしたそうで、遅れています。じきに追いついてきますよ」

「……そう」

「皆様、お茶のご用意が整ってございます」

 

 再会を喜び合っていると、タニアが声をかけた。フィーアがお客を奥へと促す。

 シュゼットたちは連れ立って、応接間へと向かっていった。

 

「もう帰国の準備が整ったの?」

 

 私は、彼女たちを追いかけずに、今まで留学生たちを引率していた黒髪の女性教師に声をかけた。青い瞳の彼女は、右目の下に色っぽい泣きボクロがある。

 私たちは橋からは見えない位置へと廊下を移動した。

 何日も顔を合わせてなかったせいかな?

 女の姿をしていても、直に会えたことがうれしくて、とくとくと鼓動が早くなる。

 ドリーは私に身を寄せるとごく近くでささやいた。

 

「現在馬車に荷物を積み込んでいるところだ」

「はあ……もう帰っちゃうなんて、残念」

「仕方がない。情勢不安定な国に娘を置いておけない、というキラウェア国王の判断は妥当だ」

 

 邪神の封印が壊れたハーティアは、今や魔物が跋扈する危険地帯だ。私がキラウェア国王でも、帰国命令を出していただろう。

 むしろ帰国に踏み切るのが遅かったくらいだ。

 

「街道をふさいでいた大型魔獣を討伐し、やっと帰国ルートの安全が確保できたところだ。また何か危険な生物が現れる前に、送り出してしまいたい」

「そんな厄介払いするみたいな言い方、しないでよ。私の友達なんだから」

「……悪い」

 

 ドリーはむっつりと黙った。

 シュゼットは火種だ。

 国内にいるうちに万が一命を落とすようなことがあれば、とんでもない国際問題に発展するだろう。アギトとダルムールと戦いながら、さらにキラウェアとまでコトを構える余裕はない。

 だから可及的速やかに帰国していただきたい、というフランの心境はわからないでもない。

 それでも今のは言葉に配慮がなさすぎだった。

 彼らしくもない言動の原因はわかる。疲れだ。

 見上げると、ドリーの整った横顔が見えた。その頬は白く青ざめている。これはきっと、白粉のせいだけじゃない。

 

「ジェイドを無理やり屋敷に帰したって聞いたけど」

「ああ、三日休養をとらせた。明日から復帰だ」

「……あなた自身はちゃんと寝てる? ジェイドが倒れても困るけど、影宰相のあなたが倒れても、みんな困るんじゃないの」

「ぐっ……その名前、どこから聞いたんだ」

「最初はヴァンからだけど、結構噂になってるみたいよ?」

 

 ドリーは嫌そうに眉間にシワを寄せた。

 相変わらずの表情に、笑っていると……ドリーは不意に私の肩に頭を乗せてきた。そのまま軽く寄りかかられる。

 

「ど、ドリー?」

「つまずいてバランスを崩した。しばらくこうしてないと立てそうにない」

 

 いや君ついさっきまで普通に立ってたじゃん。

 つまずく要素ゼロじゃん!

 だからって、ストレートにつっこむほど私も野暮じゃない。

 

「しょうがないわね……ちょっとだけ肩を貸してあげる」

 

 ドリーの背中に手を回す。

 柔らかな体温を感じながら、この程度のことしかしてあげられない悔しさに、こっそり唇を噛んだ。

 




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幕間:お別れの挨拶(ミリアム視点)

「お、お待たせしました……ローゼリア、さん」

 

 指定された場所に行くと、すでに私を呼び出した女官が待ち構えていた。濃い蜜色の髪の女は、翡翠の瞳を細めてにんまりと笑う。

 

「久しぶりね、ミリアム」

「……」

 

 私は身をすくませる。

 でも、これはあと少しの辛抱だ。

 

「突然の災害で、連絡がとれなくなってたけど、元気そうでよかったわ」

「その……王宮に避難してからは……ひとりで、出歩けませんでしたから……」

「ふうん」

 

 肯定しているようで、まったく信用する気のない返事だった。

 

「あなたのことだから、新しい場所でまた秘密の恋人を作っていると思ってたわ」

「あ……あれは、あれっきりのことで……! そもそも、あなたたちが仕掛けたことじゃないですか」

「それでも、母国に婚約者がいながら彼についていったのはあなた。彼と関係を持ったのもあなた。元から関わらなければ、罠になどかからなかったのに」

「う……」

 

 私は唇を噛んで必死に耐える。

 もう少しだ。

 もう少しだけ耐えればいい。

 

「もう……失礼させてください。私たち、帰国するんです」

「そうらしいわね。国を隔てても末永くお付き合いを……」

「む、無理です! 堪忍してください……!」

「やめてあげる」

「……は」

 

 翡翠の瞳の女は、にやにやと笑っている。

 

「やめてあげる、って言ったの。あなたとの取引は、これっきりにするわ」

「……そ、う。ですか」

 

 どくどくと心臓が早鐘を打っている。

 落ち着け。

 女は取引をやめると言っているのだ。

 自分が一番望んだ結果じゃないか。

 

「これでも、あなたには感謝してるのよ? 宰相家の連中は誰も彼もガードが硬くて、なかなか近づくこともできなかったから」

 

 ローゼリアは懐から何かを取り出した。

紅い布張りの小さな箱。蓋を開けると、そこには大粒の真珠がひとつ、おさまっている。

 

「な……に、ですか」

「お礼よ。あれだけ働いてもらったのに、ご褒美もナシじゃかわいそうでしょ」

「結構です……!」

「遠慮しないで」

 

 拒否しようと一歩下がったら、無理やり荷物にねじこまれた。

 

「ね?」

 

 睨まれて、私は抵抗をやめた。

 どうせこれきりだ。

 この場を乗り切れば、縁が切れる。

 小箱ひとつ受け取れば解放されるのだ。

 従ったほうが早くすむだろう。

 

「……ありがとう、ございます」

「いい子ね」

 

 ローゼリアが身を引いた。ねっとりとした蛇のような視線が、ようやくゆるむ。

 彼女は優雅にお辞儀した。

 

「ごきげんよう。永遠に、さようなら」

 

 ついに悪魔から逃れた私は、大急ぎで主の元へと向かった。

 




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ここでおしまい

「シュゼットたちはこっちよ」

 

