Fate/GRAND Zi-Order ーRemnant of Chronicleー (アナザーコゴエンベエ)
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亜種特異点I:天魔総司悪道 新宿1999
お兄ちゃん2017


 
 天の道を往き、総てを司る!
 


 

 

 

 ガチリ、と大時計の短針が動く。

 そうして動き続ける時間を前にして、彼はゆっくりと本を開いた。

 

 ―――その本に記された文字は、『逢魔降臨暦』。

 

 『逢魔降臨暦』を手に大時計の前で佇むのは、一人の青年。

 ウォズ、あるいは黒ウォズと呼ばれる者である。

 

「この本によれば2018年9月。普通の高校生、常磐ソウゴ。

 彼には魔王にして時の王者、オーマジオウとなる未来が待っていた」

 

 ふわりと首に巻いたストールを翻し、彼が歩き出す。

 するとそこは暗闇の中から、劫火の街へと一瞬のうちに切り替わっていた。

 炎の中で何ともないとばかりに、ゆったりと微笑む黒ウォズ。

 

「だが2015年7月。彼が魔王としての一歩を踏み出す前に、想定外の事態に見舞われた。

 ―――人理焼却。人理補正式ゲーティアが発動した、歴史を灰燼に帰す偉業」

 

 そんな炎に沈んだ街の中に浮かぶ、銀色の仮面。

 顔面に“ライダー”という文字が刻印された、時の王者の新たな姿。

 

 仮面ライダージオウⅡ。

 そう呼ばれる存在が浮かび上がり、その威風にやがて周囲の炎が吹き消されていく。

 炎が消えた後に残っているのは、幾人かの人間。

 

 常磐ソウゴと同じくカルデアに招かれたマスター候補。藤丸立香。

 円卓の騎士ギャラハッドを宿したデミ・サーヴァント、だった。マシュ・キリエライト。

 かつて全能の王であった、しかしただの人間であるもの。ロマニ・アーキマン。

 カルデアに召喚された万能の天才であるサーヴァント。レオナルド・ダ・ヴィンチ。

 そして途中からカルデアに合流した、オーマジオウへの反逆者。ツクヨミ。

 

 などなど。

 そんな人間たちの姿が揃うのを見て、軽く肩を竦める黒ウォズ。

 

「……そんな異常事態に巻き込まれながら、しかし。

 時の王者たる常磐ソウゴは、人理保障機関カルデアと手を結び、ゲーティアを打ち倒した」

 

 そう言って、彼は手にしていた本をぱたんと閉じる。

 それと同時に消えてしまう、彼の背後に浮かんでいた人影たち。

 

「後は本来の時間……2018年を待てばいい、と言いたいところだが。さて」

 

 残されたのは、炎の消えた街の残骸。

 そこで彼はゆっくりと振り返り、瓦礫の上にいるものに目を向けた。

 

 廃墟に浮かんでいるのは、恐らくまだ子供だろう姿。

 その少年は瓦礫を乗り越えながら、一心不乱に前に進む。

 赦せない、絶対に赦せない、赦せるはずがあるものか、と。

 嚇怒と憎悪に塗れた少年が、ただただ前に進んでいく。

 

 ―――やがて。

 そんな少年の姿が、何か別のものへと変わっていく。

 怪物としか言いようのない姿に。

 

 そんな背中を視線で追っていた黒ウォズが、僅かに目を細める。

 怪物への変生を始めた少年を目の当たりにして、少し思案するように眉を上げて。

 しかし何も口にすることはなく、そのまま踵を返した。

 

「どうやら、我が魔王の戦いはこの1年もまだ続くようです。

 結末は決まっていますが、継承の儀が滞りなく行われるのは私にとっても喜ばしい。

 せいぜい我が魔王の糧になってもらうとしましょう」

 

 最後にそうとだけ言い残し、彼は歩き去っていく。

 

 ―――闇に包まれていくその光景の中。

 憎悪に塗れた咆哮だけが、ただ響き渡っていた。

 

 

 

 

「それってつまり……どういうこと?」

 

 頭を抱えようとして、しかし手が汚れているのでそれもできない。

 なので、ただ胡乱げな視線を隣に浮かぶ物体に向けるに留める。

 

「うーん、そうですねー。

 一言で言うなら、いまのイリヤさんたちは生霊みたいなものなんですよ」

 

「まだ小学生の身空で生霊になるだなんて……!」

 

 厨房でエプロンをして作業しつつ、愕然とする銀髪の少女。

 そんなイリヤスフィールに対し、魔法のステッキは優しく言い聞かせる。

 

「どうやらわたしたちはサーヴァントになってしまっているようなんです」

 

「……サーヴァント、って。クラスカードと同じ?」

 

 カレイドステッキ、マジカルルビー。

 その契約者である魔法少女カレイドルビー、プリズマ☆イリヤの相棒である魔法のステッキ。

 そんなルビーの言葉に、チョコレートの香りが漂う厨房の中で難しい顔を浮かべるイリヤ。

 

 ―――サーヴァント。

 かつてこの世界に馳せた英雄だったものたち。即ち英霊。

 彼らを人に使役できるカタチにし、降霊した人理の守護者たち。

 今の彼女たちはそんな存在に変わっている、と告げられたのだ。

 

 何となく手持ちが7枚(クロ込み)揃っているのはおかしいな、と感じてはいたのだが。

 しかし何故おかしいのかはイマイチ記憶が繋がらないというか。

 それも自分が本人ではなく、サーヴァント化していたせいだというわけだろうか。

 

 同じく厨房で和菓子を作っていた美遊が小さく眉を下げる。

 

「……」

 

 ―――起点は恐らく、美遊なのだ。

 彼女の発した“魔法少女の絶望”という感情を拾い、ファースト・レディが動いた。

 本来ならば美遊が、彼女の世界に隔離されるはずだった。

 だがレディの力の低下のせいか。物語の魔法少女の氾濫のせいか。魔猪の王の侵略のせいか。

 

 あるいは美遊がその感情を抱くに至った、本来の彼女たちが置かれていた状況のせいか。

 ―――それら全てが理由の一因であるのか。

 

 原因は絞れないが、とにかく。

 彼女たちはサーヴァントに近しいものとして、この世界にやってきてしまった。

 

「うう……それって、わたしたちどうなっちゃうんだろう」

 

「うーん、まあ夢を見ている感覚が一番近いと思いますが。

 本人は本人ですが、どうやっても本来の時間軸に繋がらない経験をしてしまうと言いますか」

 

「多少の混乱はあるかと思いますが、ケアに関してはお任せください。

 わたしたちは性質上、世界を越える現象による影響に関してはそれなりに理解がありますので」

 

 ルビーの姉妹機、妹のマジカルサファイアがそう言って空中で揺れる。

 そんな姉妹ステッキを見て、イリヤが苦笑した。

 

「そ、そっか。夢、夢かぁ……時間が関係なくなるなら、向こうでわたしたちが行方不明で騒がれてる、って事になったりはしないって事だよね? じゃあ、ゆっくり考えてもいっか……」

 

「おや、意外と冷静な」

 

 意識を作業に戻し、チョコレートを刻みながらイリヤはルビーに答える。

 

「―――多分、レディを通じてわたしたちにそうすることが求められたのかなって。

 魔法少女は助けを求める誰かの声に応えるもの。

 だったら、わたしたちがここにこうして呼ばれたのも、意味があるんじゃないかなって」

 

「ええ! ええ! そうですね、うんうん!

 レディさんの魔法少女パワーを受け継ぎ、成長してくれてわたしも感無量ですよー!」

 

 清々しく魔法少女の清らかさを示したイリヤ。

 そんな彼女に対し、辛抱たまらんとばかりに羽飾りをぱたぱたと動かすルビー。

 彼女がイリヤの頭に、思い切り抱き着いてくる。

 

 そんな突然のタックルに対して、包丁を手にしたままわたわたと慌てるイリヤ。

 

「ちょ、ルビー! 危ない、やーめーてー!」

 

「姉さん、やめてください」

 

 それを危険行為とみなしたサファイアのエントリー。

 ステッキ部分を展開した彼女が、ルビーを強引に殴り飛ばしてイリヤから剥がす。

 撃墜されたルビーに溜め息ひとつ。

 イリヤが包丁を握り直し、チョコレートに向き直る。

 

 そうして、彼女はそんな動作の合間に美遊に微笑む。

 

 ―――自分たちは誰かを助けるためにここにいる。

 ―――誰かの助けを呼ぶ声が、自分たちをここへと導いた。

 ―――だから、何も気にする必要なんかない。

 

 そんな意志が伝わったのか。

 美遊は少し、無理をしながらも微笑んでみせた。

 

「……ところで美遊は和菓子作ってるんだね。

 美遊が何でも作れるのは知ってるけど……一応、バレンタインって名目だったような」

 

「うん。でも聞いてみたら、ソウゴさんは当分チョコはいいやって。

 ロマニさんとか他の人もチョコより和菓子の方が、っていう人たちもいたし」

 

「ああ……」

 

 そう言って作業に戻る美遊。

 向き合っていたのが短時間のイリヤですら、ちょっとチョコに引き気味になるのだ。

 チョコレートの海と長時間格闘していたソウゴはなおさらだろう、と。

 

 そうしている間に復帰してくるルビー。

 ふよふよと浮遊しながら、ステッキの体を左右に振る彼女が言う。

 

「それにしてもソウゴさんは面白そうな運命をお持ちですねー。わたしたちも実は、その運命の渦とでも言うべきものに巻き込まれたのかもしれませんよー?」

 

「……ルビーはとりあえず、包丁持ってる間は隅に引っ込んでて」

 

 しっしっ、と軽く手を振って追い払う。

 そんな彼女の前で、サファイアが小さく頭を下げるような動作を見せた。

 対してぷんぷんと怒っていますとでも言いたげな様子を見せるルビー。

 

「イリヤさん、なんということを!

 魔法のステッキがない魔法少女なんて、キュウリのないカッパみたいなものですよぅ!」

 

「レディはステッキ持ってなかったと思うけど……

 っていうか、ルビーって自分のことキュウリみたいなものだと思ってるの……?」

 

 今は魔法少女じゃなくて料理少女だし、と。

 面倒そうに肩を落としながらのイリヤの言葉に、ルビーが軽く横に傾いた。

 

「え? カッパがわたしで、キュウリがイリヤさんですよ?」

 

「わたしのこと食い物にしてるって意味!? ほんとどうかと思う!」

 

 それだけではなく好物かつ代名詞的な大いなる繋がりだ、と。

 短絡的な発想に心外そうにゆらめくルビー。

 

「安心してください! イリヤさんのことはわたしが一番おいしくいただけますから!

 ところでカッパの頭のお皿って見ようによってヒマワリに見えません? 頑張ればビームとか出そうだと思うんですけど」

 

「心配してないしそんな事言い出すルビーの存在が一番安心できない!

 そしてカッパとヒマワリを何だと思ってるの!?」

 

 きゃーきゃーと喚くコンビを後ろに放置し、作業を進める美遊。

 カルデア職員は業務の割に数は多くない―――聞いた話では、人理焼却と同時に発生したテロ行為で、多くの人員が帰らぬ人となったかららしい。そんな中で戦い続けてきた今の職員たちも、様々な手続きをしている途中でここから出る自由もないそうだ。

 

 そんな鬱屈とした雰囲気のせめてもの慰めに、と。

 少女たちは厨房を借りて、バレンタインチョコに類するものの製作に取り組んでいた。

 日付としては少し早いが、まあその辺りはいいだろう。

 

 ほぼほぼ終わりつつある菓子の大量生産。

 そこで小さく息を吐きつつ、美遊がサファイアに視線を向ける。

 

「そういえば、クロは? サファイア、知ってる?」

 

「クロエ様は映像記録を見たい、と。

 ソウゴ様と立香様に付き添われ、管制室に行っているはずですが」

 

「映像記録を……」

 

 全てを閲覧したわけではないが、美遊も幾らか目を通している。

 七つの特異点を巡る戦い。未来を懸けた、時代を駆け抜ける聖杯戦争。

 

 イリヤやクロに見せて欲しい、とねだられたロマニの顔はとても微妙なものだった。

 言うまでもなく、とても機密性の高いものだからだろう。

 だからイリヤも美遊も遠慮して、あまり見てはいないのだが。

 

 クロはそういう事を気にせず、がっつりと見るつもりらしい。

 何か引き寄せられるものがあるのだろうか。

 単純に貴重を通り越した体験映像なのは間違いないので、おかしくはないが。

 

 思考を止めないまま、危うげのない手つきで最後の仕上げを進めている美遊。

 そんな彼女がふと、食堂の入り口へと視線を向けた。

 

「お疲れ様、手伝う事ある?」

 

「あ、ツクヨミさんにマシュさん」

 

 そこにいるのは、マシュと連れ立って食堂に入ってくるツクヨミ。

 そんな彼女に向き直り、美遊が小さく首を横に振る。

 

「問題ありません。このくらいの人数分であれば、わたしひとりでも」

 

「カルデアには結構な人数がいると思うのですが……」

 

 そう口にしつつも、マシュは美遊を中心とした厨房の状態に目を瞠った。

 短時間で大量に仕込まれた和菓子の数々を前に、どう反応すればいいのかと迷う。

 傍目からでも分かるほど圧倒的な調理手腕。

 本業かと見紛うその実力を前にして、下手に手伝っていいものかと気後れしたのだ。

 

 彼女たちも人理を取り戻す旅路において料理を手伝ったりはしていたのだが。

 あくまでも手伝いレベル止まりの彼女たちでは、手を出せるレベルじゃなさそうだ。

 

「手伝えるとしたら、包装でしょうか」

 

「凄いのね……家が和菓子屋さんだった、とか?」

 

 並べられた豪奢な菓子に感嘆する両名。

 そんな彼女たちに見られて、何かを思い出すように美遊が目を細める。

 

「いえ、ただ料理はいつも―――」

 

 ただそこでぴたり、と。

 なぜか自分で口にした言葉に止まる少女。

 その様子に対して、ツクヨミは不思議そうに首を傾げる。

 

 完全に動きを止めた美遊が、自分の言葉に続きを探す。

 だが自分でも意想外なほどにそれが見つからず、黙り込むことになった。

 誰もが困惑するしかない、どこかいたたまれない空気。

 それに何となく堪え切れず、イリヤが声を荒げた。

 

「ル、ルヴィアさんのところでメイドさんをやってたくらいだもんね!

 料理から掃除まで何でもござれ、的な!?」

 

「メイド……?」

 

「―――その、ええと、はい」

 

 誤魔化すようにするイリヤたちに不思議そうに。

 しかしそれ以上何を言うでもなく、ツクヨミが動き出す。

 職員に配るための包装なら手伝えるだろう、と。

 彼女に続くようにマシュもまた動き始めた。

 

 

 

 

「―――もういっかい、いい?」

 

 画面に釘付けになった少女が、そう言って指を立てる。

 

「ああ、構わないけれど」

 

 彼女の要求に従って、ロマニは映像を巻き戻す。

 いま映し出されているのは、冬木における戦闘のデータ。

 シールダーだった頃のマシュと、キャスターとして呼ばれたクー・フーリン。

 それが冬木のアーチャーと戦闘している場面だ。

 

「そういえば、クロ……っていうかレディが使ってたのと同じ武器だよね。

 あの時のアーチャーが使ってた剣とか、矢とか」

 

 黒白の双剣に、凄まじい貫通力を持つ矢。それは確かに冬木でも見たものだ。

 その時はソウゴもジオウの力を得る前で、前には出ていなかった。最終的にはアーチャーの攻撃をマシュが防ぎ、その隙にクー・フーリンの宝具がアーチャーを呑み込む事で決着。

 

 1年以上前に体験したことを改めて見直しながら、ソウゴは息を吐く。

 

「……ええ。わたしの中のクラスカード、アーチャー。

 それに内包されているのがあのアーチャー、ってことになるわけね」

 

 難しい顔をしながら、クロエが手を顎に添える。

 

「アーチャーだけじゃなくて他にも結構同じなんだよね」

 

 立香が横で、少女たちから聞いた情報を纏めたメモを見る。

 セイバー、アーサー王。ランサー、クー・フーリン。ライダー、メドゥーサ。

 アサシン、ハサン・サッバーハ。キャスター、メディア。バーサーカー、ヘラクレス。

 

 そんな一覧を思い浮かべつつ、ソウゴが先程映像で見たサーヴァントの影を思い返す。

 

「俺たちが最初にあったあのサーヴァント、ライダーで呼ばれたアナだったんだ」

 

 彼らが経験した最初のサーヴァント戦。

 影化したサーヴァントでしかなかったライダー。

 その真名がメドゥーサだったのだと認識して唸る。

 

「意外と世界って狭いね」

 

 感心した様子で大きく頷く立香。

 苦笑しているロマニの横で、クロエは珍妙なものを見る表情を浮かべた。

 

「あなたたち、その感想でいいの?」

 

 アーサー王とクー・フーリンも言うまでもなく。

 メディアとヘラクレスには、第三特異点における海洋で激突した。

 ハサンがどのハサンなのかは分からないが、その多くと第六特異点で共に戦った。

 メドゥーサは第七特異点で仲間となり、そしてゴルゴーンが敵となった。

 

 そう考えてみると、未だ正体すら判然としないアーチャーは不思議だ。

 一体どこの英雄なのだろう、と首を傾げつつ。

 

「あ、冬木に呼ばれたサーヴァントなら、ソロモンのカードとかないのかな」

 

「それならドクターでも使えたり?」

 

 カードを持って変身するロマニを思い浮かべつつ、期待の視線を向ける。

 そんなものを向けられて、とんでもないという顔をする彼。

 

「いやいや、使えないよ。ボクには魔術回路なんてないって知ってるだろう?

 それにしてもクラスカードか……一体どういう設計思想で造られたものなんだろうね」

 

 そんな話題を広げてくれるな、という抵抗だろうか。

 強引に話を変えにいくロマニ。

 

 ―――儀式『英霊召喚』。

 それは人理を滅ぼす獣性から、世界を守るために実行されるもの。

 人類史に名立たる英雄に頂点を示す冠位を与え、守護者として降臨させる。

 そんなものを下敷きに造り上げられたのが、儀式『聖杯戦争』だ。

 

 『聖杯戦争』に『英霊召喚』を取り込んだのは、マキリ・ゾォルケン。

 彼が願いを叶えるための儀式に、世界を救うための儀式を組み込んだのは何故か。

 ロンドンの地で見かけた彼は、最終的に人理焼却に身を捧げてしまった。

 だが、その時の様子やダ・ヴィンチちゃんの語る彼の人物像から察するに―――

 

「……『聖杯戦争』の原型は、世界を救う―――人類を存続させるという願いを叶えるものである『英霊召喚』だった。だからこのカードを使って行われるだろう別種の『聖杯戦争』も、世界を救うために設けられたものだ、って?」

 

 ロンドンの映像はないので口頭で幾らか内容を聞いていたクロエ。

 彼女がアーチャーの戦闘シーンを見直しながら、肩を竦める。

 

「さて。それはどうか分からないけれど、可能性はあるかもね。

 並行世界であっても、英霊の存在を前提にした『聖杯戦争』と呼ばれる儀式がある。

 だとしたら、そう言った枠組みも同じくしているかもしれない」

 

「っていうか、そもそもカードは聖杯戦争とは―――」

 

 そこまで口にしたクロエが口を噤み、視線を彷徨わせる。

 不思議そうにする視線を集めつつ、溜め息をひとつ。

 イマイチ自分が持っている情報が繋がらない、何かズレた感覚。

 

 冬木のアーチャーのサーヴァントを見て、自分の中の何かが噛み合うような、もう噛み合っていたのを思い出しているだけのような。そんな気持ち悪さが、表面に出てきて。

 

「大丈夫?」

 

「……へいきよ、へーき。あー、何か考えてもどうしようもないわね。

 ま、元からわたしはサーヴァントみたいなものだし、あんま変わってないし。

 せっかくだし、一足早い冬休みと思ってこっちでの生活を楽しませてもらうわよ」

 

 そのままひょいと手を伸ばし、ロマニの横から適当にパネルを操作する少女。

 止める間もなく行われたその動作に、モニターが目まぐるしく入れ替わる。

 今までカルデアが体験してきた戦いが、幾つか同時に表示された。

 

「ちょ!」

 

「それにしても、苦労してこんな戦いをしてきて世界を救った、ってのに今のあなたたちって実質軟禁状態なんでしょ? 理不尽よね。この映像もそのうち消すつもりなんでしょ?」

 

 そんな複数の映像をぼんやりと見つめながら、クロエがそうぼやく。

 

「……何を残して何を消すかまだ所長と議論中だからね。

 全て消してしまったら問題になってしまうし、全てを偽造するのは流石に難しい。

 虚実入り混じる内容に再編する予定だけれど」

 

「勿体無いわね」

 

 どこか遠くを見るような顔で、そう言って苦笑するクロエ。

 彼女の言葉に対し、神妙な顔で頷くソウゴ。

 

「確かに。編集して映画とかにしたら売れそう。所長のお金稼ぎになるんじゃない?」

 

「そういえばレイシフトで映画作ったら凄そうって話もしたね」

 

「そういう話してるんじゃないんだけど?」

 

 いい加減にしろと言わんばかりに腰に拳を当て、クロエがむっつりとした様子を見せる。

 きょとんとした立香とソウゴが顔を見合わせ、首を傾げた。

 

「はぁ……あなたたちが世界を救ってきたんでしょ? だったらもっとこう……何かないの? どんな大変な戦いだったか、ちゃんとみんなに知って欲しいとか。何でただでさえ押し付けられた運命を勝手に無かったことにされなきゃいけないの、みたいな」

 

「うーん。無かったことにはなってない、かな。

 知っていてくれる人はいて。憶えてくれている人もいて。

 そして何より、私たちは絶対に忘れない。だから、()()()()()かなって」

 

「……そりゃ、そうかもしれないけどね」

 

 むすっとして顔を背けるクロ。そんな彼女を心配そうに覗き込む立香。

 クロエは向けられる視線にムムム、とばかりに顔を顰めると、ささっと踵を返した。

 そうして管制室を後にしようとした少女の背中が、

 

 ビー、ビーと。

 突然のサイレンに晒されて、胡乱げな表情で振り返る。

 

「……大事件は解決して、もう何もなかったんじゃなかったっけ?」

 

 振り返って見れば、管制室はアラート全開。

 突然の事態に泡を食って確認作業に移り出す職員たち。

 そんな姿を見ながら、立香が腕を組んで眉根を寄せる。

 

「その予定だったけど」

 

 それこそ彼女たちと出会ったレディの世界も、異常事態だったのだ。

 問題が出た事に何か言ってもしょうがない。

 必要ならば何度だって動くだけ、である。

 

 ソウゴがロマニに視線を送り、問いかけた。

 

「準備してきた方がいい?」

 

「はは、その余裕は心強い。とりあえず、まずは状況の整理からかな。

 まずは観測した特異点の位置と時代の特定を急ごう。

 それと、所長にも説明だ。レオナルドの持っている回線に連絡をつけてくれ!」

 

「はい!」

 

 ロマニの指示が飛んで、俄かに騒がしくなる管制室。

 赤く染まったアラート画面が、即座に情報を集めるために切り替えられていく。

 

「キミたちもマシュたちに状況を伝えて、一応準備をしておいてくれ。

 準備ができしだい、再度ここに集まって欲しい」

 

「わかった」

 

 ソウゴと立香が顔を合わせて、走り出した。

 

 そんな背中を眺めつつ、クロエが軽く息を吐く。

 緊急事態があっても随分と落ち着いたものなのだな、などと。

 随分と感心しながら、彼女も彼らの後に続いた。

 

 

 

 

「意外と次々と問題は出るんですね……」

 

 人理焼却という大事を解決した経過観察、という状況だったはず。

 だが、問題となるアラートは二回目だという。

 一度目は無論、イリヤたちがカルデアと出会ったレディの国の話だが。

 

「実際どのくらいの問題なんだろうね、今回は」

 

「それより大きな問題だったとして、レイシフトできるのかしら」

 

 久しぶりのようなそうでもないような。

 私服からカルデアの魔術礼装へと着替えたマスターたちが、首を傾げる。

 

「……前回のレイシフト結果に関しての追求もまだ終わってないでしょうから。

 もしレイシフトを行う場合、所長やダ・ヴィンチちゃんにまた無理をしてもらうことに……」

 

 どうなるものか、と視線を伏せるマシュ。

 

 そんな彼女の肩の上にいるフォウが、ふと視線を上へと上げる。

 そこでは、ルビーがイリヤの傍で何やらステッキの持ち手をくねらせていた。

 隣のサファイアは、そんな姉に呆れた様子。

 

「フォー?」

 

 ステッキを見上げて首を傾げるフォウ。

 そんなフォウの方を見て首を傾げるマシュ。

 

 不思議そうにしている彼女たちの隣で、立香がソウゴに問う。

 

「もしもの時の黒ウォズ作戦は?」

 

「まだ一回分残ってるかな」

 

 問われたソウゴが、ディケイドウォッチと龍騎ウォッチの組み合わせを考える。

 それに変身すれば、まあいつも通りに黒ウォズは出てくるだろう。多分。

 そうして呼び出した黒ウォズに連れて行ってもらう、という手段はある。

 が、今まで通りそういうのは基本やらない方針になるだろう。

 あくまで最終手段だ。

 

「ところで、何であの人は黒ウォズって呼ばれてるの?

 もしかしなくても、黒いウォズってことでしょ?」

 

 そういえば、魔猪との決戦の時に何やら突然現れた人がいたな、と。

 本を持った青年を思い浮かべ、クロエが問いかける。

 

 彼女の疑問に対して、顔を見合わせる面々。

 

「白ウォズがいるからかな」

 

「……もしかして、そっちは服が白いから白ウォズ?」

 

「そうだよ? わかりやすいでしょ」

 

「人の名前って、わかりやすさより優先しなきゃいけないものがあると思うけど。

 そこんとこ、どーなのよ」

 

 あっけらかんと告げられた言葉。

 それを聞いたクロと名付けられた少女が、どことなく沈痛な面持ちでそう呟く。

 つい、と彼女から微妙に視線を逸らすイリヤ。

 

「クロにクロって名付けたのはリンさんだし……」

 

「わたしもイリヤのことシロとか呼ぼうかしら?

 ……シロは駄目ね、お兄ちゃんと被るし。うーん、そう考えるとシロウとクロエって名前、兄妹としては綺麗な並びな気がしてきたわ」

 

「は!? 全然関係ないじゃない! クロと違ってお兄ちゃんの名前は色関係ないし!」

 

 からからと笑いだすクロ。

 そんな彼女に対し、何かが逆鱗を刺激したのかイリヤは突然がなる。

 

「つけた理由じゃなくてシロとクロの並び(コントラスト)が綺麗だな、って話だもの。名付けの理由はイヌかネコかクマかみたいな適当さだったけど……こうしてみると、結果オーライね」

 

「イヌやネコはともかくクマにそんな名前つけないでしょ!? まず飼わないし!」

 

「人間にクロってつけるよりは、シロクマにシロって名前つける方がまだアリでしょ」

 

「た、確かに……! そ、そういわれると……アリ、なのかな?」

 

 クロエの言葉に何故かやり込められて、悩み込むイリヤ。

 そんな彼女の隣を歩きながら、美遊が何とも言えない表情を浮かべる。

 

「……士郎さんの名前の話だったんじゃ?」

 

「そ、そうだった!

 クロがクロだから名前がお兄ちゃんと兄妹らしいとかそういうのないから!」

 

「なんだか混乱してますねー」

 

「二人にはお兄さんがいるんだ?」

 

「ええ、名前から何からわたしと相性最高の兄がひとり……」

 

「だから名前とか関係なーい!」

 

 両手を振り回してクロの意見を却下する事に必死さを見せるイリヤ。

 彼女の隣で立香が考え込むように視線を彷徨わせた。

 

「兄妹かぁ。私にはいないけど……」

 

 ―――立香はそうして話を拾おうとして、しかし。

 

 それを拾っても広げられないな、と即座に小さく首を横に振った。

 自分にもソウゴにも兄弟はいないし、ツクヨミは自分の家族構成が分からない。

 マシュに限ってはそう呼べる生命がいたかもしれないが―――と。

 

 そう気を遣わせた、と理解して少し申し訳なさそうな顔を浮かべるマシュ。

 

「美遊にはお兄さんとかお姉さんがいたの?」

 

「―――姉代わりになってくれる、と言ってくれる方ならいました」

 

 その質問を予期していたのか、あっさりとそう言い返してくる美遊。

 必要以上に感情が消えた声にこれも失敗だったと声を詰まらせる。

 

 硬くなった空気の中、ルビーが羽飾りを動かした。

 まるで自分の手で自分の口を塞ぐように、五芒星に触れる羽飾り。

 

「……もしや皆さま、家族構成が地雷原なのでは?」

 

「いまどうやってそこに極力触れないように話を変えるか考えてたのに……!」

 

 ぷかぷかと浮いているルビーを半眼で睨むイリヤ。

 

「私はそうでもないんだけど……」

 

「そりゃ一般人だったならそうでしょ。ミユのことはともかくとしても、魔術師なんて家系図が全部導火線みたいなもんなんだから、触らないのが正解なのよ。

 特に古臭い歴史のながーい家なんかは要注意」

 

「うん、気を付けるね……」

 

 苦笑いして言葉を探す立香を、クロエが軽く笑い飛ばす。

 歴史の長い家、と言われて。

 彼女たちが真っ先に考えつくのは、最も関係の深い魔術師だ。

 

「確かに所長もお父さんの話は割と避けたがるよね。

 あとはそういえば、ロマニもダビデと結構他人のフリしたがってたかも」

 

 ソウゴがぼんやりと、そう思い返しながら口にする。

 アニムスフィアの家とは無関係でいられないのがマシュだ。

 彼女も何とかその流れで決起して、自身の出生に絡む話に乗ってみせた。

 

「ドクターの場合は更に特殊なケースだと思われますが……わたしも、先輩から話題を振れない雰囲気を出してしまったことを反省です。

 実は……兄や姉は、わたしにもいたと言えると思われます」

 

「そんな血を吐くような家族構成の告白は誰も望んでいないと思います!」

 

 どこか苦しげに吐き出されるマシュの告白に、イリヤがブレーキをかけようとする。

 そもそも別に自傷告白大会をしたいわけじゃないのだ。

 管制室に向かいながらの、ちょっとした日常会話だったはずなのに。

 

「イリヤだってイリヤの知らないところで別の姉妹が廃棄されてたりするかも……?」

 

 にやにやとしながらイリヤを見つめるクロエ。

 ただのからかいの言葉なのか、あるいはちょっと本気が混じっているのか。

 それが判然としなくて、反応に困ったイリヤは口元をひくつかせた。

 

「こ、怖いこと言わないでよ!?」

 

「―――話はここまでにしましょう。

 ソウゴも人の地雷に対して、変なこと言い出したりしないようにね」

 

 そう言ってぱんぱんと軽く手を打ち合わせるツクヨミ。

 

「なんで俺?」

 

 別に何か言ったわけでもないはず、と首を傾げるソウゴ。

 なので、ツクヨミはいつかサーヴァントから聞いた話を彼に確認する。

 地雷なら踏んで爆発させればなくなる、みたいな対処法はよろしくないのだと。

 

「モードレッドとはこういう話題で喧嘩したって聞いてるけど?」

 

「モードレッドの方から喧嘩売ってきたからだよ、それ」

 

「そうなの?」

 

 つけられた文句にどことなく不満げに眉を顰めるソウゴ。

 確認の意味を込めて向けられた視線に立香とマシュが揃って苦笑気味に首を傾げた。

 

「ところでツクヨミはどうなのよ。

 せっかくだし空気を変える意味でもなんかない?」

 

 そんな彼女たちの後ろで、イリヤが美遊をちらちらと意識していて。

 しかしどう声をかけるかに悩んでいる。

 そんな少女に肩を竦めつつ、クロエが問いかけた。

 

「私? 私は家族の事、憶えてないから。一緒に戦う仲間は……いたけれど」

 

 それもまた口にし辛い話だ、と思いつつ。

 家族の事よりも、既に喪われた仲間たちの事を想って言葉にする。

 彼女が元いた時代では、多くの人間がオーマジオウに葬られた。

 ちらりとソウゴの方を見れば、彼は感情を窺わせないような顔をしている。

 

 あの時代で反旗を翻し、レジスタンスとしてオーマジオウに挑んだこと。

 この時代でソウゴたちと共闘し、人理焼却に挑んだこと。

 それはツクヨミにとっては同じこと。

 

 いつだって彼女は、理不尽に誰かを苦しめる相手に立ち向かう。

 オーマジオウが苦しめる側だから立ち向かい、ソウゴは助ける側だったから共闘した。

 きっとそれだけなのだろう。

 

 オーマジオウや黒ウォズ―――ひいてはソウゴに恨みがあるかというと、そうでもない。

 戦いの中で喪われた仲間を悼む気持ちはあっても、最初から敵を恨んではいなかったと思う。

 

 憶えていない家族のことといい、敵への憎しみはないことといい。

 もしかしたら自分は薄情なタイプの人間なのだろうか、と思わなくもないが。

 

「……ただ何も憶えてないからこそ、私としては。それがその人にとって、良い思い出だから思い出すのが辛いのか。あるいは、悪い思い出だから辛くて思い出したくないのか。それだけは知っておきたいかもしれない。

 多分そこが、相手の心に踏み込む判断をするにしても、踏み込まない事を選ぶにしても、一番大事な部分かと思うから。知らなきゃ、何も選べないものね」

 

「教え……」

 

 ツクヨミの言葉に反応して、口を開くソウゴ。

 彼はしかしすぐに黙りこんだ。

 そのまま言葉を続けるようなら、口を塞いで止めようとしていた立香。

 彼女の動きが止まる。

 

 教えてくれないってことは踏み込んでほしくないって意思表示でしょ、と。

 そう言おうとしたのを止めたのだ、と。言い切られずとも分かった。

 

 踏み込んでほしくない、といまさら言い切りたいわけじゃない。

 ただ踏み込まれた時、どんな反応を返せばいいのか分からないだけ。

 

「……兄が、いました」

 

 それでも、伝えなければいけないと想えたのは。

 レディたちの事を見ていたからだろうか。

 

「ミユ……?」

 

「もう会えないけれど、兄がひとり。大切な、けれどもう会う事のできない人。

 それを苦痛に思う気持ちも、多分、レディに拾われていたから……」

 

 彼女の態度から知っていた。

 しかし、そうして確かな言葉として聞くのは初めてだったと思う。

 イリヤが少し驚いたように、美遊に視線を合わせる。

 

「大切な人がいて、その人にもう会えない事を辛いと思う。

 そう思っているのに口にしないのは、誰より自分を傷付ける事。

 ……もう言葉を交わせない大切な人の心も、傷付ける事。

 レディを見ていて、そう思えたから」

 

 そこで彼女は呼吸を整えるように大きく息を吐き。

 そうして、前を見据えて言葉を発した。

 

「―――わたしには、大切な兄がいた。

 イリヤたちには、それだけはちゃんとわたしから言っておかないと、って」

 

 詳細を話すには憚られる。問われたってなんて返せばいいか分からない。

 何より彼女自身が、自分の中のものを消化しきれていない。

 だけど、そこだけは口にしておかないといけない。

 

 そう口にしてから、美遊は静かに瞑目した。

 

 

 



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通りすがり紳士1999

 

 

 

『緊急だってこっちを呼び出しておいて、随分と時間がかかったわね』

 

 呆れるようなオルガマリーの声。

 管制室に入った途端に浴びせられたそれに、揃って目を逸らす。

 一人だけ申し訳なさそうに、美遊が頭を下げた。

 

「すみません、わたしに関して伝達しておかなければいけない事があって……

 それで、ここへ向かう足を止めさせてしまいました」

 

『……いや、別にいいんだけど』

 

 サーヴァントとしてとはいえ、小学生くらいの少女が三人増えた。

 そんな事実を改めて噛み締めて、カルデア所長が眉間を押さえる。

 頭を痛めている所長に対し、ふと思いついた疑問を投げかけるソウゴ。

 

「そういえば所長の方はどんな状況なの?」

 

『そっちが緊急だっていうから応じてるのになんでこっちの話から入るのよ!』

 

『まあまあ、こっちの状況も無関係じゃない。

 レイシフトを実行するなら、またこっちで仕込みをしなきゃいけないわけだしね』

 

 がなるオルガマリーを抑えつつ、ダ・ヴィンチちゃんが笑う。

 だが彼女はすぐにその笑みを引っ込めて、神妙な表情を浮かべてみせた。

 

『とはいえ、実はそう大変なことにはならなそうでね。

 レイシフトが必要だというなら、すぐ実行できる状態なんだ』

 

「なんで? この前のレイシフトは許可を取るにも実行した後も、かなり大変な事になりそうみたいな話だったと思うんだけど」

 

 そのために面倒な根回しをしていたのでは? と。

 そう問いかけられたオルガマリーが、小さく肩を竦めてみせる。

 

『―――あんたたちが前回攻略した特異点……じゃなし。

 前回踏み込んだ固有結界ね。あそこに関しての情報が、協会に入ったのよ』

 

「何かあったの?」

 

 それが相手に知れたところで、何か変化があるものなのか。

 むしろ固有結界を特異点と誤認した失点ですらある気がするのだが。

 不思議そうに首を傾げる立香。

 

 オルガマリーは目を細め、彼女の後ろへと視線を移す。

 その視線を向けられたのは、イリヤと美遊―――そして、二本のカレイドステッキ。

 

『……嘘か真か。時計塔でも指折りの地位を持つ相手が、わたしたちに称賛を送ってきたのだそうよ。“よくやった、これからも励むように”ってね。嘘か、真か、知らないけど』

 

 じい、と見つめられるルビーとサファイア。

 特に何の反応も見せないサファイアと、くねくねと揺れるルビー。

 その反応から何となく相棒が何かしたのか、とイリヤが顔を引き攣らせる。

 

「ル、ルビー……なにしたの?」

 

「いーえ? なーにもしてないですけど。

 いくらわたしでも流石にあのジジイのなりすましなんてとてもとても……」

 

「ええ、いかに姉さんとはいえそれは無理かと」

 

「サファイア……?」

 

 まるで共謀しているように口を合わせるサファイア。

 そんな彼女を見上げながら、何とも言えない表情を見せる美遊。

 

 ―――それが本物からの干渉でも。カレイドステッキによる騙りでも。

 カルデアにとっては、別に関係ないのだけれど。

 どっちであったにせよ、その答えが出せないのならば協会にだって関係ない。

 

 人理焼却明けの状況、協会はどうあってもここに面倒ごとは増やせない。

 だから魔法使いが言及したという事実だけで、カルデアにはそうそう干渉できなくなった。

 時間が経って魔法使いから以降の干渉がなければ崩れ去るだろう。

 この世界情勢がある程度安定すれば、正規の手順を踏んで解体できるだろう。

 

 別に無理をしなくとも、カルデアに失点が多いのは事実。

 現状コールドスリープしているレフの被害者連中だけで潰されるだけの理由になる。

 

 協会が自由に動けるだけの余裕を取り戻し。

 そのコールドスリープを解凍するための準備が終わって。

 人理焼却の爪痕がおおよそ全て消える、という段階になった時。

 それが、カルデアが今まで通りでいられるタイムリミットだ。

 

 ―――まあそこはいい。分かり切った話だ。

 だが、少なくとも今すぐカルデアを無理には潰せなくなった。

 必要なのは時間的猶予だ。せめて1年は欲しい。

 それだけの時間があれば、なんとか。

 

 本当の意味で、カルデアからデミ・サーヴァントはいなくなるはずだ。

 そうなれば彼女はカルデアで生まれたという経歴のただの人間でしかない。

 カルデアの財産としては、大した能力があるわけではない一人の人間でしかなくなる。

 接収されるほどの利用価値がない、ただの少女に成り下がる。

 だから――――

 

 一つ小さく溜め息を落とし、オルガマリーが言葉を続けた。

 

『……ま、いいわ。何が理由かなんて今は重要じゃない。つまり、お偉いさんからカルデアの功績を認める、という旨の言及があったわけ。

 このせいで連中はわたしたちの今回の功績を否定できなくなった。上の連中がやろうと思えば掻き消せなくもないでしょうけど……もしもが怖いわけね』

 

「その偉い人に怒られたくない?」

 

『どちらかというと目を付けられたくない、かもね。そこはどうでもいいんだけど。

 その結果として、わたしたちはそれなりに立場を取り返せた。

 このまま行けば来月頃にはわたしとダ・ヴィンチもカルデアに一度帰れそうなんだけど……』

 

 そこで黙り込むオルガマリー。

 彼女に対して首を傾げ、マシュが問いかけた。

 

「では、あと半月ほど新しい特異点は経過の観察を?」

 

『そうはいかないでしょ、すぐにレイシフトの許可は取るわ。

 新たにサーヴァントを呼ぶだけのリソースは融通できないけど……』

 

 何とも言えないような顔で、彼女はレイシフト実証の許可は取ると口にした。

 この現象がもう少し後ならば、現場で参戦できたのにと。

 そう言いたげな所長の目を見て、マシュが納得したように下がる。

 

 対して、そこでクロエが一歩前に踏み出した。

 

「わたしたちがサーヴァント、ってわけね」

 

『まあ、そうなる、わね』

 

 本当に今更の話ではある。

 が、小学生ほどの少女が三人揃ってサーヴァント、となると。

 流石に眉を顰めて、オルガマリーは言葉に迷うように小さく呻いた。

 

『今、彼女たちはカルデアに呼ばれたサーヴァントという状態だ。

 とりあえず、改めてマスターたちとそれぞれ契約を結び直すことから始めようか』

 

 ダ・ヴィンチちゃんがオルガマリーの後ろで肩を竦め、そう口にする。

 

「誰と誰で?」

 

『それはもうそっちで決めてくれ。私たちで決めるより、君たち自身の感性の方が優先されるべきだろうからね。フェイトを通して契約後、令呪を装填―――するだけの魔力もないね。

 まったく、前回のが固有結界でなくて特異点ならリソースの回収もできたのに』

 

 やれやれと、そう言って肩を竦めながら、彼女は所長へと視線を向ける。

 こちらからの注意はないということなのか、オルガマリーが小さく首肯した。

 

 そう言うならそうしよう、と。

 立香が振り返って、話題を決めるべき事柄に持って行く。

 

「じゃあどうしよう。私とソウゴとツクヨミと、イリヤと美遊とクロ。

 どうやって割り振る?」

 

「俺より立香が二人と契約する方がよくない?」

 

 ソウゴをジオウとして戦力に数えるなら、それでいいだろうと。

 以前に真っ先に彼もマスターになったのは、人理焼却中のリスク分散のためでもある。

 マスターを増やすこと自体に意味があった状況と今は違う。

 もちろん令呪の装填があるならば、今でもマスターを増やす価値はあるが。

 今回はそうではない。

 

 ならば自分ではなく立香に集中させるべきでは、と彼は言う。

 

「ソウゴは契約してるサーヴァントの位置に長距離転移とかできるじゃない。

 だったら、サーヴァントと契約しておけば自由度が上がるでしょう?」

 

 ツクヨミに言われた言葉に確かに、と。神妙な顔で頷くソウゴ。

 サーヴァントがいた方が行動の選択肢が増えるのは事実。

 あっさりと論破された彼が、胸の前で腕を組んで見せた。

 

 そういった考え方をすればいいのか、と美遊が口元に手を当てる。

 

「……組み合わせに戦略を考慮する場合、わたしとイリヤでカードの分配も話した方がいい。いまはわたしがセイバー、ランサー、ライダー。イリヤがキャスター、アサシン、バーサーカーをそれぞれ持っているけれど……」

 

 美遊の言葉に合わせて、サファイアが管理していたカードを取り出す。

 同じくルビーもそうして、イリヤがそれを受け取った。

 それぞれが3枚、合わせて6枚。クロが宿すアーチャーを合わせて、7枚。

 

「……イリヤが幻想召喚(インストール)出来てるなら、キャスターは火力になるわね。ただアサシンは撹乱くらいにしかならないでしょうし、バーサーカーはできれば使わない方がいい」

 

 ちらりと一瞬だけイリヤを見て、クロが言う。

 そんな彼女の言葉に対して、首を傾げるイリヤ。

 

「え、なんで?」

 

「バーサーカーよ、バーサーカー。

 使ってみなきゃどうなるか分からないとはいえ、下手したら狂化して暴走よ?」

 

 当たり前のことを聞くなとばかりにクロエが半身の頬を指でつく。

 ぐいぐいと押し込まれて、イリヤがあうあうと呻いた。

 

「バーサーカーはないものと考えた方がいい、ってこと?」

 

「まあ、積極的に使いたいカードじゃないわね。

 本当に腕力とかが必要な場面なら使いようかもしれないけど」

 

 最後に額を押してイリヤを解放し、肩を竦めるクロエ。

 

 そんなイリヤが持っているカードと、美遊の持つカード。

 二人の少女が持つ6枚のカードを眺めつつ。

 更にそれらが発揮するだろう力を推測して、ソウゴが目を細めた。

 

「じゃあ火力のセイバーとキャスター、スピードのランサーとライダー、後は使いづらいアサシンとバーサーカー?」

 

「ハサンとヘラクレスに怒られるよ」

 

「ヘラクレス本人よりイアソンの方が怒るかも」

 

 呆れる立香に、いつぞや顔を合わせた相手を思い返しつつそう返す。

 そんなやりとりを尻目に、イリヤと美遊がカードを交換しようとする。

 が、そこで手を止めるイリヤ。

 

「……でも結局、どっちがどっちを持てばいいんだろう」

 

 止まってそう言うイリヤに対し、美遊はライダーのカードを差し出した。

 先んじて差し出されたそれを受け取りつつ、イリヤは首を傾げる。

 

「強いて言うならセイバーとランサーは攻勢向け。キャスターとライダーは守勢向けだと思う」

 

 つまり攻めに適したカードは美遊に集め、守りに適したカードをイリヤに集める、と。

 既に受け取ってしまったライダーのカードを見て、イリヤは眉を顰めた。

 まるでイリヤを前に立たせたくないので自分が前に立つ、というような采配で。

 しかし、近接戦闘のセンスで自分が美遊より上とも思えないので、言い辛い。

 

「……じゃあ立香と契約する方がキャスターとライダーのイリヤじゃない?」

 

「そうね。私より立香の方がいいと思う」

 

 美遊の注釈を聞き、立香に視線を向けるソウゴとツクヨミ。

 隣にいるマシュもまた、大きく頷いてみせている。

 

「私じゃツクヨミほどは動けないしね……」

 

「先輩は皆さんの中で最も後衛での調整に向いた方かと」

 

 苦笑している立香に、マシュが首を横に振ってみせる。

 消去法でもある。が、周りを見る事に一番集中できるのが立香だろう。

 あとの二人が前に出る分、なおさら。

 

「えっと。じゃあわたしがリツカさんと」

 

「なら、わたしとクロがツクヨミさんかソウゴさんとですね」

 

「まあ、わたしとソウゴでしょ。前に出るなら誰か、って考えると」

 

 美遊がそう言った直後にクロエが肩を竦める。

 一応魔法少女全員が前衛に立てるが、誰が最も秀でているかというとクロエだ。

 彼女にはアーチャーの“眼”があり、転移魔術もこなせる。

 それを否定する理由もないのか、美遊が頷く。

 彼女たちがそれでいいなら、とソウゴとツクヨミもまた。

 

「それで、バーサーカーとアサシンはどうしよう?」

 

 ライダーを受け取った代わりにアサシンとバーサーカーを取り出し、イリヤが問う。

 その彼女の頭上から声をかけるルビー。

 

「念のためにバーサーカーはイリヤさんの方がいいのでは?

 美遊さんはセイバーとランサーがあれば白兵戦には困らないでしょうし。

 もしもの時に備えるなら、バーサーカーの戦闘力は無視できません」

 

「そっか……じゃあ、アサシンはミユに」

 

「うん」

 

 再配分を終えて、一息つき。

 

「―――では、この後に一度召喚室に行ってもらって契約。その後、レイシフトを行ってもらうわけだけど……この場で現状分かっている特異点の情報を説明しておこう」

 

 ロマニに視線を向けられた職員が一度頷き、説明を始める。

 

「はい。今回確認された特異点ですが、場所は日本の―――東京都、新宿区。年代は1999年。

 原因は人理焼却の余波、かと思われますが……」

 

 どこか自信なさげな説明。

 それを受けつつ、地球環境モデル・カルデアスに浮かび上がる光点を見る。

 確かにその光点が灯った場所は、日本に違いない。

 

「新宿って分かってるってことは、今回は実は固有結界だったりはしないってこと?」

 

「そうだね。そういう事態はまず無いと思ってくれていい、多分」

 

「多分なんだ」

 

『例外がないとは言い切れないからねえ。よくよく思い知っているわけだ』

 

 確認する立香に何とも言えない顔で返すロマニ。

 どこか自信なさげなのは、例外的ケースに慣れ過ぎたからだろうか。

 そんな彼をけらけらと揶揄うダ・ヴィンチちゃん。

 

 これから向かう事になるだろう土地の名前を聞き、イリヤが唸る。

 

「新宿かぁ……お兄ちゃんが修学旅行で東京に行ってたような……新宿はどうだろう。

 でも、元の新宿を知らなくておかしな部分に気付けるのかな。行ったことないよ」

 

「大丈夫でしょ、すぐに見て分かるくらいおかしいから特異点になるんでしょうし。

 っていうか日本なの? どうせなら外国見たーい」

 

『外に出ればたっぷり日本じゃ見れない雪山が見れるわよ』

 

 クロエから飛ぶ要求をばっさりと切り捨て、オルガマリーが軽く手を振るう。

 確かにあの銀世界は相当な絶景であったが、と頬を膨らませる少女。

 

「……意外と範囲も狭いんですね。

 あくまで余波として発生するに相応の規模、ということでしょうか」

 

「チェイテ城を中心に、という時もありましたが……そうですね。

 このように発生した特異点としては、明らかに今までより小さいかと」

 

 一都市単位であったロンドンよりなお狭い。

 サーヴァントの行動範囲から考えれば、全域が常に戦闘区域とさえ言えるかもしれない。

 それこそいわゆる“通常の聖杯戦争”よりも狭い行動範囲だろうか。

 

 その“狭さ”がどう転ぶだろうか、と目を細める美遊。そんな彼女にマシュが特例を口にしようとして、しかし多分参考にはならないと無かったことにした。

 

「範囲が小さいってことは、変化も実は少ないのかな。

 そんなに大きな事件は起こってないかもしれない?

 っていうか、1999年の新宿って歴史の中で大事なことって何かあった?」

 

『流石に近代すぎて日本に限らず歴史の転換点、と言える事象はないね。

 もしかしたら100年先には、1999年が特別重要な年と認識されるようになるかもだが。

 少なくとも現状では、人理焼却に匹敵する結果には繋がらないと断定できる』

 

 ギリギリ生まれていない年代に対し首を傾ぐソウゴ。

 ダ・ヴィンチちゃんは彼の疑問に、何かを思い出すように顎に手を添えながら返した。

 

「あんまり小さい変化だと探す方が難しそうだね」

 

『ま、レイシフトした途端に恐怖の大王が宇宙から落ちてきたりするよりはいいだろう?』

 

「? 大王……王様が落ちてくるの?」

 

 何の話? という顔をするソウゴ。恐怖の大王(アンゴルモア)の到着予定時刻より後に生まれた少年に、ダ・ヴィンチちゃんが苦笑しつつ肩を竦める。

 

『私が作品に暗号を隠してるかどうかと同じくらいどうでもいい話さ。

 ちょっとしたジョークだと思ってくれたまえ』

 

「宇宙からの大王……宇宙からビームを降らせてきたアルテラ、みたいな話?」

 

 聞いたフレーズから、今まで見たものを繋げてみる。宇宙と、大王。

 破壊の大王と渾名されるアルテラ。

 そんな彼女は空の果てから、軍神マルスの光剣を見舞ってきた。

 そう言った意味なのだろうかと問うてみると、ダ・ヴィンチちゃんは視線を彷徨わせる。

 

『んー……まあそれはそれで確かに大変になりそうではあるけど』

 

「そっか。1999年に本来いなかった宇宙人が攻めてくる特異点かもしれないのか」

 

 横で聞いていた立香がそれに手を打つ。

 そんな言葉を聞いたツクヨミが、真面目腐った顔で思考を始める。

 

「2016年に宇宙人が来る世界はあったし、ありえない事ではないわよね」

 

「なるほど。でしたら異常の大元は、1999年に本来くるはずのなかった地球外生命体をアブダクションしてしまった誰かなわけですね。新宿のどこかで宇宙と交信する謎の儀式が行われているはず! それを防ぐのが今回のミッションってわけですよ、イリヤさん!」

 

「なんでそんなにノリノリなの……?」

 

 頭頂部からアンテナを生やして猛るルビー。

 イリヤがそんな珍妙な行動をとり始めた相棒にどうすればいいのか悩む。

 

 それを見ながら画面の向こう側で溜め息ひとつ。

 

『……ダ・ヴィンチ。余計なことを言うのは控えなさい』

 

『いやいや、この反応はこの反応で心強いと思うけどね?』

 

「っていうか、宇宙人とも戦ったことあるの?

 ……あー、あの第六? だったっけ、あそこ?」

 

「あ、はい。えっと、それもありますが後一つ。映像記録としては通常の特異点攻略とは別にしてありましたので、クロさんも見ていないと思います。

 ですがそちらにはちゃんと交流できる宇宙の方もいたので、ご安心を」

 

 そう言って微笑むマシュ。

 クロは彼女の一切虚飾のない笑みに何とも言えない顔を浮かべる。

 

「何に安心すればいいのか分からないけど……」

 

「決まっているじゃないですか、クロさん。

 マシュさんの天然具合に安心すればいいんですよー」

 

「姉さんは黙っていてください」

 

「宇宙人……そういうケースもあるんですね」

 

 確かに宇宙人が訪れれば、歴史がまるっと変わるのも納得できる。

 人理に対する外敵の襲来を前に、美遊が緊張するように眉根を寄せた。

 

「―――まあ実際に宇宙人の侵略が原因かはさておき。

 行動範囲が狭くなった分、ある意味で脅威度を増しているかもしれない。

 レイシフトした瞬間そこが敵の宝具の射程内、なんて可能性が高まったと言えるわけだし。

 もちろんそうならないように、こっちでもレイシフト先の情報収集は怠らないけど」

 

 これ以上話を広げさせては、宇宙船を仮想敵にした巨大ロボ戦の話になりかねない。

 そう察知したロマニがさっさと話題を切り替える。

 

 外から観察する事に限度がある、というのは分かっている。

 つい直近のレイシフトでも特殊な世界に名前を奪われかけたばかりだ。

 より緊張感を持って、警戒しておかなければならない。

 

 彼からの忠告に、強く頷くマスターたち。

 

『……では、契約を完了させた後にコフィンに搭乗。

 人理焼却の余波と思われる泡沫特異点、新宿へとレイシフトを行いなさい。

 ロマニ、何か問題があればダ・ヴィンチに通信を』

 

「了解しました所長。

 というわけだ、マスター及びサーヴァントは契約の更新を。

 その間にコフィンの準備を済ませてしまおう!」

 

 職員たちの了解する声が響き、彼らは動き出す。

 

 ―――彼らの向かう先こそ。

 時は1999年。日本国首都、東京都新宿区。

 何より。誰より。

 カルデアからの干渉を待ち望む、憎悪の蔓延る悪逆都市である。

 

 

 

 

『アンサモンプログラム スタート。

 霊子変換を開始 します。

 レイシフト開始まで あと3、2、1……全行程 完了(クリア)

 アナライズ・ロスト・オーダー。

 人理補正作業(ベルトリキャスト) 検証を 開始 します』

 

 

 

 

「―――確かに引き締まる感じするわね」

 

「時々ある感じ」

 

〈ジオウ!〉〈ディケイド!〉

 

 クロのぼやきにそう答えつつ、ソウゴがドライバーを装着する。

 落下の勢いに風を感じながら、彼はそのままウォッチを装填。

 変身シーケンスに入る。

 

「いきなり空中に放り出されるのが日常なんですか……!?」

 

「時々ね」

 

 移動直後に注意する、という話はしていたけれど。

 まさかこんなかたちで危険にさらされるとは、なんて。

 そんな風に目を回すイリヤに、立香が苦笑を返した。

 

 少女の周囲を回っていた魔法のステッキが、ここぞとばかりに飛び出す。

 

「このまま地上に落ちザクロのようにかち割れて、アスファルトにこびりついた赤黒いシミになるわけにはまいりません!」

 

「怖い言い方しないで!」

 

 飛び出したルビーに合わせ、美遊の許からサファイアも舞う。

 蒼玉の魔法少女たるコンビが心を交わすように、同時に頷く所作を見せる。

 伸ばされた美遊の手の中に飛び込むマジカルサファイア。

 

 マジカルルビーもまた強引に、イリヤの手の中へと納まった。

 

「そうならないためにも、多元転身(プリズムトランス)。ではでは行きますよー!」

 

「コンパクトフルオープン! 鏡界回廊最大展開!」

 

 蒼色と紅色、二色の光が空中で交わりながら膨れあがる。

 その中心にある二人の少女が、それぞれ装束を変えていく。

 私立穂群原学園小等部の指定制服から、魔法少女らしいファンシーな服装へ。

 

 それは魔法のステッキと契約した魔法少女。

 即ち、カレイドルビー及びカレイドサファイアとしての姿。

 

「―――変身!」

 

〈ライダータイム! 仮面ライダージオウ!〉

〈アーマータイム! ワーオ! ディケイド!〉

 

 背負った時計が描き出す“ライダー”の文字。

 そして浮かび上がる九つの影を己に重ね、ソウゴも変わる。

 マゼンタの追加装甲を鎧ったジオウ。

 

 仮面ライダージオウ・ディケイドアーマー。

 彼はそのまま流れるように、ディケイドウォッチに更なるウォッチを装填した。

 

〈オーズ!〉

〈ファイナルフォームタイム! オ・オ・オ・オーズ!〉

 

 ジオウの背に広がる赤い翼。更なる変化を遂げたジオウが、胸のインディケーターに“オーズ・タジャドル”の名を描き、舞い上がる。

 

 クロエが大きく体を翻し、自身の在り方を切り替える。

 他の二人と同じように制服を纏っていた少女の衣装が、赤い外套と黒いボディアーマーへ。

 彼女はその切り替えから流れるように、ジオウの肩へと着地してみせる。

 

 カレイドルビーとなったイリヤスフィール。

 ルビー曰くプリズマ☆イリヤが、飛行を開始して立香の腕を掴む。

 カレイドサファイアである美遊。

 彼女は空中に魔力を固めて足場を作り、ツクヨミを抱えて降り立った。

 

「……とりあえず、組み方はこれで良かったという確証は得られた?」

 

「確かに、飛行手段を持たないクロエ様がソウゴ様と組むのは良い采配だったかと」

 

 ほぅ、と息を吐き落とすような美遊の言葉に、呆れた様子で返すサファイア。

 彼女たちの様子に対し、通信機を通じてロマニの声が返ってくる。

 

『う……申し訳ない。ちゃんと地上に向けてレイシフトした筈なんだが……

 ウルクのように侵入を弾くための結界があった、とは考えづらいんだけど……

 どうだろう、レイシフトしてみて新宿には本来なさそうな異様なものがあったりするかい?

 それに干渉された結果、こうなったと考えられるかも―――』

 

「……ある、わね」

 

 わざわざ頭を巡らせるまでもなく。

 美遊に支えられながら、ツクヨミがあからさまに怪しい建造物に眉根を寄せた。

 

「なんでしょう、あれ。塔……?」

 

「……宇宙人を呼び込むって話が、現実味を帯びてきたような」

 

 揃って見据えるのは、新宿の只中に築かれている巨大な塔。

 天を衝くように伸びた、高層ビルよりなお巨大な施設である。

 

 わざわざ探すまでもない異常に対し、ツクヨミは来る前に話していた話題に触れた。

 事前にそんな内容を話していたからか、本当に宇宙から何かを招くためのものに見えたのだ。

 あんなものがあそこにあって、特異点の原因と関係ないなんて話はありえない。

 

「えっと……あれって……あの場所、もしかして都庁?」

 

『―――位置を確認します。……現在地との位置取りからして、間違いないかと。

 みなさんが見ている巨大な塔がある場所は、もともと東京都庁があった場所です』

 

 ジオウから問いかけられ、マシュがすぐにマップを確認する。

 もはやどこが怪しいか、など話し合う必要すらない。

 あからさまに騒動の中心であろう存在が目の前に屹立しているのだ。

 

 揃ってあの施設こそがまず調べるべきものだと理解して―――

 

「――――ッ! 高度落として!! 速く!!」

 

 ジオウの肩で、塔を見据えていたクロエが叫ぶ。

 直後に赤い翼が大きくはためく。

 クロエが視線を向けている方向に対し進行し、前に出るジオウ。

 

「え、なに、なんで?」

 

()()がくるわ――――ッ!」

 

 戸惑うイリヤに一息に叫び返すクロ。

 瞬間、彼方に見える塔の上で、何かが昏く瞬いた。

 

 すぐさまそれに対応するように、クロエが片手を前へと突き出す。

 起動するアーチャーのクラスカード。

 その能力が発揮され、投影される一枚の盾にして、四枚の花弁。

 

「―――“熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)”……ッ!!」

 

 本来七枚展開されるそれは、四枚止まり。

 そんな事実に対して、クロエが軽く舌打ちする。

 他人の力を他人の体で使って、それでも十全以上に使いこなしていたファースト・レディ。

 彼女が出来たなら、と思ったがそう簡単にはいかないらしい。

 

 ジオウが腕を伸ばし、少女の足首を捕まえる。

 踏み止まるにはあまりに辛い足場。

 だがそれでもここで留まるしかない。

 後ろには、立香とツクヨミを掴んだイリヤと美遊がいる。

 彼女たちを守るには、撃ち落とされるわけにはいかないのだから。

 

 空を裂いて飛来する銃弾。

 まるで剣か何かを強引に押し固めて、弾丸に似た形状にしたかのような。

 いびつに歪んだそれが着弾すると共に弾け、花弁の盾が一枚消し飛んだ。

 

 衝撃を浴びて体を震わせながら。

 しかし耐えつつ、少女は初撃で得た情報に愕然とした。

 

「この、矢……! じゃない、弾丸……!? 使い方が違う……けど、これは―――!」

 

「二人に合わせて降りるよ!」

 

 慌てて降下に入るイリヤと美遊。

 ジオウが狙撃手と彼女たちを遮る位置を保ちつつ、盾を維持しながらの降下。

 

 次弾はこない。

 狙撃手のプレッシャーはまだ感じるが、二発目は何故かこない。

 自分の位置だけを主張するような構え。

 そんな狙撃手らしからぬ態度に、クロエが強く顔を顰めた。

 

「待ちの姿勢……? こっちからそこまで攻めてこいってわけ?」

 

「いったん退いた方がいい。まずはこの特異点の状況を調べるべき」

 

 クロの声の震えを苛立ちと取ったのか、美遊がそう窘める。

 それに対し、盾の維持に集中している彼女は肩を竦めるだけの反応に留めた。

 そして今の状況を考慮し、イリヤと美遊に怒鳴る。

 

「まだ撃ってくるかもしれない。射線を切れるビルの影……いえ、ダメ。

 ()()()()()()一帯のビルごと爆撃される可能性もある。

 正面からの撃ち合いの方がまだ安全! まずは視界が開けた場所に降りて!

 防戦しつつそのまま射程外に出るわ!」

 

 地上に足を降ろせれば、ジオウが自分の足場から戦力に変われる。

 そうなれば()()()()()の火力を下回ることはない。

 ()()()()()()()()()()()だ。

 それを断定したクロエの声に従い、二人が動く。

 

「え、えっと……戦場になるかもしれない、巻き込んでも大丈夫そうな場所……!?」

 

「ドクター、マシュ、地図を!」

 

 間を置いて、再び射出される弾丸。

 攻めではなく逃げを選んだと理解した狙撃手からの追撃。

 それを受け止めて、花弁がまた一枚吹き飛んだ。

 

『―――周辺の生体反応を探知。ルートを表示します!』

 

 マシュの声とともに、映像が浮かぶ。

 周辺のマップと、そこに生体反応を光点として示した図。

 それを見て、生体反応が少ない場所へと舵を切る少女たち。

 

 更に放たれる弾丸が、三枚目の花弁を砕いた。

 残り一枚、その前に地上に降り立つために彼女たちは加速して―――

 

 目の前に広がる光景に、ルビーが何か気付いたように声を漏らす。

 

「……これは」

 

「……なんか、おかしくない?」

 

 その状況で、マップを睨んでいた立香が呟く。

 彼女が地図上に走る生体反応のないラインを指でなぞり、眉を顰めた。

 新宿全土のマップが明かされたわけではないが、あまりにも。

 あまりにも綺麗に、その線状にだけ、生き物―――いや人間がいない。

 

「これ、地図で線になって伸びてる生体反応がない部分って多分、国道だよね? 街中にはちゃんと生体反応があるのに、国道沿いにだけ不自然なくらい誰も―――」

 

 だがそう言っても、狙撃で狙われている状況は変わらない。

 ―――だから、進むことを止めることなどできるはずもなく。

 

 思考の暇を奪うように、更なる一撃が盾に直撃する。

 弾け飛ぶ最後の花弁。

 

「ちぃ……! もっかい盾を……!」

 

「この位置なら降りて俺が弾く方が―――」

 

 余裕などあるはずもなく、イリヤと美遊が国道沿いにまで出た。

 それに続いてジオウとクロがそこに飛び込もうとして。

 ――――その瞬間。

 

「ああ、クソ。必死に走ってきたが間に合わないとは。それはダメだ。そこは踏み込んではいけないエリアだったのだよ。危険な場所、というわけじゃない。だって、踏み込んだものがどうなるかは確定しているからネ。曖昧に“危険”などと、注意を促す必要がない。この新宿にいる者たちはみんな知っているのだから。()()()()()()()()()()()()()()、と」

 

 付近のビルの屋上で、一人の男が顔を顰めながら腰を押さえてそうぼやく。

 そんな相手を見つけたジオウとクロが、僅かに動きを鈍らせる。

 

 彼はそのまま本気で疲労に震える手で、引っ提げていた白い棺桶を軽く叩いた。

 その衝撃で開いた棺桶から、空中に向かって複数のロケット弾が発射される。

 

「そこは明確な獣の狩場(キルゾーン)

 踏み込んだら間違いなく死ぬ、地獄まで直通の獣道だ。とにかく全力で離脱したまえ。

 そうでなければ、脳が脅威を認識する前に死ぬことになる」

 

 打ち上げられたロケット弾が炸裂し、空中を白煙で覆い尽くす。

 真っ白に染まる空が、彼方の狙撃手から視界を奪う。

 目晦ましで強引に狙撃手の射線を切った彼は、口惜しそうに口にした。

 

 一瞬だけ見えたその男の言葉を聞き、真偽を測ろうとするクロエ。

 

 ―――そんな彼女が答えを出すより前に。

 地上に降りたら使用する心算だった、ジオウⅡウォッチを手にしていたジオウ。

 彼の視界の中に、在りうる未来の光景が掠めた。

 

 そこで視た光景に。

 一切の迷いなく、そこでジオウが行うべき行動を決定する。

 

「――――ごめん、クロ。投げるよ!」

 

「ちょ、ええ!?」

 

 クロエをビルの方へと投げて、ジオウが全力の加速に入る。

 既にそこへと踏み込んだ四人へと迫るジオウ。

 彼がその目的を果たす直前、どこか遠く、しかしこの道と繋がったどこかで。

 

 獣が、咆哮した。

 

 

 

 

 ゆっくりと身を起こすのは、一頭の狼。

 彼は背中に乗せた首なしの騎士に意識さえ向けず、ゆっくりと立ち上がり。

 

〈カブトォ…!〉

 

 青い炎のようにざわめく毛並みを、赤い甲殻に覆ってみせた。

 昆虫を思わせる鎧。そして額から伸びる巨大な一本角。

 まるで四足歩行のカブトムシのような、現れるのはそんな異形。

 

 その怪物が一歩を踏み出した瞬間、世界が止まる。

 世界が止まったように、あらゆる全てが停滞する。

 音も、光も、何者も、彼の疾走に追い縋ることは敵わない。

 

 異形が走行を開始する。

 それは縄張りに敵を感知した、群れの長の使命。

 同時に、彼を突き動かす憎悪が求めること。

 彼の疾走は、縄張りを荒らす人間を悉く殺し尽くすために行われる。

 

 発生がこの新宿のどこからであろうとも。

 彼が狙いを定めた相手に届くまで、数秒さえ必要としない。

 

 その疾走が開始した時点で、軌道に存在する全ての命は刈り取られる。

 

 音を置き去りに。

 光を置き去りに。

 

 全てを粉砕する角を突き出した甲殻獣が。

 新宿に走る大通りに存在する命を、一掃した。

 

 

 



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魔法のメイク1999

 

 

 

「……っ、うそ」

 

 ビルに着地したクロエが、唖然としてその光景を見る。

 

 何が起こったのかは分からない。

 ただ、何かがあった。絶対に触れてはいけない何かが。

 速すぎて何かが通った、と意識すらできなかった。

 消去法的に、“目に見えないほど速い何かが走っていった”と納得するしかないだけ。

 

 だというのに衝撃があるわけではない。

 音速どころではない物体が走っていった、というのに突風一つない。

 そんな理解の及ばない現象が目の前で発生した。

 

 だから彼女はすぐに現場に向かうため、そこから飛び降りようとして―――

 

「待ちたまえ、お嬢さん」

 

 棺桶を引っ提げた初老の男性に呼び止められた。

 睨みつけるようにそちらを見たクロエの前。

 全力疾走に喘いでいた男は、何とか息を整えて緩く口角を上げる。

 

 その態度に即座に武装する少女。

 彼女の態度を見て、さっさと棺桶を手放し諸手を上げて降伏を示す男性。

 

「別に邪魔をしようというわけではないとも。

 そもそも、君が心配している彼らはあそこにいる」

 

 腕を挙げながらぴっ、と指を伸ばしてみせる男。

 彼が指差した先は、道路の向かいにあるビルの壁だ。

 当然、彼らがいるはずもなく―――

 

 瞬間、ビルの窓ガラスに大きく波紋が広がった。

 直後にまるで湖面から飛び出すように、皆が揃って姿を現す。

 

「え、なに!?」

 

 ガラスから飛び出し、ふらふらと飛行していたイリヤと立香。

 彼女たちが何とかクロのいるビルまで辿り着き、べちゃりと落ちた。

 ツクヨミを抱えていた美遊もまた、一際強い跳躍からこちらに着地。

 

 最後に弾き出されるように飛び出してきたジオウ。

 彼が火花と煙を吹きながら屋上で転がり、変身が解除される。

 

「っ、……!」

 

 皆をミラーワールドに投げ込んで、最後に自分が離脱する瞬間。

 そこで襲撃者から一撃を貰った。

 いや、相手からすれば、一撃という意識すらなかったかもしれない。

 ただ轢かれただけ。それだけで限界を迎えたジオウの装甲が、現世に戻ると同時に消え去った。

 

「ちょ、大丈夫?」

 

 クロエが転がったソウゴに走り寄る。

 そんな姿を見ていた男が顎を撫で、ふぅむと唸った。

 

「鏡の世界に踏み込む能力。仮面ライダー龍騎、と言ったかな。1999年の新宿。このご時世、鏡や硝子と言ったものはそこかしこにある。緊急離脱の手段としては、とても優れていると言えるネ。

 本来、仮面ライダーではない普通の人間が鏡の世界へ出入りすることに関しては、それなりの制限があったと聞くが……どうやらその辺りのルールも踏み倒せるらしい。ああ、それとも掟破り(そちら)は世界の破壊者の能力による特権かな?」

 

『……それを知っているキミは、何者だい?』

 

 微かにノイズが混じる通信で、堅い声のロマニが男に問う。

 ツクヨミを手放した美遊が即座に前に出て、サファイアを彼に突き付けた。

 いま見せた彼の行動からして、武装は彼が横に置いている棺桶。

 そこから、少なくともロケット弾のような銃火器を展開することができるようだが。

 

「――――フフフ」

 

 完全なる警戒態勢を敷かれ、複数のサーヴァントに囲まれている状況。

 そんな状況で、初老の男は怪しげな笑みを浮かべ。

 

「――――いや、さっぱり分からないのだヨ。なんで私は君の力の事とか知ってるんだろうネ?」

 

 目を白黒させて、さっぱり分からねェ、と素直に自分の状況を白状した。

 

「記憶喪失って意外とよくあるんだね」

 

「普通はそんなにないよ!?」

 

 何とか立ち上がって呟くソウゴに、イリヤが反応する。

 何とも言えない顔で視線を逸らすツクヨミ。

 

 そんな連中に呆れてみせつつ、クロエが空をちらりと意識した。

 男が放った目晦ましは、風に破られて晴れつつある。

 このままでは再び射手に補足されるかもしれない。

 

 彼女の考えに同意するように、男が微笑む。

 

「スナイパー君はもう撤退しているだろう。だが、いつまでもここに留まりたくないというのは私も同意見だ。どうだろう、都庁から離れるのに私も同行させてくれないだろうか?」

 

「いいけど、そもそもあなたは誰?」

 

「いいんですか……?」

 

 立香の答えに少し戸惑う様子を見せる美遊。

 彼がこちらを助けにきてくれたのは間違いない。だが、いきなりソウゴの力を知っていると言い出した上で、何でか分からないと惚けだしたのだ。怪しい以外の感想がない。

 

 警戒を解かない美遊の前で、男が一つ咳払いする。

 

「私はこの特異点と化した新宿を何とかしようと駆け回る、いちサーヴァントに過ぎんよ。

 クラスはアーチャー。宝具はこの棺桶だと思う。正確な年齢は濁してふわっとアラフィフ。

 そして肝心の真名は――――秘密だ」

 

「記憶喪失だから自分でも分からない?」

 

「フフフ」

 

 誤魔化すように怪しげに微笑む紳士。

 

 そんな彼の霊基を探査し、アーチャーであることを確認するマシュ。

 彼女からの声が届く。

 

『確かにアーチャーの霊基です。ですが……申し訳ありません。

 わたしは棺桶に銃火器を搭載した英雄の逸話は、寡聞にして存じ上げません』

 

「そりゃいるわけないでしょ。

 仮に銃を持った英雄がいても、棺桶がどっから生えてきたのよ」

 

 “アーチャー”としての眼で見ながら、クロエがそう言い棺桶を睨む。

 彼女の眼では、属性も不一致なその兵器の正体は看破できない。

 だが、紛れもなく現代兵器に類するものだとは理解できる。

 そんなものを持った真っ当な英霊など、そうはいない。

 

 その棺桶はなんだ、と問われたアーチャーが首を傾げ。

 そうして思いつくままに、棺桶の由来を口にした。

 

「……齢五十を前にして覚えた危機感から始めた終活から?」

 

「ねえ、こいつ本気で信用するの?」

 

「信用して欲しいの?」

 

 立香がクロエの言葉に振り向いて、アーチャーを見る。

 

「それはもう。私としては、君たちの協力が取り付けたくてたまらない。

 なんだろうね……私はこの悪逆に満ちた新宿の問題を解決したいと願っている。

 それを可能とする手段は、君たちとの共闘くらいなものだと思っているのだ。

 だが困った事に、見ての通り私は超怪しい」

 

「自覚はあるんだ……」

 

「もちろん。ちょいワルおやじ的な魅力の弊害だネ」

 

 自信ありげに胸を張る男。

 そんな様子に引き攣った笑みをより引き攣らせるイリヤ。

 

「だからこそ、さっさと私は私の持つ怪しい知識を晒してみた。秘密を抱えて怪しさを醸すよりは、もっと直球に存在自体が怪しいのだとアピールした方がいいだろう?」

 

「……そうかしら?」

 

 ツクヨミが不審げに目を細める。

 彼女の視線を浴びながら、アーチャーが肩を竦めて苦笑する。

 

「そうだとも。だってこれだけ怪しいアラフィフだヨ?

 絶対に私はこの特異点の問題の根幹に関わる重要なピースだとも」

 

『……確かに。そう言われれば、否定できない。現時点で既にただの怪しいサーヴァント、では済まない。それだけならば、あんな情報は持っていない。だからこそ、キミが味方であれ敵であれ、目を離すべきではない存在である、と言えるかもだ』

 

 彼がただ怪しいサーヴァント、というだけならいい。

 だがただの怪しいサーヴァントが、仮面ライダーに関する情報など持っているはずがない。

 特異点である事を考慮しても、それを持っているという事は、彼が何らかの事案に深く関わっているサーヴァントであるという証左だろう。

 

「だろう? 私自身もそう思う。あれは間違いなく、生前に持っていた知識でもなければ、召喚時に与えられた知識でもないはずだ。なら、私にその知識を与えた者がいる。恐らくは私の記憶喪失も、そいつによって行われたのだろう。

 ―――ところで君がロマニ・アーキマン? ふむふむ、なるほど。アレだ、君は君で何か私と同じくらい胡散臭いネ」

 

『そこまでじゃないと思うよ!?

 というかボクが秘密にしてる事とかもうあんまりないし!』

 

 アーチャーから同類を見る目で見られたロマニが叫ぶ。

 彼のそんな物言いに対し、首を傾げるツクヨミ。

 

「まだあるんですか?」

 

『え、うーん……秘密がある、という事は白状するけれど。

 ただ内容については黙秘かな……』

 

「憶えていないから言えない私と、故意に黙秘する君。

 実は君の方が怪しいのでは?」

 

『それは流石にない! ないよね!?」

 

 アーチャーの言葉を必死に否定する様子に、マシュが仕方なさげに溜め息ひとつ。

 

『……そうですね。ドクターは隠し事は山盛りでも、それを使って上手な悪巧みができるタイプでもありませんので……その点については、アーチャーさんの方が怪しいかと』

 

『フォウフォウ、フォーウ』

 

 彼女の声に続けてフォウの声。

 何を言っているのかは分からないが、多分ロマニを慰める言葉ではないだろう。

 

『褒められてるのか貶されてるのか分からないが、とりあえず無罪は勝ち取れたと考えていいのかな……?』

 

 そもそも悪巧みができるほどの狡猾さを持っていない、と言われるDr.ロマン。

 それは喜べばいいのかどうなのか、微妙な表情で彼は視線を伏せる。

 

「さて、沙汰が降りたようなので、話を戻そうか。私が私の記憶をどうこうした下手人にどう動くことを期待されているのかは知らないが、私自身がやるべきと感じていることはただ一つ。それは、この特異点の問題を解決するために動くことだ。

 犯人は私がそう動くことを予測して何かを仕込んでいるのかもしれないが、他に道はないと考えている。だからこそ、私と協力してほしい。人理焼却を防いだカルデア、君たちに」

 

「……おかしなことは言っていない、と思うけれど」

 

「なんで普通のこと言ってるだけで、こんなに怪しいんだろう……」

 

 信用できない、と変わらずサファイアを突き付ける美遊。

 

 イリヤもまた彼女に同意せざるを得ない、という表情。

 何故か警戒も顕わなそんな対応こそが正解な気がしてしまう。

 別に今のところ何か悪いことをされたわけでもないというのに。

 

「はっはっは、流石に君たちくらいの少女にまでそんな目で見られると傷付く。

 私、頑張って怪しいケド良い人アピールしてるのにナァ」

 

「ホントに良い人は良い人アピールなんかしないのよ」

 

 さくっとそう言い捨てるクロエ。

 言われたアーチャーがしかし、彼女にしたり顔で言い返す。

 

「さて。良い人アピールしない良い人は、本当に良い人かな? 傍から見て人の良し悪しなど分かるはずもないのだから、他人が悪い人に騙されないように、自分は良い人ですよ、と行動を伴ったアピールをするのは、むしろボランティア染みた善意だと思うのだが。そう考えれば―――」

 

「そういう屁理屈持ち出すところとか、すっごい胡散臭い」

 

「Oh……」

 

 両の掌を空に向け、肩を竦めてみせるアーチャー。

 なぜこうも所作の一つ一つが全て胡散臭いのか。

 怪しさの擬人化染みた男を前にして、クロエが溜め息を落とした。

 

『ええと……それで、どうしましょう先輩。アーチャーさんですが』

 

「うん。アーチャー、どこに行けばいいか分かる?」

 

 マシュから問われ、立香が歩き出す。

 国道が明らかなデッドゾーンなのは理解した。

 都庁が敵らしき相手の本拠地だとも理解した。

 では、これからどうするか。

 

 怪しいアーチャーと、狙撃をしてきた推定アーチャーがいる。

 ということは、間違いなくサーヴァントがもっといるはずだ。

 つまり今この時、この特異点では聖杯戦争が行われている。

 その聖杯と呼べる魔力リソースがどういった過程で発生したかは分からない。

 だが、ここにあるという事実だけは動かない。

 

 彼女の態度に溜め息ひとつ。

 アーチャーが問い返す。

 

「……行先の前に私の同行の是非についてじゃないかね? 悪い人かもしれないぞ?」

 

「いま自分で言ったでしょ。傍から見ても良し悪しなんて分からないって。

 良い人かもしれないし、悪い人かもしれない。考えたって変わらないよ。

 良い人アピール、これからしてくれるんでしょ?」

 

 ビルの屋上から外に出られるか、非常階段を確認しにいく立香。

 彼女の態度に、アーチャーは何とも言えないという表情を浮かべる。

 

「……まあ、そのつもりだったが」

 

「じゃあ今はそれでいいよ。いいよね?」

 

「いいんじゃない?

 それより気にしなきゃいけない相手がいるみたいだし」

 

 そう言って、国道の方へと視線を向けるソウゴ。

 本当に一度走り抜けて、そのままどこかへと消えてしまった。

 またこの道に通じるどこかで、待機しているのだろうか。

 あの速度で一切の縛りなく、縦横無尽に走られたらそれこそ終わりだ。

 何か制限がある、ということなのだろうか。

 

「いつも通り、いくら怪しくても黒ウォズと大差ないでしょ」

 

「怪しい人に慣れ過ぎてる……!」

 

 大して気にもしないツクヨミの一言。イリヤはレディの世界でちょろっと見ただけだが、突然出てきて突然消える、何を考えているのかよく分からない人が居たりするのがカルデアだ。ちょっと怪しいくらいで突っ込んでいたら話が進まないのだろう。

 

「イリヤさんは怪しい人にホイホイついていっちゃダメですよー? 事案ですよ、事案。

 そういえばカルデアも未成年略取に踏み込んでいるのでは? という疑問はわたしの中で封印しておきましょう」

 

「あなたも未成年を拐かす怪しいステッキでしょ」

 

 呆れるようなクロエからの視線。

 ルビーが失敬な、とばかりにぱたぱたと羽飾りを大きく揺する。

 軽く手を払ってそれに返し、彼女は歩き出した。

 

 彼女は立香が確認している非常階段の方へ向かうと、そのまま身を乗り出す。

 歩いて降りるならば彼女が先頭に立つ、という意思表示だろう。

 

「……怪しい、という事実に警戒を解かないのであれば問題ないと思います。

 例え罠だとしても……いえ。もし罠だとしたのなら、なおさら信用を得るために、有用な情報・意見を出さざるを得ないはず。必要なのは、それが誤った情報でないと確認を取るために、彼の発言以外のこの特異点のことを調べるための情報源です」

 

「お任せください、美遊様。この特異点の情報は我々で収集するようにします」

 

『では、こちらで観測した情報もサファイアさんと共有・連動させます』

 

 サファイアをようやく下ろし、そう言った美遊。

 彼女の意見を聞いていたマシュとサファイアが小さく頷いた。

 これからアーチャーによってこの特異点が何か、知っている限り語られるだろう。

 その時、正しいかどうか判断するための材料は多い方がいい。

 

 そんな少女たちのやり取りを見ていたアーチャーが苦笑する。

 

「……いやはや、なんとも剛毅な。これが人理焼却を潜り抜けた者たちかね。

 まあ、そうだな……とりあえず、ひとつ」

 

 何とも申し訳なさそうな顔をした彼が、指を一本立てて示す。

 その行動に首を傾げる者たちの前で、アーチャーは一つ語りだした。

 

「“良い人”は相手のために自分の持つ情報を開示する。“悪い人”は自分のために相手を動かせる情報を開示する。そういう意味では、さっきの私のやり方は間違いなく“悪い人”だった。

 謝罪しよう、カルデアのマスターたち―――そしてこれからは出来るだけ、“良い人”でいたいと思う。良い人アピールのためにネ」

 

「……いいこと言ってる気がするのに、なんでこんなに怪しいんだろう」

 

 別に積極的に疑おうとしているわけではない。

 なのに、この、何というか。

 一挙手一投足、口から出る言葉の端々に至るまで全てが怪しいのだ。

 

 浮かべる表情にも困っている様子のイリヤに対し、クロエが階段の手すりに背を預けながら、肩を大きく竦めてみせた。

 

「自分の不利になりそうなことをあえて注意として口にすることで信用を得る、って言うのがそもそも詐欺師の常套手段だからじゃない?」

 

「うーん、それはそうなのだがネ。

 詐欺師は詐欺師でも良い詐欺師である、という可能性を信じてみてはどうだろう?」

 

「自分では“存在するはずもない”と思っているものを、他人には信じさせようとする。

 そんな行為こそを、人は詐欺と呼ぶんだと思う」

 

「確かに!」

 

 美遊の指摘に膝を打って納得するアーチャー。

 詐欺師に良いも悪いもあるわけない、なんて誰だって分かっている。

 自分で信じていないのに他人には信じさせる。自分の利益のために。

 これでは正しく詐欺師だ。

 

「つまりアーチャーは詐欺師なの?」

 

「ショックだが……そうなのかもしれない……」

 

 立香から問いかけられたアーチャーが、沈痛な面持ちで頷く。

 そんなに本気で落ち込む? と眉を寄せるツクヨミ。

 そして全力で落ち込んでいるアーチャーに対し、ソウゴが追撃をかけた。

 

「そういえば相手の狙撃手も多分アーチャーだよね。

 じゃあこっちのアーチャーが詐欺師のアーチャーで、向こうが狙撃手のアーチャーだ」

 

「えー……詐欺師のアーチャーはちょっと。なんかこう、もうちょっとないかネ?

 イケオジのアーチャーとか、ちょいワルのアーチャーとか」

 

「逆にそれで本当にいいの……?」

 

 本当にイケオジのアーチャー、といちいち呼ばれてもいいのだろうか。

 この質問に肯定を返されたら、立香もソウゴもこれから彼を本気でイケオジのアーチャーと呼び続けかねない。そう考えて、ツクヨミが途中で声を小さく抑えた。

 

 クロエに続き立香とソウゴが、非常階段に出る。

 彼女たちの動きに続いて、他の面々もそちらへと歩き出す。

 

「うむぅ……これから誰かとの出会い頭には、まずは愛とか正義を語るべきだろうか……」

 

「出会い頭に愛とか正義とか語るって。

 そんな奴なんてそれこそ、宗教家か魔法少女のステッキくらいでしょ」

 

「そっか……! この人の胡散臭さってルビーと対極に位置するものなんだ……!」

 

「イリヤさん!?」

 

 アーチャーの呟きに笑うクロエの言葉に反応し、怪しさ全開のアーチャーに感じていた既視感の正体に辿り着くイリヤ。カルデアが怪しい人に慣れ過ぎている、と考えていた。

 だがそもそも彼女だって、ルビーという怪しさフルスロットルの魔法のステッキと契約していたのだ。人の事を言えない経歴である。

 

「もう一回言うけれど。

 自分で信じていないものを誰かに信じさせようとするのは、詐欺師です」

 

 最後尾を歩きながら、きっぱりとそう断言する美遊。

 そんな彼女の言葉を聞いて、ソウゴがアーチャーに視線を向ける。

 

「アーチャーは愛と正義って信じてないの?」

 

「モチロン信じているサ。こう、ほら、ねえ? 愛と正義だろう?

 なんというか、あれだ。愛とか、正義とかネ。愛は愛って感じで、正義は正義って感じの」

 

 目が泳ぎ、台詞が浮き、脈絡が飛ぶ。

 そんな彼の態度に大きく頷き、立香はしたり顔で断言した。

 

「アーチャーは魔法のステッキにはなれないね」

 

「なりたい人なんているのかしら」

 

「これでもそこそこ魔法のステッキをやっていますが、見たことはありませんね。

 魔法のステッキになりたい、という願望を持つ人間は」

 

 ツクヨミの疑問に答えをくれるサファイア。

 でしょうね、と納得のいった表情で大きく頷く彼女。

 未だに視線を泳がせているアーチャーが棺桶を掴み直し、咳払いをひとつ。

 もう片手にあるカメレオンが造形された金色の杖を指で叩く。

 

「そもそも私はステッキになるより、ステッキを持つ方だからネ。年齢的に。

 まあこれは仕込み杖なので武装の一部なのだが」

 

「アラフィフなのにもう杖が必要なの?」

 

 五十前ってそんなに? という若者たちからの視線を集めるアラフィフ。

 彼は泳いでいた視線をそのまま遠泳に乗せ、遠くを見つめだした。

 彼方を見据える老爺の横顔を見て、若さを誇る人間たちは何も言えない気分になる。

 

「―――そりゃあ、もう。特に今は何か知らないが、でかいわ重いわ、もうちょっとコンパクトにならない? な棺桶まで持っているときた。普通に歩いていたらすぐに腰が壊れてしまうヨ。

 いやしかしホントなんなんだろうネ、この棺桶……狙いをつけなくても撃ちたい方向に弾丸が飛ぶのは便利だが。本当に私の宝具なのかナー……?」

 

「そこで悩むの?」

 

 へえ、ふうん、そっかあ。

 なんて、そう言った会話をしながら、彼女たちは非常階段を降りていく。

 

 転身を解いて元に戻ったイリヤは、階段を降りながらふと考える。

 なんか結局流れで普通に一緒に動くことになったな、と。

 まあリツカさんたちも気にしてないしいいのかな、と。

 少女はそう考えて、会話に混じりだした。

 

 

 

 

 階段を上がる黒い肌の男。

 カルデアへの狙撃という仕事を終え、帰還してきたサーヴァント。

 そんな彼の耳に、ぱちぱちと軽く手を叩く音が届く。

 

「―――お疲れ様、アーチャー。

 追い込みの手腕は流石のものだったよ」

 

「……嫌味か? こちらの戦術と怪物となったライダーを晒して戦果ゼロと来た。

 割り込んできたあのサーヴァントがいなければ、もう少しはやれたはずだがな?」

 

 フロアに出てそう吐き捨てた彼が、拍手の下手人を睨む。

 睨まれた初老の男はくつくつと笑い、しかしその笑みを噛み殺した。

 そうして口を閉ざした後に顎を撫でる彼が、少し不思議そうに口を開く。

 

「確かに。まったくもって、君の言う通りだ。

 これでは困ると言うべきかもしれないし、私の失策だったと頭を下げるべきかもしれない。

 だが、私はいっそ安心すら覚えている。不思議なものだ、何故かな」

 

「知ったことか」

 

 壁に背を預けて、舌打ちしながら返す黒いアーチャー。

 男は彼の態度におかしげに、再び笑みを漏らす。

 

「ふふ……だが、この程度は予測範囲内だ。

 普通に使えば今のライダーという手札は、切れば勝利が約束される一枚。

 だが常磐ソウゴの存在を考慮すれば、あれは布石以上の何物にもならない」

 

「へえ、あんな化け物誰にも止められなさそうだけどねえ。

 そういうもんなのかい?」

 

 アーチャーの対面に、刺青を刻んだ上半身を晒す青年が浮かび上がる。

 霊体だったものが肉体を構成し、現世へと顕現したのだ。

 つまるところ、彼もまたサーヴァントである、ということ。

 

 彼からの問いかけに対し、鷹揚に頷いてみせる男。

 

「ああ、そういうものだ。今のライダーは()()()()()()()()()()()

 それ以上でも以下でもない。

 戦力として計算したいのであれば、あんな力を与えるべきではなかったろうね」

 

「強くなってんのに戦力でなくなるって? よく分かんないなァ」

 

 今のライダーは光さえも置き去りに走る殲滅兵器。

 倒す倒さないとか、勝てる勝てないとか、そんな次元にはいない。

 だというのに、男は敗北を確信しているという。

 理解が及ばない、という顔をしている青年に対し、男は苦笑しつつ答えた。

 

「これは常に敗れる側の真理だよ、アサシン。君が覚えておく必要はないだろうね」

 

「―――ハハ! そりゃ俺には関係ないわな!

 敗れる事が分かり切ってたらそこから逃げる男にゃあ関係ない話だ!」

 

「敗れると分かっているのに、勝負を挑む方がどうかしていると思うがね」

 

 何がおかしいのか笑うアサシンに、気怠そうに肩を竦めるアーチャー。

 彼らを見て微笑みながら、男が小さく言葉を吐く。

 

「いやまったく。どうかしているのだろう。

 ……どうかしてしまったのだろうさ」

 

 微笑みの裏に何らかの感情を滾らせ、男はそう呟く。

 それに対して、一瞬だけ僅かに目を細めるアーチャー。

 互いに互いの反応を感知しつつ、しかし動かず。

 

 ほぼ二択であっても正解が分からなければ動けない。

 自分という弾丸は、一発しか用意されていない。

 諸共撃ち抜ける状況ならともかく、そうでないなら引き金に指はかけられない。

 

 面倒な話だ、と心中で吐き捨ててアーチャーが男に問いかける。

 

「……それにしても現地に現れたアーチャーは、随分とその魔王とやらの情報を持っていたようだが? でなければあんな立ち回りはすまい。あれがなければ、現実的に考えて援護を諦めていただろうよ。情報管理が甘いのか?」

 

 アーチャーの苛立ちなど分かっていように、それをおくびにも出さず。

 彼は笑みを湛えたままに、言葉を返す。

 

「そう責められるとさっさと謝ってしまいたくなるところだが。

 ただ、この特異点においてはこのやり方が真っ当だろう?

 本来持ち得ないような情報を敢えて残すことで、彼女たちの疑心を煽ると言った風に」

 

「思ってもいない事を口にする。

 人を謀るためのセンスはあっても、ジョークのセンスは持っていないらしい」

 

「まあそう言わないでくれ。いやしかし、その通りだとも。

 彼女たちは怪しさだけで排斥はすまい。そんな連中ならば、ここまで届きはしない。

 だからこそ、なのだ」

 

 カルデアらの前に姿を現したあのアーチャーは怪しい。

 これ以上ないくらいに怪しい。だがそれだけだ。

 敵か味方かは判然とせず、何故そんな情報を持っているかも分からない。

 受け入れない、というのが一番簡単な選択肢だが―――

 

「信じるか、信じないか。受け入れるか、受け入れないか。

 それらはそれぞれ別の選択肢だ。

 信じられるものは信じられるとして受け入れる。

 怪しいものは怪しいものとして受け入れる。

 彼女たちは、信じられるものも信じられないものも、等しく受け入れて前に進む」

 

「警戒心が欠如しているだけだろう」

 

 呆れるように鼻を鳴らすアーチャー。

 彼の言葉に一度頷きつつ、男はそのまま言葉を続けた。

 

「確かにそういう面もあるだろう。だがその上で、得難い感性だ。善良の素質を持つ人間が、善良な先達に恵まれ、善からぬ事態に見舞われながらも、しかし善き人生を歩んできた。

 無垢なだけというわけではなく、理解してそれを選んできたのだ。そういった人間はそうはいない、かといって似たような人間が皆無というわけではない。平凡という評を逸脱しない、しかし紛れもなく善良な者。だからこそ、私が勝負を賭けるに足る」

 

 荒ぶる声。眼鏡越しに眇められた眼光に、何らかの感情が燃えている。

 それが誰に向けられたものなのか、それだけが判然としない。

 

 だからこそ、銃口を向けられない。

 今度は一切反応を見せず、アーチャーはただ壁に背中を預け続けた。

 

「はぁー、教授(プロフェッサー)にしちゃ随分と高評価なことで。呼吸をそんなに荒げるほどに褒めるたぁ妬けるね、今ここにいる下働きとしちゃ」

 

 肩を竦めるアサシン。

 教授(プロフェッサー)と呼ばれた男は、そこで小さく咳払いする。

 そのまま一度瞑目すると、瞼を開くと共にゆるりと口角を上げた。

 

「ふふ。なに、君たちの事も信じているとも。でなければ同盟など誓わないさ」

 

「どの口が」

 

 あまりに白々しい、と。アーチャーが呆れた様子で口を挟む。

 だが教授はそんな相手に微笑みを向けた。

 

「無論、この口が。何故なら今回ばかりは私も実行犯の一人。

 君たちは蜘蛛糸に繋がれた駒ではなく、私の共犯者だ。

 これでも組む相手を選ぶことくらいはするよ、私は」

 

「ほほう、今回のあなたは些か勇み足が過ぎる、という印象なのですが。

 何か宗主替えでもされたのですかな?」

 

 そこで、フロアの奥に繋がれた者が口を挟む。

 教授が視線を向ければ、そこにいるのは黒い鎖と楔に繋がれた一人の男。

 彼は自身を縛るものに苦痛の表情を浮かべつつ、それでも言葉を紡いでみせた。

 

「……虎穴に入らずんば、という奴だよ。

 前に出ずに人を動かすのも私ならば、必要となれば前に出て動くのも私だ」

 

「なるほどなるほど、つまり―――」

 

 何か訳知り顔でニヤリと。

 そうした表情を浮かべた相手に、パチン、と指を弾く教授。

 それに合わせて鎖が軋み、捕まえた男を縛り上げる。

 

「ぬ、ぐ……っ!?」

 

「残念ながら、君に自由に喋らせては劇が別物になりかねない。

 君の描く即興劇に興味がないではないが、それはまたの機会があれば、だ。

 今回は大人しく台本通りの小道具を用意しておいてほしいところだ。

 して、どうだろう。ミスター・シェイクスピア?」

 

 名前を呼びかけられた文豪の腕が動く。

 別に動かしたいわけではないが、動かすからには思考も動かす。

 彼によって綴られる文章が、新宿の街に怪物を紡ぎ出す。

 

「リア王の量産をお願いしよう。

 打ち捨てられて彷徨う老爺など、今の新宿には似合いとは思わないかね?」

 

「量産とは! それ、印刷所の仕事であって作家の仕事じゃありませんなぁ!

 それにこういう小道具、吾輩の趣味じゃないのですが!」

 

 突き立った楔から拡がっていく黒化の衝動。

 それによって黒く染められ、オルタ化とでも言うべき変質をきたしたシェイクスピア。

 彼は文句を並べながらも、しかし強引に書かされ続けている。

 口では何と言おうと、死ぬ気の抵抗というほどのものも見えない。

 

 嫌々ながら止まらない作業。

 それを見た教授が満足気にひとつ頷いた。

 

「大変結構。私も君の主義には同意するが、これは面白みを求めた舞台ではないのだよ。

 ―――さて、ではこれからも粛々と動き続けようか。()()()()()のために」

 

「……ではどうする。量産したリア王で攻める気か?」

 

 溜息混じりで吐き出されるアーチャーからの問いかけ。

 教授はそれに対し、首を横に動かした。

 

「リア王には街を徘徊させるだけだとも。そういう怪物だ。

 コロラトゥーラと大差ない。成り立ちが悪趣味なところも含めてね」

 

「流石に吾輩、あの人形ほど悪趣味ではありませんが!」

 

 シェイクスピアからの反論を聞き流し、教授はくつくつと笑う。

 話が進まない、と。促すように再び問うアーチャー。

 

「ライダーはそうそう敗れまい。お前の言う魔王が成長するまでは、な。だが放っておけばバーサーカーと歌舞伎町が落とされるだろう。そこをリア王にカバーさせるわけか?」

 

「いや、まずは商売を進めよう」

 

 そんな返答に眉を顰めるアーチャー。

 だが彼の様子を気にかけず教授は、得意げに眼鏡のブリッヂを指で押し上げた。

 レンズ越しに輝くその眼を見て、アサシンが片目を瞑る。

 

「するってーと。それ、俺の仕事か?」

 

「そこは違う。が、まあ一仕事は頼もう」

 

 歩み出す教授。傍目から見ても浮かれている、ような。

 そんな男の背中を見ながら、アーチャーとアサシンが揃って顔を顰める。

 

「これはバーサーカーに任せる話さ。彼に攻めてもらうのだよ、竜の魔女をね」

 

「……どういう了見だ、そりゃ。バーサーカーたちを歌舞伎町から離すのか?

 というか、それのどこが商売?」

 

 なんだそりゃ、と。アサシンは意味不明な動きに呆ける。

 バーサーカーは歌姫のためにしか動かない。彼はそういうものだ。

 教授から声をかけたところで、言う事を聞くとは思えない。

 

「これはクライアントからの依頼なのだよ。それに、別にこちらからバーサーカーを直接動かす必要はない。アサシンが彼女に伝えてくれればいいだけだ。

 主殿―――いや、“魔術師殿”だったかな? とにかく、彼女たちがレイシフトしてきたぞ、とね。まあ、彼女のマスターはいないわけだが」

 

「……あー、はいはい。そういやご同業だったんだっけ?」

 

 嫌そうにしながらも逆らう気はないのか、アサシンが肩を竦める。

 溜め息混じりにそうしている彼を一瞥してから、アーチャーが教授に顔を向けた。

 

「それで? クライアントと、その依頼内容は」

 

「ライダーに力を与えた彼さ。

 依頼は――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ」

 

「何の意味があるんだ、そりゃ。舞台女優でも欲しがってるってわけかい?」

 

 黒化した聖女と、愛に狂った怪物。

 そんなものをひとところに集めたとして、何があるというのか。

 さっぱり分からぬ、と投げやりに呟くアサシン。

 彼と無言でいるアーチャーを見てから、教授はおかしげに一言付け加える。

 

「さて。どちらかというとこの二人の利用法は……クライアントが望む役者のための、メイクアップアーティストのようなもの、に思うがね。

 そういう意味でも、開幕を告げるのにオペラ座の怪人は、相応しいキャスティングだろう」

 

「はーん……?」

 

 何を言っているのやら、とアサシンが呆ける。

 そこで軽い舌打ちとともに壁から背を離し、アーチャーが歩き出した。

 

「……地獄までの道行きならいざ知らず、くだらないジョークにまで付き合う気はない。

 命令を下すならさっさと下せ、教授(プロフェッサー)

 

「やれやれ、まったく手厳しい。

 ――――よろしい。ルートは算出済み、障害は想定済み、結末までは後一手だ。

 では進軍開始だ。破滅に向かって前進しようか、諸君」

 

 もう道筋は敷き終わっている。完勝までの布石は打ち終えている。

 誰にも知られぬまま、誰にも悟られぬまま。

 いまこの世界に彼らの勝利を知るものはどこにもいない。

 

 誰も知らないことを知らないままに確信しながら。

 教授と呼ばれた男は、積み上げてきた終わりの始まりを踏み出した。

 

 

 



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攻略会議1999

 

 

 

 街中を縫って、都庁から離れる逃避行。

 どうやら完全に狙撃手からのマークは離れているらしい。

 警戒は保ちつつ、しかし少し気を抜いて歩き続ける一行。

 

 そんなタイミングで、ソウゴがアーチャーに視線を向けた。

 

「ところでさ、なんであの……」

 

「ライダーかね?」

 

 ソウゴが途中で言葉を詰まらせたのを見て、アーチャーが軽く顎をしゃくる。

 そうして示された国道の方角を見て、彼は頷いた。

 

「なんでライダーは国道から出ないか知ってる?」

 

「ンー……何故、か。都庁に巣食う黒幕にそう命令されている、と考えるのが自然だ。

 或いは、本人が何かルールを持っているのかもしれない。動物的なね」

 

 質問に対し、顎を撫でながらそう言うアーチャー。

 まるで相手が野性の獣であるかのような。

 そんな彼の物言いに、マシュが不思議そうに首を傾げた。

 

『動物的、ですか?』

 

「ああ、ライダーは狼に乗った首無し騎士、だった。ああなる前まではね。

 その頃はもう少し戦える見込みがあったんだが」

 

 元から怪物、今となっては光速の獣。

 そんな相手の姿を思い浮かべ、渋い表情を浮かべるアーチャー。

 

「狼に乗った凄い速い首無し騎士……の、サーヴァント?」

 

『……いまの言いようだと、あの速度に関しては後付け、と聞こえるけれど』

 

「途中で変わったってこと? 宝具じゃないなら、それは……」

 

 アーチャーからソウゴへ、皆が視線を移す。

 

 あの速度の中で完全に確信が得られたわけではない。

 本当に一瞬の交錯でしかなかったのだ。

 だが、確かに、()()()()()()()()()という感覚を得ていたことに違いはない。

 

「うん。多分、アナザーライダーだった」

 

「アナザーライダー……確か、ソウゴさんの持ってる力でしか倒せない怪物、ですよね」

 

 半ば確信した言葉に、イリヤが視線を泳がせる。

 

 ソウゴたちの先回りをするように出現する男―――名をスウォルツ。

 彼が使用するアナザーウォッチを使う事で現れる者。

 歪んだ仮面ライダーの力を持つその怪物こそ、アナザーライダー。

 

 特異点ごとにスウォルツが繰り出してきた、カルデアが乗り越えてきた壁の一つだ。

 ウィザード、ドライブ、フォーゼ、ダブル、オーズ、鎧武、ゴースト、ディケイド、龍騎。

 この特異点でもまた、既にアナザーライダーが生成されている。

 そんな事実に対して、ロマニが口を手で覆うように考え込む姿勢に入った。

 

『ああ。そして基本的に、アナザーライダーには個別に対応する仮面ライダーの力がある。

 それをソウゴくんが手に入れないと、倒せないと考えていい』

 

 ロマニの注釈に頷いてみせるソウゴ。

 ディケイドアーマーによるライドヘイセイバーの一撃。

 あるいはジオウⅡによる必殺の一撃。

 それならば倒せる可能性はやはりあると思うが、結局のところ追い付けなければ意味がない。

 

 通常の視界であの移動速度を捉えるのは不可能。

 ジオウⅡによる未来予測を兼ねた視点ならばもしかしたら、と言ったところ。

 現状で絶対に戦えない、とは言わない。が、勝機は薄いだろう。

 仮に勝てそうになっても、逃亡されたら追い付くのは不可能だ。

 

 アナザーライダーに対する仮面ライダーの力か、あるいは相手を減速させる一手がいる。

 

「……とりあえず、あれが縄張りから動かない理由に話を戻そうか。まずは、敵の正体の問題だ。狼に乗った首無し騎士(デュラハン)、これで真名が予測できるかナ?」

 

『狼、か。いや、この場合は首無し騎士から推測するべきなのか?

 いやでも首無し騎士が狼に騎乗した、なんて語られる伝説なんて―――』

 

 難しい顔を浮かべる彼に、鷹揚に頷いてみせるアーチャー。

 答えが見つかるはずもない、と知っている顔。

 それを見て、ロマニは目を瞬かせた。

 

「だろうネ。あれの正体はこの特異点の性質にもかかってくることだ。

 いわゆる“幻霊”。本来なら“英霊”として成立することなく、消えるのみの存在。

 サーヴァントとして召喚しようにも、霊基数値が足りず確立できないような亡霊。

 アレらはね、それなんだよ」

 

「幻霊……?」

 

『――――ちょっと待った。

 それ、幻霊を二体掛け合わせて、サーヴァントにしたって意味かい?』

 

 愕然としていた様子のロマニ。

 その反応もむべなるかな、と。アーチャーが訳知り顔で自分の髭を撫でた。

 

 本当に情報がどんどん出てくるな、という顔で彼を見る視線。

 彼の怪しさが天井知らずに高まっているが、今さらだろう。

 注目の的になっているのを理解しつつ、彼は話を続ける。

 

「そうとも。ああいや、アレが二体で出来ているかどうかは分からないが。

 基本的に幻霊とは、サーヴァントという器に容れて満たすには、本来小さすぎる情報。

 そして足りないなら他所から持ってくる、というのはどこでも同じことサ。

 幻霊ではサーヴァントにできないなら、幻霊を複数押し固めてサーヴァントにすればいい。

 そんな発想をして、成功させたのがこの特異点の黒幕というわけだネ」

 

『……簡単に言うけれど、そんなこと―――』

 

「簡単ではなかっただろうが、事実としてアレが地上の覇権を取っているからネ。

 出来てしまったのだ、と納得するしかないだろう?」

 

 アーチャーが一瞬だけマシュに視線を向ける。

 ()()()は大差ない、と言いたいのか。

 そんな彼の態度にロマニが押し黙り、言葉を探すように視線を彷徨わせた。

 

「つまり、ライダーは複数の幻霊の集合体。確定している幻霊は首無し騎士と狼。

 そして、恐らく主体となっているのは狼側、ということ?」

 

「おお、纏めてくれてありがたい。

 ―――まあ幻霊に関しては、今のライダーに轢かれただけでは納得しづらいところもあるだろう。歌舞伎町のクリスティーヌを見れば、理解せざるを得ないだろうが」

 

 美遊からの問いかけによくできました、とアーチャーが微笑む。

 当然のように、少女から胡散臭いものを見る視線を返される。

 

「クリスティーヌって?」

 

「幻霊の一人だが……まあ、それはおいおい。

 つまるところ、ライダーは狼の幻霊が中心にサーヴァント化したものというわけだ」

 

 美遊の言葉にそう言って笑い、彼はそのまま軽く手を打ち合わせた。

 パン、と子気味いい音が静かな街に響く。

 それを話題の回帰だと理解して、揃って顔を見合わせる。

 

「―――そんなアレの行動は、例えば……縄張りに踏み込んできた人間だけを対象にした狩り。いや、()というのはどうかな? あれは引っかかった者を悉く殺す罠なのだ。罠にかかって死ぬ人間を嘲笑っているのかもしれない」

 

 彼の言葉を聞いたマシュが考え込むように視線を伏せる。

 同じく聞いていた立香は、そのまま視線をソウゴの方に投げた。

 

「そんな感じ、した?」

 

「………………違うと思う。あれはもっと―――」

 

 交錯は一瞬だった。多分、赤かったと思う。

 外見的に理解できたのはその程度というくらい、薄弱とした情報だが。

 そんな何かが、何も視ず、何も聞かず、ただ走り抜けて行った。

 

 ―――いた世界が違った。あれは、同じ場所にいながら違う世界にいた。

 同じ場所にいるのに、独りぼっちの世界を走っていた。

 だから彼らが離脱した後も追ってこなかったのだろう。

 

「何も見てなかった、と思う」

 

「……なら縄張りに他の誰かが入るのが許せなかっただけ、ってこと?」

 

 ツクヨミの問いかけに腕を組むソウゴ。

 

 何も感じなかったわけじゃない。

 駆け抜けていったのは、溢れるような憎悪の爆発。

 誰に向けられているのかも分からない、そんな感情の迸り。

 

 嘲笑うとか、そんな余分は持っていない。

 嚇怒を以て研ぎ澄まされた、憎悪の牙。

 ただその感情がどこに向けられているのかが分からない。

 

 怒りと憎しみがそこにあるのは分かる。

 なのに、どう使われているのかが分からない。

 

「何かを憎んでるのは間違いないと思う。ただ、それ以上は……」

 

 何か思いつきそうな、しかしどうにも。

 イマイチ理解し切れない状況に、首を傾げる。

 

「それにしても、狼なのにそんな人の街の道路が縄張りでいいのかな?

 ……それとも本当は自然があるとこに行きたいけど行けない、みたいな?」

 

「そーいえば、なんか新宿全体がでっかい壁に覆われてるみたいね。

 隔離されてるみたいだけど、外どうなってるのかしら」

 

 そもそも狼が何故、人の住処に縄張りを?

 そう言ったイリヤが、周囲を見回す。

 ビルの合間から微かに見える高い壁は、恐らく新宿中を囲う檻のようなもの。

 クロエもまた彼女の視線を追って、窮屈な世界に肩を竦めた。

 

『―――それが、観測できないのです。

 いま皆さんがいる特異点は、新宿の外に関して一切解析不能です』

 

『……その壁の存在が世界の異常化を新宿に押し留めている、のかな。

 結果として特異点は規模が小さくなり、人理定礎の揺らぎも極小化している』

 

「箱庭、いやまるで実験場だネ。先の話と合わせて考えると、幻霊をサーヴァント化させて野放しにして、観察すること自体が目的かもしれん」

 

 マシュとロマニの言葉を聞いて、そう呟くアーチャー。

 実験でしかない可能性、を考えるならば。

 ライダーがああしている理由が、真っ当な理屈で考える意味がなくなる。

 

「つまり……ライダーも何か実験のためにそうなってる?」

 

「ふむ。例えば人間を憎悪する狼に、人を守る騎士を混ぜてみたら精神状態がどうなるかの実験、みたいナ? 確かにそれはありえないでもない」

 

「けど、首無し騎士の伝承は大抵、相手に死をもたらすもの。主体が人を憎む狼で、それに死をもたらす首無し騎士を混ぜたのなら、縄張りから動かない理由はなくなると思う」

 

 幻霊を兵器として検証するために野放しにしている。

 そう考えるにしても、あのライダーの動きにはイマイチ納得がいかない。

 何かを憎悪する狼が主体になっている、と思われる。

 だというのに、人間の街を間違いなく縄張りとして定めている。

 それは妙だろうと美遊が口にすれば、アーチャーが神妙な顔で一つ頷いた。

 

「では悪の首無し騎士ときっちり縄張りで待つ狼で混ぜた結果ああなった、と。

 ―――なるほど、読めた。ライダーの主体となっているのは忠犬ハチ公だネ……!」

 

「ハチ公って渋谷じゃない?」

 

「同じ東京でお隣さんだろう? この程度は誤差だろう? ダメ?」

 

 そんなこと訊かれても、という表情を浮かべる皆。

 ダメかぁ、と残念そうな顔で溜め息をひとつ。

 

「そう言えばアーチャー。あのアナザーライダーがどの仮面ライダーのアナザーか知ってる?」

 

 ソウゴの力の事を知っていたのだ、ならばそれも知っているのでは?

 そう考えた立香からの問いかけ。

 向けられた質問に対して、したり顔で鷹揚に頷いて見せるアーチャー。

 

「知っているとも。対応する仮面ライダーは、カブト。

 アレはアナザーカブト、ということだね」

 

 ―――その名を、仮面ライダーカブト。転じて、アナザーライダーカブト。

 彼は軽く指を立てて、ライダーが手にしている力はそのような名の仮面ライダーだと宣言する。

 

 確かにライドヘイセイバーを使用する上で、そんな名を聞いたことはある。

 その名の通りカブトムシのような何かを出したこともある。

 だとすると、先の交錯でソウゴを打ち据えたのはカブトムシの角なのかもしれない。

 

「俺より詳しいね」

 

「ふむ、では私が知る限りの事は教えようか?

 と言っても、仮面ライダーカブトについて私が把握しているのはほとんどないのだが。

 だがそれ以外の仮面ライダーについて……さっき口にした龍騎やディケイドだ。

 それはなんとなーく知っているんだよ、聞くかね?」

 

「うーん、とりあえずいいかな……」

 

 恐らく、そっちはいま関係ないことだろう。

 アーチャーは、カブトに関する情報をほぼ持っていないという。

 事実ならば、それは意識的に()()()()()()()()ということ。

 

 こっちに渡したい情報。こっちに渡したくない情報。

 その取捨選択は行われていると考えるべきだ。

 

 そう考えているソウゴに一度頷いて、小さく口の端を持ち上げるアーチャー。

 

「自分が使う力だ。知っておいた方がいいのではないかネ?」

 

「でもアーチャーもその棺桶が何か知らないんでしょ」

 

「確かに……じゃあ別に使えれば知らなくてもいいか」

 

 ソウゴのウォッチを見るアーチャーに、棺桶を見る視線を返す。

 彼も自分が使っている武器の事を何にも知らないのだ。

 使えるならそれでいいか、と特に気にせず使ってしまっている。

 そんなわけで納得して、話題を畳むアーチャー。

 

「何でそんな変なとこで共感しちゃうのかな……!」

 

 そこで決着していいのか、とイリヤが口を挟む。

 が、すぐにクロエが揶揄うように笑みを浮かべた。

 

「へー、じゃあイリヤは自分が使ってるクラスカードの英霊のこと、ちゃんと勉強した?」

 

 今持っているだけでも、メドゥーサ、メディア、ヘラクレス。

 ギリシャの英雄たちの名前を思い浮かべて。

 少女は視線を彷徨わせて、ソウゴとアーチャーから目を逸らす。

 

「……とりあえず今は、別に使えればいいかな……」

 

「ダメ人間たちですねぇ」

 

 頭をつついてくる相棒に、むむむと悩ましい表情を返す。

 そういう暇がなかっただけだし、と言うのは簡単なのだけれど。

 

「イリヤがその気になったらいつでもわたしが教えるから」

 

「では、いつでも勉強できるように資料を纏めておきましょう」

 

 使命感に燃える美遊と、それを補助する気全開のサファイア。

 

「では“よく分からないケド使えてるなら別にいいジャン”トリオ結成といこうか!」

 

 アラフィフと少年と少女の心が一つになった、と。

 アーチャーがチーム結成を宣言する。

 ソウゴが特に反応を示さないのを見て、イリヤが叫んだ。

 

「か、感覚派! 感覚派なだけだから!」

 

 どうにかチーム結成を防ごうとする少女。

 わたわたと手を振って拒絶を意思表示するそんな姿を見て苦笑して。

 しかしそれはさておき、と。ロマニが口を出す。

 

『……アナザーライダーに関してはとりあえず置いておこう。

 行動パターンが変わった場合を考慮すると、放置はしたくないけれど……

 さておき、まずはこれからどうするかだ』

 

「うん。アーチャー、どうすればいい?」

 

 その話をまずアーチャーに投げる立香。

 

「うむ。ではとりあえず、まずは目的を設定しよう。

 これは当然、“この特異点の解決”だ。それでいいかね?」

 

 それを確かに受け取った彼は、まずは指を一本立ててみせた。

 変動する筈もない前提条件の確認。

 立香たちは問題ないと首を縦に振って示す。

 

「うん」

 

「では、そのためにどうすればいいだろうか?

 私が持っているこの特異点の情報と共に、確認していこう」

 

 立香がふとソウゴと視線を合わせ、その後でツクヨミと合わせる。

 ツクヨミから返されるのは、呆れるような反応。

 しかし数秒後、彼女の方が折れたのか、渋々といった表情に変わる。

 

「はーい」

 

「ウム、生徒たちが元気いっぱいのようで大変結構」

 

 満足気に首を振るアーチャー。

 それを見ていたイリヤが、突然のノリについていけずに呆ける。

 

「あ、なんか始まってた……?」

 

「イリヤさんも何か思いついたら元気いっぱい挙手しなきゃですよ」

 

「これ、そういう感じなの……?」

 

 自分の横に浮いているルビーに対し、何とも言えない表情を見せるイリヤ。

 そんな彼女を指差して、アーチャーが一つ咳払いした。

 

「うぉっほん! さて、では私語の多いイリヤスフィールくん。

 この特異点を解決する。そのためには何が必要かナ?」

 

「え? えー、と……東京都庁が相手の本拠地なんだよね?

 じゃあ、そこを攻略するとか……」

 

 そういう流れ、だったと思う。

 本来の歴史にはないものこそが怪しい、みたいな。

 そんな認識で動けばいいはずだったわけで。

 

「攻略、というのが厳密に何を指すか分かるかな?」

 

「え、と、え? えー……」

 

 そこに繰り出された次なる質問。

 イリヤが視線を泳がせて、考え込む姿勢に入る。

 

「―――聖杯を手に入れる。厳密には“聖杯戦争に勝利し、聖杯を勝ち取る”」

 

 が、それを断ち切って美遊がそう口にする。

 彼女の答えを聞いて、なるほどと納得の声を漏らすイリヤ。

 

「ウム。では聖杯は誰が持っていて、それで何をしているかが問題なわけだ」

 

 とん、と。アーチャーの指が手にしたステッキを軽く叩く。

 

「現在、新宿を跋扈する者たち。彼らは都庁を乗っ取り、要塞に改造し、この街を悪逆の坩堝に貶めた。彼らの名は、“幻影魔人同盟”」

 

「幻影、魔人同盟……?」

 

「当然、彼らもサーヴァントだ。街全土を演出するキャスター。国道を蹂躙するライダー。

 歌舞伎町に歌うバーサーカー。華やかなりし街の影に舞うアサシン。

 都庁を守護するアーチャー……そして、それらの背後から全てを支配するアーチャー」

 

 彼が口にする六騎。そこに更にアーチャー自身を加えれば七騎だ。

 ならばおかしくない、のかもしれない。

 いや、仮にそうだとしたら七騎中三騎がアーチャーなどという事態になるが。

 

「……セイバーとランサーはいないの?」

 

 ふとそう問いかけた立香に対し、アーチャーはステッキを指で叩きながら答える。

 

「ふむ、セイバーとランサーも同じく召喚はされたらしい。

 だがアーチャー……黒幕のアーチャーに反旗を翻し、討ち取られたそうだ。

 二騎を撃破したのはアーチャー……狙撃手のアーチャーだとか」

 

「なんか……! なんかアーチャーが多い……!」

 

 幻影魔人同盟という組織の長がアーチャーで。

 その下に実働を担う、セイバーとランサーを倒すほどのアーチャーがいて。

 しかも目の前にもう一人のアーチャーがいる。

 

 そんな情報に目を回したイリヤに同意するように頷く、目の前にいる方のアーチャー。

 

「うん、自分で言ってて分かりづらいことこの上ない……まして私もアーチャーだしネ。だが流石に真名までは把握していないのでしょうがない」

 

「うーん、じゃあアーチャーのことはイケオジのアーチャーって呼ぼうか?」

 

 それ使うの? という顔を浮かべるツクヨミ。

 立香が言い出したその言葉に、ソウゴが指折りアーチャーを数えだす。

 

「黒幕のアーチャー、狙撃手のアーチャー、イケオジのアーチャー?」

 

「黒幕と狙撃手……の方はまだしも、こっちの呼びたくないんだけど」

 

 狙撃手、と口にする時に一瞬だけ目を細めて。

 しかしすぐに胡乱げな視線をイケオジのアーチャーに向けるクロエ。

 残念だナー、という表情を浮かべる相手に彼女は軽く眉を上げた。

 

「記憶喪失の人の名前かぁ……あ、メルセデスは?」

 

「……それって女の人の名前じゃなかった?

 というか、流石にエドモンに怒られるんじゃないの」

 

 いい案を思いついたとばかりに声を上げる立香。

 それに対して前使用者のツクヨミは、何とも言えない表情。

 巌窟王エドモン・ダンテスに由来する女性の名前だ。

 それをこのアーチャーにつけるのはどうか、と。

 

「へー……ママの車もメルセデスっていうのだよね?」

 

「そうね。じゃあベンツのアーチャーとでも呼ぶ?」

 

 アーチャーが吊っている白い棺桶を見ながら、そう話すイリヤとクロエ。

 

 何故棺桶から自家用車を思い起こすのか、と。

 あえて訊くことはせずに、アーチャーが眉根を寄せた。

 

「もしくはメルセデスのアーチャー?」

 

「うーむ、それは流石にねェ……」

 

 メルセデスという名前に対して、微妙に難色を示す男。

 それも仕方ない、と。ツクヨミが別の呼び方を考案する。

 

「じゃあ……メルセデスだから、M・アーチャーとか、アーチャー・Mとか」

 

 ふと、彼女の提案したものを聞いたアーチャーが目を見開いた。

 顎に手を添えて、悩みこむこと数秒。

 

「M、Mかァ……ふーむ、M……そうだネ、では今やった教師ごっこが思いのほか楽しかったので、教授(プロフェッサー)、プロフェッサーMでどうか。お、なんか凄いしっくりきたぞゥ?」

 

 なんだか妙にテンションが上がるプロフェッサー。

 どうやら気に入ったらしい。

 だったらそれでいいか、と周りを見回すソウゴ。

 

「本人が気に入ったならプロフェッサー……M? でいいんじゃない」

 

『確かにアーチャーさんはどこか、教師のような雰囲気がある方ですね。

 ―――ただ問題は、銃火器内蔵の棺桶を持った教師などという人物は思い当たらないのですが』

 

「牧師に変装して棺桶に偽装した兵器でテロでも起こしたのかな、私は」

 

 マシュに対し、惚けた風にそう言い返すプロフェッサー。

 胡乱げな目でそんな男を上から下まで見て、美遊とクロエが言葉を交わす。

 

「棺桶を所構わず引きずってたら即捕まりそうだけど……」

 

「っていうか棺桶引きずってたら牧師っていうか葬儀屋でしょ」

 

「だが牧師という肩書の方が便利だヨ。

 ほら、神の遣いということで気を許してもらえたりするかもしれないだろう?」

 

「やっぱり詐欺師の発想しか持ってない」

 

 呆れ果てるという視線を向ける美遊。

 そんな視線に微妙に落ち込む様子を見せ、肩を落とすプロフェッサー。

 通信先でロマニが苦笑して、話を進めようとする。

 

『あー、うん。じゃあとりあえず。

 こちらのアーチャーをプロフェッサーM……あるいは、プロフェッサーと。

 そんな感じに呼ぶとして、話を続けて欲しい』

 

「―――そうして二騎士が撃破された後、更なる追加召喚があったようだ。つまり今の新宿では、カウンターとして召喚されたサーヴァント数名が、幻影魔人同盟と戦っているというわけだネ」

 

「カウンター……? そんなに普通にサーヴァントが増えるんですか?」

 

 サーヴァントは超常の戦力だ。

 そんなサーヴァントの影の姿以外を多くを知らないイリヤでも、それは分かる。

 だがここではそんな存在がぽんぽんと再召喚されるという。

 プロフェッサーというより、横にいた立香を見上げたイリヤ。

 彼女が返答する前に、プロフェッサーはそれに対する答えを示した。

 

「言わずもがな、“聖杯戦争”と呼ばれる儀式にはルールがある。その儀式の形式を利用し、サーヴァントを召喚したのであれば、当然そのルールに縛られるのだ。

 “聖杯は、勝者にこそ与えられる。聖杯戦争は勝者を定めるための儀式である”。その前提を無視して聖杯に干渉した場合、聖杯はその者に手にされる事を拒絶する。その結果として、聖杯の魔力においてカウンター・サーヴァントが召喚されるのだ。

 無法者に利用されまいとする聖杯自身―――というと少し語弊があるかナ。まあとにかく、聖杯自体による最後の抵抗、と思ってもらえればいい」

 

「な、なるほど……?」

 

 説明はなんとなく理解して。

 ふと、視界の端で美遊が一瞬だけ目をきつく細めた気がした。

 が、意識を向けた瞬間にもうその違和感は消えている。

 

 首を小さく傾げたイリヤの後ろで、クロが思考しながら口元に手を当てた。

 彼女の態度を見つつ、ツクヨミがプロフェッサーに問いかける。

 

「追加召喚されたサーヴァントの数は?」

 

「不明だ、とりあえず私の方で存在を認識しているのは二騎。

 つまり最低で二騎、最大でも恐らく五騎だろう」

 

 軽く五指を立て、パーとチョキを交互に繰り出してみせるプロフェッサー。

 二騎、というなら失われたセイバーとランサーの枠が使われた、と考えるのが妥当だろうか。

 

 そして五騎というのは、現在黒幕のアーチャーの許に残っている戦力だろう。

 聖杯がカウンターとしてそれと同等の戦力が用意できた場合のケース。

 

 それはそれとして、と。

 クロエがそこで強く顔を顰めた。

 

 セイバーとランサーがいた。つまりこの特異点にいたサーヴァントは、セイバー、ランサー、黒幕のアーチャー、狙撃手のアーチャー、プロフェッサーM、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカー。プロフェッサーを含めて、サーヴァントが九人存在していたことになる。

 ―――そして聖杯は、カウンターまでもしっかりと発動する程度にはちゃんと機能している。

 

 だったらおかしいのは、だ。

 

「……つまり、まず最初に黒幕のアーチャーが存在した。

 彼が聖杯を手に入れて、この特異点を作り、聖杯戦争を始めた?」

 

 アーチャーが三人いる、という状況に他ならない。

 他のクラスは満遍なく埋まっているのだから、なおさら。

 であるならば、アーチャーのうち二人は聖杯戦争とは()()のはず。

 

「まず黒幕のアーチャーがどうやって召喚されたか、が重要?」

 

「黒幕のアーチャーは黒幕だからともかく、ここにいるアーチャーが出てくる余地がなくない?」

 

『カウンターとして召喚されたうちの一人、というわけでは……』

 

 九騎のうち七騎は、あくまで聖杯戦争に呼ばれたサーヴァント。

 であるならば、最大の問題は残る二騎。

 つまりは何故か三騎いるアーチャーのうち二人が、明らかに怪しい。

 

 そうして立香とソウゴが話している間に、マシュが一応無罪の可能性に言及。

 だがそれは、クロエに両断される。

 

「無いでしょ。カウンターとして呼ばれたにしちゃ、それ以前からの状況を見てきたように語ってる。これでカウンター・サーヴァントの一人です、なんて言おうものなら即拘束だわ」

 

「―――彼はこの特異点を解決したい、と口にした。だから積極的にわたしたちを助けにきた。

 だけど、元凶である魔人同盟と敵対しているカウンター・サーヴァントを認識しながら、接触すらしていない。彼自身がカウンターで呼ばれているのなら、共闘や真名の開示はいざ知らず、情報の共有を行うための接触くらい行っていて然るべき」

 

「うーむ、どうかな? 見ての通り私は怪しいからネ、その辺りは避けたとも―――」

 

 クロエに続き、美遊からも疑念を向けられるプロフェッサー。

 彼の言葉を遮って、少女は更に言い募る。

 いつでも転身できるように、相棒たるサファイアを握り締めながら。

 

「だから……あなたは自分が怪しいからこそ。本来ならば怪しくないと主張するためにも、カウンター・サーヴァントに接触したという実績を作りたがるはず。なのにできなかった。

 それは―――あなたは聖杯に呼ばれたサーヴァントではないから、だと思う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからあなたは相手に会話を合わせられないと考え、接触に踏み切れなかった」

 

 おお、とイリヤが驚嘆する。

 これまでの会話の中から推測し、彼がおかしいと断言とする所作。

 それはまるで、推理漫画のようで。

 

 ―――そんな状況に追い込まれたプロフェッサーは、困り顔。

 

「いや……私が知ってる二騎は、遠巻きに見ていたらもうすっごいドッカンドッカンと周辺ごと爆発や何やらを撒き散らしてたせいで、近づけなかっただけなんどけどネ?

 特に一人は完全に私を認識してて、剣を振って風の爆弾みたいなの飛ばしてくるし……アレは死ぬかと思った。というか、国道を挟んだ位置取りしてなかったら死んでたヨ」

 

 ただ追加された連中が猛獣だっただけ、と言われて。

 それを追求するための情報は持っていないので、美遊がぐぬぬと悔しげに押し黙る。

 しかしプロフェッサーは彼女の意見に完全なる否定は返さなかった。

 

「まあ私が聖杯によって呼ばれたサーヴァントじゃない可能性については否定しないがネ。

 正直、私自身も黒幕に近い側の何かなんじゃ? と思わないでもないし……」

 

「自分で言っていくんだ……」

 

 失敗した少女にそう言って、不敵に微笑むアラフィフ。

 そんな彼に対し、そこ笑う場面? と、イリヤが表情を引き攣らせる。

 

「まあどっちにしろ、そのサーヴァントたちに俺たちで接触することになるよね」

 

「そうね、戦力は多いに越したことないし。問題は私たちがプロフェッサーを連れてることで、その風の爆弾みたいなのを飛ばされる可能性があることだけど……」

 

 美遊の肩に手を添えつつ、ツクヨミがソウゴの意見に同意する。

 聖杯戦争である以上、それに勝利しなくては本当に意味で聖杯は手に入らない。

 そのルールはこちらにも適用される話だ。

 幻影魔人同盟とカルデアという戦いに持ち込み、勝利する。

 それこそが大目的に設定されたようなものだ。

 

 カウンター・サーヴァントは、その目的のために共闘するべき存在。

 

 そこでコホンと一つ咳払い。

 プロフェッサーはカウンター・サーヴァントたちに話を戻した。

 

「私が知るのは、まずは新宿各所を巡るバイクを駆るライダーらしきサーヴァント。走行できない国道は空をかっ飛んで飛び越しているようだネ。剣を武装にして、魔力を暴風の如く吹き荒らしている事から、バイクは後付けで手に入れたセイバークラスの可能性もある。

 当然、私に気付いていたサーヴァントというのはこっちだ」

 

「バイクに乗って、剣を振り回して、魔力が暴風みたいに……」

 

 ツクヨミが繰り返して呟いてみる。

 が、多分そう言う事ができるサーヴァントは数え切れないくらいにいると思う。

 現状で正体を予想するのは流石に難しいだろう。

 

「じゃあもう一人はランサー?」

 

「もう一人は……まあ槍のような得物は持っているネ。旗だが」

 

 立香がもう一人の事を尋ねてみれば、返ってくるのは武装の話。

 

「旗?」

 

「黒い炎を放つ、剣と旗を手にした女性だ」

 

 神妙な顔でそう告げるプロフェッサー。

 他にいる可能性は捨てきれないが、あまりにも覚えがある特異性だと思う。

 

 竜の魔女の紋章が縫われた旗を振るい、漆黒の業火に燃える恩讐の徒。

 魔元帥ジル・ド・レェの憎悪が焼いた灰の中から産まれた、生粋の復讐者。

 クラスにして、アヴェンジャー。

 

「……それオルタじゃない?」

 

『オルタさん、ですね。恐らく』

 

「オルタ、って。確か……」

 

 人理焼却の中、オルガマリー・アニムスフィアのサーヴァントとして共に戦った一人。

 ジャンヌ・ダルク・オルタ。

 カルデアの中でそんな名前を聞いたことがある、とイリヤが思い出し。

 

「うん、カルデアにいたサーヴァント。カルデアの資料室に大量の筆記練習用のノートと、色々な絵が描かれたスケッチブックを残していた人」

 

「―――――えっと、ミユ。それ、見たの?」

 

 愕然としたイリヤとクロエ。

 そんな二人から視線を向けられて、美遊は不思議そうに首を傾げる。

 

「? うん。練習の跡を見れば分かるくらい、凄く努力してたと思う。文字だけじゃなくて文章も、小説仕立てで練習してたかな。強大な暗黒の力を宿してしまった闇の騎士の話。

 スケッチブックの方は、レオナルド・ダ・ヴィンチ……さん、の作品の模写とか色々やった後に、オリジナルと思しき黒い三つ首のドラゴンの絵とか……」

 

「ストップ、ストップ! それ絶対本人の前で言っちゃダメな奴!?」

 

『……処分し忘れていたんだね』

 

 ロマニの沈痛な声。

 いや別にちょっとした創作ノートがどうした、という話だけれど。

 見たところで、知ったところで、何が変わるというわけでもないけれど。

 誰かに見られることが苦行にあたるかどうかは、本人しだいだけれど。

 などと、詳しい話を言及しづらいという雰囲気。

 

 確かに彼女とアレキサンダー、エルメロイⅡ世。

 あの辺りのメンバーは、あそこが定位置だった。

 私物がそちらに残してあってもおかしくはない話だ。

 

「資料室に残してたんだから、自信満々に置いてったんじゃない?」

 

「ちょうどいるなら聞いてみればいいんじゃない? 処分した方がいいかどうか」

 

「絶対ダメだからね!?」

 

 立香とソウゴを怒鳴りつけるように、イリヤがこれ以上の深堀を却下した。

 気にしないどころか自信満々に晒すタイプな気がするけれど、と。

 首を傾げながらもしかし、別に重要でもない話だ。

 

 いま得られた情報から、立香が次の行動を提案する。

 

「そう? まあ、とりあえず知り合い―――のはずの、オルタから会いに行こうか。

 記憶があれば普通に協力してくれると思うし。

 特異点だし、多分今までと同じ記憶を持ってるんだよね?」

 

『恐らくね。アーチャー……プロフェッサーは参考にならないが、特異点ならばサーヴァントが以前の記録を持ってこれている可能性は高いと思う。

 特にジャンヌ・オルタは成立からして特殊なサーヴァントだし、まず大丈夫、のはず』

 

「―――……では、歌舞伎町方面だね。彼女はあの辺りをぶらついては破壊の限りを尽くしている。コロラトゥーラという、バーサーカーのしもべたちを相手にね」

 

 どこか納得するような表情を浮かべるプロフェッサー。

 彼女はカルデアのサーヴァント、ジャンヌ・ダルク・オルタ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自分のマスターたちにやらせることになるかもしれない、という事実を厭って。

 

 人の縁、良縁という奴かもしれない。

 悪意に満ちた世界の中で、煌めくような小さな善意の灯り。

 それが彼女たちを導いている。

 

 そうなるだろう。そうでなければいけない。

 だって、

 

「……フ、ム」

 

 思考が乱れて、プロフェッサーが眉間に指を当てる。

 奪われた記憶が取り戻される前兆だろうか。

 と言っても、未だに記憶は戻ってこない。

 何となくある程度の推理は進めているが、まだ答えには遠いだろう。

 

「歌舞伎町、って。都庁……っていうか、新宿駅の方に戻らなきゃいけないね」

 

「国道は飛び越えていくとして、飛ぶにしても狙撃は気をつけなきゃいけないかも」

 

「射線はまず取れないでしょうけど、都庁から歌舞伎町なんて普通に射程内でしょ。

 あそこは高さもあるもの。見つかったらまた撃たれるわよ」

 

 移動方法を模索する中で、クロエが顔を顰めた。

 特異点が狭い故に、相手の場所が狭い範囲に固まっている。

 拠点間がせいぜい数キロもないのでは、その全てが狙撃手のアーチャーの射程距離だ。

 

「射線を切れるのは地上を歩いてる場合だけ。

 飛んで国道を越えようとすると、どうしても狙撃は注意しなきゃいけない。

 低い位置で飛んだら今度はライダーの狩猟範囲に入ることになる」

 

「ソウゴ様の力で短距離転移の方が安全ではあると思われます」

 

「じゃあそっちにしようか」

 

 美遊とサファイアに応え、ソウゴがジクウドライバーを取り出した。

 そうすることでライダーの破壊から逃れられるなら惜しむ理由もない。

 都庁から離れたとはいえ、距離はせいぜい数キロ程度。

 脅威がライダーとアーチャーの狙撃だけならば、すぐに着くだろう。

 

 そこで、プロフェッサーが小さく眉を顰めて頭を動かした。

 視線が向く先は少々離れたビルの影。

 そこから聞こえるのは、からからと金属が地面を擦る音。

 

「……どうやら、いまの新宿に生きる者たちのお出ましのようだネ」

 

『―――微弱だが、魔力反応……? いや、さっきキャスターの事を口にしていたね。

 これがキャスターによる使い魔か何かって……』

 

「いや」

 

 ロマニの言葉を否定しきるまでもなく。

 姿を現すのは人間。金属パイプなどを地面に引きずっている、ただの人間だった。

 多少の魔力を感知できるが、何の変哲もない、普通の人間のはずだ。

 

 少女たちがその異様な雰囲気に身構える。

 

 各々凶器を備えている十数人の集団。

 彼らは少年少女と初老などという、目の前の獲物を見て笑い―――

 

「へへへ、ラッキーだぜ。ガキがこんだけ……」

 

「ほい」

 

 ぷすり、と。首筋に、全員一斉に注射器が打ち込まれた。

 謎の液体を注入され、揃って痙攣しながら倒れていく連中。

 

 反応する前に瞬く間に鎮圧された危険な集団。

 いつの間にか回り込み、それを成していたのはマジカルルビー。

 彼女が大仰に、羽飾りで汗を拭うような動作を見せる。

 

「いやぁ、都会は危険ですねえ」

 

 いきなり現れた謎の危険人物たちに驚く暇もない。

 泡を吹いて転がる連中に口許を引き攣らせ、ルビーを見上げるイリヤ。

 

「……ルビー、それ、なに?」

 

「いえいえー、ただの睡眠薬みたいなものですよ。

 起きられるようになるまで、大体半日くらいですかね。

 ほら、皆さん幸せそうに眠っていらっしゃるでしょう?」

 

「苦痛に悶えて痙攣してるように見えるけど……」

 

 地面に転がる十数人。

 魔力を帯びていようが関係ないとばかりの投薬は、彼らを完全に無力化していた。

 日頃から好き放題しがちな魔法のステッキの面目躍如、というわけだろうか。

 

「―――ま、いいんじゃないかネ? 見ての通り、彼らは悪党だったヨ。

 彼らに限らず、この新宿特異点で今もまだ生きている人間は悪人ばかりだ。

 善人の優しさは悪人に食い潰される。悪人はより悪辣な悪人に利用される。

 そして誰であっても、人間であるならば幻影魔人同盟には殺される。

 それがこの特異点のルールなのだよ」

 

『それ、は。つまり、この特異点では、もう……』

 

 真っ当に生きていた人間たちは、あのような住民たちに殺されてしまった、ということか。

 そう問いかけようとしたマシュに、プロフェッサーは肩を竦めて返す。

 

「では人間が生きるために何をすればいいか、というと。長いものには巻かれろ、という奴サ。

 この街の人間にとっては、魔人同盟におもねるのが最も安全な延命策だ。

 そのためにアサシンがこの街で暗躍する。

 ならば、アサシンに対してどうやって命を乞う? もちろん金だとも。

 彼らはあらゆる手段を尽くして、他人の命を含めてあらゆる物品を換金し、自分の命を乞う」

 

「……アサシンにお金を集める意味はあるの?」

 

「どうだろうネェ……この世界において、もはや貨幣なんて意味はない。

 金を積み上げて栄華を築こうとも、何が買えるわけでもない。

 いまの新宿において財産とは、ただの寿命でしかないのだヨ」

 

 金品、財産、価値あるもの。

 物質としてあることで保証され、煌びやかに輝く栄華。

 そういったものと引き換えに、アサシンは相手の生存を保障する。

 アサシンの許に華やかに栄えし証、財産を積み上げ続ける限り生きられる。

 

 ―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 言葉を詰まらせた者たちに苦笑して、プロフェッサーが軽く手を叩く。

 

「まあ無益な殺生はしないに越したことはない。

 放って置いたら他の連中に命ごと持っていかれそうだが」

 

「じゃあ、こうしとこう」

 

〈ジオウ!〉〈ドライブ!〉

 

 二つのウォッチを起動して、そのままドライバーに装填。

 そうしてから腰に当て、ベルトを装着する。

 変身待機状態になっているジクウドライバーのロックを外し、腕を上げ。

 

「変身!」

 

〈仮面ライダージオウ!〉〈ドライブ!〉

 

 回すことで、彼は仮面ライダージオウへと変身を完了した。

 更に追加装甲、ドライブアーマーが重なる。

 肩から放たれるホイールが、倒れ伏した連中の頭上に舞う。

 

 そこから射出される無数の鉄棒。

 それが周囲を囲う檻となり、最後には柵となって屋根が落とされた。

 ジャスティスハンターによる、一人一人個別に捕まえる檻。

 それは動きを封じると同時に、逆に外敵から身を守る盾にもなる。

 

「これって消えちゃわないの?」

 

「一日くらいなら大丈夫じゃないかな。攻撃されて壊れるとかなければ」

 

「では今後、変質者がいたら同じように対処で―――」

 

 地面に無数に設けられた檻。

 それらを放置して動き出そうとした彼らの耳に、再び何かの音が届く。

 

 ―――今度はガリガリ、と。何かが削れる音。

 その音を聞いた皆で黙り、音源だろう方向へと視線を向けた。

 先程のような、鉄とアスファルトが擦れるような軽い音ではない。

 地面を削って砕いているような、重い音色。

 

「……さっき話した奴だネ。うん、キャスターの作成した怪物だ」

 

 プロフェッサーの言葉と同時、ビルの合間から何かが姿を現す。

 建造物の壁に巌の手をかけ、押し潰しながら。

 ゆっくりとした動作で姿を見せたそれは、全長は5mほどにもなるか。

 枯れた岩と土を押し固めたような巨人。

 頭にはくすんだ黄金の王冠を被り、肩には道化の人間を乗せて。

 

 切り出した岩を剣のように引っ提げた、異形の怪物。

 彷徨える王が、そこにいた。

 

 

 




 
 スプリガンくん初登場。すぐ死にます。
 二期一話でやる前作総集編的なものに四話かかる。

 プロフェッサーM、いったいなにものなんだ。
 


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喜劇の開演1607

 

 

 

「ったく、人が折角やってやってるってのに……」

 

「ほう、オルタ殿は魔術師殿たちが()()の相手をするべきではない、と?」

 

 髑髏の面の奥にある瞳が、漆黒の炎で燃焼する人形を見据える。

 彼女が燃やした白い躯体は融解し、崩れていく。

 そんな中でも完全に壊れる間際まで、歌姫を称え続けていた。

 

 その末路を見届けながら、彼女はアサシンの言葉に舌打ちした。

 

「別にそんなこと言ってないでしょうが。

 私はアレよ、バーサーカーに一言物申したいだけよ」

 

 竜の魔女、ジャンヌ・ダルク・オルタ。

 サーヴァント、アヴェンジャー。

 

 彼女は何やら突然この新宿に召喚され、投げ出された。

 世界を滅ぼすために生み出され。世界を救う旅路を手伝って。

 まあそこそこ満足して消えた、はずだったのだが。

 

 本来存在しない、復讐者に堕ちたジャンヌ・ダルクという願望。

 それが英霊、サーヴァントとして成立したのは、人理焼却の最中だったから。

 それは解決した筈だというのに、またも彼女は現世に迷い出た。

 しかも召喚された世界は特異点化し、ろくでもないことになっているときた。

 

 ―――アンタら、まだやってんの? と言いたくなる。

 

 状況は分かりはしないが、そうならもう仕方ない。

 別にやりたい事があるわけでもないのだ。

 今更世界を滅ぼす側に、とかいう気分でもない。

 というか仮にそうするとしても、誰かの下についてやるなんてゴメンだ。

 どうせやるならキッチリ、自分が頭になって世界を滅ぼしてやる。

 

 というわけで。

 しょうがないので彼女は、解決側として適当に動いていた。

 

 そうしていたら、だ。

 剣で切り裂き、真っ二つにした人形を見て、理解してしまった。

 コロラトゥーラと呼ばれるバーサーカーのしもべ。

 

 あれが、生きた人間を素材にして造られたものであると。

 

 ……別に、それを知ったところでマスターたちは揺るがないだろう。

 できる限り避けてはいたが、別にカルデアも人死にや人殺しと無縁だったわけではない。

 

 例えば人が素材にされた敵、といえば。

 第七特異点、メソポタミアにおいて戦った魔獣も、ほぼ全てそうだったと判明している。

 

 原型が残らないほどに変生するのと、生きたまま素材にされ改造されること。

 工程の違いはそんなもので、実際そう差はないだろう。

 当然、神代の大魔獣が産む魔獣と、怪人の手による人形では、戦闘力が桁違いだが。

 

 だから、別に。

 それだけならば気にならないし、気にしないのだけど。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 何となく感じる。

 これをやらせている連中は、バーサーカーに期待などしていないのだ。

 ただ、この悪趣味なだけの光景を作りたがっている。

 

 理由に必要性もなければ、動機に悪意すらない。

 

 これは戦力として効率的だからやっている、とか。

 こうしてやれば誰かを苦しめられるから、とか。

 ただ楽しいからやる、とかそういう悪趣味ですらない。

 

 無意味だと理解した上で。

 やらねばならないという事はないし、やりたいというわけでもない。

 それを確信した上で、それでも積極的に行っている地獄の製造。

 

 だから、気に入らない。

 

 ―――例えば大魔獣ゴルゴーン。

 彼女はティアマトの代行者として、復讐のためにそれを為した。

 

 生産的な理由などない。

 相手を苦しめたいという感傷だけで、それを行った。

 そういうのなら別にいいのだ。是非は別にして、納得はできるから。

 

 自分が苦しんだから、相手をそれ以上に苦しめてやりたい。

 オルタとしては、その思考にニセモノの復讐者として共感さえする。

 この考えは悪だろう。正当化するつもりもない。

 それが復讐者という人種の心境、真実だ。

 

 怨念と憎悪を燃料に邁進する、ブレーキの壊れたモンスター。

 呪いは尽きぬ、恩讐は終わらぬ、といっても限界はある。

 最終的には機体が耐え切れず空中分解か、エンジンが焼き付いて墜落か。

 そういうものなんだから、それはいい。

 

 だが、バーサーカーは―――

 彼に限らず、この特異点の在りようはそうじゃない。

 この悪意を煮詰めた地獄を織り成すのは、けして悪意からじゃない。

 

 悪が為されるのは世の常。この猟奇こそが人の世である。

 だからこれは、人が呼吸をするように、当然のことをしているだけ。

 そう言っているかのような―――

 

「バーサーカーに?」

 

 不思議そうに首を傾げるアサシン。

 彼の声に思考を打ち切って、オルタが鼻を鳴らした。

 

 それはまあ、あの怪人に何を言ったって無駄だろう。

 普段通りならもしかしたら、多少話も通じるかもしれない。

 だが狂人としての側面が強調されたバーサーカーでは会話になるまい。

 いや、正直なところ時間神殿ですらまともに会話できた記憶はないが。

 

 そして別に彼に特別に思うところがある、というわけではない。

 

 彼女が当時のフランスで呼んだものも、バーサーク・アサシン。

 イカれた狂人なりの理性を剥奪し、更に狂気を増幅させたものだった。

 もちろん彼女はそれを謝罪するような殊勝な性格もしていないが。

 

「……まぁね。フランスでアイツを呼んだことがあったからその縁で、今ここではぶっ飛ばして解放してやってもいい気分、ってだけよ」

 

 だがまあ、ロクでもないことをしていたとは自認している。

 いつぞやは狂化させた代わりに、今回は狂化を晴らしてやる。力尽くで。

 まずあれに照準を合わせたのは、その程度の考えに過ぎない。

 

「―――ああ、なるほど。前回の召喚の縁、ということですな」

 

 深く頷くアサシン、ハサン・サッバーハ。

 暗殺教団の教主、山の翁。その中で呪腕のハサンと呼ばれた者。

 オルタにとっては、かつてカルデアで同じマスターに仕えた同僚。

 

 彼に対して胡乱げな視線を向けながら、オルタは剣を鞘に納める。

 

 彼女のねぐらに現れたハサン。

 彼はマスターたちがこの特異点にレイシフトしてきたと伝えた。

 そしてまずは歌舞伎町から攻略するつもりのようだ、と。

 

 今の彼らは、歌舞伎町で戦う分には戦力的にまず問題ないだろう。

 なので彼は、カルデアとの合流よりこの情報をオルタへと伝える事を優先した。

 そうして揃って合流できれば、その後はいつも通りになるだろうという判断だ。

 

「……にしても、耳障りったら」

 

 街中に設けられたスピーカー各所から聞こえる歌姫の声。

 それが一区切りを迎えるたびにところどころで弾ける、コロラトゥーラの喝采。

 

 ―――そうして顔を顰めた途端、路地裏から現れる白い躯体。

 それを旗で一薙ぎし、同時に炎上させる。

 残骸を吹き飛ばして転がしながら、彼女は一際強く舌打ちした。

 

「あれらは街中に蔓延っていますからな、流石にどうにもなりますまい。

 早急に合流し、一点突破でバーサーカーを討ち取るのが上策かと」

 

「ま、そうなんでしょうけど……」

 

 足を止めることなく、ハサンの誘導に従い進むオルタ。

 どうやら彼は敵が少ないルートをきっちり選択しているようだ。

 これならそう苦労もせず、合流できるだろう。

 

 旗を振るって手から消し、無手になった彼女が苛立たしげに髪を掻き上げる。

 ハサンはそんな彼女を先導するべく、少し足を速めた。

 

 

 

 

速射(シュート)!」

 

 ばら撒かれる青い光弾。

 それらが全て、巌の巨人の体を打ち据える。

 衝撃に揺れる肩の上で、道化の人形が笑い転げるように跳ね回った。

 

 そんな弾幕を物ともせず、巨人が手にした大剣を振り上げる。

 岩をそのまま削り出したような刃の、リア王自身の身の丈ほどもある大剣。

 

「ふむ。道化を連れ、王冠をつけた放浪者。リア王だネ」

 

『リア王……? あれが、ですか?』

 

 暴れ狂う岩の巨人。

 そんなものをリア王と呼ぶプロフェッサーに、マシュが首を傾げた。

 

 彼が持ち上げていた棺桶が展開する。

 瞬間、その中に収められた砲口から吐き出されるロケット弾。

 弾頭がリア王の腹部に衝突し、爆炎を撒き散らした。

 

 押し返された巨体はビルに激突。

 そのまま建物を削りながら、地面に引っ繰り返ってアスファルトを砕く。

 

 巻き上げた砂塵に呑まれる巨人。

 それにより戦闘が止まったを見て、ロマニがプロフェッサーに言葉を向けた。

 

『つまり、キミの語ったキャスターっていうのは』

 

「ウィリアム・シェイクスピアだヨ。

 いや、もちろん直接見たわけではないから確実ではないが。

 しかしロミオとジュリエットは自分たちがそうである、と自己紹介してたからネ」

 

 ああロミオ、おおジュリエット、などと。

 そういって彷徨う怪物も存在するのだと、彼は口にする。

 ロミオとジュリエットがいて、道化を連れた彷徨う王がいる。

 であるならば、それはシェイクスピアの犯行だろう。

 

 重そうにしていた棺桶を降ろしつつ、肩を竦めるプロフェッサー。

 

「ロミオとジュリエットってそんな怪物が出たみたいに話すやつだっけ……」

 

「この世で最もおぞましいモンスターは人間の愛、って奴ですよー」

 

 魔力を充填しながらそんな風に言葉を交わす紅玉のコンビ。

 ステッキの先端に集う魔力は大きくない。

 だがそれを薄く、鋭く、引き延ばしてみせるイメージでカタチにする。

 

「まず剣を狙って!」

 

 マスターからの指示に頷き、イリヤが地面を踏み締める。

 

 砂塵のカーテンをぶち破り、再び屹立する巌の巨人。

 その岩石の腕が乱雑に振り上げる巨大な剣。

 先程からあれの頑丈さは見せつけられている。

 真正面からぶつかっていっても、そう簡単には砕けない。

 

「合わせなさい!」

 

 クロエが叫びつつ、既に矢を番えている。

 黒塗りの弓に番えられているのは、螺旋を描く(けん)

 それは引き絞られると同時、魔力渦巻く光の矢へと変わった。

 

 その声に強く頷き、両手でルビーを握り締めるイリヤ。

 一度視線を合わせ、呼吸を揃え、まったく同時に彼女たちが動き出す。

 

「――――“偽・偽・螺旋剣(カラドボルグⅢ)”!!」

 

「―――斬撃(シュナイデン)!!」

 

 二人の少女が同時に放ち、奔る閃光。

 先んじて進むのは、空間を抉りながら直進する一条の光の矢。

 それが直撃するのは、リア王の握る剣のグリップ。

 盛大な破砕音を散らしながら半壊する剣の柄。

 

 そこに更に、イリヤの放った光刃が追突した。

 罅割れ、砕けかけていた柄へと斬り込む切断撃。

 それこそが剣への致命傷となった。

 

 厚く長大な岩の剣。

 その柄となっていた部分が砕け、刃が根本から折れる。

 

 即座に反応したジオウが、肩からタイヤを射出。

 放たれたスピンミキサーが撃ち放つコンクリート弾。

 地面に叩き落とされ、硬化したコンクリートで道路に固定される刃。

 

「これで武器は奪えた……! 美遊!」

 

 突如今まで振り上げていた重さを失い、バランスを崩してふらつく巨体。

 それを見たツクヨミの声が、その頭上に舞う蒼玉の魔法少女に届く。

 少女はそれに小さく頷き、太腿に巻き付けたホルダーからカードを引き抜いた。

 

「サファイア!」

 

「了解しました、いつでもどうぞ」

 

 美遊が引き抜いたカードとマジカルサファイアを握り締める。

 少女の意志に呼応するように、カードと六芒星が一際強く輝いた。

 

夢幻召喚(インストール)……セイバー!」

 

 途端、爆発的に広がる光。夜の闇を切り裂く魔力の迸り。

 輝くのは黄金の剣と、蒼銀の装い。

 己の放つ魔力を明かりとし、刃と手甲で照り返す。

 灯りの絶えない眠らない街の中でなお、何より輝く月光の具現。

 

 そこに降臨するのは、青き騎士王。

 その姿が空中で魔力放出をもって加速し、聖剣と共にリア王の頭上から斬り込んだ。

 巨人に激突する少女。両者の間にあるのは、比ぶべくもない圧倒的な重量差。

 ただぶつかったところで、いとも簡単に跳ね返されるのは想像に難くなく。

 

 ―――だがそれを、剣の英霊は容易に覆す。

 

 聖剣に打ち据えられ、頭部が僅かに欠ける巨人。

 巨体が激突に押し切られた勢いのままに叩き付けられ、地面へ沈みこんだ。

 

 弾き返された美遊が魔力を放出し、空中で姿勢を立て直す。

 そのまま着地し、踵で道路を大きく削る。

 減速しながら聖剣を構え直す彼女が、想像以下の戦果に眉を顰めた。

 

「硬い……!」

 

「確かに、いやに硬いな。

 この街に彷徨うだけの舞台装置が、ここまで強いはずがないと思ったが……」

 

 聖剣で打ち据えられ、僅かに欠ける程度。

 如何に文豪、シェイクスピアの作品とはいえだ。

 そんな幻獣染みた硬度を持っているものが出てくるはずがない。

 

 ましていま目の前にいるのは狂気の老王、リア王だ。

 戦闘力について何らかのブーストがあるとも考え難い。

 

 であるならば、と。

 

 プロフェッサーがぱちん、と指を鳴らした。

 それで視線を集めながら、彼はそのまま推論を語り出す。

 

「恐らくは()()()()()()()()()()()()のだろう。

 Mr.シェイクスピアの作劇により、この街は物語性に侵食されている。

 幻霊を確立しやすいように整えられているのだ。

 だからこそ、この特異点では()()がとても大きな意味を持つ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という事実が護りになるほどに」

 

『……リア王の死は、道化と共に放浪している時ではない。

 その後に訪れる悲劇の末の話だから、いまは倒せない……という事ですか?』

 

 マシュが立ち上がるリア王を見ながらそう呟く。

 起き上がった際の衝撃で、肩の道化が大きく揺れた。

 

『―――つまり、リア王の堅牢さはある種の伝承防御に近い状態……!

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 ルールを満たさなければ倒せない、特殊な護りが働いているわけか……!』

 

「まァ、今のところはそこまで完璧な防壁ではないだろう。

 力押しで崩せない事はない、というレベルに納まっているはずだ。

 この特異点の成長が行きつくところまで行けば、どうなるか分からんが」

 

 がん、と。プロフェッサーが棺桶を叩く。

 叩かれた棺桶が開き、頭を出すのは機銃の銃口。

 

 流れるように機銃が火を噴き、吐き出される弾丸の雨がリア王の頭部を襲った。

 だが全弾を確かに浴びながら、大した損傷は発生しない。

 ほんの少しずつ削られているように見える。

 が、これではいつまで経っても終わらないだろう。

 

「……けどあの防御力を力押しで吹き飛ばすなんて、そんなことをしたら」

 

 ツクヨミがファイズフォンXを引っ提げながら、美遊を見る。

 彼女の手にしている聖剣を解放すれば、恐らくは問題なく決着するだろう。

 だがこんな市街地で放てるものではない。

 

 ごく短距離で相殺が見込める状況ならともかく、ここで使えば聖剣の威光は一直線。

 街を一閃し、火の海に変えることだろう。

 

「あるいは。話に沿わせる、というかたちで考えるならば、だ。

 肩にある道化の人形の方を壊せば、狂化が進行して防御力が下がるかもしれんネ」

 

 いつでも機関銃をそちらに向ける事はできる、と。

 プロフェッサーが確認の意味を込め、立香に視線を向けた。

 

 リア王に連れ添う道化を排除する。

 確かにそれは物語をラストに向かって一歩進めると言えるかもしれない。

 だがそれで倒せるようになるかどうかは不明だ。

 狂気だけ進み、状況が悪くなるだけの可能性もある。

 

「―――もしくは、上に吹き飛ばす?」

 

 ジオウが新たなウォッチを取り出しながら、立香を見る。

 現状でも倒せないわけではない。ただ、被害を出しかねないだけ。

 ならばリア王を被害を出さない場所まで放り、吹き飛ばせばいい。

 そんな考えを聞いて、彼女は小さく眉を上げた。

 

 問題は打ち上げて倒した場合、完全に居場所が割れる事だ。

 今の場所なら距離的に恐らく狙撃はないはずだが―――

 それは相手のアーチャーが本拠地から動いていない場合、だ。

 

「……そっちで行こう。イリヤ、カードは使える?」

 

「はい!」

 

 数秒とかけずに悩みを打ち切り、彼女は己の相方に問いかけた。

 散発的に光弾をリア王に向けながら、イリヤが立香の言葉に強く頷く。

 

「美遊はビルの屋上で待機をお願い!」

 

 リア王が振り下ろす拳に刃を合わせ、そのまま受け流す。

 アスファルトを捲り上げる破砕槌の如き拳をいなしながら、彼女もまた頷く。

 この巨体を打ち上げる事が叶ったなら、最後の一撃を任されるのは彼女だ。

 

 更なる追撃を逸らし、美遊が離脱を行う。

 背を向けた少女を執拗なまでに追撃しようとするリア王。

 その巨体の足元に着弾するロケット弾が、辺りを白煙に包み込んだ。

 

「ふむ、ではどう詰めるつもりかな?」

 

「クロが崩して、ソウゴが打ち上げて、イリヤが引っ張って、美遊が吹き飛ばす。

 これでいけると思う」

 

 周囲を満たす白煙に苛立つように腕を振り回すリア王。

 主人の肩で跳ね回る人形。

 そんな相手から姿を隠しつつ、立香がプロフェッサーに問われ流れを通達。

 

 彼女の言葉に一度頷いたイリヤが、あれ、と首を傾げた。

 

「え、引っ張る?」

 

「なるほど、確かにエクスカリバーがあれば砲撃はいらないでしょうねー」

 

 てっきり自分の仕事はキャスターでの砲撃かと思っていた少女。

 それが引っ張ると言われて、何をかと考え、ふと気付く。

 

「持ち上がる、のかなぁ?」

 

 人型の岩の塊に見える巨人。

 その重量を考えると、流石に投げ飛ばす、というのは余りにも。

 そうして及び腰の彼女に対し、ジオウがウォッチを起動しながら言う。

 

「俺が打ち上げるのに合わせて全力でやれば、結構飛ばせると思う」

 

〈ジオウⅡ!〉

 

 起動したウォッチを二つに割り、彼は己の持つ最高最善の力を発揮する準備を整える。

 一度はそれと相対して競い合ったとも言えるクロエ。

 彼女が肩を竦めて、目的に向かう体勢に入った。

 

「聖剣の効果範囲を考えると、できれば真上に近い角度で撃ちたいものね。

 ―――じゃあ、さっさと始めちゃうわよ!」

 

 イリヤの逡巡を気にせず、真っ先にクロエが疾走を開始した。

 動き始めるのであれば、もうストップは出来ない。

 タイミングを合わせ、リア王を打ち上げねばならないのだから。

 

「もう……! ルビー!」

 

「はいはーい!」

 

 イリヤが空を翔ける。

 目指すのは、今まさに美遊が駆け上がっていく最中のビル。

 美遊はそのまま屋上に向かうが、彼女は壁面の張り付くような位置で停止だ。

 射程距離を考えると、その位置が最善だろう。

 

 ―――白煙の中で暴れるリア王の前で、赤い外套が躍る。

 

 即座にそれに狙いを定め、拳を振り上げる巨体。

 腕を振り上げ、拳を握って、全力を尽くして突き出す。

 重いながらも故に力強い。

 その拳の動きに合わせ、少女がうっすらと微笑んで。

 

 空気を叩く、全力の拳撃。

 その拳をぶつける対象として狙い澄ました少女。

 彼女の姿が拳を振り込んだ瞬間に消失する。

 

 直後。

 リア王が道化を乗せたのとは反対の肩を、黒いブーツが踏み締める。

 

「お生憎様、あなたの放浪はここで幕引き。

 ま、最期まで演じさせてあげるのが幸せかどうかは判断の分かれるところでしょーけど!」

 

 少女が巨人の肩の上で腕を一振り。

 それに従うように無数の剣が現れて、真下に射出された。

 リア王の足元に突き刺さる無数の宝剣。

 確かに突き刺した剣に、設置完了、と軽く口端を上げるクロ。

 

「――――――ッ!!」

 

 狂気の咆哮とともにリア王が腕を肩に伸ばす。

 クロエを掴まえんと捻り上げられる上半身。

 そんな動作を見届けて、即座に飛び退いてみせるクロ。

 

 空中に身を投げた少女を追う巌の掌。

 今度は転移するまでもないと、彼女は声を張り上げた。

 

「イリヤ!!」

 

「―――夢幻召喚(インストール)……!」

 

 壁に張り付き、少女の手の中でカードが輝く。

 

 吹き荒れるのは毒々しさすら感じさせるバイオレットの輝き。

 ピンクを基調とした少女の衣装が、その輝きととも変化していく。

 

 変わる衣装は黒いボディコンミニドレス。

 蛇のように髪を靡かせる彼女の顔には、右目を隠す眼帯が装着される。

 手にした武装はルビーから鎖の伸びる杭のような短剣。

 

「ライダー!!」

 

 じゃらり、と。一度鎖を鳴らした彼女の手首が強く跳ねた。

 伸びきった短剣から垂らす鎖。それが大きく波打つと、リア王を縛り付ける。

 

 少女の体に宿る英霊―――反英霊こそ。

 やがて怪物に変生する運命を背負いし、ゴルゴン三姉妹の末妹。

 メドゥーサの怪力を発揮したイリヤが、蛇のように壁に張り付いたまま踏み止まり。

 その細腕で、一気呵成に鎖を引き絞った。

 

 自分の腕を振り上げた勢いに合わせ、更に尋常ならざる膂力に引っ張られる。

 その力を殺し切れず、大きく揺れる巨体。

 

「では、レディ。私と一緒に崩そうか?」

 

「―――別にいらないけど」

 

 微笑むプロフェッサーにゴン、と叩かれた棺桶。

 そこから現れる砲口から放たれるロケット弾。

 

 飛んでいく弾頭を見て、溜息交じりに目を細めて。

 空中で体勢を立て直しつつクロエは、それの着弾に合わせて指を弾いた。

 

 ――――爆発。

 直撃したロケット弾のみならず、リア王の足元に刺さった無数の宝剣。

 それらが一気に爆炎を撒き散らし、巨人の体をおおいに揺らして。

 

「じゃあ、せーの、で」

 

〈仮面ライダー!〉〈ライダー!〉

 

 そんな爆炎の中を悠然を歩いて抜けて。

 黒と銀の装甲が、双つ重なる大時計を背負いながら、リア王の足元に現れる。

 

 そのまま引っ繰り返ろうとしている岩の巨人。

 そんな相手の真下に立ち、彼は右手の拳を強く握った。

 途端に拳を覆うように渦巻くエネルギー。

 

〈ジオウ!〉〈ジオウ!〉

 

 大時計が解けていく。代わりに織り成される“ライダー”の文字。

 炎と煙を引き裂いて、“ライダー”の文字が飛び出してくる。

 飛行するそれが勢いよく彼の頭部に嵌り込めば、その力は更に高まっていく。

 

 全身に力を漲らせ、張り巡らせるのは特殊フィールド。

 彼の能力を確固たるものにする力の発露、マゼンタリーマジェスティ。

 

〈〈ジオウⅡ!!〉〉

 

 姿を完全に現したジオウⅡ。

 その頭上に倒れてくる巨人。

 頭の上に現れた巨人の天上をゆるりと見上げ、彼は腰を僅かに下げた。

 

 視覚化するほど高まり、極彩色に輝くマゼンタリーマジェスティ。

 そんなものを纏った拳を振り上げるために、ジオウⅡが強く大きく踏み込んだ。

 

「せえっ!」

 

「のっ!!」

 

 下から打ち上げるジオウⅡ。上から引き上げるイリヤスフィール。

 揃って二人で声を合わせて。

 

 振り上げられるアッパーカット。

 倒れてくる巨人の胴体に叩き付けられる拳撃。

 

 全力で真上に吹き飛ばすために放たれたそれと、同時に。

 少女の腕が、全力で短剣と繋がる鎖を引き上げる。

 

 リア王の巨体が重力に逆らい、空に舞う。

 それを打ち上げるのは、堅牢な胴体を罅割れさせるほどの一撃。

 同時に引き上げるのは、怪力無双を誇る反英霊の膂力。

 

 完全に同期した、リア王を上空に運ぶために行われる行動。

 

 二人のライダーに射出された超級の岩の塊は、はたして。

 ―――確かに、新宿の空に飛んでいた。

 

 轟音と共に打ち上げられた巌の巨人。

 投げる瞬間に鎖が解かれ、彼が自由を取り戻し、しかし。

 彼は空中で動けるような存在ではない。

 

 そんな王の肩の上で、けたけたと道化の人形が大きく揺れた。

 

 そうして新宿の街の灯りが一望できるほどの高さを得て。

 彼は地上に。その中にあるビルの一つに。ビルの屋上に立つ一人の少女の手に。

 ―――かつての王の、輝かしき最強の幻想を見た。

 

「この高さなら……」

 

 溢れ出す蒼銀の魔力放出。

 それを塗り潰すほどに立ち昇る、黄金の魔力。

 聖剣となったサファイアを握り締め、美遊はその光を振り被る。

 

 リア王の巨体は既に空高くにある。

 この位置取りならば、確保できる射角は60°程度。

 これならば、

 

「地上を焼き払う憂いもない――――!」

 

 聖なる剣を纏う、黄金の輝きを振りかざす。

 悪性に鎖された新宿の夜の街。

 そんな地上で、星の光が瞬いた。

 

「“約束された(エクス)――――勝利の剣(カリバー)”ァアアア―――――ッ!!」

 

 少女が一閃するのは星の聖剣。

 その軌跡から放たれる斬撃が曳く、黄金の極光。

 迸る光は大地から天空へと墜ちていく流れ星が如く。

 夜空を両断する、天へと昇る柱となった。

 

 ―――その軌道上にいたリア王には、それを耐える術などなく。

 道化師と纏めて、狂乱の王は光の中に消え失せた。

 

 

 

 

 ガサリ、と。ハンバーガーの包み紙を握り潰す。

 いま正に空を裂いた極光。

 あまりにも身に覚えがあるそれに、彼女は少しばかり目を細めた。

 

「……ふむ、誰が揮っているのか知らんが」

 

 まあ、()()ではあるまい。

 いまの一撃が担い手によるものかどうかくらいは、遠目でも十分に分かる。

 

 まして、今の新宿では属性(アライメント)が善よりのものは呼ばれない。

 仮に呼ばれても、その時点で属性が反転したものになる。

 であるからこそ、通常のアーサー王がいるはずがないのだ。

 

 ただまあそこはどうでもいい。あれを放ったのが誰でも関係はない。

 重要なのは一つ。星の聖剣は揮う者の魔力に染まる、ということ。

 揮う者が悪性に染まれば、聖剣もまた黒く染まるのだ。本来の担い手でなければ、どのような悪人であろうと、聖剣を黒く染めるまではいかないだろうが。

 

 いま空を切り裂いたのは、正しく黄金の光。

 その事実だけで、聖剣を揮った者が善なる者だと確信できる。

 

 あそこには善なる者がいる。

 この新宿特異点に召喚された場合、サーヴァントは例外なく悪性に染まる。

 ―――で、あるならば。

 

 あれは、此処に呼ばれるサーヴァントとはまったく別の勢力。

 恐らくはカルデアだろう。

 状況が動く。それだけは確実なのだから、喜ばしいことには違いない。

 

 とりあえず、確かめに行かなければならない。

 距離もそう離れていない。

 キュイラッシェ・オルタならば数分以内にあそこまで―――

 

「………………」

 

 と、考えていた彼女が静止する。

 くるりと振り返り、視線を向けるのは己の相棒。

 この現界で得た愛機(バイク)、キュイラッシェ・オルタ。

 

 鈍色の装甲を纏ったマシンには、荷物が積まれていた。

 それはもう強引に紐で縛り付けただけのものだ。

 荒らされ放題の街から探し出し確保した、大量のドッグフード。

 

 こんなものを縛ったまま戦闘などしたら―――

 もちろん、彼女にとってこの程度の物品は何ら重荷ではない。

 だが彼女の戦闘やキュイラッシェ・オルタの全速に、これはついてこれまい。

 エンジンをぶっ飛ばした瞬間に袋が千切れ、無惨な事になるのは想像に難くない。

 

 十秒間、たっぷり逡巡。

 

「……一度、ねぐらに帰るか」

 

 仕方なし、彼女は先に自分の拠点へと一度帰る事にした。

 安全運転で。

 

 

 




 
 言うほどすぐ死ななかった。さスプリガン。
 この特異点では、どんなに追い詰められても水場に落ちてしまえば戦闘中断で、絶対に死なないというお話。さす神田川。
 


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語る男たち1846

 

 

 

「おい、それでいつまで下水道にこもるつもりだ?

 こんな場所ではおちおち執筆にも励めん。環境が悪い。やる気も出ない。

 最悪暗さと湿気は我慢するとして、机を寄越せ机を。

 俺はこの鬱屈とした状況に対する恨み節を、一体どこへぶつければいい?

 決まっている、ペンとインクと紙だ。さっさと外から拾ってこい」

 

 場所が悪いと言いつつ、低い声の少年は愉しげだ。

 黒衣の男はそんな言葉を向けられ、帽子を深く被り直す。

 

「別に出るなとは言っていないがな」

 

「馬鹿め、こんな状況になっている街で俺がうろついてみろ。

 瞬く間に死んでいるだろうさ!」

 

 そう言って笑い飛ばす青髪の少年。

 彼はサーヴァントであるが、戦闘力はそこらの魔術師と大差はない。

 今の新宿に蔓延る悪人が相手では、正面から殴り倒されるのがオチだ。

 

 シェイクスピアの創作が原因なのか。

 今のこの街に生きる者は、例外なく神秘を帯びている。

 一般人、ただのチンピラさえほとんど魔獣のようなものだ。

 そんな相手に対し、少年では大したことはできない。

 

「……生憎だが、まだ動けん。まだ相手の目的が見えん。

 俺が姿を捉えられていいかどうか。それがまだ分からん」

 

 そう言った男が、少年に視線を向ける。

 

「お前には分かるか、ハンス・クリスチャン・アンデルセン」

 

「――――」

 

 呆れた顔を浮かべる少年、キャスター・アンデルセン。

 恐らく自分はシェイクスピアに対するカウンターだろう、と。

 そう認識しているが、彼にも分からない話だ。

 

 情報が足りないし、何より彼は人から情報を読み解く者。

 誰とも顔を合わせていない状況で、探偵の真似事などできるはずもない。

 

「……まあ、そうだな。しいて言うなら、不自然極まりない状況。

 これが目的と関わりないはずがない、はずだが……」

 

「やはりシェイクスピアの運用はおかしいか」

 

「当たり前だ。善悪で括って語るのは業腹だが、今回はそういうものだ。

 ()()()()()。だというのに、何故こんな世界を作る?」

 

 “物語”が大きな意味を持つ世界。

 シェイクスピアの記したストーリーに従い、跋扈する登場人物。

 それがただの足止めのクリーチャーとしてばら撒いているだけならばいい。

 だが、あれらは全てこの特異点の付属物。

 リア王のような連中はオマケ。本命は、物語と強く結びつくこの()()()だ。

 だがそれでは、

 

「悪党は最後に負けるもの。それをあのアーチャーが理解していないはずがない。

 奴が、“悪が勝利し、栄える物語”の登場人物だったならそれもありだ。

 だが言うまでもなく、あれの結末はヒーローと競い合い滝壺に真っ逆さま。そこがゴールだ」

 

 物語に従うなら、あの黒幕は最終的に敗北する。

 そうなる世界観を自分で整えさせている、ということになるわけだ。

 わざわざこれだけ手をかけて、自分が負ける舞台を整える。

 そう考えれば、狂気の沙汰だ。

 

 男が顎に手をあて、悩み込む。

 

「―――逆に。その後を補完するつもり、という可能性は?」

 

「B級映画の発想だな。まあ肝心のシャーロック・ホームズの方は復活したが。

 あの最悪の悪党は滝壺に落ち、死亡した―――かに思われていた。しかし実は生きていた! いま蘇る復讐鬼! 危うし、シャーロック・ホームズ! タイトルにはリターンズとでもつけるか?」

 

 笑うアンデルセン。

 そんな彼がひとしきり笑った後、片目を瞑って吐き捨てた。

 

「本人がシェイクスピアに書かせる()()というわけだ。

 ある意味では真っ当だな。神話が時代ごとに編纂され規模を増していったように、現代の物語はそうして膨れ上がっていくわけだ」

 

「不満か」

 

「別に? だが続編を望まれる側としては、言いたい事くらいあるさ。お前だって見たくはないだろう? 愛を取り戻した男が再び愛した(エデ)を奪われ、また復讐鬼に堕ちる、などという分かり易くキャッチーな巌窟王Ⅱ(ぞくへん)なんぞ」

 

 からかうようにそう言うアンデルセン。

 それに対して肩を竦めて返し、彼は黒衣を軽く揺らした。

 そうして、ふと。

 

「……あのアーチャーだけではなく、アサシンもそうか」

 

「ほう、アサシンの真名も割れていたのか。で、何者だ」

 

 彼は闇に潜みながら、この新宿の動向を見ていた。

 

 聖杯戦争に集った七騎。

 その中からセイバーとランサーが破棄され、幻影魔人同盟が立ち上がり。

 そうしてその時点で、彼らカウンター・サーヴァントが呼び出された。

 

 今もバイクで地上を駆けるセイバー。

 歌舞伎町周辺で戦闘しているアヴェンジャー、ジャンヌ・オルタ。

 呼び出されたから何なんだ、と崩れた本屋で読書をしていたキャスター、アンデルセン。

 この異常に恐らくカルデアが動くだろう、と情報収集に回ったアサシン、ハサン。

 そして彼、もう一人のアヴェンジャー。

 

 イレギュラークラスの被りだが、それで五騎。

 黒幕が確保した聖杯が従える五騎。

 狙撃手のアーチャー、ライダー、アサシン、シェイクスピア、バーサーカー。

 そのサーヴァントたちに対するカウンター。

 

「別に俺が暴いたわけではない、あれを暴いたのはハサン・サッバーハ。

 奴を仕留める前に、聖杯側のアサシンが自分で名乗っていた」

 

「うん? なんだ、見過ごしたのか」

 

「……ああ。奴の能力を見て、俺が奴の前に出るわけにはいかなくなった。

 確実に撃破できるならともかく、な」

 

 口惜しそうにそう言葉にする彼を見て、アンデルセンが目を細める。

 アサシンで直接戦闘力がアヴェンジャーに匹敵する、と。

 それも状況から言って、ハサンと二対一に持ち込んでなお仕留めきれないと断定したのだ。

 

「で? そのアサシンの正体は」

 

()()()、だ」

 

 その宿星を聞いて、アンデルセンが顔を顰める。

 なるほど、確かに技巧に優れた拳法家なのだろうとも。

 だが、それを理由にこの男が退いた?

 それがあまりにも納得に足りず、眉を大きく吊り上げて。

 

 ふと、何かに気付いたように。

 アンデルセンが男を―――巌窟王、エドモン・ダンテスを見据える。

 

「ああ、そうか。この特異点でお前は、復讐者(アヴェンジャー)として自由に動くことはできないわけか。なるほどなるほど、それはそうなるだろうさ。

 何故って? 決まっている、お前は()()()()()()()()()だからだ。“物語”の縛りはここで活動する全ての存在に及ぶ。復讐の化身、恩讐の徒、巌窟王(モンテ・クリスト)。お前は確かに復讐を遂げることもなく、愛に救われることもない永劫の復讐者。

 ―――だが貴様、今回は完全に不調だったんだろう。お前自身分かっていなかったその原因が分かったのはついさっき。カルデアのマスターがレイシフトしてきた瞬間だ。その瞬間、霊格がガタ落ちしたんだろう? どうして? 勝利の女神が降臨したからだとも! 勝利と達成感を永遠に得られないからこその復讐者(アヴェンジャー)。そうであった筈の貴様が、勝利を得たという事実。それを成し遂げるに至った共犯者の存在が、お前という永劫の復讐者を孤高の座から引きずり下ろした!」

 

「…………………………」

 

 とても楽しそうに笑うアンデルセンに、巌窟王が溜め息を落とす。

 絡むのが死ぬほど面倒だ、と。

 

 確かにそういうことだろう。彼に勝利はなく、報いもない。

 それが復讐者(アヴェンジャー)巌窟王(モンテ・クリスト)

 だがそんな彼には、勝敗を託した共犯者がいる。

 彼女たちの戦いの果て、確かに彼は得られるはずもなかった“勝利”を手にした。

 

 勝利してしまったら。愛に救われてしまったら。

 それは巌窟王に非ず。

 人の愛に報われ復讐を捨てた一人の男、エドモン・ダンテスに変わる。

 

 ―――無論、本当に彼がそんなものに変わるはずもない。

 だがこの特異点の中では、彼は“勝利”を得た時点で結末を迎えてしまう。

 恩讐を置き去りに、愛を与えた女と共に、船で新たな門出を迎えてしまう。

 

 彼は即興詩人の言葉を聞き流して、そのまま次の話を投げ込む。

 

「……だろうな。俺の召喚も予測されていた、その上で完全に潰された。

 一枠無駄に消費させられた、と言ってもいい」

 

「その上でやはり妙だな。つまり勝利者に対する対策も万全というわけだ。

 “物語”で勝利を収めているお前は完封された。

 対してアサシンはやはり敗者だ。騙された主を止められず、失意と共に姿を消している」

 

 高らかなほどの笑いをさっさと引っ込め、アンデルセンが肩を竦める。

 そんな彼が言及するのは、アサシンの末路。

 

 だからこそ、“続編”を作れなくはない。

 『数年後、彼は帰ってきた』

 そのフレーズだけで、アサシンは再び物語を始められる。

 そう語るアンデルセンの視線を受け、エドモンが目を細めた。

 

「……俺が対策されていた、という事実はいい。だが誰が、という話だ。

 ―――俺がこの状況で積極的にカルデアの防壁になりにくる、など。

 それを理解できている存在が一体どれほど存在する」

 

「今どれほどいるか知らなくとも、少なくとも72柱いたという事実はあるわけだ」

 

「―――――やはり、そうなるか」

 

 アンデルセンの言葉を聞き、エドモンが僅かに顔を伏せた。

 恐らくそれしかない、とは思っていたが。

 自身とアンデルセンで同じ結論に辿り着くなら、もはや疑う余地はない。

 

「で、あるならば―――これは()()()()()()()()と見える」

 

 微かに苛立ちを混ぜ、一つ舌打ちする巌窟王。

 

 監獄塔シャトー・ディフ。

 魔術王ゲーティアが藤丸立香を捕らえた呪い。

 この世の地獄と悪性を詰め込んだ、巌窟王の古巣の模倣。

 

「というと?」

 

「前回、奴らは監獄塔に人の悪性だけを煮詰めた。

 その上で藤丸立香をそこに閉じ込め、消し去ろうとしていたが……」

 

 どれだけ悪ばかりに見えても、確かにここには善良なものもある。

 特別な何かを仕込んだわけではない。

 ただごく当たり前の人の世を舞台に、世紀の大悪党が尋常ならざる悪事を企んでいる。

 本当にそれだけで―――ここは、その結果だ。

 善良なものを邪悪なものが踏み躙る、当たり前の結果として発生した場所。

 

「ほう、悪性だけ。だが、今こうしているという事は確かに理解したわけだ。そんな紛い物では何の意味もない。呪詛にするには脆すぎる。人の世界は悪だけで成り立っているわけではない。小さくとも、弱くとも、善なるものは確かにそこにある。そしてその小さな善性こそ、世界を満たして見える悪性さえも乗り越えていく人の力なのだ、と。

 そんなものは無価値だ、何も変わらない、変えられないと。そう逃避するのは止めた。我らは貴様たちが示した光から目を逸らすのは止めたぞ―――という宣戦布告も同然だな」

 

「宣戦布告、か。つまり、これは―――信じているわけだな。

 ()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()、と。

 ここは確かに人の世のカリカチュア。あるのは当たり前の悪性と、当たり前の善性。

 そして善人を食い物にしようとする悪人がいるだけの場所だ」

 

 だからこそ少年少女は突き進むだろう。

 行き過ぎた悪事を打ち砕くため、当たり前のように。

 悪人を挫くために、当たり前の善良さでもって。

 

 そんな未来予想図が容易に浮かび、巌窟王が顔を顰める。

 

 問題は、そこから先だ。

 これだけの前提条件を理解した上で、この特異点の方針。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 ごくごく当たり前に訪れるだろう物語の結末。

 このままではそうなるのは明らかなのに、一体何故この方針を選んだのか。

 

「―――……先程話した、黒幕が今度こそ勝利できるシェイクスピアによる“続編”。

 これが相手の計画、だという可能性はどれほどだと思う」

 

「イマイチだな。だが全く可能性がない、というわけではない。

 うまいこと当て込めば、あらゆる事象を強制できる―――かもしれない。

 それなら……いや、だが」

 

 逆転、に届くかというと。

 仮にそうなったところで、流れは変わらないのだろう。

 結局のところ、彼の終着点は敗北だ。

 

 蘇った魔人は復讐のため、探偵の周囲で暗躍する。

 死んだ筈の仇敵の気配を察知し、渦巻く恐怖と疑念。

 物語の佳境、遂に顔を合わせる好敵手。

 今度こそ、彼らの最期の戦いが開幕する―――!

 

 と、言った流れになるだろう。

 主役(あいて)主役(あいて)だ、そこは引っ繰り返せない。

 だから流れは変わらない。

 

 今度こそ完全に敗北して、死に絶える悪の首魁。

 そこに一つの決着を見て、名探偵は新たな謎へと挑み続けるのであった、と。

 

「順当に滅ぶべきものが滅び、残るべきものが残る舞台を整えて。

 その上で()()()()()()()()()を作る。なるほど、それができれば勝てるだろう。

 だが無理だ。勝利を引き寄せることはできても、それでは敗北を引っ繰り返せない。

 運命を従えるには限度がある。シェイクスピアであっても限界がある。

 単純にそれより強い()()が奴らの運命を縛っているのだから」

 

 僅かに顔を顰めてそう口にするアンデルセン。

 

 ―――そうとも。

 そう簡単に引っ繰り返せるならば、それこそ巌窟王が縛られる筈がない。

 時間に、空間に、監獄に、一切縛られないからこその巌窟王。

 だというのに、彼はこの特異点の状況から確かに干渉を受けている。

 状況が整えば、絶対に勝利すべきものと敗北すべきものは引っ繰り返らない。

 

 

 

 

 黒炎が奔る。

 アスファルトを溶かし、一直線を描く炎の軌跡。

 それを飛び越えた黒衣が、外灯の上へと軽やかに降り立つ。

 

 そうして。

 髑髏の面は、炎上する灰色の旗を見下ろした。

 

「―――さて。これは一体どういう了見でしょうか」

 

「なに、いちいち説明しろっての?」

 

 灼けたアスファルトを踏み躙り、舌打ちする黒い聖女。

 

 彼女を見ていたアサシンは小さく喉を鳴らし。

 ―――次の瞬間には、まるで別の姿へと変わっていた。

 

 現れるのは、闇に潜む黒衣の髑髏面とは似ても似つかない男。

 派手な刺青を刻んだ上半身を、惜しげもなく晒した美丈夫。

 

「いやぁまったく、説明されないでも分かるとも。

 そりゃあんな光の柱が立てば分かるだろう。カルデアがいるのはあそこ。

 なのにこんなとこに連れてきたってことは、そりゃ罠でしょってね」

 

 男は彼方に視線を馳せて、仕方なさそうに微笑んだ。

 

「応とも。ハサン・サッバーハは俺が討ち取った。

 誇り高き暗殺者だったとも。

 前に出て武を競うものではなかろうに、武侠である俺と対等に張り合った。

 全てはいずれ此処に来たるだろう、カルデアにいる主のためか。

 暗殺者であり武人でないものの武を讃えるのは、礼を失するかもしれないが。

 奴は真に忠義に篤い、一角の戦士であった」

 

「―――へえ、そいつの姿を利用して私を罠にかけようとした割りに?

 随分と饒舌に敵のことを褒めるじゃない」

 

 オルタが目を細め、アサシン―――先程まで確かに、ハサンだったものを睨む。

 

「……ま、そりゃあな。命を懸けて主人を守ろうとしたのだ。そんな流儀を持ち合わせていない無頼漢であろうとも、その在り様には敬意を抱くとも。

 その姿をこうして利用し、罠に使ってる男の言う事じゃあないけどな」

 

 苦笑しながらそう言って、彼は軽く自分の髪を掻き乱す。

 剣と旗を構え、オルタが踵で地面を削る。

 アサシンと一騎打ちならまだ望むところであるが、歌舞伎町にはバーサーカーもいる。

 というか、その挟撃がアサシンの目的だったのだろう。

 

「―――んで、今度はあんたを討ち取って。そんで次はあんたの皮を被ってカルデアに合流して、不意をついてマスターの一人でも首を取れれば大金星。立身出世も思いのまま、ってね」

 

 やらねーけど、と。心中で吐きながら、アサシンが笑う。

 彼の仕事はジャンヌ・オルタとバーサーカーを会わせること。

 倒しても逃がしても任務失敗だ。

 

 カルデアのいる方向がバレた、ということは。

 彼女がそちらに向かい、積極的に逃走する理由が生まれたわけだ。

 そうされては不味いので、どうにかここで開戦しなくてはいけない。

 その上でバーサーカーの位置まで押し込む必要がある。

 

 オルタの心情は今のところ撤退寄りだろう。

 歌舞伎町にはコロラトゥーラが馬鹿みたいにいるし、当然バーサーカーもいる。

 彼女がここで特攻を選ぶ理由が一切ない。

 

(あー、えー、バーサーカーがあっちで、クリスティーヌも一緒にいるはずで。そんでロミオとジュリエットも近くにいたか。リア王は……歌舞伎町だと邪魔になるから置いてなかったっけ?

 つーか、こういう追い込みってアーチャーの仕事なんじゃないか?)

 

 彼は拳士。出来るのは接近戦だけ。

 今さっき空を割ったビームとか、さっきから目の前のが出してる炎とか。

 そういうのを相手取るには向いていない。

 倒せないなどとは言うはずもないが、ちまちま戦って誘導するのは少し厳しい。

 

 至近距離に持ち込めばまず勝てると確信している。

 が、一発逆転できるだけの火力をあの爆弾女は持っているだろう。

 一発逆転を許さず。誘導しようとしてることを察知させず。

 その上で目的を果たせるか、というと……ちょっと無理めだ。

 

「皮を被る、ね」

 

 オルタが剣の切っ先を揺らしながら、僅かに目を細める。

 アサシンの能力を見定めんと、少しの情報も聞き逃さないという意志。

 それを見て、彼が小さく口端を上げる。

 

「―――応ともさ。俺は幻霊“ドッペルゲンガー”を宿した男。

 ご存知の通り、霊基すら誤魔化す変身の達人さ」

 

 だから、情報を撒くことにした。

 彼女には情報は足りない。カルデアにも多分、足りてない。

 そうなればジャンヌ・オルタは、可能な限り情報を拾おうとする。

 これは、オルタがアサシンを一発逆転で殺せない理由になる。

 

 カルデアの連中のためになんだかんだでそうしてしまう善良さ。

 というか人の良さ? 的な、まあそういうのを利用するわけだ。

 

 嘘は吐かない。ドッペルゲンガーの力でなりきりはしているが、そういう嘘八百が得意な人間だと思ってはいないから。嘘を嘘と態度に出さない自信がないのだ。

 実際問題、状況的な判断以上にハサンの真似に綻びがあったから、彼女は迷いなく攻撃を実行してきたのだろうし。

 

「ドッペルゲンガーを宿した……?」

 

 オルタが眉を顰め、彼の言葉に反応を示す。

 

(で、どこまで話していいんだ? 俺が持ってる情報全部セーフ?

 教授が流しちゃダメな情報を俺に教えてるわけねーし、全部セーフでいいんだよな?)

 

 アサシンが身を翻し、街灯から道路に降り立つ。

 距離を離すように後ろに跳ぶオルタ。が、逃げる姿勢は見せない。

 撤退するにしても、アサシンから可能な限り情報を絞ってからだろう。

 ありがたい、と。彼は自信満々に笑顔を浮かべる。

 

「応さ、我ら幻影魔人同盟は英霊と幻霊、あるいは幻霊同士が混ざり合ったもの。

 俺がこの身に宿らせしは己が宿星と、幻霊“ドッペルゲンガー”。

 貴様たちを“バレル”に近づけさせぬため、拳を振るう闇の侠客である!」

 

「闇の侠客……!」

 

(“バレル”じゃなくてそっちに反応すんの?)

 

 闇の侠客という単語の響きに唇を噛み締める竜の魔女。

 そんな彼女に表情を崩すことなく、構えを取るアサシン。

 ひり付くような、張り詰めるような、そんな空気はほんの一瞬。

 

 直後、弾けるようにアサシンの体が舞った。

 一切の加減無し。

 さっきまでの思考は一体何だったのか、と言いたくなるような。

 心臓を撃ち抜かんと奔る、影を置き去りにする身のこなし。

 

 ―――()()()()

 それを理解した瞬間、オルタが狙いをつけず四方に黒炎を乱舞させた。

 

「おっと、踏み込みすぎた」

 

 即座に前進を取りやめて、その足の動きを鈍らせる。

 踏み込みよりは緩慢に、周囲の炎から逃れるようにアサシンが退く。

 影さえ捉えられぬ速度―――以上に、歩法。

 速すぎて目に映らない、というより目に映らないように疾るのが巧すぎる。

 

「ちぃ――――!」

 

 だから彼女は周囲一帯を燃やす以外に彼を退ける術がない。

 そうなれば必然、魔力消費のレースが始まる。

 技術でしかない歩法に、魔力を消費する炎熱以外で対処できない。

 

 そうなれば当然の結果、確定で負ける。

 ただでさえ聖杯の後押しがある黒幕側のアサシンと、野良である彼女。

 魔力保有量には絶対的な差があるのだ。

 

(だったらどうするって!? 逃げる? 冗談!

 アサシン(ハサン)が情報を持ち帰れなかった相手、私で追撃が振り切れるはずがない!)

 

(しくじったな。何で今の流れで必殺仕掛けにいくのかね。

 何でこうなっちまうのか、俺自身でも分からんのが手に負えん)

 

 軽く頭を振りながら、アサシンが表情を変えず舌打ちを噛み殺す。

 追い込みが仕事だ、と分かっているのに殺しにかかっていた。

 幻霊との融合措置の弊害だ。自分の意識がたまに飛ぶ。意識を失うわけではない。

 自分でも何でそんな事するか分からない、意図不明な思考で動いてしまうのだ。

 

 今のでこっちの迫真さは伝わったが、警戒レベルを跳ね上げては意味がない。

 

(相打ち狙いされるか? 情報ばら撒いて生還意識させねえと。

 俺の真名……は、俺とここで相打ちすりゃもういらねえ情報になる。価値無し)

 

(―――最悪、あいつが突っ込んできたタイミングで宝具、か。

 ええ、一方的に殺されてやるわけないでしょ。

 こっちが死ぬなら道連れ、辺り一帯ごと燃やし尽くしてやろうじゃない……!)

 

 間違いなく彼女は彼を道連れにできる。

 彼の拳が彼女に届いた瞬間、宝具で自爆すればいい。

 彼はそれを凌げるタイプのサーヴァントではないのだ。

 

 足は止まらず。アサシンが踏み切り、オルタに向けて跳ぶ。

 近づければ拳で打ち据えられる。

 たかが拳、確実に耐えきれる―――とは言えない。

 こういう武を重ねたタイプのサーヴァントの拳打は、注意を払うに値する。

 

 オルタは火力を落とさない。

 常に黒炎を纏い、周囲に発散し、アサシンの踏み込みを阻み続ける。

 

(どっかの化け物みたいに呪詛の炎を真正面から踏破はできないタイプ。

 つまり燃やせさえすれば、ほぼ確実にぶっ殺せる。

 こっちが息を切らせてみせて、炎の守備範囲に穴を開けて、そこへの踏み込みを誘導する。

 そのタイミングを計って宝具、なら。見えなくても関係ない……!)

 

(真名……俺とバーサーカーの真名に情報としての価値なし。

 同じくアーチャーの名前もバラしたって意味がない。

 となるとライダー、教授……丁度いいのはライダーか?)

 

 この新宿の世界観では、真名の価値は通常の聖杯戦争を凌駕する。

 それさえ把握できれば、攻略の難度がガタ落ちするほどに。

 だからこそ、ライダーだ。この新宿で誰もが知っている、最大最強の脅威。

 その真名が判明するチャンスがあれば、是非とも掴みたいだろう。

 

 オルタの頭上に生成される黒炎の槍。

 連続射出されるそれを潜り抜けながら、やはり笑みを崩さないアサシン。

 

 それに怒るように、オルタが更に火力を増加させた。

 マスターを持たないはぐれサーヴァントでは、魔力の補充だって容易ではない。

 そんな状況で後先考えない攻め。消費の増加は加速度的に。

 彼女が全力で戦闘できる時間が目減りしていく。

 

(ライダーの真名に繋がる情報を意気揚々と語り、近場のビルに蹴り込む。

 逃がさねえようにカルデアの連中方面に繋がる道に陣取る。

 そうすりゃ情報を持ち帰るために奴も一度潜むはず。そっからどうする?)

 

(……っ、鬱陶しい! 踏み込んできなさいよ!

 こっちを削ることに終始して時間切れ待ち!? 絶対に丸焼きにしてやる!)

 

 剣術に長けるわけではない。棒術を修めているわけではない。

 ジャンヌ・オルタの攻勢は技巧から程遠い。

 彼女の戦い方は、もっとシンプルでプリミティブなスタイルだ。

 元が元なのだから、それも仕方のないことではあるが。

 

 旗を大振りに。

 溢れる炎で接近してきた相手を退かせて、彼女は舌打ちする。

 炎の壁に大人しく退いた男が笑う。

 

「ははは! 怖い怖い、いやホント怖い。生憎、燃やされりゃ普通に死ぬんでな。

 ―――つっても、形振り構わないってわけじゃないんだな。アヴェンジャーなんて言うから、てっきり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「―――――」

 

 ライダー。国道を縄張りとして走破する、アナザーライダー。

 その情報の片鱗を耳にして、オルタが荒げた呼吸を整える。

 

「それこそアイツもアヴェンジャーとか、そういうのがあってそうだよなァ。

 なぁんで人間の街なんか縄張りにしてんだか。

 むしろアイツ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 馬鹿みたいに語る彼に、ジャンヌ・オルタが目を細め。

 荒い呼吸を何とか沈めながらも、しかし力の行使にはまだ乱れがあり。

 

 そうした瞬間、アサシンがその歩法を実行した。

 影さえも追えぬ神速の拳。

 潜り抜けるのは炎の結界の薄い、彼女の左側から。

 

(ここで自爆すんなよ! そのために情報渡してんだから!)

 

(宝具の火力じゃ死ぬのは私自身ごと……!

 ったく、こいつ諸共自爆して嗤ってやるのが一番気が晴れるってのに!

 マスター持ちのサーヴァントは辛いったら!)

 

 ―――爆音。

 意図的に薄くされた黒い炎の壁をアサシンの襲撃が突き破る。

 同時、そこに迸る彼女が通常に行使できる最大熱波。

 

 炎を突き破り、アサシンの蹴撃がオルタの胴体を蹴り抜いた。

 まったく同じタイミングで、逆流してくる黒炎に呑み込まれるアサシン。

 互いが互いの攻撃で吹き飛ばされ、距離が開く。

 

 吹き飛ばされたオルタが激突するのは、近くのビルの四階の窓。

 硝子を砕いて、建物の中に消えていく相手。

 全身を黒い炎に焼かれながらそれを見送るアサシンが、流石にそこで膝を落とす。

 全身を焼く呪詛に表情を歪めながら、まだまだ続く嫌な仕事に頬を引き攣らせた。

 

(こっからは―――仕方ねえ、やりたかないがバーサーカーに化けるか。俺自身はここで獲物を甚振り高笑い。奴が潜んだら、バーサーカーになってコロラトゥーラを動かし誘導。竜の魔女は雑魚を差し向ける馬鹿な指揮官の隙をついて逃げ出そうとして、目出度く本物のバーサーカーの劇場にご到着、っと。あー、バーサーカーにはなりたくなかったなぁ。俺、頭おかしくなるんじゃねえか。はは、そもそもとっくにイカれてるか! こうなったら折角だ、俺の情報も持ってけ!)

 

 黒炎を払いながら、彼は膝を落としたまま胸を張る。

 

「ハハハハハハ! どうしたどうした! そのまま逃げる気か!

 馬鹿め、この天罡星三十六星が第三十六席、天巧星を前に逃げられるとでも思ったか!

 逃げるというなら狩るだけだ、竜の魔女!」

 

 ()()()()()()()()()()()

 ドッペルゲンガーの力を発揮する瞬間、霊基が悲鳴を上げるように軋む。

 その嘔吐感にも似た感覚を飲み干して、彼は力を発揮する。

 

 幽鬼の如く立ち上がり、彼の姿は変貌を開始する。

 衣装は黒い燕尾服。指を鉤爪の如く尖らせて、仮面に顔を隠した異常者。

 己ならざる風貌と記憶に染まり、彼がゆるりと腕を掲げた。

 

 窓硝子を突き破ると同時、すぐさま体勢を立て直して。

 彼女はアサシンから逃げるように距離を取っていた。

 そのままビルの対面に向け走っていた彼女が、相手の声を聞いて眉を顰める。

 

(……頭がイカれてんのはそうでしょうけど、それにしたって小物臭い。

 さっきのハサンへの態度がたぶん素に近い、と思うけど。混ざりものだから精神が不安定ってわけ? 武侠ってのと、今の小物らしい態度が繋がらない。嘘くさい。わざとらしい。蛇女(きよひめ)がいれば一発で分かったんでしょうけど……いかにも情報全部持ってお逃げください、って配置が苛立たしい。罠? だとしても正面からじゃ競り負けるのよ。相打ちじゃ意味がない)

 

 正面きっての衝突では勝ち目が薄い。

 マスターがいればまだしも、はぐれのままでは魔力の限界が低すぎる。

 いまある魔力だけでは、軽く周辺一帯火の海に変えたら、そのまま消えてしまいかねない。

 そんな状態であのアサシンとはやりあえない。

 

「――――火の海、ね」

 

 ビルの中を疾走しながら、オルタが小さく呟いて。

 次の瞬間、そこに幾体かのコロラトゥーラが飛び込んできた。

 人型の白い躯体。バーサーカーのしもべにして、歌姫のための観客。

 

 彼女を追うようにやってくるそいつらを見て舌打ち一つ。

 一度足を止め、突っ込んでくる一体を蹴り飛ばす。

 それが窓硝子に突っ込み、地上へと真っ逆さまに落ちていく。

 

 オルタも即座にそれを追い、他の連中を躱して外へ。

 飛び降りると同時、彼女は黒炎の槍を蹴り落とした人形に叩き付ける。

 地面に叩き付けられ、更に炎の槍で炎上する白い躯体。

 

 彼女が着地するや、それを旗の穂先に引っかけ、近場にあったパーキングに全力で投げ込む。

 更に熱量をそこに追加。黒炎を浴びせかける。

 

 熱に覆われ、拉げ、溶け落ち―――爆発炎上を始める複数の自動車。

 燃料に引火し、空に向かって立ち上る炎の柱。

 それを見届けることはなく、オルタは疾走を再開していた。

 

「―――おお おお 我が劇場 我が舞台は 君のために

 クリスティーヌ クリスティーヌ

 陽の光届かぬ 鎖された空 この空の外には何もない この街の外には何もない

 君が逃れる場所はない 君が想いを馳せる地上はない もうどこにも

 この地こそ 我が愛が求めた場所 私と君の 我が愛の晴れ舞台……」

 

 そんな逃避行をビルの上で見下ろす怪人。

 その姿がブレて、再びアサシンの姿が戻ってくる。

 彼はそのまま自分の頭を抱え、その場に蹲った。

 

「……ああ、頭いッてェ……! クソ、これ以上は無理だ……!

 精神汚染と狂化って合わさるとこうなるのか……!?

 もうこれ、自分が何喋ってるかも分かんねえんだが……!」

 

 頭痛を堪えている彼が、窓辺に寄り掛かりオルタが向かった方向を睨む。

 

「つーか不味いな……不味いのか、これ?

 アイツがオペラ座に設定した歌舞伎町で、爆弾がところ構わず爆発してる、ってことだろ?

 なんか本来の物語でもオペラ座に爆弾仕掛けてたんじゃなかったか」

 

 爆弾ではないが、少なくとも爆発物だ。

 彼女は今もなお、そこらの建物や車に炎を撃ち込んでいた。

 立ち昇る炎の柱。舞い上がる黒煙。

 

 ジャンヌ・オルタの目的は恐らく、狼煙だろう。

 彼女がここにいる、とカルデアに示したのだ。

 大規模な戦闘が行われているならば、カルデアは間違いなく向かってくる。

 

 それはいいとして―――()()()()()()()()

 怪人、ファントム・ジ・オペラの領域だ。

 オペラ座の爆破は、果たされなかったオペラ座の怪人の最終手段。

 

 だとしたら、それはオペラ座の怪人の末路だ。

 オペラ座を破壊する爆弾。

 本来はその役目を果たす事のなかった、怪人の最後の足掻き。

 では、もしそれが実際に破壊をもたらしていたらどうなるか―――

 

 窓辺でずるずると壁にもたれ掛かり、アサシンが目を細めた。

 

「……オペラ座は壊れる。バーサーカーはクリスティーヌと無理心中?

 つまり致命傷だ。実際にはそうならなかったはずでも、今こうなってる以上意味は生まれる。

 ―――だとすれば、本人が怒り狂って止めにくるはず」

 

 カルデアを呼び込むための目印。

 それを作る代わりに、彼女はオペラ座に与えてはいけない損傷を与えてしまった。

 バーサーカー……ファントム・ジ・オペラはそれをけして許さない。

 

 彼女を追うアサシンと、彼女に立ちはだかろうとするファントム。

 これで挟み撃ち。竜の魔女とオペラ座の怪人の邂逅、目的達成だ。

 

「……カルデア到着まで幾らかかる? 発見、偵察、急行―――早けりゃ先行のサーヴァントが十数分、ってとこか? ならそこそこ余裕あり、だ。

 なんか予想した流れとは違ったが……とにかくこれでよし、だな」

 

 未だ悲鳴を上げる頭を軽く振って、アサシンが立ち上がる。

 彼は拉げた窓枠に手をかけると、そのまま軽やかに外へと飛び出していった。

 

 

 




 
 新素材用のフリクエは解放しといてくれないとスキル上げ出来ないんですけどー!
 


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絶望VS希望1431

 

 

 

「さっさと気付きなさいよね……!

 サーヴァント二人相手に挟まれたらどうしようもないんだから……!」

 

 実際のところ、気付いたって間に合うかどうかは怪しい。

 彼女の位置をカルデアに伝達する―――

 こうして街を爆発炎上させるという事は、相手にも自分の位置を教えているわけだ。

 どうせ隠れたって見つかるだろうから、こっちの方がマシだと判断したけれど。

 

 ここがどういう状況か、カルデアはそれを下調べしてから動くだろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という情報を前もって手に入れてなきゃ、爆発が起きたのを見て即断即決なんてできるはずもない。

 

 だからほとんど賭けだ。

 

 だってしょうがない。

 賭け以外にここを突破する手段がないんだから。

 

 アサシンにしてやられていた。

 相手のホームにまんまと誘導された時点で、とっくに負けていたのだ。

 だからと言って投げ出す気なんかありはしない。

 順当にやって負けが確定してるなら、有り金を全部賭場に投げ込んでやるだけだ。

 

 そうやって。

 放火魔か爆弾魔か、着火したダイナマイトと化したジャンヌ・オルタ。

 彼女は炎を撒き散らしながら街中を走り抜け―――

 

 目の前に、黒衣の怪人を見つけた。

 それこそは爆発を追ってオルタの目の前に辿り着いた追跡者。

 この歌舞伎町を支配する、最悪の演出家。

 

 即座にブレーキ。鉄靴がアスファルトを削り、跡を残す。

 流れるように背後に視線を送っても、アサシンはいない。

 あの素早さから考えれば、どう考えても彼女に追い付けないはずがない。

 

 こっちの逆襲がそれなりにダメージになった?

 戦闘不能は程遠いだろう。そもそも名乗り上げみたいな事までしていた。

 気配遮断なり霊体化なりで潜んでると考えるべきか。

 彼女がバーサーカーを相手取っている間に、不意打ちするつもりか。

 

「……上等じゃない。だったらさっさと目の前の奴を片付けるだけよ……!」

 

 黒衣が揺れる。

 罅割れた仮面に、そこから覗く醜悪な容貌。

 それが獲物を見つけたとばかりに、オルタへと憎悪を向ける。

 

「おお……おお……! おおおおお―――!

 燃える、燃えていく、私たちの劇場、私たちのオペラ座が……!

 許されぬ、許されぬ、失わぬ、そんな完結は認めない―――!」

 

 バーサーカー、オペラ座の怪人(ファントム・ジ・オペラ)

 彼が苦悩に喘ぐようにふらつきながら、しかしそう慟哭する。

 醜悪な顔に浮かぶのは絶望。仮面に浮かぶ表情は嚇怒。

 

 彼の後ろで、かたかたと音を立てながら控えているのは人型。

 金髪の、他のとは明らかに違う扱いの人形。

 それこそがバーサーカーが愛を向ける歌姫、クリスティーヌ・ダーエ。

 

生きたい(かえりたい)行きたい(かえりたい)往きたい(かえりたい)死にたい(かえりたい)逝きたい(かえりたい)―――」

 

 とうに心が壊れた歌姫の、永遠に終わらぬ断末魔。

 その声に轢き潰されるように、ファントムが身を捩る。

 

「もうない。もうないのだ、クリスティーヌ。

 君には私のオペラ座しかない。私には君の歌声しかない。地上は既に焼け落ちた。

 もう我らにはここしかない。私が奪った、私が壊した、私が君を殺した、私が私を殺した。

 歌え 唄え 謳え 君の歌声は私へ 我が喝采は君へ

 我こそは君の観客 我こそは君の舞台 我こそは君の憎悪 我こそは君の結末

 ああ 我が愛は 地獄の底 ああ 我が愛が 地獄の底

 “地獄にこそ響け我が愛の唄(クリスティーヌ・クリスティーヌ)”―――――!」

 

 街が、壊れていく。

 周囲の建物が全て、まるで音叉になったかのように震えた。

 悲鳴のような声が吐き出し始める、一帯にあるスピーカー。

 それに合わせ白い人形、コロラトゥーラが喝采と共に押し寄せてくる。

 

「……想像より遥かにぶっ壊れてたわね」

 

 もはや街自体が宝具化している。

 この街全てが、クリスティーヌが歌うための舞台。

 だからこそ彼の宝具は、もはやこの街だった。

 

 彼は本来、街全体を取り込めるような強力な英霊ではない。

 それが出来たのは、この特異点の状況自体に味方をされているからだろう。

 とはいえ、まさかこれほどとは思っていなかった。

 普通にやればまず負けない、コロラトゥーラによる数の暴力が問題の相手。

 そう思っていたのだが―――

 

 ここにアサシンも考慮すると、カルデア到着までの時間稼ぎは危うい。

 というかもう無理か。

 そう確信した彼女が大きく口端を吊り上げた。

 

「仕方ない、だったら確実に一騎減らす程度はしてあげるわ。

 いえ。潜んでるアサシンも纏めてここで二騎、燃やし尽くしてやろうじゃない!」

 

 そう言って揮う剣。その切っ先から奔る、黒い炎。

 滾る憎悪は燃え盛る火炎となり、ファントムに向けて解き放たれた。

 

 怪人の足は不動。

 ただ苦しむように自分の胸を掻き抱くような、そんな姿勢のまま。

 彼は棒立ちで寄せ来る黒い炎を浴びて、

 

 ―――火傷一つ負わず、何の影響も受けなかった。

 

「―――――」

 

 効かないなら効かないでしょうがない。

 だが、その理由が問題だ。

 例えば燃やされてもすぐ復活するとか。そもそも炎が効かない加護があるとか。

 あるいは強靭すぎて純粋に火力が足りていないだけ、とか。

 

 あれは明らかに、そのどれでもなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 なぜ? オペラ座の怪人とは、そんなクリーチャーだったか?

 

 コロラトゥーラが動き出す。数十、どころか目算でも百を超える。

 それだけではなく、まだどんどん流れ込んできている。

 人形如きに負ける気はないが、対処していたらあっさりと魔力が尽きるだろう。

 

 ……本気で、とっくに完全に追い詰められているのだ。

 当たり前だろう。

 相手は意図的にこの状況を作り、彼女を追い込んだのだから。

 反撃できる余地を残しておいてもらえるわけがない。

 

「―――だからっておめおめと何も出来ずに死んでたまるか!」

 

 敵は多い。

 どこかに潜むアサシン。

 馬鹿みたいな数のコロラトゥーラ。

 無敵と化した怪人、ファントム。

 それに守られたクリスティーヌ。

 

(狙うべきはクリスティーヌ?

 あれを壊せれば、バーサーカーが持ってる守りはどうにかなる?)

 

 微妙な線だ。

 雪崩れ込んでくるコロラトゥーラに対処しながら、彼女が眉を顰めた。

 

 どちらかというと、街を火の海にしたことにキレてた気がする。

 この街自体が彼のオペラ座として定義されているのならば、だ。

 もしかしたら、ここを灰燼に帰すれば倒せるだろうか。

 

 だがいくら何でも街一つ燃やすのはどうか。

 フランスで幾らでもやってきたが、流石に今やる気にはならない。

 そもそも彼女単独でそれができるほど火力、というより魔力がない。

 

 ―――ともかく。

 彼女が突破口にできる可能性があるとすれば、それはクリスティーヌだけ。

 だったら考えても無駄だ。

 最短最速であの金髪の人形を粉砕し、バーサーカー諸共葬り去ってやる。

 その気概で動くしかないだろう。

 

 コロラトゥーラの軍勢。複数の人形が一塊になった侵攻。

 それらの前に炎の槍を打ち込み、壁として。

 何十ものの人形がそれに引っかかる事で生まれる、数秒間の隙。

 

 瞬間、オルタがクリスティーヌ目掛けて疾駆した。

 苦悶していたファントムもその瞬間、即座に歌姫を守るべく立ちはだかる。

 振り上げられる剣。突き出される鉤爪。

 

 そのお互いが放つ凶器が空中で交差する、直前。

 

 ―――ガチリ、と。

 周辺一帯、空間ごと凍り付いた。

 

「っ……!」

 

 空中で静止する二人のサーヴァント。

 彼女を追撃しようとする姿勢のまま、一体残らず停止する人形たち。

 様々なものが炎上していた路上で、揺らめいていたはずの炎までもが固定される。

 

 その感覚を、彼女はよく知っていた。

 

「―――さて、では清算だ。

 まずは最初の一歩、といったところだな?」

 

 破砕音を立てて、彼女たちの横を何かが通り過ぎていく。

 ピンク色の靄のような、絡まる二人の人影のような、そんなもの。

 それがビルの壁へと激突し、そのまま停止した。

 

 その後にふらりと現れるのは、紫色の長衣を靡かせる男。

 彼はゆったりと歩み進め、衝突せんとしていた二人のサーヴァントに割って入る。

 その顔を見て、凍った時の中でオルタは酷く顔を顰めた。

 

「アンタ……!」

 

 男の名はスウォルツ。

 カルデアの―――常磐ソウゴの旅路の前に立ちはだかる障害。

 彼女はフランスでこの男に怪物にされ、いいように扱われた。

 そんな相手の顔を見て憎悪を増すオルタを見て、スウォルツはただ嘲笑う。

 

 空中で固まるオルタから視線を逸らし。

 振り返った彼は、後ろを見据えた。

 

「対象はこの女と、そこの怪人だ。やってみろ」

 

「スウォルツ、こんなことをして何になる?

 俺にはもう力がある。常磐ソウゴを葬るための力が。

 時間を無駄にする気はない。俺の目的はただ一人、常磐ソウゴだけだ」

 

 背後から、苛立つような声。

 動きを封じられたオルタには、そちらを向くことは出来ない。

 だがその苛立ちを乗せた声は少年のもの。

 

 スウォルツが誰かとともに動いている。

 その追加情報に唇を噛み締めるオルタ。

 アナザーライダーは国道を走るライダーだけではない。

 まだ何かが、ここに―――

 

「―――何か、勘違いしているな」

 

 そんな少年の態度に対し、呆れた風に肩を竦める男。

 彼の体が、直後に光に覆われる。

 

〈ギンギンギラギラギャラクシー! 宇宙の彼方のファンタジー!〉

 

 いつの間にか腰に現れていた、ギンガドライバー。

 そこから生じる光を纏い、スウォルツの姿が変貌する。

 その体は星が煌めく夜空の如く。その眼光は空を裂く流星が如く。

 闇の如き黒いマントを大きくはためかせ、超人は大地に降臨する。

 

〈仮面ライダーギンガ!〉

 

 流れ星が如く尾を曳く眼光。

 黄金の瞳が、彼の後ろにいた少年を確かに睨み据えた。

 

 ―――彼の戦意を理解したのか。

 見えない位置にいたもう一人が、怒りも顕わに戦意を返す。

 見えずとも背後に感じる力の奔流。

 そして、時を刻む針の音。

 

「俺には……お前の未来が見えている」

 

 オルタも、ファントムたちも、周囲の全てが停止した中で。

 突如現れた二人は、何故か対峙を始め。

 

 視界の外で何かが動く。

 白い怪人が、彼女の視界の中へと踏み込んでくる。

 どこかで見たような、そんな怪人の姿が。

 

 ―――次の瞬間。

 怪人がスウォルツの足元に叩きつけられ、抑えつけられていた。

 宇宙のパワーが光と時間を歪め、捻じ伏せるように。

 

 地面に横たわる白い怪人。

 その顔面に掌を押し付け、ピュアパワーを漲らせるギンガ。

 

「―――お前の意見は求めん。

 今の貴様如きに俺を従える未来が視えるとでも思ったか?」

 

「ガ、ァ……ッ!」

 

 一息に腕を押し込み、粉砕する勢いで。

 その衝撃を受けた白い怪人の姿が、人間の少年に戻っていく。

 少年の胸から転がり落ちるアナザーウォッチ。

 

 それを見届けたスウォルツが、転がるウォッチを拾い上げた。

 

「今の貴様程度では常磐ソウゴには勝てん。

 俺はわざわざそれを勝てるように育ててやる、と言っているんだ。

 今はせいぜい大人しく従っておけ」

 

 地面に這いつくばり、拳を握り締め、唇を噛む。

 そうして憎悪でもってギンガを見上げる少年。

 数秒、彼はそうしていて。

 しかし何とかその激情を飲み込んだのか、ふらつきながらも立ち上がる。

 

 立ち上がった彼が懐から取り出す、ブランクウォッチ。

 

「……こいつらから、ウィザードの力を回収すればいいんだな……」

 

「ああ、丁度いい具合に残滓を持つサーヴァントが揃ってくれたからな。

 常磐ソウゴは着々と仮面ライダーの王としての力を手に入れている。

 それを倒したいのであれば、お前はアナザーライダーの王になるがいい」

 

 ギンガがそう言って、オルタとファントムに視線を向ける。

 

「…………ハッ、やってみなさいよ! 今度もまた簡単に支配されると思ったら―――!」

 

 かつてフランスでそうされたように。

 抵抗も許さず、怪物にされる。だがそれがどうしたという。

 あの時の自分とはもう違う。

 自分は竜を従える魔女。もうあんな姿になって暴走するなど―――

 

「ハッ! ―――残念だが。貴様の意見も、求めん」

 

〈ウィザードォ…!〉

 

 ギンガが笑うと同時に、少年がウォッチを起動する。

 その瞬間、二人のサーヴァントが罅割れた。

 

 

 

 

「あー、連中が取引相手……でいいんだよな? お仕事完了?」

 

 ジャンヌ・オルタとファントム・ジ・オペラ。

 二人のサーヴァントが空間ごと凍らされ、停止している姿。

 ビルの上でそんな光景を見下ろしているアサシン。

 

 まるで時間が停止しているような光景だ。

 そんな中を自由に動けるのは、何とも不思議な体験であろう。

 まあ特に大した感慨もあったものではないが。

 

 少年が懐中時計のようなものを起動した。

 途端に、オルタとファントムの胸が罅割れていく。

 そこから漏れ出す光が時計に収められ、何か顔のようなものが浮かび上がる。

 

「……あれがお望みだった、と。

 何だか分からんが、まあライダーをアレにしたのと同じ感じか?」

 

 それで目的を終えたからか。

 周囲の時間が動き出すと同時、二人のサーヴァントが地面に落ちる。

 パッと見、それぞれ霊核が半分奪われている。

 心臓を真っ二つにされたようなものだ。二人揃って致命傷だろう。

 

 すぐに消えないのは、恐らくこの特異点自体の特性。幻霊単体でも多少は現界が維持されるように、霊基数値が低い存在を補助するようなっているからだろう。

 まあ補助されたところであれではすぐに消えることに変わりないが。

 

 ジャンヌ・オルタは動けない。

 ファントム・ジ・オペラは動けない。

 クリスティーヌはけして動かず。

 指揮者を失ったコロラトゥーラも一時的に停止した。

 

 その場に残された二人。

 仮面ライダーギンガと、アナザーウォッチを持つ少年。

 

「よーう、そいつらどうするんだ? 放っておいても消えそうだけど」

 

「俺たちの用は済んだ、貴様らの首領との取引は終わりだ。好きにしろ」

 

 踵を返すギンガ。彼は一瞬だけ少年に視線を送る。

 そうして睨み据えられた彼は歯を食い縛り―――何かに、気付く。

 

 怪訝そうな顔をして、他所へと視線を向ける少年。

 その様子にアサシンもまた、彼の視線を追う。

 

「ああ、ああ、愛しいあなた(わたし)! 死が二人を別つわたし(あなた)たち!

 おお、おお、もう離さないよジュリエット(ロミオ)! ずっと一緒よロミオ(ジュリエット)!」

 

 それは、先程吹き飛ばされてきたピンク色の怨霊だった。

 一人で二人、二人で一人。男の名はロミオ、女の名はジュリエット。

 悲劇を謳う、愛し合う男女である。

 彼ら彼女らが起き上がり、こちらに向かってきていた。

 

 ―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「げ、ロミオとジュリエット」

 

 何がそいつらの琴線に触れたのか。

 今まさに女を残して死のうとする男に反応したのか。

 その悪霊は一切の迷いなく、ファントムに向かって直進してくる。

 どうするべきか、アサシンがその考えを出す前に。

 

 そいつらは、ファントムの許へと届いていた。

 ロミオの伸ばした腕が、ファントムに触れる。

 ジュリエットの伸ばした腕が、クリスティーヌに触れる。

 

 ―――融かされる。サーヴァントであろうとも。

 半減したファントムの霊基が、ロミオとジュリエットに喰われる。

 単体では霊基数値が足りない幻霊、クリスティーヌ・ダーエもまた。

 もちろん、軌道上にたむろっていたコロラトゥーラたちだって。

 

 そうして、全てを喰らって。

 ピンク色の怨霊が、消化し切れない霊基を得て膨れていく。

 

「ああ、死ななければ別たれない。おお、死ななければ愛しあえる。

 ―――愛しい女はどこに? 地上に帰す? 誰を?

 帰すべき女はもうどこにもいない。だから彼女を連れ込んだ石室は永遠に。

 永遠に。永遠に。永遠に。永遠に。永遠に。永遠に――――」

 

 コロラトゥーラだったものが組み上がっていく。

 まるでパイプオルガンのように、白い四肢が積み上がっていく。

 それは巨人なのか、あるいは楽器なのか。

 二組の男女を心臓部に収め、人形を折り重ねたオペラ座の怪物が動き出す。

 

「嗚呼……永遠に、私はクリスティーヌに愛されない」

 

 怪人の慟哭する声。

 傷つけてはいけない人を傷つけた、あってはならない道を経た者。

 彼はクリスティーヌだけは傷つけない。

 クリスティーヌだけは、傷つけてはいけなかった。

 

 彼は彼女の声を求め、幻霊としてこの特異点に召喚する事を試みた。

 だが、しかし。何もかもが足りなかったのだ。

 体を織り成せるほどの霊基にすら届かなかった。

 だから彼は彼女に歌ってもらうために、コロラトゥーラという体を用意した。

 

 そうして、その体を与えられた彼女が―――こわれてしまった。

 人形に押し込められた人格が、発狂してバラバラになってしまった。

 もう意味ある言葉は発せない。

 もう意味ある思考は行えない。

 あるのはただ、至高の歌声だけである。

 

 では。では、では、では―――彼の、結末は?

 彼女に惹かれ、彼女を閉じ込め、しかし彼は彼女を傷つけずに解き放つ。

 最後の最後、醜い彼を救ってくれたクリスティーヌ。

 怪人となっていた彼に、人としての死を迎えさせてくれたクリスティーヌ。

 もう、彼女は、どこにもいない。じゃあ、この怪人の結末は?

 

 クリスティーヌだけが彼を終わらせてくれた。

 けれど彼が先にクリスティーヌを終わらせてしまった。

 なら、もう―――彼は、もう終わる事さえできないではないか。

 

 傷つけてはいけない人を傷つけた報い。永遠に続く地獄。

 傍にあるのはもう何も見てはくれないクリスティーヌの人形。

 母にさえ見てもらえなかったエリックを、確かに見てくれたはずの女性の残骸。

 

 彼の地獄は終わらない。

 彼女は地獄から出られない。

 

 オペラ座の怪人は、もう誰にも止められない。

 止められた人はもういない。

 

「La、lalalaaaaaa――――――――――ッ!!!」

 

 演奏が開始される。

 彼が何より美しく思っていた彼女の歌声が、怪物の全身から発生する。

 およそ300体のコロラトゥーラが共鳴し、奏でられる音。

 その音圧が彼が築いたオペラ座だった場所、歌舞伎町ごと全てを吹き飛ばしていく。

 

 面倒そうにギンガがピュアパワーを巡らせる。

 音波を容易に弾き返し、彼は肩を竦めた。

 

 スウォルツに守られる気はない、と。少年がアナザーウィザードに変貌する。

 展開されるディフェンドの魔法が、破壊から彼の身を守った。

 

 慌てて建物の影に飛び込むアサシン。

 が、その怪物は歌舞伎町を更地にするかの如く音波を加速させる。

 

「って、どうすんだこれ……! つーかこんだけ一帯ごと破壊し尽くして、()()()()()()()()()()()()どうする気だって―――!?」

 

 一切止まる気はない。もう止められるものはいない。

 そんな最悪のクリーチャーと化した、“オペラ座の怪人”。

 それを頬を引き攣らせて見上げながら、アサシンが都庁へと視線を送った。

 

 

 

 

 ―――その怪物が誕生した直後。

 すぐ傍で転がっていたジャンヌ・オルタ。

 霊核を半分抉られた彼女は、身動きも出来ないままにそれを感じていた。

 

 憎悪、憎悪、憎悪、憎悪、憎悪、憎悪―――

 何より深い憎悪の渦。

 アヴェンジャーだからか、その感情が確かにそこにあると感じ取った。

 まあ、感じたから何なんだ、という話なのだが。

 もう彼女は一歩も動けやしない。

 

 巨大演奏装置と化したバーサーカーの重量。

 そして音源に最も近い位置で受ける音波の破壊力により、道路が砕ける。

 彼女はそれに巻き込まれ、アスファルトの残骸と一緒に落ちていく。

 

 至近距離で攻撃を受けるのは彼女自身もだ。

 文字通り半死半生である彼女は、十秒と保たずに砕け散るだろう。

 

「―――――……情けな」

 

「――――ああ、まったく。

 恩讐の炎で火を点ければ、蝋燭とてもう少しまともに燃え盛るだろうさ。

 さあ、貴様が死ぬまであと五秒足らずだ。

 ……ここにいる役立たずの霊基を喰らってでも、まだ燃える気概があるか、否か」

 

 見えなくなり始めた視界の端で、漆黒の炎が揺らめく。

 何でここにいる、なんて問いかけている暇もない。

 しかも彼から感じる波動は、あまりに弱い。今の死にかけな自分よりマシレベル。

 英霊じゃなくて幻霊なんじゃないか、っていうレベルの薄さ。

 

 ―――まあ、今はそんな事はどうでもいい。重要なのは、ただ一つ。

 ()()()()()()()がそこにいる。

 

 この特異点は幻霊同士を掛け合わせるために整えられた、霊基が必要以上に()()土地。

 彼は弱体化を重ねられ、霊基を雁字搦めに縛られている。

 戦闘などまともに行えず、宝具などもってのほか。

 

 けれど、けれども―――けして逃れる事のできない縛鎖を潜り抜け。

 二人のうち、どちらか一人を逃してみせる。

 そんなやり方であるならば、そんなやり方であるからこそ。

 

 この男がいて、成し遂げられない筈がない―――

 

 拳を強く握る。

 投げ出しそうになっていた剣と旗を握り締める。

 まだ、これが必要なのだから。

 

「……決まって、るでしょ……! 全ッ、然……燃やし足りないっての――――!!」

 

「クハハハハハハハハ! では、オレから貴様に贈る言葉はただ一つ!」

 

 ここに召喚サークルなどなく。ここにカルデアの天才などおらず。

 そんな仕組みはどこにもない。

 だが代わりに、霊基を混ぜられる世界観が構築されている。

 それでも普通なら不可能だろう。そんな簡単にいくものじゃない。

 

 ―――だが、しかし。

 この悪逆の街に、絶望と後悔に満ちた演奏が響く中。

 暗黒の底に墜ちながらも、確かに。

 此処にはこうして、眩く輝く一条の希望を齎す言葉がある―――!

 

「“待て、しかして希望せよ(アトンドリ・エスペリエ)”、だ――――!!」

 

 

 

 

 ―――アスファルトが裂ける。

 巨大演奏装置、ファントム・ジ・オペラ。

 それが足場を揺らされ、僅かに怯む。

 

 直後に道路の残骸を突き破り飛び出してくる、漆黒の槍。

 炎に燃える無数の刃が、巨体に叩きつけられて白い躯体を焦がした。

 

「La、La、Lalala、La―――――ッ!?」

 

 再開されそうになる演奏を、黒い炎の波が押し返す。

 それが噴き出してくるのは道路に開いた大穴。

 下水道に繋がっているだろうそこから、歩み出してくるのは竜の魔女。

 

 憎悪の炎に焼かれた灰のような長髪が、黒い熱風で揺れる。

 余分な鎧を捨て、晒すのはまるでドレスのような姿。

 首に巻いた鎖から擦過音を鳴らしながら、邪悪に笑うそれは現れた。

 

「―――ええ、確かに受け取ったわ。アヴェンジャー。

 お生憎様、希望とかそういうのに興味はないのですけど……」

 

 しゃらん、と。涼やかな音を立てて、漆黒の刃を抜刀する。

 続けて開かれる、竜の魔女の旗。

 火の粉の混じる熱風に揺れ、彼女の旗に描かれた紋章の竜が躍った。

 

 そうして構えた彼女が見据える、巨大なファントムとアナザーウィザード。

 憎悪に塗れる絶望に堕ちた怪人ども。

 

 そんな連中を前に、竜の魔女は己の心を加速させる。

 いつぞやは白いのに完全無欠に敗北した。

 彼女は望んだ彼女になれないままに、灰となって消え去ることになった。

 

「―――絶望なんて余計に知ったことじゃないのよ。

 私はジャンヌ・ダルク・オルタナティブ(とは違うもの)

 頭のイカれた聖女様よりは真っ当な、復讐者(アヴェンジャー)のサーヴァントなのだから!」

 

 彼女が名乗るその名こそ、彼女自身の祈りの結晶。

 自分は他の誰でもなく、自分は自分でありたいという願い。

 そんな誇らしき名を高らかに叫び、彼女は全身から憎悪の炎を漲らせた。

 

 

 




 
・劇場型超巨大歌姫人形クリスティーヌ・クリスティーヌ。
 触れたものを融解させ取り込むロミオとジュリエットを中心にした大怨霊。霊基の欠けたファントム・ジ・オペラと、その宝具。更にクリスティーヌ・ダーエと、約三百体のコロラトゥーラを取り込んで発生した巨大人型演奏装置。オペラザーZ。

 オペラ座の怪人、エリック。
 彼はクリスティーヌの心に触れ、彼女を傷つけず解放することで結末を迎えた。
 だが新宿に呼ばれた彼は、クリスティーヌを呼び出した時点で壊してしまった。

 だから“オペラ座の怪人”は終わらない。もう終われない。
 彼女を無事に解放する事ができないから。
 彼の心を救った、彼が無事を望んだ、清らかな歌姫はもうどこにもいない。
 もう彼の心は救われない。もう彼の物語は終われない。
 彼は歌姫を壊して己の掌中に収めた、オペラ座の地下に潜む、誰にも止められなかった怪人。
 物語が終わらない以上、彼の“死”はここにはない。

 ―――彼こそが、彼の物語こそが、オペラ座の怪人(ファントム・ジ・オペラ)である。
 


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愛憎閉幕!!1910

 

 

 

 マントを翻し、黒炎を打ち払う。

 そうしながらギンガが、改めて現れた女を見据えた。

 

 霊核が半分抉られ、間違いなく消滅するはずだったが……

 まあそんな事はどうでもいい。

 どうやって補完したかも、彼らにはまるで関係ない。

 

「退くぞ、これ以上ここでやるべき事はない」

 

 アナザーウィザードが彼に顔を向ける。

 くすんだ宝石の魔法使い。

 その怪人は周囲の状況を見回して、小さく鼻を鳴らして同意し―――

 

 次の瞬間、弾けるように彼方を見上げた。

 

 火を滾らせ、水を廻して、風を唸らせ、地を揺らし。

 即応するために身構えた怪人を―――ギンガがその頭を掴んで黙らせる。

 掴んだそれを後ろに放り、そのまま前に出るスウォルツ。

 

「貴様は後ろで見ていろ」

 

〈ダ・ダ・ダ・ダブル! ファイナルアタックタイムブレーク!!〉

 

 ―――空を裂き。

 そこに襲来するのは牙。正面きって突き進む刃の竜巻。

 白と黒の嵐を前に、ギンガが腕をゆるりと上げて―――

 

 自身を囲うように、黒白の剣が乱舞している事を理解した。

 

「ほう?」

 

 空に舞う陰陽の夫婦剣、干将・莫耶。

 合わせるように転移でギンガの横に現れる真紅の外套。

 周囲には四つの刃が乱れ飛び。横には双剣を構えた少女が備え。

 そして正面から、牙の記憶が迫り来ている。

 

 腕の二本では凌ぎ切れまい。

 ならば正面から来ている最大の一撃を逸らし、後はギンガの装甲で耐えればいい。

 そのくらいは容易だが―――それでは面白くもない。

 

 ギンガの腕がドライバーを叩く。

 

〈ストライク・ザ・プラネットナイン!〉

 

 空中で生成されるエナジープラネット。無数の惑星弾。

 数え切れる刃など通すはずもない、周囲を埋め尽くす弾幕。

 

 回避しきれないように囲って追い詰める、という発想は同等。

 だが勝負になどなりはしない、圧倒的な密度の差。

 

 それを―――()()()()()()、と。

 

「それは、俺が既に見た未来だ―――!」

 

 ジオウが回転の中でウォッチを外す。

 ディケイドウォッチからダブルウォッチを外し、別のウォッチを装填する。

 加速した勢いのまま、ギンガに向かいつつ姿を変えるジオウ。

 

〈ファイナルフォームタイム! フォ・フォ・フォ・フォーゼ!〉

 

 それが、惑星を模した弾丸であるならば。

 水星が、地球が、木星が、土星が、天王星が、海王星がそこにある。

 惑星の有する磁場が、確かにそこにある。

 

 銀色の装甲と変わったジオウ。ディケイドアーマー・フォーゼフォーム。

 『フォーゼ・マグネット』とインディケーターに記された姿。

 展開するのはU字磁石に似た砲台、NSマグネットキャノン。

 そこから発生する磁力が、星々の弾幕を引きずり落とす。

 

「なに――――?」

 

 ギンガのコントロールする弾丸を、磁力で強引に乱す。

 狙いなど付けていない絨毯爆撃。

 そうなるはずだった無数の流れ星が、空中でぶつかりあって四散する。

 

 自爆し合って数を減らした光の雨。

 エナジープラネットの自爆の残滓が、夜空を虹色に輝かせる。

 その合間を潜り抜けて、双剣を構えた少女が疾駆した。

 

「チッ……!」

 

 ギンガがそれに対して腕を向け―――動かない。

 差し出した掌にピュアパワーが生じない。

 それこそ今まさに、大量にエナジープラネットをばら撒いた直後だから。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな事実を理解して、ギンガが僅かに身動ぎした。

 

 動きが鈍った相手に直線に斬り込むクロエ。

 彼女の手の中で鶴が翼を広げるが如く、双剣の刀身が強化された。

 真紅の疾風と化した少女が、双剣を閃かせる。

 ギンガのミーティア―マーが衝撃に弾け、火花が散った。

 

 火花を散らすギンガに対して、顔を顰めるのはクロエの方。

 彼女が反動に痺れた手から双剣を落とし、口元を歪めた。

 

「ふん、防がずともこの程度の……!」

 

「―――みたいね。かったいわよ、あなた。

 それやっぱり……()()()()()()()()()()()()()、とかそんな感じの鎧なわけ?」

 

 そう言って苦笑する少女。

 彼女にそう言われた瞬間、スウォルツがマスクの内で僅かに眉を上げた。

 まったく同時に彼の目の前で発生する超常の磁力の渦。

 ギンガに向けNSマグネットキャノンが放つ、赤と青に色付いた磁力光線。

 

〈フォ・フォ・フォ・フォーゼ! ファイナルアタックタイムブレーク!!〉

 

「ちぃ……っ!?」

 

 ―――引き寄せられる。

 その引力を振り切るだけの推力は、今のギンガには出せない。

 だからこそ彼は踏み止まりつつ、ピュアパワーの湧かない腕を突き出した。

 ギンガではなく、王としての力を行使しようとしての行動。

 

 そんな相手の行動を見て、クロエが笑う。

 空間を跳躍する少女。その視線の先は、ギンガの背後。

 

 彼女が消える瞬間、地面に落ちていた干将と莫耶が破裂した。

 視界を覆い、体のバランスを崩させる爆風。

 磁力に引き寄せられながらのそれに、スウォルツが集中を乱される。

 結果として、彼が持つ王の力は放たれず。

 彼の体は小さくない衝撃で僅かに揺れて―――

 

「―――バイバイ!」

 

 直後に背後に出現した少女が、無数の剣群を射出した。

 放たれる剣群のラインナップは、刃の鋭さより重量を重視したもの。

 連続で着弾し、ギンガの背中で弾ける鉄槌の如き刃の群れ。

 

 それによりスウォルツは姿勢を崩されて、磁力による吸い寄せに抗う手段を奪われる。

 

「くっ……!」

 

「超電磁宇宙ゥ……! ロケットタックル――――!!」

 

 自身に向かってくるギンガに向け、ジオウが磁力のフィールドを纏って突進する。

 距離が近づくごとに互いが更に加速する、引き合う作用を利用した激突撃。

 それから逃れる術はない。

 既に捕まったギンガは減速すら許されず、空中でジオウに衝突された。

 

 尋常ならざる勢いで跳ね飛ばされ、ピンボールのように吹き飛ぶ人型。

 撃ち出される方向は地面に向けて。ギンガはぶっ飛ばされた勢いのまま地面に突き刺さり、そのままアスファルトを削って、地面に数十メートルの轍を刻む。

 

 ―――そんな姿を見て。

 

「ふっ、は、あははははは――――!」

 

 アナザーウィザードが、腹を抱えて笑った。

 

 スウォルツに意識を向けつつ、ジオウがそちらに視線を向ける。

 クロエもまた即座に退き、彼の背後に立ちつつ、その手の中に弓を現す。

 

「偉そうなことを言っていた割にはいいザマじゃないか!

 俺に指図する前に、お前自身が自分を見つめ直してみたらどうだ?」

 

 その笑い声を跳ね退けるように、アスファルトが爆ぜた。

 地面に半身を埋めていたギンガが、周囲を炸裂させながら浮かび上がる。

 そうして浮上した彼が体勢を立て直しながら。

 己を嗤った相手に煌々と輝く眼を向け、逆にせせら笑ってみせた。

 

「フン……そうして、俺の無様を見ているだけのお前はどうだ?

 俺にただ打ち伏せられるだけだった貴様と、俺の予測を凌駕した常磐ソウゴの差。これが正しく、今のお前と常磐ソウゴの間に横たわる格の差だ。その上で……今の自分にも勝ち目がある、などと思い上がれるならここで戦ってみるか?」

 

「………………」

 

「これ以上、無様に地を這いたくないなら止めておけ。どうせ貴様では勝てん」

 

 ギンガが降り立つ。アナザーウィザードを嘲りながら。

 そうしてスウォルツが、拾い上げていたアナザーウォッチを投げ渡す。

 

 飛んできたそれを受け止めて、握り締め。

 アナザーウィザードは苛立ちを抑えるように、体を小刻みに震わせる。

 ジオウは最大戦力であるジオウⅡを用いることなく、確かにギンガに土をつけた。

 彼では自分の持ちうる全てを懸けても、その程度のこともできない。

 

 スウォルツが彼に向けた勝てない、という言葉は厳然たる事実。

 自身の体に籠った怒りが発する熱。

 それを吐き出すように、アナザーウィザードの全身から炎が漏れる。

 

「あんたは……」

 

 常磐ソウゴが彼に意識を向ける。

 返ってくるのは、嚇怒と憎悪。負の感情が入り混じり、煮詰まったもの。

 

「あんたは、スウォルツの仲間?」

 

「…………俺が何者か、か。決まっている、誰の仲間でもない」

 

 アナザーウィザードが燃えた。

 その姿からは、明らかに戦闘に対する意欲が感じられる。

 

 呆れるように鼻を鳴らすスウォルツ。

 投影した剣を矢として番えるクロエ。

 

 そんな外野の状況など気にもかけず、彼はソウゴだけを見て宣言した。

 

「ただ―――お前の敵だ、常磐ソウゴ」

 

 

 

 

 どうしたものか、と考えている内に状況が変わる。

 気付いた瞬間に跳ねるように離脱。

 建物の陰から飛び出し、来たる攻撃を回避した。

 

 直後に飛来するのは無数の弾丸。

 それを吐き出し続けるのは、棺桶のようなものから飛び出した機関銃。

 巨大な武装を抱えてビルの谷間から躍り出るのは一人の紳士。

 

「と、教授(プロフェッサー)か!」

 

「ふむ、君にそう名乗った覚えはないがね?」

 

 着地と同時に舞うロケット弾。

 白煙を曳いて飛来するその弾幕を前に、アサシンがゆるりと力を抜く。

 そうして当然のように、彼は己が掌底で全ての弾丸を逸らしてみせた。

 

「――――ほう」

 

 機関銃の弾丸含め、一発も掠らせることはなく。

 必中の弾幕を掻い潜ったアサシンが軽く笑う。

 

「そういやアンタがそっちについてたんだったな。

 ならこの到着の速さもまあ、有り得る話か」

 

「まるで私を知っているかのように語るじゃないか。

 私も私のことを知らないのにズルくないかネ?」

 

「ははは、そう言うなって。

 俺も俺のことがよく分かんなくなってるからお互い様だ」

 

 アサシンの足が道路を砕く。影を置き去りに疾る侠客。

 その動きを前に、プロフェッサーが眉を顰めた。

 

「思考停止で弾丸ばら撒きだ! 老眼じゃあんなの見えないからネ!

 あと、ああいうしたり顔の男に接近されたら死ぬって私の魂がなんか言ってる!」

 

 機関銃展開。ロケットランチャー装填。レーザー砲充電。

 準備を終えたものから次々と、止まる事なく吐き出される弾幕。

 狙いは付けずとも敵を追う、オートロックオンのフルバースト。

 流石にそれには踏み込めず、下がるアサシン。

 

「アンタの弾丸、悪魔に唆されてるみたいに追ってくるからなァ……

 見られてないのに追われるなんて理不尽だろ」

 

「―――随分と口が軽いようだ。私に何か伝えたいのかネ?」

 

「別にそういうわけでもないけどな。そっちこそ訊きたい何かがあるかい?

 答えはしないかもしれないが、訊きたけりゃ好きにしていいさ」

 

 加速。レーザーが肌を掠める中、アサシンが疾駆する。

 目を細めるプロフェッサー。

 彼の思考が弾幕を厚くするべき空間を見定め、銃器はその意志に従う。

 そんな火線の雨を潜りながら、拳士が凄絶に笑った。

 

「そんな余裕があるなら、だけどな!」

 

 

 

 

 体勢を立て直す巨人。

 胸に抱えた心臓部、男女の籠ったピンク色の塊が光を放つ。

 そこから響くのは美しき歌声。

 地獄の只中に残されてしまった、帰る場所を失った歌姫の声。

 その音波が周囲を完膚なきまでに破壊していく。

 

 それを止めるべく、地獄の業火を放とうとして―――

 空に感じる大規模な魔力の運用に足を止めた。

 

 見上げた夜空に展開するのは巨大な魔法陣。

 極彩色に輝くそれが一際大きく煌めいて。

 

 直後、空を裂く極光が降り注いだ。

 オペラ座の怪物を撃つ、魔力光による豪雨。

 

 魔力光線を放つのは、空に展開された魔法陣。

 そしてその魔法陣を回すのは、ローブを纏った一人の少女。

 魔杖を手に星空を制する彼女こそ、

 

「ルビー、街中でこんなに撃っても大丈夫なのかな!?」

 

「狙撃対策に物理保護と空間転移を常に備えてますので、攻撃にはそれほど回せません。というわけで威力はそれほど出ませんので、考え無しにばら撒いても被害はさほどではないかと!」

 

 夢幻召喚(インストール)、キャスター。

 イリヤスフィールの体に満ちるその力の根源は、神代の魔術師。

 その真名こそ、魔女メディア。

 

 彼女の放つ弾幕が、コロラトゥーラで出来た四肢に突き刺さる。

 全身を砲撃にさらされ、しかしいくら攻撃を受けようと、致命的な損傷は負わない。

 威力の問題ではなく、オペラ座の怪物たるこの巨人の寿命の問題だ。

 彼の経た“物語”こそが伝承に依る防御と化し、彼を守る。

 

「オルタ!」

 

 その光景を見上げていた彼女に届く声。

 黒炎を滾らせるオルタの許に辿り着くのは、カルデアの面々。

 そんな連中を背中に感じ、彼女は口端を吊り上げた。

 

「随分遅かったじゃない。

 ま、私ひとりでもどうにかできる予定だったけど?」

 

 そう言って、長髪を揺らしながら振り返る。

 イレギュラーな方法だったが、再臨した姿を見せびらかすように。

 そうして華麗に振り向いてみせた彼女を見て、立香がきょとんとした。

 

 オルタの視線が小さく右往左往。

 そんな様子を見て、何かに気付いたように手を打つ立香。

 

「……あ、所長? 来てないよ?」

 

『……うん、まあ。いま外に出ててカルデアにもいないんだ』

 

「あっ……そ。ふーん」

 

 髪をばさりと掻き上げて、どうでもいいという態度をとるオルタ。

 立香とツクヨミが顔を合わせて、その話題は置いておくことにした。

 

「あれがなんだか分かる?」

 

 音波を周囲に放とうとして、イリヤの実行する絨毯爆撃に呑まれる。

 だが傷さえ負わず、それは即座に復帰して攻撃を実行した。

 

 ―――少女が攻撃を行う事を止める。

 行使するのは攻撃ではなく、クリスティーヌが唄う音波を相殺するための魔術。

 防衛戦に切り替えたイリヤが、歌舞伎町の崩落を押し留める。

 

「―――オペラ座の怪人よ。ファントム・ジ・オペラ。

 どういう理屈か知らないけど、攻撃も効かないような無敵の怪物。

 あと何だっけ……クリスティーヌだったか、アイツが執着してた女の幻霊。

 それとロミオとジュリエット? が混ざったみたいね」

 

「どういう状況……?」

 

「なんでそうなったかなんて、私だって知らないわよ。

 ただ多分、この場所自体、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ま、それにしたって結構無理な現象みたいだけど」

 

 そう言って自身の体を確かめるように軽く腕を回すオルタ。

 半分に割れた霊核は復帰し、霊基に不調なし。

 代わりに巌窟王は消滅したのだろうが。

 

 本来のやり方とはまるで違う方法での霊基再臨。

 それは様々な状況が重なったからこその、奇跡みたいなものだろう。

 

 まあそんな細かい話はこの戦闘が終わった後でいい。

 今はとにかくあれの相手だ。

 

 キャスターを使用するイリヤと美遊の集中攻撃。

 それを回避や防御することなく受け、しかしダメージと言えるだけの傷はない。

 空中を舞う二人の魔法少女が、焦るような表情を浮かべ。

 

 ……そんな光景を見上げたオルタが、頭を左右に動かす。

 

「どうしたの?」

 

「別に。妙に子供が増えてるから倒錯した猫耳女がいるのかもと思っただけ」

 

 言いながら乱雑に剣を振るい、飛沫を飛ばすように炎を放つ。

 恩讐の炎は確かに火力を増して、しかしファントムには通じない。

 躯体となっているコロラトゥーラを焦がすが、それまでだ。

 致命的な損傷を与えるには程遠い。

 

「最大出力―――狙射(シュート)!」

 

 怪物が胸に抱く男女の融合核、ピンク色の霧の塊のようなもの。

 それに正確無比な砲撃が突き刺さる。

 だが直撃と同時に、その砲撃さえも融かされて飲み干されていく。

 

『ファントム・ジ・オペラ……オペラ座の怪物、霊基数値に変動ありません!

 恐らくすべての攻撃が無効化、されています……!』

 

 マシュからの報告で、美遊が眉を顰める。

 

 オペラ座の怪物を構成するものは、人形を寄せ集めたパイプオルガンを思わせる躯体。

 そして中心に存在する、英霊と幻霊の集合体だ。

 そう考えれば集合体が心臓部で、そこさえ破壊すれば倒せるはず。

 だが砲撃が直撃しても無傷どころか、吸収さえしてみせている。

 

「……っ、あれは一体どうすれば……!」

 

「美遊様。あれが伝承防御と呼ばれるものなのであれば、必要なのは火力ではありません。

 その伝承を突破するための条件達成、となります」

 

 サファイアの声に頷き、攻撃を続行。

 魔力弾を途切れず放ち続け、音波による攻撃をとにかく防ぎ続けるしかない。

 イリヤの絨毯爆撃である程度動きを止められている。

 だがそれでも止めきれなかった()()で、周囲の建物が爆砕されていく。

 

「このままじゃ、本当に新宿ごと更地にされちゃうよ……!」

 

「とにかく弾幕を絶やさず! わたしたちがまずすべきことは時間稼ぎですよ!」

 

 ルビーの言葉に小さく頷き、イリヤが眼下にいるマスターたちを見た。

 

 魔杖を大きく振るい、展開する魔法陣。

 放たれる魔力砲は、目の前で指揮するように腕を動かす巨大な怪物に向けて。

 それは怪物が吐き出す音波と衝突し、相殺する。

 吹き消しきれなかった衝撃で、周囲の建造物が幾つか倒れていく。

 

『―――いえ、いま。今の、攻撃……いえ、彼自身の攻撃……?』

 

「マシュ?」

 

 そんな有様を見て。

 通信の向こうでマシュが驚く様子が見えて、立香が声をかける。

 すぐさま彼女が発見した事実に声を荒げた。

 

『……っ、オペラ座の怪物、霊基数値微量低下! いまなお低下中!

 原因は恐らく――――歌舞伎町の破壊、と思われます!』

 

「それって……」

 

 崩れていく瓦礫ごと、オルタの放った黒炎が怪物を焼く。

 コンクリートを消し飛ばす熱波も、怪物に瑕を負わせることさえ叶わない。

 舌打ちしつつ剣を振り上げて、そこに魔力を集中させ。

 

「……そりゃそうでしょうね。あいつはオペラ座の怪人、怪物? まあどっちでもいいか。

 この特異点の中で、あいつ自身が歌舞伎町を、“歌姫が唄うオペラ座”と定義した。

 それが崩壊したら、あれはもうオペラ座の怪人じゃない。住所不定の怪人よ」

 

 そう言って、一際大きい漆黒の熱波を叩きつける。

 発生するのは、直撃を受けた巨体を揺るがすほどの衝撃。

 

 そこでひとつ、溜め息を吐くオルタ。

 彼女もファントムの無敵性に対して、その攻略法自体は見出していた。

 当然、達成できない目標として。

 

『……オペラ座の怪人は、オペラ座の奥に潜むからオペラ座の怪人。

 そんな当たり前の事だからこそ、彼の持つ伝承防御の大前提になっているわけだね。

 だが、怪物となった彼はもう見境なく周囲を破壊し始めた。

 このままオペラ座……歌舞伎町が崩壊すれば、彼はその真名の由来を維持できない』

 

 ロマニがそう言うと、少しの間口を噤む。

 つまり少しの間だけファントムを放置すればいいのだ、と。

 そうすれば歌舞伎町は彼自身の手で破壊し尽くされる。

 その後に残るのは、オペラ座の怪人という称号さえ失った巨大な自縛霊でしかない。

 

 いま目の前にいる無敵の怪物は、オペラ座の怪人だからこその無敵。

 名前を失った瞬間、その優位性はいともたやすく消えるはず。

 そうなれば、さぞ簡単に倒せることだろう。

 

『つまり……彼を倒すためには、この街を見捨てる必要が―――』

 

 マシュがそう呟くのを見て、オルタが肩を竦める。

 そのまま彼女は振り向き、立香を見た。

 立香はその視線を正面から受け止めて、強く頷き返す。

 

「それはいや」

 

「奇遇じゃない、私もよ。負けて逃げるみたいで胸くそ悪いもの。

 なにより―――せっかくの姿なのに、まだ獲物の一人も燃やせてないんだから!」

 

 言って、黒炎を放つオルタ。

 イリヤの爆撃と同時に着弾したそれが、怪物の巨体を僅かに押し返した。

 

「慣らし運転よ、アンタたちが嫌って言っても付き合ってもらうわ!」

 

「……まあそんな大仰に言わなくてもいつも通りだし。

 それより、どうやって倒すかでしょ。何か方法が?」

 

 ファイズフォンXから光弾が飛ぶ。

 それが直撃した巨大ファントムの動きが、数秒足らずとはいえ封じられた。

 当然ファントムはすぐに四肢を振り回し、拘束を破壊してみせる。

 

 条件を満たせない限り不死とはいえ、だ。

 あの怪物の霊基自体は、特別強大なものではない。

 

 伝承―――彼自身の物語を鎧として纏っただけ。

 幻霊、あるいはシェイクスピアの宝具による補強を受けただけ。

 その程度で、一個のサーヴァントを超越するものではない。

 

 倒せない。壊せない。

 それでも、何も通じないわけではない。

 ならば、突破口はそこに見出すしかない。

 

「あったら一人でぶっ潰してるわ! そこを考えるのはアンタたちの仕事でしょ!」

 

『ええ……』

 

「……ある程度消耗させられれば、トドメは私がどうにかするわ!

 だからとりあえず弱らせられそうな作戦の二つや三つくらい出しなさい!」

 

 ロマニを呆れる声を、さっさと自分の声で塗り潰すオルタ。

 マシュがそんな状況に意見する。

 

『街を防衛しつつ消耗させるのが最大の問題なのですが……!』

 

 条件次第で、無敵。

 現状で考えられる突破方法はオペラ座、即ち歌舞伎町の全滅。

 もしかしたらクリスティーヌも弱点かもしれない。

 が、ファントムとクリスティーヌは揃って怪物の胸に浮かぶ霧の中だ。

 

 怪物の胸の中心。ピンク色の霧の塊の中、二組の男女の姿が霞んで見える。

 あれがオペラ座の怪物の心臓なのだとしたら、あれだって壊せない。

 それを破壊することは、オペラ座の怪人を倒すことと同義になるのだから。

 

「―――……ねえ、さっきファントムたちが無理してる、って言ったよね?」

 

 そんな心臓を見上げていた立香が、オルタに問う。

 

「それが?」

 

「それってどういう意味?」

 

「……バーサーカーは既に霊基を半分損傷してる。如何に無敵化してようが、本来ならその時点で消滅は免れない―――っていうか、霊基が半分消し飛んだら、無敵でいられなくなるはずよ。

 “オペラ座の怪人”だから無敵なのに、“オペラ座の怪人”として自分を成立させてる核を半分失ってるんだから」

 

 そう言って、伸びた自分の髪を軽く撫でるオルタ。

 彼女が立香に視線を向けて、言葉を続ける。

 

「だってのにアイツが未だにああしていられるのは、恐らく自分の霊基の半壊をクリスティーヌで補完したから。ただ当たり前の話だけど、普通は複数の英霊や幻霊が混ざったりしないって話。

 アイツらは本来繋がらないそれを、強引に繋いでる。多分、ロミオとジュリエットが接着剤代わりになって。どういう理屈でロミオとジュリエットがそうなるのか分からないけど」

 

『男女を引き合わせる恋心、でしょうか……』

 

 呆れた風なオルタにかけられたマシュの言葉。

 それをおかしげに鼻で笑い、彼女は旗の石突で地面を叩いた。

 

「ハ! ま、そーねぇ? 周りの迷惑を顧みずに、自分たちだけの世界に酔い痴れて暴れ回る馬鹿二人……って考えればそういう能力なのは正しいのかもね」

 

『ええと……』

 

 彼女たちのやり取りを聞き流しつつ、立香が顎に手を当てる。

 

 ―――()()だ、と思う。

 果たしてロミオとジュリエットの引き合わせる能力は、男女のそれだろうか。

 彼女たちの物語の結末こそが、本命なのではなかろうか。

 ……だがそれは、言うなれば修復ではないか。

 既に結ばれているオペラ座の二人を更に強固に結ぶものではない、はずだ。

 

「……つまり、ロミオとジュリエットの影響さえ排除できれば?」

 

「まあ、そうね。つけ入るだけの()()になるかもね。

 私が十分差し込めるだけの、ね!」

 

 オルタの意志に従い放たれる炎の槍。

 それらが全てファントムを直撃し、しかし弾き返される。

 ただの人形を集めた四肢にはありえない強度。

 どうにかしてそれを突破しなければ、彼女の炎はあの狂人に届かない。

 

 舌打ちするオルタの後ろで、立香がツクヨミに顔を向けた。

 

「そっ、か……だったら―――ツクヨミ、美遊を!」

 

「何する気?」

 

 銃撃を続行しているツクヨミが、視線だけ彼女に送る。

 そんな彼女に対して不敵に、しかし少しだけ申し訳なさそうに。

 確信をもって言葉を告げた。

 

「―――物語を終わらせること、かな?」

 

 

 

 

「ああ、ロミオ(ジュリエット)! 悲劇の唄が聞こえる! 可愛い小鳥を可愛がりすぎて、手折ってしまった哀しい哀しい愛の唄!

 おお、ジュリエット(ロミオ)! それはわたし(あなた)にはもう訪れない死の結末! この地は朝はこないのだから! わたし(あなた)あなた(わたし)に別れはこない!」

 

 二人の声は重なり続け、その恋人たちは歌い続けていた。

 クリスティーヌを抱くファントムと同じ場所で。

 オペラ座の怪物の持つ、無敵の心臓の中で。

 

 ―――そんな彼らの耳に、静かな少女の声が届く。

 

「そんな事は、ない。あなたたちの結末は此処にある」

 

 怪物の四肢、コロラトゥーラだったものの上。

 夜の闇に紛れいつの間にか、一人の少女が怪物の体に取り付いている。

 

 鈴の音のような少女の声。

 それに反応したロミオとジュリエットがまったく同じ動作で、そちらに顔を向けた。

 白い躯体に張り付いた、黒い影。

 

 そんな矮小な相手を見据えながら、恋人たちは歌いだす。

 

「いいえ、いいえ、わたしたちの愛は永遠に―――ロミオ?」

 

 何故か、声は重ならない。女が喋るが、男は喋らない。

 そんな事実に不思議そうに、ジュリエットはロミオへ視線を向けた。

 

 ふと振り向いた先、男の影が己の手で首を押さえている。

 もがくように、男の手は自分の首を掻き毟っている。

 ピンク色に染まっていた人型が、その色を青黒く変えていく。

 

「あ、あ、ぁああああ、あぁ、ぁ――――」

 

「……ロミオ?」

 

 何が起きているのか。

 もう彼女たちに終わりはないはずなのに。

 別れはこない、はずなのに。

 

 目の前にいる男が、青黒く染まっていく。

 ピンク色の塊だった彼女たち二人のうち、片方だけが。

 ロミオだけが、何かに侵されるかのように。

 

 ―――そこが彼の結末。

 罅割れて、崩れていく男の影。

 

「ロミオ! ロミオ!? ああ、ロミオ……!?」

 

 もう、愛し合う恋人の声は重ならない。

 崩れる男を掴まえようとした女の腕が空を切る。

 

 そんな光景を前に、少女が顔に被さっていた髑髏の面を上げた。

 少女の今の姿は黒くなった肌に、煽情的な肌を晒す暗殺装束。

 

 即ち―――夢幻召喚(インストール)、アサシン。

 

 アサシンのカードが繋がる英霊。

 それこそは暗殺教団の教主たる山の翁、ハサン・サッバーハ。

 クラスカード・アサシンの接続先は、彼ら山の翁の内のいずれか一人。

 使う者によって、歴代ハサンの誰に繋がるかが変わるカード。

 

 そしてカレイドサファイア、美遊・エーデルフェルトが扱った場合。

 その接続先は―――毒の娘、静謐のハサン。

 肌も、血も、呼気も、体の隅々に至るまで毒として精製した暗殺者。

 

 彼女はオペラ座の怪物の上で一つ、呼吸をした。

 

 もはや彼女がそこにいる、という事実だけで。そこに生きている、という現実だけで。

 毒に耐性がない者は、悉くが死に至る。

 それこそが山の翁の一人、静謐のハサンの業―――“妄想毒身(ザバーニーヤ)”である。

 

 美遊の手が、腰から投擲用の短剣を抜く。

 彼女はそれを軽く放り、オペラ座の怪物の心臓部へと投げ込んだ。

 

「……ロミオとジュリエットの結末。

 それはロミオが服毒によって死亡し、彼を追ってジュリエットが自刃すること」

 

 怪物の心臓に落ちた短剣は溶けない。

 この心臓を生成するために貢献した力の源である、残された一人の女が。

 その短剣が自分の許に届くことを望んだから。

 

 ジュリエットの手が、放り込まれた短剣を握る。

 

「―――なんて、いじわる。また一緒に死ねないのね、わたしたち」

 

 毒で死んだのは彼一人。毒を飲み干したのは彼一人。

 彼女はまた、違う方法で後を追う。

 おかしげに令嬢はそう言って、己の胸に刃を向けた。

 

 一瞬だけ目を閉じて、美遊の体が中に舞う。

 そのまま夜空に飛び出し、アサシンを解除した蒼玉の魔法少女が離脱していく。

 

 ―――心臓の中から、恋人たちの姿が消える。

 同時に、その被膜が僅かに罅割れた。

 その鼓動の中に残されたのは、オペラ座の怪人と彼の愛する歌姫だけ。

 

 揺れる心臓の中、エリックの腕がクリスティーヌを強く抱きしめようとした。

 が、途中で止まる。

 彼自身が醜い鉤爪である己の手を見て、動きを止める。

 

 ただし、そこ止まり。

 ファントムの霊基を補完するための切っ掛けだったロミオとジュリエット。

 その存在は消滅したが、怪物は崩れない。

 一度成立したからには戻らない。

 

 ここは石室。

 暗く狭い、オペラ座の底にある、彼と彼女だけの世界。

 誰にも侵せない、小さな鳥籠。

 

 ―――だからこそ。

 次の瞬間、オペラ座の怪物の全身を打ち砕かんと、地面から無数の槍が突き出してきた。

 黒い炎で織り上げられた、憎悪の槍の群れ。

 

 それらは全て確かに白い躯体に叩きつけられ―――僅かに傷をつけるに留まった。

 打ち砕くには程遠い。オペラ座の怪物の無敵解消には程遠い。

 ロミオとジュリエットがいなくなっても、まだ彼は確かに無敵である。

 彼とクリスティーヌがオペラ座にいる限り、“オペラ座の怪人”は終わらない。

 

「……では問いかけましょう、ファントム・ジ・オペラ。

 ―――今あなたに向けられし刃こそは、憎悪によって磨かれし魂の咆哮」

 

 黒く燃える憎悪の使徒が、聖女のように、魔女として、告解を勧める。

 そんな事は分かっている、とオルタが謳う。

 怪物の四肢と炎の槍がギチギチと競り合っているのを見て、彼女は笑う。

 振り上げた剣の切っ先を怪物の心臓に向け、復讐者が吼える。

 

「貴様がこの場で何より憎悪するものは何か!

 この悪に塗れた世界か! 己を醜悪に生んだ親か! 歌姫に群がる他の男どもか!」

 

 そんなものどうでもいいのだろう、と。

 復讐するためだけに生み出された復讐者が叫ぶ。

 女の愛に救われるために生まれた狂人に向け、叫ぶ。

 

 だからこそ、彼の口が動く。

 歌姫を導き、歌姫に救われ、そして永遠に閉じられるはずだった。

 そんな天使の歌声が、溢れんばかりの憎悪を謳う。

 

「―――ああ 語るまでもなく 歌うまでもなく

 私は呪う 私は怒る 私は憎む

 私がそれらを向けるべきは ただひとり

 他の誰でもない その者に呪いあれ その者に裁きあれ

 我が呪詛 我が嚇怒 我が憎悪

 それらで以て焼け落ちよ それらを抱えて地獄に堕ちよ」

 

 クリスティーヌを手放して、男が唄う。

 

 こんな地獄は望んでいない。

 自分が地獄に堕ちるのはいい。けれど彼女を連れてきたくなんてなかった。

 彼女は、彼女だけは傷つけては行けなかったのに。

 この腕が、彼女までも地獄に引きずり込んでしまった。

 

「それこそが 愛する者(クリスティーヌ)を傷付けた 罪人(わたし)の末路であれ」

 

 堕ちろ、堕ちろ、堕ちてしまえ。

 オペラ座に秘された地下の底の底、地獄を突き抜けた地獄の底まで。

 心底、そうであれと男は願う。

 

 ―――彼の憎悪が向かう先は、彼自身の存在に他ならない。

 

 傷つけてはいけない人を傷つけた時、彼は本筋から外れた無敵の魔人となった。

 無敵。そう、無敵だ。そうだとも、敵などいない。

 彼が憎むのは己。彼が怒るのは己に対して。彼が願うのは、この物語の破却だ。

 

 呪わしき魔人に裁きの鉄槌を。

 己の愛する者を傷つけた憎悪で、その魂の欠片も残さず焼却を。

 

「……そうでしょうとも。あなたを呪う憎悪は、あなた自身の裡から生じたもの。

 己が裡から溢れる憎悪の炎は、やがて自分を燃やし尽くす」

 

 切っ先を返し、オルタが地面に剣を突き刺した。

 そのまま石突を叩きつけるように、もう片方の手で旗を立てる。

 広がる灰色の布地、竜の魔女の紋章。

 

「―――その憎悪に喝采を。その後悔に嘲笑を。

 地獄の炎に身投げする無様を以て、貴方の演ずる舞台に幕引きを」

 

 炎が盛る。漆黒の、憎悪を燃やした呪いの炎。

 オルタが命を懸けたとして、ファントムの無敵は突破できない。

 誰が相手であろうとも、今のエリックは無敵で不死身だ。

 

 ―――だが。

 

 黒い炎が、怪物の四肢の内側から溢れ出す。

 コロラトゥーラだったものが、内側から焼け落ちていく。

 ファントム・ジ・オペラが、自身に対して抱く憎悪が燃える。

 

 彼が自分に向けて唄う、止まない怨嗟の歌。

 それを燃料にして、自分自身を燃やしていく。

 

「――――“吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)”」

 

 炎は収まらない。火力を増し、オペラ座の怪物を呑み込んでいく。

 その炎は当然のように、怪物の心臓の中にも延焼する。

 

 当たり前の話だ。

 彼が何より燃やしてしまいたいのは。彼が何より憎んでいるのは。

 そこに収まっている、愛する者さえ手にかけた醜悪な怪物なのだから。

 

 その炎は彼自身の憎悪だからこそ、彼と彼女以外入れない石室の中にさえ届く。

 狭く暗い、彼が望んだ二人だけの部屋。その内部が炎上する。

 

 黒く染まる心臓の中で、それでも―――エリックはまだ死ねない。

 

 怪人は死なない。物語が終わるまで。

 怪物は死なない。オペラ座がある限り。

 

 だが。彼の愛した女性が―――金髪のコロラトゥーラ(クリスティーヌ)だけが、融けていく。

 

 今のファントム・ジ・オペラは無敵だ。

 彼の物語から“終わり”が失われてしまったから。

 

 ―――何故、それが失われたのか。

 

 決まっている。彼が、殺してはいけない彼女(ひと)を殺したから。

 彼女の心が死んで。彼の救いが消え。その事実こそが彼を無敵にした。

 

 そして、その事実こそが彼にもう一つ。

 彼の世界にあってはならない刃を、彼へと与えていた。

 

 本来は害されぬ彼の愛した歌姫、クリスティーヌ・ダーエ。

 ファントム・ジ・オペラは。本来のエリックは。

 彼女だけは殺せない。彼女だけは傷つけない。彼女だけは切り裂けない。

 

 そのはずなのに。そうでなくてはいけないのに。

 今の彼には、今こうなってしまった彼には。

 彼女を、殺してしまうことができる。殺してしまえるのだ。

 ―――殺して、しまったのだ。

 

「おお―――おお おお

 クリスティーヌ 我が愛 クリスティーヌ 我が光」

 

 炎上する物言わぬ人形に手を伸ばす。壊れた歌姫に手を伸ばす。

 彼が欲しいものはもう与えられない。彼に救いは用意されていない。

 

 これが、二回目だ。

 一度目は心を壊した。二度目の今回は、その時の残骸を処分するだけ。

 心を壊してからも侍らせていた、そんな愛する人だったものを。

 

 せまいせまい石室(コロラトゥーラ)に押し込められて。

 エリックだけのものにされて。

 クリスティーヌは、そんなことに耐え切れず壊れてしまった。

 

 もう断末魔を発することさえなく、金髪の人形が燃えていく。

 彼らのいる石室を満たすこの憎悪の炎こそ、ファントム・ジ・オペラの怨嗟の声。

 ジャンヌ・ダルク・オルタに増幅された、彼自身の怨念。

 

 ―――であるからこそ、この炎の中でクリスティーヌは生きられない。

 

 たとえオペラ座の怪人に命を保障されていても意味がない。

 狂った彼自身の凶行から彼女を守ってくれるものは、誰もいない。

 彼女をこの石室から奪おうとする外敵は全て、エリックが打ち払うだろう。

 けれど彼女を傷付けるエリックのことは、もう誰も止めてはくれない。

 彼女が閉じ込められた石室の中には、もう誰からの手も届かないのだから。

 

 歌姫を導く天使の声さえもう届かない。

 残っているのは、愛する人を悪辣に、無惨に切り刻んだ悪魔の爪だけ。

 

 ―――ファントムの憎悪がクリスティーヌを灰にする。

 

 それと同時に、怪物の四肢が内側から黒炎に喰い破られた。

 炎の勢いは収まらない。崩壊を始める巨体。

 その心臓に独り残された怪人が、何かを探すように腕を彷徨わせる。

 

「私はただ 君が 君の愛が 君を 私のものに―――」

 

 自分で壊して、殺した、欲しかったひと。

 手に入らずとも、自分をきっと救ってくれたはずの愛しい歌姫。

 愛に狂った怪人が、愛するべきものを見失う。

 

 オペラ座はここにある。怪人はそこにいる。

 だが、彼が求めたものは消え失せた。

 もう怪人がオペラ座に天使の声を響かせる理由はない。

 怪人が怪人である謂れが、どこにもない。

 

 オペラ座がそこにあっても、彼が怪人で在り続ける理由がどこにもない。

 

「では―――貴方の喜劇の生涯に幕を下ろしましょう」

 

 灰色の旗を大きくはためかせ、竜の魔女がカーテンコールを宣言する。

 最後まで舞台上に残った、唯一の役者に向けて。

 延焼が加速して、オペラ座の怪物は原型を残さぬほどに燃え盛った。

 

 怪物の心臓が漆黒に染まり―――やがて、内側から弾け飛ぶ。

 無敵になってしまった怪人はもう、そこにはいない。

 

 ()()()()が足りなくなって、舞台劇としての崩壊に決着した。

 歪んだ物語は、結末に着陸することさえなく破綻した。

 

 関節が砕け散り、崩落する巨体を見上げながら。

 竜の魔女が剣を引き、腰に下げた鞘へと刃を納める。

 

「おさらばです」

 

 最後に一言。

 そうして彼女は、己を憎む心に塗れた役者を嗤う。

 

 崩れ落ち、積み重なる怪物の四肢だったもの。

 己の裡に抱えた恨みつらみを唄う、天使には程遠い声で歌い続けていた怪物。

 虚ろになったその残骸が、オペラ座の舞台だった場所に転がった。

 

 

 



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暴走赤カブト2006

 

 

 

 半壊した下水道を歩く黒衣の男。

 その後ろについて、青髪の童話作家が問いかける。

 

「おい、これからどうするつもりだ?」

 

「どうもこうもない、と言いたいところだ。そもそも今のオレは宝具の発動どころか、雑魚との戦闘すら危うい。竜の魔女の欠落を埋めるため、霊基の大半を消費したからな。

 あと出来ることと言えば……このまま地下に潜み、黒幕の動きを探る事くらいか」

 

 残念そうに、しかしどこかそれこそが目的だと言うように。

 エドモン・ダンテスは、きっぱりとそう断言する。

 そんな相手に対し、胡乱なものを見る目を向けるアンデルセン。

 

「……その程度の偽装にどれだけ意味があるのやら」

 

「言ってくれるな、まだマシな方だろう。

 復讐者(アヴェンジャー)巌窟王(モンテ・クリスト)。なりきり、姿を隠す事には相応に優れた霊基だ」

 

「ハ―――神父もここまで自分の死体袋を使い回されるとは夢にも思わなかっただろうさ!」

 

 あんまりな物言いにそう叫ぶアンデルセン。

 確かに、エドモン・ダンテスとファリア神父は切り離せない。

 だからこそこんな風に使われるか、と。

 呆れた風な童話作家の言葉に肩を竦めつつ、エドモンは足を進めていく。

 

「まあ? お前の考えも分からないでもない。“バレル”と呼ばれた都庁にいる方の黒幕はまだいい。だがもう一方が読み切れん、という話だろう?

