機動戦士ガンダム00 -終焉(おわ)らせる禁忌- (Damned)
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#1 始まりの真理

 細長く、真っ直ぐに続く廊下。見渡す限りにあるのは灰色の壁だけ。規則的にドアの存在するそこを、栗色の髪を三つ編みにした男が歩いていた。

 呼び出しに応じて出勤した彼は、黒いアタッシュケースを片手にすたすたと歩みを進める。何処までも同じ空間の続く建物の中に迷いそうだと呟いて、男は格納庫への入口に立った。一年しか経っていないここでの生活にも、そろそろ慣れてきていた。

 二年前まで、彼は医療用のカプセルの中で生きていた。

 数年前、世界を震撼させたある組織との戦いから、ずっと。目覚めるや知らない場所、二年もの年月が過ぎていたと知った時の混乱と衝撃は大きかった。表沙汰に出来ないような仕事をこなす中で紛争に巻き込まれ、失ったとばかり思っていた命が繋がったことは喜ぶべきものであるはずで。

 しかし、今の彼には、明るさは見当たらない。むしろ、彼の浮かべる表情は、唇を固く結び、厳しささえ感じさせるものだった。

 重厚な壁の横、スリットのあるパネルにカードを差し込む。開いていく扉に一瞬左目を伏せて、そして確かめるように開いた。この場所は、第六ハンガー。

 独立治安維持部隊アロウズに所属するニール・ディランディ、そのコードネームをロックオン・シューターといった彼の、新たな武器の待つ格納庫だった。

 

 

 

「やあ、待っていたよ」

 強化ガラスに仕切られた、パネルとコンソールの並ぶ一角。

 そう言って手を振るのは、アロウズのモビルスーツ開発者……ではなく、紫色の癖毛を弄ぶ青年だ。新型艦への配属が決まり、最後の休日を貰っていたニールに『これから予定が早まるから』と言って呼び出した本人──リジェネ・レジェッタ。

 ただし、何処から入手したのか。アロウズの軍服に身を包んでいる。

「お、お前さんね……」

「似合っているだろう?」

「違う。そうじゃねぇよ。そうじゃなくてさ。……念の為に聞くが、それは誰のだ?」

「その辺にいた──」

「頼むからもう二度とするなよ! 恩人が追い剥ぎしてるなんて……本当に信じらんねえ……」

 子供が晴れ姿を見せる時のように、リジェネがくるりと回ってみせる。妙に様になっているが、一瞬で疲れた。対モビルスーツ戦よりも精神的にずっと摩耗している。

 死にかけの自分を拾い、失った四肢を再生してくれた恩人であるが、リジェネは時折、こういう事をやらかすのだ。

「追い剥ぎとは人聞きの悪いね。予備の制服を借りただけさ」

「剥いでないだけマシなのか……?」

 ガラスの向こう、モビルスーツが並んでいる方を見ながら溜め息をつくニールとは正反対に、リジェネは軽い調子で「そんな事より」と言った。

「今日呼び出したのは、君に新しい武器を渡したかったからだよ」

「メッセージでもそう言っていたな。何だ?」

「そう。今の君には必要だろう? ……ロックオン・シューター」

 ソレスタルビーイングが活動を再開した今、彼らを倒すためには。

 リジェネの言葉に、ニールの瞳が鋭い光を宿す。

 彼にとって――ソレスタルビーイングという世界の秩序を乱す存在(テロリスト)は、滅ぼすべきものであるのだから。

 設置されているコンソールに、リジェネが指を走らせる。慣れていないようで、幾度か開くデータを間違えながら、複数のウィンドウを表示させていく。

「……これで、いいのかな。ともかくこれが、君の新しいモビルスーツだ」

 パネルに表示された画像は、今までに見た事のない、機体。

 翼のように稼働する全面を覆うシールドと、肩に装備された巨大な砲。目のように二つに分かれたメインカメラの片側には、レンズのようなユニットが追加されている。

 それから両腰には銃、いや――GNガンブレード? アロウズのジンクスに共通して装備されていたGNビームサーベルが排されて、銃型の、しかし『ブレード』と名付けられたものが取り付けられている。銃でありブレード。新しい装備なのだろう。ニールはこんなものを知らない。大方、銃身を刃物として扱えるとか、そんなところか。

 そして、この機体は少しだけ……似ていた。

 Ⅴ字のアンテナこそないが、ガンダムに。

「名前は『アレーティア』。君にしか扱えない、君だけのモビルスーツ……なんじゃないかな」

「かな、ってどういう……」

「リジェネ、ズルッコ! リジェネ、ズルッコ!」

 不意に割り込んだのは、ニールにとっても慣れ親しんだ機械的な声。ぱたぱたと耳のように左右のユニットを動かし、開いた扉から跳ねながらこちらに向かってくる様は可愛らしい。

「ロックオン、ロックオン」

「おお、ハロ。メンテナンス、お疲れ様」

 ハロと呼ばれた黒い球形のロボットが、開いた両手に向かって飛び込んでくる。ハロはアロウズ入隊以前から、ニールのパートナーだ。二年以上も共にモビルスーツを操縦している。ここまでなら可愛らしいのだが、このハロは──

「ツカレテナイ、ツカレテナイ」

 本当にAIなのか疑わしいほど……時折あまのじゃくになるのである。

 腕から抜けて、ハロはまた床で跳ねる。それを微笑ましく見守りながら、ふとハロの言っていたことを思い出してニールは尋ねる。

「リジェネがズルした、ってどういうことだ?」

「作ったのは僕じゃないんだ。この機体についても、あとで正式に連絡が来るんじゃないかな」

「……お前さんね。本当に何がしたかったんだ?」

「紹介したい子たちがいるんだ」

 リジェネがニールの横を歩いて、扉をスライドさせる。それが本題なら、それならどうしてここに呼んだんだ。

 再び溜め息をつくニールにリジェネは振り返って、「それと、なんだけど」

「ん?」

「アロウズの制服も悪くないね」

 ……さいですか。

 

 

 

 

 

 

 場所を移して、アロウズの会議室。どこかへ行ってしまったリジェネに伝えられたよう、ノックをして入室の伺いを立てて扉を開ける。

リジェネが何をしたいのか検討もつかないまま、部屋に入った先にあるのは大きなスクリーンだ。映っているのは総司令・ホーマー・カタギリで、そしてその前にあるソファに座り三人の男女がいた。

 ぴょんぴょんと跳ねるハロがそこに飛び込んで驚きの声が上がる。ニールの操縦をサポートするロボットではあるが、オリジナルらしく一般には知られていないものだ。「ハロ、ハロ!」と自身の名前を呼びながら床を転がるハロを、三人のうち一人が抱え上げた。

「えっ、何この子。かわいい」

「どっからきたんだ?」

「…………」

 それぞれの反応が個性的でわかりやすい。ホーマーが「待たせたな」と声を掛けると、彼らがこちらに振り向いて──それから、バッと立ち上がって敬礼。

「失礼しましたっ。グリシルデ・シュミット少尉です!」

「エイヴィリー・ミシェル准尉と申します」

「アッシュ・グレイ准尉です」

 グリシルデと名乗った女性──いや少女と言っても遜色ない容姿だ──が「よろしくお願いします!」と言った。

『楽にしてくれたまえ』

 ホーマーの声に、三人が腕を下ろす。

「ロックオン・シューター特務大尉です。お待たせ致しました、カタギリ総司令」

『休日に呼び出したのは私だ。早速本題に入らせてもらうが、君に彼らを任せたいと思ってね。こうして呼び出した次第だ』

「コウハイ、コウハイ!」

「はいはいちょーっとお静かになハロ。失礼しました……任せる、と言いますと?」

 跳ねながら騒ぐハロを腕に収めて、訊ねる。

『そのままの意味だ。君に彼らの教育を頼みたいのだよ。皆、AEUの士官学校を卒業した優等生だ』

「承知しました。しかし、よろしいのですか? 入隊して一年、まだ経験の浅い私になど」

『君色に染めてもらっていい。それに君は、優秀だ』

 直接的な、賞賛の言葉。当然これにも裏があるのだろうが、ニールはそしらぬ表情で頷いた。

「光栄です。必ずや成果をご覧にいれてみせます」

『頼んだぞ。シュミット少尉、ミシェル准尉、グレイ准尉』

 返事とともに三人が再度、敬礼をした。

『自己紹介もまだだろうが、君たちにはマネキン大佐らと合流してもらう。迎えがそろそろ来るだろう、頑張りたまえよ』

「はい。それでは、失礼します」

 通信はそこで切れ、アロウズのマークがスクリーンに浮かぶ。それと同時にノックの音が聞こえて、ニールは「どうぞ」と告げた。

 カタギリ総司令の言った『迎え』とやらであろうかと立ち上がり、扉のほうに視線を向ける。

 扉が開く。そこに立っていたのは、一人の女性。ニールはその顔を、知っていた。

 彼女は流麗な所作で礼をして、口を開く。

「半年ぶりですね、特務大尉。貴方たち三人は、初めまして。シュミット少尉、ミシェル准尉、グレイ准尉ですわね?」

「はい。久しぶりですね、少佐」

 ミルクティー・グレージュのロングヘアを後ろで括り、オリエンタルブルーの瞳でこちらを真っ直ぐに見つめてくる彼女の名は──

「申し遅れましたわね。わたくし、トルネ級戦艦『フォルトゥナ』の艦長を努めさせていただいております、マライア・ミルティ少佐と申します。シューター特務大尉以下三名を、お迎えに上がりましたわ」

 

 

 

 

 

 

「また勝手なことをしているようだね、リジェネ」

 滑らかなテノルの声が、咎めるような色を帯びている。

 しかしリジェネは怯むことも無く、非難した彼──リボンズ・アルマークに落ち着き払った様子で肩を竦めた。

「ちょっと彼に縛りを課しただけだよ、リボンズ。彼は元々、ソレスタルビーイングでは兄貴分のような存在だったそうだから。これで彼がアロウズを離反することも出来なくなるんじゃないかな」

 ──たとえ記憶が戻ったとしても、彼は憎悪に我を忘れることはあれ、情というものを捨てられない人間である。リジェネはそれを理解したうえで、彼をアロウズに行かせたのだ。

「ガンダムマイスター達も、彼の影響を多大に受け、成長している。彼の言葉に救われることもあった……違うかな?」

「それはそうだね。だけど、そもそもロックオン・ストラトスをあの場所から拾い、再生医療を受けさせた上にアロウズに送り出したのは、明らかに計画の邪魔だと前も言っただろう。おまけに彼の設計したモビルスーツを渡すなんて」

「あの程度、計画を阻害したりはしないよ。ロックオン・ストラトス──いや、ロックオン・シューターは、かつての仲間を……ソレスタルビーイングを憎んですらいるんだから」

「今は、ね。今後記憶が戻れば、あちら側に離反する可能性だってある」

 リジェネがやれやれとかぶりを振ったのに、リジェネはふふ、と笑ってみせた。

「だからこその三人だよ。それに、アッシュならティエリアの代わり(・・・・・・・・・・)になれると思うんだけど?」

「……その程度で縛っておけるとでも?」

「縛っておけるよ。僕には分かる……彼を拾って、使える(・・・)ようにしたのは誰だと思っているんだい? あの場所にはマテリアだっているんだ。最悪の場合でも、どうとでもしてくれるさ」

 室内に、沈黙がおりる。

 重苦しいそれに、リボンズもリジェネも、それきり言葉を発さなくなった。

 

 

 

 

 

 

 トルネ級戦艦『フォルトゥナ』。

 モビルスーツ十機を収容でき、擬似太陽炉を二基搭載した戦闘艦は、実験的な理由もあり半年ほど前から稼働していた。外観は黒いベースに青いラインが走っており、落ち着いた印象がある。左右に設置されたカタパルトやそのシルエットは、どことなくソレスタルビーイングのスペースシップを思い出させる。

「こちらがフォルトゥナですわ。あなた方四人も通達はあったと思いますが、本日付でフォルトゥナの乗員となりますの」

 そう言って微笑むマライア・ミルティ少佐をよそに、ニールは黒い戦艦を見上げた。

「こいつは空を飛ぶのか?」

「ええ。宇宙での航行と、地球の重力下での飛行がなされていますわ。海上での運用はまだですが、いずれ可能になるはずです」

「……そいつはすげえな」

「フォルトゥナの開発目的は『ソレスタルビーイングの戦闘艦を再現する』ことでしたからね。流石に現代の技術レベルの数歩先を行く彼らには追いつけなかったようですけれど」

 それで雰囲気が似ているのか、とニールは一人納得した。カラーリングや全体的な幅は違えど、正面から見れば二つのカタパルトもあいまって『再現』と言えるだろう。

「そういえば三人は……」

 元気そうな少女の声も、それを窘める落ち着いた声も聞こえないことに気付いて、ニールは辺りを見回した。三人の影はすぐに見つかり、迷子ではないことに安堵する。

「……全くあの子たちは」

 ミルティは困ったように微笑む。三人は格納庫に入っていく機体を見ているようだ。興味深げに見上げる彼女らに肩を竦めて、ニールはミルティを呼んだ。

「姐さん」

「そう呼ぶのはおやめなさいな、特務大尉」

 間髪入れずに指摘が飛んでくる。

「ミルティ少佐、搬入が終わるまで三人をいさせてやってくれないか?」

「そんな事ですか。構いませんわ。出航までに時間がありますから、終了し次第艦を案内する事に致しましょう」

「助かる。あいつら、初めてなんだろ? 部隊に配属されるのは」

 ええ、とミルティは頷いた。

「彼らは新造されたモビルスーツのテストパイロットでしたから。士官学校を卒業してすぐに、機体のテストをしていたようです」

「そうだったのか。道理で、数ヶ月経っているにしては戦っている人間の気配がない訳だ」

「とはいえ、戦闘能力は一般兵としてはかなり異質と言えますが……」

 彼女は既に、三人に関するデータを共有されているのだろう。カタギリ総司令からは『優秀』、ミルティは『異質』。全く違う双方の評価に、ニールは怪訝な顔をする。

「異質なあ……」

「ええ、そんな三人を任される貴方はきっと大変だと思いますわ。困ったことがありましたら、相談してくださいまし。貴方もフォルトゥナのクルーなのですから」

「そう言って貰えるとありがたいな。それにしたって、カタギリ司令はどうして俺なんかに新人を任せたのやら……」

 その呟きは、強い北風に乗って消える。気付けばそれなりの時間が経っていて、もうしばらくで出発するようだった。

「時間が来ましたわね。わたくしたちも艦へ行きましょう」

 こちらですわ、と先導されてニールは続いた。その過程でゼルデ達も呼ばれ、フォルトゥナのタラップを登って行った。

 

 

 それから二十分ほど経って、軍施設を出発し、飛行が安定してからのこと。

 艦内をミルティに案内された四人であったが、自由にして構わないと彼女が告げたあとも、解散することも無くまとまって行動していた。

「ゼルデ、エイヴィリー、アッシュ。よし、覚えた。これからよろしくな」

 銀髪のショートカットの少女──十六歳との事で、本当に少女だった──がグリシルデことゼルデ、黒い癖毛の青年がエイヴィリー。灰紫の髪に、眼鏡をかけている、中性的な顔立ちのアッシュ。

 もう一度確認して、ニールは頷く。

「改めて、ロックオン・シューターだ。まだ到着まで少々あるようだから、少し話でもしよう。なにか聞きたいことはあるか? 俺の事でもいい」

「シューター特務大尉の狙撃について聞きたいです!」

 はいはい! と発言したにゼルデに右手を振る。

「ロックオンでも何でも、好きに呼んでくれて構わない。二人もな。具体的にどこを?」

「私、すっごく射撃が下手なんですよっ。すぐ目の前の相手でも外しちゃいます」

 優秀という言葉の意味を脳内辞書で引き直す。ホーマーは『士官学校の卒業生で皆優秀』と言った。優秀とは、他より一段と目立って優れていること。射撃が下手なのは許されることなのだろうか?

「……士官学校の優秀な卒業生だと聞いたんだが」

「ロックさん、射撃に関していえばそいつは一般人以下ですよ。なぁゼルデ」

「はい!」

 エイヴィリーから友好的な呼び名と共に放たれた衝撃の一言と、自信満々のゼルデ。では何故優秀と言われているのか。ほかの何かが突出しているからに違いない。

「逆に何が得意なんだ?」

「近接戦闘です! 今までモビルスーツだけじゃなくて生身でも教官に負けたことは無いです」

「へえ。これは珍しいもんだ。見かけによらねえってやつ?」

 ゼルデの身長は多く見積っても百五十五センチがせいぜい。細身で、筋肉が多い方とも見えない。この体で筋骨隆々であろう士官学校の教官に勝つとは、相当体の使い方が『上手い』のだろう。

 ぷくー、と音が出そうな様子で頬をふくらませたゼルデは反抗的に言い返す。

「特務大尉……じゃなかった、ロックオンだってそんなにゴツくないじゃないですか!」

「こう見えて脱いだらすげえんだぞ? 着痩せってやつだ」

「ホントですかー?」

 唇を尖らせたままそう言ったゼルデに立ち上がって、ニールは歩み寄る。反射的に立ち上がった彼女に速度を緩めずに近づくと、ニールはその腕を優しく取った。

「わ、ちょ、何するんですかっ」

「細いな。ちゃんと食ってるか?」

 流石に女性ということもあり配慮はあるのだろう、無遠慮に脇腹や腰を触ることは無かったが、顔を真っ赤にしてゼルデがもがいた。

「食べてますよっ。仕方ないじゃないですか、食べても太らないんですから! ギャ! 凝ってる肩を解そうとするなーーー!」

「お、凝ってるのか。体調管理も基本だぜ?」

「ぴしっと座ってたら誰だってなるでしょう! わーーーーっ! 頭撫でないでください恥ずかしいですって!」

「なーんかほっとけねえんだよな。お前さん、昔の仲間に似てるのかな」

 その馬鹿正直な反応が面白いのか、ニールは声を上げて笑った。

「ロックオン、そのあたりにしておいた方が宜しいかと。あまりやり過ぎると戦闘中に撃たれますよ」

「なーに言ってんだ、スキンシップスキンシップ。撃たれるなんてオーバー……」

 わしゃわしゃとゼルデの頭を撫でていたニールは、エイヴィリーの顔を見たと同時にその言葉を途切れさせた。彼は『にっこり』という表現が相応しい笑みを浮かべると、口を開いた。

「どうかなさったんですか、ロックオン・シューター『特務大尉』?」

 ただしその目は、笑っていないが。彼の瞳に宿る感情を正確に理解したニールはゼルデから手を離し。

「……わりぃな、からかって」

「え? まぁ、気にしてないですけど……」

 ニールはそう謝罪して、椅子へと座り直した。チームワークは大切である。これから指揮を執るにあたって、上官である自分がうっかり修羅場を作る訳にもいかないだろう。

 一連の流れを理解していないゼルデは首を傾げて謝罪を受け入れる。その動作は体格もあって小動物のようだ。

 ゼルデは隣に座るエイヴィリーにこそこそと話しかけている。もう少し鍛えたがいいのかな、いやそんなことねえよ、と話している二人にアッシュが割り込む。

「やめておけ。特にお前たち二人は成長期だ、規定されているトレーニングはこなしているのだろう。誰にでも個人差はあるものだ」

「はあーい」

 聞き分けのいい子供のように返事をすると、二人の話題は別のところに移ったようだ。

「アッシュとは年齢が違うのか?」

「はい。二人は十六、僕は十九です」

 道理で落ち着いているわけだ、と納得する。情勢のこともあり、現在の士官学校なら多少歳をとっていても、或いは若くても入学を認められるのだろうか。というよりは、ゼルデとエイヴィリーの年齢が若すぎるのだ。

「なるほどな。じゃ、二人の得意なことも教えて貰っていいか?」

「大抵の事はできます。ゼルデほど近接戦闘は得意ではありませんが」とアッシュ。

「空間認識なら間違いなく俺が一番です」エイヴィリーはにかっと笑う。

「なるほどなぁ。専用の新型が全員に宛てがわれるくらいだからそりゃそうか」

 頭の中にあるのはリジェネが間違えて開いていたウィンドウだ。そこには三種類の知らないモビルスーツの図があって、おまけに汎用性が全くないデザインだった。

「ご存知でしたか」

「ちょっとな」

 名前まではわからなかったが、今の話を聞けば三人にそれぞれ適性がある機体だったと分かる。

「俺たち期待されてるんだろうなー。新兵なのに、研究所でも変なの見るみたいな周りの目が痛かったし」

 エイヴィリーのぼやきにゼルデがばんっと肩を叩いて言った。

「もぉ、そんなこと言わないの。自分だけのモビルスーツってなんかワクワクしちゃいますよね、ロックオン!」

 ゼルデの言葉には同意見だ。自分のために開発されたモビルスーツに期待しない訳がない。ましてや狙撃特化となれば、ニールの期待も高まっている。

「テストもやったんだってな。配属されるのも初めてだって聞いてる」

「そうなんですよ。訓練はしてるとはいえ、まだ複数部隊での戦闘もしたことはなくて。でも、ガンダムにも負ける気だってしません」

「自信があるのはいいことだ」

 ほらほら、と端末の画面を見せてくる。映っているのはいくつもの剣を装備した純白に黒と赤の機体。やはりゼルデのモビルスーツだったかとニールは頷く。

「機体番号GNSV‐461T。シュネーヴァルツァっていうんですよ。かわいいでしょう?」

 腰部から後ろに広がるミニスカートのようなユニット──アーマースカートとはなにか違いそうで、ニールはこれを見たことがないので用途も分からない──、鋭く伸びる肩、足、背中のエッジ、すらりとユニオンフラッグと同じくらい細いフォルム。脚部は尖っていて、地面から少し浮いている。

 かわいい……のか?

 ニールにはよくわからなかったが、ゼルデがこの機体を気に入っていることだけは理解出来た。

「完全に近接用の機体みたいだな。それに速そうだ」

「とっても速いですよぉ。ねえねえ、二人の機体も見せていい?」

 ゼルデはどうやら彼らの分の写真も持っているようだ。「好きにしろ」とアッシュが、「いいけど、その画像あとで共有して」とエイヴィリー。

「こっちがエイヴィリーので、こっちはアッシュのです。アヘッドとかジンクスと全然違いますよね」

「特化型なんだろ? なら、そうなるのも仕方ないかもしれないな」

 端に名前が記載されていて、それぞれアイアス、ガラテアとある。

 彼女の言うとおり、アイアスが両肩に巨大な盾と全身に追加装甲を、ガラテアは木にとまった鳥のような形状をしたユニットをマウントしている。アイアスはともかく、ガラテアのそれは用途が全く分からない。

 自分が彼らを指揮するとなればそれらも知っておかねばならないのだろうが──

「だいたいは把握したから、あとは実践で見せてくれよ。それでもいいかい?」

「はいっ」

「はい!」

「分かりました」

 三人とも新兵で、おまけに新型機のテストをしていただけで実戦はまだであるが故の若々しいその反応に思わず目を細めた、その時。

 バタバタとせわしい足音ともに一人の兵士が駆け寄ってきた。

 東洋風の顔立ちの彼の名前は確か……、

「ツシマ──」

「シューター特務大尉ッ」

 オサム・ツシマ少尉。自分たちよりも先に配属された乗員のはずだが、この慌てようは一体。

 それほどまでに深刻な事象が発生したのだと理解し、ニールの表情が鋭くなる。

 彼の顔は真っ青、体はがたがた震えて酷く動揺しているのが見て取れる。今のニールにはまだ、それをフォローするほどの余裕があった。

「落ち着け。……大丈夫か?」

「だい、大丈夫です。失礼しました、シューター特務大尉。それより、アフリカタワーが……」

「アフリカタワー? 連邦のクーデターで占拠されてるっていう……」

「そのアフリカタワーの外壁が攻撃を受けてっ。オートパージされていると言うんです!」

「……なんだって?」

 ニールは眉をひそめた。連邦軍のハーキュリー大佐が、数万もの市民と共にアフリカタワーに立てこもって居ることは知っていた。ゆえにガンダムが現れる可能性を考え、当初の予定と違いアフリカタワーのあたりで合流するよう出発直前に命令が出て、ニールは船に乗せられている。

 しかしまさか、彼らがアフリカタワーに攻撃を仕掛けるとは思わなかったから、ニールはひどく動揺した。

「成層圏より上の破片はどうとでもなりますが……それ以外の破片は、」

 ──降ってくるしかない。

 ツシマ少尉は言葉を最後まで続けられなかったが、四人の頭には同じ言葉が過ぎった。

「なんですって……そんなの、タワーの近くに住む市民たちは……」

 ゼルデの声は震えていた。今にも泣き出しそうな程。

「私は……私は、そんなのイヤよ。どうすれば……っ」

 彼女は怯えている。何にかはわからないが、人の面倒を見ることや感情の機微を感じ取ることにたけた彼には、それだけは理解出来た。

 不意に、部屋に吊り下げられたスクリーンの電源が入る。

 それに映るブラウンの髪の女性は、恐らくソレスタルビーイングの指揮官で。彼女は真っ直ぐに画面を見据えて、口を開いた。

『現空域にいる全ての機体に、有視界通信でデータを転送します。データにある空域に侵入してくるピラーの破片を破壊してください』

 同時に、ピラー落下による被害範囲が視覚化された図が表示される。

 落下時の被害について言及した指揮官は、媚びるでもなく、命令でもなく、ただそこに居る戦士たちに、故郷あるパイロットたちに、手段は違えど平和を求める同士として、彼女は告げた。

『このままでは、何千万という命が消えてしまう。……お願い。皆を助けて』

 そして、通信は途切れた。

 その瞬間、世界が音もなく揺らいだような、そんな気がした。

 艦内にオペレーターの声が響く。この船は予定を変更し、速度を上げてアフリカタワーへと向かっている。到着時間は約四分後、パイロットは各自コクピットで待機。各機出撃し外壁の破壊を開始せよ。

 全員、直後に走り出していた。艦の廊下を駆け抜け、ゼルデは右に、他の四人は左のロッカーへ。手早くパイロットスーツを纏い今度は格納庫へと向かう。

 ゼルデはシュネーヴァルツァに、エイヴィリーはアイアスに、アッシュはガラテアに、ツシマはアヘッドに。そしてニールは、実戦もまだであるアレーティアにハロを抱えて。

 テストはしていると聞いているが、少々不安はある。しかし勝るのは身体に馴染むコクピットシートと、握る操縦桿への安心感だ。

 ニールは起動する機体の中で、三人への通信を開く。

「アッシュ、ゼルデ、エイヴィリー。俺たちの初陣だ、堅実に行こう」

 各々が頷き、ニールの抑制された声が、コクピットで響いた。

 

「ロックオン・シューター、アレーティア。出る」

 

 

 



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#2怒れる切先

 出撃した先には、既にガンダムと連邦の正規軍が外壁の破砕を開始していた。飛行形態に変化した羽付きが破片を巻き上げ、粒子ビームによってそれを破壊。その一方で砲撃型が複数を纏めて一掃。彼らの動きは明らかに、ジンクスやアヘッドとは一線を画していた。

 ニールは今まで、ガンダムを映像越しに見たことはあっても実際に目にしたことは無い。ゆえに、その目で見たガンダムの性能に『修羅』という言葉があるのを思い出した。

『ゼルデ、エイヴィリー、アッシュ。お前さんらはある程度固まって動け。状況によって臨機応変に頼む』

『了解』

 三人揃っての声が返ってきて、ニールは腰部に装着されたGNガンブレードを手に取った。右手にはGNビームライフルが握られている。

『ハロ、回避運動は頼むぜ?』

『リョウカイ、リョウカイ』

 耳をぱたぱたと動かして応じるハロに真っ直ぐモニタを睨んで、ニールは最終チェックの終了したアレーティアの操縦桿を握った。

 両手に握られるそれは拳銃の形を模している。彼女に提出していたレポートはしっかりと生かされているらしいと呟いて、ニールはトリガーを引いた。命中。外壁が爆散し、破片となって散った。

 巨大な外壁が、ゆっくりと落下する。その動きは緩慢に見えるが、みるみるうちに大きくなって地上へと迫ってきた。

 銃撃もビームも効果がない。解体される様子もなく落下してくるそれに、アレーティアは肩のGNランチャーⅡを展開した。

『ハロ、チャージはっ?』

『チャージヨシ、ホウコウヨシ、システム、オールグリーン』

『了解。狙い撃つ!』

 威力最大。引き出されたスナイプユニットのトリガーを引いて、ランチャーから放たれた長時間の照射によりピラーの外装が削られていく。

 だが、それまでだ。ガデッサのGNメガランチャーと遜色ない威力を持ったそのビームでも、外壁を解体するには至らない。

 くそ、と毒づいた先でシュネーヴァルツァが飛び出した。その手にはGNアンサラーが握られていて、外壁を切断するつもりなのだろう。

 シュネーヴァルツァは射撃武装が一切持たないため、近接武器で破片を破壊するしかない。ゆえに先程まではビームサーベルで破壊をしていたのだが、パージできなかった外壁に痺れを切らし飛び立ったようだ。

『ゼルデっ』

『行けるわよ、私をなんだと思ってるの!』

 エイヴィリーのゼルデを案じる声に彼女はそう言った。腰部のスラスターを噴射して反転、外壁を破壊するために張られた弾幕の中に飛び込んでいく。

 曲芸のように飛び交うビームを回避、解体されぬまま落下してくる外壁に向かって飛翔する。

 撃ち漏らした外壁を蹴ってゼルデのシュネーヴァルツァは更に加速をかける。あの弾幕の中まともに動けるはずはない、とニールが制止しようとしたその時。

 一閃されたアンサラーによって、外壁が真っ二つに裂けた。斬る、というより裂けるのほうが似合うその切れ味を何度もゼルデは振るう。

『……なんて切れ味だ』

 半分が半分、そのまた半分と外壁が小さくなっていくのを驚きと共に見て、ニールは呟く。

『あっちはガンダムが何とかしてくれてるみたいだけどどうにもならないわ! エイヴィリー、アッシュ! 後はあんた達がどうにかしてっ』

『ああ!』

『わかっている』

 シュネーヴァルツァから放たれる蹴り、拳に落下していく破片が破砕される。ビームをまとった打撃を二度三度と繰り返して機体は再度破片を蹴って跳躍した。

『アクティベイト、シールドユニット!』

 エイヴィリーの声と同調して、アイアスの腰部から装甲が飛び出す。高濃度の粒子を纏ったその装甲は容易く外壁を破砕した。

 しかし、あまりに数が多すぎる破片に撃ち漏らしもある。それをニールの──アレーティアのライフルとガンブレードが撃ち抜いていく。

『大丈夫だ、抜けた破片は俺が撃つ。気負わずにやれ』

 落ち着いた声音のニールにゼルデが返して、今度はビームサーベルを抜いた。飛翔し弾幕を回避しながら打撃や斬撃を加えていく様はまるで踊っているかのようで、おまけに被弾はほとんどない。

 近接格闘が得意などと言う言葉だけではおさまらない操縦技術。これで十六歳、パイロットとして新米なのだというから、この先彼女はどこまで強くなるのだろう。ただ落下するピラーの破片を蹴り砕き抉り破壊する彼女は修羅のようだった。

 ニールは壊し損ねた外壁を撃ち抜きながら、アッシュのほうをちらりと見る。彼は換装したライフルとミサイルポッドでピラーの破片を撃墜しつつ、ゼルデに死角から飛ぶビームを伝えていた。

 その搭載されたセンサーの数や『何でもできる』という談からどのような機体か判断しづらかったが、おそらく情報支援機であろう、とアッシュのガラテアを見て判ずる。

『何とかなりそうだな』

 落ちてくる外壁は無数であるが無限ではなく、着実に減っていきつつあった。いくら市民を守るためとはいえ、テロリストと共闘するのは不本意ではあったが──ニールは安堵に溜め息をついた。

 

 

 

 それから、数時間後。

 空は赤く染まっているが、ピラーの破片や粉塵によって翳り暗く澱んでいた。

 ニールの声も、それと比例するように暗かった。

『……何とかなったな。機体の損傷はあるか?』

『損傷軽微。問題ありません』

『シールドユニットを喪失しました。通常の挙動に問題ありません』

『損傷なし。武器を換装次第戦闘も可能です』

『そうか。先に艦へ戻っていてくれ』

 ニールはアレーティアのライフルを腰に納め、肩のランチャーの砲身を再度、展開する。

『ロックオン?』

『なに、ここで少し牽制しておこうと思っただけさ。ハロ』

『リョウカイ、リョウカイ』

 コクピット上方に掛けられている、GNメガランチャー専用の銃を模したユニットを引き下ろす。そのスコープを左眼で覗いて、狙撃の体制を取った。

 スコープから見えるのは、ライフルを持った、緑色のガンダム。重装備のガンダムと共にいる。

『ロックオン! 何して……』

 ゼルデの訝しむ声をニールは無視した。

 威力は最小。ビームピストルよりも弱いパワーに設定したランチャーのトリガーを、先程まで共闘していたはずのガンダムに向かって──引いた。

 真っ直ぐに伸びるビームはV字のアンテナをすれすれで掠めなかった。緑色のガンダムは咄嗟に避けたようだが、その上でのことだ。

『よかった、外れた……』

『外したんだよ』

『貴方なんてことを……! 戦闘になったらどうするんですか!』

 エイヴィリーが安堵を、ゼルデが批難の色を滲ませて糾弾する。ガンダムを撃つなという命令が先程伝達されたばかりでのこの行動は明らかに命令違反だ。

『大丈夫だ。奴らの母艦は手負いだ、ここでは絶対に戦わない』

『だとしても命令違反です!』

『なあに、お前さんが言わなきゃ何とかなるさ』

 アロウズで数多の反乱分子をある時は生身で、ある時はモビルスーツで狙い撃った男とは思えない発言に、ゼルデは眉間に深い谷を刻んだ。

『…………い』

 ゼルデの声をマイクが明瞭に拾ってくれず、ニールが聞き返す。

『何だって?』

『貴方は軍人に相応しくないわ!』

 悲しげな声でゼルデは叫んだ。それから、アンサラーをこちらに向けて告げる。

『理由を聞かせてください。なぜあんな事をしたんですか?』

 ニールは口を噤んだ。先程までの饒舌さが嘘のように。

『ダンマリなの?』

 声色がキツくなる。破天荒に見えてゼルデは命令に忠実なようだ、とニールはくだらない事を考えた。

『貴方がそんなことをするとは思わなかった。……やっぱり、答えなくても構いません。ロックオン、貴方は今すぐアロウズから消えてください。そうすれば、殺しはしません』

『やめろ、ゼルデ』

『恒久和平実現を掲げるアロウズが、こんな所で躓くわけにいかないでしょ。そもそも、命令に違反する上官なんて上官じゃないわ』

 アッシュの静止にもゼルデは耳を貸さない。

 命令ではなく、統一の為だったか。彼女はどうやら、人一倍平和への思いが強いらしい──認識を誤っていたことに気づく。

 アンサラーを突きつけたままのゼルデを、アッシュが冷静に諭した。

『貴様がどういう境遇なのかも、平和を強く願うことも僕は知っているが……だからといってここで彼を殺してどうなる』

『だって……!』

『だって、何だ? いくらロックオンが命令違反をしたとはいえ、お前も殺してしまえばタダではすまない。それに』

 貴様は理想のためにアロウズに来たんじゃないのか。

 アッシュの言葉に、ゼルデは唇を噛んだ。

『ああもう、わかったわよ。……悪かったわねロックオン』

 苛立ちを孕んだ声と、物を叩くような音が響く。

『……い、いや。俺の方こそ……』

『マネキン大佐にだって言いやしないわよ。これで満足?』

 言い方が刺々しい。事実として命令違反を犯したニールは、彼女の目には裏切り者として映っているに違いない。

 ふん! と分かりやすく機嫌を損ねたゼルデは、踵を返してアヘッドの集団の方に行ってしまった。『ロックさん、すみません』とエイヴィリーもそれを追う。

『……それで、どうしてあんな事をしたんですか』

 呆れの混じったアッシュの問い。

『あのモビルスーツ、射撃のクセが知り合いに似てると思ってな。当たるならそれまでだったが』

『それだけの理由で命令違反を犯したと?』

『それだけ……と言えばそれだけになっちまうな。おかげで俺の指針も定まった』

『指針?』

 あの撃ち方、あの挙動。

 十年以上前のことだ。しかし、ニールの記憶にそれは焼き付いていた。

『アッシュ。あのガンダムとやることがあれば、絶対に鹵獲しろ』

『それは、なぜ?』

『ちょっとな。俺に考えがある』

 それは明らかに私情だった。だが、上下関係を必要以上に割り切ったアッシュは『承知しました』と返すだけだった。

「合流せずに追う?」

 怪訝そうな声がブリーフィングルームに響く。

 フォルトゥナからの帰還命令を聞いて戻ってきたニールらに伝えられたのは『ソレスタルビーイングを追え』という連絡だった。

「一体どういう事かねぇ。マネキン大佐の船と合流するんじゃなかったのか?」

「分かりません。私が受け取った命令は『大佐の艦と合流せず、このままソレスタルビーイングを追う』。それだけですわ」

 フォルトゥナの艦長であるマライア・ミルティ少佐が無機質に告げた。

「恐らくですが、ロックオン。ソレスタルビーイングが再び宇宙へ上がる可能性を考えてのことでしょう」

「それは分かっているが、……奴らの船は手負いなんだろ? 万が一を考えて合流するが正解なのではありませんか?」

「私が受け取った命令はこれだけです。そんなに知りたいなら、上層部にでも聞いてくださいな」

 アッシュの示唆と、ぴしゃりと叩きつけるような回答。──だが、正論だ。下っ端──という程下っ端でもないが──に命令の理由を考える必要はない。

 不機嫌なままのゼルデがぼそりと呟く。

「あんたなんか命令違反で処罰されればいいのよ」

「何か言ったか、ゼルデ」

「なんでもありませんよーだ。すぐに合流するんですか? ミルティ少佐」

「ええ。作戦開始はすぐですが、半日ほど時間があるから休んでいらっしゃい。

 以上で解散です。船の中だけれど、ゆっくりね」

 それだけ告げて、ミルティは踵を返し部屋を出ていく。他のパイロットたちも退室していくが、ゼルデは微動だにしない。

 ニールはそんなゼルデを一瞥したが、先程の衝突もあり自分が声をかけるのも難しい。しかしこのまま放置しておくわけにもいかないだろう。そう思い一歩踏み出した時、エイヴィリーが二人の間に立つようにしてゼルデに声をかけた。

「ゼルデ、お疲れ様。ちょっと休憩しようぜ」

無言のまま、しかし素直に応じたゼルデと共に二人はブリーフィングルームから出ていった。

残されたニールはほっとすると同時に違和感を抱く。

(いくら幼馴染だとは言っても、あんな追い払うような行いはするのか?)

 まるでゼルデを守る番犬──というと失礼かもしれないが、あの時一瞬だけ、鋭い視線でもって牽制されたのは、気のせいではあるまい。

「なんだかなぁ……」

 釈然としないまま、ニールもまたその場を去るのであった。

 

 

 

 

 

 

 ニールが部屋に戻り戦闘データを解析し始めた頃、プトレマイオスのある場所にだけ、重い沈黙がおりていた。

 人口密集区域への被害を免れたことに安堵する雰囲気が広がる中、彼は手放しに喜ぶことができなかった。しかしそれは、恩師たるセルゲイ・スミルノフ大佐を討たれたソーマ・ピーリスではない。

「そんなはずはない。……そんなはずはない、はずだっ」

 セラヴィーのコクピットの中で、ティエリア・アーデはその身を抱えていた。

 スクリーンの点灯していないそこは薄暗く、あるのは静寂。動揺と混乱がティエリアの頭の中を渦巻いていた。

「あの動き……、あの声……。そんなことは有り得ない。あの状況から、彼が生還して……その上、あんな場所にいるなど……」

 戸惑いに揺れる声はひどく頼りない。いつも毅然としている──自他ともに評する──彼らしくなく、言いようのない感情に端正な顔を歪めた。

ソレスタルビーイング(ぼくたち)と共に居た貴方が、アロウズの理念に共感した……?」

 統一世界による恒久和平の実現。アロウズを組織した名目を、当然ながらティエリアは知っている。だが、そのやり方は武力弾圧と情報統制を用いた強引かつ偽りのもので、ソレスタルビーイングにいたロックオン・ストラトスが共感するとは考えられない。

 ソレスタルビーイングの武力介入とは違い、暴挙としか言えぬその行為を、テロを憎む彼が肯定するなど、ティエリアには信じられないのだ。

 しかし、交差する通信の中、『ロックオン』と呼ぶ誰かと、応じる男の声。そしてケルディムをすれすれで撃ち抜かなかった一筋のビームと、それを放った新型のモビルスーツ。そのモビルスーツの動きには覚えがあって、その声は聞き慣れていて。

 深緑と黒で塗装された機体がそれを行ったということにも驚愕した。深緑をパーソナルカラーにした狙撃型のモビルスーツといえば、嫌でも彼のことを思い出すから。

 初代ロックオン・ストラトス。テロで家族を喪ったことからソレスタルビーイングに所属し、その仇を命と引き換えに討とうとしたガンダムマイスター。そして、己の精神的支柱であったヴェーダを奪われてからの指針を作ってくれた、ティエリアにとっての恩師。

「それでも、僕は……」

 もしも、あれに乗っているのが彼だとしたら、彼が生きているのだとしたら。

 ティエリアの中では、ニール・ディランディの生存を肯定する声の方が強かった。

 あの射撃は何のためにされたのだろう。自身を知っている者に向けての発砲になんの意味がある? 助けを求めるため? 自分はここに居ると認識させるため?

 それとも──。

「敵なのか……? 彼は……」

 答えてくれるものは誰もいない。かつては自分の拠り所であったヴェーダも、全ての黒幕であろうイノベイターに奪われてしまった。

 コクピットの中で、ティエリアは膝を抱えて苦悩する。

 その可能性を、誰にも話せないまま。

 

 

 

 



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#3 それは、きっと、或いは

 星の瞬く宇宙空間で、シュネーヴァルツァが舞うように飛翔した。

 白をベースにしたカラーリングと、全身が刃で構成された機体は繰り出される弾幕をものともせずに回避する。スペースデブリを蹴って機体は踊り、前面がビームエッジ、背面が実体剣となった脚を振り下ろした。

 あっさりと砕ける敵モビルスーツの装甲すらも足場にしてシュネーヴァルツァは再度跳躍。両腰のGNアンサラーを抜いて瞬時に二機のジンクスを真っ二つにした。

 逃げを打つ敵にスラスターを全開にして迫る。しかし、距離が開きすぎていて近接戦に持ち込むには少々面倒で、痺れを切らしたゼルデは右手の剣を腰に戻した。

 では何をするかというと──

「えいっ」

 ゼルデは背中のビームサーベルを抜くと、逃げるジンクスに向かって思い切り投擲した。

 赤い軌跡を描いて飛んだサーベルと、遠くで爆散する機体。直後に眼前が【simulation clear】という文字に埋められて、コクピットの全面モニタが宇宙空間から格納庫に切り替わる。

 ゼルデはんーっと伸びをした後、ハッチを開けてコクピットから飛び降りた。器用にも重力下で装甲を蹴って安全な高度まで降り、着地までばっちり決めながら。この艦に来てからまだ三日目、初めて乗ったというのに随分な緩みようである。

「貴方は何をしてるのかしら?」

 ……そばを通っていた隊員に、見られていたが。

 黒紫の髪に赤錆色の瞳を持ったその()は、呆れたようにゼルデを見下ろした。

 小柄なゼルデとは二十センチ近い差があるだろう。作業着を着用した彼を見上げたゼルデはビシッ! と一歩下がって敬礼する。

「グリシルデ・シュミット少尉です! シミュレーションを終えておりてきたところであります! 失礼しましたっ」

 きちんと敬礼をしているつもりであろうが、その動作は小動物のようである。

「貴方がこの子の?」

 ゼルデの言葉にいいとも悪いとも言わず、男はそう尋ねた。

「はいっ」

「あらぁ。お久しぶりね、ワタシは……」

「マテリア!」

 男の返しに割り込む中性的な声。直後に走ってくる人影に気付いて、声の主が誰か理解する。

 それから、走ってきた勢いを落ち着けて交わされる抱擁。

「アッシュ。良かったわ、元気そうね」

 いつも冷静なアッシュからは想像もつかない、年相応の振る舞いにゼルデは驚いて──次いで、男の口調が不自然なことに気づいた。

 かしら、とかだわ、とか。妙に艶のある声音と所作。つまりそれって?

 それを指摘する前に、抱擁を解いたアッシュと男の話が続いていく。

「折角同じ艦になったのに、メッセージの返信すら無いから心配していた。そんなに忙しいのか?」

「大丈夫よぉ。気づいてなかっただけなの、ごめんなさいね」

「元気ならそれでいい」

「んもーアッシュはすぐそんな事言う。そういう所も好きよっ」

「……マテリア、ゼルデが固まっている。それに、公衆の面前で抱きつくな」

「貴方だってさっきしたじゃない。私はダメなんて不公平よ」

「マテリアのそれは過剰だ。挨拶程度で済ませろ」

 情報過多になり、ゼルデの頭は考えることをやめてしまっていた。アッシュに正面からのハグをして首元に頭を擦り付けている様は飼い犬を思い出させるが、それをしているのは身長百八十を超えた男なのだから訳が分からない。

「ゼルデ」

 混乱のあまり微動だにしないゼルデの肩を、抱擁から逃げ出したアッシュが叩いた。

「アッハイ」

「大丈夫か?」

 ──あんたとあんたに抱きついてたそこの男のせいなんですけど!?

 とは言えず、ゼルデは静かに頷いた。

「なんでもないわよ。それにしたって随分親しげな様子ね、何となく容姿も似ているし、兄弟なの?」

「ああ。先程は兄が失礼をした。彼はマテリア・グレイ大尉。僕の二つ上だ」

「マテリア・グレイよ。この艦で整備士をしているわ。貴方の機体も調整することになっているの、これからよろしくね」

 ふふ、と微笑んで、アッシュに似たカラーリングの彼は言った。女性のようなたおやかさを感じるマテリアの所作に、興味を抑えきれずにゼルデは尋ねた。

「あ、あの……グレイ大尉は、」

「マテリアと呼んでちょうだい、ゼルデちゃん」

「マテリアは、その……男性、なのですよね?」

「生物学的にはね。だけど安心して、ハートは乙女よ」

 ──どこに安心していいか分からないんだけど!?

 ゼルデは再び心中で叫んだ。

「真面目な子ねぇ。貴方みたいな子も嫌いじゃないわ」

「その辺にしておけ、マテリア。貴様は整備に来たんじゃないのか」

「やぁねぇアッシュ、今日は顔合わせに来ただけよ。それに、自分の作ったモビルスーツが誰に乗られてるか気になるじゃない? だからここに来たんだけど……いい子が相棒みたいでよかったわ」

「それじゃあ、ワタシはいくわよ。気難しい子だけどよろしくね、ゼルデちゃん」

 ひらりとマテリアは手を振る。気難しい、とはどちらの事だろうか。アッシュかシュネーヴァルツァか、いずれにしろ難題だ。

 アッシュはというと、シュネーヴァルツァのことだと信じて疑わないらしい。

 相変わらずの仏頂面のまま──マテリアとは対照的だ──彼はぽん、とゼルデの肩に手を置いた。

「まだ開発中だそうだが、シュネーヴァルツァには追加の外装があるらしい。これ以上操作が難しくなってどうするんだと思うがな」

「ほんと? これからもっと強くなるなんて楽しみだわ」

「ふふ、楽しみにしていて頂戴。ワタシの設計は世界一よ」

 自信たっぷりに胸を張るマテリアに、アッシュは苦笑した。

「ではまた、用があれば連絡する」

「ええ。ワタシは格納庫か部屋にいるわ」

「分かった。……行くぞ、ゼルデ。エイヴィリーが腹を空かせて待っている」

「もしかして……」

 ゼルデの表情が焦りに変わる。

「お前が提案しておいて遅れるのはいけないことだと思うが。予定の時間近くになっても現れないから、迎えに来た次第だ」

「ごめええええん! シミュレーションが調子よすぎてっ!」

「自分のミスが理解できたようなら何よりだ」

 アッシュが優しく手を引き、マテリアに微笑んでから踵を返す。

「ちょ、あ、マテリア、また会いましょう!」

 連行──と言うと本人たちに失礼だろうが──されていくゼルデの声が遠くなっていくのを見守って、マテリアはふふ、と笑いをこぼした。

「面白いわぁ。あの子があんな振る舞いをするなんて。だってあの子のゼルデちゃんへの手の取り方……ふふ、楽しくなりそうね」

 その言葉を聞いていた他の整備士がひきつった表情をしていたのは、また別の話。

 

 

 

 

 

 

「ロックオン、ロックオン」

 カメラアイを点滅させながら、ハロが床を跳ねる。

 ダークグレーのボディを必死に動かしている様は実に可愛いが、ニールにそれに構っているほどの余裕はなかった。

「少し待ってくれよ、もうすぐ終わるから」

「リョウカイ、リョウカイ」

「おりこうさん」

 ハロは跳ねるのをやめて、床に転がり沈黙した。

 ニールは情報端末のキーを叩く。それは既に半日を過ぎていて、朝食どころか昼時も終わりつつある。ハロが声をかけてくる理由もわかるが、これはどうしても終わらせたいことだった。

 何度連絡をしようと返信が無い。今までは一日と経たず無愛想であるが律儀な返事をしてくれていたというのに。ただ忙しいだけだと思いたかったが、今は繁忙期ではない。そもそも、勤めていた会社も辞めてしまっていた。

 だからニールは不安になって、唯一の肉親である弟の行方を探っているのだが──数ヶ月前に会社を辞めて以降、失踪。そうとしか言い様のない行方の分からなさに、ニールは言葉にできない焦燥を覚える。もし、あのガンダムに乗っているのが弟のライルだとしたら。十年とは言わない時の経っている幼い記憶でそんな事を考えられるほど、ニールの思考は単純ではなかった。

 しかし、無数に飛び交う音声通信の中に聞こえた声を間違うはずがない。同じ髪、同じ瞳、同じ声をした弟。手をとめず、その声だけを探していてようやく、ニールはそれがガンダムパイロットのものであると気付いてしまった。奇遇にも、ティエリアと同じ方法で。

 ライルが非合法な活動をする組織に足を踏み入れていることは知っていた。しかし、ソレスタルビーイングなどという世界の統一を邪魔する存在になっているとは、ふざけるな。

「……できれば、傷付けたくないよなぁ」

 可能なら、こちら側に引き込めればいい。できなくても、ソレスタルビーイングからは引き離さねばなるまい。手足の一本や二本を奪うことになったとしても。

 彼の声は暗く低い。ニールは深く溜め息をついて、キーボードを叩いていた両手をすっとハロに向かって伸ばす。

「ヘーンダ! ヘーンダ!」

 臍を曲げてしまったらしいハロは、数度地面で跳ねたあとに腕に飛び込んでくる。そんなハロを撫でながら、ニールは部屋の隅に置かれたアタッシュケースに目をやって。

 およそ彼とは思えぬ程の冷たさで、唇を歪めた。

 

 ニールが作業に一区切りを付け、昼食を取ったあと。

 それからさして時間を置かずに、ニールらフォルトゥナの乗員は呼び出された。現在は戦術予報士のアイ・ワーテラーがスクリーンの前に立ち、指し棒を握っている。

「では、作戦を説明する」

「後に質疑応答の時間を設けますから、発言は控えてくださいね」

 ミルティの言葉の後に、ワーテラーが平坦な声で説明を始めた。

「まず、ソレスタルビーイングの位置に関してだが、衛星からの解析の結果、ある無人島にて発見された。先日撮影された母艦の動画と照らし合わせ、間違いはないと断定。ガンダムや母艦の状態については不明だが、この数日間で完全なものにはなっていないと見ている。

 次に作戦についてだが、ピラー崩壊のこともありこれだけの戦力しか回せないとのことだ。モビルスーツパイロットが七名。このフォルトゥナには現在それだけの戦力しかないが、この作戦でならば十分に勝算があると考えている」

 かつんと軍靴を鳴らして、ワーテラーはスクリーンを指した。

「アヘッド、ジンクスの三機は正面から。アイアスを先頭にして攻撃を防ぎつつ、砲撃型を引き付ける。アイアスと交戦次第散開、シュネーヴァルツァは二個付きまたは羽付きをやってくれ。どちらと戦うかは相手の出方に任せる。アレーティアはこちらを狙ってきた狙撃型を妨害。

 そしてこちらが本命だ。──ガラテアは島の森林地帯に潜伏し、母艦をハッキング。殺すなとは言わないが、できるだけ人員も生きて捕らえろ」

 グレイ准尉、とワーテラーは鋭い視線でアッシュを射抜く。

 母艦のハッキングが本命。つまり、ソレスタルビーイングの抹殺が今回の目的ではないと彼は言っている。抹殺するだけなら、アレーティアの搭載するGNランチャーでも可能だ。ガデッサに比べて取り回しを落としたぶん、威力と連射力は勝るとも劣らないビームを放つことができるのだから。

 それをしないということは、母艦ごと鹵獲することが必要な何かがあるということ。

 無機質に、アッシュが答えた。「はい」

「私からも頼むわ。あの船、気になることが沢山あるのよ」

「グレイ大尉たっての願いだ。侵入経路を後で渡すから、読み込んでおくように。では、艦長」

 ワーテラーの声に、ミルティが口を開く。

「これより作戦を開始します。基本戦略は彼の示した通り。詳細は追ってそれぞれに通達、以上です。今度こそ、ソレスタルビーイングを捕らえる、絶対にですわ」

 

 

 

 午後五時。フォルトゥナのパイロット達は作戦前の調整の為、パイロットスーツに着替えていた。モビルスーツの整備をしている乗員たちは慌ただしく駆け回り、あるいは整備をしていて、話しかけるのは躊躇われる。

「作戦開始は一八〇〇(イチハチマルマル)。直前まで調整で立て込むだろうから、先にお手洗いやご飯は済ませておくように、だってさ」

 パイロットスーツをラフに着用して──プロテクターも装着していない──エイヴィリーが言った。対してきっちりとスーツを着込んだアッシュは、マテリアを目で追いながら、支給品のレーションを齧っている。

「了解」

「アッシュ、ガラテアごと先に海に落とされるんだって?」

「ああ。海に落下して、そこから潜水して向かうのだそうだ。島に上陸したら、そこからはスクワイアを操作するだけだ」

「だけって、艦一つのハッキングはかなり大掛かりになるんじゃないの? さすが首席は違うわね」

「お前と違ってそれなりになんでも出来るだけだ。ゼルデ、貴様こそ気をつけろ。信じてはいるが、二個付きも羽付きも、強い」

 二個付き──ダブルオーの脅威を、アッシュはこの場の誰よりも理解していた。機体の性能、それだけではない。ドライヴを二つ載せた機体は、この艦にも存在する。防御特化のアイアスは性質上多くの粒子を消費するため、ドライヴを二つ搭載しているのだ。だから、GNドライヴを二つ搭載したパワーは理解できる。加えて高い操縦技術。アッシュはダブルオーのパイロットを、ゼルデと同等かそれ以上の能力を持つと分析している。

 故に、士官学校の頃からゼルデを見ているアッシュは落ちるという心配はしていない。心配なのは彼女の心理面だ。

 ゼルデは強気に笑って言った。

「知ってるわよ。でも、どんなに強くたって、私には敵わない自信があるわ」

「そうか。エイヴィリー、こいつのフォローを頼む」

「はいよ、お姫様の子守りは任せときなー。そういえば、ロックさんは?」

 瞬間、格納庫の空気が数度下がったような気がした。言うまでもないが比喩であって、物理的にではない。

 ゼルデは一昨日の一件から、ニールの事を避けるか、睨むか、あるいはフン! とそっぽを向くかのどれかだった。彼女からすればニール/ロックオンは憧れの対象で、命令違反などしない人間に映っていたからに違いない。

 所謂失望、というやつだ。

 なんならその前まではロックさんに尻尾ぶんぶん振ってる子犬みたいだったし──そうエイヴィリーが思った時、ぽん、と肩を叩かれて振り向いた。

「おう、呼んだか?」

「ロックさん。お疲れ様です」

 その先には薄く色の入った眼鏡を掛けたニールが立っていて、アッシュが小さく会釈する。普段は眼帯を付けているため、その右目がレンズ越しとはいえ晒されているのは珍しい。

 ゼルデはどうしてもニールと同じ空間にいたくないようで、壁に引っ掛けていたヘルメットを掴んで踵を返す。

「先に行くわ」

 露骨に不機嫌そうな顔をして、ゼルデが二人の前を通り過ぎる。

「きゃ、」

 否、通り過ぎようとした。

「まだ一時間ある。そう急ぐな、グリシルデ・シュミット」

 スーツの首元を掴んで、アッシュがそう告げる。不意打ちを食らったゼルデは派手につんのめるが、持ち前の身体能力で耐えて不平を言う。

「ちょっとアッシュ! 離しなさいよ!」

「聞こえていなかったようだな。ゼルデ、出撃まであと一時間あるんだ。ゆっくりしていけ」

「何でよ! 助けなさいエイヴィリーっ」

「アッシュの言う通りだぜ。なんでこうせっかちなんだよゼルデはさー」

 エイヴィリーもそれに同調する。ゼルデの味方はここにはいなかったようだ。首根っこを掴まれたまま暴れていたゼルデは、観念して二人の方を向く。

 ……ただし、「裏切り者」と言わんばかりの目で。

「あんた達なんて嫌いよ……」

「ロックさんとギクシャクしたまんまで作戦始めるなんて嫌だろ。これが今生の別れになるかもしれないんだぜ?」

「縁起でもないこと言うなよ。賛成はするけどな」

 肩を竦めて笑うニールに、アッシュが「それで」と口火を切る。

「ゼルデはどうしてロックオンを避けるんだ?」

 ──言いづらいことド直球に聞いたよこいつッ!

