やがて僕は荒潮に呑まれる (ANMC)
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やがて僕は荒潮に呑まれる
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 よろしくお願いします


 

 僕はその日、自分自身を失った。

 

 

 

 

 なにかが始まる日と言うものは唐突に始まるものである。大柄な熊のような男と小柄なサイドポニーの少女に連れられ、わたしは小学校の前に連れてこられた。正確には廃棄された小学校を作られた呉第4鎮守府の前に立っている。

 

 一通り整備されてはいるが、くすんだ校門や、赤いペンキで塗り固められたモルタルの質感はそれが廃棄されていたという歴史を如実に示している。

 

わたしは艦娘と呼ばれる第2次大戦に建造された戦闘艦の名前を冠した兵器を扱える改造人間であり、その中の朝潮型駆逐艦1番艦朝潮がわたしである。ぱっつんと整えられた黒髪に肩の長さでそろえられた後ろ髪で、小学校中学年のような背丈のわたしはこの小学校のような建物に通っている児童であると言われても違和感がない。

 

因みに、私を連れてきたサイドポニーの少女は朝潮型10番艦霞型の艦娘である。

 

「怖い? 大丈夫、みんな最初はそうよ。じきになれるわ」

 

 わたしがほんの数秒だけ鎮守府の前で足を止めると、霞はそう、声をかけてきた。彼女にとってはいつもの光景なのだろう。大柄の熊のような背丈でタンクトップを着ている男は一見温和そうに見えるが、呉第1鎮守府最強の提督であり、この霞は艤装に改造なしで適合し、自在に操る事ができたと噂される天才である。

 

 故に、呉鎮守府全体の守りの最後の砦としてほとんど出撃する事はなく、もっぱら事務処理とたまにわたしのような艦娘の素体を送り届ける重要な任務を担っている。

 

 わたしは思い出していた。ここに来る前に数か月間ほど横須賀の泊地に世話になっていたのだが、その時にわたしを指導してくれた戦艦の口癖を、

 

「大丈夫。昔の文豪、ゲーテは言いました。自分自身を信じてみるだけでいい。きっと生きる道が見えてくる。わたしはこの為に訓練を積んできたの……積んできました」

 

 自分自身を信じてみる。ある事情でこの世の無常を憂いていた私を救ってくれた言葉であり、その戦艦がよく話してくれた言葉である。

 

「大丈夫よ。あんたの司令官には敬語を使えばいいけれど、このクズの事は今いないものとして普通に話しなさいな」

 

わたしは吹き出してしまった。霞がおそらく冗談で言ったのだろうか熊みたいな男は足を止めながら。

 

「おいおい、霞ぃ俺は大将だぞ、偉いんだぞ」と、おそらく何十回も繰り返されたであろうやり取りを始める。おそらく、わたしの緊張をほぐす為だろう。この門をくぐると、彼らにできることはほとんどないのだから……。

 

 わたしたちは背中に固有の適合した艤装を取り付けることで、水の上を自由に移動することができ、艤装に装備された主砲や魚雷などと言った兵器を打ち出すことができる。無論、そのようなオーバーテクノロジーめいた兵器はその仮想敵がいなければ机上の空論で終わるのが常である。

 

 その敵は諸外国でもなければ、ましてや人ですらない正体不明の化け物と言ったらそれが出てくる前に住んでいた人類は笑うだろうか? しかし、現実はその化け物はオーストラリアと南極を呑み込み、この国の沿岸部の人間の半数を呑み込んだ。人類はその化け物を深海棲艦と呼称し恐れたらしい。

 

 その当時の最新鋭のミサイルや戦闘機と言った代物は深海棲艦を吹き飛ばすことはできたが、約3時間後には元通り再生する。なぜか、艦娘の背負う艤装だけはそれを倒すと再生の際に艦娘の艤装として再生させることができたので、わたしたちは増やされ、各地域の各拠点に配属され日々、人々の暮らしを守っているのである。

 

 そんな使命を背負っているわたしには正体不明の化け物と終わらぬ死闘の渦中に放りこまれると分かっているのに、恐怖はなかった。ただあるのは疑問だった。

 

「大丈夫です。大将が偉い人なのはわたしも霞もわかっていますよ」

 

 わたしはにこやかに彼に笑いかけると、男は「うおお、朝潮はかわいいなぁ」と叫びながら抱きしめようとしてきたので、霞に制裁された。鳩尾に正拳突きが見事に入り『ドズン!!』という鈍い音と共に、彼は体を九の字に曲げた。

 

「このクズ。マジであり得ないったら」

 

「単なるスキンシップじゃないか。スキンシップ」霞の渾身のこぶしから瞬時に回復した男はおどけながらそんな風におちゃらけてみせた後、さて、そろそろ引き継ぎに行くかと、歩みを再開した。

 

 校門をくぐり、下駄箱が置いてあったと思われる入り口から、突き当りを左方向に曲がる、ちなみに右方向にはもともと体育館だと思われる建物が広がっており、そこには何やら大きな機械が数台置かれていた。

 

 そして、数メートル歩くと、熊本大将はその足を止めた。

 

「私達が付いていけるのはここまでだ。後はそこの廊下を進んで右に曲がった先に艦娘がいるはずだから。その娘に案内してもらいなさい」

 

 わたしはそれを聞いて怪訝そうな顔をし、霞は俯いた。

 

「大将はここの提督に会っていかれないのですか? わたしはそうすると思っていたのですが」

 

 男は何も答えない。ただ後ろを振り向き、数歩下がると、右手の手のひらの上にあるナニカを握り潰した。その瞬間、朝潮は男から漠然とした恐怖と重圧に押しつぶされそうになった。下半身は痙攣し一歩も歩くことさえ、いや、全身の筋肉が言う事を聞かず、這いずる事さえできない。

 

「私の提督としての適性は最上クラスで、縁を結んでいる艦娘の力を他の提督以上に引き出すことができる。一方で、縁を結んでいない艦娘には悪影響があり、近づくと今の君のように全身の神経がマヒする。

 今までは、仮に縁を結んでいたが、引継ぎをする以上、そのままにしておく訳にはいかない。さようなら朝潮、縁があったらまた会おう」

 

「ごめんね。朝潮お姉ちゃん……お元気で」

 

 薄れゆく意識の中、わたしは彼らのその声だけを覚えていた。

 

 

 

「あらあら、あなたが新しい私達の仲間ね。よろしく、朝潮姉さん」

 

 わたしが目を覚ますと、茶髪の私と背丈の少女が膝に手を置きながら覗き込んできた。その小悪魔風な見た目や口調には見覚えがある。彼女は朝潮型駆逐艦4番艦荒潮である。

 

「ありがとう。その通りよ。熊本大将にこの鎮守府につれられて来たのだけれど、熊本提督は……えーと」

 

因みに熊本大将とは、先ほどまで一緒にいた男の名である。わたしが覚醒したての脳髄から先ほどあった記憶を思い出していると、荒潮はわたしの口に手を当て、

 

「いいのよ。あの人は呉鎮守府の最終兵器で、私たちにとっては毒。これは何十回も繰り返されていることだから私も慣れているわ。うふふふ」

 

 彼女はそう笑いながら、わたしの手を取り、歩き出した。廊下を進み、突き当りを左に曲がる。

 

「荒潮、わたしは熊本大将には突き当りを右に進むように言われたのだけれど」

 

 わたしは顔をしかめながら荒潮にそう伝えた。まだ覚醒して間もなく記憶も曖昧模糊で本当にそうかと聞かれれば自信はないのだが、わたしの疑問に荒潮はこちらに振り向きながら、

 

「ああ、それね。セキュリティー上、熊本大将にはうその情報を教えてあるの。もし誰かがさっきの会話を盗聴していた場合、わたし達を追って右に曲がるでしょう? そうしたら警報が鳴るようになっているわ」

 

 なるほどとわたしは相槌をうった。と同時にここが侵入者を警戒する軍事施設であることを実感させ、少しだけ恐怖させた。その後しばらくは何の会話もなく廊下を進んでいく。少し緊張しているわたしに荒潮が時折振り向いて笑いかける。

 

 

 

「ここには26の教室を改造した部屋があるけれど、そのうちの1部屋を提督の気分次第で執務室として使っているわ。そして、その部屋は私と順番に回ってくる秘書官、そして、第1~4艦隊の旗艦しか知らない。そして艦娘を呼び出すときは執務室ではない部屋に艦娘を呼び出して、スピーカーで用件を伝えたり、あるいはそこに提督が行く感じにしているわ」

 

 廊下を抜け階段を上がり、2-1と書いてある教室を開けながら彼女はそう言った。わたしが部屋の中を見ると、そこには教卓を改造したような執務机が置かれ、その前には勉強机が数個並べられている。そして気にも留めてはいなかったが、教室は廊下側からは窓などを通して見えないようになっており、窓には反対側の窓には鉄格子がはめられている。

 

「と言うことはこの建物は執務室以外の機能は果たしていないということ? 司令官を守るためとはいえ、少し過剰ではない?」

 

「あらあら、めったなことを口にするものではないわ。姉さんのその発言は司令官が臆病者であると言っていると捉えられかねないわ」

 

 わたしは荒潮のいたずらっぽく言ったその言葉に顔を青くして、

 

「ちが、わたしはそんなつもりで言ったのでは、……中世の文豪ゲーテは言いました(言っていない)。口は禍の元と(ことわざ)」

 

「うふふふ、心配しないで朝潮姉さん。司令官に告げ口なんてしないわよ。でもぉ、仮に私が言ったとしても、司令官は優しいから聞き流してくれるわよ」

 

 なんというか手玉に取られている感はあるが、おそらく彼女はここの司令官に絶大な信頼を勝ち取っているのだろうと、わたしは感じていた。その証拠に、艦隊の旗艦でも秘書官でもない彼女が彼の執務室の場所を把握しているのだから。

 

そんなことを考えていると、誰かが全力疾走で近づいてくる。彼女は金髪に左右の特徴的なお団子髪、身長は高校生ぐらいだろうか。おそらく、彼女は長良型軽巡洋艦の阿武隈である。

 

「朝潮ちゃん!! どうして何時まで経っても来ないのぉ!! 提督がちゃんと熊本提督に突き当りを右って伝えたはずなのにぃ!! おかげで建物中を探し回る羽目になったんだよぉぉ!!」

 

 彼女はそう言ってわたしに抱き着いてきた。わたしは混乱した。

 

「阿武隈さん。わたしは防犯上の問題で、熊本大将にはうその情報が伝えられているとお聞きしましたが?」

 

 そう言うと、彼女は眼を見開きながら、

 

「そんな訳ないよ!! あなたをここに連れてきた人、この呉全体で一番偉くて国全体でもベスト10に入るくらいには強いんだよ!! 防犯上の理由とは言え、うそ教えているなんて彼の耳に入ったらこの鎮守府ごと抹殺されちゃうよ!!」

 

 と、ものすごい剣幕で叱られた。

 

「すいません。……荒潮。どういうことなの? 荒潮……」

 

 その時、初めてわたしの周りから荒潮がいなくなっている事に気づいた。

 

 

 

「ははは、それは災難だったね」

 

 その後、阿武隈に事情を話したわたしは、執務室に連れられた後、荒潮から受けたいたずらを司令官に告発した。今も腹の虫がおさまらない。それを司令官は笑って聞き流す。

 

 司令官は執務机に座っている為身長はおおよそでしかわからないが、大体170前後の少しやせ形の青年で、瓶底の眼鏡をかけている。年齢は20前半のように見え、司令官と呼ぶにはあまりにも若いが、この国の提督たちは大体このような年齢の人々が多いという事は事前に聞かされていたので、わたしは余り驚かなかった。

 

 阿武隈は頭を抱えながら、わたしの話を一通り聞いた後、

 

「まったく、提督は甘すぎます。荒潮ちゃんが提督のお気に入りとはいえ、許されることではないですよ。荒潮ちゃんには今度きっちりとお仕置きをさせてもらうからね」

 

 彼女はその特徴的な髪を触りながら、司令官の方を向きそう言った。司令官はぼりぼりと頭を掻きながら話をつづけた。

 

「まあ、その話はまた後でするとして。朝潮、第4呉鎮守府へようこそ。まずは君と僕との間に縁を結ぼうと思う。手を出してくれ」

 

 司令官はそう言うと、手を差し出してきた。わたしは「こちらこそよろしくお願いします司令官」と言いながらその手を握った。刹那、わたしの体に稲妻が走った。

 

 痛みともかゆみとも知れぬ奇妙な感覚にくうぅと嗚咽を漏らしていると、彼は机から一枚のカードを取り出した。そこには朝潮改二のイラストと文字、レベル85と書かれていた。

 

「君を第1艦隊の旗艦として任命する。今、君と私に縁を結び、このカードの艤装とパスをつないだ。……体験して貰った方が早いかな。朝潮、艤装の展開を許可する」

 

 司令官がそう言うと、私の背中にずっしりと重い何かが出現し、両の手には私の手の倍ほどの大きさの主砲が現れた。訓練の時には、用意された艤装を担いでいたが、まさか実際の艦娘は司令官の命令で何もないところから艤装を出現させることができるとは思ってもみなかったのである。

 

「これが、君の艤装だ。あと、あまり起きて欲しくはないが、緊急時には艤装を展開したいと強く望めば、艤装が展開されるようになっている。無論、君に対する脅威がその場になければすぐに艤装は霧散し一応記録にも残るから下手なことはしないようにして欲しい。後は……阿武隈、艤装の展開を許可する」

 

 司令官がそう言うと、阿武隈の背中から船の形状を模した艤装と両の手に主砲が出現した。わたしからは死角になっており、自分自身の艤装はおおよそしか見えないが、阿武隈の艤装を見て、わたしの背中にいったいどのようなものが生えているのかをおおよそ想像することができた。

 

「長良型軽巡6番艦、阿武隈。行きます!!」

 

 彼女がそう言いながら得意げにポーズをとっていると、司令官は阿武隈の姿が描かれたカードと何やらファイルのようなものを取り出した。そのファイルには艦隊これくしょんという文字が書かれているようであった。彼はそのファイルを開き、わたしと阿武隈のカードをそのファイルのページの一つにしまった。

 

「司令官? それはいったい何でしょうか?」

 

「艦隊運用をサポートしてくれる物だ。今、君を第1艦隊の旗艦に、阿武隈を2番艦に配置した。さあ、カメラを切り替えるよ」

 

 司令官がそう言った直後、わたしの目の前に、わたしが現れた。え、え!?とわたしが叫び、周りをきょろきょろしているが、目の前の私がそうしているだけで、わたしの視点は動かない。ただ、耳元で阿武隈の笑い声が響いてくる。わたしを見ているわたしの視点が、阿武隈の視点であることに気づいたのはそれからしばらくの事であった。

 

「朝潮ちゃん、最初はびっくりするわよね。提督は配置した艦隊の旗艦と視覚と触覚の一部を共有し、旗艦を通じて同じ艦隊に配置されている艦娘の視点を見ることができるの。もちろん、艤装を展開している間だけだけれどね」

 

これによって艦娘の能力を強化し砲撃などの命中率を高め、艤装に秘められた機能俗にいう大破ストッパーや旗艦は轟沈しない、カットイン等の副産物を得ることができる。と、阿武隈は続けた。

 

「裏を返せば、艦娘が司令官の命令なしに艤装を展開した場合は敵に対する攻撃の命中率は低くなり、耐久以上の攻撃を受ければ旗艦であっても轟沈し、弾着観測射撃と言ったものの恩恵も受けられなくなるという訳ですね」

 

 司令官は頷き、わたしは今まで引っかかっていた疑問が晴れた。司令官の力を借りなければ、わたし達は深海棲艦を打倒することができない欠陥を備えている。つまりは私たちの一部が造反したとしても、司令官の力を借りなければ、深海棲艦やほかの艦隊を打倒することができないという事実が、わたし達に司令官に従わざるを得ない状況を作り出している。そう理解できた。

 

「駆逐艦とかならば、最悪近づいて砲撃すれば運よく当たるかもしれないが、空母とかはその状態で出した艦載機はもう二度と戻ってこないと考えておいた方がいい。だから、万が一僕に何かあったら、すぐに鎮守府に戻ってほかの鎮守府の提督に助けを求める事になっている。そんなことはほとんど起こったことはないけれどね。艤装、収納」

 

 司令官は立ち上がってそう言うと、わたしと阿武隈の艤装はパキンと言う甲高い音を立てて光となって霧散した。

 

「さて、今日の要件は終わりだ。君に渡した艤装はかなり練度の高い艤装ではあるが、その力に君自身が慣れるために明日から演習に参加して慣れていってもらうが、今日はたぶん疲れただろう、阿武隈。彼女を部屋に案内してあげなさい」

 

その後、わたしは阿武隈に案内されて、小学校のすぐそばにある公民館を改造した建物の一室の前についた。どうやら、この4畳ほどの部屋がわたしの寝床になるらしい。わたしは阿武隈にお礼を言った後、彼女が帰った後、わたしは疲れがたまっていたせいか、泥のように眠った。まさか、ついて早々高レベルの艤装を用意され第一艦隊の旗艦に任命されるとは思っていなかったので、期待と不安に胸を躍らせながら。

 

 

 

「起きて、朝潮姉さん」

 

 わたしはその不快な声を聴いたので寝返りを打つふりをして、壁に掛けられた時計を確認する。大体就寝してから5時間時間が経っており、時計の針は深夜1時を指していた。声の主は荒潮、数時間前わたしを罠にはめ、阿武隈に迷惑をかけた艦娘である。

 

 荒潮はそのままわたしの顔のそばに顔を近づけてきたので、わたしはウガァァと言う気勢を上げながら彼女に飛び掛かり、彼女のおでこに頭突きをかました。ごつんという鈍い音を立てながら、彼女はのけぞり。

 

「あらあら、酷いことをするのね」

 

 と彼女はいつもの調子で特に悪びれる様子もなく被害者ぶっていたので、わたしは彼女に教育的制裁を加えようと考えたが、彼女の手に提げてあるビニール袋の中身を確認して、その気力が失せた。

 

「荒潮、夜食を用意してくれたの?」

 

「阿武隈さんに部屋に着くなり寝ちゃったって聞いたから、摘まめるものを用意してきたの。朝潮姉さん、ここに来てからまだ何も食べていないでしょう?」

 

 彼女はそう言いながら、袋から揚げパンやキャラメル、チョコレート等々の私の大好物を次々と出してきた。いやいやと首を振った。わたしはモノにつられて妹に対する教育を中断するようなちょろい艦娘ではない。

 

「こんなもので買収される朝潮ではありません。朝潮型駆逐艦ネームシップをなめるな」

 

 わたしがよだれを垂らしながら、誘惑と戦っていると、荒潮はしおらしい顔をして「ごめんなさい。こんな事で許されると思っていなけれど、司令官に朝潮姉さんが来ると聞いて、早く仲良くなりたくて、見に行ったら丁度朝潮ちゃんが倒れていて、成り行きで案内しようと思ったの。阿武隈さんには先にそう言っておくべきだったわ。本当にごめんなさい」

 

 などと言うものだから、わたしは

 

「そう言う事なら、許しましょう。その昔、中世の文豪であるゲーテは言いました(言っていない)。罪を憎んで人を憎まず(孔子)。一度の過ちは一度の成功で取り返せばよいのです」

 

 そう言って、わたしはありがたく夜食を頂いた。お腹が一杯になって先ほどのイライラも解消されたので、完全勝利というものだ。揚げパンを頬張っている間に、荒潮がぼそりとちょろいと言った気がしたが、おそらく気のせいだろう。

 

 

 

「朝潮姉さん。どうしてこの鎮守府に朝潮姉さんが送り込まれてきたのか? 疑問に思わなかった? あなたはこの鎮守府で初めての朝潮姉さんではないし、たぶん練度の高い艤装を渡されたと思うから、前の朝潮姉さんは艤装ごと轟沈して沈んだわけでもない。いったい前の朝潮姉さんはどうなったのか、知りたくない?」

 

 わたしが戦利品を頬張り、一息ついたころ、荒潮はそう切り出してきた。それはわたしの喉に引っ掛かった小骨のように思っていた疑問であり、おそらくしばらくの間は誰にも聞く事が出来ないだろうと思っていたので、

 

「それは、ここに来る前から疑問には思っていたけれど、ほかの艦娘に私の前の朝潮はどうしていなくなったの? と言ったことは私からは聞けないと思っていたの」

 

 そう、荒潮はそう言って話をつづけた。

 

「前の朝潮姉さんは……正体不明の深海棲艦に食べられたの……」

 

 それは、わたしにとって衝撃的なものであった。

 

「でも、艤装が残っているのはおかしいわ。深海棲艦に食べられたのならば、艤装が残っているはずもない……それに」

 

 ここに来る前、筆記科目で散々習った。艦娘は艤装を纏うと、深海棲艦に対して一定の効果を持つバリアを纏う。その力場によって水面を移動しているのだが、そのバリアはかなり強力で仮に深海棲艦がそのバリアに素手で攻撃しようものならば、触れた腕が消し飛ぶほど強力であり、故にそれらは深海棲艦が一定以上近づいてこられないような力場を常に形成するように進化したのだが、わたしは自分の常識によってそれを反論した。

 

「そう、知っているわ。でも、その日現れた深海棲艦はその常識からは外れたものだったの。朝潮ちゃんは中破轟沈と言う単語を知っている? 中破の状態でとどまっていた艦娘が、大破を経由せずに轟沈する現象。

 無論、ほとんどが司令官の見間違いや不注意によるものだけれど、その中の一部の原因とされている存在、深海棲艦type-γ。不運なことに、その日朝潮姉さんは艤装と右腕を残してそれに丸のみにされてしまったの」

 

 中破轟沈、教材ではその存在が否定され、その証拠や記録が残っていないにも関わらず幾人もの司令官がその現象に遭遇したという事例が存在している存在しない現象。にわかには信じがたいが、

 

「信じられない。でも、そうでなければ前の朝潮が艤装を残して轟沈することの説明がつかない……という訳ね」

 

 さらにわたしは艤装が轟沈レベルのダメージを受けて沈む寸前、勢いよく艤装が融解して着用した人をあらかじめ指定した鎮守府まで送り届けるといったセーフティ機能が搭載されていることは知っており、もし発動しなくても着用者が出撃中に轟沈判定が出ると艤装が融解する機能だけは確実に発動するようになっているので、着用者が死亡し艤装だけが無事などと言うことは本来起こりえない。

 

「そう、私は朝潮姐さんを食べた深海棲艦を許せないし、私の仲間やほかの艦娘が奴の毒牙にかかる可能性があると思うと、夜もおちおち眠れないわ。そして、朝潮姉さんの中には司令官の精神の6分の1が眠っている」

 

「6分の1?」

 

「そう、あの日第1艦隊旗艦であった私たちが出撃中に朝潮姉さんが突然謎の深海棲艦に飲み込まれたわ。普通は艦娘が轟沈するときに、司令官はその艦娘に対するあらゆる感覚情報を切るのだけれど、咄嗟のことで、朝潮姉さんに対する情報を切れなくて、彼女に送っていた6分の1の司令官のエネルギーがそのまま飲み込まれてしまったの」

 

 荒潮はため息をつき、その当時のことを思い出しながら話しをつづけた。その時の旗艦であった彼女の深い絶望は計り知れないものだろう。

 

「そして、自分を食われた司令官は一時気絶し、司令官の力を失った私達の艦隊は無力化されてしまったの……私達に出来たのは朝潮姐さんを置いてその場から逃げ帰ることした出来なかった。いえ、私はその場に泣き崩れ取られなかった朝潮姉さんの艤装を抱きかかえて、私もここで朝潮ちゃんと死ぬと駄々をこねる事しかできなかった」

 

 彼女は自嘲気味にそう言って、乾いた声で笑った。

 

「朝潮姉さんは死んだ。でも、奪い取られた司令官の力はまたあいつから奪い取る事が出来る。……朝潮姉さん、そこでお願いがあるの。あいつから奪い取られた司令官の力はおそらく残っているであろう朝潮姉さんとのつながりの残滓から奪い取ることが出来るわ。その残滓から力を引き出して力を取り戻すことができるのは、あなただけなの。お願い力を貸して」

 

 荒潮は涙を流しながらわたしに懇願してくる。艦娘の力が通じない危険な化け物。それを出会って数時間しかたっていない人たちのお願いで倒しに行く。普通に考えれば、断っても問題ないのだろう。つまりわたしは普通ではなかった。

 

「心配しないで荒潮。前の朝潮の敵と、司令官の力を取り戻す。わたしに任せなさい。中世の文豪ゲーテは言いました(言ってない)。為せば成る、なさねば成らぬ、何事も、成らぬは人の、なさぬ成りけり(上杉鷹山)」

 

 わたしがどや顔でそう言うと荒潮は笑いながら「知らないけれどゲーテはたぶんそんなこと言っていないわ」と返してきた。その通りである。無論、この約束は彼女を安心させるための一次しのぎの嘘である。今のわたしにそんな力はないから。

 

 しかし、それを本当にする。わたしは心にそう誓った。

 



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歓迎会

 呉第4鎮守府に着任した朝潮を待ち受けていた者は、姉妹艦の歓迎だった


先ほど話されたtype-γの事は一般提督や艦娘に話すと軍法会議のうえ解体射殺もあり得るので、この鎮守府ではその時に出撃していた艦娘と任務娘以外は知らない。事実を知らない人間の中には、戦闘中に失神した司令官も例外ではなく、彼等は朝潮が艤装の整備不良が原因で右腕を欠損して、療養のためにほかの泊地に送られたと信じている。

 

「だから、朝潮ちゃんも本当のことを言っちゃだめよ。……本当は熊本大将に朝潮ちゃんが来る前に話しておいてくれると、楽だし、当然そうしてくれると思っていたんだけどねぇ~」

 

 荒潮は嘆息して目線を明後日の方向に向けている。熊本司令官が舌足らずで、十分な説明なしで物事を行う人物であることは、わたしも数時間前身をもって体験せられていたのであった。「……もしや、先ほどの情報の出どころは熊本大将なの?」と、わたしは怪訝そうな表情で聞き、荒潮は

 

「言いたい事は分かるけれど、一応あの人、階級は高いから軍内部で秘匿されているような事を知っているし、大将本人ではなく秘書艦の霞ちゃんから聞いたから重要な情報が抜けているなんてことはないでしょう」

 

 荒潮の言葉に、それなら安心だね。とわたしが答えると、彼女は深くため息をついた。

 

「朝潮姉さんの中で大将の評価がどうなっているのかは、大体検討がついたけれど、あまり周りの人にそんな事を言っちゃだめよ」

 

とは言ったものの、彼女のこの反論は、私の思っていることを荒潮自身も思っているという証明であり、言わない方がいいことである。そんな彼女のために、わたしは姉としてこの格言を送ることにした。

 

「わかっているよ。かの中世の文豪ゲーテは言いました。(言っていない)沈黙は金なり(トーマス・カーライル)沈黙することは時として金と同じ価値があると言う事です」

 

「なんか言ってそうだけれど、たぶん言っていないんでしょう?」

 

 荒潮の言葉に、わたしは自信をもって肯定し、彼女はさらに深いため息をついた。

 

 

 

 昨晩の会話の後、他愛の会話を数時間程続けたと記憶しているが、わたしはどうやら会話の最中に眠ってしまったらしく、朝の働かない頭を動かし状況を整理してみることにした。

 

 1つ目、わたしは前の朝潮の代わりに連れてこられた朝潮である。

 

 2つ目、前の朝潮を倒した深海棲艦は特殊で、その時の第一艦隊のメンバー以外がいるところでは話してはならない。(破ると銃殺)

 

 3つ目、前の朝潮と共に食われた司令官の魂の一部を回収する事が私に課せられた使命で、それができるのは今のところわたししかいない。

 

 4つ目、真偽は不明。おそらく、わたしの知らない情報を隠している可能性がある。例えば、司令官の魂を回収する過程で、その時に前の朝潮の魂も回収できるとして、彼女の艤装と同型の体を持つわたしが前の朝潮に乗っ取られるのではないか。

 

 荒潮がわたしの体を使って、疑似的に前の朝潮を蘇らせようとしているのではないだろうか。司令官の魂を戻すだけならば、ほかの艦娘でもできる。しかし、艦娘を蘇らせるにはその艦娘と同型の艦娘が必要だろう。

 

 となると、熊本大将が彼女らに一般には秘匿された情報を公開した理由も説明がつく。沈んだ艦娘を同型艦を使ってサルベージする方法が確立すれば、それを発見した提督として、名誉や富が手に入る。彼の別れ際に行ったセリフの縁があればまた会おうとは、サルベージが成功したら、わたしを解剖でもして、サルベージの方法を確立するための研究材料にするのだろう。

 

 そう言った陰謀に大将が絡んでいるとなれば、その時の第一艦隊のメンバーを発見しても、真偽を聞く事は出来ないだろう。おそらく、わたしに出来る最善の策はサボタージュを行い、朝潮の艤装がわたしにうまく使いこなせない演技をして、異動させられること。これが、生き残るためには必須だろう。……駄目だ。

 

「だめ。駄目よ、わたし。中世の文豪ゲーテは言いました。(言っていない)わたしは生まれた時から朝潮だった。せめて朝潮のまま死なせて欲しい」

 

 命惜しさに自分を裏切る。それはわたしには出来ない事だった。

 

「中世の文豪ゲーテ? その人、朝潮姉さんを知っていたのですかぁ? 朝潮姉さん!! おはようございます!! 今日もアゲアゲで行きましょう!!」

 

 わたしが自分を裏切れないでいると、背後からやけにテンションの高い声が聞こえてきた。堀の深い帽子をくるくると回しながら話しかけて来たツインテールの少女は、朝潮型駆逐艦2番型、大潮型の艦娘である。

 

「そう、ゲーテはすべてのことを言ったといわれる人物で、わたしの事もおそらく言及した事があるはずです。なんせ、わたしは朝潮ですからね」

 

 えっへんと、わたしが胸を張りながら言うと、彼女は帽子をくるりんと回しながら被った後、わたしのベッドにダイブした。わたしは一瞬だけ呆気に取られていたが、すぐにベッドにダイブして、彼女の胴を足でがっちりと固定した後、くすぐり攻撃を開始したのである。

 

「アハハハ、朝潮姉さん。何するんですかぁ!!」

 

「これが朝潮示現流の一つ、こちょこちょくすぐり拳です!! 中世の文豪であるゲーテは言いました。(言っていない)獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くす(陸九淵)。妹に使うには過ぎたる技ですが、妹に後れを取ってしまう訳には行けません。こちょこちょこちょ」

 

 わたしの攻撃が効いたのか、彼女は悲鳴を上げながら逃れようとするが、完全に決まった朝潮示現流は簡単には逃げ出せない。彼女はわたしの足をタップして、降参、降参しますからやめて下さい。と敗北を認めた。わたしの完全勝利である。

 

「しかし、なんで大潮は私の部屋に来たのですか? 挨拶に来たというだけならば、殊勝な心掛けで感心しますが、昨日から色々なことが起こりすぎていて、少しナーバスになっていましてね」

 

 わたしがそう尋ねると、大潮は私の腕の中からぴょんと飛び上がり、「はわわ、そうでした。朝潮姉さんを連れてくるようにみんなに言われたんでした。朝潮姉さんついて来てください」と言いながら、わたしの手を引いて全力疾走で部屋を飛び出した。

 

 全力疾走と言うのは、わたしの感覚であり、大潮は余裕そうでたまに「えへへ」と笑い、すれ違う艦娘に会釈や挨拶をしながら走っているので、おそらく彼女もかなりの練度を誇っている艦娘なのだろう。

 

「大潮。少し聞いてもいいですか?」

 

「なんでしょう」

 

「私の前の朝潮ですが、今の大潮と比べて、どちらが強かったんですか?」

 

「前の朝潮姐さんですか? 姉さんは駆逐艦の中では荒潮ちゃんに次ぐナンバー2で、わたしよりもずっと強かったですよ。姉さんが怪我で治療のために前線を退いてからは、他の艦娘の練度を重点的に上げる必要もあると、方針が変わってから私も出撃が少し多くなりましたが、まだまだ姉さんには敵いません」

 

 彼女の声色は少し悲しそうだった。当然だろう。彼女が本当の事を聞いたとしたら、一体どうなってしまうのだろう。荒潮のように泣き出しヒステリックに喚いてしまうだろうか。しかし、真実を知らないでいる事とどちらが幸福だろうか。

 

「みんなぁ!! 朝潮姉さんを連れてきましたぁ!!」

 

 大潮に連れられ、鎮守府の中を駆け、2-5と書かれた教室の中に入った。中には、司令官と霞と霰と……満潮が出迎えてくれた。

 

 朝潮型駆逐艦10番艦の霰は大潮と同じような帽子を被っている駆逐艦であるが、彼女とは違ってなんとなくクールな印象を受ける艦娘である。霞は熊本提督で出てきた艦と同型の艦娘であるが、なんとなく彼女よりも幼そうな印象を受ける。……そして、朝潮型3番艦は頭にフレンチクルーラーをつけていた。

 

 もう一度説明する。頭にフレンチクルーラーをつけた艦娘である。フレンチクルーラーっぽい髪ではなく、フレンチクルーラーを二つ乗っけていたのである。……わたしはギャグか誰かの悪戯か判断することは出来なかったが、他の艦娘も司令官も指摘したり、吹き出したりしていなかったので、おそらく高等なギャグなのだろう。

 

「こんにちはみんな。わたしは朝潮型駆逐艦ネームシップ、朝潮。早く艦隊になじんで、皆さんの役に立てるよう頑張る覚悟です」

 

 わたしがそう言って挨拶をすると、彼女たちは暖かく迎え入れてくれた。

 

「「着艦おめでとう朝潮姉さん。これからよろしく」」

 

「ありがとう。……そういえば、荒潮は? 昨日いたはずですよね? もしかして休養か何かですか?」

 

「この集まりは、しばらくの間忙しくて姉妹艦と顔合わせも満足に出来ないだろうからと、司令官が気を利かせて用意してくれたのよ。一応、ジュースとかお菓子もあるわ。それで、荒潮は……昨日悪戯をしたせいで、謹慎中よ。まったく、こんな時に……」

 

 わたしの疑問には霞が答えてくれた。彼女は司令官の事を熊本大将の霞とは違いクズとか言わないようである。無論、わたしがいるから自重しているかもしれないが、

 

「まったく、荒潮にも困ったものね。その前は、どんな悪戯をしたんだっけ? 確か阿武隈さんの髪型の一部をチュロスにすり変えたんだっけ? まあ、髪を食べ物にすり替えられて、気づかないなんて阿武隈さんも相当抜けているけれどね」

 

 満潮のその言葉を聞いて、わたしは満潮のフレンチクルーラーは彼女なりの高度なジョークであると判断した。わたしは満潮に近付いて彼女の肩に手を置いた。

 

「何よ……ごめんなさい。少しだけ言い過ぎたわ。阿武隈さんは疲れていたのよ。だから、普段なら気づく事でも……」

 

「満潮、中世の文豪ゲーテは言いました(言っていない)。僕の顔をお食べ」

 

「そんなア○○○○ンのような事、言っていないでしょうその人!! いや、知らないけれど?」

 

「わたしは、満潮のア○○○○ンスピリッツを応援していますよ」そう言って、わたしは彼女の頭からフレンチクルーラーをもぎ取り、一口食べた後、「その体を張った自虐ネタ。御見それしました」と言った。

 

 満潮は一瞬呆気に取られていた。そして、おそらく彼女の後の行動を鑑みるに、先ほどの言動を頭の中で反芻しながら、彼女の頭に残っているもう一つのフレンチクルーラーを触った後、部屋の隅で壁を向きながら体育すわりをした。

 

「大潮もフレンチクルーラーを頂きます。アゲアゲです」

 

 大潮はそんな満潮の頭からフレンチクルーラーをもぎ取り、むしゃむしゃと食べている。驚いたことに、この場にいる私以外の全員が満潮のフレンチクルーラーの件を知らなかったらしい。……いつの間にか司令官がいなくなっている。逃げたのだろうか?

 

 そのタイミングで、考えうる限り最悪なタイミングで、荒潮が部屋に入ってきた。

 

「ごめんなさい。さっき司令官から呼ばれて、謹慎が解かれたからここに来たんだけれど……どうしたの? 満潮、髪を下ろして」

 

そう、彼女が言ったので、司令官は逃げたのではないことは証明された。そして、満潮はその声に反応して飛びつき、彼女を押し倒した後、その口にいつの間にか持っていた大量のフレンチクルーラーを命一杯詰め込んだ。

 

「あんたのせいよぉ、あんたのせいで私は!! 私はぁ!!」

 

「モガ、モガモガ」

 

 これが、悪戯者の末路か。荒潮はわたしに向かって助けを求めているが、彼女はもみ合った瞬間、またもや彼女の髪にフレンチクルーラーを乗っけていたので、反省が足りないと判断し、満潮のなすがままにさせることにした。

 

 

 

 

 荒潮は数分後、霰と大潮に助けられた。満潮は不満そうだったがせっかくの朝潮の歓迎会で、本人そっちのけで喧嘩するとは何事だと、霞に怒鳴られてしぶしぶ矛を納めた。わたし達は用意されたジュースやお菓子を摘まみながらささやかな話に花を咲かせる。

 

 しばらくすると、霰がわたしに耳打ちをしてきた。

 

「荒潮を叱らないであげて。荒潮が悪戯を始めだしたのは前の朝潮姉さんがいなくなってから、寂しさを埋めるためにそうするようになったの。朝潮姉さんがいなくなって、出撃を禁止されて……寂しいんだと思う」

 

「荒潮、出撃禁止されているの?」

 

「んちゃ。出撃中に朝潮姉さんの腕が吹っ飛んだのを見て、それがトラウマになったらしくて、大事をとって司令官にしばらく出撃を禁止するように言われたらしいの。わたし達は艤装の機能のおかげで戦闘中かすり傷を負うこともほとんどない。

でも、朝潮姉さんのけがを見て艤装が機能しなければ、死と隣り合わせの危険な状態だと言う事に気づいちゃったみたい。たぶんその場に居合わせたら私でもそうなる。そのさみしさと恐怖を埋めるために、荒潮には時間が必要なの」

 

 霰はそう言った後、お菓子をぼりぼりと食べ始めた。わたしも負けじとお菓子を摘まみ、一瞬の隙をついて隣に座っている満潮のフレンチクルーラーにお菓子を突き刺す。

 

「ブフォ!!」

 

「荒潮。何を笑っているのですか? お姉さんに面白い話を聞かせてください」

 

「え……えっと」

 

 荒潮は自分が満潮に仕掛けたフレンチクルーラーのせいで墓穴を掘っている。わたしはすかさず2本目のお菓子をフレンチクルーラーに突き刺した。荒潮はもう一度吹き出してしまい。それを不審に思った満潮が頭を触った。当然そこにはフレンチクルーラーがのっかっていた。満潮は激怒した。

 

 

 

「……荒潮、今日はこのくらいにしておくけれど、阿武隈さんとかに悪戯はほどほどにしておきなさいよ。今はまだ許してくれているけれど、あんまり続くと、周りのみんなも本気で怒るようになるわよ」

 

 一通り荒潮に説教をした後に、満潮は腕を組みながら彼女にそう忠告した。彼女のキャラクターは霞のように司令官をクズ呼ばわりするほどではないが、他人と壁を作るような言動をするので、誤解されてしまった経験があるのだろうか? そんな経験則から出た彼女なりのやさしさなのだろう。

 

「あらあら、それは困るわねぇ。うふふふ、初めての満潮姉さんの忠告、素直に聞かせてもらいましょうか。しかし、姉さんがそんな事言うなんて以外ねぇ」

 

「そう、そういうのはわたしの役目です。長女としての威厳を見せて、妹たちへの指導をやり易くする。中世の文豪ゲーテは言いました。餅は餅屋」

 

 わたしは胸を張りながらそう答えた。そう、軍隊や部活で新入生をぶっ倒れるまで走らせ、指導と称して無限に理不尽な事をやらせるのは、そのためである。

 

「その人知らないけれど、絶対言っていないでしょう」

 

「そう言った表現はこの世界に無数にあるので、おそらく近しいことは言ったことあると思いますよ。と、それはさておき、今回の問題は簡単です。わたしであれば、解決することは簡単です」

 

「そう、いったい私は荒潮姉さんに一体どんなお仕置きをされてしまうのかしら?」

 

「わたしは何もしませんよ。ただ、荒潮が悪戯をすることによって受ける罰を、すべてわたしが引き受ける。それだけです」

 

 わたしが解決策を話すと、荒潮は驚愕の表情を浮かべていた。

 

「ちょっと待って、朝潮姉さん正気? そんな事をしたら、罰を受けないとこれ幸いに荒潮の悪戯に歯止めがかからなくなる。解決するどころか、悪化させる結果になるわ。分かっているの?」

 

「大丈夫です。わたしはこの方法で荒潮を更生させてみせます。なぜなら、このわたしは彼女のお姉さんです。わたしが彼女に歩み寄らないで、誰が彼女に歩み寄るというのですか。もちろん、そのために、妹たちへの責任を果たすことも時には必要な事です」

 

「まったく、どうなっても知らないわよ」

 

 わたしのこの言葉に納得してはいないだろうが、満潮はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。そんな彼女の髪を後ろから整え、髪で彼女のトレードマークであるドーナツ状のお団子を二つ作って、

 

「もちろん、わたしは荒潮だけにそう言っているのではありません。大潮も満潮も霞も霰もわたしの力を頼りたい時があったら、いつでも相談に乗ってもらって大丈夫ですよ」

 

「あらあら、朝潮姉さんには敵わないようねぇ、分かったわ。悪戯は控えることにするわ」

 

 荒潮はそう言って事実上の敗北を認め、大潮はさすが朝潮姉さんと言って、飛び上がり、他三人はほっと胸を撫で降ろしたが、

 

「いいえ。わたしは別に荒潮に悪戯を止めて欲しいとは思っていないですよ? むしろ、どんどん悪戯をすればいいと思っています」

 

 という言葉に、一瞬世界が凍り付いた。

 

「朝潮姉さん? 今なんて?」

 

「そう、荒潮が悪戯をして、わたしが罰を受ける事で、問題は解決します。荒潮は悪戯を無限にする事が出来、長女の私が代わりに罰を受けるとなれば、他の艦娘もおそらくなにか考えがあると邪推して、深く追及することはないでしょう」

 

「つまり、荒潮が長い間悪戯をし続けられる状態を維持するためには、この方法が最適なんです。何なら、わたしも一緒に悪戯を考えましょうか? 髪の一部を食品とすり替えるような単純なものではなく、もっとすごい悪戯を考えましょう」

 

 落ち着きを取り戻した霞のハリセンがわたしの頭に振り下ろされたのは、それから数秒後の事であった。

 

 

 

 妹たちとの話し合いと説教の結果、荒潮は悪戯を自重する事に決まり、わたしも悪戯をしてはならないと釘を刺されてしまった。わたしはもっと高等な悪戯をいくつも考えていただけに、非常に残念ではあるが、荒潮の件を解決して妹たちからの信頼を勝ち取るという当初の目的を達成できたので及第点としよう。

 

 なぜか霞や満潮が侮蔑のまなざしを向けてくるが、おそらくそれはわたしの気のせいだろう。わたしは何も落ち度のある事をしていないのだから。

 

「まったく、本当にあなたは朝潮姉さんなの? 私の知っている朝潮姉さんはこんなめちゃくちゃな事を言わなかったわよ」

 

「大潮はそれがこの朝潮姉さんの良さだったと思います!! 何だかんだで、荒潮の悪戯の問題も解決しました!!」

 

「ものすごく不本意だけどね」

 

 霞はわたしのキャラクターが前までいた朝潮とのギャップに対応し切れていない様で、大潮はそれをむしろ楽しんでいるようであった。満潮はわたしの破天荒な言動に若干の嫌悪感を覚えているようである。

 

「満潮はそれでいいと思います。わたしが朝潮だから、わたしがあなた達から見てお姉さん型の艦娘だから、そんなキャラクター性だけを見た表面だけの信頼や信用は意味のないものです。行動や言動によって、信用や信頼と言ったものは勝ち取るものです」

 

「信用や信頼は勝ち取るもの……騙されないわよ。今のところ、朝潮姉さん訳のわからない事しか言っていないじゃない。そんなんじゃ、信頼なんかされるわけがないわ」

 

「満潮、それ言い過ぎ」

 

 満潮の言動に、霰はたまらず彼女を諫めようとしたが、わたしはそれを制止した。

 

「いいんです、霰。表面化しない問題を抱えながら、姉として受け入れられたと勘違いした状態で暮らしていき、ある日突然それが勘違いである事を知らされるよりは、初めに言いたい事を言われた方がましです。違いますか?」

 

「そう? でも、朝潮姉さんもあんまり満潮姉さんを煽るような事を言わない方がいいわぁ。満潮姉さんもああ言う性格だから、誤解されやすいのよ。もちろん、満潮ちゃん本人も分かってはいるんだけどねぇ」

 

 荒潮はくすくすと笑いながら満潮の顔をちらりと見ながらそう言った。満潮は図星を刺されたのか、あたふたとしている。

 

「ちょ、荒潮」

 

「さて、そろそろ朝潮姉さんの歓迎会もお開きよぉ。朝潮姉さん、今から大体30分後、ひとふたまるまるに、演習のための作戦会議があるわ。場所は2階の家庭科室でもうぼちぼちと艦娘が集まっているから朝潮姉さんも向かった方がいいわよぉ」

 

 荒潮がそう言ったのでわたしは艤装に内蔵してある時計を確認すると、彼女の言った通り、時刻は11時30分を指示していた。わたしは一礼した後、行ってきますと部屋を後にした。

 



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初めての演習

 朝潮初めての演習に入ります


二階の家庭科の扉を開けると、そこには5人の艦娘がこちらに視線を向けてきた。わたしが旗艦で、艦娘が艦隊を編成するときの最大人数は特殊な場合を除き6隻なので、この場に演習に参加するすべての艦娘がいる事になる。

 

 手前から、昨日わたしを案内してくれる予定だった艦娘の阿武隈、その後ろに三つ編みで数本の魚雷の整備をしている艦娘は北上、その反対側で制服の下にボディーラインの見える上半身タイツを着ている片方の目が光っている艦娘は古鷹。

 

 その奥で帽子を被ったツインテールで、人型に切り取られた紙を数十枚宙に浮かせている艦娘が龍驤で、部屋の中央で半裸と表現してもいいような鍛えられた腹筋が輝く腕を組んでいる艦娘が長門である。

 

「昨日付で、この鎮守府に着艦しました。朝潮型駆逐艦一番艦、朝潮です。よろしくお願いします」

 

 わたしはドアを開けた後、敬礼しながら挨拶すると、長門が組んでいた腕をほどいて、右手をわたしに向けて差し出してきた。わたしがその手を取ると、

 

「よく来たな。私は戦艦長門、貴艦の活躍に期待する」

 

 そう言いながら岩石を握り潰せそうな握力で握り返してきたので、わたしも朝潮示現流ものすごい握りで対抗することにした。

 

「ふむ、よく鍛えられているな」

 

「手荒い歓迎ですね」

 

 さすがに戦艦の握力に対抗するには厳しかったのか、骨のきしむような音が手の甲から聞こえてくる、その様子を見かねたのか、古鷹が長門の手を引き離した。

 

「ちょっと長門さん、相手は駆逐艦ですよ。ごめんなさい、長門さん思ったことを何にも言わずに行動するきらいがあるから……」

 

「すまん。ちょっと力が入りすぎてしまった。この長門、失態だ」

 

「大丈夫ですよ。古鷹さん、長門さん。中世の文豪ゲーテは言いました。(言っていない)真の朝潮は誰に対しても憎しみを持たないものです。大した問題ではない事を、大事にするのは、わたしの本意ではありません」

 

 そう言いながらわたしは今日つける日記に、長門との握手には気をつけろという一文を付け加えるつもりだが、特に怒っているわけではない。そう、断じて怒っているわけではないのである。

 

「ははあ、偉いぞ朝潮ちゃん。古鷹も、本人同士がええって言うてるんやから、あんまし長門を責めんとおきなさい」

 

 龍驤はそんな様子を見ながら、そう言って長門の足元に、式神を投げた。

 

「ウチは龍驤。そんで、そこのとんでもない握手してきたのが長門で、その長門を止めたのが古鷹や、」

 

「朝潮ちゃん。大丈夫? もう!! 朝潮ちゃんびっくりしちゃったじゃないですかぁ!!」

 

 少し反応が遅れた阿武隈が近づいてきたが、その時のわたしは阿武隈の名前をど忘れしてしまい、うっかりとチェロスと口走ってしまったのである。その瞬間、教室は爆発した。

 

「ちょ、朝潮ちゃん。何で知っているの!?」

 

「うひゃひゃは、なんやぁ、満潮から聞いたんか!? あの時の阿武隈は傑作でなぁ」

 

「龍驤さん笑いすぎですぅ。もぅ!! あの話は終わったはずじゃないですかぁ!!」

 

「すいません阿武隈さん。数時間前に満潮から聞いたチェロスのインパクトが強すぎて、つい口走ってしまいました。しかし、その問題はすでに解決済です。今度からは髪がチェロスに変えられても気づかないと言う少し間抜けなキャラクターを演じなくても済むようになります」

 

 わたしはそう阿武隈に報告した。冷静に考えて髪の毛の一部が食品に変えられて気づかない筈はないので、その話は阿武隈なりのボケであると考えていた。と言うことを付け加えて話すと、彼女は教室の壁に向かって体育座りをしながら、「ボケじゃないもん。間抜けじゃないもん」と、呟いている。

 

「阿武隈ちゃん……大丈夫。阿武隈ちゃんは間抜けじゃないよ。その日はその……疲れていただけだよね」

 

 と言いながら古鷹が阿武隈の肩を抱きながら慰め始めた。

 

「なるほど、わたしは髪の一部を食品とすり替えるなど、あまりにも低級な悪戯であると思っていたのですが、それを本人に気づかせないとなると、彼女には悪戯の才能があると認めざるを得ないようですね」

 

「ほんまやなぁ、しかし解決したと言う事は、荒潮が悪戯止めるっちゅうことか。残念やなぁ」

 

 この龍驤と言う艦娘はボケや突っ込みと言う概念に理解を示しているようで、なんとなく馬が合いそうな気がする。そんな中、部屋の奥で魚雷を整備している北上が、話がひと段落したころに話しかけて来た。

 

「あたしの名は北上。その……なんだ、みんな前の朝潮が優秀だったからあんたに期待しているけれど、あんたはあんた。まぁ、気楽にやりなよ」

 

 そう言って魚雷の整備に戻っていった。

 

「そう、わたしは前の朝潮の事は知りませんし、彼女になるつもりもありません。しかし、わたしはそんな彼女に後れを取るつもりもありません。一生懸命頑張る覚悟です」

 

 大体そう言い切った時に、教室の扉がガラリと言う音をして開いた。司令官がやってきたのである。

 

「いいことを言うな。朝潮」

 

「失礼しました司令官」

 

「大丈夫だよ。さて、それでは演習の場所と時間を発表する」

 

 司令官はそう言って、黒板に文字を書きながら説明してくれた。演習時間は今から30分後の1330。場所は呉第1演習場と呼ばれる呉の第1鎮守府、熊本大将鎮守府の目の前で行われる。演習相手は呉第12鎮守府の田沼中将の艦隊が相手で、旗艦は陽炎で神通、扶桑、千歳、摩耶、木曽が随伴艦としてつく。この第1演習場で演習が行われることは稀であるが、熊本大将からの希望で急遽ここに変更になったらしい。

 

「提督、熊本大将はなんでまた私たちの演習を見たいと言い出したのですか? 私達の鎮守府練度最高の荒潮ちゃんは怪我のために不在で、旗艦は演習未経験の朝潮ちゃん。朝潮ちゃんの実力を見るにしても、もうちょっと艤装や旗艦に慣れてからの方が力が図りやすく、ここで演習を見るメリットはないと思います」

 

 そう言って古鷹が、提督に質問し長門たちはそれに同意する。それを聞いて彼は少しばつの悪そうな顔をしながら、

 

「このタイミングの演習視察だから、朝潮の件と関連付けて考える気持ちも分かるけれど、その……なんだ。今日急遽、佐世保の綾瀬大将がこの呉に来ることになって、なるべく彼女との時間を減らすために演習を視察したいと言われた」

 

 言の葉に乗せられた衝撃の事実に、みな閉口した。

 

「とは言え、これはチャンスだ。熊本大将の前で僕達艦隊の力を見せれば、届けられる物資や装備や艦娘の素体の数を増やしてもらえるよう取り計らってもらうことも可能だ。みんな、力を合わせて頑張るぞ」

 

 そう言って、司令官は腕を振り上げた。艦隊のみんなは先ほど力なくズッコケてしまっていたが、気持ちの切り替えは早いらしく、司令官に合わせてオーと言う声を上げながら腕を突き上げたのだ。

 

「しかし、司令官。そんな大事な演習ならば、旗艦を変わった方が良いのではないですか? わたしも気持ちの上ではほかの艦に後れをとる事はありませんが、何分初めての演習。わたしよりも優れた艦に旗艦を任せた方が良いと具申します」

 

「君の言う事は尤もだ。その方がおそらく良いだろう。しかし、僕は少し欲張りでね。ただ勝つのではなく、その時に今日初めての演習をする艦がいたにも拘らず勝つ。そうなった方が、この艦隊の強さを見せつけられる。そう思わないかい」

 

 そう言って、作戦会議を終了した。わたしはこの司令官面白い人だなと認識を改めることにした。

 

 

 

 呉第1鎮守府。そこはもともと海上自衛隊呉地方総監部があった場所であり、一時期九州全体が深海棲艦に占領されていたときは、そこから瀬戸内海を通って内陸部に進攻しようと責め立てる深海棲艦は数え切れなかった。

 

しかし、その鎮守府の屋上にある長さ5000ミリほどの巨砲を使い100万隻を超える深海棲艦を沈めたらしく、その武勲によって熊本大将は大将となった。と言う子供でもほら話と分かる武勇伝を阿武隈から聞きながら、わたし達はその鎮守府の周りに広がる海面を移動しながら呉第1演習場に向かっていた。

 

 そこには今回の演習相手である呉第12鎮守府の面々がすでに集まっていたので、わたしは挨拶をするために彼女らの元へと向かった。

 

「朝潮ちゃん。分かっていると思うけれど、相手に失礼のないようにね」

 

「分かっています。中世の文豪ゲーテは言いました。(言っていない)人間関係は礼に始まり礼に終わる。艦隊旗艦として恥ずかしくない挨拶をしてきます」

 

 

 

 わたしは彼女らの数メートル前で進行を停止させ、敬礼の姿勢を取りながら、

 

「わたしは呉第4鎮守府第1艦隊旗艦朝潮です。この度は対深海棲艦用軍事演習を受けて下さり、ありがとうございます」

 

 と、先ほど阿武隈に貰ったカンペを丸暗記したものをすらすらと読み上げると、あちらの艦隊の旗艦の陽炎も同じようなことを話していたので、おそらくそういうテンプレートが配布されているのだろう。

 

「ふぅ、終わり。さて、朝潮ちゃん。提督に聞いたんだけれど、あなた演習は初めてなんだって?」

 

「はい。艤装の練度は前の朝潮が使っているものを使用しているので高いのですが、わたし個人としては演習に参加した事はありません。ですが、戦場に出たならば相手はそんなことを考慮してくれるはずもありません」

 

 わたしがその後自分の思いを彼女に聞いてもらおうと続けようとしたが、彼女はわたしの唇を指で押さえながら、

 

「大丈夫よ。あなたの言う通り、敵は私達の事情なんてこれっぽっちも理解してくれないわ。でも、その為にこうやって私達は日々演習をして本番に備えているの。もちろん、本番のつもりで立ち向かうことは大切だけれど、気負いすぎても駄目よ。お互いにベストを尽くしましょう」

 

 そう言って彼女は唇を抑えた手を開き、わたしに握手を求めた。わたしはそれに応え、「はい。よろしくお願いします」と彼女の手を握った。

 

 

 

「なんだ、さっきまでの緊張がほぐれているじゃないか。安心したぞ」

 

 わたしが仲間の元に戻ると、長門がそんなことを言ってきたので、先ほどまでのわたしはその様な顔をしていたか尋ねると、艦隊全員が頷いた。そういえば、先ほどのわたしは余裕がなかった気がする。

 

 明らかに嘘と分かる大将の法螺武勇伝を聞いても笑い飛ばすどころか、若干イライラしていたのもその為だろうと自己分析した。もし、相手がわたしを挑発するような態度を取ってきて来たとしたら怒りと不安のあまり、何もわからないまま演習に敗北していた事だろう。

 

 そんなことを考えている間に、演習開始時刻になったので、わたしの頭の中に司令官の声が流れ込んできた。

 

「朝潮、早速だがちょっと君の知識を試したい。敵艦隊との距離はおおよそ100メートル。ここから、敵艦隊から離れることは出来ても、近づくことは出来ない。なぜだか分かるかい?」

 

「はい。司令官。深海棲艦は艦娘を待ち構えるときに、深海領域と言う艦娘の艤装をはじく黒色のタールのようなものを展開しているからです。空母などが行う索敵はその中のどこに深海棲艦がいるかを発見する作業で、深海棲艦が見つかった地点によってT字有利、T字不利、同交戦、反航戦などの判定がされます」

 

 わたしはそう答えた。これは製造されて鎮守府に送られる艦娘ならば、事前知識として叩き込まれる類のものであり、答えられて当然の知識だった。

 

「うん。その通り、しかし、演習では相手がもうすでに見えているから、この作業はこちらの方であらかじめランダムで決められる。が、空母の索敵と航空戦はこのタイミングで行われる。龍驤、艦載機を出してくれ」

 

「任せときぃ、艦載機のみんな。お仕事、お仕事」

 

 龍驤がそう言うと、彼女の視点にカメラが切り替わり、彼女の手に持っている人型がラジコンの模型サイズの艦載機となり、宙を舞った。その瞬間、わたしは吐きそうになった。

 

 龍驤の搭載できる艦載機の最大数は55であるが、彼女の視点とは別に、艦載機55全ての視点が頭の中を同時に駆け回り、おそらく相手の千歳の艦載機59隻とまるで食い合うように激突する。一機また一機と敵の艦載機と、地上からの迫撃砲によって撃ち落されていくが、今回龍驤は全艦載機のスロットに艦戦を積んでいたため、何とか制空権をとる事が出来た。と後で聞かされたが、その時のわたしは脳みそを圧迫する視覚の暴力にただ圧倒されていた。

 

「その後は砲撃戦に入るが、その前に重雷装巡洋艦と水上機母艦そして、一部の軽巡は甲標的というものに魚雷を詰めておくことで、航空戦直後くらいに魚雷を撃つことができこのタイミング位に相手に届く。こちらは阿武隈と北上が撃て、相手は木曾がいるから彼女が撃ってくるだろう。さあ、魚雷を見極めて回避の用意だ」

 

 提督がそう言ったか言わないかぐらいのタイミングで、視点が古鷹に切り替わり、彼女の足元が破裂した。彼女は悲鳴を上げ、その視界が黄色く色づけされる。おそらく中破判定と言う奴だろう。

 

「と言ったものの、この魚雷をうまく回避する方法は余りない。戦艦のような装甲の厚い艦に当たる事を祈るか運良く外れるのを祈るしかない。さて、次は砲撃戦だ。深海棲艦はこのタイミングから、身を隠すために空気中の深海領域の濃度を上げて身を隠す準備を行う。その間に艦娘達に許される攻撃は一隻につき砲撃一発、魚雷1発。敵か味方に戦艦がいれば深海領域の展開が阻害されるらしく砲撃がもう一発できる」

 

 司令官がそう言うと、龍驤を除く5隻の艦娘の視点に切り替わり、彼女らが100メートル先にいる敵艦のいずれかに的を絞っている。いずれかと言ったのは、艦娘の場所は認識できるが、それがどの艦娘なのか認識できないのだ。

 

 演習が終わった後司令官から聞いた話では、それは相手の提督との力の干渉によって、一時的に艦娘の判別が出来なくなるらしく、実際の深海棲艦との戦いでも深海領域の濃度上昇によって似たような現象が発生するらしい。

 

 そして各々が狙いをつけた艦を司令官が微調整を施しながら砲撃するわけだが、同時に発射されるわけではなく次弾装填の遅く、射程の長い艦娘から、主に戦艦、重巡、軽巡、駆逐、空母の順に砲撃なり艦載機での攻撃が繰り出される。とは言っても若干のタイムラグがあるだけでそれらは端から見ればほぼ同時に発射されている。

 

「さて、砲撃戦だ。長門、古鷹、阿武隈、北上、朝潮。君たちの力を相手に見せてやれ」

 

「了解。全砲門斉射。撃てぇぇぇ!!」

 

 その瞬間の光景を、わたしは忘れることはないだろう。敵艦から浴びせられた砲撃は、まずは古鷹、龍驤に直撃し、彼女らの視界を黒色に染めた。その速度はわたし達の反射神経では反応する事すら出来なかった。

 

 その時、わたしは火薬によって高速移動する弾丸を見て避けることは出来ないという当たり前のことを目の当たりにした。そんな中、わたしに直撃するはずだった弾丸を長門が割って入って受け止める。おそらく、駆逐艦の砲撃だったのだろう、彼女の視界は何色にも染められていない。

 

 先ほどの、高速移動する弾丸を見て避けることは出来ないという発言と長門のこの行動は矛盾すると感じるかもしれないが、のちに聞いた話ではこれは旗艦を狙われたときに、たまに司令官はそのことを直感的に感じる事が出来、無意識のうちに随伴艦をその射線上に移動させるためであり、狙って行っているわけではないらしい。

 

 わたしは被害状況と敵に与えた損害を司令官に報告した。朝潮、無傷。阿武隈、北上、長門小破。龍驤、古鷹、大破。敵は無傷1小破4、大破1で大破した艦娘は木曾と判別。と言う風に、大破して耐久力が1になった艦娘は判別できるようになる。第2射以降のターゲットから外れるためである。

 

「相手は、大破1で、こちらは大破2。数の上で若干不利になってしまいましたね」

 

「しかし、まだ砲撃戦がまだ残っているし、夜戦も残っている。勝負はまだわからない」

 

「当然です。皆さん。中世のドイツの文豪ゲーテは言いました。(言っていない)最後まで走り抜けられぬものに勝利は訪れない。やり切ったベストを尽くした、とは戦った後のセリフです。最後まで走り抜けてやりましょう」

 

「ふ、当然だ。この長門、全身全霊をもって敵艦を撃つ」

 

「当り前よ。見てなさい」

 

「やっぱり、駆逐艦ウザイ……でも、偶には悪くはないかな」

 

 わたしの鼓舞によって、劣勢を跳ね除ける。などと言う自分本位な事を言うつもりはないが、今のわたしにはこうするしか方法がなかった。わたしはなんとなく一番右にいる敵艦に狙いをつけ、引き金を引いた。刹那、衝撃が体を襲った。

 

 周りの視界が黄色く変色し、カメラを切り替えるとどのチャンネルも真っ暗な闇に覆われており、大破していないのはわたしだけになった。私も周りの状況から中破判定になっているのだろう。敵の損害は……大破5に無傷1。大破艦5隻の状況から、残っているのは旗艦の陽炎だろう。この時点で、わたし達の勝利は絶望的となった。

 

 次は夜戦前の魚雷フェイズであるが、中破した艦娘のペナルティーの一つとして、魚雷の射程距離が縮むというペナルティーが存在し、中破した艦娘はこのタイミングで魚雷を撃つことは出来ない。つまりわたしは彼女の魚雷をもろに食らうことになってしまうのである。

 

「いいわ。来なさい。みんなが繋いだこの命。ここで散らしてなるものか。朝潮型をなめるな!!!」

 

 先ほど、魚雷と言うものがいかに避けがたいかを体感したわたしであるが、そんなことは関係ない。気合で避けてみせる。見えた。

 

 結論から言うと、わたしはその魚雷を前方5メートルの地点で確認し、避けることは出来なかった。躱すことは出来なかったが、それはわたしの艤装のバリア擦れ擦れをまるで沿うように外れ、首の皮一枚つながった。

 

「危なかったな。朝潮。この後は夜戦だ。夜戦とは深海棲艦の深海領域の濃度が上がり切り、艦隊を海域もしくはそのエリアから強制的に脱出させるほどの力場を形成する現象をさす。視界は極めて悪くなるが、代償としてエリアから強制的に退出させられるまでの間、湖面の深海領域の濃度は薄くなり、約50メートルの地点まで近づく事が出来る。この距離まで近づけるようになると、駆逐艦の火力でも戦艦を落とす程度の火力が出る」

 

「分かっています。泣いても笑っても最後の攻撃です。絶対に勝ちます」

 

 そう言って、わたしは自分を奮い立たせた敵艦から50メートルの手前の地点まで艤装を走らせた。その時のわたしには初めての演習とか、鎮守府のために勝つだとか、そんな事は頭から消えていた。ただ、敵艦に向けて自分のすべてをぶつける。

 

「この海域から出ていけ!!」

 

 わたしが引き金に手をかけ、引く瞬間に不思議なことが起こった。幻覚だと言われればそこまでだが、確かに、相手の引金を引く瞬間の姿が見えたのである。わたしはほんの少し砲の向きをずらし、彼女の放つ砲弾にわたしの砲弾がぶち当たるように撃ち、本来直撃するはずだった砲弾の軌道をずらし、相手だけに直撃させたのである。

 

「そこまで、呉第12艦隊旗艦陽炎、大破判定。よって呉第4鎮守府の勝利」

 

 わたしが夢か現か分からないような体験に呆然としていると、拡声器で増幅された熊本大将のその言葉が、わたしを現実に戻してくれた。演習が終わり、黄色く変色した視界が元に戻ると、陽炎がわたしの所にやってきた。

 

「今日はありがとう。いい演習だったわ。でも、次は負けないわよ」

 

 そう言って彼女が手を差し出してきたので。わたしはその手を握った。

 

「ありがとうございました。また、よろしくお願いします」

 

 初めての演習で初勝利を挙げる。と言うのは出来すぎだが、今はその幸運に感謝することにした。

 



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朝潮示現流の呪い

 朝潮が過去を回想する話です


月日は流れ、鎮守府に着任して2週間が経過した現在、わたしは部屋で満潮達に正座させられている。

 

「満潮、どうしてわたしは正座させられているのでしょうか? この鎮守府に来てから毎日演習に海域鎮圧に明け暮れ、わたしの役目は十分果たしていると自負しています」

 

「うん。朝潮姉さんは頑張っているわ。それはわたしも認める」

 

 満潮がそう言うと、その場にいた大潮、荒潮、霞、霰も同意するように頷く。ならば何が不満だというのだろう。心当たりとしては、現在鎮守府に大掛かりな悪戯を仕掛るための仕込みをしており、それがバレたのだろうか?