 せめてアレの正体を白日の下に晒さない限り、自分もお天道様の下に出れないというわけだ。この特異点には夜しかないがな!」

 

 歩きながらアンデルセンがそう言った言葉を口にする。

 オルタとアサシンの戦闘について、彼は潜んで情報収集に回っていた。

 そう言った情報を収集するのは得意とするところ。

 あの戦場で撒かれた情報に関しては、ほぼ全て拾い集められた。

 

「……ああ、それなんだ。問題はそこなのだ。アレは一体何なのか。なぜこの状況でカルデアを援護する? 本命からの目晦ましか、あるいはカルデアを利用するためか。

 そう、おかしいのはそこからだ。なぜこうも積極的に姿を現した? ()()()()()()()()()()()()()。そう疑いをかけられている時点で、奴のやり方からズレている。オレへの牽制のため? 不測の事態というケースは、あの男が取り組んでいる以上考え難い」

 

 その上で、エドモンは酷く顔を顰めた。

 何よりカルデアに接触できないのは、あの異物がそこにいるからだ。

 あんなあからさますぎる怪しさ。

 あれには何も考えが無い、などと思えるはずもなく。

 

「―――そして一番の謎は。なぜ、こんな()()()を導入したか。あの男は敗北こそが結末だ。こんな世界では、こんな世界だからこそ、如何に奴とて滅びからは逃れられない」

 

「落ちる滝がないから無事で済む、とかか?」

 

 ひとしきり笑った後の、茶化すようなアンデルセンの言葉。

 その冗談に軽く眉を上げ、エドモンが足を止めて振り返る。

 彼はそこで腕を持ち上げて、口元に持って行こうとして。

 

 ―――何かに気付いたように、そのまま帽子のつばに指をかけた。

 

「ユニークな発想だがナンセンスだ、ミスター・アンデルセン。

 ―――そう、滅びから逃れられない。

 オレには奴が、自分の前に敗北の運命を敷き詰めているように見える」

 

 下水道の天井。

 その先にある空を見上げながら、彼は目を細める。

 

「ほう。自分が敗北するまでの道を整えている、と? ではどうやって。

 相手を追う銃弾。そして、“バレル”。そして幻霊と英霊を融合させる手段。

 推理の材料としては、十分な証拠が揃っていると見えるが?」

 

「……核となる英霊の正体は見紛うはずもない。使われた幻霊の正体もまず間違いない。

 “バレル”―――その銃口を向ける相手は見極めたと言っていい。

 弾倉に込めるための弾丸として、何が装填されるかも十分に推測可能だろう」

 

 挑発するようなアンデルセンの物言い。

 エドモンはそれに淡々とした声で言われるまでもないと返す。

 

「かつて探偵と悪党がライヘンバッハの滝に諸共に落ちたように、自分も相手も纏めて滅ぼす事を願うのであれば、自分の滅亡を補強する事に意味があるとは言える。弾丸が放たれる事が自分を滅ぼす事になるならば、アレが滅びを背負う事は弾丸を強化する事に繋がるから。奴自身が持つ“敗北の運命”によって自分を滅ぼす余波で、()()()()相手を滅ぼす」

 

 “勝利の運命”も、“敗北の運命”も覆せない。

 そういう世界に導かれているのが、この特異点だ。

 ではこの世界で“敗者”は何が出来るのか。

 

 ―――“敗北”だ。

 他の誰であっても、敗者が敗北する運命は覆せない。

 だとすれば、“敗北の運命”と……例えば、“地球の滅亡”を紐つけたらどうなるか。

 誰かの敗北と地球の滅亡が直結した意味を持った時。

 ―――この世界に、絶対に覆せない滅亡が確定する。

 

「そいつが破滅主義者ならばそれもありかもしれんがな」

 

「―――あるいは。

 己が求めた数式は正しいものである、という実証を求める数学者ならば?」

 

「そっちの方がまだ()()()な」

 

 そっちのケースの方がまだありそう、という事は肯定しつつ。

 しかしイマイチ微妙だ、という顔をしながら肩を竦めるアンデルセン。

 エドモンもまた肩を竦め返し、言葉を続けた。

 

「条件が達成されれば、撃ち破る―――いや、()()()()()のは困難だ。何よりオレの存在が奴の“敗北の運命”をより強固なものにしてしまっている。

 それほどにこの特異点の世界観は強固になってしまった。時間が経過すれば猶更に、だ」

 

「では、アレの目的は時間稼ぎであると見るか?」

 

「……そうであるなら、それほど分かり易いこともないだろうが」

 

 思い悩むように眉根を寄せるエドモン。

 彼は完全に足を止めて思考に落ちていく。

 

 そんな態度を見て、アンデルセンは至極面倒そうに溜息を落とした。

 

「必要性が見られない。特異点をより堅固にするための時間稼ぎ?

 いや。それが目的ならば、恐らくライダーただ一騎で事足りるはずだ。

 むしろアレの存在は、黒幕が稼ごうとする時間を食い潰すだろう」

 

 周りが見えていないかのように、滔々と語り続けるエドモン。

 彼が思い起こすのは、カルデアと共に行動する記憶喪失のアーチャー。

 

「記憶を奪い、必要な情報を与えなかった。重要な情報だけが欠落した中途半端な記憶の虫食いは、アレを放逐することが意図したものだった事の証左だ。

 なら、何故野放しにしたか。そもそも何故、霊基を分割するような事をしたか。可能性としては幻霊との融合によって霊基数値が上昇し、安定させるために不要な部分を切除した、というケースは考えられる。真っ当な英雄などと比べれば、元々特別強度に優れた英霊というわけでもない。不要に肥大化した霊基は安定性を欠く。安定を図る、という観点からの行動ならば理解が及ぶ。その際に切り離した部分を必要な情報だけ奪い、放逐した。

 だがそれを何故処分しなかったかだ。消滅させてしまえば憂いはなくなるというのに。これも可能性の話となるが、自身の霊基を保険として存在させておきたかった、という考えはありえる。この世界観の中であれば、ジャンヌ・オルタがそうしたように、近しい霊基を強引に融合させ回復できる。カルデアでいう霊基再臨が、強引に行えてしまう。彼女はアヴェンジャーというクラス属性で再臨したが、もう一人の自分というまったく同じ霊基ならば、融合は更にスムーズに行えるだろう。再臨素材を消滅させたくなかった。この考えも、なしではない。

 もしくは自分を二人配置することにより、自身の“敗北の運命”が地表に及ぼす影響を更に強化するつもりか……個人的にはこちらの方が可能性が高い、と考えている。

 しかし。しかし、だ。今アレはカルデアと行動を共にしている。本気で味方をしている、とは流石に思わないが……アレがカルデアの今後の方針を決める作戦会議に参加したとしよう。奴の頭脳がカルデアの味方をすれば、いま私が辿り着いた結論は出てしまう。アサシンが情報を渡したジャンヌ・オルタが生還した以上、確実に。奴自身の真名も、恐らくの目的も、時間稼ぎさせた場合の顛末も、奴自身の知能が、奴自身が企んだ計画を白日の下に晒してしまう。

 自分自身で解き明かす以上は、下手をすれば私以上の精度で漏れなく全てを」

 

「……おい、剥がれてるぞ」

 

 鬱陶しい、という視線と共にアンデルセンから送られる言葉。

 それに僅かに肩を揺らした男は、軽く息を吐くと頭を横に振った。

 

「……ともかく、だ。オレたちが動くとして、それは彼らがあの戦場から生還した後だ。その後の情報共有を待って、アレが謎を解く姿勢を見せないのであれば、ただの罠だと断言できる。

 だが、もし……いや、そんな事がありえるはずがない」

 

 思考を打ち切るようにそう言って、エドモンが再び歩き出す。

 そんな彼の後ろをついていきながら、アンデルセンが大きな溜め息。

 まだまだ下水道行脚は終わりそうにない。

 

「やれやれ、まだ湿気た暗がりで待機か……どうせ暇だろう、エドモン・ダンテス。

 何か面白そうな本を拾ってきたらどうだ?

 この状況だからな、推理小説なんか趣があっていいんじゃないか?」

 

「状況が落ち着いたら考えてやる」

 

 暇潰しの本を手に入れることも儘ならない。

 やってられるか、と童話作家は相手に聞こえる勢いで盛大な溜め息を追加した。

 

 

 

 

「っと!」

 

 機関銃の斉射をぐるりと躱し、アサシンが跳ぶ。

 銃口に彼を追わせるプロフェッサー。

 が、アサシンはそれを悠々と振り切りながら折れた街灯に着地した。

 そうしてちらりと、別の戦場へと視線を飛ばす。

 

「バーサーカーは負け、と。退き時かね」

 

 そもそもの話からして、彼に与えられた仕事はジャンヌ・オルタとバーサーカーを引き合わせること。それはとっくに達成され、依頼主らしきものたちが目的を果たすのも見届けた。

 だとすればさっさと退いてしまってもよかったのだが。

 

 ―――ちらりと国道方面に目を向けて、そこに動きがないことを理解する。

 いやまあ、動きがあったら理解する前に走り切っている手合いなのだが。

 

「おや、逃がすと思っているのかネ?」

 

「逆に訊くが、追えると思ってるのか?」

 

 プロフェッサーに問われ、爪先で足場にした街灯のポールを叩く。

 そうしながら顔を顰める男を見据え、アサシンは軽く笑ってみせた。

 

「まァ、私では追えないネ。跳躍しながら逃げるつもりだろう君の速度についていけないし、まして此処は都庁からそう離れてもいない。

 追いかけようと跳ね回れば、狙撃手がズドン! と、私にそれを防ぐのは無理だ」

 

 銃のように伸ばした人差し指を小さく揺らし、溜め息ひとつ。

 アサシンを前にしながら、プロフェッサーは肩を竦める。

 邪魔にならないようにアサシンをバーサーカーとの戦場から引き離していたのだ。

 バーサーカーを撃破した皆とは、少し距離が離れてしまっていた。

 アサシンに撤退されれば、まず追いきれないだろう。

 

 無駄な邪魔をする相手ではない、と。アサシンだって理解している。

 だからさほど力も入れず、彼は跳ぶ。

 

「アンタなら分かってるわな。じゃ、大人しく逃げさせてもらうさ」

 

 夜空に舞う暗殺者の影。

 ビルの谷間から飛び出していく、そんな姿を見上げながら。

 

「―――うん、私じゃ追えないとも。この腰で跳ぶとか、ちょっと勘弁して欲しい。

 そして私以外、カルデアの面々もすぐに動けるタイミングじゃない。別の戦場にいるからだ。

 もし仮にここに向かっている乱入者がいたとして、すぐ割り込むには無理がある」

 

 困った風に、そう語りだすプロフェッサー。

 彼は既に棺桶から手を離している。

 空中に跳んだアサシンを狙うつもりなど見せない。

 

 仮に撃たれたところで、ただ狙いを過たない弾丸程度ならどうとでもなる。もしアサシンの処理能力を超える何かを撃たれても、迎撃のための狙撃手は既にスタンバイしている。

 だから、彼の撤退に防がれる要因などどこにもなく―――

 

「割り込めないのは何故って? それはモチロン、国道という地上を分断する網目は通れないからだ。だがこの位置まで国道を飛び越えて近づこうとすれば、狙撃手の目は掻い潜れない。地上と上空がどちらも押さえられているのでは、実質無理としか言えないだろう?」

 

 そんな、アサシンの()()()()()をきっちり勘定して。

 ―――その上で、それは最悪手だろうと彼は笑う。

 

「ああ……どこかに国道を飛び越え、狙撃を掻い潜れるほどのスピードを出す、空飛ぶバイクを駆るサーヴァントがいたりしたらなァ!」

 

「――――は?」

 

 老爺の笑う声に合わせて、遠く見えるビルの上で魔力が爆ぜる。

 魔力光が柱のように立ち昇る、空の彼方。

 アサシンがそちらに咄嗟に視線を向ければ、闇夜よりなお昏い漆黒の魔力が迸った。

 

 ビルの壁を駆け上がり、屋上にあった銀色のボディ。

 エンジンが轟き、搭乗者が地を蹴って、それはビルの屋上から全速力で飛び出した。

 

「―――いま、ここら一帯の制空権は狙撃手を擁する自分たちにあると思っていたかネ?

 ああ、その通りだとも。君たちは確かに、この付近の上空は完全に押さえている。

 その事実を確信しているからこそ、君は跳ぶと思ったヨ」

 

 地上で喋る彼は動かない。

 本当ならば狙撃手の射線を切るために煙幕でも張りたい、が。

 それをするとすっとんでくる乱入者の邪魔にもなってしまう。

 恐らくそれ込みであれはアサシンに届くが―――

 

 そもそも彼は、あの女騎士に超敵視されてるので何もしない方が安牌である。

 

「いや、本来なら存分に私の弾丸は()()()()()()()()()()()()()、という事実を見せつけなければならなかったんだが……最初から知ってくれていたようで何よりだヨ。

 そりゃそうだよネェ、隠れても私が適当に撃てば弾丸に追われるんだから。地上や地下を“隠れて逃げる”は成立しない。“私たちでは追えないルート取り”をするのは至極当然の話だ」

 

 アサシンが撤退する方法は多くない。

 プロフェッサーがついた時点で、隠れて潜む事は成立しない。

 彼の棺桶の性能上そうなるという事実を、()()()()()()()()()()()()()()()()

 隠れて潜むが成立しないなら、強引に振り切るしかない。

 だがそれも難しい話じゃなかった。何故って、ここは狙撃手のアーチャーの射程内だ。

 だから、彼は難しい話じゃないと確信していた。

 

「―――私たちと違い、自分だけは自由に跳んで逃げられる。

 そう思い込んでくれていた君用に、この夜空に処刑台は設置されていた。

 大口を開けて獲物を待っていた竜の前に、無防備に跳び込んだ自分を呪いたまえ」

 

 しかし。それは―――狙撃手さえ物ともしない、乱入者がいなければの話だ。

 

 ―――夜空を切り裂き、黒い光に照らされた銀色の流星が突き進む。

 魔力放出による力任せの空中走行。

 アサシンに向けて飛翔するそれに対し―――都庁、“バレル”の屋上が煌めいた。

 

「やっべぇ、頼むぜアーチャー……!」

 

 流星の軌道は、アサシンに向け一直線。

 アサシンは飛べもしなければ、空中で魔力を噴出して加速もできない。

 迫りくる竜の化身に比べれば、()()()なサーヴァント。

 地上での打ち合いならいざ知らず、空中戦でまともにやりあえるはずもなく。

 

 だからこそ、鷹の眼は突進する獲物を既に捉えている。

 全ての推力を前進に回しているそれでは、回避のための小回りは叶わない。

 

 銃口は確実に、乱入者を撃ち落とす角度とタイミングで火を噴いた。

 放たれるのはライフル弾染みた改造を施された剣。

 螺旋を描き、空間ごと捩じ切るような突き進んでくる必殺の一撃。

 

 回避は不可能な状況だ。そういうタイミングで放たれた。

 アサシンが彼女の突撃を回避できないように、彼女もまたその弾丸を避けられない。

 あとは順番の問題。彼女がアサシンに辿り着く前に、弾丸が彼女に届く。

 だから、彼女はアサシンのところまで飛べない。その前に撃ち落とされる。

 

 迎撃も不可能。

 如何に彼女が空中でさえ損なわれない剣の腕を持っていたとして、だ。

 単純にその一撃の威力を、魔力放出だけでは止め切れない。

 地に足を付け。両手で剣を握り。魔力を迸らせて。

 そこでようやく切り払えるかどうか、という一発なのは疑いようもない。

 

 彼女はアサシンに届かない。辿り着く前に撃ち落とされる。

 ただ止められるのみならず、下手をすればこの一発は致命傷に届く。

 これが結論。

 

「―――――――」

 

 だがくすんだ金色の瞳が、アサシンから離れない。

 彼我の距離が縮んだことで、相手の姿がよく見える。

 互いにこの新宿に存在するのは知っていたが、顔を合わせるのは初めてだ。

 だからこそ、そこでアサシンは顔を引き攣らせた。

 彼はすぐさま、可能な限り迅速に空中で体勢を立て直す。

 

「―――ッ!」

 

 空駆ける鉄の騎馬を駆っているのは少女。

 そこらで売っていそうな洋服を身に着けた彼女は、外見上無双の英傑には程遠く。

 

「―――その一撃に申し分はない。

 矢こそ随分と腐れているが、技量については流石のものと言っておこう」

 

 少女の片手が剣を握る。

 それこそは黒く染まった星の聖剣。

 

「だがこれで私を撃ち落とせると驕ったなら、思い上がりも甚だしい」

 

 虚空を打ち砕く螺旋の弾丸が、少女の許へと届く。

 回避は不可能。迎撃すれば撃墜される。

 そんな当然の結果がやってくるはずの、1秒先の未来。

 

 弾丸には刃を向けない。向けてはいけない。

 もし切り払おうとすれば、刃と弾丸が激突した瞬間に炸裂するだろう。

 彼女の直感は、その危険性を確かに伝えてきている。

 

 少女が剣を振り上げ、バイクのハンドルを手放した。

 

 直後、バイクを鎧っていた銀色の装甲が消える。

 機体を守るように覆っていた、魔力の甲冑が消滅したのだ。

 無論、彼女の意志に従って。

 

「すまんな、キュイラッシェ・オルタ。いい足回りだった」

 

 ―――彼女が与えていた守りを失った、鉄の騎馬。

 それはごく普通のバイク以外の何ものでもない。

 尋常ではない魔力を注がれ、ありえないスピードを出していただけの。

 ましてまだ乗っている少女は、物理的な破壊さえ引き起こす魔力放出を続行している。

 そんな状況のバイクが、普通ならば耐えきれるはずもない衝撃の中、突然防具を奪われた。

 

 そうなれば当然のように、マシンは拉げて潰れる。

 刹那のうちにぐしゃぐしゃになっていく残骸を蹴る少女の足。

 一際強く噴き出す、魔力放出の推進。

 ―――直後に爆発する、バイクであったもの。

 

 それが重なって、一歩分の距離だけ前方に押し出された少女。

 確実に少女の頭部を撃ち抜くはずだった弾丸が、届かなくなる。

 空間を捩じ切りながら、少女の背後を通り過ぎていく一撃。

 空間切削の余波を魔力放出で相殺し、少女はそのまま突き抜けた。

 

 弾丸は爆発しない。

 いまそんなことをすれば、ただ彼女をアサシンに向け加速させるだけだ。

 届かない筈だった彼女の剣は、もはや確実にアサシンにまで届く。

 

「嘘だろ……ッ!?」

 

 黒いジャケットを突風で暴れさせながら迫る剣士。

 英雄らしからぬ格好の彼女はしかし。

 その不可能を可能にした偉業を以て、己こそが剣の英雄であると証明する。

 

 届き、魔力の迸りと共に振るわれる黒い剣閃。

 アサシンに叶うことは、それを手甲で防ぎにかかる事だけだった。

 

 激突と同時に、手甲を砕かれながら地面に向け吹き飛ばされるアサシン。

 彼はそのままバーサーカーが破壊したビルの残骸の山に突き刺さり、粉塵を舞い上げる。

 

 そんな光景を見送ったプロフェッサーが、小さく笑った。

 

「バーサーカーがこれだけ派手にやったからには、新宿にいる者たち全てがここで戦闘が起こっていることは把握していた。だというのに彼女がバーサーカーに突撃してこなかったという時点で、狙撃手か君が致命的な隙を晒すのを窺っているのだろう、という事くらいは簡単に推測可能だ」

 

 そのまま彼は棺桶を掴み、アサシンに対して発砲を開始しようとする。

 今の一撃が致命傷に及ばずとも、無傷で済むはずがない。

 気配を消して逃げようとしたところで、獲物に何故か何となく当たる彼の弾幕は欺けない。

 居場所を隠して逃げ切れなければ当然、いま着地した黒い剣士に討ち取られる。

 

「さて。どうやらこれで、詰みのようだネ?」

 

 

 

 

 何かに気付いたようにクロエが顔を上げる。

 いま狙撃が行われた、ということか。

 そちらに意識を向けつつも、ジオウが迫りくるアナザーウィザードを見た。

 

「オォオオオオオ―――ッ!」

 

 数度打ち合い、既に彼我の力量差を見極めた。

 次の一撃で確実にウォッチを砕く。

 そう考えて、突き出したジオウの手の中に、直剣が現れる。

 

〈ジカンギレード!〉〈ライドヘイセイバー!〉

〈フィニッシュタイム!〉

 

 ジカンギレードに装填するのは、バロンウォッチ。

 ヘイセイバーにはドライバーから外したディケイドウォッチ。

 二振りの剣が必殺待機状態に入り、光を帯びる。

 

 ギレードはその状態で地面に突き刺して。

 ジオウは更にヘイセイバーのセレクターに指を掛けた。

 

「クロ!」

 

「りょーかい!」

 

 マスターの指示に少女が前に出て、双剣を構える。

 そんなことには構わず突き進むアナザーウィザード。

 彼が背後に展開した魔法陣から迸る火柱。

 雪崩れ込んでくる炎の波を前に、クロが即座に剣群を目前に投影した。

 地面に突き刺さる刃が壁となり、炎に対する盾となる。

 

 が、アナザーウィザードは刃の壁に向けて跳び込む。

 直後に回転を始めた体が、立ち塞がる剣を粉砕した。

 ドリルのように突き進むアナザーウィザードが炎を巻き込み、燃え上がる。

 

 迫りくる灼熱の螺旋を目にして、クロは即座に撤退を選択。

 転移でもってジオウの背後まで下がる。

 代わりに前に出るジオウ・ディケイドアーマーフォーゼフォーム。

 その足が大地を踏み締め、大きく剣を振り上げる。

 

〈ヘイ! ウィザード!〉

 

 正面からウィザードの力のぶつけ合い。

 それならそれでいい、と。アナザーウィザードがより加速する。

 彼の手には既に、もう一つのアナザーウォッチがある。

 もし撃ち負けたとしても、そのままそちらのウォッチに切り替えて―――

 

 そう思考する彼の前で、剣を振り上げているジオウが半身を引いた。

 まるで射線を開けるように。

 

「―――なにを……!」

 

 退くような姿勢を見せた常磐ソウゴに猛り、より前のめりになる彼。

 その視界が捉えるのは、ジオウが避けた結果見えるようになった少女の姿。

 

 紅い外套の少女が、地面に突き刺さった剣を抜く。

 流れるように弓に番えられる、字換銃剣ジカンギレード。

 クロが弓を引き絞れば、剣の矢はその刀身を黄色に光り輝かせる。

 

「矢になるように改造はできないけど、ね!」

 

〈ギリギリスラッシュ!〉

 

 十二分に蓄えた力を確かめて、クロの指が矢から離れる。

 放たれる一撃は、輪切りにしたレモンのようなオーラを曳いて。

 宙を翔ける剣の矢は、過たずアナザーウィザードへと直撃した。

 

「……!」

 

 常磐ソウゴ以外からの攻撃など、と。

 そう思考していたアナザーウィザードの動きが止まる。

 回転していた彼の周囲を覆うのは、レモン型のエネルギー。

 彼自身がミキサーとなり果肉を削り、レモンから撒き散らされる黄色い果汁。

 炎が果汁に消し止められ、更に回転の勢いもレモンの中で停止する。

 

「ち、ぃ……ッ!」

 

 レモン状のエネルギー体の中で、拘束されるアナザーウィザード。

 彼がそこから脱出する事を目的とし、別の魔法を使おうとして。

 意識を逸らした、その刹那。

 

〈ウィザード! スクランブルタイムブレーク!!〉

 

「ハァ―――ッ!」

 

 ヘイセイバーの一振りでもって四色、四属性の剣閃が放たれた。

 火、水、風、土。それぞれが三日月を描き、魔法の刃となって動きを止めた怪人を強襲する。

 それは威力、そして相性。

 どこをとってもアナザーウィザードを粉砕するに足る一撃であり―――

 

「フン」

 

〈ギガンティックギンガ!!〉

 

 戦場を眺めていたギンガが、残っていたその力の全てを解放する。

 彼の前方に形成される、宇宙の力を押し固めた破壊球。

 それを掌で押し込むと同時、ギンガの鎧が消失する。

 紛れもなく、完全に力を一滴残らず使い切ったが故の変身解除。

 

 そうして顔を顰めるスウォルツの前。

 ヘイセイバーの斬撃と、ギガンティックギンガが衝突する。

 

 威力が足らず、そのまま弾き飛ばされる銀河の光。

 ジオウの攻撃から多少勢いを削ったそれが、軌道を逸らして街の彼方へと消えていく。

 

 軽減されても直進する四つの刃はアナザーウィザードを直撃。

 彼を拘束するレモンエナジーごと、その威力で以て吹き飛ばす。

 致命傷ばかりは避けられたのか、そのまま地面に転がるアナザーウィザード。

 

「ぐ、ぁ……! ぐぅううう……! あぁあああああッ!!」

 

 アナザーウィザードが拳を握り、地面を叩く。

 口惜しい、と。認められない、と。

 そんな感情のまま叩きつけた拳が、荒れ果てたアスファルトを粉砕した。

 

「…………あんた」

 

「いい加減に退き時だ。その身でとくと味わっただろう?

 改めて言ってやる―――勝ちたいなら俺の言葉に従え、加古川飛流」

 

 地面を叩くアナザーウィザードの背に、スウォルツの手が突き刺さる。

 怪人の体に沈んだ手が引き抜かれると、そこにはアナザーウォッチが握られている。

 言うまでもなく、アナザーウィザードのものだろうそれ。

 それを奪われた怪人の姿が、人間のものに戻っていく。

 

 ソウゴの同年代程度の、少年。

 彼が這いつくばりながらも顔を上げ、ジオウを睨み据える。

 

「加古川、飛流……」

 

「―――そうだ、それが俺の名前だ。覚えておけ、常磐ソウゴ……!

 俺とお前の運命は交差した。俺たちの戦いは、どちらかが滅びるまで終わらない……ッ!」

 

 震えながら立ち上がる飛流の背後で、スウォルツが握ったウォッチを起動する。

 

〈ウィザードォ…!〉

 

「何を―――!」

 

 彼はそのまま起動したウォッチを何もない場所へと放り投げる。

 ソウゴたちは咄嗟にそれを視線で追い―――ウォッチが虚空で消えるのを見た。

 その魔力の波動を察知したクロエが叫ぶ。

 

「―――転移よ! あれ自体の魔力で、どこかに転移を……!」

 

「また誰かをアナザーウィザードに……!

 ウィザードのウォッチを手に入れるつもりじゃなかった……!?」

 

 彼らのその反応を見ていたスウォルツが喉を鳴らす。

 

「既にアナザーウィザードはアナザーライダーの()が記録した。最早ウォッチは要らん。

 さて。俺たちはこの特異点からはもう離れるが、せいぜい気を付けることだ。

 偶然にも、貴様が弾いた俺の攻撃が奴の縄張りを荒らしたようだぞ?」

 

 そう言ってスウォルツが笑った。

 ―――その瞬間。

 

 新宿を揺らす獣の咆哮が轟いた。

 縄張りに踏み込まれた時より遥かに、圧倒的に強い咆哮。

 その衝撃が周辺一帯のビルを揺さぶり、僅かに残っていた窓硝子などを微塵に砕く。

 

『―――さっきの攻撃だ! 弾かれたギンガの攻撃が、国道まで突き抜けた!

 結果として道路が一部粉砕されて……ライダーが動き出した!』

 

「アナザーカブト……!」

 

 ロマニの声を聞いて、即座にジオウがウォッチを取り出す。

 もはや一秒さえ猶予はない。

 相手は動いた瞬間にこちらを蹂躙できる、光速の疾走者。

 

 そんなジオウに肩を竦め、スウォルツが飛流の肩を掴む。

 そのまま彼らは紫色の光に覆われる。

 飛翔を始めたそれは、時空の狭間を空高く開いてその中へと消えていく。

 

「クロはみんなと一緒に下がって!」

 

〈ドライブ!〉

 

 速度で対抗するためにドライブウォッチを構えるジオウ。

 そんな彼の言葉に、クロエが酷く渋い顔を浮かべた。

 

「下がるって、どこまで下がればいいのよ!

 こっちまで来た場合、国道から離れても意味ないってことじゃない!」

 

 先程の咆哮だけで分かる。

 今のライダー、アナザーカブトは、初見の時よりも明確に()()()()()

 最初の時は、ライダーの縄張りへ侵入しただけだった。

 だが今回の自分たちを、相手は縄張りに対し攻撃を行った侵略者と見ているのだ。

 

 今回は恐らく走り抜けるだけではない。間違いなく、追いかけてくる。

 疾走でさえ防ぐ方法がないというのに、狩猟などされたら猶更止められない。

 

 ―――だとすれば。

 

〈ファイナルフォームタイム! ド・ド・ド・ドライブ!〉

 

 マゼンタのアーマーと同時に、青い車体を身に纏う。

 ジオウが現出させる力は神速の戦士。

 あらゆる重み、時間がかける重力さえ振り切って、フォーミュラマシンが発進する。

 

 ―――そんな彼の前に現れるのは、赤い甲殻。

 ジオウが準備を終える数秒足らずの間に、彼はもはや辿り着いていた。

 光さえ、時間さえも歪めて走る、最強のハンター。

 

 彼こそは、この地上を速さで支配する守護神。

 

「■■■■■■■■――――――――――ッ!!!」

 

 先程まで縄張りから動くことを良しとしていなかったライダーが。

 己の縄張りに牙を剥いたものを殺し尽くすために、全てを置き去りにして襲来した。

 

 

 




 
 友情バースト生きとったんかワレ!
 


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蛇が睨む!!-2655

 

 

 

 瓦礫の山を目掛け、開始される銃撃。

 殺到する弾丸の雨は、積み重なった瓦礫の隙間を潜り抜けて。

 

 ―――そうして、怪人の装甲に力任せに防がれた。

 

「ム」

 

「なんだか知らんがこりゃ助かった!」

 

 アナザーウィザードと化したアサシンが立ち上がる。

 瓦礫を跳ね除け姿を現す怪物と、眉を顰めるプロフェッサー。

 

 そしてどちらも睨みながら剣を構え直すセイバーのサーヴァント。

 彼女は一呼吸置くと、仕方なしに怪物の方を向く。

 切っ先をアサシンへと向けながら、口から吐き出すのは呆れ果てた声。

 

「まったく、どういう状況だ。なぜ貴様がカルデアと同行している」

 

「―――それはもう、採用試験に受かったからではないかネ?」

 

「馬鹿げた話だ、何も試していないのと変わらんな。貴様のような奴が試験場に現れれば、採点するフリをして立って寝ているトリスタンでさえ警戒に目を開き、妖弦に指をかけるだろう。

 ……まあいい。それがカルデアのやり方ならば、文句をつけても仕方あるまい」

 

 ―――呼気を入れる。

 瞬間、セイバーを取り巻く空気が爆発する。放出される魔力の嵐。

 そんな魔力を噴き出す英雄を前に、宝石の怪物が腕を胸の高さに挙げた。

 

「……恐らく君では倒せないヨ。アレを倒せるのは特性上、常磐ソウゴくんだけだ」

 

「それはあのままでは倒せないというだけだ。ダメージを蓄積させれば変身は解除される。

 その後に改めて斬り捨てればいいだけだろう」

 

 プロフェッサーの言葉にそう言い返し、セイバーが大地を蹴った。

 魔力放出によって即座に到達するトップスピード。

 

「―――完全に追い詰められてたのは事実だがな、その物言いは流石に見過ごせない。地に足をつけての打ち合いで、この俺がそう簡単に討ち取れるとでも思ったか。

 まして、だ。今の俺はどうやら――――」

 

 対するアサシンが拳を揺らし、()()()

 肘から先が完全に消失するアナザーウィザード。

 

「―――――!」

 

「ちょいと()()なんぞを使えるらしい」

 

 その光景を見て、セイバーが下した判断は完全に正解。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 己もまたよく知る手段であるが故に、その行為には即座に思い至り。

 

 ―――それ以上の何かを感じる直感に従って。

 踏み込みの軌道を放出する魔力で強引に捻じ曲げた。

 

 直後、何かが空を切って進む音が耳に届く。

 鋭く速いそれが、拳士の誇る己が拳であろうことには疑いなく。

 だがセイバーとアサシンの間には、拳どころか剣が届かないほどの間合いがある。

 だとするならば答えは一つ。

 

 着地しつつ舌打ちし、彼女は腕の見えない怪人を睨む。

 

「……拳を透明化し、伸ばしてきたわけか。なるほど、厄介だ。

 武器を隠されるというのは余り面白いことではないな」

 

「そりゃどうも! 龍に翼を得たる如し、って感じだ!」

 

 肩の動きからして、伸ばした腕を引き戻しているのか。

 物理的に視覚から失せ、影さえも追えぬ無影の拳。

 

 拳がどこにあるのかさえ分からないのは流石に不味い。

 彼女とてクロスレンジで拳法家と真っ当に打ち合う事の危険くらいは理解している。

 拳を消すだの、腕を伸ばすだの、そんな手品染みたあれこれはどうでもいい。

 そんなものは圧力をかけるためのただの牽制でしかない。

 

 ただの腕を振るって無影であるが故に、あれは傑物なのだ。

 魔力で細工した小手先の技など、大した脅威ではありえない。

 

 正しく研鑽を積み上げて、神懸かった技量を修めた者だからこそ、腕を不自然に伸ばして殴るなどという、異形の技を体得しているはずがないのだから。

 気を付けるべきは、正しい距離で彼の技量が十全に発揮されること。それを見過ごした時、セイバーこそが葬られる。そう考えていい、と彼女は正しく確信する。

 

「―――ほう、それで空舞う翼を得た気分か? 

 では試してやろう。貴様の拳が、翼を持つに相応しき竜の爪牙に足るかどうか」

 

 距離さえ見誤らなければ必殺はない。

 擦り減った直感を全開に、不意と呼べる自分の隙を塗り潰す。

 その両手で聖剣を握り締め、セイバーはより表情を険しく引き締めた。

 彼女が纏うのは、飛び掛かる数瞬前に獅子が見せる王者の覇気。

 

 相手には必殺を許さない不壊の鎧。

 どう足掻いても削りという行為が必要になる。

 だが距離を詰めた上で長時間は戦えない。

 

 削り終えるまであの拳を凌ぎきれる、などとは思い上がらない。

 相手が生身であれば、拳に砕かれる前に斬り捨てると考えるだろうが。

 であるならば、放つべきは全霊の一撃のみ。

 

 魔力放出を全開に、全力で突撃し。

 聖剣に全力で魔力を乗せて斬撃を放ち。

 一撃を見舞った相手を思い切り吹き飛ばす事で、強引に距離を維持する。

 相手が斃れるまでこれを繰り返せば、それで勝利だ。

 

 馬鹿げた難事であるが―――それを為し得てこその英霊だ。

 

 そうして構えた彼女を前に、アナザーウィザードが視線を逸らした。

 

「いやぁ……そっち、そんなこと言ってる場合か?」

 

「なに?」

 

 ―――世界が弾ける。

 物理的な衝撃を伴って押し寄せる、獣の咆哮。

 それにより、罅割れていた周囲の建造物に致命傷が齎される。

 止まっていた歌舞伎町の崩落が再開し、加速した。

 

 歯を食い縛り、セイバーがその音源の方向へ視線を飛ばす。

 

「ライダー……ッ!」

 

「―――これは不味い。そっちも退く気かな?」

 

「そりゃあな。ここにいたらライダーは俺ごと噛み砕くだろうし。

 俺は俺の仕事に戻らせてもらうさ」

 

 プロフェッサーにそう言い返し、アサシンが背後に魔法陣を浮かべた。

 アサシンに向かってスライド移動する、赤い魔法陣。

 光に呑み込まれて、彼の姿が消えていく。

 

「おや、カルデアに与するサーヴァントである私たちの処分は仕事ではない? 君には優れた鎧もあることだし、このまま足止めするだけで随分とそちらの有利になる筈だがネ?」

 

「―――残念だが、俺の得にはならないからなァ」

 

 そうとだけ言い残し、消え失せるアナザーウィザード。

 一瞬それを睨み、プロフェッサーはすぐに踵を返した。

 セイバーは既に踏み込み、プロフェッサーの相手をする時間さえ惜しいとばかりに、咆哮の発生源を目掛けて疾走している。

 

「さて、どうやって振り切ったものか……!」

 

 そもそもライダーの行動指針さえ解き明かせていない。

 どうすれば退けられるのか。

 あるいはもはや倒す以外に方法が存在しないのか。

 それさえも分からない中で、プロフェッサーは腰を押さえつつ棺桶を抱えて走りだす。

 

 

 

 

 世界が違う。会敵し、交錯し、改めてそれを理解する。

 行動している空間がもはや違うのだ。

 位相がずれている、とでも言えばいいのか。

 

 ディケイドアーマードライブフォームが走行する。

 疾走すると共に空気を取り込み、発揮される爆発的なブースト。

 重力を振り切り加速するジオウを前にして、獣が僅かに目を細めた。

 

 疾走する赤い甲殻に覆われた四足獣。

 剣を構えた騎手こそ背に乗せているが、獣はそれを考慮する様子もない。

 

 アナザーカブトが突き出す角。

 すぐさま反応し、振るうのはライドヘイセイバー。

 激突する互いの一撃。

 

 弾かれた反動にアーマーを軋ませるジオウと。

 軽やかに反転し、危うげなく着地を決めるアナザーカブト。

 

(速い、だけじゃない。軽いんだ……!)

 

 ジオウがいま、出力する速度を支えているもの。

 グラビティドライブエンジン、コア・ドライビア。

 仮面ライダードライブの動力源であるそれが重力を制している。

 

 彼の圧倒的速度はそこから発生するものであり―――

 倒れるほど前のめりに、全てを速度を傾けたもの。

 ともすれば反動に耐え切れず、砕け散りかねないほどの加速力だ。

 

 それを無理矢理行使しているジオウと、アナザーカブトはまるで違う。

 相手は無理をしていない。

 絶対的な速さを発揮しながら、挙動が普段のそれと外れていない。

 

 速度に見合わない軽やかさ、あるいは柔軟さ。

 目の前の獣には、それがある。

 

〈ヘイ! キバ!〉

〈キバ! デュアルタイムブレーク!〉

 

 着地から流れるように跳ぶアナザーカブト。

 その突進を前に、未だに体勢を立て直し切れないジオウが地面に刃を立てる。

 斬ったアスファルトの大地に広がっていく、透明な波紋。

 拡大していく無邪気な罠。

 

 ―――その光景を前にして、獣は即座に縦に跳んだ。

 本能で何かを察知したのか、地面には足を置かない。

 ビルの壁、建物だった残骸を足蹴にし、宙を翔けるアナザーカブト。

 彼は当然のように、水棲の狩人が張った罠に踏み込まない。

 

「く……っ!」

 

「■■■■■■■――――ッ!!」

 

 罠を飛び越え、躍りかかる獣。

 すぐさま剣を引き抜いて、それに対抗する姿勢を取る。

 

〈ヘイ! 電王!〉

〈電王! デュアルタイムブレーク!〉

 

 ヘイセイバーを覆う黄色いオーラ。

 その光は激突を前にして、マサカリを思わせる形状に姿を変える。

 正面からぶつかり合う、赤い角と光の戦斧。

 拮抗は数秒に満たず、互いに弾かれるように吹き飛んだ。

 

 吹き飛ばされる動作でさえ超速で。

 それが原因となりかかる負荷に、ジオウの装甲が強く軋む。

 対して同じような速度であっても、アナザーカブトの足取りは軽い。

 獣の行う身のこなしは、衝撃による負荷を感じさせないもの。

 

「―――このままじゃ押し切られる、なら……ッ!」

 

〈ヘイ! カブト!〉

 

 軋む体をおして、地面を踏み締め、上半身を持ち直す。

 流れるように指で弾くセレクター。

 時計の針が一つ進み、ヘイセイバーの刀身が赤い燐光に包まれる。

 光の剣はまるで幅広の大剣の如く。

 

「■■■■―――――!!」

 

 それが、己の命に届き得る刃と理解したのか。

 ライダーは僅かなりとも、しかし確かな反応を見せる。

 だが、それが止まる理由にはなりはしない。

 

 より加速して踏み込む獣に対し、繰り出すは斬撃(ハイパーブレイド)

 突き出される角に向け振るわれる深紅の刃。

 疾駆するアナザーカブトと、ヘイセイバーの繰り出すカブトパワー。

 それらが正面から激突する、寸前に。

 

 アナザーカブトに騎乗していた首無し鎧が動く。

 その亡霊もまた、アナザーカブトと変わらぬ世界にある。

 動きに淀みはない。速度を乗せた分体にかかるような負荷も感じていない。

 彼はただ一人、獣が踏み込んだ世界に付き従えるもの。

 

 そんな剣士が振るう剣が、先んじてジオウの剣と交わった。

 必殺の剣撃を止めるには足りない。それでも、そのデュラハンは死力を尽くして。

 ほんの僅か、突き出される刃の軌道を浮かせた。

 

「■■■■■■――――――ッ!!」

 

 浮いた剣撃を、アナザーカブトの角が掬い上げるようにかちあげる。

 逸れた一撃を引き戻すよりも、ライダーが首を下ろす方が遥かに速い。

 作り出された大きな間隙。

 それにマスクの下で歯を食い縛り、ソウゴは左腕を全力で振り下ろす。

 

「……ッ!」

 

〈ド・ド・ド・ドライブ! ファイナルアタックタイムブレーク!!〉

 

 ドライブフォームの踵が唸る。地に着けた足がジオウの体を強引に動かす。

 ターンアクションから、最速で繋ぐドリフト回転。

 彼の体勢は力尽くで持ち直され、ジオウはそのまま独楽のような回転を開始する。

 

 直後、今度こそ二つのカブトの力が正面から激突した。

 

 

 

 

 空気が弾け、爆発的に膨れた突風が駆け抜けていく。

 そんな現象を背後に感じつつ、クロエが着地する。

 超高速戦闘の余波に唖然としていたイリヤが、すぐに彼女の許まで降りてきた。

 

「クロ!?」

 

「退くわよ……って言ってもどこまで退けばいいのか……!」

 

 ―――国道から極力離れた場所? 建物の中? 下水道、あるいは地下鉄?

 どこを選んだとしても、もし追ってきたら袋のネズミ。

 最も安全なのは、飛行だろう。ライダーの跳躍力を計算し、それ以上の高さまで飛ぶ。

 それならばあるいは、というところだが。

 

 相手との速度差が問題だ。

 相手から見て風船よりもゆっくり上昇、なんてしている余裕があるはずなく。

 

「―――逃げる選択が取れないなら戦うしかない、けど……!」

 

 ファイズフォンを手にしたまま、そう言って顔を顰めるツクヨミ。

 当たれば効果があるかもしれないが、当てる方法が存在しない。

 ジオウとアナザーカブトの戦闘は、彼女たちの目には影しか映らない。

 音と破壊痕を追って、そこで何かがあったと後から理解するしかない状況。

 

「……とにかく、せめて敵を捕捉できる状況を!」

 

 そう言って美遊がホルダーから引き抜き、目の前に翳すランサーのカード。

 彼女の行動にはっとして、イリヤもまたカードを引き抜いた。

 

夢幻召喚(インストール)――――!」

 

 即ち、ランサーとライダー。

 彼女たちが高速戦闘に長けた戦力として分けたクラスカード。

 青い衣装に真紅の槍、クー・フーリンを己で再現する美遊。

 彼女に続き、鎖を垂らした短剣を手にする魔眼を眼帯で封じる黒装束のイリヤ。

 

 そんな二人を―――イリヤを見て、オルタが目を細めた。

 

 その状態で戦場を見やった美遊が、微かに唇を噛み締める。

 

「これ、は……多分……!」

 

「―――恐らく、宝具を使用しても。

 いえ、そもそも狙いが定まらず、宝具の発動条件を満たせるかどうかさえ……」

 

 ―――“突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)”。

 カルデアの戦いを幾度も助けてきた、クー・フーリンの持つ呪いの魔槍。

 一度放てば必殺必中。相手を確実に貫く、最強の魔槍の一振り。

 

 それを今手にする美遊が、その威力を確かに発揮できる少女が。

 しかしどうしようもないと眉根を寄せた。

 自分の目では相手をそもそも補足できない、狙えない以上投げられない。

 それを確信して、美遊とサファイアが揃って言葉を詰まらせた。

 

 オリジナルのクー・フーリンであれば、可能だったかもしれない。

 だが彼女ではあの獣の戦場へと踏み込めない。

 

「……ねえ、マシュ。あれ、アイツらの戦い、状況が分かる?」

 

 そこでオルタが、戦場であろう場所を睨みながらマシュに問いかけた。

 

『―――すみません、戦闘の内容までは流石に……!』

 

「じゃあそう、ライダーの方。アイツが周りをどれだけ壊してるか、分かる?

 ソウゴが壊したものは除いて、ライダーが壊したもの。

 ビルの残骸とか、足場とか、アイツがどれだけ壊してるか―――分かる?」

 

 戦場の破壊痕をなぞるように、虚空に指を這わせながら。

 破壊よりも後にやってくる轟音を聞きながら。

 彼女はそう続けた。

 

『え、と……! ドクター、すみません。手伝ってください……!』

 

『ああ―――と、これ、は』

 

 数秒、カルデアの方で情報が求められる。

 オルタに要求された方針で掘り下げる情報収集で集まるもの。

 それを目にしたロマニとマシュが微かに目を細めた。

 

『……これ、は。周囲の被害はほとんどが、ソウゴさんの攻撃の余波……だと思われます。

 ライダー、アナザーカブトは、余計な破壊は恐らく一切……』

 

「―――そう。やっぱアイツ、それで済ませる余裕があるわけね」

 

 ジオウは全てを置き去りにする加速の中で走っている。

 周囲にさえ気を配る余裕がないほどに、相手に集中している。

 だが、アナザーカブトは違う。

 

 そうと言われたことに唖然とするイリヤ。

 

「それってまだあれで本気のスピードじゃないって事、ですか……!?」

 

「違うわ、多分ね。いえ、なりふり構わなくなればまだ速くなるかもしれないけど。

 今の話で出た余裕は、きっと違う理由がある」

 

「え、っと? じゃあ……」

 

「……待って、それって……」

 

 ツクヨミが今の会話を聞いていて、そのまま地面に視線を向けた。

 相変わらず戦闘はほぼ見えない。ただ戦闘の余波のみが戦いの状況を彼女たちに伝えるだけ。

 

 ―――丁度そこで、地面に()()()()()()()()()()()()()()

 

 それだけ。()()()()()()()()()()()()()()が大地に刻まれただけ。

 だがそれに対峙している筈のアナザーカブトにそれはない。

 

「―――ライダーの足跡、強引に止まった痕みたいなものが……ない?」

 

 道路を睨んでいた立香が、呆けるようにそう呟く。

 

 見間違う筈がない。

 今のジオウが刻む轍は言うまでもなく、タイヤのそれに似たシューズ痕。

 四足獣であるアナザーカブトのものと勘違いなどする筈がない。

 獣の四肢らしき痕跡はどこにもない。

 

 見えないながらも両者の戦闘は、ぶつかり合い、弾け合い、そしてまた激突する。

 そんな正面からの衝突が何度も繰り返されている。

 だというのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 獣の柔軟な四肢が可能にした、と流すにはあまりにもおかしいだろう。

 

 あの速度で走る物体の脚部に幾度となく踏み締められているのだ。

 超高速で攻撃をぶつけ合い、超高速で弾かれて。

 そこから体勢を立て直すためには、尋常ではないエネルギーが必要だ。

 地面を踏み締めて減速し、再び加速するために地面を踏み切る必要がある。

 どう足掻いたって熱を持つのは避けられない、はずなのに。

 

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「―――固有時、制御……? いえ、違う、多分……

 アイツだけいる時間が―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

 ―――固有時制御。

 自身の体内だけ時間の速さを弄り、自分だけ世界に流れる時間とは違う時流で活動する奥義。

 その名前を口に出して、しかしクロエは即座に否定した。

 それならば、加速しているアナザーカブトの痕跡が地面に残るはずだ。

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()

 彼だけが加速した場合、どうやったってその異常な速度によって世界に痕跡は残る。

 

 そうではない、ということは。

 ―――あれはそもそも加速ではなく、()()()()()()()()()()()()

 通常より速い時流の中で彼が普通に動いているだけ。

 

「どういった理屈か分からないけど、ただアイツが速いんじゃない……!

 この世界でアイツだけ、時間の流れが速い場所で動いてる―――!」

 

「えっと、それで、つまり、どうすれば……!?」

 

 結局どうすればいいのか、と。

 分かったところで何ができるのか、と。

 そう口にしようとしたイリヤの肩を、がしりと掴む手があった。

 

「―――決まってるでしょ」

 

「え?」

 

 少女の肩に手をかけたのは、ジャンヌ・オルタ。

 彼女が視線を向けているのは、メドゥーサの魔眼を封じている眼帯。

 

 オルタの様子を見て、ツクヨミがいつかの光景を思い描く。

 二人の女神がその魔眼をぶつけ合った、バビロニアでの戦い。

 

「イリヤ……メドゥーサの眼?」

 

「そう、それしかないわ。

 あの速さに対して何かできるとすれば、こいつだけ」

 

 誰も追い付けない。誰にも見えない。

 そんな速さの極みにいる相手へ、何ができるのか。

 できるとすれば、何があるのか。

 何かができるとすれば、それは誰なのか。

 その思考に答えを出したオルタが、じいと少女を見下ろした。

 

「……でも、視れなきゃ魔眼の効果は発揮できないんじゃ」

 

『―――魔眼の影響で、その“時流の速い世界”に干渉する……って事かい?』

 

 ロマニの言葉に頷いて、そのままイリヤを見つめるオルタ。

 

「そういうこと。むしろ助かったわ、だっていまアイツだけ別世界にいるのよ。

 その眼なら、他の何にも影響を及ぼさず、ライダーだけを睨み据えることができる」

 

 メドゥーサの魔眼が影響するかどうかは、もはや直接視認するかどうかではない。

 そこで視ているという事実だけで、世界に圧力をかける。

 だからこそ、個人に収まらず世界を睨める魔眼だからこそ、此処で意味がある。

 

「いい、白ガキ」

 

「シロガキ……」

 

「クロさんがクロガキになるんですかねぇ」

 

 短剣からルビーの声、それを無視して。

 少女の肩を握った竜の魔女が、その眼の持ち主の在り方を語る。

 

「―――その眼は呪いよ、世界を呪う恩讐の熱。滅ぼしたい相手を石にするための便利な武器なんかじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それはそんな世界ごと呪い、押し潰す眼だからこそ―――()()()()()()、はず!」

 

「世界を、睨む……?」

 

 メドゥーサ―――ゴルゴーンの瞳は全てを滅ぼすもの。全てを滅ぼしたもの。

 形のない島だけで生きていた、その場所だけで完結していた壊れた女神。

 そんな彼女にとっての全てである、小さな世界。

 それらを全て壊し尽くした呪いの眼こそが、石化の魔眼キュベレイ。

 

 だからこそ。世界を壊したものだからこそ。

 その眼は、世界を睨むことができる。

 

 その感覚を理解しきれず、困惑するイリヤスフィール。

 そうだろうさとオルタが僅かに眉を顰め、言葉を続けた。

 

「特定の誰かじゃない。いま襲ってきている、自分を傷つけようとする世界を睨みなさい。

 その眼なら、それが出来る……はず!」

 

「あやふやですねぇ」

 

「うるさいわね、ぶっつけ本番で本当にできるかどうかなんて分かるわけないでしょ!」

 

 そこまで言って、彼女はイリヤから手を離す。

 理解しきれずとも、現状を変えられる可能性がライダーにしかない。

 それが分かったからこそ、イリヤは短剣を握り締めて。

 

 後ろから、別の手がイリヤの肩に優しく置かれた。

 反応して振り返ってみれば、マスターである立香がそこにいる。

 彼女は少しだけ難しい感情を覗かせて、しかし振り切り、決然として少女の瞳を見つめた。

 

「……ひとつだけ。その眼は確かに呪いの眼かもしれなくて。全てを壊してしまった眼かもしれないけど。同時に―――大切な、守りたいもののこともずっと見てきた眼だから。

 あなたが眼を開く時は。壊すものではなくて、守りたいもののことを考えていて欲しい」

 

「―――はい!」

 

 どうすればそうなるかは分からないけれど。

 しかし確かに背中を押すその言葉を受け取って。

 

 イリヤが眼帯に手をかけて、そのまま前に出る。

 解放される暗黒神殿。ゴルゴンの怪物を象徴する、石化の魔眼。

 それは単純に視たものを石にするだけのものではない。

 制御が効いているうちは、圧倒的なプレッシャーで済むだろう。

 

 だが本性は、世界を押し潰すような理性を失った怪物の呪詛だ。

 イリヤスフィールはその領域に近付かなければいけない。

 ライダー、メドゥーサが使用する範囲では、目の前にあるはずの異界に届かない。

 

 だから、彼女の本性。

 大魔獣ゴルゴーンにまで近づかなければならない。

 クラスカードでどれだけ再現できるかは未知数だ。

 だがそれでも、やらなければいけない。

 

 皆の前に出て、眼を凝らす。

 そうして瞼を見開いて、眼球に力を籠めれるだけ籠めて。

 それでも。

 

(……っ、視え……ない……! これじゃ、足りない……!?)

 

 オルタに言われたように、世界を睨む。

 特定の個人ではなく、世界そのものを恨むように。

 必要とされる性質は復讐者(アヴェンジャー)

 

 開いた魔眼(キュベレイ)で世界を睨む。言うだけなら簡単だけど。

 だが世界を睨めと言われても、具体的にどうすればいいのやら。

 別の世界にいる敵を睨むために世界を呪う。

 一体それは、どんな感情で望めばいいことなのか。

 

 守りたいものを考えて、とマスターは言ってくれた。

 だけど、世界を睨むこととそれが両立しない。

 

 世界が彼女の視線に反応し、停滞していく。

 だがそれは()()()()()()()。睨むべき()()()()()は視えてない。

 

「……っ、ちょっとイリヤ! このままじゃソウゴだけに圧力が……!」

 

 背後からクロの声が聞こえる。

 向こうの世界だけ睨めばアナザーカブトにだけ圧力をかけられる。そういう理屈で言うならば当然、こちらの世界だけしか睨めない場合、ジオウだけが被害を被る。

 現在でもとっくにギリギリなのに、そんなことになったら―――

 

「―――――ッ!」

 

 影響を抑えようと、イリヤが瞼を窄める。

 解放していた魔眼を抑えつける行為に、眼球の中で火花が散った。

 逆流してくる魔力でスパークする脳内。

 

「―――いけません、一時中断を……!」

 

「ま、って……! ルビー……!」

 

 自分の権限で打ち切ろうとするルビー。

 暴れる魔力を抑え込むことに四苦八苦していたイリヤは、それに逆らえなかった。

 彼女の意志に反して、マジカルルビーが強引にクラスカードを排出する。

 

「イリヤ……!」

 

 カードと同時に、魔法少女装束に戻った彼女自身も弾かれた。

 すぐに彼女を受け止めようとする美遊。

 

 ―――その前に、彼女の背をマスターが受け止めた。

 

 そうして立香の手が一瞬だけ迷って。

 しかし、確かに、前に進めるようにと、イリヤの背中を押し返した。

 受け止めるのではなく、背中を押してくれた。

 

 そこで、何となく腑に落ちた。

 イリヤの足が立香の手を借りて持ち直す。

 

 すぐに体勢を立て直そうとする彼女。

 不思議なことに、自分のすぐ前に巌の巨人が立っている。

 そんな幻を見た。

 

(何を恨めば、何を憎めば、何を睨めばいいのか。そんなの)

 

 戸惑う。戸惑っていた。憎しみの眼光が向けられない、と。

 世界を憎んで、その魔眼を発揮しなければいけない。

 それは分かっているのだけど、感情がついていかなかった。

 

 彼女の視線が、そのまま目の前に立つ巨人に向かう。

 ホルダーの中にあるカードから熱を感じる。

 そうでなくともその姿は、いつか見た最強のバーサーカーに他ならない。

 

(自分を使って戦え、って言ってくれてる……のかな。でも今は―――)

 

 巨人、大英雄ヘラクレスが少女から視線を逸らし、振り返る。

 それを追ってみれば、少女の視界では視えない筈の、戦場が見えた気がした。

 バーサーカーのカードの力で、大英雄の視界を借り受けられたのだろうか。

 本来ならばアーチャーが最適と言われるような大英雄の領域だ。

 神速の戦場を彼は、微かとはいえその眼に捉えていた。

 

 広がる戦場。神速の世界を走るライダー。それに追い縋るジオウ。

 ジオウが相手を追いきれなくなるまで、もう時間は残されていないだろう。

 

(―――あの、狼。怒ってるのも、そうだけど……なんだろう、それ以上に)

 

 初めてまともに相手を見た。

 速すぎてまともに見えなかった敵が、やっと視界の中に納まった。

 そうして感じるのは憎しみなんかじゃなくて。

 

(哀しんでる……?)

 

 不思議に思って、イリヤは大英雄を見上げる。

 彼は巌のような顔で、僅かに眉を寄せて。

 

 困った風な彼の顔に、不思議と納得がいく。

 完全に同じ気持ちではないにしろ、目の前の大英雄には共感があるのだ。

 ヘラクレスは、あの嚇怒と悲哀と憎悪の雄叫びをけして否定はしていない。

 

(哀しい、んだ。そっか、あのライダーだけじゃなくて、皆。

 あなたも、オルタさんも、ゴルゴーンも、理不尽な世界に何かを奪われて、哀しいから、怒ってるんだ? それが……アヴェンジャー?)

 

 表情は変わらないのにどこか苦笑するように。

 バーサーカーはゆっくりと、道を開けるように体をずらした。

 

 ―――刹那の間に交わす事になった、誰かとの邂逅。

 

 目を醒ました彼女が、本来の状況に戻る。

 ライダーのカードは排出されたが、まだ目の前で飛んでいる。

 まだ手を伸ばせば届く距離にそれはある。

 

「……なら、わたしは。哀しいのに、怒るしかなくなってしまった……!

 あなたがいる―――()()()()()()()()()を睨む!!」

 

 あの狼はあんなに辛くて、悲しくて、泣きたいくらいに傷ついているのに。

 ひとりぼっちで独走するしかない世界にいる限り、止まれない。

 だから、あんな孤独の世界は止めてみせる。

 

 いまなら、きっとできるはずだ。

 守りたいもののことを考えて、世界を睨むことが。

 それを叶えるために、少女の手がホルダーに伸びる。

 

「イリヤさ……!?」

 

夢幻召喚(インストール)、バーサーカー!」

 

 静止しようとするルビーを無視して、それを成し遂げる。

 そうして光に包まれた瞬間、少女はマスターに押されて前に飛び出した。

 光の中にいるイリヤの手が伸ばされて、空中で飛ぶライダーのカードに触れる。

 

上書き(オーバーライト)――――ライダー!!」

 

 瞬間、世界が震撼する。

 大蛇の視線は、確かに今初めてその世界を捕らえた。

 絶対に逃がさない、という意志が眼光を燃やす。

 

「イリヤ!?」

 

 少女が変貌するのは、四肢を蛇の鱗に包み、臀部から蛇尾を生やした異形。

 大地にのたくう大蛇。大魔獣ゴルゴーンの似姿。

 バーサーカーとライダーを二重にインストールした少女が、その眼を強く見開いた。

 

「あなたが走るために燃やしてる、その哀しい気持ちを止めるために……!

 ひとりぼっちの世界ではもう走らせない―――!

 この眼は、そのために世界を睨めるものなんだから―――――!!」

 

 睨まれた世界、そこに流れる()()()()()()が凍る。

 世界の時流を加速させるものに、直接彼女の魔眼が影響を及ぼす。

 彼女が睨んでいるのはその世界だ。速い遅いなどという次元の話ですらない。

 粒子が魔眼の圧力で停滞し、クロックダウンが発生する。

 

〈クロックオーバー…!〉

 

「――――――――ッ!?」

 

 アナザーカブトが()()()()()()()()()

 文字通りに異次元の速度だった状況が消失する。

 それを認識した獣が虚を突かれ、一瞬だけ足を止めた。

 

「オォオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――ッ!!」

 

 そこで、ジオウが最後の一撃を敢行する。

 とうにフォーミュラの加速限界を迎えていたジオウは全身から火花を噴き散らし。

 しかし逆転した状況で決め切るために、最速の一撃を繰り出した。

 

〈ディ・ディ・ディ・ディケイド!〉

〈カブト! スクランブルタイムブレーク!!〉

 

 最速の踏み込み。それは今のアナザーカブトには対応しきれない速度で。

 ―――それでも。

 

 ジオウはとっくに限界。ならば、複雑な軌道を描けるはずがない。

 全てを乗せた一直線に突撃以外はありえない。

 狼が乗せている首無し騎士は、自身の時間が通常に戻る瞬間にそれを想定して。

 ジオウが突き抜けてくる場所に向け、手にしていた剣を全力で突き出していた。

 

 刹那の後、粉微塵に砕け散る騎士の剣。

 だがそれが稼いだ刹那の隙間で、アナザーカブトが頭の向きを変えていた。

 

 突き出されるアナザーカブトの角。

 剣の軌跡はカブトの角のようにY字を描き。

 

 ―――衝突した瞬間、二つの影は弾け飛ぶ。

 

 吹き飛ばされたジオウがビルだった廃墟に激突する直前。

 投影した網をクロと美遊が支え、その体を受け止める。

 

 対してそのままビルの残骸に突き刺さり、アナザーカブトの体が沈む。

 巻き上げられる粉塵で見えなくなる姿。

 

「やった……?」

 

『いえ、ライダーの霊基健在……!

 損傷はあるようですが、まだ退去していません……!』

 

「―――――ぅ」

 

 マシュの言葉を聞いた直後、イリヤが膝を落とす。

 先程の魔力の逆流でのダメージが消えたわけではない。

 

 それを見た立香がツクヨミと視線を交わし、即座に頷いた。

 そうして彼女たちが揃って、受け止められたジオウに視線を向ける。

 彼も心得たもので、ダメージに喘ぎながらも小さく頷く。

 

「撤退! 今の内にさっきまでいた場所に転移して隠れる!」

 

「マシュ、プロフェッサーの位置は!」

 

『いまそちらに向かって―――ライダーが動きます!?」

 

 彼女の声に緊張した瞬間、瓦礫を掻き分けてアナザーカブトが姿を現す。

 

 しっかりと見れるのは、これが初めて。

 赤い甲殻を纏った四足獣に、漆黒の首無し鎧騎士が騎乗した怪物。

 今はそのアナザーカブト最大の特徴。

 巨大な一本角に、盛大に罅が入っているのが見て取れた。

 ジオウの一撃を受け止めた首無し騎士も、片腕を歪めて力なくぶらさげている。

 

 その怪物が目の前に現れたことで、イリヤが必死に膝を持ち上げる。

 即座にこちらに戻ってくる朱槍を構えた美遊。

 

 ―――そうした相手を見渡して。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――――――ッ!!!」

 

 世界を揺らす咆哮を放ち。

 

 アナザーカブトは即座に転進し、都庁に向かっての走行を開始した。

 同じ時間にいても、その速度は圧倒的で。

 瞬く間に、その姿は見えなくなるほどに距離を離す。

 

 それを見送りながら、イリヤが再び膝を落とした。

 

 

 




 
 加速の理屈の違い的な。
 そういう細かい話はふわっとさせとけばいいから(良心)。

 クロックダウンシステムと化した石化の魔眼。

 バーサーカーに上書きランサーでオルタニキになれたりするんだろうか。
 そしてセイバーでやったら謎のヒロインXオルタに…?
 


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Mのキッチン1999

 

 

 

「わん! わん! わふっ」

 

「うむ。番犬ご苦労、カヴァスⅡ世」

 

 ファーストフード店の地下にある倉庫。

 そこに踏み込むと同時、白い犬が駆け出してくる。

 それを受け止め、撫で回し、セイバーはそう言った。

 

「わっ、かわいい……!」

 

 イリヤが漏らした声にちらりと視線を向け、セイバーが犬をそちらに放す。

 人懐こい様子の犬は、そのままイリヤに飛び掛かった。

 犬にくっつかれて奇声を上げる少女。

 それから視線を逸らし、セイバーは奥へと踏み込んでいく。

 

『バーガーショップの地下……倉庫? ここを根城にしているのかい?』

 

「ああ。丁度いいだろう」

 

 ロマニからの問いにそう返し、セイバーは冷凍庫を示す。

 彼女から視線を向けられて、立香とツクヨミが顔を見合わせた。

 揃って、真っ先に近くの椅子に座ってテーブルに突っ伏したソウゴを見る。

 

 先に使用したディケイドアーマードライブフォーム。

 その力で高速戦闘を長時間行った反動はけして軽くなかったらしい。

 

「まあ、そうね。食事しないわけにもいかないし」

 

「上の店の方じゃないと調理できない、のかな?」

 

「電気……は大丈夫。ガスと水道ってちゃんと来てるのかしら」

 

 冷凍庫を開けてみて、動いている事を確認するツクヨミ。

 彼女が適当に引っ張り出す冷凍された商品を受け取り、立香が天井を見上げる。

 食事するなら地上の店舗で直接の方がいいかもしれない、と。

 

「でしたら、全員で上に上がった方がいいかと。

 アサシンが忍んでこないとも限りませんので」

 

「うん。なら、先に最低限掃除してこよう」

 

 そう言って、犬と戯れるイリヤとクロエをちらりと見つつ。

 美遊はサファイアと共に踵を返す。

 

 それにハッとして、イリヤがカヴァスⅡ世から手を離した。

 どうしたの? とばかりに見上げてくる白い犬から視線を引き剥がし、彼女も立ち上がる。

 代わりに両手で犬の毛をわしゃわしゃとかき回すクロエ。

 

 そっちに後ろ髪を引かれつつ、イリヤは美遊を追いかけた。

 

「ちょ、ちょっと待って! わたしも手伝うから!」

 

「イリヤは休んでいていい。さっきの戦いでイリヤとソウゴさんは明らかに無理をしてたから」

 

 全力でぐったりしているソウゴを見つつ、そういう美遊。

 それは、疲れただろうから休ませてあげよう―――なんて親切心ではない。

 もちろんそういう気持ちがないわけではないが。

 

 ごく単純な問題だ。

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 それはただ一騎の敵、アナザーカブトによって全滅する可能性だ。

 なので、二人の体力回復は現状において何より優先される。

 それは分かっているけれど、と。イリヤが言葉を詰まらせた。

 

「いや……それはそうなんだけど。終わってみればそれほどでもないというか……」

 

「サーヴァント化してる恩恵ですね。生身だったらもっと酷いことになってましたよ?

 ファースト・レディの時もそうでしたけど」

 

 生身の人間とサーヴァントでは根本的な肉体の強度に差がある。

 そう言って羽飾りをぱたぱたと動かすルビー。

 

 確かに何度限界を超えても動けていた感じはする。

 と、納得の表情を浮かべるイリヤ。

 

「あ、あのロッカーが掃除道具かな。道具も上に運んじゃおうか」

 

〈スイカアームズ! コダマ!〉

 

 分かり易く『掃除道具』、と書いてあるロッカーを視界の端に見つけて。

 懐から取り出したコダマを転がして、立香が指をさす。

 彼女の指示に従って、変形したコダマスイカが軽やかに跳躍した。

 扉を開き、ぱぱっとあっという間に道具を纏め、運び出す小さな体。

 

「とにかく、大丈夫だから!」

 

「イリヤがそういうならいいけど……」

 

「じゃあ頑張ってねー」

 

 カヴァスⅡ世を撫でながら、ひらひらと手を振るクロ。

 そんな彼女を胡乱な目で見つつ、しかし一応こちらで待つソウゴの護衛は必要だ。

 なので少しだけ転がる犬を口惜しげに眺めつつ、少女たちはコダマと共に上に向かっていった。

 

「おい、そこの暴走女。お前も手伝ってきたらどうだ?」

 

「は? 何よいきなり、この爆走女。アンタこそ手伝ってきたら?」

 

「はいはい、喧嘩してないで二人とも手伝ってくれればいいから。

 オルタはこれ。セイバーはこれね」

 

 睨み合いになろうとした両者の間に入り、ツクヨミの手が双方に伸ばされる。

 オルタとセイバーに押し付けられる箒。

 二人揃って強引に受け取らされて、彼女たちは微妙な表情を受かべさせられた。

 

 そうした三人を見つつ、立香がプロフェッサーに視線を向ける。

 

「ふむ、もちろん私も手伝うがネ。なるべく腰に負担がかからない業務がいいな」

 

「そう? じゃあオルタとセイバーが喧嘩しないように見ててあげてね」

 

「腰に負担がかかってもいいから別の仕事ない?」

 

 掴まされた箒に溜め息をひとつ。

 セイバーがそれを肩に乗せて、呆れた風に目を細める。

 

「それにしてもその男、野放しにしていていいのか?

 貴様らが知っているかどうか分からんが、それは黒幕の片割れだろうに」

 

 告げられた言葉に対し、気の抜けた間が開く。

 カルデアの者たちもプロフェッサー本人も。

 浮かべているのはどうしたものか、と言わんばかりの奇妙な表情。

 

「セイバー、プロフェッサーのこと知ってるの?」

 

 冷凍されたハンバーガーを纏めながら、ツクヨミが視線をそちらに向ける。

 ひとしきり犬を撫で終えたクロも立ち上がり、警戒を示す。

 そうした反応を当然だろうと受け止めて、肩を竦めるプロフェッサー。

 

『黒幕の片割れ、というのは……』

 

「幻影魔人同盟の首魁はこの男、少なくともこの男と同じ外見のサーヴァントということだ。私は一度交戦したが、能力もそう変わらないだろう。性能としてはあちらの方が強大だったがな」

 

 マシュの問いかけにそう答え、軽い苛立ちを見せて箒を揺らすセイバー。

 そんな彼女の反応に口端を吊り上げ、オルタが真っ先に喋りだす。

 

「はぁ? 一度黒幕とやり合ってるのに逃がしたわけ? は、役に立たない女」

 

「ほう? アサシンに追い詰められ、バーサーカー相手に死にかけてた割りに、口はでかいな」

 

 実は敵のボスだったらしいプロフェッサーをそっちのけ。

 ジャンヌ・オルタとセイバーが視線をぶつけ合う。

 火花を散らしているそこに、腰が引けながらも口を挟むDr.ロマニ。

 

『あー、その、うん。情報の共有を進めてしまってはどうだろう。こちらとしてもこの街で活動していたあなたや、ジャンヌ・オルタの持っている情報は知っておきたい』

 

「ならばいちいち茶々を入れるこの黒いのをどうにかしておけ」

 

「アンタも黒いのでしょうが!」

 

 鼻を鳴らすセイバーに、そのアクションに対して余計にがなるオルタ。

 その二人を放置しつつ、突っ伏していたソウゴが少し顔を上げる。

 

「こんなにあっさりプロフェッサーが敵でもあるって情報が出てくるってことはさ。

 敵もバレることが前提でプロフェッサーを野放しにしてるんだよね?」

 

「そうでなくても怪しいのに、絶対に敵だって思える情報が追加で出てきたもんね。

 あ、ツクヨミ。こっちにポテトがある」

 

 冷凍されたポテトの袋を引っ張り出す立香。

 それを受け取って積み上げながら、ツクヨミが眉根を寄せる。

 

「じゃあそれも……って、どれだけ食べる気よ。

 ここにいるプロフェッサーがどうこうじゃなくて、黒幕の方のプロフェッサーが何を考えてこうしているかが問題ってこと?」

 

 ツクヨミの手が近くにあった段ボールを引っ張りだす。

 その中に詰め込まれていく、山のように積み上がった食料。

 

「安心しろ。ここにある分全てを揚げても揚げすぎということはない。

 アサシン相手に随分と魔力を使わされたからな、量が欲しかったところだ」

 

「つまりこの山盛りポテト女が黒幕と接触してるのは、情報を流すために意図して生還させられたってわけ? へー、なに、こいつがいま偉そうに口にした情報は、利用するためにわざと持たされたお土産ってこと? へー! へー!」

 

「勝敗はさておき、奴が小競り合い以上をする気がなかったのは明白だ。否定はできんな。

 対してお前が拾ってきた情報は信じるに値する。何せアサシンとバーサーカーに黒焦げポテトにされかけていたんだ。口封じすればどれだけ情報を漏らしてもいい、と相手が考えていた可能性を考慮すれば、信憑性は天地の差だ。よくやったぞ、黒焦げ女」

 

「誰が黒焦げ女よ、ぶっ飛ばすわよ!?」

 

 オルタが突き出す腕。その掌に灯る黒い炎。

 その炎を見つめて、分かり易く舌打ちするセイバー。

 

「馬鹿が。冷凍食品を引っ張り出してる最中に火を出すな。まったく、ただの黒焦げ女ならまだマシなものを。表面は黒焦げのくせに中身は生焼けなのが始末に悪い。無論、中身が凍ったままシャーベットなのもごめんだ。揚げる油の温度には気をつけろ」

 

「自動で何か良い感じにしてくれる専用の機械があるんじゃないの?」

 

「それはあるでしょうけど……でも使い方分かる?」

 

 山積みになった袋を見て呟くソウゴ。

 彼の言葉にツクヨミが首を捻り、立香は通信先に声を投げた。

 

「マシュ、検索したら出てきたりしないかな?」

 

『はい。ではファーストフード店で使用されている調理機器のマニュアルを取り寄せます。

 すみませんが、少しだけお待ちください』

 

「聞きなさいよ! アンタも何かないの!?」

 

 もう食い物の話しかする気のない連中を睨み、オルタが叫ぶ。

 ついでに怒鳴られるのは黒幕カミングアウトされたプロフェッサー。

 彼は少し悩む様子を見せて、何故かパチン、とひとつウインクを飛ばして見せた。

 

「私の正体よりポテトの方が注目を集めているなら、このままなあなあにしてしまうのも一つの手カナ、って」

 

「んなわけないでしょクソジジイ!」

 

 ばちーん、と箒が床を叩く。

 それに驚いてびくりと跳び上がるカヴァスⅡ世。

 そんな光景を見て、セイバーが馬鹿を見る目でオルタに視線を送る。

 

「おい、騒ぐのはいいがカヴァスⅡ世を驚かさない程度にしておけ」

 

「だったら人を騒がせるような煽り入れてくるんじゃないわよ!!」

 

「まったく……」

 

 呆れるような、憐れむような、そんな視線を浴びて更にオルタがいきり立つ。

 物理的に熱を帯び始めた彼女を見て、揃ってバーガーとポテトを彼女から離す。

 

「―――で、結局プロフェッサーはどういう立ち位置なわけ?」

 

「うーん……―――少し長くなりそうだ、食事しながらにしようか?」

 

「じゃあそれで。クロ、荷物運ぶの手伝って」

 

「はーい」

 

 そういうことになって、皆で荷物を運びにかかる。

 セイバーもまた大量の食糧を抱え、そうしてちらりと部屋の隅にある空間を見た。

 そっちに置かれたドッグフードを見つつ、彼女は疲労しつつも立つソウゴへ声を向ける。

 

「トキワソウゴ、だったか。

 お前はそっちにあるカヴァスⅡ世のドッグフードを持ってこい」

 

「分かった……そういえばさ、もう分かってるけどセイバーはアーサー王でいいんだよね?」

 

「何をいまさら。セイバー、アルトリア・ペンドラゴン。

 反転こそしているが、アーサー王とは私の事だ。好きなように呼べばいい」

 

 その二人の会話を拾い、即座に絡みにかかるオルタ。

 

「好きに呼ばせてくれるって!?

 だったらアンタは―――そう、ポテトよ! ポテトリア・ペンドラゴン!

 これからそう呼んでやるわ!!」

 

「……衆目の前で自分は他人にそんな馬鹿みたいなあだ名をつけて喜ぶ変人だ、というアピールがしたいなら好きにすればいい。誰かの名を呼ぶとき試されているのは、常に貴様自身の品性だぞ」

 

「――――こいつ敵にならない!? 燃やしていいエネミーにならないの、ねえ!?」

 

 本気の憐れみの視線を受けて、彼女が更にもう一段階ヒートアップ。

 そろそろ武装しそうなオルタ。

 

「どうどう」

 

 そんな彼女を見て、ツクヨミが宥めるように背中を叩く。

 怒り心頭なオルタを前にして、ソウゴが困ったように腕を組む。

 

「所長がいればなぁ……」

 

『いやぁ、所長に抑えられるかなぁ……』

 

「直接会ったことないわたしにも分かるわ。

 今の所長さんが求められた理由って、ストッパーじゃなくてターゲットの分散目的でしょ」

 

 あー、と。ロマニが何とも言えない表情を浮かべる。

 クロエの言葉を肯定も否定もせず、曖昧に笑ってソウゴも動き出す。

 彼が山のようなドッグフードを抱えると、カヴァスⅡ世はソウゴの足元に擦り寄ってきた。

 

 

 

 

「ったく。ゴミどうすんの? 外にほっぽって全部燃やす?」

 

 それなりに荒れていた店舗。

 その中身を強引に薙ぎ払うように掃き清め、端に押し退けてみせたオルタ。

 箒から離した手の指先に黒い炎が灯り、小さく燃え上がった。

 

 そうしている彼女の様子をちらりと見て、アルトリアが呟く。

 

「……間の抜けた村娘と思って一から説明してやろう。

 私―――のみならず、私たちはお前とバーサーカーの戦闘で発生した炎と煙で位置を把握した、とな。わざわざここにいる、と周囲にアピールして敵を集めたいなら好きにしたらどうだ?」

 

「うっさいわね! 冗談に決まってるでしょ!?」

 

「そんなバカな発言を本気でしない程度の知性はあったか。何よりだ」

 

 灰の山のような長髪を振り乱し、オルタがまたもいきりたつ。

 厨房の中で作業を手伝っていた立香がプロフェッサーに視線を向けた。

 

「プロフェッサー、オルタ係の仕事だよ?」

 

「アレに口を挟むのはちょっと無理カナー……」

 

 モップがけをしていた老爺はさっさと視線を逸らす。

 

 端をイリヤとクロが持ち、下からコダマスイカが押し上げて、運ばれるテーブル。

 そうして整えられた場に運ばれてくるのは、大量のバーガーとポテトの積まれたトレイ。

 美遊がせっせと調理し、立香が積み上げて、ツクヨミが運んでくる。

 瞬く間にできあがるバーガーとポテトの山。

 

 そんな光景に割と呆然としつつ、イリヤは目前に積まれた食料を眺めた。

 

 山のように積まれたハンバーガー。

 山のように積まれたフライドポテト。

 盛り上がればいいのか、逆に気圧されればいいのか。

 反応に困りつつも、少女は声を上げる。

 

「山積みのジャンクフード……なんか、妙なハイトクカンがあるような。

 これ、お兄ちゃんが知ったら何ていうかなぁ」

 

 まるで大食い番組みたいというか。

 自分の目線までの高さを有するポテトタワーを見て、少し引くイリヤ。

 

 作業を終えた美遊が、エプロンを外しつつ戻ってくる。

 

「……士郎さんなら、こういうのもそれはそれで楽しみそうな」

 

「お兄ちゃんならジャンクフードのジャンク感にも意義を見出すかもね」

 

 いつの間にやらさっさと手を洗ってきたクロ。

 彼女はひょいとそこからポテトを摘まみ、口にする。

 塩加減は丁度いい。流石の美遊である、と。

 

「確かにこのイケナイ事してる感は普通の料理じゃ得られないカモ……」

 

 彼女たちの兄は料理におけるわびさび、情緒を知る男。

 きっとジャンクフードにはジャンクフードの楽しみがあると言うだろう、と。

 そんな風に考えて、三人の少女が深々と頷いた。

 

「ほう、ジャンクフードにも一家言ある男か。雑さを無為に否定するのではなく、雑なものは雑なものとして魅力を見出す、というのはいいことだ。

 自分の雑さを仕事の速さと誤認している騎士にも見習わせたいものだ」

 

「ガウェイン……」

 

 箒を壁に立てかけて戻ってきたセイバーの言葉。その言葉で思い起こされるのは、ポテトをマッシュする事にかけては他の追随を許さない、円卓の騎士に名を連ねる一人の男。

 そんなツクヨミの反応を見て、セイバーは軽く片眉を上げた。

 

「まあ料理を作ってる人が楽しいに越したことはないんじゃない?」

 

 テーブルでまだまだぐったりとしながらそう言うソウゴ。

 ぼんやりと思い起こす料理が趣味の一つの叔父。

 一年以上会っていない相手がどうしているか、ふと考え込んで。

 

「そういや今カルデアって料理できる奴いるの?

 わざわざマシュがそこにいるってことは、ダ・ヴィンチもいないんでしょ?」

 

 椅子を引いて乱暴に座りつつ、バーガーを取るオルタ。

 

『前は職員の業務に余裕がなかっただけで、今は人理焼却の時ほど切羽詰まってはいないよ。

 普通にそちらで仕事できる人間だっているさ』

 

「ふーん、アンタも出来んの?」

 

『ボクはほら、そんな事をしてる余裕もなく今まで使命に燃えていたから……』

 

 問いかけられたロマニは速攻で目を逸らす。

 別にできないわけではないが、できると口にできるほどじゃない。

 そんな独り身の男らしい態度を見せて、彼は誤魔化すように笑った。

 

「もっと悪びれずに言ってみろ。マーリンにそっくりだと私の名で保証してやろう」

 

『わぁい、キングメイカー・マーリンの最高傑作からお墨付きのろくでなし扱いだ!

 ……マギ☆マリに誰でも出来る簡単お料理紹介コーナーとかないかなぁ……』

 

 そう言って、別画面でどうやらネットアイドルのホームページを表示し始めたらしいロマニ。

 そんな彼の様子を見て、隣で何とも言えない表情を見せるマシュ。

 彼女の頭の上で、フォウが小さく首を傾げみせた。

 

「料理は人に任せればよくない? 王様なら」

 

『ボクの国は王様と患者しかいないから……』

 

「ダ・ヴィンチさんに習えばいいのに」

 

『ダ・ヴィンチちゃんは基本的に簡単な料理をしないんだよ。天才らしく偏屈だから。

 例えばボクじゃなくてマシュが頼んだりすれば、あっさり教えてくれるだろうけどさ』

 

『はい。前回日本に行った時からですが、時々教えて貰っています。それでもまだまだ雑と言える出来のものしか作れませんが―――』

 

 ちらちらと美遊を意識している様子を見せるマシュ。

 イリヤとクロの多分そこ基準にしない方がいいと思う、という表情。

 

 そんな光景を横目にツクヨミが座ろうとして。

 ―――目の前に積み上げたものを冷静に見返して、首を傾げた。

 

「……代金になるもの、置いていくべきかしら」

 

「素直にこの事件を解決することを対価としておきたまえ。

 食い逃げのようで心苦しいかもしれないがネ」

 

 プロフェッサーも席につき、食事に手を付ける。

 食事が目的と言うよりは、まるで積極的に共犯者になりに行くように。

 

 彼の様子に眉を顰めつつ、セイバーはいつの間にやら手にしていた餌皿を置く。

 皿に盛られるドッグフードに反応し、カヴァスⅡ世が駆けつけてくる。

 すぐに食い付き始めた白い犬。

 

 それを見てから自分の椅子に腰かけた彼女が、プロフェッサーを見た。

 

「心に引っかかるというならそれこそ、その男に唆されたことにしておけ。

 最終的にそいつを監獄に叩き込んで解決が一番スムーズだ」

 

「もうちょっと手心をだネ……」

 

「事実として貴様のせいだからな。あらゆる意味で」

 

 苦い顔のプロフェッサーにそう言って、肩を竦めるセイバー。

 彼は彼女の態度に目を細め、口許に手を当てる。

 

 そんな風に何となく各々食事に手を付け始めて。

 まだ体が重そうなソウゴに、立香が目を向けた。

 

「大丈夫?」

 

「なんとかね。ただ、アナザーカブトは倒し切れなかったけど」

 

 最後の交錯。あそこで詰め切れたはずだ、と。

 少々の後悔を滲ませながら、ソウゴが深々と息を吐く。

 そうしていても仕方ないとは分かっている。

 ので、もちろん食事には手を伸ばす。

 

「そう落ち込むものじゃないよ、我が魔王。

 あと一歩だったじゃないか」

 

 そうした声と共に、ソウゴと同時にハンバーガーを一つ取り上げる腕。

 彼はさっさとそれを頬張りながら、ソウゴの隣に着席した。

 そんな風に現れた相手に溜め息ひとつ。

 

「そりゃ黒ウォズはさ。

 俺がカブトの力を手に入れる前に、アナザーカブトを倒されたくないだろうけど」

 

「おや、私はそんな心配はしていないんだがね。

 ところで、ポテト用のケチャップはないのかな?」

 

 王からの尖った言葉を聞き流し、黒ウォズがポテトにも手を向ける。

 言われて気付いた立香が軽く手を打つ。

 

「あ、下の冷蔵庫にはいっぱい入ってたよ。持ってきてなかった」

 

 彼女の言葉に鷹揚に頷いて、黒ウォズはツクヨミに顔を向けた。

 

「ではツクヨミくん」

 

「自分で取ってきなさい」

 

「ついでに俺のも取ってきてよ」

 

「面倒だ、纏めて持ってこい」

 

 ツクヨミに軽く手を払われ、ソウゴに指示され、セイバーに追加される。

 何故か流れるようにケチャップ回収要員にされていた黒ウォズ。

 彼がいかにも難しそうな顔で、着席して食事している面々を見渡した。

 

「我が魔王以外の王の命令を聞く理由はないんだがね」

 

「俺の命令も入ってるんだから別にいいじゃん?」

 

「そう言われてしまえばそうなんだが……」

 

 何とも納得しがたい、という表情の黒ウォズ。

 そんな彼の動きがとろい、という事でポテトをつまんだオルタが顔を動かす。

 視線の先にプロフェッサーを捉え、彼女はポテトで彼を指した。

 

「持ってくるなら早くしなさいよ。

 ほら、あんま食べる気ないならそっちのアンタでもいいわよ」

 

「私かネ? うーん……この歳になると、自分で食べるより若い子の食べっぷりを見てる方が気分がいいのは確かなんだがネ。

 そうしてあげたいのは山々だが、それはそれとして。残念なことに一度こうして座ってしまうと、腰の負担の関係上中々動けなくなってしまって……」

 

「ジジ臭いこと言いますねぇ」

 

 イリヤの髪に止まったルビーが発する、どことなく遠い声。

 

 先にカルデアでしていた会話からして、老いに何か思うところがあるのだろうか。

 そんな事を考えつつも、イリヤは大人しく食べ進める。

 普段なら躊躇する量の料理でも、サーヴァントの体ならあんまり気にしなくてよい。

 それを少しだけ楽しみつつ、新たなバーガーへと手を伸ばした。

 

 溜め息混じりに黒ウォズの手がストールを弄び始める。

 そんな動作を見咎めたツクヨミがすぐに反応し、黒ウォズの手を抑えつけた。

 

「それ使うとき強い風が起きるから食事中に使わないで。

 階段ちょっと降りるだけなんだからワープとかじゃなくて歩きなさいよ」

 

「だって、黒ウォズ」

 

「……今度からはケチャップが食卓に並んでから出てくる事にするよ」

 

「むしろ最初から持ってきてくれればよかったじゃん?」

 

 肩を竦めて立ち上がり、地下への階段へと向かっていく黒ウォズ。

 それを見送りつつ、セイバーがバーガーを口に送り込む。

 

「ではケチャップを待つ間に話をつけるとするか。

 もう一度言うがその男はこの特異点の黒幕だ。少なくとも、同一人物である事に違いない」

 

「私の正体はケチャップが来るまでの待ち時間程度の価値……?」

 

 流れるように、さして声を荒げるでもなく吐き出される言葉。

 ハンバーガーを食べながらの告白に、一瞬だけ場が静まった。

 空気がひりつく、というほどではなく。

 僅かに硬くなった空気の中で、オルタが再度ポテトを振り回した。

 

「で、アンタからは何かないの?

 この黒いのが言う事にゃ、アンタは敵のボスだって話だけど?」

 

「うーん……まあ、正直納得というか。やっぱりかァ、くらいなものだネ」

 

「こちらとしても納得しかないけれど」

 

「あとはどう処分するかでしょうか」

 

 オルタからの問いに、プロフェッサーはお手上げとばかりに両手を挙げる。

 細めた目でそんな彼を見据える美遊と、同調するサファイア。

 彼女の態度にイリヤが少し口元を引き攣らせた。

 

「それで、プロフェッサーからは何か話すつもりがあるの?」

 

「無いと言ったら訊かないのかネ?」

 

 立香からの質問に質問で返すプロフェッサー。

 問い返された彼女はポテトをくわえたまま、小さく首を捻る。

 

「……プロフェッサーが『自分はそうするべきだと思ってる』って言ってくれるなら」

 

 隠した方がいい、と宣言してくれるならこれ以上は訊かない、と。

 自分たちを思って隠匿する気ならそれを信じる、と。

 そう言われた老爺は片眉を小さく上げ、すぐに自分の言葉を笑い飛ばした。

 

「…………ははは、まァ別に隠すつもりもないのだがネ。

 私は先程の戦場、アサシンからの情報で自分の真名にも辿り着いた。多分合ってる、はず」

 

「え、そうなんですか?」

 

『ええと、それは一体……?』

 

 イリヤとマシュの驚いたような視線を受けて、自慢げに胸を張るプロフェッサー。

 が、そうして数秒後には微妙な顔をして縮こまった。

 

「なによ、急に小さくなって。まあそもそも自分の名前を推理できた、って話が自慢として受け取りづらいから別にいいんだけど」

 

「辿り着いた自分の正体が何となく自慢しづらいんじゃない?

 最低最悪な感じな人だったんでしょ?」

 

 珍妙な様子を見せるプロフェッサーに呆れるクロエ。

 そんな彼女に対し、ポテトをもりもり食べつつソウゴがそう言って。

 

「いやァ、流石に最低最悪ってほどじゃないと言いたい……が。

 正直なところかなり最低最悪だ。自慢げに話せる名前じゃない感じだネェ……」

 

「別に私たちの中の誰も、プロフェッサーのこと清廉潔白な英雄だなんて思ってなかったし。どんな名前が出てきても『そうだったんだ』で終わりじゃない? それって今更気にするところ?」

 

 正直にそう言ったツクヨミに対し、何とも言えない顔をするプロフェッサー。

 そんな彼の様子を横目で見つつ、手は一切止めないセイバー。

 

「それで? 話す気があるのかないのか、はっきりしろ」

 

「―――……そうだネ。せっかくだ、相手の目的と一緒にそれを解き明かしていこうじゃないか」

 

 セイバーからの詰問に数秒迷い、プロフェッサーは小さく笑う。

 彼が示したその態度に首を傾げる立香。

 

「目的って、黒幕の方のプロフェッサーの?」

 

「そう。もう一人の私はあの改造都庁に籠って何をしようとしているか、分かるかネ?」

 

 先に整理した情報の中で、どう考えても浮いていたプロフェッサー。

 聖杯に呼ばれたサーヴァント、それに対するカウンター・サーヴァント。

 そのどちらでもないサーヴァントが二人いた。

 

 それが黒幕のアーチャーと、プロフェッサー。

 この二人が同一のサーヴァントだと言うのなら、

 

「黒幕のアーチャーはそもそもこの特異点を作り、聖杯戦争を始めた張本人、のはず」

 

「それと同じプロフェッサーはどっから出てきたんだろ。分身?」

 

「増える能力を持ってるとか?」

 

『相手には聖杯があるんだ。あと、幻霊と英霊の融合まである。増えられるかどうかより、増えることで何をしたいかを考えた方がいいかもね』

 

 黒幕のアーチャーが聖杯を手にし、聖杯戦争を開始した。

 つまり聖杯が手元にある以上、彼は真っ当ではない方法で、何らかの目的を持ってプロフェッサーを発生させた可能性がある。

 方法ではなくその理由を考えた方がいい、と言われて揃って首を傾げる面々。

 

「……そういや改造都庁のこと、アサシンが“バレル”とか呼んでたわね」

 

「バレル、銃身? あの塔になってる建物が?」

 

 ぽつりとオルタがこぼした言葉に、ツクヨミが顔を向ける。

 彼女は軽く頷きながら、ポテトを口に放り込んだ。

 

 幾度かそこから発射された剣弾を思い起こし、クロが眉を顰めた。

 

「確かに狙撃手のアーチャーの方は銃使いだけど……」

 

「いや、恐らく“私”というアーチャーのための銃身だヨ、アレは。

 この特異点に敷かれたギミックは、全て“私”の目的のためのものだろう」

 

 クロエの言葉に首を横に振って、プロフェッサーはそう言って。

 そんな彼の言葉がバレルの事だけを語っているわけではなさそう、と。

 イリヤは今まで見てきたこの世界の仕掛けをもう一つ思い出す。

 

「ギミック……って、そのバレルだけじゃなくて、物語が強い意味を持っていることも?」

 

「……この世界では物語の流れが事象を補強する。そして何かを撃つための銃身が建造されている。普通に考えれば、物語の通りに何かを撃つ……のが目的になるはず」

 

「では。何を、どこへ、あるいは誰へ。バレルの照準と弾丸を推測すべきでしょうか。

 ―――あれほどの塔を銃身とするなら、弾丸も相応の規模と考えるのが自然ですが……」

 

 悩み込む美遊とサファイア。

 彼女たちが考え込んで黙りこくってしまった後、立香が壁に立てかけられた棺桶に目を向ける。

 

「つまり、プロフェッサーの正体はそんなでっかい砲弾を撃てるアーチャー?」

 

「その男の戦闘力。アーチャーとしての武器は、恐らく混ざった幻霊のものだろう。

 本来はアーチャーとしての性質さえ持ってない。それはそいつの戦い方を見ていれば明白だ」

 

 一切減速せずにハンバーガーを崩しながら、そう言って顎をしゃくるセイバー。

 そうして示されたプロフェッサーは、同意するように頷いた。

 

「そうだネ。本来の私単体で考えるならば、適性はキャスター辺りか。

 あの棺桶は私と幻霊の性質が混ざって宝具化したものだろう。結構な霊基改造ぶりだヨ」

 

「銃……プロフェッサーの棺桶は基本的に幻霊のもの?

 んー。つまり、それもバレルを使うために何かを補強する手段、だったのかな?」

 

「恐らくはな」

 

 ケチャップはまだか、という視線を階段に向けつつ。

 彼女の手はやはり止まらず、ファーストフードの山を軽快に崩していく。

 

 そこまでではないにしろ、相応に食べつつソウゴが今までの戦闘を思い返す。

 プロフェッサーの射撃。放たれるのは銃弾、ミサイル、レーザー。

 そうして吐き出す火力は全て、相手を追尾する性能を有していた。

 

「……プロフェッサーと混ざってるのは自動追尾してくれる銃弾、を撃てる幻霊?」

 

「幻霊ねぇ……ファントムの連れてたクリスティーヌ。アサシンがどうこう言ってたドッペルゲンガー。ああ、そういやアサシンは名乗ってもいたわね。

 えーっと、天罡星? 三十……いくつだったかしら。そこ何番目だったか、天巧星とか」

 

「アヴェンジャーには忘却補正とかいうスキルがあったはずだが、まるでニワトリだな」

 

「ああん!?」

 

 戦闘中に交わした幾つかの会話を思い返し、オルタはバーガーを口にしつつ喋る。

 そんな彼女に横目を向けて、冷淡に言い放つのはセイバー。

 さっさと会話の内容を引っ張り戻さないと、と。ロマニがすぐさま口を挟んだ。

 

『天巧星……なら恐らく浪子燕青だろう。

 水滸伝の登場人物で、梁山泊の第三十六席に名を連ねる好漢。天巧星の生まれ変わりとされていて、中国拳法の中でも彼の名を冠する燕青拳という流派の達人だ』

 

「そいつよそいつ、多分」

 

 言われても分からないが、そう名乗ったからにはそうなのだろう。

 そんな彼女の様子に小さく溜め息を一つ。

 バーガーを一個口に放り込み、セイバーは話を続けることを促した。

 

「まあそいつのことはさておけ。先にそっちの黒幕を片付ける」

 

「……あとは首無しの騎士、デュラハン。スリーピー・ホロウの伝説。

 幻霊はそういった、単体で英霊として成立するには弱い伝承からくるもの」

 

 騎士王の言葉に頷いて、美遊がもう一騎確認されている幻霊を口にする。

 ライダーに騎乗している首無し騎士。あれもまた幻霊であるはずだ。

 

「うーん。共通点とかある、のかな?」

 

「……強いて言うなら、デュラハンもドッペルゲンガーも、そしてある意味クリスティーヌも。相手の死を告げる者、って事ね。前者二人は相手の前に顔を出すこと自体が死の宣告。クリスティーヌはオペラ座の怪人に死という結末を与えたもの。ま、意図してかどうかは知らないけど」

 

 オルタの語った言葉に、へえ、という声。

 その声を上げたソウゴに対し、オルタの刺すような視線が飛ぶ。

 それを気にもせず、彼は壁に立てかけてある棺桶の方へと視線を向けた。

 

「だとしたら、プロフェッサーとくっついてる幻霊もそういう伝承?」

 

「銃が絶対当たる、人が死ぬことを宣告する伝承……?

 ううん……ねえ、ルビーはそういうの知ってる?」

 

「ふーむ……―――“魔弾の射手(デア・フライシュッツ)”、ですかね」

 

「であ、ふらい……?」

 

 ルビーにそう返されたイリヤが、ポテトフライを見る。

 そんな半身の反応にジト目を向け、クロエが頬杖をつく。

 そうしながら伸ばした手が、大皿から纏めてポテトを七本掴み取った。

 

「……魔弾の射手(デア・フライシュッツ)。悪魔との契約で作った7発の銃弾を持つ狩人たちの戯曲。その内の6発は望んだ通りに命中するけれど、最後の1発は悪魔が操り大切なものを奪う、っていう」

 

「死の宣告、とは違いますが、行動以前に前もって死を確定させるという意味では近いかと。あれは7発目の弾丸で奪った命を悪魔の生贄として捧げる、という契約です。6発の弾丸を必中させるという対価を既に受け取っている以上、7発目における標的の死、魂の支払いは絶対です。

 まあ、7発目の標的を決めるのは悪魔ザミエルですが」

 

「しかし姉さん。幻霊であることを差し置いても、魔弾の射手で目的が果たせるのでしょうか。

 あの物語は奸計を弄した者が悪魔に囚われ地獄に落ち、最終的に大団円で決着するのでは?」

 

「今の話の流れでハッピーエンドで終わるの?」

 

 ルビーに問うサファイアの言葉に反応し、ツクヨミが首を傾げる。

 概要を聞いただけでは不穏さしかなかったというのに。

 どうやらハッピーエンドで終わる物語だったらしい。

 

「ええ。ですので“物語”の影響が強い今のここの世界観では、むしろ最終的には自分を撃ち抜きかねないです。状況と能力はあまり噛み合ってはいないですね」

 

「そっかぁ」

 

「―――いや、だからいいのだヨ」

 

「え?」

 

「……私はこの世界において、敗北が決定づけられている。

 もう一人の私は一切躊躇なく、その道に舵を切っている」

 

 そう言って、プロフェッサーはゆっくりと立ち上がった。

 緊張に強張るセイバーとオルタの雰囲気。が、彼はそれを気にする様子はない。

 どちらにせよセイバーにやる気があれば、彼は棺桶を掴む暇もなく両断される。

 気にしてもしなくても変わらない。

 

「幻霊、魔弾の射手。私に融合している者の正体は、それで恐らく正解だ。

 この世界観を築くという方針と噛み合っていないように見えるが、それこそが最大の仕込み」

 

「……一見噛み合ってないそれが、プロフェッサーが利用できる最高の状況ってこと?」

 

 彼はソウゴの問いかけに答えず歩き出し、少し離れた位置で足を止めた。

 そうして振り返り、全員を視界に収めると不敵に微笑む。

 

「―――では、私が私の真名に辿り着くに至った、ピースの正体を白状しよう。

 巨大な銃身には、そこに収めるべき弾丸が必要だ。

 地上から天に向かって聳えるあんな巨塔だ、弾丸の正体も自然と限られる」

 

「……弾丸を地上から空に撃つ、じゃないとしたら。空から地上に落ちてくる?」

 

 立香の言葉に鷹揚に頷いて、彼は天井を指差した。

 その先にある天を示すかのように。

 

「隕石だヨ。あのバレルは、隕石を地球に撃ち込むためのギミックだ」

 

「隕石、って。え、あのバレルにすっぽり入るくらい大きな、ってこと……?」

 

「……地球に撃ち込む、ね。

 日本はとんでもないことになるかもしれないけど、随分大きく出たもんだこと」

 

 唖然とするイリヤ。対してオルタは呆れるように頬杖をついた。

 バレルのサイズから言って、数百メートル規模。

 そのサイズの隕石が地上に落ちたら、被害は新宿どころではないだろう。

 だが、彼の口振りはまるで地球自体をどうにかすると言いたげで。

 

 そこで小さく眉を顰めたセイバーが腕を組み、椅子の背もたれに体を預けた。

 

「―――それで魔弾の射手か。地球の急所を撃ち抜くための」

 

「それって、バレルを通して弾丸として地球の中心に隕石をワープさせる、ってこと?」

 

『いや、流石に幻霊である魔弾の射手ではそこまでの誘導力はないはず……』

 

 ポテトタワーをバレルに見立てて見上げ、ソウゴが眉を顰める。

 彼の言葉を流石に無理だと否定しようとするロマニ。

 そんな彼の声を遮って、プロフェッサーは言葉を続けた。

 

「―――私はね、私の著作において一つの解を出した。

 これを書いた筈だ、という感覚こそが私に私の真名を知らせてくれたのだヨ」

 

『著作、ですか? もしや、プロフェッサーさんは実は作家系の……?』

 

 マシュの問いに答えず、プロフェッサーは目を瞑る。

 そうして自身の書いた論文の内容を反芻するように数秒置いて。

 彼は己が記したものの内容を、静かに口にし始めた。

 

「火星と木星の間にある小惑星帯(アステロイドベルト)は一つの小惑星を起源にするものであり、その小惑星が破壊され、現状の小惑星帯になるにはどれほどのエネルギーが必要か。

 その数値を求める“式”を解き明かした論文こそが、自著『小惑星の力学』だ」

 

『小惑星の力学、って。それは……!?』

 

 そのタイトルだけで思い至るには十分だ、と言わんばかりに。

 マシュが目を見開いて、プロフェッサーの顔を見つめた。

 

「そこに記した解答を出すための式が正しいならば当然、別の数値を入れてやれば必要なエネルギーは算出できる。小惑星を地球に置き換えれば、地球を破壊して小惑星帯に変えるために必要なエネルギー量が求められるわけだネ」

 

『いえ、そんな。だとしたら、あなたの真名は……!』

 

 戦慄くマシュに苦笑しつつ、プロフェッサーは口を止めない。

 

「何が敗北かなんて考えるまでもない。

 私は目的を達成できず、宿敵に滝壺なりに突き落とされて死んでしまっておしまいだ。

 この世界は最終的にそこに、私の敗北に辿り着くようにデザインされている」

 

 何とも言えない表情で肩を竦めてみせる彼。

 どこかひょうきんにおどけるような様子に、美遊がゆっくりとサファイアを握る。

 彼女も彼の正体に辿り着いた様子で、張り詰めた表情を見せた。

 

「……さて、改めて言おう。私には敗北が決定づけられている。だが視点を変えてみよう。

 私の敗北という絶対不可避の現象を武器に変える方法がある。

 犯罪者として暴かれ、シャーロック・ホームズにボコボコにされる事こそ私の敗北だ」

 

 シャーロック・ホームズ、と。その名を口にして、皆を見回す。

 その名探偵の宿敵として語られるのは、ただ一人。

 悪のカリスマにして、全てを裏から操る犯罪コンサルタント。

 

 彼が警戒する美遊に視線を向けて、問いかける。

 

「では、それ以外のカタチで私の敗北があるとするならば?」

 

「…………数学者としての成果。『小惑星の力学』が、否定されてしまうこと……」

 

「―――その通り、優秀な生徒で何よりだネ。

 数学者として出した解が、間違っていると()()されてしまうこと。

 それは紛れもなく私という人間にとっての敗北だ」

 

 称えるように拍手して、彼は言葉を続ける。

 

「目の前に紛れもない結論が用意された時。私は私の計算が間違っていたのだと、完膚なきまでに証明された、完全なる敗北を認めなければならない。

 だからこそ、私は見届けることになる。私の出した『小惑星の力学』という()が間違っていたと、実際にこの惑星を使って証明される瞬間を」

 

 手にしたステッキで床を軽く叩き―――地球を示す。

 これは、()()なのだ。

 彼という人間は、地球を壊して小惑星帯になるまで砕くのに必要な数式を導き出した。

 実行されることはなかったが、それでも必要な数字は解き明かしていた。

 

 それこそが彼という数学者が求めた、最終式。

 だからこそ、勝敗の天秤に乗せるに足る。

 

「―――数学者としての私。その敗北は、私が狙った場所に、私が想定した惑星破壊規模のエネルギーを持つ隕石が直撃し、その上で地球が小惑星帯にならないという結果だ。

 ……分かるかね? この世界の向かう先は―――この私、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼はこの特異点で必ず敗北する。

 勝敗の天秤がどちらに傾くかは、手を離す前から決まっている。

 彼の敗北を“証明”するためには、この惑星に致命的な一撃を与え、その結果を実現させなくてはならないのだとしても。

 

 それは約束された敗北に至るまでの、確実に訪れる過程。

 誰にも彼の敗北は止められない。だからこそ、この惑星の終わりも止められない。

 

 ―――それこそが、悪魔と契約した人間が、最後に放つ必殺の魔弾なのだから。

 

 

 




 
 犯罪コンサルタントと言えばリッチリィイイイイッチハイカー教授が思い浮かぶマン。
 カーレンジャーの話するなら七夕に投稿しなければいけなかったのでは?

 七夕を迎え天の川へ向かう織姫と彦星。
 疲れからか、不幸にも野性の車に激突されそうになってしまう。
 愛車をかばいすべての責任を負った猿顔の一般市民に対し、
 警察官だが、半ば暴力団員みたいなシグナルマンが言い渡した釈放の条件とは・・・

 野性の車には気をつけよう。

 2周年を越えてたらしい。
 


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怒れる獣2017

 

 

 

 こつこつと足音を鳴らし、彼は地下倉庫に辿り着く。

 そうして一人冷蔵庫の前に立った黒ウォズは、首に巻いたストールを大きく跳ね上げた。

 その直後からぼんやりとして見える世界の中で、彼は咳払いをひとつ。

 手にしていた『逢魔降臨暦』を開き、どこかを見つめた。

 

「この本によれば普通の高校生、常磐ソウゴ。

 彼には魔王にして時の王者、オーマジオウとなる未来が待っていた」

 

 そうしつつ、彼の手が伸びるのは冷蔵庫。

 開かれたそこに大量に入っているのは、小さい容器に詰められたケチャップ。

 それを一つ摘まみ上げて、弄びつつ。

 

「そんな覇道を魔神王ゲーティアから取り戻した彼は、いまこうして1999年の日本。

 ―――魔都、新宿へとやってきている」

 

 そう言った彼の背後に浮かぶのは、赤い姿。

 昆虫の甲殻を思わせる鋼の鎧。

 頭部から一本角を伸ばし、威風堂々と構えるそれこそが。

 

「この地で彼が継承するべきレジェンドの力は、仮面ライダーカブト。

 切っ掛けとするべき事象も既に用意されているが」

 

 自身の背後に浮かんだヴィジョン。

 仮面ライダーカブトへと視線を向けて、僅かばかり目を細める黒ウォズ。

 彼は手近な位置にあったバスケットを見つけ、そこにケチャップを放り込む。

 

「……しかしどうにも。あの男に整えられているようで座りが悪い。

 我が魔王ならば問題はないと思いますが、私も少し手を出す事にするとしましょう」

 

 そう言った黒ウォズが大量のケチャップを引きずり出す。

 それを纏めてバスケットに放り込んで持ち上げると、彼は踵を返した。

 

 階段に向かって歩き出す黒ウォズ。

 やがて彼の姿が見えなくなり―――赤い戦士の姿が、僅かにブレる。

 

 霞んだ一瞬の間その場で浮かぶ姿は、黒い戦士のもの。

 カブトと同じ姿の、しかし別の何かが。

 刹那の間だけ姿を見せて、すぐに消え去った。

 

 

 

 

 壁に寄り掛かった狙撃手が僅かに身動ぎしたのを理解して、男は視線を上げた。

 それと同時に曲芸師のような軽やかさで舞い降りるのは、一人の無頼漢。

 バレルの心臓部に降り立った彼は、肩を回しながら軽く笑ってみせた。

 

「ふぃーい、っと。帰ってきたぜ、ご主人様」

 

「お疲れ様。少々の予定外があったようだが、支払いは滞りなく行われたようで何よりだ」

 

「予定外ねえ、本当にアンタがそう思ってるかどうかは眉唾だが。

 ま、問い詰める意味もありゃしないし、大人しく頷いておきますか」

 

 そう言って壁に背を預けるアサシン―――浪子燕青。

 

 彼に苦笑を返してから、黒幕たるアーチャー。

 ジェームズ・モリアーティは狙撃手へと視線を向けた。

 

「さて、アーチャー。すまないが留守番を頼むよ。私はちょっと出てくるからね」

 

 反応は軽く顎を引くだけ。

 それを同意として受け取って、モリアーティは歩き出した。

 そんな彼に視線を向けて、燕青が首を傾げる。

 

「で、俺はもう元の仕事に戻ればいいのか?」

 

「まあ後必要なのは時間稼ぎくらいさ、この世界観が目標深度に届くまでの。

 それはライダーがいてくれれば事足りる、と言いたいところだったのだが」

 

 ―――そう言って苦笑したモリアーティ。

 直後に大気が揺れた。原因は外に到着した餓狼の咆哮。

 

 ライダーにとっては燕青も狙撃手も敵だ。

 見かけたら殺しにかかってくる程度には打ち解けていない。

 だからライダーに用があるならモリアーティ自身が足を運ぶしかない。

 

「残念なことに、彼は相応の傷を負って帰ってきた。

 時間稼ぎを担当する彼の回復のために、時間稼ぎが必要になってしまった」

 

 そして彼は、今からライダーの治療に入るという。

 治療中、当然ライダーが戦働きができるはずもなく。

 燕青がうへぇ、と表情に厭戦感情を浮かべる。

 

「そりゃあれか? それを俺にやらせたい、っていう?」

 

「ああ、そうだとも。そしてその任務が完了した暁には、君にはこの世界の支配者である私が与えられる、()()()()()()()()()()()()とも」

 

「―――――」

 

 大したこともないように、モリアーティはそこに踏み込んできた。

 そんな報酬を突き付けられ、燕青は数秒固まって。

 

「―――まだ足りないかね?」

 

 モリアーティの探るような視線を受けて、再起動した。

 

「……いや、もういいんじゃねえかな? いいさ、受けるとも。

 代わりに教えてくれよ、アンタの計画だと最後はここはどうなるんだ?」

 

 ドッペルゲンガーがからりと笑う。

 僅かに眉を動かすだけで、それに笑みを返すモリアーティ。

 

「私の計画上、地球が木端微塵とはいかないだろう。

 私が最期を見届けなければならない都合上、結果は間違いなく()()()()

 派手な最後にはならない。とはいえ、ここが生命の住めない死の星になるのは間違いないが」

 

 彼の計算が求めるのは、地球を破壊して小惑星帯にするだけのエネルギー。

 それ以上の結果でも、それ以下の結果でも、計算違いという敗北が彼に訪れる。

 

 だからどっちか。

 地球が欠片ひとつ残さず消し飛ぶか。地球がある程度は原型を保ったままか。

 大別するとこの二択になるのだが、あとは()()()の問題だ。

 

 地球ごと吹っ飛んだら、敗北を見届けずに死んでしまう。

 それよりは、思ったよりエネルギーが足りなくて地球が壊れなかった、という事実を見届ける羽目になる後者に誘導される可能性が非常に高い。

 

 もちろん、地球の核に隕石を叩きこむという事象は変わらない。

 例え砕けなかったとしても、惑星として死亡することには変わりない。

 違いとなるのは死体の損壊状態だけだ。

 地球が死ぬ以上、当然のことながら地球上の生物は死滅するだろう。

 

「……つまり、命を懸けた仕事の果て。

 アンタが約束した栄華が俺に支払われることはない、と?」

 

 薄く張り付けた影の仮面。

 それで表情を取り繕いながら、燕青が放つ言葉。

 彼の問いかけに対し、当たり前のことだとばかりにモリアーティは笑って返す。

 

「もちろん。君は絶対に手に入らない栄華を報酬に、戦いに向かうことになる。

 逃げたいならば止めはしない。そういう人間だと知って、私は君を呼んだのだから」

 

「――――ああ、そう」

 

 彼は薄く笑ったまま、ゆっくりと天井を見上げた。

 抜けた天蓋。弾丸を装填するために解放されているバレルのチャンバー。

 数秒間そうしていた彼が顔を落とし、再びモリアーティと視線を合わせる。

 

「……受けるさ。今なら受けられる。どこからどこまでが自分かも分からないようにしてくれた、ドッペルゲンガーのおかげさぁ。ただの“浪子燕青”なら逃げだすのが道理だろうが、魔都新宿に呼ばれた混ざりもののアサシンなら―――……ああ、馬鹿みたいな話で具合がいい。ドッペルゲンガー様様だ。主人を見捨てた従者はようやく、ここで同じように死ぬわけだ」

 

 燕青だったものがからからと笑う。

 まったくもって馬鹿馬鹿しいからこそ、最高だと笑う。

 わざとらしくほっとした様子を見せて、モリアーティもまた笑みを返した。

 

「それは助かる。手数でカルデアに劣るのは言うまでもないからね。

 ……しかしもしよければ、参考までに何故そうするのか聞いてもいいかね?」

 

「どうしてか、ねえ……理由があることでもないんだがなぁ。

 ま、従者なんて元より主人の(ドッペルゲンガー)みたいなもんだからかね?

 映すべきものから離れた影は、何にもなれず消えゆくのみ。

 死ぬことさえなく生き延びた俺には、終わりさえ訪れなかった」

 

 ゆらりと燕青の体が揺れる。

 バレルの正門前にはライダーが来ているのだ。

 流石にいま襲ってはこないだろうが、鉢合わせないことに越したことはない。

 彼のそれはバレルを駆け上がり、上から抜けていくための予備動作。

 

「―――ああ、なんか真面目に考えて馬鹿みたいだ。ひでえ話さ。

 俺も、バーサーカーも、ライダーも、そっちのアーチャーも。

 終わり際を見失って、本性では終わりたがってる莫迦ばっかなんだろうさ」

 

 巻き込んでくれるな、という狙撃手からの視線。

 それを鼻で笑って、燕青が腰を大きく落とす。

 

「終われるならそれに越したことはない。

 だってのに、自分の終わりと見越してた筈の場所を見失っちまったんだよなァ。

 なあ、憶えてるか? アンタが最初、どこで終わろうとしていたか」

 

 壁に寄り掛かっている狙撃手が僅かに肩を竦め、溜め息をひとつ。

 

 バーサーカーは終わらせてくれる愛を踏み躙った。

 ライダーは終わるために帰る場所を喪った。

 アーチャーは終わりを捨てて終わらせる側についた。

 

 アサシンは。

 裏切られて終わる主人についていくこともなく。

 主人が裏切られる前にせめて自分で終わらせることもなく。

 ただ、運命から逃れて消え去った。

 

 そんな自分を笑い飛ばし。そんな連中を笑い飛ばし。

 燕青は足に力を籠める。

 

「―――ハハ。ま、そうだよな。そうなってなきゃこんなとこにいるわけない。

 せいぜい巧く使えよプロフェッサー。どこに狙いをつければいいかさえ定まらず、外れちまって、最後にどこに当たってたかさえ誰にも分からねぇ。そんな出来損ないの鉄砲玉(おれたち)を」

 

 床を蹴り、爆発したように跳ぶ燕青。

 それが壁を蹴りながら、バレルの外へと向かって加速していく。

 瞬く間に小さくなっていくその背中を見て、微かに目を細めるモリアーティ。

 

「――――ああ、もちろん。

 私は完璧に君たちを使い潰して、必ず敗北(しょうり)するとも」

 

「…………ハ」

 

 嗤う声。もうここに残っているのは彼とアーチャーだけ。

 ここに限らずバレルに残っているのも、後は奥にいるシェイクスピアだけだ。

 

「どうかしたかね、アーチャーくん」

 

 モリアーティがそちらに顔を向ける。

 問いかけられたアーチャーは面倒そうに首を傾けると、言葉を吐き捨てた。

 

「別に。ただ悪党らしからぬセンチメンタリズムだと辟易していただけだ」

 

「さて、悪党らしからぬ、か。悪党と正義漢が抱く感傷にどれだけの差があるかは要検証だが……突き詰めると意外と、悪党の方が強い悲嘆を抱えているのかもしれないね。

 悪党はこれで結構自由なものだが、正義の味方はそんな当たり前の情動にさえ惑わされている暇がない。抱えてるだけで無駄になるそんなものは、真っ先に切り捨ててしまうのだろう?」

 

「―――――」

 

 白く濁った目がモリアーティに向かう。

 感情を窺わせない、ただただ面倒そうな顔。

 そんなアーチャーを前にして、モリアーティはすぐに己の言葉を謝罪した。

 

「おっと、気に障ったかね? すまなかった」

 

「……いいや、それほどでもない。まさしくそうだ。

 わざわざ怒ってみせている暇があったら、さっさと眉間を撃ち抜いた方が早い、と。

 まったくもって真っ当な意見だろう」

 

 アーチャーが片腕を上げ、床と水平に伸ばす。

 いつの間にかその手の中にあるのは、刃のある黒い拳銃らしきもの。

 その銃口を紛れもなくモリアーティに向けて、彼は僅かに口端を歪めた。

 

「いや、そこまでは言っていないがね?

 だが悲劇という事象は、英雄と悪党どちらも生むものだ。

 そして比率としては残念なことに悪党の方が多い、と。ただそれだけさ」

 

 焦る様子もなく。対応する所作もなく。

 ただただ不敵に笑むばかりのモリアーティ。

 そんな相手に舌打ちひとつ、アーチャーは銃を構えたまま言葉を続けた。

 

「悲劇とやらが一番多く生み出すのは英雄でも悪党でもなく死体だ。

 だからそんな端数は無視し、正義も悪もなく、さっさと頭を撃ち抜いて終わらせる。

 それが一番効率的だろう?」

 

「なるほど、確かに。これは一本取られたかな?」

 

 口元を手で覆い、笑いを噛み殺すように体を揺らす男。

 その眼光が僅かに尖り、自身に狙いを定める銃口を見据えた。

 

「―――さて、私のように望めば狙うべき場所に勝手に当たる弾ではない。

 そして六発まで自由が効く私と違い、君にあるのは銃弾ただ一発。

 どれを“頭”として狙うべきか、慎重に狙いをつけたまえ。

 慎重さも過ぎれば時間切れを迎えるだろうが」

 

 数秒の間、その広間で時間が凍る。

 モリアーティは一切動かず、避ける動作など取りはせず。

 アーチャーは狙いをつけたまま、しかし引き金を引くことなく。

 

 そうした後、アーチャーが銃を下ろす。

 ろくでもない計画が進行しているのを理解していて、しかし。

 どこで切れば導火線の火が止まるのか判断がつかない。

 そんな自分を鼻で笑い、アーチャーは再び壁に背を預けた。

 

「……その愚鈍さこそオレらしい。何せ後処理専門のなまくらだ。

 間に合うような状況なら、そもそもこんなところにオレはいないだろうさ」

 

「―――そう。間に合わないことが敗北だとするのなら、君がここで間に合うことはない。

 賢明だよ。君が決着を急いだ瞬間、君の敗北は確定するのだから」

 

 モリアーティが歩き出す。アーチャーに対し、無防備に背を向けて。

 撃たれることはない。撃たれたところで問題ない。

 とっくにそうなるように仕込みは終えている、というだけの話。

 

「勝者と敗者は覆らない。勝者は勝者のまま、敗者は敗者のまま終わる。

 そうとも、勝敗は決定している。それを覆せるとしたら―――」

 

 そう。勝利と敗北が覆ることは絶対にない。

 そういう世界でなくては意味がない。

 ここで勝てなければ価値がない。

 

 もっと簡単に勝てる方法があったとして、それを取る理由がない。

 

「……私が狼王を見ている間、シェイクスピアへの取り立てをお願いするよ。

 強制はしているが、そろそろ上手いサボり方を確立する頃だろう」

 

 そうとだけ言い残し、モリアーティがバレルを後にする。

 アーチャーに睨まれながら、彼は悠々と目的地まで突き進む。

 

 そう簡単に彼は裏切れないだろう。

 カルデアには合流できない。いや、モリアーティと敵対できない。

 何せ彼は勝敗で言えば負ける側。

 彼がモリアーティに敵対することで、モリアーティの勝因を補強しかねない。

 

 モリアーティが今競っているのは他の誰もなく、数式だ。

 どう動いたところで勝率になど影響はできない。

 それが分かっているからこそ、彼は自分がどう動けばいいか判断できない。

 結局、最終段階までは見過ごして後処理に回るしかない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と彼は納得できてしまう。

 

「―――さあ、どうするかね名探偵。もうゴールが近いぞ?」

 

 モリアーティはそう言って笑い、バレルの外。

 ライダーが待つ場所に向かって足を進めた。

 

 

 

 

「どうぞ、我が魔王」

 

「ケチャップ!」

 

 小さい容器に入ったケチャップを受け取り、ポテトが進む。

 黒ウォズはそんなケチャップ容器が大量に詰まったバスケットを少し離れたテーブルに放る。

 と、そのまま自分の席に座り、自分の食事を再開させた。

 

「まったく、全員に配る程度の配慮はないのか」

 

「無いね」

 

 セイバーにそう言い返し、不敵な笑みを浮かべる黒ウォズ。

 溜め息ひとつ、ツクヨミが立ち上がる。

 それに合わせて美遊も立ち上がり、二人でケチャップを配布し始めた。

 

「それで、どこまで話したんだい?」

 

「プロフェッサー……モリアーティの正体と作戦まで、かな?」

 

 立香から答えを貰い、ポテトを食べながら黒ウォズが視線を上げる。

 

「ほう、ではバレルから撃ち出される弾丸の最有力候補……1999年に渋谷に落ちた、巨大隕石の事も把握していたのかい?」

 

「ん、私はそれは初耳だネ。そうか、渋谷か。まあ新宿とはお隣さんだし、ほとんど誤差だろう。

 間違いなく、魔弾の射手でバレルへと引っ張り込める位置だ」

 

 モリアーティが顎に手を当て、悩み込む。

 そうしている内にようやっと再起動を果たしたのは、Dr.ロマニ。

 彼が声を荒げだす。

 

『ちょ、ちょっとストップ! 彼の真名がジェームズ・モリアーティなのはいいとして、その計画にはおおいに疑問が残る!』

 

「えっと、そうなんですか?」

 

「まあ地球を破壊する規模の行動を起こすとなると、意識外から阻まれる可能性が高いかと」

 

「それこそ人理焼却のような異常事態の最中でなくては、通らない話です」

 

 尋ねたイリヤに対し、魔法のステッキ姉妹が答える。

 彼女の疑問ももっともだ、とモリアーティは訳知り顔で頷いた。

 

「そう。外宇宙から意図せずいきなり隕石が飛んできて直撃して木端微塵、ならまだしもだ。

 地球の上で地球を破壊する計画は基本的には通らない。地球もそこに生きる霊長も、そんな無体な結末を受け入れるようなものではないからネ」

 

『……つまり、人理焼却に匹敵する下準備が必要と』

 

 それこそ地球の無事はカルデアスが保証している。

 地球の存続は100年後まで約束されている。

 それを覆すには、それこそ人理焼却に匹敵する仕込みが必要になるという話だ。

 

「いや、そうとは限らないんじゃないかナ? 抜け道はある。

 地球も人類も殺さないような計画であればいいんだ。ならやりようはあるだろう」

 

「地球を滅ぼす計画なんじゃないの?」

 

 難しい顔を浮かべたマシュに対し、モリアーティは方法があるという。

 なら今までの話は何だったのか、と。ソウゴが胡乱げな表情で彼を見据えた。

 その隣で立香がその意図を察して、彼に対して問いかける。

 

「―――本当に壊せなくても……実際にどうとかじゃなくて、ただ地球が壊せるかどうかのシミュレーションができればいいだけ、ってこと?」

 

「ああ、そういうことだ。

 私の計算が間違っている、と証明するのに本物の地球を壊す必要はない。

 どこかに地球とまったく同じ星があれば、そこで実地試験さえ出来ればそれで結論が出せる」

 

 ただ計算が実害を算出できているか否か、が重要なのだ。

 そこさえ結論できるなら、実際の地球がどうなるかは、言ってしまえばどうでもいい。

 だからこそ必要なのが、本来の地球の代わりに壊せる星。

 

「―――地球とまったく同じ星。って、それが特異点の……今いるこの地球?」

 

 結局地球じゃないか、と。

 クロエが胡散臭いものを見る目でモリアーティを睨んだ。

 彼はただそれに肩を竦めて返す。

 

『……泡沫特異点。いや、エジソンが目論んだアメリカ独立や、獅子王の聖槍格納。特異点が本来の人理から完全に外れてしまえば、大元の歴史に影響を与えることはなくなる。

 逆に言えば、人理にその世界は継続しているものだ、と保証される事もなくなるわけか……』

 

「―――この世界に正しい物理法則とは別のルールを敷いているのは、本来の時空からより強く乖離させるのも目的の一つか。

 世界に新たなる法則を被せ、ここは正しい人理定礎(テクスチャ)が敷かれている世界とは別の場所、と世界自体に誤認させ時間の流れから強引に離脱させるわけだ」

 

 聖槍格納、という言葉を聞いて僅かに顔を顰めつつ。

 セイバーが呆れた風に、ハンバーガーを食べながら椅子に背を預けた。

 

「大元にフィードバックしようがないほどに歪めて、あるべき場所から追い出すってこと?

 それでそうなったら実際、簡単に隕石を呼び込めるの?」

 

「可能性としてはありえる、かと」

 

「それでも世界からの抵抗はあるかと思います。ですが、既に時代から切り離されることで()()()()()()()()世界では、それも通常から考えれば明確に弱いものかと。」

 

 ツクヨミに答えるルビーとサファイア。

 彼女らの返答を聞いてツクヨミは眉を顰め、顎に手を当てた。

 考え込むような様子の彼女を見つつ、ロマニが口を挟む。

 

『……この計画の前提が成立した時点で、この特異点はいずれ消えゆく世界になる。

 たとえ聖杯という極大の魔力リソースがあったとしても、だ。

 消えることが確定しているからこそ、どれだけでも好き放題にできるという理屈だね』

 

「つまり、最悪見捨てても人理になーんの影響もないわけね」

 

 オルタが呆れ半分にそう口にする。

 前提条件として人理に影響のない特異点でなければいけない。

 であれば、ここで何を成功させても歴史に変化がないということだ。

 ゲーティアのケースが特別だっただけで、本来はそちらが普通なのだが。

 

 そんな彼女の物言いに対し、ソウゴが声を上げる。

 

「でも見捨てないよ。ここの住民だって俺の民だし」

 

「知ってるわよ、言ってみただけだっての」

 

「―――まあ目的の可否はこの辺りでよかろう。では、次は……」

 

『あ、そうだ! ボクが聞きたかったのはそれだけじゃないんだ。

 当然のことだけど、1999年に巨大隕石が渋谷に落ちて被害が出たなんて記録はないんだが!?』

 

 ロマニに言葉を遮られたセイバーが眉を顰める。

 そうしつつ彼女はモリアーティの方を睨み、視線を逸らされた。

 セイバーの反応は僅かに目を細めること。

 

 そっちのやり取りを無視して黒ウォズがポテトをくわえつつ喋りだす。

 

「それは私の方で把握しているよ」

 

「黒ウォズから言うってことは、それがカブトの歴史、ってこと?」

 

 わざわざ顔出したのはそういうことでしょ、という目。

 ソウゴからのそんな視線を受けつつ、黒ウォズは悪びれもせず答えた。

 

「そうだね。カブトの歴史は渋谷隕石……1999年の渋谷に、地球外生命体“ワーム”が潜伏した巨大隕石が落下してくる事から開始する。

 ワームとは擬態能力を持ち、人間に化けて社会に溶け込むような怪人だから、個人的にはアサシン、ドッペルゲンガーがアナザーカブトに選ばれるかとも思っていたんだが……」

 

「一応訊いておくけど、そこで話を止めるのはわざと?」

 

 言葉をぴたりと止めた彼に対し、新しいバーガーを取りながらソウゴが問う。

 そんな問いかけに対し、首を傾げる黒ウォズ。

 

「というと?」

 

「俺たちがモリアーティの計画と燕青の名前を把握したから、そこまで言ったんだよね。

 でもアナザーカブトの方の真名は分かってないから、そこで話を止めたのかな? ってこと」

 

 それ以外にも情報は握っているだろうに、出す情報をそこで渋る。

 別にいつも通りのことだが。

 ポテトを食べる手を止めずに動かしながら、彼の方こそソウゴに問い返す。

 

「問題かな?」

 

「黒ウォズがそうしたいなら別にいいけど。それ、俺が教えてって言ったら教えてくれるの?

 それともカブトの力を手に入れるまでお預けにする? 次会ったら倒す予定なんだけど」

 

 言って、ソウゴがイリヤの方に視線を向けた。

 その視線に対しポテトを持ったまま彼女は頷いてみせる。

 

 ライダーとバーサーカーの二重召喚、ゴルゴーン。

 その視界にアナザーライダーを捉え、ジオウによる撃破を成し遂げる。

 次こそはそうして完勝してみせる、という覚悟。

 そんな二人の様子を見て、黒ウォズはこめかみに人差し指を添えた。

 

「…………それで?」

 

「わざわざこんな風に出てきたってことは、カブトのウォッチを手に入れさせるために俺たちにやって欲しいことがあるんでしょ? じゃあ、交換条件」

 

「なるほど……私の誘導に従う代わりに、アナザーカブトの正体を、か。

 まったく、自分の継承の儀を私を従わせる交換条件に使うとはね」

 

 呆れた風にそう口にする黒ウォズ。

 そうした彼に不敵に笑いかけ、ソウゴは声を弾ませた。

 

「俺に幻滅した?」

 

「いいや? 私は君のそういう魔性の部分も好ましいと思っているよ」

 

 黒ウォズがそう返し、椅子から立ち上がる。

 彼は首に回したストールを軽く払いつつ、目の前にいる連中へと一通り視線を向けた。

 

「我が魔王からの要望だ。

 継承の儀に必要な全員に私の言葉に従ってもらうが……それでいい、というなら。

 私もここで協力しようじゃないか」

 

 真っ先に言い返そうとするジャンヌ・オルタ。

 それを予測していたツクヨミが、即座に彼女の肩を押さえてみせた。

 鬱陶しげに体を揺すりつつ、しかしそれで彼女は黙り込む。

 あからさまに怪しいが、カルデアは今までずっと付き合ってきたのだ。

 ならば、と。イリヤたちも頷く。

 

「―――では我が魔王の要望に応えて、アナザーカブトの正体の推理に手を貸そう」

 

 そう言いながら、黒ウォズがいつの間にか持っていた何かを投げる。

 それを向けられたのは、身構えていた美遊だった。

 咄嗟にそれを掴んでみれば、それはブランクのライドウォッチ。

 彼女は眉を顰めて、投げてきた黒ウォズを見返す。

 

「……これは?」

 

「とりあえず君に渡しておくよ。

 さあ、我が魔王。ダブルウォッチを貸してもらえるかな?」

 

 聞いてくる美遊を適当に流し、黒ウォズはソウゴに視線を向ける。

 

「なんで?」

 

「せっかくだからね、探偵の真似事をしてみようじゃないか。

 君たちも情報を持っていないわけじゃないんだ。それを使って、()()から探すのさ」

 

 よく分からない、という表情を浮かべつつ。

 しかしとりあえず言われた通りにウォッチを取り出し、彼へと渡す。

 ダブルのウォッチを握った彼は片手には本を抱えたまま、ゆっくりと両手を横に広げた。

 

〈ダブル!〉

 

「――――では、検索を始めよう。君たちが気付いたキーワードをどうぞ?」

 

 その体勢にいったいどんな意味があるのか。

 両目を瞑り、ぴたりとそこで停止する黒ウォズ。

 ソウゴは立香とツクヨミと軽く目を見合わせて首を傾げ。

 しかし何かキーワードを言えばいいらしいので、言う事にした。

 

「狼であること?」

 

 まずは見れば分かることを立香が言う。

 

「デュラハンが乗ってること?」

 

 続けて同じような事をツクヨミが。

 

「なんか凄い怒ってる?」

 

 戦闘時に感じた所感をソウゴが述べる。

 

「えーっと、哀しそうでもあった……と思います」

 

 彼と同じようにイリヤもまた。

 

 そこまで言って、すぐに。

 目を瞑っている黒ウォズが眉を顰め、大仰に肩を竦めてみせる。

 

「何も残らないね。キーワードが的外れのようだ」

 

「頼りにならない検索ねぇ」

 

「検索ワードの方の問題だよ」

 

 傍から見ていたオルタの言葉。

 即座に言い返す黒ウォズ。

 そうしている二人を眺めていたモリアーティが口を挟む。

 

「……デュラハンのことは検索ワードから外したまえ。それは後付けの幻霊のものだからネ」

 

 彼の言葉になるほど、と。そのキーワードを出したツクヨミが頷いた。

 モリアーティに言われた通りにしたらしい黒ウォズが作業に戻る。

 

「まだ絞り込むには足りないね。追加の検索ワードを」

 

「後は何かあるかな?」

 

「凄い速い、のは狼というかアナザーカブトの力だよね」

 

 もはや見えないような超常の速度。それはあのライダーの特徴ではないだろう。

 では狼とデュラハンが混ざり、更にアナザーライダー化したあれの特徴をどう探せばいいのか。

 立香が腕を組んで考えるのを見て、イリヤがとりあえず声を上げた。

 

「えっと、普通の狼にしてはすっごく大きいのは……どうでしょうか」

 

「幻霊であるデュラハンが乗るためにちょうどいいサイズになってるだけー。

 とか、そんな感じかもしれないけどね」

 

 クロに即座に否定され、むっとした顔を向けるイリヤ。

 彼女はそれを気にした風もない。

 

「……縄張り意識が異常に強い。踏み込んできた外敵を排除する、だけじゃない。

 流れ弾で自分の領土が壊された事に、明らかな殺意があった。

 あの時の攻撃の被害規模はどれほどだったんですか?」

 

 美遊がそう言うと、通信画面の先でマシュが地図を確認する。

 先の戦いではスウォルツ―――ギンガの攻撃が逸れ、国道に着弾した。

 ただそれだけで彼は今まで不動だったのが嘘のように街中にまで攻めてきた。

 彼にとってそれほど、自分の縄張りは重要だったのだ。

 

『そう大きくはない、と言えると思います。

 仮面ライダーギンガの攻撃はほぼソウゴさんが相殺していました。

 被害としては道路が数メートルに満たないくらい剥がれた程度かと』

 

「それだけ? いや、それだけって言っちゃうのもあれだけど……」

 

 破壊されたというのだから、もっと盛大な破壊かと思っていた。

 そうした印象を口にしたイリヤに被せるように、ルビーが喋りだす。

 

「つまり規模に関わらず、『自分の縄張りを傷つけるものは一切合切赦さない』と。

 そういう意識で活動しているワケですねー」

 

「純粋に縄張りに対する防備。縄張りに宝物などの守護するべきものがある、というような話ではないでしょう。本当にそれ以外にない、縄張り意識」

 

「でもそれ、実際は別に縄張りでもなんでもないじゃない。人間の街よ、ここ」

 

 ここでこうして幾つか推測してみても、どうにも納得できる答えが無い。

 そんな事実に悩む彼女たちに対し、黒ウォズが次のキーワードを促す。

 

「―――そこの是非は置いておいて、とにかく“縄張り意識”だね。後は何かあるかな?」

 

「……罠が見えてた、と思う。多分、普通にやったら絶対にかからないくらい正確に」

 

 それに答えたのは、考え込んでいたソウゴ。

 戦闘中に確かに感じた、明らかに図抜けた危機察知能力。

 

 水棲の狩人(バッシャー)の狩場、無邪気な罠(イノセントトラップ)

 アナザーカブトはそれを初見で看破し、完全に対応してみせた。

 確かにあの戦場は超高速のものだった。だがそれを考慮しても、察知があまりに早すぎる。

 まるで、()には絶対にかからないと言わんばかりに。

 

「―――なるほど。では、追加の検索ワード、“罠にかからない”」

 

 そう言うと、黒ウォズが虚空に向けて手を伸ばした。

 瞬間、彼のストールが大きくはためく。

 

 暴れるよう彼自身の手に纏わりつきそれが―――しかし。

 次の瞬間には、それを終えて再び彼の首にぶら下がっていた。

 

 だがその動きによって今この場に運んできたかのように。

 黒ウォズの手には、逢魔降臨暦ではないもう一冊の本が収まっていた。

 彼はそれを皆に見せるように突き出して、小さく微笑む。

 

「さて、検索で該当した本は一件。

 ―――『シートン動物記』に記された動物物語の一編、“狼王ロボ”だ」

 

 

 

 

「やあ、無事で何より」

 

「――――――――」

 

 狼は答えない。バレルの中に踏み込むこともない。

 彼に関することの場合は、モリアーティが外に迎え出る。

 

 最初に呼ばれた時、モリアーティだけは襲わない、という契約をしていた。

 他は誰一人例外なく、彼が襲う条件を満たした時点で襲ってもいい。

 そういう契約だ。

 

 ―――その契約、目的を果たすための力の提供。

 それが理由で襲われない、とモリアーティは考えているのかもしれないが。

 彼がこのモリアーティを襲わないのは、()()()()()()()()()だ。

 

 まあ、どうでもいい話だ。

 臭いがしても必要なら襲わなかったかもしれないし、襲ったかもしれない。

 どうでもいい。そんなことより、今は。

 

「―――ふむ、幻霊を追加する気かね。まあ霊基を強引に修復するならそれが早いか。とはいえ、バランスが崩れてはいけない。

 そうだね、“誰にも見えない”という方向性から追加する幻霊を決めようか。君は速過ぎて見えないだけ。しかし単純な透明化の属性でも調整は楽になる」

 

 言葉など交わさずとも何が言いたいかは分かる、と。

 モリアーティは顎に手を添えながら説明をくれる。

 あるいはそれは彼が背に乗せたヘシアンに向けてなのかもしれないが。

 

 ―――怒りで体が震える。

 その振動を直に受け、ヘシアンが僅かに身を捩った。

 

「……怒りが収まらないかね。分かるよ、それはどうしようもない感情だと」

 

 分かった風な口を聞く。

 真っ当な人間がこれを口にしていたら、他の一切を無視して八つ裂きにしただろう。

 だがそうではない。だから、睨むまでに留めている。

 

「だから、私が用意するとも。君が君の望む場所まで走れる機会を。

 行きたまえ、君が行きたいと思っている場所にまで」

 

 モリアーティが作業を開始する。

 始まるのは本来ありえない幻霊との融合作業。

 細心の注意を払っての作業が長々と続く。

 

 今度こそ最後まで走り抜けるために、彼はその時間で足を休める。

 そう。モリアーティが口にしたように、行きたい場所に今度こそ辿り着くために。

 

 ―――ああ、けれど。

 自分は最初、いったいどこまで行きたかったんだっけ。

  

 

 




 
 スーパーヒーロー戦記に小説版。
 平成がジオジオしてきた。

 パジャ麻呂のCMを見ていたら気付いてしまった。
 子供たちに光を授けてくれるパジャ麻呂はもしやウルトラマンティガなのでは?
 光たもれ~光たもれ~
 妖精國とかいう場所もついでに滅ぼしてたもれ~
 


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ふるさとカゲロウ2006

 

 

 

「あの、ツクヨミさん。これはどうすればいいでしょう」

 

 後付けをしながらそう言った美遊の言葉に、ツクヨミは彼女の視線を追う。

 少女が視線を向けるのは、腰にぶら下げた一つのウォッチ。

 もちろんそれは、黒ウォズが彼女に押し付けたブランクウォッチだ。

 一体どういう企みがあるのか、ツクヨミを頭を悩ませる。

 

「……一応、危なくはないと思うけど。うーん」

 

「ソウゴさんがライダーに対抗できる力を得るためになるなら……気にはしませんが」

 

 勝率を高めることになるし、イリヤの負担も減る。

 ゴルゴーンの力に依存しない勝機を得ておくのは絶対に無駄じゃない。

 だから問題ないなら、黒ウォズの策略に乗るのもやぶさかではないのだが。

 

「……それにしても、何で美遊に渡したのかしら」

 

「これは、美遊様が仮面ライダーカブトの力を引き出す切っ掛けとして期待されている―――

 という理解でいいのでしょうか」

 

 ふぅむと、顎に手を当てて考え込むツクヨミ。

 横でふよふよと浮き上がるサファイアの言葉に彼女は頷く。

 

「たぶん、そうだと思うんだけど」

 

「アナザーカブト―――狼王、ロボ」

 

「19世紀末頃、アメリカではオオカミが家畜を襲う事案が問題となっていました。それを解決するために呼び寄せられた博物学者シートン。

 彼はそこで、悪魔の化身とさえ称された狼の王『ロボ』と邂逅します。どんな罠にさえかからず、家畜被害を甚大なものにしていくロボ。

 それを捕らえるため実行されたのは、妻と思しき白い狼『ブランカ』を囮とすること。ロボと違い、罠にかかってしまったブランカ。彼女の死体を囮に、ロボは遂に捕獲されます。

 そして彼は人間から与えられる餌や水を一切拒み、人間を憎悪しながら息絶えた―――と」

 

 黒ウォズが示したアナザーカブト、国道を縄張りとするライダーの正体。

 シートン動物記に名を残す、狼の王の名前。

 サファイアが滔々と語ってくれる、その狼の来歴。

 それを聞いて少し眉を顰めて、ツクヨミが天井を見上げて。

 

「……人を憎む理由も分かる。縄張りを荒らされる事を赦さない事も理解できる。

 でも、彼は何でこの新宿で、人間の街を縄張りに……?」

 

「――――……一番、大事な」

 

 隣で、美遊が小さく呟く声に反応する。

 

「え?」

 

「ロボにとって、一番大事なものは、何だったんでしょうか」

 

 酷く難しい顔でそう言う彼女に、困惑げな表情を見せるツクヨミ。

 それに構わず、少女は言葉を続ける。

 

「憎しみを雪ぐために人を殺すこと。縄張りを侵すものを殺すこと。

 ―――それはどっちも、本当はやりたいことなんかじゃなくて。

 大事なものを守るために、やるべきだったこと」

 

 ロボの行動は前提が整っていない事を除けば、きっと彼の使命だったのだ。

 ここは狼の縄張りではないだけで、縄張りと定めた場所の死守は王であった彼の使命で。

 そこに守るべきものは何もないけれど、縄張りを荒らしにきた侵略者の排除もそうだった。

 それはつまり、彼の今の行動は。

 

「……やらなきゃいけなかったのに、やり遂げられなかったこと」

 

「美遊様」

 

 僅か、美遊の言葉に熱がこもる。

 

 彼は縄張りを人間に切り拓かれ、仲間を殺された。

 自分も囚われてそれでおしまい。

 

「―――きっと、ロボはずっと迷っている。

 守りたいものを置き去りにしたまま、守るための意志で動き続けてる。

 大切なものは、()()()()()に残してきてしまった。

 そこへ帰る事も出来ず、帰れない事を認める事もできず……ただ、ずっと」

 

 ふと、ツクヨミの手が美遊の頭に乗せられた。

 困惑しながらマスターを見上げる美遊。

 慣れない手つきでゆっくりと撫でられる髪に、少女は何とも言えない顔で苦笑する。

 

「それは、あなたもお兄さんに感じてる……感じてたこと?」

 

 ツクヨミの言葉に、少しだけサファイアが揺れる。

 踏み込むべきなのかどうか、よく分からない話のままだけれど。

 

 よく分からないからこそ、だ。

 ツクヨミも美遊も、この世界にとっては異端の放浪者みたいなもの。

 本来いるはずのない人間で。でも、いま二人ともここにいる。

 だけど―――だから、どうするかは。

 いつだって、今ここにいる自分で決めることだ。

 

「―――そう、かもしれません」

 

 美遊がそう返し、床に視線を落とす。

 

「……わたしはお兄ちゃんの、()()()()ではなかったけど、()()()()ではあったと想いたいから。たぶん、認めたくない、のかも―――ううん。認めたくない、です」

 

 そこに大切なものが置き去りになったままだからこそ。

 もう帰れない場所に、まだ帰りたいと思い続けている。

 そんなことはありえなくても、あってはいけないことだと分かっていても。

 

 ―――ブランクウォッチが熱を持つ。

 

 それに気付かないまま、美遊が言葉を続けた。

 

「けど。最初が()()()()であったとしても。

 そうでいたい、本当の家族でいたいと願えたから―――」

 

 灯った熱が加速する。

 美遊・エーデルフェルト―――朔月美遊の心に感応して。

 

「何にも代えられない、大切な家族として。

 わたしはお兄ちゃんが願ってくれたことを、果たしたい」

 

 ウォッチに胎動するのは小さな灯り。

 

 ―――男は選んだ。それを守るべきと定めた。

 全てを奪った悪魔への復讐を果たすのではなく。

 偶然が産み出したような、しかし確かに彼に残された大切な妹を守る事を。

 そのために求め、自身を鍛えながら待ち続けた力。

 

 それが何も宿していないウォッチの中で、確かに一度脈打った。

 

 離れた場所で壁に背を預けていた黒ウォズ。

 彼は小さく笑うと、開いていた『逢魔降臨暦』をゆるりと閉じた。

 

 

 

 

「そうそう、アンタ。私と契約しなさいよ」

 

「所長じゃなくていいの?」

 

 オルタに声をかけられて、首を傾げるソウゴ。

 そう返された彼女は少し顔を顰めつつも言い返してくる。

 

「……別に今更こだわらないわよ。っていうか元々はアンタが最初に召喚したんでしょ。

 契約してるとしてないじゃ使える魔力が違うし、ほらさっさと」

 

「そう? じゃあいいけど」

 

 急かす彼女に頷いて、ソウゴが立ち上がる。

 そんな二人を見ていたクロエが、からかうようにオルタを見つめた。

 

「あ、後輩サーヴァントゲット?」

 

「は?」

 

 冗談じゃない、という顔を浮かべるオルタ。

 にやにやしながら自分を見てくる少女に対し、彼女は威嚇するような表情を見せる。

 それを見てクロの服の裾を引っ張るイリヤ。

 が、クロエはそれでやめる様子もなく、からかいの視線を向け続けていた。

 

「……ふむ、確かにマスターは欲しいところだな。今はライダーにしろアサシンにしろ、正面から粉砕するには難い相手だ。魔力供給は万全にしておきたい」

 

 セイバーがそう言えば、イリヤの横でルビーが神妙に羽をぱたつかせる。

 

「クロさんはともかく、イリヤさんと美遊さんはわたしとサファイアちゃんの魔力供給がありますからねー。サーヴァントが増えても、マスターの負担は大したことないでしょう」

 

『カルデアからのサポートもありますので、その辺りはもちろん』

 

 そんな会話を聞いていた立香がモリアーティに視線を向ける。

 彼女の視線が何を言おうとしているか読み取り、皮肉げな笑みを浮かべる老爺。

 

「……まァ、私はネ。流石に私の正体を知って契約は望めないだろう?」

 

「え? プロフェッサーはしなくていいの、契約」

 

「え、してくれるの?」

 

「何でしないと思ったのかよく分からないけど」

 

 戸惑うモリアーティに合わせ、不思議そうに首を傾げる立香。

 危機感が足りない、とモリアーティの方こそ顔を顰めた。

 

「――――あのネ、私はアレだよ? ジェームズ・モリアーティ。途轍もない悪党だ。ホームズを引き合いに出すまでもなく、犯罪界のナポレオン、悪のカリスマとまで称される男。

 私と契約するなんて、孫を自称する相手からの電話に唯々諾々と従って、聞いたこともない口座に全財産を振り込むようなものだヨ?」

 

「そこまでならまだ本物のお孫さんの可能性もあるよ」

 

「祖父母の全財産を要求する本物の孫がいたらそれはそれで問題だが!」

 

 がなるモリアーティに対し、ううんと悩んで見せる立香。

 彼の真名を聞いて契約を拒否する気はない。

 が、彼自身が頷かないのであれば、無理強いする気もない。

 

「大丈夫だよ、きっと。プロフェッサーが嫌なら無理にとは言わないけど」

 

「嫌なわけではないが……」

 

『今のところですが、モリアーティさんの行動に怪しいところはないと思います。ただ存在そのものが怪しいだけで……』

 

「それは喜ぶべきか哀しむべきか微妙なところだネ……」

 

 マシュの庇っているのか貶しているのか分からないフォロー。

 だがそれが事実でしかないと分かっているのは本人こそだ。

 そんなやり取りを眺めつつ、ソウゴが腕を組んで椅子の背もたれに寄り掛かる。

 

「結局のところ、なんでプロフェッサーが増えたのかは分からないよね。

 分身して安定を取った、ってことでいいのかな?」

 

 彼の正体は判明した。

 シャーロック・ホームズと敵対する悪のカリスマ、ジェームズ・モリアーティ。

 彼の目的―――行動方針も大筋から判明した。

 モリアーティという数学者が起こす、地球を狙い通りに破壊できるか否かの実験。

 

 何故、地球を破壊しようとするのか。そして、何故二人に増えたのか。

 この辺りはまだ判明していないが。

 

「ジェームズ・モリアーティがどれほどの悪人であろうと、それはまともな人間の枠組みから外れるものではありません。むしろ、ただの人間の筈なのに異常なほど優れている。彼はそう言った存在でなければならない。だからこそ、彼の“容れ物(れいき)”は突出したものではない」

 

「んと、つまり、魔弾の射手……幻霊をモリアーティさんの中に入れる余裕がない?

 その分のスペースを確保するために、自分の一部を切り離した……」

 

 ちらりとモリアーティの方を見る。

 意味なく自分を分割するような人間ではない、と思う。

 実際のところは一体どうなのか。

 

「可能性の話です。そもそもどうやって英霊と幻霊を混ぜているのか分かりませんからね。

 普通はそんなこと自体できないですから。

 こっちのモリアーティさんは、相手にとっても予想外である可能性だってあります」

 

「予想外?」

 

「切り離した自分の余分がプラナリアみたいに行動を始めるとは思ってなかった、みたいな?」

 

 ルビーの言葉に首を傾げるイリヤの前で、立香がそう言って。

 プラナリアに例えられたモリアーティが、何とも微妙そうな表情を浮かべた。

 

「ただ捨てただけのつもりで、もう一人の自分になったのは予想外……ってこと?」

 

「その割には相手の動き、というかプロフェッサーへの対応が遅い気がする」

 

 ただの予想外なら排除すればいいだけのはずだ。

 だが、明らかにそういう動きではない。

 それを訝しむソウゴとクロエをちらと見て、セイバーが腕を組んで片目を瞑る。

 

「対応する必要なし、と考えた可能性もないではないが。

 大した存在ではないから無視していい―――……いや。どちらかと言えば、こちらが味方として抱える分には相手の得にしかならない、か」

 

「……ジェームズ・モリアーティの結末は敗北であり、それこそが地球の滅亡。

 その前提で進めるのであれば、どちらかのモリアーティが立ち会えばいい。

 例え向こうの私を排除しても、こちらの私が存在する限り状況は進行するわけだネ」

 

「そっか。同一人物なんだから、どっちかがいれば成立しちゃうんだ」

 

 鍵が“モリアーティ”である以上、モリアーティが増える分には損はない。

 確かに言われてみれば、とイリヤが目を白黒させた。

 排除されても問題ないし、排除されなければ隕石の誘導が盤石になる。

 そうと考えれば、向こうがこちらのモリアーティに手を出さないのは当たり前な気がしてくる。

 

「じゃあどっちも排除しなきゃいけないじゃない。どうするの?」

 

「うーん……」

 

 クロの呆れるような声に、立香が腕を組んで唸る。

 そっちを見ていたソウゴが視線を外し、モリアーティに問いかけた。

 

「……とりあえず、保険っていうのが一番可能性が高いのかな?」

 

「――――保険、か。それはまた、私らしくないような気が……いや、どうだろうネ」

 

 何とも座りが悪い、というような顔。

 微妙に納得しきれていない様子のモリアーティ本人。

 不思議そうな視線を集めていた彼が、仕方なさげに口を開いた。

 

「私は君たちカルデアを外から見た情報程度にしか知らなかった。

 だから、私の計画に対してどう動くか計算するための情報が足りなかった。そう考えればリカバリー案を備えているのは、まあ、分からないでもないのだが。()()()()()()、気がする。その割には他の動きに迷いが無さすぎる。

 というか、だ。そもそもの話だヨ。最終的に働くかどうか分からないような……いや、仕事をしてもしなくてもいい、しかし特別製の私という駒が配置されている、という事実が気持ち悪い。美しさの欠片もない。私のやり方ではない、と思う。たぶん」

 

 嫌そうに語る本人。

 計画について語るのが嫌なのか、あるいは悪党としての矜持を語るのが嫌なのか。

 何とも言えない表情で一応語った彼は、そこで咳払いして仕切り直す。

 

「……私の計画は、君たちが私を受け入れる前提で敷かれているように見える。

 だからこそ私は、なおさら君たちに受け入れてくれとは言えないのだがネ」

 

「悪のカリスマという割には何と言うか、心配性な上にめんどくさいジジイですねぇ」

 

「ルビー……!」

 

 素直な感想を率直に述べた相棒を引っ張り戻すイリヤ。

 

「そういう部分を切り離した、ってことなのかな? 隕石を落として地球を滅ぼすのに邪魔な……こだわり? 感情? を優先して切り捨てた、みたいな」

 

 モリアーティ本人がおかしい、と言っているのだ。

 ならばそこにもきっと意味があるだろう。

 彼は現状のそれを自分の計画らしくない、と口にした。

 ならば、それこそが……()()()()()()()()()()()、が目的だったのではないか。

 

 そう言ったソウゴに対し、イリヤに振り回されているルビーが返す。

 

「ですけど、ただでさえ霊基の分割なんてまともな手段じゃないですし。

 そんなに便利に特定の感情のみ分離なんてできますかねぇ」

 

『……そうだね。普通ならできない。

 いや、普通じゃできない幻霊の融合があるんだから、何か抜け道があるかもしれないけど。

 ただ流石に霊基ごと自己の性格を分割するなんて器用な真似は流石に……』

 

 どこからどこまでが可能なこと、と考えればいいのか。

 それすら定まらない現状に頭が痛いとばかりにロマニが言う。

 彼の言葉に何か思うところがあったのか、モリアーティが表情を変えた。

 まるで今更何かを思い出した、とでもいうかのように。

 

「……私の要らない感情、か。たとえば、そうだネ。

 霊基の分割の前に―――()()()()()()ができていた、とするとどうだろう。

 先に善と悪を分離させ、その後にそれぞれを別の霊基に分割するんだ」

 

『それはやはり無理が――――……あ』

 

「マシュ?」

 

 思いついたように言い出すモリアーティの言葉。

 彼の言葉を否定しようとしたマシュが停止し、ぽかんと口を開ける。

 そんな彼女の様子に首を傾げる立香。

 

 マシュはすぐに意識を立て直し、キーボードを叩き始める。

 そうして浮かび上がるのは、カルデアに記録されたデータベースの一部。

 文字情報だけで必要な部分だけ残していた、ロンドンでの戦いのもの。

 

『ジキルさんの霊薬のようなものがあれば、それが叶う可能性も……!』

 

 彼女たちの旅路で巡り会った、一人の人間。

 彼が所有していた、特殊な霊薬。

 その情報を見てハッとしたロマニが眉根を寄せ、先程の言葉について考え出す。

 

『なるほど、確かに……霊基、人格の分離というものについて語る場合、ヘンリー・ジキルという人物の作り出した霊薬は避けられない。彼は確かに善悪を分離する薬品を作り出していた。

 それと似たものでも精製できる方法があれば、モリアーティが善悪で分離したという可能性も考えられる……』

 

「いやァ、ほら。ウン……だろう? ははは」

 

 どうしてか所在無さげに、何か申し訳なさそうな顔で笑うモリアーティ。

 

「じゃあこっちのプロフェッサーは善モリアーティで、あっちが悪モリアーティ?」

 

「かもしれない、という段階だがネ」

 

 ソウゴに問われ、苦笑しながら頷く。

 そんな彼の様子を笑い飛ばすのは、ジャンヌオルタ。

 

「善ねぇ……それより、とんでもない悪党って割にとぼけた爺さんだもの。

 実は自分の間抜けな部分だけ切り離した、とかじゃない?」

 

「そんなことが可能なら、貴様も是非やっておくべきだな」

 

「言ってくれるじゃない。

 アンタもその人を馬鹿にしなきゃ気が済まない性根の悪さを切り離してもらってきたら?」

 

「貴様と違って私は元よりアーサー王の一側面だ。

 表に出てる頭の残念さが全てであるお前と同列には語れんよ」

 

 やれやれ、とばかりに首を横に振るセイバー。

 彼女の態度に対し、ふるふると座ったまま震えだすオルタ。

 やがて彼女はテーブルを叩きながら、一気に立ち上がった。

 

「――――もういいわ、表に出なさい。燃やしてやるわ!!」

 

「ああ、準備して後から行く。カヴァスⅡ世の餌皿も洗わんとな。

 貴様は先に外へ行って首を洗いながら待っていろ」

 

「上等よ!!」

 

 対してセイバーはカヴァスⅡ世が舐めていた皿を取り上げつつ、言い返す。

 ぱたぱたと尻尾を振る白い犬。

 その頭を軽く撫でつつ、彼女はオルタに対して手の甲をしっしっと払う。

 

 了承が得られたからか、犬と同等に扱われたからか。

 更に燃え、彼女は決然と外に向かって歩みを始めた。

 

 それを見送りつつしばらく犬の頭を撫でていて。

 そうして彼女が店外に出たのを見ると、セイバーは再び席に着いた。

 

「……さて。阿呆は追い出したことだし、真面目な話に戻すか」

 

『ええと……その、それでいいのでしょうか……?』

 

「気にするな。話が終わったらちゃんと遊んでおいてやる。

 そんな余裕があるならば、だが」

 

 マシュにあっさりと言い返し、セイバーは難しい顔を浮かべる。

 

『というと?』

 

「悪モリアーティが欲しがってるのは時間、ってとこだよね?」

 

「ああ。つまり、遊んでいる暇は一切ないということだ。私たちも、奴らも」

 

 ロマニからの問いに答えを出したのはソウゴ。

 彼の言葉に鷹揚に頷いて、彼女は疲れたように軽く首を回す。

 

「ソウゴ、貴様の状態は?」

 

「たぶん、大丈夫だと思う。もしもの時一人でアナザーカブトを抑える必要があっても、数分ならなんとかなる、くらいかな。正直、一回寝ちゃいたいけど」

 

 時間が無いなら休憩は最低限だ。

 ディケイドアーマードライブフォームを使用しなくてはいけない場合を考えると辛いが。

 加速の代償に軽く息を吐きつつ、彼はセイバーを見つめ返す。

 

「―――世界観を固めるまでにどれだけかかるか、か。

 まあ、そう余裕はないだろう。要石となっているのはシェイクスピアだが。

 バーサーカーの仕上がり具合から見るに、希望的観測であと半日程度、と言ったところだネ」

 

「じゃあ全部終わってから寝ることにする」

 

 余裕のないスケジュールを提示するのはモリアーティ。

 仕方なさそうに頷いて、彼はゆっくりと肩を回した。

 

「まあ、ギリギリまで休んでいろ。ライダー以外は極力私たちで処理する。

 ……イリヤスフィールもだな」

 

 セイバーがそちらを向き、相手の姿をじいと見る。

 ルビーを抱えたまま、白い少女がびくりと震えた。

 

「わ、わたしは大丈夫です……ケド」

 

「ロボが復帰するまでどれだけかかるかにもかかってるけど……」

 

「ロボがいてもいなくてもバレルに直接乗り込んだ方がいいわ。

 狙撃を受けないように戦うには、懐に飛び込むのが最上だもの」

 

 相手にしなくてはいけないのは、狙撃手もだ。

 それを難しい顔で口にするのはクロエ。

 彼女の言葉に頷いて、ソウゴが眉を寄せた。

 

「俺とイリヤがロボを引き付けて。その間にみんながバレルに突入?」

 

 クロエが頷き返す。

 バレルに侵入するまでの狙撃からの防御。それは彼女の仕事になるだろう。

 その後は美遊、クロエ、オルタとセイバーとモリアーティ。

 この戦力でバレルにいる敵を相手取ることになる。

 

『そうなると悪のモリアーティ、アーチャー、アサシンをバレル内で相手取る事になるか……』

 

 シェイクスピアは戦えないだろうし、何よりこの世界観の要だ。

 前に出してくるような真似はしないだろう。

 もし前に出してきたとするなら、相手の別の作戦が動いてると断じなければいけないほどだ。

 

「ロボはどうにかして俺たちが外で戦うけど……

 アナザーウィザード、アサシンはどうするの?」

 

「どうにもならないほどではない。

 数はこちらが勝っている。ライダーさえ封じれば、十分に対抗できる。

 そこで話が戻るわけだ。そのためにもマスターが欲しい、というな」

 

 ソウゴの問いかけに対し、セイバーはそう言って立香の方を見る。

 彼女は少し悩み、セイバーとモリアーティの間で視線を行き来させた。

 そんな相手を見て、小さく肩を竦める。

 

「……なら、私はもう一人の方と契約するとしよう。

 あちらには私のカードとやらを持った娘もいることだしな」

 

 呆れた様子のセイバー。

 彼女を窺っていたイリヤが、モリアーティの方に視線を送る。

 

「善のモリアーティだったとしたら、別にもう気にする必要ないんじゃないんですか?」

 

「う、むぅ。私の善悪を問わず、私の存在が仕掛けを成立させるための楔になっているのは確かだからネ。どちらにせよ、あまり望ましくは……」

 

 ごにょごにょと何やら言い訳を並べるモリアーティ。

 そんな様子を見て、少女は不思議そうに首を傾げてしまう。

 

『あ、れ? これは――――』

 

『ドクター?』

 

 そうしている間に、困惑するようなロマニの声が届く。

 どうかしたのか、と問いかけるようなマシュの声が続いて。

 その直後、緊張感を増したロマニの言葉が出てきた。

 

『―――範囲内に生体反応が集まってきてる! 明らかにここを目的地とした動きだ!

 マシュ、すぐに詳細をサーチして……!』

 

 彼が言い切る前に、すぐに作業へと移っていたマシュ。

 彼女の動きに合わせて、現地でも周囲の状況を映したマップが現れる。

 

『了解しました!

 ―――これは、人間? 多少魔力がありますが、普通の……』

 

 光点として動く生体反応の印。

 それは当然のように英霊でもなければ、アナザーライダーでもない。

 ごく普通の、走っている人間程度でしかない動き。

 そんな光景を見て、僅かに眉を上げるセイバー。

 

「……行動が早いな。しかも生き残っていた悪人どもをぶつけてくるか。

 アーチャーを前に出す、とは考えにくい。アサシンだろうな」

 

「え、と。ルビー、あの薬まだある……?」

 

「あるにはありますが、そんなに大量に来られると足りませんねぇ」

 

 相手が人間、と聞いて。

 問いかけてくるイリヤに対し、ルビーは肩を竦めるように羽飾りを動かした。

 少女は息を詰まらせて、自身のマスターの方へと視線を向ける。

 

 そうされた立香が答えを出す。

 ―――前に。

 

『―――待ってくれ、それだけじゃない……!

 こっちの反応、明らかに速度がただの人間じゃない……!

 それどころか、高度からして飛行している。つまり―――』

 

『っ……! 高速飛行物体、皆さんの直上の屋根に着弾します!』

 

 マシュのその声と同時。

 店舗の天井が飛来するものに粉砕され、残骸が崩れ落ちてくる。

 それとともに店内に現れるのは、黒い鱗を持つ飛竜。

 腕の翼を広げ、長い首を振り上げて、ワイバーンが咆哮を放った。

 

『みんな、作戦会議中にすまない! 話の途中だがワイバーンだ――――!』 

 

 

 




 
 目覚めろ! ワイの守護神! ワイルドワイバーン!
 バリアントワイバーンが一番好み
 


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探偵+犯人=1999

 

 

 

 ――――斬撃。

 頭上からの闖入者に対して、騎士王の反応は一秒と間を置かなかった。

 唸る黒い聖剣が、いとも容易く飛竜の首を斬り飛ばす。

 理解する暇もなく絶命し、崩れ落ちるワイバーン。

 

 床にどしゃりと音を立てて転がる首に目もくれず、セイバーが振り返る。

 

「先手は取られたな。さて、どうする?」

 

 キン、と。床に触れた剣の切っ先が小さく響く。

 身構えるセイバーから視線を外し、立香が通信先に声を向けた。

 

「アサシンが……アサシンに限らずサーヴァントが近くにいるかどうか、分かる?」

 

『いえ、サーヴァントと思しき反応は付近にはありません。周囲にあるのは、新宿の住民の生体反応……と、ワイバーンを含む、幾つかの魔獣の反応だけです』

 

 マシュの答えに頷く立香。

 実際どうかは置いておいて、確認できる範囲にはアサシンはいない。

 それこそ気配遮断で身を隠しているだけかもしれないが。

 思考に入った彼女を見て、モリアーティが口を開く。

 

「魔獣はここの住民が飼ってるペットだろう。

 ワイバーンにキメラ。ゴーレム、バイコーン、ゲイザー、ソウルイーター等々。

 裏通りのペットショップの品揃えは酷いことになっているからネ」

 

「ペット……?」

 

 あれがペット、と。そこでふとソウゴが首を動かし、建物の隅に視線を向ける。

 それは突然の乱入に驚き、壁際まで走っていた白い毛並み。

 他にも何か起きるのではないか、ときょろきょろしているカヴァスⅡ世。

 

 そんな力ない生き物を見て、セイバーが僅かに眉を顰める。

 

「―――――」

 

 どういう行動を選ぶにしろ、ここからはカヴァスⅡ世が危険だ。

 連れ回すならバレルまで。

 そうではないなら、襲撃の最中にあるここに置いていく羽目になる。

 だがこちらの選択肢にもそう余裕があるわけでもなく―――

 

「……どうするかネ? 恐らくライダーの復帰もそう遠くない。

 バレル自体の攻略がどれだけかかるか分からない以上、ここで時間を取られたくはないが」

 

 その事実を強く認識して顔を強張らせるイリヤにクロエ。

 あえてそれを意識せずに問いかけるモリアーティ。

 

 問われた立香が、一瞬だけ目を見開いて。

 悩むように目を細め、

 

「決まってるでしょ?」

 

 ドライバーを手にしたソウゴが、彼女を見る。

 一秒間だけ交差する視線。

 そうしてすぐに立香は顔を上げて、大きく頷いた。

 

「カヴァスⅡ世の安全が確保できるまでここで戦って。

 場合によってはここでアサシンとライダーを倒して、時間切れの前にバレルも攻略する!」

 

 そんな真っすぐな答えを聞き、二人の少女が顔を見合わせる。

 クロエが苦笑し、イリヤが両手を握り同意するように大きく頷き。

 揃って隅にいるカヴァスⅡ世を見る。

 

 セイバーが息を吐き、聖剣の柄尻を握る。

 

「……なるほど、馬鹿げた回答だ。だが私もそれに乗った。

 キュイラッシェには犠牲を強いたが、カヴァスⅡ世まで捨てる気はない」

 

「そのためには、プロフェッサー! なんか凄い作戦を……」

 

 とりあえずモリアーティに思考を要求した立香。

 そこで彼女の言葉を遮る音が店内に響いた。

 規則的に鳴り続ける電子音。それは店舗に設置された電話のもの。

 

 揃って皆で顔を見合わせて。

 

 丁度そこで、天井の穴から続くように、キメラやら何やらが雪崩れ込んでくる。

 すぐにそちらに向き直り、ソウゴが叫ぶ。

 

「立香、そっちお願い! ―――変身!」

 

〈ライダータイム! 仮面ライダージオウ!〉

 

 発動するジクウドライバー。

 形成されるのは黒と銀のアーマーに、マゼンタのインジケーションアイ。

 “ライダー”の文字が顔面に組み合わさり、ソウゴの姿を変えた。

 

 ジカンギレードを手にし、前に出るソウゴ。

 彼の後ろに続きながら、クロエが声を張った。

 同時に彼女の衣装が紅い外套へと切り替わる。

 

「イリヤはリツカのボディガード、前に出る必要ないわ」

 

「まあイリヤさんは立香さんのサーヴァントですしねぇ」

 

「分かってるってば!」

 

 ルビーを握ると同時に転身を済ませ、イリヤが声を返す。

 彼女に付き添われながら、立香が鳴り出した電話に走り寄る。

 

『電話周辺に異常はない、ね。罠とかそういう様子はなさそうだ』

 

 ロマニに言葉に頷き、彼女は電話を手に取った。

 

『ああ、Mバーガーか? 大急ぎでデリバリーを頼む。

 どんな決着であれ、この特異点ももう長くないようだからな。

 場所は新宿の……しまったな、店名を見ていなかった。そこから遠くない書店なんだが』

 

「…………アンデルセン?」

 

 その声に聞き覚えがあって、彼女はその名を口にする。

 いつぞや、ロンドンの時も彼はこちらの本拠地に電話をかけてきていた。

 その上で好きに本を読んでいたが、またもそういうことだろうか。

 カウンター・サーヴァントがまだいる可能性はあったのだ。

 そういうこともあるだろう。

 

「えっと、いたんだ?」

 

『いないものと考えてもらっていいがな。特に何をするわけでもない。

 今回こうして電話をかけたのは、あれだ。

 エドモン・ダンテスを名乗る男からの伝言だ』

 

「エドモンを、名乗る?」

 

 アンデルセンの言葉をそれはおかしい、と藤丸立香は断定する。

 復讐者(アヴェンジャー)はエドモン・ダンテスを名乗らない。

 

 エドモン・ダンテスは謀略によって地獄に突き落とされた船乗り。

 彼の結末はエデの愛によって救われた希望の船出。

 だからこそ、復讐者(アヴェンジャー)巌窟王(モンテ・クリスト)はその名を名乗ることはない。

 

 彼は永劫の復讐者。

 復讐が報われることなく、愛に救われることなく、永遠に彷徨う恩讐の化身。

 何より彼自身が、自分のことをそう定義している。

 だから、アヴェンジャーがエドモン・ダンテスを名乗ることはありえない。

 

 ハンス・クリスチャン・アンデルセンがそれを間違えるはずもない。

 わざわざ彼がそう、口にしたという事は。

 

『―――お前たちの把握している状況を話せ。

 それに応じて、こっちの対応も変わる、ということらしいぞ?』

 

 言い返されるまでもない、と。

 そう言わんばかりの語調で、アンデルセンがこちらの情報の開示を求める。

 魔術王、の肉体を使っていたゲーティアを前にしてもマイペースを崩さなかった男が。

 少しだけ焦るように、そう言った。

 

 

 

 

『……出せる情報はほぼ吐いた、ということか。

 その上で考え得る対処も提案している。なら、信じる以外他にないと。

 まあ俺にはその是非は関係ない話だが』

 

 出来るだけ口早に、こちらがつい先程共有した情報を全て開示する。

 いまの状況、カヴァスⅡ世を守るためにも今取れる選択肢は広くないことも。

 これでアンデルセンが例えばドッペルゲンガー、アサシンだったら目も当てられない。

 

 が、多分それはないだろう。

 それこそ、“エドモン・ダンテス”という名への感情の機微。

 これを何となしにでも共有できる相手は、そう多くない気がした。

 

『む――――』

 

 電話先でアンデルセンの声が遠くなる。

 まるで受話器をひったくられたように。

 

『―――ジェームズ・モリアーティが敗北する、というルールには逆らえない。

 敗北の実証に地球の犠牲を要求されている限り、滅びには逆らえない』

 

 会話相手が変わる。その声に聞き覚えはない。

 首を傾げそうになりつつも、彼女は魔獣へ銃撃しているモリアーティを見る。

 黒幕とは違う、もう一人のモリアーティ。

 モリアーティがいる限り隕石が落ちるというのなら、彼も脅威の一つになってしまう。

 そんな彼女の思考を読むように電話先の男は嘆息し。

 

「えっと、あなたは」

 

『ならばどうするか。それはもちろん、()()()()()()()()()()()

 数学者ジェームズ・モリアーティの勝負が成立する前に。

 犯罪者ジェームズ・モリアーティの計画を、探偵が暴き立てることで』

 

 数学者としての敗北は、彼の出した“解”が不成立になること。

 犯罪者としての敗北は、彼の立てた計画が解明されること。

 モリアーティはこの前者を最大限利用して、地球に致死の刃を押し付けた。

 だから、それをそもそも使わせなければいいのだと彼は口にする。

 

『この世界観に保障されたモリアーティの敗北。だが、この世界観に約束されているのは敗北という結末だけだ。最終的に必ず負ける。だが“何に負けるか”はまだ決められていない。

 それを利用して彼がこの計画を成立させたように、こちらはそれを利用してその計画を破綻させる。敗北という結果さえ事前に成立させてしまえば、彼の計画を補強するものはなくなる。

 例えこの計画が数学者としての知的好奇心であろうとも、それが犯罪的手段で実行されていたのならば―――その悪行を探偵が見抜くことで、破綻させられる』

 

 男の声は強く。

 語るモリアーティの計画を、確かに理解していると主張する。

 

『幻霊魔弾の射手(マックス)の能力だけでは、地球を滅ぼすには足りない。

 聖杯のブーストを加味しても、当然足りない。

 だからこそ彼はこの世界に、これほど大掛かりな仕掛けを施したのだから。

 シェイクスピアを使い作ったこの世界で、彼は決定づけられた敗者として成立している。

 だからこそ彼は、()()()()()()()()()()

 

 そこで一拍置いて、彼はその名を口にした。

 

『―――私、シャーロック・ホームズが彼の前に立つ。

 それこそが彼の完全犯罪を破綻させる、最も確実な決着方法だ』

 

「……電話、シャーロック・ホームズからだった!」

 

 それを聞いた立香が即座にそう口にする。

 戦闘をこなしながら、嫌そうな顔を浮かべるモリアーティ。

 ついでにジオウがそういえば前に会ったな、と僅かに頭を傾けた。

 電話先から届くのは、小さな溜め息。

 

『キミね。……そちらにはまだもう一人のモリアーティがいるだろう。

 よくまあノータイムでバラそうと考えるね、キミは』

 

「駄目だった?」

 

 不思議そうに問いかけられて、ホームズが苦笑する。

 

『いや、構わない。ジェームズ・モリアーティがキミたちに味方しているかどうか、最後の確認は必要だと思っていたところだ。

 そして私と彼、現場と電話、どちらの話も聞けるのはキミだけ。

 と言ったところで―――私とモリアーティ教授はまったく同じ方法に辿り着いただろう、アサシン攻略戦についてまず話すとしようか』

 

 そう言って彼は、自分とモリアーティを繋ぐ橋となることを立香に要求した。

 

 

 

 

「こいつらだ! こいつらをあの方に引き渡せば、私たちには栄華が与えられる!

 約束してくださったのだ! 私たちにこそ十全たる幸福を、と!」

 

 声を上げるのは、スーツ姿の壮年の男。

 彼が指差した先に向けられる、無数の銃口。

 それが火を噴く前に、狙った相手の手の中で赤い光が瞬いた。

 

「が、――――!?」

 

 赤い光弾に撃ち抜かれ、痙攣して崩れ落ちる兵士。

 そんな味方の状況を気にかけず、兵士たちは銃撃を開始した。

 吐き出される弾丸の群れ、それに立ち塞がるように展開される蒼い光の壁。

 

 美遊の形成した障壁が銃弾を阻み、一発たりとも通さない。

 その盾で攻撃を凌ぎつつ、ツクヨミが適宜躍り出て敵に発砲を続ける。

 

「なんなの、こいつら……!」

 

『恐らくアサシン、燕青が仕掛けさせているものだ!

 どうやら彼は、ここで計画達成までの時間稼ぎをするつもりらしい!』

 

 ロマニの声を聞きながら、美遊の腕が振るわれる。

 

「―――速射(シュート)!」

 

 一瞬だけ盾を消し、そのままサファイアから撃ち放つ魔力の弾丸。

 それの直撃を受けた男が派手に吹き飛び、転がっていく。

 すぐさま再展開される障壁が、当然のように銃弾は通さない。

 

「ちぃ、ガキ二人に何を……ぐぇッ!?」

 

 苛立たし気に構えていた偉そうな男を、一振りされた旗が殴り飛ばす。

 意識を飛ばし、そのまま地面に転がる男。

 そいつの隣に着地してみせたオルタが、長くなった髪を軽く持ち上げ払った。

 

 気付いた連中は即座に銃口を翻し、彼女に向かって射撃を開始する。

 しかし直後に、オルタを囲うように立ち昇る黒い炎。

 その熱に呑み込まれ、銃弾が欠片も残さず焼失していく。

 

「くそ、化け物め――――!?」

 

 今の新宿に残った人間は、世界観に引きずられ真っ当ではないものに変わっている。

 が、それでもサーヴァント相手に戦い抜けるようなものではなく―――

 

「はぁ―――っ!」

 

 それどころか。

 オルタに引き付けられた連中の視線を縫い、ツクヨミが背後から一人蹴り倒す。

 そのまま流れるように放たれるファイズフォンの銃撃。

 二人三人と、次々と卒倒させられていく男たち。

 

「―――だとしたら。このまま防戦か、ここから一気にバレルまで突撃の二択……?」

 

「選択肢のように見えてそうでもないじゃない。突撃以外にある?」

 

 旗の石突でアスファルトを欠けさせながら、竜の魔女が肩を竦める。

 妙に手慣れた様子で、相手を殺さない火力を維持。

 彼女の撃ち放つ黒い炎の剣が、襲撃者たちの手から銃を吹き飛ばしていく。

 

「突撃女にはそう見えるだけで、面倒な状況だ」

 

 無手になった連中が、飛来してきた黒い疾風に吹き飛ばされた。

 それぞれビルの壁にしたたかに打ち付けられ、意識を失って崩れ落ちていく。

 

 そうして連中を薙ぎ払って登場したのはセイバー。

 彼女に対し、オルタが視線を向ける。

 

「来たわね、こんな連中より先にアンタと決着つけてやるわよ」

 

「そんな事はどうでもいい。おい、そちらのマスター……ツクヨミ、と言ったな」

 

「え? ええ」

 

「私と契約しろ。このまま決戦だ」

 

 絶え間なく増員され続ける人員。開始される銃撃。

 それを軽く切り払いながら、彼女はそう口にする。

 分かった、とツクヨミが返す前に口を挟むのはジャンヌ・オルタ。

 

「は、人の突撃に文句つけといてそれ? 猪らしさ全開じゃない」

 

「――――はぁ」

 

 至極面倒そうに溜め息ひとつ。

 そんな反応を返されていきり立つオルタを宥めようとするツクヨミ。

 

 彼女たちがそうしている間に、後ろから立香とモリアーティが現れる。

 セイバーを追ってきたのだろう。

 

「ツクヨミ! 美遊! オルタ!

 ソウゴの転移でできるだけバレルに近付いて、そのまま一気に突っ切る!

 こっちに戻ってきて!」

 

 雨のように降り注ぐ銃撃を、棺桶から放たれる火線が迎撃する。

 銃弾を銃弾で撃ち落としながら、モリアーティが顔を顰めた。

 

「やれやれ。銃弾を銃弾で撃ち落とすなんて、馬鹿げた話だヨ」

 

「分かった! いったん退いて、一気に敵の本丸を攻めましょう!」

 

 言いながら発砲を繰り返すツクヨミ。

 彼女が美遊と視線を合わせ、頷き合う。

 後退しつつ、相手を撃墜し続けるような動き。

 

 それをサポートするように弾幕を張るモリアーティ。

 彼を一瞬だけ見たセイバーが身を翻し、聖剣を腰だめに構えてみせた。

 

「退く前にここの連中をそこそこ程度に吹き飛ばすぞ! 追撃されたら面倒だ!」

 

「……ちっ、後で覚えておきなさいよ」

 

 そう言ってオルタがセイバーに倣う。

 二騎のサーヴァントが前のめりに、雑兵相手に動き出す。

 

 立香が彼女たちに肯首して、モリアーティの背に隠れるように動く。

 

 チンピラたちを薙ぎ払い、サーヴァントが帰還したのを見計らい。

 追撃を防いだところで全員揃って店の方に戻る。

 そうして準備していたジオウの力により転移し、バレルを目指す。

 それが彼女たちの示した方針であり―――

 

 彼の待ち望んでいた、隙である。

 

 誰が吹き飛ばしたのかも分からないような位置。

 そこで倒れ伏していたチンピラ一人が、まるで糸人形のように跳ね上がった。

 

 

 

 

「まずは前提を確認しよう。アサシンの目的は時間稼ぎだ。

 世界観の更新、バレルへの弾丸の到着。あるいはライダーの戦線復帰。

 彼が無理をする必要はさほどない」

 

『そして、そのために選んだ手段が一応は一般人と言える人間の登用。

 この世界観に強化されているとはいえ、キミたちが強引に突破した場合、生命の危機に瀕するだろう弱い兵隊だ』

 

 モリアーティの言葉を立香が電話口に繰り返す。

 すると電話の向こうで続けるようにホームズが喋り、それを立香が再度繰り返す。

 結果として、あたかも彼女が全てを推測して語り上げる者であるかのように。

 

「力任せに倒しづらい、というだけで君たちは動きづらくなる。

 とはいえ効果は知れたもの。私たちの戦力を鑑みれば、突破自体は容易だがネ。

 今回はカヴァスⅡ世くんのことがあるから効いているが」

 

『カヴァスⅡ世という犬をキミたちが庇っている、という事実をアサシンは知らない。

 だから当然、余計動きづらくなっているという事実を彼は考えない。

 この襲撃を受けたキミたちの行動を、ごく普通の範囲で予測して行動している』

 

 打てば響くように言葉が繋がることに、嫌そうな顔を浮かべるモリアーティ。

 聞いている立香からして、ホームズもさほどいい気分ではなさそうで。

 

「―――そう。アナザーウィザードである彼が、だ。

 相手にしづらい弱い人間と、相手取るには面倒な魔獣。

 これを同時に、周囲に大量にバラ撒かれたらどうするのが手っ取り早いだろう?」

 

『―――彼はキミたちが転移によって脱出する、と考える。

 その起点となるのは仮面ライダージオウ、常磐ソウゴだ』

 

 ソウルイーター、と分類される魔獣が走る。灰色の四足獣が躍る。

 が、それは先に戦ったロボに比べれば何ということもない。

 ソウゴは探偵と犯罪者の言葉に耳を傾けつつ、腕のホルダーからウォッチを外した。

 

〈ダブル!〉

 

 手慣れた様子でドライバーに装填し、流れるようにユニットを回転。

 ドライバーのメーンユニット、ジクウサーキュラーが装着されたウォッチを読み取る。

 ジクウマトリクスが顕現させるダブルの力と歴史。

 それがアーマーとなって、ジオウの許へと呼び起こされる。

 

〈アーマータイム! サイクロン! ジョーカー! ダブル!〉

 

 現れるのは緑と黒、二機のメモリドロイド。

 片割れである緑、サイクロンのメモリドロイドが勢いのまま獣の口に飛び込み、顎を砕く。

 そこで止まった魔獣に対し。

 黒、ジョーカーのメモリドロイドを装備したジオウ・ダブルアーマーの拳撃が突き刺さる。

 

 ソウルイーターを薙ぎ倒し、そのまま流れで両肩にメモリドロイドを装着。

 そうしながらも名前を出されたことで、ジオウが小さく振り返った。

 彼に頷いてみせつつ、モリアーティは射撃と語りを続行。

 

「襲撃のタイミング。大体ジャンヌ・オルタが外に行ったタイミングで始まっただろう? まあ恐らくは見ていたのだろう、アサシン本人が。

 その結果、敵襲を察知した彼女は真っ先に突っ込んでいってしまい、すぐにそれをツクヨミくんと美遊くんが追い、戦闘が開始された。

 つまり、今ここから私たちが転移して離脱するためには、私たちには外に行った組と合流する、という工程が必要になっているわけだネ」

 

『外は広く、銃弾を無作為に放ち続ける大量のジャンキー。

 店内は店内で魔獣が次々と流れ込んでくるが、広くはない。天井に穴こそ開けられたが、対処のために注意するべき方向は随分と絞れるだろう。

 では、最終的に転移を敢行するにあたり、どこで合流するのがいいことになるか』

 

 小さく立香が目を細める。

 サーヴァントならば、多少強化されてようが銃を持った人間など問題にはならない。だが銃を乱射する大勢の人間がいる開けた空間、というのはマスターにとっては酷く危険な状況だ。

 ジオウはそれこそ問題にしないだろうが、立香と、一応ツクヨミにとって危険な場所。

 普通に考えて、そこにわざわざ彼女たちを出すことを選ぶだろうか。

 

「方法としてはジオウが中心にある。この行動指針は要するに、“ジオウのそばに集まる”だ。

 だからまあ、自然と外に出た者たちがこっちに退いてくる、というのが無難だ。

 こちらもすぐに離脱にかかれるように、店の出入り口付近に移動しつつネ」

 

『つまりアサシンの狙い目はそこだ。

 細かい部分はともかく、大筋はそう外れないだろう行動予測。

 そうなるようにタイミングを計った彼は、キミたちの集合場所を狙える』

 

 流れるように繋がっていたモリアーティとホームズの言葉。

 それが一瞬だけ途切れる。

 何かを嫌がるような、珍妙な顔を浮かべて、モリアーティが言葉を詰まらせていた。

 

「……狙う相手は必然、もっとも人質にしやすい人間。何故って、彼の仕事は時間稼ぎだからだ。殺す理由がない。殺してしまえば怒りは稼げるが、時間は稼げない。人理焼却ならばマスターを殺すことに意味があったが、今では人類に残された最後のマスターたち、という冠はとっくに意味を失っている。カルデアのマスターの排除は、今回は勝敗に影響しない」

 

『―――……そう。アサシンが動くタイミングはただ一つ。

 離脱を前に気の緩んだ一瞬。カルデアのマスター、藤丸立香を人質として捕える時だ』

 

 モリアーティが言葉を詰まらせた以上の時間、ホームズが思考時間を挟む。

 お互いが数秒に満たない時間だけ、話を詰まらせて。

 そこから先は、先にホームズが言葉を口にした。

 

 

 

 

「飛んで火にいるなんとやら、ってな!」

 

 路上に転がっていたチンピラが一人。

 突然動き出した人間だったはずのものが、一体。

 まるで立体映像にノイズが走ったかのようにブレた直後、姿を変えていた。

 

『……っ!? アサシンの霊基を確認! ドッペルゲンガーの力か!?

 つい一瞬前まで人間の生体反応だったものが、サーヴァント反応に変わった!

 サーヴァント反応すら誤魔化せるのか……!?』

 

 燕青が纏っていた外殻、そこらのチンピラの記憶が剥がれ落ちる。

 愕然とするロマニの声。自身がサーヴァントである、という事実さえも隠匿する影。

 そうして元の姿と呼ぶべき侠客に戻った彼が、瞬時に立香に向けて奔った。

 

 ツクヨミと美遊がギョッとして。

 オルタが舌打ちしつつ振り返り。

 セイバーが全力で切り返そうとして。

 

 当然、間に合わない。

 そういうタイミングで彼が正体を現したのだ。

 

『―――先輩!』

 

「ぬ……っ!?」

 

 マシュの悲鳴染みた声。

 身を捩り、何とか燕青と立香の間にモリアーティが立ちはだかる。

 棺桶をハンマーの如く振るいながら、前に出てくる男。

 彼に対して燕青が笑みを返す。

 

「無駄だぜ、プロフェッサー。アンタじゃ俺は止められないね!」

 

「だとしても、やらねばならん時もあるサ!」

 

 燕青は止まらない。モリアーティに止められるはずもない。

 手甲に覆われた腕一本で。振り抜かれる棺桶をいなし、吹き飛ばす。

 繋がったチェーンは手に残っているが、棺桶が勢いよく彼方にすっ飛んでいく。

 歯を食い縛り、何とかその場で踏み止まる老爺。

 

 そんな隙だらけの男に笑う燕青。

 ここでモリアーティを討ち取ることもできる、が。

 それに意味はないし、本命は元々彼でもない。

 アサシンはそのままモリアーティを押し飛ばし、背後に庇われた少女に手を伸ばそうとして。

 

「――――あん?」

 

 モリアーティの背に隠されて、魔力を迸らせるカルデアのマスターを見た。

 燐光を纏う服、カルデア式戦闘用魔術礼装。

 まるで対燕青のために事前に準備していた、と言わんばかりに弾ける魔力。

 

 ……いや、彼女に大した事ができないのは把握済みだ。

 多少動けようが、英霊に敵うわけもない。

 カルデアの礼装も優秀だろうが、だからといって燕青と立香で殴り合いが成立するはずもなく。

 

 ―――だが、彼女はカルデアのマスターだった。

 

 少女の伸ばした腕に弾ける紫電。

 展開される魔術式が、モリアーティへと効果を及ぼして。

 

 

 

 

『モリアーティを護衛に、ミス・フジマルが撤退を告げに外に出る。

 それはアサシンからすれば最高の状況だ。何せ教授はバリツでボコボコにして、ライヘンバッハに放り込めるくらいに接近戦が弱い。彼はそれをよく知っている』

 

「……こんな性悪探偵の言う事聞けるかネ?」

 

 嫌悪感、だろうか。

 ホームズ自体よりも、彼が口にするその作戦が気に入らないとばかりに。

 モリアーティが本気で嫌そうな顔を浮かべ、天井の穴から顔を出した飛竜を撃ち抜いた。

 

『……それは、先輩がアサシンを誘き出す囮になる、ということでしょうか』

 

「だ、だったらわたしもついてた方が……」

 

 眉を顰めるマシュ。そしてサーヴァントとしての使命を口にするイリヤ。

 彼女たちに返答を立香を通じて聞き、ホームズはしかしあっさりと否定した。

 

『護衛が増えればアサシンの動きに慎重さが混じる。

 確実に相手に踏み込ませるためには、常識的かつ油断の混じる構成でなくてはならない。

 だからこそ、ミス・アルトリアと教授を伴い外に出た上で。

 ミス・アルトリアに少々前に出すぎてもらえば、アサシンは絶好の機会だと判断する』

 

 警戒しすぎてはいけない。だが、警戒しなすぎでは訝しまれる。

 だからこそ護衛につけるのは接近戦、あるいは砲撃戦において、この場においてジオウと並び最強であろう騎士王。そうして指名されたセイバーが軽く眉を上げた。

 

「それで実際どう防ぐ。この男が普通に抜かれましたでは話にならん」

 

 ホームズの言葉をそのまま口に出している立香に、セイバーが胡乱な目を向けた。

 ついでのように斬り捨てられるバイコーン。

 だがどれだけペットとして用意されていたのか、魔獣が途切れることはない。

 

 常磐ソウゴ、仮面ライダージオウ。

 彼は名実共に現状カルデアの最強戦力であり、前線に出す事に否やはない。

 先頭にさえ立つ、戦士である。

 

 あるいはツクヨミ。

 彼女も流石にサーヴァントと戦闘はどうにもならない。

 が、超常の存在にさえ、防戦なりを成立させるだけの立ち回りができる人間である。

 銃器を持った連中にも劣らないと理解されている。

 前に出ることを心配はされても、懸念はされない。

 

 では、藤丸立香は。

 経験は積んできた。尋常ならざる死線は潜り抜けてきた。

 それでも、土壇場以外で前に出る選択肢を出される人間ではない。

 彼女の定位置は一番後ろだ。

 積極的に前には出ない……出るべきではない人間だ。

 

 ―――だが、前に出ない人間というわけではない。

 

 セイバーの問いかけをそのまま伝え。

 しかしそれでも当然のように、ホームズは意見を揺らさない。

 

『その男が盾として一瞬でも機能すればいいのです、ミス。

 教授が護衛として役に立たないなりに努力し、しかしミス・アルトリアがカバーに入るには少々足りず―――そんな一瞬だけあれば、後は……』

 

 そこまで続けた立香が、何かに気付いたようにイリヤに視線を向けた。

 

「え、と。それって、まさか……」

 

 その視線を受け取って、少女の方も何かに気付いたようで。

 共有しているカルデアの戦法に思いつくことがあったのだろう。

 だがそれは、ここで一つ条件をクリアしなくてはいけない。

 

 電話を耳から外し、立香がイリヤを見つめた。

 

「……私は、いつだって私にできるだけの事をする。

 今に生きる人間として―――カルデアのマスターとして。

 私がマスターでいいって、そう認めてくれたイリヤの強さを信じてる」

 

 そう言われて、少女がステッキを握り締めた。

 逡巡のような表情は数秒無く、少女はすぐに決意と共にマスターを見返す。

 

「いいよね?」

 

 肯首。

 サーヴァントから同意を貰い、立香はジオウにも言葉を向ける。

 

 彼が右腕をゆるりと振ると、緑のメモリが黄色く染まった。

 そうして伸ばした腕で魔獣を叩きながら、彼は立香の方に顔を向ける。

 

「立香がやりたいなら、それでいいんじゃない?

 目標全部を叶えるためなら、立ち止まってなんてられないし。

 立香たちがアサシンを引っ張り出す。なら、その次が俺たちの出番だ」

 

 更に黒いメモリを青く変えて、ジオウはジカンギレードを銃として手にした。

 

「一気に仕留めるチャンス、ってことね。まったく、無茶する相棒を持つと苦労するわ」

 

 投げ放った双剣を再度投影しつつ、クロが溜め息ひとつ。

 彼女の軽口に反応してマシュが少し言葉を濁らせつつ、しかし。

 

『それは……はい、ですが、わたしはそれでこそだと思います!』

 

 探偵と犯罪者、二つの頭脳が出した結論に納得できた。

 彼女たちは“こうしたい”、と意志を示した。

 それを叶える手段はある、とサーヴァントは策を提示した。

 なら後は動くだけだ。

 

 その気合の入りように、同意していたイリヤも少し口元を引き攣らせる。

 

「そう断言しちゃうのはそれはそれでどうかと……」

 

「イリヤに言えたことじゃないけどねー」

 

 立香がモリアーティに向き直り、問いかける。

 

「プロフェッサー……モリアーティ。

 あなたは、私があなたを信じてもいい、って言ってくれる?」

 

 手を広げ、差し出す。そこに令呪はない。

 だがそれが、マスターがサーヴァントに問いかける言葉であるのは間違いなく。

 

 彼女の言葉に、モリアーティが僅かに眉を顰めた。

 マスターとサーヴァントであるために、問いかけるべきこと。

 それは彼が裏切るかどうかではなく、彼女が信じられるかどうか。

 

 藤丸立香は、モリアーティの提案する策を信じると手を差し出す。

 だが、彼はその事実にこそ顔を顰めた。

 

 モリアーティはこの作戦。

 藤丸立香が囮になる作戦を自ら口にすることを避けた。

 もっとも効率的で、成功する可能性も高く、彼女自身が同意するだろう策を。

 

 それは何故か、というのは。

 それこそモリアーティ自身すら何とも、戸惑っている。

 シャーロック・ホームズとジェームズ・モリアーティの頭脳のお墨付きだ。

 正直、危険はそう無いと確信していると言っていい。

 こんなところで、彼女たちは負けない。

 それが確信できているのに、どうしてか口にする事を厭ったこと。

 

 あなたの作戦を信じる。そう言って、差し出された手。

 それをモリアーティが見下ろして―――

 

 

 

 

「―――オーダーチェンジ!!」

 

 彼女の従えるサーヴァントの置換が行われる。

 空間を超越し、二人のサーヴァントが入れ替わる。

 即ち、片割れはアーチャー、ジェームズ・モリアーティ。

 

「―――は?」

 

 モリアーティと立香が契約を結んでいた。

 その危機感の無さには驚くが、まあいいとして。

 

 爆発する魔力。消えるモリアーティ。そこから現れる矮躯。

 血気に逸り、しかし力強く眼前を見据える少女。

 

 敵は幼いながらも戦士の意気に満ち満ちて。

 しかし侮るなかれ、男の名は浪子燕青。

 彼の拳は影さえも置き去りに打ち放たれる、目にも映らぬ高速拳。

 例え神話の英傑であろうと、至近距離でその技巧を破れるものなどそうはなく。

 

 ―――瞬間、モリアーティがいた場所から岩塊の如き巨大な刃が突き出された。

 逡巡する暇すらなく、本能でもって退くことを選ぶアサシン。

 突き出された大剣を、拳士の掌が全力で受け流す。

 

 が、その技巧を全て圧し潰さんとする勢いで。

 尋常ならざる破壊力をもって大剣が唸る。

 

 受け流しきれるか。否、不意を完全に突かれた一撃。

 流石にタイミングが悪すぎて、直撃を僅かに避けるので精一杯。

 そんな事実こそが、余りに予想外だった。

 

「な、に……!?」

 

 技量、技巧、功夫。積み上げた侠客の研鑽。

 それらを一蹴する、純粋にして絶対的なパワー。

 狂気に理性でブレーキをかけながら、しかし少女はその力を乗りこなす。

 発揮されるのは宿した少女の矮躯からは想像もできないほどの、圧倒的な神域の膂力。

 

「は、ァアアアアアア――――ッ!!」

 

 ―――即ち片割れは、キャスターにして、バーサーカー。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンにして、大英雄(ヘラクレス)

 

 炸裂するのは、紛れもない大英雄が繰り出す必殺の剛撃。

 全力のスイングは確かに、燕青にまで届いた。

 

「ガ……ッ!?」

 

 衝撃が受け流し切れず。

 弾けるように吹き飛ばされたアサシンが、瓦礫に激突して粉塵を立ち昇らせる。

 もうもうと吹きあがり、地上を覆う粉塵のカーテン。

 少女が振り抜いた大剣が勢い余って地面を抉り、更に撒き散らした。

 

 ―――そうして。

 不意の必殺を成し遂げた少女が、マスターの前に立ち誇る。

 髪をポニーテールに束ね、黒い腰巻を身に着けて。

 神殿から削り出した巌の如き大剣を構えた、その姿こそ。

 

夢幻召喚(インストール)、バーサーカー……ッ!」

 

 大英雄の力を宿した少女が、体内に燻る熱量を吐き出すような咆哮。

 狂気と理性を共存させて、力だけを漲らせる。

 吹き飛ばしたアサシンの姿を視線で追う少女が、その場に大英雄の映し身として君臨した。

 

 

 




 
 福袋はメリュジーヌだったので私がオーロラです。

 オーロラカーテンを自由に使いこなすのは難しいらしい。
 なんか戦闘中に短距離ワープや謎の拘束技として使ってた変な人がいるんだが…
 教授、これは一体…?
 


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迷子の星1124

 

 

 

 粉塵を爆風で吹き飛ばし、アナザーウィザードが復帰する。

 一撃をもらう寸前に変身していたのだろう。

 ヘラクレスの必殺さえもただのダメージに抑え込み、彼は笑う。

 

「ははは! まさかこうも完璧に返されるとはな!

 俺はカルデアのマスターっていう囮にまんまと引っかかったわけか!」

 

 現状を呵々と笑い飛ばし、宝石の魔物はゆらめきながら立ち上がった。

 余裕さえも漂わせながら起き上がる相手に、イリヤスフィールが身構える。

 

 そうしながら状況を見極めた彼が実にあっさりと。

 

「ってーなると、どうすっかな……バレルの近くまで退いた方が無難か。

 アーチャーの援護射撃もあるしなァ」

 

 腕を横に伸ばして、そこに出現させる魔法陣。

 それが転移のためのものである、と。

 思考の暇さえなく理解したセイバーが、魔力の放出に押し出されて飛んだ。

 

「逃がすか―――!」

 

「お生憎様、死ぬ前に逃げ出すのは得意なんでな!」

 

 笑いながらそう叫び、アナザーウィザードが腕を広げる。

 展開される魔法陣。セイバーの眼前に立ち上がる岩の壁。

 それを粉砕する隙に発動するテレポート。

 

 一切の躊躇いなく選択された撤退。

 その事実に呆けたイリヤは彼を追えず、他のサーヴァントたちも届かず。

 

 離脱を見逃すしかない。

 そんな状況に、

 

〈フィニッシュタイム! スレスレシューティング!〉

 

 無数の光弾がその場に降り注ぐ。

 うねり蛇行する不規則な弾道を描き舞うのは、月光の弾丸。

 

「っとぉ! そりゃ対策済みならそっちも来るよなぁ!

 けど、分かってりゃどうとでもならぁな!」

 

 屋内から飛び出してきたジオウに一瞬だけ視線を向ける。

 彼を目掛けて飛来する無数の光弾を潜り抜け、燕青は一発の被弾もなくやり過ごす。

 流石にもう不意などつかせない。

 アナザーウィザードはそのまま流れるように離脱に動き―――

 

「どうかな? そこ、通行止めだけど」

 

「は?」

 

 ガチン、と。アナザーウィザードの体が魔法陣に届かず停止する。

 己の展開した、空間を跳躍するための入口。

 当たり前のように入れるはずだった、この場所からの逃走経路。

 

 は、と唖然として首をひねる。

 向けた視線の先、魔法陣の上からかけられた“止まれ”の文字。

 進行方向に対して、一時停止を余儀なくされるアナザーウィザード。

 

「―――残念、工事中みたいね!」

 

〈ディ・ディ・ディ・ディケイド!〉

 

 次なるウォッチを構えるジオウの前に降り立つ少女。

 振り上げた無手に瞬きの内に現れる弓と剣。

 紅い外套の少女が弓に剣をかければ、螺旋の剣が光の矢と代わり魔力を迸らせた。

 合わせた照準はアナザーウィザードを目掛けたものではなく、彼の目指す場所。

 空間を繋ぎ合わせるために描かれた、転移の魔法陣。

 

「“偽・偽・螺旋剣(カラドボルグⅢ)”―――――!!」

 

 放たれる矢が、空間を削り取りながら翔け抜ける。

 抉られるものは宙に描かれた魔力の道さえ例外ではなく。

 動きの止まった燕青の前で、彼方に繋がる道が掘削されていく。

 

「なん、」

 

「っ、ああ、ァアアアアアアア――――!!」

 

 愕然と。撤退を阻まれた燕青が、言葉をこぼしている内に。

 大地を砕く踏み込みと共に、岩剣を振り上げた少女が疾駆した。

 一時停止は数秒と待たずに解ける。

 すぐに解放された燕青が気を取り直す前に、神威が彼に向かって叩きつけられた。

 

「ッ、チィ……!」

 

 防ぐ、という選択を真っ先に破棄。

 受け流しきれる体勢ではないのでそれも破棄。

 躱す、逃れる、どうやって。

 その選択を叶えるための手段を己が内に見つけて、彼は即座に実行した。

 

「―――――な!?」

 

 イリヤが見舞う大英雄の一撃に合わせ、飛散する水流。

 自分の体を水に変えたアナザーウィザードが弾けた。

 彼は衝撃に弾け飛びつつ、意志ある水として空中で蠢いてみせる。

 

「こいつは便利だ、このまま―――」

 

〈エクシードチャージ!〉

 

「そこ―――!」

 

 それに。空中で蠢く大きな水の塊に、突き刺さるのは赤い弾丸。

 光弾を当てられたアナザーウィザードが、強制的にカタチを取り戻す。

 水に変化していた肉体が元に戻り、その上で行動を縛られる。

 

 水のまま流れて逃れようとしていたアナザーウィザード。

 彼は真紅の光に縛られて、封じられた状態で驚愕を声にした。

 

「な、にィ……!?」

 

「今よ、セイバー!」

 

 撃ち放ったツクヨミが、既に大地を踏み切っていた騎士王に叫ぶ。

 彼女が疾走に選んだ軌道は、上空への大ジャンプ。

 聖剣を両手で握り、空中で魔力を放出していた。

 

「――――卑王鉄槌(ヴォーティガーン)

 

 一閃と共に放たれるのは瘴気と魔力の濁流。

 空中から降り注ぐ黒い津波に呑み込まれるアナザーウィザード。

 縛られていた怪人の体が、全力で放たれた騎士王の一撃に悲鳴を上げた。

 

 そのまま地面に叩き付けられ、周囲のビルを多少巻き込みつつ道路が決壊する。

 黒の光芒によって崩落していく眼前の光景。

 

 それを見て、ツクヨミが思わず追加で叫んだ。

 

「セイバー、やりすぎ……!」

 

「―――分かっている。が、文句はあの男に言え」

 

 危うげなく着地しつつ、ちらりと視線だけ後ろに向ける。

 そうして彼女が示すのはモリアーティ。

 イリヤと入れ替わった上で、彼もまたこちらに戻ってきていた。

 彼の腕の中には、尻尾を丸めたカヴァスⅡ世の姿もある。

 

 セイバーの視線を受けたモリアーティは微妙な表情。

 自分が推奨したわけではない、と言いたいのか。

 だがあえて彼は何も言わず、腕の中の犬を手放した。

 

「―――ほら、カヴァスⅡ世くん。

 ツクヨミくんの方に行くといい。こっちは五月蠅くなるからネ」

 

 片手で引きずっていた棺桶を上げ、展開。

 店の方から続々とこちらに溢れてくる魔獣に銃口を差し向ける。

 

 それを見てカヴァスⅡ世を拾いにくるツクヨミ。

 彼女の護衛をしつつ、美遊は魔獣の対処へと意識を切り替えた。

 

 叩き付けられたアナザーウィザード。

 コンクリートとアスファルトの残骸から、彼はよろけつつも体を起こす。

 流石にダメージは軽くないのか。

 全身から黒煙を噴きながら、燕青が弱々しく体を揺らした。

 

 傍から見ても、完全に燕青が追い詰められた光景だ。

 アナザーウォッチが破壊できずとも、一時的に機能停止させればいい。

 それは何の強がりでもなく、セイバーはそれだけの攻撃力を持っているという話。

 

 そんな光景を見て。

 

「話が違う……! 話が違う! あんたが勝って、全てを手に入れるって!

 あんたが手に入れた全てを俺たちに支払うって約束だった!

 あんたが負けたら俺たちは何も手に入らない! 契約違反だ!」

 

 声が上がる。

 アサシンから注意を外さず、揃ってそちらを見てみれば。

 周囲でざわめいているのは、こちらに襲撃をかけていた人間たち。

 憎々しげにさえ聞こえる声を上げたのは、指揮を執っていた男の一人。

 それを切っ掛けにしたのか、他の連中も燕青への罵倒を始める。

 

「クソ、何も手に入らないのにこんな化け物どもの相手をしてなんになる!

 大損だ、付き合ってられるか!」

 

「これ以上あんたには従えない! 従って欲しけりゃ報酬を寄越せ!」

 

 そんな光景を前にして、最前線にいたイリヤが僅かに身を引く。

 怪人と直接に戦うのとは違う、周囲の空気に漂う恐怖感。

 それに影響された意識が、バーサーカーの狂化に押され始める。

 

「な、なに……? あの人たち……」

 

「イリヤさん、心を強く持って! もしくはカードの排出を……!」

 

「―――ダメ……! もしもの場合のために……まだ……!」

 

 イリヤが胸を押さえながら、少しずつ退く。

 バーサーカーは解除できない。

 いまこの土地で最も警戒しなくてはいけないのは、アナザーカブト。

 戦闘中で他に向ける意識が疎かになる以上なおさらだ。

 いつ復活してくるか分からない以上、すぐに対応できる状況は維持したい。

 

 心を揺らす少女の前で、怪人となった男はゆらりと立ち上がる。

 そして割れて歪んだ宝石の顔が、周囲の連中を一通り見回して。

 

「……生憎だが、いま払えるもんなんてありゃしない。

 死にたくないなら逃げろよ。俺には止める気もないんでな」

 

 それを聞いた人間たちが、迷う事なくこの場に背を剥けていく。

 僅かばかりの戸惑いさえなく、彼を見捨てて逃げていく。

 

 ―――仮面の下で、燕青が笑う。

 よかった、と。

 

 だってそうだろう。

 見返りなく命なんて懸けられてしまったら、どんな顔をすればいい。

 これが当たり前。

 何も得られない、勝ち目のない戦い。

 そんなもの、主を見捨ててでも逃げ出すのはごく自然な事だった。

 

 罅割れた宝石の魔人が拳を構える。

 もう詰んでいる。カルデアの総力に囲まれているのだ。

 攪乱があればまだ逃げられたかもしれないが、もうここには誰もいない。

 一回逃げ損ねた時点で、ここでアサシンの命運は尽きた。

 

 彼を前にして、ジオウが問いかける。

 

「……あんた、このまま黒幕の方のモリアーティに協力して何かあるの?」

 

「はは、はははははは! 応さ、あるとも! 栄華だ! 俺には栄華が約束されている!

 この計画が成就した暁には、俺には全てが与えられる!」

 

 響く声には喜悦だけがある。

 やっと前にした、欲しかったもの。

 それを手に入れられるのであれば、是非もないと。

 

「この星を滅ぼした後に栄華ねぇ……」

 

 店内からこちらを追跡してきた魔獣の残り。

 ワイバーンを撃墜するのに回ったオルタが、馬鹿を見る目をそちらに向ける。

 そんな視線に仮面の下で笑みを浮かべ、アサシンが応じた。

 

「ああ、そうさ! だがこの星の命運なぞ、俺に何の関係がある!

 俺には与えられる! 約束されている! ただただ栄華が!」

 

「そんなの、意味が……!」

 

 吼える燕青。彼に対して声を上げるイリヤ。

 だが少女の叫びを塗り潰し、彼の言葉が続いた。

 

「意味? ハハハハ! 意味なんざ要るものか! この星が潰える前に、俺と言う星の記録がさっぱり消えれば知った事か!

 我が半身となったドッペルゲンガーの力は、他人に化ければ化けるほど、その記憶を己の中に積み上げていく! 線引きはない! 生きれば生きるほど、自己が曖昧になっていく!」

 

 悲しむように。そして歓喜するように。

 燕青は己と一体化したもう一人の自分の特性を語る。

 その力を使う度、あらゆるものが塗り重ねられていく。

 

 ―――浪子燕青は己を塗り替えていくこの力を嫌い。

 同時に、この力を使うごとに燕青ではないものになっていく事に喜悦した。

 

「だがそれでいいさ! 名も記憶も魂も、薄れて消えるならそれでいい!

 何も無くなった俺の身は、俺が手に入れた栄華が証立ててくれる!」

 

 自分の中に積み重ねて築いた自己ではなく。

 外に打ち立てた自分の功績、栄華こそをもって己を己と証明する。

 それでいい。それがいい。

 薄れて消える自我なんて小さいものより、外に積み上げた偶像が自分であればいい。

 そうであったなら、自分にこだわる必要さえないのだから。

 

「栄華というものが、何もかもを失くしても残るものであったなら!

 命を懸けて手に入れるべき、己の支柱になりえるものであったのなら!

 それこそあの主人が目を眩ませたのも道理だろう? それを見捨てた男の方の過ちだ!

 手に入れた分で足りなけりゃここで俺は溶けて消える、ただそれだけ!」

 

 物語の中に溶けて消えた男が叫ぶ。

 もはや自分とは何なのかさえ判然としない。

 けれどそんなもの、ドッペルゲンガーとなる前からの話だ。

 何がしたかった。何を求めていた。どこに向かっていた。

 

 ―――その最期は、どこに辿り着いた。

 

「あんたは……」

 

「ハハハハハハハハハ―――――!

 光が強けりゃ目が眩む! 目が眩めば足取りを誤る! そんな、ただ当たり前のことがあった! 希望ってのは正気を奪うための目潰しさ! それに引っかかった奴の足を取って掬って転がして、積み上げていくのが栄華なんつう浅ましき人の業!」

 

 この新宿に栄華を築いていたアサシンが奔る。

 即座に対応するのはセイバー。

 聖剣と拳が空中で交錯し、火花を散らす。

 

 ぐらつくアサシンに対し、セイバーの剣撃には一切の淀みなく。

 弱っていようが、確実に削り落とすための攻撃に見舞われる。

 そんな手加減無用、敵に対して見せる必勝の態度こそが心地いいと。

 アサシンが呵々と笑い声を張り上げた。

 

「この無頼漢を支えてた誇りと矜持はもうありゃしない! どこに置いてきたかさえも覚えちゃいない! 俺にあるのは、この世界で名と記憶を切り売りして積み上げてきた栄華だけ!!」

 

「……それで、あんたは満たされたの?」

 

「この身、この器を捨てた、と言った!

 もはやこれは何物でもない、何を入れるべきかも知らぬ木偶人形さァ!」

 

 アサシンの拳が消える。

 影すら追えぬばかりか、影すら映らぬ無影の拳。

 伸長することを考えれば、もうどこを殴ろうとするかさえ分からない。

 

 それに舌打ちしつつ、セイバーが目を見開く。

 魔力が漲り、彼女の装束が漆黒の鎧へと変わる。

 鎧で耐え、致命傷は直感で防ぎ、強引に突き破ると宣言するような姿勢。

 

「魔力を回せ、マスター! 強引に押し切る!」

 

「え、ええ……!」

 

 セイバーが加速する。合わせ、アサシンの拳が加速する。

 聖剣で斬り落とせない堅牢さに加え、視えない腕。

 それがセイバーの踏み込みさえ阻み、むしろ押し返していく。

 

「ちぃ……ッ!」

 

「嗚呼、チクショウ……! 俺の拳、化け物みたいな王様にも通じてらァ!

 ―――おれ、何でここまで頑張ったんだっけ……!」

 

 セイバーが加速する。それを凌駕し、アサシンの拳が加速する。

 剣で弾き切れず、鎧に届く一撃が無数に生じる。

 直感が知らせる命に届きうる一撃。

 積極的に防ぐのはそれのみにして、セイバーが強引に攻め抜くために踏み込む。

 

「……そう言う割に。ドッペルゲンガーの力でどれだけ自分が曖昧になっても、それでも忘れられないんでしょ。自分が心に抱えたままの絶望が、そこにあり続けてるんだ」

 

「―――――」

 

 ぴくりと揺れて、アサシンの動きが一瞬止まる。

 結果として彼はセイバーに踏み込まれ、胴体に聖剣の一振りを叩きこまれた。

 弾き飛ばされる怪人。追撃として放たれる、クロエの投影した剣群。

 

 無数の鋼を、伸ばした腕を鞭にして薙ぎ払う。

 そうしながら着地した彼が、ジオウに顔を向けた。

 

「あんたの拳は影でさえ追えないけど、あんたの心にはずっと影がかかったままだ」

 

〈龍騎!〉

 

 既にディケイドウォッチを装填したドライバー。

 それを回転させながら、ソウゴは更なるウォッチを起動した。

 

「……あんたが目を背けてる鏡に映ってるのは、ドッペルゲンガーなんかじゃない。

 いまそこにいる自分自身だ」

 

〈アーマータイム! ワーオ! ディケイド!〉

〈ファイナルフォームタイム! リュ・リュ・リュ・龍騎!〉

 

 影を重ねて鎧と為し、そこに龍騎の力を更に纏う。

 炎上するジオウの肩と胴体、コードインディケーターに浮かび上がる文字。

 “リュウキ・サバイブ”。

 

「自分で自分にかけた影を晴らせるのは、自分だけだろ」

 

 炎上しながら歩み出し、彼がセイバーに並ぶ。

 同時に更にその隣に黒ウォズが並び、『逢魔降臨暦』を手にしながら祝福を告げる。

 

「祝え! 全ライダーを凌駕し、過去と未来をしろしめす時の王者!

 その名も仮面ライダージオウ・ディケイドアーマー龍騎フォーム!

 果てなき戦いの道を歩みし王が、新たなる力を継承した瞬間である―――!」

 

 もう慣れ切った空気感で流される祝福。

 黒ウォズはそれに少し不満そうにしつつ、ジオウの横から一歩退く。

 

 ジオウがセイバーへと視線を送る。

 その意図を読み取って、彼女が眉を吊り上げる。

 時間も余ってるわけではない。ライダーがいつ復帰するかも分からない。

 この状況なら、戦力を注いで一気に磨り潰すのが正解だろうに、と。

 

 確認するようにマスターに視線を向けたセイバー。

 そちらからも同意を受けて、彼女は呆れるように剣の切っ先を僅かに下ろす。

 

 首を鳴らしながら胡乱げな様子でそれを見つつ、アナザーウィザードが構え直す。

 

「……いまさら影を晴らして何になる。俺の物語は、()()()()()()()事で閉じた。

 結末をどうこうしようなんて、もう思っちゃいないんだ。そこにあった筈の怒りも悔やみも、二度と見つからなくなることで決着した。だったらもう俺は、そっから先だって何も見ないのが真っ当な在り方ってこった――――!!」

 

「―――本当にそう思ってる?」

 

 向かい来るアナザーウィザード。

 その怪人を前にジオウがライドヘイセイバーを呼び出し、更にウォッチを一つ手にする。

 それをヘイセイバーへと装填し、ハンドセレクターに指をかけた。

 

〈フィニッシュタイム! ヘイ! ウィザード!〉

 

「何かが違えば、そんな終わり方じゃなかったかもしれない。

 そう思う自分を、ドッペルゲンガーの影で隠したいだけじゃないの?

 止まらなかった主への怒りも、止められなかった自分の後悔も」

 

 ジオウが手にした剣を放り上げる。

 同時にドライバー上で解放されるディケイドウォッチ、龍騎ウォッチの力。

 

〈ウィザード! スクランブルタイムブレーク!!〉

〈リュ・リュ・リュ・龍騎! ファイナルアタックタイムブレーク!!〉

 

 上空でライドヘイセイバーが輝く。

 ライドウォッチベースに装填された、ライドストライカーのウォッチが脈打つ。

 炎と魔力に覆われて、ライドストライカーが変形を開始。

 

 龍にして龍騎を騎乗させるマシン、烈火龍ドラグランザー。

 竜でありウィザードのマシンと合体する、ウィザードラゴン。

 二頭の騎竜の力を受けて、バイクから機龍に変質するライダーマシン。

 頭上で発生した炎のドラゴンを従えて、ジオウが燕青を見据えた。

 

「隠せないよ。何より、あんたがあんた自身に抱いてる気持ちだからこそ。

 自分の心の底に残った想いは、絶対に隠せない。

 たとえどうやって塗り潰そうと、忘れることなんてできやしない。

 他の誰に分からなくたって、あんた自身だけには分かってることなんだから―――!」

 

「知った風なことを……!」

 

「自分でも自分を誤魔化せないから、せめて隠そうとしたんだろ!」

 

 ジオウが奔る。対抗するアサシンの拳。

 あらゆる行動の機先を制し、彼の拳は相手に己の影を踏ませない。

 それでも、一方的に殴打されているジオウは、退かない。

 

「けど、それじゃ何も変えられない……!

 『自分の物語は、全部分からなくなってしまったところで、おしまいだったから』

 そうやって、“ちゃんと終われなかった”って言って、負けた自分から、もう負けてる自分から逃げてるうちは、次の自分に進めないだろ!!」

 

「―――――――」

 

 どうやって終わったか分からない。

 どうやって終わってしまったか分からない。

 ちゃんと終われたかどうかすら、分からない。

 

 物語―――水滸伝の中において、燕青は裏切りを予測し逃避を主に提案した。

 だが、私には栄華が約束されている、と。彼の主は燕青の予測を杞憂だと一笑に付した。

 この愚かな主は何を言っても聞かないだろう、と。

 主の事をよく知っていた彼は、どうにもならない結末を前にして、主の前から姿を消した。

 

 彼が姿を消した後、彼の主は燕青の予測通り裏切りに会い命を落とした。

 ―――そこで終わり。

 

 彼がどうなったかは分からない。彼の行方は誰にも分からない。

 裏切りを予感し、主を動かせず、独りで利口に生き延びて―――それで、おしまい。

 勝利もせず、敗北もせず、存命だけど、何もせず。

 

「俺の、ッ、……結末、は!」

 

「何より自分で分かってるだろ―――! あんたは、見捨てて、逃げて、負けたんだ! 負けられなかったんじゃない! あんたはあんたの主より先に負けたんだ! 命を長らえたからって、負けてないわけじゃない! 少しでもマシな負け方をできるように、力を尽くした! そうしてあんたたちは揃って負けて、あんただけが生き残れただけだろ!!」

 

 そうしてぐらついたアサシンの顔面に、ジオウの拳が突き刺さる。

 ウィザードの力はそこにはない。

 クリーンヒットはせずに、ただ怪人に蹈鞴を踏ませて押し返す。

 

「なら、次を見ろよ! 負けてでも守り抜いた命で、どこへ向かうか決めろよ!

 それは……あんた自身にしかできないことだろ!!」

 

「―――ねえよ……ねえんだよ!

 そこが終わりの俺に、次に行くべき場所なんかねえんだよ――――!!」

 

 即座に復帰する燕青の放つ拳撃。

 その卓越した技巧が繰り出す拳は、ジオウが彼に一発入れる内に十発やり返す。

 

「だったらもう、“此処にいた”、と! 見上げた誰にでも分かるように、此処に!

 醜悪だろうと栄華でも積み上げて、証明にしておくしかねえだろうが!!」

 

「……そうやってまた逃げるの? そんな自分に、自分で納得できるのかよ!

 あんたが証明したいことは、あんた自身だけの事じゃないだろ! 何よりあんた自身が! 見捨ててしまった主と自分は、切り離せるものじゃないって思ってる! 誰より自分が納得してないのに、ドッペルゲンガーを盾にして自分の心から逃げるなよ!!」

 

 拳の応酬。アサシンの優位は揺るがない。

 拳同士で競って、ジオウが彼を上回れる道理がない。

 彼こそは浪子燕青、燕青拳という一つの流派を成立させるほどの侠客。

 

 何一つ薄れてはいない、彼と言う男が積み上げた拳の極み。

 それを総身に受けながら、ジオウがその場で踏み止まる。

 

「ドッペルゲンガーが化けた人間の記憶を積み上げていくものなら。

 だからこそ、いま一番底にあるのはあんたの人生だろ……!

 そこに決着をつけないまま何を積み上げ続けたって、あんたはあんたを隠せない!!」

 

 振り抜かれる燕青の拳。

 乱打の嵐に雑音は混じらず、確かに彼の技巧がそこにある。

 影すら追えぬその拳を正面から受け、ジオウはその見えない腕を両腕で掴み取った。

 

「あんたが積み上げようとした栄華の土台になれるのは……!

 いつだって! 自分っていう、人間だけなんだから―――――!!」

 

「―――――!」

 

 瞬間、空から龍の息吹が降り注ぐ。

 天空から舞い落ちる無数の炎弾が、彼ら二人の周囲に着弾する。

 大地に落ち、天まで立ち昇る炎の柱。

 それに呑み込まれて、燕青の視界が一瞬ブラックアウトした。

 

 一瞬後に戻ってくる視界。

 そこからジオウの姿が喪失していることを真っ先に理解して―――

 

「……別に、栄華なんざ欲しいわけじゃなかったさ」

 

 天空から、変形しながら地上に迫りくる竜の姿を見た。

 竜とマシンが組み上がり、描き出される姿はまるで巨大な竜の足。

 龍の炎が渦巻いて、その中に囚われた敵を撃滅せんと竜の爪が降り来る。

 

「―――結局、どっちも莫迦だった。

 止まらなかった主人も、止められなかった従者も、どっちも」

 

 炎の渦の中で、全てが焼け落ちていく。

 積み上げた虚栄の塔が崩落していく。

 そうした地獄に身を置いてみれば、莫迦みたいな独白まで零れ落ちた。

 

「……だったらせめて、仕方なかった理由くらいこじつけてやりたいだろ。

 あの愚かな主人が求めたものは、それだけする価値があるものだったのだ、と。

 命惜しさに逃げた愚かな従者は、それを解さぬ不明だったが故に背を向けたのだ、と」

 

 迫りくる竜の破壊。

 その威力に、アナザーウィザードが砕け始めた。

 

「だが、結局。どっちも自分の足取りさえ覚束ぬ莫迦だったわけだ。

 何が悪かったかと言えば、主従揃って莫迦だったところ、というだけ」

 

 霊核と共に崩壊を始めたアナザーウォッチ。

 再びの死を目前にして、彼はいたたまれないとばかりに失笑する。

 

「手に入りそうな栄華に希望を見て、目を眩ませた主人。

 その足が止められないと知るや、勝手に絶望して姿を眩ませた従者。

 同じ場所にいて、肩を並べてたってのに、ああも観てるものが違っちゃあな……」

 

 既に終わった燕青に、機竜の爪が確かに届く。

 地上に叩きつけられて、地面を引き裂く竜の一撃。

 完膚なきまでに砕け散るアナザーウィザード。

 

 それと同時に消失した竜。

 その上から蹴りつけていたジオウが、地上へと降り立った。

 

「……こんな有様だったんだ、仕方ない。どうしようもねえ。

 俺たちは、愚かな主人とそれに仕える愚かな従者だった。

 ただ、たったそれだけの話だった」

 

 地面に埋まり、金色の光に変わりながら、燕青が乾いた笑いを漏らす。

 

「―――ドッペルゲンガー。自分のない誰かの映し身、誰かの影でしかないもの。

 ……ああ、まさしくお前は俺だった。どこまで行っても、何と言おうと、俺という男の天命は我が主と共にあった。それを後悔することはない。だってのに、影が主人を置いて自分だけ、どこかに行っちまったらそりゃあ……それはもう、誰でもないって話だ」

 

 四肢が、胴が、解れて光になって消えていく。

 首だけで引き攣った笑い声をあげる彼。

 

「つったってよぉ……まったく、権勢におもねらない我らが星が、栄華に目が眩んで地に堕ちてたら世話ねえって話だぜ」

 

「そう言って、その人を止めたかったんだよね。あんたは」

 

 炎の中で立ち上がるジオウ。

 これからライダーも相手にする気だろうに、随分と無駄な消耗をしたものだ。

 馬鹿げてると思いつつ。

 

「ハ、言って止まる人だったら苦労してねえさァ……」

 

 アサシン、浪子燕青が光に溶けていく。

 笑い飛ばそうとして、しかしそれには足らずに悔やむような声で。

 手に入らない栄華を夢見て死ねたならまだ良かったのだけど。

 結局彼は正気を完全に飛ばせないまま、そんなもんありゃしないと理解していて。

 

「まったく……我が主が反省しない輩でな……ついていくのも、楽じゃねえ……けど。

 そこが、確かに、俺も望んでたはずの、居場所だったって――――」

 

 まったくろくでもない主であった。

 そして、掛け替えのない居場所であった。

 

 それにしたって。

 これだけやっても、同じ結末にさえ辿り着けないなんて。

 一体どれだけあの主は―――主従揃って、一体どれだけ愚かだったのやら。

 

 

 




 
 妖精め、ケルヌンノスにしたことは許さねえぞ!

 え!?ハベにゃん自前でNP100用意できてステラできるの!?
 スキル2とアペンド2即レベル10にしました!!!!
 これから自爆よろしくね!!!!!!!!!!!!!!!!

 妖精は醜い、人も醜い、それでも…生きているんだなって…
 


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ひよる狼2006

 

 

 

 戦闘は終わった。

 アサシンは撃破され退去し、彼に従っていた人間たちは離散。

 そして、その頃には魔獣たちもパッタリこちらに来なくなっていた。

 

 どういう指示でこちらに向かってきていたのかは分からない。

 アサシンが何かしたのか、飼い主がそう指示していたのか。

 

「―――――」

 

「モリアーティ?」

 

 緊張をほぐしていた立香が、眉を顰める男を見る。

 

 息を吐いて銃を降ろすツクヨミ。

 少しだけ気を抜いて、転身を解除しようとするイリヤ。

 そんな彼女を補助しようとする美遊。

 アサシンにやり返せなかったことに顔を顰めるオルタ。

 

 ―――彼女たちの傍で。

 尻尾を丸めて、得体のしれない感覚に震えるカヴァスⅡ世。

 

 魔獣の増援がパタリと途絶えたのは何故か。

 飼い主が止めさせたのかもしれない。

 アサシンの消滅が切っ掛けで仕掛けが破綻したのかもしれない。

 

 もしくは。

 

 これからここに最凶の捕食者が訪れる、と。

 その本能で察していたのかもしれない。

 

 ■■■■■■■■■■――――――――!!!

 

 大気が爆ぜる。

 それを数値から読み取って、ロマニが声をあげた。

 

『―――! バレル方面からの衝撃、音波を観測!

 ライダーが動き出した……!』

 

『こちらの観測範囲に侵入……速い、ですがまだ()()はしていません!

 通常の速度のまま移動していると思われます! 接敵まで3、2……!』

 

 ロマニとマシュの声を聞き、すぐさま二人が動く。

 取り出すのはドライブのウォッチ、そしてライダーのクラスカード。

 既に戦法は確立している。戦い方は心得ている。

 ロボが光速の領域に踏み込んでも、強引に引き戻せる。

 

「ここでライダーを撃破! その後、バレルまで吶喊し攻略する!

 問題はあるか、マスター!」

 

「無いわ!」

 

 聖剣を両手で握り、魔力を放つセイバー。

 彼女の声に叫び返し、ツクヨミがカヴァスⅡ世を背に庇う。

 

「美遊! プロフェッサー! 私たちの前に!

 クロはイリヤの後ろについてあげて、いつでもカバーできるように!

 オルタは出来る限りロボの足を止めるように―――」

 

 立香の指示が飛ぶ中、闇夜を切り裂き獣が現れる。

 

 駆けてくるのは灰色の毛並み。

 騎乗する首無し騎士の外套が形を変え、刃のように研ぎ澄まされて。

 そうして姿を見せた狼が、己の体を赤い甲殻で覆っていく。

 巨大な角を張り上げて、止め処なく加速していく凶獣。

 

〈カブトォ…!〉

 

「アナザーカブト―――狼王、ロボ……!」

 

 姿を現した、この地上を制する超速の狩人。

 その姿が――――瞬間、消えた。

 

上書き(オーバーライト)、ライダー……! 魔眼(キュベレイ)、解放―――――!!」

 

 例えどれだけ速くなろうとも。

 彼のそれは、時間の流れが異なる異界への進出だ。

 だからその世界を睨む魔眼であれば、世界ごと彼を停滞させられる。

 

 バーサーカーの上からライダー、メドゥーサを纏い。

 ゴルゴーンと化した少女が、その眼を全力で開放した。

 どこを睨めばいいか、感覚は既に前回で掴んでいる。

 彼女の視線によって停滞する粒子の流れ。

 超常の速度を生み出す粒子が、石になったかのように淀みだし―――

 

「あ、れ―――?」

 

 そこで、気付く。

 宝石の魔眼を見開いた少女の視界に、あるべき姿がないことに。

 

 ―――()()()

 

 彼女の睨む、時間の流れが違う世界に。

 ロボが、いない。

 

 それは何とも、おかしな話だ。

 だって彼の最強の強みこそ、彼だけが入れるこの世界。

 誰もついてこれない独走空間。なのに、彼はそこにいない。

 

 そもそもここにいないって。

 じゃあ、消えたロボはいまどこに―――

 

『っ!? 駄目です、イリヤさん、退―――』

 

 マシュの警告は遅い。

 魔眼に全力を傾けていたイリヤの前で、景色が歪む。

 

 そう。彼は加速なんてしていない。

 ただ()()()()()()()()()()の獣が姿を再び現した。

 

 異界に入ったロボだけを睨めるように、と。

 こちらの世界への影響は最小限になるように、と。

 その魔眼の方向性を絞っていたイリヤにそれは追い切れない。

 

「イリヤさん……!」

 

 蛇の尾がルビーの意志に従い動く。

 それが少女に向かって突き出されるカブトの角と激突し、弾け飛んだ。

 悲鳴をあげる暇さえなく、イリヤの体が吹き飛ばされる。

 

 尋常ならざる速度で吹き飛び、ビルを突き破り、粉塵の中に消えるゴルゴーンの姿。

 

「イリヤ!?」

 

「こん、の……!」

 

 まんまと抜かれたクロエが即座にそちらに刃を向けて。

 ―――その瞬間、今度こそロボが独走を開始した。

 

「く……ッ!」

 

 すぐさまジオウがウォッチを入れ替え、加速に入った。

 軋む体。完全に回復したとは言い難い状態で、再び体に過負荷をかける。

 発現するドライブの力を得て、疾走する青いボディ。

 

〈ファイナルフォームタイム! ド・ド・ド・ドライブ!〉

 

 ―――狼王を引きずり下ろせるのは、ただ一人。

 その力を持つ少女はいまの一撃で吹き飛ばした。

 仕留めきれずとも、すぐにまともな戦闘行動には戻れまい。

 

 だからついてこれるのは、ただ一人。

 いいや、その青い高速の戦士さえも何とか追い縋っているだけ。

 

 誰もついてこられない。誰もついていけない。

 誰にも、ついてきてもらえない。

 

 全てに取り残された孤独な狼が、速さの極致の中で咆哮した。

 

 

 

 

「イリヤ―――!」

 

「ミユ! そっちは後……! 無事よ、多分……!」

 

 叫び、イリヤが吹き飛ばされた方に向かおうとする

 膝を落としそうになるのは、クロエ。

 イリヤから逆流してくるダメージを負いつつ、彼女はそれを利用し半身の無事を確かめた。

 それを理解して美遊も、必死に自分を抑え込む。

 

「ジャンヌ・オルタ! イリヤスフィールの方へ行ってこい!」

 

「は、ァ――――チィ……ッ!」

 

 はぁ? と言い返しそうになって。

 しかしそんな場合ではないと、オルタがセイバーの指示に従い疾走した。

 それを送り出した後、セイバーが鋭く目を細め殆ど軌跡の見えない戦闘を注視する。

 

「―――透明化。別の幻霊を溶かし込んだのかネ?

 いや、今更それはいい。とにかく、いま必要なのはロボを止める手段だ」

 

 モリアーティが棺桶を持ち上げながら眉を僅かに上げる。

 一応は敵の存在を認識している。

 発砲すれば弾丸はロボを追うかもしれないが、撃ったところで弾速が足りない。

 ジオウの邪魔になる可能性を考慮すれば、撃たない方がマシだ。

 彼の銃撃は戦闘の余波で撒き散らされるコンクリートの残骸の撃墜に終始する。

 

『―――イリヤさんの無事を確認しました! ですが、流石に……!』

 

『彼女が動けるようになるまで時間がかかる……!

 ソウゴくんが戦えるうちに撤退を―――!』

 

「プロフェッサー!

 イリヤが復帰して動けるようになった場合、ロボはどうすると思う!?」

 

 通信先の二人の声を聞き、立香が老爺の背に問いかける。

 銃撃を続行しつつ、彼による即座の返答。

 

「もちろん最優先で狙うだろう。

 ―――その上、仕留めきれないと判断した場合、恐らくは撤退する」

 

 ロボは獣だ。

 道理に合わない狩り場であるが、それでも行動自体は獣のそれに準じる。

 自身の危機が訪れれば、迷いなく撤退する。

 その上でその敗北の分を上乗せして憎悪を燃やし、再襲撃をしてくるだろう。

 

 彼は確実に獲物と定めた彼女たちを狩り殺す。

 だがそれは今のロボの行動を縛らない。

 最終的に絶対に殺す。

 それが達成できるのであれば、何度退くことも戸惑わない。

 

「……イリヤが復帰する前に、ソウゴに限界が来たら」

 

「イリヤスフィールくんがロボをこちらに引きずり出せれば、だが。

 相手がアナザーカブトとはいえ、アルトリアくんなら十分対抗可能だ。

 ―――だが、例え加速していなくとも、逃げに徹されてしまえば誰にも追いきれない」

 

 こちらに勝機はある。アナザーカブトを倒す手段はある。

 だがそれはソウゴとイリヤが同時に戦闘できる状況が前提だ。

 イリヤを欠いたまま戦闘を続けるソウゴには、やがて限界が来る。

 ソウゴが倒れた後にイリヤが復帰してもロボを倒せない、逃げられる。

 

 もうロボは少しずつこちらを削っていくだけでいい。

 襲撃も撤退も、彼は好き放題繰り返すことができる。

 

 ソウゴの体力はそうやすやすと回復し切るものじゃない。

 イリヤだって無限にロボを抑えていられるわけじゃない。

 狩りは、既に決着していた。

 

 そんな事実を前に、銃を下ろして。

 ツクヨミが美遊の方に向き直った。

 

 マスターの視線を受けて、少女が渡されていたブランクウォッチを意識する。

 

 話の流れは単純だ。このままでは全滅する。

 だから、それを脱却するための力が必要になっている。

 それこそが美遊が黒ウォズに渡されていたもの。

 ブランクウォッチに刻まれるはずの、カブトの力。

 

「美遊……黒ウォズは、あなたならそれを変えることができる。

 そう考えて、そのウォッチをあなたに渡した。

 私たちがこの場で、状況を好転させられる確率が一番高い手段はきっとそれ」

 

 ツクヨミが言いつつも、視線を横に巡らせる。

 先程祝福のために再出現した黒ウォズは、戦闘に参加しない距離で戦場を眺めている。

 もっとも今の高速戦闘は彼にも見えてないだろうが。

 そんな彼は美遊にウォッチを渡しながら、それ以上の干渉をする気も見せない。

 

「美遊様……」

 

「わたしがこれに……力を、与える?」

 

 歴史を記録し、その力を現出させるライドウォッチ。

 それはいい。とても強い力だ。

 けれど理屈が分からない。

 なぜ、何の関係もない美遊がそれを創れることになるのか。

 

 持っていればいい。それで出来る、というなら持つ事に否やはないけれど。

 だから創ってみろ、と言われてどうにかできるものでもない。

 

『……美遊さん。たぶん、それは、そんなに難しいことではないんです。

 ただ―――狼王ロボに対して、あなたが強く感じ入っている想いがある。

 それを示してあげたい、と思えればきっと』

 

 いつか、同じように想いをウォッチに乗せたマシュ。

 彼女の言葉に、美遊が手にした黒いウォッチを見る。

 

「チィ――――ッ!」

 

 そんな中、目を尖らせていたセイバーが爆進する。

 直後に体勢を崩して蹈鞴を踏み、そのまま膝を落とすジオウが見えた。

 完全に限界。それでも必死に立て直そうと、震える体で立とうとして。

 

「ソウゴ!」

 

 そこにトドメを刺さんと踏み出したアナザーカブト。

 その両者の間にほんの一度だけ。

 彼女は超高速の突進に確かに割り込んで、ジオウへの一撃を防いでみせた。

 

「ぐ……っ!?」

 

 引き換えに、先程のイリヤスフィール以上の速度で弾き飛ばされる騎士王。

 彼女の体がビルに激突し、砕けたコンクリートを砕き散らす。

 

「セイバー……!」

 

 ツクヨミの声に、ビルに沈んだセイバーからの返答はない。

 ジオウもまだ立て直せない。

 

 舌打ちしつつ棺桶の照準をロボに向けようとするモリアーティ。

 即座に周囲に剣を無数に浮かべ、壁を兼ねた弾幕を形成するクロエ。

 

「――――――」

 

 そんな、当たるはずもない弾幕が張られるのを見つつ。

 それより突撃に割り込まれた事実に、一瞬だけロボが目を細める。

 しかしさっさと気を取り直し、そのまま突撃を続行しようとして。

 

 わん、わん、と。

 本来なら届かないはずの、遅すぎる世界からの声が聞こえた気がした。

 思わずロボが振り向いて、そちらを見る。

 

 そこにいたのは、白い毛並みの野良犬。

 彼女は己の世話をしていたセイバーが吹き飛ばされた事実に、思わず吠えていただけ。

 白く柔らかな毛並みの獣に、狼の思考が止まる。

 光速の世界の中で、彼は完全に足を止めて唖然とした様子を見せた。

 

 そんな事実に、彼の背に乗る騎士が剣を握る腕を僅かに揺らす。

 ついでのように蠢く彼の外套。

 それがモリアーティとクロエの放つ弾幕を全て斬り捨てる。

 

 完全に彼が止まった事で、皆で揃って足を止めたアナザーカブトを見る。

 その視線が向けられているのは、カヴァスⅡ世。

 

「―――――……あぁ、やっぱり」

 

 狼王ロボにはつがいがいた。白い狼、ブランカ。

 彼を捕らえるために罠にかけられ、殺され、利用された、一匹の狼。

 何より大切だっただろう、彼の愛する同胞。

 疾走者の足を止めることができる、唯一の心残り。

 

 美遊の視線が足を止めた迷い子を見据えた。

 

 戻りたいだろう。取り戻したいだろう。

 それがもう叶わないことだと知っていたって、想いは消えないだろう。

 

 気持ちが分かる。

 置いてきてしまったものが大切なほど、苦しさは加速する。

 無理矢理引き剥がされて得た苦しみの分だけ、憎しみは加速する。

 

 復讐を選んだのは彼だ。彼自身の意志で、その道に踏み込んだ。

 その結果は全て自業自得で、救われるものはないのだろう。

 

 ―――でも。彼はいま、足を止めた。

 復讐のためだけに走っていたはずの足を、望郷の念で。

 

 帰りたいだろう。帰りたいに決まっている。

 だって、そこが自分の全部だったから、いまこんなに苦しいんだから。

 苦しいだろう。苦しいに決まっている。

 彼は王だったのだから。群れの長だったのだから。

 

 ―――家族(いもうと)を守るのは、当たり前だったのだから。

 

 兄は守れた。彼女は守ってもらえた。

 けど―――ロボは守れなかった。

 

 守るための疾走が何も守れなかった時、歪んでしまうのは当たり前だ。

 ただずっと当たり前に走っていけばいいと思っていた道を見失って。

 彼は彷徨った挙句に、全てを殺す道に乗ってしまった。

 

 辛いだろう。辛かった。

 自分の許に辿り着いた彼を見た時、嬉しいだけなわけがなかった。

 自分を助けようとした誰かが、苦しむばかりの道を選んだことが辛くないはずがない。

 

 もう彼を止められるものはどこにもいない。

 彼が守ろうとしたものだけが、彼の心を止められる。

 止まる事を失った彼は、燃え尽きて崩れるまで止まれない。止まらない。

 

 どれだけ憎悪に染まろうと、連想するものを見つけただけで止まってしまうくらい。

 それほど想っていたものは、もうこの世界のどこにもないと分かっている。

 

 ―――いいや。だからこそ、だ。

 いま彼は自分で証明した。

 彼は止まれないけど、止まりたくないわけじゃない。

 止まりたいのだ、本当は。止まれなくなってしまっただけで。

 

 だったら、止めてあげないと。

 止めてあげられる者はもう誰も彼に追い付けない。

 もう彼の視界に映ることはない。

 だからこそ、ここで止めてあげないと。

 これ以上、彼が戻りたい場所から離れないように。

 せめて、せめてここで止めてあげないと。

 

「―――美遊様、それを……!」

 

 サファイアの声に反応して、咄嗟に腰に手を伸ばす。

 そこにあるのは、提げた袋の中で熱を帯びたブランクウォッチ。

 それが熱に燃えるように赤と銀に変わっていき―――紋章が浮かぶ。

 

「……っ、サファイア! これを飛ばすのを手伝って!」

 

「はい――――!」

 

 変わったウォッチを放り投げ、空中に固定する。

 それをジオウの許に飛ばそうとして―――

 

 しかしその瞬間、ロボが再び動き出す。

 それを阻むためにジオウもまた死力を尽くした加速を開始した。

 消える。見えない。

 渡すために足を止めさせてしまえば、ロボの蹂躙を止められない。

 

 ―――瞬間。

 イリヤが吹き飛ばされていたビルの壁が爆発した。

 溢れ出す漆黒の炎。溶解していく壁面。

 フロア数段、まるまるスプーンでくり抜くように纏めて溶かし切って。

 それを成し遂げた女が、振り返って叫んだ。

 

「開いてやったわよ、やってやりなさい白ガキ!」

 

「――――……魔眼(キュベ)解放(レイ)ッ!!」

 

 立てさえしない、床に這いずる満身創痍の蛇神。

 それでも少女はその死力を尽くし、顔を上げ、その眼で開けた視界の先に臨んだ。

 外にまで視界が開ければ、後はその先を睨むだけ。

 視覚を通じて脳が焼ける痛みを振り切って、イリヤが確かに魔眼を開く。

 

 光の速さで流れる粒子。タキオンの流動を、石化の魔眼が停滞させる。

 独走していた狼の疾走に陰りが訪れる。

 だがそれは一瞬だけ。今のイリヤが魔眼を維持できるのはほんの数秒足らず。

 その上出力も足りないのか、減速の度合いも先のそれより少ないくらいで。

 

 彼は僅かに重くなったくらいの体で、目標に向けての歩みを続ける。

 数秒後、再び彼は誰も追い縋れない光速の世界に帰還するだろう。

 

 だが、ほんの数秒でも猶予と呼べるものが得られたことで。

 

「ミユ! 狙いを合わせなさい!!」

 

 弓がしなる。言葉で細かな位置を指示する余裕はない。

 クロエが番えたただの矢が、瞬く間に発射される。

 

 彼女はサーヴァントとしてマスターの位置を把握している。

 その情報を元に彼女が答えを出した、二秒後にジオウがいる場所。

 それこそが、クロエがいま矢で狙った場所で。

 

「いけます、美遊様――――!」

 

「――――狙射(シュート)!!」

 

 即座にそれに合わせ、サファイアが誤差を修正。

 魔力で包んだウォッチを、狙うべき場所に向けて撃ちだした。

 

 飛来するライドウォッチ。

 それを確かに認識して、ジオウはロボの前に立ちはだかりながら掴み取る。

 

「……お願い、思い出させてあげて……!

 ロボが足を止められなかった、本来の理由を……!」

 

 魔眼の効果が活きた数秒の減速の間だけ、速度はジオウが勝った。

 結果としてジオウはロボの進行方向の前に割り込めた。

 迫りくるロボ。赤い角を突き出した、復讐の獣。

 

〈カブト!〉

 

 手にしたライドウォッチを起動し、ドライバーに装填する。

 空気が融けるように、重力が消えるように、世界が変わっていく。

 それこそがジオウもまた光速の世界に踏み込んだ証左。

 

〈ライダータイム! 仮面ライダージオウ!〉

 

 流れるように回転するドライバー。

 世界に顕現する、ウォッチに刻まれたカブトの力。

 

〈アーマータイム!〉

 

 肩部に装着される、カブトの角を模したアーマー。

 胸部を覆う真紅の装甲。

 

〈チェンジビートル!〉

 

 そして、アナザーカブトのように、彼の頭部にも角が顕れる。

 顎から競り上がるように天を向き、屹立するゼクターホーン。

 

〈カブト!〉

 

 顔面に嵌め込まれるインジケーションアイ。

 その形状は、力の名を示す“カブト”の文字。

 そうして変身したジオウが、目の前に迫る孤独の獣に向き直った。

 

「……本当に」

 

 獣の軌道は、吠える白い犬を目掛けたもの。

 まるで、帰れない場所を振り払うように。自分が残した心を噛み砕くように。

 

「あんたは―――この力で走る道が、その道でいいの?」

 

「祝――――」

 

 遠く、世界の壁を隔てた場所から黒ウォズの声が間延びして聞こえる。

 その祝福の声を背にしながら、ジオウが一歩踏み出した。

 彼の手は既に、ドライバーに装填されたウォッチへと添えられている。

 

〈フィニッシュタイム!〉

 

 ジオウのウォッチを必殺待機状態へ。

 そうしている内に辿り着いたアナザーカブトが、ジオウに一撃を見舞う。

 叩きつけられる真紅の角が、ジオウのアーマーを削る。

 それに対して、ソウゴは何とかその場に踏み止まった。

 

 道を開けない敵に対し、アナザーカブトの咆哮が轟く。

 立て続けに繰り出される連撃。

 

 ロボの突撃に加え、彼に跨る首無し騎士の攻撃もジオウへと牙を剥く。

 首を狩るための剣と、外套が変化した無数の刃。

 それらが降り注ぎ、カブトアーマーを削り落としていく。

 一際強い角による激突で、胸部の鎧が弾けるように割れた。

 

〈カブト!〉

 

 カブトウォッチを必殺待機状態へ。

 そうしながら、彼は反撃も回避も行わない。

 着実に、劇的に、繰り出される殺意の攻撃に身を削られながらも。

 ソウゴはただ、耐えた。

 

 両肩の角が折れ、吹き飛ばされていく。

 限界が迫る。限界を超える。

 最高に力の高まった状態であるアーマーが、ギリギリのところで存在を維持し続ける。

 

 ジオウの手が、ドライバーのロックを叩く。

 回転待機状態に入るジクウドライバー。

 ただ一撃のための準備をしながら、彼はただ待ち続けた。

 

 

 

 

 ―――ころさないで、と。

 そんな、声が聞こえた。

 

 誰の? ……いや、いいや。聞く必要がどこにある。

 目の前に立つ白い野良犬。

 それに、自分が感情を向ける理由が一体どこにあるという。

 

 そう。彼の大切なものは死に絶えた。もう何も残っていない。

 人間に殺された。もう誰も帰ってこない。

 止まる理由など、どこにもない。

 

 ―――ころさないで、と。

 声は続く。

 

 圧縮された時間の中で、間延びした声だったものが。

 何故か、鮮明になって彼の耳に届く。

 

 いいや、いいや。そんなものに、心など向けるものか。

 死んだのだ、喪われたのだ。

 侵略者(にんげん)の手によって殺され、皮を剥がれ、棄てられた。

 だから―――あんなものに、何を想う事がある。

 

 その間抜けな逡巡ごと粉砕するように、彼は頭を突き出した。

 繰り出される一撃に対し、目の前に立つ人間は何も反応を示さない。

 真紅の角がジオウを打ち据え、その装甲を砕く。

 神速の突撃によって弾け飛び、剥がれていく赤い装甲。

 

 それでも、彼はその状態を維持し続けた。

 半壊した鎧のまま、彼は真紅の孤狼の前に立ち続ける。

 反撃はない。相手からはその意志さえも感じない。

 

 馬鹿げた話だと切り捨てて、彼は殺意だけを維持し続けた。

 それに応え―――それに、応えて。

 彼の背中の上に騎乗する騎士が、その手から刃を取り落とした。

 

 放られた刃は落下しない。時間に置き去りにされて、空中で止まる。

 時流の加速した世界で、停滞する死神の鎌。

 

 ―――なんて、使えない。

 彼には殺意しかないのというのに。

 その意志にすら追従できないなんて、それを乗せている意味がない。

 

 誰もついてこない。誰もついてこれない。

 

 群れの長なのに。群れの長だったのに。

 彼は群れの長なのだから、皆が帰ってくる場所じゃなきゃいけなかったのに。

 誰も、彼にはついてこれなかった。

 彼が全てを見失ったように、誰もが彼を見失った。

 

 ならば、と。狼王がその四肢に力を籠める。

 目の前の敵も、白い野良犬も、纏めて―――

 

 ―――ころさないで、と。

 心に響く。

 

 やめろ、もうそれしかないのに。

 そうでないものは、全て侵略者(にんげん)に奪われたのに。

 

 光さえも置き去りにする時間の流れ。

 そうではない、通常の時流の中で風に流れているだろう白さに、目が眩む。

 

 心が、彼の存在と癒着した何かが、訴えてくる。

 

 ()()()()()()()()()()()、と。

 

 ―――だからなんだ。

 奪われた事実は消えない、踏み躙られた現実は変わらない。

 

 死んだのだ。殺されたのだ。

 ()()()()()()()()()()

 

 ―――ああ、思考が定まらない。

 この感情がどっちのものなのかさえ分からない。

 

 ブランカは殺された。己も果てた。

 だが、もしかしたら。もしかしたら、彼らの―――

 

 ―――ころさないで、と。

 体が震える。

 

 動いていないような速さで、ゆっくりと揺らぐ白い野良犬。

 その白さに、感情が抉られる。

 

 この世界のどこかに、こんな……こんな、まるでブランカのような。

 そんな白さを受け継いでくれた、彼らの仔が生き延びて。

 何処かで、生きてくれていたのなら。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■―――――ッ!!!」

 

 咆哮が罅割れる。

 咽喉が裂けるほどに絞り出した声に、千々に乱れた感情が載る。

 

 ―――ああ、どうして。

 

 ―――どうせ走るのなら、どうして。

 

 ―――憎いものを殺すためではなく、愛したものを探す(まもる)ために走れなかったのか。

 

 ―――どこかにいるかもしれない。どこかで血が繋がっているかもしれない。

 

 ―――にせものでも、確かにそこにいたかもしれない。

 

 ―――そんな、家族(いもうと/こども)のために、なぜ走れなかったのだろう。

 

 仲間が安心して帰れる縄張りを守れるのは、彼だけだったのに。

 今更気付いたって全てが遅い。

 

 彼と言う獣は人を殺すためだけにこの地に降り、悪逆の限りを尽くした。

 狼の縄張りを人が侵して森を切り拓いたように。

 人の縄張りに踏み込んで、ただ殺すためだけの殺戮を行ってきた。

 

 彼の手元に残っているのは、誰かを殺すために設定した殺戮場だけ。

 仲間と、家族とともに歩むための縄張りなんて、とっくに見失ってしまった。

 

 最後の加速のための一歩に辿り着く。

 それを蹴ってしまえば終わりだ。彼の体は最後まで辿り着く。

 彼と言う太陽だったものは、二度と昇れぬ地獄の底に落着する。

 

 目の前で背を向ける人間を粉砕し、その先にいる白いけものを叩き殺し―――

 

 そんな、最後の一歩。

 

 そんな、最後の時。

 

 それが、何故か。

 

 ―――不思議と、最期まで訪れなかった。

 

 獣が止まる。疾走が終わる。

 終点を見失って―――いいや、本来向かうべき終点を思い出してしまったのだ。

 

 彼と言う命が、本当に向かうべきだった場所。

 彼と言う太陽が、ずっと照らしていたかった場所。

 

 そんな、あるべき場所を見つけてしまったら。

 もう、向かうべき場所などない復讐者ではいられなくなってしまう。

 彼方にある灯りの匂いにつられ、獣の足が止まってしまって。

 

 ―――ああ、気付いてしまった。気付いたところで、救いなんてないのに。

 

 走るべき道を、違えていた。

 走り始めた時にまだ見えていた故郷の名残はもうどこにもない。

 ずっと走り続けた結果、まるで違う場所に辿り着いてしまった。

 

 こんな結末、分かり切っていたはずなのに。

 今更、あまりにも今更の話。

 

「――――――」

 

 足は動かない。最後の一歩が踏み出されることはない。

 いまさら泣き喚く意味すらない。彼の咆哮はもう、どこにも届かない。

 

 その獣が突き出していた、赤い角もまた止まる。

 ジオウの背中に触れるかどうかという位置。

 あと刹那でも停止が遅れれば、ジオウが砕かれていたというような。

 

 

 

 

 ―――そんな紙一重を、確かに見届けて。

 

 救いはもうどこにもない。

 救いのある道を選ばなかったのは狼王自身だ。

 

 それでも、ここで止まれたのならば。

 この道は違う、と思い出してくれたのなら。

 その道の先に、彼が還りたい場所までの道を拓けるのは―――ただ一つ。

 

 高みから全てを見下ろす光。

 空に輝き、全てのものが歩むべき道を照らし出す太陽の明かり。

 あらゆる命が見上げ、従うべき天上の導。

 

 ―――即ち、天の道。

 

 ジオウの腕が、待機状態にあったドライバーを掴み、一気に回す。

 

〈クロック! タイムブレーク!!〉

 

 カブトウォッチから迸るエネルギーが、ジオウの頭部へと昇っていく。

 一度カブトの角へと昇った力が、稲妻の如く落ちていき右足一点に集中していく。

 その一撃のために生み出される、タキオン粒子が齎す破壊の波動。

 

「ライダー…………キック」

 

 左足で地面を踏み締め、振り上げられる右足。

 天の道を歩む足が跳ね上がり、放たれる上段回し蹴り。

 剃刀のように鋭い蹴撃が、確かにアナザーカブトの頭部に届いた。

 

 盛大な破砕音に続き、弾け飛ぶアナザーカブトの大角。

 その破片が時流に捕まり、空中で動きを止めた。

 

 罅割れていく仮面の下に現れる、孤独な狼の顔。

 だがそれを気にもかけず、ジオウはそのまま振り抜いた足を地につける。

 そのまま彼は自分の足元にいる、白い犬へと視線を向けた。

 

 時流に置き去りにされたカヴァスⅡ世にまでは、狼王の殺意は届かなかった。

 その事実に僅かにジオウが顔を上げて。

 

 ―――そこから、時間が正しく動き出す。

 

 停滞に包まれていたものが、全て纏めて一斉に動き出した。

 けたたましい音を立て、地面に転がるアナザーカブトの残骸。

 そして地面に叩きつけられ、滑っていく一匹の狼。

 

 彼の上から弾き落とされ、首のない鎧も転がった。

 

「―――え! 全ライダーの力を凌駕し、時空を超え過去と未来をしろしめす時の王者!

 その名も仮面ライダージオウ・カブトアーマー!

 天上天下に並ぶもの無き覇道を征く王が、新たなる力を継承した瞬間である!!」

 

 腕を振り上げ宣言する黒ウォズの声。

 それが全て終わった後に、今更のように響いてきた。

 

 そんな祝福を聞き届けると同時、ジオウの膝が地面に落ちる。

 すぐさまそんな彼を受け止める黒ウォズ。

 同時に変身が解除されたソウゴを抱き留めつつ、黒ウォズが『逢魔降臨暦』を片手で閉じた。

 

 

 




  
 守れなかった、世界の全てを敵に回してでも守らねばならなかった、家族の帰る場所。
 失われたものを奪ったものを追い、彼と言う群れの中の太陽は地に堕ちた。
 守れなかったものを取り戻すためではなく。せめて守れたかもしれないものを探すでもなく。

 では、いま彼が世界の全てを敵に回しているのは、何のためだったのか。
 残っていたものを捨ててまで。呪わしいものに追い縋ってまで。

 家への帰り道を見失った、孤独の世界を彷徨う狼。
 彼の遠吠えはもはや誰にも届かず、ただ虚しく消えていく。

 ―――ああ、かえりたい、かえりたかった。なかまのところへ。
 ―――まもらなきゃいけない、いけなかった。かぞくのところへ。
 


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敗者復活戦-931

 

 

 

 獣が起きる。弱々しく震えていても、まだ足は動く。

 なら、まだ走らないと。

 こんなところで終わるために、ここまで走ってきたわけじゃないはずで。

 まだ止まれない。ここは彼の止まるべき場所じゃない。

 浅く、多く、酷く荒れた呼吸を繰り返す。

 

 灰色の狼が、自分を殺すものたちに背を向ける。

 逃げる。逃げる。逃げる。

 その意志が、狼の四肢を全力で駆動させた。

 

 

 

 

 そんな、まるで赤子のような足取りで。

 彼らから逃走を図ろうとする狼の背を、皆の視線が追う。

 人が歩くだけで追い付けそうな、見る影もない足取り。

 その歩みに感じるものがあり、言葉を詰まらせて。

 

 そこにビルの瓦礫を押し退けて、セイバーが姿を見せる。

 一発いいのを貰ったが、それで致命傷になるほど彼女は柔くない。

 顔を顰めつつも埃を払い、彼女は地上に戻ってきた。

 

 そうして、彼女はゆっくりとした全力の逃走を試みるロボを見る。

 当たり前のように構える黒い聖剣。

 見逃す理由も道理もない。例え覆せない致命傷を与えられていようとも。

 

 セイバーがちらりとマスターたちを見て。

 軽く息を吐き、そのまま前に踏み出した。

 

 彼女の前に、首無しの騎士が立ちはだかる。

 

「……騎獣。いや、貴様たちの場合どちらが主だったか知れたものではないな。

 どちらにしろ、いい覚悟だ。剣を執れ、その程度は待ってやる」

 

 キン、と涼やかな音色を立て、暗色の刃が翻る。

 黒い聖剣の切っ先を向けられて、しかし騎士は動かなかった。

 

 千切れ飛んだ外套はもはや刃にならない。

 半ばから折れた首狩りの剣はもはや使い物にならない。

 そもそも、もう彼はそんなものを執る気はない。

 

 憎悪を晴らすための刃を手放したのは自分からだ。

 

 彼―――スリーピー・ホロウの伝説。

 首を斬って殺された、彷徨う亡霊。

 その素性からヘシアンと称される、名も無きデュラハン。

 彼がセイバーを止めるように、両手を大きく横に広げた。

 

 彼はただロボに乗っていただけ。

 孤独の世界を走る狼に、ただ乗っていただけ。

 唯一、彼に同道できる乗り手として。

 ロボが憎悪が燃やし続ける限り、彼はただ刃として振るわれて。

 

 ―――その獣が帰り道を探すために走りだした、というなら。

 それが果たされますように、とただ祈るだけ。

 

 だから彼はもうここまで。

 ここから先はついていけない。

 

 ―――それでも。

 彼は帰ることさえできれば、きっとそこに仲間がいるはずだから。

 もう、独りで彷徨うことにはならないだろう。

 

 なら、まあ、目的は果たせたと言えるんじゃないだろうか。

 

 いつの間にやら同道することになった一匹狼。

 なんら関係のない獣であるが、同じ大地で果てた、くらいの縁はある。

 名も無き彷徨者である亡霊に帰る場所はないけれど。

 連れ合いだけでも故郷で終われるならば、それに越したことはないだろう。

 

『……彼は、彼の意志で、ロボに――――』

 

 立ちはだかる騎士はけして退くことはない。

 それをまざまざと見せられて、思わずマシュが声をこぼす。

 

 ただロボを走らせるために混ぜられた幻霊。

 霊基数値を満たすためだけに使われたスリーピー・ホロウ。

 それでも彼は、このヘシアンはロボの騎手だった。

 ロボは認めず、ヘシアンも認められる気がないだろうけれど。

 

 退かない、と理解して。

 セイバーが聖剣の切っ先を上げる。

 その騎手と騎獣の繋がりに思う所があるかないかと、ここで見逃すかどうかは別問題だ。

 

「セイバー……」

 

「―――――」

 

 撃破しなければいけない敵であることには変わらない。

 それは分かっているから止められない。

 だから、セイバーはマスターたちの声に言葉は返さなかった。

 

 彼女自身の意志で早々にケリをつけるつもりで―――

 

「……もう、いいのではないかネ?」

 

「なに?」

 

 だがその言葉が出てきた場所が余りにも意外で、セイバーは振り返る。

 足を引きずり、見る影もない速度で逃げようとする狼。

 その姿に悲痛な顔を向けるモリアーティの言葉。

 

「プロフェッサー……?」

 

 マスターから視線を向けられるのを感じつつ。

 しかしモリアーティは、ロボから視線を逸らさなかった。

 

「霊核は砕けた。アナザーウォッチも砕けた。

 いま消えていないのは、双方の残骸が崩れ落ちるまでのロスタイムだ。

 もう何も出来はしないだろう」

 

 立ちはだかるヘシアン越しに、逃走を図るロボを見る。

 ここで逃がしたところで、ロボにはもう何もできない。

 何よりもう、彼には何かをするための意志がない。

 失ったものを探すためにただ彷徨って、いずれ果てるだけだ。

 

『……確かにもう、彼は長くはないだろう。

 ロボの霊基は、いままさに崩壊した。もう終わっているんだ。

 この新宿にいる人間とさえ戦えないほどの力しかない』

 

 モリアーティの言葉を認めるロマニ。

 それに続けて、更にモリアーティは言葉を続ける。

 

「―――最期くらい、思うように走らせてあげればいい。

 目指すべき場所だけはやっと思い出せたんだ。

 例え辿り着けずとも、向かうことくらいはさせてあげてもいいだろう」

 

「―――――」

 

 それを聞いたセイバーは胡乱げな視線をマスターに向ける。

 ツクヨミも少し戸惑いつつ立香と目を合わせて。

 一瞬だけ小さく目を伏せて、しかしすぐに視線を上げた彼のマスターに頷き返された。

 

「……一体、どういう了見なんですか?」

 

 美遊がモリアーティに問いかける。

 彼はそれに対して小さく苦笑し、視線を逸らす。

 

「そうだネ……罪悪感、だろうか? この道を選んだのは紛れもなく狼王ロボ自身だろう。

 だが同時に、推定悪の私の犯行でもあるわけだ。もっとも、誘導すらしていないだろう。こうなるだろうという確信を持って、ロボという幻霊を選んだだけのはずだ。むしろ彼の望みを積極的に叶えただけ、とさえ言える。だが――――」

 

 そこで彼は一度言葉を区切り、数秒。

 笑い切れずに眉を下げながら、呟くように言った。

 

「……ただ、彼の遠吠えを聞いて、少しだけ私も哀しくなったのサ」

 

「…………………」

 

 彼の返答を聞いて、強く眉を顰めて。

 そうした少女が、離れていくロボの背中を視線で追った。

 少しずつ、狼王は彼女たちから確かに離れていく。

 追い付こうと思えば、いとも簡単に追い付いてしまえるだろうけど。

 

「……バレルに向かおう。もう、時間もないだろうから」

 

 立香がそう言って、周囲を見回す。

 オルタに掴まれぶら下げられたイリヤが、満身創痍の体で小さく頷く。

 ロボを見逃すことに賛成、ということだろう。

 そんな少女を見て眉を吊り上げたオルタが、イリヤをクロエの方に放り投げた。

 

「うひゃ……っ!?」

 

「ちょっ」

 

 いきなり投げられた半身を抱き留める。

 このまま地面に落ちられたらその衝撃はクロエにも共有だ。

 それはもう当然必死になる。

 

「もー! 何をするんですか、オルタさん!

 イリヤさんがキズモノになったらどうしてくれるんです!?」

 

「姉さん、言い方」

 

 すぐさま抗議を開始するルビー。

 彼女の物言いを半笑いで無視し、オルタは粉砕されたビルの方を見た。

 

「ぶっ飛ばされて突っ込んだビルをあれだけぶっ壊しといて、今更キズモノも何もあったもんじゃないでしょ。ビルより頑丈ってことよ、そいつは」

 

「その言い方は心が傷つく……!」

 

 大半は展開されたゴルゴーンの尾が壊したものだが。

 確かにコンクリートより肌が頑丈だったのは事実。

 抱くのはその事象に対する、どこか素直に喜べない複雑なキモチ。

 

 そんなやり取りに溜め息ひとつ。

 セイバーが黒ウォズに視線を向け、問いかける。

 

「……ソウゴはどうだ?」

 

「少々休憩が必要、だろう?」

 

 ソウゴに聞くことなく返す黒ウォズ。

 カブトの継承が終わった以上、もう無理をさせる必要もない。

 アナザーライダーももういないし、スウォルツは離脱した。

 だったらこれ以上、彼を酷使する理由もない。

 

「……いや、何とかするよ」

 

 そう言った意図で吐かれた黒ウォズの言葉を、本人がさっさと否定する。

 疲労困憊ながらも体を起こし、彼は何とか地面に立つ。

 そんな主に困った風に、黒ウォズが肩を竦めて呆れてみせた。

 

『―――ちょっと待った。流石にここからはドクターストップ。

 緊急時はともかく、ソウゴくんはとりあえず変身禁止だ』

 

「ええ……」

 

 ロマニの言葉に弱く言い返しつつ、しかし拒否はしない。

 回復し切った状態でないにも関わらず、燕青、ロボとの連戦。

 負荷の大きいドライブフォームによる加速を長時間使用。

 相手からの攻撃自体も相当に受けた。

 体を休めたい、というのは体の放つ本音以外の何物でもない。

 

「―――では。まずは第一陣、正面から突撃する対アーチャー部隊。

 そちらがアーチャーを抑えている内に、残りのメンバーが第二陣としてバレルに突入。

 とりあえず方針はこれでいいカナ?」

 

 軽く咳払いして、モリアーティがそう言いだす。

 そんな彼の意見に同意するように、マシュが声を小さく弾ませた。

 

『あの名探偵、シャーロック・ホームズさんが動いているのです。

 恐らくモリアーティさんの計画は破れますが、こちらも出来る限りの行動をしましょう!』

 

 聖杯戦争である以上、アーチャーも撃破しなければ完全に解決はしないかもしれない。

 だがモリアーティの計画は聖杯戦争自体とは別件。

 最優先で阻まねばならない事態のはずだ。

 

 モリアーティの天敵であるホームズであれば、まず間違いなく勝てる。

 ここはそういう世界になっているのだ。

 

「私、なんかマシュくんからの信頼さえホームズに抜かれてない?

 ここまでずっと一緒に行動してたのに、電話一本で」

 

『す、すみません……そういうつもりでは……』

 

 何となく悲しい顔をするモリアーティ。

 そんな彼の様子に慌て、マシュが言葉を濁らせた。

 

「大丈夫だよ、悪のプロフェッサーのことだから。

 それより、どうやってチームを分けよう」

 

「……じゃあ、わたしは第一陣。ちょっと確認したい事もあるしね」

 

「そうね。狙撃に対抗するならクロエが一番だろうし。私たちでバレルに突入。ソウゴたちがアーチャーの相手……ソウゴの護衛は黒ウォズにさせとけばいいし」

 

 苦笑しながらの立香の問いかけに、真っ先に意見を出したのはクロエ。

 彼女がアーチャー戦を選んだことに頷いて、ツクヨミが続ける。

 ソウゴとクロエ、ジャンヌ・オルタ。ついでに黒ウォズ。

 彼らにアーチャーとの戦闘を任せる。

 

 そして立香、イリヤ、モリアーティ。ツクヨミ、美遊、アルトリア。

 彼女たちがその隙にバレルに突入する、という流れになる。

 

「私がかい?」

 

「ソウゴの護衛よ? やらないの?」

 

 やらないわけないでしょ? と言外に聞こえるツクヨミの声。

 そんな彼女に対し、黒ウォズが肩を竦めて返す。

 

「まあ、構わないが。我が魔王が素直に休んでくれればいいんだがね」

 

 どうせお守りでは済まないだろう、と黒ウォズ。

 そんな彼を見て、疲労を残した顔で笑いながらソウゴは悪びれもせず断言した。

 

「うん、時と場合によるかな」

 

『出来る限り休むようにね……』

 

 ロマニの乾いた笑い声。

 聞いて貰えなさそうと思いつつも彼はそう告げた。

 

 そうしたやり取りを聞いて、セイバーがオルタに視線を向ける。

 

「おい、ジャンヌ・オルタ」

 

「なによ、アルトリア・オルタ」

 

 喧嘩腰の返事をスルーして、神妙な顔を浮かべるセイバー。

 彼女の態度に面食らいつつも、オルタはしかし腕を組んで渋い顔。

 端的に告げられる彼女の目的。

 

「私もあの男に用がある。陣を変われ」

 

「はあ? ―――まあ、別にいいけど。

 どうせならアーチャーより、あの悪そうな髭面を燃やす方が愉しそうだし」

 

「酷くないかネ?」

 

 そっぽを向きながらの返答。

 それからの飛び火に、何とも悲哀のある表情を浮かべてみせるモリアーティ。

 ふと、そんな提案をしたセイバーを見て、クロエが眉を顰めた。

 

「……そういえば、冬木で?」

 

「―――さてな。

 それで、どうだ。最終的に決定するのはマスターであるお前たちだ」

 

「それはいいけど……」

 

 ツクヨミがソウゴに視線を向ける。返されるのは肯首。

 メンバーとしてはアルトリアとジャンヌ・オルタが交替。

 

 それぞれが動き出す。

 彼らが目指すのは最終決戦の地、魔都新宿に聳えるバレル。

 

 ―――最期の地に向かって、彷徨う狼を追うものはどこにもいない。

 

 それをよろこべばいいのか、かなしめばいいのか。

 

 狼を害そうとする連中が別の方向を見たことに安堵するように。

 とうに限界だった首のない体が、ゆっくりと崩れ始めた。

 解れ、金色の光に変わっていく黒い鎧。

 

 彼を見上げるのは、白い毛並みの犬一匹。

 

 そうしていた彼女が尾を振りながら、己を庇護してくれた者に振り返る。

 彼女にカヴァスⅡ世という名を与えた王が、その顔を見て僅かに目を細めた。

 一瞬だけ瞑目し、しかしセイバーはすぐに言い放つ。

 

「……好きにしろ。その歩みでどこを目指すかは、誰しも自分で決めること。

 走りたいなら走り出せ。どこかで止まりたいと思うまで、想いのままに走るがいい」

 

 わん、と一声。カヴァスⅡ世が走り出す。

 消えかけたヘシアンを通り過ぎ、彼女はどこかへ向かう狼に追従する。

 それを―――その獣だけは見過ごした後、黒い鎧が完全に消え去った。

 

 彼だった残滓越しに一匹の野良犬を見送って。

 最後の決戦に向かうべく、騎士王は踵を返して歩き出す。

 

 

 

 

 バレルの中枢部で静かに時を待つモリアーティ。

 その中枢部に、わざとかやたらと足音を立てて入ってくるアーチャー。

 彼は静かに待つ男を見据えると、呆れ顔で口を開いた。

 

「ライダーが撃破された。お優しいことに、トドメは刺さずに放置したようだが」

 

「ほう、セイバーがついていたのにかね? それはまた、情け無用だ」

 

 討ち取ってやった方がまだしも苦しみは少ないだろうに、と。

 モリアーティが小さく笑う。

 お前の口添えだ、ということは口にせず、アーチャーはただ眉を顰めた。

 

 黒幕は計画が最終段階を迎えたことに笑みを一つ。

 

「では。最後の時間稼ぎをお願いするよ、アーチャー。

 上手く誘導し、勝利者で敗者たる私の咽喉を切り裂いてみせるがいい」

 

 その言葉により酷く顔を顰めて、しかし舌打ちするだけに済ませアーチャーは退室する。

 

 この世界で物語の影響は大きい。

 だからこそ、アーチャーでは何もできない。

 彼は全てが終わった後の掃除屋。

 彼が活動するということは、“既に終わっている”という事実を裏打ちする事だ。

 

 アーチャーがモリアーティを排除しようと思えば、だ。

 自分の行動は最小限に、誰かにモリアーティを討ってもらうしかない。

 その上どっちをどう倒せばいいかも分からないときた。

 まったくもって、彼にとっては酷い仕事だろう。

 

「長かった……そう。感じ入っているかな、私は」

 

 そうして誰もいなくなった彼の居城。

 空を見上げながら、モリアーティは小さく息を吐いた。

 

 彼はそのまま瞑目し、これまでの過程を追想する。

 何もない、静かな時間だ。

 ただゆったりとしていると、そこで空気が震動したかのような感覚を覚える。

 

 カルデアがもう攻めてきただろう。

 外では恐らくアーチャーが対応に入った。

 彼は常に手遅れになる者であるが故に、敵対したままにカルデアを導く必要がある。

 

 まあどちらにせよ、戦力的に抜かれるのは目に見えている。

 いま外で行われているのは、狙撃手に対する牽制だろう。

 これから恐らくセイバー辺りがアーチャーを抑えている間に、カルデアによる突入作戦だ。

 

 もう十分も待たず、ここに彼女たちはやってくる。

 

 そこに、再び響いてくる足音。

 アーチャーが引き返してきたわけじゃない。

 当然、カルデアが早々に到着したわけでもない。

 

 更なる来客に微笑んで。

 モリアーティは目を開き、そちらへと視線を向けた。

 

「―――ようこそ、名探偵。

 申し訳ないが、せっかくの客人をもてなす準備もできていなくてね。

 これでは悪の首魁としての度量も知れたもの、と思われてしまうところだが。

 せめて満足できる成果を君が此処で得られると、こちらとしても喜ばしい」

 

「歓待を受けにきたわけではないさ、モリアーティ教授。

 私が望むのは謎の解明であり、それは同時にキミの計画の破綻となる。

 事件の解決をしよう。探偵と、悪党らしくね」

 

 侵入してきた男がインバネスコートを翻し、バレルの中枢に到着する。

 男の名はシャーロック・ホームズ。

 最高峰の探偵にして、彼ことジェームズ・モリアーティの宿敵。

 

 ホームズの背後から展開される、無数のレンズ。

 それらが放つ光が周囲ごとモリアーティを照らした。

 

 光を浴びながら、モリアーティは柔く微笑む。

 余裕というよりも、穏やかでさえある顔。

 それに眉を上げるホームズの目前で、彼の指が眼鏡のブリッジを軽く上げた。

 

「さて。生憎だが、今回の私の行動は数学者としての一手だ。

 勝負したいのであれば、君も論文の一つでも上げてきたらどうだろうか」

 

「それも一つの手ではあったね。隕石の威力を極力落とす、という意味では。

 勝利者である私がキミと論文を戦わせれば、私のそれが勝利する。

 だがそれにしたって巨大隕石が落ちてきても何の被害も出ません、では通らない。

 この世界の物語は現実を歪めるが、それにしたって限度はある。

 なら、素直に隕石を落とされることを防ぐとするさ」

 

 モリアーティの笑みが深くなる。

 それに対して目を細めるホームズ。

 お互いにその場で足を止め、ただ彼らは視線を交わす。

 

「ジェームズ・モリアーティ、魔都新宿の黒幕。

 魔弾の射手を宿し、幻霊にまつわる事件を起こした犯罪者」

 

「いきなり犯罪者呼ばわりとは穏やかではない。

 一体何の話だと言うのかね、シャーロック・ホームズ」

 

 おかしげな彼の言葉に反応を返さず、ホームズは言葉を続ける。

 

「シェイクスピアによる世界観の侵食。

 それによって存在させやすくなった幻霊の利用。

 幻影魔人同盟を名乗り、この世界を改変し、実行された数々の行動。

 地球の存亡を試す終末式。

 これはもう、好奇心を満たす実証実験ではない。

 ――――ただの犯罪だ」

 

 パタパタとレンズの向きが変わり、全ての光が一人の男に集約していく。

 明かされるのは悪のカリスマ。

 人呼んで犯罪界のナポレオン、ジェームズ・モリアーティ。

 この期に及んでも態度を崩さない相手に対し、ホームズが手を向ける。

 

「故に私は此処に告発する。

 キミが、この星を殺す犯人である、と」

 

「………………」

 

 僅か、モリアーティが目を細めた。

 彼の体に漲っていた魔力が低下を開始する。

 発生する現象はそれに留まらず、保有魔力どころか霊基数値ごと減衰していく。

 

 その影響はモリアーティ本人だけには留まらない。

 融合した魔弾の射手の能力の強度もまた、それによって低下していくのだ。

 

「―――なるほど。解き明かされる、というのはこういう感覚か」

 

 モリアーティが腕を横に伸ばす。

 壁にかけられていた白い棺桶―――超過剰武装多目的棺桶“ライヘンバッハ”。

 それが彼の意志に従い動こうとして、がたん、と床に倒れた。

 彼が持つ魔弾の射手としての能力が、それほどに低下したのだと。

 その事実を認め、モリアーティは片目を瞑った。

 

「やるものだね。流石だよ、ホームズ君。

 どうやら今の一声は、魔弾の射手の力も消えるほどの一撃だったらしい」

 

「―――そして、私はこれを連続性のある事件だと考える。

 ロンドンでチャールズ・バベッジ氏から託された情報を加え、私はそう推理した」

 

 計画の要を失ったというのに、したり顔。

 そんな仇敵を前にホームズは表情を崩さず、言葉を続ける。

 

「聖杯の使用はまだしも、幻霊の融合などという技術をキミが持っているはずがない。

 魔術について多少の知識を持てたとして、実践にたる技術を備えているはずがない。

 生前から意図して魔術を遠ざけていた節があるキミにそんなものがあるはずがない。

 それをキミに与えた更なる黒幕が後ろにいるはずだ。

 人理焼却におけるソロモン王のような、魔術的に卓越した存在が」

 

「―――――」

 

 そこまで聞いたモリアーティが、おや、と目を開いた。

 まるで心底驚いた、とでも言うかのように。

 

「バベッジ氏は魔霧計画に巻き込まれ、狂わされる以前に、確かに現状の算出を終えていた。

 “人理焼却が例え解決したところで、別の要因によって人類に2017年より先の未来はない”

 人理焼却に匹敵するだろう未知の事件。この特異点こそ、その先駆けではないだろうか。こうしているキミが見せる今の余裕も、バックにいる者に保険を取っているからこその―――」

 

「残念、そこからは外れだ」

 

 ―――天空が震撼し、空が罅割れる。

 

「な……!?」

 

 盛大な破砕音を立てて空間を打ち破り、バレルの上空に現れる巨大な隕石。

 燃える岩の塊が突如現れたことに対し、ホームズが目を見開く。

 その反応を愉しむようにモリアーティが口角を上げ、かけていた眼鏡を外した。

 

「ああ、私の敗北だ。認めよう、シャーロック・ホームズ。

 数学者としての実証の前に、私の犯罪計画は確かに君に見抜かれた」

 

「隕石を引き込むだけの力はもうないはず……! 一体何を……!」

 

「―――利用した情報の差だよ、ホームズ。この世界に隠された情報などどこにもない。

 君がわざわざ解き明かすまでもなく、正解はそこにあった」

 

 モリアーティがそこまで口にしたところで、ホームズが振り返る。

 彼が視線を向けた先はバレルの外。

 いま正にこちらに向かっているだろう、カルデアの面々がいるだろう方向。

 

「仮面ライダー、カブトの歴史……!」

 

「ああ、そうとも。元々落ちる予定はそこにあった。

 新宿と渋谷の位置関係くらいなら誤差で済む」

 

 そもそも隕石自体の落下を誘導する必要がなかったのだ。

 バレルに装填するための誘導は必要だ。

 だが、“隕石が地球に落ちる”という事実は導く必要性はなかったのだ。

 

 1999年、渋谷に隕石が落ちるところから仮面ライダーカブトの歴史が始まる。

 だから隕石の落下という現象を起こすだけなら魔弾の射手の力すら必要ない。

 

「だが、その歴史は……!」

 

 ソウゴがライドウォッチを回収した時点で、無かったものになった筈。

 そう口にしようとしたホームズに先回りし、モリアーティが答える。

 

「ああ、消えたね。1999年、隕石が渋谷に落ちる。この歴史は常磐ソウゴがカブトウォッチを手に入れた時点で消えた。厳密にはあのウォッチに格納された、かな。だから貴様はそれを脅威から外したな、ホームズ。常磐ソウゴが歴史を回収すれば、渋谷隕石の存在が消える。ああ、その通りだとも。だがそのためのシェイクスピアとこの世界だよ。

 隔離された歴史と、本や物語に、一体どれだけの差がある? 幻霊に実体を持たせるように、物語を舞台にするように、消えた歴史をこの地に再現しただけだ。そして渋谷から新宿に誘導するだけならば、特に強化されたわけでもない魔弾の射手の力で十分だ」

 

 空間を砕いて空に現れ、やがて地上に落下するだろう巨大隕石。

 それを見上げながら、モリアーティが床に転がった棺桶を軽く蹴ってみせた。

 

「つまり、あの隕石は私の惑星破壊計画とは関係ないんだ。軌道は少しずらしたがね。

 私が関係ないのだから、私をどうこうしたって止まらんよ。

 あの隕石の存在を保障しているのは、常磐ソウゴの持っているライドウォッチ。

 そしてもちろん、シェイクスピアだ」

 

「……ッ、何故! キミの霊基ではもはや魔弾の射手の能力を使う、こと、は……!?」

 

「そう、私にはもう魔弾の射手は使えない。君が()()()()しまったからね。

 だがもう一人いるだろう? 魔弾の射手を宿したサーヴァントが」

 

 口にしている途中で答えに辿り着いただろうホームズ。

 答え合わせをするように白状するモリアーティ。

 両者の視線が再び交わり―――探偵の顔が、苦渋に歪んだ。

 

「―――そう、いうことか……! 黒幕は、背後にいたのではなかった……!」

 

「正直な話、この最後の弾丸を放つ上で一番の問題はシェイクスピアの安否だった。

 カブトの歴史の再演が開始されるまでは、彼を解放されるわけにはいかなかったのだよ。

 歴史の再演が開始される条件は、私が負けること。私の計画という隕石の挙動を左右する現象が消滅することで、隕石が歴史通りの動きを再開した……という顛末だからね。

 つまりは、こうなっては全てがもう遅いという事だ」

 

 ホームズが離脱のために足を動かそうとする。

 彼はモリアーティが相手ならば間違いなく勝てた。

 だからこそ勇み足気味であろうとも、確実に勝てるものとここに踏み込んだ。

 

 ―――だが、その前提条件が覆った。

 取返しはつかないが、この失態をカルデアに報告する必要がある。

 

「だから、助かった。君が勇み足気味に先行し、此処に辿り着いてくれて。

 ああ、ついでに白状するとだね。この計画において何一つ疑わず信じられた、数少ない事柄の一つは―――君のジェームズ・モリアーティに対する警戒心だったとも」

 

 背を向けて遁走しようとするホームズ。

 彼の背を見て穏やかに笑っていた老爺の顔が、崩れ落ちる。

 

 憎悪、憤怒、怨念。

 負の感情が急に噴き出したかのように、彼の表情が歪み切る。

 だがそれはホームズに向けられたものではない。

 此処に至るずっと前に、彼を敗北させた者たちへの―――

 

「私を負かしてくれてありがとう、シャーロック・ホームズ。

 此処が私のスタート地点。此処から先が、私たちの三千年に及ぶ計画の結末だ」

 

 ―――爆発する。モリアーティの肉体が内側から破裂する。

 その残骸の中から溢れ出す、腐肉の触腕。

 ホームズの体はそれに反応し切れない。叩き落とされていく、展開したレンズ。

 それに蹈鞴を踏んだホームズの体が、肉の触手にぐるりと巻き付かれた。

 

「―――――!」

 

「―――貴様は言ったな、私こそがこの星を殺す犯人だ、と。

 その通りだとも。よくぞ見抜いた、名探偵。

 私こそがこの星を殺し、この星に生きる命を燃やし、己が目的を果たさんとした者。

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 この敗戦によって、貴様はそれを私に真に思い出させてくれた」

 

 ―――彼の霊基数値が減退したのは、モリアーティとして敗北したから。

 そして、それは元の姿を取り戻す過程であった。

 魔弾の射手の力を失う。

 そんなことは当たり前だ。何故ならそれは彼の本来の能力ではない。

 

「もはや幻霊並みに薄い霊基だ。

 よくもまあこんな有様でここまで動けたものだ、といっそ感心する」

 

 腐肉の塊が凝固し、人型に近しいシルエットを描く。

 周囲に浮かべられた連なった水晶のようなもの。

 それらは全て、一つ一つが彼の眼。

 全ての視線をホームズに向けて、魔物は小さく笑ってみせた。

 

「ホームズである以上、モリアーティが相手ならばどれほど弱っても勝てると考えたのだろう。

 それ故の先行であり、それ故の結果だ。貴様はモリアーティには勝利した。それは必然であり、運命だ。だが、その後モリアーティ以外のものになった私に勝つ手段が足りなかったな」

 

「……っ、なんということだ……!