 思わず飛び出そうになった感想に、エイヴィリーは慌てて口を押さえる。

 だが、ゼルデが答えるよりも先にニールが言った。

「すまなかった」

 頭を下げて、ストレートな謝罪の言葉。ニールの本心でもあった。ゼルデを怒らせたのは自分の行動で、それは間違ったことだったから。

 しかし、ゼルデにとってはそうではなかったようだ。

 なんとも言えない表情で、ゼルデはニールの顔を眺める。

「……別に、もういいです。私も半分意地みたいなものでしたから」

「そうか……。ありがとう」

「はい……あー、その、だから……」

バツが悪そうに視線を逸らす。

「これからは、ちゃんとしてくださいね。ロックオン」

「ああ」

 返事を聞くと、満足したようにゼルデは微笑んだ。

「ああ。ところで、ロックオン」

「なんだ?」

 歩き出そうとしたニールに、アッシュが声をかける。

「なぜあんなことを? 先日尋ねた際には、答えてくださらなかった」

 ──そういえばそうだ。

 ニールの行動には違和感があった。

 いくらガンダムが憎いとしても、撃つなと命じられた直後にいきなり銃を向けるなど正気ではないし、命令違反で処罰を受けてもおかしくない。

「……あいつは、昔の知り合いに似てたんでな」

どこか遠くを見つめるようにしながら、ニールがぽつりと言う。

「昔?」

「ああ。まぁ、昔の話だよ。もう十五年以上も前の事だし、顔も合わせてないから二度と会うことはないと思っていたんだが……」

懐かしむような口調だった。しかし同時に、怒りを帯びた声色だった。

「そうですか」

「悪かったな。あの時は、変なこと言って」

「いいえ」

 いつもの通り冷静に答えたアッシュに、そういえばとニールは耳打ちする。

「なあ。失礼だとは思っているんだが……あの二人、付き合ってるのか? お前さんから見てどう思う」

「いいえ、全く」

 即答であった。

「じゃあお前さん、あれを見て何も思わないのか?」

 仲睦まじく(いちゃついて)──と言っても本人達は普通だと言うだろうが──戦闘やプランについて話しているようにしか見えない二人に視線を向ける。

 ややあって、アッシュは呟いた。

「イチャイチャしやがって、と思わないでもありませんが」

「ほう?」

意外な返答に興味深げに身を乗り出すニールだったが、アッシュの次の言葉を聞いて固まってしまう。

「僕達の作戦に支障が出なければ、それで構いません」

「意外だねぇ」

「何か問題でも?」

「いいや。ただ俺はもっとこう、恋愛感情的なアレだと思っただけさ」

「僕にそんな下世話なものを求めないでください」

淡々と返されてしまい、ニールは苦笑するしかなかった。

 

 

 



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#4 フォービドゥン・ゲーム

 午後六時前。格納庫はほとんどの作業員が退散していて、残るのは整備士のリーダーであるマテリアと数人だけだ。艦にいる人間は三十人程度。だというのに、漂う緊張感故か、空気は重々しく感じられた。

 アッシュはすでに海中へ潜り、ニールらパイロットもコクピットにおさまっている。ゆっくりと船のハッチが開いて、夕暮れの光が網膜を刺した。

『目標地点まで、距離二千。各機、出撃の準備を』

 コクピットのスピーカーから、艦内放送が響く。

『機体をカタパルトデッキへ移動、射出準備完了。アイアス、発進です』

『了解。アイアス、エイヴィリー・ミシェル、出撃する』

 深く呼吸をするニールのもとに、『ロックちゃん』と声がかかる。それに応じると、開いたウィンドウにはマテリアが映っていた。

『機体を少し調整したのだけれど、あとでレポートをくれるかしら? 具体的には、レスポンスの速度が上昇しているはずだわ』

「了解。二度目の出撃だからな。慎重にいくさ」

『前に貴方のアヘッドを調整したときも思ったけれど、ロックちゃんは機体を雑に扱わないから嬉しいわ。その慎重さは貴方だけでなく私が助かるものでもあるのよ』

「そりゃありがたい話だな。マテリアの調整はいつも精密ですげえよ」

『続いて、シュネーヴァルツァ。発進です』

『オーケー。シュネーヴァルツァ、グリシルデ・シュミット、出るわよ』

 アレーティアが来るまで、ニールは狙撃専用にチューンナップしたアヘッドを使用していた。GNランスのような近接武器を装備することが基本であるアヘッドを、ライフル程度ならともかく狙撃武器を使うために調整することは容易ではない。

 ニールの細かい注文に応え、アレーティアに乗る以前まで相棒として戦わせてくれたマテリアを、ニールは信頼している。マテリアは整備士だけではなく、設計士としても優秀だ。

 今回の新型四機は、彼女が設計したものなのだから。

『アヘッド全機、出撃完了。アレーティア、リニアカタパルトデッキに移動します』

 ゆっくりとコクピットの風景が流れ、やがて電灯だけの薄暗い空間へと停止する。

『射出準備完了。アレーティア、出撃です』

「了解。アレーティア、ロックオン・シューター、狙い撃つぜ」

 その名の通りに。

 コクピットの右側にセットされたハロが、無言で瞳を光らせる。

 ニールは射出でかかる重圧に身を任せて、夕暮れの海上にアレーティアを飛翔させた。

真っ赤に燃える空と同化して、七機のモビルスーツが飛ぶ。

 その先頭にはアイアス。その装甲を夕焼けに染めて、盾もオレンジ色を映していた。

『目標を確認。ガンダム、既に出撃しています』

『了解。エンゲージのタイミングはお前さんに任せる』

 後方から、ニールが応答する。彼はアレーティアのフルシールドをぴっちりと閉じて、ミノムシのような状態で移動している。

 眼前には、粒子のチャージを開始した砲撃型ことセラヴィーの姿。

『砲撃型の粒子のチャージを確認。──[[rb:戦闘開始 > エンゲージ]]!』

 アイアスが両腕を前面に向ける。左右二十四の砲門が開き、圧縮粒子を放つ直前のセラヴィーにビームが降り注いだ。

『テッキセッキン、テッキセッキン』

 敵艦からダブルオーが飛翔するのを、眼鏡を外したニールの目はしっかりと捉えていた。ハロの言葉と己の判断力を以て、ニールはアレーティアを操る。

『着弾無し。砲撃型の意識はこちらに向いています!』

『了解!』

 数人の返事が重なって、セラヴィーに攻撃を開始する。不意打ちにより崩れた体制は立て直され、ソレスタルビーイングも交戦の準備は整ったようだ。

 数百メートルほど離れた先に、GNソードⅡを握ったダブルオーの姿がある。

 それをしっかりと両目で捉えて、接近してくるダブルオーを牽制しながらニールは問う。

『ゼルデは?』

『上空で羽付きと交戦。単騎での戦闘です』

『そろそろ狙撃型の出てくる頃合だ。援護は期待すんなよ?』

『期待してないわよ、ロックオン! 逆に私が援護するけど!?』

『お前さんの援護は援護にならないだろ』

『グリシルデ、ヘタクソ! グリシルデ、ヘタクソ!』

『下手くそで悪かったわね! ……く、流石に速いっ』

 少しだけ和らいだ雰囲気は、ダブルオーの接近により瞬時に張りつめる。

 ニールは機体の操作をハロに任せて、狙撃用のユニットを手に取った。右目でスコープを覗き、映るダブルオーの姿にすうっと焦点が合って──GNランチャーⅡから放たれた細い砲撃が、鋭くダブルオーを狙い撃った。

 瞬時に取られる回避運動。だが、盾が無ければ間違いなく被弾していた。迫ってくる機体に砲身を畳み、GNガンブレードを抜いてニールは冷たく笑った。

 ──そして、衝突。

 剣と銃身が鍔迫り合い、光を散らす。

『ようガンダム、近接戦は予想外か?』

『ッ、お前、は……』

 接触通信によりもたらされる会話。困惑したパイロットの声を無視してニールは引き金を引く。

『あー、どっかの誰かさんと勘違いしてるんだろ? 残念ながら、別人だ』

 音声のみの通信で、息を吸う音がはっきりと聞こえた。どうせ、考え込んだところで答えには辿り着かないのだ。その心当たりは、味方にいるのだから。そしてそれを誤認するほどガンダムのパイロットは愚かではない、はず。

『二個付きの、ガンダム』

 両手に握られた銃で刃を受ける。近接には自信があるらしく、打撃を叩き込みに来た盾を畳んだフルシールドで防御。

『お前には、ここで、いなくなってもらう』

 冷えきった声で、ニールは告げた。

 狙撃型──ライルが搭乗していると思われる機体は、まだ出てこない。幸運なことに、一対一になれるというわけだ。

 ニールは不敵に笑うと、操縦桿を操る。

 眼前で放たれるビーム。それを瞬時に回避して、ダブルオーはアレーティアに剣を振り下ろす。鋭い一撃に即座に対応、格闘用に作られたGNガンブレードがその刃を受け流した。

 アレーティアが離脱し、両手のガンブレードからビームを連射する。アレーティアは明らかに形勢不利と見えた。当たり前だ。近接戦闘を主体とする機体に、後方支援機が適うはずなどない。しかし、先刻からダブルオーは、少しのダメージもアレーティアに与えられていなかった。致命的となる攻撃は全て、寸前のところで回避されている。

 圧倒的有利な距離で、まるで、この戦いの主導権を彼に握られているような。

 何故、と刹那・F・セイエイは考える。それと同時に、ニールは言った。

『ハッ、何故……なんて、思ってるか?』

『──ッ!』

『何故だろうなぁ?』

 く、とニールは笑う。ニールには、はっきりとパイロットの焦りが見えていた。そして刹那の取るであろう行動も、その次の行動も。

 ここに限ってだけ言えば、フェイントを混ぜることに意味などない。ニールには、ダブルオーが次にとる行動が予測できていた。

『気付かないんだなあ。ガンダムパイロットさんよ』

『何のことだ……!』

 彼の本能が危機を知らせたのだろう。装甲が薄赤く染まり、それに呼応してダブルオーが馬鹿げた速度で暴れだす。ニールは全く焦らない。寧ろ、アレーティアがダブルオーの攻撃を避ける精密さは上がったようにさえ見える。

『どうしてッ……』

『俺がお前さんの動きを予想できる、それだけだよ。簡単だろ?』

 ガンダムの全身が赤く発光し、凄まじい機体性能を発揮することができるのをニールは知っている。しかしダブルオーの動きは変わらず予測できるまま。あとは、どれだけアレーティアを上手く操り、敵を落とすかを考えるだけ。

 そしてニールは、シミュレーションと実戦を重ねてきた。ある時は生身で、ある時はモビルスーツで、繰り返し狙い撃った。何度も、何度も何度も何度も。

『狙撃手に負けるなんて、惨めだなあ?』

『ッ、負けるはずが……!』

 焦った声が聞こえる。落ちたな、とニールは笑った。

 既に冷静な判断など出来なくなっているはず。いくら性能が良かろうが、動きが良かろうが、パイロットの頭が冷静でなければ戦いの結果など見えている。

 装甲が断ち切られたのを確認すると同時に、通信の向こうでニールが笑った。その声はひどく冷たく、乾いたものでコクピット内に響く。ダブルオーの右手足が失われたことを、モニタのウィンドウとアラートが喧しく知らせていた。

 信じられなかった。

 ダブルオーを装備したダブルオーが、これ程まで一方的に損傷するなど。

目を見開き、無意識のうちに刹那は呟いていた。

『いつの間に──』

『さあな』

 ニールは言い放ち、ダブルオーを容赦なく蹴り落とした。派手な水しぶきが上がり、海中に落とされたダブルオーは、水泡を纏いながら深く沈んでいく。

『そこで少し、頭を冷やすんだな』

 白い装甲が水に染まる姿を見下ろし、ニールはそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 ダブルオーが深緑色の機体と戦闘状態に入ったのを見ながら、もうひとりのロックオン/ライル・ディランディは出撃の準備が整うのを待つ。ライフル型の照準器を覗きながらまだかまだかと焦り、ついで己を疑う光景を目にする。

 交戦中のモビルスーツは一機。そのフォルムはジンクスにもアヘッドにも似ておらず、どちらかと言えばこちら──ガンダムのそれに近いように思えた。スラスターから吹き出す粒子の色はオレンジであることから擬似GNドライヴを搭載していることは間違いない。全身のカラーリングも赤ではなく深緑と黒をベースにしたもので、先日のピラー倒壊の際に自分を撃ったものだと理解した。

 剣を振るうダブルオーの攻撃を受けているのはピストルの銃身。何故かは分からないが、恐ろしいほどの胸騒ぎを感じた。

 いずれにせよ──近接戦闘に長けた刹那を相手に、点での攻撃しかできない拳銃で渡り合っているのだから、敵のパイロットは相当の強者だ。

『ロックオン、いけるぞ! 手間取って悪い……!』

 整備士のイアン・ヴァスティから通信が入る。ライルはようやくかと保持していた照準器を戻し、操縦桿を掴む。

 瞬間、全面モニタの向こうでダブルオーが海に叩きつけられる。凄まじい速度だった。墜落、と言えるほどの。

『刹那ぁっ』

 ライルは叫んだ。水柱を立てて消えるダブルオーに不安が広がる。

『損傷軽微……っ。それより、すまない。直ぐに戻る』

 明らかに損傷軽微ではない声。しかし構っていられる暇などない。続けてライルは問う。

『復帰までは』

『少しかかる。オーライザーのシステムがダウンした』

『わかった、俺は黒いのを迎撃する』

『待てロックオン、その機体には──』

『とにかく出る! このままじゃまずいだろ!』

 プトレマイオスのハッチからケルディムが飛び立つ。GNスナイパーライフルを握るケルディムに敵機からのビームが放たれ咄嗟に速度を上げた。

『漸く来たか。遅かったな?』

 当然だが、ニールの声はライルに届いていない。開いた距離の中でライルはライフルを構え、スコープを覗いた。同時に、レンズの向こうから見えるのは肩のランチャーを展開したモビルスーツ。得物こそ違えど、狙撃手二人の邂逅はこれであった。

 双方が射撃体勢をとる。右眼に装備されたカメラアイと、頭部前面に装備されたガンカメラ。レンズ越しに視線がかち合って、瞬間、二人はトリガーを引いた。

 放たれる二本のビーム。そこまでは同じ。しかし齎された結果は、全く違うものであった。

『ハズレタ、ハズレタ』

『外したんだよ。当てりゃ死ぬだろ?』

 ニールはニヤリと笑って、狙撃ユニットを格納する。

 狙撃手同士の戦い。その勝敗は、決していた。

 ガンカメラの損傷。狙撃特化のケルディムからすれば、甚大と言える被害だ。対して、アレーティアは余裕をもって狙撃を回避していた。

 ライルは即座にライフルを捨てる。敢えてのことか。ガンカメラを狙えるということは、頭部を吹き飛ばす事だってできたはず。狙撃では勝てないと、たった一度の撃ち合いで理解してしまった。この結果は、偶然ではない。正しい結末が、正しいルートでもって導き出されただけだ。

 ──こんな狙撃手が、アロウズにいるのかよ!

 僅かに焦りが浮かぶ。ならば前に出るしかない。己の領域は遠距離ではなく、GNビームピストルⅡの連射能力を活かした近接戦だ。二挺のビームピストルを抜いて、ケルディムはアレーティアに迫った。

『くそっ、ハロ!』

 ライルは繰り返し引き金を引く。ランチャーを畳む間も与えずケルディムはビームを撃ち続けて、アレーティアの銃撃をシールドビットで防ぐ。

 当たらない。何度やっても、掠めることすらできない。逆にこちらは、シールドビットが無ければ被弾していた。狙撃機体が本来苦手とするはずの近接戦闘で。

 だが、アレーティアを操るニールの方もギリギリであった。ライルに悟られてこそいないが、刹那のものと違い先の読めない攻撃に神経がすり減っていくのを感じる。思わずと言ったふうに打撃を加えてきたピストルに一瞬衝撃を受けながら、ニールはケルディムに乗ったライルへ声を掛ける。

『速いだけじゃ、当たらねえよ』

『……な、』

『違うだろライル。銃っていうのはなぁ』

 やはりパイロットは弟──ライルだったらしい。声を聞いた彼は動揺のあまりか一瞬、攻撃の手を止めてしまった。

『こうやって扱うんだよ』

『っ兄さん……!?』

 その隙をニールが見逃すはずもない。GNガンブレードから連射されたビームが、ケルディムの装甲を撃ち抜いて破砕した。

『ああそうだ、お前の兄のニール・ディランディだよ。なあ、ライル』

 軽い調子で放たれていた言葉が、不意に低く沈む。

『どうしてお前さんはここにいるんだ?』

『……なんで、』

 その問いに、ライルは驚愕した。だって、兄は自分と同じロックオン・ストラトスの、先代で。己の復讐の為に命を失ったガンダムマイスターで。

『兄さんこそ! どうして生きて……なんで、アロウズなんかにいるんだよ!』

『答えろ、ライル。久々の再会がこんな形なんて、兄さんは悲しいぞ?』

 少しだけ、かつて兄弟として会話をしていた時のような声色でニールが言った。しかしあまりに衝撃的な事実にライルは会話を忘れてしまう。

 それを察してか、ニールは回線の向こうに向かって告げる。

『分かったよ、ライル。降りてこい、話をしよう』

 アレーティアがガンブレードを腰に納めて、ニールは機体をプトレマイオスのある孤島へ向けた。本当に話をする気なのだとライルは理解して、アレーティアを追う。

 正確に言うならば、ライルにはそれしか選択肢がなかった。死んだと思われていた、唯一の肉親を何の躊躇いもなく撃てるほど、ライルは冷徹になりきれていない。

 ニールはちらりと島の向こうを見る。注意して見なければわからないほど、精巧なカモフラージュをしたガラテアが、上陸した所だった。大型の鳥ほどのサイズのスクワイアが飛翔する。母艦の落ちるまでは秒読みだとニールは呟き、アレーティアを地面に下ろした。

「ハロ、機体を頼む」

「マカサレテ、マカサレテ」

 コクピットのハッチを開く。アレーティアから降りたニールは、対面するケルディムから降りてくるのを待ってヘルメットを脱いだ。

「な……」

 記憶にあるものとは違う、兄の姿に、絶句した。

 髪の色も、目の色も、最後に見た時と変わらない。しかし、その瞳が宿す光は、表情は、自分の知るニール・ディランディとはかけ離れたものだったから。

 数年間で伸びたのであろう栗色の髪は横で編まれていた。その顔から首にかけてにはひどい傷跡が走っていて、悲惨な状況からの生還を連想させる。なにより衝撃を受けたのは、失ったと聞いていた右目がじっと、こちらを見つめていること。

 喜ばしいはずの兄との再会を、ライルは素直に喜ぶ事ができなかった。

「久しぶりだな、ライル」

「兄さ、」

 瞬間、耳に残る破裂音。直後に凄まじい違和感が両肩から走って、さらに二発、銃声が轟く。

 冷たい視線でライルを射抜き、ニールを撃った右手には、スナイパーとして世界を駆け回っていた頃から使用していた拳銃──ストリージが、握られていた。

 今度は両足。太い血管を避けての正確な銃撃は、ライルを殺したい訳では無いことを示していて。しばらくふらついたあと、ライルはバランスを崩して転倒した。

 その姿を見ながら、相変わらずライルは甘いなあと苦笑して、ニールは彼の元へ歩み寄る。

「はは、ヘルメット被ったまんまじゃ、聞こえねえよ?」

 ニールはヘルメットに手をかける。思いのほかあっさりとヘルメットは外れて、自分と同じ、しかし傷跡のない綺麗な顔が夕焼けのもとに晒され、苦しげに歪められていた。

「にー、さん……どうして……」

 ライルの瞳は絶望と混乱を宿していて、信じられない、と言いたげだ。

 とぼけている──としか思えない。どうして、など。

「どうして……? どうして、だと……!?」

 無意識に低く唸るような発声になる。怒りが身体の奥から湧き上がって肩が震える。

「紛争根絶なんてふざけた理念のもとに動く、テロリストのお前が、それを、言うのか?」

「兄さん、なにを言って」

「父さんも母さんもエイミーも、テロで死んだ! そして俺も、お前たちの武力介入に巻き込まれて、右目と右手、左脚を失ったッ! なのにお前は……お前は……っ!」

 激情のまま放たれた声は唸りに近かった。ライルには訳が分からなかった。ライルが聞いているのは、兄であるニールがロックオン・ストラトスで、仇を討ち果たす為己の命を失ったことだけ。だというのに、ニールはテロを──ソレスタルビーイングを憎悪し、ライルに銃口を向けている。

 かつて、自分が属していた組織をこれ程までに憎み、滅ぼそうとするなど有り得るのか? 有り得ない、とは思わない。だが、ニールは言っていなかったか。右目と右手、左足を武力介入で喪失したと。

 兄の怪我は……少なくとも右目は、仲間を庇って出来たものではなかったのか?

 その違和感を口にする前に、ニールが言った。

「……いや、それをお前さんに言ったって仕方ないな。──[[rb:アロウズ > こっち]]に来い、ライル。ソレスタルビーイングは、お前のいるべき場所じゃない」

 ニールの言葉に、ライルは目を見開いた。

「兄さん、は」

「俺はテロが憎い。だから、アロウズに志願した。お前さんもそれなりの理由があってそこに居るんだろうけどな……それは、間違いなんだよ、分かるな?」

 優しささえ見える微笑みが、ライルに向けられる。幼い頃、なんども見たはずのその表情に、言い様のない恐ろしさを覚えた。

「な? ライルなら、分かるだろ」

 ライルは自身の表情筋が引き攣るのを感じる。

 兄の言い方は、わがままを言った弟に言い聞かせるような、そんな言い方だった。少なくともライルには、そういうふうに見える。そしてその隙間から覗く昏い感情が見間違いでないのなら、──兄は、間違いなく狂っている!

 ニールは笑顔のままで、ライルの顎を捕らえた。

「ぐ……」

「頷くまでは、離してやらない」

 『いいお兄さん』の顔をして、ニールはそう言った。

 身を捩って逃れようとするがかなわない。ぐっと傷口ごと肩を押さえられて、痛みに体が跳ねる。じわじわと広がる痛みに苛まれながら、ライルは戸惑いを隠せずにいた。

 俺が間違っているのか? 兄の乗るはずだったレールの上に、いるのが? 兄の言うように、アロウズが正しいのか?

 カタロンは、ソレスタルビーイングは、間違っているのか……?

 微笑むニールが、何か自分と違う、恐ろしいものに見える。どういうことだ。何が兄さんをこんな風にしたんだ。混乱する思考の中で薄ら寒いものを感じ、ライルはこくこくと頷く。

「いい子だ」

 強く顎を掴んでいた手が離れる。頭を撫でるニールの手は優しくて、やはり兄は狂っているのだと確信した。そして。

 動くならば、

「っ、ライル!」

 ここしか、ない!

 ニールを突き飛ばしてライルは走る。血を流し縺れる足に躓いて、その横を銃弾が掠めた。

「俺は、兄さんとは行かない! アロウズのやり方は、間違ってる、ぐあっ!」

 肩を再び銃弾が貫いた。立ち上がり、拳銃を握ったニールの表情は、能面のように無かった。残るのは、暗い炎のような殺気のちらつく双眸だけ。

「兄さんは、間違ってる……!」

 ハッ、とニールは非対称に唇の端を吊り上げた。

「テロリストにそんなことを言われるとは思わなかったよ。……なら、どんな手段を取られても文句は言わねえよな。俺はお前を、殺してでも連れていく」

 降下用のワイヤーを掴んで、ライルはコクピットに上昇する。流れた血で手が滑り、身体をいくつもの拳銃弾が抉る。

 コクピットに収まるまでが永遠のように感じた。数発の銃弾に貫通された身体が灼熱の痛みを訴え、操縦桿を握る手が震える。それだけではない。兄が迷いなく銃口を向け引き金を引いたことに、ライルは衝撃を受けていた。

「兄さん……俺、は……っ」

 発した声は、震えていた。

「ライル。俺は」

 口に出した言葉は殆ど同じであるが、対照的に、ニールの声は殺意と怒りに研ぎ澄まされていた。

 冷静にコクピットに乗り込み、ニールは掛けられている狙撃用のユニットを下ろす。

 行動すらも対極にあって、離脱しようと飛翔したケルディムに向かって肩のランチャーを展開、ぎらりとその瞳を輝かせ、ニールは目標を捉える。威力を小に設定。照準器を覗き、トリガーを絞った。

 瞬時にケルディムの右手が撃ち抜かれ手としての機能を喪失する。兄には殺す気がないのだ。殺してでも連れていくとは言ったが、重傷程度で済ませるつもりらしい。方向転換をした直後に、今度は右足が半壊。

『くそっどうすれば兄さんを……』

 目の前をアリオスとシュネーヴァルツァが通り過ぎる。高機動機たるアリオスに追随するモビルスーツ、と目を見開いたライルに再びビームが発射された。

 ニールが設定したビームのレベルは、中。モビルスーツであれば手足が消し飛ぶ威力だ。

 ケルディムにはもう、攻撃を回避する余裕はない。

 あったとしても距離が近すぎた。

 ニールの指が、引き金を絞って。

 粒子が充填される銃口の輝きが、ひどくゆっくりに見えた。

 そして──

 



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#5 灰色の殻

『こちらガラテア。敵艦を確認、動きがあり次第連絡する』

『了解。気をつけてくださいね』

 ミルティが応答した。

 ガラテアのスクワイアが取り付くまで、アッシュに出来るのは周囲の警戒のみだ。

 アッシュは静かにスクワイアを操り、プトレマイオスへと飛翔させる。ガラテアから少し離れたところで、狙撃型とアレーティアが着陸したのが見えた。状況がどうであれ、ガラテアの──アッシュの取るべき行動は、変わらない。

 呼吸を整えて、鋭く、任務遂行のために感覚を研ぎ澄ませていく。

 一瞬にも永遠にも感じられる時の中、その時は訪れた。

『目標に到達。侵食を、開始する』

 了解の旨だけが複数、返ってくる。

『敵艦、反応無し。回路を展開』

 アッシュの声が生物としての温かみを失う。ただの部品としての、声だった。

 コンソールが複数せり出し、アッシュは手を伸ばす。大型の鳥のようなスクワイアがプトレマイオスに接触、ハッキング用の回路を形成した。

 GNZ‐006『ガラテア』。その基盤はガデッサと同様であるが、コンセプトは全く異なる。

 情報の送受信による支援及びハッキング。専用の装備であるGNスクワイア、GNヒートロッドを介し、『ドミネイターシステム』を操り敵機の制御を奪うことも可能だ。

 アッシュの万能さ──といえば平凡に聞こえるが、常人を大きく上回るオールラウンダーぶりはここにも発揮されていて、そのスキルは随一。凄まじい速度でコンソールを叩き、システムへの侵入を完了した。

『火器管制、掌握。抵抗するのですか。だが、その程度で僕に勝てると思わないでください。なかなか優秀な人材がいるようですが……掌握。重力制御、制圧』

 無意識に敬語で喋りながら、アッシュはプトレマイオスのシステムに介入していく。気圧制御、通信システム。次々とクリアし、手足を奪うようなその行いに、プトレマイオスの人員は焦っているはずだ。

 あっさりと目標をクリアしていくことに『つまらない』と内心呟いて、次の行動へと移る。

 その瞬間。

 凄まじい衝撃が、ガラテアを揺るがした。

『──何ッ!?』

 アッシュは眼鏡の向こうで瞠目する。広範囲に渡るビームの直撃。行動は可能だが二基のスクワイアが損傷していた。コクピットに映るのは小型支援機──アッシュは名を知らぬが、GNアーチャーと呼ばれる機体である。

 上空から、赤と白──シュネーヴァルツァと似たカラーリングのそれが、GNビームライフルをこちらに向けていた。

『この僕が……!』

 降り注ぐビームを受けながらも、地に伏せていたガラテアを起こし飛ぶ。完全に予想外の出来事であった。

 何がどうなっている。情報を整理しながらヒートロッドを抜いたガラテアに複数の光が瞬く。

『アッシュ? おいアッシュ、どうした!』

 エイヴィリーが声を掛けるが、アッシュに答える余裕はない。こちらの武装が少ないのを感じ取ってかGNアーチャーは変形し飛翔する。

『ゼルデ、聞こえるかっ。アッシュと合流しろ!』

『了解っ』

 GNアーチャーが飛び回りながらビームを発射する。咄嗟に回避した直後にプトレマイオスに取り付いていたスクワイアの帰還を阻まれた。肩に四基あったスクワイアはもう一基のみとなってしまった。

 高度を上げ、不規則に飛ぶガラテアの横をビームが突き抜けていく。粒子が散って鮮血のように機体から漏れ出る。いつまでも逃げ回っている訳にはいかないが、スクワイアが一基しかない今、これを失えば完全に任務が失敗する。

 こんなことが。完璧たる僕にこんなことがあるなど、許されない。

 強迫観念に囚われたアッシュに向かって再びビームが閃いた。

『GNウィング、最大展開。ミサイル、射出』

 アッシュは脚部よりミサイルを放ち、こちらに飛び込んでこようとするGNアーチャーに向かう。それは機動力のあるGNアーチャーには威力を発揮出来ぬ武器だが、足止めをするには十分なものだった。

 GNアーチャーはビームと高い操縦技術でミサイルを全て回避する。それによって出来た数秒の時間で、シュネーヴァルツァが二人の間に躍り出た。

『アッシュ!』

『ゼルデ。なぜここに?』

 どうやらアッシュには一連のやり取りが聞こえていなかったようだ。ゼルデは『エイヴィリーに呼ばれて』と短く告げて、追随していたGNリープユニットをアーマースカートに戻した。

『状況は?』

『ハッキングに失敗した。小型の羽付きと交戦中』

 二人の会話は、復帰したダブルオーとGNアーチャーを相手にしながらのことである。

『気にしちゃダメよ。ともかく撃墜』

『ああ。スクワイアを失ったが、このまま戦える』

 いつも通りのゼルデに、内心取り乱していたアッシュはようやく平静を取り戻す。

 残るジンクスとアヘッドの数は三。当初の半分まで減らされてしまっているが、

『僕達ならいける』

『私たちならいけるわ』

 二人は同時に言った。

 

 

 

 

 

 

『ロックオン!』

 果たしてどちらを呼んだのか。

 いや、彼はアレーティアの搭乗者を知らないためライルだ。同時にアレーティアが素早く左へ飛ぶ。その空間を粒子ビームが通過し、トレースする様にアリオスが駆け抜ける。

『アレルヤ!』

 アレーティアは高速で飛翔しビームを放つアリオスをものともせず、広げていたシールドで機体を覆い回避。しかし肩のランチャーは展開されたまま。精密な移動の間に、ランチャーからビームが一筋走った。

 飛行形態のアリオスのスピードを捉えられるはずがない、そう思った直後、アリオスがビームに突っ込むような形で被弾する。更に飛んだ先をGNガンブレードの連射が襲った。

 見切られている!?

 ライルが思い、アレルヤ・ハプティズムが言ったのは同じタイミングだった。

 機体の一部から黒煙が上がる。援護射撃は味方に当たる可能性があるためできない。一体どうしろと──思案した直後ケルディムにビームが降り注ぐ。ハロがいなければ間に合わなかった。迫るアレーティアの銃撃をシールドビットで受ける。

『く、強い……!』

 ニールにその声は届いていない。だが、焦りは伝わっているようで、滑るような移動と共に放たれる銃撃はアリオスを追い詰めた。

 無論ケルディムも例外ではない。左右の手にあるガンブレードと肩のランチャーが二人を撃ち抜いていく。その真横を複数のビームが通過し、青い装甲が飛来する。GNシールドユニット。アイアスに搭載された防御兵装だ。

『エイヴィリー、聞こえるか』

『こちらアイアス、聞こえています』

『こっちは大丈夫だ。シールドユニットは他に回せ』

『了解。助けて欲しい時はちゃんと言ってくださいよ!』

 装甲は空を翔ける。遥か上空にいるシュネーヴァルツァとガラテアに向かって飛び、GNアーチャーとダブルオーの攻撃を阻む。

『ロックオン、ロックオン』

 ハロが蓋を開閉し、目を点滅させて警告した。

 地上から太いビームが一筋、空へと拡散する。ハロの声がなければ被弾していたし、警戒を怠ったとニールは自省する。

『サンキュ、ハロ。──ほら、まだまだ行くぜぇ!』

 爛々とニールの瞳は輝きを放つ。二機をその双眸で見据えビームを連射する彼は、平時とは段違いの集中力を発揮していた。

 いわゆる『ゾーン』のようなものか。ニールはこれを知らない訳では無い。過去に二度、経験していたものと酷似しているから。一度目は学生時代の射撃で、二度目は暗殺業の中で。眼前の敵を、ただ狙い撃つためだけに全ての感覚が集中していく。

 ロックオン・シューターは言う。秩序を乱す悪を狙い撃て。

 その鬼神のような戦いぶりにライルもアレルヤも圧倒されるままだ。こちらの攻撃はかわされ、あるいは機体のシールドに阻まれる。だと言うのに、アレーティアのビームは正確無比にこちらを捉えてくる。

『〜〜っ、トランザム!』

 予測されているかのような動きに耐えられなくなったらしい。機体が薄赤く染まり、アリオスは超高速で飛翔する。

『当たらねぇっつってんだろ!』

 ニールは落ちないアリオスに苛立ったような声を上げる。しかし被弾。肩のランチャーこそ守ったがシールドが圧力でひしゃげて可動部から折れた。

『てめぇ、俺のアレーティアを!』

『やらせねぇ!』

 ここだとばかりに拳銃を握り襲いかかるケルディム。ニールは声を荒げてガンブレードを乱射し、近寄らせる隙を与えない。

『兄さん!』

『うるせぇっ』

 無造作に右手のガンブレードが投擲され、回転しながらケルディムの肩に突き刺さる。直後に振動と共に右腕が落ち、ライルは訳も分からぬままバランスを立て直した。

『何が──』

『テッキセッキン! テッキセッキン!』

 ハロが常より大きな声で危険を告げた。先程まで上空で戦っていたはずのシュネーヴァルツァがシールドユニットを蹴ってこちらに迫っていた。GNアーチャーがその恐ろしい速度に追随する。

『よそ見してんじゃねぇよライル!』

 退路を断つように、投げたガンブレードを回収したアレーティアが右手の銃を乱射。だがトランザムを使ったアリオスは肉眼で捉えるのも難しいほどの速さで飛んでいる。いくら凄まじい動体視力を持ち狙撃手としての素質があろうと、人間の限界は決まっている。

 挟撃しようとしたアレーティアは、降り注ぐビームのためにケルディムから視線を外さざるを得ない。舌打ちをして、アレーティアはアリオスにGNランチャーⅡを向けた。

『邪魔なんだよ!』

 砲身を畳んだ状態でのビームの雨に、アリオスは滑らかな動作で回避しながらアレーティアにミサイルを発射。それをアイアスのGNボウから放たれたビームが相殺して、更にセラヴィーがアイアスに砲撃を加える。

 シュネーヴァルツァはGNアーチャーの発射したミサイルに駆り立てられながら飛ぶ。その様は[[rb:円舞 > ヴァルツァ]]のようだが追いつかれるのは時間の問題か。追いつかれるより先に、アイアスの増加装甲がミサイルの間に立って凌ぐ。その隙を見逃さず、飛行するGNアーチャーにガラテアがGNヒートロッドを振るってスクワイアを嗾けるが取り付く隙はない。

 戦いは乱戦の様相を呈してきた。ライルはくっと歯噛みし左腕とシールドビットのみで交戦する。こういう状況でこそ自分は有利であるとライルは思っているし、それは事実だ。しかし、兄がモビルスーツに乗り己の前に立ちはだかったという事実がライルの心を乱していた。

『アンサラー、ブレード部分のパージを実行!』

 シュネーヴァルツァがコマンドに反応してGNアンサラーの刃を発射した。切れ味の落ちた刃をパージする駄賃とばかりにそれはセラヴィーに向かうが、極大のビームを前に消し飛んだ。

 何ともないとゼルデはかぶりを振ってダブルオーの攻撃を両腕のアンサラーで受けた。恐ろしい切れ味の反面消耗の著しいそれは、剣とカタナの鍔迫り合いに激しく光を散らす。そんなダブルオーを正確に狙撃するのはアレーティア。だが、ドライヴの付近に着弾するビームは粒子に阻まれて消える。

 更にゼルデは飛び回るアイアスの装甲を蹴って反転した。のしかかるGに呻きながら操縦桿を握り直し、ダブルオーに二度三度と斬り掛かる。

 ザンッ!

 耳にこびり付くような破壊音。目にも止まらぬ速さの斬り合いの結末は、シュネーヴァルツァの右腕の喪失。

『私が負けるですって!?』

 ゼルデの焦った声が、接触回線で刹那にも届いていた。確かにシュネーヴァルツァの攻撃は、その全てが正確無比にこちらを追い立てるものだ。だが、極限まで軽量化された機体、圧倒的な手数の代償に、

『──軽い』

 その重さは、パワーは、ダブルオーに遠く及ばない。

『ゼルデは羽付きを!』

 ニールは瞬時に悟り指示を出す。不服そうではあるが、ゼルデは彼の言葉に従いアリオスに攻撃対象を変更した。

 代わってダブルオーに対面するのはエイヴィリーだ。敏捷性こそ低いが、それはコンデンサを兼ねた装甲を纏っていてこそだ。性質上、セラヴィーに似たシルエットのアイアスは二つの擬似GNドライヴでその強固さを生み出している。ダブルオーのようにツインドライヴではなく、ただ二つ搭載しているだけだが、そのパワーは随一だ。

『っああぁらああああぁぁッッ!!』

 エイヴィリーが吼える。ビームサーベルを抜き、シールドユニットと共に突っ込んだ。

 ダブルオーとアイアス。二機は機体が触れ合うほどの近距離に迫って、

『なっ!?』

 瞬間、エイヴィリーの視界からダブルオーが消える。

『そこだ!』

 激突の寸前。刹那はトランザムの使用と共に進路を変え、アイアスの側面へ回り込んだのだ。

 捻りを加えて与えられるのは左手の剣による一撃。至近距離からのそれにはさしものアイアスも対応出来ず、増加装甲ごと機体が断たれる。

『よくもユニットを……!』

『エイヴィリー、大丈夫かっ?』

『油断した、悪い……問題ねぇ、行けるぜ!』

 同じ手は食わないとアイアスは飛ぶ。

 シュネーヴァルツァはシールドユニットを蹴り、ガラテアはヒートロッドを振るう。

 この状態なら行ける──瞳を輝かせ、ニールがそう判断した、その時。

『……ッ!』

 ドクン、と心臓が鳴るのを、ニールは耳にした。

『あ……っ、ぐ、』

 右眼が異常を訴える。激しい痛みとともに頬を熱いものが伝う感覚と震える体。ニールはこの感覚を知っている。そしてその対処法も知っている。

『は、っぅ、ぐ、あぁ……!?』

 操縦桿から離れ、伸ばされた腕が空を切った。なぜと疑問を覚えるが痛みに思考が霧散する。ぼろぼろと赤い涙が頬を伝っていく。痛みは全身に波及してニールの身体を揺さぶる。

『あぁぁあぁっ……!』

『ロックオン!?』

 異変にいち早く気付いたアッシュがニールを呼んだ。

『ああぁぁ、あっ、ぐ、ぅ──ッ、ぎ、ぁぁあああああ!!』

 何故なんで痛い今どうしてこんな時に痛い痛い痛い痛い! 断片的な思考の中でニールは答えようと必死に口を開く。だが漏れるのは悲鳴のみ。握られるのは虚空。隙を捉えたとばかりにアリオスが攻撃をこちらに放ち咄嗟にハロが機体の制御を行った。

 いっぱいに見開かれた瞳からは赤い涙が溢れる。ニールがヘルメット越しに右眼を押さえる。

『っ、クソ! ハロ、どういう状況だ!?』

『ロックオン、ホッサ! ロックオン、ホッサ! セントウフノウ! セントウフノウ!』

 アッシュが語調を荒々しく問う。ハロの答えに目を見開いて、こちらの混乱など知らぬガンダムのビームをヒートロッドで打ち払った。

『発作ってどういう事よっ?』

 ゼルデはそんなこと知らないとばかりに声を上げ、直後にダブルオーに海中に叩き落とされる。

『きゃあっ』

『ゼルデ!』

『私はいいからロックオンを!』

『けど!』

『早くっ!』

 その間も、ニールの苦悶の声をマイクが拾って三人に伝えてくる。動揺する二人を他所にアッシュはフォルトゥナに通信を開いた。

『ミルティ少佐、ロックオンが!』

『特務大尉がどうしたのです!?』

『わかりませんっ。ですが、ハロが『発作』と……』

『今すぐロックオンを艦に戻して!』

 その言葉に思い当たる節があったようだ。マテリアが普段からは考えられない、緊迫した声で割り込んだ。

『ですが作戦は……!』

『どちらにせよ特務大尉がいなければこの作戦は瓦解しますわ!』

『早くアレーティアを格納庫に! 急いでッ!』

 アレーティアが銃撃の合間をくぐってフォルトゥナへと向かう。同時に、撤退信号が上がってアイアスを殿に全機が撤退を開始した。

 既に彼の意識はないが、ニールの苦しげな絶叫は、いやに三人の耳に残っていた。

 撤退していく部隊をセラヴィーが追おうとするが、ダブルオーがその肩を掴んだ。

『刹那!』

『今は追うな』

『なぜだ! 彼はロックオン・ストラトスなんだぞ……!』

 今までそれを分かっていなかったアレルヤが驚愕の声を上げ、ライルは俯く。

 あまりの焦りにか、ガラテアはアレーティアを追いかけるように飛行する。そして着艦。ガラテアから飛び降りるようにしてアレーティアに駆けつけた時には、既にマテリアがいた。

 厳しい表情を浮かべる彼に倣ってハッチが開くのを待つが、その焦燥は頂点に達していた。心臓がうるさく脈を打つ。

「マテリア、マテリア」

 ようやく開いたコクピットの中で、ハロがくるくると回りながらマテリアを呼ぶ。マテリアは今にも飛び出しそうなアッシュを制し、シートに身を凭れさせているニールを連れ出して抱える。

 ヘルメットが取り外されると、顔の右半分が真っ赤に染まっているのを捉えてアッシュは驚愕した。そしてニールの整った顔立ちも、苦しさに歪んでいる。息を呑むアッシュを他所にマテリアがざっと全身に視線を走らせた。

「……今のところ命に別状はない。ストレッチャーを待ってる時間は無いからこのまま行くわね」

 集まってきた整備士を無視してマテリアがニールを抱えたまま走り出した。まとわりつく重力に苛立ちながら医務室の扉を開く。

「エイス、いるかしら?」

「グレイ大尉、そこにシューターを寝かせろ」

 既に治療──その言い方で正しいのかは分からないが──の準備をしていた軍医のエイス・アークが慌ただしく告げ、それに従ってマテリアがニールをベッドに下ろす。

 パイロットスーツから腕を露出させ、消毒液と脱脂綿を取ったアークは腕を消毒すると一本の注射器を手に取って針を差し込んだ。

 

 

 



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鈍色の疑念

 マテリアの言った通り、ニールの異常は『持病の発作』とのことだった。医師のアークはそれだけしか言わなかった。だが、発作というにはおかしな点がいくつもあったし、目から血の涙を流すなど聞いたことも無い。

「……はは、そんなコワイ顔、すんなよ」

 自室のベッドに腰を下ろしたニールが、乾いた笑いを零す。

 その右目につけられた医療用の眼帯が、酷く痛々しかった。

「生まれつきです」

「……アッシュ」

 発作のせいか、ニールの顔は青白く、生気がなかった。だからアッシュは彼が目を覚ますまで安心できなくて、ずっとそばに居たのだが──本人は、会議中に居眠りをしてしまったかのような気楽さで起き上がり、部屋へと戻ってきた。

「ごめんな」

「それは他の乗員に言ってください。僕はスクワイアを失い、敵の策にはまってしまったので、その謝罪を受ける資格はありません」

「そんなことはないさ。お前さんだって、しっかりやってた。ガラテアは武装も少ないのになあ。ありがとな」

「いいえ。それより、貴方は一度医師の診察を受けた方が良い。そんな症状、僕は聞いたこともありません」

「医者にかかったって同じだよ。それに、そんなことで何日も潰される訳にはいかない」

「ではロックオン、貴方をクライド軍港に置いていきます。それでいいでしょう」

 フォルトゥナは今、MSの整備と補給の為にAEUの基地のひとつであるクライド軍港に針路をとった所だった。

「なら尚更、医者にかかるわけにゃいかないね」

「貴方は、」

「次に会う時は死んでるなんて、そんなのはごめんだ」

 打たれた薬のせいなのか。いつも飄々としている彼からは想像できない様な言葉を発したニールに、不意をつかれた。

「貴方は狡いですね。そんな事を言われたら、なにも言えなくなります」

「悪いな」

「そんなこと、思ってもいないでしょう。人が悪い」

「はは。……人が悪いついでに、一つ頼みを聞いてくれねぇか?」

「……何ですか」

 いやな予感がして、アッシュは身構えた。

「サンディの様子、見てきてくれねえ?」

 アレーティアの整備を担当したのは、マテリアとその後輩であるサンディルファ・エリアだ。その際に一度、コクピットにある私物を出す必要があったのだが、それがこの件の原因だった。もちろんニールもその場にいて、受け取った私物──点眼薬と錠剤──を自室に置いて、そのまま出撃してしまったのである。

「お断りします」

 予想どうりであったその言葉に即答する。

「アッシュ、俺がぶっ倒れたのは俺が薬を忘れたのが原因だ。それに、あいつは発作のことだって知らなかった」

「分かっています。僕だって、そのことを知らなかったし、不可抗力です。ですが、今彼の顔を僕は見たくない。いくら彼に責任はないと理解していても、胸倉を掴んで殴りそうです」

「……アッシュ、」

「でも今一番殴りたいのは貴方です。こちらは目を覚ますまで生きた心地がしなかったというのに、他人のことばかり……!」

 下手をすればガンダムに撃墜されていたかもしれない。ハロがいなければ、そうなっていた確率は高かった。だというのに、どれだけニールがアッシュに──周囲の人間に迷惑を掛けたかも考えず、他人の心配ばかりしている。

「アッシュ」

 先程よりも弱々しく呼ばれたのにはっとそちらを向くと、ニールは眉を下げていた。

「……俺が悪かったよ。心配させたのに、勝手なことばっかり言った」

 しおらしく言ったニールに、アッシュは顔を背けた。多少感情的になった自覚はあって、彼を見ることが出来ない。

「少し、こっちに来てくれないか」

 そう招かれ、アッシュは逃げ出したいような気持ちになるが、これもニールのせいであると開き直り、歩み寄った。

 すると、ニールは子供が抱っこをせがむ時のように両手を広げ、アッシュを見つめた。

 アッシュが素直に身を屈めると、そのまま背中に腕が回される。体温と確かな脈動。解かれた髪が首筋に当たってくすぐったく、アッシュは目を閉じた。

 少し前まで激痛に悶え苦しみ、意識をなくしていたのだ。命の危険にさらされたあとで、こうやって人の温もりを感じたくなることだって、あるだろう。

 口を開きかけて閉じる。今口を開いたら、堪えている感情が溢れだしそうだった。何も喋らずじっとしていると、ぐっと抱きしめる圧が強まったことを感じた。

「ロックオ、ン」

「ティエリア」

「え?」

「ティエリアって……だれ、なん……だ……?」

 それを最後に、ニールは口を噤む。伝わる体温、触れ合った場所から、ニールの力が抜けていくのを、アッシュは感じていた。

 やがて、呼吸が緩やかな寝息に変わる。

 アッシュが身体を離し、顔を覗き込むと、穏やかな表情で眠っているのに厳しい表情を浮かべた。

 

 

 

 プトレマイオスに帰艦したあと、手当てを受けたライルは通信端末の連絡をチェックしていた。カタロンからの定期的な報告、古い友人からの連絡。そして──

『そこはお前のいていい場所じゃない。俺はいつでもアロウズで待ってるぞ、ライル』

 死んだと思っていた、兄からのメッセージ。

「兄さん……」

 俺は、間違っているのか?