 私は遅れて橋を渡ってきた留学生を連れて、応接室に入った。仲間たちと合流したミリアムはぺこぺこと私に頭をさげる。

 

「あ、ありがとうございます……リリアーナ様に案内していただくなんて……おお恐れ多い……」

「気にしないで。離宮は人が少ないぶん、私たちも動かなくちゃ回らないもの」

「ありがとう、ございます」

 

 ミリアムはなおも頭をさげる。私たちのやりとりに気づいたシュゼットが、歓談の手を止めてこちらを振り返った。

 

「留学生が全員そろいましたわね。あら、ドリー先生は? いらっしゃらないようですけど」

「他に仕事があるからって、ミリアムと入れ替わりで帰っていったわ。馬車の用意ができたら、今度はマリィお姉さまが迎えにくるみたい」

「そうなのですか。留学中はドリー先生にもお世話になったから、ご挨拶したかったのに」

「今度会ったら伝えておくわね」

 

 ドリーはともかく、ゴタゴタが続いている王宮で『影宰相』は多忙だ。裏事情を知っている身としては、あまり長く引き留められない。

 多分、最後にもう一回くらい『世話役フラン』のほうには挨拶する機会があると思うから、感謝はその時伝えればいいんじゃないかな。

 

「ミリアム、あなたも荷物を置いてこっちにいらっしゃい。お父様たちにお渡しするお土産を選んでいたところなの。あなたの意見も聞きたいわ」

「は……はい!」

 

 ミリアムは持っていたカバンを他の留学生たちの荷物のそばに置いて、主のもとへと移動した。その様子を見てシュゼットはにっこり笑う。

 

「ふふ、ちゃんと手を洗ってきたのですね」

「シュゼット様?」

「故郷に帰るのですから、身ぎれいにしておかないと」

 

 シュゼットのにこにこ顔を見ながら、なぜかミリアムの顔が真っ青になっていく。

 ただ身支度のことを話してるだけっぽいのに。

 

「わわ……わ、私……は」

「いいのよ、私もあなたが何を知ろうとしているのか、ずっと見させてもらってたから。目的がわかれば、相手が誰で、何をしたいのか予想できるもの」

「全部……知って……!」

 

 シュゼットは笑顔のまま唇の前に人差し指を立てる。

 

「この話はここでおしまい。あなたは主を利用し、私もあなたを利用した。誠意がないのはお互い様だもの」

「……」

 

 ミリアムはこく、とうなずく。

 

「帰国してしばらくは、見守ることになるでしょうけど……私はあなたの家族まで利用したいとは思っておりませんの。お行儀よく、過ごせますわね?」

「は……はいぃぃ……!」

 

 ミリアムはソファにへなへなと座り込んでしまった。

 シュゼットはというと、にこにこ顔でお土産談義を再開する。腹芸上手なお姫様、怖い。

 留学生たちから一歩離れて彼女たちを見守っていたクリスが、私のそばにきてコソっとささやく。

 

「……リリィ、シュゼットの今のセリフは」

「私の手品の種と一緒よ。知らないほうが幸せ」

 

 そういえば、シュゼットは人にレッテル付けをしなくなってから、ものの数か月で王宮情勢を把握してたっけ。情報の重要性を実感した結果、今度は情報に貪欲なお姫様になったみたいだ。

 帰国してからも各国の情報を集め続けるだろうし、この先どんな風に成長するのか、想像するだけでも恐ろしい。

 

「リリィ、お母様にアクセサリーを贈ろうと思うのですけど、この耳飾りは避けたほうがよいかしら」

「あ~それは、最近できたトレンドだからねえ」

 

 ミリアムをガン詰めしたことなど、きれいさっぱり忘れたような顔で、シュゼットが耳飾りを見せてきた。それは『耳飾り』という名前で呼ばれているけど、耳の先に飾りをつけるイヤリングとは別ものだ。耳の穴に大きな飾りがひとつ。そして、その飾りを中心に耳を縁取るように宝石がちりばめられている。大型のイヤーカフ、と言ったほうがいいだろう。

 ミリアム以外の留学生が、不服そうな顔になる。

 

「でも、お互いの無事を想う恋人たちの証、という噂ですわよ」

「リリアーナ様のお母さま、白百合の君がハルバード侯爵に贈られたのがはじまりだとか」

「娘のリリアーナ様こそ、耳飾りを推すと思っておりましたのに!」

 

 だってそれ嘘だもん。

 




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耳うどん

 イヤホンマイクを入手したことで、いちいちスマホの画面を見なくても通話できるようになった私たちだけど、今度は別の問題に直面することになった。

『ファンタジー世界で耳にイヤホンつけて歩いてたら、結構目立つよね?』問題である。

 ある日突然上司、それも宰相や騎士団長が耳に謎のアクセサリーをつっこんで仕事し始めたらやばい。少なくとも私は、耳の異常事態が気になって、仕事に手がつかなくなる自信がある。

 イヤホンはスピーカータイプでも骨伝導タイプでも耳に音を届ける都合上、サイズの圧縮に限界がある。

そこで行われたのがマリィお姉さま発案の、木を隠すには森の中『なんか流行りのアクセサリーってことにしよう』作戦である。

ちょうど父様が被災地を飛び回っていたのを利用し、妻が夫の無事を願ってプレゼントしたアクセサリーである、と侯爵夫妻のラブラブエピソード演出したところ社交界で大ヒット。

王宮はイヤホンマイクっぽい耳飾りをつけた男女であふれかえっている。

 超アイテムを隠すためとはいえ、娘の私は苦笑いするしかない。

 いいのかなあコレ。

 絶対、ハーティアファッション史で、謎のオーパーツ扱いされるヤツだと思うんだけど。

 

「でしたら、こちらの伊達眼鏡はいかがでしょう」

「目元を知的に彩るアイテムとして、最新トレンドにあがっていますわ」

 

 留学生たちが小箱から眼鏡を取り出す。金と透明度の高いガラスでできたそれは、視力矯正アイテムというよりは、やっぱり宝飾品に見える。

 このトレンドの黒幕も、宰相家だ。

 宰相家の美形姉弟がそろってスマートグラスをかけるようになったのを見て、「かっこいい」と社交界の貴族子女が褒めそやしたのが発端である。本人たちがおしゃれを楽しんでいる風を装った結果、王宮の眼鏡キャラ人口が増加した。