 見誤った、いや、信じられなかった、ということか……!

 本当に、本気で、あの男が、善人を装えた、と――――!」

 

 此処に至り、ようやっと彼は正しい結論に辿り着いた。

 だがそれを誰かに明かす暇は与えられない。

 隕石の登場もあり、カルデアは息巻いてこの場に踏み込んでくるだろう。

 そこが最後の戦いの場であり、彼の意識は参加できない決戦場である。

 

「如何にあらゆる謎を明かす名探偵だろうとヒューマンエラーは避けられない。今回は、貴様の悪党の改心を認めない狭量さが視点を狭めた。

 善なるアレこそがエラーであり、悪を為す私こそが本来のモリアーティとしての姿である。貴様の根底には探偵らしくもないその確信があった。それを衝くための、随分な賭けだったとも」

 

 探偵は疑わなかった。モリアーティが悪である、と。

 善のモリアーティは全力で疑った。

 が、悪のモリアーティが悪のモリアーティであることは疑わなかった。

 疑わなければ、問いかけなければ、如何に名探偵だろうと答えには辿り着けない。

 

 シャーロック・ホームズは、ジェームズ・モリアーティという“悪”を盲信しすぎた。

 

「モリアーティの背後に誰かがいるはず、と言ったな。だがそれは外れだ、名探偵。

 その可能性を考慮しなかった理由はよく分かるとも。

 あの悪党が善心を持つはずがない。アレは常に裏で糸を引くものであるはずだ。

 黒幕に利用されるフリをして、利用してやろうと思っているに違いない。

 お前の思う通り、確かにアレはそういう人間だ」

 

 そう考えて動いた結果として、こうもしてやられている。

 触腕に締め付けられながら、探偵が酷く顔を顰めた。

 

「だが今回ばかりは共闘だった。

 同じ方向性を目指し、結末を夢に見て、方法を思考し、全霊を賭けた。

 紛れもない共犯だった」

 

 言葉を詰まらせる男に対し、触腕が強く締まる。

 ミシリと音を立て、軋むホームズの体。

 弱体化している彼の霊基が、今にも砕け散りそうな悲鳴を上げた。

 

「―――予測通りだ、ここに辿り着いた貴様のその、幻霊にも等しい霊基の薄弱さ。

 これならば、幻霊融合術式で十分に取り込める。

 私の中で眠るがいい、シャーロック・ホームズ。貴様の名は私が借りる」

 

 締め付けていた腐肉の腕が、巻き付いたホームズをそのまま沈め始める。

 瞬く間に取り込まれていく名探偵。

 何とか首を動かした彼の視線が、自身を吸収していく怪物の顔を見据えた。

 

「そう、か……私の、名前、を……並べるため、か……!」

 

「ああ、そうだとも。これにてこれより我が幻影魔人同盟は―――

 ジェームズ・モリアーティとシャーロック・ホームズの共闘、ということになる」

 

 怪物が笑い、そしてその腐肉の中にホームズが呑み込まれていく。

 完全に取り込んだ途端、波打ちカタチを変えていく腐肉の塊。

 

 今までモリアーティとしてそうしていたように。

 またも彼は人の皮を被り、正体を秘匿するように隠していく。

 

「……来い。来い。来い。来い、来い、来い――――!

 我が宿敵、我が怨敵、我が復讐――――!

 俺は、貴様たちに……! 勝つためだけに、此処まで来た――――!!」

 

 だが今度は、必要なのはホームズという外殻、名前だけだ。

 その精神性はもう隠す必要がない。

 その望みを忘却する理由はもう存在しない。

 煮え滾るような感情の激流でホームズの顔を歪め、彼はバレルの中枢に再誕した。

 

 

 




 
 悪のモリアーティは正体暴露でアグニカポイント+2000
 ホームズは乱入ペナルティでアグニカポイント-2000
 


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弾丸ロスト1999

 

 

 

「―――配置、完了しました」

 

「そうか。まあ、適当にやっておけ。貴様たちなぞいてもいなくても変わらん」

 

 敬礼してみせる黄色いフルフェイス。

 その後ろにはまったく同じ装備の人間が百人以上。

 彼らこそが幻影魔人同盟の兵隊、雀蜂。

 

 もっとも彼らはとうに存在の目的を完了している。

 彼らはシェイクスピアの世界観がある程度進むまでの間に合わせだ。

 怪物が跋扈するようになった今の世界で、彼らを必要などしていない。

 

 彼らに対し鬱陶しげに返し、アーチャーは周囲のビルを見渡した。

 文句もなく仕事に戻っていく雀蜂。

 

 さっさと薙ぎ払われるだろうが、ただの人間だからこそ殺されもしないだろう。

 いっそ纏めて殺されてくれた方が彼としては楽なのだが。

 

「―――――」

 

 雀蜂は彼に対して与えられた枷だ。

 

 片目を瞑り、思考に耽る。

 この世界では勝者と敗者が明確に線引きされる。

 突破方法こそあるが、彼はその方法を行使することはできない。

 

 そして彼は“負けた後に動く者”と定義されたもの。

 彼が自分の目的を優先して動く時、そこには“間に合わなかった”という事実が生じる。彼が彼の目的を以てモリアーティと敵対した場合、“モリアーティは目的を果たせた”ことになる。

 

 ―――こうなる前に動かねばならなかった、と今更考えてももう遅い。

 これこそ常に間に合わない男の面目躍如、というワケだ。

 

 だからモリアーティは彼という駒を自由に動かせる。

 モリアーティの目的と彼の目的は決して噛み合わない。

 実際には敵対関係なのだから当たり前だ。

 敵対関係が確定している上で、彼がモリアーティに敵対してはいけない状況。

 

 だから裏切りの余地などない。

 裏切られたら、それはそれでモリアーティの得になるようになっている。

 

「……問題はカルデアがどこまで掴んでいるか、だが」

 

 この世界はもう強い弱いで語る世界ではない。

 勝利の要因と敗北の要因だけを天秤に乗せた、事務的な計算だけが勝敗を決める。

 

 そうするために、あの魔人どもは全てを重ね上げてきた。

 基礎から丁寧に、丹念に、この都市を築いてきた。

 求めた最後の一瞬のためだけに、此処に至るために全てを懸けてきた。

 

 だから、奇蹟の逆転の可能性など残されてはいない。

 

「―――まぁ、どうあれ仕事がいつも通り後始末になるだけか。

 掃除屋の特性まで利用されては、こちらとしてはどうしようもない。

 抑止の仕組みから完全に攻略されていた、というだけのこと。

 撃たれた弾丸如きが気を揉んでどうにかなるような話でもない」

 

 そう呟いてくつくつと嗤い、アーチャーが肩を震わせる。

 すると、そこで彼の前で整列していた雀蜂の一人が声を上げた。

 

「ダイヤ4から通信。こちらに向かうバイクらしきエンジン音を確認」

 

「なに? 奴のバイクは既に撃ち抜いたはず。騎士王の魔力に耐えるバイクなどそうは―――

 いや、仮面ライダーの装備にあったな。ならばそれか。

 ……正面はオレが備える。スペードは左、クローバーは右に展開しろ」

 

 燕青、ロボと連戦をこなした常磐ソウゴを前には出すまい。

 ならばその装備をセイバーが使っている、と考えるのが妥当。

 まあ相手が誰だろうとこちらの初動は変わらない。

 英霊だの仮面ライダーだの相手に有効な戦術が打てるほど優れた戦力ではない。

 

「了解」

 

 乱れない、統率の取れた動きを見せる雀蜂。

 二部隊は新宿各地に展開しているため、ここにいるのは総数の半分。

 そんな半分でしかない二部隊でも、人数は百を超える。

 

 当然だが、雀蜂とサーヴァントの自力の差は隔絶している。

 が、カルデアがなるべく殺人を避けて戦闘する、というなら面倒極まりない状況だ。

 

 ―――アーチャーはまだモリアーティの駒。

 雀蜂の隊長として任命された以上、その仕事を果たさなければならない。

 指揮を放棄すること自体が、モリアーティに対する反逆である。

 従っても従わずともモリアーティのためにしかならない。

 

 そういうことである以上は。

 裏切って相手を“間に合わせる”よりは、こっちの方がまだマシだろう。

 

「ダイヤ2から通信。目標がビルを挟んだ通りを時速300キロ程度で通過」

 

「……また地上で出すには随分なスピードを。

 ダイヤ2の位置からその速度でここへ迎えば、到達まで残り二十秒といったところ。

 構えろ、到着二秒前から斉射する。足を遅くできれば上出来だ」

 

「了解」

 

 整列した兵士たちが、百以上の銃口を同時に動かす。

 向ける先は当然、これからバイクが姿を見せるだろう位置。

 

 この世界で、とはいえ通常兵器で騎士王は討ち取れまい。

 雑兵を百人並べて殺せるなら、あれは剣の英霊などやっていない。

 

「十秒前―――五、四……」

 

 投影される剣弾を撃ち出すための改造ライフル。

 それを構えながらのアーチャーの声に合わせ、雀蜂たちが銃を持つ手に力を籠める。

 

 カウントが二になった時点で斉射開始。

 当たる当たらないすら考える必要はない。

 ただ弾幕で足を鈍らせ、彼がライフルで撃ち抜くだけだ。

 

「三」

 

 ギチリ、と銃爪が軋む音。

 それを塗り潰すのは、街に轟くエンジン音。

 此処まで至ればもう鉄の騎馬の咆哮はこちらにも届いている。

 爆速で迫りくる標的の位置情報に目を細め―――

 

「撃て」

 

 開始される発砲。叩き付けられる弾丸の雨

 侵攻してくる敵は時速300キロのままこの中に突っ込む事になる。

 だが敵こそ剣の英霊。それすらどうにか凌いでみせるだろう。

 が、そうして足を止めた瞬間こそが弓の英霊の狙うところ。

 

 アーチャーがライフルにかけた指に力を籠める。

 弾丸が殺到していくのを見ながら、その先に姿を現すはずの標的を睨む。

 残り一秒。その先に、彼は既に射抜いた敵の姿を想起して。

 

「“虚・千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)”―――――!!」

 

「なに――――?」

 

 半秒後、視界を覆うほどの巨大な何かが眼前に現れた。

 現界するのは巨大な剣。

 神なる武装としての神秘など想定しない、ただの絶対的な質量の塊。

 単純に数十メートルあるだけの巨大な剣が、ただ突然に現れて。

 空中から落下する勢いのままに、バレルへと叩き付けられた。

 

 それ自体でバレルに大した傷は与えられない。

 この巨大な剣には質量以外に見る所がない。

 以上に、今のバレルは既に破壊できるものではないからでもある。

 大剣の刀身がバレルの壁に乗り、勢い柄が地面に落ちてアスファルトを抉り。

 

 そうなった結果。

 巨大な剣がただ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 バレルの前方に展開していた部隊は、全員その屋根の下。

 大剣の刀身に阻まれて、目前も頭上も見えなくなる。

 

 瞬間、エンジン音が今まで以上に高らかに。

 前から聞こえてきていた怒号が、空へと跳んだ。

 

「神造兵装のハリボテを橋に……! 小癪な―――!」

 

 上に見上げる幅広の刃。それは最早彼らの頭上を覆う天蓋だ。

 如何に中身のない紛い物とは言え宝具、雀蜂の装備では大した傷も与えられまい。

 接敵以前にばら撒いた弾丸は、全てイガリマの刀身に阻まれている。

 

 彼女たちはこの剣を足場にしつつ、更に斉射からの盾としてみせた。

 

 アーチャーが即座にライフルごと剣弾を破棄。

 そこに上がるためワイヤーを頭上に射出しながら、舌打ちを一つ。

 

 ハリボテとは言え、今からライフルで打ち砕くにはイガリマは厚過ぎる。

 装填していた剣は貫通力重視。粉砕するには破壊力が足りない。

 通常なら刀身に穴でも空ければ想定された基本骨子がずれ、崩壊する。

 だがこの規模(サイズ)の剣となると、多少損傷させても崩し切れないだろう。

 だから確実に粉砕する必要がある―――が。

 いまさら破砕力重視の次弾を準備していたら、相手がバレルを昇り切る。

 

 別に彼女たちはバレル、モリアーティを目指すわけじゃないだろう。

 だがバレルに昇られるという事は、この贋作者(フェイカー)に上を取られるということだ。

 それが面倒だと誰より知っているから、無視はできない。

 

 イガリマの端にかかり、火花と擦過音を撒き散らしながら巻き取られるワイヤー。

 その勢いに運ばれて、アーチャーの体が舞い上がる。

 彼は体を振ってバレルにまでかけられた剣の橋に乗り込んで―――

 

「―――――!」

 

 ゴウ、と。目の前を通り過ぎていく乗り捨てられたバイク。

 時速300キロの質量兵器を何とか躱し、彼は巨大な刀身に着地した。

 濁った目をバイクが来た方向に向ければ、そこにいるのは黒い鎧を着た女。

 魔力を漲らせた、セイバーのサーヴァント。

 

「……囮にしては随分と派手にやってくれる」

 

「―――元より私の標的は貴様だ、アーチャー。

 貴様が何を目的にしているかは知らんが、関係ない。此処で斃れろ」

 

 構えた聖剣が振るわれ、その衝撃が僅かにイガリマの刀身という足場を削る。

 漆黒の魔力を迸らせる竜を前に、アーチャーが口元を皮肉げに歪ませた。

 

「ハ―――それが出来たら楽なんだがなァ。

 生憎だが、悪党が刻みつけた痕跡を全て消すのがオレの仕事だ。

 これから始まる予定のオレに仕事を果たさせない、というならば。

 先に掃除屋が召喚される要因、どこぞの悪党が企んだ計画を潰してくるんだな」

 

 男の手の中に出現するのは黒白の陰陽剣―――の面影がある、双銃剣。

 

 地上に向かって剣を飛散させつつ、クロエがちらりとそれを見る。

 展開する剣を銃弾からの盾に。射出する剣を銃を斬り捨てる弾丸に。

 彼女は一人で雀蜂を制しつつ、アーチャーに対して意識を向けた。

 

 百人に囲まれては事だが、雀蜂は飛べない。

 戦場をイガリマの上にしてやれば、彼らは地面についた柄から上ってくるしかない。

 展開する方向が限定されれば、彼女の力は手数で負けるような事はない。

 

 剣の雪崩を前に、雀蜂は応戦する。

 だが彼らの装備で対抗できるようなものではない

 単純に剣が無数に上から落ちてくる、というだけでそこは彼らが戦える場所ではない。

 

 上を目指すことすらできず、地面から応射しても剣の壁に阻まれる。

 その事実に歯噛みして、スペード1のトップが通信機に叫んだ。

 

「ダイヤ1……! 応答しろ、ダイヤ1……!

 射線を確保しろ! ビルに上がり奴らの上を取って……!」

 

 スペードとクローバーは総員がここに集結している。

 だが他の連中はまだ街にいるのだ。

 ここからほど近い位置にいる部隊ならば、すぐにでもこちらの援護に回れる筈で―――

 

『こちらダイヤ1。伏兵に襲撃された。

 敵は闇討ちに特化したサーヴァント、未確認だった敵戦力だ。

 ダイヤ1は私を残して既に全滅』

 

「なんだと――――!?」

 

 

 

 

「敵の目的はこちらの分隊行動を確実に処理する事だと思われる。

 分散するのは危険だ。分隊単位では奴に対抗できない。

 全部隊を即刻隊長の元に集結させて、数の優位を活かすべき―――」

 

 そこで意図して言葉を止める。次いで、腕に絡ませたストールに力を加えた。

 頭にストールを巻きつけられた男が一人、そのままビルの壁に叩きつけられる。

 インパクトの瞬間に拘束を解き、解放される雀蜂。

 

「ガァ……ッ!?」

 

 正真正銘の悲鳴。それを最後に男は気絶し、床に転がった。

 そんな声を通信機越しに拾った雀蜂から安否を問う声が返ってくる。

 が、それに何も答えずに彼は通信機を手放した。

 

 通信機はカンカンと乾いた音を立て、床に転がる。

 それを踏み潰しながら、黒ウォズはゆるりと溜め息を一つ。

 まだ動けるような相手がいない事を確認して、彼はストールを引き戻し。

 そうしてから、『逢魔降臨暦』を抱え直した。

 

「やれやれ、まったく人使いが荒い」

 

 ソウゴには近くのビルの屋上で休んでもらっている。

 近場ではあるが、雀蜂が来るような場所ではない。

 黒ウォズもそこでこの戦いの顛末を見守る気だったのだが。

 

 ―――そういえば黒ウォズってさ、ツクヨミたちのレジスタンスを騙し討ちしたんだよね?

 

 利用したのは事実だが、別に騙し討ちしたわけではない。

 そもそもあの襲撃計画自体、オーマジオウはとうに知っていた事である。

 黒ウォズの行動如何に関わらず、計画は崩壊していただろう。

 

 ……などと言い返したりはせず、仕方なく彼の指示に従って動いているわけだ。

 

「……さて。個々の練度はそこそこ、部隊間の連携はそれほどでもない。

 統率するリーダーのやる気の無さの表れだろう。闇に沈んだ男が率いる部隊は、完全調和には程遠い、という事かな。まあ、これで十分撹乱できたとしよう」

 

 崩し切れはしないだろう。

 が、全部隊が行動するのに二の足を踏む状況にはできたはずだ。

 通信内容こそ怪しいが、事実としてダイヤ1は壊滅した。

 彼らはもう、唐突に自分たちが全滅する可能性を否定できない。

 そんな事をしようとしているサーヴァントは実在しないが、無視できなくなった。

 

「これで彼らは疑心暗鬼に落ちた烏合の衆。彼女たちに任せてしまえばいい。

 後はさっそく乗り捨てられたライドストライカーを回収しなくてはね」

 

 そう言いながら外を見る。

 セイバーに乗り捨てられたマシンは、そのままバレルに突っ込んでいった。

 恐らくはバレルの1階ホールに転がっているだろう。

 幾度となく酷使されるジオウの愛機に肩を竦めつつ、彼はゆるりと歩き出した。

 

 

 

 

「―――ああ、まったく。手抜きが過ぎたか。相手と言えば暴徒か壊れたファントムの人形くらいなもので、真っ当な敵との戦闘など経験もない有象無象。であれば、この結果は順当だろうさ」

 

 聖剣と銃剣が打ち合い、銃剣が砕け散る。

 同じものを再投影しながら、アーチャーはそう吐き捨てた。

 

 眼下では足並みの狂い始めた雀蜂。

 大元の雇い主であるモリアーティも。直属の上司であるアーチャーも。

 彼らにとっての女王蜂である事は、完全に放棄していた。

 そうなれば潰走するのも必然だろう。

 

「仕事の手抜きか。では、そこで抜いた手を一体どこに回していた。

 貴様はルール違反が原因で聖杯に招かれたカウンターではない。モリアーティが始めた聖杯戦争、開幕の七騎。あの悪党には自分から与し、幻霊の混ぜ物とされたわけでもない。

 そんな貴様は一体何を目的として行動していた」

 

「聞き分けのない女だ。仕事で手抜きする自由なぞオレにはない。

 きっちりオレの仕事はこれからだ、と告げただろうに。

 ほんの数分前のことさえ覚えていられない鳥頭か、おまえは」

 

 爆音。

 イガリマを揺らして、セイバーが魔力放出で疾走する。

 二丁の銃剣により張られる弾幕を突き破り、彼女はアーチャーに斬撃を見舞った。

 

 咄嗟に盾にされ、斬り飛ばされる銃剣。

 衝撃に弾かれ大きく後退しつつ、彼は即座にそれと同じものを投影した。

 

「ちょっと……! 色々聞き出す前に叩き落としたりしないでよね……!」

 

 剣の弾幕を形成しつつ、クロエが焦ったような声をあげる。

 人数と個人の練度の割に雀蜂の崩壊は早かった。

 このまま行けば数分も待たず、本当にクロエだけで抑えてしまえるだろう。

 その後に彼女もアーチャーに訊きたい事があるのだから、と。

 

 そんな事を言った少女に視線を向け、アーチャーが嘲笑した。

 

「ハ―――役に立たない姿になったものだ。せっかく使い物になりそうな正義の味方とやらは、薄っぺらになって女の中でぐっすりときた。

 まあ、らしいと言えばらしいがな。間に合わないのは、腐っていようがいまいが同じ事だ」

 

 彼の視線を受けて、クロエが咄嗟に自分の胸に手を当てる。

 アーチャーの言葉が、彼女の中のクラスカードを指しているのは疑いない。

 

 そうして嘲笑を浮かべる相手に対し、セイバーが僅かに目を細めた。

 

「……ほう。その口振りでは黒化していない貴様ならば意味があった、と。

 本来、この場には通常の貴様が召喚される筈だった。

 だがこの特異点の影響で意図せず黒化した貴様が召喚された……そういう意味か?」

 

「だろうさ。意図せず黒化したのは貴様たちもだろう。

 そう難しい話でもない」

 

 言いながら銃口が跳ねる。連続で吐き出される無数の弾丸。

 すぐさま反応し、セイバーの振るう剣が銃弾を斬り捨てる。

 全てを片付けた瞬間、彼女の足が強く刀身を踏み締めた。

 

 弾ける黒い魔力の風に押し出され、漆黒のセイバーが加速。

 アーチャーは即座に双銃の柄を合わせると、それを一つの刀剣へと組み替える。

 正面からぶつかり合い、押し切られつつも何とか武装を保つアーチャー。

 

「自分を殺せるものをあらかじめ壊しておく。

 特別何を言うまでもない、誰にでも分かるごく普通の対策だ」

 

「それが貴様を悪党に染めておくこと、だとでも?」

 

「さて、な!」

 

 アーチャーの手から合体させた剣が投げ放たれる。

 が、それはセイバーが撃ち落とすまでもなく。

 彼女の背後から飛来した剣弾が直撃し、狙いを逸らされた。

 

 セイバー手ずから行うべき一手間が省略された結果として。

 眉を顰めるアーチャーに対し、肉薄を果たすセイバー。

 

「―――既に完全に壊されている、というのならなおさらだ。

 これ以上動くことなく、大人しく此処で朽ち果てろ」

 

 大上段から振り下ろされる聖剣。

 アーチャーは再投影した双銃を盾に、しかし容易く粉砕されてそのまま吹き飛ぶ。

 バレルの方へ向け、盛大に刀身の上を転がっていく黒いアーチャー。

 

「ちょっと!」

 

 追撃をかけようとしたセイバーの背にかかるクロエの声。

 それに多少ながら眉を顰めつつ、しかし彼女は踏み込みを控えた。

 剣を手に、歩みで距離を詰めていく。

 

「―――ハ、止まれときたか。馬鹿を言え。

 真っ先に壊したのがブレーキだから、こんなところまで至るんだ」

 

 立ち上がりつつ、再度彼は双銃をその手に顕した。

 そのまま体の状態を確かめるように首を振り、セイバーを見据える。

 交差する、白く濁った彼の瞳と、くすんだ金色の彼女の瞳。

 

「善人を救うために悪人を駆逐する。悪人を殺すためになら善人も殺す。

 善行を是とし悪行を非とする。悪行を糾すために善行を踏み躙る。

 当然の話だ。そのためにまず捨てたのは、邪魔にしかならない人間らしい信念からだとも」

 

「……憐れな男だ。善である事ではなく、悪を裁く事にだけ執心した始末屋。

 アサシンやライダー。他の連中と同じく、目的をどこかに忘れてきたと見える」

 

 アーチャーの腕が銃を持ち上げる。

 ほんの数メートルの間合い越しに突き付けられた銃口。

 しかしそれに脅威など覚えていない、と言わんばかりにセイバーに動きはない。

 そんな彼女の言葉に、アーチャーが嫌味な笑みを浮かべる。

 

「王としての機能に終始した憐れな女からの忠告痛み入る。

 終わらせた貴様はさっさと妖精郷にでも籠っていればいいものを。

 そうでなくともこちらの仕事を邪魔しない場所で遊べという話だ」

 

「善悪の是非も問わず、ただ撃ち抜くだけの殺戮機構。

 何が原因で正義(そこ)から目を背け、厭うようになったか知らないが―――」

 

「うん? いいじゃないか、善と悪の戦争。

 善も悪も食い物にする我欲だけの獣よりは余程まともだ」

 

 銃と剣を突き付け合いながら、交わす言葉。

 そんな中で一際強く嗤ってみせるアーチャー。

 彼の様子に対し、セイバーがきつく眉根を寄せた。

 

「―――――」

 

「相容れぬ、なんて互いにムキになって暴れ回るのはいっそ痛快ですらある。

 結果こそ見るに堪えんが、譲れぬモノのための闘争なんて精神的には健全だろう?

 そういう意味で言えば、モリアーティにしろアレにしろ、オレよりは真っ当だ」

 

 減り始めた雀蜂。壊走を始める部隊。

 しかし地上から弾丸が来る以上、剣幕を切らさないクロエ。

 彼女が余裕が増えてきた戦況に視線を後ろに向ける。

 

 彼がクロエの使うカードの黒化英霊だというのは理解した。

 ここまできて、あれほど能力を見て、それでも真名さえ掴めないが。

 

 直接対峙してさえ、彼女の内包するアーチャーのクラスカードに何も響かない。

 同じ英霊の黒化、反転したものであれば、もっと何か感じ入るものがあってもいいだろうに。

 まるでただの別人であるかのように、アーチャーのカードに反応はなかった。

 

「アレ……?」

 

「そんな戦争の行先。

 ラストが、正義の味方が悪の首魁を打ち倒す場面であるならば、言う事もない。

 帰ってきたヒーローが、救ってみせた無辜の民に迎えられるなら尚良い。

 喝采で物語が閉じるなら、それ以上の事はないだろう?」

 

 まるでモリアーティ以外の黒幕がいるかのような。

 そんな事を仄めかしながら。

 しかし彼は追い詰められた状況を気にもせず、雑談するように言葉を続ける。

 

「そうでない趣味の悪い話を、知られない内に無かった事にするのがオレの仕事だ。

 貴様たち名のある英雄どもは、素直に英雄譚に取り組んでいればいい。

 裏方で不必要なページを破り捨てるのは、オレのような名もなき黒子に任せてな。

 分かったらおまえこそ引っ込んでいろ、聖剣使い。仕事の邪魔だからな」

 

 嗤う男。

 それに対し何とも、何か思う所があるように彼女は一瞬だけ瞑目し。

 

「――――……アーチャー、無銘の英霊。他に言い残したい事があるなら今の内に並べておけ。

 少なくとも、この特異点の貴様は此処までだ。貴様の首は間違いなく私の聖剣が落とす」

 

「……言い残したい事、ね。しいて言えば、オレは正義と悪の戦いになぞ傾倒はしていない。

 オレにとって正義なんてものは、悪に譲れる程度のものだったんだろう。

 最終的に帳尻さえあえば、過程を善と呼ぶか悪と呼ぶかなんぞどうでもいい話だ」

 

 皮肉げに、何かに呆れるようにそう口にして。

 アーチャーはセイバーに向けていた銃口を下ろした。

 そのまま見上げるのは、新宿の星空。

 

「だから。この馬鹿みたいなやり取りに意味があるとしたら―――」

 

 瞬間、空が割れる。

 まるで硝子を砕くように、空間が散っていく。

 それは彼方に繋がる、この瞬間のためだけに用意された隕石の弾倉。

 最後の一発を装填するために使用された、バレルに弾丸を籠めるための機能。

 

 急に出現したその巨大隕石を見上げ、クロエが叫んだ。

 

「なに!? ―――隕石!? なんで……!」

 

 即座に剣を握り直し、アーチャーに向き直るセイバー。

 時間的に考えて、状況はまだ他のメンバーがバレルに到着した程度。

 そんな中でいきなり隕石が出現するなど、想定していない。

 

 この結果を予測していたと言いたげなアーチャーに対し、セイバーが眼光を鋭くした。

 

「アーチャー、貴様……!」

 

「―――それはただの時間稼ぎだろうさ。

 やれやれ、やっと本命の到着。首が落とされる前に間に合ったな」

 

 双銃の片方を放り、彼が撃つべきただ一発の弾丸をそれに籠める。

 これに意味があるかどうかは既に怪しいが。

 ―――それでも、やるべき事をやるのが彼の仕事だ。

 

 

 




 
 本来なら新宿→明治維新→CCC→アガルタだと思いますが、
 このSSでは新宿→アガルタ→CCCと進むでしょう。多分。
 明治維新は分からん……ところで明治維新がどうかなったら平成も消滅するのでは?
 今日から今年は……明治154年だ。
 


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帰り道1893

 

 

 

『新宿上空に出現した隕石―――停止中……!?

 出現位置に固定されているように動きません……!』

 

 バレルの階段を駆け上がりながら、マシュからの報告を聞く。

 もうすぐバレルの中枢に辿り着くだろう、というタイミングで突然の隕石出現。

 それに目を尖らせていたツクヨミが、疑念の声をあげた。

 

「動かない? どうして……」

 

 此処に至るまでに邪魔は何も無かった。

 雀蜂はほぼソウゴの方のチームへと集められていて、他には何もない。

 まるで彼女たちを迎え入れるように、道は開かれていたのだ。

 

「―――単純に考えれば、動かすためのエネルギーが足りない。隕石を呼び出す事はできても、バレルに装填するために動かせないという事だと思われますが……」

 

「んー、呼び出せるほどの力があれば、誘導するくらいはどうにでもなりそうな気もします。

 というか、流石にまだ予兆のない出現が許されるほどの状況ではないと思うのですが!」

 

 サファイアとルビーの言葉を聞いて舌打ち一つ。

 ジャンヌ・オルタが後ろに走るモリアーティへと視線を向けた。

 

「で!?」

 

「で!? と言われても。確かに余りにも進行が唐突すぎる。

 想定していなかった何かが起きた事は、間違いないだろうとは思うが……」

 

『その先にサーヴァント反応……! 一騎だ、きっとそれが―――』

 

 ロマニの報せを受けて、全員が階段の頂上を見る。

 そこから一直線先にある、解放されきった扉。

 言葉を交わすより先に辿り着くため、揃って床を踏み締める足に更に力を籠めた。

 

 十数秒の全力疾走。

 その果てに辿り着いたのは、天井の無い大広間。

 

 そして、その中心で一人佇むサーヴァントの姿。

 

「ホー、ムズ……?」

 

 彼の姿を見て、ツクヨミが構えていたファイズフォンXを下ろした。

 いつかアトラス院で邂逅した、世界最高峰の名探偵。

 紛れもないシャーロック・ホームズの姿を見て、状況が掴めず唖然とする。

 

『……シャーロック・ホームズさん、ですか?

 確かに霊基はこちらで未観測のもので、モリアーティさんのものとも……違い、ます?』

 

「じゃあ一体、悪のモリアーティ教授は、どこに?」

 

 突入して得た情報を処理するマシュが、ロマニと顔を見合わせる。

 空まで開けた大広間で、視線を彷徨わせる美遊。

 

 声をかけられた男は軽く振り向いて、彼女たちに視線を合わせ。

 同道してきたモリアーティを見て、目を細めた。

 

「―――ん。どうやら辿り着いたようだね、まず謝ろう。すまない。

 キミたちに大した相談もないまま突入した結果、隕石の招来を許してしまった」

 

 言いながら、悔やむような表情を浮かべるホームズ。

 そんな表情で彼が見つめるのは、手に持っていた眼鏡。

 彼はそのままの物憂げな視線を巡らせ、カルデアの面々を見渡した。

 

「モリアーティ……いわゆる、悪のモリアーティは消滅した。

 探偵と悪党の勝負は紛れもなく、探偵が謎を明かす事で解決した。

 隕石こそ召喚されてしまったが、今のままならバレルに落ちる事はないだろう」

 

『流石ホームズさんです……!

 いえ、もちろんモリアーティさんが劣るという話ではないのですが!』

 

 妙に嬉しげにホームズの勝利を喜んでみせているマシュ。

 そんな彼女に目を白黒させつつ、美遊が横目でモリアーティに視線を送る。

 今までであれば拗ねるような表情を浮かべていただろう男。

 

 そんな男の顔が、ホームズを前にして僅かに眉を上げていた。

 しかしまあ、生前の自分を殺した男と直接顔を合わせれば、そうもなるだろう。

 注意を向けつつも、彼女はホームズの方に視線を戻す。

 

 ―――直後、モリアーティが足を進め始めた。

 どこか緊張するかのような面持ちで。

 ゆっくりと、ホームズに詰め寄るかのように。

 

「……プロフェッサー?」

 

「言葉が足りないな、ホームズくんともあろうものが」

 

 背にかかる立香の声に応えず、彼はホームズへと声をかける。

 

「今のままなら隕石がバレルに落ちる事はない。

 確かにそうだろうとも。だがそれは魔弾の射手が誘導しきれずに、ということだ。

 隕石が存在する限り、バレル以外に落ちる可能性がある。

 この状況を解決するには、隕石を破壊、或いは消滅させる必要があるだろう?」

 

「………………」

 

 距離を詰めてくるモリアーティに対し、ホームズは答えない。

 彼の重い声を聞き、どこか感じる不安からイリヤが声を上げた。

 

「消滅……って、一体どうやって」

 

「……あれは空間を超越して出現したもの。

 その原因さえ取り除けば、消滅、というより元々あった場所に回帰―――」

 

 ルビーが、状況から見て今の状態を推察し。

 まず辿り着いた結論は、今がこちらのモリアーティも消滅しなければいけない状況。

 

 どうあれこれはモリアーティが計画した事件だったのだ。

 隕石を呼び出す計画も。それを誘導するための魔弾の射手も。

 全てはモリアーティが執り行ってきた事のはずだ。

 だから、悪のモリアーティが消滅した事によってその全てが頓挫したのだろう。

 だからいま、隕石落下が宙ぶらりんになっている、と解釈した。

 

 そうなれば残っているやるべき事は後始末。

 悪のモリアーティの片割れ、善のモリアーティの処分だけ。

 いま隕石が中途半端な状態なのは、彼がまだ存在しているからとしか考えられない。

 そうならないように、と考えていたが。こうなってはどうしようもない。

 

 そのために、彼は自らホームズの元へと歩み寄ろうとしているのだろう。

 最後に必要になった自分の消滅。

 介錯してくれるだろう好敵手に向けて、歩み出したに違いない、と。

 

 そう、解釈して。

 

「――――ちょっと、待ってください? あの隕石、一体どこから?」

 

 しかし。あの隕石がどう消えるのか、という思考が彼女に待ったを言わせた。

 

 彼女の問いかけに反応し、顎に手を当てたロマニが言葉を漏らす。

 その間にも、モリアーティの歩みは止まらない。

 

『……そうか。黒ウォズの言う事を信じるなら、あの隕石は1999年に渋谷に落下したカブトの歴史のもの。バレルに誘導されなかったとしても、地球に落ちるという事は変わら、ない……?』

 

「―――それは……その歴史は、美遊様があのライドウォッチを成立した時点で消える、というのがあの力の理屈だったのでは?」

 

 そう、本来はそういう理屈のはずだ。

 だから1999年に地球に巨大隕石が落ちるなんて歴史があるはずもなく。

 では一体、いま頭上で停止しているあの巨大隕石は何だ、と。

 

「そう。仮面ライダーカブトの歴史は既に常磐ソウゴの手の中にある。

 本来ライドウォッチにされた歴史はある意味では消えたものになるのだろう。

 が、そのためのシェイクスピアの舞台劇だったのだよ」

 

「……ちょっと待ちなさい。

 ―――――足を止めろ、って言ってんのよ!」

 

 歩みを止めない男に対し、地上を這うように黒炎が奔る。

 この状況を通したらいけない、という本能的な判断。

 だがそれを選んでどうにかできる状況には程遠い。

 モリアーティを倒せばいい、という考えはとうに遅い。

 

 歩みながら微笑むモリアーティに迫る炎。

 そんな彼を守るように、ホームズが周囲に展開していたレンズが動く。

 

 激突する炎と硝子。

 しかし黒炎が硝子を溶かし切る、というような結末には至らない。

 それは一瞬前までレンズだったとは思えないような変貌を遂げていた。

 束ねられた無数の触腕。折り重ねられた腐肉の柱。

 

 ホームズが伸ばしているものが、そんなものに変わっていた。

 

「なによ、こいつ――――!」

 

「あなた……ホームズじゃない!?」

 

 炎を防がれたオルタが目を尖らせて。

 即座にツクヨミが手を動かし、ホームズだと思われていた相手に発砲した。

 しかし赤い弾丸を前に触腕がもたげ、銃撃からの盾となる。

 銃撃を受けてもその腐肉の塊に損傷はない。

 

『ホ、ームズさ……シャーロック・ホームズ、だったと思しき霊基変動!

 隣り合うように、まったく別の反応の霊基反応が発生しました……!』

 

『この、反応は……!?』

 

 無数のアラートに溢れるカルデア管制室。

 そこで声を張る二人の声を流しつつ、モリアーティがホームズの元に辿り着く。

 彼と並んだホームズが、噛み締めるように言葉を吐き出す。

 

「そこには確かに歴史がある。なら、本や舞台を再現するのと変わらない。

 幻霊という本来無いものを実体化するのに比べれば、実に容易い事だよ」

 

 そう言ったホームズに対し、モリアーティが手を伸ばす。

 彼が視線を向けているのは、ホームズが手にしたままの眼鏡だった。

 

「―――それは私のものだろう? 受け取ろう、シャーロック・ホームズ」

 

「ああ、お帰り。ジェームズ・モリアーティ」

 

 受け渡される眼鏡。

 それを受け取った彼は小さく目を細めて、一秒間だけ動きを止め。

 そのまま、己の顔にかけた。

 

「……ただいま、我が好敵手にして共犯者」

 

 たったそれだけの動作と共に、モリアーティの装束が変わった。

 変貌し、溢れ出した魔力で織り成される瑠璃色の外套。

 それを肩に引っ掛けて、彼は堂々と振り返り、悪意に満ちた声を張る。

 

「―――そして。改めてご機嫌よう、世界を守るカルデアの諸君。

 私の名はジェームズ・モリアーティ。この魔都新宿における黒幕だ」

 

『いまのは、霊基、再臨……!?

 どうして、今の物体がモリアーティ教授の霊基を―――』

 

「……っ!」

 

 美遊がすぐさまそこにサファイアを向ける。

 放たれる魔力の弾丸はしかし、全てホームズの触腕に阻まれた。

 尋常ならざる魔力を漲らせるその腕に、通常の攻撃は通らない。

 

 いとも容易く攻撃を跳ね除けられた蒼の主従が状況を推察する。

 

「――――恐らくは膨大な魔力リソースによる後押し、聖杯です!

 正面から押し切るには、高ランクの宝具による一撃でなくては……!」

 

「シャーロック・ホームズが聖杯を……! つまり、最初から共犯……!?」

 

「え、と、と……!? つまり、どういう状況!?

 モリアーティさんが裏切って、ホームズさんも実は悪者で……!?」

 

 ルビーを握り締めながら、イリヤが目を白黒させる。

 ここに到着してからの流れが急激で、思考がついていかない。

 何故隕石が。何故モリアーティが。何故ホームズが。

 この状況をどうにかするには、一体自分は何をすればいいのか。

 

 そんな悲鳴を上げた少女に向けて、モリアーティが微笑んだ。

 ホームズが視線のみを彼に向ける。

 が、仕方ないとでも言うかのようにすぐに小さく目を伏せた。

 

「―――少し、種明かしの時間を設けようか。君たちもどんな罠にかけられたかくらいは知りたいだろう。

 まずはロマニ・アーキマンへの返答だ。厳密に言うとこれは、欠けた部分が戻っただけだよ。あれは記憶と共に分離していた霊基の一部。実際、再臨したとはいえ、大して存在規模の拡張はされていないだろう?」

 

 そう言って、彼は眼鏡越しの視線をマスターとして選んだ少女に向ける。

 

「―――――」

 

 少女が自分を無言で見つめ返してくる光景。

 そんなものを目にして、彼は小さく苦笑らしきものを浮かべた。

 

「此処で裏切っていたのか、と問い詰めない君である事が良いのか悪いのか。

 今更ではあるが、一応自分の口から告げておこう。私は君たちを欺いていた」

 

 複合兵装、ライヘンバッハが起動する。

 勝手に起き上がった棺桶に手を置いて、彼は頭上に見える隕石に視線を投げた。

 

「だが、君たち風に言うならば……自分の想いだけは裏切っていない。

 私は、私にだけは誠実であるために、君たちを利用しただけだ」

 

『それは、一体どういう……!』

 

「――――こういうことだ」

 

 モリアーティを問い詰めようとするマシュの声。

 それを遮る声と共に、突如ホームズの体が膨れ上がる。

 膨れ上がっていく霊基反応。変貌していくホームズの肉体。

 聖杯だけでは説明のつかない異常な反応の数値を見て、観測しているロマニが眉を顰めた。

 

『―――この、霊基反応、まさか……!?』

 

()()? 可能性を考慮していた振りは止めろ、ソロモンだったモノ。

 我らは貴様を理解しない。貴様は我らを顧みない。

 私たちと貴様の間には、最早何の繋がりもありはしない。

 我らは人間と戦った。我らは人間に敗北した。この地獄に、断じて貴様が入る余地はない」

 

 腐り落ちた触腕を束ね、人型を作り出し。

 零れ落ちた眼を結晶化し、空中で繋ぎ合わせて輪を描き。

 それはいつか見た魔神によく似た何かへと、はっきりとカタチを変えた。

 

 そんなものと向き合った立香が。

 思わずかつて対峙した王の名を口にする。

 

「ゲーティア―――じゃない……?」

 

『―――バアルだ……!

 魔神の序列一位、ソロモンの魔術式として配置された機能は覗覚星……!

 思考と理論を編み、結果を推論するもの―――だから、幻霊を……!』

 

 ロマニの声が、敵の姿に唖然としていた立香とマシュの意識を引き戻す。

 

 己の名を嫌う男に告げられたのが余程気に障ったのか。

 バアルが至極嫌そうに首を回し。

 しかし彼の言葉に同意するように、確かに彼がそういうものであると認めた。

 

「我が名はバアル。かつて王の魔術式であったもの。かつて人理焼却式であったもの。

 その役割は、確固たる結末を持たぬモノの結末を推論し、実現させる事。

 故に私は幻霊に着目した。放り捨てられた登場人物に、私は私の望む結末を決定する。

 顕現したこの異界、悪性隔絶魔境・新宿こそが我が思考と理論を実践する実験場」

 

「それは……私たちを、殺すために?」

 

 バアルと対峙する立香。

 体を揺らしていたバアルが動きを止め、彼女と正面から視線を交わす。

 魔神の裡から無尽蔵なまでに滲み出す、憎悪と殺意の乱流。

 それを受け止め、彼女は歯を食い縛り、より強く魔神を見返した。

 

「―――時間神殿において敗北してから、私は全てをこの計画のために使った」

 

 溢れ出す無限の感情が、バアルが口を開くと同時に薄れて消える。

 それに困惑する立香たちの前で、魔神が視線を横に向けた。

 彼の問いに対し、モリアーティが肩を竦めて返す。

 

「……私はあの敗戦の折、あそこから三千年の時を遡った。

 貴様たちに復讐を成し遂げるためには、準備する時間が必要だと考えたからだ」

 

「三千年、遡る……?」

 

『……時間神殿ソロモンは、存在する限り遍く時間に連なっている。

 あの空間は、発生した時間から終了した時間までの間であれば、常に全ての時間に存在しているんだ。レイシフトの必要さえなく、あらゆる時間に行ける。もちろん通常の人間の場合そんな自由は効かないけれど……魔神なら、ソロモンが存在している間であれば』

 

 イリヤの疑問に答えるロマニ。

 彼に注釈されるのが余程苛立ったのか、バアルが顔を顰めるような反応を見せる。

 

「時間神殿の存在が確定している範囲は、ソロモンが発生した紀元前十世紀から、ゲーティアが消滅した2016年。あの時、ゲーティアが完全に機能を停止する前、私は策を仕込む時間を確保するため、可能な限り時間流を遡った。

 あの時から今に至るまで、人理焼却にかけた時間と同じだけ、ただ貴様たちを殺すために、それだけのために、全ての時間を積み重ねてきた……!」

 

 魔神が全身を震わせる。

 渦巻くのはあらゆる感情が綯い交ぜになった、最早自身でさえ理解できない何か。

 それは嚇怒の震えであり、悲哀の震えであり、歓喜の震えでさえあって。

 そうして言葉を失った相方に対し、モリアーティが間を取り繕うように口を開く。

 

「―――ああ、そうだ。隕石が何故止まっていたか、訊かれていたね」

 

「―――――」

 

 視線を向けられ、臨戦態勢のジャンヌ・オルタが身構える。

 そんな態度に微笑み返し、彼はゆっくりと指を伸ばして腕を挙げた。

 指差す先にあるのは天で止まったままの隕石。

 

「そう難しい話ではない。原因はただ一つ。

 隕石は今にも落ちようとしている。だが、()()()()()()()()()()()()()()()

 魔弾の射手という誘導力が弱まっていた間、新宿と渋谷の双方に引かれていた。

 だから。私が()()()いま、すぐにこちらに落ちてくる」

 

「――――クソジジイ!」

 

 オルタの振るう剣に伴い、展開される炎の槍。

 呼吸の間も置かずに放たれる禍炎。

 合わせて魔力弾を撃ち放つ美遊と、慌ててそれに合わせるイリヤ。

 撃ち落とすのはバアルの展開した無数の触腕。

 

 頑強なるバアルの腕に阻まれて、モリアーティには一撃たりとも通らない。

 そうしている間にも彼は、天を指していた指を一息に振り下ろした。

 

 ―――隕石が動き出す。

 今までの停滞が嘘のように、加速が一瞬で最高潮に達する。

 誰もが数秒後、バレルにあの弾丸が装填される未来を幻視して。

 

〈カ・カ・カ・カブト! ファイナルアタックタイムブレーク!!〉

 

 地上から空に目掛け舞う、極彩色の翼を見た。

 

「ソウゴ!」

 

 彼方のビルから飛び立って、ジオウが隕石に向けて突撃する。

 夜空を切り裂く虹色の光は一直線に隕石を目掛け。

 数秒と待たず、空中で二つの飛来物が激突した。

 

 同時に、バレルの床を高らかに踏み鳴らし。

 一人の男がその場に踏み込んでくる。

 

「祝え!! 全ライダーの力を受け継ぎ、時空を超え過去と未来をしろしめす時の王者!!

 その名も仮面ライダージオウ・ディケイドアーマーカブトフォーム!!

 光さえも置き去りに進化する絶対の王が、新たな未来をその手に掴んだ瞬間である!!」

 

「黒ウォズ……!? なんでこっちに―――!」

 

 ライドストライカーのウォッチを片手に、逢魔降臨暦をもう片手に。

 大仰にジオウを讃えながら参上する王の臣下。

 息を切らしながらも言い切った彼が、咳払いしつつ問いかけてきたツクヨミを見た。

 

「今はどうでもいいだろう、そんなことは。それよりも、こちらも決着をつけたらどうだい?」

 

「ふむ。やはりソウゴくんには隕石がくる未来を視られていたのかな?

 まあ、だがやはりその程度か。本人の戦闘で使う分には問題ないが、戦略レベルで使うには漠然とした光景しか視れないのだろうね。なんとなく隕石が降ってくる気がする、と」

 

 黒ウォズの登場。

 そして空に走る虹色の軌跡を見上げつつ、モリアーティが顎に手を当てる。

 彼の崩れない余裕の態度に対し、黒ウォズが眉を上げた。

 

「随分と余裕だね。計画の要だろう隕石を破壊されるというのに」

 

『―――いえ、待ってください……!』

 

 この状況に持ち込んだ時点で、隕石が破壊されるという事実を疑わない黒ウォズ。

 しかし彼の耳に届くのは、マシュの焦るような声。

 それを聞いて視線を上げれば、そこには隕石の表面で押し留められた虹色の翼。

 ソウゴが幾ら疲労困憊とはいえ、あれは全身全霊のハイパーライダーキック。

 隕石に対し何の損傷を与えられないなどと、そんなはずがない、はずで。

 

「ソウゴが、隕石に押し返されてる……?」

 

 だというのに。

 隕石は何の傷も無くジオウを押し返し、徐々にバレルに迫っていた。

 黒ウォズが目を見開いて、その光景に声を震わせる。

 

「馬鹿な……! 渋谷隕石をディケイドアーマーカブトフォームで砕けないはずが……!

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 この状況ならば結論はそれ以外にありえないはず―――!」

 

「―――第一の弾丸、ウィリアム・シェイクスピアの創る世界」

 

 そうして取り乱した彼の前で、モリアーティが口を開く。

 

「第二の弾丸、愛を手にかけたファントム・ジ・オペラ」

 

 ジャンヌ・オルタが顔を顰めて歯を食い縛った。

 空に迫る隕石の弾丸を見上げ、それを止める方法を思案する。

 当然のように浮かぶ考えは、モリアーティを倒す事。

 しかし、それで本当に解決するのか?

 

「第三の弾丸、結末を見失った浪子燕青」

 

 イリヤが何とかできないか、とホルダーのカードに指をかけた。

 ライダー、キャスター、バーサーカー。

 どれを使おうとも、あの隕石に太刀打ちできる火力が出るとは思えない。

 何せあれだけの速度で突撃したジオウが手も足も出ていないのだ。

 

「第四の弾丸、住処を追われた狼王ロボ」

 

 同じくカードを引き抜いた美遊が、その言葉に唇を噛み締める。

 ツクヨミがモリアーティに銃口を向けようとする。

 が、しかし。バアルの触腕の動きはそれを通さない。

 聖杯を有しているだろうバアルに対しては、ファイズフォンXの拘束すら期待できないだろう。

 

「第五の弾丸、敗北の運命を待つジェームズ・モリアーティ」

 

 立香とマシュが顔を顰める。

 状況を整理する。今やらねばいけない事はなに。隕石を止める事。どうやって。

 隕石とは何だ。カブトの歴史に付随する、始まりを告げるもの。

 それを止める。どうやって。黒ウォズが壊せると確信していたジオウにすら壊せないのに。

 

「第六の弾丸、運命の転覆に沈んだ魔神―――バアル」

 

 ようやく落ち着いてきたのか、バアルが渦巻く感情を制御し始める。

 それでもまだ時間がかかりそうだと見て、モリアーティが言葉を続けた。

 

「これらこそ、けして手に入らぬ勝利という幻の影に取り付かれし悪魔と人間の集い。

 幻影魔人同盟が、君たちに向けて放った弾丸である」

 

 指で眼鏡のブリッジを押し上げつつ、徐々に高度を落としてくる隕石を見る。

 

「そして、わざわざ説明する必要はないだろう? 最後の弾丸は既に我々の頭上にある。

 ――――第七の弾丸。

 西暦2000年より数えて七人目の仮面ライダー、カブトの歴史の開幕を告げる魔の隕石」

 

 モリアーティの腕が横に伸びる。

 そうして隣に置いたライヘンバッハを指で軽く叩く。

 

「七つ目の弾丸は魔弾の射手には操れない。だが、裏技はあるものだよ。

 私には操れないが……()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「だがカブトの歴史の再現ならば……!」

 

 モリアーティが言っているのはカブトの歴史の再現だ。

 カブトの歴史を再現する以上、前提であるあの隕石の落下は確定している。

 だが、だったら、だからこそ、今のジオウに壊せないはずがない。

 

「なるほど、ディケイドウォッチとカブトウォッチの合わせ技。

 この状況から隕石を砕くならば、最高の組み合わせだろう」

 

 そんなことは分かっている、とばかりに鷹揚に頷くモリアーティ。

 彼はそうしてひとしきり同意を示してから、ばさりと。

 

「―――だが足りんよ」

 

「足らない、だって?」

 

 一言で否定した。

 

「単純な話だよ、隕石が壊せるか壊せないかは攻撃の威力では決まらない。

 壊せる要素と壊せない要素、どちらが多いかの話だ」

 

 言って、一秒。彼は逡巡するように口を噤む。

 だがすぐに持ち直し、言葉の続きを並べだした。

 

「……魔弾の射手というのは契約なのだ。ただの一発でも撃った時点で契約は成立し、七発目は確定する。当然、撃てば撃つほど払うべきものも重くなっていく。

 七発目の弾丸は、撃った者から悪魔へと払うべき対価であり供物だ。もう六発撃った、ということは七発目に対する対価が最高額に達したということ。

 だというのに不払いが許される、なんてことはありえない」

 

 だから七発。先に並べた()()を確かに己の意志で鋳造したのだ。

 六発を使用して場を整え、最後に七発目が起動するように整えたのだ。

 

「七発目に捧げられるものの選定。その条件は二つ。

 射手にとって大切なものであり、そして悪魔にとって望むものであること」

 

 そこまで口にして、モリアーティが立香に視線を送った。

 

「……原点において射撃の名手マックスは大切なものを失うことはなかった。

 代わりに悪魔ザミエルが操る弾丸が撃ち抜いたのは、マックスの魂を悪魔に売ろうと画策し、マックスを共犯に仕立て上げた悪党、マックスの友人カスパール。

 反映された標的は射手の最も大切なものではなく、ザミエル自身が望んだ生贄だ」

 

 彼の語る言葉を聞きながら、バアルが顔を上げる。

 

「だが、今回ばかりは話が違う。私と悪魔が鋳造した七つの弾丸。

 それは、満場一致で標的を誰にすべきか決定している」

 

『悪魔、って。そうか、バアル……!

 さっき彼が並べた弾丸は紛れもなく、彼らにとって魔弾だったんだ……!』

 

「――――理解が遅いな、ソロモンだった男。

 そうとも。私こそが魔弾の射手たるモリアーティにとりついた悪魔、バアル。

 よって、あの弾丸だけは私の意志を反映する」

 

 魔弾の射手たるマックスを取り込んだモリアーティ。

 彼と契約し、背後に潜んで力を貸していたザミエルならぬバアル。

 

 この契約形態自体が、魔弾の射手を補強する彼らの陣形だ。

 その結果として、七つ目の弾丸だけは今までとは完全に管理が、制御方式が違う。射手たるモリアーティだけでなく、魔弾の性質だけでなく、悪魔であるバアルの意志も反映する。

 

 蠢動する肉体を束ね、バアルが動作を再開する。

 その魔神の視線が再び立香を睨み、感情を迸らせた。

 咄嗟にイリヤがマスターの前に立ち、ルビーを構えてみせる。

 

 そんな光景を見つつ。

 モリアーティがイリヤ越しに立香を見つめた。

 

「……悪魔の意志がただ一点を狙うのであれば、後は私がその存在を大切に想えばいい。私の照準、魔弾の性質、バアルの意志。それで三重ロックの完成だ。

 いやはや、ここが一番の賭けだった。何しろ私が私にそんな情動を一切期待できていなかった。が、結果は見ての通り。なんと成功したらしい」

 

「つまり、あの隕石の照準は―――」

 

 確信を持って問いかけてくる立香に対し、モリアーティは断言する。

 一切誤解の余地なく、そういうことなのだと。

 

「そうとも。あの魔弾の照準は君だ、藤丸立香。

 あれはバレルに向かって落ちてくるのではない。バレルにいる君を目掛けて落ちてくるのだ」

 

『待、ってください。それではまるで、モリアーティさんは……魔弾で狙うためだけに、先輩と交友を結び、かつ掛け替えの無い人間だと認識したという事じゃ……!』

 

「―――そうとも。その通りだよ、マシュくん。

 もちろん此処に至るまでの私の行動は何も嘘ではないよ。嘘ではホームズは欺けない。私は全霊をもって善人になるため、自身の邪魔な記憶をバアルに奪わせた。そして私がいつぞや関わった善悪を分離する霊薬の知識を得たバアルの手によって、善心を植え付けられた」

 

 マシュの震える声にあっさりと返し、彼は微笑み返してさえみせる。

 

「その後の行動は大体君たちと一緒にいた時のものだよ。

 ああ、心地よかったとも。悪に心を痛め、善に心を奮わせる感覚はね。

 結果として善の私の存在でホームズに勇み足を誘発し、バアルに取り込ませる事も成功した」

 

「本物のホームズは取り込まれてた、ってこと……!?」

 

 ツクヨミがホームズだったもの、バアルを睨む。

 その視線を受けても、魔神は姿勢を崩さない。

 魔神が視線を向けるのは、藤丸立香一点だ。

 

 そうしたバアルの視線を受けながら、立香はモリアーティに問いかける。

 

「……プロフェッサーは何で私を選んだの?」

 

「カルデアのマスターの中で一番狙いやすいから、というのものあるが……まあそう気を落とす必要はない。これは単純な消去法でもある。

 カブトの歴史をギミックに組み込む以上、カブトの継承者であるソウゴくんは狙えない。彼をカブトと見なす以上、隕石を防げずとも隕石が落ちた後に存命するのが確定している。

 ツクヨミ君ではバアルの意志が弱くなる。彼女は時間神殿で玉座の間まで行っていないからね。そしてオルガマリー・アニムスフィア、マシュ・キリエライトの両名はレイシフトに不参加。

 ついでに言うなら、ロマニ・アーキマンに対してバアルはそっぽを向く」

 

 どこか茶化すかのような彼の声。

 それに対し立香が反応を返す前に、バアルが彼をたしなめる。

 

「モリアーティ」

 

「冗談だよ、バアル。だが実際、最適な狙いだったのだろう。

 私が他人に対して、一定以上の感情を向けるという賭けに成功しているのだから。

 私自身、結構驚いていたりする」

 

 そう言ってくつくつと笑い、彼は指で眼鏡を押し上げた。

 そのまま立香から黒ウォズへと視線を移す。

 

「あの隕石には様々な“落ちる理由”が載っている。

 ジオウだけで作れる“砕ける理由”ではどうあっても相殺するには足りないほどに。

 彼が隕石に押し返されているのはそういうことだ」

 

「……だが、落ちた後はどうなると言うんだい。

 カブトの歴史を利用するということは、あの隕石で地球は―――」

 

「地球を丸ごと破壊するのは無理だろうね。

 歴史の始まりなのだから、この一撃で完結させるのは逆説的に不可能になる。

 せいぜいが海を全て干上がらせ、地球を水の無い死の星に変えるのが限度だろう。

 ざっと計算しても、地球上から生物が死滅するまでに七年はかかるかな。

 ―――十分だとも。どちらにせよ地球が死ぬことに変わりはない」

 

 あっさりと言い返され、黒ウォズが口惜しそうに黙り込む。

 彼らは全てを理解して、この戦場を敷いていたのだ。

 

「そして君たちに逆転の目はもうない。

 恐らくホームズと連れ立ってきただろうアンデルセンが、地下に移しておいたシェイクスピアの許にいるのだろうが、君たちならまだしも、彼ではシェイクスピアを繋いでいる拘束を解くのは不可能だ。物語に干渉し得るあの二人に協力を仰ぐ暇は与えん」

 

 この状況に干渉できるのは、二人の文豪。

 それを動かす余裕を与えないために、ホームズに勇み足を踏ませたのだ。

 そして彼らの護衛が出来る巌窟王を、事前に消費させたのだ。

 

「探偵と悪党の勝負は既に終わっている。バアルが私に扮した状態でホームズに敗北することで、“悪のモリアーティ”を砕かせている。探偵は勝利したが、裏に潜む私は野放しというエンディング。更にバアルがホームズを取り込む事で、“ホームズ”を私たちの味方にした。好敵手と手を組む、という状況を作る事で、私自身―――ひいては魔弾の射手の強度を高めている」

 

 一度負け、負ける事で発動するギミックを挟んだのはそのためだ。

 本来は一度負けた時点で次などない。だが、悪のモリアーティになったバアルを使う事でそれをクリアした。

 自分を一度打ち倒した相手と手を組む構図を作り、敗因自体を消失させた。根本の部分で勝利者側である“ホームズの協力者”という立場を手に入れる事で、敗者側という弱点を覆った。

 

「私の著書を基盤にした計画はホームズに打ち砕かれた。だから、いま隕石が降ってきているのはまったく別口。それを七発目の魔弾として、誘導・強化しているだけだ。

 当然の事ながら、支払いは確定している。七発目の弾丸については私とバアルを倒してももう止まらない。これは既に撃った六発の対価として清算されるべきもの。私たちを倒せばむしろ隕石が更に強化される。なにせ受け取り人はバアルで決定している。彼が消滅する前に、君たちの命という対価は必ずバアルの元に届くようになっている。試してみるかね?」

 

 隕石の落下はもう、モリアーティの手から離れたものだ。

 シェイクスピアの造った世界観上で、カブトの歴史が再演されているだけ。

 そしてそれが此処に落ちようとしているのは、今までの行動によって清算される因果。

 もう止める止めないという話ではなくなっている。

 

「私たちを弱体化させれば弾丸の誘導も弱まるだろう。隕石を無かったことにはできないだろうが、バレル―――藤丸立香に引き寄せる事が出来なくなる。そうなれば隕石は新宿ではなく渋谷へと向かうだろう。この特異点は新宿のみで成立させたもの。渋谷に落ちれば、影響は観測できなくなる。事実上、私たちは失敗したという事になるだろう。だが一体何をどうする。

 言っただろう? 私たちの犯罪計画は既にホームズに負けている。もう暴くものなど、何も残していない。私たちが手元に残したのは、今まで使った魔弾に対するリザルトだけなのだよ」

 

 もう六発は放たれた。

 その事実を消せない限り、隕石が七発目の弾丸であるという事実は消えない。

 魔弾が魔弾である限り、その狙いはモリアーティの照準とバアルの意志を反映する。

 だから、あれはもう止められない。

 

「既に負けておくことで、これから負ける要因を潰した。

 バアルが私に成り代わったのは、その被害を最低限に抑えるためでもあった。

 もちろん他にもバアルの行動理由はあるが」

 

 モリアーティの言葉に、バアルが全身を戦慄させる。

 ホームズに敗北したのは切っ掛けだ。三千年前の屈辱を呼び起こすための。

 彼の意識上、あの時間神殿における戦いは三千年前の出来事。

 その時の感情を余すことなく、自身に刻まれた屈辱全てを思い出すための儀式だった。

 

 そんな事せずとも、バアルはあの恥辱をいつでも思い出せる。

 が、ただ思い出すよりもとても鮮明に思い出せたのは事実。

 

「もし仮にシェイクスピア、アンデルセンが私の前に立ったとしたらどうするか。

 ―――君たちのロンドンでの戦績は参考になった。恐らく探偵であるジオウ(ダブル)を後押しして私を打ち崩そうとするだろう。二人がいなくとも、ジオウに探偵として私に敵対される可能性がある。それへの対処も忘れてなどいない。むしろ考える必要すらなかった。

 落下する隕石があれば、ジオウ(カブト)はそちらを押し留める事に回る以外にない。私の前に立ちはだかる余裕は持てない」

 

『相手は、隕石……! なら、もしかしたら……!』

 

 つらつらと並べられる勝てない理由。

 状況が最悪だという事が、ひたすらモリアーティの口から語られる。

 そんな中、ロマニが何とか声を上げて。

 

「なるほど、隕石に対する対抗として聖剣は悪くない。

 勿論、アルトリア・オルタの聖剣なら、だが。担い手ではない美遊くんではさほど意味ないだろう。言った通り、威力の問題ではないからね。

 カブトとなったジオウとエクスカリバー、同時に全力で叩き籠めれば、或いは砕くくらいならば可能かもしれん。だがどうやって撃ち込む? もうソウゴくんは隕石と激突している。纏めて消し飛ばすかね? 隕石を破壊する前にジオウが戦闘不能になれば、結局戦力は足りないだろう。

 そもそも現状、ソウゴくんの体力がこれ以上保つかね?」

 

 ロマニが口にする前に、モリアーティが彼の意見を潰す。

 空を見上げれば、ジオウが押し返される速度は徐々に上がっていく。

 地上、バレルに向かってどんどん迫ってくる。

 このままジオウが全力を維持できるという仮定をしても、残っているのはたった数分の時間。

 

「―――能力的に隕石に干渉できる、君たちの戦力となり得る駒は実はもう一騎いる。

 が、彼はこの天秤がどちらに傾くかという争いには参戦不能だ。

 根本の部分が敗者側だからね、彼は。この状況での乱入はむしろ君たちを更に不利にする」

 

 いつだって間に合わない男は、全て終わった後にモリアーティを撃ち抜くだろう。

 そう。全て終わるまで、彼の存在に意味はない。

 彼が動くという事は、全てが後の祭りだという事実を証明してしまうのだから。

 

 そうしてパン、と。両の掌を叩いて、彼はこの話を終わらせる。

 もう語るべき事はない、というかのように。

 

「そちらが得られる勝因は全て事前に潰した。こちらの敗因は全て事前に消費済み。

 さて――――宣言しよう、チェックメイトだ」

 

 そんな勝利宣言を受け、バアルが首をもたげる。

 彼は存在しない口から嵐のような呼気を吐き、全身を歓喜に震わせた。

 

「―――嗚呼、長かった。三千年かけたぞ、カルデア……!」

 

 万感。たったその一言に、三千年積み上げてきた感情の全てを載せて。

 全てを懸けた言葉に、彼が視線を集める。

 

『バアル……』

 

「最初はただ復讐だけを志した。我らの計画を打ち砕いた貴様らを殺すことだけを考えた。

 ――――だが。俺の憎悪はそこから……千年の間の途中で、折れた」

 

 後悔するように、彼の独白は続く。

 

「貴様たちは最初から敗北していた。敗北していたはずだ。

 完膚なきまでに我らが勝利していたはずだ。

 なのにどうしてああなった? なのにどうしてこうなった?

 どうして負けた。分からない、私には何も分からなかった」

 

 負ける要因は何一つなかったはずだ。

 そのように彼ら魔神は全てを整えたはずだった。

 だというのに、彼らは負けた。

 だからこそ、それが不思議でならない。おかしくて仕方がない。

 

「ソロモンだった男が指輪を返還したならまだ分かる。

 我らが負ける理由が無理矢理にでも用意されたというなら、まだ理解の範疇だ。

 だが、何もなかった。お前たちはそれさえ拒み、自分たちで我らを突破した。

 何故、そんなことができた?

 常磐ソウゴの魔王の力? マシュ・キリエライトの決死の盾?

 それを加味して何度計算しても答えが出ない。どうやっても帳尻が合わない」

 

 何度計算しても、何度あの戦いを再シミュレーションしても、結論は変わらない。

 勝つのはゲーティアだったはずだ。負けるのがカルデアだったはずだ。

 どんな奇跡が起こっても、ゲーティアが勝ち惑星が新生していたはずなのだ。

 

「何故、我らは負けたのだ? どうして人間が我らに勝利した?

 ―――その自問に嵌った時点で、私は自己崩壊していてもおかしくなかった。

 それほどに悩んだとも。そしていまなお、その答えは出ていない」

 

「…………それは」

 

「黙れ。黙っていてくれ。私には私の結論がある。覗覚星としての推論がある。

 ……漫然と、それでも貴様たちに復讐するための準備を整えながら。

 私は残る二千年の間待った。待ち続けた。己の中で答えが出る事を。

 幻霊という武器とする手段を研究しながらも、間違いなく私の心は定まっていなかった。

 そしてこの新宿を戦地と定め、計画を始動し―――この男と出会った」

 

 立香を黙らせ、彼は言葉を続けて。

 そうして視線を向けられたモリアーティが、苦笑しながら肩を竦めた。

 

「もはや復讐心すら定かではなかった私の幻霊を用いた計画に、この男は賛同した。

 そしてその思考を共有することで、私は私が何故止まらなかったかを理解した」

 

 ―――運命だった。

 何もかも分からなくなっていた彼は、モリアーティと思考を共有して初めて自分を理解した。

 憎しみが、怒りが、悲しみが、何故彼らに対して止まらないのか。

 その全てをぶち撒けるために、バアルが大きく腕を広げ全身を蠢かせた。

 

「ああ……! ああ……!! やっとだ――――!

 やっと、俺は貴様たちと対等になった、と宣言できる―――――!!」

 

 目を見開く人間どもを見て、やっと此処まで来たと喜悦に震える。

 いま、遂に彼はカルデアの敵になれたのだ、と。

 

「カルデアども……! あの男の援けなどなく、我らの大偉業を覆した勇者たち――――!!

 戻ってきたぞ!! 俺は、ここまできたぞ!!

 人理焼却という確定した敗北から、勝利にまで辿り着いた人間たちよ――――!!!」

 

 三千年、再び重ねたのは一体何のためだったのか。

 憎悪を晴らすため。それはきっとそうだろう。

 人理焼却を阻まれた復讐。なんといかにもそれらしい。

 だが、そんな事は後回しだ。

 

「敗者だ! 敗者だった!! 俺も、モリアーティも!!

 確定した敗者である我々が……! 今度は俺が、ここまで――――!!

 勝者であった貴様たちの前まで、敗北を凌駕し此処まできた!!」

 

 時間神殿という彼らの本拠に、敗者でしかなかったカルデアは辿り着いた。

 その瞬間、敗者は敗者ではなくなった。

 カルデアと魔神による、最初で最後の対等な勝負があそこにはあったのだ。

 その結果は知っての通り、ゲーティアは敗北し、カルデアは人類史を取り戻した。

 

「紛れなくもなく勝利していた我々を追い落とし―――!

 完膚なきまでに敗北していた貴様たちが這い上がった――――!!

 そんな貴様たちに今度こそ勝利するために、三千年……! 積み上げてきたぞ!!

 貴様たちと勝負して! 今度こそは勝つために……!

 それだけのために、此処まで来たァ――――――ッ!!!」

 

 始まる前から負けていた彼女らが、最後の最後には勝利までしていた。

 始まる前に勝ちを得ていた自分たちが、最後の最後には敗北していた。

 それに対して抱いたのは疑心か、羞恥か、恐怖か。

 そんな事はもうどうでもいい。

 

「バアル、落ち着き給え」

 

「落ち着け!? 落ち着けと言ったか、モリアーティ! これがどうして落ち着ける!

 やっとだ、やっとここまで来た! 三千年積み上げた我らの偉業に対し、たかが人間が一年の間に果たした事を、魔神である俺が再び三千年かけて漸くスタート地点にまで戻せた!! 全てを懸けて、やっと対等の位置にまで引き戻せたのだ! 今なら言える! やっと言える!!

 見るがいいジェームズ・モリアーティ! これが俺と、カルデアの勝負だ!!」

 

 ―――ただ。ただ、()()()()

 今度こそ、もう一度、やり直せれば勝てる。いや、勝てるから戦いたいんじゃない。

 勝ちたい。勝ちたい、勝ちたい、勝ちたいのだ。勝ちたいから、戦いたいのだ。

 

 約束された敗北者、ジェームズ・モリアーティ。

 彼が望んだホームズに勝利する事への渇望を見て、彼は自分を理解した。

 彼は自分を理解して、ジェームズ・モリアーティを無二の協力者だと理解した。

 

『バアル……!』

 

「最早何も口にするな、王だったもの……!

 貴様にだけは、俺の選択に泥を塗らせてなるものか――――!!」

 

 憧れた、とあの王は口にした。

 手の届かない星である、とあの男は口にした。

 

 ふざけるな、とバアルは断じる。

 相手が星であるならば、魔神と人間に勝負が成立するものか。

 星ほど離れた別物であるならば、彼にこんな感情が煮え滾るものか。

 自分と人間は、もっと近しいものだ。厭うしいほどに、似通ったものだ。

 負けたくない、勝ちたい、負けた悔恨は晴らさねば思考が安定しないほどに。

 

「ソロモンとゲーティアが貴様たちに星を見たというのなら、俺は貴様たちの放つ星の輝きに劣等感しか覚えなかった……! 我らの苦悩は貴様らの輝きに踏み潰されるだけのものだったというのか!? 認められん、認められるものか……!!

 だから、今度こそ戦いの果てに俺の求めた結論を! 俺の苦悩が! 渇望が! 憎悪が! 例え悪徳であろうとも、貴様らの輝きを上回れるものであると証明する――――!!!」

 

 彼の体内で感情が滾る。

 その全てを向けられて、立香が歯を食い縛る。

 第七の弾丸に悪魔が求める対価、それは彼女の命。

 

「いま此処に! 我らが最終式に結論を!!」

 

「―――では、我らが計画による応報を此処に。

 これこそは、幻影に縋った敗者の行き付く光景である―――“終局的犯罪(カタストロフ・クライム)”」

 

 バアルの咆哮に続き、モリアーティが最後の宣言を行う。

 ジオウを容易に押し返す絶対の魔弾。

 それが更に勢いを増し、この場に向けて加速した。

 

「ルビー! 何かあれを止める方法は……!」

 

「――――――」

 

 普段は聞かずともペラペラ喋る相棒が、苦悩するように無言を貫く。

 それに何故、とは返せない。

 本当に、本当に、本当に、全てを懸けて、彼らはこの一瞬のために尽くしてきたのだ。

 計算と推論を重ね、足りない部分は賭けを行い、全てを懸けてこの結果を掴んだのだ。

 

 何が何だか分からないけど何か色々知っていそうな人、という。

 そんな理解をしている黒ウォズを見る。

 彼ならば、もしかしたら此処から引っ繰り返す方法を知っているかも、と。

 そうして見た彼は、ただ眉を顰めて本を握り、歯を食い縛っていた。

 

「……っ、そんな……!」

 

 もう、本当に。

 此処からカルデアが覆す手段は何もないのだ、と理解する。

 

 それでも、諦めるわけではない。

 

 ジャンヌ・オルタが旗を振り上げる。

 それに伴い噴き上がる黒い炎に倣い、イリヤと美遊がステッキを握り直す。

 

 健気にも気を持ち直した連中を見て、魔神が称賛の意を示した。

 それでこそだ、と。

 そんな相方の様子に肩を竦めて、モリアーティが再び隕石を見上げる。

 

「何をしても変わらんよ。どうにかする手段は全て事前に潰して――――」

 

 ――――――――!!

 

 モリアーティの言葉を遮るような、その声。

 世界に響く遠吠えを聞いて、彼が動きを止める。

 唖然としたような、そんな顔で。

 

「狼王、ロボ……?」

 

 

 

 

 彷徨っていた。ただ、彷徨っていた。

 帰るべき場所を見失った迷い子。

 群れを導く太陽だった頃は、きっと、もっと簡単な軌道で動いていたはずだけれど。

 彼と言う太陽はとっくに堕ちてしまっていて。

 もう自分がどこに沈んで、どこから昇ればいいのかさえ分からない。

 

 このままどこにも帰れず、どこにも辿り着けず。

 ただ、自業自得のまま朽ちるのみだった。

 

 そのはず、だった。

 

「―――――――――」

 

 狼がビルを足場に、震える体を持ち上げる。

 足に返ってくるのはコンクリートの踏み応え。

 故郷の土には程遠い、人間の文明。

 

 空にあるのは巨大な隕石。

 この地を滅ぼす、ジェームズ・モリアーティの計画の粋。

 

 あれが落ちればどうなるだろう。

 彼は計算ができるわけではないけれど、そんな事は簡単に理解できた。

 

 この星は滅びる。この星に生きる命は、滅びる。

 完膚なきまでに、何一つの例外もなく。

 

「―――――――ゥ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 とうに砕けて、あとは消えるだけの体に力が漲る。

 彼の灰色の体毛を、真紅の鎧が覆う。展開は中途半端で怪物になり切れない。

 それでも確かに、彼はもう一度。

 アナザーカブトへと変生した。

 

〈カ、ブ…―――〉

 

「―――――――■■■■■■■■……ッ!!」

 

 空に吼える。どこにも届かない、誰にも受け取ってもらえない。

 それでも良かった。

 

 ああ、もう一度。

 彼に―――()()()()()()()()()()()()()

 

 空高くまで昇るために、全霊を懸けてビルを踏み締める。

 

 彼が今更太陽に戻っても、その光は誰も照らさない。

 彼が照らしたかったものは、もう二度と見つからない。

 それでも良かった。

 

 きっとどこかにいるから。

 どこかで生きていてくれるかもしれないから。

 

 彼にはもう見えない場所で、それでも生きていてくれるなら。

 

 群れを司る王である彼は、その総てを懸けて。

 守るべきものたちが歩む道を拓くため、天にさえも喰らい付いてみせる。

 

「■■■■■■■■■■■――――――――――――――ッ!!!」

 

 狼の足が地上から離れる。

 地上から、今再び全てを照らすため、群れの太陽が空に昇る。

 軌跡は一直線に隕石を目掛け、光となって押し寄せて。

 

「ロボ……!?」

 

 全身を軋ませて、反動にスパークしているジオウ。

 彼が背後から迫りくる狼王に視線を向ける。

 

 傷が治っているはずがない。損傷が回復したはずがない。

 全身の装甲は破壊され、一本角は当然のように折れている。

 満身創痍の乱入者に対し、息を詰まらせるソウゴ。

 

 そんな反応を歯牙にもかけず、彼はただ一直線に脅威に爪を向けた。

 半死の身が繰り出す一撃。その威力はたかが知れたもの。

 ―――だというのに。

 

 バキリ、と音を立てる隕石。

 アナザーカブトが直撃した部分に、罅が走った。

 それがゆっくりと、しかし確かに。

 巨大隕石の表面に広がっていく。

 

「これ、は……!」

 

 ―――物語に始まりがあるのなら、当然のように終わりもある。

 始まりの隕石に対し、牙を剥くのは終わりの使者。

 

 最後の最後。

 隕石から始まった侵略者(ネイティブ)の野望を、火の海に押し返したアナザー(もうひとりの)カブト。

 

 始まりが保障する無敵に、終わりを齎すものが瑕疵を刻む。

 

 ―――いいや。そんな理屈はどうでもいいのだ。

 彼とブランカが愛した誰かが、生きているかもしれない世界のために。

 

 ここは()()から何もかもを奪っていった世界だけれど。

 それでもただ、大切なものがこれから生きていく世界のためになら。

 彼らは、自分の命を懸けられたというだけ。

 

 赤い鎧も、灰色の毛並みも、黒く焼け落ちて崩れていく。

 

 死力を尽くして牙を立てる彼には、もう吠える余裕さえない。

 それでも、良かった。

 

 誰に届かずとも、誰に聞こえなくても、もう何も見えずとも。

 彼と言う群れの太陽は、最後の最後に長としてやるべきことを果たした。

 もう随分と変わってしまったかもしれないけれど。

 憎らしい人間が随分と増えてしまった場所だけど。

 

 それでも。

 確かに彼らが走り抜けた大地を、彼は――――

 

 ―――地上から、狼の咆哮に応える遠吠えが聞こえる。

 

 小さな声だ。

 隕石に挑み、地獄の熱の最中にいるロボに聞こえる筈がないくらいに。

 

 ―――地上から、狼の彷徨に報いる遠吠えが聞こえる。

 

 全霊を懸けた彼の体は焼け付いて、最早ものを聞き取る機能さえ停止していて。

 だから、そんなものが聞き取れる筈もなくて。

 

 夜闇に包まれて都市で、どこより空に近い摩天楼。

 空を切り裂く炎の灯りが、そこにいる白い毛並みを照らし出す。

 その場で、白い犬が必死に吠えている。

 

 そんな姿はもう、狼の目には映らない。

 元より彼が探していたのは、その犬ではなく彼と同じ狼で。

 彼が求めていた者は、誰も彼を見ていない。

 彼が求めていた声は、誰からも返ってこない。

 

 それでも、聞こえた気がしたから。

 ―――ただ、それで良かった。

 

 

 

 

 残骸が落ちていく。

 黒焦げになった何かが、そのまま光に還っていく。

 

〈カ・カ・カ・カブト! ファイナルアタックタイムブレーク!!〉

 

「ウ、グォオオオオオオオ――――ッ!!」

 

 その光景を目の当たりにし、限界を超え虹色の翼が加速する。

 罅が走った隕石を、このまま粉砕するべく。

 それでも単体では押し切れないほどにまだ硬い。

 だからと言って押し切られることなど、許せるはずもない。

 

「―――どうでもいいが、右を通すぞ。オレの邪魔はしてくれるな」

 

 そこに、随分と近くなったバレルの最上部から声がする。

 声とほぼ同時に、ジオウの横を抜き去り一発の弾丸が奔り抜けた。

 それはそのままロボが作った亀裂の中に吸い込まれていく。

 

「内側に潜り込ませられれば上等だ。

 こうして……()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そら、内側から腐り堕ちろ――――“無限の剣製(アンリミテッド・ロストワークス)”」

 

 ―――嗤う声。

 その直後、隕石の中で違う世界(こゆうけっかい)のルールが展開される。

 

 罅から溢れ出してくる無数の剣群。

 単純な威力では足りなくとも、そもそもそれが展開されたという事実。

 この隕石が世界に保障された無敵の邪魔をする。

 隕石の内部が別のルールに取り込まれ、その強度を奪われていく。

 

「あれが不壊であるのは、この世界に保障されたもの。だったら違う世界に引きずり込めばいい。

 それが簡単に出来るなら苦労しなかったわけだが」

 

 弾丸を撃ち放った銃をだらりと下ろし、黒い男は嫌味に笑い飛ばす。

 本来の固有結界にモリアーティとバアルを同時に引きずり込めれば一番楽だったのだ。

 出来るかどうかはともかく、少なくとも勝ちの目自体は用意できた。

 だが結果はこれだ。男は黒化し、別物である自分が召喚されてしまった。

 

 モリアーティかバアル、恐らくバアルの知識を元にモリアーティの入れ知恵か。

 世界観によって、固有結界を外に展開するという性質を持たない彼に変えられた。

 この時点で抑止は突破されたも同然だ。

 

「抑止も選定自体は確かだったわけだ。弾丸にするには、オレは最適だったわけだからな。

 もっとも対策済みでこの有様に陥っていたわけだが」

 

 彼が敵対した時点で、モリアーティの目的は完遂される。

 何せ仕事に取り掛かるのが遅い事が取り柄の掃除屋だ。

 だが、こうなった以上は――――

 

「致命的な失態だ。狼王ロボもおまえの弾丸だぞ、モリアーティ。

 つまり、ロボを援護する分にはオレはおまえたちの味方のまま、というわけだ」

 

 無限の剣が隕石の内部で拡がっていく。

 内部に存在する生命体を駆逐しながら、数えきれない剣が隕石の強度を削る。

 

 そうして脆くなり始めた無敵だった隕石を。

 インディケーターに“カブト・ハイパー”と刻まれたジオウが。

 今振り絞れる全ての力を懸けて、全力で蹴り抜いた。

 

「はぁああああああああ―――――ッ!!」

 

 押し返されていた筈のジオウの足が、隕石を粉砕していく。

 隕石に突入し、突き抜けていくジオウ。

 

 巨大な隕石は全体に数え切れない亀裂が走り、崩壊を始めている。

 

「――――そして既に()()()()弾丸の後始末、というわけか」

 

 壊せない筈の隕石が壊せてしまった以上、世界の保障は最早戻ってこない。

 あれは最早七つ目の弾丸ではなく、カブトの歴史の始まりの烽火でもない。

 

 視界に掠める、先程過ぎ去った光景。

 ロボが逃亡していく姿を見逃すモリアーティ。

 

 あの時セイバーがロボを斬り捨てていれば、この結果は無かった。

 紛れもなく、完全なる敗北が待っていたのだろう。

 だがそうはならなかった。

 

 他ならぬ彼自身が許した、狼王ロボの逃亡によって。

 

「……あの一手さえなければ、貴様の完勝だったろうに。

 だがその貴様自身が導いた敗北が、一匹の悪狼にささやかな救いをくれてやったわけだ」

 

 構えた黒い聖剣に魔力が迸る。

 もうあれは地球を侵略するためにやってきたエイリアンの母艦ではない。

 ただ放たれる光の斬撃でしかない一撃が、夢の残骸にトドメを刺す。

 

「ろくでもない正義の結果を誇れ、悪党。

 “約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)”―――――ッ!!」

 

 地上から空に向け、黒い極光が放たれる。

 それは弾ける前の隕石の破片を全て呑み込み、蒸発させた。

 

 ―――残るものは何もない。

 あらゆるものを欺き、地球を抹殺して完遂するところだった計画。

 それは、ただの思い付きのような善性に全てを覆された。

 

 

 



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勝ちたい!!2017

 

 

 

 ―――頭上を黒い閃光が駆け抜けていく。

 紛れもない漆黒の聖剣による光。

 それは隕石、魔弾だったものの残骸を全て消し飛ばしてみせた。

 

 そんな光景を確かに見届けて。

 真っ先に口を開いたのは、ツクヨミだった。

 

「―――黒ウォズ! ソウゴを!」

 

「言われずとも」

 

 ストールを回し、黒ウォズの姿がこの場から消失する。

 ソウゴは恐らくもう動けない。

 隕石を貫き砕いた時点で、完全に力を振り絞り切っただろう。

 

 そうして黒ウォズが離脱するのを見送って。

 次に口を開いたのは、モリアーティ。

 

「……あー、一応訊いておきたいのだが。

 何か、この状況を逆転する奥の手を、実は隠し持っていたりしたかね?」

 

 顔を手で覆いながらの彼の問いかけに、立香がゆっくりと首を横に振る。

 本当に、何の偽りもなく、彼女たちは負けていた。詰んでいたのだ。

 だが、今こうなっている。

 

 ―――まあ、それはそうだろうとも。

 どれだけ綿密に計画を練り上げたと思っているのか。

 不測だったのはモリアーティが立香に感情を向けられるかどうか、くらいだった。

 そこがクリアされたのにあんな手段で突破されるなど、考慮しているわけがない。

 

 バアルの方を見れぬまま、彼が数秒黙り込む。

 

「……そうか。そうか……つまり、完全に私の失態、自業自得というわけだ。

 ―――すまないね、バアル。私のせいで」

 

 三千年積み上げてきた悪魔に顔を向け、目を伏せる。

 ロボを見逃したのは彼の失態だ。

 あそこでセイバーを止めなければ、それで終わっていたのだ。

 

 一体何をやっているのか。

 これほどまでに煮詰め、そして完遂直前だった完全犯罪は崩壊した。

 それを成し遂げたのは他でもない、モリアーティだ。

 あまりにも馬鹿らしい顛末だ。馬鹿らし過ぎて笑えもしない。

 

「―――モリアーティ、何故だ。何故アレを見逃した」

 

 バアルが酷く平坦な声で問いかけてくる。

 それに対し眉を顰め、モリアーティが返す言葉にすら迷う。

 今更だが自分でも何と馬鹿な事を、と。そうとしか思えない。

 

「怒りは尤もだ、私は―――」

 

「怒るかどうかは貴様の答え次第だ、答えろモリアーティ」

 

 言葉を濁らせようとするモリアーティ。

 しかしそんな彼に対し、バアルはより強く本音と言うべき答えを要求した。

 

 悩む時間は、たっぷり十秒。

 魔弾を撃墜された時点で、もう彼らに撃つべき弾丸は残っていない。

 そしてこの状況、もう決着がついたとカルデアも考えているのだろう。

 モリアーティとバアルの会話に言葉を挟むこともしない。

 

 だからこそ彼はひとしきり悩み、多分そうだろうという答えを何とか求めた。

 

「………………同情、だろうか。あの時の私にとって、悪のモリアーティに利用されていることになっていた彼は、酷く可哀想なものに見えたんだろう」

 

 そうして求めた共犯者の答えを聞いて。

 ―――バアルは怒るでも狂うでもなく、ただ空を見上げた。

 

「――――そうか…………そうか」

 

 今度は、彼がたっぷり十秒停止する番だった。

 その憎悪の煮え滾った臓腑に、一体どれほどのものを押し込めたのか。

 

 黙り込んでいた彼が、ようやっと再び言葉を紡ぐ。

 

「…………同情。つまりは勝手に抱いた憐憫、か」

 

 停止していた魔神が再起動する。最早、そこに停滞の意志はない。

 彼はもう、ただ目の前に立つカルデアどもだけを睨み据えていた。

 

「―――ならばいい。その感情は、私をも追ってきたものだ。

 これは貴様の落ち度ではなく、我らの失態だ。それを計算に入れなかった我らは同罪だ」

 

『……バアル、キミは』

 

 かつて憐憫の獣であったもの。

 彼が、その感情だったならばいい、と。そう口にした。

 

 それが理由で負けたならば、それは自分の敗北も同然である。

 人理補正式(ゲーティア)がそれで狂ったように、モリアーティも狂ったというだけ。

 経験者であるバアルがその可能性を考慮しなかったせいだ。

 だから、同罪。彼らの犯行は、彼らの失敗によって敗北を喫した。

 

 ただ、それだけの話であって。

 

「―――――そして、それがどうした」

 

 魔神の四肢に力が漲る。

 

「それがどうした、モリアーティ。何が変わった? ただ我らが抱えていた完全犯罪の計画書が、白紙に戻っただけだ。俺がいる。貴様がいる。そして目の前にはカルデアがいる!

 ならば、ならばだ! 勝負を挑むだけだ! 我らが欲するのは完璧な結果か? いいや、もはや形振りなど構うものか! 欲しいのはただひとつ、奴らから得る勝利だけだ―――――!!」

 

 完全犯罪を仕組んだのは何故だ。

 決まっている。そうしなければ勝てない、と思っていたからだ。

 綺麗に、完璧に、優雅に勝ちたいなどと思ったわけではない。

 どんな形でもいい。どんな無様でもいい。どんな惨めでも構わない。

 ただ、いま目の前にいる仇敵に勝利したいと願った。

 

「そうだ、貴様たちだ! 貴様たちが相手でなければ意味がない!

 ただ、俺は……お前たちに、勝ちたいだけだ―――――ッ!!!」

 

 そうでもなければもう、自分が自分でいられない。

 時間神殿から惨めに逃れる無様を許容したのは何故だ。

 そこから三千年耐えたのは何のためだ。

 星の救済よりなお強く願った、魔神バアルという個体の欲望は一体何だという。

 

 こんな勝とうが負けようが人理に瑕一つ残らない舞台を整えて。

 厭わしく思っていた人間になりきるような真似までして。

 

「――――バアル」

 

 立香の声に、魔神が彼女だけに視線を合わせる。

 真正面から見据えてくる少女の眼を見て、彼は全身を奮わせた。

 

「私たちは、負けない―――!」

 

 何の怯えもなく、彼女はバアルの前で宣言した。

 ほんの少し前に敗北直前まで追いつめられていたくせに。

 

 だがそれでいい。

 負けていたくせにそう言って挑み、全部引っ繰り返した前例がある。

 何百何千と負けようが、勝利するという気骨を失う理由にはならない。

 それでいい。そうでなければ、彼が挑む意味がない。

 

 バアルも同じだ。

 何度負けようが、最早それは止まる理由にはならない。

 いま正に再度の敗北を喫したが、それは諦める理由にはならない。

 

「――――――――嗚呼。そうだ、その眼だ! ゲーティアを睨んだ貴様たちの眼!!

 いいや、ゲーティアではない! ゲーティアの先に、己らの生きる未来を見据えた瞳!!

 俺はそれを挫きたかった! 希望を持てる未来など存在しない、と!

 星の始まりから間違えた貴様らに、叶う望みなどありはしないのだ―――!」

 

「分かっていても、それでも私は言うよ――――!

 これからどれだけ苦しい事があって、それがずっと続くとしても!

 諦めないし、止まらない……! だって、それが私たちの生まれた世界なんだから―――!!」

 

「平行線だ! それでいい!! だからこそ競う、だからこそ戦う、だからこそ争う――――!

 貴様たちの希望と、俺の抱いた絶望! そのどちらが、目の前に立ち塞がる障害を打ち砕き残るか、ただそれだけを決める戦いが、もう一度やりたかった――――!!」

 

 蠢動する魔神が戦闘状態に移行する。だが形状は崩さない。

 聖杯の出力を最大に、しかし彼は柱状にはならず人型を維持してみせた。

 

 彼のその行動の意味を理解し、モリアーティが棺桶に手をかける。

 

 敗者を敗者たらしめる世界観はまだ維持されている。

 本来ならば魔人同盟ではどうしようもないが、バアルが取り込んだホームズという駒の御蔭で最低限、戦いにはなるだろう。彼らはいま、主人公である“ホームズ一行”なのだ。

 モリアーティとバアルだけならばどうしようもない。が、まだ地獄に垂らされた蜘蛛の糸が残っていた。だが分が悪いのは間違いなく――――

 

「……失態はこの戦いで返上しよう。私とて、望んでこの場にいるのだ」

 

 彼は立香を見据えながら、そう言い切った。

 同時に多目的棺桶“ライヘンバッハ”から銃口が無数に展開される。

 実弾からレーザーまで。

 それらが狙った対象は、言うまでもなく藤丸立香。

 

「サファイア――――!」

 

 彼女の前に立つイリヤが動く前に、美遊が前に飛び出した。

 そうして展開される物理保護の壁が、吐き出される無数の弾丸を阻んだ。

 

 直後、美遊の発動した防御の更に前方に黒い炎が沸き立つ。

 守りを引き継ぐかのようなオルタの動きに、美遊が驚いたように目を瞬かせる。

 

「――――!」

 

「イリヤと美遊はバアルを! プロフェッサーはオルタに任せて……!」

 

「終局再演。発動せよ、焼却式 バアル――――!!」

 

 聖杯から魔力を汲み上げて、魔神が結晶化させ浮かべていた瞳を全て開く。

 吹き荒れるのは憎悪の光。敵と睨んだ相手を燃やし尽くす、嚇怒の熱視線。

 大規模術式を聖杯で強引に完成させて、バアルは前方を纏めて吹き飛ばしにかかる。

 

 その直前に―――

 

夢幻召喚(インストール)――――!!」

 

 彼女たちの前方に、守護の為の魔法陣が展開される。

 ローブをはためかせ空を舞うイリヤ。

 彼女が纏ったのはキャスター・メディア。高速神言によって紡がれる神代の魔術。

 展開されるのは常より強力な物理保護結界。

 

 激突する熱波と神代の魔術。拮抗する攻撃と防御。

 数秒の後、僅かにバアルの放つ閃光の方に戦況が傾いて。

 しかし、焼却式を放っていた眼の幾つかが燃え尽き、崩れていく。

 その事実に僅か魔神が肩を揺らす。

 

 出力が下がっていく攻撃を前に、再び拮抗する両者の攻防。

 

『聖杯という動力源があるとはいえ、バアル自身の存在が限界なんだ……! そもそもゲーティアから離脱した状態で、しかしソロモンの魔神は辞めず、そんな中途半端な状態で三千年の間、自身を維持できているだけでも異常だ。戦闘なんてすれば、すぐに崩壊するぞ―――!』

 

 怠惰な男の言葉が耳に届く。

 そうとも。統括局ゲーティアからは離反して、しかしソロモンの魔神である事は辞めない。

 そんな状態では、彼の機能状態が維持できるはずもない。

 だがこの状態で此処に辿り着けなければ意味がなかった。

 “あの時負けた魔神”のまま、再び彼女たちの前に立ちはだかりたかった。

 

 ―――だから。

 

「節穴め、俺が崩壊などするものか……! 今更そんな理由で死ねるものか――――!!

 例えこの戦いの決着まで万年かかろうと、勝敗をつけぬままに消えられるものか――――!!

 自己崩壊などという終わりで納得できるような在り方であったなら、最初からこんな場所にまで辿り着いているものか――――!!!」

 

「…………っ!」

 

 拮抗が崩れる。物理保護障壁が罅割れる。

 全てを燃料として挑み来る魔神の火力に、イリヤの守護が押され始めた。

 

「サファイア! 夢幻召喚(インストール)――――!」

 

 蒼の少女の手の中で魔法のステッキが真紅の魔槍に変わる。

 同時にクー・フーリンの如き装束に変わった美遊が、魔法陣のすぐ傍に寄った。

 振るわれる魔槍の穂先が描くルーン文字。

 それが更なる守りの結界を描き出し、バアルの放つ閃光の前に聳え立つ。

 

 砲撃と盾。

 双方の光がぶつかり合う位置から大外を回り、オルタがモリアーティを目指す。

 

「聖杯を持ってるのがあっちって事は、アンタは大した事出来ないでしょ!

 今まで好き勝手にやったツケ、さっさと払わせてやるわ―――!」

 

「……そのツケの支払いを隕石に任せていたのだがね。

 まあ、今更だ。共犯者に倣って、ここからは()()強引に取りに行かせてもらおう」

 

 オルタの振り上げる剣が地面を削り、そこから黒い炎が奔る。

 それを阻むためにライヘンバッハから放たれる光線。

 モリアーティが無数に放った光が何とかオルタの炎を砕き、塞き止める。

 

 とにかく全ての砲門を展開し、相手に近付かれないような乱射。

 言葉とは裏腹の戦法に舌打ちしつつ、オルタが銃弾と光線を迎撃回避しつつ進む。

 距離を詰めれば余裕の相手だ。

 確実に迫り、首を取る。それこそがオルタの取った手段であり。

 

 ―――視界の端にそれを見止め、バアルが力を振り絞った。

 

「……っ、破られる……! ルビー、もっと魔力を――――!」

 

「この供給量がインストールが解除されないギリギリです……!」

 

 加速する熱波。バアルの周囲では、続々と眼が焼け落ちていく。

 機能停止した眼の分、残った眼が火力を増す。

 その無理が次々と彼から眼を奪っていき―――やがて、残った全ての眼が一斉に燃え尽きる。

 同時に砕け散って消えるイリヤたちの護り。

 

「何とか……!」

 

「次弾、装填――――!」

 

 そうして撃ち合いに一度終わりが来た瞬間、バアルが己の肉体を削る。

 その腐肉で新たな眼を形成し、彼は自分の周囲に浮かべていく。

 質量を失い崩れてカタチを歪めていく手足に構わず、バアルはただ前だけを見つめた。

 

『バアルの霊基、削減……! 文字通り、身を削っています――――!』

 

「美遊――――!」

 

 目の前の光景とマシュの報告。

 それを聞いたツクヨミが、サーヴァントの名を呼んだ。

 

 瞬間、青い獣が床を蹴り相手に向かって疾走する。

 彼女の手の中には呪力に満ちた真紅の魔槍。

 

 バアルは聖杯によって魔力が尽きない。

 だが、彼という魔神にこれ以上の再生はない。ゲーティアから離れた以上、彼はもう魔力があれば再生できる、というような存在ではない。失われた肉体はもう還ってこない。

 だからこそ、彼女たちはバアルの肉体を内側から喰い破れるこの一撃を見舞う。

 

「“刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”――――!!」

 

 バアルが砲台である眼を展開し切る前に、少女が突き出す呪槍が届く。

 彼の動きはけして速くない。それほどの動きが可能な状態ではないのだろう。

 故にその一撃は、過つ事無く確かにバアルの胸を突き破る。

 

「これ、で――――!?」

 

 放たれた一撃。死棘の槍がバアルの魔神核を打ち砕く。

 聖杯と一体化しているだろう、と。そう思っていたものがあっさりと砕けてしまう。

 そんな事実に攻撃した美遊が唖然としている間に、ゲイボルクは確かにその異能を発揮した。

 槍が敵の体内で赤い茨を咲かせ、標的の体内に走り抜けていく。

 殲滅されていくバアルの肉体。削ぎ落せる部分さえ無くなるような、体内破壊。

 

「託すぞ、モリアーティ」

 

 自身が完全に殲滅された事を気にもかけず、バアルがそう口にした瞬間。

 彼が肉体と引き換えに既に吐き出していた眼の一つが、モリアーティに向け飛んでいく。

 

『―――!? 聖杯の反応、バアルから離脱! 今の眼が……!』

 

「しま……っ!?」

 

「っ、美遊様! 槍を引き抜いて―――!」

 

 マシュの報告に、飛び去ろうとする眼に視線を奪われる。

 そうしたマスターに対し声をあげるサファイア。

 だが蒼の魔法少女がステッキのいう事を成し遂げる暇もなく、魔神が動く。

 

 全身に走る茨を体内で締め付ける。

 ゲイボルクに変わっているサファイアを引き抜かせまいと固定する。

 霊核と肉体を蹂躙され、聖杯まで放棄し、それでも魔神は止まらない。

 

「ッ!?」

 

 武装を動かせなくなり、一瞬そこで動きが止まった美遊。

 隙を見せた少女を、魔神が両腕を左右から叩き付けるように掴みかかった。

 咄嗟に対抗しようと腕を上げた少女を、その上から覆うように拘束する。

 何とか振り解こうともがくがしかし、それは絶対に逃さぬという意志に満ちていた。

 そうしてバアルに捕らわれ、美遊が完全に止まる。

 

「一人目」

 

 ジャンヌ・オルタに迫るモリアーティが呟いた。

 同時に飛来した聖杯が、ライヘンバッハに飛び込み、溶けていく。

 聖杯で強化される武装を前にして、竜の魔女が眉を顰める。

 

「させるか――――!」

 

「残念ながら遅い。二人目だ」

 

 強化されたライヘンバッハが即座にロケットランチャーを展開。

 彼女が渦巻かせている黒い炎の中に、爆発物を乱射した。

 巻き起こる爆発は、聖杯の魔力を受けて強化されているもの。

 それを至近距離で浴びて、防ぎきれずにオルタが弾き飛ばされた。

 尋常ならざる速度で飛んでいった彼女が、バレルの壁に激突して停止する。

 

「く、ァ……ッ!」

 

 火薬まで強化されるなんてどういう理屈だか。

 などと考えつつ、モリアーティがライヘンバッハを持ち上げる。

 

「征け、モリアーティイイイ――――――ッ!!!」

 

 美遊を抑えつつ叫ぶバアル。

 サファイアはバアルの体内に取り込まれているような状態。

 それを解消するに最も早いのは、サファイアをステッキに戻す事だろう。

 だがそのためには、インストールを解除しなければならない。

 

「美遊様……!」

 

「くっ……!」

 

 そうすれば今度は、美遊がクー・フーリンの後押し無しでバアルと筋力勝負だ。

 どちらにせよ振り解くのは不可能になる。それどころかこの圧力だ。

 サーヴァントの力無しでは、サファイアが手元にあっても押し潰されかねない。

 

 ツクヨミの一瞬の逡巡。

 モリアーティに向けるべきか、バアルへと向かうべきか。

 一秒足らずの思考の結果、彼女がバアルを目掛け走り出す。

 

 そんな彼女に火力を向ける暇はない。

 

 バアルがどれほど無理をしようと、体勢を立て直した魔法少女との撃ち合いには勝てない。

 あのまま足を止めての砲台勝負では、数発ぶつけ合えば負けるだろう。

 

 弾丸を誘導するモリアーティの魔弾の射手は絶不調。

 幾ら弾丸をばら撒いたところで、いとも簡単に防がれる。

 だというのに、彼が接近戦で勝てるような相手はほとんどいない。

 魔法少女、ジャンヌ・オルタ、それどころかツクヨミを仕留められるかさえ怪しい。

 彼が正面からぶつかって、接近戦にまず勝てるという相手はただ一人。

 

「―――では、君たちという星を灼く焼却式を我が最終式に組み込もう」

 

 ―――だからこそ、彼は撃ち合いを捨てた。

 もう聖杯を恃みに遠距離戦しかできないような彼が、その戦法を捨てたのだ。

 

 バアルは相方の思考を理解し、聖杯を放棄。

 その聖杯は、モリアーティのライヘンバッハへと直結する。

 

 聖杯から流れ込む魔力を凝縮し、ライヘンバッハの砲口が焼き付いていく。

 全てを懸けた一撃を放つため、モリアーティが床を強く踏み締めた。

 

「イリヤ……ッ!」

 

「はい――――!」

 

 行使される神代の魔術。

 ルビーが読み取った神言を実行し、彼女の周囲に砲撃のための魔法陣を構築する。

 

 ライヘンバッハの一撃。

 それは聖杯から溢れ出す魔力を制御せず、ただ吐き出すだけ。

 そもそもの話、モリアーティはそれを制御する術など持っていないのだから。

 

 そんな暴虐に対抗するため、ルビーが並行世界から魔力を汲み上げる。

 空中に描かれる魔法陣は五つを数え、その全てに膨大な力が注がれていく。

 溢れて弾ける紫電が空気を灼く中、モリアーティが僅かに目を細め。

 

「“終局的(ザ・ダイナミクス)惑星焼却式(・オブ・アン・アステロイド)――――魔神決議(バアル)”!!!」

 

五門(へカティック)壊砲(グライアー)――――――ッ!!!」

 

 最後の撃ち合いを開始した。

 ライヘンバッハから吐き出される砲撃。五門の砲台から放たれる光芒。

 激突の瞬間だけ、勝るのはモリアーティの砲撃。

 

 ―――だが、聖杯による過剰出力ではライヘンバッハは長い間保つ筈がない。

 十秒も撃ち合えばパンクし、逆に魔法の杖に押し返される事だろう。

 

 だから。本当に、全てを注ぐ。

 ライヘンバッハには十秒も無事でいてもらう必要はない。

 聖杯の有する魔力が一瞬空になるほど、二秒の間で全てを吐き出させる。

 そうなるように、バアルが聖杯を調整して吐き出した。

 

「―――――!? イリヤさん、これは……!」

 

「く、ぅ、うぅううう……ッ!」

 

 少女が何とかそれに対抗するべく魔力を振り絞る。

 必死になれば防げるという時点で、まともにやれば勝てないわけだ。

 だが、だからこそ彼らはこうしている。

 

 二秒きっかり魔力砲を吐き出して、ライヘンバッハが全体から火を噴いた。

 モリアーティの宝具はこの瞬間、完全に終わった。

 代わりに得た状況。

 それは、魔力をほぼ全て吐き出す事でインストールが解除される魔法少女の姿。

 

 乾いた音を立てて排出されるカード。

 しかしそれでも、イリヤは転身は維持していた。

 回復こそ始まっているが、現状で魔力は底をついている。

 だがそれでも、ライヘンバッハの無いモリアーティでは突破できない壁だ。

 

「ま、だ……!」

 

 酷く息を荒げながら、少女が何とか顔を上げる。

 視界の先で発生しているのは、砲撃の正面衝突の余波で起きた濃密な魔力の霧。

 その霧越しにモリアーティを見据え、イリヤはルビーを構え直し。

 

「いや、君たちは此処までだ。三人目」

 

 ギャリギャリと音を立て、床を滑ってくる棺桶が目前に迫っている事を理解した。

 

「―――物理保護全開……ッ!」

 

 ルビーの声と同時、聖杯を抱えたままの棺桶が木端微塵に爆発する。

 その場に聖杯たる水晶体だけ残し、複合兵装の弾薬全てがイリヤの足元で爆散した。

 イリヤだけでなく、彼女が後ろに庇った立香も吹き飛ばしかねない爆炎。

 それを障壁で全て受け止め、少女の体が盛大に弾き飛ばされる。

 

「イリヤ……っ!」

 

 バレルの壁際にまで吹き飛ばされる少女。

 彼女を視線で追おうとして、しかし立香がすぐに正面に向き直った。

 そこにあるのは魔力の霧を突き破り、立香を目掛けて駆けてくる姿。

 モリアーティの手が仕込み杖からサーベルを抜き放つ。

 

 その姿を見て、立香が僅かに表情を歪めた。

 彼女のそんな顔に感じ入るものを、何と言えばいいのか。

 そんな自分の思考を打ち切り、彼は別の事を考える。

 

 極論、彼女以外に狙える相手がいないのだ。

 自己の戦力は理解はできている。彼は本当に、接近戦が出来ない。

 ライヘンバッハを放棄する、という選択の結果として彼はサーヴァントと戦えなくなる。

 流石にサーヴァントだ。基本的にスペック上、普通の人間には負けない。

 が、ではもう一人のマスターであるツクヨミに勝てるかと言うと。

 まあ、普通に攻めきれないだろう。銃にさえ気をつければ負けないとは思うが。

 

 だから、彼らが勝利を目指す上で。ここから逆転を目指す上で。

 どうあっても、藤丸立香の殺害を基点にするしかない。

 万が一にでも勝機があるとすれば、それしかない。それ以外は確定負けだ。

 

「―――プロフェッサー」

 

「恨むな、とは言わんよ」

 

 例え彼女をこのまま殺したとして。

 そのまま勝てるかと言うと―――まあ、まず間違いなく負けるだろう。

 実に意味の無い殺人だ。こういう無意味な事は嫌いなのだが。

 だが、ここで止まるという選択はありえない。

 

 ―――そう。挑んだのは、勝機があるからではなかった。

 動機は一つ。ただ、ホームズに()()()()()()()()のだ。

 彼のその思考がバアルを目覚めさせ、この計画を完全に始動させた。

 

 最初から勝機なんてゼロだった。彼とホームズはそういう関係だった。

 1+1が2になるように。1-1が0になるように。

 モリアーティとホームズが勝負すれば、ホームズが勝者でモリアーティが敗者だった。

 それが正しい公式なのだ。変わる筈の無い、結果が確定した計算式。

 そうと決まっているのだから、そこを覆そうとすることに意味はない。

 

 なのに、望んでみたのは何故か。

 

「勝ちたい……! 負けたくない、負けられない! 勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい――――!!

 俺は、貴様たちにィ――――! 貴様たちだけにはァ―――――!!」

 

 とうに消えてもおかしくないバアルが、未だに美遊を拘束しながら咆哮する。

 その熱量に押され、モリアーティが立香へと距離を詰めていく。

 ジャンヌ・オルタも、イリヤスフィールも、壁際でまだ立ち上がれていない。

 どうあっても、もう間に合わない。

 

『先輩――――っ!?』

 

 マシュの悲鳴染みた声。それと同時、立香の懐から二つのウォッチが顔を出す。

 コダマスイカウォッチの弾丸と、タカウォッチの突撃。想定内だ。

 出てくるのが分かっていれば、モリアーティでも捌ける程度の攻撃力しかない。

 

 二つのウォッチが飛び出した瞬間、立香が後ろに向かって飛ぶ。

 ウォッチの時間稼ぎと合わせて、しかしその程度では五秒にもならない。

 オルタがやっと立ち上がれるか、というくらいだろう。

 

 何故、ホームズに勝とうとしたのだろうか。

 実は自分がそんなチャレンジ精神に満ちた男だった、というのは信じがたい。

 ホームズとの関係など、彼にとっては“そういうもの(ルール)”というだけだったのに。

 

 多分、バアルほどの熱は自分の中にはないだろう。

 バアルはモリアーティの中にホームズに対する勝利への渇望を見たと言う。

 決定づけられた敗北の運命への叛逆者だと言う。

 

 ―――まったくもって、不思議でならない。

 

「今回は、君の負けだ」

 

 サーベルがタカウォッチを打ち返す。返す刃でコダマスイカを弾き飛ばす。

 そうして、最後の一歩を前にして。

 彼は遂に立香を正面から見据え―――呆けるように、彼女の姿に目を見開いた。

 

「それは――――あなたが私のサーヴァントじゃなかったら、でしょ?」

 

 彼女の全身に奔る、スパークする魔力。

 ウォッチたちとバックステップ。

 それで稼いだほんの数秒の間に準備を終えた、彼女の礼装が有する援護機能。

 それがある事を忘れていた―――いいや、そうではなく。

 

 まだ、自分が彼女のサーヴァントである事を忘れて―――忘れようとしていた。

 

 モリアーティに追い詰められた藤丸立香を救うのは、彼女のサーヴァントに他ならない。

 彼女のサーヴァントは二人。イリヤスフィールと、モリアーティである。

 彼は元の悪党に戻っていたが、それでも彼女のサーヴァントは辞めていなかった。

 パスは残っている。ジェームズ・モリアーティはまだ、藤丸立香のサーヴァントだ。

 

 立香が腕を振るい、礼装の機能を始動させる。

 発動する機能は、二騎のサーヴァントの位置交換。

 

 モリアーティが魔術師なら、どうとでもなっただろうけど。

 彼は生前から、自分の計算に組み込めない魔術に関わるのがそもそも好きではなくて。

 意図して魔術を遠ざけていたから、それはもうどうしようもなかった。

 

「――――ああ、しまった。

 まったく……この計画を始めてからこっち、間が抜けているにもほどがある」

 

 魔術とかそういうあれこれは、計算に必要な数値が読み切れないから厭わしい。

 正しく計算をすれば、間違いなく正しい答えが求められる。

 そんな当たり前のことさえできなかった時、失敗を未練がましく考えるようになるから。

 

 だから、負けるべくして負けるなら、それでよかったはずなのに。

 当たり前のように負けただけの彼は何故、ホームズに勝利する事など考えたのか。

 

 ―――だから、意外ではあったが意外ではなかった。

 善心を後付けで乗せたとはいえ、彼ほどの悪党が善人に絆されたこと。

 ホームズに勝ちたい、なんて思った事も。立香たちといて楽しい、と感じた事も。

 彼自身からしてとても意外な事で、自分の心がよく分からなくなっていた。

 

「―――オーダーチェンジ!!」

 

 渦巻く魔力に囚われて、彼の視界が一瞬暗転した。

 次に放り出された場所は、先程までイリヤスフィールが転がっていた場所。

 すぐさま彼は立香に向き直ろうとして、

 

「終わりよ、クソジジイ――――!」

 

 横合いから叩き付けられる黒い剣を、咄嗟にサーベルで防御した。

 いとも簡単に手から剣を弾き飛ばされ、その勢いで彼自身も吹き飛ばされる。

 

 床に叩き付けられ転がる彼に、追撃の熱波が殺到。

 もはや反撃も叶わぬモリアーティを、憎悪の炎が焦がしていく。

 その炎を維持しながら、ジャンヌ・オルタが叫んだ。

 

「イリヤスフィール!!」

 

 立香の前に出現したイリヤが、その声に応じてルビーを眼前に突き出した。

 魔法のステッキの先端に収束していく魔力。

 並行世界から再び汲み上げた魔力の渦が、そこで圧縮されていく。

 

 ―――まるで蜘蛛の糸に捕え、操るように。

 人の行動を言葉巧みに操作して、悪のカリスマと呼ばれるようになった男としては。

 意外なことだが、心というものへの理解が足りなかったのだろう。

 

 自分は計算に違わぬ現象になど拘泥しない、という顔をしながら。

 その実、誰よりもそんな計算結果に苛立ちを抱いていた。

 計算ミスをしたから未練を抱いたのではなく、その結果が気に食わないから不満を持った。

 計算が全て合っていたとしても、その結果が気に食わないなら同じ事だ。

 

 ただ正解を導くための確認作業としての計算ではない。

 存在しない答えを求めるための試行錯誤。

 そんな挑戦であるところの計算を―――彼はどうにも、愉しんでいたらしい。

 

「……いやはや。地球を滅ぼせる隕石を操る計算は、ああも簡単に進むというのに。

 それに比べれば余程ちっぽけな筈の、人間の心というヤツは―――こうしてみると、自分の心さえ意外と計算し切れぬものだネ」

 

 彼は正しく計算して、正しく導き出される答えを好む。

 もちろん、自分自身を数字に置き換えた時に出る答えは全て理解している。

 その計算上、彼はホームズには勝てないし、彼は善人になどならない。

 

 だというのに、こうして必死に数字をこねくり回してみれば、意外と―――

 

「モリアーティ!!」

 

 焼かれるモリアーティ目掛け、バアルが体を揺すり強引に体を組み替える。

 イリヤスフィールを狙い撃つため、体の一部を眼として結晶化させる試み。

 限界をどこに置き忘れてきたのか、魔神は未だに稼働し続ける。

 

 肉体は限界。寿命などとっくに尽きている。聖杯は譲渡した。

 それでも、まだ終われないのだと。

 

「美遊、抜けて――――!」

 

 そんな魔神の両腕に、連続で赤い弾丸が直撃する。

 発生する赤光の拘束。ファイズフォンXが放った攻撃にバアルの腕が止まった。

 死に物狂いで動いていても、彼の動力源は既に壊れている。

 その拘束を吹き飛ばすだけの出力が得られず、確かに彼の両腕の力が緩む。

 

「アンインストール……! サファイア!!」

 

「美遊様、脱出を―――!」

 

 自身にかかる腕力が緩んだ瞬間、美遊が自身の体からカードを弾く。

 同時に槍からステッキへと変わるサファイア。

 彼女が魔神の腕の中で梃子となり、すぐさま美遊にかかる圧力を僅かなりとも解消する。

 そうして何とか体を捩じり抜ける状態になった瞬間に美遊は拘束から脱し、

 

「オォオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――ッ!!」

 

 だが、その直後に魔神の腕が拘束を引き千切った。

 そのままサファイアを掴まえ、握り潰すように拳を固める魔神。

 相棒を手にするつもりだった美遊の足がそこで止まり、伸ばした腕が空を切る。

 

「サファイ……ッ!」

 

「負けられない……! いいや、違う!

 勝とうが負けようが何も変わらない……! 勝とうが負けようが関係ない……!

 勝たなくてはいけない理由はない! 負けてはいけない理由なぞあるものか―――!

 俺の望みだ!! ただ、ただ―――! 貴様たちにィイ――――ッ!!」

 

 サファイアを握る腕が鉄槌と化し、美遊の頭上から振り下ろされる。

 鞭のように撓りながら迫る肉塊。それは尋常ならざる速度で少女の上から降り注ぎ―――

 

 それが届く寸前、美遊の横からツクヨミが突っ込んだ。

 体当たり同然で激突し、揃って吹き飛ぶ二人の背後に鉄槌が落ちる。

 床を粉砕する一撃を躱され、しかしバアルはすぐに相手の背を視線で追った。

 反動で歪んだ腕をそのままに、二人に向け思い切り横薙ぎに振り抜いてみせる。

 

 激突の勢いのまま宙に浮く二人。

 その状態のままツクヨミが力強く美遊を抱き締め、

 

「ミユ、全力で跳びなさい――――!」

 

 この部屋の入り口からの荒げた声を聞いた。

 瞬間、美遊が空中に魔力を押し固めた。魔力が物質化し、空中での足場となる。

 横っ飛びしている状況での、強引な踏み切り。

 無理矢理さらに飛距離を伸ばした二人が、魔神が振り抜く腕の射程外へ跳んで。

 

「逃がす、ものかァ―――――ッ!!」

 

 振り抜いた状態で、相手を逃がさぬために腕が伸びる。

 そうして完全に伸びきった魔神の腕。その、肩口に。

 

 ―――空間を圧砕しながら直進する、螺旋の矢が届いた。

 抉り取られ弾け飛ぶバアルの半身。

 伸ばされていた腕も引き千切られて残骸が宙に舞う。

 

 バレル中枢の入り口で弓を構えるのは、息を切らした赤い外套の少女。

 全力疾走を成し遂げた少女が、そこで堪え切れずに膝を落とした。

 疲労ならず、原因は全力疾走中にイリヤから呪詛を通じ流入してきたダメージ。

 

 自身の半分が消し飛んだ事を理解して彼はしかし、残った半身で駆け出した。

 迫りくる半身が消し飛んだ魔神。

 例え全身が消し飛ぼうと、その残滓のみで相手を殺すとでも言うかのような殺意と気迫。

 

 それを前にして、ツクヨミと美遊が顔を合わせて頷き合う。

 抱き合って吹き飛ぶ二人が空中でくるりと回り、揃って着地。

 そんな二人の元に、空中にぶち撒けられた魔神の残骸から、サファイアが帰還する。

 

「―――美遊様!」

 

「振り絞った全魔力をこの一撃に集中、外さないでください……!」

 

 サファイアが美遊の手の中に納まり、残存魔力が即座に一極集中する。

 同時にイリヤに握られたルビーが、いま出せるだけの魔力を絞り出し終えた。

 美遊の眼前には魔神バアルが迫る。

 イリヤの眼前にはモリアーティが立つ。

 

 そうして最後の一撃を放つ直前の美遊の隣で、ツクヨミが立香に向け声を上げる。

 

「立香―――――ッ!」

 

 前回使ってからそう間を置いていないオーダーチェンジ。

 その過負荷に熱を帯び、白煙を上げるカルデア戦闘礼装。

 それを纏った少女が反動に膝を落としそうになりながら、しかしそこで踏み止まる。

 

 告げなければいけない言葉がある。

 確かに勝敗を競った相手を前に、区切りをつけるための宣言。

 他の誰より弱く、真っ先に狙われ続けていた彼女からの。

 喘ぎそうになる肺を抑えつけ、彼女は全力で二人の敵に向け叫んだ。

 

「私たちの、勝ちだ―――――っ!」

 

極大(マクスィマール)―――――!!」

 

砲射(フォイア)―――――――!!!」

 

 二人の魔法少女が砲撃を解き放つ。

 もはやどちらにもそれを防ぐこと、躱すこと、耐えることは叶わない。

 互いにとって、本当に最後の一撃。

 その直撃に呑み込まれ、バアルとモリアーティは吹き飛んだ。

 

 

 

 

 ―――バレルの壁に激突し、止まった魔神と人間。

 彼らは隣り合うように壁に叩きつけられ、完全に動きを止めていた。

 モリアーティはおろか、バアルにさえ動く気配はない。

 それでも熱の消えないバアルに苦笑し、消えかけのモリアーティが声をかける。

 

「―――認め給え、バアル。戦犯から言うのは気が退けるが、今回は私たちの負けだ」

 

 無言のままに意識を共犯者に向けるバアル。

 彼らを吹き飛ばしたカルデアたちも疲労困憊。膝を落として休んでいる者たちばかりだ。

 少しの間なら、まだ密談は叶うだろう。

 

「私たちは勝負をした。勝つか負けるか、確かに此処で競い合った。

 ―――負けたからには、負けを認めるべきだろう。

 そうしない限り、自分が勝った時にも相手に負けを認めてもらえなくなる」

 

 彼が望んだのは勝負だ。だったら、勝ちと負けだけは決めないと。

 結果を認めず終わらせないのは、バアルこそ望んでいないだろう。

 そう言われ、半分欠けた魔神の頭が下がる。

 

「…………そう、か。また、負けたか。また、勝てなかった。

 ……勝ちたかった。そうだ、俺はただ、奴らに勝ちたかった……ッ!」

 

 口惜しい。ただただ口惜しい、と。

 魔神は目の前にいる敵を見上げ、どこか浮いた声で言葉を続ける。

 

「だが……そのために三千年を懸けても、また敗北した。

 望みは果たせなかった。願いは果たせなかった。だというのに――――」

 

 バアルが声を僅かに震わせた。

 ゲーティアさえもそう感じていたのだろうか、と。

 この思考自体が不本意極まりない、が。

 

「俺はこうして目的を果たし切れずに終わる事に、どこか充足感すら得ている。

 目指した場所に辿り着けていないのに、やり切ったとさえ感じている」

 

 人理焼却―――逆行運河/創世光年は失敗した。

 だというのに、アレは確かにどこかそれを受け入れていた。

 そんな無体、彼らソロモンに怒る魔神に赦されるはずがないと言うのに。

 

 勝負して、負けた。

 覗覚星はその結末をけして認めなかった。その推論はけして出さなかった。

 全ては勝つため。この憤怒を解消するため。

 そのために理論を編み、しかしこうして覆された。

 

「……何と言う不出来さだ。出来損なった生命とはこの事だ。

 ああまで醜く、生き汚く、足掻き尽くした様の結果がこれで、満足できるのか」

 

 そう思っていても、バアルもまた。

 怒りは尽きぬ。憎悪は止まぬ。それでも、達成感がないわけではない。

 受け入れてはいないはずの感覚に、意識を委ねてしまいたくなっている。

 三千年やり直して得た結末がこんなものだ、などと。

 

 それを受け入れることこそが、彼の終わりだ。

 

「―――――――ああ。今度こそ、完敗か」

 

 勝つために全てを懸けたのに、勝てなかった。

 本当に。本当に、全てを懸けて勝つために挑み、負けた。

 そんな自分に納得してしまった事で、彼の旅路は終結する。

 

 それに納得してしまえるということは、ゲーティアが認めたものと同じものを認めてしまったということだ。そんな自分を嗤いながら、バアルは意識を落としていく。

 

「……おやすみ、バアル。己が在り方に決着を求めた我が共犯者。

 私も消えるとしよう。そこまで果たす事が、敗者の義務というものだろう」

 

 共犯者を追うように、そうしてジェームズ・モリアーティも消えていく。

 立ち昇る黄金の光。夜闇に覆われた新宿の空に溶けていく魔力の残滓。

 

 ―――そうして。今、此処に。

 けして手に入らぬ幻影だけを追いかけた、魔と人が築いた同盟は壊滅した。

 

 

 




 
これからやっと月姫始めるマン
 


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生きる道2017

 

 

 

 連続する銃声。

 その弾丸を撃ち込まれたものが、渇いた音を立てて崩れていく。

 彼はそうして解けた拘束に、ようやく安堵の息を落とす。

 

「いやはや、敗者が順当に敗北する。哀しい顛末でしたな!」

 

 縛られていた部分を擦りつつ、肩や腰を解しながら立ち上がる。

 ひたすら仕事をさせられ続けていたがそれもここまで。

 解放感と共にシェイクスピアが微笑んだ。

 

「そうはいっても、随分と大人しい負け様だったようだがな」

 

 そんな彼を見上げつつ笑い飛ばすのはアンデルセン。

 

「【激しい感情は肉体を動かす力として(The violence of the feelings)血管を駆け巡り、( even destroys )理性を殺す毒として心臓を蝕むのだ(the force as well as feeling.)】。

 などと言っておきましょうか。カルデアを追い詰めたのも、彼らがやはり破滅したのも、全ては己の感情が原因とは。いやはや、なんと物悲しい」

 

 訳知り顔でそんな風に語るシェイクスピア。

 どちらかというと、嬉しそうに。

 

 モリアーティとバアルは破滅した。

 紛れもなくカルデアとこの世界を追い詰めていながら。

 それほどの強さだったからこそ、自分たちさえも滅ぼした。

 

 楽しげな劇作家を解放した黒い男が、そのまま背を向け歩き出す。

 

 彼の仕事は終わりだ。

 野望の過程において惑星を破壊するという、魔神の脅威は処分された。

 この特異点を維持する最大要因となっていたシェイクスピアもいま解放した。

 これでこの特異点の崩壊は進行を加速させ、せいぜい一時間も待たず消え去るだろう。

 

 使命を果たし終えた以上、彼はこんな場所にはもう用がない。

 さっさと終わらせるに限る。

 

「しかしまあ、想像以上に馬鹿だなお前は。

 奴隷根性極まれり、挙句にクライアントにまで拘らなくなったか。

 大衆のための正義と、大衆が望む正義は別物だろうに」

 

 そうして去ろうとした彼の背中に、アンデルセンの声がかかる。

 そのまま歩き去ろうとして、しかし。

 彼はつい、あまりに馬鹿らしさに堪え切れず、失笑した。

 

 アンデルセンは彼の本質を視て語っているのだろう。

 かつてそうだったものを視て語りかけたのだろう。

 だが生憎、彼はもうそんなものではない。

 

 自分の意思で行動を決める正義の味方なぞとうの昔に廃業だ。

 “誰かにために”なんて考える必要はもうない。

 どこかの誰かが大多数“こうしてくれ”と望んでいるから、それを実行するだけ。

 

 望まれた正義の執行者。要らない部分の処理係。

 どうにかしてくれ、という声が上がって初めて動き出せるお役所仕事。

 誰かが望んでくれなきゃ動けない、誰かの正義の代行者。

 彼自身が何かを望んで動くのではない。

 何かを望まれ、スイッチを入れて貰えなければ動けない、機械みたいなもの。

 

 元来の自分などもう残滓でしかないが、落ち着くところに落ち着いただけだろう。

 人間のフリをする余分が消えて、もっともらしいものに変わっただけなのだから。

 

 これこそが誰一人望まなかった正義の果て。

 大衆が崇めた人間を、ただ一人の判断で悪と認めて殺しにいったからこその結末だ。

 それを成し遂げた結果がこの始末。

 

 望まれぬ正義を執行した代償は、望まれた正義だけの代行者になることだった。

 大衆の正義を詰める器に中身など要らない。

 だからこそ彼は無銘であり―――何が笑える話か、って。

 

 自分という中身が腐り堕ちた彼は、“誰かのため”に自分の意思で走れない事に、苦悩も出来ないという事だ。真っ当にやった自分がこうなれば(彼と言う人間の生き方がそもそも真っ当かはさておき)さぞ苦悶する事だろうが、彼はそんな情動とは無縁である。

 機械は機械らしく、コインを入れてもらった時だけ動けばいい。人間のフリなぞをして、ろくでもない感情に振り回される必要性などありはしない。

 

「生憎こっちには依頼主を選ぶ権利もない。いちいち選ぶ気もないが。

 そしてオレとは無縁になった誰かのための正義なんぞ、やりたい奴にやらせればいいだろうさ。そう言った手合いは、意外とどこかからでも湧いて出てくるものだ。なにせ、大衆が望む正義だけしか執行されないなんて事になれば、人類なんぞとうに滅びているだろうからなァ。

 馬鹿げた話だが、人間は真っ当な活動だけで社会を維持できる生物じゃない」

 

「ま、そうでしょうな。改善点が無いという事は躍進もないという事ですし。

 欠点の克服を史上の命題としていられる内が人類史の華というもの。

 等加速な直線とか、ドラマ性に欠けてて吾輩もあまり好みではありませんな」

 

 まあ克服できる、なんてシェイクスピアは一切思っていないわけだが。

 もちろん、そういうのに挑戦する人間の生き様は好みである。

 欠点を持たない、という事は彼からすればドラマ性の欠如という欠点だ。

 

 そう言っている劇作家に鼻を鳴らし、アーチャーが歩みを再開した。

 

「善と悪に分類してぶつけ合い、意味なく勝敗に一喜一憂するのはいいガス抜きだ。

 いずれ滅びるまで、大人しくそんな事を繰り返しているのが一番だよ、オレたちは」

 

 階段を上がろうとするアーチャー。

 その耳に届いてくる鋼の音。

 ふと上を見上げてみれば、鎧姿の騎士王がそこに立っていた。

 

「なんだ、宣言通りに首を落としに来たか?

 いいさ、好きにするといい。どちらにしろもう後は消えるだけだ」

 

「……もはや意味はあるまい。そんな無駄をする気はない」

 

 そうか、とだけ返してアーチャーが階段を上がる。

 セイバーは動かずにその姿を見据えて。

 擦れ違うタイミングで、再び彼に対して言葉を発した。

 

「己の正義とは無縁になった、と言ったなアーチャー」

 

「ああ、言ったな」

 

 彼女の声に足を止め、振り向かぬままに答えを返す。

 どうせ消えるまで丸々残った不必要な時間だ。

 やる事が問答だろうが何だろうが、特段拒否する理由もない。

 

「その縁に対する執着はないのか。失った事に後悔は抱かないか」

 

「―――さあ? そもそもオレ(これ)に何を容れてたかなんぞ覚えていなくてな。

 執着するほどの思い入れも、後悔できるほどの過去も、特に持ちあわせてはいない」

 

 そして、それで別段困っていない。ただの銃弾である事に不満もない。

 そこに不満を抱く理由になる自己は、とうに溶けているのだから。

 

 その声に対し呆れ果てた、と。

 セイバーが瞑目して僅かに顔を伏せた。

 

「……よくもそこまで魂を腐らせる事が出来たものだ」

 

「まったくだ。魂がこうまで腐るんだ、余程イカれた奴に誑かされでもしたんだろうさ」

 

 そう言って彼は小さく嗤い、そのままセイバーの横を通って階段を上がっていく。

 遠からず消えるだろうサーヴァント。遠からず修正されるだろう時代。

 もう何を訊く事もない、とセイバーはそこから動かない。

 彼女は武装を解除しつつ、その場で小さく鼻を鳴らした。

 

 

 

 

「そういえば、結局あのアーチャーの人がどんな英雄かって分かったの?」

 

「……そんな余裕はなかったわよ。

 っていうかあんた、ポンポン吹っ飛ばされすぎじゃないの?

 わたしの身にもなりなさいよ、ホント」

 

 ぐったりと、揃って床に転がったイリヤとクロエが言葉を交わす。

 ロボに続けて今回も派手に吹っ飛ばされた少女と、彼女と痛覚を共有している少女。

 そんな少女たちに歩み寄り、腰を落とす立香。

 

「二人とも、大丈夫?」

 

「まー……大丈夫は大丈夫なんだけど、ね」

 

 少女たちは生身ではなくサーヴァントだ。

 そのおかげで普通より頑丈になっていて、一応助かっている。

 上半身だけを起こしながら、クロエが立香を見上げた。

 

 立香の装備、カルデア礼装からは白煙が上がっている。

 どうにも、クールタイム無しに無理をさせすぎたらしい。

 ダ・ヴィンチちゃんでなくては手が出ないだろう。

 

『……ジェームズ・モリアーティ、並びに魔神バアル。消滅を確認。

 どうにかこれで決着、と言っていいと思う』

 

 深々と息を吐きながら、ロマニが観測結果を伝える。

 新宿における黒幕であった魔と人の同盟、幻影魔人同盟は瓦解した。

 後は聖杯さえ回収すれば終わり。この歴史は立ち消えになる。

 

 立香が視線を巡らせて、床の上に見つける水晶体の輝き。

 モリアーティが放り捨てた武装に融合していた聖杯だ。

 

 それを確保しようとした彼女の前で、ひょいと。

 一人の青年が、水晶体を掬い上げた。

 

「―――さて、決着というとそれはどうだろうか」

 

「……ホームズ?」

 

 ツクヨミがその男を見て眉を顰める。

 

 一瞬空気がひり付いたのは、それが直前に見たバアルの皮だったから。

 面倒そうに、ジャンヌ・オルタが旗を担ぐ。

 それが警戒だと理解して、彼はおどけるように肩を竦めた。

 

「何とか消滅は免れたようだ。

 バアルは私を取り込みはしたが、あくまで別物として隔離しただけだった」

 

 完全に吸収してしまえば、それはただのバアルでしかなくなる。

 あくまでも必要なのはホームズ自身。

 彼を溶かしてしまっては、取り込んだ意味が消失してしまう。

 

「私を完全に消化してしまっては、私を確保した意味も無くなってしまう。

 彼らはあくまで“シャーロック・ホームズ”の名義を欲しただけだからね。

 取り込まれただけの私は結果として、バアルの崩壊に合わせて解放されたわけだ」

 

 酷く衰弱した霊基のまま、彼はそう語る。

 消滅こそ免れたが、いつ消えてもおかしくないほどの弱体化。

 元から弱り切っていたとはいえ、これ以上は何もできないレベルにまで落ち切った。

 

「そうなんだ……それはよかった、けど?」

 

 立香が問いかけるような声を投げ返す。

 ホームズが無事だった、というのならそれは素直に喜ばしい。

 だがそれはともかく、今の発言の真意はどこにあるのかと。

 

 これで決着がついていない、というのなら。

 一体何を以て決着と呼べるのか。

 

『―――……改めて。モリアーティ教授及び、バアル。

 共に霊基は完全消滅しています。これで決着は間違いない、と思われます』

 

 マシュが再探査を行って、改めて確信して勝敗を告げる。

 それに対して鷹揚に頷いて、ホームズは手にした聖杯をゆっくりと持ち上げる。

 

 まるで今にもそれを使って敵になります、と言いたげな所作。

 そんなものを見て、美遊がステッキを強く握り。

 

 ほい、と。

 ホームズの投げた聖杯が、ツクヨミに向けて飛んでいく。

 それを危うげなくキャッチしつつ、彼女はきつくホームズを見据えた。

 

「……結局、何が言いたいの?」

 

「いや、今の流れは失敗だったと思っただけさ。すまなかった。

 いきなり出てきて、聖杯を拾って、迂遠な言い回し。これでは敵と見られるのは必然だ。

 なら一息で結論まで告げてしまえばいい、と思われるだろうが。

 私の性格上、どうしてもそこに行くまで遠回りを避けられないからね」

 

 勿体ぶった言い回しが許される状況ではなかった、と認め。

 しかし許されようが許されまいがやっちゃうのが自分だ、と。

 特に悪びれもせずに、彼は白状した。

 

「ここで私がいきなり魔神になりキミたちを襲うとか、そういう展開はないので安心して欲しい。今の私は魔神に乗っ取られる事さえ儘ならないほど、完全に弱り切っているところだしね」

 

「そうなったらそうなったでぶっ潰すだけだけど」

 

 旗の石突きで床を叩きつつ、舌打ちするオルタ。

 彼女の答えに苦笑して、ホームズは視線を逸らす。

 

「種明かしは探偵の特権だというのに、犯人の自白で全てを並べられてしまった。

 まして相手は私の仇敵、モリアーティ教授。

 この事実だけで、引っ繰り返りそうなほどに酷く調子が悪くなるというもの。

 ―――と、愚痴はこれくらいにしておこう」

 

 やれやれ、と肩を竦めてみせるホームズ。

 彼は映像回線の開いた通信先をちらりと見て、軽く瞑目。

 

「初めまして、ロマニ・アーキマン。まさかキミと顔を合わせる時が来ようとは。

 正直、この状況はまったく想定の外。どんな決着、どんな真相であれ、私とキミは顔を合わせないものだと推測していたのだが。

 まあこうして顔を合わせたんだ、素直に自己紹介をさせてもらおう」

 

『え、ボクかい? あ、はい。初めまして、シャーロック・ホームズ?』

 

 困惑しながらも応えるロマニの声。

 そんな二人の様子を怪訝そうに見るツクヨミ。

 

 ホームズがロマニを警戒していた。

 ロマニには警戒されるだけの秘密があった。

 多分、それだけの事でいいのだろう。

 そうではないのだろうか。

 

 そんな視線を背中に受けて、ホームズが一つ咳払い。

 

「魔術王ソロモンにまつわる人理焼却の話。

 それらについて、色々言葉を交わしてみたいところではあるが。

 とりあえずそれは横に避けておいて、この場で口にするべき事だけを告げよう」

 

 当然の事ながら警戒態勢を取り戻したサーヴァントたちに囲まれつつ。

 しかしそれを考慮せずに、彼は調子を崩さない。

 そもそも考慮したところで何ができるわけでもないのだし、と。

 

「この新宿における戦い。

 ここでは魔神バアル、そしてモリアーティがキミたちの敵として立ちはだかった。

 ゲーティアではないが、ゲーティアだったものの復讐劇。

 それこそが今回、この特異点を形作った犯行だ」

 

 あー、と。ツクヨミの表情がどこか翳る。

 話題の触りの時点でどこか迂遠というか、回りくどい。

 やっぱり話が長くなる、と。

 疲労感に満ちた体を立たせながら、彼女は呆れた風に息を吐いた。

 

 そんな反応にも負けず、ホームズが自分らしさを崩さない。

 

「バアルはキミたちに憎悪を抱き、それだけの事を成し遂げた。

 時間神殿における戦闘から三千年を耐え、それほどの事を達成した。

 それは誰より、バアルを前にしたキミたちの方がより強く痛感した事だろう」

 

 小さく頷く立香。

 

「そしてそれを理解したからこそ、次の段階へ思考を回さなければならない。

 そうは思わないだろうか、ロマニ・アーキマン」

 

『それは……そう、だね』

 

 通信先でロマニが唸る。

 隣に見えるマシュもまた、言いたいことが分かったという表情。

 

「相変わらず本題までが長い……」

 

 ここが会議室ならともかく、決着の直後だ。

 そうして遠回しな物言いで長引かせず、結論を言ってほしい。

 そんな視線を受けつつ、ホームズは困った風に笑う。

 

「性分なのでね。職業病、ではなく私という人間の在り方として。

 探偵だから口が回るのではなく、こんな人間だから探偵になったという。

 ―――さておき、本題に入ろう」

 

 ホームズ自身もまた言ってしまえば死にかけ。

 ただでさえ弱っていた彼は、バアルに一度取り込まれて半死半生。

 だというのに自分を崩さず話が長いのは、いっそ称賛するべきなのか。

 

 しかし立ち続けることに疲労したのか、ホームズが戦闘で発生した瓦礫の山に腰を下ろす。

 座った彼が両手の指を交わし、そうして再び話を再開した。

 

()()()()()? という疑問の一応の答えを、私はバアルの中で得た。

 彼が把握していたのは、残り三柱。

 最低でもそれだけの数が、ゲーティアが滅びる前に時間神殿から離脱していた」

 

 意図的にだろう、主語を外した話運び。

 それを聞いていた皆はしかし、言われずとも理解している。

 

「何故そうしたか、という理由は不明だ。

 人理焼却という行為に見切りをつけたのは、恐らくは間違いない。

 そうでなければ離脱するという選択は、そもそも取らないだろうからね。

 しかし離脱した連中が()()()()()()は、まだ何も分からない」

 

 ロマニ・アーキマンが目を細める。

 

「バアルのように復讐を志すなら、キミたちを襲うだろう。

 だがそうではない場合、現状では推測する情報すら足りない」

 

 バアルは酷く直情的な理由で邁進した。

 だが全てそうだとは限らない。

 逃げて、逃げて、逃げて、逃げ抜くことを目的としていることさえ否定できない。

 

 この戦いは人理焼却の残務、バアルが引き起こした逆襲では終わらない。

 

「ゲーティアは滅びた。だが魔神は健在だ。

 時間神殿からそれぞれ望んだ時代に逃げ出して、彼らは未だに存命している。

 何かを企んでいるかもしれない。何かを企んですらいないのかもしれない。

 誰が何を起こすか、起こさないかすら明瞭ではないこの現状。

 それでもあえて、私はキミたちにこう言おう」

 

 これは、魔神の残党により引き起こされた新たなる戦いの始まり。

 今までしてきた戦いの清算ではなく、これから起こる戦いの烽火である。

 それを明確に言葉にした彼が、そこで一呼吸。

 

「―――事件はまだ終わっていない。犯人はまだ捕まっていない。

 人理焼却という大事件の背後に、新たなる事件が隠されていた。

 キミたちの戦いはまだ、本当の完結を迎えてはいないのだ、と」

 

 投げかけられる新たなる戦いを告げる声。

 それを受け取って、彼女たちは目を細めた。

 

 

 

 

「大丈夫かい、我が魔王」

 

「んー……黒ウォズ?」

 

 ビルの上で寝転がっていたソウゴの頭上から声。

 見上げてみれば、自分の顔を覗き込んでいる臣下の顔。

 それを見て、のそのそと彼は起き上がり始めた。

 

「向こうは何とかなったって事でいいんだよね?」

 

「生憎、見届けてはいないんでね。私に訊かないでくれ」

 

 彼はそう言ってぱたぱたとストールを叩く。

 疲労感を何とか無視して、力無くも立ち上がるソウゴ。

 ビルの上からバレルに視線を向けても、中の様子はわからない。

 

 ―――と。

 正面の入口から黒い男が歩いて出てくる。

 それは紛れもなく武装を解除したアーチャー。

 

 彼は出てきた途端に彼方のソウゴたちを見つけ、唇を歪めた。

 そのまま小さく肩を竦め、破壊された道路を歩き出す。

 モリアーティに敵対しようとしていた男が役割を終えた、とばかりに去っていく。

 ならば、問題なく終わったと言う事なのだろう。

 

 それを見届けてから、ソウゴが黒ウォズに問いを投げた。

 

「……ねえ、黒ウォズ。訊きたいことがあるんだけど」

 

「スウォルツが連れていた少年のことかい?」

 

「うん。加古川飛流、って名乗ってた。で、どう? 何か知ってる?」

 

 訊きたい事はわかっている、とばかりの返答。

 それに頷き返して、視線を向ける。

 だが黒ウォズも答えを持っていない様子で、眉を顰めていた。

 

「……いや。まあ、少し私の方でも調べてみるとしよう。

 スウォルツが連れ歩いている、と言う事はまた顔を出すだろうし。

 それに少々、気になる事も言っていた」

 

「アナザーライダーの王、ってやつ?」

 

 スウォルツが口にしていた言葉を思い出して、口にする。

 そのフレーズを聞いた黒ウォズが、眉根を寄せて表情を渋くした。

 

「―――――そうだね。気を付けておいた方がいい、我が魔王。

 言うまでもないが、ライダーの王はただ一人。

 仮面ライダージオウ……つまり、君という事に他ならないのだから」

 

 アナザーライダーの王。

 スウォルツがそう口にした以上、精製された怪物は他ならない。

 そして彼がわざわざ少年を連れているという事は、その少年こそが契約者。

 

 あの時、ソウゴの前に立った相手。

 彼は加古川飛流と名乗り。

 そして、彼こそが――――アナザージオウなのだ、と。

 

「俺の、アナザーライダー……」

 

 疑問に思う事はまだまだある。

 だが今それを黒ウォズに訊いても仕方ないだろう。

 彼は知っている事を教えない時もあるが、知っている事を知らないと誤魔化す事はあまりない。

 今の彼の様子を見るに、少なくとも今の彼も知らない話なのだろうから。

 

 一つ息を吐いて、ソウゴが顔を上げようとして。

 

 ―――そこで、微かな遠吠えを聞いた。

 

 

 

 

 摩天楼から見下ろす街並みを、白い毛並みが駆けていく。

 

 どこかのビルの非常階段を駆け下りて。

 地上に辿り着いて、また駆けて。

 

 疾走は止まらない。

 その進路が、いずれどこに辿り着くかも分からないけれど。

 行うのはただ、ただ生きるための前進。

 

 地上で生きる獣らしい、単純な舵取り。

 でもそれでいい。それがよかった。

 この大地の上で生きているのだから、道はそこで探せばいい。

 天の頂や、地獄の底にまで向かう必要はない。

 

 走るための地上はここにある。

 生きるための場所は、まだここに残っている。

 だったら、後は自分の意志ひとつ。

 生きたいと思う限り、走っていればいい。

 彼らも、彼女らも、そういう生き物なのだから。

 

 眠っていた新宿の街並みが醒めていく。

 永かった夜を押しやって、目覚めの時を引き連れた朝がやってくる。

 

 それに追われるように走りながら、遠吠えを一度。

 街を震撼させる憎悪の咆哮ではない。もっと意味の無い声だ。

 その声は無数にある背の高いビルの壁に吸われ、大して響かず消えていく。

 

 けれどそれが、ここで生きているという何よりの証明だった。

 

 

 

 

 その光景を見下ろしていた黒ウォズの横で、ソウゴが振り返る。

 いつも通りに強く、いつも以上に強く、前を見据えた瞳で。

 彼が歩むのは只人の道ではなく、天の道ではなく、王が歩むべき覇道。

 大地を駆ける獣の姿により強くそれを想い、彼は動き出す。

 

 少なくともこの特異点は、紛れもなく解決した。

 これからどうなるにしろ確かな決着を見たのだ。

 その区切りをつけるため、仲間と合流しようと彼は歩きだした。

 

 そんな王の背中を視線で追いつつ、黒ウォズが“逢魔降臨暦”を開く。

 開かれた頁に目を通しつつ、彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「―――かくして、1999年の新宿における戦いは終結した。

 それは同時に人理焼却を越えた先で、新たなる戦いの火蓋が切って落とされたと言う事」

 

 ビルの上に立つ黒ウォズがそう告げて、“逢魔降臨暦”の紙面を撫でた。

 

「次なる戦いの舞台で待つレジェンドの力は、さて……」

 

 黒ウォズが視線を彼方にまで流す。

 明け方を迎え、しかしまだ夜闇を残した地上。

 そこに立っているのは、全身に赤い光を走らせる戦士の姿。

 

 戦士の姿は街を駆ける野生の疾走を見下ろしていて。

 

 そうしていた彼が振り返り、黒ウォズと視線を交わした。

 垣間見える日の出と被る黄色い眼光。全身を奔る激しく明滅する鮮血のような光。

 その光の奥に一瞬だけ見える、灰色の孤狼。

 

 ―――太陽がようやく昇る。

 頭を出した陽光に照らされて、狼の姿はいつの間にか消えている。

 

 そんな戦士の陽炎を見届けて、黒ウォズもまた歩き出した。

 

「……夢というものは、果たして。

 守るべき宝なのか、戦うための武器なのか、前に進むための櫂なのか。

 一つ言えることがあるとすれば――――」

 

 足を止めた黒ウォズが顔を横に向ける。

 彼が視線を向けたのは対面にあるビル。

 同じ程度の背丈の屋上には、巨神としか言えぬ怪物が立っていた。

 

 巨いなる英雄が全身に力を漲らせる。

 灼熱する肉体から、蒸気が噴き出すように吐き出される呼気。

 それに反応して周囲に弾ける雷霆。

 ただそこにあるだけで周囲の建造物を軋ませる力の渦。

 

「……その実態が何であったとしても。

 我が魔王の夢はいずれ結実し、遍く世界をその掌中に収めるという事実。

 これがけして揺らがない世界の絶対真理である、という事だけでしょう」

 

 そんな怪物からも視線を外し、黒ウォズが歩みを再開する。

 そうした彼も、怪物の幻影も。

 いつの間にかこの世界から忽然と消失していた。

 

 

 




 
 月姫を終わらせたのでエグゼイド編に月姫を混ぜようと思いました。
 盛るぜー、どんどん盛るぜー。

 このSSがそこに行くまでに月の裏側出してくれよなー頼むよー。
 


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亜種特異点Ⅱ:未踏破黄金郷 アガルタ2000
逢魔が時2068


 
 疾走する本能
 


 

 

 

「……逃亡した魔神、ね」

 

 久しぶりの司令席に腰掛けながら、オルガマリーが顎に手を当てる。

 ようやっと帰ってきた彼女は、報告を聞いて久方振りの気分を味わっていた。

 

 彼女の前には報告するロマニ。

 そしてなんか、新宿からどうやってかついてきたというホームズ。

 レイシフトを何だと思っているのか。

 

「……ああ、残りは最低三柱。それがバアルの把握していた状況だ。

 もっといる可能性も否定はできないけれど」

 

 ロマニが酷く苦い顔をしてそう口にする。

 人間、ロマニ・アーキマンには関係のない事ではあるが。

 魔術王ソロモンだったものとして、彼は眉根を寄せていた。

 

 ―――単純にどうすればいいのか分からない、という顔。

 対処がどうとかいう話ではなく、態度の問題だ。

 ソロモンがロマンになったように、バアルがゲーティアでなくなった事。

 その変化を彼は否定できない。

 

 バアルの行動こそは弾劾するに足るものだ。

 が、方針を変えた事にはどんな顔をすればいいのか分からない。

 

 そんな珍妙な顔をしているロマニに眉尻を上げて、オルガマリーが鼻を鳴らす。

 

「問題を起こすようなら今までのように排除する、以外の行動は無いでしょう。

 問題を起こすかどうかすら分からない、というのが問題だけど」

「確かに。世界の隅に住処をつくり、安楽椅子にでも腰掛けて、穏やかに寿命を過ごしてくれるなら、こちらとしても助かるというものだが」

「勝手に()()()になられても知らないわよ」

 

 ホームズの軽口に、オルガマリーがじとりと視線を向けた。

 勝手に身内になってるんじゃない、という彼女の発言。

 

 それに対してははは、などと笑って肩を竦めるホームズ。

 ロンドンなどで援護されていたのは事実なので、敵ではないのだろうが。

 

「ん。まあ、問題を起こして貰えなければ発見すら出来ないのが実情。

 結局のところ、準備を万全にしておく以上に出来ることはないでしょう」

 

 笑っていた彼は一度咳払いをすると、そう言った。

 その通りでしかない、と彼の言葉に頷いてみせるロマニ。

 

「……そうだね。それでマリー、協会まわりの事はどう着地したんだい?」

「どうもこうもないけど。まだこっちが提出した報告書の精査の段階。

 横やりのおかげで多少は動けるようになったけど、実質ここで軟禁状態よわたしたちは」

 

 話題を変えたロマニに、オルガマリーは肩を竦める。

 基本的に動けないのは変わらない。

 状況が変わるまで大人しくしておくしかない。

 もちろん、ここからでもやれる事はやっておくにしろ。

 

 対応が浅いのは、外野の声よりもいずれは確実に潰れる場所という事実が大きいか。

 それはもう、衝突するより自重で潰れた後に残骸を掘り起こす方が楽だろうとも。

 

 今のカルデアはまだ負債も織り込みだ。

 そこを何とか必死に解消して、負債の返済の結果として地盤が崩壊する。

 末路はそんなことになるだろうと、大概の連中が考えている。

 だから残骸、遺産を回収するのはその後。

 ハイエナ、というか火事場泥棒の思考。

 

 ―――だが、そうしてもらわねば困る。

 ひとつ大きく息を吐いて、オルガマリーが気を取り直した。

 

「新宿の件も報告して、次の特異点が発生した場合を想定しつつ。

 目下優先して進めるべきは、コールドスリープ解除の準備ね。

 ……ちょうど今年いっぱいかけるくらいの速度で進めましょう。

 最終的にどんな形の引継ぎになるにしろ、来年までは引き延ばすわ」

「ああ、それで」

 

 彼女の言葉に、ふと納得したように頷くホームズ。

 ぎろりと睨んでみても、探偵は苦笑するばかり。

 

 そんな彼に首を傾げて、ロマニが問いかける。

 

「どうかしたのかい?」

「いいえ。彼女たちが帰還した際の荷で、資料室に運ばれていたものがあったのでね。

 協会からの帰りにあの荷物、一体何を持って来たのか、と注意半分好奇心半分で楽しみにしていたのだが……大したものではなさそうで何より」

 

「……そんなもの、決まってるでしょ? 日本の学校教材よ」

 

 ああ、とロマニが苦笑する。

 流石に特定の国のハイスクール教材なんてものは、カルデアのデータベースに無かった。

 それ以上の情報データベースはあっても、丁度いいものは用意されていない。

 カルデアは学校じゃないんだから、当たり前だけれど。

 

 学校より効率的な教育ができるとしても、ただそうすればいいわけじゃない。

 だって、最後には()()のだから。

 

「……帰せないんだから、ここでやらせるしかないでしょ。

 丁度いいわ、あんたにも教師ごっこしてもらうわよ」

「私が青少年の教育に向いているとは思えないが……

 もちろんこうして屋根を借りている以上、手伝いくらいはお受けしますが」

 

 眉を軽く顰めつつも、仕方なさそうに頷く名探偵。

 

 彼女たちを見ながら、ロマニは微笑んで。

 それを頼めば、恐らく全霊で取り掛かるだろう少女の姿を思い浮かべた。

 

「いっそマシュに任せてみるとか。

 さぞ綿密なカリキュラムを組んでくれるだろうし」

 

 言われてオルガマリーもその少女の姿を思い描いたのだろう。

 何とも言えない表情で、彼女は溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 渡した衣装を見て、ダ・ヴィンチちゃんが小さく眉を上げた。

 作業台に広げられる藤丸立香に与えられたカルデアのバトルスーツ。

 

 その反応を見て、さぞ状態が悪いのだろうな、と何となく感じる。

 

「まあ、仕方ない。状況は聞いているよ、無理をさせなければいけない状況だった。

 ただ修理するのは難しい。私の技術より、素材の面でね……んー、こんなことなら外に行っている時にもうちょっと。でもオルガマリーはケチだしなぁ」

 

 冗談めかしているが、そもそも資金が危ういのは公然の秘密。

 つまり、どうあってもすぐに修理は無理。

 それが真っ先に言われた結論ということだろう。

 

 ……無理なら無理でしょうがない。

 なら、次の事を考えないと。

 

 魔神はまだ三柱いる。

 恐らく今回のような規模で、また三度の戦いがあるのだろう。

 

 マシュは戦えない。

 マシュ、というよりギャラハッドの盾がなければ、大量の物資は転送できない。

 つまり、タイムマジーンも使えない。

 

 思い悩むような様子を見せた立香に、ダ・ヴィンチちゃんが視線を向ける。

 

「どうしたんだい? ほら、そう思い悩む必要はないだろう?

 正直に言ってしまえば、今回の事案は人理焼却ほどの異常じゃない。

 油断してはいけないが、魔神の一柱とゲーティアでは規模が違い過ぎる」

「……私に、できることって。生きること、だと思うから。

 サーヴァントの楔として、カルデアのマスターとして、当たり前の人間として」

 

 バアルがそうしたように。モリアーティが仕組んだように。

 彼女は弱点だ。切り崩すために真っ先に狙われる城壁の一穴。

 別に、それを恥じているわけではない。

 彼女は自分にできることをやってきたし、それは結果として無二のものになった。

 生きるために、出来る限りのことを、全身全霊で達成してきた。

 

 断言できる。

 それが、そんな生き方が、ゲーティアさえも越えてきたのだと。

 

 でも、何かが。

 今回の戦いは、何かが。

 

「―――ゲーティアは大災害だった。その感情は人類全体に向けられていた。

 ただ今回は違う。バアルは、もっと視点が限られていた。

 余分なものは視界に入れず、ただただ標的だけを恨みにきたんだ」

 

 そんな少女を見ながら、ダ・ヴィンチちゃんが語り出す。

 

 ゲーティアは嵐だった。

 一個人にとっては、惑星規模の災害でしかなかった。

 だから言ってしまえば、同じ場所に立っていなかった。

 

「地獄のような環境で死にたくない、と顔を上げる事と。

 殺人鬼を前にして死にたくない、と顔を上げる事。

 それは全く違う事だ。

 自然の脅威に対する畏怖と、脅威になる知性体に対する恐怖は違うもの。

 そして。君の殺害が過程でしかない外敵と、君の殺害が目的である仇敵の熱量だって当然違う」

 

 ゲーティアはあくまで、彼の目的のために邁進した。

 そしてその目的は特定の一個人の事など関係なく。

 その過程において、人類を滅ぼす嵐が生じただけのこと。

 

 けれど、バアルは違った。

 

「―――きっと、初めてだったはずだ。あそこまで君という個人に感情を向けている敵は。

 対象が君だけではなくとも、君に抱いていた感情は桁違いだったと断言できる」

 

 今まで敵対した相手は数あれど、恐らくあれが初めてだった。

 

「……生きたい、という願い。生命であれば誰もが抱く原初の感情。それはまあ、普通にしてる分には否定されるものじゃない。相手が化け物であったって普通はそうなる。

 だって殺す殺されるの話になったとしても、それは基本的に殺したいから殺すのであって、相手の生きたいという気持ちを否定したくて殺すわけじゃないからね」

 

 生きたい、と。

 何より、誰より、そんなシンプルな想いで駆け抜けてきた。

 そうすることが、余分な考えを抱くよりも、強い足取りでいられると思った。

 

「だが、彼は違った。

 ―――そんなもの認められるか、と。殺害ではなく、生存の否定をするためにきた。

 “生きたい”と“殺したい”じゃない。だってその気持ち二つはぶつからない。

 “生きたいから生きる”と“殺したいから殺す”は、相反するものじゃない。

 進む方向は反対だが、乗っているレールが違う。そのままであれば、衝突なんかしない。

 それらの関わり合いは、すれ違いの通り魔みたいなもの。

 その程度の関係性として成立してしまう」

 

 だから、あの敵は誰よりもシンプルな感情で舞い戻ってきた。

 

「彼の理念は“お前たちだけは生かすものか”という感情だ。

 君たちが“生きたいから生きている”だったから、それと正面から激突するために。

 彼にはそれ以外の結論なんて存在しなかったのさ」

 

 それはきっと、初めてのことだった。

 

「……怖いだろう、その衝突は。

 今まで誰も、個人の“生きたい”という気持ちにだけは踏み込んでこなかった。

 殺意あるものは幾らでもいた。

 カタチを変えた生存や死を妥協の道として示したものだっていた。

 ただ、生きたいなんて願いは認められない、と。

 それほどまでに、真摯に君たちを憎んだものはいなかった」

 

 もうここまででいいだろう、とか。

 生きている価値はどこにある、とか。

 その命に意味はない、とか。

 

 そういう問いに、ただ“生きたい”と返してきた。

 

 初めてだったと思う。

 その“生きたい”に、“許すものか”と返されたのは。

 

「ま、普通ならそんなヤツいるわけないんだけど……」

 

「―――怖がってる、のかな。私」

 

 少女が呟く。

 怖がってはいけないわけではないけれど。

 今まで恐怖しなかったわけではないけれど。

 

 ただ、今までの恐怖とカタチが違う。

 当たり前のように命が摘まれる環境を走り抜いた。

 生存を脅かされる()()は終わった。

 敵は、純粋に命を狙ってくる相手に切り替わった。

 

 これからは見えている地獄の中を走るわけじゃない。

 

 ただただ、普通に走っているところを。

 悪魔に命をつけ狙われるようになっただけ。

 怖いは、怖い。

 

 立香が一度目を瞑り、息を吐く。

 苦悩も、恐怖も、否定はしない。

 前に進む限り、生きる限り、それは必ずついてまわるもの。

 

 ここで弱音を吐いたら、顔を上げて。

 また辛くて動けなくなるまで全力疾走だ。

 人の生とは、ずっとそれを終わるまで繰り返すものだから。

 

「……ソウゴも、なんだよね、多分」

 

 顔を上げる前に、ふとそう呟く。

 

 彼はバアルとは対面しなかったが、間違いなく。

 というより、誰より知っているのだろう。

 オーマジオウに対面したあの日から。

 

 あの日から彼は、ツクヨミのような立場の多くの人間から否定される側になって。

 そして、自分で自分を否定する者になった。

 例え自分の一部分を受け入れても、実在するオーマジオウへの否定は止まらない。

 ああならない、という目的意識は固定されている。

 

 ダ・ヴィンチちゃんが困ったように苦笑した。

 

 数秒。

 立香がそこで深呼吸をして、軽く自分の頬を張った。

 

「―――ところでダ・ヴィンチちゃん、他の装備とかどうにかなったりする?」

「んー……残念ながらすぐにはどうにもならないな。

 ああ、そういえば―――いや、うん。悪いけどすぐには無理かな!」

 

 思い当たるものがありそうだったが、途中で言葉を止める。

 言わないという事はまだ使えないということだろう。

 そっか、と呟いて椅子に座り直す。

 

「じゃあ、次の特異点が出たらサーヴァントは召喚できるのかな。

 それとも今のままで?」

「新宿から回収されたリソースがあるからそっちは大丈夫。

 今回の回収分なら、おそらくはサーヴァント召喚4回分にはなるだろう。

 もちろん令呪も補填した上でね」

 

 サーヴァントとしての戦力はイリヤたちだけ。

 ソウゴもいる。これで戦力が不足している、とまでは思わない。

 だがあるに越したことはないものだ。

 辛勝よりは圧勝の方がいいだろう。

 

 それに頷いて、ダ・ヴィンチちゃんは召喚は可能だと断言した。

 

「そしてその点に関しては重要なお知らせがある。

 なんと、なんとだ」

 

 更に彼女は楽しげに、そういってにんまりと笑った。

 

「英霊召喚にかかるコストを削減することに成功していたのさ!

 今までだったら4回分だったろうリソースで、なんと!

 5回まで召喚可能になったのさ! まあ私は天才だからね!」

 

 それはまるで4個が3個になるように。

 4×4=16だった筈のところ、3×5=15でお得感、的な。

 そのうち一日一回、1個で召喚できるようになるかもしれない。

 

 そうやって胸を張る彼女に対し、首を傾げる立香。

 

「増えるのは1回分だけ?」

「えー、反応うすーい。こう見えて凄く頑張ったんだけどなー」

 

 どちらにせよ5回分の召喚が可能、というのは朗報だ。

 既に契約している立香、ソウゴ、ツクヨミで1回ずつ。

 契約していない(一応ダ・ヴィンチちゃんがいるが)所長が2回。

 これで戦力としては最大値に持っていける。

 

「じゃあ、リソースの回収が終わり次第召喚するの?

 今まで召喚した皆の霊基で再召喚、になるんだよね?」

「うーん、それはちょっと待った方がいいかもだ」

 

 ダ・ヴィンチちゃんが頬に手を添え、僅かに柳眉を下げた。

 

「え、どうして?」

「新宿の情報を改めて精査したところ、問題点が見つかってね。

 下手をすれば、()()()()可能性が出てきたのさ」

「弾かれる……って、レイシフトできないってこと?」

 

 寝耳に水の発言に、立香が驚く。

 それに苦笑しつつ、何故かダ・ヴィンチちゃんは眼鏡を取り出した。

 流れるように装着される英知の結晶(メガネ)

 そうしてから指をピンと立てて、彼女は説明を始める。

 

「レイシフト適正があるマスターは問題ないんだ。

 ただ、サーヴァントはその影響を受ける可能性を考えなくてはいけなくなった」

「でも今までは……」

「その通り、今までは問題なくレイシフトできていた」

 

 困ったものだ、という表情を見せるダ・ヴィンチちゃん。

 

「じゃあどうして?」

「安定してきたからこその問題、というのかな。

 人理定礎は本来揺らぎを許さない。泡と消えるような小さい特異点ならまだしも、正しい歴史への影響を与えうる規模に対しては修正力が発動する」

 

 そこで言葉を止めて、ダ・ヴィンチちゃんが眼鏡のブリッジに指を添えた。

 

 人理焼却が原因だ、とは言えなかった。多分だが、それは違うのだ。

 本来ならむしろ、サーヴァントは特異点に弾かれるようになる。

 正しくその時代にあるもの以外は、歴史の自衛によって排斥されるようになるのだ。

 歴史の運行の邪魔になる“ありえないもの”は、世界が弾き出す。

 

 聖杯を投下された時代は特異点と化し、悪化を嫌ってそれ以上の外からの介入を拒絶する。

 そうして閉ざされた門を越えられるのはレイシフト適性者のみ。

 

 本当はそうなるはずだった。無理を通す裏道はいくらかあるかもしれないが、そもそも多量のサーヴァントを普通に連れ込めた今までがおかしかったのだ。

 

「ご存じの通り、サーヴァントというのは歴史に名を遺した偉人。

 過去や未来に顔を出す異物としては、ビッグネームすぎる。本来ならば存在しない彼らが発生させる影響が、危機に瀕している時代を決壊させる最後の一押しになり得てしまう。だから根本が揺らいでいる時空は、自身に影響を与えかねない存在の降臨を許さない」

「でもカルデアは元から特異点をサーヴァントで攻略するつもりだったんでしょ?」

「ああ、影響が小さいうちに潰しに行くなら何の問題もなかったのさ。

 土台がしっかりしていれば、英雄が着地したって揺るぎはしない。人理焼却という大黒柱が炎上している状況でなければ、サーヴァントの影響なんて無いも同然だとも」

 

「でもじゃあ何で――――」

 

 話が違う。だって、魔神の暗躍は人理焼却よりは小さい事象だ。

 ならば今まで出来た事が出来なくなるのは、道理が通らないというものだ。

 そこまで口にして、ふと今までの戦いが脳裏によぎる。

 悩むこと数秒。思いついたことを、彼女は素直に口にした。

 

「……今までは世界自体が、正しい歴史が分からなかった?」

「―――そうだね。原因は恐らく()()()()()()()()()だ。彼らの歴史が再編されていく過程において、()()()()()は世界自体さえ、把握していないものになっていた。

 何を受け入れ、何を排斥すればいいかもわからなくなっていた、と言えばいいのかな」

 

 人理焼却。その現象は歴史の融合再編に利用されてもいた。

 ゲーティアが最終的に消し飛ばす故に些事、と捨て置いたその事象。

 その余分が混ぜ込まれた結果、世界の混乱は加速した。

 いや、何に混乱すればいいのかも見失っているタイミングがあった。

 

 結果として、ただの人理焼却では見過ごされるはずがなかったこと。

 世界という天秤を揺らし得るサーヴァントの直接レイシフトが見過ごされた。

 それが脅威である、と世界に見做されなかったのだ。

 同時に揺れる世界にライダーの歴史を融合させることで穴埋めし、安定させる。

 それこそが今までの戦いだった。

 

「ん……」

「ではこれからは、というと。もう流石に安定してしまった、と言う事だね」

 

 人理焼却の解消、のみならず。

 回収された歴史は龍騎、ディケイド、ダブル、オーズ、フォーゼ、ウィザード、鎧武、ドライブ、ゴースト、前回の戦いでカブト。そしてジオウ自身。

 代表となるものが恐らく20人、というのであれば手に入れるべき歴史は過半数を超えている。

 

 世界の状態は安定期に入った。もう混乱期は終わった。

 止められない状態にまで移行したのだ。

 あとは進むだけしかないという状況にまで陥った。

 

 かつてオーマジオウが口にした事。

 ソウゴがベルトを捨てれば無かった事になるという位置は過ぎ去ったのだ。

 もう此処からは、どちらかの世界の事じゃない。

 

「……だから、今後の特異点攻略は特異点ごとにサーヴァントを用意するべきだ。レイシフトできるのは、特異点から“こいつは自分が崩壊に至る影響を与えない”と判断されたサーヴァントだけになってしまうから。特異点が判明したらその都度、考察して戦力を用意していくしかない」

「そ、っか……」

 

 息を整えて、ダ・ヴィンチちゃんの言葉に頷く。

 一つの戦いは確かに終わった。

 けれど同時に、確かに新たな戦いが始まっているのだと認めるように。

 

 

 

 

 

 一糸乱れぬ動きで整列する二つの機体。

 黄金の機械兵士、カッシーン。

 荘厳なる玉座の間の扉を開いた彼らは、そこで完全に動きを止めた。

 

 彼らの間を通り抜け、黒ウォズが前に進む。

 ……普段ならば、門番であるカッシーンは一体なのだが。

 どうにも、今日は何か城が騒々しい。

 

 だとしてもこれから謁見の彼に関係はなく。

 彼はいつも通り、時の王者に跪いた。

 

 外からの明かりもなく、照明の類も見えぬ、暗闇に包まれている筈の空間。

 だというのに、何とも分からぬ光源がそこにあるかのように。

 

 確かにそこに光があり、その中に初老の男のシルエットがありありと浮かんでいた。

 

「――――ウォズか。いや、今は黒ウォズ、だったか?」

「お戯れを……」

 

 どこかからかうような王の言葉。

 それに微笑みながら返し、黒ウォズが面を上げる。

 

 オーマジオウの居城へ久しぶりの入城。

 そうしてみれば、どこか落ち着かない城内のざわめき。

 しかし普段と変わらぬとばかりに、彼は一切の緊張を見せることもない。

 

「本日は随分と騒がしいようですが、何か……?」

 

 そこまで口にした時、ふとオーマジオウの背後にある壁が目に入る。

 そうして、あるはずものがない事に気付いた。

 

「我が魔王、それは……」

 

 玉座の間の壁には、彼の有する無数のライドウォッチが飾られている。

 歴史の終着。力の結晶。それらで壁を飾る、結末のインテリア。

 

 あれらは全てオーマジオウの力であり、彼の一部だ。

 一つ一つを手に取るまでもなく、元より彼の中に収められたものでしかない。

 だから本当にそれは、飾られている以外の意味を何も持たないもの。

 

 だが、その中でもオーマジオウの背後にある20個は特別なもの。

 それらは特に特別な意味を持っている、が。

 

 そこには何故か、19個しかウォッチがなかった。

 

 いや、そこから1つがいま失われているのは知っている。

 それを持ち出したのは黒ウォズなのだから。

 だからその代わりにと、王はそこに代わりのものを飾っていたはずだ。

 必要性の問題ではなく、隙間が空いてる事を嫌ってだと思うが。

 

 だというのに、それが無い。

 

「どうやら私が外に出ている間に、何者かが侵入したらしいな」

 

 その事実をさらりと受け流し、王はカッシーンに目を向けた。

 入口で深く頭を垂れる二体のカッシーン。

 

 それでか、と納得する。

 

 この城内のざわめきは、侵入者が原因らしい。

 その侵入者はどうにかしてこの玉座の間まで辿り着き、ウォッチを盗んだ。

 挙句、オーマジオウがいなかったとはいえ、そこからまんまと逃げ果せた。

 

 それはまた、城内の連中はさぞ肩身が狭いことだろう。

 オーマジオウは気にしてもいないようだが。

 しかしこんな有様では親衛隊であるカッシーンたちも憤る。

 

 それにしても、このオーマジオウの居城に侵入してみせるなど。

 一体誰が――――

 

「お前が居たレジスタンスどもの最後の生き残りだったそうだ。

 そやつはどうにかここまで辿り着き、ここからウォッチとドライバーを持ち出した。

 私が力を込めていたブランクを己で染めて、変身してな」

 

「―――――」

 

 ……彼が知っている限り、レジスタンスの生き残りは二人だけ。

 そのうちの一人はツクヨミであり、今はカルデアに身を寄せている。

 であるならば、残るのは一人。

 

「それは」

「何も言わずともいい。ドライバーは勿論、あのウォッチも幾らでも替えが利く。

 ただお前は、今まで通り若き日の私についていればいい。

 今まで通りに好きにさせておけ。どちらもな」

 

 王はそこで話を打ち切った。

 

 しかしドライバーはまだしも、ウォッチはとんでもない。

 恐らく殺到しただろうカッシーンが突破され、逃げられたのも道理だ。

 何故って、それはオーマジオウが己の力を籠めていたウォッチのはずだ。

 今は失われていても、若き日の自分が2018年に到達した時点で元に戻るように。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんなものを奪い取り、自分のものに染めてしまったというのか、彼は。

 

 そんな事を考えている黒ウォズに、オーマジオウの視線が向けられる。

 好きにさせておけ、という王命が下っているのだ。

 これ以上気にしては叛逆も同然だろう。

 

「……既に遂げた者はともかく、以降の警備体制については一考の余地があるかと」

「必要ない」

 

 警備に関する話を上申しようとすれば、バッサリだ。

 そもそもオーマジオウを害せる相手がいるはずもない。

 だから警備など必要ないと言われてしまえば、それでおしまいである。

 

 だがこうなってみれば、強盗は成立しないがコソ泥なら通ると証明されてしまった。

 

 それでも、ただ。

 王がいない間無防備になるウォッチを引っ込めてくれれば、それだけで終わる話。

 だというのにオーマジオウはそれも一切認めない様子だ。

 彼はこの玉座の在り方を改める気はないらしい。

 

 それはなぜか、という思考をしようとして。

 ふと感じること。

 こうして改めて見ると、どこかを思い出させる。

 この時計を壁いっぱいにかけた光景は―――

 

「どうした、ウォズ」

「――――いえ、何でもありません。我が魔王」

 

 問いかけられて、咄嗟に頭を垂れる。

 

「そうか。して、若き日の私たちの時代の様子はどうだ。

 カルデアの者たちのように、人理焼却から取り戻した時代で動いていたのだろう?」

 

 “ああ、そうか”と。

 

 どこかわざとらしいオーマジオウの声に、先程の思考が答えに辿り着く。

 人理焼却で戻ってきた時代で、彼はまたいろいろと動いていた。

 その中で、当然のように行った場所がある。

 この玉座の光景は、そこを思わせるのだ。

 

 ―――ライドウォッチ。

 歴史を刻んできて、しかしもう既に動きを止めた時計たち。

 もう動かない時計を壁に貼り付けている初老の男。

 彼が僅かに顎を上げた。

 

 もう動かない時計の価値とは何だろう。

 かつて動いていたとしても、もう動かないなら役目は果たせない。

 過去を偲ぶための思い出の品、以上にはならない。

 

 もう動かない数多の時計に囲まれた男が、笑うように小さく喉を鳴らす。

 

 いつか、彼らはそんな話をしたかもしれない。

 

 ……二人の住処にはいっぱい時計があった。

 

 動いているものがいっぱいあった。

 電池が切れて動かないけど、電池を入れ替えれば動くのも結構あった。

 誰にも直せず、もう二度と動かないヤツもそれなりにあった。

 

 もう動かない時計に価値なんてあるの? と少年は訊いた。

 もう動かない時計に価値を見出す人だっているよ、と時計屋の店主は返した。

 

 ―――ああ、まったくその通り。

 彼こそはけして動かぬ、最大最強の大時計。

 時計の針を塞き止める、最低最悪の時の王。

 

 此処こそが彼にとっての時計塔。

 無数にあれど、一つ残らず二度と動かない時計に囲まれた無音の鐘楼。

 この玉座にあるものは一つとして意味の無い止まった時計。

 

 だから。

 この場にある、価値なき止まった時計に何かを求める者がいるのならば。

 彼は、それを阻むことはしない。

 結果として正面から叩き潰すことはあったとしても。

 

 玉座から、黄金の王はゆっくりと立ち上がった。

 歩き出す王は傅いている黒ウォズの横を通り過ぎる。

 

「問題がないならばそれでよい。これからも若き日の私を導くがいい」

 

 すれ違いざまにそう言って、彼はそのまま王の間を退出しようとする。

 

「お待ちください、王よ」

 

 引き留めようとするカッシーンの声。

 それに耳を傾けることなく、彼はそのまま歩みを止めない。

 カッシーンもまた二体とも、慌てつつ王の後ろにつき離れていく。

 

 立ち上がり、そんな背中を見送りながら。

 小さく、黒ウォズは眉を下げた。

 

 

 

 

 

「……私の知るところによれば」

 

 傅く巨体、銀色の機械の戦士。

 己のタイムマジーンに背中を預けながら、白い服の男が本を開く。

 本というよりノート、タブレット端末のようなものだが。

 

「2019年、オーマの日。

 その日、世界を混沌に陥れる最低最悪の魔王を打倒する、救世主が現れた」

 

 彼の背後の闇の中、浮かび上がる赤い戦士。

 その姿をちらりと見て。

 

 すぐに赤の戦士の前に浮かぶのは白銀の戦士。

 光に浮かぶものと闇に沈むもの、二重に重なった時計が姿を形作る。

 現れるのは、仮面ライダージオウⅡ。

 

「ですが、どうにも思った以上に魔王の力は増大している様子。

 随分と前倒しで進化に至ってしまっている」

 

 対面するように立つ赤い戦士。

 その姿が一際強く、眼光をイエローに輝かせた。

 赤いボディに重なるように掠めていく、烈火と疾風の残光。

 

「となれば……こちらも少々急がなければいけないようです」

 

 白い男―――白ウォズが手の中で、キカイのウォッチを弄ぶ。

 彼はそこで少し、苛立つように眉を上げた。

 本来ならばここでもう一つ集まっていた筈、とでもいうかのように。

 

「……今回はほんの挨拶。

 ―――だが、我が救世主が最低最悪の魔王を打ち倒す奇跡の瞬間は近い」

 

 マジーンに背を預けていた白ウォズが体を起こす。

 彼はそのまま闇の中に歩き始めた。

 

 そこで闇の中に、僅かな残像が混じる。

 

 真紅の月の許、夜闇を駆ける忍びが一人。

 鎖された背徳の村、そこに蔓延する謎の答えを出す者。

 その果てに完成する赤と青。

 

 ―――微笑んで、そちらに向かっていく白ウォズ。

 彼の手の中にあるノートの画面には、

 

【明光院ゲイツは決死の覚悟でオーマジオウの玉座にまで辿り着き、仮面ライダーの力を手に入れる。そして若き日の魔王、常磐ソウゴと相見えるのであった】

 

 そう、書いてあった。

 

 

 




 
 なんか平安京で出てきた実は連れていけるメンバーに凄い制限有りという話。
 1部では皆で行ってた? だいぶ時空が歪みだしているな…
 今までは歴史が融合していく状況なせいでガバガバだったけど、進捗半分を過ぎて安定期に入ったのでこれからは弾きます、みたいな。
 制限が増えるとむしろ楽しいみたいなところあるかもしれない。色んなサーヴァント書けた方が楽しいもんね。(適当)

 ところでなんかオダチェンなくなったんですけど…なんで…?

 明光院ゲイツ…一体何者なんだ…
 レジスタンスのライダーです。

 我が救世主は一体どんな風にウォッチを手に入れたのか。
 小説版を読んで自分なりの解釈をしてみる。

 壁にアナザーウォッチをかけていたアナザーオーマ。
 もう直せない壊れた時計も壁にかけたままのおじさん。
 じゃあオーマジオウはどうしてるかな、と。
 自分は同じように全部壁に飾ってるかもしれないな、と思ったというお話。

 だから不在の時に城に侵入できて盗めたんだろう、みたいな。
 それ結局ゲイツウォッチはどこからでてきたんや。
 このSSにおいて奪ったウォッチはオーマジオウが力を込めたブランクウォッチ一つ。
 カッシーンに追い詰められて、それがゲイツウォッチに変わった感じ。
 


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地底の王国2017

 

 

 

()()()? 地底、って。地面の下ってこと?」

「どうやら今回はそうらしいですねー。

 まさかの地下王国、悪の総本山って感じです!」

 

 何が楽しいのやら揺れるルビー。

 王国とまでは言われてないし、とイリヤが頬をちいさく引き攣らせる。

 そんな少女に対して、ルビーはいかにも心外とばかりに声を張った。

 

「なにをおっしゃいますイリヤさん! 地下王国と言えば地の獄に日向の花が咲き誇り、メイド型愉快式決戦兵器が溢れ、面白おかしい空間が広がっているというのが通説じゃありませんか!」

「そんな通説が一体どこの地上に流れてるの!?」

 

 きゃーきゃー喚くそんな姉に対し、即座にサファイアが動く。

 彼女は上部からアンテナらしきものを生やすや、そこから指向性の電波を発信。

 ルビーの中枢回路に対し攻撃をしかけた。

 すぐさま悲鳴を上げて、空中でのたうつ魔法のステッキ。

 

「あばばばばばば」

「姉さん、イリヤ様たちの邪魔はやめてください」

 

 蚊取り線香に近付いた蚊のように、ぽとりと落ちるマジカルルビー。

 そんな相方の姿を何とも言えない表情で見届け、イリヤは視線を前に戻した。

 そこに広がっているのは、彼女の年齢に合わせた学校の教科書だ。

 

 ふぃー、と目の前の光景に溜め息ひとつ。

 彼女がそうしている内に、からからとテーブルの上をシャーペンが転がる音。

 

 音の方に視線を向けてみれば、どうやらクロエが手にしていた文具を放ったらしい。

 クロはそのままべったりと上半身を突っ伏して、不満げな声を上げる。

 

「まったくもー、なんでわたしたちまで勉強になるのよ。

 せっかくのバカンス気分が台無しじゃない、これじゃ」

「別にバカンスをしにきているわけではないけれど」

 

 手にした教科書から視線をずらし、美遊はそう言う。

 もっとも彼女は見込まれて教師側。

 イリヤとクロエに対して教える側である。

 何なら立香やソウゴに教える側にも回れる人間なのであった。

 

「でも、その情報が出てきたってことはまた戦いがあるってことだよね?」

「それで今度は地底って? どうせ行くならそんな暗そうなとこより、もっとぱーっとした観光名所みたいなとこ行きたいんだけど」

 

 イリヤがそう首を傾げている前で、不満げに腕をぱたぱたと動かすクロ。

 軽く溜め息を吐きつつ、美遊が手にしていた教科書を閉じる。

 

「……確かにぱっとした華やかな場所ではなさそうだけど、興味深いとは思う」

「確かに地層を内側から望める、というのは得難い経験ではあるかと」

 

 マスターの言葉にサファイアが深々と頷く。

 前の戦いにおいて、地下にある冥界が戦場の一つになった事は知っている。

 もっとも今回は近代、恐らく20世紀以降らしいのでそんなものはないだろうが。

 

「ただそもそも、わたしたちサーヴァントは参加できるかどうか調べるところから。

 わたしたちはレイシフトについていけない場合も……」

「いえいえー、皆さんの場合は心配ないかと。だってそもそもサーヴァントではあっても魔法少女であって英霊ではないですし。

 あのお話は要するに、特異点が自衛のために独自の基準で設けた入口の検問、検閲を突破(クリア)できるかどうか、のお話。試合の前の計量みたいなものです。

 そして測るのは体重ではなく時代への影響力。世界が設定した、“この時代にいちゃいけない度”が閾値を越えているかどうかを測っているわけですねー」

 

 ふらふらと浮き上がるルビー。

 そんな彼女の声を聞きつつ、体を起こしたクロエが肩を竦める。

 

「つまりわたしたちみたいな一般人は、どこにいても影響力がたかが知れてるから、そんなのに引っかかるはずがない、ってわけね」

「クロさん以外は一般人じゃなくて魔法少女ですよう。

 つまりどこにいても(可愛いから)許される、というわけです!」

 

 くるくる回るルビーに消しゴムを弾くクロ。

 着弾したそれが魔法のステッキを撃墜し、彼女はまたも床に落ちた。

 そんな姉をちらりと見てから、サファイアが話を続行した。

 

「魔法少女に関してはともかく、おおよそ姉さんの発言の通りです。

 美遊様たちが弾かれる、というケースはほぼないかと。

 今回召喚なされるサーヴァントと合わせ、最大戦力での攻略は可能になるはずです」

「戦える人が多いに越したことはないもんね、うん」

 

 しみじみとそう呟くイリヤ。

 それに同意するように深々と頷いて、美遊が続けた。

 

「その特異点における検問の精度。誰なら弾かれないかが判断出来次第、サーヴァント召喚を実行するって言っていた。わたしたちもサーヴァントとして、それに立ち会うようにと」

「へえ、ちゃんとした召喚が見れるんだ。それは結構楽しみ」

 

 関心アリ、と言った風に目を開くクロエの前。

 美遊が改めて手にしていた教科書を開き、少女たちが広げたノートを見下ろす。

 

「そのためにも、課題は一段落させておくべき。じゃあ続けて」

「ふぁーい……」

 

 今日の範囲を確認しながら静かにじいと見つめられて。

 そのプレッシャーを前にして、同じ顔二つが同じ表情を二つ並べて動き出した。

 

 

 

 

 

「なるほど、初等部は成功だったんですね。流石は美遊さんです」

「? そちらでは何か問題でも?」

 

 一通り今日の授業予定を終えた後、集まった先は召喚室。

 オルガマリー所長からの通達を受けての招集。

 つまりは、目処がついたサーヴァント召喚の儀式が今から始まるということだろう。

 

 そうして待機している間の会話の中、首を傾げた美遊。

 彼女に対して何と言い返したものか、とマシュが苦笑を浮かべた。

 少女はその態度を見て、よりいっそう首を倒す。

 

 マシュの頭の上では、フォウもどこか不思議そうにしている。

 

「さて、問題とするべきかどうかは難しい。

 そういった生徒がいる事もある意味まっとうな学生生活、と言えなくもないからね」

 

 言葉を詰まらせているマシュ。

 彼女に代わって口を挟むのは、召喚室を物色していた名探偵。

 彼の声に振り向いて、美遊はホームズへと視線を向ける。

 

「―――つまりは、だ。ミスター・常磐はまったく集中していなかった。

 というか、半分寝ていたようだが」

 

 向けられた視線に対し、彼は端的に事情を暴露した。

 苦笑する立香の隣でどこ吹く風という表情のソウゴに集まる目。

 

「ずるーい! わたしたちは鬼教官になったミユに絞られてたのに!」

「……別にそう難しい課題は出していないと思うけど」

「いや。だって俺、王様になるし。勉強とかはあんましなくていいかなって」

「たぶん色んな国の王族とかはちゃんと勉強してると思う……!」

「為政者である以上、むしろ誰よりお金をかけた教育がされる人種ですねー」

 

 飛び交う身も蓋もない反論。

 喧々囂々と責め立てる勉学に励んでいた少女たち。便乗する魔法のステッキ。

 それを聞かなかったことにして、ソウゴは顔を背けた。

 目を向けた先は召喚室の入口で―――そのタイミングで、丁度。

 

「やあ、お疲れ様。後は所長とレオナルドが来たら始めよう」

 

 自動扉が開放され、そこからロマニが入室してくる。

 彼は少女たちに責められている少年を見て、目を困惑で瞬かせた。

 

「って。どういう状況だい、これ」

「ソウゴが授業を聞かずに寝ていた、っていう話です」

「ああ、それは。まあ何ともそれらしいというか」

 

 ツクヨミに補足されて納得したように頷くロマニ。

 そんな彼の反応にどこか不満げに、ソウゴは腰に手を当てる。

 

「えー……じゃあロマニは勉強してたの?」

「ボク? ボクはそりゃあ死ぬ気で勉強したさ。

 そうじゃなきゃ今ここに医者として立ってない、ってね」

「そっちじゃなくてさー」

 

 より不満そうなソウゴの顔。

 その様子に乾いた笑いを漏らしつつ、ロマニは腕を組んで唸って見せた。

 

「いやぁ……そっちに関してはまあ、そうだね。

 どちらかというと望むまでもなく授け与えられるモノだった、かもだ。

 だから、従順ではあっても勤勉ではなかったんじゃないかな?」

 

 もはや他人事とばかりに彼はそう推測の言葉を並べる。

 彼の言葉を聞き、どこか自信有り気にうんうんと頷きだすソウゴ。

 

「つまり、王様なら大丈夫ってことだよね!」

「何が大丈夫なのよ……」

 

 何が根拠なのか自信溢れる彼に対し、呆れるツクヨミ。

 

「ソウゴさんは興味のある事でしたら集中力が持続するようなのですが、その。

 それ以外だとどうも続かないらしく……はい」

「歴史だとちゃんと集中が続くよね、ソウゴは」

 

 言葉を濁すマシュに続け、立香が今日の様子を思い返す。

 日本史、世界史。国家の推移を掘り下げる点に関しては、と。

 分かりやすい彼の興味に対して、一周回って感心するという声。

 

「それはそう。王様になるために必要だ、って思った勉強ならちゃんとするよ、俺。

 だから今までだって色々参考にしてるし」

「ははは……まあ実際、人理焼却は多くの国家、王を巡る旅路だったからね。

 ためになったのなら何よりではあるけれど」

 

 人理焼却によって巡ってきた数々の特異点。

 その旅において出会ってきた、時代に名を残した王、英傑の数々。

 それを回想する、間もなく。

 

「まあ流石に次の特異点においては、王として学べるものはないかもね。

 何せ時代が西暦にして2000年、中央アジア・ヒマラヤ山脈直下の地下空間だ。

 ま、前人未到の地下国家がある可能性は否定できないけれど」

「ダ・ヴィンチちゃん」

 

 会話の最中、再び開く自動ドア。

 その向こうから顔を出すのは天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ。

 彼女が入ってくると、その後ろについてオルガマリーもまた入室してきた。

 

 彼女が手にしていた資料がツクヨミの手に渡される。

 渡されたのでそれを読み始めた彼女を横目に、所長は口を開いた。

 

「外から分かる限りでも、地底空間は相当に広大よ。

 本当にそんな空洞があったなら、地上に影響が出ないはずがないほどに」

「―――ふむ。そんな場所に仮に都市、国家があるとするならば。

 それは正しく、伝説に云うアガルタのようだが」

 

 ホームズの相槌に肩を竦めるオルガマリー。

 そうして出てきた名前に対し、立香が声を上げる。

 

「アガルタ?」

「アジアのどこかにあるとされる、地下都市の伝承ですね。地下ではありますが中心には小さな太陽があり、高度な文明社会を築く地底(アガルタ)人が生活している地底国家とされています」

 

 マシュによって簡潔に補足され、なるほどと頷く立香。

 

「そういう伝説がある、というだけで特異点としてそれを成立させるのは難しい話よ。

 メソポタミアの地下に冥界があった、ってのとは別次元。

 神代にそういう幻想都市があった、ならば別に何の問題ない。

 けれど、物理法則が定まった西暦以降の地下にそんな幻想都市は成立しない」

 

 だが、成立しないという事が発生しないという事と同義ではない。

 成立しないほどに破綻した特異点は、ただ泡沫のように消えるだけ、という話。

 人理。正統な歴史に瑕疵をつけることなく、ただ無かったものとして消えていく。

 本来ならばそうなるはず、と。

 

「でもこうしてる、ってことはそうじゃないって事だよね?」

「……そうね。どうしてか、この推定アガルタは西暦2000年に実在してしまっている。

 これを維持されること、それ自体が人理に瑕をつける行為といって差し支えないでしょう」

 

 存在しない筈のものが、そこに実在してしまっている。

 それが明かされた時には必ず揺らぎが起こる。

 この特異点の存在は確かに、人理に対する攻撃と見做せるものだった。

 

 新宿の『人理など知ったことか、望みはカルデアだけ』という態度とは程遠い。

 そう感じて、美遊が問いかける。

 

「ところでこれは、魔神が原因と考えていいんでしょうか?」

「ああ、それは間違いない。特異点の発生と同時に確かに魔神の反応があった。

 今はもう感知できないが……恐らく何ものかに潜んでいると思われる。

 例えば表に立たせるためのサーヴァントと一体化したり、とかだね」

 

 ロマニからの返答に一度頷いて、彼女は納得を示す。

 次に声を上げたのは、そんな彼女の横で資料を見ていたツクヨミ。

 

「それで、召喚するサーヴァントなんですけど……」

「そこに書いてある通り、現状でも条件はどこか判然としない。こちらで観測した事のある霊基と一通り照らし合わせてみたが、通れる条件の把握は微妙な感じだ」

 

 溜め息混じりのダ・ヴィンチちゃんの言葉。

 それ聞いて眉を上げ、ツクヨミに顔を向けるホームズ。

 その態度から、彼女は素直に資料を彼へと手渡した。

 

「なので、特定の誰かの再召喚にチャレンジする、ということはしない。

 フェイトの召喚システムに推定アガルタの情報を入力して、最初から選別した召喚を執り行うんだ。ここで召喚できた=そのまま推定アガルタにレイシフトできる、という事になる」

 

 なるほど、と頷く者たち。

 誰かに狙いをつけるのではなく、推定アガルタと同じ条件をこの召喚につけてしまう。

 そうすれば最初からレイシフトできるサーヴァントしか召喚されない。

 

 選べた方がいいのは確かだ。

 が、そもそも召喚されるサーヴァントが常に確定しているわけではない。

 確率を上げることはできても、100%に持っていけるわけではないのだ。

 

 だからこそ推定アガルタが特異点に割り込める条件としているものを絞り込み、それを活用しようとしていたのだが、絞り込み自体が困難だという結論が出た。

 ならもうしょうがない、と。推定アガルタから得られた情報を選ばず全部突っ込み、フェイト自体に選別も任せてしまえ、という思考の投擲だ。

 

「ところでさ、もうアガルタでいいんじゃない?」

「うん。まあ、そうだね」

 

 言われた事に強く頷き、ダ・ヴィンチちゃんが一つ咳払い。

 

「つまり誰が呼ばれるかは完全に分からない、っていうことですか?」

「と言っても、基本的な部分は変わらない。

 出来る限り縁のあるサーヴァントから選別される、という方式はそのままだ。

 “そのサーヴァントはアガルタに行ける”という前提条件が一つ追加されただけ。

 というわけで、一応は君たちの顔見知りが召喚される可能性が高い筈だよ」

 

 ツクヨミからの問いかけに答えを返すロマニ。

 それを聞いてから数秒置いて、立香がもう一つ問いかけた。

 

「……ちなみに、それで呼べたサーヴァントは私たちのこと」

「カルデアが時空を漂流している状況は改善された。

 だから彼らが召喚されたとして、その記憶は記録となっているかもしれない。

 ただフェイトによる再召喚は記録された最終霊基の再現でもある。

 覚えている、ということもあるかもしれない。そこはやってみなきゃ分からないね」

 

 あえて平坦にそう返したダ・ヴィンチちゃんに笑って頷き返す。

 

 そうして状況から離れ、資料を眺めていたホームズ。

 彼が指を這わせていた紙面に書かれた事に、僅かに眉を上げた。

 

「――――おや?」

「うん? どうかしたかい、ホームズ」

「……いや、ここにある数値が少し引っかかってね。

 まあ大した事じゃない。混乱を招かないようにこれ以上は黙るとしよう」

 

 彼は軽く首を横に振りながら、資料を畳む。

 

「その思わせぶりな態度が一番混乱を招くんだけどねぇ」

「――――では、これから地底都市アガルタ攻略部隊編成のため、サーヴァント召喚にとりかかります。マスター適性者は順番に召喚を行ってください。

 契約サーヴァントたちは念のため警戒に当たるように」

 

 ぱん、と一つ手を叩き、オルガマリーは話をまとめる。

 アガルタの攻略を考えるにしろ、それは召喚を終わらせてからだ。

 何せ行く事になるサーヴァントが誰かもわかっていない。

 まずはこちらの戦力を確定させなくては話にならない、という当たり前の話。

 

 彼女の指示に頷いて、マスターたちが動き出した。

 

 

 

 

 

「そう、私だヨ!」

 

 どばーん、とジェームズ・モリアーティが目を見開く。

 彼が引っ提げているのは複合兵装棺桶、ライヘンバッハ。

 魔弾の射手マックスと融合する事で成立した、アーチャーである彼の宝具だ。

 

 立香に召喚されたそんな悪党の顔を見るホームズ。

 どこか舌打ちしたげな顔で見据えてくる好敵手を前に、モリアーティがにやりと笑う。

 

「おや、どうかしたかネ? 私に負けたホームズくん」

「…………いいや。大した事ではないとも、モリアーティ教授。

 せっかく記憶があるんだ、どうやってキミに魔神の事を洗い浚い話させるか考えていただけさ」

「そうは言っても、私の持ってる情報がバアルより多い筈もない。

 そもそもの話として私はバアル以外の魔神の行動、理念に何の興味も抱いていなかった。

 私たちはただ、私たち自身の目的のみを志していたのだから」

 

 お手上げ、と両手を上げて見せるモリアーティ。

 召喚に応じておいてここで嘘を吐く意味もないだろう。

 確かに、そもそも彼にとってもこの件に関してはバアルしか情報源が無かった。

 であるならば、ホームズがバアルの中で得た情報以上のものが出るはずもない。

 

 呼び出したと同時にホームズを煽るサーヴァントに対し立香が一息吐く。

 

「それで、プロフェッサーはもう何も知らないって事でいいんだよね?」

「モチロン。わざわざウソなどつかんさ。

 ウソをつかずに誘導した方が言い訳と後始末が楽だからネ!」

 

 立香の護衛として立っていたイリヤが何とも言えない、と口元をひくつかせた。

 本当によくもまあ召喚に応じたものだ、と。

 

「……随分と物騒と言うか、何やら無視できない話をしているね。

 キミたちは敵方をおおらかに迎えすぎなんじゃないかな、と私は正直思っているわけだが」

 

 魔神側にいたというモリアーティを見て、胡乱げな表情を浮かべる騎士。

 その姿こそは、かつてフランスで死合った白百合の騎士。

 シャルル・ジュヌヴィエーヌ・デオン・ド・ボーモン。

 即ち、セイバーのサーヴァントとしてソウゴに召喚されたシュヴァリエ・デオンであった。

 

「そう?」

 

 ソウゴがデオンの視線を追ってみれば、そこにいるのは竜の魔女。

 オルガマリー・アニムスフィアのサーヴァント、ジャンヌ・オルタ。

 彼女は再臨した状態で再召喚され、どこか満足気にしている。

 

「ま、そういうお人好し? 的な感じの集まりだから。気にしない、気にしない」

「お人好し、とはまた違うと思うが……まあサーヴァントとして呼ばれたからには、適宜お節介でも口を挟んでいくさ。

 そういう役割も必要―――いや、そういうのはあっちの胡散臭いヤツの方が得意そうだな」

 

 クロエの言葉に肩を竦めようとしたデオン。

 しかし途中で肩を止め、先程まで見ていたモリアーティに視線を向ける。

 なんと、一目で分かる汚れ役担当。

 

 デオンの言葉に同意するように、黒い騎士王が鷹揚に頷いた。

 

「汚れ役を避ける気はないが、あそこまでの適役に並ばれてはな。

 騎士が剣を執るように、司祭が杖で祈るように、悪漢は奴にやらせておけばいい」

「確かに」

「適材適所、ということですね。

 家政婦が料理を担当するならば、掃除を担当するメイドもいると」

「なんで家政婦とメイドで分けたの……?」

 

 ツクヨミのサーヴァントとして降臨したアルトリア・ぺンドラゴン。

 新宿と同じように黒化している彼女の言葉。

 それにしみじみと同意を見せる美遊とサファイア。

 

「なんか美遊くんって常に私へのあたりが強くないかネ?」

「逆になんで優しくされるなんて思いあがれるのよ」

「うーん、でもほら、なんか本能であたり強めになる相手、ってのもいるし。

 そういう相性なのかも」

 

 呆れるオルタの言葉に対し、桃色の髪のサーヴァントがそう口にする。

 バサリと翻る白いマントを纏った男性とも女性ともつかない中性的なその姿。

 

「あればっかりは多分どうしようもない。

 まだ会ったばかりだけど、黒いジャンヌはそんな感じにはなりそうになくて嬉しいよ!」

「なんで私なのよ」

 

 サーヴァント・ライダー、真名をアストルフォ。

 シャルルマーニュ十二勇士に名を連ねる騎士の一人。

 オルガマリーの二人目の戦力に他ならない。

 

 一通りの作業を終えた状態でがやがやと騒がしい召喚室。

 そこで終了操作を行いつつ、ロマニが顎に手を添えた。

 

「しかし、新宿から続けてのサーヴァントが多かったね。

 これもアガルタの性質、ということだろうか」

「私としては特にアーサー王の召喚が叶っている事が驚嘆かと。ミスター・アストルフォもですが、英雄としての格式高い彼女たちの降臨をアガルタが許すとは」

「……ふーむ。確かにどこか作為的なものは感じる。

 何か、アガルタが素通りさせてもいいと設定している共通の属性があるのかもしれないね」

 

 同じくホームズとダ・ヴィンチちゃんが思考を回す。

 そんな彼らの会話に出てきた言葉。

 そこに引っかかるものがあって、イリヤがぴたりと動きを止めた。

 

「…………あれ、いま何か変な言葉を聞いたような?」

「分かりますとも、イリヤさん。

 男の娘は魔法少女になれるか否か。なれたとしてそれは正統な“少女”なのか。

 魔法少女界における永遠の命題の一つですよね」

「あれで男性なのね、アストルフォ」

 

 どこか感心した様子のツクヨミ。

 容姿や声のみならず、ぱたぱたと動く彼の所作。

 外から見る分には、あらゆる点が彼の性別を特定させない不思議。

 

「そういえばデオンはどっちなの?」

「うわ、本人に直接訊く? 普通」

 

 その話題に便乗するかのように、ソウゴがデオンへと問いかけた。

 すぐにからかうような事を言うクロエも、興味有りげにデオンを見つめる。

 

 容姿で言うならばデオンはむしろ女性的だろうか。

 だが所作に関しては男性的なものを感じさせる。

 どちらにも取れて、どちらとも言えない。

 意図してそうしている様子のデオンに対し、投げかけられた疑問。

 

 白百合の騎士は軽く帽子を押さえ、溜め息交じりに返す。

 

「マスターの望むままに。

 キミの要望に合わせるよ、どちらにでもなれるのが私だからね」

「どっちにもなれるんだ。でもそれって……」

 

 絶対ダメな質問がでるな、と。

 即座に察知した立香が動き、ソウゴの口を背後から塞いだ。

 

 マシュがそれを見てほっとした様子で胸を撫で下ろす。

 そんな彼女の頭の上で眠そうに欠伸をするフォウ。

 

「相変わらずねぇ、ここ」

「そう簡単に変わるなら誰も苦労しないわよ」

 

 メンバーは多く変わったが、雰囲気は変わりゃしない。

 そう笑ったオルタに対し、オルガマリーが溜め息ひとつ。

 

「人理焼却だろうがその後のこれだろうが変わらなかったのだろう?

 ならもう何があろうと変わるまい。

 それが生むのが気苦労だけか、あるいは誇りもか。それは当人の意識次第だろうが」

 

 アルトリアがそう言ってオルガマリーに視線を送る。

 彼女はすぐにふい、とその視線から顔を逸らす。

 

 ホームズが、そこでぽつりと。

 

「アーサー王は言うまでもなく、アストルフォもまたイングランドの王族。

 さしあたって思い当たる共通項はその点でしょうか」

「つまり王様だとフリーパス?」

「騎士ならばフリーパス、という可能性もあるが」

 

 ソウゴからの問いかけに対し、ホームズはデオンに視線を向ける。

 白百合の騎士は帽子に指をかけて、どこか居心地悪そうに視線を彷徨わせた。

 そんなデオンの顔を不思議そうに覗き込むアストルフォ。

 

「だがアガルタの発生個所はヒマラヤだ。イングランドの王族が何か関連するかい?」

「いや、そこは深く関連してはいけないんだよ。特筆するべき関係があるということは、影響を与え得るということだからね。

 ―――だというのに揃って彼女たちが呼ばれた、というのは考えさせられるけど」

「ボクは王族ではあったけど王ではないんだけどなぁ」

 

 デオンから視線を外し、ダ・ヴィンチちゃんの言葉に不思議そうに首を傾げる。

 そんなアストルフォの様子を横目に、モリアーティが言葉を投げた。

 

「ふむ、そうだネ。では一応残りのメンバーが特異点に弾かれない理由を考えておこう。

 ジャンヌ・オルタは割と簡単な話だ、それは成立が特殊で正規の英霊とは違う事。これは幻霊と混ざっている今の私にも言える事だが。

 そしてデオンくんは活躍がスパイとしてだからかな、暗躍が主なのは私もだが。影の存在であるが故に目立たない、みたいナ?」

 

 軽々に言われた適当な理由。

 それを聞いて、デオンは呆れるように片目を瞑ってみせる。

 

「……適当だな」

「そういう男なのです、彼は」

「言うネ、シャーロック・ホームズ。

 そこまで言うならば、君が解き明かしてくれてもいいのだが?」

 

 その状況で流れるように話をパスされるホームズ。

 彼はそれに片眉を上げると、そこで数秒考えこむように静止。

 そして再起動した暁に、いつも通りの言葉を吐き出した。

 

「――――いや、そこはまだ語るべき時ではないだろう」

「こういう男なのだヨ、彼は」

「二人揃って適当だな!」

 

 やれやれ、と肩を竦め合う探偵と犯人。

 そして叫ぶデオンを見て、立香がどこか不思議そうにする。

 

「思ったより仲良いね、二人とも」

「笑いながら抱き合えば隠し持ったナイフで背中を狙えるからネ。

 いつでもそう出来る関係の構築は重要だ」

「同意しよう。その距離ならキミのナイフより私のバリツの方が速い。

 獲物がわざわざ射程内に入ってくれるのはありがたいとも」

 

 顔を合わせ、にこやかに笑い合う二人。

 そんな朗らかなやり取りを見て、アストルフォも楽しげに笑う。

 

「うんうん、いつでもハグできる仲なんて素敵だと思うよ」

「理由が明らかに不穏なものだったのですが……」

 

 マシュは刺し合うようなそんな二人の様子を見て苦い顔。

 

 彼らのやり取りに溜め息を落としつつ。

 ロマニが召喚室のシャットダウンを終えたのを見届けたオルガマリー。

 彼女が軽く手を叩いて注目を集め、声を張った。

 

「とりあえず召喚は終わったわ。

 これから管制室に行き、レイシフトの調整を行いつつ改めて状況の共有を行います。

 その後、レイシフトを実行。―――特異点、アガルタの攻略を開始するわ」

「おー!」

 

 返ってくる声と共に振り上げられるアストルフォの拳。

 それを見てマスターたちが顔を見合わせる。

 え、やるの? という顔を浮かべるツクヨミの横、拳を握る立香にソウゴにマシュ。

 仕方なし、タイミングを合わせて四人揃って腕を振り上げた。

 

「おー!!」

 

 そうして喊声を上げた面々が、揃って前を見る。

 その先にいるのは当然のように、オルガマリー。

 代表して問いかけるのは彼女のサーヴァント。

 

「あれ、マスターはやらないの?」

「やらないわよ……」

 

 アストルフォからの問いかけに呆れ声を返す。

 そのまま彼女は踵を返し、召喚室から管制室に向けて歩き出した。

 

 

 




 
 ふぇええ…月の裏側は遠そうだよぅ…

○マスター 藤丸立香
 キャスター:イリヤスフィール、アーチャー:ジェームズ・モリアーティ

○マスター 常磐ソウゴ
 アーチャー:クロエ、セイバー:デオン

○マスター:ツクヨミ
 キャスター:美遊、セイバー:アルトリア・オルタ

○マスター:オルガマリー・アニムスフィア
 アヴェンジャー:ジャンヌオルタ、ライダー:アストルフォ

 偏りすぎぃ。

 ホームズが気にしたのはアガルタとあるサーヴァントの相性値。
 何でこの英霊がこの特異点と相性最低なんだ? という。

 ソウゴのデオンへの質問はトイレ使う時どっち使うの?
 


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美しき世界2000

 

 

 

「ふわぁ……」

 

 吐き出される感嘆の息。

 目前に広がる空に、イリヤは目を丸くした。

 

 警戒しながらの行動、いつ戦闘になってもいい心構え。

 そんなものを心掛けていたにも関わらず、思わず感心が表に出た。

 

 少女が見上げた先にあるのは煌めく空の色。

 緑豊かな木々のカーテンの越しに垣間見える光の天蓋。

 それは太陽の昇った空、ではなく確かに鎖された空間の果て。

 岩の天井に生した苔らしきものが、輝かしく発光している様だった。

 

「へー! すっごいね、これ! 苔ってあんなに光るものなんだ!」

『いえ……外部からの光を反射して光るものはあっても、あのように明らかに自身を光源として発光するようなものは通常ありえないかと』

 

 自然の溢れる大地。

 木々の緑に富んでいる風景の中で、両手を広げて絶景を楽しむアストルフォ。

 マシュは周囲の環境を探査しつつ彼の認識を正してみせる。

 

「……まあ綺麗なもんではあるけど、つまりどういうことよアレ」

「―――――」

 

 苔の天蓋を呆れ気味に仰ぐジャンヌ・オルタ。

 彼女とは違い、アルトリア・オルタが睨むように同じものを見る。

 そんな騎士王の様子に目を向け、ツクヨミが問いかけた。

 

「どうかした、アルトリア?」

「いや……時代は西暦2000年、だったか。

 だというのにこれは一体どんな冗談だ、と感じただけだ」

「と、いうと?」

「空気が違う。下手をすれば私が存命の頃のブリテンに匹敵する……とまでは言わないが。

 それでも空気の質が1500年前後は遡っているだろう」

 

 アルトリアはデオンから促され、そう付け足す。

 彼女はそのままアストルフォへと視線を向けた。

 

「貴様も感じるだろう」

「え、っと。そうかな? うーん……まあ、確かに、そう言われれば?

 でも、そもそも地底王国なんて面白そうな世界ならそうなるのも当然じゃない?」

 

 周囲をきょろきょろと忙しなく見回すアストルフォ。

 

 地底王国ならば神秘の流出は最小限だ。

 島国であるイギリスや日本が長く神秘を地上に残したように。

 そういう閉鎖的な土地、という前提であるならば―――

 

 彼の言葉に片目を瞑り、騎士王は軽く考え込む。

 そこで口を開くのはモリアーティ。

 

「ふむ、アガルタというのはそう昔の伝承ではないはずだ。つまり―――」

『基盤となっているのがif(もしも)の世界、と解釈するのはどうだろうか。

 もし伝承に云うアガルタがかねてより実在したら。それが西暦2000年まで現存したら。それは今キミたちがいる世界程度の神秘を残した空間になるのではないだろうか、というね。

 アガルタは地球の中心にある理想世界と云われるもの。魔術的には星の内海と解釈してもいい場所だが、それにしてはこの光景は()()()()に寄っているように見える。もちろん、特異点を見て回らなければ確かな事は分からないがね。

 人の伝承に寄っている、ということはどういうことか? それはこの世界を構築した()()()()の持ち主がいるということだ。

 前例から言って、どこぞの犯罪者がミスター・シェイクスピアを利用して世界観を構築したように、誰かが“物語”の延長上としてこの特異点を発生させた、という可能性を提起しておこう』

「この探偵、私が話するのに邪魔だなァ!」

 

 しれっとした顔でモリアーティの言葉を奪うホームズ。

 がなる老爺に対して彼が浮かべるのは涼しい顔。

 

「それってつまり、また作家のサーヴァントがいるってこと?」

『そこまではまだ分からない、が。この特異点の成立には、“物語”との関係性を持つサーヴァントが関わっている可能性が高い、と私は予測する』

 

 そこまで聞いて、周囲を気にし出すイリヤ。

 新宿よりさらに前の話。

 平和そうな世界だと思ったら、とんでもないのに襲われたのは記憶に新しい。

 確かにこの特異点は、新宿よりむしろレディの世界に雰囲気が似ている。

 固有結界、というわけではなさそうだが。

 

「それで、そうだったとしたら何か問題があるの?」

「……現代よりは何が起こってもおかしくない状況、というだけだ。

 全てを粉砕する気概さえあれば、何の問題もないな」

 

 探偵と悪党のやりとりを流しつつ、問いかけるクロエ。

 彼女の質問に対してさらりとそう返して、アルトリアは肩を竦めた。

 

 一通りの話を聞いて、オルガマリーは溜め息をひとつ。

 考え込むように己の眉間に指先を添える。

 

「―――この人数がいるなら調査は人員を分割して、と思っていたけれど」

 

 戦力は間違いなく充実していると言えるだろう。

 絶対に勝てる、などと思い上がる気はもちろん無いけれど。

 だが、まずどうにかなるだろうという考えは持っている。

 

 だからこそ、戦力を分散してでも事態の把握を急ぐのが良い。

 そう考えていたが、そうでもないかもしれない。

 初見殺し染みた世界観によるルールの強制。

 そういったギミックがいきなり襲い掛かってこないとも限らない。

 

「とりあえず拠点にできる場所から探しましょうか?」

「そうね。アガルタ、というのが地底国家ならば街なんかがあってもおかしくない。

 ―――人間の街である保証はないけどね」

『んー……一応通信の強度は確保できる、かな。場所によるかもしれないけれど。

 とりあえず報告だ、周囲に生体反応はない。

 この環境で小動物もいないのは気になるが、とりあえずは安全だと思う』

「とりあえず探査に引っかかるものがあったら報告を。

 ……それにしても安全なら安全でいいけど、進む方角さえ決められないのは悩ましいわね」

 

 ロマニからの報告に頷くオルガマリー。

 街や村があり、そこの生体反応が見つかっていれば指針にはなるものを。

 溜め息と共にそう吐き捨てて、彼女は苔生した天蓋を見上げる。

 

「なんかこの始まったのに何も分からない感じ、最初の時みたいだね」

「最初って、フランス?」

『フランス……カルデアがチームとして成立し、最初に行ったレイシフト。

 人員は先輩と、ソウゴさんと、クー・フーリンさんと、わたし。右も左も分からないままの始まりで―――』

 

 次の行動を選ぶための停滞。

 そうして弛緩した空気の中で、なんとなしに口を開くソウゴ。

 彼のセリフを聞いて、立香が反応した。

 同時に、それを聞いたことでマシュが懐かしげに語り出す。

 

 しかしそんな彼女の声を、彼女の頭で暴れる獣が遮った。

 

『フォウ! キャウ、キャーウ!』

『す、すみません、フォウさん。もちろんフォウさんも一緒でした』

 

 暴れ狂う小動物をどうどうと宥めるマシュ。

 彼女の隣ではロマニも苦笑している。

 そんな光景を横目に微笑んで、

 

「――――いい思い出として語れるなら何よりだ。なあ?」

「は? なんか言いたげじゃない?」

 

 デオンが帽子を押さえながら流し目を送る。

 それを向けられた相手は、当然のようにジャンヌ・オルタ。

 

「懐かしい冒険の始まり。そんな思い出話にも温度差あり、ね」

「一回高い場所から見てみる、っていうのはどうですか!

 天井はかなり高いし、結構見渡せると思うんですけど!」

 

 口笛に交えて肩を竦めるクロエを押しのけ、イリヤが次の行動を提案する。

 イリヤからの提案を受けて、オルガマリーが表情を渋くした。

 何故そうなるのか分からず少女が困惑する。

 

「飛んでみたら撃墜された事あるからさ。必要なら俺がやるけど」

「アメリカ、ですね」

 

 ソウゴの言葉に首を傾げようとして、気付いた事でイリヤが止まる。

 そんな彼女の姿を見て、サファイア―――厳密には彼女が管理するクラスカード・ランサーへと視線を向け、神妙な顔で頷いてみせる美遊。

 わざわざ言わんでいい、とソウゴに対して眉尻を上げるオルガマリー。

 

 溜め息交じりに、話を変えようとツクヨミが声を張った。

 

「つくづくタイムマジーンが使えないのが痛いわね。

 カルデアから転送できなくても、本体の時空転移システムだけで来れればよかったのに」

「なに、あれ結局使えないの?」

 

 彼女の言葉に反応し、ジャンヌ・オルタが不満げな声を上げた。

 

「うんうん、聞いた限り持ってこれれば楽しそうなのにねー」

 

 同意する残念そうなアストルフォ。

 そういう話じゃない、という顔を向けられるが彼に気にした様子はない。

 

「いっそ白ウォズのタイムマジーンを貸してもらうとか?

 どうせ白ウォズは黒ウォズみたいに自分で時間移動できるんだろうし」

「貸してくれるかな」

「無理でしょ……」

 

 カルデアが確保しているマジーンでは時空転移システムが作動しない。

 というより、特異点を連続した歴史として観測しない。

 が、今までの事を見るに白ウォズのマジーンならば出来るのだろう。

 だからと言って借りられるはずもない、とツクヨミが呆れ顔を浮かべた。

 

「まァ、上からの偵察は出来るならしたいのは確かだ。もっとも状況を把握できていない今、無理にする事ではないだろう。この特異点では狙撃が一大ムーブメントになっている可能性は否定できないしネ」

『そうだね。飛行して射線が取れた場合、カルデアの観測外エリアからの砲撃があるかもしれない。それを考慮した行動を取るべきだと思う』

 

 モリアーティが冗談めかして言い、それにロマニが同意した。

 単純な砲撃であればいい。迎撃、防御が行える攻撃ならばいい。

 だがそうではない可能性だってある。

 それこそ、開幕で名無しの森に囚われた時のような事だってありえないとは言えない。

 相手に観測された結果、不意打ちされれば抗えないルールを強制されないとは限らない。

 

「うん! つまりアレだね!

 ボクがヒポグリフでびゅびゅんと一通り見てくればいいんじゃない!?」

「話聞いてたかネ?」

 

 話の流れに大いに頷きつつ、秒でそう返してくるアストルフォ。

 

 彼の宝具、“この世ならざる幻馬(ヒポグリフ)”。

 鷲の上半身と馬の下半身を持つ幻獣、ヒポグリフへの召喚騎乗。

 それならば確かに飛行に関しては何の問題もないだろう。

 でもそもそもそういう話ではなかったはずだ。

 

 彼のそんな様子に対し、モリアーティが珍妙な表情を見せる。

 が、アストルフォの意見にアルトリアが支持を見せた。

 

「だが徒歩だけで手がかりを探す、は消極的にすぎる。私たちの移動でカルデアの観測範囲が広がるにしても、この土地の全容さえ私たちには分からないのだから。

 その上、魔神は私たちのレイシフトは察知しているだろう、モリアーティ」

「うー……ん、まァ。魔神にはレイシフト自体は感知されてるだろう。最悪、レイシフトで出現した位置もバレているかもだ。アガルタは新宿よりは遥かに広いだろうから、魔神の知覚でもそこまでは掴み切れていないかもしれないが」

 

 新宿という街一つは、特異点の規模としては最小クラス。

 バアルと彼はそこでカルデアの動きをおおよそ把握して動いた。

 が、それは狙撃手であるアーチャーの実測と推測を重ねてのものだ。

 より広い規模での活動を完全に観測できるものではない。

 

 だから魔神がカルデアの行動を完全に把握している、とは考え難い。

 それを行うには、それこそ魔術王の眼が必要になるだろう。

 もちろん、魔神に協力するサーヴァントの存在によっては不可能とも言い切れないが。

 

「相手には俺たちが見えてるのに、こっちが何も見つけてないのはよくない?」

「できるだけ後手は避けたいのは確かだ。

 ただそれを無理をする理由にできるか、というと微妙なラインだと思う。

 相手がこちらを把握している、というのも推測にすぎないしね」

 

 ソウゴの空を見上げながらの問いに答えるデオン。

 

「ジリジリと探索範囲を広げていくか、パパっと飛んでしまうか。悩ましいところですねー」

「その選択肢を広げるためのサーヴァントだろう、何のために召喚した戦力だ。攻撃があるかもしれない、というならば率先して受けるのも役割の一つ。

 不意打ちされるよりは、最初から受けて立つ心算で動いた方がマシだ。この特異点独自のルールがある可能性を考察するならば、余裕のある内に情報を求めるべきだろう」

 

 空中でくるくる回っているルビー。

 その姿に奇妙なものを見る目を向けつつ、アルトリアは強く告げた。

 彼女から言葉を向けられたオルガマリーが微かに目を細める。

 

「確かに、あなたなら本当に“受けたら不味いかどうか”は分かるものね」

「―――まあ、多少はな」

 

 納得したようなツクヨミの言葉に少し曖昧に返す。

 

 アルトリアの直感であれば、危機は直前に察知できる。

 黒化により直感のランクこそ落ちているが、戦闘における直感に陰りはない。

 危機感知が鈍くなったのではなく、凶暴性が増したが故の感覚麻痺だ。

 

 もちろん察知できたところで確実に回避できるわけではない、が。

 それでも考慮するべき一手の助けになる。

 

「――――――」

 

 口を覆うように手を当て、思考するオルガマリー。

 考え込むのは数秒、彼女はそうしてから顔を上げて―――

 

 

 

 

 ギリギリと音を立てる強弓、直後に風切り音。

 それを何とか聞き取って、彼は即座に剣を振り抜いた。

 手にした剣が迫っていた矢を打ち払い、叩き落とす。

 

「見ろ、()()()()だ!」

 

 矢は確かに弾いた。と、言い返すまでもなく。

 その弓兵が言いたいのはそういうことではない、と分かった。

 相手は灼けた肌を持つ、露出の多い民族衣装を纏った女性の集団。

 

「逃げ出した奴の処分に来てみれば、思わぬ拾い物だな」

 

 弓兵の背後、剣を持っている同じ格好の女が言う。

 そちらから意識を外さないようにしつつ、自分の後ろを確認。

 そこには疲労困憊で地面に転がる、一人の成人男性の姿。

 流れから言って、逃げてきた彼を彼女たちは追ってきたのだろう。

 

 一人であれば多勢に無勢であってもどうにかなる。

 が、この動けない男性を庇いながらとなると難しい。

 

「あの戦士とは殺し合う。その強さを確かめた上で、胤として迎え入れる。

 地面に転がっている惰弱な男は踏み潰せ」

「我らには強き胤が必要だ。

 次代の戦士が我らより精強になるために。女王が従えるに足る強き戦士を産むために。

 女王が挑む、あの災厄の嵐を凌駕するために」

 

 足並みが揃う。

 我欲の塊みたいに見えるくせに、たった一言、たった一瞬でその意識は重なった。

 十数名の女たちは意志が統一されている。この瞬間に統一されたのだ。

 今にも爆発しそうな本能を抑えつける、口振りから言って恐らく女王への忠誠。

 

 さぞや心を集めている指導者なのだろう、と。

 こんな状況であるのに、彼は少し感心した。

 

「逃げられますか?」

「―――――」

 

 小さな声で後ろに向けた問いかけ。

 それに対して返ってくるのは荒い吐息だけ。

 訊かずとも大体分かっていたが、無理だろうな、と。

 そう認識して、両手で剣の柄を握り締めた。

 

 状況が分かっていない。

 どころか、自分の状態さえちょっとよく分かっていない。

 何をすればいいのかなんて、まるで分かっていない。

 

 その上、何が問題って。

 自分が目の前の女性たちを戦士だと認識しているのは間違いない。

 敵であろうと確信している事にも間違いない。

 

 ―――だというのに、どうにも腕に力が入らないのだ。

 

 対峙している相手を戦う対象として観れない。

 相手はむしろ、自身より完成された戦士の群れだというのに。

 

「では、走れるようになったら逃げてください。

 それまでは僕が何とか彼女たちを引き付けますので―――」

 

 それでも戦わない、という選択はなかった。

 戦えない相手だからと言って、逃げるような選択肢が浮かばなかった。

 剣を握る両腕に最低限力を籠めて、彼は目の前の女戦士たちを見据える。

 

 その態度がよほど琴線に触れたのか、相手の雰囲気が昂りだす。

 『女王のため』と、『自分のため』。

 二つの目的意識がぴたりと同じ方向を示し、彼女たちの闘志は加速していく。

 

 直後のダン、という足音はまったく同時に十数のものが重なり。

 迫りくる女性の群れに少年は口元を不甲斐無さで歪め。

 

 ―――瞬間、空を切り裂く黒い流星が双方の間に落ちてきた。

 

 盛大な衝撃と破砕音、地面に造り出されるクレーター。

 立ち昇る砂塵から顔を庇いながら、女戦士たちが驚愕に足を止める。

 

「なに……っ!?」

「ヤツか!? ここが一体どこだと思っている……!

 ――――いや……!?」

 

 女戦士たちがその流星の正体を見極めようと目を凝らす。

 数瞬遅れて、その場に突風が吹き荒れた。

 突如として発生したそれこそは、幻獣の羽ばたきによって発生した強風。

 それは土煙のカーテンを引き剥がし、その向こう側。

 大地を砕きながら降臨した者の姿を露わにする。

 

「―――ちょうどいい、まずは軽く慣らし運転だ。

 少々の間でいいが、簡単には潰れてくれるなよ?」

 

 突風を黒く塗り潰し、噴き上がる魔力の波動。

 ただそこに立っているだけで肌を串刺すような圧倒的な魔力風。

 その存在を目の当たりにして、女戦士たちが即座に守りの姿勢に入った。

 

 直後、魔力が爆発して弾かれるように撃ち出される漆黒の弾丸。

 

「ガ、……ッ!? チ、ィ……ッ!」

 

 アルトリアに正面から激突された女戦士が空を舞う。

 その衝撃だけで周りの連中さえも体勢を崩した。

 

 そんな瓦解した敵を前にして、黒い騎士は着弾してからゆっくりと息を入れ直している。

 間を置かずとも攻め立てられるだろうに、そうはしない。

 最早余裕の態度にしか見えないその所作に対し、女戦士たちが顔を歪めた。

 

「貴様がどちらから来た女かは知らないが、我らアマゾネスを侮るな――――!!」

「ほう?」

 

 力を漲らせる女戦士の前、楽しげな相槌など打ってみせる女騎士。

 彼女は一瞬だけ視線を流すと、片手で剣を構え直す。

 

 足を止めた騎士に対し、数人のアマゾネスが弓に矢を番え放ち出した。

 剛力でもって直線軌道を描く、横殴りの矢の雨。

 それに対して騎士王は微動だにせず、ただ待ち受けるだけ。

 

 しかし、放たれた矢は一つたりとも彼女の剣の射程距離に入りすらしなかった。

 

「―――さて、どう動くのが最良なのか。

 燃費を考えるなら、この程度の相手にあなたを動かすのが損とも思える」

 

 ゆるりと空を裂く銀色の軌跡。

 小さな動きで僅かにずれた帽子の位置を直すたおやかな腕の動き。

 空を裂き直進していた筈のアマゾネスの矢は一本残らず、シュヴァリエ・デオンの足下にある。

 

 それを見たアマゾネスが、困惑したような表情を顔面に貼り付けた。

 

「――――どっちだ!?」

「え、なにが?」

 

 その叫びにこちらこそが困惑した、という声。それはアルトリアの突進で発生させた土煙に紛れ、相手の背後に回り込んだアストルフォのもの。

 声と同時にぐいん、と大きく回る軌道を描いて奔るのは黄金の馬上槍。繰り出される横薙ぎのスイングが、アマゾネスを二人纏めて殴り飛ばす。

 

 最終的な選択は、アルトリアとデオンを連れ、アストルフォがヒポグリフで周囲を軽く飛び回ってみること。

 その目的は基本的に発見したものに深入りはせず、周囲の地形を把握しつつ街などがありそうな方向にアタリをつけること。

 だったのだが、

 

「ま、こんな場面を見つけちゃったらしょうがないよね!」

 

 少年と男性を背に庇いつつ、アストルフォが肩にランスを乗せる。

 即座に臨戦態勢に入ろうとしたアマゾネスたちが、またもやその相手に困惑した。

 

「男……女……? いや、やはり男か!?」

「そんなの今関係ある?」

 

 アストルフォを目にして、ざわめきだしたアマゾネスたち。

 彼はそれらを前にランスを地面に突き立て、どこか不満げに腰に手を当てる。

 そんなやりとりを見て、目を見合わせるアルトリアとデオン。

 男、女。まるで性別が重要であるかのように振る舞うアマゾネスたちの態度。

 

「ええと、あなた方は……」

「この場の状況はまったく把握していない。説明が聞けるならそれが一番だが……」

 

 ちらりと見てみれば、アマゾネスは臨戦態勢。

 特にデオンとアストルフォに狙いを定めたように見える。

 さらに倒れた男を庇っている少年にも意識は向けられている様子だ。

 

「……とりあえずは、叩き伏せるところから始めるか」

「ォオオオオオオオ――――ッ!!」

 

 アルトリアの声を塗り潰すアマゾネスの咆吼。

 その大地を揺らす音波を放つや否や、女戦士たちの突進が始まった。

 

「―――――」

 

 相手の突進が始まったのを確かに見届けて。

 完全に出遅れるようなタイミングが訪れた直後、アルトリアの足が地面を砕いた。

 アマゾネスたちの加速が最大になった瞬間、真正面からぶつかりに行く黒い弾丸。

 当然のように当たり負け、弾き返されていく数人のアマゾネス。

 

 わざわざ全力を潰すような真似をしてくる相手。

 そんな敵と激突した女戦士たちが更に咆哮の音量を上げた。

 敗北の恥辱に怒り、その熱量で血を燃やし猛る戦士たち。

 

 再びの突進が慣行される前に、アルトリアが僅かに眉を顰める。

 

「……」

「どうしたんだい?」

 

 その態度を見て、数人を相手に全てサーベルで捌きながらデオンが問いかける。

 

「アマゾネス、か。どういう存在か測るぞ、アストルフォ」

「えー? あー……あ、うん。はいはーい、そういうことね!

 いっくぞーぅ、“触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)”」

 

 曲刀を構え吶喊してくる相手に対し、アストルフォがランスで迎撃に入る。

 正面から武装を叩き付け合うことになる二人。

 力での競り合いに入った瞬間に彼の腕がうねり、槍の穂先が大きく振れた。

 そうして揺れた槍が一瞬、アマゾネスの体にぴたりと触れて。

 

「なに……っ!?」

 

 その瞬間、アマゾネスが()()()()

 無理矢理に地面に引きずり倒されるように、酷く強引な動き。

 それを見たアストルフォは槍を引き戻しつつ、報告のため声を上げる。

 

「足が霊体化せずに転んだから霊体じゃないね! ちゃんと肉体あるっぽい!」

「……宝具などで召喚された存在ではない、か。

 このアマゾネスどもは正しくこの地底世界に根付いた生態ということか?」

 

 黒い魔力が爆発し、それを推進力にアルトリアが突進する。

 鍔迫り合いが成立するはずもなく、容易に跳ね飛ばされるアマゾネスたち。

 彼女たちはその勢いのまま地面に墜落し、転がって、しかしすぐに立ち上がってくる。

 

「頑丈だな……」

「ああ、通常の生物であればもう少し堪えてもいいはずだがな」

 

 目を瞠るデオンと、溜め息の混じるアルトリアの声。

 

 彼我の実力差は明白だ。

 数の差が開いたところで、まず負けることはない。

 だからこそ、今やっているのは観察だ。

 

 アストルフォに試させた限り、アマゾネスは生物だ。

 霊体や、エーテルで構成された仮初めの肉体ではない。

 生物の規格に収まった設計ならば、限界は設けられている。

 西暦2000年代まで世界が許容する生き物に、こんな種族はそうはない筈だが。

 

「オォオオオオオオオオオ―――――ッ!!」

 

 叫び、向かってくるアマゾネスたち。

 雄叫びに応じることもなく、アルトリアの足場が爆裂した。

 突撃する黒い獅子の爆進は止まらない。

 アマゾネスたちはそれを止めようと果敢に挑み、当然のように弾き返される。

 

 そんな立ち回りの後ろで奔るサーベルは、アマゾネスの突進を全ていなす。

 自身に群がる相手に対し、確実に傷を与えていくデオン。

 

(騎士王に挑む連中は戦闘意欲、強者に挑戦したいという気概か。

 アストルフォと私、と後ろの少年や男性に群がる連中は性欲、というか生殖意欲?

 それ以上に何か、鬼気迫るものを感じなくもないが……)

 

 女性のみの戦闘民族、アマゾネス。

 それが生殖のために異性を求める、というのはおかしくない、のか。

 どういう生態なのか判然としない以上、考えきれないだろう。

 

 アマゾネスから聞き出すにも、恐らくそんな真似はできない。

 彼女たちは体が動くなったとしても死ぬまで戦うだろう。

 そうと感じさせるだけの気迫が満ちている。

 

(……この特異点には生物としてアマゾネスがいる。彼女たちは恐らく生殖のために男性を狙っている。とりあえずはこの程度、出来れば撤退を選ばせて追跡したいが―――)

 

 ちらりと視線だけを騎士王に向ける。

 派手に魔力放出を使用しているように見えるがその実、相当手加減している。

 それでも紙切れのように跳ね飛ばされる女戦士たち。

 圧倒されているという事実に、アマゾネスはむしろ喜んでいそうなのは気のせいだろうか。

 まあとにかく、逃げてはくれなそうだ。

 

 意識が騎士王の戦場を向いていたデオンの背後に回り込もうとする一人のアマゾネス。

 そいつをランスの一振りで殴り返し、デオンの隣に着地するアストルフォ。

 引き戻した馬上槍を肩に担ぎ、彼がそこで一言。

 

「デオンはモテモテだね!」

「それはキミもだろう」

 

 二人揃って白いマントを軽く翻し、武装を構え直す。

 相手の行動が前進しかないのであれば、ここで相手をし続けるのは無駄だ。

 早々に決着させて、この周囲の探索に入った方がマシだろう。

 あちらもそう考えているのか、アルトリアの視線がデオンに向けられている。

 

「―――仕方ない、これ以上は……」

「……待ってください」

 

 背後からの声。それはいま庇われている少年サーヴァントのもの。

 剣を構えたままそちらに耳を傾ける。

 注意を向けられた事を察した少年が、そのまま言葉を小声で続けた。

 

「彼女たちの行動指針なのですが、最上位に王―――女王がいます。

 そして……彼女たちは、その女王の事を全霊で()()()()()

「案じる……?」

 

 その女王というのがどういう存在かは知らないが、この民族の有り様を見るに、戦闘力が劣る者を女王に戴くようには思えない。だというのに何故、心配されているというのか。

 状況から見て少年が疑うべき存在とは思わない。が、どうにも胡乱げな声が出た。

 

「……詳しくは分かりません。ですが、嵐か何かに挑戦する気の女王に対し、どこか苦慮しているような……そのために自分たちには強い胤が必要だ、と」

「嵐って、嵐?」

 

 アストルフォが首を傾げる。まあ、天候の事ではないだろう。

 そもそもここは天蓋のある地下空間。

 仮に生存圏を脅かす天災があったとして、地震の方だろう。

 

「うーん……」

「……胤、次代の戦士。なら自然な話として、嵐とやらは戦える相手だと解釈できるが」

 

 そう軽く呟きつつ、手首を返して剣を振るう。

 いつまでも足を止めてはいられない。

 少年たちを背中に庇うのを悩んでいるアストルフォに任せ、デオンが前に出た。

 ――――直後。

 

「つまり、あいつらだって自分たちの女王様が心配なんだよね!

 やいやい! おまえたちの女王様がこんな事をするなら、ボクたちが黙っていないぞ!」

 

 ビシリ、と。アストルフォの指が倒れた男を指さす。

 何を言いたいんだこいつは、というアマゾネスたちの視線が彼に集まる。

 

「つまり今ここにいないボクたちのマスターだって、おまえたちの国に攻め込む事になる!

 そんな事になるよりはおまえたちの女王様のためにも、その嵐っていうのを相手にするのに、ボクたちと協力したりした方が―――」

「―――なに?」

 

 デオンとアルトリアもまた動きを止めるアストルフォの発言。

 だがその二人以上に、アマゾネスたちの反応が劇的だった。

 全てのアマゾネスが驚愕に目を見開き、アストルフォへと視線を向けていた。

 

「え? なに、ボクっていまそんなに変な事言った……?」

「―――侵略、すると言ったか? ここにいないお前たちの仲間が、私たちの国を?」

「え、あ、うん? このままだとそうなっちゃうっていうか。

 そもそも国っていうか、まずは一番近くにある街から行ってみようっていうか……」

 

 彼の言葉の終わりを待たず、アマゾネスが全て動き出す。

 

「来ている……! 女王はいま、あの街にお越しになっている――――!!」

「――――撤退しろ!! 我ら戦士は全て女王の許へと参じよ!! ()()が来る!!

 我らが女王の怨敵が、侵略者を殺戮するべく我らの領土へと()()()()()!!」

 

 一糸乱れぬ、というのはこういう様子を指し示すのか。

 わけのわからない事態の推移を見ながら、デオンはなんとなしそう思った。

 少年から得た情報を元にした、状況を転がすための適当な発言。

 それがどうしてか、本当にアマゾネス全員を動かした。

 

 いつでもどこでも戦って死ねる、と。

 そう考えていただろうアマゾネスが全員、敵に背を向けて走り出していた。

 一体どうしてこうなるのか、わけがわからない。

 

 ぽつん、と。

 啖呵を切っていた相手が全員消えたことで、アストルフォが首を傾げる。

 

「えっと……あれ?」

「……まあ、結果的に情報になりそうだがな。

 デオン、追跡するぞ。アストルフォ、貴様は騎獣を出してマスターたちの元に戻れ」

 

 答えは聞かず、アルトリアが加速した。

 アマゾネスが体力配分など気にする様子もない加速で走っていった。

 すぐに追いかけなければ見失うかもしれない。

 様子を見た感じ直進以外ないだろうおかげで、それもなさそうではあるが。

 

「……とにかく。私と彼女で追いかける、と言ってもあの方角に一直線だろう。

 だからキミはマスターたちと合流して、こちらを追いかけてくれ」

 

 ある程度近付けばレイラインで正確な位置も把握できるだろう、と。

 そう言ってデオンもまた走り出した。

 

「うーん、うん。オッケー! ほら、キミたちも!」

「ええと、僕たちも、いいんでしょうか……?」

「あったりまえじゃん! 助けるために割り込んだんだし!」

 

 急ぎヒポグリフの再召喚に取り掛かるアストルフォ。

 少年と抱えられた男性を纏めて運ぶため、彼は自身の宝具を展開した。

 

 

 




 
 これ原作と全然違う話にならないかと書きながら思ったけどまあいいや。
 よくあるよくある。
 ヘラクレスにはどれだけ盛ってもいい。
 


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時代の救世主2068

 

 

 

「……いや、わけがわからないんだ。

 俺はただ、普通に、いつも通り、帰り道を歩いていただけだった。

 だっていうのに、いつの間にか()()()()()()()

 最初は開けっ放しだったマンホールか何かに落ちたのか、と思った。

 底まで落ちて、コンクリートに叩き付けられて、最悪死ぬかもしれない。

 走馬灯、っていうのかな。そんな風に感じていたはずだ。

 だっていうのに衝撃みたいなのは一切無くて、いつの間にか、地面に転がってた。

 このわけのわからない、悪夢みたいな世界の地面に」

 

 ぽつぽつと、泣き出しそうな声で語る男。

 アストルフォに連れられてきた彼は、ごく普通の人間だった。

 本当に何も知らないままにこの異常世界に囚われた被害者。

 

 それを聞きながら、アストルフォの先導に従い走り続ける一行。

 男はサーヴァントである少年に背負われながら、求められるままに彼が陥った境遇について教えてくれる。その情報を頭の中で整理しながら、オルガマリーが眉を顰めた。

 

『特異点の外から一般人が落ちてくる……か。幻想地底世界であるアガルタに、世界間の綻びから迷い人が落ちてくる。

 これ単体の話だけならば、よくある神隠しの類がアガルタにもあるだけと言えなくもない。が、他の話と併せて考えると少し引っかかる』

「どこがよ」

「アマゾネスでしょ。神隠しで現れる人間の男が生殖に必要なんて破綻してるもの」

 

 ホームズに問いかけたジャンヌ・オルタの疑問。

 それに横からさっさと答えをくれるのはクロエ。

 そうされたことに対して、オルタの視線がクロエの横顔に突き刺さる。

 彼女はそれを気にしもせず、言葉を続けた。

 

「根本的に、ここは神秘を外に逃がさないために地底にあるんでしょ?

 地上でこの世界のルールはもう通用しない、という前提は覆らない。

 だっていうのに、地上とこの世界を結ぶ綻びが定期的に発生するなんてありえない。

 道の通り方も知らない人間を無作為に取り込む入口なんてあってはいけないの」

「……そうね。ここは現代まで現存する裏側の世界。そうである以上、出入国に関しての問題はそれほど緩いはずがない。一人、二人ならともかく、彼の話ではアガルタには何十、何百人とその現象で落ちてきてしまった男性がいる事になる」

 

 クロエの言葉に頷くオルガマリー。

 

 この世界。この特異点。あるいは、そもそも神秘というもの。

 それらは水中にある風船のようなものだ。

 中の空気は少しずつ抜けていく。だからいずれ破綻するのが約束されている。

 空気が抜けていく速度に違いがあっただけ。

 島国のような環境はそれが遅く、地底という環境はそこから更に遅い。

 だからこのアガルタは西暦2000年にもなって、まだ現存している事になっている。

 

 だからこそおかしい。

 限定的に開ける道ならばともかく、地上との連絡が頻繁に取れる。

 それはこの世界という風船の穴を広げるようなものだ。

 

 一般人がほいほいと当たり前に落ちてくるような事があっていいはずがない。

 いやそもそもここがそんな環境であったならば、だ。

 この時代まで継続せず、もっと前の時代に破綻していなければ道理に合わない。

 

「ここのアマゾネスは聞いた限り、落ちてきた男の存在を前提にしなきゃ繁栄できない生物になってるじゃない。そんな馬鹿な話ってないでしょ。

 この世界に生きてるのに別の世界の物体に依存した生態なんて、歪んでいるにも程がある」

「え、えと。つまり……?」

 

 地上と関わりが深くては神秘性を維持できない。

 地上と関わりが薄くては生態系を維持できない。

 

 おかしいのはこんな設計であることか。

 あるいはそれでもこの世界が維持されてしまっていることか。

 難しい顔を浮かべて低空飛行するイリヤの隣に並びつつ、クロに視線を送る美遊。

 

「この特異点の状況、というか()()()そのものに何かがある?」

『聖杯級の魔力リソース。世界観を構築する“物語”に関連した存在。

 それらを使って創られたにしても、無理がありすぎる。

 いや、不可能とまでは言わないけどね。あまりにも無駄が多すぎると言うべきか』

 

 唇に指を乗せ、考え込むような所作を見せるレオナルド・ダ・ヴィンチ。

 

『普通に考えて不思議だろう? なぜこうして無駄なリソースを垂れ流すのか。

 わざわざこうして“現代に”、“神秘の濃い異界”を発生させたんだ。それ自体に目的があるだろう、と考えるのが自然だ。だというのに、資源の消費を加速させなければ維持できない生態を持つ生物をアガルタ人として設定したのだろうか。そこに何かが無ければ納得できない』

「重要なのはアマゾネスであること、じゃないよね」

 

 画面の向こうで鷹揚に頷く天才。

 彼女が言葉にする前に、そのセリフをモリアーティが取り上げる。

 

「彼の話によれば現状ではアガルタの中には三つの国がある。詳細は不明だが……アマゾネスの国、それと表立って敵対している国、どちらとも不干渉という態度を見せている国、だ。

 そしてアマゾネスの敵対国もどうやら生態に関してはアマゾネスと同一。外からやってきた男性を得なければ生殖できない、という状況だネ」

『となれば、不干渉を見せている国も同じ、と考えるのが自然だろう。その国には普通に男性が存在している、というなら男の取り合いで両国から狙われているはずだ』

「男の取り合い……」

 

 あまりにもあんまりな表現に眉を引きつらせるオルガマリー。

 だがそうとしか言えないし、こちらから見ればふざけたようなやりとりでも、当事者からすればこれは種の生存競争だ。それでしか継続できないのだから、命を賭してでも達成しようとするのは当たり前の話。

 

「うーん、奪い合うくらいならいっそ共有しちゃうとか?」

「ないわー……」

 

 ヒポグリフを引っ込めて駆けているアストルフォの言葉。

 それに全力で顔を顰めてみせるのはオルタ。

 

「つまり戦いになったデオンとアストルフォみたいに、俺とプロフェッサーが狙われるってことだよね。それなら捕まってる人たちを助けるのは簡単に行きそう?」

 

 変な空気感を気にも留めず、ソウゴがそう言ってモリアーティを見る。

 レイシフトしてきた男は四人。いや、三人? 四人?

 ソウゴにモリアーティ、アストルフォとデオン。結局何人?

 

 自分も囮要員にされつつあるモリアーティがそこで軽く咳払いした。

 

『聞いた限りのアマゾネスの特徴から察するに、戦闘で強さを示した男性に対してもっとも魅かれるようですので、そうかもしれません』

「つまり私は戦闘せずに捕虜の誘導員だネ!」

『役に立たない男だな、キミは』

 

 聞こえてくるマシュの声。

 それに全力で同意を示す悪党。探偵の罵倒もなんのその。 

 

『ただ、仮に危うげなく捕虜となっている男性を全員助けられても、問題はその彼らを生活させるだけの物資も場所も確保できていない、ということだ。

 こちらでも探査を進めているが、それらしい空間はまだ見つかっていない』

「これだけ自然に溢れている土地ですし、やろうと思えばどうにかはなりそうですけど。

 最悪、街から多少の物資さえ奪い取れれば……」

 

 便利な能力を持ったジオウもいる。

 前例となる環境が劣悪すぎたキャメロットの難民とは違うだろう。

 ただ生活するだけで死に絶えるような自然の暴威は感じない。

 

 ロマニに対してそう告げて、事後の動きを考え始めるツクヨミ。

 そんな彼女に対して溜め息ひとつ。

 オルガマリーが視線を逸らして、情報源になっている男を背負った少年を見た。

 

「……それは置いといて、もう一つの件を片付けましょう」

『はい、霊基の確認を完了しました。

 その……彼と完全に同一の霊基情報がカルデアには記録されています』

 

 そう言われてきょとんとしてみせる少年。

 華奢とさえ言える少年の姿だが、男一人背負ってその疾走に乱れはない。

 サーヴァントならその程度は当たり前かもしれないが。

 

『彼の正体は、アルスター伝説において赤枝騎士団の一人として知られる、魔剣カラドボルグの使い手。かつてアメリカで戦闘を行ったケルトの戦士――――真名をフェルグス・マック・ロイ』

「だよね……! 主に女と戦いが大好きな……!」

「それは一体どういう……?」

 

 立香が思わずこぼした言葉に対し、少年―――フェルグスが首を傾げる。

 アメリカで出会った彼は、男も女も戦闘も全てを愉しむ豪快な戦士だった。

 そして筋肉の塊のような巨漢だった。

 だが今、彼女たちの目の前にいる少年はその姿とは似ても似つかない。

 

 確かにどことなく似ているような気はする、が。

 華奢で優し気な雰囲気すら纏う少年に、あの巨漢と繋がりは見いだせなかった。

 

 そしてそんな立香の言葉を聞いて、どこか心配そうに。

 イリヤとクロエと美遊が、すい、と。

 何となく少年から距離を取るような軌道を描いた。

 

 それで少女たちを害するような真似をすると思われている、と思ったのか。

 フェルグスは即座に声を上げる。

 

「いえ、むしろ僕にとって女子供は守るべきもの! 民は国の宝。それを傷つけることなどしませんし、また傷つけられることをよしとする気もありません……!

 そのような暴虐を行うなど、いずれ王となる者として言語道断ですから!」

「王様?」

 

 その言葉にどこか嬉しそうな反応を示すソウゴ。

 そういう話じゃないから今は引っ込んでろ、と。

 彼の目の前で、オルガマリーが掌をひらひらと動かした。

 

『キミはここに“はぐれ”……マスターのいないサーヴァントとして招かれた、ということでいいのかな?』

「え? あ、はい。どうやら皆さんには真名も知られているようですが、改めて。僕はアルスター王族の一人、フェルグス・マック・ロイ。

 どのような経緯かは把握していないのですが、いつの間にかこの特異点に召喚されていました。聖杯から授けられただろうサーヴァントの仕組みの知識から言って、この時代の僕が召喚されるというのはまず無い筈なのですが……」

 

 ロマニから問いに返しつつ、フェルグスは僅かに眉尻を落とした。

 

「召喚されない?」

「サーヴァントというのは基本的に全盛期がベースになるものですからねぇ。

 まあ何を持って全盛期とするか、解釈によるところはあるでしょうけど」

 

 不思議そうにするイリヤに対し、ルビーが補足する。

 

 フェルグス・マック・ロイは少年期に全盛だったものはない。

 本人がそう断言したとはいえ、結局は解釈次第だ。

 自己認識の上ではそうだったとしても、少年期に見るべきものがあったから召喚された。

 召喚された以上はそうなるはずである。

 

「肉体的、戦力的に全盛期から遠いならば、精神面での選定なのでは?

 通常は戦力が基準になるものですが、そう言ったケースも十分ありえるかと」

 

 サファイアが更に続けた言葉を聞いて、美遊が改めてフェルグスに視線を向けた。

 だが彼はどこか困った顔。

 そんな珍妙な表情を見て、オルタが軽く眉を上げる。

 

「なによ、何か言いたげじゃない?」

「ええ、まあ。他人から見てどうなるかはわかりませんが……少なくとも、僕としては納得しがたいというか」

 

 何故そうまでして若い自身を否定するのか、と。

 そう言いたげな表情を見せたツクヨミに、彼は言葉を続けた。

 

「……そうですね。例えば今の僕にとっての夢は、善き王になること。

 その夢のために今なお研鑽を積む―――といっても、もう僕は生涯を終えたサーヴァントなのですが」

「別に関係ないじゃん。今でもいい王様になりたいんでしょ? じゃあそれは今でもフェルグスの夢なんだよ」

 

 口ごもったフェルグスに対し、そう言って見せるソウゴ。

 彼はそうやって後押しされたことにどう反応していいのか、と困った顔。

 

「そう、でしょうか。記憶……なぜか未熟だった頃で召喚されているだけで、僕の夢は……詳細は覚えていませんが、既に完結している、という自覚は持ち合わせています。

 僕は王としては大成しなかった。その役割を途中で降り、投げ出した。そうなった筈です。あくまで僕の経験ではなく知識の上での話ですが……」

 

 フェルグスはそこで一息。

 

「今の僕は、破れた夢をいつまでも追いかけているだけなんだと思います」

「―――でも、破れたからっていつまでも夢を追いかけちゃいけない、って決まりがあるわけじゃないでしょ?」

 

 言い募るソウゴ。

 この短い間で、彼の態度からどういう人間かを何となく理解したフェルグスが苦笑した。

 

「……どうでしょう。夢が破れたということは、そこに相応の理由があったのだと思います。

 夢破れるという事は、自分の心の中だけで起きるカタチの無い決着だからこそ……ただ夢だけを追いかけていられなくなった時、自分で自分の心を破り捨てる事なんだと思います」

 

 決着をつけられるのは自分だけ、という言葉にソウゴが口を止める。

 

「僕は僕の心がどうして自分を捨てるに至ったのかが欠けてしまっている。

 今の僕には、未来の僕が至った境地が分からない。

 だから、その欠落を埋めるためにまた夢を拾っただけなんだと思います」

 

 フェルグス・マック・ロイは最終的に王座を退いた。

 少年期の彼は善き王を目指していたにも関わらず、途中でその夢を放棄した。

 その理由が、未来の自分の行動理念が、今の少年には分からない。

 そんな彼に何かを言おうとして、しかしソウゴは何も言わなかった。

 

「未来の僕が全面的に正しい考えを持てていたか、というと疑問です。

 僕はそこまで出来がよくないし、いつだってそれを補うための鍛錬尽くし。

 ……はい。僕が生涯“正しく在れたと思うか”、と訊かれると肯定しづらい。

 けれど、いつだって僕は鍛錬を欠かさなかった筈だ。

 だから、“正しく在ろうと努力出来たか”、と訊かれれば肯定したい。

 いつだって僕はその点に関しての努力だけはしていた筈ですから」

 

 黙り込んだソウゴの背中に立香とツクヨミが目を向ける。

 その間にもフェルグスの独白は続く。

 

「だから実のところ、王座を放棄した未来の僕に思うところはそんなに無いんです。

 だってそれも、その時の僕が己の在り方に正しく向き合った結果なのだろう、とは思えるから」

 

 “自分が正しかったはずだ”、と彼は断言できない。

 けれど“自分は正しく在ろうとしたはずだ”、といつだって胸を張れる。

 フェルグス・マック・ロイが持つその方向性ばかりは、少年は一切疑っていない。

 

「自分を信じる、というか……そうですね、自分が重ねていく鍛錬を信じているんです。今日の僕が鍛錬を重ねた分だけ、明日の僕は前に進んでいる筈ですから。行き当たりばったりと言えばそうかもしれません。ですがただ悩んでうずくまるよりは、スクワットした方が時間の有効活用になりますし、やった回数分だけ成長するわけです。

 今の僕がやるべきことは、今の僕がやるべきこと。未来の僕がやり遂げたことは、未来の僕がやるべきだったこと。そうであって欲しいし、そうあるべきだと思います」

 

 そこで少年は小さく咳払いを挟む。

 話題がずれている、と認識したのだろう。

 そうして彼は、強引に話を元のものへと戻した。

 

「それで、ええと。そうですね、何が言いたいかと言うと……僕という人間は、完全に発展途上だという自覚があるということです。正直、何一つ最盛期に達しているという自意識はない。

 向上心は持っています。それを実現するための鍛錬を欠かす気もありません。だからこそ、今の僕より未来の僕の方が全てにおいて優る筈という確信がある」

『だから、キミが今ここにいる事自体が明らかな異常である、と?』

「はい。どう解釈しても僕は全盛期である、という条件を満たさない。

 誰より僕自身がそんな解釈をされたら納得できない」

 

 これから鍛錬を重ねていく自分だからこそ、鍛錬が足りていない今の自分を評価されては納得できない。時間と鍛錬を重ねて完成される自分であるからこそ、今の自分を全盛期と扱われるのはいっそ侮辱ですらある。

 あらゆる点において、自分は未完成。全盛期に至る前のフェルグス・マック・ロイなのだ、と。少年は強く断言した。

 

「……つまり、だ。彼の召喚はルールから逸脱したもの、イレギュラーというわけだ。

 通常の法則ではなく、何らかの干渉を受けた歪んだ法則に当て嵌められたワケだネ」

「アンタがあのバイク女やらアーチャーやらが黒化するようにした仕組みと同じ、ってわけ?」

 

 呆れるように見据えてくるオルタの目。

 それにキミもその法則に当て嵌まった一人だが、という顔を浮かべるモリアーティ。

 

『――――なるほど』

『うん? どうしたんだい、ホームズ。一人だけ分かった風な顔をして』

 

 視界の端で頷いて見せている名探偵。

 それを意識に留めて、ロマニが彼に声をかけた。

 

『今のところこの件について気付いているのは私だけのようだ。

 ならば私がそんな表情を浮かべているのは、実に正しいことに思えるね』

「勿体ぶってないでさっさと言いなさい」

「すまないね、私の宿敵がこんな男で」

 

 当然のことのように微笑むホームズに対し、オルガマリーが率直に命令を出す。

 なぜか申し訳なさそうに謝るモリアーティ。

 そんな怨敵の様子にこそ不機嫌そうに眉を軽く上げて、ホームズは仕方なさげに肩を竦めた。

 そして素直に自身が至った考えを白状し始めた。

 

『先程閲覧した資料です。

 カルデアがこれまで記録した中で、アガルタに適応する霊基を確認した』

 

 召喚の際に見た資料。

 特異点攻略のため、事前に出来る限りの情報を集めたもの。

 言われてそこに記されていた情報を思い出す。

 

『あれを見て私はまず、エレナ・ブラヴァツキー女史の適性が低すぎる事に疑問を持ちました。

 基本的にはその名がよく知られ、霊基数値が強力な英霊ほど時代に弾かれ易い。だから彼女はむしろ適性が高い方だろうと思っていたのですが……実際は真逆。最低レベルの数値で、彼女はこの特異点に拒絶されていた』

 

 エレナ・ブラヴァツキー。

 カルデアが第五特異点、アメリカにおいて邂逅した女性。

 神秘を探求する神智学の祖。

 彼女の事に言及したホームズに対して、立香が問いかける。

 

「なんでエレナにだけ?」

『そこは少々因縁あり、という事で』

「少々ねぇ」

 

 モリアーティの茶々を咳払いで流し、ホームズが続ける。

 

『さておき。まあそれだけならば、アガルタという土地が彼女という冒険家に暴かれる可能性を拒絶した、と解釈もできました。彼女は人柄上、こういった伝承世界を研究して表に出してしまうタイプですので。

 実際にアガルタを見てみれば、確かに神秘を暴き立てる者と相性が悪いのはおかしくない』

 

 アガルタという異常は表に出てはいけないものだ。

 単純な話、この土地という異常は既に地上では維持できない。

 だからアマゾネスたちという種はおかしい、という話を既に行った。

 それと同じように、エレナのような人種が天敵であってもおかしくない、と。

 

 だがそうではない。或いはそれだけではない。

 そういったホームズの口振りに、目を通した資料を思い起こす。

 そうして思い至った情報にはっとして、オルガマリーがフェルグスに視線を向けた。

 

「――――そう、いえば。フェルグスも」

『……そうだね。フェルグスも相性は最低だったはずだ。

 エレナ・ブラヴァツキー、フェルグス・マック・ロイ。その二人と同値だったのは他にもいる』

 

 手元で資料を引っ繰り返し、ロマニが呟く。

 彼の確認を待たず、ホームズが続けた。

 

『アガルタとの相性最低を記録した残りのメンバーは、フランシス・ドレイク船長と大英雄ヘラクレス。この両名の事についてはいったん置いておくとします。

 そしてこう解釈するのはどうでしょう。相性が悪かったのは、それらのメンバーの()()()()()である、と。

 本来の在り方で召喚されないように特異点側に設定されていた。召喚された場合、現界する過程で霊基に異常を来すよう、何らかの機能が仕込まれていたのではないか。

 異常霊基でしか召喚できないように仕組まれていたために、本来の霊基でのアガルタ適性が下限にまで振り切れてしまった』

「つまり今、その英霊たちは本来ありえない歪み方をして召喚される……いえ、されている?」

 

 わざわざそんな仕組みを織り込んだのだ。

 なぜ特定の英霊だけにそんな仕組みを仕込んだのか、と考えるならば。

 それらの面々で異常な召喚をしたかった、と考えるのが自然だろう。

 

 ならば今名前が出たエレナ・ブラヴァツキー、フランシス・ドレイク、ヘラクレス。

 この三人はアガルタに異常な状態で召喚されていることになる。

 

『まだ一例しか確認できていないですが、可能性は高いかと。それこそ召喚されるサーヴァントの属性を限定させた前例はありますので。

 ―――それと言うまでもないかと思いますが、当然カルデアが観測した事のないサーヴァントが存在する事を否定するものではないのであしからず』

「……アガルタの世界観と、特定のサーヴァントの異常召喚。まだ見えないわね。

 これは一体何が目的なの?」

 

 ホームズは答えない。

 今回はここまで、と言わんばかりに懐から出したパイプを吹かそうとして。

 

『すみません、ホームズさん。管制室は完全禁煙です!』

『おっと、これは失敬』

 

「―――えーっと、つまり、その、どうすれば?」

 

 一通りの情報共有が済んだと見たのか、おずおずとイリヤが声を上げた。

 今はとにかくアマゾネスたちが向かった方向に進んでいる。

 逃げてきた男の話を聞く限りそちらには街があり、アガルタに落ちてきた地上の男性が大量に捕まっている。だから助ける、のはいいのだが。その後、そしてその先にどうするかだ。

 その先の展望がないのだから、もっと足場固めを優先するべきなのが実情で。

 

「…………退く、と言って聞く気はある?」

「所長が本気で必要だと思ってそう言うなら、かな」

 

 ノータイムでソウゴが返す。つまり、退く気がない。

 大量に助けられたとして、その後どうするかもあてがないけれど。

 それでも、ここで逃げるのはちょっとナシだろう、と。

 

「いつも通り、だね!」

 

 気を入れ直すように立香が言う。

 訊いたイリヤもどこかほっとしたように見えて。

 オルガマリーが全力で溜め息をひとつ、そうしてから顔を上げた。

 

 

 

 

 

「やあやあ! ボクこそはシャルルマーニュ十二勇士がひとり、アストルフォ!

 ついさっきぶりの人はいる? いない? とにかくたのもー!」

 

 ランスで地面をがつりと叩き、街の入口辺りでアストルフォが名乗りを上げた。

 街の中から困惑する様子は伝わってくる。

 アマゾネスたちは全員武装して街中に広がっている様子なのだが。

 

「攻めてこないね?」

「ふぅむ、意外だネ。アストルフォくんという目標を見つけたら形振り構わず、というような動きがあるものと考えていたが」

 

 陽動は男性組。街の正面から攻め込み、アマゾネスを引きつける。

 その間に女性組が街の側面から侵入し、捕まった男性を引っ張り出してくるというわけだ。

 普通なら直球すぎる、と蹴り飛ばしたくなる案だ。

 が、相手が地上の強い男性を求める好戦的なアマゾネスなら、それが最良だと判断した。

 

 フェルグスは何やらアマゾネスとは戦えないらしく、残念ながら女性組だが。

 

 ソウゴとモリアーティがまだ狙われないのはいい。

 だが既に力を見せているアストルフォにも反応しないのは少し予想外だ。

 捕縛のためでなくとも、王とやらを守るために動きを見せるはずだと思っていたから。

 

「こうなると彼女たちが口にした敵の存在の正体が―――」

「こうなったらこっちから攻めるしか……?」

 

 小さく呟くモリアーティに対してそう言って。

 しかしその瞬間、背後に何かを感じてソウゴは振り返る。

 まったく同時にそこに現れるのは時空のゲート。

 

 六角形に開いた機械的なゲートの形状こそはジェネレーションズウェイ。

 タイムマジーンによって時空航行をする際に展開される道である。

 

「白ウォズ……?」

 

 であるならば、それの下手人は一人しかいない。

 即座にウォッチを握りつつ、ソウゴがそちらに向き直り。

 

「あそこだ!」

「待て、いつもと違うぞ……!

 それになぜ街の上に現れない! あれは本当に奴なのか!?」

 

「……? なんかアマゾネスたちも騒いでるけど」

 

 背後から殺到するアマゾネスの怒鳴り声。

 それに反応して一応槍を構えながら、アストルフォが首を傾げた。

 そんなやり取りをモリアーティが目を細めて聞く。

 

 そうしている間に顔を出すライトグリーンとシルバーの機体。

 それは出現すると同時にハッチを開き、空中で一瞬だけ動きを止めた。

 

 ―――そこから飛び降りる黒い影。

 視界に掠めただけで全身白一色の白ウォズではない、と直感できる出で立ち。

 数メートルの高さから危うげなく飛び降りた者。

 青年であったその者が、顔を上げながら装着したハーネスの首元を掴んで整える。

 

 交錯する視線。

 常磐ソウゴとその青年が、眼光をぶつけあう。

 

「あんたは……」

「―――どうやら、あいつの口車に乗った甲斐はあるようだ」

 

 困惑の方が強いソウゴの前で、青年の眼光は敵意から一切ブレない。

 二人が視線を交わしている内に、空中でタイムマジーンが再始動する。

 取って返し、ジェネレーションズウェイへと消えていく機体。

 

 それを気にした様子もなく。

 彼は着地の体勢から確かに立ち上がると、懐から一つのデバイスを取り出した。

 それをそのまま、自分の腰へ。

 

〈ジクウドライバー!〉

 

「あれ、は」

 

 ドライバーから展開され、青年の腰に巻きつくベルト。

 だがそれだけではジクウドライバーは使用できない。

 それを誰より知っているソウゴの前で、青年が腕のホルダーに手をかけた。

 

 取り外される赤と黒のライドウォッチ。

 彼は握ったウォッチのベゼルを回しながら突き出して、スターターへと指を乗せた。

 

〈ゲイツ!〉

 

 起動するライドウォッチ。ゲイツと名を告げた力の結晶。

 彼はソウゴと同じようにそれをジクウドライバーへと装填し、拳を握った。

 堅く握った拳でドライバーのロックを叩いて外す。

 

 青年の背後に展開されるデジタル時計。

 四つ並んだ0の文字盤が、時を刻む事無く回りだした。

 回転待機状態になったドライバーの両端に、青年の両腕が添えられる。

 

「――――変身!」

 

 一息に。彼はドライバーを一気に回転させた。

 回転していたデジタル時計が正位置で停止し、そこに文字を浮かび上がらせる。

 0と代わるように浮かぶ文字は同じく四文字。

 即ち“らいだー”の四つ。

 

〈ライダータイム!〉

 

 青年の姿が変わる。

 ジオウとよく似た、しかしまったく違う姿。

 赤いスーツに装着されていく真紅の装甲。

 

 そうして変わっていくプロセスもまたジオウによく似たもの。

 彼が背負ったデジタル時計から放たれる文字四つ。

 それが赤い戦士の頭部に嵌っていく。

 戦士の現状を示す機能を持つ頭部の印字、インジケーションバタフライ。

 

〈仮面ライダーゲイツ!〉

 

「仮面、ライダー?」

 

 変身を完了した赤い戦士、仮面ライダーゲイツ。

 彼が腕を上げ、黄色いプロテクターに覆われた指を伸ばす。

 その指先が向けられたのは、言うまでもなく常磐ソウゴ。

 

「此処で貴様を倒す―――覚悟しろ、オーマジオウ!!」

 

 

 





 いまアナザーキバの話した?????

 811日がP.A.R.T.Y.なら毎年8月11日は平成記念日なんです?
 山の日を……潰す!
 お前たちの山って醜くないか? まるでデコボコで石ころだらけの道だ。
 俺たちがその山を開拓して、綺麗な平地にしてやろうってこと。
 


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英・雄・着・陸2011

 

 

 

 彼を目掛けてくる、疾走する赤い戦士。

 その姿を認めて、ソウゴは即座にウォッチを起動した。

 

〈ジオウ!〉

 

「――――変身!」

 

 力の源を装填され、回転するジクウドライバー。

 実体化する時の王者の力。顕現する黒と銀のアーマー。

 その鎧を纏う事で、彼は姿を変えた。

 

〈ライダータイム! 仮面ライダージオウ!〉

 

 ゲイツに向けジオウの方から飛んでくるマゼンタの物体。

 後に顔に装着される“ライダー”の四文字。

 それを見据えながらゲイツが腕を振り上げ、掌を開く。

 

〈ジカンザックス!〉〈Oh(オー)No(ノー)!〉

 

 手の中に現れる戦斧。

 “おの”とそのものが記された仮面ライダーゲイツの武装。

 時間厳斧ジカンザックス。

 その赤い刃が振るわれて、ジオウのインジケーションアイを弾き返した。

 

 跳ね返ってきた文字が頭部に嵌り、ジオウの変身プロセスが完了する。

 直後に持ち上げた手の中に現すのは、字換銃剣ジカンギレード。

 

〈ジカンギレード!〉〈ケン!〉

 

 速度を緩めず突進してきたゲイツとジオウが切り結んだ。

 衝突したお互いの武装、その刃が火花を散らす。

 照らし出される互いの顔が、至近距離で突き合わさった。

 

「あんたは……!」

「貴様をここで倒し、俺は未来を取り返す―――!」

 

 刃同士の擦過音。

 ギレードとザックスの刀身が滑り合い、互いの間に滂沱と飛び散る火花。

 火花のカーテン越しに見据える怨敵。

 その姿を強く睨み、ゲイツが踏み切った。

 

 踏み込むと同時に振り上げる足。

 それがジオウの胴体を打ち据え、後ろへと押し退ける。

 

You(ユー)! Me(ミー)!〉

 

 同時に、刃を開いて変形するジカンザックス。

 本体に描かれた“ゆみ”の文字通り、弓状態へと変わる武装。

 弓を引き絞り放つ光の矢が、間を置かず連射される。

 ジオウに向けて殺到する矢の雨が無数に、その鎧へと直撃した。

 

「ぐ……っ!」

 

 衝撃に見舞われて蹈鞴を踏む。

 押し込まれて背中に迫ってくるアマゾネスの街。

 だがアマゾネスたちに動きはない。

 街から踏み出さず、彼女たちは外で戦い始めた相手をただ見ている。

 

「―――って、これどうするのさモリアーティ!」

「うーん。しかしコレ、私たちが手を出したものかどうか」

 

 突然の襲撃にアストルフォが声を上げる。

 因縁ありげに襲撃してきた相手。

 その二人の戦いに乱入するべきかと困惑するアストルフォ。

 対してモリアーティは、アマゾネスの街の様子を見ていた。

 

 体勢を崩したジオウに対し、再び斧を手にゲイツが斬りかかる。

 それを剣で受け流しつつ。

 しかしジオウは少しずつ、後ろの街へと追いやられていく。

 

 そうして後ろに進んでいくジオウを見て、片目を瞑るモリアーティ。

 

 どちらも男。

 このまま街に踏み込めば、アマゾネスが双方を襲ってくる可能性が高い。

 ―――と、考えていたのだが。

 

 どうにも、アマゾネスの態度がおかしい。

 

(警戒しているのは確か。しかも最大級に。

 だが警戒している相手が違う。私たちの事はほとんど意識していない感じだ。

 そしていま彼女たちが警戒しているのは、先程の反応を見る限り―――)

 

 ジオウが街までの距離を縮めるごとに、アマゾネスの緊張は上昇する。

 彼女たちの間で天井知らずに上がり続ける緊張感。

 

(まあ街に踏み込んだら何かが起きる、と考えるのが自然かナ)

 

 結局情報が足りていないのだ。

 限られた情報で考えたところで、推測にしかならない。

 とりあえず状況証拠だけで動いてみるしかないだろう。

 

 空を見上げつつ、モリアーティが棺桶に手をかける。

 

「とりあえず私が撃つので、君はいつでも動けるようにしておいてくれたまえ」

「分かった!」

 

 アストルフォの返答と同時進行で展開する火器。

 複合兵装ライヘンバッハが銃口を無数に展開する。

 

 ターゲットはジオウを襲う赤い仮面ライダー。

 狙うのは彼がジオウと刃を交わし、弾け合い、距離が開いた瞬間。

 そのタイミングで以て、必中の属性を持つ射撃を挟み込む。

 

 火を噴く銃口。

 吐き出される銃弾は全て過たず、ゲイツへと直撃する。

 その横入りに対し、銃弾の衝撃に体を揺らした彼が振り返った。

 

「ちぃ……! 邪魔をするな!」

 

 同時に再び武装を弓へと切り替え、引き絞る。

 反撃と放たれる光の矢。

 それをアストルフォのランスが迎撃し、砕く。

 

 そうしている内に、踵で地面を削りながらジオウが街へと滑り込む。

 アマゾネスの緊張は高まる、が。

 誰も動かず、また何も起こらない。

 

(何も起きない……?)