 

「それならばなぜ……」

 

わたしがそう言うと、荒潮が出撃演習の記録表を取りだし、それを開いた。わたしの項目を見ると、毎日十数回の出撃、演習を繰り返している我ながら、頑張ったものである。

 

「出撃し過ぎよ。マジで姉さん何時寝てるのとか思うくらいひっきりなしに出撃するもんだから、おかしいと思って記録を見せてもらったら、なにこれ? 14日で出撃回数400回、異常よ異常」

 

 彼女は荒潮から出撃記録表を取り上げその紙をポンポンと叩きながら、そんな事言ってきた。因みに、後から聞いた話ではあるが、わたしが来る前この鎮守府で同一艦が一日に出撃した最大回数は20回であり、週で見ると100回以上出撃した事がないらしいので、ぶっちぎりのトップらしい。

 

しかし、そうしなければならない理由があった。深海棲艦type-γ、艦娘の力を無視して即死の攻撃を仕掛けてくる相手を想定して無限に経験を積もうとしているわたしには、この位の出撃回数は足りないことはあっても多すぎると言う事はないと考えていた。

 

無論、銃殺刑になってでもこの真実を話す理由はないので、前に彼女の前で話した言葉を使って、彼女に分かってもらうことにした。

 

「信頼と信用を勝ち取るためには、まずは行動から、と言う私の持論を実行に移しただけです。司令官にも許可は取っていますし、随伴艦はローテーションを組んで交代してもらっています。何か問題ですか?」

 

 胸を張りながら反論するが、わたしのその態度は彼女の心の火に油を注ぐだけの結果になってしまった。彼女は感情的になり、

 

「度が過ぎるって言っているのよ。鎮守府に備蓄してある資材は減っていくし、高速修復材も100近く減っているし、このまま艤装に無理させすぎると、出撃中に壊れて前の朝潮姉さんの時みたいになるわよ」

 

 満潮はそう吐き出した。目には大粒の涙をためている。そう言えばそうだった。彼女たちには前の朝潮は艤装の不調によりけがを負って、前線から退いたと聞かされていたのだった。他の姉妹艦達も彼女と同じような不安感から、わたしを止めに来たのだろう。ただ一人、事実を知っている荒潮は、他の姉妹艦の顔を確認した後、

 

「と言うことで、朝潮ちゃんに休暇の命令を出してもらえるよう、司令官に取り計らって、命令書を書いて貰いました。読むわね。駆逐艦、朝潮、および満潮。明日休暇にするので、呉の街中で買い物でもしてきなさい。以上よ」

 

 おおよそ命令書とは言えないような適当な文面であるが、こうでもしないとわたしは休みを取らないとでも思っているのだろう。

 

「はぁ!? わたしも?」

 

 内容を聞かされていなかったのか、満潮はその文面に驚いているようだった。

 

「あらあら、満潮姉さん。この世界には言い出しっぺの法則と言う普遍的な法則があるのよぉ。素直に朝潮姉さんと買い物を楽しんできてねぇ。それともぉ、司令官の命令に逆らおうというの?」

 

 満潮は若干乗せられて不満そうな顔をしており、荒潮は今まで表向きには悪戯をする事が出来ないフラストレーションを発散できたかのような。満面の笑みで、彼女を見つめていた。

 

 今回の休みを取らせるという提案はてっきり荒潮の差し金だと思っていたのだが、満潮の提案と聞いて嬉しくなった。彼女も彼女なりにわたしを心配してくれる、それを確認できただけでも彼女たちをここに招いてよかったと思う。……ところで、わたしはいつになったら正座を解いていいのだろうか。

 

「なるほど、司令官の命令と言うのならば、仕方ありませんね。その様子では、この後予定されている出撃もキャンセルされていると思うので、わたしは朝潮示現流の鍛錬をしてから寝ることにします」

 

 そう言って私は立ち上がり自然な形で正座を解く事が出来た。と思っていたが、わたしが立ち上がって鍛錬をしようとすると、彼女は制止してきた。まだ、正座をつづけろと言う事なのだろうか。

 

「休めって言っているでしょう!!」

 

 どうやら、そうではなくただ単にわたしの発言に、満潮は切れただけのようである。彼女の怒りは収まらない。

 

「何、大体何なの朝潮示現流って? 大潮がそんな事を言われながら前くすぐられたって言っていたけれど、そんな子供っぽい事言って、発想が幼稚なのよ」

 

「え? 満潮、それにみんなも朝潮示現流の事を知ってしまったの?」

 

 わたしは驚愕し、己の軽率な言動を呪った。朝潮示現流、それが姉妹艦に存在を知られる、それだけは避けなければならない事であったのだ。その後悔の念に苛まれた私の表情にただならぬものを感じたのだろう。彼女らはわたしを心配して声をかけてくる。

 

「どうしたの? 朝潮姉さん」

 

「朝潮姉さん。何を心配しているのですか?」

 

 取り返しのつかないことをしてしまった。しかし、この後起こる悲劇をできるだけ小さいものにするために、わたしは口を開いた。

 

「落ち着いて聞いてください。朝潮示現流。それは、わたしが前いた鎮守府で、わたしの師匠である。謎の美少女戦艦ダンケ仮面から継承した一子相伝の拳法であり、それを知ったものに大いなる災いをもたらす秘拳です」

 

 

 

 この世界では艦娘の素体、人間の部分は主に三つの方法で作り出される。一つ目は適合者と呼ばれる一般の女子からその艦娘に対する適合率の高い少女を改造して、素体とする方法。これは、熊本大将の霞などがこのカテゴリーに分類される。

 

 二つ目は、遺伝的に調整を施した試験管ベビーをその艦娘に適合しやすい様に生み出した後から調整する方法、このタイプが艦娘としては一番数が多く、わたしをはじめとしたほとんどの艦娘がこれに該当する。

 

 そして、最後にごくまれにではあるが、建造や艤装のドロップ時にその艦娘の素体も一緒に生成されるパターンである。

 

 わたしがもともと着艦するはずだった鎮守府はわたしが着艦するはずだった少し前に最初の建造で最後のパターンで朝潮が建造された。同じ鎮守府に同じ種類の艦娘が存在する事は好ましくない。同型艦が範囲内にいると、艦隊編成を行うときに、同じ艦が編成を阻害し、編成失敗等のトラブルが発生することが証明されているからである。

 

このような場合、建造された艦娘がその鎮守府に残り、来るはずだった艦娘素体は別の鎮守府に回されることになるのだが、実情はそれほど簡単ではなかった。

 

第一の理由は艦娘の轟沈の理由が解明され、司令官もその対策を行うようになり、なかなか艦娘の素体を失うといったことが起こりづらくなっていること。二つ目は、わたしのような一度鎮守府に着任が取りやめになった艦娘を提督側も敬遠する事である。

 

 それは、艦娘側に問題があるわけではないが、かつてとある艦娘の素体を自分の愛玩のために欲しがった提督が、その部下の提督に表向きはその艦娘に問題があるとして着艦拒否させ、調査と称してその提督の鎮守府にあてがったと言う事件が発覚した。

 

 その鎮守府は解体され、提督は処罰されたが、そのような事例は発覚していないだけでいくつもあると噂されている。

 

 そう言った経緯から、提督に着艦を拒否された艦娘は敬遠され、着艦まで長い期間待たされたり、あるいは着艦を諦めて素体としての機能を解体して普通の女子として生きる道を選んだりするのである。

 

 この素体が建造やドロップで生み出される確率は、大体100万分の1と言われており、司令官が100万分の一の確率から、朝潮を引く確率と言う天文学的な確率によって未来が閉ざされてしまったと言う絶望から、その当時のわたしは表向きにどう見えるかはともかく内心ではこの世のすべてを呪っていた。

 

 そんな私が他の鎮守府から着艦を待つまでの間一時的に着艦を許可された鎮守府は佐世保第一鎮守府、佐倉大将の鎮守府だった。佐倉大将はわたしの着艦を待つという意思を尊重してくれた。

 

こういった着艦拒否された艦娘を一時的に預かる鎮守府の司令官の中には、艦娘に虐待を働いて解体を希望させるように仕向けたり、男女の仲になることを強要する事例も存在するらしいので、そのような司令官に巡り合った事は最悪の中でもまだ幸運な部類だったのだろう。

 

 佐倉大将の秘書艦である戦艦ビスマルクも何かとわたしを気にかけてくれるので、居心地は悪くなかった。しかし、それは荒んでいるわたしの心を良い方向に向かわせることは出来なかった。

 

 しかし、数か月後に、わたしは運命的な出会いをすることとなったのである。

 

 その日の朝、わたしは鎮守府の勉強部屋として与えられた居間から起床し、射撃訓練のための準備を整えていると、昨日読んでいた教科書の間に身に覚えのない一枚のメモが挟まっていた。

 

「いったいこれは何でしょうか……」

 

 それを開くと、わたしは場から工廠の裏に瞬時に移動させられてしまったのである。何が起きているのか理解できず、あたりを見回すと、近くに生えている松の上に、全身タイツに覆面を被り、マントを羽織った正体不明の人物が腕を組みながら直立不動で笑い声をあげてきたのである。

 

「アァッ、はっはっは!! 青い青いわね、朝潮ちゃん」

 

 その人物は、胸のふくらみや声の高さから女性であると理解できたが、なぜわたしを知っているのか、工廠裏にどうやって移動させたのか、いったい誰なのか、すべてが謎のまま、松の木からわたしの数メートル手前に瞬間移動した。

 

「いったいあなたは、誰なんですか?」

 

「私は謎の美少女戦艦ダンケ仮面!! 朝潮ちゃん。あなたには足りないものがあるわ」

 

「足りないもの? そうですね。着任するはずだった司令官が偶然建造で朝潮の素体を引いて、運が絶望的に悪い」

 

 そう私が言うと、彼女はわたしを指さし

 

「ハルト ディ クラッペ(黙りなさい)!! あなたに足りないものはそんなモノではないわ。かつて、ドイツの文豪ゲーテはこんな言葉を残したわ。自分自身を信じてみるだけでいい。きっと生きる道が見えてくる。あなたに足りないもの。それは、自分を信じる力、即ち自信よ!!」

 

 彼女のその言葉に、少し感じるものがあったが、その時のわたしはそれを素直に受け入れる事が出来なかった。

 

「自分自身を信じる? こんな境遇で、何を信じればいいというのですか!! 運にも見放されて、境遇に阻まれ、生まれた意味さえ放棄するよう強いられようとしている。わたしは何に縋って生きていけばいいのですか!!」

 

 いつの間にかわたしは泣き出していた。誰にも見せなかった胸の内をさらけ出し、誰にも言えなかったわたしの弱さを吐き出した。そんなわたしを彼女は抱きしめ。

 

「自信とは自分自身の手で掴み取るものよ。その手助けをしてあげる。貴女には一子相伝の究極の拳法を授けてあげる。それをあなたの自信とするの。その名も『朝潮示現流』!!」

 

 その日から、わたしは彼女を師匠と仰ぎ、早朝に工廠裏を修行場として、遂に朝潮示現流拳法を学び、それによってすさんでいた心も今のように改善されたのだった。

 

 

 

 と、一通り朝潮示現流を伝承した経緯を彼女らに説明すると、彼女らをひそひそと話を始めた。

 

「……朝潮ちゃんが、あんな言動をとるようになったのはその師匠とか言う人のせいよね……前半の話が割と重くて指摘し難いけれど、その師匠っておそらく……」

 

「姉妹艦として、あんまり突っ込むことは止めときましょう。彼女のおかげで、今の朝潮ちゃんがいる。それでいいじゃない。うん、なんとなくオチが読めた気がするけれど」

 

 数秒後に、彼女らがひそひそ話を止めると、満潮が、「まあ、その話は置いといて、まだその人にバレると恐ろしい事が起こるという話はしていないわよね。どこから来たの?」と突っ込んできたので、わたしは重い口を開いた。

 

「はい。朝潮示現流を習得する際に、師匠から朝潮示現流の修行をしていることは他の人間には絶対に秘密で、しゃべらないように約束しました。なんでも、話すと聞いた人間に恐ろしいことが起こると……しかし、わたしは朝潮示現流の免許皆伝をもらった日にうれしくなって、佐倉大将とビスマルクさんにうっかりそのことを話してしまったのです」

 

「……」

 

 皆、その後に起こった悲劇とこれから自らに降りかかるかも知れない未来の悲劇に絶望しているのだろう。彼女らは絶句しているが、話を止めるにはいかない。

 

「その話を聞いたビスマルクさんは涙目になりながら顔を真っ赤にしてその場から消え去るように自室にこもり、数日間部屋から出てこられなかったのです。師匠の言ったことは本当だったのです」

 

 そう言うと、その場にいた全員が肩をがくりと落とし、うなだれている。

 

「なんか疲れたわ。ビスマルクさん。かわいそうね……」

 

 そう言って満潮が部屋から出ようとすると、その場に落ちていた朝潮示現流の訓練のために用意してあった木製バットを誤って踏んでしまい、彼女はその拍子に壁に顔面を思い切りぶつけてしまったのである。

 

「満潮!! 大丈夫ですか……くそぉ、ビスマルクさんだけでは飽き足らず、満潮まで……わたしが!! わたしが朝潮示現流の事を口走らなければ……」

 

 そんなわたしの叫びが、むなしく部屋にこだました。

 



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休暇

 今回は短めです


いつもの起床する時間に起きたわたしは久しぶりの休みと言うこともあり、二度寝をすることにした。と言うのも、昨日満潮から、

 

「朝潮姉さん。明日の休暇だけど、30分前に起こしに行くから、それまで寝ていてよね。今回は朝潮姉さんを休ませるための休暇なんだから、起きて訓練していました。とか、そんな事を口に出したりしたら、ぶっ飛ばすわよ」

 

 と釘を刺されたためである。まったく、姉の行動を完璧に予測できるできた妹である。姉として徒に彼女たちを心配させるのは本意ではなく、たまには彼女の言う事に従う事にした。それだけの事である。

 

そして、わたしはいつの間にか意識を失っていたらしく気づいた時には部屋のドアをノックする音が聞こえた。私自身では余裕があると思っていたのだが、自分でも気づかない内によほど疲れていたのだろう、時刻を確認すると1100、あと30分で鎮守府を出発しなければならない時間になっていた。

 

「朝潮姉さん。入るわよ」

 

 そう言って入ってくる満潮を、わたしはベッドで横になりながら出迎えた。

 

「時間どおりです」

 

「驚いた。てっきり訓練行っていますとか、そんな感じの置手紙が置かれて、部屋に誰もいないとかそう言った類の事は覚悟していたけれど、ちゃんといるじゃない。さあ、行くわよ。おすすめのスイーツとか、かわいい洋服のお店とか、回るところはいっぱいあるからね」

 

 満潮はなんだかうれしそうにしていた。まったく、姉への信頼が薄い妹である。無論、彼女の心配していた事は二度寝によって妨げられていなければ、当然実行されていた事ではあるが、この際おいておくとしよう。そんな事を考えながら布団から出ようとした時、わたしは大切なことを忘れていることに気づいた。

 

「ちょっとだけ待ってください。そう言えば師匠によそ行きの服を何着か頂いていたのを思い出しました。その中でもとっておきの服を着ていくので、少し待ってください」

 

「師匠って……姉さんに謎拳法を教えたっていう」

 

「そう、朝潮示現流伝承者である、謎の美少女戦艦ダンケ仮面師匠です」

 

 そう言うと、満潮は露骨に嫌そうな顔をしている。そうして、満潮は数秒程度考えた後、わたしのほうに向きなおった。

 

「朝潮姉さん。やめて」

 

「どういう事ですか? なるほど、わたしがよそ行きの服を着ているのに、満潮は普段着と言うのは悔しいのですね。その気持ちは分かります。しかし、師匠から譲り受けた服を披露するまたとない機会かもしれないので、譲るわけにはいきません」

 

「そうじゃなくて……うん、もぉぉ!! その師匠の事だから、奇天烈な服を用意しているんでしょう? あんまり恥ずかしい服だと、一緒にいる私も恥ずかしくなるの。分かる!?」

 

 彼女は何やら誤解しているようだった。その誤解を解くために、わたしはその今回着ていこうとする服を見せた。とある有名な洋画のヒロインが着ていた事でその当時話題になった白いシャツにフレアスカートウエストを主張する太いベルトと言ったかなり無難な服である。

 

「……予想したものとは違うわね」

 

「満潮の事だから、師匠が全身タイツにマントと言った服を用意したと思い込んでいたのでしょうが、そんなものは用意されていません。あの格好は迷える伝承者候補と対峙する師匠のみが許される格好であり、わたしが朝潮示現流の伝承を受け継がせる資格を得た時に改めて授けられるものです」

 

 わたしはえっへんと胸を張り、満潮は何か言いたそうな顔をしていたが、それを押し殺しているようだった。そうして着替えを済ませたわたし達は、鎮守府の入り口に向かった。

 

 

「はい。朝潮ちゃんに満潮ちゃん。今日の外出の許可は出ていますよ。しばらく待ってくださいね。一応、艤装の機能の一部制限やデータの照合等で、ほんのしばらくだけ待ってください」

 

 鎮守府の入り口の校門には任務娘の事務所のようなものが備え付けてあり、たまに通る時にはいつもパソコンをカタカタと叩いているのだが、話したのはこれが初めてである。因みに、熊本大将と来たときは無人になっていたので、その時は事前に避難させられていたのだろう。

 

彼女は、どこの鎮守府に所属しているかの名札と、位置情報を追跡する腕輪を渡して、それに対する簡単な説明をしてくれた。実際はその他もろもろの書類を提出することが必要であるが、その手の手続きは荒潮が全部やってくれたと満潮が耳打ちしてきたので、その書類確認やらの間、満潮と雑談することにした。

 

「前の事故で、出撃が難しくなった荒潮は、そう言った雑務や書類仕事をこなして、艦隊の役に立てるよう頑張っているの。まあ、そうなる前にもこの鎮守府の秘書艦として、一通りは教えられていたみたいだけれどね」

 

「なるほど、海域に出撃するだけが艦娘の仕事ではないですからね。中世の文豪ゲーテは言いました(言っていない)。縁の下の力持ちと、出撃ばかりしていると、そう言ったことには目を向けられ難いですが、重要な事です」

 

「分かっているじゃない。それを心に刻んでおかないと足元をすくわれるのよ。朝潮姉さんはがんばり屋である事は分かったけれど、もしも、事故が起こって出撃できなくなってもいじけたりしちゃ駄目よ。……荒潮もそうなったときの顔、見てられなかったわ」

 

「満潮……」

 

と言ったところで、任務娘から外出の許可が下りたので、話そうとしていた言葉は切られてしまった。わたしも若干気恥ずかしい言葉を駆けようとしていたので、目的地に着くまでちょっとした雑談はするものの、先ほどの続きの言葉をかけるタイミングを見失ってしまったのである。

 

 

 

 満潮は呉の郊外のお洒落な店にわたしを連れて来た。わたしとしては、お好み焼きや牡蠣と言ったものを期待していたのだったが、ここのパスタが絶品と言う事だったので、胸を躍らせながら店に入ろうとした時に、その前に見知った顔を見つけた。彼女のプレートを確認すると、呉第12鎮守府所属陽炎と書かれていた。

 

「あ、陽炎さん。お久しぶりです。と言っても先日演習でお会いしましたから、お久しぶりと言うのは少しおかしいかもしれませんね」

 

「うん? ああ、第4の朝潮ちゃん。いつもと違って、なんというか昔の映画の女優みたいな恰好をしていたから一瞬誰かわからなかったわ。朝潮ちゃんも休暇?」

 

「はい。中世の文豪ゲーテは言いました。時を短くするのは何か、活動。時を堪えがたく永くするのはなにか、安逸。たまの休暇とは言え、鎮守府で休息をするのでは、真に体は休まりません。活動楽しみ、刺激を受ける事によって、真に体は休まるのです」

 

「また、朝潮姉さんの、ゲーテの言っていない名言?」

 

「いいえ。これはゲーテが言ったとされる名言です」

 

 とわたしが胸を張って言うと、満潮はあっそと言ってそっぽを向いてしまった。

 

「なんや? 陽炎姉さん、知り合いかぁ?」

 

 どうやら陽炎も姉妹艦と休暇を楽しんでいるようだった。彼女はおでこが光る黒髪の関西弁の特徴な少女で、陽炎型駆逐艦3番艦の黒潮である。

 

「うん。この子は第4鎮守府の朝潮ちゃん。前に言った私の永遠のライバルよ」

 

 そう言って陽炎はわたしの肩に腕を回してくる。彼女の様なハツラツとした性格の少女に言われると悪い気はしないが、いつの間に永遠のライバルにされてしまったのだろうか。わたしは敬礼の姿勢を取った。

 

「はい。わたしは呉第4鎮守府所属、朝潮型駆逐艦朝潮、わたしの後ろにいる彼女は同じく朝潮型駆逐艦、満潮です。陽炎さんのような練度も経験も素晴らしい艦にライバルと呼ばれて、とても光栄です」

 

「ええんよ。陽炎姉さんとこれからもなかようなって欲しいわぁ。ウチは陽炎姉さんの妹艦の黒潮。よろしゅうなぁ」

 

 と言う風に挨拶を終わらせた後、立ち話もなんだからと、一緒に食事どう? と提案されたので、今回はその提案は遠慮させてもらうことにした。

 

「すみませんが、今回は満潮との……」

 

「おごるわよ」

 

 やはり、他の鎮守府との交流を深めたり、戦術や戦略に対しての議論を深めることはいざと言うとき、自らの命だけではなく艦隊の生死を分ける選択もつながる有意義な時間がもてると考えます。と何かそんな事を言った気がする。

 

 満潮は頭を抱えていたが、わたしの提案も間違っていないだけに、納得して相席に同意した。そうして話を始めると、満潮と黒潮はすぐに仲良くなった。

 

「んでなぁ、陽炎姉さん。ここ2週間ほど鍛えなおすとか言って、今までとは考えられんようなハイペースで出撃を繰り返してなぁ、そいで艦隊のみんなと話し合って、無理やり休暇を取らせっちゅうわけや」

 

「分かるわ。うちの朝潮姉さんは荒潮が悪戯してみんなが困っているときに、なんて言ったと思う? 荒潮が悪戯して受ける罰を自分が受けるなんてこと言いだしたのよ。まったく、心配するこっちの身にもなって欲しいものだわ」

 

 主に、姉を心配する妹艦会議として……。

 

「しかし、陽炎さん。何で私をライバル認定しだしたのでしょうか? 正直に言って、あの日のわたしは落第点の旗艦でした。航空戦酔いして、航空戦をサポートするために機銃の掃射すらできず、なすがままに随伴艦は全滅。私自身も中破し、最後の幸運がなければ、そう、あの日のわたしは運が良かった。それだけなんです」

 

「いやぁ、キミはあの現象を運と考えるんだね。キミは自分のしたことをまるで理解していない」

 

 そう、彼女は言った。いや違う。陽炎の言葉ではない。いつから、このテーブルに座っているのか。わたしは彼女の方向を向いた。そこには、高校生くらいの少女に見える金髪の女性が座っていた。

 

「やぁ、私は綾瀬イブ。キミの『異常(オリジナル)』について話していこうかな」

 



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わたしの異常

わたしは突如として現れた来訪者の存在に困惑していた。いつからそこにいたのか? わたしの異常(オリジナル)とは何のことを言っているのか? そして、なぜ彼女はわたしのパスタをさも当然のようにすすっているのか? 主に最後の理由から、わたしは頭突きをくらわした。

 

「天誅!! 朝潮示現流 朝頭突き!!」

 

しかし、それは彼女が手に持っていたフォークの柄をわたしのおでこに当てることによって容易に止められてしまったのだ。

 

「示現流? 薩摩には示現流と言う剣術が存在するらしいけれど、頭突きが存在するとは知らなかった。記録しておこう」

 

 そして、彼女がわたしの頭突きを止めたタイミングで、陽炎がわたしの前に掌を向け、さらなる追撃をしようとしたわたしを制止した。その顔には脂汗が滲んでおり、ただならぬ雰囲気を感じた。

 

「やめて、朝潮ちゃん。彼女は大将の一人、綾瀬大将よ」

 

 そう言えば、2週間ほど前にその名前を聞いた気がする。確か熊本大将が急遽視察に来た彼女との会話をできるだけ短くする事それが演習で熊本提督の前で戦った原因だった思い返すとそんな事だった気がする。

 

「綾瀬大将。彼女は私の妹と同じ、異常(オリジナル)艦娘の一人だとでもいうのですか?」

 

 どうやら、陽炎はその異常艦娘と言う言葉に心当たりと言うか、彼女の妹がそうだと聞かされていたのだろうか、綾瀬大将にそう聞いた。それを聞いて、彼女は肩位の長さの後ろ髪をくるくると巻きながら、少し考えた後、

 

「ふむ、呉第12鎮守府の……君は第一次深海棲艦との接触での生き残りで、妹と共に艦娘になった。そして、妹の方に異常(オリジナル)が認められ、下村元帥の下で秘書艦の一人として従事したが、下村元帥の失踪とともに行方不明。以降妹の手掛かりを得るために異常(オリジナル)艦娘を探している。で、良かったかな」

 

「はい」

 

 陽炎は驚愕の表情が張り付いており、綾瀬はその表情を楽しんでいるようだった。

 

「ちょっと待ってください。わたしに異常などある筈がありません。わたしはちゃんと素体を製造する工場で生み出された艦娘で、その段階で何ら異常はなかったと聞き及んでいます。彼女の妹のように人間から直接艦娘にされたわけではないのです」

 

 そう反論した。もし、わたしが異常艦娘というモノであるならば、そう言った製造段階でエラーとして弾かれるはずだと、

 

「少し勘違いしているようだね。ここで言う異常とは現在の艦娘としては異常と言っているだけで、本来の艦娘の性能として必ずしも異常ではないと言う事」

 

「一体どういうことですか?」

 

「艤装と言う奴はオーバーテクノロジーの塊でね、世界中の研究者が日夜研究しているわけだが、例えば君たちが艤装を展開して体を覆うバリアだが、出力的には水面を移動する必要は全くなく、空中を問題なく自在に飛行できる。

 重力や空気抵抗と言ったものにも影響されずに縦横無尽、変幻自在にね。それにもかかわらず、君たちの艤装は水面を低速で移動し、敵の砲撃すら単独では満足に躱すことができない。艤装の機能に制限がかかっているためだ。

 しかし、一部他の艦娘とは違った機能、違った性質を持つ艦娘が存在する事が分かった。例えば、陽炎。キミの妹の不知火の異常(オリジナル)は砲撃した弾を他の艦娘が認識できなくなるというモノだ」

 

「制限……」

 

 そうつぶやいた時くらいに気づいたのだが、満潮と黒潮は彼女がベラベラと機密情報っぽい何かを話しているときに、彼女には見向きもせずに二人で姉自慢大会をしているようで、こちらの事に見向きもしない。いや、認識してすらいないと言っていいのだろうか。

 

「少し話がそれてしまったが、そう言った艦娘の機能と言うのは本来艦娘が持っていた機能と考えられており、彼女らを研究することによって、艦娘の機能をさらに拡張する事が出来る。そう私たちは信じている。

 さて、そろそろ君の異常(オリジナル)について話していこう。キミはこの陽炎ちゃんとの演習において、自分の砲撃を相手の砲撃に直撃させて、自分の弾だけ跳弾させて相手に当てるという離れ業をやってみせたね」

 

「はい。運が良かったと思っています」

 

「それが間違っているんだ。キミの砲撃した弾の軌道だが、跳弾しなかった場合の軌道は敵から大きく外れる位置に着弾する事が計算で分かっている。キミは提督の弾道補正を軽く見ているようだが、敵に大きく着弾しない砲撃をしようとしても、すぐさま補正によって当たりやすい位置に軌道を補正される。運ではなく、そもそもキミの撃った位置関係からキミの撃ったような軌道で弾はそもそも撃てないんだ」

 

 彼女はそう言って手元にあるスパゲッティーを頬張る。陽炎の金とは言え、わたしのスパゲッティーをさも当たり前のようにすするその姿にはいら立ちを感じたが、本筋ではない様なので、突っ込まない事にした。

 

「弾道補正を無視して弾を打てる。それがわたしの異常と言う事ですか?」

 

「いや違う。弾道補正が効かないのではない。弾道補正を受けてもなお、あの弾を撃ったと言う事、つまり陽炎ちゃんの砲撃のタイミング、弾の軌道を果ては弾丸がどう跳弾するかも計算して撃つことができたという未来予知めいた力が君の異常さ」

 

「未来予知? 論理が飛躍しすぎています。……とは言え、もしそうならば、かっこいい必殺技を考えなければなりませんね」

 

 そう、重要なことは分からない。おそらく詳しく説明されても分かる筈はないが、大将が演習それを見た後に2週間経過したのち、そう結論付けた後にわたしの下に現れたという事は、そう結論付けるに足る根拠を用意して来ているのだろう。

 

「必殺技か……迎撃弾……そんな事は考えたこともなかったな。記録しておこう」

 

「じゃないでしょう!! 朝潮ちゃん、あなたはこの状況を理解しているの!!」

 

「はい、大将がわたしを異常艦娘と見抜いて、おそらくヘッドハンティングしに来たとか、そんな感じの事でしょう。それも、他の人間には知られない形で、そう言えば先ほどからおかしくないですか? 大将が機密っぽいことをベラベラしゃべっているのに、それに対して満潮をはじめとした周りの人間の反応がないことを」

 

 陽炎はそう言ってあたりを見渡し、まるでこの空間だけがこの場から切り取られているような錯覚に陥った。満潮と黒潮は互いの鎮守府の日常会話に花を咲かせている。まるでわたし達のことが目に入っていないような、そんな雰囲気を醸し出していた。

 

「これは一体……」

 

「私の艦娘の異常だ。彼女とつながっている間、私の存在は周りから認識できなくなる。私だけではなく、私が望めば5人くらいなら同じような状態にできるという訳さ。この効果は強力で、監視カメラなどの機器すら映らない大体完全なステルス状態と言ったところかな」

 

 そんな説明をしている間に、わたしは満潮の顔に猫のひげを書いたが、彼女と対峙する黒潮の会話に変化はない。

 

「あんた何してんの!!?」

 

「完全に閉じ込められました。外部から認識できないのではなく、ここは内部から外部へも干渉できない深海棲艦の海域と似た空間になっているようです。外部への物理的な接触は無効のようです」

 

 満潮に悪戯をして、私がその場にいない事を気づかせて外部から異常を破ってもらう作戦は失敗した。

 

「さて、陽炎ちゃん。キミには2つの選択肢がある。私は異常艦娘の研究のプロだ。もし、キミが朝潮ちゃんが私と来る事を説得すると言うのならば、行方不明のキミの妹の不知火に対して私が知りえる限りの情報を開示しよう。さて、君はどうする?」

 

 わたしが恐れていたのは今まさにこの状況だった。陽炎を妹の情報を出しにして懐柔し、わたしを攫うことを協力させる。

 

「駄目よ。彼女は私の永遠のライバルなの。裏切る事なんてできないわ。不知火の事は私が必ず見つけ出して見せる」

 

 そう言って、陽炎は綾瀬に対峙した。わたしは陽炎さんと、呟きながら彼女を疑ったことを恥じた。

 

「陽炎さん。中世の文豪ゲーテは言いました。わたしを殴れ。力いっぱいに頬を殴れと」

 

「そのゲーテっていう人、やばい人なの? 絶対そんな事言っていないでしょう」

 

「わたしはあなたと言う人を誤解していました。妹のためならば、わたしを売るような非情な人間だと、このままではわたしにはあなたにライバルだと言ってもらうことは出来ません。故に、あなたに殴ってもらうのです」

 

 陽炎はそれを聞いて頷いた。

 

「私もあなたを売って不知火の情報を聞いた方がいいと、一瞬だけ思ったわ。だから、あなたを殴った後、わたしも殴りなさい。そうしなければ、わたしもあなたにライバルと言う資格がなくなる。でも、それは」

 

「このピンチを切り抜けてからですね」

 

 そう言った感じで、わたし達が熱い友情を確かめ合っていると、綾瀬はテーブルに置かれた水をグイっと一気飲みし、

 

「降参だよ。2対1じゃ、勝ち目はないからね。しかし、本当にいいのかい? どちらかと言えば、わたしは朝潮ちゃん、キミの見方だよ。キミの置かれている状況は、キミにスケープゴートを強いるようなものだ。断言しよう、わたしに連れていかれなくて後悔する。そんな日が必ず来る。本当にそれでいいのかい?」

 

「はい」

 

 わたし達のピンチは呆気ないほど簡単に終わった。そして、わたしの返事を聞いた時、彼女少し悲しそうな顔をしていた。

 

「うわ!? いつの間に!?」

 

 満潮の反応から、綾瀬の艦娘の異常は今解かれたのだろう。

 

「こんにちは、私は綾瀬大将。大体2週間前の演習で朝潮ちゃんの艦隊と陽炎ちゃんの艦隊の演習を見てね、すっかり彼女たちのファンになってしまったんだ。ここの支払いおごるから、ちょっと話を聞かせてくれないかい?」

 

 いつの間に、大将と知り合ったのとか、そう言った質問攻めされた後、彼女たちの姉自慢が先ほどのように始まり、大将は頷きながら、記録しておこうという発言が聞こえた。

 

 わたしは大将に食べられてしまったパスタを追加注文し、待っている間暇なので、

 

「陽炎さん。不知火さんの事、もし分かったら連絡したいので、通信番号の交換をしませんか?」

 

「こちらこそお願いするわ。だって、私達ライバル同士だもんね」

 

 その時である。綾瀬の伏せろと言う怒号と共に、彼女は私たちを突き飛ばすように飛んだ。刹那、耳をつんざく破裂音と共にその店は爆発した。屋根は爆発によって吹き飛んでおり、綾瀬の怒号通り、伏せる事が出来なかった人間の肉塊があたりに散らばる。

 

 そして、綾瀬の視線の先には一人の艦娘が空中に浮遊していた。全身を白で塗り固めたような服装に、銀髪で氷のような瞳、グラーフ・ツェッペリンの艦娘である。

 



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はじめての襲撃

敵からの第2射には、わたしの艤装展開が間に合い、綾瀬を抱えながら、店の外に飛び出るように回避した。満潮も同様に生存者を抱えている。司令官の力の干渉によって陽炎たちの姿は判別できないが、彼女たちも同様に店の外に飛び出たのだろう。そんな中、頭の中に司令官の声が聞こえて来た。

 

「朝潮及び満潮の艤装展開と、周囲に敵性勢力を確認した。何があったか状況を報告してくれ」

 

「はい。呉市郊外の飲食店、場所は別途送りますが、そこでグラーフ・ツェッペリン型の艦娘と遭遇、彼女の攻撃により飲食店は全壊し、中にいた十数名が死亡。これより、交戦に入ります。彼女は空中を飛行しており、異常をもつ艦娘であることが推測されます。他鎮守府からの増援を進言します」

 

「無駄だよ」

 

 わたしの発言を、綾瀬大将は無駄だと切り捨てる。何が無駄だと言うのかと、わたしが怒声を浴びせようとした時、

 

「奴が街中に現れて標的を狙うときには、増援が出来ない状況を作り出してからそれを行う。今頃、泊地の周りは大量の深海棲艦でおおわれているはずだ。第4鎮守府の提督君、聞いているんだろう? 熊手に確認を取ってみると良い」

 

 と言う不都合な事を突きつけて来た。それを聞き、司令官は数秒間わたしの思考から姿を消した。その間に、大将は「まあ、そうでない事を祈るがね」と舌を出しながら私にささやいた。因みに後で聞いたのだが、熊手とは熊本大将の大将間での愛称であるらしい。

 

そして、数秒後に司令官がわたしの思考に戻って来た。

 

「綾瀬大将の情報を確認したところ。結論から言う増援は期待できない。泊地周辺に大量の深海棲艦の群れが出現している。数は10万……市民の避難とその数の深海棲艦の対応で、他鎮守府は混乱している。残念ながら増援を送ることは出来ない。朝潮と満潮だけで対処してほしい」と言う絶望的な返事が返ってきた。

 

 それを聞いて、わたしは脳裏にある考えが浮かんだ。彼女の口ぶりから、彼女は何度かグラーフと対峙した経験、もしくはデータを持っているのではないか。その中には、彼女の弱点や対処法があれば、危機を脱出する可能性が十分に上がる。

 

「綾瀬大将。グラーフの事を知っているのならば、彼女の弱点とか知っているなら教えてください」

 

 わたしがそう言うと、綾瀬大将は首を振った。

 

「私が知る限り、彼女の異常は空中を自由自在に移動できる。艦載機や姿を目視しない限りそれを知覚することは出来ないという二つ。知られているのはこれだけだ。対処法は艦載機を広範囲に展開してすべて見つけてしまうことだが、今の状態ではできないな。しかし、其のうえで何とかしよう」

 

その時である、見えない筈の陽炎と黒潮の姿がはっきりと見えるようになったのである。

 

「ええ!? どうしたの、朝潮ちゃん!? 姿が見えるわよ。早く、あなたの提督との同調を解いちゃ駄目でしょう……」

 

 と言う陽炎の声が頭の中から聞こえてくる。綾瀬大将はにやりと笑った。

 

「これが私の艦娘の異常。二つの艦隊を同一の艦隊として扱い、それによって提督の力の干渉を軽減する。キミたちが連合艦隊と呼んでいる力だ。これによって、第4と第12艦隊をつないだ」

 

 わたしはその言葉を聞いて、カメラを次々切り替え、彼女の言ったことが真実だと確認した後、声を上げた。

 

「司令官、綾瀬提督の力で、第12艦隊と連合艦隊を組めたので、彼女達と協力し、敵艦を撃破します。司令官、ご命令を」

 

 陽炎は訳の分からないといった「え、……なんで第4艦隊の提督が……え!?」と言う声を上げているが、詳しく説明している暇はない。まずは、現状を確認しなくては、陽炎と満潮が抱えている生存者は2名ずつ。ぐったりしているが、動く分には問題がなさそうである。

 

 カメラを切り替えると、黒潮の腕には泣き叫ぶ少女がパパぁ!! と大声で叫んでいるが、残念ながら彼女と似た男性を満潮や陽炎からは確認できなかったので、おそらく彼女の父親は……。しかし感傷にひたっている場合ではない。

 

「よし、各艦抱えている生存者を近くのシェルターに避難させる。まずは黒潮からだ。生存者をシェルターに避難させた後、砲撃でけん制。しかし、深追いはするな。第4、12鎮守府から援軍を向かわせる、彼女たちが合流次第、敵艦を拿捕する」

 

彼の命令通り、黒潮が近くの壁に生存者を抱えて走り出した。それに対して、グラーフは何の行動も示さない。彼女には目もくれず、ただわたし達だけをじっと見ているだけだった。それを見て、陽炎と満潮にも生存者を送り届ける指示を出すが、反応は変わらなかった。

 

「どうやら、彼女の狙いは私のようだ。我々が動くのは得策ではないが、最悪私をおとりにして逃げることも視野に入れるべきだ。そう、キミの司令官に伝えて欲しい」

 

「馬鹿なことは言わないでください」

 

 そう言いながらわたしは視点を満潮に切り替える。彼女たちが抱えて移動した生存者たちは、壁近くのシェルターに避難させる事が出来たようで、安心した。あたりを確認させ、艦載機がシェルターの周りにいない事を確認した後に、シェルターの壁を人一人分の隙間を開けて一人ずつ中に放り込む。

 

しかし、面倒なことになった。わたしが左足をほんの少し動かした瞬間、私の左足のほん横に向かって、どこかからか艦載機のガトリング砲が地面を抉った。

 

「司令官、先ほどの敵の行動から、敵の目標は綾瀬大将だと推測されます。わたしは動けませんので、満潮達で彼女の注意をそらしてください。その間にわたしは敵艦に砲撃を叩き込みます」

 

「朝潮、綾瀬大将を危険にさらすつもりか? 満潮たちで注意をそらした後、彼女もシェルターに避難させるべきだ」

 

 わたしは首を横に振った。

 

「駄目です。わたし達では艦載機全てを追うことは出来ません。敵は綾瀬大将を狙うために艦載機を私たちの周囲に展開していると推測されます。彼女をシュエルターに避難してその中の一機でも綾瀬大将を追ってシュエルターに入ったら、シュエルターに避難している全員が危険にさらされてしまいます。それよりは」

 

「敵艦を中大破させて、艦載機の飛行能力を失わせた方が安全……と」

 

 その話を聞いていたのだろうか、綾瀬大将はわたしの腕から抜け出し、背中の艤装に捕まった。

 

「それでは、作戦開始!!」

 

 満潮が右から突進し、黒潮が左から突撃する。

 

「さあ、道を開けるわよ。朝潮姉さん。しくじらないでね」

 

 満潮はそう言ってグラーフが彼女を迎撃するために繰り出した艦載機に機銃を斉射する。黒潮も左で同じように機銃を斉射する。1機2機と艦載機は落とされるが、代償として、彼女たちの耐久が減らされていく……。が、グラーフは眼を逸らさない。

 

「司令官。……突撃します」

 

「待て。まだ彼女の注意を逸らせていない。もう少しだけ……」

 

 満潮と黒潮が中破になるが、艦載機の猛攻は止まらない。先ほどから艦載機はほとんと落ちなくなっている。そんな時、後ろから陽炎の気合のこもった怒声が聞こえて来た。

 

「どっこらせぇしょ!!!」

 

 陽炎の方を見ると、直径5メートルの岩の塊が、ぶん投げられていた。敵はたまらず艦載機の機銃でそれを破壊しようとするが、間に合わない。グラーフは左に大きく避けた。

 

 しかし、それはわたしが彼女の真正面に立つのに十分な距離だった。わたしは彼女に向かって渾身の砲撃を繰り出し。彼女の装甲を吹っ飛ばした。と、同時に敵の周囲に隠れていた艦載機が私に一斉に襲い掛かる。わたしは大破した。

 

「グゥゥゥ!!」

 

 しかし、敵は中破。艦載機の飛行能力は失われ、空母である敵の攻撃能力は皆無になったはず。そして、周りには満潮と黒潮が彼女に向けて砲を構えており、陽炎も投げた岩に飛び乗ってここまでやって来たようで、彼女も敵に向かって砲を構える。

 

「馬鹿ね。あんたが殺した人たちに詫びなさい」

 

「全艦!! 砲撃!! 撃てぇぇ!!」

 

 司令官の怒声が響き渡り、彼女らは砲を撃ちこむ……。が、カシャンと言う乾いた音を立てて、砲はロックされた。

 

「いったいどういう事よ……」

 

 その言葉に答えられるものはその場にいなかった。

 



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新たな戦い

グラーフはこちらを一瞥した後、上空に向かって飛行を始めようとする。

 

「敵味方の識別センサーがいじられて、砲がロックされたんだ。残念ながら、解除するには10分程度時間がかかる……残念だが」

 

「識別センサーをいじるか……過去に彼女が我々と対峙したときに、そんな手を使った記録はなかったはずだが、これから対策をしておこう。しかし、危なかったな。もし、艦載機の攻撃能力を失わせていなければ、全員倒されていたところだった。それだけでも、幸運だった。そう思うことにしよう」

 

 と言う綾瀬大将の言葉と共に、彼女の連合艦隊は解かれ、再び陽炎たちの姿は提督同士の干渉によって見えなくなった。

 

「残念ね……。朝潮姉さん。肩を貸すわよ」

 

 満潮も中破して運動能力がそがれているが、万が一の伏兵に備える意味でも、艤装の展開を止めるわけにもいかず、わたし達は二人三脚で鎮守府に帰っていった。綾瀬大将は依然として私の艤装に捕まっている。

 

 後で聞いた話だが、陽炎は黒潮を鎮守府に戻して、あたりを散策して伏兵がいないか確認してくれたらしく、わたし達は何の問題もなく鎮守府に戻る事が出来た。

 

 そして、旗艦の引継ぎ後、わたし達はドックに艤装を預けて治るまでの間暇が出来たが、司令官たちは他の司令官と10万体の深海棲艦に対しての攻撃にてんやわんやになっている。しばらくすると、熊本大将の鎮守府の方からたびたび轟音が聞こえてくる。

 

「こんな緊急事態だからね。熊手も二度と使うことはないと言っていた熊手砲を使っているようだね。なら、しばらくは安心だ。少なくとも、キミの艤装が治るまでの間に泊地に深海棲艦がたどり着くことはないだろう」

 

 綾瀬大将はそう説明してくれた。おそらく熊手砲とは第1鎮守府の屋上にある巨砲の事だろう。前に阿武隈に聞いたほら話が事実だとまったく思っていないが、多少なりとは数を減らせるものだろう。

 

 わたしの艤装に乗って鎮守府に保護された綾瀬大将は、今回のグラーフの件でわたし満潮と司令官と共に第1鎮守府に状況説明に呼ばれているが、あくまでそれは10万体の深海棲艦の脅威を退けたら、の話である。

 

 その間、彼女はわたし部屋で待機を希望し、それを司令官が承認した形となる。因みに、部屋の周りには数隻の戦艦空母があたりを警戒しており、万が一グラーフが戻ってきてここを奇襲したとしても対応できるようにしてある。

 

「単独で泊地全体を守っていたとかいうアレですか? 眉唾物ですが、まあ、期待しないで待っていましょう。正直、今のわたしに出来ることは、疲労を回復する事だけです。中世の文豪、ゲーテは言いました。休息する時間がなければ継続は出来ない。10万体の深海棲艦を倒すために、休めるときに休んでおきましょう」

 

 そう言って、眠ろうとした時に、満潮が部屋の隅で何かぼぅっとしているのを確認したので、彼女に声をかけてみることにした。

 

「おかしいですね満潮。いつもなら、知らないけれど、ゲーテはそんな事言っていないんでしょう。前言ったゲーテの名言と大体真逆の事を言っているじゃない。とか言うはずなのに、疲れているんですか?」

 

 それを聞いて満潮は嘆息した。

 

「客観的にはおかしいのは朝潮姉さんの方だと思うけれど、でもそうね。すこし、……怖くなったの」

 

「怖いですか?」

 

「そう、私達は深海棲艦と戦うときに、ダメージを艤装がほとんど肩代わりしてくれる。いわば、安全地帯からそれらを駆除していたの。そんな日々の戦いで敵に打撃さえ与え続ければ泊地の人たちを守れる。でも、実際は違った」

 

 敵の艦載機が簡単に人間の命を奪う。たった1隻敵に侵入されただけで数秒のうちに十数人の人間が物言わぬ肉の塊に変えられた。しかもそれは敵の標的が彼女らではないにもかかわらずそうなったのである。

 

「イレギュラーはある日突然に起こる。でも、私達に敗北は許されない。たった1隻泊地に侵入されただけで、私達の守るべきものは簡単に壊される。それを実感してしまったの」

 

 今回はある艦娘の異常と言う理不尽によってそれがなされてしまった訳であるが、これからもそう言った異常事態が起こらないとは限らない。それが起こった時に、また罪もない人々の血が流れる。それが怖くて仕方ない。そう彼女は続けた。

 

「なるほど、考えた事もありませんでした。うーん」

 

 正直、防衛を艦娘に依存している以上、それが失敗したときのリスクは当然背負うべきものだと思っていたが、そう言った思考も視野を広げるという意味では必要かなと、そんな事を考えていた。

 

「朝潮姉さんは怖くないの?」

 

「はい。わたしは朝潮として生きる。それが、わたしの生きる意味です。その使命の中には深海棲艦から人間を守る事も含まれていますが、使命を全うしてもなお、わたしだけの力だけではどうにもならない事柄は存在します」

 

 朝潮として生きる事すら許されなかった2年間が、満潮や他の艦娘と考えを決定的に変えた一因だろう。彼女らは当たり前のように彼女らとして生き、そのうえで、自分にできる許される範囲を広げていった結果、理不尽な事象に対しても、そのうえで成功できるか不安などと口走っているのである。

 

「まずは、そう言ったイレギュラーな事態に陥ったらどうしようと思考するより、日々の戦いの中で、力をつけるのが一番です。満潮、あなたは一人ではないのです。司令官や艦隊の仲間、もちろん私も手伝いがあって初めてイレギュラーな事態に対処する事が出来るのです。かつての文豪ゲーテは言いました。三人寄れば文殊の知恵」

 

 などと、適当なことを言うと、彼女は絶対ゲーテっていう人そんな事言っていないでしょう。と、いつもの調子で突っ込んできた。それを見ている綾瀬大将のにやけ顔は気になるが、たぶんろくなことを考えていないので無視する事にしよう。

 

「うん。そうね。私、目的を見失うところだったわ。ありがとう朝潮姉さん」

 

 そう言うと、満潮は緊張の糸が切れたのか、すぐにすやすやと眠ってしまった。

 

「さて、思い出しました。大将、わたしはあなたに言わなければならない事がありました」

 

 わたしはそう言って、大将の方を向いた。大将は「なるほど、私に感謝の意を表したいと」などと言って、胸に手を当ててなにかぶつくさとしゃべっているが、わたしは頭を大きく振り、彼女のおでこに渾身の頭突きをくらわした。

 

ゴチィンと言う鈍い音を立てて綾瀬大将はのたうち回り、額には5センチほどのたんこぶが出来ている。

 

「朝潮示現流。超頭突き。わたしはあなたがわたしのスパゲッティーを食ったことを忘れていませんよ。天誅です」

 

 そう言えば……今日の襲撃も、朝潮示現流の技をかけ、彼女が朝潮示現流を知った後に起こった事で、まさか朝潮示現流の呪いが今回の襲撃を引き起こしたのではないか。恐るべし、朝潮示現流の呪い。

 

 

 

 いつの間にか眠っていたらしく、艤装修復完了時間に合わせたアラームによって起こされたわたしは懐に一枚の紙が挿されている事に気づいた。広げてみると「朝潮ちゃん、起きたら執務室に集合してね。2-5の部屋が執務室よ」と、荒潮の筆跡で書かれていた。

 

 わたしはそれを見て、くしゃくしゃになった服を脱ぎ棄て制服に着替えた。その間に、一緒に寝ていた満潮や頭突きをくらわせた大将がいない事に気づいたが、満潮の艤装は私の艤装よりも治りが早いので、わたしよりも早く艤装を取りに行ったのだろう。綾瀬大将は綾瀬大将だからいいか。そんな事を考えながら、部屋を開けた。

 

 外には見張りの戦艦がいたので、挨拶をする。高身長で金剛型特有の改造巫女服を着た灰色の髪の女性で、金剛型3番艦榛名である。この艦隊の中では長門に次ぐ練度第2位の戦艦で、大将を護衛するために、司令官が遣わせたのだろう。

 

「こんにちは、榛名さん。……綾瀬大将見ませんでしたか? わたしが仮眠をとる前の記憶では、彼女はわたしの部屋で待機していると記憶していましたが」

 

「はい。それであっていますよ。でも、大体2時間くらい前でしょうか、じっとしているのは性に合わないしつまらないから、熊手の所に行ってくる。そう、熊手に伝えて欲しいと言われて、それを見越して待機していた第1鎮守府の艦娘に連れられて、この鎮守府を出発しました。それで、私も出撃艦隊のローテーションに加わるように提督に進言したのですが、朝潮ちゃんが起きたら彼女と執務室に来るように提督に命令されました」

 

「なるほど、それでは行きましょうか」

 

「はい。榛名は大丈夫です」

 

 そうして、わたし達は少し速足で執務室に向かった。その間に、榛名から泊地の現状を聞くと、彼女は快く答えてくれた。

 

 呉には20の鎮守府が設置されているが、その内の10艦隊が空母や戦艦で構成された長距離砲撃部隊を編成し、進軍してくる敵の足止めをし、中央を制され突出した両翼に主に水雷戦隊で構成される足の速い艦隊が左右に4艦隊ずつ、各個撃破を意識しながら敵の戦力を削いで行く、それを各鎮守府の戦力差、疲労などを考慮しながら絶妙なタイミングで交代し、敵艦隊に対して連戦連勝を果たし敵艦隊数は5万まで減少したらしい。

 

 これは他の鎮守府の話で、わたし達の艦隊は別の任務がある。それは、敵はこの状況を打破するために、別動隊を大きく迂回させながら敵と味方の間に艦隊を展開させることによって、中大破した艦を戦場に孤立させる。それによって戦況の立て直しを図る筈だと。その別動隊を叩くことがわたし達の艦隊の役目である。

 