 この伊達眼鏡も、ハーティアファッション史オーパーツになりそう。

 

「耳飾りと眼鏡のどっちがオススメか、って話ならまだ眼鏡を推すかなあ。こっちなら、ブームが去ったあとも、使えると思うし」

「キラウェア宮廷でも、受け入れられやすいアイテムですわよね」

 

 それを聞いて、耳飾りを推していた留学生が口をとがらせる。

 

「でも、それじゃ面白みがないでしょう。お土産にするなら、この国でしか手に入らない品でなくては」

 

 異国情緒というやつだろうか。

 海外のお土産に、その辺のコンビニで売ってるお菓子をプレゼントされてもうれしくないのと同じ感覚だろう。

 確かに、この耳飾りは今のハーティア王宮でしか、お目にかかれないけど。異国情緒たっぷりすぎて、趣味の合わない人形もらってもうれしくない、という話もあるしなあ。

 

(イヤホンをごまかすデザインのせいで、耳飾りはちょっとダサいんだよねえ……)

 

 止めるべきか勧めるべきか。

 迷って天井を見上げた時だった。

 パァン! という派手な破裂音が響いた。

 




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同時多発火災

 突然応接間に響いてきた異常音に、全員がさっと緊張した。

 部屋の中で起きた音ではない。破裂音は窓の外、やや遠くから聞こえてきていた。

 クリスとフィーアがお互いに目くばせしてから、窓の先をうかがう。護衛対象の私たちは、身を伏せて、ひと塊になった。

 

「フィーア、何か見えるか?」

「南西に白煙を確認。第三厨房がある場所かと」

「原因は……」

 

 パン! パパパパン!

 今度の破裂音は連続だ。異常事態が起きているのは一か所だけじゃなさそうだ。

 私はポケットからイヤホンマイクとスマートグラスを取り出して装着した。マイクに小さくささやく。

 

「もちお、状況報告」

『王宮内で火災発生。場所をマップにポイントします』

 

 眼鏡ごしの視界に半透明の地図が表示された。複数箇所に赤い印が点滅している。監視衛星から確認した火災発生個所だろう。

 

「リリィ?」

「王宮のあちこちで火事が起きてるみたい。まだ動かないで」

 

 私は地図を見つめる。

 火事は王宮の広い範囲で起きていた。厨房、洗濯室、風呂場、給湯室……傾向を推理したいけど、数が多すぎてよくわからない。

 

「もちお、フランにコールして」

 

 私が命令すると、一コール目の途中でフランが応答した。

 

『俺だ。状況は?』

「離宮は無事。全員応接間に集合してる。そっちは?」

『父と姉の安全は確保。俺もツヴァイと執務室で周囲を警戒している。どうも、各施設の魔力式給湯器から火が出たようだ』

「給湯器から?」

 

 そういえば、赤い点が記された場所はどこも水仕事にかかわりのある場所だった。

 

「魔法陣の暴発? それにしては妙よね」

『おそらく、何者かが記述式に細工をしたのだろう』

「避難したほうがいい?」

『いや、まだ離宮にいろ。そこの厨房は旧式で魔力式給湯器がない。周りに堀もある。そこが王宮内で一番安全だ』

「わかった」

『俺はこれから被害状況の確認に出る』

 

 そういいながら、フランのイヤホンマイクからは早くもカツカツと廊下を歩く足音が聞こえてきていた。すでに移動を始めているんだろう。

 

『落ち着いたらすぐ救助に向かう、待っていろ』

「うん……そっちも気を付けてね」

『承知した』

 

 プツ、と通話が途切れる。

 もっと話していたかったけど、これが限界だ。あとはフランたちを信じて待つしかないだろう。

 

「あっちは何だって?」

 

 スマホで連絡をとっていることに気づいていたのだろう、クリスが声をかけてくる。

 

「王宮各所の魔力式給湯器から火が出たって。今被害と原因を確認中。私たちは離宮で待機」

「了解だ。フィーア、警戒を続けるぞ」

「かしこまりました」

 

 フィーアが耳をぴんと立てて、各窓の外を確認して回る。どの窓からも白煙があがるのが見えた。

 

「うう……どうして……」

 

 留学生たちは震えながらうずくまる。

 

「大丈夫、離宮に給湯器はありませんから、安全ですわ。落ち着いて救助を待ちましょう」

「姫様……」

 

 自分も不安だろうに、姫君は気丈にほほ笑む。

 彼女たちは西の国からの預かりものだ。これ以上ハーティアのトラブルに巻き込んではいけない。安全に、怪我ひとつなく母国に送り出してあげなくては。

 

「気持ちを落ち着けるために、水でも……」

 

 言いながら、立ち上がる。

 その瞬間、今度は部屋の隅から火柱があがった。

 




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離宮炎上

「きゃああああっ!」

 

 ついに応接間で悲鳴があがる。

 火柱は留学生たちの荷物の中から発生していた。天井まで届くレベルの炎に、留学生たちはパニックになる。

 

「いやあああああっ」

「どうして……どうして、こんなとこからっ!」

「理由はあと! 全員部屋から出なさい!」

 

 鋭く命令を放つ。

 思考が停止していた少女たちは声に入力されるまま、ドアへと向かった。私もドアに移動しながら、逃げ遅れた子の服を引っ張る。全員でもつれ合うようにして中庭に出た。

 

「建物が燃えるのも時間の問題よ! 橋に向かって! 離宮から出るの!」

 

 前世の子供のころ、防災教室で言われたことがある。

 天井にまで達した火柱は、素人の手には負えない。消火器程度ではもう消せないから、とにかくその場から離れろと。

 実際、教えられた通りだったようで、すでに炎は床にも天井にもその手を伸ばしていた。

 ファンタジー世界にはまだ、延焼を食い止めるような素材はない。建物を形づくるのは木とレンガと漆喰だ。すぐに離宮全体が炎に飲まれるだろう。

 

「フィーア、退路を確保! 避難ルートを誘導して!」

「はいっ! みなさんこちらへ!」

 