 ニールは通路を歩きながら自らに問う。兄の代わりと求められ、己の利だとそれに応え、アロウズを敵として狙い撃つ。ソレスタルビーイングの理念に共感していない訳では無いが、反連邦の意志と、もう一つの自分の立場から、ガンダムマイスターになった。

 そうして、兄の乗るはずだったレールの上(ソレスタルビーイング)にいる。

 兄の言うことが正解だと考えてしまう自分がいた。嫌悪と、畏敬と、憧れの対象であった先代ロックオン・ストラトス、あるいはニール・ディランディ。

 絶対に勝てないと、コンプレックスを抱いた心。

「俺は……」

 兄の言葉に、従うべきなのか?

「ロックオン」

 不意に掛けられた声にはっとする。そうだ。アロウズのやり方は、身をもって体感した。だというのに俺は何を考えている?

 歩いているうちに、いつの間にかブリーフィングルームに着いてしまったようだった。振り向いた先には、真っ青な顔でライルを見つめるティエリアの姿がある。

「……なあ、」

「とりあえず、入らないか?」

 その声にはいつもの覇気がなかった。「ああ」と返してティエリアの後に続くと、刹那とアレルヤ、ソーマ・ピーリスまで揃っていた。居ないのは、オーライザーのパイロットである沙慈・クロスロードのみ。

 部屋の開く音に、アレルヤがこちらを向いた。

「ティエリア、ロックオン」

「アレルヤ」

 通信は彼も聞いていたのだろう。アレルヤは気遣うような視線と共に尋ねた。

「さっきの……ロックオン・ストラトスだって、どういうことなんだい? 刹那」

 感情の見えない瞳で、刹那がアレルヤに視線を向ける。平静を装ってはいるが、彼もまた、混乱していた。

「……言葉通りの意味だ」

 切り捨てるような響きのそれに、ライルは目眩がした。それから口を噤んだ刹那はどう続けるべきかを思案していたようだ、ややあって、再び口を開く。

「あの、スローネの発展系。あれに乗っているのは、紛れもなくお前の兄。ニール・ディランディだ」

「なあ、四年前に兄さんは死んだんだろ」

 詰問するような調子になったのを内心、舌打ちする。これでは兄が生きていることを責めているようではないか。

「ああ。俺はロックオンがGNアームズの爆発に巻き込まれ、消えたのをはっきりと視認していた。周囲を探したが見つからなかったし、死んだのだと断定していた。だが、宇宙空間での戦闘で、俺が見逃したという可能性も無いわけでは──」

「もういい」

 堪らず、ライルはそう告げた。

「生存が絶望的だってのはよくわかった。なら、俺を撃ち、刹那を落としたのは……本当に兄さんなのか?」

 分かっていて尋ねた。だがどうにも信じられなかった。自分と同じ顔を痛々しく傷跡で染め、殺意を剥き出しにしてこちらを撃ってくる兄の姿が、記憶にある彼と似つかなかったから。

「……俺は、接触通信で会話をしただけだ」

「声なんていくらでも変えられるだろう」

「だが、言い回しや戦闘スタイルは間違いなくあいつだった。あれ程正確に真似ができる者がいるとは思えない。それに、お前は話したんだろう。ロックオンと」

「……ああ。俺はコクピットから降りて、兄さんと話したさ!」

 苦々しい表情で、ライルは答えた。

「あれは……兄さん、だ。ソレスタルビーイングは間違っていると、敵対の意志を示しているが。でもあれは兄さんだ」

「お前が言うなら間違いないだろう」

「でもそれって、ロックオンの意思なのかい?」

「そうでないと思いたい。けど俺の目には、兄さんが従わされているだとか、洗脳されてるだとか、そんな風には見えなかった。兄さんは自分の意思で、アロウズにいる」

 相変わらず、いや、昔よりも思考回路はイカれてたしな──その言葉は、飲み込んだ。

「やはりロックオンは彼の弟なのか」

 その言葉に、全員が振り向いた。今まで沈黙を保っていたソーマが言葉を発した上、とんでもない事を口にしたのだから当たり前だ。

 眉を下げたままのアレルヤが訊いた。

「マリー、やはりって?」

「ソーマ・ピーリスだ。……私はアロウズに居た時、貴方と同じ顔の男を見た。纏う雰囲気は全く異なっていたが」

 ──シューター特務大尉。

 ソーマはそう、呟いた。

「シューター……?」

 ライルは眉をひそめ、腕を組んだ。冷静なフリをしているが、自分も焦っているのだろうと他人事のように分析する。

「シューター特務大尉。それが、彼の名前だ。偽名であろうことは公然の秘密。私は同じ部隊に配属されたことはないが、『隻眼のスナイパー』などと呼ばれていた。私の聞いた限りでは、狙撃用にチューンナップしたアヘッドを操っている。狙撃用の新型に乗っていてもおかしくは無い、と考える」

「じゃあ彼は本当に……」

「だろうな。ここまで来て否定するような真似はしねえよ」

 地球に突き落とされ──比喩ではない──ピラーの倒壊、アロウズの襲撃ときて、ニール・ディランディの生存だ。再び交戦すれば勝機はないと見て、スメラギ・李・ノリエガは宇宙に上がるという方針を示している。

「ロックオン」

「やるさ。じゃないと、撃たれるのはこっちだ」

 ティエリアの声に、頷く。彼を撃つことをためらえば、その代償は己の命となる。兄さんは敵なのだ。ならば、撃つしかないじゃないか。

 感情論で否定してしまいそうになるのを捩じ伏せて、ライルはそう返した。

「ともかく、新型四機のデータは端末に転送した。あとはイアンが解析してくれるだろう。それに」

 ロックオン、お前は早く傷の治療をしてこい。

 刹那が言って、応急処置しかしていないライルの四肢を見遣った。ライルの両肩、両足はそれぞれ撃ち抜かれ、全身にはいくつもの銃弾が掠めたあとがある。戦闘後の興奮状態にあるため感じていないのかもしれないが、あとで苦しいのはライルだ。

 それに、準備さえ整えばすぐにでもプトレマイオスは宇宙に上がる。戦闘が起こるのは必至、万全の状態にして置かなければならない。

 ひとまずは、と意識を切りかえ、マイスターたちはそれぞれ出ていく。ティエリアと刹那はフェルト・グレイスと共に買い出し、ライルは怪我の治療、アレルヤはソーマとプトレマイオスの護衛。やるべき事は沢山ある。

 自分以外が部屋を出ていくのを見届けながら、ライルは自身の心に影が差していくのを感じた。

 兄が生きているのはきっと、喜ばしいことだろう。しかし、顔を合わせて、おまけに鉛玉までプレゼントされて、ライルにとってニールは訳の分からない存在となっていた。

 俺は本当に、兄さんを撃てるのか?

 その疑問が、ライルの胸中で渦巻いていた。

 

 

 

「──では、これで連絡は終わりです。五日で出港し、宇宙に上がるそうですが、この先に備えてゆっくり休んでくださいな」

 ブリーフィングルームに集合したフォルトゥナのクルーたちに、ミルティが微笑む。

 ソレスタルビーイングが再びメメントモリを狙うことを予測して、ミルティらフォルトゥナの乗員は宇宙に上がることを許された。AEU領の施設であるクライド軍港でのメンテナンス、補給を経てからのことだが、それまでは休暇を言い渡されたのだ。

「解散に致しましょう。……ああ、特務大尉。貴方は残ってくださいな」

 各々が思うように、ブリーフィングルームを出ていく。ゼルデはマテリアに連れられて、アッシュとエイヴィリーはばらばらに。

 残されたニールは床にアタッシュケースを置き、壁に凭れたまま腕を組んで訊ねる。

「……で、なんの用だい? マーシャ姐さん」

「そう呼ぶのはおやめなさいと何度言えばわかるのです」

 からかいを含んだニールの言葉に、ミルティは溜め息をつく。

「よろしい、本題に入りましょう。……貴方の、身体のことです」

「俺の?」

「ええ、そうですわ。昨日の戦闘中に起きた『発作』について、わたくし達は把握していませんでしたから」

「ああ、そりゃ悪かった。てっきり伝わってるとばっかり思ってたんでね」

「過去のことをどうこう言っても仕方ありませんわ。貴方の持病というのはなんですの?」

「細胞異常」

 その声は、室内に低く広がった。

「GN粒子の毒性について、知ってるか」

「──ええ。高濃度に圧縮された粒子は、人体に細胞異常を引き起こすことがあるのではないかと言われていましたわね」

「俺はその実例だ。常にナノマシンを身体に入れておかなきゃ、身体に障害が発生しちまう。今そうなってるのは右眼と左脚。忘れたらああなる」

「わたくしもそれなりに知識はありますが、まさか細胞異常でそのようなことになるとは知りませんでしたわ。言いにくいことを聞いてしまいましたね」

「昔の怪我だ、自業自得以外の何物でもねえ。今度から、忘れないようにするさ」

 ニールは自嘲するように笑って、アタッシュケースを持ち上げる。ミルティは胡乱な表情だったが、言葉が見つからないというように口を開きかけて閉じた。

「話はこれで終わりかい?」

 この話は、世間話程度の物だった。少なくとも、ニールにとっては。

「……ええ。時間を取らせてごめんなさいね」

「気にしないでくれ。じゃあ、失礼するぜ」

 いつもと変わらぬ足取りで、ニールは部屋を出ていく。ミルティも自身の端末に着信があったのに気付いて、ニールから視線を外した。

 端末のスクリーンには、黒縁眼鏡に冷たい容姿の男──戦術予報士の駆け出し、アイ・ワーテラーが映った。

「はい、わたくしですわ。如何しましたの?」

『ワーテラーです。戦術プランについての質問があり、連絡させていただきました』

「こんな時くらい休みなさいな。上官命令ですわ」

『……申し訳ありません。そうします』

「シューター特務大尉の事でしたら、あなたの気にすることではありませんよ」

 図星を突かれ、ワーテラーは黙り込んだ。ミルティは微笑んだまま続ける。

「彼のことは、わたくしも知らなかったことですからね。把握していなかったわたくしにも責任がありますわ。それに、作戦が失敗しても、戦術が誤っていても、あなたのことを責めることはありません」

『少佐……』

「わたくしはあなたを叱責したい訳ではありませんわ。あなたに成長していただくために戦術の立案を任せているのですから、『わたくしならこうする』と口を出すこともございません」

 ですから、あなたが悔やむことは何も無くてよ──ミルティの言葉に、ワーテラーは頷いた。

『ありがとうございます、少佐。これからも努力して参ります』

「出発までは休むのですよ。あなたも疲れているでしょうから、頑張らないことを頑張りましょう」

『了解』

 すっと人革連式の敬礼をして、ワーテラーが通信を切る。

 さて、わたくしも休むことにしましょうかとミルティは微笑んで、ブリーフィングルームから退室した。

 

 

 



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プロパトールの欠片

「じゃ、ハロ。行ってくる」

「ルスバン? ルスバン?」

「おう」

「サミシクナイ! サミシクナイ!」

「大丈夫だ、夜には帰ってくるさ」

 Aiとは想えない天邪鬼ぶりをここでも発揮しながら、ハロが床を転がる。くすりと笑ってニールはハロを撫で、両手を広げると、本能──に当たるものがAIにあるのかは分からないが──には逆らえなかったのか、ハロがぴょんと胸に飛び込んでくる。

 そのまま抱きしめると、ハロは目を点滅させて「ハロ、イッショ、ハロ、イッショ」と主張する。

「一緒に行きたいのか?」

「タノマレタラ、タノマレタラ」

 別に頼まれたらついてやらんこともない、ということらしい。

 ツンデレさんめ、とニールは笑って頷く。

「オーライ。一緒に行こうぜ」

 ハロは腕から抜け、蓋を開閉させながら跳ねた。

 それを見ながらニールはアタッシュケースの中身を確認する。外側を金属で覆われ、相応の重量があるそれには三つの銃が入っていた。

 一つは、消音狙撃銃──VSS。愛称をヴィントレスといったそれは、サプレッサーとストックが取り外されている。

 あとの二つは、全く同じ形の拳銃──アーセナル・ファイヤーアームズのストライク・ワン。旧ロシアでストリージと呼ばれていたものだ。それは脇のホルスターにしまって、鞄を閉じる。

 いつ何時テロが起きてもおかしくないこのご時世ということもあって、ニールは数年前の裏稼業の時と同じようにそれを持っていた。今着用している私服もあいまって、鞄の中身を知っている者からすれば彼はスナイパー以外の何者でもない。

 クロゼットからコートを取り出して羽織る。黒く光沢の抑えられた上着は、夜の街や路地裏であればニールを溶け込ませてしまうだろう。

「よし、行こうか。久々の地上だ」

 色付きの眼鏡で目元を隠し、鼻までをコートに埋めたニールは口許をふと緩めた。

 

 

 

「では、一時間後にここで。刹那、フェルト、各自頼まれているものを買ったら自由にしよう」

「うん」

「了解」

 ティエリアの提案に、刹那とフェルト・グレイスが頷いた。

 三人がスメラギに命じられたのは買い出しだ。出航してメメントモリを破壊し、地上に落とされ、その後すぐにピラー崩壊があったのだ。カタロンに協力をして貰えたが、様々なものが不足しているのは言うまでもない。

 ひっそりと海中にプトレマイオス2を沈め、ティエリアと刹那、フェルトはクライド軍港に潜入していた。

「じゃあ、また」

「ああ」

 三人はそれぞれ必要なものを書いたデータを手に、別方向に歩き出す。

 フェルトはミレイナ・ヴァスティに頼まれたものや、終わったあとに休憩をとる場所を考えながら街へと向かった。

 

 

 

 同時刻、私服に着替えたグリシルデ・シュミットはフォルトゥナの出入口にいた。

『ゼルデ、今からできる最大限のお洒落をして、私と出掛けてくれるかしら? 上官命令よ』

 マテリア・グレイの言葉に悪意や下心は感じ取れなかったが、地位を盾にされると頷くしか無かった。何かあればよべとエイヴィリーにも言われている事だし、とゼルデは私服に着替えて、マテリアを待っているのだった。

 今できる最大限のお洒落とのことだったので、ゼルデは持っている数少ない見た目を考えた服を着ていた。黒いタイトのアコーディオンスカートに、ブーツと白いブラウス。ゼルデの気に入っている色の組み合わせである。化粧は薄く唇にリップをするのみで済ませて、髪は軽く整えただけだが。

 コツン、と靴音が、ゼルデの目の前で止まる。

 端末を弄っていたゼルデが顔を上げると、白いシャツに紺色のカーディガン、黒いスキニーの装いでマテリアが立っていた。

「はあい、ゼルデ。待たせたかしら?」

  その佇まいに、肉体の性別こそ違うが「お姉さんみたいだな」──口をついて出そうになったのをこらえる。

「……いえ。そんなこと無いです」

「お姉さんみたい、じゃなくてお姉さんって思ってくれた方が嬉しいわねぇ」

 なんだか心読まれてない? と首を傾げたゼルデに微笑んだ。

「アナタはわかりやすいわ。思っていることがすぐに顔に出るもの。じゃあ、行きましょ?」

「は、はいっ。えっと、どこに……?」

「アナタも女の子なんだから。お洒落しないとダメよ」

「今の私は軍人ですよ。そんなこと……」

「いいから。エイヴちゃんだっているでしょう? 帰ってきたあの子を吃驚させたくない?」

「エイヴィリーはそんな関係じゃ──」

「ほらほら歩いた歩いた。お姉さんは、ちゃあんと分かってるわ」

 ゼルデの手を引いて、マテリアが女性物の服屋へと入る。早速とばかりに店員に声を掛けるマテリアを見て「これも悪くないかな」と折れてしまったゼルデは、「私は流されやすい訳じゃないのよ、違うのよ」などと言い訳をしたのであった。

 

 

 

「──よう、お嬢さん。相席してもいいかい?」

 要件が全て終わり、カフェテリアのテラスで休憩していたフェルトに掛かる声。

「……ん、」

 行き交う人を眺め、カップを傾けていた彼女はその言葉に顔を上げた。

 その視線の先に立つのは、薄く色のついた眼鏡を掛け、季節の先取りをしているには重たすぎる黒い外套を纏った男。栗色の髪は横で編まれていて清潔な印象を与えるが、賑わう街に似つかわしくないその装いと、足元に転がるバレーボール大の黒いロボット。怪しさ全開の外見も気にならず、フェルトはその男に目を奪われた。

「あな、たは……」

「誰かと待ち合わせているなら悪いな」

「……い、いえ。そんなことは……ええと、どうぞ」

 戸惑ったようなフェルトの言葉に、男──ニールは、「助かる」と微笑んで、対面の椅子に腰を下ろした。そうしてニールは荷物を置き、碧眼を伏せてふと息を吐いた。

 フェルトは驚きのあまり、ニールを見つめたまま声を出せなかった。対してニールの方もどう反応していいかわからず、困ったような表情を浮かべる。

 二人の間に、心地の悪い沈黙が広がった。

 なぜこんな態度を取られているのか、なぜここに彼がいるのか。双方疑問を抱えながら時間が過ぎていく。

 やがて店員がニールのもとにコーヒーを運んできて、「ごゆっくりどうぞ〜」と引っ込んだ。ニールは氷の浮いたグラスを黒い手袋のまま持ち上げて、一口飲んでテーブルに戻す。

 この世に他人の空似という言葉があるのは知っていても、フェルトはそれを目にしたことは無い。

「あの」

「なあ」

 二人が口を開いたのは同時だった。

「お先にどうぞ」

「先にどうぞ」

 お互いに譲り合って、彼女の方からは話してくれないだろうと察してニールは尋ねる。

「お嬢さん、名前は?」

 ああ、口説いてるみたいになっちまった。複雑な表情で俯くフェルトに、ニールは名乗ることにした。

「名前を聞く前に俺が言うべきだったな。俺は、」

「知ってる」

「え?」

「ニール……ニール・ディランディ。それが、貴方の、名前……違う?」

 動揺したままのフェルトに出来たことは、ニールの言葉をさえぎって名を告げる事だけ。己の記憶と目が間違っていないのならば、目の前の男はきっと彼だと。あの日、彼が教えてくれた本当の名が現在のものであるかはフェルトにはわからない。それでもフェルトには、そう言わずには居られなかった。

 今のニールにとって、その呼称は正しかったようだ。ニールは戸惑いながらも訊ねた。

「あ、ああ……それで、お嬢さんは?」

 フェルト・グレイスであると、彼女は答えることが出来なかった。

「……マレーネ・ブラディ」

「いい名前だな。よろしく、マレーネ」

 代わりに名乗った偽名。それを懐かしい声で呼ばれて、フェルトは答えられなかった。フェルトには確信があった。ニールに忘れられてしまっているのならば、自分の名前を呼んでもらう価値はない。そして呼ばれてしまえば、自分はきっと泣いてしまうと思ったから。

「なあ」疑問を覚えて、ニールは訊いた。「俺の名前、どこで知ったんだ?」

 泣きそうに、フェルトの──マレーネの目が細められたのを、ニールは心配げに覗き込んだ。

 噛んでいた唇を戦慄かせて、フェルトは言った。

「……貴方に、聞いたの。五年前に、宇宙で」

 フェルトの言葉に、怪訝そうな顔をする。

 彼女に会ったこともなければ、宇宙に行った記憶もない。

「俺は……」

 口を開いたまま、言葉が出なくなる。真っ黒に思考が塗りつぶされる。自分が言ったのか、それとも誰かに言われたのか。闇の奥に誰かがいる気がする。でもその先を見ようとしても黒い靄がそれを隠し見えない。

 闇だ。

 何もない。

 ──何も、見えない。

「……ニール?」

「っ、」

「大丈夫? 凄く、顔色、悪い……」

 紫紺の髪に赤い瞳、生真面目そうなテノールの声。知っている。知っているはずだ。記憶は無くても、体が、唇が、覚えていると言っている。

 どうして何も知らないのだろう。どうして何も分からないのだろう。

「……ィエ、リア」

「ニールっ?」

 俺は、忘れてしまっている。大切なことを、大切なものを、大切な、人を。

「ティエリア……っ!」

 フェルトのことも頭から消えていて、右手で顔をおおったニールは呟いた。

 色褪せる視界。

 宇宙の中。

 動かない仲間の機体。

 応答しない彼は。

 悪態をついて機体を飛ばす自分。

 シールドを貫通して体を焼いた凄まじい熱。

 「貴方は愚かだ」と非難する誰か。

 ニールの脳裏に、フラッシュバックするいくつもの映像。

「マレー、ネ。君は、俺の事を、どこで……」

「わ、私は……」

 回答をしかねて、フェルトは黙り込んだ。

 心臓が早鐘を打ち、ニールは混乱したまま。緊張が最大級に達した時、

「マレーネ!」

 立ち上がったニールはフェルトを抱き込んで床に伏せる。

 直後──複数の場所から、轟音と悲鳴が響き渡った。

 舞い上がる砂埃と物が倒れる音が折り重なって聞こえる。両目をぐっと閉じフェルトを庇ったニールは、それらが収まったと同時に目を開く。

「くそ……なんだってんだ……マレーネ、大丈夫か?」

「大丈夫……。ロ、っニール!」

 目を見開いて、フェルトはニールを呼んだ。彼の眼鏡が割れて頬には深く切り傷が走り、じわじわと血が顎まで伝おうとしている。

「このくらい気にすんな、お前さんが無事ならいいさ。に、したって……」

 ニールは爆風で倒れてしまったテーブルの下から、アタッシュケースを引っ張り出す。表面に僅かに擦り傷がついたがそれだけだ。

 アタッシュケースを開いて部品を取り出し、組み立てた消音狙撃銃を持つ。ころん、と瓦礫の下から出てきたハロが静かに目を点滅させ、己の無事を主張した。

「静かにな、ハロ。分かってるとは思うが」

「は、ハロって、」

「こいつの名前。俺の優秀な相棒だ。マレーネは俺の後ろにいろ。これは多分……いや、間違いなく、テロだ」

 柔らかい物腰から一転、鋭い表情になったニールは眼鏡を外してポケットへとしまう。傷跡の残る顔を日のもとに晒して、ニールは周囲を見渡しVSSのスコープを覗き込んだ。

 静かに絞られる引き金。周囲の音に紛れて発射された亜音速弾は真っ直ぐに進んで、人に拳銃を向けなにやら怒鳴っていた男の頭を撃ち抜いた。即座の判断だった。

「……こちらロックオン・シューター特務大尉。至急応答を乞う」

 しばらく時間があって、端末からオペレーターの声が届く。

『クライド軍港、ガイーシャ・ノトリアです。都市内で複数の爆発を確認、テロの可能性が高いと思われます。命令あるまで待機』

「了解。被害状況は?」

『軍施設には被害なし。都市部の十を超える箇所での爆発を確認しています。負傷者多数、……っ、犯行声明、来ました!』

 再生される加工の入った男の声。仰々しい言い方をしていたが、要約すると『反連邦派のテロ』ということであった。

「くそったれが……」

「ニ、ニール」

「どうしたマレーネ。怪我でも」

「その……名前、ロックオン、って。それにニールは……軍人?」

  悪態をついたニールに掛けられる声。フェルトの疑問は当然であった。名乗ったものとは別の名前で誰かと通信をしているなど怪しいに決まっている。

「……俺の名は、ロックオン・シューター。アロウズのモビルスーツパイロットだ」

 ニール、ってのは俺の本名。皆には秘密な?

 右手に銃を握ったまま、唇の前に人差し指を立てる。

 予想出来たことだ。そのはずなのに、フェルトはまた、答えることは出来なかった。

『反連邦派は市民を人質に取っています。おそらく……』

『シューター特務大尉、今日はあれを持っていますか?』

 オペレーターの声に、聞きなれた女性の声が割って入った。

「ミルティ少佐」

 流石に姐さんなどとふざける状況ではなく、ニールは端的に答えた。

「ええ、持っていますが」

『ならばお願いがあります。既にシュミット少尉とグレイ大尉は街中にいるようですから。可能ならば合流しつつ、敵部隊を制圧してください』

「了解。二人の武器は?」

『既にスクワイアが運んでいるようですわ。貴方のL115A1も含めて。シュミット少尉に関しては、素手でも遅れを取るなど考えつきませんが』

「アッシュが?」

『基地に残っているようですわね。良いのか悪いのか……』

 会話をしながらフェルトを庇い、ホルスターから抜いた拳銃のトリガーを引く。迷いのないその動作に酷く痛々しい表情をして、フェルトは俯いた。

 ロックオンはもう、自分の知っているロックオン・ストラトスではないという事実を、叩きつけられたようなものだった。

「悪い、マレーネ。少し荒っぽくなるぞ」

「……だい、じょうぶ」

「強がりなさんな。君みたいな若いお嬢さんにはきついだろう」

 そうは言ったが、目の前でニールが人を撃ち殺しても、怖がることの無いフェルトに「感情の起伏があまりないのか?」と思う。だが、僅かではあるが彼女は複数の感情をニールに見せてくれている。

 あるいは慣れているのか。実は彼女が軍人だった──などという展開も有り得ないとは言わない。

「マレーネ。銃は扱えるか?」

「多分。訓練は受けてる」

「訓練? マレーネは軍人なのか……いや、今はいい。じゃあ、これは持っていろ」

 ニールは二挺あるストリージの片方を渡す。フェルトは相応の重量のあるそれを受け取って、「珍しい、銃だね」と呟いた。

「アーセナル・ファイヤーアームズのストライク・ワン。かなり昔のモンだが、ちゃんと作動する」

 ニールは閉じたアタッシュケースを持ち上げると、場所が分かっているらしく進路を変える。

 そして再び、スコープを覗いた。今度も立ったままだ。その状態で狙いを外さず心臓を貫くニールはきっと、

(デュナメスに乗ってた時より……凄い……)

 もう一発。不意に仲間が崩れ落ちていく様に慌てふためくテロリストたちを、ニールは正確に狙い撃った。

 移動してはVSSを撃つことを繰り返しながら、ニールはフェルトを守っている。ハロも後方に注意しつつアタッシュケースを運んでいて、フェルトがストリージを撃つ機会はおそらくない。

「どんな時も後方注意(チェックシックス)ってなあ」

 ニヤリ。つり上がった口角のまま、ニールは引き金を引いた。

 ニールたちに背中を向けたまま、倒れる肉体には見向きもしない。

『ロックオン』

 ゆっくりと距離を保ちながら狙撃ポイントを探すニールの耳に、通信が入った。

「アッシュ」

『スクワイアは貴方を補足しています。あと百メートル、そこで待ってください』

「オーライ。多少高いところから落としても問題はねえよ」

 上空と周囲を見比べながら待っていると、大型の鳥のようなもの──四基あるスクワイアのひとつが、羽ばたきながらこちらにやってきた。

 鳥でいう足に当たる部分にはアームがあって、そこに大振りな──と言っても小さなスーツケース程だが──金属製のケースが掛けられている。それを眺めていると、不意に左側から一人の青年が走ってきたのが見えた。黒い髪に赤銅色の瞳の彼は、十メートルほど離れたところで立ち止まる。

「お前、は……」

 青年が、驚愕の表情でニールとフェルトを見た。

「マレーネ、彼は」

「私の、友達」

「そうだったのか。よかった」

「もう大丈夫。足手纏いにしかならなかったから……守ってくれて、ありがとう」

 フェルトは拳銃を返そうと、ニールの背後から正面に出ようとして──

「いいや。お礼は、必要ないさ」

 その額に、ストリージが突き付けられた。

 

 銃の入ったケースの重い接地音だけが、二人の間に響く。



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カルペディエム

「ど、どうして……」

 目を見開いて、フェルトはニールを見上げる。

「お前さん、ソレスタルビーイングの人間だな?」

 その瞳に先程までの温もりはない。ただ世界の秩序を乱すものを憎悪し狙い撃つ、冷徹な狙撃手の目だった。

「そこの男だ。俺は彼の声を知ってるんだよ、騙し討ちみたいになって悪いな」

 表面だけの笑顔を浮かべるニールに、刹那は尋ねる。

「分からないのか、俺が」

「悪いが、分からないね。分かりたくもない。だが、お前たちはソレスタルビーイングで、世界を平和から遠ざけるものだってことは、ちゃあんと分かってるさ」

「ならば、お前は誰だ」

 乱れた心のまま、刹那は続けて訊いた。

 ニールは冷静に、己の所属と名を告げる。

「地球連邦軍の独立治安維持部隊、アロウズ所属。ロックオン・シューター特務大尉」

 その名前にか、刹那の表情が鋭いものになる。しかし彼の瞳は驚きにか、揺れていた。

 刹那の様子が演技か本音か。それをこの場で考えるような甘さはニールには無かった。

「彼女の命が惜しければ、一緒に来てもらおうか」

「ああ、わかった。……済まない、フェルト」

「うん」

「薄情なんだな、ソレスタルビーイングってやつは」

 感情を殺した声で、ニールは言った。「じゃあ、さよならだ」

 そして、突き付けられたままの拳銃のトリガーが、引かれる瞬間──不意に襲った脇腹からの衝撃にバランスを崩した。

 身のこなし、場馴れしていない挙動から非戦闘員であると油断していた。普段ならばびくともしないであろう非力な少女から突き飛ばされてよろめいたのは、ニールとしては不覚だった。

 その隙に、フェルトはニールから離れて刹那の元へと走る。そして刹那は、人質を失ったニールに向かって銃を抜く。

 チッと舌打ちをしてニールは銃の入った金属のケース取ろうと足を向ける。何を、とニールを目で追おうとした刹那にフェルトが叫んだ。

「刹那! そのケースを開けさせちゃダメっ!」

「了解した」

 刹那がその言葉に従い走る。そしてナイフを手に、こちらにケースを開けさせる暇を与えない。その選択は正しいが、最前ではなかった。

 ドス、と凄まじい衝突音の後に、刹那が吹っ飛んで地面に叩きつけられる。

「か、はっ……」

 肺からごっそりと酸素が抜けていくような感覚。絞り出す声は声にならず、地に伏した刹那を見下ろして、ニールは笑った。

「はは、悪いね。中身だけじゃねえ。こいつも、俺の得物なんだ」

 狙撃銃の入ったケースごと、ニールは全力で振り回したのだ。その重量は銃だけで七キロ近く、ケースは外側が金属製。弾倉も含めて、ざっと十キロと言ったところか。そんな質量の塊をまともに受けて、立てるはずはない。

「油断しちまったよ、抵抗する術はもう無いってな。もう機会はねぇ、君を殺した後に、彼も殺す」

「ロックオン」

 まるでそちらのほうが慣れているというように、澱みなくフェルトがニールを呼んだ。だがそれは逆効果だったようで、不快そうな表情でニールは改めて彼女に銃口を向けた。

「……じゃあな、マレーネ。今度こそ──さよならだ」

 しかし今度も、引き金を引くことはできなかった。

 路地から隙を伺い、待機していたティエリアが、その手に持つ銃を撃ったからであった。

 破裂音のあとに、ティエリアが口を開く。

「今のは、威嚇だ。次は当てる」

「お前……? ──いや、」

 しかしその銃口は、僅かに震えていた。対するニールの表情も驚きに満ちていたが──瞬時に感情が抑制される。

「当たらねえよ。そんなに震えてちゃなあ?」

「次は当てると言った……!」

「ああそうかい。……ま、三対一は流石に不利だ」

 そこを通してもらおうか、と告げる。

「動くなっ」

「おー怖い怖い。やるのか? 最低でも二人、道連れにしてでも殺すが。それに、お前たちと違って俺は仲間も居る。最中に来たら……分かるよなあ?」

「……っ」

「って訳だ。次会うときは殺す」

 そう言って、ニールは逆光の中笑った。

 

 

「フェルト、セツナ……セツナ、ってどんなスペルなんだ? 英語圏の発音じゃないな……」

 不思議と舌に馴染むその言葉を、何度か口に出してみる。部屋に空虚に拡散したその発音を何度も繰り返していても、何かが思い出せるような感覚はしない。

「ストリージ、渡したままになっちまったな」

 フェルトに渡したまま、ストリージの片方はなくなってしまった。おそらくもう、取り戻せる機会はないだろう。

 金属のぶつかる音とノックが、寮の一室に響く。

「どうぞ」

「……ロックオン、テロにあったと聞きました。あれから、体調はいかがですか」

 銃のメンテナンスをしているニールに、部屋の扉を開いたアッシュが声を掛けた。

 VSSを組み直していた手を止めて顔を上げ、アッシュを見る。ハッとしたあとに一瞬間があって、ニールが口を開いた。

「アッシュ、お前やっぱり……」

「僕がどうかしたのですか?」

「いや、なんでもない。お前さんは明日から外に出るつもりだったって? 運が悪かったな」

「そうですね。新しく本を仕入れようと思っていたのですが、それが台無しになったのは残念です」

 アッシュは肩を竦め、片目を閉じて苦笑する。それから真剣な表情になって訊ねた。

「僕と同じ顔の奴に、会ったのですね」

「……っ!」

 何故それを、とニールが目を見開いた。

「僕には分かります。とても動揺しているし、僕を疑っている。

 そして、リジェネ・レジェッタとも同じ顔だから……敵か味方か判断しかねているのでしょう」

 カチャ、と音を立てて、サプレッサーとストックを取り外したVSSが組み立てられる。それをしまって、ニールはアタッシュケースを閉じた。

 ニールの横顔は、厳しいものだった。

「ああ、その程度で上層部(うえ)に報告したりなんてしませんよ、ロックオン」

「アッシュ、」

「彼が敵かどうかは、貴方が判断したらいいと思います……ですが」

 アッシュは微笑み、ニールに向かって手を伸ばす。常であれば身じろぐか、手を払い除けているであろうその行動に、ニールは動揺が勝って動くことができなかった。

 頬に触れるアッシュの手は、氷のように冷たかった。

「ソレスタルビーイングはテロリストで、貴方の仇。そして、平和を遠ざける存在です」

 アッシュの顔からは微笑みが消え、ただ、硬く、引き締まった、アロウズのアッシュ・グレイ准尉に戻っていた。

「突然来てこんなことを言って、すみません。僕はそろそろ戻ります。明日の会議で、また」

「……ああ」

 その表情のまま、アッシュは会話を終わらせて部屋の扉を開け、退室した。

 俺が裏切りそうに見えたのか。浮かんだ疑問に笑う。ニールの笑い声は、室内に虚ろに反響した。

 ロックオン・シューターは言う。

 世界の秩序を乱し、己の手足と家族を奪ったテロリスト共に、情など必要ないだろう?

 再び乾いた笑いが部屋に響くのを、通信端末の着信音が遮った。立ち上がり、机に置いていた端末を手に取ると、音声のみでの通話リクエストが来ている。

 発信元はゼルデ。出身が同じだと考えることも似るのか? と笑いをこぼして、ニールは通話を繋いだ。

『こんばんは、ロックオン。私です』

「俺だ、ゼルデ。どうした?」

『体調はどうかと思いまして。それに、貴方もテロに巻き込まれたとも聞いてます』

「その節はどうも。テロに関しちゃストリージを一丁失ったが、それ以外に損害はないさ。というか、お前さんも巻き込まれたんだろ?」

『そうですね。マテリアと出かけていたんだけど、見繕った服が台無しになったのは残念です。それから、私もマテリアも、擦過傷程度の怪我しかないわ』

「……そうか。良かった」

 ニールは安堵の声を漏らす。なんだかんだといって、彼にとってゼルデは可愛い後輩だ。近接格闘では無類の強さを発揮すると聞いていても心配にはなる。

『それで、明日のことなんだけど、マテリアから提案があって、皆で朝ごはん食べないかって』

「……そう、だな。エイヴィリーにも伝えておくさ。部屋に帰ってくるだろうから」

『分かったわ。で、時間なんですけど、──』

 ああ、とニールは返そうとして。

 そこでようやく、声が出ないことを認識した。身体から力が抜ける。眼前が暗く歪んでいく。細胞異常の発作では、ない。思考も闇に落ちていき、何も考えられなくなる。

 崩れていく意識の中、ゼルデの声だけが響く。

『──っていうのはどうですか? ロックオン、聞こえてる?』

『ねー、ロックオン、聞こえてる? 通信環境、良くないのかなぁ』

 その言葉の意味すら認識が出来なくなって、あらゆる感覚が、遠ざかって。

『ロックオン! ねえ、ロックオンっ!』

 意識は暗い闇の中、完全に途切れた。

 

 

 

 ハロが自分を呼ぶ声が聞こえていた。

 俺の耳には、母艦の通信と、応答しないティエリアのノイズだけが聞こえていた。

 暗い宇宙に星が煌めく中で、俺は何度も彼を呼ぶ。

『……くは、……………………た、のか』

 微かな声。世界が変わる様を俺たちは見ていた。崩れていく世界と、陥った窮地を見ていた。言い伝え(ジンクス)の名を与えられた者達の姿を、目にしていた。

 戦力バランスも、平静も、なにもかもが狂っていく中で、呼ばれた声に応えないティエリアに不安が渦巻いた。

『ティエリア、どうした? ティエリア!』

 いやな、夢だ。早く、目覚めなくては。

 何度も瞬きを繰り返す。次の瞬間には、右眼がブラックアウトしていた。

 そして気付く。俺の手には、愛用しているVSSが握られている。

 周囲を見渡す。どこかの島の、浜辺。夕暮れの光が、左眼を灼いた。

「ソレスタルビーイングを、倒すんだろう?」

 唐突なそれに、振り返る。西日に照らされて、彼が立っていた。死にかけていた俺を拾い、テロリストに復讐する術をくれた恩人と──同じ顔をした、誰か。

「君の家族と、君の身体を奪ったテロリスト達を。皆殺しにするんだろう?」

 彼が冷たく尋ねる。──そうだ、俺は。己の生きる理由を理解した瞬間、頭を刺すような痛みが襲った。導かれるように視線を前に向けると、パイロットスーツ姿の男が肩を震わせているのが見えた。

「お前らさえ、いなけりゃ……俺はっ」

 ニールはテロリストへの怨嗟を込めて吐き捨て、VSSのセーフティを解除する。位置取りを変えて、砂浜の奥に伏せてガンダムパイロットを狙う。

 動きを先読みする思考が、研がれたナイフのように冴えていく。紫を基調としたスーツとヘルメットが夕焼けに色づいて、ニールはVSSのトリガーを絞った。発射された9×39mm弾は正確に心臓を貫いて、撃たれたテロリストはあっさりと倒れる。

「は、はは……」

 昏い喜びに、口の端から笑いが零れる。やったのだ。ついに、殺したのだ。自分の眼と手足を奪ったテロリストを、ガンダムパイロットを。しんと耳に痛い静寂の中で、撃ち殺したそいつに歩み寄る。

 そこに──テロリストの死体があるべき、そこに。

 三つの死体ががあった。

 どれもぐちゃぐちゃに損傷していて、瞳は光を失い虚空を見ていた。ひび割れたアスファルトの上に肉片が散り、さらりとした砂の上には鮮血が溢れて、夥しい量の血液が赤く染めていた。

「父さん……母さん……エイ、ミー……?」

 ゆめ、だ。

 目の前の光景を信じたくなくて、感情がどこかへ消えた。何も感じられないまま、悲鳴をあげながら、家族だったものをかき集める。

「あ、あぁ……ああああああああぁぁぁ」

 喉から絶叫をほとばしらせて、ただ、家族の欠片をかき集める。名を呼んで、号泣する。思考回路が焼き切れていく。右眼の奥から痺れが広がっていく。

「嘘だ、嘘だ、嘘だ……、嘘だ、うそだ、うそだ、うそだ」

 かぶりを振ってそう繰り返す俺の腕の中で、不意に、その瞳が瞬いた。虚ろな瞳が、しっかりと俺を捉えていた。

「うらぎりもの」

 俺を見つめるその顔を、獰猛に輝く光が覆い尽くしていく。ロックオン・シューターが言っていた。俺の声で、お前の罪だと叫んでいた。

 

 ──さあ、目覚めろ。

 

 

 

「……っ。……ン、……ックオン、ロックオン、ロックオン!」

 重い瞼を上げると、映っていたのは白い天井だった。暗い部屋の中で、ニールは床に倒れアッシュに何度も呼ばれていた。

「ロックオン、大丈夫ですかっ。とても、魘されていましたが……」

「……ィ……、……ア」

 まだ力の入らぬ腕を伸ばして、ニールは声を絞り出す。

「父さん、母さん、エイミー……ッ、俺は……俺は……っ」

 ふらふらと視線と腕をさ迷わせながら、ニールは涙を零した。その様子に何かを感じとったアッシュは、抱きしめて落ち着かせようと試みる。

「どうしたのですか。抑制剤の反動ですか?」

 アッシュの低い体温に我に返る。

「おれ、は。一体……」

 ゆっくりと、周囲を見渡す。太陽の沈んだこの部屋は、AEUの軍施設だ。どこかの島の砂浜ではない。この場所に彼がいるはずがない。

 夢、か。呟いて、溜め息を吐く。

「本当に、どうしたのですかロックオン。どう考えても、眠ったのではなく、倒れたのでしょう?」

 その視線は、床に転がる端末に向けられていた。

 アッシュの質問に、漸く自分が眠っていたのではないことに気付く。

 アッシュと話して、ゼルデから連絡があって。

 それから、俺はどうしたんだ……?

「アッシュはなんでここに……」

「ゼルデに言われたんです。ロックオンの様子がおかしいから、見てくるようにと」

「ゼルデが? ……ああ、電話中だったから、な。心配かけた」

 連絡をいれようと、転がっている端末を手に取る。着信時間を確認すれば、既に一時間近く過ぎていた。何も言わないニールに、アッシュが不安げな表情をする。

「どうしましたか」

「……いや、自分では五分くらいの体感だったからな」

 ちょっと聞きたいことがあるんだが、とニールは言った。

「なんでしょう」

「お前もなんだが……リジェネとマテリアって、どうして顔が同じなんだ?」

 ティエリア、と呼ばれていた誰かを思い出す。眼鏡を掛け、髪型こそ違ったが、リジェネ・レジェッタ、アッシュ・グレイ、マテリア・グレイの三名と、転写したように同じ顔立ちの人間。

 アッシュは首を振って答えた。

「それは、DNAが同じだからです」

「は……?」

 突然出てきた言葉に、眉を顰める。

「お前さんたち、三つ子なのか?」

()達は作られた存在。塩基配列パターン0988をもとに作られた道具だ」

「計画を完遂するため、世界を恒久和平に導くために作られた、生体端末」

「だから顔も、髪の色も、目の色も同じ」

「同位体──と、言っていいでしょうね」

 だとすると、アッシュだけ全体的に灰がかって見えるのはなぜなのだろうか。ニールが疑問を口にする前に、アッシュが答えた。

「正確に言えば、僕はリジェネのクローンです。彼の劣化した存在、ですから」

「……嫌なこと、言わせちまったな」

「いいえ。お気になさらず」

 あの男も、そうなのか? その疑問を口にすることは、できなかった。

 口にしてしまえば最後、この関係が破綻するような──そんな気がして。笑えないほど、ニールは臆病だった。

 



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消されたゾーエー

 翌日の昼、ニールたちは会議に呼び出されていた。それぞれのテロに対する事情聴取か、ソレスタルビーイングへの今後の対策であろうと予測して、会議室へと歩いていく。

 ニール、ゼルデ、アッシュ、エイヴィリー、マテリアの五人。昨日のこともありゼルデには酷く心配されたが、なんでもないと流して笑った。

 招集された部屋は司令室と言えるほどの設備のある場所で、大きなスクリーンに通信機器、オペレーターまでもが揃っている。

「全く、休暇を兼ねてこちらに来たのに……皆さんも、災難ですわね」

 ここに居るのはフォルトゥナのクルーと、二人の知らない兵のみ。AEUの兵士は居なかった。

「全員、揃いましたわね。それでは始めましょう」

 ミルティが深刻な表情で告げる。

「昨日の一七三八に、市街地の数箇所で爆発がありましたわ。既にこのテロを起こした集団は殲滅され、復旧も開始しています」

 オペレーターが端末を操作すると、会議室のモニタが複数に分割され、それぞれ映像を映す。監視カメラのものと思しき映像の中で、複数の爆発が起こっていた。

「このテロによる負傷者は三百を超え、死者は五十人以上出ています。幸いと言っていいのか、軍施設に被害は出ておらずなんとかなるでしょう。わたくち達が出る幕はありませんわ」

 それでは本題に入りましょうか、とミルティは告げて、すっと手を伸ばす。

「新しく乗員になる二人ですわ。自己紹介を」

 その言葉に、右端にいた男が口を開いた。

「地球連邦平和維持軍より派遣されました、モビルスーツパイロット。アイリヴ・ファルセイダー中尉です」

「ラモール・フィアー。よろしくお願いします」

 それぞれが名乗り、敬礼をする。ラモール・フィアーはまだ若く、士官学校を卒業したばかりであろう事が伺える。ファルセイダーも尉官としては若い方だが、彼女だけは一回り近く違う。

「要請を受けてくださったこと、感謝致しますわ。では、今後の予定を説明することにしましょう。休暇の予定が大幅に短くなってしまいましたが、補給と整備はあと五日ほどで完了致しますわ。それが終われば──」

 不意に、ミルティの声をさえぎって警報が鳴り響いた。

「何が起こっているのです?」

『海中より出現する戦艦一隻。ソレスタルビーイングですっ』

 壁の受話器を取り、尋ねたミルティになされた報告に目を見開く。

「指揮官はなんと言っていますの?」

『撒いた餌に掛かるのを待てと言っています。宇宙に上がり次第殲滅を開始しろと』

「なんですって? ……分かりました。こちらも、準備を急ぎますわ」

 苛立ったように受話器を戻して、ミルティは唇を噛んだ。それから別の所へ連絡し、睨むようにして窓を見上げて、言う。

「……予定が早まりましたわ。各自、四日後にフォルトゥナに集合。時間は追って通達しますわ。艦のブースターが換装次第出発です」

「了解」

「ワタシは新装備の調整もあるから先に行くわ。よろしいですか? 少佐」

「許可致します。ワーテラー中尉はわたくしと共に戦術プランを。今回はわたくしも指揮を取りますわ」

「分かりました。よろしくお願いします」

 頷いて、その手に持つデータの入ったデバイスをワーテラーがミルティに渡す。

 ざわめきに構わず、ゼルデが唇を引き結んで立ち上がった。

「ゼルデ?」

「……ごめん、一人にして」

 無言で苛立ったようにかぶりを振って、ゼルデはそう言い残して部屋から出ていく。それを追って、エイヴィリーは腕を掴んだ。

「……エイヴ」

 彼女は酷く思い詰めた声で、頼りなく細い肩を震わせて。

「わたし、は」

 助けを求めるようにエイヴィリーに手を伸ばしかけて──それを否定するかのように拳を握りしめ、走って行ってしまった。

「ゼルデ!」

「来ないでっ」

 追おうとした足は、泣きそうな声での拒絶に止まる。

 恐らく。

 ここでエイヴィリー・ミシェルは、グリシルデ・シュミットを追うべきだったのだ。

 そう後悔した時には、すでに手遅れだったというのに。

 

 

 

『受信データを確認したよ。ご苦労さま』

「珍しいですね、貴方が連絡をくださるとは。お送りしたデータはそれ程までに有用だったのですか」

『──有用も何も』

 電話口で、クク、と笑いが零れる。彼は、恐ろしく上機嫌だった。

『純粋種』

 短く、そう呟いた。

『しかし、危なかったよ。うっかり彼が抑制剤を忘れてしまうとはね。危うく撃墜されるかもしれなかっただろう』

「コパイのハロがいなければ、そうなったかもしれませんね。台無しになるところだった……と言えるでしょう」

『君の働きは、僕の目的に大きく貢献している。安心してもらって構わないよ』

 自分が裏切り者であることは、まだ仲間にも、アロウズにも気づかれていない。友の信頼を逆手にとることに罪悪感はない訳では無いが、俺に残された道はこれしかない。

「はい。俺はただ、俺の存在意義に基づいて行動しているだけです。それに、彼が抑制剤を忘れてしまったのはこちらの落ち度です」

『君は欲がないのかい?  まあ……絶望を知った人間には、生きていることこそが最上の喜びになるのかもしれないけど』

「そこまで無欲ではありません」

 苦笑する俺に、彼も笑う。それから、聖職者の如く柔らかに、しかし冷たい声で、彼は囁いた。

『大丈夫だよ。僕たちが望むものは、イオリア計画の完遂なのだから』

「…………」

『僕は、君の望む世界を約束する』

 彼女しかいない今の俺には、それだけが希望だった。

 

 

 

 地面が遥か遠くに見える。モビルスーツを駆り、自らが飛べるようになっても、受動的にもたらされる景色と感覚はまた違っていた。

 フォルトゥナの中で一人遠くの席に座り、地面を見下ろすゼルデはひどく苛立っていた。

 脳裏にあるのは、罪のない人間に対しての命の蹂躙。しかしそれ以外にも、彼女の目に見えているものがあった。胸中に湧き上がっている感情があった。感情が自らを支配していく。感情の沼に飲み込まれる。それらはもう絶対に忘れることのない──

復讐の決意。

 普段の天真爛漫なグリシルデ・シュミットの仮面を被ることができないほど、ゼルデは苛立っていた。

 数日前に、その感情を呼び起こされた。士官学校の二年間と、アロウズで過ごした時間のせいで、忘れかけていた。父も母も彼も、彼らに殺されたのだ。なぜ自分だけが生き残ったのかはわからない。が、これが神の悪戯だというのならば。それならば、死ぬまでの間、戦って戦って戦って戦って、道連れになってでも殺してやる。

 三年前までは毎日のように呟いていたそれを、ゼルデは久しぶりに、刻んだ。

「ゼールデ」

 眉根を寄せ、拳を握るゼルデの顔を覗き込む氷青色の瞳。

「ロックオン」

「どうしたんだ? 思い詰めてるみたいだが」

 今日のニールは眼帯だった。医療用ではなく、使い込まれて光沢を放つ黒い革のものだ。軍施設や艦にいる時は、大抵これを付けている。

「……いえ。何でも、ありません」

「本当にか?」

 ゼルデの誤魔化しも見透かしたように、隣に座ってニールは飄々とした笑みを消した。

「……なあ。お前さん、何かあったんじゃないか? 一昨日だって、一人でどっか行っちまったし」

 ゼルデは口を噤んだ。普段のように、笑うことができない。心に居着いた黒く粘質な憎悪が、自分を四年前に遡らせる。

 厳しい表情で俯くゼルデの頭に、優しくニールの掌が乗せられた。

「私……」

「そういえば聞いてなかったな、アロウズに志願した理由。聞かせてくれねえか?」

 雑談のネタには重い話を、ニールは振った。彼は気配りをできる人間だ、それ絡みだと気付いているのだろうか。

「私は元々……、AEUの人間じゃないんです」

「お前さん、AEUの士官卒じゃなかったのか?」

「……はい。四年前に、ロシアから、ドイツに移ったんです」

「ロシアぁ?」

 ロシアといえば、人類革新連盟の加盟国の一つだったはず。そこからドイツに移ったとなると──そして四年前、といえば、

「……ソレスタルビーイングが関係してるのか?」

「はい。私の家族は……大切な人は、ガンダムに殺されました」

 眼帯の向こうで、ズキリと右眼が疼く。彼女もまた、あの兵器に沢山のものを奪われたのだ。いつも明るく、お互いに比較的普通の会話をしていたから思いもしなかったが、彼女は復讐鬼なのだ。よく考えれば、アフリカタワーの事件の際に平和への思いの強さを見せていた。