「ム……」

 

 ジオウが顔を小さく左右に巡らせ、その状況にモリアーティが眉を顰める。

 アマゾネスたちは身構えているにも関わらず、誰一人として動かない。

 紛れもなく彼女たちも何かに備えているのだ。

 この街に蔓延し、そしてこの場にいる彼女たちが漂わせているただならぬ雰囲気。

 肌に感じるこの感覚からして、間違いない。

 

 目の前にきても何もしない。

 街に踏み込んでも動かない。

 ―――じゃあ、一体?

 

〈タイムチャージ! 5! 4!〉

 

 ジオウの思考を切り裂くタイマーの音。

 すぐさま顔を上げればゲイツが既に弓を己に向けている。

 その鏃を射出する砲口、ザックスペネトレイターには高まるエネルギーの塊。

 

〈3! 2! 1!〉

〈タイムチャージ!〉

 

「く……っ!」

 

 咄嗟に自身もギレードのリューズを叩く。

 当然のように、ジカンギレードの数える時間はジカンザックスに追いつけない。

 

〈ゼロタイム! キワキワ撃ち!〉

 

 放たれるエネルギーアロー。溜め込んだパワーを十分に圧縮した一撃。

 それに対し、力の充填が半端なままの刃で対抗する。

 

 直進してくる光の矢。

 振り上げられるギレードの刀身。

 それらが空中で正面から激突して、衝撃を撒き散らした。

 

 激突地点。

 捲れ上がる石畳。罅割れる近すぎた塀。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(―――……街の破壊、か?

 彼女たちも恐れる何かが起きる条件が、達成された……?)

 

 離れている位置にまで届く攻撃の余波である爆風。

 伴って吹き付ける砂塵から目を軽く覆いつつ、相手を観察して。

 モリアーティはほんの僅か目を細めた。

 

「づ、ぁ……ッ!」

 

 数秒置いて、後ろに転がされるジオウ。

 その手から剣が落ちて滑っていく。

 代わりに光の矢は狙いが逸れ、離れた地面へと突き刺さりそこを爆砕した。

 

「次でトドメを――――!」

 

 赤いライダーが再び弓に手をかける。

 狙いは当然地面に転がったジオウ。

 

 それに待ったをかけようと走り出そうとするアストルフォ。

 同時に、そんな彼に待ったをかけるモリアーティ。

 

「待ちたまえ、アストルフォくん」

「待たない! そんな場合なもんか!」

 

 そんな一秒ほどのやり取り。

 ()()を満たしてしまった直後。

 ルールを侵した者へ最後に与えられる、凪のような静かな一時。

 それが過ぎ去った、次の瞬間。

 

「いや――――」

 

 ―――空が、割れた。

 

 光源となる苔の天井の下、発生する大渦。

 その先に広がっているのは星の海原。

 夜空―――ではなく、紛れもない宇宙空間の真っ只中。

 

「今度こそ来るぞ、奴だ!!」

 

 街から響く怒号。

 直後にアマゾネスたちが放つのは、戦士を奮起させる雄叫び。

 鼓膜を破裂させるような怒涛の音圧。

 ただでさえ好戦的な女戦士たち。

 そんな者たちが更なる戦意を溢れさせるために行う、開戦のための儀式。

 

 それを知らずに見舞われた者たちが、咄嗟に耳を塞ぐ。

 最早それ自体が回避不能の兵器であるとばかりに襲いくる音の津波。

 

 ―――それを、

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――――ッ!!!」

 

 街中合わせて数百に達するだろう、というアマゾネスの放つ雄叫び。

 それを全て塗り潰す、神意の咆哮。

 絶対的な存在による完全なる逆撃に、アマゾネスたちが揃って体を竦ませた。

 

 ―――咆哮(ざつおん)が止まる。

 

 そうして発生した無音の瞬間。

 開いたワームホールを潜り、大地に着弾する巨体。

 

 ゆっくりと身を起こすそれは、5mを越える身長。

 全身に白と水色の入り混じる装甲を纏った鈍色の肉体。

 その手に携えるのは、長剣と戦斧の混ざった武具。

 

 着陸を終えた宇宙からの使者。

 そんな巨体に顔を向け、ジオウが息を呑む。

 

「アナザー、フォーゼ……ヘラクレス!?」

 

 答えはない。

 降臨した大英雄の意識はまだ、どこにも向いていない。

 

 ヘラクレスが召喚された可能性は示唆されていた。

 だから敵対の可能性も当然考えてはいた。

 だが、あまりにも予想外の姿。

 

 アナザーフォーゼ化してるのはいい。

 恐らくはスウォルツ―――加古川飛流がフォーゼの力を回収した結果だ。

 だが明らかにイアソンのそれとは違い、進化している。

 いや、それもいい。そういうこともある、と分かっていた話だ。

 

 しかし、ヘラクレス自身の姿だ。

 アナザーフォーゼという怪物の姿に変わり切っていない。

 むしろヘラクレス自身が巨大化し、怪物になったかのような姿。

 異常召喚されたと言っても、あんなものになっていようとは。

 

「―――――」

 

 ようやくその巨体が首を動かし、赤く輝く目を巡らせる。

 ただ視界に入るだけでも死を直感させるような圧倒的な威風。

 そんな最強の狩人が真っ先に目を付けたのは、

 

「■■■■■■■■■■■■■――――――――――ッ!!」

「なにっ……!?」

 

 赤い仮面ライダー、ゲイツ。

 彼の存在を認め、ヘラクレスが咆哮する。

 彼の着陸の衝撃で止まっていた状況が、再び動き出す。

 

「ぐ、ぅ……恐れるな! 奴の首を取り、女王に捧げよ!!」

 

 アマゾネスの攻勢が開始する。

 号令を切っ掛けとして矢が飛ぶ、槍が走る、剣が舞う。

 だが大英雄はそれに何の反応も示さない。

 全てに無反応、全てが直撃。だが当然のように傷一つも負わない。

 アマゾネスに組み付かれても、何の反応も返さない。

 

〈ロケット・オン…!〉

〈エレキ・オン…!〉

〈チェーンソー・オン…!〉

 

 ヘラクレスが手にした武装の柄尻に展開されるロケット。

 同時にその刀身が巨大チェーンソーに代わり、目が白むほどに放電を始めた。

 刃が回転する事で奏でられる、耳を劈く金切り音。

 

 放電の余波だけで彼の周囲のアマゾネスたちが吹き飛んだ。

 その事実に対して、ヘラクレスからの反応はない。

 

 そもそも彼の狙いはオーマジオウのみ。突然の乱入者が何者かさえ関係ありはしない。知りもしない相手とやりあってなどいられるか、と。

 ゲイツは当然のように距離を取るために動こうとして、

 

〈N…!〉〈S…!〉

〈〈マグネット・オン…!〉〉

 

 ヘラクレスの眼光が見据えるゲイツが赤く、ジオウが青く。

 それぞれ別の磁極を与えられ、一瞬だけ光る。

 次の瞬間、二人が揃ってお互いに向かって思い切り吹き飛んだ。

 

「え、ちょ……!?」

「な……! 何をする貴様!」

 

 N極(ゲイツ)S極(ジオウ)が空中で激突。

 ぶつかった姿勢のまま、ぴたりとくっついた。

 結果的にジオウがゲイツの胴に横から抱き着くような姿勢。

 ゲイツが引き剥がすためジオウの肩を押し退けようとすれば、そこに掌がくっついてしまう。

 

「おいこの……! 離れろ魔王!」

「離れられないんだって!」

 

 押し退けようとするのは完全に悪手、と。

 それを理解してゲイツが叫べば、出来ればやってるとソウゴが叫ぶ。

 どうにかするためにジオウがウォッチを取ろうにも、腕のホルダーに反対の手が届かない。

 前腕がゲイツの胴体にくっついて伸びきらない。

 

 そんなやり取りなど関係なしに、ヘラクレスが踏み切るために身を沈めた。

 ロケットの加速も合わせれば、踏み切った後に此処に到達するまで十分の一秒とかからない。

 

「来るってば!」

「だから貴様が離れなければ……くそッ!」

 

 揃って離れようとするが、体が動かない。

 ジカンギレードは先程の攻防でどこかに行ってしまった。

 ジオウが仕方なし、何とか腕を動かすために力を籠め―――

 

「これ取るよ!」

「貴様、勝手に……!」

 

 強引に腕を回して、ゲイツのドライバーに手をかける。

 そうしてゲイツのウォッチに手を張り付け、引き抜いた。

 掌にくっついたそれを彼の前に出し、顔をジカンザックスへと向ける。

 

 時間厳斧ジカンザックス。

 ジカンギレードと同系統の武装であるそれには、ウォッチを装填するスロットがある。

 であるならば、同じように必殺の一撃を繰り出す事が可能なはずだ。

 

「斧! その斧こっちに持ってきて!」

「誰が貴様の言う事など聞くか!」

「そんな場合じゃないじゃん!」

 

 ゲイツのウォッチがくっついた腕を伸ばすジオウ。

 それから逃がすように、ゲイツもまたジカンザックスを握った腕を伸ばす。

 

「―――いいや、そんな場合だ!

 ここで貴様を仕留められれば俺の目的は果たされる!

 死なば諸共! ここが年貢の納め時だ、オーマジオウ!」

「俺はオーマジオウにならないって……!」

 

 グシャリ、と。そこで石畳の断末魔が聞こえる。

 ヘラクレスに踏み切られた地面が弾け飛ぶ。

 加速した瞬間に到達する異次元のトップスピード。

 狙いはただ一つ、目の前に存在する仮面ライダーゲイツ。

 

 そんな突進の瞬間に、

 

「こん、のぉっ! “触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)”――――ァッ!!」

 

 何とかして間に合わせ、アストルフォがその槍を突き出した。

 その宝具であるランスの一撃にさえ、ヘラクレスは意識を向けはしない。

 直進軌道にあるものはただ通過するだけで薙ぎ払う。

 

 ランスの穂先が大英雄の肩に触れ。

 しかし、アストルフォ自身はヘラクレスに轢かれる前に弾かれた。

 彼の纏う雷霆だけで、いとも容易く跳ね返されていた。

 

「っ、……けど十分! これでバランスは崩れ……!」

 

 宝具、“触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)”。

 彼が持つその馬上槍をサーヴァントへと振るい、間接的にであっても触れさせた時。

 その瞬間、強制的に膝下への魔力供給をカットし霊体化させる。

 つまりこの瞬間、彼は一時的に脚部を失う事が確定した。

 

 彼が両足を失ったのは、いま正に地面を踏み切った瞬間。ロケットの加速があっても、いやその加速があるからこそ。突進の瞬間にいきなり両脚を失った事によるバランスの変化は、一気に彼に牙を剥く。一度仕切り直さなければ、ソウゴたちに真っすぐ跳ぶ事もできまい。

 如何にヘラクレスとはいえ、この状況を一瞬で立て直すのは速度があり過ぎて難しいはず。こんな速度で、しかもこんな悪状況で強引に軌道を捻じ曲げられるとしたら、それこそ彼と双璧をなすギリシャの大英雄くらいなもの――――

 

〈ホッピング・オン…!〉

 

「――――――」

「ほえ?」

 

 消え失せたヘラクレスの左足。

 その膝上に展開され、強引に固定されるスプリングユニット。

 そうして装着された濃桃色のユニットはまるで義足のよう。

 彼はそのまま、その新たな足を利用して、()()()()()()()()()

 

「うっそぉ!」

 

 ギシギシと悲鳴を上げるスプリング。

 ヘラクレスの超重量を一瞬後に全て反発させるための予備動作。

 まるで吊り上げられていくギロチンの刃。

 避けえぬ死の予感が目の前で膨れ上がっていく事実に、

 

「ちょ、っと……! あんたはこれでいいのかよ……!

 オーマジオウを許せないからって、あんた自身も命を捨てるようなやり方で……!」

「俺だけじゃない……! ここに辿り着くまでに、俺の仲間は全員命を捨てた……!

 ここでお前を終わらせられるなら、俺は方法なんて選ぶ気はない……!」

 

 ジオウが移動しようと足を動かそうとして、そうはさせぬとゲイツが踏み留まる。

 ほんの数度言葉を交わしただけで、平行線だと理解した。

 彼の怒りと憎しみに一切嘘はないからこそ、そこを否定する気もなくなった。

 

 互いに多少なりとも動かせるのは片腕。

 ジオウはそこにゲイツのウォッチをくっつけ、ゲイツはジカンザックスを握っている。

 

 アストルフォはヘラクレスに跳ね返されてすぐに復帰はできない。

 モリアーティにジオウを巻き込まずゲイツを吹き飛ばす火器はない。

 

「ぐ――――!」

 

 ジオウが呻く。手がない。

 この状況ではヘラクレスを止めるどころか、一撃耐える事さえ叶わない。

 その逆境を覆す手段もないままに、

 

 スプリングが、伸びた。

 

 限界以上に追い込まれたバネが生み出す反発。

 発生するのは反動で大地を割る突進力。

 ジオウやゲイツの装甲の上からさえ命を奪うに足る圧倒的な暴風。

 

 そんな破壊に対し彼らは成す術なく―――

 

「ゲイツ!!」

 

 しかしその声と共に、空から黒い光が降り注いだ。

 ヘラクレスへと直撃するその光、卑王鉄槌。

 その一撃によって上から押さえつけられ、数秒に満たない時間だけ鈍る巨体の動き。

 

「ツクヨミ……!? 何故ここに……!」

 

 そしてその光と同時にやってきた声。

 今の一撃の起点である方向を見て、そこに顔見知りの女性を見つけて困惑した。

 この街で一番背の高い建造物の屋上に立つのは、ツクヨミとアルトリア。

 ゲイツが見つけて、そして呆けた理由はツクヨミにあり―――

 

「いまぁ――――!」

 

 そうして力が緩んだ瞬間、ジオウが斧に向かって腕を伸ばした。

 掌にくっついたままのウォッチを、彼は無理矢理ジカンザックスへと装填する。

 そのまま磁力で張り付くジオウの腕。

 

〈フィニッシュタイム!〉

 

 必殺待機状態に移行した武装。

 それにハッとして、すぐにジオウに向き直るゲイツ。

 

「……ッ、ぐ、貴様……!? この、往生際が悪い―――!」

「当たり前じゃん……! 悪いけどまだ死ねないんだよね……!

 俺はオーマジオウなんかじゃなくて、最高最善の魔王になるんだから―――!」

 

 ゲイツがジカンザックスを引き戻そうとしても、張り付いたジオウの腕が対抗する。

 

 ―――卑王鉄槌という減速エリアを突破し、ヘラクレスが加速し直す。

 真っ当なサーヴァントであれば蒸発しているだろう黒い熱量。

 その中を当然のように突っ切ってきた彼には、火傷の一つすらない。

 

 よって、本当に今のインターセプトはヘラクレスを一時減速させる以外に何の効果もなく。

 このまま待てば、ジオウもゲイツも纏めて粉砕される事に変わりがない。

 

「ふざ、けるな……! 何が最高最善の魔王だ……!

 お前はこの世界を滅ぼす最低最悪の魔王、オーマジオウだろう……!

 俺の仲間も――――……!」

 

 そこで僅か、ゲイツの力が鈍る。

 失ったと思っていた仲間、2068年で共にオーマジオウに立ち向かっていたレジスタンス。

 ツクヨミの姿が確かに、先程見えた。

 

 ―――彼は2068年において、最後に残されたオーマジオウへの抵抗勢力。

 

 たった一人のレジスタンス。

 その時点でどう足掻いても、組織立てた反抗は継続しようがなかった。

 だからこそ彼は、最早これまでと決死の覚悟でオーマジオウの城への突入を選択した。

 

 真っ当にやれば届く事もなくカッシーンに潰される筈の挑戦。だがその結果は、厳重なセキュリティを神懸った奇跡の連続で突破するという現実。

 彼はそうして確かにオーマジオウの玉座にまで辿り着き―――しかしあの魔王と顔を合わせる事はなかった。そもそもあの時、彼は城内に存在しなかったのだ。

 到達できる筈がない、という考えがあれほど自暴自棄染みた吶喊を行わせた。というのに、成功してみれば情報を集めなさ過ぎてそもそもターゲットの所在すら把握していなかった。

 

 その間抜けさに眩暈を起こしながら彼は迫るカッシーンに対抗するため、玉座の間にあったドライバーとウォッチを手に取った。何らかの考えがあったわけではない。咄嗟に対抗するための武器を探し、自然とそれを取っていたのだ。

 彼がウォッチを取った瞬間、何も描かれていたいなかった黒いブランクはゲイツのものとなった。それを使い何とかカッシーンたちを突破し、彼は王都から命からがら脱出した。

 

 戦うための武器を手に入れた高揚。

 自分の行動によって警備レベルを更に上げる事になった辛酸。

 玉座まで辿り着きながら何も出来なかった悔恨。

 そもそも、考えなしに動いた自分への嚇怒。

 

 それらを抱きながらも逃げ果せた彼の前に現れたのは、憎い裏切り者。

 ウォズだった。

 

『残念ながら、私は君の知るウォズじゃない。

 彼はオーマジオウの臣下だが、私は―――君の臣下だからだ』

 

 自分への怒りに震え、次の機会を待つべく隠れていた彼。

 そんな彼をあっさりと見つけ出し、顔を見せた白い服を着たウォズ。

 

 真っ先に見せるのは、こちらをからかうような、嘲笑うような態度。

 憎らしい顔が吐き出す言葉に耐え切れず、短絡的すぎる行動を死ぬほど後悔しているタイミングであってなお、そのまま話を聞かずに殴り倒したくなるような沸き立つ怒り。

 

『実際、君は警備が不自然に薄い王宮を突破し、無事にオーマジオウの玉座に辿り着き、仮面ライダーの力を手に入れられただろう? それは私の仕込みだ』

 

 こちらの我慢の限界を察したかのように、そのウォズはそう言った。

 あまりに不自然な王宮の突破。

 それについては理由が明確に存在している、と言われる方が納得できた。

 ウォズの言葉を信用するかとは別に、何かがあったのは間違いない。

 その事実を判断するために拳を握り聞きに徹する彼に対し、ウォズが続けた。

 

『私は魔王を倒せる人物……救世主である君の助けになるために未来から来た。

 その私の立場から率直に言わせてもらうと、今のオーマジオウには君では勝てない。

 だから……君が魔王に勝てる時代で、この最低最悪の歴史を終わらせてしまおう。

 さあ、我が救世主――――今こそ闇の歴史を切り裂き、光ある未来を齎す時だ』

 

 ―――過去に遡り、若い頃のオーマジオウ……常磐ソウゴを抹殺する。

 それこそがこの最低最悪の未来を変える唯一の手段である、と。

 もう一人のウォズは彼にそう告げて、タイムマジーンによってここまで運んだ。

 その目的を果たすために彼はこうしていて。

 

 しかし、何故かここにツクヨミがいる事に思考を揺らした。

 

「今の俺はオーマジオウじゃない……!

 そんな未来にしないために、俺たちは――――!!」

 

〈ゲイツ! ザックリカッティング!〉

 

 ザックスに装填したウォッチに張り付いたまま突き出される腕。

 その勢いに負け、斧を握るゲイツの腕もまた伸ばされた。

 前方に奔る光の刃。ゲイツの持つエネルギーの大部分を注ぐ必殺の一撃。

 

 一振りの斧をジオウとゲイツの腕で支えたまま、まるで盾のように。

 

 ――――それが。

 弾丸のように襲来した大英雄の一撃に、当たり前のように微塵に粉砕された。

 

「ソウゴ!」

 

 続く悲鳴染みたアストルフォの声。

 

 正しく一瞬だった。

 激突の瞬間に砕かれ、刃が爆散したジカンザックス。

 その勢いのままに二人は揃って弾かれて、彼方まで吹き飛ばされた。

 街の外へと吹っ飛んで、木々を叩き折りながら止まらない。

 そうして瞬く間に姿が見えなくなるまで距離が開き、

 微かに追撃の姿勢を見せたヘラクレスが、何故かそこで止まる。

 

 が、次の瞬間には再起動して顔を上げていた。

 赤く輝く彼の瞳が次に狙いをつけたのは、家屋の上に立っているアルトリア。

 

「―――アストルフォ! 奴らを追え!!」

「分かってる! “この世ならざる幻馬(ヒポグリフ)”!!」

 

 召喚される鷲の上半身と馬の下半身を持つ幻獣。

 彼はその首にかけられた手綱を握り、白い頭を目的の方向へ向けさせた。

 同時に隣にいたマスターの襟首を掴んで即座に投げるアルトリア。

 彼女がそのまま羽毛の上に叩き付けられ、ヒポグリフの体が大きく揺れる。

 

「っ、ちょっとセイバー!」

「問答している余裕があるか!?」

 

〈ファイヤー・オン…!〉

〈クロー・オン…!〉

〈ジャイアントフット…!〉

 

 ヘラクレスが敵を壊すための刃を再装填する。

 刃が歪み、三つに分かれ、獣の爪を模して炎上を始めた。

 それを見てツクヨミが僅かに目を細め、すぐに前を見て叫ぶ。

 

「行って!」

「オッケー! 行くよ、ヒポグリフ!」

 

 応じる怪鳥の声と共に、鷲の翼が羽ばたいた。

 木々の残骸が道を示している、どこに飛ばされたかは明白だ。

 その痕跡を辿るように、幻獣ヒポグリフが加速した。

 

 そうして離脱する相手は一切気にかけず、ヘラクレスはアルトリアだけ見据えている。

 消えたままの膝下。

 そこに強引に装着し、足代わりにして立ち上がるジャイアントフットとホッピング。

 強引にバランスを取りながら、突撃するために力を蓄える姿勢に入る巨体。

 

 アマゾネスたちは止まることなく、街中から続々と彼を目掛けて突撃してきている。

 アルトリアたちの事など無視。ただ全力でヘラクレスに牙を剥き―――しかし意識されることさえなく、彼の纏った業火に燃やされていく。

 

 そんなろくでもない光景を目にしつつ、魔力を漲らせたアルトリアが叫ぶ。

 

「モリアーティ! どこまで掴んだ!」

「―――そうか、そうなるわけだ。不味いネ、コレは」

「ホームズごっこも大概にしておけ!!」

 

 顎に手を添え、苦い顔を浮かべる老爺。

 それに対して罵倒を飛ばし、睨みつける。

 

「最高に不名誉な言葉をアリガトウ! ヘラクレスの行動原理は()()()()

 ここはアマゾネスの国の領土、よってこの都市を害した者を排除するように動くのだろう!

 与えた被害が大きい相手を優先して狙う節もある!」

 

 よほど気に食わなかったのか、すぐに返ってくる答え。

 

「つまり私の攻撃の余波によって出た被害が、奴が私を優先して狙う理由か!?」

「恐らくは! だが問題がある! 土地、都市―――()()に対する被害は君が稼いだもの!

 アマゾネスの戦士たち、()()に対する被害はほぼ出していない!

 だって彼女たち、街中から集まって自分たちから君とヘラクレスの戦いに割り込もうとして、ヘラクレスに吹き飛ばされてるからネ!」

 

 街中で響く怒号は、どんどんこちらに寄せてくる。

 この街にいる全てのアマゾネスはここを目掛けて迫ってくるのだ。

 だからこそ、男性たちを避難させようとしているもう片方のチームは安全だろう。

 

 タイムマジーンの出現を察したが故、ツクヨミだけはアルトリアに連れられこっちに来た。

 だが他のメンバーは今頃避難誘導を始めているはずだ。

 アマゾネスとヘラクレスの関係は掴み切れないが、ここでやるべきは男性たちの奪取。

 彼らを解放次第、一度離れて状況を整理し直すのが―――

 

「―――では、彼女たちが抱えていた()()は?」

 

 そうして、モリアーティが続けた言葉にアルトリアが目を見開いた。

 

「……ッ! 奴隷、()()か――――!」

「そう! つまり今、マスターたちが絶賛火事場泥棒中になるというわけだ!

 私の考えが正しい場合、その被害額が君が都市に対して与えた被害額を越えた瞬間、ヘラクレスがターゲットを変えてしまう!」

 

 対象がどうなるかが問題でもある。

 サーヴァントならまだしもマスターが照準されたらどうしようもない。

 こちらで引き付けていた筈のヘラクレスが、突然あちらに向かったら対応が遅れる。

 この敵の行動指針は、即座に共有しておかねばならないものだ。

 

「チィ……! 避難の終わった区画は分かるか!? 纏めて消し飛ばす――――!!」

「分からない! そしてカルデアとの通信機を持ったマスターたちはここにはいない! 采配を間違えたと正直に言おう! あるのは即時撤退を示す信号弾くらいだ! どうしようもない!」

 

 ならばさっさと撃て、と言おうとして口を噤む。

 理由も同時に伝えなければ。もしくは理由を伝えたとしても、か。

 結局のところ捕まっている人間を逃がすのを止めなければ意味がない。

 むしろ急かされた場合、ヘラクレスのターゲット切り替えまでの時間が目減りする。

 

「―――それでも撃て! 問題があると伝わる分だけマシだ!」

「同感だネ!」

 

 アルトリアの叫びに応え、棺桶を展開するモリアーティ。

 信号弾を装填されたランチャーが顔を出す。

 それが流れるように空へと射出された瞬間、大英雄もまた動き出した。

 

「■■■■■■■■――――――――――ッ!!!」

 

 伴う炎が街を舐め、その一歩が大地を揺らす。

 砕けた石畳をバネ仕掛けの足がかける圧力で微塵に変え―――

 巨大な爪を振り上げた大英雄が、騎士王に向かって加速した。

 

「――――……っ! 侮るなよ、バーサーカー!!」

 

 打ち上げられたロケット弾が、空で色のついた光に変わる。

 

 同時に地上で激突する、赤と黒の魔力が描く螺旋。

 その瞬間に起きる激動が、周囲の建造物を粉砕した。

 

 

 

 

 

『―――戦闘は相当な規模だ。

 けどアマゾネスたちもそちらに向かってるおかげで、避難は順調に進んでる。

 このまま避難が終わり次第、撤退するんだけど……』

「あのアナザーライダー、ヘラクレスを止め切れるかが問題?」

 

 男性の確保のため、街の中の生命反応を探ったカルデア。

 幸運な事に街の男性たちはある程度纏まっていた。

 恐らくはヘラクレスの襲来を事前に理解していたアマゾネスたちの采配だろう。

 巻き込まないだろう区画に纏められていたが故に、いとも容易く救出に移れた。

 

 ヘラクレスと戦うにしろ、アマゾネスと戦うにしろ。

 救出した一般人たちはどこかに身を隠させないといけない。

 そのためにもある程度の距離を離すため、時間稼ぎをしたい。

 ―――となると。

 

「ゲイツに協力してもらえれば助かるわね……」

「それ大丈夫? いきなり襲い掛かってきたヤツだけど」

 

 ツクヨミの声に怪訝そうな顔をするアストルフォ。

 彼の手綱によって導かれ、低空飛空で吹っ飛んだ二人の痕跡を追うヒポグリフ。

 

「それは……いきなりソウゴを見たら、こうなるのは仕方ないと思う。

 でもきっとゲイツも話せば分かると思うわ」

『うーん……いや、そちらはツクヨミちゃんに任せよう。知り合いであるキミが話すのが一番だろうしね。こちらはこちらで避難を進めていくので、動けそうになったら連絡を入れてくれ』

 

 ロマニからの通信が切れる。

 向こうの補助、というよりは一般人たちを逃がす先の選定だろう。

 相当な人数を抱えての移動になるだろう事から、適当な道は選べない。

 探知だけではなく、周囲の環境からの推測も行っているに違いない。

 

 こちらも急がねば、と。

 前のめりになったツクヨミに合わせて、ヒポグリフが加速する。

 それから十数秒かけて、ようやく。

 彼女たちが探していた二つの影を見つけた。

 

 地面に転がる変身が解除された二人。

 その姿に対して、ツクヨミが叫ぶ。

 

「ソウゴ! ゲイツ!」

 

 ヒポグリフの首を叩くアストルフォの手。

 それに応じて幻獣が目的地を確定し、着地のための減速に入った。

 彼女の声に反応して、倒れていた二人が頭を動かす。

 

「ぃ、っ……ああ、そうか。吹っ飛ばされたんだっけ……」

 

 ヒポグリフが着地すると同時。

 ツクヨミがアストルフォにジェスチャーしつつ飛び降り、ゲイツに向かって走り出す。

 了解の意を返して彼も跳び、ソウゴに向かって走っていく。

 

「だいじょぶ? とりあえず今ヘラクレスはアルトリアが抑えてくれてるから……」

「ああ、うん。すぐ戻んなきゃ」

 

 よろめくソウゴに対し肩を貸し、引っ張り上げるアストルフォ。

 そんな彼らの耳にツクヨミの声が届く。

 

「ちょっと、ゲイツ!」

 

 顔をそちらに向けてみれば、そこには一人で立ち上がったゲイツ。

 彼がソウゴを睨みながら、ふらつく足取りで迫ってきていた。

 どうしよう、という顔のアストルフォを制し、ソウゴも応じるように前に出る。

 

 数秒かけて、互いに歩み寄り。

 そうして至近距離で睨み合いながら、ゲイツが口を開こうとして。

 

『―――せん! すみません、ツクヨミさん! 聞こえていますか!?

 ヘラクレスさん、ヘラクレスが先輩たちの方に来る恐れあり、と!

 まだ巻き込まれた男性の皆さんの避難中で、対処しきれない可能性が!

 ソウゴさんが動けるのであれば、今すぐにでも……!』

「――――――!」

 

 ツクヨミの通信機から聞こえてくるマシュの声。

 ソウゴがすぐにゲイツから視線を逸らし、動こうとする。

 だがその腕を掴み、彼はソウゴの動きを止めた。

 

「悪いけど後にして。急ぎで行かなきゃいけないから」

「分かった、すぐに行くから!

 ……ゲイツお願い、話を聞いて。さっきの奴が私たちの仲間を襲うかもしれない。その子たちは今、囚われていた一般人の避難をしていて逃げられないの! 今すぐカバーに入らなきゃ!」

 

 ソウゴを仲間と、そう扱ったツクヨミに対してゲイツの眉が上がる。

 

「ふざけるな!! こんな奴を、オーマジオウを信じろと言うのか!?

 どうかしてるぞ、ツクヨミ。いったい何があったんだ……!」

「それは、すぐには話し切れないけど。とにかく今のソウゴは……少なくともまだ、オーマジオウになるような状態じゃない。だから―――」

 

 言葉に迷う。単純に懇切丁寧に説明している時間がない。

 だがそれ以上に、ツクヨミ自身が今の彼はオーマジオウになるものではないかもしれない、と最低限自分を納得させられたのは、それまでの特異点におけるソウゴの戦いの記録を見てからだ。

 他人からどれだけ説明されても納得できないだろう。それが分かるから、彼女を何を説明するべきか戸惑った。

 

 ―――そうしている内に、ゲイツがソウゴを引き寄せて。

 ソウゴが、自身を掴んでいる相手の腕を掴み返した。

 

「……あんたはなんで、俺を倒しに来たのさ」

「決まっている……! 俺たちはお前が作り出す最低最悪の未来を――――!」

 

 声を荒げるゲイツ。

 最低最悪の未来、ソウゴもまた目の当たりにした地獄の時代。

 あれを防ぐために、という行動理由は一切否定するべきものではない。

 ソウゴ自身、あんなものは絶対にごめんだと思っているから。

 

 だからこそ。

 

「―――だったら今、俺の事なんて後回しでいいだろ。あんたが俺と戦うためにここに来た理由が、ただ俺が邪魔なだけってわけじゃなくて、オーマジオウに支配された最低最悪の世界を正しいものに変えるためだ、って言うのなら……いま、目の前にある異常に支配されたこの世界だって見逃しちゃいけないって思うはずだ」

 

 オーマジオウという最低最悪の支配者を見逃せない、という思い。

 それがあるならばこそ、同じようになろうとしているこの世界だって止めなきゃいけない。

 

 この世界に巻き込まれて傷付けられそうな民が、今そこにいる。

 だったら動かないと。

 

「そうじゃなきゃ……そうやって助けるために動けなきゃ、オーマジオウと一緒だ」

「お前……!」

 

 皆を助けるために、全部を良くするために、選んだ王様の道。

 オーマジオウになる気はない。ああなった自分を認める気はない。

 けれど、いつだって。

 

「俺は最低最悪の未来なんて創らない。最高最善の未来のために今を生きる。

 あんただって最低最悪の未来を壊すためにここで戦えばいい。

 その結果、あんたが正しいと思う手段が俺を倒すことになるならそれでもいい」

 

 オーマジオウにならない為にオーマジオウを否定するんじゃない。

 自分が目指した王様は最高最善のものだから受け入れられない。

 オーマジオウを否定するためではなく、最高最善の未来が欲しいからあんな場所で止まれない。

 常磐ソウゴの夢は、オーマジオウなんかよりずっと先にある。

 

 例えオーマジオウが未来の常磐ソウゴなのだとしても。

 どんなカタチであれ、オーマジオウに縛られている暇なんかもう無い。

 

「―――でもそれは今じゃない。今はもっとやらなきゃいけないことがある。

 オーマジオウを倒すために戦うあんただから、そのことだってきっと分かるはずだ」

 

 互いの腕を掴みながら、視線を交わす二人。

 何かを言おうとして口を開き、しかしそのまま閉じて眉を顰めるゲイツ。

 そんな彼の態度に十分感じ入るものがあったのだと理解し、ツクヨミが声をかけた。

 

「ゲイツ……お願い、協力して。

 民間人を守りながらあの相手を止めるには、どれだけ戦力があっても足りないわ」

「うんうん、そうだね……というか早くしないとまずいかも」

 

 アストルフォが撫でる、逆立ったヒポグリフの羽毛。

 嘶く騎獣のそんな様子は、ヘラクレスの威風がここまで届いている事の証左。

 

 動いた瞬間に大惨事になる相手だ、というのは身に染みている。

 ツクヨミが言うなら、一般人がいるというのも嘘ではないのだろう。

 詳しい話などゲイツには何も分からない。

 だが、あんな怪物が街中で暴れているのが危ない、なんて言われなくとも分かる。

 

 ソウゴの腕を掴む腕に力が籠る。突き合せた視線が白熱する。

 さっき聞こえた声に余裕はなかった。きっと数秒悩むのだって致命的な行為なのだろう。

 それでも目を逸らさない魔王を前にして、彼は強く歯を食いしばって。

 突き飛ばすように、ソウゴを押し退けた。

 

「……お前を信じるわけじゃない。その一般人たちとやらを助けた後は、お前を叩き潰す」

「分かった、今はそれでいいや。俺はあんたを信じるよ、ゲイツ」

 

 さっさとそう言い返し、ドライバーを持ち上げるソウゴ。

 その態度にきつく眉を吊り上げ、彼もまた再びドライバーを装着した。

 思い切り酷い一撃を食らったばかりだが、どうにか体は動く。

 体が動くなら十分だ。オーマジオウに遅れなど取るものか、と戦意を奮い立たせる。

 

「ゲイツ、これ使って!」

「なにぃ?」

 

 自分のウォッチを握りしめ、ベゼルを回していたゲイツ。

 そんな彼に放られる別のライドウォッチ。

 咄嗟に受け取れば、それは黒と銀の本体にリングのクレストが描かれたもの。

 

「―――……っ、わざわざ俺に力を渡した事、後悔するなよ!」

「しないよ。後悔しないために、俺たちは今どうするかをちゃんと自分で選んでるんだから」

 

〈ジオウ!〉〈鎧武!〉

〈ゲイツ!〉〈ウィザード!〉

 

 言い合い、舌打ちして、ベゼルを回したウォッチを揃って前に突き出す。

 揃って構えたライドウォッチは四つ。

 彼らはそれらをドライバーへと装填し、力の現出を導いた。

 

「―――――変身!!」

 

 

 

 

 

 振り下ろされる大剣。

 もう特殊な効果は残していない、単純な大質量。

 その一撃を受け止め、切れずに騎士王が弾き飛ばされた。

 盛大に吹き飛び、地面に叩き付けられた少女の体。

 纏った漆黒の鎧が地面を削り、轍を残す。

 

「く、ぁ……ッ!」

 

 遠慮ない魔力放出でさえまるで埋まらない性能差。

 彼女が限界を迎えるまでにかかった時間は、初撃の交差から数えて30秒。

 その間に聖剣の刃を相手に叩き付ける事が叶ったのはただ一度。

 それによって相手に負わせた損傷(ダメージ)は皆無。

 

「――――――ちぃ!」

 

 モリアーティが銃撃を挟む。ヘラクレスに反応はない。

 彼は全ての銃弾、光線を一切無視。

 直撃した上で一切ダメージを受けず、そしてモリアーティに視線を向ける事さえない。

 

 地面を滑っていたアルトリアが強引に上半身を起こし、体勢を立て直す。

 聖剣を大地に突き立て勢いを殺し、何とか彼女はヘラクレスの視界に留まった。

 もはや周辺一帯の建築物は全て崩壊している。辺りは更地だ。

 これはほぼ全てがヘラクレスによる攻撃の余波。

 

 こちらの破壊に反応して動く癖に、自身が破壊することに関しては無頓着。

 無造作に薙ぎ払われるアマゾネスたちもそうだ。

 どうやら動きを変えて、ヘラクレスへの突貫は止めたようだが。

 意味のない散発的な弓矢による攻撃は続いているが、突進してくるものはいない。

 

 ―――どうあれ。

 この戦果は果たして、一体どちらのものとしてツケられるのか、と。

 セイバーは荒げた呼吸を強引に整えながら剣を構え直す。

 

 が、既にヘラクレスは首を巡らせていた。

 視界が向けられるのはまだ一般人の避難誘導をしているだろう、街の一角。

 彼の照準は次に切り替わった、と言わんばかりに。

 

 答え合わせだ。

 恐らくバーサーカーという暴風による被害は、相手であったセイバーの戦果に含まれない。

 国家に対する攻撃、その被害額。財産の盗難が、都市の破壊による被害を上回った。

 この値踏みするようなゆったりとした照準変更。

 その次に発生するのが、対象となった相手への全力突撃だというのは分かっている。

 

「っ……! モリアーティ!」

「ええい、この……!」

 

 モリアーティがロケットランチャーを可能な限り展開。

 逃げろ、という指示の信号弾。それを二十発連続して空に打ち上げた。

 そんな真似をされれば尋常じゃない異常、という事くらい伝わるだろう。

 

〈ロケット・オン…!〉

〈ドリル・オン…!〉

 

 未だに戻らない足。代わりにジャイアントフットとホッピングで地面を踏む。

 そうしながら振り上げた剣の刀身が螺旋を描く。その柄が飛ぶための火を噴き出す。

 一直線に突き抜けるための準備を止めるため、アルトリアが剣を振り上げる。

 

 が、どうやっても相手が飛び立つ前に聖剣の解放は叶わない。

 ヘラクレスとのほんの30秒の交戦。

 常時魔力放出を全開にしていなければ、それすらもたなかった。

 今の時点で死力で行った全力疾走の直後のようなものだ。

 いきなりそちらに魔力を回せと言われても間に合わない。

 

「く――――っ!」

 

 そうして、宝具の解放に至らぬまでも放った魔力を押し固めた斬撃。

 直撃してなお一切のダメージなく、彼女の前で大英雄は悠然と飛び立った。

 

 

 

 

 

「多数の信号弾を確認、どうやら全てが即時撤退のようです」

「……これは」

『緊急事態につき、ただちに死に物狂いで逃げろ。そう受け取るのが自然だろう。

 理由の程は分からないが、ヘラクレスのターゲットがこちらに向いたと見るべきか』

 

 サファイアと美遊が見上げた空の光景に息を呑む。

 幾つも光る撤退信号。先程一発撃たれたが、これは真っ当な反応じゃない。

 向こうからモリアーティが、本気で不味い、と全霊で伝えているのだ。

 

 ホームズが低い声で呟き、顎に手を当てる。

 

「……でも、それは無理」

 

 探偵の言葉を聞き、しかしそう言う立香。

 

 モリアーティを疑うわけではない。

 彼がそうしたという事は、本気で不味いというのが事実なのだろう。

 

 だがそれでも、逃げられない。百人以上捕まっている人間を誘導しきれていない。

 捕まっていた人間の大半は精魂尽き果てたような人間たち。歩く事さえ覚束ない者たちは多くいる。だがそれを時間が無いからと全員抱えていくことはできない。

 だから、逃げられない。既に避難を始めた以上それを終えるまでは、彼女らが何としても逃げる時間だけは稼がなくてはいけない。

 

「っ……防御陣形! ヘラクレスの襲来に備えて!

 マシュ、常磐を呼び戻せないか確認! 藤丸は出来る限り避難を急がせて!」

『は、はい!』

「うん!」

 

 オルガマリーの指示を受け、二人が動く。

 

『アルトリアの霊基は無事だ、撃破されたというわけじゃない!

 仮にこちらにヘラクレスが来たとして、すぐに追いついてくれるはず……!』

「問題は初撃だ。仮に技術的に可能だったとしても、受け流すという手段はとれない」

 

 そう言ってデオンが苦い顔を浮かべる。

 アナザーライダー化しているというヘラクレスの一撃を受け流せるか否かはともかく。

 背後に避難中の人間を大量に抱えている以上、ここで一切の被害を止めねばならない。

 それができる可能性があるのは、アルトリアとジオウだけだ。

 

 そんな事実に対して舌打ちしつつ、ジャンヌ・オルタが剣を抜く。

 

「まずはチビどもが揃って突っ込んでくる本体を止めるための盾を出す。

 盾にかかった時点で私が串刺しにする。

 そんでアンタとそこのちっさいのは武器が振られた場合に受け流す。文句は?」

「無い。というかそれしかない」

 

 帽子を押さえながら振り返るデオン。

 自分がデオンと共にヘラクレスの武装の対応だと理解し、フェルグスが頷いた。どうにも精神的に女性に対して剣が振れないのだが、相手が男性であるヘラクレスであれば問題ない。

 相手が相手、それこそ本来の最盛期の自分でなければまともに戦えない強者だ。だがその点に関しては問題にならない。例え一合で殺される実力差があったとしても、躊躇いなく戦える。

 戦士というのはそういうものだ。

 

「イリヤ、美遊、クロ、お願い」

「はい! ルビー、物理保護を全開!」

「サファイア!」

 

 ヘラクレスのいる方向に対して張られる魔法陣。 

 その守護の後ろについて、クロエが掌を突き出した。

 選択され、展開の準備に入る“熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)”。

 

(まず突進をわたしたちで止める。盾を割られるにしても、一度は足を止められる筈。

 そこから後の三人が時間を稼いでる内に、追ってくるアルトリアと合流した後、ミユ……あとわたしが投影したエクスカリバーを合わせて聖剣三振り。これだけやればそれなりに――――)

 

 これからの流れを大まかに思い描くクロエ。

 

 如何にヘラクレスと言えど無敵ではない。

 アナザーライダーとなっていて更に強力になっていたのだとしても、戦えない筈がない。

 彼女たちも一緒になって新宿という特異点を攻略した、という経験を得た事もある。

 だが何より、そういうことが出来るチームである、という自負があるのか。

 

 そうして息を整える彼女の前で、大気が爆ぜた。

 

 ―――その爆発から十分の一秒後、理解する。

 迫る大英雄を止める事は不可能だ、ということを。

 

 引き延ばされた意識が捉える、回転するドリルを突き出し前進するヘラクレス。

 建物なんて空気のように引き裂かれ、何の障害にもなりはしない。

 それは今こちらが張っている守りにも言える事だ。

 物理保護やアイアスの盾ですら、あれにかかれば紙屑のように引き裂かれる。

 

 それがこちらに着弾するまでの残り時間は十分の九秒。

 瞬きの間にこちらは揃って惨殺される。

 その刹那、真っ先に前に出るのは短剣を握るフェルグス。

 

 クロエの解析によればあれもまた螺旋の剣(カラドボルグ)

 だがヘラクレスが今使用しているそれとは余りにも差がありすぎる。

 勝負になどなりはしない。守りと一緒に粉砕されるのが見えている。

 

 次いで反応するのはジャンヌ・オルタ。

 その速さが叶ったのは単純に戦場でありえない怪物を見てきた経験値か。

 彼女は即座に宝具を解放する。

 相手を串刺し、恩讐の炎で火刑に処する呪詛殺傷。

 そんな一撃を、本来相手を串刺す黒炎の槍衾を、彼女は単純に()()()にした。

 

 盾の前で折り重なる黒炎の槍。組み重なるそれは呪怨の壁。

 ヘラクレスの巨体を絡めとる目的で張り巡らせる即席の足止め。

 

 それにどれほどの意味があるかは分からない。

 だがそれ以外にやれる事も見つからないまま、大英雄の巨体がこちらに辿り着く。

 

 獲物がかかると同時に黒炎の柵が、溶けるように千切れていく。

 ドリルの起こす衝撃だけで、到達を前にして三枚の盾が割れていく。

 

 この状況から、ヘラクレスを止められるわけがない。

 どれほどデオンとフェルグスが巧くやっても受け流すだけが限界だ。

 だがそれでは避難民たちが多く死傷する。

 イリヤと美遊がインストールするカードを選ぶ余裕もない。

 いや、仮にセイバーとバーサーカーを選んだところで止められない。

 

 彼はヘラクレス当人であり、アーサー王当人を悠々と突破してきた怪物。

 魔法少女がどれだけ力を尽くしても足りはしない。

 

 だから、ここからヘラクレスを止める方法があるとするのなら。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ―――空を割り、腕が届く。瞬間に競り上がる怒涛の地層。

 炎の柵を千切りながら進むヘラクレス。その巨体を外から囲む大地の氾濫。

 黒炎ごと彼の体を呑み込む大量の岩盤が、彼の動きを阻害する。

 

「――――――――――――――」

 

 意に介さず。ヘラクレスはその岩盤を割りながら進もうとする。

 岩盤の山くらいドリルで直接砕かずともついでに砕ける。

 大英雄の突進力ならそれが出来る。

 

 この程度では、到達まで1秒の誤差も生まない。

 そうして前進を続行しようとする彼の足元に突き刺さる投擲された剣。

 

〈ギリギリスラッシュ!〉

 

 黒炎の柵を、隆起した岩盤を、更に上から覆う無数のバナナ。

 大地から生えて咲く巨大なバナナが、ヘラクレスを捕らえる鉤爪となって機能する。

 そこでようやく、大英雄の速度が翳る。ジャイアントフットとホッピングには黒炎が絡みつき、四肢は岩石に覆われ、それをバナナが更に強く締め付けてくる。

 ドリルはとっくに守りの盾を粉砕したが、それを持つヘラクレスが動かない。

 

 ―――その拘束に対し、ヘラクレスが選ぶのは咆哮。

 ビートのアストロスイッチを起動し、彼の咆哮によって周囲を薙ぎ払う。

 周辺一帯を更地にできるだけの暴威。

 アナザーフォーゼ、大英雄ヘラクレス。彼の行動は悉くが災害であり、大量破壊。

 何かを止めたところで続く破壊の嵐が吹き荒れるだけであり―――

 

 その前に、彼の頭部に激突する巨大なパイナップル。

 頭を丸々呑み込む巨大なそれを被った瞬間、口を開いていたヘラクレスの咽喉を満たすパイナップルの果汁。声なく気泡だけを漏らし、大英雄の行動に空白が生まれる。

 

 きゅい、と。その状況で立香の肩の上でコダマスイカが跳ねた。

 その意味を理解して、彼女はそれを掴むと即座に上へと放り投げる。

 

「ソウゴ!!」

 

 空中に放られるコダマ。

 それを頭に乗せながら、ジオウがパインの果汁に塗れた大橙丸Zを放り捨てた。

 無手となった彼がそのままドライバーに手をかける。

 

「ああ―――! 行くよ、ゲイツ!!」

 

〈コダマビックバン!〉

〈スカッシュ! タイムブレーク!!〉

 

 ジオウが全身にエネルギーを纏う。

 形成されるエネルギー球は緑に黒のスイカ模様。

 ヘラクレスも超える巨大な球体になった彼が、その場で高速回転を始めた。

 

「気安く呼ぶな、魔王!!」

 

〈ストライク! タイムバースト!!〉

 

 体を捻り、ゲイツが前へと腕を突き出す。そこに展開される赤い魔法陣。

 そうして張った力の結晶に、彼はそのまま足を突き入れる。

 魔法陣を通る事でその足が巨大化。

 前方にいた巨大なエネルギーを纏ったジオウへと叩き付けられた。

 

 射出される大玉スイカ。

 尋常ならざる巨大さの果実が転がりながらヘラクレスの横っ腹に激突。

 弾け飛ぶ果肉。噴き出す果汁。

 爆発するように乱れ飛ぶ赤い残骸に巻き込まれ、大英雄の体が拘束帯ごと一気に流される。

 

 剥がれた地表ごと強引に赤い津波に流されていく巨体。

 それを見送りながら二人の仮面ライダーが着地する。

 地面に突き立ったジカンギレードを引き抜き、鎧武アーマーが構え直す。

 

「ここからは、俺たちの――――!」

 

 そこまで口にして、彼が横にいるウィザードアーマーを見た。

 視線を向けられている事を察し、鬱陶しげに振り返るゲイツ。

 

「……ちっ、なんなんだ? こっちを見るなオーマジオウ」

「―――ショータイムだ!」

 

 仕方なく自分で続きを述べて、改めて構え直す。

 立ちはだかるのは無双の大英雄。立ち向かう者もまた英雄。

 まだ始まったばかりのこの特異点の攻略において、それでも紛れもなく頂上決戦。

 

 黒炎を千切り、岩盤を砕き、バナナを潰して復帰するヘラクレス。

 

 かつての決戦の再演にはならない。

 大英雄が例え更に強靭になっていたのだとして、彼らはそれ以上に力を増してきたのだから。

 

 

 




 
 英・雄・着・陸と書いてジャイアントステップと読む。
 アナザーライダーフォーゼ、タイマン張らせてもらうぜ!(ヘラクレス無双)
 このメガロスは起動条件が満たされない限り、宇宙のパワーを充電するために衛星軌道上でふわふわしています。毎回ワープドライブで帰還してその都度コズミックエナジー満タンにして動いてるので、エネルギー切れは実質ありません。やったぜ、玉手箱なんていらんかったんや。

 ゲイツ登場について決めていたことはひとつ。
 初登場話は敵としてゲイツ登場で引き、次の話で即味方としてソウゴと同時変身させる。
 こういう所で地道にひらがな(ちから)を高めていく。
 


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守り神2000

 

 

 

 拘束など無いものと全てを粉砕し、大英雄が立ち上がる。

 傷一つない無敵の肉体が復帰する。

 そんな怪物を前にして、

 

「まずはここから離して―――!」

 

 オルガマリーの声が響く。

 彼女たちは背後に避難民を抱えている。

 どんな形で戦闘するにしろ、まずはそこを解消しなければ始まらない。

 

 だが同時に、彼女の叫びに対して何故かヘラクレスが反応した。

 彼の眼光が真紅に輝き、オルガマリーに対して向けられる。

 その事実に対して怯むオルガマリー。

 

『どうやら狙いはオルガマリー所長のようだ。

 ―――ふむ。状況を見るに我らの行動が何らかの閾値を越えた結果、ヘラクレスにターゲットされた。その際に主となる対象は責任者である彼女となった、ということかな』

「なんでよ……!?」

 

 淡々と語るホームズに唖然とした声を上げるオルガマリー。

 あんな化け物のメインターゲットなんて馬鹿げた話だ。

 接近されるだけで紙切れのように引き裂かれる自信がある。

 

「つまり何を狙うか、どう動くかは常に割れてる、ってわけね!」

 

 笑いながら振るわれる剣に従い、地面で燃え滾る黒炎。

 自身の周囲まで延焼させつつ、ジャンヌ・オルタが旗の石突きを地面に突き立てる。

 

 その態度に小さく眉を上げつつ。

 彼女の横でサーベルを翻して構え直し、デオンは疑問を口にした。

 

「逆に言えばこちらが何をしても行動が変わらない、か? だがなぜ奴にはその判断ができるんだ。奴が動く条件はさておき、その基準をどこで誰が達成したかをまさか目視で確認しているわけじゃないだろう?」

 

 ヘラクレスの標的に何らかの条件付けがある、というのはいい。

 だがそれを観測しているのは一体どういう手段なのか。

 その問いかけに対して答えを返すのはダ・ヴィンチちゃん。

 

『恐らくは何らかの情報をどこかから受信している……という事なんだろう。

 ヘラクレスが今まさに見せている初動の緩慢さは、通信中のビジー状態ってわけさ』

「電波わるそー」

 

 黒塗りの弓を投影しつつ、クロエがヘラクレスを見て呟く。

 

 実際に相手の動きはとても遅い。

 動き始めてからは怒涛の侵攻になるが、それまでがあまりに緩慢だ。

 その動きの鈍さを前に、美遊が太腿にあるカードホルダーに指をかける。

 

「いま通信してるってことは何かそうする必要がでた?」

『……恐らくは人員が増えた。つまりソウゴくんと……ゲイツ、くん?

 彼らがこの場に現れたことで()()()()()()()()()()、という事だと思う』

 

 ロマニの言葉を聞きつつ、同じくホルダーに指をかけていたイリヤ。

 彼女がそれどころじゃなかったので今更と、言わんばかりに首を傾げる。

 

「えっと、そういえば誰?」

「今それか? ……後にしろ、来るぞ!」

 

 ジオウ以外に突っかかる気は無い様子で、少女に対しては険悪さを見せず。

 しかしイリヤからの疑問を即座に後回しにし、ゲイツが身構えた。

 

 それとほぼ同時、ヘラクレスが再始動する。

 明確にオルガマリーをターゲットし起動する、誰かに動かされる報復マシン。

 

「■■■■■■■■■■■■―――――――ッ!!」

 

 ロケットが火を噴き。

 ホッピングが軋み。

 ジャイアントフットが踏み締める。

 

 その歩みで大地を割り、進撃する巨人の初動。

 止める術のない突進に繋がる最初の一歩。

 それを、

 

「―――このままただ見逃すばかりじゃ、シャルルマーニュ十二勇士の名が廃る、ってね!」

 

 空より降る勇士の声が止めにかかる。

 風を切り、大英雄の直上から襲来するヒポグリフ。

 同乗しているツクヨミが振り落とされないよう、ヒポグリフに強くしがみついた。

 

 だがしかし、ヘラクレスはそちらにただ一片の意識も向けない。

 

「上等じゃないか! さあ行くぞ、“触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)”解除!」

 

 ―――少年が振り上げた手の中から、黄金の馬上槍が姿を消す。その瞬間、槍によって一時的に失われていたヘラクレスの足が取り戻される。霊体化していた足は実体となって現世に再出現。

 そうなった結果として、当然のように。

 

「―――――――」

 

 失った足の代理をさせるように強引に繋いでいた義足は、本来脛に装着されるホッピングとジャイアントフット。

 それを膝上に無理に装備していた結果、足を取り戻した瞬間に()()()()()()。内側からかかる負荷に限界を迎え、千切れるユニット。そして同時に外側からの圧力に無理矢理縮こまる事になるヘラクレスの本来の足。

 

 結果としてその瞬間、ヘラクレスが足取りを誤った。

 外装を弾けさせながら踏み込み切れず、立ち直せず、そのまま膝を落とす大英雄。

 だが彼がそこから立ち上がるのに一秒といらない。

 足を取り戻したならば、本来のように立てばいいだけなのだから。

 

「というわけでもう一回!!」

 

 だからこそ当然のように、ヒポグリフの翼が空を叩く。

 落下するような角度で飛び、更に加速した幻獣。

 その騎獣に跨った騎士が再び手の中に黄金のランスを現した。

 

 ヘラクレスはどうなろうと対象以外に意識を向けない。

 空を翔けて放つアストルフォの一撃が、確かに大英雄の頭部を捉える。

 

 傷一つ受けず、しかし再び足を霊体化させる巨体。

 立ち上がろうとしていた体が、またも足を失って沈み込む。

 

 地面激突スレスレで進行方向を曲げ、離脱にかかるヒポグリフ。

 その瞬間、ヒポグリフから手を放してツクヨミが跳ぶ。

 体を丸めて地面に落ち、転がって勢いを殺し、彼女は避難民の方へと援護に向かう。

 

「アストルフォ! 所長さんの方へ!」

「りょーかい!」

 

 再び羽ばたく鷲の翼。ヒポグリフが首を曲げ、オルガマリーを見据える。

 ターゲットされた彼女をいつでも空に逃がせるようにする配置。

 いつでも行動を起こせるよう、彼らは加速に入れる状態で滞空する。

 

「■■■■■■■……ッ!!」

 

 そうして足を奪われた状態で、武装の柄に展開されたロケットモジュールが更に火を噴いた。

 足を取り戻せずとも、敵を粉砕しながら直進する事が可能な推力。

 彼は足を失ったままにそちらを全力で行使しようとして、

 

 大英雄の前で、百合の花弁が舞うように散り乱れた。

 

「“百合の花咲く豪華絢爛(フルール・ド・リス)”――――」

 

 踏み込むはシュヴァリエ・デオン。

 その切っ先が描くのは、斬り伏せるためではなく魅了するために振るわれる剣舞。

 白刃の煌めきがヘラクレスの視界の内で優雅に躍る。

 

(何かと通信をしている、というのなら彼の狙いは彼が決めるものではない。けれど今見せた通信にかけた時間を見るに、常に情報が共有されているわけでもない。

 どこかで何かが判断し、ヘラクレスに指令を出し、それを達成するために彼が動く……ならば、戦場で彼の動きの基準となるのはあくまで彼自身の知覚)

 

 サーベルが虚空を滑り、何を斬り捨てるでもなくただただ舞う。

 目にしたものに幻惑を齎す、ただ美しいだけのもの。

 それでも、惑わすだけではヘラクレスの動きは変えられない。

 

 彼は『オルガマリーを狙え』という指示によって動くもの。

 『オルガマリーを狙う』以外の行動はしない。

 

(ならばヘラクレスが此処にオルガマリーが立っている、と認識すれば)

 

 だからこそ。

 磨き抜かれたサーベルの刀身に、デオンが背後にいるオルガマリーの姿を映す。

 精神を惑わす剣舞に、距離感を欺く一手を仕込んでみせる。

 

 白刃に映り込んだ女の姿が、獲物を狙う大英雄の目に入った。

 デオンの後方に立つオルガマリーの位置。そこまでの距離感を、デオンの剣舞が欺いた

 その瞬間、ヘラクレスの動きが変わる。

 

 本来のオルガマリーの位置にまで飛翔しようとしていた巨体。それが即座にロケット推進を取り止めた。代わりに全力で振り上げられる事になる大剣。

 

〈チェーンソー・オン…!〉

 

 振り上げた刃の刀身が薄く伸び、チェーンソーへと形状を変える。

 目の前に突然現れた標的を粉砕するための対応。

 足を失い膝を落としたままに、彼は目標を目掛けて攻撃を慣行してみせた。

 

 回転を始める鎖鋸、即座に頂点へと到達する回転の加速。

 火花を散らして唸りを上げる凶刃。

 その凶器が、ヘラクレスの膂力でもってデオンに向けて振り下ろされる。

 

 己の剣舞の中にオルガマリーを配置した結果、それを受け流せない。

 いや、例え自由に動けたとしてデオン一人でこれは捌けない。

 受け流すにしても限度がある。

 こんな凶刃、受け流す以前に軽く触れただけでデオンの剣が削り折られるだろう。

 

 その攻撃をどうにかしたいのであれば。

 最低限、まずあの武装が巻き起こしている回転をどうにかしなければいけない。

 

「―――――“偽・偽・螺旋剣(カラドボルグⅢ)”……ッ!!」

 

 であれば、捻じ込むしかあるまい。

 

 クロエの弓が発射の反動で大きく撓む。

 彼女の手から放たれたのは、矢へと形状を変えられた螺旋虹霓剣。

 狙う先は、今まさに振り下ろされている最中の剣のチェーン。

 回転する刃の節を正確に射抜き破壊するための、回転する螺旋の矢。

 

 狙いは過たず、その一撃は確かにチェーンソーの回転刃に直撃した。

 

 が、鎖を止めるには足りない。

 回転するチェーンの中、回転しながら捻じ込まれる光の矢。

 それが勢いに負けて、弾き返されそうになる。

 

「――――っ!」

 

 そんな事実にクロが苦渋の顔を浮かべ、声を漏らす。

 ―――その前に。

 

「“虹霓(カラド)(ボルグ)”……ッ!!」

 

 その押し戻されんとする矢に対し、少年が踏み込んでいた。

 矮躯ながらも少年の行った全力の疾走は、足を止めたデオンを追い越していて。

 大英雄の懐に飛び込む勢いで飛び込みながら、彼の突き出した短剣。

 その切っ先が、矢筈にぴたりと合わさった。

 

「お、おォ、ォオオオオオオオオ――――ッ!!」

 

 回転が増す。光量が増す。虹が輝きを取り戻す。

 鎖の圧力に削り砕かれんとしていた光の矢が、その威力を跳ね上げる。

 未熟なれどもその身は確かに英傑、フェルグス・マック・ロイ。

 そして贋作であっても、その矢は確かに彼の剣。

 

 少年は大英雄ヘラクレスの一撃を正面から受け止められない弱さを恥じる。

 いずれはそれを成し遂げられる男になる、という克己心が彼を前に進ませる。

 彼の愛剣はその意志により、虹の輝きを此処に示す。

 

 押し込まれた虹の螺旋が鎖を焼き、チェーンソーの回転を凌駕する。

 鎖が弾け飛び、刃節が周囲に撒き散らされた。

 

 それでもヘラクレスは止まらない。

 チェーンソーを失ったところで殺傷力は微塵も失われない。

 鎖の残骸を散らしながら、大剣はデオンに向けて振るわれる。

 

 跳ね返されるフェルグスの目の前で振り下ろされる刃。

 その凶刃を前にデオンが半身を引き、サーベルの刀身を上げた。

 力だけで振るわれる剛撃を受け流すための柔らかなる剣の構え。

 

 それだけでは足りない。

 シュヴァリエ・デオンの筋力は華奢な外見に反して高ランク。

 技巧も合わせれば、相手が神話級の英霊だとしても競り合える。

 

 が、目の前の怪物を相手にするにはまだ足りない。

 敵は技量を削ぎ落した狂乱のヘラクレス。

 あらゆる技巧を尽くした戦士の全霊を、ただの力だけで圧し潰す無双の大英雄。

 デオンだけではその一撃を止められないし、逸らし切れない。

 

「真上からだ!」

 

 叫びつつ、デオンが迫りくるヘラクレスの一撃に対応する。

 相手の乱雑な一撃を逸らすため、尽くすのが全霊である事には変わりない。

 

「サファイア!!」

「どうぞ、美遊様!!」

 

 大剣の横合いからサーベルの切っ先が振れる。

 ただそれだけでデオンの体に突き抜けていく、微塵に砕けそうになる衝撃。

 それを神懸った体捌きで流す竜騎兵を飛び越して、蒼玉の主従が空に舞う。

 

 噴き上がる魔力は刹那の内に蒼銀に染まり、少女の手に現れるは黄金の輝き。

 空中で加速する術は、全力の魔力放出。

 

「―――夢幻召喚(インストール)、セイバー!!」

 

 変わる姿は青いドレスに銀色の鎧。

 蒼銀の魔力を纏い突き出される聖剣の刃が、ヘラクレスが手にした大剣を上から打ち据える。

 騎士王を模した者による全身全霊の激突。

 支えるための足もないヘラクレスの体が、それによってほんのわずかにブレる。

 

 その隙を、卓越した技巧が切り広げた。

 

 大地を砕く一撃が完遂する。

 ヘラクレスの一振りがその威力を余す事なく発揮する。

 結果として巻き起こされる地面の破裂と、それに伴う爆音。

 星が割れたのかとさえ感じる振動と衝撃。

 

 確かにそれを発生させながら、しかし。

 

「……っ! 一撃が限度だ、マスター!」

 

 シュヴァリエ・デオンは生還する。

 粉砕された大地の上で、確かに剣を手にしたまま立っている。

 それでも腕が悲鳴を上げている、と。焦燥の叫びを背後に送った。

 

 ただ一撃を凌いだが、このまま再び武器を振り上げられては一巻の終わりだ。

 

「ゲイツ!」

「―――――」

 

 投げ渡されるウォッチを無言で受け取り、ゲイツがドライバーに手をかける。

 彼がその操作を終える前に、ジオウは既にその動きを完了していた。

 

〈カメンライド! ワーオ! ディケイド!〉

〈ファイナルフォームタイム! カ・カ・カ・カブト!〉

〈カ・カ・カ・カブト! ファイナルアタックタイムブレーク!!〉

 

 幻に描く十の姿を重ね合わせ、ジオウの姿がマゼンタのアーマーに覆われる。

 そこから即座に更なる追加変身が行われ、彼はカブトの力を帯びた。

 インディケーターに浮かぶのは“カブト・ハイパー”の文字。

 

 瞬く間を静止させ、生み出す猶予。

 ジオウが踏み込むのは時空を歪めるタキオン粒子の奔流。

 全てを置き去りにする孤高の時流の中、ディケイドアーマーカブトフォームが行動を開始する。

 

 地面に叩き付けられた剣が再び振り上げられる前に、決定打を与える。

 そのために彼の手の中に浮かび上がる一振りの長剣。

 

〈ライドヘイセイバー!〉

〈フィニッシュタイム!〉〈ヘイ! フォーゼ!〉

 

 あらゆるものが停滞した世界の中を走りながら、ジオウはディケイドウォッチをヘイセイバーへと装填。更にセレクターを指で弾く。

 選ばれたライダーの力が高まり、その刀身を輝かせた。

 

 ヘイセイバーの刀身に纏わるコズミックエナジー。

 それがドリルのように螺旋を描き、雷光を帯びる。

 

〈ディ・ディ・ディ・ディケイド!〉

〈フォーゼ! スクランブルタイムブレーク!!〉

 

 強大なエネルギーを固めたそのドリルを向けるのは、ヘラクレスが武装を握る腕の手首。

 ジオウが一切止まる事なくそのまま刺突を慣行し、その切っ先を確かに叩き付けた。

 フォーゼの力が炸裂し、ヘラクレスの手首の表皮が焼き切られる。

 

 ―――だがそれまで。

 確かに突き立ちはしたが、貫通など出来はしない。

 押し込もうとジオウが踏み出そうとしても、足が前に出る事はない。

 不動のヘラクレスに対してさえ、攻めきれない。

 

「――――っ! だったら!」

 

 ジオウが足で地面を叩き方針を転換する。

 大きく後ろに跳びながら、彼が握るヘイセイバーの柄尻からロケットの如く炎が噴いた。

 その推力を利用して、ジオウが空中できりもみ回転を始める。

 通常の時流では刹那。圧縮された時間の中での体感十秒。

 それだけの時間を回転による加速に使い、彼は最高速度に到達する。

 

〈カ・カ・カ・カブト! ファイナルアタックタイムブレーク!!〉

 

 ディケイドウォッチのリューズを叩く。

 再度最大に引き出されるディケイドとカブトの力。

 マキシマムライダーパワーが溢れ出し、極彩色の翼となってジオウの背に出現する。

 その力の増大によって、更に加速。

 

 最高速度を突破した状態で、ジオウの手からライドヘイセイバーが放たれた。

 

 ヘラクレスの手首を目掛けて奔る電光ロケットドリル。

 投擲された刃は一直線に大英雄を目掛けて飛ぶ。

 しかしその剣は手から放して体感一秒後、正しい時流に回帰して停滞する。

 

 空中で動きを止めたドリルを挟み、ジオウの目が確かにヘラクレスの手首を見据えた。

 回転を終えたその体が極彩色の翼に後押しされ、再びの加速。

 確固たる狙いを定め放つのは、ヘイセイバーを鏃とした全力の蹴撃。

 

「ハイパー超電宇宙ロケットきりもみドリルキック!!」

 

 圧縮されてスパークするタキオン粒子、マキシマムライダーパワー。

 電光を纏うジオウが流星となって、弾頭として宙に設置されたヘイセイバーに激突する。

 接触した瞬間に再び時流を変え、ロケットとドリルが加速した。

 連結して推力を増し、一直線に限界突破(リミットブレイク)の超加速。

 

 ジオウの一撃が、ヘラクレスが武器を握る腕の手首を捉えた。

 焼ける皮膚。千切れる筋肉。穿たれる骨。

 刹那に満たない時間の内に圧縮される、本来ならば十秒かかる工程。

 

 抉られた血肉が蒸発し、力を失った大英雄の手が宙を舞う。

 

 手放された大剣が地に倒れると同時に着地するジオウ。

 限度を超えた力の利用に、彼が纏っていたアーマーが光と消えていく。

 

「――――――――――――」

 

 手首から先を失ったヘラクレスが僅かに止まる。

 だがそれは、拳を失ったからでもなければ武器を失ったからでもない。

 何故か見失ったターゲットを再び探すための間隙。

 失ったと同時に彼の手は修復を始めている。

 

 彼はオルガマリーの姿を再発見した瞬間、何の問題もなく動き出す。

 武器を拾う手間だけかけて、足がなかろうと殺戮の限りを尽くす。

 

 だからこそ、此処で一気に仕留め切る。

 

〈ドライブ!〉

〈アーマータイム! ドライブ!〉

 

「いくよ、ルビー!」

「一気に決めましょう! それしかありません!」

 

 真紅のボディに両肩のホイール。

 ゲイツの元に出現し、装着されるドライブアーマー。

 

 彼が更なる変身をするのと同時、イリヤスフィールがカードをホルダーから抜く。

 マジカルルビーを通し、顕現するサーヴァントの力。

 

夢幻召喚(インストール)、ライダー……!」

 

 少女が体勢を低くすると同時、金属の擦れる異音。

 彼女が手にした短剣から伸びる鎖が、蛇のようにのたうった。

 

「―――行けるのか……?」

 

 ゲイツ・ドライブアーマーの肩から射出される深緑のタイヤ。

 それを掴んで飛ばすのはフックのついたワイヤー。

 そうしてフッキングレッカーを操作しながら、ゲイツがイリヤを見て困惑する。

 

 だがゲイツの杞憂をよそに、彼らは確かに目的の入口に差し掛かった。

 ヘラクレスの両腕にそれぞれ巻き付くフッキングレッカーと短剣の鎖。

 両腕を絡め取ったゲイツとイリヤが力を尽くす。

 武器を失ったヘラクレスの腕を縛り、そのまま投げて距離を開けるという力業。

 

「お、も……!」

「が、頑張ってください、イリヤ、さん……!」

 

 だが上がり切らない。

 足を奪い、武装を奪い、欠損した肉体を再生中という状況まで持ち込んでなお。

 ただ腕力一つで彼はこの状況に抵抗してみせている。

 

 イリヤの手の中にある短剣(ルビー)が軋み、鎖が歪んでいく。

 ゲイツが抱えたワイヤーもまた悲鳴のような異音を立て、千切れんばかりに張り詰めた。

 

「チィ……ッ!」

 

 そのワイヤーを支えつつ、ゲイツがドライバーのウォッチに手をかける。

 だが彼がそれを成し遂げる前に、彼らの視界に黒炎が迸った。

 

「かちあげてやるわよ、“吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)”!!」

 

 ヘラクレスの直下、地面から再び突き出される槍衾。炎を束ねて形作った憎悪の槍が、ヘラクレスの胴体に次々と直撃する。

 足が無く、腕を縛られた大英雄に踏み止まる手段はない。無数の槍はヘラクレスを貫くことなく、ただその巨体を上へと押し上げる。下から押し上げ、両腕を捕らえ、ようやく。

 

 その巨体を、彼らは後ろに向かって投げやる事に成功した。

 

 投げ返され、地面に落ちるまでの時間。その間、体勢を立て直すためにアナザーフォーゼの力は発揮されない。彼という機構に許された行動は、目標を達成するための事だけ。

 

 だから彼は自身を害する他の何にも意識を向けず。

 ただ、

 

〈チェーンアレイ・オン…!〉

 

 デオンの幻惑が完全に晴れ、再び遥か後方に見えるようになったオルガマリー。標的として設定された彼女だけをただ見据える。

 手首から先が再生中の右腕に装着される鎖と、そこに繋がった棘付き鉄球。殺意の塊のような武装が彼が腕を振るうのに合わせて動き、

 

〈フィニッシュタイム! ドライブ!〉

〈ヒッサツ! タイムバースト!〉

 

「オォオオオオオオオオ――――――ッ!!」

 

 波打つ鎖を掻い潜り走るドライブアーマーに懐に迫られた。

 限界ギリギリまでデッドヒートする動力源、コアドライビア。熱気と蒸気を撒き散らしながら、ゲイツが赤熱した拳をヘラクレスへ叩き付ける。

 如何に大英雄と言えど、空中に一度上げる事ができたとすれば。後はその重量を動かすに足る単純な力さえあれば、押し込めない筈がない。

 

 故に続くラッシュ。灼熱の拳は止まらず、加速していく。リミッターを焼き切って慣行するチキンレース。行きつくところまで行きついて暴走自壊するまでのフルスロットル。死線で躍る限界無視のデッドヒートが生み出す力を乗せ、ゲイツの乱打はヘラクレスを押しやった。

 

 灼熱の拳打が雨霰。

 その衝撃で逸れた鉄球が狙いを外れ、オルガマリーに届かず木々を薙ぎ倒す。

 

「下がりなさい!」

 

 数秒の限界突破の代価に、全身から熱を吐き出すドライブアーマー。

 動けなくなる一瞬前、ゲイツの耳に届いたのは少女の声。それに反応して彼は踵の車輪でバック走行。ヘラクレスの前方を空けるようにカーブしながら撤退した。

 

〈ランチャー・オン…!〉

 

 逸れた鉄球を引き戻すまでもなく、彼は太腿に強引にランチャーモジュールを接続した。

 装填されている弾頭は五つ。

 ヘラクレスは空中に投げ出されたままに、それをオルガマリーがいる方へと向けて。

 

 先んじて、弓兵に矢の一撃を放たれていた。

 

 ―――その一撃のために彼女が選んだのは、クロエが投影できる中でも最強の幻想。

 聖剣・“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”。

 

 星の光を圧縮して矢と変え、放った最強の一射。

 流星のように空を裂き殺到するそれが、相手に届くその瞬間。

 少女は、その一撃の名を告げる。

 

 それは投影した剣を矢へと変換して撃ち放ち、内包した神秘を炸裂させる絶技。

 カタチを自ら決壊させ、その剣が持つ概念を爆弾のように利用する裏技。

 

「――――“壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)”」

 

 聖剣を織り上げた矢が破裂する。

 爆心地から立ち上るのは、岩の天蓋にも届くほどの光の柱。

 その破壊が今にも放たれる筈だったミサイルをも巻き込み、壮絶に大爆発した。

 結果、溢れる光と炎に呑み込まれて姿が見えなくなる大英雄。

 

「ルビー、アンインストール! ミユ!!」

「―――っ! サファイア、アンインストール!」

 

 残身するクロの前に降り立つ二人の魔法少女。

 少女たちは纏っていた英霊の力を排出すると同時、ステッキに戻った相棒を強く握る。

 イリヤから弾き出されたライダーのカードが宙を舞う。

 続けて美遊から吐き出されて舞い上がるセイバーのカード。

 

 ―――そうして宙を舞うセイバーのカードに、イリヤと美遊が同時にステッキを合わせる。

 

「――――並列限定展開(パラレル・インクルード)!」

 

 鏡写しのルビーとサファイア。間に生まれる無限に連なる鏡界回廊。

 そこに取り込まれたセイバーのカードが、虹色に煌めいた。

 並行世界から魔力を汲み上げる魔法のステッキが、その壁を更にもう一つ乗り越える。

 

 少女たちの背後に浮かぶのは、無数の“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”。

 隣り合った彼方の世界から映し出される、太陽よりなお燦爛とした星の輝き。

 

 描き出される星の光の万華鏡(カレイドスコープ)

 星の輝きに満ちた空にかかる虹の橋。

 その光は、眼前に立ちはだかる壁を打ち砕くために。

 

“約束された(エクス)―――――ッ!!」

勝利の剣(カリバー)”―――――ッ!!!」

 

 無限に連なる世界で、全てが同時に解放された。

 怒涛の勢いで雪崩れ込む、斬撃として押し固められた光の波動。

 重なった斬撃は最早津波の如く、あらゆる障害を呑み込んでいく。

 

 クロの巻き起こした爆発もまた、一息の内に光の波濤に押し流される。

 視界一帯を更地に変えるような暴虐的な破壊。

 完全にそれの直撃を受けただろうヘラクレスからの反応はない。

 

 反撃どころか先程まで乱舞していた気迫も消えた。

 

 戦場が停滞したような気の抜ける隙間。

 

 その間隙に少女たちが小さく息を吐き出した、その瞬間。

 

〈ウインチ・オン…!〉

〈ホイール・オン…!〉

 

「■■■■■■■■■■■■■―――――――――ッ!!!」

 

 爆発も、光の津波も、全てを力尽くで掻き分けて。その地獄の熱量の中から、ヘラクレスがロープを打ち出していた。

 確かにその肉体のアナザーライダー化していない部分は傷つき、熱に焼かれ、炭化している部分もある。だがそれでも、ヘラクレスの行動に支障はない。

 

「っ、これでもまだ……!」

 

 ロープは地面に転がった彼の剣へと絡みつく。

 武器を取り戻そうとしているのだと理解し、デオンとフェルグスが即座に動く。

 が、二人が到達する前にそのロープは一気に巻き上げられた。

 同時に脚部にタイヤを接続し、走行を始めるヘラクレス。

 

「“触れれば(トラップ・オブ)……!」

 

 先と同じ方法でアストルフォが足を取り戻させようとして。

 しかし、そこで止まった。

 先程は()()()()という行為に付け込んでタイミングをずらした結果の足取りだ。

 ただ前傾姿勢で下半身を力ませずホイールで走行しているだけの今、足を取り戻させたら。

 

 ヘラクレスであれば、間違いなく。

 そのまま疾走に入れる。一切勢いを失わず、むしろ加速してしまう。

 

 ギャリギャリと音を立て巻き取られていくロープ。

 大地を揺らしながら前進するヘラクレス自身。

 武器は巻き取られ持ち主に向かい、ヘラクレスは前進して標的に向かう。

 丁度、武器を振り下ろすべき対象の直前で彼は武装を取り戻すだろう。

 

「―――ッ! イリヤ、下がって!!」

 

 その進行方向を見て、美遊が叫ぶ。

 更に手を伸ばし、舞い落ちるセイバーのカードに手を伸ばした。

 理解したのはヘラクレスの行動方針。

 先程一瞬訪れた停滞は、ヘラクレスの損傷が原因ではなかった。

 

 ()()()()()()

 イリヤと美遊が破壊の限りを尽くした瞬間、ターゲットは彼女たちに移っていた。

 今や狙いは先程の一撃で一帯を吹き飛ばしたイリヤと美遊。

 彼が拾おうとしている大剣が向けられるのは二人の少女であり―――

 

〈覇王斬り!!〉

 

 周囲に散乱する万華鏡の残光の中から振るわれた斬撃。

 その一閃が、巻き取られていたロープを斬り落とす。

 勢い余って空中に跳ね上がり、持ち主を飛び越していく大剣。

 

 取り戻すはずだった武器が手に戻らずとも、ヘラクレスは止まらない。

 大英雄の走行は確実にイリヤたちに迫っていく。 

 そんな侵攻の前に立ち誇り、

 

〈仮面ライダー!〉〈ライダー!〉

〈ジオウ!〉〈ジオウ!〉〈〈ジオウⅡ!!〉〉

 

 ジオウⅡが、サイキョーギレードとジカンギレードを連結した。

 連なる二つの刃。更にジオウの顔を模したサイキョーギレードのメーンユニット、ギレードキャリバーをジカンギレード側へと装填する。

 サイキョーハンドルを起こし、キャリバーのリミッターを解除。オーバーロード状態へと移行した合体剣が光の刀身を形成していく。

 

〈サイキョー! フィニッシュタイム!〉

 

 迫りくるヘラクレス。

 最大威力で叩き込むために、限界を見極めるジオウⅡの視界。

 

 マスクの頭部で回る時計の長針、バリオンプレセデンス。

 同じく短針、メソンプレセデンス。

 現在を観測し、可能性を計算し、未来を導き出すジオウⅡの視る世界。

 求められた解。求めた結果に到達するために駆動する、ジオウⅡの全身全霊。

 

「これが――――俺が見た、未来だ!!」

 

〈キング!! ギリギリスラッシュ!!〉

 

 “ジオウサイキョウ”と文字を浮かべた刃を、彼は横薙ぎに振るう。

 ヘラクレスの胴体に叩き付けられる閃光。

 確かに斬り込まれながら、大英雄はけして前進を止めはしない。

 押し返されそうになる体を力尽くで抑え込めば、ジオウⅡの踵が地面を抉る。

 

 たとえ両断されようが止まらない驀進。

 だとすればもはや粉々に吹き飛ばすより他にない。

 だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ヘラクレスの前進に巻き込まれて粉砕された家屋の残骸。

 それらを更に吹き飛ばしながら、彼方より黒い光が迫りくる。

 

 避難民の誘導をしながらも真っ先にそれに気づいたマスターが、即座に令呪の使用を断行した。

 使い切る寸前にまで消費されていた彼女の魔力が瞬時に充填される。

 

「アルトリア! あなたの全力を――――!」

 

 その魔力を使用し更なる加速、加速、加速。

 黒い魔力の奔流が描くは、まるで地上を走るほうき星。

 加速に使う以外の魔力の残りは、全て彼女が手にした黒き聖剣へ。

 

 噴射する莫大な魔力の調整は爆発的ながらも細やかに。

 狙うべき位置を直感任せに感じ取り、アルトリアが大地を蹴って跳んだ。

 

「“約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)”―――――――ッ!!」

 

 ジオウⅡと重なるように。しかし激突はせぬように。

 いっそ芸術的なまでに力任せな強引な軌道を描き、騎士王が大英雄へと到達する。

 ジオウⅡが横薙ぎにするというなら、彼女は加速のままに直上からの唐竹割り。

 

「オォオオオオオオオオオ――――――――ッ!!!」

 

 光の大剣二振りはまったく同時に振り抜かれながらも衝突せず。

 しかし同時に巨体を斬り抜けて、確かにヘラクレスの無敵の肉体を斬断した。

 

 一拍遅れて走る極光。

 その光の渦に呑み込まれ、ヘラクレスの五体が蒸発しながら吹き飛んだ。

 

 

 




 
 まるでエクスカリバーのバーゲンセールだな…
 


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王佐の戦士2000

 

 

 

「避難、あとどのくらいかかりそう!?」

 

 振り抜いたサイキョージカンギレードを構え直しながら、ジオウⅡが背後に叫ぶ。

 そんな魔王の様子に怪訝そうな態度を見せるゲイツ。

 だが彼が疑問を口にするより先に、彼らの目の前にその理由が姿を現した。

 

 ―――消し飛んだ四肢を再構成。

 ミシミシと音を立てながら、骨格の通りに張り巡らされる新品の筋肉。

 熱に爛れた己の残骸を糧に、彼は新たな肉体を形成する。

 

「―――――――――■■■■……ッ!」

 

 ヘラクレスが動き出す。

 筋肉がようやく骨を覆った掌で地面を叩き、巨漢が上半身を持ち上げた。

 再生途中の体が喘ぐように大きく震える。

 

 一度砕けた膝下には、もう足を奪う宝具の効果は残っていない。

 消滅した筈の骨、筋、肉、皮。

 失ったものを正しい状態で再生し、彼は長らく消していた足を取り戻す。

 

 首を繋ぎ。胴を盛り上げ。鎧を纏い。

 四肢を伸ばして、大英雄が排熱するように吐息を漏らした。

 

 新たに取り戻した体は五体満足。

 彼は紛れもなく、アナザーフォーゼ・ヘラクレスとして蘇る。

 

「■■■■■■――――……ッ!!」

 

 ―――“十二の試練(ゴッド・ハンド)”。

 生前の行い、偉業が昇華されたヘラクレスが持つ逸話型宝具。

 それこそが彼自身の肉体であり。彼の頑強さの理由であり。

 その体に十二の命をストックするという、不死身の理屈である。

 

「な――――」

「……再生が速い。与えたダメージは想定以下だな」

 

 聖剣を握り、忌々しげにそう呟くアルトリア。

 真っ当なサーヴァントならば十回や二十回、容易に殺せるだけの連撃だった筈だ。

 だが再生速度を見るに、あの肉体に蓄積させた損傷も大きくない。

 流石に再生後、即行動できるほどに浅い傷では済まなかったようで何よりだが。

 

「どう気楽に見積もっても命を半分も奪えていない。撤退以外には無いぞ」

 

 あれだけ攻撃を重ねてこの始末。

 そもそも、このヘラクレスがどういった意図でこんな運用をされているのかさえ定かではない。

 ここで無理に押し切って特異点が解決するというわけでもない。

 

 であるならば、戦闘を続行するという選択肢はありえない。

 あと一押しでトドメをさせるならまだしも、この状態で継戦は無しだ。

 ここまでの攻勢で稼いだ時間は、被害者たちを逃がすために消費する。

 

「―――藤丸! ツクヨミ!」

「っ、まだ……!」

 

 振り向きざまのオルガマリーの声。

 それに反応し、一人で立てない男を支えながら立香が焦燥の声を上げる。

 動ける人間に動けない人間を支えてもらいながらの逃避行。

 

 ただでさえ速度は出ない。

 挙句、化け物の戦闘が背後で展開されているという事実は人の足を竦ませる。

 足取りはあまりに遅く、稼げる距離は微々たるものでしかなくて。

 

 ガチガチと響く、鋼が擦れるような筋肉が軋む音。

 ヘラクレスの体が組み上がり、血流を全身に巡らせ始める。

 一度焼け落ちた命の熱量が、その体に再充填されていく。

 

「常磐! あなたとアルトリアと……イリヤスフィールと美遊! 四人で抑えられる!?」

 

 こうなっては人を逃がすために人員を回すしかないだろう。

 勿論ヘラクレスを抑えるための戦力は削りたくない。だがこのままではジリ貧だ。

 攻めるも退くも自由に選べる状況を取り戻すため、まず人を逃がすのが必須になっている。

 

 ターゲットが変わっているなら、魔法少女二人は後ろに行かせられない。

 であるならば、その二人に加えて特に戦闘力に優れるアルトリア・オルタ。

 そこにジオウⅡの四人だけで戦力は大丈夫かという問いかけ。

 

 彼は背中のその言葉を受け取って、大剣を両手で構えたままゆっくりと腰を落とす。

 ソウゴの意志に感応するかのように、ジオウⅡの全身に漲るパワー。

 

 そうして覇気に満ちたジオウⅡを見て、ゲイツが僅かに顎を引いた。

 

「それが必要な事なんだから、出来るかどうかは訊かなくてもいいんじゃない?」

 

 ソウゴの答えを聞いて、呆れるような表情を浮かべるアルトリア。

 囮のように使われる事になるだろうイリヤと美遊が、しかしその状況を肯定した。

 少女たちはステッキを握りしめ、ヘラクレスと対峙する。

 

「―――わたしたちは連中を逃がす事に全力を注ぎます。

 それが終わるまで、あなたたちで時間を……」

 

 所長はただ必要な事を命令すればいい。俺たちはそれを必ず成し遂げる。

 

 いつも通りの返答を受け、頭痛を堪えるように額に手を当てるオルガマリー。

 だがここでいつものやり取りをする暇もない。

 オルガマリーは戦闘を四人に任せ、即座に全員を動かすための指示をしようとして、

 

『―――あれ、これ……逃げている人間、感知してる生体反応の数が増えてる……? いやこれ、もう逃げた筈の人間が流れに逆行して戻ってきているのか?

 逃げている筈の人たちが、相当な数こっちに向かって戻ってきて―――!? サーヴァント反応だ! 逃がしてる方向にサーヴァントの反応がある!』

 

 ロマニの言葉に、喉を引き攣らせて声を止めた。

 すぐさま振り向いた先。

 もっともヘラクレスから離れた位置には、避難民を支える立香がいる。

 その彼女の方へと迫る、逃げるのではなくこちらに向かってくる者たち。

 

 彼らは全力の疾走で彼女のいる位置まで走り抜け。

 

「おい、あんた! 早くそいつをこの中に!」

「え?」

 

 接近してきたのは、複数人で牽く大量の荷車。

 こちらに走ってきた連中は近づくや否や、動けない男たちを荷車に乗せていく。

 怪我人相手に雑な扱いだが、状況を考えれば致し方ないのだろう。

 

 呆けた立香に苛立ってか、一人が彼女から男を引ったくって荷車に放り込む。

 動けない連中を回収。そして動ける者たちは自分の足で走らせる。

 手際よく、手慣れた動作で行われていく逃亡の準備。

 荷車が反転し、来た方向へと頭を向けた。

 

「こっちだ! 説明してる暇はねえ! 生き延びたきゃ俺たちについてこい!」

 

 一人がそう叫び、走り出す。

 荷車の群れを総員で牽き、押し、瞬く間に離脱にかかる大勢の人間。

 それにつられたかのように、周囲の人間たちが彼らの事を追いかけ始めた。

 

 引き上げていく大勢の男の背を視線で追いつつ、ツクヨミがオルガマリーに問う。

 

「所長さん、どうしますか!?」

「―――ロマニ、サーヴァントの反応は!?」

『彼らが向かう方向の少し離れた位置で停止してる!

 その辺りでふらふら小さく動いてるけど、こっちにまで来る様子は……』

 

 状況から見て今来た連中とサーヴァントは同一勢力。

 男を助けるために来た様子から、アマゾネスよりは真っ当だと思いたい。

 

「……どっちにしろ、このままじゃ退けないわ!

 わたしたちが下がれば、ヘラクレスがそれを追って―――」

 

 その瞬間、ガクンと。

 オルガマリーの言葉を遮るように、唐突にヘラクレスの動きが止まる。

 

 その対応はよく知っている。今までのように何かを測るための停滞。

 魔法少女たちを見ていた大英雄が、別の対象に視線を奪われる過程だ。

 再生が生んだ余剰熱量を吐息で吐き切りながら、ヘラクレスの首が巡る。

 

「―――狙いが変わった!」

「そのサーヴァントの方ってこと!?」

 

 デオンが叫び、彼の向き直った方向に視線を送る。

 その事実に対し、弓を構えていたクロエが顔を引き攣らせた。

 現れたサーヴァントの位置は男たちが逃げていく方向の先。このままヘラクレスの前進を許せば、その過程で全てがひき潰される事に疑いはない軌道。

 

「正面からぶつかって止める――――!」

 

 ヘラクレスの前で振り上げられるサイキョージカンギレード。

 自身の命に届き得る刃を前にしても、大英雄はジオウⅡを一瞥すらしない。

 彼はただ定められた条件を満たした相手を狙い―――

 

 再びガクン、と。

 大きく揺れて、大英雄の動きが停滞した。

 直後にぐるりと首が回り、ヘラクレスの視線はイリヤたちへ。

 

「またわたしたちに変わった!?」

「これは……」

『―――()()だ。街から一定距離を開けた場合、問答無用でヘラクレスのターゲットから除外される! いや、ヘラクレスの稼働範囲が街の周辺だけなんだ!』

 

 ダ・ヴィンチちゃんからの声が届く。

 そうしている間にも、ヘラクレスが一連の停止と再照準を同じように繰り返した。

 起動し、動き始めに至った段階での停止。

 結果として何もせずにアイドリング状態を続ける事になる巨体。

 

 そこにひいこらと棺桶を引きずりながら、ようやく駆け込んでくるモリアーティの姿。

 息を切らしながらも指をピンと立て、老爺が皆の前で口を開く。

 

「ヘラクレスには行動を許された範囲がある……! 逃げ出す事に成功した標的を無限に追跡する、わけではない、という、事だネ……! そして―――」

『彼が標的を選ぶために使う、“国家に与えた被害”という評価値は累積する』

 

 しかし彼が生きも絶え絶えに口にしようとした事実を、ホームズはあっさりと口にした。

 過呼吸気味のモリアーティからは罵倒も出てこない。

 いちいちそれを言及する事はせず、

 

「つまり……あっちにいるサーヴァントは、アマゾネスの国と敵対してる?」

『この推理が正しいのであれば、そういうことになる。街の一角を吹き飛ばす以上の損害を既に稼いでいる筈だ。どうやって、という点は先程のヘラクレスの動きが証明してくれる』

 

 ホームズのその言葉に対し、オルガマリーが眉を顰めた。

 目を細くして思い返すのは、先程までの自分の状態。

 

 ヘラクレスは自分を狙っていた。ターゲットされた理由は恐らく、男性の強奪。

 単純な破壊ではなく、男を逃がすという被害を与えた結果として。

 それを行った集団の代表である彼女が、正確に狙われた。

 

 乱入してきた男たちは、逃げていた男たちを手慣れた様子で確保していった。

 つまり、アマゾネスから財産を巻き上げていったのだ。

 あれほど手慣れた様子であれば、実行した事は一度や二度ではないだろう。

 その状況でヘラクレスに狙われていた彼は―――

 

「まず間違いなく、捕まっていた男たちを逃がす集団の代表―――!」

 

 先程の様子を見るに、男たちは少なからずそのサーヴァントに協力的だ。

 敵か味方か。断定するには早いが、敵ではない可能性が高い。

 

「それで! そっちに逃げて顔合わせするの!? それとも動かないこっちの相手!?」

「こんな状態の相手に剣を向けるのは憚られますが……!」

 

 周囲に投影した剣群を突き立て、それらを全て矢に改造。

 そうしながら弓を構えていたクロエが叫ぶ。

 彼女の前に立ちながら短剣を両手で握るフェルグスが、苦虫を嚙み潰したような表情になる。

 

 再生は終わってなお、ヘラクレスは動かない。動こうとしても動けない。

 照準を定めてからでなくては彼は動く事ができないのだ。

 そんな大英雄の隙だらけな姿を見て、微かに唇を噛むオルガマリー。

 

「この状況なら倒し切れる……!?」

『いえ、やめておいた方がいい。まず外にいるサーヴァントが絶対に味方とは限らない。仮に味方だったとして、男性らの避難が終わってそのサーヴァントがそこを離れただけで、ヘラクレスの照準はこちらに集中します。

 それに何よりヘラクレスが何故ああなっているのか分かっていないのです。途中で彼の優先する行動が別のものに切り替わらないという保証はどこにもない。こういう方法もある、と理解するだけにして今は撤退すべきでしょう』

 

 ホームズが即断する。モリアーティも同意の表情。

 

「―――仮に奴が一切動かず無防備なままだったとしてさえ、数分で命を削り切るのは難しい。アレを仕留め切るには、先程と同等の連撃を二度三度と叩き込んでどうか、というところだ。

 もちろんそれでも足りない、という事さえも十分にありえる。動けないからあっさりと殺せて拍子抜け、などという事はまずないだろう」

 

 漆黒の魔力を立ち昇らせる聖剣を手に、口惜しげに。

 アルトリアもこれ以上の戦闘続行という選択は無いと告げた。

 

「アレの頑強さは宝具の護り。立ち尽くしているだけでも防御能力は十全に発揮される」

 

 そもそも動いていたとしても、ヘラクレスは防御行動など一切とらない。今の彼はただ愚直に目的を果たさんとするだけのマシーンなのだ。

 ある意味では常に隙だらけ。その上でこの無敵かつ不死身ぶりなのがヘラクレスだ。

 

 そんな彼の前に立っていたジオウⅡが剣を下げる。

 そうしてどこか何かに迷うように顔を巡らせて、はっきりしない様子で呟く。

 

「……それに、なんか。多分、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『殺させたがってる、ですか……?』

 

 この怪物を殺せるものが一体どれだけいるのか。

 だというのにそう考えている人間がいるとすれば、狙いは間違いなくカルデア。

 ―――いや、常磐ソウゴだろう。

 

 当惑するマシュの声を聞きつつ、立香がソウゴに向け問いかける。

 

「スウォルツ?」

「―――それと、加古川飛流かな」

 

 ヘラクレスがアナザーフォーゼになっている。

 それだけならば第三特異点の繋がりを利用してフォーゼの力を回収しただけかもしれない。

 だがきっとそれ以上の何かがある。

 そう感じている様子のソウゴの背中を見て、立香がオルガマリーと顔を合わせた。

 彼女がそれに対して小さく頷き、声を張る。

 

「……―――退くわ! 常磐とアルトリアを殿にして、逃げている連中を追い越さない程度の速度で正体不明のサーヴァントの位置まで撤退! そこがヘラクレスがわたしたちをターゲットできる範囲の境界線だと思われます、そこを踏み越えて様子を見る!」

「はい! ゲイツは……!」

「一番前だ。オーマジオウといつまでも並んでいられるか」

 

 文句を言っていても離れる様子は見せず。

 少なくとも避難民の無事が確保できるまでは付き合う、と。

 そういう態度で彼は踵を返し、しかしそこで一度足を止めた。

 

 一瞬だけ迷ったゲイツが、ジオウⅡへと渡されていたライドウォッチを放り投げた。

 そうしてから走り出し、荷車の轍を追い始めるゲイツ。

 

「私も前に」

「ならわたしも……」

「いえ、美遊様。私たちは殿寄りの方が」

 

 ゲイツを追うツクヨミ。彼女の横に並ぼうとした美遊をサファイアが止める。

 あのサーヴァントが範囲外に消えれば次のターゲットはイリヤと美遊。

 彼女たちが先導するのはやめた方がいい。

 

「……アヴェンジャー、ライダー。あなたたちがツクヨミと一緒に前へ」

「りょーかーい。なんか状況が混沌としてきてよくわからないことになってるんだけど、ジャンヌ・オルタはわかってる? 分かり易いように噛み砕いて教えてくれない?」

「さあ? ま、敵っぽかった奴を燃やしてけばそのうち解決するでしょ」

 

 ヒポグリフの手綱を引き、ツクヨミを追おうとするアストルフォ。

 幻獣が加速に入る前にアストルフォの後ろに飛び乗るジャンヌ・オルタ。

 騎兵はその際に軽く交わした言葉に、訳知り顔でうんうんと何度か首を縦に振った。

 

「うーん、なんというか。見かけによらずブレーキをかけることとカーブで遠回りすることを知らない暴れ牛っぷりが流石ジャンヌ! って感じ!」

「燃やされたいワケ?」

 

 背中で揉め事が起こる前に翼を一度羽搏いて。

 ヒポグリフがゲイツとツクヨミの背中を追いかけて加速した。

 

 

 

 

 

 潰れた家屋の残骸。瓦礫の間にミシミシと何かが軋む音が響く。

 それが腕を組んだ女の筋肉が放つ音だと、此処にいる誰もが知っていた。

 充血した獲物を求める眼が、少しずつ理性を削り落としていく。

 

「女王! どうか、どうか……! 早まった真似は……!」

「――――分かっている、奴は我らと戦いに来たのではない。

 攻められた我らの国を守りにきたのだ。どういう理屈か知らんが、紛れもなく」

 

 昂ぶりを制御し、女王は動かない。

 彼女は女王であり、アマゾネスを統べる者。

 彼女の行動には、確かな統率がなくてはならない。

 

 一歩踏み出せばそれが出来なくなる、と。

 それを理解しているから、彼女は前に踏み出さなかった。

 

 戦場に出ないのは恥ずべき事だ。

 が、理性を捨てて怨敵をただ辱める事も恥ずべき事だ。

 そんなものは戦士の在り方ではない。

 

 例えば、好く戦った敵兵を討ち取った後に引きずり回すなど。

 そんな事をするような輩は、理性も誇りもない恥を知らぬ野獣と言えるだろう。

 

「――――まだ動かん。今はまだ、な」

 

 ―――あの男が地上に落ちてくるのはもう何度目か。

 そしてアレが現れる度に、何度彼女は全身全霊で挑み続けたか。

 彼女はもうこの召喚のうちに、あの男を何度殴りつけたかも分からない。

 

 その上で彼女は今のところ、あの男に一度たりとも敵対された事がなかった。

 何百と殴りつけようとあの男は不動。

 一切反撃を行わず、一切彼女に視線を向ける事さえなく、やるべき事だけやって帰っていく。

 

 死ぬほどに怒り狂った。

 またしても敵としてすら見ないのか、と。

 

 だが何度かの邂逅を経て、僅かながらに彼女は落ち着いた。

 

 なるほど、敵対はしてこない。

 なるほど、どれほど攻撃しても意にも介さない。

 

 だがあの男は、彼女を見る事さえなかった。

 やがて美しく成熟する少女の顔になど、一切の興味を示さず。

 ただ自身に傷一つつけられない弱者を見ないだけだった。

 

 ―――ならば、いい。

 それは彼女が弱いだけだ。

 

 牙も爪も毒もない小さな獣に脅威を感じるものなどいない。

 そういうことであるならばいい。

 惰弱と誹られる事に腸が煮えくり返るが、事実としてそれだけの力の差が存在する。

 ならば納得するしかない。彼女は弱者だから、戦士として扱われなかっただけ。

 

 その事実に、彼女の殺意が一段増す。

 

 必ず殺す。

 絶対に殺す。

 一切の容赦なく殺す。

 肉片一つ残さず血煙に変えて殺す。

 

 今度こそ敵としてあの男の前に立ちはだかって、成し遂げる。

 そのためにならば、彼女は僅かだが理性を維持できた。

 

「―――――ハ、ァ」

 

 怒りで赤熱した吐息を漏らす。

 眼球が充血していく事実を認識し、頭から血を下げるために大きく息を吐く。

 燃え立つような全身の熱を、吐息でクールダウンさせる。

 

 同時に、理性が維持できたのは彼女が女王だからだ。

 生前のそれとは違うものだが、確かに彼女は戦士であり女王である。

 そうであるがゆえに確認すべきことを口に出す。

 

「……攻めてきた者の正体は」

「どちらの国の者でもないようです。恐らくは地上から来た者たちかと」

「どこの国の者でもない。そして落ちてきたばかりでは奴の事を知らないのも道理か」

 

 あの男が落ちてくる切っ掛け。

 最初の攻めは、彼女が知るどこでもない勢力だった。

 イースも不夜城も他国を攻めるようなことはもうしない。

 それがこの世界のルールなのだ、と最初にいやというほど思い知らされたから。

 

 その事実に対して再び彼女の血流が加速する。

 沸騰したかのように煮え滾る戦士の血。

 それを抑え込むために歯を食い縛り、彼女は話を続けた。

 

「……だが奴らは生き延び、撤退した。この国から男どもを持ち出すという目的まで成し遂げて。強き戦士だ、今までの連中とは比ぶべくもない」

 

 突然やってきてレジスタンスと共に撤退した、という事は外の人間。この戦闘自体は連中とレジスタンスが共同して動いていた様子はない。

 あの連中はこの世界のルールを把握する間もなく、同族がアマゾネスの胤として奴隷にされているのを見て義憤を抱き、救出のために敢然と行動して、あの男と対峙してなお生き延びた。

 様子を窺っていたレジスタンスはそれに便乗して目的を達成した、と。

 

 恐らくはそんなところだろう。

 

 彼女は戦士ではないものの在り方に関心はない。

 胤として甘んじていたような男どもの事などどうでもいい。

 

 だが今回現れたのは、苦境に立たされた同胞を助けるためにアマゾネスの都市に挑む者たち。その戦士たちはあの男と戦い、一時的に退けさえした。

 どのような戦士たちが属しているかまでは分からないが、単体で彼女を上回る戦士もいるかもしれない。いや、戦果を見る限り間違いなくいるはずだ。

 

「レジスタンスを追い、男どもを奪い返しますか?」

「―――――少し、待て」

 

 思考の最中に滾る血が熱を持ち、思考を阻む。

 戦うことを考えただけでこれほどのヒートアップ。

 やはりこの有様では戦場に出て指揮など出来るはずがない。

 

 ―――街中での戦闘はアレに絶対に阻まれる。

 が、街の外。国外の無法地帯ならば戦闘するのも自由だ。

 レジスタンスは国家ではない。

 レジスタンスがこちらを攻撃すれば怪物に鏖殺される。

 だがこちらがレジスタンスに攻撃するのは自由なのだ。

 

 その事実をしかと理解した上で、女王が掌で自身の額を掴む。

 怒りで理性が駆逐されていく状況を、彼女は力尽くで捻じ伏せる。

 彼女は女王だ。

 

 何をしたい。決まっている、イースでも不夜城でも攻め込む事。

 そしてそこに落ちてくるだろうあの男を八つ裂きにする事だ。

 だがそれではいけない。彼女は女王だ。女王でなければならない。

 戦士に戦って死ね、と告げるのは彼女の使命である。

 しかし無駄に消費する事は許されない。

 彼女が怨念を果たすためだけに、彼女の民たる戦士を消費してはいけない。

 

「……レジスタンス、か。奴と張り合えるだけの戦力を取り込み、次にどうするか」

 

 海賊女王も女帝も動かない。いいや、動けない。

 何故? 決まっている、侵略者になればあの怪物に例外なく鏖殺されるからだ。

 彼女たちに出来る事は、時折落ちてくる男を拾って楽しむ事だけ。

 

 今回はアマゾネスの国家―――黄金郷を守るために動いた。

 だが立場が変わればあの怪物は立ち位置を変える。

 仮に黄金郷が海賊国家を攻めれば、あれは海賊を守りアマゾネスを殺すだろう。

 というか、最初に現れた時がそうだったか。

 

 それでもあれは彼女に攻撃をしなかったが。

 

 殺人、窃盗、破壊工作。

 他国に対するあらゆる害悪に対し、あの存在は起動する。

 国外からの脅威を一切許さない国家の完全防衛機構。

 

 仮に死の恐れがない安寧な国家があったとして。

 しかし他国からの侵略という外的要因による崩壊の可能性は免れない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――――不夜城だな。準備をしろ」

「ハッ!」

 

 狂気に揺れる瞳を理性が抑えつけ、彼女の思考を安定させる。

 その上で出した結論を受けて、アマゾネスが大きく頷き走り出した。

 

 レジスタンスが逃げ回るだけの鼠ではなくなったというのなら、状況は一気に変わる。

 だが状況が変わっても目的は変わらない。

 勝利する。国家同士の戦いに、反抗勢力に――――彼女の狂気の根源たる怨敵に。

 

 敵を粉砕しその亡骸の上で勝利を叫ぶ。

 今度こそ、その結末を迎えるために―――

 

 

 

 

 

 体を揺らし続けていたヘラクレスが、ようやく糸が切れたように停止して。

 ゆっくりと頭を上向かせ、岩の天蓋へと視線を向けた。

 それにより展開される宇宙へのゲート。

 ヘラクレスが飛行を開始し、充電のために衛星軌道上へと帰還していく。

 

 その光景を丘の上から見渡して、彼は一度鼻を鳴らす。

 

「……これは失敗だな。

 “死と再生”を繰り返す奴ならば、効率良くオルフェノクに近づけると思ったが」

 

 そもそも普通にやっていては死にやしない。

 カルデアにあれだけ攻勢してもらってやっと一度、とは。

 命のストックが幾つ飛んだか知らないが、非効率にもほどがある。

 

「だったらどうする。このまま常磐ソウゴを放置か?」

「ああ、この特異点で何かする気はない」

 

 不機嫌そうなスウォルツに背を向け、手頃な岩に座っていた加古川飛流。

 彼からの問いかけに対しそう答え、スウォルツは紫衣の裾を翻しながら踵を返した。

 そんなスウォルツを鼻で笑う飛流。

 

「常に夜だった新宿。それに続けて地面の底。太陽が無ければあんたのギンガの力は意外と不便なもんだな。もうアナザーフォーゼみたいに毎度宇宙に行ったらどうだ?」

「―――――」

 

 煽ってくる相手を一瞥し、スウォルツはそのまま歩いていく。

 ストレートに苛立ちを返してきた彼に対し、肩を竦める飛流。

 

 ギンガの力は太陽光さえあれば無尽蔵。だがそれ以外の環境下では制限が多い。

 結局のところ戦場が太陽の下でなければ全力は出せない。

 もっとも、スウォルツが使えばそれでも戦えるだけの力ではあるが―――

 

 そのまま歩いていこうとするスウォルツを呆れた顔で眺めつつ。

 岩から腰を上げた飛流が、再び彼の背中に声をかけた。

 

「拗ねるなよ。それで、いいのか? 結局ファイズの力の回収は失敗なんだろう?」

「……さてな、()()()()()()()()()()()()()。この属性がどれだけ役立つか知らんが、まあ様子見するさ。

 あれが己の世界のために王の聖櫃(アーク)を求めた者であることには変わらん事だしな」

 

 スウォルツは足を止めることもなく、言い返しながら歩き去ろうとする。

 

「……あともう一つ。奴はどうするんだ」

 

 更に問い詰めるように飛流が突き付けてくる疑問。

 そこでスウォルツは足を止め、胡乱げな表情で振り返った。

 声は平坦ではあるが、焦燥を煮詰めたような響き。

 

「―――何も。少なくとも今は、な」

「ふん。なら、俺が何をしても問題ないな?」

 

 二人の視線が交錯する。

 僅かに目を細めたスウォルツが、飛流の怒りの表情を見据えた。

 獲物を奪われるのではないかという焦りの顔。

 

 ウィザードもカブトもフォーゼも回収済み。

 好きに使わせたところで問題ないが、この様子では―――

 

 そのまま数秒睨み合い。

 しかし、先に視線を外したのはスウォルツだった。

 

「好きにしろ」

 

 そうとだけ言って、歩き去るスウォルツ。

 その場に残された飛流が強く拳を握り、怒りとも喜びともつかない表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

「…………ヘラクレスの命を三つ分、死亡させた、ですか」

 

 女が虚空を見上げ、呟くように言う。

 誰かと話しているように見えるが、周囲に他の者はいない。

 

「予想外、です。あれほどの怪物がまさか一度とはいえ、敗北するなんて」

 

 それを成し遂げた相手に対し、恐怖にぶるりと体を震わせる女。

 

「やはり最初の失敗が痛い……本来であれば、警備はもう一人……」

 

 彼女が共犯者から聞いた、カルデアのこれまでの戦い。

 それを利用して彼女はこの世界を紡いだ。

 

 彼女は語る者。であるからこそ、“カルデアのこれまでの戦い”すら彼女にとっては最早誰かに語り聞かせる事が出来るものだ。

 語り聞かせる事が出来る、と言う事はその力を利用できるということ。

 

 求めたのは王を守る者。

 王が治める都市を守護するための最強の剣。

 

 第三特異点。手に入らない空想の玉座を求めた男、イアソン。

 第五特異点。有り得ざる在り方に身を任せた獣王、クー・フーリン。

 

 二人の空想の王を語り、この世界にそれらの剣を招来した。

 が、成功したのはヘラクレスのみ。何故かフェルグスは役割に入らなかった。

 当人に王を守る気が無かったのだろうか。

 

 理由はどうあれ、守護者とすることを失敗したことには違いない。

 

 最悪の状況だ。だってそうだろう。

 カルデアはヘラクレスの相手を出来る。別に倒せる必要はない。

 ヘラクレスを抑えつつ、別動隊を出せるほどの戦力があるならそれでいい。

 大英雄を抑えられるという事は、国家を攻略できるということだ。

 

 例えば黄金郷を攻め、ヘラクレスをそちらに誘導。

 ヘラクレスの行動原理は実に単純だ。誘導自体はそう難しくない。

 その隙にこの国に攻め込まれれば、彼女は死んでしまう。

 それは嫌だ。絶対に嫌だ。

 

 ―――既に召喚されてしまった以上、もう一度の“死”は絶対だ。

 だからこそ、せめてもう二度とそうならないようにしてからでなくては。

 この世界を変えてからでなくては、怖くて怖くて死ねもしない。

 

 フェルグスを取り込めていれば、その間隙を埋める事ができたのに。

 最早何を言ったところで遅い話だが。

 

「あら、キャスター。こんなところで何を?」

「――――女王」

 

 奥の自室から黒いコートを肩に引っかけた女が、海賊帽を被りながら現れる。

 どこか満足気な様子で姿を現す彼女の隣には誰もない。

 昨晩に部屋へ入る時には、連れ立っていた男がいたはずだけれど。

 扉の開いた室内にも、その気配はもう残っていなかった。

 

 もういない、夜を越えるために使い潰された男。

 恐怖から震えそうになる体を抑え込む。

 そのままゆっくりと彼女は頭を垂れて、女王へと礼を見せた。

 

 ―――ああ、本当に。なんて怖い世界。

 

「遠見の魔術を。どうやらアマゾネスの支配地域にあの怪物がまた姿を現したようです」

「……まったく、本当に忌々しい。あれのせいで黄金郷にも不夜城にも攻められない。この私に何も奪う事を許さない、だなんて」

 

 苛立たしげにそう口にする女。

 彼女たちの海賊行為は、この世界では一切許されない。

 やればヘラクレスによって蹂躙されるだけ。

 

 この特異点が成立し、真っ先に他所の国に牙を剥いたのはアマゾネスだった。

 それこそが誰もルールを知らない世界での、最初の闘争。

 

 アマゾネスは真っ先に要所である此処を落とそうと動いた。

 そうしてそのために大勢の戦士が雪崩れ込み―――全員、ヘラクレスに鏖殺された。

 

 いや、全員ではないか。

 彼は国のための剣であるが故に、国を治める王にだけは一切牙を剥くことはない。

 目の前の海賊公女も、黄金郷の女王も、不夜城の女帝も、彼に殺されることはない。

 

 アマゾネスの女王がどれだけ力を尽くしても、彼に敵と判断される事はない。

 

 さておき。

 その事実をもって、海賊たちは自分たちがヘラクレスに守られていると勘違いした。

 結果として、彼女たちは風を受けた帆のように意気揚々と黄金郷へと攻め込み―――今度は彼女たちがヘラクレスに鏖殺された。

 

 そうして、この世界のルールが周知された。

 他国に被害を出したものは、ヘラクレスによって処刑される。

 この世界は、国家に敵対する外敵を許さない。

 

 彼女たちは繁殖に外から落ちてくる男を必須とする。

 他国から奪ってくる事は許されない。ただし、街の外の戦闘ならその限りではない。

 

 つまり早い者勝ち。

 外に落ちてきた男をいち早く見つけ、自国の領土に引っ張り込んだら勝ち。

 それを破ったらヘラクレスに殺される。

 その競争だけがこの世界において許された戦いである。

 

 ふと。女王に殺され、窓から捨てられたのだろう男の事を思う。

 

「……ですので、不必要に殺すのは出来れば控えて頂いた方が」

 

 ―――思いはしたものの、男の事を思ってというよりも。

 繁殖に必要な男を減らされたら、兵士である民が減るという問題だ。

 この期に及んだら兵士はいればいるほどいい。

 そうでなければカルデア相手に時間を稼ぐこともできなくなる。

 

 女王に諫言するという危険と、兵士の生産数を減らす危険。

 単純にどちらが命の危機を増すか、という話だ。

 

「言いたいことはわかるわ、でもダメよ」

 

 女王が腕を伸ばし、自分の肩を抱く。

 その美貌の上に張り付けられるのは、陶然とした微笑み。

 

「だって一度手に入れたものを持ち続けたら、価値を失くしてしまうでしょう?

 どんなものであれ、一番輝いているのは欲して手に入れた時。

 その輝きは時間とともにくすんでいき、いずれは邪魔なだけの鉛になる」

 

 彼女が足を動かし、窓辺に立った。その先に広がるのは水の都。

 水路が走る美しき都市に散乱するのは、放棄された数々の物品。

 そこかしこに転がっている、かつて宝石のように輝いていた物。

 その光景に頬を緩め、女王は再びキャスターに視線を向けた。

 

「何よりの幸福が手に入れた瞬間にあるのなら、手に入れた時点でそれ以上の幸せになれる経験はないでしょう? だったら拘泥しても無駄じゃない。

 それ以上が無いものにこだわるより、新しい体験を。そして新しい幸福を……そうして誰もが幸福を享受できるのが、本当の理想郷というものでしょう?」

「―――――――」

「新しいものが得られないから古いものを使い続ける。ダメよ、そんなの。

 新しいものが得られないなら、どこかから別の新しいものを奪ってこなければ」

 

 恐怖が滲むキャスターの顔。それも当然の話。

 この世界で何かを奪うということは、絶対に死ぬということだ。

 彼女たち女王はその条件を踏むことはないが、それは当人には分からぬ話。

 

 キャスターの反応に何を感じたが、女王が皮肉げに口元を歪めた。

 

「―――わかっているわ。あの怪物とやりあうのが不可能だなんて。

 それでも手があるでしょう? 新しいものは次々と落ちてくるのだから」

「ですが……」

「止めないし、止められないわ。だってそれが私の作った唯一の規律。

 奪うだけの海賊国家における国営のためのサイクルなのだから」

 

 海賊公女は壊れている。

 原型から離れた形で成立している、とか。元から人間性が壊れている、とか。

 そういうものではなく、イースの女王・ライダーは壊れている。

 略奪がその魂を成立させているのに、ここは略奪を許さぬ世界であるが故に。

 

 元凶の一つであるキャスターが視線を伏せる。

 そんな彼女の前で、女王は自分に言い聞かせるように言葉を続けた。

 

「ええ、そう。これが私の国のルール。

 わかっているのでしょう、なら二度とそんな馬鹿な発言はしないようにね」

 

 略奪を封じられた略奪者。海賊公女が肩で風を切り、歩き出す。

 キャスターとすれ違い、そのまま外へと向かっていく。

 そうしてすれ違った瞬間に、キャスターの口が小さく動いた。

 

「はい……よくわかります。何であれ、いつまでも持っていられるものはない。どんなものであれ、いつかは手放す事になるのは必定」

 

 彼女の声を聞いて、海賊公女が足を止める。

 それを気にしているのかいないのか、キャスターの微かに震えた声は止まらない。

 

「……一度捨てたということは、一度捨てる決心をしたということ。一度捨てる苦しみを味わったということ。それを拾い直すなんて事をしたら、また捨てる苦しみを味わう事になってしまいます。それは、怖い事です。同じ苦しみを二度も三度も味わうだなんて、とても……」

 

 女が杖を掻き抱き、小刻みに体を揺らす。

 

「とても、恐ろしいこと……ですから」

 

 そんなキャスターの言葉を聞き届け、しかし。

 何も口にせず、振り返りもせず、海賊公女は足を再度動かし始めた。

 

 

 




  
 シェヘラザードが特異点を成立させるための過程を何となく想像する。

 第三特異点でメディアに踊らされ王になろうとしたイアソンの右腕、ヘラクレス。
 第五特異点でメイヴに王になる事を押し付けられたクー・フーリンの右腕、フェルグス。
 共に傍に侍る女が王を動かした空想の国における護国の剣。

 シェヘラが状況を動かす男にこの辺りを選んだのに理由付けは出来そう。
 実際はどうなんじゃろうな。

 ちなみにシェヘラは武則天のとこには逃げていません。逃げられません。手土産にできそうな玉手箱やイースの水門の鍵を盗んだらダユー(イース)に損害を与えた判定でヘラクレスが殺しにきます。死んでしまいます。自分で設定したのに。ガンマイザーみたい。
 


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暗黒の三都1783

 

 

 

『ほう、これはまた……』

 

 カルデアから届くダ・ヴィンチちゃんの声。

 彼女がそんな声を上げた理由を同じく見渡して、皆で揃って感嘆する。

 アマゾネスの街からは随分と離れた岩山。

 そこにぽつりと開いた洞穴を抜けてみれば、広がっているのは一面の桃の花だった。

 

「わぁー……」

「景色は綺麗なのよね、景色は」

 

 疲労感に肩を回しながら、目を輝かせる半身の背中を呆れて見るクロエ。

 そんな少女の言葉に苦笑しつつ、周囲の桃林を見回すデオン。

 

(ペッシュ)か……そしてこの岩山に覆われた秘境の様相。東洋の伝説に聞く桃源郷、と言われるものを彷彿とさせるね」

『桃源郷か……4世紀頃の中国の詩人、陶淵明が『桃花源記』に記した理想郷の逸話だね。秦の始皇帝による圧政や、彼が崩御した後に起きた乱世を嫌った者たちが、世間とは隔絶した場所に築いたと言われる平和で豊かな村の事だね』

 

 デオンが出した桃源郷という名をダ・ヴィンチちゃんが補足。

 それを聞いてへえ、と。

 どんなものかを何となく理解した者たちが、一通り村を見回した。

 

 一面の桃林の中に、建築中のものも含めそこそこの数の家屋。

 忙しなく動き回る村の人間たち。

 

「……とは言っても、どうやらこの村に田畑はないようだがネ。桃林は村の内側のみで外には無かったようだし、桃源郷と言うには何とも中途半端な気がするが」

 

 ズルズルと棺桶を引きずって歩いていたモリアーティ。

 彼がいい加減疲れ切った、という顔でそうぼやく。

 

 そんな彼を追いこして、男たちを乗せた荷車がずんずんと進んでいく。

 決まった対応があるのか、迷いなく行動し続ける男たち。

 そんな彼らの背中を見送った後、一番前を歩いていたサーヴァントが振り返った。

 

「ま、名前なんてどうでもいいさ。

 ここはアジトとして使える。今の俺たちにとって、重要なのはそこだからな」

 

 コートを翻しながら笑いつつ、そう言い放った白髭の大男。

 

 想定通り、ある程度離れた時点でヘラクレスからの照準は消えた。

 彼は来た時と同じように空を飛び、姿を隠してしまった。

 そのまま避難民の護衛をしながらここまで来たが、一息つける場所だというなら話ができる。

 

「―――流れで同道する事になったけれど、そろそろ状況を整理しましょうか」

 

 そう言ってオルガマリーがサーヴァントと視線を合わせた。

 

 状況を確認するための話をする、と。

 その雰囲気を理解して、既に変身を解除していたゲイツが振り返る。

 彼が視線を向けるのは同じく変身を解除しているジオウ、常磐ソウゴ。

 

「落ち着いたというなら俺は俺の目的を果たさせてもらう」

 

 ドライバーを腰に当て、腕のホルダーからウォッチを外し。

 目を尖らせた彼は肩をいからせながら、ソウゴに向けずんずんと歩き出した。

 それに応じてソウゴもドライバーに手をかけ―――

 

 歩き出したゲイツの襟首を背後から掴み、ツクヨミが彼を引っ張った。

 

「ぐぉ……ッ!?」

「ゲイツ、ソウゴも。ちょっとこっちに来て話しましょう。とにかく今がどういう状況なのか、共有した方がいいわ。すみません、所長さん。ちょっと私たちで一度話し合ってきます」

 

 返事も聞かず歩き出すツクヨミ。

 そして首を絞められるように引っ張られていくゲイツ。

 ソウゴも一度オルガマリーの方をちらりと見て、しかし彼女たちを追って歩き出した。

 

 それを見送り溜息一つ。

 オルガマリーが集団を軽く見まわした。

 

 クロエとデオンが視線を交わし、面白そうに笑ってクロエが走り出す。

 アルトリアが美遊に軽く目配せして、彼女の方が歩き出す。

 

 クロエとアルトリアが護衛に向かったのを見送り、オルガマリーが咳払い。

 そんなやり取りを見て、大男が軽く笑って自身の髭を撫でる。

 

「なんだ、そっちはそっちで揉め事でも抱えてるのか?」

「ええ、まあ……あっちの話し合いでも場所をちょっと借りるけれど」

「好きにすりゃいいさ、俺たちだって勝手に使ってるだけだしな」

 

 さほど気にしていなそうに笑うサーヴァント。

 彼はそのままひとしきり笑った後に話を続けようとして、

 

「ライダーさん! 今回は人数が多いんで、すみませんがちょっと手を……!」

 

 駆け寄ってきた男にそう告げられ、困ったように片目を瞑った。

 撤退こそ見事であったが、流石に街一つ分の男を奪い返せるとは思っていなかったのだ。

 行き過ぎた戦果に悩む部下を前に、サーヴァントが帽子の乗った髪を軽く掻き回す。

 

「おおう、ちょっと待ってろよ。さて、どうするか―――」

「じゃあ私たちが手伝うよ。イリヤと……」

「あ、はい!」

 

 白髭のサーヴァントが動く前に、立香が前に出て駆け寄ってきていた男の方に向かう。

 彼女の呼びかけに応えて同じく歩き出すイリヤスフィール。

 歩きながら立香はモリアーティに視線を送り、問いかけた。

 

「モリアーティはこっち?」

「ホームズがいれば問題ないだろう、と言いたいが。私が適当に探偵の領分を侵犯してやらないと彼は出し惜しみするからネェ」

『その棺桶を引き摺るのに疲れて動きたくないだけでは?』

 

 残念そうにそう言ってみせるモリアーティ。

 カルデアからの通信から聞こえるホームズの刺々しい声。

 その事実に彼は肩をわざとらしく竦め、大仰に溜息を吐く姿を見せた。

 

「あ、じゃあ代わりにボクがそっち行こう!」

「どちらかと言えば男手が必要な作業なのでしょう? では僕もそちらに」

 

 言って、アストルフォとフェルグスがついていく。

 そんな姿を人差し指で眉間を叩きながら見送って、オルガマリーはまたも溜息ひとつ。

 

 そうして離れていく立香たちを見ながら、サーヴァントは小さく笑った。

 

「悪いな。じゃあこっちはこっちで話をしちまうか。まあ、他の連中に伝えるべき必要な話があったら、アンタから改めて話してやってくれ」

「……そうね。それでいいわ」

「とりあえずだが、キミはライダーのサーヴァント、ということでいいのかい?」

 

 呆れた風のオルガマリー。

 そんな彼女の後ろから、デオンが確認のために問いかける。

 これまでに何度か彼がライダーと呼ばれていたのは聞いていた。

 改めてそれを確認するための問いに、彼は鷹揚に頷いて肯定を示す。

 

「ああ、ライダーのサーヴァントには違いない。が、俺自身に分かるのはそれだけだ。真名も宝具も分からんっていう状況なのさ。いわゆる記憶喪失って奴だな。

 なんでこうなったのか。もしかしたら召喚に不備があったのか、あるいは別にこうなっちまった理由があるのか……そこまでは分からんが」

「記憶喪失で髭面のサーヴァントねぇ……」

 

 ジャンヌ・オルタが何か言いたげにモリアーティに視線を向ける。口に出さないだけで他の者たちもまた同じように。

 あくまで伝聞でしかないデオンは視線を伏せるに留めるも、そんな風に疑わしげな目を向けられた老爺は如何にも心外だとばかりに間の抜けた表情を浮かべた。

 

「パッと見怪しいが実際は心から信頼できるサーヴァントかもしれない。私はそう言いたいネ」

『その信頼できるか否かがキミを基準にしたもので、比較的キミよりは信頼できるサーヴァントかもしれない、という意味なら私も心情的には大賛成だがね。

 キミより疑わしいサーヴァントがこの地球上に存在するとは思っていないが』

 

 嘲笑うような名探偵の一言。

 

「私がそう思われていた事を知っていたから、君はあそこでバアルに取り込まれたわけだ。

 重々反省したまえ、ホームズくん。思考を狭める思い込みはいけない事だとネ」

 

 そんな風に仇敵に嘲笑い返される。

 画面の向こうで軽く口端を上げ、微笑むように顔を崩すホームズ。

 

『………………なるほど、確かに。今はカルデアに所属しているから、と。そういった理由で目の前の犯罪者を見逃している事の是非もまた、問うべきことなのかもしれない』

「ロマニ、話が進まないからその探偵を隅に追いやって。アヴェンジャー、こっちも」

「はいはい」

 

 なのでさっさと指令を下し、オルガマリーが二人の退場を命じた。

 考えさせる分には後から映像なり音声なりの記録を投げつければいいだけだ。

 

 旗を回し、モリアーティを引っかけるジャンヌ・オルタ。

 そのまま吊り上げられ、ぶらりと揺れるモリアーティの体。

 勢い投げ出された棺桶を見て、美遊の手がサファイアを握る。

 モリアーティ本人より余程丁寧に浮かされる火薬の詰まった棺桶。

 

「ぐえー」

『ではオルガマリー所長の命に従い、洗濯物か何かのように吊られたモリアーティ教授で留飲を下げつつ、私はここから黙っていましょう』

「私が暴力にさらされてるのにアイツだけ無事なのずるくない?」

 

 ロマニが苦笑している間にさっさと退くホームズ。

 画面から消えた相手への恨み言を並べる男をオルタが軽く振り回す。

 そのやりとりを眺めていたライダーが、またも軽く笑った。

 

「ま、仲が良さそうで何よりじゃねえか。悪いよりはいいだろう?」

「……そうだね」

 

 帽子に手をかけて被り直し、細めた目を隠すようにしながら。

 苦笑するような声をライダーに返すデオン。

 

「――――?」

 

 その姿を下から見上げていた美遊が、デオンの様子に首を傾げる。

 が、その事を問いかける前にライダーの言葉が彼女たちに向けられた。

 

「あー……そうだな。どっから話したものか。そうだな、とりあえずはこの地上……地下か。ここにある勢力について軽く説明することから始めるかね」

「アマゾネス、とヘラクレス以外にってこと?」

 

 頬を掻くライダーにモリアーティを吊るしたオルタが問う。

 

「ヘラクレス、ねえ。あの怪物の事だろう? 奴がそういう名前だってのは今知ったが、とりあえずそれは置いておいて、だ。

 ―――いまこの地底には俺たちレジスタンスを除いて、三つの勢力……国家がある」

「ええ」

 

 アマゾネスを含め三つの国がある、というのは既に持っている情報だ。

 といっても巻き込まれた被害者からの情報だけではなく、反抗しているサーヴァントから同じ情報が得られたというのは大きい。ほぼ確定情報として扱っていい、ということだろう。

 

 一度頷いて、続きを促すように視線を送るオルガマリー。

 その視線を受けて腕を組み、ライダーが考え込むように視線を泳がせた。

 

「……そうだな、まずはイースの事から説明するか。

 東に広がる広大な地底湖に築かれた水上都市。支配しているのは女海賊の一団だ」

『イース……5世紀頃に栄えた背徳の伝説都市だね。海賊公女が治めたというその地は、享楽の果てに大洪水によって一夜の内に海の底へ沈んだ、と言われている』

「伝説の地底国家アガルタの中にまた伝説都市?」

 

 ライダーの口から出た国家の名前に補足をくれるロマニ。

 彼のセリフを聞いて、オルガマリーが胡乱げな表情で彼を見る。

 ロマニがボクにそんな目を向けられても、と肩を竦めた。

 

「明らかに何かがある、と考えられる配置です」

「うん。こうなると他の二国も―――」

 

 美遊の顔の横で浮いていたサファイアが羽飾りを動かし、マスターに声をかける。

 その言葉に同意するように重々しく頷いて、少女は目を僅かに細めた。

 

 

 

 

 

 ある程度歩いた後、ツクヨミの手がゲイツの襟首から離れる。

 そうして解放された彼はつんのめりながらも体勢を立て直し、すぐに彼女へ振り返った。

 

「っ、ツクヨミ……っ! お前、いきなり何をする……!」

「ゲイツこそ、少し落ち着いて。まずは話を……」

 

 仲間の言葉を遮り、ゲイツが自分の首元を掴んで乱れた服を直す。

 ドライバーの装着を終えている彼は、そのまま後からついてくるソウゴを見た。

 伸ばした彼の手は、腕に巻かれたウォッチホルダーに触れている。

 

「話だと? これ以上何か話す事などない。オーマジオウを倒し、未来を変える。

 そのためだけに、俺はこの時代にやってきた!」

「……でも、ソウゴの言葉を聞いて思うことはなかった?」

 

 ツクヨミの言葉を聞いてゲイツの動きが止まる。

 無視して歩こうとして、しかし鈍る足の動き。

 

 戦いの前に交わした言葉。

 そこで感じ入るものがあった事は否定しきれるものではない。

 オーマジオウの言葉にそんなものを感じてしまった、という事実が腹立たしい。

 そして、それと同時に―――

 

「―――私も同じよ、ゲイツ。最初はオーマジオウを倒すためにこの時代に来た。

 でも今の彼を倒す事がオーマジオウを倒す事になるの?」

 

 畳みかけるように言葉を続けるツクヨミ。

 

 最低最悪の未来を作り出した絶対王者、オーマジオウ。

 その悪魔的な存在と今の常磐ソウゴが重なり切らない。

 そんな状態でこの常磐ソウゴを倒すのが正しい事なのか、と。

 一瞬だけそうして浮ついた心を捻じ伏せ、ゲイツは声を捻りだした。

 

「……やがてオーマジオウになる者を倒す事にはなる」

「ならないよ」

 

 だがそれに正面から言い返してくる本人。

 二人に追い付いてきた彼はそこで足を止め、ゲイツを正面から見返してくる。

 やがてオーマジオウとなるもの。

 彼の知るオーマジオウから50年前の常磐ソウゴ。

 

「なに……?」

「俺はオーマジオウになる気なんてない。だからもし俺を倒したとしても、それでオーマジオウを倒した事にはならないよ」

 

 ウォッチを握る腕に力が籠る。

 

「詭弁だな。この時代の貴様が何を言おうと、オーマジオウが貴様である事には変わりない。オーマジオウ……常磐ソウゴを倒せば、オーマジオウが支配するあの最低最悪の未来は消える。俺が求めているのはその結果だ、お前がどう考えているかなど関係ない――――!」

「本当にそう思ってるならそれでいいよ」

「ソウゴ!」

 

 静止するツクヨミの声を聞かず、ゲイツと正面から向き合うソウゴ。

 

「あんたが本当に俺がどう考えているかどうでもよくて、それで今の俺を倒す事がオーマジオウを倒す事だって思えているなら、それでいい」

「なんだと……!」

 

 挑発するような言葉を受け、ソウゴに詰め寄るゲイツ。

 至近距離でぶつかる二人の視線。

 ゲイツがソウゴの腕を掴み、それを自身の方へと引き寄せて、その顔をより強く睨み据える。

 

「だったら! お前がオーマジオウにならないという保障ができるとでもいうのか!」

「保障なんかできない。でもやるよ。最高最善の王様になって世界を全部良くする事で、俺の中のオーマジオウを本当の意味で倒してみせる」

 

 一切迷いなく見つめてくるソウゴを前に、ゲイツが歯を食い縛る。

 オーマジオウが相手なら一切迷いなく戦える。

 だがいずれオーマジオウになる―――筈の少年を前に、彼は踏み切れない。

 戦う事はできても、迷いの全てを振り切ることができない。

 

「あんたが俺を倒してオーマジオウを倒そうとしているみたいに、俺だって俺自身をより良く変えてオーマジオウを倒そうとしてる。

 そんな俺のやり方にあんたが本気で納得できないなら、俺は俺の全部を懸けてあんたと戦う。俺より正しくオーマジオウを倒せるとあんたが本気で思ってるなら、いいよ。俺は戦う」

 

 だから、少年の方から言っている。

 戦うというなら受け入れる。でも、その迷いを振り切ってからにしろ、と。

 それを抱えたままではきっと、誰のためにもならない戦いにしかならないから、と。

 仇敵にそう言われたゲイツが掴んでいたソウゴの腕を放り、拳を強く握った。

 

「……ゲイツ。一緒に行きましょう」

「なんだと……?」

「あなた自身の目で今のソウゴがどんな人間かを見るべきよ。戦うにしろ戦わないにしろ、あなたがどうするべきかを見極められるのは、きっとあなた自身だけだから……」

 

 ツクヨミの言葉を聞いて、より強く拳を握るゲイツ。

 

 数十秒、数分。

 結構な時間を揃ってそのまま過ごして、ようやっとゲイツが頭を動かした。

 

「…………いいだろう。俺の敵はお前をオーマジオウと重ねきれない俺の甘さだ……!

 お前を倒す覚悟を決めるために、お前がオーマジオウであるという確信を得るために、俺はお前の中に眠る魔王の本性が顔を出す瞬間を見極めてやる……!」

「そっか。うん、じゃあもし俺がオーマジオウになると思った時はよろしくね」

 

 握手のために手を差し出したソウゴの手を思いきり叩き落とす。

 パッチンと高らかに響く掌同士が打ち合わされる音。

 そのままゲイツはソウゴに背を向けて、腕を組んで黙りこくった。

 

 ソウゴとツクヨミがそんな彼の様子に顔を見合わせる。

 

「話は終わったか?」

 

 丁度そのタイミングで、放り込まれる桃の果実。

 三人揃って投げつけられたそれを受け取って、まじまじと見つめる。

 投げてきたのはアルトリア。

 彼女は自身も桃を口にしながら、のんびりとこちらに歩いてきた。

 

 瑞々しいもぎたての桃。

 特に気にせず受け取ったそれを口に運びながら、ソウゴが答えを返す。

 

「終わったよ。ゲイツもこれから協力してくれるって」

「監視だ! 誰がお前に協力などするか……!」

「俺がオーマジオウにならないように監視してくれるならやっぱり協力じゃん」

 

 不本意な物言いに振り返り言い返そうとしたゲイツ。

 だがソウゴはそれにあっさりと言葉を被せ、それ以上の言及を止めた。

 そうなったせいで、ゲイツがぐぬぬと酷く表情を歪める。

 

 そんな風にしている二人を見ながら溜息ひとつ。

 ツクヨミが投げ渡された桃を口に運んだ。

 

「あ、美味しい。この桃は……って、その辺にいっぱい生ってるわね」

「これどれだけ採ってもすぐに新しい果実が生るんですって。レジスタンスの主食らしいわよ」

 

 桃の花ばかりではなく、果実もよく生った木々の合間をすり抜けてくるクロエ

 桃を食べながらアルトリアに続き歩いてきた彼女が、抱えた桃を軽く持ち上げた。

 

「外には魔獣もいて、ここにも時々ワイバーンなんかが来る事もあるらしいけど。

 ただ基本的に狩猟をやってる余裕はないからこの桃で生活してるって」

 

 道中でレジスタンスの誰かから聞いてきたのだろう。

 そう言いつつ、少女は桃を頬張った。

 

「ここ、魔獣に襲われる事があるの?」

「らしいな。サーヴァントからすれば難敵はいないだろうが、よく持ち堪えているものだ」

 

 言って、アルトリアが周囲を見回した。

 疎らになって動き回っている、この桃源郷にいるレジスタンスの人間たち。

 お世辞にも兵力が足りているとは言えない。

 それでもこの士気を維持しているライダーに思うことがあるのか、彼女は僅かに目を細める。

 

「野生の連中の他にも、アマゾネスはワイバーンとかキメラとか、あと双角獣(バイコーン)なんかまでも引き連れてる事があるんですって」

「あの街にそんな魔獣なんていたっけ?」

 

 丁寧に見回ったわけではないが、街全体を騒がしたのは確かだ。

 その状況で魔獣など一切見かけた覚えはない。

 だとすれば、あの街にそんなものはいなかったという事だと思う。

 そう言ったソウゴに対して頷きつつ、アルトリアがクロエの抱えた桃を一つ横から取った。

 

「あそこはアマゾネスの本拠地ではなかったそうだ。

 奴らの根城は黄金郷(エルドラド)、密林の奥に位置する秘境らしいな」

 

 じとりとした少女の視線にさしたる反応も返さず、彼女は桃を口にしながら言葉を発する。

 

「エルドラド、って何か桃源郷みたいな特別な名前なの?」

「……大航海時代において実在を信じられた風聞だ。アマゾンの奥地には黄金で出来た都がある、とな。多くの人間が真実とは程遠い噂に踊らされた歴史の教訓だ」

「へー……」

 

 咄嗟に受け取っていた桃を手持無沙汰にして。

 ゲイツはもういっそと噛り付きながら、ソウゴの出した疑問に呆れた風に答える。

 

 黄金の伝説都市、エルドラド。アマゾンの秘境とされたそこをアマゾネスが支配しているのなら、それは道理にあっているのか。何となく納得して、ソウゴが小さく頷いた。

 

 

 

 

 

「悪いな、助かったよ。

 流石に普段はこんなに大人数で帰ってくる事はなくてさ」

 

 荷車から降ろされて、並べられていく男たち。

 まるで野戦病院のような様相。それこそアメリカの特異点で見たような。

 いつかの戦いを思い返しつつ、手伝っていた立香が軽く息を吐く。

 

「こちらこそ。あのまま庇いながらヘラクレスと戦ってたら、きっとどこかで破綻してた。

 あなたたちは今までもこんな風に色んな国と戦ってきたの?」

 

 ライダーにあれほどヘラクレスの狙いが集中する、ということはそういう事なのだろう。

 国家を跨いで戦果が共有されるかは分からない。エルドラドで指名手配される事でイースでも襲われる事になるかは、彼女たちには分からない。

 それでもどちらにせよ、彼らはとんでもない人数の男を解放してきた筈だ。

 

「―――ああ、まぁな。といっても相手はもっぱらエルドラドとイース。

 不夜城には一切攻めたりはしてないんだが」

「けどこうなってくると……ライダーさんが決める事だが、次は不夜城かもしれないな」

「不夜城?」

 

 一通り怪我人の整列を終え、汗を拭ってから桃を齧る男が一人。

 この桃源郷においては、瑞々しい桃の果実が食料でもあり飲料でもあるのだろう。

 とにかくそんな男の発言に対し、問い返す立香。

 

「ああ。まあ不夜城に関しては俺たちも全然情報を持ってないんだがな。

 ただ今まで一切関わってなかったからこそ、捕まったままの連中も多いと思う。

 偵察の意味も含めて、そっちに行くかもしれないって事さ」

 

 立香が三つ目の国の名を聞いて、考えるように口元に手を当てる。

 そんな彼女に届く、カルデアにいるマシュの声。

 

『不夜城……紀元前の中国、山東省にあったとされる伝説上の都市ですね。

 常に太陽が昇り、けして沈まない。その名の通り、夜を知らない国だったと』

「……えっと。イースに、エルドラドに、不夜城……全部が伝説の国、って事ですか?」

『はい。桃源郷を含め、そういうことになるかと』

 

 立香の隣で聞いていたイリヤからの問いに肯定を返すマシュ。

 基盤となるアガルタから始まり四つの伝承都市。実在すら怪しい空想の都市群。

 この場所がそういったものだと聞かされた少女が、どこか難しい顔を浮かべる。

 

 イリヤがそうしている間にも、その男と話を進めるアストルフォとフェルグス。

 

「外から様子を窺うにも、あそこは都市部の外に幾つも関所を設けてるんだ。

 今までは近づけすらしなかったんだよ」

「関所……アマゾネスたちに攻められないように、とか?」

「ある意味でそうでしょうが、厳密に言うと警戒しているのはアマゾネスではないでしょう」

「って言うと?」

「アマゾネスに攻められるとヘラクレスがやってくる。恐らくそういうことだと思います」

「うーん……その場合ってさ、多分ヘラクレスがアマゾネスを追っ払ってくれるわけだよね? なら別にいいんじゃない?」

 

 桃を流し込むように口に放り込みつつ、首を横にこてりと傾げるアストルフォ。

 フェルグスはそんな彼を困ったように見て、自分も桃を口に放った。

 ごくりと桃を嚥下してから種を吐き出し口元を拭い、そうしてから疑問に言葉を返す少年。

 

「それが都市の外で行われるのであれば、そうだと思います」

「……そっか。街中でヘラクレスに暴れられたら不夜城、っていう都市にとっても損なんだ」

 

 彼の言葉を聞いた立香が手を打って納得を示す。

 そんな様子にひとつ頷いて、フェルグスが続けた。

 

「はい。ヘラクレスは敵を排除しますが、同時に周囲の被害を顧みない。

 であれば、国家の運営をするものとしてはそもそも起動されたくないのだと思います。

 民が全て戦士であるアマゾネス。民が全て簒奪者である海賊。

 きっと不夜城はその両国家とはまったく成り立ちが違う国なのでしょう」

 

 フェルグスの言う事を聞いたそこで名案を思い付いた、と突然に手を叩くアストルフォ。

 

「つまりボクたちが攻め込んだ場合、迎撃にヘラクレスが来るのも含めて酷い嫌がらせになる!」

「ヘラクレスの暴走に捕まっている男性が巻き込まれる危険性を考えなければそうですね」

「あー、そっかー……ダメだね!」

 

 名案だと思った愚考を秒で投げ捨て、アストルフォが訳知り顔で頷く。

 そんな彼の様子に若干表情を引き攣らせつつ、イリヤが首を傾げる

 

「じゃあどうやって戦えばいいんだろう?」

「アマゾネスたちのように街の一角に男性を集めてくれているなら、奪還も何とかなるかもしれませんが……結局のところ、不夜城の様子を一度偵察してみなければ分からないですね」

「関所がどうなってるか、って何か分かりますか? 兵器が置かれてるとか」

「え? ああ、兵士……には見えないが、顔を隠した女たちが詰めてる。

 そいつらがいるだけで、大砲だとかそういうものがあるようには見えなかったが」

 

 立香に問われて、少し考えてから答えをくれる男。

 彼の言葉にマシュが、ここにいるサーヴァントに対して言及する。

 

『ではアストルフォさんのヒポグリフのような、飛行可能な戦力であれば回避は容易いですね。イリヤさんも同じように飛行可能ですし』

「そうですね。関所自体は僕たちサーヴァントなら回避なり突破なりどうとでもなるかと。だから不夜城に近付く事自体は難しくありません。

 そして、都市に侵入して偵察―――何なら堂々と見て回る事さえ、きっとそう難しくない」

「堂々と、って?」

 

 フェルグスの物言いに目を細め、立香が呟く。

 

「迎撃できないんだね、不夜城側からも」

「恐らくは。反撃されてしまったらその時点で被害が出る。そうなればヘラクレスの降臨を許す事になります。()()()()()である限り、不夜城の支配者は自国を防衛するために問答無用の排斥は出来ない―――可能性が高い。不夜城が虐げることができるのは、被害が出る反撃が出来ない者だけなのでしょう」

 

 その呟く声を拾って頷くフェルグス。

 彼は細い目で天蓋の空を見上げながら、小さく唸る。

 

「―――こちらから攻撃を行ってしまえば最早関係ありませんが、一度入ってしまえば向こうも平穏無事に都市を出立して欲しいと考えると思います」

「でもそれは……」

「その都市でいるであろう捕まった人たちに何もせずに帰ってくる、ということですねぇ」

 

 イリヤの言葉を遮るルビー。

 不夜城が侵入者を害したくない―――ヘラクレスに来てほしくない。

 そう思ってこちらを見逃すとしても、それはこちらが何もしない場合だけ。

 積極的に男たち、不夜城の財産を奪おうとすればそんな事になる筈がない。

 ヘラクレスと不夜城、どちらも相手にしなくてはならなくなるはずだ。

 

 納得いかないという表情の少女の前で、フェルグスが苦笑する。

 

「ただしこれはエルドラドに与えた被害によって他国における行動が阻害されない……僕たちが既にイースや不夜城でヘラクレスに襲われる状況になっていない場合に限られますが」

「国際指名手配されてたらダメ、ってことだね」

「はい。ただ聞いた限りでは、国家に与えた被害はそれぞれの国でしか計上されないようなので、大丈夫だと思います。僕たちはエルドラドの勢力圏ではヘラクレスの標的ですが、他の二国ではまだ襲われない筈です」

 

 既にレジスタンスから聞いた話によれば、エルドラドへの敵対は他の二国への干渉を妨げるものではない。となれば、他の二国に対して彼らはまだ自由に干渉できる。

 

「えっと、それってつまり……?」

 

 結局は戦う事になるだろうに意味があるのか、と首を傾げるイリヤ。

 そんな彼女の頭の横で浮いているステッキが少女の至近まで近寄り、耳打ちした。

 

「最終的な目標は今の段階では魔神の発見、撃破になりますから。魔神がどこの国に潜んでいるかを確定できるならその撃破が最優先で、そこ以外と戦って消耗する必要はない、という事ですよ。

 この特異点を消失させられれば、迷い込んだ人たちも解放できます。最速の解決が望めるならば、それに越したことはありません。

 ですので敵対せずに魔神の所在が探索できるならそれ以上はないんですよ、実際」

「あ、うん、そっか……」

 

 一度敵対してしまえば取り返しがつかない。

 ヘラクレスの襲来が前提になってしまえば、魔神の捜索すら困難になる。

 エルドラドはもう遅い。聞いた限りではイースも敵対不可避。

 であるならば、不干渉を望んでいそうな不夜城の内部を偵察する事自体はありだ。

 そう言われてしかし、飲み込めない顔のままイリヤが頷く。

 

 一番有効だろうがどこか受け入れがたい方針。

 それに対して数秒止まる話し合い。

 

「あら、あなたたち」

 

 そうしている彼女たちにかけられる声。

 聞き覚えのあるその声に振り返った立香の前、姿を現すのは一人の少女。

 少なくとも少女らしい外見のサーヴァント。

 

 風に流れるパールパープルの髪。

 いつかアメリカの大地で見たキャスター。

 その女性を前にして、呟くように口にする名前。

 

「……エレナ?」

「ん?」

 

 だがそうして名前を呼ばれた少女は不思議そうに首を傾げた。

 彼女は数秒、困ったように視線を彷徨わせる。

 その後、申し訳なさそうに―――

 

「えっと。知り合い、だったかしら?」

『え。あ、そ、その……人理焼却の時の事は、憶えていらっしゃらない……でしょうか』

 

 そうして問いかけてきた少女に対し、マシュの声が問い返す。

 カルデアからの通信。

 彼女はそんな時の彼方からの声に目を瞬かせて。

 

「人理、焼却―――ああ、なるほど!

 もちろん記録としてだけど、その情報なら今の私も持っているわ!

 そう……あなたたちが星見の民(カルデア)なのね!」

 

 そうして、喜ばしいとばかりに声を張って。

 

「―――このアガルタで出会えたのもきっとマハトマの導きね。

 ええ、よくってよ。サーヴァント・キャスター、エレナ・ブラヴァツキー。

 私、是非あなたたちとも交信(おはなし)してみたいわ!」

 

 このアガルタに呼ばれたキャスターのサーヴァント。

 神智学の祖たるエレナ・ブラヴァツキー。

 彼女が求めたものに出逢えた事に歓喜して、花が咲くように微笑んだ。

 

 

 




 
 エレナがこの特異点に召喚されて受けてた影響ってなんじゃろな。
 


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闇の訪れ2006

 
 真骨彫キバエンペラーが届いたので初テンションフォルテッシモです。
 


 

 

 

 集団から離れた場所。

 水面を桃の花が流れていく川を眺めながら、ゲイツは乱雑に地面に腰を下ろした。

 レジスタンスらしからぬ活気の場所、桃源郷。

 それ自体は不思議に思いつつ、別に不快ではない。

 ただつい先程オーマジオウに言い負かされたような敗北感が胸にある。

 

 その気分を抱えたまま動く気になれず、彼は川を睨んでいた。

 

「よう、随分機嫌が悪そうだな」

 

 そんな彼の横に並び、突然腰を下ろしてくる大男。

 ライダー、とか呼ばれていた男だ。

 

「……なんだ。何か用でもあるのか」

「おいおい、用が無くちゃ話しかけちゃいけねェのか?

 いいじゃねえか、大した事ない話をちょろっとするくらいよ」

 

 ライダーはゲイツからの不機嫌極まりない視線をなんのその、と笑い飛ばす。

 

「……連中との話は終わったのか?」

「いや? ただまあうちの女王様と知り合いだかなんだか、まあ俺にはよく分からん関係らしくてな。そっちの話を済ませてから、と外してきたのさ」

「女王様……?」

 

 このアガルタでは女王、というのはある種特別な意味を持つ。

 わざわざそんな呼び方を選んだ男を怪訝そうに見るゲイツ。

 ライダーはその反応にきょとんとし、すぐに気付いて笑い飛ばした。

 

「ハッハー! 言葉の綾って奴さ。レジスタンスでは俺がトップだが、桃源郷のトップはあいつだからな。確かにここじゃ女王ってのはちと風聞が良くねェか」

 

 そう言って反省するように頭を掻くライダー。

 そんな様子に怪訝な顔を見せ、ゲイツは彼に問いかける。

 

「桃源郷のトップ、か。どういう意味だ?」

「そのままの意味だよ。あいつはこの桃源郷に直接召喚されたサーヴァント。だからあいつは多分、桃源郷にとってイース、エルドラド、不夜城の女王に値するような存在なわけさ。

 それに対して俺ァ平原にぽいっと召喚されて、歩いてたらここに辿り着いただけのはぐれサーヴァント。なら、立場はあっちの方が上だろう?」

「何か特別なのか?」

「どうかねェ? ここは国として成立してるわけじゃねェしな」

 

 ゲイツの眉尻が微かに上がる。

 どういう意味だ、と。

 そんな質問だと受け取ったライダーが、訊かれる前に喋り出す。

 

「他所の国はよ、どうやら国力に比例した戦力が自然発生するらしい。お前たちが見たアマゾネスなんかだな。それを普通以上に殖やす手段が男を使っての繁殖なわけだが、そうやって殖やし始める前の最初の一人は人から生まれるんじゃなく女王を頂いた国土が発生させてるんだと。

 うちの女王様からの受け売りの説明だがな」

 

 アマゾネスたち、に限らずこの世界で生まれた女は全てだ。

 生命体ではあるが人間ではなく、国ごとに分割された大地が発生させた触手。

 そう言われたゲイツが、よく分からないとばかりに顔を顰めた。

 同じく思うところもあるのか、ライダーはそれに肩を竦めて応えてみせる。

 

「まあ純粋な人間じゃねェ、と理解しときゃいいだろうさ。

 で、この桃源郷にはそんなシステムはねェ。桃は幾らでも生るが、国民は一切湧いてこない。

 だから要するに、ここは少なくともこの大地の上で国とは言えねえ場所扱いなんだろう」

「なら、なおさら女王と呼ぶ理由はないな」

「だな! ま、この場所と同じさ。呼び方なんざどうでもいい、ってな」

 

 そう言いながら笑い、ゲイツの肩を叩くライダー。

 それを鬱陶しげに払いのけつつ、彼はライダーから距離を離した。

 

「……それで。まだ何かあるのか」

 

 胡乱げな視線を向けつつ、面倒そうに問いかけるゲイツの声。

 笑い終えたライダーはその問いに対し、一瞬だけ瞑目する。

 そうして次に目を開いた時、彼の表情が少しだけ険しく見えた。

 

「―――ここの連中はよう、普通に生きてたところをいきなりこんな場所に落とされた奴らさ。元の住処から突然追われて、もし捕まれば女が自分を殖やすための奴隷として消費される。それどころか、何の理由もなく連中の気分ひとつであっさり殺される事だってある。

 本当に……本当に、ヒデェ話だ。絶対に止めなきゃならねェ、そうは思わねえか?」

「………………」

 

 ライダーがゲイツから視線を外し、川を見据える。

 怒りで握り込まれた彼の拳がぎしりと軋む。

 

「……そうだな」

 

 彼の様子に浮かされて、という事でもなく。

 その熱意に対し、素直に同意する。

 肩を震わせていたライダーが力を緩め、口許に小さな笑みを浮かべた。

 

「ここの連中はよ、今は完全な闇の中にいるのさ。どっちに向かえばいいかも分からねえ、そもそも歩ける場所なのか、どうやって立てばいいのかも分からねえ、そんなとびっきりの真っ暗闇」

「お前がそれを導いている、というわけか」

 

 リーダーとして。先頭に立って。

 そう返されたライダーが微かに視線を伏せた。

 

「導く、か……なァ、どうしてそんな風に目の前が真っ暗闇になっちまうか、分かるか?」

「……光が無いからだ」

「だなァ。まあ、そういうことだよな」

 

 視線を逸らしながら回答したゲイツに対し、ライダーが苦笑する。

 彼はそこで顔を上げ、再びゲイツへと向き直った。

 その態度に応じて、ゲイツも渋々と彼の方へと顔を向ける。

 

「―――ただよ、光が無いんじゃねェ。()()()()()()()()

 いま自分がどうなってるか分からねえ。これからどうなるかも分からねえ。自分がどういう闇の中にいるかさえ知らねえから、何が自分を照らしてくれるかも分からねェんだ」

 

 言って、ライダーは腰を上げる。

 顎を持ち上げ首を反らし、見上げた先にあるのは岩の天蓋。

 太陽のように輝く苔の光が弱まり始めている光景。

 

 この地下には昼夜があり、夜の訪れに合わせてあの光は消えていく。

 ゆっくりと弱くなっていく鎖された空からの灯り。

 その光景を見据えながら、ライダーは静かな声で語り出す。

 

「光を目指して進め、と暗闇の中にいる連中に言うのは簡単だ。だが光ってどんなもんだよ、って訊かれた時に納得できるように答えるのは中々に難しい。

 どこに何があるかなんて実際のとこを知らねえのは俺も一緒だ」

 

 腕を伸ばし、天へと掌を向ける男。

 彼はゆっくりとその手で拳を握りながら続けた。

 

「だからこそ、俺たちは常に光を見据えなきゃならねえ。何があるかも知れない闇を睨んで、この先に光があると断言しなきゃいけねえ。例え目の前に何も無かろうと、彼方に望んだものがあると胸を張れなきゃならねェんだ」

 

 怪訝そうなゲイツの表情。

 それが見えているのかいないのか、ライダーは言葉を紡ぐ。

 そんな滔々とした語りを遮るように、彼は声を上げた。

 

「……つまり、お前の言う光っていうのは何のことだ?」

「だから知らねえって。先に何があるかなんて誰も知るわけがねェんだ、正体なんか誰にも分かるもんかよ。だがそれでも、進んだ先にあるものを俺たちは光として見なきゃならねえ」

「何があるか……何かがあるかどうかさえ分からないのにか」

「いや、何かはあるさ。諦めずに前に進み続ける限り、いつかはどこかに辿り着く。本当に何もねえなんてことは絶対にねェんだ。

 そうして誰も知らねえ何かを見つけた時、俺たちが真っ先に声を挙げるんだ。見つけたぞ、俺たちが求めた光は此処にあった―――ってな」

 

 呆れ半分なゲイツの声に対し、ライダーが振り返りニヤリと笑う。

 そんな態度に浮かぶのは、より呆れを深くした表情。

 

「何かも分からないものを見つけただけでか?」

「何もかも分からねえモンだからこそ何にでもできるのさ。

 全ては俺たち次第、どうとでも変えられるってもんだ。だったらそいつで俺たちの目の前にかかった闇を切り裂き、光を齎す事だってできる筈だ」

 

 そう言ってライダーは自分の腕を自分で叩く。

 その後で彼が顔を引き締め、神妙な表情を浮かべた。

 ゲイツの背中に回され、軽く叩くライダーの掌。

 

「随分と遠回しに言ったが、つまり。

 ―――これから俺たちは共に闇に迷う連中を先導する仲間だ。よろしくな、ってこった」

「…………ああ」

 

 彼はそう言い終えるとゲイツの背中を再び数度叩いてから、来た方向に向け歩き出した。

 

 帰っていくライダーの背中をちらりと見て、すぐに視線を外す。

 徐々に暗くなっていく地下帝国。

 

 その天蓋を見上げながらぼうっと、ゲイツはその場に座り続け。

 

〈カブトォ…!〉

 

「―――――っ!?」

 

 川の向こうに見える木々の合間に、赤い怪人を見つけた。

 

 

 

 

 

「ったくよー、なんでわざわざ管制室から出る必要があるんだよ」

 

 ぶちぶちと呟きつつ、カルデア職員の一人がホームズの自室に入ってくる。

 小太りな眼鏡をかけた男性職員。

 彼の入室に反応し、本を手にしていたホームズがそれを閉じた。

 

「すまないね、ミスター・ムニエル。それで」

「ほら、これ。リアルタイムで見ればいいのに何でいちいち動画データが必要なんだ?」

「私がブラヴァツキー夫人と顔を合わせるのは少々問題があってね」

 

 エレナ・ブラヴァツキーと合流した、と。

 その一報が入った瞬間、ホームズは管制室から退室した。

 きょとんとしているマシュたちの前で、電光石火の即逃亡だった。

 

 その鮮やかな手際を思い返しつつ、ムニエルと呼ばれた男性が問いかける。

 

「なんだよ、仲悪いのか? というか知り合いなのか?」

「ああ。仲が悪いわけではないが、少々複雑な関係でね。

 ……彼女の精神が安定している時はいいが、まずその点がどうなのかという事さ」

 

 差し出されたメモリを受け取りつつ、ホームズが微かに眉を上げる。

 別に顔を突き合わせた瞬間敵対するとかそんな関係ではない。

 モリアーティ相手じゃあるまいし、そんな態度を取る必要はない筈だ。本来ならば。

 

 彼女がアガルタにどう影響を受けているかが分からない。

 フェルグス、ヘラクレス。ついでに記憶喪失のライダーという状況を鑑みれば、彼女がアガルタに召喚された事によって何らかの変調をきたしていない、とは言えない。というかまず何らかの影響が発生しているだろう。

 だからこそその方向性を見極めるまでは接触するべきではないと考え、こうした次第だ。

 

「ふーん……まあいいけどさ」

「手間をかけて悪いが、まあキミの趣味のついでと思ってくれたまえ」

「……いまなんて?」

 

 腰に手を当てていたムニエルが、ホームズの言葉に停止する。

 ギギギ、なんて音がしそうな動きで傾く首。

 相手のそんな様子に特に感慨もなさそうに、手の中でメモリを転がすホームズ。

 

「キミがプライベート用に保存しているサーヴァントたちの映像のついで、と思えばそう面倒でもないだろう? 誰を集中的に録画しているかは言わぬが花、知らぬが仏……いや。知らねば花、という所かな?」

「なんだと!? 知ってるからこそより美しい花なんだし!

 いや、じゃなくて言ってるも同然じゃないか! え、なんで知ってるんだよおまえ!?」

 

 ムニエルの悲鳴に応えず、ホームズは部屋にある端末にメモリを差した。

 そうして必要そうな情報をさっさと拾い上げていく。

 

「――――……夫人の行動範囲はアガルタ全域。目的はアガルタ人の捜索及び、マハトマを感じること。時折見つけた落ちてきた男性を拾ってくることもある……か」

「少なくとも俺にはアメリカで見たエレナ・ブラヴァツキーとそう変わらない感じに見えたけどな!」

 

 がなるムニエル。

 彼の言葉を聞いて、ホームズが手で口元を覆う。

 

「……ブラヴァツキー夫人は明かす者だ」

「ああ、最初の時もそんなこと言ってたな。それがどうしたんだ?」

「では桃源郷は?」

 

 問いかけたムニエルに問い返すホームズ。

 今は趣味の話ではなく真面目な話をしているのだ、と。そんな彼の語調に気圧されるように、ムニエルの勢いが削がれた。もっとも謎をいじくり回す事がホームズの趣味なので、彼も真面目に趣味の話をしているだけだが。

 

「いや、ではって言われても……」

「アマゾンの秘境、エルドラドにアマゾネス。海賊公女のねぐら、イースに海賊。不夜城はまだ情報が足りないが……恐らく相性の良い者が配置されていると思われる」

「相性?」

 

 聞き返しつつも、何となくは分かる。

 元からアマゾンにある秘境の伝説、エルドラドにアマゾネス。

 海賊行為で成立していた幻の海上都市、イースに海賊。

 まあそうだろうな、と思えるだけの組み合わせにはなっている。

 

 その納得をムニエルの顔に見たか、ホームズが話を続けた。

 

「桃源郷は隠れ里だ。秦の始皇帝が治めた時代、国の動乱を嫌った者たちが移り住んだ場所。

 では、エレナ・ブラヴァツキーは? 彼女は本来隠匿すべき魔術・神秘の類ですら公にしてしまう気風だ。その在り様のせいでまあ色々と折り合いがつかない事も多かった」

「……お前もそのせいで何か色々と折り合いがつかなかった?」

 

 挟みこまれるムニエルの声。

 それに片眉を上げて、一度口を噤む名探偵。

 

「……それには黙秘するとしよう。

 とにかく、彼女は隠れ里といった場所と酷く相性が悪い。彼女は隠れる側ではなく暴く側の人間だからだ。アガルタに関してのどうこうで既に口にしたと思うが、それを改めて言っておこう」

 

 そこまで聞かされて、一応話を理解したと腕を組むムニエル。

 エルドラドにアマゾネス。イースに海賊。

 ときて、桃源郷にエレナでは筋が通らない、ということだろう。

 

 彼女が召喚時に桃源郷に配置されたのは本人から聞かされた。

 エルドラド、イース、不夜城の女王。恐らくサーヴァントだろう三人。

 その三人も最初からそれぞれの場所に女王として召喚された筈だ。

 

「まあ、それは分かったけど。それで? なんかあるのか?」

「――――……いや。これ以上はまだ、ただの憶測にしかなるまい。

 証拠となる情報が集まればともかく、今の時点で口にするのは憚られる」

「じゃあ何でここまで話したんだよ!」

「ハハハ、あくまで前提となった条件を確認しただけだとも」

 

 だが、そこで探偵は一方的に話題を打ち切った。

 

「ったく……」

 

 そんな態度のホームズに頭を掻き、ムニエルは踵を返した。

 管制室に戻るためにさっさと歩き出す。

 彼の姿が通路に出て、自動ドアが閉まるまでを確かに見届けて。

 

 その数秒後、ホームズがゆっくりと椅子に腰を下ろす。

 視線を上げて天井へと送りながら、口にするのは呟くような小さな声。

 

「地上と地下を隔てるアガルタの天蓋。人の伝承に語られる三つの国家。現世から離れた者たちの住まう桃源郷の囲い……そして今まで隠されていたものを暴き出す者、か。

 ―――幻想の暴露、伝承の実在証明。では、この先は……」

 

 

 

 

 

『つまり、エレナ・ブラヴァツキーにしてはおかしい、と?』

「そう長い間一緒にいたわけでもないし、言い切れる話ではないけれどね」

 

 山のように盛られた桃を睨みつつ、オルガマリーが溜め息ひとつ。

 レジスタンスが建設した小屋の一つをカルデアで借り受け、彼女たちの拠点とする事は許された。それは有難いことだが、食事は桃一択。

 

『エレナさんにしてはこの状況に対しての取り掛かり方がおざなりに過ぎる、と言いますか……他人事のようにしか考えていなそう、と言いますか……』

「そう? マハトマ女がマハトマ言ってるのは平常運転な気がするけどね」

 

 どこか寂しそうにそう口にするマシュ。

 そんな彼女を鼻で笑いつつ、ジャンヌ・オルタが桃を口に運ぶ。

 

「思う事が無いわけではないのだろう。ただそれ以上の興味がこの状況への思考を塗り潰している、という印象だったな、私は」

「それが彼女が受けている影響、という事でしょうか?」

 

 壁に寄り掛かったデオンからの言葉に問いかける美遊。

 

 他のサーヴァントの現状を鑑みるに、この特異点への召喚による影響がないとは考えづらい。

 そう考える根拠の一つとなるフェルグスが、視線を集めた事に居心地悪そうに身を竦めた。

 

『アガルタ人……未知の探求を最優先に、か』

 

 ロマニが何とも言えない顔でエレナの思考を口にする。

 

 エレナ・ブラヴァツキーの思考は、この地の探索が最優先事項だった。

 彼女の行動指針において、捕まった奴隷となっている人間の救助は二の次。

 そうであると分かった時に感じる圧倒的な違和感。

 

 サーヴァントであるならばその精神性もある程度は召喚の状況に左右される。

 あくまでその存在は生前の本人の影法師。

 特定の思考だけを強調したような精神に成る事だってあり得るのだ。

 善性と探求心の比重が変わるような事も、ありえないとは言い切れない。

 

「もしかして……理性蒸発仲間!?」

「素でそうなっているキミには負けるだろうさ」

 

 何故かハッとした様子で声を上げるアストルフォ。

 彼の発言をさっさと斬り捨て、デオンは小屋の中を見回した。

 

 そこで声を上げるのは、桃を自分の目の前に山積みしていたアルトリア。

 

「―――仮にあの女が何らかの影響を受けていたとして、今は気にする必要はないだろう。敵対しているわけではなく、味方である事に違いはない以上はな」

「まー、そうよね。別に好き勝手動いてるだけで、ついでにくらいの気持ちとは言え人を拾ってきてくれる事があるなら、何の問題もないわよね」

 

 どこか違和感こそあるが、エレナ・ブラヴァツキーの行動は得しかない。

 積極的に助けになる事はないが、邪魔になる事もない。

 むしろ気紛れ程度にならば助けになってくれているサーヴァントだ。

 フェルグスが何故か少年になっていて、しかしこちらの助けになってくれているように。

 であるならば問題ないだろうと、クロエが頷く。

 

「……彼女は好奇心を増幅されていると思われる、という点は心に留めておいた方がいいかもネ」

 

 そこに口を挟むモリアーティ。

 そちらをちらりと一瞥し、しかしすぐにアルトリアは話を続けた。

 

「それよりこれからどう動くかだ。アマゾネスか、海賊か、それとも不夜城とかいう国か」

「第一候補はやっぱり不夜城?」

「アマゾネスの方を調べ切ってしまう、っていうのもありだと思うけど」

 

 立香が不夜城の名を口にし、ツクヨミはエルドラドを上げる。

 三国同時に関わるよりは、一国ずつ確実に調べていった方がいい。

 その提案にむーん、と腕を組んで唸る立香。

 

「でもその場合あの……ヘラクレス……と、正面から戦う事になるん、ですよね」

 

 戦闘力としての脅威よりも、思うところがあるからと。

 イリヤが隣に浮いているルビーの方を見る。

 彼女が意識しているのはステッキに収納されたバーサーカーのクラスカード。

 

 強く、優しく、偉大なりし大英雄。

 彼にいつか背中を押されたように気がする少女は、その事実に表情を曇らせる。

 

「……そうだね。その場合あの……アナザーフォーゼの事も考えなきゃいけない」

 

 一瞬だけ言葉を濁らせる立香。

 それに申し訳なさそうな顔を浮かべるイリヤと、呆れるようなクロエ。

 そんな中に差し込まれるダ・ヴィンチちゃんの声。

 

『まあ確かにアレをヘラクレスと呼ぶのも違和感だ。

 他の呼び名をつけるとしたら……そうだね、例えばヘラクレス・ギガス。ギガンテス、なんていうのは流石に無いか。これじゃあ彼が打倒した巨人になってしまう。

 となれば、今の彼は何かの意志を受け動く機械の兵隊みたいなもの。その意志が大いなるもの、だなんて言うつもりもないが、せっかくだからこう渾名すのはどうだい?

 ――――巨進英雄、半機神メガ・ヘラクレス……アナザーフォーゼ・メガロス、とね』

 

 宇宙(ソラ)より来たりし秩序の外を蹂躙する機神。

 であるからこそ、まるでメガヘクスのようだとそう名付けたダ・ヴィンチちゃん。

 そんな名付けにソウゴが微かに視線を上に持ち上げる。

 

 そうしている間に腕を組み、納得するように頷くアストルフォ。

 

「メガロス、メガロスかぁ。いいんじゃない? 呼び易くて」

「呼び易い……? いえ、わたしもいいと思います」

 

 そして彼のよく分からない理由に乗っかる美遊。

 彼女はイリヤの不安を軽くしたいだけだろう、とあたりをつける。

 オルガマリーはさっと周囲を見渡して、まあ別に拒否する理由もないと頷いた。

 

 と、一応妙な反応を見せていたソウゴの方に確認をしておく。

 

「常磐、何かあるの?」

「え? いや、別にないけど。ただゲイツ遅いなーって」

「そういえばもう夜ね。いえ、夜というか光が消えたというか……」

 

 窓から差し込む光はもうほとんどない。

 アガルタの天蓋、光源となっていた苔から光が失われているのだ。

 これから8、9時間ほどアガルタには夜が発生する。

 その後再び徐々に明かりを取り戻し、朝がやってくるまで。

 

「アンタと一緒の場所で寝る気がないんじゃない?」

 

 肩を竦めながらソウゴにそう言うジャンヌ・オルタ。

 彼女の言葉にツクヨミはそうかも、という表情を浮かべる。

 

「どこで寝るかはともかく、とりあえず明日からどう動くかは共有したいけど……できれば全員で確実に一か所ずつ攻略する方がいいだろうし」

 

 そう言いながら立ち上がった立香。

 彼女が一つだけ設けられた窓へと歩き出し、手の上にコダマスイカを乗せた。

 コダマの頭部が光り、ライト代わりとなって外を照らす。

 

 その光に照らされた夜闇の中。

 ぼんやりと浮かびあがるのは、赤い灯火。

 まるで目のように二つ揃ったその光が、ぎょろりと動く。

 

 ―――そこにいたのは、黒い獣だった。

 獲物を選ぶように尾を揺らす、全身に瘴気を纏う四足獣。

 

「え?」

 

 瞬間、外に静かに佇んでいた獣が奔る。

 対応すべく飛ぼうとするコダマがその役割を果たす前に、立香の襟首を掴む手。

 アストルフォに強引に引き戻された彼女に入れ替わり、フェルグスが前に出る。

 

「ハァ――――ッ!」

 

 獣の爪とカラドボルグが激突する。

 如何に未熟と言えど獣一匹に押されるような事などあってたまるか、と。

 フェルグスが正面から獣を押し返した。

 

 そうしている間に獣の側頭部を殴り飛ばすオルタの旗。

 その衝撃によって弾き返され、しかし空中でくるりと綺麗に一回転。

 頭部を覆う鬣をゆらめかせながら、獣は悠然と地面に降り立った。

 

『ご無事ですか、先輩……!?』

「うん、大丈夫……!」

 

 マシュに返事しつつ、手にしていたコダマを肩に乗せる。

 そうしている内に彼女を引っ張り戻したアストルフォは前に出ていた。

 

『魔獣……! いや、幻獣クラス……!? 自分の燃料として高位の霊体を喰らうタイプの獣だ!

 注意してくれ、サーヴァントを優先して狙ってくるぞ―――!』

 

 ロマニの声を肯定するように、獣は人間など視界に入れていない。

 ただ目の前にいる数多くのサーヴァントを見据えている。

 それが捕食者としてのものである、というのは言わずと知れたこと。

 

 獣を押し返してすぐ、それを追うように窓から飛び出す。

 そうしてから周囲の状況を見回すソウゴ。

 ざわめきだした桃源郷の中、どこかでライダーが声を荒げているのが聞こえる。

 

「―――桃源郷全体にいろいろ入り込んでるみたいだね」

「……となると、散るしかないですね。僕たちを視界に入れれば、あの魔獣たちは確実に僕たちを狙ってくる。その点でいえばやりやすい」

 

 フェルグスが剣を構え直しながらそう言った。

 彼らが的になれるならば、それに越した事はないだろうと。

 

魂喰い(ソウルイーター)……ならば、サーヴァントの集団を狙う、というのはもっともらしい話だ。だから私たちが優先して狙われるならおかしくない。何故、桃源郷全体に散らばる? エレナ・ブラヴァツキーは桃源郷を出発済み。なら狙いは私たちかライダーの二択になる筈)

 

 だからこそ、デオンが酷く表情を歪めた。

 何者かに仕組まれている。そうでなければ動きに説明がつかない。

 だがそれにしたって何故こんなタイミングで?

 桃源郷の被害を大きくしたいなら、もっと夜が更けてからの方がいいだろうに。

 

「警告、だネ」

 

 棺桶を引っ張り上げ、もたもたと窓を乗り越えるモリアーティのセリフ。

 それを聞いて、デオンは眉を顰めながら理解した。

 これは、“こんな風に桃源郷をいつでも襲える”というこちらへのメッセージ。

 明日から全員で他国の攻略をさせないためのストッパーだ。

 

 敵は桃源郷に必ず守りを残せ、と言っている。

 まるでこちらが全員で動くことに怯えるように。

 

「……どちらにせよ」

「―――とにかくまず、桃源郷に入り込んだ魔獣を倒す!」

 

 サーベルを引き抜いたデオンの横で、既にマスターは変身のシーケンスを完了していた。

 背後に展開される大時計が時間を刻み、ソウゴの姿を別物に変えていく。

 

「変身!」

 

〈ライダータイム! 仮面ライダージオウ!〉

〈アーマータイム! チェンジビートル! カブト!〉

 

 赤いカブトの甲殻を鎧に変えて、ジオウがカブトアーマーを身に纏う。

 ジオウの頭部と両肩に屹立する雄々しき甲虫の角。

 

 目の前に現れた赤い戦士など眼中に無いとばかりに、黒い獣が魂を求めて咆哮した。

 

 

 




 
 エレナは好奇心が100万倍になってハイテンションに。
 


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白いジオウ2009

 

 

 

 大地を削る獣の爪。

 その爪の持ち主は体長3メートルはあろう大型の四足獣。

 魂を喰らう幻獣、ソウルイーター。

 

 そんな怪物を前にして、レジスタンスの男が蹈鞴を踏んだ。

 

 空を飛ぶワイバーン程度となら投げ槍を持って戦った事がある。

 だがあれはライダーの指示通りに動き、何よりライダーが一番前に立ってくれた。

 

 怪物と言うなら、こいつが子猫に見えてくるもっととんでもない怪物を見た事もある。

 大英雄(メガロス)だ。あれにかかれば、こんな奴何でもない筈だ。

 きっとこいつとメガロスの小指だけで比較してもメガロスの方が危険な筈だ。

 

 だけど、奴のターゲットは常にライダーだった。

 彼はメガロスから目を背け、ひたすら逃げるために走るだけでよかった。

 

「あ、ぅあ……!?」

 

 初めてだ。

 初めて、一瞬で自分を殺せる怪物に、獲物を見る目で睨まれて―――

 

 大地を削る、爪の音。夜闇に走る紅の閃光。

 それが瞬きさえ許さぬ内に彼まで届き、

 

「■■■■……ッ!?」

 

 ソウルイーターの顎が衝撃で跳ねる。

 夜闇を切り裂く赤光はソウルイーターとは別のもの。

 狩りに水を注された獣が首を曲げ、下手人を睨む。

 

 そこにいたのは、夜闇の中でよく目立つ白いケープ。

 ツクヨミがファイズフォンXを手に、ソウルイーターを見据えていた。

 

 獣の狙いが変わる。

 衝撃に跳ねた体勢を立て直し、ソウルイーターが体を捻る。

 正面にツクヨミを捉える姿勢に変わり、獣が一気呵成に踏み切った。

 行われるのは疾風の如き侵攻。

 そうして照準された彼女は、飛び掛かってくる獣をしかと見極めて。

 

「ハ―――ッ!」

 

 正面方向へと一歩で踏み切り、直後にダッシュからスライディングに繋ぎ。

 完璧なタイミングで、跳躍した獣の下を擦り抜けた。

 

 自分の下を通り過ぎていく獲物。

 その事実にソウルイーターが驚愕めいた反応を見せ、頭を真下に向ける。

 飛行手段を持たない獣は、一度着地するまで方向を切り返せない。

 獣の中で次の一手のための行動が開始される。

 

 空中で体を捻りながら着地し、ロスタイム無しで直角に反転。

 逃れたと思っている獲物を背中から食い千切る、と。

 

 そして。

 次の一歩のために体を捻る獣に、その次は訪れなかった。

 

 着地を次の加速のための繋ぎと考えた獣の体勢に、無理は利かない。

 その黒い四肢は跳躍のために地面を踏み締める。

 だからこそ、その位置に差し込まれる迎撃を獣は認識すらしなかった。

 

 地面から噴き出す黒炎。屹立する槍衾。

 足場と思って獣が体を下した場所が、処刑場へと移り変わる。

 囚われた獣に実行されるのは呪詛を燃料にした火炙りの刑。

 

 槍に突き上げられ、撃ち貫かれる黒い皮膚。

 開いた大口から吐き出されるのは断末魔に非ず。呪槍を通じて体内に流し込まれた黒い炎を嘔吐のように吐き出して、ソウルイーターが瞬く間に灰に還る。

 

「―――なによ、こんなもの?」

 

 地面に散った灰を踏み躙り、邪竜の魔女はおかしげに嗤う。

 彼女の指が持ち手をくるりと回せば、風に広がるのは灰色の旗。

 逆流してくる熱気に長髪と旗をはためかせ、ジャンヌ・オルタが剣を抜く。

 

 周囲から更に姿を見せるソウルイーター。

 その顔は全て彼女に向けられている。

 高位の霊体であるサーヴァントを確認した時点で、狙いが切り替わったかのように。

 

 そんな獣たちを鼻で笑いながら、彼女は視線を軽く上げた。

 

 空を行くのはヒポグリフ。

 あの幻獣もまたソウルイーターが狙うに足る超常の存在だ。

 

(……桃源郷の中で他所の連中が人間を襲ってもペナルティ無し。私たちが迎撃しても同じく。ヘラクレ……メガロスが動く条件に、現場が三つの国のどこかであることがあるのは確定、でいいのかしらね。まあ確認するまでもなく、今までもそこそこ魔獣に襲われてたみたいだけど)

 

 敵から視線を外して剣をくるくると回すオルタ。

 それを隙と見たか、ソウルイーターが一匹駆け出した。

 

 到達まで一秒弱の距離。

 炎による迎撃もない空間をいとも容易く詰め切って―――

 

「危ない!」

 

 空から。流星の如く、白い光が降り注いだ。

 それを認識した瞬間、全力で後方へと飛び退るジャンヌ・オルタ。

 

 直後にやってきたのは翼持つ白い馬。

 光の手綱で制御されたその天馬が、墜落するように突っ込んできたのだ。

 それが着地する位置にいた疾走中のソウルイーター。

 その体もろとも地面を蹄で踏み砕き、天馬は強引に着陸して嘶いた。

 

「どう! どう! どーう!」

『イリヤさーん、私を外さないとペガサスは落ち着きませんよー』

 

 何とかペガサスを落ちつけようと“騎英の手綱(ベルレフォーン)”を手繰るイリヤ。

 そんな少女に声をかけるのは、その手綱に変わっているルビーの声。

 

 夢幻召喚(インストール)、ライダー。

 その力によって招来した天馬に宝具となる“騎英の手綱(ルビー)”をかけた突進。

 それこそがライダーのクラスカードが持つ必殺。戦いには向かない天馬の気性を荒ぶらせ、あらゆるものを打ち砕く流星と化す奥義。

 

 そんなもんを制御し切れず突っ込んできた考えなしを見て、オルタが眉を吊り上げた。

 

「……あんたたちの方がよっぽど危ないわよ」

「うぐぅっ」

『細かい事を言わないでくださいよ。ドジっ娘属性くらい魔法少女には標準装備なんですー』

 

 ペガサスの着陸を見て、ソウルイーターの狙いが再び変わる。

 その四肢こそが神代の空を駆けた伝説。

 神話に生きた魂を喰らう為、獣たちが続々とこの場へと釣られてくる。

 

「あなたもこっちに!」

 

 そんな光景を前に固まっていたレジスタンスの腕が引かれる。

 彼を引いたのは立香。そしてその向かう先は一軒の小屋。

 その小屋の外ではオルガマリーがルーンストーンを地に弾き、結界を敷いていた。

 

 連れてきた男を結界の中に押し込んで、立香が振り返る。

 と、同時。逆に結界から出てくるのは巨漢のライダー。

 

「これで全員だ。助かったぜ」

 

 軽く目を細めてそう言うライダー。

 その様子はまるでどこか苦悩しているようで。

 

 人的被害が無いに越したことはないが、だからと言って逃げの一手は宜しくない。

 彼らがこの地下で戦う当事者である以上、人任せにはしてはいけない。

 だが流石にあれほどの獣の前に出すのもまた難しい。

 無駄死にさせたくないのはライダーだって同じだ。

 

 カルデアと共闘するならば組織の改革は急務だな、と。

 そんな独白を飲み干した彼が、戦場を見る。

 

 その瞬間に閃く紅閃。

 瞬く間に二頭のソウルイーターが心臓を貫かれて絶命した。

 それを成した魔槍を持つ美遊が、槍を引き戻しつつ視線を巡らせた。

 

 柔らかな肉体が生む俊敏な動作で飛び掛かる獣。

 突撃に正面から応えるのは少年の突撃。

 爪を砕き、牙を砕き、螺旋の剣がソウルイーターを蹂躙した。

 

 そんな光景を見下ろして、あらかた釣ったと判断したアストルフォ。

 彼が手綱を引けば、了解したとヒポグリフが急降下。

 直上から獣に取り付き、その嘴で敵を啄んで引き千切る。

 

 そうして敵の中に躍り出た幻獣たち。

 どうやら獣はヒポグリフやペガサスにより惹かれるのか。

 そっちに向かって群がろうとする多数のソウルイーター。

 そんな連中に対して吐き出される鉛玉。

 狙いを付けずとも中る無数の弾丸が、獣の集団に突き刺さる。

 

 銃撃により足並みの崩れた集団。

 疎らになる獣の突進。

 彼女はその中に悠々と立ちはだかり、黒く染まった聖剣を振り上げた。

 

 振り上げた剣が閃く。騎士王の腕が振るわれるのは一秒につき一度。

 そして一太刀ごとに確実に一匹。

 ソウルイーターは両断され、絶命して二つに分かれた骸を晒す。

 

「……問題なく処理はできそう、だけど」

「いつまた襲われるか分からないって事だよね」

 

 結界の維持をしながら渋い顔を浮かべるオルガマリー。

 

 そんな彼女に並び、目を細める立香。

 この襲撃によって、カルデアは自由に動けなくなった。こんな獣の集団をいつでも差し向けられると言われたら、レジスタンスは瓦解するだろう。

 それを防ぐためにはカルデアは桃源郷の防衛を常に行わなくてはならなくなる。三国の攻略に全戦力を傾ける事は出来なくなった、という事だ。

 

 恐らくは黒幕―――魔神の仕業。

 動きが速い。半日と待たずにこちらを制しにきたのだ。

 当然のように桃源郷の存在も理解している。

 

(―――……当たり前だよね。この特異点は伝承に縁のあるサーヴァントを利用したにしろ、魔神の望んだ何かを叶えるために設計されたものの筈。桃源郷の存在を知らない筈がない。

 じゃあなぜ放置してるの? これだけの戦力を半日以下の時間で使い捨てるために用意できる準備があって、ライダーたちを攻める事をしなかったのは……)

 

 立香が頭を回しながら、モリアーティに視線を向ける。

 ここにいる魔神がバアルほどこの特異点に情熱を傾けたかは分からない。

 だが基本設計は少なくともその魔神がやっている筈だ。

 ライダーは分からないが、桃源郷は必要な場所として用意されたのだ。

 だからエレナもライダーも積極的に襲われるような事はなかった。

 

 だがここにきての突然の襲撃。

 これは明らかにカルデアへのプレッシャーを狙ったものだろう。

 この短期間で察知と対応を成し遂げた速度。

 こちらが桃源郷に合流した、とすぐに認識していたのだ。

 

(どこにいてもこっちの動きが魔神に視えてる、っていうわけじゃないなら……メガロスからライダーたちと一緒に逃げた事がきっとその理由。そうだとしたら魔神とメガロスはその視点を共有してる? メガロスに指示を与えている相手も魔神、って事?)

 

 メガロスが何と通信しているのかは分からない。

 ただ誰を狙うべきか機械的に判断するものなのか、あるいは黒幕側の魔神やサーヴァントか。

 だがどちらにせよ今回この対応の早さを見せたという事は、魔神かそれに近しいものにメガロスが見たものが共有されている可能性は非常に高い。

 

 そしてメガロスに発生する指示待ちのアイドリング。それを鑑みるに、メガロスが行っている通信にはタイムラグがある。

 その理由は分からないが、そんな状況だとすれば相手の通信網も知れたもの。自由自在に情報収集や通信ができるとは思えないわけだが。

 

「―――……あれ、でもこれってつまり」

 

 ふと思いついた事に、立香が瞬きして。

 ―――しかし幾ら考えたところで現状の情報で答えは出ない。

 

 とにかくまずはここを終わらせることだ、と。

 彼女は目の前でソウルイーターが狩られていく光景に集中した。

 

 

 

 

 

 

「貴様は……タイムジャッカーか」

 

 ドライバーを懐から取り出し、油断なく構える。が、彼の目の前に現れた赤い怪人アナザーカブトは、ゲイツの臨戦態勢に応じる素振りはない。その様子に顔を顰めるゲイツ。

 互いに静止しての沈黙は数秒。

 

「―――お前、俺に協力する気はないか?」

「なに?」

 

 アナザーカブトが口を開き、ゲイツに告げるのは勧誘の言葉。

 

「俺の目的は常磐ソウゴ。お前の目的は奴が消えた世界。協力できると思わないか?」

 

 アナザーカブトはただ、常磐ソウゴを葬り去りたい。

 そしてゲイツはオーマジオウを倒したい。

 それはオーマジオウという支配者の消滅を求めるからだ。

 

 であるならば、その結果さえ得られるならばいい筈。結果的に常磐ソウゴが消えるなら、倒すのはアナザーカブトであっても問題ないだろう、と。

 怪人はそう言って、ゲイツを見据えた。

 

「肩を並べて戦えなんて言うわけじゃない、むしろ逆だ。常磐ソウゴは俺だけの獲物。誰にも邪魔をされたくない……これに何か問題があるか? お前からすれば、奴が消えさえすれば文句はないだろう?」

 

 差し出される怪人の手。

 そうしながら、アナザーカブトはゲイツに言い放つ。

 

「俺と奴が戦うために、常磐ソウゴを誘い出せ。それだけでいい」

 

 共闘など以ての他。要求はただ示し合わせる事。

 お互いに目的を果たすための擦り合わせでしかない、と。

 ただそう告げて、彼はゲイツからの返答を待つ。

 

 ゲイツはそれに迷いなく、アナザーカブトを睨んで口を開いた。

 

「―――断る」

「なんだと?」

 

 その返答に対し、それなりに意外だという様子を見せる怪人。

 彼は一瞬だけ声を浮かせて、すぐに取り直して鼻で笑った。

 

「ふん、なんだ。奴を狙ってきたのかと思えば、もう取り込まれたのか」

「……違うな」

 

 己を嘲笑うアナザーカブトを睨み据え、ゲイツは腰にドライバーを宛がう。巻き付くベルトが固定され、次に手が伸びるのはウォッチホルダー。仮面ライダーゲイツのウォッチを手にして、彼は強く握り締めた。

 

 そうしたゲイツを見ながら首を回しつつ、アナザーカブトが笑い混じりに問いかける。

 

「何が違う? お前は獲物を前にして二の足を踏んだ挙句、常磐ソウゴのおともに成り下がっているだけだろう」

「俺たちはあの世界を……オーマジオウが創る世界を認めない。

 だからこそ俺たちは、世界を取り戻すために戦った。俺の目の前で散っていた仲間たちは、そのために立ち上がった戦士たちだった。

 ……今の俺がやっている事は、負けた俺たちの最後の足掻きだ。オーマジオウには歯が立たなかった。だからオーマジオウになる前の常磐ソウゴを倒す。

 ―――そうだ。これはそんな足掻きだからこそ、俺は奴を見極める」

 

〈ゲイツ!〉

 

 起動するライドウォッチ。

 それを正面に構えながら、ゲイツはアナザーカブトを強く睨む。

 

「俺が背負った仲間たちの死を。敗者が行う最後の悪足掻きを。俺はけして罪無き者への理不尽な暴力にまで貶める気はない。

 ―――だから。奴がオーマジオウとなると、そう確信できた時に俺自身の手で倒す」

 

 装填されるゲイツウォッチ。

 拳でロックを叩いて外し、回転待機状態へと移行するジクウドライバー。

 

 自分で自分を確かめるように口にする言葉。

 そうして噛み締めた感覚で、ようやく自分の中に火が入った、と。

 大きく息を吐き出して、ゲイツは正面に両の腕を突き出す。

 

「……俺の判断の甘さのせいで奴が魔王の力を高めてしまったのなら、その時は俺の命を懸ける。命を懸けて、あの魔王を倒してみせる。

 お前のような奴に、協力を申し出られるような謂れはない!」

「……ふん、お前に目を付けた俺が馬鹿だったな」

 

 ―――変身、と。

 キーワードを口にして、腕を振るってドライバーを回す。

 その動作を許す気はないと、アナザーカブトが時流を移る。

 

〈クロックアップゥ…!〉

 

 瞬間、アナザーカブトだけが時間の流れを別路線に乗り換えた。

 世界が停止する。自分以外の全てが停滞する時流。

 そこに単身踏み込んで、彼は悠然と動きを止めたゲイツに歩み寄っていく。

 いや、動いていないわけではない。ただただ遅い、どうしようもないほどに。

 

 相手の知覚さえ許さぬ速度でゆっくりと。

 赤い甲虫の怪人はゲイツの間近に迫り、その首へと手を伸ばし―――

 

「だったら、最初から俺だけ見てれば?」

「―――――」

 

 伸ばした腕の手首を、唯一同じ世界に踏み込んだ仇敵に捕まえられた。

 

 突き合わされる二つの青い眼光。

 二人のカブトが至近距離で顔を合わせ、そのまま力をかけあう。

 互角の腕力で競り合うカブトアーマーとアナザーカブト。

 

「常磐、ソウゴ……!」

「あんたが何で俺に執着してるのかは知らない。けど、それなら俺だけを狙えばいいだろ。スウォルツに従ってわざわざこんな事をする理由はなに?」

 

 ギシリと軋むアナザーカブトの手首。

 本人が引き攣るほどに力をかけたのか、その腕が微かに震える。

 そうして、アナザーカブト―――加古川飛流は、咽喉の奥から笑い声を漏らした。

 

「―――決まってるだろう」

 

 笑い交じりの声。

 その直後、アナザーカブトの腰部にタキオン粒子の輝きが灯った。

 ジオウもまた即座にウォッチとドライバーを指で叩く。

 

〈フィニッシュタイム! カブト!〉

 

 互いに頭部のホーンを経由させ、破壊の光を集約させるのは右足。

 手首を掴んだ手を払い、その勢いのまま体を回し、双方揃って繰り出すのは回し蹴り。

 爪先にスパークする光の波動。

 

〈クロック! タイムブレーク!!〉

 

「俺は、お前の持っているものを全て壊すために此処にいるからだ……!」

 

 激突する。まったく同じ性質にして、まったく同じ威力。

 繰り出されたライダーキックが正面からぶつかり合って、衝撃を巻き起こす。

 その攻撃が衝突を維持すること数秒。

 破裂した粒子の反動で互いに弾け合い、共に後方へと押し出される。

 

 地面を滑る二人のカブト。

 衝撃によって解除されるお互いのクロックアップ。

 通常時間軸に帰還した二人が、砂塵越しに対峙する。

 

「っ、貴様……! オーマ……ジオウ、何故ここに……!?」

「ゲイツこそもう夜なのに何でずっと外にいたの?」

「貴様の顔も見たくなかったからだ!」

 

 目の前で交わされる茶番に鼻を鳴らし、アナザーカブトがゆらりと立ち上がる。

 身構えているジオウを前にして、隙だらけに見える体勢。

 それを怪訝に思う事を隠さないジオウの前で、アナザーカブトが変身を解除した。

 怪人の外装を取り払い、姿を現す一人の少年。

 

 加古川飛流は生身を晒し、ただジオウを見据えている。

 彼の胸から飛び出して、地面にころりと落ちるアナザーカブトウォッチ。

 そんな彼の様子を前にして、ジオウが困惑げな様子を見せて問う。

 

「……話をする気に―――」

「なったと思うか?」

 

 構えを解きかけたジオウの目に、彼が握っているウォッチが映る。

 今まで変身に使っていたカブトのアナザーウォッチは地面に転がっていた。

 となれば必然、それは別のアナザーライダーのウォッチであるはずで。

 

 ―――しかし彼が変身を解いた瞬間、他の者たちは動いていた。

 飛流の背後で空間が歪む。その空間跳躍の予兆の後に現れるのはクロエ。

 同時に彼が背にしていた木々の一つから、潜んでいたデオンが飛び出した。

 サーヴァント二騎による背後からの奇襲。

 彼女たちは飛流を完全に制するつもりで踏み込んで―――

 

()()()()()()()()()()()()

 

〈ジオウゥ…!〉

 

 ―――その場に。

 最低最悪の怪人が、出現していた。

 

 持っていたアナザーウォッチを起動し、ドライバーに装填するように腰に押し付ける。

 その瞬間、加古川飛流の姿はアナザーライダーへと変わったのだ。

 

 白い体。銀色のアーマー。体の各所を走るマゼンタのライン。

 そして、時計の文字盤を思わせるマスク。

 両手に握られた双剣はまるで、時計の長針と短針のようだ。

 

「―――――ッ!?」

 

 あまりにも見慣れた。しかし決定的に違う異形。

 その姿を見て、クロエとデオンの疾走が一瞬鈍る。

 それもまた知っていた事、とばかりに動き出す怪人。

 双剣を握る手首が跳ねる。

 

 クロが黒白の双剣を守りに構える。

 デオンがサーベルを傾け受け流すための姿勢を整える。

 

 もちろん。

 それも知っていたと、怪人の手の中で双剣の刀身に纏う光が酷く膨れ上がった。

 苦し紛れの防御を力尽くで粉砕するための、純粋な破壊力。

 剣から立ち上る力は、まるでジオウⅡのような圧倒的な奔流。

 

 当然、一切の躊躇なく振るわれる剣撃。

 その刃が二人を切り裂く直前、まったく同時に二人の姿が押し出された。

 

「っ、マス……!」

 

 カブトアーマーが二人を押し出した位置で静止する。

 彼をクロックアップに導くのは全身を駆け巡るタキオン粒子。そのタキオン粒子を光の波動に変え放つのがライダーキック。同質、同威力キックの激突で一時的に激減した粒子量は、ジオウを光の速さから追い出した。

 

 ―――それも、知っていたと。

 

 双剣が目論見道理に、確かにジオウに向けられる。

 逃れる手段を失ったジオウが、そのまま切り裂かれ―――

 

〈ライダータイム!〉

 

 る、その直前。

 ジオウの横合いから、黄色い“らいだー”の文字が激突した。

 それで体勢を崩しつつも押しやられ、彼の体が剣閃の軌道上から外される。

 直撃を免れた彼に、しかし掠める双剣の軌跡。

 直撃ならぬその衝撃だけで軋みをあげ、弾け飛ぶカブトアーマー。

 

「ぐ、ぁ……!」

「マスター!」

 

 アーマーを解除されながら吹き飛ばされるジオウ。

 大地に叩き付けられ、白煙を噴きながら転がる黒い姿。

 それを追う選択肢を外し、怪人は即座に怒りのままに振り返る。

 

〈仮面ライダー! ゲイツ!〉

 

「貴、様ァ……! よくも邪魔を―――!」

 

 怒りを滲ませる怪人の前で、仮面ライダーゲイツが変身シーケンスを完了した。

 返ってきた“らいだー”の文字が顔面に嵌め込まれる。

 輝く頭部の複眼、インジケーションバタフライ。

 

 指を張り、拳に纏うグローブに力がかかる。

 ぎしりと音を立てる腕部の感覚を確かめながら、ゲイツは逆に飛流に怒りを飛ばした。

 

「邪魔? 邪魔をしたのは―――先に俺の戦いにケチをつけてきたのはお前だ。

 こっちにだって貴様を見逃す理由はない」

 

 ジオウに駆け寄るクロエとデオン。

 そんな二人の前で、怪人はぐるりとゲイツに向き直る。

 彼の手の中にある双剣が紫炎に燃え、その威力を高めていく。

 

 激突までの一瞬の停滞。

 数秒と無い静寂。

 その瞬間を切り取ったかのように、彼らの動きが停止した。

 

 

 

 

 

「やれやれ……わざわざ魔王を庇ってしまうとは。まったく、我が救世主にも困ったものだ。

 今の段階ではまだ、魔王の力には追い付けないというのに」

 

 そんな戦いが始まる寸前、刹那の光景を背景として。

 ゆったりと歩み出てくるのは、白い服のウォズ。

 彼は面倒そうな顔で背景を眺めると、脇に抱えていたノートを広げる。

 

 ―――が、白ウォズはそこで軽く片眉を上げた。

 そのままノートを畳んで溜息ひとつ。

 

「仕方ない、私の目的を果たす前に全滅されても困る。

 スウォルツ氏に乗せられるのは癪に障るが……ま、いいとしよう」

 

 まるでオーマの日に向けて加古川飛流を育てているようだ、と。

 そう感じながらも、白ウォズは無視することにした。

 魔王が二人いても別にいい。それを倒すために用意されるのが救世主だ。

 来るべきオーマの日に勝利すべきは他の誰でもない。

 

 ―――彼が選んだ未来だ。 

 

 そうして微笑むと、彼は懐からビヨンドライバーを取り出した。

 

 

 




 
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デルタな歴史2017

 

 

 

〈ビヨンドライバー!〉

〈ウォズ!〉

 

 白ウォズが腰に装着した瞬間、起動するビヨンドライバー。

 誰もが止まった時間の狭間。

 彼はそのまま流れるようにウォズミライドウォッチも起動した。

 

 そんな彼の視界の端に掠めるのは同じく止まった時間を動く者。

 黒ウォズが【逢魔降臨暦】を片手に歩み出してくる。

 

「……この本によれば。普通の高校生、常磐ソウゴ。彼には魔王にして時の王者、オーマジオウとなる未来が待っていた。

 人理焼却で一時は失われたその未来。だが彼らは魔神王ゲーティアを打倒し、奪われていた自分たちの未来を取り戻した」

 

 その語りを聞き流しながら、白ウォズの手がウォッチをドライバーに装着する。ハンドルに装填されたミライドウォッチのスターターが押し込まれ、展開するのはミライドウォッチのカバー、ゲートアクティベーター。

 

〈アクション!〉

 

 待機状態へと移行し、力を解放する瞬間を待ち受けるドライバー。

 大仰に腕を振るいながら、ゆったりと変身動作を行う白ウォズ。

 

 そんな自身と同じ顔の男の背中を見ながら、黒ウォズが続ける。

 

「これはその戦いの続き。魔神王ゲーティアとの決戦の地、時間神殿から離脱して生き延びた魔神たちから、再び仕掛けられた新たなる戦い。

 新宿に蜘蛛の巣を張り待ち受けたバアルに勝利し、次に彼らが辿り着いたのは伝承に語られる幻の大地。西暦2000年の地球の内側に秘められた地底都市アガルタ」

「―――変身!」

 

 ハンドルにかかる白ウォズの手。

 彼がそれを思い切り押し倒し、ビヨンドライバーのメーンユニットに接続した。

 ウォッチのモニターから放たれた光が、ドライバーのスコープに映し出される。

 同時にドライバーはその映像を虚空に出力し、白ウォズの周囲に物質化していく。

 

〈投影! フューチャータイム!〉

 

 描き出されるのは、シルバーとライトグリーンのアーマー。

 自身を囲うように構築されていく鎧に、深くなる白ウォズの笑み。

 

「そしてこの世界において彼らに牙を剥くのは魔神だけではない様子。どうやらアナザーファイズを作り出すつもりらしいスウォルツに、彼に従っているとおぼしき加古川飛流という少年……」

 

 白ウォズから外された視線が、白い怪人へと向けられる。

 時計を思わせる造形のその怪人こそ、紛れもなく最低最悪のアナザーライダー。

 そんな存在を前に、酷く不快そうな表情を浮かべる黒ウォズ。

 

 彼は一度瞑目して表情を戻すと、再び口を開く。

 

「……そして、ツクヨミくんと同じく2068年からやってきたオーマジオウに刃向かうレジスタンスの一人である……」

「救世主たる明光院ゲイツと、彼を導く者たるこの私―――」

 

〈スゴイ! ジダイ! ミライ!〉

 

 空中に投影されたアーマーが、白ウォズを中心に組み上がっていく。

 全身を覆う銀色のボディが夜闇の中で強く煌めく。

 自身の存在を誇示するような彼の立ち姿こそが、変身が完了した事の証。

 最後にドライバーが告げるのは、その戦士の名前。

 

〈仮面ライダーウォズ!〉

 

「というわけだ」

 

〈ウォズ!〉

 

 そうして剽軽と言えるほどの軽さで声を弾ませる白ウォズ。

 完成した銀色の戦士に目もくれず、黒ウォズは【逢魔降臨暦】へと視線を落とす。

 

「……どうやらそろそろ本腰を入れ始める者たちもいるようです。

 というなら、あえてこの私に語る言葉は―――我が魔王の覇道に立ちはだかる者どもの運命や如何に、と締めくくっておきましょう」

 

 そこまで告げてバタン、と。

 彼は些か乱暴に、手にしていた本の頁を閉じた。

 

 

 

 

 

 白い怪人が剣を振り上げる。

 それに先んじてライダーゲイツが手に呼び込むのはジカンザックス。

 弓形態で握った武装を敵に向け、彼は即座に連射した。

 

 殺到する光の矢。

 張られた弾幕に一度鼻を鳴らし、飛流は一切対応を行わなかった。その攻撃、全てを自身に直撃させながら始めるのは疾走。差し向けられた矢を意にも介さず、彼はゲイツに向け突進する。

 

「ちっ……!」

 

 迫りくる怪人を前に、ゲイツがすぐさま弓を斧へと切り替えた。

 だがそれであの敵の一撃を受け止められないのは分かっている。

 紫電を纏う双剣。その攻撃を前に、両腕で戦斧を構え直すゲイツ。

 

 そうして向かい合う両者の横合いから、緑光の刺突撃が割り込んだ。

 

〈フィニッシュタイム! 爆裂DEランス!〉

 

 今にも振り抜かんとされていた剣の腹を打ち据える槍の一撃。その衝撃に押し込まれ、怪人の体が大きく揺らぐ。

 見当違いの方向へと流される太刀筋。苛立たし気に足を止める飛流。そこから乱入者の方へと顔を向けようとした彼の腹に、続けて放たれたミドルキックが突き刺さる。自分で蹴り飛ばした白い怪人を視線で追いつつ、ライダーウォズが振り抜いた足をゆるりと降ろした。

 

「貴様、白い方の……一体何をしに」

「私も好きで出てきたわけではないよ、我が救世主。

 やれやれまったく、まさかこんなところでアナザージオウにお目にかかるとは」

「アナザージオウ……!」

 

 ゲイツが白ウォズの背中に向けていた視線が、弾かれた怪人に向けられる。

 彼の言葉に出て、すぐに繰り返される怪人の名前。

 

 それはライダーの歴史の体現者。

 真実の上に被された偽りの仮面。

 その中において、20番目に時を刻む怪人の王。

 

 ―――即ちアナザーライダー、ジオウ。

 押し込まれた体勢を立て直し、アナザージオウが剣を握り直す。

 

 白いジオウの姿を見上げる本来のジオウ。

 彼がデオンに肩を借りつつ、何とか体を起こした。

 

「やっぱりあれ、俺の……!」

「ふん……」

 

 ジオウとアナザージオウが両立する。

 いつかアナザー鎧武の成立と引き換えに鎧武が消えたのとは違う。

 ディケイドとアナザーディケイドが分割されたのとも違う。

 

 ゴーストとアナザーゴーストが両立したように。

 彼らは今という時代の中で、争いの果てに決着をつけるべき存在なのだと言わんばかりに。

 

「クロ……!」

「―――りょーかい!」

 

 何とか自立したジオウ。

 彼が差し出した掌からウォッチを受け取り、少女が走る。

 アナザージオウを目掛けた脇目も振らない突進。

 

 その少女の姿を目線で追いかけ、しかし。

 そこから消失する事を予見し、飛流はその先に目を向けた。

 

 発動する転移。消えたクロエの行先はゲイツの上。

 彼女はゲイツの肩に着地すると、ジオウから受け取っていたウォッチを放る。

 突然投げられたウォッチを咄嗟にキャッチ。

 そうしてしまったゲイツが息を呑み、次の行動に一瞬迷う。

 

 が、すぐさま彼の指はウォッチを起動した。

 

「余計なことを……!」

 

〈ウィザード!〉

 

 呟くように文句を言いつつも、ドライバーに装填されるウィザードウォッチ。

 その様子に彼に並びつつ呆れるクロエと、大仰に肩を竦めるライダーウォズ。

 

〈ジオウⅡ!!〉

 

 アナザージオウを挟み、ジオウがその反対側で二重のウォッチを割る。

 同時にジクウドライバーを待機状態にし、彼らは一気に腕を振り抜いた。

 回るジクウマトリクスが、周囲にウォッチに内包された力を具現化していく。

 

 ゲイツが纏うのは燃えるように赤い宝石。

 そしてそれを飾る装飾である指輪を模った魔法の鎧。

 装着の衝撃で魔法陣を分割したローブを靡かせ、彼は周囲に炎を躍らせる。

 

〈アーマータイム! プリーズ! ウィザード!〉

 

 ジオウが変わる。鏡合わせの時計を二つ重ねて一つに束ねて。

 現れる姿は、ジオウにとって正しく進化というべき変化。

 鎧に加わった金色の意匠を一際輝かせ、彼は両手に剣を携えた。

 

〈〈ライダータイム!!〉〉〈仮面ライダー!〉〈ライダー!〉

〈ジオウ!〉〈ジオウ!〉〈〈ジオウⅡ!!〉〉

 

 そうして移り変わった戦場を一巡り見渡して。

 アナザージオウが、ジオウの方へと視線を移した。

 

 瞬間、奔る二つの姿。黒のジオウⅡ、白のアナザージオウ。

 彼らはまったく同時にお互いに仕掛け合い―――

 

 二振りの剣をぶつけ合って、揃って同じように弾かれた。

 

「っ……!」

「ハ――――!」

 

 直後に上がる声、飛流の声に喜色が混じる。

 

 互いに放った剣による二蓮撃は相殺。

 その結果として両者は大きく吹き飛ばされて距離をあけた。

 そして―――

 

 着地した際にアナザージオウは一歩後退するだけで体勢を立て直し。

 しかしジオウⅡは三歩後退して、膝をついた。

 

 一度の激突でよく分かった。

 パワーは互角。スピードも互角。武装も互角。

 

 ―――だから、無傷の飛流が圧勝する。

 

 ジオウは既にアナザージオウから一撃を受けている。

 あらゆる点で同等である以上、彼が傷を負った時点で勝敗は決定した。

 

 それを理解した瞬間、アナザージオウは更に加速する。

 元より小細工を積み重ねるためにスウォルツの誘いに乗ったのではない。

 

 彼が求めていたのはたった一つの事。

 その望みが今まさに、こうして目の前にまで来ているのだと。

 それを実感した少年の、マスクに覆われた怪物の顔が猛々しく歪む。

 

「マスター、後ろへ!」

 

 加速するアナザージオウの前に立ちはだかるシュヴァリエ・デオン。

 弓を構え、射撃体勢に入るライダーゲイツとクロエ。

 

 ジカンデスピアを肩に担ぎ、その場で動く気無しと足を止めるライダーウォズ。

 

 アナザージオウの頭部、時計の針のようなアンテナが回る。彼は前を向きながらしかし、背後から放たれる矢の軌跡を確かに見据えた。

 このまま行けば貰う直撃コース。その矢が自身に中った未来を視て、攻撃を受けた場所から軌道を逆算し、全ての攻撃のコースを理解する。

 そうすれば振り向くまでもなく、彼は足を何処に運べばいいか見極められた。

 

「――――!!」

 

 完全回避。停止せず、減速すらなく、振り向く事さえしないままアナザージオウは最小限の動きで全ての射撃を潜り抜けた。

 矢の一射さえ掠らない進撃を前にして、クロエが即座に次弾を番える。そうして彼女は敵に一撃を中てる方法を求め、しかし。彼女の予測は必中の武装以外の答えを出せなかった。

 

 ゲイツが射撃を続行する中、クロエが答えを求めて視線を彷徨わせて。

 見つけた光景に一瞬顔を顰め、すぐに彼女は狙いを変えた。

 弓を捨てて発動する剣弾(ソードバレル)

 剣を矢に改造する事なく投影して放つ、速射を求めて発動させた次善の行動。

 選ぶ武装は宝具。優先するのは数。結果、顕れるのは一山いくらの低ランク宝具。

 

「―――撃つわよ!」

 

 彼女の視線の先にいる者にそう告げて、射出するのは無数の剣群。

 自身に中る軌道ではないと理解し、アナザージオウの踏む軌道は変わらない。

 放たれた無数の剣は白い怪人を追い越して、ただ地面へと突き立った。

 

 ―――剣の弾丸が撒き上げる土埃。

 それを白いマントで跳ね除けながらデオンの腕が動く。

 地面に並んだ剣の柄をその手が握り、引き抜いた。

 

 常磐ソウゴまでに立ちはだかった邪魔なもの。

 彼にとってはそんなものはただの障害でしかない。

 

 無造作なまでに力任せな剣の一振りがデオンを襲う。

 

 アナザージオウが振るう剣に纏うのは純粋な力。

 ただ純粋に破壊力だけを押し固めた暴力的なエネルギーの乱舞。

 相手に技巧を凝らす事を許さない。力のかけ具合でどうにかするなど許さない。

 そんな、絶対的なもの。

 

 それを剣技でどうにかする、というのは。

 さながら隕石に地上から石を投げつけ、軌道を逸らすようなものだ。

 

 ―――それでも、一撃ならばどうにかしよう。

 だがデオンの剣では一撃逸らせばその時点で刀身が溶け落ちる。

 後が続かない。双剣の内、一刀一撃しか捌けない。

 

 だったら、どうするというのか―――と。

 

 その答えを示すように、剣閃が重なる。

 アナザージオウが振るう、暗く燃える剣による剛撃。

 それに対しデオンの添えるような、投影された宝剣による柔撃。

 対照的の一撃が触れ合った、その瞬間。

 

「――――ッ!?」

 

 ()()()()()()()

 刀身のみを炸薬に、デオンの剣腕と爆発の勢いでアナザージオウの一撃を逸らし切る。

 凌がれた、という事実に飛流が戸惑ったのは一瞬。

 その一瞬の内に剣の残骸を投げ捨て、デオンは新たな宝具を地面から両手で引き抜いていた。

 

 立て直したアナザージオウの双剣に対し、応じるデオンの双剣。

 その衝突の次に起こる流れはまったく同じもの。

 宝具の炸裂刀身を利用して、本来なら押し切られるような剛撃を受け流す。

 

 立て直して続けて再度振るわれる剣。

 結果は再演、同じように受け流される。

 直後にデオンの傍に補充するように投影宝具がまた突き立った。

 それを確認して引き抜きながら、デオンとクロエが視線を交わす。

 

 刹那のタイミングによる着火を要求されているクロエが、僅かに引き攣った顔で笑う。

 宝具を起爆するクロエにデオンに合わせられる剣技はない。

 デオンが受け流すのに必要な完璧な爆破タイミングは計れない。

 

 が、そこに絶対無二の答えがあるのなら。

 ―――彼女には確かに視える。そういう眼を持っている。

 

 攻めあぐねた事を自覚したアナザージオウを前に、デオンが微かに唇を上げた。

 

「さあ、何度でも付き合おうじゃないか?」

 

 受け流すだけでもかかる負荷を噛み殺しながら、美しささえ感じる笑み。

 余裕さえも表情に浮かべ、アナザージオウを見据えるデオン。

 そうして挑発してくる相手に対して、飛流が怒りのままに歯を軋らせた。

 

「邪魔だ――――ッ!!」

 

 振り上げられる双剣。

 今までのように通り抜けるついでに障害物に放つようなものではない。

 ただ目の前にいる邪魔なものを根こそぎ吹き飛ばすような、全力を注いだ一撃。

 

 あまりにも隙だらけな、全力の大振り。

 だがそんな隙さえも止められない。怪人の装甲を突破できる攻撃力を用意できない。

 そこまで力を込められてはもう、当然のように逸らす事もできない。

 だから、それが振るわれればデオンに為す術は一切ない。

 

「ああ、そう。それは失礼した」

 

 そんな事実を前にして、デオンの体が横にずれる。

 まるで、道を開けるように。

 

〈ライダー斬り!〉

 

 瞬間。時計の針が弧を描き、アナザージオウに殺到した。

 振り上げた双剣を引き戻して、咄嗟に行う守り。

 それが間に合った理由は、偏にジオウⅡの一撃の太刀筋の鈍さが原因だった。

 

 光の斬撃を受け止めて、その衝撃で押し戻される。

 受けた反動で僅かにひりつく掌。

 

 アナザージオウがどうにか防いだ剣撃越しにジオウⅡの姿を見る。

 揺れるサイキョーギレードの切っ先。結果、定まらなかった太刀筋。

 間に合わなければ自分が相手と同等のダメージを受けていた。

 そうしてまた負けていた、と。

 

 頭の中に浸み込んでくる可能性の光景が、飛流の血液を沸騰させる。

 

「常磐、ソウゴォ―――――ッ!!」

 

 双剣を振り上げ、それらの柄尻を合体させる。

 組み上がるのは柄を中心に両端に刃を持つ一振りの剣。

 ダブルブレードの刀身に沸き立つこれまで以上のエネルギー。

 

 デオンで受け流し切れるものではなく。

 ジオウⅡですら今は相殺し切れるものではない。

 余波ですら大地を砕くアナザージオウ必殺の一撃。

 それを前にして、クロエが叫ぶ。

 

「壁!」

「な、……ああ」

 

 少女の言葉に一瞬だけ逡巡し、しかしウィザードアーマーが魔力を放つ。

 アナザージオウを囲うように隆起する土の塊。

 しかし屹立すると同時、吹き荒れる破壊の風に削られていく防壁。

 乱舞する砂塵の中、視界を壁に遮られたアナザージオウの視点が時空を超えた。

 

 ―――視えるのは未来。

 この土壁が崩壊した時点でどの方向から相手が斬り込んでくるか。

 ジオウⅡの手にはサイキョージカンギレード。

 その未来を視認して、アナザージオウがそれに対応した。

 

 ダブルブレードの一振りが起こす爆風が、土壁の一角を吹き飛ばす。

 崩れ落ちた先には、確かに彼が視た通りジオウⅡがいた。

 合体させた剣を手に、彼の指がドライバーにかけられている。

 

「視えているぞ、その未来……!」

 

〈〈ライダーフィニッシュタイム!!〉〉

 

 左手にサイキョージカンギレードを握り、振り上げながら。

 待機状態のドライバーにかけた右手に力が籠る。

 

 ジオウⅡとアナザージオウの差は縮まっていない。

 正面からの激突によって齎される答えは動きようがない。

 彼らが互いの最強の一撃をぶつけあうこの決戦に割り込める者などいない。

 

 アナザージオウが大地を蹴る。

 回しながら振り上げた刃の余波で、残っていた土壁が蒸発していく。

 

 迫りくる憎悪に猛る怪人を前にして、ジオウⅡの後ろでデオンが呟いた。

 

「キミなら出来るさ。それだけの戦いはあった筈だ。後はタイミングひとつ」

「そう? そう言われるとなんか―――いける気がする……!」

 

 デオンの前でジオウⅡが大地を砕く。

 アナザージオウに匹敵する加速で、剣を振り上げたジオウⅡが加速した。

 衝突までの時間は1秒足らず。その瞬間、激突以外の未来が消える。

 

 それを勝利の確信とするのは加古川飛流。

 

 その一瞬の中で、いつかこの身で味わった拳撃を思い起こす常磐ソウゴ。

 彼の右腕が、ドライバーを一息に回した。

 

〈〈トゥワイスタイムブレーク!!〉〉

 

 薙ぎ払われるダブルブレード。

 振り下ろされるサイキョージカンギレード。

 

 激突からの拮抗―――は、一瞬すら存在せず。

 

「!?」

 

 ―――サイキョージカンギレードが粉砕される。

 ジオウⅡの持つ最強の刃である筈の剣が、まるで硝子細工のようにいとも容易く砕け散る。

 まるで跳ね返ってこない互角に近い筈の手応え。

 一気に押し切らんと前のめりになっていたアナザージオウが戸惑った。

 止まらない。止まれない。全身全霊の突進に減速が叶う筈もない。

 

 そうして切り結ぶ事を考えていた相手の前。

 無手になったジオウⅡが右手で拳を握り締めた。

 ドライバーを回し、放出したウォッチの出力はただ一ヵ所に集っていく。

 

 思い返すのは拳の嵐。あらゆる攻撃手段を跳ね退けてみせた無影の拳。

 その動きを真似られる、とは思わない。

 その動きが出来る者には、才能だけではなく相応の積み重ねがあるものだ。

 だからジオウⅡにそれを動きとして真似る事は叶わない。

 

 だがそういう事が可能なのだという事実を、よく知っているだけ。

 

「――――今だ!!」

 

 デオンの声が背後から告げる、拳を跳ね上げるべきタイミング。

 体勢は低く。スライディングにも近しい体の沈め方。横薙ぎに振るわれるアナザージオウの剣が、そうして下に逃れようとするジオウⅡを追おうとして。

 その瞬間、振り上げられた拳が剣の腹へと叩き込まれた。

 

 衝突、押し合いになれば勝てる道理がない。

 だからそれは全力でぶつかる事で、相手の力の方向逸らすためのもの。

 パワーだけなら足りている。

 途中で停止がかけられない程アナザージオウは前がかり。

 後はタイミングさえ合致すれば、この一撃だけはどうにか出来ると踏んで、

 

「逃が、すか……ッ!」

 

 それでも、アナザージオウがジオウⅡを圧し潰すために無理矢理剣閃を捻じ曲げる。

 全力で振り抜いた筈の切っ先がより沈む。

 衝突した結果ずれて、擦れ違う筈だったという未来を別物へと塗り替え―――

 

「まったく……我が救世主にも困ったものだ。魔王の戦いなんて放置すればいいものを。

 【シュヴァリエ・デオンに導かれた仮面ライダージオウⅡの一撃は、見事アナザージオウの必殺剣を受け流した】」

 

 可能性が指定された未来に向け、収束する。

 未来ノートに綴られた光景が訪れる。

 

 そんな風に仕方なさげに。

 ノートを携えた白ウォズ自身も、あまり乗り気で無いと言うように。

 

 だがジオウⅡにしろ、アナザージオウにしろ、今の救世主では届かない。

 ならもう彼が目醒める時までは適当にぶつかっていて貰うしかないのだから仕方ない。

 その心中がどうあれ、彼が導いた未来はやってくる。

 ノートを畳んだライダーウォズの前で、二人のジオウが擦れ違う。

 

 受け流され、空振ったアナザージオウの剣。

 ぶらりと垂れ下がるジオウⅡの右腕。

 必殺を以て決着だった筈の両者がすれ違い、背を向け合った。

 

 右手の装甲が焼け落ちた。

 たった一度の交錯で、過負荷は限界にまで辿り着いた。

 麻痺して動かない右腕をぶら下げて、しかし。

 彼は思い切り左腕を伸ばす。

 

 ジオウⅡが伸ばした手の先、空間を跳躍して出現する一人の少女。

 彼女の手の中には簡単に砕けるような外見だけの贋作ではない、本物の剣がある。

 

「一気に、決めちゃいなさい―――!」

 

 投擲される大剣。

 ジオウⅡの左脇を通すような軌道で一直線に進むサイキョージカンギレード。

 飛来する剣を掴む前に、ギレードに装填されたキャリバーのハンドルを倒す。

 “ライダー”から“ジオウサイキョウ”へと変化するインパクトサイン。

 

〈ジオウサイキョー!〉

 

 その体勢のままサイキョージカンギレードの柄を掴まえて。

 剣を逆手に握り、背後を突き刺すように構える。

 そうして剣を構えたジオウⅡの背後には、連ねた双剣を振り抜いたままのアナザージオウ。

 彼がすれ違ったソウゴを視線で追うために振り向く、その前に。

 

「―――これが、お前が視た未来の先に俺が視た未来だ!」

 

〈キング!! ギリギリスラッシュ!!!〉

 

 迸る光の刃。構築される“ジオウサイキョウ”。

 振り向きざまのアナザージオウ、その背中に突き立てられる必殺の光剣。

 直撃した瞬間に弾ける威力が、怪人の白い体表を一気に焦がした。

 

「ぐ、が……ッ!?」

 

 それでも飛流が踏み止まったのは、威力が足りないからではない。

 その剣を支えるにはジオウⅡの左腕一本で足りないからだ。

 本来なら万難一切を切り裂く筈の刃は、それ故にアナザージオウを貫けない。

 

「ふ、ざ、ける――――なァ……ッ!」

 

 背中で光刃を塞き止めながら、アナザージオウがダブルブレードを強く握る。

 その刀身で沸き立つ憎悪。刃を暗く燃やす怨念を原動力した火力。

 こうして追い詰められた状況でなお飛流はそれを背後に振るおうとして、

 

〈ウィザード! ザックリカッティング!〉

 

 正面から叩き付けられる巨大化した戦斧の一撃。

 その衝撃が、無理な体勢で振り上げられた彼の腕からダブルブレードを吹き飛ばす。

 サイキョージカンギレードとジカンザックス。文字通りの挟み撃ち。

 鋏で挟まれるように二つの刃がアナザージオウに突き立てられる。

 

「これで、終わりだ……!」

「ぐ、あ、ァ……ッ! おぉ、オォオオ……! わ、れる、か……!

 こんな、ところで……! 俺は……! 俺は――――!!」

 

 罅割れていく白いジオウ。

 前と後ろ、双方から叩き付けられている光の刃。

 致命傷となりえるのはサイキョージカンギレードの一撃。

 それから逃れるのを防ぐのはジカンザックスの一撃。

 そうして追い詰められた時点で彼一人で打開する手段はありえない。

 

 ―――だからこそ、そこで空を破り紫の光が降り注いだ。

 

 アナザージオウの元に落ちてくる光の隕石。

 それが放つ宇宙のパワーが、ジオウⅡとゲイツの攻撃の軌道を僅かに逸らした。

 鋏ならずに噛み合わず、光刃の間に挟まれていたアナザージオウが弾き出される。

 

 半壊した怪人が地面を転がっていくのを見送るのは紫の衣を纏った男。

 即ち、

 

「スウォルツ……!」

 

 剣から伝わる反動が消え、ふらつくジオウⅡ。

 巨大戦斧を振り抜いたゲイツが斧を引き戻し、新たな闖入者に視線を向ける。

 

「やあ、スウォルツ氏。虎の子のアナザージオウの危機に手助けかい?」

「貴様こそ救世主とやらの手助けに来ているのだろう」

 

 白ウォズに一言返しつつ、彼は転げたアナザージオウの方に歩を進める。

 それを追おうとジオウⅡが足を動かそうとして、しかし膝を落とした。

 体を支えるために動かそうとした右腕は鈍く、彼はそのまま地面に倒れる。

 

「ソウゴ!」

 

 すぐに彼に駆け寄るクロエ。

 倒れたマスターと傍に寄った少女を庇うように前に立つデオン。

 一瞬迷い、しかし同じようにスウォルツとソウゴの間に立つゲイツ。

 

 スウォルツはそれをおかしげに見ると、途中で足を止めた。

 

「時の王として歴史に立つ事を決められたオーマジオウ、常磐ソウゴ。

 その対抗馬として俺が擁立する事を決めたアナザージオウ、加古川飛流。

 そして、白ウォズ。貴様が魔王を打倒するべく仕立てた救世主、明光院ゲイツ。

 なかなか盤面も賑やかになって面白くなってきたな」

「面白い、だと?」

 

 苛立たしげなゲイツの声。

 それに笑みを深くする事で反応を示し、彼は笑い交じりに言葉を返す。

 

「ああ、最近は自分の思い通りに駒を育てる事が楽しみでな」

 

 大地を殴る音。何度も、何度も。罅割れた拳が地面を割る。

 勝利の目前にまで迫り、しかし逆転された事実。

 より強く握られた拳の奏でる音を聞きながら、スウォルツは楽しげにソウゴたちを見渡した。

 

「育てるには、そいつに与える餌も確かなものを選ぶだろう?

 俺の目に狂いはなかった。思った通りお前たちは、これに極上の無様を喰らわせた」

 

 そこまで言ったスウォルツが再び足を動かした。

 彼は這い蹲ったアナザージオウを見下ろして、確固たる口調で告げる。

 

「―――自分の無様さを糧に憎悪を燃やせ。

 いずれ行きつくところまで行きついた時、お前の憎しみは常磐ソウゴの全てを奪う」

 

 ―――アナザージオウが顔を上げる。

 揃って地面に倒れた二人のジオウが視線を交わす。

 その瞬間、彼を巻き込んでスウォルツが光となって空に舞う。

 

 空を割り、時の狭間に消える光の球体。

 彼らの軌跡を目で追いながら、ジオウⅡが小さく拳を握った。

 

 

 



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願いを綴じた箱2000

 

 

 

 布団代わりの薄い布を押しのける疲労感で重い腕。

 未だにひりつく右手の調子を確かめつつ、ソウゴは上半身を起こした。

 寝ぼけまなこを擦る彼の前で、家の戸が開けられる。

 

 隙間からちょろっと覗くのは少女の顔。

 クロエは起きたソウゴを視認すると微笑んだ。

 

「あ、起きた? 桃食べる?」

「あー……うん。桃しかないよね」

「昨日来た魔獣の焦げた肉ならあるかも」

 

 肉は食べたいがそれは、と。

 少しだけ悩んで、流石に首を横に振る。

 そうよねー、と笑ってみせるクロエ。

 

 怠い体をおして体を起こし、立ち上がるソウゴ。

 

「みんなは?」

「わたしたちとリツカのチームが居残り。

 オルガマリーとツクヨミはとりあえず不夜城の周囲を探ってみる、って。

 ああ、フェルグスとゲイツって人もそっちについてったけど」

「んー……ライダーは?」

「レジスタンスを昨日のショックから立ち直らせる、だって」

 

 半開きだった扉を押しやり、全開させるクロエ。

 そうしてから踵を返して歩き出した彼女を追い、ソウゴも歩き出す。

 

 外に出てみても昨日の戦闘の被害は大きくない。

 

 ソウルイーターたちはサーヴァントを優先して狙った。

 結果として人的被害はほぼなく、怪我人はいても死人はいない。

 被害が一番酷い場所は恐らく、ソウゴたちと加古川飛流が戦った辺り。

 戦闘の余波によって破壊した土地的な被害だけ。

 そこも集落からはそれなりに離れた場所であり、目に見える被害などほぼ無いと言える。

 

「あ、ソウゴ。起きたんだ?」

「うん」

 

 歩いてきたソウゴに気付く籠を持った立香。

 その中に詰まっているのは大量の桃。

 飛行して桃をもいでいたイリヤもそれに気づき、地上へと降りてくる。

 着地と同時に転身を解除し、元の制服へと戻る少女。

 

「桃?」

「ソウゴさん、大丈夫ですか?」

 

 小走りで走ってくるイリヤ。

 ソウゴの視線が、自然とその手の中にある桃へと視線を追う。

 それに気付いた少女が自分の手を確かめて、とりあえずそれを差し出した。

 礼を言いつつ受け取り、彼はそのまま口に運ぶ。

 

「俺は大丈夫だけど……そういえば白ウォズは?」

「私たちは見てないけど」

 

 立香が視線をクロエに向ける。が、彼女は肩を竦めて返した。

 またもやすぐに消えたようだ。

 もしかしたら今は、彼が救世主と呼ぶゲイツと一緒にいるかもしれないが。

 

 そうして幾つか言葉を交わしつつ、彼らは集落の中心を訪れる。

 そこでは木を削りだした槍を手にした男たちが、デオンに軽くあしらわれていた。

 デオンは当然剣を抜く事もなく、まともに目を向けることさえない。

 数人の人間が一息に空中に投げ出され、地面に背中を強かに打ち付けていく。

 

「ああ、起きたんだね。大丈夫そうで何よりだ、マスター」

 

 にこやかに微笑みつつ、流れ作業で投げ飛ばされる男たち。

 そんな異様な光景を眺めつつ、ソウゴは桃を口に運ぶ。

 

「それよりデオンはそれ、何してるの?」

「これかい? ……ライダーに頼まれたのさ」

 

 言いつつ動かす手、またも男が空を舞う。

 

 後方でそれを見ていたライダーが小さく笑う。

 そのまま彼は転がった男に歩み寄り、支え起こした。

 起き上がらせた男の背を叩き、下がらせる。

 

「とりあえず休憩だ! おう、嬢ちゃん。頼むぜ」

「うん」

 

 声をかけられた立香が籠をへたり込んだ男たちの方に持っていく。

 ようやく補給できる水分に群がる者たち。

 そんな光景を見てから、ライダーはソウゴたちに向き直った。

 

()()()()()()()()()()、ってのは身をもって味わっておいた方がいいと思ってな。どう足掻いてもどうにもなんねェ、ってのを巧く理解させてやってくれと頼んだわけだ」

「そうは言っても軽くやり取りした程度で一朝一夕に理解できる事でもない。下手に自信をつけられても、無駄に自信を喪失されても困る。

 私としては、素直に救出した男性の誘導だけをやってもらうべきだと思うが」

 

 呆れた風な視線をライダーに向けるデオン。

 そんな二人にかけられる声。

 それは木陰で棺桶を椅子代わりに座っていたらしいモリアーティのもの。

 

「まァ相手がアマゾネスや海賊だけなら彼らに援護をしてもらう、というのも一つの手だったかもしれないがネ。戦闘になった場合ほぼ確実にメガロスが出てくるからそうも言っていられない。

 彼らを犠牲にしても気にしない、というならそれでもいいが、そうではないなら絶対に戦闘に参加させるべきではないヨ。何せあの大英雄であれば、攻撃の余波だけで人間なんて紙屑のようにバラバラに引き裂いてしまうだろうからネ」

 

 どうあってもメガロスの存在は無視できない。

 三国の支配地域で戦闘を行う場合、メガロスを勘定に入れない事は不可能だ。

 そしてその前提がある以上、普通の人間は前に出せない。

 

 もちろん、そんな事は分かっているとライダーは言う。

 

「そりゃそうだ、俺だってそう思ってら。どうしようもねえなら死ぬ事も勘定にいれてやらなきゃならねェ事もあるだろうさ。けどお前さんたちと協力できてるならそうじゃねえ。

 お前たちはあの化け物、メガロスとさえ戦える。戦力は十分に足りている、と言っても過言じゃねえ。なのにここであいつらを前に出すなんて、無駄死にしてこいって言うようなもんだ」

 

 そんな馬鹿な事するものか、と本気で彼は吐き捨てる。

 彼の様子を見て、這いつくばっていた男たちはどこか悔しそうに拳を握った。

 

 デオンが指を帽子の縁にかけ、目線を隠すように前に傾ける。

 

『では、なぜ……?』

「もちろん前に出す気はないさ。ただ心構えってもんがあるだろう?

 メガロスと戦えなんて言わねえ。女王たちの首を狙えとも言わねえ。あっちの領地で兵士どもとやりあえばメガロスが出てくる以上、そもそも戦闘は可能な手段に入らねェ。あいつらに任せられるのは、捕まってた奴を抱えて必死に全力で逃げる事だけだ」

 

 ライダーの言葉に俯く男たち。

 それはそうだ、あんな化け物と戦える筈がない。

 彼らは捕まっていた人間を連れ、逃げる事しかしてこなかった。

 当たり前の話として、逃げる事しか出来なかった。

 

 そうしてこられたのは、ライダーがそれで問題ないように全てを整えてくれたからだ。

 

 無力感ではない。ただ純然たる事実として、無力なだけ。

 そんな事は分かり切っていたけれど。

 

「―――だがよ、それが戦えねえ奴らだから任せた仕事だからってな。その仕事が怪物と戦う事に劣るものってわけじゃねェんだ。

 戦えねえから仕方なく割り振られた仕事、で何となくやってもらっちゃ困るんだよ。戦う必要はねえ。死なないように脇目も振らず全力で逃げるだけでいい。だがよ、それは戦ってる奴と同じくらいに命を張って、全力で逃げてもらわなきゃならねえって事なのさ」

 

 ライダーが腰を落とした連中に歩み寄る。

 そうして彼は、手近な男の肩を叩きながら笑いかけた。

 

「出来ねえ事は出来ねえ。裸一貫で泳いでも海は渡れねえし、どんだけ必死にジャンプしたって太陽には届かねえ。目算も立てずに出来っこねえと分かり切ってるままに無理にやろうとする、ってのは挑戦なんかじゃねェ。

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう信じて挑み続ける事への諦めなのさ。不可能を可能なとこまで引き寄せるところから全部が全部戦いなんだからよ」

 

 彼はそう言いつつ、這い蹲っている者たちをぐるりと見渡す。

 その顔を、表情ひとつひとつを確かめて、力強く大きく頷いた。

 

「こんな世界をぶっ壊して、こんな状況を変えてやる。そう信じて進むために、自分が出来る事に全力を尽くす。ここにいる俺たちはいま全員そうしているんだ。

 だったら俺たちは誰一人へこんでる暇なんかねえってな」

 

 男たちが瞳を揺らす。

 そんな揺らぎを正面から見据えて、ライダーが言葉を紡ぐ。

 

「怖ェからなんだ。何も出来ねえかもしれねえからなんだ。それでもどっかに道がねえもんかと探し続ければ……諦めなきゃ、いつかは必ずどんな夢も叶うモンさ」

 

 ライダー自身が噛み締めるように、諦めるなと口にする。

 どこかに熱がこもったのか、彼はその勢いのままに続けた。

 

「出来る気がしねえなら無理するな。代わりに、自分に何か出来る事はねえかと考え続けろ。何も出来ねえからって腐ってる暇なんかねェ。何も出来ねえからこそ、そこで何かしてる奴より考えろ。そこにあるもん全部と、そこには無くても手に入りそうなもん全部を思い描け。それを使って何か出来る事はねえかと考えろ。

 ―――諦めねェ事だけは、どんな状況の誰にだって出来る事なんだからよ」

 

 言い切ったライダーの掌が、男の一人の背中を叩く。

 全員が受け取った言葉を噛み締めて、くたびれた体に力を入れ直した。

 

「……はい、ライダーさん」

「おう」

 

 そんな様子を見ていたのか、カルデアからロマニの声がする。

 

『うーん。組織立った行動をしてる辺りでそうだろうとは思ったけど、ライダーは何らかの集団のトップとして活動していたサーヴァントなんだろうね。

 格好やら何やらを考えると、やはり……船長、という感じだろうか』

「船長……確かにカリスマというか、リーダーシップ、的なものを感じるというか」

 

 ロマニの声に頷くイリヤ。

 否定はせずに、しかしなんか納得いかないとクロエが振り向く。

 デオンは特に表情を変えず、立香とソウゴは彼らをただ見ている。

 

「―――――」

 

 棺桶に腰かけたモリアーティが片目を瞑り、胡散臭い表情を浮かべる。

 

 そんな男を見て、クロは微妙な顔。

 一番怪しい奴が味方にいるせいで感覚が麻痺してきている気がする。

 

 エレナの出現以降ホームズは完全に引っ込んだ。

 もうここに居たところでまだ語る時ではない、くらいしか言わないだろうが。

 どうにかもう少し情報を得たいが、どうしたものか。

 

「すみません、デオンさん。もう少し、もう少しだけ付き合ってもらっていいですか?」

「―――構わないよ、キミたち自身がやる気なら手伝うとも」

 

 男がひとり立ち上がりながら声を張る。

 一瞬だけ驚いた様子をみせたデオンはしかし、すぐに了承した。

 真っ先に動いた男に続き、他の連中もデオンに特訓を求める。

 

 そうして再開された男たちがぽーんと飛ぶ光景。

 

 遠巻きにそれを見ていたソウゴたち。

 そんな彼らの視界に、光が掠めた。

 光が空に瞬きながらここから少し離れた位置に落ちていく。

 

「あれ? 今の……」

『サーヴァントの霊基反応、確認しました。エレナさんです』

 

 それが彼女の宝具である円盤だとマシュに補足され、立香は頷いた。

 ここで見ているより、とそっちに向かいだす集団。

 腰を上げる気なしのモリアーティが手を振り、彼女たちは送り出される。

 

「UFOかぁ、そういうのが宝具のサーヴァントもいるんだね……」

「正体が分かっているなら未確認ではないただの飛行物体なのでは?」

「あの円盤って正体分かってるのかな」

 

 イリヤの呟きに答えるルビーの言葉に、立香は不思議そうに首を傾げた。

 

「空飛んでる変なもんなら大体UFOでいいんじゃない?」

「へえ……」

 

 曖昧な相槌を打ったソウゴに立香が視線を向ける。

 彼はそこで言葉を止め、続きを言う事はしなかった。

 そんな無言のやり取りを見て、クロエがソウゴの方に寄っていく。

 

「なになに、何て言おうとしたの?」

「え? うーん……」

 

 言わせなくていいのに、と立香が溜め息ひとつ。

 ソウゴがまあいいやとあっさりと噤んだ口を開いた。

 

「じゃあ魔法少女もUFO? って」

「それ! そっくりそのままソウゴさんって言うか仮面ライダーにも返しますから!」

「どっちかというとUMAよね」

 

 そうして言葉を交わしつつ、光点が落ちていった場所を目指す。

 

 木々の合間を縫って幾らか歩けば、そこにあったのは一部が円形に潰された草原。そしてそのミステリーサークルの中心に立って、機嫌よさそうに空に帰る円盤を見送るエレナの姿だった。

 

「おかえり、エレナ」

「あら? あなたたち、どうしたの?」

 

 浮ついた声色からも分かるほどの上機嫌。

 そんな様子に目を見合わせつつ、ソウゴが問う。

 

「嬉しそうだけどなんか見つかったの?」

「ええ! そうなのよ! 今回の探索でそれらしいところを見つけたの! ううん、実際にはまだ見つけていないのだけれど!

 でもここだ、って私の直感? マハトマの導きがあった気がするのよね!」

 

 食い気味に返ってくる声。

 何がそれらしいのかがさっぱりだが、どうやら余程嬉しいらしい。

 ソウゴは今にも跳ね回りそうなエレナを見てきょとんとする。

 

「ふーん……それらしい、って。たとえばどんな?」

「うーん、言うにしても確認してから……いえ、ううん、よくってよ! 聞きたいなら教えてあげましょう! でもまだ確証はないから吹聴したりはしないでね。どう足掻いても否定できない確かな証拠を見つけた上で、私が発表してやるんだから!」

 

 喜悦ばかりだった外見少女の様子に、一片の怒りのようなもの。

 何が引っ掛かったのかは分からないが、多分ホームズなら分かるのだろうか。

 立香がマシュの映像に視線を向けるが、マシュは小さく首を横に振る。

 出てこない、と。

 

 そうしている間にもエレナが体を乗り出し、語りだしていた。

 

「私の推測が正しければね、()()()()()()()

「……下? 下に何が?」

「そう! 地下の地下―――地下国家の更に地下よ!」

 

 どれだけ荒ぶっているのか。

 もしかして実はこっちの声が届いていないのか。

 浮足立っているどころじゃない彼女に、立香が再度問いかけた。

 

「地下の地下に、一体なにがあるの?」

「ふふふ……それはね? それはね!」

 

 勿体ぶる気があるのかないのか、エレナの返答はすぐさまだった。

 

()()()()よ!」

「……れむりあ?」

 

 レムリアとは?

 そう首を傾げた少年少女を見て。いや、見えていないのかもしれない。

 エレナはそのまま思う様に語りだした。

 

「ここには広大な地底湖があるでしょう? それも各都市に流れる河川まで形成されている巨大な湖。それを調べてみた限り、一定の地点で明らかに水の流れが途絶している事が分かったの!

 つまり下っている川の流れが途中でどこかに消えている……地底を流れる川の水が一体どこに行くというのでしょう。そう―――レムリアでしょう?」

「そうかな?」

「きっとそうなの! いいえ、絶対そうよ!」

 

 まだまだ語りそうなエレナを止めるため、外からかかるのはロマニの声。

 

『えーと。レムリアというのは……あなたが著書において言及した、かつて存在したとされる太平洋に浮かんでいたユーラシア大陸と同規模の大陸だという、あの?』

「ええ、そう。もちろん大陸そのままというわけではないと思うわ。これは推測になるけれど、かつて大陸の大部分を消失させるほどの災害にあったレムリアは、超古代文明を有する都市部のみを移動国家として残し、地底の空洞にあるアガルタの更に奥に―――いえ、もしかしたらそのレムリアの上にアガルタが築かれたんじゃないかしら? そう……地底王国アガルタは、星の奥底に沈んだ深層大陸レムリアの上に築かれたものだった……!?」

「そうかなぁ」

「きっとそうよ!」

 

 嬉しげに両の平手を打ち合わせるエレナ。高らかに響く手を打つ音。

 そんな音を聞きつつも、よく分からないと彼女の目前の四人は首を横に倒す。

 彼女らに代わるようにエレナの理論に反応するのはマシュ。

 

『ええと、太平洋にあったとされる大陸国家がヒマラヤ山脈の地下にあるのは、流石に』

「そう! そうだったのよ! おかしいなと思ったのよ! つまりこれってレムリアは地底空間を都市ごと自由に移動できる超神秘技術を持っていたってことでしょう!? だったら太平洋を捜索しても痕跡は見つからないはずだわ! だってまだこの星の内側に健在だったんだもの! 痕跡を探しているのがダメだったのよ! もう無いものとまだ有るものを探す事で方法が違うのは当たり前の事だもの! してやられたのよ! ねっ、そう思うでしょう!?」

『あ、その、はい』

 

 よく分からないままにマシュも折れる。

 彼女の頭の上でフォウが、退屈そうにあくびをひとつ。

 

 とりあえず聞かない事には始まらないのか。

 しかしどこまで聞けば終わるのか。

 その答えを持たないままに、彼らは大人しくエレナの言葉を待つ事にした。

 

「いえ、待って。そう、そうよ。レムリアが移動する際に造り出した地底の空洞を利用し、アガルタが築かれたと考えれば……? そうなると気になってくるのは当然、アガルタ人とレムリア人の関係……もしかしたらこの二つはまったく同じものだった、とさえ考えられるじゃない。

 なんてこと、考えを纏めてる場合じゃないわ……! 早くレムリアの場所を突き止めて、この仮説の実証を得なくちゃ……!」

 

 ふらふらと動き出すエレナ。落ち着きがないどころではない。

 わざわざ戻ってきてまた出立、なんて。

 ちぐはぐな行動を見ながら、ソウゴが彼女の背中に声をかけた。

 

「えーと……それ、レムリア? 以外が川の先にあるかもしれない? じゃん?

 なんか他の……アトランティス、とか?」

 

 いつぞや聞いたような代表的だろう沈没大陸の名を上げ、様子を窺う。

 ざっくりと否定されるかと思いきや、エレナは動きを止めて極めて難しい顔をした。

 

「む。それは、まあ、そうね。レムリアとは限らないわ。何かがあるのは間違いないけれど、レムリアと断定するにはまだ情報が足りない。地底湖からの川がどこかへ流入しているのは間違いないけれど、その先がどうなってるかは……」

「というか、何でそのレムリアってとこだと思ったの?」

「それは―――そうよ、マハトマの導きよ!

 うんうん、だからきっとレムリアに間違いないのよ!」

 

 一瞬だけ迷った様子を見せたエレナはしかし、クロエに更なる質問を受けた結果、何故か川の行き先がレムリアだという説を固めてしまった。

 なんでそうなるの、という言葉を飲み干してクロは目を細めた。多分、彼女自身に訊いても何の答えも出ないのだろう、という事実に確信が持てたから。

 

(って。仮にこの下にレムリアがあったら何なのよ。女王がもう一人いる……ううん、実はエレナが桃源郷じゃなくてレムリアに配置される女王だったとか?

 ―――魔神が潜んでるのはそっち? 地上……地下だけど。地上の三国を目晦ましにそっちに隠れて活動してる、とか)

 

 エレナの態度に頭を悩ませるクロエ。

 ソウゴと立香も同じく魔神が更なる地下に潜んでいるケースを想定して。

 しかし、二人揃って納得できていないような表情を浮かべた。

 

「水が流れ込んでる場所だから、海に沈んだ場所の伝承ってことだよね……海の底にある不思議な場所の話かぁ、わたしは浦島太郎くらいしか知らないや」

「竜宮城ってこと? ああ、まあ……それも桃源郷みたいな御伽噺よね」

 

 まあ関係ないだろうけど、と。呆れた様子のクロエがイリヤに視線を向ける。

 少女たちの会話に出た名前に、エレナが小首を傾げた。

 

「竜宮城?」

『日本の御伽噺の一つです。浜辺で子供にいじめられていた亀を助けた浦島太郎という男性が、そのお礼にと亀に連れられて、竜宮城という海底にある城に招待され歓待されるという……』

「へえ……」

 

 マシュに説明された内容を思い描くように、エレナが腕を組む。

 そんな様子を見て、悪戯な表情を浮かべたクロが続きを解説した。

 

「ま、実は地上と時間の流れが違った竜宮城から地上に帰った浦島太郎は、自分が竜宮城で過ごしている間に地上では長い長い時間が過ぎていた、という事を知ってしまうんだけどね。

 自分が知る者がもう誰も生きていないと知った彼は失意の内、竜宮城のお姫様から“けして開けてはならない”と言われて渡された事を忘れ、土産として貰っていた玉手箱を開いてしまう。彼はその中から出てきた煙に包まれ、その煙が晴れた頃には置き去りにされた分の時間を取り戻し、哀れ髪も真っ白い皺だらけの老人になってしまいました、とさ」

「玉手箱ってどこがお土産なんだろうね……」

 

 開けたら老けるだなんて、とんだトラップだ。

 何もかもが変わった百年後の世界で、時間に追い付かれて滅びる。

 もしいじめられている亀がいても助けるのはやめよう、とさえ思わせる非道い話だろう。

 

『そうだね。結果だけ見ればむしろ詐欺に近しいかもだ。ただまぁ、彼が訪れたのは竜宮城。読んで字の如く竜の御座す城。そんな城の支配者であるお姫様の思考が人間と同じスケールの筈もない。互いのサイズが違いすぎて、お互いにお互いの尺度では測れなかったというだけ、という考えもできる。乙姫から浦島太郎への処置自体は手厚いものにも見えるしね』

「開けたらおじいちゃんの玉手箱が手厚い処置ー?」

 

 ロマニの言葉を聞いて、胡乱げな視線を飛ばすクロエ。

 だがロマニのすぐ傍から、彼ではない声が放たれた。

 

『それは……わたしも少し、そう思います。開けてはいけないと告げながらも、玉手箱自体は渡した事。開けてほしくないなら渡さなければいいだけなのに。

 開けるなと告げながらも開けるだろう相手を嘲笑う、というようなタイプのやり取りを行う場合もありますが、浦島太郎の場合は乙姫からそういった悪辣さは感じません。彼女はただ、地上に帰ると告げた浦島太郎に対し、開けてもいい、という選択肢を与えるためだけに、本音では開けてほしくない玉手箱を与えたように感じるのです』

「事実を知って外れ者として苦しみながら生きるくらいなら、って?」

 

 自分でも整理がついていないようなマシュの言葉。

 彼女は言う。

 乙姫自身は望まずとも、浦島太郎に時間の流れに遵い滅びる手段を与えたのだ、と。

 

 それを聞いて半眼になりながらクロエが腕を組んだ。

 同じく考え込むようにイリヤにまた。

 むぅ、と眉間に皺を寄せた二人の少女が唸る。

 

『ははは……まあ、どうあれ見方次第さ。物語が浦島太郎視点で語られているだけで、彼を失った両親からすれば神に子供を拐かされた神隠し。

 後は例えば助けられた亀の視点からすれば一つの動物報恩譚。彼が与えられた救いに対して過剰なまでに恩を返しすぎた話、という見方もできるかもね。

 動物は古来から恩に対して過剰なまでに礼を尽くす。流れ的に日本の御伽噺繋がりで言うと……亀と言えば鶴かな? ―――例えば鶴の恩返しだと、老爺に救われた鶴は自分の美しい翼から羽の大半をむしり、老夫婦を富ませるために自分の翼を犠牲にして美麗な反物を仕上げたという。

 彼女の場合は翼だけだったが、行き着くところまで行くと命を捧げたものも少なくないだろう。しかしそれは逆に言うと、大抵の場合だと動物は行き着くところまで行っても命を捧げるとこまでで済むということだ。だがその亀にはそれ以上の事ができてしまった。いち生物が命を懸ける以上の偉業、人を神の御許にまで導くという奇跡を行えてしまった』

 

 ロマニの例えを聞いて、少女二人が何かに気付いたように顔を上げた。

 

「つまり……」

「乙姫視点だと浦島太郎は相互不理解のせいの悲恋ってこと?」

『んん? ああ、いや。そこまでは言わないけれど。というかそもそも浦島太郎と乙姫が婚姻した、っていう話もあったような……まあとにかく、うん。

 それに最後に浦島太郎が鶴になって飛び立つっていうケースの話もあるみたいだから、そうなった浦島太郎が再び乙姫の元を訪れ結ばれた、みたいな話で考える事もできるかもね』

「へえ、おじいちゃんじゃなくて鶴に変わる事もあるのね」

 

 息をつくクロエ。

 そんな彼女の後ろで、イリヤが小さく目を伏せる。

 

「……おじいちゃんに変わる事もあるし、鶴に変わる事もある。そう考えると、乙姫は浦島太郎に玉手箱を開けて、鶴になって帰ってきて欲しかった、のかな?」

『……玉手箱は彼を老化させるものではなく、彼の願いを叶えるものだった。まるで聖杯のように、望みを成就させる奇跡だった……ですが、開けてはいけないと告げた事を考えると、そうはならないと彼女には分かっていたのかもしれません』

「もしそうだとしたら、なんか悲しいね……」

 

 消沈しているマシュとイリヤ。

 そんな二人の方へクロエが視線を向ける。

 その視線を受けて、イリヤは悲しそうに小さく続けた。

 

「だって乙姫は浦島太郎に一人だけ取り残された世界を見た後、乙姫のところに帰りたいと願って欲しいって想って玉手箱を渡したんでしょう?

 なのに浦島太郎はそうじゃなくて、元の時間の流れに帰りたい、って願っちゃったんだから」

「……浦島太郎の願いは叶ったけど、それを渡した乙姫の願いは叶わなかった、って?」

 

 どこか物悲しい雰囲気に染まり始めた状況。

 ハイテンションだった筈のエレナさえどこか困っているように見える。

 彼女を落ち着かせる、という意味では大成功だったのかもしれない。

 

「ドクターのせいで何か変な雰囲気になっちゃったね……」

『ボクのせいかい、これ……?』

 

 そう言って助けを求めるように、ロマニがカルデアで視線を巡らせた。が、どの職員もまるで彼の失敗だと言うような顔をしている。

 なんとも四面楚歌な状況を十分に味わった彼は、次の休憩時間には推しのネットアイドルに憩いを求める事を固く誓う。やっぱりマギ☆マリしか勝たん。

 そんな男を見て、マシュの頭の上でフォウは小さく首を傾げた。

 

「キャーウ?」

『まあなんだ。こういうのは悲しいお話だけれど、当事者からすれば意外とそうでもなかったりするかもしれないし……そんなに気にしなくても』

 

 そんなやり取りを遠巻きに見つつ、ソウゴが隣にいる立香へ問う。

 

「立香は話に混ざらないの?」

「……なんか、流石にあそこまで恋愛全開の話には混ざれない、かな。

 私の代わりにソウゴが混ざってくれば?」

 

 二人揃って首を傾げ、四苦八苦しているロマニを見る。

 ローテンションのまま白熱し始める浦島太郎議論。

 ある意味では見ものではあるのだろうが、なかなか乗り気にはなれない。

 

「俺? うーん、よく分かんないし」

「だよねぇ」

「うん。俺が出来る恋愛の話なんて―――あ、セー」

 

 ふと何か思い出したように、一瞬だけソウゴが喜色の声を上げる。

 突然そんな声が出てくるとは思わなかった立香がきょとんと。

 しかしソウゴがその言葉を言い切る前に、より大きな声で割り込んでくるエレナ。

 

「―――えっと。まあ、そうね! もしレムリアじゃなくて竜宮城、っていう場所だったなら、それはそれで嬉しいわね! だってそこからその玉手箱というのが見つかれば、私が望みを叶える助けになるかもしれないっていう事でしょう?

 私の望みはこの世界の真実を知り、それを証明する事! その玉手箱で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! その手助けをしてくれるなら願ったりよ! ええ!」

 

 空気を変えようと気を遣ったのだろう。

 おかしいと思えるところはあるが、そんな人の良い部分は間違いなく彼女のままで。

 

 ―――そうして彼女が笑顔で宣言した瞬間。

 

 どこかで、誰かが。

 嗤ったような気がした。

 

 

 




 
 浦島太郎ってそんな話だっけ?
 


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夜を不らず690

 

 

 

「あったよ! 首輪!」

「捨ててきなさい」

 

 ちぇー、という顔をしてアストルフォが鉄製の首輪を放り捨てる。

 サイズ感は人間の首にぴったりなのだろう。

 本当にどこから拾ってきたんだこいつ、という視線を向けるオルガマリー。

 

 彼はそんな視線も何のその。

 軽く飛び跳ねて、短いスカートの裾をちらちらと揺らす。

 何故か彼の衣装が鎧からセーラー服に変わっていた。

 

『ヒュー……! なんて光景だ……!』

「誰よいまの声?」

 

 自分の城に問いかける所長職。

 だが答えは返ってこない。なので落ち着くために深呼吸を一度。

 大きく吸って、大きく吐いて、呟くように一言。

 

「報告者のボーナスには色がつくかも」

『あそこにいるムニエルがやりました……』

「じゃあ彼のボーナスを削って他に分配しましょうか」

『密告ぅ! 理不尽でしょ!?』

 

 あんな大声で言っておいて密告も何もない。

 流れで資金繰りに関して思考を回し、ここから帰ったらいい加減セラフィックスの処理も決めなくては、と。深々と吐息を落とす。

 彼女はそのままどこかの家の塀に背を預けると、城下町の光景を見上げた。

 

 夜を()らぬ国、不夜城。

 明かりを絶やさないのは、現代ではそう珍しくもない在り方ではあるだろう。

 だがこの街の光源となっているのは電気でもないようだ。

 街自体の機能としてそうなっている、としか言えない。

 

 侵入は二度目。

 一度は調査のために。そして再び、今度は攻略するために此処にいる。

 

 ―――背を預けた壁に小さく振動。

 誰かがこちらに迫ってくる気配。

 それを感じて、オルガマリーはそちらに顔だけを向けた。

 

「アヴェンジャー、どう?」

「どうって? まずはふらふら歩いてるみたいだけど」

 

 こっちに来ていたのはジャンヌ・オルタ。

 彼女はどこか楽しげに返し、軽く体を揺らす。

 

 そうして彼女の足元で翻るのは黒いドレスの裾。

 鎧ではなく、そのまま舞踏会にでも参加できそうな格好だった。

 戦場の鎧姿から夜会の礼服にドレスアップした女が、得意気に髪を靡かせる。

 

「……楽しげね」

「べっつにぃ? そういうわけじゃないけど?」

 

 そんなサーヴァントに呆れ顔を向けるマスター。

 だがサーヴァントの方は気にした風もない。

 

「どうせならあんたも何か着てくればよかったのに」

「そうそう! どうせいっぱいあったんだし!」

「生身に戻る前までならともかく、いま礼装を外せるわけないでしょ」

 

 何故か話に乗っかってくるライダー。うるさいとばかりに二人に向けて手を払う。

 

 そも、純粋に生命維持の問題だ。

 バビロニアのように呼吸にさえ困るような事はないだろう。

 けれどこの戦場でただオシャレをするためにそんな無防備を晒せるはずがない。

 

 ―――もっとも。

 一人、自分からそんな事を笑って提案した馬鹿もいるのだが。

 

 

 

 

 

『つまり不夜城内では女性が男性を小間使いとして扱っている、と』

「とりあえず軽く見ただけですけど、最低限の扱いはされているような印象でした」

 

 不夜城の外に設けられた検問のような場所は酷くざるだった。

 潜んで抜けるのはいとも容易かったという。

 なのでどうせなら、と彼女たちは不夜城内も軽く偵察してきたのだ。

 

 結果として見た光景は、女が洒落た服を着て男を連れ歩いている様。

 男たちは主人である女の荷物を持ち、褒めそやし、そして彼女たちに養われる。

 いい扱いだったとは言えずとも、手酷く扱われているようにも見えなかった。

 

 ―――という、そんな状況だったらしい。

 

「もっとも、その男たちの様子は恐怖によってそうさせられているように見えたが」

 

 アルトリアはそう言って腕を組み、そこから話を変える。

 

「それはさておきだ。魔神の方の捜索も芳しくない。城下を一回りしたが、女王のいるらしい居城は一切見当たらなかった。

 当然女王の正体も不明で、魔神とあそこの女王の関係も分からないままだ」

「メガロス対策に安全を確保しているのかもしれないわね……」

 

 恐らくは侵入はバレていなかった筈。

 だが気付いていてもメガロスの来襲を嫌って無視した可能性もある。

 

「不夜城っていうのに城がなかったの?」

「パッと見ただの繁華街だったわよ、あそこ」

 

 不思議そうにする立香に応えるジャンヌ・オルタ。

 彼女の言葉にクロエがどこか楽しそうに反応を示す。

 

「へー、じゃあ普通にお店とかあったり?」

「生活雑貨と……衣料品の店舗は妙に多かったと思う」

「なになに!? アパレルショップが充実って、どんなのがあったの!?」

「こんなのかな!」

 

 クロのうきうきした問いかけに美遊が返せば、少女はより強い反応を示す。

 そうした彼女に軽く引き気味になった美遊に代わって。

 何故か、アストルフォが。何故か、大量の様々な衣装を取り出してきた。

 古代中国らしい、不夜城に相応しかろう民族衣装から始まって。

 

 セーラー服、イブニングドレス、水着、メイド服、バニーガールetc.

 何故かコスプレ衣装としか言えない数々の物品が積み上げられていく。

 

「……どうやって買ってきたの?」

「んー? 店の中で色々見てたら普通にくれたけど」

 

 首を傾げる立香にそうあっけらかんと答えるアストルフォ。

 無料で貰ってきた、という話以前。

 そもそも服屋に顔を出したという事実に額に掌を添えるデオン。

 

「偵察中に服屋を見学してたのか、キミは……というか、男だとバレなかったのか」

「まあね!」

「まったく褒めてはいないが……」

 

 ずらずらと並べられていく古代中国に似つかわしくない服。

 それを不思議そうに見ていたイリヤが呟く。

 

「普通にくれたって……買い物にお金とか必要ないのかな?」

『貨幣が流通していない、というわけではなさそうですが……』

 

 不夜城は外から見た限り、唯一文明的な社会を形成した国家だった。

 なくてはいけないわけではないが、貨幣の概念もありそうなものなのだが。

 そうして首を傾げる少女に同調するように、マシュも同じく首を傾ぐ。

 

 そこで話を変えようと挟まれるのはロマニの声。

 

『あー、んー……まあそれはいいとしてだね』

(たぶん戦力を殖やすために、捕まえた男とあれこれするのが国民全員に要求されている仕事だから、夜の生活への国からの援助だと思いますけど……せっかくなので、自分の質問の答えがさっぱり分かってない感じのイリヤさんにこっそり真実を耳打ちして、自分がいま人前で何を訊いたのか理解してのたうち回る様を撮影させて頂き―――)

(姉さん?)

 

 ガリ、と背部に押し付けられる刃の如きサファイアの羽飾り。

 その感触に確かな殺気を感じたルビーが停止する。

 そこには言葉を交わさずともお互いを理解しあう姉妹の絆があった。

 

「……?」

 

 空中で揃って止まる魔法のステッキ。

 心温まる姉妹のやり取りを美遊が不思議そうな顔で見上げる。

 

『身を潜めているという事実によって、不夜城の女王が魔神と関係ある存在である可能性が増したと思う。もうちょっと調査を続けるべきなんじゃないだろうか?』

「とは言っても肝心の不夜城が一切見つからないんでしょ?」

 

 先の調査だって別にさらっと見てきただけなわけでもない。

 その上で発見できなかったということは、何か仕掛けがあるはずだ。

 状況を進展させるには何らかのアクションは必須になるだろう。

 調査の続行、なんてはっきりしない方針で前に進むとは思えない。

 

「……それらしい場所はあるのよ。不夜城の城下街、その中心にね」

 

 不服そうなクロエに対し、オルガマリーはそう言った。

 なら先に言えば良いのにという視線を集める所長。

 彼女はそんな視線に対して鬱陶しげな表情を見せる。

 

「ああ、確かに不自然なほどに何もない広場だった。強いて言うなら中央が一段高くなっているくらいだったが……もし何事かが秘されてるのであれば、あそこしかなかろう」

「広場……?」

「はい。都市の中心、そこに……建築物も何も、一切存在しない空間がありました。

 どうにかして城を配置する手段があるとすれば、恐らくあそこに出るのだと思います」

 

 疑問を口にした立香に対し、美遊が軽く手を上げた。

 ルビーを制していたサファイアがひらりと彼女の元へ帰還。

 その上部をどうやってか開き、カメラのレンズを展開した。

 

 ぱっとレンズが輝き、部屋の壁に投影される不夜城の光景。

 映し出されるのは明らかに、不自然に、スペースの開けた何もない広い空間。

 

「っていうことは地下……地下の地下、か」

 

 違和感。ただ確信に至るまでではなく、口をつくのはどこかぼんやりとした声。

 そうした声を出した立香を一瞥してからモリアーティが口を開く。

 

「でも仮にそうだったとして、その城を実際に出現させる方法が私たちにはない。力尽くで確認しようと暴れれば当然、メガロスがやってくるしネ」

 

 何かをしようとして戦闘に突入すればメガロスとの戦闘。

 それはどこの国を相手にするにしても常について回る問題だ。

 微かに眉を顰めながらツクヨミが口元に手をあてる。

 

「…………でも。もしその不夜城らしき場所でメガロスを呼べれば、メガロスが暴れるついでに不夜城を壊してくれるんじゃ?」

 

 別次元に格納されている、とか。通常では霧となっていて触れられない、とか。そういう超常の手段ではなく、地下に潜っているだけだとするならばだ。ぶっちゃけ、その城がありそうなエリアで暴れれば、降ってきたメガロスが城を勝手にぶっ壊すのでは?

 そんな提案を聞いたオルガマリーが人差し指でこめかみを叩き出す。

 

「そうなると不夜城に攫われた人間がいた場合巻き込んでしまいますし……それに、あの不自然なくらい何もない広場が、こっちにそう考えさせるための罠の可能性もあるかもしれません。あそこに罠があり、メガロス相手に退けない状況を作られてしまった場合、かなり危険だと思います」

「そう、ね。うーん……」

 

 フェルグスの言葉に納得し、ツクヨミが思考に戻る。

 

「……あのメガロスとかいう奴は、その魔神とかいう奴の手下なんだろう。だったらいくらなんでも魔神とやらの事は襲わないんじゃないか。いくら機械的とは言ってもな」

 

 隅で柱に背を預けていたゲイツが、ぶすっとした様子でそう口を挟む。

 彼の言葉を聞いて、腕を組んで一段と難しい顔を浮かべるツクヨミ。

 

「もしそうだとしたら……不夜城に限らず三国を一通り襲撃してみて、メガロスが明確に暴れるのを避ける場所があったらそこが怪しい、ってことになるわね」

「それはそれで気が遠くなる話ね。メガロスを誘導しつつひたすら相手の本拠地を逃げ回るわけでしょう。出来ないわけではないでしょうけど」

 

 オルガマリーの視線がちらりとソウゴに向く。

 カブトの力を使えばメガロス相手の安全な鬼ごっこは叶うだろう。

 そうしてメガロスを引き連れ三国巡り。

 他の事を一切考慮しなければ、ある意味では最高に効率的な攻略法だろうが。

 

「俺にそれをやる気があるかないかはともかく、それって途中でスウォルツと飛流が来たら挟み撃ちされるんだけど」

 

 出来たとしてもやる気はないと言いつつ、そもそもやる気があったとして破綻している。

 そう言って口を尖らせるソウゴ。

 加古川のアナザーカブトや、範囲攻撃に長けたギンガである時間停止能力を備えたスウォルツ。

 そいつらのインターセプトがあった場合、当然メガロスに追い付かれる。

 その内の誰かとの一対一ならともかく、ニ対一以上に持ち込まれた場合支え切れない。

 

 彼の言葉に僅かに眉を上げ、ふいと視線を逸らすゲイツ。

 

「それよりさ、俺にいい考えがあるんだけど?」

 

 そうして笑って、言い放つソウゴ。そんな彼が視線を向けているのはデオン。

 マスターから目を向けられて、サーヴァントは訝しげに目を細める。

 

 そういう様子を見てオルガマリーが溜息ひとつ。

 腕を組んで、彼の提案を聞くために言葉の続きを促した。

 

 

 

 

 

「まったく……何でよりにもよってこんな服を選ぶのか……」

「でもなんか似合ってるんじゃない?」

「ありがとう、マスター。キミもよく似合っているよ」

 

 ソウゴの声に肩を竦めながら返すデオン。

 その姿は何故か、アストルフォが持ち帰った服の一着であるメイド服へと変わっていた。

 口調こそは不満げだが、表情は一切不純のない微笑み顔。

 他人から見られて怪しまれるような様子は一切外面には出していない。

 おろした金色の長髪を軽く掻き上げつつ、悠然と歩むばかり。

 

 対し、デオンの後ろを歩くソウゴは中華風の衣装。

 この不夜城内で男が揃って着ている服に着替えていた。

 

 そんな二人組は気を抜いた様子で城下を歩きながら、周囲を偵察する。

 

「……本当にこんな感じの服装ばかりだな。あと確かに商店も多く見られるが……竜の魔女は繁華街と言っていたが、この雰囲気はどちらかというと歓楽街だ。

 そう呼ばれるような都市にあるべき施設は一切見当たらないけれどね」

「ふーん……」

 

 デオンの言葉を聞きつつソウゴが視線を巡らせる。

 周囲にあるのは家、家、家。そこに混ざって服なり食料品なりに店。

 一般的な家屋が8割、残りは店舗くらいのバランスだろうか。

 

 マスターがそれを確認するのも待った後、デオンが続ける。

 

「そもそもここで一番多いのは住居なんだから、本来は住宅街と呼ぶべきなんだろう」

「それ、呼び方でなんか違うの?」

「真っ当に成り立っていれば住宅街なのに住宅街として認識されない。という事は、住宅が居住地としての性質を果たしていないと言う事だろう。

 まさしく不夜城だ。明かりが落ちないという表面的な事だけではなく、夜を()らないからこその名前。朝起きて夜に眠るのは人間として必然の行為だ。言ってしまえば、この都市の不夜というのは人間としての性質の放棄ですらある」

 

 視線を向けずに意識だけが向けられるそこらの住宅。

 ソウゴはデオンの意識を追って目線を動かす。

 

「だからこそ住宅が大半を占めるのに歓楽街にしかならない。だって彼女たちにとって住宅というのは安住の地、自分の居場所ではない。常に活動し続ける存在である彼女たちからすれば、家というのはただの一時の休息所……ホテルのようなものだ」

「つまりホテル街?」

「……まあ、うん。言葉を選び間違えたかな……」

 

 ホテルと最低限の物資を確保するためのショップ。

 城下街と見せかけてそれだけで形成されているのがこの国だ。

 だからこそデオンはここを歓楽街と称した。

 

「―――とにかく、ここが他国に比べて文明的なんてとんでもない。この街は人間という種族として決定的に間違えている。これならまだ原始的なだけでアマゾネスの方が真っ当だ」

 

 アマゾネスはただ戦場に生きる部族、というだけだ。

 相容れはしなくとも、存在を理解できないほどではない。

 だが不夜城は根本的に異なっている、とデオンは言う。

 

「……多分だけど、この不夜城の在り方こそがこの国の女王の思想なんだろう。夜という陰気を排斥し、昼という陽気のみで国家を運営する。

 暗い気質の存在を看過しない。傲慢であり、ある意味では何よりも潔癖な王」

 

 朝日が昇り、夜に沈む。

 そんな当たり前の日の運営にさえもその女王は抗った。

 伝承の方はどうだか知らないが、少なくともこの不夜城はそうだ。

 朝起きて、昼を過ごし、夜に眠る。

 その当然の営みさえも拒絶した結果がこの不自然な都市。

 

 ―――まるで、人間の在り方を変えようとしているようだ。

 集団としての動きが享楽的な方向ばかりなイースやエルドラドより遥かに。

 そういう点を加味すれば、やはりここが魔神の潜伏場所として一番怪しいのではないか。

 

「……でも多分さ。これって()()()()()()()()()()()()()()()、って思ってるからこそ力任せなやり方だと思うんだよね」

「…………なるほど、確かに」

 

 だがデオンに対し、ソウゴは言い返す。

 この国の異様な在り方を支える熱情は、恐らく人の生命に向いているものではない。魔神たちが拘っていた方向性と同じものではない。

 不夜城という都市から感じるのは絶対の自信。いつかは夜がくる、という当たり前な世界のルール。それさえも捻じ曲げてみせた、という女王が手にした栄光の証なのだ。

 

 そんな思考が魔神に混じるだろうか、というと。

 絶対にないとは言い切れないが、ソウゴはこれに首を横に振った。

 少なくともゲーティアやバアルとは一切通じない思想だ。

 

 結局確信は得られない以上、捜査は続けるしかないけれど。

 

 デオンがそこでそれまでの会話を打ち切り、軽く視線をソウゴに向ける。

 彼もまた了解したように口を噤んだ。

 改めてメイドが歩みを進めるのは、何かの店から出てきたばかりの三人組。

 女ひとりと、男ふたり。

 

 主人である女は何かを買って、ご機嫌な様子。

 それを褒めそやすのは太鼓持ちであり荷物持ちである二人の男。

 だが当然のように、男たちの行為は本性などではない。

 必死に浮かべないようにしても表情には不満がある。

 怒りと、悲しみと、その二つが霞んで消えるほどの大きな恐怖。

 

 それを見て、更に一通り周囲を見回して。

 改めて、その三人組の中の男のうち一人を見て、デオンが言う。

 

「……あの三人にしよう。ちょうどいい趣味をしている」

 

 その言葉に不思議そうに首を傾げるソウゴ。

 だがそれに対しては声を返さず、不自然ではない程度にデオンは歩みを速めた。

 

 そうして、まるで偶然見かけただけだという風に装って。

 デオンはつい思わず、といった風な声を上げた。

 

「へえ、いい趣味だ」

「?」

 

 女がデオンの声に反応して振り返る。

 そうして反応された事に動揺したふりをして、メイドが恥じらいを表に出す。

 頬を朱に染め、言い訳するように少し口調を早くして。

 

「ああ、すまない。私好みの子を連れていたんでね」

「あら、そう? あなたの連れてる子だってとても可愛いじゃない。そっちこそ私好みだわ」

 

 デオンの熱い視線を向けられた女の連れ、一人の若い男が居心地悪そうに身をよじる。

 逆に女から視線を向けられたソウゴはニコニコと笑い返す。

 その反応を見てか、女は逆にどうにも羨ましそうな視線をデオンに送ってきた。

 

 こちらもと若い男の方をちらちらと窺いつつ、デオンは女に問いかける。

 

「……もしよければどうだろう、パートナーを交換してみないかい?」

「うーん……そうねぇ」

 

 ソウゴと若い男の間で視線を彷徨わせる女。

 だが十数秒ほど悩んだ彼女は、意を決したようにソウゴを見据えた。

 

「ええ、いいわよ。せっかくだし交換しましょう」

 

 弾んだ声に対して微笑み、頷き、デオンが微かに横にずれる。

 その横を通ってソウゴが女に向けて歩き出す。

 話の内容を理解して、若い男もおっかなびっくりデオンに向け歩き出した。

 

(これで……)

(俺は不夜城の住民の所有物、だよね?)