 フィーアが留学生たちを出口へと導く。

 シュゼットを先頭に、彼女たちは無言で移動を始めた。災害からの避難生活で、良くも悪くも避難行動に慣れてしまったらしい。ひとりもはぐれることなく、すぐに細い橋へとたどりつく。

 私とクリスは、彼女たちの背後を守るように、最後尾からついてきていた。

 

「一、二、三……」

 

 一列になって走る少女の数を、クリスが後ろから数える。

 

「全員そろってるみたいだな」

「みんな応接間に集まってたおかげね」

 

 この混乱の中、離宮内をいちいち探し回る必要がないのは助かる。

 

「兵士に保護してもらったら、タニアに言って、焼けた荷物を……」

 

 そこまで言って、私はふと気づいた。

 

「リリィ?」

 

 立ち止まってしまった私を、クリスが振り返る。彼女も足を止めた。

 私はクリス尋ねる。

 

「タニアは?」

「えっ」

 

 クリスが橋を走っていく少女たちを見た。そこに、銀髪の女性の姿はない。

 

「タニアがいない……!」

 

 うっかりしていた。

 私たち高位貴族にとって、使用人や女中は黒子のような存在だ。お茶出しなどの仕事をさせる時以外は、どこで何をしてるかなんて気にしない。シュゼットたちと応接間に集まっていた時も、彼女の所在を気に留めてなかった。

 てっきり、彼女も非常事態を察して逃げ出したと思っていたけど。

 そもそも事件発生時点でおかしかったのだ。

 責任感の強いタニアが、異常音を聞いて応接間の様子を見にこないわけがない。

 

「きっと何かあったのよ」

「戻ろう」

 

 クリスが身をひるがえす。私も離宮の門を振り返った。

 

「ご主人様っ?!」

 

 フィーアに、私が戻る理由を伝える時間はなかった。

 バンッ!!

 すさまじい轟音とともに橋の真ん中がはじけ飛んだ。

 どんな爆薬を使ったのか、橋は中央から連鎖的に崩れ始める。留学生たちは王宮側へ、私たちは離宮側へと慌てて走った。

 離宮を囲む堀は深く、底には罠が仕掛けてある。落ちたら命はないだろう。

 とにかく建物の中へと滑り込む。

 離宮の門から後ろを振り返ったら、橋が跡形もなくなくなっていた。

 

「ご主人様!」

 

 王宮側の橋のたもとで、留学生たちの救助をしながらフィーアが叫ぶ。

 

「こっちは大丈夫! タニアを連れて避難するから、あなたはそこにいて!」

「しかし!」

「堀を渡るのは危険だわ。どうにかするから待ってて!」

 

 今にも堀に飛び込みそうなフィーアを止めてから、中に入る。

 先に離宮に入っていたクリスが私を振り返った。

 

「どうにか、の勝算はあるか?」

「なければ作るまでよ。とにかくタニアを探しましょ」

 

 私は燃え始めた離宮の奥へと歩き出した。

 




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救助と避難

「タニア!」

「タニア、返事をしてくれ!」

 

 私たちは口々に叫びながら離宮の中を進んだ。

 思ったよりも火の回りが速い。

 応接間を起点にして、離宮はもう三分の一ほどで火の手があがっていた。

 

「事件が起きたとき、タニアはどこで何をしていたのかしら」

「応接間にお茶出ししたあと、さがっていったから……」

「厨房だ」

 

 私たちはうなずきあってから、厨房へ向かった。ドアを開けた瞬間、床に倒れ伏すタニアの姿が目に飛び込んでくる。

 

「タニア!」

 

 クリスが中に飛び込む。

 彼女を助け起こそうと、そばにしゃがみこんだところで、びしりと厨房の壁にヒビが入った。見つめているうちに、みるみるヒビは大きくなり、壁が割れ、その間から炎が噴き出してくる。

 

「わあっ!」

「クリス、早くこっちに!」

 

 私は即席の風魔法で、炎を追い返す。

 クリスはすぐにタニアを抱えてドアまで戻ってきた。ふたりで彼女を支えて退避する。

 

「いっ……つ」

 

 クリスが顔をしかめた。

 彼女の右手の袖はこげていた。突然の熱から体をかばおうとして、焼けてしまったらしい。

 

「火傷ね……」

「それと打撲だな。壁から飛んできたがれきが当たった。右手で剣を握るのは無理だな」

「痛み止めの魔法と、炎症を抑える魔法をかけるわ。本格的な治療は後でね」

 

 こんな火事のまっただなかでは、落ち着いて傷を見ることもできない。

 

「タニアのほうは……」

「生きてるわ、呼吸も問題ない。でもどうしてあんなところで倒れてたのかしら」

 

 私はタニアの様子を観察した。

 いつもきっちりとまとめていた彼女の髪は乱れ、額には赤い血の痕がある。

 

「誰かに、殴られた?」

「侵入者か」

「それはおかしいわ。離宮は常に神の目が監視してるのよ。この世界に監視カメラをかいくぐる技術なんて、ないはずなのに」

「だが……この傷は明らかに他人に攻撃されたものだろう」

「それはそうなんだけどね」

 

 状況がわからず、唇を噛んでいると、すぐそばで何かが崩れる音がした。

 

「推理も、脱出してからだな」

 

 私はうなずいた。立ち上がって、周囲を見回す。

 

「橋は他にないんだったな」

「ええ。でも……」

 

 私はかけっぱなしのスマートグラスに意識を集中した。

 

「橋を落とされたら逃げ場がなくなる。その程度のこと、ヴァンもイルマさんも、考えないわけないのよね」

「別の退路がある?」

「多分。もちお、攻略本を出して」

 

 小夜子として女神ダンジョンに入り込んだ時に、攻略本のデータは管制施設に登録されている。指示すると、目の前に攻略本のデータが表示された。

 

「ええと……抜け穴、抜け穴……あった! これだわ」

 

 私は目的の情報を見つけて声をあげた。

 倉庫の床下から、地下道が作られている。その道は地中深く、堀のさらに下を通って、王宮の端につながっていた。エリア的に王族以外入っちゃいけないところっぽいけど気にしない。こちらに王族直系の姫君がいるのだ、大きな問題にはならないだろう。

 

「王宮には秘密の抜け穴があるって噂、本当だったんだ」

「ゲームだったら絶対に行っちゃいけないルートだけど、今なら大丈夫でしょ」

 