「だから、アロウズに?」

「そうです。私はあいつらが憎い。平和を壊すソレスタルビーイングが憎い。たとえ私が死んでも、あいつらに復讐する。戦って戦って戦って戦って、ガンダムを全部壊して、ぶっ殺してやる」

 ゼルデはそれきり、口を噤んだ。大気圏を突破したあと、広がる闇と星の瞬きを眺めて、ぎちりと拳を握りしめた。

「……やめとけ」

 無意識にそう口にしたニールに何を? と不思議そうな表情でゼルデが見る。気づいていないのか。ゼルデの手首を取って丁寧にその手を開いてやると、案の定手のひらの皮が抉れて血が流れていた。近接格闘を得意とするゼルデの力で握ればこうなるだろう。

 あ、とゼルデは声を漏らし、こわばった指先を開閉して、自虐的に笑った。

「ダメだなぁ、私。もう四年も経つのに。ロックオンは……」

「俺がどうした?」

 ニールの問いに、ゼルデは首を振り、話題を変える。 

「私は、貴方に嫉妬してるんです」

 その声に、敵意はなかった。代わりに、温かみがあって虚ろだった。ぽっかりと空いた穴にくらい何かが響くような、そんな雰囲気があった。

「正確には、ロックオンと、ロックオンの力に。私にそれがあったら、きっと失わずに、…………を守ることだって……」

「私がなんで生き残ってるかとか、なんで力が無いのかとか、そんな事ばっかり考えちゃうんです」

「ピラー崩壊の後だって、貴方の命令違反は建前で、ただロックオンに当たって、八つ当たりして、それで……」

「ごめんなさい、ワガママに巻き込んでしまって。こんな、懺悔みたいな事をして」

 再び俯いて、ゼルデは顔を歪めた。

 数日前の出撃まで、突っかかるか無視されるかのどちらかであったニールだが、この状況でそれを咎めるほど彼は酷い人間ではない。

「……いいさ、それでお前さんが楽になるんなら。俺だって、ゼルデに嫉妬されるような人間じゃねえ」

「そんなこと……」

「俺もさ、テロで家族を亡くしたんだ」

 しんと二人の空気が静まった。周りには誰もおらず、二人きりのようだった。

「もう何十年も前の話さ。両親と、妹が死んだ。それだけじゃない、たくさんの人が、そのテロで死んだんだ。そういう無関係な連中を巻き込むテロが、死ぬほど憎かった。

 だから、アロウズに入る前はAEUの特務機関にいたらしい。とにかく恨みをぶつける対象が欲しかったからだろうな」

 淡々とニールは続ける。

「で、四年前に俺は中東でのテロに巻き込まれて右眼を喪ったって訳だ。まあ、俺の記憶はないから又聞きだが」

「記憶がないんですか?」

「テロに遭った時に頭を打っちまったみたいでな。再生医療のお陰で吹っ飛んだ手足は再生したが、かなり酷かったんじゃないか。お陰で細胞異常まで背負って、定期的に点眼薬を使わなきゃいけねえ位だからな」

 ニールは制服のポケットから取り出した小さな容器を揺らす。光を遮断するためだろう、黒一色に塗られたそれをすぐに仕舞った。

 ゼルデが心配げにニールを見上げる。

「投薬が必要って……本当に大丈夫なんですか」

「そうだなあ、この前は忘れちまって死にかけたから結構不味かったけど。今はそんなことないから安心してくれよ。処方される薬が頻繁に変わるから、その度に点す時間が変わるのが面倒なくらいだ。今使ってるのは二十四時間に一回のやつ。こっちは視力を一時的に上げる効果もあるけど、非番の時はその効果のないカプセルを飲んでる」

「眼鏡を掛けているのはそういうことなんですか?」

「いんや、あれは眼帯の代わりだ。右目晒すの、なんか落ち着かなくてな。それに……ずっと見えてると、忘れちまいそうだから」

 一体、何を忘れると言うのか──

 その言葉の意味を聞くより先に、フォルトゥナ内のアナウンスが基地へ近づいていることを告げる。視認できるほどに基地は近く、あと十分と言ったところか。

 窓の向こうを見ていると、いつもの無表情でアッシュがこちらに歩いてきていた。うつむくゼルデに少しだけ眉を動かして、彼はニールを呼んだ。

「何かあったのですか?」

「いいや、何も。ちょっと昔の話をしてただけだ。エイヴィリーは?」

「彼なら、誰かから連絡が入ったようで。自分の部屋に帰りましたよ」

「そうか。なあゼルデ、エイヴィリーは……」

「……すみません、ロックオン。私も部屋に戻ります。もう席を立ってもいいみたいですから」

「わかった。じゃあまた、任務の時に会おうな」

「はい。アッシュ、エイヴのことは頼んだわね」

「……? 了解した」

「ゼルデ……? おい、待てって!」

 訳の分からない彼女の言葉に、同室であるアッシュは頷いたが、ニールは何かを感じ取ったようでゼルデを呼び止める。

 しかし、ニールの声は彼女を制止することはできず。

 ──小さな背中は、ドアの向こうへと消えた。

 

 

 

「お前さんらがやり合ったっていうこの機体だがな……こいつぁ間違いなく、スローネ系統のフレームだ」

 ブリーフィングルームのスクリーンを見下ろして、イアンがそう頷く。

 そこに映し出されているのは、ダブルオーとケルディムに残された戦闘の記録だ。黒と深緑を基調にしたそのモビルスーツは、鬼神のような戦いを見せている。

「ヴェーダを掌握しているのなら……それも可能でしょうね。

 でも、どうしてわざわざ、デュナメスのような外見を?」

 その機体はV字のアンテナやその下に隠れたカメラこそないが──代わりに、右目に露出している──、全面を覆うシールドや、カラーリング。誰が見てもデュナメスに酷似していた。

 ただしその手足や胸部、右肩のランチャーはスローネの後継のようで、恐らくはデータが流用されているのだろうと察する。

「パイロットが望んだのかもしれんな。だが、これは可動域が狭まることから、ケルディムには採用されんかった。恐らくデュナメスよりもシールドは頑丈だろう。圧力で可動部だけが壊れて破壊されてるみたいだからなぁ」

 アリオスのビームでフルシールドの一部がおかしな方向に開き、吹っ飛んでいく様子が見える。直後に両手に持つピストルが乱射、それから投擲され、ケルディムの肩に突き刺さる所で停止された。

「それに、こんなモンを目にしちまうと……」

「これがどうかしたのか?」

 ライルはケルディムが初めて乗る機体であるため、以前からこうなのだと思うのも無理はない。イアンが首を振って答えた。

「デュナメスはピストルと別にビームサーベルを装備しとったんだ。が、それが実戦向きでないと提案されてな。これの基盤を作ったのはお前さんの兄貴だよ」

「……それは」

 厳しい顔で、ライルは呟いた。

「やっぱりロックオンは脅されてるんじゃ……」

「兄さんがそんなタマかよ。俺は兄さんと話した時、自分の怪我は四年前にテロで負ったものだって言ってた。大方、記憶が吹っ飛んだか弄られたかってとこだろ」

 アレルヤの言葉を否定する。逆に言えば、それでこの発想に至ったということは、このパイロットはやはりニール・ディランディであるということ。

 それを思い知らされて、スメラギもイアンもマイスター達も、暗い表情になる。

 

 宇宙を航行していたプトレマイオスが補足され、アロウズからの襲撃にあったのはその数時間後であった。

 

 

 



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幻影の虜囚

 ゼルデ、と名前を呼ばれた気がした。

 逆光に塗りつぶされ、誰かはわからない。しかしゼルデは、確信を持って人影から目を逸らす。その影が彼の手を取って、

 刹那、その体が歪むようにずるりと滑り落ちる。絶叫し飛び退く彼女の腕を、それ(・・)が掴んで離さない。

「逃げないで」

 それが人の形を失う。潰れた手足、破れた腹、溢れる内臓。守れなかった、彼の、姿。

「にげないで」

 彼が、穏やかに、ゼルデに向かって囁いて。腕を、伸ばす。

 そして、抱きしめるように、首を、絞めた。

「──っ、あ、」

「こんどは、ちゃんと……」

 

 

 

 コクピットに映し出される、果てのない宇宙。白い輝きに混じる、青や赤。その美しさに、ニールは言葉にならない感情を覚えていた。

 ──あなたに聞いたの。

 ──五年前に、宇宙で。

 その言葉が、ニールの中でリフレインする。

「フェルト」

 喪った記憶の手掛かりにならないかと、ニールは呟いた。しかしそんな都合の良い展開が訪れる訳もなく、コクピットにこだまするだけだ。

「フェルト? フェルト?」

 ポッドにおさまったハロが、蓋を開閉しながら反芻した。マレーネと名乗り、自分を知っている風だったあの少女。ライルを知っているから、或いは彼から情報を伝えられていたからあの態度だった、とは思えない。明らかに、以前の自分と知り合いだったのだ。

 彼女はソレスタルビーイングの人間だ。もしかすると、四年前から。そんな彼女がなぜ、自分のことを?

 思案するニールの耳に、通信が届いたことを知らせる音が入った。

「アッシュ。どうした?」

 スーツに着替え、コクピットに乗り込むまでは一緒にいた。故に何かあったのかと尋ねたのだが、バイザーの上がったヘルメットから覗く表情はいつもの無表情だ。

『いいえ。……ロックオン、何か悩んでいるのですか?』

「大丈夫だ。敵に情けをかけるような事はしねえ」

 そう答えるが、アッシュの顔は晴れぬまま。

『本当にですか? 貴方は迷っているように見受けられます』

「それを言うなら俺じゃなくてゼルデだろ。あいつ、ずっと思い詰めてるんだぞ」

『貴方が和らげたようですが』

「気休めだ。俺にあいつをどうにかする事はできねえ」

「デキナイ、デキナイ」

 再び、ハロが復唱した。通信のウィンドウが閉じ、ヘルメットを被ると、シュネーヴァルツァとアイアスが待機しているのが見える。

『リニアカタパルトボルテージ上昇。射出準備完了、アレーティア、出撃です』

「アレーティア、ロックオン・シューター。狙い撃つ」

 機体が傾き、朱いGN粒子が噴き出してアレーティアは発進する。フォルトゥナの六機──ブースターに換装した分収容数が減っている──と、引き連れた輸送艦の十数機。合流すればアーサー・グッドマンの率いる艦の分でそれなりに戦力はある。

 目指すのは、小惑星に紛れたひとつのポイント。そこにソレスタルビーイングは、身を隠していた。

 

「もし、この先で、貴方が記憶を取り戻したとしても」

「絶対、私が討つから」

 その言葉は、とうに決意をしていたような響きがあって。

「だから……」

 その語尾は、通信の音声に紛れて、消えた。

 

 

 

 真っ先に敵の母艦から飛び出してきたのはアリオスだった。高速でアロウズの編隊に接近し、往復の駄賃のようなミサイルの雨と共に離脱していく。そして再びこちらに接近し、尾部に接続されているGNアーチャーと分離。

 撹乱とヒットアンドアウェイを主体とした、高機動機特有の強襲。アヘッドが二機撃ち落とされて、爆散する。

 あのガンダムは私の仇。刻みつけるようにそう言って、ゼルデはスラスターも兼ねた新武装、GNレッグユニットの出力を上げた。

 途端にアッシュから通信が飛んでくる。

『ゼルデ、隊列から離れているぞ』

 ゼルデは答えず、コクピットの右側にあるスイッチを押し込んだ。

 ブースターとして作用したレッグユニットがシュネーヴァルツァを飛翔させ、そして速度をそのままに瞬時に展開する。蜘蛛の足に似たそれが、アーマースカートより飛び出したリープユニットを蹴った。

『グリシルデ・シュミット。戦列を崩すな』

 他のガンダムも出撃しているが、ゼルデの目にはアリオス以外入らない。飛行するアリオスがGNアーチャーと共に弾幕を張る向こうに、ゼルデは一切の躊躇なく飛び込んだ。

『ゼルデ、どうした?』

『ごめんね、エイヴ。私はやっぱり、敵討ちをせずにはいられない』

『何を──』

 心配げに尋ねる回線を閉じる。今日の彼女は、誰から見てもおかしかった。

 任意の場所に移動する足場を蹴って、ゼルデは飛来するミサイルを避ける。避けきれないものはアンサラーとビームサーベルが一閃。極限まで削られた装甲はその破片や爆発に傷が付くものの、暴れ馬のように宇宙を突き進むシュネーヴァルツァを阻むことはない。

 爆炎をかき分け、縦横無尽に駆けるシュネーヴァルツァはアリオス目掛けて右手のビームサーベルを振り下ろす。

 ほとんどの武装が粒子を必要としない分、シュネーヴァルツァのサーベルはアリオスのそれに比べて出力が高かった。

 アリオスはそれを悟って、距離をとる。それを許さぬとばかりにシュネーヴァルツァは接近して左手のアンサラーを切り上げた。紙一重で避けた先にあるのは追撃だ。瞬時に飛行形態に戻ったアリオスは高速で飛翔しながらビームを乱射。

 しかしシュネーヴァルツァは踊る。飛び交うビームをくぐり抜けて、両手の剣でミサイルを破壊して。

 気づけば、シュネーヴァルツァは戦闘中域から大きく逸脱していた。他の三機を相手取る仲間とは違い、プトレマイオスに近い場所へ。

 状況としては宜しくない。自分でもないと思っているが、窮地に陥った時に死ぬのは確実だ。

 しかし、合流はガンダムに阻まれるだろうし、そもそもゼルデは彼らを殺す以外の選択肢が今、頭にない。

 GNアーチャーの腕を斬り飛ばし、回避のおまけとして蹴りを放ったそのとき、凄まじい速度のアリオスがこちらに向かって突貫。

『っ、この……!』

 トランザム状態での飛行形態によるヒットアンドアウェイ。再度の回避に無様なダンスを踊るシュネーヴァルツァのリープユニットはビームに撃ち落とされていく。当然のようにレッグユニットの踏むはずだった場所が空を切ってバランスを崩しかけ、ゼルデは強かに背中を打った。

『っ、ユニットが……!』

 リープユニットが破砕されればされるほどゼルデの行動範囲や速度は減少する。そして超高速で移動するとはいえ実質次に脚をつく場所を教えてくれているそのユニットが、弱点であることは誰にとっても明白だった。そして、アリオスには──アレルヤには、それを認識し、撃墜できるだけの能力がある。

 必然的に機動力の落ちたシュネーヴァルツァはGNアーチャーの攻撃をレッグユニットのブレードの部分で受けながら、アリオスのビームを食らうことしか出来なくなる。弾幕が止んだあともアリオスはこちらに近づくことはなく射撃武装でこちらに攻めてきて、ゼルデは歯噛みした。

『ぐうっ』

 瞬間、背後を取ったGNアーチャーが左腕を肩口から切り落とした。小さな爆発が連なって、衝撃にコクピットに体を強打し声すら上がらない。追い打ちをかけるようにレッグユニットの破損。即座に切り離すが機体に甚大なダメージが発生する。

 痛みを堪えながら状況を把握する。左腕、レッグユニットの喪失。稼働には問題なし。

 不意に、彼の声が聞こえた気がした。なあ、頼むよ。今度は俺を、殺さないで。

『……ええ、分かってるわ』

 そうしたら、貴方は私を許してくれる?

 ゼルデの問いに答えるものはない。だが、彼女にはもう、そんな物は必要なかった。彼を人でなくした存在を壊せば、自分を抱きしめてくれるような気がしていた。相変わらず射撃武装のみで攻めてくるアリオスにフットペダルを踏み込んで右脚で蹴り飛ばす。ビームサーベルの転用であるその機構はあっさりとアリオスのビームシールドを粉砕して、同時にシュネーヴァルツァの左脚が破壊された。

 単純に二対一、あちらはまだトランザムを解除したあと。まだ戦える、戦わないと、彼の心は報われない──。ゼルデはシュネーヴァルツァを駆り執拗にアリオスを狙い続ける。

 目の前で向けられる兵器、放たれたミサイル、炎に呑まれる建物のことは今でもハッキリと思い出せる。彼の悲鳴も、彼の血の温かさも、その色も、ぐちゃぐちゃになった彼の形も、弱々しい呼吸も、再び焼き付いたそれは二度と、消えることは無い。

 だが、デブリを蹴っての高機動も限界に達していた。片脚はなく、右脚だけでの戦いではもう、結果など知れている。

 それでもゼルデはビームサーベルを腰に格納し、代わりに残ったアンサラーを抜いて。

『……うん。そう、ね』

 彼女は訳の分からぬ言葉を呟き、微笑んだ。

 発生する粒子を全て機体制御に回した状態での一閃。損傷から考えれば信じられないほどのキレでの機体の動きに、アリオスは──アレルヤは、一瞬反応が遅れた。

 シュネーヴァルツァは残った右足だけでデブリを蹴ってアリオスへと突き進む。己の距離へと引きずり込もうとする。

『これからは、……ずっと、一緒だよ』

 飛行形態に変化し回避、その先に返す刀での切り上げ。ビームシールドの大部分が切り落とされ、機体のバランスが変わったアリオスは僅かにその動きを鈍らせた。

 しかし──再び走る衝撃。コクピットへ当たったビームは薄いシュネーヴァルツァの装甲を容易に破壊し、火花が散った。

 バイザーにヒビが入って、頬が深く裂かれる。打ち付けた頭部にぐらりと意識が遠のいて。

 全ての音が、色が、消え失せていく。

 そんな中、ゼルデが悟ったのは。

 家族の元へは行けないという、現実、だった。

 

 

 

 あの日のことは、今でも克明に思い出せる。

 両親に会いに、幼馴染と職場に来ていたあの日。最後の、平和な日。あの重苦しい空気を、私のために笑った彼の強がりを、繋いだその手を、それを奪われた感覚を。

 ガンダムは紛争幇助の対象として私たちのいたコロニーを襲撃した。超兵と呼ばれる戦うための道具を作る機関を破壊するために、やって来た。泣きながら逃げる私も、彼も、その犠牲になった。だけど私は、彼に庇われた。

 焼けたアスファルトの色を覚えている。そこに飛散する、血液の紅を。

「いいんだね、本当に」

 十三歳になったばかりの私に、医者の一人はそう言った。

「覚悟は決めてます。やってください」

「……彼にとってもリスクのない話じゃない。再生医療だけじゃ間に合わず、手術しなければ死んでしまうとはいえ、失敗する可能性だって考えられる。それでもいいのかい?」

「試すみたいなことを言わないでください。私は彼が助かれば、それでいいんです」

「そうだったね。安心してくれて構わないよ、絶対に成功させるから」

「……お願いです。必ず、成功させてください。そしたら、私は……」

 なんだってしてやる。戦って戦って戦い続けて、テロリストを根絶やしにしてやる。

 私はガンダムを憎んでいた。あの日からずっと、気が狂うほどに憎悪していたのだ。

 私達から未来を奪った存在を。

 彼を人から逸脱させた存在を。

 

 

 

『ロックオン、ゼルデがっ』

『くそっ』

 アリオスとGNアーチャーの二機を相手取って戦うゼルデは遠く離れている。エイヴィリーのシールドユニットでも届かない。敵艦とモビルスーツ二機による集中砲火を浴びるシュネーヴァルツァの損傷は蓄積していた。

『距離がありすぎる……っ』

 後付けされたファングをヒートロッドで誘導しながら、アッシュは歯噛みした。突っ走った彼女を咄嗟に止められなかったのは自分だ。あの時に止められていれば、こんな事にはならなかったものを。

 シュネーヴァルツァがレッグユニットを破損した様子がこちらに伝わる。手足に加えてこれではもう、勝てる見込みは無いだろう。

 崩れる隊列、翻弄される仲間たち。このままではまずいと撤退の指示を出すミルティに、エイヴィリーが反論した。

『ゼルデを助けるっ。行かせてください……!』

『ミシェル准尉。人間の命は尊いものです。ですが、必要とあれば……見捨てるべきですわ』

『何言ってんだよ! 仲間を無駄死にさせたくないって、あれだけ言ってたのはあんただろうが!』

『ええ、無駄死には、です。ですが、しなければならないのなら、やるべきですわ。あなたが今彼女一人に拘ることで、他のパイロットに犠牲が出るかもしれない』

 彼女の声は強い意志を宿して、重く、固かった。

『わたくしの願いは恒久和平の実現ですわ。その為ならば何だって致します。今まで、そしてこれからも払うであろう犠牲を無駄にする訳には行きませんの』

『嫌だ、行かせてくれ!』

『聞き分けなさいっ』

 尚も向かおうとするアイアスを、ラモールの乗ったアヘッドが引き留める。ダブルドライヴのパワーを以て強引にそれを引き剥がしたが、他の二機にまで捕まえられれば抵抗のしようも無い。

『嫌だッ。離せ、離してくれ! ゼルダが……ゼルダが、死んじまうッ!』

 その声に、誰も答えない。

 答えられるほど、ここに居る誰もが残酷ではなかったから。

 泣き叫ぶエイヴィリーの声と撤退するモビルスーツの向こう、朱色の粒子が拡がり、散った。

 

 

 

「なんで、なんで、どうしてどうしてどうしてどうして……!! どうしてあそこで、止めたんですか……!」

「じゃないとお前さんも死ぬだろうがっ。頼むから、分かってくれよ……!」

 ブリッジに殴り込む勢いのエイヴィリーを羽交い締めにして、ニールは説得しようと試みる。冷静さの失われた彼の力は普段にも増して強く、暴れるエイヴィリーに腕の力を強めた。

「あの時俺が助けに行けたらあいつは生きていたッ! 俺のアイアスなら、羽付きの攻撃程度じゃ死ななかった! なのにっ……」

「エイヴィリー・ミシェル准尉」

 ひとつの封筒を持ったワーテラーが、機械的に告げる。

「シュミット少尉より預かっている物がある、受け取れ。それから、暫くは、特別室(・・・)に居ろ。始末書は免除してやるから、少し頭を冷やせとの命令だ」

 独房入りを命じる声に、しん、とフォルトゥナのブリッジが静まった。

 

『エイヴへ

 これを貴方が読んでいる時、私はもう死んでいると思う。先に逝ってごめんね。私の愚かな行動で、みんなに迷惑を掛けて死んだんだと思うから。

 羽付きのガンダムは、エイヴと私にとって仇だったの。エイヴには言えなかった。だって、どうしてガンダムが襲ってきたのか、貴方は知らないから。ごめんね、黙ってて。もう隠せないと思うから言うけど、私とエイヴは人革連のコロニーにある、超人機関技術研究所で働いていた私の両親に会いに行った。そこで、武力介入に巻き込まれて貴方は体のほとんどを失った。

 四年間、エイヴと一緒に居られたことは忘れない。私にとっては、失われるはずの時間だったから。

 エイヴが生きていられるのは、生体パーツの殆どを機械に置き換えているせい。再生医療じゃ間に合わなかった部分が多すぎて、どうしようもなかったせい。半年に一度、健康診断を受けさせていたのはこれが理由だったの。エイヴの意思を無視して、執刀してもらった。勝手なことしてごめん。

 もっと言いたいことがあったはずだけど、言葉にできないや。

 それから、覚えてて。私はいつも、貴方の未来を願ってる。

 お願い。生きて。』

 

「ゼルダ……ッ」

 懲罰房に入れられ、事実を知ったエイヴィリーは。

 一人、ゼルデの手紙を握りしめて、泣いた。

 

 



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絶望のタナトス

 グリシルデ・シュミットの戦死に、当然ながら、アッシュも冷静では居られなかった。

 ガンッと窓を叩いて、顔を歪める。悔しさと、怒りに。なぜ止めなかったのかと。帰投した──させられたエイヴィリーの泣き叫ぶ姿が瞼に焼き付いている。

 何故あいつは今更、そんな事をしたのだろうか。ゼルデがテロを憎む理由は知っているし、思い詰める理由にも心当たりはあるが、なぜ今。今まで五年間、ずっと溜め込んできた負の感情が爆発したのだろうか。出撃する前の彼女の様子は、やけに明るくなかっただろうか。

 フォルトゥナの展望台から宇宙を眺めながら、アッシュはそんなふうに考える。

「……アッシュ?」

「──ロックオン」

 静かにスライドした扉から入ってきたのはニール。疲れきった表情の彼に「お疲れ様です」と言って、アッシュは再び外に視線を向けた。

「……疲れてるのはお前さんだろ。それに、ゼルデのこと、助けられなかったこと……済まなかった」

「貴方の責任ではありません。あの状況では、どうしようもありませんでした。でも、僕なら……」

 どちらの声も、後悔が滲んでいた。

「僕なら、彼にゼルデを任せることが出来ました」

「それは、どういう……」

「僕はスクワイアがあります」

 スクワイアを周囲の機体に取り付かせ、アイアスを自由にすれば。そういうことなのだろう。

「それを行使すれば、シュネーヴァルツァの救出を容認させることができた。そして、助けられる可能性も十分にあった。だから……」

「らしくねえなあ。お前さんの判断は正しかったよ。ゼルデ一人と数人のパイロットの命……どちらを助けるかなんて明白だ」

「一殺多生ということですか? 仮にも貴方は、彼女を任されていたと言うのに」

「俺は、正しいと思うことをやるだけだ。アイアスまで失えば、戦力の大幅なダウンは避けられない」

「なら僕は……俺は……」

「いつまでも落ち込んでる訳にはいかねえ。もうすぐ作戦もはじまるんだ、いつもみたいに冷淡な態度でいろよ、アッシュ」

 そう諭すニールは、アッシュを見ていない。

 まるで、自分に言い聞かせているかのように。

 

 

 

『アイアスは出撃なし、か』

 ニールは少しだけ安心したように呟いた。

 朱色に輝く粒子が拡散する。三人一組で隊列を組んだアロウズのモビルスーツは、すぐそばにいるソレスタルビーイングのスペースシップに向けて飛んでいた。

 ただし、アレーティアだけは──熱源遮断用のシートを、狙撃手の被るポンチョのように纏っている。

 数時間前のことを思い出す。彼は今にも死にそうな様子であったし、呼吸すら億劫だと言うようになにもしようとしていなかった。だが少なくとも、今朝食事を持っていったときには自死や逃亡を図ろうとはしていなかった。今のところは。

『距離三千を切りましたわ。総員、最大加速。行動はプラン通りに』

『了解』

 直後にドライヴの輝きが増し、加速をかける。かかるGが増大し体を圧迫する。

 ニールは少しだけ息が詰まり、ふ、と吐息を漏らして。

 唐突に、

 音が、消えた。

(──なん、だ?)

 景色が、見えなくなる。五感が、闇に溶けるように失われていく。

 空気も温度もない、光もない世界。その奥で何かが見えた気がした。ズキリと右目が疼いたような気がした。なにかが自分の右目を掴んだような、朧気な感覚の中で、痛みだけが明瞭に自身へ訴える。

(なに、が)

 訳の分からぬ感情が胸中に渦巻く。発作かとコクピットに置いたケースに伸ばした手の感覚が曖昧だ。

『……ォ、ン』

 瞬間、無音の世界から引き剥がされる。ハロが何度も自分を呼んでいるのに我に返った。

『ロックオン、ロックオン』

『ハ、ハロ……?』

『ヨンデル、ヨンデル』

『え? ああ、……ミルティ少佐。どうかしましたか?』

『速度が低下していますが、何かあったのですか?』

 その言葉に漸く気づく。自分の機体が、予定から大きく外れ、減速していることに。

『だ、大丈夫だ。問題ない』

 慌ててニールは機体を加速させる。

 知らぬ間に意識が飛んでいたらしく、冷や汗で全身がじっとりと濡れていた。全身が水を被ったかのように凍えている。

 立て続けのことに疲労が溜まっているのか。だとしても、任務は続行せねばならない。散開するアヘッドたちが見え、ニールはプラン通り衛星に隠れて肩のランチャーを展開した。

 狙撃ユニットを構えながら、ニールは出撃したガンダムではなく、プトレマイオスの動力部をじっと見つめる。完全にこちらから意識の逸れた瞬間を狙うため、スコープを覗き込んでいると不意に、目眩がした。

 ユニットを持つ手が震えていることに気づく。利き目の焦点が合わない。パイロットスーツの中で滲んだ汗に嫌な感覚を覚えた。

『なんなんだよ、一体……』

 何故、こんなふうになっているのだ? ユニットを握り直して、ニールは浅く呼吸を繰り返す。だが、震えが治まらない。まるで、先程の一幕が己の心を砕いたかのように。

 こんな状態で、撃てるのか?

 ニールが撃てなければ、全てが無駄になる。ただこちらが討たれるだけの可能性だって十分にある。彼の引き金にこの先がかかっているのだ。失敗は許されない。

 ロックオン・シューターは言う。

 俺がここに居る目的は、生きる理由は、テロリストへの復讐にある。俺や仲間から命や時間を奪っていったソレスタルビーイングを斃すのだ。

『だから、俺は……』

 狙い撃つのだ。

『ロックオン』

 その決意に割り込んで、戦闘中のガラテアから通信が入る。

『心配すんな。……必ず、狙い撃ってみせるさ』

『……はい。僕は貴方を、信じています』

 そこで通信は遮断され、ニールは「俺は」と口にする。

 左目を閉じ、自問する。

 この目は何の為にある? この銃口は何の為にある?

 ニールの震えが、不安が、霧消する。

 ロックオン・シューター。

『その名の通り、狙い撃つ』

 ニールはトリガーを絞った。いつものように、加減なく、容赦なく、躊躇いなく。そして誰であろうとそれが敵であるのならば。

 衛星に隠れたまま、僅かにも悟らせることなく、一条の光がプトレマイオスへと突き進む。

『スメラギさんっ、四時の方角からビームが!』

『何ですって? この距離から、』

 真っ先に気づいたのはフェルトだった。その声に反応して、スメラギが驚愕に立ち上がる。セラヴィーのものにも劣らない強力なビーム。超遠距離からの狙撃、赤く輝く光がこちらに伸びるさまを見ていて、

『トランザム!』

 そう叫んだのはティエリアだった。機体全体が薄赤く染まり、GNフィールドを展開したままビームとプトレマイオスの間に割り込む。

 ティエリアには確信があった。ガデッサのものと遜色ない威力のビームであったが、あれはニールの乗っている機体のものだと。別行動を取り潜伏していた彼が放ったビームであると、まだ目で捉えられていなかったがそう予感していた。

『ミルティ少佐、狙撃に失敗した。こちらに向かってくるガンダムに応戦する』

『承知致しました。どなたかをそちらに援護へ向かわせましょうか?』

『必要ない』

 通信を遮断して、ニールはゆっくりと距離を詰めながら衛星を隠れ蓑にセラヴィーを狙う。セラヴィーが見えているニールと違い、ティエリアはビームの飛んできた方向から見当を付けているだけだ。トランザムを中断し周囲に目を向けるティエリアは、不意にチラついた布切れのようなものに目を細める。

 なんだ今のは、と思ったその瞬間降り注ぐビームの雨。警戒していたから被弾こそ無かったが、小惑星の影に隠れていたその布切れを纏ったアレーティアがその姿を露わにする。

 思い起こされたのはラグランジュ3での戦闘だ。複数のアヘッドがアレーティア同様熱源遮断のシートを被り、プトレマイオスへと接近してきた。

『同じ手を……!』

 フィールドを再展開したと同時にビームの雨が降り注ぐ。ティエリア二丁のバズーカからビームを放って、二色の光条が宇宙を彩った。

『なんだ、ライルじゃないのか。お呼びじゃないぜ』

 有視界通信で飛んできたニールの声にティエリアは通信ウィンドウを睨む。その発言は余りにも身勝手で、──余りにも、マイスターだった人間からかけ離れていて。

 動揺に、声が震える。

『待ってくれ。僕は貴方と戦うつもりはっ』

『はぁ? テロリストのくせに、俺の右眼を奪ったくせに、ふざけた事を言うんじゃねえよ』

 まずは四肢を破壊する、とニールは言い残し間合いを詰めた。手にしているのは拳銃だ。ケルディムと同様、サブアームとして銃身の下部が強化されている、否、ケルディムとは違って主武器のひとつとして製造されたもの。

 射撃と打撃を織り交ぜたインファイトにセラヴィーの装甲が悲鳴を上げる。

『っ、狙撃特化ではなかったのか……!』

 ビームサーベルを握りそれを防ぐが、セラヴィーの動きは精彩を欠いていた。

 ティエリアは、武力介入当時のニールが後方支援に徹していたことを知っている。だが、迷いなく懐に飛び込んできたあたり、やはりニールは今も変わらず近接戦闘も相当のものだろう。

『くっ』

 狙撃特化とは思えない挙動に、ティエリアはついていくだけでも精一杯だ。実力差だけではなく、まだティエリアは迷っていた。

 ここでニールを撃てば、話が出来なくなる。それは絶対に避けたいと。

『ぐっ……!』

 右のGNバズーカiiが破壊され、爆発にコクピットが揺れる。

『死ぬぜ?』

『っ……!』

『このままじゃ、お前は死んじまうぞ?』

 次いでビームの連射がフィールドに降り注ぐ。次は機体だという予感があった。四肢を破壊する、と宣告したニールがそうしない理由はない。

 それでもティエリアは決めあぐねていた。彼をどうするべきか、いや、自分はこの言葉を使うのを避けているのだ。

 ニールを、殺すべきなのか。

『戦う気がないなら──この後何処を狙うのか教えてやるよ。まずは右腕、次は左脚。精々逃げ切れ』

 その言葉に口を開きかけた直後、宣言通り飛んでくる攻撃。ニールの言葉がなければ当たっていただろう。だが次弾で左足にビームが当たり再びコクピットが揺れる。

『はっ、教えて貰ってこれかよ。逃げる気すら無くしたのか? 次は右手だ』

『待ってくれ、僕は!』

『待たねえよ右脚、行くぜ右太腿!』

『何故だ! 貴方は……!』

『ほら左肘、頑張れ頑張れ。お前さんはガンダムマイスター(・・・・・・・・・)なんだろ? ここで死ぬ訳にはいけないもんなぁ?』

『貴方は、僕たちの仲間だ!』

『ああ?』

 その言葉の意味を、一瞬理解できなかった。

 ティエリアの言葉に、頭を殴られたような衝撃を受ける。思わずと言ったふうに、アレーティアの銃撃が止んだ。

『お前、何を言って……』

『貴方はソレスタルビーイングにいたんだ! 五年前、僕たちと共に武力介入をしていた! なぜ忘れている!?』

 通信ウィンドウ越し、バイザーに阻まれてティエリアの顔は見えていない。しかしその声にようやく思い出す。震えた声で「次は当てる」と宣言した、リジェネと同じ顔を持った男だ。名前は、なんと言ったか。

 泣きそうな声で叫ぶ彼に、絶句する。

『その右眼は、僕を庇って失ったものだっ。手足だってそうだ、貴方は身体までテロに奪われたわけじゃない!』

 どこかズレたパズルのピースがしっかりと嵌った様な感覚がした。それは再製槽の中で目覚めた時から、ニールの心に存在していた。三年経っても思い出すことの出来ない記憶、何となく引っかかっていたテロと負傷の因果関係。それらの要因が、ニールの手を止めてしまっていた。

 ニールが目覚めた時、そばに居たのはリジェネだ。己の失われた過去を教えてくれたのもリジェネだ。力を与えてくれたのだってそうだ。ならば彼の言っていた事は全て嘘だということで。

 ティエリアの声に、ひどく胸が痛む。彼を悲しませることに、心が苦しくなる。

 それは、守りたかった、はずの。

 庇った結果、彼を縛ってしまった行為の結果。

『……ィエ、リ……──』

『思い出せ、ロックオン・ストラトス!』

 呟きに重ねて、ティエリアがニールを呼んだ。だが、ロックオンのラストネームはストラトスではない。なぜ知っているのかよりもそこに一瞬だけ、疑問を覚えて。

 しかし敵であるソレスタルビーイングから恩人に貰った名前を呼ばれたことに、全身が沸騰するような殺意と悲しみに、上書きされた。

『ぉ、れは……お前なんか、知らねえ……!』

 突き刺すような胸の痛みに苦しみながら、ニールは感情のままに叫んでGNガンブレードを乱射する。不意をつかれたティエリアはその攻撃をまともに受けて通信の向こうで驚愕の声を上げ、フィールドを再展開。

『ロックオン!』

『てめぇがその名前を呼ぶんじゃねぇ! 敵のくせに、テロリストのくせに、その名前を!』

 ──貴方は、愚かだ!

 赤い瞳でこちらを真っ直ぐに射抜いて放たれた非難が、聞こえた気がした。

『お前は……誰だっ?』

 無意識にそう口にしていた。操縦桿を握る手は、先程よりもずっと震えていた。

 強い意志を感じさせる声で、ティエリアは答えた。

『僕の名前は、ティエリア・アーデ』

 彼の言葉に、愕然とする。

『ソレスタルビーイングの、ガンダムマイスターだ!』

 ティエリアの宣言が、ニールの心を揺さぶった。

 突如脳裏に閃く、記憶。

 ──四の五の言わずにやりゃいいんだよ。

 ──お手本になる奴がすぐ側にいるじゃねーか。

 ──自分の思ったことを、がむしゃらにやるバカがな……。

 頭が割れそうなほど痛む。右眼から熱い雫が溢れて、その顔は苦痛に歪んだ。

『っ……ああああぁぁ!』

『ロックオン!?』

 堪えきれず漏れる声。痙攣する右手でコクピットに置いたプラスチックのケースを掴んで、片手でこじ開けた。微重力の中浮遊する錠剤を掴んで、上げたバイザーの向こうに放り込む。飲みやすいようにと小さく作られたその薬は皮肉にも、すぐに作用することはなかった。

 それがあちらの画面に映っているのかはニールに知る術はないが、ハッと息を呑むような空気があった。

『呼ぶんじゃねぇって、言ってんだろ……クソ野郎……!』

 掠れた声で吐き捨てたニールは、操縦桿を押し込むと仲間の元へ向かった。

 かかる重圧が細胞異常に蝕まれた体に響くのに構わず、逃げるように飛ぶ。折角記憶を取り戻せる機会が来たというのに、ニールにはそれから逃避するという選択肢しかなかった。

 これは罠なのか。自分を動揺させるための。だがニールは、自分と会った時に酷く動揺したフェルトに、「ならばお前は誰だ」と尋ねる刹那に、泣きそうな声で訴えるティエリアに、薄々感じてはいたのだ。

 演技ではなく、本心からの親愛を。

 ならば彼の言った、「僕たちの仲間だ」という言葉は嘘ではないのかもしれない。リジェネの与えた過去は偽りのもので、本当は自分もソレスタルビーイングに居たのではないのかと。

 それでもニールは、自分の命を救ってくれた恩人の言葉に縛られていた。

『俺は、ロックオン・ストラトスじゃない!』

 こぼれたのは拒絶の言葉だ。

『俺はッ……アロウズの、ロックオン・シューターだ!』

 たとえこの記憶が偽物だとしても、ニールはそれがあるから、ロックオン・シューターとして生きていられる。復讐心があるから狙い撃てる。だったらそんなものは、いらない! 

 連射されるガンブレードのビームをフィールドで弾きながら、セラヴィーはアレーティアに追い縋る。

『……お前らが何を企んでいようがどうでもいい。全員、狙い撃つだけだ!』

 ニールはティエリアにではなく、自身に言い聞かせるように叫んだ。

 赤銅色の瞳の青年に銃を突きつけた光景。その瞳は覚悟を秘めていて、何かを言った自分に、笑う。彼の返答がおかしくて笑った自分の姿がフラッシュバックしてぐらりと意識が揺らぐ。

『ロックオン!』

 ロックオン、と自分を呼ぶ誰かの姿が、消える。

 遠くに見える青い輝きが、消える。

 

 ──ニール。

 ──君にはこの力が、必要だろう?

 

 目の前の男と同じ顔をした、恩人。

 彼が目を細め、笑う姿が、ニールの意識を塗り潰していく。

 

『……ああ、そうだなティエリア(・・・・・)

 ぎらりと金色の虹彩が輝く。反転。迫ってくるセラヴィーに声は届かない。

『俺はアレーティアで、テロリストを狙い撃つ』

 右手のガンブレードが閃いた。しかし、連射されたビームには目もくれず、セラヴィーはアレーティアに迫り、

『な……』

 その凄まじい膂力で、機体を掴んだのだ。

『話を聞いてくれる状態ではないようだからな 

自由を奪わせてもらう。ロックオン!』

 接触通信で届いた声。直後にアレーティアを掴んだまま放たれた隠し腕での攻撃にニールは驚愕するが、機体のスイッチを瞬時に押して。

 脚部を切断しようとした二本のビームサーベルを、その腕ごと切り捨てた(・・・・・)

『何っ?』

 アレーティアの手に握られているのはピストル──GNガンブレード、だったはずで。

 しかし今、その手にあるのは。

『俺に剣を抜かせたな?』

 真っ直ぐに銃口からビームの伸びる、サーベルであった。

 GNガンブレード。

 その使用目的は、こちらが銃を持っていると懐に潜り込んできた相手に対して、不意打ちの攻撃を叩き込むことだ。銃身下部の強化されているのもその一環であるが、本質は「ピストルとサーベルをを兼ねる」武器。

 先日の地上での戦いでダブルオーやケルディムの腕を切断したのもこれだ。ガンブレードを投擲して対象に刺し、サーベルで溶断。パッと見ただけでは何が起こったのか分からない。

 ケルディムのGNピストルiiとはまるで違う、新兵器。

『これはまだ秘密にしておきたかったんだが、仕方ねえ』

 お前は殺す、とニールは言った。折角の不意打ちも知られていれば意味が無い。ガンダムを落とさなければいけないのには変わりがないのだが、この先を考えれば尚のこと。

『もう狙う場所は教えねえよ。ハロ!』

『トランザム!』

 機体の回避をハロに任せ、肩の砲身が展開する。セラヴィーの装甲が薄赤く染まる。

 セラヴィーのバズーカとアレーティアのランチャーが、お互いに向けられて。

 直後に上がる信号弾が二人の目に入る。

『っ、撤退信号!?』

『テッタイ、テッタイ!』

 ランチャーから極太のビームを放って、ニールは後退する。即座に砲身は畳んで、両手のガンブレードとともに弾幕を張り母艦へと飛ぶ。

『ロックオンっ』

 その声は、届かない。

 こちらへ飛んでくる何発ものビームを受け流して、ティエリアは追いかけることを思いとどまった。

 追いかけてどうする、と冷静な自分が諭す。そもそもティエリアは自分の持ち場を離れているのだ、戦術の変更は周囲にも負担をかけたはず。これ以上迷惑をかける訳には行かないとティエリアは言い聞かせた。

 そして、彼は。

 



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霞んだ咎人

「……エイヴちゃん」

 営倉入りを命じられたエイヴィリーに、マテリアが声をかける。

 暗く淀んだ瞳を開いた彼は、マテリアを一瞥したが答えることは無い。

「いいわよ、何も言わなくて。好きだったのでしょう、彼女のこと」

「…………」

「どうせ誰が何を言っても、自分を変えられるのは自分だけよ。心配しないで」

「…………」

「今はそれどころじゃないかもしれないけれど、ミルティ少佐の戦術予報よ。気が向いた時でいいから、目を通しておいて頂戴」

 情報端末に挿すメモリーカードを、マテリアは食事のトレーと共に部屋に置く。

 エイヴィリーは、やはり答えない。

 

 

 

 曖昧な意識の中に、誰かの声が響いていた。

「……で連れてきちまったんだ」

「……、あのままにしておくなんてできないよ」

「僕たちの現状を理解しているのか? 追われているんだぞ」

「わかってるよ。でも、機体もパーツごと回収しちゃったし、まだ生きてるなら……あっ」

 うめきながら、何度か瞬きをして目を開く。見慣れぬ天井が飛び込んできて、フォルトゥナの医務室にでも運ばれたのかなとぼんやりと考えた。

 皆怒ってるかなぁ。任務よりも私怨を優先したことも、命令違反した事も。少なくとも、アッシュからはお説教間違いなし。おまけにレッグユニット壊して破棄しちゃったからマテリアからも怒られちゃうかな。

 ぼうっとした認識のままで首を動かして、ゼルデは首を動かした。心配そうにこちらを見下ろすのは見慣れた顔だ。

「ロ──っ、痛……ッ!?」

 跳ね起きた身体に激痛が走る。ライルは優しく肩を押してゼルデを寝かせて言った。

「まだ寝てろよ。アンタ、まだ重症なんだから」

 その物言いに違和感を覚える。アンタなんてロックオンは言わないし、こんな突き放すような雰囲気は出さない。しかし顔や声はロックオン・シューターそのものでゼルデは混乱する。

 よく見れば彼は眼帯をしていないし、服の端から覗く傷跡もない。だが、別人にしては似すぎている。

「ロックオン……?」

「は?」

 疑問を込めた声でロックオンに似た男が声を上げた。

「ここ、フォルトゥナの中なの? それにロックオン、この人たちは……」

「どうして彼の名を知っている」

 紫色の髪を肩で切りそろえた青年が尋ねた。やけに高圧的な物言いだが、こんな男がフォルトゥナのクルーにいただろうか。この青年もどこかで見たことがある様な気がする。一体どこで? という感情を抱いた時、それが仲間であるアッシュ・グレイのものであることに気づいた。

「あれ、アッシュ。髪の色、染めたの? それに眼鏡も変えちゃってる?」

「何をとぼけた事を言っているんだ。質問に答えてもらおうか」

「え、だって、……アッシュじゃないの?」

「誰と勘違いしているかは分からないが、違う。もう一度聞く。君は何処で、ロックオンの名前を知ったんだ」

 ますます訳の分からぬ問いと、仲間と同じ顔をした二人の男。明瞭になった意識の中で、部屋にはもう一人の男がいることに気づいた。

「えっと、だってロックオンはロックオンじゃん……。でも……あれ? 眼帯とか眼鏡とか、どうしたの……?」

 眉間に深い皺を寄せたアッシュに似た青年の肩に、もう一人ことオッドアイの青年が触れた。

「……多分、ロックオン……ニールの事だよ、ティエリア」

「そんな、まさか……」

「僕はアレルヤ・ハプティズム。君は?」

「……グリシルデ・シュミット。独立治安維持部隊アロウズ、シュネーヴァルツァのパイロットよ」

 アレルヤと名乗った青年は、気弱げに眉を下げる。

「ここが何処か教えて貰える?」

「ティエリア」

「構わない」

「プトレマイオス。ソレスタルビーイングの母艦だよ」

 ソレスタルビーイングという言葉にはっと気づく。この青年が纏う服は、羽付きのガンダムとカラーリングが一致する。

 ということは、つまり。あの後自分は、連れ去られてしまったということだ。

 そして──己の仇が今、目の前にいる。

「あんたがっ」

 負傷による激痛が吹っ飛ぶほどの怒り。急激に体を起こした事により体がふらついたが、全力で拳を振り抜く。

「い、いきなり立ったら危ないって、」

「うるさい……!」

 顔面に叩きつけられそうになる拳を、アレルヤは右手で受け止める。それだけだった。力の抜けた身体はアレルヤに受け止められて、痛みと苦しさに浅く呼吸を繰り返す。

 こんなに目の前に、仇が、いるのに。私は。

「エイヴの痛みは……こんなものじゃ……ない……」

 吐息と区別がつかないほど微かな呟き。アレルヤはそれを理解したようで、悲しげにその目は細められた。

 パシュ、と音がして部屋のドアがスライドする。起き上がれないままそちらを振り向くと、女性が一人、美しい銀髪を揺らして入ってきた。ゼルデのものとは違い生来のものと思われるその銀色と明るい黄の瞳の持ち主を、彼女は知っていた。

「あなた、は……」

 ハッとアレルヤが目を見開き、新台にゼルデを寝かせてあわあわと狼狽した。

「何をしている?」

「そ、それは、その……彼女が……」

「お前が仇と言ったところだろう。違うか、グリシルデ・シュミット」

「え……」

 心当たりは、いくつもある。アレルヤは──ガンダムマイスターは、幾度も武力介入を行ってきたのだから。

「……四年前の超人機関への武力介入。あんたはそこで、私の父さんや母さんを、殺した。それだけじゃなく、私の好きだった人まで……っ」

 苦痛に溢れる涙にも構わず、ゼルデはアレルヤを睨む。

「ぼ、僕は……」

「シュミット少尉、少し眠った方がいい。今の貴方には、休息が必要だ」

「中、尉。そんなこと……言われても。わたしは、そいつをころさな、きゃ……」

 ソーマの手が、優しくゼルデを撫でた。ゆっくりと、眠気が強くなってくる。

 確かに、何をするにしてもこの状態では満足に動けまい。ならば怪我が治るまでは、ここで休むのも手か。

 決して油断している訳では無い、と自分に言い聞かせる。誰かが微笑むのを見たような気がして、ゼルデの意識は深く沈んでいった。

 

 

 

「あの機体を解析してみたが、アロウズの開発者だけじゃない。イノベイターも絡んでるぞ、こりゃあ」

 左足と右手だけになってしまったシュネーヴァルツァの解析を終えてイアンが言ったのは、予想範囲内のことだった。

 全身が実体剣となった、あまりに特殊な新型。アーチャー・アリオスとの戦いでぼろぼろになったそれを回収したのはアレルヤだ。コクピットをハロに開けさせ、気絶しているゼルデを運んだのも同様。撤退していったアロウズの部隊はこれを救出する様も見せず、やむなしと言ったところだったがクルーの殆どには呆れられていた。

「型番がGNX-461T、パイロットによるとシュネーヴァルツァ、って言ったかぁ? こいつの設計者はワシの想像も超えた特化仕様のモビルスーツを複数作ってると思っていい」

「そんなに珍しいんですか? こういう設計」

 沙慈は吊られたシュネーヴァルツァを見上げてそう尋ねる。始めは流されて、今は自分の意思でプトレマイオスに居るものの、彼はモビルスーツに造詣が深い訳ではない。

「使用者が限定されとる。アロウズはウチのガンダムマイスターみたいに少数じゃないからな、普通に考えれば予算の無駄遣い……に、なっとるだろう」

「狙撃特化……先代のロックオン・ストラトスが乗っているというモビルスーツに、地上でトレミーのシステムを乗っ取ろうとしたものと、セラヴィーのビームを弾く盾。設計者は同じと考えるべきかしら」

 腕を組んで、スメラギが眉間の皺を深める。

「そうだな。あんな機体、作るのに一体どのくらいの費用や時間が掛かるか分からん。調整にも相当な期間がかかっとる。最近まで出てこんかったのも納得出来る」

「高機動偏重の超近接特化型……と言っていいのかしら?」

「それもパイロットを選ぶ。刹那でもアレルヤでも乗りこなせん」

「そんなものに乗っていたなんて……やっぱり、気のせいじゃないのね」

「何があった?」

「……あの子の身体を調べたわ」

 痛々しげに歪められるスメラギの顔。身体検査をした、という言葉に加えてのこの反応にイアンはまさかと呟いた。

「彼女はあの機体に乗るために調整された存在。そう思って間違いないと思うわ。それに加えて、アレルヤから聞いたのだけれど……超人機関の武力介入に巻き込まれたそうよ。家族を失ったとの事だから、恐らく両親は研究者ね。超人機関にいたくらいだから、自分の子供をそういう(・・・・)風に遺伝子操作するなんて非人道的な真似もしないとは言えないわ」

「その話、アレルヤにはしたのか」

「ええ。聞かれたら、答えるしかないでしょう」

 皮肉なもんだとイアンは言う。作られた存在に家族を殺され、自身も両親に作られた存在でありながらモビルスーツを駆って復讐する。これでは余りにも不憫だと思わないか。

 しかし、対面したのがアーチャーアリオスでなければ危険だったと言えよう。特にセラヴィーでは、近接格闘が難しい上にGNフィールドが意味をなさなず、ケルディムではインファイトでの相性が悪い。そういう意味では、運が良かったとも考えられる。

 アレルヤにとっても、ゼルデにとっても。

「……あの嬢ちゃん、どうすんだ?」

「帰せないわね。少なくとも、この戦いが終わるまでは」

 もしゼルデを帰せたとして、彼女の心理状態を考えれば間違いなく新たな機体に乗ってこちらを襲ってくる。それが分かっていて誰が帰すものか。それに、帰す手段はないに等しい。

「けどなぁ……。聞いてるところじゃだいぶ気が強いんだろ? 大丈夫か? 特にアレルヤは」

「難しいわね。アレルヤに対しては特に突っぱねるような態度だわ。軟化してくれればいいのだけど」

「無理だろうな。けど、いずれ疲れて来るだろう。気を張ってるのも限界がある」

 遠からず、と言ったところか。

「ミレイナ。しばらくは、フェルトと一緒に彼女の所へ行ってくれる?」

「了解ですぅ」

 ハロに指示を出し、機体の整備をしていたミレイナが振り返って言った。彼女は恐らく、ミレイナと同じくらいの年齢だ。接しやすいところはあるだろう。アレルヤ以外には不器用ではあるもののちゃんと会話をしてくれていることをスメラギは知っているというのもあった。

「シュミットさんは、優しい人です」

「どうしてそう思うんだ、ミレイナ」

「だって、この前会った時もちゃんとお話してくれたですぅ。ハプティズムさんにはすごく突っ慳貪ですけど、それも家族のことが大事だったからです。きっと冷たくしようとしてるのに、優しいからできてないです」

「ミレイナがそう思うならそうだなぁ」

 ライルから離れてきていたオレンジのハロが跳ねて、「ヤサシイ、ヤサシイ」と繰り返した。

「ハロもわかるですか?」

「ツンデレ、ツンデレ」

「そんな言葉どこから仕入れてきてんだハロ……」

 イアンは頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺はいつだって、お前を守りたかったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シュミットさん、こんにちはですっ。食事を持ってきたです!」

 ぴょこんとツインテールを跳ねさせて、ミレイナはドアの端から顔を出した。食事のトレーをベッドの脇に置いて、起き上がったゼルデの隣にしゃがんだ。

「……貴方、いつも元気ね。どうしてそんなに明るくいられるの?」

 ソレスタルビーイングに捕らえられてから、ゼルデの生活は殆どが睡眠と治療、食事になってしまった。ただの捕虜にここまでする義務はなかろうに、明らかにその待遇を超えていた。

 監禁される訳でも、拷問をされるわけでもなく、十分な睡眠と食事が与えられる。おまけに、頻繁にミレイナという少女が訪ねてきて賑やかだった。

「ミレイナはミレイナだからですぅ」

「……答えになってないよ、ミレイナ。グリシルデさん、困ってる」

「ゼルデ」

 短く、ゼルデはそう告げる。

「ゼルデ、って呼んで。……呼び捨てで、いいから」

 言いにくそうに発された言葉に、フェルトは頷いた。

「私たちに、そんなことを教えていいんですか?」

「……あんた達は直接手を下した訳じゃないし。私の仇は、あの男だけよ」

「シュミットさんは言い聞かせてるように見えるですぅ」

「ミレイナっ」

 慌ててフェルトが窘める。「いい」と首を振ってゼルデは俯いた。

「わかってるのよ。でもね、私はそれでも……あの男を憎まずには、いられないの。あいつのせいで、私の大切な人は、人じゃなくなったから」

 でも、とゼルデは呟く。

「あの時どうして、あんな無謀な行動をしたんだろうって……わからないの」

「それは、どういう……」

 重い振動が走る。複数連なる揺れに、ゼルデは「砲撃……?」と天井を見上げた。

『敵艦隊を補足、アロウズの戦闘艦だ。ミレイナ、フェルト、至急ブリッジへ』

 不意に割り込んだのは当直を代わっていた刹那の声だ。

「貴方の服はそこに入っているわ。着たらブリッジに。……荒っぽいことになるから起きておいて」

 二人が慌ただしく部屋を出ていく。砲撃はやむことなく艦を揺さぶっていた。

 おそらく、仲間が戦っている様を目にする事になるだろう。それが分かっていても、ゼルデは拒むことができなかった。



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偽りのテロス

 深夜、連絡を終えたアッシュはシャワーを浴びて制服を着ていた。上にはアンダーシャツを着てタオルを肩にかけ、制服のスラックスを履く。彼には珍しく、眼鏡を掛けていない。

 否、アッシュのそれは軽度の乱視を矯正するためのものであるため、日常生活での支障はないのだが──不意に、かつかつと足音が響いているのに気づく。

 更衣室から顔を出すと、歩いてきているのは以前に比べてしっかりとした足取りのエイヴィリーで。しかし彼は深夜帯で仕事もないにもかかわらず、制服を着用していた。

 珍しい。そう思うと同時に、口から問いが出ていた。

「どこへ行く?」

「……人に、呼ばれて」

「そうか。少しは調子がマシになったようだな。無理はするなよ」

「……ああ」

 感情のこもっていない、エイヴィリーの声。この先にあるのはロッカーと、格納庫だけだ。それがどういう意味かもわからず、アッシュは疲労した頭で「ではな」とだけ言って更衣室へと引っ込んだ。

 何だったのだろうか。

 やはりゼルデのことを思い詰めているのか。しかし、お互いに踏み込まれたくないラインというものはあるはずで。雫の垂れ始めた髪先をタオルで絞って、ドライヤーを手に取った直後、凄まじい轟音と揺れにアッシュの思考は全て繋がった。

 この先にある格納庫。虚ろで何処かおかしな光を宿したエイヴィリーの目。深夜に歩いていた、その理由。

「くそっ……僕はまた、間違えるのか……!」

 すぐさまブーツを履いて、アッシュは走り出した。格納庫、分厚い扉の向こう。ゆっくりとドアを開いて、吸い込まれそうになるのにすぐさま戻す。

 ハッチは閉じ、微重力の漂っているであろう格納庫でこんなことが起こるという意味は。

 背筋が凍った。たしかあの場所には、夜間に整備を行っている者もいたはずで、エイヴィリーのことは周囲に伝達されている。

 頭の中ではわんわんとアラートが鳴り響いているのに、体は酷く冷静に自室へと向かう。

 アッシュがニールの元へ向かうよりも早く、エイヴィリーとアイアスは遠く、遠くへ飛翔してしまった。

 

 

 

「俺は……」

 心ここに在らずと言ったふうに、ニールは呟く。

 ほぼ同時に後輩をふたり失ったことは、彼にとって余りに衝撃的なことだった。

 助けに行けなかったゼルデ、彼女を失って壊れてしまったエイヴィリー。戦死者は当然他にも居るが、総司令に三人を任され、甲斐甲斐しく世話を焼いてきた彼からすれば面目が立たないだけではない。

 エイヴィリーは、これから基地へと戻るフォルトゥナから下ろされ、軍の施設へ輸送される予定だ。基地までざっと五日ほどか。エイヴィリーは何をするでもなく、無気力に虚空を見つめていた。

 部屋の照明は落とされ薄暗い。同室のアッシュもいない。こめかみに指を当て、ベッドで壁にもたれかかり苦い顔をするニールは別のことも思案していた。

 あの、自分をソレスタルビーイングのメンバーだと言った男。ニールの記憶を取り戻そうと必死に呼びかけてきた彼の言葉が突き刺さっていた。

 ──その右眼は、僕を庇って失ったものだっ。

 ──貴方は身体までテロに奪われたわけじゃない!