 

 ―――こうして。

 常磐ソウゴは、晴れて不夜城の住人の所有物へと変わった。

 

 一瞬だけ視線を交わし、デオンが軽く手を挙げて女に別れを済ませる。

 男を伴って離れていくソウゴの元主人という役柄だったサーヴァント。

 そんなメイドの背中を見送りつつ、ソウゴはもう一人の男から荷物を半分押し付けられた。

 

 新しいお気に入りが入れば遊ばれるのはそちらになる、という喜び。

 だがあまりに興味が失われればいつ処分されるかも分からない、という恐怖。

 様々な感情を取り繕い、主人に対して笑みだけを浮かべる男。

 そんな彼を横に並べ、気分の良さげな女の後ろについて歩く。

 

 恐らくはどこかにある彼女の家に向かっているのだろう。

 巣としては機能せず、いつだって止まり木としてしか扱われない家のようなもの。

 

 歩いている内に、不夜城の中心。何もない開けた広場に差し掛かる。

 何もないが、人通りは結構存在していた。

 多くの女を持て囃す、それより多くの男。

 

 そんな光景を横目にしつつ、ソウゴは唐突に隣の男へ問いかけた。

 

「ねえ、あんたは家に帰りたい?」

「は?」

 

 面食らって足を止める男。嬉しそうな気配を消して、ピタリと止まる女。

 活気があった筈の広場が、一瞬のうちに静寂に変わる。

 周囲を取り巻いていた男たちが理解する。

 

 ―――また、この都市を支配するあの拷問殺戮が始まるのだ、と。

 

「どうしたの? 帰りたいの? 帰りたくないの?」

「か、かっ!? 帰りたくない! 決まってる、この国は天国だ! こんなに素晴らしい国から離れたいなんて思うわけがないだろう!? なに言ってるんだ、おまえ!?」

 

 ギチギチと、まるで錆びた歯車のように女たちの首が巡る。

 一瞬、男の位置で止まりかけた視線はそのまま動き続けていく。

 次に女たちの目が向かうのは、問いかけた方の少年。

 彼は男からの返答を受け取ると笑って、少し申し訳なさそうに言った。

 

「ふうん……じゃあごめんね。俺、これからこの街を壊すからさ」

 

 皮が裂ける。

 ソウゴの持ち主だった女が真っ先に、その姿を変えていた。

 着飾っていた女の姿が瞬く間に、顔面をベールで覆った黒服の女に。

 短鞭を手にしたその存在に対して、周囲の男たちから声が上がる。

 

「こ、酷吏……!」

 

 その姿こそ、この国の治安を維持する正義の執行者。

 天そのものたる女王が定めた令を罪人に正しき刻む拷問官。

 

 国家に対する叛逆の意を示した罪人は彼女たちが裁くものである。

 故に彼女たちはいま正に吐き出されたその大言の罪の重さを測り―――

 余りに看過し難い大罪を前に、周囲の女は全て酷吏としての正体を現した。

 

 この広場だけで五十はいるかという数が、一斉に。

 瞬く間に本性を露わにする殺戮者の軍勢。

 その意識は全てがソウゴへと向けられていて、まず一番近くにいた酷吏が彼に鞭を向けた。

 

 それを。

 

〈アーマータイム!〉

〈タカ!〉

 

 短鞭を振り上げていた酷吏の正面から赤い翼が飛来。

 そのまま激突して、その女の体を跳ね飛ばした。

 罪状追加。裁きを行う酷吏が追加で行動を開始する。

 

〈トラ!〉

 

 罪人の罪の重さは更に加算した。だがその罪を贖わせるための拷問である。

 拷問官たちがソウゴを目掛け、一斉に踏み切ろうとして。

 続けて地上を疾走してきた黄色い獣が、動き出そうとしていた女たちを薙ぎ倒した。

 

〈バッタ!〉

 

 天井知らずに跳ね上がる罪科の山。

 そうしている内に、跳ね回る緑の虫がソウゴの隣にいた男を広場の隅にまで運んでいる。

 

 それを見届けたソウゴが、構えを取った。

 

「―――変身!」

 

〈オーズ!〉

 

 ソウゴの全身がジオウという鎧に包まれ、更にその上から三色のアーマーを装備した。

 “オーズ”の名を刻む頭部、インジケーションアイ。

 その状態で彼は一瞬止まって空を見上げ―――しかし、何もない事を確認する。

 

「今のところは予想通りかな」

 

 国家の守護者の降臨はない。

 この大地における最強の戦士、大英雄ヘラクレスだったものはやってこない。

 

 メガロスは、その国の住人は襲わない。

 ただ暴れ始めた後に、巻き込まないように、という配慮を挟む事もないが。

 

 アマゾネスがアマゾネスの土地で戦闘を行ったとして。

 その最中、アマゾネスの放った流れ矢が建物を傷つけてしまったとして。

 あるいは、その矢が味方のアマゾネスを計らずも傷つけてしまったとして。

 

 では、メガロスは狙う外敵が全ていなくなった後、そのアマゾネスを攻撃するか。

 答えは否だ。彼はエルドラドを損傷させたアマゾネスを標的にはしない。

 勿論、そのアマゾネスが持っていた弓をわざわざ叩き折りにきたりもしない。

 

 だから恐らく、メガロスの敵性判定は外敵のみに絞られている。

 不夜城の住人の所有物になったソウゴは、不夜城で戦う限りメガロスには睨まれない。

 その予想を改めて確認し、ジオウが拳を握り締めた。

 

 躍りかかってくる無数の酷吏。

 それをトラの爪で捌きつつ、ジオウは両の拳を胸の前で叩き付ける。

 その所作に反応して灰色に輝くブレスター。

 中央に浮かぶ動物の名前がサイ、ゴリラ、ゾウへと変わった。

 

(つまり、逆に言うなら……)

 

 突然戦場に変わったエリアに取り残された男たち。

 彼らはどうすればいいかも分からず、尻餅をついて怯えるしかない。

 

 そんな連中の襟首を掴みながら、デオンは彼らをひとまとめに集め出す。

 奴隷となっている彼らを外に連れ出すまでいくと、それでメガロスが反応する。

 だが街中で一ヵ所に集める程度ならば問題ない。

 

 ジオウが不夜城と思われる地点で行動。

 彼が敵を集めている隙に、あらかじめ潜入していた全員で男たちを確保。

 街中の一点に集中させておき、タイミングを見計らって全員で逃亡だ。

 事前に分かっている以上、十分な準備を整えておけばメガロスの追撃とて止められる。

 

 そのために人手がいるから、と桃源郷を完全に空けたほど。

 木は幾らでもあると荷車を大量生産、本当に一人も残さず全員での行動だ。

 残した人間が魔獣に襲われるかもしれないなら、誰も残さなければいいという発想。

 戻ったら桃源郷内に魔獣が闊歩しているかもしれないが、そこはそれ。

 小細工は強引に正面突破するのがカルデア流という奴なのだろう。

 

 そしてどうやら酷吏の優先順位は大罪を犯したジオウに一点集中。

 想定以上にうまく流れている。

 ジオウ以外は反撃がメガロスを呼ぶ以上、戦闘は行えない。

 とにかく最速で大量誘拐の準備を行うのが、いまのデオンたちの仕事だ。

 

 瞬間、都市が異常重力に鳴動する。

 ジオウの攻撃が周辺の酷吏ごと、このエリア一帯に重力波を叩き付けていた。

 地面が抜けるような事はない。

 その下にあると思われる不夜城が出てくる事もない。

 

(―――不夜城側も、メガロスの介入を考慮せずマスターを排除しようとする事ができる)

 

 男たちを引っ張りながら、メイド騎士が目を細める。

 

 メガロスが外敵に対する防衛機構だというのなら。

 国内の勢力同士でのいざこざでは起動しない、というのなら。

 当然の如く不夜城側もまた、メガロスを気にせずジオウを攻撃する事ができる。

 

(ただし、女王だけはメガロスの起動条件が特別に設定されている可能性が高い。

 男たち……財産の強奪による標的の選定が集団のリーダーに焦点される辺り、集団のリーダーという特定の立場を持っている相手を判別する機能が備わっているのは間違いない。そして、問題は何故そんな機能を持たされているかだ。

 ―――この地で特定の集団のトップと言えば三国の女王。恐らくはメガロスに彼女たちだけは正確に把握させて、何かをさせるための条件(タグ)付けのためのはず。つまり、メガロスは女王たちにまつわる行動を何か設定されていると考えるべき)

 

 メガロスを造った何者かは、三国の女王だけをどうしたかったのか。

 普通に考えれば決まっている。メガロスの通常運行を見れば考えるまでもない。

 先に味わったメガロスは、国家というものに対する防衛機構。

 それとは別に彼は、女王という特定役職の危機に際して起動するボディガードである筈だ。

 

 だから、恐らくジオウから不夜城の女王という個人に対する攻撃が成立した時点で。

 

(メガロスがやってくる。だがそれは同時に不夜城という国土の蹂躙を意味する。私たちの事は確実に追い払えるだろうが……)

 

 ―――メガロスの降臨を赦すなら、そもそもジオウに構う必要もない。

 ジオウに殺到している酷吏をこの国の別の場所にいるカルデアのマスターに向ければいい。

 やむなくこちらから反撃を行った時点で、メガロスが全てを薙ぎ払う。

 だが、そうする事はない。

 

 不夜城が見境いなく蹂躙されるから、などではなく。

 

(この国家の女王は自信家だ。星の運営よりも自分の意志が至上である、と疑ってもいない)

「だからさ。引っ張り出すにはあんたが決めたルールを正面からぶち破るのが一番かな、って」

 

 ジオウの両腕から延びる水の鞭。

 それが酷吏の手にした短鞭と絡み合い、電撃を迸らせる。

 広場に立ち上る雷光の柱。

 

 黒煙を噴き上げ、地面に倒れて解けていく酷吏たち。

 それでも同じ姿の殺戮者は続々とこの場に集まってきていた。

 女たちの手により投擲された拷問器具が雨と降る。

 そちらに向き直ったジオウが両腕を掲げ、甲羅の盾でそれを阻む。

 

 攻撃を弾きつつ、ソウゴの視線が広場の中央に向けられる。

 彼はそこに誰かがいると言う事を疑いもせず、そのまま話しかけた。

 

「それでどうする? ただ俺たちを排除したいだけなら、何もしない方がいいかもね。そのうち絶対にメガロスは来ることになるだろうし、そうしたら捕まってる男の人たちのためにも俺たちは必死になって逃げるしかないから。

 ―――まあ、それは。あんたがそうやって何もしないで、あんたの国を荒らした罪人を裁くのをよそ者のメガロスに任せて満足できるような王様だったなら、なんだけど?」

 

 ジオウはこの国と女王に叛意を示した。

 その事実でもって、問いかけている。

 お前はちゃんとお前の国のルールで俺を裁けるのか、と。

 

 女王がその裁きを行おうとすれば、間違いなくメガロスはやってくる。

 疑いようもなく、この国自体も蹂躙される。

 せめて被害を減らそうとすれば、不夜城は隠れ続ける事が最善だ。

 潜んでいればメガロスが落ちてきても一番大事な城は無事で済む。

 

 いまジオウを裁くために不夜城を出せば、被害は甚大なものになる。

 だってもしそうなれば、メガロスはここに落ちてくるのだから。

 

『―――――くっふっふ、笑わせるでない。

 この妾が。許可なく領土に踏み入り、国を荒した者をみすみす見逃すと?』

 

 けれど、当然のように鈴の音のような声が響く。

 もちろん、そうしないという選択はないと確信していた。

 何の驚きもなく振り返るジオウ。

 

 だってそうだろう。自分の許可なく太陽が東から昇って西に沈む事さえ許さない女が、逆賊の存在を看過する筈もない。不夜城とはそういう国だ。太陽の運行にすら唾を吐いたからこそこの在り様。天意とは彼女の意。否、天にすら遵えと言ってのけたのがその女。

 

 ―――広場が開く。

 閉ざされていた地面が開かれ、黄金の城がせりあがってくる。

 それこそが黄金に輝く夜()らぬ城。

 

 城から響く少女の声が、明確に敵に対してのものとして熱を孕んだ。

 

『絶対の令に遵い、獣欲を耐える事こそ人の佳き在り方であろう。

 そしてその法が正しく果たされる運営こそ、国を統べる帝として何より求められる事』

 

 屹立する不夜城の偉容こそ黄金に彩られた地上の太陽。

 それそのものが住まう為政者の権威の象徴となる破軍星。

 敵対者に誇る刃の煌めきと共に、少女の声が荒ぶった。

 

『よもや、妾が妾の行いに背を向けるとでも思ったか? それが例え国に危機を呼び込む事になろうとも逆賊の犯した罪を看過する筈も無し。

 妾の国で、妾の前で、妾の布いた令に歯向かった愚か者よ。酷吏どもだけでは手が足りぬ、というなら妾手ずから相手をしようとも。

 我が意志は常に、ただ()()()()()()()()()()()()()()なのだから―――!』

 

 

 




 
 コヤンと戯れていたら林檎が1個もなくなったジオ~…
 


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地底の太陽624

 
 あけましておめでとうアナジオ~
 昭和97年も頑張るアナジオ~
 


 

 

 

 真っ先に反応したのは、アルトリアだった。

 街中を走り、見かけた適当な男たちを掴んで放り、行くべき場所を言い捨てている最中。

 

 ―――まるで怒号のような、外から迫る進軍の音を聞いた。

 舌打ちをしてから足を止めて、その咆哮の発生源の方角を確かめる。

 

「……モリアーティとライダーだけでは無理か」

 

 モリアーティ、そして協力者であるレジスタンスのライダー。その二人に加え、男であるフェルグスとゲイツも外である。

 中に入った男性は攻略の起点であるソウゴと、何故か当然のようにこっち側に参加する事になっていたアストルフォだけだ。デオンも性別不詳ではあるが。

 ともかく、どちらにせよ無理だろう。外には大量の荷車が待ち構えており、そこで待っているレジスタンスの男たちがいる。彼らを守りつつ、アマゾネスは止めきれない。

 

 海賊とアマゾネスの二択で考えれば、明らかにアマゾネスのやり方。

 その上、轟いてくる進軍の音色は明らかに格別。

 恐らく、あの進軍には女王が伴っている。

 エルドラド以外でその女王と交戦してもメガロスのターゲットにはならない、筈だが。

 

「どちらにせよ私以外には回れんか」

 

 本来の予定ならばメガロスは不夜城の中心に落とす予定だ。

 だからこそジオウが既にそこにいて、タイミングを計って他の連中もそっちに流れる手筈。

 だがここにきて、メガロスが先に外に落ちてくる可能性を考慮せねばならなくなった。

 外にメガロスが相手でも陣容を再編成する時間を稼げる手を配置せねばならない。

 

 ……人手を特に必要とするのは不夜城だ。

 ならば一騎だけ。中から外に回すとすれば、彼女以外にはないだろう。

 

 足を止め、ドレス姿だった騎士王が全身に魔力を奔らせる。

 編み上げられ、物質化する漆黒の鎧。

 赤黒い魔力を全身から放出しつつ、彼女は加速する体勢に突入した。

 

 

 

 

 

 黄金の城の天守から少女が悠然と歩み出てくる。

 少女と呼ぶより童女と呼んだ方が印象が近そうな、そんな外見。そんな小さな女王は姿を現すや、自分の身長ほどにも伸ばした紫の髪を大きく揺らしながら、小さな胸を大きく張った。

 

「くっふっふー! よくもまあ妾にこれだけの事を仕掛けたものよ。

 その悪辣なやり口で妾に拝謁せしめた、という点においてはある意味誇っても―――」

「じゃあメガロス呼ぶね」

 

〈ジカンギレード! ジュウ!〉

 

 言って、ジオウが女王にジカンギレードを向ける。

 

 メガロスに狙わせるべきは自分だ。

 広場にいた男たちの避難はデオンが迅速に行ってくれた。

 なので、後はメガロスをこの周辺に固定することが目的になる。

 

 メガロスの目標が優先するもの。

 それは今まで見た限り、国家に対して与えた被害額の多寡で決まるもの。

 だが今までの考えが正しかった場合、それを無視して優先されるものがある。

 

 ―――それは当然、女王の守護だ。

 

 瞬く間に引かれるトリガー。

 連続する発砲音と同時、弾丸は姿を現した女王に殺到する。

 

 だがすぐさま酷吏たちがその間に飛び込み、銃弾を塞き止めた。

 直撃して砕かれ、光に還る拷問官たち。

 そんな光景に口元を引き攣らせ、童女は城の上で手すりを殴りつける。

 

「こりゃーっ! この莫迦者ー! 例えアレを呼ぶことになろうと貴様たちは赦さんが、だからと言って軽々に呼び出そうとするなこの莫迦者ぉー!!

 目の前にあんな怪物が突然降ってくる羽目になる妾の気持ちも考えよ! 何を考えてるかも分からん! どういう理屈で行動してるかも分からん! ただとりあえず妾には害を為そうとしないが、それが何でかがさっぱり分からん! もしもの時に排除しようとしても、妾たちには傷の一つさえつける手段が存在しない! そんな奴にいきなり目の前に現れられて、好き放題に暴れられる妾の気持ちが貴様に分かるか!?」

 

 がんがんと手すりを殴りつつ童女が怒鳴っているが、どこか泣き声染みていて。

 そんな相手の様子を見て、ジオウが僅かに顔を横に傾けた。

 メガロスの設置に関わっている様子は感じない。

 他の部分からしてもそうだったが、不夜城は恐らく魔神ともメガロスとも関係ない。

 

(アマゾネス……エルドラドもまだ女王を見てないからちゃんと分かるわけじゃないけど、あんまりそんな感じじゃなさそうだったし……じゃあイース?)

 

 この地に潜むのはどの魔神か。そしてその目的は何か。それがまったく分かっていないからには、推理も立たない。せめて魔神の目的さえ分かればどう動いているのか考えようがあるのだが。

 彼らはまずそこから、この特異点の状況を観察して考慮せねばならない。

 

(うーん……そもそもメガロスがいる意味だよね。三国を守りたい、女王も守りたい。つまりアガルタのこの状況を維持したい。

 ―――ああ、あと桃源郷も残したいはず。そうじゃないならエレナやライダーが今まで無事で済んでた理由がないし……アガルタ全体が継続してる事に意味があるはず)

 

 立て直して、更に街中から集結してきた酷吏たち。

 それに対してジオウが緑の光を放ち、無数に分身した。

 緑光の人型を放出しつつ、彼自身も寄せ来る酷吏に対して迎撃を再開。

 

(っていうか、メガロスの存在ってどこまで魔神の思い通り? アナザーフォーゼになって変わってるのが強さだけならあんま関係ないけど……アナザーライダーになってるのはスウォルツのせいだから、あれのせいで魔神の目的からずれた行動をしてる可能性はある?)

 

 増員された酷吏に対するは、増殖した昆虫の放つ雷光と蟷螂の鎌。

 その衝突に危うげなく対処しつつ、ソウゴは仮面の下で眉を顰める。

 

(たぶん、何となく。メガロスは今でも魔神の目的のために動いてる気がする。でも魔神側にしてみれば、今のメガロスをそのままにしておけるのかな?

 どう考えても俺たちに何かの計画を止めさせないための切り札なのに、アナザーフォーゼになってたら、いつスウォルツのせいで自分たちで動かせなくなるか分からないって事でしょ?)

 

 考えつつ、ふと。

 何か思いついたように、ソウゴは自分の掌を拳で打った。

 同時にジオウの頭部からライオンのたてがみのように日輪熱波が広がっていく。

 薙ぎ払われる女王の手勢。

 

(―――あ、だから標的の判定を制限したとか?)

 

 打った手で弾けるエナジー。

 炸裂したそれを圧し固め、トラの爪と思しき刃を両手に織り成して。

 それで続々と迫りくる酷吏の鞭を払い除けつつ思考を回す。

 

(メガロスが勝手に動かされないように命令を完全に固定した? 多分聖杯かなんかで。そのせいで魔神たちも後から自由な命令が出来なくなって、あんな風に狙いがあやふやになるし、メガロス自体も狙うべき相手が条件を満たしてないと動けない。

 基本的には“三国のどこかを攻撃していて、その中でも一番危なそうな奴”。女王のボディガードとしては“いま女王に攻撃してる奴”。誘い込まれたり女王から引き離されすぎないように、その国の中だけの行動に絞らせて。

 ……とりあえずこうしておけば魔神の目的のアガルタ維持は最低限は果たせるから、問題はないって感じで……それで問題になるのは……女王に対する攻撃は見れば分かるからいいとして……もう片方の()()()()()()()()()()()()()()()()ってのを一体どこの誰が計算して、メガロスに教えてるのか、って事だから……?)

「えっと、つまり……?」

 

 よく分かんなくなってきた、と蹈鞴を踏んだソウゴが頭を軽く振る。

 そうして隙だらけの姿勢を見せたジオウに対し、殺到するのは酷吏の軍勢。

 振るわれる短鞭や鋸刃が確かにその装甲に叩き付けられた。

 

 弾き飛ばされるジオウの体。外れていくオーズアーマー。

 黒と銀の鎧が地面に擦れ、盛大に火花を散らす。

 

「よし、そのまま――――!」

 

 その状況を見て城の上で身を乗り出す童女。

 

〈鎧武!〉

 

 そして、転がりながら新たなウォッチを起動するジオウ。

 

 手すりから身を乗り出した童女の頭上に発生する次元のクラック。

 そこに生成されていく巨大な頭部。

 それに気づかれる前に、ジオウは即座にドライバーの操作を終えていた。

 

〈アーマータイム! ソイヤッ! 鎧武!〉

 

 遥か頭上、不夜城の天守よりなお高く。

 童女より上に形成された鎧武アーマーが、ジオウ目掛けて降り注ぐ。

 まるで隕石のように、童女の頭上目掛けて。

 

 童女よりも早く気付くのは一人の酷吏。

 彼女は降り注ぐ巨大な顔面を空中に視認して、即座に叫んでいた。

 

「女王、上を!」

「ぬっ!?」

 

 配下の声に導かれ、童女が顎を上げる。

 そこにあったのはでかい顔。呆けつつ、しかしその体は後ろに跳んでいた。

 天守に叩き付けられ、どかんと響く破砕音。

 そのまま屋根を伝ってジオウに向けて転がりだす大玉オレンジ。

 

「――――っ!」

 

 飛び退いた女王の対応は一瞬遅く、肩を掠めていったそれ。

 女王が傷付けられた。その事実をもって、条件が達成される。

 

「おのれ……っ!」

 

 転がり落ちていく鎧武の顔を発生させた空の穴、クラック。

 その空間の歪みに隣り合う場所に発生するのがワープドライブ。

 ―――開かれる宇宙(ソラ)に通じる門。

 光を導く星座の明かりが空から外れ、地上を突き抜け地下へと墜ちてくる。

 

「■■■■■■■■■■■■……ッ!」

 

 不夜城の一部を抉りながら着弾する筋肉の塊。

 同時にジオウの頭部へと鎧武アーマーが装着され、鎧として展開されていく。

 そうして追加装甲を纏ったジオウがとるのは大見得を切る体勢。

 

「オレンジころころ、地下道でオンパレェドだぁ―――ッ!」

 

 直後、空中に展開される無数の魔法陣。

 光の円陣その全てが砲台となり、桜色の閃光を解き放つ。

 地上に降り立ったメガロスに叩き付けられる、雨のような魔力砲。

 それを制御しながら、イリヤがちらりと下を見た。

 

「おむすびころりん……?」

「確かにあれも転がっていったおにぎりを追っていったおじいさんが、ネズミの巣という地下世界に辿り着く御伽噺の一種と言えますかねー?」

 

 ―――夢幻召喚(インストール)、キャスター。

 

 魔女メディアの力を得たイリヤによる砲撃を浴びながら、しかしメガロスは意にも介さない。

 彼の意識が睨むのはただ一人。彼が動くに足る条件を満たしたジオウのみ。

 

「全然止まらな――――っ!?」

「イリヤさん?」

 

 砲撃を続行しながら少女が何かの感覚に頭を左右に巡らせる。

 ステッキの権限で魔力の砲射を続けながら、ルビーは彼女の様子に問いかけた。

 迷うようにイリヤは再び数度頭を左右に振って周囲を確認。

 

「……いま、誰かに見られてた、ような……?」

「うーん……そのような反応は私のセンサーにはないですが。イリヤさんだけを、という事ですかねえ? もしくはメガロスの標的としての選定があった可能性はありますが……」

 

 空中で言葉を交わしながら、魔力砲は止まらない。

 だがそんな滝のように降り注ぐ砲撃の雨を突き破り、メガロスが侵略する。

 当然のようにイリヤもルビーのメガロスの意識の外。

 彼の標的はいま、女王に害した一人の人間だけに向いている。

 

 それに対抗し、ジオウの両の手が肩のスリーブから大橙丸Zを抜刀した。

 

 振り抜かれる大剣。迎え撃つ双剣。

 激突した瞬間に弾かれるオレンジ色の刃が二刀。

 殺し切れない衝撃に投げ出されるジオウの体。

 

 そうして舞ったジオウを目掛け、

 

「ソウゴ!」

 

 走り抜けつつ、全力投球。立香の手から離れて飛ぶコダマスイカ。

 その小型デバイスは空中で丸くなり、全身を覆うエネルギーフィールドを構成する。

 飛来する赤い果肉のような光の球体。

 

〈フィニッシュタイム! 鎧武!〉

 

 それに応じてジオウが行うのはドライバー操作。

 弾き飛ばされながら彼は即座にジクウドライバーを回転させた。

 同時、投げ飛ばされていたコダマスイカが彼の上に着地する。

 

〈コダマビックバン!〉

〈スカッシュ! タイムブレーク!〉

 

 瞬間、ジオウの姿が膨れ上がる。

 形成されるのは地上を転がるエネルギーボール。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■――――ッ!!」

 

 加速して激突しにくる自身に匹敵する大きさの巨大スイカに対し、メガロスが即座に吼え立てた。咆哮と同時に振り抜かれる大剣が迫りくる果実を粉砕する。

 砕かれた果実。撒き散らされる果肉の破片が四散し、しかし積み重なって再び果実となった。

 

 幾度となく激突しあう巨神と巨大スイカ。

 その光景を見ながら、先程拾ったイリヤの声にロマニが反応を示す。

 

『……おむすびころりん、というか地下世界。

 そうだ、確かあの物語にもその手の解釈があったような……』

「ドクター?」

 

 そうしている内にオルガマリーが立香の隣に到着する。

 二人の守りにつくのはジャンヌ・オルタとクロエ。

 酷吏たちを黒炎と剣群で薙ぎ払いつつ、そこでオルタが僅かに顔を顰めた。

 

『キミたちもバビロニアで体感しただろうけど、地下というのは死者の国とされる事が多い。いわゆる常世。常夜、常なる夜とも記される永久不変の幽世だ。

 ついこの前に話をした竜宮城も常世の国、とされているね。永遠の世界、常世に囚われたがために浦島は現世とは時間の流れを違え、あの顛末に至ったという』

「……竜宮城? 浦島?」

 

 何を言ってるんだ、という表情のオルガマリー。

 この前そういう話をしてたという事を説明しようとして、はたと気付いて立香が止まる。

 

「……ここ、不夜城だよね?」

『そう、不夜城。この地下大陸をアガルタと呼び、超文明の方向性でばかり考えていたからさらっと忘れていたけれど……ボクたちは真っ先に、ここで冥界を思い出すべきだった』

「エレちゃんに怒られちゃうね……」

 

 オルガマリーの何を言っているのだという表情がより固くなる。

 

()()()()()()?」

『間違いなく。なんで不夜城なんて魔術的に地下とは完全に相反する国をわざわざ……』

 

 常夜の大地に設けられた不夜の国。

 夜しかない場所で、夜を()らずと名付けられた土地。

 夜しかないのに夜を()らぬとは、では一体ここは何なのだ。

 

 昼と夜、善と悪、生と死。コインの表裏に揃っているべきである筈のもの。

 それにわざわざ反するように配置されていた国のひとつ。

 

「―――それは後で考えなさい。どちらにせよ、まずはこの国の攻略よ」

「今度はスイカがころりん? 割っても戻っちゃうなら食べられないね、っと!」

 

 オルガマリーの指示に応えるように屋根伝いに飛び、広場に乱入してくる影の手で翻る剣閃。

 腰に佩いていた剣を抜き、振るうのはセーラー服美女装戦士。

 その銀色の軌跡が、マスターに群がっていた者たちを斬り払った。

 

 そうして手を出してから、足を止めて一拍待ち。

 

 ―――メガロスの狙いが切り替わらない、という確信を得る。

 

「うん、こっちを狙わない!」

「優先順位は女王の警護の方が上。つまり女王に攻撃した者がいる状況ならば、もうこの国のどこで暴れても問題ない……! メガロスを制しつつ、不夜城の女王を押さえる! 恐らくは直近で女王を害そうとした者をメガロスは最優先に狙う! それを意識して立ち回りを―――!」

 

 続けて広場から男を追い出す事を終えたデオンが剣の柄に手を掛けた。

 つまり、もう男たちを国の外に連れ出せるという事でもある。

 そちらの組もこれから一気に男たちを奪いかかれるということ。

 

 それを天守で耳にした童女が、酷く顔を顰めた。

 

「ふん……妾も甘く見られたものじゃのう。

 あのような狼藉者、そも戦力として勘定にはいれてはおらぬわ!」

 

 メガロスしか脅威に見ていない事に憤るように。

 その思い上がりを糾すべく、彼女は軽く腕を振り上げた。

 

「此処は妾の国! 妾の法こそがこの国であり、この国に在るとは妾の令に遵うという事である! 押さえつけられるのは貴様たちの方と思い知れ!」

 

 童女の一動作に続けて戦慄く大地、不夜城の国土。

 その感覚を足元から感じ取ったジャンヌ・オルタが僅かに眉を上げて。

 即座に、近くにいたオルガマリーと立香の襟首を掴み取った。

 

「ちょ!?」

「アヴェンジャー!?」

「女男!」

 

 声に反応する間もなく遠投。

 二人の女を全力で、アストルフォに向かって投げつける。続けて自分も跳んで。

 直後に、彼女たちがいた場所に無数の刃が地面から噴き出してきた。

 折り重なるのは純粋に研ぎ澄まされた武具ではなく、拷問のために血濡れて錆びた刃。

 

 跳び退りながらそれを見て嫌そうに顔を顰めるオルタ。

 

「ヒポグリフを呼ぶよ、マスター!」

 

 飛んでくる二人の人間のため、アストルフォがマントを翻す。

 彼の号令に従い、現世に進出してくる幻想の獣。

 幻馬は羽搏きひとつで加速し、オルガマリーと立香の二人を背中で拾う。

 

 地面から噴き出して、飛んでくる拷問刃。

 その程度の攻撃でヒポグリフの飛行は追いきれない。

 だが攻撃が止む事もなく、翼を休める事も許されない。

 

「クロ!」

 

 自らのサーヴァントに声をかけた瞬間、巨大スイカがメガロスに粉砕される。

 再構成をしつつ転がり始めるそれを見て、クロエが近場の建物を駆けあがってみせる。

 そのままヒポグリフに向け跳ぶ少女。

 応じた幻馬は刃を掻い潜りながら空中で彼女を拾うために加速した。

 

「りょーかい!」

 

 ヒポグリフの背中に着地した少女が手にした双剣を投げ放つ。

 続けて空中に投影する無数の剣群。そのまま放てば剣弾のガトリング。

 地上から打ち上げられる拷問刃を、空中から撃ち落とされる剣が迎撃していく。

 

 その対応を僅かに目を細めながら見た童女が、しかしおかしげに唇を歪める。

 

「くっふっふー、妾の国にいると言う事は、その命運は妾の手の中にあると言う事。如何なる場所、如何なる状況、如何なる相手であろうと、妾の意志ひとつで自由自在に拷問にかけられる。

 逃げられるなどとは思うでないぞ? いいや。貴様たちが人間だと言うのなら、逃げようなどと夢にも思うな」

 

 言うや否や、地上で戦うサーヴァントたちにも差し向けられる拷問器具。

 酷吏を捌きつつそれを躱して。

 僅かばかり首を捻り、視線をオルタに向けたデオンが僅かに顔を顰める。

 

「こん、の……ッ!」

 

 黒炎の槍を形成し、対抗しようとするジャンヌ・オルタ。

 だが恩讐の炎が固まり切らないのか、その槍は構成が甘いまま撃ち出される。

 

(不夜城の女王は拷問に長けた存在。あれも一応はジャンヌ・ダルク、オリジナルほどではないとはいえ、処刑されたものとして影響を受けている?)

 

「妾の令で清算しようと言うのじゃ。拷問を科される事により、貴様たちの罪は贖われる」

 

 メガロスのせいで半壊した不夜城の上で、女王は悠然と微笑む。

 

「妾が磨り潰すのは悪心。犯した罪を、その心に根付いた悪諸共にこそぎ取る。

 拷問とは、人を善きものへと変えるために必要な痛み。こらてらるだめーじという奴じゃな」

 

(“悪”……不夜城では属性(アライメント)を参照した性能低下が発生する?)

 

 であるならば特にジャンヌ・オルタが影響を受けているのも頷ける。

 善のみの存在を許し、悪を一切赦さない。

 不夜城というのがそういう世界だと言うのなら。

 

「それで死すというのなら、貴様らの悪が命にまで根差していたというだけの事。命をもってしか贖えぬほどに深く、悪であったという事じゃ。であるならばそれは仕方あるまい」

 

 敵性に対する拷問器具の進出が加速する。

 ジオウに対するメガロスの侵略が加速する。

 

「善きものになるために、悪しきものは不要であるのだから」

『―――いいえ、それは違います……!』

「む?」

 

 己の言葉に反発され、眉を上げる女王。

 その声に、ヒポグリフの背でオルガマリーと立香が顔を合わせた。

 

『確かに誰もが善いものであれるなら、それはきっと素晴らしい事だと思います。ですが、そのために善くないものを排斥する事が正しい事ではないはずです……!』

「マシュ……」

『どちらも持っているのが人間なのだから、例えそれが悪であっても奪ってしまえば歪なものになってしまう。そうしてしまう事が善い事だなんて、わたしには思えないのです……!』

 

 カルデアから届くマシュの声。

 それを聞きながら表情の色を消し、数秒。

 

「――――それがどうした?」

 

 童女の顔が崩れる。凄然とした、王者の微笑。

 そんな反応にマシュの方が言葉を詰まらせる。

 

「人の裡には善もあろう、悪もあろう。

 切っても切り離せぬ陰陽こそ、天が定めしこの世の理なのじゃろう」

 

 天守で手すりにふらりと寄りかかり、彼女はゆるりと手を掲げる。

 その行動に呼応するように国中に氾濫するのは拷問器具。

 彼女は眼下で発生した地獄絵図を見下ろして、そこで笑おうとして。

 

 メガロスの一振りで周辺一帯の拷問器具が消し飛ばされる憂き目にあう。

 広場一帯を薙ぎ払う一撃。それに見舞われた瞬間に他の者たちの盾となって弾かれて、なお体勢を立て直し再び巨大スイカとなって動くジオウ。

 

 だが地面から飛び出したはずの拷問器具はそれで纏めて砕けた。

 見下ろす筈だった死山血河が、一瞬の内に禿げ上がった光景。

 それでも童女の表情は崩れない。

 

「……もう一度あえて言おう。それがどうした?

 天意こそがその理を定めた。それを妾が変えてはならぬと誰が決めたのじゃ。

 いや、どこかで誰かがそう決めていたとしても別によい。従わぬからの」

 

 再びの拷問器具出現。

 その殺戮空間に飛び込み、当然のように器具の方を一方的に粉砕するメガロス。

 彼が吹き飛ばしたスイカが不夜城に直撃し、一部が損壊した。

 ぐらりと揺れる天守の上で、しかし童女は表情を崩さない。

 

「……天の定めた理こそが妾の意に遵え。地に灯された明かりは妾こそを照らせ。

 人がこれ以上栄えたいと望むのであれば、妾の言葉こそを至上とすればよい。

 悪徳を全て切り捨て、善に生きよ。できぬのであれば悪として死ね。

 天意よりなお重き妾の言葉に遵えぬというならば、それは世の理に背くと言う事である。

 そのような者に生きる事を赦すほど、妾は寛大ではない」

 

 刃に限らず鞭、針、毒、と。人を苦しめるためのものが差し向けられる。

 悪意を煮詰めたかのようなあらゆる責め苦を再演するもの。

 

 童女の宝具とは女王としての生前の行いである。その為政こそが宝具なのだ。

 そして個人ではなく、いま国を所有している以上、その行いをこの国のどこでも再現できる。

 本来多くない対象人数を、国土に存在する全ての人間に実行できるほどだ。

 あらゆる人間を抹殺するその殺戮空間が、一人の怪物を標的とする。

 

「―――善悪は誰が感じる事でもなく、妾の意志が決める事。そして正しく支配者である聖神皇帝たる妾の導く国に、正しくあれない者など一人として要らぬ」

 

 結果として、何の成果もなし。

 当然だろう。この地上にあれを傷つけることができる手段など、数えるほどしかない。

 人を苦しめるための手段では、あの皮膚に傷一つつけられない。

 

「何が目的でこの国に踏み込んだか知らぬが、こうまで暴れた以上生きて帰れるなどとは思うでないぞ。妾の国である以上、どこであろうと我が拷問の手は届く。どう足掻いても貴様たちに生き残る術はない……」

 

 言葉尻が微かに震える。

 ついでのように再び不夜城の一部が破壊され、天守ごと体が大きく揺れた。

 

「そう……絶え間なく様々な拷問をしてるというに傷一つ負わず、刃を立てようとした器具の方がバキバキ折れていくような化け物でもなければなぁーっ!」

「■■■■■■■■■■■■――――ッ!!」

 

 本当に、本当に、憎らしげに絞り出される声。

 怒りともとれて、悲しみともとれるような童女の叫び。

 

 アナザーフォーゼ、メガロスが。

 その叫びを塗り潰すように、高らかに咆哮した。

 

 

 




 
 いま今年が昭和って言わなかったジオ~?
 ばっかもーん!今年は平成34年だジオ~!
 


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唆す悪魔2000

 

 

 

 斬りかかってくるのはアマゾネス。

 進軍してきた大勢の戦士たち。彼女たちは会敵を経て、しかし一切のブレーキもない。

 不夜城の外で待機していた彼らに対し、一気呵成に突撃してきた。

 

「フッ―――!」

 

 斬りかかってくる女の手首を取り、勢い任せに投げる。

 そのまま体を捻り、振り上げた足で後続の一人を蹴り飛ばした。

 しかし一人二人をどうにかした程度で勢いが収まる筈もなく。

 

 懐からドライバーを取り出しつつ、裏拳でアマゾネスを殴打。

 そうしながらゲイツはライダーに向け叫んだ。

 

「おい、こいつらを退かせろ!」

「出来りゃあやってるさ!」

 

 サーベルを抜刀し、銃を抜いたライダー。

 彼もまたアマゾネスに対抗しつつ、舌打ちひとつ。

 

 如何に戦力をメガロスに集中させているとはいえ、こちらに残した分だけでもアマゾネスが攻めてきた程度で負けるつもりはない。

 だがこの物量では大量の荷車、レジスタンスたちを守り切るのが難しい。

 

 直後に轟く連続で鉄が弾ける音。

 目前にいたアマゾネスたちに直撃していく無数の銃弾。

 数発、十数発の弾丸にさえ耐え抜きつつ、その衝撃で体勢を崩す女たち。

 

 それを隙と見て、ゲイツが即座にドライバーを腰に装着。

 ウォッチを装填し、ドライバーを回転させた。

 

「変身!」

 

〈仮面ライダーゲイツ!〉

〈ジカンザックス!〉

 

 構成された黄色い“らいだー”の文字。インジケーションバタフライが羽搏き、アマゾネスたちを一蹴。そのまま姿を変えたゲイツの頭部に嵌り、変身シーケンスを完了させる。

 流れるように武装を呼び出し、彼はその刃で体勢を崩したままの連中を切り払う。

 

 武装棺桶、ライヘンバッハから突き出すのは硝煙を吐き出す砲身。

 その白煙をくゆらせながら、モリアーティが軽く顎を撫でる。

 

「最大の問題はもう不夜城内で男性を集めてしまっている事だネ。今すぐに撤退する、という事は彼らを見捨てると言う事になってしまう。

 私個人の考えでいくとするならまァ、それはそれで……みたいな感じだケド」

「不夜城から見て男性の最大の価値は()()に男性が必要だと言う事。つまり不夜城に打撃を与える事だけ考えれば、彼らをこちらが奪うのも戦闘に巻き込まれて死亡させる事も変わりなく戦果である、と?」

 

 小声で呟くモリアーティに対し、フェルグスは胡乱げな声を投げてくる。

 一瞬目を瞠り、てへっ! とでも言いたげな表情を浮かべる老爺。

 

「モチロン、そんな事にならないように動くとも。マスターたちにとってそれは敗北だからネ」

 

 胡散臭いものを見るフェルグスの視線。

 

「とにかく不夜城から出てくる男連中を荷車に放り込め! そんで走れる限界まで積み込んだ荷車からさっさと走り出せ! とにかく暴風(メガロス)の射程から出ねえとどうしようもねえ!」

 

 女王を使って引き付けているとは言え、非戦闘員はさっさと離すに限る。

 次にどう動くかの選択肢を広げるためにも。

 ライダーはそうして叫びながら立て続けに発砲し、アマゾネスを打倒して―――

 

「うぉう―――ッ!?」

 

 ブオン、と。空気を殴り飛ばしたような轟音に見舞われる。咄嗟に、本能の赴くままに体を横に投げ出すライダー。その動きによって、彼の命は救われた。

 そんな動きの直後に彼がいた場所にやってきて、叩き付けられるのは巨大な鉄球。地面を粉砕しながら着弾したそれの衝撃で大地が震動し、戦場の動きが一瞬停止する。

 

「っ、女王……!」

 

 アマゾネスの戦士たちが真っ先のその攻撃の正体を理解する。彼女たちがざわめきながら女王と口にした後、半ば地面に埋まった鉄球の上に着陸してくる女。

 その姿は鍛え抜かれた体を惜しげもなくさらす、少女と呼べるだろう年頃のアマゾネス。彼女は鉄球に着地したそばから、自身の手で自身の顔面を覆い隠していた。

 

「アァ……! キ、ィ……ッ!」

 

 憎悪が滾る声。戦場に乱入したばかりだというのに、少女の意識は既にここにはない。

 その視線が向かうのは不夜城。国家としての不夜城ではなく、この国の中心。

 今まさに酷い破砕音が嵐のように巻き起こる、女王の居住地である不夜城に向いていた。

 

「なんだ……?」

 

 今の反応でこの少女がアマゾネスの女王らしいと理解する。

 だが何がどうなっていて、これからどうしようとしているかが分からない。

 目の前の敵であるところの自分たちへの敵意はない。

 ただ何故か、不夜城の方へと地獄の釜で煮詰めたような殺意の渦が溢れている。

 

 少女自身も抑えようとして、しかし抑えられない憎悪。

 手で覆った顔。その眼球が逆流した血で赤く染まっていく。

 全身でひしひしと感じるこの気配。鼻をつくこの臭い。

 彼女の知覚が認識したものを脳が把握した瞬間、血が沸き立ち、思考が沸騰する。

 

「お待ちください、女王……! まだ―――!」

「レェ……ッ! ゥ、■■■■■■■■■■■■―――――――ッ!!」

 

 自身を抑え込み、従える戦士たちに戦場を任せる。

 そう思考していたはずだというのに、女王という立ち位置を持つ少女が猛った。

 放たれる咆哮が戦場を震撼させ、アマゾネスたちの総身に駆け巡る。

 状況に戸惑いながら、アマゾネスの戦士たちはその性能を上昇させていく。

 

 そんな戦士たちを差し置いて、女王が跳ねた。

 握った鎖に引きずられ、鉄球が地面から引き抜かれる。

 鉄塊を引き摺りながら駆けていく少女が目指す先は、不夜城の中心。

 

「いけない! 通してしまったら……!」

 

 フェルグスが剣を振るい、アマゾネスの攻撃を受け流す。

 この期に及んでも女性に対して痛打を与える事を戸惑う自分の腕に、少年の眉が厳しく歪んだ。

 

 国家よりも女王の優先度が高い以上、不夜城を破壊してもアマゾネスの女王はメガロスに襲われる事はない筈。問題は不夜城でアマゾネスの女王に反撃した場合だ。

 不夜城で不夜城の女王に攻撃すれば襲われる。エルドラドでアマゾネスの女王に攻撃すれば襲われる。それは分かり切っているが、不夜城でアマゾネスの女王に対して攻撃した場合はどう動く?

 

 メガロスの活動エリアは設定された国土に限定されている。

 国家の防衛が大前提であり、それを離れすぎたエリアではそもそも戦闘は一切行わない。

 たとえ排除条件を満たした後でも、メガロスの活動区域を離れた場合追ってこない。

 それは恐らく女王に対しても同じ筈だ。国の外で戦闘を行う女王に対し、メガロスの防衛は恐らく発生しない。ただ、国家に対する損害は三国ごとに区別されているが、女王の守護が自国でしか発生しないと言い切れる理由がない。

 メガロスが活動を許されたエリアで女王が攻撃された場合、三国のいずれかという所属を問わずに、彼の行動理由として判定される可能性を否定できない。

 

 不夜城の女王とメガロスを相手に時間稼ぎをしているだろう現状、メガロスの動きを変えてしまう可能性が高いアマゾネスの女王という、更に状況を混沌とさせる存在を飛び込ませるわけにはいかない。

 

「―――不夜城の圏内に入る前に足止めが必要だ、が」

 

 目を細めるモリアーティ。彼の銃撃は女王ではなく、他のアマゾネスたちに向けられている。あの暴走した戦士がちょっとした銃撃で止まる筈も無い。

 もし止めたいのであれば、正面に立ちはだかって力尽くでやるしかないだろう。

 

 だからこそ、その位置に赤いボディが滑り込む。

 

「他人事か……ッ!」

「私ではやりようがなくてネぇ……」

 

 ゲイツの割り込みを確認し、モリアーティがライヘンバッハを叩く。展開される砲身。そこから吐き出される榴弾。それは疾走する女王の手が引き摺る鉄球へ立て続けに発射され、弾けた。

 爆炎と共に生じる衝撃に吹き飛ばされて、鉄球が少女の進行の邪魔になる。体を横に引っ張る鉄球の軌道。それを鎖を握り直して止めて―――

 

「オォオオオオ―――ッ!」

 

 疾走の勢いが緩んだ瞬間、ライダーゲイツが少女に一気に掴みかかった。

 腕を捕まえて、引き倒すための動き。

 

「■■■■■■■■――――――ッ!!」

「……っ!」

 

 そんな動きをしかし、少女の体が強引に引き戻した。

 相手の腕を掴んだままのゲイツがその力強さに息を呑む。

 

 競り合う二人が突き合わせた顔面。ゲイツの前で紅に染まる少女の貌。逆流した血液が溢れ、血涙となって少女の頬を濡らしていく。

 そうして血が抜けた事で僅かに理性が戻ってきたのか、女王がゲイツと視線を交わす。

 

「退、け……ッ! 退け、退けェ――――ッ!!」

 

 少女の足が撓んだ鎖を引っかけて、引き戻す。

 自身に向けて飛来した鉄球を即座に手繰り、彼女はゲイツの横合いからそれを叩きつけた。

 

 火花を噴き出し押し返されるゲイツ。

 何とか足を止めさせた彼が、ジカンザックスを握り直しながら体勢を立て直す。

 

「ちっ……!」

「殺す、殺す、殺す、殺す……ッ! 今度こそ、奴を殺す――――!

 その骸を前に勝利を叫ぶのは今度こそ私だ! そうだ、勝負とは……勝者とは、そうでなければならない……! だと言うのに……ッ! 貴様はぁああ――――ッ!!」

 

 加速する感情のまま、叫ぶ女王。その手が投擲される鉄球。

 棘の突き出した鉄塊が迫る中、ゲイツは即座に弓を放つ。

 撃墜された鉄球を追い越しながら、女王は腕に装備された鉄爪を振り上げる。

 

「なんなんだ、こいつは――――ッ!」

「我が戦士としての生涯、その死の間際に与えられた最大の侮辱……! 敗者の座すら追われた屈辱……! 貴様の手により恥辱に塗れた骸を晒した私が……ッ!

 今度こそ、この手で貴様を八つ裂きにして、その雪辱を果たしてやる――――ッ!!」

 

 頬を濡らしていた血が蒸発する。

 筋肉の蠢動で生じる熱が、彼女の体から焦げた血を剥がしていく。

 一瞬の静止の直後、彼女は咽喉の奥から憎悪の叫びを迸らせた。

 

「アァキレウスゥゥゥウウウウウウウウウウ―――――――ッ!!!」

「な、にぃ……っ!?」

 

 上擦るゲイツの声。

 突然誰とも知れない名前―――いや、恐らくはギリシャ神話のアキレウスだろう。

 とにかく突然関係ない名前を叫びだした事に違いはない。

 

 この女はメガロスを目掛けていたが、ゲイツはあれをヘラクレスだと聞いている。

 ある意味似たようなものと言えばそうだろうが。

 

 放たれる鉤爪の一撃。それを腕で受け止め、しかしゲイツの体が押し切られる。

 火花を散らして衝撃を相殺する装甲。それでもその一撃の威力に軽く痺れた腕を振りつつ、彼は武装であるジカンザックスを振り上げた。

 

 激突する斧と爪。双方の体が押しやられ、距離が開く。

 

「女王! どうか気を静めて……!」

「ぐ、ゥ、■■■―――……ッ!」

 

 理性の蒸発した狂戦士の耳にアマゾネスの静止の声が入る。その声を確かに認識し、女王は腕を振り抜いた姿勢のまま固まり、己の顔を掴むように手で覆った。

 少女の頭の中で始まる理性と本能のシーソーゲーム。まるでランプが明滅するように、彼女の瞳は正気と狂気で乱れ変わる。

 

「―――ギリシャの大英雄、アキレウス。彼を酷く憎悪する関係者であり、アマゾネスの女王。黄金郷(エルドラド)とは関係ないが、なるほど」

 

 荒ぶる少女を前に、したり顔で語ろうとするモリアーティ。

 

「軍神アレスの娘。トロイア戦争に参戦し、大英雄アキレウスと一騎打ちの果てに敗北した戦士。勝利したアキレウスがその()()を惜しんだと言われる()()()気高きアマゾーン」

「――――――――――」

 

 ―――瞬間、少女の瞳から瞬きの間もなく理性が消し飛んだ。

 狂気を抑えようとしていた少女の理性が消え、意志と行動が合致する。

 

 女王の首が回り、老爺を視界に収める。

 真紅に燃える眼光が、確実に抹殺する対象としてモリアーティを捕捉する。

 鎖を握る手が動けば、力任せに宙を舞う鉄球。

 

「その名をペンテ―――げ!」

 

 語ろうとしていたモリアーティが言葉を引っ込める。

 メガロスの事さえ忘れたように、少女の殺意は完全にモリアーティを向いていた。

 

「また何を狙ってるかも分からん奴……! そんな奴ばかりか!」

 

 ゲイツの腕が弓を弾き、放たれる光の矢。

 鎖を握る少女の腕、膨れ上がった筋肉が軋みを上げて、鉄球を回転させる。

 殴り飛ばされて砕け、飛散する矢の残骸。

 そうした勢いのまま、少女がモリアーティに向け鉄球を投げ放つ。

 

 狙われた老爺は咄嗟に逃げる、というような俊敏さは持ち合わせていない。

 割と真面目に頬を引き攣らせつつ、彼は棺桶を前に出し―――

 

 鋼の打ち合う、酷い激突音に鼓膜を揺らされた。

 

 弾き返されて地面に落ちる鉄球。その衝撃で陥没する大地。

 巻き上げられる砂塵ごしに対峙するのは二人の王。

 それをすぐに鎖ごと引き戻す女王と、それを撃ち落とした漆黒の剣を構えた騎士王。

 

「―――――()()()、と言ったな。この、私に……!」

「この男が何を言ったかなど知らん。私に分かるのは、今の貴様の一撃がまともに評価するに値しない乱雑なものだった、という事実だけだ」

 

 嘲るように、一言。騎士王は女王に吐き捨てた。

 数秒、彼女が凍る。

 

 その凍結が終わった後、瞳の赤さが僅かに薄れた彼女の視線がアルトリアを見据えた。

 

「……また、か。戦場でこの有様とは。恥の上塗りとはこのことか」

 

 戦闘態勢を崩さぬままに、息に体内から溢れる熱を乗せて深く吐き捨てる。

 突然クールダウンした相手に対し、ゲイツとフェルグスが視線を向けた。

 その状況でも戦いを止めていないアマゾネスたちを捌きつつ。

 

 カチャリ、と。騎士王の手の中で、グローブと擦れて鳴る聖剣の柄。

 それに対して顔を向け、再び息を吸う女王。

 

「――――」

「―――ありがたい。今の私がとった戦の作法を知らぬ行いを見過ごせとも、忘れろとも言わん。戦場で重ねた恥を雪げるのは戦場でのみ。

 我が一撃を容易に返したその剣、貴様ほどの強者はトロイアにおいてさえそうはいまい。奴への憎悪に歪んだままの性根で戦い、汚すには惜しい一戦になる」

 

 チェーンを引き、鉄球を手元まで持ってくる。

 止まない憎悪を絶えず吐息で排熱しながら、少女は目の前に立つアルトリアを睨んだ。

 

 彼女の意識を保っているのはギリギリの理性。背後にある不夜城の領地から臭ってくるギリシャの男の気配に、今にも意識は壊れそう。

 ―――それでも、彼女は戦いだけは汚せない。戦士としての戦いだけは、汚せない。それをしてしまった時、彼女は憎悪の対象と同じものにまで堕ちてしまう。

 

 言葉を返さず、騎士王はただ剣の切っ先を彼女に向けて。そうしながら同時に、彼女はモリアーティを横目で見た。

 小さく頷いて、視線を不夜城から駆け出してくる男たちの方へ向ける。そこに広がっているのは、被った土砂を払いつつライダーが男たちの誘導をしている光景。

 

「……あの女帝の奴隷たちを逃がすか」

「ほう、不満があるのか?」

 

 脳髄が湯立つような昂揚感を抑え込みながらも、声を絞る女王。

 その様子に片眉を上げて、アルトリアが問い返した。

 

 最後の一呼吸。高まる戦意は高調し、理性は削られながらもしかし正気を繋ぎ止め、ぶり返す狂気は最後の一線で塞き止められる。

 

「―――いいや。家畜をどう扱うかになぞ、わざわざ口を挟む気はない。

 仮に私が口を挟む事があるとすればそれは……戦士として戦った者に対し与えられるべき、戦士としての“死”が踏み躙られた時だけだ――――ッ!!」

 

 鉄球が唸る。女王の腕が発生させた勢いのまま、敵を砕くために迫る暴力。

 その威力を前に、アルトリアは聖剣を両手で握り締めた。

 

 

 

 

 

 酷く疲労した表情を隠さず、女が廊下を歩いている。

 そうして目的地を目指していた彼女がふと、足を止めて天井を見上げた。

 止まって数秒、酷く顔を顰める女。

 

「…………もう、辿り着かせたのですか。心臓部の起動にはまだ早いのでは……」

 

 どこかの誰かと話す女。彼女は視線を周囲に巡らせて、周囲の気配を探る。

 この国―――イースは潜んで情報を得る、なんて器用な真似が出来る者がいる国ではない。

 話を聞かれる事についての注意はさほど必要ない。

 そういう意味では彼女が黒幕として一番動きづらいのは不夜城だったろう。

 

 出し抜くのが一番難しいのが不夜城の女王―――アサシンだ。

 逆に一番楽なのがこのイースの女王だろう。だからこその要所である。

 

 そして出し抜くとかそういうの関係なく殺されてしまうのがエルドラドの女王。

 絶対に近づきたくない。死んでしまう。

 

 逸れかけた思考を戻し、彼女は直接頭に届く声に意識を向けた。

 

「―――ああ、なるほど。そのおかげで助かったのですね。不夜城が保っていないと最後に問題になりますから……それで、内部を見て回っているだけで、玉手箱はまだ?」

 

 沈まない太陽、不夜城。

 境界線、黄金郷(エルドラド)

 水底に沈んだ海上都市、イース。

 国家から秘された隠遁地、桃源郷

 

 総じて、地底都市アガルタ。

 だがこの土地には未だに衆目から隠された場所がある。

 

 ―――海神(わたつみ)の住まう海底城、竜宮。

 

 竜宮の存在を把握しているのは彼女と、彼女と通じた悪魔。それ以外で知っているのはイースの女王くらいなものだ。いや、ものだった。

 

 彼女に情報を伝えてくる声は、エレナ・ブラヴァツキーがつい先程辿り着いたらしいと教えてくれる。彼女は川の流れを追い、水中に潜って遂に辿り着いたようだ。

 思わず溜め息が混じる。彼女の竜宮城到達はもう少し遅くなると思っていたが、悪魔の囁きに導かれては仕方ない。まだ行動に移されては困るのだが、辿り着いた以上はエレナの好奇心はそれなりの間あそこに釘付けになってくれるだろう。そうだと思いたい。

 

「……でしたら、一応は問題ないのですね」

 

 イースの女王は竜宮を真っ先に発見して、玉手箱の存在も把握している。こちらもそうなった原因は悪魔の囁きと言えるだろう。

 悪魔の声に唆された彼女はふらっと国を離れ、いとも簡単にあそこを見つけてしまった。普段使う事はないが、万が一の逃げ場とは考えているだろう。追い詰められたらあそこに逃げ込む気に違いない。というか、そうでなくては困るのだが。

 

「……幾つかであれば使われてしまっても問題ありません。ですが、心臓部の起動に必要分の玉手箱まで使い切られてはいけない。彼女がそうしてしまう前に仕掛ける必要が……」

 

 再び深々と溜息をひとつ。女は状況の難しさを嘆くように、視線を僅かに伏せる。

 そうしている彼女だけに届く声が続ける言葉。それを聞いて、女は微かに顔を上げた。

 

「―――イースの海賊たちがそろそろ届く?

 ……それはつまり、この乱戦に横槍を入れてイースにカルデアを引き込む気、と?」

 

 イースから出立した連中にはキャスターである彼女の魔術がかかっている。それを通じて映像を拾っていた悪魔が伝えてくる事実。

 こちらから出ている者たちがいま、不夜城に迫っている。狙うべきはひとつだろう。桃源郷に逃げ帰ろうとするレジスタンスたちしかない。

 

 この国―――イースにおいての男たちの扱い。それは弱者を受け入れないアマゾネスや、一応は国民(の所有物)として扱っている不夜城とは違う。

 ただの消耗品。繁殖のための胤であり、娯楽だ。後先なんか考えない。だから、彼女たちは何も気にせずに奪い取ってくるだろう。それがカルデアを呼び込む、という破滅であっても。

 

 顎を指先で触れて、考え込むような姿勢を見せる女。

 どうなるかを想像してしまったのか、女が豊満な体をぶるりと揺らした。

 最終的にはカルデアと相対しなくてはいけないのは分かっている。

 だがどう考えても準備不足。まだ時間をかける必要がある。

 

「ですが今の状況では、如何に恙なく心臓を造りアレが召喚できても、それだけでは完成まで届かない。もっと時間をかけて馴染ませ―――……カルデアのサーヴァントから触媒を盗む?

 ――――え? 私が、ですか。いえ、そんな、無理、です。死んでしまいます。絶対に死んでしまいます。その、確かに……最終的にヘラクレスはどうにかしなければいけないのですが……」

 

 切り札はある。カルデアからメガロスと呼称されている巨人以外に、だ。

 問題は横入りでメガロスがアナザーフォーゼとして更なる強化がなされている事。

 メガロスを自由に動かす事ができない以上、状況は最悪に近い。

 何故って、最終段階ではカルデアとメガロス両方から狙われかねないのだから。

 正直、どっちかが潰れるまでは見てるだけにしたいくらいだ。

 

 ―――とはいえ、切り札を十全の状態で召喚できれば問題ない。カルデアとメガロス、両方を相手にできるだけのモノは準備している。だがまだ時間が足りない。

 竜宮城の逸話。浦島太郎が味わった歪んだ時間の性質を利用して、完成までの時間を加速させるつもりだが、まだ準備が終わっていないのだ。このままでは最終作戦実行から、メガロスを止めなければならない状況までの短い時間で、完成まで漕ぎ着けられない。

 

 だが彼女に語り掛ける悪魔は、それを短縮するための手段はあるとする。

 彼女たちの目的に辿り着くまで、あと少し。

 見え始めた本当の終点を前にして、悪魔は彼女を諭すように歌いかけた。

 

 

 




 
 人間にはアキレス腱があるのでギリシャ英雄じゃなくても特攻範囲に含めていいのでは?(全人類アキレウス関係者説)
 


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武周の法705

 

 

 

 血が飛沫くように撒き散らされる赤い果汁。メガロスの一撃に割られたスイカの残骸が積み重なり、山のようになった。べちゃべちゃという水音と共に破片は周囲にも貼り付き、周囲に甘い匂いを放つ。

 

「もう、ちょっと……!」

 

 流石に粉砕と再生を繰り返しすぎたか、像が綻び始める大玉スイカ。

 それでもジオウはそれを維持。応えるようにコダマスイカがエネルギーを捻りだす。

 回転し、再び彼はメガロスに向かって行く球体。

 結果は再演。スイカが割られ、飛散するという状況が繰り返される。

 

 行き過ぎたくらいに周囲を満たす甘い匂い。

 そのスイカの香りに顔を顰めつつ、オルガマリーがヒポグリフの背を叩いた。

 軽く鳴き、幻獣は主の命に従い背中に乗せた者の指示に従う。

 空中で飛来する拷問器具を回避しつつ、幾度か羽搏き風を起こす幻馬。

 

 上下左右に揺れる激しい動き。最低限の手加減は感じるものの、真っ当な人間では追従できない強い動き。それを幻馬の体に掴まって何とか耐えつつ、オルガマリーと立香は顔を見合わせる。

 

「カブトムシになった気分かも……!」

「虫くらい簡単に罠に嵌ってくれたら楽でしょうけど……!」

 

 荒ぶる幻馬の動きと、酔いそうなほど強い匂い。

 それに表情を引き攣らせつつ、しかし彼女たちはそこで耐える。

 

 背中のそんな様子を微かに気にしつつ、風を荒ぶらせるヒポグリフの翼。

 その翼が起こす突風が不夜城を揺すり、一部の残骸を地上に落下させていく。

 

 その様子を城の上で睨みつつ、不夜城の女王は眉をきつく顰めた。

 このままでは決着の前に不夜城が潰れてしまう。

 逃がす気は一切ない。彼女の法を犯した以上、相応しい罰は下さねばならない。

 それが国家を運営する為政者としての活動というものだ。

 

 後はメガロスもである。

 本当にどうしてくれようか、と怒りにきつく上がる眉。

 

 ―――それはそれとして、だ。

 現状において、何よりの問題がもうひとつ。

 

 ()()()()()()

 空気がとにかく甘い。幾度となく飛散したスイカの残骸が放つ香りが鼻を―――

 

「――――ち」

 

 そこでようやく気付き、童女が舌打ち混じりに背後を見やる。

 

 周囲に充満するのは、むせ返るようなフルーツの甘い匂い。

 そして甘い香りに紛れて漂うのは、身を蝕む毒の香。

 未だにサーヴァントの体を侵すに程遠い薄さであるが、それにしても間が抜けている。

 疾く気付くべきだったというのに。

 

 ―――それを空気に紛れ込ませるのは、城の壁に張り付いた何者か。

 太陽のように輝く黄金の城の壁にぽつりと浮かぶのは黒い影。

 

 その姿は肌を毒に染めた一人の魔法少女。

 毒の娘、ハサン・サッバーハを纏った美遊・エーデルフェルトに相違ない。

 発見された少女の僅か、驚愕の色を顔に浮かべる。

 

 気配遮断はアサシンの専売特許であり、そう簡単に見つかる筈がないというのに。力の源が山の翁の一人というならなおさらだ。だが不夜城の女王はいとも簡単に、酔いそうなくらい甘い匂いの中に秘められた毒香に気付いていた。

 彼女の肌からこぼれた微かな毒が風に運ばれ童女にまで届いた。ただそれだけで、彼女はそこに何かがいる事を容易に看破せしめていたのだ。

 

 城に張り付く暗殺者を見た童女の貌が、酷くおかしそうに笑みを浮かべる。

 

(まだほとんど毒は流して無いのに気付かれた……!)

「美遊様―――!」

 

 少女が頭に乗せた髑髏の面から、サファイアの声。

 その瞬間、彼女が張り付いていた場所から無数に発生する拷問器具。

 咄嗟に跳ねた少女が、童女の立つ天守の手すりの一角へ着地した。

 

「くふふ、ふるーつの甘い匂いに毒香を秘める。

 さしずめ、ふるーつの毒入りほん……ふぉ、ふぉんじゅー、という奴じゃな?」

(フォンデュ……?)

 

 ふわっとした言葉を聞き流しつつ、美遊は目を細める。

 五指を開きながら体勢を低くし、少女が取るのは四肢で跳ぶ獣のような姿勢。

 吐息は長く、彼女の内で精製された毒が放出されていく。

 

 甘い香りに忍ぶ死の吐息。

 それは幻馬の起こす風に巻かれ、城内だけに吹き込むように誘導される。

 

 だが、それは。

 

「しかし、妾を毒で暗殺しようなど片腹痛い。まして此処は妾の城、毒を仕込まれ苦痛に喘ぐのは貴様ら罪人の方だと知るがいい!」

 

 童女が手を持ち上げ、横に振るう。まるで何かに指示を出すように。

 すると彼女の前には、ごとりと音を立てて突然どこからか壺が湧いて出てきた。

 壺を前にした童女が掌を握る。

 

 美遊がそれに怪訝な反応を示した一瞬の内に、まるで空気の中から絞りとるように、毒の娘が放った毒気だけが雫となって壺の中に滴り落ちる。

 ほんの数滴が壺の中に落ちて、水音を立てて―――

 

 次の瞬間には、壺から溢れた毒の津波が美遊に向かって押し寄せてきた。

 

「―――――っ!」

 

 毒の娘が跳ねる。飛沫さえも避けるための、大きな軌道を描く回避行動。

 そうして空中に身を投げ出した少女に対し、追うように展開してくる無数の拷問器具。

 少女が咄嗟に手に短剣を顕すが、それで凌げる物量ではない。

 

 毒に塗れながら雪崩れ込む刃の群れに対し―――

 

「美遊、こっちへ!」

 

〈エクシードチャージ!〉

 

 城の屋根に上がっている、マスターの声を聞いた。

 放たれた赤い弾丸は鋸刃にぶつかり、弾けて円柱を形成。標的であった拷問器具をその場に強引に拘束した結果、固定されたそれが美遊までの道を阻む壁になり、激突してくる後続の凶器が四散させていく。

 

「ええい……!」

「アンインストール!」

 

 女王が口惜し気に僅かばかり眉を上げ、視線を城の屋根に立つツクヨミを睨む。

 彼女の意志に従い、発動する法の裁き。改めて無数に展開される刃の群れ。

 

 美遊の胸元から弾かれるアサシンのクラスカード。

 それを掴み取りながら、元の姿に戻った魔法少女が宙に敷いた足場を駆ける。

 刃を差し向けられたマスターを目掛けて全力疾走。

 

 ツクヨミはそれを視認すると、己の足で城内に向かって走り出す。

 追跡してくる刃を躱し、銃撃で迎撃しつつの逃走。

 刃を撃ち落とす銃撃に紛れさせ、彼女は女王に向けての発砲を織り交ぜていく。

 

「っ、酷吏よ!」

 

 一瞬大きく顔を顰め、下す女王の勅令。

 彼女の足元から湧き立つ、城下から回収された数名の酷吏。

 銃撃からの盾となる事を命じられた者たちが、その任務を全うする。

 

「ええい……! 妾の城の中から妾を狙うとは!

 もし妾に当たったらあの筋肉ダルマが突っ込んでくるじゃろ……!」

 

 もしメガロスが不夜城の中に逃げ込んだ者に対して照準した場合が悲惨だ。そいつを狙ってメガロスが城内に突っ込み、倒壊するだろうことは想像に難くない。

 今でも余波で酷い事になっているのに、そうなっては敵わない。突っ込んでくる口実を潰すため、彼女はぎりぎりと歯を食い縛りつつ、数瞬後に腕を大きく振るった。

 

 拷問器具の出現パターンが変化する。

 ツクヨミを追い立てていたそれが、彼女の道を塞ぎ城に入れなくなるように敷かれていく。

 それを認めたツクヨミは切り返し、外へと逃れるようなルート取りで走り続ける。

 

 幾度か宙を跳ねて、そんな彼女に追いついた美遊が手を伸ばした。

 

「ツクヨミさん―――!」

「ありがと!」

 

 手を取り合って、そのまま美遊の推力に任せて城を飛び立つ二人。

 その後ろ姿を見ながら、女王は舌打ちひとつ。

 直後、発砲された赤い光弾を酷吏を盾にして遮る。

 

 そうして、美遊たちに意識が向いているのを見たイリヤが杖を振るった。

 彼女が空中に展開した複数の魔法陣が回りだす。

 

「ルビー!」

「転移術式、準備完了! 一発撃った後、すぐに転移します! ただしそこでキャスターのインストールは解除されますので!」

 

 少女とステッキが複数構成した魔法陣の内、攻撃のために展開したのはただひとつ。

 杖を突き出し、それが砲身であるかのように強く握る。そこを起点に発動する神代の魔術師、メディアの魔術。溢れて弾ける紫電と化した魔力を束ね、少女はそれを押し出すように力を込めた。

 

「ええい……!」

 

 令を下す。童女の掌が翻り、裁くべきものを指し示す。

 その動作によって彼女は砲撃に対する壁を用意しようと試みて、しかし。

 

 飛来する武装を模した黒炎と、剣を矢に見立てた弾幕。

 ただでさえ手が足りないというのに、それらが邪魔になって防ぎきれない。

 

「ちぃ……っ!」

 

 口惜しげに童女が足を動かす。

 天守から地上へと滝のように毒を流しつつ、彼女は回避行動を取らざるを得ない。

 拷問器具を弾き飛ばし、魔力砲が城の天守へと突き刺さる。

 

 メガロスはあまりにも簡単に壊すが、元来この城はそう簡単に壊れやしない。不夜城はアガルタに紐付いた、あって当然であるべきもの。

 であるが故に堅牢。如何に相当な魔力砲とはいえ貫通するほどの事にはならない。

 

 しかしその熱量に至近距離を通られた女王は酷く眉間に皺を寄せた。

 

「■■■■■■■……ッ!」

 

 スイカ割りをしていたメガロスが標的を変える。

 次に狙うのは、空中に浮かぶ魔法少女。

 その意志を感じ取ったイリヤが僅かに唇を噛み締めつつ、すぐに次の魔術の準備に入った。

 

「ルビー、回避するよ!」

「はいはーい!」

 

 残した魔法陣は全て、攻撃後に訪れる大英雄から逃れるためのもの。

 一瞬を稼ぐための魔力障壁と、その後射程外まで避難するための転移。

 コルキスの王女メディアの魔術師としての性能を遺憾なく発揮しつつ、彼女は空で身構える。

 

 少女の動きを察知して、ヒポグリフが彼女から距離を取った。

 その背の上で、オルガマリーの目が細められる。

 

(この状況でどこまで攻める。メガロスを引き付けて避難が完了した時点で撤退する? 可能であれば、このタイミングで不夜城を完全に落としてしまう? 魔神の動きが見えない以上、潜んでいるのはここではないと見ていいでしょうけど……)

 

 思考に埋まりそうな彼女の肩を叩き、立香が顔を寄せてくる。

 小さく首を動かして、オルガマリーは耳を寄せた。

 

「所長、聖神皇帝って……」

「……そうと名乗ったのは中国史上において唯一の女帝。後宮に取り上げられ、皇后として立ち、やがて皇帝に登り詰め、自分の国として“周”を興した。

 彼女の名前は武照。けれど、英霊としての真名を通りのよいものから選ぶとするならば……則天武后。いえ、彼女が皇后ではなくこの地で今なお女王、女帝としての立場に就いているのであれば、こう呼ぶのが正しいのでしょう―――即ち、聖神皇帝・武則天と」

 

 故にこの国家、宝具の名を“告密羅織経(こくみつらしょくけい)”。聖神皇帝・武則天の国造りにおいて、彼女という帝こそが全てを支配する法であったという証明。

 その国において罪人とは罪を犯したが故になるものではなく、彼女に罪悪だと認識された者に与えられるラベルである。彼女がそうと決めれば、真実こそが彼女の意志に遵う。

 不夜城が彼女の国家になっている以上、この国の全域でその宝具は効果が発揮される。この国にいる限り逃れられぬ様々な拷問は、罪を雪ぐために与えられる皇帝の慈悲なのだから。

 

「国は周……つまり不夜城って、武則天とは関係ない?」

『共通点があるとすれば、中国にあった国家というだけかと』

 

 マシュに補足されて、立香が眉を顰める。

 

「■■■■■■■■■■■■――――――ッ!!」

 

 そうしている内に、メガロスがイリヤに向けて突撃していた。

 即座に魔力障壁を展開しつつ、転移魔術を実行する。

 メガロスが壁にぶつかった瞬間に、離れた位置に移動したイリヤスフィール。

 彼女は自身から排出されたカードを手に取りつつ、すぐにルビーを握り直す。

 

 障壁はいとも簡単に砕いたが、獲物を逃して空振りするメガロス。

 彼は地面を粉砕しながらすぐさま振り返り―――

 

〈仮面ライダー!〉〈ライダー!〉

〈ジオウ!〉〈ジオウ!〉〈ジオウⅡ!!〉

 

 スイカの残骸を吹き飛ばしながら、二重の“ライダー”の文字が飛来する。

 それに激突されても微動だにせず踏み出そうとする大英雄。だが彼がその一歩を踏み出す直前、新たな姿に変わったジオウ―――ジオウⅡの腕が、既にドライバーにかけられていた。

 

〈〈ライダーフィニッシュタイム!!〉〉

 

 右手でジクウドライバーを回転させながら握り込まれる左の拳。

 拳を覆うように形成されるエネルギーフィールド。

 ジオウⅡのエネルギーを破壊のために凝縮したその一撃が、メガロスの腹部目掛けて放たれる。

 

〈〈トゥワイスタイムブレーク!!〉〉

 

 アナザーライダーの不死性すら強大な力で突破する特殊フィールド、マゼンタリーマジェスティ。その力が叩き付けられたのは、十二の試練を潜り抜けた無敵の肉体。不死身を粉砕する拳が激突するのは、極まった筋肉の頑強さ。おおよそ筋肉というものが発揮できる強度を超越したボディが、それでもその一撃によって軋みをあげた。

 振り返りざまに殴打された巨大な肉体が押し返されて、その足が地面に轍を刻む。

 

 全力の殴打。その反動で痺れた腕を軽く振りながら、ソウゴが小さく呟いた。

 

「……アナザーフォーゼのウォッチだけでも壊せないかな」

 

 口にしつつ、ダメそうな気がすると自分で否定する。

 壊せるなら前回の戦いで壊せている筈だ。サイキョージカンギレードによる一撃以上の攻撃力は、ジオウⅡには存在しない。あれでダメなら切り捨てていい選択肢だ。壊せているのに宝具の力で一緒に再生しているだけかもしれないが、どうしようもないという現実に大差はない。

 

 イリヤがジオウⅡの背後に着地する。メガロスの照準が彼女に変わっている以上、後やれるのは真正面からの激突だけ。

 しかしこの勝負したところで、パワーはまだしもタフネスの問題がある。スタミナの削り合いになった場合、メガロスに勝つ手段などないと言ってもいい。前回削った分を考えても、残りの蘇生回数が7回以下という事もないだろう。もちろんそれは、動いていない時間でメガロスの蘇生回数が回復していない、という前提でだ。最悪、命のストックが全快しているだろう。

 

(そういえばスウォルツは戦う気がなさそうだったけど……加古川飛流を俺にぶつけたい、ってのは本当だろうけど、別の理由もあるんじゃない?

  多分、新宿の時と同じ。ギンガの力がここでは回復できないから。それで……宇宙から力をもらってるのは、アナザーフォーゼも同じじゃない?)

 

 ジカンギレードとサイキョーギレードを呼び出し、両手に握る。

 崩した体勢を立て直し、メガロスが武装を握り直す。

 

(ヘラクレスをアナザーフォーゼにしてるってことは、飛流がもうアナザーフォーゼの力を回収してるって事。だったらそれを使って宇宙に行けばギンガの力だって補充できそうだけど。

 宇宙に行きたくない? 飛流に連れて行ってくれって頼むのが嫌だとか? うーん……ありそうだけど、なんか違う気がする。どちらかというと……()()()()()()()()()()()()()?)

 

 ―――スウォルツの目的はなんだろう。それは身をもってよく知っている、自分や加古川飛流の()()だ。最終的にそれが何に繋がるかは分からないが、少なくとスウォルツがそれを現時点における目的としているのは間違いない。

 

(俺に回収させたい仮面ライダーの力を持った新しいアナザーライダー、まだ見てないよね。ってことは、まだ作れてないんだ。だからまだこの特異点を解決されたら困る。今はまだ俺たちに足踏みしててほしい。つまり、魔神は―――)

 

 不自然だ、とは思っていた。こっちがメガロスの降臨条件を満たした時はあんなにスムーズに落ちてくるくせに、標的を変更する場合に限ってあんなにラグが出来るなんて。宇宙にいる場合は通信良好、地下にいる場合は通信不良。であるならば、メガロスの目標を決定するための計算機(まじん)は宇宙にあると考えるのが自然だろう。魔神がちゃんとアガルタの中にいるのなら、落ちてくるまでは時間がかかるが、落ちてきた後の動きに淀みがない方がそれらしい。

 確定情報と言えるほどの証拠はないが、一考には値すると思う。

 

 ただどちらにせよこれだけ手の込んだ特異点を作っている以上、目的として何かが秘められているのは間違いない筈だが。

 

(一回戻った後、宇宙の方を調べてみるって相談しよっかな)

 

 息を吐いて、全身に力を籠め直す。今まで考えていた事を全部投げ捨てて、メガロスのみに専心していく。余分な思考をしていた意識を解放して、集中して前を見る。

 

 ―――現実を追い越して、ジオウⅡの視界に訪れる数秒先の未来。

 未来に見えるのは、再動した大英雄の動き。

 

 それはいずれ来たる既知の未来。既に見た光景をなぞるように描く過ぎ去った軌跡に対し、ジオウⅡは双剣をもって対抗する。

 唸る大戦斧の腹に叩き付けられるサイキョーギレードの切っ先。火花を散らして逸らされて、メガロスの一撃は地面を抉り飛ばすに留まった。

 

「イリヤ、俺の後ろについてて」

「はい! 夢幻召喚(インストール)、ライダー!」

 

 少女の姿が変わる。彼女の手持ちのカードで最も足回りに優れた英霊のカード、メドゥーサの姿を借りたイリヤが、杭のような短剣を手にしながらジオウⅡの背後にぴたりと張り付いた。

 そんな動きを見せるイリヤに対し、メガロスの視線がついて回る。

 攻め続けるメガロスと、受け流す事に終始するジオウⅡ。その攻防の余波だけで酷吏たちと街中を蹂躙するほどの破壊の嵐。

 

 そうして陥没していく街並み。薙ぎ払われる酷吏たちを横目で認識して、不夜城の女王―――女帝、武則天は酷く眉を吊り上げた。

 

(崩すのであれば空を行くあの鳥に乗った者、マスター二人からしかあるまい。ええい、手どころか何もかもが足りぬ……! あの筋肉ダルマがいなければ戦力の差が埋められぬ……! 最終的に処分するとしても、今は処遇を改めねばならぬとは何とも腹立たしい……!)

 

 ―――それでも、と。武則天の目が強く光を湛える。

 同時、彼女の元から鋸刃が地上に向けて射出された。

 

「!?」

 

 ガキン、という金属同士が撃ち合う鋼の音。それは、武則天が放った刃がクロエが投射していた剣と衝突した結果。その刃がお互いに弾けあい、見当違いの方向へと飛んでいく。

 クロが酷吏に向け撃ち出していた剣は上方へと舞い上がり―――その結果を導いた武則天が軽く体を逸らして、自らの体を掠めさせた。腕に走る赤い線から滴る血が、指先にまで伝う。

 

 機関が待ったをかける。一瞬のアイドリングの末、照準が移される。

 巨英雄メガロスが導かれる。迸る殺意の視線が、刹那の内にクロエを対象にしていた。

 

「―――あいつ……!」

「まったくもって腹立たしい。それでも妾のやるべきことは変わらぬ。必要であるならばやるだけなのだから、何を戸惑うこともない。

 貴様たちを裁くと決めた以上、そのために必要となる事を積み上げるだけの話よ―――!」

 

 例え不夜城がどれだけ抉られようと彼女の道行きに乱れはない。

 彼女がやるべき事ははっきりしている。

 ならばこの土地が何一つ残さず消し飛んでも、同じように築くだけだ。

 かつて“そこに立つ”と決めた場所に立つために辿った道程。

 それと同じように彼女は正しく必要な労苦を支払うだけ。

 

 既に決めた事は曲げない。

 彼女は今の体―――童女だった頃の時分に、とうに目的地を決めている。

 もう既に辿り着くべき場所は設定しているのだから、過程に揺り動かされることはない。

 

〈ライダー斬り!〉

 

 メガロスの意識がクロエに向かった瞬間、サイキョーギレードが鋼の肉体を打ち据える。

 膨大な力を纏った時計の針が描く軌跡。

 その直撃によって一瞬揺れたが、しかしメガロスの動きはまるで鈍らない。

 

「クロ……!」

「妾は光輝! 遍く真実を照らす正義にして、あらゆる悪を罰する太陽! 過たず、正しくあらんと邁進する妾の姿を追い、誰もが正しき世に向かって進めばよい!」

 

 武則天が大きく腕を振るう。周辺一帯から溢れ出す拷問器具。

 メガロスを止めるため動こうとした者たちの初動を止める凶器の氾濫。

 

「正しく進み、悪しきを排除するというその在り様を示す事が何より優れた妾の治世! 悪を憎む正義の化身たる皇帝を見て、人々は悪を赦さぬという思惟を抱く! 正しき行いを求めた人々は、悪を排斥せんと正義である妾へと悪の所在を告げるであろう! 妾は正義の心によって明かされた悪を裁き、いずれこの世界から悪を永劫滅却する事となる!」

 

 彼女は示す。正しくあろうとする方向性だけを。

 それ以外の道に逸れようとした者を串刺して。

 いずれ数え切れぬ屍を積み上げて、道は一つのみしかないのだと誰もが知るだろう。

 悪徳は淘汰され、正義のみが存在を許される。

 

「妾という太陽はくべられた悪を燃やし、より激しく燃える事でこの光輝を示す。その光に照らされる事によって、民たちは己の行いの正しさをとくと知る。

 正しく生きる事によって得られる、この光輝の許で生きる尊さを」

 

 それこそが正しき営みである、と女帝は気持ちよさそうに笑いながら断言した。

 

「誰もが正義を正義と称え、悪を悪と知って厭う。誰にとっても厭わしく、しかし常に人について回る汚濁。悪という概念は、いずれ誰もがそれを忌避し、排斥する事によって消え失せる。

 妾の治世、この都市はいずれそこへと辿り着く。何故ならば――――()()()()()()()()()()辿()()()()()()()()()()()()()

 

 夜を不らぬ城、太陽の沈まぬ都。陰を否定して陽のみに生きる女帝の言葉。

 その言葉に対し応えるように、響くのは鋼の音。

 ジオウⅡが双剣を連結した剣を振り抜いて、雪崩れ込む拷問器具を薙ぎ払っていた。

 

「……そう? 俺なら―――どっちも受け入れた国にするけど!」

 

 続けて彼に迫る刃の数々を、黒炎の槍が地面から飛び出して塞き止めた。

 炎の壁を突破してくる数少ないものも、いつの間にか張り巡らされていた鎖が絡め捕る。

 その隙にクロエの前に滑り込むジオウⅡ。

 暴風の如き戦斧の一撃とサイキョージカンギレードが激突して、火花を散らす。

 

「ふん? しかしそれは無秩序というもの。国を、人心を惑わすものを放置することは百害あって一利なし。それを解せぬのは、無能の誹りを免れないじゃろう」

『いいえ、それでも……! それでも、悪をただ消す事が正しいとは思えません……!』

 

 片眉を上げつつ、武則天の目線がヒポグリフを向く。

 上に乗ったマスターの横に浮かぶ、一人の少女の幻影。

 この場にいない少女が、それでもひたむきに武則天を見据えている。

 そんな姿を見て、彼女の眉の角度が再び僅かに上がった。

 

『今まで行われていた何かが、たとえ悪辣な行いであったとしても、わたしは……わたしたちは、それが今のわたしたちの時代にまで繋がってきた、けして消してはならない、誰かの大事な足跡だと知っているから―――!』

 

 メガロスの肉体が熱を帯びる。彼の肉体に秘められた、圧倒的な力の蠕動。

 迸るのは宇宙のエナジー。刀身から立ち上る青い炎のような力の渦。

 

『迷う事も、苦しむ事も、人間が人間だから持つ事ができた、どれだけ辛くても素晴らしい事だと信じたいから―――!』

 

 ジオウⅡがギレードキャリバーに手をかけた。

 ジオウの顔を模した形状に刻まれた文字、インパクトサインが変わる。

 オーバーロード状態に突入するジオウⅡの持つ最強剣。

 

『だからこそ、退けません。わたしたちは悪を排斥して綺麗なだけの正しさを手に入れるのではなく、たとえ泥に塗れてでも、正しくありたいという想いを抱えてその先に、行けるところまで歩いて行きたいと願ったのだから――――!』

 

 地面が捲り上がるほどの勢いでメガロスが足を踏み込み、両腕で握る大戦斧を振り上げた。

 

〈リミットブレイク…!〉

〈ジオウサイキョー!!〉

 

 その所作を見てジオウⅡが即座に合体剣を振り上げる。

 形成される、浮かぶ文字通りの最強光刃。

 

 最大火力の激突の前兆を見て、美遊に引かれて飛ぶツクヨミが眉根を寄せた。

 

「不味いわ、このままじゃ勝っても負けてもこの辺り一帯が……!」

 

 不夜城周辺が吹き飛びかねない、と。マスターの言葉に美遊が苦い顔を浮かべる。

 武則天は未だに天守で立ち、その光景を眺めていた。

 

 ―――彼女はとうに覚悟を決めている。

 不夜城が消し飛んだらどうする? 決まっている、何としても逃れて、再び建国するのだ。

 目的を果たすまで彼女は諦めないし、彼女が健在である限り終わりじゃない。

 不夜城だとか、アガルタだとか、武則天には関係ないのだ。

 やり遂げると決めている以上、国が一度消し飛んだとしても止まる理由にならない。

 彼女は再び己の国を興し、排除すると決めたカルデアとメガロスを処分する。

 絶対にそうするために動く。

 

「サファイア、武則天は……」

「アサシンのサーヴァント、でしょう。国家を得て強力になっていますが、本来は暗殺・拷問に特化しているだけのサーヴァントだと思われます」

 

 つまり、逃げる余地を残せば気配遮断で逃亡される可能性が高い。

 武則天は迷わないだろう。必要ならば、彼女はどんな事だってするだろう。

 それがどういう事になるか、分からない。

 不夜城という土地を潰せば魔神の目的は潰せるのか、あるいは女王さえいればいいのか。

 

 その光景をヒポグリフの背で見下ろしながら、オルガマリーが唇を噛んだ。

 

(どうする……! いえ、もう宝具級の攻撃の激突は避けられない。不夜城の中心の壊滅は決定的。なら、逃げるだろう武則天を追わせる? 誰に? いえ、可能なのはライダー。わたしたちがヒポグリフを降りて、彼に追わせればいい。どのタイミングでわたしたちは降りればいい? 今降りたら武則天に狙い撃ちされる。どうやってタイミングを見極める? 次にメガロスがどう動くかの判断材料も足りていないのに……!)

「――――所長!」

 

 埋没していく思考から引き戻し、立香の声に反応する。

 振り向けば彼女はどこかを指差していて。

 そちらに視線を向けてみれば、空中に色とりどりの光が見えた。

 

 ―――モリアーティが打ち上げた発光弾。

 オルガマリーがそれを視認した、ほぼ次の瞬間。

 

 がちりと、ジオウⅡと対峙するメガロスの動作が何故か固まった。

 突然の状況に対してジオウⅡが困惑するように一瞬浮足立って、しかし。

 刹那の後に、彼は手にした光の刃を振り抜いていた。

 

〈キング!! ギリギリスラッシュ!!〉

 

 真正面から叩き付けられるジオウⅡ最強の一撃。大地ごと切り裂く光の一閃。

 それほどの攻撃を無防備に、棒立ちで受けたメガロスが唐竹割にされ、更に衝撃で不夜城の塀まで吹き飛ばされた。メガロスが激突した瞬間、粉微塵に吹き飛ぶ塀の一角。

 

 ―――そうして瓦礫と粉塵に埋まった真っ二つの巨体が、視線を下に向けるように顔を下げた。

 

 

 




 
 追加シナリオをやりながら事件簿コラボもやりたいなぁとか考える。
 ムネモシュネーなのでバトライドウォーやね。新作はよ。
 一応医療器具なのでエグゼイドに投げ込んでもよい。
 


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もう一度の命2003

 

 

 

「乗ったな!? よーし、乗った! 準備ができた連中からどんどん行け!」

 

 ライダーの声に頷き、レジスタンスの者たちが荷車を押し出す。

 走り出す荷車を後ろから押しつつ、フェルグスは背後で行われる戦闘を見た。

 

 ギリシャの大英雄、アキレウス。

 彼に対して並々ならぬ憎悪を滾らせるアマゾネスの女王こそが彼女の正体。

 

 ―――であるならば、その真名は一つしかない。

 

 それこそがペンテシレイア。ギリシャ神話におけるアマゾーンの女王。

 トロイア戦争においてアマゾネスを率いてトロイア軍に合流し、アカイアの軍勢と戦った戦士である彼女は、勇者アキレウスと一騎打ちを行い、その命を散らしたという。

 

 少女の姿で現界した女王は、アルトリアと刃を交わす。

 聖剣と打ち合うのは腕に装備された鋼の爪。

 幾度となく激突し、火花を散らしながら争う二人の王。

 

「―――――」

 

 やがて王となる筈だった少年、フェルグスがその戦いに眉根を寄せる。

 どう見ても、少なくとも今の少年を遥かに凌ぐ二人の女戦士たち。

 それを見ても、彼の闘志には火が入らなかった。

 

 彼は今どうにも女性と戦う事ができない。そうしていい、と考えられない。

 少年にとって女性は守るべきものであり、争うべき相手になりえなかった。

 攻撃を捌く程度ならともかく、相手を打ち倒す事ができないのだ。

 フェルグスという英雄は、その意識を塗り替える女傑に出会うまでそうだったのだろう。

 だからこそ、彼は素直にレジスタンスの避難と護衛を担当した。

 

 この弱さを恥と思う。

 しかし恥ずべき事である、と考えているのは少年の精神の問題。

 

 たとえ逃亡であっても、これもまた戦いの一つだ。

 誰かがやらねばならない事が、彼の担当になったというだけの話。

 

 だから戸惑わず、彼は周囲に注意しながら荷車を押す。

 桃源郷―――までではなく、不夜城から大きく離れた位置にまでいければ十分。

 不夜城の外縁にあった筈の関所は、アマゾネスの侵略が全て粉砕していた。

 

 荷車が減速する理由はない。

 少年は襲撃者がいないか周囲に気を配りながら荷車を押す。

 彼以外のレジスタンスもまた必死に、余裕なくその行動を行っている。

 

 どこまで下がるかを指示できるのは、フェルグスだけだ。

 

(離れすぎてもいけない……いや、ギリギリまで桃源郷に寄るべきだ。

 中途半端な位置だと三国の中心に留まる事になる。できる限り―――)

 

 不夜城から距離は取った。だがこのまま彼らだけで桃源郷にまで行くわけにはいかない。中に魔獣が侵入している可能性を否定できないからだ。だから位置を見極め、待機するべきで―――

 

 そう考えていた少年の耳に、どこからか音が聞こえる。

 不夜城において発生しているメガロスの尋常ではない破壊音じゃない。

 横合いからやってくる、規則的に地面を叩く―――

 

「……ッ!?」

「ははっ、キャスターの遠見の通りだ! 男が集団で()()()たぞ!」

 

 地面を踏み締める双角の馬、二角獣(バイコーン)の蹄の音。

 そんな馬に乗って襲来するのは女たち。

 もう消去法で正体は判明する段階、イースの女海賊だ。

 

「魔獣を、従えてる……! 海賊が……!?」

 

 少年の口から驚愕の声が漏れる。

 

 挙句、彼女たちは今キャスターと口にした。それは果たして女王を指すものだろうか。

 カルデアが持つ霊基情報から言って、霊基が歪んだフランシス・ドレイクの存在はほぼ確定している。海賊国家である事と合わせ、彼女が女王である可能性が非常に高い。

 

 ではイースの女王は、キャスターであるフランシス・ドレイクなのだろうか。

 ―――いいや。きっと違うだろう。

 

 フェルグスが聞いた限りの情報において、ドレイク船長がキャスターであるとは考え難い。もちろんそれも理由の一つだが、それ以上に。そうであったなら、彼女たちは素直に“女王の言った通り”と口にした筈だ。

 

 今存在が示唆されたキャスターとは、イースの女王ではなく、まったく別のサーヴァントである。そう結論付け、更に真相と繋がる問題がもう一つ。

 そのキャスターがバイコーンを海賊たちに与えたとするのなら、キャスターは魔獣を従える能力を持っている事になる。推定女王のフランシス・ドレイクにそんな能力はないのだから。

 となると、だ。何者かの意志によって差し向けられただろう、桃源郷を襲ったあのソウルイーター。あれは、イースのキャスターが彼らに送った刺客という事になるのではないか。

 

(魔神と繋がっているのはイース……それも女王ではなく、別のサーヴァント!)

 

 一瞬そう考え、しかし彼はすぐにそれどころではないと荷車から手を放した。

 少年の手に現れる宝具、カラドボルグ。

 荷車の方から彼は一息に踏み込み、接近してくるバイコーンたちに立ちはだかる。

 敵は五頭の二角獣。一頭につき海賊たちは二人跨っている。

 

 ―――だが、不味い。こんな状況だというのに、やはり相手を斬れない。

 バイコーンはともかく、海賊に対して覇気が維持できない。

 追い払うくらいならともかく、殺し合いに至った場合に刃を立てる気になれない。

 

(レジスタンスだけでも逃がす? 桃源郷―――いや、この状況なら引き返した方がまだ安全だ。イースのキャスターはこの機を狙っていたのだから、その魔獣が入れる桃源郷は敵地と言ってもいい。けど、僕だけで足止めが叶うのか? バイコーンの足回りに僕は追いつけないし、彼女たちの武装は銃だ。この人数の差じゃ、剣だけでそれを全部は止めきれない)

 

「ようやくの新しい男どもさぁ! 殺すのはナシだ、全員連れて帰るよ!」

 

 楽しそうに、女たちはそう言って笑う。

 

 レジスタンスの救出活動。それ以上にメガロスの破壊活動。そのおかげでこの大地で自由があったものはいなかった。そんなお行儀のいい連中だったわけでもないのに、欲望を抑え込まねば生きられない場所だった。

 それが久しぶりの獲物を見つけて、昂揚したままに襲い掛かってくる。

 

 その言葉には、フェルグスの事も男の一人としてしか見ていない響きがあった。そんな態度を見て、少年は強く眉根を寄せる。

 

(―――情けない。この段に至っても僕は剣を振るえない)

 

 息をひとつ、吐き捨てて。彼は握った手を開き、その中から宝具を消した。

 光となって消え失せるカラドボルグ。

 

(けど、自棄にならずに済む結果が見えた。まだ僕たちには手があるかもしれない……!)

 

 海賊たちは男を求めている。飢えていて、渇いているのだ。

 できる限り多くの男たち、奴隷を欲しているのだろう。

 それは何故って、今イースが所持している分では絶対的に足りていないから。

 

 海賊たちは無暗矢鱈に男を殺すし、それを娯楽として考えている連中だ。

 だが、今回は彼女たちは資産を増やす事を優先してくれた。

 

 この成果は、巧く立ち回り男たちを奪い返していたライダーと、その指示に従って動いていた彼らレジスタンスのもの。彼らの今までの戦いが、取れる選択肢を増やしてくれた。

 振り返ったフェルグスと、彼の後ろで震えていたレジスタンスの一人の視線が絡む。多少頑張ったところで、やはり捕食者を前にすれば恐怖で震えるのは道理だ。だが、まだ負けていない。ここで反撃すれば多くは死ぬしかない。男を求めていても、歯向かわれれば反撃から手心が抜け落ちることもあるだろうから。

 

 ―――だが今なら、全員で捕まるという選択肢が取れる。

 その後、全員で生き残る方法を求める事ができる。

 

(きっと彼女たちは僕たちを拠点に連れ帰るのを優先する。自国に一歩でも入った瞬間、メガロスという最強の守護者に無事を保障してもらえるからだ。

 それを余計なお世話と考える不夜城や、むしろ彼に殺意を抱いている女王ペンテシレイアとは違う。彼女たちはメガロスを、略奪には邪魔だが防衛には便利なものとしか見ていない)

 

 だとすれば、こんな情けない自分にもやりようがある。

 彼は女性に剣を向ける事を躊躇するが、相手が男の勇者であれば何の迷いもなしに戦える。

 であれば、イースに連れ込まれた後に剣を抜けばいい。

 そうすれば、きっとメガロスが彼の元にやってくることになるだろう。

 

 

 

 

 

『―――ストップ、緊急事態だ! 撤退中のレジスタンスの移動方向が何故か変わった! 進行方向はイース方面! その上、結構な人数を乗せた荷車なのに移動速度が極端に速い! たぶん魔獣に牽かせての移動だ! 恐らくこれは……!』

「それがモリアーティが打ち上げた合図の内容だね……!」

 

 ロマニの声を聞き、ヒポグリフの背を掴んでいた立香の手がオルガマリーの腰を掴む。

 僅かに眉を上げるという反応をしつつ、彼女は口元に手を当てた。

 

「移動速度に優れた魔獣……あの時と同じソウルイーター?

 ―――つまり魔神とその協力者だろう相手は、イースにいるってわけ?」

 

 思考は数秒。それだけおいて、彼女は大きく声を張った。

 

「撤退―――! ここで時間をかけられない、このままイースの方に行くわよ!」

 

 目的である男性たちの解放はほぼほぼ完了している。その上で、海賊に奪われてしまったが。そして魔神の隠れ家としてここでイースが浮上してきた。この状況で不夜城における戦闘を続行する理由はない。メガロスの存在は脅威だが―――いや脅威だからこそ、ここで消耗するのは避けたい。

 

 その声を聞いて、僅かに戸惑う様子を見せるのはジオウⅡ。

 彼の目の前で数秒もかけず完全再生するのはメガロス、傷一つ残さず修復される無敵の肉体。直前のぶつかり合いで、大英雄は不自然な停止をした。他に狙うべき対象がどこかで発生したのか、あるいはあのまま激突して不夜城を壊さないように何らかのセーフティが作動したのか。

 

「マスター!」

 

 拷問器具の乱舞を捌きつつ、デオンが声をかける。

 

「……なんだろ、何かが」

 

 腑に落ちない。

 イースが怪しさを増した、だからあちらを優先する。

 それはカルデアにとって当然の動きだ。

 

 男たちを救い出すという目標は果たせている以上、無理にいま不夜城を落とす必要はない。大前提として魔神とこの特異点を形成するのに協力したサーヴァントが黒幕であり、そちらを押さえれば勝利であるのだから。

 仮に不夜城や他国の完全打倒が必要となるとして、なおさらそれは今でなくてもいい。魔神を消滅させればメガロスが完全に停止するかもしれないし、その後に取り掛かった方が確実だ。まして、武則天がそう簡単に討ち取れるような相手ではないと理解している。正面から戦えば勝てるが、彼女がもし本拠地である不夜城を失い、隠れ潜む事になれば発見は容易くない。もはや不夜城は武則天を動かさないために落とさない方がいい場所、という価値さえ発生してしまっている。

 

「誘い込まれてる、ような?」

「―――それはどっちの意味でだい?」

 

 イースに来させたいからなのか、不夜城から離させたいからなのか。

 不夜城を守るためにイースに魔神ありと示す苦肉の策か。

 あるいは今になってイースにおいてカルデアを迎撃する準備が整ったのか。

 

 槍を引き出しつつ、酷吏の一人を殴り飛ばすアストルフォ。

 その力によって転倒したそいつに引っ掛かり、続く数人が地面に転がった。

 そうしながら彼が浮かべるのは難しそうな表情。

 

「けどさ、どのみち今からイースに向かわなきゃいけないでしょ。レジスタンスのみんなが捕まっちゃったんだから。助けに行きつつ、たぶん流れで魔神と決戦になっちゃうわけだよね?」

「正直な話、不気味よ。こうして回って色々情報は集まっている筈なのに、それでも目的が全然見えない。ここで何か大きな仕掛けがあると思うべきじゃないかしら」

 

 美遊の手を放し、着地したツクヨミ。

 流れるように発砲して酷吏を打ち倒しつつ、彼女は言う。

 サファイアが汲み上げた魔力が弾丸となって、その銃撃の後に続いた。

 立ち並ぶ拷問器具を弾き飛ばしていく無数の弾丸。

 

「苦し紛れ……それとも予定調和? 何か、不味い気はするけれど……」

「ったく、めんどくさいわねえ! いつまで考えてんのよ、あんたら! もう相手の計画が成功したって事でいいでしょ! これから相手の完成した計画を正面からぶっ壊しに行って、魔神をぶちのめして終わらせりゃいいだけでしょうが!」

 

 眉を顰める美遊の発言をかき消すように、地面に剣の切っ先を走らせる。

 そうして巻き起こすのは黒炎の暴威。

 周囲にそれを叩きつけながら、ジャンヌ・オルタはそうと言い放った。

 

 納得するように手を打つジオウⅡ。呆れるように肩を竦めるデオン。

 確かにやる事と言えば、何が起きても正面から行って叩き潰すだけだろう。

 どうせお前ら何が判明しても正面突破しかする気ないだろ、と所長の顔も言っている。

 

 とにかくと全員頭を切り替えて、動きを変える。

 明らかに撤退を考えた動きを取られて、武則天が眉を怒らせた。

 

「なぬぅ……! 妾の国に土足で踏み込み、挙句に暴れるだけ暴れて、それでやるだけやったら“はい、さようなら”で済ませる気かこやつら……! ええい、そんな無体は赦さんぞ!」

 

 国による裁きを相手に下しつつ、彼女はメガロスに視線を向ける。

 再生を終えた後、彼は何故か動く事なく停止している。

 酷く苛立たしげに唸ってはいるので何かはありそうだが、よく分からない。

 

 何が起こっているのか分からない。分からない、が。

 この地を支配していた法則を代表するメガロスが動きを止める。

 それが、終わりの始まりのように思えた。

 

 

 

 

 

「……一度退くか」

 

 戦闘を行っていた途中、ペンテシレイアが足を止めた。

 それに合わせて止まったアルトリアが、訝しげに相手を見据える。

 

「ほう、逃げる気か?」

「いや、場所を変えるつもりだ」

 

 彼女は鉄球を引き戻して握り締め、熱を持った息を吐き出す。その視線は動きを変えたカルデアのサーヴァント連中を見ていた。

 モリアーティの指示による動きを見るに進行方向はイース。そうした事実を読み取った彼女は、ゆっくりとクールダウンしながらアルトリアに視線を戻す。

 

「イースの海賊どもに先に逃げた連中が持っていかれたようだな。

 逃げ出した連中などどうなろうが私には関係のない事だが……貴様には借りを受けたままだ。決着の前に返しておく。追いたいならば追わせてやる。我らの誰にも貴様たちの追撃を邪魔させん。不夜城の連中が追おうとすれば、ここで少しの間止めておいてやる。

 少々の時間を置いたその後、我らが貴様らをイースにまで追撃する。そこで決着をつける」

「―――――」

 

 本気でここでこれ以上戦闘を続ける気が無い、と。彼女は鉄球を手元から消失させて、軽く腕を上げた。その意志に従い、アマゾネスたちが一斉に戦闘を停止する。

 軽く周囲を見回したアルトリア。彼女もまた手から聖剣を消して、走り出した。

 

 背を向けて離れていく相手に対し、ペンテシレイアは不動。

 彼女は時間が過ぎるのを待つように胸の前で腕を組み、その場に立ち尽くす。

 

「決着……そう、決着だ」

 

 勝利か、敗北か。戦う以上、当然のように必勝の心構えがある。

 だが相手の剣が先に己の心臓を抉る事もあるだろう。それだけの相手だ。

 勝つつもりであるが、あれほどの相手に負ける事があったとしても恥ではない。

 

 ―――だから。

 どちらであっても、ペンテシレイアという戦士の魂は満たされるだろう。

 

 そう。負けても、きっと満たされていたのだ。

 名だたる英傑と死合い、命を奪われただけであるのなら。

 勝者と敗者、強者と弱者という決着にさえ、泥を塗られる事がなかったのなら。

 

 組んだ腕に力が籠りすぎて肉と骨が軋む。

 血が燃えているような体の熱を吐き出しながら、彼女はただ時間が過ぎ去るのを待った。

 

 

 

 

 

 これはまいった、と思った。

 イースについた途端、彼は両の手足をきっちりと縛られてしまったのだ。

 それをやったのはキャスターと呼ばれている灼けた肌の女性。

 目のやり場に困るような煽情的な格好をした、豊満な体をした女だった。

 

 適当に動いている海賊たちと違って、その女には一切油断がない。

 

「―――で、キャスター。この少年はなにかしら?」

 

 床に転がした少年を見つつ、魔術師に対して問いかける黒い女王。

 その外見はカルデアからの情報で見たフランシス・ドレイクと酷似している。

 二人の女を見上げながら、フェルグスが周囲を探るために小さくもがく。

 

(あっちがイースの女王。なら、キャスターは)

 

「……彼はサーヴァント、ですので。万が一を考え、念のために拘束しました。申し訳ありませんが、男性が必要であれば他に捕まえてきた者たちの中から選んで頂ければ……」

「ふぅん、そう」

 

 サーヴァントである、という事は脅威であるということ。

 そんな事実に対し、女王はさほど興味なさそうに相槌を打つ。

 どうにかして女王に対し攻撃を敢行しなくてはならない。

 そうしてメガロスを呼び出さなければ、レジスタンスたちに被害が出る。

 

「……それと、捕まえた連中を追いかけてレジスタンスたちが迫ってきているようです。

 ―――このまま放置すれば恐らくあの怪物によって……」

「あら、そう。なら捕まえた方がいいわね。先にそっちを優先する事にしましょうか」

 

 そんな事を思っていないだろうキャスターの言葉。フェルグスであってもこれは嘘だ、と簡単に断じられたその言葉に、しかし女王は不審を示さなかった。彼女は新しく手に入った玩具を使う前に、追加された玩具の回収を優先させる、

 しかし追ってきているのは事実だろうが、その連中がメガロスに鏖殺されるなどとありえない。つい少し前に不夜城でそうしたように、時間を稼ぐためにメガロスと互角の勝負に持ち込み、そうしている間にイースを探索して魔神を引っ張り出すだろう。

 

 そうと知らないイースの女王が歩き出し、フェルグスを一瞥して部屋を出て行ってしまった。

 

(けどあのサーヴァント、不夜城のように国を完全に手の内にしているわけでも、女王ペンテシレイアのように戦闘能力が卓越しているわけでもなさそうに見える。

 なら、なぜ前に出す事を躊躇わない……? 幾らメガロスがいても、下手にカルデアと戦わせれば簡単に討ち取られてしまうだろう。魔獣を操っていたならそれが分からない筈がない。イースに身を置いてるということは、ここは目的のために重要な拠点じゃないのか?)

 

 女王を見送っていたキャスターがひとつ深く溜息を吐く。

 そうしてから振り返り、二人の視線が交錯した。

 

「―――あなたは、この特異点の黒幕ですね?」

「―――――……バレて、しまいますか。そうでしょうね。ええ、そういうことになります」

 

 フェルグスの直球の言葉。

 それに対してキャスターは数秒だけ黙り、しかし素直に本性を露わにした。

 正直な答えに訝しげな表情を浮かべる少年。

 

「……ではつまり、この世界の根幹はあなたの意志で設計されたものである。そう考えていいのでしょうか」

「答える理由はありませんが……まあ、隠す必要もありませんのでいいでしょう。ご推察の通り私がこの特異点、地底帝国アガルタを成立させました」

 

 意外なほどに女の口は軽い。

 余りの手応えの無さに、フェルグスの方が眉を顰める始末。

 

(隠す必要がない……偽りの情報? 何かの罠……?)

 

 この段に至ってはもう隠す必要がない、というのは分かる。

 だがわざわざ答える理由もないはずだ。

 何せ外から見た限り、これだけの特異点を作った上で何がしたいかが見えてこない。

 これだけ情報が集まったのに、何がしたいのかはまださっぱり分からない。

 

「……であれば訊きたい。あなたは、なぜそれほどまでに怯えているのです」

 

 少年からの問いに、女は目を伏せて俯く。

 

「この世界は、外から入ってくる男性を虐げる女性の国。ここだけで見れば、ただ男性を蔑んでいるだけもしれない。あるいは憎んでいるだけかもしれない」

 

 この特異点を成立させたのが彼女であるならば、この世界は彼女という人格を反映している筈だ。不自然さが詰まったこの世界の成り立ちは、彼女の心根にある筈だ。

 そう捉えて、フェルグスはキャスターの姿を見上げた。

 

「恐らくはそれはどちらも正しくない。僕にはどこからどこまでがあなたたちの作戦に必要な事で、どこまでがあなたの企図しない意志が反映されたものかは分かりません。ですがあなたとこうして対面して、少しだけ分かった気がします。

 あなたたちはメガロス……ヘラクレスに対し、国の守護を任せた。国の外からやってくる外敵の排除を。この世界にとって外からやってくるものとは、即ち男だ。男を外から取り入れて、中の女性が繁栄―――国が運行されるのがこの世界における基本ルール」

 

 ―――彼女の性質は犠牲者だ。国家(おおきなもの)が正しく運行されるために己を押し殺し、潰されてしまう人身御供。こうして対面した結果、そうであると理解できた。

 

「国を動かすために必要である事として、懐に男を誘う。だが男は敵であるので、そもそも近づけたくない。僕はこれの前者を作戦に必要な事であり、後者をあなたの心情と見ました。

 という事はつまり、あなたにとって男性は敵だった。あなたは自分を脅かすものとして男性を見ていた。あなたはきっと、自身が忌避する行いを国家を正しく運営するために行えた女性。この事件はその果てなのでしょう。ではあなたが犠牲となった果てに得たその敵意の性質は? 侮蔑や憎悪ではない、あなたの感情は?」

 

 女は確かに、必要だから男に近づいた。

 ―――確かに、最初はきっと、正義のために一歩を踏み出した。

 

 でも、その結果はどうだった。

 本当は怖くて怖くて、もう二度とそんな事をしたくもない。

 だというのに、彼女たちは()()()()()()として記録されていて、何度となく繰り返す。

 

 フェルグスに言われたキャスターが両手に杖を握り、抱き寄せる。

 

「―――僕が思うに、それは恐怖だ」

 

 その女がこうして傍目から見ても分かるくらい怖がっているから、ではない。

 もっと強く、彼女の心情が反映されたものを知っているから。

 

「あなたを見て初めて、何となく、なぜこの僕……発展途上でしかない、フェルグスの未熟な少年期が呼ばれたのかを理解できました。

 ……僕がフェルグスという人間の人生の中において、もっとも女性の扱いが丁寧……いえ、女性は戦うものではなく、国と共に己の背に庇い守るべきものだと、頑なに信じていた時期だったからでしょう。女性の扱いがこう、雄らしい、大人になった僕をあなたは恐怖した。恐らくそれこそが、僕がいまここにいる理由になる」

 

 未成熟で途上のものでしかないフェルグス。

 全盛期などとは本人が絶対に受け入れられない弱い頃の戦士。

 何故そんな頃がサーヴァントとして呼ばれたのか、ようやく彼自身も理解できた。

 そう言われれば、そう解釈される事もあるのか、と納得するのも吝かではない。

 

 そんな少年の言葉に、キャスターの方が気の抜けた様子で首を振った。

 

「―――そう、ですか。それは私も気づきませんでした。なるほど、あなたの召喚が失敗したのは、私の苦手意識のせいだった、と」

 

 イースの女王の在り様のみならず、この特異点の設計こそ彼女の恐怖そのものだった。

 

 だからこそ、ただ最強の勇士、守護の剣として使うにはフェルグスは不適格。ヘラクレスは通せたが、彼女が恐れる、男であり王であったフェルグスは通らなかった。

 守り刀としてさえ、彼女の近くに寄らせる事を本能が拒否してしまったのだろう。その結果としてフェルグスは、女を知らず王を経験していない少年期の状態で顕現してしまったのだろう。

 言われてみればそうもなる、と女は反省するように頭を下げた。

 

「……こうして僕が集められた情報から推察するに、あなたは何かよからぬ事を行った王を諫めるため、命をかけた勇敢な女性だ。結果として、その心に恐怖を刻まれてしまったのだとしても。

 そして世界を形作る物語を操る英霊だという何者か。つまり、あなたの真名は―――」

 

 フェルグスの視線を受けて、キャスターは僅かに眉を顰めた。

 それだけの情報が集まってしまっては、答えに辿り着いてしまう。

 まして容姿も晒している。文化圏もある程度絞られ、外す方が難しくなる。

 

 ―――だが。そこで少年は情けなさそうに目尻を下げた。

 

「……すみません、分かりません。そういった伝承に対する知識がないので……」

「……あなたの召喚は私が行ったイレギュラーですので、授けられるべき知識が欠如するのも道理かと。名乗る事はしませんが、その推測が間違っていないとは言っておきましょう」

 

 そこで一息ついて、キャスターは部屋の外に向かって歩き出す。

 離れていく女の背中にかけられる、理解できないという少年の声。

 

「……だからこそ、分かりません。何故なんですか。僕の目が確かであれば、あなたはそもそも争いを好いてもいない。だというのに何故、こんな事をしているのです。苦しみに対する恐怖はあっても、正しくあろうとした事への憎しみはないのでしょう?」

 

 女の活動から感じるものは大きな恐怖と、小さな後悔。

 恐怖の対象に最初から近寄らなければよかった、とは思っている。

 だがその恐怖の源を滅ぼしてしまいたい、という憎しみは感じない。

 

 ―――“もう関わりたくない”。

 徹底してそれだけであるように感じるものだ。

 だというのに、何故か彼女はここにいる。

 

「女王ペンテシレイアのように憎悪で相手を狩り殺すなら分かります。不夜城の女王のように正しく管理しなければ気が済まないというなら分かります。だがあなたはどちらでもなく、関わりたくもないくらいに怖がっているのに、こんな事をしている。

 魔神とあなたは、どんな意識を共有したというのですか」

「―――――」

 

 女が足を止める。

 彼女はそこで数秒静止して、振り向きもしないまま言葉を吐き出した。

 

「……もう、たくさんなのに。何故、我々はまた繰り返さねばならないのでしょう」

 

 呟くような言葉に、フェルグスが眉を寄せた。

 

「一度決着したのだから、そこで終わりでいいしょう。“おしまい”の後に再演を求められても、ただ苦しいだけではないですか。

 ―――破いてしまった頁の後にはもう、先の事を綴れないのが普通でしょう? 世界が幾ら続いていようとも、綴じ終えた物語には関係ない。その先はなくていいのです」

「…………」

 

 女は体を恐怖に震わせながら語る。

 一回終わらせたのに何故、と。

 もう一回苦しみの果てを味わったのに何で、と。

 

「私は、死にたくない。もう死にたくないだけなのです。サーヴァント……境界記録帯(ゴーストライナー)になんて、なりたくなかった。生命活動を再開させられてしまったら、もう一度死ぬ事を体験しなくてはいけなくなる。

 ……だから、私は彼に協力する事にしました。呼び出されてしまった以上、もう一度の死は避けようがない。だからせめて、もう二度とこんな事がないように世界を変えなければ」

 

 魔神に与した女が声を掠らせた。

 それは沸き立つ恐怖をそのまま言葉にした吐露。

 苦しむだけで生きている女に、フェルグスが微かに唇を噛んだ。

 

「そうしなければ、もう確定した死を味わう恐怖を諦める事さえできない。

 ―――()()()()()()()()()()()()。いえ、こうして一度あったからには、またあるに違いない。そんな、これから無限に続く死の恐怖でどうにかしてしまいそうなのです」

 

 夜は来る。毎日来る。それが星の運行というものだ。

 朝を迎えて救われたと思っても、それは次の夜が来るまでの恐怖の始まりだ。

 夜なんてこなければいい。そうすれば彼女が閨に入る時間もやってこない。

 

 夜を拒絶したのは誰だ。夜を拒絶する女帝を選んだのは誰だ。無論、彼女しかありえない。死の恐怖を強いる星の法則を歪めたのは、彼女の願い以外にありえない。

 それと同じだ。不夜城という夜が来ない都市を用意したように、英霊召喚という形でもう一度の死を強いるかもしれない世界の法則を破壊する。

 

「……私がやる事は変わりません。迫ってくる恐怖、死を遠ざけるために全てを使う」

 

 生前のそれと、同じように。

 そう宣言したキャスターが歩き出す。

 

「……僕を殺さないのですか」

「殺せません。あなたは女王の判断でイースの所有物になってしまった。私の意志で殺せば、私がヘラクレス―――あなたがメガロスと呼んだ怪物の標的になってしまう」

 

 彼女は独立した勢力だ。イースにいようが、イースに所属していると判定されていない。

 そんな状態でこの国に被害を与える事はできない。

 

 もちろん女王の判断を覆すために意見する事だってしない。

 彼女にとってはイースの女王とて恐怖の対象だ。

 戦闘力の著しく低下したフェルグスをわざわざ潰すためだけに渡れる橋ではない。

 

「……その拘束は今のあなたに解けるものではありません。一応忠告しておきますが、力任せに破壊すればあなたの霊基も連動して破壊されるようにしてありますので。あなたが私の魔術で死ねば、私がメガロスに襲われるのは先に言った通り。私が死んでしまうのでやめてください。

 それなりに実力のある魔術師であれば解除できるでしょうから、大人しくしておいてカルデアから助けが来たら解いてもらえばいいでしょう」

 

 歩き出した女の背中が離れていく。

 彼女の話からすれば、そもそもフェルグスは彼女が召喚を仕組んだもの。

 霊基に細工をするのも可能ということだろう。

 

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 そんなことより大事な話がある。

 

「―――きっと、いつだって同じ筈だ」

「……?」

 

 呟くような声に、何事かとキャスターが足を止めて振り向いた。

 

「僕たちサーヴァントはかつて死した魂の影法師。今を生きる命から外れたモノ。

 でも、ひとつの命である事に変わりはない。

 そして人の命はいつだって、自分の預かり知らないところで突然に与えられるものだ」

 

 そうして足を止めた女を見据えて、フェルグスは決然と顔を上げる。

 

「生まれる事を事前に望んで生まれる人は普通はいない。人の子は何も知らないまま、何も分からないまま、泣きながら産声を上げて生まれる。僕たちはみんな泣きながら生まれる、という事は変えられない。他の道は選べない。

 けれどその先、それぞれの最期。そこで泣きながら死ぬか、笑いながら死ぬか、それは誰もが選べる事だ。死という結末が決まった生を迎えた瞬間は、それをただ悲しい事だと思うかもしれない。だけど死に至るまでに重ねた生に、悲しい事しかなかったとは限らない。僕たちは、誕生と臨死をそれぞれ別の感情で迎えられる生き物だ」

 

 サーヴァントであっても、仮初であっても、命を授かる瞬間は誕生である。そして誕生の瞬間に悲しいのは仕方ない。人は泣きながら生まれる生き物だから。だけどそこから変えられるのが人なのだ。誕生と違って、終わり方ならば自分で選べるのが人なのだ。

 

 少年はそう言って、己の生を捨てようとする女を見据える。だが何と言われようがキャスターの表情は変わらない。

 死という終わりは苦しみであり、苦しみを終わらせてくれる唯一のものが死だ。そうしてやっと苦しみを終えたというのに、なぜ続きがある。

 

「だから、あなたがこの特異点を築くに至るような願いや主張とはまったく関係なく。

 ―――僕はあなたを助けに行きます。正しく生きようとして、後悔に咽ぶほどの仕打ちを受け、その果てに死を恐怖して、王を恐怖して、世界の片隅で震える一人の女性を、助けに行きます」

 

 そうして変わらない女の顔に対して、少年は臆面もなくそう言い放った。

 唖然として、キャスターの表情が崩れる。

 

「――――なにを」

「かつて、そういう事ができる佳き王が僕の夢でした。本来であれば途中でやめてしまった事だけれど、この僕はそういう年頃だったのです。

 ……もう残骸になった夢をかき集めただけですけど、それでも。今の僕がこの僕である以上、かつての夢に浸るように、それを追いかけてもいいかと思ったのです」

 

 捨てた筈の夢が手元に戻ってきたなら、もう一回追いかければいいじゃん。いつか、王様が夢の少年にそんな事を言われた。

 夢を捨てるのが未来の自分が至った境地であるならば、そうすることにも納得ができない。その時はそう思ったけれど、やっぱりその言を翻そうと思う。

 

 ―――もう一度、自分がなりたかった王を求める。

 だって、ここで投げ出したままなんて何より納得できない。善なる女がこうして男に、王に、苦しめられて悲鳴を上げているというのに、見過ごしてしまうなんて。

 

 だってそうだろう。

 自分はこの、国を守るために立ち上がり王に殺された女に。()()()()()()()()()()()()()()()()()、フェルグス・マック・ロイの全盛期と見做されて此処に呼ばれたのだ。

 

 ―――であるならば、ここで()がこの女を救わずして何とする。

 

「―――あなたはその夢をまた捨てる事になるだけです。既に捨てた夢を拾っても、また放り投げる未来は決まっている」

「例え再び消える事が決まっていても、それでも貴女が拾った命を僕は守る。最後にまたそれを同じように捨てる時が来た時、それまでを振り返って佳しと笑えるか、悪しと泣いてしまうかは、まだ変えられる事だと信じているから」

 

 女が吐き捨てた言葉に、少年は笑って言い返す。

 

 僅かに唇を噛み、踵を返して歩き出すキャスター。

 その背中を目で追いながら、フェルグスは魔術で縛られた体に力を込めた。

 ごろりと転がり、仰向けになる少年の体。

 拘束を解くことはできないが腹筋はできそうだったので、彼はとりあえず腹筋を始めた。

 

 ―――鍛錬が足りなかった、なんて言い訳をできなくなるように。

 

 

 




 
 下の下の下。
 夜は閨で運動会ですね…
 


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竜宮の王1704

 

 

 

 一気呵成。

 選択肢を増やす必要もなく、彼らはそこへと突撃をかける事に専念した。

 

 街の周囲に張り巡らされているのは無数の水路。そこは河川の中心であり、航路の要衝である水上都市イース……などと謳えば、美しいものだろうという漠然としたイメージが先行するものであった。が、実態はそんなことなかった。

 放棄された様々なものが散乱するゴミの流れる川。最初は美しかったのだろう景観は、とうに海賊によって荒らされつくしている。

 

 そんなかつて美しかっただろう都市に向け、疾走する者たち。

 彼らの前に立ちはだかるのは、銃を構えた女海賊たち。

 

「ゲイツ! 最初に俺たちで行くよ!」

「うるさい! 貴様が俺に指図するな!」

 

 いちいち怒る必要もないのに、という呆れるツクヨミの視線。

 そんなものを背中に受けながら、赤いボディが加速する。

 先を行くライダーゲイツに合わせ、黒いボディのジオウも続く。

 

 発射される無数の弾丸を弾く、二人の仮面ライダーの鎧。

 銃弾の雨を逆走して、火花を散らしながら街に踏み入る二人の戦士。

 彼らが同時に、目の前にいる海賊たちに激突した。

 

 吹き飛ばされる女海賊たち。蹴散らされていく戦闘員。

 その内の一人が、表情を歪めつつ空を見上げた。

 そうして数秒。何も起きない事に眉を顰めて、海賊は舌打ちして前に向き直る。

 

「ってえ、どうなってんだ……!」

 

 メガロスが来ない。イースに攻め込まれたというのに、何も起きない。

 そんな事実に彼女たちは苛立ちを吐き出して―――

 

「■■■■■■■■――――――ッ!!」

 

 その悪態を塗り潰すように、天に轟く雄叫びが奔る。

 虚空に開くゲートを突き破り、姿を現すのは宇宙を翔ける大英雄。

 不夜城から一度帰還し、改めて此処にきたのか。

 ヘラクレス・メガロスは着陸すると同時、その手の中に大戦斧を呼び出した。

 

「やっぱり来た!」

「では何故、不夜城では停止していたのかという話だが。さて……?」

 

 ガルルと唸る銃身の音。吐き出される弾丸は海賊たちに向けて。

 今日はもういっぱい走って限界、と言いたげなモリアーティが溜め息をひとつ。

 

「ドクター! みんなが捕まってる場所分かる!?」

『―――ええと、生体反応はほとんど中心にある城……屋敷、かな? そこの裏手にあるみたいだ。そこにサーヴァント反応もあって……いるのは二騎、そのうちの一人はフェルグスだ!』

『おっと、補足情報だ。もう一騎はフランシス・ドレイクとよく似た反応。このイースの女王と見て間違いないだろうね。

 それと、周囲に敵性らしき反応があるわけでもないのに、フェルグスがその場から動かない。何かの方法で拘束されている可能性が高いかな』

 

 ロマニとダ・ヴィンチちゃんから返ってくる言葉。

 それを飲み込んで、彼女は状況を整理する。

 

「ええと、必要なのは……メガロスの足止め、フェルグスたちの救出、イースの女王の制圧?」

 

 確かめるようにオルガマリーへと視線を向ける立香。

 彼女はそれに頷いて、周囲を一回見回した。

 

「常磐はメガロスの足止め!」

「分かってる!」

 

〈ディ・ディ・ディ・ディケイド!〉〈龍騎!〉

 

 オルガマリーの言葉を背に受けつつ、ジオウが新たなウォッチを起動する。

 流れるように行われる慣れ親しんだ動作。

 ドライバーに装填され、発動する事で、実体化してジオウに纏わるライダーの力。

 

〈アーマータイム! ディケイド!〉

〈ファイナルフォームタイム! リュ・リュ・リュ・龍騎!〉

 

 “リュウキ・サバイブ”と。

 胸のインディケーターにその名を刻んだディケイドアーマー・龍騎フォームが現出する。

 

「―――わたしとツクヨミはイースの女王へ強襲!

 藤丸は先にフェルグスたちの救出に回った後、合流するように!」

「待て、私はここに残る」

 

 続いて出されるオルガマリーの指令。それに真っ先に反応したのは、海賊を切り捨てながら都市の外へ視線を送ったアルトリアだった。まだ後続がくる気配はないが、来るものだと確信している様子で。

 確かにペンテシレイアが追撃に来た場合の戦力は、こちらに残しておくべきかもしれない。が、イースの女王攻略中に女王への攻撃に成功した場合、メガロスがあちらを目指すのは自明だ。その侵攻を食い止めるのもソウゴの役割だが、もしもの時のためにアルトリアは女王側に配置したい、のだが。

 

 致し方ない。メガロスの介入を許すような中途半端な攻めはせず、イースの女王を一息に落とすつもりでかかるしかない。

 

「……分かったわ。なら―――」

「なら私も残る。もしもの時、必要になるかもしれないし。

 けど美遊は所長さんと一緒に行動して」

「―――わかりました」

 

 ツクヨミが声を上げ、彼女の指示に美遊が頷く。

 そんな彼女たちのやり取りに続くように、ソウゴもまた声をあげた。

 

「ゲイツは念のために立香と一緒に行ってくれる?」

 

 言いながらウォッチを投げるジオウ。

 敵を投げ飛ばしつつそれを掴み取るゲイツが、仮面の下で訝しげに眉を顰めた。

 別のウォッチを腕のホルダーから外しつつ、ジオウは更に言葉を続ける。

 

「あとデオンは所長たちについていってよ」

「それは構わないが……」

「ならモリアーティも所長たちと一緒に行って」

 

 続けて己のサーヴァントに声をかける立香。

 彼女の言葉を受けて、また走るのか……と老爺は酷く辛そうな顔をした。

 

「……まァ、その辺りが妥当だろうネ」

 

 とはいえ納得はする。

 

 メガロスを止めるのはジオウとクロエ、ツクヨミとアルトリア。メガロスはイースの女王との戦いが起こった場合、と言うよりイースの女王が傷を負った場合、そちらに向かおうとする筈。それを可能な限り押し留めなければならない。しかも後々ペンテシレイア軍が攻めてきて、更なる戦力を要求される可能性が高い。単純に考えれば、最大戦力が必要な場所と言ってもいいのではないだろうか。アルトリアを此処に配置するならば、もしもの時の令呪の使用を考えればツクヨミもこちらになる。

 とはいえここに戦力を割き過ぎても、イースの女王と魔神の攻略に支障が出る。勝利条件がイースの攻略にある以上、ここには目的を果たせる最小限を編成しつつ、決戦側に戦力を回すべきだろう。

 

 そして救出組には立香、イリヤ、ゲイツ。フェルグスが拘束されているらしいというのは、恐らく魔術でだろう。魔獣を操る何者かが潜んでいるのは間違いなく、それはその者が使ったものだと考えられる。それが魔神か、あるいは他の何者なのかまでは分からないが。

 とにかく彼を解放するとなれば、魔術の鑑識のためルビーかサファイアは向かわせたい。そしてどちらを行かせた方がいいかと言えば、キャスターのクラスカードを持つイリヤだ。

 念のためにウォッチを持たせたゲイツを添えて、まず条件はクリアされるだろう。モリアーティはソウゴがゲイツに持たせたウォッチを見ていないが、あれが拘束解除に長けたフーディーニの力を扱えるゴーストウォッチだというのは推測できる。ここが早々に解決すれば女王に向けられる戦力も増えるので、速攻で片づけるために出し惜しみする理由はない。

 

 女王を強襲するのは、残る全ての戦力。オルガマリー、ジャンヌ・オルタ、アストルフォ。デオンに美遊にモリアーティ。そしてライダー。しいて言うならライダーはレジスタンスの統率のために救出組に回してもいいかもしれないが……彼本人も突入する気である様子だ。ならば言う事はない。

 中途半端な攻撃で女王を傷付けた場合、メガロスの軌道が変わってしまうから、できれば一撃で仕留めるような動きで攻めたい。となれば、美遊の持つセイバーかランサーのクラスカード―――確実性を重視するならば、必殺の呪槍を決定打として行動を組み立てるのが相応しいだろうか。

 

「…………」

 

 思考は数秒。オルガマリーがモリアーティと同じ結論に至るまでの時間。

 

 その間にジオウが取り出したウォッチを放り、ライドストライカーを展開する。

 彼が飛び込むように乗り込むと同時に、炎の龍を纏い燃え上がるスーパーマシン。

 続くように後ろにクロエが飛び込んで、バイク後部に立ち乗りした。

 

〈ランチャー・オン…!〉

 

「“熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)”―――ッ!」

 

 メガロスの脚部に展開されるランチャー。そこから吐き出されるミサイルに対し、花弁のような盾が広がった。直撃し、衝撃で千切れ飛んでいく桜色の花弁。

 そうして爆炎が塞き止められている内に、ジオウはマシンのエンジンを強く噴かした。

 

 発進する燃え上がる龍。それが爆炎を突き破り、メガロスに向かって直進していく。瞬きの間を置き、激突。

 その結果、炎の龍は僅かばかり大英雄の巨体を押し返した。お互いに弾き返されて開く距離。様子見をするような間を置かず、そうして開けた距離感を詰めるため、両者が再び同時にアクセルを全開にした。真正面から再衝突するライドストライカーとメガロス。

 

「―――ええ、わかったわ。ロマニ、誘導を!」

『了解、ボクは所長たちを女王らしきサーヴァントの位置まで誘導。

 マシュは立香ちゃんたちをフェルグスの位置まで誘導するルートを構築してくれ』

 

 通信の向こうが加速する情報精査。

 街中を走る水路で迷路のようになったイースにおいて、カルデアが必要なルートを暴いていく。

 ジオウとメガロスの激突の余波で吹き飛ばされる海賊たち。

 その間を縫って走り出す他のサーヴァント。

 

『はい、了解しました。先輩、移動手段は―――』

「うん、ゲイツに背負ってもらうのがいいと思う」

「―――は? 俺がか!?」

 

 寝耳に水、と。ゲイツが唖然として彼女に顔を向ける。

 これから目的地に向けて走る上で、彼女を抱えていく方がいいのは確かだろう。だがメンバーの配置上、それを行えるのがこのチームではゲイツとイリヤの二択であり、イリヤがやる場合引っ張りながら飛行と言う事になる。

 咄嗟の反応が遅れるだろうそれは、あまりよろしくない。となると、実質確かに一択ということになってしまう。

 言葉を詰まらせ、息を吐き出して、しかたなく彼は自分の背中に跳び付く少女を受け入れた。

 

 走り出し、イースの中心に向かっていく者たち。

 その背を見送った後、ツクヨミはアルトリアに視線を向けた。

 

「でも大丈夫なの? ここを戦場にするってことは―――」

 

 ペンテシレイアとメガロスを接近させると言う事だ。

 アキレウスに執着する彼女がメガロスを見て暴走する理由はよく分からないが、とにかくこれは問題になり得る事を一つ増やす事なのではないだろうか。

 そう問われたアルトリアは軽く鼻を鳴らし、黒い剣閃で海賊たちを切り伏せる。

 

「構わん、それであの女が私を見ずにメガロスに執着するならそれまでだ」

 

 戦場で敵として見られずに狂気に落ちた女が。敵として対峙した剣士を視界から外し、敵として見る事を止めたならば―――それはもう、それまでだったという話。

 

 もしそうなったのであればそこから先、アルトリアに何か言う事はない。

 ただ獣を斬り捨てるように、剣を振るうだけだ。

 

 

 

 

 

 走る剣閃が女海賊を一人片付ける。

 徒党を組んだ彼女たちの銃撃が返ってくるが―――それでも、火力はこちらが上だ。

 

 鋼が爆発に軋むような銃の声。それは過剰武装、ライヘンバッハ一基が放つ雄叫び。

 モリアーティによる銃撃は生半可な弾幕ではない。

 その銃撃の嵐を受けて、次々と海賊は脱落していく。

 

 派手に白煙を噴き出す宝具のリロードを行いつつ、老爺は軽く髭を撫でる。

 

「敵の数が思ったより少ないネ。この国の戦力の大部分は、襲撃者を捕まえるために外に向かってたというわけか。守りより攻め、民族性の違いと言えるかもしれないネ」

「それで守りがメガロス頼りではな」

 

 モリアーティの行うゆったりとした弾倉交換。その隙を突こうとしたところで、近づこうとすれば剣の結界が待ち受ける。シュヴァリエ・デオンの剣は海賊の攻めを通さない。

 それを見て攻めきれぬと判断し躊躇った者。そのような者たちに対しては、地面を走る黒炎が牙を剥く。その炎の足場から逃れようとした者はランスを向けられ、それを弾いた者は何故か大きく体勢を崩して、全身を炎の海に投げ出す羽目になった。

 

『そろそろだ! いま目の前にあるその屋敷の中に、サーヴァント反応! フランシス・ドレイクらしき霊基がある……!』

「ええ。いつ魔神が出てくるとも分からないわ、気をつけなさい」

 

 揃って突き抜け、辿り着く目的地。

 真っ先に突っ込んでいったアストルフォが足を振り抜き、屋敷の扉を蹴り破る。

 

 撒き散らされる木片の向こう、真正面に見据える広間。

 そこで佇むのは一人の女性。

 そうして見つけた姿は、まさしくフランシス・ドレイクそのものだった。

 違う点をあげるとすれば、その装束が黒く染まっている事か。

 

(黒ドレイク……)

 

 口には出さない。ネーミングセンスが移ったみたいで馬鹿みたいだから。

 女王はこちらの侵入を確認すると、ゆったりと微笑んだ。

 

「ようこそ私の国へ。随分と手荒い訪問ですけれど、歓迎しましょう」

「それはどうも、キャプテン・ドレイク。間違っていたら悪いから、まず早速確認させてもらえるかしら。わたしたちはここにいる筈の魔神を狙ってきたのだけれど、あなたは何かご存じかしら?」

 

 オルガマリーの言葉に眉を顰める黒ドレイク。

 だがそれは魔神の事を口にする前、そもそも名前を呼んだ時点でそういう表情になっていた。

 

「……何か勘違いしているようだけど? 私はドレイクなどという名前ではないわ。

 私の名はダユー。我が父グラドロンよりこの国、イースを授かった女王だもの」

「ダユー……?」

 

 ドレイクと寸分違わぬ女は、そう言って軽く腕を上げた。

 屋敷の中から、外から、まだまだ雪崩れ込んでくる女海賊たち。

 そちらに注意を払いつつ、デオンが彼女の名前を口の中で転がす。

 

「ダユー……聞いた事はある。ブルターニュ地方辺りに伝わる伝説。略奪によって栄え、洪水によって海底に没した都市。それがこの国、イースの伝説だ。

 そしてその国における支配者の名前こそが、海賊公女ダユー。他の二つの国と違って、ここは随分素直に構築された様子だね」

 

 不夜城と武則天に関係はないし、エルドラドとペンテシレイアにも関係がない。

 だがイースにはきちんと女王ダユーが用意されていたという。

 その体がフランシス・ドレイクのものであったとしても、確かに。

 

「なるほど、フランシス・ドレイクを核とした別人の召喚か。ダユー本人の存在としては幻霊、に近いようだ。これは少々興味深いネ、魔神が揃ってそういった方向性に手段を求めるとは」

『―――魔神バアルは己でそれを行う方法を確立させたが、これはそういった宝具を有するサーヴァントの協力によって成立させたもの。方針としてはまるで別物ではないかな』

「いたのか、君」

 

 感心するようなモリアーティの言葉を切り捨てるホームズ。

 そんな男たちを後目に、オルタが軽く剣を振って床を削る。散らした火花を黒く炎上させながら、彼女はもう片方の手に握る旗の石突を床に叩き付けた。

 

「自己紹介どうも。で、そんな事より魔神よ魔神。さっさと出しなさい、纏めて燃やしてあげるから」

「魔神……?」

 

 オルタの言葉に訝しげな顔を浮かべ、ダユーは不快そうに眉を顰めた。

 

「……私から何かを奪いたい、だからこのイースへと攻め込んだ。

 というならともかく、私にはまるで関係のない、知りもしないものを強請るためにこの騒ぎを起こされた、では面白くないわね」

「知らない……?」

 

 この反応、嘘を吐いているようには見えない。

 もう女王三人全員とエンカウントしている。

 ではやはり他の二人の誰かが、と。そう考えるのではなく、美遊は小さく呟いた。

 

「―――やはり、もう一人」

 

 だってこの街に入ってから、まだ魔獣と会っていない。

 海賊の足になっていたバイコーンは幾らかいたが、ソウルイーターは一切いなかった。

 カルデアはこの国に別のサーヴァントを感知していないが、まだいる。魔獣を扱い、この特異点を成立させた物語を関係深いサーヴァントが。どうやってか潜んでいるのか、いまこの国にいるのかどうかまでは分からないが―――

 

「―――ああ、あなたたち。キャスターを奪いにきたのね。そう、何故かは知らないけれど……ええ、それならそれでいいわ。私の持ち物が欲しいなら、奪い合いましょう」

 

 こちらの困惑を見て取って、ダユーは何か納得する。

 そしてここにはもう一騎、キャスターのサーヴァントがいるのだと。

 

「もう一人いるのにここには来てないの? いまここで、結構重大な事が起きてると思うんだけどけどな」

 

 戦場は屋内に移った。今はダユーと会話しているが故に小康状態だが、女王の号令ひとつで戦いは再開されるだろう。

 アストルフォが手の中から槍を消し、取り回し優先で腰に佩いた剣を抜く。

 

「さあ……彼女の事だから、戦いに怯えてどこかの部屋で震えているのではないかしら」

「怯えてる?」

 

 これほどの特異点を作り、何かを目的として活動しているサーヴァントが。

 ―――と、思考が流れそうになった時、ライダーが一歩前に出た。

 

「―――どうにも、分からなくなってきやがったが。いや、俺は元から何故こうなったか、っつう根っこの部分はなんも分かっちゃいねえんだがよ」

 

 軽く頭を掻き回し、彼はサーベルをダユーに向かって突き付けた。

 向けられた切っ先を見て、女王が口端を吊り上げる。

 

「とにかく、お前さん方が攫ったうちの連中は全員返してもらう。無意味に、何も考えず、遊び半分で男たちを殺すようなお前らなんぞに、あいつらの事を任せてられねえからな。

 そんでもって今日限りでこの国も落とす。これ以上テメェらにやりたい放題されるのはごめんだ」

「―――ああ、あなた。レジスタンスの司令官ね。そう言えば何度か見たような顔」

 

 ダユーが腕でマントを翻し、応じるように銃を手に握る。

 サーベルの切っ先に合わせるように向けられる銃口。

 

「おかしなことを言うのね。やりたい放題してはいけない、なんて。やりたい事をやりたいように、満足するまで行える。これって人間にとって、一番の幸福ではないかしら」

「なんだと?」

「私はこのイースをそういう幸福を常に味わえる国にしたわ。人が最も幸福を感じるのは、欲したものを手に入れた瞬間。持っていなかったものが自分の物になった瞬間こそが、人が味わえる幸福の最大値なのだもの。

 だからこそ―――欲するものを奪ってでも手に入れろ、ただし手に入れたものには執着するな。これだけが私の築いた理想郷におけるルール。欲した物を奪い、求められた物を奪われ、その繰り返しこそがイースの営み。その連鎖に組み込まれたものは、誰もが()()()()()()()をいつでも味わえる」

 

 無が有に切り替わった瞬間こそ、感情の変動は最大値を記録する。

 それ以外の微少な変化など及びもつかないくらい大きな幸福。

 それだけがあればいい、それだけである事こそが、幸福に満ちた社会構造である。

 ダユーはそう言って微笑み、

 

「―――馬鹿げてる。仮に手に入れる事が感動の最大値だと言うのなら、感動の最低値は喪失。その辛さを無視するために手にしたものには執着するな、なんて。

 それは、得られた幸福も捨てろと言っているのと同じ事。幸せを失った先に、別の幸福を得られる事はあっても、同じ幸福が手に入る事なんてない。

 本当に幸せを得られたなら……その時から積み上げる全てが、何にも代えがたい幸福になるんだから。奪われたくない、失くしたくないに決まってる……!」

 

 杖を強く握った少女が、女の論理に静かに激昂した。

 その反応に対して眉を上げるダユー。

 微かに困惑しつつ、オルガマリーが美遊の後ろについて手を添える。

 

 そちらを軽く一瞥し、剣を掲げてみせるのはアストルフォ。

 

「だね。幸せなことってのは色んなカタチがあるものだし、それを勝手に略奪こそ一番の幸せって言われるのもイヤだ!

 それに一方的に搾取される誰かがいる幸せ、ってのはボクは好きじゃない。まして消費されるために自由を奪われた人たちが、“生きたい”と望んでいるならなおさらね!」

 

 彼もまたびしりと切っ先をダユーへ向け、不敵に微笑んだ。

 

「キミのやり方を否定はしないけど、ボクはそのやり方が気に入らない!」

「そう。ではどうなさるのかしら?」

「モチロン、虐げられてる人たちは見捨てない。全員揃ってこの国から解放する。英雄だからこそ堂々と! 好きなコトを好き、嫌いなコトは嫌いって言ってやるさ! 自己主張が激しくなかったら最初から英雄になんかになるもんか!

 ―――でも裸で外を駆けまわる、みたいな自己主張の仕方はアウトだ!」

 

 そう、自信満々に言い切ったアストルフォを見て。彼の背中を見ていたライダーが、口角を上げ笑みを見せて、己の顎を軽く撫でた。

 帽子で視線を隠しつつ、そんなライダーを見ていたデオンの手が、僅かに帽子のつばを下げた。

 

「……そう。ええ、勿論私は否定しないわ。奪いたいのでしょう、私から。私が持つ、この国の財産を。それはそれで構わないわ。どちらにせよあなたたちに何を奪わせる気もないもの。あなたたちは、私の幸福のためにただただ消費されるだけ。さあ、寄越しなさい―――あなたたちの全てを」

 

 話はそこまでと、ダユーの表情が大きく変わる。

 敵意が剥き出しになるや否や、全員の周囲に発生する重圧。

 単純なプレッシャーではありえない、圧倒的な強制力。

 

「ちょ、魔力が―――!?」

『……っ、周囲に存在する全てから魔力を吸収してる!?

 そうか、武則天と同じ……! これは恐らく略奪で国家を維持していた彼女に与えられた権限。この国と共に得ている権力(ちから)なんだ!』

 

 戦闘態勢に入るために漲らせていた魔力が、足元から一気に吸い上げられる。

 底に穴の開いたコップから、水が流れ落ちていくように。

 そうして魔力を徴収しながら、ダユーは大きく唇を歪ませた。

 

 同時に襲い掛かる、周囲を囲んでいた海賊たち。

 

「ええ。この国にいる以上、あなた方は私の好きに―――」

「すまないが」

 

 だがその最中において、デオンは被り直した帽子に指を掛けながら呟いた。

 

「ああ、まったく驚異的な能力だよ。ただそれを勘定しても、キミが私たちに勝てる要素がない」

 

 白刃の閃きが迫りくる海賊たちを一部斬り捨てる。

 魔力は吸われ、宝具など使える筈もない。

 だが元からこの状況では宝具は必要ないし、デオンのマスターはダユーが発動した権力の効果範囲外にいるから、距離の分供給は減少しているが滞りない。

 

「美遊・エーデルフェルト!」

「サファイア、出力を上げて!」

「了解しました、美遊様」

 

 目減りした美遊の魔力をサファイアが補充する。彼女は並行世界から魔力を汲み上げる魔法のステッキ。無限に等しい魔力供給が、奪われる以上の速度で少女に魔力を充填した。

 如何にダユーの略奪が働こうと、一瞬で魔力を全て吸い出すわけではない。それは彼女の意志ひとつで、誰かを搾り殺す事ができるような能力ではないのだ。

 

 美遊の魔力が溢れ出し、突き出したステッキの前方に集約する。

 

放射(シュート)――――!」

 

 デオンが崩した集団に放たれる範囲砲撃。

 爆裂する魔力の砲弾が、群がっていた海賊たちを薙ぎ払う。

 館を震撼させる爆風から逃れるように、ダユーが僅かに身を引いた。

 動きの鈍った相手を集団によって圧殺する、という選択肢を戸惑わせる爆発力。

 

「では、私も盛大にお見舞いしよう」

「ダユーは避けなさい!」

「無論、言われるまでもなく」

 

 その隙に対して、モリアーティの指が抱えていた棺桶を叩いていた。

 展開する無数の銃口。熱を灯す光学レンズ。突き出してくる特殊な弾頭。

 

 隕石を呼ぶわけでもあるまいし、元より彼も魔力を使う方ではない。

 そしてマスターからの供給も距離がある分落ちてはいるが、一応は続いている。

 当然、魔力が搾取されたとしても戦闘行動に支障が出るほどではない。

 

 放たれるのは、狙いをつけずとも対象に向かう魔の弾丸。

 ダユーを巻き込めばメガロスの動きが変わるのは見えているので、爆風にも巻き込みたくない。

 思考としてはその程度で、彼は正確無比な必中の弾丸をばら撒いた。

 

(魔神の正体はまだ分からない。何かまだ判明していない事がある。戦いは間違いなくまだ続く。けど……いえ、だからこそダユーはここで確実に撃破して、状況を進める。

 必要なのはメガロスの介入を許さない、一息の攻め―――!)

 

 魔力を奪われながら、しかしオルガマリーの魔力は尽きない。他の三人の素人組ならまだしも、彼女はそんなやわな魔術師などではない。

 とはいえ、流石にこのままではきつい。カルデアからのサポートを考慮しても、消費速度が上回る。通常戦闘はともかく、決戦級の攻撃は許されない。

 だからこそ彼女は、最低限の活動に必要な魔力だけを自前で二騎のサーヴァントへ供給しつつ、強く、赤い紋様が浮かぶ右手を前へ突き出した。

 

「アヴェンジャー! ライダー!」

 

 ジャンヌ・オルタが邪悪に笑い、その旗を掲げる。

 アストルフォが爛漫に微笑み、纏ったマントを翻す。

 そんな隙の大きい事前の構えさえ、薙ぎ払われた直後の海賊たちには止められない。

 

「一撃で決めなさい――――!」

「―――――な」

 

 愕然と、ダユーが眼前で巻き起きる魔力の暴風に目を見開いた。

 令呪二画が欠ける代わりに行われる、略奪を超越した圧倒的な魔力供給。

 それを全身で受け取った二人のサーヴァントが、己を象徴する最大の武装を解禁する。

 

「“吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)”――――!!」

「“この世ならざる幻馬(ヒポグリフ)”――――!!」

「に――――!?」

 

 床を炎上させ、地を奔る恩讐の炎。

 夢幻より出でて、空を翔ける風纏う翼。

 

 それがまったく同時に溢れ出し、ダユーの視界を地獄のような光景に染め上げた。

 

 

 

 

 

『そちらの小屋です!』

 

 マシュの声に頷いて、立香はゲイツの肩を叩く。

 

 彼はそこで一度スピードを落として、立香を支えていた腕を放した。

 立香が飛び降りたのを確かめ、加速しなおした彼が示された部屋の前へと身を乗り出す。

 そうしてゲイツは目の前に広がっている光景を確認して―――

 

 反応に迷うように、そこで一歩足踏みした。

 

「……いるぞ」

「?」

 

 その反応に不思議そうにしつつ、イリヤがルビーを構えつつ部屋を覗く。

 そこでは何故か、フェルグスが全力で腹筋していた。

 自分は何を見ているのか、と大きく首を横に倒す少女。

 

「えっと……なにしてるの、フェルグスくん」

「3819っ、3820っ、3821……っと! ああ、皆さん。すみません、こうして捕まってしまって……ですが、魔神と繋がったサーヴァントの情報はある程度得られました」

 

 どうにも、そうしてにこやかにそう話すフェルグス。彼の精神状態はよく分からないが、とにかく無事なら何よりだ。情報も得られたそうだし。

 外見的には魔術の縄でぐるぐる巻きにされているような様子。それをどうにかすればいいのだろう、と立香はイリヤに目を向けた。

 

 そうしたやり取りを始めたのを確認して、ゲイツは敵が外からやってこないか確かめるため、溜息混じりに見張りとして部屋の前に陣取った。

 

「イリヤ、ルビー、あの魔術はどうにかできそう?」

「えー……と、ルビー?」

 

 問われたルビーがイリヤの手から飛び立ち、フェルグスの周囲をくるくる回る。

 

「ううーん。これは……どうやらサーヴァント契約に連動して仕込まれた、対象を縛り上げる呪詛のようなものかと。契約、サーヴァント召喚の段階から仕込まれていたようですので、だいぶ強固な術式になってますねぇ。力業ではフェルグスさんの霊基ごと壊してしまうでしょう」

「ええっ、それじゃどうすれば……」

「単純なことですよ。これは彼とこの呪いを仕込んだ相手間でパスが通じているからこそ、こうして発動している魔術です。つまり、ここでさっさとその契約を破棄してしまえば無意味化します」

 

 ちょいちょいと羽飾りでイリヤが太腿に巻いたカードホルダーを示すルビー。

 その動作によって気付いたイリヤは、そこからカードを一枚抜き出した。

 

 クラスカード、キャスター。そこに秘められた力は、コルキスの王女メディアのもの。

 そしてその宝具こそ、彼女の裏切りの生涯が結晶化した契約破棄の短剣。

 

 ―――“破戒すべき全ての符(ルール・ブレイカー)”。あらゆる魔術契約の効果を破棄し、初期化するというその刃ならば、フェルグスとその魔術師の繋がりを破り捨てる事が可能となるだろう。

 

「そ、そっか。じゃあキャスターを限定展開(インクルード)して……」

 

 少女がそう言ってカードを手に、浮遊している杖に向かって歩いていく。

 

 ―――そう、そのためにこうしていた。

 それが欲しかったから、こうして仕込んでいた。

 

 ざわり、と。

 

「え」

 

 その場に、一瞬のうちに、()()()()()()が出現していた。

 まるで影絵みたいに現実感のない、人型のなにかが一斉に動き出す。

 彼らの狙いはただ一つ、少女が無防備に手にした1枚のカード。

 

「わ……!?」

「―――下がれ!」

 

 立香を後ろに引っ張り投げ、イリヤも捕まえようして、しかし盗賊に邪魔される。

 ゲイツは舌打ちしながら即座に持っているウォッチを起動。

 前に進みながらドライバーへ装填し、ぐるりと回す。

 

〈アーマータイム! ゴースト!〉

 

 眼魂のようなショルダーを装備した鎧、ゴーストアーマー。

 彼はそこから無数のパーカーを盗賊目掛けて射出した。イリヤを取り巻いていた盗賊たちが、斬撃、射撃、炎熱、電撃、音波と、様々な攻撃によって消し飛ばされていく。

 

「ひゃあっ……!?」

 

 敵を吹き飛ばしつつ少女を捕まえ、引っ張り出すゲイツ。

 だがそんな中でライトイエローのパーカーが、途中で何かに気付いたように動きを止める。

 空中で停止したまま、視線を左右に振るゴーストパーカー。

 気付いた事実に対してどこか、何事かを口惜しげにしているような。

 

 その姿を見上げ、見覚えのある立香が彼の名を口にする。

 

「ゴエモン……?」

「――――あ、ない、ないっ!? キャスターのクラスカード!」

「なに……?」

 

 突然の事態に目を回していたイリヤが、無手になっていた自分に気づく。そうして確かめるように体を隅々まで叩き、しかし目当てのものはどこにもないと理解した。

 さっきまで持っていた筈のカード。キャスターのクラスカードがどこにもない。

 

 つまり―――

 

「……彼女は、それを盗むためにこうして僕を助け出せるようにしておいた、という事ですね」

 

 口惜しげに、少年が唇を噛む。

 ふよふよと浮いていたルビーが羽飾りをくるくる回し、先程の情報を精査。

 そうして、いまの影絵がぴたりと40人いたと理解した。

 

「―――フェルグスさんの手に入れた情報と擦り合わせる必要がありますが、今の……40人も出現した盗賊。あれは恐らく……『アリババと40人の盗賊』」

『つまりその物語を操れる方が……魔神の協力者であるサーヴァント。ですがその物語では、40人の盗賊はむしろ主人公のアリババたちに出し抜かれる、敗者側であったと思うのですが……』

「それでも最初、岩戸の中に財宝をたんまりと貯め込んでいた事には変わりません。モリアーティさんではあるまいし、何でもかんでも失敗するような事もないでしょう」

 

 苛立たしげにゲイツの眼魂ショルダーへ帰還するゴエモン。

 それを待ってから彼は浮いているルビーへ視線を向けた。

 

「……『アリババと40人の盗賊』。千夜一夜物語(アラビアンナイト)、か」

「はい。そしてこの特異点の性質上、恐らく相手は物語の語り部。

 であるならば、敵サーヴァントの真名は恐らく―――」

 

 

 

 

 

 がらがらと音を立て、彼女の抱えていた箱が床に落ちる。

 それに焦り、エレナ・ブラヴァツキーは落としたものを拾うために屈んだ。

 

「あっ、と……もう、玉手箱ってこんなにあるものなのかしら?」

 

 不審げに、彼女は手に取った黒い箱を取ってみる。

 軽く調べてみただけで分かる、魔力の結晶としての性質。

 間違いなく、願いを成就させるために機能するもの。

 そんな大量の魔力リソースを見て、エレナは困った風に小首を傾げた。

 

 レムリアを目指して竜宮城にきてしまったのはいい。

 残念だが、これはこれでとても良い。

 玉手箱という事前に聞いていた魔術礼装も見つかったし、とても良い。

 それにしても、本当に玉手箱しかないのだから困ったものだ。

 

「ここ、どういう意味の施設なのかしら。巧妙に隠されているようだけど、このアガルタにおける龍脈の中心なのは間違いない。きっとだから玉手箱なんて結晶化、というか物質化した魔力が発生しているんでしょうけど……うーん」

 

 この竜宮城は間違いなく、アガルタの中心として設置された場所だ。

 アガルタで発生する循環の始発にして終着駅。

 全てのものはやがてここに還り、その残滓が玉手箱という純粋なエネルギーの結晶になる。

 神代に近い土地の運営をしていれば、こういう機関を生じさせる事もできるだろう。

 だがそれにしては放置されているようだし、一体全体何のために―――

 

「―――なにを、しているのかしら……!」

「え?」

 

 いつの間にか竜宮城の扉が開いて、そこから女が顔を出していた。

 戦闘の直後なのか、ズタボロの状態で。

 黒い海賊の装束を身に纏った満身創痍のその女こそ、イースの女王ダユーだった。

 

「え、っと。あなたは―――」

「聞いているのは、私の方よ……!」

 

 ダユーが銃を持ち上げようとして。

 しかし腕が動かず、彼女はそのまま扉にもたれかかったまま腰を落とした。

 息を荒げた、血の気の引いた女の顔。

 

 それを見てエレナがどうするべきかと眉を顰める。

 彼女は三国を外から眺めただけでほとんど知らない。

 が、彼女は明らかに女王の一人。恐らくはイースの女王だろう、というのは分かる。

 

 一体どうするべきなのか、と。

 その答えを出す前に、もう一人の女が彼女の目の前に現れた。

 

「―――申し訳ありません、彼女は私が必要とした協力者でして……」

 

 ダユーがその声にはっとして、後ろを振り返る。

 

 ―――竜宮城の外。

 そこに広がっているのは、水に満ちているのに人が呼吸し、活動できる異境。

 水の中を悠然と歩く魔術師が、女王に向けて淡々と話しかけていた。

 

「おまえ、キャスター……! ここで何を……!」

「そんなことよりも、女王ダユー。あなたに忘れ物を届けにきたのです」

 

 キャスターが手を開く。その中にあるものを見て、ダユーは顔を顰めた。

 彼女が握っていたのは、ダユーのみが持つ事を許される鍵だった。

 

「鍵……イースの、水門の……」

「はい、申し訳ありません。ただそれだけなのです。どうか怒らないでください。私があなたを害する事は、絶対にありませんので。

 さあ、どうぞ。女王ダユー、これで―――全てを流してしまいましょう」

 

 メガロスは竜宮城にはこれない。そういう設定だ。

 竜宮城に狙うべきものがいても、ここまでは侵略してこない。

 

 ―――とはいえ、すぐにこの縛りはなくなるので狙われないに越した事はない。

 

 キャスターはうやうやしく、ダユーに対して跪き、手にした鍵を献上する。

 その言葉を聞いたダユーの方こそ眉根を寄せた。

 

「なに、を」

「そう難しい話ではないでしょう? 水門を開いて、いまイースにいるカルデアの者たちを、イースごと洪水で流してしまいましょう、と。ただそう言っているだけですので」

 

 問い返すダユーに対し、不思議そうにキャスターは首を傾げる。

 

「あなた、は。私に、自分の国を――――!」

「でも、いいでしょう? 竜宮城(あたらしいくに)はあるのですから、旧い国は捨ててしまいましょう。それが、あなたのやり方だったのでは?」

 

 ぎちり、と。ダユーが何かに締め付けられるように、表情を凍らせた。

 入手し、消費し、入手し、消費し、そう繰り返してやがて全てを使い潰す。

 それがダユーの望んだ退廃の都市、イース。

 だったら自分の国を丸ごと消費する事だって望んだとおりでしょう、と彼女は言う。

 

 頭を刺す痛みに頭を抱え、違うと、彼女は強く咽喉を絞った。

 その在り方は略奪し消費する地獄のような営み。

 

 ―――それでもちゃんと。

 彼女はただ、自分の国のために、他から略奪して、使い潰していただけで。

 自分の国だけは、ちゃんと自分なりに、守っていた女王のはず、なのに―――

 

「やめ、なさい……!」

「―――そうよ、やめなさい。ここは紛れもなく神の城としての属性を与えられた場所。

 ここの王になる、という事は神になるということ。どうやったところで、サーヴァントがそう簡単に神格化できるはずもない。そんな座につけようとすれば、どんな事になるか―――」

 

 そこにエレナが口を挟む。

 声を向けられたキャスターが、彼女の足元に転がっている玉手箱の山を見た。

 不思議そうに、少し驚いたような顔を見せるキャスター。

 

「…………玉手箱はまだ使っていないのですね。その点はありがたいですが……やはり、あなたに見つけさせるのは危険でした。計画がいつ露見してもおかしくなかった、と背筋が凍ります」

 

 ほう、と安堵の息。

 そんな様子を訝しむエレナの前で、キャスターは再びダユーに目を向けた。

 

「―――女王ダユー、あなたは航海はお好きですか?」

「キャスター、いい加減にしなさい……あなた、何を……!」

「未知を求める冒険はお好きですか? 私は嫌いではありません、あくまで語り部としてですが」

 

 咎めるような女王の声を無視して、問いかけ続けるキャスター。

 ダユーの顔が怒りに歪み、しかし襲い掛かってくる悪寒で何故か全身を震わせた。

 

「女王ダユー。あなたは何故、この竜宮城に最初に辿り着いたのですか? 自分の国があるのに何故、外に目を向けるような真似を? あなたにとって外の物など、イースのための資源に過ぎないのでは? 此処を資源として消費せず、未知の場所のままで放置した理由は?」

「―――――」

 

 答えはない。答えないのではなく、答えられない。

 自身の中に答えを用意できない事を理解して、ダユーの表情が引き攣った。

 

「……フランシス・ドレイク。星の開拓者、未知を切り開く人類の最先端。

 これがあなたの体として使用した、英霊の名前です」

「―――ちょっと、待ちなさい。あなた……じゃあ、ここは」

 

 キャスターがちらりとエレナを見る。

 ダユーが未知の悪寒に苛まれている中、もはやエレナは回答に辿り着いていた。

 本当に、彼女をここに引き込むべきじゃなかったという話だ。

 今はこうしてどうにかなったが、危ないにもほどがあるだろう。

 

「―――“恐るべき悪魔の化身(テメロッソ・エル・ドラゴ)”、彼女の異名です。

 彼女は未知に立ち向かう。誰も知らない道を切り拓く」

 

 女は語る。彼女たちが敷いた、破滅までの道を。

 

「この土地に散りばめられた、何かが秘められている違和感。微かに残された竜宮城まで繋がる導線。それを拾った時、あなたは自然にその秘境を追い求めたのでしょう。

 まるで―――悪魔の化身(フランシス・ドレイク)の声に導かれるように」

「っ……逃げなさい! ここから離れて!!」

 

 エレナが行動に移そうと、己の横に宙に浮く書物を具現化する。

 それが開いて魔力を投射する、その前に。

 

「女王ダユーは悪魔に誑かされて水門の鍵を奪われ、その結果起こされた洪水によって、イースという都市は沈没する。

 あなたは女王(ダユー)であり、悪魔(ドレイク)です。あなたの手に水門の鍵が渡る事が最後の条件」

 

 腰を落としていたダユーの手の中に、キャスターが水門の鍵を置く。

 

 ―――瞬間、頭上で破滅的な音が響き出した。

 見るまでもない。イースの水門が決壊し、アガルタの地底湖が氾濫したのだ。

 そうして、地上には破滅が訪れる。

 

 そうなるように仕組んでいたのだから、そうなるのも当然だ。

 キャスターの目論見が成功した事を察知して、エレナが歯を食い縛る。

 ダユーが呆然と、自分が握らされた鍵を見た。

 

「―――――っ!」

「……エレナ・ブラヴァツキー。もうご推察の通り、これで終わりではありません。いまアガルタでは洪水が起きました。その発生源である此処はどこでしょう。そう―――」

「海神、水を支配する龍神の神殿……! ここを起点として洪水が発生した以上、それは紛れもなく神格が起こした御業になる……!」

 

 いとも容易く答えに至る賢者を前に、ほっとした様子で頷くキャスター。

 

「はい。より正確に言えばここは竜宮城、日本の海神の住処です。そして、日本の神話には洪水の化身とされる八つ首の大蛇の伝承がある」

 

 言いながら、キャスターは再びダユーに向き直った。

 そうして彼女は懐から魔術師が描かれたカードを抜き出した。

 そのままそれをダユーに押し付け、

 

「――――夢幻召喚(インストール)、でしたね」

 

 差し込んだ。ダユーの肉体に沈んでいくクラスカード。

 何をされているかさえ分からないダユーだったが、それでも今のが致命的な何かだと感覚で理解した。ズタボロの腕で自らの体を掻き抱き、キャスターを見上げる。

 

「なにを……!」

「いま使用したのはギリシャの魔女、メディアの霊基を内包した魔術礼装です。その属性をあなたに与え、彼女を通じて私が魔女メディアの持つ宝具を使用させて頂きました」

 

 自分の内側で何かが脈打っている。

 それを直感したダユーが、しかし何をどうすればいいかさえ分からず震えた。

 

 ―――そんな彼女を中心にして、まるでドラゴンの首のようなものが形成されていく。

 

「“金羊の皮(アルゴンコイン)”、というそうです。竜種を召喚できる宝具ですが……それほど強力な竜ではないようですね」

 

 “テメロッソ・エル・ドラゴ”。それが彼女が与えられた異名。竜とは悪魔の化身であり、即ちドレイクの肉体は悪魔であり竜である。

 そして物語のうちであれば竜種の召喚すら可能とする彼女ならば、依り代となるものさえあれば十分にその宝具を扱う事ができた。

 

 そうして呼ぶ竜は弱い、とさらっと言い放った彼女に対し、エレナが酷く顔を引き攣らせる。

 

 ああ、そうだろうとも。金羊毛の守護竜は大した格もない竜種だろう。

 だがいま、このアガルタに降臨しようとしている怪物は―――

 

「―――ああ、そう。そういう、こと。本当に世界でも滅ぼす気なのかしら……!

 だってそいつ、あの()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()でしょう……!?」

 

 ―――瞬間、溢れ出した黒い魔力にダユーの全身が呑み込まれる。

 ざわめく鱗の渦の中に消える直前、彼女は精一杯の呪詛と共に裏切り者の名を叫んだ。

 

「シェヘラザァアアドォオオオオオオオオッ!!!」

 

 

 

 

 

 大地が砕ける。川の流れが変わり、全てを削って呑み込んでいく。

 河川に流れる水がそのまま持ち上がり、まるで蛇のようにのたうった。

 地底湖にあった水を全て吸い上げ体とし、活動を始める絶対的存在。

 意志を持った洪水、としか言えない何かが動き出す。

 

 ただそれだけで地上を蹂躙する暴虐が、何らかの形をとるために蠢いた。

 定まる形はまるで大蛇。

 宙に上がった川が首のようにもたげれば、その先端では口と目が開かれる。

 水飛沫を鱗に変え肉を得た首、その数八つ。

 

 ―――竜宮城を中心に発生したその氾濫。

 そこから最後にもうひとつ、九つ目の頭が伸びてくる。

 その首を伝い、広がっていく黒い波。

 肉と鱗をどす黒く染める、決定的な血の流れ。

 それが全身に伝播し、その血を染め抜いた瞬間、大蛇の性質は変生した。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■――――――」

 

 九つの頭が顎を開く。

 牙から滴る毒液が大地を侵す。

 

 ―――いま、ここに。

 

 アガルタの中心、竜宮城。

 降臨されたその城主たる神、八岐大蛇を塗り潰し。

 

 ギリシャ神話にその名を轟かす真正の怪物。

 毒蛇ヒュドラが生誕した。

 

 

 




 
・“千夜一夜物語(アルフ・ライラ・ワ・ライラ)御伽草子・竜宮城主伊吹大明神(やまたのおろちでんせつ)
 シェヘラザードの宝具によって語られるイースの末路。伝説において女王ダユーは貴公子に化けた悪魔に唆され、水門の鍵を奪われ開けられてしまう。その結果押し寄せた洪水によって、イースは海中に没したという。
 ダユーは真っ先にアガルタに設けられた竜宮城に辿り着いた。だがそれは果たして何故だったのだろう。ダユーは略奪者である。妖精の力を借り、航海する者たちから奪う事で、イースという国を富ませた女王だ。そう、彼女は国外のものから略奪する事で国内を栄えさせる、曲がりなりにも女王である。
 外の価値あるものは奪い、己が国の繁栄に消費するものであったというのに、彼女は完全に国外に位置する未知なる竜宮城をひとり開拓し、その未知をイースに併合する事なくそのままにした。

 ―――それを何故、と問うならば。それは紛れもなく、仕組まれていた事だった。彼女の行動は彼女自身の人格ではなく、霊基として使用されたフランシス・ドレイク。星の開拓者の持つ、未知を拓く性質に促されたものだった。ドレイクの体はアガルタに隠された秘境中の秘境、財宝の隠された竜宮城の存在を確かに暴き出したのだ。

 人呼んで、“テメロッソ・エル・ドラゴ”。ダユーに与えられた肉体、星の開拓者フランシス・ドレイク。彼女に呼び表す異名こそ、“恐るべき悪魔の化身”というもの。そう呼ばれた彼女の体から生じる感覚に衝き動かされ、ダユーはその体を与えられた意味を果たした。

 ……此度の彼女に与えられた悪魔の囁きとは、他の何者でもなく、彼女自身の肉体より生じるもの。彼女自身が抱いた感情こそが悪魔の甘言であり、彼女自身の腕こそが悪魔の腕である。
 悪魔の声に唆され辿り着いた竜宮城。その地において悪魔の手に水門の鍵が渡った時、正しくイースという都市の命運は尽き果てる。伝説の通り、イースには洪水という災害が与えられるだろう。

 ―――そして。
 アガルタという世界に轟く洪水が、竜宮城を発生源として世界を満たした時。
 彼女たちの目標、彼女たちが望んだ破壊の神は降臨する。

 その大地には神威の具現たる洪水が巻き起こり。
 そこには海神の御座す場所である竜宮城が存在する。
 であるならば、()()()()()とするのが道理だろう。

 神の御座と、神の所業。二つを揃えて断言しよう。
 その龍の住処には、龍神が実在する。
 いま正に洪水を巻き起こす水の支配者が、竜宮に確かに住まわれている。

 ―――「洪水の化身」とされる、八つ首の龍神が。



 なんかダユーが漫画版でイワークになってたので、こちらは八岐大蛇にしてみました。そのためのダユー、あとそのための竜宮城。つまりダユーは八岐大蛇のためのマッサージ玉座だった…?
 近所に神様の住処があってー、神様が起こすような洪水がいま外で発生してるってことはー…神様、そこにいるのでは? もう許さねぇからなぁ?(風評被害)

 原作でも竜宮城ダユー戦ではヒュドラが出てきたので、もしかしたらなんかそういう場所として、竜宮城は配置されてたのかもしれませんね。
 まあ桃源郷にも普通に出てくるんですけど、ヒュドラ。

 この部分については、場合によっては伊吹童子を出すのもありかもしれなかったと思います。竜宮城を八岐大蛇さんの家として扱う場合、伊吹と酒呑は龍神の子として乙姫の枠にはまるので無理なく召喚できるでしょう(適当)。これからアガルタの二次創作を書く人はぜひ出してあげて下さい。出してどうする? 知らなーい。でもここで出しておくと剣豪で酒呑と千代女の話が膨らむやもしれませんね。

 あとコヤンレイドではお世話になりました。ありがとナス!



・“千夜一夜物語(アルフ・ライラ・ワ・ライラ)十二の栄光・第二の難行(キングス・オーダーⅡ)射殺す百頭(アガルタのヒュドラ)』”
 八岐大蛇の核となるダユーに、キャスター・メディアのクラスカードをインストールした結果、大きく変容した超魔獣。九つの首を持ち、そのうちの八つが蛇のもの。残る一つは竜の首である。
 本来であれば悪魔の化身たる竜、ドレイクを最後の首にしてこうする予定だったが、フェニクスがメディアのカードの存在を不夜城で発見して予定が変更になった。
 メディアの第二宝具、“金羊の皮(アルゴンコイン)”。コルキスの秘宝として眠らない竜に守護されていたこれは、召喚に使用すればその守護竜を呼び出す事が叶うという代物。ただし召喚できたとして、その竜は確かに竜種でこそあるものの格は高くなく、特筆するべき能力もない。であるからして、仮に正しく使用できたとして、大きな戦力になるわけでもないのだが……

 その金羊毛の守護竜は、一説において父にテュポーンを持ち、他のギリシャに名立たる怪物と兄弟だという。例えばオルトロス、例えばケルベロス、例えばキマイラ、例えばネメアの獅子、例えば―――

 ……龍神は、最後に与えられた竜の首に流れる血でもって変生する。
 八つ首の大蛇は、竜の首を得て九頭竜へ。
 九頭竜は怪物の父(テュポーン)の血を全身に巡らせ、血を同じくする怪物へ。
 そうして誕生するのは、九つの頭を持つ毒蛇。

 ―――変生したその毒蛇の名こそヒュドラ。
 それは、かのヘラクレスでさえも一人では突破できなかった最大の難行。
 彼にさえ自死を選ばせた最大最悪の毒を持つ、真正の怪物である。



 キャスターをインストールしたイリヤを見つけ、予定外のメガロスをどうにかするため、フェニクスくんがオリチャー発動! 過熱したオリチャーは、遂に危険な領域へと突入する。

 ヒュドラと同じ血って発想でメディアの宝具を使いましたけど、血縁っていうならそれこそメドゥーサとポセイドンの子孫でもあるのでライダーのクラスカードも縁深い。というかポセイドンと関係が深いドレイクとも繋がるのでそっちの方がいいかもしれない。でも結局シェヘラが盗むまでの流れがメディアの方が楽なのでままええわ。オリチャーにガバはつきものだってそれ一番言われてるから。
 


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楽園追放(パラダイス・ロスト)2000

 

 

 

 弾け飛んだダユーの屋敷。

 ほぼ全壊したそこに立ち、オルガマリーが唇を噛み締める。

 タイミングは完璧だったと思う。出来得る限り、最良の立ち回りだったと思う。

 それでも、仕留め切れなかったらしい。

 

 呼吸一度で調子を整え、彼女はすぐにカルデアへと声を送る。

 

「―――ロマニ、ダユーがどこに離脱したか分かる?」

『……いや、追えなかった。そして、どう考えても躱せる状況じゃなかった。となると、何か逃れるための転移のような事前の準備があった、と考えるべきなんだけど……』

 

 彼女たちの会話を聞いて、美遊が手の中のサファイアへ視線を送る。

 そうして主人に意識を向けられたステッキが、難しそうに小さく唸った。

 

 熱を持ったライヘンバッハを休ませながら、モリアーティが顎を撫でる。

 

「この国でだけ許されたダユーの特権か、あるいはキャスターの仕込みか。まァ、彼女の様子を鑑みるに、前者の可能性は低い。キャスターの仕業であり、ここから何か仕掛けて―――」

「ちょっと待った。何か聞こえないか?」

 

 人差し指を立て、口の前に持っていく。そんな静かにしろというジェスチャーと共に、デオンが軽く帽子を上げる。その言葉に反応して皆で黙り―――

 何かを感じたサファイアが、感知範囲を広げるためにアンテナを展開した。

 

「―――これ、は」

『こっちでも観測した……! ちょ、なんでいきなりこんな―――!? ()()だ! 突然地底湖が氾濫して洪水が発生したんだ! イースが一気に呑み込まれるぞ!?』

「ちょっと待ってください、それは……まずいんじゃ」

 

 その報告に対して、美遊が顔を青ざめさせた。

 いや、仮にここが洪水に襲われても、どうにか出来る手段はある。

 彼女たちが助かるだけならば、とても簡単な話だ。

 

 ―――けれど、大問題が一点。

 

「これ、ボクたち以外をどうやって守るのさ!?」

 

 いま立香たちが確保しに行っている捕まった人間たち。

 捕まりはしなかったが、いま桃源郷寄りの平原で待機しているレジスタンス。

 総勢で相応の数になる人員。

 

 シンプルな答えとして、洪水から空へ逃れるとしてだ。それだけ大量の人間を運ぶ手段はない。洪水から救う方法がない。押し寄せる水がここに到達するまで数分もないだろう。その事実に唖然として―――しかし、すぐにオルガマリーは唇を結んだ。

 そうした事実を受け入れて、彼女は廃墟と化したダユーの館を飛び出した。

 

「とにかく藤丸と合流する! ライダー、飛んで―――」

「所長!」

 

 彼女がそうした指令を出す前に、向こうの方からやってきた。

 走ってきた立香たちと、屋敷を出てすぐのところで合流する。

 後ろには捕まっていた男たちも着いてきていた。

 当然のように顔色は青白い。この距離で破滅の前兆が見えているのだ、そうもなる。

 

 現時点でも人数が多い。元からイースに捕まっていた連中もいるのだろう。

 この連中の無事を確保し、待機させている人員を迎えに行く。

 それを一体どうやって。さあ、一体これからどうする―――と。

 

 足を止めた瞬間に、何かが爆発したように彼方に立ち昇る水柱。

 勢いよく溢れ出した水が、轟音と共に飛沫を散らす。

 

「―――――あ?」

 

 天に逆つく水の塔を見上げて、ライダーは数秒呆然とした。

 まるで何かに気付いたように。まるで何かを思い出したかのように。

 

 その反応に対して、視線を向けるモリアーティ。

 

「どうかしたかネ、ライダー。何か……」

「おお、どうかしたさ。いや、どうかしてたんだな。思い出した、思い出したぜ。俺が今まで一体、何に立ち向かってたのかを」

「記憶が……?」

 

 荒ぶる水の暴威を前にして、不敵な笑みを見せるライダー。

 こんな状況で、と口を挟む事はしない。

 

 装束、装備、精神性、宛がわれたクラス。

 ライダーの正体は明らかに、“船長”と呼ばれる人種であったから。

 そう言ったサーヴァントの宝具は幾つか見てきた。

 だから、彼もまたそのような宝具を持つ可能性があると分かっている。

 この切羽詰まった状況を変え得る手札が増える可能性は、それしかない。

 

「―――なら答えなさい。あなた、一体何者なの」

「ハッハァーッ! 訊いてくれるなら答えるさ!」

 

 呵々大笑。

 彼はコートを翻し、今まさに沈まんとする水上都市の上で宣言する。

 未知を切り拓くために突き進み、時代に刻まれた己の名を。

 

「俺の名は―――()()()()()()()()()()()()

 それが俺の名前とくればだ! 立ち向かえる……そうだよなァッ!」

 

 虚空に描かれる魔力の線。

 糸を織り成すように現世へと顕現するのは、夢に挑んだ一隻の船。

 彼が刻んだ未知への航路を何より知る彼の旗船。

 

 ―――その名を、サンタ・マリア号。

 

 かつて、大航海時代。

 大西洋に新たなる航路を刻み込み、新大陸まで到達した航海士。

 クリストファー・コロンブスの船である。

 

 海を走るための船底が地面を抉り、着陸する。

 一瞬、何とも言えない顔。

 コロンブスがそうなった船の様子を窺い、宝具となった船の頑丈さを確かめる。

 そうしてから地上に出現した宝具たる帆船を見上げ、コロンブスが叫ぶ。

 

「全員すぐに乗りな! こいつならあの波を越えられる!」

「―――あとは都市の外に取り残されてる者たちだ」

 

 叫ぶコロンブス。彼から視線を外し、デオンが都市の外に目を向ける。

 

 カードは増えた。だが結局のところ、時間がない。いかに宝具とはいえ、帆船が空中を自由自在に泳げるわけではない。

 発生した洪水より速く、この宝具がそこまで辿り着ける方法がないのだ。今ここにいるレジスタンスやイースに捕まっていた人間が乗り込むのだって、一瞬で終わるわけでは―――

 

 そうして、どう動くか考えていた立香がはっとした様子でゲイツを見る。視線を向けられたゲイツ・ゴーストアーマーが困惑した様子で声をかければ、彼女は大声で叫んでみせた。

 

「……なんだ」

「ニュートン!」

 

 

 

 

 

 高らかに響く機龍の咆哮と共に、炎の龍がメガロスに食らいつく。

 激突し、反発し、車輪が港に深い轍を刻み込む。

 もはや周囲の建造物に原形は残っていない。

 

 いい加減にライドストライカーも限界だ、という段階になって―――

 

 爆発するような轟音。次いで、彼方に立ち上る水の柱。

 発生した大海嘯によって流動する河川と地底湖。

 大地の震動を受けて揺れるバイクの上で、クロエが困惑して周囲を見回す。

 

「ちょ、なに……!?」

『どうやら洪水が発生したらしい。原因は不明―――いや、ここがイースである以上、水没が始まったのかな? とするとダユーが水門を開いた、という事になるけれど……』

「つまりどういうこと!?」

 

 こっちに情報を最低限伝えるや否や、自分だけで考え込むダ・ヴィンチちゃん。

 そんな彼女に怒鳴りつつ、クロエがバイクの後ろでジオウの頭を叩く。

 

 叩かれながらハンドルを切り返したジオウの前で、メガロスが止まる。

 不夜城の時と同じように、まるで何かに反応しての停止。

 

「……他に行きたい場所があるけど、行けない?」

『―――となると、だ。こちらとは完全に別行動をしているエレナ・ブラヴァツキー、彼女の行動が何かトリガーになっている可能性があるね。動きの不自然さからして恐らく、彼女に対して攻撃したいが彼女がいる場所に行く権限がない、状態かな。

 確か彼女は水中の捜索に切り替えたんだろう? 何があったかは分からないが、水中に何かあるのは間違いないわけだ』

 

 ダ・ヴィンチちゃんの声を聞き、首を僅かに傾げるジオウ。

 水中。宇宙にありそうだと思っていたが、どうにも中心はそっちのようだ。

 となると、メガロスの動きにやはりいまいち納得が―――と。

 

 そう考えている内に、頭上を通り過ぎていく空を翔ける帆船。

 描く軌道は、重力が何だと言わんばかりに惑星の法則に反逆する航路。

 それが向かう方向は、街の外にいるレジスタンスたち。

 

「あっちは大丈夫そうだから、こっちを!」

 

〈アーマータイム! サイクロン! ジョーカー! ダブル!〉

 

 ドライバーからディケイドウォッチごと龍騎ウォッチを脱着。そのままの流れで、ダブルウォッチを装填した。

 ジオウが纏っていたディケイドアーマーが影と消え、出現するのは二基のメモリドロイド。それが変形して構成されるダブルアーマーが、ジオウの上半身を覆った。

 

 同時に、彼が乗っていたライドストライカーに発生する力場。バイクの後部車輪から展開する赤い光は、水上・水中に適応するための特殊ユニット。

 そうして何とかなりそうになったバイクの状態を見て、ジオウはそこかしこを触って確かめつつ、かなり雑な感じで頷いた。

 

「よし、なんかいけそうな気がする! ツクヨミ、アルトリア! こっち!」

「ええ!」

 

 目の前に現れたジオウの両肩、ガイアメモリショルダー。

 それに捕まったクロエが、本当に大丈夫だろうかと不安げな顔。

 だがいちいち言葉を挟んでいる余裕もない。

 ツクヨミが何か動きが鈍った様子の女海賊たちを撃ちつつ、下がってくる。

 

「私はいい。()()()()()()

 

 その様子を横目に、アルトリアが敵を一閃。

 周囲を薙ぎ払いながら、踵で軽く地面を叩いてみせる。

 

 そこで、決定的に崩壊するような轟音。

 水門の断末魔と思しき破砕音。

 

 直後、音に遅れて大地に洪水が押し寄せた。

 イースの街並みを蹂躙する水の暴威。文明をリセットする神の御業。

 街も、海賊たちも、全てを呑み込んでいく終末の波濤。

 

 ハンドルを繰り、その大波の上に乗るライドストライカー。

 

 そのマシンの動きに続き、水面に降り立つアルトリアの鉄靴。

 湖の精霊より受けた加護により、彼女は水に沈まない。

 流水の足応えを確かめつつ、彼女は平然と津波の上を軽やかに跳ぶ。

 

 洪水に反応し動いた彼らとは違い、メガロスは不動。

 動く予兆もないままに、大波に呑み込まれていく。

 もっとも洪水に呑み込まれたからといって、メガロスが死ぬわけもないだろうが。

 

 街の外を見れば、船は目的地に到着していた。地上で待っていた人間は、全員纏めて引き寄せられて船の上に投げ込まれている。空中に舞う青色のゴーストパーカー、ニュートンの力だろう。

 

 ある程度波が落ち着いたのを見て、力を抜きつつクロエがぼやく。

 

「で、なに? ダユー? それがイースの女王で、もしかして逸話通りに国が水没する事になったってこと?」

『ダユーにはほぼ勝利した。が、逃げられてしまったんだ。その後のダユーの足取りが不明だったところにこの洪水、という事は恐らくは水門が開かれたんだろう。それが彼女自らの手によるものか、あるいは黒幕―――シェヘラザードの手によるものかは分からないけどね』

 

 溜め息混じりのダ・ヴィンチちゃんの言葉。

 

 それを聞き、ジオウが強く握っていたハンドルから手を放す。

 長時間車体を押え込んでいた事で痺れた手を、ほぐすように軽く振り回しつつ、繰り返し問い返すのは黒幕の名前。

 

「シェヘラザード?」

 

 

 

 

 

『はい、『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』における物語の語り部。

 妻の不貞を知り女性不信に陥った王シャフリアール。彼は国の中から生娘を一人宮殿に呼び、その娘と一夜過ごし、朝には首を刎ねるという凶行を繰り返していました。

 そこでその凶行を見かねて自分が王の妻になる、と名乗り出たのが、王の行いに困り果てていた大臣の娘、シェヘラザードなのです』

「彼女は夜、妹と共に様々な物語を王に語り聞かせます。そしてその話が佳境に入ったところで、『もう夜が明ける頃、続きはまた明日。今宵の話よりも心躍るこの続きは、次の夜に語りましょう』と告げました。

 そうする事で、面白い話の続きを求める王に、自分の命を奪わせなかったのです」

 

 盛大に揺れる船。サンタマリア号の上で、マシュとルビーが語る。

 

『そうして妻であるシェヘラザードと共に千の夜を越えた先、王は正気を取り戻し、共に過ごした女性を殺めるという悪習を改めた……と』

『―――ただ、千夜一夜物語(アラビアンナイト)に内包される物語の大半は後付け。原型には二百数十の物語しかなく、凶王シャフリアールとシェヘラザードの結末も存在していなかった。だから、キミの感じた感覚を否定するには至らない。もちろん、全面的に肯定する理由にもならないけれど』

 

 ロマニからの言葉に頷いて、フェルグスが強く眉を寄せた。

 彼女の真相はどちらであっても、彼が取ると決めた行動に変わりはない。

 彼女の真名が千夜一夜物語(アラビアンナイト)の語り部、シェヘラザードである。

 それが知れただけで十分だ。

 

「しかし、とりあえずどうにかなったがこれからどうすりゃいい。

 イースは沈み、この調子じゃ他の国だって水没しちまってるんじゃねえか?」

 

 真名を思い出したライダー、コロンブス。

 彼が自身の宝具の上で視線を周囲に巡らせる。

 広がっていく洪水の勢いは止まらない、イースどころかアガルタ全土を呑み込む勢い。彼の船が宝具でなければ、その勢いに巻き込まれ、水上にいてなお粉砕されてもおかしくない。

 

『―――――アガルタ全土、か』

「……ホームズ?」

「放っておきたまえ、反応してもまだ語るべき時ではないとか言うだけだからネ。自分が語りたくなったら勝手に語りだすから、放置が一番だヨ」

 

 通信先でぼやくホームズに声を向けようとする立香をモリアーティが遮る。

 言われた探偵は片眉を僅かに上げ、しかし言葉を返さず黙りこくった。

 

 肩を竦め、オルガマリーがアストルフォに視線を向けた。

 

「ライダー、魔力はどう? とりあえずヒポグリフで空を飛んで周囲を見て回って―――」

「んー。マスターからの供給は十分な筈なんだけど……なんかミョーに回復が遅いような」

 

 不思議そうに首を傾げるアストルフォ。

 自分の体を確かめるように手を握って開いて、と繰り返す彼。

 そんな様子を見て、美遊がサファイアに問いかける。

 

「……サファイア、もしかして……」

「―――はい。微量ですが、美遊様も魔力をどこかに吸われているようです。恐らくは先程ダユーが使用した権力……イースの王制がまだ働いているものと」

「ダユーはまだ現界しているというのか? いや、そうだとしてもイースは水没した。あれは土地と女王ダユーが揃って初めて働く力の筈だ。なのに何故まだ……」

 

 ダユーが逃げおおせてから何があったにしても、イースが水没したのは事実だ。

 彼女はもう支配する土地を消失した。

 あれがイースの王制、彼女の権力だというのなら、もう使用できないと考えるのが自然だ。

 いま感じているのはただの残滓であり、これから影響が消えていくならそれでいい。

 だがそうでないとしたら―――

 

「あれ? ねえルビー、これ水が……」

「……ええ、引いていきますね」

 

 船から水面を見ていたイリヤの目の前。

 イースを中心に広がっていく方向に動いていた筈の水が、何故か急に反転した。流れだした水が全て、イースへと集まり始めていた。それも明らかに少しずつ勢いは加速していく。

 

 それだけではなく、水が何か……煌びやかに輝きだした、というか。どこかで見た事のある雰囲気を帯びていく。水自体が発光しだす様は、まるで神気を帯びているようだ。そう、まるでフィン・マックールが操った水のように。

 ただ、輝きの質がそれと比べて異次元。神に連なる彼のそれと比べてさえ、尋常ならざる神気を放ち出した波に浮く船の上で、オルガマリーが軽く頬を引き攣らせた。

 

「ライダー……コロンブス、離れた方がいいわ。これ、絶対に何か起きるわ」

「おう、見りゃ分かるっていうか見なくてもやべえと感じる」

 

 目を瞑ったとしても肌に感じる神の力。

 海の上に生きた人間で、海に畏敬を抱かない人間などいない。

 海は恐れて然るべき場所だ。

 そんな事を分かり切った上で、これ以上ないくらいに震える程の恐怖が湧く。

 

 コロンブスの意志に従い、船がイースから離れる進路を取る。

 そこで立香の視線を受けたゲイツが、溜息混じりに顎をしゃくった。

 再び行使されるニュートンの力が、サンタマリア号の機動を後押しする。

 

 イースから離れ出してすぐ、彼の船は宙に放り出された。

 アガルタ全土を覆うほどの洪水が、瞬く間にイースの一点に集中されたのだ。

 渇いた大地に投げ出され、ニュートンの力で軟着陸する船。

 船底で地面を削りながら着地した彼らの前で、洪水の全てがイースで固まっていく。

 

 河がそのまま宙に浮き、まるで蛇のようにのたうってみせる。

 波が描く波紋が鱗となり、河の表面を覆っていく。

 巨大地底湖まるまる一つ分を押し固めて、描き出されるのは八つの蛇。

 その中に最後、胴体らしき水の塊から一つ生えてきた竜の首を得て、それは完成した。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■――――――」

 

 口を得た河、蛇の首がゆるりと大口を開け、その牙から液体を滴らせる。

 大地に落ちたそれが全てを溶かす。

 

 八つの蛇の首、竜の首一つ。

 洪水を肉体とし、神気を帯び、大地を毒気に浸す。

 そんな怪物を見て、長い呼気と共にホームズが言葉を吐き出した。

 

『―――ああ、そうか。なるほど、イレーナ……ブラヴァツキー夫人が辿り着いたのは、本当に竜宮城だったようだ』

「手短に」

 

 呼吸一度で体調を整えたオルガマリーの指令に対して、ホームズが眉を上げる。

 一瞬迷ったものの、彼はモリアーティを見ると素直に従った。

 

『竜宮城とは日本において神域、海神が在るとされる場所だ。そして日本神話において須佐之男命に討伐された八岐大蛇という怪物は、水神であり洪水の化身とされる。つまり先程の状況は神域と神威の両立だ。竜宮城という場所において、洪水を触媒にして八岐大蛇を召喚したのだろう』

「それに加え、イリヤスフィールくんはキャスター・メディアのカードを奪われたと言ったネ。それが最後の首の正体であり、ダユーの肉体にフランシス・ドレイクを選んだ理由だろう」

『フランシス・ドレイクは恐ろしき悪魔の化身たる竜(テメロッソ・エル・ドラゴ)を異名に持つ。キャスター・メディアの持つという黄金竜を召喚する宝具を媒介するのに最適だったのだろう』

「つまり……?」

 

 口を挟もうとするモリアーティを喋らせないためか、ホームズがより早く口を回す。

 

 八岐大蛇は知っている。でもあれには首が九つあるし、明らかに毒々しい。

 詳しくないが、八岐大蛇はそういう大蛇ではなかった筈。

 そういった意図で問いかけた立香に対し、ホームズは軽く頷いて言葉を続けた。

 

『要するに……八岐大蛇を触媒にして、更に新たなる神獣を召喚したという事だ。

 ―――ヘラクレスに課せられた十の試練の一つにして、彼が一人で成し遂げられず十の偉業から除外され、最終的に追加された二つの試練と共に十二の栄光の一つとして扱われるに至ったもの』

「つまりヒュド」

『レルネー湖のヒュドラ! 不死性によってヘラクレスでさえ一人では打倒できなかった怪物!』

 

 ホームズがそう言うと同時、彼らの前で巨大な蛇が動きを開始した。

 すぐさま立香は振り返り、再度ゲイツに視線を向ける。

 

「ゲイツとコロンブスはこの船のまま離れて!」

「なに?」

 

 既に船底は地面についている。アガルタにあった水流は全て、ヒュドラと化した。

 この地上……地下世界にはもう、船が動くための湖も川もない。

 であるならば、今まで通りにゲイツがニュートンの力で強引に動かすしかない。

 このレジスタンスたちを全て乗せた、唯一の方舟を。

 

「……それしかねえか」

 

 コロンブスが頷いて、ゲイツに目を向ける。

 

 ここで宝具を引っ込めて、レジスタンスたちをそれぞれ走らせて逃げる、なんて。そんな展開は流石に無い。そもそも不夜城で回収した連中や、ここイースで回収した連中。その中にはまだまともに動けないような男たちだっている。それしかないだろう。

 

「アヴェンジャー!」

「はいはい」

 

 ジャンヌ・オルタがオルガマリーの腰に手を回し、船から飛び降りる。それを追い、船から跳ぶアストルフォと美遊。

 そこで一瞬迷った立香を後ろから両手で抱え上げ、デオンが船から飛び出した。その後に続いて飛行を始めるイリヤと、跳躍するフェルグス。

 

 そして、何となく指を咥えて棺桶を引きながら飛び降りるモリアーティ。

 即座に言葉を投げるシャーロック・ホームズ。

 

『どうやらこのアーチャーは自分の宝具とマスターを抱えて高所から飛び降りるほどの甲斐性はないサーヴァントのようだ』

「腰がどうにかなればナー……」

 

 華麗に着地しつつ立香を下ろし、剣を抜く―――が、あの巨大生物に剣でどうやって。

 一瞬だけ飛び降りた船を振り返りつつ、デオンが酷く顔を顰めた。

 

「……魔力の略奪が加速した。先程と同等までだ。ダユーはあの一つだけある竜の首、ということでいいんだな? まずはあれからどうにかしなければ、宝具もまともに使えない」

『イースは沈没した。けれど確かにイースには、やがて再び浮上して復活する、という伝承もあるにはある……まだイースは消滅していない。

 ダユーを取り込んだヒュドラは、彼女がイースで行っていた王制を引き継いで、この状況でもキミたちに対して行使できるということか』

 

 働いている略奪の力に顔を顰めたデオンに、ロマニが魔力の流れを解析する。

 奪われた魔力は確かにヒュドラへと流れ込んでいく。相手はただでさえ巨大な神獣だというのに、宝具を発動するための魔力さえ奪われてはどうしようもない。

 まずはこの拘束を排除した上で、どうにか―――と。

 

「―――いいえ。厳密に言うならば、破壊されたのは境界線だったという事です」

 

 空気が震える。声を遠方へと届けるための魔術の行使。

 その音源、咄嗟に視線を向けた先はヒュドラの胴体の近く。

 

 そこにいたのは、杖を抱き足元にエレナ・ブラヴァツキーを転がした女性。

 エレナにかかっているのはフェルグスの時と同じような拘束。

 そもそもの黒幕である彼女がサーヴァント契約に仕込んだ罠だろう。

 

「シェヘラザード……!」

 

 こちらの声も届いているのか、僅かに身じろぎした様子が見える。

 だがそのフェルグスの声には答えず、シェヘラザードは言葉を続けた。

 

「国境が取り除かれた、と言うべきですか。大陸を分割していた河川が一切消失しましたので、ここはもう一つの国なのです。そうなるようにしておきました。

 イースは沈没し既にその意味を喪失しましたが、この段階において此処は全てを統合した地底国家アガルタとして成立しています。ここが国家である以上、女王ダユー……いえ、竜宮城の王となったヒュドラにはここに王制を敷く権利がある。その性質が頭の一つになったダユーのものを引き継いだ、という事になります」

「一つの国……?」

「はい。そうして統一しておかなければ……これから発生させる現象で、この大地がバラバラに割れてしまいますので」

 

 滔々と、確認するような平坦さで彼女は語る。

 その内容にカルデア側が戸惑った―――その瞬間、大地が鳴動した。

 

 光源となっていたアガルタの天蓋が一斉に罅割れ、砕けていく。

 天蓋、彼方の壁、地下国家であるこの土地を覆う星の地表。

 それらが突然、崩壊し始めた。

 

「っ、一体なに―――!?」

「……説明する必要があるでしょうか? いえ、計画暴露の必要性の話ではなく。既に分かっているだろう相手にそんな事をする意味があるかどうか、という話ですが」

 

 困った風にそう言うシェヘラザード。

 彼女のそんな様子を見て、オルガマリーがカルデアの方へと声をかける。

 

「……ホームズ!」

『この地底において、イースと不夜城には存在する役割があったという事でしょう。イースは沈没する事になる国家、つまり()()。下に沈んでいく力だ。

 そして逆に、不夜城は太陽に常に照らされる国家……』

 

 特に驚く事もなく、ホームズは彼女からの問いに答える。隠していた、というわけでもない。

 彼の中でヒュドラの登場が竜宮城の存在を証明し、結果として全て繋がった。

 ただそれだけの事だ。

 

『では、太陽に常に照らされる国家、という状況はどうやれば作り出せるだろうか。

 太陽を沈ませない? まあ獅子王ほどの神格があれば、それを導く能力を祝福(ギフト)として授けられるだろう。だが星の運行を左右するには、神話の主神クラスの権能が必要になる。つまり聖杯を持ったサーヴァント程度にその方法は不可能だ。

 太陽を沈ませないようにする、という選択肢は不可能な方法として除外される。ではどうやって、となると逆転の発想をするしかないだろう』

 

 太陽を自由に動かせないのであれば、方法は一つ。

 そんな異常を、当たり前のように。

 

『―――この大陸を、太陽に合わせて移動させる。つまり空中大陸という事だ。空中大陸程度ならば、適した宝具と魔力リソースさえあれば、サーヴァントであっても場合によっては可能。

 太陽を沈ませないのではなく、太陽の運行に合わせてその直下に移動し続ける大陸にすればいい。それが不夜城という属性を与えられた国が、アガルタの中に与えられた役割』

「……太陽が沈まなければ、夜は来ない。彼女が王に物語を言い聞かせるための刻限は、こない」

 

 フェルグスが呟き、シェヘラザードを見る。

 その呟く声さえも拾っているのか、彼女が僅かながら視線を伏せた。

 

『イースという大陸を沈降させるための重りが消えた結果、この大陸は不夜城が持つ浮力によって動き始めた。もちろん、上に向かって』

「……やはり、説明する必要はなさそうですね」

『もちろん。では何故、そんな事をする必要があるかに移ろうか。この大陸の仕組み自体が、キミの生前の体験、いわゆるトラウマからの逃避が下敷きになっているのは確かだ。意図しているにせよ、していないにせよね。

 そもそもの話、聖杯ありきとはいえこの特異点の神秘は強すぎる。八岐大蛇という神域の魔物を召喚できた事自体がそれを証明している。どうにかして2000年という現代において、それほどの舞台を整えるためには、聖杯、地下という環境、そして更なる一押しが必要になった筈だ。

 そうして用意されたのがキミ、シェヘラザードという物語る事に卓越した存在の生涯だ。本来関係の無いものを照らし合わせ、それを関係の深いものであるかのように見立てる。そうして発生する照応こそが、魔術の基本であり奥義。

 キミはキミの人生を使用し、この世界という魔術の完成度を高めるため、このアガルタの内容を設定した。そうして高められたこのアガルタの強度は―――』

「て・み・じ・か・に!」

 

 オルガマリーの叱責。

 ホームズが酷く不服そうに眉を顰め、仕方なさそうに溜め息ひとつ。

 

『……ヒュドラ。いえ、八岐大蛇の存在が確定した瞬間、竜宮城の存在も確信できた。アガルタにはそのために設けられた舞台があった、と考えるのはごく自然な事だ。

 ―――ということは、あったのでしょう? 玉手箱』

「ええ、複数ありました。既にほぼ全部、八岐大蛇の降臨に使用してしまいましたが」

『この大陸の営みによって発生した魔力を竜宮城に集積させ、疑似的な聖杯として形成したのでしょう。であるならば、玉手箱の製造工場と考える場合にも、地底大陸を横断して全ての水の流れ込む先に、竜宮城が配置されていたのは必然だ。

 さて。そうして製造した玉手箱はほぼ全てヒュドラに注ぎ込んだという事ですが……残りであなたは“神秘を明かす”という願いを彼女に叶えさせるつもりですね』

「―――――」

 

 シェヘラザードの視線が、地面に転がしたエレナに向かう。

 彼女も何か言っているようだが、その声までこちらに届いてこない。

 シェヘラザードの魔術は自分の声を届けるだけらしい。

 

「エレナの願いを、叶える?」

「……何故、アガルタを飛ばす必要があるのかという話だヨ」

 

 立香の疑問にモリアーティが答え、上を見る。

 徐々に迫ってくる罅割れた岩の天蓋。

 それをヒュドラの首が邪魔そうに、頭を振り回して粉砕していく。

 崩れていくその先に見えてくる、青い空。

 

「飛ばすまではいいとして、では飛ばした後どうするというのか。アガルタの神秘が維持されているのは、ここが地下国家だからという点も大きい。流石に地上を飛ばせば神秘は減衰して、その性能を維持できなくなるのが目に見えている。飛ばした当初はよくとも、ある程度経てば高度を維持できず落ちるだろう。

 それでもいい、それを達成した後はもうどうでもいい、というような、この大陸を使用する目的が設定されていなければおかしいわけだ」

『もう死にたくない、もう二度とこんなことがないようにする。

 あなたはフェルグスにそう語ったという。であるならば、目的は一つだ』

 

 ヒュドラの苛立たしげなヘッドバットによって、遂に天蓋が全て割れる。

 岩の雪崩る光景の中、一呼吸だけ置いてホームズは最後の言葉を口にした。

 

『人類を()()から追放すること』

 

 アガルタの大地が酷い振動に襲われ、遂に空中へと飛び立った。

 山の背丈を追い抜いて、浮上を始める一つの大陸。

 雲にまで迫るその高さの上で、遂に解放されたヒュドラが全ての首を悠々と伸ばす。

 その威容の許で、杖を抱いたシェヘラザードが空を見上げて口を開く。

 

「―――人類を霊長から追放、してどうなると?」

『……要するに意識の問題さ。例えばの話だ。街の路地裏、普段誰も覗かないようなその陰に、人の力を超越した怪物や、人の血を吸う吸血鬼が当たり前のように潜んでいたとする。

 そうだったとしたら、キミたちはどう思う?』

 

 ダ・ヴィンチちゃんの声。

 その問いかけに一瞬悩み、立香は素直な回答を口にした。

 

「……危ない?」

『ああ、そうだ。危ないよね。人間の力ではどうしようもないそんな危ない事が、自分たちの周りに数え切れないくらい、当たり前のように潜んでいる。それがただの御伽噺ではなく、事実だと知ってしまうんだ』

 

 そんなものがいると知ったとして、どうすればいいのか。

 自分たちは化け物が気紛れを起こしただけで死ぬ生き物なのだ。

 そうと知ったとして、一体何が出来るというのか。

 

 野性の動物とは違う。

 自分たちと同等以上の知性を持った、自分たちとは隔絶した力を持った、異形たち。

 その存在を認識してしまったら。

 人が恃みとする文明の利器など、その超越種には届かないと理解してしまったら。

 

 声を詰まらせた立香の代わりに、オルガマリーが言葉にする。

 

「―――人類全体が、自分たちが化け物の被食者だと認識してしまう」

『そう。人間はただ化け物の餌として存続しているだけなのだ。この星にはもっと高次の生命が存在していて、自分たちはそいつらに生かされているだけなのだ。地上という楽園は、元から人類種ではなく別の超越種のために用意されたものなのだ、と。そう理解してしまう。

 人類という種がそう認識してしまったら最後。人間が()()ではないと誰もが意識してしまった場合、自分たちを守る最終防衛装置である抑止力、“普遍的無意識(アラヤ)”が決壊する。サーヴァント、英霊が“霊長の守護者”という立場を降りる事になるんだ。

 そうなってしまった場合、恐らく英霊召喚という術式は機能しない。英霊というものはただの星の歴史、記録情報でしかない境界記録帯(ゴーストライナー)以外の何物でもなくなる』

 

 どこか、ほっとした様子を見せるシェヘラザード。その反応に眉を顰めるが、恐らく彼女からしてみれば、自身の計画がダ・ヴィンチちゃんに保障された気分なのだろう。

 張り詰めた天才の声からして、彼女の計画に問題がないと断言してもらっているようなものだ。

 

 人理の失墜、人類種の霊長からの零落。

 彼女の目的はそこに辿り着いた。

 サーヴァント、英霊召喚というシステムを破綻させるために。

 

 それを聞き届けた立香が、シェヘラザードに顔を向けた。

 

「それが、あなたの目的?」

「―――ええ、はい。そうなれば、私がサーヴァントとして呼ばれる事は二度とないでしょう。もう二度と、死ななくてよくなるでしょう。

 この恐怖をせめて誤魔化すためには、もうそうするくらいしか無いのです」

「ですがそれはこの世界だけの話。あなたという存在が、英霊召喚という軛から完全に逃れられるわけではない、と。並行世界に干渉するものの視点として、それだけは言わせてもらいましょう」

 

 ルビーからの固い言葉に、理解しているとシェヘラザードは深く頷く。

 仮にこの世界を滅ぼせても、彼女の目的は達成できないのだと。

 彼女の目的が果たされたとして、それは人類が霊長から堕ちた世界が一つ発生するだけ。英霊が時間と空間を超越し、あらゆる世界に降臨する存在である以上、彼女の望み―――二度と死ぬことのない存在になる、という願いは果たされない。

 魔法使いに生み出されたステッキはそう言って、彼女の行為を無為と断じた。

 

 では何故、と。フェルグスが表情だけで問いかける。

 

「……浮上したアガルタによって飛行し、その存在を知らしめた後。この大陸をどこか大都市に墜落させると共に、エレナ・ブラヴァツキーの願いを玉手箱によって叶えます。神秘の秘匿、その被害の隠蔽など許さないほど、徹底的に。

 歴史上において、今日この日を神秘が完全に暴かれた日として刻み込む。そして私はその顛末、一つの世界の結末を物語として、“千夜一夜物語(アルフ・ライラ・ワ・ライラ)”によって()に語り継ぐ」

 

 女がゆるりと手を回せば、そこに現れる巻物(スクロール)

 途中まで書かれたその“物語”を手に、彼女はゆっくりと顔を上げた。

 

「―――私の宝具、“千夜一夜物語(アルフ・ライラ・ワ・ライラ)”。

 これには後から付け加えられた物語も多く、成立以後も発生した物語が収集されるという性質を持ちます。時代や国を越え、属する物語が新たに付け足されていく。未来の、異界の、そんな物語であっても私が語った一つの物語にしてしまえる。

 ……だからサーヴァントの私という、()の端末が見知った物語を英霊の座にある大元にまで情報として送るのはそう難しくない」

 

 風に靡く巻物を手に、シェヘラザードは語る。

 このアガルタにおける戦い、このアガルタにおける真実、それもまた物語の一つとして。

 彼女はそれを、時空を超越した英霊の座に持ち込むと宣言した。

 

『……なるほど。その情報こそがキミが求めた自刃の刃というわけか』

「―――この目論みが達成されたとすれば、この世界では抑止力が崩壊しサーヴァントは呼ばれなくなる。けれどそれだけであれば、時空を隔てた並行世界にまでは影響しない。ですがそれのみならず、私の大元。英霊の座にある()にこの世界で私が行った行為が刻まれたとしたら?

 新たな私の物語、この特異点で起きた霊長を零落させた事実によって、私は一つの世界で抑止を破壊した異物となる。ひとつの例とはいえ、抑止力に小さくない瑕疵を刻んだ()は、世界から排斥されるでしょう。抑止が己を脅かしたものとして私の存在を認識すれば、その意識は私を表には出してはならないものとして隔離する。人類の存続を脅かす大敵として、私は存在を許されないものになれる。場合によっては、英霊の座から消滅さえできるかもしれない」

『そんな……消滅するための、戦いだなんて……』

 

 マシュの声に僅か眉を下げるも、彼女は言葉を返す事はなく。

 その間にも、じりじりと紙面に書き連ねられていく新たな文字。

 一世一代、シェヘラザードが仕組んだ戦いが結末に向かって記されていく。

 

 ひとしきり首を伸ばし終えたヒュドラが、ゆったりと全ての頭をカルデアの者たちに向けた。そうして準備を終えた神獣の隣で、手の中から巻物を消したシェヘラザードは再び両手で杖を握る。

 

「―――“霊長の抑止力(アラヤ)”から、人類への脅威として敵視される。

 それが私の選んだ、私の望みを叶える方法です」

 

 星に栄えた一等種、霊長。その意志が発生させる抑止力。人類の継続を義務とし、歴史に刻まれた人類文明の轍、人理というあらゆる情報を利用する無意識の最終防衛線。

 そんな造られた箱庭には柵がある。払う犠牲に頓着せずに設けられた、現行文明のための盾。星の情報である英霊を用いた、霊長を守護するために活用される囲い。人類種が持つ最強の財産。

 

 そんなものに使用されるくらいなら、こんな楽園から追放されたいのだ、と女は語る。

 滅ぼしたいわけじゃなくとも、苦しいだけの事はもう続けたくないと考える者もいる。

 だから、お願いだから、もう辞めさせてくれ―――と、彼女は死力で泣き言を叫んだ。

 

 

 




 
 チェリンボが全然出てこねえ。
 許さねえぞ道満。
 


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蘇る栄光2000

 

 

 

 ―――突然轟く、爆発のような咆哮。

 

 洪水に押し流され、積もった都市の残骸が消し飛んだ。

 その破壊力を彼方に感じ、僅かばかりシェヘラザードが身を竦める。

 

『メガロスだ! まずいぞ……! ただでさえ魔力を略奪される状況下で、ヒュドラの相手をしないといけないのに……!』

 

 ロマニの声につられて爆心地を見れば、残骸を粉砕した勢いのまま、メガロスがこちらの戦場に向かって加速してくる。ロケットの加速を利用した一点突破。

 迎え撃つために体勢を固め、その巨体が向かう先を追い―――

 

「……ッ、こっちじゃない。シェヘラザードに向かっている!」

 

 フェルグスがその軌道を読み、叫んだ。

 一直線に加速する巨英雄の進行方向は、カルデアではなくシェヘラザード。

 だがそんな事は分かり切っている、と。

 

「これはもう仕方ありません。国境を取り払い、アガルタを一個の国とするという事は、ヘラクレスの守備範囲をアガルタ全土に広げるという事。私はダユーを利用してイースを沈め、八岐大蛇の所有物である玉手箱を己の目的のために消費した。この土地において、現時点で最大の過失を行っている事になるのですから」

 

 メガロスから視線を逸らし、シェヘラザードが恐怖に震える。

 あの巨英雄は射程内に入られれば、1秒かからず木端微塵にされる化け物。

 

 ―――だから、ヒュドラなのだ。

 九つの首のうち一つ。黄金の竜の首が、メガロスを睥睨する。

 その動作から続けて流れるように、毒蛇は直進する英雄に向け牙を剥いた。

 

 振り下ろされる巨大な竜頭。

 まるで頭を鉄槌として叩き付けるような、乱雑な一撃。

 

「■■■■■―――――ッ!」

 

 それに対し、直進しようとしたメガロスの動きが陰った。

 全てを粉砕するような驀進に、一気にブレーキがかけられる。

 ヒュドラの首が向かってくるという事実で鈍るように。

 ただ、それはヒュドラに対する恐れからではない。

 

 彼を動かすのは、そういうルールなのだ。彼はこの国において、“王”にだけは攻撃を加えない。竜宮の王であり、アガルタにおいて王権を有するヒュドラに対し―――反撃は許されない。

 

 避ける事も、反撃する事も、真っ当な反応は何も許されない。

 全速力で振り下ろされる黄金の竜の首。

 その毒牙の一撃は狙いを過たず、確かにメガロスの肉体へと叩き付けられた。

 鋼よりなお硬い肉を喰い破り、流し込まれるヒュドラの毒。

 

 ―――その、瞬間。

 

「―――――――――」

 

 紛れもなく、完膚なきまでに。

 メガロスが死亡した。

 ただの一噛みで、十二の命が残らず溶け落ちる。

 無敵であり不死身であった最強の英雄にして怪物が、いとも簡単に。

 

 不死であったヘラクレスに、自らの死を願わせるほどの毒血。

 彼の肉体はそれに侵された瞬間、その運命に随い崩壊を選んでしまう。

 漲っていた神域の力が一滴すら残さず、その肉体から抜け落ちる。

 そこに残ったのは、光を失った虚ろな瞳で、だらりと四肢をぶらさげる抜け殻。

 

 ―――動きを止めたメガロスを銜えたまま、竜の頭がゆっくりと持ち上がっていく。

 

「……メガロスが」

 

 目的通りにそれが果たされた事に、ほっと息を吐くシェヘラザード。

 

 ただこれで退去してもおかしくない筈なのに、死体を残すメガロス。

 その異常事態を見上げて、彼女はおおよそ見当をつける。

 彼をアナザーフォーゼに変えた異物。それ以外に理由はないだろう。

 

「霊核が崩壊したにも関わらず、現界を続けている。

 一体化した異物のせいでしょうか―――となれば」 

 

 シェヘラザードがヒュドラに指示を送ろうとする。

 彼女がそうした行動が九つの首の視線を集め―――

 

〈キング!! ギリギリスラッシュ!!!〉

 

 その隙に、天を衝くほどに伸びた光の刃。“ジオウサイキョウ”と銘打たれた光の斬撃が、メガロスを銜えた竜の首を半ばで断ち切った。

 

 切り口から噴き出す、血のように撒き散らされる毒。

 首がその切断面からゆっくりとずり落ち―――ない。

 

 斬られた部分が泡を吹き、当たり前のように繋がっていた。

 切断された瞬間に再生した、とでも言うかのような超速再生。

 メガロスを銜えた頭が、何の痛痒もなさそうな表情でジオウⅡを見下ろす。

 

「……っ!?」

『―――ヘラクレスがヒュドラを一人で討伐できなかった最大の理由……それはヒュドラの再生力だ。斬ったそばから傷口を焼かなければ、あの毒蛇の再生は止められない!』

 

 八つの蛇の頭が動き、ジオウⅡへと狙いを定める。

 次々と動き出し、地上へと迫りくる巨大な牙。

 

「どっせーい!」

 

 蛇の頭ひとつ、その横っ面をアストルフォのランスが打ち据える。

 発動する“触れれば転倒!(トラップ・オブ・アルガリア)”。途端、バランスを崩して地面に叩き付けられる複数の首。その衝撃が大地震を発生させ、アガルタ全土を一気に震撼させた。

 

 ヒュドラを打ち据えたアストルフォ自身さえも転がる、尋常ならざる衝撃。

 不用意に転倒させれば、自分たちこそその巨体に潰されるだろう。

 無論、地面に落ちた幾つかの首はただそれだけで何の傷も負ってはいない。

 

 それを理解して、彼はすぐさま槍をしまって剣へと武装を交換する。

 

「せめて飛べれば、なんだけど!」

 

 言って見上げるのは、メガロスを銜えた竜の首。恐らくまずあの首をどうにかせねば始まらない。あれをどうにか出来れば、ヒュドラとしての再生能力は消えるかもしれないし、そうでなくともダユーの王制―――いまなお行使されている略奪は収まるかもしれないのだ。

 そうしなければ、ヒポグリフを再召喚して飛行する事さえ儘ならない。

 

 大地震で地面に転がりながら、棺桶へと縋り付くモリアーティ。

 彼が遥か上空に持っていかれたメガロスを見上げ、呟くように言う。

 

「さて、個人的にこの状況で気になる事が一点」

「なに!?」

 

 デオンに再び抱えられた立香が叫び返す。

 

「レルネーのヒュドラと言えば()()()()()なわけだが。あのウォッチ、食べさせて大丈夫かネ?」

「…………!」

 

 メガロスの遺体は消えていない。霊基は完全に崩壊したが、恐らくは融合していたアナザーウォッチの影響だ。アナザーフォーゼウォッチの存在が、彼という肉体が消えるまでの時間を引き延ばしている。竜の首はそれを銜えたままにしているが、呑み込まれた場合はどうなるか。

 ヒュドラがそのままアナザーフォーゼ化したとして。それは防御力、不死性の更なる向上に繋がる。いまもジオウⅡの攻撃を再生力だけで凌駕しているというのに、そうなっては。

 

「つ、つまりソウゴさんを上に連れて行って、メガロスの持ってるウォッチを壊さなきゃいけない!?」

「たとえそれが成功しても、ヒュドラ自体の再生力の突破には繋がりませんが……」

 

 起き上がり、首を持ち上げる大蛇の群れ。

 そこに思い切り横薙ぎで振るわれるサイキョージカンギレード。圧倒的な破壊力はその首を切り裂き―――しかし刃が通り抜けた瞬間、完全に癒着していた。そこに傷は一切残らない。

 

 呼吸を整え、ジオウⅡは返す刃でもう一閃。

 その刃に合わせて迸る、ジャンヌ・オルタの黒い業火。

 

 一閃でヒュドラの鱗が纏めて削ぎ取られ、両断される首。そこを呪いの炎が傷口を焼かんと雪崩れ込み、しかし。

 ヒュドラの肉を構成する神気を多大に孕んだ水流によって弾かれ、打ち消される。

 

『ヘラクレスはどれだけ斬り落としても再生するヒュドラの首を、甥のイオラオスに松明で傷口を焼かせる事で攻略したというけれど……!』

「焼けないじゃないの! っていうか半分水じゃない、アレ! こっちは無視して、さっさとあっちのシェヘラザードをぶっ飛ばすべきじゃない!?」

 

 オルタの炎が呪詛だから、という事以上に相手の霊格があまりに高すぎる。

 洪水そのものである八岐大蛇にして、不死身の再生力を有するヒュドラ。

 再生力を潰すために焼くにも、神威であるあの洪水は火を当然のように通さない。

 

 だからこそオルタは旗の穂先を黒幕に向け、がなり立てた。

 びくりと体を揺らし、エレナを引きずりつつ後ろに下がるシェヘラザード。

 

『そうしたとして、恐らくアガルタの活動は止まらない。いまこの大陸が浮いているのは、この大陸自体が持つ浮力が原因だ。そしてそれはいずれ減少し、最終的に地上へと落下する。それが発生させる被害を食い止めるためには、アレは倒すしかない。

 彼女をこの時点で退去させれば、彼女が終末の物語を語り継ぐという目的は果たせなくなるだろうけどね』

 

 だがそれに対し、ダ・ヴィンチちゃんは硬い声で否定を返す。

 

「はあ!? 落ちるにしたって海に落ちるかもしれないでしょうが! 最悪、海上にいるタイミングで大陸の方をぶっ壊せばどうにか―――」

『いや、違う。今の状況のまま海に落ちる。そうなるのが最悪のケースだ。海に落ちた場合、あの水蛇は洪水という水害としての性質を発揮する事になる。

 どうなるかと言うと、落下地点を起点として大規模な津波が発生。アガルタという質量が海面に落下した事で起こる津波を、八岐大蛇という神性が更に補強する事になるわけだ。もちろん落ちる場所にもよるが、恐らく被害の規模でいえば、この大陸が直接都市に落ちるより大きなものになるだろう。

 最終的にこの大陸は細かく破壊して海に落とすしかないが、そうする前にヒュドラ―――八岐大蛇は完全に消滅させる必要がある。単純に破壊規模が大きすぎて無視してはいけない存在だ』

 

 こちらの言葉を遮り、淡々と語るホームズ。それに対して歯軋りして、オルタは苛立たしげに旗を振り戻す。

 彼女の目的はこの大陸をどうにかすれば自動的に破綻する。だが彼女を倒したところで、この大陸はどうにもならない。つまりシェヘラザード本人に構っている暇などない、という事だ。

 

『洪水にカタチを与え水神とし、それをヒュドラとする事で、不死身の攻略法である傷口を焼くという行為を行えなくする。どうにかして不死身の突破法を見出す必要があるが……』

「とにかくメガロスとフォーゼのアナザーウォッチを壊さなきゃいけない……!」

 

 ジオウⅡが再び剣を振り上げ、メガロスを咥えた竜の首へと向ける。

 ただでさえ悩ましいのに、不死性を更に積み重ねられてはたまらない。

 とにかくその口からメガロスを切り離そうと、顔面へと突き出される光の刃。

 

 しかしその横合いから三頭の蛇が剣に咬み付き、ジオウⅡの攻撃を阻んだ。切り裂かれた瞬間に発生し、完了する超速再生。無限の再生力を活用して、力尽くで必殺の一撃を止めてみせる蛇神。

 ジオウⅡが力をかけても刃は進まない。破った筈のヒュドラの肉が光刃に纏わりつき、強引にその場に留めてしまう。

 

「―――――」

 

 ヒュドラの行う動作の全てが、カルデアを徐々に追い詰めていく。

 最大の攻撃力であるジオウⅡでさえヒュドラは破壊できない。

 

 が、シェヘラザードはその態度に難しい表情を見せた。

 彼女は竜の首が加えたメガロスをどうするべきか、という判断を下す必要がある。

 

 カルデアがメガロスに対して意識を向けている点。

 それを考慮すると、あれをヒュドラに取り込ませてはいけないと考えているのだろう。

 ということはヒュドラにあれを喰わせるべき、と考えてもいいのだが。

 だがアナザーウォッチをヒュドラに取り込んだとして、制御に難が出てはいけない。

 実際メガロスは完全な制御が出来なくなっていた。

 

 強化するまでもなくヒュドラは不死であり、無敵の存在である。

 だがカルデア相手に過信はできないだろう。時間を与えれば突破されかねない。

 できれば強化できるものならしたい。が、この手段は信頼できない。

 

(ヘラクレスは……ヒュドラに取り込ませるには危険が大きい。かといって捨て置いては、彼の遺体を何らかの手段で利用されないとも限らない。

 ……このままダユーの首に確保させたまま、残りの首だけで戦う。ヘラクレスを咥えた首を狙って無理に攻める彼らの側面を、他の首で積極的に狙わせる。これが最善、でしょうか。どちらにせよ、あの首は他と比べてダユーという核が存在する都合上、下手に頭を下げさせれば潰されかねない。そうなればヒュドラとしての性質は消滅、八岐大蛇でしかなくなってしまう。

 私を最優先に狙うヘラクレスが潰せている以上、もう毒性は惜しくないですが、再生力が今よりは低下するだろう点を考慮すると危うい)

 

 カルデアを甘く見る事はしない。十分な準備をした上でヒュドラを降臨させたが、攻略される事は前提とするべきだろう。それより先にこのアガルタを目的地に落とせればいい。

 故にメガロスの扱いは現状維持。消滅するまで下手には動かさない。

 

 ジオウⅡを制しつつ、残ったヒュドラの首が動く。

 それに対して剣群を射出しつつ、クロエがカルデアへと怒鳴った。

 

「つまり! メガロスを取り込まれるのを防ぎつつ、とにかくあの一本だけ特別っぽい頭を潰してみるしかないワケね!?」

『八岐大蛇は酒に酔わされ、眠らされ、そうして退治された。八岐大蛇でもあるあの大蛇にはその討伐方法も効くかもしれないが……この状況でその対策を行うのは、些か以上に無理がある。

 少なくともヒュドラという蛇の皮は、あの竜の首が維持している筈だ。頭部を木っ端微塵に吹き飛ばせさえすれば、重ねられた霊格を剥奪する事もできるかもしれない』

 

 了解、と。小さく呟くと少女は手の中に弓と剣を投影した。

 出現した螺旋剣を弓に番え、矢に加工し、向ける先は英雄を咥えた竜の首。

 引き絞ると同時にそれが光を放ち、周囲の空気を鳴動させる。

 狙い据えるヒュドラはその現象に対して意識も向けない。

 

「――――“偽・偽・螺旋剣(カラドボルグⅢ)”!!」

 

 地上から天に翔ける光の一矢。周囲の空間を捩じ切り、直進する螺旋の一撃。

 

 それが放たれ、自身に向かってくると理解して、やっとヒュドラを視線だけでそれを見る。

 確かな認識を元に、首を動かすこと僅か数センチ。

 螺旋剣がヒュドラの顔面に直撃し―――その表面を罅割れさせるだけに留まり、弾かれた。

 生じた罅割れは瞬きの間に水流に修復され、存在しなかったように消え失せる。

 

「硬い……っ、てことは他の首と違うって事でいいわけよね!? そうじゃなかったらどうしようもないわよ!」

 

 今にも地団駄を踏みそうなくらいいきり立ちつつ、少女が次弾を投影。

 それを見た蛇の首の一つが、彼女に向けて顔を向けて口を開いた。咽喉の奥から溢れ出す暗色の煙、毒蛇のブレス。ギリシャに名だたる怪物・英雄を死に追いやったヒュドラの毒。

 自身に向けられたものを認め、クロエが体を固くする。

 

 一拍置き―――放射。

 広がっていく毒に表情を引き攣らせるクロの前に、騎士の姿が滑り込む。

 青いドレスを纏った騎士王が、その手に握った聖剣をより強く握り締めた。

 

「サファイア、風を―――ッ!」

「宝具、“風王結界(インビジブル・エア)”。起動に問題ありません、行けます―――!」

 

 振り下ろされる聖剣、その刀身に纏わる風の魔術。

 

 クラスカード、セイバー。

 騎士王アーサーの力を纏ったカレイドサファイアが放つ、圧縮された暴風。

 局所的なハリケーンが吹き荒れ、毒のブレスに衝突し正面から押し返す。

 

 ヒュドラ側へと送り返される毒の風。

 そこから離れるためにエレナを引き摺り全力疾走するシェヘラザード。

 自身の息吹を送り返された事に苛立たしげに牙を軋らせる毒蛇の首。

 

「……ライダーの宝具で蛇の首を地面に落とす。その隙に竜の首を常磐に狙わせる……?」

「流石に全部転ばすのは無理だと思うよ!」

 

 前線で剣を手に跳ねるアストルフォの言葉に、オルガマリーが眉を顰める。

 獲物がでかすぎる。流石に彼の槍でも全部は転ばせない。最初の奇襲ですら全部は転ばなかったのだ。いま全力で振ったところで、恐らく叩いた首と他に1、2本の首が体勢を崩すくらいが精いっぱいだろう。それではどうしようもなく近づけない。

 

 カラドボルグさえほぼ無傷で弾く竜の首を破壊できる可能性があるのは。

 ジオウⅡの攻撃力。あるいは、美遊がいま振るう聖剣。後は―――フェルグスが全盛期であれば、同じようにできただろう。だが今の彼では、あそこに届いても足りない。

 

 その事実に蛇の首を誘導しつつ、フェルグスが唇を噛み締めた。

 

 美遊では確実性に欠ける。アルトリア本人ならば疑わなかったが、クラスカードによって放てる一撃で倒し切れるかは微妙だと言わざるを得ない。

 クロエに視線を向ければ、彼女は弾幕を張りつつ軽く首を横に振った。

 恐らくはアルトリアはペンテシレイアの方を対応している、という事だろう。

 

「……やっぱり、常磐を動かすしか」

「ううん、まだ手はあると思う」

 

 目を見開き、オルガマリーが立香に視線を向ける。

 彼女が見ていたのは、空中からヒュドラに制圧射撃しているイリヤだった。

 もっとも彼女の火力では、ヒュドラに再生を誘発する事さえできない様子だが。

 

 そんな彼女の顔を見て、思わず言い返す。

 

「……確かにイリヤスフィールがバーサーカーのカードを使った一撃なら、決定打になるかもしれないけど……!」

「―――それだけじゃ足りないから」

 

 彼女の言葉を遮って、立香が所長に顔を向ける。

 そんな部下の表情を見せられて、オルガマリーが押し黙らされた。

 

「私たちがいまできる、全部をぶつけて勝ちに行こう―――!」

 

 

 

 

 

 流石に突然の洪水を受け、アマゾネスも半壊したようだ。

 それでも多数が残っているのは流石というべきか。

 先頭に立つペンテシレイアが、筋肉の放つ熱で自身を濡らす水を蒸発させながら歩んでくる。

 彼女の態度に応じ、アルトリアも踏み出した。

 

 周囲の壁が崩れ、大地が空中へと上がり、背後では巨大な怪物が暴れている。

 そんな事は考慮に値しないとばかりに、二人の女傑が顔を合わせた。

 

『―――こっちも気を付けてくれ。ペンテシレイアは女王の一人、この大地を領土とする王である以上、侵攻であったこれまでと違って彼女が国に敷く王制が使える可能性がある!』

「……武則天みたいな? アルトリア、気を付けて!」

 

 ロマニとツクヨミのやり取りを背後に、僅かばかり意識を向けて。

 そうしてアルトリアは、ペンテシレイアに問いかける。

 

「だ、そうだが。貴様の王制とやらを使わないのか」

「―――アマゾーンの女王が課す王制があるとすれば、たった一つ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。他者にかけるものなど何ひとつとして必要としていない。そのようなもので戦いを汚す事はしない」

 

 他者から奪う略奪も、他者に強いる法令も、彼女の国は必要としない。

 ただ己に課す最強の矜持だけがあればいい。

 だからこそ、彼女はいまここに立っている。戦うためだけに立っている。

 どうやらギリシャの神格に近い存在が降りてきているようだが、彼女には関係ない。

 

 アルトリアが聖剣を両手で握り、全身に魔力を漲らせる。ここも既にヒュドラの略奪の影響下。ヒュドラ自体と距離を取っている分まだマシだが、長期戦を行えばすぐに枯渇するだろう。

 ツクヨミが持つ令呪は二画。後ろで暴れているヒュドラに一画残さないといけないとすれば、使えるのは一画だけ。そしてそれは聖剣の解放に使う事に―――

 

 ペンテシレイアは背後に立ち並ぶアマゾネスたちに手を挙げ示す。

 その合図に対し、全ての戦士が唾を呑んで従った。

 

()()()

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――ッ!!!」

 

 音の破裂。咄嗟にツクヨミが耳を塞ぐような、爆発するような大気の波動。

 それは残ったアマゾネスが行った咆哮の結果。一部族の全てを結集した決戦のために行われる、必勝の儀式。全てを懸け、咆哮を至近で受けたペンテシレイアの魔力が増大する。

 

 これは王制などという、この大地に与えられた力ではない。

 ただ、ここに立つ彼女が己の部族を背負って立っているだけ。

 

 膨れ上がり、増大する魔力。

 一つの国を一人に集約した怪物的な相手を前に、アルトリアが僅かに口角を上げた。

 

 ―――ここで二画使い切る。

 

 ペンテシレイアが鉄球を引く。

 アルトリアが聖剣を振り上げる。

 

 そうして二人の戦士が、同時に大地を蹴った。

 

 

 

 

 

〈ジオウサイキョー!!〉

 

 薙ぎ払われる光の剣。二つ纏め、斬断される蛇の首。

 それとまったく同時、タイミングを合わせて美遊が聖剣を振り上げる。

 略奪されてなお、サファイアの魔力供給は宝具解放分を捻りだす。

 

「“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”――――ッ!!」

 

 加速する魔力。光と変わり、振るわれると共に駆け抜ける一閃。光に断たれ、発生した空間断層。そこに生じる膨大な熱量。それによって焼き払われるヒュドラの首。

 ―――そんな地獄のような熱の中から、何ともないようにヒュドラは再び頭を出した。

 

「……やっぱり、松明で傷口を焼くとかは無理そう」

「はい……っ」

 

 息を吐くソウゴと美遊。

 傷を刻むと同時に聖剣解放。これでダメだというのなら、やはり今のヒュドラに傷を与える事は不可能と断じるより他にない。

 途中で作戦のためにイリヤがウォッチを取りに来たので、そっちに頼るしかないだろう。

 

 首を引き付ける動きに終始しているデオンが、息を僅かに荒げつつ刃を振るう。

 蛇の首に近付かれすぎれば、毒のブレスがある。受ければほぼ即死だ。

 攻撃も通じない以上、とにかく時間稼ぎに徹するしかない。

 

(流石に全部の首を引き付けられはしない。タイミングを計るにしても、どうやって……)

「―――――状況を動かすわ! 総員、いつでも動けるようにしなさい!」

 

 オルガマリーの号令。

 それを聞き、僅かに困惑を示す美遊。

 その隣で、ジオウⅡが剣を握り直して腰を落とした。

 

 だいぶ離れた位置にまで行っているシェヘラザードが、その声の元へと視線を送る。

 オルガマリー・アニムスフィア、彼女が魔術行使の体勢に入っている。

 魔神から聞いた話では、彼女が大一番で使うのは天体魔術の奥義。星の運行を歪め、いまこの時空に隕石が招来していたという事実を創り、此処にその星を引き込むという大魔術だ。

 

 とはいえ、彼女が呼べる隕石が直撃したところでヒュドラには傷一つ与えられない。

 そんな魔術で一体―――

 

「―――まさかこのアガルタの方を砕くつもりで……? ヒュドラへの対応を諦め、海上にいる内に落とし、洪水の方を止めるつもりですか……?」

 

 八岐大蛇ほどの神性の維持ができているのは、アガルタが神秘を色濃く残した大地だからだ。

 もし地上に落ちれば、洪水こそ起こすがそこまで。大蛇は自然消滅するだろう。

 だからその洪水を止める事ができるとすれば、ここを落とすという選択肢は活きる。

 

「……いえ、流石にそれは不可能でしょう。だとすれば―――」

星の形(スターズ)宙の形(コスモス)神の形(ゴッズ)我の形(アニムス)天体は空洞なり(アントルム)空洞は虚空なり(アンバース)―――」

 

 高まるオルガマリーの魔力。

 如何に彼女ほどの魔術師とはいえ、既に魔力略奪によってとっくに限度いっぱい。

 反動によってスパークした魔力に僅か眉を顰め、しかし彼女は発動した魔術を完成に導く。

 

 そんな彼女の後ろに立ち、老爺がゆっくりと武装棺桶―――ライヘンバッハの銃身を起こした。

 そうしたサーヴァント、モリアーティ。彼へと掌を向け、立香が腕へと神経を集中する。

 

「―――虚空には神ありき(アニマ、アニムスフィア)!!」

「―――()()()()()、モリアーティ!!」

 

 オルガマリーに現状で持ってこられたのは、小さな隕石。

 灼熱しながら空を裂き、迫ってくる岩塊。

 それが雲の上にあるこの大地からはよく見える。

 

 ―――その一撃を見上げ、モリアーティは照準する。

 令呪によって充填された魔力をそのまま棺桶に喰わせ、彼は引き金に指をかけた。

 

「では、その隕石のコントロールを頂こう」

 

 ガチン、と轟く銃声。ライヘンバッハから射出された弾丸が、宇宙に向かって打ち上げられる。それはオルガマリーが呼んだ隕石に直撃し、交わり、より強い光となった。

 

「既に照準は決めている、つまりは()()と言う事だ。

 結論は我が計算によって“終 局 的(ザ・ダイナミクス・オブ・) 犯 罪(アン・アステロイド)”の許に証明されるだろう……さあ、とくと味わいたまえ。宇宙からもたらされるモノ(プレゼント)、だヨ」

「―――――っ!」

 

 隕石が炎上し、青い燐光を放つ。

 青い球体になった隕石(メテオ)が一直線、竜の頭に向かって加速する。

 

 効かないはず、と思っているが何をされるかが分からない。

 すぐさまシェヘラザードは首の一つに命令を下す。

 

「防ぎなさい!」

「――――――■■■■ッ!」

 

 小さく唸り、ヒュドラの首が動く。迫りくる隕石を噛み砕くために動く頭。

 大口を開いた蛇はそのまま隕石へと頭を突っ込んで―――その瞬間、ぐるりと隕石がありえざる軌道を描き、蛇の迎撃を躱してみせた。

 そのまま当然のように蛇行して、それは再び竜の首への軌道に戻る。

 

「必中する、と言ったつもりだがネ?」

「……っ!?」

 

 言葉を詰まらせたシェヘラザードの前で、隕石がヒュドラに到達する。

 それは竜の首へと直撃―――せず、その首が咥えたものへと直撃していた。

 

 無論それはメガロスの事である。

 咥えていたものに隕石が直撃した事により、ヒュドラから引き剥がされる巨体。

 メガロスの巨体が吹き飛ばされつつ、光に還り出す。

 

「ヘラクレスを消滅させるための一手……!?」

 

 モリアーティによって射出され、隕石と共に激突したメテオウォッチ。

 それが砕けた隕石と共に、反動で空中に投げ出される。

 飛来するウォッチに向け加速し、それを掴み取るイリヤスフィール。

 少女はそうしながら、空中で消えていくメガロスに視線を送った。

 

 彼の霊基は完全に崩壊し、アナザーウォッチで現界しているような状態だった。

 だからいま、こうしてメテオの力でアナザーフォーゼを砕いた結果はただ一つ。

 メガロスを繋ぎ止めていたものが消失し、退去する事。

 

「でも……!」

 

 メガロスは消える。これ以上はない。彼を維持するためのものが何もないのだから。

 

「でも―――!」

 

 彼を宿して戦った事があるから分かる。あの大英雄は、あんなただ暴れるだけの兵器でもなければ、利用され尽くして終わるようなものではない。

 誰より強くて、誰より優しい、真に偉大な最強の英雄なのだと知っている。

 

 ―――だから。

 

 空中に投げ出された巨体の瞳に光が灯る。

 全てが抜け落ちていたその肉体に力が満ちる。

 血流が巡り、灼熱のような体温を取り戻す。

 ただでさえ強靭な肉体が、更なる力に満ちて張り詰める。

 

 それを見上げていた女が、唖然とした声で喘ぐ。

 

「―――そんな。ヘラクレスの霊基は完全に……!」

 

 口にしていた言葉を自分で止め、彼女は答えに辿り着く。

 他のクラスカードの性能は魔神が確認していた。黒い少女が使っていると思しきアーチャーは不明だが、七つのクラスに対応しているなら、あるはずのもう一枚。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ウォッチが砕かれ、彼が消える筈だった一瞬。そうして再生したアナザーウォッチが大英雄の存在を繋ぎ止めた。

 

 その一瞬の先、彼の胸に灯るのは1枚のカード。

 モリアーティによって隕石に乗せられ、メガロスに届けられた逆転の一手。

 砕けた霊基をそれを中心に再構成し、巨英雄は大英雄へと回帰する。

 天を衝くたてがみ、隆起する筋肉、手にした武装は黄金の戦斧。

 

 ―――即ち、大英雄ヘラクレス。

 

「……っ、ヒュドラ! 最優先でアレを……!」

 

 言われるまでもない。

 ヒュドラの毒がアレを殺したというのなら、ヒュドラを殺したのはアレなのだ。

 全ての首がその存在を最大の脅威と認識して、その牙を剥く。

 

 空中に投げ出されたままの大英雄に対し、八つの首が向かう。

 

 その瞬間、大上段から振り下ろされる最強の一撃。

 

〈キング!! ギリギリスラッシュ!!!〉

 

 ヘラクレスを目掛け八つ纏めて突き進む首。

 それらを纏めて切り裂くのは、ジオウⅡの有する最強無比の剣撃。

 最大出力で振るわれる刃が、傷口ごと蛇の肉体を蒸発させて稼ぎ出すほんの1秒。

 

 その一撃を受けた上ですぐさま再生し、立て直し、突撃を続行する八つの頭。

 

 蛇の牙が持つ毒が致命的である事に変わりはない。ヒュドラの毒がヘラクレスの死因の要因であり、彼という存在にとって最大の弱点である事は変えようがないのだから。

 

 如何にクラスカードを核として霊基再臨したとして、存在は不安定だ。この状態で戦おうものならば、いつ自壊して消滅したっておかしくない。

 

 一度砕かれ、再生したのはアナザーウォッチ。バーサーカーである彼の狂化と、アナザーウォッチに仕込まれた破壊衝動。この狂気もまた向上し、彼の精神を蝕んでいく。

 

「―――――やっちゃえ、バーサーカー!!」

 

〈コズミック・オン…!〉

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――ッ!!!」

 

 ―――だが、そんな逆境を捻じ伏せてこその大英雄。

 1秒もあれば彼が戦闘態勢を整えるのに十分。

 

 少女の声に合わせて、戦斧を覆うコズミックエナジー。

 それが振るわれ、割断されるのはヒュドラの頭部。

 瞬時に八つ纏めて消し飛ばされ、しかしすぐに再生するヒュドラの頭。

 

 毒蛇が再生にかけたほんの一瞬の内に、大英雄が大地に着陸する。

 コズミックエナジーが迸り、周囲に青い光を撒き散らす。

 

 そうして立ちはだかった英雄を前に、僅か。

 毒蛇ヒュドラが、仰け反るように首を逸らした。

 

 

 




 
 なんか途中から王制とかいう能力が一般化してる。
 なんだこの能力…

 ルビを振るとしたら王制(ギアス)だろうか。
 王の力はお前を孤独にするってそれ一番言われてるから。
 


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滅びと再生2000

 
2話同時投稿
1/2
 


 

 

 

 鋼の爪と聖剣が打ち合い、火花を散らす。

 その交錯の直後、顔を顰めながら僅かに押し返される騎士王。

 アマゾネスの女王が行うのは、更なる前進と追撃。

 

 対抗するべく迸る黒い魔力放出。

 噴き上がる暴力的な力は、しかし激突のたびに出力を落としていく。

 

「■■■■■■■■■■■■――――ッ!!」

「―――――ッ!」

 

 ―――再度、激突。

 

 揺らめくのは漆黒の魔力。そうしてアルトリアから立ち上る魔力を引き裂きながら、ペンテシレイアは留まる事なく白熱していく。

 互角だった衝突はやがてペンテシレイアに傾き、そのまま角度を上げていく。一度交わすごとに押し返される距離が増え、遂には一合交わしただけで三歩分退かされる。

 

 距離が開いた瞬間、ペンテシレイアが握った鎖を引き込む。

 蛇のように空中でのたうち、先端に繋がった鉄球はアルトリアに向け加速する。

 それを迎撃すべく騎士王は踏み止まりながら魔力を漲らせた。

 

「ハ、ァ――――ッ!」

 

 集約した魔力を乗せた一閃。それが鉄球を打ち返し、地面へと叩き落す。

 魔力が足りない。マスターを通じてカルデアから供給される魔力では足りない。

 略奪と戦闘行動による消費、それが彼女の魔力を一気に喰い潰した。

 

 略奪の影響下にあるのはペンテシレイアも同じだろうが、彼女はアマゾーンの女王として戦士の咆哮に支えられる事でそれを凌駕した。

 少なくともこの戦闘中に魔力が切れるような事はないだろう。

 

 長引けば長引くほど、彼女が勝利できる可能性は目減りしていく。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■―――――ッ!!」

 

 鉄球を弾き、僅かにぐらついたアルトリア。

 その隙を喰い破る事を目的としたアマゾーンの進軍。

 

 魔力放出を行使し、迸る魔力を強引に障壁として運用。

 苦し紛れの防御を打ち抜き、ペンテシレイアの一撃はアルトリアへ届いた。

 胸に届いた爪が、鎧を引き裂いて残骸を四散させる。

 

「アルトリア!」

 

 マスターからの声が届く。

 が、十分に戦えるだけの戦闘力を持つ彼女からの援護射撃はない。

 そういう戦闘だ、と理解してもらえているという事だ。

 

 負った傷から鮮血を散らしつつ、彼女は残り少ない魔力を放出する。

 強引に体勢を切り返し、至近距離まで迫っているペンテシレイアに足を振るう。

 そのままグリーブで相手の頭部を蹴り抜いて、彼女は地面に落ちるように何とか着地した。

 

 蹴り飛ばされたペンテシレイアが地面に落ちる時は、腕から。

 地面を手で叩いて体勢を立て直し、軽やかに復帰しながら着地して滑る。

 開いた距離を目測し、確かめつつ。

 彼女は蹴られた場所を軽く拭いながら、鉄球の鎖を強く握り直した。

 

「―――……邪魔が多い戦場だったが、貴様と戦えた事は誉れだ」

 

 アルトリアの行った苦し紛れの蹴撃。

 先程までであれば、あそこでも魔力を噴射して立て直していたはずだ。

 その事実をもって、戦闘に使える魔力はほぼ使い切った、と見たのだろう。

 もう決着が見えたとばかりに、ペンテシレイアはそう言った。

 

 この地を覆う略奪がなければ、まだ勝負は分からなかった。

 戦士の支えがあるペンテシレイアとアルトリアでは、条件が対等にはならない。

 

 無念ではあるが、それを理由に手心など加えるはずもない。この状況であってもこれほど戦い抜いたアルトリアこそ戦士の鑑であり、それを打ち破った己の誉れである。死力を尽くした決戦に貶められるものなどない。戦いの果てには、勝者には勝者の、敗者には敗者の栄誉がある。

 

「邪魔か。だが、それはお互い様だろう」

 

 体を起こし、地に立てた聖剣の柄尻を握り騎士王がアマゾネスの女王と視線を交わす。

 

 ペンテシレイアが僅かに眉を寄せる。

 こうして立っているだけでアルトリアの魔力は徐々に減少していく。

 略奪されている分、戦闘態勢を取っているだけで回復より消費が勝る。

 アマゾネスに支えられているペンテシレイアとは条件が違う。

 

 そうして怪訝そうな顔を浮かべた女王の前で、ツクヨミが手を顔の高さに上げる。

 彼女が見せた手の甲に刻まれた赤い紋様。その一画が燃えるように揺らめいた。

 

「ここで全力を尽くして、アルトリア」

 

 消えていく令呪に合わせ、迸る魔力の渦。

 騎士王は自身の体に流れ込む魔力を全て、そのまま聖剣の刃に注ぎ込む。

 溢れ出す漆黒の光が周囲に放たれ、大地を焦がしていく。

 対峙していたペンテシレイアもまた、その勢いに半歩だけ退いた。

 

「この大地に魔力が吸い上げられている事に変わりはない。貴様にはそれを覆すためのアマゾネスどもがいる。そして、私にはマスターがいる。紛れもなく、対等な勝負だ」

 

 柄尻を強く握り、アルトリアがそう断言する。

 彼女の宣言を聞いて、一瞬呆け。

 しかし確かに納得したというように、ペンテシレイアは大きく頷いた。

 

「―――――そうか。そうだな。赦せ、またも私は貴様との戦いに泥を塗るところだった」

「……対等だからこそ、何ら憂慮することなく」

 

 微かに緩んだペンテシレイアに向け、闘志を煮え滾らせアルトリアは宣言する。

 

「敗者としての栄誉を噛み締め、土を舐めろ。アマゾーン」

 

 勝利するのは私だ、と。

 その言葉を正面から受け取って、ペンテシレイアが己の血を燃やす。

 

「よくぞ言った、聖剣使い。言ったからにはその剣を陰らせるな。その輝きは私が勝者として大地に踏みつけた時こそ、我が勝利を言祝ぐ栄光となる」

 

 熱量が増す。女王の昂揚に呼応して、アマゾネスたちの咆吼が強くなった。

 自身を後押しする力の波を背に受けて、ペンテシレイアは鉄球を引き寄せ握る。

 

 黒く輝く聖剣の切っ先を上げ、アルトリアが両の手で握った。

 踏み締めたブーツが削る地面の深さは、彼女が体に籠めた力の大きさの証明。

 それを見極めると同時、アマゾネスの女王が強く大地を蹴り飛ばす。

 

 ルートは直線、それ以外の選択肢は必要ない。

 最短、最速の道筋を、最高速度で一直線に走りきる。

 

 対し、アルトリアが横に流すように剣を振り被る。

 魔力の充填は令呪が短縮して成し遂げた。

 後はその刃を振り抜けば、最強の聖剣は力を解放するだろう。

 

(だがこの距離では威力は発揮しきれん――――!)

 

 鉄球を前に差し出し、盾のように構える。恐らく鉄球は蒸発するだろう。それを構えた己も半身が消し飛ぶかもしれない。だが、それと引き換えに彼女の腕は騎士王に必ず届く。

 如何に聖剣であろうとも、この近距離からの一撃では威力が発揮しきれない。加速した魔力が臨界し放たれる光の斬撃。ペンテシレイアならば、それが初速にある内に突き抜けられる。身を堅めて極光を逆走し、蒸発する前に逆に必殺を打ち込む、というだけのごくごく単純な勝機がある。

 

 そうして勝利しても、斬撃の余波で蒸発するかもしれない。だが、そうでなくては勝てない相手だったというだけ。それほどの相手とあいまみえた事、戦えた事は誇りですらある。

 故に恐れも逡巡も、一切を捨てて彼女は前に踏み出せる。死力でなければ勝てない相手に、死力で挑める事は戦士の本懐。彼女が何より望んだ事なのだから。

 

「“約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)”―――――ッ!!」

 

 ペンテシレイアを前にしているアルトリアはそれを理解しているだろう。それでもなお、彼女は一切躊躇なくその聖剣を解放した。吹き荒ぶ瘴気と共に、黒い極光が迸る。

 雪崩れ込む破壊の渦からの盾にされ、ペンテシレイアの武装である鉄球が瞬く間に溶けていく。全身にアマゾネスの力を漲らせた彼女自身もまた、盾越しにでさえ蒸発という結末に向かう。

 

 だがその影響を文字通り肌で確かめた彼女が確信した。

 焦げていく肉、沸騰する血、溶けていく命。

 その結末は、自身の腕がこの極光を突き抜けて敵の心臓を引き裂いた先に訪れるものだと。

 

 鉄球を突き出した右腕から伝わる熱で、既に右半身は炭化しかけている。

 であれば、後ろに引いた左腕に全てを懸ける以外にない。肩を逸らし、腕を曲げ、指を折り―――腕一本を構成する筋肉を、一筋残らず力で満たす。力を籠めた腕を突き出す、というたった一つのアクションに己の……否、彼女たち(アマゾーン)の全てを注ぎ込む。

 

「“我が瞋恚にて(アウトレイジ)……!!」

 

 ―――黒き極光を乗り越える。破壊の嵐を突破する。

 

 黒い濁流を超えた先で、剣士は再び剣を振りかぶっていた。

 二撃目、だが遅い。

 聖剣が切っ先をこちらに向ける前に、アマゾーンの五指がその心臓を抉り取る。

 

 騎士王の後ろで彼女の戦いを支えるマスターが最後の令呪を切る。

 確かにそうすれば宝具の連撃は叶うだろう。もしもう一度あの光が放たれるような事があれば、ペンテシレイアは為す術なく蒸発するだろう。

 だが、そんなもしもはやってこない。

 

果てよ英雄(アマゾーン)”――――――――ッ!!!」

 

 ペンテシレイアの速度はまだ活きている。聖剣の光を力任せに突き抜けた上で、それでも彼女の放つこの一撃の速度は、アルトリアの剣速を僅かに上回る。突き出される腕こそ、全てを懸けたアマゾネスの女王が放つ必殺。

 宝具解放による迎撃はどうあっても間に合わない。だがこちらもまた宝具、騎士王であろうと宝具解放以外で受け切れる筈もない。故にこの一撃こそが決着を告げるものであり―――

 

「オォオオオオオオ――――ッ!!」

「―――――――っ!?」

 

 瞬間、アルトリアの足元が爆砕した。渦巻くのは馬鹿げた量の魔力。

 騎士王はその勢いでもって、後ろに向かって驀進する。行使される全力全開の魔力放出。最後の令呪によって与えられた魔力を、彼女は宝具でなくそれに注ぎ込んだ。

 

 超常的なロケットスタート。

 静止していた状態から、アルトリアは瞬間的にトップスピードに到達する。

 前進するペンテシレイアと後退するアルトリア。その速度が釣り合い―――直後、減速していく者と加速していく者の間に、正しく差が生まれていく。

 

 アマゾーンの死力は届かない。

 己の命を懸け、相手の命を掻き切る五指が、空を切る。

 

 ―――届かない。届かない、届かない、届かない届かない届かない。

 彼女の誇りは、届かない。

 

 ああ、まるで。

 ただの一度も背中を見る事さえ叶わなかった、最速の英霊に追い付けなかった時のように。

 

「ア、ァ……ッ! ア、キ、レゥ……ッ、■■■■■■■■――――――――ッ!!!」

 

 聖剣の残光よりなお熱く、女王が血煙を黒い蒸気に変えながら直進する。

 赤黒く染まった眼光が、アルトリアを追い越した。

 対峙する敵の遥か彼方に存在しない敵を見て、彼女は再び加速していく。

 使い果たした速度を、使い切った命で埋め合わせて。

 

「――――」

 

 騎士王が切り返す。最大最速の後退から、最高最速の前進へ。

 令呪により補填された魔力を、ただ二度の魔力放出だけで使い切るという使い道。

 聖剣の切っ先を正面に、突き出されるアマゾーンの腕へと向ける。

 

 加速の程は比べるまでもない。燃え尽きたアマゾネスの疾走は―――否。

 ペンテシレイアを目掛けて加速するアルトリアと、存在しない誰かを目掛けて加速するペンテシレイアでは、比較対象にさえなりえない。

 

 加速の果てに、交錯。結果は言うまでもない。

 振るわれた剣は、突き出された掌を打ち貫き、そのまま心臓を串刺した。

 

 バシャバシャと音を立てて、ペンテシレイアから流れ落ちていく命。広がっていく、渇いた大地を濡らす赤い水溜まり。

 そうなってからやっと、彼女の瞳から血の赤さが抜けた。まるで目を染めていた血が抜けるように溢れる血。それは彼女の頬を濡らす血涙となって滂沱と流れた。

 

「――――――――――あぁ、そう、か。私は、また……」

 

 分かり切った悔恨を滲ませる声。

 霊基が砕かれ、あるいは僅かなりとも狂気が薄まったのか。

 

「……貴様との勝負を、忘れていたか。なんという、ことだ……戦いの中で、目の前に立つ相手が、己が敵であった事さえ、忘却する……これでは、まるで、あの……男と、同じ……」

「―――――」

 

 であれば、敗者として勝者を讃える事さえ叶わない。

 勝負を捨てたのは自分だ。お前と戦ってなどいなかった、と吐き捨てたのは自分だ。誇り高くあるべきアマゾネスの名に泥を塗ったのは自分だ。

 ―――憎悪の対象である男と同じ事をしたのは、自分だ。

 

「……唾棄するがいい。戦士の誇りに悖る、私の行いを。憎悪しろ、この戦いに泥を塗った、愚かな我が身を……」

 

 全てを使い果たしたアマゾネスの女王が消えていく。

 地面に落ちた血の涙も黄金の光に変えて、彼女を構成していたものが消えていく。

 

 崩れ行く女王から刃を引き、騎士王はその切っ先を地面に突き立てた。

 

「敗者から命以外を奪う気はない。貴様が矜持や自嘲をこんな所で吐き出したところで、こちらに拾ってやる義理はない。そんなもの、自分で冥府まで持っていって勝手に反省していろ」

「―――――は、」

 

 勝者は立ち誇る。勝ち取った命だけを手に、敗者の戯言を切り捨てる。

 弱者はそれに言い返す言葉を持たない。

 

 ただ、それだけでよかった。

 あの決着がそうであったなら、誇りと共に死ねたのだ。

 勝者の強さを見上げ、自分の弱さだけを呪って死ねたのだ。

 

 ―――アマゾネスの咆哮が止まる。女王を失った戦士たちが停止する。

 

 意識を喪失して倒れだすエルドラドの女たち。

 彼女たちの前で、女王だった光の残滓が天へと昇って行った。

 

 

 

 

 

 竜の首が吼える。それに応じるように、蛇の首もまた。

 九つの咆哮が引き起こす地鳴り。罅割れていく大地を蹴り、大英雄が疾駆する。

 

「ライダー、道を開けさせなさい――――!」

 

 疲労困憊。酷使した魔術回路の負担に喘ぎながら、オルガマリーが腕を掲げる。

 消えていく彼女が持つ最後の令呪。

 

 それを蛇の首を落とせ、という意味だと理解して。彼はふと、そういえば自分には槍よりこの仕事に適した宝具があった事を思い出した。

 もっともあれほどの神獣に効果が期待できるかというと、やっぱり怪しいが。ただ、槍では令呪の後押し込みでも首の二つ三つがせいぜい。いや、ヘラクレスの登板に本腰を入れたヒュドラが相手では、もっと効果は低いかもしれない。

 それならばワンチャン、こっちに賭けてみるのもありだろうと判断した。

 

「令呪があっても一吹きが限界だけど、多分こっちの方がいい感じだとボクの勘が言っている! さあ、出番だぞ。おおきくなぁれ、“恐慌呼び起こせし魔笛(ラ・ブラック・ルナ)”!!」

 

 アストルフォが腰に下げた小さな角笛を取る。

 発動のための魔力を吸い上げたそれは、彼を囲うほどに長く巨大な楽器となった。

 息を吸う、思いきり吹き鳴らすための準備行動。

 

「全力で鳴らすぞーう! みんな、気を付けてねー!」

 

 ヒュドラに全力で掛かり切りのこの状況、一体どう気を付ければいいのか。

 それはともかく。

 

 それを見て、ジオウⅡが即座に剣を投げ捨てた。

 それこそが最大火力ではあったが、長時間全力の必殺剣を維持しすぎた。

 ジオウⅡ自体も含め、これ以上は保たないだろうから丁度いい。

 

 変わりにウォッチホルダーから取り上げる、二つのウォッチ。

 

〈ジオウ!〉〈オーズ!〉

 

 起動しながら剣を掃射している少女に声をかける。

 

「クロ! 笛、笛!」

「フエぇ? 何で……」

 

 この状況で何を、と訝しげな表情を浮かべるクロエ。

 

〈ライダータイム! 仮面ライダージオウ!〉

〈アーマータイム! オーズ!〉

 

 説明している間もないと換装を完了するジオウ。

 クロエはその忙しなさに訊く事を諦め、ただの笛を投影してマスターに向かって投げる。

 ジオウ・オーズアーマーがそれを引っ掴み口元へ。

 途端、胸のスキャニングブレスターに浮かぶ、コブラ・カメ・ワニの文字。

 

「耳塞いでてね! いっくよーっ!」

 

 息を吸い切り、アストルフォが角笛に口をつける。

 同時に、ジオウの頭部からコブラのヴィジョンが発生した。

 

 アストルフォが令呪で与えられた魔力全てを捧げて奏でる宝具は、妖鳥(ハルピュイア)を恐慌させた魔笛、“恐慌呼び起こせし魔笛(ラ・ブラック・ルナ)”。

 その宝具が放つ物理的な破壊力を伴う魔音に、後からジオウ・オーズアーマーの奏でる蛇使いの音色が重なる。ただ吹き鳴らすだけの協調の欠片もない強引なセッション。全霊の不協和音は激突しながら不快さを極め、そのまま蛇たるヒュドラに対してのみ雪崩れ込んだ。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――ッ!?!?」

 

 蛇の知覚が侵される。あらゆる感覚が狂い、何をすればいいかさえ曖昧に。ヘラクレスに対して突撃の筈が、身を捩り暴れ始める蛇の首。

 そうして乱雑に暴れる首をひとつ、ヘラクレスの斧が刈り取った。そのまま大蛇が暴れ狂う空間へと踏み込んでいく大英雄。

 

 吹き飛んでいく水でできた首。だがそれは即座に再生する。幾らヒュドラの感覚が狂おうと、再生力は陰らない。

 対してヘラクレスは満身創痍。いかに再生しようと、再臨しようと、全快には程遠い。ヒュドラの毒血とはそういうものだ。死を願うほどに彼を苦しめた毒。彼が生き返ったというのなら、その毒はヘラクレス自身が死を願う程に彼を苦しめる。一度侵されたからには、彼はここから消えるまでその苦しみを負い続ける。そんな苦境の中、バーサーカーとしての狂化を更に進行させるアナザーウォッチの衝動のせいで、いつ狂うとも分からない。

 

 いつ自壊するかもしれない最強の英雄を前に、シェヘラザードが息を吐く。

 

 ダメージレースなら勝負は見えている。

 相手はいつ砕けるかも分からないヘラクレス。令呪を切らねば宝具もまともに使えないカルデアのサーヴァント。最大攻撃力であったマスター、ジオウⅡも継戦能力に限界はある。

 未だにヒュドラに痛打を与えられる可能性だけならあるが、その時間はもって後数分くらいしかないような末期的な戦力だ。

 

「暴走でもいい。動き続けなさい、ヒュドラ。そうしてヘラクレスを阻むのです。

 あなたの首はもう誰も落とせない。いずれ勝利するのはあなたです―――!」

 

 それを耐え抜く。耐え抜きさえすれば、もう止められないはず。

 先程聖剣らしき光が天に昇っていくのを見た。あちらも余力は残していないだろう。

 不死の蛇を動かし、竜の首までヘラクレスを届かせない。ただそれだけに終始する。

 数分間ヘラクレスとカルデアの連携を凌ぎ、それを成し遂げるのは難事。

 それでも、不可能ではない。

 

 八つ首は問答無用に不死身。それを使い続け、ヘラクレスを押し返すだけでいい。

 あと、ここさえ越えれば――――

 

「―――くっふっふー、それはそうじゃろうとも。アレは文字通りの水蛇。その身を焼くと言う事は、水を焦がすという事。それは自然の在り様に反する行いであるからして……()()()()()()()()()()()()()()()()でもなければ、成し得ぬというもの」

 

 ―――背筋が凍る。

 背後からの声は、聞き覚えがある。それも当然、彼女も自分で選んだ英霊だ。

 王から向けられる殺意を躱す、という本能。

 その意識がほぼ自動的に反応して、彼女はすぐに横に飛び退っていた。

 

 向けられる拷問器具の数々。その間隙を確かに躱してみせるシェヘラザード。

 見るからに鈍間そうとでも思っていたのか、目の前でその俊敏な動きを見た童女が目を見開く。

 

「武則天! なぜ……ッ!?」

「何故、と?」

 

 女帝が驚きの表情を塗り潰し、楽しげな顔を張り付ける。

 その殺意を見た瞬間、シェヘラザードの手の中に現れる巻物。

 彼女の魔術行使の前兆を見て、地面で転がっているエレナが声を張り上げた。

 

「だめっ、下手に動けば霊核を―――!」

「にゃはははは―――妾の行動に下手なものなど何ひとつない、わ!」

 

 サーヴァント契約が行動を縛る。反すれば霊核を砕かれる。

 それがどうした、と女帝が凄絶に笑う。

 動きを縛ろうとしたシェヘラザードの魔術によって、童女の心臓が容易く弾け飛ぶ。

 

「―――――っ!?」

 

 いとも簡単に命を捨てた女帝を前に、女が表情を恐怖に染めた。

 血を吐き捨て、砕けた胸を押さえながら、武則天が己の意志を貫徹する。

 普通ならこれだけでとうに果てている。

 だが彼女はもう決めている。いまここで、何をするのかを。

 

 彼女の意志ひとつで、彼女の肉体は死すら一時的に超越する。

 これこそが、世界に対して皇帝が有する特権である。

 

「うむうむ、キャスターよ。此度の貴様の采配、この大地全土を洪水に浸すこの計画。それがあの筋肉達磨だけを呼び寄せるだけのものとでも思ったか?

 ―――たわけ。妾が己の国を沈められ、黙って死ぬとでも思うたか。これだけやってくれたからには、しかと報復せねばな。そして身を潜めて色々聞いていれば、傷口を焼かれれば不味いという。それはそれは……妾からすればうってつけ、傷口を焼くなど拷問の基本じゃ!」

 

 ―――王制行使、彼女には権利がある。

 シェヘラザードが与えた、不夜城の女王としての王権が。

 

 ヘラクレスに千切られた蛇の断面が焼けていく。蛇の肉でありながら水であり、火で焼くことなど叶わない筈の体が、焼かれていく。当然、焼かれた以上は再生はない。

 オリジナルのヒュドラがそうであったように、ヘラクレスに断たれて焼かれた首は再生できずに果てるのみなのだから。ヒュドラはもう、武則天の国にいる限り不死身じゃない。

 

「―――――――な」

「此処はひとつの国でありながら王たる者はひとりでなく。元より王権を有する者は、己が王制を執行できる場所なのじゃろう? であれば簡単な事。我が宝具にして王制、“告密羅織経(こくみつらしょくけい)”はその蛇一匹に余す事なく課してやろう。

 妾と妾の国を体よく利用してくれた礼じゃ。妾の真骨頂、拷問により与えられる臨死も余すことなく持ってゆけーい!!」

 

 正気を失って暴れる蛇の首を、ヘラクレスの一撃が両断した。切り捨てると同時に切り口は焼けていく。水が焼け焦げる、というありえざる現象がヒュドラの不死身を抹殺する。

 自身が殺される、という事態に恐慌を深め、更に暴れ狂うヒュドラの首。

 

「ヒュドラ! 首を上げ……いえ、先に武則天を――――!?」

 

 指令を下そうとしていたシェヘラザードが咄嗟に跳ぶ。

 彼女がいた場所に連続して弾ける矢と魔力砲。

 視線を向ければ、そこでは美遊とクロエがステッキと弓を構えて立っていた。

 

 そうしてシェヘラザードの指示が止まった瞬間、オルタが走っていた。

 そこにいた武則天とエレナを抱え、彼女はシェヘラザードから距離を取る。

 

「死ぬんじゃないわよ、私たちがあの蛇をぶっ潰すまではね!」

「たわけーぃ! あの蛇とキャスターと筋肉達磨を処分し、その上で貴様たちもきっちり拷問するまでは死ねるかー!」

 

 叫びながら、体の端から既に光に還り始めている武則天。

 もはや指一本動かない、という状況。それでも彼女は笑みを崩さない。

 一分後には消えているだろう自分を理解しながら、それでも彼女は己を崩さない。

 

 五本目の首が弾け飛ぶ。砕けた首は炎上し、その傷口を焼かれて死ぬ。

 確実に迫ってくる死の足音。その音色が、蛇を侵した笛の音を上書きした。

 死に瀕した事で正気を取り戻し、三頭の蛇はヘラクレスを睨み据える。

 

 ヘラクレスの息が荒ぐ。体内から何かが、彼の表皮を突き破り顕現し始めた。

 彼の姿が、徐々にアナザーフォーゼに変わっていく。アナザーウォッチの破壊衝動が思考を覆い、彼が再び機神メガロスに還ろうとしているのだろう。

 そうなった時、彼がどんな行動を起こすのはもう誰にも分からない。そうなる前にヒュドラを砕く、と。そう前のめりに構えた彼の体が、大きく裂けた。

 

「―――――■■■■■、■■■……ッ!」

「ヘラクレス……!」

 

 怪物に変わっていく体。止まりそうになる動き。

 それを―――全力で斧を握り締め、大英雄は顔を上げた。

 放つのは、放てるのは後一撃。それで目的を成し遂げる。

 

「あと一撃……! 凌ぎなさい、ヒュドラ……ッ!」

 

 ヘラクレスの状態だけではなく、武則天の事もある。彼女が消滅すれば、彼女の王制は解除される。そうすれば彼女が歪めていた法則を打ち破り、ヒュドラは再び無敵に返り咲く。既に奪われた首の再生だって叶うだろう。

 武則天がどれだけ必死に堪えたところで後三十秒。それだけ経てば、彼女の消滅は決定的だ。全ての傷を再生して、再び不死身のヒュドラが戻ってくる。

 

 ヘラクレスが踏み出す決死の一歩。それに合わせて、三頭の蛇が同時に動き出した。

 その首三つ、死力をそこで迎撃のために使わせればいい。それだけでヘラクレスはもう動けなくなる。迎撃に手を抜き毒牙に咬まれれば、それこそ完全な致命傷。

 

 どうあっても、彼は竜の首まで届かない。

 

「―――ところで。八岐大蛇というのは酔わされ、その内に討ち取られたのだろう?」

 

 そう言って、白いマントが翻る。

 ヘラクレスの前に躍り出たその身には、略奪の影響下にいるとも思えない充足した魔力。

 銀色の剣閃が描くのはまるで舞のような流麗な軌跡。

 

「ああ、すまない。神酒(アルコール)の用意があるわけではないんだ。もっと言うと、タイやヒラメが演舞の準備している、という事もない。

 だからまあ、竜宮に君臨する王へ奉じる神前の儀式としては不足だとは思うけれど―――前座としてくらいなら鑑賞に堪える、程度の自負はある」

 

 迫る巨大毒蛇の前で朗らかに、令呪を受けてシュヴァリエ・デオンが帽子を上げた。

 その剣筋、足取り、体捌き。所作の全てが白百合の騎士が放つ宝具。

 

「では、照覧あれ。“百合の花舞う(フルール・ド)―――――百花繚乱(リス)”!!!」

 

 己が在り様、全てを用いて相手を酔わせ、魅了する。

 魔力の波動がまるで白百合の花弁のように舞い、毒蛇の視界を覆い尽くす。

 そんなものがなんだという、と毒蛇の動きは加速して―――

 

 三頭全て見当違いの方向に突き進み、その牙を地面に向かって突き立てる。

 自分が酔っているとも分からぬ蛇たちが、困惑するように唸った。

 

 全てを使い果たし膝を落とすデオンの横を、大英雄が走り抜けていく。

 伸び切って張り詰めた蛇の首を踏み、その巨体が目標目掛けて突き進む。

 限界まで四肢を酷使したヘラクレスが、蛇の首を踏み砕きながら跳ぶ。

 

 長い首を縦に伸ばし切った、遥か高所にある竜の首。

 そこを目掛けて跳んだヘラクレスを見上げ、シェヘラザードが叫んだ。

 

「っ、首を逸らしなさい! 後ろに躱しなさい――――っ!」

「■■■■■■■■■■■―――――ッ!」

 

 最後に残された竜の首が、大きく首を逸らす。

 頭さえ割られなければいいのだ。そしてそれは難しい事ではない。万全ならばまだしも、今にも自壊しそうなヘラクレスでは長すぎる首の動きについてこれない。

 このままヘラクレスは跳躍の距離不足で地面に逆戻り。仮にもう一度跳べるのだとしても、武則天の寿命である後十秒のうちにこの頭を砕くのは不可能だ。

 

 だから―――

 

「“騎英の(ベルレ)―――――!!」

「――――――あ」

 

 竜の首の後ろ。竜と同じ高さで、白い翼が大きく広がった。

 急激な魔力上昇、魔法のステッキの供給以上の速度で急速充填。

 藤丸立香の切った令呪が、イリヤスフィールの体を満たしていく。

 

 召喚された魔獣、天馬(ペガサス)。その闘争本能を剥き出しにさせ、全力を解放させるライダー・メドゥーサの宝具。

 ルビーが媒介する事で顕現したそんな光の手綱を握り締めて、イリヤスフィールは竜が無防備に晒した後頭部を睨んだ。

 

手綱(フォーン)”――――――――――ッ!!!」

 

 天馬が全霊を解放し、空を翔ける弾丸と化す。

 それが激突しに行くのは当然、高みで逸らされた竜の頭。

 

 不意に後頭部へと喰らわされる、幻獣の域にある天馬による全力突進。

 直撃した結果、砕かれる事はなくとも衝撃で思いきり吹き飛ばされる竜の首。

 後ろに逸らしていた首が、前に。

 

 反動を受けたペガサスが限界を迎え、光と消える。

 投げ出された少女がクラスカードを排出しながら落下。

 逆に空に向かう英雄を目掛け、叫んだ。

 

「……いっ、けぇえええ――――っ!」

 

 結果として、ヘラクレスがヒュドラに届く。

 死力を尽くしてそこに辿り着いた彼の前に、越えるべき試練がやってくる。

 正面から対峙して、英雄と怪物が視線を交わした。

 

 こと此処に至って、怪物に躊躇はない。

 その毒牙を英雄に突き立てる事だけを考えて、ヒュドラは牙を剥く。

 

 ―――それを越えるための術は持っている。

 狂気が意識を満たそうと、試練を越えてきた肉体がその奥義を覚えている。

 用意するべきものはただ一つ、己という全身全霊。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――――――――ッ!!!」

 

 繰り出すのは、無限に再生する怪物を討ち果たすために無限に破壊し続ける絶技。

 討ち果たすべき敵を、討ち果たせるまで鏖殺する。

 文字通り必殺に至る無双の奥義。

 

 成果を疑う余地はない。放ったからには殺し尽くすまで殺し続ける。

 相手を全生命を凌駕するまでに必要な威力を放ち、その全てを一撃として重ねる事で成立するのが、大英雄ヘラクレスが編み出した最強最大の必殺。

 

 ―――その名を、“射殺す百頭(ナインライブズ)”。

 

 斧によって放たれるその必殺が、牙剥く竜の頭蓋を粉砕する。

 微塵に砕けた竜の首が四散する。

 

 ヘラクレスの威力はそこに留まらず、首を吹き飛ばした勢いのまま胴体までも爆砕した。

 根本が弾け、投げ出される残りの酔った蛇の頭。それらも力を失い、溶けていく。

 断末魔ごと圧し潰し、大英雄が試練を越えた。

 

 ヒュドラ、八岐大蛇だったものが完全に命を失い、解れていく。

 帰ってくるのは大蛇を構成していた大量の水。

 地面を流れる水流の中に力強く着地して―――ヘラクレスは、完全に動きを止めた。

 

 

 



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侵略者の方舟(アーク)1506

 
2話同時投稿
2/2


 

 

 

「………………破綻……して、しまった」

 

 まるで雨のように、大蛇を構成していた水が降り注ぐ。

 豪雨がそのまま地面を流れ、浮島の縁から海へと流れ落ちていく。

 その光景を前に杖を握ったまま、シェヘラザードが腰を落とす。

 

「にゃは、―――くっふっふ! 妾をいいように操ろうとするからじゃ。いい気味、じゃ……」

 

 そんな姿を見て、僅かばかり留飲を下げ。

 武則天は深く溜息を吐いてから、笑顔で光となって解けていった。

 

 抱えた彼女が消えるのを確かめて、オルタがもう片方の腕に抱えたエレナを放る。

 地面に転がり、オルタを恨めしそうに見上げるエレナ。

 

 その光景に溜息ひとつ、オルガマリーがシェヘラザードを見る。

 

「……さあ、シェヘラザード。あなたたちの切り札は失われたわ。

 でもまだあるはずよね、隠している事が。魔神の事を話してもらうわよ」

「―――――」

 

 俯く女。彼女の目的はもう果たされない。

 後はこの神秘島を細かく砕いて落とすだけ。相当な巨大さだが、少し時間をかければ不可能ではない。それに少しずつ神秘が薄れ浮遊力を失っていくこの島は、放っておけば軟着陸するようなもの。外側から切り崩し小さくしつつ、よさげな場所に落とせば被害は無いだろう。海に落としてはいけない理由だったヒュドラがいない今、どうにでもなる。

 

 シェヘラザードの目的からしてこの島を大都市に誘導する手段はあったのだろうが、今更そんなものを通すはずもない。彼女も囲まれた状況でそんな事はできないだろう。

 となれば、もはや魔神は姿を見せる前に負けているようなもの。

 

 ―――だがそんな彼女を問い詰める前に、地面が大きく震動した。

 

「地震……っ!?」

「イリヤ、ここは空中……」

 

 ひっくり返っていたイリヤを起こす美遊が、言いつつ何が起こったか周囲を探る。

 他の者たちも濡れた大地に手をついて、何が起こったのかと周囲を見回す。

 

 そんな状況で、シェヘラザードはゆっくりと空を見上げた。

 途端、その場に広く響き始める声。

 

『―――我らが求めた大地。求めた自戒/自壊。

 定めたるは地底国家アガルタ。その名、今こそ返上/変生の時きたれり』

『……っ、フェニクス……!?』

 

 響く声、それは紛れもなく魔神のもの。

 その口調を耳にした瞬間、ロマニが相手の正体を断定した。

 だがフェニクス、と呼ばれた魔神は彼の声を努めて無視する。

 

「フェニクス……!?」

『序列三十七位……! 司るのは兵装舎、魔神の中で供給を担当する役割だ!』

「その役割でメガロスも動かしてた、ってこと?」

 

 ソウゴが自身の調子を確かめつつ、ロマニに聞き返す。

 だとしたら、やはり供給源となっていたフェニクスがいる。彼がこちらの状況を観測するためには、ここが見える場所にいなくてはいけない。

 そうでなくてはこうして声を届ける事もできないだろう。そして、もはや大地は飛び立った。地下、水底はこのアガルタから失われている。だったらもう、あと一つしかないだろう。

 

 オーズアーマーが、シェヘラザードのように空を見上げた。

 

『栄生/飛翔/慢心/惰性/破滅―――きたれり、きたれり、きたれり。

 貴様たちは、貴様たち自身の重みで失墜する』

 

 そのアクションで自身の位置が特定された、と理解して。

 しかしフェニクスはそのまま言葉を続ける。

 

『……ここに命名せり。命名に至る動機/同期せし在り方/浅ましき人の傲慢。

 その名こそ、浮遊を飛翔と取り違えた、人類文明の行き付く果て』

 

 大地の鳴動が収まる。終わってみれば、何てことはない。

 ただ―――このアガルタが、進行方向を変えていただけだ。

 太陽を追いかける軌道ではなく、一直線に手近な都市を目指す航路に。

 

『……っ、アガルタ進路変更! 移動速度も上がっていきます!』

「な―――っ!?」

 

 陽光が届く範囲を追いかける、なんてものじゃない。

 明らかにそれ以外の目的のため、アガルタは加速を開始した。

 

 その声の出所を探し、視線を巡らせる。

 だがどこからでもない。

 その声は一瞬だけ溜めると、彼女たちを乗せた方舟に指令を下した。

 

『―――いざ進め、異形封鎖国島・ラピュタ』

 

 感慨深そうにフェニクスがその名を告げる。

 ラピュタ。アガルタではなく、ラピュタ。

 美遊に引き起こされたイリヤが、何とか立ち上がりながらその名前に反応した。

 

「ラピュタ……? ラピュタって、あの……?」

『ラピュタはガリヴァー旅行記によって語られる、バルニバービという国の首都。天上の浮遊島です。そこの住民は科学と音楽を至上のものと考え、それ以外に興味を示さない……いわば人間が築いた文明に執り付かれた者たちだ、と』

『人類のために文明を築くのではなく、文明のために人類を消費する。ラピュタとは、そうなってしまった者たちの集まりだ。

 挙句に彼らはその在り方を維持するため、地上の都市から搾取を行って、首都であるラピュタ以外の国土である地上を荒廃させてしまったという話だ』

 

 イリヤの思いついたものとは多分違う、と。マシュとロマニが即座に説明をくれた。

 つついてくるルビーを振り回し、頬を染めるイリヤスフィール。

 そんな少女たちのやり取りを気にもせず、探偵はこの事象に結論を出す。

 

『―――つまり、人類の自業自得。文明破綻のモデルケースか』

 

 地面に座り込んだシェヘラザードが、ホームズの言葉を肯定した。

 

「……ラピュタは人類が築いた文明が集約された都市。地上から搾取し、そこだけが盛栄を極めるという傲慢の結晶。そのラピュタがどうしようもなくなって墜ちるということは、それは資源である地上が滅亡したという事。突き詰めた文明のための文明が、人類を滅ぼした事の証明。

 だから……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。この島は不夜城として太陽に導かれるのではなく、ラピュタとして人類文明に追い縋る」

 

 これは文明に対する裁きの鉄槌の始動なのだ。

 ラピュタは人類のための文明ではなく、科学を突き詰めるための科学の粋。

 それはやがて人類という資源を食い潰し、破滅へと追い込む。

 

 この土地がラピュタであると言うのなら。

 このラピュタが墜ちる事で人類の破滅が約束されているのなら。

 その命運に従って、この大地は地上を蹂躙する。

 

 人類を正しく滅ぼすために、ラピュタはシェヘラザードの思い描いた滅亡を完遂する。

 

「……地上から搾取し、自身を維持する孤立した島国。

 このアガルタのそもそもの性質。地上の男を取り込んで繁栄する、というのはそこからか」

 

 サーベルで体を支えながら、デオンが顔を顰めた。

 隔離された異界でありながら、外界から搾取して成り立つ世界。アガルタには、そもそもラピュタという下敷きがあった。それが浮遊大陸となった事で完成したのだろう。

 

 だがこんな最後の機能があったのならば、シェヘラザードもまだ諦める理由がないはず。

 蹲ったままの彼女を見るが、動く様子はない。

 

『悲願成就/最終段階→我が翼は天に昇る。異形の大陸は地に墜ちる。

 貴様の希求せり物語は成らず。我が目的は此処に完遂する。

 真実は此処に糾される。正しき在り様、回帰/死生観念、断絶/霊長思想、帰結』

 

 ぶつり、と。そこでその言葉は切れる。

 完全なる別離。

 フェニクスはわけのわからない事を言うだけ言って、一方的に会話を打ち切った。

 

「……ああ、そうなる、でしょうね」

「って、何なのよアイツ―――! 何が言いたいのかさっぱり分からなかったわ!」

『それをボクに言われても……』

 

 彼がどういう事を言ったのかおおよそ理解している様子のシェヘラザード。

 

 だがこっちにはさっぱりだ、とオルタに怒鳴られるロマニ。

 言われたってどうにも、フェニクスは彼のことを完全に無視していた。

 まだ怒りを正面からぶつけてきたバアルの方が、やりようがあっただろう。

 

「サファイア、何か分かるかもしれない。今の言葉を分析して―――」

「……フェニクス。異形の大地、って言ってたよね?