 秘密の抜け穴は、王族だけの秘密ではない。

 彼らをスムーズに避難させるため、近衛騎士の中枢メンバーにも情報は共有される。女神の作った世界救済シミュレーターには、この情報を逆手に取り、暗躍する敵キャラが存在していた。

 裏切りの騎士、マクガイアである。

 ゲーム内では避難路に王家の抜け穴を選択すると、ほぼ百パーセントの確率でマクガイアが登場。逃げようとするヒロインをことごとく殺害していた。

 安全なはずの通路に出現する、まさに初見殺しのトラップである。

 

「でも、マクガイアはすでに断罪されている……」

 

 今の近衛騎士団は父様と宰相閣下の支配下だ。

 悪用する者は存在しない。安全な避難路に変わっているはずだ。

 私たちは、脱出路を求めて歩き出した。

 




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エレベーター

 ぎい、と耳障りな音をたててエレベーターの扉が開いた。

 私とクリスは、まだ意識の戻らないタニアを抱えて、エレベーターの籠から降りる。その先は真っ暗だ。

 私はスマホのライトモードを起動して、奥に光をあててみた。

 道幅は二メートルくらい。人間ふたりがすれちがって通れる程度の石造りの道がまっすぐ奥へと続いてる。

 

「通路の底まで降りるしかけがあってよかったな」

 

 クリスがエレベーターを振り返り、わきに設置された梯子を見上げた。今いる場所のはるか上、抜け穴の入り口まで、梯子の取っ手がずっと規則正しく続いている。

 

「抜け穴の入り口からここまでは、深さが二十メートル以上あるわ。梯子だけじゃ危なくて脱出できないって、考えたんでしょう」

 

 私はエレベーターを改めて見つめる。

 格子で囲まれた四角い檻のような籠を上下させるだけの、簡素なつくりのエレベーターだ。重りを使って籠をゆっくり上下させる仕掛けになってるようだけど、詳しいことはわからなかった。

 

「なんにせよ、この仕掛けがあってよかったわ。右腕を怪我したクリスと私だけじゃ、梯子でタニアを運べないもの」

「人を浮かせる魔法は使えないのか?」

「降りてる途中でエレベーターが止まったら使おうって、身構えてたけどね。重力魔法は魔力消費が激しいから、ここぞって時しか使えないのよ」

 

 女性三人を二十メートル下まで運ぶのは、無理じゃないけど簡単でもない。

 私程度じゃ、全員運び終わったあとに魔力切れで倒れてしまうだろう。

 

「出口まではまだ少し距離がある。魔力を温存するに越したことはないわ」

 

 通路を照らすのに、光魔法ではなくスマホのライトを使っているのも、同じ理由だ。

 ここはMP回復アイテムがいくらでも手に入る女神ダンジョンじゃない。魔力を消費しても、そう簡単に回復しないし、術を行使すればそれだけ疲労がたまる。

 王家の抜け道を使うことは、もちお経由で連絡しておいたけど、出口があるのは王家専用エリア。宰相家のメンバーでもすぐには入ってこれないだろう。

 味方と合流できるまでは、手持ちでやりくりするしかないのだ。

「この奥へ行けばいいんだよな?」

 

 真っ暗な道の先を指して、クリスがたずねてきた。私はスマートグラスの縁を軽く叩く。

 

「もちお、案内をスマートグラスに投影して」

 

 しかし、ガイドAIのイケボは聞こえてこなかった。視界の隅に表示されていた、ちょいぽちゃブサカワ系白猫のアイコンもいない。

 

「どうした、もちおに何かあったのか?」

「スマホの通信が切れたみたい」

「まさか、あっちでも何かあったとか?」

 

 私は苦笑しながら首を振る。

 

「大丈夫、予想の範囲内よ。私たちがいるのは地下でしょ? ここまでは衛星の電波が届かないのよ」

 

 女神と邪神の戦いが終結してから何百年もたつ地上には、スマホの通信を支える基地局が存在しない。かろうじて宇宙空間に残されている衛星を利用した衛星通信頼みだ。だから、空の見えない地下ではスマホが通じなくなるのだ。

 クリスが無事なほうの腕でタニアを抱えなおす。

 

「もちおのサポートが受けられないのはわかった。タニアは私が連れていくから、明かりをお願いしていいか?」

「私も支えるわよ」

 

 意識のない人間を抱えるのが、かなり重労働だってことは私も知っている。怪我をしたクリスひとりに押し付けるわけにはいかない。

 

「いや、この道幅で三人固まって歩くほうが危険だ。私の体力なら、左手一本でも十分タニアを支えられる。リリィは何かあった時のために、明かりだけ持っていてくれ」

 

 私は騎士の申し出に素直に従うことにする。クリスがいてくれてラッキーだった。

 私ひとりだったら、倒れたタニアを運ぶことはできなかっただろう。

 ラッキーといえばこの抜け穴もだ。

 正直な話、タニアを無事に地下へ運ぶ自信はなかった。攻略本にエレベーターの情報はのってたけど、まともに動くとは思ってなかったのだ。

 梯子も、通路もそう。

 もっと埃だらけで、蜘蛛の巣が張ってあるような場所だと思っていたけど、そうじゃない。ほこりっぽい感じはしないし、どこを向いても突然虫が出てくる様子もない。

 明かりがないだけで、王立学園の廊下とさほど変わりなかった。

 まるで誰かが頻繁に行き来していたような。

 

「……え?」

 

 そこまで思考したところで、背筋にぞわっと悪寒が走った。

 タニアを襲った誰か。

 神の目に映らない侵入者。

 タイミングが良すぎる橋の破壊。

 手入れされた抜け道。

 これらが意味するのは。

 

「クリス、止まって! ここも罠よ!」

 

 叫ぶと同時に、闇の中から何者かが襲い掛かってきた。

 



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刺客の正体

「死ねえっ!」

 

 何者かは、先に立っていたクリスへとまっすぐに突っ込んできた。とっさにクリスはタニアを横に投げ、傷ついた右手を使ってその攻撃をいなす。

 すれ違うと同時に、ぱっと赤い血が散った。

 

「クリス!」

「かすり傷だ! ……ぐっ?!」

 