 ──思い出せ!

 ──ロックオン・ストラトス!

 明らかに自分へ向けられた呼称に、ニールの眉間が深い谷を作る。

 彼が自分を通して別の人間を見ているような気がした。ロックオンと自分を呼んだ、■■■■■の声にはそんな雰囲気があった。

 自分がここに居るのはリジェネに命じられたからではない。誰のものでもない、ニールの意思だ。

 ひどく苛立っているのを自覚した。

 自分の存在を蔑ろにされた気がしたからだろうか、それとも恩人から貰った名前を憎きテロリストに呼ばれたからだろうか。あるいは──自分の記憶を、一瞬とはいえ疑ってしまったからか。

「     」

 口から何か、言葉が零れそうになったのが押し留まった。言おうとした言葉は喉元まで来ているのに、思い出せない。

 汗でじわりと濡れた部屋着に不快感を覚え、ニールはシャツを脱ぐ。どうせアッシュは戻ってこないし、下半身ならともかく咎められるほどのことではない。

「ロックオン、ダイジョウブ? ロックオン、ダイジョウブ?」

 ころり。机の下から出てきたハロがニールを案じる。AIであるハロがそう尋ねるほど、最近のニールはろくに眠れていなかった。

 理由は単純、いやな夢を見る。それは守りたかったはずの誰かが自分のせいで傷ついたり、罪悪感に潰されそうになったりするのを眺めていることしかできない夢。もしくは、自分の大切な人間を撃ち殺す夢。他にも複数あった。ろくな夢を見ない。そしてすべての夢で、最後は朱く獰猛な光が塗りつぶしていく。

「……悪いな、ハロ。大丈夫だ」

 顔色の悪い頬を動かして、笑みの形を作る。きっとハロにはバレているのだろうが、ハロは無言で転がり目を点滅させるだけだった。

 ■■■■■。そこだけ欠落したように、名前を思い出せない。ガンダムマイスター。ソレスタルビーイングはパイロットのことをそう呼ぶらしい。確かにあの男の名乗りを受けたのに、黒く塗りつぶされてしまってわからない。

「……、え、……あ」

 身体は確かに、その名前を覚えているというのに。あと一歩、何かが足りない。

 ソレスタルビーイングは敵で、自分の体を奪ったテロリスト。その認識を忘れて、ニールは呟いていた。

「う……ぐ、が、あぅ……ッ」

 頭が、また痛む。否、全身が痛みに苛まれて、ニールは苦悶の声を漏らした。発作であると頭では認識していた。傍に置いているケースを開けて掌に錠剤を取り出して、同じく近くにある水とともに流し込んだ。最近は……いや、地上でフェルトに出会ってから、ニールの身体は頻繁に発作に苛まれていた。ベッドに倒れ込んで浅い呼吸を繰り返していると、ゆっくりと痛みが引いてくる。

 ようやく眠れそうだとニールは思った。体は既に、へとへとに疲れているのだ。あとは眠るだけ。久しぶりに、まともな睡眠を取れそうな感覚がした。

 ふわりと、心地よく意識が薄れていったその時。

 艦が攻撃されたかのような、凄まじい音と揺れに襲われた。

「くそ、なんだよ……?」

 安眠を妨害されたことに、苛立ちを含んだ声でニールは身体を起こし眼鏡を手に取る。

 そこへバンッと扉を開いて現れたのはアッシュ。深夜だというのにシャワーを浴びた直後だったらしいアッシュは、髪から水を滴らせながら焦った表情をしていて。

「何が、」

「エイヴィリー・ミシェルが逃亡した」

「は?」

 短く告げられたのはそれだけ。しかし、彼の言葉はとてつもない重みを持っていた。

「逃亡って」

 それがこの揺れの原因であることは、アッシュの表情と口調から、明白だった。

「なあ、ひとつ聞くが、確信があるんだな?」

「はい。あそこで僕が止められていれば……ッ!」

「分かった。俺はブリッジに行く。アッシュ、お前は一旦落ち着け。シャワーも浴びたばっかなんだろ」

「了解」

 相当慌てていたのだろう、制服の上は着てすらいない。ぴっちりしたアンダーには髪からの水滴が滴っていて、このまま行かせる訳には行かないだろう。

「状況は?」

 フォルトゥナのブリッジに駆け込んだニールは、当直のミルティに尋ねる。

「第二格納庫のハッチが破壊されましたわ。ミシェル准尉はその場にいた整備士を昏倒させて別の機体に乗せ、アイアスを奪取して扉を破壊。彼のドライヴの出力からすれば、こちらに追いつける者はいませんわね」

 ミルティにとってもこの行動は予想外だった。

 全ての歯車が、誰もを置いて回りだしていた。

 

 

 

 数日後。基地に到着したニールとアッシュは、コロニーにあるエイヴィリーの私室へと踏み入っていた。

 持ち込んだタブレット端末に複数のソフトをインストールして、アッシュがキーボードを叩く。ニールは外を警戒しながら、ちらちらと画面を覗き込んでいた。

「なあアッシュ。これって何をしてるんだ?」

「これからエイヴィリーの個人データをハッキングする。私用の端末を除けば、流石に彼がああした理由もわかるでしょう。あるいは、何か決定的なものが見つかるかもしれません」

「俺は詳しくないが……ハッキングは、そんな簡単に行くもんなのか?」

「はい。現代の情報端末は、HDDにデータを保存していませんから。ハッキングならば僕の専門分野といっても過言ではありません」

「それなら部屋に来なくても、軍の施設を使った方がよかったんじゃないか?」

「本部はいろいろとやりにくいので。それに、フォルトゥナの人間以外にはまだ報告するなどのことでしたから。僕ならば、エイヴィリーの部屋にいてもおかしくない人間です」

 ハッキングは倫理的な問題があるが、そんなことに構っていられるほど余裕はない。アロウズに抹殺されるまえに彼が逃亡に至った理由を知りたい、と言ったのはニールであった。

「──さて、ありましたよ。とりあえず、セキュリティの厳重なファイルからピックアップしていきましょう」

 画面には、先程までとは違うデスクトップ画面が表示されていた。

 ここまでおよそ数十秒。自分には出来ないその速さに、ニールは素直に賞賛の声を上げた。

「すごいな」

「何年もこうしていると慣れてきます。ここまでは容易でしたが……あれでエイヴィリーは一番繊細ですから。全てのファイルに何十もの鍵を掛けていますね」

 不安げにニールはアッシュを見たが、彼は自信ありげに目を細める。

「これから僕の設計したアプリを起動します。殆どのものは、それで行けるはずです」

 アッシュはおよそハッキングの認識からは遠い指さばきで画面をタップして、そのシステムを起動する。展開したプログラムが黒いウィンドウを複数表示し、それが緑色の文字を高速で流しているのを確認すると、アッシュはニールの方へ向き直った。

「これで大丈夫です。……では、解析を待つ間に少し、話しておかなければならない事があります」

「何だ?」

「エイヴィリーは恐らく、ソレスタルビーイングのスパイだと推測しています」

「は? あいつらは武力介入に遭ったんだよな?」

「はい」

「なのにどうして、そう思う?」

「彼はどこでどういう被害にあったのか、知らないようでした。もっと言えば、ゼルデだけが被害者で、自分は彼女を守りたいからここにいる……とも言っていました。恐らく記憶が無いのでしょう」

「ゼルデの言動を見ていたら分かりそうな気もするが……」

「僕にも確証はありませんでした。ですが、半年に一度、言われるがまま健康診断を受けていた所を見れば、彼は『グリシルデ・シュミットを守る』こと以外どうでもよかったとも取れます」

 一瞬言葉に詰まって、ニールは首を振る。

「けど、俺にはあいつがソレスタルビーイングのスパイだなんて信じられない。ゼルデを守ってやりてえなら、敵に与する必要は無いだろ?」

「貴方も知っているでしょう。エイヴィリーは格納庫のハッチを破壊し、逃亡した。彼の行為は間違いなく裏切りです。

 ですが、いくつかわからないところもある」

「わからない?」

「はい。彼がスパイだったとしても、彼の行動に矛盾が多すぎるんです。これまで彼は、何度もガンダムと戦闘を行っているが、そのどれもが手を抜いていない。裏切るにしても、なんの破壊工作もなしに裏切るのはあまりにおかしいんです」

 今回のことでモビルスーツに損害はない。整備士は昏倒させられただけで、格納庫から吸い出されないようコクピットに閉じ込められてすらいた。唯一破壊されたのは、自分で開けることの出来ない扉だけ。

 スパイだったとして、戦力を減らさない理由はない。

「確かに妙だな。必要なものは既に得ていた……とか? 例えば機密だ。それならば、このタイミングでも納得は行く」

「いいえ、それは有り得ません。セキュリティやデータベースを確認しても、少なくとも彼が入隊するより二年間は、機密の漏洩どころか不正アクセスの痕跡もない」

「じゃああいつは、どうして今裏切ったんだ」

「分かりません。もしかすれば、アロウズが機密としている情報と、ソレスタルビーイングが欲しているものとは違うのかもしれません。時折行われる彼の通信を盗聴していましたが、まさかこんな事になるとは思っていませんでした」

「なあ、もしかしてとは思うが」

 ひとつの可能性に気付く。エイヴィリーはゼルデを守るためにスパイとしてアロウズに潜り込んだ。しかし、彼女は二週間ほど前に戦死して、もういない。

「ゼルデが死んで、自分の目的がなくなったからじゃないか?」

「……その可能性は、十分にありますね。テロリストに与してまで守りたかった存在。その喪失は、彼の行動に大きな影響を及ぼす」

 泣き叫び、怒鳴り、数人がかりでなければ止められなかったエイヴィリー。あの取り乱しようは演技とは思えない。

 そこで端末から通知音が鳴り、アッシュが再び背を向ける。

「解析が終わりました」

 開かれたファイルの一覧が高速でスクロールしていく。狙撃手であるニールでも目で追えないが、アッシュにはその文字が一つ一つ認識されているらしかった。

 ファイルの数は軽く千を超えている。視線を動かしていたアッシュは、不意に「あ」と声を漏らした。

「どうした?」

「流石にこれは露骨だな。……ロックオン。これを見てください」

 それだけを選択してこちらへ示す。フォルダには『Schneewalzer』と名前が振られていた。

「……ゼルデの、機体?」

 こちら側のモビルスーツに関するデータを持ち出したのだろうかと考える。が、それがソレスタルビーイングに必要とはどうにも考えられない。

「名前を見た限り、機体の情報か、プライベートなデータじゃないのか。……ゼルデ中心の」

「いえ、このフォルダだけセキュリティが違うんです。ただのプライベートなフォルダにしては厳重ですし、怪しいと考えます」

「お前さんでも開けられないのか」

 ガラテアを任されたパイロットで、ものの数分でセキュリティを破ってしまうアッシュの有能さは痛いほど理解出来た。そのアッシュを苦戦させているのだ、怪しむのは当然である。

「パスワード入力型ですが、三回間違えるとファイルが完全に破壊されてしまいます。下手に弄ってもそうなるでしょう。僕ならファイルの修繕やサルベージも可能ですが、かなりの時間を要します。

 ロックオン、心当たりはありますか」

「お前さんの方がわかるんじゃないのか? 三年間、士官学校で一緒だったんだろ?」

「どうでしょうか。僕は確かに三年間を過ごしましたが、心当たりは彼女の誕生日くらいしかありません」

「定番だな。それでなかったら、俺にもわからない」

 22930612。アッシュの入力は拒絶される。

 あと二回間違えれば、手がかりが破壊されると見ていいだろう。ならば何か。彼の言動を思い出す。思えば彼と会話した数も、アッシュほどの頻度はなかった。

 彼と話す時は、その多くがゼルデを挟んでのものだった。趣味だったりなんだったり。彼女がいなくても、彼女のことをよく話していた。ゼルデを切り捨てることになった時の悲鳴は克明に思い出せる。彼はあの時、なんと言っていたか。

「ゼルダ」

 エイヴィリーはゼルデではなく、そう呼んでいた。表でそう呼ぶことはなかったとしても、思い入れのありそうなその名前をパスワードに設定することはあるかもしれない。

「ゼルダ? ……グリシルデやグリゼルダといった名前の愛称ですね。それがパスワードだと?」

「可能性としてはあるんじゃねえか?」

 迷わずアッシュはZeldaと打ち込んだ。即座にアクセスが許可されて、中身が閲覧可能になる。

 その中には、文書ファイルが一つ。

 開いていく速度がもどかしいが、アッシュはその重さにやはり何かがあると確信した。

 閲覧モードで開いたファイルは数万文字が羅列されている。どうやら日記のようで、一番下に飛んだカーソルに視線を向けた。

「……これは」

 

 ゼルダ、俺はようやく気付いたんだ。

 お前を守る一番簡単な方法があったのに、どうして気づかなかったんだろうな?

 アロウズならそれができるじゃないか。まっさらな状態から全部作り直せば、統一世界を実現することなんて必要ない。

 こんな世界なんて全部壊して、リセットしちまえばいいんだって。

 

 初めの方は、否、ゼルデが死ぬ以前までの文書はただの日記であった。しかし、それ以降は更新が途絶え、復活したあとは執着と悲しみと狂気に満ちた──としか言いようがない、日記としての形を保っていない乱文だけ。

 

「……なあ、アッシュ。この『アロウズならそれができる』って、なんの事だ?」

「僕達の権限なら、ということでしょうか。ですが、リセットするなんてこと、地球上の誰にだってできやしない。可能性があるとすれば、核爆弾のように全てを無に帰す大量破壊兵器……──ッ!」

 自分で口にして、気付く。あるではないか。低軌道オービタルリング上に建造された、地上を焼き払うことの出来る大量破壊兵器が。

 メメントモリ。先日一基が破壊された、巨大自由電子レーザー掃射装置。

「心当たりが、あるのか」

 予想外だと動揺したアッシュの肩を掴んで、ニールが訊ねた。

 その眼は剣呑な光を宿していて、アッシュは否応なく答えさせられた。

「メメントモリ……」

「メメント……モリ? ピラーの崩壊を阻止した物じゃないのかっ?」

「衛星兵器です。低軌道リングに造られた、レーザー砲。それならば、彼の言う『まっさらな状態から全部作り直す』ことが可能になります」

「なんだよ、それ。そんなこと、初めて聞いたぞ……?」

 彼の表情は、何故知っていると言いたげだ。だが、それを問いつめる前に、アナウンスが二人に割り込んだ。

『フォルトゥナの乗員は至急、第三会議室へ』

『繰り返します。フォルトゥナの乗員は至急、第三会議室へ』

「何だ……?」

 思わず天井を仰ぐ。アナウンスがもう一度繰り返されたきり、部屋には沈黙が広がった。

「ロックオン」

「アッシュ」

「行きましょう。この話はまた、あとで」

 端末を回収して、アッシュは部屋の扉を開ける。会話を途中で切られたのは納得いかなかったが、招集とあれば仕方あるまい。揃って部屋から出たところで、マテリアと鉢合わせになりぶつかりかけた所を慌てて止まる。

 マテリアの表情は焦りを感じさせて、彼女もまたエイヴィリーのことで切羽詰まっているのだろうとニールは推測した。

 そしてその予感は当たっていたようで、マテリアは厳しい表情で二人へ告げた。

「まずいわ。エイヴィリーがいないのを不審に思ってる連中がいる。……彼が裏切ったのがバレるのも、多分、時間の問題よ」

「どうする」

「ちょっとこっちに来て頂戴。ロックオン、少佐には遅れると言っておいて」

 それがどうまずいのかニールにはよくわからない。マテリアに引っ張られて廊下の角へ消えていくアッシュを見送りながら、訝しげに眉を寄せた。

 

 

 

 赤く染まった空に、朱い光が舞っている。

 俺はそれを見上げていたが、俯く。ひび割れたアスファルトの上に、ただ一人、座っていた。

 俺は彼女を守りたかった。俺が唯一大切だと思った彼女を、身を挺してでも守りたかった。それだけの為に、生きてきた。

 だけど、彼女は死んでしまった。俺に力がなかったから。

 俺はガンダムに勝てなかった。自分の力では、そう遠くない場所にいる彼女に、手が届かなかった。

 遺体もなく、彼女の命は散った。

 彼女を守りたいと思う気持ちは、いつも叶わずに終わってしまう。

 夕日は消えて、夜の闇に朱い光は散っていく。

 まだやり直せるよ、と誰かが言った。

 アナタを苦しめるものを破壊して、彼女を奪い返そう?

 

 赤い光が、全てを埋めつくしていく。

 

 



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雪崩るが如く

 新型の一つであるアイアスの強奪と、パイロットのエイヴィリー・ミシェルの逃亡。

 それに加えてシュネーヴァルツァはゼルデごと葬られてしまった。フォルトゥナの、いや、戦術予報士のマライア・ミルティの失態と言う他ないだろう。

 それでもまだ、ミルティは報告することを躊躇っていた。

 理由は単純。指揮官を信用出来ないからだ。

 敵の補給や休息を許さず襲撃する。その予定だったのに、グッドマンの命令で追撃は許されなかった。

 彼は地位こそ高く、アロウズの実質的ナンバーツーだが、指揮官としてはそれなりで攻撃パターンも多くない。そんな人間が繊細とも大胆とも取れるソレスタルビーイングの指揮官──それもカティ・マネキンに匹敵するほどの優秀さらしい──に適うはずがないのである。

 このままでは虎の子の二基目も、ガンダムに落とされてしまいましてよ。召集をかけた乗員が入室してくるのを見ながら、ミルティは毒づく。

 一方で、招集に応じて司令室に入ったニールは、違和感を覚えて首を傾げた。

 人が少ないのだ。どこかに行ってしまったアッシュとマテリアだけではない。戦術予報士のワーテラーと、ラモールも欠席している。

 二人は遅れてくると伝え、壁にもたれかかって人数が揃うのを待つこと数分。痺れを切らしたミルティがオペレーターに連絡を支持した。

「ワーテラー中尉とフィアー大尉はどうなさっていますの? 呼び出しにも応じないなんて、一体どこに行ってしまったのやら……」

「代わりに、上層部からの連絡です。ワーテラー中尉、フィアー大尉の両名は、現在カタギリ司令により特命を下されていると」

「特命? そんな話は聞いておりませんが……わかりましたわ。会議を始めましょう」

 普段、柔和な雰囲気を纏っている彼女のピリついた空気を感じ取ったのだろう。パイロットを含めたフォルトゥナのクルーたちは、真剣な表情でミルティを見た。

 ミルティの横にあるスクリーンには、監視カメラの映像が複数流れている。いずれもエイヴィリーを映したもので、逃亡の直前であろうアッシュと会話している場面もあった。

「皆さんがご存知のとおり、ミシェル准尉がアイアスと共に逃亡しましたわ。まだ上層部には報告していませんが、これは立派な軍規違反です。彼には他にもカタロンの構成員など複数の嫌疑も掛かっております」

 こちらの被害は、フォルトゥナの格納庫から外はと隔壁が一枚破壊されたことと、アイアスが奪取されたことだけ。しかし彼の行為と、まだ把握はされていないだろうが私用のデータが差し押さえられれば、彼が裏切った理由は自ずと明らかになるだろう。

 ニールは黙って、ミルティの言葉を聞いていた。

「ですから、これを──」

 不意に。

 スクリーンに映った画像が乱れる。

「何事です?」

 ミルティは映像を出していたオペレーターに、眉をひそめて尋ねた。

「ち、違いますっ。外部からの不正干渉です!」

「不正干渉?」

 みるみるうちに彼女の表情が険しくなった。普段微笑みを浮かべているミルティのそんな表情に、オペレーターが肩を跳ねさせた。

 ひどく不安になる。肌が粟立つを感じて、ニールは思わずその身を抱いた。

「……っ、」

 ノイズの混じった映像が安定する。機体のコクピットを背景に、何者かがヘルメットのシェード機能をオフにした。

 グリーンの瞳。浅黒い肌。きりりとした太めの眉。

「なん、で」

 ニールは、この期に及んでもまだ、エイヴィリー・ミシェルが仲間であるという認識を捨てられずにいた。

 これではまるで──本当に、エイヴィリーがスパイのようではないか。

 彼はニヒルな笑みを浮かべて、口を開いた。

『ミルティ少佐。聞こえてますか?』

「ミシェル准尉! 今、何処にいるッ!」

 優しく穏やかなフォルトゥナの女艦長という仮面も忘れて、ミルティが怒鳴った。その声には怒りだけではなく、本心からの心配も含まれているのをニールは感じた。

『そんなに怒らないでくださいよ。早速だけど、本題に入りますね。グッドマン准将はいらっしゃいますか?』

「准将でしたらここには居ませんわ。現在ここで指揮を執っているのはわたくしです。お話を聞きましょう」

『メメントモリは俺がいただく。理由は言えませんが、承諾しないのならば武力の行使も厭いません』

「なんですって──」

『一分です。一分以内に、艦隊をメメントモリから離してください。しなければ……わかりますね?』

 暗に、『メメントモリを渡さなければアロウズの艦隊を消滅させる』とエイヴィリーは言った。

「愚かですわね。メメントモリを貴方に渡したとしても、直後に破壊されることがないとは思わなくて?」

『あと四十秒ですよ』

「ッ、やめろ、エイヴィリー……!」

 半分悲鳴のように、ニールは言った。否、驚愕の余り声は掠れて声になっていなかった。その向こうで、装着しているインカムへ入った連絡にミルティが再び怒鳴る。

「大量のミサイル? 良いから落ち着け! そのくらいではメメントモリは壊れません。……構わんッ、とにかく時間が無い、そこから離れろ!」

 それからミルティは複数の指示を出し、睨みつけるようにスクリーンを見上げた。

『退避は終わりましたか?』

 騒然とした室内に、静かなエイヴィリーの声が響く。メメントモリから離れていく部隊を見つめながら、ミルティが乱暴に机を殴った。

「ああ終わっているっ。お前に心配されることではない!」

『分かりました。それでは』

 静寂の中で、コンソールを叩くような音が響いた、直後。オペレーターの向き合っているモニタを凄まじい光量が満たしていった。

「……な、」

 それがおさまり、元の宇宙空間が映るようになったあと。

 広がっているのは、まさに『惨状』というほかない光景だった。巡洋艦とモビルスーツだったものが散らばり、半分以上の戦力が消滅してしまった。

『待避させれば撃たない、なんて言ってませんから』

「てめえ……!」

 そのやり口に、湧き上がった怒りが言葉に変わった。エイヴィリーのやったことは、テロリストと変わらない。

『これで俺の本気が分かっていただけたかと思います』

 それにも動じず、エイヴィリーは続けた。

『今の映像を見れば、どういう意味か分かると思いますが。今から十分以内に、メメントモリの起動コードを送信してください。

 俺が乗っているのが『トロイアイアス』であることをお忘れなく』

「待てよ、エイヴィリーっ」

 それだけを告げて、エイヴィリーはスクリーンから姿を消した。引き留めようとした声よりも先に映像が元に戻る。

 唇を噛み締め、苛立ったように情報端末を掴んだミルティに追い打ちをかけるように、非常警報が鳴り響く。

「今度は何だ!」

「大変ですっ。ソレスタルビーイングが現れましたっ。距離四千!」

「ソレスタルビーイング? 残っている戦力は」

「巡洋艦一隻、モビルスーツ六機です。基地からの出撃を含めても、先程の半分以下になります!」

「こんな時に、冗談じゃない……! まさか、タイミングを合わせて?」

 並ぶパネルの映像を睨んで、ミルティはクルー全員に告げる。

「総員、戦闘配備。パイロットは格納庫より出撃、先に出撃しているモビルスーツと共にガンダムを迎え撃ってください。対応はプラン通りに、わたくしはこちらで指示を出しますわ」

 了解の声と共に、フォルトゥナのクルーたちは退室していく。極度に高まった緊張の中で、あいつ、と呟いた声は低く拡散していった。

 

 

 

 スメラギがメメントモリ二号機の破壊ミッションの実行を決めたのは昨日の事だった。まだ整備の完全ではない今、アロウズから逃げ回りながらでは限界もあった。

 アロウズであるはずのゼルデも、衛星兵器の破壊には賛同していた。ソレスタルビーイングの活動の是非はともかく、関係の無い一般市民を巻き込んでの虐殺は到底許されるものでは無いと。アフリカタワーでの事件──世間には、ブレイクピラーと呼ばれるようになっていた──もメメントモリによるものだと知って、憤ってすら居た。

 おそらくはかつての仲間と殺し合うことになるだろう。賛成したゼルデの中に葛藤がなかった訳では無い。

 飛行できる程度には修繕されたシュネーヴァルツァを見上げ、ゼルデは溜め息をついた。働かざる者食うべからずの精神でガンダムの整備を手伝ったのはゼルデだ。衛星兵器の破壊がなされるまでと自分に言い聞かせて、格納庫に併設されている待機室のベンチに腰掛ける。

「エイヴ、大丈夫かなぁ……」

 そこまで酷い怪我ではなかったこと、再生医療を使えたことによって、ゼルデの体は殆ど元のとおりに動かせるようになっていた。そんな状態の今、メメントモリが破壊されれば何時までもここにいる訳にはいかない。

 いっそ破壊ミッションのタイミングでシュネーヴァルツァと共に放り出して貰おうか。適当にそんなことを考えていると、格納庫側の入口からアレルヤが入ってきた。

「お疲れ様」

 シミュレーションを終えたのだろう。パイロットスーツ姿の彼は少しだけ微笑む。無愛想にゼルデは「貴方も」と返して、またガラスの向こうを眺める。

 彼は少し離れたところに座って、ちらりとゼルデを見ると口を開いた。

「あのね」

「何」

「少し、聞きたいことがあるんだけど。……いいかな」

「答えられる内容なら答えるわ」

 アレルヤの声色は至って真剣だ。ゼルデは再び、素っ気なく答えた。

「君はさ、自分が何なのか……知っているのかい」

「アロウズのモビルスーツパイロット、グリシルデ・シュミット。あんたに復讐を誓った女よ」

「違う。所属とか、そんなのじゃなくて……本質というか、根源というか……」

「訳わかんないこと言うわね」

「ごめん。怒らせたかった訳じゃないんだ」

 この様子だと、ゼルデは自分がどういう存在なのか知らないのか。攫われて超兵としての人体実験をさせられたアレルヤと違って、遺伝子レベルからパイロットになるべく作られた彼女はその事実を知ったらどんな反応をするか分からない。

 極めて平静を保ってアレルヤは話題を変える。

「……ゼルデさんは、ロックオンのことをどう思うの」

「ストラトスさんのこと?」

「違う違う、アロウズの、……君の仲間の」

 ニール・ディランディという名前を呼ぶことを躊躇い、しかし他に言い方を思いつかなくて、アレルヤはそう言った。

「そう、ね。私たちに気さくに接してくれて、精神面にまで気を使ってくれる……戦闘の時も含めて、いい上官だと思うわ」

「……うん、ありがとう。じゃあもう一つ聞くけど、あれが……アロウズにいるのが、彼の本心だと思うかい?」

 刹那も、ティエリアも、十年以上会っていないライルですらも、割り切れていないように感じられた。

「ええ、本心よ」

 ゼルデはそう言い切った。

「当然、仲間だったあんた達は信じられないでしょうけど。あんた達の知ってるロックオンが全てって訳じゃないのよ」

「そうだね。人には多面性、ってものがある」

 性別、年齢、立場。対面する人物が違えば、見せる言動に違いは現れる。

「……僕達は、彼の一部分しか知らなかったんだろうね」

 目を伏せて、アレルヤは呟いた。

「いつも明るくて、頼もしい兄貴分でまとめ役。それだけの人間が、ソレスタルビーイングになんて来るわけないんだ。僕は、彼が仇を取ろうとしたときいて初めて、それに気づいたんだ」

「貴方……」

「勿論、僕らに見せていたあれが嘘だとは思わないよ。でも、彼はきっと、本当の自分を見せていなくて……」

「その結果が私の知っているロックオンだというのね」

 アレルヤは、頷いた。そういえば、とゼルデは伝えたことの無い事実があることに気付く。

 これを知らぬから尚更。かつての仲間であった彼らはそのギャップに戸惑っているのではないか?

「ロックオンは……記憶を、無くしてるわ」

「……うん。ロックオンから聞いたよ」

「貴方達が武力介入を始めたのより、数年前から。AEUの特務機関にいたと言っていたの」

「一体誰がそんなことを……」

「イノベイターだ」

 いつの間に居たのだろうか。ティエリアが入口に立ち、そう断言する。

「ティエリア。君をシミュレーションを?」

「いいや。僕は彼女を呼びに来ただけだ」

「グリシルデさんを?」

「それで、アーデさん。イノベイターというのは何ですか? よく貴方達の会話から聞こえているけれど」

「連邦を……世界を、アロウズを裏から操っている存在だ」

 怪訝そうにゼルデはティエリアを見た。それもそうだろう、世界を裏から操る──そんなスケールの大きな話をされて、おまけにイノベイターなる存在を示唆されれば誰だってそうなる。

「アロウズの非道な行為が表に出なかったのも彼らが工作をしたからだ。君も知っているだろう、ブレイクピラー事件がテロリストの攻撃によるものだと世間に公表されていることを」

「ええ。つまり、ロックオンの記憶がないのも、彼らの仕業というわけ?」

「その可能性は十分にある。だが、彼を前線に出すのは多大なリスクがある」

 その言葉に、ゼルデはふと「自分の認識に齟齬があるのではないか」と思った。

 彼がアロウズにいるのはイノベイターなるものの総意ではなく、一部の独断ではないか? だとすれば、納得が行くことも多い。

「ねえアーデさ……」

 艦内に、フェルトの声が響く。王留美からの緊急暗号通信が入ったという旨の言葉だ。実際には彼女と結託していたリジェネからもたらされた情報は──ソレスタルビーイングのエージェントの一人、トロイア・ヘクトールの逃亡と、その彼がメメントモリ二号基の奪取に向かったというものだった。

「メメントモリが奪取されるって……」

 呆然とアレルヤが呟いた。この場にいる誰もが同じ気持ちだった。

 どうして、と口にしたゼルデの声は拡散し、消えた。

「行こう。ブリーフィングルームに集まっているはずだ」

 その言葉に異論は無かった。三人は立ち上がり、部屋を出る。

 無意識に三人の歩みは早まって、小走りの状態で入室する。既に部屋には刹那とライルが来ていた。

「メメントモリ二号基が奪取されると言うのは本当かっ?」

 焦りを含んだ声で尋ねるのはティエリアだった。スメラギは自分の書いたらしいミッションプランを読み返しながら答える。

「ええ、事実よ。だから……予定より大きく早まるけれど、メメントモリ破壊ミッションを敢行します」

 複数のウインドウがスクリーンに展開されていく。そこに映るのは、両肩に盾を装備した青いモビルスーツ。

 酷く嫌な予感がして、付いてきたゼルデは服の胸元を掴む。

「トロイアに会ったことのあるメンバーはティエリアと、ラッセ位かしら」

 各々が頷く。エージェントというからにこちらに顔を出したことはほぼ無いのだろう。

「私も音声しか知らないけれど、アロウズに潜入していたわ。ソレスタルビーイングにスカウトされたのは三年前ね」

「僕も会ったのは一度だけです。その彼が、なぜアロウズを裏切るようなことを?」

「トロイア・ヘクトール──本名、エイヴィリー・ミシェル」

「──っ、」

 スメラギの言葉は、突き刺すような響きがあった。

「待ってくださいっ。ノリエガさん、なぜエイヴの名前が……」

「彼は私たちの仲間よ。三年前から」

 ゼルデは目を見開いて、──それから、唇を噛み締めると、俯いた。

 スメラギの言葉を否定できる要素は、ない。

 それに彼女は、エイヴィリーがどこかへ連絡しているのを何度も見ていた。なんと聞いても、誰とのものかを教えてくれなかったこともゼルデの記憶に残っていた。

 それでもエイヴィリーが自分の仇に与していたという事実を、ゼルデは信じられなかったが。

 故に、これを実行しようとゼルデはスメラギに問う。たとえ拒まれようとも、許可してくれるまで何度でも言おうという決意を持って。

「ノリエガさん。一つだけお願いがあります」

 

 

 

「……よく帰ってきたな、と言うべきか。もう行ってしまう貴様には、さよなら、という言葉の方が似合うかもしれないな」

 月基地の第七格納庫の中で、アッシュは白いモビルスーツを見上げる。

「ただいまと言っておくわ。軍規に厳しい貴方がこんなことをするなんて思わなかったわよ、アッシュ」

 白を基調とし赤を所々に走らせた、シュネーヴァルツァの系譜を継いだ機体。しかしシュネーヴァルツァと違って全身が剣という訳ではなく、一般的なモビルスーツに近い外観となっている。ただ全く違うものは、背中から伸びるシールドビットらしきものが取り付けられた基盤がある事だ。それから、胸部に刺さった、杭のようなもの。

 新兵器だと予想はつく。また、腰部のリープユニットは排され、鞘に収められた実体剣が一本と、シュネーヴァルツァと同じアンサラーが二本。ビームサーベルも、同じく二本。やはりと言うべきだろうか、射撃兵装は一切無い。

「マニュアルはインストールしてある。読み込んでおけ」

「了解。私はありがたいんだけどね。命令違反は許されないわよ。裏切り者は処刑される──私は少なくとも、そう認識しているわ」

「アロウズは僕を殺せない。だから、安心しろ」

 アロウズの優れたパイロットであり、イノベイターであり、そしてもう一つの理由から──長であるリボンズが、抹殺を許しはしないだろう。それに、メメントモリを奪取するであろうエイヴィリーを止めるという名目もある。

「それにどうして確信があるのかはわからないけど……GNX-462T『ラヴィーネ』。確かに、託されたわ」

 グリシルデ・シュミット少尉。戦死したと思われていた彼女はソレスタルビーイングのスペースシップから脱出し、基地に帰還。しかし、その事実は本部に伝わることはなく、アッシュとマテリアしか知らない。

 アッシュはそれを利用してラヴィーネを彼女に受け渡し、エイヴィリーを止めるよう裏で画策していたのだ。

「また会おう。俺には、奴を止められなかった。……エイヴィリー・ミシェルを止めてくれ──頼む」

「言われなくても。ぶん殴ってでも連れ帰ってやるわ」

 ラヴィーネの装甲を蹴って、ゼルデがコクピットにおさまる。

 スタンバイ状態であったその機体は、朱い粒子を拡散しながら、飛翔していった。

 

 

 



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トロイア

 チッ、とエイヴィリーは舌打ちをする。

 数ヶ月前にソレスタルビーイングに襲撃された時よりも、防衛ラインは厚かった。周辺に駐留しているのはバイカル級巡洋艦が四隻と、モビルスーツが二十機ほど。まだ出撃していない機体も多いだろう。

 この戦力、この布陣。新型とはいえ、モビルスーツ一機で突破できるものではない。ゆえにエイヴィリーは、事前に練っていたプランに従って行動することにした。

 現在エイヴィリー──そのコードネームをトロイア・ヘクトールと言った彼が搭乗しているのは、防御に特化しているはずのアイアス。しかし、腰部のシールドユニットを排し、代わりに装着されているのはビーム兵器。そしてその手には右肩のドライヴからケーブルで繋がれた大口径のビーム砲があり、増加装甲は排され細身になっている。

 GNX-114Dアイアス。

 その運用目的は『GNフィールドを展開せずに艦の主砲を防御する』ことにある。全身にある増加装甲ことGNインヴァリアー、肩にマウントされた巨大な盾、アイアス・シルト、腰部のGNシールドユニット。それらに高濃度のGN粒子を定着させることで、あらゆる防御特性を持った仲間の盾となるのだ。

 だが、GNドライヴを両肩に積んだアイアスにはもう一つの運用方法がある。シルトを外し、砲撃型ことセラヴィーのように重砲を装備し砲台として使用する、仮名を『トロイアイアス』。

 エイヴィリーは基地からそれらのパーツを拝借、換装してメメントモリのある低軌道リングへとやってきた。

 アロウズの艦隊が神経を張っているが、誂えたかのように存在する衛星に隠れてビーム砲のチャージを開始した。

 そして、司令室に向かって通信を飛ばす。

『ミルティ少佐。聞こえてますか?』

 分かっていて尋ねる。現在、軍上層部の連中はアフリカタワー復旧のセレモニーのため、ミルティと入れ違いで地球におりている。

 ミシェル准尉、今、何処にいる! といつもの何倍も鋭い声での問いをスルーして、エイヴィリーは続けた。

『そんなに怒らないでくださいよ。早速だけど、本題に入りますね。グッドマン准将はいらっしゃいますか?』

「准将でしたらここには居ませんわ。現在ここで指揮を執っているはわたくしです。お話を聞きましょう」

『メメントモリは俺がいただく。理由は言えませんが、承諾しないのならば武力の行使も厭いません』

 エイヴィリーの宣言が受け入れられることは当然ない。故に一分というタイムリミットを設けて、メメントモリを渡せと暗に告げる。

 短い時間で、バイカル級巡洋艦四隻、二十を超えたモビルスーツはメメントモリから距離を置いた。

『待避は終わりましたか?』

「ああ終わっているっ。お前に心配されることではない!」

 相当に怒っているらしい。先程から語調を荒らげているミルティは、普段と全く雰囲気が違った。

 全面にあるコンソールを叩くと、エイヴィリーは言った。

『分かりました。それでは』

 友軍に平然とトリガーを引くと、凄まじい光の束がモビルスーツと艦を呑み込んだ。

 宇宙に拡散する朱い光に目を細める。ビームが消えた後は、戦艦とモビルスーツの残骸である金属片が宇宙に漂っていた。

 ミルティの目は、『なぜ』と言いたげだ。

『待避させれば撃たない、なんて言ってませんから』

『っ、てめえ!』

 ニールが激昂した。 彼が何故そこまで怒っているのかエイヴィリーは知らないが、そんなことはどうでもいいとばかりに宣告した。

『これで俺の本気が分かっていただけたかと思います。

 今の映像を見れば、どういう意味か分かると思いますが。今から十分以内に、メメントモリの起動コードを送信してください。

 俺が乗っているのが『トロイアイアス』であることをお忘れなく』

 そう言って、エイヴィリーは通信を切った。それからふと違和感を覚え、モニタの映像を拡大すると、画面にに映るのはプトレマイオス2だ。

『あー、んでだよ。まさかミス・スメラギがこんなに早く破壊ミッションを敢行するなんて……』

 おそらく彼らは、戦力を整える為にこの二ヶ月近くを逃げ回っていたのだろう。

 ここで艦を落とせば、メメントモリの警備はがら空きになり、ガンダムに破壊されてしまうに違いない。

『あーあ。何でこんなにタイミング悪いんだよ』

 砲口をプトレマイオスに向ける。そこでふと、メメントモリから出撃したらしい一機のアヘッドがこちらへ迫ってきていた。

 操縦桿を握り、アイアスは徐に左腕をそちらへ向けた。溜め、方向を整えて十二の砲門から収束したビームが放たれ、アヘッドはあっさりとデブリの仲間入りをする。しかしそれに気を取られているうちにジンクスが背後にいて、振り下ろされるGNランスを左の盾が受け止めた。反転し腰からビームサーベルを引き出すと、エイヴィリーは追撃しようとしたジンクスの胴をなぎ払う。爆散。平時とは違いその空間認識能力は低下しているというのに、新兵であるはずのエイヴィリーに敵わない。

 散らばるGN粒子にゾワリと頬を撫でられたような感覚がした。おかしな高揚感を覚え、それが愉悦からのものだとエイヴィリーは分析する。

 プトレマイオスからは既にガンダム四機が出ているようで、アロウズのモビルスーツ隊と交戦中。行き交う火線に構わず、エイヴィリーはメメントモリの上方にアイアスを差し向けた。

 飛行するアイアスの先に、片腕と両足、頭部を失ったアヘッドが浮遊しているのが見える。ドライヴは無事なようで、パイロットは生きているようだが動けないらしい。ああ、ゼルデもこんな感じだったのかなあ、一人は寂しいもんなあと呟いて、さながら埃を払うような手つきでそれを斬り払う。

 否、斬り払おうとした。

『──ああ?』

 白がベースの血管のようなラインの走ったモビルスーツが、アイアスのサーベルを受け止める。

 赤い粒子を放出し、こちらを押し切ろうとするその機体は、シュネーヴァルツァを彷彿とさせる外見をしていた。白い装甲、赤いライン、腰に装備された実体剣。高機動機であるとわかる、すらりとしたシルエット。

 ただ、相違点もある。胸部に刺さった杭のようなものと、腰部のユニットが排され、背中から翼のように広がる装備。エイヴィリーはこの機体を知らなかった。

『何だよお前、邪魔すんな』

 投げやりな言葉に、接触回線でパイロットは答える。

『どうしてあんな事をしたのかしら』

『なんの事だよ』

『……なぜ、動けない相手を斬ろうとしたの』

 その声が硬く、憤りを孕んだものだったことにエイヴィリーは首を傾げる。

『どうして、って?』

 左腕の砲門を向けたのに、モビルスーツは体勢を反転させて脚部を振り下ろしてきた。シュネーヴァルツァと同じく、ビームを展開できるらしい。即座の判断で機体を蹴飛ばし距離を取って、エイヴィリーは言った。

『あんな状態で、動けずに、もしかしたら迎えも来ないかもしれない。かわいそうだろ? それなら殺してやった方がいいじゃねーか』

『──っ!』

 尋ねたのはパイロットの方だが、回答への反応はなく息を吸う音のあとに沈黙が広がった。

『わかったらそこを通せよ。死にたかねーだろ』

『……貴方はどうして戦うの。あの兵器を手に入れることが、貴方の望む未来に繋がるというの』

『うるせえな。てめぇに関係ねーだろ』

『いいえ、関係あるわ。答えなさい、トロイア・ヘクトール──いいえ、エイヴィリー・ミシェル』

 どうやらあちらは自分を知っているようだ。おまけに女性パイロット。どうしてもゼルデのことが過ぎって、舌打ちをする。

『……誰だ』

『グリシルデ・シュミット。あんたを止めに来たわ』

『死ね』

 反射的に湧き上がった感情のままGNボウからビームを発射。不意打ちにも動じずパイロットは回避、おまけに腰から武器まで投擲してきた。飛来した剣を盾で弾き飛ばして、エイヴィリーは彼女に昏い輝きを宿した瞳を向けた。

『俺の大切な人の名前を騙るな。ゼルダは死んだ。俺が助けに行けなかったから死んじまったんだよ。これ以上弄ばれる必要なんてねーだろ』

 モビルスーツから距離を取る。あの様子では、投擲武器以外は全て近接武装だ。離れてさえしまえばその戦力は大きく低下する。

『違うわ、私は生きて……』

『イノベイターってのも趣味が悪いな。じゃあその生きてたお前に話してやるよ。俺はさぁ、ようやく気づいたんだよゼルデ』

 瞬時に詰められた距離、振り下ろされる実体剣。ビームを内蔵した拳打がアイアスの装甲を軋ませる。自然と漏れたのは笑い声だった。

 悲しいほどに、空虚な。

『統一世界を望むなら、初めから作り直せばいい。全部壊して、リセットして、そこから始めたらいいんだ』

 どれだけ綺麗な水であろうと、そこに黒い絵の具が垂らされてしまえば濁る。透明に戻すには水を全て捨ててしまう必要があるのだ。

 そうすれば、まっさらな状態から全てを作り直すことが出来る。

『あんたは……』厳しい声で、ゼルデが言った。『あんたは間違ってるわ』

『あっそ』

 感情を乗せた攻撃を弾いてエイヴィリーは飛翔する。背中にマウントしていた武器を構え、エイヴィリーはバイカル級巡洋艦に向けた。

 即座に追ったゼルデは砲口と艦の間に割り込む。

『邪魔すんな!』

『嫌よ。私は貴方を連れて帰るわ』

『ハッどこにだよ、俺はスパイだったし、ソレスタルビーイングも滅ぼすつもりだ。それに、偽物といるような酔狂な趣味は無い』

 砲口を向け、トリガーを引くのと胸の杭が引き抜かれるのはほぼ同時だった。

 ゼルデの乗るラヴィーネ。シュネーヴァルツァの後継機であるそのモビルスーツに存在する、胸部の杭のようなもの。GNフラッグのビームサーベルのようにケーブルがつながっているそれは、ガンダムのある機構を見て作られたものだ。

 ダブルオーライザーがトランザム時に使用出来る超大型のビームサーベル、通称ライザーソード。それを知ったマテリアは、即座にこの機体を設計し始めたのである。つまりどういうことかと言うと。胸部から抜かれた杭──GNスレイヴは、巨大なビームサーベルとなってアイアスを襲った。

『ぐああああぁあぁっ!』

『エイヴ!』

 凄まじい衝撃。コクピットに叩きつけられたエイヴィリーは声を上げる。ゼルデは知らなかったのだ。このアイアスが、通常の戦闘では過剰とも言える防御力を排し、大量に生成される粒子を攻撃に回した『トロイアイアス』である事を。ゆえに普段と同じ防御力は持たず、盾で遮っただけではそれを防げなかった事を。

 不幸中の幸い、と言うべきか。アイアスの盾はビームを受けた衝撃で上部にひしゃげて根元から折れた。その時の反発で吹っ飛んでいなければ、モビルスーツの中でも最高の防御力を持つ盾で防いだとはいえその光に呑み込まれ、跡形もなく消えていたであろう。威力を落としていたこと、スレイヴを抜いた直後に粒子供給ケーブルを抜いていたことも助けていた。