「なるほど、わたし達が戦況を有利に出来ているのは、損傷した艦隊や補給をスムーズに行えるからで、いったん補給線を絶たれてしまえば、そこから戦線の負担は増大する。そうなれば、絶対数で勝る敵の方が有利と……しかし、意外でした。てっきり熊本大将は全艦突撃とか、真正面から敵を受け止めろとかそんな感じの無茶な命令をするような人だという、勝手なイメージがありました」

 

「確かに、そんなイメージがありますが、彼は呉の守護神と呼ばれた素晴らしい提督です。大群に対しての戦闘で、彼の右に出る提督はそうはいませんよ」

 

 そうこう話をしているうちに、わたし達は執務室にたどり着いた。その中には提督に阿武隈の他に、黄色い着物に緑色の着物を着ている艦娘がいた。彼女らは2航戦と呼ばれる空母であり、黄色い着物の方は飛龍、緑色の着物の方は蒼龍である。

 

「朝潮、艤装の復旧が完了しました。これより、第一艦隊に復帰します」

 

 わたしが敬礼をしながら部屋に入ると阿武隈が口を開いた。

 

「朝潮ちゃん、今から提督よりこの後に行われる作戦の説明がされるわ。見ての通り、艦隊の構成は朝潮ちゃん、私、榛名さん、飛龍さん、蒼龍さん。そして、最後の一人は……」

 

敵の別動隊を見つけてそれを叩くという作戦目標上、別動隊を速やかに見つけ出し、それを迅速に処理しなければならず、そのために索敵長距離攻撃のために戦艦1隻と空母2隻、わたしと阿武隈はもし潜水艦がいた場合の処理のためだろう。そんな事を考えていると、後ろから人の気配を感じた。

 

「最後の一人はこの私よ」

 

 後ろを振り返ると、満潮が腕を組みながらしたり顔でその場に立っていた。どうやら、先ほど私に吐露していた恐怖感や不安と言った感情に折り合いがついたのだろうか、自信にみなぎった顔をしている。

 

「満潮……もしかして、わたしが執務室に来るまでの間ずっとスタンバっていたの?」

 

 と言う、当然の疑問を投げかけると、彼女は顔を真っ赤にして、

 

「そうよ!! 悪い!!?」

 

 と、涙目になりながらそう答えた。わたし達の無駄口に対して司令官はそれを咎め、一喝した後、彼から作戦行動の説明がなされた。

 

 敵艦隊は佐賀関半島付近の海域に本隊がいると思われ、それを屋代島に臨時鎮守府を移転した第10個艦隊総出で航空戦力と長距離砲撃によってその進軍を抑えており、それを逃れてそのまま屋代島に進軍する左翼とおそらく日本海側から下関を通り別ルートから進軍してくる右翼、それを各4個艦隊で押さえている状況であると、いう感じの説明がなされたが、よく分からなかった。

 

「と、今の状況はこんな感じだ。ここまでは理解できたかい?」

 

 司令官は話をつづける。特に右翼を抑えている見方の方は高練度の艦隊で構成されており、そのまま下関の海域を抑えそれによって2方向から攻められている状況を打開するというのが、今回の作戦だが、熊本提督の読みでは敵は徳山周辺の入り組んだ海域に伏兵を忍ばせており、戦線の伸びきったタイミングに右翼の背後をつくことで、味方を孤立させるのが敵の狙いとのことだった。

 

「予測では1700、あと30分で敵が出現し、右翼の後背を突くべく進軍を開始するだろう。それを僕たちの艦隊が逆に後背を突いて撃滅する。今回の作戦に失敗は許されない。失敗すれば戦場に取り残された4個艦隊の命運だけではなく、呉そのものが壊滅する危険性がある」

 

 わたし達の艦隊を出撃させる理由は、行ってしまえばただの勘であり、敵がいなければ、右翼の味方艦隊を支援して下関を抑えた後、反転して本隊への攻撃に加わればいいと付け加えた。艦隊全員に緊張が走ったが、わたしは声を上げた。

 

「大丈夫です。かの有名な文豪のゲーテは言いました。吾輩の辞書に不可能の文字はない。わたし達は不可能を可能に、最悪の状況を打破するために今まで備えてきたはずです」

 

「その言葉、ゲーテじゃなくてナポレオンでしょう? そのくらい私でも知っているわよ」

 

「そうね。そのために、私たちは訓練してきたんだもんね」

 

 そう言って、艦隊の皆は口々に不安を自信によって塗り替える。それを聞いて、司令官は手を二度叩く。

 

「作戦会議は以上だ。全艦!! 出撃準備!!」

 

「呉第4鎮守府第1艦隊、旗艦朝潮。抜錨します」

 



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強襲

 屋代島周辺の海域を横切る時、総勢10艦隊の艦載機と長距離砲撃による長距離攻撃を見る事が出来た。その艦隊に搭載されている砲塔は通常の艦隊専用の砲撃ではなく、特殊海域用に改造された砲塔で、艦隊すべての攻撃能力を集約する機能がある、俗に艦隊決戦要支援艦隊と呼ばれる機能を使用していると、阿武隈から説明があった。

 

 彼女が言うには当たるか当たらないか分からないおみくじのようなものであり、基本的にはそれ単体で敵艦隊を撃滅しようとするには力不足である。が、当たれば戦艦や空母だろうが一撃で轟沈させるような砲撃が射程外から飛んでくる事は敵の進軍を相当ためらわせるようで、今のところそれは上手くいっている。

 

私たちの目的地はそこではなく、そこから西方に60キロほど向かった先になるが、ここに立ち入った目的は島の南東に敷設されたある装置を利用して短期間で目的地に着くためである。何しろ、予定ではあと20分ほどで目的地につかなければならない。

 

 わたし達は、予定のポイントにたどり着くと、艦隊全体が光に包まれた。

 

 あたりは17時ころにも拘らず、太陽は真上にあり、真っ昼間のようである。この場所はいつもこの時間に設定されており、たとえ夜でもこの中は昼間である。これは深海棲艦が作り出す彼らの巣『海域』の原理を応用して作られたもので、艦娘の艤装に反応し離れた位置に短期間で行く事が出来る。

 

 深海棲艦の『海域』は艦娘以外が踏み抜くと、脱出できないこの世の落とし穴であるが、これは艦娘以外が通過したとしてもこの空間入ることはないという点で安心である。度重なる実験の結果、深海棲艦もここには入って来られないらしく、ここを通じて鎮守府にいきなり奇襲されるという事は起こっていない。

 

「司令官、予定通りワープポイントに到着しました。只今から、目標のポイントに進軍します。海域のルート指示をお願いします」

 

 そして、それを艦娘が悪用できないように司令官の指示通りに進まないと目的の位置にはたどり着けないようになっている。そのルートはかなり複雑であり、やみくもに進んだ場合ワープゾーンから弾かれて、登録された司令官のいる鎮守府近海の海域に出ることになる。

 

「了解。いまから、データを送る」

 

 司令官からのルートが届き、後は艤装の自動操縦に任せ、後10分ほどで目的地に着くはずである。そのデータが届く数秒前に、5回ほど何かルーレットのようなものが回る音が聞こえたのは気のせいだろう。

 

「ふう、時間ギリギリですね。熊本大将の読みが正しければ、ここを抜けたら真ん前に敵艦隊が展開されているはずです。全艦、砲撃準備」

 

「任せておいて、飛龍も準備は良い?」

 

「もちろん、2航戦の力を見せてあげるね」

 

 と、各艦が各々の準備を始める。わたしはそんな彼女らの視点にカメラを切り替えて不備がないかを確認した後に、主砲、魚雷、機銃、爆雷等を準備し、それらのロックを外す。

 

「朝潮ちゃんに満潮ちゃん、街に出た時に敵の強襲にあったと聞いたけど、その敵がわたし達とおんなじ艦娘だって聞いたけれど本当なの? そこに生存者を救出に行った夕立ちゃんの話では、生存者からは金髪のそれを飛んだ艦娘から攻撃を受けたって聞いたらしいけれど?」

 

 艤装の準備が完了し、後数分で海域を抜けると言った時に、阿武隈がそんな事を聞いてきた。わたし達は生存者をその近くにあったシェルターに避難させて、その後彼らの生存確認をしないまま鎮守府に帰還したので、一抹の不安を覚えていたが、無事だったようで安心した。

 

 強襲した敵が艦娘であることや、その艦娘が空を飛んでいた事に対して何ら口止めされたわけでもなかったので、私は正直に答えた。

 

「はい。その場にいた綾瀬大将を狙い、敵はわたし達に対して攻撃を加えてきました。その場にいた第12艦隊の艦娘と共に、彼女の攻撃能力を奪いましたが、すんでのところで逃げられてしまいました。大将が言うには今回の深海棲艦大量進軍は彼女が引き起こしたものであるらしいです」

 

「ちょっと、朝潮姉さん?」

 

「そして、わたしが危惧していることは、敵が綾瀬大将の拉致を諦めていなかった場合、戦線を崩壊させるために何ら頭の策を打って来る。それを阻止する為にわたし達がいるのです」

 

 そう言った直後に、海域の出口が見えて来た。3、2、1。艦隊は光に包まれ、時間どおりの傾いた太陽が輝く海上に出ると、数十メートル前に深海棲艦の大群の後背が眼前に現れた。数は30、わたしは叫んだ。

 

「全艦、前方の敵艦に向けて攻撃開始!!」

 

 耳をつんざく轟音と共に、艦載機と戦艦の砲撃によって、敵艦の半数が瞬時に消し飛び、反転攻勢しようとする敵艦に向かってわたしと阿武隈が突撃し、その側面に砲撃を叩き込む。満潮はソナーを起動させ潜水艦がいない事を確認するとわたし達の突撃に加わった。

 

 そこからは混乱し指揮系統を失った敵艦は瞬く間にわたし達の砲撃の餌食となり、海の藻屑に消えていったのだった。

 

 深海棲艦と艦娘の戦力は深海棲艦が深海領域を展開してようやく互角と言うそんな力関係で、深海棲艦と戦う場合はそれを展開する前に索敵して沈めてしまうのが手っ取り早い。無論、海域にいる深海棲艦は初めから深海領域を展開しているので、こんな状況でもない場合、全く関係のない事ではある。

 

「しかし、ラッキーだったね。深海領域を展開する前に、敵艦隊を半壊に追い込めた。これで、下関奪還の味方にほぼ無傷で合流する事が出来るわね」

 

 そう阿武隈が言った時に、わたしはある事に気づいた。この、海域の出口は、近くに深海棲艦の巣の一つである『北方諸島海域群』の入り口があるので、何度かこの海域出口を使用したことがあるが、今回わたし達が通った出口は、本来の出口から東に1キロほど手前である事に気づいた。

 

 もし、本来の出口から出ていれば、後背を突かれたのはわたし達の方で、下関に大破したわたし達が友軍に助けを求めるという最悪の状況になっていただろう。つまりわたし達は敵艦隊に待ち伏せにされていたのである。ここから、考えられる状況は……。

 

「呉の提督の中に、深海棲艦に情報を流している裏切り者がいると言う、熊本大将の読みは正しかったようだね。それを逆に利用して、日時と通るルートを流してやれば、敵の行動予測はしやすくなる」

 

 と言う司令官の声が、わたしの疑問に答えてくれた。他の艦娘のリアクションを見るに、この通信はわたしだけに送られてきたものらしい。

 

「提督であれば、今回ターゲットになった綾瀬大将が外出するという事を知る事が出来る。そして、僕の艦隊がここを通る事を知らされているのは、この場にいる艦娘を除けば、提督たちだけだ。信じたくない事ではあるがな」

 

「つまり、司令官はこうおっしゃりたいわけですか? わたし達の作戦は敵に筒抜けになっており、もしかしたら今から向かう友軍の中に裏切り者が紛れ込んでおり、艦娘同士の乱戦にもつれ込む可能性もある」

 

 それに対して司令官は何も答えない。ただ、友軍に対する攻撃があった場合の砲撃のロックする機能を一時的に解除した。

 

「友軍に対する砲撃ロック解除を申請してそれがなされるまでの時間は10分ほど、それは無抵抗の友軍3個艦隊が裏切り者の艦隊になぶり殺しにされるには十分すぎる時間だ。そうなる前に裏切り者の艦隊を大破させて攻撃能力を奪う。それが今回の真の目的だ」

 

 もし、裏切り者がいた場合、今から行く右翼の味方艦隊に紛れ込んでいる可能性が高い。他の艦隊に裏切り者が潜んでいたなら、熊手砲の射程内にいるそれは次の瞬間には瞬く間に大破させられてしまうだろう。裏切り者は熊手砲の射程外の下関に行くというのが熊本大将の考えらしい。

 

 無論、状況証拠しかなく、提督一人一人を尋問して裏切り者を探す時間もないので、こんな危なげな作戦を立ててしまったが、大将の気のせいだったらそのまま何事もなく下関を抑えて事態を収束して鎮守府に帰還するだけなので、それが一番楽だと司令官は笑っていた。映画や小説で言うところのフラグをたてるような会話は慎んでもらいたいものである。

 

 その時、満潮が瀕死の深海棲艦イ級に近付いているのが見えた。キュウキュウと言う鳴き声を出して、助けを懇願しているのだろうか、わたしはそれに近付き、それに向かって機銃を斉射し、それを沈めた。満潮は信じられないものを見るような目でこちらを見つめて来た。

 

「朝潮姉さん……何するの!? もう瀕死だったじゃない」

 

「満潮、かつての文豪ゲーテはこう言いました。窮鼠猫を噛む。追い詰められた敵は何をしでかすか分からない。敵に対してそれをかわいそうに思う。それは素晴らしい事ではありますが、それで油断したあなたに一矢報いるべく逆襲してくる可能性もありました」

 

 そう言って、わたしは、下関に向かって進み始めた。我ながら少し神経質になりすぎている。これから、艦娘同士の殺し合いが始まるかもしれない。そう考えると、そしてそれを下関に着くまでにどう伝えようか。其ればかりに神経を割いて、満潮に対するフォローを怠った結果、彼女がその場で泣き出してしまい、他の艦娘に慰められている事に、その時のわたしは気づかないでいた。

 



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裏切り

 司令官の予測では、十数分で目的地の下関周辺の右翼前線にたどり着く。わたしは、観念してこれから艦娘同士の戦闘になる可能性がある事を艦隊全員に伝えた。そのために、味方艦隊への識別センサーを解除しているので、味方への誤射に注意するように伝えると、予想通り、彼女たちは驚愕の表情を浮かべていた。

 

「え!? え!? 一体どういう事よ。朝潮姉さん、冗談はやめてよね」

 

「もちろん、状況証拠だけで決定的な証拠とか、そう言ったものはありませんし、数々の不運が重なっているだけと言う可能性はあります。しかし、このまま前線に向かった時に味方艦隊から攻撃を受けると思います。その時は、その艦隊をためらわず大破させてください。それでも抵抗を止めなければ全艦轟沈させる。と言うのが司令官からの命令です」

 

 満潮の縋りつくような瞳を無視し、わたしは状況を冷静に言の葉に乗せた。

 

「朝潮ちゃん……本気なの?」

 

「はい。砲撃センサーの解除はあらかじめ味方に害をなそうとしなければ本来解除しているはずもない機構です。それを解除して友軍を攻撃するという事は、前線を崩壊させ泊地全体を危険にさらす行為です。敵は水雷戦隊なので、友軍を見つけたらその艦隊に艦載機を全艦飛ばして通信をつなげた後、彼女らと共に前線に向かいましょう」

 

「駄目よ、朝潮ちゃん。通信をつなげるには2機ほどでいいわ。それだけ飛ばして通信をつなげるわ。その、味方が攻撃してくるなんて聞いている限り、何の証拠もないんでしょう。もし、確証があるのならば、司令官本人からそのことを艦隊全体に伝えたはず」

 

「飛龍の言う通りよ。こんなイレギュラーなことがあって、神経質になっているのは分かるけれど、こんな時こそ味方を信じないといけないわ。朝潮ちゃんも、本当は裏切った艦隊なんていないと思っているからもう少しで味方と合流するこのタイミングで言ったんでしょう?」

 

 飛龍、蒼龍の言う事はその通りで、わたしも味方艦隊が裏切ったと言う司令官の言葉には半信半疑で、司令官自身もおそらくそう思っているので、わたしだけにそのことを伝えたのだろうという彼女の予測には賛成である。

 

「そうですよね。……わかりました。友軍に飛ばす艦載機は2機にします。通信で彼女達から状況を聞いた後に、前線の支援をしましょう。ないと思いますが、敵艦が砲撃をしてきたら、その時は敵艦とみなして沈めます。いいですね」

 

 そう言うと、艦隊の緊張は解け、わたしも胸をなでおろした。わたし自身も同じ艦娘に演習以外で砲を向ける事にかなりの抵抗を感じていたようである。グラーフに対しても同じ状況ではあったが、彼女がその前に民間人を虐殺していた事で、その怒りからかそう言った感情がマヒしていたために咄嗟にそう言った行動を起こせたが、今回は勝手が違っていた。

 

「まあ、そうね。撃ってきたらね。でも、朝潮姉さんも司令官も心配しすぎなのよ。もし裏切り者がいて、綾瀬大将身柄を拘束するだけなら、グラーフが奇襲に来た時にその周りに艦娘を配置して混乱の時に彼女を拘束すればよかっただけなんだし、わざわざ自分の艦隊を危険にさらしてまでこんなところで反乱を起こす必要なんてないわ」

 

 と言う満潮のもっともな意見も、わたしの緊張をほぐす要因にもなった。

 

 

 そんな感じの事を話している間に、前線である下関周辺にたどり着いた。目視できる範囲に敵の前線と、それを徐々に押している3艦隊と、その後方で下関周辺の人工海域を守る1個艦隊が確認できた。下関の人工海域のその周りには中部海域と呼ばれる危険な深海棲艦の巣が広がっているのであまり使われない海域で、いくつかの海域を乗り継いでいかなければならないので、利便性と言う点で不向きである。

 

今回は乗り継ぎ先である『北方海域群』が敵の大艦隊に抑えられているので、行きに利用することは出来ないが、入って闇雲に進むことで退路としては利用できるので、1個艦隊で押さえられている。もし、万が一の状況で退路がある安心感を確保するためにも、絶対に確保しておかなければならない地点と言えるだろう。

 

「飛龍さん。後方で海域を守っている艦隊に向けて艦載機を飛ばしてください」

 

「ほいきた」

 

 そう言って彼女は2機の艦載機を飛ばし、前線の状況を確認しようとした。が、通信状態が悪いのか、相手の声が聞き取れない。そのため、わたし達は友軍にもう少し近づくことにした。その艦隊の構成は川内、神通、夕立、ベールヌイ、吹雪、睦月で構成された練度の高い水雷戦隊で、いずれの艦娘も第二改装済みであった。

 

「やはり、前線に5艦隊もいると、提督同士の力の干渉も相まって、通信状態は悪くなるみたいですね。もう少し近づきましょう。友軍に待ち伏せしていた敵艦隊を撃破したことを伝えて安心させてあげなければなりません」

 

「はい。榛名もそう思います。彼女たちに内部からの危機は去ったことを報告して、彼女たちも前線に加わり、私達は後方で私と飛龍さん蒼龍さんを中心に前線をサポートしながら海域を守れば、すぐに下関を奪還する事が出来るはずです」

 

 そして、距離が大体500ほど、提督同士の力の干渉により、接触する艦娘の輪郭しか見えなくなったころに、轟音と共に砲撃がわたしの左頬をかすめた。

 

「何!? 敵襲!? でも、前線の流れ弾にしては」

 

 満潮のその声に敵艦は答えてくれた。ただし言葉ではなく行動で……友軍だったはずの艦隊全員がこちらの艦隊に向かって突撃を開始したのである。わたしは目の前の敵艦に向かって砲撃を放つと、敵艦娘の一人が吹き飛び、ゴロゴロと後ろに転がって見えた。

 

 その光景に敵艦は足を止めた。本来敵味方センサーによって砲がロックされる筈で、この攻撃は敵からすればあり得ない反撃だったからである。これはチャンスである。味方には戦艦と空母がおり、手数火力共にこちらが圧倒的有利な状況にある。

 

「飛龍さん、蒼龍さん。見ての通り、前方にいる艦隊こそが裏切り者の艦隊です。全力で艦載機を飛ばした後に、榛名さんは遠距離から支援。満潮、阿武隈さんはわたしと共に突撃。作戦開始」

 

 そう言って、カメラを切り替えるが、皆艤装を構えてもいない。友軍がわたし達を裏切り、砲撃してきたという事実を受け止めきれないのだろう。

 

「司令官、わたし以外の艦娘が攻撃に移れないようです。そちらの方で操作してください」

 

 わたしはそう司令官に通信を送った。それを聞いて、飛龍と蒼龍、榛名の艤装が動き出し、艦載機が発信され、榛名も砲を敵艦に構えた。

 

「いや、提督。やめて下さい。同じ艦娘同士で殺し合いをするなんて間違っています。こんなの……榛名、大丈夫じゃありません」

 

「嘘よね、提督。やめて!! 止まって!! 止まってよ」

 

彼女たちの絶叫があたりに響き渡るが、わたし達が有利に立てているのは、このタイミングしかない。わたしの砲撃により敵の進軍が止まっているこのタイミングだからこそ艦載機と戦艦の長距離攻撃が有利となる。敵軍が進行によってゼロ距離での打ち合いなどと言う状況になれば、艦載機は無用の長物となり、長距離射撃も駆逐艦の主砲と比べても大して役に立たないものとなると考えると近づかれると実質6対4の不利な戦いを強いられることになる。

 

 さらに、裏切ると覚悟を決めた敵艦とまだ覚悟を決められてすらいない味方艦を考えると、近づかれる前に3隻は戦闘不能に追い込みたい。そう、わたしは思っていた。

 

 しかし、艦娘のサポートを得られていない司令官のみが操る艦載機はその構成を欠き、半数が瞬く間に落とされていた。

 

「飛龍さん、蒼龍さん。敵は裏切り者ですが、艦娘の傷の使用上、戦闘に入って5分は致命的な攻撃を受けたとしても、轟沈する事はありません。彼女ら艦隊を倒した後にどうしてこんなことをしたのか話してもらいましょう。わたし達が倒されたら、それを聞く事すらできなくなります。だから、今は艦載機を操る事に集中してください」

 

 わたしはそう叫んだ。すると彼女たちも思うところがあったのか、艦載機の動きに力が戻り、敵艦娘を一人戦闘不能に追い込んだ。しかし、その時には敵艦娘はわたし達の距離50まで迫り、わたし達の優位性は失われた。

 

「実質4対5ですか……」

 

わたしがそう言うと、司令官が艦隊に指示を出す。

 

「敵が最も嫌がるのは戦闘を長引かされ、空母を用いて現在の状況を前線の味方に知らされることだ。飛龍、蒼龍は前線に向かってありったけの艦載機を飛ばしてくれ」

 

 飛龍、蒼龍はその言葉に従い、艦載機を前線に向かって発進させた。どうせ接近戦では役に立たないのだから、連絡用に使ってしまえと言うやけくそな戦法であったが、それに気を取られた隙をわたし達は見逃さない。わたしと満潮、阿武隈の砲撃が敵艦を貫き、2隻大破に持ち込んだ。

 

 が、その代償に、飛龍蒼龍榛名に向かって敵艦の砲弾が突き刺さり、彼女らは中破し、彼女らが飛ばした艦載機は力なく墜落し、前線に状況を知らせるという目的は達成されなくなってしまった。

 

その時である。阿武隈の足元が爆発し、彼女の悲鳴があたりに響き渡った。わたしと満潮は中破した榛名と蒼龍の後ろに咄嗟に隠れる事で、彼女たちの大破と引き換えにその魔の手から逃れる事が出来た。

 

「魚雷!?」

 

「見たいですね。深海棲艦相手には深海領域の関係上、相手に届くのは数発ですが、艦娘同士の戦いではそんな制約はありません。が、この局面でわたし達に気づかせたのは悪手でしたね」

 

 そう言いながらわたしは榛名の後ろから右に出て、敵に向かってありったけの魚雷を撃ちこんだ。無論、発射した場所が丸見えな魚雷など当たる筈もなく、最後の抵抗だろうと、敵はそれをあざ笑いながら躱す、最後の抵抗だとでも思われたのだろう。しかし、それゆえに、後ろから繰り出される満潮の魚雷に気づかなかった。

 

 その魚雷により、敵艦は壊滅した。と思われたが、運よく1隻魚雷から難を逃れていたようだった。しかし、満潮とわたしに挟まれたその艦は袋の鼠である。満潮は彼女に狙いを定め、砲撃を繰り出す。が、当たらない。やはり優しい彼女にはまだ艦娘同士で砲を交えると言う事に抵抗があるのだろう。そう思いながら、わたしは砲撃を避けてバランスを崩した敵艦に向けて砲撃を浴びせる。

 

 しかし、当たらない。その瞬間、見えない筈の彼女の口元が歪んでいるように見えた。それは幻覚ではなかった。見えない筈の彼女の姿がはっきりと見え、それに呆気に取られている満潮が彼女の方の餌食になった。

 

「まさか、夕立も異常(オリジナル)を使わされるとは思っていなかったから、褒めてあげるっぽい」

 

金髪でまるで犬を思わせるように跳ねた髪で、黒を基調とした制服を身にまとっている彼女は、白露型4番艦、夕立型の艦娘である。最悪の状況だった。いや、考えないようにしていた。グラーフを手引きした内通者が彼女と同様に異常(オリジナル)を使用できる。そう言った万が一の可能性をわたしは知らず知らずのうちに排除していたのである。

 

「どうしてですか?」

 

「ぽい?」

 

話が通じるようなので、時間稼ぎなども考えて彼女に尋ねてみる事にした。今のところ、回避能力が高いという以外は何も分かっておらず、このまま戦闘になれば間違いなくやられる、今は情報を集めなければならない。敵としても、空母をつぶしこちらの状況を前線に伝えられない以上目的は達せられたと思っているのだろう、後は無抵抗の友軍を一つずつ撃破していけばいい、そんな心の余裕が、敵からは見て取れた。

 

「どうして、泊地のみんなを裏切るようなことをしたんですか? ここが突破されれば、前線は崩壊し、泊地の多くの人間が犠牲になる。わたし達は艦娘です。人を犠牲にして深海棲艦の側につくなんてそんな行動信じられません」

 

「朝潮ちゃん、勘違いしているっぽい。夕立は別に深海棲艦を助けるためにこんなことをしている訳ではないっぽい。この深海棲艦たちはグラーフの駒で、人間たちに危害は加えないっぽい。ただ、状況を混乱させてあの性悪女、綾瀬イブを捕まえて監禁する。それが夕立たちの目的っぽい」

 

 と言う、信じられない事を話してきた。

 

「この深海棲艦は人間に危害を加えない?」

 

「信じるか信じないかは自由っぽい。でも、私達やわたし達の提督さんが深海棲艦に魂を売ったと思われるのは心外っぽい」

 

「どうして、綾瀬大将をそんなにも狙うんですか?」

 

「綾瀬イブ、奴は艦娘を捕まえて非合法な人体実験を行ったり、違法な手段で艦娘になりそうな人間や異常を手に入れた艦娘を拉致したり、そう言った悪の権化みたいな事をしているっぽい。単港湾にいた私のライバル兼お姉ちゃんだった白露もあいつのせいで大変な、目にあった。許せないっぽい」

 

 その言葉を否定することはわたしは出来なかった。わたしも数時間前に彼女に拉致されそうになったので、非常にタイムリーな話である。

 

「しかし、もしそれが本当ならば、証拠を集めて彼女を軍法会議にかければいいじゃないですか。こんなやり方は認められません」

 

「そんな事を私が考えなかったとでも思うの!!?」

 

 彼女は激高した。

 

「非合法で許されない実験。でも、それによって得られた成果は艦娘の機能を大きく向上させた。その成果をもとに、彼女の行いを上層部は黙殺した。この国の腐りきった軍部では奴を法廷に立たせる事すら出来ないっぽい。逆にそうしようとした私達の仲間は奴の毒牙にかかり廃人になって発見された!! もはや、奴の暴走を止めるには、こうするしかないっぽい」

 

 故に、隙が生まれた。司令官はまだ中破していた阿武隈に大破したふりをさせて飛龍の近くに隠しておいたのだ。司令官は彼女の砲を操り、後ろから彼女に向かって砲撃をくらわせた。その衝撃に、夕立は苦悶の表情を浮かべる。わたしはそんな彼女に向かって砲塔を向けた。

 

「相手の非道に向けて、自分も非道で返す。そうした時点で貴女も綾瀬提督と同じ穴の狢です。昔の文豪ゲーテも言いました。この世に悪の栄えたためしはない。貴女の負けです」

 

「知った風な口を利くなっぽい!!」

 

 そう言って、彼女はわたしに向かって砲を向ける。そして、その引き金を聞く瞬間をわたしは認識し、砲塔をほんの少しずらした。と同時に、夕立が回避行動をとる。そして、夕立の砲撃と時間にして刹那にも満たない時間だけ遅く砲撃を発射した。

 

 ガギインと言う鈍い音と共に私の弾は夕立の弾を弾き、跳弾させ、ちょうど夕立が避けた位置にまるで吸い込まれるように曲がり、彼女に直撃した。

 

「こんな……」

 

 夕立は大破し、敵艦隊を完全に無力化させたわたしは、ほっと胸をなでおろし、他の艦娘の艤装をロックして動けなくした後、司令官の指示を待った。わたしの中でむなしさだけが込み上げてきた。

 

 



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第1鎮守府へ

呉泊地襲撃事件はわたし達が夕立たちを拘束した後、3日ほどで鎮圧された。グラーフに肩入れし、彼女に情報を流していた第15鎮守府の司令官は拘束され、鎮守府にいる艦娘は全員どこかに連行され、尋問を受けたらしい。わたし以外のあの場にいた艦娘は同じ艦娘に砲を向けたという罪悪感からふさぎ込んでおり、わたしもそれに倣って出撃を休むことにした。

 

 しかし、ただ休んでいることは性に合わないので、秘書艦をさせてもらい司令官の仕事を手伝う傍ら、夕立の言っていた単冠湾の白露についての事について調べてみる事にした。彼女の意見に賛同したわけではないが、そのことに対して少し興味が出てきたのである。

 

「……あーら、朝潮姉さん。こんな所にいたの? 姉さんが秘書艦やるなんて珍しいと思ったけれど、資料室で調べもの?」

 

 そのために資料室を訪れていると、荒潮が後ろから声をかけて来た。彼女の神出鬼没ぶりには困ったものである。わたしは自分の頭を触り、私の髪が昆布か何かとすり替えられていないかを確認すると、彼女に対して返答した。

 

「ええ、午前中の仕事は終わったので、少し暇が出来たので、暇つぶしに来ました。前に、裏切った第15鎮守府の旗艦だった夕立が、単冠湾の白露がどうとか話していたので、裏切った理由がそこにあると思ったので、少し調べてみる事にしたんです。荒潮も暇なら資料を探してくれませんか?」

 

「うんとぉ、単冠湾の資料はぁ、これ?」

 

 荒潮はそう言うと、わたしが探していた資料をピンポイントで探し当ててくれた。

 

「これです。荒潮ありがとう。やはりずっと秘書艦をしていただけはあって、資料室のどこに何があるのか理解しているのですね」

 

「違うわよぉ、妖精さん、妖精さんがここに資料があるって教えてくれたのよ」

 

 と、荒潮は意味不明なことを言ってきた。彼女のキャラクター的に資料室のどこに何があるのかわかるほどここに入り浸っていることを恥ずかしく思い、こんな意味不明な言動を咄嗟に思い付いたのだろうと思うと、何だか彼女がかわいらしく思えて来た。それにしても妖精さんが教えてくれたか……。

 

「……なにか、かなり失礼なことを思われているような気がしたけれど?」

 

「いえ、わたしは妖精さんを信じますよ。妖精さんはいたるところにいて、わたし達を守ってくれているんですよね。中世の文豪ゲーテは言いました。一番好きなことは笑うこと、人として最も重要なことです」

 

「朝潮姉さんがどうしてそんな名言を言ったのかわからないけれど、ゲーテっていう人、そんな事を言っていないんでしょう? 知らないけれど」

 

 その問いにもちろんと答えると、彼女はハイハイと聞き流し、見つけた本をわたしに手渡した。わたしがそれを受け取り資料室に備え付けられた椅子に腰を下ろすと、荒潮は私の隣に座り、資料に目を通しながら、私も少し興味があるから、見せてねと上目遣いになりながらそう言った。彼女に資料を見つけてもらった手前、断ることは出来なかった。断るつもりもないが。

 

 

 

「単冠湾で起こった事件を見返しましたが、それらしい事件は見つかりませんでした。と言うか、この泊地あんまり機能していないですね。1年前に深海棲艦が1隻、泊地5キロ手前の地点まで侵入した記録はありましたが、それ以外に深海棲艦が侵入したという記録はありませんね」

 

「まあ、単冠湾泊地は現在の大将の大半が参加した大規模作戦で北極海の深海棲艦を壊滅させた後に建てられた泊地で、その時の深海棲艦は他の海域に逃げ帰ったらしいから、あんまり深海棲艦がいないらしいのよねぇ、深海棲艦たちの主な巣はオーストラリアと南極だし……ってここに書いてあるわ」

 

 わたしが見たかったのは、深海棲艦が泊地に侵入したという記録ではなく、行方不明事件とか、司令官の蒸発とかそう言った事件がないか確認していたのだが、平和そのものである。艦娘の異動も2年前に第4鎮守府に響。1年前に第6鎮守府に曙。そして、8か月前に第13鎮守府に叢雲が着任した以外は目立った艦娘の異動はなく、大抵はレア艦と言われる特殊海域で手に入る艤装が適合する素体のみである。

 

「まぁ、予想はしていました。綾瀬大将が非合法な方法で、艦娘を誘拐したならば、その痕跡を残すはずはありませんよね。いや、裏切り者の話なんで話半分で聞いているので、本当は何もない可能性もありますが」

 

「ふぅん? 朝潮姉さん、その事を調べてどうするつもり?」

 

「言ったでしょう。ただの暇つぶしです。例えば、考古学者が失われた文明の残された資料から当時の生活様式や文化を想像するように、第15鎮守府がなぜ泊地のみんなを裏切ってまで綾瀬大将を狙ったのか、その過程を想像したいだけです」

 

 そう言うと、荒潮は変わった趣味ねと、言って資料の方に目を戻した。彼女にはああ言ったが、今思えばわたしは夕立が裏切った原因である白露に一方的な同族意識のようなものを感じていたのだろう。

 

 わたしは自らの居場所を他人の建造運によって理不尽に奪われた。そのおかげで師匠にも巡り合えたし、この鎮守府で朝潮として使命を全うできているので、その事に対してどうこう言うつもりはないが、それはわたしが救われたからそう思うだけである。

 

勝手な想像だが白露はおそらく異常艦娘がらみの件で、理不尽に綾瀬大将の毒牙にかかったのだろう。ただ、自分が異常艦娘だったという理由だけで。今のわたしにはそのことは分からずにいた。

 

 そんな風に、ぼうっと中空を眺めていると、わたしの両わき腹に激痛が走った。荒潮がわたしの脇腹の筋肉の隙間に人差し指を押し込んだためであり、「ひゃぅぅ」と言う悲鳴を上げてしまった。

 

「こらぁ!! いきなり何するんですか!?」

 

「朝潮姉さん、そんな可愛らしい声を上げるのねぇ。今まで忘れていたんだけれど、朝潮姉さんに司令官から伝言よ。午後から3日前の呉襲撃事件の事で、司令官と共に第1鎮守府に行ってね!?」

 

 脇腹を突いた説明にはなっていない上に、先に言えよ発言を聞いたので、急いで執務室に向かった。

 

 

 執務室に向かったわたしはそこにいた阿武隈に、司令官ならもう鎮守府の入り口で待っていると聞いたので、そのまま鎮守府の入り口に向かった。が、そこにいたのは荒潮だった。

 

「……どういう事ですか?」

 

「はぁい、一日臨時司令官の荒潮よ」

 

 荒潮は司令官のダボダボの司令官の軍服を着ており、悪戯の制裁をするために、頭突きをくらわせようとしたが、先ほどの発言が荒潮の発言ではなく、わたしの脳内に直接伝わったことに気づいたので、それを止めた。

 

「行きましょう、司令官」

 

 わたし達はそう言って、鎮守府の目の前に止まっていた車の後部座席に乗り込んだ。中には何度か見かけたことのある鎮守府間の移動の際によく見る中年の男性が運転手をしていた。以降わたし達は艦隊の通信を使って会話を行った。

 

「あら、朝潮ちゃん、てっきりいつものように頭突きが飛んでくると思っていたけれど、素直にこの状況を理解してくれて助かったわ」

 

「別に何も理解していないです。ただ、この通信が行われているという事は、司令官がわたし達を編成したという事です。これが悪戯なのか、そう言った命令なのか分かりませんが、それに司令官が関与しているとなれば、わたしはそれに従うしかありません」

 

 荒潮はわたしのその言葉を聞いて満足したのか、蠱惑的な笑みを浮かべている。例えるならば、アリがアリジゴクに落ち、それがもがき苦しみながらもだえ苦しむのを笑いながら眺めているようなそんな笑みだった。

 

「なるほど、悪戯ねぇ。朝潮ちゃん、わたしは悪戯が大好きなの」

 

「ええ、知っていますよ」

 

「でも、他人に悪戯をされるのは苦手だわ。そんな事をされたら、私困っちゃうの。例えば、熊本大将を驚かせるために司令官に成りすまして車に乗り込んだのに、その道中で司令官を狙った裏切モノの残党が、この車を襲撃してきたとしたら、とっても困るわ」

 

 彼女はそう言って、車の進路の先を眺めた。そう言えばこの先、人気のない農地を通る。わたしは艤装を構えた。そして、そこを通って数秒後、艦娘が一人、車の前に飛び出した。

 

「うわぁぁぁ!!」

 

 運転手は悲鳴を上げ、ハンドルを切るが、彼女は車を力で強引に押しとどめ、間髪入れずに左右から艦娘が一人ずつ強引に車のドアを開けた。

 

「取った! 司令官を抑えました。第4鎮守府の司令官。手荒な真似はしたくありません。あなたには私達の司令官を取り戻す為に人質になってもらいます」

 

 彼女はそう言って、司令官の格好をした荒潮に銃口を向けた。荒潮は帽子を深くかぶっているので、荒潮だと気づかない。彼女は駆逐艦吹雪。

 

「朝潮ちゃんも提督さんの命が惜しかったら、無駄な抵抗は止めるっぽい」

 

 と、左からドアを開けて来た夕立も私に向けて銃口を向ける。因みに、先ほど、車を強引に止めたのは睦月だった。3日前の戦闘で対峙した敵艦隊にいた艦娘と同じである。まずい、彼女らの姿が見えているので、彼女らには司令官による補正が働いていないが、確か今の荒潮は艤装が装着できない筈で、実質3対1、かつ、夕立の強さは先日の戦いで異常艦娘であることが知られている。

 

「第15鎮守府の艦娘だな。熊本大将から第15鎮守府の艦娘を尋問した結果、何人か別鎮守府から派遣されたかのような辻褄の合わない証言をした艦娘が何人か発見された。熊本提督の話では、ここにいる艦娘は襲撃を成功させるために、外部の艦娘と入れ替わった者たちだろう」

 

 そんなわたしの憂いを晴らしてくれるように、荒潮が司令官の声真似をしながらそう言った。彼女たちは襲撃後に脱獄した艦娘ではなく、襲撃前に入れ替わりどこかに潜伏していた艦娘であるという事。

 

「発言は許可していません。あなたは人質です」

 

 そう言って、銃口を向ける吹雪の艤装を、何かが吹っ飛ばした。えっと、呆気に取られている吹雪に向かって、荒潮は帽子を脱ぎ棄て、彼女を巴投げした後に、持っている主砲を彼女のこめかみに突き当てた。

 

「吹雪ちゃん!?」

 

「荒潮、艤装は使えなくなっていたんじゃなかったんですか?」

 

 わたしは呆気に取られている夕立の艤装を取り上げ、彼女の右腕をねじりながらその腕を逆間接に極めながら顔面を地面に叩きつけながらそう言った。

 

「司令官の周りを四六時中警護する為に、出撃機会がかなり減る事になるから、いっそのこと出撃できない事にしちゃおうと言う、おちゃめな嘘よ。よく言うでしょう? いい女っていうのは、いいウソがつけるってことなの」

 

 ハイハイといいながら、極めた腕の骨を折り、夕立を気絶させ、襲撃が失敗し絶望している睦月の下に、わたしはゆっくりと近づく。そんな彼女にわたしは無慈悲な拳を加えた。

 



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熊手の霞

襲撃者を憲兵に引き渡した後、わたし達は第1鎮守府にたどり着いた。そこには霞が待っており、わたし達は中に案内された。その途中で、荒潮は中で待っていた別の艦娘に呼ばれ、別室に通される。その際に、彼女から艦隊を解除された。

 

「ごめんね、朝潮姉さん。熊本大将からの指示で、私を通して司令官とお話ししたいと指名が来ているの。朝潮姉さんは霞ちゃんに話をしてあげてね」

 

「それは当然の事です。わたしと熊本大将は相性が悪いみたいで、このままあの人の前に立つと、おそらく気絶してしまうので、そこら辺をどうしようか悩んでいたのですが、余計な手間が省けました。しかし、大丈夫ですか? 熊本大将は自身とつながっている艦娘以外に悪影響を与えるようですが?」

 

「司令官とつながっている艦娘の数を減らすことで、あのクズ(熊本大将)の力から逃れる事が出来るわ。大体3隻以内なら、その影響力はないはずだけれども、今回は朝潮姉さんとそちらの司令官から個別に話を聞きたいという意味合いもあるから、繋がって話を聞いても、口裏を合わせられるから意味がないでしょう?」

 

 わたしの疑問に、霞が答えてくれた。2週間ほど前にわたしを案内してくれた霞と同じである。何か、わたしに対して警戒心を持っているようであり、先ほどまで口数が少なかったが、何か気に障る事でもしてしまったのだろうか。

 

 そんな事を考えながら進んでいると、鎮守府の最南端の部屋に通された。部屋を開けると、綾瀬提督が座っており、私の姿を見るなり、やあ! と手を上げながら手招きしてきた。嵌められた。今のこの状態では、彼女の間の手から逃れることは出来ない。しかも、背後には泊地最強の駆逐艦が守っている。

 

「大丈夫よ。綾瀬大将が姉さんに危害を加えようとしたら、私がその馬鹿に主砲をくらわせてあげるから、今は席につきなさいな」

 

「馬鹿なんてひどいなぁ、いつも通りイブちゃんって呼んでくれてもいいんだよ」

 

 綾瀬大将のその発言に、霞は赤面しながら、あうあうと何か言いたげに口を動かしている。どうやら、彼女にわたしを引き渡そうとする雰囲気ではないらしい。無論、仮にそうではなかったとして、ここでは逃げ切れるはずもないので、彼女の言う通り、部屋に用意された席に座った。

 

「霞は綾瀬大将と、わたしが想像していたよりも仲良しなんですね。少し意外でした。熊本大将と綾瀬大将は仲が悪いと聞いていたので、霞も大将と険悪なのかと思っていましたが、意外でした」

 

 それを聞いて、大将は目の前に用意した緑茶をすすりながら、口を開いた。

 

「大将同士仲が悪いというのは語弊があるね。熊手は現場の人間で、私は見ての通り研究所の人間だ。私は理論を学び、彼は経験から学ぶ。言うなれば、ものの考え方の道筋が真逆なんだよ。良い悪いではなくね」

 

「一般的にそれは仲が悪いとか馬が合わないとか、そんな感じで形容される事で、わたしの言葉を否定するものではないと思いますが?」

 

「いや、手厳しいな。そうだ、今からキミにいろいろと聞く事があるんだが、その前に前提条件として聞いておかなければならない事がある。キミは佐倉大将の元から、この呉に来たわけだ。本当は佐倉大将から見出された才能ある朝潮ちゃんで、本当はここに来る前から、異常艦娘の事を知っていたんじゃないのかい?」

 

 その瞬間、綾瀬大将の瞳が氷のように冷たく輝き、その視線がわたしの瞳に突き刺さった。全く身に覚えがないので冷静でいられるが、彼女のその浄瑠璃色の瞳は見る者に噓をつけなくさせる、なぜだかわからないがそんな印象を抱かせた。

 

「いえ、佐倉大将からそんな事は聞いた事もありません。わたしを妹のように可愛がってくれていましたが、特別な訓練等は何も……」

 

 その言葉を聞いて、綾瀬大将は頭を抱えた。

 

「そうか、霞ちゃんと熊手の言う通りだったか……なんというか、まあいいや。まずは、話を終わらせてしまおう」

 

 それを合図に霞は綾瀬大将の隣に座り、手元に質問をする内容が書かれた資料を読みながら、わたしに質問をしてきた。内容は、グラーフの襲撃から現在に至るまでの話で、それに対しわたしが答え、大将がメモを取るという時間が1時間ほど続いた。

 

 

 

「質問は以上よ。お疲れ様、それじゃあ、先ほどの話に戻るけれどなんでイブちゃんはいきなり頭を抱えたの? 私が言うように、朝潮姉さんはあの日初めて異常を発現した艦娘で、佐倉大将の回し者じゃないと言ったじゃない」

 

「そうです。わたしはここに来る前は碌に艤装も付けたことのない素人同然でした」

 

その言葉を聞いて大将は頭を掻きながら、何かを考えているようだった。そして、数秒位した後に若干不機嫌になりながら口を開いた。

 

「それが問題だと言っているんだよ」

 

「どういう事ですか?」

 

「こんな事は言いたくはないし、キミは悪くはない。しかし、今回の呉襲撃事件と、ここに来る前にキミの提督が狙われた事件は、朝潮ちゃん、キミが原因だ」

 

 それはわたしにとって受け入れがたい言葉であった。霞はその言葉に激怒する。そして、敵は大将を狙った訳で、原因は視察からすぐ帰る筈が2週間も滞在して、その後わたしに接触した大将自身だと霞は糾弾した。しかし、大将は止まらない。

 

「なるほど、一理ある。しかし、悪いかどうかと原因がそれであるというのは全くの別物なんだよ」

 

 そう言って、彼女は話をつづけた。視察で予定にはない演習を見せられ、そこである艦娘(わたし)の異常が発覚した。なんでもその艦娘(わたし)は着任するはずだった鎮守府に、その鎮守府の提督が偶然朝潮の体つきを引き当てた結果、着任できず、以降2年間ほど佐倉大将の下で世話になった。

 

「という事だが、間違いないかい?」

 

「ええ、間違いないです」

 

「いくつもの偶然が重なって、今の状態になったと考えるよりも、異常艦娘を見つけた佐倉大将が、別の鎮守府からキミを引き抜いて、自ら鍛え上げた。そして、信頼できる提督にキミを任せた。さらに、私が視察に来たので、その以上の実践データをとらせるために私の前で異常を発動させた。……こう考えるのが自然じゃないかな」

 

 わたしは閉口した。しかし、事実であるので仕方ないと反論した。が、そんなわたしを一瞥した後に彼女は話をつづける。

 

「そして、キミの戦闘データとか諸々が本当に全くなかったので、データが改ざんされていると思い、これは佐倉大将から私への挑戦だと受け取り、14日間ほとんど寝ずに君に対して情報が改ざんされた痕跡から真実にたどり着こうと必死になったよ。まあ、最初からそんなものはなかったんだけれどね」

 

 大将は自嘲気味にそう話すが、目が死んでいる。隣にいる霞の苦笑いを浮かべている。

 

「それで、この泊地にたまたまいたグラーフの内通者が敵に綾瀬大将が呉に長期滞在して佐倉大将の秘蔵の異常艦娘と接触を図るらしいという事実とは異なる情報が流れ、それが呉襲撃事件につながったと……。話の流れ的ににわかに信じがたいわね」

 

 霞はそう言って頭を抱える。綾瀬の言葉は止まらない、

 

「その後、グラーフを退け、戦線を崩壊させるべく敵が遣わした異常艦娘の夕立を退けたことで、謎の異常艦娘朝潮は敵にとって熊手並みの脅威だと思われている。分からないと言うのは恐ろしいことだ、特に情報を探っても何も出てこない相手と言うのはね」

 

 その謎の異常艦娘朝潮と言うのは君の事だ。と、付け足した。無論、これは綾瀬大将の妄想ではなく、第15鎮守府の提督やその艦娘たちを尋問して得られた事実である。とわたしにとっては聞きたくもない事実も突きつけられた。

 

「それで、第1鎮守府にわたしと提督が行く情報を流して、襲撃してくる艦娘嵌めるために荒潮に影武者をやらせたと、そう言う事ですか? しかし、なんで敵は司令官を人質にすれば裏切り者の第15鎮守府司令官を開放すると思ったのでしょうか」

 

「佐倉大将が秘蔵っ子のキミをただの鎮守府に送るわけがないだろう。異常と言うのは艦娘だけに発現するものではない。私のように提督が艦娘とつながる時にその異常を発現する異常提督と呼ばれるその可能性が高い。そう敵は考えていて、異常提督と異常艦娘の両方を無力化できればそれでよし、提督に生命の危機を与えてその異常を確認できればそれでよしと思って、グラーフが焚きつけたのが今回の襲撃だろう」

 

「なるほど、司令官にそんな力があったんですね」

 

「そんな訳ないだろう。キミが騙されてどうする。しかし、敵はそうは思っていない様で、これからもキミやキミの司令官を襲撃するためにあらゆる手を使ってくる。もし、敵の狙いがキミと私だけならば、私達だけが呉を去ればいいだけなのだが、キミの司令官も狙われているとなれば、そういう訳にもいかなかった」

 

 どうやら、わたしの運の悪さはわたしが気付かないだけで、進行していたらしい。それに敵も惑わされ、わたしの戦闘力を過大評価しているので、これからもグラーフたちの追撃と言ったものは止むことはないだろう。それに対する大本営の方針は無視を決め込むことである。と、佐倉大将は続けた。

 

「そんなのおかしいわよ。敵が第4鎮守府を狙っているのならば、それに対して何らかしらの対策を練るべきよ」

 

「私もそう思うのだけれどね。ただ、今は敵の戦力も規模も分からない状態であることも確かだ。正直、朝潮ちゃんの異常は他の危険な異常を持つ艦娘からすれば弱い力であり、彼女を犠牲にして敵の戦力の一端を知る事が出来れば御の字と言うのが、大本営の方針だ」

 

 そう言って、彼女は帽子を深くかぶった。彼女は大将であるが、大本営のトップである西山元帥の決定を覆すだけの力はない。それを口惜しく思っているのだろうか、彼女の口元に力が入っており、霞はうなだれている。

 

「大丈夫です。大本営が敵の力の情報を知りたいならば囮としての役割を果たしてやりましょう。その上で、わたし達は必ず生還してみせます。中世の文豪、ゲーテは言いました。窮鼠猫を噛むと、このわたしを追い詰めたすべてに、このわたしを追い詰めるといかに面倒くさいか教えてやりますよ」

 

 わたしはえっへんと胸を張った。その様子を聞いて、二人は吹き出した。現状を悲観することも、運命を呪う事もない。まだ、わたしの朝潮としての戦いは始まったばかりなのだから。

 



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わたしの席

 その後、綾瀬大将からこの泊地を離れる事を告げられた。敵の狙いを分散する事と、行方不明になっている下村元帥を探し、大本営の方針を撤回してもらうためであるが、今までどうやっても見つからなかった人物がすぐに見つかるとは思えないので、期待しないでくれと言いながら彼女は部屋を後にした。

 

 わたし達は彼女に向かって敬礼した後、熊本大将の方で話し合いをしている荒潮が戻るまで、霞と話をすることにした。

 

「ふう、てっきり無理やりにでも連れていかれるかと思いましたが、どうやら杞憂だったようですね。安心しました。しかし、面倒な事になりました。正体不明の敵を倒してハッピーエンドのはずが、戦うたびにどんどん敵が増えていくのは、全く運がないです」

 

「グラーフ達の事は気にしないでいいわ。綾瀬大将がここを離れると言うのならば、敵も彼女を追ってここを離れるはず。だから、あなたはtype-γとの戦いに備えておきなさい。最も、あなたにその意思があればだけれども」

 

 霞がそう言い放った時に、わたしの心臓が締め付けられた。第4鎮守府に着任した初日に荒潮の口から告げられたわたしが鎮守府に呼ばれた理由、彼女の悪戯好きな性格から、日を重ねるごとにこれも質の悪い冗談だと信じたかった言葉が、彼女の口から告げられた。

 

 わたしのその気持ちを察したのか、彼女は一瞬嗚咽を漏らした後、再び口を開いた。

 

「荒潮姉さんからはどこまで聞いているの?」

 

「もともといた朝潮が艤装を残して深海棲艦type-γに襲われて沈んだこと、その時に司令官の魂の一部が一緒に沈んだこと、そして、沈んだ司令官の魂を救うには私の協力が必要だと」

 

「なるほど……」

 

 霞は嘆息した。そして、その時にわたしは聞いてしまった。司令官の魂を救う際に、一緒に引っ付いて来るであろう元居た朝潮の人格が艤装を通じてわたしの人格に上書きされると言う仮説を……霞は首を縦に振った。

 

「type-γから魂を救出するという例は少ないけれど、そのすべての例で元居た艦娘の人格が救出した艦娘の人格に置き換わっていることが確認されているわ。その時の衝突で救い出すはずの司令官の魂が霧散しないように、言うなれば司令官に紐づいている人格の方にスムーズに交代するように同型艦を使うことが推奨されている」

 

「そのことを、荒潮は分かって、わたしに言ってきたの?」

 

「いいえ、彼女にはあえて伏せてあるわ。と言うより、聞かれない限り教えない決まり。ただ、あなたのように、その事に疑問をもって聞いてきた場合にのみ、その事実を公開する。そう言った疑問を持ったまま戦って勝てる相手ではないからね」

 

 綾瀬大将がわたしの置かれている状況を生贄の山羊と評したが、それを理解した。そのままわたしがうなだれていると、霞の口角が若干上がり、話をつづけた。

 

「怖い? でも、大丈夫今回あなたはそんな事にはならないわ」

 

「霞?」

 

 わたしは彼女の言葉を遮った。

 

「うん?」

 

「それはダメです」

 

 それを聞いた時に、霞は信じられないものを見るような目をこちらに向けて来た。

 

「裏切った第15鎮守府に所属していた朝潮をわたしの代わりに使う。そういう意味なら駄目です」

 

「どうして……」

 

「おそらく、第15鎮守府の提督の減刑を餌に朝潮に私の代わりをさせる、そう言った魂胆であることは見抜いています。それはよくない事です。守るつもりのない約束に他人に命を懸けさせるのは、邪悪と言ってもいいです」

 

 わたしの守るつもりのない約束と言う言葉に霞は眉をひそめた。

 

「type-γはこの泊地周辺を7日後に通る事が確認されているわ。首を縦に振りなさい。そうしないとあなたは残り7日後には成功するにせよ失敗するにせよこの世界からいなくなるのよ。それでもいいの?」

 

 わたしは首を横に振った。

 

 

 

 霞の勝手にしなさいと言う怒号と共に部屋を追い出されたわたしは、そのあたりをうろうろしていると、荒潮が迎えに来たのでそのまま第1鎮守府を後にした。わたしが帰りの車の中で窓の外を眺めながらうなだれていると、荒潮が声をかけて来た。

 

「朝潮ちゃん。前の深海棲艦の侵攻の時に出来た大量の死骸につられて、前の朝潮ちゃんを食べた深海棲艦が7日後にこの泊地の近くを通る事が熊本大将から伝えられたわ。当初の予想よりはだいぶ早いのだけれど、今回を逃すと次の接近時には司令官の魂は敵に吸収されてもう戻らない。

 だから、今日の夜そのことについて話し合いたいと思うの。二〇〇〇に3-5の教室に来て。そこで具体的にどうやって司令官を救い出すのか、その方法を教えるわ」

 

「なるほど、作戦ですか。それは必要な事です。中世の文豪ゲーテは言いました。……何を言おうとしていたんでしたっけ?」

 

「朝潮姉さん大丈夫?」

 

「大丈夫です。ちょっと色々なことがありすぎて、少し疲れただけです。横にならせてもらいます」

 

 そう言ってわたしはふて寝を決め込んだ。霞の甘言に乗ってしまえばわたしの命があと7日しかないと言う事実に対して悩むこともなかっただろう。そんな選ぶはずのなかった選択肢を選ばなかったことに対して後悔するなんてわたしらしくないと自嘲した。

 

 

 

 そして、それから20時までわたしは何をしていたのか覚えていない。大潮や心的外傷を受けているはずの満潮にも今日の私はどこかおかしいと言われる始末である。

 

 それは覚悟を揺らされてしまったからだとわたしは考えている。司令官を助け、ついでに沈んだ朝潮の魂も救う、そのために今まで生きて来たと考える事によって、恐怖を克服できていた。それによって今まで存在しなかったわたしの席がそこにあった。

 

 しかし、その席を他人に譲る事で、自分の命を守ると言う選択肢が突如としてできてしまった。その事が、わたしの心を動揺させていたのだろう。馬鹿馬鹿しい。これは初めて手に入れたわたしの席だ。他人に譲ってなるものか。

 

そのまま、約束の時間に3-5の教室を訪れると、中には司令官と、何やら機械につながれた大きな箱が部屋の隅に置かれていた。

 

「あれ? 司令官……荒潮は」

 

 そんな風に司令官の前まで歩を進めながら何の気なしに大きな箱の方をちらりと見ると、上面がガラス張りになっており、そこにはえらく痩せた男が横たわっていた。そしてその顔は……司令官だった。

 

「えっ!?」

 

 わたしは驚愕の表情を浮かべ、目の前に座っている司令官の方を向く、するとその姿は雲散霧消し、司令官のダボダボの軍服を着た荒潮が姿を現した。

 

「朝潮姉さん。私がこの鎮守府の臨時司令官の荒潮よ」

 

 わたしは何が何だか分からなくなっていた。

 

 



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初めまして司令官

わたしは混乱した頭を必死に整理する。確かにこの鎮守府に来てから今まで荒潮と司令官が同時に存在したことは今までなかった。しかし、何のために、司令官を昏倒させてまで彼女が司令官を演じる必要がどこにあるのだろうか

 

「荒潮も異常艦娘だったという訳ですか?」

 

 わたしのその言葉を聞き、荒潮は一枚のカードを取りだした。それには荒潮レベル1と書かれた艦娘カードである。彼女はそれに口づけをすると彼女の姿が変わり、全く改装されていない荒潮の姿に変化した。

 

「いいえ、こんな風に私達艦娘は接続してある艤装に応じてその姿を変えるわ。第2改装で形が大きく変化したり、あるいは季節のエネルギーによってね。だから、そこに別の存在の制御されていない魂が入っているのだとすれば、チャンネルを切り替える事によって艤装に入っている存在に姿を誤認させることができるの」

 

 彼女はそう言ってもう一枚の艦娘カードを取りだした、そこには荒潮改二レベル125と記載されておりそれを取りだした瞬間彼女の姿は元の荒潮に戻った。なるほど、異常ではなく艦娘特有の力、佐倉大将の下に世話になっていたころ、たまに季節の行事に浮かれているようなおおよそ戦闘には適さない恰好をした艦娘がその状態のまま出撃していたのを見たことがある。

 

「しかし、何のために」

 

「それはね。朝潮姉さんが私の期待通りに司令官を救うに足る実力を持った艦娘だと今までの状況から判断させてもらったからよ」

 

 わたしが怪訝な顔を浮かべていると荒潮は横たわっている司令官の顔を一瞥した後話をつづけた。

 

「私が司令官の姿をしていた理由は、司令官が健在であると鎮守府の仲間および外部に誤認させること。司令官は元居た朝潮姉さんと共に魂の6分の1が食べられたことは前に話したわよね」