 浅く切られただけのはずのクリスが、がくりと膝をつく。

 その顔は真っ青で、ただ切りつけられただけにしては様子がおかしかった。

 

「飲んで!」

 

 私は襲撃者の横を通すようにして、クリスに小瓶を投げた。受け取ったクリスは、すぐにそれをごくりと飲み干す。と、同時に地べたにうずくまってしまった。かろうじて息はしてるけど、とても動けそうになかった。

 

「即効性の毒も、使えるのね」

 

 私は襲撃者を見つめる。

 そこにいたのは、濃い蜜色の髪に翡翠の瞳をした女性だった。

 彼女は手に持っていた剣を、見せびらかすようにつきつけてきた。

 

「コレには、呪いをかけた特殊な毒が塗ってあるの。何を飲ませたか知らないけど、すぐに死ぬわよ」

「ふうん、その程度かあ」

 

 私は笑って挑発する。

 クリスに投げたのは、東の賢者特製の解呪薬兼解毒薬だ。並の呪いならプロセスも何もかもすっとばして解呪するし、タチの悪い毒でも進行を止める作用がある。

 呼吸ができているのなら、今すぐに死ぬようなことはないはず。

 私の余裕を察知したローゼリアは目を吊り上げた。

 

「どこまでも癪にさわる……! リリアーナ・ハルバード! お前だけは許さない!」

「接待に失敗して、ご主人様に叱られた? そこまで恨みを買うとは思わなかったんだけど」

 

 私は注意深く距離をとる。

 彼女の怒りは、私に向けられていた。

 

「覚えがない? はっ……お嬢様は気楽なものね!」

「だって、そういう身分だしぃ?」

 

 わざとらしく挑発しながら、さらにもう一歩後ろにさがる。

 彼女が使った毒の正体はまだわからない。賢者の薬を使ったとはいえ、今のクリスを戦力に数えられない。

 ここは私が彼女たちを守らなくちゃ。

 とにかく話を引き延ばそう。

 私はスマートグラスの縁を軽くタップして、注意深く距離を取った。

 

「侵入者がないはずの離宮で、どうしてタニアが倒れてたのか、やっとわかったわ。あなた、抜け道を通って入り込んでたのね」

 

 離宮の警備は堀からの侵入者を想定していた。

 当然カメラが分析するのは建物の外側だ。監視衛星も、地下の状況までは見ることができない。地下からの侵入はまったく予想してなかったのだ。

 

「でも、どうやってここを知ったの? コレは大事な王家の秘密よ」

 

 抜け穴は秘密だからこそ意味がある。

 誰も彼もが知っていたら、いざという時の切り札にならないからだ。

 口が軽いと判断されたら、警備対象の王族にだって知らされない。当然、外国出身の王妃にも共有されていないはずだ。

 一介の、まして王妃づきの女官が知っていていいことじゃない。

 

「私に秘密を教えてくれたのは、父よ」

「シュヴァイン……フルトだったっけ? そんな人、近衛にいたかしら」

 

 ローゼリアは首を振る。

 

「それは、記録上の父よ。本当の父の名はヴォルフガング・マクガイア。お前たち宰相派に殺された、騎士団長だ!」




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裏切りの騎士

「なるほど……やっと合点がいったわ」

 

 裏切りの騎士マクガイア。

 彼は近衛という立場を利用して、秘密の抜け道をすべて把握していた。その娘なら、父親同様抜け道の殺人者になり得る。

 

「給湯器の火事もあなたの仕業ね。王宮勤めの女官なら、水回りの現場のどこにいたっておかしくない」

 

 そうやって王宮を混乱に陥れ、警備を分断し、離宮に乗り込んできたのだ。

私をターゲットにしたのは、宰相派の中で一番殺しやすいと思ったからだろう。女の身で父様やフランに斬りつけるより、成功率が高そうだ。

 

「でも、ひとつだけ腑に落ちないことがあるわ。マクガイア告発の時に、一族はすべて連座で処分されたはず。娘なんて近しい間柄の人間が生き残ってるはず、ないんだけど」

 

 マクガイアが手を染めていたのは、ただの汚職じゃない。

 敵対国家アギト国と手を組み、騎士団を弱体化させた国家反逆罪だ。当然かかわった者は実際にやった犯罪が軽微でも『国家への背任』という罪状が上乗せされ、死刑に処せられる。

 特に主犯の一族は、産まれたばかりの幼子も、もろともに処分されたと聞いた。

 残酷かもしれないが、そうしなければならないレベルの大事件だったのだ。

 

「私の母との関係は隠されていたの」

「ああ、婚外子だったから、見落とされてたのね」

 

 裕福な男性が、正式な妻以外との間に子を作る。

 貴族家ではよくある話だ。

 正式な契約のもと産まれていない子は、書類上他人である。

 

「私をその名で呼ぶな! 私と母は真実、父に愛されていた!」

 

 そりゃ親は子供にそう説明するだろうけどさ。

 

「それでも、やっぱり疑問は残るわ。マクガイアの交友関係は、徹底的に調べられたはずよ。真実の愛で結ばれるほど仲がいいなら、見逃されるはずないんだけど」

「家族を亡くした私を哀れに思い、父たちの関係を示す証拠を、火にくべてくださった方がいたのよ」

「……それが王妃なのね」

 

 マクガイアが告発された時、王妃はまだかなりの権力を握っていた。

 関係者の一人や二人、かばっていてもおかしくない。

 

「あの方は、私の命を救ってくださったばかりか……復讐の機会まで与えてくださった! 私はあの方のためにも、お前たち宰相派を殺さなくてはならない」

「ふうん、そういうこと」

 

 私は大きく息を吸い込んでから、ローゼリアの翡翠の瞳を睨みつけた。

 

「だったら、絶対殺されてあげない」

「言うだけは立派ね。でも、どうやって助かるつもり? 解毒薬はそう何個も持っていないでしょう。あなたお得意の魔力(マジック)閃光手榴弾(スタングレネード)も、こんな狭いところで使えない。ああ……雷魔法だって無理ね。あれは相手に触れられないと発動できないはず」

 

 ローゼリアは毒の剣を油断なく構える。

 

「解毒なんか、できないくらいに切り刻んでやる!」

 