 爆煙を上げ、制御不能になったアイアス。モニタが激しいノイズに包まれているコクピットの中で、エイヴィリーが最後に見たものはダブルオーがライザーソードを振り下ろす姿だった。

 

 

 

「初めまして、──君。うちの──と、同い年だってね。これからは家族として、よろしく頼むよ」

 八歳。自分を女手一つで育ててくれた母親が亡くなり、親戚の家をたらい回しにされていた頃だった。

 穏やかな声でそう語るスーツ姿の後ろに、綺麗な髪の少女が張り付くように隠れていた。彼に促されても何も語らず、ただ瞬きを繰り返す様は小動物のようであった。

 俺は彼女と喋りたかった。どんな声なのか、どんな表情を浮かべるのか。知りたかったのだ。だが、父親の陰から一向に出てこず、口を開かぬ彼女に子供らしい理不尽さで腹を立て、その髪を数本つまんで軽く引っ張った。綺麗な髪が手に絡まってぷちりと切れるその痛みに彼女は泣き出してしまい、俺も驚いて、ぼんやりと突っ立ったままだった。

 泣いている彼女は、子供心にすら美しいと感じられた。

 第一印象は最悪だったであろう。

 それでも彼女は俺を避けることなく、家族として接してくれた。しかし他に友達がいるでもなく、公園のベンチや堤防の下で編み物をしていることが多かった。大人しく優しい雰囲気の彼女はこの街にはなかなかいないタイプで、そんな彼女がどこにでも居る意地の悪い上級生にからかわれることもままあった。彼らもまた、俺と同じように彼女が気になっていたのだろう。

 だが──年下の女の子を、数人がかりでいじめるのは卑怯だ。

 泣いている彼女を見て、その手に編み棒と毛糸の入ったバスケットがないのを見て、俺は思わず彼らを探して駆け出した。

 道具一式があまり家に帰らぬ両親からのプレゼントで、編んでいたのが自分への贈り物だと知ったのははその後のことだ。上級生にぼこぼこにされながら必死で取り返してきたそれに彼女は「ありがとう」と小さな声で言ってくれたのである。

「な、泣くなって。また俺が守ってやるから、な!」

「……嘘」

 自分でも無理なことを言ったと思ったが、後には引けなかった。

「いや、俺を信じろって。大丈夫だから」

「……本当?」

「お、おう。男だからな」

「じゃあ、約束」

 彼女は俺の小指に自分のそれを絡めると、嬉しそうに微笑んだ。

「私も、エイヴのこと守れるくらいに強くなる。だから、一緒にいよう?」

 幼い頃の約束。それはずっと、二人の中に残っていた。

 

 

 

 アイアスの損傷は激しかった。四肢はひしゃげて破壊され、コードが露出している。両肩の盾も右は根元から捻じ切られ、左も半壊。防御の上からビームを食らった機体も稼働は不可能なほどのダメージを受けている。ドライヴこそ無事だが、生成される粒子が宇宙空間に散っていた。生体反応がなければ死んだと思っただろう。

 氷の手に心臓を握りつぶされたような感覚を覚え、ゼルデはラヴィーネの指を動かしコクピットの装甲を剥ぎ取る。壊れかけていたハッチはあっさり取り去られて、パイロットの姿が露出した。しかし、シートに凭れかかっているエイヴィリーは、こちらを一瞥しただけだった。

 はっとしてパネルを操作し、ゼルデは映像を拡大する。身動きが取れないのだ。コクピットで起きたらしい爆発でエイヴィリーの左半身は破片に潰されている。そのパーツの多くを機械に置き換えているからと言って、ダメージが無いわけではないのだ。

 殆ど衝動的にコクピットを開いて、エイヴィリーのもとへ装甲を蹴る。だがアイアスのハッチのあった場所におりたゼルデに向けられたのは、拳銃だった。

『なぁ、偽物……』

 ゼルデはなにも握っていない。持っていたとして、愛する人に武器を向けることはできない。

 エイヴィリーは眠たげに笑って、そう尋ねる。

『メメントモリ……どうなった……?』

『あれなら破壊されるわ。残念ね』

『……そっかあ。じゃあ、どうしようもねぇな……。はは、これから、どーしよ』

 内臓にも損傷があるらしい。けほ、と咳き込んでエイヴィリーは血を吐いた。失血のせいかその顔は青を通り越して白い。

 ゆっくりと、エイヴィリーの腕がおりて、銃が離れていく。

 もう喋るな、とは言えなかった。言ったら彼は死んでしまうような気がした。

『……ゼルダ。俺さ、ずっと……お前のこと、好きだったんだ。もう、伝えらんねーから』

『何言ってんの、私はちゃんとここに居るわよ』

『……なあ。ホントに、ゼルダなのか……?』

『そうよ。私は、グリシルデ・シュミット。あんたの、幼馴染で──あんたが世界を焼いても、死んだら戻ってこない、人間よ』

 焦点の合わぬ瞳をさ迷わせながら、エイヴィリーは納得したように呟いた。

『……ああ、そっか、そうだな。……世界を壊したって、死んだやつは戻って来ないんだ……』

『……エイヴ』

『なん……だ?』

 まるで狂信者がその呪縛から解き放たれたかのようだった。

『身体……痛く、ないの?』

『……うん。そういうの、もう、わかんねえ。スーツの中まで生温くて、すげえ気持ち悪いけど。なあ……ゼルダ。どうしたんだ?』

 何が、と聞き返そうとするが、声は出なかった。

『あの時、みてーな……顔、してる。……ごめんな、もう……眠いや。ゼルダも、……気を、つけろよ……』

 言葉が、途切れ途切れになっていく。涙を溜めて首を振ると、エイヴィリーは安心したかのように笑って目を閉じる。

 ゼルデはきつく唇を噛み締めると、零れそうになる涙を堪えた。

 

 

 

『……メメントモリは破壊されたか』

 どこか安堵の色を滲ませた声で、ニールは呟く。この様子ではガンダムに破壊されたらしい。

 ガンダム、という単語に否が応にも焦燥を覚えながらも、ニールはそれを抑制してアレーティアを操る。

 出撃した時には既に、メメントモリは鉄クズと化して宇宙空間に浮いていた。モビルスーツだったものも混じっていて顔を歪める。

 エイヴィリーがこの宙域にいるであろうという可能性を──もっと言えば、撃墜されている可能性を、ミルティは否定できずにいた。青いモビルスーツが光に呑み込まれるのを見た者がいるというのだ。アロウズに所属するモビルスーツで青い機体は、エイヴィリーのアイアス以外存在しない。

 もしかしたら、光──二個付きのビームサーベルを前に消し飛んだのかもしれない。探し始めて十分程が過ぎた頃、元は宇宙艦かメメントモリかも分からぬ金属片の中、青い装甲が浮遊しているのを目にした。

『これは……』

『アイアス、アイアス』

 ハロが蓋を開閉してそう繰り返す。元は手足であっただろうものはコードが露出し融解していたり、ひしゃげていたりする。生存は絶望的か。ミルティに連絡をしようとコンソールを叩いた、その時。

 ──不意に冷たい手が背筋を撫でたような感覚がして、ニールは振り向いた。

『ビーム……?』

 反射的にフルシールドを畳んで回避する。こちらに向かって走る光は明らかに、攻撃の意志をもったものだった。

 オープンな通信で何者かが──否、先程のビームを放った者だろう──が、笑い声を上げる。反射的に肩のランチャーを展開してニールは誰何を問う。

『誰だ』

『ヒリング・ケア。イノベイターよ』

 ガンダムに対する殺意を抑えていたのが少しだけ滲み出て、ニールの声は刺々しい響きになった。

 偶然か意図的か。ニールは知る由もないが、ヒリングの言葉はティエリアに向けたものと同じだ。

『アルマークの差し金か』

『やあね、面白いニンゲンがいるからからかってみただけじゃない。そんなにイライラしないでよ』

 粒子ビームの飛来した方向から、小さな点が段々とその輪郭をはっきりさせていく。ガラテアにも似た機体の形状、グレーに染められた装甲。名前はガラッゾだったか。噂には聞いている。総司令よりライセンスを与えられ、単独行動を許されたパイロット──ライセンサーだ。

 ヒリングはバイザーのシェード機能を切って、ニールに向かって笑ってみせる。

『お前……』

『へえ。あんた、面白いじゃない』

 自分から攻撃しておいてのこの発言に、目を細める。

 その瞳は、金色に輝いていて──

『何をしている、ヒリング』

『ちょっと遊んでみただけよリヴァイヴ。もう帰還しなきゃいけないの?』

『アイアスの残骸を確認した。ここに留まる必要はないだろう。……君は確か、リジェネの』

 通信の様子はニールの耳にも届いている。中性的な声だ。恐らく男なのだろうが確信はない。『リジェネの』の先に続く言葉は簡単に予想できる。あのラモールという女と同様、『リジェネのお気に入り』だとか何とか考えているのだろう。

 投げやりにニールは言った。

『ロックオン・シューター特務大尉だ』

『ああ、やはり。……ヒリング』

 ニールの言葉を受けても名乗ることすらしない。リヴァイヴと言ったか。彼は見下すような雰囲気で返して、ヒリングに促した。

『はぁーい』

 不承不承といったように彼女は言って、母艦のあるであろう方向に去っていく。

『フシギ、フシギ』

 ハロがニールの内心を見透かしたように言う。

 面白い──彼の言葉の意味を測りかねて、ニールは厳しい表情で操縦桿を掴んだ。

 

 



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アントローポスの真意

 ヒリング、リヴァイヴという二人のイノベイターに出会ったニールは、少しだけ不機嫌だった。

 見下した態度が気に入らないとか、撃たれそうになったのが気に入らないとかそういったものではない。ただ、リジェネのことを思い出して自分の記憶に不安が過ぎるのだ。

 ニールは、自分がソレスタルビーイングにいたのでは無いかという可能性を捨てきれずにいた。そのせいか、最近はきまって悪夢を見る。仇であるはずのガンダムマイスターを殺して、しかしその先には家族の焼け焦げ悲惨な状態となった遺体が転がっている。ゆえに、もし自分がソレスタルビーイングであったのなら。それを考えると自分がここに居る──生きている意味が無くなるような気がして、可能性を排除してしまっているが。

「……よう、マテリア」

 シャワールームに響くニールの声は暗い。

「ロックちゃん。……その様子だと、エイヴちゃんも見つけられなかったみたいね」

「ぶっ壊れた残骸しか残ってなかったからな。エイヴィリーもってどういうことだ?」

「実はね、ゼルデちゃんが見つかったのよ」

「……は?」

 マテリアの言葉が理解出来ず間抜けな表情を晒してしまう。

「あいつが生きてたってそりゃ……何で」

「ソレスタルビーイングに拾われていたようね。それで、今回メメントモリを破壊するのに彼らが来たでしょう。そのタイミングで逃げ出したみたいよ」

「はあ? じゃあエイヴィリーの行動は全くの無駄に……」

「悲しいけれどそうなるわ」

 彼女を失って半ば衝動的に飛び出した彼の行いは、ゼルデが生きているというのならば徒労──というのもおかしいのだが──となる。

 彼女の生存を喜んでいない訳では無いが、これではエイヴィリーもゼルデと会えないのだから。

「それで、ゼルデはどうしてる?」

「行方不明よ」

「は……?」

 再び、呆けた声を上げた。

「ワタシの考案した新型の話はまだしてないわよね?」

「聞いてないな。お前さん、もう考えてたのか?」

「そうよ。特にシュネーヴァルツァについては重大な欠陥が見つかったから、すぐにでもと思ったのだけれど」

「欠陥?」

「リープユニットは知っているわよね?」

 GNリープユニット。シュネーヴァルツァのアーマースカート部の呼称だ。シュネーヴァルツァはそれを蹴っての急旋回、急加速、急制動を行うことで近接戦闘での能力を高めている。

「あれがどうかしたのか?」

「シュネーヴァルツァはリープユニットを蹴る性質上、どうしても動きが読まれやすいのは理解出来るかしら」

「そりゃ、次に脚をつく場所を教えてるからな。けど、あんな速度で移動する物体を捉えられる奴なんているのか?」

「いたのよ。まさかそんな事になるなんて思ってもいなかったけれど……あの羽付き。相当のものよ」

「あれか。アレーティアのシールドをへし折りやがった」

「実際、シュネーヴァルツァを落としたのもあれよ。不安要素を増やしたくなかったから彼女には言えなかったけど、あれとは決定的に相性が悪かったわ」

 朱い粒子と共に散ったシュネーヴァルツァを思い出す。ソレスタルビーイングとは数度交戦したのみだが、彼女があそこまで損傷させるとは相当のものだったに違いない。

「ごめんなさいね、話を戻しましょう。完成したシュネーヴァルツァの後継機を彼女に託し、エイヴちゃんを止めるようお願いしたの。新装備もあることだし大丈夫と思ったのだけど……」

「あの様子からすると、共倒れってとこか」

「その可能性もあるわね。いずれにしろメメントモリは破壊されてしまったし……最悪のパターンだわ」

 苛立ったように唇を噛んで、マテリアはカゴに制服を放り込む。普段の彼女からは考えられないほどその所作は乱暴だった。

 シャワーを浴びるのだったとニールは制服のベルトを緩めながら、数刻前の光景を思い浮かべる。

 あの場所に散っていたのは青い装甲と赤い装甲、それからなにかの残骸だけだ。シュネーヴァルツァと恐らく同じカラーリングであろう新型らしきものはなかった。先程はああ言ったものの、処刑されるのを恐れたゼルデが偽装工作をしてエイヴィリーと共に逃げた可能性は否定できない。

 だとすればどこに。その理念に反する行いをしたため、ソレスタルビーイングではないだろう。結論を出せなくて、ニールは服を脱ぎ捨てるとシャワーブースに入った。

 降り注ぐ水の音だけが室内に響く。暖かいそれが身体を伝って、ささくれだった気分が少しだけ落ち着いた。

「……ロックちゃん。最近、あまり調子が良くない様子ね」

 パーテーションの向こうから、マテリアがそう言った。事実、ティエリアと切り結んだ後から、否、フェルトと出会った後から、発作は日に日に頻度を増していっている。

「……そう、だな。最近、よく発作が起こるんだ」

 水の勢いを弱めてニールは厳しい表情を浮かべ、答えた。

「理由はわからない。だが、前は月に一度起こるか起こらないかだったのに……今は、三日に一回くらい、発作が起きるんだ」

 理由に薄々勘づいてはいたが、ニールはそう口にする。

「そう。アナタは一度、診てもらったほうがいいわ。薬があまり効いていないのかもしれないから」

「この戦況で離れるわけにいかねえだろ。何言ってんだ」

「いいえ、この戦況だからこそよ。戦闘中に発作なんて起こしたら、アナタ……死ぬわよ?」

 ともかく診てもらいなさいとマテリアは釘を刺す。

「……分かったよ。リジェネに連絡してみるさ」

「それなら問題なく。ワタシもあっちに帰る用事があるから、連絡しておくわ」

 衝立の向こうで、マテリアが微笑んだ気がした。

 仲間を二人も失い、荒みつつあった精神は、リジェネの同位体である二人によって保たれていると言っても間違いはなかった。

 

 

 それから、数日後。

 電源の落とされたモニタに囲まれたアレーティアで、ニールは一人膝を抱えていた。

 メメントモリ二号基が破壊されてから二ヶ月。あれから数度、ガンダムと交戦する機会があった。その度に自分たちの仲間だと言われ、ロックオンと呼ばれ、それを振り払うように銃を乱射し叫ぶ。

 自分でもこの記憶が偽りのものであると薄々勘づいていた。けれども、それに代わる何かがある訳でもなくて。

「うぐ、っは、ああぁ……」

 まただ。また、頭が痛む。発作の頻度は増して、見兼ねたらしいリジェネに新しい薬を寄越すと告げたのが一昨日。そのついでに君の体を見ると言われ、ニールは単身、アレーティアに乗って軌道エレベーターへと向かっていた。マテリアも同じ場所にくる予定があったようだが、予定が合わず一日後になるらしい。ゆえに、操縦はハロに任せ、ニールはひとり、この狭い世界に篭っていた。

 抑制剤を適当に放り込んで水と共に飲み干す。

 ニール・ディランディが縋れるのはもはや、偽りのはずのリジェネの言葉だけだった。

 ロックオン・シューター特務大尉。AEUの特務部隊からアロウズに引き抜かれた、モビルスーツパイロット。五年前、反ソレスタルビーイングのテロに巻き込まれ、右眼と左脚を細胞異常に蝕まれた狙撃手。

 そして、ニールは考えることを恐れているが、ソレスタルビーイングの構成員。

『──ロックオン。なにかあったのですか?』

 不意に通信が届いて、ニールはぼんやりと顔を上げる。おそらく、定時の連絡──一時間ごとに連絡するように言われている──を忘れたニールを心配してのことだろう。

 アッシュはいつも通りの無表情で、こちらを見ていた。

「……お、う。ちょっと考え事してただけだ。連絡、忘れて悪いな」

『そうですか。あまり顔色が良くありませんね』

「あんまり体の調子が良くなくってな。今回呼び戻された理由だよ」

『お大事に。そちらで数日間お休みになると聞いていますから、ゆっくりしてくださいね』

「分かってるよ。次会う時は、万全になって帰ってくるさ」

 ウインドウが閉じる。再び暗く閉ざされたコクピットの中で、ニールは呟いた。

「俺は、ロックオン・ストラトスじゃない。アロウズの……ロックオン・シューターだ……っ」

 暗示にも似たその言葉に、答えるものはない。

 ハロは無言で目を点滅させるだけだった。

 

 

 

 心ここにあらずといったふうに宙を仰ぎ、その虹彩を金色に輝かせる。

 アニュー・リターナーのそんな姿を目にした時から、そんな予感がなかった訳では無い。その現象が起きたあとには、必ずアロウズの襲撃にあっているのだから。しかし、そこには彼女の意思は介在していない様子だ。その尋常でない様子を、仲間たちは知らないはずだ。

 故にライルは、イノベイターを叩き潰せばこれ以上アニューが利用されることは無いはずだ、と誰にも告げずにいる。

 メメントモリ二号基を破壊したあと、たった二ヶ月での二十近い襲撃を退けながら、ライルはそう誓ったのだが──『その時』がやって来るのは早かった。

 予定の進路から外れた進路へ向かうプトレマイオスにラッセ・アイオンが声をかけると、両目を金色に輝かせたアニューが彼に発砲したのだという。

 捕虜──リヴァイヴへの尋問を行っていた際に起きたそれと同時に、艦内のシステムがダウン。非常用の電灯が灯る廊下を刹那と共に走る。彼は何かの確信を持っているようにこっちだと言い、ライルはそれについて行った。

 その先で、二人の人影が銃を突きつけあっているのが見える。

 ソーマとアニュー、そして彼女の人質となったミレイナだ。

 ライルは思わず言った。「やめとけよ、アニュー」

「ライル……」

「俺を置いて行っちまう気か?」

 動揺を押さえ込んで、そう尋ねる。今の彼女の瞳は金色でもなければ、ぼんやりとしている様子でもない。これまでのことが演技にしろなんにしろ、意識があるのならば説得は出来るはずだ。

「私と一緒に来る? 世界の変革が見られるわよ」

「オーライ、乗ったぜ。その話。おまけにケルディムも付けてやるよ」

 軽くそう応じると、彼女は二人きりの時に見せてくれたような優しい笑みを浮かべた。

「きっと、あなたのお兄さんも喜ぶわ」

 不意を突いて出てきたその言葉に目を見開いたその瞬間、ソーマから拳銃を奪い取った刹那がアニューに向かって引き金を引いた。

「……っ!」

 弾き飛ばされる銃に驚いたアニューからミレイナを奪い返す。彼女は踵を返し、格納庫に向かって消えた。

 直後──大きく艦が揺れ、連続して衝撃音が響く。

「敵襲か!」

「オーライザーはっ」

 彼女は格納庫へと向かっていったのだ。ツインドライヴシステムの解析のため、オーライザーを奪取するのだと推測するのは容易。

「大丈夫です。既に彼女がいます」

 その言葉にほっと息をついて、しかしそんな事をしている暇は無いのだと思い出す。

 艦内システムがダウンした状態での襲撃に思わず天井を見上げる。

 アニューの走り去った通路に一瞬目を遣って、そんな場合ではないとライルはケルディムのもとへと向かった。

 手動でハッチを開き、ケルディムは出撃する。艦内システムが使えない以上、ここでプトレマイオスを守らなければライルたちに待つのは死のみだ。

 予想通りと言うべきか、襲ってきたのはアロウズではなくイノベイターたちのモビルスーツであった。ガデッサ、ガラッゾの二機とダブルオーライザーが交戦。

 スナイパーライフルを構え、ダブルオーの援護をしようと照準器を覗いたそのとき、プトレマイオスから飛び出してきた小型艇が目に入った。

『アニュー……』

 それを追おうとケルディムが飛翔するが、ガデッサの砲撃がそれを阻んできて、ライルはハロに回避運動を任せながら小型艇を狙う。

『戻れっ、アニュー。アニュー・リターナー!』

 通信を飛ばしたが、応答はない。

 くそっ、と毒づく。モニタは既に小型艇をロックオンしていることを示していて、トリガーを引くだけでお終いだ。

『俺は……ッ!』

 震える手で、ライルは引き金を絞った。

 だが──ケルディムの放ったビームは、小型艇に着弾する前に散る。

『な、』

 自分の認識を疑う。今、何が起こったんだ?

 ライルが狙ったのは小型艇のスラスターだ。推進力さえ奪えば、小型艇を捕えることなど容易。アニューとリヴァイヴを捕虜にして、そうすればヴェーダの所在も明らかになるであろう。

 そう思ったゆえの行動だったのだが、一体誰が、どうやって。

 実弾であれば、銃弾同士をぶつけ合うという技術が存在する。だがケルディムの握るのはビーム兵器で、おまけに狙いは小型艇ではなくて。偶然と言うにはあまりにもおかしな事象だ。

 驚愕するライルの向こうで、小型艇は遠ざかっていく。

 そしてそれと入れ替わるように。

 紫色のモビルスーツが、ケルディムの前に立ち塞がった。

『ロックオンの片割れ。貴方を行かせはしない』

 膝までかかるアーマースカートと、背中の双翼。

 さながら魔術師のように杖を振るった機体──ガラテアが、何も気にかけていないとばかりに平然と、通信を飛ばしてきた。

『てめぇ、』

『貴様が彼の半身であるというのは事実だろう』

 全身が沸騰しそうなほどの怒りを覚えたライルは絞り出すような声で応答し、畳んだライフルをガラテアに向けた。

『黙れ』

『頭はクールにしておいた方が身のためだ。だから背後を取られる』

 ハロの助けがなければ、その物体はこちらと接触していたであろう。鳥のようなそのシルエットは、幾度となく目にしたこちらを乗っ取ろうとしてくるもの。

 冷や汗が背中に伝うのを感じる。ふ、と息を吐いたのがライルにも聞こえていて、

『しかし、今ここで貴方とことを構えるのは僕の意思ではない』

『は、』

『ロックオンは貴方を鹵獲しろと命じている。俺は彼の部下だから、それに従う義務がある。だが今は、それが出来ない。時間稼ぎだけにさせて貰おう』

『余裕ぶりやがって……!』

 あの様子では、直接の戦闘が得意ではない機体だ。こいつをぶっ倒してアニューを捕まえる。そう考えてライルは二丁のピストルを抜いた。

『戦闘を望むか。──翔べ、スクワイア』

 すっと、その手に握るGNヒートロッドが振るわれた。

 肩に止まっていた三基も飛び立って、スクワイアがケルディムを狙う。シールドビットとピストルで対抗し、こちらに取り付こうとしてくるそれらを振り払いながらケルディムはガラテアを攻める。

 しかしあちらに交戦の意思がないというのは本当のようで、再び向き合うよりもガラテアが踵を返すのが早かった。

『ふざけんな……!』

 アニューと同じく、ガラテアも遠く離れていく。ガデッサの放ったであろうビームがケルディムの進行方向を遮って、その後には。

『くそっ』

 思わず、コンソールに拳を叩きつける。

 愛した女性も、兄の事情に深く関わっているであろうイノベイターも、はるか遠くに消えていた。

 

 

 

 ダブルオーおよびダブルオーライザーの強奪には失敗したものの、トランザムやツインドライヴシステムの奪取には成功した。かろうじて及第点と言ったところか、とアッシュは呟いた。

 ヘルメットを外し、ぺったりと固定されてしまっている髪を解すように頭を振る。ロッカーには仲間──ヒリングやラモール──もいたが、アッシュは制服に着替えようとした。

 そこに、声がかかった。

「及第点? ならあんたが緑のをやっちゃえばよかったじゃない。相変わらず、上官の狗ねぇ」

 突っかかるような物言いで、ヒリングが言った。

「分かるわよ。あんたと違って、不完全じゃないから」

「……黙れ」

「これだから脳量子派を使えない人間はやあね。筒抜けよ、あんたの思考」

「そうやって人間を下に見るから二対一でもやられるんだ。相変わらず貴様は馬鹿なのか、ヒリング・ケア。その『脳量子派も使えぬ人間』にやられた気分はどうだ?」

「あんたねぇ……──ま、いいわ。何言われてもあんたが劣化版ってことに変わりはないんだから、アッシュ」

 ヒリングの乗るガデッサが撃墜されたことは事実である。だが、アッシュらしからぬ煽るような口調に、ヒリングは侮蔑の色合いを混ぜてそう言った。

 脳量子派を使えない──正確には、アッシュは発することしかできない。双方向での会話ができないのだ。故に仲間たちからは半端者として扱われ、ともすれば彼のように見下すこともある。

「リジェネも馬鹿よねえ。こんな失敗作、捨てちゃえばよかったのに」

「貴様……!」

「はいはい。アッシュもヒリングも落ち着きましょうね。こんな所で諍いを起こしてどうするの。次のミッションもあるでしょう?」

 ぱんぱん、と手を叩いて、フォルトゥナから移動してきていたらしいマテリアが二人をとりなした。トランザムとツインドライヴの必要性はある意味リボンズよりも分かっているマテリアとしては、ここで二人に争われては戦場でのことも不安になる。

「ああ、すまない」

「……リジェネに作られた駒のクセに」

 アッシュは先程の行動が演技のように冷静になる。

 ヒリングは不服そうに呟くが、彼女が機体の整備をしていることを理解しているからであろう、仏頂面でロッカーを出ていった。

 残るラモールも退室して、マテリアとアッシュの二人きりになる。

「ワタシも今からあっちに向かわなきゃ行けないし……くれぐれも、行動には気をつけるのよ。アッシュ」

「分かっているさ、マテリア」

 その、やり取りの意味は──

 

 

 



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殺意のプラエタリタ

「おい」

 粗野な男の声が、ニールの背中にかかる。振り返ったその先に立つのは、癖のある赤毛を奔放に伸ばした傭兵であった。

 リジェネに呼ばれ、その住居であるという巨大な母艦へやって来て二日。その呼んだ本人である彼が用があるとかで、ニールは待ちぼうけを食らっていた。

「……何だ」

 その声に鳥肌が立つほどのものを覚え、ニールは眉を顰める。何故かは分からない。だが、この感情を言葉にするとすれば──生理的な、嫌悪感というものだろう。

 露骨な表情を浮かべるニールに、赤毛の男は気にもとめず話しかけてくる。

「なあ、あんた。右眼が見えねえんだって?」

「……だったらどうした」

 知らずとその声は低くなる。睨むような視線になってしまったニールにハッと笑いながら赤毛の男は続ける。

「可哀想だよなぁ。テロで家族を失った挙句、今度は自分が仲間だとか言われてるなんてよ」

 今度こそ自分の意思でニールは男を睨んだ。

「何が言いたい?」

「アリー・アル・サーシェスって名前にゃ聞き覚えはねぇか? 薄情な野郎だな!」

「……は、」

 思わず、声が掠れる。アリー・アル・サーシェス。その単語に嫌な響きを覚えて。

 誰だったか──と思案するより先に、ニールの瞳が殺意を帯びる。ともすればソレスタルビーイングのメンバーに向けたものより遥かに鋭い意思を以て。

 ここが艦内であることも考えずニールは挿している銃を向けた。男──アリーのほうは銃を向けられているにも関わらず武器を向ける様子はなく、余裕のある表情でニールを見ている。

「──殺すぞ」

「やっと思い出したか。殺しがいがねぇなあ!」

 一切の躊躇なくニールは引き金を引いた。だが、感情のままに行われたそれの軌道は読まれていたのだろう、逆に蹴りを食らってニールは拳銃を叩き落とされてしまう。その脚を掴んで捻ろうとするも、元々調子の悪い身体では間に合わず足を引っ掛けられ転倒した。

 冷たい床が、熱のあるニールの肌にひやりとした感触を与える。ストリージを拾ったらしい、セーフティの外されたままの拳銃をアリーはニールの胸に押し付けた。

「さわ、んな……!」

 声にも力が入らない。そもそも、無理をして戦ってすらいたのだ、万全の状態であろう彼に拮抗することすら不可能に近い。

「こちとらてめぇのせいで体の半分が消し炭だ。てめぇの足の腱叩っ切って逃げられんねぇ様にして、左目も抉ってその指切り落としてやらねえと割に合わねんだよ」

 わざと煽るように喋るアリーのやり口に吐き気を覚えたが、もうニールは殺意以外の感情を表に出すことはなかった。発作の前駆症状である右目の痛みすらそれに変えて、胸に押し付けられていた銃口を払って奪い返す。

 この男がどういう人物なのか。それを思い出してしまえばニールの心がそうならないはずはない。KPSAのリーダーで、家族の命を奪うことになったテロを指示した、──ニールをロックオンたらしめる、根源。

 今でも克明に思い出せる。自分の見た、家族の変わり果てた姿を。緩やかに自身を締め上げるような殺意を、怒りを、憎悪を、絶望を、苦痛を。そして、これで終わるのだと覚悟した、白い光を。あれはどこだったのだろうか。

 ロックオン、ロックオンと呼ぶハロの声が、いやに現実味を帯びず頭に響く。「心配すんなよ。必ず、戻ってくるさ」と笑ったのは何故だったか。焼けるように右眼が痛むのを感じて、ニールは握り直したストリージを取り落とした。

「〜〜っヅ、が……!」

「ああ? ンだよいきなり……」

 身体を支えきれず、崩れ落ちたニールにアリーが眉を顰める。

「ハハッ、こいつぁいい気味だ。あん時に細胞異常にでもかかりやがったか!」

 床に倒れ込むニールをアリーはそのつま先で蹴飛ばしてやる。力の入らぬ身体は微重力であることもあり容易く吹っ飛んで、弱々しく睨むニールに笑い声を上げた。

 激しく咳き込んで、ニールは浅い呼吸とともに血を吐き出した。

「……チッ。面白くねぇな」

「──そこで何をしているのかしら」

 吐き捨てたアリーに、はっきりと分かるほど機嫌の悪い声がかかった。

 丁度こちらへ帰ってきたのだろうマテリアが、眉間に皺を寄せてアリーを見ていたのだ。

「何って、遊んでんだよ。もうぶっ壊れてたみたいで殺しがいもねぇけどな」

「ウチの大事なパイロットに触れないでもらえる? 彼には死んでもらう訳にはいかないの。仮にもリボンズに雇われている身なら理解して頂戴」

 倒れているニールを抱え起こして、マテリアはストリージを拾うとアリーの横を通り過ぎていく。その大事なパイロットにどんな仕打ちをしているのかを、アリーは知らない訳では無い。イノベイターってのはいい趣味だと笑った彼に、マテリアは苛立たしげに目を細めた。

 

 

 

 宇宙空間でビームが飛び交う。ガデッサとガラテアの二機は二人がかりでダブルオーと交戦していた。

 ガデッサの援護とともにファングが飛び回る。スクワイアとファングを掻い潜り、ダブルオーの実体剣がガラテアに振り下ろされた。

『ファング!』

『そんな攻撃で!』

『この先には行かせん!』

 飛び回るファングと嗾けられるスクワイア。二種類の飛び道具で翻弄しようにもダブルオーはそれらを見ていない。ツインドライヴシステムを操り、グリシルデ・シュミットをして勝利した相手だ、そもそも後方支援機であるガデッサとガラテアでは勝てるとは言いがたかった。

 ガラテアのいるその先ではケルディムとガッデスがそのピストルで、サーベルでぶつかり合っていた。二人でも荷が重いダブルオーとの戦闘に、圧倒されながらもアッシュは辛うじて致命傷を回避している。

 ガッデスと同様、ビームを内蔵しない分バーニアにより機動性を確保したガラテアのファングは、移動先を限定しスクワイアの取り付きを助けるもののはず。だが、ダブルオーはその道を強引に踏み越えてきた。

 行く先を阻むスクワイアが切り捨てられ爆散する。

『ッ、くそ……!』

 残り二基。率直に言って、勝機はない。リヴァイヴもそれを感じているが、イノベイターとしてのプライドが撤退を許さないのだろう。

 彼の気持ちを理解しながらも、アッシュはダブルオーに食い下がるガデッサに通信を飛ばす。

『リヴァイヴ・リバイバル! 俺達だけでは勝てない、諦めろっ。ケアやハレヴィと合流するんだ!』

『うるさい! 出来損ない風情が……! 貴様がいるからダブルオーに、』

『出来損ない?』

 四基のスクワイア全てが破壊される。単純に二対一、どちらもダブルオーを狙っているというのにこのザマだ。ダブルオーはガデッサのGNメガランチャーを破壊して、戦闘宙域よりはるか遠く──ガッデスとケルディムのいるその場所へと飛翔した。

 それでもダブルオーを追おうとするリヴァイヴの発言に、アッシュは思わず笑い声を上げた。

『その割には、俺が居ない間も戦果も挙げられていないようだが? まだ敗北を認めないか、リヴァイヴ・リバイバル』

『人間如きにこの私が負けるなど認めない!』

『……ああ、そうか。承知した』

 低い声で、アッシュが言った。

 朱い粒子が、ガラテアのGNウィングから拡散する。

 禍々しさすら感じるGN粒子を纏った翼が、激高するリヴァイヴの前に広がった。

 彼は一体、何を?

 リヴァイヴの脳量子波は、彼の言う『出来損ない』であるアッシュには、届かない。

『やめ──』

『もういい、リバイバル』

 恐ろしいほどの粒子の放出を行うガラテアが、主武器であるGNヒートロッドをガデッサに振り下ろし、その装甲に触れた。

 

『一体何よっ?』

 ヒリングの乗るガラッゾとルイス・ハレヴィの乗るレグナントの交戦するその向こう。ダブルオーの前に立ちはだかったガデッサ、ガラテアの二機が大いに不利になっていたのはその脳量子波で感じられた。

 ガデッサはメガランチャーを破壊され、ガラテアも全てのスクワイアを喪失。その上ダブルオーにはガッデスとケルディムのいる宙域まで迫られている。そこまでは、理解出来る。その後、ガデッサは静止を振り切ってダブルオーに追随しようとするが、立ち塞がるガラテアは異常なほどの粒子放出を行って。

『いいからファングを使いなさい!』

『っ……了解!』

 乱戦と言っていい戦況だからだろう、彼女はファングを使わずビームとGNフィールドのみで戦っていた。だが、そんな事に構っていられるほど彼らの戦力は低くない。なんでよ、相手はニンゲンなのに! 思わずそう毒づいたとき、先程トラブルのあったガデッサとガラテアがこちらへ向かってきた。

 ガデッサはビームサーベルを構えセラヴィーへ。ガラテアもくるりとヒートロッドを振るうとそこへファングを嗾ける。

 ガデッサに乗っているのは人一倍アッシュへの態度のきついリヴァイヴだ。どうやって宥めすかしたのだろうか。あるいは、ハッキングを行って?

『確かにガラテアは情報支援機……だけど、何したっていうのよ?』

『戦闘中によそ見など!』

『きゃ……』

 GNアーチャーがサーベルを手に背後から斬りかかってきた。それを左手のビームクローで受け止めて、放たれたエグナーウィップにヒリングは唇を歪めた。

 勝ったな、と。

 ニヤリと笑った口元は誰にも見えないが──しかし、彼の予測と全く違う事態に驚愕した。

 レグナントの放ったウィップは全て撃ち落とされ、あるいは切り裂かれ、その役目を果たせずに沈黙した。

『な、何故……』

 ひやり、と背中を汗が伝う。咄嗟にレグナントが放った多数のミサイルを避け、アリオスが迫る。その背後でGNアーチャーが放ったビームにより爆散するミサイルの推進を受けて、レグナントの懐へ一気に潜り込んだ。

 苦し紛れのように射出されるファングを撃ち落として、張られたGNフィールドに向かって飛行形態で突貫。わずかな時間の後にGNフィールドは突破されて、回避するもレグナントの右手が破損し、爆煙がフィールドを満たしていく。

 爆発の衝撃はコクピットまで届き、思わずルイスが悲鳴を上げる。更に、ダブルオーがこちらにビームを放ちながら接近してきた。

『ハレヴィ准尉!』

『っ……問題、ありませ……』

『撤退だ!』

 ファングの隊列を統制して、アッシュが言った。

『これ以上の戦闘は無意味だ。そうは思わないか』

『……分かったわよ』

 地位だけを見れば最も低いアッシュの提案に、ヒリングは不承不承と頷く。

 リヴァイヴはなにも答えなかった。通信すら開かず、退却するガラテアについていく。ますます訳が分からなかった。が、このままでは戦況は悪化する一方なのも事実で、ガラッゾはレグナントと共に撤退した。

 

 

 

 

「どういうことよ、アニューまでやられちゃって。あたしらイノベイターなのに」

 不満げに喚くヒリングと、思案するアッシュ。

 リヴァイヴはまだ呆然としたように、緩慢な動作でヒリングを見た。

 先程起きた「ヒリングたちと合流しなければいけない」気になった現象。それが何なのか、リヴァイヴには分からない。記憶は曖昧で、高濃度のGN粒子に晒されたその後に自分の意識は怒りからそれに上書きされたのだ。

 何だったのだ、と思う。アッシュ・グレイといった出来損ないは、脳量子波すらまともに扱えないイノベイターでも人でもない存在だ。

「ダブルオーのパイロット……あの戦い方は、モビルスーツの性能だけではない。彼は恐らく……『革新』を始めている」

「はぁ? 何バカなこと言って、」

「そうでなければ説明がつかない事が多すぎるだろう」

「……純粋種とでも言いたいわけ?」

 馬鹿らしい、といった雰囲気でヒリングは言い放つ。

 リボンズのように能力が与えられているわけがない。リヴァイヴやヒリングと違って、彼はリボンズに造られた訳でもなければヴェーダへのアクセス権もレベル四──かつてのスメラギ・李・ノリエガと同じなのだ。ましてや、自分たちと違いリジェネのクローン。劣化した存在。そんな彼がヴェーダを介して能力を使えるなどありえない事だ。

 恐らくガラテアから多量のGN粒子を浴びせられ、こちらには筒抜けの脳量子波の影響を受けたのだろう。リヴァイヴはそう結論づける。

「貴様が思っているよりもイノベイターは上位種ではないという事だ。どう考える、リヴァイヴ・リバイバル」

「……僕も、同意する」

 先刻からリヴァイヴはどうにもあやふやな態度を取り続けている。不審そうに彼を見たヒリングはアッシュに問うた。

「さっきから何なのよ、ぼーっとしちゃって。あんた、何か知ってる?」

「知らないな。彼なりに思うことがあるんだろう。それでは、僕はフォルトゥナに戻る。まだ話すことがあるようなら、通信で頼む」

 唯一パイロットスーツのままだったアッシュは、それだけ告げると部屋を出ていく。すぐ左に曲がって、更衣室のある方向へ向かおうとしたそのとき、一人の男が歩いてくるのが見えた。

 制服の上に独特な上着を着用し、仮面を着けた男はアッシュの姿を見て立ち止まる。この面を着けたまま暗闇で遭遇したらゼルデは悲鳴を上げそうだ──と今はもういない仲間の事を思案しながら、アッシュは敬礼した。

「見ない顔だな。新兵か?」

「いいえ。私はフォルトゥナに所属するモビルスーツパイロット、アッシュ・グレイ准尉と申します。ケア大尉らと作戦行動を共にしたため、こちらにお世話になっていました」

「グレイ准尉。確かモビルスーツの開発者にも、グレイという名が居たはずだが……」

「マテリア・グレイは兄です。貴方は?」

「……名乗る名は持っていない。他の兵士たちは、私のことをミスター・ブシドーと呼ぶがな」

 ミスター・ブシドーと言えば、思案したまさにその仲間が目標としていたユニオンのグラハム・エーカーではなかったか。だが、『名乗る名はない』と言われればわざわざ訊くのも野暮というものだ。

 僅かに微笑んで、アッシュは言った。

「ミスター・ブシドー。貴方も今から出撃なさるのですか?」

「ああ。特命が下った」

「──準備が完了しました、ミスター・ブシドー」

 静かな女性の声。一体誰かとアッシュがそちらを向くと、スーツを着用した金髪の女性パイロットが立っている。

「失礼しました。ルイス・ハレヴィ准尉です」

「アッシュ・グレイ准尉だ。先程の任務では世話になったな」

「という事は、貴方はガラテアのパイロット……?」

「そうだ。これからまた任務とは、忙しいことだ。気を付けろ」

「はい」

「……そろそろ行くぞ、准尉。では、失礼する」

 ミスター・ブシドーとルイスは格納庫に向かって歩いていく。それを見ながら、自身も帰投しなければならないことを思い出して、アッシュはガラテアの待つ格納庫へと向かった。

 

 

 

 

 帰投した刹那と沙慈は、無言で待機室に踏み入る。そこには彼女がいて、青いハロで端末の文書を読み進めていた。

 アニューの代わりに操舵手を頼まれたのだ。すっかり信用されたものだと思うが、これからの戦いを考えれば仕方がないとも言えるし、信頼に値するとも考えられる。

 オーライザーを奪取しようとしたリヴァイヴに抵抗したのも、彼女なのだから。

「グリシルデ・シュミット」

「シュミットさん」

「セイエイさん、クロスロードさん。お疲れ様」

 互いの名を呼んで、それだけだ。ゼルデは文書──もとい、プトレマイオスの操舵のマニュアルを閲覧しているし、二人も疲れからか口を開かない。

 時折ハロが喋る以外は、居心地の良いとも悪いともとれない静寂が待機室に広がっていた。

「……ねえ」

 五分ほどの沈黙の後に、ゼルデが声をかけた。

「どうした」

「あの時、貴方は何を言いかけたんですか」

「なんの事だ」

 セイエイさんは誰かに似ていると思ってたけど、アッシュだわ。外見だけなら、アーデさんが瓜二つなんだけど。下らないことを考えながら、ゼルデは答える。

「さっきストラトスさんに狙撃がどうのって言いかけて、止めたでしょ」

「……ああ」

 何かを思い出しているような遠い目、しかしその表情は少しだけ苦々しいもので。なにかよくないことを聞いてしまったのかと思う。

「『狙撃のコツは、あの男に教えてもらった』。だ」

「あの男ってまさか」

「ロックオンだ」

「それは確かに言えない事ね」

 触れてはいけないものに触れてしまったという顔で、ゼルデは口を噤んだ。

 かつては仲間だったようだが、間違いなく、現在のロックオン・シューターは敵であるのだから。

 

 

『──愚かな人間だ』

『ア、ニュー?』

 人が変わったかのように冷たく、見下すような調子で喋るアニュー。

 ぼろぼろになったガッデスのヒートサーベルが振られ、包囲するシールドビットが破壊され、ファングがケルディムを切り裂いていく。

『アニューッ』

 悲鳴のようなその声もアニューには届かない。やめてくれ。そう心の中で絶叫した、その時。

 ハロがダブルオーの接近を告げる。三機を振り切って飛翔した刹那が、今だけは絶望的だった。戦えない理由の方が大きい。もしもの時は俺が撃つ。彼の言った通りになるのは、己の死よりも恐ろしかった。

 女神の名を関する機体を、澱みなくなくダブルオーのGNソードⅡが撃ち抜いた。

『あ、ああ……!』

 その躊躇いの無さに、ライルは声を上げる。アニューが。彼女が。

 呼びかけるが、応答はない。

 彼女がどうなっているのか、口に出すことさえ、恐ろしかった。

 ダブルオーは加速する。機体を赤く染めて、こちらへ接近してきて。

 ライルの視界に、美しい碧緑色の粒子が、オーロラのように揺らめいた。

 ──わたし、は。

 アニューの声が、聞こえたような気がした。物理的な認識ではない。意識が光の海に溶けていくような、そんな錯覚を覚える。距離も肉体も、何もかもが阻むことを許さず碧緑の光が繋いでいく。ライルが手を伸ばすように声に応じれば、アニューを封じ込めていた『何か』が動揺するのを感じる。

 ──こんな、これは、一体。

 知らない、誰かの声。それも散って、アニューの声が大きくなる。

 私は、と言った、その先は。

 

「──私は、未来を掴みたい!」

 

 その声とともに、世界が吹き飛んだような、そんな感覚を覚えた。

 時間にして一瞬。ハッとしたライルの向こうに、ダブルオーはいた。

『ロックオン、彼女を! 負傷はあるが生きている!』

『刹那……』

『急げ!』

 緊迫した刹那の声に、震える腕で破損の酷いケルディムを動かす。露出したコクピットから彼女をケルディムの手に乗せて、ライルはハッチを開けた。

『後は俺たちがやる。彼女を頼んだ』

 短く告げて刹那はティエリア達の元へ飛び去っていく。

『アニュー……っ。刹那……、ありがとう……!』

 泣きそうな声で言いながら、ライルはアニューを抱いてケルディムをプトレマイオスへ向けた。

 

 

「あの時、彼女は何者かに操られていた」

「操るって、何よ。そんなファンタジーみたいな……」

 怪訝そうにゼルデが返した。沙慈も同様だ。眉根を寄せて、彼を見る。

「トロイア・ヘクトールも、ルイス・ハレヴィも。それが全て同一人物かは分からないが、そう感じた」

「どうしてそう、言いきれるの?」

「分からない。だが、確信がある」

 だが刹那は至って真剣だ。平坦な口調で、愛する者が戦っている二人へと。

 不安げに、沙慈は言う。

「……最近の君は、どこかおかしいよ」

 今までとは、何か──そう続ける前に、フェルトの艦内放送が響いた。

 艦内のシステムチェックの為、一時的に電源をカットするという。すぐに待機室が暗くなって──そこで見たものに、ゼルデも沙慈も、絶句した。

 刹那の強い意志を宿した双眸は、いつもとは違う金色に輝き。

 二人を、射抜いていた。

 艦内の電源が復帰したあとも、二人は言葉を発することが出来なかった。

 

 

 

 ──そうだね。

 ──彼は×××にも、見えたよ。

 ──君は何をしたんだい?

 ──僕の複製さ。何もしていないよ。

 ──ああ、君は覚えてないからね。彼が同じ力を有していたとして、分かるはずもない。

 ──本人からは聞き出せそうにないし、あたしがやってみようか?