 

「ええ」

 

「大抵のケースでは精神エネルギーが弱まる、もしくは末端器官に軽い痺れを生じる程度で済むのだけれど、司令官は中枢系を奪われてしまったの。それによって心肺が停止し、生命維持装置なしでは生きられない体になってしまった。そして、行き場を失った精神が私の艤装の中に留まった」

 

 荒潮はそう言いながら棺の方に歩き、司令官の顔を覗き込んだ。

 

「こうして、私は司令官の魂を艤装に内包することによって、司令官の力を一時的に借り受ける事になったの。もちろん、このままに司令官を死なせはしない。私はどんな事をしてでも司令官を救い出し、また彼の眼差しを取り戻す。

 でも、大将の霞ちゃんから聞いたのだけれど、深海棲艦から司令官の魂を取り戻す方法は本来司令官の意識がある時にしか試すことを許されない。だから私は司令官の魂を使って彼がまるで健在かのように振舞う事にした。朝潮姉さんが知りたがっていた何のためにかの答えよ」

 

 わたしは納得した。彼女が司令官を救おうとしている事が暴かれてしまうと彼女のみならず、おそらくこの事を助言した熊本大将の立場も危うくなる。故に、彼女はずっと味方を欺き続けたのである。

 さらに、その事は先日の深海棲艦大量侵攻の際になぜわたし達第4鎮守府の艦娘が裏切り者の艦隊と対峙すると言う重要な役目を任されたのかという事に対しても合点がいった。荒潮が裏切れば、熊本大将は第4鎮守府の司令官が健在でない事を報告でき、彼女の望みは永遠に敵わないと言う弱みを握っていた。裏切らない確証があったからである。

 

「という事は、朝に第15鎮守府の残党が襲撃してきたときも」

 

「ええ、彼女達には私が司令官に見えていて、彼女達の目には、さっきの朝潮姉さんみたいに司令官が突如として私に変わったように見えていたでしょうね。フフフ」

 

「なるほど、分かりました」

 

「さて、話はこのくらいにして、深海棲艦type-γを倒すための秘策を教えようと思うけれど、最後に一つだけ聞くわ。朝潮姉さん、司令官を取り戻すのに一緒に協力してくれる?」

 

「その前に一ついいですか?」

 

「何? そうね。敵は未知の危険な相手、それを非合法なやり方で倒そうと思っているのだから、大将からの支援は期待できないわ。でも、朝潮姉さんと私ならきっとできる」

 

「司令官を助け出すという事は、それに付随する前の朝潮の魂も同時に救い出すという事でもあり、その朝潮の魂によってわたしが消え去ってしまうという事を理解していますか?」

 

「はっ?」

 

 荒潮は寝耳に水と言った表情を浮かべ、ガタガタと震えだし、その後目を閉じて何度も首を振った。

 

「そんな、霞ちゃんは一度もそんな事……朝潮姉さん。嘘よ、そんな事ある訳ないわ」

 

「ええ、霞もその考えに至った人だけに伝えていたみたいです。基本的に魂のサルベージには製造されて日が立っていない艦娘素体を使うはずですし、その艦娘に前後の記憶がなかったり、元の艦娘の沈む前の記憶が現れたりしても、大抵は元の人格が消えていると分からないでしょう。でも、調べてみるとそうなっているらしいです」

 

「違う。違うの……私はなんて残酷なことを……」

 

 荒潮の反応から、本当に彼女がそのことを考えついていなかった事がうかがえる。故意に真実を伝えずに私に生贄の山羊の役を押し付けようとしたのであれば、少し悪態をついてやろうと思っていたが、そんな気迫もなくなっていた。

 

「かつてのドイツの文豪ゲーテは言いました。知らぬが仏。本来は上書きされた人格と元の人格にそれほど差異がある訳ではないので、あまり問題にならなかったから、伝えない事にしたんでしょうね。

 しかし、不幸なことにわたしは異常艦娘で、人格が普通の朝潮と変わったらすぐに分かってしまいます。と思って、一応聞いておいてよかったです」

 

「そんな、何か方法が……」

 

「霞も、なぜかわたしを生き残らせたいらしく、裏切った第15鎮守府の朝潮をその司令官の生死を交渉材料にして、わたしの代わりに行かせて司令官の魂を救う方法が提案されました。とか言う事は、伝わっていないのですか?」

 

 わたしがそう言うと、荒潮は少し顔を明るくした後、目の焦点がずれたまま、

 

「そうね。……そうしましょう。第15鎮守府の司令官は悪いことをしたんだもの、朝潮姉さんがこんな残酷な目に合う必要はない……うん。仕方のない事なの」

 

「荒潮、霞の提案は却下しました」

 

 瞬間、荒潮は爆発した。

 

「どうして!! あいつらは私達、いや、泊地全体を危険にさらしたのよ。司令官は処刑され、艦娘たちは記憶を抹消されて野に下る。いわば、死体の有効活用じゃない!! 何がいけないの」

 

「荒潮、失望させないでください。あなたがさせようとしている事は、私達がやろうとしていることで、その結果はわたし達を踏みにじるのと同じことなのよ」

 

 荒潮はハッとした。そう、朝潮は司令官の生死のためなら喜んでわたしの代わりにtype-γに戦いを挑むだろう。それは、司令官のためなら何でもすると言った荒潮と何が違うのだろうか。そして、彼女が成功しようが失敗しようが第15鎮守府の司令官が処刑を免れることはないだろう。つまり、彼女の思いを踏みにじり、わたしの命を救おうとしているのである。

 

「さて、もう一度聞きます。あなたはわたしに司令官のために死ねと命令出来ますか?」

 

 荒潮は答えない。ただ、後ろを向いてとわたしに呟いた。

 

 わたしが後ろを向くと、後ろからすすり泣くような音が聞こえた。必死に頭の中であらゆるものを天秤にかけているのだろう。そして、理解していた。15鎮守府の朝潮を使うという非道な選択を除外した場合、残る選択は2つである。そうなった場合、天秤は司令官に傾く。

 

「ありがとう。朝潮姉さん。命令します、朝潮姉さん、私の司令官のために死んでください」

 

「ええ。分かりました」

 

 わたし達はようやくスタートラインに立った。

 

 

 



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わたしは解放する

夜の潮風がわたしの頬を撫でる。荒潮からtype-γと戦うための秘策を聞いたわたしは今第一鎮守府の演習用の海域、わたしの異常が始まった因縁の海域に来ていた。目の前にはこの泊地最強の熊本大将の霞が腕を組みながらこちらを見つめていた。

 

 Type-γの出現する具体的な場所はわたし達にはまだ知らされてはおらず、わたしがそれと戦えると判断した場合にのみ、その位置を知らせるという事になっており、いわばこれは最終試験である。が、

 

「よく来たわね。今日は姉さんの思いあがった心をベキベキに折って、しばらく艤装を使えないようにしてあげるわ。感謝する事ね。15鎮守府の朝潮に姉さんの代わりをやらせる為にはもう時間がないの」

 

 彼女は最終試験と称して精神を折ってでも救うという事に腐心している。彼女にとってわたし達の覚悟や思いなどと言ったものは、届かなかったらしい。しかし、それでも構わない。

 

「いいえ。それは叶いません。わたしは霞を倒してでもtype-γを倒し、わたし以外のすべてを救う。それを邪魔はさせません。かつての文豪ゲーテは言いました。百聞は一見に如かず。それをこの戦いで証明してみます。行くよ、荒潮。解放(リベレート)」

 

 それを合図にしてわたしの体の中に強力なエネルギーが流れ込んできた。通常の艦隊運用の際にデフォルトでは司令官は艦娘と共有する感覚は視覚と触覚の一部のみである。通常艦隊を運用するためにはそれで十分である。

 

あまりにも感覚を共有しすぎると、例えば砲撃を受けた際に艦娘が故に耐えられる衝撃を共有して悪ければショック死、良くても衝撃で共有している回線が切れてしまうデメリットが存在する。

 

 しかし、通常の艦隊運用上必要ないと言うだけで、共有している感覚数に応じて、艦娘の性能はそれに比例して上がり、仮に全感覚を共有した場合の強さは通常の艦娘の5倍ほどに性能が跳ね上がる。そして、それは砲弾や魚雷の威力にも当てはまり通常の艤装で破壊不可能なtype-γの艤装にも通用することが確認されている。これが荒潮や霞が提案しているtype-γと戦う秘策である。

 

 この機能がなぜ、通常の艦隊運用上使えないのかと言うと、人間の精神構造の問題で、これは通常の艦隊運用とは異なり、艦娘の補助的な機能で砲撃の命中率や回避行動のサポートではなく、ほとんど艦娘の魂と同化してほとんど直接艤装をコントロールするので、基本的に1隻の艦娘に対してのみ効果を発揮するものであり、艦娘の強みである複数の艦隊運用が出来ず、その艦娘を動かせる距離も司令官が認識できる距離、一般には約5キロメートル以内にいないと距離に反比例してその恩恵が落ちると言われている。

 

 故に、この解放(リベレート)と呼ばれる機能は泊地に大群が押し寄せてかつ友軍がほとんど全滅状態の最後の抵抗に用いられることが想定されているいわば、最後のあがきである。

 

「解放(リベレート)は無事に出来たようね。一応約束だから、ここまで待っていたけれど、一切手加減はしないわよ」

 

 そう言って、霞の周りに衝撃波が巻き起こり、水面からほんのちょっと浮いている。解放によって体を覆っている反重力エネルギーが強力になった結果であり、解放状態になった艦娘の特徴ともいえる現象である。

 

「でも、おかしいですね。今、わたしには霞の姿がはっきり見えています。司令官同士の力が干渉して見えなくなるはずなのに」

 

 それを聞いて、霞はやれやれと首を振った後、

 

「司令官の力が艦隊の周りにではなく、艦娘そのものに影響している為よ。通常司令官は艦娘の艤装を構成するウロリウムとの感応現象を利用して通信しているのだけれど、解放状態の司令官は艤装と繋がっている艦娘とウロリウムを利用した物質のひずみを利用してほとんどリアルタイムで……全く、こういうのは私じゃなくてイブちゃんの役目でしょう」

 

 霞がわたしの質問に対して律儀に答えてくれているのには感謝したが、彼女の言っている事は1ミクロンも理解できなかったので、適当に聞き流した後にわたしは艤装を構えた。

 

「それじゃあ、始めましょうか」

 

「ええ」

 

 霞がそう言うと、わたしは艤装を全力で稼働し、その場から後退しながら魚雷を放った。それを迎撃するために主砲を使えば、そこを狙ってわたしは主砲を取りだし、異常を発動させてうまくやれば弾を跳弾させて直撃させる、それを躱されても魚雷が霞を襲うと言った戦略である。

 

 しかし、霞は主砲を取りださず、その場からも動かなかった。ただ、ニヤリと口角を

釣り上げたのである。彼女のその不敵な笑みを見た刹那、反射的に右に飛んだ。ほとんど慣性を無視して無理やりに進路を変えたためにゴロゴロと転がりながら海面に倒れこんだが、それが生死を分けた。

 

 ズバンと言うまるで漫画の効果音のような聞きなれない音と共に、わたしがいたはずの海面は両断されていた。もし、海底からその光景を見ていた者がいたとしたら、さながらモーセのエジプト出向のような神話上の光景が広がっていた事だろう。

 

 そして、神話に現実が叶う筈もなく、海水がなくなり行き場を失った魚雷はその場で爆発四散した。霞の方を見ると手刀を振り下ろし終わった体勢をしていたので、信じられない事だが、この非常識な現象は彼女の手刀によって引き起こされたと言う事実を否が応でも信じざるを得なかった。

 

 わたしは自分の甘さを呪った。いくら強いとは言っても、砲撃戦に持ち込む事が出来れば、少なくとも五分の勝負ができる。後はわたしの異常がうまく発動するかどうかと言うそれだけの戦いになるだろうと、

 

 前に阿武隈から聞いた事を不意に思い出していた。目の前の霞は1000万隻の深海棲艦を沈めた非常識なくらい強い艦娘である事を、そんな百戦錬磨の艦娘が他の攻撃方法が存在しておきながら、危険を冒してまで主砲を使用することは決してないと。

 

「これが霞の異常という訳ですか」

 

 と、わたしが戦慄していると、

 

「そうだ言い忘れていたわ。今回の戦い、ハンデとして私の異常は使わないでおいてあげるわ。どう? これで勝ち目が出て来たでしょう」

 

 などと、さらっと爆弾発言が飛び出してきた。暗に今さっきの手刀は以上でもなんでもなく、ただ単に霞や熊本大将の個としての力の差が手刀にあのような非常識な力を与えていたのである。

 

「異常ではない……と」

 

「そう、ただの解放艦娘としての格の違い。ちょっと自慢話になるけれど5年ほど前に100万体の深海棲艦。それらに対して主砲を一発も使わずに殺しつくした技術、下村元帥は熊手の爪(ベアークロー)と呼んでいたわ」

 

 力の差を見せつけ、心を折り、言う事を聞かせる。このままわたしが諦めてくれれば、彼女の目的は達成される。彼女の言ったことがすべて真実とは限らないが、彼女の作った断層が2キロほどある第一鎮守府の乗っている岸辺まで続いていた事から、熊手の爪(ベアークロー)は深海棲艦の深海領域をやすやすと切り裂き、それに守られているそれらを無力化させるだろう。

 

「そうですね。手刀で海を引き裂く、どんな力でやればそんな事が出来るのか想像もできませんし、わたし達ではそれに対抗することは出来ないでしょう」

 

 わたしがそう呟くと、霞は腕を組み、満面の笑みを隠し切れないと言った表情を浮かべながら、

 

「ようやく、自分の愚かさが理解できたようね。私に手も足も出ないようじゃ、type-γに手も足も出ないわ。姉さんにはそもそも艤装を使ってからの経験が足りないの、だから今回は……」

 

「でも、それはわたしの居場所を諦める理由にはなりません」

 

 わたしは艤装を全開にして、霞の懐にもぐりこんだ。彼女は動揺しているようで、わたしの正気を疑うような言葉を吐き捨てながら手刀を撃ちこんできた。わたしはそれを振り下ろされる前に受け止め、その関節をねじりながらぶん投げた。

 

「私は正気です。艦娘同士の戦いで使うことはないと思っていましたが、朝潮示現流の力を見せてやりますよ」

 

「佐倉大将の所のビスマルクのゲルマ式格闘術……。まったく、あの女余計なことを」

 

 霞の熊手の爪(ベアークロー)は中遠距離戦では無類の強さを誇るが、手刀を止められる超近距離戦では必ずしも最強であるとは言えない。艦娘同士の戦いにおいて超近距離戦での戦いなどほとんど想定されておらず、経験の差を埋めると言う意味でも都合のいい距離と言える。

 

 そして、この超近距離とはわたしの距離、朝潮示現流の間合いである。

 

「朝潮示現流 崩山」

 

 投げられて体勢を立て直そうとする霞の肺、鳩尾に強打を撃ちこみ、体勢の崩れた瞬間に顎を揺らす蹴りを食らわし、彼女の意識を刈り取ろうとした。が、最後の一撃は左手でかばわれ、そのまま足を掴まれた後、左手で強引に水面に叩きつけられた。

 

 わたしは、水面を転がりながら離れた。刹那、海面を叩きつける『ザバンッ』と言った衝撃波と共に、10メートルくらいの水柱が上がる。おそらく、水面に叩きつけられた後、追撃で熊手の爪(ベアークロー)が放たれたのだろう。

 

「まずい事になったわね。どうする」

 

 と言う荒潮の声が脳内に響く。分があると踏んでの接近戦だったが、霞は予想以上にこの距離での戦いになれていて、かつ一撃必殺技以外にもそもそも力の上で圧倒的に敗北している。八方塞がりだった。しかし、わたしはいつも通りでいるつもりだ。

 

「いつも言っているでしょう。かつての文豪ゲーテは言いました。自分を信じるだけでいい。きっと生きる道が見えてくる」

 

「ええ、そうね」

 

 そして、水柱が下り、霞の姿が現れる。

 

「これで分かったでしょう。遠距離も近距離も、主砲も魚雷も私には通用しない。異常も私が主砲を撃たない事で封じられた。もう、姉さんに打つ手なんかないの。だから、あきらめて。諦めなさいよぉ!!」

 

 彼女の言う通り、打つ手はない。が、それでも絶望せずに、攻撃を諦めようとしないわたしに怒りを覚えているようである。

 

「いいえ。諦めません。霞、あなたには居場所はありますか?」

 

「何の話をしているの」

 

「わたしにはありませんでした。朝潮型の艦娘としてこの世に生を受け、それが本当につまらない事でなくなった。そして、この鎮守府に来てここはわたしに少しの間ですが居場所をくれたんです」

 

「それは、そいつらの司令官を救うためでしょ。勝手な都合のために利用されているだけ」

 

「そう、でも沈んだ朝潮はそんな事は分かりもしません。ただ、理不尽に自分の居場所を奪われただけ。司令官もそうです。わたしは彼女たちに居場所を返してあげたい」

 

 そして、わたしは彼女に主砲を向ける。策などない、結局私は艦娘で、最後に縋るのは自分自身の艤装だった。そのまま、わたしは全力を込めて主砲を放った。

 

 それを霞は避けなかった。

 

 

 



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呑まれる前夜

「こんなの納得できないです。霞、もう一度勝負よ」

 

 件の一撃によって霞に大破判定が入り演習は終了したが、わたしには納得していなかった。が、霞はわたしの首根っこを掴み、

 

「姉さん、今回は勝ちを譲ってあげるわ。でも、納得がいかないならもう一度勝負しなさい。Type-γを倒して、あんたたちの司令官と沈んだ朝潮を救った後でね」

 

「いえ、それは……」

 

「出来ないっていうの? 私の考えとか全部踏みにじって、それでも行くんだもの、何とかしなさい。約束よ。違えるような事があったら許さないわよ」

 

 そう言って、霞は去っていった。

 

今、現状無理難題であるが勇気がわいた。そう言えば、今まで私はどう死ぬかという事ばかりを考えて、自分の生還には無頓着だった気がする。例えば、朝潮を救った後、何とかして艤装を手放さなければ、何とか自分の意識を残せるのではないか、とそんな事を考えると少しだけ気が楽になった。

 

「ありがとう。霞」

 

 わたしはそう呟き、第4鎮守府に戻る事にした。帰り際、霞が「またね。お姉ちゃん」とつぶやいた気がしたが、気のせいだろう。

 

 

 

後日、type-γの出現場所のデータが荒潮の下に届いた。出現場所は下関の北方15キロの地点で、中部海域のさらに奥、ここから先は大陸に続くシーレーン以外の調査が全く進んでおらず、どんな危険な海域が存在しているのか調査が進んでおらず、艦娘が沈んだ際の素体の緊急帰還領域の範囲外であり、ここで沈んだ素体は助からないとされている場所である。

 

 故に、わたし達のような非正規の手段で司令官を取り戻そうとしている者にとってはこう言ったところで司令官を救うしかない。出撃する艦娘はわたしとわたしを後方から数キロから解放させるために荒潮。その他事情を知る戦艦4隻で構成された艦娘で第1艦隊、司令官救出艦隊が編成された。

 

 そして、連日司令官を救出するための下関に資材や物資を搬入するための雑務にわたしも駆り出され、あっという間に決戦前夜となった。

 

 最終日にわたしは風呂敷一つ分くらいの荷物をまとめ、佐倉大将、熊本大将の霞、そして、荒潮、ついでに第12鎮守府の陽炎に手紙を書き、備え付けてあった机の引き出しにしまっておいた。明日わたしがいなくなる。そんな実感はなかったが、死を前にしたときにそれを書に残すのが習わしらしいので、わたしもそれに倣った。

 

「朝潮姉さん、なんで荷物をまとめているの?」

 

 わたしが部屋を片付け終わり、ひと段落しているといつの間にか満潮が部屋に入って来た。それでふと時計を見ると、一九〇〇を差していた。おそらく、食事の時間だから呼びに来たのだろう。

 

「ええ、満潮これは内緒なんですけれどね。元の朝潮が近日中に帰ってくるらしいみたいですよ。それで、わたしは入れ替わりでこの前助けた綾瀬大将がわたしのために席を用意してくれたみたいなんです。いわばこれは栄転と言うやつです」

 

 と言う咄嗟に考えた嘘をついた。満潮はそれを聞いて、一瞬だけ喜んだが、すぐにその声色に影を落とした。

 

「その割には朝潮姉さん少しも嬉しそうじゃ無いじゃない」

 

「まあ、そうですね。現代の艦娘であるわたしは言いました。人は自分の席を得るために行動し、また守るために戦う。わたしに居場所を与えてくれたこの鎮守府から離れなければならないのは寂しいですが、永遠の別れと言う事もありません。縁があったらまた会いましょう」

 

 などと言う台詞がポンと出てくる。嘘がうまくなったなと心の中で自嘲しながら答えた。

 

「……そうね。新しいところに行くのは怖いし、知らなかった事を知るようになるのは怖い。でも、それだけじゃ駄目なのよね。私も姉さんのように前に踏み出してみるわ。満潮と言う与えられた役割に甘んじるだけじゃなくて、もっといっぱい出撃したり演習したりして、朝潮姉さんや荒潮みたいにすごい艦娘になる。

 こうして、他の泊地まで名がとどろくような艦娘になって私も綾瀬大将に認められるような艦娘になるの。見てなさい」

 

「その意気です。……でも、綾瀬大将に認められる艦娘は止めておいた方が良いです。誰かほかの大将に認められるようになった方が良いと思いますよ」

 

 そんな時に、満潮の頭のお団子部分から小さい満潮のような生物が現れた。それは彼女の頭の上でシャドーボクシングのような動きをしている。疲れているのだろうか。

 

「どうしたの? なんか、私の頭を見つめて。まさか」

 

 満潮はそう言うと自分の髪のお団子部分を触った。前にそこをフレンチクルーラーにすり替えられていたのがよほどトラウマになっていたのだろう。そして、そこに乗っていたナニカは弾かれて彼女の前髪当たりに捕まって落ちないようにピーピーと言う鳴き声を発している。

 

 そのナニカには質量や感触はない様で、満潮にも視えていない様だった。わたしはなんとなく満潮の髪をよじ登ろうとしているナニカを摘まみ上げようとしたが、わたしの指はそれをすり抜けた。

 

「どうしたの? 私の髪の毛にごみでもついていた?」

 

「はい。取れました」

 

 そう言ってわたしは彼女の髪から手を放す。どうやら、このナニカは満潮にしか触る事が出来ず、また、現状わたしにしか見えないのだろう。その後食堂に行くと、そのナニカ分からないモノが艦娘全員に憑いていた。

 

 

 

「それは妖精さんよ」

 

 就寝前の最終打ち合わせが終わった後に荒潮にその事を尋ねると、彼女は良く分からないナニカの事を妖精と呼称した。そう言えば、以前に彼女に探し物を見つけてもらった際にそんな事を口走っていた気がする。

 

「妖精ですか?」

 

「そう、司令官が艦娘とつながる際に生み出される力場の幻影、それがどのような方向性に動いているかによってその艦娘の状態などを知る事が出来、それに指示を出すことによって、間接的に艦娘の行動を支配できるわ。例えば、その艦娘の髪の毛の一部をいつの間にかチェロスに変えたりね」

 

「……司令官の力を使って悪戯をしていたという事ですか?」

 

 わたしが若干あきれたような口調でそう言うと、彼女は机を何回か指でポンポンと叩いた後、視線を逸らしながら口を開いた。

 

「最初の方に司令官の力の制御が上手くいかなくて少し暴走していた事があったの。阿武隈さんの髪の件はその時の妖精の暴走。その後コントロールが出来るようになったんだけれど、その時には私が悪戯好きと言うキャラクター性が広まっていて、朝潮姉さんが止めてくれなきゃ今でも悪戯を繰り返していたはずよ」

 

 と彼女は遠い目をしながら答えた。彼女も彼女なりに苦労していたんだなと思ったが、わたしが聞きたいのはそう言う事ではなかった。

 

「話が脱線したわね。朝潮姉さんが聞きたいのはなぜ今になってその妖精が見えるようになったという事よね。その力場の方向性の化身である妖精は本来司令官にしか見る事が出来ないわ。司令官であっても大体半数の人間には見えておらず、そう言った人間は無意識のうちに妖精をコントロールしているらしいわ。

 その妖精が見える見えない事の基準に力の強弱資質は関係なく、大将の中でも、綾瀬大将や函館の島崎大将なんかは見えない人らしいの。そして、艦娘がそれを見る事が得きる条件は私のように司令官の力を使って艦隊を運営するか、もしくは解放(リベレート)によって司令官の感覚をすべて共有する。そのどちらか」

 

 最も、それが艦娘側から見えたところで、妖精に干渉できるわけではないから気にしなくていいわよと付け加えて説明された。もう少し質問をしたりしてもよかったが、わたしはそこらへんで話を切り上げ、眠る事にした。明日は早い、失敗するにしても成功するにしても明日はわたしにとって最後の日だ。ならば、成功させて終わらせよう。そう心に誓った。

 



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わたし(朝潮)は私(朝潮)に呑まれる

 下関から北西に抜けて日本海側に大体15キロほど向かった場所にある今では無人島になってしまった島にわたし達は臨時の鎮守府を敷設していた。臨時の鎮守府とは言っても簡素なテントと、カードにして移動させてきたドッグが2台と、わたしと荒潮の他には事情を知る元第一艦隊の北上と古鷹、龍驤、長門、解放によって無防備になる荒潮を守るために榛名、陸奥、伊勢がいるのみである。

 

 ちなみに、臨時鎮守府とは、主にイベントと呼ばれる年に4回ほど行われる太平洋のハワイ周辺もしくは大西洋上のある地点、正確に言うならば空想上のムー大陸かアトランティスがあったとされる地域に不定期に表れる大海域を調査し、それを発生させているとされるボスを倒すために設置されるものであると、ここに来る前に荒潮が教えてくれた。

 

 この島からさらに奥に3キロほど北西に向かった場所が今回深海棲艦type-γが出現するエリアで、荒潮はその1キロほど後方からわたしを解放させ、それを攻撃する手はずになっている。そんな事を思い出しながら艤装の手入れをしていると、荒潮がぴょこんと首を持たれかけながら。

 

「朝潮姉さん。これを忘れずに装備してね」

 

 そう言って、荒潮はなにか袋のようなものを3つ渡してきた。

 

「なんですかこれ?」

 

「応急修理女神というモノよ。いくら解放艦娘が通常の艦娘よりもかなり防御能力が上がっていると言っても、相手は艦娘の力が通じない化け物、攻撃が直撃すれば一撃で轟沈させられるわ。でも、これを装備しておけば一撃だけその攻撃を耐えてくれるという事が分かっているわ」

 

「つまり、4発食らったらおしまいという事ですか……」

 

「一応私の艤装にも4つの応急修理女神を搭載しているけれど、私の装備している女神の効果が朝潮姉さんの艤装に効果があるかは分からないから、そう思ってくれてもいいわ」

 

 そんな会話をしていると、他の艦娘も続々とわたしの周りに集まって来た。

 

「朝潮、君にはつらい役目を押し付ける形になってしまって、申し訳ないと思っている。しかし、君はわたし達の期待通りに、いや期待以上の艦娘に成長した。君ならば、きっと提督を助ける事が出来る。そう私は信じている」

 

 そう言いながら、長門はわたしに手を差しだした。わたしはそれを握り、彼女は最初に握手をした時のように、岩でも砕くかのようなすさまじい力で握って来た。

 

「あほか!! 戦う前から怪我させてどないすんねん」

 

 と、龍驤が彼女の頭を引っ叩かなければ、彼女の言う通り怪我をしていただろう。

 

「すまん。また力が入りすぎた」

 

「いえ、大丈夫です。中世の文豪ゲーテは言いました。痛みだ、痛みだけがわたしに生の実感を与えてくれる」

 

「そのゲーテっちゅう人、そんな事言っておらへんやろ。いや、知らんけど」

 

 彼女達にはわたしが成功した場合、わたしの魂は沈んだ朝潮と入れ替わりで消えるという事は伏せてある。成功した後にうまい風に納得させるのは荒潮の役目であり少なくともわたしの領分ではない。

 

「さて、もう敵が出現するとされる時間まで5分を切りました。ありがとうございます。わたしはこの鎮守府に来られたことを誇りに思います」

 

 そう言ってわたしはその島を後にした。これが人生で最後の言葉になる。

 

 

 わたしが位置に着くと、荒潮からすさまじいエネルギーが届き、解放状態特有の水面からほんの少し浮いた状態に変化し、あたりを不自然な気流が巻き起こった。

 

 その時、前方に小規模の竜巻が巻き起こり、佐倉大将に昔見せてもらった駆逐棲姫に似た深海棲艦が姿を現した。その時、おそらく荒潮の怒気の感情が伝わって来たので、わたしにもその深海棲艦がわたしの倒すべき敵type-γであり、わたしの人生の終着点である事を理解した。

 

 わたしは艤装を稼働させ、主砲を構えながら近づくおおよその距離は500。それに気が付いたのか、それは砲をわたしに向けて来た。そして、それが主砲を発射する刹那、わたしの集中力は異常を発生させた。

 

 

「クルナ!! クルナ!! クルナぁ!!!」

 

 それは恐怖の浮かべ、苦痛に顔を歪ませながらわたしの方を向き、後退していく。それがそれまでに撃った弾は全部で一〇発。そのすべてをことごとく跳弾させ、それに直撃させてやった。わたしの行っている行為が理解できれば出来るだけ、それがどんな異常事態が起こっているのかと言う恐怖に代わっているはずである。

 

「残念ながらそうはいきません。アナタからはわたしの仲間の大事なものを返してもらう必要があります。正直、恨みはありませんが、あきらめて下さい」

 

 そんな無慈悲な言葉を口にした。距離はあと50、わたしは艤装をフル稼働させ、それに張り付き、ボロボロになった装甲に向かってゼロ距離から主砲をぶっ放した。

 

「荒潮との大切な約束、それを守り通す覚悟です」

 

 そう言いながら露出した肉に腕を突っ込んだ瞬間、世界が暗転した。

 

 

 

「ここは……」

 

 わたしが目を覚ますと、わたしは暗い何かの中に浮かんでいた。纏っていた衣服や艤装は何も身に着けておらず、荒潮とのつながりだけが、先ほどの光景が夢幻ではないという事を実感させてくれる。

 

 そして、だんだんと体が下へ下へと落ちていく、そのまま数分たった頃だろうか、一人の少女が体育座りをしてすすり泣いているのが見えた。それが沈んだ朝潮であることを本能的に理解し、彼女に触れた。

 

 すると、わたしを覆っていた何か、致命的に大事な何かが抜けた感覚に襲われた。それが何なのかはわたしには分からない。ただ、少なくとも荒潮や艤装とのつながりは今の一瞬で完全に断たれてしまった。

 

 朝潮はわたしの代わりに力なく浮上していき、わたしはそのまま力なく沈んでいく。これは覚悟していた事であった。この道を進めばこうなる事は分かっており、彼女に席を譲る、そのためにここまで来たはずだった。……しかし。

 

「死にたくないなぁ……」

 

 最後にそう思ってしまった。

 

 

 

 荒潮は驚嘆していた。いくら朝潮が異常艦娘であっても、type-γとの戦いは死闘を極めるものだと予測していた。そのために出現予測地点、近海の島に臨時鎮守府を設置し、熊本大将からすさまじい数の応急修理女神を借り、朝潮には2個の女神を消費した場合退却、これを繰り返すことによって、最終的に砲撃が届けばいいと言う我慢比べを想定していたが、彼女はその期待をいい意味で裏切ってくれた。

 

 そして、朝潮を通じて司令官の魂の残りも戻って来た。そんな彼女の事だ、もしかしたら奇跡を起こして案外艤装の中で彼女の精神が生きているとそんな淡い期待を胸に、朝潮に通信を送った。

 

「朝潮姉さん、ありがとう作戦終了よ。そのまま戻ってきて」

 

「その声は荒潮……私は急に目の前が真っ暗になってそれで……」

 

 しかし、現実は残酷だった。朝潮は元の朝潮だった。司令官が戻り、元の朝潮が帰って来た。これは喜ぶべきことだ、彼女の起こした奇跡のような戦いがもたらした成果。しかし、お礼を言うべき彼女がいない。それを実感したとき、荒潮の頬を涙が伝った。

 

「どうしたんですか? 荒潮、泣いているの?」

 

「後で、訳を話すわ。とにかく、私達はそこから南東3キロ先にいるの。そこですべてを話すわ」

 

 そう言って、朝潮はそこから離れようとした。が、数百メートル進んだところで、朝潮から衝撃が伝わって来た。カメラを切り替えると、袋から妖精が飛び出し、吹き飛んだ体を強制的に修復する。

 

「そんな……」

 

 私は朝潮の艤装にエネルギーを送り解放させた。まずい事になった。Type-γは大破していたが、まだ完全に機能を停止していなかったのである。

 



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わたしは言いました

「いま、私の手が……。キャァァ」

 

 朝潮は取り乱している。当然だ、司令官の力に守られている間、艦娘は例え轟沈したとしても素体の四肢が吹き飛ぶなどという事はあり得ない。それが、彼女の思考能力を奪っていった。

 

 朝潮はがむしゃらに左右に動き、何とか砲撃を躱そうとする。私のコントロールを離れたその動きは本来悪手であり、行動の停止位置を狙われてしまうのだが、なぜだか敵は砲撃を朝潮に当てようとしなかったのである。

「朝潮ちゃん、落ち着いて。今敵は怖がっているの。だから距離を一定に保とうとするし、砲撃もあんまり撃ってこないの」

 

「どういう事? 私の腕を吹き飛ばすような化け物なのに、私の何を怖がるっていうんですか?」

 

 そう、朝潮に怖がるものなど何もない。しかし、先ほどまでの朝潮の異常によって敵は痛めつけられ、ほとんど撃沈されかけた。その事が今の朝潮を救っているのである。

 

「朝潮ちゃん。私の尊敬する女の子が、私に対してこんな言葉を残したわ。昔の文豪、ゲーテは言いました。自分自身を信じてみるだけでいい。きっと生きる道が見えてくる。朝潮ちゃん、今は何も分からないかもしれない。でも、私を信じて」

 

 そう言うと、朝潮の姿勢の制御が、荒潮にもコントロールできるくらい落ち着いた。

 

「分かりません。分からない事だらけです。でも、確かな事があります。今の荒潮、まるで司令官と話す時みたいに落ち着いていました。なるほど、良い言葉です。私も自分を信じてみせる事にします」

 

 彼女はそう言って主砲を構えた。それに、敵も驚いたのか、一瞬動きが止まる。ミスは許されない。司令官を救った朝潮の幻影が今の私達を守っているのだとしたら、その幻影を真実にしてやればいい。

 

 私達の技術で朝潮の異常を再現する。私達に生き残るすべはなかった。

 

「沈んだ朝潮姉さんと繋がっていたときは、見えていたんだけどね、発射する瞬間……。でも、私は彼女が発射した10発の感覚と角度を覚えている。生き残るために奇跡が必要だと言うのならば、奇跡を起して見せる」

 

 そして、荒潮はここだというタイミングで引き金を引いた。その瞬間、彼女の腕を何かが蹴った。それに目を向けると、朝潮の姿をした妖精だった。

 

「この角度です荒潮」

 

 なんとなくその妖精はそう言った気がした。そして、それは光の中に消えてしまった。わたしとのつながりが残した最後の奇跡、その弾丸の軌跡は異常となる。『未来を創る一撃(ヴィクトリーストライク)』と彼女は名付けた。

 

 その弾丸は敵の弾を弾き、自分の弾だけ敵に着弾させる。朝潮は目を丸くし、大はしゃぎした。

 

「あり得ません。凄い、こんな事見たことありません」

 

「残念だけど朝潮姉さん、さっきの芸当はもうできないわ。彼女がわたし達に残した最後の奇跡。もう、さっきみたいなことは出来ないわ」

 

「じゃあ、どうしたら」

 

「大丈夫よ。もう決着はついたわ」

 

 しかし、荒潮は少しも慌てていない。もう、異常な弾丸を放つ必要はない。先ほどの弾丸で、敵が抱いている疑念は恐怖に変わったのだから、荒潮たちは敵を追いかけると、敵は後ろを向き、逃げる。

 

 仮に、敵が一発でも撃てば、その勇気があれば、もう未来を創る一撃を撃つことは出来ない事がわかるだろう。しかし、おそらく天敵がいないそれらが生まれて初めて見る天敵を前にそれが出来るだろうか? 事実として朝潮たちはそれの背中に張り付いた。

 

「朝潮姉さんの敵、取らせてもらうわよ」

 

 私達はありったけの弾丸をそれに打ち込み、程なくしてそれは浮力を失い、海の中に消えていった。

 

 

 

「やったわね、朝潮姉さん」

 

 危機が去り、荒潮は朝潮に駆け寄り彼女を抱擁する。

 

「荒潮、怖かった。怖かったよぉ」

 

 そして、朝潮は彼女の胸の中でなく、実に2か月ぶりの対面である。しかし、それをともに喜ぶもう一人の朝潮がいない。その事がすこし寂しかった。

 

 その時である。海の底からおぞましい姿をした何かが浮上し、彼女たちの目の前に現れたのである。それは、先ほど沈めたはずのtype-γだった。ボロボロになりながらも、その機能は停止していないのか、荒潮は朝潮をかばうように覆いかぶさった。

 

 しかし、それは何もしてこない。ただ、そのお腹がぱかっと開き、そこから艤装をつけていない朝潮が横たわっているのが見えた。荒潮は彼女をそこから救い出し、すぐに呼吸と脈拍を確かめた。

 

「生きてる……生きてるよ」

 

 荒潮は歓喜の涙を流した。

 

 



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わたしの帰還、第8駆逐隊永遠なれ

わたしが目を覚ますと、そこは見覚えのない天井ではなく、一度だけ見た天井だった。確か第1鎮守府の談話室、霞と綾瀬大将に調書を取られた場所である。ただ違うのは、今回横にいるのが霞と荒潮であると言う違いだろうか。

 

「わたし……わたしが生きているという事は、司令官は、沈んだ朝潮は、わたしは失敗してしまったのでしょうか? こうしてはいられません、すぐに再戦の準備を……」

 

 わたしがそう言った時に、荒潮はわたしを抱きしめた。

 

「大丈夫、司令官も朝潮姉さんもそして、あなたも全員無事よ」

 

 彼女はそう言って事の経緯を話してくれた。まず、朝潮と司令官は無事に帰投し、司令官の魂は体に戻った。2か月も深海棲艦の腹の中で過ごしたので、異常がないかの検査を今行っており、問題がなければ明日にでも鎮守府に戻れるらしい。

 

 そして、わたしであるが、あの後深海棲艦から吐き出され、それを荒潮が救出したらしい。脳波などには異常はないが、体つきのドロップの可能性も存在していたのでわたしの意識を確認するまではわたしかどうか判断がつかないでいたらしい。

 

「ふん、当然よね。今回は特殊な例だったけれど、type-γから司令官の魂を救う方法は確立

されているから、朝潮姉さんみたいな練度の高い艤装を持った艦娘が成功しないわけがないのよ」

 

 そう霞が言った時に、荒潮は怪訝な顔を浮かべた。

 

「そんな訳ないわ。解放した朝潮姉さんが異常を使って10発、その後、救い出した朝潮姉さんが近距離から弾をありったけ撃ちこんでようやく沈める事が出来た相手なのよ」

 

「えっ?」

 

「えっ?」

 

 霞は信じられない事を聞いたような反応をしている。そして、しばらく天井を見つめた後、ゆっくりと口を開いた。

 

「荒潮ちゃん、type-γから司令官を救う方法、誰が話したっけ? わたし、それとも熊本大将?」

 

「霞ちゃんよ。でも、そうねぇ、確か具体的な方法については、確か熊本大将に聞いたわ。本当な駄目なことをしているから、霞に話させるわけにはいかない。なぁに、発覚した場合すべての責任は俺がとるみたいなこと言って、霞ちゃんを外に出したわ」

 

「そうよね、ようやく思い出したわ。あのクズ、今度折檻してやるわ」

 

 そこから霞の口から語られた、本当のtype-γに対しての対処法を聞いてわたし達は絶句した。それは、深海棲艦を主食とする生き物であり、艦娘の体や艤装は消化するのに莫大な時間がかかるので餌としての範疇に入っていない。

 

 故に、それと対峙するときには無害を装うために遠距離からは砲弾を一発も撃ってはならない。いや、数発撃っても問題ないが、断続した砲撃や生命の危機に瀕した場合本気になった場合、一匹で泊地が壊滅する恐れがあり、トラックとリンガはそれで一度壊滅的な打撃をこうむったことがある。

 

 そして、威嚇射撃を数発放つとそれ以降はほとんど攻撃してこないので、それのお腹に銃を当てそこが比較的柔らかくなっているので、解放艦娘の砲撃ならば傷をつける事が出来る。そこから精神を飛ばして朝潮を吸収する。

 

 その後、司令官の魂に紐づいた朝潮の魂を回収したら、そのままお腹に砲弾で傷をつけて朝潮の肉体を回収して任務完了。と言うのが流れだったのである。

 

「つまり、最初の威嚇射撃にあたって腕とか足が吹き飛ぶような状態にならない限り、失敗するような任務じゃなかったわけよ。司令官の魂を救うだけならね。問題は、最後に朝潮の肉体を回収したときに、その肉体に入れ替わった朝潮姉さんの魂が無事に定着しているのかだけが問題だったの。と言う説明をクズはしなかったの?」

 

 わたしは荒潮の方を向く、彼女はぽかんとした顔をしており、彼女は腰を抜かしていた。

 

「私は司令官の魂を救うには、解放艦娘の力を使って近距離でお腹に砲撃を浴びせるとしか聞いていなかったわ」

 

「あのクズ!!」

 

 霞の怒号と共に、何があったと熊本大将は部屋に入ってきたが、それが彼の運の尽きである。彼は霞に折檻されたが、わたしは助けなかった。彼のおかげでわたしたちの司令官は助かったが、同時にわたし達は無駄にひどい目にあったので自業自得だろう。ところで霞さん。そこで折檻されると、熊本大将の異常によって、わたし達苦しいんだけれど、その言葉を発する力はわたし達には残っていなかった。

 

 

 

 2か月間深海棲艦のお腹にいたと言う話を聞いた時には、びっくりしたが、私が荒潮と繋がって戦った深海棲艦と、それを倒した後にその体から出て来た右腕のない朝潮、彼女に冷凍保存されていた右腕を修復材でくっつけるところを見て、その後私が彼女の体に触れると、魂が入れ替わったように眠っていた朝潮の体に私が入り目覚め、私がいた体は意識を失うという奇妙な感覚を経て、その事が真実であると実感できた。

 

 なんにせよ。私はこの第4鎮守府に帰って来る事が出来たのだ。司令官と荒潮と共に門をくぐると、2か月ぶりの私の帰還に所属する艦娘総出で出迎えてくれた。

 

「ありがとう皆さん。朝潮、帰投いたしました。皆さん、心配をおかけしてすいません」

 

 しかし、その中に、私の姉妹艦が見当たらない。一体どうしたのかと思っていると、鎮守府の屋上から高笑いが聞こえて来た。

 

「あーっはっはっは!!!」

 

 皆がそこを見ると、黒い全身タイツにマントと言う恥ずかしい格好をした朝潮が姉妹艦と共に腕を組みながら整列していた。

 

「わたしは朝潮示現流伝承者、朝潮!! わたし達第8駆逐隊の面々で、あなた達に見せたい物があります!! とぅ!!」

 

 そう言いながら彼女達はなにかを持ちながら飛び上がった。それは手作りの横断幕だった。文面は、

 

『第8駆逐隊、参上!! おかえりなさい朝潮姉さん』と言う文面であった。彼女達はこちらに走って来た。私は彼女たちにお礼を言った。

 

「さて、良いですか。本当に良い悪戯と言うのは、人を幸せにするのです。かつての文豪ゲーテは言いました。我が第8駆逐隊は永久に不滅ですと。其れでは皆さん、また会う日まで」

 

 そう言って私とは別の朝潮は去っていった。なるほど、あの子が荒潮ちゃんの尊敬する艦娘か。私は彼女のようにすごい艦娘になろう。そう心に誓うのだった。

 

 




今回で第一部完です。次は外伝の後2部やります



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潮は満月を映す
わたしが去った後


2章開始です


 朝潮が第13鎮守府を去って1か月、彼らは通常海域の攻略に腐心していた。

 

 大体3か月に一度発生するイベントと呼ばれる太平洋、もしくは大西洋の海流が安定することによって発生する新種の深海棲艦および、その海域で手に入れる事が出来る艦娘の艤装を手に入れる事の出来る現象が発生する。

 

 太平洋側であれば、泊地に問題が発生しても、比較的簡単に戻ってくることが可能だが、今回のイベントは大西洋側であり、大陸から鉄道を使って陸路で大西洋に向かうので泊地に問題が発生したからと言って、直ぐに戻ってくることは不可能である。

 

 故に、イベントの間は大規模な深海棲艦の侵攻の芽をつぶす意味も含めて、通常海域を念入りにつぶすことが必要なのである。

 

 満潮は今回の通常海域の攻略に積極的に参加していた。本人は否定するだろうが、1か月前に鎮守府を去った朝潮の影響が大きい。周りを勇気づけ、不測の事態でも的確な判断が出来る、彼女に追いつくためには、彼女自身がもっと艦娘としての経験を積み、成長しなくてはならない。

 

 以前の不測の事態に戸惑い、出撃が出来なくなったという醜態を晒すわけにはいかないのである。

 

 そんな思いや、経験もあり、彼女も第2改装を受け、その力を大幅に高めることに成功した。しかし、まだ足りない。彼女が鎮守府を去って1か月、彼女が知っているペースで出撃を繰り返しているのならば、今頃は彼女も第2改装をすでに受けているだろう。

 

「こちら満潮、サーモン海域北方海域の深部で敵艦隊に遭遇したわ」

 

 道中に出現する戦艦レ級と呼ばれる航空戦雷撃戦主砲すべての攻撃で狙った船を中大破に持っていく深海棲艦を蹴散らしながら進み。こちらの艦隊は戦艦長門、陸奥、空母瑞鶴、翔鶴、朝潮はすべて小破以下に抑えられており、この出撃前に15回ほど道中撤退させられていたので、艦隊全員にも気合が入っていた。

 

「よし、ここで決めるぞ。全艦、戦闘態勢に入れ」

 

 と言ういつもの司令官のセリフにも若干熱がこもる。この海域のボスをあと一回倒す事が出来れば、艦娘を改装するための設計図を手に入れる事が出来、改装の順番待ちになっている大潮を改装する事が出来る。

 

「全航空隊発艦はじめ!!」

 

 満潮達が敵艦隊の領域に触れる前に翔鶴と瑞鶴が航空隊を発艦させ、満潮は航空隊のカメラを次々に切り替え、敵が出してくる艦載機を立体的にとらえ、それが最も密集するだろう場所に対空射撃を浴びせる。

 

「くっ!?」

 

 その対空射撃の後、司令官が悔しそうな声を一瞬だけ漏らしたことを、満潮は見逃さなかった。満潮達には提督の力の干渉によりじかに確認することは出来ないが、深海最奥のボスには強めの編成と弱めの編成が存在しており、それは道中何度も彼女らを大破撤退に追い込んだ戦艦レ級、そしてボスには南方戦姫の混じった艦隊であることを彼女に悟らせた。

 

「司令官、いるんでしょう? 戦艦レ級、全艦魚雷回避行動を取るわよ!! 絶対ここで決めてやるわ」

 

 満潮はそう叫ぶ。航空戦、先制雷撃でほとんどこちらを行動させる前に何隻か中大破を持っていく戦艦レ級であるが、航空戦力としては弱く、制空値は取れている。残りは駆逐艦2隻に潜水艦と言う艦隊であるので、制空圏は取れているはずである。

 

 そして、魚雷が艦隊に忍び寄る。3隻から放たれた魚雷が水を切る音が聞こえた瞬間、満潮は反射的に左に飛んだ。刹那、彼女が先ほどまでいた海面は爆発を起こし、他の狙っていた魚雷は翔鶴に突き刺さり、彼女の艤装膜に深刻なダメージを与え、提督の力で何とか浮力を保っている状態になる。

 

「改装された翔鶴型、この程度では沈みはしません」

 

 しかし、朝潮が残った。彼女が艤装に詰め込んだソナーや爆雷の数々は、先制魚雷を撃とうと若干先行していた潜水艦を見つけ出し、的確にそれに爆雷をぶつけ、撃沈する。これで、戦闘に参加できる艦隊は5対5、悪夢のような先制攻撃を切り抜け、ようやく艦娘たちの時間がやって来た。

 

 空母がとった制空権は、戦艦の最大の武器になる。偵察機、および徹甲弾を装備している際に空母が放っている艦載機の情報から敵の位置をほとんど正確に観測しながら放つ、弾着観測射撃を使用できるのである。

 

「全砲門、うてぇぇぇ!!!」

 

 敵深海棲艦の領域、境界面に到達した満潮達は一斉に砲撃した。耳をつんざく爆裂音と、風を切る弾丸の音、そして、空母の放つ艦載機が一斉に放たれる音と共に、敵味方共に損害が出る。

 

 気が付くと、瑞鶴が満潮を砲弾から守り、その艤装を大破させていた。陸奥、朝潮は中破し、長門は健在。敵は駆逐艦2隻が撃沈し、レ級1隻が中破、残りがほとんど無傷と言うありさまで、その後、第2射の砲撃戦。攻撃できる艦娘は弾を込め、第2射を放つ。

 

「次弾装填!! てぇぇぇ!!」

 

 今度の一撃は、中破したレ級1隻を撃沈し、ボスである南方戦姫を中破にまで追い込む砲撃であったが、敵は的確に長門、陸奥を大破させた。そして、問題は戦艦レ級が残ってしまった。

 

 敵が深海領域の濃度を濃くして、逃れる態勢に入り、その際に健在の戦艦レ級から魚雷が飛んでくる。先ほどは反射的によけられたが、今回は躱せる自信はない。

 

「みんな、ごめん」

 

 満潮はそう呟いた。もし、彼女の目標の艦娘が、こんな状態になったら一体どうするのだろう。今の満潮のようにそんなな懺悔の言葉を吐かないだろう。練度が上がれば、経験を積めば、成長できるだろうと思っていた。

 

 しかし、現実は違った。強くなるたびに、経験が増えるたびに、自分のできる事と出来ない事がわかってくる。現実が見えてくる。このまま大破し失敗する。その現実の前で、満潮は押しつぶされるしかなかった。

 

「あきらめのるは、まだ早いです」

 

 そんな満潮の前に、中破した朝潮が立ち、満潮に向かう筈だった魚雷を受け止め大破する。

 

「朝潮姉さん。どうして」

 

「満潮、まだあきらめてはいけません。敵はあと2隻、そしてボスは中破しています。満潮が終わらせるんですよ」

 

 そう言って、朝潮は満潮の手を強く握る。そうだ、敵のボスに渾身の一撃を食らわせる。それだけでこの艦隊の目的は達成される。何もあきらめる必要はなかったのだ。

 

「朝潮姉さん。ありがとう。そうね、朝潮姉さん。この世界にはこんな言葉があるの。吾輩の辞書に不可能の文字はない。もし、不可能だとせせら笑う人がいたとしたら、そいつらにそう言って笑ってやるわ。そうでしょう?」

 

「満潮……私の姉妹艦の中でなんかどこかで聞いた事があるような名言を言うのが流行っているんですか? 他に、朝潮何とか流とかいう拳法も」

 

「知らないわよ」

 

 そう言って、満潮達は深海領域の薄くなった部分を進む。深部に進むにしたがって、深海領域の濃度が濃くなり、あたりが夜の闇夜のように真っ暗になる。私達はそこに進み、そして、その奥で敵と邂逅した。

 

「馬鹿ね。その先は地獄よ」

 

 満潮が魚雷を放とうとした瞬間、スロットに積まれた3本の魚雷がはじけるような感覚に襲われた。朝潮が彼女を身を挺して守った理由がそこにある。駆逐艦の貧弱な火力では戦艦や戦姫級の深海棲艦を撃沈することは出来ない。しかし、夜戦と言う通常射程の半分の位置で戦う場合は、魚雷の威力の減衰が少なく、装甲の厚い深海棲艦にもダメージを与える事が出来る。

 

 さらに、複数の装備スロットに、魚雷を装備することでその威力を2倍近くにする特殊機能が発動することがある。司令官の間ではそれを俗に夜戦カットインと呼ぶ。満潮はその魚雷を目の前の敵に放つ。それは通常の魚雷の数倍の推進力で敵に突き刺さり、それは耳をつんざくような轟音とともに撃沈された。

 

「満潮やったぞ。今のが、南方戦姫だ。全艦帰投準備」

 

 満潮は目標が達成できたことを喜び、同時に自分の精神的弱さを見つめなおす。その事を今後の課題とした。

 



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月は昇る

「第1艦隊帰投したわ」

 

 第一艦隊帰投後、皆を入渠させた後、満潮は出撃報告のために執務室に召喚された。彼女と高速修復材で修復を終えた朝潮は司令官に敬礼をした後、今回出現した敵艦隊とその際に敵艦隊から受けた損害を報告する。

 

 満潮を通じて司令官はすべて知っているはずだが、そうすることが慣例のようで、特にその事には言及はしたことはない。彼女の報告を聞いて、司令官の秘書艦である荒潮がそれを慣れた手つきですらすらと報告書にまとめていく。

 

 その姿を見て、満潮は安心していた。3か月ほど前、朝潮が艤装の整備不良によって怪我をして、鎮守府を離れ、その後無事に戻ってくるまでの2か月間、彼女の情緒は不安定になり、秘書艦としての仕事もほかの艦が行っていた時は、もうこのまま彼女の情緒が戻らないのではないかと心配したものである。

 

 特にひどかったのは、朝潮が鎮守府を離れ3日後の夜、駆逐艦寮のベッドが荒潮の物を除いてすべて逆さにひっくり返されていると言う事件が発生した。それに続いて荒潮の姿が見当たらず、鎮守府中を探すと、満潮は工廠裏の物陰で司令官の白帽を手に持ちながら、震えていた。

 

 満潮が彼女を見つけ、その肩を叩くと、彼女は怯えた目で号泣しながら、「違うの、私じゃない。妖精よ、妖精がやったの。この、この、あっち行ってよ!!! 私のそばから離れてよ!!!」と地団太を踏みながら発狂し、気づいた他の艦に連行されると言う心身ともに錯乱状態にあったが、現在ではそのような兆候もなく、無事に秘書艦としての任務を全うしている。

 

「ありがとう。これで南方海域の深海棲艦もしばらくはおとなしくなるな。明日の明朝、ここを出発し、舞鶴にある大陸との連絡船に乗り、そのまま大陸縦断鉄道、明々後日にはイベント海域のある大西洋沿岸につくはずだ、君たちは早めに……」

 

 その時である。司令官の机にあるパソコンからピロリンと言う電子音が鳴ったので彼はそれを確認し、頭を抱えた。その時満潮の脳裏にはなぜか朝潮示現流の呪いとか言う頭の悪い単語が浮かび上がって来た。

 

「提督、どうしたの?」

 

 そんな司令官を心配しながらその画面を見た荒潮も頭を抱えている。どうやら、上から無茶な要求をされたらしい。

 

「どうしたの? 頭を抱えているだけじゃわからないわよ」

 

「ああ、第1鎮守府の裏に15歳から18歳の提督の力を持った子供を教育するための学校がある事は知っているね」

 

「もちろんよ」

 

 呉にある提督養成機関で、150人ほどの提督の卵が日夜勉学に励んでいる。第一鎮守府の裏にあるのは、熊本大将が校長兼実技指導責任者として直接教育を施す為であり、その要因もあってか、そこを卒業した提督は出世することが多く、7人いる大将の内3人はその卒業生である。

 

「イベント海域の際には慣例としてその期間内にその生徒に各鎮守府の中で練度の高い艦娘たちを使った演習を行う事が決められている。それは、本来ならばイベントに参加しない居残り組の鎮守府の中から選出されるのだが、今回は居残り組になる筈だった第15鎮守府が裏切った事で、艦隊が足りなくなってしまったらしい。それで一艦隊この艦隊から出せと言う命令だ」

 

 残すように要求してきた艦隊は駆逐5、軽巡1の水雷戦隊である。これには司令官も頭を抱えるわけだ。いくら水雷戦隊とは言え高練度の艦娘をイベント直前に使用不能にされるという宣言には彼も頭を抱えざるを得ないだろう。

 

「そうね。なら私を出しなさい。私が改二になったのはほんの数日前、司令官のイベント攻略の頭数には入っていない筈よ」

 

 などと言う台詞が考えるよりも前に出て来た。それを聞いた朝潮は私の肩を叩いた。

 

「なぜです? 満潮は私が戻ってきてから、一番頑張って、それで短期間で改二にまで成長できた。だから今回のサーモン海域攻略艦隊旗艦に抜擢され、見事その役目を果たしたのです。もし、練度の高い船が必要ならば私が」

 

 満潮はそう言う朝潮の鼻に指を押し当て、ピンとはじいた。

 

「それよ。もし、私が頑張って短期間で改二になった、それだけの理由でイベント参加を許されたのだとしたら、他の選ばれた艦娘はどう思うかしら? 絶対に不満を持つはずだわ。私はあの子よりも頑張っているのに、どうして私だけがイベントに参加できないのかと」

 

「それは……」

 

「でも、一番頑張って、旗艦にも抜擢された私がイベント不参加にされたとしたら、そう言った不満は封殺できると思わない。この世界にはこんな言葉があるわ、他人が嫌がる事を進んでやる」

 

「中世の文豪ゲーテは言いました、かしら?」

 

 そんな事を荒潮が行ってきたので、満潮は関係ないわよと言いながら腕を組む。彼女たちの話を聞いて、司令官は感心していた。この話をメールで確認したときに、満潮が言ったことが真っ先に頭に浮かんだが、そんな事を思いつく自分の性根の悪さに頭を抱え、真っ先にそのリストから彼女を外そうとしたが、まさか彼女から先ほどのような提案がなされるとは、彼女の成長を感じ、思わず顔がほころんでしまった。

 

「なによ。にやにやしてキモイ」

 

 満潮は司令官を罵倒した。

 

 

 

 居残り組は、駆逐艦満潮、大潮、霰、初春、初霜、そして軽巡長良が選ばれた。彼女らは執務室に呼ばれ、司令官は彼女らを執務室に呼び、頭を下げた後事の経緯を説明し、彼女らに呉に残るようにお願いしていた。

 

「ふむ、良かろう。しかし、わらわは欧羅巴のサラミを食べるのを楽しみにしておったのじゃ、お土産、期待しておるぞ」

 

 そう言いながら扇子で顔を仰ぐうす紫色のひもで縛られた長髪の艦娘は初春型駆逐艦1番艦の初春。なんとなく貫禄のある艦娘で、少し道術めいた事が出来るとかできないとか、そんな噂のある艦娘である。

 

「急遽決まった事だけれど、これは逆にチャンスよ。私達は今まで司令官以外の指揮で戦闘を行う事なんてなかったし、これからもその筈だった。でも、他の司令官の指揮を感じる事は私たちの艦娘としての経験にプラスに働くはずよ」

 

 満潮がそう締めようとすると、長良が私の肩を叩いて、

 

「なーんだ。満潮ちゃん最近頑張っていたのに、イベントに参加できないから、『そうね。私じゃ力不足ってことね』とか言って不貞腐れていると思っていたから、どう慰めようと思っていたんだけれど、安心したわ」

 

 長良型軽巡洋艦1番艦長良は、似ていない満潮の真似をしながらそうコミカルに話してきたので、彼女は若干顔を赤らめる。そして、あたりを見渡すと、周りの艦娘も長良の言葉に同調し、うんうんと頷いていた。

 

 どうやら、彼女たちの中で満潮の評価はイベントに参加できないと不貞腐れるような艦娘と言う認識だったようだ。現実に落胆したが、落ち込みはしなかった。私はすごい艦娘になる、そうなった暁には彼女たちの評価もまた違ったものになっているはずだから。

 

 

 呉を出発する司令官たちを見送った後、満潮達は第1鎮守府に向かうバスに乗せられた。見送りの際に朝潮から、

 

「今からでも間に合います。満潮は今回のイベントに参加するべきです。何なら今からでも司令官に掛け合って私と入れ替わらせてもらうと言うのはどうですか?」

 

 その言葉に、ほんの一瞬だけ頷きそうになった。1か月前に鎮守府を去った彼女も、今回のイベントに参加しているはずで、イベント中に再開し、この1か月の努力を誉めてもらいたい、そんな衝動にかられた。いや、イベントに行けないと分かるまでその事は常に空想していたのである。

 

 しかし、満潮は首を横に振った。

 

「馬鹿ね。私から言い出したことよ。ここで覆したらかっこ悪いじゃない」

 

 そう言って彼女達を送り出した。しかし、あそこで首を縦に振っていたら……そして、そんな妄想をしてしまう自分を恥じ、顔を2回ポンポンと叩いた。満潮に不足しているのは練度ではない、尺度だ。価値観の違いがあの朝潮と満潮の差だ、ならば今回は自分の価値観を見つめ直すいい機会だ。彼女はそう思う事にし、選択による公開を考えないようにしていた。

 

 そのバスの中で、バスの中に乗っていた艦娘に何かチップのようなものを渡された。吹雪型の艦娘の彼女は、私達にそれを配り終えると、

 

「それは、熊本大将の力から身を守るための物です。彼と一時的に軽い縁を結ぶことで、その力の影響から逃れる事が出来ます。付けないと熊本大将が近くを通ると泡吹いて倒れる事になるので、絶対につけておいてくださいね」

 

 と言う恐ろしい事を口にした。それに対して、長良が「なになに? これ、何の遊び」とわたし達の言葉を代弁するような言葉を言ってきたが、たまたま満潮は、新艦娘の素体が鎮守府に運ばれてくるときに、なぜか彼女達か気絶させられた状態で発見されることを知っていたので、彼女が言っている事が真実だと思った。

 

「真偽はともかく、付けときましょう。郷に入っては郷に従え、それがここでのルールなら、従うしかないわ」

 

 満潮はそう言って、他の艦娘にも渡されたチップをつけさせた。

 

 

 

 呉第一鎮守府の裏、そこには木造3階建ての大きな学校が建てられていた。それは建てられてから6年ほどしか経っておらず、比較的新しい校舎である。深海棲艦の発生が確認されたのが2,010年で、その翌年に建てられたらしく、その際に既存の建物を流用する計画だったが、熊本大将の「未来ある若者の学び舎に金を駆けないのは何事だ」と言う鶴の一声で、新造された。

 

 と、吹雪が話してくれた。そして話は続く、2017年8月現在(満潮改二実装時期はもう少し後でしたが、ミスですが、このまま続行します)1年生45人、2年生53人、3年生69人の提督の卵が在籍しており、彼らは中学卒業と同時に全国で実施された提督適性検査で認められたものが全国から集められ、最終的に毎年10人ほどが提督となる。と説明された。

 

 そう言った話を聞いているうちに、目的地に到着した。学校に併設されている艦娘用の宿舎で、ここで演習があるまで待機するらしい。レクリエーションのための施設や、提督能力を持った孤児が集められた施設などが、一か所にまとめられているらしく、中は割とワイワイとにぎやかではあるが、寝床の防音は整備されていると言う話だったので、満潮は安心していた。

 

「ビリヤード、卓球、ダーツ……いろんなものがありますねぇ!! アゲアゲです!!」

 

 大潮ははしゃいで、まるで温泉街のロビーにおいてある若干古臭い遊技機の前に座り、遊び始めてしまった。

 

「全く、……まあ、いいわ。イベントに参加できなかったんだもの。今日ぐらいは遊ばせてあげましょう」

 

 満潮がそう言って呆れていると、小学生くらいの集団が、奥の方でオセロをして遊んでいた。おそらく先ほど聞いていた提督の力を持つ孤児だろう。そして、彼らにオセロの戦い方を教えている艦娘は朝潮だった。

 

「フーン、ここの朝潮姉さんは、子供の世話をしているのね」

 

 そう思って満潮は興味本位で近づいてしまった。

 

「朝潮姉ちゃん、強い。大人げないぞ」

 

「はーはっは!! ドイツ中世の文豪ゲーテは言いました。獅子は兎を狩る時も全力を尽くす。少年よ、わたしの朝潮示現流オセロ術を盗み、そして千尋の谷から這い上がる。さすれば、朝潮示現流伝承者にふさわしい人間になれるのです」

 

 いる筈のない少女が私の目の前にいる。満潮は咄嗟に彼女の肩を叩いた。

 

「ん?」

 

 彼女はそれに反応し、満潮の方を向く、驚いた顔を向けた後、

 

「満潮……改二になったんですか? いや、見違えましたね。よく頑張りました」

 

 彼女は満潮が一番言って欲しい言葉で答えた。

 



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呑まれた結果と

「で、なんで姉さんはここにいるの?」

 

 満潮は彼女らのオセロ対決が終わるのを律儀に待ち、それが終わった後に彼女を宿舎の裏に呼び出した。彼女から以前聞いた話では、元の朝潮が鎮守府に戻ったと同時に、綾瀬大将の下に行ったはずである。

 

「はい、第15鎮守府の裏切りによって、その提督と艦娘に空きが出来たので、新たに艦娘と提督が派遣され、そのまとめ役としてわたしが抜擢されることになったのです。それまでの間、第一鎮守府に仮配属になりました。

 そちらの荒潮には非番が合った時にご飯食べに行ってその事を話したはずなんですが、満潮には伝わっていなかったのですか?」

 

 他にも、本来ならば第一鎮守府の仮配属は2週間ほどで、遅くともイベントが始まる一週間前には新しい提督が着任するはずであったが、その提督が所属している単冠湾がグラーフ達の襲撃により混乱し、イベント終了まで着任を後らされた結果、急遽満潮達がここに呼ばれたという事を話した。

 

「ここの泊地を襲ったグラーフ達が今度は単冠湾に……それで、そこでの被害は大丈夫だったの?」

 

「単冠湾にはオホーツクの巨人と言うなんと公式の出撃概数が0回で大将になったすごい提督がいるそうなので、問題はなかったみたいです」

 

「……多分すごいんだろうけれど、本当に問題ないの? その人、いろんな意味で」

 

 満潮がげんなりとした表情を浮かべ、朝潮は苦笑した。

 

「そこら辺の事情は霞から聞いていないので、詳しい事は分からないのですが、少なくともやばいレベルの裏金で大将になったとかそう言ったことはないようなので安心してとのことです」

 

 彼女との話を聞いて、満潮は少し安堵していた。彼女が言う事を信じるのであれば、朝潮はここ一か月全く出撃も演習もしていないという事であり、満潮と彼女の実力の差は確実に縮められた。そう思えただけでも、この一か月の意義があったそんな風に感じられたのだった。

 

「しかし、意外でした。荒潮から聞いた話では、満潮はこれまでとは比べようもない暗いハイペースに出撃演習を繰り返して練度を上げていったので、イベントに参加しに行っているものとばかり思っていたのですが、司令官も思い切りのいい采配をしますね。それとも、熊本大将の指示ですか?」

 

「どういう事?」

 

「もし単冠湾の襲撃が第15鎮守府に新提督の着任を妨害するものだとしたら、またこの泊地が襲撃される恐れがあるわ。着任する鎮守府が破壊されれば、その期間はさらに伸びる事になる。それをさせないために練度の高い艦娘を泊地に残しておくと言うのが、熊本大将の指示よ」

 

 会話に後方から割って入ってきた霞が、満潮の疑問に答えてくれた。彼女が霞の方を向くと工廠裏の壁にもたれかけていた背を離しゆっくりとこちらに近付いてきた。先ほどまで彼女が気配すら感じる事が出来なかったが、いつからそこにいたのだろか?