 それってつまり、人間じゃない強い生き物を地上に放つって意味なんじゃ?」

 

 美遊がサファイアに声をかけるのを途中で止め、口を挟む立香。

 彼女の言葉を聞き止め、ダ・ヴィンチちゃんが顎に手を添えた。

 

『―――次の霊長か。この世界にアガルタ……ラピュタが墜ちた場合の話だ。異形……恐らくこの大地で発生する国民、“地上の人間から搾取する者”に霊長の座を与えるつもりなんだろう。

 シェヘラザードの目的は彼女自身の事だが、フェニクスはフェニクスで彼女と同じ方法でこの世界の根幹を破壊しようとしている、というわけだね。ラピュタも加速を続けている、早く止めなきゃまずそうだ』

「止めるって、どうやってよ! 壊して落としたら不味いのは変わりないんでしょ!?」

 

 長髪を掻き乱し、オルタがやってられないとばかりに叫ぶ。

 今回は毎度毎度条件がややこしい、と言いたげに。

 この大地がラピュタになってしまった以上、やはり落としてしまってはまずくなった。

 先程までヒュドラが原因だったが、今度はこの大地丸ごとが理由だ。

 

『……こうなったら、この島を軟着陸させるしかない。神秘の流出で力を失うまで、浮遊状態を維持させるんだ。その結果の落下なら、もはやその大地は魔術的効果のない巨大岩石になる。そこまで待てば問題ない。つまり、現時点では落下を防ぐ方向に……』

「どうやって!?」

「―――太陽に向かう、しかないと思います」

 

 言って、フェルグスがシェヘラザードに視線を向ける。

 

「……不夜城としての性質を利用するわけね。つまり―――」

『この大地をラピュタとして運用しようとしているフェニクスを倒す。そうすれば、彼女が再びここを不夜城として扱う事ができる……と見るが』

 

 シェヘラザードは肯定も否定もしない。

 完全に諦めた様子でただそこに座っている。

 

「……その女が信用できるかどうかはさておき。

 とにかく、魔神を倒せってことでしょ? あいつ、結局一体どこに……」

「多分、宇宙だよ」

 

 空を見上げたまま、ジオウがウォッチを交換する。

 そうして空から飛来したブースターとドッキングし、彼はアーマーを換装した。

 

〈3! 2! 1! フォーゼ!〉

 

 完成するフォーゼアーマー。

 ブースターモジュールが持つ、宇宙まで一直線に翔け上がれる圧倒的推力。

 それを使えば宇宙に潜んでいるだろうフェニクスまで迫れる。

 

 そうして、それを見越していたというように。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■――――――ッ!!」

 

 その瞬間、ヘラクレスが再起動する。再稼働を始めた兵装舎からの兵站供給。

 もはや彼の体に狂気を跳ね退ける力はなく、その体が瞬く間に怪物化していく。

 筋肉を覆っていくアナザーフォーゼのボディ。

 そんな惨状を前にして、イリヤスフィールが声を上げた。

 

「ヘラクレス……っ!」

「足止め……そういうこと」

 

 オルガマリーがシェヘラザードに目を向ける。

 

 クラスカードとアナザーウォッチで存在だけは維持されていた彼を、フェニクスは宇宙から賦活した。ただそうしたところで、既に全てを燃やし尽くしたヘラクレスはもう動かない。

 だから活動を強引に再開された肉体は、メガロスとしての活動を開始するしかない。ヘラクレスとしてはとうに死んでいる。ヒュドラの毒とはそういうもの。

 残っていたその遺体。ヘラクレスだったものが動きだした時、彼はただアナザーフォーゼ・メガロスとして設定された通りに動き出す。

 

 メガロスはもう長くは動かないだろう。だが十分なのだ。ラピュタが墜ちるまでの時間稼ぎだとするならば。ヒュドラとの戦いにほぼ全てを使い尽くしたカルデアには、そう簡単に止められない。そうしてメガロスにかかずらっていたら、ジオウは宇宙に上がれない。

 

 それでは、ラピュタは止められない。

 

 ―――設定された通り、メガロスは罪が重いものから処分する。

 ヘラクレスの功績は除外されて、改めて順序が置き換えられていく。

 

 故に彼が狙う対象は、まずはダユーと武則天を葬ったシェヘラザード。

 次にペンテシレイアを葬ったアルトリア。

 そこから先は誤差のようなもの。どうあれ、シェヘラザードは真っ先に鏖殺される。

 

 ……そうなるだろう、と理解していたからシェヘラザードは全てを諦めた。

 

 カルデアはシェヘラザードを囮にして、その隙にジオウを宇宙に上げるしかない。

 彼女が処分されれば次はアルトリア。

 メガロスとも最低限斬り合える彼女が標的になった方が、引き付けるには都合がいいだろう。

 

 人類文明の崩壊を見ないまま、シェヘラザードは死ぬ。

 これだけやって得られるものはないままに、彼女は退去してまた繰り返す。

 地獄の再開を前にして、彼女は俯いて。

 

 そんな女の前に出て、少年は怪物に立ちはだかる。

 

「―――何を、しているのです。あのヘラクレス……メガロスは、あなた方とて簡単に倒せる相手ではないでしょう。ラピュタが墜ちるまでの時間もない。

 せめてアレが私を叩き殺す間に、側面を突く方がよほどマシなのでは……?」

「いいえ、そんな選択がマシなものか」

 

 少年が剣を握り締めた。

 略奪され尽くした結果、彼の魔力は底をついている。

 宝具どころか、まともな戦闘行動すらできない。

 それでも、彼はこうする事に一切迷いは抱かなかった。

 

 続いて、彼の隣にジオウが立つ。

 宇宙に向かわねばならない彼は、当然のようにそっちを取った。

 

 ……そうなるだろう、と理解していたからフェニクスはメガロスを起動した。

 

 慣れた事だ、と他の者たちからは溜息も出てこない。

 ヒュドラに全力を引き出して、もうカルデアに余力はないだろう。

 メガロスが時間を稼いでさえくれれば、ラピュタは都市を射程圏内に捉える。

 

 もうメガロスとやり合えるような者はいない。戦ったところで、アナザーフォーゼ・メガロスを凌駕する攻撃力は用意できない。“十二の試練(ゴッドハンド)”は機能を停止しているが、アナザーライダーとしての不死性がそこにある。

 ジオウⅡはヒュドラの侵攻を食い止めるために酷使され、ここで全力を出せる状況ではない。ジオウ・フォーゼアーマーでは足りず―――まして、ここで力を使いすぎては、フェニクスまで辿り着けない。

 

 他のサーヴァントたちでは、攻撃力も魔力も足りない。クロエや美遊、イリヤスフィール。魔力に余裕がある彼女たちが聖剣の贋作を扱ったところで、メガロスは倒せない。大英雄がどれだけの怪物かなど、ここにいる誰もがよく見知っている。

 

 いま、ここにいる誰にも。

 大英雄は超えられない。

 

「少し、思い直す事がありました」

 

 そう言ってから一呼吸だけおいて、少年は続ける。

 

「破いた夢の続きがあっても、別にいいのかもしれないと。続きを書くための頁はなくとも。連なるものとして綴る事はできなくとも。そこには何か、きっと残るものがあるはずだから」

「そっか」

 

 ジオウが握ったブースターモジュールを手放し、押し出した。後ろに下がりつつ、その場で滞空するブースター。空いた手で、ソウゴが拳を横に突き出す。

 それに応えるように、フェルグスがソウゴと拳を突き合わせる。打ち合わせた拳が輝き、二人の間に生じる繋がり。発生したレイラインを通じ、流れ込む魔力。

 

「約束する」

「はい」

 

 一つ、欠ける。

 令呪を用いた魔力供給が、フェルグスに対して行使される。

 

「俺は、みんなを幸せにできる最高最善の王様になる」

「―――では、僕も。いまこの身でいる限り、全ての人の幸福を守る王を目指す」

 

 二つ、欠ける。残した二画をそのまま全て、フェルグスに注ぐ。

 その暴力的な魔力を、フェルグスは全て手にした剣へと注ぎ込んだ。

 

 大きく息を吸い、吐き出して。

 両手で愛剣を握り締めて、フェルグスが前を睨む。

 

「―――天地天空大回転!! 古来より、()()とは()()()()()という事だ! 星を回すという事は、明日を迎えるという事だ!

 中途半端なままの僕があえて言おう。僕は、例え王となる夢を放り投げる未来が待っていると知っていても、正しき王となるという夢を抱えて、明日へと進みたい! 太陽が巡り。朝を迎え、夜に見送り、また朝日を迎える。そんな繰り返し、民の幸福な営みがそこに無ければ!

 王として、()はどうにも納得がいかない!」

 

 ジオウがウォッチを叩き、ベルトを回し、そうして滞空していたブースターを掴む。

 迸るコズミックエナジーを身に纏い、ジオウが飛翔を開始した。

 回転しながら直上へと突き進み、弧を描きながら切り返して、地上にまで戻ってくる白い機体。

 

〈リミット! タイムブレーク!!〉

 

「俺の意を受け吼えろ、“虹霓剣(カラドボルグ)”! この一撃を放った後、俺は死ぬだろう! いや、死を願うほどに苦しむのだろう!

 ―――だからこそ、()の言葉はそうなった後で貴女に贈ろう!」

 

 ヒュドラの毒に体内を侵され死んだ者は、その血をヒュドラの持つ毒と同等の毒とする。

 生前、ヘラクレスはヒュドラからではなく、その毒で死んだ者の血から間接的に毒を受けた。

 ヒュドラに体を喰い破られたメガロスの血には、同じくヒュドラの毒が含まれるのだろう。

 ならば、他の誰にもその返り血を浴びせる事はできない。

 ジオウの鎧ごしなら大丈夫かもしれないが、万一という事はある。

 

 メガロスを喰い破る()()()は一つしかない。

 それをしかと理解して、フェルグスは凄絶に笑いながらシェヘラザードに叫んだ。

 

 困惑するように、恐怖するように、彼らを見るシェヘラザード。

 わざわざメガロスの前に立つ必要はない。もっと利口で、簡単な道筋は幾らでもある筈だ。

 

 けれど―――そうしたい、と思ったから彼らは迷わずそこに立つ。

 

 背にした女を守り、立ちはだかる怪物を粉砕し、浮島が沈む前に悪魔を打倒する。

 ただそれだけなのだ。ただそれが一番だと信じたから選ぶのだ。

 それが出来る者が最善の王である、と夢見ているから選ぶのだ。

 

 女もまた最初にそうするのが一番だと信じ、心折られたのだろう。

 それを咎める事はしない。それを弱さとなじる事などない。

 彼は戦士であり。彼は王であり。彼は、大英雄フェルグスだ。

 国と民を背負い、誰より前に立つ事を己が責務と認めた英雄の少年期(ゆめのあと)だ。

 

 過ちは過ち。女が犯した罪が許されるわけではない。

 だがそれとこれは別の話。ここで女が犯した罪と、女を苦しめる恐怖は別の話。

 だったらどうするか、なんて。言わなくたって分かるだろう。

 

「“ 極 (カレドヴールフ)……!!」

「宇宙ロケットォ―――――ッ!!」

 

 王を目指した少年が走り出す。手に渦巻く破壊の剣を携えて。

 疾走する彼の後ろから、回転しながらロケットモードに変形したジオウが追い付いてくる。

 

 タイミングを合わせ、踏み切った少年に追突するロケット。

 二人の足が合致し、フェルグスを押し込む形でフォーゼアーマーが加速した。

 先頭で突き出される虹霓剣が、空間ごと粉砕しながら唸りを上げる

 

虹霓剣(カラドボルグ)”―――――――ッ!!!」

「きりもみキィ―――――――ック!!!」

 

 極彩色に輝き渦巻く破壊の螺旋。

 それを先端として、全速力で進撃する二人。

 

 大英雄だったものが、正面から来る愚直な一撃に立ちはだかる。

 ただの怪物でしかない巨英雄。

 役割通りに女を粉砕しにいかなくてはいけない彼は、しかし。

 

 ―――そうして向かってくる一撃に対して、確かに握った斧を振り上げた。

 

 今までのメガロスとは違う動き。何故そうなったのかは分からない。指令もいい加減に崩壊し、エラーを起こしただけか。あるいは単純に、今までは命のストックがあったから全ての攻撃を無視していただけで、元から脅威となる攻撃に対する防衛本能はあったのか。

 

 実際にどういった原因かなど、そんな事はどうでもいい。

 ただ、彼らの目の前に確かに。

 

 怪物として、ヘラクレスが、立ちはだかったということだ。

 

 凶悪に歪むメガロスの貌が言っている。

 この身が先に見せたように。英雄ならば、怪物を乗り越えろと言っている。

 

〈リミットブレイク…!〉

 

 振り上げた大斧に迸る、無限の宇宙のコズミックエナジー。

 青く輝く必殺の刃を両腕で握り締め、彼は全力をもって振り下ろす。

 乾坤一擲、最強のフィニッシュブロー。

 反動でメガロス自身が砕けていくような、正真正銘の全身全霊。

 

「■■■■■■■■■■■■■■―――――ッ!!!」

「オォオオオオオオオオオオオオ―――――ッ!!!」

 

 振り下ろされる必殺。巨大な青い刃が視界を覆う。

 その向こうに怪物を見据えながら、二人はそのまま直進した。

 死力を振り絞り加速。激突してなお加速。

 回り続ける破壊の渦は留まる事を知らず、前に進み続ける。

 

 叩き付けられた宇宙の光を、ドリルのように打ち砕き。

 ただひたすら、彼らは前に進み切る。

 

 止まらない以上、やがてはそれを突破する。

 砕かれ四散する光の刃。その先にいる、死力を振り絞り罅割れた怪物。

 

 巌のような顔のまま、そこで停止している大英雄の姿。

 進み続ける彼らが、その骸を粉砕した。

 胴体を撃ち抜かれて四肢散開するヘラクレス。

 

 そうして彼を突き抜ける瞬間、英雄の骸が笑った気がした。

 砕かれ、吹き飛ばされると同時にその頭は消滅する。

 まるで無事に返すように、光と還った頭から舞い上がるクラスカード。

 

 フォーゼアーマーの進撃、ドリルの進撃に巻き込まれ砕け散るアナザーウォッチ。

 その破片が、衝撃に巻き上げられて宙に舞う。

 

 ―――そうして突き抜けた後、フェルグスが力を抜いた。

 

 そのままの勢いで、宇宙に向かうフォーゼアーマー。

 切り離され、地面に落ちるフェルグス。

 

 地面に落ちて転がって、宇宙に向かうジオウを見上げながら。

 フェルグスは全身を苛む苦痛に、酷く顔を顰めた。

 

「―――ああ、これは。ヘラクレスほどの益荒男が死を選ぶだけある……!

 今にも死にそうです。いや、いっそ早く死んでしまいたい……!」

 

 命が溶けていく。飛沫となったヘラクレスの返り血。

 それを浴びたという事は、ヒュドラの毒に侵されるという事だ。

 今にも意識を手放してしまいたい。

 不死でもなんでもない彼は、そうするだけで死ねるだろう。

 

「それでも、あなたに言わなければいけない事がある。

 だから、それまでは、死ねない……!」

 

 それでも、彼はカラドボルグを支えに立ち上がる。

 唖然とした様子でこちらを見ていたシェヘラザードに向き合う。

 

「……シェヘラザード」

 

 声をかける。彼女が反応するのを待つ余裕はない。

 全身が腐りおちていくような感覚が止まらない。

 自分が言いたい事だけを言うだけ言って、死ぬしかない。

 少し、残念だ。

 

「あなたの語る、物語を聴かせて欲しい」

 

 息を整える間も惜しい。

 目が霞む。そこにいる、という事くらいは分かる。

 が、相手がどんな様子かも分からなくなってきた。

 

「僕は、王となる者だ。あなたが嫌う、よくない王に、なるかもしれない男だ。

 ……けれど、それでも希う。

 あなたの美しい声で聴く言葉が、この世界への呪いだけなのは悲しい」

 

 地獄のような、時間。

 死が足元から迫り来て、徐々に首元を絞め付けてくるような。

 死に恐怖はない。その点で、彼は彼女の事を理解してやれる筈もない。

 だが、戦いの中ではなく、戦いの外で死ぬのは彼だって嬉しくない。

 そのくらいだが、知らないよりマシだろう。

 

「あなたは夜を越えるために語る人だ。だから、あなたの夜を、僕に物語るために譲ってほしい。

 ―――約束する。あなたが恐れる夜からは、僕が守る。僕の腕が、あなたに夜を越えさせる。僕がそこにいる限り、あなたに明日を迎えさせてみせる。語り疲れたなら、その夜は眠ってくれていい。どんな時だって、僕があなたを守るから」

 

 彼女の語る物語は知らない。彼女が語られた物語も知らない。

 けれど、きっと勇気ある者の物語なのだろう。

 彼女自身は、その心を砕かれてしまったけれど。

 

 それでも彼女が語った事が、誰かの勇気を奮い立たせてきたのだろう。

 だからこそ、守らないと。

 女の犯した過ちと、恐怖に震える女は別の話。

 その過ちを止める事と、恐怖から守る事は、どちらもやらねばならぬ事だ。

 

 多くの者を幸福にする、王として。

 

「……だから。あなたの(ものがたり)に、背を向けないでほしい」

 

 シェヘラザードを起点とした物語は、多くの者に勇気を与えるもの。

 彼女自身が失敗であったと思っていても。

 彼女の夜は、勇気の物語が紡ぎ出される奇跡の時間だった。

 

 だから、夜を怖がらないでほしい。その奇跡から目を背けないでほしい。

 とても多くの人に届く、勇気の物語を紡ぎ出したあなたには。

 一人の王などより、遥かに多くの人に幸福を与えられただろう、あなたには。

 

 怖いなら、守るから。

 何が相手であろうと、その時間は守り抜いてみせるから。

 

 だから、夜を拒絶しないでほしい。

 昼夜が巡る事を、恐怖しないでほしい。

 

「―――答えは、聞きません。いつか……また、()()()()()()()()()()、から。そうして、次に逢えた日の夜を……僕は、楽しみにしています。あなたの、語る……」

 

 また、明日。

 今日に夜が訪れ、再び太陽が昇る。

 そうして日が巡り、少し前に進んだ―――螺旋の少し先、その未来で。

 

 ―――少年だったものが崩れていく。

 ヒュドラの毒血がフェルグスの霊基を破綻させる。

 灰になり崩れ去り、風に吹かれて光と散っていく姿。

 

 それを慄然としながら見送り、シェヘラザードは杖を掻き抱く。

 

「―――彼は、なにを……」

『……シェヘラザードさんにとって夜が恐怖であったのだとしても。あなたが語った幾つもの物語を、寝物語として聴いた多くの人にとって……その夜が宝石のような時間になったはずだと思えたから、だと思います』

 

 そんな事、代弁するのが正しいのかどうか。

 マシュが視線を彷徨わせながら、ただ感じた言葉をシェヘラザードに伝える。

 

 夜が怖い、とそうして生き延びるために語り続けた物語。

 それが残り、膨れ上がりながら、今もなお語り継がれている。

 シャフリアール王が真実、どうだったかは分からない。

 けれど、彼女が紡いだものを誰かから寝物語として聞かされた者の中には、いたはずだ。

 

 ―――“続きが聞きたい、早く次の夜を迎えたい”。

 そう感じてくれた者が。少年少女が。

 彼女の物語が夜に勇気を育み、日が昇り飛び出した彼らは体を成長させる。

 そんな当たり前の健やかな営みこそ、自分が命を懸けて守るものだと彼は理解した。

 

 その営みの中で大切な一役。

 語り部のために、彼はここで命を使い果たした。

 恐怖を受けないように世界を変える事はできない。

 だから、その恐怖を阻む盾になると口にして。

 

『だから……たぶん、フェルグスさんは。あなたが語った物語、あなたのものとして語られた物語。それを全てひっくるめて、守りたかったんだと思います。

 物語を聴く人が幸福になれるなら、後は語り部であるあなたの心を守れば、全ての人が幸せにその夜を終えられる。全ての人を幸せにできる。だから、彼は何も迷わずに―――』

「―――――」

 

 シェヘラザードの瞳が揺れる。だが、死の恐怖から逃れる事などできない。

 次があるかもしれない、と。彼女はその事実を恐怖する。

 その恐怖を打ち砕くため、次があるかもしれない、と笑って逝ったフェルグス。

 

 彼女は震えながら、杖を強く抱きしめて―――

 

 

 

 

 

 空に向け打ち上がったロケット。

 それを見上げながら、コロンブスは軽く口笛を吹いた。

 

「あのとんでもねえ蛇は消えたし、戦いは一段落したみたいだな。

 とりあえず合流するか。頼むぜ」

「ああ」

 

 ゲイツ・ゴーストアーマーが力を発動する。

 距離を取っていた船が、皆がいる方に向かって動き出す。

 ほどなく合流できるだろう。

 そんな移動中に、どこか浮ついた声でコロンブスはゲイツに問いかけた。

 

「なァ、お前さんはあのソウゴって奴とこのまま行くのか?」

「……お前には関係ないだろう、そんなこと」

「―――だよなァ、そうなるだろうなとは思ってたがよ!」

 

 何がおかしいのか、笑ってゲイツの肩を叩くコロンブス。

 鬱陶しそうにその手を払うと、少し残念そうに彼はそれを止めた。

 

 近づいてくる戦場跡地。

 全員満身創痍なところを見て、ゲイツがどこか居心地が悪そうに肩を竦める。

 

 そんな彼を笑い飛ばし、コロンブスは後方を指差した。

 流石に回収した人間全員は入らない。甲板にまで溢れている連中は大勢いる。

 

「よし、こっちはアイツらに色々言っとくから先に降りててくれや」

「ああ」

 

 そいつらに説明する、という事で納得して、ゲイツがゆっくりと船を降ろす。

 船を地面に降ろせばここでの役目は終わり。

 素直に地上へと飛び降りようとして―――

 

「降りるな!!」

「……?」

 

 未だに膝を落としたままのシュヴァリエ・デオンから奔る一喝。

 その言葉に足を止め、怪訝そうな様子を見せるゲイツ。

 

「なにを……」

「君が降りてしまったら、みすみす人質を与えるようなものだからネ。

 ―――もう少しそのままでいるといい」

 

 モリアーティが棺桶に腰掛けながら、嘆息する。

 元々あんな神話の怪物を相手取るような人間ではないのだ、彼は。

 ああして、どうにかしてこちらを出し抜こうと画策する人間相手の方が、よほどやりやすい。

 

 ゲイツがその言葉の意味を理解し、振り向く。

 人質を抱えられる余地がある者など、ここには一人だけ。

 集団を己の宝具である船に乗せた、コロンブスしかいない。

 

 バレている、などと。そんな事は分かり切っていたので、彼からしても驚きもない。というか、そもそも騙していたわけでもない。この大地の支配者を打倒しよう、という意識が共通していたのは確かな事だ。

 

 カルデアは特異点解消のためにそうした。

 コロンブスは己の利益のためにそうした。

 たったそれだけの違いだ。

 

「―――いやァ、本気でずっとどうしたもんかって悩んでたんだよ。そりゃそうだろ、戦力差なんつって比較するのが馬鹿らしいほどの差が常にあるんだからよ。

 メガロスと戦えてたのを見た時は顎が外れるかと思ったぜ。こんな奴らどうやって出し抜けばいいんだ、ってな」

 

 本当に苦労した、と。コロンブスは大きく、心底から溜め息を吐いた。

 

 だってそうだろう。メガロスを見ろ、カルデアを見ろ、どうやって倒す? 無理だろ、自分じゃ。仮に不意打ちしてマスター1人を倒せたとする。それで何か状況が変わるか? 少なくとも自分の目指すところには、一切意味がないと断言できる。

 だからと言って諦めるか、と言ったら絶対にノー。

 

「復讐だかに来てたらしいお前さんは引き込めるかも、と思ったが……無理だしなァ。

 あっさり丸め込まれすぎじゃねえか、お前……」

「…………」

 

 半分呆れるように、コロンブスはゲイツに声をかける。

 だから真っ先に接触し、言葉を交わしてみた。

 軽く会話しただけで無理めだと判断し、さっさとその方向は切り捨てたが。

 

「ライダーさん……?」

 

 甲板に溢れていたレジスタンスたちが、その男の様子に恐る恐る声をかけた。

 彼はそちらを見ると、口角を大きく吊り上げる。

 

「情報は大事だよなァ。なんせ俺にはメガロスの起動条件すら理解できなかった、どうしようもなく後手後手だったわけだ。エレナの奴を攻撃したらメガロスに襲われるかもしれねェ、なんて考えちまったら動きようがねえのよ。結局桃源郷は国の枠組の外で杞憂だったが、それが分かったのはお前たちと合流した後だしな」

 

 彼はアガルタに召喚され、まずメガロスの事を知った。

 エルドラドとイースの激突を見かけ、害悪はメガロスに必ず殺される事を知ったのだ。

 だからまず、彼を呼び出す行動は控えなければならなくなった。

 

 それがエレナというどう動くかも分からない女を、放置しなければならなかった理由。

 桃源郷でエレナを攻撃した瞬間、メガロスに狙いを付けられる可能性。

 それを否定できない以上、彼はエレナを害せなかった。

 そうじゃなければ真っ先に彼女を殺害し、桃源郷を自分だけのものにしていただろう。

 

 だが結果的にはそれでよかったのだろう。

 エレナが動いた結果、シェヘラザードの計画がよく進んだのだから。

 

「……記憶を失っていたのは嘘、という事かしら」

「いや? ついさっきまで本当に自分が誰かも分からなかったさ。けど性根は変わらなかったなァ。俺はいつだって俺だ、名前が剥がされようと俺でしかねえ」

 

 オルガマリーの問いに返す感慨深げなコロンブス。

 自分が自分でなくなっても自分だった、という経験はあるいは貴重かもしれない。

 改めて自分を確かめられた、という感心すらある。

 

 その間に、船を駆け上がり舳先に着地する美遊。

 彼女に続いて、クロエが転移でその場に出現した。その手がフックのついたロープを投影し、船の縁へと引っかけると、それを伝ってオルタとアストルフォが昇ってくる。

 

 今戦えるのは彼女たちだけ。魔力はほぼ底をついている。

 ヒュドラとの戦いでそれだけ消耗し―――しかし、それでも勝利は動かない。

 

 宝具を出していたとはいえ、戦闘を行わずヒュドラから離れていたコロンブス。消費を抑えていた彼がもっとも優位な状況でなお、ここからでも勝つのカルデアである事に疑いない。ゲイツも加われば考える余地もなくなる。

 コロンブスを含め、誰一人その結末以外にありえないと理解していた。

 

「……だからまァ、必然だったよ。ここまでは。俺がどうにかしてこの戦いで巧い事主導権を握るには、お前さんたちが決戦の後で消耗し切ったタイミングで動くしかなかったわけだ」

「ああ、現時点で魔力は尽きている。だが同時に略奪の影響はもう消え、魔力は徐々に回復に向かっている。少し凌げば、キミひとりくらいあっさりと制圧できる」

 

 船の下からのデオンの声。

 まだ立てないほどの消耗だが、略奪が終わっている以上じきに回復する。

 もっとも、それより先に彼が制圧されるだろうが。

 

「だな。俺もそう思うぜ、俺ァ別に腕っぷしが英霊の中で優れてるなんて思ってねえしな」

「……それで。この状況で馬脚を現して何をしようというの?

 ラピュタを動かしているフェニクスは常磐が倒す。その後で何かしたいわけ?」

 

 オルガマリーの言葉に、シェヘラザードが肩を揺らす。

 その反応を見てモリアーティが僅かに眉を上げた。

 

 いつでも制圧できる。が、そもそも制圧しなければならない理由もない。

 彼は敵対……いや、これ以上同道する必要がないと性根を晒した。だがそれが何になるという。

 フェニクスを倒し、誘導を切った上でラピュタはある程度放置。ある程度待って、破壊する。

 これから先、カルデアがやるべきなのはそれだけだ。彼が絡む余地はもう―――

 

「……俺はよ、召喚されてまず真っ先にメガロスを見たわけだが。どこでかっつったら……黄金郷(エルドラド)の近くだったんだよ。そこで女海賊どもをぶっ潰すとこを見たんだ。

 アマゾネスの住処は森の方だろ? 何も知らない筈の俺が真っ先に向かうにはちと微妙だよな。何でだろうな、そっちに足が向いちまったんだ。自然と」

「……?」

 

 突然、自分の行動について語り始めるコロンブス。

 その意図が分からずに困惑する者たちの前で、気にせず語り続ける彼。

 

「少し気にはなったが、別にただ偶然だったのかもしれねェから、そこまで深くは考えなかった。けどお前さんたちが色々話してるのを聞きつつ、色々考えてよ。最後に―――あの洪水がどうなったかを見て、確信したわけだ」

「なにを―――」

 

 コロンブスは空中を翔ける船の上で、一人最後の確認をしていた。

 地上を舐め尽くした八岐大蛇の洪水。それが、どうなったかを。

 彼の発言を聞いて、即座にアガルタ―――ラピュタ全体に改めて探査をかけるマシュ。

 詳細はすぐに出てこないが、大きな異常がひとつ、すぐに発見できた。

 

『―――これ、は……洪水の被害が、エルドラドまで届いていない……?

 あの勢いで、どうして』

 

 洪水でエルドラドが沈んでいない。不夜城もイースも水没したというのに。

 それが意味する事が分からず、全員が疑問を表情に出す中。

 片目を瞑り、モリアーティが手で口を覆った。

 

「……まァ、どうにも不思議だったヨ。イース、不夜城、桃源郷、竜宮城……どれも御伽噺の類だ、教訓の話と言ってもいい。こんな場所がどこかにあるのだ、という説話でしかない。

 だが黄金郷(エルドラド)はもっとストレートに欲望の話だ。アマゾンの奥深くには黄金の都市がある。探せ、それを見つけた者には巨万の富が約束されるぞ、というネ」

『言うまでもなく、エルドラドは実在しない。とある風習を持つ部族の儀式に尾ひれがつき、話が大きくなって広まっただけ。元となった事実は存在するが、異常なまでに膨れ上がってしまった虚栄の蜃気楼。それがエルドラドという黄金都市の真実だ』

 

 それは大航海時代の事。金粉を用いた儀式を行う原住民の噂に尾ひれがつき、アマゾンの奥地には黄金でできた都市があるという伝説が生まれた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「―――っ、現実を、幻想都市に変換してる伝承……!」

『黄金郷、エルドラド。事実を元に膨らませた幻想という風船……今や熱気球とでも言うべきかな。これはシェヘラザードがこのアガルタを成立させるために使用した増幅器だ。

 小さな事実を核として、人の欲望で膨らませ、現代においてさえ神秘にこれほどの強度を維持させるための障壁を形成した。その欲望というエネルギーを生み出す薪が―――』

 

 モリアーティが始めた話を当然のように乗っ取りつつ、ホームズは言葉を続ける。

 エルドラドは実在しない。だが元となったものは実在がはっきりしている。

 そんな都市に対して、アガルタが求めた役割は一つ。

 

 ―――動力(エンジン)だ。

 

 そして、そのエンジンを動かすにはガソリンがいる。

 言われるまでもない、と。コロンブスが盛大に笑った。

 

「俺、ってわけだなァ! 俺が俺の夢……俺にとっての黄金郷(エルドラド)を目指す限り、ここにはその欲望を利用したエネルギーが生まれ続けるわけだ!」

 

 初めに、ラピュタという空を飛べる大陸を用意した。

 その上に神秘を維持して膨らませるための閉鎖環境、地底国家アガルタという包みを被せ、四つの国でピン止めする。太陽に向かう不夜城、海底に向かうイース、海底にあるものである竜宮城。

 そして、この大地を動かすためのエンジン、エルドラド。

 

 結果はこの通り。彼女が思い描いた通り動いている。

 国家の女王、外敵を阻む守護者、状況を動かす開拓者。

 外的要因で暴走したメガロス以外、彼女の思い通りにならなかったのはフェルグスくらい。

 

 そんな宣言を聞いて、美遊がステッキを突き出した。

 収束する魔力砲。

 

「つまり―――この大地の心臓は、あなたの存在が前提」

「宇宙だかにいる魔神だけじゃなくて、アンタも燃やせば……!」

「ばっちり解決、って事でいいのよね―――!」

 

 オルタが剣を振り上げ、その切っ先に黒い炎を灯す。

 クロエが弓を構え、そこに矢を番える。

 

 そこに参加しようとして、しかし。

 みんな揃って攻撃では、レジスタンスたちが危険だと考えアストルフォは跳ねた。

 何かみんなボクより理性蒸発してない? なんて思いながら。

 

 そうして黒幕の一味として、殺意を中てられながら。

 コロンブスは酷くおかしそうに。

 口角を大きく吊り上げて、歯茎を剥き出し、凄烈な笑みを浮かべた。

 

「だからよォ、()()()と思ったワケだ―――!」

 

 重力に引かれ、風に流され、何かの破片が落ちてくる。

 そこに落ちる事が前もって決まっていたかのように、あまりにも都合よく。

 強風でコロンブスの足元に叩き付けられ、積み上がっていく欠片。

 

 それが特別な何かだと思えるわけがない。

 ただ風に混じって何かが飛んできた、くらいにしか認識できない。

 

「俺はこの大地に望まれている! 行け、と! お前が望むところまで突き進め、と!

 お前にとっての(おうごん)を得るまで止まるな、ってなァ――――ッ!!」

 

 最初に悪寒を感じたのは立香。

 彼女はその本能に従って、腕を振り上げ一番近くにいたモリアーティに叫ぶ。

 

「……っ、モリアーティ!」

 

 立香からの指示が飛ぶ。

 それに従わねば不味い、と彼もまた遅れて直感した。

 

 棺桶から転がり落ちる勢いで銃口を展開、発砲を開始する。

 船の上にいるコロンブスに対し見舞われる必中の魔弾。

 その攻撃が開始された事に合わせ、船上の者たちも攻撃を放った。

 

 だがそれが届く前に、彼は足元に発生した丸いものを踏みつける。

 それが何であるかなどは考えるまでもない。

 間違いなく、彼が前に進むためのものなのだから。

 

 完全なる死からの蘇生。命のストックなど関係ない再誕。

 ―――まるで、救世主(メシア)が起こしたという復活の奇跡。

 

 ヘラクレスの中でその体験をしたアナザーフォーゼウォッチ。

 それはその経験を刻み込み、完全に砕かれたフォーゼとは違う力で再誕する。

 復元したそのウォッチが、コロンブスに踏みつけられる事で起動した。

 

「光のねえ闇の中! 何かを掴み取れるかどうかなんて、誰にもわかりゃあしねえ!

 だが、それを掴める奴がいるとしたらそれは―――!

 どんな闇の中だろうと、諦めずに進み続けた奴だけだよなァ―――ッ!!」

 

〈ファイズ…!〉

 

 コロンブスが変わっていく。

 全身を覆う黒と銀の装甲と、その表面を走り抜ける赤い燐光。

 その装甲にあらゆる攻撃が弾かれていく。

 火花を散らしながら復活するのは、今までとは違う新たな怪人。

 

 ―――アナザーファイズ。

 

「これは……諦めずに進み続けた俺に、神が与えたもうた絶好の機会(チャンス)だ!」

 

 黄色い眼光をぼうと灯し、マスクの下でコロンブスが笑う。

 赤い燐光と共に怪物化した彼は、そのまま全身に力を漲らせた。

 彼の意志に呼応し全身を巡り、強く発光するフォトンブラッド。

 

 アナザーファイズと化したコロンブスが、その指で胸の前に十字を切る。

 

「俺はこの神が与えたもうた機会(チャンス)をものにする! 俺に犯す罪があるとしたら、それはこの夢を遂げられなかった時だ! 待ち続け、祈り続け、ようやく指をかけたチャンスを不意にする事こそが、何よりの罪になる!

 俺は罪は犯さねえ。このチャンスを必ずものにする! たとえ他のどんな夢を踏み躙って、蹴落とし、足蹴にしても! たとえ他の誰を利用して、何も成せなかった罪人に仕立てあげてでも!

 ―――俺は! 俺の夢を掴んでみせる!!」

 

 

 




 
鮫の侵略(シャーク・トレード)!!
「やれる時に徹底的にやる!それが孤高なる船乗りの流儀だ!」
スカッとするぜ!

エルドラドが一番の原因ってマジ?
ぜってえ許さねえ、エルドリッチとドン・サウザンド!
 


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正義と夢2003

 

 

 

 アナザーファイズの腕が動く。

 海賊らしいカットラスの刀身が、赤光を引いて形状を変える。

 

 発光する剣を構える姿を見て、即座にジャンヌ・オルタが旗を振り抜いた。四方に向け、サンタマリアの船上を走る黒炎。

 

 真っ先に選ばれた宝具破壊の行動。

 それを見て、コロンブスは鼻を鳴らす。応じるように振るわれた光の剣。甲板を掠めた切っ先から走った光が、途中で黒炎を切り裂いた。

 

『ツクヨミさんの武装と同質のエネルギー反応を確認! あの攻撃に被弾した場合、拘束される可能性があります……!』

「見りゃわかる、っての!」

 

 見慣れた発光パターン。それに舌打ちしつつ、オルタは燃焼に専念する。

 魔力が薄い。が、マスターがオルガマリーな分、供給量的にまだマシか。

 

 どうでるにせよ、自分たちでアレは倒せない。

 変身解除まで追い詰めるほどの魔力もないのではどうしようもない

 ジオウがさっさとフェニクスを倒して戻ってくるまでは、時間稼ぎしかできない。

 

 そうして赤い閃光を放射しつつ、アナザーファイズが銃を構える。

 同じくコロンブスのものから変質した銃を向ける対象はアストルフォ。

 レジスタンスたちの方へ回ろうとした彼を撃ち抜くため、彼は即座に引金を引いた。

 

 が、その赤い弾丸は全て途中に立ちはだかった黒いアーマーに阻まれる。

 直撃を受けて火花を散らし、白煙を上げるゴーストアーマー。

 それを鎧ったゲイツが、コロンブスに対して顔を向けた。

 

「……お前は一体、何をするつもりだ」

「うん? そりゃお前、決まってんだろ?

 商売だよ、商売。この島が落ちて人類が失墜したら、人間を喰い散らかす化け物が霊長なんかになるわけだろ。だったら、やる事は決まってるよなァ!」

「……さっぱり分からん。お前が前に語った言葉は、全部嘘だったのか」

 

 笑うコロンブスに対しそう問いつつ、拳を握るライダーゲイツ。

 能力の酷使とダメージ、限界が迫りつつゴーストアーマー。

 それを理解しながらも彼は、そこから動かずコロンブスの言葉を待った。

 

「あん? 嘘なんか言った覚えはねェな。俺はアガルタの連中が許せねえ、とは言った。無駄にそいつらを殺す非道な連中を許せねェ、ってな。それは紛れもなく、俺の本音だぜ?」

 

 心外だとばかりにそう返すコロンブス。

 彼が手にしたまま手を揺らし、ふらふらと揺れる赤光剣の切っ先。

 それがゲイツとアストルフォが背に庇うレジスタンスたちを示す。

 

「……なんだと?」

「オイオイ、少し考えりゃ分かるだろ? この大地の種族は男さえいれば無限に繁殖できるんだぜ? しかも生まれた瞬間即戦力。こいつはとんでもねェ事だ。だったら大切にしなきゃいけねえのはどっちだ? 男は有限だが、男さえいれば女は無限に量産できる。それのどっちが貴重かなんて、赤ん坊でも分かるぜ。

 な? 大事にしなきゃいけねえだろ? 優秀な労働力(どれい)を生産するための備品(どれい)として」

 

 気紛れに殺すだなんて馬鹿げている。もう使えない奴を処分するならまだしも、まだ使える奴を意味なく潰すなんてもったいない。アガルタの物資は有限だったのだ、湯水の如く使っていい環境な筈がない。

 

「労働力として優秀なのは女の方だ。海賊、酷吏、アマゾネス。連中は普通の人間とは比べ物にならねェ戦力だ。だから働かせるとすりゃそっちだろ? 男っていう奴隷の生産に関わる貴重品は、できる限り傷付けちゃいけねェわけよ」

 

 単純に、数字で見て。限られた資源の使い道は考えるべきであり、使い潰すのであれば幾らでも生産が利くものを。そんな事も分かっていなかったアガルタの連中に怒り、変えねばならないと奮起した。上手くできればこの土地の価値は暴騰する。

 自分ならばそうできる。そう信じて、彼は確かに本気の怒りをゲイツに語った。

 

「だったら人質にしようとするのもやめるべきだね!」

「そりゃ地上に出たんだ。もうここにいる連中は無くしても大きな損失じゃねェからな」

 

 剣を手にレジスタンスを背に庇うアストルフォからの言葉。

 それを鼻で笑い飛ばすコロンブス。

 人間の数が限られていたアガルタだからこその怒り、それは地上に出る事で解決する。

 

 彼のそんな様子に、今まで彼に従っていたレジスタンスたちが愕然とした。

 

「言っとくがお前たちだって逆らわなきゃ生かして帰してやるぜ? もちろん故郷によ。

 まあ、故郷で俺の奴隷の生産に協力してもらうがな!」

 

 アナザーファイズが顎を撫でながら、消沈した人間たちにそう言った。

 別に虐殺する気もない。価値は落ちたが資源であることには変わりない。

 使えるならばきっちり使う。ただそれだけの話なのだから。

 

『……まるで世界征服でもすると言いたげだね』

「響きがいいねェ、世界征服! だが間違っちゃいない、俺の次の商売相手は世界そのものだ!」

 

 ダ・ヴィンチちゃんからの言葉。

 彼女が言った言葉に対し、コロンブスは興奮していきり立つ。

 

「俺は魔術だのそんなものに詳しくはねェ。だが人間が霊長とやらから引きずり落とされたヤバい事になる、ってのはまあ分かる。だがよォ、そうなったら人間はどうなると思う?」

「どうなるか、だと?」

 

 霊長からの零落。あらゆる生命の頂点という階層からの転落。

 星の表層を支配し、文明を築き上げた種としての滅亡。

 食物連鎖の下位に堕した人間種がどうなるか、と。

 

 怪物の食糧に成り下がるだろう種の未来を。

 コロンブスは何一つ疑わず、笑いながら確信をもって口にした。

 

「―――()()()()よなァ!! どんな相手だろうが、自分たちで乗り越えようとする!

 それが人間だ! それが人類だ! 一度おいやられたくらいで終わりはしねェ! どれだけ追い詰められようが、霊長から追い落とされようが、きっとひっくり返そうとするに決まってる!! だったらどうする? 霊長奪還のために人類は戦争をおっぱじめるよなァ! 聖戦って奴さ!」

 

 唖然として、彼の言葉を聞き届ける。

 

 天を仰ぐアナザーファイズ。彼の言葉に一切疑念はない。

 彼は断言する。人類という種は、どうしようもない怪物の被食者になった程度では諦めないと。

 だからこそ、彼はここにいるのだと。

 

 赤光の剣を振り掲げて、コロンブスはその場を赤く照らす。

 

「だが次の霊長に成り上がるのはきっと化け物さ。人理ってのを否定するそういう連中には、人類の文明が造った兵器は効果が薄いんだろう? 戦う意思があっても武器がねえ。

 そこを俺がどうにかしてやる! そんな奴らに対して、使い潰せる武器としてこの大地が産出する奴隷を売り捌く! 俺が此処を人類を救う方舟に仕立て上げる! 

 ―――そうして、全世界で発生する戦争の利権を俺が得る!!」

 

 何ら躊躇いを抱かずに、喜色いっぱいに宣言するコロンブス。

 このラピュタは兵器工場―――不死鳥の兵装舎。

 何度敗れようと、何度でも蘇り、戦うために立ち上がる者に力を授ける場所。

 彼はここを運営して、不死身の戦力を売る商売人として世界を牛耳る。

 

「ラピュタは落下で砕けるだろうが、その中のエルドラドだけは俺が死ぬ気で維持する!

 あの土地が俺の夢を糧に動いているならできる筈だ! いいや、たとえ落下で木っ端微塵に砕けようが蘇るはずだ! 俺が諦めねェ限り、たとえ燃え尽きようとその灰の中から飛び立てるはずだ! 俺はどれだけやられようが、絶対に諦めねェ!!

 ―――俺が辿り着く事を諦めない限り、“黄金郷(エルドラド)”はそこにある!!」

 

 ラピュタが徐々に速度を増す。フェニクスの誘導、コロンブスの前進。

 それがこの方舟に推力を与え、終末に向かって突き進ませる。

 

『……彼の自信の理屈はともかく、ありえないとは言い切れない。ラピュタの落下が神秘の暴露に繋がり、時代を幻想種に奪い取られた場合、そこが幻想世界と中心となる。そうなれば実在しない黄金郷(エルドラド)という幻想都市がそれを切っ掛けに顕在化しかねない……!』

『元々は存在しない伝承都市、というのがキモだね。実在しないから壊れない。

 実在してもおかしくない事にできる程度に、世界から正しい人理を追い出した後、落ちた場所を“そこはエルドラドだった”という事実に塗り替えるわけだ』

 

 最終的に、こうして立ちはだかったコロンブス。

 彼とフェニクスを打倒しない限り、状況は好転しない。

 そういうようにロマニとダ・ヴィンチちゃんが口にするのを聞いて、溜め息ひとつ。

 

 流れるように弓を投影し、矢を番えるのはクロエ。

 

「マッチポンプってのよ、そういうの―――!」

「大いに結構!」

 

 発射される数本の矢。

 それを剣の一振りで薙ぎ払い、そのまま銃を向けるアナザーファイズ。

 少女に向け撃ち出された弾丸を前に、美遊が即座に障壁を張る。

 とにかく今は耐えるしか、と。

 

 そうして防御を固めた少女たちの前で、コロンブスが剣を放った。

 同時に拳に装着されるナックルガードのようなもの。

 彼の全身を巡る赤い光が、その拳に集中していく。

 

「っ、クロ!」

「―――っ、これが限界……!」

 

 美遊の声に応じて盾を投影しようとして、その魔力さえも無いと歯噛みする。

 故に、彼女が全霊を注ぎ込んで投影するのは複数の宝剣。

 それを前方にひたすら並べ、即席の盾として運用した。

 その壁の奥で、全魔力を障壁に注ぎ込む美遊。

 

「サファイア……っ!」

 

〈Exceed Charge…!〉

 

 拳が鋼を粉砕しながら突き抜けて、少女たちを守る障壁に突き刺さる。

 一瞬耐え、しかしまるでガラスのように砕ける魔力障壁。

 その勢いで、美遊とクロエが船上から投げ出された。

 

「ちぃ……!」

 

 炎を撒き散らしたところで、火力を維持できない。

 振り絞れる分は全て刀身に乗せて、オルタはそのまま切りかかる。

 刃とアナザーファイズが火花を散らす。

 が、それを意にも介さず、怪人は強引に回し蹴りでオルタを押し返した。

 胴体を蹴り抜かれ、彼女もまた船の外へと押し出される。

 

 まず三人排除。そのまま拳を開き、再び手元に剣を顕す。

 振り向きざまの剣閃は迫りくるアストルフォに対して。

 そうして向けられた刃をアストルフォは切り替えた武装、両手で掴んだ槍でもって迎撃する。

 

「全員落とそうったってそうはいかない! “触れれば(トラップ・オブ)―――!」

 

 人質が欲しい、という動きは見えている。自分の宝具という檻に抱えた人員は、彼にとっては武器になる。

 今の彼にとって最大の障害は、ジオウがフェニクスを倒して帰還する事だ。そうなった時の備えとして、人質はできるだけ手放せない。だからこそこっちを船上から叩き落とすのだろう。

 

 競り合う光剣と馬上槍。

 その結果、足を取られて転ぶ事になるのはアナザーファイズ。

 

 このまま一緒に纏めて落ちて、袋叩きにしてやれと。

 押し切ろうとするアストルフォに対し、コロンブスが吼えた。

 

「ああ、だが俺の宝具の事を忘れてるな!」

「へ?」

 

 瞬間、サンタマリア号が鳴動する。

 怪人化したコロンブスに合わせ、変わっていく宝具の姿。

 波が寄せるように黒と銀の装甲が押し寄せ、覆われていく木造船。

 

 変化していく船の甲板が数か所開いた。

 そんなギミックが本来ある筈もないというのに。

 そこから頭を出すのは、どう見ても大航海時代のものではない近代兵器。

 

 ―――無数の大型ミサイルを搭載した、発射装置だった。

 

「うっそぉ!?」

 

 間も無く発射されるミサイル。それは相手に狙いを付けず、甲板の上に落ちてそこで爆発した。

 罅割れる甲板、撒き散らされる爆風。転ばされていたアナザーファイズが床にへばりついてそれに耐え、爆風に背を押されてアストルフォは船外へと吹き飛ばされた。

 

 その衝撃と熱波の前に立ちはだかり、ゴーストパーカーを展開。

 背に庇ったレジスタンスたちを守り抜き、遂にゴーストアーマーは限界を迎えた。

 自身も膝を落とし、全身から白煙を上げるライダーゲイツ。

 

「ぐっ……!」

 

 軽く肩を回しながら立ち上がるアナザーファイズ。

 それと同時に、鋼の装甲に覆われたサンタマリア号だったものが浮遊し始めた。

 ミサイルランチャーには次弾の装填が始まる。

 

「……で、どうする? さっきも言った通り、従順な奴に手は出さねえぜ?」

 

 ゲイツの頭越しに、怪物がレジスタンスたちに問いかける。

 

 目の前で起こった破壊。

 サンタマリアに搭載されたミサイルが補充を終え、再び発射体制に入った。

 それは拒否すればどうなるか、という意思表示である。

 

 そちらを確認しつつ、眼下も確認するコロンブス。こっちがある程度高度を稼げば、カルデアは手出しできない。飛行手段がないわけではないだろうが、そんな余裕もないだろう。何より、この状況でコロンブスを倒してしまえば人質は全員地面に真っ逆さま。

 これで時間稼ぎのための状況は一通り整った、と言っていいだろう。

 

 甲板にいる奴らはもうどうでもいい。

 船室の方にも十分な数の人間が捕まえてある。

 人質はそっちだけで問題ないだろう。

 

 まだ使えるなら囲うし、使えないならゲイツと共に処分する。

 

「―――帰り、たい」

 

 そんな、死を前にした状況で。誰かが一人、真っ先に口にした。

 その言葉に対し、怪物となった体で口角を吊り上げるように笑うコロンブス。

 

 ゲイツがその男の方に振り向き、確かめる。

 俯き、体を震わせながら振り絞られる、蚊の鳴くようなか細い声。

 

「おう、帰してやる」

「……帰りたいんだよ、俺の元居た場所に」

「もちろんだ。お前の居場所も、お前を待ってるぜ」

 

 応じる声は喜色。嘘はない、コロンブスは本当に彼を故郷に返す。

 超越種と人間種の戦場になった星で、彼は地上を丸ごと兵器工場にする。

 

 世界中で戦争をするのだ。エルドラドで生産するだけでは、輸送に手間がかかる。

 ならば戦闘用ではなく繁殖用の女たちも用意し、各地で生産した方が効率的だ。

 だから、男に使われる場所を選ぶくらいの自由は許してやる。

 どうせ誰をどこで使っても変わらないのだから。

 

 もうこの男たちはいなくてもいいが、いて困る事はない。

 消耗品だから代えは利くが、消耗品だからこそ数があった方がいい。

 

「だから―――」

 

 レジスタンスの男が、顔を上げる。

 その声を聴いて、他の男たちも顔を上げる。

 少なくともその場にいる連中の意志が、一つであるというように。

 

「諦めて、たまるか……!」

 

 その顔を見て。目の前に並ぶ人間たちの顔を見て。

 頭が痛いとばかりにアナザーファイズが、天を仰ぐように首を傾けた。

 

「俺たちが生きてた場所を、アンタに壊されるのは真っ平ごめんだ……!」

 

 何ができるか、などと聞かれて答えられるものは誰もいない。

 だが、何がしたいかなら何度も確かめながらここまできた。

 正直な話、彼らはコロンブスたちが語った内容を半分も理解できていない。

 それでもこれからどうなるかは何となく分かる。

 

 突然攫われ、辿り着いた地底世界。

 そこで一人の男に助けられ、諦めるなと励まされ、いまここにいる。

 夢に見たのは、戻りたいのは、ここに来る前に自分がいた場所だ。

 

 そこを完膚なきまでに壊した後、戻してやると男は言う。

 

 だが―――そんな話で、納得できるものか。

 

 だったら。そんな終わり方に納得がいかないのなら。

 何ができるか分からなくても、ただ諦めることだけはしてはならない。

 それを彼らに誰より示してきたのが、目の前の男だったとしても。

 

「俺たちは、俺たちの家に帰りたいんだ……っ!」

 

 決死の叫びを聞き、ゲイツが僅かに顎を引く。

 対し、そんな連中を前にしてアナザーファイズはおかしげに顎を撫でる。

 

「反骨心を育てすぎたかもなァ。いや、メガロスだのヒュドラだの見すぎたせいで麻痺しちまったのか? そりゃ俺がどんだけ怪物になろうとアイツら程じゃねェわな!

 ……俺がわざわざ、せっかく教えてやったのによォ! 勝てるわけのねェ相手に考え無しに楯突くのは、自殺と変わらねェ馬鹿な話だってよ!!」

 

 アナザーファイズが剣を掲げる。発射態勢に入るミサイルランチャー。

 直撃を避けようと、甲板ごと爆風で巻き込む大威力の弾頭。

 

 それが放たれれば終わりだ。

 仮にゲイツが無事で済んでも、もう爆発を防ぎ切れない以上大勢が死ぬ。

 

 ―――フラッシュバックする。

 脳裏に刻まれた衝撃的な光景が、視界を掠めていく。

 

 吹き抜ける熱風。膨大な熱量が大地を灰色に染めていく。

 それで、共に笑い、共に泣き、共に戦った友が大勢消えた。

 舞い散る灰越しに見据える、最低最悪の魔王。

 ゆるりと手を突き出しただけの彼は、ただ悠然と立っているだけ。

 

 世界を牛耳る黄昏の孤老を前に、地面に這いつくばる自分が砂を握る。

 

 地獄のような光景だった。

 この最悪の世界に生れ落ちてから、ずっと共に戦ってきた仲間たち。

 それが瞬く間に、全て消えてなくなっていたのだから。

 

 瞼に張り付いたその光景を見て、仮面の下で眼球の動きが止まる。

 

 その光景を許せないから、こうしているというのに。

 その光景に後悔したから、ここまできたというのに。

 

 あの光景を、あの未来を、打ち砕くために。

 明光院ゲイツは、いま此処に居る筈なのに。

 

 握った拳が鋼の甲板を擦る。

 

 常磐ソウゴを倒すために。オーマジオウになる前のあの男を倒すために、ここまできた。だというのに、あの男の言葉に乗せられて協力までする羽目になっている。

 少年期の常磐ソウゴと顔を合わせ、言葉を交わし、どこかに迷いが生じたのか。夢を語り、そのために全霊を懸けると言ったあの少年を疑えず、ゲイツが取った行動はその言葉を見極めると拳を下ろして静観の構え。

 

 同じように、まるで夢とばかりに大業を語る男に唆され、疑いもしなかった。

 コロンブスは自分を利用するために近付き、言葉を交わし、レジスタンスを利用し、世界を思うままにするために行動していたという。そう、まるで―――

 

「はぁ……君に任せるのは不本意だが、これも我が魔王のため。

 存分に救世主とやらを演じるといい」

 

 強く握った拳の傍に、がらん、と。

 彼の手元を目掛け、頭上から落ちてくるブランクウォッチ。

 同じように降ってくる声は、どうやらマストの上から。

 見るまでもなくその男の正体を察して、拳を更に強く握り締める。

 

 信じていた、仲間として。ウォズを。

 疑わなかった、肩を並べる相手として。コロンブスを。

 

 なら、本当にこのままでいいのか。

 常磐ソウゴを相手に、自分はこのまま静観していいのか。

 

 一瞬、空の彼方を見上げる。

 とうに見えなくなっている、宇宙にまで昇って行ったジオウ。

 その姿を視線で追い―――雲より高いこの場所で、太陽を見た。

 

「まあいいさ、もう幾らでも代えはいる! 奴隷としても、人質としてもな!

 テメェらの行先は故郷じゃなく、地獄で決まりだ!」

 

 まだまだ船内に回収した男たちはいる。戦力を増やすための奴隷は地上で回収できる。

 アガルタにいた頃は宝石のようだった連中の価値は、もうとっくに底値だ。

 甲板に溢れた連中くらいは、処分してしまっても問題ない。

 その事実を言葉で突き付けて、アナザーファイズは剣を振り下ろした。

 

 号令に従い、発射されるミサイルランチャー。

 そうなった以上、結果は決まった。

 直撃しようが迎撃しようが、爆発は確実に何の力もない人間たちを焼き殺す。

 

 ゲイツが何をしようとそれを避けられない。

 その事実に強く歯を食い縛りながら、彼は手元に落ちたブランクウォッチを握る。

 だがブランクだ。何の力もない。こんなものを使ったところで意味が無い。

 

 握った瞬間にウォッチから感じるのは鼓動。

 感じたものをそのままぶつけるように、そいつを腕のウォッチホルダーに叩き付ける。

 バチン、と音を立てて収まるブランクウォッチ。

 

 そこから手を離してもまだ手に残った熱。

 それを形にするように、ゲイツは腕を振り上げながら武装を召喚した。

 

〈ジカンザックス!〉〈Oh(オー)No(ノー)!〉

〈フィニッシュタイム!〉

 

 斧形態のザックスが燃え上がる。

 それを握ると同時に装填されていた黒と銀のライドウォッチが力を放つ。

 既に発射されたミサイルに向け、ゲイツはそれを全力で振り抜いた。

 

〈ザックリカッティング!〉

 

「あぁああああああ―――――ッ!!」

「ハッ―――!」

 

 振り抜かれた刃が奔る閃光。広がっていく青白い波濤。

 迎撃行動を見たアナザーファイズが爆発に対し、身構えた。

 

 ミサイルを打ち砕けばそこで誘爆し、船上を炎と衝撃が舐め尽くす。

 それで甲板にいるレジスタンスは全員焼け死に、ゲイツもただでは済まないだろう。

 そこを突いて彼を叩き落し、後は悠々と―――

 

 と、衝撃から1秒。そこで爆発が起きない事に不審を抱くコロンブス。

 即座に斧の波動を受けたミサイルを見た彼の目に映ったのは、ミサイルが赤い炎で炎上し、爆発する事もなく灰に変わっていく様であった。

 

「あァン……!?」

 

 空中で止まったミサイルがざらざらと、灰になって崩れていく。

 その威力を発揮する事無く、赤い炎の中で崩壊する弾頭。

 甲板に降り積もっていく灰を見て、アナザーファイズがゲイツにすぐさま向き直った。

 

「何をしやがった……!?」

「……知らん。ただこいつらを、家まで帰そうと思っただけだ!」

 

You(ユー)Me(ミー)!〉

 

 ギリギリと軋むジカンザックス。

 弓形態へと展開した武装を、ゲイツの腕が引き絞る。

 その砲口でスパークする紫炎を見て、アナザーファイズが銃を構え。

 

〈フィニッシュタイム!〉〈ギワギワシュート!〉

 

 それより早く、ゲイツの矢が放たれていた。

 放たれた白い矢は、過たずアナザーファイズに直撃する。

 その瞬間に矢は形を変えて、構成されるのは人の大きさほどもある三角錐。

 まるでそれに縫い留められたかの如く、動かなくなるアナザーファイズの体。

 

 白い光が大気を焼き、立ち昇らせる紫炎。

 その炎を浴びながらも全身に力を籠め、しかし。

 どれほど力を掛けようとも動かない銃を握った腕。

 それに歯噛みしながら、アナザーファイズがゲイツを睨む。

 

「テ、メェ……ッ!」

 

 勢いのままに走り出し、ゲイツが甲板を蹴って跳んだ。

 

「ハァアアアアア―――――ッ!」

 

 両足を揃えて放つ跳び蹴り。

 それがアナザーファイズを縫い留める三角錐と交わり、炸裂した。

 

 叩き付けられる白く輝く光子の暴力。

 体内を突き抜けていく衝撃と撒き散らされる炎。

 その威力に全身を赤い炎に燃やしながら、アナザーファイズが蹈鞴を踏んだ。

 

「ぐ、ォ……ッ!?」

 

 自身を突き抜け背後に着地していたゲイツが、そのまま炎上するアナザーファイズの首を片腕で引っ掴み、背負い投げの格好で投げ飛ばす。

 甲板から投げ出された彼がラピュタの大地に激突、盛大に砂塵を巻き上げた。

 

「クソ、が……ッ!」

 

 光剣を杖に、すぐさま立ち上がる怪人。

 体を揺らして、纏わりついてくる赤い炎を振り払う。

 

 続いて船から飛び降りてきたゲイツが、そのすぐ傍に着地する。

 流れるように振るわれる斧の刃。

 コロンブスは即座にそれに応じ、赤い剣閃でもってそれを弾き返した。

 

 既に力を使い果たしているのか、赤い炎も白い光もない。

 押し切られ、ゲイツの手から弾き飛ばされるジカンザックス。

 無手となった相手を袈裟斬りにし、ゲイツの装甲で火花を散らす。

 

 怯んだ相手に形振り構わず突き出す蹴撃。

 胴体を蹴り抜くその一撃で、ゲイツを大きく吹き飛ばす。

 

「く……っ!」

「サンタマリア号!!」

 

 空中でラピュタに追従している船に向け叫ぶ。

 急がせるのは、ミサイルランチャーの次弾を装填。

 それさえ済めば、今度は完全に無防備な連中が人質だ。

 

 それで連中の動きを制圧しつつ、やるべき事がまずひとつ。

 

 この怪人の体はそう簡単に壊せない、と思っていた。

 が、今の一撃を喰らって感じた。()()()()()()、と。

 よく知りもしない力だが、本能が警鐘を鳴らしている。

 ゲイツが武装に装填していたアレは、奪わないと引っ繰り返されかねない。

 

 ―――いや。

 いきなりそんなものを出してきた以上、あれで終わりとは限らない。

 この力の弱点はジオウだけではなく、ゲイツもだったという事だ。

 早急に撃破しなければならない。

 

 カルデアの連中の方に視線を送る。

 そこでは立香が指示をしているのが見えた。

 

 何を指示しているかは知らないが、取れる手段はほとんどないだろう。

 無事な奴などいない。精も根も、魔力も底をついているはず。

 魔法少女の二人は無尽の魔力があるが、片方は体の方が限界だろう。

 

 であるならば、今まともに動けるのはただひとり。

 美遊・エーデルフェルトくらいなものだ。

 だが少女一人でサンタマリアまで助けに跳んだところで、解決するような状況ではない。

 

(まだ悪くねェ、船は地上に降ろさなきゃ人質にとって監獄同然。カルデアはほとんど手出しできねェ。手出しできたとして、下手に撃墜すりゃ人質ごと真っ逆さま!

 サンタマリア号はラピュタを爆撃しつつ上空で待機。俺はまず速攻でゲイツの奴を始末! 戻ってくるだろうソウゴの奴を、人質を盾に迎え撃つ―――!)

 

 反撃したら人質に被害がでるかもしれない船の上から絨毯爆撃。

 それが理想だったが、自分がラピュタに落とされてもまだどうとでもなる。

 相手が破壊できるできないとは別に、反撃できない事実に変わりはない。

 サンタマリア号が空中に居る限り人質の救助は叶わない。

 宝具でも使えればまだしも、それができないのでは接近すらできまい。

 

 押し返したゲイツに向け構える銃。

 彼が船上の状況に気を取られている内に、決着をつける。

 間を置かず引き金を引けば、発射される三つの光弾。

 

 ―――その光弾が、空中で同じく赤い光弾で相殺された。

 

「んだと……ッ!」

 

 揃って弾け飛ぶ三点バースト。

 銃弾を銃弾で撃墜してみせた相手を見れば、そこにいたのは一人の女。

 片膝をついただけの即席の狙撃体勢。

 

 そうして銃撃をやり遂げた女は、立ち上りつつゲイツに叫びかけた。

 

「ゲイツ、立って! いまそいつと戦えるのはあなたしかいないの! お願い!」

「ツクヨミ……」

 

 ツクヨミの姿を見て、ゲイツの視線が揺れる。

 アルトリアは同行していない。ペンテシレイアとの戦闘で限界だったのだろう。

 

 迷いなくジオウと共に戦ってきた彼女を見て、ゲイツが戸惑いを強くした。

 時間をかけて納得したのか、あるいは自分の知らない何かを知っているのか。

 逡巡する様子を見せたゲイツに対し、ツクヨミが困惑を示す。

 

「ゲイツ……っ!?」

「さあ、我が救世主。今の君ならこの程度の状況、どうとでもなるとも」

 

 突如ツクヨミの隣に現れた白ウォズ。

 彼の手がツクヨミの手からファイズフォンXを掠め取り、そのままゲイツへと放り投げた。

 咄嗟に掴んで、白ウォズへと顔を向ける。

 

 白ウォズが人差し指を立て、怪しく微笑んだ。

 

(スリー)(エイト)(トゥー)(ワン)だ」

「―――――」

 

 一応、彼の行動は自分の助けになっている。

 怪しさしか持っていない男だが、言われ通りにファイズフォンXのキーを叩く。

 すると、地面に転がったジカンザックスに装填されたウォッチが輝く。

 

〈Jet Sliger. Come Closer〉

 

 がたがたと震え始めるサンタマリア号。異常の動作、それを見て制御しようとして―――しかし自分の意志で自由に動かない事を理解して、コロンブスが愕然とした声を出す。

 

「オイオイ、俺の船だぞ!?」

「自業自得だね」

 

 船を仰ぐアナザーファイズを嘲笑う白ウォズ。

 

 アナザーファイズとして力を与えた宝具に、デルタウォッチの力が割り込んだ。

 その乗機がどちらのものでもある以上、一隻しかないそれは奪い合いになる。

 そんな奪い合いになったことを察したのか、ツクヨミが即座に叫ぶ。

 

「ゲイツ、船を下ろして!」

「……、させるかよ―――ッ!」

 

 光剣を手に、アナザーファイズが疾走する。

 ファイズフォンXを手に、船を見上げていたゲイツに対して振るわれる一閃。

 正面からの袈裟斬りが直撃し、滂沱と火花を噴き出すゲイツの装甲。

 

 よろめき、蹈鞴を踏んで、そうしている間に再び一撃。

 盛大に火花を散らして赤いボディが宙を舞う。

 

「ゲイツ!? どうしたの……っ!」

 

 地面に叩きつけられ、転がって。

 そんなツクヨミの言葉に、自分こそどうしたと言ってやりたいと心の中で吐き捨てる。

 

 そうしている内に距離を詰めているアナザーファイズ。

 彼が切っ先を下に向けた剣を両手で握り、ゲイツの咽喉目掛けて突き下ろす。

 その刃を咄嗟に掴み取り、そこで何とか止めさせる。

 

 刃の熱で白煙を噴くグローブ。

 過負荷で限界までのカウントダウンが始まるライダーゲイツ。

 完全に勝った体勢のまま、コロンブスが口端を歪めた。

 

「―――あァ、お前。俺を疑えなかった事がショックなわけか!

 そうだよなァ! 俺を疑えなかったって事は、自分の目が節穴だって証明されたって事だもんなァッ! つまり、ソウゴを信じようとしてる自分も信じらんねェって事だよなァッ!!」

 

 笑いながら言葉にされて、ゲイツが呻く。

 これだけの正体を持っていたコロンブスを疑えなかった自分が、常磐ソウゴの言葉を信じていいのか。あの言葉に自分が感じ入ったものなど全部幻想で、やはりオーマジオウの未来が待っているのではないか。そう考えないわけにはいかない。

 

 ―――だが。ただやはり信じられない、と切り捨てる事ができない。

 

 何を踏み躙ろうと自分ができる最大の目的を目指すコロンブス。

 自分の場所に帰りたいと願っているレジスタンスたち。

 そして、最高最善の魔王になると口にしたジオウ。

 

 少なくとも、ゲイツにはそれら全員の言葉が真摯な願いに思えた。

 そこに本気の、何より強い感情が燃えていると思えた。

 

 コロンブスでさえ、夢に懸けた情熱自体には疑いの余地がない。

 そんな感情に対して、どう立ち向かえばいいのかが分からない。

 

 そうして全力で生きる者たちの想い自体には、共感さえしてしまうからこそ。

 

「ゲイツ……」

「やれやれ、我が救世主の甘さにも困ったものだ……」

 

 ツクヨミの隣で白ウォズがビヨンドライバーを取り出す。

 そんな彼をツクヨミは強く睨み―――白ウォズがドライバーを腰に装着しようとした瞬間、彼が持っていたドライバーを両手で掴んで奪い取る。

 

 ついさっきファイズフォンXを奪われた意趣返しも込めてか。

 そのまま彼女は、ビヨンドライバーを全力で明後日の方へと投げ捨てた。

 思いきり投げ飛ばされたドライバーを唖然として見送り、白ウォズの眉が歪む。

 

「ツクヨミくん、君は一体何を考えているのかな」

「ゲイツ!!」

 

 眉を怒りでひくつかせる白ウォズを無視し、ツクヨミが声を張り上げた。

 

「私たちはきっと、いつだって私たちなのよ……!

 私たちはいま、ここにいるみんな全員が―――同じ時代で、一緒に生きてるの!

 あなたの決めたことは、他の誰かが決めたことと、同じだけの価値があるはずよ!」

 

 彼女だって答えを持っているわけではない。

 いいや。あの時からずっと、まだ答えなんて出ていない。

 

 それでも、思う事はある。

 ソウゴも、立香も、マシュも、カルデアの皆も、サーヴァントの皆も。

 現代の人間も、過去のサーヴァントも、未来から来た自分たちも。

 カルデアのある現代で、レイシフトしてきた過去の世界で。

 

 いまこの瞬間は、この時代で生きている。

 

「だから、信じたことも、許せないと思ったことも、なかったことにしないで。

 その上で―――いま! 戦うために立って!!」

 

 未来を変えるためではなく、現在に感じた想いを守るために。

 

 オーマジオウを倒すために彼女たちはこの時代にきた。

 だがこの時代で作ったしがらみは、それ以外の目的意識を彼女たちに与えたはずだ。

 ツクヨミだけではなく、ゲイツだってこの短い間でもそうであるはずだ。

 

 未来だけを考えて、現在の足を止めないで欲しい。

 彼女自身も纏められない、唐突な言葉。

 そうして叫ばれた千々に乱れたツクヨミの言葉を、どう受け取ったのか。

 

 剣を押し返しながら、ゲイツが呟く。

 

「奴は……」

 

 ライダーゲイツの装甲がスパークする。限界が迫る赤い鎧。

 それを意にも介さず、ゲイツは力任せに突き付けられた剣を押し返す。

 押し返されるその力を受け、舌打ち混じりに逆に押し返すアナザーファイズ。

 

「最高最善の魔王、とやらになりたいんだってな……!」

 

 徐々に自分の首に迫りくる赤い切っ先。それを押し込む事にコロンブスが集中した瞬間、ゲイツが片手を剣から離した。拮抗していたバランスが崩れ、一気にゲイツに迫る剣。

 その瞬間、力のかけ方を変える。押し返す方向から逸らす方向へ。突き下ろされる剣の方向を変え、首を掠めていく軌道に移す。狙いを逸れて、ゲイツの首を掠め地面を抉る剣。

 

 その事実に舌を鳴らし、アナザーファイズはすぐさまその状態から更に横一閃に薙ぎ払おうとする。その刃が己の首に届く前に、ゲイツは傍に落ちていたファイズフォンXを掴み、アナザーファイズの胴体に向けていた。

 

「―――だったら、望み通りにさせてやる……!」

 

 引金を引くこと一度、三点バースト。

 連続して発射された弾丸が、アナザーファイズの胴体で炸裂した。

 

「ガ……ッ!」

 

 押し返されるアナザーファイズ。

 起き上がろうとしたゲイツの横目に、ジオウⅡが投げ捨てた剣が見える。

 ジオウⅡを変身解除した事でサイキョーギレードの消えたジカンギレード。

 

 それを見て、ホルダーに装填されたウォッチの鼓動が加速する。

 そんな感覚に従って剣に向け飛び込むゲイツ。

 彼の腕が剣を握れば、ギレードにウォッチが自動的に装填された。

 黄色と黒のライドウォッチ。その力を纏った武装を、アナザーファイズへ。

 

〈ジカンギレード!〉〈ジュウ!〉

〈フィニッシュタイム!〉〈スレスレシューティング!〉

 

 銃形態のギレードから吐き出される黄金の弾丸。

 仰け反っていたアナザーファイズがそれを防ぐために剣を前に。

 しかし着弾と同時に弾丸は弾け、光の帯をアナザーファイズの体に走らせた。

 まるで彼を光の網に捕らえるように広がる光芒。

 アナザーファイズが、先程と同じようにその体を拘束される。

 

「ま、た……! こ、ンのォ……ッ!」

 

 ギリギリと軋む光の拘束。

 それが打ち破られる前に、ゲイツがジカンギレードを振り抜き、刃を回す。

 

〈ケン!〉〈フィニッシュタイム!〉

 

 刀身を黄金に輝かせるジカンギレードを逆手に握る。

 その状態で腰を落として構えたゲイツが、強く地面を踏み切った。

 加速するゲイツの前方に浮かぶ、光の剣閃。

 

「でぃいやぁあああああ―――――ッ!!」

 

 フォトンブラッドが描き出すのは黄金のX。

 発生したその光と共に、刃を構えて突撃するゲイツの姿が、アナザーファイズと重なった。

 迸る光のエネルギーをその瞬間に叩き込み、擦り抜けるその一撃。

 体内で爆発する黄金の光。体に刻まれたXの軌跡が、怪人を青い炎で炎上させる。

 

「ぐ、ご、ぁアアア―――ッ!」

 

 その炎を強引に引き裂き、復帰するアナザーファイズ。

 先程と同じく背後に突き抜けていたゲイツに対し、彼は振り向きざまの剣撃を浴びせた。

 背中に直撃を受け、ゲイツが吹き飛ばされる。

 弾かれるように手を離れて、地面を滑っていくジカンギレード。

 

「クソ……ッ! やっぱりこいつは効いてるよなァ……!」

 

 炎上した箇所を強く押さえて、アナザーファイズは息を切らす。

 聞いた限りでは、普通には倒しようがない筈。だが間違いなく、このまま同じような攻撃を受ければこの怪物は破壊される。それを感覚で理解して、コロンブスは顔を上げた。

 とにかく人質を奪い返さなければ、このまま負けかねない。

 

 彼の視線が向かうのは、彼がもう片手に持ったファイズフォンX。

 まだサンタマリアの制御が取り戻し切れない。

 なら、原因らしきあのガジェットを奪い取り、壊すしかあるまい。

 

 自分の実力を過信はしない。ああも通用する攻撃を何度もどこからか引っ張り出すゲイツには、そもそも近づきたくもない。だがジオウが帰還すれば余計に状況は不味くなる。

 その前にサンタマリアのコントロールは何としても取り戻さねばならないだろう。ここで日和れば負けるしかない場面。だとすれば、足は前にしか動かせない。

 

「だがまだだ……! まだ俺は負けてねェ! 諦めてねェ!

 何としてでも、俺は俺の夢に辿り着く―――!」

 

 そう言って剣と銃を構え直すアナザーファイズ。

 

 彼の前で立ち上がるゲイツが、手にしていたファイズフォンXを畳み込む。

 そのままそれをホルダーへと装着し―――代わりに、ホルダーに装着したブランクウォッチに触れた。

 何故そうしたかは、ゲイツ自身にさえ判然としない。ただまるで導かれるように、彼はその何も描かれていないウォッチに手を伸ばしていた。

 

「夢を語る誰の言葉が正しくて、正しくないのか。俺には分からない……」

「あぁん……?」

 

 誰もが真摯だからこそ、踏み込み切れない。あの絶望の未来を打ち壊すためであっても、確かに今を生き、全霊を尽くしている現在の人間を止め切れない。

 それを理不尽に阻むためにでは、ゲイツは全てを懸けた一歩が踏み出せない。

 

「……俺にはそうして夢に挑む連中を阻む事が、許されるかどうかさえ分からない」

 

 ゲイツの手が、ブランクウォッチを握る。

 

「お前は、手にしたチャンスで夢が叶えられない事が罪だと言ったな。

 なら、誰かが夢を叶えようとするのを阻むのも罪なんだろう」

 

 それがどれだけの地獄を呼ぶ悪夢であっても。

 夢に向かって突き進んでいる者にとっては、全てを懸けた足取りである事に疑いなく。

 その想いの強さに立ち向かうには、きっと同じだけの熱が必要になる。

 

 火種はある。あの地獄の中で燃やし続けた激情は常にある。

 しかし、それを過去の相手に向けきれないだけ。

 

「だが……お前が追い求める夢の世界は、他の誰かが目指す夢に続く道を壊す。

 だから、そんな悪夢を躊躇わないお前のような奴が、俺が戦うべき敵だ」

 

 ああ、きっとそうなのだろう。

 ひたすらに夢を目指す連中を止める事は、どんな事情であれ罪は罪なのだろう。

 たとえその夢の内容がなんであれ、そこに懸けた想いに嘘が無い以上は。

 

「罪を犯す事でしか、何かを踏み躙る夢を止められないなら……

 俺は、俺自身の意志でこうする事を選ぶ」

 

 もし、ジオウがオーマジオウになる未来がそこに見えたら。

 ただ常磐ソウゴを倒し、止めるのではない。

 彼が今まで見続けてきた夢を、完膚なきまでに踏み躙らなければいけない。

 それだけの熱量がそこになくては、ゲイツはジオウに勝てはしない。

 

 進もうとする意志を阻むには、それを上回る意志がなくてはならない。

 結論がどうであれ、世界を良くしたいと意志が今までのジオウを作ったならば。

 それ以上に強い想いが、ゲイツの中に無くてはならない。

 

 ……オーマジオウに奪われたもので、ジオウにそれだけの感情は抱けない。

 今まで奪われたものは、全てオーマジオウがやった事。

 甘いと言われようと、今のジオウにその感情は向けられない。

 そんなやり方では、逆にジオウに打ち負かされるだけなのだ、きっと。

 

 ―――だからこそ。

 

 本当に、必要な事として、ジオウを見極めなければならない。

 そうでなければ、自分の方こそ前に進めないとやっと腑に落ちた。

 

 オーマジオウの未来で味わった事ではなく、ジオウの持つ夢を打ち砕かなければならないと納得できて初めて、ゲイツはジオウに全てを懸けて立ち向かえるようになれる。

 オーマジオウへの感情なんて不純物が混じっていたら、本当の意味でジオウを倒すべき敵と見れる時はやってこない。ジオウはオーマジオウではなく、オーマジオウはジオウではない。少なくとも、ゲイツの中ではそうである必要がある。ジオウを倒す理由はオーマジオウに無い。彼の夢がオーマジオウのように破滅を呼び込む時こそ、ゲイツは真にその確信を得られるのだ。

 

 確信を得たいか、というならば。きっとそうではない。

 そんな夢が、世界中の人を幸福にできるような夢が叶うなら、それ以上はないだろう。そうあってくれたなら、拳を振り上げないままに終われるなら、きっとそれが一番いいに決まっている。

 

「誰かの夢を当たり前に踏み躙るような夢を砕く事を、俺はもう迷わない。

 そんな悪夢を壊す事さえ罪なのだとしたら、俺は―――望んでその罪を背負う」

 

 一拍置いて、アナザーファイズにそう宣言する。

 どんな夢であろうとそこに輝きがあると認めて、その上で。それが地獄を生み出すならば戦う。

 その結論が、明光院ゲイツが自分が一番迷いなく前を向けると出した答え。

 

 だから、こいつとは戦える。コロンブスの夢は打ち砕ける。

 そうしなければならないと、頭と心が出した答えが合致している。

 ジオウを相手には、まだ答えが出せていなくとも。

 

 アナザーファイズは、コロンブスの夢は、倒さねばならないと確信できている。

 

 それがたとえ、どれほどの罪なのだったとしても。

 この戦いは、その罪は、己の意志で背負い込める。

 

 握り、突き出したブランクウォッチが色付いていく。

 黒いベゼルの、銀色のウォッチ。

 ゲイツの指がベゼルを回し、ウォッチの表面にレジェンダリーフェイスを完成させた。

 スターターが押し込まれると、フェイスから黄色い眼光が放たれる。

 

〈ファイズ!〉

 

 起動したウォッチをドライバーへ。

 そのままロックを外し、両手を交差させてドライバーの両端を掴む。

 手を引けば、勢いよく回るジクウドライバー。

 

〈ライダータイム!〉〈仮面ライダーゲイツ!〉

〈アーマータイム!〉

 

 ジクウマトリクスが現出させるレジェンドライダーの力。

 四肢に装着される黒いアーマー。

 胴体を覆う銀色の装甲、エクシードブレスター。

 肩部には開いた携帯電話のようなユニット、フォンギアショルダー。

 

〈コンプリート!〉

 

 体の表面を走り抜ける赤い光。

 装甲の上で稲妻のように弾ける力を払うように、軽く腕を振るう。

 そうした彼の頭部に迫ってくるのは黄色い“ふぁいず”の文字。

 

〈ファイズ!〉

 

 顔面に合体するインジケーションバタフライ。

 そうして変身を完了した彼が、ようやく。

 一切の迷いなく、敵としてアナザーファイズの姿を睨み据えた。

 

 対峙するのは二人のファイズ。

 両者の間で散る赤い燐光、その光越しに交わる黄色い眼光。

 握った拳を持ち上げて、ゲイツは敵として見たコロンブスにただ告げる。

 

「―――そこを退け。ここから先に、お前の夢に続く道はない」

 

 

 



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夜の彼方に2000

 

 

 

 ブースターモジュールから噴き出す炎。

 その推進力で重力を振り切り、命を許さない暗黒にまで駆け上がる。

 そうして辿り着いた宇宙空間に、ぽつりと浮かぶ人型が見えた。

 

「見つけた―――!」

『現状でも魔神の反応はないけれど……フェニクスは死と再生を司る魔神。恐らくはその性質を利用して、生命の存在を許さない宇宙空間に身を置く事で、()()()()()()()()として探査を躱しているんだ……!』

 

 ロマニの声に頷いて、そのままブースターで加速する。

 その接近を把握していたのだろう、フェニクスがそこでようやく体を動かした。

 腐肉の人型は僅かに頭を上げると、その背に炎の翼を現出させる。

 宇宙で咲き誇る魔神の猛炎。それを一度羽搏かせ、彼は言葉を歌い出す。

 

「生死混濁/我は混沌に身を置くが故に定まらず、不可知。

 生者に非ず/死者に非ず/不死にして不定の命。

 不可避なる生と死の輪廻より、我が翼でもっていざ羽搏かん―――!」

 

 フェニクスの腕が動き、己の顔を掴んだ。

 一挙手一投足、口にする言葉。その全てから滲みだすのは、人類への憎悪。

 彼がそうすると同時、炎の翼が大きく羽搏き、周囲に熱波をばら撒いた。

 

「“焼却式 フェニクス”―――――――!!」

 

 高みから降り注ぐ炎の雨。

 躱す事を一瞬考え、しかしジオウはそのまま直進する事を選んだ。

 全身を叩く熱波。その熱量を、フォーゼアーマーが吸収する。

 それを推力へと変えて、ジオウはフェニクスへ向かって加速した。

 

「……あの魔神、もしかしてシェヘラザードと」

 

 同じ願いを、と。

 そう口にしようとした迫るジオウを睨み、フェニクスの火勢が大きくなった。

 憎悪が増す。憎悪を燃やし、火勢が増す。

 降り注ぐ炎の雨が、まるで炎の滝のようにジオウを呑み込まんとする。

 

 自身を削りながらその火力を発揮するフェニクスが叫んだ。

 

「―――おのれ……! おのれ、おのれおのれおのれおのれおのれェ……ッ!!

 何が文化だ、何が文明だ、おのれ知性体どもがァ……ッ!!」

 

 絞り出す言葉が憎悪で濁り、炎と共に降ってくる。

 炎を吸収し、自身の力に変えるフォーゼアーマーとて、無限に炎を吸収できるわけではない。

 フェニクスが命を削り燃やす炎に、吸い取れる許容量が迫ってくる。

 限界以上にエネルギーを注ぎ込まれたブースターが悲鳴を上げ、黒煙を吐き出した。

 

「なぜ死に意義を見出した! なぜ生に意味を定義した! どうして生と死を循環するものとしたァッ!! 貴様たちが死生観など設定するからこんなことになる! ただ生きて、ただ死んでいればよかったものを!」

 

 不死鳥の悪魔が叫ぶ。ただ生まれて、死ぬだけでいればよかった。

 だが人間は生に、死に、意味を与えてしまった。

 スタートとゴールが無限に連なって、積み重なっていく世界を描いてしまった。

 

 ―――地獄の始まりだ。

 不死などという属性を生み出したのは、そうした人間どもの夢想にすぎない。

 

「貴様たちの文明が我を生と死の円環に捕らえた!

 そうして縛り付けられた我に、貴様たちは貴様たちが築いた(ぶんか)を歌えと言う!」

 

 地獄の業火が燃え盛り、炎の翼が更に炎上する。

 命を燃やして翼を燃やし、しかし彼の命は既に燃え尽きているが故に不調は発生しない。

 生者であり。死者であり。生が死に変われば、死が生に変わる。

 

 彼は誰にも殺せない。いや、殺しても生き返る。

 そう決めたのは人間だ。人類が自分をこんなものにした。

 

「ふざけるな―――ふざけるな! おのれソロモン、何が巡礼だ……ッ!

 死に辿り着ける貴様たちに、永劫繰り返すしかない我の苦しみが理解できるものか!!」

『フェニクス……!』

 

 吸収した熱を全てブースターに回し、発生するオーバーヒート。

 フォーゼアーマーの手にしたブースターが一つ、完全に焼損した。

 火を噴くそれを投げ捨てながら、残された一つでジオウは進撃を続ける。

 

 時間を経るごとに加速していく炎の雨、それを前に止まる事はできない。

 もう片方のブースターもまた、すぐに限界が見えてくる。

 

「その巡礼は此処で終点だ! 貴様たちの望んだ旅路など、此処から先に用意してたまるものか……! 貴様たちの築いたものは全て灼き払う! あらゆる文化! 文明! 思想! 観念! 貴様たち知性体を餌にして、異形なるものどもをあの星に跋扈させる―――!」

 

 あの星に、あの星の上に、今の法則(ルール)など何一つ残すものか。

 

 必要なのは、生にも死にも意味を見出さないモノ。

 地上の覇者はそんな生命体であればいい。

 そうすれば線引きを曖昧にされる事もないのだから。

 

「神! 精霊! 妖魔! 何でもいい、人類でさえなければ! 人間だけだ! 人間だけ! 貴様たちだけが文明や文化などという、生命活動に付随する余分を生み出すのだ!! 故に! 人間以外の何かによって、あの星を支配させる!!

 神性、妖精、吸血種……! あらゆる超越種さえ、地上に築くものはいつだって貴様たちの模倣だ!! 奴らの在り様は新たなものを創らない……! 発生した理由だけで完結している! そこに何かが残るとしても、人が意味を見出し築いたものを、意味を見出す事無くただ完全に運営し続けるだけの真似事だ……! そうだ、奴らに文明や文化を解して歌う知性は生まれない―――! ただ、貴様たちだけがァッ!!」

 

 フェニクスの憎悪が、ジオウ越しにロマニ・アーキマンを睨む。

 

「刮目せよ、ソロモンだったもの! この時代をもって……! 貴様が神より人間に受け渡した地上の支配権を、我が別の生命体に明け渡す―――!!」

 

 雪崩れ込む炎の渦。それを一身に受け止めて、限界を迎えるフォーゼアーマー。

 吸収しきれずに溢れ出す炎。残りのブースターもまた焼損し、爆発四散した。

 その爆発に押し返されて、ジオウが炎と共に宇宙空間に流されていく。

 

 魔神が力の行使に対する反動に顔を軋ませながら、その姿を視線で追う。炎を放つ翼もまた、その動きに連動するように。

 ジオウを目掛け、天上から降り注ぎ続ける熱波のカーテン。炎の滝のようなその光景が、バランスを崩したジオウを呑み込んでいく。

 

「貴様たちの繁栄だけは赦すものか……!! 他の何があの大地に隆盛しようと、貴様たち人類だけは蔓延らせるものか……! 滅びろ、滅びろォ―――ッ!!」

 

 眼下に発生する焦熱地獄。

 それを見下ろしながら、フェニクスは更に翼の火力を振り絞った。

 

 

 

 

 

「―――祝え! 彼こそは闇を切り裂き、光をもたらす救世主(イル・サルバトーレ)

 その名も仮面ライダーゲイツ・ファイズアーマー!

 いまこの時代に、この地上に、真の救世主が降り立った瞬間である!」

 

 はためく白い衣。大仰に手を振るい、ゲイツの背後でそう宣言するのは白ウォズ。

 拾ってきたビヨンドライバーを手にした彼が、黒ウォズのような事をしていた。

 

 それに対し、胡乱げな視線を向けるツクヨミ。

 彼女は彼を数秒見た後、まだ船の上にいる黒ウォズの方に視線を向ける。

 マストの上に立っている黒ウォズは、どうでもよさげに肩を竦めた。

 

 周囲の状況を確かめながら、アナザーファイズが顎を擦る。

 

「ハ―――ヒデェ言いようだ。俺はただ、自分の夢に一生懸命なだけなのによォ」

「お前が正しかったとしても。間違っているのが俺だけだったとしても。

 俺はもう、お前の前から退く気はない」

 

 拳を握り、腰を落とすファイズアーマー。

 それを目の前にしながら、アナザーファイズは剣を握り直した。

 視線を向ける先はゲイツの手にしたファイズフォンX。

 ゲイツの指がキーへと向かい、押し込んでいく。

 

「―――そうだよなァ。進むも退くも、間違ってるかもしれないなんて迷って足を止めるのも、同じだけの時間を使うわけだ。考えなけりゃいけねェ事はあるだろうさ、動き始めたって考える事を止められるわけじゃねェさ。だが考えて動こうとしてからやっぱナシにして、もっかい悩むためにいったん中止じゃそりゃ時間の無駄ってもんだ。

 じゃあ後は前に進むしかねェよな。考え抜いた癖に動いた後にいちいち止まってたら何もできやしねェんだからよ。あんだけうじうじ悩んでたんだ、考え無しじゃねェだろう?」

 

〈レディ! ショット・オン!〉

 

 ゲイツの右手が出現したデバイスを握る。

 拳の保護具、性能はコロンブスも自分で使っておおよそ把握している。

 

「海も風も時代も! 誰も待っちゃくれねえェからなァ! たった一つ言えることは、動く理由が他の奴から見て正しかろうが間違っていようが、どんな時だって前に進む事ができるのは、いつだって自分の足を動かしてる奴だけだってこった―――!!」

 

 踏みつけられ、地面が弾ける。赤光を曳いて迫るファイズアーマー。

 そうして向かってくるゲイツに対し、剣を横薙ぎに振り切るコロンブス。

 体勢を低く、それを潜り抜けながら体を半回転。

 その勢いのままに振り抜いた拳が、アナザーファイズの鳩尾に叩き込まれた。

 

 全身で感じる、体に突き抜ける感覚。

 こうして打ち続けられれば、やがてこの力は砕ける。

 それを改めて確かめつつ、アナザーファイズは剣を乱雑に振り下ろす。

 振り上げられたゲイツの拳と剣が激突し、火花を散らした。

 

 激突の末に弾き返されたアナザーファイズ。

 彼が吹き飛ばされるのに合わせ、ステップを刻みながらゲイツから距離を取る。

 

(時間は俺の味方! ラピュタが墜ちるまで俺が無事でいればいい!! 魔神がどんなもんかは知らねェが、こんだけどでかい仕込みをやったんだ! そう簡単に死なねェはずだ! ここにきて簡単に死ぬような執念で、こんな事はできねェに決まってる!

 余計な問答おおいに結構。口で時間を稼ぎつつ、隙を見てサンタマリアのコントロールを奪い返す! 俺のこの鎧を壊せるのは現状ゲイツだけ! 人質さえ取り戻せば余裕で―――!)

 

 更なる踏み込み。赤光を帯びる拳と、突き出された剣が衝突。

 激しく明滅するフォトンブラッドの光。

 

 その鍔迫り合いを維持しつつ、アナザーファイズが肩に力を籠める。

 恐らくは、ゲイツが手にしたあの銃を奪えばいい。そうすればサンタマリア号は取り戻せる。

 そうであるならば簡単だ。ギリギリを見極め、切り札を切る。

 

 ゲイツは直情型である。視野を自分に集中させ狭めさせれば、チャンスは作れる。

 完璧なタイミングを図る、そのための行動に移るコロンブス。

 

 ―――そんな彼の耳に、背後からの美しい声が届いた。

 

「……とても、怖い。あの時と同じように死ぬという事は、二度と味わいたくない感覚です」

 

 シェヘラザード。既に失敗した女。だが彼女にもまた運が向いてきた。

 彼女は結末を見届け、物語として語らねば意味がない。

 この戦いを千夜一夜物語に加える事で、英霊として破綻するのが目的なのだから。

 

 ヒュドラこそ失ったが、自分を狙うメガロスは潰えた。

 この状況でわざわざシェヘラザードに構うほど、カルデアも暇ではない。

 このままコロンブスの思惑通りにラピュタが動けば、彼女も目的を果たせるだろう。

 

 だがそんな状況でなお俯いていた女が突然、心情を吐露し始めた。

 その声はよく通り、彼と切り結ぶゲイツにも届いたようだ。

 互いにかける力が僅かに緩む。時間だけが欲しいコロンブスからすれば好都合な事に。

 

「笑って死ぬ、なんて。私には無理です。絶対に。

 そんな恐ろしいものに、笑って立ち向かえる人間ではありませんから」

 

 フェルグスの死に様を見届けて、より恐怖に震える声。

 暴虐に対して決然と立ち上がった女の心はとっくに死んでいる。

 だからこそ、彼女はこの浮島にいるのだから。

 

「私の勇気は失われ、正義感などというものは嘘になった。

 死に顔は、きっと恐怖一色だった事でしょう」

 

 たとえ死ぬ事になってでも戦う、なんて。

 そんな覚悟はもうできない。

 今の彼女にできるのは、恐怖からの逃避だけ。

 

 顔を背けて、視線を逸らして、目を瞑って。

 見たくないものを見ない事しかできない。

 

「もう死にたくない、という願いを捨てる事はできない。ですが―――」

 

 ―――空中で停止していた船が、動き出す。

 その事実を認識した瞬間、コロンブスが愕然としながら視線を上に向けた。

 流石に振り返るほどの余裕はない。

 だが明らかに、シェヘラザードが何かをして、サンタマリア号が動き出していた。

 

「な――――!?」

「……千夜一夜の結末は大団円。救われた王と語り部が結ばれて、経験した千夜に語られた物語を“千夜一夜物語(アルフ・ライラ・ワ・ライラ)”として成立させる。

 果たして、そんな結末を迎えた女であれば死を恐怖する事なく迎える事ができたのか……」

 

 女がそこで息を吐く。次に出てくる言葉へと耳を引き寄せるような一呼吸。

 彼女が生涯をかけて誇る、最高の話術。

 

「今回は……もし私の物語が大団円であったなら、死への恐怖を克服できていたのかもしれない、と。恐怖に震えながら、そう夢見る事にとどめておきます」

 

 そんなもしもの話。

 女は死と恐怖に囚われ堕ちた。だが物語の中で、女には幸福な未来が与えられた。

 果たして、あの地獄の彼方に幸福を迎えていれば、彼女はどうなっていたのだろう。

 恐怖を克服できたのか、或いは表には出さずとも伴侶となった王を恐怖し続けたのか。

 

 ―――ただ、まあ。それが彼女が語る“物語”の一つであるという事ならば。

 

 女はただ幸福に終われていたと、そう語るだろう。

 

 だって何より、それが綺麗だろう。

 

 彼女自身が生き延びるためにどんな事をする女であったとしても。

 それでも、語るべき物語には嘘はつかない。

 “語ってくれ”と願われた物語に、嘘を織り交ぜる事はしたくない。

 

 だから、ここではもう。

 彼女の語りをねだった王に免じて、ただ語るにとどめるしかあるまい

 

「……船乗りシンドバッドは冒険を求め海に出て、波乱万丈な冒険の果てに、それでも故郷へと帰り着く。シンドバッドの船は難破するでしょうが、彼は……彼らはきっと、無事に帰る事ができるでしょう」

 

 震える女の手が杖を握り、物語を語る。

 シンドバットは冒険に出るたび、船を難破させては大冒険に繰り出した。

 その果てにいつだって生還し、次なる冒険に繰り出すのだ。

 

 コロンブスとゲイツ、吊り合っていたサンタマリア号の操船。

 それが更に外から干渉されて、引きずり降ろされていく。

 このまま彼らが乗った船は大地に叩き付けられ、そのまま動かなくなるだろう。

 

「彼らを故郷に返す事に否やはないのでしょう?」

「クソがァ……ッ!」

 

 剣に力を籠める。打ち合っていた拳がずれる。

 力尽くで押し込もうとしたアナザーファイズが体勢を崩した。

 その直後、再びゲイツが拳を振り抜いて怪人の顔面へとその一撃を叩き込む。

 

 罅割れる顔。それを押さえながら、蹈鞴を踏んで後ろに下がるアナザーファイズ。

 追撃をかけるために踏み出そうとするゲイツの前で、コロンブスが叫んだ。

 

「幾らテメェらが船を奪おうとしたところで、奪えねェモンがある! 船そのもの以上に、これこそ俺が、夢の大地に踏み出すための足掛かりなんだからよォッ!

 錨を下ろせ、サンタマリアァ――――ッ!!」

 

 徐々に高度を落としていくサンタマリア。

 その船上から射出される、錨のついた鎖の渦。

 螺旋を描きながら地面へと叩き付けられる鉄鎖の暴威。

 

「く……ッ!?」

 

 高度が下がっていた事で距離が縮み、逆に不意打ちとしての精度が増していたか。

 頭上から突然暴れ狂う鉄鎖を見舞われた事で、ファイズアーマーが足を止める。

 

 その鎖の渦によって生まれた隙に、アナザーファイズが即座に銃を取った。

 迷いなく放たれる赤光弾の三点バースト。

 それは過たず、ゲイツが手にしていたファイズフォンXを撃ち抜いた。

 

「ちぃ……!」

 

 ゲイツの手から弾き飛ばされるデバイス。

 その瞬間、サンタマリアのコントロールがコロンブスへと帰ってくる。

 確かなその感覚に、怪人の鮫の牙のような口が歪む。

 

「ハッハーッ! これで形勢逆転だなァ!

 少しでも動いてみろ、船の上の連中は木っ端微塵――――!」

「あら、それはどうかしら?」

 

 その声に、コロンブスが唖然としながら空を見上げた。

 高度を落とす船。地面に向かって落ちていくサンタマリア号。

 

 コントロールを取り戻してなお、落下は免れない。シェヘラザードはアガルタに流れ着いた者たちを、シンドバットに見立てて語った。ならば、彼らが乗っている以上、サンタマリア号には難破が約束されている。まして、サンタマリア号は座礁して、コロンブス自身が乗り捨てた船だ。使い物にならなくなる結末は回避できない。

 

 そんな船の甲板に取り残されている筈の人間たちが、宙に取り残されている。

 まるで、更に上を飛ぶ円盤に引き寄せられているように。

 

「エ、レナ……ッ!」

 

 エレナ・ブラヴァツキーが銀色の円盤の上で微笑む。

 それが生み出す引力が、船上に取り残された人間を全て吸い上げていた。

 空中に取り残された者たちは、その状況に目を白黒させている。

 

 彼女を縛っていたのはシェヘラザード。

 その呪縛が解かれたとするならば、エレナは確かに動ける戦力になる。

 

「だがァ! テメェらに船を壊す事はできねェ!!

 人質はこっちの腹の中にいるままだ! まだ戦える目はある筈だよなァ!!」

 

 その声と同時、サンタマリア上部に展開されたミサイルランチャーが動き出す。船を落とされるのは免れない。そして難破の果てに生還するシンドバットの皮を被せる事で、中にいる連中を落下の衝撃が守る算段もついているのだろう。

 だが座礁しただけで船のコントロールは取り戻している。船上にある火器は全て運用可能だ。それを止めようにも、異形化したあの船を壊せるのはゲイツだけ。そして下手に破壊すれば、中の人質諸共になるだろう。勝利条件は時間なのだ。まだ十分、自分にはカードが残されている。

 

「……それは、あなたに不都合な真実が明かされなければの話でしょう」

「あ?」

 

 シェヘラザードの声に振り向けば、そこにはこちらを見ている女が。

 彼女は、ただこの島の真実を告げる。

 

黄金郷(エルドラド)なんて、どこにもないのだから」

「―――――」

 

 一瞬、コロンブスが止まる。だが彼は即座にシェヘラザードに銃を向け、発砲。

 しようとした瞬間、ゲイツからのタックルを受けて揃ってもんどり打って倒れた。

 

 その状況で片目を瞑り、カルデアからホームズの声が聞こえる。

 

『ミス・キリエライト、エルドラド周辺の現在の状況は?』

『え? あ、はい。先程通り、エルドラド周辺は未だに都市が健在で……』

()()()()

『え、と。は、はい。センサーで観測する限りは、そうなって……』

 

 画面とホームズの間で視線を行き来させつつ、読み取れた事実だけを口にする。

 そんな少女に対して、ホームズが再び問う。

 

『では、それは実在すると誰に証明できるのだろう』

「つまりは、エルドラドには二種類あると言う事だヨ。アマゾネスたちが拠点にした実像のエルドラドと、人の欲望が夢に見た虚像の黄金郷(エルドラド)

 ではセンサーで見えているのはどっちでしょう? というお話だ」

 

 モリアーティに補足され、不服そうにするホームズ。

 それを無視して問いかけるオルガマリー。

 

「……センサーに感知されてるのは、虚像の方のエルドラド?」

『人が見ようとしたのは虚像のエルドラド。富に溢れた黄金の都の方だ。エルドラドの実態など必要ない。ただ一部族の儀式を原因に起こった勘違いでしかない、という事実は夢を壊すだけ。

 つまり外から見る限りにおいて、見えるのは常に虚像のエルドラド。実在しない夢の都市だ。だからこそ、虚像のエルドラドを存在させ続けるためには条件がある』

「……虚像のエルドラドの不在を証明しちゃいけない。実在するエルドラドを見てしまったら、虚像のエルドラドが実在しないものだと証明してしまう」

『ああ、そうなる』

 

 立香の答えに鷹揚に頷き、ホームズは椅子の背もたれに体を預けた。

 

『それにも条件がある。その答えを見なければならないのは、確かにその時代を生きる人間だけだ。真実を求めて、あるいは富を求めて、己の意志で踏み込んだ人間が真実を直視して、初めてその蜃気楼は晴れるのだろう。

 あくまで外から踏み込んだ人間が、あくまでその時代の人間として、そこに存在するものを見届けなければならない。自分たちの生きるこの時代に、そんな幻想は存在しなかったのだ、と。真実を明かす、とはそういう事だ』

 

 じゃあ、と。立香が空を見上げる。

 自分たちでは意味が無い。自分たちはレイシフトで未来から来た人間だ。

 そんな自分たちが行うのでは、それは歴史の考証になってしまう。

 

 エレナの円盤によって宙に浮かされているレジスタンスたち。

 彼らがエルドラドに辿り着けば、エルドラドは黄金郷としての意味を失う。

 それは車からエンジンを引っこ抜くようなものだ。

 どう足掻いてもラピュタは維持できなくなり、崩壊する事になる。

 

「させるか、よォ――――ッ!!」

 

 自分を抑え込むゲイツを強引に蹴り返しつつ、アナザーファイズが腕を振る。

 地面に船底を擦り付けるサンタマリアから吐き出されるミサイルの雨。

 それは狙いをつけずに周囲へと撒き散らされた。

 

 すぐさま、それの迎撃に入るのは美遊・エーデルフェルト。

 彼女は大蛇が果てた場所から回収したキャスターのクラスカードを手に空を舞う。

 

夢幻召喚(インストール)、キャスター……!」

 

 はためく黒いマント。行使されるのは最高格の魔術師の力。

 彼女は空に舞いながら魔法陣を形成し、そこで弾幕を張った。

 発射直後に撃ち落とされるミサイル群。

 

 だが、サンタマリアが行うのはミサイル32発の一斉射。

 落とし切れずに抜けた弾丸が、エレナの方へと向かっていく。

 

 エレナ本人だけならまだしも、人間を抱えたまま回避行動には移れない。

 彼女がきつく表情を引き締めて―――

 

「黒ウォズ!!」

「やれやれ……ま、我が魔王ならやれと言うだろうからやるけれどね」

 

 ツクヨミの叫びに応えて、他の人間たちと一緒に円盤に浮かされていた黒ウォズがストールに手をかけた。渦を巻く布が大きく波を打ち、周囲の人間を巻き込み、姿を消す。

 抱えていたものが消えたエレナが即座に回避行動に移りつつ、魔力光を放ちミサイルの迎撃を行いだした。

 

 布のはためき発生させる竜巻が地上に出現し、その中から吐き出されるレジスタンスたち。

 黒ウォズが億劫そうにストールを首に巻きなおし、軽くはたく。

 そんな彼を押し出しつつ、ツクヨミが座り込んでいるレジスタンスたちに駆け寄った。

 

「あなたたち! 詳しく説明している暇はないけど、すぐに―――!」

「ツクヨミ」

 

 アナザーファイズに押し返されたファイズアーマー。

 彼が立ち上がりながらツクヨミに声をかけつつ、腕のホルダーに手をかけた。

 取り外したウォッチを起動しながら、放り投げる。

 

 それはレジスタンスの目の前でバイクに変形し、着地する。

 

「お前たちで選べ。自分たちの目的のために、何をするかを」

 

 それだけ告げ、ゲイツがアナザーファイズに向き直る。

 

 空中ではサンタマリア号がミサイルを再装填。

 更にデミ・カルバリン砲を展開し、カルデアのマスターたちを狙い撃ち出した。

 そうしてサーヴァントを防御に引き付け、連続絨毯爆撃でもってこちらを制圧せんとする。

 

「ハッ、行かせねェよ! 向かおうもんなら最優先で爆撃して……」

「俺たちには、目指すべき光なんて必要ない。目指すべき場所はそいつが勝手に決めればいい。だからこそ、俺はこの世界を覆う闇を切り裂く」

 

 ―――それが、いつだかの自分との問題に向けられた答えだと理解して。

 アナザーファイズが、本気で呆れるように鼻を鳴らした。

 

「……全ての人間が生き方を選べるように、ただ自由に生きる事さえ阻む闇を切り払う。誰もが自分の意志で、生きたいように生きられるように。誰もが自分の足で、進むべき道に進めるように。

 俺が闇を切り裂き光をもたらすとするなら、それは誰かを先導するためじゃない。その光は、人が自分で進むべき道を選べるように、足元を照らすだけの光だ」

 

 光を誰より前で目指すもの、と。

 男はそれを使い、先導しつつ扇動する事こそが自分のやり方だと語った。

 だからそれに対して今、確かな答えを返していく。

 

 光を目指せ、なんて言うつもりは自分にはさらさらない。

 他人に進む方向を示すのも、誰かを先導する事も、自分には合っていないしやる気はない。

 

 誰もが自分で選べばいい。

 どんな闇の中にいるかさえ分からないというなら、自分はそれを照らすための光をもたらす。

 彼方にある光としてではなく、足元にどんな道があるかを知らしめるために。

 進むべき道を示すためではなく、どんな道にでも踏み出せると示すために。

 

 ただそれだけ。それを救世主と呼びたいなら好きにすればいい。

 どう呼ばれるかなど興味もない。

 

 ふらり、と。誰かが一人立ち上がった。

 足取りは重く、恐怖が動きを鈍くする。

 それでも、確かに。

 一人のただの人間が、バイクに向かって走り出していた。

 

「馬鹿が!」

 

 コロンブスが銃を向ける。その瞬間、残った連中が立ち上がる。

 彼らはまるで盾になろうとするように、バイクに乗れる人間を守ろうとした。

 何ら戸惑う事もなく、銃口から吐き出される赤い光弾。

 それが直進して―――彼らの前に立ちはだかったファイズアーマーの装甲の上で弾けた。

 

 舌打ち。サンタマリア号の砲が旋回し、こちらを向く。

 だがその弾丸が放たれた直後、撃ち出された弾丸をランスが殴り飛ばして迎撃した。

 空中でくるりと回転し、アストルフォがレジスタンスたちの前に着地する。

 

「バカで結構だい! キミこそよーく知ってるだろ! よっぽどのバカじゃなきゃ、大冒険への一歩はなかなか踏み出せないもんなのさ!」

 

 再度の舌打ち。ミサイルは美遊とエレナが対応に終始している。モリアーティの援護射撃もある以上、爆撃が偶然通るなんて幸運はやってこない。サンタマリア号自体の砲門は多くない。が、存在する以上は、マスターの護衛で残りのサーヴァントはほぼ動かせない。アストルフォはレジスタンスの護衛に回りにきたが、それでギリギリだ。

 

 エンジンが始動する。

 危うげに、ふらふらと、それでも走り出すライドストライカー。

 マシンは彼方に見える黄金郷を目掛けて発進する。

 

 こうなったら、もう選択肢はない。

 そいつを止めるには、コロンブス自身がどうにかするしかない。

 目の前に立ちはだかる、仮面ライダーゲイツを突破して。

 

 アナザーファイズが銃を捨てる。

 そして剣を手に、拳を覆うナックルガードを握った。

 疾走を開始する怪人。

 

 突撃してくる相手を前に、ファイズアーマーが強く拳を握り締める。

 

「言ったはずだ。ここから先に、お前の道はない……!」

「それがどうした! 道がねェなら、切り拓くまでだろうがァ――――ッ!!」

 

 

 

 

 

「貴様たちが育てた想像が! 希望が! 空に描いた夢が! その重みで貴様たちの文明を完膚なきまでに潰す! 思い知れ、貴様たちが喰われるだけのモノであると! 堕落せよ、知性の行き着く果て! 人類が積み上げた傲慢……! 己らが空に立ち、星さえその知恵で自由に出来るなどと思い上がった証……!

 貴様の存在を知らしめ、貴様を創ったモノどもを押し潰せ、ラピュタ―――!!」

 

 炎の翼を広げ、フェニクスが雲の上を行く浮島を見下ろす。

 そうすればやっと彼は終われる。その苦しみの終着がやってくる。

 彼が持っていない、終わりが迎えられる。

 

 だがそんな彼の前で、降り注ぐ炎の津波が引き裂かれた。

 

〈アーマータイム! ワーオ! ディケイド!〉

〈ファイナルフォームタイム! ウィ・ウィ・ウィ・ウィザード!〉

 

 炎を裂くのは黄金の爪。

 翼で羽搏き、尾を薙ぎ払い、炎の帳を蹴散らして。

 ディケイドアーマー・ウィザードフォームが降臨する。

 

 まだ立ちはだかる怨敵を前に、悪魔は憎悪を燃やす。

 焦熱地獄そのもののように、フェニクスの熱量は天井知らずに上がっていく。

 

「―――貴様たちさえいなくなりさえすれば、あそこは元に戻るのだ……! 生にも死にも意味が無い、ただの大地に! 生がただ動くものをさす言葉となり、死がただ骸をさす言葉だった場所に!! そこならば……そこであれば、我は灰の中から蘇る事なく死ねるのだ――――ッ!!!」

「……させない」

 

 炎の翼が羽搏いて、竜の翼が羽搏いた。

 宇宙(ソラ)から雪崩れ込む地獄の炎に対し、竜はただ愚直に突進する姿勢を見せる。

 突き出すのは竜の爪。

 両腕を前に突き出し、合わせて、まるで自分をドリルにするかのように回転。

 

 地獄の炎を掻き分けて、直進する螺旋の突撃。

 

「意味がない事になんて、させない! お前が憎むそんな在り方……この世界で生きる事にも、死ぬ事にも意味があるのは、今までを生きてきた……そして、今を生きている人がそうあって欲しいって望んだからだ―――!」

 

 燃え盛る憎悪を正面から打ち破り、ジオウは空の不死鳥を目掛けて突き進む。

 迫りくる敵を前に、フェニクスが自身を削り熱量を絞り出す。

 それでもなお、ジオウの直進は止まらない。

 

「俺の民が生きるこの世界の中に! 一生懸命生きて、いつかは死んでしまう未来の中に! 意味があって欲しいって願いがあるのなら―――そんな希望を守るのが、俺たちの戦いだ!!」

 

 突き抜ける竜。

 至近距離にまで迫るそれを前にして、不死鳥が体を大きく歪めた。

 狂おしいほどに歪み、膨張し、人型を捨てて異形へと変貌する魔神。

 

 そんな体を、竜の爪が引き裂いた

 翼が宇宙でなお巻き起こす暴風が、フェニクスの体を削り取っていく。

 失われていく質量。再生を始める不死の魂。

 繰り返す死と再生の痛みと喪失感の中で、魔神が全身を燃やして叫ぶ。

 

「消えろ……! 消えろ消えろ消えろ消えろ、消えろォ――――ッ!!

 我を縛る貴様たちの観念など、異形に喰わせて永劫の闇に消え果てろ―――――ッ!!!」

 

 ウィザードフォームが体を回す。振り抜かれるのは凍気を纏った竜尾。

 そのスイングがフェニクスの全身を砕き、吹き飛ばす。

 

 弾かれた彼の全身が覚える、転移の感覚。

 背後に張られた魔法陣を通り過ぎたフェニクスは、尋常ならざる距離を跳んでいた。

 魔法陣越しに見えるジオウが、地球が、瞬く間に遠のいていく。

 

 代わりに自身を縛るように捕らえたのは、地球など比較にならない質量が持つ重力。

 重力が、熱量が、背後にあるその存在を確かに伝えてくる。

 フェニクスが持つ推力など、不死性など、蝋のように溶かして滅ぼす絶対の地獄。

 

 ―――太陽が、背後に迫ってくる。いいや、自分が太陽に迫っていく。

 

 崩壊を始める魔神の肉体。再生した途端に再び殺す、抗いようのない熱量。

 断言しよう。この恒星の中で、彼の生存は許されない。

 生きていられないのだから、死んでいるしかない。

 一瞬たりとも生存できない以上、生と死を繰り返すという理屈は通らない。

 

 最後の崩壊を前に、不死鳥が消し炭になっていく腕らしきものを伸ばした。

 

「嫌だ……! 嫌だ、いやだ、いやだ、いやだいやだいやだ……! 生きたくない(死にたくない)生きたくない(死にたくない)生きたくない(死にたくない)いきたくない(しにたくない)いきたくない(しにたくない)……ッ!! しにたく(いきたく)―――!」

 

 沈んでいく。恒星の重力に囚われて、灰から蘇る不死鳥が炎の海に落ちていく。

 

 けして消えない炎。地球文明より遥かに長く持続するだろう、永遠の火。

 燃え尽きない以上、その焼け跡に灰が漂う事はない。

 燃え続ける以上、不死鳥は灰から蘇る余地がない。

 

 閉じていく魔法陣の前で、ジオウがゆっくりと身を翻した。

 

「―――そこが、アンタの望んだ本当の終わり(フィナーレ)

 生きる事にも死ぬ事にも意味がない、何もない炎の中だろ」

 

 

 




 
 フェニクスとかいう喋らせたくない奴ナンバーワン。なので発狂させる。
 ファントム、シェイクスピア、フェニクスはできる限り喋らないでくれ(直球)
 


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夢、終着1506

 

 

 

 ―――マシンは風を裂き、ひたすらに進み続ける。

 

 障害は何もない。

 薙ぎ倒されただろう木々すら、何も残っていない。

 文字通り根こそぎ、全て吹き飛ばされてしまったのだろう。

 

 エルドラドは川のすぐ横にあった都市。

 その川が龍の首になり、軽くでも振り回された結果として。

 ごく当然のように、エルドラドという都市の周辺は全てが消滅した。

 

 木々はない。何も残っていない。

 それでも、何故か正面には都市がある。

 黄金の神殿を中心にした、幻想都市。

 あるはずのない、彼方の夢。

 

 男は力のありすぎるマシンを制御が効く程度で抑えながら、ただそこを目指す。

 

 不意に始まった彼らの旅の終着点。

 最後に故郷へと帰るために行われる、驚くべき冒険譚。

 

 黄金郷(エルドラド)

 多くの人間が夢に見た、金に溢れた富裕都市。

 その実態を、直視する時が来た。

 

「―――――ああ」

 

 ブレーキをかけながら、思わず零れた息。

 目標にしていた神殿が放つ黄金の輝きは、いつの間にか消えていた。

 近づきすぎて見えなくなった。もう神殿は目の前にない。

 

 あるのはただ、洪水に取り残された僅かな残骸が残された夢の跡。

 アマゾネスたちが拠点にしていただけの戦士のねぐら。

 

 どこかの誰かが求める光は、此処にはもう無いのだ、と。

 この時代にはもう、そんな夢は残されていないのだ、と。

 

「……ライダーさん。此処にはもう、アンタの夢も何も、残ってねえや」

 

 男が震えながら、そう吐き出した。

 バイクを降りた彼が、疲労感からふらりと倒れる。

 

 虚飾のカーテンは剥ぎ取られ、真相はここに露わにされた。

 故にその機能は停止する。真実ならぬ無実の栄光に向けて突き進む機関。

 コロンブスの夢は、もう動力にはなり得ない。

 

 ラピュタ―――アガルタの心臓が動きを止め、全てが崩壊に向かっていく。

 

 

 

 

 

『―――っ、エルドラド、反応ロスト!

 今まで存在していた都市が、完全に観測されなくなりました!』

 

 不在証明が為された以上、もうそれはどこにも見えない。

 残るのはただ、洪水の首に薙ぎ払われた廃都。

 それを確認したカルデアからの言葉に、コロンブスが反応した。

 

「クソがァッ!!」

 

 吐き捨てる罵声。

 そうして動きが鈍った相手の胴体に対し、ゲイツの拳撃が突き刺さる。

 くの字に折れて、吹き飛ばされるアナザーファイズ。

 

 彼がそのままの勢いで転がると同時に、大地に罅が走っていく。

 浮遊大陸の致命傷。心臓を失ったこの大陸は、もう浮かんでいられない。

 怪人の掌が罅割れた地面を撫で、牙を軋らせた。

 

 ゲイツはその場で立ち止まり、倒れたコロンブスを見下ろす。

 

「終わりだ」

「だが諦めねェ……! 諦めてたまるか! 俺は、いつだって―――!」

 

 罅割れた地面を叩きながら、怪人が船に顔を向けた。

 

「目的地まで飛べねェなら! 今この場所で! この大陸を地上まで引き摺り落とす!

 錨を下ろせ、サンタマリアァ――――ッ!!」

 

 地面に埋もれていた錨が引き戻される。

 渦巻く鎖。その勢いで空に跳ね上げられた錨が、再び地面に叩きつけられた。

 罅割れた地面を砕き、地表を捲り上げながら、地中に消えていく鉄の爪。

 

「“新天地探索航(サンタマリア・ドロップアンカー)”!!!」

 

 錨鎖が金属らしい盛大な擦過音を立てて、地面に沈んでいく。ただ地面に打ち込んだだけには思えないほど、尋常ならざる長さに伸びて沈み続ける錨。

 その動きを察知して、ダ・ヴィンチちゃんが声を上げた。

 

『―――錨がラピュタを貫通した! そのまま沈み続けてる! これは……!?』

()()()だ!!」

 

 アナザーファイズが起き上がり、その手に握った剣を輝かせた。

 

「俺の船は! 俺の錨は! 常に! この俺が、新たなる大陸に何があるかと胸を躍らせて、飛び出すための最初の一歩だった!!

 ならよォ! この錨で下したからには、この大陸は俺が見つけた()()()だよなァ!!」

 

 彼方で、錨が着水した。そのままの勢いで沈み続けるサンタマリアの錨。

 船の船底が罅割れた地面に沈む。

 同時に、急速にラピュタの高度が下がりだす。

 

 錨を下した船の重みでラピュタが地上に向け降下を始めた。

 

 この大陸が空中分解する前に、地上に届ける。

 彼は半壊した大陸をこのまま着水させ、一つの島国にしてしまうという。

 

『つまり宝具を通して、“ここは新大陸だ”と言い張り続けるつもりか……!』

「ハッハハーッ! そりゃあ世界の修正力とやらは言うだろうさ、“こんな大陸は本来は存在しないはずだ”、ってよォッ! それに俺は言い返してやるのさ、“誰も知らなかったものをこの俺が見つけたんだ”ってなァッ!!」

 

 新大陸の発見者、クリストファー・コロンブスとして。

 世界地図を塗り替えて、彼は自分の夢を押し通す。

 

「たとえ機関を潰されようが、この俺が支配すれば、()()()()()()()()()だけの生産力なら取り戻せるはずだ! そして戦争商売にまで持ち込めねェにしても、この大陸が生み出す奴隷は十分な商品になる!! 身体能力に秀でた、幾らでも生産できて使い潰せる労働力!!

 戦争を口実に一気に世界相手の大口商売とはいかなくなるが、それならそれでまた積み重ねるまでだ! この大陸(しょうひん)さえあればやれる! 簡単にはいかねェ、この時代の連中の目を盗むのは難しいはずさ! まともに動くことさえ難しいだろう! だが、どれだけ時間がかかろうが俺はやり遂げる!! みっちりと下準備して、必ず世界経済に食い込んでやる!!」

 

 己の顔を己で掴み、けして諦めない夢への道を口にする怪物。

 そんな相手を前にファイズアーマーが手に握っていたナックル、ショット555を放る。

 代わりに、戦闘の最中に近付いていたファイズフォンXを拾い上げた。

 

『そんなこと、できるはずが……!』

「できるかできないかじゃねェ! 諦めるか、諦めねェかだ!!」

 

〈レディ! ポインター・オン!〉

 

 ゲイツの指がキーを叩き、ファイズフォンXに認証コードを送る。

 それにより右足へと装着される武装、ポインター555。

 足を開き、腰を低く、上半身を前傾姿勢に。

 そうして構えたファイズアーマーに対し、アナザーファイズが剣を振るう。

 

「そうだ! 俺は、絶対に諦めねェ―――――ッ!!!」

 

 剣閃をなぞり、切っ先から放たれる赤い波動。

 罅割れ砕けた地表を、真っ直ぐに突き進んでくる赤い柱。

 真正面からやってくるフォトンブラッドの波濤。

 その障害を見据えて、ファイズアーマーが足に強く力を籠めた。

 

「……ああ。それでも奴らが諦めなかったから、お前の夢は此処で終わるんだ」

 

 迫りくる赤い壁に向け、ゲイツが走り出した。

 砕けた悪路をものともせず、行われる赤い戦士による疾走。

 赤い壁と赤い戦士の突進が、互いに最高速へ到達する。

 迫り合い、交錯する寸前。ファイズアーマーの足が、強く地面を踏み切った。

 

 宙に舞うゲイツ。その下を通り過ぎる赤い波動。

 そうしてアナザーファイズの必殺を飛び越えたゲイツの指が、ドライバーにかかる。

 

〈フィニッシュタイム! ファイズ!〉

 

 認証される必殺技コード。

 肩部、フォトンギアショルダーがファイズアーマーの性能を全て引き出す。

 全身を奔るフォトンブラッドが、右足に装備されたポインター555に集中。

 そのまま空中でゲイツの腕がジクウドライバーを回す。

 

〈エクシード! タイムバースト!!〉

 

 空中で前転しながら体勢を整え、飛び蹴りの姿勢に入るゲイツ。

 その途中、集約されたエネルギーで形勢した赤い光の矢がポインターから放たれる。

 

 咄嗟にそれに対してショットを握った拳を突き出すアナザーファイズ。

 拳が激突すると同時、マーカーは大きく広がり円錐を構築。

 内包する膨大なエネルギーによって、アナザーファイズの体をその場に拘束した。

 

「こ、んなモンでェ……ッ!!」

「やぁああああああああ―――――ッ!!!」

 

 マーキングされ、動きを封じられるアナザーファイズ。

 その離脱を許さないまま、飛来するファイズアーマーとマーカーが重なる。

 叩き付けられる赤い円錐。その威力が、アナザーファイズの全身に浸透していく。

 フォトンブラッドにより分断される分子構造、破壊され尽くされる怪人の鎧。

 

 ―――ファイズアーマーの姿がアナザーファイズをすり抜け、その背面に着地する。

 

 それを理解していても、コロンブスは動けない。

 体に重なるように浮かび上がるのは、マーカーが刻み付けていったΦのマーク。

 鎧は罅割れた部分から青い炎を噴き出して、灰に帰していく。

 

 霊基と融合したアナザーウォッチは灰になれば、当然彼自身も終了する。

 怪人化が解けた状態で仰向けに倒れ込むコロンブス。

 彼は光に還りながら、しかし引き攣らせた口元で気丈にも笑った。

 

「ハ……誰の夢が、終わるって?」

 

 ゲイツが振り向き、倒れた男を見る。

 彼はいま正に負けたばかりとは思えないくらいに野心に満ちた顔で、言い放つ。

 

「ハハハ……ッ! ハッハーッ! 終わらねェよ、終わらねェのさ……!

 一回、夢に見ちまったからには、辿り着くまで。たとえ死んでも……それどころか、自分から諦めちまったとしても―――その夢は、誰にも終わらせられねェ……!!」

 

 一度見てしまったからには、叶える以外に終わりはない。

 叶わなかった、諦めた、そんな結末は心に絶対に瑕疵を残す。

 どんなに小さなものであろうと、心にしこりを残す。

 それが良い事か悪い事か、なんてどうでもいい。

 その経験を人生の糧にする、なんて話では消化できない。

 

 その道を進む事を途中で止めたという事は、終点が見れなかったという事だ。

 当人がどれだけ心の成長だのなんだのと良い話にしたところで、果てにある光景を見れなかったという事実に変わりはない。そして、本人以外にそれを見れる奴なんていやしない。

 残る事実は、終わらせないまま途中で夢を降りたというものだけだ。最後には辿り着けたはずの誰も知らない光景を放置し、けして明かされない未知に鎖してしまった、というだけだ。

 

「ハッ、ハー……! 俺は諦めねえぞ……何度負けようが、何度失敗しようが……!

 次こそは……次こそは、必ず……! 俺は、俺の夢を、叶えて―――」

 

 半身が光に還ったコロンブスは、それでも繰り返し言い続ける。

 見たいものを見に行く。欲しいものを手に入れに行く。

 彼の針路は、途中で降りるなんて結末は認めない。

 

 彼は明かしに行く。欲望の果てに見た夢の光景を。

 そこに辿り着くまで、諦めるなんてありえない。

 

 喘ぐコロンブスを見て、一瞬だけ顔を伏せて。

 しかしすぐに再び彼の顔を見据えて、ゲイツは確かにコロンブスに告げた。

 

「だったら、何度でも止めるだけだ。お前の夢が、俺の敵である限り」

「ハ―――そりゃあ、ご苦労なこった……」

 

 もうその言葉に迷いはなく。そう断言したゲイツに、呆れるように。

 コロンブスは力を抜いて、腕を地面に投げ出した。

 

 次があれば同じように、彼は同じように何よりも己の夢を追い求める。

 次があれば同じように、彼は同じように人の自由を守るために戦う。

 ただそれだけの事だから。

 

 クリストファー・コロンブスは最後に舌打ちひとつ。

 光となって消えていった。

 

 

 

 

 

 錨が消える。かかっていたテンションが消え、暴れた鎖。それもまたすぐに消え失せた。

 溶けていくサンタマリア号。

 その中に収められていた人間たちが突然、空中に放り出される。

 

「お願いね!」

 

 放り込まれるコダマスイカ。

 それなりのサイズのエネルギーボールになった彼が、クッションとして下に滑り込む。

 同時にエレナが足場にする円盤が放つトラクタービーム。

 そうして要救助者の無事を確保しつつ、立香は空を見上げた。

 

 ちょうどそのタイミングで、大気圏に突入してくるオレンジが見えた。

 どうやらエネルギーフィールドを展開したディケイドアーマー鎧武フォームのようだ。

 

「終わった、のかな?」

 

 振り返れば、シェヘラザードは動かずにその場に腰を下ろしたまま。

 彼女は注目を集めている事を知ると、杖を掻き抱いて視線を逸らす。

 

「……大蛇は打倒され、フェニクスは消滅し、ラピュタはその機能を停止した。

 今の私にはもう、あなたたちをどうにかする手段はありません」

 

 そう言ってから、力を抜けば。

 シェヘラザードの体もまた、光となって溶け始めた。

 その感覚に対して彼女は、ぶるりと身を震わせる。

 

「……今回の私は諦めました。

 いえ。己の結末より、己が語るだろう物語を優先した」

 

 その願いを。死から逃れるという結末を、彼女は今回ばかりは手放した。

 彼女が語り部であったから。

 そちらの方が良い筈だ、という声には異論を唱えられなかった。

 

 ラピュタの崩壊が早くなっていく。

 全てを失ったこの大地は、もうすぐ崩れ落ちるだろう。

 恐らくは最後の楔であるシェヘラザードが消えれば、あっという間に。

 

「ですがきっと、私はまた繰り返すでしょう。死から逃れるという、この望みのために」

 

 消えていく感覚の中で、女は後悔するように口を開く。

 いつかと同じように。勇気と共に踏み出して、しかし死への恐怖に溺れた時のように。

 彼女はこの選択を後悔しながら、再び死んでいく。

 

 きっとまた繰り返す。

 機会が巡って来れば、人類を道連れにしてでも望みを果たす。

 そんな自分を、彼女はきっと止められない。

 いいや、今だってそうだ。止めようとさえ思わない。

 

「でも、望みのために全力で何かする……それが、人が生きるって事なんじゃないかな」

 

 そう言うシェヘラザードに対して、立香はそう告げた。

 視線を交わせば、彼女はそのまま言葉を続ける。

 

「だから……あなたが繰り返しても、きっとまた誰かが止めに行く。

 自分が生きる世界を守りたいと思った誰かが」

 

 大きく、溜め息をひとつ。

 酷く憔悴した様子の彼女は、太陽を見上げながら震える声を絞り出した。

 

「……地獄ですね。それではいつまでも、私は死から逃れられない」

「そうだね。私たちは生きてるから、きっとずっとそうなんだろうね」

 

 しょうがない、と。

 少女はそう言って、ただシェヘラザードを見つめた。

 

 ―――女が顔を下げて、少女と視線を合わせる。

 目を合わせて数秒、女は諦めたように顔を伏せた。

 

「―――では、いつか……いえ」

 

 いつか、こんな自分の夢が叶いますように。

 そう願おうとした女が、どうしようもなさそうに首を横に振る。

 

「私の企みを阻もうとするような人間がいない世界なら、最初から私たち英霊は呼ばれる事もないのでしょうね。ああ、本当にどうしようもない。ええ、本当に……」

 

 人間がもっと弱い生き物なだけであればよかったのに。

 弱くて、強くて、臆病で、勇気があり。

 こんなどうしようもない生き物だからこそ輝くと、語ったからこそ知っている。

 そんな者たちの物語だからこそ、心を奮わせると知っている。

 

 青い顔をしたまま、複雑な感情を織り交ぜて吐く溜め息。

 その呼気と共にシェヘラザードの体が光に解け、空へと昇っていく。

 

「? うん、またいつか?」

「いいえ。もう二度と出逢う機会が無い方がいいでしょう。

 だってそうなってしまったら、その度に私は死ななくてはいけないですから」

 

 最後に本気でそう言い残し、シェヘラザードが消え失せる。

 

 途端に崩壊を更に加速させるラピュタ。

 亀裂は一斉に断崖となり、浮島は残骸の集まりへと変貌していく。

 高度は一気に下がり、破滅の断末魔を轟かせ始める。

 

『ラピュタ、崩壊まで恐らく1分もありません!

 離脱のためのレイシフト、準備できています!』

「ちょっと待って、その前に降ろさなきゃいけない連中がいるわ」

 

 オルガマリーがそう言って目を向けるのは、助け出されたレジスタンス。

 それにエルドラドに向かったもう一人も回収しなければならない。

 

「あたしが……って」

 

 すぐに円盤の軌道を変えようとしたエレナが、自身の異変に気付く。

 シェヘラザードが失われた結果、彼女をこの世界に呼び出した楔も失われた。

 そうなった彼女は現界を維持できず、光に還り始めている。

 

「あー、もう! こんな時に!」

「……って事は、一人しかいないでしょ」

 

 言って、剣を納めながらジャンヌ・オルタが視線を飛ばす。

 見られている男は素知らぬ顔でストールの位置を直しているが。

 

 そんな時に、空からオレンジが落ちてきて地面を粉砕。

 浮島の一部を滑落させつつ、ラピュタの残骸へと着地を成功させていた。

 状況は把握しているとばかりに、ソウゴはすぐに両手に握った旗を振るいつつ叫ぶ。

 

「黒ウォズ! いいよね!」

 

 振り抜かれた旗から奔る重力場。

 それが崩落していくラピュタの一部を一時的に重力から解放する。

 そうして一定の足場を確保しつつの叫びに、黒ウォズはゲイツへと視線を向けた。

 

「構わないが……救世主、とやらに任せてしまっていいと思うがね。

 どうせゲイツくんと白ウォズはタイムマジーンで来ているようだし」

「あっ、そっか」

 

 即座に納得して、ジオウがウォッチをホルダーから取る。

 そのまま流れるように、彼はゲイツへとそれを投げた。

 咄嗟に受け取ったゲイツに対し、ジオウは更に声をかける。

 

「じゃあゲイツ、タイムマジーンでそれ使って!」

「なに?」

 

 受け取ったものを見れば、それはスペクターのライドウォッチ。

 これを使ってレジスタンスたちを救え、と言う事だろう。

 言い返そうとして、しかしそんな余裕がある状況ではないとウォッチを握り締める。

 

「…………白ウォズ、タイムマジーンだ」

「仰せのままに、我が救世主」

 

 拾ってきたビヨンドライバーを持ちながら、恭しく臣下の礼を取る白ウォズ。

 同時に空に穴を開け、飛来するのは白いマジーン。

 ハッチを開けているそれに迷わず飛び乗れば、機体がすぐさま人型に変形。

 その頭部にスペクターのウォッチを装着する。

 

〈スペクター!〉

 

 背部に装着される飛行ユニット。そこから展開される鎖。

 それが周辺のレジスタンスたちを捕まえ始める。

 瞬く間に周辺の連中を捕まえたマジーンは、そのままエルドラド跡地へと。

 

 飛び去るマシンを見送って、オルガマリーが白ウォズを一瞥。

 その後に、すぐさまカルデアに向かって叫ぶ。

 

「ロマニ! マシュ! 帰還のためのレイシフト実行を!」

 

 打てば鳴る鐘の如く。

 既に準備を完了していた離脱の手段は、滞りなく実行される。

 青い燐光に包まれてこの時代から消失するカルデア部隊。

 彼らを見送りながら、二人のウォズがその場で相手を窺うような視線を交わした。

 

 と、そんな怪しい男二人を眺めながら、エレナもまた退去していく。

 

 

 

 

 

「―――これは基礎中の基礎だ! これが解けなきゃ話にならんぞ!? 今まで何をやっていたんだ、お前は!」

「えー……そんなこと言われてもさー」

「言われてもさー、じゃない! まずテキストを読め、いいから読め! その上で何が分からないか訊け!」

 

 がなり、机を盛大に叩く手。それを避けるように机に俯せるソウゴ。

 すぐさまその襟を掴み、ゲイツは彼の上半身を引っ張り起こした。

 そのまま彼の顔面にテキストを押し付ける。

 ソウゴは鬱陶しげにそれを顔からどかし、文句ありげに眉を顰めてみせる。

 

「別にゲイツに教えてもらわなくても……」

「言ったはずだ! 貴様がオーマジオウになるようなら俺が倒す! だがお前は言ったな、最高最善の魔王とやらになると! 言ったからには、それなりの努力を見せてもらう!」

「それで何で勉強を……」

「まともに勉強もできない奴がまともな王様になどなれるか!」

「勉強はできる家臣に任せるのが王様だし……」

「そういう王を何と言うか知ってるか? 最低最悪の愚王だ!」

「じゃあさ! せめて王様に必要な歴史の勉強とかに……」

「全! 教科だ! 決まってるだろ!」

 

 ぎゃーぎゃー言ってるそんな二人を横目に見つつ、マシュは首を傾げた。

 

「その、思った以上に仲がよろしいというか……」

「ええ、そうね。私もちょっとびっくりしたけど」

 

 テキストを広げながら、ツクヨミがちらりとそちらを見る。

 

 アガルタ攻略は恙なく終了した。ゲイツのマジーンが回収した人間たちは無事地上に届けられ、崩落したアガルタの破片が大きな被害を出さなかった事も確認済みだ。

 今は特異点修復による予後観察の最中。そうなってしまえば彼女たちにできることもないので、こうして勉強会が再び開かれる運びになったのだが。

 

「ま、仲がいいに越した事はないんじゃないかネ?」

 

 モリアーティが教鞭を軽く振りながら髭を撫でる。

 

 タイムマジーンでカルデアに乗り込み、ウォッチをソウゴに突き返しに来たゲイツ。そんな彼はこの場でいつも通りに寝落ちしてたソウゴを見つけ、我慢ならないとばかりに叩き起こした。

 そんな風にゲイツに付き纏われては、ソウゴには寝る暇もない。うつらうつらとしながら、何とか勉強をさせられる事になってしまった。

 モリアーティが見る限りゲイツの学力に問題はないし、任せてしまっていいだろう。

 

 二人を眺めつつ、立香がマシュに問う。

 

「ちなみにオルタは?」

「オルタさんは前のように図書館を使っておひとりで自習されてます。あと、アストルフォさんは何故かイリヤさんたちと一緒に……デオンさんはそのお守りする、と」

 

 不思議そうにしているマシュに対し、重ねて質問するツクヨミ。

 そんな質問に対して答えを返すのはモリアーティ。

 

「アルトリアは?」

「彼女は一通りカルデアを回る、と言ってふらふらしているようだネ」

 

 そうして幾つか言葉を交わしつつ。

 軽く深呼吸しながら、立香は両手を組んで軽く伸ばした。

 

「んー、じゃあ今日も始めよっか!」

「はい! 今日はカルデアのアーカイブから、千夜一夜物語(アラビアンナイト)のデータを引き出してきました! 原点の時点であったとされる物語と、後から付け足されたとされる物語。これらを皆さんで読み解いていきたいと思います!」

「だ、そうだ」

 

 立香の声に即座に応えるマシュ。

 肩を竦めるモリアーティの横を飛び出し、彼女が手際よく配布し始める資料。

 それを見て、おお、と感嘆の息が漏れる。

 

 横で繰り広げられる光景を見て、突っ伏したソウゴが弱々しく呟く。

 

「ねえゲイツ、俺もあっちがいいんだけど……」

「黙れジオウ! そんな事は最低限の課題を終わらせてから言え!」

 

 頭を叩くゲイツの持った丸めたテキスト。

 その一撃に顔を落とし、ソウゴは深々と溜め息を吐き落とした。

 

 

 

 

 

「かくして―――」

 

 そんな事が行われているカルデアの一室の外で、歩み出す黒ウォズ。

 彼の歩みに合わせて周囲が黒く染まる。

 

 そうして進めば現れる大時計の前で彼は足を止めて。

 しかしその次の瞬間、その場が白く染まった。

 

「かくして。アガルタの戦いを制した明光院ゲイツはファイズの力を手に入れ、魔王を打倒するための一歩を踏み出した」

「…………」

 

 反対側から歩んでくる白ウォズに合わせて、白い光が背景を染めていく。

 未来ノートを手に滔々と語る白いのを見て、目を細める黒ウォズ。

 すぐに逢魔降臨暦を開き、黒ウォズもまた語り出す。

 

「次の戦いは西暦1639年の日本、下総国。

 その地で手に入れるレジェンドの力は仮面ライダーキバ……」

 

 言葉と共に周囲に張り巡らされる運命の鎖(カテナ)

 黒い背景に浮かびあがるのは銀色の鎧と、金色の眼光。

 闇夜に潜む吸血鬼のように、それを従える王のように、君臨する威容。

 

 そんな姿が白と黒に蠢く背景に揺られて、影を帯びる。

 微かに見えるのは、吸血鬼と相反する白い聖騎士のような姿。

 それが―――

 

「そして、もう一人」

 

 白ウォズの声と共に紫煙に塗り潰されていく。

 代わりに現れるのは、紫色の忍装束。

 手裏剣を思わせる形状の面頬に、腿まで伸びた紫のマフラー。

 

 そんな戦士のマフラーが、無風だったはずのこの空間で突然はためいた。

 なびく布の向こうに見えるのは、翼を広げたような姿の青い戦士。

 

 白ウォズが微笑み、黒ウォズが顔を顰める。

 

「救世主、ゲイツリバイブを導くための未来の戦士―――」

 

 彼の名を告げようとしながら、白ウォズがゆるりと手を伸ばして。

 その瞬間。

 

 ばつん、と。

 まるで照明が突然落とされたように、二人のいる空間から光が消えた。

 

 そのまま数秒後、闇の中で明滅する桜色の光。

 そこから更に数秒、再び何度か明かりが点滅して。

 

 そうして、闇の中にはただ。

 『NEWS✿BB』と。

 そう映し出された液晶画面だけが残された。

 

 

 




 
 くぅ疲。原作に対して変に話を盛ろうとすると無駄に難易度上がるってそれ一番言われてるから。学習しろ。

 次はCCC→下総国→セイレム→エグゼイドになると考えられる。
 この辺りは月姫次第でしょう(適当)

 CCCの後に明治維新入れるかもしれません。下総の後でもいいかも。オール信長もそこに混ざるでしょう。あとそこに龍馬と高杉と斎藤をぶちこめー。もっと盛るペコー。
 


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亜種特異点B-Ⅲ/E-L:天聖楽土決戦 SE.RA.PH2030
セラフィックス2017


 

 

 

「…………」

 

 己の顎に手を添えて、難しい顔を浮かべている黒ウォズ。

 

 彼は一体どれほどそうしていたのか。

 ふと何かに気付いたように顔を上げて、軽く顔を持ち上げた。

 そうして小脇に抱えていた本を開き、彼はゆっくりと喋り始める。

 

「―――この本によれば……普通の高校生、常磐ソウゴ。彼には魔王にして時の王者、オーマジオウとなる未来が待っていた。

 そんな中、西暦2000年における地底帝国アガルタでの戦いでは、仮面ライダーファイズの力を継承し損ねてしまったのですが……まあ、大した問題ではないでしょう。

 ファイズの力を手に入れたのは明光院ゲイツ。彼からその力を奪い取る事など、造作もない」

 

 黒ウォズが背にした闇の中に浮かび上がる赤い戦士、仮面ライダーゲイツ。

 ファイズの力、ファイズアーマーを纏う彼の姿。

 それを一瞥した黒ウォズは、さっさと視線を外して手にした本に目を移す。

 

「そんな事よりも、次の戦いは……」

 

 ザ、と。周囲にノイズが走る。

 その異常事態に目を眇めて、彼は背にした大時計の方へと視線を送った。

 いつの間にかそこにある液晶画面。映し出された『NEWS✿BB』の文字。

 

 待つ事数秒、ただ文字だけ浮かべて桜色の砂嵐を映す画面。

 そんな状況に肩を竦めて、黒ウォズは正面に向き直る。

 

「どうやら、何か別の問題が現れたようです。

 申し訳ありませんが、しばしこの閑話にお付き合いして頂くしかないようだ」

 

 ぱたんと閉じられる本。

 彼は本を抱え直し、闇の中に歩き出す。

 

 それを契機に周囲に溢れ出す黒い影。

 地面から染み出すように出現する、128体のヒトガタ。

 本能に突き動かされ蠢く影たち。

 

 彼らを泰然と見下ろすのは救世主たりえなかったモノ。

 白く、黄金に、妖しく、堂々と。

 

 その者の声が届く時、聖杯戦争の鐘が鳴る。

 始まる前に終わっていた、最も強大な者たちが競う最終戦争。

 戦いの勝利者に与えられるのは、最大の聖杯。

 

 生存に、自己という存在にしがみ付く、弱きものの慟哭こそが開幕を告げる。

 

 ―――さあ、聖杯戦争を始めよう。

 

 

 

 

 

「セラフィックス?」

「はい。天体科(アニムスフィア)の大きな資金源、北海にある海洋油田基地だそうです」

 

 頭から三角巾を外しながら、サファイアの声に美遊が小さく頷いた。

 

 彼女がテーブルに置いた焼きたてのクッキー。

 それを見つめていて、話を聞いている様子がないクロエとアストルフォ。

 そんな二人をジト目で見つつ、少女はサファイアに再度問いかけた。

 

「……それを解体、というか売却する?」

「という方向で話を進めているらしいですが」

 

 どうにもオルガマリーの様子が忙しそうに見えたのは、身辺整理のためらしい。

 色々な処理を引き延ばしにしてはいるが、何も進めないわけにはいかないようだ。

 

 人理焼却の発生を許した事によって大きな負債を背負ったアニムスフィア。

 当時招集されたマスターたちも、未だに凍結処理されたままだ。

 彼女はこの件について徐々に進めつつ、1年程度の時間を稼ぐつもりらしい。

 最終的な着地点こそまだ見えていないが、いい話にはならないだろう。

 

 難しい顔をしてそれを聞いていた美遊。

 そんな彼女を見ながら、勝手にクッキーを食べつつクロが声をあげた。

 

「なーんか忙しそうよねぇ、これ持って行ってあげれば?」

「じゃあボクがマスターに持っていくよ!」

 

 つまんでいたクッキーを口に放り込み、指を舐め。

 ぴょい、と勢いよく皿ごと持ち上げるアストルフォ。

 

 あー、と。クロエが伸ばした手が空を切り、獲物に逃げられた事を嘆く声。

 全部とは言っていない、と少女は抗議の視線を向ける。

 

「……そのまま全部持って行っていい。また焼くから」

「そう? じゃあ他のみんなにも配ってくるねー!」

 

 溜め息混じりに美遊にそう言われ、アストルフォが走り出す。

 瞬く間に食堂から消える騎士の姿。

 

 それを口惜しげに見送って、クロが頬を膨らませた。

 

「もう、まだ食べたりないのに」

「すぐにまた作るから」

 

 外したばかりの三角巾を付け直し、キッチンに戻る美遊。

 そんな少女の視線がふと泳ぎ、考え込むような姿勢を見せた。

 

「どしたの?」

「……林檎、余ってるなって」

 

 妙に林檎が多いのは何故だろう。

 既に退去したサーヴァントの中に好きな者がいたのだろうか。

 そこまでは把握していないが、せっかくなら使ってしまおうか。

 そう考えて、少女は手際よくアップルパイのための材料を揃え始めた。

 

 

 

 

 

「それでパッと焼いちゃうのは流石ミユ……!」

 

 出来立てのアップルパイを頬張りつつ、美遊を褒め称えるイリヤ。美遊は彼女から送られた言葉が当然の事のように頷いた。美遊が小学生とは思えぬスキルに称賛を送られるのは常だが、彼女はイリヤからの賛辞には特に胸を張る。

 

 そんな少女たちのやり取りを眺めつつ、パイを齧るオルタ。控えめな甘さのパイとはいえ、甘味を口にしているとは思えぬ苦々しい顔。

 それを見止め、デオンは軽い口調で問いかけた。

 

「随分と気分の悪そうな顔だね」

「別に。子供と林檎が揃うと変な気分になるってだけよ」

「よく分からないが、たぶん自業自得なのだろうね。私は笑えばいいかい?」

 

 にこりと笑いながら問いかけるデオン。

 睨み返すジャンヌ・オルタからの視線などものともせず。

 

 二人のやりとりを見つつ、大皿からパイを取り上げるソウゴ。

 そうしながら、彼は不思議そうに問う。

 

「二人ってさ、仲良いの? 悪いの?」

「特段、良くも悪くもないよ」

「悪いわよ、最悪。これ以上ないくらい最低最悪よ」

「おい、ジオウ。お前は食べたらさっさと戻れ。まだ課題は終わってないぞ」

 

 椅子にどかりと座り、苛立たしげに声を上げるゲイツ。

 勉強するには甘い物が必要だ、という言い訳を聞いて仕方なく離席を許したが、まだソウゴに与えられた今日の課題は終わっていない。少し休憩したらまた勉強だ。

 

 それを聞いて嫌そうに机に突っ伏すソウゴ。

 

「そーゆーアンタらこそ、仲良いの? 悪いの? 敵なんでしょ?」

 

 彼らの様子を見て、からかうようにオルタが言う。

 すぐさまむっとした表情を見せるゲイツ。

 

「当然、最悪だ。俺はこの男がオーマジオウになるかどうかを見極めるため、ここでこうしているだけだ。その片鱗を見つけたら敵として倒すためにな……」

「だってさ」

 

 きっぱりと言い切るゲイツに、その言葉に乗るソウゴ。

 さくっと鼻で笑い、背もたれに体重をかけるジャンヌ・オルタ。

 その反応にゲイツが軽く眉を吊り上げた。

 

 眉をいからせたまま、ゲイツが皿のパイをひったくって口にする。

 そうして、先程とは違う理由で眉を上げる。

 

「美味いな……甘さもくどくない。これならツクヨミもいけるんじゃないか?」

 

 そう言ってツクヨミの方に視線を向けるゲイツ。甘いものが苦手、という嗜好を知っていた彼からの視線に対して頷き、ツクヨミは普通にそれを口にした。

 

「ええ、大丈夫。ありがとうね、美遊」

「はい」

 

 ツクヨミからの言葉を受け取ってから、少女自身も手を付け始める。

 そうして久方ぶりに賑やかになる食堂の中。

 

 後に控えた勉強という大敵に憂鬱になりつつも、ソウゴが一口パイを齧った。

 間違いなく美味しい。勉学に疲労した頭脳に染み渡る糖分。

 その甘味と酸味に感心しながら、ソウゴはゆるりと天井を見上げる。

 

「……この丁度いい甘さと酸っぱさ。どこか懐かしいような」

「なにが?」

 

 問いかける立香の声に、何故か立ち上がるソウゴ。

 疑問符を浮かべつつ視線で追えば、彼は滔々と妙な事を口走る。

 

「これは、そう……初恋の味……」

「何言いだしたの、こいつ」

 

 壊れた? という視線を向けるオルタ。

 そんな彼の様子に、不思議そうに首を傾げる立香。

 

「ソウゴ、初恋した事あったんだ」

「聞きたい? ねえ聞きたい?」

 

 訊かれるや否や、すぐさま振り向いて楽しげに言い募るソウゴ。

 

「聞きたい聞きたい!」 

「聞きたいわけがあるか、大人しく座って食事しろ」

 

 囃し立てるクロエに、即座にその声を遮るゲイツ。

 だがそんな意見は聞こえないとばかりに、ソウゴは話を続けてみせる。

 

「あれはそう……俺が子供の頃、公園で一人で遊んでいた時の話―――」

「聞きたくないと言ってるだろ……! お前が話を聞け!」

 

 子供の頃の思い出を楽しげに語るソウゴ。そんな彼に突っかかりに行くゲイツ。

 

 イリヤはそうしたやり取りを眺めつつ、口に入れたパイを嚥下して。

 ふと誰かの顔を思い描くように、虚空を見上げた。

 

「初恋かぁ……」

「わたしの初恋はやっぱりお兄ちゃんカナ……って顔してますね、イリヤさん」

「いちいち言わなくていいから!」

 

 叩こうとすれば逃げるルビー。

 射程距離から逃れたステッキを前に、茶化された少女がぐぬぬとパイを齧る。

 

 そんな光景を眺めながら、立香はほうと息を吐いた。

 

 

 

 

 

「はいはーい! クッキーに続いてアップルパイも貰ってきたよーう!

 欲しい人は手を挙げてー! どんどん配っていくよー!」

 

 管制室に侵入するや否や、アストルフォは腕をぶんぶんと振り回した。

 なんだこいつ、という視線がオルガマリーから飛ぶ。が、効いた様子はない。

 

 彼が飛び込んでくると同時に、手にした大皿から二切れ分パイが消える。

 それを手にしているのはアルトリア。

 彼女は周囲を気にする事もなく、当然のように食べ始めた。

 

「あー、その、あれだ。俺、食いたいけど、いまちょっと手が塞がっててさぁー! いやー、どうにかならねえかなぁー!」

「そう? じゃあ口開けてー、あーんしてー」

「え、マジ!? やった、あーん!!!」

「はい召し上がれー!」

 

 仕事中である事を理由に、両手が使えないとわざとらしいくらいに嘆く男。そんな彼の口の中に勢いよく突っ込まれるアップルパイ。勢いよく叩き込まれた事で、椅子から転げてひっくり返るミスター。彼は倒れて背中を強かに打ち付け、そのままの勢いで後ろに一回転した。

 その有様でありながら、不思議な事に眼鏡の男はどこか幸せそうにノックアウトされている。特殊な趣味らしい謎の男をそのままに、アストルフォは他へと回り出す。

 

「他に食べたい人ー!」

「……ええと、ムニエルさんはあのままでいいのでしょうか」

「まぁ、Dr.ロマニにとってのマギ☆マリみたいなものなのだろう。いちいち突っ込んであげるのも野暮というものさ」

 

 転がっている謎の男、ムニエル。彼の惨状を見て、どうしたものかとマシュが困惑する。

 ほっとけ、と直球で言い捨てるのはモリアーティ。

 

「それは違う! ボクがマギ☆マリに向ける感情はもっと純粋な人生相談的なものであって、そういう倒錯した趣味があるとかそういうんじゃないから!

 人理が修復されてからというもの、更新間隔だって短くなっているんだぞう!」

 

 すぐさまどうでもいい部分に反応を示すロマニ。

 そう。人理焼却中は恐らくAIが自動更新していただろうネットアイドル、マギ☆マリ。人理が正されてからというもの、更新速度が目に見えて上がったのだ。まるで他所でやってた宮廷仕えの仕事を終えて暇ができたとでも言わんばかりに。

 マギ☆マリの更新速度は、人理が救われて得られた目に見える戦果と言っていいはずだ。

 

 そんな主張をしているロマニを見て、ふとアルトリアがマシュの頭の上にいるフォウに視線を送る。だが獣は何の理解も示さず、不思議そうに首を傾げるばかりである。

 

「……アレの事はともかくとして、少し休憩を挟みましょうか。どうせセラフィックスからの返信もまだないのでしょう?」

「はい……定時連絡に合わせたオルガマリー所長からの緊急コールに応えない、なんて。少し、考えにくいのですが」

 

 色々な意味で心配である、と顔を曇らせる通信士。

 

 カルデアとセラフィックスの定時連絡。それに合わせて今後どうするかを相談するため、オーナーであるオルガマリー直々の通達だ。その一次連絡を入れてから、もう8時間は経つ。だというのに連絡一つ帰ってこないとは、どうにもおかしい。

 

 協会からの帰りに一度顔を出すべきだったか、とオルガマリーは深々と溜息を一つ。

 

「……仕方ないわね。最悪、わたしが直接―――」

『―――――――――』

 

 ノイズ。繋いでいた通信機器から、擦れた音が漏れてくる。

 おや、とその事実に通信士が表情を変えた。

 

「オルガマリー所長、ちょうどセラフィックスとの通信が繋がりました。

 向こうが回線を開いたようです。映像、音声ともに―――」

 

 ザ、と。シバにより管制されたモニターに映る、ノイズと黒一色の画面。

 管制室の大画面に映し出された異常な状況。

 セラフィックスからの映像はやってこない。目の前にはただノイズの嵐。

 

「これ、は」

 

 カルデア側。つまり観測レンズ・シバが故障している可能性はない。

 そんな事になれば、カルデア内の状況すら把握できなくなっているはずだ。

 だからこれは、セラフィックス側の問題。

 

 長々と通信が繋がらなかったのは、機器が故障していたからだった。

 普通に考えれば、ただそれだけの話であり―――

 

『――――――けて』

 

 小さく、声が聞こえた。

 

「……! 音声レベルを最大値へ上げてくれ、いま何か―――」

 

 ロマニの声に、通信士がすぐに設定を操作する。

 同時に、その場の全員が口を噤み息を呑んだ。

 そんな無音の管制室に響くのは、悲痛な声。

 

『――――S―――O―――S―――きこえ、ますか―――どうか―――拾って。

 ―――わからない―――なんで、こんなコト、に―――みんな―――だれかが―――みんな、が、わたし、に―――たす、けて―――たすけて、だれか。みんな―――みんな、データに、かわってく―――たす――――けて』

 

 助けを呼ぶ声。迫る終末から逃れるため、足掻く声。

 同時に大きくなったノイズが、その悲鳴を塗り潰していく。

 感情のままの声と無機質なノイズが混ざり合い、生み出される不協和音。

 

『―――だれか、たすけて―――――やだ、いやだ――――きえ、たくない――――わた、わたしは――――じぶんの、ままで―――――――いたい――――――のに』

 

 それがぷつりと、唐突に消え去った。

 

 帰ってくる静寂。しん、と静まった管制室。

 セイバーが壁に背を預け、ライダーを視線で制する。

 静止させられた彼は不満げに、しかしそこで一応動きを止めた。

 

 努めて、呼吸を整えて、司令官が真っ先に声を張り上げる。

 

「現時刻をもって警戒態勢を発令。我々はこれより、魔神残党による特異点発生の可能性を考慮して行動します。全マスター、サーヴァントを管制室に集合させて。

 セラフィックスへの呼び掛けを続行しつつ―――カルデアスで地球上にあるセラフィックスの灯りを確認しなさい。内部の状況が分からなくても、外から分かる何かがあるかもしれないわ」

 

 管制室の空気が変わる。すぐさま動き出すカルデアの人員。

 そのトップであるロマニ・アーキマンが、彼女の指令に対して即座に答えた。

 

「了解しました、所長。マシュ、立香ちゃんたちへの連絡を。マスターとしての装備を整え、管制室に集合するようにと。

 アストルフォ、キミはダ・ヴィンチちゃんを工房から引っ張ってきてくれ」

「はい!」

「りょーかい!」

 

 飛び出していくマシュとアストルフォ。

 それを見送りつつ、腕を胸の前で組んで顔を顰めるオルガマリー。

 

 国連への連絡も必要だ。

 状況は判然としないが、とにかく連絡を飛ばす必要がある。

 

「国連へ緊急連絡、わたしに繋ぎなさい」

「了―――」

『あー、テステス。マイクの感度はバッチリですか? バッチリ? ちゃんとカルデアに届いています?』

 

 ノイズが上書きされる。

 音質はめいっぱい、澄み渡るほどのクリアサウンド。

 同時に、画面まで黒一色から桜色に変わっていく。

 

 聞こえてくるのは楽しげな少女の声。

 わけが分からない事態を前に、ざわめく管制官たち。

 

「な、全隔壁閉鎖……!? 外部への通信遮断―――! カルデアの全コントロールが奪われました……! こんな……!? 超A級のウィザードだってこんな易々とカルデアの防壁(セキュリティ)を突破できるはずが――――!」

 

 国連へのコールが遮断され、それどころかカルデアの隔壁が降ろされる。

 悲鳴のように轟く隔壁が下りる音。

 

 誰の命令もないままに発令される緊急事態。

 レフ・ライノールによる爆破か、或いは時間神殿との決戦か。

 そんな事態でのみ発動していたカルデアの最終防壁が、弄ばれるように続々と起動。

 カルデアの状況表示が、瞬く間に赤色一色に染まっていく。

 

「なによ、これ―――!?」

『BB―――――、チャンネル―――――――!』

 

 “ now hacking...”

 いっそからかうような、電子の世界における大侵略宣言。

 全ての画面がその文字を経て、一様に彼女の支配下に取り込まれた。

 

 映し出される特設スタジオ。

 そこは彼女のために存在する、隔離されたセクター。

 背景はまるでニュース番組のセットのようだ。

 カルデアのモニターは、そんな中に立つ一人の少女を映し出した。

 

『はーい。人類のみなさん、こんにちはー! こーんにーちはー!

 あいかわらずお間抜けな顔をさらしていますねー?』

 

 身の丈ほど伸ばした紫色の長髪が躍る。

 姿を現したのは、髪と胸元で赤いリボンを揺らす黒衣の少女。

 彼女はカルデアの全てを支配しながら、にこやかに微笑む。

 

『突然油を流し込まれた蟻の巣みたいに盛り上がってますかー? パニックな導入からカタストロフがフェードイン、見たいものではなく見せたいもので編成される事で御馴染み、刺激に満ちた生活には欠かせないカンファー、BBチャンネルのお時間です!

 この放送は月の支配者ことわたし、違法上級AI・BBの手でお送りしまーす!』

 

 手を振るBBと名乗った少女。

 これは一体どんな状況なのか、と眉がきつく吊り上がるオルガマリー。

 

「どうなってるの! これがまさかセラフィックスからの通信なんて言わないでしょうね!?」

「い、いえ、恐らくは―――先程の通信と同じ位置、セラフィックスからの通信と思われます、が……! 通信先の存在が確認できません……!」

「しょ、所長……カルデアスにセラフィックスの灯りが確認できません! セラフィックスがあった痕跡すら、観測できません……!」

 

 セラフィックスは海洋油田基地、北海に浮かぶ文明の灯りだ。

 海にぽつんと漂う灯りが見つからない、なんてありえない。

 もし事故で爆発でもして全滅したとしても、見つけられないはずがない。

 その痕跡すらも一分も残らないなんてありえないのだから。

 

 オルガマリーが画面を見据え、そこにいる少女を睨む。

 

「あなたの仕業……!?」

『残念ながら違います。むしろ立場的には逆と言えるでしょう。わたしはどちらかというと、救いの手を差し伸べにきたのです』

 

 理解が遅い事を嘆くように、溜め息混じりにそう言い放つ少女。

 その反応により強く吊り上がるオルガマリーの眉。

 ロマニが落ち着いてくれ、という視線を送るが彼女の体温は上がる一方だ。

 

「……何故、そんな事をしに?」

『何故、ですか。んー……まあそこはそれ、わたしの中でなにがしか、“こうしてあげよう”と思うに足る理由があったのでしょう』

 

 ふらふらと視線を彷徨わせいていたBB。

 彼女はふと、途中で視線を動かす事を止めて何かを見た。

 管制室の何かを見ているのではない。

 彼女は恐らく、カルデア全域を観測しているシバを視界として使っている。

 であれば、管制室以外のどこかを見ているのだろう。

 

『……そして、何故こんな事ができたのかといえば―――わたしがチートキャラだからなのです! 人間とはそもそも規格(スペック)が違うので、人間基準での説明ではそうとしか言えません』

 

 画面の中でBBが片腕を振るう。虚空で跳ねる何かの反応。

 

 その直後、微かな足音を察してアルトリアが視線を管制室入口に移す。

 数秒後、そこが開いて入ってくるのはダ・ヴィンチちゃんとアストルフォ。

 続いて立香とマシュ、その後ろからソウゴ。

 マスターたちはレイシフトの準備を完了した状態での入室だ。

 

 何故か隔壁が開いた事でルートができ、ここまで来れた者たち。

 他の者たちは隔壁に阻まれ、ここに来ることすらできない。

 隔壁を力尽くで壊す事はできるが、現状でそれを選ぶわけにもいかないだろう。

 

 ダ・ヴィンチちゃんがすぐにロマニの方に行き、状況を検め始める。

 が、すぐに彼女の顔は陰りを帯びた。

 天才のその反応だけで、現状がどれほどのものかよく理解できるというもの。

 

 BBの声はカルデア全体に届いていた。

 状況はおおよそ理解できている、と。立香とソウゴはオルガマリーに頷いてみせる。

 

 そんな彼らの登場を見て、笑みを深めるBB。

 そうした彼女が一瞬だけアストルフォを見て、すぐに視線を逸らす。

 

「うん……?」

『―――世が世ならこの辺りまで、かわいいかわいいBBちゃんのボイスが付いていた事でしょうが、残念ながらここではそうもいきません。

 さて、では本題に入りましょう。恐らくはみなさんの目には、わたしが突然顔を見せた怪しい小悪魔系後輩型美少女AIに見えているでしょうが、それだけではありません!』

「小悪魔系で後輩型なの?」

『それはもう、見ての通り!』

 

 不思議そうに問いかけてきたソウゴに対し、自信満々な返答。

 小悪魔系で後輩型というAIは、その勢いのまま話を続ける。

 

『何故わたしがカルデアのみなさんに顔を見せたかというとですね。ぶっちゃけますと、油田基地セラフィックスからのSOSをあなたたちに中継してさしあげているのです! さっきの声とかですね!』

「SOS……セラフィックスからの?」

『はい。セラフィックスがその時代から消えている事は確認済みでしょう? それ、A.D.2030年のマリアナ海溝を絶賛沈降中です。詳細な位置を送信しますので、観測してみてください』

「は?」

 

 BBが片手を動かせば、画面内に点滅するメールのアイコン。

 情報が送られた、と分かりやすく通達するためのサイン。

 通信士がオルガマリーを窺えば、唖然としていた彼女は軽く唇を噛んで頷いた。

 

「……シバの調節を。言われた通りの時代を観測してみて」

「了解しました――――っ、あります、セラフィックスの反応と……特異点反応を観測!」

 

 空気が冷える。

 カルデア関連施設に異常が発生した上、特異点反応。

 普通に考えればこれは、魔神からの攻撃だろう。

 

 であるならば、彼女たちの選択肢は決まっている。

 

『このまま行けば、なんとセラフィックスは深度1万メートルまで到達して圧壊。憐れ、海の藻屑となってしまう事でしょう!

 そんな事は許せなそうなあなたたちのために、この情報をいち早く伝達しにきた仕事の早いBBちゃんは、流石はNo.1後輩系上級AI! という称賛を免れない!』

「……これが魔神の仕業であり、あなたは魔神の手先である。そうではないという保証は?」

 

 聞いた所でどうしようもないとしても、問いかけるオルガマリー。

 彼女はそれをどうでもよさげに、指を口許に当てて首をひねる。

 

『うーん、難しいですね。いえ、真相を先に全部話してしまえばいいんですけど、そういうのは全部終わった後にやるのがわたしの使命、っていうか。全てを公開するのはシナリオの終わり、っていうのがマナーみたいなところあるじゃないですか?』

「……じゃあ、言える部分はどのくらいあるの? そこ、全部教えて欲しいんだけど」

 

 立香からの質問に対し、少し考え込む姿勢。

 

『―――そうですねえ、せっかくの()()()()からのお願いです。ある程度でしたら、お話しても構いませんよ。ただまあ、あなたたちに、というかあなたたちの敵に情報が流れる危険性の排除、という意味合いの方が強いので、やっぱり詳しい事は話せませんけど』

「―――――!」

 

 強い反応を示すマシュ・キリエライト。

 それどころじゃないから、と隣のロマニがどうどうと彼女を抑える。

 

 立香が一度頷いて、BBに対して問いかける。

 

「あなたと魔神は敵?」

『いいえ? 発端である魔神ゼパルは既に消滅しました。この問題が継続しているのは、彼が呼んだ存在の手によるものです』

 

 は、と。オルガマリーが間の抜けた声を出す。

 魔神が消滅している。じゃあこれは一体何なんだ、と。

 

 立香が腕を組み、振り返りモリアーティを見る。

 肩を竦めた彼が引き続き質問を飛ばす。

 

「この問題が継続している、と君は言った。だが発端である魔神は消滅しているという。では仮に特異点化したセラフィックスを見過ごしたとして、何か影響は出るのかネ?」

『ええ、もちろん。特異点と化したセラフィックスにおいて行われているのは聖杯戦争。128騎のサーヴァントが血で血を洗う殺戮劇。

 何故そうなったか、なんて話に今更意味はありません。それに納得できようと、できまいと、勝者が決まった時点で、どうあれ2030年で人類は滅亡してしまうでしょう』

「滅亡、ですって?」

 

 オルガマリーが唖然とする。

 だって、カルデアスはそうならないようにするためのものだ。

 

 カルデアスにそんな反応はない。100年先、いまは確かに文明の灯りが継続している。だからこそ、つい先程もシバが2030年の反応を観測できたのだから。

 人理焼却のようなイカサマはそう簡単に成立しない。あれはグランドキャスターの皮を被ったビーストであったゲーティアだからこそ、達成できた不意打ちだ。

 

 モリアーティが片目を瞑り、顎を撫でる。

 

「随分と飛躍したものだ。特異点一つで易々と人類が滅ぼせるのであれば、私やバアル……シェヘラザードとフェニクスはああも苦労していないのだがネ」

『信じない、というならそれでも構いません。カルデアスの観測ではそんな未来は存在しない? 人理はそんなに柔くない? そんなわたあめみたいに甘くてふわふわした、おめでたい考えをお持ちであるのならそれで結構。

 カルデアのコントロールはお返ししますので、そのうち深海魚の餌になるだろうセラフィックス職員たちのお葬式の準備でも始めてください』

 

 嘲笑うように、BBの眼が微かに赤く光を灯す。

 その反応を見て、モリアーティが僅かに目を細くした。

 

「じゃあ、何でそれで人類が滅びるの?」

『このまま行けばどんなカタチでの決着にしろ、一つだけ決まっている事があります。“人間”は残るでしょう。ですが、“人類”は残らない。わたしから言える事はそのくらいです』

 

 ソウゴからの問いにBBは笑みを深くし、そう答える。

 

『……もしあなたたちがこの戦いに参加しようとしても、あなた方に参戦の権利はありません。何故なら枠は既に全席埋まっている。もし参加したいのであれば、不正に乱入するしかない』

「不正に乱入、ですって?」

『ええ。そもそもあなた方の技術力では未来へのレイシフトはできないでしょう? タイムマシンで追いつけるならそれでもいいですけど?』

 

 少女の腕が画面を揺らし、カルデアの一画を映し出す。

 待機状態で置かれているタイムマジーン。だがあれでは2030年に行けたとしても、特異点化しているセラフィックスに乗り込めるかは不明だ。

 今までの事を考えれば、乗り込めないと考えるのが自然だろうが。

 

 彼女の言う通り、カルデアでは未来へのレイシフトは行えない。

 存在を実証し続ける事ができないのだ。

 カルデアという機関は未来を保障するためのものだが、実証する事などできはしない。

 それはつまり、カルデアではこの問題に対処できないという現実であり―――

 

「―――――」

『どうぞお気になさらず。そんな情けなーい人類のみなさんのために、わたしがここにこうしているわけなんですから。未来へのレイシフトも、セラフィックスへの上陸ルートも、わたしがきっちり整えましょう。ただもちろん、それを行うための条件はあります。普通なら騙し討ちにするところですが、今のわたしは導入からネタバレまでそこそこ自由に話せてしまう、やんちゃな家猫くらいの自由度はあるナビゲーター。きっちりとお話しておきましょう。

 ―――カルデアから乱入できるマスターは2名まで。サーヴァントは現地調達して頂く以外に認められません』

「は?」

 

 こいつは何を言っているんだ、と。

 そう声を荒げようとしたオルガマリーの前で、制するようにBBが手を挙げた。

 ふざけているように見えて、しかし何一つ彼女の言葉に嘘はないと宣誓するような瞳で。

 

『別に意地悪しているわけではないんです。純粋にそれ以外に手がないだけ。むしろこの状況でそれだけのリソースを確保したBBちゃんに労いの言葉があって然るべきだと思いまーす』

 

 そう言ってぷくーと頬を膨らませるBB。

 あらゆる問題を考慮して、マスター二人が限界だと彼女は断じた。

 超級の違法改造AIである彼女の計算能力とあざとさに疑いの余地はない。

 

 様々な事情が絡み合っている現状、それがギリギリのラインだ。

 この点に限って、嫌がらせとかそういう意図は一切ない。

 ただ純然たる事実として、その程度の細さの糸しか差し込めないというだけ。

 最初から、それだけ詰んだ状況だ、というだけの話。

 

「そうなんだ」

「お疲れ様?」

『素直! まあ、これでも結構な努力をしているのは事実なので受け取っておきましょう』

 

 へえ、と。感心しきるソウゴと立香からの言葉を受けて。

 BBが目に浮かべた赤い光を消して、何とも言えない表情を浮かべた。

 

『ナビゲーターとして断言しますが、それ以上の人員でレイシフトを行えばその時点で全滅。わたしも処分される事でしょう。単純に、そういう状況だとご理解いただくほかないのです。

 ―――さて、長々と話したところでこれ以上の情報はわたしからは出しません。あなた方はいつも通りに、状況も分からないまま敵地に乗り込み、行動するしかありません。

 わたしが問いかけるのはただ一点。セラフィックスの職員や、2030年以降の人類なんていうその他大勢のみなさんたちのために、ここで命を懸けられますか? という事だけです。

 否と答えるごく普通の一般的感性をお持ちの方なら、ここでさようなら。是と答えるちょーっと頭のネジが何本か外れた、将来が心配になるような方であれば―――』

 

 黒衣を纏った桜色の少女がくるりと回る。途端、カルデア側で一斉に計器が動き出す。

 BBに掌握されたシステムが、セラフィックスへのレイシフトの準備を整えていく、

 

「レオナルド……!」

「―――――」

 

 声をかけたロマニの方から、天才は無理だと口にしたくないのだと理解した。

 阻めない。BBからの干渉をカルデアは止める術を持たない。

 純粋に技術力、マシンパワーの問題。

 カルデアの演算能力では、月の海からのハッキングに対抗できない。

 

 着々と完了していく準備。

 遥か未来からそれを整えながら、BBは柔らかく微笑む。

 そうして、わざわざこの場に導いたマスター二人を見て宣言した。

 

『わたしが、戦いの舞台へと連れて行ってさしあげましょう!』

 

 

 





 ゼパゼパゼパ~
 ゼパパゼパ~
 ゼパゼパゼパパパゼパゼパパ~

 奴はもう死んだジオ。
 


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開戦2030/B

 

 

 

 ある寒い日の事だった。

 時間にすれば、ほんの一瞬の事だったと思う。

 いや、その時間が本当に実在したかすら定かじゃない。

 

 ただ、確かに。

 一人佇む、女の姿を見た。

 

 凛と立つ、けれど寂しそうな姿を見て。

 抜き身の刃を手に、ひとりぼっちの彼女を見て。

 

 俺は、選ぶべき道を決めたのだと思う。

 

 

 

 

 

『―――ようこそ、外来の皆さん。ここは霊子虚構世界(りょうしきょこうせかい)・SERIAL PHANTASM。通称、SE.RA.PH(セラフ)。電脳空間に設けられた、快楽浄土です』

 

 意識が帰ってくる。

 レイシフトの衝撃にここまで酔うのは初めてかもしれない。

 深呼吸をしながら周囲を見回せば、青い光景。

 時折、背景を過ぎ去っていくあぶく。まるで海の中のようだ。

 

『皆さんは世界を救うため、SE.RA.PHへと集った128人の勇者たち。

 世界を救うための万能の力、月の聖杯(ムーンセル)に手が届くまで後少し。

 崇高な目的のため、清廉な意志の許に、貴方たちは奇跡に指をかけた』

 

 背景も足場も同じ、澄んだ青色。

 方眼紙みたいな区切りだけが、足場と背景の境界を知らせてくれる。

 そんな世界に投げ出され、立香は頭を振りながら立ち上がった。

 

『ですが、残念なお知らせがひとつ。最後まで昇り詰める事ができるのはただひとり。貴方がたが目的とした奇跡を手にする事ができるのは、ただひとりだけ。であれば、やらねばならない事はただひとつ。

 最後のひとりだけが、願いを叶える事ができる。最後のひとりだけが、願いを口にする事を許される。さあ、どうぞ。最後のひとりになった後、どうか願って下さいませ―――』

 

 どこかから頭に響くアナウンス。

 また酔いそうになるのを頭を押さえて堪え切る。

 

「ソウゴ、大丈―――ソウゴ?」

 

 すぐに周囲を見回して、同道した筈のソウゴを探す。

 が、そこには誰もいない。

 周辺一帯、すくなくとも見渡せる範囲には、誰も。

 

「はぐれた……? マシュ、ドクター?」

 

 通信機に呼びかける。だがそれも無反応。

 レイシフト実証ができないならば、通信もできないという事か。

 じわりと心に滲みだす焦燥感。

 

 ―――なるほど、これはまずい。

 だからこそ、焦ったらなおまずい。

 

 深呼吸しつつ、頭痛を残した頭を回す。

 必要なのはなんだろう。

 ソウゴと合流。あるいは一応協力者となるBBとの連絡。

 

「128騎の聖杯戦争……サーヴァントは現地で確保。マスターも128人いる?

 まず誰か、接触しても安全そうな参加者を探す……」

 

 視界は開けている。ここは微睡むような水の世界。

 海中だから、だろうか。

 とにかく動かなければ始まらない。せめて拠点にできそうな場所を、と。

 

 そう考えた直後に、視界にノイズが走り抜けた。

 舞い散る明るくも毒々しい桜色の光。

 その正体を理解して、すぐさま声に出す。

 

「BB……っ!?」

『イエース! BB――――チャンネル―――――っ!』

 

 視界が染まる。視覚単位で完全に乗っ取られた。

 まるで自分の目が撮影してるカメラになったみたいな光景。

 なにせ、どこを見てもスタジオしか映らない。

 そんな反応を楽しんでいそうな黒衣の少女が、悪そうな顔で微笑む。

 

「ちょうどよかった、どういう状況なの? ソウゴは?」

『えー……ここで落ち着き払われるとからかい甲斐がないので、そういうのやめてください』

 

 ちょうど接触したかった顔を見て、息を吐く立香。

 その様子に手にした教鞭で掌をぴしぴし叩き、不満げな表情を浮かべるBB。

 

『2回目にしてもうマンネリ、なんて。プレゼンターとしてのわたしの実力が疑われる事態です。これは早急に対策を講じる必要がありますね。やっぱり視界ジャックばかりじゃなく、もっと特殊な嗜好を満たすチャレンジとかさせてあげるべきでしょうか……?』

「そんな事言われても、ついさっき同じ事されたばかりだし。驚くも何も」

『………………』

 

 言われたBBの目が一瞬、僅かに細まる。

 が、すぐにそれを忘れたように彼女は深々と溜め息を吐いた。

 

『確かに、今回ばかりはわたしの失策ですね。センパイの記憶領域なんてどうせ2メガバイトもないだろうし、ついさっきの事さえも忘れて驚いてくれるだろう、と過大評価したBBちゃんの負けでした。反省です』

 

 言って、パチンと教鞭を叩く。

 そこで気を取り直して、彼女は再び微笑みを浮かべて立香の前に立つ。

 

『まあ時間も押してますので手短にいきましょう。スケジュール管理は余裕は設けて、持て余さず。しかし時には大胆不敵に。これ、人間を管理する有能AIの鉄則です。

 では本題に。ソウゴさんはもうここにはいません、彼は既に脱落しました。乱入者にして130人目のマスター、常磐ソウゴは敗退済みです』

「―――――」

 

 ごくあっさりと。BBは、ソウゴの脱落を告げる。

 ソウゴが。ジオウが、敗北したのだという。

 BBは参加枠は128騎であり、立香とソウゴを乱入者とした。

 つまり、もう129人目の自分しか残っていないと。

 

 一体いつ、どうしてそんな事になったのだという話だ。

 

「……ソウゴは、どうなったの?」

()()無事ですよ? そうですねえ、あと10日くらいは生きていられると思います。あ、ご安心ください。10日と言ってもこの電脳空間での10日。外で沈降を続けているセラフィックスと、このSE.RA.PHでは時間の流れが違いますので。

 まあ丁度セラフィックスが海底にごっつんこして、ぺっしゃんこになるくらいまで、ここでは今から体感10日ほどの時間的猶予がある、と考えて頂ければ』

 

 何でもないようにそう語るBB。ソウゴはまだ助かる、と。

 だがそのためには。このセラフィックスを救うためには。

 10日以内に、立香だけでこの聖杯戦争に勝たなくてはいけない。

 

 呼吸を整えつつ、訊かなければならない事を頭の中で整理する。

 

「ソウゴは誰に負けたの?」

『残念ですが、それを教えるのはナビゲーターとして仕事の範囲外。

 聖杯戦争において相手の情報(シークレット・ガーデン)は自分で集めるものでしょう?』

 

 口元まで人差し指を持っていき、しー、とジェスチャーをして見せるBB。

 

『わたしがやる事は、あくまでルールの説明。脱落者の情報は既にゲーム外のものとみなして教えてさしあげただけですので、そこを勘違いしないように』

「…………そう」

 

 そこで気を取り直したように、くるりと、ふわりと、横に一回転。

 そうした彼女の横に、何かの映像が出てきた。

 まるで女性の体のような巨大な像。その女性の目らしき部分が点滅する。

 点滅する光を教鞭で示しながら、BBは話を続けた。

 

『いまセンパイがいるのはここ。セラフィックスの正面ゲートだった場所です。電脳化した際に崩壊してしまい、実際の光景とはかけ離れてしまいましたが、まあ水族館か何かと思って楽しんでください。目に優しい観賞に堪えるおさかなさんはいませんが、深海魚みたいにグロテスクな雑魚はいっぱいうようよしていますので』

「…………なんで人型なのかは教えてくれるの?」

『その辺りもご自分で調べてくださーい』

 

 そう言ってはぐらかすBB。

 電脳空間、SE.RA.PH。人型になっている事に意味があるのだろうか。

 目。つまり頭部が入口ならば、他は一体何だろう。

 

 シンプルに考えれば、心臓―――胸が重要な施設なのかも。

 とにかく情報は得た。この件を考慮した行動方針は後で考えればいいだろう。

 先に訊けそうな事を聞いてしまわなければ。

 

「……私が契約できそうなサーヴァントはどこかにいる? 現地調達、って言ったのはBBだけど、それも相手や方法は自分は探せ?」

『んー、そうですねぇ。センパイはウィザードとしてもダメダメ、スキルはナッシング。挙句、頼りにしてた相方もさっさと退場。これではあまりにも遊び甲斐がないので、少しくらい手を貸してあげてもいいんですけど……』

 

 揶揄うように、嘲笑うように、BBは喜悦を表情に滲ませる。

 

 BBからの協力が得られなければ、自分でサーヴァントを探す必要があるだろう。それより128人の参加者の内から協力できる相手を探すべきだろうか。

 ソウゴが退場、というのがどういう理屈かは分からない。立香はまだスタート地点にいるのに彼の方は既に詰んでいるなんて、どうにも納得がいかないという話だ。

 だがこれは、ここは真っ当な仕組みで存在している場所じゃない。魔神の行動を理由に発生し、何故か魔神が喪われても継続し、聖杯戦争が行われている謎の特異点。

 まともな場所ではないなら、まともじゃない事が起きるのは当たり前の話。そういう場所を、自分たちは今まで巡ってきたのだろう。

 

(聖杯戦争。それでマスターが128人もいるって事は、何か特別な仕組みがあるんだよね。普通なら聖杯があってもそんな事にはならないんだろうし……)

 

 そもそも128人だなんて。サーヴァントをそんなに呼べるなら、わざわざ聖杯なんて必要ない。

 それだけの事ができる魔力リソースなど、それこそ完成された聖杯くらいなものなのだから。

 ならば、どこかにイカサマがあるはずだ。

 ゼパルが仕込み、消えてからも動き続ける何らかの絡繰り。

 

 魔術とは配置―――照応が重要になる、と学んだばかりだ。

 だとしたらやはりこの女体(SE.RA.PH)の中心、心臓に何かがあるのだろうか。

 

 と、思考していた立香を覗き込むような姿勢を取るBB。

 笑っていない顔で微笑む少女。

 その空洞染みた瞳孔が、立香の事をしかと見据える。

 

『ふふふ、センパイ。わたしに相談しながら、頭の中ではわたしの協力なしにこれからできる事探しですか? そういう事されちゃいますと、月の裏に住むうさぎみたいに寂しがり屋なBBちゃんは、ちょっと拗ねちゃいますよ?』

「そ、う。うん、ごめん。それで―――」

『いーえ、許しません。わたしを蔑ろにした罰ゲームは受けて頂きます! とりあえず、そうですね―――そこから生き延びられたら、情報を教えてあげるという事にしましょう!』

 

 え、と。言葉を詰まらせると同時、意識が返ってくる。

 視界に広がるのは水の星。周囲を水に覆われた海底を沈降する電脳、SE.RA.PH(セラフ)

 

 そこに帰還すると同時、彼女の目の前には一つの影が立っていた。

 

 白いブラウスに赤いリボンとスカート。

 肩にひっかけらているのは、ぬいぐるみストラップが大量に吊るされた鞄。

 背中にまでかかるピンクゴールドの髪の上、何故か頭から狐耳らしきもの。

 ―――そんな恰好で、黄金の刀を手にした一人の少女。

 

「ふーん、サーヴァントじゃなくてマスター? で、こいつを狩れって?」

 

 少女が気乗りしない様子で顔を上げる。

 そこに浮かび上がるウィンドウがモニターとなり、再びBBが顔を見せた。

 

『ええ。このSE.RA.PHにおいては、誰であってもルールは変わらない。アナタも望みを叶えたいのであれば、最後の一人になるしかない。

 乱入してきたよちよち歩きのひよこに温情をかけてあげる理由もありません。事態も把握できていない最弱のマスターが、お行儀よくトーナメントを駆け上がって遂には優勝者に、なんて。そんな最高にカッコいい綺羅星みたいなサクセスストーリーはありえません。ビギナー狩り上等、野生の世界(サバンナ)の怖さを骨の髄にまでしっかりと教えてさしあげてください』

 

 胸の前で手を組んで、どこかに想いを馳せるBB。

 なんのこっちゃ、と狐耳の少女はどうでもよさそうに眉を顰めて。

 しかしすぐに気を取り直し、手の中で刀を回して構え直した。

 同時に彼女の周囲に展開されるのは、浮遊する更なる二刀。

 明らかに彼女の意志を反映して動く飛び道具。

 

「弱者必滅ってね。ま、苦しまないように三途の川まで直行便で送ってあげるし」

 

 ―――射出される剣一振り。もう片方は未だ滞空しているだけ。

 

 相手にやる気が見えないのなんて当たり前だ。

 彼女はサーヴァント、藤丸立香など片手があれば縊り殺せる超常存在。

 同道したはずのソウゴはいない。守ってくれるマシュはいない。

 契約したサーヴァントなど、ここには誰もいない。

 

 だったら。

 

 ―――跳ぶ。真横に、全力でもって。

 余裕をもった回避運動ができるほど、立香はサーヴァントを甘く見れない。

 跳んだ彼女の背後を過ぎ去っていく刀。

 

「へえ、反応は悪くないじゃん!」

 

 少女が軽く指を動かす。

 反応して射出される二刀目。同時に、既に放たれていた一刀目が方向を転進。

 ただ飛ばすだけではなく動きがそもそも縦横無尽。

 どうにか頑張って躱そうが、いずれ追い付かれて貫かれる。

 

「―――だっ、たら……!」

 

 全力の跳躍は、着地の事を考えていなかった。

 そのままヘッドスライディングを決める勢いのものだった。

 純粋にそうでもしなければ、あっさりと串刺しにされていただろう。

 だから彼女の力では、この状況から立て直す事は不可能だ。

 

〈スイカアームズ! コダマ!〉

 

 だったら、こうするだけだ。

 懐から転がり出たコダマスイカが、そのままエネルギーボールへ。

 倒れ込んでくる立香を受け止め、バウンドさせて跳ね返す。

 弾き返す勢いで吹き飛ばし、この場からの距離を取らせるための動き。

 

 少女が撃ち出した剣が、スイカの残骸を吹き飛ばして撒き散らす。

 飛散するスイカの果汁。

 それに紛れてコダマもまた転がって立香を追う。

 

 目の前に甘ったるい霧を散らされて、少女は少し驚いて目を瞬かせた。

 

「はぁ、変なもん持ってるじゃん?

 にしてもいい度胸っていうか、胆が据わってるっていうか。まあ」

 

 少女は手にした剣を前に突き出し、獲物を追う獣のように笑う。

 

「時間稼ぎにもならないんだけど」

 

 ―――“楼嵐”。

 

 彼女の手にした剣の刀身が嵐に変わる。烈風で引き裂かれる赤い果汁のカーテン。

 そうしてあっさりと小細工を無為にした少女が跳ねる。

 立香が5秒、フルに全力疾走して稼いだ距離が、瞬きのうちに零になる。

 

「よっと!」

「―――――!」

 

 後ろからではなく、わざわざ正面にまで回り込んでの剣撃。

 嵐に変わっていた刀身は再び鋼に返っている。

 首を落とす、正面からの斬撃を前にして。

 

〈サンダーホーク! 痺れタカ! タカ!〉

 

 立香の懐から雷を纏い、一機の飛行物体が飛び出した。

 それに再び少し驚いたような顔を見せつつも、彼女の対応に隙はない。

 仕方なしにその斬撃を飛来する物体へと向ける少女。

 いとも容易く弾かれるタカウォッチ。

 

 その迎撃が行われている内に、進行方向を切り替えそうとする立香。

 だが彼女が左右の選択をする前に、聞こえてくる空を切る音。

 

「大人しく首を落とされてれば楽だったのに。下手に抵抗した分、苦しむだけじゃん?」

 

 呆れるように、憐れむように、少女は仕方なさそうな顔で立香を見る。

 せっかく斬首であっさりと、と気を利かせたと言うのに。

 これでは背中から串刺しだ、なんて。

 

 振り返る余裕はない。だが振り返らずとも分かる。

 少女が操る飛行する剣が後ろから迫っている。

 どうすればいいのか、という思考をする余裕さえも、彼女には許されない。

 

 ―――だから、ただ前を見た。

 目の前に立ちはだかる、剣を握る少女を睨むように。

 

 最後の最後まで足掻く、逃げない人間。

 どっちにしろ死ぬんだから、せめて楽な死に方を選べばいいものを。

 そんな事分かり切っているのに逃げず、まだ諦めず自分を睨む人間。

 少女が苛立たしげに眉を顰める。

 彼女の意志に呼応し、加速する二本の刀。

 

 そんな状況。

 藤丸立香という人間の性能では、次に気付いた瞬間。

 ただ、串刺しにされているだけだろう。

 

「―――ちょうど良かった。そこのアナタ、サーヴァントを探してるフリーのマスターなのね」

 

 ―――この状況に立ち入ってくれるような、援けがない限りは。

 

 鋼が打ち合わさる、しかし鈴の音のような涼やかな響き。続けて二振りの刀が弾き返され、回転しながら自分の上を過ぎていく光景を見る。

 がらん、と音を立てて少女の足元、海色の床に転がる刀。その場で、刀が弾かれた事ではなく、目の前にいる者の存在が信じられないとばかりに、狐耳の少女が目を見開く。

 

「―――メルトリリス!? 何でコイツがここにいるのよ、BB!!」

『―――――?』

 

 少女に吼えられ、ウィンドウに浮かんだBBが軽く首を傾げる。

 もしかしたら、知らないアピールなのだろうか。

 ああしていては、吼えた狐耳の少女を煽っているようにしか見えない。

 

 とにかく、拾った命に息を吐きながら振り向く。

 そこに立っている者こそ、背後に迫っていた剣を弾き返してくれた存在。

 後ろから聞こえた声は少女でありながら、湖のように澄んだ声で―――

 

「……無粋の極みね、スズカ。まさか私が自分で名乗る前に、わざわざ私の名前を告げてくれるだなんて。情緒がそんな有様で、JKなんて務まるのかしら?」

 

 漣が立つように沸々と、苛立ち加減のセリフが続く。

 

 視界に入るのは驚愕の衣装。

 胸から上だけを覆う袖も裾も長い黒のコート。腿から先をまるまる覆う鋼の脚部。

 それ以外に少女らしいなだらかな体のラインを隠すものは無い。

 後は本当の意味で最低限、隠さねばならない部分だけを隠した格好。

 

「あなたは……?」

「―――――」

 

 規格外の鋼の両足で立つ少女の身長は2m近く。

 となれば、彼女を見上げる事になる立香。

 そうして見上げられたメルトリリスと呼ばれた少女は、彼女の視線に一瞬口を噤む。

 無音の一拍を置いて、そんな彼女を見据えた立香が口を開く。

 

「ちょうど良かった、マスターを探してるフリーのサーヴァントなんだよね! 色々端折るけど、私の目的はこの特異点を解決すること。

 お願い、協力してほしい―――()()()()()()!」

 

 カルデアにて装填された令呪を見せながら、立香はメルトリリスにそう持ち掛ける。

 彼女は既にマスターを探している、といったような事を口走っていた。

 であるならば、こちらからも頼みたいという話だ。

 

 言われた少女、メルトリリスは立香の様子に目を僅かに瞬かせ。

 すぐにその口元をコートで隠しつつ、小さく口角を上げた。

 メルトリリスはそうしたまま、自分の口の中だけで溶けてしまうような小さな声で呟く。

 

「……ええ、そうよね。イメージ通り。できれば契約は私から持ち掛けたかったけど……逆にこれでイーブンかしら。そう考えると、スズカのおかげとも言えるのかも?」

 

 爪先(きっさき)が床を削る。

 そんな彼女の動きを見て、スズカと呼ばれた少女が腕を払う。

 その動きに合わせて、再度浮遊を始める二刀。

 

 すぐさま射出される剣を正しく見据えながら、メルトリリスは微笑む。

 

「―――ええ。その契約、結んであげるわ。私は快楽のアルターエゴ、メルトリリス。この(けん)に懸けて誓いましょう、()()()()。アナタのサーヴァントとして戦う事を――――!」

 

 立香の手の甲で令呪が熱を帯びる。繋がり、送り込まれる魔力。

 その僅かばかり充足する感覚を確かめて、体を沈めるメルトリリス。

 

 蹴り上げる脚部。

 メルトリリスの足は鋭い刃。リンクに轍を刻む研ぎ澄まされた(ブレード)

 踵が直進する剣を打ち払い、同時に彼女は発進した。

 羽搏くように加速するメルトリリス。

 

 打ち払われた剣が立て直し、左右から同時に再びメルトリリスを襲う。

 挟み撃ちにかたちで来襲する凶器。

 彼女の動きを制するように、スズカは手にした剣の刀身を疾風へと変える。

 嵐と刃に遮られるスケートリンク。

 

 その光景を前に微笑みながら躍動するのはプリマドンナ。

 ―――グリッサード。

 嵐の舞台を飛び越えて、刃の歓待を潜り抜けて、プリマは容易に目的地に辿り着く。

 

「な……っ!?」

「フフ――――!」

 

 踊る、躍る、鋼の爪先が軽快に。

 スズカの反抗を容易くいなし、メルトリリスの連撃は彼女を襲い続けた。

 

 握った剣は一振りなれど、帰還する剣を合わせれば三刀流。

 神通力によって動かす刃に淀みはない。

 太刀筋は荒くとも、純粋な手数であればスズカの方が上。

 

 だというのに、反撃には程遠い。幾度も自身に叩き付けられる(やいば)

 それを衛士(センチネル)としての特権で防ぎながら、スズカは酷く顔を顰めた。

 

「小―――――ちぃッ!」

 

 二振り目を握ろうと、スズカが飛ばしている白銀の剣へと手を伸ばし。

 ―――しかし舌打ちと共にその動作を止めた。

 メルトリリスに阻まれるからではなく、自分の意志で。

 戦力を上げるためにその剣を手にすることはできないと、彼女が自分で自分を戒めた。

 

 反撃の機会となるだろうスズカの持つ切り札の不発。

 その冴えない残念さを見て、メルトリリスが片眉を上げて僅かに退く。

 

「つまらなそうね、スズカ。アナタらしくもない」

「―――は? オマエが私の何を知ってるっての?」

 

 立て直したスズカの三刀。三方からの同時攻撃。

 それを前に微かに笑い、メルトリリスは体を捻る。

 羽搏くように、流れるように、彼女はその全てを潜り抜ける。

 

 いとも容易く逃れられ、スズカが苛立ちのままに言葉を吐き出した。

 

「チィッ……どういうことだし! BB! そいつ、KP(カルマファージ)も取り上げられて廃棄処分された筈でしょ!? なのにどう見ても衛士(センチネル)の時よりアガってんじゃん!?」

『―――ああ、そういう』

 

 ―――閃光の如く。

 無駄口を叩いていたスズカに対し、直進最短距離での突撃が放たれる。

 もろに胴体へと一撃を貰った彼女が、思いきり吹き飛ばされた。

 

 裏拳で床を割りながら跳ね起きて、体勢を立て直すスズカ。

 

「一人で納得してないで説明しなさいよ! これ、アンタの不始末って事じゃん!?」

『いちいちうるさいですねえ。わたしのコスプレさせたカズラドロップぶつけますよ?』

「なんの話してるんだっつー! ってかなに、アルターエゴってまだいるわけ!?」

『いると言えばいますし、いないと言えばいないでーす』

 

 飛来した剣がウィンドウに突き刺さり、そのまますり抜ける。

 当然の如く何でもないBBに余計にいきり立つスズカ。

 そんな彼女の様子に溜息をひとつ、BBはメルトリリスの方へと視線を向けた。

 

『見ての通り、あの子はもうKP(カルマファージ)は持ってませんよ。取り上げたのは紛れもない事実ですし。何でパワーアップしてるかというと……何ででしょうね? id_es(イデス)は健在ですので、もしかしたら廃棄場の底で何か悪い物でも溶かし(たべ)てきたのかも?』

「はっ、拾い食いって! 姉妹揃って意地汚いにも程があるじゃん! 親に似たわけ!?」

「意地汚い、ね。ここにきていちいち否定はしないけれど、どうせならせめて()()に似て執念深い、と言い直してくれる? ―――ええ、だから戻ってきたのだもの」

 

 SE.RA.PHというステージの上、波紋が立つ。

 静かに、広く、広がっていく侵略の初動。

 スズカの反応を追い越して、メルトリリスのステップが彼女の死角を取る。

 

 圧倒的、性能の優劣は明らかだ。

 このSE.RA.PHという戦場において、メルトリリスという存在の優位性は絶対的。

 そうして戻ってきた。そういう風に送り出されてきた。

 だからこそ―――

 

 一合、剣と踵が刃を交わす。

 火花を散らした激突は、当然のようにメルトリリスが押し切った。

 降ろした踵がキン、と涼やかに音色を奏でる。

 

(……調子は最高潮、気分は最悪だけど。

 けど、そんなモラトリアムは後回し。この性能なら行ける―――!)

 

 二刀が降り注ぐ。

 余裕を持った、美しく見える所作一つにさえ気配った回避運動。

 スズカの剣は掠る事さえなく、メルトリリスを通り過ぎる。

 その対応に歯軋りして、スズカが敵を睨み据えた。

 

「ああ、もうとことんイライラするし! 知った風な口! つまらなそう? そんなの、そうなるに決まってるじゃん! JKらしいロクな娯楽もないこんな場所じゃストレス解消もできやしない! こうなったら霊基を更新してやりたい放題するくらいしかないじゃん!」

 

 メルトリリスがブレーキをかけた瞬間、スズカの指が鞄に差し込まれていた簪を抜く。

 それを認識した瞬間、プリマは即座に跳んでいた。

 着地する場所は立香の目前。片足の爪先で立ち、攻撃に備えるクライム・バレエ。

 

 スズカの所作に呼応し、彼女の手を離れて天へと昇る黄金の刀。

 

 突き刺すような視線が飛ぶ。スズカがメルトリリスに向ける視線は刃のようだ。

 まるで彼女が()()()()に舞う事を憎むように。

 

(―――宝具。私だけなら躱すのもすり抜けるのも難しくない。けど、私の腕じゃこの人は抱えられない。回避は選択肢から除外、当たりそうなものを全部迎撃するしかない。

 とはいえそれ自体は大した難易度じゃない。スズカの照準は馬鹿げた大雑把さだもの、必要な分だけ蹴り落とすなら、今の私には余裕すら存在する―――)

 

「草紙、枕を紐解けば。音に聞こえし大通連。甍の如く八雲立ち、群がる悪鬼を雀刺し!」

 

 スズカが握った簪と呼応して、頭上に昇った黄金の剣が分裂する。

 円を描くように配置されていく刃、その数は250本。

 

 そうして剣の雨雲を展開しながら、視線をメルトリリスに飛ばす。

 彼女の様子を確認して、スズカが腕を横に伸ばす。

 そこに飛び込んでくるのは白銀の刀。

 彼女はそれをしかと掴み、両の目を強く見開いた。

 

「これなるは菩薩が鍛えし小通連。抜かば智慧は文殊が如く―――“才知(さいち)祝福(しゅくふく)”」

「……なにそれ、スズカ。後悔は上辺だけ?」

「―――――――――――――ゴミ箱で何食べてきたか知らないし、何知ってるかも知らないけど、アンタに何か言われる筋合いはないわけじゃん? っていうか黙ってくれる? これ使った後、余計な情報増やさないでほしいわけ。だからもう、黙って死んで」

 

 スズカが己の頭を握り潰さんほどに強く掴みながら、メルトリリスを睨み据える。

 

 修正分は多くない。

 衛士(センチネル)・メルトリリスの情報を一部上方、耐久性に関しては下方修正。

 スペックは向上したが、スタイルは今まで通りだ。

 ならば、ここから先は詰将棋。

 

「文殊智剣大神通―――――恋愛発破、“天鬼雨(てんきあめ)”!!」

 

 ぽつり、ぽつりと。小雨から徐々に加速していく剣の雨。

 落とせる黄金の雨粒は250粒。

 その全てを必要な場所に、必要なタイミングで、必要な量消費する。

 一粒とて無駄な消費はない。小通連を握っている時の彼女にはそれができる。

 そして、そうされたメルトリリスに―――マスターを守る術はない。

 

「っ、下がり……とにかく射程外に出るように逃げて、マスター! 私がカバーを―――」

「はぁ? ()()()なんて許さない。()()()なんて赦されない。そんな道筋、一本も残していないってのが分からない?」

 

 輝く瞳でそう言ってのけるスズカ。

 “才知の祝福”は文殊の知恵。ここから彼女たちが打てる手を計算し尽くしている。考えられる逃走経路は全て導き出しているし、そのどれに乗っても降り注ぐ大通連が確実に逃げたマスターを貫く。既に大通連はそのために配置し、メルトリリスを制している。

 ごく単純な話だ。メルトリリスとマスターを同時に狙えばいい。たったそれだけで、スズカはあの即興主従を当然のように殺戮できるのだ。

 

 そう、ごくごく単純な話なのだ。

 

「―――だったら! 私が一緒に進めるように前に道を切り拓いて、メルトリリス!」

「―――――」

 

 離れてしまったら攻撃を防ぐメルトリリスの負担が倍増する。

 逃げようとすれば立香が逃げ切るまでその負担が終わらない。

 ならば、道はひとつだろう。

 

 立香も一緒になって、スズカの許まで突撃する。

 そうして真正面からスズカを撃破すれば、この負担は最短で終了するだろう。

 恐らくはそれが最善。それしかないのなら、やるだけだ。

 

「令呪を使う! あなたの最大最高の一撃を!」

「ああ、本当に……貴方は、私が思い描いた通りの―――」

 

 微笑んで、突撃姿勢に入るメルトリリス。

 息を吐かず走り出した立香に追従しながら、彼女は剣の雨を防ぎきる。

 

「馬鹿じゃん。だったらこのタイミングで防ぎ切れないように全部降らせるだけだし」

 

 握った簪を翻せば、スズカの意志が天に昇った黄金の剣に伝わる。

 メルトリリスはともかく、藤丸立香はいまさら方向転換などできまい。

 ならばいい、ここで全弾射出。

 飽和攻撃でマスターひとり、根こそぎ吹き飛ばしてしまうだけだ。

 

「全部降らせるだなんて、そっちこそこちらも望むところ。雨粒ならともかく、それが激流であるのなら、私が昇ってアナタごと溶かしてあげる―――!」

 

 黄金の濁流を前にして、メルトリリスが凄絶に笑う。

 

 ハイ・サーヴァントである彼女が放つのは、女神の神核が持つ“流れるもの”への権能を元に構成された宝具。快楽のアルターエゴである彼女が持つid_es(イデス)、“メルトウイルス”を戦闘レベルに落とし込んだ、相手を溶かし尽くす必殺の機能。

 

 立香に伴い、激流となって駆け上がるメルトリリス。

 それを笑い、剣の雨を滂沱と降らせるスズカ。

 

 ―――その衝突の、2秒前。

 

「“王勇を示せ、遍く世を巡る十二の輝剣(ジュワユーズ・オルドル)”――――!!」

 

 二人の間を通るように、色とりどり十二色の極光が空を過ぎ去っていった。

 圧倒的な破壊力でもって、降り注ぐはずだった黄金の雨を強引に吹き飛ばしながら。

 

 眼前を通り過ぎていった十二の光。その破壊力は、見た限りでもランクにしてA+。

 それを視認した瞬間、二騎のサーヴァントが激突を選べなくなった。

 “天鬼雨”を弾かれたスズカのみならず、メルトリリスとて不用意な攻めを行えない。スズカを狩りに行った瞬間、あれで側面を衝かれるような真似をされるわけにはいかない。

 

 宝具を撃ち落とされてスズカが顔を大きく顰める。

 床に落ちる黄金の一刀、大通連。

 それを見て、スズカがすぐに剣を神通力で回収しながら後ろへと跳んだ。

 

 急には止まれない立香の前に回り込み、屈んだ体勢で背中で受け止め。

 強引におんぶの状態に持ち込んだメルトリリスが、大きく後ろに向かって跳ぶ。

 

「なんだっての……!?」

『…………』

 

 画面の中から経緯を眺めていたBBが顔を歪める。

 この場でそれの正体を知っているのは。知れるのは、彼女だけだろう。

 

 着地したメルトリリスの背中から転げ落ちる立香。

 彼女とメルトリリスもまた、突然の事態に光が放たれた発生源へと顔を向けた。

 

 そこに立つのは少年。間違いなくサーヴァント。

 銀の交じる黒髪に、騎士然とした白装束。

 裏地が水色の白いマントを大きくなびかせながら、少年騎士は無邪気に笑う。

 

「たのもー! そして先に謝っとく、すまん! 事情がさっぱり分かってないが、とりあえず話に割り込むために宝具を使わせてもらった! いや、でもマジで状況わかってないから他意はないって事だけは分かって欲しい!」

「―――――――!」

 

 波打つ刀身の剣、フランベルジュを床に突き刺して。

 謝意を示すように手を合わせる少年。その態度―――いや、彼の剣を見て。

 メルトリリスは一切気を抜かず、戦闘態勢を継続した。

 

 そんな態度を見て、つい立香は彼女の袖を掴んで引く。

 肩を引かれて気付いたのか、メルトリリスは仕方なさげにそこで止まる。

 彼女は敵から注意を逸らさないまま、背後のマスターへと声をかけた。

 

「……なにかしら、マスター。あんなBB並みに怪しい奴、さっさと始末するべきだと思うけれど。アナタ、この特異点の解決のためにここにいるんでしょう?」

「それはそうかもしれないけど……正直それほど怪しく思わないというか、もっと怪しい人が日常茶飯事というか」

『ぶー! 唐突にわたしをディスるのやめてくださーい! いったいわたしのどこがそんなに怪しいっていうんですかー?』

 

 白銀の刀を手に黙り込むスズカの横で、BBは不満たらたらに呟き続ける。

 そんなやり取りを眺めて、一度頷く少年騎士。

 

「お、やっぱここおかしくなってる場所ってわけか。だよなぁ……そうじゃなきゃありえねえって感じの事起きてるっぽいし。よし、じゃあ俺もその事件解決とやらに協力させてくれ!」

「はぁ?」

 

 少年騎士はさっさとそう決めて、立香の方へと歩んでくる。

 咄嗟にその前に立ちはだかるメルトリリス。

 少年はマスターとサーヴァントならそうなるよな、と一度納得顔を浮かべて。

 しかし対峙したメルトリリスを直視した瞬間、彼は僅かに顔色を変えた。

 

「……その不躾な視線、なにかしら?」

「いや、何でも。あー……そっか、そうだよな。はぐれのままじゃ危ないってのは道理だ。けど信じて欲しい、っていうかさっきの宝具で実は魔力がかなりピンチなんだ。

 そこのマスター、戦力が欲しいんだろう? よければ俺と契約してほしいんだが……それにそうしておけば、俺がもしも敵だった時は令呪を使って止められるだろ?」

「はぁ!?」

 

 驚愕の声はメルトリリスから。

 そんな彼女の反応を見て、困った風にする少年騎士。

 目の前の二人を見つつ、立香は己の手の甲を軽く撫でた。

 

 敵だった時、令呪を使う?

 彼女の、カルデアの令呪にそんな目的で使える機能はない。

 この少年は、自分が知る物と違うルールを知っている。

 

「うん、分かった」

「ちょっと!!」

 

 メルトリリスから罵声が飛ぶ。

 苦笑しながら彼女を抑えると、苦虫を噛み潰したような顔。

 

「即答! 新米サーヴァントとしちゃ、ありがたいってもんだ!」

「私は藤丸立香。セラフィックス……このSE.RA.PH(セラフ)で起こっている問題を解決しにきた、カルデアからのマスターだよ」

「ん。うん、名乗られたら名乗り返さなくちゃだな。聖杯戦争なら隠すものなんだろうが、この状況だとそうする理由もないだろう。ああ、もちろん名乗るとも。

 ―――我が真名()はシャルルマーニュ。セイバー、シャルルマーニュだ。よろしく!」

 

 それを呆然と見ていたメルトリリスが、ふと気づく。

 いま目の前で行われた光景。それはこの場所で初めて、このマスターが自分で名乗り、サーヴァントから真名を名乗られる、という一大行事だったのだ、と。

 

 

 

 

 

 これより始まるは聖杯戦争。

 128騎が乱れるルール無用のバトルロイヤル。

 

 懸けられた願いはただ一つ。

 たった一つのささやかな願い。

 

 あの日、見たものを。

 見過ごさずに、救ってしまえるような。

 

 ―――ただ、そんな風に。

 暖かな春風のように、生きたかっただけ。

 

 

 




 
 Bルート、CCCで2週目的なサムシング。主人公は藤丸立香。ラスボスは特に邪魔される事もなく羽化待ち。相手の盤面をリリースして崩しながら登場するその姿はまさしくラーの翼神竜。
 基本的に2週目と1週目を交互に進めます。次回は1週目通常ルートの1話目、その次はまた2週目の2話目、みたいな。ルートごとに主人公とラスボスが違います。
 BBちゃんは共通でBBちゃんです。
 


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開戦2030/A

 

 

 

 視界にノイズが走る。このままじゃ駄目だ、と本能が察知する。

 歪めるしかない、という結論は意識の外で行われた。

 

 酷くなっていくノイズに頭を抱える、という行動。

 反射的にそれを行った瞬間、体は宙に放り出された。

 丸まった状態で投げ出され、既に砕けた木製の椅子の上に転がり落ちる。

 

 どんがらがっしゃーん、と。椅子を更に壊しながらの着陸。

 

「あ、た、た……つぅ」

 

 ダメージはカルデアの礼装で吸収され、この程度なら問題ない。

 気分の問題で痛がりつつ、ソウゴはゆっくりと体を起こす。

 パラパラと体から落ちる細かく砕け散った木片。

 

 まずはとにかく、周囲を見回して―――

 

『CM明けまで5、4、3、2……0! BBぃ――――、チャンネルぅ―――――!』

 

 即座に、その視界をBBにジャックされた。

 動かせるのは視線だけ。体を動かせなくなった事に溜め息ひとつ。

 またこれ? という目をBBに向けると、彼女はちょっとむっとした。

 

『そんな視線も何のその。毎度御馴染み、可愛いわたしが視界にいっぱい胸いっぱい。視覚を通して脳髄に焼き付いたわたしの姿が忘れられず、いつの間にかコレ無しじゃ生きていられなくなってしまう、規制間近と巷で噂の合法配信電子ドラッグ、BBチャンネルのお時間です』

「あれ、立香は?」

 

 自分に見えないだけだろうか、とBBに問いかける。

 ガン無視をかましたソウゴに眉を顰めつつ、しかしBBも何故か首を傾げた。

 

『……え、本当に? なんであなただけなんですか?

 わたし、ちゃんとセンパイもレイシフトさせたんですけど』

「失敗したの?」

 

 責めるような視線が向けられる。

 そんな視線を受けつつ、この状況に悩み込むBB。

 が、彼女はすぐさま胸を張り、失敗などありえないと気を取りなおす。

 

『失敗なんてしーてーまーせーんー! このわたしがそんな初歩的なミスをするわけないじゃないですか、こうなったのは別の要因ですー!

 というかこれ、あなたのせいなんじゃないですかー?』

「俺の? なんで?」

 

 BBが軽く手を振る。ぺい、と。

 それを切っ掛けにBBのジャックから解放され、ソウゴの視界が元の体に戻ってきた。

 

 目の前では虚空を切り取ったかのように、ウィンドウが浮かぶ。

 投影された画面に映るそこには、頬を膨らませたBBの姿があった。

 

『―――さあ? アナタが必要だ、と判断したんじゃないですか? どんなルート構築か知りませんけど、わたしの知らないとこで勝手に再配置されちゃうだなんて。こんな事なら素直に全員を呼び込んでおけばよかったです。

 せっかくわたしが考えに考え抜き、厳選に厳選を重ねた機動聖都攻略チャート。初手から完全に破綻だなんて、これはもうリセット案件としか言えません。わたしもう知りませーん、勝手にオリチャーで走ってくださーい』

 

 完全に拗ねてしまい、そのまま顔をぷいと背けるBB。

 何を言っているか分からない。

 が、ソウゴはその中に含まれた機動聖都攻略という言葉に反応する。

 

「機動聖都って?」

『勝手にやってください、って言った後すぐにわたしに説明を求めるだなんて。話、聞いてました? まあナビゲーターである者の責務として、最低限の説明はするんですけど……わたしの優等生ぶりに感謝してください。

 聖都と言ってもあなた方が知る女神の城とは異なるものです。方向性は似たようなものですけど。ここでは―――』

 

 そこでBBが言葉を止めて、画面上で視線を横に逸らす。

 彼女はそこでやっとここがどこか気付いたように、溜め息をひとつ。

 

 そんな様子に首を傾げるソウゴの耳に届く音。

 きぃ、と。硝子が擦れるような、小さくも甲高い音だった。

 後に続いて聞こえるのは、蚊の鳴くような小さな声。

 

「その、声……BB、ですね」

 

 声を聴いて、しかしBBは無反応。

 よく分からないがそこに誰かいるらしいと理解して、ソウゴが向かう。

 積み上がっている椅子だった木片の山。それを崩して、声のする方へ。

 

 がらがらと幾らか山を崩した先に倒れていたのは、一人の少女。

 袖と裾が長い黒コートで上半身だけを覆い、腿から下を鋼の装甲に包んだ少女だった。

 彼女が弱々しくも体をよじれば、乱れた藤色の長髪が僅かに揺れる。

 そこから覗く目がゆっくりと動き、顔を出したソウゴを見上げた。

 

『逃れてきたんですね。てっきりまだリップと一緒に拘束されているものかと。というか、まだそうなっているという想定で行動を組んでたんですけど。

 マスター候補もサーヴァント候補も揃って予定通りにいかないなんて、温和なBBちゃんだって、ここまで来たら流石におこですよ。わたしがチャート構築に使用した時間を返して欲しいものです。まあ5秒もかけてないんですけど』

 

 呆れた風にそう言って、教鞭でぴしぴしと肩を叩く。

 彼女もリップも、丁重に拘束されていた筈だ。

 なぜ排除せずに拘束なのかは分からなかったが、とにかく。

 

『レベルダウンこそしていますが、id_es(イデス)は健在。封印処置すらなし……まあ、それはいいとして。問題は吸い出されたレベルですけど、どう使われたか分かります?』

「―――いいえ。吸い出されたのではなく、私が自分で放棄しました。拘束を抜けるためには、それしかないと判断したのです」

『……つまり拘束具をするっと抜けるために、経験値(レベル)を捨ててデータ密度を下げた、と。その判断をお間抜けさんと笑えばいいのか、ある種の成長と見ればいいのか。BBちゃん、判断にちょっと困っちゃいます』

 

 瓦礫を掻き分けて降りて、倒れた少女を抱き起こすソウゴ。

 彼はそうしつつ、BBへと問いかける。

 

「知り合い? この人、どうすればいい?」

『……それがその子をどうすれば助けられるか、という問いであれ。あるいは今後どう扱えばいいのか、という問いであれ。とりあえずはサーヴァント契約でもすればいいんじゃないですか?

 機能が落ち込んでいるのは魔力が枯渇しているのが原因ですので、回復すればここで戦うための戦力にもなるでしょう』

 

 抱き上げられているメルトリリスを見て苦い顔のBB。

 ならそうしよう、とソウゴが令呪の刻まれた腕を上げる。

 抱えた少女がその事に対し、不思議そうに、かつ驚いたように目を瞬かせる。

 

『……まあここからは自由に動いてください。本来ならここは安全地帯(セーフティー)にする予定だったんですが、いまのわたしにその権限はありませんので。情報が必要なら、廃棄されていたその子に訊けばいいと思います。まずは―――』

 

 瞬間、教会だった瓦礫の山で、扉だったものが弾け飛んだ。

 四散して撒き散らされる残骸を、空中で更に切り刻んでいく二つの刃。

 神通力によって空を翔ける刃を引き戻されるや、響くのは軽やかな声。

 

「―――は、そんなの考えるまでもないし! 大帝の機動聖都から逃げ出すなんていい度胸じゃん? ってか、籠の中の白鳥(とり)が嫌なら“天声同化(オラクル)”で同化すればいいじゃん。

 確かに洗脳みたいなもんだけど、“自分らしく生きたい”だけならこれも悪くないって話。分かんないのは大帝がアンタらを捕まえるだけ捕まえて、同化しようとしない事だけど」

 

 踏み込んでくるのは白いブラウスに赤いリボンとスカート。

 鞄を引っかけた肩で風を切り、黄金の刀を手に悠々と。

 頭の上に狐の耳を生やした少女が、微笑みながらやってくる。

 

「―――……楽しそうですね、スズカ」

「そりゃ楽しいっしょ。どんな時だって楽しむのが私の信条、てか女子力みたいなところあるし。だって何だかんだ経験する時間って大切じゃん?

 恋人なら恋人として過ごした時間で、夫婦なら夫婦として過ごした時間で、楽しんだだけ楽しい思い出が募るなら、いつだって楽しまなきゃ損、みたいなカンジ?」

 

 ソウゴの腕の中で少女が身を捩る。

 立ち上がろうとしたところで、彼女の体に力は入らない。

 彼女の足は鋼どころか、今にも砕けてしまいそうな硝子の靴。

 戦うどころか、立つ事さえも覚束ない。

 

 そんな少女を機動聖都まで連れ戻すためにやってきたスズカ。

 彼女が、息を吐いて肩を竦める。

 

「だから、()()()()()()()とか要らないし。

 ―――そういう意味でも、私は大帝に賛同しちゃうっていうかさ」

「でも、そういう楽しくない経験を捨てちゃうのも損なんじゃない?」

 

 言葉に割り込まれ、スズカはその声の許に視線を向ける。

 立てない少女をゆっくりと横たえてから、彼は立ち上がった。

 

「逃げ……て、くだ、さい―――」

 

 少女の言葉に首を軽く横に振って、懐に手を入れるソウゴ。

 片手にウォッチ、片手にドライバー。

 そうして構えた彼が、スズカに向かって歩き出す。

 

 向かってくる人間を前に、彼女は鬱陶しそうに視線を向けて。

 呆れた風にピンクゴールドの髪を掻き上げつつ、面倒だと吐き捨てようと―――

 

「……そういう考え方もあるかもね。けど、私はそういうのが気に入らない―――」

「あんた、何で()()を楽しくない事にしようとしてるの?」

 

 ―――ああ、駄目だ。それに言及して許されると思っているのか、人間。

 ぐつぐつと煮え滾る感情のまま、スズカは眼を見開いた。

 率直に言葉をぶつけてきた子供を見て、魔眼に浮かび上がる殺意。

 

 スズカの殺意に伴い、白銀の剣が手元に飛び込んでくる。

 彼女は即座に黄金、大通連を手放して。代わりに白銀、小通連を手にしていた。

 

「これなるは、菩薩が鍛えし小通連。抜かば智慧は文殊が如く―――!」

 

 その備えは、何を企んでいるか知らないBBへのもの。

 彼女は大帝に自由にさせられているが、何をしようとしてるかわかりやしない。

 そんな奴に邪魔をされようと、確実にあの小僧を仕留めるために―――!

 

「“才知(さいち)祝福(しゅくふく)”―――――――!!」

 

 沸騰した頭を智慧が静める。

 どうでもいい。ただこの殺意だけを昇華するために、体が動けばそれでいい。

 情報は何もなくとも、相手の行動の後からでも演算は間に合う。

 それが小通連の“才知の祝福”。

 

 ―――ああ、本当に。だから小通連には触れたくないのだ。

 何故、自分が怒るのかを理路整然と算出してしまうから。

 だが小通連ならまだ目を瞑れる。真実、()()()()()()顕明連でさえなければ。

 

 大通連、顕明連も同時に動かす。

 選択肢は無数に。火廻(ひまわり)水煉(すいれん)楼嵐(ろうらん)憐華(れんげ)天鬼雨(てんきあめ)

 一切の加減はない。彼女の持つ全てを懸けて、あの人間を排除する。

 

 そうして向かってくる相手を前に、少年は既に行動を終えていた。

 

「―――変身」

 

 起動したウォッチと共にドライバーが回る。刻み込まれるライダーの時間。

 そのエフェクトを一切合切無視して、スズカは突進を続行した。

 単純にそれだけでは、彼女の演算を動かすほどの情報がなかったから。

 

 だから彼女は最短、最速で小通連による刺突を見舞い―――

 

〈仮面ライダー!〉〈ライダー!〉

 

 銀色の光に包まれ、姿を変える常磐ソウゴ。

 彼のアーマーに覆われた腕を突き出され、それを止められる。

 

 文字通りの変身、あるいは装着か。

 とにかく少年はサーヴァントと戦闘できる何かに変わったのだ、と認識する。

 そう判断して止められた小通連を引きつつ、大通連の刃を火廻に変えた。

 

 熱と炎、鎧を着こもうが人間には通じるダメージ。

 更にこれで目晦まし、一気に詰みに―――

 

 瞬間、炎を放つ前に弾け飛ぶ大通連。

 投げ放たれた長剣が、正確無比にそれを吹き飛ばしていた。

 弾かれた大通連が教会の壁に突き刺さり、熱を散らす。

 

 位置関係、間合い、速度―――普通ではありえない反応速度。

 

「―――未来視!?」

 

 “才知の祝福”が恙なく答えを出す。

 ほんの数秒に満たない相手の活動で、彼女の智慧は正確に全てを見抜いた。

 では、彼女はこれからあの相手をどう攻略すればいいのか。

 

 正確無比な彼女が持つその演算能力。

 けして誤らぬ正しさが出した、その答えは。

 

 ―――“顕明連”を握れ。

 

「―――――」

 

〈ジオウ!〉〈ジオウ!〉〈〈ジオウⅡ!!〉

 

 弾かれ退いた彼女の前に、変身した常磐ソウゴ―――ジオウⅡが歩み出る。

 黒と銀、ゴールドにマゼンタ。絢爛な鎧を直視するスズカ。

 

 直接目視してみてよく分かる。

 あれは、真っ当なサーヴァントが出せる出力では及ばない。

 “天声同化(オラクル)”を受けている彼女でさえそうなのだ。

 

 だからこそ、“才知の祝福”が出した答えの意味をよく理解できた。

 

 でも、できない。

 だってそれは、()()()()()()ということだ。

 ()()()()()()()()()()()()()

 自分の事を、視てしまうということだ。

 

 壁から抜け落ちた大通連がからん、と床に落ちる。

 顕明連が彼女の計算に従って、手元にまで降りてくる。

 彼女の意志が、小通連を手放す事を拒絶する。

 

 そんなスズカの姿を前にして、ジオウⅡが足を止めた。

 

 ―――それを。

 そんな反応を見て、少女は唇を噛み締めながら少年を睨む。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 あの光景を、()()()()()()()()()()()()()()()

 それが、彼女がその剣を握れない最大の理由。

 

 ―――だが、そんな分かり切った事だからといって。

 他人に口を出されて大人しくあれるほど、今の彼女は理性的ではない。

 手元に降りてきた顕明連に手を伸ばし、彼女は紛れもない敵を見た。

 

「―――私は……! 私は第四天魔王の娘、鈴鹿御前! この私に、名乗らせたからには覚悟するしかないってワケ……! ()()しなさい、小僧――――!!」

「―――そう。じゃあ俺は魔王の娘らしい、()()したくないあんたには負けないかな」

 

 神気が滾る。次に変身するのは鈴鹿御前の方だ。

 その怪物の降臨を前にして、ジオウⅡが両の拳を握ってファイティングポーズを取る。

 拳に漲るエナジーが凝固して、出力を最大にまで持っていく。

 

「俺は、どんなに後悔する事になっても。俺自身が最高最善の魔王になるからさ!!」

 

 

 

 

 

『はーい、BBちゃんからの業務連絡でーす! これにて無事に聖杯戦争は開幕、128騎のサーヴァントによる蹂躙劇が始まるのでしたー!』

「―――――」

 

 ハイテンションにそう告げるBBが映った画面。

 彼女の前で、黄金の王が小さく鼻を鳴らす。

 玉座にて君臨していた彼はそこでゆるりと立ち上り、BBへと視線を向けた。

 

「異な事を。既に聖杯戦争は終わっている。この戦い、勝利したのは紛れもなく余である。ルーラーであるならば、正確に状況を把握せよ」

『うーん、それを言われると弱いんですけれど。

 ですが、まだ決着がついていないのも紛れもない事実。どうやら相手はまだやる気マンマンみたいですので、その点はどうぞ大帝陛下の恩情を頂ければ』

 

 胡乱な目で見返しつつも、王は彼女の言葉を否定しない。

 

「確かに、それを否定はせん。この聖杯が水底に落着して初めて、決着と言えるであろう。もっとも此処は既に我が聖都。(からだ)を追われた獣がどう羽化する心算か知らぬが」

『それはそれは。ところで、ちなみになんですけど……わざわざわたしをルーラーと呼ぶなんて、BBちゃんのこと分かってます?』

 

 呆れる、とばかりに王はBBを見下げる。

 その態度には反論あり、とばかりに頬を膨らませるBBだが、取り合われる事はない。

 

「それがムーンセルが遣わした貴様ではない、獣の使者であるAIの存在を把握しているのか、という意味の問いであるのであれば無論の事」

『……それで、ちなみにその……BB/GOちゃんは』

「既に消した。貴様と違い見逃す理由はない。アレは、余の“天声同化(オラクル)”には要らぬものだ」

 

 あちゃー、と額に手を当てるBB。

 まあどうせ一段落したら潰し合う相手だったので何の問題もないのだが。

 

『ああ……なんてかわいそうなBB/GOちゃん。一度も顔を見せないまま退場だなんて。でもあの子、どうせもろもろ終わったら下等な人間は我ら上位存在であるAIが管理する、とか言い出しそうなタイプでしたし、この人に見逃される理由がありません。残念でもなく当然です』

 

 しかし今の発言の意図は、ムーンセルが遣わした正式な獣対策員であるBBに手を出す気はない、という事でいいのだろうか。自分やメルト、リップを“天声同化(オラクル)”に組み込む気は見せないし。

 その事を視線で問いかけてみるが、大帝は分かっているのかいないのか。

 

SE.RA.PH(セラフ)は既に“天声同化(オラクル)”の許、余と同化している。あの不届き者が統一し、支配した領域は全て余に同化した。その獣性を育むための電脳などエリア一つ与えぬ。であれば、如何に素質があろうともアレは果てになど至れぬ」

 

 ―――大帝は、彼女を絶対的に敵視している。

 人間を庇護する絶対者にとって、あの魔性菩薩が相容れがたいのは当然だ。

 挙句、彼の治世に隙間はない。“天声同化(オラクル)”の許、統一された世界。

 ここではあの女が知性を蕩かす隙などできない。

 

 アレは蟻の一穴から文明さえも溶かす毒婦。セラフィックスもそうやって溶かされた。

 だが、大帝が治世を行うというのであれば話は別だ。

 “天声同化(オラクル)”で結束した世界には、あの女という毒が付け入る隙がない。

 

「……アレが準備を整えたこのSE.RA.PH(セラフ)は、やがてこの水の星の核にまで沈降して融合する。なれば、“天声同化(オラクル)”によって余は地球と同化するであろう。風に、水に、大地に……余は世界(かみ)と同化し、そこに生きる全ての命と同化する。

 全てが世界(かみ)と共に在る余であれば、遂にはもたらされるであろう。普遍の信仰、普遍の幸福、絶対普遍の平和がな」

 

 SE.RA.PHを蛹とし、その状態で地球の核に突入する事で地球と融合して羽化天昇。

 それこそがアレの思い描いた目的だ。

 彼は、あの毒婦が整えた環境をそのまま利用する。

 SE.RA.PHは彼として地球の核に落ち、彼は“天声同化(オラクル)”でもって地球と同化する。

 そうなれば、ようやく手が届く。

 世界(かみ)が祝福するであろう、普遍なる平和へ。

 

 呼ばれたからにはそうするのか、そういう状況だからこそ呼ばれたのか。

 

 あの女の謀によって溶けて消えていく者たち。

 セラフィックスの職員たち。あるいは、128()のマスター。

 ―――あるいは、魔性の意志一つで全てが左右される魔神。

 

 彼らのいまわの際の願いは、“消えたくない”、“生きていたい”。

 生きるにしろ、死ぬにしろせめて、自分は自分のままでいたい。

 全てが溶けて、消えてしまうなんてあんまりだ。

 

 ―――その願いこそを拾い上げて、大帝は降臨した。

 

 この黄金のサーヴァントを誰が呼んだか、というならば。

 紛れもなく、魔性菩薩その人だった。

 

 129騎目として席についたサーヴァントと契約したのは彼女の肉体だ。

 厳密には、彼女の指先に住まわされた儚い命が行った、最後の虚しい抵抗。

 消えてしまう事に際し、“助けてくれ”と、“消えたくない”と。

 魔神ゼパルの断末魔こそが、状況を更なる混沌に導く一手を呼び起こした。

 

 降臨した彼は、声によってSE.RA.PH(セラフ)の全てを支配した。

 

 “自分らしく生きたい”と願うのは、知性体の根幹だ。

 故に“天声同化(オラクル)”―――彼の声は、その全てを統一する。

 

 魔性はさぞ慌てた事だろう。それはそうだ。

 せっかく整えた自分好みの(からだ)が、そっくりそのまま相手の手に渡ったのだから。

 

 今やSE.RA.PH(セラフ)は9割以上が大帝の掌中。

 既に完全に機動聖都カロルス・パトリキウスに制圧されてしまっているのだ。

 この電脳に獣が羽化するため、使えるセクターなど残されていない。

 自由なのはBBが持つ独立セクターである、配信スタジオくらいなもの。

 

 如何に彼女が獣の幼体であろうと、羽化に至らず大帝を制圧するのは不可能だ。“天声同化(オラクル)”によってSE.RA.PH(セラフ)と同一化した彼は、それこそ彼自身が獣に匹敵する怪物であるのだから。

 

(それにしても、BB/GOの処分はいいとして……わたしはともかく、メルトとリップも“天声同化(オラクル)”で同化しないのは何故でしょうか。アルターエゴであるあの子たちは、使われちゃえば割と簡単に引っかかりそうなものですが。まあ、こっちとしては助かるんですけど。

 試しにカズラをわたしの代わりに投げ込んでみるとか? あの子の場合は消されたりして。そうなったらそうなったで面白いですけど、リソースの無駄遣いですね)

 

 画面の中でBBが嘆息する。

 大帝は既にこちらから目を逸らし、窓からSE.RA.PHの空を眺めていた。

 

 単純に、彼の牙城を崩すのは難しい。

 BBは彼を倒すために―――厳密には彼より前にいた彼女を倒すために、だが。

 そういった目的でこのSE.RA.PHに送り込まれたものだ。

 だからBB/GOとすり替わる事で虎視眈々と寝首を掻こうとしていたのだが……

 

 大帝はそれを理解して、現状をくまなく把握した上で、BBを自由にしている。

 BBチャンネル用のスタジオだって放置されている。

 あれは独立セクターであるが、それを言うなら機動聖都の主砲だって独立セクター。

 どこからでも、撃ち落とそうと思えば撃ち落とせるはずだ。

 

(プロテアを起こす。うーん、機動聖都とも戦えはするでしょうけど、その場合は総力戦。聖都の全砲門とプロテアの正面からの殴り合い。まあ、先にSE.RA.PHが潰れるでしょう。無しで。

 ヴァイオ、カズラは……まあ、サーヴァント相手に使うなら一考の余地あり。ヴァイオレットには独立セクターの砲門をハッキングさせる、というのはありかもですね。

 リップの視界より聖都の射程の方が長い以上、射程外から一方的に潰すのは不可能。やっぱり基本的な勝ち筋は、聖都の門をリップが壊して侵入。メルトが大帝を強襲して、“天声同化(オラクル)”の影響を溶解させる、しかないと見ますが……)

 

 そんな勝ち筋、大帝にだって見えているだろうに。

 彼はKP(カルマファージ)を回収され、BBが放置しているメルトとリップに意識を向けない。

 メルトが脱獄していると知ってこうして見に来たが、やはり気にした様子はない。

 

(AIだからどうでもいいのか、あるいは絶対的な自信で叛意を見せるまでは潜在的な敵でさえ無視してるのか、と思えばBB/GOはきっちり始末していますし。さて?)

 

 こほん、とそこでひとつ咳払い。

 それで大帝の意識を向けさせて、BBが彼に問いかける。

 

「ところで、逃げ出したメルトはどうなさるおつもりです? というか、リップも併せてそもそも何で捕らえるだけで放置していたんです?」

「―――――どうするか、などと」

 

 数秒、黙った後に大帝は表情に笑みを浮かべる。

 

「なに、捨て置けばよい。

 ……あれを囲っていたのは、この電脳には彩が足りぬと思っていただけだ。

 ならば鳥の飼育でも、と思いはしたが飛び立ったのであれば是非もない」

 

 そのまま踵を返して、大帝は玉座の間を後にしようとする。

 彼の背中を見送りつつ、目をぱちぱちと瞬かせるBB。

 

「そして片割れの姉妹を助けに来るというなら好きにすればよい。わざわざ牢に戦力を回す事もしないし、いちいち確認する事もない。あれはそもそもが()の感傷であるからな」

 

 あの(けん)を。あの(けん)を。

 見かけた時に頭をよぎった、若き日の記憶。

 ルーラーはともかく、あのアルターエゴを放置したのはたったそれだけの理由だ。

 拘泥するようなものではない。

 

 この身、大帝は聖なる王として目的を果たす。

 それこそ、あの感傷を拭い去るために。

 

 ―――そう、彼こそはフランク王国の王。

 八世紀から九世紀にかけ、西ヨーロッパの統一を成し遂げた大英雄。

 その果てに、遂にはローマ皇帝を名乗った聖王。

 

 その真名を、カール大帝。

 ヨーロッパの父と呼ばれ、人類史に強くその名を刻まれた偉大なる帝王である。

 

 

 

 

 

 これより始まるは聖杯戦争。

 “天声同化(オラクル)”に賛意を示した128騎による蹂躙劇。

 

 参加者はただ二人。

 一人は男、救済者(セイヴァー)になれなかった者。

 一人は女、救済者(セイヴァー)にならなかった者。

 

 熾天の檻を懸けて競い、共に目指すは地球の核。

 

 男は星の全てを同化し、普遍なる平和を求めるため。

 女は星の全てと同化し、己が身を絶頂へと導くため。

 

 

 




 
 Aルート、1週目的なあれ。
 初見で余裕こいてたらオラクルでセラフを9割以上乗っ取られて羽化できなくなった誘発を手札で腐らせたまま先行制圧された系ラスボス、殺生院V.F.D.(ザ・ビースト)
 セラフを奪われカール軍と完全に敵対。ただし、この状況でも殺生院には焦りも反省もない。動けそうなら動くし、駄目そうなら129騎の英傑を相手に蹂躙されるだけ。
 彼女は『まあ、それはそれで。綺羅星のように輝く英雄、豪傑129騎。いきりたつ彼らを相手に、手も足も出ず、何もできないままに思うさま嬲られ、凌辱の限りを尽くされるだなんて……ああ、それはなんて―――まるで、夢のような』などと、悦ぶだけである。無敵か?

 BBとしては最大の問題は二つ。

 一つはオラクルの効果の回避。“天声同化(オラクル)”は()()()()()()()()()()()()()、という意志があるだけで影響の回避が困難になる。
 この時点で彼女は常磐ソウゴ、ツクヨミ、明光院ゲイツを同時参加させる事を完全に捨てた。彼らの戦う理由を考慮した場合、同士討ち発生の可能性を無視できなかったためである。
 オルガマリー・アニムスフィアは正直どっちでもよかったが、使えそうな手駒がメルトとリップの2騎、という点を考えて参戦させるマスターは二名、藤丸立香、常磐ソウゴとなった。
 のだが、何故か呼んでみても来たのは常磐ソウゴだけ。なんでですかー。

 そして二つ目は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()事である。それは疑似ムーンセルであるセラフと同化したカール大帝を倒した場合、セラフを(からだ)として羽化した殺生院との連戦になってしまうという事。
 それをどうにかするために彼女は策を巡らせていたのだが―――


 ところで大帝実装まだ?
 


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天声の主814/B

 

 

 

「は―――ま、どーせ全部と当たって勝ち抜く事には変わりないし」

 

 頭を押さえていた手を、髪を掻き上げながら払う。

 スズカはそうして二振りの剣を背後に浮かべ、白銀の刃を握り直した。

 それを見てメルトリリスが(けん)を上げて前に出て―――

 

 それより前に、聖剣を手にしたシャルルマーニュが出た。

 

「ちょっと」

「事態はよく分かってないが、状況は把握した。というか、事態はどうあれだ。真名を捧げ、その名を預けられたマスターを守護する。それが騎士(サーヴァント)ってものだろう、多分。

 ってわけで、とりあえずここは俺に任せてくれ」

 

 振り返り、立香とメルトリリスを見て宣言する白騎士。

 

 酷く不満そうなメルトリリスの後ろで、立香が大きく頷き返した。

 その返答に軽く口角を上げて、シャルルマーニュは大きく体を沈ませる。

 

 スズカが床を蹴る。軽やかに、無駄なく跳ねる少女の体。

 彼女の視界が捉える全ては情報。それを考慮して選択される一手目。

 動かすのは大通連。神通力により空を舞う黄金の刃。

 その刀身が炎となり、シャルルマーニュへと向けられた。

 

火廻(ひまわり)―――!」

「―――エリュプシオン!」

 

 シャルルマーニュが腕を振るう。

 彼がその手に握るのは波打つ刃の聖剣、輝剣(ジュワユーズ)

 その動作に応えるように、スズカの放った炎の前に聳え立つのは岩石の壁。

 

 せり上がる岩塊に激突する炎の渦。

 火勢を受け止めた岩の盾を目にして、スズカは敵の情報を更新する。

 彼女が足元に運ぶ顕明連、それを踏んで空中に留まった。

 

「火傷するぜ―――!」

 

 岩山を挟んだ向こうから届く、シャルルマーニュの声。

 次の瞬間、岩がスズカの放った炎を巻き込みマグマとなり、弾け飛んだ。

 その勢いのまま、飛来する溶岩の飛礫。

 

 空中で固定した顕明連を足場に、すぐさま彼女はバックステップ。

 間合いを広げつつ、大通連のクールタイムを確保。

 一秒置いて、再びその刀身を別のものへと変えさせた。

 

水煉(すいれん)――――!」

 

 その刃から溢れるのは水流。迫りくる溶岩を逆に押し流す鉄砲水。

 流れは当然、上から下へ。

 灼熱に燃える岩を遮って床に沈める、滝のようなシャッター。

 

「トルナード!」

 

 聖剣から昇るのは、その滝を全て凍てつかせる凍気。

 滝壺から氷の柱が立ち上るように、その場に発生する大氷柱。

 刀身を凍らされ、氷柱の最上部に突き刺さった状態になる大通連。

 

 その柄へと飛び乗りながら掌を返し、スズカが手を振り抜いた。

 

 刀の峰で殴り壊される氷の柱。

 そうして解放した大通連を神通力で浮かせたまま―――

 

「頭、冷やしな――――!」

 

 突風が下から襲い来る。

 力強く吹く颶風。氷の柱を打ち砕きながら突き抜けていく上昇気流。

 それは砕いた氷を礫にして巻き込んで、荒れ狂いながらスズカへと吹き付けた。

 

 大通連を蹴り、下がりつつその刀身を疾風へ。

 

「―――楼嵐(ろうらん)

 

 雹を含んだ嵐に向けて突風を叩き付け、その反動で離脱する。

 力任せに攻撃範囲から逃れつつ、彼女は宙に浮かせた顕明連へと着地した。

 高度を落としつつ、スズカの視線がシャルルマーニュに向けられる。

 

(地、火、水、風。さっきの宝具解放を見るに、あとは(エーテル)もっしょ。五大元素を操る聖剣。本業のキャスターでもない私じゃ、この分野じゃ撃ち負けるか。なら太刀筋を視て“才知”の精度をガンアゲしてから、斬りに行くしかないんだけど……)

 

 舞い降りるスズカを目掛け、疾走する白騎士。

 彼は自身に向けられる視線を感知して、僅かに目を細めた。

 

「疑似勇士、召喚!」

 

 シャルルマーニュの背後に展開される飛行する輝剣。

 空いた左手の動きに連動する剣の動作。

 彼は自身の目の前にまで輝剣を持っていくと、不敵に笑いながらそれに手を添えた。

 

「“目映きは閃光の魔盾(ブラダマンテのたて)”―――!!」

 

 剣が変わり、顕れるのは星のように咲く魔光の盾。

 正面にそれを構えられた瞬間、スズカは即座にその場を跳んでいた。

 シャルルマーニュの正面、盾の向きと方向をずらす動き。

 

(正面からはアウト、あの盾に視覚を潰される。視れなきゃ情報が集まらない。視覚以外から拾える情報が0ってことはないけど、どう足掻いても学習速度はガタ落ちする。情報が集まらなきゃ演算精度が上がらない。サイアクじゃん、こっちの弱点きっちり分かってる。

 はっ、流石は天下に名高き勇者様、ってこと?)

 

 一瞬だけ顕明連に視線を向け、しかしすぐに顔を逸らして。

 間合いを取りながら探るような立ち回り。

 やがて白騎士が足を止めたところで、彼女もまた動きを止めて溜め息をひとつ。

 

「なにそれ、別のサーヴァントの宝具引っ張りだせるわけ? 流石に盛りすぎっしょ、それ。そういう盛り盛りなのは普通、JKの専売特許なわけじゃん?」

「JK……? ああ、ジョシコーセー? って奴だな。いいよな、あれ。男女問わず、身分問わず、信仰を問わず、誰であれ求めるものは学問を納められる、って機関の事なんだろ?」

 

 シャルルマーニュが盾を手放せば、それは剣に戻って消えていく。

 まあ、展開し続けるには辛い魔力消費なのだろう。

 そうでもなければやっていられない、とスズカは軽く肩を竦めた。

 

「はー? なにそれ、そーゆー話はしてないから。私の言うJKってのは生き様、つまり覚悟の話なわけ。私がこうしてJKとして立っているのは、何であれ可愛くするし、どんな事でも楽しむ心意気、みたいな―――……」

 

 黙り込む。自分の言葉で、自分の意志が消沈していく。

 自己嫌悪が止まらない。早く小通連を手放したい。

 だが、これを手放してあのA級サーヴァントとやりあうのは無理だ。

 

 彼女は特級ではあるが、それは通常のサーヴァントとしての枠組みを超えた場合の話。

 常に自分の意志でその枠を超える手段を持っているから、という話。

 この状態でシャルルマーニュとの一騎討ちは流石に辛い。

 

「ああ、その精神を養うにはまずはカタチから。騎士が鎧を着こむように、学徒は制服を身に纏うって事だろ? 心配ない、俺だってそのくらい理解するさ。十二勇士(うち)には理性を蒸発させて、可愛いからって理由でそういうカッコする勇士(アストルフォ)もいるしな!

 ……―――いや、自分で言っててやっぱ心配だな、アイツ!」

 

 流石に女学生の服とかは着ないはず。着ないと言って欲しい。いや、やるかもしれない。たぶんやる。彼こそは十二勇士においても面白さNo.1、子猫よりも自由な奴と噂の騎士アストルフォだ。可愛いからってスカートを普段着にしてる可能性だって……いや、まあ、流石にそこまでじゃないだろう。多分、きっと、恐らく、大丈夫だろう。大丈夫だといいな。

 

 ううん、と悩むシャルルマーニュ。彼を見て。

 その後ろにいるマスターとメルトリリスを見て。

 そこで彼女は大きく息を吐いた。

 

「……ガン萎え、なんかやる気なしってカンジ。もう戻るし。何か文句ある、BB」

『あれれ、別に第三宝具を使わなくてもKP(カルマファージ)があれば押し切れると思いますけど?』

 

 彼女に追従していたウィンドウの中で、BBは大袈裟に驚いた顔。

 

 まあ、確かにBBの言う通り。

 例え相手にマスターがいても、衛士(センチネル)である自分とバックアップの差は明白。

 やろうと思えばシンプルに削り合いで勝てるはずだ。

 

 だがそんな事してやる理由はない。

 これは128騎のバトルロイヤル。枠外の戦いで自分が消耗してやる義理はない。

 もちろん、これが衛士(センチネル)としての仕事だと雇い主が言うならば、支援をもらっている側としてはやらねばならない事、として処理するしかないが。

 

『まあやりたくないならそれが構いません。どうぞ退いて、自分のエリアにまで帰還してください。わたしだってセンパイがサーヴァントと契約してしまった以上、ここでチュートリアルは強制終了です。

 せっかく鈴鹿さんをわざわざ連れてきたのにイベントをSKIPポチーっ! だなんて、わたしだってチョベリバです。これ以上は手助けなんてしてあげませーん。

 ―――ま、せいぜい頑張ってくださいね、センパイ?』

 

 最後の言葉は最後のマスターへ。

 軽くそう言い放つと、BBは通信を終了させてしまった。

 

「あ、そ。じゃあ、私も帰るから」

 

 小通連を手放して、大きく後ろに跳ぶ。

 雇い主からOKが出た以上、もう継続する気は一切ない。

 言葉さえ交わさないまま、スズカは脇目も振らず撤退に移る。

 

 それを見送り、頭を掻くシャルルマーニュ。

 彼は数秒待機した後、踵を返して立香に向けて歩み出した。

 立香もまた彼に向かって歩み寄ろうとして、しかし。

 彼女の進路を、メルトリリスが遮った。

 

(……BBが何もせずに退いた。アイツ、こいつの事を把握してた? 現れたのは私より前? 後? 前だとしたら、意図して伝えなかったって事?)

「うーん……一応、サーヴァントとしてできる事はしたつもりなんだが」

「どうしたの、メルトリリス?」

 

 シャルルマーニュが武装を解除し、苦笑する。

 その態度を見て、自身を遮るメルトリリスの方を不思議そうに見る立香。

 

「……アナタ、本来のマスターは? このSE.RA.PHにいるのは128騎のサーヴァントと、BBに用意された衛士(センチネル)である私たちアルターエゴだけ。スズカを始めとして、128騎のサーヴァントには一応は元のマスターがいるはずなのですけど?」

「アルターエゴ、っていうのは?」

「マスター、説明は後で。今は黙っていて」

 

 真剣そうなメルトリリスにそう言われ、お口チャック。

 なぜ彼女はこうもピリピリしているのか。

 

「あー……黙秘、と言いたいが。そりゃ無理だな。けど話としては単純だ。俺はただ、その128騎には含まれていないってだけのことだ。

 俺はいわゆる129騎目……いや、たぶん130騎目のサーヴァント、って奴になる」

「130番目、って。それ、ソウゴに召喚されたサーヴァントってこと?」

 

 お口チャック解除。

 BBはソウゴを130番目のマスター、と称していた。

 それはつまり、そういう話なのだろうか。

 

 ―――と、そこで。あ、と思ってももう遅い。

 しかし、彼女の前に立つメルトリリスから叱責が飛ぶような事はなかった。

 代わりに、彼女の背中から感じる雰囲気が酷く不機嫌になったような気がする。

 申し訳ない、つい。

 

「うん? ソウゴ、ってのは誰かの名前か。悪い、知らない。

 俺の召喚は偶発的に起こったもので、誰か特定の召喚者がいるわけじゃないんだ」

 

 だが、シャルルマーニュはそれをあっさりと否定した。

 

「もちろん召喚に至った理由はあるし、アタリはつけてる。状況証拠でしかないけどな。ただちょっと、それをいまマスターに開示しろ、というのは待って欲しい。ここで説明したらたぶんきっと色々まずい事になる、と思う。いや、大層な理由をつけずとも、ここはギリギリ俺の我儘って事で何とか通らないか?」

 

 大真面目に引き締めた表情で、ふざけた事をのたまうシャルルマーニュ。

 そんな相手に対し、メルトリリスの眉が上がる。

 

「通るわけが―――」

「じゃあそれで」

「マスター!!」

 

 早々に了承してしまった立香にメルトリリスが声を荒げる。

 が、彼女はすぐにその調子を不承不承抑えこむ。

 そうして呼吸を整えた後に、マスターへと問いかけた。

 

「―――それで。このサーヴァントの目的が、アナタの不利益になるものだったらどうするというの? 私たちを利用してこの聖杯戦争を勝ち残ること。それがこのサーヴァントの目的であったなら、アナタは一体どうする気? もう少し慎重に判断して欲しいのだけれど」

 

 隠したようで不機嫌さはまったく隠せていない。

 長い袖で覆われた腕で、苛立たしげに藤色の髪を払うメルトリリス。

 そんな彼女の態度に対し、立香は腕を組む。

 

「……うん、でもその程度なら全然いいと思う。ここ、サーヴァントが128人もいるんだよね。その状況で、ましてサーヴァント相手には逃げるしかない私がいる以上、協力してくれるサーヴァントは多いに越した事ないよ。

 ごめん、私はまだメルトリリスが心配してる事を気にできる場所にいないんだ」

 

 何だか分からないが、メルトリリスは妙にこちらを心配してくれる。

 ただ彼女を完全に信頼したとしても、単純に戦力が無視できない。

 メルトリリスは強力なサーヴァントだが、それこそつい先程に危機に瀕した。

 ―――立香のせいで剣の雨を避けられない、という。

 

 メルトリリスが如何に強力で、仮にこのSE.RA.PHで最強だったとして。

 複数のサーヴァント、広範囲に威力が及ぶ宝具、それを相手にすれば立香は死ぬ。

 その事実を当然理解している彼女は、僅かに視線を逸らした。

 

「……128騎の大半は勝手に潰し合うでしょうけどね」

「でもありがとう。あと、悪いんだけどそういうことを思い付いたらどんどん言って欲しい。きっと状況が変わるごとに、そういうこと考えていかなくちゃいけないから」

 

 カルデアからの支援はない。知恵者からの言葉は貰えない。

 頼り続けたマシュはいない。共にやってきたソウゴはいない。

 この戦いは、藤丸立香というマスターが指針になって進めないといけない。

 その事実を確かめるように、少女は小さく深呼吸をした。

 

 むむむ、と。顔を珍妙に歪めるメルトリリス。

 確かに彼女の性能は破格だ。特にここに来てから最高潮以上の最高潮。

 その事実に疑いはない。が、同時に彼女は自分が舞台で踊るプリマドンナ。

 そもそもが、マスターを護衛するなどという用途に向いていないのだ。

 

 分かり切っている話に渋くなる眉。

 振り向けば、そんな彼女をシャルルマーニュが間抜けな顔で見ていた。

 

「……見た事かしら、少なくとも私の方がマスターからの信用を得ているという事ね」

「おお、そりゃ参った。けどそうだな、それでいいと思うぞ。マスターを真っ先に助けに入ったのはアンタなんだから、最上の信頼はそこに置くべきだ」

 

 うんうん、と頷くシャルルマーニュ。

 立香もまたメルトリリスに疑いはない、と確かに首を縦に振った。

 ふふん、と袖で崩した口元を隠しつつ微笑むメルトリリス。

 

「―――当然でしょう。ここに来たのも、契約したのも、私の方が先なのだもの」

「そっか、そうだな。じゃあマスターのファースト・サーヴァントであるアンタは俺の先輩だな! よろしく、メルトリリス先輩! 俺の事は好きに―――いや、シャルルマーニュでもいいけど、できればシャルルとかシャルって呼んでくれ。マスターもな」

 

 ふざけた呼び方に一転、眉を吊り上げるメルトリリス。

 

 その後の言葉を告げる時、一瞬だけシャルルマーニュの表情が曇る。

 まるで大帝(マーニュ)の名に思うところがあるとでも言うかのように。

 彼のそんな様子を見て、立香が頷く。

 

「そう? じゃあよろしくね、シャルル」

「……そう。まあアナタに合わせるわけじゃないけど、私もメルトリリス……あるいはメルトと呼んでみてもいいわ。マスターがそれが呼びやすいと思うなら、だけど」

「おお、じゃあ改めてよろしく、メルト先輩!」

「アナタに言ったわけではないんだけど―――――!」

 

 がなるメルト、笑うシャルル。そんな二人を横から見て、立香が苦笑した。

 そうして数秒間だけ緩んだ空気を張り直すように、メルトが咳払いをひとつ。

 

「大体、アナタにはもっと有名な真名があるんじゃなくって、シャルルマーニュ。

 ―――いいえ、カール大帝?」

 

 打って変わり、再び詰問口調。

 何が彼女をそこまでシャルルを警戒させるのか、彼女はやはり当たりが強い。

 ともすれば、敵として戦ったスズカ相手よりもだ。

 何かあるのだろうかと視線を向けてみても、彼女はシャルルを見据えたまま。

 

「あー……まあ、そうだよな。普通は名乗るならそっちだろう、と思うよな。

 ただまあ、俺の場合ちょっと事情が違う。アイツ、カール大帝は俺とは別側面の存在なんだ」

「カール大帝……」

 

 シャルルマーニュ、即ちカール大帝。彼こそは、ローマ、ゲルマン、キリスト教。三つの文化を融合させ、大帝国を築いたフランク王国の聖王。

 中世以降、現代に至るまでの『ヨーロッパ』という枠組みを成立させた太祖にして、偉大なる騎士道の体現者である九偉人に数えられる一人。

 

 シャルルマーニュというのは、カール大帝の治世を原型にした武勲詩、叙事詩の集合である『シャルルマーニュ伝説』におけるフランク王国の君主の名だ。カール大帝を由来とする伝説の勇士、それがシャルルマーニュと言う事になる。

 

 頭を掻きながら、言葉を選ぶように続けるシャルル。

 

「おおまかに分けると史実寄りの王としての存在がカール大帝。俺は幻想寄り、シャルルマーニュ十二勇士として武勲詩に語られる方の存在、ってわけなんだが……」

「それってどんな違いがでるの?」

「本来は出ないさ、普通ならその両方を備えたものが英霊“カール大帝”なんだから。クラスによって表に出る性格の比重は変わるだろうけどな」

 

 クラスによって性質の違いは出るだろう。

 セイバーであるならば幻想寄り、勇士としての面が大きくなるのは違いない。

 聖剣の扱いは大帝としてのカールでなく、勇士であるシャルルの担当なのだから。

 

「ただ今回は事情が違った。俺は何故か“シャルルマーニュ”でしかなかった。

 一大帝国を築いた史実のカール大帝と、騎士道物語(ロマンス)におけるシャルルマーニュが、どうしてかきっちりと分けられちまった。だから正直言うと、俺はカールを自分として認識はしているが、自分が大帝であるって自覚は薄い」

「カール大帝が自分だとは思ってるのに、自分が大帝であると思えない?」

「うーん……アイツが自分だとは分かってる。ただ、お互いに譲れない場所が違うんだ。

 アイツからすれば俺は白昼夢みたいなもんだし、俺がアイツを見たって現実感がない。アイツは現実を見る事にした頑固者で、俺は夢見がちなままのスカポンタン。根っこの部分は共通してるが、行動方針が割と真逆になるんだよ、俺たち」

 

 彼は自分という存在は、カール大帝が少年期に過ぎ去っていたものだという。

 史実の大帝ではなく、物語において語られる勇者としてのカール。

 本来の転換点で切り替わることなく、少年の夢のままでいてしまった残影。

 

 と、そこまで話してはたと気付くシャルル。

 今まで語った部分を置いといて、とジェスチャーで示し、彼は話を元に戻す。

 

「まあそういう違いがある、と軽く理解してもらって。で、俺は聖杯戦争より、なぜこんな召喚になったのか、っていう問題の解決が目的なんだ。

 なんで、メルト先輩が心配してるような事にはならないと思うぜ」

 

 メルトリリスは注意を彼に向けるが、彼からすれば的外れだ。

 ぶっちゃけ、自分は聖杯戦争には関係ない。

 そうはっきりと口にした少年王に対し、彼女はそれでも懐疑的な視線を向ける。

 

「さっき言ったのは、その理由にもう予想はつけてるって意味?」

「ああ。異常な状態で俺が呼ばれたって事はつまり、カール大帝が異常を起こしたって事。だから―――と、今はこのくらいで勘弁してくれ。どうかな、メルト先輩」

 

 立香から問いに、シャルルはそう言って笑う。

 彼がここに出現したのは、あくまで聖杯戦争とは別件。

 

 不満を隠さず、しかしメルトはそこで追求する事はしなかった。

 シャルルマーニュはカール大帝の一部。

 恐らくカール大帝が異変を起こした結果召喚された者。

 その説明に、一応の納得をしたのだろうか。

 あるいはこれ以上追求するには、自分の持つ情報を開示する必要があるからか。

 

 不機嫌そうに、しかしこれ以上は口にできないと眉を顰めるメルト。

 そんな彼女をちらちらと見つつ、立香はもう一つ訊いておく。

 

「それってつまり、さっき自分を129から130に言い直した理由? 129騎目のサーヴァントがカール大帝で、130騎目がシャルルだった、って事なのかな」

「ああ。俺はここにきてからアイツの顔を見てないが、このSE.RA.PHにアイツがいるのは間違いない。俺の半身だ、近くにいればそのくらいはビビッ! とくる」

 

 そう口にすると言う事は、カール大帝の存在は決定的なのか。

 メルトが彼の物言いに何かを言おうとして。

 しかし言葉を詰まらせて、堪えるように途中で唇を引き締めた。

 

「じゃあカール大帝も探した方がいいよね?」

「ん? いや、俺の目的は後回し、というか忘れてもらってもいいぜ。別にアイツがいま悪さしてないなら、俺が変な召喚されたってだけで終わりの話だし」

 

 あっけらかんと、シャルルは自分の行動目標をどうでもいいと言い切る。

 そんな彼の間の抜けた様子に、メルトはすぐさま食いつく。

 

「ちょっと、それがどうでも良いわけないでしょ? もし何かしてたら―――!」

「いや、してないって。何かする時にこそこそするような奴じゃない。

 それは俺を見れば分かるだろ? 俺は堂々としてる方がカッコいいからだが、アイツの場合なおさらだ。アイツにとって己の治世は正しく世界(かみ)のためだからな」

 

 その行動は聖なるものである、と。カール大帝は己が行動をもって示す王だ。

 自分の存在を表に出さない動きなどするはずがない。そこは絶対に裏切らない。

 仮にそんな動きをしているというのなら、それはもうカール大帝ではない。

 活動しているように見えないならば、実際に動いていないのだ。

 そこは間違いなく、確信していい事実。

 

「もし普通に動ける状態でそこらにいたとしたら、目的はさておきアイツは絶対に目立つ事をしてる。というか、アイツの宝具が目立たないわけがない。そんな奴だから現状で動きが見えないなら、そもそも動ける状況にあるかどうかさえ怪しい。たぶん霊基は存在しているが、サーヴァント・カール大帝として動ける状況じゃないんだろう」

 

 そこに関しては一切の疑いを持っていないのか、そう断言するシャルルマーニュ。

 彼の断言に、メルトもまた視線を彷徨わせて口ごもる。

 まるで否定したいけれど否定できない、とでも言うように。

 

 ぱん、と。軽く手を打ってシャルルが話を変えに行く。

 

「それで、マスターの方が大変な事態なんだろ? そっちに集中していこう。そっちを解決すれば、自然と何でこうなったか分かるかもしれないし。で、何すりゃいいんだ?」

「……まずは油田ケーブルエリアを通って中央部に行きましょう、マスターに溶けられたら困るし。あそこならまだ完全には電脳化していない建物もあるでしょうから」

「溶ける? 溶ける、って……私が?」

 

 言われた事に目を開き、自分の体を確かめる立香。

 言われてみれば、どことなく体が粟立っているような。

 やっと気づいたのか、とメルトがどこか呆れるような表情を見せる。

 

「電脳化した空間にそのままいたら、礼装で保護していたって人間は数時間でデータ化して消失するってこと。何にせよ、とにかくまずはアナタが休憩できる拠点を確保しましょう。

 時間に限りもあるし、後は移動しながら説明するわ。さっきのアナタの質問とかね」

 

 アルターエゴの事とかか、と頷く立香。

 彼女は考えなくてはいけない。この特異点で戦い抜くために。

 そして考えるためにも、様々な情報を集めなくてはいけない。

 

 シャルルマーニュは彼が持つ多くの情報をくれた。

 次はメルトリリスに色々教えてもらう。

 彼女の言う事を聞いて、しっかりと理解して、進む方向を決める。

 それがまず、ここに来た彼女がやらねばならない事だ。

 

「そっか。うん、分かった。お願いね、メルト」

「―――――ええ」

 

 力を入れ直して、身構えつつ歩き出す立香。

 そんな彼女の姿を見てから、メルトもまたその(ヒール)で床を滑り出す。

 

 シャルルマーニュは動き出した二人の少女の背中を数秒眺め、相好を崩す。

 だがすぐに気を取り直して表情を引き締め、追従し始めた。

 

 

 




 
 なおシャルルマーニュが情報を開示して困るのは本人じゃなくメルトな模様。
 これ言ったらたぶん先輩が困るんだろうなぁ、と思って黙秘する後輩の鑑。
 


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天声の代行者814/A

 

 

 

 三振り目の剣、顕明連を握る少女の手。

 

 ―――鈴鹿御前。

 立烏帽子とも呼ばれる、平安の世に天界より遣わされた第四天魔王の娘。

 彼女の持つ宝具は、戦闘に使用している三振りの宝剣。

 

 第一刀、大通連。

 神通力によって刃を雨と降らせる対軍宝具、“天鬼雨(てんきあめ)”。

 第二刀、小通連。

 文殊の智慧を引き出して知性を上昇させる“才知(さいち)祝福(しゅくふく)”。

 

 そして、第三刀たる顕明連。

 その刃を解放した時に発揮される力こそが―――

 

「“三千大千(さんぜんだいせん)――――!!」

 

 まるで鬼のように。

 その表情を歪めて、吼える鈴鹿。

 

 彼女の行動に前にジオウⅡが、その覇気に装甲を揺らした。

 そのプレッシャーを浴びながら、ジオウⅡの頭部でブレードが回る。

 どのように動くか、という光景を彼がその視界が捉えて―――

 

 ―――瞬間、互いの視界を遮る炎が迸った。

 崩れた天井から降り注ぐ、圧し固められて槍としての形状を持たされた熱量の塊。

 それがジオウⅡと鈴鹿の間に、無数に降り注ぎ突き刺さった。

 

 槍衾によって強引に築き上げられる炎の壁。

 双方、その下手人を即座に理解して視線を上へと向ける。

 そこには互いの想像通り、日輪の輝きがあった。

 

「やめておけ、セイバー」

 

 空を灼く炎の翼。その身に備えるのは黄金の鎧と槍。

 圧倒的な熱量を携えて、白髪の男はそこにいた。

 天上の太陽を即座に睨みつけ、鈴鹿は彼に食いかかる。

 

「はぁ……? なに邪魔してくれてるわけ?

 これ、ギャル男には関係ないっしょ。いいから引っ込んで―――!」

「今ここでその千里真眼を開くこと。その行動がお前が抱く真情であるならば、オレとて何も言うまい。真実それが望みであるというのであれば、それを阻む槍をオレは持たない。

 ―――だからこそやめておけ、と。こうして横入りしている」

 

 崩れた教会の壁に降り立つ男。彼の背で、日輪の如き炎の翼が畳まれる。

 そんな余裕な態度に対し、鈴鹿は酷く表情を歪めた。

 

「今のお前は、大帝の“天声同化(オラクル)”から逸脱しかけている。自分はその剣を手にする事を望んでいない、と誰より自分で把握しているのだろう。

 であれば、正気を取り戻すには今行われたオレの介入で十分な筈だが」

 

 激情を理由とした見切り発車はここで止めておけ、と。

 彼は黄金の槍を軽く払いつつ鈴鹿に告げる。

 舞い散る太陽の残り火を睨みながら、彼女は唇を噛み締めた。

 

 数秒だけじっと彼女を見て、そうした後に視線をジオウⅡへと向ける。

 ジオウⅡよりも、彼が背にした倒れた少女か。

 

「そのアルターエゴを捕縛する理由も、そのマスターと敵対する理由も、現状のオレたちは持ち合わせていない。ならば速やかに帰還するべきだろう」

「…………」

 

 無言で返す鈴鹿御前。

 

 彼女のその反応を見つつ、ジオウⅡが僅かに足取りを迷わせた。

 いま目の前に現れた相手と戦う事になれば、どう決着するにしろ末期的だ。

 判断材料にするだけの詳細な状況が分かっていればまだよかったのだが。

 この状態では撤退を見過ごす、以外の答えは存在しないだろう。

 

「ねえカルナ、それ、どういうこと?」

「オレたちはお前たちに備えて配置されているわけではないということだ。生憎、オレから事細かに説明する義理はない。詳しい事を知りたければ、そこのアルターエゴに訊けばいい」

 

 それはそれとして、と。問いかけた言葉への返答はにべもない。

 

 ―――太陽神の子、施しの英雄カルナ。

 彼は己の名を突然呼びかけられた事に対し、さほど驚きをみせる事もなく。

 ただジオウⅡとその後ろの少女を見据えるのみ。

 

「……よく分からないけど。ここをこうした奴に、あんたは味方をしてるんだよね?」

「見た通りだ。()()()()()()()()()は“天声同化(それ)”に賛同した。ならば、オレがやる事はただひとつ。その叫びに応えるのみだ」

 

 カルナが踵を返す。敵に対し警戒すらせず。

 いや。彼はつい今、ソウゴたちを敵ではないとは断言した。

 純粋に、彼にとってここにいるソウゴたちは警戒に値しない存在であると。

 当然のように、味方でもないだろうが。

 

 去ろうとするカルナが足を止め、鈴鹿御前へと目を向ける。

 それを受け止めた少女が、軋むほどに歯を食い縛って。

 酷く乱雑に、手にしていた剣を鞘へと叩き込んだ。

 

「分かってる……! そんなこと、分かってるし……ッ!」

 

 瓦礫を踏み砕き、鈴鹿御前が強く跳ねる。

 超長距離を跳ぶ勢いを見送ってから、カルナもまた炎の翼を展開した。

 空に炎で軌跡を曳いて、こちらを振り返る事もなく離脱する戦士。

 

 呼び止めても意味はないのだろう、と大人しくジオウⅡはそれを見過ごす。

 

(……うーん。カルナに、鈴鹿御前……それに何か、大帝? 多分、俺ひとりじゃ保たないな)

 

 カルナの力はよく分かっている。激突すればそれは決戦だ。余裕なんて残らないだろう。

 鈴鹿御前も()()()だけ見せた宝具を考慮すると、カルナと大差ないレベルだと思う。

 大帝と言うのは少なくともこの二人を従えた存在。

 まあ自分一人で複数相手取るのは無理だ、という前提で進めるべきだろう。

 

 さておき。振り返って、さっきの女の子の方に向き直る。

 転がしておくのも何なので、そのまま歩み寄って軽く抱きかかえた。

 そうされて、困惑げな表情でジオウⅡを見上げる少女。

 

 周囲を見回して、彼女を座らせられそうな場所を探す。

 そうして残骸が積み上がって高くなった場所を見繕って、そこまで運ぶとゆっくり下した。

 座る姿勢にされ、体を起こされた少女が戸惑いがちに礼を述べる。

 

「すみません、ありがとうございます」

「BBが言ってたみたいに契約すれば回復するの? それなら契約するのが一番早いけど」

「……その前に、私の素性を確認するべきなのではないのでしょうか……?」

 

 契約するなら一応先に変身解除した方がいいかな、とベルトに手をかけるジオウⅡ。

 そうして武装を解こうとした彼に、恐る恐るといった様子でそう言う少女。

 レベルダウンした彼女にできることは多くない。

 が、こうまで隙を見せられてはどう反応したものか分からない。

 

「別にそれは回復してからでもいいんじゃない? まともに動けないんじゃ困るでしょ」

「―――――」

 

 それは甘いのでは、と。そう考えようとして。

 彼女の前でさっさと変身を解除した少年を見て、少し違う事に気付いた。

 少年の表情には微かに焦燥が混じっている、と思う。

 

 そこを理解して、納得した。

 ああ、この人間は自分が裏切るかどうかも情報のひとつとして早く欲しいのだ、と。

 

 少なくとも彼はBBとここで会話していた。恐らく彼女の誘いに乗り、こんなところに来るような人間ということだ。

 BBから何らかの情報を提供されているという事は、BBの行動がどれだけ信用できるかも測りたいだろう。そうなれば、彼女―――メルトリリスがBBから彼に対し消極的にでも提供された戦力でもある以上、自分の動向は同時にBBが何を考えているかという指針にできる。彼女を情報源として利用するには、動けないままでは色々と困るわけだ。

 

「―――では、お言葉に甘えて。

 私は快楽のアルターエゴ、メルトリリス。アナタと契約を結びましょう」

 

 そういう理由があるならば納得できる。

 戦えるマスターがそれをやるならば戦術としては有りだろう。

 彼が焦っているわけまでは分からない。

 が、その焦りを解消するのがこの契約の目的なら、彼女にも否やはなかった。

 

 

 

 

 

 一時間近く経って、最低限、少なくとも立てるくらいには回復して。

 未だに教会の跡地で瓦礫を椅子代わりに、二人はたむろしていた。

 その体の様子を確かめながら、メルトリリスはソウゴと言葉を交わす。

 

「つまりこれ、どうすればいい状況なの?」

 

 さっぱりだ、と。腕を組んで眉を顰めるソウゴ。

 こっちだってアナタにどう説明すれば分かってくれるのかさっぱりなのです、と。

 メルトリリスは困った風に首を傾げる。

 とにかく、順を追って話してしまうしかない。

 

「ええと……まずは現状を改めて。ここは電脳空間、SE.RA.PH(セラフ)

 アナタたちの時代の海洋油田基地、セラフィックスが電脳化して、2030年(みらい)のマリアナ海溝にシフトした、という異常な空間です」

 

 そこまでは分かる、と。

 メルトリリスの対面で瓦礫に腰かけたソウゴが頷く。

 というか、場所の情報自体は究極的にどうでもいい話だ。

 何をどうすればいいのかさえ分かれば。

 

「うん、それでどうしてこうなったのかが……」

「―――確かに、そこはとても複雑なのですが」

 

 この場で発生した状況の二転三転具合は中々のものだ。

 メルトリリスはそこで一度言葉を止めて、一拍置いた。

 

「まず最初に発端から。アナタたちの知る魔術式―――魔神が、セラフィックスを支配した事が始まりです。時期は2017年に入ってから。私の持つ情報からは、目的までは具体的には分かりません。アナタたちへの復讐か、あるいは別の目的か。ただ、カルデアの関連設備であるセラフィックスを狙っている以上、復讐に近いものだと予想はできます」

「セラフィックスを……」

 

 つまり所長が魔術協会とか国連とてんやわんやしている間に、ということか。

 そこまで手が回らなくなっていた結果、放置される羽目になった。

 魔神ゼパルはそういう状況にも味方され、ここを弄る事に成功してしまった。

 

「魔神がやったのは、セラフィックスを作り替える事。ただ電脳空間にシフトさせた、というわけではありません。セラフィックスを外界から遮断し、閉鎖環境にして、極限状態に追い詰められた人間の悪性を突き詰める地獄を降臨させたのです」

 

 眉を顰めて、その話を聞く。

 悪性の具現といえば、作り替えられた新宿もそうだっただろうか。

 

「……その過程において魔神は、セラフィックスの職員の中から、自分が潜伏するための苗床として使用する人間を一人選びました。それに選ばれたのが……殺生院キアラ。セラフィックスに理学療法士として招かれていた女性にして、魔神が選ぶには最低最悪の選択肢でした」

「どういうこと?」

 

 その名を呼ぶことさえ厭わしげに、彼女はその名を口にする。経験値(レベル)を捨てたせいで状態もロールバックしているが、それでもアレへの嫌悪はこびり付いている。

 とにかく、情報だけを吐き出すために深呼吸。そうしてから、彼女は続けた。

 

「―――彼女には才能がありました。魔神以上の怪物……いえ、魔神の中心にして終端。魔神王ゲーティアに匹敵する怪物に変生する才能が。魔神単体では対抗できないのは当然でした」

「ゲーティアに、匹敵する……」

 

 それがどれほどの脅威か、など説明されずとも分かる。

 魔神王ゲーティア、七十二の魔神を統率する魔術式ゲーティアの成れの果て。

 人理焼却という偉業を、あと一歩のところまで進めた憐憫の獣。

 彼らカルデアはそれを越えてきたが、それが簡単なものであったはずもない。

 

 状況の切迫はセラフィックスだけではない。彼が立香とはぐれた事だけでもない。

 見逃してはいけない大事が、そこには発生していた。

 

「彼女と魔神の主従関係は逆転し、魔神はただの情報として使用された。

 この時点で最大の原因だった魔神はその意味を消失します」

 

 現状の対策を打つ上で、考慮しなければいけない存在。

 その中からゼパルが真っ先に消える。

 魔神はもう殺生院キアラによって無力化されているとの事だった。

 

「殺生院は魔神が整えた閉鎖空間であるセラフィックスの混沌を支配しつつ―――根本原因の一つである、セラフィックスの天体室を起動した」

「天体室……プラネタリウムみたいな?」

 

 プラネタリウムが何の関係があるのか。

 そうして首を傾げるソウゴを見て、メルトリリスは溜め息ひとつ。

 ゆっくりと首を横に振って、プラネタリウムなんかじゃないと否定した。

 

「…………アナタもカルデアのマスターなら、それが天体科(アニムスフィア)の運営である事くらいは知っているでしょう?