 ──問題はないけれど、彼の返答次第だよ。

 ──早く棄ててしまうべきかもしれないね。

 ──やめてよ。そしたらあれに乗る子がいなくなるじゃない。

 ──冗談さ。彼にはまだ、役割があるんだから。

 

 



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確信のストケイオン

 薄暗い自室で、私はベッドに座っていた。

『こちらの報告は以上ですわ。そちらの状況は如何ですの?』

「問題ありません。彼の治療もほとんど完了していますし、行動の指針も先程申し上げた通りです」

『それは安心しましたわ。ですが、気をつけてくださいね。アロウズの艦隊が集結していますわ』

「分かりました。機体調整を続けてください」

『了解致しましたわ。GNW- 021D『テロス』は、最終調整に入っております』

 彼女からの連絡。それは自分への期待を示すものでもあるが、反面、悲しくもあった。

 彼女の期待に応えることは、アッシュやロックオンといったアロウズの仲間たちを敵に回すことになるかもしれないのだから。

 その迷いを読み取ったか、彼女は言った。

『大丈夫ですわ。貴方は、間違ったことはしていませんのよ』

「…………」

『もしこの作戦が失敗すれば、世界はアロウズによって統一されてしまいますわ。カタギリ司令は絶対に、今の政策を崩すことはありません』

「……はい」

『貴方の行動が、無駄な犠牲を減らすのですわ』

「わかってます」

『三日後。貴方の力をお借りしますわ』

 耳を撫でる、滑らかな声。私は、胸に湧き上がる感情を息に乗せる。

『それでは、通信が感知されてはたまりませんから。失礼致します』

 プツリ、と彼女との通信が切断される。

 そうして私は、端末を切ってベッドへと体を預けた。

 

 

 

 ──未来の為に。

 そんな言葉を、プトレマイオスに乗ってから何度も聞いた。未来のために自分が何をすべきか、自分には何が出来るのか。過去に囚われたまま戦い、未来まで殺すのはもうやめた。今は自分が生きていく世界を、未来を変えたい。あの時とは違い、グリシルデ・シュミットはそんな事ばかり考えている。

 エイヴィリー──トロイア・ヘクトールがメメントモリを奪取しようとして重症を負ってから二ヶ月以上が過ぎている。彼の行動は自分が一因であるし、スレイヴの出力ももう少し加減ができたのではないかと反省することはあるが、スレイヴを使用したことに後悔はしていない。

 何故なら、エイヴィリーは生きている。ならば話だってできる。これからの事を、彼と話したかった。

 彼女だってそうだ。傷は癒え、脳波も正常。いつ目覚めてもおかしくはない。

 もう一つのカプセルに眠る、アニュー・リターナーに視線を移す。

 ゼルデには脳量子波がどうとか言われてもよく分からなかった。しかし、きっとまた話せるのだと確信していた。

 イノベイターで、スパイで、ラッセに銃を向けて。マイスター達とも、戦った。エイヴィリーにも言えることだが、本来ならば治療をして貰えるような立場ではないのだろう。

 しかし、ソレスタルビーイングは──プトレマイオスの仲間たちは、助けた。

 彼女にも未来の可能性が出来たことを、喜ばしく思う。どう言う理由であれ、アニューが死んでいれば未来を掴むことは出来なかったのだから。

「こんな所にいたのか」

 その声に振り返る。いつもの様に右手を挙げる彼に、ゼルデは応じた。

「ストラトスさん」

「グリシルデ。スメラギさんが呼んでたぞ」

 何度言っても愛称でなく本名で呼ぶライル──ロックオンは、ゼルデの隣に立ってアニューの様子を見る。

「……結局、起きないままか。折角助けられたんだから、何とかなるといいが」

「何とかって……」

「刹那達が持ち帰ってくれたヴェーダのポイント。あれを奪還したら、きっと何とかなるはずだとさ」

 数日前、刹那と沙慈が得てきたラグランジュ5の情報。それを解析した結果、月の裏側にヴェーダは存在すると判明したのだ。

 ヴェーダ。それがなにか、ゼルデははっきりとは知らない。が、それが自分たちの命運を握っていることは理解出来ていた。なぜなら──ロックオンたちは、これからヴェーダの奪還に向かうのだから。

 目を伏せて、ゼルデは呟く。

「そのヴェーダってやつなら……」

「ああ。ヴェーダを奪還できればわかるかもしれない。──ま、アンタは操舵に集中すればいい。出ることがなければいいけどな」

 ぽん、とライルが肩を叩く。彼の表情に、ゼルデの表情も柔らかくなった。

「……でも」

「ん?」

「私に操舵なんて、任せていいのかしら」

「オーライザーの強奪を阻止したのはアンタだろ。信頼されてんだよ」

「……元は敵よ。それにあの男のこと、私はまだ許せてないわ」

「それでもアンタは、ソレスタルビーイングに協力する意思がある。それだけでいいんじゃねーの」

 ニールと同じ顔、同じ声。しかし言動は別人で、ゼルデにそんな言葉をかける。

 憎しみは消せないのかもしれない。けれどゼルデは、未来を掴むことを選んだ。

 ロックオンもそうなのだ。彼女と共に未来を掴むために、戦う。きっと、望む未来は同じ。

「じゃあな。そろそろ行かなきゃならない」

「ええ。気を付けて」

 もう一度アニューを見てから、ライルは格納庫に行くため壁を蹴る。ゼルデも眠るエイヴィリーを見つめて、祈るように手を組み目を閉じた。

 ──大丈夫。

 ──きっと、目覚めるわ。

 私たちには足がある。どんな障碍があろうとも、どんなに厳しい道でも、二人ならば歩いて行ける。そう呟いて、ゼルデはプトレマイオスのブリッジに向かった。

 

 

 

「グッドマン准将からの打電です。特務艦が撃沈しました」

「了解しました。各自、対応はプラン通りに。ここからが本番ですわ。配置をプランA-10へ変更」

 フォルトゥナのブリッジで、ミルティの声が響く。

 GN粒子を拡散させるアンチフィールド。

 それが広がった今、GN粒子を使ったビームやシールドは効果が激減しているに違いない。あとは実弾装備のモビルスーツを投入し、圧倒的な数で以て殲滅する──それがグッドマンの立てた作戦だ。

 ほとんどの武装がGN粒子を使うガンダムには有効な作戦と言えよう。しかしミルティはソレスタルビーイングの指揮官を過剰と言われるほど危険視していた。

 故に、アンチフィールドを突破した機体を叩くため、ミルティたちは遠方に位置している。行き交うミサイルがまるでリボンのように尾を引いて、戦いの光だと言うのに宇宙を煌びやかに彩った。

 その光をオリエンタルブルーの瞳に映しながら、彼女は自身の抱える端末に視線を向け、この先の『手筈』について思案した。

 

 プトレマイオスのブリッジも焦りが見えつつあった。

「なぶり殺しかよ……!」

 実弾の雨に晒されながらラッセがこぼした言葉を拾う余裕はない。ゼルデはフィールドを出るべく舵を切り、厳しい顔でモニタの向こうを睨んだ。

 アンチフィールドを抜けなければ数に圧倒されるだけだ。最大加速で離脱しようとしているというのに、未だ果てのないフィールドに歯噛みする。操舵手としては経験は短いがしっかりとプトレマイオスを操れている。故にこれは広域に展開されたアンチフィールドのせいだ。

 攻撃に揺れる艦の中、厳しい顔でモニタを見つめる。既にモビルスーツの出撃したフォルトゥナがいて、そこにガラテアとアレーティアがいないと気づいて眉を顰める。

 一際大きく、プトレマイオスが揺れ、ミサイルで迎撃できなかったジンクスが眼前にいた。

「っ……!」

 ゼルデにそれが見えていなかった訳では無い。掻い潜ってきたアヘッドが驚異的なだけだ。アヘッドはミサイルをこちらに向け、射出しようとしたタイミングで──リニアライフルの弾丸が、赤い機体を襲った。

「これは……!」

 反連邦勢力カタロン。その全戦力だった。

 窮地を脱し、ゼルデは安堵の息を吐く。ほかの乗員も態度には出さぬがそんな概ね同じ心境だったが、スメラギは何かを考えている顔で戦場を見据えていた。

 カタロンの武装は、全て実弾兵器だ。ということは、アロウズの戦術を予測していたというわけで。この作戦を指揮しているのは、まさか。

「ラッセ、シュミットさんを出すわ。操舵をお願い」

「ノリエガさんっ?」

「シュミットさん、急いで。ミレイナは発進シークエンスを」

「了解です!」

 スメラギに急かされ、立ち上がったゼルデは格納庫へと走る。リフトグリップを握って廊下を移動するのがもどかしかった。開いているコクピットへ飛び込んで、ハッチを閉じるとほぼ同時に機体がカタパルトへ移動しミレイナの声が届いた。

 それから──アロウズ艦隊に勧告する、というハスキーな女性の声。

『我々は決起する。悪政を行う連邦の傀儡となったアロウズはもはや、軍隊ではない』

『リニアカタパルトボルテージ上昇、射出タイミングを譲渡するです!』

『オーケー。ラヴィーネ、グリシルデ・シュミット。出るわよ!』

 言葉に応えてゼルデは加速し、揺れて不安定なプトレマイオスから飛翔した。

『世界の行く末は市民の総意によってのみ決められるものだ。我々は貴様らの蛮行を断罪し、市民にその是非を問う!』

 直後にこちらへ向かって射出ポッドを向けるアヘッドにアンサラーを一閃。手足を破壊して、戦闘能力を奪う。

 ゼルデはアロウズに反旗を翻すにあたって、殺さなければやられるという場面以外では戦闘能力を奪うにとどめるようにしている。

 腰部のブースターから粒子が舞う。ランスを構え突進してきたアヘッドを蹴り飛ばして反転し、背後から襲ってきたジンクスを切り裂いた。振り向きを捉えようとするもう一機は左足のビームエッジの餌食になる。

『道は作るわ。阻む者は斬るから……だから!』

 敵が多い。アンサラーを納刀し、こちらに向けて放たれんとする大量のミサイルを見て左腰の実体剣の鞘を掴む。ラヴィーネはぐっと腰を落とし、右手で柄を握ると、瞬時に鞘から抜き放った。

 粒子は使用されない。目にも止まらぬ速さのそれに、ミサイルのほとんどが撃墜された。

『早く、この戦いを、終わらせて!』

 GNレールブレイド。

 胸部のGNスレイヴと同様、ラヴィーネに搭載された新兵器だ。リニアライフルの転用で使用される居合専用の武器で、その刃渡りも相まって広範囲にダメージを通すことが出来る。

 二の太刀で残ったミサイルを切り裂く。レールブレイドを納刀して、再びラヴィーネは二刀を握り飛び立った。

 距離をとっても無駄だと悟ったのだろう、ポッドを破棄したジンクスがランスを振り下ろしてくる。しかしガードせずに横に剣を振るった。真っ二つに裂けた槍に驚愕する相手の四肢を切り落とし、ゼルデは道に立つ機体を撃墜していく。

 爆散したミサイルの破片がラヴィーネへ降り注ぐ。その破片ですら、今の彼女を傷つけるには敵わない。

『グリシルデ・シュミット!』

 自分のことを知っている者がいたらしい。裏切り者と認識された彼女へ、一機のジンクスが襲いかかった。

『この裏切り者が!』

 その言葉は正しい。あれだけガンダムを憎んでいたはずのゼルデは、言うならば『テロリストの妄言に惑わされた裏切り者』だ。

『──っ、私は』

 それを再認識したゼルデは一瞬、ラヴィーネを操る手を止めてしまう。それだけでよかった。その僅かな隙で、ラヴィーネの眼前でランスが振り下ろされた。

『グリシルデ・シュミット』

 GNソードiiがその切っ先を受け止める。ジンクスから放たれたのと同じ言葉、しかしその作用は全く違っていた。

『セイエイさんっ』

『迷うなっ。道を開くんだ』

『了解!』

 蝗の群れのようにこちらに向かってくる赤いモビルスーツの大軍。アンサラーを納刀したゼルデは再びレールブレイドによる居合を放つ。

『あと、三回……!』

 レールブレイドは高速で抜刀する性質上、機体にかかる負担が大きく五回が限度、それ以上は機体が耐えられず分解する。おまけに連続で使うと熱で刀身がへし折れるとのことで、おいそれと使えるものではないようだ。十機近いアヘッドとジンクスをまとめて叩き斬って、そのままアンチフィールドの外へと脱出する。

 待機しているであろうと思ったその先に、フォルトゥナの影はない。昨日の作戦通り移動したのだろう、そう思って銃撃戦の中アンサラーを振るう。

 その横をダブルオーが翔け抜ける。トランザムによって高まった威力でのビームにより、旗艦はあっさりと撃沈した。

 しかし──。

 アロウズの艦やモビルスーツから放たれる攻撃が止む気配はなく、戦闘は続いている。

『何でよ……指揮官が居なかったら、どうしようも……』

『──全部隊に告ぐ!』

 オープンな回線で響く刹那の緊迫した声に。攻撃の手を休めぬまま、今まで聞いた事の無いほど焦った彼の言葉に、ゼルデは危機感を覚えた。

『即座に回避運動を取れっ。来るぞ……攻撃が来る! 禍々しい光が……!』

 はっきりとしないその物言いに、ゼルデは眉を顰める。だが、何か彼の危惧することがあるのだと理解して、ゼルデは進行方向を変える。

 直後。

 凄まじい光の束が、敵味方の区別なく宇宙を貫いていった。

 刹那の警告がなければ、ゼルデを含めたもっと多くの人間がその光に呑み込まれていただろう。

 サッと血の気が引くのを感じた。ビームの乱入に、ソレスタルビーイング、カタロン、正規軍の反連邦勢力だけでなく、アロウズも混乱していた。だが、それを上回る衝撃が、この場にいた全員に走る。

 それまで何も無いように見えていたその場所に、巨大な建造物が出現したのである。

『これは……』

 衛星のようにも見えるが、おそらくこれがイノベイターたちの母艦と言うべきものだろう。そう、直感する。

『──各艦に通達します。我々、ソレスタルビーイングはこれより敵母艦へ侵攻し、そこにある量子演算システム、ヴェーダの奪還を開始します。ここに、これまで協力していただいた方々への感謝と、戦死された方々へ哀悼の意を表します』

 スメラギは進路の変更を指示する。ヴェーダを奪還、最悪破壊してでも敵母艦を止めるのよと言った。

 ダブルオーが、ケルディムが、アリオスが、セラヴィーが、飛翔する。プトレマイオスも、それに続く。

『私も、行きます』

 ゼルデは強い眼差しで、聳え立つ威容を見据える。

『シュミットさん、今ならあちらに戻れるわ。彼だって、』

『私も貴方達と戦います。エイヴィリーの為に……未来の、為に』

『……いいのね?』

『はい。だから絶対、ヴェーダを取り戻してください』

 その覚悟を汲んで、スメラギが頷いた、直後。

 プトレマイオスと共に飛翔したガンダムたちは驟雨のごとく降り注ぐビームの洗礼を受けていた。

『本艦は侵入ルートを探査しつつ前進。各機砲台を叩いて進行ルートを確保』

 了解、と各々が返して、砲台を破壊していく。ライルはトランザムによって多数の砲台を狙い撃ちながら、キリがないと吐き捨てる。

『シルト!』

 遠距離射撃のできないラヴィーネは、その背面にある遠隔操作武器──シルトファングを分離させ、コンソールを叩いて砲塔へ差し向ける。翼のように背面に広がるアーマーから飛翔したそれは的確に砲台を貫いて駆け巡った。

 徐々にではあるが進行ルート上にある砲台は破壊され、敵母艦との距離はそう遠くない。警戒すべき第二射は未だなく、チャージに時間がかかっているのかとスメラギは眉をひそめた。

 ようやく敵の本拠地に手が届くとゼルデは安堵する。しかしそう簡単には行かないようで──敵の母艦から躍り出るモビルスーツに驚愕していると、それは虫かなにかのように増殖しモニタを埋め尽くすほどの群れとなった。

『な、何よこれっ……!』

 シルトファングを呼び戻し迎撃しながら、その機体が今までのものとは違い全高が極端に低いことに気づいた。上半身は通常のものと遜色ないが、下半身はなく腰から上にバーニアを取り付けたかのようなアンバランスさを持っている。

 その不気味なシルエットに、言い様のない不安を覚え。

 そして──先頭の一機が赤く発光したのに応じるが如く、他の機体も赤く染まる。飛躍的にスピードを上げてこちらへ向かってくる様はまるで津波だった。

『まさか……!』

 攻撃をする訳でもなくこちらに突進してくるそれらに、スメラギが確信の声を上げた。

『トランザムシステム……』

『特攻兵器か!』

 敵にデータが持ち出されているというのなら、こういった状況も考えていた。しかし、イノベイター機に付与されるだけならまだしも、このような特攻部隊を編成していたとは。

 五人がビームやミサイル、サーベルで応戦する中、それを潜り抜けた一機がトランザムによる推進で突破しプトレマイオスに特攻した。

 それを好機とモビルスーツが殺到し、次々に取り付いていく。

『大型砲塔がこちらを捉えましたっ!』

『ラッセ!』

 フェルトの悲鳴に近い声が告げる。敵母艦にあるリングから巨大な砲塔が滑りこちらに砲口を向けてくる。

 十二分にチャージされた破壊の奔流が、プトレマイオスのモニタを埋めつくした。

 ガンダム各機は散開し、既に回避している。だがプトレマイオスは、ラッセが操舵したものの回避は間に合わず──

 祈るべき神はいない。ただ、スメラギは白の中に確信を見る。

 太陽を直接見た時のような、暴力的な光の中にあるたったひとつの、黒点。

 否。

 それは、黒ではなかった。

 夜の闇のような、青。

 GNW- 021D。両肩の盾を重ね、プトレマイオスの前に立つ、終焉(テロス)であった。

 

 

 

 



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終わりの始まり

 時折、考えることがある。

 俺たちは、一体何なのだろうと。

 地球連邦平和維持軍。独立治安維持部隊アロウズ。そして、アイアスのパイロット。

 各々が特殊な事情や志のもとに集まった俺たちは、気がつけばそんなものになっていた。

 三年前、士官学校で力をつける最中、ソレスタルビーイングにスカウトされた俺はたった一つ条件を出した。

 グリシルデ・シュミットを守る。だから、彼女の傍に居させてくれ。それだけ。

 何度も思う。助けられる力があるのに、どうして俺は行けなかったのだろうと。

 軍規に厳しいアッシュはもちろん、ゼルデもロックさんもミルティ少佐の指示に従うのは理解出来る。だが、俺には助けられるだけの力があったのだ。驕りではない。アリオスの攻撃如きではアイアスの装甲を破壊することなどできない。その自信があった。

 軍人としては、間違っているのだろう。しかし俺は、少佐の判断が正しかったとはどうにも思えない。

 愛する彼女のことを、思い出して。

 

『貴方に会えてよかったわ、エイヴ』

 

 声が、聞こえた。

 

『私は、エイヴが幸せなら、それでよかったのよ。そのはずだった。でも』

 

 装甲の殆どが破壊され、露出したコクピットの中。今にも爆発しそうなほど火花の散るその中で、痛みはもう、感じなかった。

 それは夢か妄想か、今際の際に見た幻覚か。

 なんでもいい、と俺は思う。こうしてまた会えたのだから。

 

『私はエイヴと、未来を歩みたい』

 

 そう言って、彼女は。

 

 

 

 エイヴィリーは目を閉じている。その瞳から、涙が一筋こぼれ落ちて──そして彼は、目を開くと涙を拭った。

 医療用カプセルを開く。すぐ隣に設置されている通信用コンソールを叩き、エイヴィリーは言った。

『ミス・スメラギ。状況は』

 

 

 

 始めに感じたのは、痛みだった。声が出そうなほどの頭痛に、ニールは目を開く。白い光が見え、徐々に像を結んでいくそれが、天井である事に気づいた。特有の臭気から、ここが医務室──あるいは、病院であることは理解出来た。

「俺、……どう、して……」

 声は掠れていた。全身が疲れていて、怠い。

 小さな音を立てて、見回した先にあるドアがスライドして一人の青年が入ってくる。

「よかった。目が覚めたんだね」

 眼鏡を掛けたその向こうで、瞳が細められる。

「──あ、あ。リジェネ。治療が終わった、って所か?」

「そうだよ。体の調子はどうだい? おかしい所はある?」

「問題ねぇ、が……俺、何かあったのか?」

「心配いらないよ。アレーティアに乗ってここに来たのは覚えているかい?」

 心配げにリジェネがこちらを覗き込んだ。その言葉に、何かあったのかと首をかしげニールは尋ねた。

「君は発作を起こして倒れたんだよ。細胞異常がここまで進行しているとは予想外だったんだ」

「そう、だったのか。悪い、そこまでは覚えてねぇんだ……」

「幸い、中にハロもいた事だし大事にはならなかったけどね。治療には時間がかかったよ」

 蓋をした何かがそれをこじあけようとするように、頭痛がニールの思考を乱していく。

「なあ……、あれからどのくらい経った? 俺がここに着いてから、だ」

「三週間。アロウズの戦況も芳しくない」

 リジェネの言葉にハッとする。アッシュは、マテリアは、フォルトゥナの仲間たちは。

「アッシュもマテリアも無事だよ」

 上体を起こし、壁に視線を遣る。頭が働かずぼんやりとする。酷い頭痛がニールの思考を何度も邪魔していた。

「……ェ、リア」

 無意識に、ニールはそう呟いていた。

 まるで脳の中で毛虫が蠢いているが如く落ち着かない。皮膚の下を線虫に這い回られているかのような不快感と違和感がずっと続いていた。

「どうしたんだい、ニール・ディランディ」

「いいや、何も……」

「……君は結局、その感情から抜け出せないんだね。いいさ。どうとでもできる。ティエリアとは会ったかい?」

 リジェネがなにか、おかしい事を言っている気がする。いや、おかしいのは自分だ。リジェネの言葉は正しい。いや、……正しい? 本当に? 思考がまとまらない。頭が痛い。頭蓋を貫くような頭痛がする。

「……いいや、会ってない」

「大丈夫、直ぐに会えるさ。君が右眼を対価にしてまで救った相手だ」

 そうだ。思い出したのだ。自分の右眼は、特務機関で仲間だったティエリアを庇って失われたものだった。テロに巻き込まれて、仲間の命には代えられぬと。

 そして俺は私怨のまま、感情のままに戦って死にかけて、何年もの期間を医療用カプセルの中で過ごしたのだ。そのせいで、彼は背負う必要のなかった罪悪感を抱えてしまった。ティエリアを庇うことはできたが、救うことはできなかったのだ。

「ああ……。今度、こそ」

 押し寄せる、胸を抉るような感情に唇を噛んだ。

 俺は変われなかった。誰も救えなかった。だから今度こそ、ガンダムを倒すのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ティエリアを救うのだ。

 ズキ、とまた頭痛が始まった。なんなのだろう。何故これほどまでに頭痛がするのだろうか。頭を押さえて、頭痛が収まるまでの時間を耐える。

「……もう、出撃できるのか?」

「頭痛が治まらないんじゃないのかい? 辛そうだよ」

「いい。俺は、あいつらを撃たなきゃならない」

「分かった。手配は済ませているよ」

 その瞳はここではないどこかを見ていて、『調整』を上手くやってくれたようだなとマテリアに感謝する。

 人の感情は実に御しやすいもので、たった一度悪夢を見せてやるだけでも面白いほど操れるのだ。

 人間は脆い。一人死んだくらいで自らを壊しかねない感情を抱いたり、破滅へと進んだりする。そういう効率の悪さは、やはり人間が不完全で進化途中の存在だからなのだろうか。

「アレーティアは整備を終えて、格納庫にスタンバイしてある。また会おう、ロックオン・シューター」

 そんな感情はおくびにも出さずに、リジェネは告げた。

 起き上がったニールは、掛けられていたパイロットスーツを着用しヘルメットを掴む。

 

 あの時。

 赤い輝きが自身の目を焼いたことを覚えている。絶望した声で自分を呼んだ、ティエリアの声も。

 彼に傷ついて欲しくなくて、ニールは庇った。しかし、結局。

「俺は、何も出来なかった」

 ──だから。

 コクピットから、ハッチの向こうに広がる宇宙を睨む。倒すべき敵がそこに居る。

「狙い撃つ」

 ティエリアがもう、罪悪感を抱えなくてもいいように。

 覚悟とともに加速する。朱いGN粒子が、火花のごとく宇宙空間に散った。

 

 

 

『あれは……!』

 セラヴィーにも似た横幅のシルエット。

 夜闇のような青に、赤いライン。

 そして、両肩の巨大な盾。

 ビームの前に立ちはだかったその機体は、防御姿勢を解除すると、おもむろに両腕を全面へと向けた。

 両脚に掛けられたボウガン型のビーム兵器、GNボウiiが引き出され、展開。再びこちらに向かってきた特攻兵器を撃ち落としていく。

 第二射、第三射を間髪入れずに発射。その様に安堵したマイスターたちは破壊を再開した。

 一体、誰が。その疑問を呑み込めなかったらしいティエリアが通信を飛ばす。

『協力を感謝する』

『……ああ。今まで、済まなかった』

『その声……トロイア・ヘクトールか!』

『今の俺に、それを名乗る資格は無い。ティエリアさん、行ってください』

 じっと前を見据え、ボウとミサイルで特攻兵器を迎撃する。彼のやったこと、やろうとしたことを考えれば当然か。ソレスタルビーイングの理念を外れた大規模殲滅兵器を奪取し、世界を焼こうとした行動は明らかにエージェントとしてかけ離れたものだ。

 お小言──もっと言うならば、ティエリアからの怒声まで覚悟していたのだが。

『了解』

 短く返して、ティエリアは通信を切る。

 カタロンや正規軍の援護もあって、特攻部隊が撃ち落とされていく中艦船用のドックを発見。プラン通りトランザムで突貫したプトレマイオスは着艦した。

 依然として止む様子のない特攻を迎撃する為、アリオスとGNアーチャーがプトレマイオスの後方に位置する。ラヴィーネとテロスもそれに続いて特攻兵器を撃墜していく。残りの三機は散開し、それぞれ侵入ポイントを探す。

 その間にもフェルトが母艦内をスキャンしており、ヴェーダを発見し次第ティエリアがそこへ向かう手筈となっていた。

 特攻兵器だけではない。オートマトンも百機近く、プトレマイオスに群がっていた。

 特攻兵器を撃ち落としながらの探索の中、ヴェーダを発見したというフェルトの言葉にティエリアは頷いた。

『よくやった、フェルト!』

 彼らしからぬ言葉ではあったが、ある意味では彼らしいとも言える反応である。漸く、敵の弱点であり、己の最大の武器であろうものの位置が判明したのだから。

 直後、接近する機影に──飛来したビームに、ティエリアは目を見開いた。

 深緑と黒に染め上げられた、肩のランチャーをこちらに向けるモビルスーツ。

『ロック、オン……』

 GNフィールドの向こうに、アレーティアの姿がある。展開したランチャーは、セラヴィーを狙っていた。

 咄嗟に反応出来ず、混乱がティエリアを無防備にした。その瞬間、セラヴィーに向かって大出力のビームが放たれた。

『ぐっ……!』

 フィールドだけでは減衰しただけで機体を掠める。再び放たれたビームに母艦へ叩きつけられて思わず声が上がった。

『ティエリア!?』

『敵機の襲撃を受けた。迎撃する!』

 機体の状況を確認する。戦闘には支障なし。

 体勢を立て直したティエリアは、真っ直ぐにアレーティアを見据えた。

『ニール、僕はあなたのおかげで、ここまで戦ってくることができた。あなたの存在が僕を、人間にしてくれた』

 ──だから。

『今度は……今度こそ僕が、貴方を救う!』

 その答えは、砲口より放たれた赤い光だった。その手に握られたガンブレードがセラヴィーの装甲を撃ち抜かんと乱射される。

『待ってアーデさん、敵の対処なら私が──』

『喋るなっ。君は迎撃に集中していろ!』

 左のバズーカを連射し、アレーティアを牽制する。炸裂する数発のビームが機体を掠めた。

『ロックオンっ、やめてくれ! 僕は貴方と戦うためにここにいる訳じゃない。思い出してくれ、僕達は仲間なんだ……!』

 こんな事、こんな戦い。している余裕など、ないと言うのに。

『……だま、れ』

 お互いに顔を見ぬ通信の先。ニールは昏い双眸でセラヴィーを睨み、そう吐き捨てた。

『てめぇと一緒に、するんじゃねぇ』

 再三放たれる砲撃。しかし、チャージの短い分その攻撃の威力は低い。GNフィールドでビームを受け流しながらティエリアは逃げ回る。

『ロックオンッ』

『うるせぇ、てめぇは……てめぇは、俺の……!』

 まるで呪いをかけられたようだ。ただ怨嗟の声を吐き、セラヴィーが──ティエリアがいなくなればそれが解けると信じているように、執拗に狙う。

 火力、持続性に関してはセラヴィーが上。しかし命中率は圧倒的にアレーティアが勝っている。幾度も狙い撃たれるGNフィールドに歯噛みしながら、ティエリアは接近しようと試みた。

『来るんじゃねぇ! 誰がてめぇの仲間だっ。お前は……お前らは、世界を乱すテロリストだ!』

『違う! 間違っているのはアロウズの、イノベイターのやり方だ!』

『黙れ、紛争根絶を掲げるテロリストが!』

『ロックオン!』

『それはお前が呼んでいい名前じゃない!』

『嫌だ! 貴方が思い出すまで、何度だって呼ぶ!』

 数週間前と同じだった。ロックオンと呼ばれ、違うと怒鳴りながら銃を乱射する。

『何故だっ。何故、貴方は……』

『死ねええええっ!』

『く、……トランザム!』

 脚部の損傷をアラートが知らせる。装甲ごと撃ち抜かれたことを理解した。だが、苦しくも、痛くもない。当たり前だ。今苦しんでいるのは、痛いのは、ロックオンの方なのだから。

『なぜそんなに苦しむ!? 何が貴方を縛るんだ!』

 そう訊ね、セラヴィーはアレーティアの銃口から逃れ、まるで瞬間移動のように背後へ回り込んでいた。

 銃を握る腕に対して斬撃を叩き込もうとして瞬間、左腕で抜かれたGNガンブレードがその手を撃ち抜く。

 しかしセラヴィーは止まらない。ライフルを構えた腕を掴んで、セラヴィーはアレーティアの両腕を封じた。

 パワーでは勝負にすらならない。先の戦いと似た展開ではあるが、結果は異なる。アレーティアは抵抗するが、セラヴィーの前には意味をなさなかった。

『ぐっ』

 母艦の外壁に叩きつけられて、衝撃にニールは手を離してしまう。苦しげな呻きに酷く胸が締め付けられて、ティエリアは顔を歪めた。

『聞けロックオン! ニール・ディランディ!』

 人間ならば、呼吸が触れるほどの距離で叫ぶ。鼓膜をびりびりと震わせるその声に、ニールは目を見開いた。

『ティエ、リア……?』

 まるで、今その存在に気づいたかのように。

『どこ、だ? ティエリア……俺は、お前に謝らないと……』

『僕がティエリアだ! ティエリア・アーデだ! ロックオン、貴方はそれ程までに、僕たちが……ソレスタルビーイングが、憎いのかっ?』

 愛する母の手が、父の背中が、妹の華奢な身体が、惨たらしく歪められた様を思い出す。それだけではない。自分が庇ったティエリアが、呆然とした声で自分を呼ぶのが脳裏に焼き付いていた。

『そうだ。俺の家族はテロのせいで死んだ。お前たちのように、世界の秩序を乱す存在のせいでな!』

『……アロウズが何をしているのか、貴方は知らないのか? 鎮圧と称した虐殺、それを隠蔽し、世界を歪めているのはアロウズだ!』

『ああ、そうだな』

 なぜ自分が生きているのか、なぜティエリアを救えなかったのか。気が狂いそうなほどの憎悪と罪悪感がニールを苛んでモニタの向こうにいるテロリストを睨む。

 だから、とニールは前置きした。そして左手に握ったままのガンブレードを手放し、セラヴィーを優しく突き飛ばす。

『……ティエリア。もう、俺は、大丈夫だから……』

『ロックオン……!?』

 ゆらり、幽鬼のように、ニールがその手で操縦桿を掴んで。

 あの時とは違う、全てを諦めきったかのような、悲しげで昏い瞳が細められて。

『──だから、間違っているお前たちは、ここで撃たなきゃならない』

 瞬間、肩に固定されたランチャーの砲身から、圧縮された粒子が放たれて。

『ロックオン!』

 回避は間に合わなかった。ニールに向かって伸ばしたままの腕に、ビームが直撃する。

 それが弾けて、赤い光の中、白く戻った分厚い装甲が呑み込まれ、破砕された。

 

 

「ロックオン、ロックオン」

 繰り返し、ハロが自分を呼ぶのが聞こえていた。

 アレーティアの損傷はさほどでも無いが、ニール自身の消耗は、激しいものだった。

「……ハロ。アレーティアを、頼む」

「ロックオン、ロックオン」

「……命令、だ」

「ロックオン、ロックオン」

 憔悴しきった彼がハッチを開くのに、ハロは何度も呼びかけた。しかしニールの意思は変わらず、仲間であるはずのティエリアを殺してしまうのだろう。

「大丈夫だって。必ず、帰ってくるさ」

 それが叶わぬと、ハロは五年前の経験(・・・・・・)から知っている。否、五年前と違い相打ちになるというわけではなく、彼自身の細胞異常は進行していて、恐らくそう遠くない時間でニールの体は機能を停止するのだ。

 だが、ハロには為す術が無い。主人たるニールに強く命令されれば、それに逆らうことは許されない。かつてと同じように、また、ハロは機体のハッチを閉じて、待機することしか出来なかった。

 愛用のストリージとその弾倉だけを連れて、ニールは熱に侵された思考を冷やさんと金属の壁に体をもたれさせる。

 ひやりとしたその感触は心地が良いものの、脳を掻き回すような頭痛に、ニールはもがいていた。

 セラヴィーを振り払って落ちた場所は、砲台の破壊されめちゃくちゃになった母艦らしい。周囲には、モビルスーツや戦艦が潰れて放られていた。

 頭痛に苛まれながら歩き回ったニールが行き着いたのは、不思議な青い光に閉ざされた、一辺が二十メートルほどの空間だった。

 量子演算システム、ヴェーダの本体──青く神秘的な光を放つ球体がそうであることを、ニールは知らない。

 ──突撃してくるGN-X。

 ──動かないティエリア。

 ──守りたいと、思った。なのに、俺は。

「ティエ、リア……ティエリア……ッ」

 無性に悲しくなって、ニールは頭を抑えながら左目から赤い涙を流す。そこに、一つの足跡が近づいてきた。

「……ロックオン・ストラトス。大丈夫か?」

 砕けた装甲が腕に刺さり血を流す、紫色の髪に、赤紫の瞳をした、──俺の、敵。居てはいけない、ティエリア・アーデ(テロリスト)の姿。

 ニールは即座に彼を蹴飛ばして、床に押し倒す。ティエリアは抵抗しなかった。綺麗な顔を悲しげに歪めて、怪我よりもほかの何かが痛いというような表情でニールを見据えた。

「ロックオン・ストラトス」

 再び、ニールの知らないラストネームで、ティエリアが呼ぶ。

 ヘルメットの中に、アーデさんと自分を呼ぶミレイナの声が聞こえる。それに対して「問題ない」と返して、ティエリアは痛みに唇を噛む。

 ふと既視感を覚える。どこかで見たような光景だと、ニールは呟いた。

「ティエ、リア」

 我知らず、呼んで。ああそうか、と思い出す。

 これは、自分がティエリアをかばった時の、その直前のことだ。こんなふうに、ティエリアと呼んで、反応のない彼を心配した。

 これは、あの日の、やり直しなのだ。

「俺は結局、本当の意味でお前を庇えなかった」

 ぽた、と赤い涙が、ティエリアの頬に落ちる。

「俺が負傷したせいで、いなくなったせいで、お前は後ろめたさを心に抱えたままになった」

 あの日の感情が、ニールの胸に湧き上がる。血の涙を止められないままティエリアの細い首に手を伸ばす。

「お前を、こんな風にはしたくなかったんだ」

 手袋越しに、ティエリアの喉が空気を吸う動きが伝わってくる。

 こいつはガンダムマイスターだと『シューター』が告げる。俺の罪の結果だとニールは答える。

 こいつはティエリアではない。

 俺は俺の歪めた未来を消さなければならない。撃たなければならない。

「なあ、俺がいたせいか?」

 彼が傷つき、罪悪感を抱える未来を作ってしまったのは。

「俺が、お前を庇って。怪我しちまったから、死んじまったから」

「あなたは……なんで。どうして、そんなに縛られているんだ。そんな事に、そこまで追い詰められていたのか」

 ニールの声と『シューター』としての声が、彼の声をかき消していく。頭痛が酷くなっていく。呻きながら頭を抱える。

「ガンダムは、お前は、俺の、敵……っ。いちゃ、いけねぇ」

 身体がばらばらになるような錯覚を覚える。ニールの心とは無関係に、その意思が再構成されていく。

 ──こいつを狙え!

 ──こいつを撃て!

 ニールはティエリアから飛び退いて、叫ぶ。

「俺はッ……俺は、お前を……!」

 狙い撃つのは俺がロックオン・シューターだから。

 ガンダムマイスターとしてのティエリア・アーデを憎悪するしかないから。

 それがアロウズのロックオン・シューターとしての存在意義だから。

「ロックオン・ストラトス!」

 俺の中の憎悪が冷静に命ずる。その名の通り、世界を歪める存在を狙い撃て。

 腰に挿していたストリージが、ティエリアに向けられる。ティエリアは避けようとしなかった。ただ立ち上がって、哀しそうな瞳でニールを見て、歩み寄ってくる。

「ロックオン・ストラトス」

「来るな。俺はお前を殺さなくちゃならないっ。撃たなきゃ……」

 でないと、俺の中の、ティエリア・アーデが、救われない。

「ロックオン・ストラトス」

 涙を流し続けるニールにティエリアの目が優しく細められる。ティエリアは微笑んでいた。銃口から逃れることもせず、ティエリアはニールに右手を伸ばす。

「思い出してくれ。貴方が、僕にくれた言葉を……!」

 撃て、と『シューター』が囁く。引き金に掛かる指に、力が籠っていく。

「駄目、だ……ッ」

 銃口の先には、ティエリアがいる。なのに俺は、その手を止めることが出来ない。

「ティエリア、逃げろ……!」

 ニールは、叫んで。

 GN粒子の輝きを見た。朱い煌めきが、視界を染める。

 そして。

 

 

 



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リレイタ・レフェロ

 認識に空白がある。一瞬であるが意識が飛んでいたのだろう。

 全身を蝕む激痛に目を開いて、周囲を見回す。入口だったのであろう壁に、凄まじい量の血液が飛散していた。紫色のパイロットスーツを纏う男が浮いている。ぼんやりと、その様を目で追って。静寂の中で、直ぐに自分のした事を思い出す。

「……俺は、テロリストを、撃って……」

 そうだ、敵を撃ったのだ。自分を仲間だと呼びかける、偽物を殺して。いや、違う。彼は本物で、マイスターとしてヴェーダを奪還しに来ていて。

「お、れが……」

 殺したのだ。あれだけ守りたいと思い、幻に囚われるほど心に居着いていた存在を。

 撃ち、殺したのだ。

「ぁ、ああ……あ……!」

 ──その瞬間。

 凄まじい勢いで以て溢れる情報に、ニールはかすれた声を漏らして頭を抱えた。

 ソレスタルビーイングにスカウトされ、初めてハロと対面したあの日。

 成層圏まで狙い撃つという意味で付けられたコードネームに苦笑を漏らした。

 ヴェーダに依存し、それは絶対だと険しい表情で呟く彼。

 ロックオン・ストラトス。その名の通り、成層圏まで狙い撃つ男だと言った自分。

 答えは出たのかよ、と赤銅色の瞳を持った少年に尋ねた。

 敵を討てたかはわからない。ただ、GNアームズの爆発に巻き込まれた所で意識が途切れている。否、あの時──

 そして、ようやく目覚めたのかいと尋ねる、リジェネの表情を。

 繋がった記憶に、目を見開いて赤い涙を零す。全身が重く、進行した細胞異常に痛みを訴えていた。だがそれ以上に、仲間を──ティエリアを殺してしまったことへの後悔と、絶望が心を埋めつくして。

「俺は……俺は……あああああぁぁっ……」

 浮遊するティエリアの遺体を抱いて、喪失の恐怖が呼吸を奪って嗚咽が漏れる。自らの熱を分け与えるかのように冷たい体を抱きしめる。

 そんな彼を見下ろして、リボンズ・アルマークは静かに笑い声を上げた。

「──君は思った以上の働きをしてくれたよ。ニール・ディランディ」

 己の計画を外れ、リジェネが勝手に放り込んだこの不安要素が、まさかここまで結果を出してくれるとは。

 しかし、痛みと後悔に慟哭するニールに、やはり人間は脆いのだと再認識した。

「安心するといい。人類を導くのはこの僕、リボンズ・アルマークだ。たとえイノベイターに進化できない劣等種でも、導いてあげるさ」

 そう、口角を上げた、その時。

 リボンズは不思議な感覚に包まれた。否、リボンズだけではなく、ニールもそうだった。GN粒子の奔流が脳量子波を乱す。目を細め、何事かと見上げた瞬間、ヴェーダを囲む中空モニタが全て、その光を赤く変えた。

 彼の両目に灯った金色の輝きが消える。

「ヴェーダが僕とのリンクを拒絶した……?」

 この時、リボンズは知らぬ事だったが、刹那がトランザムライザーに隠された力を完全解放していたのだ。

 純粋なイノベイターである刹那の脳量子波がツインドライヴと連動し、人々の意識を拡張させる。

 ──リボンズ。

 ──君の思いどおりには、させない。そうだろう?

 どこからか、そんな声が響いた。気のせいではない。これは。

「……リジェネ?」

「リジェネ・レジェッタ……!」

 ──ティエリア。

 彼の声に応じてか、徐に、死んだはずのティエリアの瞳が見開かれる。その様に、リボンズの背中にひやりとした感覚が走った。

 そこからの展開は、あまりに急速なものであった。

 アレーティアに装甲を粉砕されたセラヴィーからセラフィムが分離し、トライアルフィールドが発動する。

 それによって、擬似トライアルシステムとでも言うべき作用を齎そうとしていたガラテアが──否、ヴェーダとリンクしていた全ての機体が、その機能を停止。ヴェーダに接続されていないガンダム及び、ラヴィーネとテロスには一切の影響はなく。

 戦場は、一瞬で沈黙に包まれた。

 

 彼の気配に声を上げた一方で凍えるような恐怖はいまだニールを支配していた。

 恐ろしかった。仲間を躊躇いなく撃った自分が、彼を彼だと認識しておきながらあってはいけない姿だと決めた自分が、抜け落ちていく体温が。

「……、──っ、な。俺、は……」

 不意に咳き込んで、押さえた口から血が噴き出したのを認識する。

 不意に、眠くなってきたような気がした。諦めにも似た絶望感に、もう眠ってしまいたい──そう思った時、ニールは黒い癖毛を、視界の端に捉えた。

「せつ、な……?」

 その真っ直ぐな瞳で、刹那・F・セイエイがこちらを見ているような気がした。それはおそらく幻であり、この先に起こることだったが、

「ぁ、…………だ、には……れた、か……?」

 そのまま意識は、薄れていき。

 誰かの呼ぶ声を、聞いた、気がした。

 

 

 

『エイヴィリー、私の後ろにいて。貴方を巻き込むかもしれないから』

 ティエリアがアレーティアと交戦している向こう、絶え間のない特攻兵器の波を破壊しながら、ゼルデは痺れを切らしたかのようにそう言った。

『はぁっ? 何言ってんだよっ。あれを全部、自分で撃ち落とすつもりか?』

『そうよ。これだけ粒子が残ってたら、問題ないわ』

『お前、あの兵器を……!』

 エイヴィリーの問いに答えず、ゼルデはアリオスへ通信を飛ばす。時間が無いのだ。粒子残量のこともある。あと数分の間にこれをしなければならない。

『アレルヤ・ハプティズム、聞こえる? スレイヴを使うわ。カウントゼロと同時に、迎撃を一旦やめて』

『了解。何時でも大丈夫だよ』

『お願い』

『待てよゼルダっ。粒子が尽きたらお前は……』

『そうならない為の貴方でしょ。お願い。もう、時間が無いわ』

 エイヴィリーの眼を通信越しに見つめて言う。損なゼルデの表情の中に梃子でも動かぬことを感じとったのだろう。不承不承といった風ではあるが、エイヴィリーは頷いた。

『分かった。死ぬなよ!』

『──リレイタ・レフェロ』

 瞬時に、ラヴィーネのコクピットで網膜認証が行われる。

 私は、伝えられたことを伝えるのだ。

 

『カウントを始めるわ。五、四、』

 三。

 ゼルデがシルトファングを呼び戻す。

 二。

  テロスが背部に回って、GNボウで特攻兵器を撃ち抜く。

 一。

 ラヴィーネが胸の中心に刺さる杭を掴む。

 ゼロ。

 その言葉と同時に、胸部のGNスレイヴが、引き抜かれた。

 圧倒的な量の赤い輝きが機体に抱え込まれた全ての粒子を奪い取って、逃げ道を求めて暴れ回る。粒子は蛇のごとくラヴィーネの腕にまでまとわりつき、うぞり、と外へ這い出した。

 その牙を。

 破壊の輝きを。

 ゼルデは、雲霞のごとく溢れる特攻兵器たちへ、振るう。

 全てを飲み込むような光のあぎとに敵は消えて。

 同時に機体の制御が失われ、ラヴィーネは無防備になる。それを理解しているエイヴィリーは彼女の前に出ようとして、

『な──』

 直後、遠距離から伸びてきたビームが、ラヴィーネに降り注いだ。

『きゃあっ』

『ゼルデ!』

 第二射、三射と連続して放たれるビームにテロスが前に出る。スレイヴの柄に直結されているケーブルを引き抜いて、テロスのドライヴ近くにある端子に突き刺した。

『新手かよ……!』

 ラヴィーネを庇い、粒子をチャージしながらテロスはそのビームを防御する。

『ゼルデ、チャージまでの時間はっ?』

『あと二十秒。持ちこたえられる!?』

『持たせる! くそ、誰が一体……!』

 連射されるビームは低威力であるが、こちらを正確に狙うものだ。粒子供給の最中であるが故に交戦もできないため、盾でビームを防ぎながらその時を待った。

 粒子の残量が九十パーセントまで上昇したところで、ゼルデはケーブルを外し胸部へと接続し直した。

 ゼルデはテロスの庇護下から抜けて、敵機へとその身を晒す。その瞬間こちらへ飛んできた巨大なビームに、ラヴィーネはシルトファングごと母艦の表面に叩きつけられた。

『ゼルデ、大丈夫か!』

 特攻兵器がアリオスとGNアーチャーのみで撃ち落とせる程度に減ったのを確認してエイヴィリーは飛ぶ。

『ゼルデ……!』

 返事は無かった。衝撃で意識を失っているのか。あるいは、防御が間に合わず撃墜されて。最悪の想像が脳裏を過り、そこに──

『生きているさ。残念ながらな』

 滑らかな男性の声が、エイヴィリーの耳に届いた。

 頭部にかかるセンサーと、背中に畳まれた翼。膝までかかるアーマースカート。その手に握られた、機械の杖。ふわりと広がる、朱いGN粒子。

 機械仕掛けの使い魔を両肩に止めた様は鷹匠にも似ていて、抱えていたGNビームライフルを腰に固定し、向けられた杖は魔術師のようで。

『アッシュ、なのか……?』

 声が、震える。その状態で、通信に映像が映った。バイザーの影に隠れて見えるのは口元だけだ。

 彼は口角を上げて、笑う。

『イノベイター、アッシュ・グレイ』

『お前、なにを言って……ゼルデに、何をした!』

『言葉通りの意味だ。彼女は強いからな、無力化する必要がある』

『ふざけんなっ。ゼルデは俺達の仲間だろ!』

『そして、出来ることなら、エイヴィリー。お前とも、戦いたくない。私が受け取った命令は『ガンダムマイスターの抹殺』。二人のことは、含まれていない。引いてくれないか』

『……っ、なら私は、あんたを止めるわ。勝手なこと言わないで!』

 復帰したらしい、ラヴィーネが飛翔しガラテアの武装を奪わんと斬り掛かる。

『ああ、そうだろうな。そう言うと思っていたさ。──ファング!』

 ガラテアが芸術的とすら思える機械仕掛けの杖を振るう。アーマースカートから飛び出した金属の牙が編隊を組んで襲いかかり、こちらが迎撃しようとした瞬間その軌道を縦横無尽に変えた。

 ぐっと加速し、ゼルデがアンサラーで斬り掛かる。相手が近接戦を得意とするゼルデであるが、アッシュは一切の無駄なくサーベルで受け止めた。もう片方の剣が振り下ろされる前にガラテアの杖による殴打でラヴィーネが吹っ飛ぶ。

 その様子に、援護しようと腰部のランチャーからビームを放とうとしたエイヴィリーは眉を顰める。この状況での打撃に、普段のゼルデなら反応できた。むしろ、脚部にビームエッジのあるラヴィーネならカウンターすら狙えたはず。

『あなた……何を、したの?』

『……はは。流石だな、グリシルデ・シュミット。やはり今の貴様を操ることはできないようだ。だが、いくら貴様が強くとも、これ以上僕の脳量子波を受け続ければ、身が持たないと思うが。このままでは狂ってしまうぞ』

 僕は脳量子波を受け取れない分、GN粒子に強い脳量子波を乗せることができるのだとアッシュは笑った。そしてその脳量子波は、他人の心に影響をもたらすのだという。

 マテリアはもっと強力な暗示をかけられる様だがな、と呟く彼に驚愕した。

『本当に、何言ってんだよアッシュ。今なら冗談で済むぞ』

『おかしいと思わなかったのか? ゼルデがアリオスに一人で突っ込んで行った時も、貴様がメメントモリを奪いに行った時も。何故あそこまで強い感情に襲われたのか不自然に思わなかったのか』

『そんな、アッシュ……』

『まさかあんな風に作用するとは思わなかったがな。それより少し前に、悪夢を見たんじゃないのか?』

 嘲るように笑ったアッシュに、エイヴィリーは呆然とし、ゼルデは激昂する。

『あんたは!』

『悪いが、私は急いでいるんだ』

 咎めるゼルデに、敵意を込めた、しかしいつものように冷たい声で答える。

『ティエリア・アーデを止めなければいけないんだ。死にたくないのなら、通してくれ。──それだけでいい』

『私を騙して、エイヴのトラウマに踏み込んで、弄んで……ッ。あんたは、何とも思わないのっ?』

『……『私』には使命がある。ここまで来た以上、それを遂げる為なら、心なんて捨てる。いや……とっくに、捨てたんだ』

 無機質な硬い声に、彼の覚悟が見えた。当然ながら二人には受け入れられない。振るわれたヒートロッドに、飛び回るファングが一斉にラヴィーネを向いた。

『ねえ、アッシュ。その使命って、なんなの? アッシュはいつも私達と一緒にいてくれたし、エイヴを止めるのにラヴィーネを渡したのは貴方じゃない!』

『あれはエイヴィリーと共倒れになってくれればいいと思ったからだ。貴様が生きていたのは嫌な誤算だ』

『嘘っ。あんたはいつも全力だった。未来を作るって言ったアッシュのおかげで私は変われた! ラヴィーネを渡すのだって、軍規に違反したことよ! あれが私達を騙す為の打算だなんて私には思えないわ!』

 彼は『アロウズは僕を殺せない』と言ったが──やった事は、処刑されてもおかしくない。

『だから分かんないのよ! そのあんたが人を騙したり、弱みに付け込んで操るような事をしたりって信頼関係を壊すようなことをしてるのが! 言いなさい、私達を裏切ってまでアッシュが信じることって、なんなのっ?』

 裏切るという言葉に、アッシュが唇を噛んだのが見えた。放たれたレールブレイドの一閃で杖はひしゃげて折れる。明後日の方向へ向いたファングに感化されたように、彼は緩やかに口を開いた。

『……貴様らに分かってもらおうなどとは考えていないさ』

『アッシュ!』

『貴様の言い分が正しいかどうかなんて、関係ない。僕は僕を作った創造主の命令を果たす。誰になんと言われようと、私はもう前に進むしかないんだ!』

 ヒートロッドを捨て、ガラテアはもう一本のビームサーベルを抜く。そうしてアッシュは、ロッドによる制御を失ったはずのファングを再びラヴィーネへ差し向けた。

『私はその使命がなければ生きられないっ。マテリアだって同じ気持ちで──だから彼も、命をかけているんだ』

 叫びながら、ガラテアは脳量子波で制御したファングでテロスを牽制しラヴィーネと切り結ぶ。

『貴様にだってわかるだろう! 人間の歴史が二千年を超えても、いまだ戦争を繰り返す。戦争を起こしては、その悲惨さに辟易して平和を訴え、それを忘れられるとまた争う。そんな人類に未来はないと! それなら、大人しく僕達イノベイターの言うことを聞いていればいいっ』

 今までなかったヴェーダのバックアップを受けているのだ。それによって、近接戦闘での技術はゼルデと対等に戦えるレベルに引き上げられていた。

『は、ぅぐ……っ』

 高濃度の粒子がGNウィングから拡散され、ラヴィーネの眼前に叩きつけられる。視界がうっすらと赤く染まって、絶望感に似た形容し難い感情が胸の中に沸きあがる。

『やはり貴様はこれを耐えるのか。狂死しても仕方が無いと思って割り切ったんだがな』

『そんな簡単に私がやられると思ったら大間違いよ……!』

 ゼルデは飛んでくるスクワイアを破壊しようとアンサラーを閃かせるが、同じく脳量子波で操られたそれはひらりと攻撃を躱す。ゼルデとの剣戟の合間で乱入するテロスのビームやガンブレードでの攻撃も回避して、アッシュは右手のビームライフルでテロスの右腕を撃ち抜いた。

『貴様らは甘いな。全力で僕を撃ち殺せば決着が着くのに、それをしないとは。……だからといって加減する気はない。そんな余裕は僕にないからな!』

『お前には聞きたいことが沢山あるんだよっ。だから、死なれちゃ困る!』

 パワーならばテロスが圧倒的に上だ。距離をとったガラテアに一瞬で追いついて蹴飛ばし、敵の母艦へ叩きつけた。数度バウンドしてガラテアは止まり、ラヴィーネが動きを止めようと四肢へアンサラーを振り上げる。

 しかし、再び眼前に炎の如く粒子が揺らめいて。

『ぎ……ッ』

 苦悶の声を漏らしながら、ゼルデは頭を押さえる。直接精神を抉るようなそれに意識が遠のいて、辛うじて繋ぎとめた。

『ゼルダ!』

『素直にコクピットを狙えばよかったんだ。殺さずに確保しようと思ったのか? 貴様の、そういう優しさは!』

 ガッ、と意趣返しのように放たれた蹴りがラヴィーネに叩き込まれる。

『本当に!』

 ラヴィーネを庇うように割って入ったテロスに左手のサーベルを食らわせ、右側のGNボウが破壊された。

『不愉快、なんだよ!』

 悲壮感さえ漂わせるアッシュの絶叫が思考を貫く。頭が痛い。発狂しそうなほどの圧力を持つ悲しみが絶望が後悔が頭を突き刺す。頭が、痛い。死んでしまいそうなくらい。

 心を折ろうとする激痛に叫んでラヴィーネが飛翔する。両手の剣を納めて、左腰の太刀を掴む。

 視線が揺らぐ。視界にGN粒子がちらつく。朱い輝きが踊り渦を描く、その中に意識が吸い込まれそうになる。

 その頭痛を割るように。

『ゼルデ。フェルトです』

 プトレマイオス2からの通信が、凛とした声が、届いた。

『フェルト? どうしたのっ』

『ティエリアさんが敵機と交戦中、ヴェーダまでもう少しだから耐えて欲しい、と』

『……さっき言ってたやつね。耐えるって?』

『こちらにはヴェーダとリンクした機体を止める手段があります』

『分かったわ』

 そこで通信は切れる。飛んできたファングを撃ち落としてゼルデは思いついた嘘を告げる。

『やめてアッシュっ。アーデさんがヴェーダを奪還したわ。だから貴方がもう戦う必要はないの、貴方達の目的は潰えたの。投降して!』

 だがアッシュは──それを見透かしたように、笑うだけだった。

『相変わらず、貴様は嘘をつくのが下手だな。ありがとう。まだ僕にも希望があるということだろう? ……なら、僕も頑張らなければ』

 ガラテアの攻撃が苛烈さを増す。周囲のガガを操ってのそれを避けるが、機体の損傷が増えていく。スクワイアを介しての攻撃は機体の損害を構わずのもので、ラヴィーネの左足が爆発した。