 

「霞、満潮がわたしをここに連れてきて、で、姉さん何でここにいるの? と言ったあたりからいましたが、結局会話に参加するんですね」

 

「って!? それほとんど最初からじゃない?」

 

 満潮が狼狽えていると、霞は前進を止め、腕を組んだ。

 

「私も仲間との再会を邪魔するほど無粋じゃないわ。ただ、必要があるまで黙っていただけ。先ほども言った通り、敵はイベントが終わる前の期間のいずれかにこの泊地を攻撃してくる可能性が高い。単冠湾襲撃が無差別なテロ活動でないならね」

 

「ちょっと待って? もし、それが真実ならそもそも泊地の大半をイベントに割かないで、守りを固めるべきよ」

 

 満潮は尤もな意見を言ったのだが、霞は首を振った。

 

「それが出来ない理由は3点ほどあるわ。1つ目はイベント攻略が世界全体の海の安定に最も優先されるべきことである点。イベントの海域の浄化が完全になされなかった場合、そこに現れた深海棲艦が世界中の海に定着する事になる。綾瀬大将の算出では大体3回ベント海域の完全攻略に失敗した場合、現在の鎮守府数で深海棲艦の増大による被害を抑える事が出来なくなるとされているわ」

 

 その話は、満潮はもちろん、朝潮にとっても寝耳に水であった。イベント海域の目的はそこで手に入る新艦娘の艤装や有用な装備が手に入るお祭りのような認識であったし、蓄えた資材や改修した装備を試す場所と言う認識しかなかったからである。

 

「二つ目は、泊地同士のパワーバランスが崩れる為。鎮守府の中にはグラーフ達に友好的な具体的には横須賀、大湊、リンガ、パラオに多いとされているのだけれど、彼らが泊地を攻撃されない事を良い事にイベントに大量の艦隊を送り込み成果を上げ発言権を強め、

逆に他の泊地がグラーフ達に攻め込まれないように少数の艦隊しか送れないとなった場合、結果的にグラーフ達によって彼女たちの信奉者の発言権を強める結果になる。こんなことは許されないわ」

 

 このグラーフの信奉者と言うのは、グラーフ達のテロ活動を容認していると言う意味ではないが、彼女らが艦娘と言うシステムが出来たころに行われた非道な人体実験によって離反した被害者であり、彼女らのテロ活動を止めるために、そう言った行為を禁止するべきと言った主張に賛同する者たちの事である。

 

「最後の3つ目は……今は言うべきではないわね。ともかく、危険な状況であるという事は覚えておいておくといいわ。最も、敵がこの熊手の霞(ミスティング=ベアー=クロー)に直接ケンカを売る度胸があれば、の話だけれどね」

 

 霞はそう言いながら、腕を組んで胸を張っていた。満潮は一体だれがそんなださい二つ名を付けたのかと疑問に思ったが、ひとまずそこは置いておく事にした。

 

「そうよね。霞と朝潮姉さんがタッグを組めば、どんな相手だって怖いものなし。朝潮姉さんはどんな相手にだって一歩も引いた事なんてなかったんだから」

 

 そう言いながら、朝潮の方を向くと彼女は目を伏せ、「ごめん」とポツリと呟いた。そんな朝潮を満潮は見たくはなかった。

 

「ごめんってどういう事よ。朝潮姉さんはいつだってどんな敵とだって前向きに対峙して、いつでも勝利を収めて来た。どうして今回に限ってそんな事を言うの? そんなの朝潮姉さんらしくないわ」

 

 そういきり立つ満潮を霞は制止した。

 

「説明するより見てもらった方が早いわ。そして、その為にあなたを呼んだのだからね。朝潮、艤装の展開を許可するわ」

 

 霞がそう言うと、朝潮の艤装が虚空から姿を現した。が、何か様子がおかしい、艤装は半透明のままであり、数秒たつとパリンと音を立てて消滅した。

 

「何よこれ?」

 

「艦娘は製造されて初めて艤装を装備されてから、艤装と繋がっていない期間が3年を超えると、艦娘としての機能を失う。朝潮姉さんはその期間が2年間。そして、度重なる無茶な戦いの数々によって、艤装との適合率が著しく減少している状態にあるわ。こんな状態で海に出たら、確実に沈むわ」

 

 満潮は衝撃を受けた。彼女の知らない所で朝潮は出撃すらままならない状態になっている。自分の目標として常に追いかける対象でい続けて貰いたい彼女がもう出撃すら出来ない体になっている。その事は彼女に衝撃を与えた。

 

「今度、わたしの提督になる筈の人が一緒にわたし用に調整された艤装をもって来るそうですが、万が一その艤装の展開も失敗したとしたら、いよいよわたしの艦娘人生も終わりという事です。まあ、調整したのがあの綾瀬大将とのことで、その心配はないでしょう。別の心配はありますが……」

 

 朝潮は若干遠い目をしながらそう話している。おそらく彼女も不安なのだろう、自分が戦えない事による罪悪感と自分が戦えなくなるかもしれない恐怖感、後者は満潮にはどうする事も出来ないが、前者の不安を取り除く事が出来る。自分にはその力がある。

 

「大丈夫よ」

 

「えっ?」

 

「どんな敵だろうが、この満潮が全部蹴散らしてやるわ。だから、朝潮姉さんは自分の事に集中して」

 

 満潮は胸をどんと叩いた。それを聞いて霞は満足しながら、「それでこそ、満潮を呼んだかいがあったわ」と、意味深な事を呟いた。

 

「霞? 満潮を呼んだと言うのはどういうことですか?」

 

「熊本大将曰く、今回の襲撃では敵は深海棲艦をけしかけるのではなく、艦娘を使って直接この泊地を攻撃してくる可能性が高い。だから、演習以外で実際に艦娘に砲を向けたことのある満潮が適任だと、言うのが彼の思惑よ」

 

 と言う、酷い選出理由だった。そして、あの時の司令官や荒潮がなぜあんなにも頭を抱えていたのか、理解した。

 

「なるほど。敵は全力でこちらを倒しに来るのに、味方が狼狽えて砲撃をためらうばかりでは数の有利を活かせないですからね。理解は出来ました」

 

 朝潮は朝潮で、その采配に納得しているようである。満潮は自分の感性が若干不安になったが、朝潮の過去の言動や行動を思い出し我に返った。

 

「いいわよ。敵が深海棲艦だろうが、敵の艦娘だろうが要は全部ぶっ倒せばいいんでしょ? いいわよ、やってやるわよ!!!」

 

 その時の満潮は若干自棄になりながらそう叫んでいた。

 



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憧れ

ここは、呉第一鎮守府演習場。満潮がここに連れてこられた真の目的がグラーフの仲間たちの撃退と言っても、表向きの目的である司令官候補の演習は免除されるはずもなく、彼女らは司令官候補の一人と繋がり、演習に向かった。その道中でトラブルが起こった。

 

「おろろろろろ」

 

 満潮の脳内に満身創痍の司令官候補のゲロを吐く音が木霊する。15歳の少年と言うのは提督能力が開眼しきっていない状態で、18歳になるまでにその才能を開花させていくものであるが、その未熟な状態でもその艦隊運用になれる事が望まれる。そうすることによって、提督としての才能が強化される為である。

 

 当然未熟な状態であるので、味方艦が砲撃を受けた際に繋がりが切れたりしても、演習の体をなすために両者ともに高練度の艦娘が付くことを望まれる。が、さすがに演習前のカメラを切り替えるタイミングでまさかリバースされるとは思ってもいなかった。

 

 それでも、繋がりが消えていないのはなかなかの根性ではあるが、これ以上司令官に負担をかける訳にはいかなかった。

 

「全艦、司令官の負傷により、そのサポートが受けられないわ。各自で敵艦を撃破するわよ」

 

 満潮はカメラを自分に戻し、司令官候補に語り掛けた。

 

「大丈夫、ゆっくり深呼吸して。何も考えず、ただ、この繋がりを切らさないようにだけ注意して。実際に砲撃を受けているのは私達、あなたではないわ」

 

 敵艦隊を発見した。6隻編成の水雷戦隊であるが、提督の力の干渉によっていつも通り、敵艦の姿は分からない。どうせサポートが得られないのならば、敵の面すら拝ませてくれないうっとうしい干渉も消えてくれないかしら。満潮はそう考えていた。

 

 そして、あらかじめ設置されているダミーの深海領域の端に接触すると、砲撃戦の始まりである。満潮は敵艦に向かって砲撃を叩き込むが、狙い通りの場所に命中しなかった。もし、敵艦娘が重巡以上の装甲を持っていれば、大破させることは出来なかっただろう。

 

 その刹那、満潮の視界が轟音と共に黒く染め上げられた。

 

 

「あー、どうして敵は的確に私をスナイプしてくるのよぉ」

 

 ここに来てからの初めての演習、満潮達は初戦で敗北した。彼女らは司令官のサポートがない状況で、3隻に砲撃を当て、うち2隻を大破に追い込んだが、敵は旗艦である満潮に砲撃を直撃させ、彼女を大破させて勝利した。

 

「うーん、満潮ちゃん運がないね。は!? もしかして、満潮ちゃん、朝潮示現流の呪いにかかっているんじゃないの? さっき、朝潮ちゃんが朝潮示現流オセロ術とかなんとか言っていたのを聞いたよ」

 

 などと長良が半ば冗談で言ってきたが、それに突っ込む元気が満潮にはなかった。

 

「ごめんなさい、少し風にあたってくるわね」

 

 そう言いながら満潮は食堂を後にした。

 

「むー、長良さん。今の発言、アゲアゲじゃありませんでしたよ」

 

「ええ、長良のせいなの?」

 

 と言う会話が聞こえて来た。風にあたって落ち着いたら長良さんにフォローを入れてあげよう。そんなことを考えながら、工廠裏に行くと、先ほどの司令官候補が体育座りをしながら頭をうずめていた。満潮は彼の隣に座った。

 

「馬鹿ね。俯いてばかりいると、運が逃げるわよ」

 

 満潮のその声を聴き、司令官候補は彼女の方を見た後、再び俯きながらぼそぼそと話を始めた。

 

「笑っちまうよな。君には特別な才能があると言われてここに来たものの、視点を切り替えるだけで目を回してゲロ吐いて倒れるなんて、俺には無理だったんだ。司令官なんて……」

 

 状況は一緒であるとは言い難いが、その司令官候補の姿は満潮自身が落ち込み、数日の間出撃を拒否しているときのあの頃の自分と姿が重なった。放っては置けないと思った。

 

「あんた、そこでやめちゃうの? あんたにはこの言葉を贈るわ。よく言うでしょう、ローマは一日にしてならず。どんな凄い存在も、ずっと前から凄かったわけじゃない。日々の積み重ねがそれを強大にしていくの。あんたは凄い司令官になれるかもしれない未来を裏切るの?」

 

 少なくとも満潮は信じている理想の艦娘になれる未来を、そう自分に言い聞かせるように言った。

 

「すごい司令官、……なれるかな。俺も」

 

「そんな事は誰にも分からないわ。でも、少なくとも成功した人間はそれを信じて努力した人間ばかり。私が言えるのはそれだけよ」

 

 それだけ聞くと、司令官候補は立ち上がり、満潮に対して名前を告げて来た。

 

「あんたは私の司令官じゃないし、名乗られても覚える気なんてないわよ。でも、あんたが本当に理想を信じて頑張れる男なら、覚えるのもやぶさかじゃないわね。それまで、見ていてあげるわ」

 

 その時である。工廠の上から「あーっはっはっは!!」と言うどこかで聞いた事のあるような高笑い声があたりに響き渡り、その主が工廠の上から飛び下りて来たのである。ドカァンと言う音と共に現れたその姿は全身タイツにマント、そして、マントには朝潮示現流免許皆伝の文字、そして、ダンケ仮面と言う文字の書かれたマスク。

 

「わたしは謎の美少女ダンケ仮面2号!! 全ての自信を失ったものの味方!! かつての中世の文豪ゲーテは言いました。健全なる精神は健全なる肉体に宿る。つまり、肉体を鍛える事で大抵の事は解決するのです」

 

「知らないけれど、絶対ゲーテそんな脳筋な事言ってないだろう? いや、知らんけども」

 

 司令官候補はそんな突っ込みを入れて来たが、満潮は納得していた。艦娘として出撃できなくても、彼女の在り方は変わらない。かつて、満潮を救ったように、たくさんの自信を無くした人間を救う。それが彼女の在り方なのである。しかし、彼女に頼る訳にはいかない。

 

「朝潮姉さん」

 

「何のことですか? わたしは謎の美少女ダンケ仮面2号」

 

「彼の事は私に任せてもらえないかしら? ここで、司令官候補一人立ち直らせないようでは、いつまで経っても私の理想の凄い艦娘になる事はできないわ。だから、朝潮姉さんは陰で見守っていてくれない?」

 

 満潮がそう言うと、朝潮はくるりと背中を向いた。

 

「なるほど、満潮。あなたは少し見ない内に、わたしの想像以上の成長を遂げていたようですね。いいでしょう。ダンケ仮面2号の名において、あなたにその人を立ち直らせることをお願いします。それでは、さらばです」

 

 それだけ言うと、朝潮は工廠裏を後にした。

 

「……嵐のような娘だったな。満潮、彼女知り合い?」

 

「……これは誰にも秘密よ。彼女は朝潮、私を本当の意味で救ってくれた艦娘で、私が目標にしている凄い艦娘よ」

 

 その言葉に、司令官候補は怪訝な表情を浮かべたが、それを語る満潮の表情を見て、直ぐにその表情を変えた。そこには、自分の知らないドラマがあったのだろう。そう、彼は思う事にした。そんな風に余韻に浸っていると、霞の怒号があたりに響き渡った。

 

「朝潮ぉぉ!!! アンタまた工廠から飛び降りたわねぇ!!! 危ないからやめなさいって言っていたでしょう!!!」

 

「やめて霞!! 人に向かってベアークローなんか撃つんじゃない!!」

 

 その後、けたたましい轟音と共に、朝潮の悲鳴が聞こえた。後で聞いた事であるが、工廠から飛び降りてはならないという項目がこの鎮守府で艦娘がやってはならない公式リストに項目として追加された。朝潮の行動によって追加された項目はこれで3つ目だと言う。

 

「……すごい艦娘?」

 

「絶対内緒よ。口に出したら許さないわよ」

 

 我ながら、ハチャメチャな艦娘に救われてしまったものである。満潮は自嘲気味にそんな言葉を呟いた。

 



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わたしの日常

 わたしは執務室の机に座り、黙々と書類を整理していく。艤装が使用できないと分かった時から、わたしの仕事は日中教鞭を振るっている熊本大将の代わりに雑多な書類を処理する事である。

 

 艤装が使えないと分かった時はひどく暴れ、不完全な艤装のまま海に着水してそのままドボンと音を立てて海に沈みかけるという事件を起こしてしまった。これがわたしの行動によって追加されてしまった、『艦娘がやってはならない公式リスト』に追加された初めての項目である。

 

 ちなみにもう一つは、熊本大将の着替えを島風服にすり替えておくというモノであるが、彼はそのままその島風服を着て1日過ごしたようである。

 

「お疲れ様、紅茶でよかったかしら?」

 

 そんな事を思い出しながら書類を処理していると、霞がお茶を入れてくれたようである。前の鎮守府でも秘書艦の職務をしていた為、ある程度勝手が分かっていたわたしは、艤装が届くまでの間と言う名目で、秘書官代行を買って出たのである。

 

 本来なら数日で調整が終わる筈だったのであるが、わたしの異常が艤装との同調を阻害しているようである。なんでも、荒潮との細い繋がりをたどり妖精を使って無理やり異常を他人に発現させるという意味不明な荒業を使ったせいで、わたしの艦娘としての力に致命的なダメージが与えられたらしい。

 

綾瀬大将はそう言った艦娘に対しての艤装調整のための装置がある単冠湾でわたしの艤装を調整しているのである。

 

「霞、ちょっと聞きたい事があるんだけれど?」

 

「何? なんでも言ってみなさい」

 

 霞はわたしのテーブルに紅茶を置いた後、秘書官用の机に座り、書類を整理しながらわたしにそう答えた。

 

「満潮に今回の相手はグラーフの操る大量の深海棲艦ではなく、艦娘が乗り込んでくると言っていましたよね。どうしてそう言い切れるのですか?」

 

「グラーフが大量の深海棲艦を使って泊地を襲ったとされる事件はこれまで4件確認されているわ。最初は14年のトラック、15年の単冠湾、16年の横須賀、そして前回17年の呉。おおよそ1年間ほど間隔があいているわ。

 だから、奴が深海棲艦を用意するためには1年間ほどのインターバルを要すると予測されるの。これが理由よ」

 

「なるほど。しかし、そう考えるのは危険ではありませんか? もし、彼女が自分の事を脅威だと思わせないために泊地襲撃の間隔をあえて空けているのだとしたら、今回の襲撃で深海棲艦が大量に埋め尽くされる可能性があります」

 

 わたしがそう言うと、霞は用意してあった紅茶を片手に持ち、こちらを一瞥した後口を開いた。

 

「なるほど、別に疑問に思わなくてもいい事まで疑問を持つのは姉さんにとって幸運なのか不運なのか……ええそうね。グラーフが深海棲艦の大群を集める事が出来る時間は大本営が思っているよりもかなり短い事が予想される。そして、それを警戒させないように1年おきに深海棲艦で泊地を襲わせていることもね」

 

「それならば、それを警戒すべきです」

 

「もし、グラーフがそのつもりなら、奴はその法則を最も私達に大打撃を与えられるタイミング、もしくは奴らが最も望んでいるものを手に入れるために破ってくるはずよ。現に、グラーフが大量の深海棲艦を出した後はほんの少し各泊地の警戒が緩んでいるわ。

 その、たった一回の奇襲めいたチャンスを呉に少し打撃を与える事に使うかしら? もし、そんな短絡的な敵ならばイブちゃんの追撃を何回も振り切る事なんかできない筈よ」

 

 そこまで説明されて合点がいった。続けて霞はその後に、本当に呉を襲撃してくる可能性は低い事を話した。具体的には提督が多めにイベントに参加しているとは言っても、提督の卵たちを含めれば各鎮守府で最大数の提督を所有している事。少なくとも霞と朝潮と言う異常艦娘を相手にしなければならない事(わたしの艤装が使えなくなっている事はおそらく敵には伝わっていない。仮に伝わっていたとしても何らかの罠だと警戒するだろう)。

 

 そして、敵の本当の目的が新生第15鎮守府を結成させない事なのだとしたら、着任する場所よりも着任する提督を狙う事の方が確実だろう、現にそうやって前回単冠湾に襲撃があった。と、いかに襲撃の確率が低いかを説明してくれるが、わたしの不安を取り除いてはくれなかった。

 

 そんな事を話している間に、今回の執務は終了した。

 

「さて、本日の執務は終了。それではわたしは満潮達の様子でも見て来る事にします。それでは、熊本大将によろしくお伝えください」

 

「ちょっと待ちなさい」

 

 わたしが執務室を飛び出そうと立ち上がったところを、霞が引き留めた。何か、別の書類でもあるのだろうかと身構えていると、霞はこちらに向きなおり、真剣な表情をして口を開いた。

 

「姉さん。一つ約束して。もし仮に敵が侵入して、その敵によって万が一満潮達に重大な危機が訪れたとしても、姉さんは彼女たちを助けるために出撃しない事。約束よ」

 

「なんだ、そんな事ですか? 大丈夫です。今の状況で艤装を展開して海に入ったらどんな事になるのかは、経験済みです。わたしが行って事態が改善するのならまだしも、事態が悪化する事はわたしも行わないです。中世の文豪ゲーテは言いました。勇猛と無謀を混同してはならない」

 

「ふん、分かっているのならいいわよ。余計なこと聞いたわね」

 

 確かに出撃は不可能である。しかし、霞には伝えてはいないが、陸で主砲を撃つくらいは出来るのではないか、そんな事を考えていた。

 

 

 満潮達は日中に演習をこなし、夕方から提督の卵との訓練を行うというハードスケジュールをこなしていた。最初は満潮一人で同調訓練を行っていたが、その様子を見ていた他の艦娘も訓練に参加してくれた。満潮が彼女らにお礼を言うと、

 

「中世の文豪ゲーテはこんな言葉を言いました。一人ではアゲアゲ、みんなでやればアゲアゲアゲアゲです。私も演習でやられっぱなしは悔しいので、頑張りましょう」と大潮。

 

「司令官から、満潮が暴走しそうな時に、お目付け役として言われていたんだけれど、仕方ない。別に、悪いことしているんじゃないものね」と長良。

 

 他の艦娘も、満潮に協力してくれるようだった。その数時間後、霞が満潮達の下に書類を持ってきて、

 

「第1鎮守府の演習場を使いたい場合はこの紙に必要事項を記入して提出しなさい。使用できるのは原則として午後5時から7時までの2時間、それ以上は認められないわ」

 

 そう言って去っていった。おそらく、朝潮が演習場を使えるように掛け合ってくれたのだろう。その甲斐もあって、訓練開始から一週間後の今日、遂に満潮達の艦隊は記念すべき初勝利を収めることに成功した。

 

「満潮、ありがとう。君のおかげで俺は演習で初めて勝つ事が出来たよ」

 

 彼は満面の笑みを浮かべて満潮にお礼を言った。彼女は少し笑みを浮かべたが、ハッと気づいて表情を戻し視線を逸らした。

 

「ふん、私達の練度なら当然よ。このくらいで調子に乗られては困るわ。ここからは全勝で行くわよ」

 

 そう言ってみんなに活を入れながら特訓は再開された。特訓の相手は第一艦隊の精鋭で、提督は熊本大将である。さすがに霞は艦隊には入っていないが、満潮の艦隊の荒潮レベルの練度を持つ艦娘が6隻、彼女らに戦いのコツやら艦娘に合わせた癖を見抜いてそれに合わせた照準の調整やらを聞き、演習を行う。

 

「しかし、特訓にいきなり熊本校長が来た時はびっくりしたよ。まあ、初日はゲロ吐いてあんまり覚えていないけれど」

 

 彼がそう言って満潮に話しかけると、

 

「私は未来ある提督の卵を立派な提督にする義務がある。もし、そんな子供たちの一人が実力が足りないから特訓したいというのは立派な事じゃないか。そんな君に私も微力ながら手を貸したいと思ったのだよ」

 

 いつの間にか彼の隣に熊本大将が移動して話を始めたのである。満潮も彼も他の艦娘も熊本大将の接近に気づかなかった。

 

「大将いつの間に!?」

 

「具体的には、ふん、私達の練度ならと満潮が言った時ぐらいですかね。中世の文豪ゲーテは言いました。男児、三日会わずば、刮目してみよ。その倍以上の期間、1週間特訓を重ねたのです。わたしの知る彼とは別人になっているようですね」

 

 そう言いながら満潮の隣に朝潮が現れた。

 

「それって、ほとんど最初からじゃない。と言うか、二人とも気配を消して近付くのをやめてよね。びっくりするじゃない」

 

「ふふふ、これが朝潮示現流兵歩術、朝水月。敵の視覚から回り込み、まるで突然現れたように錯覚させる朝潮示現流の技です」

 

 朝潮は、艦娘の戦闘においてどこで役立つのか分からないような技を披露しながら胸を張っている。

 

「おおそうだった。朝潮ちゃんに満潮ちゃん。この訓練が終わったら、ちょっと執務室によってくれないか。ちょっと面倒なことになってね」

 

 熊本大将はそう言って演習場から去っていった。

 

「わたしが執務室から出て2時間、何やらよからぬことが起こってしまったようですね」

 

「仕方ないわね。みんなは先に行っていて。私も熊本大将の所によったらすぐ行くわ」

 

 朝潮が漠然と感じていた予感が的中してしまうのだろうか。

 



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熊手のいない間に

満潮と朝潮が執務室に入ると、熊本大将と霞がホワイトボードに日本地図を張り付けていた。

 

「あら? 早かったわね。ちょっとまずい事になったわ。これを見て頂戴」

 

 霞はそう言いながら日本地図に文字を書きだした。場所は舞鶴泊地と朝鮮半島を線で結び、大体その真ん中くらいの場所にバツ印を書いた。そこは、イベント海域に向かうための通り道であり、そこからシベリア鉄道を経由してヨーロッパまで移動したのである。

 

 つまりそこを抑えられてしまうと、提督たちは帰り道にその海域を奪還するための資材やバケツを残さなければならず、イベントの突破率に大きく影響することになる。故に、その憂いを払うため、早急にその地点を占拠した敵を排除する必要がある。

 

「それで、ここの敵を排除するために、舞鶴の松島中将から熊本大将に応援要請が来たという訳。敵は深海棲艦の群れが5000ほどと聞いているから、明け方には戻ってくるわ」

 

「待ってください。これは敵の罠かもしれません。だれか、他にそこを奪還できる戦力は残っていないんですか?」

 

 朝潮がそう言うと、霞は若干表情を曇らせ、

 

「私達と同じくらいの短期間でと言う意味では単冠湾のオホーツクの巨人と、横須賀の鶴崎大将が残っているわ。でも、単冠湾を開ける訳にはいかないの。もし、本当に今回の深海棲艦の襲撃が偶然出ないとしたら、これは単冠湾からオホーツクの巨人を引きはがすものであると推測されるわ。後は横須賀だけれど、彼は国の中枢機関の最終防衛ライン、元帥2人を説得しなければ動かせないし、その時間もない」

 

 呉に殺到した深海棲艦十万隻を3日間で殲滅した過去があるためこの5000と言う数は少し見劣りしてしまうかもしれないが、2010年の深海棲艦初上陸、いわゆるファーストコンタクトと呼ばれる沿岸部人口の約半分が失われた戦いにおける深海棲艦の数は日本全土で約1万隻と言われており、放置するわけにもいかない数である。

 

「なるほど、分かったわ。要は、霞たちが戻るまで泊地周辺の警備に当たればいいのね?」

 

「いいえ。警備自体は泊地に残っている二人の提督に任せてあるわ。満潮、あなたにお願いしたいのは、もし、敵が深海棲艦ではなく艦娘だったときに、その艦隊を足止めする事。一応、他の艦娘には住民をシェルターに避難誘導させているわ。避難訓練と言う名目でね」

 

 それを聞いて、朝潮が胸をドンと叩いた。

 

「それならば、わたしにお任せください。自慢ではありませんが、わたしは艦娘相手に実弾を使った経験が4回ほどあります。海には出れないかもしれませんが、陸上から砲撃を浴びせるくらいはしてみせます」

 

 おそらくそんな事を言いたかったのだろうが、それを言い終わる前に霞が彼女の襟元を掴みかかり締めあげたためにそれは叶わなかった。

 

「どうせ朝潮姉さんはそんな事言うと思ったわよ!! アンタをここに呼んだのは、状況をきちんと説明しないと、避難場所から抜け出して、艤装を使うに決まっていると思ったから!! アンタは避難場所でおとなしくしていなさい!!」

 

「状況が変わりました。残っている部隊は艦娘との実弾での戦闘経験があるんですか? わたしは知っています。高練度の艦娘が震えて泣き叫ぶ様を、彼女らは艦娘に対して実弾を使った罪悪感で後遺症に苦しむことになった。満潮もその一人です。

 霞が大体の艦娘を相手にしてその取り逃した艦娘の動きを止めるくらいだと、そう思ったからわたしは満潮の戦闘参加を反対しなかったのです。霞が戦闘に参加できない以上、わたしが霞の代わりをするのは当然です。違いますか?」

 

 朝潮は霞の腕を振り払いそう言い返す。彼女の発言を聞いて満潮は合点がいった。なぜ彼女が今まで満潮達が危険な任務に就かされようとしているのにもかかわらず、表立って反論しなかったのか。満潮達を全面的に信頼していたのではなく、危険が少ないと判断していたのだ。

 

 その前提条件が崩れたために、今頃になって彼女は霞に食って掛かっているのだと。

 

「朝潮姉さん」

 

「満潮も霞に言ってやってください。危険すぎると、それに成功しても……」

 

「朝潮姉さん。信じて」

 

 満潮はそう言うと、朝潮の手を握り、もう一度信じてと言った。

 

 

「すいません。知らず知らずのうちに、わたしは傲慢な考え方に支配されていました。この状況をわたしならばなんとかできる。そんな感情に支配され、もっと大事なものを見失っていました。何も前線で戦うだけが戦いに貢献する事ではないですよね」

 

 そう言いながら朝潮は机の上にあるこの海域周辺の地図を手に取り何やらぶつぶつと呟き始めた。

 

「全く、避難所でおとなしくしておきなさいって言っているのに……いいわ。留守の間朝潮姉さんに臨時の秘書艦を任せるわ。ただし、姉さんが無茶しないように、お目付け役として白雪を付ける。それで、満潮達の艦隊を指揮するのは……」

 

 その時である。朝潮が満潮の肩に飛び掛かり、そこに乗っていた何かを捕まえたように見えた。実際はそう言う風な動作をしただけであり、何も捕まえてはいないのだが、彼女の奇行を咎める前に、扉に何かが叩きつけられる音と、聞き覚えのある悲鳴が聞こえた。

 

「アンタ、いったいそこで何をしているの」

 

 そこには、先ほど分かれたはずの提督の卵の姿があった。

 

「熊本大将。先ほどの話は本当なんですか? 満潮達がこの泊地を守るためにここに呼び出された事と、そして、この泊地を襲う敵が同じ艦娘かも知れないという事」

 

 どうやら、部屋の前ですべての話を盗み聞きしてしまったのだろう。そして、特訓し見違えるように成長したとは言ってもまだ提督の卵。そんな彼が分不相応の事を言い出す事を満潮は予感した。

 

「やめなさい。○○!! アンタは今自分の実力に見合わない事をやろうとしている。それ以上口を開いたらもう戻れなくなるわ」

 

「熊本大将。俺が満潮達を指揮します。俺に任せてください」

 

 彼のその言葉を、満潮は止める事が出来なかった。

 



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朝潮示現流の呪い再び

 霞は舞鶴行きの列車の中で、赤く腫らした額を抑えながらふくれ面をしていた。提督の卵が満潮達の指揮を執るという重要な役目を名乗り出た時、霞は無理だと判断した。彼がすさまじいスピードで成長を遂げている事は彼女も認めていたが、それでも残っている提督の卵たちの中で実力は中ぐらいで経験が足りない。一時の感情に流されてそう発言しただけだろう。

 

 そこで、彼女は彼に満潮の艤装を展開させた後、自身も艤装を展開し、満潮の主砲を自らの額に当てた。

 

「もし、本当にそのつもりなら止めないわ。しかし、あなたにその資格があるならね。引き金を引きなさい」

 

 そう、敵は艦娘。実弾を艦娘に向けるかもしれない。その覚悟が決まっているはずがない。いや、頭で分かっていたとしても行動が伴わないだろう。しかし、次の瞬間、霞の額に衝撃が走った。咄嗟の事で、朝潮も止める暇もなく、もし撃って来たとしたら瞬間的に頭を引いて弾丸を摘まみ取ろうと思っていた彼女としても予想外であった。

 

「覚悟はできています。もし仮に、立ちふさがるのが熊本大将だったとしても俺の心は揺るぎません。満潮の力になる。それが、俺が彼女に出来るたった一つの恩返しなんです」

 

「なるほど、君の覚悟は本物のようだ。霞、異論はないな」

 

 などと、熊本大将が締めようとするが、至近距離から額に弾丸を食らってのたうち回らないように霞は必死だった。

 

「撃てって言ったけど!! 本当にすぐ撃たないでよ!!」

 

 霞はそう叫びながら執務室を後にした。

 

 

 と言う一連の流れを思い出し、腹が立って来た。しかし、万が一敵が彼らの眼前に現れたとしても、彼等ならばうまく乗り越えてくれるそう確信し、微笑を浮かべながら、仮眠をとる事にした。

 

 

 わたしは満潮とその司令官の覚悟を受けて、秘書艦代理としての執務を全うすることにした。呉周辺の人工海域を封鎖し、残っている2提督をそれぞれ別の移動鎮守府艦に乗せて下関周辺と佐賀関半島周辺を守らせ、定期的に報告させる。敵がどちらの方向から責めて来たとしても敵を発見した後緩やかに後退させ出来るだけ時間を稼ぐというのが熊本大将の案である。要は霞たちが敵をせん滅し帰投する約6時間耐えれば、こちらの勝利である。

 

と言ったものの、すでに2時間が経過しており、満潮達と支援砲撃部隊をいつでも出撃できるように待機させて入るが、霞の言ったように杞憂に終わりそうである。

 

「こちら、第一鎮守府秘書官代理の朝潮です。下関の輪島提督聞こえますか?」

 

「はいはい。聞こえているよ。この分だと、熊手のおっさんの心配は杞憂に終わりそうだな」

 

 わたしは苦笑しながら肯定した。

 

「そうですね。しかし、万が一と言う事もあります。引き続き下関に深海棲艦、もしくは不審な艦娘が通らないか警戒をお願いしますね」

 

「了解。そう言えば、一時間ほど前に、ここに来る前に熊手のおっさんが呼んでいた応援の提督がここを通って行ったけど、そろそろ着いたかい? もしかしたら、熊手のおっさん伝え忘れていやしないかと思ってな」

 

 そんな話は聞いていないし、熊本大将から作戦を聞いた時も2提督以外の提督を使う案を出されたわけでもない。わたしは彼に詳しく話を聞く事にした。

 

「応援の提督? それは熊本大将から電話か何かで言われたんですか?」

 

「電報だったけれど、どうかしたのかい?」

 

 その瞬間、朝潮の脳内に衝撃が走った。例え、敵が何隻で来ようとも、どこかのタイミングで中大破させてしまえば脅威ではなくなる。故に、支援砲撃を撃ちながら後退させるという策を弄すれば、突破は不可能だろう。そう考えていた。

 

 しかし、敵が堂々と鎮守府艦を使って乗り込んでくるとしたら、支援砲撃の打ち合いになり、こちらの優勢はなくなる。

 

「輪島提督、一部隊残して第一鎮守府に戻ってください。その、応援の提督、敵の可能性があります」

 

 最悪の事態になった。朝潮はサイレンを鳴らし、民間人及び、戦闘に参加しない提督の卵たちの避難を開始した。そして、10分後……。

 

「すまない、朝潮ちゃん。応援の提督は敵だったようだ。奴ら海域周辺に機雷を設置していきやがった。暗闇で機雷を除去しながら進むから、おそらく間に合わねぇ」

 

 と言う最悪な返事が返って来た。佐賀関半島の提督を呼び寄せるか、いや間に合わない。もし、彼らが到達するまでにわたしたちが全滅してしまったら、呉を壊滅させられたのちに救援に呼んだ提督が待ち伏せに会い、呉はその機能を失う事になる。

 

「朝潮ちゃん、これは?」

 

 わたしが頭を抱えていると、第一鎮守府の古参の一人である白雪がサイレンの音を聞きつけてやって来た。

 

「白雪ちゃん。満潮達に伝えてください。敵は鎮守府艦に乗ってやってきます」

 

 それはほとんど死刑宣告のようなものであった。

 

 

 白雪からその知らせを聞いた時、満潮は苦笑した。

 

「なるほど、朝潮示現流の呪いってやつね。ここまで来ると笑えて来るわね」

 

「満潮ちゃんごめんなさい。こんな事になるなんて、こんな事なら霞ちゃんを行かせなければよかった。そうすれば」

 

 白雪はそう言って謝罪してくるが、言い終わる前に満潮は彼女を遮った。

 

「全く、霞も朝潮もあんたも、敵が攻めて来る事は分かっていたんでしょう。それが、少しばかり状況が悪くなったからって何よ。自信を持ちなさい、この世界にはこんな言葉があるわ。吾輩の辞書に不可能の文字はないってね」

 

「満潮ちゃん」

 

「さあ、アンタがやらなきゃならない事は、ここで謝罪する事? 違うでしょう? この状況に一番責任を感じてる朝潮姉さんの所に行ってサポートしてあげて、後の事は私達に任せなさい。あいにく地獄には慣れているわ」

 

 満潮はそう言って白雪を送った。

 

「全く、我ながらかっこつけすぎよね。私も、司令官も」

 

「おやおや、その格好つけすぎの中に童たちは入っていないのかえ」

 

 白雪との少し恥ずかしめの会話を聞きつけたのか、初春たちが満潮の方によって来た。

 

「全く、提督がこの状態を聞いたらなんていうのか、満潮ちゃんに男が出来たなんて」

 

「はぁ!? そんなんじゃないし」

 

「えっ、違うの!?」

 

 満潮は赤面し、艦隊の皆はにやにやと彼女に笑みを投げかけてくる。面白そうなおもちゃを見つけた時の緊張感のかけらもない顔だった。

 

「とにかく!! ここから先にあるのは地獄よ。もし、それについてこられない様なら名乗り出て頂戴」

 

「何をいまさら、みんなやっつけてアゲアゲになっちゃいましょう」

 

 満潮は少しそっぽを向いたが、苦楽を共にした仲間たちを見て、私は彼女達と仲間でよかったと心の底から思っていた。

 



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第一鎮守府前の攻防

 呉の侵入者の報告が霞のもとに届いたのは、舞鶴に入り出撃の準備をしている最中であった。状況は考えうる限り最悪で、電報を改ざんされ警備の油断を突かれ敵が呉近海に侵入しおよそ10分後には第一鎮守府との交戦が予想される。

 

 そして、下関を警備していた提督とは分断されて救援は絶望的。仮に今から霞が戻ったとしても、戻る前に敵を撃退したにせよ全滅させられたにせよすべてが終わった後である事は明白だった。霞は数分前に談笑していた一人の艦娘に声をかけた。その艦娘は特型駆逐艦の磯波でおさげが特徴的な引っ込み思案な艦娘であり、彼女が待機している舞鶴第16鎮守府の秘書艦である。

 

「磯波、さっき、深海棲艦との戦い方の手本を見せるって言ったわよね」

 

「はい。えっと、最強の艦娘と名高い熊手の霞の戦い方を見て、勉強させてもらいます」

 

 そう言いながら、キラキラとした眼差しを向けて来た。霞はそれを一瞥した後視線を逸らし、

 

「ごめん。今からの戦いは参考にならないわ。今日の戦いは忘れなさい」

 

 それだけ言うと、霞は海に向かって走り出した。彼女の言っている意味を磯波は理解できなかったが、理由はすぐに判明した。彼女が着水した後身をかがめると、沖合数キロ先にいる筈の深海棲艦前線に瞬間移動したのである。少なくとも磯波にはそうとしか思えなかった。

 

 そして、面食らっている深海棲艦に無慈悲な手刀が繰り出され、数十体の深海棲艦が手刀とそれに伴う衝撃波でバラバラになる。

 

「あれは! …提督、彼女は一体何なんですか?」

 

 磯波は繋がっている司令官に向かって疑問を投げかけた。いや、ほとんど独り言のようなものではあったが、答えてくれないと彼女自身の常識が崩れ去りそうで、それに対して恐怖を抱いていた。

 

「あれは、熊手の霞の熊手の爪(ベアークロー)。艦娘の艤装は重力を操作して浮力を得ているのだが、出力の一部をコントロールして手刀の圧力で飛ばすことによって、絶大な威力を得る事が出来る。かつて呉に集結した100万を超える深海棲艦をたった一隻で沈め切った彼女の得意技だ」

 

 とか言う、いったいどこの戦闘系少年漫画の主人公みたいな設定を司令官はベラベラとしゃべり始めた。もし、磯波が霞の起こした不可解な現象を見ていなかったとしたら、司令官の正気を失っていただろう。

 

 ともかく、舞鶴で起こった事実だけ話すと、周辺に展開していた深海棲艦の群れは30分経たずに一隻残らず海の藻屑と消えていた。

 

 

 ついに運命の時がやって来た。わたしたちに目視できる位置に鎮守府艦が姿を現したのである。支援砲撃の射程まであと500。鎮守府には最大4艦隊分の出撃能力があり、その内3艦隊を支援砲撃として使用できる。支援砲撃とは艦娘6隻分の艤装エネルギーを砲塔に集中して打ち出すという機構であり、離れた敵に対して使用するのが常であるが、第2の使い方として迫りくる深海棲艦に至近距離で当てるという第2の使い方が可能である。

 

 一応、鎮守府周辺を守るシールドはその主砲に何発か耐えられるような設計にはなっているが、鎮守府同士の支援砲撃の打ち合いなど前例ないので、実際何発でシールドが機能停止するのか誰にも予測できない。

 

「まったく、朝潮示現流の呪いを防ぐために鎮守府のほぼ全員に朝潮示現流の事を吹聴してのがまずかったのですかね。それとも、……」

 

「今はそんな事を言っている場合じゃないよ。もう後2分程度で敵の射程に入るわ。腹をくくりましょう」

 

 白雪がそう言ってわたしの事を心配してくれているようだった。悲観している場合ではないなと顔を上げて支援砲撃部隊に砲撃開始の合図を送ってもらうために白雪の方に向き直った時に、彼女の肩に妖精が止まっていることに気づいた。

 

「まずい。白雪」

 

 これを失念していた。敵は提督を伴っている。そうであれば、妖精を飛ばしてこちらの行動を筒抜けにするためのスパイ妖精をこちらに向かって放っていてもおかしくはない。朝潮の見立てでは妖精を動かせる距離は艦隊に余生を取りつかせていない場合は100メートルほどが限界だとそう思っていたので、その可能性に気づいていなかった。

 

 わたしは白雪の肩に乗っている妖精を握り潰した。すると、近くにおいてあった段ボールの中から、12歳くらいの少年が姿を現した。その子は、この前わたしが朝潮示現流オセロ術を教えていた少年だった。

 

「君……どうしてここに、避難しなきゃダメでしょう。お姉さんと一緒に行こう」

 

 しかし、次の瞬間、敵の鎮守府艦から爆音と共に主砲が浴びせられた。それはおそらく熊手砲が置いてある塔の下部に着弾し、その衝撃と爆発音、そしてバリアが消費されたガラスを割ったかのような甲高い音が同時にわたしたちを襲った。妖精に気を取られ、敵に先制攻撃を許してしまった。わたしは無線を取りだした。

 

「第1艦隊出撃、第2から第4艦隊は支援砲撃発射!!」

 

 それだけ言うと、白雪の方に向き直り、

 

「駄目です。敵艦は支援砲撃を撃ってきます。その少年をシェルターに避難させることは出来ません。この建物の中で一番安全なところに避難させてください」

 

「いやだ。僕はお姉ちゃんを助けるために来たんだ。熊本のおじさんがいないから、今はお姉ちゃんが敵と戦うんでしょう? 僕も戦うよ」

 

 と言う駄々をこね始めた。

 

「朝潮ちゃんを困らせてはダメ。さあ、行くよ」

 

「待ってください」

 

 その時である。朝潮の脳内に一つの可能性が浮かんだ。そして、それを打開するには司令官の協力がいつ用不可欠であることを……。

 

「君、本当にわたしたちを助けてくれるんですか?」

 

「朝潮ちゃん……何を」

 

「白雪ちゃん。指示は第2から4艦隊を次の艤装に交換後、準備出来次第敵の鎮守府艦に砲撃。わたしはやらなければならない事が出来ました」

 

 そう言って朝潮は執務室を去った。彼女の心配が杞憂に終わる事を祈りながら……。

 

 

 

 満潮達は第一鎮守府と敵鎮守府艦の丁度間くらいの海域で敵と遭遇した。敵は駆逐5軽巡1の水雷戦隊。夜の闇によって遠距離攻撃が機能しない時間帯を狙っているので妥当な判断である。そんな事を考えていると、司令官から通信が飛んできた。

 

「満潮。聞こえているかい? 俺たちの仕事は、敵の第一艦隊と交戦し、それを撃破後に敵鎮守府艦に乗り込んで敵艦隊のいずれかを無力化する事。そうなれば、支援砲撃の数が優勢になる」

 

「分かっているわ。つまり私たちの勝敗がそのまま全体の勝敗に直結する。そう言う事よね。全く、敵も私たちをずいぶんコケにしてくれたじゃない。全艦砲撃用意。撃てぇ!!」

 

 満潮達はこの日のために司令官との特訓の後、熊本大将から艦娘に実弾を使う訓練を行わされていた。これによって艦娘を撃っても軽い吐き気程度で済むようになっていた。

 

 故に、敵は反撃を受ける筈のない艦娘たちからの砲撃によって面喰い、3隻に主砲が命中し、爆発大破。こちらは無傷と言う圧倒的有利な立場に立つことが出来たのである。

 

「よし、ここで一気に決めるわよ。全艦突撃!!」

 

 満潮が叫んだ瞬間、彼女は少しバランスを崩した。艦娘に実弾を使う訓練と言っても、相手が霞で彼女はほとんどかすり傷もしないような圧倒的艦の良さでこちらの攻撃をことごとく躱したので、実際に大破させて傷を負わす事には慣れていなかった。

 

 しかし、それが功を奏した。右前方から放たれた何かによって、満潮はそれの直撃を免れたのである。しかし、其の爆発の余波で彼女たちは吹き飛ばされ、長良、初春は大破した。

 

「いったい何よ……あれは!!」

 

 それはもう一つの鎮守府艦であった。呉第15鎮守府の鎮守府艦。提督が裏切ったので、その機能は停止させられていたが、新しく着任する提督のために簡単なロックを掛けただけにしていたようで、敵はそれを利用したようだった。

 

 つまり、侵入したのは一隻の鎮守府艦だったが、そこには2人の提督が乗っていたのである。それを理解できなかった私たちのミス。敵は第一艦隊を囮にして私たちを海域のど真ん中で孤立させるのが目的だったのだ。

 

 そして、無慈悲に満潮達に向けて支援砲撃第2射が照準を合わせる。

 

「ここまでなの……何もなせぬまま、ここで沈むの……」

 

 満潮が絶望し、意識を手放そうとした時、放たれた支援砲撃を第一鎮守府から放たれた何かが弾き飛ばし、そのまま第15鎮守府に大穴を開けた。耳をつんざく破裂音は海面を空をともかくそこら一体のすべてを呑み込み、第15鎮守府艦は本来の主に会う事もなくその身を海底に沈めた。

 

「今のは……」

 

 司令官は狼狽えている。敵艦は後退し、熊手砲の視覚になるような位置に移動し、それに乗じて満潮達も第一鎮守府に一時帰投した。

 

「あのバカ……」

 

 あれは、絶望の危機に瀕したときに一度、満潮達を無敵の回避能力を持つ夕立から救った朝潮の得意技、荒潮が未来を作る一撃(ヴィクトリーストライク)と名付けた砲撃であった。

 



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未来を繋いだ代償

霞が呉の現状について知らされたのは、舞鶴に集まっていた深海棲艦を全滅させた直ぐ後の事であった。

 

「霞ちゃん、聞こえる?」

 

 呉からの電話の電話口に白雪が出たため、朝潮も敵を捌くのに四苦八苦しているようであるが、電話をかけて来たという事は敵に攻勢も一時期落ち着いたのだろうと一先ず安心していた。

 

「白雪、今回は朝潮じゃない様ね。まあいいわ。報告しなさい」

 

 しかし、白雪の報告を聞き、霞は絶句していた。侵入した敵の中に提督が二人おり、片方が第15鎮守府のセキュリティーを解除して二隻で第一鎮守府に攻勢をかけて来たという、絶望的な報告がなされた。

 

「はぁ!? それでどうやってその二隻を捌いたの? まさか、もうみんな捕虜になってしまったなんて言うんじゃないわよね!!」

 

「違うよ。第15鎮守府の砲撃が第一艦隊に支援砲撃を浴びせるその瞬間、朝潮ちゃんが熊手砲を使って第15鎮守府を沈めたの。そんな事が出来るなんてすごいよね。それで、敵も熊手砲の射程に入らない位置に移動して……」

 

「朝潮は……?」

 

「どうしたの霞ちゃん?」

 

「今すぐ朝潮の所へ行きなさい!!!! あんな状態で熊手砲なんか撃ったら死ぬわよ!!」

 

 霞の怒号があたりに響き渡った。

 

 

 わたしが目を覚ますと、そこは見知った天井だった。第一鎮守府に来た時に艤装の調子を確かめるために水面にジャンプしてそのまま気づいた時にはこの入渠ドックに寝かされていた。

 

「いやぁ、危なかったですね。両腕粉砕骨折に、眼球破損、全身複雑骨折。その他もろもろで後数分入渠ドックに入れられるのが遅かったら死んでいるところでした。何とか体の傷は完治しましたが、艤装の方はまだリンクを保てているのがやっとと言う感じで、今度艤装を展開すると間違いなく崩壊するので気を付けてください」

 

 整備担当のピンク髪の艦娘である明石からそんな事を言われながら、ここに運ばれた経緯を思い出そうとしていた。

 

「明石さん。朝潮ちゃんが目を覚ましたって」

 

 何も思い出せず、焦点の合わない瞳で天井を眺めていると、一人の少女が入渠ドック室に入って来た。名前は確か……。

 

「白雪……わたしは上手くやれましたか。熊手砲は!?」

 

 急速に現実に引き戻された。私はここに運ばれる前、熊手砲を構え、新たに表れた第15鎮守府艦に狙いを定めその支援砲撃が放たれる、わたしの異常が発揮されるタイミングを狙って引金を引いたのだ。引いてからの事は覚えていない。

 

「大丈夫。第15鎮守府艦は撃沈。もう一方の敵鎮守府艦は熊手砲の射程から身を隠すように移動したわ。もう大丈夫」

 

「大丈夫ではありません。絶望的な状況を五分に戻しただけです。敵はすぐにでも出撃スロットすべてを使い、艦隊をここに差し向けてきます。敵が鎮守府艦を差し向けられない理由である熊手砲を破壊するために!! ありったけの対艦娘にも使用できる罠を用意してください。そして、わたし以外の全員は別館に移動、熊手砲のあるこの本館にはわたし以外はいらないようにしてください」

 

 わたしは立ち上がり工廠に急いだ。

 

 

 敵が4部隊すべてを突撃させてくると言う朝潮の予言通り、第一鎮守府からは見えない位置から艦娘の部隊が突撃してくるのが確認できた。編成はいずれも戦艦1の駆逐5。戦艦一隻を盾にしながら少しでも突破率を上げるための編成である事が読み取れる。それに対して満潮達一部隊と支援砲撃でこれを食い止めるほかない。

 

「いい。ここからが正念場よ。さっきは囮のために練度の低い艦隊をぶつけて来たと予想されるけれど、今回はそうではない筈。気合入れていくわよ」

 

 満潮が気負っている理由は本館に残った朝潮の事である。もし、彼女の狙い通り、本館の熊手砲を破壊しに敵が侵入した場合、彼女が敵を足止めすると申し出た為である。

 

 その理由は別館に第2から4艦隊の設備を移動したがために、それを守るための戦力が必要であり、現在艤装が使用できない朝潮は別館に行ったとしても戦力として役に立たない事。もう一つは狭い空間ならば朝潮示現流の力をフルに発揮して十分な足止めが出来る事である。

 

 それに当然満潮は反対したが、

 

「満潮、信じますよ。満潮達がほとんど敵を退けてくれて、わたしの出る幕がなくなる事を。かつての中世の文豪ゲーテは言いました。信じる者は救われる、満潮達の事、わたしに信じさせてください」

 

 などと言われては、彼女に肯定せざるを得なかった。

 

「そうじゃ、敵はたかが4艦隊。数自体は4倍じゃが熊手砲を警戒して艦隊同士の間はかなり開けておる。一艦隊と4回戦うと考えればそう悲観した話でもあるまい」

 