 襲い掛かってきた瞬間、私は用意していた水魔法を発動させた。

 




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死闘

 ざばっ、と音をたててローゼリアは頭から水をかぶった。

 

「なっ……この程度!」

 

 一瞬視界を奪われたものの、すぐに顔をぬぐって前を向く。

 でも私にはその一瞬で十分だった。

 地下に出現した水たまりに手をあてて、フルパワーで雷魔法を実行した。

 

「ぎゃあああああああっ!」

 

 突然体に大電流を流されて、ローゼリアが絶叫する。

 こわばった手から、剣が落ちた。

 私はすかさずそれを通路の奥へと蹴りこんだ。

 

「ぐ……っ!」

 

 電撃のショックから立ち直ったローゼリアが私を睨む。剣を追おうと背後をふりかぶり、結局私に向き直った。

 毒の剣は真っ暗な通路の先だ。拾うためには闇の中を手探りで剣を探さなくちゃいけない。

 でも背中を見せたら最後、私に何されるかわかんないもんね。

 追撃を用意していた私は、ローゼリアの賢明すぎる判断のせいでたたらを踏む。

 

「あの距離で……どうやって雷魔法を」

「ごめんなさい、手品の種は明かさない主義なの」

 

 水の通電性を語ったところで、どうせ聞いちゃいないだろうしね。

 

「リリアーナ・ハルバード! 殺す! お前だけは殺す!」

 

 武器を失ったローゼリアは、体ひとつでつかみかかってきた。

 暗い通路は狭くて逃げ場がない。私は彼女に押し倒されるようにして、床に転がった。

 必死に雷魔法を発動させるけど、興奮した彼女は痛みを無視してぐいぐいと首をつかんでくる。

 まずい。

 水魔法、フルパワー雷魔法、と魔法を連続発動させたせいで魔力が残り少ない。

 どうがんばっても、出力が上がらなかった。

 酸欠と、首に食いこむ指の痛みで、意識がとびそうだ。

 

「死ね! 死ねえええええ!」

 

 視界がかすむ。

 ローゼリアの叫びだけが妙に耳に響いた。

 嫌だ。

 死ねない。

 私は生きるって決めたんだ。

 絶対生き延びて、あの人と一緒に暮らすんだ。

 だから、こんなところで、こんなやつに殺されてられない。

 私は生きるんだ。

 

「ぐっ……うぅ……っ!」

 

 ローゼリアの腕をつかむ。

 どうにかして押し返そうとした瞬間……ごんっ! とすさまじい音がして、ローゼリアの体が崩れ落ちた。

 

「……ぁ?」

 

 首を解放されて、口から吐息と一緒に声が出た。

 倒れたローゼリアの体の先に見えたのは、眼鏡をかけた青い瞳の青年だった。相手が誰なのか認識する間もなく、ローゼリアの下から引っ張り出され、抱きしめられる。

 彼は震える声で私の名前を呼んだ。

 

「リリアーナ……生きてるな?」

「ん……うん」

 

 喉が痛くて、まだまともにしゃべれない。

 こくりとうなずいたら、フランもほっと息を吐いた。

 抜け道を通ってきたフランが、ローゼリアを背後から攻撃して助けてくれたらしい。どうやら。

 

「よかった……間に合った」

「ど、う……して。ここに?」

 

 抜け道の入り口は、王家専用エリアにあった。フランが簡単に入ってこれるような場所じゃない。宰相家の権力を使ったとしても、到着するのが早すぎる。

 

「それは、俺が案内してきたからだね」

 

 ひょこ、とフランの肩ごしに金髪の王子様が顔を出した。




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優秀な攻略対象

「王子……っ!」

 

 私はフランの腕の中で身をすくませた。

 婚約者以外の男に抱かれるこの状況は、ストレートに不貞の現場である。言い訳の余地もいっさいゼロ。このままふたり一緒に処断されても、文句が言えない。

 しかし、オリヴァー王子はくしゃりと力ない笑顔になった。

 

「いいよ、そのままで。君とフランドールの関係は知ってる」

「えええ……」

 

 確かに私の恋心は、周りに見抜かれがちではありましたが。

 婚約者の王子本人に悟られるほど、おおっぴらに感情を表に出していた覚えは……え? マジでそこまでダダ漏れだった?

 さっきまでとは別の意味で焦るけど、王子本人に聞き返すわけにもいかない。

 フランに抱えられるまま、座り込むしかできなかった。

 

「……王宮のあちこちで火が出たって聞いて、窓からあたりを警戒してたんだ。そうしたら、離宮の橋が落ちたのが見えてね。きっと君が狙われてると思ったんだ」

 

 橋ひとつでそこまで考えられるなんて、驚きだ。

 正直、王子の推理力を侮っていた。

 

「王家の抜け道を使えば、堀の下から離宮に入れる。ルートはそれでいいとしても、現場で何が起きてるか、わからないだろ? そこでフランドールに同行してもらったんだ」

 

 王子はフランを見る。

 

「彼なら抜け道の秘密を口外しないし、何より、絶対に君を守るからね」

 

 そして現在、私はフランの腕にいる。

 彼の予想は全部当たったわけだ。

 でも。

 私は不安を口にする。

 

「いいんですか? そんなことをして」

「人の、君の命に係わることだ。いいも悪いもない」

「刺客を差し向けたのは王妃様です。あなたが邪魔をしたとわかったら、どんなことになるか!」

「どうにも、ならないんじゃないかな」

 

 王子は疲れたため息をもらした。

 

「俺の間の悪さは王宮中に知れ渡ってる。婚約者の命救いたさに、勝手に抜け道を使ったところで、いつもの愚行だと思って流されるさ」

「そ……」

 

 そんなことない、とは言えなかった。

 実際、王立学園では彼の暴挙に何度も振り回されていたから。今回のことだって、安全なところで結果だけ聞いたら『ああ、また……』と言ってしまいそうだ。

 しかしそれは、彼を評価する者がどこにもいない、という事実を肯定することになる。

 

「戻ろう。まずは全員、医師の手当を受けないと危険だ」

 

 王子がクリスを背負って、フランがタニアを担ぐ。ローゼリアは縛り上げたうえで、フランが引きずっていくことになった。人間をふたり抱えるのは大変では? と思ったけど、フランが「どうということもない」と否定したので、それ以上言えなかった。