『っ、く……』

 だが、ラヴィーネだけを執拗に狙った攻撃はテロスへの牽制が甘くなり、スクワイアが二基破壊される。

『なあ、アッシュ。自分でもわかってるだろ、俺とゼルデ、二人同時じゃ勝てねぇって事……!』

『だからといって私に諦めることは許されないっ』

 ラヴィーネに斬りかかり、ファングがテロスに向かうも撃墜され。ガラテアの脚がビームエッジに蹴り斬られた。

 二対一で、ロッドもスクワイアも破壊されて。その状態で勝てるほどアッシュの能力は高くない。

『もう終わろうぜアッシュ。俺はお前のこと、殺したくねぇんだよっ』

『ティエリアが母艦内部に侵入しましたっ。もう少しで終わります!』

 わかった、と二人は短く返して、懇願するようにアッシュに告げる。

『アッシュ、アーデさんがヴェーダを取り戻したわ。もう、貴方に戦う意味は無いでしょう』

 彼の薄い唇が、ああ、と震えた声を絞り出した。なんの感情も含まれていない声だった。

『貴様の言うことが本当で、ヴェーダが奪還されるのなら。……僕は、その存在意義がなくなる』

 悲痛な声で呟き、嗚咽するように空虚に笑った。そして、

『──だったら、処分されるだろうその前に、貴様たちを葬って、彼への忠義にするさ!』

 アッシュが飛翔する。そして、コクピットの手の届きにくい場所にあるスイッチに手を伸ばし、並ぶ三つのそれを押した。

『──トランザム』

 その瞬間──紫色の装甲がオレンジがかり、先程の比ではない量のGN粒子が、背面のGNウィングのフィンから放出される。同時に青い粒子の帯がこの一帯を覆ったが、それを上回るほどの濃度で。

『アッシュ、今更何を……』

『粒子供給、規定の一.三倍から一.三五倍を推移』

 まさか、とエイヴィリーが呟いた。

『自爆するのかよ!?』

『いいや違う。君たちは知らないだろう、ガラテアの本当の使い方を。システムに接続、動力をコンデンサに変更』

『アッシュ、やめろっ』

『さっき言った脳量子波で相手に影響をもたらすのは、不完全な私の特性だ。だが、僕がヴェーダより与えられた能力が別としてある。それは、擬似太陽炉を操る力だ』

『それって……』

『そうだ。自爆するのは私ではない。貴様ら二人だ。もし爆発から生き延びたとしても、バイザーはそれに耐えられないだろう。貴様らは空気のない宇宙空間に放り出されるんだ。……脳量子波制御システム、オールグリーン。それでも生き残るというのならば──おめでとう。貴様らは、イノベイターでもない化け物だ』

 アッシュを止めようとゼルデが飛ぶ。しかし、凄まじい粒子の濃度、それに乗ったアッシュの脳量子波(かんじょう)を叩きつけられてゼルデは思わず動きを止める。

『アッシュ!』

 両腕とGNウィングを広げ、ガラテアは放出フィンから粒子を拡散する。

 青と朱。アレキサンドライトのような二色の輝きに埋め尽くされた空間の中で、エイヴィリーも叫んだ。

『頼むっ。お前はそれでいいのかっ? 俺たちが居なくなって、イノベイターが世界を支配して、それで幸せになれるのかよ!?』

『……本当に、馬鹿だな。エイヴィリーは』

 アッシュの唇が、悲しげに歪んで。虫唾が走ると口にして、引き締まる。

 使命を果たさんとする表情に変わって、その虹彩は金色に輝く。

『アッシュ、私はあんたを助けたい! イノベイターで、私たちの敵なのかもしれない! それでも助けたいのっ』

 もう誰も殺させない。失わせない。それがゼルデの願いだった。

『粒子の拡散を確認』

『アッシュ!』

『アッシュ……!』

 死なせたくない。もう誰も、誰一人。

 アッシュの無表情が、一瞬、崩れた。寂しそうな笑みだった。

『……GNジャマー、起動します』

 瞬間。

 唐突に、ガラテアがその機能を停止した。

 機体の制御が失われ、母艦の外壁へ墜落する。

 いやな静寂が二人の間にあって、しかし反射的にガラテアのもとへ機体を飛ばす。

『──こちら、ミレイナですっ』

 その声はやけに明るく響いた。

『セラフィムがトライアルフィールドを発生させたです!』

『ゼルデ、トロイア。生きてる?』

『両方とも、生きて、ます。……アッシュ!』

 ゼルデはラヴィーネから飛び出して、ガラテアのコクピットハッチを開ける。彼は消耗しきった様子で肩で息をしていた。

『アッシュ、大丈夫っ!?』

 彼の赤紫色の瞳が、眠たげに開かれる。その様子に重傷を負った時のエイヴィリーを思い出して、ゼルデは言葉を失う。

 アッシュは息を吐きながら、苦笑した。

『……二人の、勝ち、だなぁ。一瞬、……一瞬だけ、お前達の声に、躊躇ってしまった。それがなければ、間に合っていたのに……僕は、ふり、だけだったはずの友を、殺せなかった』

 かすかに、その口からため息が漏れる。

『なあ、エイヴィリー、ゼルデ。これから、どうするんだ……?』

 使命を果たせず、目標は潰えて。だというのに、彼の語調に無念さはなかった。

『アロウズは解体されて、連邦軍も再編されるだろう。二人でまた、戦うのか……?』

『それはわからねぇな。俺はゼルデが行くところに行くし、ゼルデを守る』

『未来でまた紛争が起こるなら、私は行くわ』

『はは、最後まで、惚気けるな……お前らは。いやに、なるぞ……。でも……』

 アッシュが、微笑む。

『そんな、お前たちなら……ゼルデと、エイヴィリーなら……もしかしたら、世界を……僕、達を……イノベイターの、生きる……未来を……』

 そこで、アッシュの言葉が途切れる。長い睫毛に縁取られた瞼は、下りていた。

『アッシュ?』

『……エイ、ヴィリー。ぼくに、とって。能力を使う事は、命を燃やすのと同義だ。その最中に、バックアップを失って……トライアルフィールドによって、強制、解除の反動を、受けて。生きていられるほど……イノベイターは、強くない……』

 アッシュの体から、力が抜ける。スーツ越しに触れる体温が、冷たくなっていく。

 それが、何を意味するかを悟って。

 エイヴィリーは、泣きそうに顔を歪める。目に見えないものが零れていくのを感じていた。彼の肉体から、決定的なものが喪われているのを理解した。

『アッシュ……っ』

 掠れた声で、ゼルデが呼ぶ。返事は、なかった。

 現状に反応することも出来ず、受け入れることも出来ず。二人はただ、穏やかなアッシュの顔を見つめていた。

 それは、二人の体験した、二度目の親しい者の死。

 本当の意味での、敗北だった。

 

 

 



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メー/オン

 格納庫を突破した刹那は、青く神秘的な光を放つヴェーダの本体が眠る場所に足を踏み入れた。

 静かな空間。血液の飛散する凄惨なそこで、二人の仲間と対面する。

「あれは……」

 疑問に思って近付く。

 微重力の中、銃弾を打ち込まれて死んだ、ティエリアの遺体。眉間に黒々とした穴が空き、パイロットスーツのあちこちを血に染めた彼を抱いて気を失っている、ニール。

「ッ、ティエリア……ロックオン……!」

 ロックオンは呼吸が安定しているのが見えた。しかし、ティエリアの命が失われているのは、誰の目にも明らかで。

 刹那は誰がティエリアを射殺したのかを知らない。故に、彼は瞳を閉じ。

「──仇は、討つ」

 悔しげに唇を噛み、声を震わせてそう言った。

 だが。

『勝手に殺してもらっては困るな、刹那』

 ティエリアの声が、響く。「どこだ」と刹那は辺りを見渡して、彼の姿を探す。しかし、それ以外に誰かがいる様子はなくて。

「どこにいる、ティエリア」

『今、僕の意識は、ヴェーダと完全にリンクしている』

『ヴェーダ……?』

『僕は、イノベイドで良かったと思う。この力で、君たちを救うことができたのだから』

 その言葉に、理解する。ティエリアは肉体をすて、データとしてこれに存在するのだと。

 ヴェーダとリンクし、意識を移したのだと。

 そして、ティエリアがこれから重要なことを語るのだという確信があった。

『僕はヴェーダとリンクすることで、全てを知ることができた。……今こそ話そう。イオリア計画の全貌を』

 

 イオリア計画の全貌を知ったというティエリアの話によると、組織が平和を願いつつも武力による介入を行うという矛盾を孕んだ行動は、世界の統合を促し、人類の意志の統一をする目的があったという。

 それは、人類が紛争という火種を抱えたまま外宇宙へ進出することを防ぐためであり、『来るべき対話』のため、人類に滅びではなく変革を促すためのものであった。

 分かり合う心と、それを伝える術さえあれば、相互理解は難しいものではないだろう。だが、伝える術を持っているにも関わらず、人はその知性や感情によって些細なことを誤解し、思いはすれ違う。

 故に、同じイオリア計画に基づいて行動しているはずのイノベイターたちと戦うことになったのもその弊害に違いない。

 刹那は意識のないニールを抱え、プトレマイオスへと帰投しながらそう考える。負傷した彼がいることを、刹那は既に伝えていた。故に、治療の準備は整っているだろう。

 同時にケルディムも帰還していたようだ。先に医務室にいたライルはその入口で呆けるように立っている。

「ロックオン。通っても、いいか」

「っ、ああ。悪い……って、に、兄さん……!?」

 帰還してから二度目の衝撃に、今度こそライルが固まった。刹那は何事もないようにニールをカプセルに横たえると退室し、その間にも用意をしてくれていたらしい彼女はニールの治療にあたる。不幸中の幸いか、その容態は深刻でないという。

 ディスプレイに表示される数値を厳しい表情で見つめていた彼女は、数分経って振り向いた。そこで彼女の顔を見ることが出来たライルは、漸くそれが現実だと理解する。

「ア、ニュー」

 呆然と呟くライルに、彼女は微笑む。

「大丈夫よ、ライル。貴方が私にしてくれたように、私は絶対に救ってみせるわ」

「俺は……」

 ──救えていたのか?

「ええ。リボンズ・アルマークに身体を乗っ取られていたあの時、僅かだけれど、私の意識は残っていた。抗ってみたけれど、私だけじゃ抜け出せなくて……でも、貴方の声が聞こえたわ。私を呼んでくれた、貴方の声が」

 優しく微笑んだアニューに、言葉が詰まった。

「貴方を殺していたら、私はきっとそこで死んでしまったと思う。あなたが無事で、本当によかった……」

「アニュー……」

 彼女を抱きしめ、静かにライルは息を吐く。

 目覚めないのではと不安になっていたライルの心に、その温もりはひどく染み渡った。

 

 

 

 涙をこぼすことも無く、ただ、心ここに在らずといった二人をアラートが呼び戻す。

「──っ」

「モビルスーツ? この状況で動ける敵がいるってのか……!?」

 ティエリアによってヴェーダが奪還され、イノベイター達の操るモビルスーツが機能を停止したことを二人は知っている。

 即座にコクピットへ跳び乗ったゼルデは、先程のアラートの正体を視認して怪訝な顔をした。

『あれは……』

 黒紫色に染められたガデッサ。十中八九イノベイターの乗る機体であろうが、どこか今までとは違う雰囲気があった。

『エイヴィリー、アッシュをドックの方へ連れて行って』

『お前、一対一でやり合おうってのか!?』

『大丈夫よ。いざって時は逃げるわ』

 先程スレイヴを使用した時と同じく、彼女は何をしたって意見を曲げることはないのだろう。諦めと共に頷いて、ハッチを閉め浮遊しているガラテアを抱えるとプトレマイオスのいるドックに向かって飛んだ。

 それと真逆の方向にラヴィーネは飛翔する。砲撃特化らしいその機体はこちらに向かってきて、エイヴィリー達を標的にすることはなさそうだ。

『ならいいわ、私の距離に引きずり込んであげる』

 フットペダルを押し込む。直後に極太のビームが横切り、ゼルデは背部のファングが一基破壊されたのを理解した。

 シルトファングを分離させ、コンソールを叩く。ターゲットを指定し、周囲を散開しつつ射撃するよう命じてラヴィーネは飛翔。加速したラヴィーネに対し、ガデッサは距離を取ろうと後退した。

 当然ながら、高機動機であり発生する粒子を全て推力に回したラヴィーネはすぐさま追いつきアンサラーで斬りかかる。

 回避されるのを見越しての一撃目。その予想通り避けられて、次ぐ斬撃もその外見から予想出来ぬ敏捷性で回避された。だがゼルデは動揺せず、回避した先にいる機体を蹴り飛ばす。

 蹴りや拳、斬撃を織り交ぜた生身のような近接格闘。ラヴィーネの性能を最も引き出す戦い方だ。

 斬り飛ばされた右足の膝から下。パイロットは動揺することも無く抜いたビームサーベルで攻めてくる。それもサーベルのみを叩き落として、破壊。

『その機体の弱点は分かってるのよ』

 味方であったから尚更に。

 だが。

『避けなさい』

『え?』

『──死ぬわよ』

 唐突に突きつけられた言葉に思わず飛び退く。ガデッサとラヴィーネの間を、極太のビームが貫き減衰していった。

『な、なんで……?』

 次いだ二射、三射がラヴィーネを追い立てる。拡大した映像の中に映るのは、赤と白に染められたモビルスーツだ。敵であろうパイロットの警告がなければ、今頃ゼルデはその機体塵も残さず消えていたであろう。

 何者だと考える彼女に左腕のGNバルカンの連射が降り注いだ。

『よそ見はいけないわね』

 そこで、漸く、気付く。

 優しく包容力を感じさせる、甘い声。

 その声の、持ち主に。

『マテリア……貴方まで』

 アッシュがイノベイターと名乗った時から予想していなかった訳では無い。だが、彼女は技術者でありモビルスーツに搭乗するとは考えられなかったし、モビルスーツの機能を停めるらしい『トライアルフィールド』なるものが発生している中で彼女がやってくるのは予想外だった。

『その様子だと、アッシュから話は聞いているようね。ワタシもイノベイター──アナタの、敵よ』

『待って。ヴェーダは奪還されたんでしょう。貴方が戦う必要はもう無いはずだわ』

『この状況下で、動ける機体があるとすれば?』

 事実、マテリアのガデッサはトライアルフィールドなるものの中で動いている。他にも動けるモビルスーツがあるというのは考えられることだ。

『それがマテリアたちの統括者ってことかしら。そいつを叩き潰せば、貴方は戦わなくてもよくなるの?』

『ええ。イノベイターを超えたイノベイター……アナタでは彼に勝てないわ』

『やってみなければ分からないでしょう』

 連射されるメガランチャーに腰のGNメサーを投擲、破壊して、ラヴィーネはあっさりとガデッサの戦闘能力を奪った。

 マテリアは何度もゼルデのシミュレートや戦闘を見ることが出来たはずだが、こちらは初見。その状態でこうもあっさりと捻じ伏せられるなど、

『向いてないわね、マテリア』

 襲ってくる肘打ちにその腕も切断する。どうやら打撃武器だったようだ。残るは左腕だけだが、もはやそれを壊す必要も無いだろう。

 後退しようとしたガデッサにアンサラーを突きつける。

『ねえ、マテリア。どうしてさっき警告したの』

 自らをイノベイターと称するにしてはおかしな言動を問う。

『貴方は本当に、イノベイターとして割り切れているの』

 マテリアは、押し黙ったままだ。

『答えて、マテリア』

『……気安く、呼ばないで、頂戴』

 その声は震えていた。自分やエイヴィリーのトラウマにつけ込み、操った人間とはかけ離れた声だった。

『貴方の意思は、どこにあるの。貴方は私達に酷いことをしたのに、私と戦っているのに、警告なんておかしな真似をしたわ。貴方は何を考えているの。本当はどうしたいの。

 教えて。私と貴方は、話せば分かり合えるはずよ』

『──ワタシ、は』

 マテリアはそう、口にした。

 そして、止まる。

『マテリア?』

 双方が動かない。静かな時間が、いやに長く感じた。

 ゼルデが違和感を覚え、身を引いたのと同時に。

 抜き放たれたビームサーベルがラヴィーネの左腕を一閃した。

『マテリアっ?』

『言ったはずだよ、気安く呼ぶなと。

 全く、アッシュの事といい、今回といい。君の影響にはほとほと困ったものさ、イノベイターの因子すら持たない人間のくせに。分かったような言い方をしないで欲しいな』

 その声は確かにマテリアのものである。だが、見下すようないろのあるそれは、彼女のものではない!

『君のような邪魔者には、そろそろ退場して貰わないと。君だけじゃない、刹那・F・セイエイにも』

『セイエイさんが何よっ?』

 苛立ちに眉根が寄る。

『アッシュがどうしたっていうの? 今回って何よっ。分かったようなことを言ってるのはあんたじゃない』

 先程までとは全く動きが違う。たった一本のビームサーベルによる攻撃を、二本のアンサラーでなければ防げない。

 全く逆の状況であった。圧倒的な見切り、鋭さに防戦一方になりながら、ゼルデは糾弾するように叫んだ。

『あんた、マテリアじゃないわね? 誰よ!』

 捌けなかった攻撃がアンサラーを弾き飛ばす。

『マテリア・グレイ。君も知っているじゃないか』

『あんたには言ってないわよ!』

 ビームサーベルを抜くより先に、その腕にガデッサが飛びついた。

『ここで君を道連れにするのが、これに残された使い道だ。さようなら、グリシルデ・シュミット』

『ふざ──』

 その言葉も意に介さず、ガデッサのGNドライヴが強く輝いた、直後。オーバーロードした太陽炉が臨界を越え、膨れ上がるような錯覚を覚える。反射的に、その腕ごと切り離すが──

 爆散した機体から舞う粒子が、宇宙を朱く彩った。

『ゼルデ、アッシュをトレミーに移動させた。状況は?』

 その装甲は粉砕され、右半身は原型を留めておらず。

 当然ながらコクピットにも、影響は及んでいて。

 状況認識に時間がかかる。右手、喪失。両足が全壊。シルト、右半分が全壊。全面モニタも砂嵐が酷い。戦うどころか、機体を動かすことさえ不可能だ。

『ゼルデ、聞こえるかっ?』

 虫の知らせがあったのだろうか。ガラテアをプトレマイオスへ運んだエイヴィリーは、ゼルデに通信を飛ばした。

 彼の声がやけに遠い。直ぐには反応が出来ず、ゆっくりと口を開く。

『ゼルデっ』

『……んなに、呼ばなくても。聞こえてる、わよ……』

『うそ、だろ……っ。そんな、そんな……!』

 彼女の反応に、全てを理解した。

 咄嗟にプトレマイオスへ通信を飛ばす。あそこには医務室があって、彼女の負傷なら恐らく何とかしてくれるはずだと。

『ミス・スメラギ……!』

『貴方は……トロイアさん?』

 応答したのはスメラギではなくアニューだ。しかし、それにリアクションするよりも先に必死にゼルデの容態を伝えようと喋る。

『リターナーさん……っ。ゼルデが……!』

 要領を得ないエイヴィリーの説明でも、彼女が負傷したということは理解出来たのだろう。アニューは『着艦してください』と告げると通信を切った。

 スクラップと化したラヴィーネをできるだけ揺らさないようにと抱く。

 到着まではすぐだった。格納庫に収まったラヴィーネとテロス。その横にガラテアがあるのを見て、心がざわつく。

 ラヴィーネのコクピットは、ハッチを開ける必要が無いほど損傷していた。そこからゼルデを抱いて、エイヴィリーは声を掛け続ける。

「なあ、こんな事ってねえだろ! ゼルダ!」

「……あは、は。ごめん、ね? 今度こそ、無理、かも……しれない、わね……」

「嫌だっ。無理なんて言うな! 死ぬなよ……ッ! くそ、俺は、また守れないってのか……!」

 着艦したテロスと、ケルディムと変わらないほど損傷したラヴィーネ。コクピット部分も溶解していて、凄まじい攻撃を受けたのだろうとアニューに付いてきたライルは理解する。

 これ程までに損傷していて、パイロットが無事で済むはずがない。ケルディムも、コクピットが破損していないからライルは無事なのだ。

「ゼルダ、ゼルダ……っ。死ぬな、頼む……一人に、しないでくれよ……」

 意識が朦朧としているらしいゼルデを抱きしめるエイヴィリー。その力なく垂れ下がった右腕が二の腕の半ば程から欠損しているのを見て、ライルは息を呑む。それだけではない。右半身は血に染まり、ルビーレッドのパイロットスーツを深紅に変えていた。

 流れる血が格納庫に浮き、その出血の多さに不安を覚えた。

「大丈夫よ、トロイアさん。必ず私が助けるわ」

「リター、ナー……さ、ん……」

 ゼルデの顔は青ざめ、生きることを諦めたように目は伏せられていた。

「もう、大丈夫よ。貴方は死なないわ。私たちが、貴方を、死なせないから」

 手早く処置をしながら、アニューがそう告げた。強い覚悟を宿したその声に、僅かにゼルデの瞼が動いて。

 彼女の頬に、心做しか赤みが差したような気がした。

「トロイアさんの為にも。もう少しだけ、頑張って」

 ゼルデは、僅かにそう頷いた。

(何だ?)

 訳の分からぬ現象に、立ち尽くしていたライルは首を傾げる。

「ア、」

「ライル、治療室に予備の医療用カプセルが積んであるの。それを出してきて貰える? 直ぐに行くから」

 今のはなんだと尋ねる前にアニューが言った。そうだ、今はそんな事に構っていられる余裕は無いのだ。人の命がかかっているのだから。

 壁を蹴ったライルの後ろ姿を一瞥して、アニューはゼルデの腕に厚くしたガーゼを当てる。

「トロイアさん、脚の方を抱えられますか?」

「はい……っ」

 涙を零しながらもエイヴィリーは言葉に従い足を支える。上半身はアニューが持って、医務室へ急いだ。

 医務室では既にライルがカプセルを置いていて、かろうじて意識を保っているゼルデを横たえた。運が良かったのか彼女の言葉のおかげなのか、先程よりは出血が少なくなっている。左腕に輸血用の針を刺して、アニューは止血に専念した。

 みるみるうちに赤く染まるガーゼを取り替えることを何度繰り返したか。右腕をあげた状態で止血をすること十分は経ったあと、血の止まった腕に何重ものガーゼを当てて包帯を巻いた。

 パイロットスーツから検査着に着替えさせ、機械によるメディカルチェックが始まる。このまま問題がなければ、細胞活性装置による治療が始まるのだろう。

 振り向いたアニューはエイヴィリーを呼んだ。

「トロイアさん、貴方も」

 アニューの言葉が理解出来ず、首を傾げる。

「気づいてなかったんですか。……ここ、切れてます」

 自分の頬を指して言ったアニューに、エイヴィリーは思わず触れようとした。それを制止し「おいで」をされ、エイヴィリーは首を振る。

「いいですよそんな。これくらい」

「駄目です。そこから菌が入ったらどうするんですか」

 再度手招きされ、諦めてエイヴィリーはアニューの対面に座った。乾いた血を含めて傷口を優しく拭われる。ゼルデの負傷で脳が沸騰していたものだから、自分の怪我には全く気づいていなかったのだ。

 軟膏を塗ったパッチを貼って、「おしまい」とアニューは微笑んだ。

「頑張りましたね。偉いです」

「子供扱いしないでくださいよ」

「痛いのを我慢していたんでしょう? だから」

 そう言って頭を撫でるアニューに、先程からあった疑問をライルが口にした。

「アニュー。さっきの……なんだったんだ?」

「……グリシルデさんのことですか?」

 応急セットを片付けていくアニューが振り向く。頷いたライルに理解したらしい、セットを仕舞うとパネルのデータを目で負いながら、アニューは答えた。

「彼女は、忘れかけていたみたいだったから」

「……何をだ?」

「自分のことを『死なないで』って思ってくれる人がいるってことを」

「え? でもそれなら……」

 ──トロイアも言ってたぞ? と疑問に思ったライルに首を振った。

「それとは少し違うの。私は、『私たちが貴方を死なせない』と言ったわ」

 ああ、とライルは合点がいった。

 私たちが貴方を死なせない。もし貴方が死んだのなら、それは私たちの責任であると──アニューが言ったのは、そういうことだ。

 ならばゼルデは、死ぬ訳にはいかない。自分が死んだ責任を、仲間に押し付ける訳にいかないのだから。

「──は、はは。やっぱり凄いな、アニューは」

「……だから、ライルも」

「え?」

「ライルも、生きて帰ってきてね」

 彼女は検査結果を見るため、ディスプレイの方を向いたままである。その肩が震えているのを見咎めて、ライルは言った。

「ああ。必ず、帰ってくるさ」

 アニューが答える前に、正体不明のモビルスーツが接近していることを知らせる放送が響く。

「トロイア……でいいのか?」

「はい」

「トレミーには絶対に近づけさせないが、万が一ということもある。その時は……頼む」

「勿論です」

 ライルの言葉にそう返すと、彼は壁を蹴って格納庫へと向かう。

 エイヴィリーは、アニューと同様、組織を裏切ろうとした。操られていたとはいえ、大切なはずのゼルデと殺しあった。

 だから、今度は自分が守る番。ゼルデが自分を目覚めさせてくれたのと同じように、彼女が目覚めるまで待つ。だから絶対に、帰ってくるのだ。

 そう誓って、エイヴィリーはライルの背中を追った。

 

 

 



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終わらせる禁忌

 盾を両脇に構え、プトレマイオスの上部に位置したテロスのコクピットの中で、エイヴィリーは戦場を見据える。

 行き交う火線が宇宙を照らす。これが最後になるであろうと出撃した彼らは、それぞれの敵を迎え撃っていた。

 敵は三機。数の上では同じだが、こちらは度重なる戦闘によって損傷、対する敵は万全の状態。ヴェーダのバックアップがないだけ、マシであろうが。

 赤と白の二色に染められたモビルスーツにはダブルオーライザーが、ガラッゾにはアリオスが、ガデッサにはケルディムが、それぞれ迎え撃つ。特にケルディムは相当激しい戦闘を潜り抜けてきたのだろう。激しい損傷にも関わらずGNビームピストルでの近接戦を仕掛けている。

 アリオスは飛行形態に変形して一撃食らわせ、直後に再度人型に戻りガラッゾから脱出装置を引き剥がした。それから数度ヒットアンドアウェイを仕掛けたと思いきや飛行形態で強襲、先端のクローでガラッゾを捕え戦闘宙域から連れ去る。

 残ったダブルオーはリボーンズガンダムと斬り結んでいる。あれがイノベイターの首魁であるとエイヴィリーは直感した。なぜなら、ダブルオーと戦いながらプトレマイオスの援護射撃を全て回避している。その戦いぶりはゼルデを凌駕しているといえよう。

 だが、エイヴィリーは援護をする訳にはいかない。ラッセの操舵があるとはいえ、こちらに飛んでくる攻撃は全て落とさねばならないのだ。

 当たることこそないが、砲撃が邪魔であることに変わりがないのだろう。キャノンモードに変形し、胸部の砲口からビームが放たれる。ラッセが舵を切り、テロスが跳ね返したことでプトレマイオスにダメージはない。

 テロスに搭載された新システム、難攻不落(ナヴァロン)モード。

 普段装甲全体に纏っているGN粒子を全てシルトに圧縮し、その防御力を最高度まで上げる形態。この状態のテロスはメメントモリすら防ぐ、まさに要塞である。

 だが──幾度も高出力の砲撃を受けたことにより、盾の耐久力は低下していたのだろう。続けざまに発射されるビームを全て防いで、その役割を終えたかのように盾が砕け散った。

『っ、くそ……!』

 ──このタイミングで! とエイヴィリーは毒づいた。更に放たれたビームは進行方向を変えたプトレマイオスのエンジン部に被弾、航行が不可能になる。

 ブリッジではアラートが鳴り響き、オペレーターの二人が対応している。その向こうでスメラギの指示が飛ぶ。

『スモークを張ってっ』

『な……それじゃ刹那まで見えなくなるぞ!?』

『大丈夫、今の刹那なら……きっと!』

 確信を持った声でスメラギが言った。普通ならスモークを張られれば戦闘が難しくなる。だが──彼ならばという思いがあるのだろう。他に選択肢がある訳でもなく、ラッセはその指示に肯いた。

 発射されたスモーク弾は炸裂して、戦闘宙域を白煙で埋め尽くす。白く染まった領域の中では何があっているのかわからない。

 アリオスとケルディムが大破したというミレイナの声と、エンジンを予備に接続したフェルトの報告がブリッジに響く。

『イアン、聞こえる?』

『どうした?』

『R2の射出準備をお願い』

 困惑した顔でイアンがドライヴのないことを指摘するが、スメラギの『やるのよ』という言葉にイアンは了承した。

『これから、ケルディム及びアリオスの両機の回収へ向かいます』

『了解』

『トロイア、艦の護衛を。頼める?』

『はい。これ以上敵の攻撃もないでしょうけど』

 白煙を背に、プトレマイオスが進路を変える。二機とも回収がすぐに終わって、エイヴィリーは先に収容されたアリオスからアレルヤが降りてきた。

 負傷自体はさほどでも無いらしい彼と目が合う。

「……顔を合わせるのは初めて、だよね? トロイアさん」

「初めまして……だな。アレルヤさん。自分で出られるか?」

「うん。僕は自分で医務室に行くから、ロックオンの方をお願い」

「わかった」

 医務室へと歩いていくアレルヤを見送って、エイヴィリーはケルディムの方へと向かう。カレルに乗ったハロが既にコクピットをこじ開けていて、パイロットの姿が露出している。

 コクピットを除くと、顔の半分を真っ赤に染め、気を失っているらしいライルが見えた。その様子にニールが発作を起こした時のことを思い出して、嫌な予感に支配される。

「ロックオン。意識はあるか? ロックオン……!」

 僅かな呼吸音だけが響く。意識がないのか、と思うが彼はエイヴィリーの呼び掛けに反応し、鬱陶しげに目蓋を動かした。

「うっせ、え、な……こっちも余裕、ねぇんだよ……」

 よく見れば、顔が血塗れなのは砕けたバイザーで皮膚を切っただけのようだ。コクピットからライルを引っ張り出して、肩を貸すと医務室へと向かう。

 ここまでの強行軍に加えて負傷で疲労困憊といった様子のライルは、ニールと同じ色の瞳でく、とエイヴィリーを睨む。

「……トロイア、一つ、言いたいことがある」

「なんだよ、そんな遺言みたいな──」

「あんないい子を泣かすなんて、最低……だぜ。グリシルデを心配させたこと……泣きながら、謝れよな……」

 はぐらかしたエイヴィリーに構わずそう言って、ライルは静かに彼にその身を預けていた。

 廊下を曲がってすぐ。医務室への入口を開いて、エイヴィリーはアニューを呼ぶ。負傷したライルを彼女に任せて、エイヴィリーは医務室を出て独りごちた。

「手厳しいな、ロックオン。けど……それ位はしなきゃいけないってわかってる」

 二人のロックオン。顔は同じでも見分けがつくほど違う二人を思い浮かべて、エイヴィリーはそう呟いた。

 

 

 

 薄く開けた目に差し込む、人工的な光が目に痛い。

 顔を顰めたニールがゆっくりと目を開くと、見覚えのない天井が広がっていた。

「……ここ、どこ、だ……?」

 状況が掴めずに呻く。

 俺はなぜ、こんな所で寝ている? 今まで何をしていた? 重い頭を振って体を起こすと、カプセルに設置されているスピーカーから声がした。

『無理に起き上がらない方がいい、ニール・ディランディ』

「──は、」

 その凛とした声に、ニールは思わず部屋を見回した。薬品臭とかすかに響く電子機器の作動音にこれが現実であると確認して、

 ──それから、一気に覚醒した。

「ティエリア! おれ、はっ」

 混乱に舌が縺れる。ティエリアを撃って、全てを思い出した、その先は。

「どう、して……なんで、ティエリア!」

『確かに貴方は僕を撃った。そして、今にも死のうとしていた』

「じゃあ何で……俺は、お前さんを殺したん、だろ?」

 隻眼から涙が零れる。後悔は、あった。あれだけ気にかけていた彼を、自分の意思で撃ち殺した。記憶がなかったから、などと言うつもりはない。

 彼を殺した事実は、揺るがないのだから。

 僕は今、ヴェーダと完全にリンクしているとティエリアは言った。その精神は、ヴェーダの本体に移されているのだと。

『イノベイター……正確には、イノベイターの出現を促す為人造的に生み出された存在、『イノベイド』というのが、僕たちの正しい呼称だ。僕たちは、体内にあるナノマシンによって長い寿命と高い再生力を持っているんだ。だから、致命傷を負っても脳の活動が停止するまでの猶予があった』

 イノベイターという呼称を知らない訳では無い。ティエリアと同じ顔をした恩人──リジェネがそうであると言っていたし、にわかには信じられない話だが、今ティエリアがこうして話しているのが何よりの証明だ。

『そのタイミングで、ダブルオーライザーの放出したGN粒子によるリボンズ・アルマークの脳量子波の乱れが起こった。運が良かったと言うべきかは分からないが、僕の同タイプであるイノベイドと共にその隙をついてヴェーダとのリンクを確立することができた』

「なあ、その同タイプっていうのは……」

『リジェネ・レジェッタだ。彼もまた、ヴェーダとリンクする機会を伺っていたそうだ』

「……そうか、あいつが。そう、だったのか。リジェネも……」

 死んだのか? と訊ねようとして、躊躇った。ヴェーダとリンクしているということは、生きてはいるのだろう。その体は、別として。

『それから、僕はヴェーダを介してセラフィムを操り、トライアルフィールドを発生させた。イノベイターたちの操る機体は全て機能を停止し、代わりにリボンズ・アルマークは戦場へ出てきた』

 それから先は、刹那とリボンズが一騎打ちになり、わからないという。スモークを張り、撹乱したのがしばらく前。アレルヤとライルを今から回収するのだ、とティエリアは口にした。

「……なあ、ティエリア」

『どうしましたか、ロックオン』

「……痛かったろ、苦しかったろ。俺のせいで、あんなに血が流れて、怪我して」

 検査着を握りしめて、ニールは言った。

 記憶がなかったから、などと自分を正当化するほどニールは愚かではない。仮にそうしたとして、それで咎めるような人間はここにはいないが──

「許してくれ、とは言わねえさ。……すまなかった」

 そう言ったきり、ニールは目を伏せた。

『僕は、貴方に撃たれたことを恨んだり、怒ったりはしていない』

「……なんで、だよ。お前さんは俺に、殺されたんだぞ」

『あの時、肉体と精神の結び付きが薄れたことで、ヴェーダとの直接リンクが可能になった。結果的には功を奏したし、何よりあの時の貴方にそんな感情を抱くことなんてできない』

 暗に、記憶がなかったのだから仕方がないと言われているのだろうか。それは違うと声をあげようとしたニールをティエリアが制止した。

『僕は、どんな形であれ貴方が帰ってきてくれたから、それでいいと思っています。帰ってきてくれて、ありがとう。ニール・ディランディ』

「俺、は……」

『行こう。彼を……刹那を、迎えに』

 相変わらず彼の姿はなく──ヴェーダに精神を移しているから当たり前なのだが──その声だけが、医務室に響く。

 しかし、彼の毅然とした瞳が、ニールを真っ直ぐに見つめたような、そんな気がした。

 

 

 

 コクピットを貫いたGNソード。それによって、0ガンダムはモビルスーツとしての機能を停止した。

「……っ、今度、こそ……」

 終わった、か。

 露出したコクピットの中で、刹那は安堵する。身体から力が抜ける。堪えていた痛みや疲労が、実感を持って刹那を襲ってきた。

 もう、まぶたを動かす力さえ残っていない。

 操縦桿を握る手が離れて、エクシアリペアiiは浮遊する。あてもなく、さ迷い始める。

 どこまでも放浪しようとするエクシアを、誰かがそっと受け止めた。

 それが誰なのか、刹那にはわからない。よく知った顔のような気がしたが、もう、何も考えられなかった。

「お疲れさま」

 こちらを助け起こす腕が誰のものかもわからぬまま、刹那は深い眠りについた。

 

 

 

 甘い花の香りがした。すっきりとしたその香りを深く吸い込むと、心が優しく包まれたような感覚になる。何の花だろうか。ずっと前に嗅いだ事があるものだ。

 目を開く。見慣れた医務室の天井が目に入った。トレミーに帰還したあとのことは覚えていない。まだ気だるさが残っていて、ライルは寝台に体を預けたまま視線だけを移動させた。

 自分と同じ横顔が翳り、置いたボトルに花を生けているのが見えた。先程嗅いだのはこれか。白い水仙は綺麗に咲いている。

「……にい、さん?」

 バッと彼は振り返った。目を見開いて、それから安堵した様に笑って、ニールは泣きそうに顔を歪める。

「ライル……ッ。起きた、のか?」

「ロックオン、オキタ、オキタ」

 彼が目を覚ましたのは明らかだ。分かっていてもなお、そう口からでてしまう。ハロは蓋を開閉しながら床を跳ね、ライルの覚醒に「オハヨウ」と繰り返す。

 みるみるうちにニールの目に涙が溜まっていき、ライルは「大袈裟なんだよ」と苦笑した。

「だってお前さん、一週間以上寝たままで……っ。このまま起きないんじゃないかって、」

「だから大袈裟だって。……兄さん。記憶、戻ったのか?」

「……全部、思い出した。俺がロックオンだったことも、マイスターだったことも、死にかけて、拾われて、治療されて。アロウズのパイロットとして、お前たちと、戦った、こと、も……」

 言葉が途切れ途切れになり、最後には嗚咽に変わった。かつての仲間と幾度も戦い、その前はアロウズの特務大尉として数え切れぬ人間を傷つけ殺めた。そして、イノベイドであり意識データをヴェーダに移せたとはいえティエリアを、殺した。これまで自分が犯した罪も、所業も、そのまま記憶にあるのだ。

 それに、記憶を失っていたからといって、ニール自身が許すはずは無い。

「そう、か」

 絞り出した声は、それだけだった。

「……ライル。本当に、ごめんな。肩も、足も、痛かったろ……?」

 地球でのことを言われているのだと気付く。暗い顔のニールに、ライルは殊更明るく話題を変えた。

「……なあ。他のみんなは、どうなった?」

「全員、生きてるさ。一番重症だったゼルデは治療中で、刹那も消耗が酷かったから少し前まで寝てた。アレルヤも一日で復帰しちまって。目が覚めなかったのはライルだけだよ。良かった」

「そりゃどうも。もう一つ聞いてもいいか?」

「何を?」

「アンタはトレミーを降りるのか?」

 ややあって、ニールは答える。

「ああ。ライルが目覚めた今、俺は軍に戻ろうと思う」

「何でっ。アリー・アル・サーシェスは、俺が討った。もう戦う必要なんてないだろ!」

 本心から出たものだった。記憶がなかったからとはいえ、やはり仲間に銃を向けたのが後ろめたいのか。

 そうか、ライルが、とニールは呟いて、目を伏せる。だが、

「お前さんたちの敵だったからとか、そういうのじゃないぜ。ただ俺は、連邦軍で世界の行く末を見届けたいんだ。ソレスタルビーイングのロックオン・ストラトスじゃなく、地球連邦平和維持軍のニール・ディランディとして」

 ミス・スメラギにも許可はとってある、とニールは言った。その声や瞳は覚悟を宿していて、ライルが止めても聞くことはないのだろう。

「休暇って事になってるが、これ以上迷惑もかけらんねえからなあ。ゼルデが戻ってきた時のことも考えると、早く復帰しようと思う」

「……なあ」

「どうした?」

「俺が兄さんにいて欲しいって言っても、行くんだろ?」

 諦めたように問うたライルにいや、とニールは答える。

「お前さんにそう言われちゃ、残らない訳にはいかねえな。分かった、ミス・スメラギと少佐に話を通さなきゃ」

「お、おい、待て冗談だって!」

 それじゃあ、と退室しようとするニールを慌てて止める。兄の気持ちを無下にしたいわけではない。彼がそう決めたのなら、それでよかったのだから。

「兄さん」

「ん?」

 今度はなんだ、という表情のニールに、ライルは言った。

「お帰り、兄さん」

「……ああ、ただいま」

 照れ隠しのように微笑んで、ニールはライルを抱きしめる。今度こそ終わったのだ、とライルは実感する。戦争という禁忌に、終止符を打てたのだと。

 兄には話したいことも、聞きたいことも沢山ある。だから、早く体を万全にして復帰しよう。ニールの背中に腕を回して、決意を胸にしたその時。

「ろ、ロックさん、ロックオン……」

 動揺した声が二人の耳に入る。何事かとライルはそちらを見て、──そこで、ここが医務室のベッドの上だと気付いた。

 ゼルデの見舞いに行ったついでなのだろう。医務室の扉の前で硬直したエイヴィリーは、ぱくぱくと口を開閉する。

 二人は互いに抱き合った状態。それを意識した瞬間、ライルはニールから離れて顔を背けた。

「は……」

「は?」

「破廉恥です!」

「何言ってんだお前!?」

 ごもっともな突っ込みだ。しかし、双子の男同士とはいえ抱き合っていたのは事実。その言動に比べて繊細かつ奥手で初心なエイヴィリーには耐えられなかったのだろう。

「こ、ここ、病室ですよっ。なのにそんなだっ抱き合うなんて!」

「おおお落ち着けトロイア。そんな風に言われたら俺も恥ずかしいだろ!」

「どうしたんです? 何かあっ……ストラトスさん! 意識が戻ったですか!」

 偶然通り掛かったというには狙い済ましたかのようなタイミングで、ミレイナが部屋を覗き込む。動揺しているライルとエイヴィリー、何ともなさそうなニールに首を傾げている。

「よ、ミレイナ。ゼルデの見舞いか?」

「お見舞いに行くです! グレイスさんも一緒ですぅ!」

「ロックオン。……起きたんだ。よかった」

 片手を上げて応じたニールと、安心したように笑ったフェルト。

 まだ顔を真っ赤にして震えたままのエイヴィリーに、ミレイナが改めて尋ねた。

「ヘクトールさん、どうしたですか?」

「き、兄弟だからって、こんなすぐ人が入ってくる場所でだ、抱き、合うなんて……破廉恥だと思わねえか、ミレイナ!」

 「あー」と言いたげにミレイナが笑みとも何ともつかない表情をした。

「ヘクトールさんはピュアすぎるですぅ」

「何でだよ!」

「そうだぞー。家族で抱き合うくらい、普通だろ? というかお前さんゼルデと付き合って──」

「いいから兄さん余計なこと言うなって!」

「ヘクトールさん、ゼルデさんと付き合ってるですか!?」

「ミ、ミレイナ、ゼルダとはまだ……!」

「まだってことはこれから付き合う予定があるです!?」

 目を輝かせ、にじり、とエイヴィリーに近寄るミレイナ。頬を引き攣らせたエイヴィリーは数歩下がって、そこで壁に追い詰められる。

「ほらもう、こうなっただろ! そ、そうだ。お前ら、グリシルデの所に行くんじゃなかったのか?」

 ライルが助け舟を出すと、エイヴィリーが「神様仏様」と言わんばかりにこちらを見てくる。ミレイナはと言うと「そうです! ゼルデさんの所に行くです!」とフェルトを引き連れて去っていった。

 まるで台風一過であるとライルは笑いをこぼす。

「そ、それじゃ、すいません、ロックさん、ロックオン。ロックさんはあとでフォルトゥナで会いましょう! ……失礼します!」

 ばっと走って、エイヴィリーが部屋を出ていく。

 残された二人は、顔を見合わせて。

 ぷ、と吹き出した。

 また辛い目に遭うかもしれない、もしかすれば、道を間違うかもしれない。だが、今だけはこうして笑いあっていたかった。

 そして、確信があった。この先どんな未来が待ち受けていようと、乗り越えられると、そう思えた。

 

 

 



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エピローグ そして変革は

前話で完結かと思いましたか? 違うんですよね、これが!
みんなの掴む未来をちゃんと見てもらいたくてまだ一話残してたんですよ。兄貴の進む道を知りたくない奴いる!?いねえよなぁ!?
ここでセカンドシーズンのストーリーは完結となります。劇場版は……書けたらいいなぁ……。


 どこまでも続く、果てしない宇宙。その広さに、深さに、自分がその一部になったような気がした。

 眼前には青い水の星が見える。彼女の手には未だ、彼の肉体から魂の失せていく、その感覚が張りついていた。

 静寂の中、グリシルデ・シュミットは一度は吹っ飛んだはずの右腕を伸ばす。ソレスタルビーイングで眠っていたひと月で、全身の火傷も、失われたはずの腕も全て再生してしまった。

 クーデターの成功と同時に、アロウズは解体。地球連邦平和維持軍も再編され大きく変わった。ゼルデはそのうち一ヶ月で起きたことを、眠っていたが故に伝聞でしか知らない。しかし、アロウズの──総司令のホーマー・カタギリの思想に傾倒した一部の兵士が抵抗を続けた結果、全てが終わるのには二ヶ月近くがかかったという。

 イノベイターの支配が失われた時点で、世界は混乱に見舞われ戦線も整っているとは言いがたかった。だが、テロスを駆ってエイヴィリーはマネキン大佐及びミルティ少佐の指揮下に入り、その多大な有用性を示した。故に、厳しい監視状態にはあるもののエイヴィリーはメメントモリ強奪未遂、及びそれに付随する殺傷事件については禁固や処刑をされることはなく軍にいる。

「ようやく、終わったのね」

 そう呟き、ゼルデは手すりを掴んでいた手を放して、微重力に身を任せる。夜明けを迎える故郷が、うっすらと輝いていた。

 不意に開いた扉に、ゼルデが振り向いた。

「──ゼルデ」

 ここにいたのか、とエイヴィリーが笑う。

「エイヴ。どうしたの、こんな所に」

「ミルティ中佐が、ゼルデを呼び戻してこいって。全く、なんで通信に出ないんだよ」

「ごめんごめん。……端末、部屋に置いてて。っていうか、中佐って。昇進したんだ」

「あの人もだいぶ、戦果を上げてたからさ。残党との戦闘だって、あの人が指揮取ってたし」

 エイヴィリーの逃亡及び反逆を許した罪も問われていたはずだ。その上での昇進であろうが、それらが功績により帳消しになったという訳ではないだろう。

「……ゼルデ」

「どうしたの?」

「アッシュとマテリアさんのこと、お前が責任を感じることじゃないからな」

 彼なりの気遣いだったのだろう。いつも三人でいたから、時折アッシュを呼びそうになったり、食事の時に余分にひとつ、席を取ってしまったりする。今でも、ここに行けばアッシュが「どうした」といつもの鉄面皮で迎えてくれるような気がしていた。格納庫に行けば、マテリアが笑顔で迎えてくれるような気がしていた。

「……分かってる。二人は、ロックオンを騙して、操って、私の弱みにつけ込んで、……エイヴィリーだって」

 彼らは、ずっとゼルデ達を騙していた。それが本心からかはわからないが、敵だったのだ。

 だから、

「私が全部、助けられた筈だなんて思うのは傲慢だって、ロックオンにも言われたわ」

 だが、士官学校からの四年間が、腕の中で失われて言った体温が、どうしようもなく記憶に焼き付いて、時折彼女を締め上げるのだ。

「私ね、わかんないの。あの時、アッシュがどうして初めから私たちのGNドライヴを爆破しなかったのか。なのにどうして、命を懸けて私たちと戦ったのか。結局ちゃんと話せないまま別れることになって、アッシュは分かってもらうつもりなんて無い、って言ってたけど、私は……」

 私はきっと、どんなに話したところで彼らと道は交わらない。アッシュの主張を受け入れることは出来ないし、逆に彼の意志を変えることも出来ないだろう。

 けれど純粋に、もっと彼らと話してみたかったのだとゼルデは結論づける。

「……分かり合えるはず、なんて言うつもりはないけど。私はアッシュの──マテリアの信念を、意志を、知りたかった」

 もう決して、叶うことの無い望みであるが。

 ヴェーダとのリンクが切断されていた二人は、意識データのバックアップがなされていなかった。故に復活はできず、イノベイドにおける本当の意味で死んだのだ。

「エイヴの処分が軽くて済んだのは、これまでの働きと、マテリアが残してた計画のデータのお陰なんだってミルティ少佐が言ってた。本当かどうかはわかんないけど、私やエイヴを洗脳するなんて書かれてたらしいから。それがあったから、私たちの現状があるんだって」

 そもそも、彼女は計画に──リボンズに、逆らえなかったのだろうが。

「あの人、計画が失敗したあとのフォローも考えてたのかな……」

 彼女は完全な悪人でも、ましてや完全な敵でもなかった。でなければ、警告や遠距離射撃のあるガデッサで近接特化のラヴィーネに挑む、そして『ラヴィーネとテロスに独立したシステムを搭載する』といった行動もしないだろう。

「ゼルデ」

 彼女の背中に、エイヴィリーの掌が触れた。

 優しく抱きしめられて、ゼルデは開こうとした口を噤む。

 ゼロ距離。ゼルデは頬を赤らめて、目を伏せている。そんな彼女に心臓の高鳴りを意識しながら、エイヴィリーは引き寄せられるように唇を重ねようとして。

「……二人とも、あんまりくっついてると他のクルーからお小言貰うぞ?」

 再び開いた扉の向こうで、ニールが肩を竦めた。

「うわああぁぁっ」

「きゃああああああ!」

 二人は同時に悲鳴をあげて飛び退いた。そんな二人に、やれやれとニールは隠されていない左目を閉じる。

 トランザムしたダブルオーライザーによる、広域に渡ったGN粒子の放出。それによって、ニールを蝕んでいた細胞異常は完全になくなった。しかし、その視力が再生医療によって戻ると知っても、ニールはコンタクトや眼鏡によってその視力を矯正している。

 彼なりに、思うところがあるのだろう。

「まあ、今更っちゃ今更だけどな。漸くって感じだな、エイヴィリー」

「だだだ黙ってくださいロックさん。ッッていうか、ロックさんだって病室で……じゃなくて! それでっご要件はなんですかっ?」

 滝のように汗を流しながら、エイヴィリーはニールの言葉を遮る。途端に引き締まった声でニールは告げた。

「ミルティ中佐が呼んでるぜ。その真っ赤な顔を何とかしたら、全員出撃だ」

 真っ赤な、というのはゼルデだけではない。エイヴィリーの方も、羞恥やらなんやらで顔を赤くしていた。

「からかわないでくださいよ、ロックさん……」

「おう。二人とも、末永くなぁ」

 話を全く聞いていない。ひらひらと手を振った隻眼のディランディ大尉は、パイロットスーツに着替えるべくロッカーへと消えていった。

 

『今回の作戦は、軌道エレベーターを襲撃するモビルスーツ部隊の殲滅ですわ。久しぶりの実戦でしょうが、気を抜かないように。

 大尉、お二人のサポートをお願いしますわね』

『了解。ゼルデは特に、前に出すぎるなよ』

 ニールの言葉に、ゼルデは頷く。

『分かってますって。ロックオン、援護は任せるわよ!』

『おうよ』

 コクピットに置かれたハロも『マカサレテ! マカサレテ!』と主張する。

『ハロ、今回も宜しくな』

『リョウカイ、リョウカイ』

『発進シークエンスを開始します。ミシェル少尉、いいですか?』

『いつでもいいぜ』

『機体をカタパルトデッキへ移動、射出準備完了。テロス、発進です』

『了解。テロス、エイヴィリー・ミシェル。防衛行動に入る!』

 まずはエイヴィリーが。カタパルトから射出されたテロスは、宇宙に紛れて飛翔する。

『続いて、ラヴィーネ。発進です』

『オーケー。ラヴィーネ、グリシルデ・シュミット。出るわよ!』

 ラヴィーネは一度半壊に追い込まれたものの、そこから修繕され元に近い挙動を出来るようになった。むしろ、高性能の演算システムによりシュネーヴァルツァと同様シルトファングを蹴ることができるようになった分、機動性が増して強化されたとも言えるだろう。

 白い装甲が、宇宙に美しく舞った。

『最後に、フィーニス。出撃です』

 アレーティアの後継機、終焉の名を冠したフィーニス。

 そのコクピットに座したニールは、ヘルメットのバイザーを下ろす。

『オーライ。フィーニス、ニール・ディランディ。狙い撃つぜぇ!』

 無限に広がる宇宙空間。フォルトゥナのカタパルトから、セレスト・ブルーに染め上げられた機体が、飛翔した。

 

 

 




.



「よう。ボクは『────』。ガヴリルのパイロットをやってる」
 アロウズとソレスタルビーイングの戦いから、二年の月日が経ったある日。
 殆どのクルーが転属や退役で入れ替わった中、トルネ級戦艦フォルトゥナに新たなパイロットが配属された。
 名前をアレーティア・ヴェリタス。『彼』と同じ顔をした、しかし真逆と言ってもいいほどの人物。その存在はフォルトゥナの乗員たちを震撼させるも、彼の気質も相まって次第に周囲に溶け込んでいく。
 しかし、つかの間の平和を噛み締めていたクルーたちにも危機が訪れた。
 金属異性体ELS。
 その邂逅は、彼らに何を齎すか。


『機動戦士ガンダム00 真理の名を継ぐもの』執筆中。


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