 初春も先ほど不意打ち気味に大破を食らってその仕返しをしたいのか、そう言って艦隊を鼓舞している。そうこうしている間に最左にいる敵艦隊と会敵した。

 

「各艦、砲撃準備。うてぇ!!」

 

 司令官の合図とともに一斉に砲撃を加える。敵艦隊は全員戦艦の艦娘の後ろに隠れているようで、他の艦娘に当てることは出来なかったが、戦艦は大破させて航行不能に陥らせた。そして残りの敵艦娘は全速力でこちらに向かってきたのである。

 

「そうね。そうするしかないわね。盾を失った以上、支援砲撃に狙い撃ちされないためにそうするしかない。でも、そんな近くに来たんじゃ目を瞑っていても当たるわ」

 

 こうして第2射が的確に敵艦隊を貫くが、敵はバルジを装備していたようで、攻撃能力を失わせるに至らなかったが全員中破させることに成功した事で、彼女らは勝利を半ば確信していた。

 

「いけない。全員、離れて!!」

 

 その異変に気付いたのは長良だった。しかし、遅かった。敵の目的は支援砲撃から逃れる為ではなく、満潮達の艦隊を無力化する事にあったのである。

 

「この距離は……まずい」

 

 艦娘は中破させられると攻撃能力が著しく劣る。しかし、それは深海領域の射程100メートルから50メートル前後の話であり、それよりだいぶ近い距離では減衰威力が小さすぎて無傷と同じ威力となる、正確にはかなり威力の差はあるのだが、あらゆる攻撃が当たれば艦娘を確実に大破させる事が出来る最終兵器と化しているという点において差がないと言って差し支えないだろう。

 

 深海棲艦との戦いでは敵に深海領域があるためそんな事にはならないが、敵は艦娘同士の戦いを満潮達以上に熟知していたのである。

 

「みんな散れ!!」

 

 無論、この距離ならば放塔の向けられている向きと撃つタイミングを計れば回避は容易であるが、それを見越して満潮達を囲うように敵は展開を始めたので、それを察知した司令官から指示が飛んできた。

 

「上等じゃない。私達とワンミス即死のデスゲームをおっぱじめようってなら、言ってやるわ。馬鹿ね、その先にあるのは地獄よ!!」

 

 満潮は敵に対してそう啖呵を切った。

 

 



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その先にある地獄

わたしは一通り艦娘用の罠の設置を終わらせると、島の最上階に続く階段手前で満潮達の戦いを見守りながら艤装を展開してみる事にした。が、力を込めた瞬間前進に稲妻が走った。

 

「くっ! ぐうぅぅぅ」

 

 明石が艤装を展開するとばらばらになると言ったことは本当のようで、わたしの塞がった傷は艤装のリンクを使って艦娘素体の再生だけを完了させた状態であり、艤装本体は中破状態である。敵がここに侵入してきたときに万が一ここに仕掛けられた無数の罠をかいくぐられた場合、縋るものの一つとして異常が使えないかと言う私の期待は儚く散った。

 

「わたしは無力です。満潮、みんな、頼みましたよ」

 

 霞の到着時刻まであと2時間、それは彼女達にはあまりにも長かった。

 

 

「動いてこないわね」

 

 満潮達が敵の策略にはまり、互いに銃口を突きつけてから3分ほどの時間が流れていた。各艦の距離は10メートルにも満たないほど接近しており、一瞬でも気を抜けば敵の弾丸が彼女らを貫いている事はたやすく行われる距離である。

 

 加えて、満潮達はこういった超接近戦での戦闘訓練は受けていない。故に、敵がこの距離での戦闘を持ち込んだ以上、先に動けばおそらく敗北は必然。そこで、敵の砲撃の硬直に合わせて急速に後退しながら距離を離し、数と破損具合、敵の装備の重さによる機動力の差を武器に通常の距離の戦闘に戻すのが司令官の指示である。

 

「敵の目的はあくまで熊手砲の無力化にあるから、ここを足止めすればいいという考えなんだろう。このままではらちが明かない。満潮、俺に考えがある」

 

 満潮達の脳内に司令官から良い考えとやらが伝えられる。

 

「……司令官、正気!?」

 

 その言葉に長良が司令官の正気を疑うように声を荒げたが、その瞬間満潮は前傾姿勢になり、中央にいる艦娘に向かって突進を始めたのである。

 

「無茶だって、狙い撃ちにされるよ!!」

 

 そう、通常であれば扇上に展開している敵陣に一人が特効を仕掛ければその船は狙い打たれて犬死に終わるだけであるが、この近距離戦では主砲を彼女に向けた隙を突かれその船が狙い撃ちされる為、突進している船以外は彼女に銃口を向けることは出来ない。

 

「それに、私がこのまま敵の後ろに回り込んだら、敵は何の損害もなく全滅する。一発外したら全滅。その状態で銃を使う? いいえ」

 

 満潮の突撃に合わせて駆逐艦が一隻ぶつかるように船体を前に出す。

 

「そう、私に体をぶつけてそのたくらみを阻止しようとするはず。でもね」

 

 満潮は敵駆逐艦の懐にもぐりこみ、彼女の腕をつかんだ後体全体を使って背中から海面に叩きつけた。いわゆる背負い投げと言うやつである。一瞬の事で何が起こっているのかわからず、呆気にとられる敵の隙を見逃すほど、満潮達の艦隊の練度は低くなかった。

 

 水面に響く4つの破裂音と共に、全員が大破したようで、旗艦大破による強制帰還機能によって敵艦娘が急速に帰還していく。

 

「言ったでしょう。ここから先にあるのは地獄だって」

 

「満潮ちゃん凄い、いつの間にそんなことできるようになったの?」

 

 長良が感心していると、大潮が興奮しながら、

 

「満潮は朝潮姉さんと前に特訓していたんです。朝潮姉さん、艤装が使えないから敵が陸上に上がって来た時に少しでも時間を稼げるように、組手を手伝って欲しいって。その特訓が大潮達を助けるなんて、すべては万事塞翁が馬ってやつですね!」

 

「おしゃべりはそこまでよ。敵はまだ3艦隊いるんだから、さっさと片づけるわよ」

 

 しかし、満潮達がその場を動こうとした時に、司令官は現状の位置で待機と言う指示を出した。

 

「はぁ!? どう言う事よ。まだ、敵は3艦隊も残っている。とてもじゃないけれど、支援砲撃では落としきれないわ。朝潮姉さんを見殺しにしろってこと!?」

 

 満潮はそう声を荒げ、艦隊の皆は司令官の心変わりに、困惑した。が、次の瞬間、先行している敵艦隊が突如として謎の爆発に襲われ、他2艦隊も退却していく。

 

「いったい何が……」

 

「満潮達が入渠やら準備やらで待機しているときに、残っている艦娘総出で第1鎮守府の正面に大量の機雷を設置しておいたんだ。まあ、それを指示したのは朝潮ちゃんなんだが、鎮守府近海で機雷が設置されていない場所は満潮達がいる場所から右に迂回して第1鎮守府の右玄関前に行くまでの、要は通って来たルートだけ。敵はこのルートを何としても突破してくるはず。ここからが本当の勝負だ」

 

 満潮は絶句した。確かに自分を信頼しろとは言ったが、万が一満潮達が敗北したときには、鎮守府艦を使って逃げて欲しいとも思っていた。しかし、時間を稼ぐために万が一の退路も塞いでしまったのだ。

 

「全く、信頼しろとは言ったけれど、逃げるなとは言っていなかったはずよ」

 

 しかし、満潮はその言葉とは裏腹に笑みを浮かべていた。

 

 

 それから数分後、敵艦隊が満潮達めがけて進軍してきた。敵はいずれも駆逐5の軽巡1の水雷戦隊が3艦隊。後は駆逐艦1隻がまっすぐ第一鎮守府めがけて移動しているが、恐らくそれは先ほどの機雷の爆発が敵には分からなかったのだろうか、もう一度駆逐艦を突っ込ませて爆発原因を探るための行動だろう。故に、満潮達は突っ込んでくる3艦隊を捌くことに集中することにした。

 

「みんな、ここからが正念場よ。ついてらっしゃい」

 

 満潮の号令と共に、艦隊全員が息を合わせて腕を天に突き上げた。

 

 

 どうして、こんな事に……満潮は己の無力さを呪った。3艦隊の内2艦隊を蹴散らし、あと一艦隊と言うところで、彼女らは異変に気が付いた。鎮守府に無謀にも突撃していた、気にも留めていなかった駆逐艦が、第一鎮守府まで距離50の位置まで肉薄していたのである。

 

「司令官、あんた言ったわよね。機雷は大量に設置してあるって、なのにどうしてあいつは鎮守府までたどり着けているの!! 一体どういう事よ!!?」

 

「いや、結構めちゃくちゃな数ばらまいていたはずだぞ。それこそ、設置した艦娘本人ですら通り抜けるのは不可能なほど、日に雷に数回撃たれるような絶望的に運が悪かったりでもしない限り、そんな事にはならない筈だ」

 

 あり得ないレベルの運の悪さ……。満潮の脳裏に朝潮から聞かされた数々の運がない、ついてないエピソードが木霊する。そう、彼女は自分の運の悪さによって、強固な城砦を築いたつもりが、単に墓穴を掘ってしまっただけになったのだ。そして、気づいた。

 

「朝潮姉さんはどこかのタイミングで自分が悪運によって皆を危機に陥らせてしまう事に気づいていたんだ。だから、一人で本館に籠ったんだわ。自分の悪運に他人を巻き込まないために……」

 

 しかし、満潮は振り返らない。朝潮が彼女らを信じた様に、今度は満潮達が彼女を信じる番だ。朝潮ならば必ずこのピンチを乗り越えてくれる。そう信じて満潮は主砲に力を込めた。己を奮い立たせるために。

 



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熊手砲前の攻防

第一鎮守府本館に敵が侵入したという情報を受けて、白雪たちは朝潮を救出するための別動隊を編成していた。が、すぐに白雪のもとに電話が鳴り響く、それは本館にいる朝潮からの物であった。

 

「白雪ですか? こちら朝潮です。あなた達の事だから、本館に部隊を派遣して敵を挟み撃ちにしようとたくらんでいると思いますが、来てはいけません」

 

「朝潮ちゃん、無事!? 駄目です。私達は朝潮ちゃんを放ってはおけません。すぐに別動隊を派遣するので待ってください」

 

「いいえ、聞いてください」

 

 朝潮は話をつづける。本館に大小200以上のトラップを仕込み、敵を足止めしながら敵の損傷が激しければ後ろから奇襲をかけて拘束、できなければ諦めて一つだけ存在するトラップに当たらずに外に出られるかなり複雑なルートを通って脱出するつもりであった。

 

 熊手砲と言う二度と使えない無用の長物が破壊されていても問題なく、敵は艦娘一人で後は敵が通って来たであろうルートに別動隊を派遣して熊手砲を破壊した敵を拘束して敵の情報を吐かせればいい。要は時間稼ぎのつもりであった。あと2時間程度持ちこたえれば霞帰ってくる。トラップで1時間ほど時間を稼げれば、目的は達成したのも同然である。しかし、

 

「敵は今まで一つのトラップも起動させずにここまで来ています。それに、機雷原も無傷で突破、つまり敵はわたしや霞と同じ存在であると推測されます」

 

 異常艦娘。艦娘の中には通常の艦娘では実現不可能な特殊な個体がいる事を白雪は知らされていた。考えうる限り最悪の事態である。

 

「そんな、敵はそんな切り札を用意していたなんて」

 

「霞と対峙する以上、そう言った艦娘を用意していても不思議ではないでしょう。しかし、これはある意味幸運でした。熊手砲を撃ったことによって、敵の最大の切り札を前線ではなく、わたしの方に向かわせる事が出来た」

 

 そう、前線を必死に抑えている満潮達であるが、彼女たちの方に異常艦娘が向かっていたとしたら朝潮たちにそれを止める術はなかっただろう。しかし、万が一ここで朝潮が敵異常艦娘を止める事が出来れば、敵は霞に対する切り札を失い大きく戦意を削ぐ事が出来る。

 

「でも、朝潮ちゃん。艤装を満足に使えないあなたが、異常艦娘を無力化するなんて奇跡みたいなあり得ない確率です。無茶はやめて」

 

 奇跡か、白雪の言葉に朝潮は不敵な笑みを浮かべた。

 

「奇跡などというモノをわたしは信じません。今まで運に見放されたような艦娘としての人生のなかでわたしが信じる物、それは自分自身です。かつてのドイツの文豪ゲーテは言いました。自分自身を信じるだけでいい。きっと生きる道が見えてくる」

 

 そう言って、朝潮は電話を切った。

 

 

 朝潮は敵の異常をその類まれなる幸運ではないかと推測していた。もし、周りの機雷やトラップの仕掛けられている場所を正確に把握できる力であるならば、他の艦娘を連れてきているはずである。

 

 もう一つ分かっていることは敵がトラップの仕替けられていない一本道を通る以上、敵がどこから来るか正確に分かり、かつどこで戦うのか選択権がこちら側にある。

 

「見つけました。敵が全然出てこないので逃げちゃったと思いましたが、一匹残っていたんですね? それとも、この雪風を誘い込んで大型艦が待ち伏せしているんでしょうか?」

 

 敵は陽炎型駆逐艦の雪風だった。そして、朝潮が戦いの場所に選んだ場所は執務室横にある大広間で、ここから左側に熊手砲屋上に続く隠し階段がある。本来の屋上への階段にはトラップが山ほど仕掛けられているので、ここを通るしかない。

 

 狭い通路で待ち伏せして朝潮示現流の技で組み伏せる手段もあったが、失敗した場合に通路だと逃げ場がない。よって、敵の異常には自分の異常で対抗する事にした。

 

「わたしは、第一鎮守府の秘書艦代理、朝潮。武器を捨てて速やかに投降しなさい。そうすれば命までは取らないと約束します」

 

 と言うお決まりの文句を垂れ流した。無論、素直に投降するなどとは一片たりとも思っていないが、少しでも彼女らに対する情報を引き出そうと声を掛けただけに過ぎない。しかし、彼女にはわたしの声は聞こえていない様で、彼女の司令官の話しか耳に入っていない様だった。

 

「司令。……はい、駆逐艦イ級一隻。速やかに撃破します」

 

 そう言って雪風は臨戦態勢に入る。来るかとわたしは右手を挙げて指鉄砲を作る。おそらく艤装を展開できるのは一瞬、その一瞬で異常を発現させて敵を無力化する。筈だった。敵が選択した武器は機銃だった。

 

「ひぃぃぃぃ!!」

 

7.7ミリ機銃は艦娘同士の戦いでは役には立たない代物であるが、今の艤装を展開できない朝潮にとっては一発一発が致命的であり、全力で右に飛んで回避するしかなかった。

 

「司令、外しました。敵はかなり素早いです。ここを任されている以上、フラグシップ級、いやそれ以上の特殊個体であると言う司令の推測は正しかったみたいです。このまま機銃でけん制しながら追い詰めて、砲撃後の隙を狙っていきます」

 

 そんな事を敵は話していた。普段の戦いでは司令官や深海棲艦の力の干渉によって敵部隊の話声など聞こえないのだが、司令官と繋がっていない朝潮にはその声が丸聞こえであった。しかし、まずい事になった。頼みの綱の一つであったわたしの異常が封じられた。

 

「くっ、艤装さえ使えれば、機銃を無視して突撃できるのに……仕方ない。本気で行きます」

 

 右に飛んだ朝潮は一回転してそのまま右に回り込み続け、そのまま壁を垂直に上り、機銃の届かない真上に移動しようとした。真上にさえ移動してしまえば機銃を撃つためには無理な体制をする必要があり、ほとんど寝転ぶ必要がある。その状態ならば敵も主砲を撃つか壁際に移動するかの2択を迫られ若干有利を取り戻す事が出来る。

 

「壁を垂直に!?」

 

「よし、」

 

 しかし、わたしのこの作戦は失敗に終わった。敵が何かしたわけではない、部屋の中央に行くために掴んだ突起が老朽化のために折れたのである。幸いにも敵が呆気に取られていたようで、落ちるまでの間に狙い撃ちされることはなかったが、

 

「幸運の異常ですか。厄介ですね」

 

 機雷原、罠の無力化、主砲を使わない事による異常の無効、そして、今回の突起の破損。わたしの考えた策が悉く潰される。何より気に食わないのがおそらく雪風自身はその事に全く気が付いていないという事。もはや、時間をかける訳にはいかない。下手に時間をかけすぎると、床が抜けて動けない所を狙い撃ちなどと言う間抜けな死因になりかねない。

 

 わたしはなりふり構わず雪風に向かって突進していった。

 

「敵艦、来ます。機銃撃てぇ」

 

 今度は左に体一つ分だけ躱し、速度を落とさない。そして、機銃の位置を変えるために体を少しずらした時、敵が一瞬だけ瞬きをさらした。その隙をわたしは見逃さなかった。大きく右後方に飛び、敵の視界範囲外に逃げ、そのまま敵後ろ大きくに回り込む。

 

 雪風はあたりをきょろきょろと見まわし、今まで視界にとらえていたはずのわたしが消えるようにいなくなったことに驚いているのだろう。

 

「ここです」

 

 わたしは敵の後頭部に思い切り頭突きを食らわし、脳を揺らす。そして、振り向いた敵の鳩尾に肘内を食らわし、くの字に曲がった体を背負いぶん投げようとした。

 

「エイッ!!」

 

 その瞬間、雪風の魚雷が爆発した。わたしは咄嗟に艤装を展開したので、魚雷爆破の衝撃で肉体がばらばらに吹っ飛ぶことは避けられたが、無理な艤装展開により艤装自体の崩壊が始まり、体に激痛が走る。

 

「く……」

 

「危ないところでした。ここに来る前に島風ちゃんが敵艦娘に背負い投げをされたと言う情報を聞いていなかったら、その対策をみんなで話し合っていなかったとしたら、雪風も捕まっていたかもしれません」

 

 至近距離で魚雷を爆発させた雪風自身もタダでは済まず、彼女の自身も中破しており、熊手砲を破壊した後にそのまま乗り込む別館に乗り込むと言う最悪の事態は避けられた。あと数秒でわたしは死ぬだろう。全身激痛で指一本動かせない。

 

「ごめん。みんな、後はよろしく頼みましたよ」

 

 朝潮は自分の意識を手放した。

 



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復活の朝潮

「おやおや、そんな事でキミは諦めるのかな?」

 

 わたしの脳裏に、不快な人間の言葉が思い出される。走馬灯に最初に思い浮かぶのがよりによってお前かとそんな事を考えていると、全身を刺すようだった痛みが引き、わたしの意識を急速に回復させる。目を開けて手を見ると、その手には主砲が握られていた。

 

「霞の指示でね、キミの今付けている艤装が崩壊する事をトリガーにこの単冠湾で整備が完了していた艤装を転送する機能を念のために取り付けておいたんだ」

 

 声の主は綾瀬大将。

 

「司令。敵深海棲艦の艤装が復活。これは、応急修理女神みたいです」

 

 敵はそう言いながら距離を取る。

 

「綾瀬大将、一体どうなっているのか良く分かりませんが、あなたから貰った艤装(ちから)。ここを守るために使わせてもらいますよ」

 

 わたしは艤装を構え、雪風に向かって放つ。その時、朝潮は心臓が沸騰するような高揚感に包まれた。朝潮の一撃は雪風が持っていた主砲の犠牲によってその一撃を雪風自身には当たらなかったが、そんな事は気にならないくらいまるで主砲が手に吸い付くような、異常を使わなくても狙ったところに正確に当てられる得も言われる力を感じた。

 

「キミは最初他人の艤装で戦って経験を積み、練度と異常を成長させてきた。それによって、通常の艦娘とは比べ物にならない力を手に入れ、艤装がキミの力の成長に追いついていかないと言う事態に陥ってしまった。私がしたことは、キミが持つ力を受け止められるように艤装を強化したに過ぎないよ」

 

 おそらく、したり顔でそんな事を話している彼女の顔を想像すると若干思う事はあるが、今は素直に彼女に感謝し、この戦いを終わらせるためにまずは目の前の敵を片付けよう。

 

「さあ、覚悟は良いですね。その前に、投降するならば命は取りません」

 

 しかし、朝潮の言葉をよそに、雪風は砲を構えた。それを見て、わたしは砲を構えた。

 

「朝潮、迎撃弾(インターセプター)は使わないように」

 

 その瞬間、綾瀬大将のその言葉が朝潮の脳内を駆け巡った。

 

「なんですか? その迎撃弾(インターセプター)って?」

 

「キミの異常だよ。私が名付けた。確かに、敵が砲撃を放つ瞬間を正確に予測し、敵の弾丸を弾いて自分の弾丸だけを当てる力は脅威ではあるが、多用して敵が砲撃を全く撃ってこなくなってしまったら問題だろう? だから」

 

 異常が発動して敵の撃つ瞬間が見える。

 

「その瞬間に体一つ分よけながら前進するのさ」

 

 雪風が砲を撃った瞬間、勝敗は決した。

 

 

 満潮達はこれまで15回ほど敵艦隊を退けていた。敵の断続的な出撃に対応するために中大破した艦を定期的に下がらせてはいるものの、旗艦である満潮だけは下がる事が出来なかった。下がってしまえばその隙を付いて敵艦隊がなだれ込んでくることは火を見るよりも明らかである。しかし、

 

「うっぷ、おげぇ」

 

「司令官、大丈夫?」

 

 まだ司令官としての経験が浅い彼にはかなりの疲労が蓄積しており、司令官を少しでも休ませるためにも一度帰港するかの選択を迫られていた。そんな時である。

 

「あれは……朝潮ちゃん?」

 

「はぁ?」

 

 そこには朝潮がいた。たった1隻でこちらに向かってくる。満潮の頭は混乱している。敵を何度か退けるときに、朝潮が助けに来てくれる。そんなありもしない妄想を浮かべはしたが、本当に彼女がここに来るなんて、幻覚でも見せられているのだろうか? そんな時に、朝潮から通信が入って来た。いや、本来はあり得ないが、

 

「満潮、よく頑張りましたね。あとはわたしに任せて休んでいてください」

 

「はぁ? アンタその艤装は……それに、どうして通信できるの?」

 

 そう、友軍同士の通信でも、空母等で補助をしない限り通信などできる筈がない。

 

「話は後です。帰投してください」

 

 そう言いながら、満潮達の横を通り過ぎ、敵艦隊に向かって突撃していった。

 

「ちょっと待ってよ。一隻で何が出来るの? ハチの巣にされるだけよ」

 

「満潮ちゃん。朝潮ちゃんが何で艤装を使えるかは分からない。でも、今がチャンスよ。満潮ちゃんと司令官を休ませて回復を図るチャンス。霞ちゃんが帰ってくるまで後1時間半、それまで凌ぐ為には満潮ちゃんと司令官の力が必要なの」

 

 そう、長良が提案してきた。満潮は後ろ髪を引かれる思いをしながら前線を見ると、朝潮があり得ない機動をしながら数秒で敵艦隊を全滅させる姿に、帰港を決意した。

 

「わたしの修理中に、沈むとかやめてよね……信じているわよ。朝潮姉さん」

 

 満潮はそう呟き、くるりと後ろを向いた。

 

 

 満潮が帰投しドッグに入るとすぐに高速修復材の使用を要求したが、

 

「あなたの司令官も同じことを言っていましたが、今は彼を休ませるために少しドッグの中で待機してください」

 

 と言う、白雪の命令通り少しの間ドッグで休むことにした。艤装を預け、備え付けてある風呂の中で一休みしている間に、艤装の修復が行われる。なぜ、朝潮が艤装を背負っていたのか、聞きたい事は山ほどあったが、それを聞いたところで状況が変化するような事でもない。

 

 満潮に出来る事は朝潮が稼いでくれた時間を使って体を万全に近い状態に整える事だけである。そう思いながら風呂に入ると、部屋の中になぜか腕を拘束された状態で風呂に入っている艦娘の姿を見つけた。

 

「あ、あなたが朝潮ちゃんの言っていた満潮ちゃんですね。私は雪風と言います。今、この鎮守府の近くにいる鎮守府艦に所属していた艦娘です」

 

「はぁ!?」

 

 満潮には何が何だか分からなくなった。

 



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金剛たちの物語

 大湊第12鎮守府所属宮本提督は就任以来最大のピンチを迎えていた。事の発端は1か月ほど前、単冠湾襲撃事件に端を発する。イベント開始直前の襲撃によりそれに近い位置にいる大湊では今回のイベントに向かう艦隊の縮小がなされ、この第12鎮守府も残留が決定した。が、他の泊地ではそう言った考えではなかったらしく、大湊だけが過剰に戦力を遺す結果となり、それを問題視した他の泊地を転々と警備に連れまわされていた。

 

 そんなおり、7時間ほど前、大湊第3鎮守府の横島提督から電報が入った。

 

「テイトクぅ!! 横島提督からの電報は見ましたか!?」

 

 金剛が持って来た電報には衝撃的な事が書かれていた。熊本大将が舞鶴の敵深海棲艦襲撃の応援に向かっている最中に地下で実験中だった改造深海棲艦が脱走し、呉第一鎮守府を乗っ取りその機能を掌握した。と言う内容だったのだ。

 

「金剛、直ぐに横島提督に合流。第一鎮守府を救援に行くぞ」

 

「テイトク……呉第一鎮守府はもう……」

 

 金剛の言いたい事は理解していた。しかし、宮本の考えは変わらない。彼は2010年に起こった深海棲艦が人類に対して初めて大規模侵攻してきた事件、通称ファーストコンタクトの被害者であり、その際に対馬に住んでいた彼はこの世の地獄を味わった。

 

 海辺にいた人間は生きたまま深海棲艦に食われ、内陸部では少ない食料と水を求めて殺し合いが行われていた。両親は子供たちを逃がすために深海棲艦に食われ、兄は宮本に食料を渡すために暴漢に襲われその怪我が元で命を失った。

 

 もし、鶴崎大将が対馬から民間人を脱出させなければ、彼は今頃この場にはいなかっただろう。第一鎮守府が全滅したのは仕方ない。しかし、呉の民間人や将来有望な提督の卵たちに自分と同じ思いをさせたくない。そして、こんな事態を起こした熊本大将に責任を取らせるための証拠をつかむために、彼は横島提督の元へと向かった。

 

 横島提督も同じ考えのようで、彼らは呉の第一鎮守府の元へと向かった。

 

 横島提督は聡明な提督のようで、彼と彼の艦娘を宮本の鎮守府艦に乗せるように提案してきた。一つは、支援に来た鎮守府艦が一隻だと思わせるため。このようなスキャンダルが露呈しないように、第一鎮守府を奪還した後証拠隠滅のために、今下関を守っている提督が後背を突いて来る事は明らかであり、鎮守府艦一隻で進行し、機雷を巻いてそれをできなくした後に、第15鎮守府の機能を掌握して2隻で呉第一鎮守府を掌握する。

 

「なるほど」

 

「そして、君は確か対馬の出身だったね。深海棲艦に襲われた地域がどうなるか知らん君でもあるまい。ブラインドを濃くする調整をしておこう、これで、君や君の艦娘はその凄惨な現場を見ずに済む。私が提案した事だ。汚いものを見るのは私たちだけで十分だ」

 

 ブラインドとは深海棲艦と艦娘が会敵した際に発生される力場により相手の姿が見えにくくなる現象であるが、それを意図的に濃くする事が出来る事は提督である宮本にも知らされていた。その提案を宮本は受けた。

 

 

 すべては順調だったのだ。しかし、熊手砲によって横島提督の乗った第15鎮守府艦は沈没、彼は戦死しただろう。そして、熊手砲を無力化に行った雪風。彼女は提督に就任する際に、鶴崎大将から受け取った艦娘であり、凄まじい回避性能と決定力を併せ持つ艦隊の切り札であったが、正体不明のイ級に敗北した。

 

 任務失敗を悟り、自分が艦隊スロットを一つ潰している状態では敵には勝てない。繋がりを解いてくださいと言う雪風の提案を受け取り、宮本はそのつながりを解いた。その際、解く直前の雪風の最後の言葉が耳を離れない。

 

「そんな、……駄目、司令切らないで!!」

 

 そして、おそらく雪風を食らった悪魔は、今まさに宮本たちを破滅に追い込もうとしていた。

 

「あり得ません、どうして……どうして当たらないの?」

 

 たった一隻のイ級に砲撃をすべて回避され、その事ごとくを大破させて強制帰投装置によって引き戻される。これまで、のべ10艦隊がその謎の深海棲艦に倒されて強制退去を強いられていた。

 

 熊本大将がいなかったとはいえ、第一鎮守府が壊滅するような数の深海棲艦が呉の地下に封印されていたとは考え難かったが、今彼らの前に対峙している深海棲艦を見て納得できた。この深海棲艦が呉を壊滅させたのだ。

 

「深海棲艦type-γ……」

 

「テイトク、それは何ですか?」

 

「あくまで噂さ、たった一隻で泊地を壊滅させることのできる深海棲艦で、大将がイベント中でも泊地を離れない理由で、奴らが存在するから大将を深海棲艦に対して大規模に進行させる事が出来ないそんな事がまことしやかに語られていたんだが、どうやら、本当にいたようだな」

 

 提督は嘆息した。そこに、比叡、霧島、榛名が乗り込んでくる。

 

「司令、撤退しましょう。あのイ級の力は異常です。後退しながら支援艦隊でけん制しながら脱出しましょう。今決断しなければ、奴は鎮守府艦内部に乗り込んできます」

 

 しかし、宮本は首を横に振った。

 

「熊手砲の射程から離れる際に下関側に逃げてきてしまった。つまりこのまま進めだ機雷原にぶつかる。他の方角に逃げるには一時的でもいいから奴をどかす必要がある。60隻の艦娘の砲撃を浴びて一度も被弾しない化け物にそれは叶わない」

 

 比叡は宮本の無慈悲な事実に閉口するしかなかった。そんな中、金剛が口を開いた。

 

 

「そんな事、許されるわけがないだろう!!」

 

 宮本は金剛が放った言葉に激高した。しかし、その場にいる全員が理解していた。敵深海棲艦を倒すにはそれしか方法がない事を、そして、それを実行できる艦娘はこの艦隊で最高の練度を誇る金剛が適任であることを。

 

「テイトク、ワタシはテイトクに、そして、みんなと戦えて幸せでした。これは誰かから強制されたわけではありません。自分の意志で皆を救うために出撃するのデス。テイトク、ワタシの最後の戦い目を離しちゃ、NO、なんだからネ!!」

 

 金剛はそう言って出撃準備に取り掛かった。

 

 

 比叡、霧島、榛名は最後の戦いに自らを鼓舞していた。ここで敵を食い止めれば、金剛を失わずに済む。その事を聞いた随伴艦の島風、天津風、神通も彼女達に呼応するように気合を入れた。

 

 6隻の艦娘の一斉射が敵イ級を襲うが、敵はそれを減速する事もなくひらりと交わした。その瞬間、島風、天津風の艤装が爆発した。まただ、敵は砲撃を一発しか撃っていない筈なのに、二隻が正確に大破させられる。

 

「ここで、ここで絶対止めます。全艦第2射用意」

 

 結果は霧島、神通の大破。その間、敵は全く減速しない。まるで彼女たちなど眼中にない様に。

 

「おかしいです。こんな、こんな事が……倒れて、でないと金剛姉さまが……うわぁぁぁ!!!」

 

 榛名はそう言って第三射を撃ちこむが、比叡はそこで幻覚だろうか、信じられないものを目にした。榛名が第3射を撃ちこむと同時にほんの刹那早く主砲を撃ちこんだのである。その砲撃が榛名の砲撃による弾の軌道をずらし、榛名の銃弾は比叡の方向に、そして、敵の撃った弾丸は榛名の方向に軌道が逸らされたのである。これが、一発の銃弾で味方艦2隻が大破したからくりである。

 

 比叡は今回銃弾を撃たなかったがために、それに気づく事ができ、自分の向けられた弾丸をかろうじて躱す事が出来た。これは先ほど金剛曰はく敵が砲撃を撃つタイミングは味方艦が主砲を撃つタイミングと一致していると言う先入観がもたらした奇跡であり、敵と十分距離を離していた。為に行えた事である。もし、通常の500メートルと言う距離でそんな芸当を行われていたら比叡も大破していただろう。

 

 しかし、状況は改善しない。5隻を大破に追い込み、ほとんど艦隊を無力化した敵艦は比叡を無視して鎮守府艦の方へ向かう。

 

「私を無視するなぁ!!」

 

 比叡は敵に向けて銃弾を放ち、大破させられ、艤装の強制退去装置により、艦隊全員鎮守府艦に強制帰投させられた。もし、比叡が銃弾を撃たなければ、金剛の策も水泡に帰す。比叡にはそれだけは出来なかった。それが金剛を見殺すことになったとしても。

 

 比叡たちが敗北したことは金剛の耳にも入った。

 

「そうですか。やはりワタシが行くしかありませんね。テイトク、うまくいくと信じてくださいね」

 

 そう言って金剛は出撃していった。金剛の用いた策、それは主砲を撃たないと言う事であった。鎮守府に向かって迫る敵に同じ速度でその行く手を阻む、このままぶつかれば敵は駆逐艦でこちらは戦艦、質量の差で敵を止められる筈である。

 

 そして、こちらは回避に専念するため、致命傷は受けない。敵は砲撃の硬直に合わせて銃弾を急所に当てることによって戦艦すら大破させているが、裏を返せば急所に当たらなければ少し強い駆逐艦程度の威力しかない。そうでなければ、敵の砲撃を待つ必要がないのである。

 

 さらに、金剛は提督から敵が雪風に背負い投げを行ったことも知っている。主砲を撃たない敵に対しての近距離戦の切り札をも用意している恐るべき敵であるが、敵は金剛が『近距離戦の切り札を持っていることを知っている』事を知っていないのだ。故に、金剛が主砲を撃たずに組み付けば、必ず背負い投げをしてくる。

 

 金剛の読みはあたり、敵駆逐艦とぶつかり、金剛は宙に浮かぶ筈であった。

 

「すべて読んでいましたよ。もう放さないネ!!」

 

 組み付かれる瞬間に金剛は錨を下ろし、イ級は海中に押し付けられるような下向きの力がかかる。何とか鎖を切ろうとする敵の腕を掴んだ。

 

「離さないって言っているデース!!」

 

 その瞬間、いつの間に差し込まれたのだろうか、金剛の艤装に差し込まれた魚雷が爆発する。一撃で大破し、強制退去装置が働くはずであるが、金剛はその装置を切るように提督に進言していた。もし、その状態で攻撃を食らえば、金剛はなすすべなく沈むだろう。

 

「テイトク、武運長久を……」

 

 彼女はすべて覚悟の上だったのだ。彼女たちに向けて、3基の支援艦隊が同時に狙いをつける。これで、すべてが終わる。彼女は自分の左手薬指につけられた指輪を見ながらそう呟いた。

 

 

「敵艦撃沈確認……」

 

「そうか……」

 

 宮本提督は比叡のその報告を聞き、金剛が永遠に失われたことを悟った。落ち込む提督に、比叡は激を飛ばす。

 

「司令、悲しんでいる暇はありません、直ぐに呉第一鎮守府を奪還し、こんな状況に陥らせた奴らに、金剛姉さまが沈む事態となった元凶に責任を取らせるのです」

 

 比叡は目に涙を浮かべている。最愛の姉妹艦を失いながらも、そう鼓舞してくれる彼女は強い艦娘であった。宮本は一言、ありがとうと呟いた。

 

 しかし、その静寂は破られる。支援砲撃から難を逃れた敵深海棲艦がドアを蹴破って執務室に侵入してきたのである。その手には大破した金剛が抱えられていた。

 

「卑怯な。……司令!!」

 

 そう、艦娘は艦娘を撃つ事が出来ない。その場合、司令官が艦娘を無理やり操作して撃つしかないのであるが、提督にはどんな形であっても生きていてくれた金剛を自分の手で始末させることは出来なかった。

 

「比叡、俺はここまでのようだ。ごめんな」

 

「司令!! くそ!! 動いて! 撃ってよ!」

 

 比叡が主砲を構えながら絶叫する。しかし、撃てない。撃とうとした瞬間、胃の中の物が逆流し床を吐しゃ物で染め上げる。

 

「なるほど、元凶はあなたではなく、沈んだ方だったようですね。雪風の言う事を信用していなかったわけではありませんが、確認が取れました」

 

 敵深海棲艦がそう言うと、深海棲艦の姿は駆逐艦朝潮に姿を変えたのだった。

「わたしは、呉第一鎮守府の秘書官代理朝潮。どうして、呉第一鎮守府に対して侵略行為を行ったのか、説明してもらいましょうか?」

 

 彼女はそう口を開いたが、宮本は事態を呑み込めずにいた。

 




 


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夜は終わらず

 時系列は少し巻き戻る。朝潮が雪風を撃破し、その艤装のロックした後、朝潮は自分の役目は終わった。そう感じていた。

 

「さて、敵艦娘も捕獲しましたし、後は白雪や満潮に任せましょうかね」

 

「おや、意外だね。キミの事だから、新しい艤装で敵に試し撃ちに行くと言い出すと思ったのだがね」

 

 わたしの独り言に、綾瀬大将が即座にそんな事を言ってくるが、

 

「ちっちっちっ、そんな甘言に乗るわたしではありません。今戦えば、綾瀬大将に詳細な戦闘データを渡すことになってしまい、いずれ敵対したときに不利になってしまいます。かつての文豪ゲーテも言っています。能ある鷹は爪を隠す」

 

「なるほど、それはいい心がけだね」

 

 本当は満潮に任せると言った手前、わたしが出撃するのはなんだか違うかなと思っただけである。そんな時、雪風がいきなりこちらの方を見開き、発狂しだした。

 

「そんな……駄目、司令切らないで。呉第一鎮守府は深海棲艦に占領されてなんてなかった。イ級だと思っていた敵深海棲艦は朝潮ちゃんだった……うげぇぇぇ!!」

 

 そう言いながら雪風は吐しゃ物を地面にまき散らす。

 

「おや、切るのが早かったね」

 

 綾瀬大将は雪風のその反応は当然だと言わんばかりにそんな風に反応した。

 

「どういう事ですか? 綾瀬大将、何か知っているんですか?」

 

「艦娘は同じ艦娘に砲撃を浴びせると、拒否反応を示すことは知っているね。それを回避する方法は二つ、長い時間をかけて艦娘に艦娘を撃たせる訓練を行う。これは手間も時間もかかる。そしてもう一つは、敵艦娘を深海棲艦に見せる方法さ」

 

 艦娘を深海棲艦に誤認させる? わたしがそう尋ねると、綾瀬大将は話をつづけた。

 

「そうだ。提督が深海棲艦や敵の艦娘と接触するとそこに力場が形成されて、敵が見えずらくなる事は知られているが、その濃度を意図的に濃くする事が出来るんだ。主に、裏切り者の艦隊を攻撃したりするときにね。まあ、艦娘にはこの情報は伏せられているが」

 

 つまり、今まで出撃し、敵艦隊を撃破した敵の中に艦娘が含まれていたとしても艦娘はそれに気づかないその精神的不安や拒否反応を抑えるためと言う名目でね。と言う意地の悪い発言を続けた。それをわたしには否定する事が出来ない。なぜなら、その判例がその場にいたからである。

 

「何があったのか、教えてくれませんか?」

 

 わたしは雪風にあらかたの事情を聴き、彼女を入渠させた後、白雪にも事情を話して、戦場に赴いた。そして、今に至る。

 

 

 宮本提督から呉泊地に来た理由は雪風が話したことと一致していた。そして、呉が深海棲艦に進攻しておらず、雪風も無事であることを伝えると、彼は胸をなでおろした。

 

「そうか、俺は横島提督に騙されていたのか……」

 

「しかし、危なかったですね。わたしが撃った熊手砲がそちらの方を狙っていたら、あなたはこの場にいなかったでしょう。そして、元凶の方が残っていたとしたら、熊手砲を撃たれた時点で諦めてくれていたでしょうから、なんというか、手ごわかったですよ」

 

 慰めにもならないそんな事をわたしが言ったが、彼の顔には笑みがこぼれていた。同僚に犯罪の片棒を担がされ、そんな事はさせないが、処刑される可能性だってあるのに、どうして笑っていられるのだろう。

 

「しかし、安心した。呉の住人や提督の卵たちは無事なんだね。良かった。君に頼みがある。俺の処分は免れないだろうが、この件にかかわった艦娘たちには処分がいかないように取り計らってくれないか?」

 

「司令!!」

 

「わたしはあくまで代理なので、どうするかの権限は与えられてはいませんが、霞にはそのように伝えてはおきます」

 

 そう言って、わたしたちの長い夜が終わりを告げた。鎮守府艦から通信を入れて身柄拘束兼護衛のために満潮達がこちらに向かっているらしい。

 

「しかし、横島提督はどうして呉第一鎮守府を占領しようと思ったのでしょうか? 彼は今のところグラーフ達の仲間という訳でもなさそうです。異常艦娘もここに所属している普通の艦娘と同じように育てられて来たみたいですし」

 

「グラーフ?」

 

 宮本提督がわたしに対して怪訝な表情を浮かべたが、その反応からも実は彼がグラーフ達一味の信奉者という訳でもなさそうである。その時、右からここに向けて放たれる銃弾を、わたしは察知した。狙いは、宮本提督だ。

 

「伏せろ!!」

 

 わたしがそう言った瞬間、執務室がはじけ飛んだ。わたしが投げた主砲が執務室外から放たれた銃弾を防ぐことで、宮本提督への致命傷をかろうじて防ぐことは出来たが、提督は気絶してしまったようである。

 

「司令!! これは一体……」

 

「鎮守府艦を動かして安全な場所に避難してください!!」

 

 比叡にそう言い残し、わたしは執務室に開けられた大穴から海に向かって出撃した。どうやらわたしの長い夜は終わっていない様だった。海の上には1隻の艦娘がたたずんでいた。彼女はプリンツ・オイゲン型の艦娘であり、ぴっちりとした服に金髪のショートツインテール黒い帽子が特徴の艦娘である。

 

「あなたが夕立ちゃんの言っていた朝潮ちゃんね。私はプリンツ・オイゲン。あなた達が言うところのグラーフの仲間よ」

 

 彼女はそう自己紹介をした。何とか時間を稼がなければならない。

 

「拘束されて無抵抗の提督を攻撃するなんて、グラーフ一派と言う奴は相変わらず汚い戦法を取るようですね」

 

「むー、それは誤解だってばぁ。あいつはボックスの材料集めに加担した犯罪者、だから倒そうとしただけで、普通にしているアドミラルさんにそんな事はしないんだから」

 

「なるほど、ボックスの材料集めか。朝潮、横島提督はボックスの材料集めにここを襲撃したらしい。これで合点がいった」

 

 そんな事を綾瀬大将が話しているが、わたしにはなんのこっちゃ分からなかった。

 

「彼は横島提督に利用されただけで、主犯ではありません。その横島提督はわたしの砲撃で海の藻屑と消えています。その、ボックスとは何か知りませんが、ここにあなたの倒すべき敵はいない筈です」

 

「えぇ、そうなの? それは悪い事をしたわね。その、あの鎮守府艦に乗っているアドミラルさんには悪い事をしちゃったわね。あとで謝っておいてね」

 

 などと、わたしの調子を狂わせるような事ばかり言ってくるので、少し緊張感が薄れてしまった。

 

「それで、あなたがここに来た目的は何ですか?」

 

「そうだった。おおよその目的は達成したんだよ。ボックス回収に来た敵鎮守府艦を無力化して、首謀者を抹殺する事。これは朝潮ちゃんがやってくれたみたいだから、問題なし。もう一つは、その混乱に乗じて、地下に幽閉されていた元呉第15鎮守府アドミラルさんと夕立ちゃんを解放する事。ここまでが最低条件で、これはすでに達成されたの」

 

 朝潮は雷に打たれた衝撃を受けた。そもそも、第15鎮守府の司令官と夕立が地下に監禁されていた事は知らされていなかったので当然と言えば当然である。

 

「ん? 裏切り者の提督と夕立が呉第一鎮守府の地下にいたなんてことは私も知らなかったな。全く、熊本大将め。大方、地下で説得し続けて考えを改めさせれば分かってくれるなんて甘い考えに支配されていたんだろうが、せめて大将連中には周知させておくべきだろうに、そうすれば、まず鎮守府の地下に向かって夕立の方を見に行かせたのに」

 

 そんな通信が聞こえてくる。熊本大将らしいと言えばらしいのだが、どうしようもないなと思っている間に、鎮守府艦がこちらの射程から外れた場所に移動してくれた。プリンツは話をつづける。

 

「そして、これは可能であればだけれど、朝潮ちゃんを倒して仲間に引き入れる。これがグラーフの指示だよ」

 

「わたしを倒す? 嘗められたものです。霞すら敗北させたわたしの実力を見せてやりますよ」

 

 そう言ってわたしは砲を構えた。嘘は言っていない。わざと砲撃を受けただけで、霞も勝ちだって言ってくれたし。そんな事を思っていた。しかし、敵は砲を撃ってこなかった。ただ、右手を振り上げ、思い切り下に向かって振り下ろす。反射的に右に飛ぶと、海面がズバンと縦に割けていた。

 

「そんな、これは? 熊手の爪(ベアークロー)」

 

「夕立ちゃんからあなたに対して砲撃を撃つのは危険だと言われていてね。とりあえずこれでけん制してみる事にしました」

 

 確かに、霞よりもだいぶ威力は劣る。しかし、霞のベアークローを避けて接近戦に持ち込めたのは解放艦娘の力があってこそ。そうだ、

 

「綾瀬大将、解放艦娘です!! 解放艦娘になってベアークローを超高速戦闘でよけながら朝潮示現流の距離まで持ち込めば!!」

 

「無理だよ」

 

「えぇ!?」

 

 綾瀬大将から無慈悲な真実が告げられる。解放艦娘は提督から視認できる距離且つ半径5キロ圏内程度の近距離でなければ行えない。それは綾瀬大将でも例外ではない。

 

「くそ、どうすれば!」

 

 ベアークローの連撃を躱しながら朝潮はそう吐き捨てた。十分距離を保った子の間合いでは敵の攻撃を難なくかわせるが、そこから朝潮の必殺の間合いまでは無限とも思える開きがあり、飛び込んだが最後ベアークローを浴びて敗北する事は火を見るより明らかだった。

 

「言っただろう? 異常を連発して敵が砲撃をしてこないとか言う事態になったら困るのはキミだって」

 

 などと言う綾瀬大将の不快な言動を聞きながら、どうするか考えていた。その時である。地平線のかなたから満潮達が駆け付けたのだった。

 

「満潮、来てはいけません。離れてください」

 

 朝潮はそう叫ぼうとしたが、綾瀬大将は満潮達に砲撃の指示を出した。

 

「満潮達を危険にさらすことは許しません。何を考えているんですか?」

 

「いや、あの距離だとベアークローの射程外だ。そして、砲撃はキミの迎撃弾がけん制して撃てない筈」

 

「迎撃弾にそんな機能はありません。あくまでわたしの方向に対して撃ちこんできた主砲のみに……」

 

 綾瀬大将は良いから主砲を構えるように言ってきた。満潮達の砲撃が始まり、プリンツはたまらずそちらの方向に主砲を構えた。しかし、主砲を構えているわたしの方を一瞥した後、直ぐに主砲をしまい、こちらの方に移動してきたのである。

 

「どうして?」

 

「プリンツはキミの異常がキミに対して砲撃を使うと危ないという事しか分かっていない。キミの言うようにキミの方向に主砲を向けていないと効果がないとか知らないんだ。だからその場を離れて避難するしかなかった。さて、相手はこちらの近くで近距離戦をすることを選んだようだ。友軍が近くにいれば巻き添えさせないために援護は期待できない」

 

 なるほど、接近戦ならば分があると、しかしその決断は地獄への入り口、なぜならわたしはその近距離戦を最も得意とする艦娘。

 

 へぇ、逃げないんだ。私はビスマルク姉さまから最高の格闘術を伝授された艦娘。ビスマルク姉さまの次に接近戦の得意な艦娘。

 

「「この距離は朝潮示現流(ダンケ式格闘術)の距離です(よ)」」

 

 二人のこぶしが、激突する。

 



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兄弟子との出会い

満潮達は困惑していた。雪風から事の真相を聞いていた満潮達は彼女の司令官が敵ではない事と、朝潮がその鎮守府艦を無力化した事を通信で知っており、後はそれを港まで運ぶだけで勤務終了の筈であった。

 

 しかし、正体不明の艦娘プリンツと朝潮が戦闘を行っており、朝潮に力を分け与えている正体不明の提督によって彼女を援護すると、突然彼女らは海の上で肉弾戦を始めたのである。

 

「満潮ちゃんたち、キミ達はこの距離を保ちながら待機、もしもプリンツが朝潮の元を離れるようなら、砲撃でけん制して欲しい」

 

 と言う朝潮の提督の指示の後、満潮達は朝潮とプリンツの肉弾戦を見せられることになっていた。

 

「状況は五分、と言ったところね」

 

 

 わたしは困惑していた。敵が接近戦に応じた以上、ある程度近距離戦に対しての戦いの心得があると予測はしていたが、わたしと互角もしくはそれ以上の拳を放って来るとは予想していなかった。そしてその拳に技に見覚えがある。彼女は朝潮示現流に近い流派の拳法使いである。

 

 プリンツは困惑していた。朝潮の異常が通用しなかったときのために、近距離戦での切り札を用意していると予測はしていたが、まさかビスマルク姉さまのゲルマン式格闘術に近い格闘術を習得しているとは思わなかった。彼女はこの泊地に来る前にビスマルク姉さまのいる佐世保第一鎮守府に所属していた事とはグラーフから聞かされていたが……もしや彼女はビスマルク姉さまが私を倒すために呉に送り込んだ刺客? そんなことを考えていた。

 

 わたしの拳がプリンツの腹に突き刺さり、間髪入れず彼女の顎に蹴りを入れようとするが、その足を止めた。その瞬間、プリンツは顎の前で腕を交差し、ブロックの構えを取る。以前この朝潮示現流崩山を霞に止められた後、足を掴まれて叩きつけられると言った手痛い反撃を食らったことがあり、その経験がわたしの命運を分けたのである。

 

「へぇ、勘が良いわね。ビスマルク姉さまも私を倒すためにあなたのような刺客を用意しているなんて予想外だったわ。それとも、霞の指示かしら?」

 

「昔、それで手痛い反撃を食らったことがありまして。あなたこそ、わたしの朝潮示現流の技を知っているという事は、ダンケ仮面師匠を知っているという事ですか? 師匠と一体どんな関係なんですか?」

 

「それを聞いてどうするの?」

 

「もし、あなたがわたしの兄弟子ならば沈めたくはありません。ダンケ仮面師匠も自分の拳が悪い事に使われることは快く思っていない筈です。わたしの拳であなたを改心させます」

 

 わたしのその声を聴いて、わたしの方に向き直り目を見開きながら睨みつけた。

 

「あなたがわたしの何を知っているの? 私のこの行いを悪だと断定するなら構わない。私のビスマルク姉さまが、私を否定するなら構わない。私を否定するならそのすべてに報いをくれてあげるよ」

 

 その時、わたしは思い知った。ベアークローによる遠距離攻撃や近距離戦での打ち合いなどは、プリンツにとってみればお遊びであり、その気になればいつでもわたしを沈める事が出来たという事を……彼女は艤装の下に隠していた箱状の何かをポンと叩くと、その箱から謎の光が立ち込め、彼女を包み込む。

 

 その光に包まれたプリンツは衝撃波を体の周りに発し続け、体が水面から少し宙に浮くと言う絶望的な光景が広がっていた。

 

「あれは、解放艦娘? いえ、解放艦娘は司令官がかなり近くに行かないとなれない筈です。彼女は一体?」

 

「これがボックスと呼ばれる艤装だ。解放艦娘と言う鎮守府近海でしか行えない艦娘の切り札。それを取り付ける事によって提督の力の範囲外でも使用できるいわば最終兵器だ。キミは不思議に思ったことはないかい? なぜ彼女らが多くの大将に敵対しているにもかかわらず今まで大規模に攻められてこなかったのか? その理由がそこにある」

 

 わたしの問いに、綾瀬大将はプリンツが解放艦娘であると言う絶望をもって答えてくれた。もっと前に答えて欲しかったが、答えたところでどうにかなるものでもない。彼女としても、目の前の相手が解放艦娘になれない事を祈るしか手がなかったのだろう。

 

「朝潮ちゃん、解放艦娘の事は知っているみたいね。なら、抵抗しても無駄だって事は分かるでしょう? 四肢の力を抜くことをお勧めしますよ。そうすれば、一発で気絶できるから」

 

 彼女の言っていることが優しさであることをわたしは理解していた。今まで互角の殴り合いを演じていたわたし達の内、一方が5倍の強さに変わったのである、勝敗は火を見るより明らかであり、抵抗すれば苦しむ時間が長くなるだけである。しかし、わたしは彼女に向けて構えを取った。

 

「何か手はあるのかい?」

 

 綾瀬大将はそう聞いてきたので、わたしはこう答えた。解放艦娘が彼女とわたしの差であるのならば、彼女の解放状態を解けばいい。艤装の下にあるボックスを奪うか破壊するかして、彼女の解放状態を解く、幸いボックスの位置をわたしは把握している。何より、万が一の可能性を捨てて諦めると言う考えはわたしにはない。

 

「そう、残念ね。わたしも弟弟子をいたぶるのはあんまり趣味じゃないんだけれどなぁ」

 

 そう言い切るか言い切らないかの瞬間に、プリンツは瞬間移動してわたしの鳩尾に一撃食らわせる。それに反撃の右こぶしを放つが、そこに彼女はいない。右後方にすでに移動していたようで、そこからの回し蹴りで私の艤装は中破し、15メートルほど吹っ飛び、水面をゴロゴロと転がっていった。

 

 体制を整えると、すぐさまベアークローが襲い掛かる。それに合わせてわたしが魚雷を放り投げたので一瞬だけ敵が躊躇した結果、右に飛び跳ねる事で回避する事が出来たが、数少ない攻撃手段の一つを失ってしまった。

 

「速度の質が違いすぎる」

 

「どう? 力の差は分かってくれた? 一応、グラーフはあなたを仲間にするつもりだから、あんまり手荒な真似はしたくないんだけどなぁ」

 

 何とか隙を付いてボックスを奪い取るどころではない。触れる事さえ不可能だ。わたしは目を閉じ、四肢の力を抜いた。

 

「ようやくあきらめる気になったようね。でも、安心して、目を開けた時にはあなたはグラーフによって歓迎されているはずよ」

 

プリンツの声が聞こえた瞬間、わたしは身を屈め後ろから首筋を狙った手刀を躱すと同時に、目を見開き頭上に見えた敵の顔面にサッカーのオーバーヘッドキックのような強烈な後方蹴りを食らわした。そのまま水面に手をついて体制を整えた後、顔を抑えている彼女の後頭部に両の手を握り振り下ろした後、九の字に曲がった体勢の顔面に膝蹴りを食らわせる。

 

「ようやく捕まえました。ここからはわたしの独壇場です」

 

 そのまま敵の艤装にありったけの魚雷を放り込み機銃によって起爆。少し起爆させる距離が近すぎて朝潮自身も爆風で数メートル吹き飛んだが、5メートルほどの火柱が上がり、爆発炎上したので、無事では済まないだろう。

 

「ここまでしなければ勝てない強敵でした。悪くは思わないでくださいよ」

 

 しかし、わたしがそう言ってほんのちょっと油断したタイミングで、海面が突如として裂け、3メートルほどの水柱が上がり、その余波による高波が発生したのだ。

 

「何っ!!」

 

「ふう、さっきは沈めたくないとか言っておきながら、完全に沈める気満々じゃない。しかし、もう油断しないよ。心をバキバキに折って屈服させてから連れていくことにする。仕方ないよね、下手に抵抗する朝潮ちゃんが悪いんだもの」

 

 ピピピピ!! ピピピピ!!