 けが人を連れて行く男たちについていこうとして、人数が少ないことに気が付いた。

 王子の隣にヘルムートがいない。

 二十四時間三百六十五日、常にオリヴァーの影として付き従っていた少年の姿がなかった。

 私にとってのジェイドやフィーアと同じ、彼もまた王子の側近だ。戦闘能力も高い。

 婚約者を助けるなら、まず最初に彼を頼るのがスジである。

 それなのに、王子は単独でフランと手を結んだ。

 ヘルムートが単に離席していただけならまだいい。

 でも、ついにヘルムートさえも王子の元から去っていたのだとしたら。彼の味方をしてくれる人間は、あと誰が残っているんだろうか。

 私は改めて王子の後ろ姿を見る。

 出会ってから初めて目の当たりにした、明晰な推理と聡明な判断。

 それはゲームの中の優秀な攻略対象を思い起こさせた。

 ゲームの王子は、自分を顧みない母親を反面教師にして、心優しい青年に育った。

 母親にも婚約者にも、側近にさえも顧みられなくなった今の彼と、状況が重ならないだろうか。

 周りに見捨てられた結果、本来の才能が開花したのだとしたら、こんなにもやりきれないものはない。

 かといって、王子を慰めることも励ますこともできず、私はとぼとぼと彼らの後を追った。

 




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罠の真意

「ご主人様!」

 

 抜け道経由で離宮の前まで戻ってきたら、フィーアがこっちに向かって飛んできた。

 そして、私の後ろにフランと王子が並んでいるのを見て、急ブレーキで止まる。

 

「……ご主人様?」

「離宮で立ち往生していたところを、王子が助けてくれたの」

 

 にっこり微笑みかけると、フィーアはこくこくとうなずいた。

 これ以上ここで説明できない、という意図をくみ取ってもらえたようだ。さすが長年の側近、話が速い。

 

「クリスティーヌ様と、タニア様は」

「無事よ。でも、怪我をしたから、ふたりとも医務室に預けてきたわ。そっちの状況は?」

「シュゼット様たちは宰相派から派遣されてきた騎士の護衛のもと、全員で別室に待機しています。一時興奮していましたが、今は落ち着いています。怪我もありません」

「そう……あの子たちを守ってくれてありがとう、フィーア」

 

 お礼を言われて、フィーアが唇を噛む。

 橋が落とされた時、私のそばに行けなかったことを後悔しているんだろう。でも彼女が人命救助のために、ぎりぎりまで動いてくれたのは知っている。

 だから私は彼女にお礼しか言わない。

 

「シュゼットにも顔を見せて、安心させてあげたいわ。案内してくれる?」

「……こちらです」

 

 踵を返すフィーアについていく。その後ろから、王子とフランもなぜかついてきた。

 世話役のフランはともかく、なぜ王子まで。

 

「王宮じゅうの給湯器が使えなくなったんだよね。ますます、シュゼット姫をこの国に留めるわけにいかなくなったな」

「馬車の準備が整い次第、キラウェアに出発させる予定です」

「設備のない王宮にいるより、街道の宿に泊めたほうがマシだろうしなあ。寝床はそれでいいとして、彼らの手荷物はどうするかな。全部燃えてしまったんだろう?」

「幸い、荷物のほとんどは馬車に積み込んでいました。燃えたのは土産物の類ばかりだったので、あとで早馬に届けさせれば、事足りるでしょう」

 

 しかも対策会議まで始めるし……。

 いや、いいですけどね!

 考えないといけないことだから。

 

「こちらのお部屋です」

 

 少し歩いたところで、フィーアがドアのひとつを示した。

 賓客用の休憩室らしい。ノックしてドアを開けてもらうと、留学生たちが固まって座っているのが見えた。わたしはことさら元気な声を出す。

 

「ただいま、シュゼット! 見事脱出してきたわよっ!」

 

 少女たちがいっせいにこちらを向く。

 しかし、その中に見慣れたブロンズ色の髪は見当たらなかった。

 

「あれ……離席中? トイレにでも行った?」

「……え?」

 

 留学生たちはお互いに顔を見合わせた。

 

「姫様……あれ? いない?」

「どこに行ったのかしら」

「全員でこの部屋に案内されてから……えっと……?」

 

 全員、ぽかんとした顔でメンバーを確認しあう。まるで、今の今までシュゼット姫の存在を忘れていたかのように。

 

「あなたたち、シュゼットを最後に見たのは?」

「えええ……っと、えええ?」

「橋が崩れた時にはいましたわよね?」

「フィーアさんが、全員を確認して……それから……?」

 

 彼女たちは涙目で私たちを見る。

 

「わかりません……いつから、姫様がいなかったのか」

 

 ぞわ、とまた背筋が粟立った。

 ぞくぞくと悪寒がはい登ってくる。

 

「あなたたち、記憶がはっきりしないのね。まるでそこだけ夢を見てたみたいに」

「……はい」

 

 彼女たちはいっせいにうなだれた。

 大切な姫君のことを一時でも忘れた自分たちを責めているんだろう。

 でもそれは彼女たちの責任じゃない。

 

「やられた……!」

 

 私は王子とフランを振り返った。私と同じ結論に達したらしい、フランの眉間にはくっきりと皺が寄っている。

 

「リリアーナ嬢、何が起きているんだ?」

「シュゼットが誘拐されました。犯人は、アギト国第六王子ユラです」

 

 こんな警備のど真ん中で、仲間に気取られずに姫君を拐うことができるのは、邪神の化身以外にない。

 王妃たちの目的は私の命だけじゃなかった。

 離宮に警備の目を向け、その間に戦争の火種となる姫君を手中におさめたのだ。

 

「シュゼットを探して! 外国人のあの子には、王家や勇士七家のような女神の加護はないわ。彼が直接手を下せるの」

 

 あの子は大事な友達だ。

 絶対に助けなくちゃ!!!!!





というところで、クソゲー悪役令嬢王宮バトル編完結です!
さらわれたシュゼットの行方は? 傷心ヘルムートはどこにいるのか?

次章新たな展開を予定しています!

そして、またプロットねりねり&執筆作業のため、しばらく連載をお休みします。
再開をお楽しみに~!!


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