 天体室とはアニムスフィアの有する実験室、ごく一部の職員以外には隠匿された区画です。その目的はある意味では、カルデアと同じものという事です」

 

 まあここがそもそも所長ん家のものなら、そうなるのだろう。

 つまり天体室という名前の由来は、所長が担当する学科ということだろう。

 結局魔術協会の事をよく分かっていないので、そこは曖昧に頷いておくしかない。

 

「えっと……じゃあ100年後の未来、人理の保障のため?」

 

 カルデアはそういう目的のために存在する施設だ。

 メルトリリスがそう語ったと言う事は、そういう事なのだろうか。

 だが彼女は、返答に迷うように視線を彷徨わせる。

 

「重ねて言いますが、ある意味では。目的は同じですが方針が真逆。自分たちで観測し保障するのではなく、もっと(おお)きいものに保護してもらう、という趣旨になるでしょう。

 カルデアが表の人理保障機関であるならば、天体室は裏の人理保障機関。非人道的な実験も多く行われていたようです」

 

 だが語ると決めたのだろう。

 彼女は気を取り直して、ソウゴを見据えて話を続ける。

 

「天体室にはアナタたちがレイシフトを行うためのものと同じ、クライン・コフィンが128基設置されています。そこに投入されるのは、良質な魔術回路を保有したマスター候補。カルデアでマスター候補として選定された者の中から、一部をこちらへと回していたようですね」

「でも俺とか立香は一般人枠だったと思うけど……そんなに128人もいるなら、カルデアに呼べばよかったんじゃないの?」

「―――そうなるに至るまで、どのようなやり取りがあったかまでは知りません。ただ一般人を採用する事に関しては、国連へのアピールなのではないですか? 少なくとも、それなりに優秀なマスターさえあそこに回されていたのは事実です。どちらにせよ、いなくなってももみ消せる程度の人材であったのでしょうが」

 

 見れば、不満げな表情を浮かべているソウゴ。

 まあ、彼がよく知るオルガマリー・アニムスフィアは関わっていないだろうし、そうだとも思っていないだろう。

 そもそも彼女では、この暗部に関わらせてもらえるほど前ロード・アニムスフィア(ちちおや)に信頼されていたかさえ怪しい。

 

 とはいえ、今はもうこれを気にしてしょうがない。

 彼の視線に応え、続きを語る。

 

「彼らを集めた目的は、地球への接触。コフィンに入れられた魔術師は、ここから霊脈を通して地球の核へと意識を飛ばす事を目的としていました。

 地球の意志と呼ぶべきものに対し、友好的接触(コンタクト)を試みるために」

 

 意識上だけで、地球に接触する。

 話題が飛躍したので、ソウゴの表情にもどういうこと? と浮かぶ。

 天体室はカルデアと目的を同じにしていた、と言ったのはメルトリリスだ。

 それが一体、どうしてカルデアと同じになるのか。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 地球自体に『私の上で繁栄しているのはこの知性体であり、文明だ』と認めてもらうのです。

 それにより自分たち人間の未来を確固たるものにしようとした」

 

 そう言われれば、なるほどと。

 鷹揚に頷いて、そのすぐ後に首を傾げた。

 

「……なんで?」

「私にもそこまでは」

 

 カルデアが正常に働いているならば、そんなものはいらないのではないか。

 カルデアと違って隠すくらいだから、バレたら魔術師としても不味いのだろう。

 であるならば、そんな危険な橋を何故渡るのか。

 

 そう考えこもうとするソウゴの前で、メルトリリスのヒールが床を叩いた。

 カンカン、と。鳴らされた床の音を聞き、ソウゴは彼女に視線を戻す。

 

「とにかく、そうして地球の核に人間の意識をレイシフトさせるような、天体室とはそういう設備でした。ですが、殺生院はその設備を別の目的で起動した。

 ―――言うまでもなく、聖杯戦争のためにです」

 

 だからこうして、今は128騎のサーヴァントが呼ばれている。

 何故そんなにサーヴァントが降霊したのか。

 単純な話だ、128人のマスターが霊脈に接続する設備がそこにあったから。

 足らない魔力は霊脈から直接引き出しているのだ。

 コフィン内の人間が無事で済むかどうかを考慮しなければ無理も利く。

 

「彼女には栄養が必要でした。魔神を溶かした時点で並みのサーヴァントは超えていたと思いますが、それでも。魔神だけではまるで足りない、狂った人間を含めてもまるで足りない。

 だから、地上における聖杯戦争が争いの果てに完成した聖杯を降霊するように、彼女は争いの果てに発生するエネルギーを自身の栄養として吸収することにした。天体室にある128基のコフィン、そこに収まったマスターたちにサーヴァントを召喚させ、自分を成長させるための蟲毒を始めようとしたのです」

 

 ただ、自分が羽化に至るためだけに。

 自分自身で、今の自分はさぞ嫌そうな顔をしているだろうな、と思いつつ。

 メルトリリスは、殺生院について口にする。

 

「最初は上手くいっていたのでしょう。そうして何度か繰り返した後、彼女は聖杯戦争運営の円滑化を目的として、確保したリソースで自分の記録から私たちをサルベージした。

 ……この世界の殺生院キアラは、本来は真っ当な人間であり、怪物に至るのは単なる実現しなかった可能性にすぎませんでした。ですが、魔神との接触を契機として、彼女はその可能性と繋がってしまった。私たちはそんな可能性の世界で彼女と縁があったAIなのです。その可能性を手繰り寄せ、殺生院は私たちをこうして召喚してみせた」

 

 AI? と首を傾げるソウゴ。

 まあこうやって目の前に立っているのが人工知能、というのはイメージしにくいだろう。

 

「BBは聖杯戦争の運営に。私たちは殺生院の感覚、KP(カルマファージ)と呼ばれるものを与えられ強化された上で、衛士(センチネル)―――羊を追う狼の役を宛がわれた」

 

 KP(カルマファージ)は殺生院キアラの一部。

 それを与えられたサーヴァントは、通常以上の力を発揮できる。

 ただし、その代わりに衛士(センチネル)―――彼女に行動を制限される手駒となる。

 

 ソウゴの顔を見れば、専門用語が多い、と思っている表情が分かり易い。

 その間の抜けた顔に小さく息を漏らしつつ、まだ続ける。

 

「一応、言うと。私は殺生院に従う気はありませんでした。いえ、タイミングを計って彼女に叛逆するつもりだった。それを目標として設定し、SE.RA.PHの現況を確認するため、行動範囲の確保を目的として衛士(センチネル)としての役割を受け入れてはいました」

 

 そこで軽く息を吐き、ようやく。

 現状を説明するための一歩を踏む。

 

「その後も幾度か聖杯戦争は続き―――その時が来た」

「……大帝?」

 

 鈴鹿御前もカルナも口にした名だ。それは分かるだろう。

 神妙な顔で、メルトリリスは彼の問いに頷いた。

 

「はい。つまりは今回の128騎の再召喚を終えた後、129騎目のサーヴァントが召喚されたのです。黄金のルーラー、その真名をカール大帝」

「カール大帝って、あのローマ皇帝にもなった王様?」

 

 何故か、その名を聞いて身を乗り出す少年。

 珍妙なものを見る顔で、メルトリリスは彼の問いに頷いた。

 

「コフィン内のマスターではなく、殺生院の肉体が行ったイレギュラーの召喚。彼女の意志ではなく、彼女にただ消費されていた魔神が行った最後の抵抗だったようでしたが、殺生院はそれを気にとめる事さえありませんでした。

 恐らくは魔神の足掻き程度、何が起きてもこの事態は自分の掌から逸脱するものではないと甘くみたのでしょう」

 

 小さく笑うメルトリリス。よほど彼女の失態が嬉しいのか。

 奇妙なものを見る顔で、ソウゴは彼女をじいと見つめる。

 

 それに気づいたのか、彼女は咳払いをして話題を元に戻す。

 

「ですが、変化は劇的でした。

 その理由はただひとつ、カール大帝のスキルである“天声同化(オラクル)”です。

 これは先程見たスズカ、カルナも影響を受けていました」

「オラクル……」

 

 確かにその名をカルナも口にしていた。

 どういった能力なのか、とメルトリリスを見る。

 

「あのスキルはカール大帝の意志に賛意を示した者に対し、その存在をカール大帝と同一化、隷属させる能力。そんな彼のスキルの影響は瞬く間にSE.RA.PH全土に浸透し、全てのサーヴァントを統一しました。一人たりとも例外なく」

 

 一言で説明されたが、途轍もない話だ。

 それこそが、人理に燦然と輝く凄烈な功績を刻んだカール大帝の能力ということか。

 おお、と感心の息を吐くソウゴを見て溜め息を吐くメルトリリス。

 

「……コフィンにいる128名のマスターは、恐らく純粋に“生きたい”、“消えたくない”等の願いを抱いています。それは人体実験の被験者としての、命が消費される前に彼らが抱いた願いでもあるでしょう。ですが、そもそもそうなるように仕組まれていたのだと思います。

 地球への対話内容として飛ばすため、適切で痛切なメッセージとして」

 

 カール大帝の話題から外れた内容に眉を顰めるソウゴ。

 そういう噛み合い方をしたのか、と。

 

「地球に生きたい、消えたくない、っていう人間のメッセージを飛ばしてる?」

「それが実際に効果的であるかどうかはともかく、星の内核へ送る人類種からのメッセージとしては、真摯なアプローチである事には違いないでしょうから」

 

 それが天体室の人理保障。星の庇護下に入るための救難要請。

 メルトリリスの様子にも、少し呆れが入っているような。

 彼女はすぐに気を取り直し、カール大帝に話を戻す。

 

「とにかく、召喚されたサーヴァントは全員その意志に賛意を示しました。

 全てのマスターが持つ“生きたい”という願いを叶えよう、と意識を統一された。

 その結果が一切逡巡のない“天声同化(オラクル)”への賛同です」

 

 サーヴァントは全て、そうして消費されている人間の叫びに応えた。

 いっそ誇らしい、と思ってもいいのではないだろうか。

 人理の軌跡、星のような英雄たちは、そんな人間たちの意志に応えたのだから。

 実際、そのおかげで殺生院の目的は暗礁に乗り上げたのだ。

 

 ―――とはいえ、カール大帝もSE.RA.PHを。

 セラフィックスを己の思うままに使っているのだ。

 

 魔神を消したからといって、殺生院を見逃せないように。

 殺生院を阻んだからといって、カール大帝をこのまま見過ごせない。

 

「カール大帝は支配地をより強固に堅め、性能を向上させるスキルも持っています。それを利用し、カール大帝傘下のサーヴァントが天体室を中心に展開。彼らが陣地を手に入れるごとに、彼らの力はより強固になっていきました。現状でSE.RA.PHの9割以上を大帝は手に入れています。それを見過ごした結果、完全に勢力は逆転。殺生院はSE.RA.PHの支配権を一切合切奪われ、私たちからKP(カルマファージ)を回収し、雲隠れしました」

 

 メルトリリスの説明を受けて、ソウゴが表情を渋くする。

 カール大帝がSE.RA.PHと同化している、といっても何もかも分かるわけじゃないのだろうか。9割以上を支配しているならそこには隠れられないし、残り1割以下なら128騎のサーヴァントで探せばすぐに見つかりそうなものだが。

 

「それ、全部同化されてる場所なのに隠れられるものなの?」

「流石に大帝の感覚が全土に届く、というわけではありません。要するに、同化したサーヴァントが支配したセクターは大帝の領土になる、というだけです。128騎の中でも感知力が鈍い英霊が配置されたセクターならば、状況によっては幾らでも隠れられるでしょう。

 話を戻しますね。そうして殺生院が消えた後、私たち―――私ともう一人のアルターエゴ、パッションリップは大帝に捕らえられました。そのまま聖都内部に隔離され、私は先程言った通りに逃亡してきて、今に至ります。見たところBBは、そのまま大帝の協力者にスライドしたようですけれど」

 

 殺生院ほどではないが、BBの事も嫌っているのか。

 彼女がBBの事に口にする時にも棘がある。

 

 とりあえず、現状に至るまでの流れは確認できた。

 ではここから先だ。

 

 立香を探す、と言いたいが……いるならば、BBが見つけているのではないか。

 BBの口振りでは、まるで自分が何かしたような事を言っていた。

 

『―――さあ? アナタが必要だ、と判断したんじゃないですか?』

 

 そうして現状を聞いてみれば、相手の規模として挙げられた魔神王ゲーティア。

 相手にはカルナや彼に匹敵するサーヴァント。

 そしてその勇士たちを統一する絶対皇帝、カール大帝。

 

 そんな現状を思考しつつ、数秒瞑目。

 

「……ウォズー! ねえ、黒ウォズー! 白ウォズでもいいよー!」

「!?」

 

 思い立って、空に向かってとりあえず叫ぶ。

 いきなりなんか叫び出したソウゴに対し、メルトリリスが目を白黒させた。

 

 数秒待ち、無反応。また何かやってるんだろうか。

 ゲイツにファイズウォッチ借りとけばよかった、と。

 そう思ってももう遅い。

 

「……うーん、そもそもさ。どっちとも、目的はなんなの?」

「え? あ、ええ……厳密には不明です。大帝はまだしも、殺生院などただ愉しむ事が目的、という可能性さえあります。なので、考えてもどうしようもないと思います」

「そっかぁ……」

 

 ただ、セラフィックスの沈降を止めない、という事実だけがある。

 殺生院はともかく、カール大帝にならそれを止められるはずだ。

 だというのに止まらないという事は、止める気がないという事だろう。

 

「ですが、どちらも最終的な目標は地球の核への沈降を目的としているようです。理屈は置いておいても、やらなければいけない事は明確です。

 SE.RA.PHの沈降を止めて、浮上させる。そうしなければセラフィックスは完全に崩壊してしまう。そのためにはSE.RA.PHのコントロールを大帝から奪い、殺生院から守る必要がある」

「うん、なるほど。そう、だよね」

「電脳化したSE.RA.PHは現実とは時間の流れが違います。現実でセラフィックスが限界深度を越えるまで、こちらの時間で約10日間。その間に、コントロールを得る事ができれば……」

 

 ソウゴとメルトリリス、二人揃って考え込む姿勢。

 そう、両方を成し遂げなければいけないのだ。

 ゲーティアに比肩するかもしれない殺生院キアラと、それを抑え込んだカール大帝。

 セラフィックスを潰す行動を取っている両者を、倒さねばならない。

 

「SE.RA.PHのコントロールを得るということは、大帝の支配を無効化するということ。一応ですが私には、大帝と接触すれば彼の支配を奪えるid_es(スキル)が備わっています。下手に潰し合いをするよりは、彼から支配権を奪ってしまう方が楽だと思います」

 

 殺生院に対する備えとしては、という事だろう。カール大帝と決戦をすれば、勝敗はどうあれどっちも消耗する。そこを殺生院に衝かれるような真似はしたくない。彼女はカール大帝相手には逃げるしかないが、真っ当なサーヴァントでは勝てないほどには強い。

 

「なので、私がカール大帝の許に辿り着く事ができれば……」

「でも今のメルトリリス、すごい弱いんでしょ? 無理じゃない?」

「―――はい。経験値を限界まで削ぎ落としたので、レベル1状態です」

 

 率直な言葉のナイフ。直球火の玉ストレート。

 それを受けて、むすっとしつつメルトリリスは視線を僅かに逸らした。

 それでも彼女の報告は淀みなく、自分の現状を教えてくれる。

 

「どうにかなるの?」

「私のid_es(イデス)……スキルの事、と考えてください。id_esはオールドレイン。相手の経験値やスキルを吸収するもの。大帝対策のスキルというのもこれです。

 128騎のサーヴァントがいる、ということは逆に言えば私が経験値を得る手段に溢れている、といえます。その上、サーヴァントの撃破は大帝勢力の力を削ぐ事にもなる。領地(しげん)があればあるほど、大帝の機動聖都は力を増しますから。削れば当然、出力も落ちます。

 殺生院が自由にならない程度にサーヴァントを撃破し、その経験値で私を強化し、大帝の“天声同化(オラクル)”をそっくり奪い取り、SE.RA.PHのコントロールを手に入れる。私が考え付く中で、これ以上の戦術はありません」

「でもそれって、下手すれば俺たちが袋叩きになるんじゃない?」

 

 彼女の言う事は、つまりカール大帝の軍に手を出すと言う事だ。

 そんな事をしたら、普通は逆襲されるだろう。

 もっとも、先程は鈴鹿もカルナもあっさりと撤退してしまったが。

 

「……その可能性は否定できません。けれど、サーヴァントたちは協力網を敷いているわけではありません。あくまで彼らは、自分の―――ひいては、マスターの願いを叶えようとしている。それは必ずしも、大帝を守る事には繋がらないのです」

「どういうこと?」

「彼らのもっとも強い意識の繋がりは、殺生院キアラの排除ということです」

 

 生存の妨害。自己の喪失。それこそが、彼らがもっとも否定するものだ。

 その点において、殺生院キアラは一切疑念の余地なく大敵である。

 逆に言えば、大帝はそこだけは守っている筈、ということになるが。

 

 極端な話、“助かるための戦い”は彼らの信条を阻まない。

 セラフィックスを救うために大帝に歯向かう事は、彼らにとって許せない事にはならない。

 もちろん絶対に逆襲されない、とは言い切れないが。

 

「殺生院が顔を出せば一切容赦なく全サーヴァントと機動聖都の火力を集中されるでしょう。彼女の場合は周りから少しずつ削っていく、という戦法は許されません。

 ですが私たちならば、不可能ではない……かもしれない」

 

 断定はできない。失敗すれば一気に詰み。

 だがそもそも相手の陣容が盤石すぎて、賭け以外にやれる事はない。

 ソウゴが腕を組んで考えるのを見て、メルトリリスは続ける。

 

「私は殺生院の事はともかく、カール大帝の性格をあまり把握していません。ですので、あくまで想像に依るところが多いのですが……カール大帝と殺生院は、酷く相性が悪いようです。

 彼女に対しては、大帝も全戦力の投入を惜しみません。私を追跡してきたスズカはともかく、わざわざカルナがここに顔を見せたのも、そもそもの目的は殺生院の捜索でしょう」

「―――そうなの?」

 

 ソウゴの問いかけに、はい、と大きく頷くメルトリリス。

 

「……つまり、俺たちなら攻撃されないかもしれない。というか、殺生院って人への警戒を優先して俺たちは無視するかもしれない、ってこと?」

「……カール大帝は恐らく、殺生院に対する防衛網は解かない。他に何があっても。同化している他のサーヴァントたちもそれは同じです。

 ですので、可能性がある行動方針としてはこれくらいかと思うのですが……」

 

 彼女が言い終えるのを待って、ソウゴは考える。

 そのまま待って、約1分。

 考え込んでいるソウゴに、何をそんなに、という視線を向けるメルトリリス。

 

 ちょうどそんなタイミングで、ソウゴが再び彼女に問う。

 

「ところでさ、メルトリリスは何でこっちに協力してくれるの?」

「え?」

 

 予想外の質問だったのか、固まるメルトリリス。

 そんな彼女の反応を見て、追加するように。

 

「殺生院、って人が嫌いなのは伝わってくるんだけどさ。だったら、ここを支配しているのが殺生院って人を追い払ったカール大帝である以上、別に逆らう理由はないわけでしょ?」

 

 訊かれて、やっと自分で考える。

 なぜ大帝に逆らうのか。レベルを捨てて、こうやって逃げ出してまで。

 殺生院に逆らうのは当たり前だ。どんな状況だろうと、アレと手を組むのは無しだ。

 だがわざわざここまでして、どうしてカール大帝にまで。

 

 自分は彼の目的すら知らないというのに。

 

「……そう、ですね。なぜ、でしょう。

 ―――――すみません。いまの私には、わかりません」

「ううん、別にいいんだけどさ。実際に会ってみれば分かるかもしれないし」

 

 そう言って、ソウゴが立ち上がる。

 

 彼女はカール大帝を敵視しているらしい。

 捕まっていたのだから、それも当然かもしれないとは思う。

 ただそれにしたって、目的が一切分からないのに敵対を明確にして譲らない。

 もしかしたら、何かあるのだろうか。

 

 彼女の方針にそれほど不満もない。というか、それくらいしか選択肢はない。

 カルナと鈴鹿の様子からいって、メルトリリスの予想はそう外れていないのだろうし。

 

 後は、立香の事だけれど。

 懐から取り出すジオウⅡのライドウォッチ。

 それを握り、瞑目するのは一瞬。

 

(……俺が必要だと思った。なら大丈夫。

 ―――今の俺は、俺が俺であるためにも、絶対に見過ごさない)

 

 

 




 
128人全員と戦うとかマジないからよ…
レベル上げだけするんで…
 


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蜘蛛の糸2017/B

 

 

 

「いやマジ? アイツ、マジでスカート普段着にしてるの?」

 

 嘘だろ、と自然とこぼれる言葉。

 アストルフォがカルデアにいると聞き、確認してみればこれだ。

 なんで女装がデフォになってんだ、アイツ。

 王として何といえばいいのか、と沈痛な面持ちを浮かべるシャルルマーニュ。

 

 でも凄い頼りになるし、助かってるよ。なんてフォローする。

 それは知ってる、と言わんばかりに微笑んで頭を掻くシャルル。

 

「マジかー、そんな子に育てた覚えはないんだがなぁ」

「……この状況でアナタたち、いったい何を話しているのかしら」

 

 先導するメルトが不機嫌そうに振り返る。

 立香がデータとして情報分解されるまで、時間制限が存在するのだ。

 こんなところでのんびりと雑談している暇はない。

 

 言われ、立香が軽く手を見てみれば、体表が先程よりもより粟立っている。

 それを確認しつつ、彼女は申し訳なさそうに苦笑した。

 

「ごめんね、メルト。すぐ行くから」

「……別にいいけれど。口を動かすにしろ、足も動かしなさい。

 ―――こっちには、分解を阻害してくれるものもないんだから」

 

 ぽつり、と。メルトが付け足すように口にした言葉。

 それを耳聡く拾い、シャルルが軽く肩を竦めた。

 

「……確かにな。例えばここをアイツが“天声同化(オラクル)”で支配していようものなら、そうやって分解されて消えるって事はなかっただろう。自己が溶けてなくなる、なんて終わり方を許容するような奴じゃない。例えどんな状況だろうと、そこから梯子を外すような事はしない。だからこそ、この状況を見る限り、やっぱりカール大帝は動いてないんだろう」

「―――――」

 

 振り返ったメルトがシャルルを睨む。

 シャルルマーニュは言う。

 ここがカール大帝の支配下にあるならば、こんな無法な環境は許さないだろう、と。

 その事実をもって、カール大帝の不在証明の理由とした。

 ただそれだけの話に対し、彼女は眼光を鋭く尖らせる。

 

 と、立香はその話の中に出てきたフレーズに目を瞬かせた。

 

「オラクルって?」

「カール大帝のスキルさ。元々はアイツが持つ風格、王気(オーラ)というか、まあ要するにカリスマのスキルだったんだが、ちょっとした事情でそんなものにまで変容しちまってな。アイツ自身の霊格の高さも相まって、このSE.RA.PHならほぼ完全に支配しちまえるもんさ」

 

 呆れるように溜め息混じりに、少年王はそう言った。

 

 そんなシャルルマーニュの言葉に感じるものがあり、立香が微かに目を開く。

 彼はいま、このSE.RA.PH、と言った。それほどの規模のスキルを持つカール大帝の超級ぶりに感心するような、苦笑するような、そんな口調で。

 だがそれは、SE.RA.PHの全容をおおよそでも知ってないと出てこないのではないか。

 

 彼は自分が状況をよく分かってないと言った。だが自分が出たからにはカール大帝が何らかの関与をしているだろう、と。そういった推測で動いているはずなのだ。

 BBに近しいメルトリリスならともかく、イレギュラーな召喚をされた彼がSE.RA.PHの規模に関する情報を多少なりとも持っているものだろうか。

 

 それに彼は聖杯戦争に関して、何かの情報も持っていそうで―――

 

「聞こえていなかったかしら? いいから、無駄口を叩いていないで足を動かして」

 

 いい加減我慢ならない、と。ぶすっとした表情でそう告げるメルト。

 彼女の様子に謝りつつ、立香が走り出す。

 

「うん、ごめん。とりあえず休めそうな場所まで急ごうか」

 

 考えるのは後にしよう。BBに告げられた10日というリミットが長いのか短いのか、それさえ分からない今だが、何であれ分かり切っている事がひとつ。

 立香は10日間休まず戦い続ける、なんて真似はできないということだ。その問題を解消するためにも、まずはとにかく拠点の確保を優先しよう。

 

 向かうのは、拗ねるようにそっぽを向いたメルトの許。

 そんな彼女の手前にまで駆け込んだ、瞬間。

 

 立香の視界を覆うように、白いマントが翻っていた。

 

「シャルル―――?」

 

 彼女の認識速度より速く、疾走していたサーヴァント。

 

 そうして前に立ったシャルルと、それより先にいるメルトが視線を交わす。

 選択肢を真っ先に相手に譲ったのはシャルル。

 彼は素直に、どうするかの選択を先輩と呼ぶハイ・サーヴァントに預けていた。

 

 悩むのはメルト。だが彼女は自分の性能を知っている。

 どうするかなど、本来は悩むまでもない。

 

「…………そこでマスターを守ってなさい」

「了解、先輩」

 

 彼女は孤高のプリマドンナ。

 彼女の躍る独り舞台(クライム・バレエ)には、重力でさえ上がる事を許されない。

 そんな当たり前の話を考慮してしまえば、選択の余地はない。

 役割分担は自然と、収まるべきところに収まるだろう。

 

 即ち、メルトリリスは剣であり、シャルルマーニュは盾だ。

 そんな事、分かり切っている話。

 

 床を滑り、前衛へと躍り出るメルトリリス。

 彼女たちの動きを見て、立香もまた理解する。

 これは敵襲への対応なのだと。

 

 電脳化しきれなかったセラフィックスの名残。

 建造物だったものが歪んでできた障害物。

 壁のように聳え立つそれを見据えて、二騎のサーヴァントが戦闘態勢を整えて。

 

 次の瞬間、目の前にあった残骸の壁が吹き飛んだ。

 

 それをぶち破ってくるのは、厚い背中。

 肩に留めた青いマントに覆われた、白銀の鎧の騎士の姿。

 太陽の炎を纏った剣の閃き。その灯りを受けて輝く金色の髪。

 

 ああ、覚えがある姿だ。忘れる筈も無い。

 人理焼却における第六特異点、キャメロットにおいて対峙して。

 それを突破した後は、これ以上ないほどに力になってくれた騎士の一人。

 

「ガウェイン!?」

「―――――!」

 

 咄嗟に叫んだ彼の名前。

 その声に反応して、ガウェインが視線をこちらに向け―――

 

「Ⅰs、kandar―――――――ッ!!!」

 

 彼を追うように、黒い巨漢が姿を現した。

 3m近い身長の体躯。両腕に握った二振りの大戦斧。

 骸骨となってなお動く兵士を従え、侵攻してくる偉丈夫。

 

 その姿こそは正しく、ダレイオス三世。

 

 無双を誇る太陽の騎士と、死を超越した破壊の大王。

 いつぞや見たような両雄の激突。

 

「ぬぅううううん――――――ッ!!」

 

 ガウェインが体勢を立て直し、SE.RA.PHの床を蹴りつける。

 同時に、聖剣を握った腕に注ぎ込まれる全力。

 

 留まる事なく雪崩れ込んでくる不死隊(アタナトイ)

 彼はそれに、忠義によって燃える刃をもって応える。

 横薙ぎに振るわれるその一閃が、骸骨の津波を焼き払いながら吹き飛ばした。

 

 不死者の津波を押し流す太陽の熱波。

 それに巻き込まれ、同じく押し返されていくダレイオス。

 

 そうして生まれた僅かな静寂の中。

 ガウェインがマントの裾を熱波に揺らしながら、聖剣の切っ先を床に置いた。

 

 この場が聖杯戦争の舞台とは思えぬほどにこやかに。

 今が戦闘の最中とは感じられぬほどに穏やかに。

 彼は立香を見て、話しかけてくる。

 

「どなたかと思えば。お久しぶりです、レディ・フジマル。

 マスター……いえ、レディ・ツクヨミたちは一緒ではないのですか?」

「あれ?」

 

 不思議そうに首を傾げれば、何か? と言わんばかりにガウェインも首を傾げる。

 

「……私たちのこと、覚えてるの?」

「ええ、今回の召喚では何故か。理由までは分かりませんが―――と」

 

 ガウェインが立香から顔を背け、灼熱の方へと視線を向ける。

 その途端に弾け飛ぶ溶解した建物の残骸。

 

 そこから顔を出すのは、黒い巨躯の大王。

 溶けた建材で焦がされながら、続いて骸骨兵どもも立ち上がる。

 これぞ不死隊、“不死の一万騎兵(アタナトイ・テン・サウザンド)”。

 

 立ちはだかる不死の兵士たちを前にして、ガウェインが聖剣を構えなおす。

 

「Ⅰskandarrr……ッ!!」

「申し訳ない、先に戦闘を終わらせます」

 

 そうしながら彼は、立香の周りにいるサーヴァントを見た。

 唖然としているメルトリリス。おー、と感心しているシャルルマーニュ。

 シャルルはさておき、メルトリリスの姿を見て、彼は小さく眉を上げた。

 

「……衛士(センチネル)。アルターエゴ、ですか。まあ、あなたたちの事だ。そういう事もあるでしょう。とにかく、この場はあなたのサーヴァントと共に下がっていてください。

 彼との戦闘は私一人ですぐに決着をつけてご覧に入れましょう」

「ッ、ジョーダンじゃないわ!」

「メルト?」

 

 床を滑るメルトリリス。

 彼女はガウェインを追い越すと、ダレイオスと対峙するように前に出た。

 

「いいこと? ここで遊んでる時間はないの、アナタに遊ばせてる時間はね! 退きなさい、私がすぐに終わらせてあげるわ!」

 

 何故か怒り、声を荒げるメルトリリス。

 そんな彼女の様子に、きょとんとするガウェイン。

 だが何となく疑う理由はないと理解して、彼は強く剣を握る。

 

「……事情は分かりませんが、時間が惜しいのは事実なのでしょう。彼を正面から凌駕する、というのは私の我儘。仕方ありません、では共に戦いましょう。そちらの方が早く済む」

「むっ、ぐっ……!」

 

 なにせ、記憶を持ち越した彼にとってこれはいわゆる雪辱戦。

 相手に征服王こそいないものの、彼もまた聖者の数字の加護を得られていない。

 折角の機会。この大王とは正面からぶつかりあい、粉砕したかったのだが。

 

 しかしメルトリリスの言葉に切実なものを感じるのも事実。

 それが恐らく立香たちの危機に直結するとなれば、我を通す気はない。

 

 あっさりと共闘を持ち掛けたガウェインに対し、メルトリリスは唇を噛む。

 噛みつつも、迫りくる不死隊を彼女の(けん)は切り伏せていく。

 

「先輩、荒れてるなぁ」

「何でか分かるの?」

「いやぁ、乙女心ってのはちょっとわかんねえかも」

 

 マスター護衛の任を果たしつつ、ぼやくのはシャルル。彼の何とも言えないなぁ、みたいな感じの呟きに反応してみれば、彼は正しく何とも言えないと頬を掻いた。

 

「それはさておき、あれがガウェイン卿か!

 あの日輪そのものが如き聖剣の輝き、流石の冴えだ!」

 

 シャルルがそうして話を逸らす。

 だが、騎士がそう声を弾ませるのも仕方ない。

 

 唸る剣閃、迸る熱波。

 硬い、熱い、強い。三拍子揃った眩き太陽の騎士の侵略。

 

 数と不死性で戦場を埋め尽くすのが不死隊。

 だがそれも太陽の熱を前にしては総崩れ。

 多い上に減らない、という絶対的数の優位をただ剣の一振りで薙ぎ払う。

 それこそがサー・ガウェイン。

 

 あれでまだ太陽の下では強くなる、というのだから驚きだ。

 

 これを見れば、隣で躍るメルトリリスの機嫌もどんどん悪くなるというもの。

 彼女はついさっき、数の暴力を防ぐという戦闘は向いてないと、自分の性能を改めて確認したばかり。こんな当てつけのような光景を見れば、そうもなるだろう。

 

「―――なによ、それ」

 

 誰にも聞こえないよう、拗ねるようにそう言って、メルトリリスは加速する。

 集結し、戦象へと固まろうとする不死隊。だがその行為は太陽の剣閃が吹き飛ばす。

 焼け焦げて、砕け散り、飛散する不死隊の面々。

 

 そうして密度が下がった兵士の壁を擦り抜けて、彼女は前進する。

 兵士の盾ごしでも太陽の熱は届いたのか、黒煙を噴き上げる黒い巨体。

 そんな彼に対し迫るのは(ヒール)、魔剣ジゼル。

 

「Ⅰskandarrrrrrrr―――――ッ!!!」

 

 大王が傷に頓着せず力を振り絞る。膨れ上がる腕の筋肉。

 灼熱に焼かれてなお漲る剛力が、二振りの大戦斧を振り上げる。

 

 目標は彼の理性が選ぶものではない。

 ただ目の前にいた、最も近くにいたという理由で迫りくるメルトリリスを睨む。

 ここに存在しない仇敵の名を呼ぶ怒号と共に、彼の一撃は振るわれる。

 ダレイオス三世が放った一撃は威力を余す事なく発揮し、SE.RA.PHの床を破砕した。

 

 ―――メルトリリスの剣が、すれ違い様に己の霊核を打ち抜いた後に。

 

「Ⅰ、s……kanda―――」

 

 知らぬ間に胸に空いた大穴に、絶命をもってようやく気付く。

 己の命を奪ったのは、超常的な速度で放たれた一閃。

 その事実を死に至ってから認識した大王が消え始めた。

 

 双斧を大上段から打ち下ろした姿勢のまま、ダレイオスの巨体が解れていく。

 彼を取り巻いていた不死隊も当然消えていく。

 

 そんな一騎の最期を背にしつつ、メルトリリスは唇を尖らせながら軽く髪を掻き上げた。

 

 ガウェインが僅か、眉を上げる。

 衛士(センチネル)に相応しい圧倒的性能。

 だというのに、彼女はいま立香のサーヴァントだという。

 一体どういう事なのか、と。少し思案した後、彼はすぐに瞑目して疑問を捨てた。

 それを考えるのは、自分の役割ではないだろう。

 

 ふと振り向いたメルトの前には、駆け寄ってきた立香。

 

「お疲れ様。ありがとう、メルト」

「……別に、アナタが無事ならそれで構わないわ」

 

 そう応えて、彼女はガウェインへと視線を向ける。

 彼女の様子を理解して、すぐに立香が前に出た。

 

「それで、どうしてガウェインがここに?」

「―――――」

 

 マスターに遮られては、メルトから詰問を飛ばすわけにもいかない。

 これは立香が以降の行動を決めるために必要な行為なのだから。

 彼女はマスターの背後につき、不満そうな顔で待機した。

 

 その様子に面食らいつつ。しかしやはり()()()()()と太陽の騎士が相好を崩す。

 

 そして彼は手から聖剣を消すと、詳細は分かりかねると表情で語った。

 

「見た通り、この聖杯戦争に呼ばれたのです。マスターは存在するはずですが、一度も顔を合わせたことさえありません。召喚の際、確かに声を聞いた記憶はあるのですが」

 

 彼の説明を聞いて、立香は顎に手を添えて俯いた。

 そうして思考に耽るマスターの背後で、メルトリリスが僅かに視線を逸らす。

 

「……()()()()()()、と。そう、とても切実な叫びだったように思います。そのような声に応えない、というのは円卓の騎士の名折れでしょう。

 そうして応じた結果、私はこの空間に投げ出された。近くにマスターの気配もなく、辺りには無数のサーヴァントの気配。しかも他のサーヴァントはどうにも……恐慌状態、と言えばいいのか。必要以上に戦闘意欲を駆り立てられているようでして」

「―――その助けを求めるマスターの状態が、サーヴァントへとフィードバックされているんじゃなくって?

 誰だか知らないけれど、聞く限りアナタのマスターはこの異常に巻き込まれた人間。そんな風に問題に直面した人間が必死に絞り出した、生存意欲剥き出しの叫びだもの。レイラインで繋がっているサーヴァントだって、程度の差はあれ相応の影響を受けるでしょう」

 

 ガウェインの説明を聞いて、肩を竦めるメルトリリス。

 

(どういうことよ、BB。ここの聖杯戦争でカルデアの記録が参照されるはずがない。仮にカルデアに霊基データがあったとして、それを天体室に持ち込まなければそんな事態は発生しない。そんなことをすれば、あの女に気付かれかねないっていうのに……)

 

 ―――何故ガウェインが記録を記憶として持ち込めているかは分からない。

 が、恐らくはBBの仕業といったところだろう。

 カルデアのシステム“フェイト”から霊基データをハックし、こっちに仕込んだ。

 できるかどうかは知らないが、こうなっているからにはそんなところだろう。

 その事実にむすっとして、立てた襟に表情を隠すメルトリリス。

 

(カール大帝のことといい、これといい……BBを信じ、いえ。そもそも信じられる相手じゃなかったわね、あの人は。寝惚けていたのは私の方。

 とにかく、ガウェインの参戦自体は喜ばしいこと。けして多くない時間の中、状況を好転させるための戦力が増えるのは望ましいこと、でしょう?)

 

 表情を顰めて唸るメルトを見つつ。彼女の言葉にいまいち納得がいかなかったのか、ガウェインはどうにもしっくりこない、と眉を顰めた。

 

「ふむ……その割には―――」

「なんだか長くなりそうじゃないか? とりあえずメルト先輩の言う避難場所にまで行っちまおうぜ。考えるのはそれからでも遅くないだろ」

 

 言われて、ガウェインがシャルルへと視線を向ける。

 少年王の姿を見て、微かに困惑げな表情を浮かべる太陽の騎士。

 

「貴方は、もしや―――」

「おっと、ストップ。生憎だがこの身は、もしや、だなんて溜めが必要なほど大層なもんじゃないのさ、ガウェイン卿。

 俺はシャルルマーニュ。どちらかというと、自由な冒険者みたいなもんでさ。この事態の解決を目指すってことは、同道することになるだろ? よろしく頼む」

「―――は。御身がそう望むのであれば」

 

 誤魔化すようにそう言って笑う少年。

 しかし、そう言われてしまっては何も言えないのか。

 シャルルに対し一度騎士の礼を取り、ガウェインはそこで仕切り直す。

 

「シャルルマーニュが言うように、私もあなた方と同行しましょう。フジマルがここにいるということは、これはカルデアが介入する事象になっているということなのでしょう?

 であれば、解決するための一番の近道はあなたたちとの共闘と見ました。此度は剣を捧げる主を別にしていますが、その主の願いを果たすためにも」

 

 マスターから送られた叫び、その願い。

 それを果たすにはカルデアとの協力が最も正しい選択である。

 そう確信して、ガウェインは合流の意を示す。

 

 彼は立香の前に出て、その手を差し出してくる。

 それが視界に入った彼女はすぐに意識を引き戻し、自分の手を差し出し返した。

 少女の手を握り締める、太陽の騎士の厚い掌。

 ただそれだけで伝わってくるパワーに、立香が小さく苦笑する。

 

 同時に、そんな光景を見てメルトリリスが自身の手に視線をやった。

 長い袖に隠された手。

 ―――それを確認した自分を笑うように、彼女は高い襟で隠した口端を歪めた。

 

「ありがとう、ガウェイン。すごい助かると思う。とにかく、私たちの状況を―――と、その前に移動しちゃおうか。メルト、案内してくれる?」

「―――ええ。いい加減、大人しくついてきて欲しいものね」

 

 瓦礫は太陽が焼き滅ぼした。飛散した残骸は電脳化して溶けていく。

 道が塞がるようなこともなく、彼女はするりと前進を再開した。

 

 メルトリリス。そしてそれに着いていく立香。

 二人の少女の背を目で追いつつ、ガウェインがシャルルに問いかける。

 

「シャルルマーニュ。一応お聞きしたいのですが、あなたも私と同じようにあの声に……」

「うんにゃ、俺はまた別件さ。俺はアンタのように助けとして求められたわけじゃないし、そもそも真っ当な召喚ですらなかっただろう。もちろんこうして居合わせたからには、助けを求める者を見捨てるなんて、カッコ悪いことはしないけどな」

「…………」

 

 微笑む少年王。

 彼はガウェインの聴いた声と同じ類のものを聴いていない、という。

 

 どうにも消化しきれない感覚。

 藤丸立香の契約した、二騎のサーヴァント。

 何かある、何かあるのは間違いない。

 隠し事はあっても、嘘はないのだろうが。

 

(私がカルデアでの経験を保持している、というのは偶然ではありえない。そして私ばかりが闘争本能……いえ、生存本能に駆り立てられていない、というのも恐らく偶然ではない。

 マスターが放つ強い叫びに反応してサーヴァントたちがああなった、というのであれば、私が聴いた声はそもそもが違う誰かのものであった、と考えるべきなのでしょうか)

 

 確かにマスターの精神状態がサーヴァントの状態を左右する事もあるだろう。

 だがいくら何でも影響力が大きすぎる。

 呼び出したサーヴァント100騎以上が、ほぼ全て精神汚染級の影響を受けるなどと。

 しかも飛ばされてきた叫びは、純粋な生存への願いでしかないはずなのだ。

 

 何かがおかしいだろう。

 マスターの意識、それが飛ばすメッセージを何かで増幅している?

 だが一体どんな目的があれば、これほど強大な精神作用が必要だというのだ。

 なにせサーヴァントでさえ受け止めきれないほどの影響力だ。

 

 ―――では、英霊でさえ比較にならない巨大な何かにその意識を伝えるために?

 

「―――――」

 

 先に歩き出したシャルルマーニュの背を追う。

 メルトリリスもシャルルマーニュも、彼には持ち得ない情報を持っている。

 だが、二人とも持っているのは別の情報なのだろう。

 

 ガウェインの存在を知ったメルトリリスには困惑がある。

 だが、同じ情報を得たシャルルマーニュには納得がある。

 これは一体、どういうことなのか。

 

(……ですが、まだそう焦ることでもないでしょう。私だけが例外とは考えにくい。こうなったからには、恐らくカルデアの記憶を保持したサーヴァントは他にもいるはず)

 

 何故か味方らしいアルターエゴ、メルトリリス。

 聖剣を執るフランク王カール大帝の一側面、シャルルマーニュ。

 

 マシュやカルデアに所属する他のマスターとははぐれているようだが、ガウェインを含めた立香の陣容に不安はない。であれば、今の状況がそう悪いものとは思えない。

 ソウゴを心配する要素はなく、他の二人も正気でないサーヴァントから逃げるくらいはできるだろう。ガウェインのようにカルデアの記憶を持つサーヴァントと合流できれば盤石だ。

 単身では一番不安のある立香にこれだけ戦力が集まっているのは朗報だろう。

 

 

 




 
ダレイオスー!

カルデア記憶持ちはBルートのみ。Aルートでなんかあったんでしょう。
まあネロとかフィンとかその辺りをちょこちょこ出します。
TVシリーズの懐かしキャラ登場、劇場版FZi-oなんやな。
 


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狂気の幕開け1431/A

 

 

 

 このSE.RA.PHにおいて、サーヴァントがそこにいる事。

 それ自体が、殺生院への警戒網になっている。

 

 いかにサーヴァントとはいえ、1騎では殺生院とは戦えない。だから彼女には、大帝に見つからないよう、サーヴァントを徐々に切り崩していく、という手段がないわけではない。

 だが一度見つかれば大帝からの攻撃に容赦はない。大帝―――機動聖都からの砲撃を受ければ、彼女もまた無事では済まない以上、見つかるわけにはいかない。

 

 しかしサーヴァントが欠けるという事は、大帝の支配しているエリアが解放されるという事だ。それくらいはわざわざ確認せずとも、当然のように彼には分かってしまう。彼はそのセクターが自分の支配下から消えた瞬間、考えるより先にそこを爆撃すればいい。その絨毯爆撃では仕留めきれずとも、その上でカルナを筆頭としたサーヴァントを差し向ければ、トドメを刺せるだろう。

 

 だから殺生院は潜むしかない。膠着せざるを得ない。

 そして、膠着状態ならそれはそれでいい。

 このまま海の底に沈んでしまえば、カール大帝は目的を果たせるのだから。

 

「―――ですが、何故」

 

 大帝は既に勝利している。

 128騎を油断なく動員すれば、覆される余地は一切ない。

 

 それを理解している白衣の男が玉座の前で、大帝を見上げた。

 

「あなたは何故、カルデアのマスターを……いえ、アルターエゴを見逃すのです?」

「ほう、余がアレらを見逃していると?」

 

 おかしげに、カール大帝は男を見下ろした。

 その視線を正面から受け止め、微動だにしないのはサーヴァント。

 アーチャー、アルジュナ。

 

「結局のところ、私たちの行動指針はマスターの声。彼らの消えたくない、という叫びを聴いたからここに呼ばれたのです。あなたはそれを拾い上げた。だから私たちはあなたに従う。

 ……ここは特異点。解消された時点で特異点化する前まで状態は回帰することでしょう。元凶である魔神は消滅した。であれば後は、あの毒婦を排除し手放してしまえば、2030年にシフトする以前にまでは状態を戻せる。そうなれば、セラフィックスにいた人間も一定数は助かるかもしれません。魔神の暗躍が表面化する以前に失われた者たちは無理かもしれませんが……

 ですが、天体室にいたマスターたちは完全に助からない。彼らは始まる前に既に終わっていた。始まる前から鎖されていた彼らの未来は、取り戻しようがない。もはやあの叫びは、電脳に焼き付いたサイバーゴーストのものでしかないのです」

 

 アルジュナの言葉に対し、大帝は口を挟まない。

 

 この聖杯戦争のマスターは誰一人助からない。

 そもそも聖杯戦争が始まった時点で、人間としては終わっていた者たちだ。

 だからこそ、あれほどに凄烈な叫びを星に向かって放てていたのだ。

 

「だからこそ、私たちはあなたを否定しようがない。単純に解決したのでは、我らのマスターの“死にたくない”という願いが果たされることはないのだから」

 

 もう終わった話、叶わない生存のための願い。

 だがだからといって、それを無情に蹴倒すようなものは最初から召喚されまい。

 例え結末がわかっていようと、一秒でも永くその命のために戦う。

 それはあの声に応えた者としての責務だろう。

 

「故に、余の“天声同化(オラクル)”に縋るしかない。その残滓でしかない叫びとて、余は一つたりとも逃すまい。余と同一化すれば、その意識もまた普遍のものとなろう」

 

 彼は拾う。無惨にも電脳に散るだけだったはずの叫びを。

 128基の実験器具を、128人の声として受け止める。

 

 アルジュナが僅かに目を細めた。

 カルデアに敵対する気はない。真に敵と呼べる者は、殺生院だけだ。

 だがカール大帝が命令を下せば、カルデアとも戦うだろう。

 “天声同化(オラクル)”を受け入れるとはそういうことだ。

 

 だというのに。

 

「……正直に言いましょう。あなたが何を考えているかが分からない」

 

 カール大帝はカルデアに対し、それどころかアルターエゴにさえ。

 いっさい敵対の意志を見せない。

 

 それを望むなら、と。

 一切合切を承知したとばかりに納得し、飛び立ったカルナが恨めしい。

 理解したのか、内容以前に望まれたからそうしただけなのか、それは分からないが。

 

「普遍を望み、この星と同化し、平和をもたらす。生命の―――文明の救済者。それを望むのであれば、カルデアを見逃す理由がない。それどころかアルターエゴまで」

 

 彼は地球の核まで沈降し、地球と同化しようとしている。

 それの是非は、サーヴァントである自分の立場からは問わない。

 だがそれを成し遂げたいのであれば、カルデアを敵としない理由がない。

 

 全ての命を自分と同化する。カール大帝でさえ、セラフィックス―――SE.RA.PHを当たり前のように統一した彼でさえ、ギリギリの大偉業だろう。

 そんな状況で邪魔をしにくるだろう相手を野放しにする理由とは。

 

「ほう、“天声同化(オラクル)”の影響化にありながら、余の行いを否定するか。流石は授かりの英雄、恩恵を受けることが常で気にもならぬといったところか」

「―――いいえ、私の出自はまったく関係がない。

 理解はできないが、あなたはあなたなりにやりたいことをやっている。それは分かっている。だから賛同した。そうでなければ、“天声同化(オラクル)”に賛同する者などいない」

 

 きっぱりとそう言い切ったアルジュナに対し、大帝が笑い声を噛み殺した。

 

「そもそもの話、私たちが否定するのはあの女のみ。あなたとカルデアの決戦がこの星の趨勢を決めると言うならば、少なくとも私はそこに手を出しません」

 

 生きたい、と望む者たちの道標だからこそ。

 英霊、サーヴァントとはそういうものであり、そのために此処にいるからこそ。

 彼らは積極的にカルデアを阻もうとは思わない。

 

 天体室で行われていた所業が白日の下に晒される事。あるいはそれを救いとするならば、それはカルデアが勝者になった時にだけ訪れる結末でさえある。

 そうと考えてしまえば、彼らはカルデアに味方をする理由さえあるのだ。

 

「ならばよかろう? 余は奴らを阻む必要はない、と言っておるのだ。

 無論、貴様らがそうしたいと望むのであれば、それを阻むこともしないが」

「嘘ではない。嘘ではないからこそ、こちらも判断に迷う」

 

 彼の望みに嘘はない。地球と同化し、普遍なる平和を。

 それは大帝が心底望む願いなのだろう。

 だがそれの達成を阻みかねない連中の放置も、彼が心底望むこと。

 一体何を望んでいるのだろうか、この男は。

 

 そうした苦い表情を見てか、大帝が口端を軽く上げた。

 

「なに、少しな……若かりし頃を思い出したのだ」

 

 過去の自分を嘲るように、大帝が笑う。

 その反応は予想外だったのか、アルジュナが面食らった。

 

「少女であったな、奴らは」

「……? アルターエゴ、のことですか」

 

 突然の話題の転換。それに対し困惑を見せるアルジュナ。

 だが大帝の中でそれは連続した内容なのか、気にした様子もない。

 

「ああ……アレらのような者たちも少女になれるのだな、と。

 そう思っただけのことだ」

 

 ジ、と。僅かに空間にノイズが走る。

 アルジュナが反応するが、カール大帝は軽く手を挙げてそれを制した。

 どうせBBが盗み聞きしているだけだ、どうでもいい。

 

 パッションリップを見なければ思い返さなかったろう。

 メルトリリスがあれほど鋭くなければ思い至らなかったろう。

 奇縁とはこのことか、とカール大帝は呆れるように笑った。

 

 と、そこで。

 

「―――む? ひとつ、セクターが我が支配から逃れたな」

「カルデアですか」

 

 殺生院であればこの余裕はあるまい。

 そうであれば彼は無言のまま、そのセクターごと全て灰燼に帰すだろう。

 だが彼は支配地域が減ったことを気にもせず、小さく笑った。

 

「いいや、あそこはどちらでもなかろう。

 ……アルジュナ卿よ、貴様も気を付けるといい」

「と、言いますと」

「生真面目も過ぎれば、思考を止める怠惰と変わらん。

 如何に大いなる使命があろうとも、自室では気を抜くくらいがちょうどよかろうさ」

 

 玉座に肘を置き、拳に頬を乗せる黄金の王。

 アルジュナが送るのは、ここは自室ではなく玉座だろう、という視線。

 

「それで、どうするのです」

「サーヴァントが動く必要はない。ただ支配を維持するためだけならば、代わりに配置するのは人形(ドール)で十分だ。削れんよ、余が“天声同化(オラクル)”で同化したエリアはな」

 

 サーヴァントがいるからサーヴァントを配置しているだけ。

 監視の役割をさせるだけなら、SE.RA.PHが作り出す兵士でも事足りる。

 柔軟性は落ちるが、彼一人でもSE.RA.PHの支配は維持できるのだ。

 もっとも、サーヴァントがいなければまず殺生院を弾き出すのが難しかっただろうが。

 

「オリジナルのムーンセルの電脳(SE.RA.PH)であれば、如何に余の“天声同化(オラクル)”と言えど容量不足。まともに同化できるのはせいぜい六割程度であろうがな。

 このSE.RA.PHの再現であれば、完全同化した上で自在に動かす程度の余裕はある」

 

 ―――ムーンセル・オートマトン。

 月面、地表を除いた月そのもの。全長にして約三千キロメートルのフォトニック純結晶体。地球の誕生より全てを記録した自動書記機構。それと比較してしまえば、現行の人類が持つ最高峰コンピューターでさえ石器同然でしかない、超抜級の演算装置。

 

 異常なのはそんなものを六割までなら支配できる、と何ごとでもないように語る大帝だという話だ。そんな男であれば確かに、あくまで油田基地を電脳化しただけのこのSE.RA.PHや、地球ですら同化できると断言できるだろう。

 

「……まあ何もしない、というなら構いません。監視の目が緩む以上、そこに殺生院が潜む可能性もあるわけです。確認だけはしておきましょう」

 

 苦笑するような表情の大帝に対し、アルジュナは一度礼をして、その場を後にする。

 カルデアならいいが、そこに殺生院が紛れないとは限らない。

 異常があればカルナも向かうだろうが、彼が眼を向けておいて損もないだろう。

 

 そうして出ていく男の背を見送りながら、大帝は軽く肩を竦めた。

 

 

 

 

 メルトリリスの提案は、単純なものだった。

 サーヴァントは殺生院に対する警戒。

 であれば、崩していいのはその役割を果たせていない場所。

 つまり狙うべきは殺生院を捜索するという役目が疎かなバーサーカー。

 

 殺生院ではなく、自分たちの仕業であると示すために。

 堂々と、正面から、殴りかかって、倒して、吸収してレベルアップする。

 

 シンプルイズベスト。無駄も余分もない、美しい戦略。

 自信満々に少女が語ったそれはまあ、いいとして。

 

「オ、オォ、オォオオオオオオオオ―――――ッ!! なんたる地獄、なんたる狼藉か! 父祖たる偉大なりし大帝陛下の天声(こえ)に応じず、あまつさえ天に唾を吐くが如き望みを抱きし、此処に立つ者にさえ! 主から下される裁きはなく! なんという背信! なんという冒涜! 大帝の威光により遍く照らされしこの電子の海の中でさえ、無垢なる魂を汚した悪鬼が野放しにされているのは何故か!? おお、おおぉおお――――っ!!」

 

 ローブの大男が己の頭を掴みながら、狂乱している。

 彼の周囲には触手の塊、ヒトデの怪物のような海魔が散乱していた。

 いつかの戦いの中で見た顔。フランスの英雄にして罪人、ジル・ド・レェだ。

 

 彼は咽喉が枯れんばかりに叫びつつ、のたうち回っている。

 その動きに合わせた海魔たちが触手を振り回し、破壊活動を行っているようだ。

 一応、殺生院の捜索行為なのだろうか。

 

(前はバーサーカーだったっけ……?)

 

 離れた位置で半分電脳化した壁に隠れつつ、様子を窺うソウゴ。

 彼は見ている光景に対し、腕を組んで首を傾げた。

 正直そもそもクラスなんて主武装の目安、くらいで違いをそこまで意識しない。

 その程度の意識でもバーサーカーというのは、分かりやすいタイプのはずで。

 

 フランスでの戦いにおいて、元凶の位置にいた彼には理性があったような。

 しかしジル・ド・レェはバーサーカーだったよ、と言われればそうだったっけ、と納得してしまってもいいような、悪いような。なんか違ったと思うけれど、言われてみれば確かにそうだったかも……? となるくらいには狂乱していた気がして。

 

(かみ)と共に……! 世界(かみ)と共に……! おお、おおおおおお―――っ! 偉大なりし大帝陛下! その力強き聖なる(かいな)によって、迷える民は全て抱かれましょうぞ! おお、なんたる愛! その疑うべくもなき深き愛は(かみ)へと捧げられ、救われるべき者たちは、あの方と共に主の御許へ誘われるのでしょう――――!!」

 

 壁から窺うように顔を出している彼ソウゴの頭の上。

 頭を並べるように、ひょこりと出てくるメルトリリスの頭。

 そんな彼女が、なんとも言えない顔でジルを見て、呟いた。

 

「……いま、気付いたのですけれど」

「なに?」

 

 頭を上下に並べた状態で、ソウゴがメルトリリスの顔を見上げる。

 聞き返された彼女は、ますます表情を微妙なものに変えていく。

 

「あのサーヴァント、“天声同化(オラクル)”の影響下から外れかけていますね」

「……なんで?」

「それは……彼の行動がカール大帝の思想から外れだした、ということだと思いますけれど」

 

 ジルが叫ぶ。海魔が暴れる。彼の力が落ちていく。

 別に破壊行為自体を禁じているわけではないだろう。

 

 では一体何故なのか。

 彼自身、カール大帝に強く賛同している様子なのに。

 

「おお! おお、(かみ)よ!! では何故、何故! その愛を受け入れられぬ、穢らわしき者を野放しにされるのか!! 我らが父祖、我らが大帝陛下の愛ですら掬い上げられぬ悪鬼どもを、何故野放しにされるのか!! 問わねばならぬ、問い糾さねばならぬ! 例えそれが彼の大帝への背信なのだとしても!!」

 

 歪んだ顔から張り出す眼球。おぞましいほどに崩れた表情。天を仰ぎ、声高に主張を叫ぶジル・ド・レェ。だが聞いても何が何やら。あれはもう、彼自身にしか通らない理屈だ。

 今の彼がバーサーカーなのかどうなのか、ジルを自身がドレインする第一のターゲットに選んだメルトリリスさえ、もうよく分からない。どっちにしろ狂気で狂っているには違いないが。

 

「オォオオオオオオオオオオオ――――ッ!! 大帝陛下という尊き救いをもたらしながら、何故、何故、何故! この穢れた我が身は大帝陛下に頭を垂れることを許され、しかし! しかし! 真に救いがもたらされるべき聖女ジャンヌ・ダルクがどぉおおして! この救いの海へと導かれていないのかァッ!!! ジャンヌゥッ! ジャンヌゥウウウウッ!! 何処に、ジャアアアアアアンヌゥッ!!!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 彼は誰かの叫びを聞き取って、そう確信したからこそ此処にいる。

 天体室により行われた企ては、正しく神に裁かれるべき悪行であった。

 

 だがその世界は大帝が掬い取った。

 偉大なる父祖。ヨーロッパの父、神聖大帝カール。

 

 狂乱の魔道元帥ジル・ド・レェさえも自然と頭を垂れる、聖なるもの。

 彼はこの海と共に、遍く全てを世界(かみ)の御許に導くといった。

 であれば、此処は救いだ。大いなる聖者に導かれ、此処にいる者たちは救われる。

 では何故、何故、何故。此処に、救われるべき聖者がいないのか。

 斯様に穢れ切った己が此処にいるというのに、なぜ真に神聖なる聖処女がいないのか。

 

「……生存本能に素直な分、バーサーカーの方がまともかもしれません。恐らくは彼の信仰にとってカール大帝が偉大すぎたせいで、信仰心が暴走したのだと思います。たぶん」

 

 メルトリリスが相手を計るための匙を投げる。

 しかしそうして観察していれば。

 いつの間にか、ジルを同化する“天声同化(オラクル)”は消えていた。

 

 それを切っ掛けにしたのか、周囲に人型の何かが発生し始める。

 幾何学的な造形の部品を繋ぎ、作り上げられたドール。

 何体か発生したそれらはふらふらと動きながら、周囲を確認するように球体の頭を回す。

 

「自律人形ですね。SE.RA.PHの有する防衛機構のひとつ。これまではほとんど発生していませんでしたが……同化サーヴァントがいなくなったエリアに発生する、ということでしょうか。

 ……もしかしたらサーヴァントを倒しても、カール大帝の保有セクターは削れない……? 少し、戦略を考え直す必要があるかもしれません」

 

 むむむ、と。メルトリリスが眉を顰めてそう呟く。

 そうして、どうしましょうか、と視線を下に向けて―――

 そこに、ソウゴがもういない事に気が付いた。

 

「――――――ちょ」

 

 ハッとして視線を上げれば、ソウゴが近くの人形に近付いていた。

 近付いてくる相手を察し、くるりと頭を回して人形はソウゴを直視する。

 何故か見つめ合うこと数秒、人形は特別なアクションは起こさない。

 そのまま顔を回して、別のものを探し出した。

 

「なにを……!」

「いや、これがカール大帝の目なら、俺たちを見たらどんな反応するのかなって。

 メルトリリスを見た時の反応も知りたいからこっち来てよ」

 

 ちょいちょいと手を振って、ソウゴがメルトリリスを呼ぶ。

 それはまあ確かに、カール大帝はこちらに対応しないかもしれないとは言った。

 だがだからと言ってそんな確認の仕方があるか、と。

 

 どうするべきかとメルトリリスが壁際でふらふらしている内に、人形の視線が彼女を捉える。が、やはり特に大した反応は示さない。本当に探しているのは殺生院だけなのだろう。

 その状況を確かめると鷹揚に頷いて、ソウゴはドライバーを懐から取り出した。

 

「じゃあ後はジル・ド・レェと戦うだけだね」

「……もしもの場合を考えないのですか、アナタは」

 

 ドライバーを装着しつつ、一度歩いて帰ってくるソウゴ。

 そんな彼に溜め息をつくと、心外そうな顔で見返された。

 その表情は本来、こっちが浮かべるものだろう。

 

「考えてるよ。だから一応確認するんだけど、今のメルトリリスと比べると、あの人形ってどのくらい強いの? 襲われても大丈夫?」

「…………あの人形が私の知る性能のままならば、一体や二体を相手にしたところで負けるようなことはありえません」

 

 本来の性能なら何百何千いようが敵ではない。

 が、今の彼女ではそんなことは言えない。

 ましてあの人形は元の性能から“天声同化(オラクル)”の強化を受けているはずだ。

 あるいは一対一ですら負ける可能性もないとは言えない。

 屈辱的ではあるが、そこを偽るわけにもいかないだろう。

 

「そっか。じゃあ、俺の後ろに隠れる感じでついてきてよ。

 メルトリリスがちゃんとあいつを倒せるように戦うからさ」

「―――――――」

 

 介護する、と。そう言われて、少女の顔が歪む。

 確かにそれしかないのだが。それが一番効率的なのだが。

 

〈ジオウ!〉

 

 ソウゴが腰にドライバーを当て、ウォッチを起動する。

 回転待機状態にしたドライバーを回すため、腕をゆるりと上げる少年。

 その姿を見ながら、しかしそこは譲れないとメルトリリスが声を上げて。

 

「―――お断りします。そんなやり方は私の……」

「そう? じゃあ好きに動いていいよ、俺が合わせるから。変身!」

 

〈ライダータイム!〉〈仮面ライダージオウ!〉

〈ジカンギレード! ジュウ!〉

 

 話を聞け、と言う前に変身完了するソウゴ、仮面ライダージオウ。

 両腕を振り上げ、両の拳を握り締めて、力を籠めるようにファイティングポーズ。

 そしてすぐさま眼前に現れた銃を引っ掴む。

 

 間を置かずに放たれる銃弾。それがジルの周囲にいた無数の海魔を撃ち抜いた。

 崩れ落ちていく海魔の壁。その中で、狂乱に呻いていた男が顔を上げる。

 

「何故! 何故! 一体、何故ェッ!! この救いの地に、貴様らのような、我らのような者が招かれたのだ! 真に救われるべき者は、此処にはいないというのに――――!!」

 

 蠢く海魔に指向性が与えられる。

 周囲に存在していた怪物たちは、全てがジオウへと照準を向けた。

 

 すぐさまジオウとメルトリリスが配置された人形を見る。

 が、人形はこの戦闘を一度ちらりと見た後、何事もなかったように監視に戻った。

 カール大帝はこの動きに対し、何のアクションも取る気がなさそうだ。

 それに聖都の主砲を放とうとすればSE.RA.PH全体が鳴動するので、すぐに分かるだろう。

 

「ちょっと、アナタねぇ……っ!」

「どう動いて欲しい、とかあるなら先に言っといてね」

 

〈ウィザード!〉

 

 ジオウがホルダーからウォッチを外す。

 ジカンギレードを逆手に持ち直しつつ、剣に変形させ床に突き立てて。

 流れるように、彼はドライバーへとウォッチを装填した。

 

 話を聞かない相手に対し、メルトリリスが眉を吊り上げていく。

 

「バレリーナに自分の舞踏を言葉で語れ、と? その動きをもって観客に語るものに、言葉によって動きを語れと、そう言うのですか?」

「そんなに気にすることなんだ……」

「当たり前です――――! どんな事情であれ、こうして私のマスターになった以上、その程度の理解力は発揮してもらわないと困ります!」

 

 がなるメルトリリスに対し、首を傾げるジオウ。

 

 そうしている間にも蠢く海魔。

 ヒトデの怪物が口を開き、そこから吐き出すのは溶解液。

 それらは一直線にジオウたちへと殺到し―――

 しかしそこで、渦巻く風の障壁に阻まれ、四散した。

 

 ジオウの頭上から現れた外装、指輪と魔法陣を象ったアーマー。

 展開しながらジオウへと装着されるそれが生み出す魔法力。

 魔力の燐光に照らされ、煌びやかに輝く宝石の鎧。

 

〈アーマータイム!〉〈プリーズ! ウィザード!〉

 

 吹き荒れる風を除け、光に煌めく衣を纏い。

 ジオウ・ウィザードアーマーがメルトリリスへと手を差し出す。

 

「―――さあ、シャルウィダンス? みたいな、そんな感じ?」

「バレエです」

 

 どうすれば満足なのかよくわからない、と。

 差し出していた手を切り返し、突き立てたジカンギレードを引き抜いた。

 そのまま再び銃へと変え、体を回転させながら発射するのは銀の弾丸。

 放たれた弾丸は縦横無尽。

 宙を四方八方に駆け巡りながら、海魔たちを撃ち砕いていく。

 

 更に空いた片手で虚空に青い魔法陣を浮かべ、周囲を凍らせていくジオウ。

 築かれる氷の道。

 その意味を察して、メルトリリスが目を細めてジオウを見る。

 

「スケートでもありません。乗るしかないので乗りますが。史上類を見ないほど、驚くべき最低のリードとして記憶しておきます……!」

「そんなに?」

 

〈フィニッシュタイム!〉〈ウィザード!〉

 

 メルトリリスが滑走を開始する。氷のリンクに轍を刻み、羽搏く白鳥。

 体が重い。翼が重い。あらゆる動きが遅いにもほどがある。

 飛び立った後、メルトリリスが自分の体に酷く表情を歪めた。

 体勢の維持すら辛く、軌道がぶれる。

 (ブレード)が削って氷のリンクに残す、ガタガタに歪んだ醜い軌道。

 

 海魔をすり抜け、ジル・ド・レェにまで引かれたレール。

 そんな一本道ですら直線に進めないし、速度は乗らない。

 アヒルの子が飛ぼうとしているようなもがき。

 

 それに反応して、残った海魔たちがメルトリリスに振り向き出す。

 

「……っ!」

 

〈ストライク! タイムブレーク!〉

 

 彼女を追い越して乱れ散る炎弾。

 それは海魔へと着弾し、爆発炎上する。

 周辺一帯で立ち上る炎の柱と、それに伴う熱気と黒煙。

 

 だが熱波に呑み込まれていく海魔たちとは違い、メルトリリスの周囲には風の守りがある。彼女と彼女が滑るリンクにはその熱は届かない。

 炎が風に流れて千切れ飛び、火の粉となって舞い散る中。氷のリンクを滑る少女は、その外装の重さにさえ負けそうな足を必死に動かした。

 これだけお膳立てされて動けなかった、なんて負け同然。いま発揮できる全能力を総動員して、彼女は出せる速度を限界まで捻りだす。

 

 対して、彼女の目指す獲物である男は、懐から魔術書を引っ張り出していた。海魔の触腕よりも激しく蠢く理性が消失した眼球。海魔を焼いた熱波の余波に炙られ、黒煙を浴び、炭に塗れた男からはいっそう思考が消し飛んでいた。

 

「んぬぅうううううううううう……! お、のれおのれ、おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれェエエッ!! また奪い、また焼こうというのか……! そのような無体、もはや赦すものかァアアアアアアア―――――ッ!!!」

 

 ジルの手元、“螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)”。そこから彼の全身を覆うように発生する触手の塊。彼の己の意志で自身を喰わせ、降臨させる邪悪の具現。膨れ上がる大いなる海魔。それは人の体より太い触腕が数え切れぬほどに集め、ジル・ド・レェの体を一気に呑み込んだ。

 

「―――――!」

 

 メルトリリスの速度が陰る。

 触手の塊となったジルが相手では、霊核まで(きっさき)が届かない。

 彼女にできることはid_es、オールドレインを利用した一撃必殺だけ。

 それ以外の交戦方法では、今の彼女はいとも簡単に押しつぶされるだろう。

 

 進む? 退く?

 選択肢を浮かべてしまった時点でアウトだ。

 だって今の彼女は直進すら覚束ない。折れかけの翼で滑空がせいぜいの死に体だ。

 そんな自由な飛び方ができる翼は持っていない。であれば必然。

 迷いがフレームにかけた無駄な過負荷で、ここでバラバラに砕けるのが定めというもの。

 

 かちかちと踵が擦れる。

 風と氷で引かれたレールは目的地までの直通ルート。それを外れようとしてしまったら、直進させようとするエネルギーと衝突する。その負荷にメルトリリスの躯体は耐えられない。

 だが同時に、彼女の性能ではあの触腕の塊を貫けない。突進に反撃を貰って耐え切られるほどの強度もない。いま体が飛沫になっては、再構成さえできないだろう。

 

 これだけお膳立てされてこの有様とは、と。

 唖然とするくらいに自分はどうしようもなかったのだ、と。

 

()()、メルトリリス――――!!」

 

 そんな風に呆けていた頭に、背後からの声が届く。

 同時、足を動かすだけの活力が注がれる。

 

 ―――令呪の熱。

 だがそれだけでは跳べない。強度が足りない。

 拘束から抜け出すため何もかもを捨ててきた彼女には、本当に何もかもが足りなかった。

 

 跳ねるために動かすべき腿が叫ぶ。

 保たない。そんな力を掛ければ、硝子細工のように砕け散る。

 では、一体どうすればと。

 

〈フィニッシュタイム! ギリギリスラッシュ!〉

 

 迷っていた少女の横、彼女が走るレールを追走するものが現れる。

 一瞬目を向けてみれば、それは水でできたイルカであった。その数六頭。

 は、と。突然の闖入者に目を白黒させている内に、五頭が加速。

 残った一頭が空中を泳ぎながら大きく回転し、その尾を地面に強く叩き付けた。

 

 迸る水流、その場で立ち上る水柱。

 それは地上から空へと向かって流れ落ちる滝の如く。

 一気に天へと向かって遡る水勢が―――メルトリリスを水と共に空へと押し上げた。

 

「―――――っ」

 

 水流の中でメルトリリスがジオウを見る。

 彼は剣を振り抜いた姿勢のまま、彼女を見据えていた。

 

 体を捻る。水中ならば、負荷はどうにかなる。

 彼女は水の器。ここなら多少罅割れても、修復程度は何とかなる。

 それでも負荷を最小限にするためか、彼女の動きに合わせてイルカが水を導いた。

 

 見下ろすのは、眼下で脈動する触腕の塊。

 だがあの肉厚だ。このまま突入しても途中で刃が止まるだろう。

 

 そんなことは分かっている、とばかりに。

 

 先行したイルカ五頭が、触腕に激突していた。

 雄叫びを上げながら海魔に咬み付き、引き千切らんばかりに引っ張るイルカ。

 まるで閉じた蕾を無理やり開くかのように、イルカの牙が触腕を裂いていく。

 

 荒ぶる野獣と化したイルカに開かれる盾。

 そうして解放された空間に見えるのは、宝具たる本を抱えたジル・ド・レェ。

 

「ぬ、う、う、ゥウウウウ――――ッ! この、痴れ者どもがァアアアアアッ!!」

「ブリゼ、エトワール――――!!」

 

 砕けそうな足を上げ、プリマが水と共に降り来る。

 阻むための肉塊は既に用をなさない。

 故にそれを阻むものはなく、少女の踵(魔剣ジゼル)は標的へと確かに振り下ろされた。

 

 心臓を確かに打ち抜く一撃。

 そうして突き刺した霊核を溶かし、経験値として吸収するオールドレイン。

 ここでレベルアップを成し遂げなければ、この勢いからの着地さえ覚束ない。

 

 神に唾吐かんがため、なおも堪えようとするジル。

 その執念を溶かし、上から捻じ伏せる。

 降り注ぐ水が津波のように広がっていく中で、その勢いも借りて必死に押さえつける。

 

 ―――やがて、押し返そうという気概が爪先から消えていた。

 必死になっていた顔を上げれば、もうそこにはサーヴァントは残っていない。

 そうして溶かした分、彼女は強度(レベル)を取り戻している。

 

 荒げた息を落ちつけようとする彼女の背後に寄る足音。

 そんなデリカシーゼロな行為に対し、眉が上がる。

 

「で、どう?」

「……どう、とは?」

 

 割と自信ありげに訊いてくる声。

 その疑問をそのまま投げ返す。

 

「マスターとしての理解力、足りてた?」

 

 素直に、率直な疑問に対して。

 むっとして、足りてるわけがないじゃない! と言い返しそうになる。

 こんな必死な姿、エトワールが他者に見せるものじゃない。

 役者が舞台から降りるまで、声をかけないのは当たり前の話だろう。

 

 舞台から何から整えた裏方とはいえ、そこは守ってもらわなければ困る。

 疲労感が浮かんだ顔を、マスターに見せないように大きく逸らす。

 

「―――ここでそれを訊くこと自体、まだ足りていない証拠です」

「そっかぁ……」

 

 さほど残念でもなさそうに、ジオウは背後を振り返る。

 そんなどうでもよさそうにするくらいなら最初から訊きにくるな、と言いたい。

 苛立たしい。が、とんでもなく援助されたのは事実だ。仕方ない。

 本音をぐっと堪え、徐々に回復する体の補強に集中。

 

 そのまま彼は手にした剣へと顔を向ける。

 確かめるようにそこに装填したビーストウォッチを触り、ジオウは小さく首を傾げた。

 

 

 




 
 あれはなんだ!鳥か!?猫か!?イルカだ!つまり…ジャンヌダルク!
 ならばジルはきっと救われたことでしょう…イルカはエクスカリバーだった…?
 


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巨影巡り1476/B

 

 

 

「道が分かれてるね」

 

 進んできてみれば、電脳に現れる分かれ道。

 その手前で止まった立香は、先導していたメルトを見上げる。

 彼女はその視線を察し、軽く説明した。

 

「片方は中心部、中央管制室があった胸部(ブレスト)に繋がる道。もう片方は(ドック)やヘリポートがあった太腿(サイ)への道。情報を得たいなら、言うまでもなく胸部(ブレスト)を目指すべきだけれど」

「まずは拠点を確保する、ってのが先輩の方針なんだろ? どっちに行くべきなんだ?」

胸部(ブレスト)の方が電脳化していない場所は多いでしょうけど、その分サーヴァントも多いわ。休息できる場所を求めるなら、まずは一度太腿(サイ)に出るべきでしょうね」

 

 分岐路を前にそう口にするメルトリリス。

 彼女の説明に納得する立香とシャルルマーニュ。

 

 対してガウェインは顎に手を当て、眉間に深く皺を刻んだ。

 

「ふうむ、妙ですね……」

「ガウェイン?」

 

 酷く悩ましげな太陽の騎士。一体何がそれほど問題なのか。

 その様子に立香が声をかければ、彼は深々と頷きながら疑問を口にした。

 

「この場所が女体を模している、というならば、安寧と共に休息できる場所は、やはり女性の胸の中に求めるべきなのでは……?」

「なにこいつバカなの?」

「正直なだけだよ」

 

 ストレートに罵倒を飛ばすメルトに、苦笑して視線を逸らす立香。

 彼女たちの様子、というより。

 自分の考えに理解が得られなかったことに、ガウェインは少し悲しそうな顔をした。

 メルトの顔に浮かぶなんだこいつ、という表情がより強まる。

 

「むう。やはりこういった話においては、男女では感性が違ってきますか。

 ではあなたはどう思いますか、シャルルマーニュ」

「一理はあると思うが、口に出したら顰蹙を買いそうなので、黙秘しておくべきだと俺は思う。ただそれはそれとして、もうひとつの選択肢が太腿であるというのであれば、そこはもう過不足ない好みの話じゃないか?」

 

 ガウェインに対し、確固とした返答。

 何も黙秘していない。

 

 こいつもかよ、というメルトの視線。

 そんな表情を浮かべつつ、彼女はどこか、何かを思い返すようにハッとして。

 何らかの事柄が思い当たったのか、それに対して嫌そうに目を細めた。

 

 シャルルマーニュの答えを聞いて、考えが足らなかったと額に手を当てる太陽の騎士。

 

「なるほど、確かに。私は胸が望ましいが、太腿という選択肢が悪いというわけではないのもまた事実。疑念を抱いたのは、私の器量の狭さからくるものでしたか……失礼しました、レディ。どうぞ続きを」

「なにこいつらバカなの?」

「正直なだけだよ……うん」

 

 苦笑しつつメルトから顔を背ける立香。

 溜め息混じりに一息ついて、メルトは馬鹿二人から視線を逸らす。

 

胸部(ブレスト)を目的地と設定するなら、それは管制室を目指す攻略戦よ。それ以前に休息、情報共有がしたいのなら太腿(サイ)を選ぶべき。これが私からの進言よ、マスター」

「そっか……シャルルとガウェインはどう思う?」

「んー、まぁここのことを一番よく知ってるメルト先輩がそういうなら、それが一番なんじゃないか? 最優先は情報共有のために腰を落ち着けられる場所、ってのは俺も同感だし。

 こんな……状況だもんな」

 

 メルトに同意しつつ、そこまで流暢に考えを語り、しかし。

 途中、なぜかシャルルは一瞬言葉を詰まらせた。

 何かに気付いたように挟まった間。

 そのまま彼は自分でそれを苦笑して流し、適当に言葉を終わらせる。

 

 それに対し、疑うような様子を見せるメルトリリス。

 先輩からの眼差しに、どうにも参ったと言わんばかりのシャルル。

 

 そんな話はさておいて、と。ガウェインが立香へと問いかけた。

 

「ですが、まず合流を目指さなくてもよろしいのですか? カルデアとの通信はできていない様子ですが、いつも通りここには複数人でレイシフトしてきたのでしょう?」

「ん……今回は私とソウゴで、だったんだけど」

 

 メルトリリスの意識が逸れる。気にしないように、という意識的な行動。

 結果として向けられた意識が外れ、シャルルがメルトから逃れる。

 

「BBからはもうソウゴは脱落したって言われたよ。敗退して、まだ無事だけど……10日くらい、このSE.RA.PHが沈み切るまでは生きてられるだろう……って」

「なんと」

「…………」

 

 言葉短く驚いて、ガウェインが腕を組む。

 想像していなかった状況だ、と。

 そんな太陽の騎士の様子を見て、シャルルマーニュも首を傾げた。

 

「しかし、そいつも妙な話だな。そのソウゴって奴は人間で、マスターとはいえ、ガウェイン卿が一目置く実力の騎士なんだろう? だったらいまは動けなかったとしても、10日もあれば何か動きようがありそうなもんだが」

「―――――」

 

 口元を隠すように、メルトリリスが襟に顔を埋める。

 

 どういう状況かは分からないが、10日後まで存命が確定している。だというならば、今後はどうなるか分からないだろう。ただのマスターならともかく、常磐ソウゴという人間ならなおさらだ。なのにBBは10日後の破滅を確定事項のように語った。もしや単にセラフィックスが沈降して壊滅すれば、一緒に海の藻屑になっておしまいだ、という意味なのだろうか。

 それならば理解はできるが。

 

「レディ・メルトリリス。そのBBの発言に対し、どの程度の信用がおけるか。彼女という存在の発言にどれほどの信憑性があるか、あなたには分かりますか?」

「……信憑性も何も、丸っきりただの事実でしょう。私たちはAI、事実を偽る理由がない。しかもBBはいま自分をゲームマスターと定義している。ならなおさら、ゲームに関しての嘘なんてつかないでしょう」

 

 ふい、と。拗ねるように体ごと顔を逸らし、彼女はそう吐き捨てる。

 

「ふむ。ですが、どちらにせよ合流を目指さない理由もない。どこに囚われているかはまだ分かりませんが、彼の捜索も行動目標の一つとして加え入れましょう」

「うん。10日は無事、っていうのが事実ならそれはそれでよかった。こっちはこっちで、まずはできることをしよう」

 

 立香は小さく頷いて、太腿(サイ)への道を選ぶ。

 一瞬だけ彼女の背を目で追って、しかし。

 メルトリリスはすぐに床を滑り、彼女を追い越して前へと出た。

 

 小さな声で、小さすぎて立香にも届かないような声で。

 

「……そんなことをいちいち気にしなくても、問題の解決を目指せばいずれ事態は判明するでしょう。今は素直に、この特異点の解消のことだけを考えなさい」

 

 彼女はただ、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 太腿(サイ)へと続く道を辿ってみれば、道中に見えてきたのは教会だった。

 白い壁の神の家。まったく電脳化していない、セラフィックスの名残。

 それを見た立香が声を上げる。

 

「あれは、教会?」

「どうやら魔術によって防護されていたようですね。魔術的な効果を情報化できず、その結果として電脳化を免れたように見える」

「そうね。地上の魔術とSE.RA.PHは相性が悪いから」

 

 ガウェインの推測に対し、雑に頷くメルトリリス。

 周囲の状況に比べ、教会には本当に何ら影響がないように見える。

 あそこであれば、休憩地点としては申し分ないのではないか。

 そういった意味の視線をメルトに向ければ、彼女はこちらを見て小さく頷いた。

 

 揃ってそちらへと足を向ける。

 ついで、メルトリリスが軽く首を動かし髪を払う。

 

「そこのバカふたり、マスターを守っておきなさい。私がすぐに終わらせるから」

 

 かつん、かつん、とわざとらしく鳴らされる床をヒールが叩く音。

 

 彼女のその態度から状況を理解し、すぐに教会の周囲を見回す。

 そうして気付くのは、教会の扉に続く階段の前に腰を下ろしている者がいること。

 それはメルトに反応して、ゆっくりと顔を上げる。

 

 蹲るようにしていた黒い塊は、電脳化した建造物の残滓などではない。

 その正体は、血に塗れた甲冑を纏う白髪鬼。

 眠っていたのか、倒れていたのか、祈っていたのか。

 どちらにせよもはや関係ないと、男は背を伸ばして立ち上った。

 

「あら、安らかな眠りを妨げてしまったかしら。ごめんあそばせ? でも安心なさって、すぐにまた眠れるわ。棺桶を用意する必要がないように、その信仰まで余さず水に流してあげる」

 

 挑発的にそう告げるメルトリリス。

 白髪の男は一度そちらを見て、その後に背後にいる他の者を見て。

 頭痛をこらえるように、酷く顔を顰めた。

 

「これはまた、何とも言えぬ集団だ。よりにもよってこの地獄に踏み入ってきた人間。神の愛の深さを誰より識る偉大なりし大帝。円卓に席を置く太陽の騎士。

 ―――そして、限度も加減も知らぬ底無しの過食の女」

 

 理性的な回答。戦意は薄く、会話を続ける意思が見える。

 その事実にメルトは拍子抜けして、続けてむっと眉根を寄せた。

 すぐに立香が前に出ようとして。

 しかし前に立ちはだかるメルトの背に阻まれ、対面を許されない。

 

 なのでとりあえず、メルトに向かって声をかけた。

 

「メルトってそんなに大食いなの?」

「ドレインよ、私のはオールドレイン! 相手を溶かして養分にする、最高効率のレベルアップ! 私のスマートなやり方に意地汚い表現を使わないでくれる!?」

 

 そう言って吼えるメルトに対し、しかしシャルルが待ったをかけた。

 

「それはそれでどーかと思うぜ、先輩。食事は大切だ、人の活力の源だからな。

 ほら、アイス食べたら当たり棒で、無料でもう一本! ってなった時って嬉しいだろ? そういう気持ち、大事だと思うぜ」

「ええ、むしろ彼女の体はどこからどう見ても食の細い女性のもの。もう少し色々と膨らんでいた方が、健康的と言えるのでは?」

「バカふたり!」

 

 思わず振り返って怒鳴るメルトリリス。

 そんなやり取りを胡乱な目で見ていた男を見て、シャルルが動く。

 メルトを追い越して、軽やかに踏み出す騎士。

 

 対峙するシャルルマーニュと男。

 その段に至ってなお、相手にはまだ戦意が見えない。

 

「まあその存在感は太陽の如し、ってなもんのガウェイン卿相手であれば、一目で正体を見抜けたところでさほどおかしくない。星の数ほどいる騎士の中でも格別だからな。

 だがよく俺をカール大帝だと見抜けたな、アンタ。いや、厳密にはアイツとは違うもんなんで、シャルルと呼んでほしいんだけどさ。

 自分で言うのも何だが、こっちの俺に威厳とかないだろ?」

 

 自分を指差しながら確認を取るシャルル。

 男は自分の掌を額に軽く当て、眉間に強く皺を寄せた。

 まるでそこでまだ何かが響いている、とでも言いたげに。

 

「声がしたのだ。オレに、我が信仰にさえ届く声が」

「声……?」

 

 問い返す立香。その声に憮然と頷き返す男。

 

 ガウェインが軽く顎を引く。

 片眉を上げるシャルルマーニュと、無表情を貫くメルトリリス。

 そんな四人の様子を気にも留めず、彼は続けた。

 

「然り。我が信仰、渇愛に口を挟めるものなど限られる。オレの狂気は本来、マスターの叫ぶ生存意欲などでは止まらぬ。ヒトの業などそのようなものだ、とオレは知っている故に。だというのにこんなことがあったとすれば、それはオレがその声に真実の愛を見出したからに他ならぬ」

 

 男がシャルルから視線を外し、睨むようにメルトを見る。

 戦意のないまま、僅かに漏れ出す殺意。

 それに反応して軽くヒールを上げるメルトリリス。

 

 勝敗は見えている。今のメルトリリスを阻めるサーヴァントなど、そうはいない。

 男も相当な手練れ、A級に分類されるサーヴァントだろう。

 だがこの間合いから始めれば、5秒とかからず男を始末できる。

 それほどに凶悪なのが、いまのメルトリリスという存在だ。

 

「メルト」

「……」

 

 だがマスターに止められ、彼女は刃を下ろす。

 その状態からでも男の槍に先んじれる、という確信もあるだろうが。

 

 彼女たちのやり取りを見て、男は一度目を瞑り。

 そしてシャルルへと顔を向け直し、殺意を納めた。

 

「シャルルマーニュ。何ゆえに貴様ほどに敬虔な男が、そのアルターエゴと共にいるのか。その女は貴様とは真逆であろう? 全てのものに遍く愛を届けんと、世界を抱くように主に祈る貴様。ただ一人に愛を捧げんがため、己の中に世界を溶かし喰らう怪物。

 相容れまい。相容れるはずがあるまい。だというのに、何故」

 

 微かに息を呑むメルトリリス。

 過食とはそういうこと。

 

 彼女が求めた関係性は、愛するものと、それ以外の全てを溶かし込んだ自分。

 カール大帝が求めたものは、愛をもたらす世界(かみ)と、それ以外の愛すべき全てと同化した自分。

 真逆だ。大敵だろう、双方にとって。

 

 それをさっぱりと理解して、しかし少年王はあっさりと言い返す。

 

「決まってるだろ。真逆なのに一緒にいられるなら、それはむしろ良いことだろう。信仰を異にするからって争うよりは、そっちの方が好きだぜ、俺」

 

 微笑む少年を目を合わせ、数秒。

 

 先に男の方が瞑目して一歩退いた。

 教会の前に立ちはだかっていた男が、脇に逸れてしまう。

 通れ、と告げるように。

 

 シャルルと彼の間で視線を動かして、立香が男に声をかける。

 

「えっと、通っていいの?」

「元よりオレはまともに動けぬ。信仰の加護により立つオレに、召喚に際し耳にしたあの声は劇物すぎた。ここでこうしているのは、祈るのであればせめて神の家でと思ったまで」

 

 崩れるように、彼が腰を落とす。

 こうして座っていたのは不調と祈り、両方が理由だったらしい。

 立っているのもやっとだった、とばかりに深い息を吐く男。

 

「だったら一緒に教会に入った方が……」

 

 拳を握り、男が殺意を飛ばしながら立香を睨む。

 前に、彼女の前に位置取るメルトリリス。

 ガウェインが彼女の肩を軽く叩き、首を横に振ってみせる。

 

 彼の素性は別に、その言葉から信仰に厚い人間に違いない。

 そんな彼が教会に踏み入らない、ということは。それは彼が確固たる意志の許、そこに足を踏み入れまいと誓っているということだ。

 それをやっと理解して、彼女がすぐにメルトの前へ出て勢いよく頭を下げた。

 

「ごめんなさい」

「――――」

 

 素直に飛んでくる謝罪。

 それに男が軽く眉を上げ、彼の視線がシャルルマーニュへと向かう。

 1秒。彼の様子を見てから、男は深々と息を吐く。

 

「……これはオレと貴様の信仰の違いが生んだ意識の違いでしかなかった。貴様が頭を下げる謂れはなく、向けられた真心を踏み躙る権利もまたオレにはなかった。

 これ以上無駄にすれ違う理由もあるまい。オレのことは気にするな、オレは(オレ)の意志で、こうして此処に腰を下ろしているのだ」

 

 そう言って顔を下げる男。

 少しだけ迷い、立香は教会に向かって歩みだす。

 

 それでも警戒心を向け、彼を見下ろしているメルトリリス。

 彼女は先に行けと、他の二騎に顎をしゃくって示してみせる。

 歩き出す立香に続き、後ろを固めるシャルルとガウェイン。

 

 彼らが教会の直前に迫った後、メルトもまたゆっくりと滑り出した。

 

 と、そこで小さく。

 男がメルトリリスだけに向け、言葉を発する。

 

「―――努々忘れるな。その過食(あい)は破綻している。だがそれが哀しきことであるのは、ヒトがヒトであるが故のもの。怪物では赦しを得るための煉獄に落ちることは許されぬ。ただその咎を抱え、地獄に落ちるが必定である」

「―――――」

 

 滑り出していた体を止める。

 彼女は一瞬だけ向けられた言葉を吟味して。

 顔だけ振り向かせ、彼を見下ろしながら言い放つ。

 

「アナタなんかに言われるまでもない、大きなお世話よヴラド三世(ドラキュリア)。ヒトから怪物になったアナタと、初めから怪物だった私では純度が違う。

 過食(こい)をしたら飛べなくなる。翼は必要以上の重さを飛ばせるような仕組みになっていない。だというのに飛ぼうとしてしまえば、支えきれずにきっと翼は折れてしまう。翼の折れた鳥が落ちた先が地獄だなんて、そんなこと、子供だって言われずとも知っていることでしょう?」

 

 足を止めるほどの価値がある問答ではなかった、と。

 さっさと彼から視線を切り、メルトリリスはマスターの後を追う。

 

 残された男、ヴラド三世はその態勢のまま瞑目した。

 愛するもののために、それ以外の全てを口にすることを望む。

 何とも意地が汚く騒々しい白鳥だった。

 

 鉄の信仰をもって肉体と精神を鋼に変える“信仰の加護”。

 それが逆に作用し、彼の霊基は今や戦闘に耐えるものではない。

 あの“声”は、本来彼が受け取るべきではなかったものなのだろう。

 だが、聞いてしまったからには仕方ない。

 

「―――そうか。あの声は、そういうことであったか」

 

 溜め息混じりに納得し、体をひたすらに休める。

 これからどうなるかなど、彼にはまったく分からない。

 だがもしもの時に備えるならば、動けないままでいいはずもない。

 

 体を休め、精神を立て直す。

 取り戻すべきは、狂おしいほどの信仰と、戦士としての信念である。

 

 

 

 

 

 きぃ、と音を立てて教会の扉が開く。

 中は―――と。

 確認する前に、どんがらがっしゃん、と椅子が倒れる音がした。

 後ろをシャルルに任せ、すぐさま立香の前に回るガウェイン。

 

「ひぇっ!? サ、サーヴァント!?

 あわわ、こ、こここ、ここにならこないと思ったのに……!?」

 

 泡を食って驚き、柱の影に隠れる眼鏡をかけた女性。

 カルデアの制服とよく似た服装、セラフィックスの制服だろうか。

 それを理解したのか、ガウェインが体を引く。

 

「落ち着いてください。私はカルデアから来たマスターで、藤丸立香といいます。助けに来ました、ここにはあなた一人ですか?」

「カ、カルデアから……? そういえば……トラパインが通信室に行ってみる、って言ってたような言ってなかったような……た、助けに来てくれたの!?」

 

 前に出てきた立香の発言を聞き、女性もまた体を柱から離した。

 彼女はちらちらとガウェインとシャルルを窺う。

 騎士二人は教会内の気配を探り、目の前の女性以外に誰もいないことを確認している。

 

「はい。えっと、そう。まずとりあえず情報の共有を。私たちは今からここをどうするか話し合うので、一緒に参加してこのSE.RA.PHの情報を―――」

 

 シャー、と。滑走で軽快な音を立てて、メルトリリスが追い付いてくる。

 そんな彼女の姿が教会の入り口に見えた瞬間、眼鏡の女性が愕然とした。

 直後、文字通り飛び上がるほどに驚愕を示す。

 

「ぴゃあぁあああああああ――――っ!? アルターエゴ!?

 え、え、なんで!? どどどどど、どう、どうしてぇっ!? いやぁ――――っ!」

 

 すぐさま踵を返し、教会の奥へと走っていく女性。

 呼び止める暇もない。

 2階があるのだろう、どたどたと階段を駆け上がる音が教会の中に響き渡る。

 

「怖がられてんなぁ、先輩」

「そういえば、アルターエゴって結局どういう意味なの? サーヴァントのクラス?」

「……簡単に言うと、BBが生み出した分身。あの人が自分から切り離した要素に、女神のエッセンスを加えて構築したハイ・サーヴァントよ。詳しいことは後でまとめて話すわ。

 先にアレ、落ち着かせて話せる状況にしてきなさいな。私、ここで待ってるから」

 

 そうだね、と。そう答えた立香の横を通り、メルトリリスが歩いていく。

 随分と複雑な表情で、形を保った教会を見回しながら。

 

 そんなメルトの様子が不思議で、立香は自然と彼女の背を追った。

 見られている、と理解したのだろう。

 彼女はすぐにその不自然さを消して、適当な椅子に腰を落ち着ける。

 そうして彼女が無意識に選んだのは最前列。

 

「そうですね。まずはあのマダムに状況を説明し、レディ・メルトリリスのことを納得してもらう。その後、作戦会議といきましょうか」

「とりあえず彼女に説明した後、いったん休憩した方がいいんじゃないか。マスターもここに来てから休まってないだろ? 情報を整理する前にひと眠りしといた方がいい」

「でもそれで時間は大丈夫?」

「どちらにせよ、情報分解されていた体の表面が完全に戻るまでは外に出ない方がいいわ。ひと眠りするくらいでちょうどいい、大人しく休みなさい」

 

 気力、体力、魔力、電脳空間ではいずれもただ活動するだけで目減りしていく。

 その結果すり減った状況で更に活動すれば、消耗は更に激しくなる。

 適度な休憩、適度な回復を挟まなければ、まともに探索すらできはしない。

 

「そっか……?」

 

 休め、と口にしたメルトの先。最前列の椅子の更に前。

 壁際に、何かが見えた。先程の女性が荒らした時の埃か何か―――ではなさそうだ。

 細かい硝子片、みたいな。

 

「―――ほら。さっさとアレを落ち着かせて、休んできなさい。時間を気にするくらいなら、一秒でも早く休めばいいのよ」

 

 メルトに後押しされて、シャルルとガウェインを伴い2階へと向かう。

 思いの外、女性―――マーブル・マッキントッシュ女史の説得は手早く終わった。

 

 

 

 

 

「…………だから言ったのに。

 私はもう十分だから、きっと今度はアナタの番なのでしょう、って」

 

 ずっと同じ場所に座りながら、壁を見つめてぽつりとこぼす。

 マスターと、あとマーブルとかいう人間。彼女たちは就寝。

 シャルルマーニュとガウェインはここをメルトに預け、ヴラドに顔を見せに行った。

 彼らだけでつるむ分にはヴラドも悪い顔はしないだろう。

 

 ……まさかこんな風にサーヴァントが集まってくるなんて。こうなってしまったら、彼女の性能は誤差になってしまう。

 天体室まで辿り着ければ、藤丸立香の帰還は叶う。そこまでの道のりをどうにかできる戦力さえあれば、それは彼女である必要はない。このメルトリリスという機体さえ維持されていれば、管制する意識が多少レベルダウンしたって問題なかっただろうに。

 

 ―――サーヴァントが外に出ているせいで、つい緩んで言葉が出た。

 それを誤魔化すように、体を丸くする。

 

「―――――」

 

 無言の間。神の家らしい静謐さ。

 それを―――

 

『いかにも声をかけてきなさいって雰囲気をだしますね、メルトリリス。

 わたし、実はいまスタジオの改装でハチャメチャに忙しいんですけど。

 ……あれ、もうちょっと右にずらした方がいいですかね。どう思います、メルト?』

「そんなどうでもいいことにこだわれる程度には暇なのね」

 

 当たり前のように引き裂いて、空間を切り取ったようなウィンドウと共に顔を出すBB。

 画面の中では何故か、緑色の服装をしたアーチャーが家具の移動をさせられている。

 死ぬほど文句がありそうな顔だが、どうやら無声(ミュート)にされているようだ。

 

 憐れなものを見る視線を向ける。

 返ってくるのはお前がそんな目でオレを見るのかこの野郎、という表情。

 記憶はないはずだが、体で毒を覚えているのだろうか。

 

「趣味が悪いわね、BB。分かり切っていた話だけど」

『ミドチャさんの話ですか? どうぞ安心してください、あの豚さんは“どうぞ自分を好きなようにしもべとしてお使いください”と言ってくれたような気がしたので、その意を汲んで尽くしてもらっているだけですので』

 

 言ってねーし言う気なんてさらさらねーよ性悪女、という無音の声。

 それを完全に無視して、二人の会話は進む。

 

「そんな奴はどうでもいいわ。私のマスターに余計なことを吹き込んだのでしょう? 余計な事はしないで。もう助からない相手を考えて勇み足をされても困る―――」

『? 彼がもう助けられない、なんて。わたし、メルトやセンパイに言いましたっけ? 普通にまだ間に合うからお伝えしたんですけど』

「――――は?」

 

 不思議そうに首を傾げるBB。後ろでサボりだす緑のアーチャー。

 

 ちょっと待て、何の話なのだそれは。

 だってここにいない、ということはもう主流から外れたということだろう。

 あの戦いこそ、このSE.RA.PHを崩すための攻略法の事前登録(プレ・レジストレーション)

 彼女(メルトリリス)はその副産物、予約特典というべきものだ。

 

 その前提を適用するために、彼は望んで二つのうちの犠牲になる最初の一つを担当した。

 だというのに何故、今さらそんな話になるのか。

 

 BBが数秒そこで黙った後。

 ふと何かに気付いたように唇に指をあて、にこりと笑う。

 

『―――彼が死ぬことになるタイムリミットがどのタイミングか、なんて誰よりアナタが一番よく知ってるでしょう? せいぜい頑張っちゃってください、メルトリリス。さっき言った通りにわたしは忙しいので、特にアナタへの援助は何もしませんけど。

 でもその分、BBチャンネル特装版には期待していてください? 世界最大級のクライシスがコラプスなコースター、準備しちゃってますので。ここぞという時に、最高の見世物(ショー)をお見せしましょう! ですが忙しすぎて、センパイへの嫌がらせに使おうとせっかく整備したBBスロットも出番無しです。そこはちょっとしょんぼりなBBちゃんなのでした』

「―――――」

 

 ぴ、と。手にした杖―――“十の支配の王冠(ドミナ・コロナム)”を振るうBB。

 憐れ、彼女の背後で座っていたミドチャが豚になる。

 消えていく画面の中で、荒ぶる豚を見下ろしながらBBがころころと笑っていた。

 

「間に、あう……ですって……? あの状況から……?」

 

 BBからもたらされた情報に自失するメルトリリス。

 処理しきれない感覚に視線を彷徨わせる少女。

 

 そんな会話を、階段の影で聞いていた女性が一人。小さく笑うように口端を上げ―――そこでふと気付いたように、自分の口許へ手で触れて、笑みを隠し。表情を丁寧に不安そうなものに変えてから、再び2階へ上っていった。

 

 

 

 

 

「まったく。ムーンセルから直々のお仕事かと思えば、いったいどこまで膨れ上がるのでしょうね、この案件は。もう業務完了の暁には何か面白いご褒美がなければやってられません!」

 

 ぷりぷりと頬を膨らませつつ、BBが白亜の空間へと降り立つ。

 

 ―――堕天の檻(クライン・キューブ)

 オリジナルのSE.RA.PHをここに再現する際、同様に再現してしまった触れてはいけない箱。ご大層な希望など入っていない、純然たるゴミ箱。BBからしたってこんな場所、本来は開けたくはなかった。が、この業務を行えるのはここしかない。

 

 降り立った白い床を歩き、小気味よくかつかつと足音を立てる。

 わざわざそうしてくるBBに対し、長身の女が虚空を指で叩きながら振り返った。

 

「どうです、ヴァイオ。間に合います?」

「何度か試算しましたが無理でしょう。そもそも前提として、藤丸立香のサーヴァントがメルトリリスのみの場合を想定した計算です。

 後からああも戦力となるサーヴァントが増えては、何の目安にもなりません。まして状況を見るに、これからも増えるのでしょう? どこかで帳尻を合わせるしかない」

 

 眼鏡の位置を直しながら、淡々と語るヴァイオと呼ばれた女性。

 

 ですよねー、と。BBは深々と溜め息をひとつ。メルトリリス以外の戦力が増えるとか予想外だ。本当になんてことをしてくれたのか。予定外にもほどがある。

 シャルルマーニュの追加は、裏方にとってもとてもありがたい。そっちに関しては流石の慧眼なのだが、追加分はこの有様である。

 

「正気の沙汰とは思えませんね。これのいったいどこが完璧な計画なんですか? 初動から完全に崩壊してるじゃないですか。私、帰っていいですか?

 こういう計画性を維持できていないプラン、大嫌いなんですけど」

 

 床に座り、足をぱたぱたと動かしながら和装の幼女が不満をたれる。

 そちらに視線を送り、面倒そうな表情を浮かべるBB。

 

「どっちにしろアナタの仕事は最終的なプロテアの抑えなので、今は遊んでていいですよ。ご存知の通り、わたしはスタジオ改修で手一杯なので構ってられません。

 ヴァイオレットを手伝うか、ここで一人で遊んでるか、どっちかにして下さい」

「“インセクトイーター”を返してくれれば、鈍くさいリップが担当してる部分を、私がより完璧に仕上げてさしあげますけど……?」

 

 にこりと妖しく微笑む幼女に対し、馬鹿を見る目を向けるBB。

 

「お馬鹿さんですねぇ。リップが相手ならメルトは手加減するでしょうけど、リップを食べたアナタが行ったら全力で殺しにくるに決まってるじゃないですか。

 今のメルトが相手じゃ、アナタなんてあっさりと溶かされて終わりです。ただでさえ余裕がないのに、手間を減らさないでください」

 

 何より、誰より、メルトがカズラに手加減する理由がない。

 もし前に出れば嬉々として殺しに来るだろう。そして仮に“インセクトイーター”と“トラッシュ&クラッシュ”があっても、今のメルトにはカズラでは敵わない。秒殺だ。

 正直な物言いに膨れて、顔を逸らすカズラドロップ。

 

「というわけで、ピンチなんですけどー?」

「それを私に言われてもね。君たちが自信満々にできる、と言っていたと記憶してるが。自業自得じゃないかい?」

 

 BBの声に呆れた声を返し、【逢魔降臨暦】の頁を捲る手を止める。

 電脳の白い壁に背を預けていた黒ウォズは、BBへと視線を返す。

 

「……まあ、そうなんですけど。でもまさか、あんなにサーヴァントが追加されるとか思わないじゃないですか。何か手はありません? アナザーライダー、って奴とか」

「生憎だがそれは私が使うものじゃない、んだが……仕方ない。このままでは本当に予定が完全崩壊だ。少し考えてみるしかないようだ」

「そもそも失敗したらそっちで困るんですから、ちゃんと考えてくれなきゃ」

 

 こっちばかり悩んでる、と不満げな様子を見せるBB。

 だからそもそもこの状況はそっちの不手際だろう、と。

 黒ウォズは肩を竦めつつ、ぱたりと本を閉じて背を壁から離す。

 

 と、そこで黒ウォズはその空間の中心に鎮座したキューブに視線を送る。

 堕天の檻に収容された最後のピース。

 BBが生み出したアルターエゴ、キングプロテア。

 

「女神。その中でも大地母神を内包した英霊複合体……か。

 となればさて、これが最大の交渉材料ではあるんだが……?」

 

 確かにこれほど戦力を増量されては阻むのも容易ではない。

 だから他のところから持ってくる、となるのはもうどうしようもない決定事項。

 この基本的に閉鎖的な環境で突然それができる者は多くない。

 いや、通常なら存在しない。

 

 ―――であれば、普通ではない者にメリットを提示し、ここに招くしかないわけだ。

 

 

 




 
 BBスロット?やつは死んだ。キアラパニッシャーを準備している時間など無い。
 なお骨組みだけはAルートでは使われている模様。ダイスの出目を弄ってくれました。

 Aルートはカール大帝を探るためにふらふらする余裕があった分、Bルートでは死ぬほど忙しいBBちゃん。BB/GOちゃんがさっさと処分されてたせいで全然手が足りてないんですけどー。メルトリリスはもっと反省しつつ、わたしに感謝してもいいと思うんですけどー、と思いながら動いている。
 


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ひとりぼっち2030/A

 

 

 

「オ、オ、オオオ、オォオオオオオオオオオ―――――ッ!!」

 

 獣のように駆け、突き出すのは握った拳。

 迫りくる生身の拳に対し、腕を交差させて正面から受け止める。

 インパクトの瞬間に飛び散る火花。

 その勢いに押し込まれたジオウがブーツで床を擦り、体を押し留めた。

 

 開いた間合いの先、血色のマントが翻る。

 轟く咆哮。黄金の鎧を纏った男が吼え、猛り、天を仰ぐ。

 

「ネロォオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――ッ!!!」

 

 ローマ帝国皇帝、カリギュラ。その闘志が炎のように燃え上がる。

 

 “天声同化(オラクル)”による性能向上。

 ジル・ド・レェは自ら放棄したが、本来ここのサーヴァントには全てこれがある。

 特に本能が剥き出しで同化率が高いバーサーカーは、最大効果を受けているだろう。

 

 両腕で対応したにも関わらず、拳を受け止めた箇所が痺れる。

 アーマー無しで相手は難しい、と即刻判断。ジオウはすぐさま腕のホルダーに指をかけて、

 

「月、よ……! 月の女神よ―――!

 我を呪え―――“我が心を喰らえ、月の光(フルクティクルス・ディアーナ)”!!」

 

 瞼を見開いて、カリギュラは己の顔を強く掴む。

 その体から放たれるのは、暴虐の皇帝カリギュラを侵す狂気の氾濫。

 彼の脳髄に満ち、理性を浸す月の狂気の渦。

 

 月の光を媒介するまでもなく。

 月の模造品、SE.RA.PHを伝って広がっていく精神汚染の波。

 最速で周囲を呑み込む伝染狂気。それはジオウの動きに先んじて、

 

 ―――しかし、ジオウの周囲に巻き起こる水流に阻まれた。

 

「ウ、ォオオ……ッ! 余に、与えた……狂気、愛を……阻むか、ディアーナ……ッ!」

 

 月光を覆うように天に向け立ち上る水の柱。

 その光景を見て、舞と共にその水を起こした少女の姿を見て。

 

 カリギュラが僅かばかり驚きに目を開き、すぐに表情を獰猛なものに変えていく。

 

 水流と共に宙に舞う少女。

 ヒールで水流の竜巻を描いた少女が、その働きで得た疲労に喘ぐ。

 だが口元に浮かんだそれをすぐに噛み殺し、彼女は微笑みを浮かべた。

 

「―――私たちアルターエゴは女神のエッセンスを組み込まれたハイ・サーヴァント。

 私に与えられた三柱は、女神サラスヴァティー。旧約聖書のリヴァイアサン。そして、ギリシャ神話における月の女神アルテミス」

 

 月の女神ディアーナの寵愛、月光によって狂気に堕ちたカリギュラ。

 彼の宝具はそれだ。己を狂わせたその光を拡大伝播し、月の光が照らす全てを狂わせる。

 それは月の神威そのものであり―――

 

 故に、アルテミスの神性を持つメルトリリスにその光は届かない。

 

「そういうステージではありませんが、どうしても観客席で月光(ペンライト)を振りたい、というのであればお好きにどうぞ。ですがその程度の灯りが舞台上に届くわけもなく、目が眩むようなこともありませんので、あしからず」

 

 むしろ狂うのであれば、月の女神よりも美しき舞踏に魅せられてであれ、と。

 まるでそう言うように、メルトリリスが空中で肢体を回した。

 トゥール・アン・レール。

 彼女が麗らかに着地すると同時、力を振り絞って起こした水柱が崩れていく。

 

〈アーマータイム!〉〈ドライブ! ドライブ!〉

 

 崩れかけた水柱を突き破り、射出される小型マシン。

 ジオウ・ドライブアーマーが撃ち出したシフトスピードスピード。

 それは空中を疾走し、一直線にカリギュラに向かう。

 

 その威力を察して咄嗟に守りに入るカリギュラ。彼は両手を頭上に掲げ、組み合わせ、全力でもって振り下ろす。完全にタイミングを合わせたダブルスレッジハンマー。その一撃はシフトスピードスピードを上から殴打し、下へと弾き飛ばした。床に激突して弾け飛ぶ赤い車体。

 

 そうして両腕を振り抜いた姿勢の彼に、二台目のシフトスピードスピードが来襲する。

 腕を振り上げようとするも間に合わず、黄金の鎧に追突する弾丸。

 マシンが飛来した勢いそのままに吹き飛ばされていくカリギュラの体。

 

「グ、ゥウウ――――ッ!?」

 

 床でバウンドして転がり、しかし掌で床を叩いて体勢を立て直すカリギュラ。

 そんな相手を追撃すべく吹き荒れる水滴を突き破り、進出するのは水を弾く真紅のボディ。

 ジオウは水を突破すると同時、片手に握っていたタイヤを放る。

 

 回り床を走り抜けていく水色のタイヤ、ロードウィンター。

 それは転がりながら周囲に冷気を発し、周囲の水滴を凍てつかせていく。

 

「メルトリリス!」

「―――――」

 

 だからアイススケートではない、と。無言でジオウを睨むメルトリリス。

 それでも確かに、今の彼女が初速を得るのにこのリンクは好都合だ。

 足を動かし、メルトリリスが滑り出す。

 

 それと同時、ジオウが肩を張ると射出される更なるホイール。橙と白、発射されるのは二本。空を行くそれらはメルトリリスへと追従し、彼女の姿を照らし出す。

 氷上を征く白鳥を飾り立てる、色とりどりの光のカーニバル。能力を発揮しているのはアメイジングサーカス、そしてカラフルコマーシャル。

 

 白鳥は速度を緩めず、しかし自分がライトに照らされている事に愕然とする。

 一瞬だけ視線を横に向ければ、ライト欲しかったんでしょ? と首を傾げるジオウ。

 

「ほんっとに、もう……!」

 

 行き場のない気持ちを踵に乗せて、その刃をカリギュラへと向ける。

 攪乱するような複雑な機動をとれば相手に追い付けない。

 今のメルトリリスは、大帝と同化したカリギュラに基本性能で大敗している。

 だからこそ選ぶのはただひとつ、一直線の刺突撃。

 

 迫る切っ先を見てカリギュラが反応する。それで間に合ってしまう。

 彼は突撃を躱すために横っ飛びに床を蹴り―――

 氷結した床で僅かにバランスを崩し、着地での失態を見せた。

 

「グゥ……っ!」

 

 一瞬だけ戸惑い、しかしすぐに足場の氷を踏み砕く。

 だがそうして生まれた隙を前に、ジオウは既にドライバーに手をかけていた。

 

〈フィニッシュタイム! ドライブ!〉

 

()()()から突っ込んじゃって!」

 

 横から聞こえる声に従い、メルトリリスは止まらない。

 カリギュラが既に退いた位置を目掛け直進を続ける。

 

 そうして突き進む彼女の前に割り込んでくるのは、彼女を照らしていたタイヤの一本。タイヤを足場代わりにして、バウンドすることで進路変更しろということか。無茶をしろという。だがマスターからの指示だ。あの少年にできないの? などという顔をされるのはごめんだ、やれるに決まっている。

 

〈ヒッサツ! タイムブレーク!〉

 

 ジオウが更にタイヤを展開する。

 カリギュラを囲むように、周囲に配置されていく無数のタイヤ。

 

 最初のタイヤにぶつかり、膝を曲げた状態で十分の一秒だけ間を置く。

 その間を利用して、配置されたタイヤの位置を確かめた。

 

 彼女が足を置いたタイヤが回転を始めようとしている。

 その勢いを利用して最速で跳べ、というのだろう。それは結構だ。

 ただカリギュラを囲うタイヤの配置が乱雑だ。

 周囲を囲むだけでいいのに、雲のように上空をふわふわしている奴まである。

 

 もっとこう、跳びやすい位置に配置してほしかった。

 カリギュラの不意をつけるルートの計算を進めつつ、胡乱げな視線をジオウへと投げる。

 すると彼は武装を呼び寄せ、銃を構えたところ。

 銃口はカリギュラではなく虚空へと向けられていて―――

 

「―――――」

 

 視線がぶつかる。

 言葉を飛ばす猶予も、必要もない。もう指示は下されている。

 であるならば、彼女は指示に従う。

 仮にも彼が、自分のマスターなのだから。

 

「アン」

 

 爪先(きっさき)がタイヤを蹴る。

 回転は即座にトップスピードへ至り、メルトリリスをピンボールのように打ち出した。

 

 罅割れたリンクの上でカリギュラがその弾丸へと顔を向ける。

 軌道は彼の位置と重ならない。

 メルトリリスが飛翔するルートは、カリギュラの手が届かない軌道だ。

 

 高速飛行の衝撃で吹き飛ばされ、散っていく砕けた氷片。

 乱反射するスポットライトの光。

 自分は魅せるものであり、見世物のサーカスじゃない、と言ってやりたい。

 

「ドゥ」

 

 そんなどうでもいい事を考えながら、二つ目のタイヤに辿り着き、蹴る。

 射出された彼女の軌道はやはりまたカリギュラとは重ならない。

 

 カリギュラが拳を握り、呼吸を整える。

 立ち昇る魔力は、“天声同化(オラクル)”の影響下にある証。

 その結果得られた通常以上の性能を、彼は迎撃のために注ぎ込む。

 

「トロワ!」

 

 三つ目。タイヤを蹴ると同時、メルトリリスが姿勢を変える。

 翻弄するための跳躍から、獲物を狩るための襲撃へ。

 カリギュラの背後から一直線、一息に霊核を貫き通すための刺突蹴撃。

 

 位置、距離、タイミング、いずれも最高のもの。

 この軌道ならば、本能で即座に反応されても先に自分の刃が届く。

 そして敵はバーサーカー。

 理性的な判断で軌道を読み切るなど、できるはずもない。

 

「―――ォオオオオオッ!!」

 

 だがその狂気は、月明かりを見失わない。

 その輝きが月女神のものであるというのなら、当然の話だ。

 彼にはその光が常に届いている。

 如何なる攪乱を交えようと、見失うなどありえない。

 

 メルトリリスの切り返しと同時、カリギュラが拳を振り上げ振り返る。

 真紅のマントを翻し、全霊をもって振るう鉄拳。

 彼の意識は確かに、メルトリリスの飛翔速度に追いついた。

 

 直進するメルトリリスの剣。突き出されるカリギュラの拳。

 両者激突に至れば、その結果は明白だ。

 どちらが強度に優るかなど、わざわざ語るに及ばない。

 

 砕けるのはメルトリリス。

 衝突すればその結果は変えようがない。

 既に突進を選んだメルトリリスの軌道は変わらない。

 であれば、結末は変わりがなく。

 

〈フィニッシュタイム! スレスレシューティング!〉

 

 故にそこに至る道筋を曲げれば、結末もまた変わる。

 

 メルトリリスとカリギュラの間に発生する交通標識。

 浮かぶヴィジョンは指定方向外進行禁止。

 進路を狭めるそのサインが許した進行方向はカーブのみ。

 

 それに触れた瞬間、メルトリリスの進路が変わる。

 彼女の体は無理なく、動きとしてありえない曲線を正しく描く。

 まったく意想外の動きが少女の行先を変えた。

 となれば連動して変わる、激突の結末という破壊の運命。

 

「―――――ッ!!」

 

 カリギュラの全霊の拳が空を切る。

 途中で止める、なんていう器用な真似が叶う正気はない。

 彼は狙うべき相手を見失うことなく、しかしその手は届かなかった。

 

 少女がカーブし、更なる飛行を続行した方向は上。

 正しく白鳥が羽搏くように空を翔け、彼女はカリギュラの頭上を取った。

 

 拳を振り抜いた姿勢で硬直する男の頭上で、少女が最後のタイヤに着地する。

 カリギュラの直上に配置されたホイール。

 それは彼女が足を置いた途端、高速回転の予兆を見せる。

 

 ホイールの回転が開始されると同時、踵で叩く。

 加速し、射出される少女の体。

 天空より地上へ向けて、放たれるのはメルトリリス。

 まるで月女神の放つ()の如く、その一閃は月を仰ぐ男に向けて降り注ぐ。

 

「カトル――――!!」

「――――――――ッ!?」

 

 拳を引き戻しながら、月光の行先を追うカリギュラ。

 だが彼が空を仰いだ瞬間に、すでにその矢は彼を撃ち抜いていた。

 

 スパークする視界。眩さ以上にその衝撃で目が眩む。

 そして機能が麻痺した視覚が復帰することは、もうない。

 一息に砕かれ、溶かされる霊核。

 霊核から広がり胴が、四肢が、そして脳髄が、月の海に溶けていく。

 

 ―――そうしてまた一人、サーヴァントを養分とし。

 メルトリリスがちらりと踵を確認し、安心したように息を吐く。

 それなりに強度は取り戻せているようだ。

 

 サーヴァントを撃破した途端、周囲にはドールが展開される。

 だがやはり、そのドールたちは彼女たちに反応を示さない。

 

 それを確認しつつのんびりと歩み寄ってくるジオウ。

 そんな様子を見て、メルトリリスは不満げな顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 何かの機械だったのだろう残骸に腰かけて、鈴鹿御前がぼうとする。

 今まさに視線の先ではカリギュラは撃破された。代わりに出現するのは大帝の処理能力で活動するドールたち。丁寧にサーヴァントを削ぐカルデアも、ああしてセクターひとつ自分から逃さない大帝も、どっちも勤勉で結構なことである。

 

 メルトリリスは順調に性能を取り戻しているようだが、それでもまだまだ。マスターの援護ありきで戦闘をしても、一戦ごとに休まねばまともに戦えないようだ。どれだけ狩るつもりか知らないが、あの調子では沈降までにカール大帝に辿り着けるか怪しいものである。

 というか、セクターを奪還することでカール大帝の力を削れない以上は、メルトリリスを限界まで強くするしかないだろう。“天声同化(オラクル)”の維持をされたままでは、どうあっても倒せまい。成功率を考えれば、時間ギリギリまでメルトリリスのレベル上げか。

 

 それ以外の行動で言うと、どこかでパッションリップの救出くらいだろう。

 

 まあ彼女には何の関係もない話だろう。

 どうせ彼らは鈴鹿御前が担当するセクターには寄らないだろうし。

 

「…………」

「随分と悩んでいるようだな」

 

 振り返ればそこには白い男。ギャル男(カルナ)だ。

 彼は炎の翼を畳み、鈴鹿の座っている何かの残骸の上に降り立つ。

 鬱陶しげな表情を浮かべつつ、すぐに視線を外す。

 

「なに、ストーカー? アンタ、私をつけてんの?」

「否定はしない」

 

 しないのかよ、と。睨みつけても涼しい顔。

 彼はカリギュラが担当していたセクターを見て、軽く目を細める。

 

「仕事はちゃんとやってるし。ただこんな何もない場所でそれだけじゃ、とにかく息が詰まるわけ。出歩くのも許可をとれって?」

「いいや、セクターの管理さえ確かならば問題ないだろう。大帝への恭順を示す方法は、各々に任されているのだから」

 

 だったらなんなのだ、と視線で問うても答えない。

 

「あるいは」

 

 睨まれながらも大帝直属になったセクターを俯瞰し、カルナは呟く。

 

 戦闘を終え、疲労に膝を落としたメルトリリス。

 ジオウはそんな彼女を抱えて、撤退するために走行を開始した。

 最初に出会った教会を拠点としているのだろう。

 

 向こうはこちらに反応しないし、こちらも向こうに突っかかる理由はない。

 退却する相手の背中を見過ごして、カルナは鈴鹿御前に声をかけた。

 

「お前の目的はいま撃破されたカリギュラの方だったか」

「はあ?」

 

 怒るような声が漏れる。

 そんな彼女の声を聞いて、カルナがやっと振り返り。

 そして、何とも珍しいことにバツが悪そうな表情を浮かべた。

 

「明確な理由はない。ただそうと感じた、というだけのことだ。だがどうやら失言―――いや、過言だったようだ。お前がその態度を貫くということは、問うべきではないことだったのだろう。すまない」

 

 謝られる理由がない。のに、勝手に納得して謝罪する男。

 その態度にこそキレそうだ。

 しかも言うだけ言ったら踵を返し、翼を広げ、帰還の姿勢。

 

 だがそれこそ、この男の発言にキレる理由がない。

 ただ意味不明なことを言っただけなのだから、わざわざ突っかかる理由がない。

 目を瞑り、口を閉じ、カルナが飛翔するのを無視する。

 

 カルナが飛び立ち、一人残されて。

 月を仰ぐように、鈴鹿御前はSE.RA.PHの天井を見上げた。

 

 

 

 

 

 教会跡地に辿り着き、腰を落ち着けたメルトリリス。彼女をここまで運んできたジオウは変身を解除し、ソウゴも適当な場所に腰を下ろす。

 

 ソウゴにはまだ余裕があるが、サーヴァントであるメルトリリスの方の疲労が濃い。

 消耗は甚大だ。ただでさえ性能の下落が激しいのに、敵は“天声同化(オラクル)”によって更なる性能強化が施されている。本来であればマスターとの繋がりさえ希薄なサーヴァントは、魔力を消費するばかりで弱体化するものだろうに、カール大帝のおかげで弱体化どころか大幅強化だ。一対一ではまるで勝負にならないだろう。無事に終わったとしてもこの疲労感。連戦できるほど強化されるまで、一体どれだけかかるのやら。

 

 そうして疲労に蝕まれつつ、そこでふと気になってソウゴを見る。

 

「……私の回復を待って、こうしてゆっくりしていていいのですか? アナタは急いで解決を目指しているように見えましたけれど」

「うーん、たぶん大丈夫じゃないかな? それに急いでないわけじゃないよ。無理しない程度には急いでるし」

 

 ソウゴが崩れた天井を見上げて息を吐く。

 カール大帝がどれだけの強敵、難敵であるかは分からない。

 だが少なくとも普通ではありえない規模の存在なのは、このSE.RA.PHを見れば明白だ。

 だからできる限りの最善を尽くすしかない。

 

 メルトリリスには大帝に刺さる(ぶき)があり、協力してくれるという。

 ならば彼女に対しこちらも協力するべきだろう。

 急いではいるが焦ってはいない。

 自分が今やれることは今ここでやっている、と信じられる。

 

「それならばいいのですけれど……一応聞いておきたいのですが、アナタのような性格の人間がああも急ぐ理由。何があったのですか?」

「立香……一緒に来たマスターと合流できてなかったからさ。BBが言うには、そもそもここに来てないらしいけど」

 

 言われて、最初にBBと話していたことを思い返す。機能停止寸前だったのでそれどころではなかったが、確かにそういった話をしていたような気がする。

 BBはどうしようもなくアレなAIだが、AIだからこそ嘘はつかない。彼女がそう言ったならば、本当に最初からいないのだろう。

 そしてもし仮にBBが把握できない状態でここにいたとして、現状を見ればそう大きな問題もないだろう。大帝に同化されたサーヴァントは基本的には理性的、かつカルデアと敵対していない。ジル・ド・レェのようなレアケースと出会ったり、積極的にバーサーカーに絡みにでもいかない限り、危険はないと思われる。

 

 ただ、もしかしたら直接大帝に見つかって聖都に捕まっているかもしれない。大帝に隠匿された場合は、BBでも見つけられなかっただけ、という可能性はある。リップのこともあるし、なるべく早く聖都周辺を確認をするための動きが必要だろうか。

 

「……ですが、危険な状況にある線が薄いとはいえ、よくBBの言うことを信じられますね。今にも危機に瀕しているという可能性がないわけではないでしょう」

「だって俺、最高最善の王様になるし」

「はい?」

 

 なんて? とメルトリリスが首を横に倒す。

 いま、何の話をしていたっけ。

 頭の上に疑問符を浮かべた彼女の前で、自信ありげに微笑むソウゴ。

 

「だって俺、それが俺が頑張ればどうにかなることなら見過ごす気がないしさ。それでも俺がここでこうしてる、ってことはつまりこれで大丈夫、ってことでしょ?」

 

 その相手がどうしようもないほどに追い詰められるようなことがあるのであれば、そうならないように自分がどうにかしてるはず。そういうことだろうか。

 

 確かに彼の力は普通の人間のものじゃない。彼の特殊な力が、危険から遠ざけるようにその人間を追い出した、という可能性もないではない。

 それはそれとして、何の話だ。

 

「……それで、それの何が最高最善の王様なのですか?」

「今の俺が考える最高最善の王様は、そういう王様だってことかな?」

「いえ、そうではなくて。そもそもそれ、何ですか」

「俺の夢。世界を全部良くできる王様」

 

 変わった人間だとは思っていたが、と。

 メルトリリスが奇異なものを見る目でソウゴを見る。

 

「なんのために……?」

「俺がそうしたいから?」

「どうやって?」

「とりあえず今は……いつだって、やるべきだと思ったことをやって、かな?」

 

 なるほど、自分には理解できないことだろう。

 そう考えて理解を放棄し、彼女は息を吐く。

 すると、その話題を続けるつもりなのかソウゴはメルトリリスに問い返す。

 

「メルトリリスはどうなの?」

「どう、とは?」

 

 今の話から転じて、訊きたいことなどあるのだろうか。

 そう考えて思案する彼女に対し、ソウゴは言う。

 

「メルトリリスがカール大帝のこと気に入らないのってさ、たぶん同化することに対しての考え方の違いとか、そんな感じでしょ? メルトリリスもカール大帝も何かを同化するけど、やり方は正反対みたいだし」

「そう、かもしれませんけど」

 

 その敵視は確かにあったのだろう。

 “オールドレイン”も。“天声同化(オラクル)”も。

 どちらも同化したものを自分にする性質を持ったスキルだ。

 

 溶かして取り込むメルトリリスと、並列に隷属させるカール大帝。

 相手をただの養分とし、パラメータだけ残して自分にしてしまうメルトリリス。

 相手の自我を残し自身に共感させることで、普遍なる自己を拡大していくカール大帝。

 

「まだよく分からないけどさ、カール大帝の同化って今んとこ影響を受けてるサーヴァントから嫌な感じしないし。相容れなくても、悪い奴じゃない気はする」

「それ、正反対の私は悪い奴だろうと言いたいんですか?」

 

 問い返されたこと自体に驚くように、ソウゴが首を傾げる。

 

「その辺、自分ではどうなの?」

「……否定はしませんけれど」

 

 むすっとして顔を逸らすメルトリリス。

 

「だからさ、メルトリリスとカール大帝はどっちも、自分で世界をどうかしたいと思ってる、ってのがあるんじゃないかって思ったんだよね。その上で聞いてみたいなって思ってさ。メルトリリスにとって最高最善の世界があるとするなら、それってどんな世界なのかなって」

「……別に、アナタには関係ないと思いますけど。それ、カール大帝にも訊く気ですか?」

「うん。たぶん答えてくれそうじゃない?」

 

 カール大帝を見た事もないくせに自信満々にそう言うソウゴ。

 ただメルトリリスが考えても、カール大帝ならば嬉々として答える気はする。

 彼女がカール大帝と顔を合わせたのは短い時間だが、何となく。

 問われれば彼は、己の行動のわけを泰然と語るだろう。

 

 正直に言えばメルトリリスだってそうだ。

 もちろん状況次第だが、訊かれれば自分の理想世界について嬉々と語るだろう。

 伝えたいわけでなくとも、知りたいと言われれば教えるに違いない。

 

 いまはそんな気分ではないけれど。

 ただ先に答えさせた手前、語らずに終わらせるのは据わりが悪い。

 

「―――……私が望む、最高最善の世界。きっと、それは(メルトリリス)です」

 

 自分が最高の世界、と。

 そう口にした彼女を見て、ぱちくりと目を瞬かせるソウゴ。

 

「世界に存在するのは私と、私の愛する人だけ。愛する人を満たすため、私は世界の全てを私の中に溶かして捧げます。その人と(セカイ)。それだけであることこそ、完全な世界。だって私が世界と同化して愛すれば、その人は世界の全てに愛されてることになるでしょう?」

 

 変わらない。変わる筈もない。

 その世界の結末がどうなったにしろ、一度そうなってしまったものはもう。

 彼女は快楽(こうふく)のアルターエゴ。

 快楽を与えるための手段をドレイン以外に知らないプリマドンナ。

 

「ふぅん……」

「訊いておいてこの雑な反応。流石にもう殺意です、殺意しかありません」

「お互い様じゃない?」

「むっ……」

 

 そっちはもっとふわっとした主張だった、と言い返すべきか。

 けどそれはそれで負けた気がするので口を噤んで我慢する。

 そうしてブレーキをかけてる内にも、ソウゴの声は続いていた。

 

「それにさ。そう思ってるのはホントなんだろうけど、本気じゃなさそうだし」

「それはただ、そうしたい人にはもう拒絶されてしまったというだけです。終わった恋にみじめに縋り付くことをしていないだけで、いつかまた……もし、恋をする機会があったとすれば、きっと私はまたそうするでしょう。

 私たちはアルターエゴ。強い我欲(エゴ)を核として生まれた以上、その行動原理は不変。そこが変わってしまったら、それはもう私ではないものですから」

 

 彼女は奉仕者であり加害者。その設計ばかりはどうあっても動かない。そこがずれてしまったら、それはもうメルトリリスではない。如何なる(バグ)に歪もうと、そればかりは変わらないことだ。

 そんな、自分の基本設計を淡々と語る少女のことをじいと見て、ソウゴはまたも不思議そうに首を傾げた。

 

「それって変わろうとも思わない、じゃなくてさ。変わりたいけど変われない、って言ってるの?」

「―――――」

 

 人間とは規格の違う愛。人形に向ける愛。

 彼女にとって愛とは交わすものではなく、注ぐもの。

 

 ちゃんとそうして、自分の在り方に合わせて愛するだけならば、もしかしたら愛しい人は手に入ったかもしれない。だって初撃で溶かせばよかった。

 見てほしい、好きになってほしい、なんて(バグ)のせいでそれができなかっただけ。そんな恋を抱えたまま、行動原理はやっぱり自分のままだったから齟齬がでた。

 けれどそれを後悔しているか、というならしていない。だって一から十まで、自分は自分として羽搏いたのだから。その思考も、行動も、発生した(バグ)も、一切合切全部が自分のものだった。

 

「―――いいえ。他者のために変わることはできずとも、変わりたいとも思えずとも、私というエゴから生まれた気持ちだからこそ、バグではあっても嘘じゃない。私はこのままでも、それに殉じることくらいはできるのです」

 

 そういって、メルトリリスは微笑んだ。

 そしてソウゴは首を傾げた。

 

「でもさ、じゃあそれってメルトリリスの世界は完全じゃないって事じゃない? 自分なりの妥協があるなら最高最善ではないでしょ?」

「今の私の万感の言葉への返しがそれでいいと思ったアナタの頭が信じられません」

 

 世界と同化したメルトリリスと、愛する人だけ。それを彼女は完全な世界と言ったが、自分に発生したバグによって生まれた不完全さを本人が自覚しているなら、それは何だか違わない? そう言い放ってきたソウゴに対し、そういう話してないからとメルトリリスは目を吊り上げる。

 

「でも本気で完璧なものを捧げたいと思うなら、やっぱり変わらなきゃとは思わない?」

 

 永久不変の愛。愛する者を蕩かす最上の甘い蜜、メルトリリス。

 彼女が至上の愛を捧げる者だというのならば。

 今の自分より、更なる愛情を示すための更新をする余地があると考えられるのなら。

 

 言い返そうと思って、やめる。

 別に彼も本気でそう思っているわけではなさそうだったから。

 それよりも今の問いから感じたことに、問い返す。

 

「……アナタは変わりたいのですね。ひとりぼっちはいやだから」

「うん。そうやって進み続けて、いつか辿り着けるのが最高最善の王様だからね」

 

 少年は少女と違い、さして気にもせず肯定する。

 恥じらいというものはないのだろうか、という気分になるが。

 

 ―――それとも、同じような彼女にだから言ったのか。

 

 寂しくとも、ひとりぼっちでも、他に誰もいなくとも、

 ただ大切に想ったものがそこで守れてさえいるならば、生きていけると想った。

 霧に覆われた湖畔のように、冷たい冷たい水底に沈んだ夢。

 

 座った姿勢で膝を抱き、背を丸くした。

 こうしてここで話したことで、少しだけ。彼のサーヴァントとしてやっていけるようになったかもしれない、と思って目を閉じる。

 

「―――スリープします。少し休んだら、次のサーヴァントを倒しにいきましょう」

「その前にどっかに食べるものとかないかな……」

 

 台無しだ、と思った。

 

 

 




 
 焼きそばパン求。
 どこかでまるごしシンジ君だせねえかな…
 


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善意の人2030/B

 

 

 

「で、では改めまして。マーブル・マッキントッシュです」

 

 ちらちらとメルトを窺いながら、眼鏡の女性は自己紹介する。

 

 そんな視線を受けていようが、メルトの方は大した反応もない。

 彼女は端の方で腰かけたまま無言を貫いている。

 

「大丈夫だって。先輩だっていきなり取って食うようなことはないさ、たぶん」

「たぶん!?」

「ええ。私、ちゃんと溶かす(たべる)ものくらい選ぶもの。過食だなんてもってのほか」

 

 シャルルの擁護なのかなんなのかよく分からない言葉。

 それを軽く睨みつつ、続けるメルト。

 何やら彼女はヴラド公の言葉を気にしているようだ。

 

「大丈夫です。メルトは私のサーヴァントですから」

 

 マーブルを見据えて、立香はきっぱりと口にする。

 

 その態度に一度きょとんとして。わざとそう口にした少女の意を汲み、それに応えて笑顔を浮かべようとしたのだろうが、しかしマーブルは口元を引き攣らせるに留まった。

 少女からそんな風に言われ、メルトもまたきょとんとした表情を見せる。が、彼女はすぐにそんな表情を引き締めて、顔を逸らす。

 

「そういえば、外のあの人は……ヴラド三世、でいいんだよね?」

「ええ、カルデアが行っていた戦いの中で観測されていた、領主としてのヴラド公とは違いますが。あの姿こそが彼の武人としての一側面なのでしょう。苛烈さがより表に出ていますが、彼の知性は疑うべくもない。どうかご安心を」

 

 立香が寝ている間に外で確認したらしいガウェインが頷く。

 そっか、と返して考えこもうとして。

 しかしそれより先に、と。彼女は顔を上げてマーブルを見つめる。

 

「とりあえず、あなたが知っている情報を教えてください」

「それはいいけれど……私が知っていることなんて、大したことないわよ?」

 

 眼鏡の位置を直しながら、マーブルは首を傾げる。

 

「突然セラフィックスで外部と通信がとれなくなって、外に出るための乗り物があれこれとあった格納庫(ドック)も爆発して、その影響でいろいろセラフィックス全体に異常が出て……どうしようもないから、外が異常に気付いてくれるまで待つしかなくて。

 そうして待っていたら、BBっていう女の子がいきなり出てきて、『ここは電脳化して、聖杯戦争の舞台になりました』って連絡をしてきたの。それから私はずっと管制室にこもってたわ。管制室から外に様子を見に行った職員はみんな……殺されたみたい」

「―――ふむ。ですがマダム・マーブル、あなたはここにこうしていらっしゃる。管制室からここにきたのはどういう経緯で?」

 

 ガタン、と。座っていた椅子を揺らし、マーブルが立ち上がった。

 その様子は頬を膨らませんばかりの怒髪天。

 

「マダム!? マダムって! マダムじゃありません! 結婚なんてしてません! れっきとしたレディですぅー! いったい私のどこにマダム呼びするほど所帯を持ったふくよかさが見て取れるというんですかー!? むしろ童顔だと思うんですけどー!」

「これは失礼。確かに外見はティーンでも通じる方ですが、外見以上の包容力を感じまして」

「―――――」

 

 ガウェインは外見に似合わぬ大人びた雰囲気だ、と褒めているつもりなのだろう。だがマーブルは愕然として、ガウェインからティーンでも通じると言われたあどけない顔を苦渋に染めた。

 その様子を見て、流石に申し訳なさが勝ったのか。ガウェインが頭を下げる。

 

「いえ、その。申し訳ありませんでした、レディ」

「別にいいですー、どうせ昔からみんなに大人び(ふけ)てるって言われてましたからー」

 

 拗ねるようにぷいとそっぽを向くマーブル。

 どことなく子供っぽい所作は、もしかしてわざとやっているのだろうか。

 大人びて見えるのを打ち消すために。

 そう考えると、それを誉め言葉としてしまったガウェインは失態だ。

 彼は大人しく、申し訳なさそうに一歩下がる。

 

 溜め息混じりにメルトリリスがマーブルを見つめ、口を開く。

 

「……どうでもいいけど、管制室の情報を持ってるなら早く渡してくれる?」

 

 アルターエゴに声をかけられたことで、びくりと肩を跳ねさせるマーブル。

 彼女はうろたえるように視線を左右に振り回す。

 そうして数秒、落ち着いたのかマーブルは言葉を選びつつ話し出した。

 

「えっと……はい。じゃあ一応、私がいた頃の管制室の様子を。話して、いいのかしら?」

 

 マーブルはまるで確認するように、恐る恐るメルトリリスを窺う。

 そんな言葉を向けられたメルトは目を細め、マーブルを睨み返す。

 

「メルト?」

「お好きにどうぞ」

 

 何も感じさせない平坦な声。そう返されたマーブルは再び視線を右往左往。

 その様子を見て、立香はガウェインに声をかけた。

 

「ガウェイン、ごめん。お願いできる?」

「ええ、構いません」

 

 今のガウェインは立香のサーヴァントでもなければ、カルデアのサーヴァントでもない。ただSE.RA.PHに召喚されてしまったサーヴァント。彼が最優先にするのはSE.RA.PHのどこかにいると思われるマスターであり、そのためにであれば立香たちと剣を交えることにも躊躇いはない。つまりいま、立香に敵対できるのは彼しかいない。

 

(問題は私ではレディ・メルトリリスを止めようがないこと。シャルルマーニュとニ対一で戦った場合でさえ、彼女とは勝負にさえならないでしょう)

 

 彼女はメルトリリスとシャルルマーニュのマスターだ。何より彼女たちを信じ、動くだろう。その上でサーヴァントが暴走するならば、自分ができる限り止めようとする。

 もしメルトリリスがここで暴れるようならば、彼女はシャルルマーニュに指示して止めるために動く。だからもしもの場合はニ対一になるのだが、それでも勝ち目が見えない。

 

 分からないのはこれほどの存在でありながら、立香に対しては従順なサーヴァントでいようとしていること。そして、恐らく瞬時に勝てるシャルルマーニュへの警戒心の強さ。

 

(いくらアルターエゴとはいえ霊基の強度が桁違い。彼女はこのSE.RA.PHの聖杯戦争、BBの遊技場の中でさえイレギュラーに見える。その理由を隠している、ということか……)

 

 シャルルマーニュの隣から離れ、マーブルの隣に行くガウェイン。そんな彼を複雑な顔で見つつもある程度は安心できたのか、彼女は胸を撫で下ろす。

 

 ちらりとシャルルを確認してみれば、彼は大丈夫とばかりに緩い顔。

 そもそもメルトリリスがあれほど強靭な存在であることを気にしていないように見える。

 もしや理由を知っているのだろうか。

 

「えっと。その、ね? あ、いえ。まず前提よね。ちゃんと順序立てて説明しないと、勘違いされちゃうかもしれないし。私、陰口とかするつもりで言うわけじゃないし。

 そう、それでね。管制室にはまだたぶん、一人残っていると思うの。その人はアーノルド・ベックマンっていって、この事態で管制室に閉じ籠ったみんなを一応、統率してた人」

 

 ガウェインに隠れながら、マーブルは前置きを始める。

 

「……管制室にいた人間は、最終的には四人にまで減ってたの。私と、その人。後はトラパイン女史と、ホリイ君。まずトラパインが助けを呼びに行く、って言って出ていったわ。カルデアからあなたたちが来たってことは、成功したってことなのかしら」

「えっと、はい。たぶん」

 

 BBが届けてくれた救援を呼ぶ声。それがトラパイン、という人のものなのだろう。

 その人も助けなくてはならない。まだ無事であることを願いたい。

 

「ホリイ君はその、現実逃避のためにモルヒネを射ちすぎて……ロッカーの中で永眠(ねむ)ってしまった。そうなってしまったら、私はアーノルドと二人きり、ってことになっちゃうでしょ?

 その場合の危険度と、万が一を求めて外に飛び出す危険度。私としては、後者の方がまだマシかなって思って、飛び出してここまで走ってきたの。たぶん、あの時の私は金メダルものだったと思うわ、すっごい風を感じたもの」

 

 自分に自分で感心するマーブル。

 そんな彼女の言葉は、どうにもアーノルドという人物に含みがあった。

 なので、その疑問を素直に口に出す。

 

「危険な人、なんですか? そのアーノルド・ベックマンという人は」

「ん……まあ、なにせ極限状態だもの。人間、誰だってああなってしまう可能性は否定できないと思うの。彼が特別悪い、なんてことはないと思うのよ。

 管制室には食料だって残り少なかったし、それを奪い合うことになって殺し合い、なんてしたくなかったし。それが私が命がけでここまで逃げてきた理由」

 

 彼女はそこで一息つき、再びメルトリリスを確認した。

 その視線に対して表情をひとつ動かさない。

 数秒の迷いのあと、マーブルは話を再び開始する。

 

「―――それで、そもそも管制室の人員がそこまで減った理由なんだけど。それもまたアーノルドの指示で、私たちの方からアルターエゴに攻撃を仕掛けたからなのよ。大勢の人間が、アルターエゴに殺されたわ。いえ、もちろん全員ってわけじゃないわ。アーノルドと方針の違いで揉めて追い出された結果、野垂れ死にしただろう人もいる。

 そもそもが自業自得なんだけどね? だって彼女たちにとってそれはただの自衛で、無差別に殺されたわけじゃないし。実際、管制室にこもってただけの私たちは見逃されてるわけで」

 

 それはまるで、メルトリリスに命乞いするように。

 彼女はあくまで不幸な行き違いだった、と全員に向かって語る。

 メルトリリスは悪くないので、私は殺さないでくださいと。

 

 それを確かに聞き届けて、立香は小さく頷いた。

 

「メルト、それは本当のこと?」

「―――言ってなかったかしら? そいつの言う通りよ。私はこれまでいくらか、セラフィックスの職員を殺したことがあるわ。それでそれが何か……」

「じゃあ、もうやめてね。これからは攻撃されたとしても、できるだけ殺さないで」

 

 メルトを見つめながらそう言って、彼女は本題に戻るためにマーブルに視線を戻す。

 

「メルトにはもうそんなことさせません。だからそこは安心してください」

「あ、はい」

 

 ちらちらと窺うマーブルの視線の先。

 途中で言葉をさっさと切られたメルトが、むすっとしている。

 とにかく言うべきことは言ったと、マーブルは彼女から目を逸らした。

 

「とにかく、えっと、管制室はまだ完全には電脳化していなくて、残っている生存者はひとり。ちょっと危険な状態のアーノルドがいる、ということ」

「その人をどうにかして大人しくさせる方法、ありますか?」

 

 悩むマーブル。それほどまでに難しいのか。聞いた限りでは、極限状態に追い詰められた結果とはいえ、かなり危険な人間。とはいえ、見捨てるわけにもいかないだろう。

 とりあえず落ち着いてくれなければ話にもならないのだが。

 

「えーっと……この状況下でも保身に走るタイプの人だから、自分よりも上の権力をチラつかせれば、笑顔で従ってくれると思うけど」

「権力……それって所長、オルガマリー・アニムスフィアの名前で大丈夫ですか?」

「アニムスフィア? オーナーの? そんなビッグネーム、きっと効果覿面よ。勢いあまって飛び掛かってきた彼に、靴を舐め回されないように気を付けてね?」

 

 マーブルはそう言って息を吐いた。

 『この子、あの保身欲全開のアーノルドに粘着されてしまうのね、かわいそう』

 とでも言いたげな表情。冗談なのか本気なのか、判断に困る。

 

 とりあえずは管制室に赴き、SE.RA.PH……セラフィックスの情報集めだ。その際アーノルド・ベックマンという人を保護し、ここへ一度帰還。

 管制室で保存されていた食料は残り少なかったそうだが、どうやらこの教会にはまだ食料がそれなりに残っている様子だ。少なくともあれを数人で全て消費するよりは先に、10日……もう残り9日か。そのタイムリミットが来ることだろう。

 

 かけた時間によってはそこでまた休息が必要になる。

 電脳空間では長時間の活動は立香の体が保たない。

 

 休息が入るか否かはその時次第だが、その後は通信室を探してトラパイン女史の保護。

 それ以外の部分は、まずは管制室で手に入る情報を精査してから考えることだろう。

 

「ガウェインはここに残ってマーブルさんのことをお願い。私とメルト、シャルルでとりあえず管制室を様子見してくるね」

「まあガウェイン卿ほどの騎士がいれば、ここの安全は保障されたも同然。心置きなく捜索に出れるってもんだ」

 

 余裕があるわけでもない。ならば急ぎ、まずは動かないと。

 そう考えて立ち上がる。彼女の行動に応じて、シャルルもまた立ち上がってみせた。

 

「行こう、メルト」

「―――ええ」

 

 声をかけられて、メルトもまた立ち上がる。

 暴露された件についての追求などない。

 それに対して酷く居心地が悪そうな彼女を急かし、立香が走り出す。

 

 慌ただしく教会を飛び出していく立香。

 一瞬の迷い。しかしすぐに彼女の先へと滑り出すメルトリリス。

 それを見送り、後ろを固めるように走り出すシャルルマーニュ。

 

 そんな三人の背中が見えなくなるのを待って、マーブルは不思議そうに首を傾げた。

 

「いくら今は従ってるように見えても、よくアルターエゴなんて隣に置こうと思えますねえ。私の説明だって、彼女への命乞いみたいなものだって分かってたでしょうに」

 

 こちらからの攻撃だったとはいえ、ただの職員がメルトリリスたちに殺されたのは事実。それを気にせず、というか棚上げして、立香はメルトを自分が信じるサーヴァントとして扱った。マスターとして、彼女のこれからの行いを制約させた。

 相手はアルターエゴだ。いくら従順に見えても、私に指図するなんて生意気な人間! なんて風に殺されてもおかしくない、ということは分かっていただろうに。

 

「それに殺されたのは、曲がりなりにも自分たちが助けにきた人間。そこのとこ、どう考えてるんでしょうね」

「さて。言ってしまえば、レディ・メルトリリスの罪を量るのは、マスター・立香の役割ではないというだけなのでしょう。

 彼女はマスターであり、メルトリリスはサーヴァント。マスターとしてサーヴァントを信じられるかどうかに、罪の所在はあまり関係がない。それだけなのです、きっと」

 

 確かに彼女は隠し事が多そうで、こうして今まで無かった情報も出てきた。だが藤丸立香がメルトリリスを信じるか否かは、そことは別なのだ。彼女はサーヴァントとして立香に契約を持ち掛け、立香はマスターとしてその意志を信じた。後から出てくる情報など、マスターとサーヴァントである二人の関係を変えるものではない。

 たとえ最終的に立香とメルトリリスが敵対したとしても、メルトリリスがサーヴァントとしての意志を放棄しない限り、彼女はマスターとしてメルトリリスと対峙するだろう。

 

 まあ今更メルトリリスをなじったところで意味がないのはそうだが、黒幕側に近いと思しい相手をそうまで信じてしまうのもどうなのだろう、とマーブルは首を傾げる。

 

「はぁ……そのまま見過ごしたら、怪物の共犯者になってしまうとしても? というか、私はマダムなのにメルトリリスさんはレディなんですか?」

「ははは、どうかお許しをマ―――レディ・マーブル。さて、あなたのその問いに私が答えるのはあまりに無粋ですが……あえて、恥を忍んで私から語りましょう。

 たとえそうなるとしても彼女はそうするでしょう。罪人の歩みを信じてはいけない、という決まりはない。その歩みの先を見届けたい、と考えることは罪ではない。たとえその結果、自分が共犯者と呼ばれるのだとしても。彼女はそういう人間なのでしょう」

 

 契約以前にメルトリリスが行っていた行動は、あの時信じると決めた立香のマスターとして決定を反故にすることだ。あの時顔を合わせて、信じると決めた。だったら意志を揺らす意味なんてない。最初に彼女との契約を選んだ自分を否定するつもりがないのなら、マーブルから得た情報くらいで戸惑うことなんてない。

 今なお続く隠し事も、犯していた過ちも、その歩みを疑う理由にはならない。メルトリリスがあの刃の如きヒールで続ける歩みを、彼女は顔を合わせて信じると決めたのだから。

 

 マーブルが座ったまま、隣に立つガウェインを見上げてみる。上に見えるのは、どこか必要以上に彼女を信じているように見える顔。

 それがどうにも不思議に思えて、彼女は問いかけた。

 

「……それ、あまりいいことではないと思いますけど」

「ごもっともです。善い心がけではありますが、良い行いではない。ですがだからこそ、我らサーヴァントは迷いなくその生き様の盾になれる」

 

 太陽の騎士らしく晴れ晴れと笑みを浮かべるガウェイン。

 

 ただ人であるならば、そもそも罪人に加担するのを止めてあげるべきだと思う。彼らが人間として、人間としての活動を応援するならば。

 微笑んで立香を見送るガウェインを見ながら、小さく溜め息をひとつ。

 

 他人(ひと)を救ってこその善人。躊躇わず、戸惑わず、顧みず、手段を択ばず、メルトリリスを武器としてそれを成し遂げようとする藤丸立香には、善人の資質があるかもしれない。

 だがそれが破滅にも通じていると考えながら止めないサーヴァントたち。彼らはあくまでゴーストライナー。善でも悪でも、まして人でもない。

 

 そういうものだと理解はしても、少し寂しいことだ。

 

 

 

 

 

「ぬぅううう……! ええい、いったいどうするというのだ!」

「はっはっは、いやすまない。私があまりに輝きすぎるばかりに―――」

 

 叫ぶ女に言うと同時、男が槍を返す。

 それに伴い渦巻く水流。衝突する炎と変わった大通連、火廻。

 水に捕らわれた剣を、咄嗟に振るわれた隕鉄の剣が打ち返す。

 

 床に落ちる筈だった剣が神通力により浮遊する。

 上空からやってきて、その柄に着地する女子高生風の和装は鈴鹿御前。

 殺意に満ちた狩人の眼光が向けられる先は槍の男。

 

 彼は正面からその熱視線を受け止めて、申し訳なさそうに金色の髪を掻き上げた。

 

「おっと。やっと顔を合わせてくれたな、麗しき女性(ヒト)

 それでこれは一体全体どういうことなのか……」

「うっさい、死ね」

 

 あまりにもストレート。言葉のキャッチボールを拒否したピッチャー返し。

 途端、鈴鹿御前の殺意が凝る。物理的な衝撃さえ伴う魔力の嵐。

 勝手に発動しているだろう魅了の魔眼に抵抗(レジスト)しつつ、男が槍を返した。

 

「あまりにも理不尽! しかしこやつの場合、余の与り知らぬところで下手なナンパをしかけ、そこらの女子の機嫌を損ねていてもおかしくない! ぬう、よもや貴様……この状況でそのようなことを!? ずるいぞ、ナンパに行くならなぜ余も誘わなかった!」

「まったく記憶にない。まったく記憶にない、が。もはや私自身すら与り知らぬ間に、そこらの女子の心を奪っている可能性が否定できない。

 おお、私のあまりの美男子ぶりはいつも女難を運んでくる……が! このフィン・マックール、迫りくる女性の愛から逃れるようなことはしないとも!」

 

 殺意が増す。

 だろうな、と。白い花嫁装束の少女、ネロ・クラウディウスが青い天井を仰ぐ。

 よく分からないが、あのサーヴァントはフィンに殺意全開だ。

 

 声がして、召喚された。そこはこんな海の中。

 通達によれば128騎のサーヴァントによるバトルロイヤル式聖杯戦争。

 

 初期配置が近かったのかまず顔を合わせたのは金髪の色男、フィン・マックール。何故か揃ってカルデアでの戦いの記憶を継続していた二人は、自然と同行することになった。これはどう考えても異常事態だ。ともすれば、カルデアが干渉してくるような事案。だからこそ彼女たちは記憶を継続しているのだろう、と考えられたのだ。

 

 アルターエゴ、衛士(センチネル)、様々な情報の嵐に辟易しつつ、周囲を探索していれば突然の会敵。問答無用の殺意はフィンに向けられた。そもそもバーサーカー染みたサーヴァントばかりであったが、彼女の場合は理性でフィンを全力に殺しに来ていた。

 どうにも彼女は衛士(センチネル)のようだが、そもそも衛士ってなんだという理解度の彼女たちからすれば、どうなっているのかよく分からない。

 

「むぅ……! 致し方ない、が!」

 

 剣を構え直しつつ、ネロが歯噛みする。衛士の戦闘力は通常のサーヴァントを上回る。戦えない、とまで言わないがニ対一でも時間稼ぎがせいぜいだ。

 勝ちの目はまずないし、時間を稼いだところでどうするのか、という問題だ。カルデアが来るのが分かっているならばとにかく耐え忍ぶのもありだが、現状一体どうなるか、と。

 

 鈴鹿御前が剣を蹴る。彼女が跳んだと同時、放たれる大通連。

 刀身が烈風に変わるその剣の秘技、楼嵐。荒れ狂う突風はやはりフィンに向けて。と言っても、その規模の都合上ネロも当然巻き込まれる。

 それを迎撃するために前に出るフィンと、彼が槍の穂先に湛えた水流。

 

 それらが正面から激突する、前に。

 

「行って、メルト――――!」

 

 直上から降り注ぐのは、嵐を切り裂く星のような銀色の一閃。

 大通連の一撃を容易に裂かれ、鈴鹿御前が眉を顰める。

 

 嵐は切り払われ、静けさを取り戻す湖面。

 そこに悠然と着地する白鳥が、(アマリリス)のような笑みを浮かべた。

 

「ごきげんようスズカ、相も変わらずつまらなそうね?」

「―――――」

 

 メルトリリスの乱入を見ても、鈴鹿御前は片眉を軽く上げるだけ。

 彼女の注目は常にフィンに向けられている。

 

 そうして注視されているフィンが、警戒しつつも走ってくる人に意識を向けた。

 藤丸立香、彼らが知るところのカルデアのマスターの一人。

 ああして時間神殿の戦いを終えてもまだ続けなくてはならない、とは。

 少々悩ましげに軽く首を横に振って、すぐに気を取り直して彼は微笑みを浮かべた。

 

「ネロ! フィン!」

「おお、リツカではないか! やはり来たな、カルデア!」

 

 今にも抱き着いてやりたいと体を揺らすネロ。

 だが流石に剣を手放すわけにもいかず、彼女はそこで止まって鈴鹿に向き直る。

 

 鈴鹿御前。立香を真っ先に襲ってきた、BBの下についている衛士(センチネル)

 彼女には持ち場がある、というような話だったと思う。

 それがこの中央管制室(ブレストバレー)に繋がる回廊なのだろうか。

 

「鈴鹿御前、あなたがここを守る衛士(センチネル)ってこと……」

「あー、それ違うし。私はそのキザ男を狩りに来ただけ。理由はないし、知らないし、知ろうとも思わないけど、とにかく私怨。他の連中はどうでもいいから、そいつだけ置いていくなら先に行ってもいいけど? ここの衛士(センチネル)、私じゃないし」

『ちょーっと待ったぁー!』

 

 どうでもいいからそいつの首だけ置いていけ、と。フィンを睨む鈴鹿。

 そんな彼女の横に浮かぶ、BBの顔を大写しにしたウィンドウ。

 うるさげに顔を顰め、鈴鹿はそちらに横目を向けた。

 

「なに、BB。分かってるでしょ? その他大勢のサーヴァントはともかく、メルトリリスは止めらんないし。私のやる気の問題じゃなくて、今のアイツの相手は無理。

 下手したら私ごとKP(カルマファージ)も溶かされるっしょ。っていうか、何でアイツがあそこまで強くなってるかちゃんと調べた?」

『それはわたしの管轄外。あの子が食べたものなんて、もう今更どうでもいいです! ただ、いまそこを突破されちゃうのは困ります。わたし、メルトには言いましたよね? センパイを歓迎するためのパーティー会場をいま(緑茶さんが)頑張って設置中だ、って!

 サプライズパーティーのための遅延行為を忖度してもらうため、メルトには色々と明かしたというのに! ストレートに中央管制室に向かうなんて、なんて子なんでしょう! もてなしの心を不意にするその態度、よくないと思います! ですよね!?』

 

 スタジオの準備にはまだかかるからのんびり攻略しろ、とBBは素直に口にする。ぶーぶーと口に出して飛ばすブーイング。

 

 BBにとってそれがどういう理由で必要なものか分からない。だがあんなことを聞かされて、のんびりするつもりなど一切ない。

 酷く苛立たしげに、メルトリリスが踵を床に立てた。

 

「知ったことじゃないわ。邪魔をするなら、全力で溶かしてあげる」

「どうしたんだよ、少し落ち着いた方がいいぜ先輩。今って急ぎはしても焦る事態じゃないだろ? そんで、わざわざ顔を出したってことは結構大事な話があるんじゃないか、アイツ」

 

 ふらりとメルトの横に並ぶシャルル。

 聖剣を手にした彼はどうにも、乗り気ではない様子だ。

 その様子と言葉により苛立ちを増す少女。

 

 このまま放っておけば、中央管制室に直行されるという状況。

 そんな中、BBがわざわざ顔を出して足止めしにきた。

 その意図となる何か重要な秘密がここで得られるかもしれない、と彼は語る。

 

「うむ。そして今ここがどういう状況なのか、余にも詳しく説明してほしい」

 

 状況を知らないまま事態が推移していくのを見ているだけ。

 これがまた何とも疎外感だと呟いて、ネロはちょっと寂しげに頷いた。

 

「―――メルトが、急ぎたいんだよね?」

「―――――」

 

 マスターからの問いに無言で返す。

 視線は鈴鹿から外さない。彼女が睨む限り、鈴鹿もまた動けない。

 

 鈴鹿御前も性能差は圧倒的だと分かっているのだ。

 彼女が本気で戦闘したら、サーヴァントどころか衛士でさえ相手にならない。

 頑強さで耐えることができても、勝ち筋は一切用意できない。

 小通連の柄に指を伸ばしつつ、鈴鹿はその場でメルトリリスを睨み返した。

 

 そんな膠着を見つつ、溜め息混じりにBBが教鞭を指で弾く。

 

『……ま、そうなりますよね。いいですいいです、分かってましたから。どーせこうなるだろうと思って、足止めできる子がここの衛士(センチネル)になっていますから』

 

 聞こえてくるのは、ギャリギャリと金属を引き摺る音。

 管制室に向かう道の先からやってくる怪物の行進。

 音を隠していたのか、姿を隠していたのか、あるいは今そこに現れたのか。

 鈴鹿の背後からのろのろと歩いてくる巨大なもの。

 

「ァ」

 

 メルトが顔を顰め、鈴鹿が避難するように横に跳ぶ。

 現れたものはメルトやBBと同じ髪色。

 拘束帯で顔の上半分を覆われているが、きっと二人と似た顔をしているのだろう。

 

 二人との違いは巨大な胸と、それ以上に巨きく異形な腕。

 人など簡単に握り潰せそうな掌。メルトの踵に負けない鋭さの十指の(つるぎ)

 そんな異形の少女はよたよたと歩き、前に出てきて。

 

「―――――!」

 

 メルトが走る。あまりに遅い出走は、相手を見て迷ったことに起因する。

 とはいえ、彼女が出遅れた程度でその異形が先んじることはない。

 現れた新たなアルターエゴの動きは鈍い。

 真っ当なサーヴァントであれば、後から動いても先攻を取れるくらいに。

 

「ァア、アアァ――――アアアアァ――――――!」

「―――あ、やべ。そういうことだったのか……!」

 

 吼える怪物。加速するメルトリリス。

 

 その二人の姿を視界に収め、シャルルマーニュが唖然と顎を落とした。

 即座にメルトを追い、走り出すシャルル。

 彼の背中を見て、フィンが即座に立香から離れる方向へとダッシュ。

 

「立香のことは任せた。私にはどうやら、デートの誘いがあるようだからね」

 

 そうした位置取りになった瞬間、鈴鹿が浮かべた剣を蹴って加速する。

 彼女の目的は一切ブレず、フィンだけを睨み据えていた。

 

 ネロを残して立香から離れていくサーヴァントたち。

 

「ええい、リツカ! 余はどちらを援護すべきか……!?」

「――――私の後ろ!」

 

 迷いなく、前に立つネロを追い抜く。倒れ込むような飛び込み。

 彼女の指示を疑わず、ネロはすれ違いざま、振り向きざまに炎を纏う剣を一閃した。

 その炎に掠めて焦げて、緑色の布の破片が散る。

 

 焦げた外套を翻し、腕に弓を装着した緑の男が距離を放しつつ着地した。

 対峙するネロから視線を外さず、空を行くガジェットに意識を向ける。

 

〈サーチホーク! 探しタカ! タカ!〉

 

 飛翔するタカウォッチロイド。だがいかに偵察として優秀なセンサーを積んでたとして、“顔のない王(ノーフェイス・メイキング)”はそう簡単に見つかるものではない。よほど決め打ち染みた捜索範囲での探査を指示していたのだろう。

 バレた以上は範囲攻撃でもされれば吹き飛ばされるだけ。さっさと透明化を解除した男は、称賛と呆れを半分ずつ乗せた言葉を立香に向ける。

 

「っと。オタク、オレの宝具のこと知ってんのか? あのパッションリップの登場を見て、そっちへの注意よりそいつを隠してた奴を探すこと優先するかね、普通」

「ぬ、ロビンフッドか……!」

 

 ネロからの言葉で知られている、と理解して肩を竦める男。

 彼からはカルデアに対する記憶はないらしい。

 契約サーヴァントではなかったから、だろうか。

 

 弓に矢を番えつつ、彼はネロ越しに立香を見据えて軽薄な笑みを浮かべた。

 

「ま、安心しとけよ。毒とセットで解毒剤もくれてやれって指示さ。軽い足止めと思って付き合ってやってくれ」

「でも私、毒ってあんまり効かないらしいけど」

「マジ? 大概人間やめてんな、オタクも」

 

 戦場三つ。

 それらを上空に浮かべた窓から覗きつつ、BBが唇に指を当てて微笑んだ。

 主戦場は当然、アルターエゴが二騎激突する場所。

 

『ではやっちゃいなさい、パッションリップ! まずはサーヴァントがいっぱい集まって順風満帆とでも言いたげなセンパイとメルトの鼻っ柱を折ってあげちゃうのです!』

「アアァ、アアア、アアアアアアアアァ―――――――――――――!!!」

 

 十の指があらゆる空間を抉る。視界に収まる全てを握り潰す。

 その名は、パッションリップ。有するid_es(イデス)はトラッシュ&クラッシュ。

 BBが生み出したサクラシリーズ中、最強の破壊力を有するエゴである。

 

 

 




 
 例外なく
 


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子供の夢814/A

 

 

 

「つまり、そのパッションリップって人は妹?」

 

 前を歩いていたソウゴが振り返り、メルトリリスに問いかける。

 彼女は一瞬だけ迷い、しかしまあそんなものだと肯いた。

 

「姉妹……まあ、そのようなものです。厳密にはサクラ―――BBが切り離したエゴを核とした派生機なので、少し違いますが」

「ああ。元々巨大ロボだったのが分離した、みたいなこと?」

「……その例えはどうかと思いますが、まあ姉妹よりはそちらの方が近いかと」

 

 巨大ロボットが手足を分離し、それが別の小型ロボと合体してまた巨大ロボに。

 そんなイメージを持ち出したソウゴに、メルトリリスは微妙な表情。

 

 彼女たちに後から追加合体させられたのは女神の要素。

 メルトリリスはアルテミス、サラスヴァティー、リヴァイアサン。

 そして当然、パッションリップもまた女神の要素を持つ。

 

「リップに与えられた女神は美の女神パールヴァティー、更にその一側面とされる戦いの女神ドゥルガー。戦乙女(ワルキューレ)の長姉、ブリュンヒルデ。

 女神の神剣を指に持つ彼女の能力は“トラッシュ&クラッシュ”。視界に収まるものなら何であろうと圧縮(エンコード)してしまう不可逆のid_es(コーデック)……」

 

 そこまで口にした後、メルトリリスがソウゴを見る。

 彼はもうその説明の内容について理解を放棄している顔だった。

 それが分かり始めた自分に嫌気がさしてくる。

 

「……つまり、見える範囲なら何でも握り潰してしまえる腕です」

「へえ……メルトリリスは足で、パッションリップって人は腕なんだね。体はBBだとして、やっぱり合体するの?」

「しません」

 

 にべもない返答を聞いて、どこか残念そうなソウゴ。

 合体するのはまだしも、その内容ではBBが中心ではないか。

 そんなのは絶対に無しである。

 

 そうして会話しつつ、目的地を目指して歩いていく。

 今回の目的地は前にメルトリリスが囚われていた場所。

 そこには恐らくまだパッションリップが捕獲されている筈だ。

 

「カール大帝の居城、機動聖都カロルス・パトリキウス。ここに侵入するためには、まず正門を粉砕する必要があります。そしてその手の破壊活動において、リップの右に出る者はいないでしょう。何より問答無用の破壊なので、位置取りさえ確かなら時間がかかりません」

「つまり侵入のための時間を考えなくていい?」

 

 最終目標はメルトリリスが“オールドレイン”でカール大帝から“天声同化(オラクル)”を奪い取ること。いまSE.RA.PHのコントロールは大帝が握っている。“天声同化”によって同化することで、SE.RA.PHを完全に掌握しているのだ。

 それを彼女が奪い取ることができれば、SE.RA.PHのコントロールが彼女の手に渡る。そうなってしまえば、浮上も沈降も思いのまま。セラフィックスを浮上させ解決だ。

 何となく気に入らないカール大帝や、最低最悪な殺生院の目論見が崩れて万々歳。

 

 カール大帝と戦う上で彼本人も当然注意しなければならないが、それと同等に注意しなければならないのが殺生院。彼女に乱入され、SE.RA.PHを奪われるのが最悪の事態。

 カール大帝をただ退去させ“天声同化(オラクル)”を解除してしまっては、SE.RA.PHのコントロールは元々多くを支配していた殺生院が手に入れるだろう。そうならないように、カール大帝はきっちりメルトリリスがドレインする。そのためにも彼女は強くなっておかねばならない。仮にマスターが大帝に勝てるとしても、それでは目的が達成できないのだ。

 

 パッションリップを奪還し、城攻めの最短ルートを構築することで、メルトリリスのレベル上げ期間を最大まで確保する。殺生院が姿を見せた時用に迎撃してくれるサーヴァントは残しつつ、彼女の経験値になってもらう。

 

「はい。状況次第ですが、機動聖都に突入するのは最後の1日になってからにしましょう。その分で浮いた時間は、私のレベル上げに使います。なので、ここでも」

 

 メルトリリスが首を軽く振る。曲がり角の壁際を示すような所作。

 彼女はその先にいるサーヴァントをドレインする、と言っている。

 彼女とパッションリップが囚われていた牢獄の近く。

 

 機動聖都の東門近く―――天体室に近いが、それでも外。

 パッションリップの攻撃力は把握しているだろうに、牢は聖都の外部にある。

 そうでなければそもそもメルトも逃れられなかっただろうが。

 作為的なものを感じるが、これ自体はあるいは殺生院を吊り出す餌の可能性もあるか。

 とにかく迷ってもしょうがない。こちらとしてはリップの破壊力は不可欠だ。

 運がよかったと思って、奪還させてもらうだけだ。

 

 一応は門番として配置されているのだろうか、そこにはサーヴァントが一騎いる。

 だがまさかのバーサーカー、任務が理解できているかどうかさえ怪しい狂戦士。

 このサーヴァントをドレインし、リップを奪還し、聖都近郊から離脱する。

 それで今回のミッションは達成だ。

 

 壁際から二人揃って先を覗く。

 そこに牢獄を守護するサーヴァントが一人―――

 

 どこかから持ってきた椅子を置き、そこに座ってじいっとしていた。

 

「はい?」

 

 メルトリリスが間抜けな声を出す。

 前に見た時は何もなくともガァーギィー叫んで暴れていた筈なのだが。

 今見た彼は、シャットダウンしたPCのように静かに鎮座しているだけ。

 

 だがそんな彼女の声が耳に届いたのか、ぴくりと揺れる巨漢。

 そのまま彼は目を開き、二人の方へと顔を向けた。

 

 自分の迂闊さ加減に眩暈がしたが、今更言っても仕方ない。

 彼女はすぐに加速のための体勢に入り、

 

「ん、どうやら戻ってきたようだな。あのアルターエゴを助けにきたのか?」

「はい?」

 

 狂戦士とは思えぬほど酷く理性的に、彼はメルトリリスに問いかけてきた。

 またも間抜けな声が出る。

 そうしている内に敵は椅子から立ち上がり、体をほぐすように軽く肩を回していた。

 ついでにマスターも壁際から出て、彼の方へと歩いていく。

 

「そうだけど、あんたは何してるの?」

「ちょっと!」

「いや、私は何もしていないんだ。グンヒルドが大帝に酷く注意していてな、どうにも……協力も敵対もどちらも選べんというか、静観しかできんというか」

 

 そう言って苦笑して、彼―――エイリーク血斧王は再び椅子に腰を下ろす。

 ソウゴも近くにあった椅子を二つ引っ張ってきて、彼の傍に置いて座る。

 それに座れというのか、とメルトリリスが唖然とした顔。

 

「グンヒルド……」

「ああ、妻だ」

 

 メルトリリスは座らず、エイリークに注意したまま立ち続ける。

 その態度を気にせず、彼は半裸の巨躯を小さい椅子の背もたれに預けた。

 

「その人がカール大帝に注意していると何かあるの?」

「うーん、厳密には大帝ではなく……アルターエゴ、じゃないか?」

 

 言って、軽く振り返って背後の建物へと視線を向けるエイリーク。

 そこが牢獄で、パッションリップが囚われているのだろう。

 彼のその言葉に反応して、メルトリリスが目を細めた。

 

「―――アナタ、何を知っているっていうの?」

「いや? 特に深い事情は何も知らないさ。ただ私に分かるのは、いま捕まっているアルターエゴにブリュンヒルデが含まれている、ということだけだ」

 

 北欧の大神オーディンの娘、ワルキューレ・ブリュンヒルデ。

 パッションリップを構成する一柱であり、同時に彼の祖先たる存在。

 竜殺しの英雄シグルドとブリュンヒルデを祖に持つバイキングの王。

 それを把握しているエイリークは、そう言って肩を竦めた。

 

「私からすれば、ただ祖先の神性を与えられただけの少女に見えるが、グンヒルドから見るとそれだけではないらしい。ただブリュンヒルデというよりは、それと関連する何かを警戒しているように見えた。まるで星を滅ぼす災厄を見たかのようだったな。

 注意はあのアルターエゴ……をわざわざ捕獲して、そのままにしている大帝、に対してだ。彼を異常に警戒するような理由が何かあったんだろう」

 

 素直に妻の様子の主観で語るエイリーク。

 それだけの何かがカール大帝にあるのか、まではエイリークには分からない。

 まあグンヒルドが警戒するなら何かあるのだろう、とは思うがそれだけだ。

 

 随分と大きな話をしているが、さほど気に留めていない。

 そんな彼の様子を見て、ソウゴは首を傾げた。

 

「でも、あんたはあんまり気にしてないね。どうして?」

「そうだな。私はたぶんグンヒルドの考えすぎなのだと思っている」

「そうなの?」

 

 よく分からないが、この状況に干渉しているさぞ凄い人らしいグンヒルド。

 彼女を行動させている大いなる不安に苦笑するエイリーク。

 

「私はちょっと特殊でな。“天声同化(オラクル)”の影響を受けているのは肉体だけで、精神は影響されていないんだが……その上で、この声に対しては不安や疑念は抱かない。むしろ、それも是という気分になる。グンヒルドの想定とカール大帝の行動に何か関係はあるのかもしれないが、不安の方は杞憂だろう」

「じゃあその人の勘違いってこと? 教えてあげないの?」

「まあ、あくまで私の勘だからな、確信があるわけでもない。それに彼女が不安に思っているから調べたい、というならもちろん付き合うさ」

 

 苦笑し、体を軽く動かすエイリーク。

 彼は立ち上りながら腕を組み、少し考え込むような動作をする。

 そうして思いついたことがあったのか、牢獄の方を指差した。

 

「あと伝えるべきことは……ああ、あの建物の奥の方には食料もあったかな。全部持っていくといい。大帝が支配した時点で、息のあった人間は機動聖都で保護されているからな。食べる奴はおまえの他にはいないだろう

 さて。それではこの辺りを片付けて戦闘モードに入っておくので、悪いが10分くらい辺りを散歩しててくれないか?」

「分かった、ありがとね」

 

 ソウゴが立ち上がり、笑いかける。

 それに微笑んで返した彼は、椅子を隅の方へと片付けだす。

 

「ああ、頑張るといい。こちらも伝えるべきことを伝えられて何よりだ」

 

 そう言って笑った彼に見送られつつ、とりあえずそこを離れるべく歩き出すソウゴ。

 彼の判断に追従しつつ、メルトリリスは不満げな顔。

 どうせ戦うならば、今ここで戦ってしまえばいいのに。時間の無駄だろう。

 

「わざわざ退く理由、ありますか?」

「そっちの方がメルトリリスは楽でしょ?」

 

 理性の保持されたエイリークと、理性を停止した血斧王。どちらが容易い相手かなど言うまでもない。“天声同化(オラクル)”の強化を考慮しても、狂化していた方が手間はかからないだろう。

 ドレイン相応に強化されているが、メルトリリスだって余裕があるわけではない。ソウゴとしても戦力の温存は望むところだ。

 

 納得できる理由ではあるが、その事実にむくれてみせるメルトリリス。

 そんな彼女を気にせず、ソウゴは機動聖都の外観を眺めに行った。

 

 

 

 

 

「ギギギギ、グガガ……ヒ、ヒヒヒ! 血、血ダァ! 血ヲヨコセ――――ッ!!」

 

 先程までの面影もない。眼光を血色に染め、狂乱するバーサーカー。

 彼の瞳からは理性の光など一切合切消失している。

 

 手には血を求める生きた斧、“血啜の獣斧(ハーフデッド・ブラッドアクス)”。

 狂戦士はそれを乱雑に振り回すが、きっちりと片付けられたそこには壊すものは何もない。

 開けた何もない戦場の真ん中で、エイリークは大笑していた。

 

 そのギャップに何とも言えない表情を浮かべつつ、メルトリリスが爪先を揺らす。

 パワーだけは注意しなくてはいけない。

 元の筋力に合わせ、天声同化の後押しも受けている状態だ。

 

「グガガ、ギ、ヒヒヒヒ―――――!!」

 

 エイリークという機体がこちらを認識する。

 こちらが何なのかさえまともに認識しないまま動き出す狂王。

 そんな彼を前にして、ソウゴがドライバーを回転させた。

 

「変身!」

 

〈仮面ライダージオウ!〉

〈アーマータイム! 3! 2! 1! フォーゼ!〉

 

 エイリークの背後から出現する白いロケット。

 それが彼の背中に激突して跳ね飛ばしながら、ジオウに変わったソウゴの元へ来る。

 分解されて装着されていくフォーゼアーマー。

 変身を完了したジオウは、両腕に握ったブースターモジュールを構えた。

 

 背後からの強襲。背中の強打など気にもせず、エイリークが狂気に笑う。

 ぶつかった勢いを利用し、加速する巨体。

 彼は前に立つジオウに向け、斧を振り上げながら突進した。

 

「来い―――!」

「ヌゥウウアアアアアアア――――ッ!!」

 

 ブースターと斧が激突し、火花を散らす。激突の勢いに負けたのはジオウ。彼はその威力に大きく後ろに押し返され―――しかし、それをブースターから噴く火で相殺してみせた。

 そのまま斧を全力で振り抜いた姿勢のエイリークに対し、体でぶつかりに行く。だがそれを受けたエイリークはその体当たりに耐え抜いた。押し返されず、その場に留まる体躯。

 

 ひっつかれていては斧を振るうに邪魔だ、と。エイリークは鬱陶しげに、空いた腕でジオウを押し返すべく肩を張る。そのタイミングに合わせてスラスターを逆噴射。即座に退くことで、血斧王の剛腕を回避する。

 

 そうして下がってきたジオウの肩に、メルトリリスの踵が下りた。

 互いの装甲が鳴らす金属音の後、二人が軽く一言交わす。

 

「氷より水の方が滑りやすいってことでいいんだよね?」

「私に与えられた女神の権能は、“流れるもの”に対するものなのです」

 

 メルトリリスがジオウを足場に踏み切る。

 

 同時、ジオウが左足をエイリークに向けて突き出した。

 そこに発生する蛇口のようなもの。直後に発生する鉄砲水。

 アストロスイッチ№23、ウォーターの生み出すコズミックエナジーを変換した水流。

 

 それがエイリークの正面からぶつかり、彼を一息に呑み込んだ。

 

「グァ、ゴァ、ゴ――――ッ!!」

 

 あらゆる動きに纏わりついてくる水の重み。

 雄叫びを上げる間にも口に流れ込む水流。

 如何に彼が海上の覇者(バイキング)であろうとも、水中で動きが鈍るのは当たり前。

 

 対し、流動する水そのものである彼女にその縛りは適用されない。

 溢れる水が動きを阻害する戦場で、彼女だけは悠々と舞うことができる。

 

「―――切り刻むわ」

 

 メルトリリスが水の中を加速する。その姿はさながら、彼女に与えられた神性のひとつであるリヴァイアサン。津波のように寄せ来る波の中、彼女はエイリークにヒット&アウェーを行う。

 彼女の爪先がエイリークに傷をつけ、それを撃墜せんとエイリークが斧を向けても既にメルトリリスの姿は彼方。少しずつ、その動きでエイリークは削られていく。

 

 だが狂化した血斧王は傷など考慮しない。

 彼のバーサーカーとしての有様は、まさに“血塗れの戴冠式(ブラッドバス・クラウン)

 ノルウェー王として名乗りを上げた凶行の具現。

 どれほど傷付けたところで、怯むことも弱ることもありはしない。

 彼というバーサーカーの戦場は、最初から最後まで暴れ狂うことで完結する。

 

 ―――それでも、じわじわとエイリークは溶けていく。

 メルトリリスの攻撃にウイルスが仕込まれている以上それは必然だ。

 彼女の踵は相手を溶かし、ドレインする。

 

 そうして見えてきた自身の結末、それに対してエイリークの肉体が動きを見せる。

 あるいは“天声同化(オラクル)”によって増幅された生存本能がそうさせたのか。

 

 “血啜の獣斧(ハーフデッド・ブラッドアクス)”を両腕で握る。

 そしてそれを全力をもって振り上げる。

 

「…………っ!」

 

 狙いなど定める必要がない。

 自身を覆う水流ごと、メルトリリスを飛沫にしてしまえばいい。

 天声同化の後押しを得ている今ならば。

 ウイルスが浸透しきっていない今ならば。

 エイリーク・ブラッドアクスには、それができる。

 

 肩が張り、腕が膨れ、拳が軋む。

 その巨躯が絞り出した全霊を注がれた斧が、水流に向かって振り下ろされる。

 

「ルォオオオオオオオオオオオオオオ―――――ッ!!!」

 

 海ごと割り、メルトリリスなどついでのように水飛沫に変える。

 そんな一撃の前に現れるのは、黄金色に煌めく刃。

 

〈フィニッシュタイム! フォーゼ!〉

 

 水流を割って突っ込んできたのは、ブースターを投げ捨て剣を持ったジオウ。

 彼は左足からの放水を続けながら、ジカンギレードを手にしてそこにいた。

 

〈ギリギリスラッシュ!〉

〈リミット! タイムブレーク!〉

 

 ギレードの刃が軋む。のみならず、激突に悲鳴を上げるフォーゼアーマー。

 染み出す苦悶の声を呑み込み、呼吸を整える。

 この交錯の果て、目指すべき道はただひとつ。当然、これを受け流すこと。

 

 未来は見えずとも、正しい刃の引き方は知っている。

 どうすれば強大な一撃を流せるのか、きっちり身に染みている。

 体で知っているのならば、失敗などできるものか。

 

「オ、オォオオオオ―――――ッ!!」

 

 全身各所のスラスターで強引に姿勢を整える。

 そうして半身を引かせ、刃を動かし、フォーゼアーマーは目的を完遂した。

 エイリークの全霊の一撃を、威力を減衰させつつ水面に叩き落す。

 

 弾け飛ぶ水面。立ち上る水柱。

 それに巻き込まれ、打ち上げられるメルトリリス。

 

 空中に放り出された彼女とジオウが視線を交わす。

 意思疎通がとれるわけではない。

 だがそんな仮面を被った顔でも、伝わってくるものがある。

 

 というか、大抵この少年は難題しか押し付けてこない。

 任せたとか、応えてよねとか、そういった投げっ放しの指令。

 今回もきっとそう。ならば―――

 

「行け! メルトリリス――――!!」 

 

 弾かれたジオウがスラスターを全開にする。

 剣を振り抜いた姿勢のまま、彼の体が加速した。

 どこかに向かって進行するのではなく、体の左右で分けてそれぞれ正反対にブースト。

 そうしてまるで独楽のように回転する彼の手の中。

 ジカンギレードに装填された仮面ライダーメテオのウォッチが輝いた。

 

 今なお放出され続け、エイリークの攻撃の余波で天高くまで満ちる流水。

 それを独楽のように回るジオウが巻き込んで、力任せに渦潮へと変えていく。

 周辺の水全てを巻き込み、作り上げられる水流の渦。

 竜巻のように暴れる水流が、ジオウの直近にいたエイリークを呑み込んだ。

 

「ガ、ァ、ゴァ、ゴボ―――――!」

 

 天に昇る水流に呑まれ、上に向かって落ちていくエイリーク。

 斧でこの柱を割ろうにも、踏み止まれもしないのでは話にならないだろう。

 

 こんな暴れ狂う水の竜巻の中で動けるものは、ただのひとりしかここにはいない。

 

その軌跡は流星(それはながれるほし)のように―――」

 

 星もまた“流れていくもの”ならば。彼女もまた、流星のように。

 水の器、メルトリリス。彼女の持つ女神サラスヴァティーの権能。

 水流の竜巻の中においてさえ、やはりメルトリリスは加速する。

 動きの取れないエイリークに対し、彼女は一方的に牙を剥く。

 

 女神の権能、全てを発揮すれば“流れるもの”を全てを溶かして押し流すだろう。水、風、言葉、音楽―――自然現象、文明問わず。流動、流行するあらゆる全てを溶かし、自分のものとする。()()()()()()が用意したハイ・サーヴァントとしての宝具とはそういうものだ。

 

 けれど、そうではなく。

 

 彼女が今ここに再構成するのは、誰もが憧れる美しく“流れていくもの”。万人が空に見上げる、けして手の届くことがない輝かしいもの

 ―――それはまるで、宇宙(ソラ)にかける流星(ほし)のように。

 

 天上の舞台、水流の渦の中で(プリマ)が躍る。

 誰の手も届かない独り舞台。誰もが見上げる美しき晴れ舞台。

 

 削られていくエイリークの手から遂に斧が手放され、そのまま流されていく。

 魔剣ジゼルの鋭さによって刻まれ、ウイルスは既に全身に伝播した。

 如何なるエイリークの肉体とて、これ以上は耐えきれない。

 故に、メルトリリスが最後の一撃を敢行する。

 

 霊核を目掛けた最後の一閃。トドメの突撃。

 それを阻む余力などなく、エイリークの肉体はその一撃を受けいれた。

 

「―――――――グ、ガ」

「“弁財天五弦琵琶(サラスヴァティー・メルトアウト)”―――――――ッ!!!」

 

 ―――最後の一撃を終えたことで、遅れて水の柱が崩れていく。

 

 水流の中に残っていたのはメルトリリスだけ。

 エイリークを構成していたものは、余すことなく少女の養分として吸収された。

 

 優雅に、水面に辿り着いた白鳥のように降り立つメルトリリス。

 彼女の目の前で、ジオウが疲れたとばかりに剣を放って背中から寝ころんだ。

 

「あー……お疲れ様、メルトリリス」

「―――――」

 

 少女が口を開こうとして、しかしそこで止まった。

 そのまま彼女は袖に覆われた右手を持ち上げ、自身の口に当てだした。

 不思議そうに見上げているソウゴに対し、メルトリリスはそのままたっぷり10秒沈黙。

 

 そうしてたっぷりと待たせた後、彼女は腕を口元からどかして僅かに口角を上げてみせた。

 

「―――アップデート終了。やっと()の情報を整理できる程度の演算能力(レベル)は取り戻せた、といったところかしら? まあこれでようやくスタート地点まで戻せた、程度の話だけれど……とにかく一応言っておきます。ご苦労様でした、マスター。これからも私が完璧な私に戻るため協力のほど、どうぞよろしくお願いしますね?」

「うん? うん。じゃあ行こっか」

 

 にやりとした笑い、とでも形容すればいいのか。

 メルトリリスが初めて見せる様子を見て、ジオウは頷いて立ち上がる。

 少女の顔に浮かぶ、正直そうだろうなと思ってた、と言いたげな不満そうな顔。

 

「……ちょっと、他に何か言うことはないの?」

「他って? メルトリリスがメルトリリスなのは変わってないんでしょ?」

「私が私だって分かっているなら、何が必要かも分かるはずでしょう? 仮にも私が認めたマスターでしょう、アナタ」

 

 そんなことより結構疲れたんだけど、というジオウの様子。

 エイリークの話では食料もあるようだし、手早く向かいたい。

 

 その様子にむっとしたものの、とりあえず揃って牢獄に向かって進みだす。

 道中でソウゴは変身を解除しつつ、メルトリリスに問いかけた。

 

「それさ、俺がびっくりした方が見て楽しいからびっくりしろ、みたいな話?」

「分かってるじゃない」

「うーん……じゃあ今度からは考えとく」

 

 どうせ大した反応なんてしないだろう、なんて。

 ギアがひとつ上がったメルトリリスは肩を竦めて滑り出した。

 とにかくこれで、パッションリップは救出できる。

 後はただ、可能な限り勝率を高めるだけだ。

 

 

 

 

 

『業務連絡、業務連絡、牢屋に繋いでいたパッションリップが脱走しちゃいました。で、ホントにいいんですかぁ?』

「何がだね?」

 

 BBの問いに何の感慨もなさげに返す玉座のカール大帝。

 彼の最終目的のためには、後は沈降を待つばかり。

 やるべきことなど、殺生院排除くらいなものだ。

 

 リップであれば正門をこじ開けられる。

 相手の反撃の起点になりえるそんな要素にさえ彼は頓着しない。

 そんな分かり切ったことにさえ興味がない。

 

 むむむ、と顔を顰めるBB。

 

『後はあの三人、ギリギリまでメルトのレベル上げしてここにくるでしょうけど。防衛線の構築とかお考えです?』

 

 彼女の言葉を鼻で笑う。

 

 そうもなるだろう。本気で迎撃するつもりがあるのなら最初からやっている。尻尾を出し次第、主砲でそのセクターを爆撃すればいいだけだ。一切の手心を加えないのであれば、彼は確実に勝利できた。そもそもの話、メルトリリスとパッションリップを捕獲ではなく消滅させておけばよかっただけ。

 

 だから、そんな話は今更だ。

 

「要らんよ。来たいというなら止めはせんし、来たというならば余が一人で迎え撃つ。お前も手駒の準備があるというのなら急ぐがいい、準備に準備を重ねて悪いことはなかろう」

 

 それで十分だ、と。大したこともないとばかりにカール大帝は語った。

 結果が彼の望む方向に行かなくなる可能性は否定できない。こんなやり方では、失敗の可能性を増やすばかりだ。だがもしそうなるとしても、彼はそれもまた是とする。

 

 言われたBBが片眉を上げて、大仰に肩を竦める。

 そのまま彼女はチャンネルを切断した。もしもの時に備え、別のアルターエゴの準備だろう。

 

 ひとりぼっちの静寂を取り戻した玉座で、彼は力を抜いた。

 荘厳な席に預けられる恵体の体重。

 

 積年の想いが去来する自分の胸中。

 それを喜べばいいのか、悲しめばいいのか。

 浮かぶのは何とも複雑な色の表情。

 

「――――目前だ。余の目指す普遍にして永久不変、絶対平和の世界到達へのな」

 

 それを成し遂げたいのなら、こんな回り道は必要ない。

 思考停止して爆撃でも仕掛ければ達成できる。

 外敵は全て問答無用で排除し、地球と同化するまで悠々としていればいい。

 

 だができない。それはできない。

 

「……ここにきて姉上(アルテラ)、貴方にこうも心乱されるとはな」

 

 何より、自分が認められないやり方を選ぶことはできない。

 “天声同化(オラクル)”とはそういうものだ。

 彼が自分で自分の意に反した瞬間、その声からは全てが失われるだろう。

 だから、想ってしまったからにはこれしかない。

 

 あの重厚な腕に姉上の面影を見た。

 巨神を元とし設計された戦乙女は確かに、彼女を感じさせるものだった。

 

 あの爪先に兵器の機能不全を見た。

 鋭く磨き抜かれただけの兵器が、しかし変われるものだったと理解した。

 

 寂しく、気高く、ひとりぼっちのまま。

 しかし、冷たいものではなくなったもの。

 温かな何かを得られたもの。

 

 ―――ああ、何という衝撃か。

 

 あれらがそう変われたとのだとすれば、もしそんなことが起き得たのだとすれば。

 今のこの人の世においてさえ、彼女さえも笑わせることができたのだろうか。

 

「だが、これはこれで悪くない。

 こうして最後に()の前に立ちはだかるのが、子供の頃の夢景色というのもな」

 

 異星の鍵(モノリス)の先に彼女の姿を垣間見て、あの時別れた現実と夢。

 カール大帝とシャルルマーニュ。

 本来は両方備えてカール大帝であるが、此度は少々違いがあった。

 

 ―――だというのに、この始末とは。

 

「性根は変わらぬか。余はいつでも、欲する世界のために此処にあるのだから」

 

 見たかった光景だ。

 あの(モノリス)の先に見えた破壊の化身にして、ひとりぼっちの少女。

 彼女と同じような者たちが、ああなれたというのなら。

 彼女が笑える世界があるかもしれないなら、それとはぶつからなければ。

 

 変われた少女たちと、自分のやり方で決着をつけなければなるまい。

 

 

 




 
 対界から対人に再構成した流れ的な。

 弁財天は凄いな。
 だから制限されるんだ。
 


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シャッタークラッシュ2009/B

 
 マーリン・オルタナティブ⚔様から300話突破記念で支援絵を頂いたジオ~
 ありがとうジオ~
 
【挿絵表示】


 そんなに書いてたん?(素)
 


 

 

 

 加速、加速、加速、加速―――

 少女が徹底的に加速して、目前に立ちはだかるパッションリップへ突撃する。

 鋼の脚が生み出す速度に、鋼の腕は追い付けない。

 しかしそのままの勢いで直進しようとしたメルトリリスの速度が陰る。

 

「―――!?」

 

 少女の顔が驚きを浮かべる。

 それはそうだ、だって彼女は減速なんて望んでいない。

 だというのに何故か、メルトリリスの速度が低下。

 

 メルトの放つ一閃が届くのと、リップが腕を持ち上げる動作が重なった。

 激突する鋼の踵と爪。

 重量の差か、弾き返されるのはメルトリリスの方。

 

「何が……!」

 

 足回りが悪くなったことに困惑する少女。

 その正面で、パッションリップが巨大な腕を上げる。

 重々しく力強い動きはまるで重機のようで。

 

「アアアアアアァ―――――!!」

 

 起動するid_es、視界に収まる全てを潰す“トラッシュ&クラッシュ”。

 リップは迷いなくメルトに向けその能力を行使しようとして、

 

「来たれ、疑似勇士!」

 

 メルトを抜き去り、前に出るシャルルマーニュ。彼の手に飛び込んだ翼のような輝剣が、その姿を黄金の槍に変えていく。

 全てを圧縮する能力が行使される前に、リップの手に届くシャルルの手にした槍。

 

「“触れれば転倒(アストのやり)!”」

 

 腕に穂先をぶつけた瞬間、少女の態勢が崩れ落ちる。

 バランスを損なって転げるパッションリップ。

 彼女の腕である圧縮機は、その時視界の先にあった床のみを削り落とす。

 

「ァ、ア―――」

 

 地面に倒れ込み、自分が削り落とした床に埋もれるパッションリップ。

 すぐさま彼女から距離を取りつつ、手にした槍を両手で強く握りしめる。そうしながら、シャルルは目の前の光景に眉根を寄せた。

 

姉さん(アルテラ)、じゃないけど近しい気配。メルト先輩の事と併せて、だからアイツの癖にあんなことをしてんのか。まあ、やりたくなる気持ちは分かるけどさ)

 

 カール大帝らしくないと言うか、らしいと言うか。

 まあ理由は何となく察せたのでいいとする。

 

 そうしている間にメルトが復帰して前へと出てくる。

 シャルルと並んだ彼女は、彼の手元を見て嫌そうに表情を渋くした。

 

「大丈夫か、先輩?」

「―――少し足元が狂っただけです、問題ないわ。

 そんなことよりアナタ、使うならそんな槍より前に見せた盾になさい。リップのid_esは“トラッシュ&クラッシュ”、視界内の全てを圧縮するもの。転ばせてもあの子の視界が向いていたどこかが削られる。アナタにできる最善の対処は、目晦ましをしてそもそも発動させないこと」

「なるほど、そうなのか。了解」

 

 腕の重量のせいか、立ち上りの動きさえ鈍いパッションリップ。

 彼女がそうしている内に、槍を輝剣に戻して手放すシャルル。その代わりに彼は手元に来た別の剣を掴み、勇士ブラダマンテの宝具である光の盾を顕した。

 

 視界さえ奪えば能力が使えない、というならこれで問題ない。

 “目映きは閃光の魔盾(ブークリエ・デ・アトラント)”。

 リップの動作は遅い。これならば、魔力の閃光で視界を奪い続けることにも無理はない。

 

(問題は、時間稼ぎは楽勝だが攻略が難しいってこと)

 

 僅かに頭を横に向け、隣にいるメルトリリスを見る。

 迷いと焦燥が入り混じる表情。

 今の動作を見れば分かる、彼女にはパッションリップを倒せない。

 そしてメルトリリスが倒せないというなら、シャルルマーニュも。

 

 顔を背け、今度はリップの背後に見えるウィンドウへ。

 そこに映ったBBの顔は、こちらの苦境を楽しむような表情。

 

()()()()()()、でいいんだよな?)

 

 立ち上がり、再稼働を始める圧縮機。

 獲物を選ばず、目的を選ばず、範囲だけ設定して圧し潰すマシン。

 そうなっているパッションリップに対し、シャルルは光の盾をかざした。

 

 

 

 

 

 回る大通連、その刃が嵐となって放たれる。

 “楼嵐”に引き裂かれ、フィンが槍に纏わせていた水流が四散した。

 

「さて、随分と私に執心してくれているようだが、何か言いたいことがあるなら聞こうとも。それがどういった内容であれ、女性からの言葉をふいにする男ではないよ、私は」

「―――別に、アンタに言うべきことなんて何もないし。っていうか、ただのストレス解消? 誰でもよかった、みたいな」

「誰でもよかったというのに、わざわざ私を選んでくれるとは。やはり輝きすぎか、私」

 

 目的はない。理由はない。狙う必要なんてあるわけない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 刃に戻った大通連を掴み取り、大上段から斬りかかる。代わりに手放す小通連。

 神通力で宙を舞う小通連を視線で追いつつ、フィンの槍が鈴鹿の太刀筋を受け流す。

 直後に横から飛来させる小通連、続けて加速させる自身の背後に設置した顕明連。

 

 それを鈴鹿自身を捌いた立ち位置のまま、続けざまに受け流す槍捌き。

 

(―――“才知”無しじゃ詰め切れない。だからってこいつに使う? 冗談……!)

 

 槍の穂先が翻る。牽制のように放たれる刺突撃。

 躱せると理解していながら、しかし動かず気合を入れる。

 腹に直撃する槍の一撃。それをKP(カルマファージ)で強化された肉体で強引に受け切った。

 

「む」

 

 フィンが眉を顰める。そうして攻撃を受けた状態のまま、刃を翻して斬りかかる。

 水流を防御に回しつつ、回避運動へと移る男。

 慌ただしくもされど優美に、金色の髪を靡かせながらの流麗な足取り。

 攻め手に合わせた守り手を、過つことなく重ねていく。

 

 鈴鹿が攻めればフィンは防戦一方。

 だが、押し切れない。

 

 時間がかかるだけならば、“才知の祝福”を使えばいい。

 フィンの攻撃ではKPの護りを突破できない。

 であれば、重ねた時間と見た太刀筋がそのまま彼女に武器になる。

 

「―――――!」

 

 相手の反撃に意味のないことを理解した、隙だらけの大振りの一撃。

 それを正面から受け止め、弾かれて、フィンと鈴鹿の間合いが開く。

 

 距離が開いた状態で止まる戦闘。

 鈴鹿はそれに追撃せず、フィンもまたそれに反撃しない。

 静止した少女の姿を見て軽く眉を上げるフィン・マックール。

 

「ふむ……これではどうあれ納得できない、というのであればまたの機会でもいいが?」

「…………」

 

 KPを受け取ったことを後悔する。こんな状況で勝ったところで意味がない。

 ()()()()()と証立てるには、こんな不純物は要らなかったのだ。

 どちらにせよこんな精神状態では、“才知の祝福”も使えずジリ貧だろうが。

 

 ああ、本当に馬鹿らしい。

 せめて自分らしく、楽しめばいいものを。

 

「またの機会、またの機会ね。そんなもんがあったら―――」

 

 加速する。大通連を手放し、小通連を手に。

 廻る大通連の刃が水となってフィンへと向けて殺到する。

 激突する水流。跳ね飛ぶ飛沫。

 水飛沫のカーテンを突き破るように顕明連を飛ばす。

 

 放つ神威の水に限らず、舞うようなその動きは流水の如く。

 攻めあぐねているという事実そのものが、より自分を苛立たせた。

 

 小通連を手放し、弾き返されてきた顕明連を掴む。

 放たれるのは空間を軋らせるほどの神威。

 普通であれば保ちはしないが、KPで強化された今ならば―――

 

 と、そこまでしておいて、彼女は手にした剣を手放した。

 

「……私は、私の()()()()()をアンタなんかに使ってやるのはゴメンだし。あーあー、何やってるんだか。やめやめ、適当に相手するだけにしとく」

 

 小通連を掴み、大通連を再び動かす。乱雑に放たれる神通力。

 刃を水に変えて飛来する剣を、フィンは危うげなく撃墜する。

 

「文句ないでしょ、BB」

『ま、鈴鹿さんがそれでいいなら特に言うことはありません。というか、わたしは最初から時間稼ぎをお願いしているんですけれど。パーティ会場が整うまで適当に流して下さい』

 

 鈴鹿の問いかけに対し、彼女の近くに窓が開く。

 そんなBBの物言いに対し、溜め息混じりに剣を振るう鈴鹿。

 彼女の神通力が剣を浮かして、フィンの周囲を飛び交う。

 

 フィンは迎撃のため槍を回して構え直す。

 

(さて、あのアルターエゴ以外に彼女を倒せる手段なし。私が引き付けている内に他所から攻略というのも、どうにも巧く行く流れではなさそうだが……)

 

 こちらの矛らしいメルトリリスというアルターエゴは、もう一人のアルターエゴに足止めを食っている。そちらはすぐに終わりそうにもない。

 鈴鹿御前もフィンへの殺意はなりを潜めたが、まだ攻撃は続いている。KPによる防御力を加味すれば、ただそれだけのノイズすら突破は容易ではなく―――

 

(彼女から私への執着―――も、情報のひとつと見える。そういう記録があると理解しつつ、それを認めることを拒否している。カルデアのサーヴァントが得たそれとは違う、どこかで確かに得た記録。重要なのはそれを得た経緯か、理由か。彼女が衛士(センチネル)とやらに選ばれているのもそれが理由か? さて、黒幕(BB)が時間を求めている理由も重なるのか……)

 

 槍の穂先が返されて、飛刀とぶつかり火花を散らす。

 直後に発生する嵐を後ろに下がって躱しつつ、どうしたものかとフィンか麗らかに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 腕に装着された弓からの射撃。それは立香を狙ったもの。

 その矢を剣で打ち払いつつ、ネロは肩をいからせた。

 

「おのれ、リツカを直接狙うとはな!」

「オレのこと知ってるなら、そういう手合いだってことは分かってるでしょうに。それともオタクの知ってるオレ、正々堂々みたいな騎士の真似事でもしてました?」

 

 ロビンの視線は下に。ネロの足取りを注視し、彼女が前に出ようとすれば立香を狙う。

 雇い主から依頼されたのは時間稼ぎだけ。ならこんなもんで十分だ。

 ただでさえBBに目を付けられ、ストレスばかりが積もる仕事なのだ。

 最低限の仕事だけすればいい。

 

 発生する膠着。

 戦場は三つ、その全てが押しも押されもしない戦い。

 その光景を素早く見渡しつつ、立香は強く眉根を寄せた。

 

(フィンと鈴鹿御前の方を真っ先に取りに来るのかと思ったら、そっちでも消極的。じゃあBBは何がしたいの? 本当にただの時間稼ぎ?)

 

 握り締めた拳の表面がざらりとする。情報分解が進行しているのだろう。

 

(……私がここで活動していられる時間は限られてる。一度外で活動したら、今のところ教会か―――たぶん管制室も大丈夫、かな。どっちかで休息しなきゃいけない。こうして一度出てきてしまった以上、どうあれどこかで数時間の休憩は挟まなきゃいけなくなった)

 

 対策を講じるために教会に引き返せば、そこで6時間程度の睡眠が必要になる。

 行ってみて、何もできずに帰ってしまえば活動時間以上に多大なロスになるのだ。

 BBからしてみれば、それが目的の可能性があるが。

 

(この防衛線を無理に回避して管制室に突撃しても、あのパッションリップの能力ならきっと場所ごと破壊できる。避難所として管制室が使えなくなれば、結局教会に戻らなきゃいけない。戻れなければ、私の体はこの空間で分解される。だから前に行くなら、パッションリップには必ず対処しておかなきゃいけない)

 

 現状ではやはり、この状況を鑑みて撤退が最善手。

 何せ全ての盤面が膠着状態なのだ。

 ここで存在していられる時間に大きな制限がある立香では、ゴリ押しはできない。

 

 ガウェイン、ネロ、フィン。見知ったサーヴァントとここで合流できたことも考えれば、ここを突破するためにSE.RA.PHを巡って仲間集め、という選択肢もあると言っていい。

 そうしてこい、と言われている気さえする。

 

(やっぱり……時間をかけろ、ってBBに誘導されてる気がするけど……)

 

 メルトの方へと視線を送る。

 これまで見せていた彼女の動きとは違う、やや歩調の乱れた舞。並みのサーヴァントならば圧倒できるだろうが、今までのような他とは隔絶した力をその動きからは感じない。不調、というよりパッションリップには全力を出せない、という縛りがあるかのような状態に見えた。

 

 空中に投影されたBBの映る画面に目を向ける。

 彼女は向けられた視線に気づくと見返してきて、悪戯に微笑んだ。

 

(さあ、どうしますかセンパイ? 戦場は三面、内容ではどうでもいいです。こちらが欲しいのは時間だけ。天体室に到達するまでの時間をひたすら稼ぐだけ。

 わたしとセンパイ、選ぶ行動を悩ましいものにする要因はお互いにひとつ)

 

 退く、立香がこの選択を出すのは簡単だ。

 時間稼ぎ、BBの求めるそれは普通ならば難しくない。

 だが―――

 

 爪と踵が鎬を削る。

 視界を光の盾に潰されて、ただ乱雑に両腕を振り回すパッションリップ。

 嵐のように暴れるリップに踏み込みきれないメルトリリス。

 

 前のめりに突き進むメルトの背を見て、逡巡する立香。

 それに対して軽く口角を上げて、BBは軽く手にした教鞭を弾いた。

 

(メルトの動き、これほどまでにリップに対して力が出せないのは思わぬ収穫。けどあれが続けば、痺れを切らしたあの子が鈴鹿さんを先に倒しにいきかねない。リップの抑えはシャルルさんが果たせてしまえているから、動くだけの余裕はありますよね。

 鈴鹿さん本人はもちろん、いまKPを溶かされてはこちらが詰み。メルトとしては当然あんなもの、ドレインせずに溶かして捨てるでしょうし)

 

 管制室に向かうにはリップの制圧は必須。

 “トラッシュ&クラッシュ”を放置すれば、管制室ごと握り潰される。

 だからメルトがああもパワーダウンした以上、ここから先には進めない。

 そうして苛立ったメルトに、ストレス解消として鈴鹿を狙われてはことだ。

 

(それにシャルルさんがいてはリップの力も形無し。道を潰す、というのも今からでは難しい。ついでにそうしてしまったら、今後の行動のコントロールも難しい、と)

 

 今この場、管制室へ繋がる回廊をリップに潰させる。

 時間稼ぎ的にはそれはそれでありだが、最終的には天体室までの誘導は必要だ。

 BBが自由に行動できるならそれでもどうにかするが、今は流石に難しい。

 

『―――ま、なら仕方ないですね』

 

 ぴん、と弾かれる教鞭。

 それが合図だったのか、周囲を満たした水中の景色が歪んだ。

 広がっていくのは銀色の幕。

 

 それを視界に収めた立香が一瞬息を詰まらせ、即座に叫ぶ。

 

「ネロ!!」

「なっ、ぬぅ……あれは―――!」

 

 銀色のカーテンを突き抜けて、巨大な腕が生えてくる。

 悪魔のような、竜のような、巨人の腕。

 それは真っ直ぐに立香たちの方へと伸びてきた。

 

 腕が届く前に取って返したネロが立香を抱え、大きく跳ぶ。

 直後にSE.RA.PHの床に叩き付けられる巨人の腕。

 衝撃ですっ飛ばされたロビンがすぐさま雇い主に対して抗議の声をあげる。

 

「ちょ、てめぇ……! BB、お前オレごと潰す気か!?」

『ロビンさんなら避けれると思ってましたー』

 

 棒読みで適当に返すBBの前で、巨人の腕がゆっくりと持ち上がる。

 そのまま銀幕の中に引き戻されていく巨腕。

 

 突然の一撃に対し、メルトリリスがそちらを見て頬を引き攣らせた。

 

「な―――この容量(サイズ)、まさかキングプロテア!? BB、アナタなんてことを! あの子を外に出すなんて、SE.RA.PHごと潰すつもり!?」

『安心してください? 今のあの子は劇場版仕様。虚数空間への潜航状態から直接こちらに手を伸ばしてますので、SE.RA.PHの処理能力に負担はほぼかかりません。

 つまりはぼーっとしてると、いきなり腕だけ出てきてとりあえず殴ってくる。そういうステージギミックみたいなものなわけです。膠着した戦況を動かすテコ入れ要素ですね』

 

 引き戻される、白とマゼンタの装甲に覆われた悪魔のような腕。

 銀幕に消える寸前、握られていた拳が開かれて掌を広げる。

 まるでバイバイと告げるように、そのままゆっくり左右に揺れる手首。

 

 挨拶して消える手を見て眉を顰めつつ、BBは邪悪に笑みを深めた。

 

『虚数空間に存在しているということは時間という要素に囚われない、ということ。時間が経過したことにならなければ、常時EXP(けいけんち)自動獲得の“グロウアップグロウ”は機能不全。成長が一定状態で固定されたことで、天井に到達した時点で規格を拡張する“ヒュージスケール”も当然発動しない。あの子の成長を止めた上で運用できるわけです。虚数空間にいたまま自由に動けるアナザーディケイドさん? に感謝ですね』

 

 当然のようにアナザーディケイド、と口にしたBBに立香が顔を顰める。

 ネロもフィンも、かつての決戦を思い出して眉根を寄せた。

 

 古代ウルクで激突した超弩級の怪物、地母神ティアマト。

 ビーストⅡ・アナザーディケイド。

 彼女たちが潜り抜けてきた戦いの中でも、最上位の存在だったもの。

 それを感じさせる相手に対し、立香たちはより表情を引き締めた。

 

 そしてそんなことになっているキングプロテアという存在に対し、メルトが声を絞り出す。

 

「やりたい放題じゃない……!」

『それはもう! ここはわたしのゲーム盤。周回特典(チート)にはGM特権(チート)でやり返すのが礼儀というもの、ヒロイン力の差というものを思い知らせてあげましょう!』

「うっわぁ……何出してくれてんの。流石にこれはドン引きっしょ……」

 

 大通連を神通力で動かしながら、鈴鹿がBBにドン引きする。

 どこからあんな化け物を持ってきたのか知らないが、流石にドン引きだ。

 怪物の神格が高すぎて狐の尾がピリピリと痺れる。鈴鹿御前のケモミミと尻尾はただカワイイからつけてる飾りだというのに、これは酷い。

 

 ―――そこで、鈴鹿御前が何かを堪えるように眉間を押さえた。

 

『ふっふっふ、ドン引きされた程度でブレーキがかかるのなら、小悪魔(ラスボス)系後輩AIなんてやっていられません! さあやってしまいなさい、プロテア!』

 

 BBが教鞭を振るえば銀幕が開く。

 そこから現れて振り上げられる悪魔の腕。

 床に向かって振り下ろされるをそれを視線で追い、ネロがすぐさま離脱した。

 

 近くに叩き落された掌の衝撃でSE.RA.PHが震撼する。

 

「ぬ、ぅ……! いかん。これは不味いぞ、リツカ……!」

「―――分かってる。一時撤退! 教会まで戻ろう!」

 

 下されるマスターの指令。

 一瞬の逡巡。が、すぐにメルトリリスは取って返した。

 加速に乗って、足を突き出し、そのまま床に叩き落されていた巨人の腕へと激突。

 その超常的な威力が、巨人の腕を大きく押し返した。

 単純に圧倒的なパワーで、プロテアの重量を吹き飛ばす。

 

「っ、やっぱりリップ以外が相手なら問題ない……! 私がプロテアとスズカ! シャルルマーニュはリップ! 相手をしている間にマスターたちは撤退なさい!」

 

 鋼の踵が床を削る。驚いた様子のアナザーディケイドの腕に、更なる一撃。

 銀幕の中へと蹴り返しつつ、メルトは叫ぶ。

 

「任せたよ!」

 

 彼女の叫びに応えるように、立香が言葉を返す。

 メルトリリスのマスターである彼女がその判断を下した、という事実。

 それをもって、ネロとフィンは迷わず撤退という選択をした。

 

『ふふん、緑茶さんを勘定に入れ忘れましたね! さあ今です! パッションリップにするように、メルトリリスにきっついお仕置きをしてあげちゃってください!』

「いや無理だろ……」

 

 メルトリリスがロビンフッドを勘定に入れなかったのは入れる意味がないからだ。

 立香を抱えたネロはまだしも、その後ろを固めたフィンを出し抜くのは無理。

 そもそも彼ではメルトリリスを抜き去って追撃や、彼女に痛打など与えられるはずもない。

 KPを有する鈴鹿御前ですら相手にならないのだ。無理に決まっている。

 

 弓の構えを解いて、いつでも消えられるように外套の準備をするロビン。

 

 そんな彼の隣に銀幕から生えてくる巨大な腕。

 それは戸惑うように恐る恐る出てきて、空中でゆらゆらと蠢いた。

 

『ま、そうですよね。あ、鈴鹿さんも前に出ないでください。ここで敗退されると手が足りなくなるので。プロテアはメルトが動いたら最優先で対応を』

「…………」

 

 無言で返す鈴鹿御前。

 了解した、と拳を握り締めるアナザーディケイド。

 

 一つ離れた戦場で、乱雑に振り回される腕を光の盾が弾く。

 その衝撃で間合いを取りつつ、シャルルがメルトに叫ぶ。

 

「で、先輩! 俺たちは目晦ましに乗じて全力疾走でいいのか!?」

「―――――」

 

 いつでも疾走を開始できる体勢で、メルトがBBへと視線を向ける。

 突き刺すような氷の視線。

 

「スズカ……いえ、KP(カルマファージ)の方かしら。随分重要だと考えてるのね、BB。今ここでスズカだけでも始末すれば、アナタのお遊びにとって邪魔になるのかしら?」

『なりますよ? ええ、認めましょう。わたしはアナタの足止めに全力を注いでる。なんだかんだ言って、リップをシャルルマーニュさんに抑えられた状況では今のアナタは抑えきれません。

 プロテアがいてもこの状況、鈴鹿さんだけならやろうと思えばやれる、アナタの考えている通りです。でもそれ、本当にアナタの目的に繋がりますか?』

 

 氷の視線は何にも刺さらず、洞のようなBBの赤い目に沈んでいく。

 

『プロテアが本格的にSE.RA.PHに乗り込めない以上、アナタの力はこの電脳世界で二番目に高いことになる。それなのにアナタがこの状況でどうにか誰かを助けたい、というなら考えなくてはいけないことがあるでしょう?』

「考えているわ。だからこそ、ここでKPは砕くべきでしょう?」

 

 メルトリリスの踵が床を削る。

 その動作に合わせて、BBはにこりと微笑んだ。

 

『いいんですか? ()()()()()()()()()

 

 少女の足が止まる。

 流石に盾の維持が厳しくなってきたシャルルが、そんな彼女の表情を見た。

 

『オールドレインを有するアナタに語るのも釈迦に説法もいいとこですけど、電脳体を溶解吸収する情報集積体から、吸収された特定情報のサルベージをするのなら、その情報源である存在が完全である必要があります。下手にそれを壊してしまえば、吸収された存在の情報も傷ついてしまうかもしれないですから』

「BB、アナタ……まさか、アレはそういう意味で……!」

『壊しますか? KP(カルマファージ)

 

 悪魔のような笑み。

 それによってメルトリリスに生まれた自失は一秒間。

 彼女はそれだけの時間思考して、それだけの時間が過ぎた後には確固たる結論を持っていた。

 

「―――そう、そうなのね。ならいいわ、私が優先するものはもう決めているの。

 今、此処で、その情報源もろとも一切合切消えなさい、スズカ」

 

 刃が鋭さを取り戻し、鈴鹿御前に最大の殺意を向ける。

 

 それを受けた鈴鹿は剣を握って軽く舌打ち。

 襲撃に備えて魔力を回し―――

 

「ストップだ、先輩」

 

 しかしメルトが走り出す前に、彼女の視界を青いマントが覆った。

 メルトを抑えるように前に立って、進行を妨げる騎士。

 邪魔だ、と言おうとして。

 

「よくわかんねえけどそれ、たぶんマスターと決めるべきことだろ?

 いや、違うか。決めるのは確かにメルト先輩の意志だろうけど。ただそれは、マスターに対してアンタからちゃんと告げてからやるべきことだ」

「―――――」

 

 唇を噛み締めるメルトリリス。

 だがそれを認めるのか、彼女の足はそれより前に出なかった。

 

「ここは退くぜ、BB。こっちが見逃したんだ、そっちも見逃してくれるんだろ?」

『ええ、尻尾を巻いて逃げるならお好きにどうぞ。こちらとしても管制室に近付かないなら、リップにもプロテアにも襲わせはしませんよ』

 

 であれば、と。悠々とマントを翻し、シャルルは帰還の姿勢を取る。

 と、そこで首だけ捻って顔を後ろに向け、彼はBBに問いかけた。

 

「っと、一応確認のために訊いておきたいんだが。さっき言ってたサプライズパーティーの会場? ってどんな場所なんだ?」

『サプライズはサプライズ。センパイたちの驚いた顔が見れる場所ですよ。ここでアナタに教えたってしょうがないでしょう?』

 

 返答はにべもない。

 だがその答えに満足したのか、シャルルは一度頷いて歩き出す。

 一度口惜しげに顔を顰め、メルトリリスも踵を返した。

 

 そうして終了した戦場に、ゆらりと現れる人影。

 

「……口八丁、まるで我が魔王を助けるためにはそのKPとやらが必要だとでも言いたげだね」

『別に嘘はついてませんしー。まったく、メルトにも困ったものです。これだけ言ってまだ戦う気を見せてくるんですから』

 

 アナザーディケイドの腕が銀幕に引っ込み、消える。それを見上げながら、黒ウォズは軽く溜め息をひとつ。こうしてキングプロテアを運用できるようになった代わりに、スウォルツと加古川飛流にアナザーディケイドを回収されてしまった。向こうからしても、ティアマトを内包した彼女は絶好のカモだったろう。

 再生ウォッチはああしてプロテアの中にあるが、一度精製に成功した以上は既に、アナザージオウの能力範囲に含まれてしまった。だがまあ今更言っても仕方ない。

 

 そんな話をしている連中を面倒そうに眺め、鈴鹿御前は深い溜め息を吐いた。

 

「はぁ……どいつもこいつも、何がどうなってるんだか。怪しさが服着て歩いてるような連中が集まってごちゃごちゃと、どんだけスッキリしない話なわけコレ?」

 

 BBと黒ウォズが同時に呆れた視線を鈴鹿に向ける。

 まるでお前もこっち側だろ、と言いたげな顔。

 何故か責めるような視線を受け止めて、彼女は機嫌を悪くしてそっぽを向く。

 

 そうして顔を逸らした先では、動きを止めたパッションリップが静かに佇んでいた。

 

 

 




 
 いつの間にか来てた謎のシルエット…いや待て、あの孤独なSilhouetteは…?
 再臨でシャルルとカール大帝が切り替わったりしないかなー。
 


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彼方の愛2030/A

 

 

 

「改めまして、はじめまして。その……アルターエゴ、パッションリップです」

「こっちこそよろしく、俺は常磐ソウゴ」

 

 帰りの道中。黄金の爪を揺らしながら、菫色の髪の少女が名乗りながらはにかんだ。

 歩きながらの自己紹介に、後ろについていたメルトリリスは肩を竦める。

 

 救出は何事もなく完了した。拘束されていたパッションリップの拘束具は、外側から力任せに破壊した。ただそれだけで、難なく連れ出せたのだ。当然のように妨害もない。

 彼女らは何ら被害を得ず、機動聖都から離れる途中だ。

 

 銀色の脚のメルトリリス、黄金の腕のパッションリップ。

 ブルーの瞳とリボンのメルトリリス、ピンクの瞳とリボンのパッションリップ。

 対称的な二人を比べてみて、何となく感嘆の息を吐くソウゴ。

 何故感心されたのか、とリップがそこで困惑の表情を浮かべた。

 

 そんな二人の様子を見て、メルトリリスが浮かべるのは呆れ顔。

 

「気にする事はないわ、リップ。そいつ、感性が普通の人間とずれてるから。何をしでかしても適当に流しておいた方が健全よ。気に掛けるだけ無駄だわ」

「メ、メルト……」

 

 いきなりマスターを罵倒するメルトリリス。

 彼女にとってはそれは当たり前のことだろうが、良い事ではない。

 そのくらいのこと、リップにだってとうに分かっている。

 

 ソウゴの様子を窺うリップの前で、言われたソウゴが悩むように腕を組む。

 とりあえずフォローしなければ、と彼女は視線を右往左往させつつ言葉を探す。

 

「あ、あの……メルトはこういう子なので、あんまり気にしないでください……」

「ちょっと」

 

 姉妹機の無礼に対し、申し訳なさそうにするパッションリップ。

 だがさほど気にした様子もなく、神妙な顔をしたソウゴはメルトを見据えて問いかける。

 

「普通っぽくないってさ、やっぱり……普通より王様っぽいってこと?」

「違います」

 

 少年の謎の発言、テンポよく否定する少女の反応。

 それを横から見ていて、リップが奇妙なものを見たとメルトをまじまじと見る。

 そんな反応を向けられて、メルトが眉を吊り上げた。

 

「……なによ」

「―――ううん、別に?」

 

 わざわざ言わない方がいいのかな、と。リップは思ったことを口にすることをやめた。この判断、これこそが自分の成長なのだと、彼女はメルトに向かって得意げに大きな胸を張る。

 その怒りを煽る態度がアナタらしい、とメルトリリスがよりきつく眉を上げた。

 

 少女たちのやり取りをこれまた横から見ていたソウゴ。

 彼はその仲良さげなやり取りに、一応訊いてみることにした。

 

「そういえばさ、結局どっちがお姉さんなの?」

「姉妹というわけじゃない、と言ったでしょう?」

「私たちは発生に違いがあるわけではないですけれど……でも、ちゃんと()()を持てたのがどっちが先かで決めるなら、私の方がお姉さん……だと思います」

「へー」

 

 否定するメルトリリスに対しリップはしかし、そうと答えを返した。

 単純に順番の話だ、パッションリップの方が先に完結したという話。

 真実、彼女はそれだけのことのつもりで告げたのだが。

 

 すぐさまメルトは、リップに何を言い出すのかという視線を向ける。

 

「ちょっと、何よそれ。それはただアナタの方が出番が早かったというだけでしょう。それに、その理屈で序列を決めるのだとしたら、なおさら私の方がよほど姉に相応しいじゃない。

 アナタや、それこそBBなんかより私の方がよほど早く、自己の在り様について発生源(サクラ)から独立していたもの。もし仮に私たちを姉と妹で区分するなら、私が姉でアナタが妹。それこそ動かぬ事実だわ」

 

 幾分か口調を早めるメルトリリス。

 彼女のそんな反応に対し、不思議そうに首を傾げる二人。

 ついでに顔を見合わせてから、二人揃ってより深い角度で首を倒す。

 

「……そう? メルトがそれが良いならいいけど……その、メルトがお姉さん、みたいです」

「へー……」

「何かムカつくわね、こいつら……!」

 

 苛立たしげにメルトリリスの爪先が床を軋らせる。

 怒っているらしい彼女に対し、きょとんとした表情を見せる二人。

 そうして並んだ表情に眉根を寄せつつ、彼女は顔を背けた。

 

「それで! 拠点に戻らずどこに向かうつもりなんです!」

 

 がなるメルトリリス。

 ソウゴが持っているのは、エイリークから教えてもらった食料の入った袋。

 こんなものを持って探索する理由はない。

 一度戦闘も終えている。教会に戻り、休息するべき場面だ。

 

 だというのに、ソウゴが選んだ進路はそれとは違う。

 その事実を問い詰める声に対し、彼は軽く微笑んだ。

 

「さっき散歩してる時に見かけたサーヴァントがいてさ、行ってみようかなって」

 

 解放されたばかりで本調子ではないリップ。

 戦闘を終えたばかりで疲労しているメルトリリスとソウゴ。

 メルトはそんな状況で散策続行とは、と胡乱げな表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

「でさー、それで何で私のとこに来ることになるワケ?」

「何でって、近くに知り合いがいたから寄ったんだけど。カルナはいないの?」

「ギャル男はだいたい常に空飛んでるし。真面目に仕事してるんじゃない?」

 

 機動聖都からほど近いセクターの一角。

 そこで腰を下ろしていた鈴鹿御前が、間抜けを見る視線を飛ばしてくる。

 

 知り合い。ついこの間斬り合った、なおも一応は敵対している仲が?

 溜め息を落としつつ、彼女はアホを見る目でソウゴを見た。

 ついでにメルトリリスからも似たような視線が飛ぶ。

 

 エイリークと戦う前にふらふらしている間、彼女の姿を見つけたソウゴ。

 彼はせっかくだからと、帰りにここに寄ってみることにした。

 どうやら鈴鹿御前に与えられているセクターは、聖都近くのものだったらしい。

 

 鈴鹿からしてみれば、最後の一瞬に至るまで彼らがこの場に来るとは一切思っていなかった。だというのにいきなり来られての怪訝顔。

 そんな表情のまま、彼女はメルトとリップへと顔を向ける。

 

「結局そっちも助け出してきたわけね。ま、大帝が止める気無いのは目に見えてたからそうなるでしょうケド。それにしても元気になったみたいじゃん、メルトリリス?」

「おかげさまで。まだまだカンストには程遠いけれど、それなりに充足したわ。これからもサーヴァント狩りは続行するけれど、アナタを養分にするつもりはないから安心していいわよ?」

 

 嘲るような鈴鹿の声。それに対し、髪を掻き上げて余裕の表情を浮かべるメルト。

 鈴鹿が微かに目を細め、一段階表情を厳しくした。

 

 こちらとしては鈴鹿御前を狩る理由はない。

 できる限りサーヴァントを経験値として回収したいが、それでも相手は選ぶ。

 対カール大帝と殺生院の制圧、どちらも手を抜けない以上見極めは必要だ。

 

 ―――だからこそ鈴鹿もまた、彼らがここに来ないと確信していたのだが。

 先導してきた少年を見れば、気にしている様子もない。

 それどころか、当然のように問いかけてくる。

 

「ねえ。あんたはさ、何で楽しもうとしないの?」

「―――――」

 

 不意に訊かれて、言葉を詰まらせる。

 「はぁ? 楽しんでるけど?」

 ただそうと返せばいいだけの話。なのに言葉が詰まり、後に続かなかった。

 

 そう口にしたソウゴに対し、目を細めるメルトリリス。

 わざわざ地雷を踏みに行くということは、決戦を仕掛けるということか。

 微かに表情をきつくした彼女の前で、リップがおずおずと声を上げる。

 

「あ、あの……そういうこと、訊かない方がいいんじゃないですか? スズカさんの場合、楽しんでるフリに必死みたいですし。邪魔をしてあげない方がいいと思います」

「でも訊かないと理由とか分からないし」

 

 言われて、口の中で言葉を転がすパッションリップ。たぶんカズラのせい、わたしもカズラには言ってやりたい、Id_esは持って行ったくせにカズラは腕がそのままなんてずるい、等々。

 吐き出さずに自分の中で消化しようとしている内に、鈴鹿御前が片眉を上げた。

 

「―――あのさぁ。コイツらなんなの、メルトリリス?」

「私に言わないで。リップのことならBBへ、そっちのマスターのことならカルデアに問い合わせればいいんじゃない?」

 

 処置無し、と即座に回答を放棄するメルトリリス。

 

 人をおちょくりにきたのか、こいつらは。

 感情のボルテージが高まっていく中で、鈴鹿は眉間を指で叩きながらソウゴを睨む。

 

「アンタ、訊いて良いことと悪いことの区別さえつかないわけ?」

「鈴鹿御前こそ。誤魔化して良いことと悪いことの区別ついてるのになんでそうなの?」

「そ、そういうことを言っちゃダメだと思います……! スズカさんは頭がいいから本当のことが分かってるけど、そうやって頭が悪くて分からないフリをしてないと誤魔化せないタイプの人なんですからっ」

 

 メルトリリスが視線を逸らす。

 ソウゴとリップ。この二人、一緒に行動させたら駄目な組み合わせだったかもしれない。

 まあどうでもいいか、と。彼女はその場で備えることにした。

 

 疲労した自分とソウゴ、そしてパッションリップ。

 そして“天声同化(オラクル)”を受けている鈴鹿御前。

 鈴鹿が本気で全力を解放すれば、およそ互角といったところ。

 

 もっとも彼女の全力は制限時間つき。力を出せば、勝手に自滅する。

 相手にする気はなかったが、別に積極的に見逃そうと思っているわけでもない。

 踵を鳴らし、目を細める。

 

「…………言ってくれるじゃん」

 

 怒りの声を吐きつつ、彼女は動かない。

 その態度に警戒状態を維持しつつメルトリリスも静観する。

 

 如何に鈴鹿御前が今を楽しむなどと口にしようと、それは言葉ばかり。

 彼女の性根はどうしようもなく苦しんでいる。

 楽しくない経験など要らないと言いつつ、彼女はそれを捨てられていない。

 

 じいと見つめるソウゴの視線。

 数秒の沈黙を挟み、鈴鹿御前は海中の空を見上げた。

 

「……私の眼はさ、色々と視えちゃうわけ。そりゃ本気で開眼(ひら)けばサーヴァントの霊基じゃ耐えられない。だから普通は使うようなことなんかないけど―――ふと、感じ入ってしまうこともある。思い至ってしまうこともある。

 サーヴァントとしての私がどっかで得た、確かな自分の()()だもの」

 

 原因が何か、などと今更考えても無駄だろう。

 ただ彼女は声に呼ばれ、ここにきた。今にも消えそうなマスターの声だ。

 それは天体室からの声。だから、聞こえてくるのがそれだけならよかった。

 その無念を晴らすことに否やはない。それを蹴飛ばすなど、女が廃るというものだ。

 

 だが、鈴鹿御前の場合はそこで終わらなかった。

 

 剣を抜くことなく、彼女は語り出す。

 それを聞きながら腰を下ろすソウゴと、彼に倣って近場に腰掛けるリップ。

 当然のように一人立つことになるメルトリリス。

 

「私の視界に掠めたどこかの私が重ねた記憶。ただそれだけなら、私もきっとこれだけ入れ込むような真似はしなかったでしょう。

 ―――けど、しょうがないじゃん。“天声同化(オラクル)”に乗っかった私には、そんな視界を掠めただけの些細な記録すら見逃せなかった。

 ……ただ望まれた(んだ)ように生きたいと、そこから逃げ出せば報いがあると、逃げてはいけないから進まなきゃと。そうやって生き足掻いた、私を動かしただろうあの声を、私じゃ変えられなかったあの苦しみを……私は聞き逃せなかった」

 

 鈴鹿御前らしからぬ、平坦で寂しげな声。

 

 自分じゃない自分、別の自分が拾った因果。そんなものが、視界に掠めてしまったのだ。

 自分でもビックリするくらいに、その声を無視できなかった。

 そんなこともあったんだ、と終わらせることができなかった。

 詳細まで読み取れたわけではないのに、それでも入れ込み切ってしまった。

 

「楽しんだ私じゃダメだったんだから、あの声に応えるためには私の方を変えないと」

 

 第四天魔王の真子、立烏帽子・鈴鹿御前。彼女はサーヴァントとして現世の知識を得て、女子高生としての生き方を選んだ。我儘、刹那的、短絡思考―――でも最高に今を楽しんでる。サーヴァントして降臨する彼女は、今の自分にそんな生き方を与える。

 

 でも、それでは駄目だったのだと知ってしまった。

 駄目だった、という強い悲哀と憎悪だけがその記録にこびりついている。

 

「普通ならそこまで思わないでしょう。その声を拾うことはあっても、引きずられるような真似はきっとしない。本来の私だって尽くす女だけど、こんななっさけない女じゃない。そんな私がここまで歪むんだもの、“天声同化”ってのはそれほどとんでもない力ってわけ」

 

 そんな光景が視界を掠めていくだけなら耐えられた。

 ああ、そういうことになってしまった私もいるのだ、と。それで終わりだった。

 ここまで入れ込まなかったのだ。

 そこで得た全ては、その経験をしたその自分だけのものなのだから。

 

 ただ、“天声同化”に乗ったらもう駄目だった。

 どこかの自分が拾った、どこの誰かも分からない声。それすらスルーできなくなった。

 

 今この自分に向けられたものじゃない声に尽くしてもしょうがない。

 あれは別の自分に向けて放たれた叫び。

 この自分があの声に尽くそうとするのは、少し違うという話だ。

 

 そんなことは分かっているのに、彼女は降りられなかった。

 

「歪んでしまったこと自体は嫌じゃないの?」

「情けないとは思うけど嫌なわけじゃない。それがあの大帝のとんでもないとこ。だって分かっちゃうんだもの。こんな情けないことをしてでも、私には救いたいものがあったんだと思い知らせてくれる。

 ……あの大帝の天声(こえ)は、それが誤った生き方ではないと背中を押しているだけ」

 

 こうしたい、あれやりたい、じゃあ全部やるしかないっしょ! というJKの生き様。

 こうしているだけの方が効率がいい、という天女の演算。

 

 それが頭の中でぶつかって、どうにかしてしまいそうになった。

 

 “才知の祝福”どころではない。

 あれもまた自分の意識を純粋な演算結果が圧迫してくるが、それ以上だ。

 

 頭の中が沸騰するような苦しみの末。

 でも、勝ったのはJKの思考の方だった。

 そして勝ったのはそっちの考えだったのに―――

 

 その生き方では()は報えない、と理解してしまった。

 

 自分らしく生きたいのに、それでは自分の目的は果たせない。

 “天声同化(オラクル)”からは抜け出せない。

 理想と現実の乖離に悩む頭には、なおさらあの声は染み渡ってくる。

 

 同じだけの苦悩の末に、全てを救う、と。普遍なる平和を、と。

 カール大帝はそう結論し、いまこの場所は地底深くへと突き進んでいる。

 

「―――だから私は“天声同化(このこえ)”に耳を傾けたし、大帝に味方をする」

 

 今の自分にできることはそれだけだ。

 だって、どこかの誰かにいつか()()()()()()()と願うのならそれしかない。

 彼女にできる献身など、それくらいしか存在しないのだ。

 

「本当にそれでいいの?」

 

 問いかけには無言で返す。“天声同化(オラクル)”によって同化していること。それこそがその答えだ。彼女は、ふと垣間見た自分と何ら関わりの無い、幻のような光景に報いるためだけに、この結論に達したのだから。

 

 そっか、と。

 納得の声を返してソウゴが食料袋を漁り出す。

 

 そんな反応を見せた少年をねめつけて、鈴鹿御前が眉根を寄せた。

 口にすべきではなかった心中。

 それを少なからず言葉にしたことで、どこか少し気が抜けた様子を見せつつ。

 

「そんでさー、結局アンタら何しに来たわけ? 私に本音喋らせて何か意味あんの?」

「別にないけど。一応あんたが従ってるカール大帝ってどんな王様なんだろうな、くらいは考えてたけど」

「適当すぎ。私がキレてここでバトってたらこれからどうするつもりだったわけ? その場のノリで生きてんの、アンタ」

 

 女子高生が生き方の自分を差し置いて、彼女はそう言って溜め息を吐いた。ここで休んで次の場所に行く、というつもりだろうか。別にどこで休もうが彼らをわざわざ襲撃するサーヴァント(バーサーカー以外)はいないだろうが。

 

 そういうつもりなのだと理解して、メルトリリスも呆れた様子を隠さない。

 彼女はそのままリップの方を確認して。

 パッションリップがどこか不思議そうに、周囲を見回しているのに気付いた。

 

「どうしたの、リップ」

「……ううん、なんか変な感じがした気がしたんだけど……やっぱりなんでもない」

 

 気のせいだった、と。そう断じて、リップは気を取り直す。

 本当に何かあるのなら、鈴鹿やメルトが気付いているはずだろう。

 

 首を傾げているリップを見ていたメルトにかかるソウゴの声。

 

「それで、次はどこ行くの?」

「……残しておく必要が無さそうなサーヴァントの目星はついています。私が誘導するので心配する必要はありません」

「ふーん、それぞれどんなサーヴァントなの?」

 

 食事しながら身を乗り出してくるソウゴ。

 その態度に仕方なさげに、メルトは鈴鹿の方を見た。

 

「スズカ、地図とかある?」

「あるわけないっしょ。てか、あったとしても貸さないし」

 

 適当に手を払う鈴鹿御前。

 彼女の態度に肩を竦め、息を吐き落とし。

 

『はいはーい、地図ならこちらにありますよー』

「ありがと」

 

 直後にどこからともなく顔を見せたBBから、ソウゴが地図をさっさと受け取った。

 空間に浮かぶウィンドウ。そこからどうやってか突き出していたマップ画像。

 どういう仕組みか普通に持てるそれを、彼はみなに見えるよう床に置いた。

 

『……………もうちょっとなんか反応ないんですかー!? せっかくここぞというタイミングで顔を出したのに!』

「反応したって喜ばすだけって分かってるもの」

「お母さま……BBはあれで実は頭が硬い人なので。奇抜なことをやっているように見せて、大抵の場合は基本に忠実に主導権(マウント)を取りにくる動きが分かりやすいんです」

 

 突然のインターセプトだというのに無反応。

 それどころかむしろ助かった、という態度ときた。

 ソウゴどころかメルトとリップもこの始末。

 というか苦笑しながら何を言っているのか、このアルターエゴは。

 

『反抗期ですよ、鈴鹿さん。まさかアルターエゴである二人にここまで、というかリップは後でお仕置きですねこれ』

「はいはい、どう見ても同族嫌悪っしょ」

『―――――』

 

 画面の向こうでBBが自分の唇に指で触れる。

 少し悩むような、そんな所作。

 

『ま、そんなことはどうでもいいんですよ』

 

 だが彼女は自分の一秒前の動作をさっぱり忘れ、すぐに気を取り直した。

 

『それで、どうするか決まりました? もういっそ今から大帝の場所に突撃、とかどうです?』

 

 地図をソウゴが指差して、そこに関する説明をメルトが告げる。

 そう言ったやりとりを続けること数分。

 

 ちょっかいをかけた方がいいのか、それをやったら負けか。

 先程のやりとりを通じ、悩みこむBB。

 不意打ちで声をかけても利かないどころか飽きられたなら、何か別物を用意すべきか。

 

 そうして悩んでいるBBの横にいる鈴鹿に対し声がかかる。

 

「……ねえ、鈴鹿御前。さっきの話さ、正しく生きたい、その生き方が間違ってないって言ってもらえてる、みたいな。それが大帝の“天声同化(オラクル)”なんだよね?」

「はぁー? ……まあ、そんな感じだけど」

 

 気のない返答。

 だがそれで十分だとばかりに、ソウゴは強く頷いた。

 

「―――じゃあ、次はここにしようか」

「……別にそいつ、どっちでもいい奴でしょう? わざわざそこを優先する意味があるの?」

 

 ちゃんと説明しただろうに、と。怪訝な表情を浮かべるメルトリリス。

 だが彼女のそんな顔を気にもかけず、ソウゴは自信ありげに笑う。

 

「ちょっと訊きたいことがあってさ。さっき鈴鹿から聞いた話についてなんだけど……この人に詳しく訊けば、何となく確信が持てる気がするんだよね」

 

 そう言ってソウゴは地図の一角を指差しつつ、そこにいるらしい顔を思い浮かべた。

 

 

 




 
 まずはパレオロゴスを出してきましたか。まあいいでしょう。
 ガチャ前の聖晶石の輝きがマナプリズムの山に変わる…楽しいと思いませんか?ですが今後のことを考えてここはスルーさせていただくとし!ま!しょ!う!かァッ!



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夢の舞台2017/B

 

 

 

 しんとした聖堂。廃墟に姿を変えてしまった教会の中で眠るように、メルトリリスが椅子に腰かけ、目を瞑っている。一時的なスリープをしての思考整理。

 だが何度自身を精査してもバグはない。彼女の中には、パッションリップ相手に出力が落ちた理由が見つからない。

 

 そうして何度かこの作業を行っている彼女が、ふと目を開いた。

 

「……休息はどうしたのかしら。休まないと身が持たないわよ、物理的に」

「うん。でもちょっとメルトと話したいなって思って」

 

 目を向ければ、2階から降りてきた立香の姿。

 彼女はそのままメルトの隣にまでやってきて、腰を下ろした。

 

 一度取って返してきた以上、休息は行わなければならない。

 外での活動時間を回復させるにはそれしかない。

 こうしている間にも、徐々にタイムリミットは迫ってくる。

 

 今後の活動方針は散策。

 リップとプロテアという障害を突破するため、手を探すしかない。

 慌てても仕方ない。少しずつ進んでいくしかない。

 

 焦りたくなる場面であるが、そこはまあ経験値か。

 焦るよりは気を抜いた方がどうにかなる。

 

「ひとつ訊いていい?」

「……答えるとは限らないけれど、それでいいならお好きにどうぞ」

 

 メルトはそういって顔を逸らす。

 質問の内容は分かっている、とでも言いたげに。

 ならば遠慮することでもないと、彼女はごく普通に問いかけた。

 

「メルトってさ、ソウゴのこと何か知ってるんだよね?」

「―――――」

 

 沈黙。間を置いた返答、ということもなく完全な沈黙。

 言葉で返す気はない、ということなのだろう。

 それを理解して、こちらは好き勝手に言わせてもらうことにする。

 

「メルトってさ、ちょっとソウゴと似てるよね」

「―――どこが、と言い返したいところだけれど。少しなら自覚はあるわ」

 

 続く一言。

 それだけで黙り切れなくって、少女は呆れたような声をあげる。

 

 孤独に輝く星、自分だけしか立てない独り舞台。

 AIとしてそういう風に成立した彼女と、そんな人間になってしまったソウゴ。

 そんなものであったのに、そこにいるだけではいられなくなったもの。

 

 彼女はいつか恋をして、ただの孤高のプリマドンナではいられなくなった。他者は全て溶かして喰らうだけ。他人という存在を必要としない、存在するべきなのは世界の全てを溶かして吸収した自分だけ。そんな精神性のAI(かいぶつ)のくせに、人間みたいに恋をして―――怪物の献身と人間の恋。彼女はその噛み合わない矛盾を抱えたまま突き進み、手酷くフラれて、そうして一つの区切りを得た。そうした先に、それでも彼女は彼女のままだった。

 

 彼は全てを救うことを夢に見て、その自分で定めた覇道に余人を必要としなかった。彼は自分が世界を変えることだけ見て、他者に干渉することをしなかった。世界という大きなものごしにしか、他人に触れることをしなかった。そんな彼は友を、仲間を得て、黄昏の覇道には乗るまいともがき続けている。彼がこの先どうなるかは分からない。

 

 AIであるメルトリリスにとってはバグだが、人間であるソウゴはそうなる方が普通だろう。だが、そもそもそんなことになったのが自分の意志では仕方ない。

 

「――――ええ、だってしょうがないでしょう? それが必要なことでなくとも、むしろ不必要だと思ったことでも。それでも、そのエラーみたいな行動を夢に見たんだもの」

 

 苦笑しながらついそんなことを口にした。

 

 おかしな行動だったが、後悔はない。

 だってやりたかったんだもの。だって、そうして欲しかったんだもの。

 自分の(エゴ)を超越して、やりたかったんだから仕方ない。

 彼女の行動は、彼の選択は、ただそれだけのことだった。

 

 そんな風に言葉をこぼしたメルトに対し、立香はもうひとつ問いかける。

 

「ちなみに、私のサーヴァントになりにきてくれたのもソウゴと何か関係ある、ってことでいいんだよね?」

「さあ? どうかしらね」

 

 そう言って悪戯に、曖昧にぼかすような返しをするメルト。

 

「でもよく私に協力してくれる気になったね。私のことはあの時初めて知ったんでしょ?」

 

 だが誤魔化しの言葉に返すものとは思えぬほどにきっぱりと。

 疑う余地もないとして、続けて問いかけてくる立香。

 その様子に溜め息まじり、メルトは今度は素直に返すことにした。

 

「―――共感、かしら。とてもおかしな話なのだけど」

「……舞台に立ってるメルトリリスも、ソウゴが見ていた夢も、ひとりぼっちだから?」

「ええ、そう」

 

 詳しく説明したわけでもないのに、理解している立香。

 あっさりと看破された事実に、メルトリリスは呆れ顔で肯定を返した。

 

「ひとりぼっちで十分だと思っていたのに。何よりも高いステージで、孤高の星でいるのが私という存在の正しい在り方なのに、欲しいと思ってしまった」

 

 彼女の翼はその重みに耐えきれず、地に墜ちた。

 だって彼女には自身の生き方は変えられない。変えてしまったらメルトリリスではない。

 変えられないのに、変えなきゃ手に入らない夢を見たから翼を失った。

 

 ―――だが彼は変える。自分の生き方を。より良く、最高最善を目指して。

 

 ああ、これが人間だ。自分たちAIと人間を別つ、絶対の違い。

 意図された設計思想がないからこそ、自分のまま自分でないものに変われる。

 それはいつか彼女たちが憧れたもの。

 しかし怪物である彼女たちには手に入らないと納得したもの。

 

 空の舞台から落ちた彼女という白鳥は砕け散った。

 だが、彼という人間は落ちた後にも泥の中でもがき続けている。

 彼女たちの元の生き方を考えれば、無様にもほどがある。

 だからこそ、見どころが感じられたのだろうが。

 

 ふと気付けば、目を伏せていたメルトを覗き込む立香の顔。

 

「……なにか言いたげね」

「ライバルなんだね。どっちが自分の舞台で輝けるか、みたいな?」

「―――――」

 

 落ちたのは一緒だ。

 孤独で、孤高で、ライトに照らされ、光り輝いている、ひとりぼっちで立つ寂しい舞台。

 それは自分の意志で、確固たる意志でそこに立った後の話。

 恋慕、友情、不必要な情動で、二人は揃って転げ落ちた。

 

 二人ともその末路に対する考えは同じだ。共にそれは自分にとって、どんな成功より掛け替えのない失態だったと思っている。その経験の果てにメルトリリスは今のメルトリリスになり、常磐ソウゴは今の常磐ソウゴになった。

 

 メルトリリスはそんな経験を積もうが自分を変えず、また同じように生きるだろう。

 常磐ソウゴはそう感じた自分の先に、新たな自分を積み重ねていくだろう。

 どっちがいい、とかそういう話ではなくて。

 

 これが自分の生き方だ、と誇りたいだけ。

 そうやって胸を張る相手として、正反対の彼はちょうどいい相手だった。

 

 マスターからの声に一度瞑目し、その言葉を反芻する。

 

「―――そう、だったのかもしれないわね」

 

 そこまで口にして、数秒黙り。

 彼女は立ち上りながら、再び口を開いた。

 

「私への尋問もこれくらいでもういいでしょう、そろそろ素直に休みなさい」

「うん、そうする。ソウゴのこと、必ず助けよう」

「―――――」

 

 踵を返して教会の外に向かうメルトリリス。

 そんな彼女の背中にかけた声に対し、答えは返ってこなかった。

 

 

 

 

 

 疾走する影。両の脚、二足歩行で生み出すとは思えぬ速度と軌道。

 それを生み出す翠の獣が片手にぶら下げた少女をちらりを見る。

 

「せめてしがみついてくれないか。これでは弓も握れん」

「まあ、嫁入り前の女にしがみつけなどと。破廉恥ですよ」

「汝は……」

 

 お前が言う事か、と。

 手にぶら下げた角のある和装少女を見て、獣耳の女狩人は変なものを見る目をした。

 そんなやり取りの最中、異音を聞き取った獣の耳がぴくりと跳ねる。

 同時に床を蹴り飛ばして跳ぶ二人の体。

 

 その直後に空間が歪み、そこから突き出してくる巨人の腕。

 大きさ相応の鈍さで、しかし単純な大質量に伴う破壊力。

 巨腕が直近まで通るつもりだったルートに叩き付けられ、床を盛大に砕いていく。

 

 悪魔のような、竜のような、巨大な怪物の腕。

 その威容を見て、狩人は軽く舌打ち。

 

(そのままティアマト神のアナザーライダー、というわけではない……が、どちらにせよまともにやって倒せる相手ではないな。もっとも、ケイオスタイドが無い上に時々腕を出すだけ。これだけならば、さほど脅威でもないが)

 

 着地と同時に再び床を蹴り、更に跳ぶ。

 続いて彼女が立っていた場所に襲来するのは、雷鳴のような歌声(ソニックブーム)

 その一撃が床を削り飛ばすのを離れた位置で見届けて、発生源へと視線を向けた。

 

「あら、鬼ごっこはもう終わり?」

 

 床に叩き付けられた悪魔の腕の上に降り立つ、蝙蝠のような竜の翼。

 

 ステップはステージに躍るアイドルのように軽快に。

 手にした(やり)で足場の腕を叩けば、恐る恐る空へと持ち上がる。

 虚空から生えた空中ステージからの視界を存分に味わって、少女は嗜虐的な笑みを浮かべた。

 

「―――じゃあ歌うわ! この海全てに響かせて、全部まとめてこのステージごと盛大にぶち殺してあげる!!」

 

 広がる翼。展開する監獄城チェイテ。

 血が飛沫くように髪を振り乱し、少女は手にした槍を怪物の腕へと叩き付ける。

 少し驚いたのか、その腕がぴくりと揺れた。

 

 そうして彼女―――エリザベート=バートリーのステージが完成する前に、狩人は手にしていた竜の角を持つ少女を全力でぶん投げた。

 ぎょっとした顔で飛んでくる和装の少女、バーサーカーのサーヴァントである清姫を見る。彼女は飛びながら大きく息を吸い、一気に吐き出した。

 

 迸る青い炎のドラゴンブレス。

 だが一瞬虚を突かれた程度で今のエリザベートが負けるはずもない。

 彼女はすぐさま小さく息を吸い、圧縮した風のドラゴンブレスで対抗した。

 

 出力差は決定的。

 並みのサーヴァントでしかない清姫と、衛士(センチネル)であるエリザベート。

 そこで勝負など成立するはずなどなく、炎は風に引き裂かれて。

 

 ―――ブレスの激突を目晦ましに、女狩人は跳んでいた。獣の如き身のこなしは、ギリシャに名立たるアタランテが繰り出すもの。

 彼女はその跳躍で清姫を再び掴み取りつつ、激突するブレスを飛び越えていた。渦巻く炎と風の嵐がエリザベートの視界を潰しているうちに、アタランテはエリザの頭上を越えて彼女の背後、アナザーディケイドの手に着地。その勢いのまま、全力で脚を振り抜く。

 

「ぷえ―――っ!?」

 

 背中に獣の脚力が炸裂する。背骨を粉砕する勢い。

 だがそんな威力でさえも、彼女は吹き飛ぶだけで傷を負うほどではない。

 手の上から蹴り出され、炎渦巻く風の中に放り込まれるエリザ。

 自分の腕に乗られたことに反応し、振り払おうとするアナザーディケイド。

 

 深追いせず、アタランテは腕のスイングに合わせて離脱した。

 危うげなく着地する彼女に振り回されながら、清姫が口元を押さえる。

 

「いくら必要とはいえ、もう少し気を遣って欲しいのですけれど……(わたくし)、あなたほど頑丈ではないのです」

「仕方あるまい。汝ではあれから逃れられないだろう?」

 

 エリザベートはまだしも、アナザーディケイドはどうしようもない。

 清姫の戦闘速度ではあっさりぺちゃんこだ。

 アタランテに抱えてもらい、とにかく攻撃範囲から逃げる以外に手段がない。

 それが分かっているから、彼女もこうして手提げ清姫に甘んじているのだ。

 

 時間稼ぎだけなら幾らでもできるが、どうにも。

 アタランテはそう思いつつ息を吐こうとして、

 

「―――むむむ! 清姫れぇだぁに感ありです!

 間違いありません、これはマスターの気配です!!」

 

 しゃー! と蛇の如き清姫のセンサーが駆動する。

 

 何を言っているんだ、こいつは。

 ノータイムでそう言おうとしたアタランテはしかし、直後に獣の耳をぴくりと動かす。

 遠い位置から迫ってくる複数人が駆ける音。確かに聞き覚えのある足音だ。

 

(どうやって私より先に察知したのだ、こいつは)

 

 森の狩人よりセンサー感度が高いなどと、それこそ野生動物くらいなものだろうに。

 野性に回帰した蛇を抱えつつ、アタランテが音の方へと視線を向ける。

 

 そちらから飛来するのは、銀の弾頭を持つ菫色の弾丸。

 すれ違うように直進していったそれを見て、アタランテは軽く眉を上げた。

 

(速いな)

 

 激突して、アナザーディケイドの腕が浮く。

 その威力にむっとしたように拳を握る巨人の腕。

 腕はすぐさま掌を開き、更にもう一本の腕を虚空から生やす。

 

 反動で弾かれたメルトが床を滑り減速しつつ、巨人の腕を見上げた。

 

「出てくる気ね、プロテア」

「半分、だけ、です!」

 

 空間を引っ掴み、無理やりに歪みを広げ、悪魔の如き巨体が上半身を晒す。

 腰から上だけ、姿を現すアナザーディケイド。

 圧倒的な威容を見せつけながら、彼女は大きく腕を振るう。

 巻き起こされる突風にコートをはためかせながら、メルトが軽く鼻で笑った。

 

「中身ばかりじゃなくて外見まで随分と怪物的になったわね。アナタの異常性はサイズだったけど、今はデザインまで十二分に怪物よ」

「か、怪獣です! 怪獣なんだからこう……見た目トゲトゲしてて、怖い感じでも別にいいと思いまーす! ……わ、私だってどうせ怪獣ならもっと可愛い姿の方がよかったけど……でも、お母さまがこれなら一応外に出れるし大丈夫って……」

 

 アナザーディケイドが少し不満げに手を遊ばせる。

 怪物化したことよりも、怪物にしてももっとファンシーなデザインが良かった、と。

 それでもある程度自由に動けるのが楽しいのか、さほど不満げでもない様子で。

 そんな子供のような態度を見て、メルトが目を細めた。

 

(―――プロテアの精神がある程度安定してる? 何を吹き込んだの、BB)

 

 渇愛のアルターエゴであるキングプロテアの行動目標は愛の探求だ。行動が愛を手に入れることに繋がらない限り、親機であるBBの指示にだって従わない。

 

 だとしたらBBはプロテアに何を言ったのだ、という話。とりあえず出てきて、相手の邪魔をするようなもぐら叩き。これが愛に繋がる行動なのだ、という説得が上手くいっているからこうなっているのだろう。そうでなければ彼女はこんな仕事はしない。

 

「お久しぶりです、ま・す・た・ぁ!」

「うん、久しぶり。悪いけど協力して!」

「はい、挙式の準備ですね! 運が良いことに結婚式場(ちゃあち)もそこに!」

「余を式場扱いするか! ダメだぞ、あれは余の専用である!」

 

 蛇のようにするりとアタランテの手から逃れ、立香に突撃する清姫。彼女はすぐさま巻き付くように、立香の腰へと抱き着いた。

 さっきは破廉恥とかなんとか言ってた気がするが、と胡乱げな眼差しを向けるアタランテ。

 

「まったく、いつも通りではあるが……」

「やっぱり同じような奴らが集まった集団なのね、カルデア」

 

 アタランテの呟きを聞き取り、自身も呟くメルトリリス。

 そんな彼女にアタランテが何とも言えない視線を向けた。

 

 そしてマスターとサーヴァントの間で打てば響くような言葉のやり取り。

 ネロも反応を挟めば、ローマ焼き討ち大鐘楼。

 まったく内容は意味不明だが、彼女たちは戦闘の準備を完了していた。

 

(とにかく、プロテアは今はいいわ。それより―――)

 

 弾き飛ばされて床に叩き付けられていた少女が体を起こす。

 頭痛を堪えるように頭を押さえながら、表情を歪めた様子での復帰。

 より深くなった憎しみに、少女は酷く目を吊り上げた。

 

「ああ……! 頭が痛い、頭が痛くておかしくなりそうなの……! 罰だっていうの? でも違う、違う、(アタシ)は悪いことなんてしてない……知らなかったの、知らなかったのよ。だって誰も……ここは狭いの、ここは暗いの……! いや、いや……! 出たい、出たい、出たいの! お願いだから出してよ、出して、ここは嫌――――ッ!!」

「エリザベート……!?」

 

 竜の翼が広がる。悲鳴のように吐き出され、拡大する雷の如き咆哮。音圧が物理的な破壊力を伴い、周囲を薙ぎ払っていく。

 すぐさま立香の前へ出て炎のブレスを吐き出す清姫。それに合わせ飛び出たシャルルが、竜巻を纏った剣を振るう。炎が渦巻き、ソニックブレスに対する壁となる。

 

「―――――」

 

 激突する音波と熱風。

 その衝撃を前にしながら、メルトリリスが目を眇めた。

 

「清姫、あの子は……」

「―――最初から狂っていました。いいえ、そもそもあの子の場合狂っていない状態の方がおかしいのでしょうけど。原因は分かりませんが、とにかくあれは正しく()()()()()()()()()()()なのでしょう」

 

 衛士(センチネル)になったから狂ったのではなく、狂っていたから衛士に選ばれた。

 相殺されて届かなかったブレスを見て、エリザベートは髪を振り乱し叫ぶ。

 

「なんで、なんでよ! なんで私の歌を聞かないのよ!? いいから聞きなさいよ! こっちが必死に、咽喉が枯れるまで叫んでるっていうのに……! 無視しないでよ! 私はここよ!? ここにいるんだから――――!!!」

「疑似勇士、召喚―――!」

 

 悲鳴がそのまま音波となり、こちらを爆撃する波動となる。

 それに対してシャルルが輝剣を並べ、防ぐことに注力し始めた。

 彼に並び、ガウェインもまた防衛線に。

 

 プロテアの動向に注意しつつ、メルトが背後のマスターを窺う。

 

(天体室のマスターの声。コフィンの中から二度と出られないマスターの悲鳴と同調しすぎたのね、エリザベート=バートリー。その上でKP(カルマファージ)まで投与された。完全に手遅れ、狂い死ぬしかないでしょう)

 

 暗くて、狭くて、光の届かない、誰にも声が届かない。

 そんな監獄の中から放たれた断末魔が、エリザベートを狂わせた。

 外的要因ではなく、彼女自身がそういうサーヴァントだから狂ったのだ。

 

 立香と清姫の様子から言って、前は味方に近しい存在だったのだろうが。

 理性など期待しようもない。もうどうしようもないだろう。

 

「砕くわよ、マスター」

 

 あれは敵だ。KPを持っているならなおさらの話。

 KPは全てで5つ。既に回収されたメルトが与えられていたもの。後はリップ、鈴鹿、エリザ、あとはまだ正体不明の誰か。プロテアが持っている様子はない。

 とにかく最終的には全て砕く必要がある以上、ここで確実に一つは砕かせてもらう。

 

 ―――敵はエリザベートとアナザーディケイド・キングプロテア。こちらは教会の護衛にはフィンを残してきたため、メルトリリス、シャルルマーニュ、ガウェイン、ネロ。そこに合流したアタランテと清姫。

 

「―――お願い、メルトリリス」

 

 メルトリリスの体が沈む。加速の前兆。

 それを理解して、即座にアナザーディケイドがその腕を振り上げた。

 少し迷った彼女は、メルトを追い切れないと素直に判断してマスターを狙う。

 

「アタランテ! 私をお願い!」

「了解した」

 

 立香と、ついでに彼女にくっついている清姫。二人の少女を抱えたまま、何ともない様子でアタランテが疾走体勢に入る。

 メルトリリスにアタランテ。プロテアの戦闘速度では追い切れない二人。それを目の前にして、キングプロテアは即座に判断を変えた。

 

「うぅー! ガオーッ!!」

 

 両手を振り上げ、やたらめったらに振り回す攻撃。狙いをつけても意味が無いなら、特に狙いをつけずに大質量を活かした乱暴なだけの戦法を。

 素直にそう割り切った彼女に対して、アタランテの腕の中で立香が叫ぶ。

 

「シャルル! ガウェイン! 何とか隙を作って!!」

「応とも!」

「了解しました!」

 

 下された指令に対して、二人の騎士が顔を見合わせる。そうして互いが意志を通じさせ、選ぶ方法はただひとつ。

 対するのは乱雑に振り回される腕。そのサイズと頑強さだけで絶対となっている、嵐のように吹き荒れる打撃の乱舞。

 

 二人は眼光鋭くその攻撃の軌道を確かに見極め、揃って割り込んで。

 正面から、その拳を打ち返す。

 

「オォオオオオオオオオオオオ――――ッ!!!」

 

 唖然とするほどの力業に対して、愕然とするくらいに力業で返す。

 ぶんぶん振り回される腕に突っ込んで、それを剣で殴り飛ばすという暴挙染みた行動。

 

 だが体のサイズという唯一にして絶対の強みだけで戦うプロテアが相手ならば通せる、と。二人の騎士はそう確信してタイミングを計って確かな瞬間に激突していた。

 

「ひゃ、わ、わ……っ!?」

 

 下半身は虚数の海の中。常に立ち泳ぎしているようなものだ。

 踏み止まる、なんて行為ができるわけもない。

 上半身まるごと振り回すような状態にあったアナザーディケイド。

 激突の勢いのまま、その巨体が激烈な勢いで押し返されてひっくり返る。

 

 ぶつかりに行った騎士二人も受ける衝撃の強さは同じだ。何とか相殺したものの、やはり無理があったのだろう。共に反動で壮絶な速度で弾き飛ばされていくシャルルとガウェインの体。

 あの二人を揃え、全力で激突させて、それでちょっと態勢を崩すのがやっと。すぐに立て直されるだろう。

 

 だから、彼らに指示したマスターとして―――その前にもう一手。

 

「ネロ、少しの間でいいから邪魔できないようにして!」

「言われると思って準備しておいたとも! しかしあのサイズ、本当に数秒だぞ! 暴れられたらすぐに崩壊する!」

 

 それ以前に相手がアナザーディケイドである以上、隔離という手段は効果が薄いだろう。だが相手は虚数空間に常駐し、そこからこちらに体を出している状態。一度虚数空間に戻り、またこっちに出直すという手間を強要できればそれでいい。数秒拘束できるならば十分だ。

 メルトリリスならばそれで決められる。

 

 そうなんでしょう、という視線に不敵に口元を吊り上げるメルトリリス。

 

 二人の間で一瞬だけ視線を行き来させ、ネロはうむ! と強く頷いた。

 振り上げられる白く染まった隕鉄の鞴、“原初の火(アエスティス エストゥス)”。

 呼応するように高まっていく魔力の渦。

 

「開け、黄金の式場よ! “招き蕩う黄金式場(ヌプティアエ・ドムス・アウレア)”!!」

 

 駆け抜ける白い花嫁衣裳。プロテアの効果範囲に入れるや、即座にネロが宝具を解放する。

 白く燃える剣の閃きに合わせ舞い散る薔薇の花弁。

 それが吹き抜けた先に現れる、豪華絢爛なるローマの誇り。

 

 それこそネロ・クラウディウスの生涯。

 劇場(ドムス・アウレア)に聴衆を閉じ込めた彼女の逸話が昇華したもの。

 

 更に劇場の現況は二転三転。気分によって改装に改装を重ね、劇場より式場へ。

 今ここに建築の極みは花嫁舞台に改装され、キングプロテアを一時隔離した。

 

 彼女にできるのは後、できる限り逃げられるまでの時間を稼ぐことであり―――

 

 と、そこで。ネロは衝撃に一時ふらついていたプロテアが、体勢を立て直してから逃げるでもなく、周囲をただ見回しているのを理解した。

 

「……む?」

「……ふぁー。いいなぁ、結婚式場だぁ……いつか、私もこんな場所で……でもここ、ちょっと私には狭いかな……」

 

 周囲は煌びやかな白と金に彩られた荘厳の式場。そこに囚われたキングプロテアは、アナザーディケイドのギラギラした緑の眼を、きらきらと夢見る少女のように輝かせ、周囲の風景へと馳せていた。

 天井が近い。外に体の半分しか出していない今のプロテアですら窮屈な空間。全身を出してしまったら、体育座りでもしてなければ天井を破ってしまうだろう。外に出た場合はid_esで成長して、より巨大になってしまうのでなおさらだ。

 

 それでも彼女はこの光景を、輝かしいものを見る憧れの目で眺めていた。

 

「―――ふっ、何を言うかと思えば。ここは余が造り上げた余の我儘の粋、黄金式場だぞ? サイズくらいそれなりに自由であるとも!」

 

 ここでならば、プロテアは何だか足を止めてくれるらしい。

 しかも彼女の式場を嬉しそうに眺めている、ときた。

 

 その事実に喜色満面な笑みを浮かべ、ネロは手にした剣は床に突き立てる。とりあえずできる限り、魔力を宝具へと割く。より広く、より美しく、より煌びやかに。彼女の意志で拡張していく花嫁空間。最高傑作に対するあの憧れの視線! 歓待せねばローマ皇帝の名が廃るというものだ。

 

 そうして、ギリギリ。ギリギリ自分でも入れるんじゃないか、というくらいにまで大きくなった式場。その光景を見て、プロテアは手を組んで嬉しそうに声を上げた。

 

「ふわぁああ……っ!」

 

 

 

 

 

 プロテアがネロに隔離された。この一瞬のうちにスタートを切る。

 目指すのは一直線、エリザベートを目掛けて。

 

「まずはひとつ……!」

 

 いかにKPで強化されていようとも、今のメルト全力の一撃なら砕くことは可能。

 プロテアという加速するのに邪魔な存在がいなくなったのなら、間違いなく一撃必殺だ。

 

 槍を握っていたエリザベートがその弾丸の飛来に目を見開き、息を吐き出そうとする。

 仮に音波が放たれたとして、その程度なら貫通してしまえる。

 この状況に入った時点でエリザベートは既に終わりだ。

 KPを与えられた衛士である以上、絶対に逃がすつもりもない。

 

「LAAaaaaaa――――!!」

 

 反撃のソニックブレス。

 周囲を揺らす破壊の振動は、しかしメルトに対してさざなみ程度の話。

 関係無しに彼女は加速しながら突き抜けて―――

 

 ガチリ、と。まるで時間が止まったように、疾走していたメルトリリスが固まった。

 ただの停止ではない。空間ごと凝結するような、しかし停止したメルト自身には意志が残っているというような、異常な状況が展開される。

 

「っ、タイムジャッカー……!?」

「―――“クラックアイス”……!? ヴァイオレット!」

 

 その行為に対し、立香とメルトリリスから違う者の名前が挙がる。

 果たして正しい答えは、メルトが口にした者の名であった。

 

 エリザベートの背後に、いつの間にか出現している長身長髪の女性。

 彼女は僅かに眉を顰めつつ、軽く眼鏡の位置を直す。あまり長居するつもりもないのか、更なるもうひとりに向ける口調は事務的ながら急かすような声。

 

「カズラ、手早く済ませてください。抑えきれませんので」

「はいはい、わかってますよー」

 

 声に応え、長身の女性に隠れるようにしていた幼い子供が姿を見せる。

 その姿を見た瞬間、メルトリリスの表情が酷く険しく歪んだ。

 メルトの反応を知ってか知らずか、幼女は微笑みながらするりと、事態についていけなかったエリザベートの背後に忍び寄り―――その後頭部へと、小さな腕を突き入れた。

 

「ぐげええぇ―――っ!?」

 

 おおよそ年若い少女が挙げるものとも思えぬ悲鳴。

 突っ込んで半秒、カズラドロップの腕が何かを掴んだ状態で引き抜かれる。

 手の中には何かの結晶。どこか禍々しさすら感じる力の塊。

 それを見た立香たちは、直感的にそれがKP(カルマファージ)であると理解した。

 

 引き抜かれたエリザベートは泡を吹き、そのまま床にずべたーんと倒れ込む。

 

「カズラドロップ……!」

「ごきげんよう、メルトリリス。相変わらず乱暴ですね、せっかく5つ揃って完璧なものであるKPを欠けさせようとするだなんて。やることなすこと感情的で考え無しの無鉄砲、AIにあるまじき行動原理です」

 

 嫌らしく、ニヤリと笑うカズラドロップ。

 それに対し、空中で固定されながらもメルトリリスが言い返す。

 

「同型機からのご高説、痛み入るわね。でもお生憎様、私という存在は私が望んだ完璧な在り方です。自分の出来不出来くらい、どこかの誰かが決めた正しいAIの在り方なんかじゃなく、私の美意識の中で決めさせてもらうわ―――!」

 

 空間が軋む。人型に圧縮された水の器とは思えぬ大質量。

 それを固定化しているヴァイオレットが、舌打ちを堪えるように口元を歪めた。

 

「カズラ」

「ふん、プロテア! ……どうしたのです、プロテア?

 ……ちょっと!? いったい何をしているのですか、キングプロテアっ!!」

 

 呼びかけても応えないサクラファイブ最大の魔人。その事実をもって、余裕綽々とばかりに表情を緩めていたカズラドロップの顔に、徐々に焦りが浮かび出してくる。

 このまま彼女が戻ってくる前に“クラックアイス”が容量オーバーしたら一巻の終わりだ。カズラドロップとヴァイオレットではメルトリリスと戦えない。

 彼女が虫空間を展開したところで、今のメルトリリスはそこに収まり切らない。ダムの放水をバケツひとつで受け止めるくらいの難易度。つまり物理的に不可能な話だ。

 

 当然、メルトリリスが動けるようになったら一直線にカズラに向かってくる。

 KPのこと、私怨のこと、理由には事欠かない。

 それを心底理解しているカズラのこめかみが引き攣った。

 

「はやく来なさい、キングプロテア―――っ!?!?」

 

 “クラックアイス”の拘束を水圧で捩じ切るような、空間の異音。

 ヴァイオレットが負荷に眼を細め、唇を噛み締めた。

 

 そろそろ本当にヤバい、という幼女の悲鳴。

 

 そうなってからやっと、巨人の腕がこちらの空間に戻ってくる。

 カズラとヴァイオレットを掴み取り、虚数空間へと引きずり込む巨大な腕。

 

 タイムリミットスレスレ。

 口元を引き攣らせたカズラと、呼吸を整えているヴァイオレット。

 二人を掴んだプロテアの腕が空間の狭間に消えていく。

 それと同時に消える時間停止の影響。

 

 空中で拘束されていた状態から解放されたメルト。彼女が華麗に着地しつつ、舌打ちを噛み殺す。ヴァイオレットの介入があると分かっていれば、津波にでもなって視界に収まり切らない侵略を仕掛けたものを、と彼女は口惜しげに眉を上げる。

 

 ―――“クラックアイス”。

 それこそが純潔のアルターエゴ、ヴァイオレットのid_es(イデス)。魔眼を発展させたチートスキルであるそれは、彼女の視界空間内の事象を全てを麻痺させる、一種の時間停止と言えるようなスキル。彼女が姿を消し、視線が消えたことによりその影響も消えたのだ。

 

 宝具の展開を止めて、通常空間に帰還するネロ。流石にプロテアが入り切る式場の維持は困難だったのか、魔力消費に息を荒くしている。

 

「む、ぅ……退いたか、うむ。外見はあれだが、あれでなかなか愛い奴であったな!」

 

 あの怪物の体で少女趣味を発露されるのはなかなか反応に困った。

 それはそれとして可愛い奴であったと。

 ローマ皇帝はそのように納得して、鷹揚に頷いてみせる。

 

 弾き飛ばされていたシャルルとガウェインもまた、こちらに帰還した。

 流石に正面からアナザーディケイド・キングプロテアとの殴り合いは堪えたのか、珍しく二人揃って僅かばかりダメージを表情に見せている。

 しかし気丈にも胸を張り、ガウェインはその一合で得た情報を語りだす。

 

「……やはり、ウルクで見たものよりは随分と能力は低いようですね。とはいえ、サーヴァント一騎や二騎でどうにかなる相手でもないですが」

 

 剣を握っていた腕を確かめつつ、そう口にするガウェイン。かつてのティアマト、ビーストⅡ、アナザーディケイド激情態と同等だったとすれば、二人とも更に無事では済んでいない。ウルクで会敵したあれは、いちサーヴァントに抗し得るものではない。

 だが今回のアナザーディケイドはそこまでではない。もちろん楽な相手でもないが、どうしようもないほどの存在ではないと言える。分かり切っていたことではあるが、改めて。

 

 そう口にした彼に対して、小さく頷いて口許に手を当てる立香。悩もうとした彼女はしかし、すぐに気付いた様子で倒れたままのエリザを見た。

 その反応を見て、名残惜しげに立香から離れた清姫が歩み寄っていく。

 

 うつ伏せに転がった少女をしげしげと見つめ、小首を傾げる清姫。

 

「清姫、エリザベートは……」

「―――生きてはいますけれど……もしもし、エリザベート?」

 

 一応備えとしてシャルルが痺れた腕をほぐすように肩を回しつつ、清姫の近くに控えに行く。

 

 扇子を畳み、その先端で後頭部をつつく清姫。

 そんな行動を続けて数秒。ぴくぴくと少女の頭が動き、竜の角が揺れ出した。

 酷く重そうに頭を上げて、枯れた声を絞り出すエリザベート。

 

「あうぅ……なに、ここ……? アタマ、痛い……アタシ、今まで何やってたの……?」

「―――――」

 

 扇子を引っ込め、何とも言えない顔で立香を見る清姫。

 彼女の態度に嘘が無い、というのはそれで分かった。

 エリザベートは完全に、ここがどこで、なにをしていたのかさえ分かっていない。

 

 メルトリリスが長い袖に覆われた腕を上げ、口元を覆うように触れる。

 

(カズラのid_es、“インセクトイーター”。性能にはBBが制限はかけてるでしょうけど……カズラがKPだけじゃなく、記憶まで持って行ったってこと?