 

「何の音?」

 

「アラームですよ。今までの戦いはこの音が鳴るまでの時間稼ぎです。解放艦娘に通常の艦娘が叶う筈がありません。解放艦娘には解放艦娘です、後は頼みましたよ霞!!!」

 

 わたしがそう言うと同時に、第一鎮守府の屋上にある巨砲から放たれた弾丸が、プリンツの右主砲を貫いた。

 

 



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永い夜の終わり

結果的に言うと、わたし達はプリンツを追いかけて捕らえることは出来なかった。霞の熊手砲の威力があれば第2射目で中破したプリンツをしとめること自体は可能だっただろうが、沈む前のわずかな時間行う悪あがきによってわたしと満潮達が沈められることは明白であり、その事が分かっていた霞の、敵を追うなと言う命令によって、彼女は呉近海から脱出した。

 

「ふぅ、お互いに命拾いしたわね。朝潮ちゃん、ビスマルク姉さまによろしく言っておいてね」

 

 などと、先ほどまで命を懸けた死闘を演じていたとは思えない彼女の捨て台詞を聞き、わたしも何か返してやろうとしたのだが、どっと力が抜けたような感覚に陥り、そんな気力も失われていった。

 

「ふぅ、なんかどっと疲れました。朝日が昇っています。そう言えば今日はずっと働き詰めでしたからね。熊本大将に頼んで少しのんびりさせてもらいましょうかね」

 

 その時である。綾瀬大将から通信が発せられた。

 

「大変だ、朝潮ちゃん。今からすぐに全速力で満潮ちゃんの所に向かうんだ」

 

「どういう事ですか? 満潮の所へ?」

 

 彼女の通信と共に、満潮もこちらに向かって全速力で向かってくる。困惑しながらも、朝潮は満潮の方へ向かった。

 

「はぁ!? 先に言いなさいよ」

 

 朝潮と満潮に向かられたメッセージをかい摘むと、朝潮の艤装は改造した艤装本体ではなく、壊れた艤装を彼女の謎技術によって再生して再現したものであり、時間経過によって元の壊れた艤装に戻り元の艤装は轟沈判定になっているので消滅する。

 

 つまり、このままでは朝潮は艤装なしで海のど真ん中に放り出されると言う衝撃的な内容だったのである。

 

「プリンツに朝潮示現流の事を教えてしまいました。もしかしてこれも朝潮示現流の呪い? くそう、結局こうなるんですか!?」

 

 綾瀬大将は艤装消滅までのカウントダウンを始める。しかし、あと10秒なら余裕がある。満潮との相対距離は後5秒程度、余裕で間にあう。わたしは満潮に飛び掛かり、彼女はわたしを受け止め……そして、背負い投げた。

 

「あ、……ごめん。癖で」

 

 5メートルほど吹き飛んだわたしが気づいた時には見知ったベッドの上だった。

 

「ふぅ、酷い目にあいました」

 

「全くよ。朝潮姉さんは悪い意味で私の期待を裏切らないんだから、イブちゃんに念のために艤装同調システムを仕込んでもらっておいてよかったわ」

 

 霞がわたしのベッドの横で間髪入れずに話しかけて来たので、わたしが運ばれた後ずっと横にいたのだろう。呉第一鎮守府の面々は雪風の提督が利用されただけの被害者である事を証明するために奔走していたらしく、具体的には泊地外に停泊してある筈の横島提督の鎮守府艦の捜索を開始したらしい。

 

 そこには彼らがボックスの材料を売りつけるための顧客情報がおそらく保管されており、かかわった人間を一網打尽にすると白雪が意気込んでいたらしい。

 

「白雪が? 意外ですね。彼女はどちらかと言えば血気盛んになるそう言った連中のブレーキになる存在だと思っていたのですが」

 

「ボックスの事になるなら話は別よ。あれが世間一般に普及すれば、大変なことになるのは誰の目から見ても明らかだし、何より許されることではない。白雪はそう言ったことには人一倍責任感が強いしね」

 

「ふぅぅん。そういうモノですか……」

 

 起きたはいいが、わたしはまた睡魔に襲われ、ソレだけ聞くと眠りに落ちてしまった。艤装がない以上、今のわたしにできる事は少ない。ならば、少しでも英気を養い万全の状態を維持する事、それがわたしに出来る最善だと理解していた。

 

 

 満潮達が港に着いた方を聞いた司令官はそれを見届けた瞬間、眠るように気絶してしまった。最後の出撃の前に10分ほど睡眠時間が取れたとはいえ、長い夜を艦隊の制御に費やしたことで、疲労がたまっていたようである。そんな彼が目を覚ましたのは6時間ほど後の事であった。

 

「あ、起きた? ……ふん、今回は頑張ったみたいね。少しはアンタの事見なおしたわ○○」

 

「俺、もっと頑張って凄い提督になる。そして」

 

 満潮は彼女の口を指でふさいだ。そして、

 

「アンタがすごい提督を目指すのと同じように私は凄い艦娘になる事を目指しているの。もし、アンタがその道を諦めなければ、私達の道が重なる事はあるかもね」

 

 司令官は満潮の言葉に頷き、目を瞑った。彼と彼女の道はまだ始まったばかりであり、今は未来の事を口にすべきではない。帰らには無限の可能性があるのだ。

 

「馬鹿ね。その先にあるのは地獄よ」

 

 彼女はそう言うと、彼の頬をそっと撫でた。

 

 




 これにて、第2部完です。次から第3部に入ります


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日輪の花は影を知らず
流星のごとく


陽炎達呉第12鎮守府がイベント海域から離脱したのは、イベント終了予定日の一週間ほど前の事であった。呉泊地に鎮守府艦が侵入し、鎮守府同士の打ち合いに発展すると言う異常事態に発展したそれは、第一鎮守府の精鋭たちによる必死の抵抗により終息した。

 

「朝潮ちゃん、久しぶりね。元気にしていた」

 

 故に、陽炎達が一週間も早くイベント海域を離脱する理由がないのだが、彼女達が呉泊地に戻った理由はほかにある。彼女から陽炎宛に送られてきた通信文には一言、『不知火が見つかった』とだけ書かれていた。

 

 提督を説得して泊地に急いで戻り、朝潮に電話を掛けると、明日の正午に郊外の喫茶店で待ち合わせしたいとの返答が帰って来たのだ。そして、今日がその指定された日時と場所である。

 

「あ、陽炎さん久しぶりです。何といいますか、塞翁が馬と言いますか、妹さんの不知火さんの居場所を知っていると言う人に出会いました」

 

 なんというか落ち着いた雰囲気の喫茶店の奥で彼女は猫の人形が置かれた古びた樫の木の椅子にもたれ掛かりながら紅茶を啜っていた。陽炎は彼女の目も前の椅子に座り、店員にコーヒーとチョコレートケーキを注文する。

 

 黒色を基調としたシックなドレスに身を包んでいる彼女は彼女が知るおてんばな感じの姿とはうって変わって気品すら漂わせていた。そう言う陽炎も白いワイシャツにジャケットを身にまとい髪を黒く染色してこの場に居合わせているので、人の事は言えない。

 

「しかし、面倒な話よね。イベント期間中、基本的に艦娘は出払っているので、目立つから変装して行きなさいなんて」

 

「そうですね。わたしも変装と言われて、ダンケ仮面2号の服を取りだしたら霞に無理やりにこの服に着替えさせられてしまいました。完璧な変装だったはずなのに、おかしいですよね」

 

「やっぱり訂正するわ。霞が正しかったようね」

 

 陽炎の裏切りに不平不満を漏らす朝潮であったが、彼女が世間話もかねて鎮守府艦呉侵入事件の顛末を聞くと、満面の笑みを浮かべながら話を始めた。流石は私のライバル等の相槌を打ちながら話を聞き流していたが、何というか彼女が提督から聞いた話とは別物レベルで盛に盛られまくっていた。

 

 特に、霞をはじめとした主力部隊が遠方の応援で不在の中、敵の戦力分断の策を受けて他鎮守府の援軍もままならない状態でほとんど朝潮の判断で敵鎮守府を防ぎきると言う、この子こんな事言う子だっけと言うようなほら話に近い話や、最終的に敵艦と一対一の肉弾戦にもつれ込んで敗北寸前のところを霞に救われると言う、漫画の見過ぎのような話も飛び出し、若干今回の信ぴょう性が疑わしい内容であった。

 

「なるほど、大変だったわね。それで、朝潮ちゃんはどうやって不知火の居場所を知る事になったの?」

 

 と、さりげなく本題に軌道を修正すると、はぁ! そうでした。と、白熱した苦労話を打ち切り、話し始めた。

 

 

 あれは、わたしが呉の事件を解決して3日ほどたった頃、具体的には7日ほど前の事である。本来ならば熊手砲の無断使用や、第15鎮守府を沈めた際の始末書、宮本提督の身の潔白の証明のために奔走する必要があったが、霞、白雪、満潮その他大勢の休め! と言う命令のため、暇を持て余していた。

 

 命令通り3日ほど実質でゴロゴロしたり、熊手砲の際に力を借りた少年とオセロに興じたり暇をつぶしたのであるが、休暇を終えいざ執務室に戻るとわたしの仕事は何一つ残っていなかった。

 

「霞! これは、どういう事ですか?」

 

「ああ、これ? 満潮達が朝潮姉さんを休ませるためにと言って雑務やらなんやらを引き受け、白雪たち居残り組も今ここに私達が生きているのも朝潮ちゃんのおかげだと仕事を処理したら、姉さんの仕事がなくなっちゃったの。まあ、そんな訳で、もうしばらく休暇を楽しみなさい」

 

「それで好きに訓練しようとしたら、満潮から怒られたんですけれど?」

 

「まあ、当然よね。休めって言われているのに」

 

 わたしは絶望した。無限の休息、ダンケ仮面師匠から朝潮示現流を習う前の自堕落で何もない生活を思い出す。そう言えば今のわたしは艤装が轟沈し何もない。再びアイデンティティの危機に陥っていた。しかし、呉を救った恩を返したいと言う仲間たちからの厚意も無駄に出来ない。

 

 そんな中、救いの神はやって来た。遥か彼方から飛来し、熱と光を発しながら恒星のように輝く身体!! 一筋の流星となって、この鎮守府の窓を破る。  のではなく、礼儀正しく窓を開けて執務室に入って来た。

 

「あなたは一体!!」

 

 緑色全身タイツに緑色のマスク!! そして、赤のマントに身を包むその姿。腰のベルトは金色に光り輝き、顔のマスクにはSZYの三文字が浮かんでいる。そう、彼女の名前は!!

 

「私は謎の美少女鈴谷仮面!! 鈴谷仮面参上!!!」

 

 わたしは雷に打たれた衝撃を受けた。ダンケ仮面師匠の艦娘パワーにも匹敵するその威圧感。鈴谷仮面!! 彼女はいったい何者なのだ!!?

 



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ミスト仮面参上

 

「ちょっと待て待て待て、待ちなさい!!!」

 

 なんですかと話をぶった切られて不服そうな朝潮だったが、当然である。どこから突っ込んでいいか分からない。何でこの子、窓から不審者が侵入してさもそれが好意的な状況かの様に語っているの? ダンケ仮面って、こんな感じの変態と他にも別の場所であったことあるの? そもそも、艦娘パワーって何? 等の突っ込みたい事は山ほどある。

 

 それよりも、もっと気になる事は!!

 

「何でその鈴谷仮面とか言う変態がいつの間にかこのテーブルにいるのよ!!」

 

 そう、彼女の話を聞き言っているときに、気づいたらテーブルに腰掛けわたしが注文したはずのコーヒーとチョコレートケーキを貪る変態全身タイツがそこにはいた。特徴を見るに、彼女が話していた鈴谷仮面に相違ない。

 

「具体的には陽炎さんが、久しぶり元気してた? と聞いたときにはすでにこのテーブルに座っていました」

 

「それって最初からってことじゃないの!!」

 

「ちーっす。鈴谷は鈴谷仮面。あなたの妹である不知火の居場所を知るもの。このコーヒーとチョコレートケーキは情報料件運賃ってことでもらっておくね」

 

 そう言いながらチョコレートケーキを頬張るものだから、情報を引き出していない手前、強く突っ込む事すら出来ない。

 

「それでは陽炎さん。話を続けてよろしいですか?」

 

 釈然としないが、陽炎は朝潮のその提案に頷き、朝潮は話を続けた。突っ込まない、何言われても絶対に突っ込まないわよ。陽炎はそう心に誓うのだった。

 

 

 鈴谷仮面の圧倒的艦娘パワーに気圧されて次の言の葉がつむげないわたしに対して、その場にいた霞がその静寂を破った。

 

「全く、今回は誰の差し金? 私達は呉襲撃事件の後始末に忙しいの、用があるなら早く言いなさいな」

 

「霞ちゃん、相変わらずノリ悪いよねぇ。鈴谷がここに来た理由は二つ」

 

 そう言いながら、彼女は一枚のカードをわたしに投げてよこした。それを受け取ると、滅んだはずのわたしの艤装が復活したのである。そして、その艤装の感触に覚えがある。呉襲撃事件の際にわたしの命を救った艤装。それがわたしの元に戻って来たのである。

 

「ひとつはイブちゃんから朝潮ちゃんに艤装を渡すように言われて、その為に。もう一つは朝潮ちゃん、下村元帥に言われてあなたを彼のもとに招待するように言われて来たってわけ」

 

 下村元帥の名前を聞いて、霞はピクリと反応した。

 

「おかしいですね。下村元帥は行方不明だと聞いていますが?」

 

「ちっちっちっ、確かに下村元帥は行方不明とされているけれど、その所在を知る人物が一人だけ存在する。横須賀第一鎮守府の鶴崎大将。鈴谷の仕事は朝潮ちゃんをそこまで連れて行くまでで、後は鶴崎大将に聞いてね」

 

 わたしはなぜ下村元帥がわたしを呼び出そうとしているのかが分からなかった。しかし、霞の言う通り呉が混乱している時期に今は他の艦娘が肩代わりをしているとはいえある程度仕事を手伝えるわたしが抜けるのはあまりよくないと思い、彼女の話を断ろうと思っていた。しかし、

 

「断るのはいいけれど、そうすると陽炎ちゃんは不知火ちゃんに当分会えないよ」

 

 と言う鈴谷の一言で事態は急転した。

 

「それはどういう?」

 

「下村元帥は昔っから、優れた艦娘や提督を呼び出して彼女らと自分の艦娘との戦いを見て楽しむと言う悪癖を持っているわ。その戦いに応じてその艦娘の提督に地位や権力を与える。そこの鈴谷も下村元帥に認められて彼女の提督は単冠湾第一鎮守府で大将としての地位を恣にしている」

 

 わたしの疑問に霞が答えてくれた。単冠湾第一鎮守府のオホーツクの巨人が一度の出撃もなしに大将に昇進できたのはそう言ったカラクリがあったのだ。鈴谷はそれ、鈴谷のセリフなのにぃと霞に不満をぶつけているが、わたしには関係がないので無視することにした。

 

「それで、不知火に会えないと言うのは?」

 

「下村元帥が朝潮ちゃんと戦う相手が、この泊地で陽炎ちゃんが探している不知火。陽炎の話している自分の妹が異常艦娘であると言う彼女の言う事が本当ならね」

 

 なるほど、下村元帥は戦う相手を不知火にすることで、わたしを戦いから降ろさないようにしているのだ。特に出世とかそう言ったものに興味はなかったが、グラーフの信奉者と戦う際に地位が高いに越したことはないだろう。

 

「分かりました。しかし、下村元帥は見逃しています。そう、わたしが謎の美少女ダンケ仮面2号である事を!!」

 

 そう言ってわたしは懐に忍ばせていたダンケ仮面2号のマスクをかぶり高笑いを浮かべる。

 

「そのマスクは!! そう、朝潮ちゃんダンケ仮面の弟子だったのね!! いいじゃん、いいじゃん。鈴谷仮面、ダンケ仮面2号のサポートを全力でするよ」

 

 などと、わたし達が仮面同士の友情を確かめ合っていると、霞が深いため息をついている。なるほど、一人だけ仮面をつけていない疎外感を感じているのだろう。そんな彼女のために、とっておきの品を渡した。

 

「霞、これが謎の美少女ミスト仮面のマスクです。これを付けてあなたもマスクド艦娘になるのです」

 

「はぁ!! つけないわよ!!」

 

 彼女はそう言って受け取ろうとしない。そう、彼女は恥ずかしがり屋なのである。

 

「えっ!? つけないの? 霞ちゃん相変わらずノリが悪いよねぇ」

 

「そんな事で、そんなバカみたいなマスクをつける訳ないじゃない!!」

 

「……」

 

「……」

 

「ああああああああ! もう分かったわよ。付ければいいんでしょう、付ければ!!」

 

「霞、掛け声は謎の美少女ミスト仮面、参上です」

 

 霞は切れながらマスクをかぶり、そして、

 

「霞、仕事ひと段落したから……」満潮が執務室に入って来た。

 

「わたしは謎の美少女、ミスト仮面。熊手に代わって、お仕置きよ」

 

 満潮と霞はお互いに顔を見合わせフリーズした後、満潮は執務室のドアを閉めた。霞はマスクを脱ぎ捨て執務室のドアを蹴破り、満潮に先ほどの奇行に対しての弁解を始める。

 

「違う、違うのよ」

 

「霞、アンタは私の側だと思っていたけれど、朝潮姉さん側だったようね。武士の情けよ。今回の奇行は黙っておいてあげるから、ちょっと一人にして」

 

 謎の美少女ミスト仮面の噂は、第一鎮守府中を駆け巡るのに、時間はかからなかった。

 



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ムーンブレーカー

 満潮は霞に説得される形で、執務室に入室した。霞の話では呉に侵入してきたプリンツたちがまた呉に侵入してくるかもわからず、少しでも戦力を回復するために単冠湾から朝潮の艤装が届けられ、その運び手として鈴谷が送られて来たらしい。

 

 その過程で、霞が謎のマスクを被り謎の極めポーズをしていた事に対して疑問が残るが、朝潮や鈴谷が同じような格好をしているのを見るに、大方上手く言いくるめられたのだろう。

 

「全く、まあ良いわ。しかし、朝潮姉さん付き合う相手は選んだ方が良いわよ」

 

「心配いりません。ドイツの文豪であるゲーテは言いました。人を見かけで判断してはいけない。師匠も艦娘パワーの高い艦娘に悪い艦娘はいない。そう言っていました。彼女ほど艦娘パワーが高ければ、悪い艦娘ではない筈です」

 

 朝潮はえっへんと腰に手を当てて胸を張っているので、よほど自信があるのだろう。満潮は彼女の人を見る目を信用してはいなかったが、事前に鈴谷が単冠湾の大将の艦娘であることを聞いていたので事を荒立てる必要はないとハイハイと軽口を叩くだけに留めておいた。

 

「まあ、良いわ。馬鹿話はあなた達だけでやって頂戴。私はとっとと報告を終わらせて、次の作業に取り掛かる事にするわ」

 

 満潮はそう言いながら書類を霞に手渡した。霞はその書類を一瞥すると、「満潮、最近オイルの消費が少し激しいわね」と言った後に再び書類の方に目を向けそれをぺらぺらとめくり始めた。

 

 オイルの消費が激しいという事は満潮自身も把握している事で、ここに来るまでのハイペースな出撃や呉襲撃に備えての連日の特訓により艤装自体が痛んでいるのかと思っていた。それを他の艦娘にも指摘されるほど劣化が進んでいるのならば今度工廠で見てもらおうかしら。そんな事を考えていると、鈴谷が満潮の手を握った。

 

「何よ」鈴谷は答えない。彼女の手を持ち上げ、角度を変えながら何回か握りを強くしたり弱めたり、頭を捻り時々唸りながら観察する。そして、一通り満潮の手を観察し終わるころに、

 

「ふぅぅん、この子に異常(オリジナル)が発生しているね」

 

 オリジナル? 鈴谷が何を言っているのか理解できなかった。

 

「オリジナル? 何よ、変な遊び? 変な遊びなら私の知らない所でやってってさっき言ったじゃない? ……なによ。みんななんでそんな目で私を見るの?」

 

が、彼女がそう言い放った瞬間執務室の空気が凍った事から、彼女自身の体に何か重大な事が起こった事が満潮にも理解できた。

 

「はぁ!? そんな、嘘よ。第4鎮守府には例の事件が発生してから所属した全艦娘に対して検査を行った時に、異常(オリジナル)が認められたのは荒潮だけ、それも司令官を取り込んだ際の一次的なもののはず」

 

 満潮には霞がそう言って声を荒げている理由も、彼女がなぜ声を荒げている理由も分からない。ただ、彼女は気づいてしまった。

 

「さぁ、前にイブちゃんが話していた事が、あってさ。鈴谷はまたイブちゃんテキトーな事言っていると思っていたんだけれど、事実だと思った方が良いみたいだよね」

 

 満潮の周りには半透明の彼女に似た小人が彼女に向けて視線を送っていたのである。そして、彼女は思い出した。荒潮が狂乱に取りつかれたときに、恐怖の眼差しを向けながら放った妖精の仕業と言う言葉を……。

 

「満潮……大丈夫ですか?」

 

 よほどひどい顔をしていたのだろう、顔面蒼白で過呼吸気味の満潮を心配して朝潮が満潮の肩に手をのせる。その手の先から朝潮に似た小人が満潮の肩に乗っかろうとしてきたのである。

 

「いやぁぁぁ!!!」

 

 その瞬間、満潮は身を屈めたと同時にまるで黒板をフォークで引っかいたような『ぎぃぃぃん』と言う音があたりに響き渡り、間髪入れずにガラスの割れるような音が満潮の耳を襲う。ハッとしながら彼女は目を開いた。

 

しかし、彼女が目を開けると朝潮の姿はそこにはなく、その延長線上にある窓ガラスが割れていた。満潮が……朝潮を窓に突き飛ばした?

 

「ワーオ、これは予想外だね」

 

 霞と鈴谷は満潮に視線を向ける。そして、視線を維持したまま霞は口を開いた。その声はこんな事があったにもかかわらず落ち着いており、満潮の耳には倒すべき敵に対峙する残忍な態度に感じられた。

 

「鈴谷、下に落ちた朝潮姉さんを頼むわ。私は満潮の方を」霞のその声を聴き、鈴谷は割れた窓から執務室を飛び出した。何か、何か弁解をしなければ、処刑されてしまう。彼女はパニックになりながら言葉を紡ぐ。

 

「違うの、これは……私じゃない、そうよ!! 妖精よ!! 妖精がやったのよ!!」

 

 奇しくも、彼女が放った言葉は狂乱した荒潮が満潮に対してはなった言動と同質のものであった。霞は頷き、彼女の言動が正当なものであることを理解した。

 

「ええ、分かっているわ。その妖精さんを止めるためにあなたを一時拘束させてもらうわ。抵抗しなければ、痛くしないから手を重ねて前に出しなさい」

 

 その上で、満潮が拘束されない理由にはならない。それが満潮には分かってしまった。自分の意志とは無関係のおそらく主砲の発砲、それに伴う友軍艦娘への攻撃、幻覚、解体されるには十分な罪状である。

 

「いやよ。わたしの所為じゃないの。こんな事で、こんな事で未来が閉ざされるなんて嫌!! 嫌!! 嫌!!」

 

 満潮がそう言って頭を抱えると、また黒板をフォークで引っかく様な音が鳴る。まただ。またやってしまった……。

 

満潮が恐る恐る目を開けると、霞の上着の胸元が何者かに切り裂かれていた。彼女の左手からは血がしたたり落ちていた。そこで冷静だった霞は声色を強めながら話を続ける。

 

「全く、人の話を聞きなさいったら、これ以上抵抗するなら痛い目に合わさなきゃならなくなるの」

 

 霞は肉体の損傷によって強制的に展開された艤装を雲散霧消させた。これは満潮に対する敵意がない事の今できる最大限の意思表示であったが、狂乱している満潮にはそんな事は頭に浮かばない。

 

「そんな事言っても、私には何がどうなっているのか分からないの!! 何が朝潮姉さんを窓から吹っ飛ばしたのかも、何が霞の腕を切り裂いたのかも!!」

 

「分かっているわ。分かっているうえでもう一度言う。手を重ねて前に出しなさい。そうすれば、それが勝手にあなたの意志と無関係に他人を傷つける事がない様にしてあげるわ」

 

 そう言いながら霞は満潮に歩み寄り右手を彼女に向けて差し出す。今度は満潮自身も目を開けていた為、何が起こったのかを理解した。いや、どうしてこうなっているのかはまるで理解できていないのだが、霞の手首に満潮の意識は集中させられ、その後3か所、具体的には執務室に置かれているボールペン、割れた窓ガラス、壁に打ち付けられ外れそうな釘に意識が集中される。それがどうなるのか、満潮は本能的に理解できた。

 

「やめて、ねぇ、止めてよ……」

 

そして、3か所にあったものが、満潮の意志とは無関係に霞の手首に向けて高速で打ち出される。

 

「だめぇぇぇ!!!」

 

 刹那、3か所から同時に飛んできた飛翔物を霞はそれがさも同然であるかのように知覚し、それを掌でキャッチしたかと思うとそれを満潮に向けて開いて見せて来た。満潮は腰を抜かし、それを確認した後に霞は口を開く。

 

「これがあなたの異常。視界にいるものを別の所に移動できる力。最初は朝潮を窓にぶつけて、二回目は私を部屋外に吹っ飛ばそうとしたけれど、私に異常をぶつけられて無力化された。まあ、その時の異常無力化による罰(ペナルティー)は肩代わりしてあげたけれど、それによってあなたの異常は私自身を吹き飛ばす事が出来ないと理解した」

 

 満潮には念動力があり、その力で朝潮や霞を吹き飛ばし、朝潮に対しては成功したが、霞に対しては成功しなかった。そして、霞に成功しない事が分かったので、小型のものを彼女にぶつけるように戦法を切り替えたのだと説明する。なぜそんな事が、と満潮は話を続けようとするが、彼女の背後に忍び寄る陰に、この時の彼女は気づけなかった。

 

「終わったようだね」

 

 突如として満潮の視界は彼女の顔に被せられた何かによって塞がる。が、後方から「うん、逆だね」と言う声が聞こえ、彼女の頭に被せられた何かが回転させられ、やがて満潮の視界が戻る。ちょうど目の前にいた霞がどこから取り出したのだろうか、鏡を持っており、満潮の顔面に『フルムーン』と書かれた、彼女の言うところの奇抜な見た目のマスクが被せられていたのである。

 

「このマスクは異常が暴走した艦娘に被せると、暴走を止める事が出来る不思議なマスク。満潮ちゃん、君に発生した異常と言う現象は特別な事ではあるけれど、特異な事ではないんだよ。霞ちゃん、朝潮ちゃん、そして鈴谷、この場にいる全員異常艦娘、いわば君と同種の艦娘ってわけ」

 

 彼女が後ろを振り向くと、そこには執務室の椅子に座っている鈴谷と、彼女の膝で寝息を立てている朝潮の姿がそこにはあったのだ。と、同時に……。

 

「ちょっと待って? その、異常とやらを抑える為って、私はしばらくこのバカみたいなマスクを付けてなきゃならないの?」

 

 鈴谷は頷いた。その日、謎の美少女マスクドフルムーンの噂は第一鎮守府を駆け巡った。霞と満潮の奇行に鎮守府中が困惑し、また朝潮が何かを吹き込んだのだろうと言う根も葉もない俗説が鎮守府には既成事実として定着していった。

 



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移動手段は空

 と言う風な出来事があったのであるが、その事を朝潮は知らなかったので……。

 

「で、その目的地に着いたわけなんだけれど、またここにも変なマスクを被った艦娘かいるんだけれど……それにあなたは満潮ちゃん? 満潮ちゃんそんなキャラだったの!?」

 

 鈴谷に案内された先には大型のバスと彼女が所属する第12鎮守府の田沼提督と一人の少年、陽炎が聞いた話では呉防衛線で満潮達を指揮していた提督の卵とフルムーンと言うマスクを被った満潮がその場にいたのだった。呉を守った功績によってその少年が鶴崎大将の所に呼ばれたので、陽炎達と行き先が同じであるという事を陽炎は判断した。

 

 しかし、なぜ満潮がそんなマスクを被っているのか。と言う事は理解できなかった。それを聞いて満潮は肩をぶるぶると震わせ、絞り出すような声で「好きでこんな格好している訳じゃないわよ」と言っていたので、陽炎は安堵していた。

 

「まあまあ、積もる話はバスの中でじっくり話してもらって、とりあえずバスに乗りましょう」

 

 と言う田沼提督の指示で一同はバスの中に乗り込んだ。が、バスに乗り込んだ後、陽炎は奇妙な事に気が付いた。

 

「おかしいわ。朝潮ちゃん」

 

「どうしたんです?」

 

 陽炎は隣にいる朝潮に声をかけた。朝潮はきょとんとした顔をしており、異常性に気が付いていない。

 

「このバス。運転手が乗っていないじゃない。それに鈴谷も乗ってこない。しばらく待たされるってことかしら?」

 

「ああ、それでしたら。運転手なら……下にいますよ」

 

 朝潮がそう言うとバスの前方が上横行に持ち上がり、バスの下の方から「じゃあ、行くよ!!」と言う鈴谷の声が聞こえて来た。恐怖を覚えるとともに鈴谷が先ほど言った言葉を思い出した。「このコーヒーとチョコレートケーキは情報料件運賃ってことでもらっておくね」それは、一体どういう意味だったのか。

 

「え!? え!? 嘘よね!!」

 

 朝潮以外の全員が困惑していると、陽炎の嫌な予感は当たったのである。バスは上空に吹っ飛び、彼女たちはそれに付随する凄まじい重圧に一瞬苦しめられたが、瞬時にその重圧は感じられなくなり、いつの間にかバスの中に入り込んでいた鈴谷の「はぁい皆さん。空の旅にご案内」と言う気の抜けた声によって我に返らされた。

 

 彼女たちがこのような大胆な行動手段を取らされた理由は、イベント中は国内において様々な移動手段が制限されているため、もし鉄道で移動した場合、敵にその動向が知らされてしまう。とは言え、海路はグラーフ達が潜んでいることが確定しているので、彼女らの襲撃を警戒しながら進むことは現実的ではない。よって、空路という訳である。

 

 空路は冷戦時代に打ち上げられた2機の人工衛星兵器、『プロメテウス』による妨害電波によって一部の海域を除き提督の力によって中和されていないレーダーや航空機等が無力化されており、かつ高度1万メートル以上では提督の力でも無力化できない為、ほとんどの追跡を無力化できる。という説明を鈴谷から受けた。

 

「と言うか、朝潮ちゃん。知っていたなら教えてよ」

 

「すいません。この空路の移動なのですが、無力化する方法は存在しまして、それはこの移動用のバスを破壊する方法で、鈴谷仮面の移動に耐えうるバスはこの一台しか存在しません。故に敵がこのバスを破壊すると陸路か海路を選択せざるを得なくなり、危険が増します。そんな事情もあり、バスに乗って高度1万メートルまで行くまで口外しないようにとのことだったので、黙っていました」

 

 と言う朝潮の説明を聞き、納得した。仮に事前に説明を受けていたとしても、鈴谷にバスをぶん投げてもらって移動すると言う説明を聞いたら、移動方法を秘匿するための暗号か何かだと思っていただろう。因みに、後ろを見た時に提督の卵と田沼提督は気絶しており、満潮は提督の卵を介抱していた。提督たちは眠っていた方が良いだろう。何せ、着陸するときは行きとは比べ物にならない恐怖と衝撃が彼らを襲うだろう。

 

「まあ、いいわ」

 

 陽炎は奇怪な移動手段に心を奪われている場合ではないのだ。朝潮がなぜ陽炎を今回の移動に同席させたのか彼女には見当がついていた。彼女は不知火が異常を発現した状況を間直で見た艦娘の一人であり、彼女の持つ情報は朝潮が不知火を打倒するために有益だと朝潮が考えている為だろう。

 

 そんな事を考えているときに、満潮が提督たちの介抱が終わったのだろう。陽炎達の近くに座った。

 

「それで? こんな摩訶不思議な移動方法でも大して驚いていないってことは、陽炎も異常艦娘ってことでいいのよね?」

 

「いいえ。私は違うわよ。ただ、妹が異常艦娘で、その時にいろいろと話を聞いたっていうだけ。そう言うってことは満潮ちゃんも? 前戦いぶりを見た時は異常艦娘のようなそぶりは見えなかったけれど?」

 

 満潮はふざけたマスクを被っているので、表情を読み取ることは出来ないが、目を閉じて首を振りながら、

 

「そう。私が異常艦娘になったのは最近よ。私が知っている異常艦娘はどいつもこいつも変な奴らばっかりだから、一人くらいはまともな人がいると良かったんだけれど、どうやらそれは叶いそうにないわね」

 

 などと話してくるが、彼女は自分がその『どいつもこいつも』の範疇に入っていることに気づいていない様であるが、陽炎は黙っていることにした。

 

「そう言えば、なんで陽炎さんは異常艦娘の事を知っているのですか? 異常があると知らされた艦娘はその事は秘匿され、同艦隊に異常艦娘がいたとしても他の艦娘はそのことを知らされることはないはずです」

 

 朝潮はそんな疑問を投げかけて来た。陽炎は鈴谷を一瞥し、彼女はそれに対し頷く。陽炎は彼女達に自分の過去を話しながら、自分のこれまでの軌跡を語り始めた。

 



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陽炎の記憶

 2010年8月15日。日本の海岸線全域に深海棲艦が上陸した。通称ファーストコンタクトと呼ばれるその邂逅により、沿岸部に住む人々の5割が失われた。

 

 横浜の裕福な家庭に生を受け仲の良い両親に育てられた陽炎と不知火の姉妹(本名は艦娘になった際に艤装との同調を著しく阻害するとされ思い出せないようにされている)はその日、すべてを失った。

 

 深海棲艦に家を破壊され、両親は彼女らをかばう為に彼女らを生家の中で唯一残ったタンスの中に隠した後、助けを呼ぶために深海棲艦が闊歩する街中へ向かったまま行方が分からない。町を蹂躙した奴らの銃声が止んで数時間がたった頃、陽炎達は外に出ると、太い二本の血の跡がアスファルトに張り付いていた事に気が付いたが、それが誰のものであるか考えないようにしていた。

 

「お姉ちゃん……パパとママは……お腹すいたよぉ」

 

「パパとママは絶対帰ってくる。それまで、街の方に行ってご飯貰いに行きましょう」

 

 当時6歳の不知火と8歳の陽炎にとって、夏の暑さと血と硝煙で彩られた地獄を生き残るのは難しかった。もしも、深海棲艦の残党や民間人の生き残りを探しに艦娘が姉妹のいた地域に残っていなければ、陽炎はここにいなかっただろう。

 

「提督、民間人を発見しました。彼女らを保護します」

 

 姉妹を助けられた艦娘からは二人とも脱水症状であと数十分発見が遅れれば、重大な後遺症が残ったもしくは命はなかったと聞いて、体が回復した後お礼を言いに行った事は覚えていたが、その日の事はあまり覚えていない。艦娘に助けられるまでの間に何か……恐ろしいモノを見たような……。

 

 それからしばらくした後、彼女ら姉妹に艦娘の適性が発見され、艤装の適合訓練のためにトラック泊地に異動になった。不知火は家族との思い出がある横浜を離れる事を嫌がったが、陽炎がトラックに移動すると言う話を聞き、彼女についていく流れで、彼女もトラックについていくことになった。

 

 同期として一緒にトラックに行った艦娘たちは彼女たち以外全員海の底に沈んだ。初期では艦娘が轟沈する条件が判明しておらず、提督側にも艦娘の運用のための教育がなされていないと言うより存在していない事、艦娘の素体が圧倒的に足りてない等の理由で、第1世代として生き残れた艦娘は稀であった。姉妹が生き残った理由はまだ体が幼かったので、出撃回数が他の艦娘よりも少なかったためである。

 

 が次世代の艦娘が投入されてからしばらくした後に艦娘の轟沈条件が分かるようになったために生存率が飛躍的に上がった。その頃には姉妹はその鎮守府の主力としてその力を振るうようになっていたのである。

 

「それじゃあ、陽炎。パトロールに行ってきます」

 

 旧トラック泊地、深海棲艦の発生地があるとされたオーストラリア大陸から本土を守るための前線基地として急遽建てられたものの、理由は不明であるが比較的辺りの深海棲艦が少ない場所であり、何なら呉や舞鶴、横須賀、佐世保の方が出現する深海棲艦の数が少ない事が後に公開されたデータによって明らかになっていた。

 

 そんな状況もあり、ここ旧トラック泊地は2年間の間多大な犠牲を払いながらも、ここ数か月は誰の犠牲も出さずに、比較的平和な状況が続いていたのである。彼女達は第3トラック鎮守府に所属しており、一つだけ密集する鎮守府軍とは離れた場所に建設されていた為、周囲の偵察はもっぱら第3鎮守府が担う事となっていた。

 

「お姉ちゃん……待ってよぉ」

 

「はいはい。アンタももう8歳になったんだから、もうちょっとしっかりしなさい。私がアンタくらいの頃には深海棲艦の闊歩する横浜の街中からアンタをおぶって助けを呼びに行けたんだからね」

 

「ううぅ」

 

 彼女ら姉妹がこの泊地でエースと呼ばれて久しいが陽炎と不知火とではまだ目に見えて練度の違いがあった。のちに聞いた話ではそもそも8歳やそこらで艤装が思い通り動かせること自体類まれなる才能あっての事であるのだが、もし、この姉妹がこの年で艤装を動かせるような才能を持っていなかったとしたら、この後の悲劇には巡り合わなかったのだろうか。

 

 陽炎達はパトロール中に一体の深海棲艦に出会った。等級は姫級であるが、何かがおかしい。通常距離も巨大なサイズで且つ、深海棲艦を見た時にかかる筈のブラインドが機能していなかった。それは高速でトラックの鎮守府群に近付いている。ここからの距離だとおよそ2時間でそこに到達するだろう。

 

「提督、見えている? 正体不明の深海棲艦、おそらく姫級を発見。少し時間を稼ぐからサポートお願い」

 

「了解。第一鎮守府に連絡した。少し時間を稼いだ後即座に撤退」

 

 哨戒に出ていた陽炎達の艦隊は駆逐艦4の軽量な艦隊であり、陽炎と不知火がいるとは言え撃破はほぼ不可能。であれば、少しでも時間を稼ぐために陽炎と不知火は正面から随伴していた綾波と響は左右から敵を取り囲む戦法を取った。

 

「そんな攻撃が当たると思ってんの?」

 

 陽炎達の作戦は成功し、敵は陽炎に向けて砲撃を撃って来たが一向に当たらず、前方左右からの砲撃を浴び、その場にくぎ付けになった。が、十数発程度砲撃を浴びせているにもかかわらず、装甲に損傷がない事を不審に思ったが、構わず砲撃を続けた。

 

 その時である。敵の深海棲艦が左の響に向かって砲撃を放ったのである。それは彼女に直撃し、首から上を吹っ飛ばして一撃で轟沈させた。

 

「はっ!?」

 

 その瞬間、あたりの空気が凍り、恐怖が彼女たちを支配する。あり得ないあり得ない。一体何が起こっている。艦娘の艤装には大破で戦闘を続けると言う無茶な運用でもしない限り艤装を背負った素体を守る筈である。それを、無傷の艦娘を砲撃一発で沈めるなんて。

 

 先ほど、陽炎は奴の砲撃を楽々と回避し続けていたが、もし当たっていたら私もそうなっていた。陽炎達はまだ仲間が沈む光景を目にしたことがあったので、耐える事が出来たが、綾波は耐え切れず、その場で吐き出してしまった。そして、そんな彼女に、敵は狙いをつけ、砲弾を放つ。

 

「提督!! まずいわよ。敵は艦娘を一撃で葬る事の出来る何か新兵器を備えているわ!! 提督!? 提督!!」

 

「ああ、聞こえている。陽炎、何とかしてその深海棲艦から逃げてくれ」

 

 陽炎達は距離を取り、サンゴ礁によってできた環礁の合間を縫いながら射線を切るように逃げた。そして……。

 

「ふぅ、何とか逃げおおせたみたいね」

 

「お姉ちゃん!!」

 

 不知火のその叫びを聞き、振り返るとその深海棲艦が現れたのである。いや、先ほどサンゴ礁の塊だと思っていたモノが深海棲艦の姿に変わっている。それは、主砲をこちらに向けている。躱せない。躱すと後ろの不知火に当たる。彼女は目を見開き、腕を大きく広げた。

 

「来い! 化け物! ここは通さないわよ!」

 

 陽炎のその時の思考は、姉を失った不知火が無事にその場から逃げてくれるか。その事ばかりを考えていた。

 

 が、突如として敵の腹部が突如として謎の爆発を起こしたのである。先ほど叩き込んだ主砲が今頃になって効いて来たのか、この謎の爆発は敵にとっても予想外だったようで、敵は

陽炎達から離れ、当初の目的地だったトラック泊地の中央の方角に向かっていった。

 

 何が起こったのか分からないが、不知火の方を見ると彼女の主砲はまるで暴発を恐れずに何発も撃ちこんだかのような様に砲身が焼き付いていた。

 

「お姉ちゃん、良かった。良かったよぉ……」

 

 その日、彼女らを襲った謎の深海棲艦は旧トラック泊地を完全に破壊し、彼女ら第3鎮守府以外の生存者は第一鎮守府の叢雲と民間人1名のみとなっており、その叢雲も脳に障害が残ると言う重傷を負っており、彼女達はトラックを放棄せざるを得なかった。

 



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最強の艦娘

ここまで話すと、それまで黙って話を聞いていた朝潮が陽炎に話しかけて来た。

 

「なるほど、分かりました。その時に陽炎さんの妹が異常を得るに至ったわけですね。しかし、陽炎さんの遭遇した敵深海棲艦……陽炎さんはソレに追い回されて生きていたなんて運がいいですね」

 

「そうね。なんだか思い出したら気持ち悪くなっちゃったわ。続きはまた今度でもいい? この後は第一鎮守府の生き残りを探しているときに、ドロドロに溶けた例の深海棲艦の死体とか、そんな感じの話になるんだけれど?」

 

 朝潮たちが頷くと、鈴谷が手をぱんぱんと叩きながら彼女らをシートに座るように促した。どうやら陽炎が昔話を語っているうちに目的地付近に来たらしい。彼女が言うにはここがちょうど横須賀基地の上空1万メートルであり、ここから下に落下するらしい。

 

「落下?」

 

「そう落下。口は閉じておいてね。舌嚙むよ」

 

 次の瞬間、車体が90度傾き、下に陸地と海が見える。

 

「え? えぇぇぇ!? 嘘? 嘘よね!!! キャァァ!!!」

 

 満潮の絶叫があたりに響き渡り、車体は重力に引っ張られぐんぐんと速度を増しながら地面に落下していく。てっきりパラシュートとかそう言ったもので減速下降しながら安全に落ちるものだと思っていた。陽炎は横を向き、この事態に何の説明もなかったことに対して朝潮を糾弾しようと思っていたが、朝潮も顔面蒼白になりながら、「これも、朝潮示現流の呪い?」などという訳の分からない事を呟いていたので、この事は朝潮自身にも知らされていなかったのだろう。

 

 などと、思考を巡らせているうちに、地面が間直に迫って来た。あと数秒後には陽炎達はバスと共に鎮守府の近くを飾るシミの一部と化しているだろう。陽炎は目をつぶり、最後の時を迎えた。

 

 が、いつまで経っても衝撃が来ない。あまりの衝撃に、つぶれた事すら理解できずに潰れてしまったのだろうか。そんな事を考えていると、

 

「やれやれ、いつもながらもうちょっとスマートな方法はない物デスかねー」

 

 と言う金剛のような口調の声がバスの前方から聞こえて来たので目を開けると、バスが金剛型の艦娘によって片手で止められていたのである。

 

「あなたは?」

 

「ワタシ? ワタシは横須賀第一鎮守府名誉秘書艦にして、頼れるみんなの秘書官、帰国子女の金剛おねーさんデース!! ワタシの事は気軽に金剛さんとでも呼んで下さいネ」

 

 彼女はそう言うと、バスを下ろした。周りには彼女の他にも電と暁型の艦娘がこの光景を目撃しており、こういった不可思議な現象を発生させる艦娘は少なくとも金剛はそうだろうと言う事が予測できた。

 

「暁よ。横須賀第一鎮守府名誉秘書官にして、最強の異常艦娘よ。以後、よろしく」

 

 そう言いながら暁は胸を張りながら一人前のレディっぽいポーズを取り始めた。

 

「なるほど、わたしは呉第1鎮守府所属の駆逐艦朝潮です。……、最強の異常艦娘というのは、どんなやばい力を持っているんですか? 霞の海を裂くチョップとか見ていると、それよりすごい力とか、あんまり想像できないんですが」

 

「ふふん、一人前のレディたるもの、自分の異常を簡単にしゃべったりしないものなのよ」

 

「『異常がない』と言うのが暁ちゃんの異常なのです」

 

「電!! なんで言うのよ!! バカバカバカ!!」

 

 暁が自分の異常が『異常がない(レディ=ファースト)』とか言うおそらく外れ能力だとばらされた彼女は電を追いかけまわしている間に、

 

「聞いての通り、暁は最強の異常艦娘ですからね。演習とか挑まれても、戦ってはいけませんヨ。それがこの鎮守府のルールですからネ」

 

 金剛はそう語った。彼女は幼い見た目をしており且つ役に戦い異常をもって生まれてしまったので、彼女のプライドを刺激しないためにそんなルールが設けられているのだろう。と陽炎は勝手に思っていた。

 

「なるほど、分かりました。ルールならば仕方ありませんね。最強の異常艦娘と言うのならば、元帥と戦う前に手合わせをしたかったのですが。かつてのドイツの文豪ゲーテも言っていました。君子危うきには近寄らず。霞の所でルールを破ったらとんでもない目に合った事があるので、わたしはルールを破りません。なぜかルールを追加されることはありますが……」

 

 そんな事を言いながら、朝潮は暁と同じように胸を張り、えっへんと言う効果音と共に金剛の方に向き直る。彼女の発言のどこにそんな偉そうな態度を取る要素があったのか理解できないが、陽炎は気にしない事にした。

 

「なるほどネ。しかし、そう落胆する事はありまセン。名誉秘書艦であることワタシがあなたの相手をしてあげます。さあ、かかってきなさい」

 

 そう言って腰を落としながら半身の姿勢になる金剛に、それに応じるように腰を落として構えを取る朝潮……、手合わせって、演習とかじゃないんだと言う前に、暁から逃げ切った電が陽炎と満潮の手を握ったかと思うと、全速力で朝潮たちとは逆方向に走り出した。ちょっと、何すんのよ!! と言おうとした刹那、地震が起こった。

 

「朝潮示現流 銑鋼」

 

 否、それは地震ではなかった。朝潮がすさまじい威力のパンチを繰り出すために思い切り地面を蹴った衝撃でまるで直下型の地震が起こったかのような衝撃が発生しており、それにより放たれる一撃は艦娘の砲撃が直撃するような威力であることは想像に難くない。

 

 しかし、その一撃を金剛は人差し指一本で受け止めたのである。

 

「なるほどネ。あなたがあのダンケ仮面の弟子だという事は聞いていまシタガ、その威力インパクトだけは霞のベアークローにも匹敵するかもしれませんネ」

 

「まずは小手調べです。こうなる事は予想していました。バスを受け止めた力が異常であるのか、本人の力量の結果であるのか知りたかったのですが、おそらく前者のようですね」

 

 と言う、まるでジャンルの違う世界に迷い込んだかと思うやり取りに呆気に取られていると、電が停止し陽炎に話しかけて来た。

 

「彼女がビスマルクさんのゲルマ式格闘術の伝承者であることは聞いていたのです。それに、重点的に鍛えられた下半身から、そのバネを生かした超高速戦闘が彼女の得意とする戦闘スタイルであることは明白で、このままだと危ないと思ったので、少し移動させてもらったのです。手を引っ張ってごめんなさい」

 

 電はそう言いながらこちらに会釈をしてきたので、陽炎も頭を下げた。彼女がいなければ、彼女らの戦闘に巻き込まれシャレにならない大けがをしていたところだろう。気を失っていた提督たちもいつの間にか暁が担いできたらしく、彼女が木陰に座らせていた。

 

「いいえ。助かったわ、しかし、手合わせって演習とかじゃないのね。いきなりでびっくりしたわ」

 

「なのです。朝潮ちゃんの異常『ヴィクトリーストライク』は互いの砲撃を封じる特性上、近距離戦で敵を圧倒できる力を持っていなければならないのです。結局、海の上で肉弾戦をする羽目になるのならば、地上で戦っても大差はないと言う提督の判断なのです」

 

 と、陽炎が目を離している間に朝潮の拳が十数度金剛に向かって放たれたが、彼女はその場から一歩も動くことなく、おそらく彼女の拳を打ち落としていった。と言ったものの、陽炎の目には朝潮の拳もそれを打ち落としているであろう金剛の拳も全く目に映らないのだが、激突によって引き起こされる衝撃音だけが、その事を雄弁に物語っていった。

 

「一瞬で力量差を感じ、手数での攪乱する策に出たのはいいとは思いマスが、思い切り拳を乱打するあなたと、それを受け止めるだけのワタシ、続ければどうなるのかは火を見るより明らかデース! 早いうちに何とかする事ですネ」

 

 その瞬間である。陽炎は朝潮が不敵な笑みを浮かべていることを感じ取った。そして……。

 

「朝潮ちゃんの拳。早くなっていない? いや、最初から見えてはいないんだけれど、音が……」

 

 まるで削岩機が岩を削るようなズドドドド!! と言う音が朝潮と金剛の間の空間から聞こえている。そこには何十何百の拳の激突がその空間を埋め尽くしているのだろう。

 

「中世を生きたドイツ文豪ゲーテはこんな事を言いました。『石橋を叩いて割る』と、幾ら強靭な石橋でも、壊れるまで何万回でもぶっ叩けば、いずれは割る事もできると言う意味です」

 

「知らないけれど、そのゲーテっていう人そんな事言っていないでしょうし、そもそもそんな諺ないし、仮にあったとしても、そんな意味じゃないでしょう!!」

 

 朝潮の嘘ゲーテ発言に対して満潮の突っ込みが冴え渡った。

 

「シッ! もうちょっとなんかあると思うネ!! 攻撃が受け止められるんだったら、もうちょっと足で攪乱してみたり、砲撃を試してみたり、幾らでもやりようはある。それを無理矢理速度で突破しようとしたのはあなたが初めてデース」

 

「はい、誉め言葉として受け取っておきます」

 

「いや、受け取るな。全く褒めていないので、勘違いすんなデース!!」

 

 金剛はそう言いながら半歩だけ後ろに下がり、先ほどまで響いていた削岩機のような音が止んだのである。流石に疲れて休憩を入れるのかと思っていたが、その刹那朝潮の体がまるで操り人形が糸を切られたかのように力なく倒れこんだ。辛うじて片膝をつき、倒れる事を拒否してはいるが……。

 

「朝潮ちゃん!!」

 

「ワタシの金剛拳をまともに食らって……いや、インパクトの瞬間首をひねって若干衝撃を分散させたとは言え、まだ意識があるとは流石デース。ダンケ仮面は良い艦娘を弟子にしたようデスネ」

 

 陽炎は朝潮に駆け寄り、彼女に肩を貸すと、彼女はほとんど抵抗なく彼女に全体重を預けて来た。その時、朝潮が耳元で、囁いて来た。

 

「助かりました。彼女の異常はエネルギーを消滅させる力、そう予測できます。その力で落下したバスを受け止められたのでしょう。そして、実際に食らったらどうなるのか体験するために無茶な連撃を浴びせ続けたのですが……いやはや、全く力が入りません」

 

 とだけ彼女に耳打ちした後、朝潮は寝音を立てながら満足そうな顔で眠りについたのである。

 

「全く、無茶するんだから」

 

「しかし、ワタシが異常を使わざるを得ないほどの切れのある打撃は想像以上でした。受け止めきれずに、寸での所で躱したのが2発、1発は胴体に直撃しました。並みの異常艦娘であれば成す術なく倒されていたでショウ。おそらく熊手の所の霞とも互角か、それ以上の近距離性能を誇るようデス」

 

 と戦った金剛は褒めている。しかし、次の様にも語った。

 

「彼女の朝潮示現流には致命的な欠点を有していマス」

 



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最強の異常提督

「それで、朝潮示現流の欠点とは一体何なのですか」

 

 金剛に敗北し、横須賀第一鎮守府の医務室に寝かされていたわたしは、陽炎から気絶していた時の状況を聞いていたのだが、金剛の言う朝潮示現流の欠点というモノは聞き捨てならなかった。途中で金剛が天井を這うように侵入してきたが、陽炎は気づいていないし、気配を消していたのでとりあえず放っておくことにした。

 

「ええ、朝潮示現流は朝潮ちゃんが鍛え上げた脚力を起点に生み出される超高速且つ超威力の攻撃がその強さの大半を占めているわ。その力はすさまじく、もし仮に普通の艦娘であれば、艤装を装備していない状態でも地上であれば艤装による戦闘力向上分を差し引いても艤装を装備した艦娘を圧倒できる程度には非常識な練度を誇る。と、金剛さんは言っていたけれど、さすがに誇張しすぎよね」

 

 さすがは金剛、正確な分析である。実際にわたしは過去に艤装がほとんど使えない状態で雪風との一対一の戦いにおいて速度で相手をほんろうし、相手が自爆技を使わなければそのまま倒していたであろうと言うところまで追い込んだ過去がある。

 

「そう、師匠から毎日のランニングは欠かさないように言われていますからね。継続は力なり、過去の継続がその超高速戦闘を可能とする訳です」

 

「それよ」

 

 わたしが胸を張っていると、陽炎はばつが悪そうな顔でぼそりとそう呟いた。

 

「へっ?」

 

「朝潮ちゃん。朝潮示現流の弱点は、朝潮示現流の強さが、朝潮ちゃんの脚力に依存している。それが、朝潮示現流の致命的な欠点なの」

 

 陽炎は表情を曇らせ、わたしは雷に打たれたような衝撃を受けた。え? え? 意味が分からない。わたしの2年間が、わたしを支えてくれたものが音を立てて崩れたようなそんな衝撃を受けた。

 

「どういう事なんですか? 技術や技が未熟な事は分かります。でも、……」

 

「脚力による超高速戦闘は艤装によって移動速度が画一点化される海上での戦いではその強みを生かすことは出来ない。そう言う事デス」

 

陽炎がその事実を伝えられずに、言葉を濁しているときに、後ろから金剛がその事をわたしに向かって言い放ったのである。

 

「そんな……」

 

「ダンケ仮面があなたに朝潮示現流を教えた時の経緯はすでに聞いていマス。あくまで彼女はそれを陸上での護身術としてアナタに教えたようデス。陸上での護身術が海上ではうまく発揮されないのは自明の理、であれば、アナタは見つけるしかない、海上で有効に働く、新たな朝潮示現流を!!」

 

「ちょ!?」

 

「新たな朝潮示現流ですか?」

 

 わたしの力ない言葉に、金剛は強く頷いた。そうだった、今までのわたしは朝潮示現流伝承者としてある意味満足していた。故に、朝潮示現流の抱える初歩的な問題点を指摘されるまで気づかなかったのだ。

 

「そうデース!! 人の技として作られた朝潮示現流を人の技で終わらせるのか、艦娘の技としてグレードアップするのか、それはこれからのあなたの頑張り次第にかかっているのデース。そのために、ワタシも微力ながら力を貸しマース」

 

 そう言って、金剛はわたしに手を伸ばして来た。わたしはその手を力強く握り、新たな朝潮示現流の進化を誓った。なぜか、陽炎は深いため息をついていたが、わたしの新たな目標が決まった事に比べれば些細なものだろう。

 

 

「ちょっと悪い事をしたかな?」

 

「いいえ。あれで良かったのです。あとは金剛さんと陽炎ちゃんが上手くやる筈なのです」

 

 横須賀第一鎮守府執務室、4畳半ほどのこじんまりとした部屋に、かつて最強と謳われていた提督が座っていた。現在7人存在している『大将』の内の序列1位、鶴崎大将その人である。彼が朝潮と金剛を戦わせた理由。それは、朝潮に朝潮示現流を封印させることにある。

 

 朝潮の『ヴィクトリーストライク』は砲撃戦で敵に先手を取らせればほぼ無敵の異常である。よって敵の砲撃を封じて近距離戦に持ち込むと言うのが今の彼女の戦闘スタイルであるが、そもそも砲撃戦で無敵と言う優位性を捨ててまで近距離戦に持ち込む意味がない。

 

 故に、ある程度近距離戦に慣れている金剛に彼女の土俵で勝負させ、圧倒的に勝ち、さらに朝潮示現流の弱点を伝える事で、近距離戦を封印させ、遠距離の主体の戦い方を学ばせる。それが、彼の狙いだった。実際は熊本大将から、そうするように頼まれたのであるが……。

 

「全く、熊手のおっさんも俺に憎まれ役をやれなんて、いや、まあ、本当に下村元帥の艦娘を3人以上勝ち抜くためには、そうさせた方が良いんだが……はぁ」

 

 彼がそう言ってため息をつくと、電が淹れたてのコーヒーを台に若干強めに置いた。

 

「彼女の事は一旦おいておきましょう。今は私達の仕事を済ますのです。そろそろ、満潮ちゃんたちが来ますよ」

 

 彼女の言葉に鶴崎は頷き、先ほどまでのだらけた背筋をピンと伸ばし、きりっとした表情を作り終えるころ、執務室のドアが二回叩かれた。

 

 

 満潮と提督の卵が執務室に入ると、長身のサングラスをかけた若干長めの髪の男と、電がこちらに鋭い観光を放って来た。彼女達は彼の座っている机の前で敬礼をし、たどたどしい声で所属を名乗り、彼もそれにこたえる。

 

「よく来てくれたね。私は横須賀の鶴崎だ。一応私の方が階級とか諸々は上だが、フランクに話をしようじゃないか。その前に、君たちに謝らなければならない事がある」

 

「私に起きた『異常』の事ですか?」

 

 満潮はそう答えたが、彼は首を横に振る。二人は面食らった。満潮も提督の卵も霞からは異常が発言したことで、鶴崎大将から話を聞かなければならないと聞いていたので、その事ではない事に驚いたのである。

 

「いや、謝らなければならない事を話す為には、なぜ今回一緒にここに来た朝潮が一時期君の鎮守府にいたかという事まで話さなければならない」

 

「え? どういう事?」

 

 そこから話された内容は、満潮には衝撃的内容ばかりだった。朝潮の艤装不備の事故として伝えられていた出撃中に実際には深海棲艦type-γとの邂逅によって朝潮が腕を遺して飲み込まれ、その際に深海棲艦に心臓の魂を呑み込まれ、朝潮轟沈、司令官は心肺停止、荒潮に提督の力が残る『呑まれる』と言う現象が起こり、提督の心臓の魂と朝潮を救出するために別の朝潮が満潮の鎮守府に送られたと鶴崎大将は語った。因みに、その時に深海棲艦type-γが一隻で泊地が全滅しかねない力を持っており、司令官の魂を回収する方法も、飲み込まれた艦娘の魂を助けに来た艦娘の魂と交換するという手法を取るため、助けに来た艦娘は大体消滅してしまう事が同時に語られていた。

 

「ふざけんじゃないわよ!! それじゃあ、……それじゃあ、朝潮姉さんは死ぬために、死ぬために、でも待って? 今の朝潮姉さんは前の朝潮姉さんと違うってこと?」

 

「いや、本当はこんな事になる筈ではなかったんだ。話を続けるぞ」

 

 と言うのも、このサルベージ方法が許可されるのは司令官が心肺停止していなかったらの場合で、そうでない場合その泊地外の大将によって何かしら理由をつけて否認されるのである。と言うのも、『呑まれる』と言う現象は数が少なくデータが欲しいのと、深海棲艦type-γが危険な存在であり、不安定な提督もどきの力では泊地全体を危険にさらすからである。故に、朝潮は事実上の正規の着任であった。が、ここで例外が起こったのである。

 

「例外?」

 

「そうだ。朝潮が初めての演習で『異常』を発現した。異常とは、異常の因子を持つ艦娘が高練度数、値に直すと練度99が以上の経験を経て初めて発現するものだが、彼女は一度目の演習で発現してしまった。これによって、ある仮説が立てられ、熊本大将は君の提督を救わなければならなくなったんだ」

 

 そして、朝潮と荒潮はすべてを救い、今に至る。だから、君の知っている朝潮は他の誰でもない朝潮だよと鶴崎大将は断言し、満潮は安堵した。

 

「それで? そのある仮説と言うのは何? と言うか、私も大体練度80くらいで、朝潮姉さんほどではないけれど、大将の言う例外だと思うけれど?」

 

「そうだ。君がその仮説の裏付けになったんだ。呉第4提督の異常、それは『一定期間旗艦にした艦娘を異常艦娘にする異常』だ」

 

 異常艦娘を作り出す異常。それが、どの程度この世界のパワーバランスをひっくり返す力なのか、今の満潮には想像すらできていなかった。

 



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謝らなければならない事

「異常艦娘を作る異常ですか? 満潮みたいな」

 

 これまでの話は呉第4鎮守府内で起こった真実だったので、提督の卵はなかなか話についていけなかったが、ようやく彼も口を開く事が出来た。とは言ったものの先ほどまでの会話のほとんどは満潮にとっても寝耳に水と言った話だったのだ。

 

 付け加えておくと、ここに来る前の数日間の間に満潮は彼に自身の異常が発言したことを話していた。と言うのも、彼が初の演習で嘔吐した理由が、異常が発言する前の不安定な艦娘につながった事でめまいを起したのが理由であり、その事を彼に伝える為である。

 

「という事だから、もしアンタが私に何かしらの恩を感じているとしたら、筋違いよ。もし普通の艦娘を指揮していれば、こんな事にはならなかったんだから」

 

 一通りその事について話した後、満潮はそう言って突き放したつもりだったが、彼は満潮の頭を撫でながら微笑むだけだった。そんな事を満潮が思い出していると、鶴崎大将が口を開いた。

 

「その通りだよ提督の卵君。艦娘の素体……いや、止めておこう。ともかく艦娘が誕生する過程である程度の個性によってうまく艤装と相性が良くなる人とあまり相性が良くならない人が存在する。その成長過程で、異常と言う本来の艦娘の力以上に艤装の力を引き出せる人が現れる事がある。第4提督はそれを艦娘に促す才能があるという事なんだ」

 

「それは問題なんですか?」

 

「その異常というモノは発生する可能性が極めて低く、泊地全体で4隻ほどしかいない。そして、熊本大将が敵対しているグラーフの仲間はおそらくその3倍の12隻ほど異常艦娘を保有していると推測されているが、その大部分の異常は謎に包まれている。彼が泊地を離れられない理由はそこにある」

 

 満潮は先ほど発生した金剛と朝潮の常軌を逸した肉弾戦や鈴谷のバスをぶん投げて呉から横須賀まで運ぶと言った異常を見ていたので、その警戒理由も納得がいった。

 

「なるほど、敵が金剛さんや鈴谷さんみたいなやばい異常の可能性もあるなら、そりゃあ呉を開ける訳にもいかないわね。もしかして、他の大将がほとんど出撃しない理由もそんな感じ?」

 

「なるほど、君は勘が良いな」

 

 そう言って鶴崎大将は満潮に感心しているようだった。しかし、同時に満潮は気づいてしまった。仮に熊本大将が提督に彼の異常を話し、彼の艦隊全員を異常艦娘に変えたとしたら、呉全体の異常艦娘数は200以上、おそらく現在確認されている異常艦娘の数倍の艦娘を保有する事になる。いや、満潮が1か月かかった事を考えるとそうなるのには18年以上かかるが、それでも一年で12隻。泊地3つ分の異常艦娘数である。

 

「君が考えていることは起こらないかな。もし、熊手が……熊本大将がその気なら、黙って君の考えていた事を実行に移したさ。しかし、君と言う例が生まれてしまった後、第4提督には旗艦を定期的に交代させることを徹底させ、就寝前には旗艦を異常が発言したことが知られている荒潮に代えてから就寝する事を義務付けているから、もう異常艦娘は増える事はないだろう。そして、説明のために君たちをここに寄こして来た」

 

 それが、仮に熊本大将が己の地位が脅かされる保身であったとしても満潮は胸をなでおろした。もし、そんな事をすればパワーバランス崩壊を恐れたグラーフの仲間や今回呉を襲撃した集団によって拉致されるか暗殺されるか、悪い様にしかならないだろう。

 

「さて、司令官さん。話は済みましたよね。ここらへんで本題に入るのです」

 

 鶴崎大将の隣にいた電が口を開くと、鶴崎大将は眼を逸らした。そう言えば、謝らなければならない事があると邂逅一発目に行っていたような……。

 

「そう言えば、そんな事言っていたわよね」

 

「いや、……熊本大将は第4鎮守府を使って異常艦娘を増やさせる気はなかったんだが、第4鎮守府で朝潮、荒潮、満潮と立て続けに異常艦娘が発生した事が、いずれ敵に露見して第4提督が危険に陥らないように、これは綾瀬大将がしでかしたことなんだが、……その、彼がこん睡状態に陥っていた時に副官として提督の卵君が臨時提督として着任していたと改ざんしやがって……おそらく異常艦娘が立て続けに発生した事がバレると、まず真っ先に、提督の卵君が狙われると言うやばい状態になっているんだ」

 

「はい?」

 

 満潮が横にいる少年の方を向くと、ぽかんと口を開けている。

 

「それで、君たちには呉第4鎮守府に副提督として入り、第4提督が異常艦娘を増やす行動をしないかどうかチェックし、敵に対しては囮としてその任務を全うして欲しい」

 

「はい」

 

 満潮がふざけた事言ってんじゃないわよアンタと掴みかかる前に、彼は即答してしまった。

 

「だよな。よし、この状況に陥らせた綾瀬の奴は今度土下座させるし、熊手にも命令を撤回させるから、少しの間ここで……はぁ?」

 

 鶴崎大将は少し考えた後、

 

「えーっと、熊手と綾瀬の無茶な要求と改ざんでやばい事になっているから、敵の襲撃が多分来ないここで匿う為に君たちを呼んだつもりなんだけれど、……あれか、危険性を認識していないのか。異常艦娘を作る異常はその性質上その可能性がある提督は欲しがる団体は無限に存在し、それを狙うすべての存在から狙われるんだ。その囮役にさせられそうだったんだが、もしかして、それを分かったうえで囮役を引き受けると言うニュアンスで返事をしたのかい?」

 

 彼はその言葉に頷き、満潮は閉口し、電は絶句した。鶴崎大将は頭を抱えた。

 

「だって、それを引き受ければ、満潮と一緒にいられるんでしょ? 奇跡的に交わった満潮との縁、たった2週間ほどで終わる筈だった縁が、それを引き受ける事でここから先も続くと言うのなら、理不尽なんてとんでもない。むしろ二人の大将に感謝したいくらいです」

 

 それを聞いて、鶴崎大将はもう一度だけ考え直す機会を与えたが、答えは変わらなかった。

 

「電、満潮達に異常の使い方を教えてやってくれ。彼の覚悟が無駄にならないように」

 

 こうして、満潮達は電に連れられて執務室を出た。

 



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因幡の白兎

 おかしい。陽炎は顔をしかめていた。朝潮が気を失っている間に彼女が鶴崎大将から受けた司令は朝潮が朝潮示現流を封印するように説得するというモノであった。彼女の異常が以前綾瀬大将から知らされたものの通りならば、異常を使わずに接近戦を申し込むなど宝の持ち腐れであると以前から思っていたので、彼女は大将の提案を受け入れ、彼から聞いた朝潮示現流の問題点などを聞き出した。

 

 さらに、陽炎には心強い味方もいた。実際に朝潮を打ち負かした金剛の存在である。もし、陽炎の発言等で朝潮が納得しなくても金剛が彼女を説得すれば、おとなしく朝潮は朝潮示現流を封印するだろう。そう考えていたのだが、その味方のはずの彼女が早々に裏切るとは陽炎も予想外であった。

 

「よし、こうなれば、私もすごい特訓をして、金剛さんと並びたてるような格闘戦の鬼となるのです。えいっちに、えいっちに」

 

 などと室内で筋トレをしながら気合を入れ直している彼女に、もう『朝潮示現流を封印しなさい』という声は届かないだろう。陽炎は金剛を呼びつけ、耳打ちした。

 

「ちょっと、金剛さん。話が違うじゃない。打ち合わせでは、朝潮示現流を封印させる予定だったじゃないですか。どうしてあんなことを言ったの?」

 

 と言う、陽炎の正論に、金剛は指を振りながら答えた。

 

「ちっちっち、提督の言葉の裏を読んでこそ、真に提督を理解したと言えるのデース。確かに、提督は朝潮示現流を封印するように言いました。しかし、それは現状の朝潮示現流の実力が足りていないからで、ワタシが想定する未来の朝潮示現流はそうではありまセーン。であれば、その真意を伝えてあげるのは真の秘書艦であるワタシの役目なのデース」

 

 などと言う発言は陽炎の神経を逆なでするものであったが、深くは追及しない事にした。彼女の真意とやらがもし間違っていたとしたら、彼女は大目玉を食らうのだ。金剛は今回の事を対象に伝えるために大手を振って部屋を出て行ったので、陽炎の予感はすぐに現実のものとなるだろう。

 

「はぁー……上手くいかないものね。異常艦娘ってのはみんなこうなのかしら」

 

 陽炎がそんな風にこの世の不平に大して不満を募らせていると、田沼提督が金剛と入れ違いで入って来たのだ。そして、彼は陽炎が不満そうな表情を浮かべている事と、朝潮がやる気に満ち満ちながら正拳突きを放っているのを見て作戦失敗を察した。

 

「ん? 陽炎、金剛ちゃんでも朝潮ちゃんの意志を曲げることは出来なかったか。しかし、気にしないように、それは金剛ちゃんの所為でも陽炎の所為でもない、無論朝潮ちゃんの所為でもね」

 

「提督……確かに、私や朝潮ちゃんの所為ではないとは思うけれど、金剛さんの所為じゃないと言うのは違うわね……」

 

 陽炎の言葉に、田沼提督は頭にはてなマークを浮かべていたが、彼女はその事について説明するつもりはなかった。少なくとも今日は……、備え付けのベッドで泥のように眠りたい。彼女を支配していたのはその感情だけだったのだ。

 

「あっ! 田沼提督、いらっしゃったのですか。朝潮、もう完全回復しました。何なら今から走り回りたい気分です」

 

「いや、後にしてちょうだい。今私はなんかどっと疲れているの」

 

「そうだぴょん! 動き回られたら困るぴょん!」

 

 ……気づいた時には、部屋に一人いたようだが、陽炎は冷静だった。金剛も鈴谷も綾瀬大将も、なぜか陽炎の気づいた時には近くで話に入ってくると言う行動を行ってくるので、さすがに4回目となれば慣れた。何より、今は疲れているのだ。

 

「陽炎!! 暢気にしている場合ではありません!! この艦娘、わたしに全く気付かれずにこんな近距離に接近……いや、いきなり現れました」

 

 朝潮はそんな風に彼女の言う、いきなり現れた艦娘、たぶん卯月型の艦娘の方を警戒しているらしい。彼女のその発言を聞いて、卯月はにやにやと笑いながら口を開いた。

 

「ふっふっふ、うーちゃんは接触禁止異常艦娘第Ⅰ類、区分的にはこの鎮守府の暁ちゃんと同格の存在だぴょん! ぷっぷくぷう」

 

 などと言いながら胸を張っているが、陽炎には接触禁止異常艦娘もその中の第Ⅰ類もなんなら暁の異常も知らないので彼女がどれほど危険な状態に置かれているか分からなかったのだ。

 

「ごめんなさい、私達は暁ちゃんの異常を知らないので、金剛さんと比べてどのくらい強い異常をしているのか教えてもらってもいいですか?」

 

 朝潮のもっともらしい発言に、陽炎は同意した。そして、卯月は首をひねりながらうんうん唸っている。何か難しい質問をされたのだろうか、2分ほどたってから卯月は口を開いた。

 

「大体2万倍くらいだぴょん」

 

 瞬間、陽炎の視界は暗転した。

 

 

 陽炎達が意識を取り戻した時には、彼女らは5メートルくらいの長いテーブルの周りに座らされていた。そこには色とりどりの豪華な食事が並べられており、反対側には一人の屈強な男が座っていた。全身白い軍服に身を包み、胸の所にある階級章は……元帥。

 

 その周りに先ほどの卯月が右の椅子に座っており、元帥の左には大淀、蒼龍、そして不知火がそこにはいた。彼女の探し求めていた妹。彼女がテーブルを挟んで向かいにいる。

 

「下村元帥ですよね。お招きいただきありがとうございます。朝潮です。失礼ですが、ここは一体どこなんですか? 先ほど卯月ちゃんに気絶させられているうちに連れてこられたと認識しているのですが、横須賀第一鎮守府のどこか、という認識で大丈夫ですか?」

 

 どうやら、ここに連れてこられたのは陽炎だけではなかった。朝潮と田沼提督が陽炎の右から反時計回りに並んでおり、朝潮のちょうど正面に下村元帥が座っている形となっている。考えてみれば当然である、これはもともと朝潮が下村元帥に呼ばれたのであって、むしろ陽炎達がここにいること自体が不自然なのだ。

 

 しかし、陽炎の目標は前進していた。ここが横須賀第一鎮守府のどこかで、そこに不知火がいる事が判明したのだ。あとは後日この場所に忍び込んで不知火を連れ戻す計画を立てればいい。

 

「違うぴょん。ここはうーちゃんの空間と空間をつなげる異常、一般的には海域と呼ばれる異常でつないだ場所ぴょん。具体的には北極点にあるかつては深海棲艦の基地だった場所を改造して作った場所ぴょん」

 

 という卯月の何か良く分からない発言が聞こえて来た。冷静に考えてそんな訳がない。もしかして、陽炎が後日ここに忍び込もうと考えているのがバレているのだろうか。そんな事を考えていると、朝潮からの発言で彼女は青ざめた。

 

「やはりですか。先ほど艤装で位置情報をちらりと見てみたのですが、場所が北極点になっていました。故障ではなかったのですね」

 

 陽炎もいそいで位置情報を確認する。そして、朝潮の言ったことが事実であることが確認できた。彼女の計画が振出しに戻ってしまったのである。

 

「取りあえず、今日は顔見世だぴょん。朝潮ちゃんは艤装を手に入れてから日がなくて、尚且つ司令官も不在、3日時間を与えるから、うーちゃんたちと戦うための準備を整えておくぴょん」

 

「それなんですが、ここで戦うのを陽炎にお願いしようと思っています」

 

 陽炎が絶望していると、朝潮がそんな事をさらっと言ってきたのだった。

 

 

「はぁ!? 朝潮、何を考えているんだぴょん」

 

「もし、わたしが不知火を打ち負かしたとしても、異常艦娘が異常艦娘を打ち負かすと言う、起こっても当然の事象ですが、それを特に異常を持たない陽炎が打ち負かしたとなれば、通常の艦娘に敗北した異常艦娘として、異常艦娘の実力を測ると言う上では実力が不足しているという事になります」

 

 そう言うと、朝潮は陽炎の耳に小声で耳打ちをしながら、

 

「わたしが出来るのはここまでです。妹を元帥から解き放つ、その為には陽炎が不知火に勝たなければなりません。出来ますね」

 

 そう、朝潮が陽炎と田沼提督を連れてきた理由はこれだったのだ。陽炎は朝潮に心の中で感謝しながら彼女の声に頷いた。

 

「ちょっと待ってください。陽炎、普通の艦娘のあなたがこの不知火に勝てる筈がないでしょう。いえ、異常に目覚めたばかりの艦娘ならばまだしも、私は異常に目覚めた後様々な提督の元で力を振るい、最終的に元帥の艦娘となったのです。私は昔の陽炎と共に鎮守府で過ごしていたままではないんです」

 

「あら? もしかして不知火、私に負けるのが怖いの? ちょっと前まで私の後ろでお姉ちゃん、お姉ちゃん言っていたアンタにしてはだいぶ偉くなったもんじゃない?」

 

 対戦相手を急遽朝潮から陽炎に変えると言う相手からしてもまかり通りそうにない事を雰囲気で押し通そうとする陽炎達に、不知火はそうすることがいかに危険か説得し始めた。

 

「朝潮。君は対戦相手を降りると言うのがどういうことか理解していて話しているのか理解しているのかい?」

 

 陽炎達が言い合いを始めると、下村元帥が朝潮に向けてそう質問した。

 

「はい。理解しています。しかし、不知火を解放するためには、こうするしかないんです」

 

「なるほど、では仕方ないな。不知火、準備を始めなさい」

 

「提督!! ……分かりました」

 

 陽炎には、朝潮が言われていた。『対戦相手を降りる意味』とやらがどんなものか理解していなかった。しかし、かなり重要な何かを彼女は犠牲にしたのだろう。彼女は気合いを入れた。その時である、不知火が陽炎に向けて指刺ししたのである。

 

「何? 勝利宣言かしら? アンタ私に演習で一度でも勝ったことあった?」

 

 そう言い終わるくらいに、横からドンという強い衝撃が彼女を襲った。どうやら、朝潮にぶっ飛ばされたのだろう。大体5メートルほど吹っ飛ばされ、彼女は部屋の壁に叩きつけられた。

 

「何すんのよ!!」

 

「これでも明白でしょう。陽炎にはこの不知火と戦う資格すらない。戦いから降りなさい」

 

 不知火はそう言いながら、その部屋を後にした。そして、彼女が部屋を出た直後、陽炎が先ほどまで座っていた。椅子が木っ端みじんに吹き飛んでおり、その床には大穴が合いでいたのだった。不可解なのは、それがいつ開けられた孔で、それが開けられた瞬間も音も光さえも認識できなかったのである。

 

 ただ、おそらく陽炎を吹き飛ばした朝潮はそれを認識していたのだろう。

 

「なるほど、『砲撃を見えなくする異常』ですか。砲身や撃たれた球が見えない事は予測していましたが、撃った時の音や撃たれた後の地形まで見えなくなるとは予想外でした。しかし、何も知らずに戦いに臨むよりはだいぶ勝てる可能性が見えてきましたね」

 

「朝潮ちゃん、不知火が砲撃する瞬間が見えていたの?」

 

「いえ、見えていたわけではありません。でも、なんとなく不知火が撃ってくる瞬間が分かりました。多分、霞が私と不知火の戦いのために、ここに来るのを許可したのはおそらくわたしの異常が不知火の異常に対して優位に図らくという確信があったのでしょう。そして、彼女の予感は当たっていたと」

 

 その後、朝潮はぼそりとまあ、対戦相手を陽炎に譲った事は予想外でしょうけどと呟いた。しかし、これは陽炎にとっても好機だった。確かに砲撃のための主砲すら見ることは出来なかったが、見えないと言うならやりようはある。その為には、

 

「陽炎……君の妹さん。姉である君に向けて砲撃してきたぞ……確かに、妹さんを取り戻したい気持ちがは分かるが、無謀すぎる。ここは朝潮ちゃんに任せて……」

 

「提督。お願いがあるの」

 

「なんだい?」

 

「提督、今回の戦い。ブラインド機能を切ってくれない。戦う不知火の姿を見たいの。不知火の砲撃が見えないなら、彼女がこちらに主砲を向けてくる手の動きや砲撃するための体の動きの硬直から、砲撃する瞬間を見極めるしかない。お願い」

 

「ブラインドを……って言うか。どこでその事を知ったんだ? 君らには提督同士の力の干渉や、深海棲艦の領域の干渉によって敵の姿がおぼろげにしか見えないと言う説明しかされていない筈だが……」

 

「やっぱりそうなのね。で、出来るの? 出来ないの?」

 

 陽炎がその事に思い至ったのは前に朝潮と陽炎が綾瀬大将によって連合艦隊を強制的に組まされた。それによって朝潮たちとの共闘を行った時の事である。その際にこの機能は綾瀬大将の異常であると説明されたが、その際には朝潮の姿がはっきりと見えていた。

 

 しかし、それはおかしな話である。提督の力の干渉が原因であるならば、第3者が無理やり2艦隊をつなげるならば、そこには提督3人分の力の干渉が起こり、普段よりもひどい視界にならなければおかしいのである。

 

 故に、この敵が見えないと言う現象は力の干渉による事故ではなく、提督の力の一部を裂いてまで付け足した付属機能であると陽炎は考えたのである。という事を考えついて、おそらく艦娘への負担軽減か何かだろうと思って今まですっかりと忘れていたのだが、先ほど不知火への対抗手段としてその事を思い出したのだった。

 

「確かに、可能だが……君は妹を撃てるのか? 君の妹は先ほど彼女自身がほとんど不意打ちで君を躊躇なく撃てるほど戦いに精通している。なぜ、艦娘の視界にブラインドをかけているのか理解していない。君達艦娘はそれがないと同じ艦娘を撃てないように、撃つと吐き気を催して、立って入られないほどの衝撃を受けるんだ。彼女にはそれがなかった」

 

 陽炎は提督が言った事を理解しなかった。

 

「何が言いたいの? そうね。一発で大破に持ち込んで勝利しなければ、姿の見えている艦娘を砲撃した気持ち悪さで、戦闘不能になるってことね。OK、じゃあ、かなり接近してから砲撃を加えるしかないわね」

 

「違う。こんな事は言いたくないが、君の妹はおそらく姿が見える状態の艦娘、もっと悪ければ人をその異常によって殺めて来た。そう言っているんだ」

 

「はぁ!?」

 

「おそらく、彼女が君を撃った理由は、姉である君と戦いたくないんだろう。そして、彼女の異常は戦いよりも『暗殺』に適している。何せ、凶器すら見えず、彼女が去るまで撃たれた後の穴すら分からなかったんだ。おそらく、それによって暗殺された人間はたぶん彼女が見せようとしなければかなり長い時間他の人間は暗殺された人間の死体すら見る事が出来ない。この上なく上の人間とすれば邪魔な人間を排除するのに適した異常だろう。それを、彼女を見て痛感した」

 

「そんな事、提督の妄想でしかないでしょう!! そんな!! そんな事言うなんていくら提督でも許さないわよ!!」

 

 そんな会話をしていると、今まで沈黙を貫いていた元帥の艦娘の一人が声をかけて来た。大淀型の艦娘であるが、彼女の言葉は陽炎を絶望させるには十分だった。

 

「はい。彼女はここに来る前に少なくとも20人の政府要人を暗殺しています。そして、彼女がここにいる理由は、彼女がある人物に、下村元帥暗殺を依頼され実行。失敗して保護されたためです」

 



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一方その頃呉第4鎮守府では

朝潮たちが南極基地に連れ去られていた頃、荒潮達呉第4鎮守府はイベント海域からの帰還を果たしていた。そして、第一鎮守府に出向していた長良達も第4鎮守府に帰還したのだが、

 

「長良さん。今回の演習お疲れ様でした。そう言えば、満潮は見えませんが、どうしたのですか?」

 

「ええと、なんか大将の所の霞ちゃんが言うには今回の事で相当無理をした事で、艤装に異常が見つかったらしく、検査のために横須賀まで行ったらしいよ」

 

「なんだか、はっきりしないと言うか、満潮から聞いたわけではないんですね。艤装の異常ですか。まあ、直るのなら問題はなさそうでしょう」

 

 そう、艤装に異常が見つかったらしく、横須賀に行っているはずである。長良はちらっとしか見ていないが、満潮が……いや、満潮と思われる艦娘が、謎のマスクをつけていたのを数日前にちらりと目撃していた。

 

 その二日前に霞も同様に謎のマスクをつけており、朝潮や鈴谷も同様のマスクを着けていた事が判明していた。

 

「それより……、満潮がいない代わりになぜか20人ほどの艦娘が後ろにいるように見えるのですが、彼女らは一体誰なんですか?」

 

「あ? やっぱりそれ聞いちゃいます?」

 

 彼女らは、呉を襲撃した艦娘たちである。が、彼女たちや彼女らの提督を操っていたとされる黒幕は海に沈んでおり、彼女らの提督もグラーフの仲間であるプリンツオイゲンに重傷を負わされている為、呉に軟禁されているのだった。

 

 そして先日、霞たちの決死の調査によりその裏が取れたので、今回の事は不問とされたのだが、壊れた鎮守府艦の修理と、彼女らの提督の療養のためにしばらく呉に留まる事になったのだった。

 

 その際に、満潮が横須賀に行く話を聞きつけた彼女らが、少しでも彼女に対する恩を返すためにも、第4鎮守府で艦隊運営を手伝わせて欲しいと言う申し出をしてきたのだった。そして現在に至るという訳である。

 

「ハーイ!ワタシは大湊第12鎮守府秘書艦の金剛デース!! 以後お見知りおきをお願いしマース!!」

 

 長良がどう言ったものか言葉を紡ぎあぐねていると、大湊の金剛が話に割って入ってきて、ファイルを一つ取りだし、朝潮に寄こした。彼女はそれを受け取りペラペラとそれをめくり、しばらくすると、

 

「なるほど、第一鎮守府不在のために呉に応援に来た際に、敵軍に背後からつかれてその際に宮本提督が負傷したために、満潮達に助けられたと……そして、提督が復帰するまでここに所属するように命令を受けた。……なるほど、それは災難でしたね」

 

「ハーイ!! それでは、そちらの提督に挨拶に行きたいのですが、よろしいデスカ?」

 

 そうして、一通りの挨拶を終えた後、金剛たちはそこで決められた業務に従事していったが、大湊の雪風は荒潮を外に呼び出したのだった。

 

「忙しい中お手数をおかけします」

 

「構わないわ。それに、貴女にも聞きたい事があったし、……満潮ちゃんに異常が見つかったと言う話だったけれど、そんな事ってあり得ると思う?」

 

「いいえ。彼女の練度は80程度、一般に艦娘の異常が発現するのは、わたしや霞ちゃんのように、人間から直接艦娘に改造された例を除くと、才能のある艦娘でも練度99以上のいわゆるケッコン艦に本来は限定されます。しかし、彼女は明らかにそうではなかった」

 

 荒潮が彼女の提督に異常があるかもしれないと言われたのは朝潮が異常を発現したときの事である。彼の魂がtype-γに奪われた後、荒潮は提督の魂をその艤装に宿し、提督の力を行使できる『提督を呑んだ』という状態に陥ったのであるが、そうなった例は希少であるので、例え提督を助ける方法があったとしても、その提督はなにかと理由をつけて助けない事になっていた。

 

 しかし、朝潮が指揮に入って初めての演習でいきなり異常を発現した際に、状況は一変したのだった。それはtype-γに魂が飲まれた際に、提督が『異常を発現させる異常』を持ったのではないかと言う仮説である。

 

 そして、たった2か月でずっと旗艦にしていた満潮に異常が発現した。本来異常を潜在的に有する艦娘が異常を発現する艦娘練度大きく下回っているにもかかわらずである。その事は雪風には知らされていない様だったので安堵していた。

 

「なるほどね……しかし、それは他の子たちよりも満潮ちゃんに才能があったという事でしょう。しかし、寂しくなるわね。大将クラスでもないと異常を持つ艦娘を複数隻持つことは一般的には許されていない。満潮ちゃん、別の鎮守府に配属になっちゃうのかしら」

 

 荒潮自身はこんな結果になるまで、彼女の提督が『異常を発現される異常』を有している事を信じていなかった。故に、満潮をしばらく旗艦に固定しておくと言う実験に反対しなかったのだが、そうなってしまった事は彼女の胸を締め付けた。

 

「おそらくそうなりますね。かつて人間を艦娘に改造した艦娘が各鎮守府にいて、今よりも鎮守府の数自体が少なかったころはもっとたくさんの異常艦娘が各鎮守府に複数隻いたこともざらでしたが、彼女らは大将配属にされた後、たまに他の鎮守府にも振り分けられるようになりましたから、おそらく満潮ちゃんもそうなりますね」

 

 雪風はかく言う私もそのクチですからねと付け加えた。そして、雪風は金剛とは違った色のファイルを取りだし、荒潮に見せた。彼女はペラペラとそのファイルをめくる。

 

「なるほど、これがここにいる真の理由ね。横島提督のボックス集めの手伝いをさせられていたと……。おかしいと思ったのよ。金剛さん以外の艦娘が、なぜか極度に朝潮ちゃんを怖がっていて、話を始められなさそうだったのを、鎮守府中の艦娘をたった一隻で全滅させられたんじゃそうなるわね」

 

「おかげで私達の鎮守府の皆朝潮ちゃんを見るたびにガタガタ震えて困っているんですよ。一体あの子は何なんですか? 私は横須賀の金剛さんとか、瑞鶴さんとか呉の霞ちゃんとかを見て来たから、常軌を逸した艦はたくさん見て来たので、大丈夫ではあるんですが、彼女はそれ以上です」

 

「まあ、彼女は私の『勝利の女神』ですもの」

 

 その時である。二人の目の前に何か良く分からない渦が巻き起こり、おそらく時空の裂け目から、知った顔が姿を現したのである。

 

「やぁ、久しぶりですね。荒潮に雪風。お久しぶりです」

 

 やあじゃないわよ。荒潮は何が何だか分からなかったが、彼女の次の発言を待った。

 



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姉妹相対する

「よいしょっと」

 

 謎の渦を跨ぎ、朝潮は彼女達の前に現れたのであるが、その後ろから卯月型の艦娘が現れたのである。雪風はあんぐりと口を開けているが、呆けた顔をすると彼女らのペースに呑まれ、収拾がつかなくなることを理解していたので、荒潮は瞬時に表情を戻す事が出来た。

 

「お久しぶり朝潮ちゃん。満潮ちゃんと一緒に横須賀に行ったって聞いていたけれど、どうしたの?」

 

 どうしたのには、なぜここに、どうやってここに、どうやってここに、の意味が含まれている。

 

「はい。今わたしは横須賀ではないどこからか、卯月の力を借りてここに来ました。ちょっと横須賀から遠いところだったので、本当に横須賀に戻れるのかの意味もかねて、ここまで道をつなげてもらったんですが、いやぁ、異常でない艦娘がいなくてよかったですね」

 

「当り前だぴょん。超すごい艦娘のうーちゃんが、そんなミスするわけないぴょん。そんな事を言う口は……ぷっぷくぷー!!」

 

 エッヘンと言うポーズをとったり、いきなり朝潮の頬を掴み、思い切り広げだした艦娘は卯月型の艦娘であるらしい。朝潮ちゃん曰く、彼女の力を確かめるためにここに移動してきたらしく、それに対して大した意味がある訳ではない事が読み取れた。

 

「卯月ちゃん……?」

 

「雪風。うーちゃんの事はうーちゃんと呼ぶ事にって、いつも言っているぴょん」

 

「知り合い?」

 

 雪風に卯月の事を聞くと、彼女は口を開いた。どうやら、彼女は行方不明のはずの下村元帥の艦娘であり、大淀と並んで、彼の懐刀の一人である。とされるが、強さや異常の全貌は謎とされている。

 

「それで、なんでそんな子がここに?」

 

「大した意味はないぴょん。ただ、新たな異常艦娘を短期間で3隻も排出した鎮守府の秘書艦を少し見ておこうと思ったに過ぎない。その幸運にあやかりたいと」

 

 彼女はそう言いながら薄気味悪い顔をしていた。知っている。当然ではあるかもしれないが、彼女には呉第4鎮守府の提督が『異常を発現させる異常』を持っていることをもしくはその疑いのある事を知っているのだろう。

 

「荒潮、どうしたんですか? そんなに怖い顔をして」

 

「それじゃあ、うーちゃんたちは帰るぴょん。他の子に見つかったらまずいからね。ぷっぷくぷー」

 

 彼女達はそう言いながら時空の裂け目に戻っていった。

 

 

「お疲れ、二人ともどこに行っていたの?」

 

 陽炎は朝潮と卯月の帰りを用意された部屋の前でずっと待っていた。と言うのも、田沼提督のブラインドを解除するために少しの間、朝潮たちを待たせていたので、その間に帰り道を見せてあげると卯月が自身の異常で朝潮を別の所に移動させていたのである。

 

「呉第4鎮守府で、荒潮と合ってきました。彼女と話した感じ、彼女は本物みたいで、ここが彼女の異常によって作られた幻影か夢の世界とかではない事を確認できました。となると、不知火とかも本物でしょう」

 

 そう、朝潮が危惧していたのは、ここが卯月によって作られた夢の世界で、彼女らをからかう為にここに呼ばれた可能性である。故に、彼女がおそらくよく知っている霞とか金剛ではなく、全く無名の荒潮の所に飛ぶ必要があったのだった。

 

 そして、さっきの受け答えでワープ先の荒潮が本物であることは確信できた。

 

「なるほど、じゃあ憂いは消えたわね。あとは、不知火をぶっ飛ばして、あの子を連れ戻す。ここからが、私の仕事よ」

 

「卯月、今回は……」

 

「大丈夫ぴょん。大淀に頼んで、今回は両者とも解放艦娘ではない通常状態で戦う事になっているぴょん。と言うより、解放艦娘状態で戦うのはもともと第2戦以降からだから、今回は心配しないで大丈夫」

 

 その言葉を聞いて朝潮は安心した。もともと解放艦娘状態で戦うのは第2戦目の神通からであると事前に聞いていたわけではあるが、対戦相手を朝潮から陽炎に変えると言うわがままを押し通した結果、元帥が激怒し、解放艦娘状態での戦いを強制する可能性があったのだが、杞憂であったのだ。

 

「なるほど、安心しました」

 

 そう言った会話をしていると、ドアが2回叩かれ、大淀の声が聞こえて来た。

 

「準備はよろしいでしょうか?」

 

 陽炎がその言葉に頷くと、陽炎は、下に落ちた。

 

「きゃぁ!! 何!?」

 

 彼女の悲鳴が聞こえたと同時に、朝潮たちのいる部屋にあるものすべてが透明になり、陽炎が落ちて行った3メートルほど下に海が広がっていた。そして、50メートルほど先に、不知火の姿が見えたのだった。

 

「戦いはこの人工海域で行われます。海域の広さは大体5キロメートル四方で、どちらかが大破させられるかもしくは、人工海域の外に出ると終了し、条件を満たした艦娘が敗北となります」

 

大淀がそう言うと、陽炎の艤装レーダーに現在地と、敵までのおよその距離、マップが表示された。通常であれば、提督の力の干渉とやらでそう言ったものは艦娘側には見えないとされており、実際陽炎も初めて見る光景であったが、呆気に取られている時間はなかった。

 

 

「そう言う事です陽炎。そのまま後ろに3キロほど下がれば、傷つくことなく戦闘が終わります。これが最後の忠告です」

 

「不知火。アンタは異常によって、たくさんの政府要人を暗殺したって本当?」

 

 陽炎がそう言うと、彼女はここに来てから崩さなかった表情を初めて崩した。唇をかみしめた後、

 

「安い挑発ですね。そんな言葉で不知火の手元を狂わせる作戦ですか? 弱く思われますよ。まぁ、実際弱いんですが」

 

「私はアンタに怒っているんじゃないわ。そんな闇の中に妹を放り込んでしまったあの日の私のふがいなさに怒っているのよ。私はアンタを取り戻す。私もアンタを傷つけたくないわ。言葉を返すは、そのまま後ろに下がって海域から脱出するなら止めはしない」

 

「なるほど……、まだ力の差が分かっていないようですね。良いでしょう。大淀さん、始まりの合図を」

 

 こうして、戦いの火ぶたは切って落とされた。

 

 

「ほとんど無茶振りのように陽炎を戦わせたのですが、彼女はこの為にいろいろと準備してきたようですね。私が不知火対策と思っていた事を彼女はすべて行っています」

 

 朝潮が不知火に対して行おうとしていた対策、それは不知火がこちらに狙いを付けた瞬間に射線を外す、と言う単純なものである。例え異常艦娘といえども、艦娘の砲撃のルールである敵に当たる位置でなければ主砲を撃つ事が出来ない。

 

 これは守るべき対象や味方に対して誤射や艦娘自身の反乱を防ぐために用意されたものであるが、この機能によって回避先に砲撃を置いておくと言った芸当を防いでいる。

 

 もちろん、敵の射線をずらすような動きをしていてはこちらもバランスをとれず、敵に対して満足に砲撃を加える事が出来ない筈であったが、彼女は以前に綾瀬大将から不知火の異常の正体を知らされており、その対策として特訓したのだろう、崩れた体勢からでも不知火のそばに的確に砲撃を加えて行っていた。

 

「なるほど、無策で戦いを挑んだわけではなかったようですね。安心しました」

 

 不知火の射線を躱しながら放った一撃が、彼女のほんの数センチ手前で炸裂し、水しぶきが彼女を濡らす。陽炎は敵の砲撃を躱しながらもじりじりと不知火に対しての距離を詰めていった。

 

「当り前じゃない。私はアンタを取り戻す。その為に私はここに立っているの。さあ、後数メートルで私はアンタを捕まえる」

 

「その意気です。頑張れ、陽炎さん!!」

 

 しかし、その数メートルは果てしなく遠い。艤装に本来の戦闘の数倍程度の無茶をさせながらじりじりと距離を詰めているが、不知火もそれに合わせてゆっくりと間合いを離している。不知火は誘っているのだ、陽炎が焦って一気に間合いを詰めようとする瞬間を、その一瞬が訪れた時、彼女は敗北するだろう。

 

 その戦闘を見ていた大淀が、眼鏡をクイッと上げながら、朝潮に話しかけて来た。

 

「あなたが、陽炎を対戦相手に指名したときは、何を血迷ったかと思いましたが、対策は十分させていたという訳ですね」

 

「いいえ。わたしは何もしていません。ただ、陽炎は不知火を取り戻す。その為にここに来たんです。だから、彼女なら何とかするだろうと信じていました。わたしのライバルを自称するならばこれくらいはやってもらわなければなりません」

 

「なるほど、彼女を信頼しているのですね。しかし……それは甘いと言わざるを得ません。あなたは異常艦娘と通常の艦娘の力の差を分かっていない。あなたは通常の艦娘が束になって熊本提督の霞に勝てると思いますか?」

 

 朝潮は怪訝な顔をした。確かに、ここから状況は少しずつ不利になっていくと予想されるが、現状では陽炎の方が圧倒的に有利な状態で戦闘を進めている。陽炎のハイレベルな身のこなしによって、不知火はその的を絞れず、砲撃を放てないでいる。

 

 たとえ、砲身や弾自体が見えないとしても、砲撃するときの硬直や反動を隠せるものではない。故に、大淀がそう断言する意味が朝潮には分からなかった。

 

「あと、30センチ!!」

 

 陽炎は1時間の死闘の末に、無限に続くと思われた緩慢な鬼ごっこはついに不知火をその射程のすぐそばまで納めることに成功した。不知火の見えない砲撃の性質上、果たして陽炎は何発砲撃をもらっているのか予測もできないが、ここまで彼女はミスをしていなかった。故に、砲撃を加える以外の不知火自身の硬直や、反動から陽炎は自身が無傷である事を確信していた。

 

 ここからあと30センチ、陽炎はその集中力を維持できるのか? それは出来ると彼女は確信している。彼女は不知火と別れてからほとんどの時間、彼女を取り戻す為に費やし、彼女を取り戻す為なら、元帥の所在に忍び込むことまで考えていた。

 

 故に、このチャンスを焦りから不意にすることはない。

 

「驚きました。想像以上です。まさか異常を持たないあなたがここまでやれるなんて」

 

 不知火はそう称賛の言葉を投げかけると、陽炎に向けて背を向けた。陽炎は呆気にとられ困惑していると、陽炎の艤装が爆ぜた。

 

「これは、一体……艤装の不調!! くそ! こんなところで、うごいて……うごいてよぉぉ」

 

「5発です」

 

 この世の理不尽にみるみる戦意を喪失する陽炎に対して、不知火は彼女に背を向けながら淡々と言葉を紡ぐ。

 

「何を言って?」

 

「私の異常は砲撃を見えなくさせる異常と言いましたが、その対象は砲身自身や弾、着弾地点の状態に限定されるものではありません。あなたに狙いを定めた腕や砲撃の反動などもあなたには認識できなくなる」

 

 彼女がそう言うと、陽炎の艤装の状態が暴かれる。完全に大破し、何とか浮力を保っている状態で、まかり間違っても戦闘を継続などできる筈もない。それは誰の目にも明らかだった。

 

「なによそれ……そんなの一体どうしたらいいのよ……」

 

「だから最初に言ったじゃないですか? 異常を持たないあなたでは私に勝つことは出来ないと、陽炎あなたは素晴らしい艦娘です。私の異常の対策をし、それをミスなく実行した。私の異常があなたの思った通りなら、私は敗北していたでしょう。単純な練度と言う意味ではあなたは私よりもはるかに勝ります」

 

 彼女は陽炎に称賛の言葉を投げかける。それは決別の言葉を意味していた。自分を救うために敵対する対戦相手に対する言葉ではなく、純粋に数年ぶりに手合わせして確かな実力をつけた自分の姉に対する誇らしさ。

 

「だめ、それ以上は……言わないで……」

 

「陽炎、私や異常艦娘の事は忘れて、表の世界で多くの人々や仲間を守ってください。それが、呪われた異常を持ち、表の世界に残れなかったあなたの妹不知火の純粋な願いです。頼みましたよ、お姉ちゃん……」

 

 世界が暗転し、陽炎の意識がこの世界に留まる事を拒む。

 

「駄目よ。……だってあなたは……そんな、まるで遺書みたいな事言わないで。行かないで不知火……」

 

 こうして、陽炎の意識は途切れた。

 



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陽炎の特訓

 陽炎が目を覚ますと、そこは横須賀第1鎮守府の一室だった。彼女らが卯月に飛ばされる前の部屋。そしてしばらくした後、彼女は不知火を取り戻せなかったことを実感し、かけられた毛布に蹲った。

 

「駄目だな。私……朝潮ちゃんがくれたチャンス……結局無駄にしちゃった」

 

「陽炎さん。泣いている場合ではありません」

 

 傍らに待機していた朝潮が陽炎に声をかけるが、彼女は朝潮に顔向けできなかった。綾瀬大将の言葉から推測し、戦闘前に実際に見た不知火の砲撃から推測した不知火の異常、それを完璧に対策したはずが、彼女の異常は陽炎の想像を上回っていた。もう打つ手はないのではないか、彼女を取り戻せないのならば、彼女の言うように、多くの人を守るために努力の方向性を変えた方が良いのではないか、彼女は自問自答する。

 

 だって、砲撃だけじゃなくそれ以外のほとんどすべての痕跡を消せる異常をどう攻略すればいいのか、陽炎には分からなかった。ゆえに、

 

「先ほどの戦いは、いわゆるエキシビション。本当に元帥の試練が始まるのは3日後です。3日間で不知火の異常を攻略しなければなりません。今からその特訓をしますよ」

 

 などと朝潮から言われても、攻略の糸口すらつかめない彼女の異常にどう立ち向かっていいか、陽炎には分からなかった。

 

「ごめん。やっぱり私には無理だったのよ。私は異常艦娘とそうではない艦娘との差を、軽く考えていたみたい。だから不知火の言う通り」

 

「私は嫌でしたよ」

 

「え?」

 

「私は、誰かのために犠牲にならなければならないと決まった時に、私は自分の立ち位置を守るために戦いました。そんな中霞は褒められた方法ではなかったですが、私を助けるために奮闘してくれました。もし仮にその方法が他の誰かをスケープゴートにする方法でなければ、もしかしたら頷いていたかもしれません」

 

「いったい何の話をしているの?」

 

「あなただけです。確かに力の差は激しく、常識的な方法ではどうする事も出来ないかもしれません。でも、ここであなたが下りたら陽炎、あなた自身は一生後悔するはずです。不知火も、本当は自分を打ち負かし救い出してくれることを内心望んでいるはずです。中世の詩人ゲーテは言いました。男には負けると分かっていてもやらなければならない時がある」

 

 朝潮の言葉に、陽炎は胸を撃たれた。そして同時に、

 

「一応女の子なんだけれどなぁ、私」

 

 そう笑った。彼女の言葉に勇気づけられた陽炎は、もう一度頑張ってみようと思う事にしたのである。

 

 

「それでは、不知火対策の特訓を始めるネ。準備は良いですカ?」

 

 どうやら陽炎が寝ている間に金剛に事情を話していたようで、不知火対策を授けてくれるという事で、演習場に彼女達は落ち合う事になった。聞くところによると金剛は不知火の異常を攻略した過去を持っており、その特訓方法も考えて来たとのことだった。

 

「それよりも、どうやって不知火の異常を攻略するのか? そのロジックを教えて欲しいわね。砲だけじゃなく、砲を向ける動きや反動も見えないんじゃ打つ手はないんだけれど」

 

 陽炎とその後方に朝潮が控えている。朝潮はもし事故が起こって陽炎を引き上げなければならない状況に陥った場合のセーフティーネットの役割としてである。つまりこの特訓にはそう言った生死の危機がある特訓という事になる。

 

「確かに、不知火の異常は砲を撃つありとあらゆる認識を阻害して、撃ったと言う事実さえも誤認させる事が出来マース。普段は砲身と撃った位置を見えなくする程度でとどめておき、真の強敵を嵌め殺す際には陽炎が体験したレベルまで異常を引き上げてくるノデス。つまりは、陽炎がそこまで不知火を追い詰めるまでの実力があったからこその悲劇とも言う事もできマース」

 

「そう言ったお世辞は良いから」

 

 陽炎がそう言うと、金剛の普段の笑みが消え、彼女に向き直った。

 

「ふむ、どうやら本気のようデスネ。確かに、ありとあらゆる砲撃を知らせる状況は異常によって認識できなくなりマース。しかし、彼女が認識していない領域、彼女が砲撃のためと認識していない癖などを見極める事が出来れば、攻略は可能デース」

 

「なるほど……しかし、癖かぁ? そんなものをどうやって」

 

 その刹那、陽炎の頬を何かが掠めた。それは金剛からの砲撃であったが、それに彼女は撃たれるまで気づくことはなかった。

 

「しかし、貴女に叩きこむことはそこではありまセーン!! 相手の癖を見抜いてもそれに合わせて攻撃を回避するスピードがなければ、全く意味がありまセーン!! この3日間で私の癖を見抜き、回避できるようにする。それが、今回の特訓の目標デース!! アンダスタン?」

 

 陽炎はその言葉を聞いて、艤装をフルに稼働し、全力で旋回し始めた。しかし、

 

「では、最初の内は分かりやすくしマース!! 3,2,1」

 

 金剛が0と言った瞬間、また砲撃が陽炎の頬を掠める。ほとんど後方にいたはずの陽炎を彼女は後ろ向きのまま砲撃した。砲撃を向けた瞬間はおろか、陽炎の場所を認識する、陽炎に砲を向ける、主砲を撃つ、主砲を撃った後に砲を仕舞い、手をもとの位置に戻すという少なくとも5動作を行っているはずが、そのいずれもが認識すらできない。

 

 はたから見れば念力か何かで陽炎の頬が切り裂かれているようにしか見えないだろう。それが、砲撃によるものであることを確認できる理由は、

 

「ファイトです。陽炎」

 

 陽炎の後方で彼女にピタリと張り付きながら、陽炎を掠めた砲撃を朝潮が跳弾させて弾いているからである。そう、金剛も艦娘である以上艦娘のルールで陽炎に対する砲撃を狙ってはずすことは出来ない。故に、金剛は陽炎の後方にいる朝潮を狙う事で、その通過点にいる陽炎に対しては主砲が外れるような攻撃が可能という事である。

 

 これは、陽炎の不知火に対しての特訓であるとともに、朝潮の異常の経験値を貯める一石二鳥の訓練であった。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 3時間ほど戦闘し、金剛は2分ごとに一発砲撃を加えて来るが、一発もその攻撃をかわすこともできなかった。と言うより、この特訓不知火の難易度、実際に不知火に対抗するよりも難しくないかな。そんな事を陽炎は思っていた。何せ、彼女がカウントする1のタイミングで思い切り射線を切っても、金剛は確実に砲撃を当ててくる、正確にはすれすれを狙ってくる。

 

「陽炎、違う違う、違いマース。相手の砲撃を避ける訓練ではありまセーン。私に砲撃を撃たせないほどの切り返しをするデス。撃つタイミングはこちらから教えているはずなので、後は全力で飛ぶデス。無論、それ以外の方法があればどうにかなりマス」

 

 と言われたものの、1と言った瞬間に飛んでもそれを見て砲撃の角度を合わせて来るので、必ず打たれる。もし、彼女の言うように砲撃を完全にかわすためには、1と言った瞬間に避けているようではだめだ。撃つ瞬間を、撃ったと同時に躱さなければならない。

 

「陽炎、主砲を金剛さんに向けてください。相手を倒す気で行かなければ、あの攻撃をかわすことは出来ません。相手を見すえて、当たる瞬間を見極めるんです」

 

 後ろから朝潮の声が聞こえる。その言葉に、一理あると思い、陽炎は主砲を向けた。これは訓練なのだ。訓練中何度失敗してもいい、最終的に成功すればいい。最終的に身になっていればいいのだ。

 

「いい覚悟デス」

 

 この陽炎の覚悟を金剛も感じたらしく、彼女は陽炎を見据え、またカウントを始める。1を金剛が言った瞬間、陽炎は気を引き締める。彼女の癖を、撃つ瞬間を、何とか見極めるのだ。そして、その刹那、陽炎の主砲に衝撃が走る。

 

 金剛の主砲が直撃した衝撃ではない。ただ、その衝撃によって、陽炎は主砲の向きをほんの少しずらして砲撃を放ってしまった。ガチィィン!!! と言う鈍い衝撃音と共に、金剛の主砲が爆発した。

 

「ホワッツ!!?」

 

 何が起こったのか分からない。しかし、陽炎は金剛の砲撃の瞬間を偶然とらえてしまった。あの瞬間、金剛の右腕がほんの少し、下に動いたのである。これが金剛の砲撃の癖。掴んだと思った瞬間、金剛はこちらに全速力で向かってくる。

 

 偶然とはいえ、彼女に反撃をして主砲をおじゃんにしてしまったのだ、陽炎は彼女に感謝しているし、この後に大目玉を食らう覚悟もしていた。

 

「何をしているデス!! 後ろ!!後ろを見るネ!!」

 

 陽炎はその言葉を不審に思い、後ろを見るとそこにいたのは全身が切れたような傷を負い、そこから血液を垂れ流した、血まみれの朝潮だった。陽炎は、朝潮に駆け寄り彼女を抱き寄せるが、息をしていない。彼女は陸へ急ぐ。

 

「どういう事よこれ?」

 

「彼女の異常デス。彼女はあなたがワタシの攻略の糸口を見つけ出すために、アナタの体で異常を発現させまシタ。先ほどアナタが放った砲撃、それはヴィクトリーストライクだったのデス」

 

「そんな事が出来るの!!?」

 

「イエース。しかし、彼女のヴィクトリーストライクは敵の攻撃を跳弾させて敵に砲撃を加える技、跳弾した後の弾丸予測と言う、本来制御が困難で、ほとんど未来予知めいた攻撃を加えることは提督の力の修正によって撃つことすら出来マセン。例外的に本来の持ち主の朝潮本人であれば、その未来予知めいた計算を提督にフィードバックして撃つことは可能なようデスガ……それを他人にやらせた場合の代償はこうなるみたいデスネ」

 

 自分の異常を他人に使わせる。他人の異常使用によるダメージを他の艦が肩代わりした例は報告されているが、ここまでひどい状態になった例は金剛の記憶にもなかったので、もしかしたら朝潮の異常は金剛の想定以上の何かとてつもない秘密が隠されているのではないか。そう、ふと頭によぎったが、彼女はその思考を呑み込んだ。

 

 

「ここは?」

 

 わたしが目を覚ますと、そこは知らない天井だった。金剛の特訓で解決の糸口を見つけられないでいる陽炎に、ヒントを与えるために、妖精を使って彼女の体内で異常を発現させて、攻略の糸口を与える。

 

 他人の体で異常を発動できることは、荒潮曰く、わたしがtype-γの体にとらわれている間に妖精を使って行ったと聞いた事があったので、それを試していたのだ。まあ、試みていたのは1時間くらいの間であるが、どうやら敵に向けて砲を向けていないと駄目らしく、痺れを切らしたわたしは、彼女に砲を向けるよう言ったのだった。

 

 そして、砲を撃つ瞬間、異常を発動した。が、その後の事を思い出せない。とりあえず寝かされたのはドッグだったので、何らかしらのアクシデントがあって、わたしは倒れたのだろう。おそらく跳弾させた陽炎の弾丸が、後ろにいるわたしに直撃したのだろうか。そんな事を思考していると、陽炎と金剛、そして満潮が部屋に入って来たのである。

 

「朝潮姉さん!! 無茶な事するなって言ったでしょう!!」

 

 満潮が邂逅一発目に、そう言った言葉を投げかける。しかし、今聞きたいのはそう言った類の言葉ではない。わたしは陽炎の方に目をやると、口を開いた。

 

「陽炎、攻略の糸口は見つかりました」

 

 彼女は頷き、わたしは満足して目を閉じた。

 



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初めまして司令官(2

 陽炎はわたし抜きで特訓を再開した。今回の異常発動の件で、わたしは陽炎に何か解決の糸口を与えることに成功したので、その為にまた陽炎の艤装で異常を発動すると言う提案をしたが、その際に金剛と満潮から一撃ずつパンチをもらってしまったのである。

 

「しかし、わたしだけのけ者にされてしまったので、少し暇ですね。……満潮あたりにちょっかいを駆けに行きますか」

 

 などと呟いていると、部屋に電が入って来た。

 

「こんにちは、なのです。体の調子はいかがですか?」

 

「いいえ違います。別に、満潮の所に行って悪戯しようとか、そんな事は全く考えていませんでした。安静にしています」

 

 と言う、わたしの言葉に彼女はため息をついた後、話を始めた。

 

「そうですか。元気そうで何よりなのです。今日はあなたに会わせたい人がいるのです」

 

「会わせたい人ですか?」

 

 会わせたい人? 誰だろうか、そう言えば、ここの司令官には挨拶をしていなかったので、挨拶のために呼び出されたのだろうか? しかし、それにしては会わせたい人などと回りくどい言い方をするだろうか? そんな風にわたしが思考を巡らせている間に、目的の場所についてしまった。

 

 その場所はと言うと、わたし達がここに来た時に着陸した場所だったのである。そう言えば、そう言えば、鈴谷仮面はわたし達をここに下した後、その姿を見せていない。そんな事を思っていると、電は口を開いた。

 

「そろそろ来るはずなのです。あなたに合わせたい人、それは呉第15鎮守府に新たに赴任する司令官さんつまり、あなたの司令官となる人なのです」

 

 なるほど、わたしは納得した。本来はわたしが元帥の試練を受ける筈であり、2戦目以降は解放艦娘になる事が必須である。であるならば、わたしを元帥の試練に勝ち残らせたいのならば、提督をここに連れて来る事は自然であった。つまり、それが無理になった事を説明して納得してもらう事が必要となったのである。

 

「なるほど。その事は失念していました」

 

 そう思考した瞬間、上空が何かきらりと光ったかと思うと、バスが猛スピードで落ちて来て目の前に着地したのだった。そのバスの下には鈴谷仮面がおり、わたしを見るや否や、『やっほー』と気の抜けた返事をしながら、こちらに手を振ってくる。

 

 大淀が通常の艦娘と異常艦娘の戦力の違いにおいて、霞に対して他の通常の艦娘が勝てるかどうかを引き合いに出してきたが、今目の前にいる鈴谷仮面は霞以上に他の通常艦娘が勝てる状況が見えないとそんな事を考えていた。

 

「数時間ぶりですね。鈴谷仮面。電ちゃんが言うには、新たにわたしの鎮守府に所属する司令官を連れて来たとお聞きしたのですが?」

 

 その声を聴き、バスからは艦娘が一人飛び出して来た。どうやら叢雲型の艦娘のようである。初期艦と言う奴だろうか? 司令官はどこですかと言葉に乗せようとした時に、ふと頭によぎっていたある考えが、わたしの言動を止めた。

 

「こんにちは、わたしは呉第15鎮守府所属となりました。朝潮です。あなたが、その新たな司令官という事でよろしいですか?」

 

 その言葉に、電や鈴谷は呆気に取られており、叢雲は表情を少し崩した。しかし、彼女はすぐに元の通りの冷静な表情に戻り、

 

「あら? どうしてそう思うの?」

 

「いえ、これまでの戦いの中で、ずっと考えていました。グラーフの仲間たちと何度か戦い、そして彼女達はボックスと呼ばれる艦娘を解放させる装置を使う事が判明しました。もし、わたしがこの先どのくらいの強さを得たとしても、解放艦娘とそうでない艦娘の力の差は激しいものがあります。故に、こちらも解放艦娘として対抗しなければなりません」

 

 わたしの話をふむふむと頷きながら叢雲は聞いている。わたし自身、もしかしたら突拍子もない事を言っているのではないかと話しながら言っていたが、そう言ったことは考えないようにしていた。

 

「となると、問題は距離です。艦娘を解放する条件は、提督がその艦娘を目視している且つ、確か5キロメートル以内にいる事が条件であると、お聞きしました。しかし、それでは守る分にはそれで十分かも知れませんが、敵に攻め入るには不十分です。となると、攻めるために利用したいのが、提督の力を持った艦娘の存在です」

 

「提督の力を持った艦娘ね」

 

「はい。以前、艦娘が任務中につながっている提督が心肺停止し、その艦娘の中に提督の魂が残ってしまうと言う『呑まれる』と言う状態に陥った艦娘に遭遇した事があります。あなたも、そう言ったものではないかと推測しました」

 

 そう、この叢雲は、司令官を助けられなかった場合存在していた荒潮の未来の姿。と言う予測である。わたし自身、もし予想が違っていた場合、ほとんど情報を伏せずに話しているので、もしかしたら罰を受けるかもしれないなと、発言してから気づいたが、言ってしまったものは仕方がない。叢雲はわたしの話を聞いた後、ゆっくりと口を開いた。

 

「霞や綾瀬から呉に行くように言われたときには、どうなる事かと思ったけれど、なるほどアンタもそれなりの経験を積んできたようね。アンタの言う通り、呉第15鎮守府に配属になった叢雲よ。よろしく」

 

 彼女はそう言いながら、敬礼してきたので、わたしもそれに合わせて敬礼した。

 

「そうと分かれば、今から解放のためにトレーニングよ。霞や綾瀬がアンタをここに送り込んだ理由、それは元帥の試練を受けさせて、それ相応の地位を手に入れる事。それによってわたしの裁量である程度軍を動かせるようになるわ。そして、第4戦目の蒼龍までの敵の異常とその対策を考えて来たわ。

 

 まあ、蒼龍に関しては対策を講じても勝率五分五分と言った感じだけれど、その前の戦いに勝利するだけでも少なくとも中将クラスの権限を手に入れる事が出来る。少なくとも、そこに行くまでの相手には勝ってもらうわよ」

 

「それなんですが……」

 

 上機嫌に話す叢雲にわたしは事の経緯を話した。

 

 

「……」

 

 叢雲は絶句している。叢雲だけではない。電もそう言った類の表情を浮かべており、鈴谷は苦笑いを浮かべながら、あちゃーやっぱりこうなるかと呟いている。そんな中、電が口を開いた。

 

「朝潮ちゃん。そんな事をしてはいけないのです。幸いにも元帥の試練が始まるのは3日後、陽炎ちゃんにも事情を話して、撤回してもらいましょう」

 

 電ちゃんの意見は尤もである、しかし、それを受け入れ得ることは出来ないと、きっぱり断ろうと思った時に、叢雲が口を開いた。

 

「朝潮、つまらない感傷ね。不知火も陽炎に助けを求めて来たわけじゃないんでしょう? 救いを求めていない相手に救いの手を差し伸べるなんて、ましてや自分の立場を危うくしてそうするなんて、つまらない感傷と言うしかないわね」

 

 わたしはそれに答えられない。相手は正論で攻めてきており、こちらはどこまで行っても感情論でしかないのだ。しかし、それしかできないのならば、とことん感情論で対決しよう。

 

「つまらない感傷? 自己満足、分かっています。しかし、ここで行動しなければあの姉妹は救われない。わたしもかつて、自分を見失い居場所を失っているときがありました。生きている意味を見出せない時も、自己犠牲を強いられ、それだけがわたしのいままで生きていた意味だと、無理やりに納得して意固地になって……。

 

 でも、そんな時に周りには誰かがいた。わたしを助けようとしてくれる人、背中を押してくれる人、わたしの行いを正そうとしてくれる人。そう言った人がいたから、わたしは今ここに立っているのです。陽炎は、不知火に対してわたしを救ってくれた人と同じ事をやろうとしています。

 

 かつて救われたものの一人として、陽炎がそれをしようとしているのなら、わたしはそれを手伝いたい。かつてドイツの文豪ゲーテは言いました。人と言う字は人と人が支えあってできているのだと」

 

「そう……。なるほど分かったわ。朝潮の考えは良く分かった。しかし、絶対その言葉、ゲーテの言葉じゃないでしょう」

 

「もちろん」

 

 私は胸を張ってそう答え、その場にいる皆がげんなりとした表情を浮かべていた。

 

 

 叢雲はしょうがないわねと言った表情を浮かべていたが、その表情の奥にある喜びを隠し切れずにいられない様だった。なぜなら、叢雲には陽炎と不知火に少なからずの因縁があったからである。

 

 叢雲が呑んだのは陽炎達が深海棲艦type-γと遭遇し、不知火が異常を発現したその日である。叢雲はその泊地の第1鎮守府に所属しており、type-γとの戦闘でそれを撃退したが、その過程で彼女の父である提督の命が失われ、彼女はそれを呑み込んでしまった。

 

 その後、記憶を失った彼女はその事実を知られることなく艤装を解体され、約5年もの間、一般の少女として監視されながらではあったが暮らしていた。

 

 しかし、情報が洩れ、グラーフの仲間たちによって洗脳され、彼女達側の司令官兼ボックスの代わりとして、彼女の父親が倒れた時に、彼女を解放し指揮を執った元少年、現単冠湾第13鎮守府の提督と対峙し、無事洗脳を解かれ、そのまま単冠湾第13鎮守府の副提督として執務を補佐していた経緯がある。

 

 朝潮の言葉で、納得して綾瀬大将や霞の計画を台無しにしかねない采配をしたのは問題だろう。しかし、救われた側の彼女にとって、元トラック泊地の生き残りが、彼女と同じように救われた側に回って欲しい。おそらく、そんな事を思っているのだろう。そんな鈴谷の表情を察したのか、叢雲は

 

「なによ。にやにやして気持ち悪い」

 

「べっつにー、相変わらず叢雲ちゃんはかわいいね」

 

 その二人の会話を聞いて、朝潮は首をかしげていた。

 

 



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