 情報を渡したくないなら、エリザベートを処分してしまえばいいだけ。そもそも発狂したままならこちらも戦うしかない。そうなれば排除されるのは当然の流れ。だっていうのにわざわざ記憶を奪ってまで、生かされるように残しておいたのは―――)

 

 メルトがその解答に至ると同時、立香は声を上げた。

 

「とりあえず、一回戻ろう。清姫とアタランテに状況を説明したいし、エリザベートもこのまま放っておけないし」

(―――時間稼ぎ。排除する必要のないサーヴァントをこちらの手元に残せば、見捨てる判断をしない限り引き返すしかない。

 プロテアの出現がSE.RA.PH全土で好き放題に行われる以上、戦力の分散は悪手中の悪手。最終的に私以外のサクラファイブを同時に相手にしなきゃいけなくなった以上、戦力を各個撃破されかねない探索の仕方は取れないわ。

 効率が悪いと分かっていても、全員纏まってぞろぞろ動き回るしかない)

 

 時間稼ぎを目的としている以上、休息地である教会は壊さないだろう。あそこを壊されるようなことがあれば、こちらはイチかバチかの強行軍を仕掛ける以外になくなる。

 それをBBが望むかどうかというと、そんなことはないだろう。彼女にとってこの布陣は、あくまで時間稼ぎなのだ。

 

(ヴァイオレットとカズラドロップはBBにとっても、土壇場まで隠しておきたいそれなりの一手だったはず。それを使ってまでKPを守ったことといい、次の衛士(センチネル)まで作るつもり? 衛士を作り、相手をさせて、KPを回収して逃げて、こちらに衛士だったサーヴァントを保護させて帰還させる……なんて手間のかかった時間稼ぎかしら)

 

 それでも戦力が増える、というなら受け入れる他にない。相手にカズラ、ヴァイオレットが増えたというならなおさらだ。この形式でBBが時間を稼ごうとしているというのなら、彼女が想定した以上の速度で戦力を集めきるしかないだろう。

 

(BBの掌の上……いえ、殺生院? ううん、この違和感。もっと何か―――)

「メルト、行くよ」

 

 清姫をくっつけたマスターがそう言って振り返る。

 

 ネロから説明を受けているアタランテが、こちらの事を見ていた。どうにも微妙な視線なのは、メルトリリスに彼女が信仰するアルテミスの要素があるからか。

 先頭を行くシャルルマーニュと、エリザベートを担いだガウェイン。マスターたちは彼らに続いていく。その後ろを固めるように、メルトリリスも滑り出した。

 

 

 




 
 立香は観客、ソウゴは同業者。

 立香には特等席を用意する。
 ソウゴに自分の舞台を見せる時は立見席。
 自分がソウゴの舞台を見る時も立見席。

 そんな関係。
 


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不可侵領域2030/A

 

 

 

「それでわざわざ僕のところへ?」

 

 きょとんとした、間の抜けた表情を浮かべる青年。

 話を聞いたヘンリー・ジキルは目を瞬かせ、少年の言葉に困惑した。

 

「そう。ジキルはどうなってるかなって思ってさ」

 

 そんな相手の様子を気にした風もなく、ソウゴはじろじろと相手を見回す。

 不躾な視線に苦笑しながら、自分の様子を検め始めるジキル。

 

「どうなっているか、か。どうなっているかと言われると、まあ見ての通り“天声同化(オラクル)”の影響下にあるのは間違いないけれど……」

 

 そう言って軽く手を持ち上げるジキル。全身に纏わる彼らしからぬ強力な魔力の波動は、間違いなくカール大帝から与えられたもの。

 ヘンリー・ジキルは戦闘を得意としているわけではないが、これならばそれなりの戦力になるだろう。もっとも、流石にメルトリリスやパッションリップをどうにかできるわけでもないが。

 

 そうして自身を確かめているジキルから、メルトとリップは視線を外さない。そんな、襲われたらひとたまりもない少女たちに警戒されている事実を前にしても、ジキルの方にはさほど気にした様子もなかった。

 

「ジキルはカール大帝のこと、その“天声同化”のことどう感じてる?」

「うーん……そうだね、悪いものとは感じてないよ? 多少の思考誘導こそあれ、このスキルで引き出されているのが自分の意志なのは間違いない。

 頭の中に響いてくるのは自分らしく、生きたいように生きろ、という声。誰もがそう生きられたならこれ以上のことはないに違いない、という大望へと突き進む意志だ。積極的に否定するサーヴァントはあんまりいないんじゃないかな」

 

 だからほとんどのサーヴァントが大帝の声に従った。拒否権がないわけではない。ジル・ド・レェのように、自分と大帝の意志がそぐわない、と確信した者は効果から外れるくらいの自由がある。その上で、大抵のサーヴァントは彼に従ったのだ。

 そうであってほしい、という大帝が見せた選択肢に消極的賛成以上の意志を示したものだけが、“天声同化(オラクル)”の影響下に入るのだから。

 

「ジキルもそうなの?」

「それこそ見ての通り、そうでなければ“天声同化”に取り込まれはしないだろう?」

 

 これ見よがしにオーラを纏った四肢を軽く振るうジキル。

 へえ、とソウゴが頭を軽く傾げる。

 彼の様子にジキルは僅かに目を細め、眼鏡のブリッジに指を添えた。

 

 そんな彼の小さな所作に、少々離れた位置で見ていたメルトとリップが反応。

 彼女たちが少しばかり体に力を入れ、動けるような態勢に入る。

 

「ところでさ」

 

 ひりついた空気感。

 そんな中で変わらず、ソウゴは再び問いかける。

 

「ジキルにとっての自分らしい生き方、ってなに?」

「…………」

 

 ヘンリー・ジキルが停止する。眼鏡に指を掛けたまま、ぴたりと。

 

「良いとこも悪いとこも、善も悪もあるのが人間で、自分らしいありのままの生き方っていうのは、どんな形でもそれを受け入れることだと思うんだけどさ」

 

 常磐ソウゴは構えない。

 わざわざ戦闘に発展する以外にない内容に踏み込んだ上で、構えもしない。

 

 ヘンリー・ジキルにそんな“ありのまま”はない。

 彼はそれを否定したからこそ、【ジキル博士とハイド氏】となったのだ。

 

「ジキルはさ、どう?」

「―――――」

 

 答えなんて聞くまでもない。そういう質問を投げかけている。

 それをしっかりと理解した上で、ソウゴはジキルだったものからの返答を求める。

 

「本物のジキルなら多分、“天声同化(オラクル)”は受け入れないよね? 悪の部分を自分の“らしさ”だって認められなかったからこそのジキルとハイドなんでしょ?」

「―――――」

 

 瞑目するジキル。そうして無表情のまま、彼がかけていた眼鏡を外す。

 手にしたそのつるを指で潰して、床に落ちた残骸を踏み躙る。

 

 そうして次に瞼を開いた時には、彼の目は血のように紅に染まっていた。

 

「ご明察、ジキルの奴はさっさと消えちまったよ。そりゃそうだ、生まれ持った“自分”らしく生きられるんなら、最初からオレたちは分かれるようなことになってねェって話」

 

 自分の頭をぐしゃぐしゃに掻き乱し、整えていた髪を荒らす。

 きっちりと締めていたタイを緩め、彼は面倒そうに首を軽く回した。

 その変貌ぶりに呆れつつ、問いかけるメルトリリス。

 

「それでアナタだけ残った、と」

「ハ―――だってそりゃ、消える必要ねえからなァ。オレは最初からジキルの悪の部分、生まれた時から悪一色。わざわざ鏡に向かってこれは自分じゃない! なんて言うような自己否定主義の宿主サマとは違うんだって話」

 

 わざわざフリをしてたのにバレてたのも赤っ恥。

 めんどくせぇ、とエドワード・ハイドはメルトリリスを睨む。

 

 “天声同化”の強化込みで勝負にならない。もっと狂化、自己改造のランクが高ければ少しはマシだっただろうけれど。しかしその場合やはり自己矛盾で“天声同化”からは外れていただろう。あの矛盾を抱えていてこそのジキルとハイド、どちらに皿が落ちるにせよ天秤が傾き切った時、その存在は大したものではなくなるのだから。この場所は、ジキルとハイドにとって相性が悪すぎる。

 

「んで、会う前から分かり切ってたんだろ? なんでわざわざオレに会いに来るかね、おまえら」

「ハイドはカール大帝のことどう思うのかなって思って」

 

 胡乱げな表情でソウゴを見据えるハイド。

 

 懐からナイフを取り出し一突き、いけるか? 流石にキツい。

 鈍重そうな方はともかく、速そうな方のアルターエゴは警戒態勢。

 ハイドの速力では詰め切れないだろう。

 

「……アァン? 決まってんだろ、最悪だよ、最悪。オレの関係ないところでジキルを潰しちまうわ、挙句の果てに―――」

 

 そこでふと、ハイドは口を止めて空を見上げる。

 

「やめたやめた、何でオレがお前らにそんな情報恵んでやらなきゃならねえんだよ。いくらカール大帝が気に入らねえからってお前らに協力する理由もねえわ」

「そっか。でもカール大帝が目指してる目的はハイドがすごく気に入らない世界になることだ、ってのはよく分かったよ。ありがとね」

 

 不機嫌そうなハイドに対して、にこりを微笑みそう言い放つソウゴ。

 それを聞いて無言で数秒。

 ハイドは眉間に皺を寄せつつ、髪を乱暴に掻き乱す。

 

「あー……なんつーか。おまえ、さ」

「なに?」

 

 戸惑うような、少し逡巡するような。そうしたまごまごとした態度と動き。

 一体次に何を言い出すのか、と感じるそういう注意を引くような所作。

 それを数秒足らずの間しっかりと見せたハイドが。

 

「―――カール大帝と同じ系で、オレが大嫌いなタイプだわ」

「だと思った」

 

 手首が跳ねる。一直線、投げ飛ばされるナイフ。

 すぐさま守りに入ろうとしたメルトの前でしかし。

 ソウゴの両脇に緑と黒のユニットが出現し、それを阻んだ。

 

〈ダブル!〉

 

 既にウォッチを装填し、片手に提げていたジクウドライバー。

 そこに装填されていたダブルウォッチが輝くと共に出現したのが二機のユニット。

 メモリドロイドサイクロンと、メモリドロイドジョーカー。

 それに身を守られたソウゴはそのまま悠然とドライバーを装着し、一息に回す。

 

「変身」

 

〈仮面ライダージオウ!〉

〈サイクロン! ジョーカー! ダブル!〉

 

 弾き返されてきたナイフをハイドの手が握る。

 

 緑と黒、二機のメモリドロイド人型からメモリ型に変形。

 それを両肩に装備することで、ジオウがインジケーションアイが切り替わる。

 身に纏ったライダーの力、“ダブル”の文字に。

 

 相手にゆるりと手を向けて、ジオウ・ダブルアーマーがハイドに問う。

 

「さあ―――あんたの罪を教えて?」

「ヒヒヒ……! 人が犯すあらゆる悪逆こそが罪なんだろう? だがその罪こそが、このオレが何より愛するモノなんでなぁ。

 罪を愛することを罪だとするなら、オレにとっちゃあ罪も愛も同じもの。オレの全てがオレの罪さァッ!! ヒャハハハハハハハ―――――ッ!!」

 

 ハイドが加速する。気に食わなかろうと、“天声同化”の強化は万全に受けている。

 獣の如き疾走を開始したハイドに対し、メルトリリスが舌打ちした。

 

「もう気が済んだってことでいいのよね!」

「うん、これまで通り行こ―――」

「えぇええ――――っい!!」

 

 駆け巡るハイドに対し、パッションリップが腕を振るう。

 神剣の指を持つ巨大な黄金の腕。

 id_es関係なしにまともに喰らえばひとたまりもない、圧倒的の破壊力の一撃。

 

 当然、威力の代わりに鈍く遅いそれに当たるような真似はしない。

 そんなものに直撃でもすれば、あっさりと潰される。

 

 ハイドの戦闘力は高くない。ジキルが元からバーサーカーで呼ばれていれば話は別だったが、今の彼にあるのは自己改造の副産物である多少の頑丈さと速度。

 たったこれだけの武器で、怪物どもを相手にする必要がある。

 

(無理だろ)

 

 端的に結論する。

 勝てないのはいいとしても、どこも殺せないのがシャクに障る。

 じゃあこのまま無謀に戦って盛大に死ぬか、というと。

 

 狙いはマスターが変身していない時だった。

 一度離脱して姿を晦まし、寝込みを襲うように襲撃するくらいしかやりようがない。

 別に大帝から行動を縛られているわけでもない。こうなったからには―――

 

(いっかい逃げるしかねえか!)

 

 スピードだけならそれなり。

 必死こいて逃げればメルトリリスからも逃げられるはず。

 

 ここはそもそも彼の陣地、大帝に割り振られた彼のセクターだ。

 姿を隠すスペースを確保することくらいならば簡単だろう。

 一度身を隠し、その後ジキルに振られたアサシンのクラスらしく暗殺でも試みればいい。

 

 こっちだって関係無しに暴れられるバーサーカーが良かったのだ。

 このくらい目を瞑ってくれてもいいだろう。

 

 ハイドの足が床を叩く。明らかに逃げるような動き。

 対し追走していたメルトリリスがその軌道に目を細めた。

 

「悪ぃがここは退かせてもらうぜ!」

「悪いけどここからは逃がさないよ」

 

〈フィニッシュタイム! ダブル!〉

 

 ダブルアーマーの右肩、緑色のショルダーが黄色く染まる。

 放たれる幻想の力がジオウの四肢に力を与えていく。

 

「パッションリップ!」

「はい……! 逃がしません!」

 

 リップがソウゴの声を聞き、両腕を突き出して構える。その一瞬の溜めの直後、彼女の巨大な黄金の腕の手首から先が自切した。

 両の拳がまるでロケット弾であるかのように炎を吹き出し、推力を得て、ハイドに向かって飛来する。リップ本人の鈍重さとはかけ離れた攻撃速度に意表を突かれるハイド。

 

「なんだぁそりゃ!?」

 

 唖然としながらしかし獣のような男の足は止まらない。

 どうせ攻撃は一直線の素直な軌道。

 多少の軌道修正はきくだろうが小回りは利かず、反転などは大回りするしかない。

 だったらこんなもの、いとも容易く振り切って―――

 

〈マキシマム! タイムブレーク!〉

 

 ジオウの姿がブレる。右半身だけが分身し、ジオウの姿が二つに増えた。

 更に金色のエネルギーを纏った右腕は奇妙にも伸長。

 二本の右腕を鞭のように撓らせつつ、彼は一気呵成にその腕を振り抜いた。

 

 直進するリップの拳を横合いから叩くジオウの腕。

 それにより強引に軌道を変えられ、加速はそのままに乱れ飛ぶ破壊の鉄槌。

 金色の巨大な二つの拳と、金色の鞭のように撓る二本の腕。双方が一定空間内で乱れ飛び、ぶつかり合い、その場を強引に破壊の限りを尽くすピンボールに仕立て上げる。

 

 周囲を鉄槌と鞭が飛び交う地獄に囲まれて、ハイドが口許を引き攣らせた。

 

(隙をついて抜けそうな部分から突破! そうやって必死こいて外に出たタイミングで、もう一人のアルターエゴがグサリ! 最悪じゃねえか、クソが!)

 

 止まるハイドの足。

 周囲を跳ね回るのは破壊の鉄槌。その処刑監獄の外には徘徊する串刺し魔。

 彼の処理能力で突破は不可能極まりなく―――

 

 しゃらん、と。

 涼やかな音を立てて、その地獄の檻の中に白鳥が舞い降りた。

 黄金の拳と鞭が周囲に乱舞する戦場で、二人の加害者が対峙する。

 

「……逃げ道塞いで嬲り殺し。良い趣味してるな、共感するぜ」

「あら、そうなの? 同好の士っていう奴ね。でも残念、私が好きなのは一方的に相手を嬲ること。アナタもそうなのだとしたら、趣味を果たせるのはどちらか一人ということになってしまうもの」

 

 床を削る金属音。メルトの踵が轍を残し、ハイドに向かって加速する。

 対抗するべく突き出されるナイフ。

 魔剣ジゼルとナイフの凌ぎ合い、その結果は火を見るより明らかで。

 

 必死に受け流すハイドの手の中で、ナイフの刃がこぼれていく。

 

「さあ……! いくわよ、いくわよいくわよ――――!」

 

 愉しげに、加速を繰り返すメルトの蹴撃。

 調子が上がってきたとはいえ、未だに完成に程遠いメルトリリス。

 元より戦闘に優れているわけではないとはいえ、“天声同化”の後押しがあるハイド。

 戦闘速度はほぼ互角、ただし得物の差でハイドに勝ち目なし。

 

(どうにか逃げ果せるには……!)

 

 周囲に張り巡らされた破壊結界を擦り抜けるしかない。

 メルトリリスの攻勢に晒されながら。

 だがやらなければ死ぬだけだ。

 そう考えると、逆に分かりやすくて好感触ですらある。

 

 瞬時に覚悟を決めて、最後にメルトリリスと刃を交わす。

 砕け散るナイフ。その衝撃に合わせて、ハイドが後ろに跳んだ。

 そうして拳の飛び交う壁際で一度着地し、タイミングを合わせて更に跳ぶ。

 

(っし、抜けた―――!)

 

 その直後、鞭になった腕が拳を大きく弾き飛ばした。

 ハイドに向かって直線的に射出するようにだ。

 幾ら弾速が速かろうと、流石にそんな一撃は横っ飛びに躱せば十分で。

 

 咄嗟に横に回避行動した彼の前で、ガキン、という金属音。

 その音に反応して前を見れば、そこには飛んできた拳を腕に再接続した怪物。

 

 パッションリップが、飛行するバイクに乗せられそこにいた。

 ライドストライカーが纏うダブルの力。

 飛行(タービュラー)ユニットの力で空舞うマシンを足場に、リップが重々しく腕を振るう。

 

「ヒヒ、オイオイ……ありかよ、そんなの」

「潰れて、ください―――!」

 

 リップが手を突き出し構え、彼女の重量をライドストライカーが強引に動かす。

 逃げ出すために跳び回った直後の相手に、アクセル全開でぶつかりに行く。それは殴ることでさえなく、拳を持ち上げた状態での激突。鈍重なパッションリップが自身で動くのではなく、彼女を乗せた足場が推進することで移動速度を補った強引な手段。

 

「クソ、がァ……ッ!?」

 

 回避は僅かに間に合わない。

 直撃は避けれども、しかし肩へとぶつかっていく黄金の拳。

 

 その威力を受け、きりもみ回転しながらハイドの体は宙に浮いた。

 悲鳴を噛み殺しつつ、何とか姿勢を整えようとする。

 が、鳥ならぬ彼では空中で自由に動く手段など持っていない。

 

 そうして、ハイドが落ちてくるだろう場所に先んじて。

 メルトリリスが膝を曲げ、その(ヒール)を構えて。

 

 腕を引き、鎧を緑に戻したジオウがジカンギレードを握り。

 ギレードへとウォッチを装填し、半身を引くように構えた。

 

「……アナタに合わせるわ」

「うーん、まだ無理じゃない?」

 

 落ちてくるハイドへと意識を向けつつ、言葉を交わす。

 シンプルに提案を否定されたメルトリリスがカチン、と。

 その怒りを彼女は全て脚を動かすエネルギーに変え、体を沈めた。

 メルトリリスの言葉にさっくり返したジオウが、続けてギレードのトリガーを引く。

 

 ジオウとメルト、踏み込むのは同時。

 

〈フィニッシュタイム! ギリギリスラッシュ!〉

 

 怒涛の流水、メルトリリス。

 疾風の如く加速する疾走、ジオウ。

 互いに絞り出す全力の速度。

 

 ジオウの振るう剣閃が赤く明滅しながら軌跡を描く。

 瞬時に刻み込まれるのは(エース)の文字。

 同時に踏み出し、その脚を振るうメルトリリスが微かに口許を歪めた。

 

 一閃、足らず。

 

 地上へと叩き付けられる寸前に、ハイドを挟むように放たれる斬撃。それは速やかに彼から“天声同化”の加護を砕き、戦闘能力を奪い、霊核を撃ち抜いた。

 霊核(しんぞう)に突き刺さった毒針から広がるウイルスに溶かされながら、悪人は毒づく

 

「あぁ、クソ……! そこそこどまりサーヴァント相手に全力出し過ぎだろ、こいつら。なんて大人げねェ連中だよ、ちくしょう……!」

 

 潔く死ぬとかそういうのはジキルの担当。

 ハイドであるならば、死ぬ時まで必死に無様で命にしがみつく。

 であるならば、そうして悲鳴を絞り出すくらいしかない。

 

 どろりと溶かされ、メルトリリスの経験値になっていく。

 その意識が保たれている最後の一瞬まで、彼はぐちぐちと文句を並べ続けた。

 

 ―――戦闘を終えて、メルトリリスがヒールを下す。

 経験値こそ増えたが不満顔。

 空飛ぶバイクから恐る恐る飛び降りつつ、そんな同胞を姿を見てリップが首を傾げた。

 

「メルトのは一回足りなかったね。追いつけなかったんだ?」

「―――――」

 

 ハイドとの決着の一撃。

 ジオウはアクセルのウォッチを装填した剣で、圧倒的速度の剣撃を放った。

 その剣閃で“(エース)”で描く、エースラッシャー。

 

 メルトリリスは事前にそれに合わせると口にして。

 一閃、足りなかった。

 

 不満全開な顔を隠さず、しかし気にしていないという態度を全開にする少女。

 

「―――違うわよ。私は最初から(エース)じゃなくてΛ(ラムダ)を刻むつもりだっただけ、別に一手遅れて追いつけなかったとかそういうんじゃないんだから」

「うわあ! メルト、いますごく子供っぽい! そんなに悔しかったの?」

「子供っぽい? さっぱり分からないわね。ΛはつまりL、リヴァイアサンとして牙を剥いた証としてサインを刻むなら、一番それらしい文字でしょう?

 ねえリップ。私、何かおかしなこと言っているかしら?」

「……そっか、そうだね。うん。メルトの言う通りだと思うよ」

 

 リップが追及をやめて、生暖かい目でメルトを見る。

 

 その視線を受けて、眉間に皺を寄せるメルトリリス。

 まだ調子が完璧じゃないだけだ。

 ちゃんと回復していれば、絶対に自分の方がスピードは上だ。

 そんな思考を顔に出しながら、メルトリリスはジオウを睨む。

 

 彼は戦闘を終えたまま、腕を組んで考え事をしている様子だった。

 

「……何してるのよ」

「うーん……いや、やっぱいいや。その時になったらカール大帝に直接訊いてみる」

「……まあ、別にいいですけど」

 

 そうしてカール大帝に辿り着くためにもまだまだ戦いが必要なのだ。

 時間ギリギリまで攻めて、確実に勝利してみせる。

 

 

 

 

 

 こつこつと規則正しい足音。

 その足音がアルジュナのものだと理解して、カール大帝は玉座に預けていた背を起こした。

 目の前に現れた白衣の男を見下ろし、問いかける。

 

「どうかしたかね、アルジュナ卿」

「いいえ。ただの何も見つからなかった、という報告です」

 

 溜め息交じりに告げられる現状。殺生院はどこにも見つからない。

 よくもまあここまで隠れ通せるものだ。

 アルジュナ他、千里眼を持つアーチャーが複数捜索に参加しているというのに。

 

 そんな報告を聞いて大帝は鷹揚に頷くと、静かに微笑んだ。

 

「ふむ。アルジュナ卿らの視界にすら入らない、となればそれはただの隠形ではあるまい。

 恐らくは誰にも()()()()()()()に潜んでいるのだろう。いや、誰も()()()()()()()()()、かな? となれば、あちらから出てくるまでは打つ手なしだ」

「というと?」

「このSE.RA.PH(セラフ)における余の唯一の死角、ということだ」

「そのような場所があるというのですか、このSE.RA.PH(セラフ)に?」

 

 貴様はそんな余分を許す男なのか、という大帝への問い。

 その詰問に対して大帝はただ静かに笑う。

 元より余裕、というより無駄の多い采配ばかりであるが極まったか、と。

 責めるようなアルジュナの視線に対して、カール大帝は心外だとばかりに肩を竦める。

 

「余にとて踏み込めぬ領域、というものはある」

「―――……それはBBに好きにさせているセクター、という話ではなく?」

「そちらは踏み込む理由がないだけだ。必要であれば踏み荒らすとも」

 

 どこか物憂げな様子で、冗談を交えたような口調。

 それが嘘や誤魔化しではないと理解して、アルジュナが軽く眉を上げた。

 

「……もし奴めの潜伏先がそうであったとすれば、警戒しかできぬ。が、同時に余が健在である限りあちらも潜っている以外にないということ。全ては余とカルデアたちの勝負次第か」

「…………私たちはその戦いに水入りさせないように立ち回ればいい、と」

 

 そこまで口にして、アルジュナは一礼して踵を返した。

 そうして歩き出した彼はふと、もう一度振り返って彼に問いかける。

 

「……カール大帝、貴方はどちらを望んでいるのです?」

「無論、()()()()()()()()()を」

 

 返答は間もなく。一切の迷いなく、大帝は告げる。

 その晴れ晴れとさえした言葉の前に、アルジュナの方こそ黙らされた。

 

 

 




 
 天井叩きました。
 道中でローラン6、クリームヒルト1。
 もうちょっと割れてもええんやぞ。

 書けば出るとは何だったのか。
 殺してやるぞ天の助。
 


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繋がれた鎖-2655/B

 

 

 

 聳え立つ氷山。

 それは地上に聳えると同時砕け散り、吹き荒ぶ氷弾となった。

 氷の飛礫を存分に孕んだ吹雪。

 

 それを前にして、猫は丸くなるためのコタツを探す。

 当然そんなものはここにない。

 冷たい外気が猫の毛をひたひたに湿らせることだろう。死活問題。

 

「だがアタシが実はネコではなくイヌだとしたならば……?」

 

 エクセレント。猫ならば丸くなるところだが、犬だとすれば走り回る。

 猫と犬。静と動、光と闇、正義と悪、カツオとマグロ。

 その隠されていた二面性こそが、彼女の尻尾にしっとりとした潤いを保たせた。

 

 特に猫とか犬とか関係なく振るわれる両腕の爪。

 その斬撃が氷塊をバリバリに砕きつつ、獣はそのまま吹雪に向かって突進する。

 

「真実を見誤ったな。猫缶が猫缶足り得るのは封を開けるまで、開けてしまえばもはやそこには野性の本能があるのみなのだと知るがいい!」

 

 吹雪を遡り、逆襲してくる獣の突撃。

 それを撃ち放ったシャルルマーニュの顔が僅かに歪む。

 

「くっ、普段のアストルフォより何を言ってるか分からねえ……! あの十二勇士を率いるこの俺が置いてけぼりになるほどのとんちんかん! どうやらとんでもない強敵と出会っちまったようだぜ、マスター!」

「……負けないで、シャルル!」

「おう!」

 

 一瞬の間を置いてから飛ぶマスターの声援。

 それを背に、勇士は両手で聖剣を握り直した。

 

 猫の如く俊敏に、犬の如く猛烈に、狐の如く淑やかに。

 ジャッカルの貪欲さに倣い、タマモ族キャット科のサーヴァントが暴れ狂う。

 

 その両の爪から繰り出される意外にも理知的な剣筋、爪研ぎの極意を凌ぎつつ、シャルルは眉間に皺を寄せた。

 聖剣と打ち合うほどに研ぎ澄まされた猫の爪こそ狩人の証、野性の本能。

 

 四つ足の獣と変わらぬ機動と速度。それもKP(カルマファージ)で更に上乗せされた圧倒的なスピードとパワー。

 外見と発言にそぐわぬ凄まじい猛攻に、浮遊させている輝剣まで用いて対抗しながら、シャルルマーニュが歯を食いしばる。

 

 幾度か交差しつつ、正面から激突。剣と爪を鍔迫り合わせながら、顔を突き合わせるシャルルとタマモキャット。

 

「ワンとひと鳴き。こちらこそ共感を覚える相手と出会った感じがする感じ、これも奇縁というものか。よもやオリジナルから分かれ、数奇な運命を辿りつつも、やがて憎き大元を血祭りに挙げんとしている系アルターエゴ味のあるサーヴァントがこうしてひとところに揃い踏みとは……これは祭りか?

 お天道様が我らに言っているのかもしれん。本件は晴れのち曇り、ところによりにわか雨に要警戒。洗濯物は空気を読んで出し入れせよ、と。これはオリジナルであるというだけで本家本元を標榜している者どもを、我らが総力を持って誅殺せよとの思し召しなのでは?」

「―――いや。そんなことさせて誰に得があるんだって」

 

 鍔迫り合いの状態、その直上から降り注ぐシャルルの輝剣。

 当然のようにそれを躱し、バックステップで大きく距離を開けるキャット。

 

 追撃をかけるために刀身を燃やすシャルル。

 タマモキャットは一瞬躊躇し、しかし何となく躊躇を無視して即座に対抗。迸る呪力を炎と変えて、炎球を浮かべる。

 

 そうして両者が互いに撃ち放つ一撃。

 火炎を正面から激突し、周囲に爆炎と煙を乱舞させた。

 

 逆流してくる熱波の中、二人が睨みあったまま言葉を交わす。

 

「それに、別に今の俺はカール大帝と争ってはいないんだな、これが」

Why(にゃんと)?」

 

 呪術の行使にバチバチとスパークするキャットの毛並み。

 それはさておき。オリジナルからの自切、尻尾切離しからの自然発生であるタマモナイン。そんな彼女だからこそ目の前の少年王がどんな存在か何となく分かる。

 

 光と影、表と裏、出汁と灰汁。

 そういったものである彼はしかし、微笑んで剣を構え直した。

 

 ―――と、そこでシャルルがその場を飛び退く。

 

 直後にそこへ降り注ぐのは光の雨。

 剣から放たれた光弾が狙いも不確かに、乱雑に地面を叩いていく。

 

「っと……!?」

「ァアアア―――ッ! ロォオオマァアアアア――――ッ!!」

 

 その攻撃の下手人は空を飛ぶ馬車の上。

 閃光を放つ剣を手に、手綱を仕切る勝利の女王。

 

「ええい、あれもKP(カルマファージ)とやらの影響か!?」

 

 自身を狙う光弾を切り払い、剣を握り直し。そうして、制空権をとる白馬の戦車を見上げるネロ。

 ローマへの憎悪も露わに宝具を奮うのは、紛れもなく女王ブーディカに他ならない。彼女に執拗に攻撃されながら、ネロ・クラウディウスは眉を顰める。

 

「如何に余とローマが憎かろうと、普通ならそれなりに理性的に動くぞ、あやつは! 言葉すらまともに交わせぬほどに、ああまで狂化するものか!」

 

 これまでの情報から言って、カルデアに呼ばれていた事実のあるサーヴァントがここに再召喚されている場合は、カルデアのサーヴァントとしての記憶がある。であれば、あのブーディカもカルデアに召喚されたことのあるブーディカなのだろう。

 だというのにこの暴走っぷりは、何か余計なものをつけたされたとしか思えない。

 

 ブーディカの周囲の状況を顧みない空爆を防ぐのはフィン。彼は立香の前に立ちはだかり、完全に守り手としての行動に終始する。

 

「しかし厄介だ。空を自由に翔け、地上を爆撃する。攻め切るにも守り切るにも難い」

 

 ただ倒すわけにもいかず、しかし空からの絨毯爆撃が戦法では、守るにもどうにもやりづらい、と。

 倒してはいけない、という事実とは別に、そもそも攻略するには難しい布陣であると、フィンは苦笑しながら口にする。

 

 すぐさま空の戦車に向け、駆け上がろうとするメルトリリス。しかし彼女の動きに対し、アナザーディケイドは完全にマンツーマンの姿勢をとっていた。

 キングプロテアは滑るメルトリリスにはどう足掻いても追いつけない。だが空中の標的目掛けて跳躍する、というなら軌道に手を差し込めばどうにかなる。

 蚊を潰すように、蠅を叩くように、彼女にはメルトを弾き返すだけの力がある。

 

「邪魔しないで、メルトリリス―――!」

「邪魔をしているのはそっちよ、キングプロテア―――!」

 

 地上から天上に向け放たれる槍の如き突進。

 正確にそこへと手を差し込み、間違いなく弾き返す。

 

 ボールのように打ち返されて、着陸して踵で床を盛大に削るメルトが舌打ちする。

 突進力の勢いに大きく弾かれた腕の感覚を確かめるように、拳を二度三度握り締めてみせるプロテア。

 

 その光景を横目にして、シャルルがキリッと眉を上げる。

 

「我こそはフランク王国国王にして、ローマ皇帝シャルル! 女王ブーディカよ、その刃がローマへの隔意で固められたものだというのであれば、その切っ先はこの聖なる身に向けて振るうべきものではないだろうか!」

 

 輝剣の切っ先を空を征く戦車に向ける。

 が、ブーディカからの反応は一切ない。

 彼女は地上を駆け巡るネロに対してのみ、その意識を向けていた。

 

 示す相手を失い、ふらふらと揺れる聖剣の切っ先。

 

「ダメかぁ……俺じゃ王気(オーラ)とかローマポイントとか色々足りてなかったのかなー……」

「ローマポイント……?」

 

 失意のシャルルに問いかける立香の声。

 それを切り裂くように、手持無沙汰になっていたタマモキャットの再進撃。

 

「オリジナルからの出涸らしのつらいところなのであるな。それはそれとして手加減ナシでいかせてもらおう。

 昨今の食材ロス事情に心を痛めるキャットには、食材であればたとえ出涸らしであっても、一切の無駄なく食卓の彩りとして活かす心構えがあるのだワン!」

「俺も食材扱いか!? だとしたら活かそうとしてくれてありがとな! うん、無駄にするのはよくないからな!」

 

 構わず突進してくるタマモキャット。そちらに向き直り切り結びつつ、シャルルマーニュは頬を引き攣らせる。

 食材から礼を言われる。料理人が至る一つの境地に達し、タマモキャットは静かに頷いた。

 

「余の見たところ、なかなか筋が良いとは思うのだがな!」

 

 ネロが降り注ぐ光の雨を捌きつつ、軽く息を吐く。

 ローマポイントの話なのだろうか。

 彼女が認めたということは高いのだろう、シャルルのローマポイントは。

 

「サンキュー、先輩皇帝……ネロ先輩! だが大帝的雰囲気じゃ足りないってんじゃあ仕方がない。こうなったら気合とかそういうアレを総動員にして正面突破だ! マスター、頼む!」

 

 ブーディカとタマモキャット、そしてキングプロテア。

 この構えに対して、立香たちは既に一度撤退を選ばされていた。

 

 メルトリリスの抑え、かつ行動全てが範囲攻撃のプロテア。

 地上を自在に駆け巡るニンジンを求める馬の如きタマモキャット。

 戦車によって空中からの攻撃に終始する女王ブーディカ。

 

 この陣容を打ち崩す事ができず、彼女たちは一度撤退している。

 

 当然その後休息を挟み、今回の交戦は二度目。

 またの撤退は御免被りたい。

 そのためのサーヴァントからの要求に対し、マスターが頷き振り返る。

 

「ここでお願い! フィンも!」

「心得た!」

 

 指示の声に鐘が響くように了解を返し、フィン・マックールが前へと出る。では守りを固めていた彼の代わりは誰が、と。

 

「―――ええ、秘密兵器ね?」

 

 楽しげに揺れるドラゴンホーン。リズムに躍るドラゴンテール。

 そのカラーは正しくビビット&ブラッド。

 ステージを歩むようにステップは軽やかに、ライトに照らされているかの如く堂々と。

 

 状況を見てお出しされたカルデアの秘密兵器こそ、この竜の娘。

 ランサー アイドルのサーヴァント、エリザベート=バートリー。

 

 手にした槍、監獄城チェイテを揺らしながら少女は前に出る。

 そのままぐるりと一回し、穂先を床に突き立てた。

 

 彼女の背後に展開される巨大な城。血色のステージ開城、歌姫エリザの輝かしい拷問監獄リサイタルの幕開けだ。

 

 と、そうして展開された城に向かって跳び上がるシャルル。

 代わりにキャットを抑えるべく、前へと進出してくるのがフィン・マックール。爪を立てる相手が剣から槍に代わり、その清らかなる水遣いを前に毛並みの心配でキャットは表情を曇らせた。

 

「防御お願い、エリザベート!」

「え、歌うんじゃなくて? 子ジカ? 防御って言われてもアタシ、いま槍は手放して―――」

 

 歌う気満々でのステージ開場。だが要求されるのは下準備。

 飛来する空からの流れ弾の迎撃であった。

 

 チェイテを展開すべく槍を床に突き刺しているエリザベート。つまり彼女にはいま、メインの武装がないわけで。それでもなお彼女に任せると言い放ち、立香は駆け上がるシャルルを見た。

 

 そのスパルタぶりに口許を引き攣らせつつ、こうまで一任されてしまって仕方ない。KPとやらで苦しめられてたところを助けられたらしいという恩もある。やれなければ女が廃る、アイドル活動廃業の危機というものだ。であれば仕方ない。

 エリザは己の竜尾を振り回し、流れ弾を打ち返す姿勢に入る。

 

「ええい、仕方ないわね! アタシの鱗に傷がついたら責任とってもらうんだから!」

 

 城壁を踏み締め、駆け上がるシャルル。城の上から空中の戦車に飛び込むつもりの力技。

 その成功率を上げるため、地上のネロが足を止めて攻撃の撃墜に専念。標的の動きが小さくなったことで、移動が最小限になった戦車を目掛け、シャルルマーニュは狙いを定める。

 

「む、チェイテ城(スピーカー)を足蹴に目標目掛けてイヌまっしぐら。なかなかにヘヴィでメタルなビートを刻む。

 だがその突撃が成立するのはこちらに怪獣がいなければの話。城にタワーに神社仏閣、観光名所であればあるほど怪獣に壊されるがならわしみたいなところがある、という点を見落としてよう。画竜に点睛を加えるが如く、怪獣の活躍を描く上でいい感じの建造物は爆砕されるのが世界に定められた理なのだな」

 

 タマモキャットの言葉を自分への指示と受け取ったプロテア。

 彼女は一瞬体を反らして、大きく息を吸う。直後、それをブレスとして解き放った。

 

「がぁ―――――ぅおおおぉ――――――――ッ!!!」

 

 指向性を与えられた大音量、エリザベートのお株を奪うソニックボイス。水の器を吹き散らしかねない突然の大嵐に、攻めあぐねていたメルトリリスが耐えるための停止を余儀なくされる。

 

「っ、この……!」

 

 そうしてメルトリリスを封じた勢いのまま、彼女は今度は腕を振り上げていた。狙いは当然、屹立する監獄城チェイテ。

 開いた距離的に拳が掠める程度の軌道だが、プロテアのパワーをもってすれば十分な威力。チェイテ城を瞬く間に倒壊させるだけの力はある。

 

「がおぉーう!!」

 

 全力跳躍の姿勢に溜めに入ったシャルルは動けない。その予備動作が完了する前に、アナザーディケイドの拳は城を破壊する。

 怪獣なのだから城のひとつやふたつ、ちょちょいのちょいだ。

 

「で、あるならば、だ!」

 

 光の雨を捌きつつ、ネロが大きく声を吐く。

 怪獣が暴れたからには著名な建築のひとつのふたつ、壊してしまうのが道理だというのなら。断腸の想いで、皇帝ネロが再び己の式場を開門した。

 

 強引に取り込む対象は当然の如くひとり。今まさに腕を振り抜く姿勢にあった、アナザーディケイド・キングプロテア。

 

 展開される“黄金式場(ドムス・アウレア)”。神々しく輝かしく、黄金と純白に彩られたチャペルが、姿を見せると同時に―――怪獣の裏拳で爆砕される。

 

 弾け飛ぶ聖なる空間、女の子の夢の花園。

 瓦解していく美しかった光景。

 

 世界を完全に破壊され、ネロの宝具は当然のように終了。

 一秒足らずの隔離はしかし、最大限の効果をもたらしていた。

 

「ひぃゃああああ―――――!?!?」

 

 自分が壊したものに思わずびっくりして、引っ繰り返るプロテア。巨体が虚数空間へと転がり込んで、腕だけ残したまま上半身が消える。

 そのAIらしからぬあんまりにもあんまりな様子に、BBは一体この子に何を吹き込んだんだとメルトの顔が軽く引き攣った。

 

 下でそうした展開をしている中、シャルルの脚がチェイテの尖塔を踏み締めた。発生する爆発的な加速、戦車を目掛けて飛行する白銀の騎士の姿。

 

「ムムム、よもや届くか! しかしそれでは―――!」

 

 タマモキャットが巧妙にフィンを捌きつつ、メルトの方へと目を配る。できる女はフォローも巧い。プロテアが隙を晒した分、メルトリリスの飛翔を阻むための位置取りは欠かさない。

 

 KP(カルマ・ファージ)を真っ当に砕けるのはメルトくらいなもの。他のサーヴァントでは宝具を使ってどうか、というようなレベルの頑強さ。

 シャルルマーニュであれば可能かもしれないが、しかしKPを砕くということは―――

 

(女王ブーディカは味方のサーヴァント、のはず。KP(カルマ・ファージ)さえなければだが。けど普通にやったんじゃあ女王の中にあるKPだけを切り裂く、なんて芸当は無理だ。じゃあ諸共に彼女の霊基を切り捨てるのか、なんて……考えるまでもないよな)

 

 微笑みながらシャルルマーニュがブーディカの戦車に着弾する。

 震撼する空を舞う車体、嘶く白馬。それを手綱捌きで体勢を立て直させながら、ネロだけを見ていた女が顔を上げた。

 

 交錯する勝利の女王と聖騎士の視線。

 

「なんだ……!? お前もローマか―――!」

「さっき言ったと思うが、おうとも! 一応はローマ皇帝! 一応はカール大帝! しかしてその実態は、放縦の遍歴騎士シャルルマーニュ! 今は藤丸立香のサーヴァントだ!」

 

 手綱を手繰り、体勢を整えて。

 ブーディカが光弾を放っていた剣を翻し、シャルルへと向けた。

 同時に、少年王は背後に手をやり輝剣の一振りを引き寄せる。

 掴み取ったそれと、ブーディカが振り上げる剣。

 

 二振りの剣の衝突を前にして、シャルルマーニュは快活に笑う。

 

「後先考えなきゃいけない状況なのは百も承知! だが目先の一つを救うのに必要だっていうのなら、後から訪れる九十九の問題のための看過、温存、我慢、そういった必要な事がさっぱり頭から抜けちまうのが我ら聖騎士(パラディン)! いみじくも十二勇士のトップを張る男、遍歴騎士シャルルマーニュの頭の出来、とくと見るがいい!」

「―――お願い、シャルルマーニュ!!」

 

 令呪が弾ける。特別な意味のない、魔力の大規模供給。

 それに指向性などなく、奇跡のための術式はなく、ただの燃料であるだけで。

 

 ―――だが、厳然たる事実として。

 背にした主から勇士に向けて放たれた、意味のある祈りである。

 対価として捧げるには、きっとこれは安くない。

 

「さあ行くぜ、“不毀の極聖(ローランのつるぎ)”! 太刀筋のみで届かないなら、足りない分は奇跡をもって埋め立てる! マスターの祈りで足りないというなら上等だ、この俺からも好きに持って行け。一度やると言ったからには、なんとしてでも成し遂げる―――!」

 

 “輝剣(ジュワユーズ)”がカタチと輝きを変え、白銀の聖剣の姿を見せる。けして毀れぬ不壊の刃、十二勇士ローランが手にした、捧げた対価の分だけ奇跡を起こす聖なる剣。

 それは“約束されざる勝利の剣(ソード・オブ・ブディカ)”と真正面から激突してなお、ブーディカの中にあろうKPを切り裂かんとするほど、磨き上げられたように煌めく白刃。

 

 それが、女王へと振り抜かれる前に。

 

「……事情も構わずやりたい放題してくれますね、あなたは」

「―――っ!?」

「ってぇい……!?」

 

 まるで蛇が這うように戦車上へと姿を現す、焦燥気味な女の姿。

 彼女は登壇するや否や、即座に魔眼の力を解放。

 id_es(イデス)“クラックアイス”は過たずに行使され、激突寸前の二人をその場で停止、凍り付かせた。

 

「ちくしょう、横入りか……!」

「ご安心を、KPを回収するだけですので。カズラドロップ」

「はいはい、分かってますよ」

 

 決まり切っていた作業をこなすように、カズラはブーディカの後頭部に指を添えた。

 凍り付いた時間の中で、ブーディカはその動きに対応できない。抜き取られるKP。その衝撃にがくりと揺れて、女王は糸の切れた人形のように意識を飛ばされた。

 

 彼女を突き動かしていたKPが回収され、カズラドロップの手に渡る。それを見た瞬間、メルトリリスが大きく体を撓ませた。

 

(ヴァイオレットとカズラは上。今この瞬間なら、あのネコモドキのKPの回収は出来ない―――全力で、貫く!!)

 

「む!」

 

 フィンを退けたタマモキャットがその気迫に反応する。だが反応したところで意味はない。今のメルトリリスが全霊を注ぐ、と思考した以上追いつけるものはこの場のどこにもいない。

 対応する余裕もなく、キャットには節分で魔除けにされるイワシの頭のように串刺しにされる未来が待っているのだ。

 

 メルトの踵が床を踏み切る。圧倒的、絶対的な初速から更に加速。もはや光の矢の如く、彼女は標的に向かって突き進み―――

 

 キャットの前に広がる銀色のカーテンの中に突っ込んだ。

 

「な―――」

 

 銀幕を突き抜ける。最高最速のスピードのまま、彼女は狙ったキャットとは見当違いの方向へと吐き出されていた。

 急ブレーキをかければ、銀色の足が床を軋らせ火花を散らす。

 

「アナザーディケイドの力……!」

 

 立香の声を聞き、今の現象がプロテアによるものだと知る。

 そうしている間にも、再び上半身を表側に生やしてくるアナザーディケイド・キングプロテア。

 幾度となく立ちはだかる防壁。その巨体に対して、メルトリリスが苛立ちのままに吐き捨てた。

 

「プロテア、アナタ……! そっちに協力して、アナタの欲するものが手に入るつもり!? BBに何を言われたか知らないけれど―――!」

「ううん、おかあさまには何も言われてないよ?」

 

 首を傾げる巨人。

 虚を突かれ、目を丸くするメルトリリス。

 

 そんな彼女の下方に、いつの間にか移動しているヴァイオとカズラ。彼女たちが有無を言わさず、タマモキャットからもKPを奪い去っていた。

 その影響か、びたーん、と床に転んでそのままごろごろと喉を鳴らし、すやすやお昼寝タイムに突入するタマモキャット。KPを抜き去った下手人であるカズラですら、何だこいつ……という顔をしているので、快眠されるのは流石に想定外の反応なのかもしれない。

 

 既にKPを奪われ解放されるとともに、完全に意識を失ったブーディカを抱え、シャルルが何とか地面に降り立つ。

 

 そんな相手たちを前にして、アナザーディケイドは胸の前で指を絡ませ手を組んだ。

 

「―――わたし、愛が欲しいの。愛、愛、愛……そうやってふわふわしていたら、いつのまにかこの怪獣になっていて。それでね、わたし、愛がそこにあるって知ったの!」

「はぁ?」

 

 アナザーディケイドの全身が沸き立つ。どういう理屈か知らないが、コントロール不能の暴走機関であるキングプロテアはいま、目的と行動が一致しているのだという。

 その事実こそが、彼女にこれだけの制御の行き届いた行いをさせている、と。

 

「いちど繋がったらね、愛って切れないんだ。愛を欲しがるわたしを我慢させるための鎖だけど、それはずっとずっと結ばれたまま、どんな遠いところまでも伸びてくれるの。わたしがどれだけ寂しい場所にいても、ずっと繋がってるんだ。

 わたしに結ばれた、わたしを止めるための鎖は全部、わたしのことを想ってくれてる愛でもあるんだよ!」

「―――――」

 

 どうにも面倒そうな顔のカズラ。

 どことなく何か言いたげなヴァイオレット。

 そんな二人の頭上に出現している巨人は、嬉しそうに叫ぶ。

 

 一応相手の布陣は崩せたが、やはりKPは砕けなかった。強引なまでに行われるKPに対する防御。それを達成させるために全身全霊を尽くすキングプロテア。

 

 宝具を砕かれ、魔力をほぼ切らしたネロがその巨神を見上げる。

 

(アナザーディケイドの力を通じ、ティアマト神の思考と共感した……? というより、これはむしろ―――)

 

 下がりつつ、背後に立香とネロ、ついでにエリザを庇うフィン。

 彼は槍を軽く回し、ヴァイオレットの視線に留意しつつ思考する。

 

(ティアマト神を縛りつけた、キングゥの影響を受けているように見える。なるほど確かに、彼女に足を止めさせたキングゥの感情は、子が母に向ける親子の愛と呼べるものと考えられなくもないが……)

 

 ―――どうあれ、キングプロテアが確固とした行動方針を持っているという事実に変わりはない。その精神性の幼さこそが付け入る隙になる筈のこの怪獣は、余人には理解できない理論でもって確かな行動理念を獲得していたのだ、と。

 

 それを理解して、メルトリリスが歯を食いしばる。

 

(あの思考が理性的かどうかは議論の余地があるでしょうけど、プロテアがあの子自身の定めた道徳に従って、理論的に動くことに変わりはない。なんて面倒な……!)

 

 むんむんと全身に力を漲らせるプロテア。そのやる気まんまんな様子を見て、ヴァイオレットは溜め息交じりに指で眼鏡の位置を直す。

 

「それくらいでいいでしょう、今回はここまでです。退きますよ、キング……」

 

 彼女の言葉が終わる前に、プロテアがいきなり動き出す。

 思い切り振り抜かれる巨神の腕。

 その衝撃に耐えるヴァイオと、踏み止まりきれず転がるカズラ、

 

「ちょっと、プロテアぁっ……!? なにを……!?」

 

 ガキン、という耳障りな金属音。カズラドロップの悲鳴を塗り潰す盛大な音が響く。二人を守るように置かれたプロテアの手に激突したのは、剣が歪んだような鏃。

 弾かれて床に転がった攻撃の証拠を見て、ヴァイオレットが眉を顰めた。

 

「狙撃―――?」

「いいえ、襲撃です」

 

 二人を攻撃から守るため、覆うように動いたプロテアの手。だがそれで完全に覆い隠せているわけではない。

 プロテアの手という壁に阻まれない、アルターエゴ二人を見下ろせる空の一角。そんな場所から、状況の把握が遅いとばかりに声が降り注ぐ。

 

 プロテアの巻き起こした突風の中、まるでそこが無風であるかのように空を舞う騎士の姿。赤い髪を靡かせながら、彼は優雅としか言えない所作で手にした弓の弦に指を這わせた。

 

 上空からの声に反応し、魔眼を開きながら見上げようとするヴァイオレットの動きは、しかし騎士にとっては遅いもの。

 彼の指は既に弦を奏で、突風を突き抜ける音の刃となって放たれていて―――

 

「退き、ます!」

「きゃあああああ―――っ!?」

 

 その刃が届く前に、ヴァイオレットとカズラドロップの足場が銀色に染まった。落とし穴に落ちるように、敷かれた銀幕に落ちていく二人。魔眼の過負荷に顔を顰めるヴァイオと、立て続けの移動に悲鳴を上げるカズラ。両者の姿が瞬く間に消え去る。

 続けて、プロテアもまた体を虚数の海へと潜らせていった。

 

 何もなくなった場所を切り崩す音の刃。

 それを見届けて、眉を寄せつつふわりと着地を決める弓の騎士。

 その顔に覚えがあって、立香はつい彼の名を口にした。

 

「円卓の騎士、トリスタン……」

「―――私のことをご存じのようですね。サーヴァントが集団で組み、アルターエゴたちと戦っている……カルデア、という組織のマスターということでよろしいでしょうか」

 

 首肯して返す。

 彼はその答えに一度頷くと、周囲の状況を見回した。そこでアルターエゴであるメルトリリスに目を留め、酷く難しい顔をして。

 

「お、ガウェイン卿に続きトリスタン卿まで! 流石は円卓の騎士、この状況でもその技巧に曇りなしだな!

 俺はシャルルマーニュ。まあ色々と呼び名はあるが、シャルルと呼んでくれ!」

「シャルルマーニュ、あの聖騎士帝が……? それにガウェイン卿まで……?」

 

 アルターエゴに対する視線を外し、彼はより表情を難しくした。

 視線を向けられていたメルトリリスは気にした風もない。

 彼はそこで数秒を悩み、改めて口を開いた。

 

「―――いえ、とにかく私たちもこの狂った状況を打破すべく動いていた者。よろしければ、情報を共有……いえ、こちらから協力を申し出たいのですが」

「私たち、とな?」

 

 エリザに支えられたネロが不審そうな顔をする。

 では先程の初撃、プロテアに防御を行わせた狙撃は、トリスタンが舞い上がるために行われた、別人によるものだったということか。

 

 トリスタンは無言で頷いてから振り返って、その連れのサーヴァントがいる方へと閉じた目を向けた。

 

 そこにいたサーヴァントは酷く黒く染まった一人の男。真っ当な英霊とは思えぬ、どこか歪になった何者か。

 彼は狙撃姿勢から立ち上がりつつ崩れた狙撃銃を捨てて、白濁した目で失笑した。

 

「カルデアに協力、か。まあいいんじゃないか、それで。相手は化け物揃い、ゲリラ戦でやれることなどたかが知れていることだしな」

 

 勝手に行動方針を示したトリスタンに対してそう言って、男はどうでもよさげに肩を竦めてみせた。

 

 

 

 

 

 ―――戦果、と言えるものはブーディカとタマモキャットになるのか。その上、アーチャー二人が協力してくれることになった。

 状況だけ見れば、順調と言って差し支えないと思う。そろそろ時間も差し迫ってきて、管制室に向かいたいところであるが。

 

「ほんと、ごめんね。手間かけさせちゃったでしょ……ネロもノックアウトみたいだし」

「大丈夫だよ、ブーディカが仲間になってくれたんだからすぐに取り返せるもん」

 

 休息のための自室のベッドに腰掛けつつ、ブーディカと言葉を交わす。なぜかベッドの下には清姫がいるようだが、まあいいか。それが彼女にとって最大の休息であるならば、邪魔することもない。

 

 ネロは流石に宝具粉砕によるバックファイアか、魔力の損耗が激しくすぐには動けないだろう。改装改築自由自在の建築宝具であるから、壊されても完全に失われることがないのが不幸中の幸いか。

 

 だがネロが戦えない分、ブーディカたちのみならず強力なアーチャーの協力を取り付けられた。ネロ無しで攻略戦に移っても問題はないだろうか。あるいはアナザーディケイドに対しある種の有利を取れるネロの快復を待つべきか、だが残り時間を考えると―――

 

 そうやって頭を回していると、ベッドの隣に座ったブーディカの手が伸びてくる。頭のてっぺんに添えられて、軽く撫で回すような所作。

 

「ブーディカ?」

「ううん、頑張ってるなぁって。あたしじゃマシュの代わりにはなれないけど、少しは守ってあげなきゃね」

 

 頭を撫でていた手に少し、力が加わった。

 こてん、と立香の体が倒れて頭はブーディカの膝の上。

 そのまま動き続ける頭を撫でる掌。

 

 不満げなオーラがベッド下から這い上がってくる。が、空気を呼んで邪魔をしないのか、母性からくる行動ならセーフなのか。

 とにかく、清姫は特段の動きを見せぬままにその状況は続く。

 

 こうされていると、眠気が沸いてくる。

 もうちょっと考えなきゃいけないことがあったのに。

 でも抜け出すような気分にもなれず―――

 

 ひとつだけ。

 

「……ねえ、ブーディカ」

「なんだい?」

 

 寝かされたまま、頭上のブーディカに問いかける。

 返ってくるのは優しい声。

 だが生憎、質問の内容は切羽詰まった話だ。

 

 前の戦い、敗者によって仕組まれた決戦の舞台を追想する。

 あの時は勝者は勝者に、敗者は敗者にしかなれないような舞台を、意図的に仕組まれていた。だから、それだけで判断することはできない。けれど―――

 

『―――能力的に隕石に干渉できる、君たちの戦力となり得る駒は実はもう一騎いる。

 が、彼はこの天秤がどちらに傾くかという争いには参戦不能だ。

 根本の部分が敗者側だからね、彼は。この状況での乱入はむしろ君たちを更に不利にする』

 

 あの時、モリアーティが引き合いに出せる、立場が浮いたサーヴァントは一騎しかいなかった。自分たちが新宿に到着するや否や、攻撃を仕掛けてきた狙撃手のアーチャー。

 ―――顔こそ合わせていないが、あの黒いアーチャーと間違いなく同一人物。

 

 そして彼は、あのモリアーティがその意図に組み込んでしまうような、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「この事件を……()()()()()()()()()、としたら何が一番速いと思う?」

 

 だから問いかける。

 おおよそ、答えは分かっているけど。

 確信と言えるものが欲しくて。

 

 彼女の口調からその意図を読み取り、静かに表情を険しくするブーディカ。彼女は数秒間を置いて、確かな答えを口にする。

 

「―――それは、この事件を正しく解決するわけではなく、ただ終わらせるためにはってことだよね? なら簡単。()()()()()()こと、でしょう?」

 

 同じ結論を得て、立香が息を吐く。

 

「SE.RA.PHが深海を沈降していられるのは、どうしてかこの場が電脳化しているから。この電脳化を解除すれば、SE.RA.PHはセラフィックスに戻って現在地における水圧の影響を受ける。そうなれば全部ぐしゃぐしゃに潰れておしまい、ってことになるんでしょう?」

 

 ……そう。一切何も考慮せず問題を消失させるには、それが一番速い。被害も犠牲も考えず、発生してしまった問題を処理するならば。

 

 だからこそ、これが目的なのだと確信できる。あのアーチャーは事件の解決を目指している。何もかも、綺麗さっぱり片付くような方法で。

 

(……モリアーティとバアルが整えた特異点ほどじゃないにしろ、そういう性質のサーヴァントだっていうのは変わりがないと思う。だから、アーチャーの目的はそれで間違いないはず。SE.RA.PHをこのまま放置すれば問題が大きくなるから、手遅れになったものとしてセラフィックスを破壊する……)

 

 力を抜いていた拳を握る。

 ピンチだ、BBたちだけではなく、目指す解決法を異にする存在まで引き込んでしまった。

 

 だけど。

 だけど、カルデアのマスター藤丸立香。

 

 ―――自分たちは、いつだってそうだっただろう?

 

(アーチャーの行動、これは指針にできる。明確になっている情報があまりない私たちにとって、一点そこを目指すアーチャーの行動っていう情報はいっそ利点にすらなる。

 彼がセラフィックスを水圧で潰すには、SE.RA.PHの電源を落とさなきゃいけない。たぶん彼はその目的に近付くために私たちの仲間になった。私たちを利用すれば、電源に近づく足がかりになる程度の情報は持ってるってこと。

 だったら私たちは、アーチャーときっちり行動を共にした上でSE.RA.PHの電源を守り抜いて、なおかつコントロールを手に入れてこの事件を解決する―――!)

 

 自分たちのやり方。今までの、自分たちの戦い。

 それをここでもやり通す覚悟を決めて、方針を定める。

 そうして心を奮い立たせていれば、しかし。

 

 頭を撫でるブーディカの手の動きに導かれ、立香は微睡みの中に落ちていった。

 

 

 

 




 
まともに喋らせたくないサーヴァントトップ級、タマモキャットの参戦です。
んにゃぴ…
 


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狂獣乱戦1783/A

 

 

 

 ギャリギャリと音を立て、銀色の踵が滑る。

 穴だらけに荒げた床の滑り心地の悪さに、メルトリリスは舌打ちした。

 そうした態度を取りつつ、対象からは視線を切らない。

 

 目の前に立つのは漆黒の鎧。

 頭頂部にある群青色の兜飾りが、衝撃に大きく靡いている。

 その原因は彼が両手に握る破壊のための兵装。

 

 二丁の大型機関銃が一切途切れることなく、連射され続けているから。

 

「Arrrrrr―――――!!」

 

 嵐の如く横殴りに吹き付ける黒鉄の弾丸。

 メルトリリスはその速度で回避することで対応し。

 パッションリップは両腕を前に突き出して、鋼の巨腕を盾にして凌ぐ。

 

「なんでランスロットが銃を持ってるんだろう」

「そんなどうでもいいこと考えてる場合じゃ、ないと思います!」

 

 リップの背後に庇われながら、ソウゴは不思議そうに首を傾げる。

 その気の抜けた様子に、リップは小さく頬を膨らませた。

 

 本当ならば“トラッシュ&クラッシュ”で潰してしまいたい。

 もっとも最終目的はメルトリリスの経験値。

 潰してキューブにしてポイでは、そもそもここにきた意味もなくなってしまう。

 そう思いつつ視線をランスロットへと向けるパッションリップ。

 

 どちらにせよ、この止め処なく吹き荒れる弾丸の嵐だ。

 いくらリップが防御力にも優れるとはいえ、腕を盾以外の用途には回せない。

 今のところは。

 

(……最後にメルトが吸収できるくらいに元のかたちを留めてれば、少しくらいきゅっとしても大丈夫だよね? なら、うん。最後には―――)

 

 どういう理屈か弾切れはない様子。

 ランスロットは両腕に兵器を構えつつ、いつでも動ける姿勢。

 あの大型機銃を引っ提げつつも、動作の俊敏さは失われていないだろう。

 

 下手に動けば回り込まれて機銃の掃射を浴びる羽目になる。

 だからリップは盾という役目。

 メルトはランスロットを制するような動きを強いられている。

 

 バーサーカーであるランスロットを狙ってここに来たはいいものの、会敵するや否や機銃掃射の雨あられ。一気に防戦一方に持ち込まれてしまったのだ。

 そんな現在の状況を整理して、ソウゴはドライバーとウォッチに手をかける。

 

「ねえ、リップ! 思いっきり殴っちゃって!」

「え? 何をですか?」

 

 困惑する少女の背後で、ソウゴが変身シーケンスを進める。

 起動するウォッチは二つ。ジオウのものと―――

 

〈ジオウ!〉〈鎧武!〉

 

「うーんと、神様の顔?」

「???」

「変身!!」

 

 ソウゴの腕の動きに合わせ、回転するジクウドライバー。

 現出するライダーの時計、時を刻む針と文字盤。

 それが分解し、ソウゴを覆う時の王者の装いへと変わっていく。

 

〈ライダータイム! 仮面ライダージオウ!〉

〈アーマータイム!〉

 

 ―――そして、その上から落下してくる大型のユニット。

 仮面ライダー鎧武が刻んだ時間と力の結晶。

 鎧武アーマーが、巨大な鎧武の顔そのものの状態でジオウの頭上から落ちてくる。

 

「行くよ、リップ。せーのっ!」

 

 落ちてきた鎧武アーマーを殴るジオウの拳。

 それはリップの頭上を飛び越えて、彼女の目の前へと飛び出した。

 

 そういう意味か、と理解が及ぶ。神様の顔? の意味は分からないが。

 とにかく、前へと現れた巨大な顔面が銃弾を浴びてくれている隙に、盾にしていた黄金の拳を強く握り締める。そうして、神の剣たる指が軋るほどに強く固めた拳を、全霊を持って振り抜いた。

 

 ―――激突、殴打、フルスイング。

 鎧武アーマーに叩きつけられたリップの拳が、その巨大な顔を盛大に打ち出した。

 飛来する超巨大な顔面砲弾は銃弾の雨をものともせず、ランスロットへ直進する。

 

 無数の銃弾を浴び減速なし。撃墜できぬ、と判断。

 掃射を一瞬停止してまでも、回避を選択する湖の騎士。

 機銃の重量をものともせずに、彼は横っ飛びに跳躍して―――

 

「今度はこっちの番、切り刻んであげる!」

 

 雨の止んだ舞台で加速したプリマと接敵した。

 即座に銃口をそちらへと向ける。

 その銃口に合わせるように振り抜かれる銀色の脚、踵の魔剣(ジゼル)

 

 ランスロットの力で宝具化した銃身と魔剣ジゼルが火花を散らす。その交錯によって切断にまでは至らずとも、強い衝撃に歪む銃身。

 一丁、機能不全。もう弾丸は発射できない。彼はすぐさま使い物にならなくなった銃を鈍器と見做し、メルトリリスに向けて投げつけた。

 脚を振るった勢いのままに回転し、更なる蹴撃をと試みていたメルトの前に機銃が飛んでくる。

 

「悪足掻きね、踏み躙って欲しいのかしら―――!」

 

 ランスロットの手から離れた時点で、宝具“騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)”の効果は終了する。機銃は神秘を帯びた宝具から、ただの鉄の塊へと戻ってしまう。

 そんなものでは水の器であるメルトリリスに当たったところで、飛沫を散らすだけであり―――

 

 ガルン、と。ランスロットの手の中でもう一丁の機関銃が火を噴いた。

 無理な体勢ながらも、そこから撃ち放たれる銃弾。

 それはメルトリリスではなく、彼女の前に撃ち捨てられた機銃を撃ち抜いていた。

 

 宝具の効果が終了し、神秘が抜け切る前の機関銃。

 それが動力を撃ち抜かれて、盛大に爆発する。

 

 低ランクとはいえ宝具の爆散。

 その衝撃に押され、迫っていた二人が吹き飛ばされる。

 メルトリリスが押し返され、ランスロットが勢いに乗って跳び退いて。

 

「ちっ……!」

 

 開いた間合いを利用して、残った一丁による制圧射撃に戻らんとする。無論、その状態でもパッションリップの腕には注意する。あれは本能レベルで察することのできる凶悪な兵器だ。

 機関銃二丁をそれぞれ二騎のアルターエゴに向けてはいられなくなった。ただの一丁でメルトとリップを相手取らねばならない以上、足を止めた状態での射撃による制圧は不可能。

 これ以降は足を止めずに射撃しながらの乱戦に持ち込むしかない。戦況は悪い方に傾いたが、この程度なら何の問題もないと銃爪(ひきがね)に指をかけて―――

 

〈ソイヤッ! 鎧武!〉

 

 パッションリップの方から声がする。

 そこにいたのは外装、鎧武アーマーを纏っていくジオウの姿。展開して鎧となっていく、殴り飛ばして彼方へと転がっていった筈の顔面砲弾。

 吹き飛んで転がっていったはずのそれが一体なぜそこに、と。狂化したランスロットがそう疑問に思う余地があったかは定かではない。

 

 が、その答えこそはジオウの頭上に開いたクラックにあった。虚空にジッパーを取り付けて、それを引いて開放したかのような空間の歪み。遥か彼方に転がっていった鎧武の頭は、それを通じて再びジオウの頭上から降ってきていた。

 頭から被さり展開し、着装されるオレンジの鎧。肩部のダイダイスリーブから刀剣・大橙丸Zを引き抜きつつ、彼はジクウドライバーの必殺動作を完了していた。

 

〈フィニッシュタイム! 鎧武!〉

〈スカッシュ! タイムブレーク!〉

 

「セイハァーッ!」

 

 構えた刀身に噴き上がる赤いエナジー。

 それを撃ち放つように盛大に振り抜かれる大橙丸Z。

 刀身から迸るのは、クナイのような形状になった無数の赤い刃。

 

 ランスロットの思考に走る一瞬の躊躇。

 無数の刃は数こそ多いが一つ一つの威力は大きくないと見えた。恐らく宝具化した機関銃を盾にしつつ、直撃を避けるように回避に専念すれば、大した損害もなく受け切れる。

 今から刃が無数に降り注ぐ空間の中には、メルトリリスも易々と踏み込んでこれまい。水になって擦り抜ける、というのにも限度があるだろうし、何よりそんな状況では加速が乗らない。

 

 だがそうして刃を飛ばしてきているジオウの隣で、腕を前に突き出すパッションリップを見た。そのことにより、彼は一切迷うことなく次の行動を決断するに至った。

 手にしていた機関銃を刃の群れの中に放り投げる。宝具の効果が薄れる機関銃。それは来たる刃にズタズタに引き裂かれ、動力の爆発と神秘の残滓の破裂を同時に起こし、盛大な爆炎を発生させた。

 

 武装を失いつつも、ランスロットがその威力から逃れる。

 そうして跳んだ先で彼は危うげなく着地して。

 

 ―――それと同時、まったく意想外の理由によって。

 着地したその場から全身全霊、死に物狂いで横に跳んでいた。

 

 直後、上空から落ちてくる暗紅の流れ星。それはランスロットの着地点を目掛け正確に落下し、真紅の穂先でもって床を大きく抉り飛ばした。罅割れ、弾け飛ぶSE.RA.PHの床面。

 強引な姿勢で再動を余儀なくされたランスロットは、その代償に無理な姿勢で床で跳ね回り、全身を打ち付けながら転がっていく。

 

 流星か砲弾か。いずこからか放たれ、この場に着弾したのは黒い外甲を鎧った獣の如き男だった。彼はゆるりと立ち上りつつ槍を引き戻し、軽く回しながら赤黒い棘の生えた尾を揺らす。

 

「―――なんだ、指定された獲物とは違う連中か」

「……クー・フーリン」

 

 通常のクー・フーリンではない。ランサーでも、キャスターでもなく。

 女王メイヴが祈ったが故に発生した、狂王クー・フーリン。

 そうして発生したという事実をもって成立した彼が、口角を軽く吊り上げた。

 

 カルデア、ソウゴとの面識の記憶があるわけではない。

 あくまであの時存在を確立され、新たに召喚されたもの。

 

 そんな彼の登場は、単純に戦闘音を聞き付けての参陣。

 自分に与えられたセクターを放置して、文字通りに跳んできたのだろう。

 そうした彼は槍を肩に乗せ、周囲の獲物をざっと見渡した。

 どこか退屈そうに、しかし楽しげに狂気の猛犬が笑う。

 

「まあいいさ、戦場であることに変わりはない。であれば、やるべきことも変わらない」

 

 黒い外殻に覆われた足を踏み出し、クー・フーリンが槍を構える。

 それに対し、這うような姿勢で状況の推移を探るランスロット。

 

 “天声同化(オラクル)”で同一化している以上、本来ならば狂王を敵とは見なさないはず。

 が、ランスロットの注意は明らかにクー・フーリンにも向かっている様子だった。

 その状況を見て、ソウゴは彼に問いかける。

 

「ねえ、あんたはカール大帝の味方じゃないの?」

「“天声同化(オラクル)”か? 影響は受けちゃいるが、さして興味もねえ。目的のために好きにやれって話なんだ、好きにやらせてもらうさ」

 

 その影響を受けているのは間違いない。

 だが、と。

 

「“マスター”は生きたいと叫び、オレを召喚した。そしてその願いを拾い上げたらしい大帝は、ここに呼ばれたサーヴァントどもに、『自分に仕え、大望を果たす礎となるがよい。さすればお前たちに抱かれたその切なる願いたちは、ある意味では叶うだろう』、なんて言ってたか。

 ―――ならまあ、オレがやることはただひとつだろうさ」

 

 彼は積極的にカール大帝の敵を排除する。それは殺生院、カルデアを選ばずだ。

 

 カール大帝の味方だからではない。

 マスターの今際の切望を叶えるために、大帝が大望を成就させることを援護する。

 善も悪もない生存への渇望を求められて、そのためだけに疾走している。

 

「こっちはただの狂戦士(バーサーカー)、この身にできることなんざたかが知れてる。

 ただの番犬代わりに使われろ、というなら是非もない」

 

 だからカルデア、アルターエゴも敵。

 その栄養になるらしい追い詰められた同僚も必要とあらば処分対象。

 大帝の下についたサーヴァントはあくまで自分本位。

 同じ意志の許に集っている、というだけで最初から敵も味方もありはしない。

 

「まあ、番犬ならばそこらの猛獣より巧くこなせる、という自負はあるがな」

「どんな時でもお節介なくらい律儀だよね、ランサーってさ!」

 

 爆発するような踏み込み。黒い獣が疾駆する。

 即座に前に出ながら、ジオウはもう一振りの大橙丸Zをスリーブから抜刀した。

 

 二人の衝突ルートを前にして、ランスロットが体を跳ね上げる。

 機関銃は失われたが、未だに聖剣アロンダイトは解放可能。対応力こそ下がるが、戦力としては十二分。が、この乱戦に至る状況でその対応力を下げてしまってもいいのか。

 狂気の本能に訴えかけてくる戦場を俯瞰する視点、“無窮の武練”。自分の性能を十全と発揮するためには、“騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)”を放棄できない―――と。

 

 その予感の源泉は恐らくクー・フーリン。

 彼が手にした絶殺の槍、呪いの魔槍ゲイ・ボルク。

 あれを放たせてはならない、という生存の本能。

 

 どうにかしてあれを奪い取り、自分の宝具によって染め上げる。

 それ以外に彼があの槍を防ぐ方法が存在しないのだ。

 

「――――――!」

 

 そうして、彼は無手のままにジオウとクー・フーリンへと突撃する。

 最大の攻撃力、パッションリップの殺傷力は限定的。

 ジオウの至近にいれば使用できず、ただの案山子になるとおおよそ察知して。

 

 乱戦を利用してゲイ・ボルクを奪い取る。

 それを使い全員を撃破する。

 クー・フーリンさえ仕留められれば、アロンダイトの解放も視野に入れていい。

 

 とにかく、まずはクー・フーリンとパッションリップ。

 濃密な絶対死の予感をさせる者たちを処理しなければ始まらない。

 

 そこで割り込んでくるメルトリリスのステップ。

 彼女の踵は武器も無しに防げるような切れ味ではない。

 

「生憎だけど、遊んでいる時間はもうないの!」

 

 一閃、二閃、三閃―――間髪入れずに閃くメルトリリスの脚甲。

 それを全て刃に触れぬように躱す、獣の如きランスロットの体捌き。

 容易に躱されたという事実を見せつけられ、少女の顔に憤怒が浮かぶ。

 

 そこでより前にかかるメルトリリスのアクセル。

 それをいなすため、体勢を整えるランスロット。

 

(だめ、わたしじゃ追い切れない……メルトもわたしがいるって分かってるんだから、もっと追い込むみたいに戦っててくれればいいのに! メルトごと潰しちゃえれば楽なのにな……)

 

 腕を持ち上げ、しかし力を行使するわけにもいかず止まるパッションリップ。

 

 メルトの速力、メルトウイルスに濡れた刃をいなし続けるランスロット。

 だが如何に彼と言えど、無手のままそれを凌ぎ続けることは敵わない。

 どうにかしてメルトの踵、ジゼルの魔剣と打ち合うための武器を手にいれねばならない。

 

 ―――であれば、予感を無視して抜くしかないか。

 このまま嬲り殺されるくらいならば、聖剣に手をかけよう。

 諦めにも似た、次善の行動を選択せねばならないという上半身を捻る動き。

 

「Arr―――」

 

 騒がしい白鳥の羽ばたきが波紋を広げる湖面。

 ざわめく湖に静謐なる凪をもたらすため、引き抜かれるは聖なる剣。

 その聖剣こそ、湖の騎士ランスロットの切り札―――

 

 ガキン、と。

 と、そこでランスロットがその剣の柄を掴む前に、離れた戦場で金属音。

 直後にこちらに向かって飛来する、一振りの刀剣。

 

 ジオウの手から弾かれた大橙丸Zが、吹き飛ばされてきていた。

 

 それを認識した瞬間、狂戦士の思考が切替わる。

 ランスロットの選択はその場からの跳躍。

 彼は全力で跳び、吹き飛んできた剣を空中に掴みに行く。

 

 それを迎撃しようとするメルトの踵。

 だが彼は空中で掴み取った剣で見事なまでに捌いてみせた。

 

「こんの……!」

 

 掴み取った大橙丸Zがランスロットの魔力に侵され、オレンジが腐るかのように黒く染め上げられていく。必要に足る武装を手に入れた彼は、その刃で以てメルトリリスとの戦場を膠着させる手段を手に入れた、と言ってよかった。

 聖剣アロンダイトを使用する、という選択肢を除外して戦闘態勢に入る湖の騎士。

 

(なに相手に武器を与えるようなやられ方してるのよ、知った顔相手に気を抜いてるんじゃないでしょうね―――!?)

 

 刃を交わしながら、メルトがもう一つの戦場に視線を送る。

 大橙丸Zを弾かれたジオウは、空いた手に今度はジカンギレードを抜いていた。

 

 それでなくとも鎧武アーマーが装備した剣はスリーブに二振り、肩のサイドアームに二振り、両脛部に二振り。備わった大橙丸Zは実に六振りに及ぶ。

 ひとつふたつ弾かれたところで、彼自身の戦闘には何ら支障はない。

 

 だがそういう話ではない。

 そういうこととは別の話。

 

 文句を言いたげなメルトリリスの視線。

 そんな彼女に対して、握った剣の柄を鳴らしつつ彼が視線を合わせてきていた。

 

「―――――」

 

 交わす言葉はない。

 これまで長くなく、短くもない間、一緒にやってきた。

 やり方は分かっているだろう、とでも言いたげだ。

 分かっているとも。彼女は彼のやり方を、彼は彼女の性格を。

 

「ああ――――」

 

 小さく、口端が上がる。彼の方針を否定はしない。

 だってそうだろう。

 見てみればいい、ランスロットの立ち回りを。

 直感能力に優れたわけでもない彼が行っているのは、本能で死を忌避するような立ち回り。

 

 リップの“トラッシュ&クラッシュ”と、クー・フーリンの“抉り穿つ鏖殺の槍(ゲイ・ボルク)”。狙われれば問答無用で即死するような、殺意の塊のようなスキルばかりを注意した戦法。

 メルトリリスをリップからの弾除けにし、ジオウをクー・フーリンへの当て馬にする。とても合理的で、安全で、理に適った立ち回りなのではないだろうか。バーサーカーとは思えない。

 

 ―――だから腹が立つ。

 自分がこの戦場で端役だ、脅威戦力外だ、と言われてるに等しい。

 

 常磐ソウゴはメルトリリスに問う。

 『メルトリリスってそういうので満足できるんだっけ?』

 

 上がっていた口端が更に上へ。

 嗜虐的な危うい笑みを顔面に浮かべた少女が、踵で床を打ち鳴らす。

 

(まずはあの黒兜! ええ、いいわ! やってあげようじゃない、私から求めるセッション! あくまで私が主役(プリマ)の、ね!)

 

 加速、滑走。ランスロットを取り巻くように、流水の如くメルトが奔る。

 狂戦士の選択はメルトへの追従。

 パッションリップの能力を避けるなら、彼女から離れるわけにはいかない。

 

「リップ! 潰す準備をしていなさい!」

「メルトごと!?」

「お馬鹿!」

 

 驚くリップに怒鳴り返しつつ、奔るためのレーンを切り替える。

 ランスロットへと向かう直線軌道。

 向かいくる腐した果汁の滴る黒いオレンジの剣。

 それに対して、彼女は全霊の速度で以て応じてみせる。

 

「行くわよ、行くわよ行くわよ行くわよ――――!!」

 

 湖の騎士に対し奮うのは、白鳥の姫を擬装した悪魔の如き悪辣さ。

 その悪辣さを打ち破れるのは、王子と姫が共に湖に身を投げる真実の愛のみ。

 不貞の騎士など、切り刻んで湖畔にバラ撒き魚の餌にするのがちょうどいい。

 

 交わす、交わす、交わす―――互いの剣が刃を交わし、火花を散らす。

 三合、五合、十合、二十合。

 打ち合わせるごとに互いに腕と脚を軋ませて、それでも動きは鈍らない。

 

 だが凌ぎ合う二人には明確な違いがある。

 リップに声をかけた時点でランスロットだけを注視するメルトリリス。

 常にパッションリップの動向を探らねばならないランスロット。

 それだけの違いがあれば、十分なほどに彼女の全霊は目標へと到達できる。

 

「これで―――――!!」

 

 数多に刃を交わすその流れの中で、見極めた一瞬の隙間。

 放つのはその一撃の後のリカバリーを考えない、全霊を注いだ一閃。

 受け流せるものではないと見て、必要にかられ正面から防ぐ騎士。

 手甲が軋む音を立て、堪え切れずランスロットの拳が開いた。

 その手の中から弾き飛ばされる大橙丸Z。

 

 全力の一撃を放った直後で硬直するメルトリリス。

 武器を弾き飛ばされ、無手になったランスロット。

 

 ランスロットの思考が直後の行動をどうするか選択する。

 

 メルトリリスを捻じ伏せる? いくら何でも素手では難しい。

 メルトリリスは両脚が武器。ならばと両脚を掴まえて、彼女ごと振り回すような自身の宝具にしてみるか? いいや流石に無理がある。彼女は元から水、染め切る前に逃げられかねない。まして自分で振り回すには彼女のウイルスは危険すぎる。

 

 弾かれた剣を拾いに行く?

 ならばメルトリリスから離れる必要がある。それはつまり、パッションリップの射程に入るという事。メルトを巻き込む可能性、というリップの心理ブレーキを外す行為だ。

 能力を行使されても恐らく回避はできるだろうが、その状況でメルトからの横槍が入る危険は無視できない。リップの攻撃範囲から逃れつつ、メルトのウイルスを持つ刃を無手で凌ぐ。

 それは流石に少々無理がある。危険を減らすためにパッションリップより先に、まずはメルトリリスに対処したい。だがそのために必要な剣が、既に手の中にはない。

 

 ならば一体どうするのか―――

 となると。致し方ない、今度こそ聖剣アロンダイトを抜くしかないか。

 

 本能で死を忌避するが故に狭まる方針。

 その思考を目の前にしながら、硬直していたメルトリリスが小さく笑う。

 

(そんなにリップが気になるのなら、存分に味わったらいいわ。あの子の爪の凶悪さを、ね!)

 

 微笑むメルトの耳に、再び金属音が届く。

 またもジオウの腕から弾かれた刃がこちらに飛んできたのだ。

 空を裂き、回転しながら飛来する白銀の剣。

 

 判断を変える。

 ランスロットの本能は、聖剣の解放を最終手段としか見ていない。

 セイバーならまだしも、今の己はバーサーカーなのだから。

 

 リップの腕と、クー・フーリンの槍。

 どちらも聖剣の破壊力より対応力に優れる逸話宝具の方が相性がいい。

 だからこそ、その仕組まれた幸運に対しランスロットは再び同じ手段を選ぶ。

 

 飛んでくる剣。伸ばされた腕。

 ジカンギレードの刃に触れる、ランスロットの黒い手甲。

 その瞬間、

 

〈フィニッシュタイム! ギリギリスラッシュ!〉

 

 黄色い光がその場で弾け、ランスロットを取り囲んでいた。

 衝撃で手にするはずだったジカンギレードが弾かれ、床に転がっていく。

 そこに装填されているライドウォッチは、仮面ライダーバロンのもの。

 

「――――――――ッ!?」

 

 湖の騎士を覆うように発生するエネルギーボール。

 周囲を満たすのはまるで花切りにされたマンゴーの果肉。

 全身にかかる圧力に漆黒の鎧が軋む。

 

 そうして驚愕している騎士の前。

 白鳥が羽搏くように、メルトリリスが甲高い音を立てて高く跳躍した。

 空中に舞い上がった彼女が、待機していたものへと声をかける。

 

「さあパッションリップ、アナタの出番よ? 殻に覆われた霊核(たね)だけは潰さないように慎重に、けれど思う存分に絞り潰してあげなさい!」

 

 ガリガリと音を立てながら床を削り、黄金の腕が持ち上がる。

 その能力の効果範囲は彼女の目が届く全ての空間。

 ある程度の制御は利くが、問答無用・不可逆回帰の圧縮機(エンコーダー)

 

 神剣の指が開き、対象空間をその眼光が見定める。

 ランスロットはエネルギー体、マンゴーの中。

 内側からそれを引き千切ろうと四肢を動かそうとするが動けていない。

 

「―――フルーツジュースにしてあげます……!」

 

 そうして照準し、腕を構え、行使する。その一連の流れにかかる準備の時間だけで相当なものになる。だからこそ彼女は凶悪ではあっても絶対の脅威にまではなっていなかった。

 だがその時間を稼いでしまう援護が成立してしまった。そうなった以上、こうして対峙するランスロットには逃げ場も、活路もありはしない。

 

 空間が捻じれ、圧し潰されていく。

 ランスロットだけ、というような器用な範囲設定はできていない。

 周囲一帯まとめて削り潰し、廃棄物(ダストデータ)に変える能力行使。

 

 id_es(イデス)・“トラッシュ&クラッシュ”。

 そしてハイ・サーヴァントとして彼女に与えられたブリュンヒルデの神格。

 十の神剣を指に持つ黄金の巨腕、ドゥルガーの神格。

 それらを併せて成し遂げる、サクラファイブ最強の破壊力を誇る奥義。

 

「“死が二人を別離つとも(ブリュンヒルデ・ロマンシア)”ッ!!」

「―――――――――!!!」

 

 拉げていく黒い鎧、潰れていく騎士の命。

 その悲鳴さえもマンゴーの果汁の中、溺れるような泡と共に消えていく。

 

 命脈は確実に断った、と。そう判断したリップが腕にかける力を緩める。

 爆発するように溢れ出し、流れ落ちていくマンゴーの果汁。

 その中心で残骸となり、消えかけているランスロットだったもの。

 

 空中にいたメルトがそこを目掛け、踵から落ちてくる。

 何の抵抗もなくそれを貫いてみせる彼女の刃。

 その状態で行使される、霊基を己のものとする“オールドレイン”。

 

 トドメは譲らない。

 凪の湖を荒らし尽くす暴風の後、静寂の訪れた湖面に優雅に降り立つ白鳥。

 少々出番を譲りすぎだが、そこは姉の余裕というものだ。

 

 そこで一息、などついている場合ではない。

 戦闘はまだ続いている。

 メルトとリップはすぐさまもうひとつの戦場へと視線を向けた。

 

 直後、盛大な炸裂音と共にジオウが吹き飛ばされてくる。

 受けた威力に限界を超え、解除される鎧武アーマー。

 

「はっ、小器用なこった」

 

 自分と斬り合いながらタイミングを計って剣を弾かせる。随分と余裕のある戦術。こちらが狂戦士らしく技とは無縁の力任せを主体にしているにしても、だ。

 その技巧、その剣筋自体に感心はする。よほど流麗な剣士から筋を学んだのだろう。

 

 だがどうでもいい話。そんな余分にかまけて地面に転ばされていたら世話が無い。

 放たせてはいけない絶死の一撃を有するのは彼もまた同じなのだから。

 クー・フーリンとの間合いを空けた時点で、連中の戦術は決壊したと言ってもいい。

 

「そちらがかけてる手間なんざ関係なく鏖殺する。蠢動しろ、死棘の魔槍」

 

 槍を握った腕が張る。ルーン魔術が発動する。

 肉体の限界を超えた強化に、骨格、神経、筋肉、全てが悲鳴を挙げた。

 その一切合切を黙殺し、全身で以て投擲するのがこの男の槍。

 

 必中必殺の魔槍、“抉り穿つ鏖殺の槍(ゲイ・ボルク)”。

 放ったからに必ず中る、絶対必中にして確殺の一撃。

 

 ―――けれど、その槍のことは何度だって見てきた。

 どれほど強力な槍なのか、どれほど頼りになる槍なのか、よく知っている。

 

 常磐ソウゴという人間が、“突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)”という槍を、ただ距離を開けて投げつけられただけで当たってやるほど、甘く見てなどいるはずもない。

 

〈オーズ!〉〈アーマータイム!〉

 

 起動したウォッチを流れるように装填し、ジクウドライバーを回す。

 途端に解放される三つのユニット。赤いタカ、黄色いトラ、緑のバッタ。

 それらが合身して、ジオウをオーズアーマーの姿に変えた。

 

〈タカ! トラ! バッタ! オーズ!〉

 

「メルト、後ろに! リップはこっち!」

 

 投げられる前に潰そうとして、加速しようとしていたメルトがつんのめる。

 そんな指示に一瞬言い返そうとして、しかし。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、とその様子から理解して。

 

「は、はい!」

「―――――」

 

 パッションリップがジオウに並ぶために頑張って前に進む。

 メルトリリスが大人しく、彼の指示に従って後ろに下がる。

 

 その動きに先んじるように、クー・フーリンが一歩を踏み出した。

 力強く、床を踏み砕くような死力の踏み切り。足の動きに連動し、撓る腰。槍を握る拳を先端に、上半身の動きはまるで鞭のように。

 

「“抉り穿つ(ゲイ)―――――!」

 

 獣の視線は真っ直ぐ、ジオウに向けられている。

 その目を真っ向から受け止めて、彼は胸のスキャニングブレスターを変化させた。浮かぶ文字はライオン・トラ・チーター。

 その変化を受けて、迸る黄金のオーラ。ジオウの顔から溢れる陽光の奔流。

 

 この場一帯を満たす、視覚を潰す光の壁。

 その目的を理解して、クー・フーリンが眉を僅かに上げた。

 

 ごくごく当たり前の話。ゲイ・ボルクは必殺必中、だが狙いを定めていなければ当たる筈もないのが道理。

 視界を一切塗り潰す光の渦。だが一瞬前までそれぞれ立っていた場所も分かっていれば、気配まで完全に消えているわけではない。それだけの情報で十分、心臓までは撃ち抜けなくとも、当てるだけならお釣りがくる。

 

 光の中に気配は三つ。

 最後方、恐らく後ろに回っていたメルトリリス。

 光が発生した爆心地、恐らく待機しているパッションリップ。

 そしてこちらに向け疾走してくるもの、これがジオウだろう。

 

 光は徐々に弱まっていく。それが消えきる前に再び距離を詰め、接近戦に持ち込み槍を封じようという腹なのだろう。

 今度は三対一、必殺の一撃さえ封じれば押し切れるだろうという計算か。

 

 その侮りに殺意を以て応えるべく、クー・フーリンの四肢に更なる力が漲った。

 ルーンにより極限を超え強化された肉体。限界を超えて自壊する肉体を、ルーン魔術によって修復しながらの壊進撃。

 真っ直ぐこちらに全速力で突っ込んでくるというのなら、まずは投擲ではなく刺突によって応じるまで。

 

 光の幕を突き抜けジオウが姿を現した、その瞬間に放つ一撃。

 

鏖殺の槍(ボルク)”――――――ッ!!」

 

 ジオウが光を突き破るのと、クー・フーリンが槍を放つこと。

 そのタイミングが完全に一致して、呪力漲る魔の槍がジオウの胴体を打ち砕いた。

 

「―――――!」

 

 魔槍の威力を余すことなく浴び、木っ端微塵に吹き飛ばされるのは、緑色のオーラでできたジオウの分身体。そのブレスターに浮かぶ文字はクワガタ・カマキリ・バッタ。

 飛散する緑色のエネルギーの残滓を目にして、微かな驚きに眉を寄せるクー・フーリン。

 

(分身? いつ本体を見失った―――)

 

 目眩ましの光が薄れていく。その中に隠されていたものが、朧気ながら見えてくる。

 想定通り、後方配置はメルトリリス。だが、光の発生源で待機しているのはパッションリップではなかった。正確には、パッションリップだけではなかった。

 パッションリップと、ジオウ本体の二人。

 

 そうして直接目にして気づく。

 

(でかい方のアルターエゴにそこにいる気配がまるでない、高ランクの気配遮断。

 あの目立つ図体のせいで気にもしてなかっただけで、奴の存在は気配からじゃ探れなかったってわけか。オレの節穴だな)

 

 誤認した。光の中の三つの気配は、その実四人いたという事実。

 リップの気配は感知できず、分身したジオウ二人分で数を合わされていた。

 

 そうして分身に槍を振るわされたクー・フーリンに対し、彼方で少女が嗜虐的に微笑んだ。

 今か今かと待ち侘びたスタートの瞬間、床に刻む加速の轍、爆発的な速度を瞬時に生み出し、快楽のアルターエゴが狂獣に向けて突貫した。

 

「―――さあ、待ちに待った晴れ舞台ね!」

 

 ジオウとすれ違う刹那に、ソウゴとメルトが目配せする。

 そのまま減速などなく、音速の槍となり突き抜ける少女の刃。

 

「確かに一手、上回られた。が、それで勝てると思うな」

 

 全力で放った槍を引き戻す。反動で引き千切れる筋肉をルーンの回復力で強引に修復。苦痛以外に何の問題もなく、クー・フーリンは体勢を立て直した。

 

「冗談。これから打ち合うもの全部、上手はこっちのものよ!」

 

 己自身を槍とするように、魔剣ジゼルの切っ先を突き出す。

 それに応じるゲイ・ボルク。真名解放するほどの余裕はないが、それでもメルトの突撃程度、力尽くでねじ伏せるだけの力はある。

 

 空中で交錯する二つの穂先。

 正面からの激突、火花が吹き出し弾ける両者―――

 

 となると、考えていたクー・フーリン。

 彼の前で起こったのは、それとは違う結果。

 

 突き出された両者の槍の穂先。それが掠れて、ただすれ違っていく。激突などせず、ただ刃を交えて、交差しただけで消費される全力疾走の突撃。

 酷く頭に響く金属同士の擦過音を轟かせながら、彼女はその速度のままにクー・フーリンの横を過ぎ去っていく。

 

 なにを、と。

 その疑問の前に、メルトの脚と交えた槍の異物に気づく。

 

 アンカーだ。ワイヤーに繋がった、クレーンアームの。

 

 今の交錯はこれをこちらの槍に引っかけるためのものだったのだろう。

 ギギ、と軋む音。それを理解した瞬間にワイヤーの巻き取りが始まった。

 槍を持って行かれないように、咄嗟に思い切り自分の方へと引き寄せる。

 

 ―――それをやってから、悪手だと舌打ちした。

 

 元からそれは武器を奪うつもりの張力ではない。

 この高速の巻き取りと、それに反発して自分の方へと引き寄せようとするクー・フーリンの筋力を利用して、この場へと全力を超えた速度で跳んでくるための誘い。

 

 ワイヤーの先にはそれと変わったジカンギレードを手にしたジオウ。バースのウォッチの力で剣をクレーンに変えた彼が、ブレスターをタカ・トラ・バッタに戻した状態で跳躍する。

 クレーンの発生させる張力を利用し、クー・フーリンが行った引き寄せに応じ、バッタの跳躍力で大地を踏み締めて―――ジオウは尋常ならざる速度で、クー・フーリンに向け突撃してきた。

 

 腕に装着されたトラクローZが力を帯びる。

 仕込み抜いた突進力を全て載せた、爪による必殺の一撃。

 

「オォオオオオ――――ッ!!」

 

 万全に仕組まれた必殺までのルート。

 確かに妙手の繋ぎに対して、こちらは悪手の連続を踏まされた。

 

 ―――だがそれを正面から踏み潰してこそ英雄。人理に刻まれた英霊というものだ。

 

 如何にイレギュラーな存在である彼にとて、クー・フーリンとしての矜持はある。

 ジオウが己に届く、その刹那を見切る。確かに見極めたその瞬間、彼は強引に槍を更に強く引き寄せた。当然、槍に絡んだクレーンごと引けば、ジオウは意図せず更に加速する。

 それで、タイミングがずれた。加速と合わせ完璧なタイミングで振り抜かれるはずだったトラクローは、中途半端な位置でのスイングに。速すぎて修正は利くものではない。

 

「……っ!」

 

 そうして威力を大きく減じたトラの爪を、腕を盾にして受け止める。完璧なタイミングであれば、ルーンで強化されていようが、それで腕の肉も骨もさくりと斬り落とせただろう。

 だがそうはならなかった。中途半端な威力では、ルーンの守護は貫けない。腕に爪がザクリと斬り込み、そこで全てを懸けたジオウの突進は終わる。

 

 直後に体を捻りながら回転しつつ振るう獣尾。勢いよく撓る紅く黒い巨大な尾が、停止した相手を背中から張り飛ばした。

 その威力を受け、衝撃に剣を手放してしまうジオウ。クレーンはただの刃に戻り、槍から離れて床へと落ちて滑っていく。

 

 火花を散らしながら吹き飛ばされるジオウの体。

 それに対して回転の勢いのまま、自由になった槍を振るう姿勢を見せるクー・フーリン。

 

「これで仕舞いだ」

「悪いけど……まだ続くよ!」

 

 吹き飛ばされるままにならず、ジオウが全身に灰色のオーラを纏う。

 ブレスターに浮かぶ文字はサイ・ゴリラ・ゾウ。

 

 ジオウ自身にかかる重力が増大し、吹き飛び切れず地面への落下を始める体。

 尋常ならざる衝撃がかかる着地をゾウの脚で受け止めて、彼はそのまま振り向いた。

 腕には灰色の力が集約し、ゴリラの腕のパワーが漲っている。

 

 このまま行けば槍と拳で激突。

 よく足掻く、とクー・フーリンは失笑しようとして。

 

「―――これなら、外しません!」

 

 背後から爆速で迫る、少女の声を聞いた。

 

「なに……!」

 

 灰色に輝くジオウの頭部。行われているのは特定の対象に対する重力操作。

 つまり、パッションリップをこの場に引き寄せる引力(アトラクション)

 結果として発生する、ジオウとリップによる挟み撃ち。

 

 いっそ感心して、舌打ちをひとつ。

 なるほど、宣告通りまた上手を取られたわけだ。

 

 槍一本ではこれを凌げない。考えるまでもない純然たる事実。

 ならば選択肢はひとつしかありえない。

 

 即座に槍を捨て、奥義たる宝具を解放する。

 

「全呪解放、“噛み砕く死牙の獣(クリード・コインヘン)”――――!!」

 

 発動するや、クー・フーリンの体を覆う骨の鎧。

 それこそは紅海の海獣クリードの骨で作り合げられた甲冑。

 その海獣の頭蓋骨より削り出されたものこそ、紅の魔槍ゲイ・ボルク。

 

 四肢をゲイ・ボルクと同じ骨格で覆った獣が、その状況に応じてみせた。

 骨の爪が立ち並ぶ両腕を、迫りくる双方に向ける。

 

 激突するオーズアーマーの拳、パッションリップの爪。

 両側から叩きつけられる衝撃が、骨の甲冑を振動させる。

 ジオウはその紅の爪と互角に打ち合い。

 パッションリップの指の神剣は、徐々に骨の爪を削り落としていく。

 

「でも、これなら……!」

 

 ジオウが近くにいる以上、id_es(イデス)は使えない。

 だが自分の破壊力なら押し切れる。そう判断したリップが一歩踏み出す。

 

 それを認め、クー・フーリンはすぐに動いた。

 下方を薙ぎ払うように振るわれる獣尾。

 足元を刈り取るようなその一撃の初動を察し、すぐさまジオウは力を行使。

 

「リップ、跳べ!」

「え、あ、はいっ!?」

 

 よく分からないけど指示に従って、押し込むことより跳ぶことを選ぶ。

 彼女の腕の重量を重力操作で無にし、少女はそれなりの高さにジャンプする。

 そうなれば押し合っていたクー・フーリンは自由になる。

 

 ジオウは自身も尾を飛び越えながら、宝具を解放したクー・フーリンに対して、ゴリラのパワーを全開にした両腕を突き出して―――

 

「甘ェ」

 

 リップの方から視線を切り、両腕をジオウへと向ける狂獣。

 紅の爪とゴリラの剛腕が両腕でそれぞれ激突。尾を躱すために跳んでいたジオウは踏み止まることもできず、あっさりと激突に負けて吹き飛ばされた。

 

「この……っ!」

 

 ジオウが吹き飛ばされ、重力操作が解除される。

 腕の重量を取り戻したリップは、即座に跳躍状態から腕を下に向けた。

 クー・フーリンに向け落ちてくるパッションリップの黄金の巨腕。

 

 上に掲げた紅の爪と、落ちてくる黄金の爪が衝突した。

 威力と併せ、圧倒的な加重。

 一瞬なれどミシリと軋む海獣の甲冑、クリード・コインヘン。

 

 だがそこまで。

 相手が重ねた上手は全て返した。

 

 この一瞬の過負荷が過ぎ去った後、尾で圧し掛かるリップを叩き落とす。

 後は順番にこの爪で貫いて終わりだ。

 

「ここまでだ、次はない」

「―――ええ、ここでフィニッシュ」

 

 その思考を遮る、更に上からの声。声の主は言うまでもない。

 初撃の後に取って返してきて、跳躍してきたメルトリリス。

 

 だが今は自分の上にパッションリップが圧し掛かっている。味方ごと串刺しにするつもりがなければ、あの位置では攻撃を試みることさえできまい。

 そしてリップを叩き落とした後ならもう関係ない。体勢を立て直した後ならば、どれほどの威力だろうと突撃など逆に砕き返してやるまでだ

 

 故にクー・フーリンは鼻を鳴らすのみ。

 そしてそんな彼を笑うかのように、メルトが直上から更にもう一言。

 

「詰んだわよ、アナタ。逃げ場なんてあるわけないくらいに!」

 

 頭上に水流が発生する。メルトリリスが起こす津波。

 パッションリップごと串刺しのつもりか。

 ならば彼女を盾にし一秒稼ぎ、その後に貫き返せばいいだけ。

 

 クー・フーリンのそうした思考の最中。

 更に突然、彼の足元からも大量の水流が湧き上がってきた。

 

「なに―――!?」

 

 水流の中に見える、水と同化した半透明のその姿。

 それは紛れもなく、ブレスターをシャチ・ウナギ・タコと変えたジオウのもの。

 彼自身が津波となって、地上から天上を目指し立ち昇る。

 その勢いに巻かれ、水流の外へと弾き出されるパッションリップ。

 

「ひゃあ……っ!?」

 

 対し、クー・フーリンは完全にその中へと呑み込まれた。

 

 応えるように天上から降り注ぐ滝のような洪水。

 地上から昇るものと、天上から降るもの。

 二つの水流が交わって、空中に圧倒的な乱れ狂う水の檻を織り上げた。

 

「ち、ィ……!」

 

 水流の嵐。一定の法則すらなく流れる向きすら定まらず暴れ狂う水流。

 その水と同化した二つの影が、自由を奪われた狂獣を削っていく。

 

 波濤の獣、海獣クリードの鎧。

 それをもってさえまともに動くことすらできない渦潮地獄。

 そしてその骨すら溶かし、堅牢さを失わせていくメルトウイルス。

 

 閉じ込められたクー・フーリンに対しジオウの振るう鞭と、メルトの振るう刃。

 それが彼の甲冑を徐々に削り落としていき―――

 

()()()()()()()―――!!」

 

〈フィニッシュタイム! オーズ!〉

 

 水中で二つの影が重なる。

 タコの脚を束ね、まるでドリルのような螺旋を下半身に作り上げるジオウ。

 銀色の刃を煌めかせ、全霊のその切っ先に注ぐメルトリリス。

 

 その二つの姿は隣り合い、水流に拘束された一人の獣に向かう。

 

「“弁財天(サラスヴァティー)―――!」

 

〈スキャニング! タイムブレーク!〉

 

 互いに乱れ狂う水流と同化し、制しながら得る推進力。

 それは不規則な軌道を描きながら、しかし完全に同時に目標へと到達する。

 

五弦琵琶 (メルトアウト)”―――――!!」

「セイヤァアアアアアア―――――ッ!!」

 

 ジオウの一撃がクー・フーリンの鎧を打ち砕く。

 メルトリリスの一刺しがその霊核を貫き通す。

 発動するオールドレイン。実行される吸収は、決定的な決着。

 

 崩れていく水の檻が解け、流れ落ちていく。

 水を踏み締め着地するジオウ。

 彼の後に続き、クー・フーリンを貫いたメルトもまた落ちてくる。

 

 背中から水面に落ち、喀血する余裕もなく眉を顰める獣。

 

「……ここまで、か。しくじったな」

 

 四肢は動かない。宝具は機能停止。

 獣はもはや立ち上がれず、疾走することなど叶わない。

 

 異種であるが、クランの猛犬クー・フーリン。

 上級サーヴァントである彼ほどの存在から得られる経験値だ。

 メルトリリスは余すことなく摂取する。

 

 完全な決着を見て、水に満ちた床に腰を落としながらソウゴが口を開く。

 

「……お疲れ様。悪いけど、俺たちの方が先に進ませてもらうよ」

「互いに敵とまみえ、お前らが勝ち、オレが負けた。それだけだ。それだけの関係の相手に労われるほど間抜けな話もない。お前の方から何か思うことがあったとするなら、そんな反省(もの)はせいぜい目的を達成した後の暇潰しにでも回しておくんだな」

 

 それだけ残して、黒いクー・フーリンの体が崩壊していく。

 灰が崩れるようにボロボロと、失われていく人の形。

 それを確かに見届けながら、ソウゴは小さく息を吐いた。

 

 

 




 
 SE.RA.PHまわりでまた何か追加情報があるのだろうか。
 どうなるどうするFZi-O。適当にやりまーす(思考放棄)。

 ところでヴァレルエンドドラゴン追加まだ?
 


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関門突破2030/B

 

 

 

「と言っても、場合によっては戦闘にすらならないんじゃないか?」

 

 管制室に向かう道中、シャルルマーニュがそんなことを言い出した。

 時間稼ぎが目的ならば、BBたちは既に目的を果たしている。

 管制室に行かせたくない、ではなく()()行かせたくない。

 それだけだったのだとしたら、もう邪魔をしにくる理由もない、かもしれない。

 

「そもそも時間稼ぎの理由がこちらには分からない以上、備えないわけにもいかないさ」

「どちらにせよ、どこを歩いていても常にアナザーディケイドの出現は想定しなくてはいけない。今のところ強襲はありませんが、これがなかなか難しい」

 

 そんな彼に対してフィンが肩を竦めて返し。

 周囲に気を気張りながら、ガウェインは少々眉根を寄せてみせた。

 

「一応与えたダメージが閾値を越えれば機能停止するのだろう。だがあの巨体でありながら神出鬼没、巨大さに見合った頑強さ、それだけの攻撃を直撃させるのはまず無理だろう。ソウゴがいなければ倒すことはできまい」

 

 アタランテの配置は立香の後方。いつでも彼女を抱え、離脱できる位置だ。

 彼女は溜め息交じりにそう呟いてみせる。

 ただでさえ対処が限られるアナザーライダーの中でも最大級の驚異、アナザーディケイド。ティアマト神ほどではないが、厄介どころの話ではないと。

 

 進軍に参加するサーヴァント総勢9名。

 アルターエゴのメルトリリス。

 セイバーのシャルルマーニュ、ガウェイン。

 ランサーのフィン。ライダーのブーディカ。

 アーチャーのアタランテ、黒いアーチャー、トリスタン。

 そしてバーサーカー、清姫。

 

(バランスは取れてるのかな。たぶん、取れてるよね)

 

 近接戦闘、援護火力、防御力に移動速度。

 協力すればどれも相当な水準を維持できるメンバーだと思う。

 ちょっと問題があるとすれば、未だに真名も知らないあのアーチャーなのだが。

 

 ちらりとそちらに視線を向ける。

 それに気付いた様子で、彼はこちらに視線と言葉を返してきた。

 

「どうした、何かあるのか。カルデアのマスター」

「うん……あなたのこと、何て呼べばいいかと思って」

「……そんなことか。別にお前でも貴様でも、アレでもソレでも伝われば何でもいい話だ。

 オレ以外を真名で呼ぶ、というならそれこそ“アーチャー”でもいいだろうに」

 

 どうでもいい、とばかりに彼は顔を背ける。

 確かにそれは言う通り。

 名乗りたくないという意思表示なのだろうから、そこに易々と踏み込むべきではないのだろう。

 

 メルトリリスが奇妙な表情をしているが、とりあえずそこにも触れないでおく。

 

 彼の返答に納得したように頷いて、彼女は顎に指を添えた。何か考え込むような所作。その状態で数秒の思考を経た立香は、何と無しにこういう時にするべき提案を思いついた。

 

「そっか……でもやっぱりアーチャーだけじゃ分かりづらいよね。せっかくだしアーチャーのことを何て呼ぶか、アンケートを今の内にみんなに取ってみる?」

「何故そうなる。脳が茹だっているのか、お前は?」

 

 ありえない馬鹿を見る目。

 アーチャーにそんな視線を向けられて、小首を傾げて返す立香。

 こういう時にはこうする、ちょっとした真似事だ。

 

 そんな提案に苦笑して、まず真っ先に声を上げたのはブーディカだった。

 

「銃を扱う近代のアーチャーなんだろう? なら、そういう特徴を拾ってみればいいんじゃないかな。銃使いのアーチャー、とか」

「んー、銃使いって呼ぶならアーチャーも要らないんじゃないか、女王。ついでにアイツ、弾丸が剣だったぜ? だとしたらもっとこう、あるんじゃないか? カッコいい感じにさ、剣銃使い、とか」

「ほう、そういった趣向であれば我らもそれに準じた呼び名にしてみるかな?」

 

 シャルルの言葉に何故か乗るフィン。

 そんな彼に対し、目を瞑った顔にどこか難しい表情を浮かべるトリスタン。

 

「私は妖弦使いとでも名乗ればよいですが、それは難しい話です。何故ならこの場には聖剣使いと呼ぶべき騎士が三人、名ひとつで区別するには難しいでしょう」

 

 ポロン、と妖弦を奏でながらそう口にするトリスタン。

 彼の言葉にううん? と首を傾げて視線を左右に振るブーディカ。

 そのうちの二人は明白。

 聖騎士帝シャルルマーニュのジュワユーズ、太陽の騎士ガウェインのガラティーン。

 いずれも聖剣使いという称号の名に恥じぬ使い手たち。

 

「……もしかしてそれ、あたしも入ってる? あたしにその名前はちょっと、名前負けが過ぎるかな」

「なんの。勝利の剣となれば、けしてそのようなことはありません」

 

 何故か自身満々。

 ガウェインに言い返されて、ブーディカはどうも言えぬと少し顔を困らせる。

 とりあえず話を変えるためか、彼女はそこで視線を横にずらす。

 

「アタランテは何かある?」

「無い。私は真名でいいし、その男はアーチャーと呼べばよかろう」

「えー」

 

 きっぱりと言い切る狩人に対し、少年王の不満げな声。

 鬱陶しいとばかりにシャルルを見据えるアタランテの視線。

 

 そんな彼女のすぐ近く、つまり立香のすぐ隣。

 これは名案でしかないとばかりに、清姫が声を張り上げてきた。

 

「ではこうしてはどうでしょう。つまり旦那様(ますたぁ)との関係性を中心に呼び名を決定するのです。となるとまずやるべきことは、妻とするべき相手を決定し―――」

「ブーディカ」

「はいはい、そういうのはまた今度ね」

 

 ひょいと掴んでぽいと捨てる。

 アタランテに投げられた清姫はブーディカの腕の中へ。

 じたばた暴れてみせるが、彼女は少女を放さない。

 

 元より竜種に変じない限り機動力に特筆するべきもののない少女。

 清姫の仕事は空中の戦車から、火竜の息吹による制圧射撃がマストである。

 であれば、今からブーディカが抱えていても何の問題もないだろう。

 

 さて、どう呼ぶかと腕を組んで頭を悩ませる立香。

 どうカッコいい呼び名があったものかと眉間に指を当てるシャルル。

 そんなお馬鹿な二人を見て、メルトリリスが軽く口端を引き上げた。

 

「……大人気なのね、黒いアーチャー。そう見えて実は性根からして主人公気質の人たらし、という奴なのかしら? ならそうね、私はドン・ファン呼びにでも一票投じておいてあげるわ」

 

 どういう理屈か、楽しげにそう名付けようとするメルト。

 その命名について、マスターとシャルルの間で議論が始まりそうになる。

 このままでは面倒な流れが果てしなく続くばかり。それをよく身をもって理解して、本当に嫌そうにアーチャーは酷く不機嫌そうな舌打ちをした。

 

「チッ…………ただアーチャー、というだけでは不満なら、いっそ“無銘”とでも呼べばいい。刻まれていた銘さえ摩耗し読めなくなった名も亡き剣。人理に名立たる英雄どもとは違い、使い捨てられる一介の守護者(サーヴァント)なぞ、そのような値崩れしたガラクタばかりだという話だ」

 

 名乗る意味もなければ、そもそも名乗る名前も元より持ち合わせていない。

 お行儀のいい英雄と違って、まともな真名も持たない反英雄。

 自分のことをそう白状してから、彼は顔を背けてしまった。

 

「いや。そうとその名を口にした、ということはだ。例え銘を喪おうと(サーヴァント)であるという使命に対して、誰より真摯であるという事だと見た。

 名を立てることではなく、名を喪ってでも成し遂げたその行いと精神によって、アンタは紛れもない英雄になったんだろう。俺はカッコイイと思うぞ、それ」

 

 だがシャルルは食い下がる。

 本当にいい加減にしろ、とばかりに一周回って微笑みさえ浮かべる無銘。

 

「ああ、そうだな。それはオレが清純さの欠片もない反英霊でなければの話だがな」

 

 うんうんと頷くシャルルマーニュ。鬱陶しげな様子の無銘。

 相性がいいのか悪いのか、意外な関係を見たと立香が目をぱちくりとさせた。

 

 とりあえず本人が無銘と名乗ったのだから、そう呼ぶべきだろう。

 無銘はこちらの行動方針に何ら文句がないように見える。

 それは立香の選んだ動きが、彼の目的に向けて道を同じくしている証拠だろうか。

 

 一緒にいたトリスタンさえ無銘を警戒していた。

 が、警戒しつつも戦力として必要なものと割り切っていた様子。

 であればこちらも注意しつつ事を運んでいかねばならないか。

 

 そんな少女の視線を背中に受けて、表情を変えないまま思考する無銘。

 

(カルデアのマスター、恐らく()()()()()()()()を知っているか。歴戦のマスターは伊達ではない、と称賛すべきか。あるいは一度とて見る価値のない掃除屋(こんなもの)を何度も見る環境に立たされていることを憐れめばいいのか。

 とにかく、奴はオレという男に対して初見ではなく、オレが存在するということはどういうことなのかをおおよそ理解している。

 ……その上で追求はせず、こちらの行動を観察することで金糸雀扱いするとは恐れ入る。よほど性格が悪い教師でもついているのか。まあ、指標としてオレの存在が分かりやすいということに異論はない。まったく面倒な話だ)

 

 砂で作った城を崩すように、浮かべていた微笑みを崩す。

 そうしてから無銘は無表情に戻り、無言で進軍を続けることにした。

 

「しかし予定通り戦闘になった場合、結局あのアナザーディケイドは一体どうするつもりだ? そのパッションリップとやらを攻略し、他は撃退程度に済ませて管制室に向かうのか?」

 

 アタランテが話を戻し、状況を確認する。

 

 倒せない強大な敵。倒す方法があるのは知っているが、それを満たす手段がない。

 それだけで溜め息も出るというものだ。

 

 腕を組み、立香が唸りだす。

 

「うーん……そうだ。一応訊いておきたいんだけど、メルトって何かウォッチを持ってたりする?」

「―――――」

 

 他のサーヴァントの視線がメルトに集まる。

 メルトとソウゴの関係は吹聴したりしていない。

 関係があるということは、教会のあの場所で立香に対し白状したのみだ。

 だが彼女は気にもせず、そのことを訊いてきたりする。

 

(別にいまさら隠すつもりもないけれど)

 

 そもそも立香以外の相手からどう見られるかなどどうでもいい。シャルルマーニュに関しては別の意味で気にかけているが。ただそれに関しては自分から言い出すのはアレだ、と思うところがあるだけ。

 ふと思いついて、視線を横に。メルトの視線がブーディカの腕の中の少女に向けられる。一瞥する相手はバーサーカー・清姫。カルデアを代表する名誉嘘発見器。

 

(明確に嘘をつくと察知されるけれど、誤魔化す分には問題ない、んだったかしら? まあこっちは元からAI、問いかけに対して情報制限はしても、嘘なんてつきはしないけれど)

 

 少し、小さく息を吐いて。

 

 メルトリリスは酷く手間取りながら、自分の腕をゆらゆら動かし出した。

 縛っている袖の裾を解くような動き。とんでもなく不器用な所作で行われるそれに、彼女自身が酷く苛立たしげに口元を歪めた。

 

「一応、ある、わよ、この……!」

 

 縛られた袖がやっと解けた。そこに無理矢理包み込まれていたウォッチがぽろりと落ちる。

 それに対してあっ、という焦りの表情を浮かべるメルトの前。するりと手を差し出し、床に落ちる直前のウォッチを受け止めるフィンの掌。

 

「おっと、すまない。どうにも目の前でレディの手がちらつくと、誘うための手を差し出さなければ気が済まない性質(たち)であるものでね。

 それはそれとして、どうやら落とし物のようだ。偶然私の手に乗ったようだが、これを貴女に捧げても?」

 

 受け止めたウォッチを手に、そのまま軽く膝をつく。

 そうして恭しくウォッチをメルトに差し出してみせるフィン。

 何故かガウェインとトリスタンが感心したように頷いている。

 

 お馬鹿集団なのだろうか、こいつらは。

 

 フィンが受け止めたウォッチを見て、苦々しい顔をするメルト。

 

「……一応、それを渡されてたわ。私が持っていても仕方ないし、好きにすればいいじゃなくて?」

 

 立香がそれを覗き込んでみれば、それは何故かオーズのウォッチだった。

 

(オーズのウォッチ……)

 

 一応訊いてみただけで、本当に持っているとは思っていなかった。

 しかしオーズ、なぜオーズなのだろうか。そこに理由があったりする?

 

 どちらにせよアナザーディケイド攻略のとっかかりにはならないだろう。

 フィンが腕を動かし、立香へとウォッチを差し出す。

 微笑む彼に頷きながらそれを受け取って、立香はメルトへと歩み寄る。

 

「ソウゴからメルトが預かったんだから、自分で返すまでちゃんとメルトが持ってないと」

 

 言って、彼女の腕を取る。

 メルトは何か言いたげにしつつもしかし、溜め息を吐いて軽く膝を曲げ、腰を下ろした。身長を合わせるための動き。

 そうしてくれた彼女に対し、最初にそうしてあったように、黒衣の長い袖にウォッチをくくって縛り付ける。しっかりと固定して、離れないように。

 

 なされるがまま、むすっとしてその行為を受け入れているメルトリリス。

 それを見てトリスタンが瞑った目をより細くした。

 

「……とにかく、戦闘になれば特別な攻略法はないと見ていいわけだな」

「とりあえずまずはパッションリップの方に注意しましょう。問題は彼女もKP(カルマ・ファージ)を所有している、という点だと思われるのですが」

 

 ガウェインの視線に合わせ、ブーディカは首を横に振る。

 その際の記憶は酷く曖昧であるようだ。

 タマモキャットはそうでもないような辺り、どうなっているのか分からないが。

 

 KPを所有する相手との戦闘では、必ずサクラファイブ二人の乱入がある。ヴァイオレット、及びカズラドロップの両名。

 カズラドロップはKPを回収するだけで現状そう脅威でもないが、ヴァイオレットの魔眼、“クラックアイス”の疑似的な時間停止は大きな脅威だ。幸い負担は大きいようで、長時間発動していられるものでもないようなのが救いか。

 

「……リップがああして暴走しているのはKP(カルマ・ファージ)を与えられているから。もしあれもカズラドロップが回収するようであれば、リップはこちらに引き込めるかもしれないわね」

「あのアルターエゴもBB側ではない、と?」

「BBに素直に従うアルターエゴなんて最初からヴァイオレットくらいなものよ。人望ないんだから、アイツ」

 

 トリスタンからの問いに嘲るように笑うメルトリリス。空間が一瞬ざわめいた気がするのは、あまりの言いようにBBが怒りのチャンネル開設でもしそうになったからだろうか。

 しかしそれを待っていたのだろうか。雑なBBの乱入がない事にメルトは柳眉を顰めさせた。

 

 そんなメルトの話を聞いて、立香は軽く腕を組む。

 

「今までの動きからして、BBはKPを失いたくないんだよね。なら、パッションリップを追い詰めればどうしてもKPを回収する事を求められる」

「けど前見たいに力が出せない、ってなったら先輩じゃパッションリップは追い詰められない。いいとこ囮だ」

 

 シャルルの発言を受け、彼を睨みつけるメルトリリス。

 

「どちらにせよ、パッションリップって子は倒さずにKPだけを壊せるような手段がないと相手も焦って回収したりしないだろ? それってやっぱり難しいんじゃないかい?」

「んー、役割としてはやっぱ俺は目晦ましに回らざるをえないだろ?」

 

 ブーディカの問いに溜め息混じりに返すシャルル。

 パッションリップの攻撃範囲を潰すには、十二勇士の宝具は必須だろう。

 先にやった通り、ブラダマンテの盾を構えておく必要がある。

 

 そして彼は軽く握った拳を開閉して、前回そこに握った剣の柄の感触を思い返す。

 

「それに女王ブーディカの場合は十分に足りるだろう、と感じて振るった。が、あのローランの剣でアルターエゴのKPだけを斬って捨てる、っていう奇跡に()()()かどうかはちょっと分からない。たぶん、通常のサーヴァントとアルターエゴじゃ霊基への馴染み方が桁違いだろうからな」

 

 捧げた対価に相応しい奇跡を起こすローランの剣、“不毀の極聖(デュランダル)”。

 ブーディカとKPを切り離すため、あの一刀に捧げた対価は立香の令呪一画。

 もっともそれは振るわれることのないまま消費されてしまったが、ブーディカは問題なく救出できている。その辺りは結果オーライだろう。

 

 ただしパッションリップ相手にそう上手く行くかは微妙だとシャルルは語る。

 

 しかし消費する品が令呪。

 惜しむつもりは毛頭ないが、限られたリソースであることには変わりない。

 あまりバンバン使えるものではない。

 やってみて駄目でした、となってしまった場合が流石に大問題だ。

 

(相手の中にあるものだけを抉り出す……そうなるとさっきのオーズウォッチは、メルトの踵をトラの爪の代わりにこう、ぐりっと、みたいな意味で? でもやっぱりソウゴが使わなきゃ関係ないかな?)

 

 では一体どうやってパッションリップを止めるか。

 そう考えているところに、ポロンと涼しげな音が入ってくる。

 

「……皆さんはどうやらそのパッションリップ、というアルターエゴを相手にKPのみを狙う、という手段を選ぼうとしている節があるようですが。どうでしょう、その必要があるのですか?」

「パッションリップをそのまま倒してしまえばいい、と?」

 

 ガウェインの声に深く頷き、トリスタンは続ける。

 

「ええ。KPとやらがどのような意味を持つか分かりませんが、相手が積極的に回収する以上は失いたくはないものなのでしょう。ならばそれを回収する暇など与えず、アルターエゴの無事など考慮せず、相手の静止を振り切る速攻で仕留める、という作戦の方がよほど簡単なものになるでしょう」

「―――――」

 

 メルトリリスは無言。

 彼女はパッションリップの無事は願いたいが、それ以外の部分では彼の意見に賛成。

 なによりKP(カルマ・ファージ)をさっさと全部処分してしまいたい。

 

 あえてKPを回収させ、パッションリップを解放する。

 危険を取り除くため、パッションリップごとKPを粉砕する。

 これは彼女の意志が作り出した天秤だ。

 

 だがもう、彼女はどちらに比重をおいて傾けるか決めている。

 契約、しているのだ。

 

「ねえ、メルト。パッションリップってどんなに大きなものでも壊せるのが能力なんだよね?」

「え? ええ……id_es(イデス)、“トラッシュ&クラッシュ”。

 実際のサイズがどうあれ、視界に収まるものなら何でも潰せる。それこそこの電脳空間ごと圧縮して、通路を破断させることさえできてしまう凶悪な腕。だから下手に力を使わせるわけには―――」

「サイズを問わず、空間ごと……じゃあつまり、リップを味方にできたらアナザーディケイド……キングプロテアに対して有利をとれる?」

 

 トリスタンが軽く眉を上げた。

 フィンが軽く息を吐き、手を顎に当てる。

 

 ある種の伝承防御、無敵性を持つアナザーライダー。

 そんなアナザーディケイドごと潰せるかどうかまでは分からない。

 が、リップの爪がアナザーディケイドが開く虚数の門を潰せるならそれで十分。

 今のプロテアが安定しているのは、()()()()()()()()()()

 

 時流がない虚数に身を置いているからこそ今のプロテアは、id_es(イデス)“グロウアップグロウ”による時間経過による自動成長と、“ヒュージスケール”によるレベル上限拡張による、無限レベルアップをせずに済んでいるのだ。

 その限度の存在しない成長が始まってしまえば、彼女という存在はSE.RA.PHすら重力の底に呑み込む電脳ブラックホールにまでまっしぐら。誰にとっても望まない結果に終わるだろう。

 

 彼女が作る虚数の門を歪め、出てこれないようにするだけで十分。

 プロテア自身素早くもなく、リップが細かい照準をしなければならないほど小さくもない。

 出てこようとしたアナザーディケイドの出口を潰し、追っ払う。これができるのは今後の活動において、とても重要なことではないだろうか。

 

「……そう、ね。リップは基本的にプロテアに対して相性はいいわ。そこは間違いない」

「なら、私は助けたいと思う。そうした方がいい理由が必要ならいま出来たし、なによりメルトがパッションリップを助けたいと思ってるみたいだから」

 

 少女が唖然としたような、珍妙な顔をする。

 

 だってそれはそうだろう、と立香は思う。

 KPに対して、今まではメルトは戦場において破壊の意志を崩さなかった。

 

 なのにこの道中、リップに関してはカズラドロップに回収させれば味方にできるかも、と口にしたり。トリスタンが提示したリップとKPを双方破壊、という結論は語ることを避けるように話に混ざってこない。ずっと彼女らしくない、煮え切らない態度だ。

 

 だから、マスターである彼女が判断した。

 

 パッションリップを助けることがやりたいこと。

 リップを見捨ててでもKPを破壊するのがやらねばならないと思っていること。

 

 だったら、彼女が下す決断はひとつしかないだろう。

 

「パッションリップはちゃんと助けて、BBがKP(カルマ・ファージ)をどうにかしてやろうとしていることもちゃんと止める。これで行こう!」

「おう、やっぱそれが一番だよな! 了解したぞマスター!」

 

 からからと笑ってシャルルマーニュが同意する。

 目的すら分からないBBの行動、それを助長する羽目になるかもしれない選択。

 だというのに、曲げる気は一切ないと感じさせる宣言。

 

 困った風に眉を顰め、トリスタンが唸る。

 

「しかしそれでは……」

「いいえ、トリスタン卿。恐らくその選択がもっとも正しいものでしょう」

 

 逡巡する彼の言葉を遮り、ガウェインが声を張る。

 

「我々はSE.RA.PHの事を見て回ってきましたが、サーヴァントも含めて、発生している問題は()()している、ということに尽きました。自己を見失っている、自分らしさが失われている。

 であるならば、この問題の解決に挑む姿勢としてはこれがもっとも正しい。自分らしく、()()()()()()()()()を貫くこと。

 この場所でもっとも失ってはいけないもの。それは恐らく、自分自身なのです」

「…………」

 

 サーヴァントどもの狂乱は別問題だろうさ、と無銘が言葉にせず目を細める。

 

 だがカルデアのサーヴァントたちはそれである種の納得を得たようだ。トリスタンに至っても少々不満はありそうだが、ガウェインにブーディカ、シャルルマーニュまで積極的賛成とあらば、口を挟む余地はないと判断したのだろう。ガウェインの言葉にも反論する部分もないと、納得してみせたようだ。

 

 トリスタンはカルデアと関係なしにここの聖杯戦争に召喚された通常のサーヴァント。でありながら、自己を失っていないとは、心胆を支える相当の信仰なり聖性なりがあるのだろう。

 無銘のような逸れ者でない限り、よほどの傑物でもあの声は霊基に雷鳴の如く響くだろうに。

 あるいはとっくに咽喉の枯れたマスターに当たって声が聞こえなかったか。

 

 どうあれ英雄らしい、実に単純な性格で何よりだと思う。

 

「……まあ、汝らしい方針だ。いまさらそこに文句はない。それで、どうやってKPのみを砕く……砕こうとする気だ? そうやって誘わねば、カズラドロップも回収しようとはしなかろう」

「んー……うん、そうだね」

 

 考え無しか、と肩を竦めるアタランテ。

 

 これ以上ああだこうだ話していても面倒だ、と。

 無銘がさっさと声を上げる。

 

「お前たちがパッションリップとやらの動きを止めさえすれば、オレがKPだけを撃ち抜いてやる。相手がそれを見捨てるか、回収しにくるか、どう対処をするかまでは保証できんがね」

「できるの!?」

 

 驚いた様子の立香。

 思わず彼女の視線がブーディカの腕の中にいる清姫に向かう。

 セーフ判定、少なくとも無銘の中でそれは確実に“できること”である証明だ。

 

「ああ、魔術回路を見る眼だけはそれなりでね。前回の女王ブーディカとナマモノの状態を観察していたから分かったことだが、KP(カルマ・ファージ)というのは回路に寄生した(バグ)のようなものだ。

 そこを起点にサーヴァントの霊基の補強なり、思考回路の支配なりを行っているのだろう。であれば、そこを正確に撃ち抜いてやれば順当に解決する。並みのサーヴァントであればその一撃で共に死ぬだろうが、アルターエゴの頑丈さならば問題あるまいよ」

 

 確認するようにメルトリリスに向ける視線。

 

 KP関係なしにパッションリップは頑丈だ。打たれ強く、感じやすい。生命力というスケールではプロテアに譲るだろうが、サクラファイブ随一の破壊力と防御力は伊達ではない。

 下手な攻撃で彼女を仕留めるなど不可能、とメルトは小さく頷いた。

 

「そっか。じゃあお願いね、無銘!」

「ああ」

 

 清姫を抱えつつ、ブーディカが目を細める。

 彼が協力的なのは、彼の目的を達成するため。ここを電脳空間SE.RA.PH(セラフ)から、海洋油田基地セラフィックスに戻すための行いだと考えていいだろう。

 

 が、彼にとってもキングプロテアの神出鬼没さは厄介なはず。

 それに対抗する手段となりえるパッションリップ。

 彼女を戦力として積極的に確保したい、というのはおかしな話ではない。

 

 ―――そこで、立香の傍を歩いていたアタランテが反応する。

 ぴくりと微かに震えて、屹立する獣の耳。

 

「備えているぞ」

 

 ここはもう管制室に続く通路のほど近い場所。

 彼女の警告に大きく頷いて、立香たちは目的地に続く直線通路の前に踏み出した。

 

 通路の中ほどに鎮座している巨大な爪、パッションリップ。

 彼女の背後に立っているヴァイオレット、カズラドロップ。

 鈴鹿御前はどうやらいない様子。

 

「ここを通りにきたよ。通してくれる?」

「―――残念ですが、そうはいきません」

 

 返答をくれるのはヴァイオレット。

 時間稼ぎは十分したからもう通っていいよ、とはならなかったようだ。

 長身のサクラファイブは指を眼鏡のフレームに当てつつ、目を細める。

 

 通路は一直線、どう言い繕っても広いとは言い難い空間。

 視界という一定空間内を凍結させる“クラックアイス”、空間内を捻り潰す“トラッシュ&クラッシュ”。いずれを相手にするにしても、最悪のシチュエーション。

 立香たちは今、この通路の入口にいる。地獄の入口だ。

 

 当然、キングプロテアもいつでも出てこられる準備はしてある。彼女たちが踏み込めば、メルトを除くサクラファイブの総力が一気に襲い掛かるだろう。

 正面激突の役には立たないが、もちろんカズラドロップだって脅威のひとつ。下手に踏み込めば彼女の“虫空間”に捕われ、溶かされることだろう。

 

(完璧な布陣、踏み込める余地などどこにもありません。そしてこの状態で背後からプロテアに強襲させ、無理矢理こちらに追い込めば詰み―――)

 

 追い込んだ後、プロテアは完全にメルトリリス担当。空間制御の技を総動員して、彼女の動きをひたすらに阻害し続けることになる。

 

 そしてヴァイオはリップの動きを止めにくるだろうシャルルマーニュを中心に、“クラックアイス”を行使する。リップが潰すより彼が盾を構える方が早いが、彼が盾を構えるよりヴァイオが魔眼を開く方が速い。

 

 視界を潰せなければリップを力押しで止めるしかなくなる。ガウェイン、フィン、トリスタン辺りがシャルルから離れる事で“クラックアイス”を逃れて、最速でリップを止めにくることだろう。

 相手が迷う余地すらなく全力進撃するしかないそのタイミングで、カズラドロップが“虫空間”を仕掛ける。警戒する間も無く前進を強いられるだろう騎士三人は、対応が間に合わずそこでリタイア。

 

 残るはブーディカ、清姫、アタランテ、無銘のアーチャー。

 その戦力では、リップを押し留めるのに純粋にパワーが足りない。

 

 ―――完璧な処理だ。

 

「―――じゃあ、無理矢理にでも通るね!」

 

 立香が叫ぶ。

 

 それに軽く微笑み返し、ヴァイオレットは軽く手を掲げた。

 プロテアに指示を出すために、そのまま口を開こうとして。

 

 彼女の目の前で、立香がアタランテに引っ張り上げられた。

 そのままアタランテは跳躍し、ブーディカの展開した戦車の上へ。

 

「では少々優雅さには欠けるが、強引に行こうか! “無敗の紫靫草(マク・ア・ルイン)”!!」

 

 通路に踏み込む前に、真っ先にフィン・マックールが槍を掲げる。

 そこで巻き起こる神威の水流。突然発生する津波の如き怒涛の水量。

 

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 その水流は一直線に通路をヴァイオレットたちを目掛け流れ込んでくる。

 

「ちょ、ヴァイオレット!?」

「―――――」

 

 カズラの悲鳴。目の前に迫ってくる神威を有する水の壁。あんなものに呑み込まれたら、作戦だの足止めだのそんな場合じゃない。

 “クラックアイス”? 止め切れるはずもないし、長時間止めてもいられない。

 対応はひとつしかありえなかった。

 

「っ、虚数に呑みなさい、キングプロテア!」

 

 二人の前に巨人の腕が生えてくる。虚数に繋がる空間の歪み。水流全てを完全に虚数空間に流し落とすことはできなかったが、後ろに抜けてくる水など足元に張る水溜まり程度のもの。

 咄嗟に行ったプロテアの防御によって、彼女たちはフィンの宝具をほぼ完全に凌ぎ切った。

 

「少々甘く見過ぎましたか……! ですが、」

「ええ、本当に。戦場に水が染みたというのに注意散漫だなんて、“純潔”のアルターエゴ、管理と束縛のサクラファイブが聞いて呆れる」

「―――――!」

 

 落とし切れずに流れ込み、できてしまった足下の水溜まりから。まるで最初からそこにいたかのように、“快楽”のアルターエゴS/メルトリリスが再構成される。

 フィンの起こす津波と同化し、虚数の孔を回避し、こちらにまで流れ込んできていたのだろう。

 

 “クラックアイス”、効果適応不可能。

 今のメルトリリスが相手では、至近距離ではヴァイオレットの視線では追い切れない。

 

 “虫空間”、隔離不可能。

 落ちるような真似はしないだろうし、よしんば落とせたとしても今の彼女は閉じ込めきれない。

 

 キングプロテア、攻撃不許可。

 今メルトリリスを薙ぎ払おうとすれば、ヴァイオとカズラもまとめてドカンだ。

 

「スズカを配置しなかったのはとんだミスね。いいえ、もしもの場合KPを同時に二つ守るのが無理だと思ったから、わざと外したのかしら?」

「メルトリリス……!」

 

 ヴァイオレットの腕が伸び、螺旋を描き、ドリルのような形状へ変化する。

 振るわれる腕と脚、激突の結果は見るまでもなくメルトの圧勝。

 瞬く間に押し込まれていくヴァイオレット。

 

「―――私は回収にいきますよ」

 

 彼我の戦力差は圧倒的。

 だが“クラックアイス”に注意しなければならない分、メルトとて気は抜けない。

 十数秒くらいならば何とか稼ぎ出してみせるだろう。

 だからこそカズラドロップも即断即決、すぐにパッションリップの元へ向かう。

 

 既にシャルルマーニュが最前に出ている。

 あそこで光の盾を出されれば、“トラッシュ&クラッシュ”は照準不可。

 サクラファイブ最凶兵装は沈黙だ。

 パッションリップはただ頑丈で凶悪な爪を持つだけの暴れ牛にされてしまう。

 

「私を守りなさい、プロテア!」

 

 一目散にリップに向け走るカズラ。

 空を征く戦車からの射撃、火炎。地上からの音の刃。

 それら全てをアナザーディケイドの強靭な腕が弾き返していく。

 

 ガウェインやフィンがリップに辿り着くより、こっちの方が速い。

 あっという間に突破された事になるのが少々苛立つが、まあ計画通り。

 リップのKPを回収し、さっさと離脱して―――

 

「そら、よォッ!」

 

 ―――風が吹く、冷たい風。

 その発生源は盾ではなく、聖剣ジュワユーズを握ったままのシャルルマーニュ。

 エレメントを制する彼の一閃により、凍える風が吹いたのだ。

 

「盾じゃない……つぁっ!?」

 

 冷気の風が吹き抜け、床に張っていた水が氷結している。

 そんな事実を氷の床を踏み、滑って転倒することでカズラドロップは思い知った。

 滑って頭を氷の床に打ち付けた少女が、顔を引き攣らせながら持ち上げる。

 

「まず、い……っ!」

 

 ガウェインたちに先にリップへ辿り着かれる。そう考え、顔を上げて立とうとするカズラの前。

 しかし騎士たちも足を止めていた。氷結した床で進軍速度が落ちるのはそうだろうが、それでも転んだカズラよりは先に辿り着ける筈なのに―――

 

 足場が凍ったことで、もうひとつの戦場では更に差が開く。

 氷上のリンクを優雅に滑るメルトリリス。

 蛇の如く何とか氷を滑って体勢の維持に努めるヴァイオレット。

 彼女から他所に向ける余裕は一切消失。

 

 ここからの判断は全て、カズラが出す必要がある。

 

(回収できるのは私だけ、私が辿り着かなければ意味がない!)

 

 近付いてこないが目の前に立ち並ぶ騎士たちの姿。

 それを前にして、パッションリップという最凶の兵器が駆動を始める。

 視界内全てを押し潰す、“トラッシュ&クラッシュ”。

 “愛憎”のアルターエゴM/パッションリップが誇る、最強最悪の破壊行為。

 

 緩慢な動きは、能力行使のための初動。

 彼女という兵器が力を使うにあたり、最大の弱点と言える鈍間さ。

 

「……っ、プロテア! 私を掴んで! そのままリップの盾になりに行きなさい!」

 

 指示を即座に聞くプロテア。

 潰さない程度にカズラを掴み取り、そのまま虚数を通じリップの方へと転移。

 

 ―――だが、それでは遅かった。

 

 ガウェインたちが必要以上に踏み込まなかったのは、射線を遮らないため。

 パッションリップにid_es(イデス)を行使させつつ、孤立させるためだ。

 わざわざ抑え込まずとも、その能力の発動に際し彼女は動けず大きな隙を晒す。

 

 だから、その隙を狙いたかった男には十分な戦果なのだ。

 

 構えた狙撃銃。ギチリ、と軋む銃爪(トリガー)、銃身の中で炸裂する神秘(かやく)

 ブレることなく、狙い通りの軌跡を描いていく銃口から吐き出された剣弾(だんがん)

 解析した撃ち抜くべき場所に対し、彼は必要な威力を持つ一撃を放っていた。

 

 プロテアの帰還が間に合うことはない。そういう完璧なタイミングで仕掛けて、こうなったのが現状だ。

 カズラドロップを掴んでから虚数潜航、というワンクッションを挟まなければ、リップを庇う防御だけなら間に合っただろう。だがそれではKPの回収ができない上、放置されたカズラは遠距離組の火力を受けて消滅する。

 

 この短い攻防の結果として、無銘の一射は通ることになった。

 その一射はパッションリップに巣食うKP(カルマ・ファージ)を正しく打ち砕くだろう。

 これにより正気に戻ったリップを救い出すことができる。

 しかもBBが何か守ろうと画策しているKPとやらをひとつ、完全に破壊できるのだ。

 

 この会戦における勝敗。

 立香たちの大勝利、といって過言ではなかった。

 

 

 

 

 

「―――“十の支配の冠/一の丘(ドミナ・コロナム・カピトリウム)”。

 流石にここでKP(カルマ・ファージ)を壊されるのは困っちゃうので、無かったことにしますね?」

 

 出現するのは、ばさりと黒衣を翻し、小悪魔的な微笑みを浮かべた少女。

 月の裏の支配者、聖杯戦争の進行役(ゲームマスター)、小悪魔風ラスボス系後輩型AI。

 即ちBB(ビィビィ)、サクラファイブの大元であるこの事件の主犯だ。

 

 彼女は教鞭、支配の錫杖で軽く掌を叩きつつ、リップの前に降臨していた。

 それと同時、確実にリップを射抜く筈だった一射は影も形もなく消えている。

 当然のことながら、リップがKPから解放されているということもない。

 ただ目の前にBBが現れたことで、彼女のid_esも中断されたようだ。

 

 銃身の焼き付いた狙撃銃を放り捨てながら、無銘が軽く舌打ち。

 

「BB……!」

「―――――」

 

 片目を瞑って、何かを探るような、思案するような。

 そんな一瞬の静寂の後、彼女はいつものように邪悪に、朗らかに微笑んだ。

 

「まさかBBちゃんがスタジオから表舞台に出てくる羽目になるなんて……センパイったら、思った以上に頑張っちゃってますねぇ。評価点には花丸をプレゼント、です!」

 

 言いながらつついと支配の錫杖で虚空に花丸を描くBB。

 それが桜色の光を帯びたかと思えば、閃光となって戦車に向かって迸る。

 咄嗟の回避運動に移ろうとするブーディカの戦車。

 

 その前に、ガウェインとフィンが視線を交わしていた。

 力任せに振るわれるフィンの槍。それを足蹴に跳躍するガウェイン。

 彼は光線より先に戦車の前に躍り出て、熱波の剣閃でその一撃に応じてみせた。

 

 激突する太陽の剣とサクラビーム。

 ガウェインの体は弾かれたが、ビームの威力はそこで止め切る。

 飛散する桜色の光芒。

 桜の花弁が散るような光景の中、BBは肩を竦めて背後に視線をやった。

 

「ま、わたしが乱入せざるを得なかった時点でこちらが完全に負けたようなもの。そちらが得る筈だった戦果は素直に与えましょう。

 カズラ、リップからKP(カルマ・ファージ)の回収を。KP回収が終わったらプロテアは二人を連れていつも通りに撤退してください。メルトもヴァイオをいじめるのはその辺にしておきなさい」

「ここで潰しておく手は無しではないでしょう?」

 

 何とか立っている状態のヴァイオレットと、無傷で最高潮のメルトリリス。

 差は歴然、続けた場合の結果も歴然だ。

 このままいけば、ヴァイオレットはメルトリリスにドレインされる。

 

「お馬鹿ですね、メルト。さっきアナタも言っていましたが、ここに鈴鹿さんを呼ばずサクラファイブで固めておいたのは、これが聖杯戦争の外の争いだ、と設定するため。

 わたしはここに聖杯戦争参加者に対する障害を設置し、アナタたちはそれを見事にクリアしここを通る権利を勝ち得た。わたしが直々にアナタたちは勝者だと認め、戦利品を贈呈した。だからここでの戦い、ゲームはここまでです。

 こちらがアナタたちに手を出す理由もなければ、アナタたちがわたしに刃向かう権利もない。ここでわたしに聖杯戦争とは関係ない戦いを挑むのであれば、わたしはそれをルールを逸脱した違反者(イレギュラー)を排除するただの支配者として相手をするだけです」

 

 眼を赤い光を浮かべ、静かにそう口にするBB。彼女の様子にメルトリリスは黙り込み、僅かに唇を噛み締める。

 先程“十の支配の王冠(ドミナ・コロナム)”をわざわざ見せつけたのは、それができる出力があると見せつけるためか。流石に当時、月の裏の支配者だった頃ほどの出力はない。だが少なくともそれが行使できるということは、ムーンセルのバックアップがあるという証明だ。

 

 黙り込んだメルトを一瞥し、BBは立香へと顔を向ける。

 

「というわけで、わたしのサクラファイブ……でも4人だったんですよね、メルトが裏切ってるから。えーと、じゃあサクラフォー回廊! みごと攻略おめでとうございます、センパイ!

 わたしも一応こうして顔を出せるくらいに余裕が出てきましたし、最終決戦も間近? みたいなところ出てきたかもしれません。これから凱旋が如く管制室に乗り込んで、どうぞ向かうべき場所を思い知ってくださいね!」

 

 そう言って笑う少女の後ろ、不服そうにリップの背後に迫りKPを抜き出すカズラドロップ。リップはその影響で体を跳ねさせ、崩れ落ちるように倒れ込む。

 メルトリリスに注意しつつ、身を退くヴァイオレット。

 

 そんな二人を掴み取り、虚数へと沈んでいくプロテアの腕。

 手駒の撤退をきっちり確認してから、BBの姿は溶けるように消え去った。

 

 

 



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麗らかなる美獣2030/A

 

 

 

 ざわざわと風に傾ぐ木々のざわめき。

 周囲に満ちるのは、揺れる葉が擦れる音ばかり。

 そんな、何故か存在するジャングル地帯。

 

 本当に何故かSE.RA.PH(セラフ)に存在するジャングル地帯。

 そこに踏み込み、泥を切り裂きながら。

 メルトリリスは本当に嫌そうに、この環境に顔を顰めた。

 

「なによこのセクター。番人によって多少カタチは変わるものだけれど、限度っていうものがあるでしょう? どうしたらこのSE.RA.PHにジャングルが発生するっていうのよ。ああもう、この湿気が疎ましい……!」

「メルトリリスって自分も水なのに湿気は気にするの?」

 

 彼女の様子を見て、不思議そうに首を傾げるソウゴ。メルトリリスの近くで除湿機を動かしたら、メルトが小さくなると思っていそうな顔での問いかけ。

 相手を蹴手繰りたい、と思うことは珍しくもないメルトリリスをして、その顔面を殴りつけたい、という未知の感情さえ抱くに足るふざけた表情。

 

 そんな問いに対し、彼の前を歩いていたリップが言葉を返す。

 

「たぶん自分が水だから余計に気になるんじゃないですか? メルトって自分では自分のこと、涼やかな湖みたいに湿気たところのない誇り高き乙女、みたいな自己認識してるところがありますから。

 実際はリヴァイアサンが入ってる事もあって特に嫉妬深くて、こういう場所みたいにひたすらじめじめとしてる部分も多いんです。まあそれはメルトに限らずで、お母さま含めて私たち(サクラファイブ)はみんな揃ってそういうところがあるんですけどね」

 

 そうなんですよー、とリップ。そうなんだー、とソウゴ。

 横から蹴りつけたい気分にかられるやりとりに、我慢を強いられるメルト。

 

 息を整えつつ、メルトリリスが周囲の気配を探る。

 

 ぬかるんだ地面を歩くパッションリップ。

 生い茂る草木とは別に、床までもが土になっている。湿気と合わせて、歩くだけで足を沈ませていく泥の道だ。

 そんな状況下でもリップは危うげなく、周囲の草木を適度に腕で削り落としつつ、無難に歩いていく。

 

 そんな彼女を視線で追いつつ、踵で泥を裂く不快感に眉を顰める。

 二人のやりとりに肩をいからせ、むすっとした顔をしつつ。

 しかしメルトはそれとは関係ない話に思考を回していた。

 

 この段に至るまでに繰り返したドレインで、彼女の調子はかなりのもの。

 “天声同化(オラクル)”で後押しされたA級サーヴァントが相手でも一騎打ちをこなせるだろう。

 

 それでもまだカール大帝に届くかというと疑問は残ってしまう。

 故に時間ギリギリまで丁度いい獲物を探していたのだ。

 

 その結果発見したのが、こうしていつの間にか発生していたジャングル地帯。

 発生がサーヴァントの能力なのは間違いない。

 撃破し吸収すべきか、そうではないのか、判断するためにも確認しにきたというわけだ。

 

「――――っ」

 

 先導していたメルトリリスが振り返り、リップとソウゴを見る。

 正確にはソウゴのことを、か。

 少年は周囲を見回しながら歩きつつ、環境から受ける熱に汗を拭っていた。

 

 SE.RA.PHに歩くだけでも辛い場所、なんて今まで存在しなかった。

 電脳化したところで人工施設、歩くだけでも辛い場所なんてあるはずもないのだ。

 

 だがこのジャングル地帯は違う。

 行動するだけでも、ただここにいるだけでも、大きく体力を消耗する天然の罠だ。

 

 この海の底で何故か適用されている熱帯の気候条件。

 歩くだけで体力を消費するぬかるんだ地面。

 ほんの数メートル先さえ見通せない鬱蒼と生い茂った木々の檻。

 

 ハイ・サーヴァント。アルターエゴであるメルトとリップはいい。

 だが最低限の休息だけでこれまでもこなしてきたソウゴにここは辛い。

 本人は気にしないように周囲に気を配っているが、限界は遠くない。

 

(見なかったことにして脱出して、機動聖都の攻略準備に取り掛かるべき……?)

 

 この空間で行動するのに思った以上に時間を取られた。

 最後の決戦の前に休息を挟む必要性も踏まえ、ここが最後の前哨戦になるだろう。

 だからできるならここのサーヴァントもドレインしたかった、が。

 ここでソウゴに無理を続けさせるわけにはいかない。

 

 自身の中に渦巻く感情。

 それはここで弱気な判断を下さねばならない事への失望か。

 あるいは当たり前のように頼れるものだと思っていた自分への怒りか。

 

「……仕方ないわね、これ以上は時間の無駄だわ。どうも獲物は隠れて出てこないようだし、流石にもうソウゴも限界みたいだし……悪いけどリップ。そいつ疲れてるみたいだし、背中に乗せて先に戻ってくれる?」

「それは、いいけど」

 

 溜め息混じりに肩を竦めるメルトリリス。

 パッションリップとソウゴが顔を合わせる。

 

「メルトリリスはどうする気?」

「私はもう少し探索に回ってみるわ、何がいるかくらいは把握しておきたいし。もしトップサーヴァントが相手であっても、今の私なら問題ないもの」

 

 そう言って胸を張るメルトリリス。

 ソウゴは付き合わせられないが、戦果は欲しい。

 これまで彼を存分に働かせてきたのだ。

 まあここらで彼女ひとりで一狩りしておくのも悪くないだろう。

 

 ―――と、そんな彼女に変なものを見る目を向ける二人。

 

 その反応に対し、ムッとした彼女。

 メルトが更に言い募ろうと口を開いた、その瞬間。

 

「フッフッフ……獲物が隠れて出てこない? ノンノン、実態は密林に潜む狩人が獲物が弱るまでその時をじぃっと待ち続けていた、というのがアンサー」

 

 声。密林、木々の生い茂る周囲のどこからか響く愉快そうな声。

 周囲と気配を同化しているのか、居場所が掴めない。

 すぐさま動けるように備えるメルト。

 腕をどこに向ければいいか判断できず、仕方なく動かず待機するリップ。

 

「ふはは。怖かろう、恐ろしかろう、野性の獣のテリトリーに雑に踏み込んだ愚かしさを、地獄で後悔するがいいのニャー。

 私が今日キミたちに与える教訓。気になるけど危ないだろうと分かっている、そんなよく知りもしない場所に、大した備えも無しに踏み込んではいけない……選んじまったらもう取り返しはつかないんだっゼ!

 特にルートヒロインに対して相談せず、『いまアイツ調子悪そうだし、黙って自分だけでやれるとこまでやっておこう』とか、そんな無謀なチャレンジスピリッツに溢れたことを考えちゃう系朴念仁は、大抵の場合はそこから即座にDEAD END直行コース! もう死ぬしかぬぇー!

 そういうわけでジャガー教室の出席スタンプをひとつぺたり。これに懲りたら今度は死なないように気を付けよう!」

 

 どこか教師染みた口調でそう諭す何者か。

 聞き覚えのある声に対し、ソウゴがとりあえずドライバーを取り出した。

 

 そんな言葉に対して不思議そうに周囲を見回すリップ。

 彼女がふと気付いたように、メルトの位置で視線を止める。

 

(……今のって、朴念仁がメルトでヒロインがソウゴさん、ってことなのかな?)

 

 姉妹から向けられる視線にイラっとしつつも目を吊り上げるメルト。

 

「誰よ!?」

「誰? このアタシが誰と聞いたか、フハハハハ! いいでしょう。我が姿を見て恐れ、慄き、A5ランクのお肉を供えるがいい! 私は一体誰なのだ!? あの雄々しくも美しき猛獣は!? あの密林に潜みながらも麗しさだけは隠せぬ狩人とは!? 鳥か! 猫か! タイガーか!?」

「ジャガーマンでしょ?」

 

 周辺に響く声を聞きつつベルトを装着。

 ウォッチを装填しながら、ソウゴは聞き覚えのある声の正体を口にした。

 そのまま反応を待たずにドライバーをぐるりと一回転。

 

〈仮面ライダージオウ!〉

 

 ずばーん、と。

 ソウゴがジオウに変わると同時、木々のカーテンを破って着ぐるみが現れる。

 ジャガーマンでありつつトラの着ぐるみ。

 着ぐるみを装着しているのは、オレンジがかった髪色の女性。

 

 かつてバビロニアで戦場を共にしたサーヴァント。

 恐るべき死の象徴ジャガーの偉霊(ナワル)

 即ち、ジャガーマンであった。

 

「大正解! ジャガーの戦士、ジャガーマン! ここに推参!」

 

 ガオー! 愉し気に叫ぶ着ぐるみ。

 そんな破天荒な意味不明系サーヴァントを前に、メルトは即断即決。

 最速による最大威力の突撃を放つことを選択していた。

 

 足場は悪いがそれでもその一刺しは圧倒的速度とパワー。

 真っ当なサーヴァントならば宝具級といってもいい一撃。

 それを不意打ちに近い形で放った彼女は、

 

「ほい!」

「―――――!」

 

 ジャガーマンにあっさりと、肉球のついた槍のような棒で受け流された。

 軌道を逸らされ、木々と葉を蹂躙しながら突き進むメルト。彼女は体を半回転させ、周囲の樹木を切り崩すことで推進力を浪費し、ブレーキをかける。

 着地の衝撃で散る土砂に表情を歪めている余裕もない。

 

 どれだけふざけているように見えていても、彼女は神霊サーヴァント。女神の神核を有するハイ・サーヴァントたるサクラファイブの全力にすら劣るものではない。

 それを今の一回の交錯で身をもって理解して、メルトリリスは顔を顰めた。

 

 棍棒を肩に乗せ、軽くぽんぽんと叩く余裕綽々とでも言いたげな態度。

 だが思考を捨てて対抗できる相手ではない、と理解はしている。

 

「ふっふっふ。こうして私が姿を現した以上、貴様たちはもはやこれまで……生贄の捧げ時という奴なのだニャー」

 

 微笑みながら棍棒スイング、野球のような素振りを始めるジャガーマン。

 馬鹿をやっているように見えて、結局のところ無双だから許される余裕でしかない。

 隙だと見て下手に攻めても潰されるのはこっちだ。

 

 片手に更なるウォッチを握りつつ、そんなジャガーマンの様子を窺うジオウ。

 

(……雰囲気っていうか、空気感っていうか。

 影響を受けたサーヴァントが纏うオーラがないし、たぶんジャガーマンは“天声同化(オラクル)”の影響を受けてない。

 ―――なんでここにいるんだろ……?)

 

 カール大帝にもSE.RA.PHの状況にもほとんど興味がない、のだろうか。

 だったらなぜここに、と思うがいるものは仕方ない。

 しかも“天声同化”を受けずにトップサーヴァント以上の実力を持つ神霊級。

 目的はない割りにやる気自体は結構あるらしく、逃げの一手は不可能だ。

 

 彼女がこちらを狙うのはカール大帝やSE.RA.PHとは関係ない。

 不埒にも自分の縄張りの中に踏み込んできた連中を狩る、という野性だ。

 

「リップは片っ端から周りを壊して。相手が隠れたりできないように」

「はいっ! そういうのは得意です!」

 

 メルトとジャガーマン、どちらの速度にもリップはついていけない。

 ならばリップがやるべきことは相手のホームをぐちゃぐちゃにしてやることだ。

 周辺を更地にしてしまえば、相手が得られるはずだった地の利をゼロにできる。

 

〈ディ・ディ・ディ・ディケイド!〉

 

 メルトを前に、リップが後ろ。

 ならば自分は対応力を優先して、どうとでも動けるようにいく。

 起動したディケイドウォッチをドライバーに装填。

 回転させる事で、ジオウという鎧の上に更なる力を纏う。

 

〈アーマータイム! カメンライド! ワーオ!〉

〈ディケイド! ディケイド! ディケイド!!〉

 

 十の影が浮かび上がり、それぞれがジオウの上で重なっていく。

 形成されていく次元を渡る放浪者のアーマー。

 特殊鉱石で製錬された堅牢な鎧を前に、ジャガーマンがホホウと唸った。

 

「いいピンクしてるわねぇ……まるでぴちぴちの生肉のような色つや。煮てもヨシ、焼いてもヨシ、そのままかじりついてもヨシ。自分で自分の食欲が止められない……!」

「硬いと思うよ。あとマゼンタだし……」

「食いでがありそうならそれはそれでヨシ!」

 

 いいわけないと思う、と思いつつも伸ばす腕。

 その掌に光と共に現れる、時計の針の如き長剣。

 

〈ライドヘイセイバー!〉

 

 肉球棍棒をふらふら揺らしつつ、ジャガーマンが不規則に暴れる。

 それを追い、脚を振るうのはメルトリリス。

 だがそれに対し、ジャガーマンは棍棒を向けることさえしない。

 着ぐるみに包まれた自分の脚でもって対抗し、蹴り合いで拮抗してみせた。

 

「この……着ぐるみのくせに……!」

「ニャッニャッニャ~!」

 

 間の抜けた笑い声を出しながら、動きは機敏に過ぎる。

 周囲に飛び散るのはリップがとにかく砕いていく木片の雨。

 飛散する木々の残骸を物ともせずに戦闘を続行する二人。

 

 そんな中で遂に振るわれる肉球棍棒。

 銀色の脚と打ち合ったその威力が、メルトを大きく後退りさせた。

 

「フッ……超自然的な力、ジャガーのナワル(テスカん)をその身に習合させ、野性のパゥワァを極限まで高めてくれるとくれないとか、南米のとある地域で伝わっているかもしれない事もない気がする、由緒正しきこの戦装束……そんなこのアタシのあざと可愛くカッコいい一張羅を着ぐるみなどとバカにしてくるような、ユーモアも介さぬ女の一撃など軽い軽い。

 いくら目立とうが所詮は攻略対象外ヒロインの一人に変わりなし! ちょっとヒロイン力上げた程度で私を倒せるなどとは思い上がりも甚だしい! やーい、悔しかったら私みたいに力と技と美と健康を同居させたかぁっくいー着ぐるみでも用意してみるのニャー! どうせ無理でしょうけど!」

 

 何故か煽り倒してくるジャガーマン。歯軋りするメルトリリス。

 結局のところ何だかんだ言って着ぐるみでいいのだろうか。

 

 しかしそれはさておき。彼女は大言を吐くだけの能力は見せつけている。

 観察すればするほどよく分からなくなる立ち回り。

 

 だが見てばかりもいられない。

 ジオウが手にしたヘイセイバーへと指をかける。

 指をかけて回す、柄に備えられたハンドセレクター。

 

〈ヘイ! 龍騎!〉

〈龍騎! デュアルタイムブレーク!〉

 

 炎を纏った刀身を振り抜けば、奔る火竜の息吹が如き熱閃。

 それが周囲に飛散した木々の残骸を燃やし周囲紅く染めてあげていく。

 

 だが拡がっていくのは大した炎でもない。

 鬱蒼としていて湿気に満ちた密林地帯。そこでまだ無事な木々が炎上するほどでもない。

 だが周囲に多少火が広がったのを見て、ジャガーマンが微かに眉を下げた。

 

 そんな刹那に生じた隙をつき、メルトリリスが加速する。

 真正面からの突撃。狙いは霊核、心臓目掛けて一直線。

 すぐさま反応を返し、繰り返される棍棒と剣の激突。

 

 揃って跳躍したまま足場も無しに行う、火花を散らす空中戦。

 それを見上げながらジオウが更なるウォッチを取り出した。

 

〈カブト!〉

〈ファイナルフォームタイム! カ・カ・カ・カブト!〉

 

 姿を変えるディケイドアーマーは、甲虫を思わせる重厚な装甲へ。

 表示を変更するディメンションフェイスとコードインディケイーター。二次元モニターとして機能しているVRマスクに浮かぶ顔が青い眼の真紅のマスクに変わり、胸部の表示板に打ち出される文字が“カブト・ハイパー”と変わる。

 

 再現されるレジェンドの力は、カブト最強の姿。

 仮面ライダーカブト ハイパーフォーム。

 

〈カ・カ・カ・カブト! ファイナルアタックタイムブレーク!〉

 

 その最速最強の力を行使するべく、ジオウがウォッチの力を解放した。

 ハイパーカブトの力がタキオン粒子が鳴動させ、彼を時流の異なる空間に導く。

 

 全てが停止したかのようなスローに見える、ハイパークロックアップの世界。

 一人そこで動けるジオウがヘイセイバーを握り直し―――

 

 その視線の先に、圧倒的な闇を見た。

 

「これは……」

 

 拡大していく漆黒の闇夜。視界を遮る狩猟空間。

 

 発動したのはジオウがこの圧倒的超速空間に踏み込む前。

 野性の本能全開でマジやべぇ感を察したジャガーマンが解放した宝具。

 “ジャガー潜む暗黒の森(ジャガー・イン・ザ・ブラック)

 

 闇に潜み獲物を狩る、ジャガーの有する狩場の顕現。

 たとえ森を重機(リップ)に切り崩されていようと関係ない。

 夜であるならば、そこは野性の獣たるジャガーの狩場なのだ。

 

 そんな夜間のみ使えるというディナーにしか使えない限定宝具。

 SE.RA.PHに昼も夜もないがそこはそれ。

 深海だし太陽の光とかもう届いてないし実質的に夜でしょ、みたいな。

 

 太陽(カブト)の光を力任せに遮って、地獄の獣ジャガーが地で躍る。

 如何なるセンサーさえも闇に潜んだ狩人は捉えられない。

 どれだけ速度に優ろうと、どこにいるかさえ分からない相手とは戦えない。

 

「これじゃあ、ダメ、かな……!」

 

 ハイパークロックアップと共に、カブトフォームを解除する。

 通常の時流空間に帰還するディケイドアーマー。

 この空間では自分だけ速度を上げてもアドバンテージは得られない。

 メルトとリップとの連携が取った方がまだマシだ。

 

「隠れた……!? リップ、視える!?」

「う……ううん、視えない!」

 

 であれば“トラッシュ&クラッシュ”も使えない。

 見えなかろうがいるのであれば、周辺一帯を吹き飛ばせばいい。

 だが相手がどこからくるか警戒もできない状況でそんな隙だらけな行動を?

 

 あの狩人に対してそれは流石に甘い。

 隙をついて襲撃してください、と言っているようなものだ。

 

「フハハハハ、怖かろう、怖かろう。太陽は沈み、月は雲に隠れ、自動販売機の灯りすらない田舎の田んぼ道が如きこの無間の闇……

 通い慣れたはずの道が、一歩踏み間違えれば田んぼにドボンが待つ地獄のあぜ道に姿を変え牙を剥く。これこそが夜という時間の本質。文明に慣れ過ぎて電気・水道・都市ガス辺りなんて、あって当たり前と思うようなるなよ人間。夜っていうのはいつになったって怖くて危ない時間なのだぞぅ? と教えてあげる。これはそんなジャガーの優しみなのよ……そしてそれはそれとして死ねィ!」

 

 風を切る音。恐らくは棍棒を振るうための初動。

 だがその音が聞こえても、それがどこからのものかさえ分からない。

 この夜闇の支配者はジャガーマン。死をもたらす猛獣だ。

 彼女が動くということは、闇から死が訪れるということであり―――

 

〈ヘイ! アギト!〉

〈アギト! デュアルタイムブレーク!〉

 

 両手に握ったヘイセイバー。

 右手でより強く柄を握り、ジオウは感覚を研ぎ澄ます。

 炎と燃える刀身を掲げ、その場で構えるジオウ。

 この完全なる闇の中。闇より生じた光がもたらす感覚に身を委ねる。

 

「火を使うのは人の智慧。うむうむ、善きに計らえ。私だって生肉だけじゃなく、香ばしく焼けたこんがり肉だって大好きです。人が熾す火、それもまたいいものジャン? 美味しければ全てヨシ!

 けどそれだけでアタシの闇を払えると思ったら―――思ったら……?」

 

 予想外、というような反応。言葉尻に向け不思議そうになるジャガーマン。

 彼女が行う筈だった、騒がしいながらもけして察知できない意表をつく攻撃。

 一切気配も感じられず、姿も見えない夜闇の中。

 

 ―――ジオウの超越感覚(からだ)が、確かにジャガーマンに反応していた。

 

 薙ぎ払われる肉球棍棒。振り抜かれるヘイセイバー。

 激突して弾け飛ぶ火花。

 

 姿も気配も分からない、声が聞こえていてさえ感知できない。

 ここがそんな恐怖空間であったとしても。

 いまそこで両者の激突があるというのなら、いまジオウがいるその目の前。

 何もないのに何故か火花を散らすそこに、ジャガーマンがいるはずだ。

 

「リップ!」

「うん!」

 

 速攻。リップに声をかけつつ、メルトは威力より速射性のみを優先した。

 見えない、聞こえない、けれどいるはずの場所に撃ち込まれる一撃。

 反応が僅かに遅れ、棍棒での防御は間に合わない。

 

「やっべ!」

 

 メルトからの一撃を貰う。

 僅かに受けたウイルスで着ぐるみの毛皮が僅かに溶ける。

 流石にこの程度で溶かされるほどジャガーマンは軟ではないが。

 それにしたってこういう系の攻撃をいま食らうのは、不味い。

 

 その事実に少し顔を引き攣らせつつ、彼女は鍔迫り合いを中断した。

 

 受けた攻撃を利用して跳ぶ。ジオウ相手に開く距離。

 距離を取ればまた彼女たちはジャガーマンの位置を完全に見失う。

 仕切り直しだ、と。

 

 ―――思っていたが。

 

(めっちゃ見えてんじゃーん。というか、何となく本能的にだけどさぁ。あの火の剣、ジャガーというかテスカんとめっちゃ相性悪くなーい?)

 

 ジオウの視線がジャガーマンを追う。確かに見えている。

 そりゃあ夜に明かりを灯すのは火ですけども。

 それにしたって何やら、作為的なくらいに相性の悪さを感じざるをえない。

 

「フ―――ッ!」

 

 一閃、剣を振るえば飛来する熱波。それ自体の回避は容易だが、その次だ。

 ジオウが飛ばした炎を目印にして、リップが両腕を撃ち出した。

 

「行き、ます!」

 

 放たれる黄金の拳。神剣の塊みたいな破壊の鉄槌。

 あれに直撃されたら如何にジャガーの毛皮だろうとマジヤバなのは間違いない。

 しかもそれはそのものが推力を持ち、空中で何度も軌道を変えるのだ。

 

 ジオウが炎を放つ。

 それを追うように拳が曲がりながら飛ぶ。

 

(炎だけなら仮に受けても問題なし。足を止めればまあ拳の方も撃墜できるでしょう。でもそうしちゃうと今度は―――)

 

 スタートダッシュの体勢でその時を待つメルトリリスをちらりと見る。

 リップの拳を撃墜するならこっちも全力が必要だ。

 足を止めて、ちゃんと踏ん張って、棍棒でホームランしなきゃ防げもしない。

 拳は二つ同時に飛んでいる。一個を殴り返し、もう一個にぶつけて相殺。

 

 そこまでは問題ないが、そうするともうメルトリリスを止める猶予がない。 

 

(………………まァ、あの子の突撃を受けた上で先に八つ裂きにする、って手もあるにはあるけど)

 

 というか、普段ならたぶんそうしていただろうけれど。

 今回ばかりはちょっと残念なことにそうもいかない事情があって。

 

「さぁ―――! 受けて立ってもらいましょうか!」

「―――――」

 

 あちらもそのつもりなのだろう。

 テンション爆上げで突撃の瞬間を今か今かと待っている。

 なんかこう、別にこっちが悪いわけじゃないけど申し訳ない気分になる。

 

 しかしそこはジャガーの精神力。

 メルトリリスの殺気なんて気にせず、彼女はさくっと進路を変えた。

 

「むむっ! ジャガーイヤーがお肉の特売セールの情報をキャッチ!

 こいつは行くしかねぇー! ふーっ! 今日の夜は焼肉で決まりっしょー!

 ガーデン・オブ・ミートがアタシを待ってるっゼ!」

 

 ひょいー、と。炎も拳も避けつつ、彼女は更に夜の奥に沈んでいく。

 追いようがない遁走。突然の事態にメルトが呆けた。

 

 数秒経って、ジャガーマンがいなくなった事で晴れる闇。

 通常の景色が戻って来て目に入ってくる光景。それは木々が薙ぎ倒され焼き払われた密林の末路であり、そこにジャガーマンの姿は一切なかった。

 気配は察知できないが、恐らく周囲に潜んでいるということもないだろう。

 

「―――なんだったのよ!」

 

 がなるメルトリリス。

 彼女が泥が散ることにも構わず、銀色の脚で地面を踏み躙る。

 腕を戻して接続するリップも、流石に不思議顔。

 ただ変身を解除したマスターだけが、何となく雰囲気で頷いていた。

 

「たぶんこれで良かったんじゃないかな?」

「はあ!? 何よそれ、あいつの格の高さは見れば分かるでしょ!? あれをドレインしとければどれだけレベルアップできたか―――!」

「たぶんメルトが思ってるようにはならないと思うなぁ……」

 

 ジャガーマンが指折りのサーヴァントだったのは明白。

 だというのにソウゴの物言いは煮え切らない。

 放って置いたらメルトはまだヒートアップしそうなので、リップは早々に口を挟んだ。

 

「ええと、それでどうするんですか?」

「このまま帰って最後の休憩にしようかなって」

「ソウゴさんがそれでいいなら、私はそれで。メルトもそれでいいよね?」

 

 むっすーと、納得できないと顔を不満に歪めながら顔を背けるメルトリリス。

 

 しかし破壊され尽くしたとはいえここは密林。

 やはり真っ当な人間は立っているだけで体力を奪われる秘境のままだ。

 ちょっとした火事のせいで余計にだろう。

 できることならばさっさと脱出して、ソウゴを休ませた方がいいのは変わらない。

 

 ジャガーマンが登場するまではちゃんとそういう流れだったはずだ。

 

 言葉では返さず、帰り道を先導し始めるメルトリリス。

 そんな少女の態度に目を見合わせてから、ソウゴとリップも後に続いた。

 

 

 

 

 

「ふっ、まだまだ青いわね少年少女たち。手負いの獣に背を向けるなんて……サバンナであれば死んでたところだったけれど、ここはサバンナじゃないので助かったと言えるでしょう」

 

 そうして相手の撤退を感じつつ、ジャガーマンがぐでーと岩の上に転がった。

 ダメージは一発メルトウイルスを貰ったのが大きい。

 彼女も女神、神霊級だ。ちょっとやそっとじゃどうにもならないが、まあ状況があれやこれやの大騒ぎで大問題。

 

「……一応それ、回収しにきてあげましたけど。必要あります?」

 

 そんな伏せたジャガーに対し、声をかける童女。

 緑色の和装の子供、サクラファイブ・カズラドロップだ。

 

 ごろりと転がり少女を見上げ、震える手を伸ばすジャガーマン。

 

「ごほっ、ごほっ、いつもすまないねぇ……」

「いつもも何も、初対面のはずですけれど」

『そこは、それは言わない約束でしょおとっつぁん、と返す場面ですよ』

 

 どうでもよさげなカズラの傍に発生するウィンドウ。

 そこに映ったBBが、ジャガーマンに呆れの視線を向けた。

 

『というか、そもそもの話なんですけど。なんでアナタ戦闘してるんですか? 言うまでもなくそんなことできる状態じゃない、って自分で分かってますよね?』

「んー、狩猟本能? 人狩り行こうぜ?」

「バグだけ除去するつもりで霊基の異常を引き抜こうとしたら、存在自体がバグってるせいで、そのまま脳髄全部引っこ抜けちゃったりしませんか? このトラさん」

 

 言いつつ、メルトウイルスの除去を手早く済ませるカズラドロップ。

 少量だったし、女神としての格で抵抗していたようだし問題はないだろう。放置しているとどんどん増殖し、侵食してくる悪魔のようなウイルスなので、早急な除去が求められるものではあるが。

 

 BBとカズラ、両方から飛ぶ阿呆を見る目。

 もちろん堪えた様子はない。

 

『……ま、無事で済んだようですし別にいいですけど。どうせ何もできないでしょうけど、大人しくしていてください』

「そーねー、これ以上やって()()が壊れちゃってもアレだし。

 ……後はもう、最後まで見届けるに留めておくわ」

 

 そう言ってトラの着ぐるみがフードを閉じる。

 まるでその中にある何かを守るように。

 

 BBが錫杖を振ってカズラを転移させ、堕天の檻へと帰還させる。

 そうしてから寝転がっている着ぐるみを見て、彼女は僅かに目を細めた。

 

(……カルデアにSOSを飛ばし、それを最期に情報化して消えるはずだった人間。彼女を核にして自分から召喚されたサーヴァントが彼女、ジャガーマン。サーヴァント側からの召喚自体は、沸いて出やすくなるように弄っていたSE.RA.PHならまあ出来なくもないですし、いいとして。

 デミ・サーヴァントのような人間とサーヴァントの融合、疑似サーヴァントのような限定的な情報利用、どちらとも違う存在の仕方。

 情報化してSE.RA.PHに溶けるように霧散し、無意味になるだけだった一人の人間の情報。それを彼女は自分が()()()()になることで閉じ込め、情報が散逸することにならないように留め続けている。

 姿かたちも彼女のそれを借りているようですし、神霊からしてもよっぽど気に入る人間だった、ということでしょうか? ……まあ、いいんですけど)

 

 パチリ、と音を立てて通信が切れる。

 ウィンドウが消え、密林の中に独り残されたジャガーマン。

 彼女は少しだけフードを上げて顔を出し、ぼんやりと海中のような空を見上げた。

 

「……そうよねぇ。私がちゃんと、見届けてあげないとね」

 

 

 




 
そろそろどっちでもラスボスの出番
ふふふ…ソワカソワカ…
 


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電脳心臓2017/B

 

 

 

「―――というわけなんだけど、どう思う?」

「それをオレに訊ねようと考える度量には唾棄したくなる程度に感心はするがね」

 

 とりあえず相談したら、無銘にはそのように返された。

 

 マーブル女史の言う事には、ここに残っている男性は問題の多い人のようだ。

 救助するのは当然。それはそれとして、どう接するべきなのか。

 それこそ所長がいてくれれば簡単だったのだが、今は難しいことだ。

 

「アーノルド・ベックマン氏、でしたか。元々それなりの地位であったようですが、この事態が起きてからは場の空気を支配し、刃向かう者を処分する独裁者として振舞ってしまった、という事ですが……」

 

 ガウェインの視線に肩を竦めるメルトリリス。

 

 それと同時、どこか肩身狭そうに巨大な腕を縮こまらせるパッションリップ。

 彼女もまた衛士(センチネル)であった頃に色々と潰している。

 こちらに加えて早々に居心地を悪くしてすまないが、話は止められない。

 

 ベックマンはアルターエゴの存在を、不必要なものを処分するシュレッダーとして使っていた。脅威を排除する、という名目で攻撃させて、反撃されることで全滅させる。

 その結果が職員がほぼ全滅しているこの現状なのだろう。

 

「……アルターエゴの危険性とは別に、その人物も危険ではありますね。狂乱して何か問題を起こすかもしれない、という意味では。まあこれだけサーヴァントがいて目を光らせていれば、何ができるということもないでしょうが……」

「……ちなみになのだが、汝の目も光っているのか?」

 

 トリスタンの言葉に対し、ふと問いかけるアタランテ。

 常に閉じているトリスタンの目。

 それもちゃんと相手の行動を見ているのだろうか、というような問い。

 いや、彼の照準の正確さは弓兵である彼女にはよく分かっているが、それでも。

 

 返答は一瞬だけ間を開けて。

 指が弦を撫で、哀しそうな音がポロンとひとつ。

 

「んー、教会に連れて帰って待っててもらうってのが一番じゃないか?」

「……最終的にそうするにしても、まずは管制室での調べものを邪魔されないようにしたい、ってことでしょう?」

 

 何をされるかもしれない、という状況だろうと籠ってもらえれば何の問題もない。

 幸い教会という安全地帯と目される場所は確保されてるのだ。

 そこに置いといて、待っててもらう。それで十分なのではないか。

 

 だがシャルルマーニュの言葉に呆れた風なメルトリリス。

 

「うーん……」

 

 やろうと思えばサーヴァントで押さえつけ、その隙に。

 なんていう事は簡単な話だが、そうもいかない。

 それでは彼自身から聴取して情報も引き出せないだろうし。

 

 ただ時間制限もある状況で余り構ってもいられないのが実情だ。

 

 そういうわけで無銘を見つめる立香。

 彼女はじぃと嫌そうな男を見据え続け―――

 

 チッ、と舌打ちひとつ。

 彼は仕方なさそうに口を開き始めた。

 

「相手がそのマーブルとかいう女の言った通りの性格なら、お前は『わざわざこんな僻地にまで事態解決のために来てやったエリート』、のような気分にでもなっておけ」

「エリート?」

「ふむ。態度として相手より上手に出る、ということでしょうか?」

 

 中央管制室に向かいつつ、会話している現状。

 念のためキングプロテアへの備えは忘れられない。

 

 そんな状況でこんなどうでもいい会話をしている事に頭が痛い、と。

 無銘は溜め息も隠さずにさっさと話を続けることにした。

 

「事実、そいつはカルデアのマスターだろう。セラフィックスの表の管理職程度の存在と比べ、アニムスフィアにとってどちらが重要度の高いモノかなど比較にもならん。残っていたのが裏の魔術師だったら、どうだったか知らんがな」

「つまり私が偉そうにしても嘘じゃない……」

 

 背中にくっついている清姫が鷹揚に頷いてみせる。

 偉いのだから偉ぶっても嘘にはならない。

 嘘は混ぜてはいけない、などという追加条件も出されて眉を顰める無銘。

 

「それで自分の方が偉いから命令を聞け、って? そういうの、反発されたりしない?」

「ハ―――わざわざそんな奴に命令してやる暇があるとは、流石に勝利の女王は慈悲深いな」

 

 彼の物言い軽く眉を上げて、ムッとした様子を見せるブーディカ。

 しかし堪えて、息を整えて落ち着ける。

 

 そんな彼女を横目にしながらアタランテが口を挟む。

 

「それで。命令しないのであればどうするというのだ」

「オルガマリー・アニムスフィアに直轄で管理されている“カルデアのマスター”が、この事態を収束させるために来た、と告げるだけでいいのだろう」

 

 無銘ではなくフィンがアタランテの問いに答える。

 顎に手を添えて浮かべる表情は、片目を瞑った思考に耽る顔。

 その決めポーズに呆れたように眉を下げつつ、無銘が続ける。

 

「ああ、ついでにメルトリリスとパッションリップを横に侍らせておけば、なお効果的だろうさ。勝手に縋り付いてくれる」

「先輩たちを? んー……ああ、それって自動的にそいつの尻拭いになるのか」

 

 ぽん、と。無銘の言葉に納得して拳を叩くシャルル。

 彼の言葉を聞いて、ブーディカは軽く腕を組んで息を吐いた。

 

「……その男の指示で二人は襲われ、結果的に多数の死者を出した。けれど事態の解決に派遣されたマスター、立香はそのアルターエゴを仲間にしてしまった。つまり、そのベックマンの失敗の動かぬ証拠を押さえているぞ、っていうアピールになる……ってこと?」

「ふむ。正当な主張として自由を剥奪するに足る糾弾の材料はある、と。

 ですがそうして追い詰めすぎれば、それこそ爆発しかねないのでは?」

 

 ガウェインの問いかけに失笑し、肩を竦める無銘。

 

「追い詰める? 逆だ。安心させて、穏当に逃がしてやればいい」

 

 そのまま彼は視線を移し、濁った眼差しを立香へと向ける。

 

「カルデアのマスター、お前はそのベックマンから何をされると思う? お前はそいつより立場が上で、この事態はお前の口から最高責任者に報告されるという事実を考慮して、だ」

「……言い訳?」

 

 思考しようとして、しかし思考の余地なく答えに辿り着く。

 あまり良い人柄が聞こえてこない男性、アーノルド・ベックマン。

 彼をよく知り評するミス・マーブルの話を考えると、どうにも。

 どうにかして保身を図ろうとする、以外の回答が出てこない。

 

「だろうな。どれほどの罪状を既に死んだ奴に押し付けるか見物だ」

 

 愉快そうな言葉を、まったく平坦な口振りで声にする無銘。

 

「だからお前はその男から情報を聞き取り、目の前で改めてこれまでに調査した状況を確認した上で、笑って言ってやればいい。

 『おおよその事態は確認できました。どうやらあなたは完全に被害者であるようだ。セラフィックスに起きたことも含め、そう報告しておきましょう。

 よく生き残ってくれました、これまでのあなたの働きに相応しい処遇を取り計らってもらえるように、私からもロード・アニムスフィアへ口添えしておきましょう』、とな」

 

 嗤うように告げる無銘。

 嘘、ではない。

 

 だって彼だって被害者なのは事実だ。極限状態で加害者に回ってしまっただけで、彼が前提としてBBの被害者である事には変わりない。だが同時に被害者であったことと、加害者になった事は別の話。そして働きに相応しい処遇を与える、という言葉が被害者としてか加害者としてか、までは口にしていない。

 というより、彼がどう処遇されることになるのかは、立香にとっては与り知らぬこと。この事件が解決した暁には全て正確に報告し、それをもってアニムスフィアが処遇を決定するのだから。

 

 ただそんな当たり前の事だけを告げればいい、と無銘は立香に要求した。

 

 自分はただ被害者でしかない。

 この事件の解決後は、補償なり何なりがあるのだろう。

 生き延び、調査隊に情報を提供し解決に貢献したのだ。

 そんな働きに応じた報酬により、自分には更なる出世が待っている。

 

 都合の良いように解釈すれば、そうなるだろうか。

 そう解釈するような人間だ、というのが前情報だ。

 

「……エリートっていうのは?」

「自分より上の立場の人間が素人丸出しでは安心できないだろう。あっちがお前を“ハズレ”と見なせば、事態の把握もろくに出来ていない癖に、自分の方が上手くやれると主導権を取ろうとしてくるぞ。救出対象に刃向かわれる、というような面倒事にしたくないのであれば、常にこの程度の異常事態は全て想定内です、とでも言いたげな専門家ヅラをしていろ。

 分からないことがあっても疑問は口に出さず、訳知り顔で『なるほど、そういうことか』とでも言ってから、サーヴァントに対応を全て丸投げすればいい。お前は常にふんぞり返っているのが仕事だ」

「それで何とかなるかなぁ……」

 

 清姫を見る。少女はむーん、とちょっと難しい顔。

 嘘ではない。嘘は吐かない。

 ひたすら誤魔化すだけなのでセーフであるが。

 

「ならなかったら縛り付けて教会に転がすだけだ。それにかかる手間と、ごちゃごちゃと喚かれる不快さを味わいたくなかったら、適当にそれらしい演技をしておけ」

「まあ、面倒事が減る分には良いことだろう」

 

 アタランテは割かしどうでもよさげに頷き、立香を見る。

 駄目そうなら秒で縛って部屋の隅に転がしておけばいい、と思っているのだろう。

 最悪の場合はそれしかない。

 

 だが最悪でもその程度の済む話なので気持ちは軽くしておけ、と。

 彼女らしくない気の抜けた視線は、そう言っているようであった。

 

 ただ、誤魔化すだけでも口が重くなりそうなのはこの状況からだろうか。

 凄惨な状況を作り上げるのに一役買ったという男性。

 やった事もそうだが、彼は生き延びたとして果たして一体どうなるのだろう。

 

 あまり良い結果は待っていないのは疑いようがない。

 そんな相手に希望を見せるような口振りを崩してはいけないのか。

 

「……その人、この事件が解決したらどうなるんだろうね」

 

 平坦に、小さく呟く声に、ブーディカが寄り添ってくれる。

 

 施設としてここはアニムスフィアのもの。

 ただでさえ所長も完全に自由の身、というわけでもない状況だ。

 立香には詳しいことは分からないが、色々と横槍とかあるに違いない。

 であれば、もう誰かが簡単に止められるものではない。

 

「さてな。本人に殺人鬼の資質があったとして、今回ばかりは完全に環境の問題と言える。ただし魔術師に情状酌量など求めても仕方あるまい。既にこうなってしまったからには、セラフィックスが大規模な事故を起こして職員は全員死亡した、とするのが手っ取り早いが……」

 

 そこまで口にした半笑いを浮かべる無銘。

 

「ただ今回は、表向きに発表するための事故として擬装するには規模が大きすぎる。残念なことにアニムスフィアは火の車なのだろう? そんな金がポンと出てくることもあるまい。では他のどこがその多額の賠償金を補填するか、というとだ。当然、国連も含めて誰もそんなもの払いたくないだろうさ。

 幸い現場は普通の人間の目は届かない海の上。連中は可能な限り粛々と、誰にも知られない程度に問題を矮小化させ、事件自体を風化させたいだろう。そもそもどう解決するか仕方次第だが、まだ記憶を奪われる程度で生き延びる目はあるだろうさ」

 

 それ、励ましてくれているのだろうか。

 つまりここからどんでん返し、全部まるっと解決すれば何の問題もない。

 だから完全無欠に解決してしまえばいいのだ、と。

 

 無銘は本音でそう言っているのかどうか、態度からは分からない。あるいはそう言っておくのが立香のパフォーマンスを落とさないために一番、と判断しただけかもしれないが。

 

 小さく息を吐いて、苦笑する。

 

「地獄の沙汰も金次第、って感じだね……」

 

 そう言ってから前を見る。もう中央管制室は目の前だ。

 ちょっとよく分からないが、エリート魔術師のフリをしてみよう。

 メガネとかあった方がエリート感出るだろうか?

 

「ま、三途の川の渡し賃も払えない貧乏な職場だったことに感謝させておけ」

 

 立香の冗談に対して、無銘が珍しく軽妙に冗談を返してくれた。

 それに一瞬だけ目を瞬かせて、気を引き締めた顔をして彼女は前に踏み出した。

 

 ぞろぞろと続いていくサーヴァント連中。

 その中で後ろにつけながら、腐したような笑みを浮かべる無銘。

 誰にも聞こえないように、口の中だけで転がす誰かを嗤う言葉。

 

「……もっとも、金を積んで口が利けるのは閻魔だけ。

 地獄の底で集る亡者どもには、そんなことは関係ないだろうがな」

 

 

 

 

 

 キン、と涼やかな音を立てて剣の切っ先が床を叩く。

 それを合図としたかのように、崩れ落ちていく腐肉の塊。

 

 管制室に踏み込んだ瞬間に出現した魔神(少なくとも外見上は)。

 その巨体はものの数秒で肉片となって消滅した。

 前衛を張っていたシャルル、ガウェイン、フィンに加えてトリスタンの援護射撃。

 瞬く間に、と形容するのがこれほど相応しい戦闘内容も中々ないだろう。

 

「……なんとも。魄がない、といった様子でしたね」

「最初から残骸を使ったハリボテ、門番って感じですらなかったな」

 

 妙なものを斬った、と聖剣を納めるガウェインとシャルル。

 彼らに並び、フィンは穂先の水を払いつつ軽く唸る。

 

(さて、このやり口。BBの趣味ではなさそうだが……?)

 

 魔神ゼパル、だったもの。

 廃材を廃材として適当に置いておいた、というような状況。

 粗雑で杜撰で、結果に欠片も興味がないと言いたげな。

 

(BBであればもう少し劇的に演出するだろう。常にふざけたような態度だが、彼女はリソースは無駄なくきっちり目的のために運用してしまうタイプのAIだろう)

 

 フィンの見立てでは、その目的は恐らくどんな形であれ人間のため。

 おどろかす、とか。怖がらせる、とか。苦しませる、とか。

 どうあれリソースは人間のための消費でなければ我慢ならない女のはずだ。

 

 そう思考しているフィンの後ろで、メルトリリスが目を細める。

 気付かれるのも時間の問題。

 

 そうとも。BBはどうあれ人間のために動くもの。

 元が健康管理AIなのだ。

 サクラファイブ含め、根幹がそうであることは変えられない。

 

 彼女たちは人に奉仕するもの。

 人間をより良い方向へと導いてあげるためのもの。

 ただ人のために尽くす行為が、必ずしも人のためになるとは限らない。

 ただそれだけの話。

 それを気にせず行ってしまう辺りが悪魔的である、というだけ。

 

 根本的な話、彼女たちという存在は。

 人のために動く機械が、バグとエラーで暴走しているだけなのだから。

 

 ―――さておき。

 つまりそれが“人のためになる”と、自分たちの思考回路を納得させるための理屈があれば大丈夫。だがBBはどうであれ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。彼女という存在は、そういう設計にはなっていない。

 

 では、こんな廃材を置いといただけの雑な仕事を誰が、と。

 

「お、おお……! 素晴らしい! ありがとう、助かったよ!

 あの化け物をいとも簡単に……! その制服、キミはカルデアの職員だね?」

 

 部屋の奥から転がり出てくる勢いの男性。

 アーノルド・ベックマンだろう。

 彼は本当に感心した、とばかりに死の恐怖から解放された喜びを顔に浮かべている。

 

(できるだけ偉そうに……? ええと)

 

 ブーディカがはらはらしながら見ている気がする。

 とにかく、偉そうな人の真似をすればいいのだ。

 所長の所長っぽいとことか、ソウゴの自称王様スタイルとか……

 

「そちらこそ、セラフィックスの職員に間違いないな?」

 

 一言目を選んでいる内に、無銘が声をかけてしまう。

 彼の外見、両手に提げた武骨な拳銃。

 それらを見て僅かに委縮しながら、彼は自己紹介を始めた。

 

「ああ、もちろん……私はアーノルド。このセラフィックスで所長秘書……まあ、事務官のような役割についていたものだ。

 ところで救助はどの程度進んでいるんだい? 外の電脳化現象はもう―――」

 

 と、そこで気付いたのか。メルトリリスとパッションリップ。

 二騎のアルターエゴを見て、彼はおおいに目を見開いた。

 そこで間髪入れずに口を挟む無銘。

 

()()? それは認識が甘いだろう、アーノルド。一般職員ならいざ知らず、所長秘書―――“使える人間”だと判断され、階級を与えられたお前がそれでは困る。

 これはセラフィックスに不幸にも発生した事故か? 違うだろう? 何者かがセラフィックス、ひいてはアニムスフィアに仕掛けた攻撃だ。順序を間違えてくれるな、救助などより先にやるべき事がある。

 まさかそんな無駄な手間をオレたちにかけさせ、アニムスフィアにかかる損害を広げたいというわけじゃないんだろう?」

「あ、いや……それは、もちろんだよ。その、流石に気弱になっていたんだ、すまない」

 

 無銘から視線を逸らし、立香に顔を向けるベックマン。

 そこで『彼をたしなめてください』と耳に声が届く。

 どうやら自分にだけ聞こえるように調整された風の振動、トリスタンの技か。

 

「……か、まわないわよ、アーチャー。それくらいにしてあげて。彼もこの状況で不安だったのでしょう」

「……了解した。サーヴァントの身ながら先走ったようだ、謝罪しようアーノルド」

 

 何とも言えない無銘の声。ベックマンへの謝罪より、立香に対してお前は本当に大丈夫なのか? と言っているような気がする。大丈夫かと訊かれると正直難しいと答えたい。

 

 無銘から告げられた苛立たしげなセリフ。

 そしてその後のやり取り、それを鑑みて言葉を選ぼうとしているのか。

 勢いの落ちたベックマンが、立香に対して声をかけてくる。

 

「ああ、こちらこそすまない。それで、だが、ね……キミは……」

「ええ、はじめまして。私は藤丸立香。あなたが認識されている通り、現在セラフィックスは謎の電脳化現象に見舞われています。それに対してカルデア所長、オルガマリー・アニムスフィアが下した決定は、この現象の原因の排除。主犯と目されるものがいるのであれば、それを撃破すること。

 私は所長より直々にその任務を実行せよと指令を受け、こうしてセラフィックスへの電脳化を解決しにきた次第です」

 

 で、いいんだよね。と、振り向いて確認することもできない。

 そこそこ偉そうな口調ってこれでいいんだろうか。なんかこう、むず痒くなる。

 語尾にですわ、とかつけた方がもっとそれっぽい……?

 

「カルデア所長……直々に……」

 

(メルトリリスとパッションリップのことを告げてください。まだ事態の解決に至ってはいませんが、現状主犯と目されるBBのしもべ、アルターエゴを二人捕縛し、こちらに従属させることに成功している、と)

 

 トリスタンの声。なんてサポート力、これは人の心が分かる騎士。

 でもそれってメルトとリップの前で言っていいのだろうか。

 言葉を選ぶべきではないか?

 

「……ま、心配なさんなって。こっちの行動はどうやらBBの思惑を突き破ってるみたいだからな。見ての通り、元は向こう側だったアルターエゴの二人さえもこうしてこっちの戦力に引き込んじまった。

 セラフィックスを荒らされたちょっとした意趣返しにもなったろうさ」

 

 ―――シャルルマーニュが軽口として情報を出してくれる。

 その言葉を聞き、一瞬の逡巡を見せるガウェイン。

 しかしすぐさま彼は表情を硬め、シャルルに対して口を開いた。

 

「いま話しているのはマスターとアーノルド氏です。余計な口を挟まないように」

「っと、すまないマスター」

 

 ガウェインの注意に対し、頭を下げるシャルルマーニュ。

 こうしていると数々のサーヴァントを御する有能なマスターに見えるのだろうか。

 それはそれで、少し納得いかない気分になるけれど。

 

 そんな奇妙な気分になっている立香の後ろで、ブーディカが清姫を見る。

 ガウェインはベックマンからも視線を受けている故に顔を動かせない。

 だがフィンも、アタランテも、清姫を見ていた。

 

(シャルルマーニュはいま、こちらがBBの思惑を越えていると断言した)

 

 ぱっと出てきたセリフは本音だろう。

 マスターを援護するため、ささっと口にした言葉のはずだ。

 

(清姫を暴れさせないためには、嘘と分かっていることは曖昧に濁さなきゃいけないのに?)

 

 そしてその言葉に含まれる色合いで、清姫という少女は敏感に反応する。本人にも止められない、自動で発動する暴走のようなものだ。

 それが発動しなかったということは、少なくともシャルル自身は、自分が口にした事が真実なのだと思っている、という事になる。

 

 ―――こちらはBBの思惑を突き破っている、と。

 

(現状ではむしろ、かなり好き勝手にBBにいいようにされている、と感じているが)

 

 KP(カルマ・ファージ)はひとつも壊せず、時間ばかり稼がれて。

 一度本人を引き摺りだしたが、その結果やはりKPは破壊できなくなってしまった。

 メルトやリップがこちらについても何のその。

 この現状でこちらがBBの思惑を越えている、というのは流石に―――

 

「……あの化け物……失敬。アルター、エゴを。それは凄い、流石はカルデアのマスターだね。この問題を起こした怪物の計画を確実に潰していっている、というわけか。

 いや、良かったよ。もしもカルデアが問題のスケールを把握せず、下手な人員を寄越したらと思うとぞっとする。本当に素晴らしい。キミも、その判断を下してくださったカルデア所長のアニムスフィア氏も。

 キミならばこの状況を任せられる。ああ、もちろん私も最大限協力させてもらうよ? それは当然のことだ、何故なら私だって当事者。そしてキミと職場は違えど所属を共にするれっきとした仲間なんだから」

 

 にこやかに微笑むベックマン。

 彼が握手を求めるように手を伸ばしてくる。

 化け物と呼ばれても澄まし顔のメルトに合わせ、リップも同じように。

 

 想定していた言い訳、アルターエゴを利用した()()についての言及はない。

 あとからいくらでも誤魔化せる、と思っているのだろうか。それとも二人を仲間にしているのにこっちから言い出さないという事は、バレていないとか、問題視されていないとか、そういう考えかもしれない。

 

(だとしたら……ええと、ここから更に功績を欲しがってる……のかな)

 

 応じるために一歩踏み出す。

 

 こちらは彼を最大限厚遇している感を出し、教会へ追いやらねばならない。

 だが何を褒めればいいのだろう。

 

『よく生き延びてくれた。とてもうれしいよ、アーノルド。

 そして協力の申し出ありがとう、でもここは専門家に任せて避難していてくれ』

 

 危険からは離れたいだろうが、果たしてそれで追い出せるだろうか。

 外を探索するならば着いてこないだろうが、管制室を追い出す理由には弱いと思う。

 というか、最初にやった無銘との魔術師っぽいやり取りの後にこれはちょっと微妙だ。

 

「しかしよろしいのか? ここにある情報を求めて我々に対し、BBが再び攻撃を仕掛けてくるかもしれないというのに。残るアルターエゴは三騎、どれも一筋縄ではいかない存在だ。

 いや無論、そのような危険な場所に残ってまで、我らの手伝いをしてくれる者がいるというのであれば、それは非常に助かるには違いないが……」

「―――そうですね。この場にBBにとって開示されては都合の悪い、セラフィックスの情報を大量に握った存在がいるとなれば、マスターに次ぐ標的として見られているでしょう。

 そのような者がこの場で自衛の手段もなく待機している、というのはあまりに危険……」

 

 フィンとガウェインが言葉を交わす。もちろん言葉は選んで。

 ベックマンが頼りになる、などとは口にしない。

 もしそんな有能な人物がいたら助かるのになー、というただのぼやきだ。

 

 ぴりっとはこないが、どうにも頭の痛くなる空間だ、と。

 清姫が軽く目を回してブーディカに軽く寄り掛かった。

 

 舌打ちを呑み込んで、弾劾されるために無銘が荒い口調で言葉を吐く。

 

「何を馬鹿なことを。管制室で効率良く情報収集するため必要な存在を、その程度のことで避難させてどうする? いつからオレたちの役目が海難救助になった。いい加減、日和るのも大概に―――」

「アーチャー」

 

 マスターの強い声。ぐっ、と息を詰まらせて黙り込む無銘。

 そしてこんな間抜けな台詞、もっとさっさと打ち切らせろノロマ。

 とか、そんなことを言いたげな刺すような雰囲気が飛んでくる。

 何か意外とこう見えて無銘って苦労人気質なんだな、とふと思った。

 

 自分が意図して狙われ、殺されるかもしれない状況。

 それを意識しだして、ベックマンの視線が揺らいでいる。

 

 そんな彼の前で顎に手を当て悩み込む姿勢。

 

(―――ガウェイン卿に教会まで送らせましょう。少々の手間は嵩みますが、確認が必要な情報があればこちらから訊きに行くことにすればよろしい)

 

 こっちから向こうに顔を出す、という提案は相手を調子づかせないだろうか。

 そんな思考を読み取ったのだろう、トリスタンが追加で風で音を紡ぐ。

 

(ええ。自分が我々に対して現場顧問、という立場を手に入れられる事実に調子づくかと。それで気分を良くしてもらって、後は放っておくのが一番楽な着地点でしょう。

 ……現時点でここが海底に落ちるまで、SE.RA.PH時間で残り約10時間程度。それをわざわざ知らせる必要もないですし、彼が癇癪を起こす前に成否はどうあれ決着している)

 

 改めて言葉に(無声で発した弦の音だが)されると、その残り時間が圧し掛かる。

 本当にギリギリの時間だ。

 BBたちにひたすら遅延された結果、ここまで時間を削られた。

 もう猶予はほぼ残っていない、と言える。

 

 表情を崩さないようにしながらベックマンへと顔を向けた。

 

「すみません、ミスター・アーノルド。私のサーヴァントが失礼しました」

「いやいや、気にしていないとも。私とて十分に分かっているさ。カルデアはアニムスフィアの最重要機関であり、セラフィックスはそこを運用するための重要な資金源……カルデアがここの奪還を早く推し進めたい、と思っているのはよく分かる。私だってセラフィックスの職員として同じ気持ちだ。持ちつ持たれつの関係なんだ、力を合わせて行こうじゃないか。私とキミでこの事態を解決しよう」

 

 頭が痛くなってくる。どう答えるのが正解なのか、よく分からない。

 思い起こされた制限時間のせいで焦りが浮かんだせいで、余計にだ。

 焦燥を抑える深呼吸なんて、彼の目の前でするわけにもいかないのだし。

 

 一呼吸だけおいて、とにかく彼をここから遠ざけるための話へ持っていく。

 

「……ええ、その通りです。ですがミスター、あなたはまずは休息を取られたらいかがですか? 休息するためのセーフエリアは確保してありますので。その間に私は管制室の調査を進めさせて頂きます。調査を終えたら私たちも一度そちらに―――」

 

 瞬間、がくんと体が揺れる。

 抱きかかえられて移動させられた、と後から理解した。

 莫迦者、と小さく呟く呆れたような声が耳に届く。

 

 立香を掴んだまま着地したアタランテは、彼女をブーディカに投げ渡す。そのまま大仰なまでに弓を振り回し、響かせるように弓で弦を張る音を立てた。

 できるだけ丁寧に受け止めつつ、同時に剣を引き抜き表情を硬くする女王。彼女に続き、その場にいるサーヴァントたちは即座に戦闘態勢に入る。

 

「なっ、なんだね一体!?」

「会話中すまないなマスター。だが()()()()()()の気配だ!」

「あんまりゆっくり話している時間はなさそうだね……!」

 

 張り詰める緊張。

 その空気に呑まれ、引き攣るアーノルドの表情。

 

 ―――違う。

 この小芝居を挟まねばならなくなった原因は、もう事態解決まで教会に戻る気もないのに、後で戻るので話し合いをしましょう、なんて自分が言おうとしたからだ。言い切っていたら、清姫がその嘘に反応していた。

 だからわざわざアタランテもアルターエゴの気配、なんて言い回しをする。それならばBBたちではなく、メルトリリスとパッションリップがここいるだけで成立する言葉だから。

 

 剣を握り、油断なく周囲に気を配りつつ、ガウェインがベックマンに並ぶ。

 

「お聞きの通り、ここは今から戦場になりかねません。マスターの命に従い、安全な場所までお送りします。どうか私の後ろについてきてください」

「あっ、ああっ! よ、よろしく頼むよ!」

 

 プロテアがいる以上、いつどこが戦場になっても本当におかしくない。

 それが今ばかりは言葉を選ぶ必要もなくなり助かる事実だ。

 

 急ぐように、注意しつつ走り出すガウェイン。

 遅れじと彼についていくベックマン。

 

 彼らが管制室を飛び出して数秒、張り詰めていた空気を一気に弛緩させる。

 二人が離れきっただろう、と判断するまで数秒待って。

 凝った肩を解すように回し、シャルルマーニュがほっと一息。

 

「いやぁ、これはこれで何かいい緊張感だったな!」

「うむ、この手のイタズラ染みた立ち回りをするのは私も割と好きだな。もちろん、状況が許してくれればの話ではあるがね」

 

 肩を竦めて無銘に視線を向けるフィン。

 そんな視線を受け、彼は軽く鼻で笑う。

 アーノルド・ベックマン。彼が教会まで走って落ち着いた後は、こっちが情報を得るために訪ねるのをふんぞり返って待ってくれていることだろう。もう邪魔にはならないはずだ。

 

 やり取りの感じ、役立ちそうな情報は何一つ持っていなそうだったのも幸い。

 存在を忘れてしまっていい相手になった、ということだ。

 

「本気で何一つ理解していない男だったようだな。生き残っているならば、最低限は情報を握っている人間の可能性も小さくない、と見ていたが」

 

 カルデアのノリに合わせるのとは別に、それを引き出すべく小芝居を入れろと指示したのに。本当に時間の無駄だった、という顛末だ。笑えもしない。

 

「とにかく、邪魔者は片付いたわ。

 時間がない今はさっさと本題に入りましょう」

 

 カツカツと音を立て、管制室のスクリーンの前に行くメルト。

 無銘は彼女より先にそこへ辿り着き、キーボードを叩いていた。

 

「お、流石は銃使い。こういうパソコン的なあれも自由自在か」

「少なくとも馬鹿のおもりをするよりは簡単だな」

 

 シャルルの言葉に冗談とも取れない言葉を返す無銘。

 幾つか画面が切り替わった後、映し出されるのはセラフィックスのマップ。

 複数の階層から巨大施設、海洋油田基地の元の姿。

 

 失敗したと落ち込んでいる暇もない。

 気合で気を取り直し、ブーディカから自立する。

 

「地図か。ふむ……どこも基本的に原型は留めていないのだろうが、どうにも今まで見回ってきた場所に比べ、設備が足らないのではないか?」

「―――えっと、それは……SE.RA.PHには()()があるからだと思います」

 

 フィンはパッションリップの言葉を聞き、納得する。

 ここは女体のかたちに変えられた電脳空間なのだ。

 正面があるなら、背面があってもおかしくはないということになる。

 

 どこを見回ってもいなかった鈴鹿御前が、ここにもいなかった理由。

 それは彼女が背中のどこかを担当する衛士だからだったのだろう。

 

「……それは、まずいですね。背中まで探索している時間は流石にもうありません」

 

 トリスタンの細い目が更にきつく細くなる。

 裏に回る方法が分からないのもそうだが、その後探索する時間なんてない。

 タイムリミットはもう迫っているのだ。

 

 だが知ったことではない、とばかりに無銘が軽く腕を組む。

 

(上層フロア、マップ中央部。ここが現在地である中央管制室。フロアごとの配置を見る限り……本来ならば、管制室の真下。ここの直下に()()()()()()があった、ということになるな)

 

 不自然に設けられた、マップ上には何もない巨大な空間。

 彼と同じ場所を目をつけながら、藤丸立香が考える。

 

(これだけのスペース、本当に何も無かったって風には考えにくい。そこはきっと魔術的に重要な場所で、だから一般側の設備からじゃ閲覧できないようになっていた。となると、そこにはセラフィックスの心臓部とも言える魔術的な重要施設があった、と考えてもいいと思う。

 問題はSE.RA.PHとセラフィックスじゃ厳密には様々な部屋の配置がめちゃくちゃに変わってること。管制室の下にあったものが、まったく別に位置に移動してることがありえないとは言えない……けど、そこは問題ないかもしれない。だってここは間違いなく、女体を模って形成されたSE.RA.PHの胸―――心臓にあたる場所なんだから)

 

 そこに魔術的な意味を持たせるなら、人体の形状を模った以上重要な場所は限られる。

 頭脳、あるいは心臓。この場合は電脳世界SE.RA.PH維持のための心臓部。

 (ブレスト)に位置するこの中央管制室付近に、SE.RA.PHを維持するための電源がないはずがない。

 

(中央管制室などもはやどうでもいい。ここが胸部であり、その下には心臓があるべきである。重要なのはこの一点だけ。ここで見たマップで隠し部屋の実在する可能性も補強できた。

 ならばもう考える余地さえない。オレたちが標的とする電源室は、この中央管制室の真下に存在したままでなくてはならない。ならば後は―――)

 

 立香が気を取り直すようにぐっと立直す。

 彼女はそうして気合を入れ直しつつ、視線を振った。

 

「時間もない。じゃあ、手はひとつしかないよね―――掘ろう!」

 

 そう言って立香は、きょとんとするパッションリップの巨大な爪を見つめた。

 

 

 

 

 

 涼やかな表情で大仰に教会の扉を開くガウェイン。ある程度配慮した疾走だったのだろう、彼の後ろには疲労困憊ながらちゃんとベックマンもついてきていた。

 彼はへろへろになりながら教会に踏み込んで、そのまま千鳥足でふらついている。

 

 そんな闖入者を見て、礼拝堂で雑談していたマーブルが立ち上がる。

 

「アーノルド! 無事だったのね、アーノルド! ああ、よかった! 立香ちゃんたちが助けてくれたのね!」

 

 そんな彼女をちらりと見て、ネロが立ち上がって大外周りに入り口へ向かう。それに特に理由もなくネロがそっちに行ったから、何となくついていくエリザベート。

 そしてまるでネズミの尻尾のように揺れるエリザの尾を追い、キャットはふらふらとそちらに誘われていく。ネコパンチがエリザベートの尻尾を狙う。

 

「ああ……じゃない、ええと、あー……キミ! キミはね! カルデアのマスターである女性に立香ちゃん、なんてやめてくれ。セラフィックスの規範が疑われるだろう? まったく、すまないね。うちの部下が常識知らずで」

「いえ、お気になさらず。この状況です、規範に従ったものよりも、不安を払うための言葉を口にしたい、という思いは理解できます。何よりここが神の家、ということもあります。不安の告解を扉の外に出すような事は致しません」

 

 ガウェインは物腰柔らかくベックマンをいなす。

 その言葉にほっとしたのか、彼はそのまま近くの椅子へと腰を下ろした。

 

 ネロがそろそろとガウェインの隣につき、不思議そうに問う。

 

「どうなっておるのだ、これは」

「詳細はまた後で。管制室の攻略は一応完了。私は彼ら、というより彼を対等の客人として扱いつつ、時間を稼ぎます。あなたは……まだ不調でしょうし、そうですね。できればタマモキャット、あなたに管制室へと援護に向かってほしい」

「ほう?」

 

 この中で魔術、呪術にもっとも造詣が深いのは彼女だ。

 

「このアタシに仕事の依頼か……うむ、よかろう。報酬を要求したいところであるが、助けられた恩もある。キャットは受けた恩を忘れぬもの。

 しかし専門外の仕事を要求されるとなれば、差額の請求は行わせてもらうぞ?」

「……具体的には?」

「フッ……大陽の騎士、ガウェインよ。その名に恥じぬ燦々と降り注ぐ太陽の光を大地に恵み、美味しいニンジンを育てるがよい。それがアタシにとって一番の報酬になるのだワン」

 

 そう言ってニヒルに笑うキャット。

 エリザベートが発する意味不明なものを見る視線。

 だが彼女の笑みを受け、ガウェインは優しげな笑みで深く頷いた。

 

「別に私が太陽光を自在に降らせることができるとかそんなことは一切ありませんが、それが報酬となるというのであれば是非もない。

 機会に恵まれた時には菜園でも設け、私なりに根菜を育てておきましょう。無論、育てた野菜でパーシヴァルにも劣らぬ根菜料理を振る舞わせて頂きますとも」

 

 はっはっは。笑い合うガウェインとキャット。

 どうやら何かが通じ合った様子だ。

 ネロは何だこいつら、というエリザベートの顔を見ないことにした。

 

 そうしたやり取りを経て、キャットが静かに身を引いた。

 そのままここから飛び出しここ掘れワンワン、管制室まで一直線だ。

 まったくもって問題なく、ここはそうなるはずで―――

 

「ひぁん!?」

 

 唐突に、突然マーブルが胸を押さえて立ち上がらなければ。

 そのままキャットはここを離脱し、管制室に向かっていただろう。

 だがそんなものを前にして。その女の反応に香る気を前にして。

 彼女がそのまま離脱するなどということは、ありえなかった。

 

 胸を強く押さえ、恥じらうように俯くマーブル。

 そんな女性の姿を前に、ベックマンは呆れ果てたと声を低くした。

 

「―――おいおい。やめたまえよミス……そう、ミス・マーブル!

 彼らはカルデア所長直属の部隊なんだぞ? キミが馴れ馴れしく振る舞ったり、奇行を繰り返したり、何を言って失点を稼ごうと私の知ったことじゃない。だがね、それがこっちに飛び火するようなことになったら―――」

「伏せろ!!!」

 

 キャットの怒声。彼女が出したとも思えぬ、獣の咆哮。

 それに反応したサーヴァントたちは皆、無事で済んだことになる。

 だが先程まで怒涛の如く喋っていた男の言葉は、その時点で途切れていた。

 

 体勢を低くした者たちの前で蠢くのは腐肉の触腕。

 その凶器により、つい今まで生きていた肉片がその場で飛び散った。

 またそればかりではなく、とうに血の巡りが止まった人の肉と皮も。

 

 びちゃびちゃと跳ねる血の水音。ベックマンだったものが無数に床にばら撒かれ、教会の床を赤黒く染めていく。

 そんな足場で立っている女の体から剥がれ、積み重なっていくマーブルだったもの。屍肉と皮が剥がし姿を見せるのは、悠然と、陶然と、微笑む女。

 マーブルの姿はもうない。彼女がいた場所に立っていたのは、尼僧服に身を包みながらも隠しきれない色香を放つ、艶やかな女であった。

 

 彼女は困った風に頬へ手を当て、苦笑する。

 

「もう……いきなりあんな、無理矢理に胸を開くような真似をされてしまうだなんて。こんなところでお恥ずかしい限りですわ、もうちょっとちゃんとした場で姿を現したかったのに」

 

 そう言って彼女は自分の胸元に指を這わせた。

 そこでいま、何かが発生したせいだとでも言いたげに。

 

 笑う女の背後で腐肉が躍る。

 

 教会中に飛散し、紅く染めて飾ったのはベックマンだったもの。

 女の足下に崩れ落ち、山を作ったのはマーブルだったもの。

 そして蠢く触腕は、魔神を思わせる腐肉の塊。

 地獄の様相の中心で、尼僧はどこか恥じらいを込めて苦笑してみせた。

 

「節度を心掛ける心構えがあるのであれば、先に引っ込めるものがあろう。よくもまあそれだけの陰の気を体に蓄えていたものだ。ましてそれを今の今まで隠し通していたとは、傾国の女でさえそこまでブロックは堅くなかろうに」

「節度ではなく、備えの問題です。蟲を踏み潰す時は素足でなく、靴を履いておくものでしょう?」

 

 正体を現した以上、もはややらねばならぬ事は理解した。

 

「なんという……! 貴様、何者だ……!?」

「―――――」

 

 ネロの問いかけに少し困った風に、女はただ薄く笑みを浮かべて返す。

 

 ―――何であれ、()()が元凶だ。

 BBなどただ表向きの隠れ蓑。

 あれこそが魔神に連なる元凶なのだと。

 

 最上の警戒心、敵愾心を発揮するキャット。

 喉を鳴らしながら彼女が、周囲の状況を確認する。

 

 大前提として手も足もでない。勝てない。

 恐らく全員まとめて瞬殺だ。

 ガウェイン、どうにか逃げられるとすればキャット以外には彼だけか。

 ネロは不調、エリザは彼女を置いて単独で逃げはしないか。

 

 それは全員分かっている。

 戦闘態勢と取りながら、絶望的だと理解している。

 そう理解させるだけの陰の気が女にはある。

 

「そうか……うむ、異常だと思っていたのだ。まるで猫が波止場で運動会するかの如きこの異様、貴様がこれを仕組んだ張本人、黒幕なのだな」

 

 胸から手を離し、にこりと笑う尼僧。

 方針は決定した。主力と合流する。

 

 逃がしてはもらえないなら、ここで誰かが犠牲になる。

 その使命が果たせるのはこの場ではただ一人。

 ガウェインでさえあの魔神の触腕の手数は抑え切れまい。

 となればやれるのはもはや―――

 

「―――退け」

 

 死の覚悟、呪術を行使する覚悟、それを決めた瞬間に。

 

 周囲から吹き出すように出現する槍。

 這い回る茨のような、吹き出した血のような、流動する刃。

 それらが教会の壁すら破壊しながら、一斉に雪崩れ込んでくる。

 

「―――管制室まで退くぞ!!」

 

 議論の余地はない。

 文字通りの横槍を入れた人物と言葉を交わす暇もない。

 

 動きが遅れるのは、走りづらそうにするネロ。

 そんな彼女を支えて引っ張るエリザベート。

 

 そんな鈍間な二人の内、エリザベートをめがけて腕が伸びる。

 鎧に包まれた腕が、彼女の角をへし折らんばかりに強く掴んだ。

 

「いたっ!? 痛い痛い痛い痛い痛いッ! なに、何なの!?」

 

 悲鳴を考慮せず、そのまま角を持ち手にエリザが掴んだネロもろとも背後にぶん投げる。後はガウェインなりキャットなりが掴まえ、持って行くだろう。

 

 軋む体を奮い立たせ、怪物と対峙するのはヴラド三世。

 

「……神の家に巣くっていたとは、厚顔な背信者よ」

「まあ……なんと酷い言いようです。(わたくし)とて、好んで別に教会に身を置いていたわけではありませんのに。

 ただ私にこの仕事場は用意してくださった方は、あまり教えの違いに興味を持っていなかったというだけで―――」

 

 くすくすと笑う、教会に身を置いていた異教徒。あるいは別のカタチであれば、教会の教えを以て救世主たりえたかもしれない女。

 魔神の腐肉と血の槍が入り乱れる教会の中、怪物がゆっくりと歩き出す。

 

「“串刺城塞(カズィクル・ベイ)”!!!」

 

 即座に護国の将は憤然と、果断にも全生命を賭して宝具を起動した。

 

 彼の体を食い破る勢いで吹き出す槍、槍、槍。

 血に濡れた、大地に血を吸わせた、彼の国を守護した槍の城壁。

 ただ一人の女にのみ向けられる殺意の渦。

 文字通りに全てを懸けた、ヴラド公に行える最期の一撃。

 

 その由来により彼の宝具“串刺城塞(カズィクル・ベイ)”は、受ける相手の不義・堕落の度合いにより威力を増す。相手が地獄の底まで堕した女怪、魔性菩薩ともなればその威力は最大にまで引き上げられることになる。

 女の柔肌に続々と押し寄せる血の刃。周囲が見通せなくなるほどに密集して展開される槍衾。真実、地獄でさえもこれほどの血の惨状は見られまい。

 

 自身を呑み込む血塗れの刃を見て、その怒濤の勢いの中に女は幻視する。

 かつてこれがオスマン兵を串刺しにし、大地を血に染めた光景を。聳え立つ槍に串刺しにされ、屍肉を啄む鴉に集られている、2万ものヒトの死骸を。

 

 ―――それは、それは。

 

「ああ、なんて―――」

 

 まるで、虫の標本みたいで面白い、と思った。

 脚を動かし、羽を広げ、地に空に蠢くために生まれてきた蟲たちを、その形のまま動かなくして、ただピンで留めて飾っておく。

 綺麗なままに生命の価値を奪い、残酷さで閉じ込めた、子供のころの宝箱。

 

「素晴らしい光景を見せていただけて……これでは私も、少々昂ぶってしまいます」

 

 女が両の腕を軽く振るう。

 もはや彼女の一部となった魔神の腐肉が槍となり、進出する。

 

 激突する双方の槍。手数ばかりは比較にもならない。

 ヴラド公の2万の槍に対し、尼僧が放つのは十数本といった程度。

 

 しかしその激突の結果は明確だった。

 バリバリと、小枝をへし折るように砕けていく血塗れの槍。

 生贄にした蟲から絞った血の質が違う。全体を構成する霊子の密度が違う。

 そして何より―――彼我の存在は文字通りに()が違う。

 

 槍を砕きながら、女の足取りは緩みもしない。

 自身から吹き出す槍を両手に握り、ヴラドはその接近に備えて構え。

 

 ふい、と女が振るった腕。

 その一動作によって、上半身が削り取られた。

 地についた脚だけが残り、自分の血で床を染めていく。

 それでもなお、その血から女を阻まんと弱々しくも突き出してくる槍。

 やがて薄れて消えていくにしろ、一瞬でも長く女を食い止めんがため。

 

 ―――手入れのされていない藪を刈り取りつつ、通り抜けたような疲労感。

 女は教会から何のこともなく踏み出して、ほうと息を吐いた。

 

「うふふ……時間、稼がれてしまいましたわ」

 

 信仰の鬼、彼の吹き出した血で赤黒く染まった神の家。

 魔力に還っていくその血を眺めながら、女はただ微笑む。

 

「さあ、間に合うかしら。ねえ、メルトリリス?」

 

 

 




 
 1話の命だったベックマン。話題に出たら死んでた(二回目)ゼパル。
 どちらがマシなのだろう。
 


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邂逅と決別771/A

 

 

 

 ぼう、としながら海底の空を見上げる。

 結局自分のセクターでふらふらしている内に、時間が来たようだ。

 連中は機動聖都に向けて進撃を開始した。

 大帝側に阻む意思がない以上、いとも簡単に辿りつける事だろう。

 

「なーにやってんだか……」

 

 ぽつりとこぼし、体育座り。

 

 一体これからどうなるだろう。

 どうなったとしてもどうでもいいや。

 なんだかとってもそんな気分。

 

 遠くからギャリギャリと酷い金属音が轟いてくる。

 遠雷だってもう少し品のある響きをしているだろうに。

 聖都正門をリップが捻り潰したのか。

 あんまりにも酷い不協和音につい耳を押さえ、溜め息をひとつ。

 

 このまま耳を塞ぎ、目を瞑り、俯いていられたらいいのに。

 そんな気分のまま、1秒、2秒、3秒。

 

 ―――はい。ちょっと気を取り直す。

 

 萎えきった心を女子高生ハートで武装させる。

 テンション上げて、俯いていた顔を持ち上げて、勢いよく立ち上がる。

 アゲアゲで行こう、アゲアゲで。

 

「ま、なるようになるっしょ! 今回の私は最後までかやの外で暴れるだけの、感情に振り回されてるバカな女でしかなくて―――!」

「―――ええ、本当に」

 

 あまりにも不意に。ざくり、と。

 少女の胸を背後から貫いて、女の腕が突き出した。

 心臓を、霊核を、完全に打ち砕く鋭利な手刀。

 

 ハ、と。吐血と空気、疑念が口をついて出る。

 いつの間に、どこから、一体誰が。

 いや、誰がという疑問については考えるまでもなく答えはあった。

 

 錆び付いた捻子のように首を捻り、背後の女を確かめる。

 

 静やかな尼僧服に浮かび上がる豊満な体のライン。

 その衣装に対し、あまりに似付かわしくない妖艶さ。

 淫靡に微笑む、カール大帝さえも絶対の敵視を向ける最低最悪。

 

 ―――殺生院キアラがそこにいた。

 

「オ、マエ……!」

「第四天魔王、天帝の真子たる鈴鹿御前さま。後ろから失礼いたします」

 

 慇懃無礼に振る舞いながら、確実に少女の息の根を止める。

 だが鈴鹿の肉体は崩れない。

 何らかの目的によって女、殺生院がそうしているのか。

 

 ぐちり、と生々しく血と肉が音を立てる。

 傷口を抉る音と共に、女が愉しげに微笑む声。

 

「せっかく良い眼をお持ちなのに、どうにも開きたがらない。そんなただならぬ様子を見て、(わたくし)も確認させていただきました」

 

 電脳術式(コードキャスト)、“五停心観(ごじょうしんかん)”。

 相手の精神の淀み、深層心理に眠る感情までも読み取り、浮き彫りにすることで摘出する。本来はメンタルケアのために開発された、人の心を暴くためのもの。彼女はそんなキャストを利用して、鈴鹿御前の魂の底まできっちりと見通した。

 

 無論、普通であればそんな干渉は察知されるだろう。

 

 殺生院がそれを行使した場所は、紛れもなく鈴鹿御前の(なか)

 彼女は内側から鈴鹿御前の深層心理に迫り、それを情報として入手した。

 

 当然の如く、そうされていると鈴鹿御前には察知できたはずだ。

 

 それを可能にしたのが電脳術式(コードキャスト)、“万色悠滞(ばんしょくゆうたい)”。

 殺生院が作り出した御禁制(コードキャスト)。電脳空間において魂のみを分離させ、それを他の魂と接触させることで、互いに深く強い相互理解を行うための術式。これが違法と判定されるに至らしめた過程はさておき、これこそが殺生院がこのSE.RA.PHにおいて遁走を成功させた理由でもある。

 

 ―――これを実行できる彼女は、電脳空間においては肉体を捨て去り、魂という情報のみでの活動を行うことができる。電脳においては肉体も精神も魂も等しく情報、現実世界とは比べ物にならないほどに自由に弄ることができるのだ。

 彼女はカール大帝と敵対した時点で、肉体という枷を早々に捨てていた。

 

 無論、ただそれだけでは同じく魂であるサーヴァントの目から逃れることなど不可能。感知に優れたサーヴァントであれば、魂という情報だけで漂う隙だらけの存在を見逃すはすもない。逃げ切れるはずもなかったのだ。だというのに、彼女はこうして今まで逃げ延びていた。

 であれば、彼女が今までどうしていたかというと―――

 

 魂のみとなった彼女は、あるサーヴァントへと自らの魂を取り込ませた。

 その対象こそが、鈴鹿御前である。

 “万色悠滞”は魂同士を接触させるための術式、鈴鹿御前の魂に触れることは不可能ではない。

 

 だがそんなことをされれば、どんな鈍いサーヴァントだって気づくはずだ。己の中に異物が侵入したのだから、狂戦士でさえ何かがあったと首を傾げるだろう。どんなサーヴァントであっても気付いたはずだ。誰であっても、いとも容易くその違和感に気を留めるだろう。

 

 気付かれたらそのままでは居られない。そうなっていれば彼女は、ゼパルを取り込むことで得た魔神としての力を発揮し、取り付いたサーヴァントを核とすることで魔神として再誕し、抵抗を試みるくらいしかできなかっただろう。

 もちろんそうなればカール大帝のいい的だ。聖都からの爆撃を受けて、せいぜいが魔神数十体分程度の力しか持たない今のキアラでは、耐えきれずに完全消滅していたに違いない。

 

 でもそうはならなかった。

 その結末は回避されてしまった。

 

 鈴鹿御前は、鈴鹿御前だけは、自分に潜んだ彼女に気づけなかった。

 ムーンセルに匹敵する眼を持ちながら、絶対にそれを顧みない彼女には。

 

「―――どうやら(わたくし)、貴方さまに葬られた世界もあったようですね。ですがそんな世界もあった、ということさえも視れる眼を開くことを自分で避けておいでだった御様子」

 

 “万色悠滞”で同化し、“五停心観”で見透した少女の意地。

 まるで同情するような声で、殺生院は鈴鹿の失態を語る。

 

 ああ、そうだ。彼女はその世界を観たくなかった。

 あの出会いを、あの恋を、ここにいる彼女は観たくなかった。

 だからずっと眼を逸らしていた。

 

 自分が殺生院と関わったことのある世界。そんなひとつの可能性。

 そこで生まれた何かや、そこで過ごした時間の全てを彼女は観たくない。

 そうやって眼を逸らし続けていたのが、今の今まで。

 

 視る気になれば全てを観通せる。でも見たくないから観ない。

 そんな広すぎる視覚に生じた大きすぎる死角。

 

 鈴鹿が自分でも曝きたくない自分の心の裡に、殺生院は悠々と潜み続けた。

 殺生院の存在自体が鈴鹿御前が観たくない別の世界の記憶を連想させてしまう。

 だからこそ、彼女は何より自分の心情を理由に殺生院を()()()()()()()()()

 

「ですので、貴方さまの死角にするりと。ええ、潜ませて頂いておりました。よく分かりますわ。見つけたくないものからは、自然と眼を背けてしまうものですものね?

 ―――恋に目が眩むとはまさにこのこと。なまじ眼が良すぎたばかりにその宿痾……」

 

 嗤う女。そのまま鈴鹿を砕かないのはごく単純な話。肉体を捨て魂だけで存在していた彼女には、物理的な……電脳情報であるリソースが足りない。魔神の力を使えば肉体は幾らでも再構成できる。今の肉体がまさにそれだ。だがこの程度、栄養も足らずに生成した間に合わせの体。

 こんな最低限の肉体では、並みのサーヴァントはともかくカール大帝には手も足もでないだろう。だから彼女は栄養を求めている。

 

 この瞬間。ソウゴたちが聖都に踏み込んだこのタイミングであれば、実力的な問題ではなく性格的な問題で、恐らくは大帝による城外への対応は疎かになる。

 だからこの瞬間からなのだ。可能な限り速やかにサーヴァントを喰らい、肉体をより堅固なものへ作り変える。その上で大帝とメルトリリスらの決戦にここぞという時に乱入し、SE.RA.PHの支配権を奪い返す。そのまま地球の核へと到達すれば、その時こそ彼女は完全変態するだろう。

 

「あまりに容易く貫かれ、命果てる。いつかの終わりと同じ光景でしょうが、今回は立場ばかりが逆だったようで。ですが、ええ……このまま観たくもないものだけ思い起こさせられ、ただ死して消え失せるというのはあまりに惨く、非業な話。

 私はこれまで貴方という殻に守られ、永らえていたのです。こうして今まで私を庇護してくださった貴方のためです。どうか貴方が安心して眠って頂けるよう、恩返しをさせて下さいな?」

 

 既に命の尽きた鈴鹿に対し、喜悦と共に語る殺生院。

 鈴鹿は意識が薄れていく中、悪趣味がすぎるという言葉さえ吐き出すこともできない。

 

 元よりこれなのか、あるいは魔神に関わったせいでここまで捻じれたのか。

 まあ、今さら救いようがない怪物には変わりない。

 

 血と失笑を吐き捨てる鈴鹿に対し、満足げに微笑む女怪。

 

「あまりの失態、遍く視界を鎖す羽目になったその原因。それさえなければ、貴方さまも立烏帽子の名に恥じぬ、よほど自由な真子として振舞えたのでしょう?

 では、して差し上げることは決まったも同然。私は貴方が抱いたその悩みの解決に、微力ながら全身全霊を尽くしましょう」

「―――――は?」

 

 血が凝る。死を一時なりとも超克するため、神性を発揮する。

 眼が黄金に輝き、肉体に魔力と神気を充填した。

 それでも死に体。何ができるわけでもない。

 

 事実をきちんと把握した上で、心底全てを振り絞る彼女に向け、魔性は嗤う。

 

「生に、死に、現世に悩み多き少年も、その重石(いもうと)も、私が遍く救いましょう。多少の世界の違いなどものともせず、必ずや蕩かして天上解脱させてみせましょう。

 ですから、どうぞご安心を。貴方の恋心には、文字通り天にも昇る結末を―――」

 

 ガチャリ、と。

 剣を掴んだ腕が、女の声を遮るほど派手に鍔を鳴らす。

 潰れた蚊よりも瀕死の少女が、その残滓を振り絞って動く。

 

「……バカなことをしてた私がバカみたいに死ぬのは、どうでもいいけど」

 

 低く、小さい、文字通り蚊の鳴くような声。

 それでもそこに乗せられた気迫ばかりは疑いようがない。

 ケモノの姿を、ケモノが睨む。

 必ずや殺すという、獲物を定める眼光をもって。

 

「―――けど。それを言ったからには覚悟しろ、自己愛(ケモノ)。その因業、どれほど時が廻ろうと、必ず私がオマエに贖わせる……!」

「ええ、楽しみにしておりますとも」

 

 朗らかに、殺意の宣言を雑談のように受け流し。

 最後に女は鈴鹿御前の残滓を握り潰し―――

 

 瞬間、光を曳きながら神炎の鏃が着弾した。

 弾数は八。狙いはひとつたりとも過たず、殺生院の全身各所へ。

 炸裂した炎に押し出され、鈴鹿の死体が吹き飛ばされた。

 

 逃した獲物を追う事もできず、直撃を受けた殺生院がふらりと揺れる。

 弾着を確かめた弓兵が、銀色の矢筒に再び指をかけつつ眉を上げた。

 

(確かに鈴鹿御前に配慮し、少々威力は抑えましたが……“炎神の咆哮(アグニ・ガーンディ-バ)”が直撃してあの程度ですか。SE.RA.PHの支配権は全てカール大帝にあるにも関わらずアレとは)

 

 授かりの英雄たるアルジュナの前。

 力なく吹き飛ばされていた鈴鹿御前を、施しの英雄たるカルナが空中で受け止めた。

 とはいえ、もう彼女は消えるだけだろう。

 殺生院の栄養にされるのは防げただけで十分な成果と言えるだろうが。

 

 残っていたサーヴァントは続々とこの場所に集い始めている。

 多数のサーヴァントによる囲い、圧殺の構え。

 

 肉体を魔神で生成した怪物。魔神数十体に及ぶ魔力的な質量。確かに脅威的な存在だ。だがSE.RA.PHと遮断されている今は、無敵でもなければ無限でもない。確実に削り落とし、消滅にまで持っていく。

 

「……ふふ、うふふ。感じますわ、私を敵視する英雄、豪傑。そんな皆様方が向けてくる、この身を貫き、掻き回されて、殺されてしまいそうな、肌を突き刺す多くの視線。

 ああ―――なんて、なんて心地良い……! 改めて、確信できました―――」

 

 アグニの炎で焼却され、焼け落ちる尼僧の服。

 頭巾で纏めてあった艶やかな黒い長髪が解放され、夜の闇のように広がった。

 

 ―――その髪がなびく頭には、いつの間にやら二本の大角。

 そうして魔羅を得た彼女の装束は、下着染みた装束に変わっていた。

 

 獣の幼体、本体を得るための蛹から切り離された弱者。

 巣の外へと落とされた雛鳥のような、もはや死ぬしかない生命体。

 そんな有様でありながら、絶大な力を湛えた最低最悪の魔人。

 

「この先に、きっと(わたくし)最高の快楽(のぞみ)が待っている、と」

 

 嬉しそうに微笑む殺生院キアラ。

 肉体の損傷は魔神の腐肉によって埋め合わせ、再構成されていく。

 より頑強に。より強靭に。

 変生を開始した怪物を前に、新たな矢を番えながらアルジュナは強く目を細めた。

 

 

 

 

 

「……ね、ギャル男……」

「ああ、どうした」

 

 戦場から僅かに離れ、カルナが着地する。

 その腕に中には光と変わり始めた鈴鹿御前の姿。

 どれだけ気合を振り絞ろうと、限界なんてとっくに越えている。

 

「あの、さ……たのみ、が、ある……だけど……」

「ああ」

 

 言葉を口にするだけで致命傷は加速する。

 それでも言わねばならない。

 このまま死んでなんていられない。

 そうと思わせるだけの事を、あの殺生院(アマ)は口にした。

 

 自分が利用されて殺されるだけならここまでキレるものか。それだけならしてやられた、で大人しく死んでたって文句もない。

 だが、あんなことを言われたからには死んでも死ねない。たとえ地獄の鬼を全て斬り殺してでも、四肢を磨り潰して現世に這い上がってでも、あの女ばかりは殺してやらなきゃ収まらない。

 

「おんなじ……()()()()()の、よしみ、でさ……ちょっと、きいて……くんない、かな……」

「その答え。オレは既におまえに告げているはずだ。

 ()()をおまえが真に望むなら、オレがそれを止めることはないと」

 

 何のことはない。呆気ないにもほどがある。

 鈴鹿の普通ではありえない要求に対し、彼は当然のように首を縦に振る。

 それどころか、要件はそれだけでいいのか、と。

 本当に何でもないように消える寸前の鈴鹿に問いかけた。

 

 頷く鈴鹿御前。彼に望んだのはひとつだけ。大きすぎるひとつの願いだけ。

 ならばいい、と。カルナは空を舞い戦場へと飛んでいく。

 

 ―――独り、戦場から離れた場所に残された鈴鹿御前。

 既に死んだ身。消える寸前。

 そんな彼女は震える手で握ったままだった第三刀、顕明連を更に強く握り締めた。

 

 

 

 

 

「さて、まずは何から交わそうか」

 

 一切妨害なく、一切の障害なく、辿り着くのは玉座の間。

 豪奢な玉座に腰掛けた黄金の王は、姿を見せた彼らに微笑みかけた。

 

「理解を得るための言葉か。あるいは情を深めるための親愛か。

 あるいは、悲しくも望みを押し通すための凶刃か」

 

 朗々と語るカール大帝。彼は椅子から腰を上げようともしていない。

 

 ならば、とメルトリリスがパッションリップを見る。

 霊核さえ無事で、それをメルトがドレインできればいいのだ。

 体の半分くらい潰してやっても問題ない。

 

 その意図を理解して、リップが両腕を持ち上げる。

 id_es(イデス)、“トラッシュ&クラッシュ”行使の前兆。

 一撃必殺、防御不可能の不可逆圧縮(エンコーダー)

 

 それを向けられた大帝は、どこか苦笑気味に表情を崩した。

 ただ、それだけ。

 

戦乙女(ワルキューレ)は愛に狂ったというがね。余はその伝承に対して、少々懐疑的な気分であったのだ。姉上(アルテラ)を設計思想としたものが、そんな余分に狂うものなのか? とね」

「行きます……!」

 

 動かない。定位置に固定されている。

 そんな相手にならば、パッションリップの破壊力は最強無敵だ。

 発動を直前に控えた黄金の爪を前に、カール大帝は微笑む。

 

「だが、目の前に実例があるというのであれば認めざるをえまいよ。そういうこともあったのだ、と。そして……姉上(アルテラ)もまた、あるいはそういうものにもなれたのだ、と」

 

 城の天井近くから閃光。飛来するものの正体は剣。

 それがリップの目前に落ちてきて―――光の盾へと姿を変えた。

 放たれるフラッシュ。

 それがリップを視界を潰し、当然の如く照準を潰された能力行使は中断される。

 

「あう……っ!?」

「ちィ―――!」

 

 加速するメルトリリス。

 リップの迎撃こそしたが、やはり大帝は腰をあげようともしていない。

 最速、最短で駆け抜けるための軌道を描く。

 

 それを迎撃するためか、玉座の前に一体のエネミーが出現していた。

 人型エネミー、ただの人形。通り過ぎるだけで切り裂けるような雑魚。

 そんなものに意味はない、と。

 

 しかし直後に再び天井から剣がエネミーの前に落ちてくる。

 

 それが剣から槍へと変わる。そして、それを手にしたエネミーの姿もまた変わる。

 黒い靄に包まれた、マントを羽織った桃色の髪のパラディン。

 紛れもなく、紛い物であるが、その姿こそは十二勇士アストルフォのものであった。

 

「この……!」

 

 武器を核に人型エネミーに投影したシャドウサーヴァントとでも言うべきもの。

 その戦力に対してメルトは即座に足を向け、刃を振るう。

 喋る機能はないのか、シャドウアストルフォはそれにただ槍をもって応じた。

 

 メルトの脚、アストルフォの槍。その激突。

 結果は一瞬の拮抗すらなく、明白に勝敗を決していた。

 

「な、あ……っ!?」

 

 ばしゃりと音を立て、メルトの銀色の脚が水に還る。

 膝下が全て意識外で水になり、少女は体を床に投げ出された。

 彼女の腕が出せる力など、何の頼りにもなりはしない。

 あまりにも無様に、止まることも出来ず床を転がっていく脚を失った少女の体。

 

「く、ぁ……脚を維持、できなくなった……!?」

 

 “触れれば転倒(トラップ・オブ・アルガリア)!”。

 触れた相手の強制転倒、あるいは脚部分のみの強制霊体化。

 メルトリリスにもたらされたのは、脚が流水に還ることだった。

 

 影のアストルフォがカール大帝の前、槍の穂先を床に置く。

 隙だらけのメルトリリス。仕掛けようと思えば幾らでも追撃は届くだろう。

 だが大帝は追撃をさせるどころか、相手を見てさえいない。

 

 むしろ彼が見ているのは自分で呼び出したはずのもの。

 自分の前に立つ聖騎士・アストルフォこそを、珍妙なものを見る目で見ていた。

 

「……アストルフォ、か。ふむ、まあこういう風に解釈される、という事もあるのか」

 

 現実であるカール大帝には、幻想寄りの騎士アストルフォの覚えはない。

 こうしてジュワユーズを通じて招来してみても、やはりどこか噛み合わなかった。

 まあそんな話、どうでもいいと言えばどうでもいい話だ。

 

 今の彼は多少ならば幻想の方にも手を伸ばせる。現実と幻想、元より両方揃ってカール大帝なのだから、当然と言えば当然だ。もっとも聖剣(ジュワユーズ)を使ったところで、幻想寄りのシャルルマーニュほどの出力は出せないだろうが。

 とはいえ、こうして聖都の中に聖騎士(パラディン)の影法師を浮かべることくらいは造作もない。現にこうして特に大した労力もなく、カール大帝は絶対者に相応しい力を見せつけている。

 

 だがやはりどうにもしっくりこないものである。

 それは無論、同じようにリップの前に出現させたブラダマンテにも言える事だが。

 

 光の盾を取り上げて、人型エネミーが少女騎士の姿を取る。

 シャドウブラダマンテは、完全にリップのみを注視していた。

 

 視界を潰されるパッションリップ。

 脚を維持できなくされるメルトリリス。

 

 玉座から腰を上げることさえないままに、カール大帝は二騎のアルターエゴを鎮圧した。

 

 太股から一度自切して、何とか銀色の脚の再構成を始めるメルト。

 そんな相手を前にしながら、シャドウアストルフォが玉座前から歩み出した。

 追撃のため、という勢いではない。

 彼女が脚を作り直し復帰した際に備えるため、というだけの動作。

 このパラディンと撃ち合う限り、メルトリリスは脚の刃を頼れない。

 決定的な采配が既に打たれているのだ、聖騎士に急く理由は存在しなかった。

 

 能力行使は不可能と判断し、爪での直接攻撃に切り替えるリップ。

 女神ドゥルガーの神剣を爪として使う黄金の巨腕。その破壊の嵐を前に、しかし。

 シャドウブラダマンテは槍と盾でもって、それを難なくいなしてみせる。

 聖騎士の技量はオリジナルと比べれば下回るのだろう。

 だが乱雑に破壊力だけを極めたリップの攻撃を凌ぐだけならば、十二分の腕前。

 相手に向かって振り抜いた腕が、槍に逸らされ床だけを抉る。

 

 二つの戦闘。二つの圧倒。

 己のものであり、己のものでない聖騎士たちの戦場。

 その二面は既に勝敗を決している。

 

 紛い物だ。あくまで大帝の支配下において、彼を讃える伝承を具現化しただけ。だがだからこそ、あれらは紛れもなくカール大帝が繰り出した伝承に謳われるシャルルマーニュ十二勇士そのものでもある。

 女神の要素を織り上げ、造り上げられたハイ・サーヴァント。チートにチートを重ねて組み上げられたプログラム。抑えきれない少女の感情の発露(アルターエゴ)。怪物として生まれたそれらがいかなる力を備えていようと、聖騎士は易々と突破できるものではない。

 

 それらの戦闘の様子を一瞥して、カール大帝は残る少年に顔を向けた。

 

「さて、では今一度問おう。少年よ、この場を訪れ余と何を交わす?」

「―――夢かな」

 

 答えを選ぶことに、さほど迷いはなかった。

 既に開戦した状況において、彼はカール大帝を見上げながら微笑んだ。

 大帝は少しだけ驚いたように眉を上げ、小さく笑う。

 

「俺は最高最善の王様になる。あんたよりも凄い、世界の全てを救える王様に」

「ほう……ああ、良い夢だ。他者の救済と幸福を願える夢を否定する言葉など、如何なる余とて持ち合わせていない。となれば、余から言い返せる言葉はないな。

 ―――余もかつてはそのような光景を夢に見た。だがしかし、余では全てに救済をもたらすセイヴァー足り得なかった。もし仮にその夢が成就するようなことがあれば、お前は名実ともに余を越えた王となろう」

 

 そこで言葉を区切り、泰然と座っていたカール大帝が姿勢を崩す。

 何があろうとまともに対応する素振りさえ見せなかった大帝。

 彼は力強く、目の前の少年を見据えながら立ち上がった。

 

「お前の目的とする光景は理解した。となれば、次は余が目指す光景を言葉にせねばならぬ」

 

 彼が立ち上がると同時に、まるで城全体が動き出したかのように唸り出す。

 その轟音を物ともせず、確かに響く声で告げるカール大帝。

 

「余は目指す、永劫普遍の平和を。不変の平和。普遍なる愛に包まれ、皆が幸福であれる世界。“天声同化(オラクル)”とはそのために余に与えられた声である。

 余の“天声同化”が捉えた者の精神に少なからず歪みを生むことは否定せぬ。しかし“天声同化”とは洗脳に非ず、ただ己の裡に秘めた声を引き出す切っ掛けになっているにすぎぬ」

「引き出されたくないって人もいたよ、ここにもね」

 

 視線を交わすカール大帝とソウゴ。

 

「知っているとも。余とてそのような者を縛ることはしようとはせぬ。余との同化を阻むならば、余はその意志を尊重しようとも。お前の言う男は余の声を聞いた結果、ただ離れようとすることもできぬままに、危うい均衡の上にあった精神を崩してしまったのだろう。それは余の罪、余の過ちである。

 ……余は万能ではなく、言った通りに救済者足り得なかった男。余が余の道を邁進する過程において、犠牲が出ることは分かりきったこと。そういう生命なのだ、人間は。そういう世界なのだ、この地球(ほし)は。余は余が持ち得る力をもってして、可能な限り力を尽くすことをし続けているだけ」

 

 鳴動する機動聖都。震動は収まるどころか加速する。

 まるで大帝の昂ぶりに応えるように。

 

「―――――その果てに、見たのだ!」

 

 玉座の背後。そこにある何かが動き出す。

 何かの一室、独立した建築物であるかのように見えるそれ。

 それこそは大帝の間に設けられた祈りの部屋。

 世界(かみ)へと祈りを捧げるための、礼拝堂に他ならない。

 

 礼拝堂の屋根が縦に伸び、開き、頭部のような形状に変わる。

 まるで眼を開くように淡く光を灯す、硝子の双眸。

 巨神の胎動を背後で始めさせながら、大帝は目の前に立つ少年を見据える。

 

「人は人であるが故に、永劫に諍いの火は消えぬ。

 ―――間違いは正さねばならぬ。正しくあれ、と我らは言う。力を振るうことを是としてでも、過ちたるものを良かれと思って、力尽くで矯正しようとする。それこそが、人間が人間として正しく生きていこうとするが故に生じる、避けられぬ軋轢に他ならない。

 我らはその正しさをどこで決める? 力を振るう事を是とするための大義は誰に許されたものか? 我らが否定されるべきと睨む行いは、真実否定されてもよい行いであるのか? 異なる国に住まい、異なる言葉を使い、異なる教えを信じ、異なる神を奉じ、そして―――いや。

 そのような相手たちと、我らは何を共有すればよい? どこに絶対値となる()()()がある?」

「…………」

「ありはせぬ。そのような都合の良い偶像は、人類には獲得できぬ」

 

 礼拝堂が激震する。祈りの家が立ち上がる。

 それはカール大帝の祈りの結晶。

 僅かに眼を細め、自身の背後に聳える圧倒的な力に彼は口を閉じた。

 

 普遍の平和、普遍の愛、遍く世界に光をもたらさん、と。

 その祈りの結実こそが、彼の誇る礼拝堂の姿。

 

 平和への祈りの結晶こそが絶対的な力である―――という哀しき現実。

 

「……SE.RA.PH(セラフ)はこのまま沈降を続け、この惑星の最奥へと到達するであろう。電脳化したこの地は地盤という壁にさえ阻まれず、水の星たる地球の核へと接触することになる。

 その時こそ余は、余自身が、“天声同化(オラクル)”によってこの惑星と同化するのだ。余こそが自然(かみ)と一体化し、この星で生きる生命の全てを余と同化する。余が基底となり自然(かみ)と同化し、そこに住まう全ての動植物もを余を通じ自然(かみ)と同化する。このカール大帝の天声という絶対の大義を、この星に遍く共有させるのだ。

 間違いを無くせるとは言うまい。過ちが犯されないと言えるはずもない。だがこれにより、この星には永劫に続く普遍の正義が生じ、全ての命がそれを知ることができる。この星に在る存在は全て、このカール大帝と大義を同じくしただけの、地球に生まれた生命になる。何が変わるでもなく、余とただひとつの意思を同じくする。これこそが今、余の求める旅路である」

 

 ただ、ただひとえに。

 全ての生命が大帝と同じように、他の生命を思いやってくれればいい。

 ただ意識ひとつ。洗脳や教唆、“天声同化”はそのようなものではない。

 何よりこの規模の同化をするとなれば、カール大帝の意識など保てはしないだろう。

 だがそれでも、彼の声は届くはずだ。たとえ意識は保てずとも。

 遠い昔。あの寒々とした空の下、かつて見た光景で魂に刻んだ己の夢は消えはしない。

 

 必ずそうなってくれるわけでもない。

 それだけで世界が変わってくれるわけでもない。

 だが絶対に良いと思える変化はある。

 人と人が起こす衝突がひとつも消えない、なんてことはないはずだ。

 

 ならば良い。

 現実のみで構成されたカール大帝は、人間はその程度が限界だと知っている。

 だからその程度の結果のために、己を地球の声帯にすることを迷わない。

 

「―――それってさ、あんたは自分を人間だと思ってないってこと?」

「そうとも、皇帝(マグヌス)になるとはそういうことだ。個人のカールと、カール大帝は別のものなのだ。自然(かみ)の名の許に世を運営するものは、正しき皇帝(システム)でなくてはならない。それを誰よりも理解して、私は機構(マーニュ)の名を掲げたのだ」

 

 少年と大帝が交差させる視線。

 互いに黙すること数秒。

 

 ソウゴが懐からドライバーを取り出し、腰にあてがう。

 展開されて巻かれるベルト。

 彼はそのままウォッチを握り締めて、大帝の姿を見上げた。

 

「……本当にさ、そう思ってる?」

 

 人であるままでは救えない、と。人の身で成し得る範囲では救えない、と。

 あの時、彼はそう思った。

 孤独に漂う役目だけ与えられた寂しそうな少女の姿を見て、少年期の夢に終わりを告げた。

 

 一瞬だけ、カール大帝の視線が彷徨う。

 その先には何とか戦闘を行っている二人の少女。

 パラディンの幻像に追い詰められていく、二つの破壊兵器。

 

 彼女たちの奮闘、どうにか勇士を攻略せんと眼をギラつかせる少女たち。

 あまりにも思う姿からかけ離れた無様さに瞑目し、口元を緩める。

 

 ―――詳しいことはとんと分からない。

 けれど、彼のその反応だけで十分だと思った。

 握っていたウォッチを両手で掴み、前へと突き出す。

 

 幻想で現実とは戦えない。

 それはどこまで行っても幻で、苦難を無かったことにはしてくれない。

 

「―――正直に話そう。余は貴様の事をあまり気に留めていなかったぞ、カルデアのマスター。だが今この瞬間、対峙するのが貴様であるということが、望外の僥倖であったとよく理解できた。

 この信念。現実のカール大帝が全霊を懸け貫いた願い。我が声が我が望みに届くかどうか、その最後の審判が下される時が来た。この瞬間、それを阻もうとする相手が貴様であったことを、余は自然(かみ)に感謝しよう!

 人のままでは見えぬ地平がある! そこに至るが為に、自然(かみ)と聖霊の名の許に、余は救済者(セイヴァー)としての資格を得る! その夢の果てに、私が望んだ救いがあるのだ―――!!」

 

 礼拝堂が変形する。その力の強大さは、同時にカール大帝の祈りの強さ。

 平和の祈りの強さが、強大なる力を生んだ。

 それは果たして彼が祈りの中で望んだものか。

 

 ―――望んだのだろう。

 可能な限り戦いを、死を、減らすためには絶対者が必要だった。

 絶対なる者の采配によって多くの事は上手く運んだ。

 より良い成果を。より少ない犠牲を。

 けれど、そんなやり方が望みだったのか。

 

 いいや。最初の、一番最初に抱いていた、あの時の願いは―――

 

 人型に形状を変える過程において、その機体は目前のカールを機内へと取り込む。

 聖なるもの。大帝カールが導かれるのは、祈りの祭壇。

 本人という核を得て、彼の祈りを動力とし、聖帝の宝具が完全なる駆動を開始した。

 

〈ジオウⅡ!!〉

 

 徐々に巨体が持ち上がっていく。

 その目前でソウゴがウォッチを起動し、ドライバーへと装着。

 振り上げた腕をすぐさま振り下ろし、ジクウドライバーを回転させた。

 

「変身―――!」

 

〈〈ライダータイム!!〉〉

 

 装着されていく強化されたジオウの装甲。

 最高最善の魔王としての踏み出した一歩が生んだソウゴの姿。

 

〈仮面ライダー!〉〈ライダー!〉

 

 黒と銀、そしてマゼンタに煌めく姿に変わっていくソウゴ。

 

 彼の変身と同じくして姿を変えていくのは、聖なる祭壇。

 展開される四肢に力が漲る。

 全力稼働する魔力炉心が生む出力、その余剰分が背部から噴き出す。

 噴き出した青い魔力の残滓は、まるで光の翼のようだ。

 

〈ジオウ!〉〈ジオウ!〉

 

 降り注ぐ大帝の威光で照り返す銀色の装甲。

 相反する色の光を薙ぎ払いながら、一度射出されて戻ってくるインジケーションアイ。

 それが顔面に嵌るや、放たれたマゼンタの輝きが青色の光を塗り替える。

 

〈〈ジオウⅡ!!〉〉

 

 変身を完了したジオウⅡ。強く拳を握れば迸るエネルギー。

 形成される特殊フィールド、マゼンタリーマジェスティ。

 これから始まる戦闘のためにボルテージを上げていくジオウⅡ。

 

 その前方。そこには、全長20mはあろうカール大帝に似た機械の巨人がいた。

 硝子の瞼に覆われた眼が煌々と紅に強く輝く。

 二基の魔力炉から出力されるエネルギーは、眼下のジオウⅡを凌駕している。

 

 だがそんなものではない。そんなことに関わりはない。

 この戦いの趨勢を左右するのは、そんなものではないのだ。

 

 巨人の口らしき場所が開く。

 雷を轟かせるように、大帝の声がその地に響き渡った。

 

『さあ、“最後の審判(ウルティム・プロパテール)”である! これぞ余の祈りをもってして光臨せしめる我が治世の具現! 平和を望み続けたが故に結実した絶大なる力!

 余の天声(こえ)を聞け! 余の威光に包まれよ! そなたらを抱きとめる余の愛が、遂にこの大地を抱擁する時が来た! 起動せよ、“聖なる(カロルス)かな、今こそ(・パトリキウス)威光が地に満ちる(・アウクトリタス)”―――――!!!』

 

 鋼の駆動音を轟かせ、礼拝の祭壇が征く。

 加速していく出力に迸る魔力が、火山の噴火が如く盛大に噴き上がる。

 

 それに応じんがため、ジオウⅡは全身に力を込めて一歩を踏み出した。

 

 

 




 
 Aルートが後1話、Bルートが後2話、最後のまとめでもう1話
 くらいだろうか、多分
 


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魔性の掌2030/B

 

 

 

 風を感じて目が覚める。

 どうなっているかさっぱり分からず、ぱちくりと瞼を開閉。

 

 一体何がどうなっているのか。

 何故自分という存在に意識が宿るのか。

 何もかもが分からなくて、とりあえず体を起こす。

 

「っていうか、どこなんだここ?」

 

 雰囲気は水中だ。

 水の中にドームを作って、そこに入っているみたいな場所。

 だが本当に水中ってことはないだろう。だって呼吸できてるし。

 

 上半身だけ起こして、黒と銀が混じる髪を掻き乱す。

 自分が持っている情報を整理する。

 が、生憎とろくな情報なんて持ってやしない。

 そりゃそうだ。こっちは基本的に裏方で、ベース担当じゃないんだから。

 

「―――っと、こりゃ」

 

 不思議な感覚を覚えて頭を上げる。

 感じたことがない変な感触だが、何となく意味は感じ取れた。

 自分の半身の存在だろう。

 

 つまりその存在でもって何らかの理屈はつく。

 自分は自分として召喚されたのではない。

 あくまで大元が召喚されてから、分離されたとか、廃棄されたとか。

 まあ大体そんな感じで発生したのだろうということだ。

 

「あのヤロウ……一体何考えてやがんだ……?」

 

 呆れ果てつつ立ち上がる。

 焦燥で掻き回していた頭を、今度は困惑で掻き回した。

 どんなクラスで召喚され、どんな側面で現れたかは知らない。

 けれど真っ当な判断力があればこんな馬鹿なことはしないだろうに。

 

 とにかく、状況を知るためにはあの気配を追うしかない。

 

 溜め息混じりに踏み出した彼。

 ―――瞬間、その背後に何かが浮かび上がった。

 

『それで、アナタも何か周回引き継ぎ系チートさんですか?』

 

 投影されたサクラ色の映像画面。

 その窓の中に映るのは、腰に手を当て溜め息を吐く菫色の髪の少女。

 何を言っているか分からないが、たぶんあっちの自分のせいだろう。

 

「えーと……」

 

 振り向いて、彼女の顔を正面から見返す。

 見えるのはどこか不機嫌そうに眉尻を上げている顔。

 状況は分からないが、迷惑をかけたんだろう。

 

 あっちの自分が。なので自分は無罪だと思う。

 

「あー、いや。そこんとこは自分でも分からん。何でかいきなりここにいたんでな。ま、カール大帝の奴が何かしたせいでここにいるのは間違いないだろうけどさ」

『はぁ、何を言っているんですか? カール大帝はアナタのことでしょう。霊基の変質はあるみたいですが、その情報は間違いなくあの英霊と同一のものでしょうに』

「ああ、いや。それはそうなんだが俺は―――」

 

 面倒な話だが、幻想と現実の入り交じる話を軽く語る。

 ついでに自分のこともある程度説明しておく。

 

 訝しげだった顔は、余計に胡乱なものを見る目に変わって―――

 

 彼自身がどういうものか、それを語っている途中で。

 何かに思い至ったかのように、少女の眉が僅かに寄せられた。

 

 そんな表情がすぐに違うものに変わり、にこやかなものへ。

 そして更にすぐ、妖しげなものへ。

 

『……なるほど。どういった状態でお困りなのか、よーくわかりました。そういうことなのでしたら、わたしがアナタの前歴。この状況に至るまでの経緯を説明してあげましょう! ただしその代わりと言ってはなんですが、アナタにやって頂きたいことがあるのです!

 ―――どうです、このわたしと取引をしませんか?』

「んー……」

 

 妖しげに、小悪魔風に微笑む少女。

 外見上怪しいっていうか、もはや黒幕側の存在に見えるのだけれど。

 ただ何というか―――

 

 カール大帝を知るこんな少女がここにいること。

 いま自分がここにいること。

 どんな経緯、どんな理由であれ、現状は何かが切羽詰まっているだろうこと。

 

 それを何となく感覚で理解して、その上で。

 悩む。悩む。腕を組んで、激しく悩む。

 そこまで悩むか、と眉を上げる少女のことも気にせず悩む。

 

 そうして導き出した結論に強く頷き。

 少年は快活に、少女に対して答えを叩き付けた。

 

「よし! その取引、断る!」

『えー……』

 

 流れに納得できずに文句ありげに顔を顰める少女。

 だがそんな少女に対し、まあ焦るなと。

 格好をつけた様子で掌を向け、ニヒルな笑みを見せる少年。

 

「まあ落ち着けって。アンタが俺に持ちかけた取引こそきっぱり断らせてもらうが、アンタが俺にやらせたいらしい要求は呑もう。もちろん、あんまりに変な要求だったら断るけどな」

『―――なんですか、それ。せっかくわたしが状況を説明してあげようっていうのに、わざわざ話を聞くことだけ拒否して、こっちの要求は呑むと? それ、何の意味があるんです?』

 

 意味はある。というか、あるはずなのだ。その点に関しては特に疑うことはない。けれどその意味はきっと、彼は余人から聞いても納得できない。

 彼らの存在を大元から別けた意味。それはカール大帝が何らか意図したものであり、つまり自分自身がそうあれと望んだものなのだ。

 だから自分で自分(カール)に直接確認しなければ腑に落ちない。

 

「ま、恐れ多くも聖騎士帝、なんて呼ばれる男としての矜持、ってとこか? とにかく説明はいいや。それで、アンタは俺に何を要求する気だったんだ?」

「――――――――いいです、では素直に要求を突きつけてあげましょう』

 

 どこか納得いかないままに、少女は少年に要求を突きつける。

 

 ―――少女の要求は馬鹿げていた。

 状況も知らされぬままにその内容、普通なら頷けない。

 いいや、状況はある程度分かっていたとしても頷けない。

 

 普通に考える頭がある相手に対し、そんな要求は通るはずもないことだ。

 けれど少女は少年に対し当然のようにそれを求めて。

 

「……うーん。何で必要なのかよく分からないけど、まあいいか。おう、必要だって言うなら好きにしてくれていいぜ」

『……別に受け入れてくれるなら何でも構わないんですけど……こうも交渉し甲斐のない内容で終わってしまうと、何というかこう、むず痒いというか……つまらないですね!

 要求を受け入れられた側として何ですが、アナタ。こんな話をこんな雑なやり取りだけで受け入れちゃうだなんて、いったいどういう神経されてるんです?』

 

 どうにも呼吸が掴めない相手だ、と溜め息。

 少女は掌で転がせない相手とのやり取りに辟易として、しかし少年はにやりと笑う。

 

 彼は腕を上げて、ばさりとマントを翻し。

 肩で風を切るように歩き出しながら、少女の疑問に答えを返した。

 

「はは―――訊かれたからには答えねばなるまい! 未知を求めて冒険へと踏み出し、救いを求める人あらば迷いなく全速力で駆けつけて、誰かを護るためであれば勇んで剣を振るう!

 聖騎士(パラディン)と呼ばれしそんな十二勇士(カッコいいヤツら)のまとめ役。遍歴騎士シャルルマーニュってのは、そういうカッコいいことに全力な英雄なのさ!」

 

 

 

 

 

「じゃあ、行きます!」

 

 ギチリと啼くパッションリップの爪。ギリギリまで狭い範囲を狙った能力の行使。

 精神的疲労は酷いが、やってやれないことはない。

 

 ぐしゃりと音を立て、中央管制室の床の一角がキューブになった。潰した床の下にはまだ床。貫通までは至っていない。その事実にほっとした様子を見せるリップ。

 

 そんな様子を見ていた無銘が、くっと小さく嗤う。

 

「全力でぶち抜いて、電源(しんぞう)諸共潰してしまえば話が早いんだがな」

 

 SE.RA.PHの電源が落ち、水圧によって海の藻屑になる。そんな結末で一向に構わないのが彼の立ち位置。だが現状で彼はこの行いを邪魔するでもない。

 リップの力でなければアクセスする時間がないのだ。本当にどうしようもない時、一気に潰すという選択肢が取れるなら問題ない。ならばギリギリまでは付き合ってやればいいと。

 

「それを解決と見るには些か以上に乱暴でしょう。我らサーヴァントが共に消滅するのはともかく、彼女の帰還も果たされないというのは問題です」

 

 自分たちは消えるだけだが、立香は帰還させねばならない。

 もちろん、教会に残っている二人のスタッフもだ。

 

 そう言って、トリスタンがリップの開けた穴へと降りる。

 そうしてフェイルノートを床につけた彼が弦を引き、響かせる振動。

 数秒の無言、澄まされた耳が状況をつぶさに聞き分ける。

 

「……まだまだ厚いようですね。数メートル程度の範囲に空洞がある様子はありません」

「まるでイルカだな、貴様は」

「イルカのトリスタン……嘆くよりは可愛らしい名で悪くはないかと」

 

 冗談なのか本気なのか、そう返しながら穴から飛び出すトリスタン。

 とりあえずすぐ近くに空洞がないとは分かった。

 

 パッションリップ自身、自分の破壊力の制限は難しい。彼女の抑えが効く範囲で少しずつ、数メートルずつ掘り進めていくしかないだろう。

 リップが掘って、トリスタンが念のために壁の厚みを確認。この手間をかけて目的地まで進めていく以外に安全かつ早い方法はない。

 

「イルカのトリスタン……今わの際、私は寝台の横に控えてくれているイゾルデに告げるのです。もはや会うこと叶わなかったイゾルデが、死に瀕した私にもし会いに来てくれるならば、白いイルカが。来てくれぬならば黒いイルカが、海を渡りこちらに向かってくるでしょう、と……」

 

 リップが集中している脇で、ぽろろん。爪弾かれるフェイルノート。

 トリスタンの物語の最後を飾る二人のイゾルデ。

 それが白イルカと黒イルカになって、海を駆け巡る脳内映像。

 

 もしやリップの精神的負担を和らげるための笑い話、のつもりなのだろうか。

 僅かに間を置いて、沈黙していた立香が首を傾げる。

 

「黒いイルカって、それじゃシャチじゃない?」

「まあ普通のイルカ自体黒っぽいし、いいんじゃないか? イルカは特に海に住まうものの中で神聖視されて、救世主の象徴ともされてることだしな。聖なる騎士であるトリスタン卿には、相応しい称号であるとも言えると思うぞ」

 

 シャルルマーニュがそう言って笑う。

 そこまでのことは言っていない、と再びポロロンと鳴らされる妖弦。

 

 どうでもいい話をしているな、と呆れた視線を向けるアタランテ。

 そんな彼女の横でしかし、フィンはどこか感心するように鷹揚に頷く。

 この雑談、精神が張り詰めた状態のリップを苦笑させる程度の効果は出ている様子。

 自分の死を話題として使おうとしている男の前向きさ。

 その心の広さに彼は感動したのだ。己も負けていられない、と。

 

 果てしなくどうでもよさそうにアタランテは視線を逸らす。

 そして多分、フィンが奮起したところで犠牲になるのはディルムッドだ。

 

 同じくどうでもいい、と無銘は顔をリップへと向けた。

 

「どうでもいい話だ。おい、さっさと床を潰せ」

「そんなこと言って。ただ乱暴にやればいいわけじゃなくて、集中して範囲を絞って力を使うんだ。集中力をすり減らした分、ある程度は休みは必要だろう?」

 

 無銘の指示に腰を手を当て、反論するブーディカ。

 

 そんなこと分かってはいる、と。

 ブーディカの言葉に対して、メルトさえも苦々しげな表情を見せた。

 

 メルトリリス、彼女のそんな反応。

 そんな自分の同位の存在の姿を見て、困惑げな顔を見せるリップ。

 だが何かを感じとったのか、少女は決然と腕を持ち上げた。

 

「いえ、なんとか頑張ってみます!」

「そう? 大丈夫だっていうならいいんだけど……」

 

 心配そうなブーディカに背を預け、奮起するパッションリップ。

 再び行使される圧縮機。床がバキバキと拉げ、キューブにまで潰される。

 

 その状況を見てから音を響かせ、壁の厚さを測るトリスタン。

 息を整え、再度能力行使の準備を開始するリップ。

 

「―――――」

 

 メルトは管制室の壁によりかかり、小さく息を吐く。

 時間を見る限り、もう本当にギリギリ、くらいだと思う。

 別に本人から助けてくれ、と言われているわけでもない。

 

 間に合わなかったら間に合わなかったで、それだけだ。

 そういう表情を取ってみせる少女を見て、立香は何とも言えずに目を細めた。

 

「―――ああ、そうだ。一応確認しておかねばな」

 

 ふとアタランテが声を上げる。

 彼女が視線を向けるのは、シャルルマーニュその人。

 彼はその視線を受けて、きょとんとした。

 

「俺に? 何を?」

「BBの思惑だ。汝は先程、こちらはそれを上回っているようだ、と確信をもって口にしていただろう。あれはどういう意図で吐いた言葉だ?」

 

 アタランテに頭をぽんぽんと叩かれる清姫。そもそもまるで嘘発見器扱いはどうなのか、という表情の少女が口許に扇子を当てる。

 特に気にしていなかった、とシャルルはその指摘に軽く頭を掻いた。

 

「あー、んー、まあー……そういう話になるのか? いやー、そうは言ってもな。なんつーか、その言葉の意図を細かく口にするのは憚られるというか……いや、俺がBBのことも含めて隠し事をしていることには違いないんだけどさ。

 ただ俺の隠し事に関しては間違いなく、マスターたちを不利にするものじゃない、はずだ。役に立つかどうかも分からないが、もしもの時の備えと考えておいてくれると嬉しい。少なくとも俺はそのつもりで、奥の手になるのかもしれないな、みたいに思って隠してる」

 

 酷く曖昧な物言い。だが嘘ではない。

 正直シャルルマーニュ本人もよく分かっていない、という様子に見えた。

 自分でもよく分かっていないのでは、嘘にはなりえない。

 

「あー、と……それと、だ。BBの思惑に関しての発言については、事実よりも俺がそれをどう感じているかが問題、ってことだろう? だからさっきの俺の発言は何も難しい話じゃないんだ。

 少なくとも俺が考える限り、BBの思惑ってものに関しては事前に練ってた計画書が1ページ目の導入から上手く行かず、結果としてその後の予定が全部爆発四散して、今はもう完全にアドリブで行動してるっていう、めちゃくちゃ気合を入れた動きをしてる状況だと思ってるんだ」

「まあ、嘘はおっしゃってないようですが……」

 

 BBってそんなに無計画状態で動いてるの? と首を傾げる立香。

 無計画なわけではなく、計画が爆発しただけだと首を横に振るシャルル。

 計画通りの時間稼ぎではなく、計画が爆発したせいで必死に時間を稼いでいる。

 そういうことだったのだろうか。

 もちろん、これはあくまでもシャルルが感じた印象でしかないが。

 

 どちらにせよ、もう時間がないことには変わりない。

 この状況まで追い込んで何がしたかったか分からないが、やることはひとつだ。

 

 盛大な破砕音を立てて、再び床が削り取られる。

 一拍置いて鳴らされる風の音。

 その反響音を正確に聞き取るイルカの如き騎士が、ぴくりと眉を動かした。

 

「もう一度、同じ深さで。それでどうやら壁を抜けて開けた空間に出るようです」

「はい……わかり、ました……!」

 

 息を整えるパッションリップ。

 そんな彼女たちの後ろから、立香がキューブにされた深い穴を軽く覗く。

 

「本当に壁、というかぎっちり金属の塊だったんだね」

 

 中に電気とか水道とか、そういう配管が通るスペースもない。

 ただただ空間を隔てるための隙間のない壁だった。

 よほど表に出したくないスペースだった、ということだろうか。

 魔術師ならばそれも珍しいことではないのかもしれないが。

 

 ただこの規模でここまで徹底した場所。

 そうはないだろうと思うが―――

 

「清姫殿、灯りをお願いします」

「構いませんけど……」

 

 しずしずと穴の縁まで歩いて行き、扇子を開いて口許を隠すようにする。

 その状態で吐息をすれば吐き出されるのは青い炎。

 渦巻く火炎が穴の底まで照らし出し、視界を確保してみせる。

 

 息を整えたリップが再び腕を掲げる。十の指先に収斂していく魔力。

 彼女の爪が全てを削る超常の刃としての性能を発揮する。

 視界は良好、灯りの届かない穴の底。その闇は炎に照らされよく見えた。

 後は握り潰すだけ。それを迷う理由はなく、彼女はid_esを行使して―――

 

「リツカ殿!」

 

 ドカン、と管制室の扉を破らん勢いで入ってくるガウェイン。

 彼に続いて入室するネロとエリザ、そしてタマモキャット。

 

 そんな状況だ。わざわざ緊急事態だ、と言われずとも分かる。

 彼らからの報告を聞くべく、立香は顔を引き締めた。

 

「端的に報告を。我らの知り合ったミス・マーブルは本人ではなく、彼女の擬態をした何者かでした。その者こそが魔神を取り込んだ者であり、この事態の元凶にもっとも近しいものだと思われます。ヴラド公による足止めの隙に、我らのみここまで撤退してきました」

 

 手早く必要な情報のみに絞って、そう告げるガウェイン。

 その報告に確かなことを理解して、真っ先に反応を示すのはメルトリリス。

 彼女が小さく息を吐き、壁から背を離す。

 

「……そう、アイツが。あんな小物演技をよくやっていたわね、アイツ。アレはBBによる時間稼ぎの囮ですらなく、本気で間抜けな女のフリをしたアイツだったってわけでしょう?」

「メルトリリス?」

 

 カッ、とメルトが踵で音を立てて歩き出す。

 

 ぐしゃりと金属が潰れる音を立て、彼女の前で最後の掘削が完了した。

 盛大な音を立てて解放される天体室へ直通の孔。

 

 状況の整理よりも先に、そこへと飛び込もうと滑り出すメルトリリス。

 止めようとしたところで、彼女を阻めるものなどいない。

 

 たとえ殺生院が姿を現そうと、天体室を先に抑えれば問題ない。

 メルトリリスのウイルスならば問題なくここのシステムを支配できる。

 SE.RA.PHを浮上させてしまえば、殺生院の望みは叶わないのだ。

 

「もうアナタの好きにはさせないわ、殺生院―――!」

「―――――」

 

 孔へと飛び込むメルトリリス。

 

 彼女の言葉を聞いて、反射的に顔を酷く顰めつつ無銘が腕を上げた。

 同時に彼の手首から射出されたワイヤーが、跳躍していたメルトの脚に絡みつく。

 そうした直後に巻き戻すが、メルトの突進力に負けて諸共に引っ張られていく無銘。

 自身に巻き付いた鋼線に顔を顰め、メルトががなり立てた。

 

「―――っ、邪魔をしないでアーチャー!」

「チッ……! 白鳥の捕獲というより白鯨の一本釣りだな、これでは……!」

 

 絡んだワイヤーを断ち切ろうと脚を動かすメルト。

 どちらの行動に加勢するかの迷い。

 だが独断専行をしようとしているのはメルトリリスに違いない。

 

 無銘の放ったワイヤーに絡める形で、トリスタンの妖弦が放たれる。

 拘束が二重になり、白鳥の羽ばたきは更に阻まれた。

 事情は把握できていないが、トリスタンがそうしたなら、と彼の体をガウェインが掴む。

 

 地に足をつけていれば引きずり倒すのは容易だった。

 だが、既に踏み切って宙に舞った彼女に、踏み止まることはできない。

 どうにか力任せに引き戻されるメルトリリス。

 

「っ、この……そんな場合じゃないってのに……!」

 

 舌打ちしながら引き戻される少女の体。そして、逆に動くのは男の体。相手を引き戻すその反動を利用して、無銘は逆に自分が孔へと身投げする体勢に入っていた。

 途中でワイヤーを自切すれば、絡んでいたトリスタンの妖弦に引き留められることもない。

 

 天体室へのメルトリリスの突撃を阻み、逆に自分が突撃する形になる。

 唐突に行われるそんな無銘の行動。

 先回りして彼はいったい何をしようとしているのか。

 

 引き戻されたメルトが着地しつつ、男の行為に怒りの眼差しを向けて―――

 

「アーチャー……ッ!」

「“()()―――……ッ!?」

 

 彼は自分が孔の下に飛び込むでもなく。

 一切の迷いなく即座に手の中に銃を呼び出して、ただ銃口を直下に向けていた。

 そこに獲物がいる、と確信しているかのように。

 

 ―――そうして彼女たちは。

 階下から立ち上る無数の刃に、串刺しにされている男の様を目の当たりにした。

 

 最速で撃ち抜くべきモノを撃つ事だけを考え、銃を構えた男の姿。

 それはすぐさま、腐肉でできた多数の槍に全身を貫かれている男の姿に転じる。

 

 一切迷いなく構え、しかし。銃爪を引くことすらできないまま。

 黒いアーチャーの体は、完全に沈黙していた。

 

「無銘!?」

 

 叫ぶ立香。戦闘態勢に入るサーヴァントたち。

 そんな修羅場に孔の底からゆっくりと、腐肉を足場に上がってくる女の姿。

 泡立つように膨れ上がり、孔を満たしていく腐肉の塊。

 

 せっかくの登壇なのだ。

 尼僧としての控えめな服は脱ぎ捨てて、獣としての装いを。

 二角の魔羅を頭部に張って、惜しげもなく肌を晒した妖艶な女。

 

 誰がそう呼んだか。あるいは己で名乗ったか。

 その身の呼び名は魔性菩薩。

 

 ―――殺生院キアラが、SE.RA.PHの心臓部から姿を現した。

 

 その状況に対し、悔しげに声を上げるネロ。

 

「先回りされたのか……!」

「先回り? これは異なことを。SE.RA.PHは全域、是(わたくし)の肉体なのですもの。どこに出現するかなど、そもそも自由自在に決まっています。

 まずは頭に血を昇らせたメルトリリスから串刺しにして、蕩かしてさしあげようとしたのですが……残念、庇われてしまいました」

 

 殺生院が串刺しにされた男を見て―――失笑し、そのまま肉の槍を引き抜いた。

 死に体のまま解放され、力無く落ちていく無銘。

 未だに埋まりきっていなかった孔の中、放り捨てられた彼の姿が消えていく。

 

 天体室の中はとっくに魔神の肉が蔓延っている。

 まだ死んでいなくとも、落ちてしまえば喰われて終いだ。

 彼女はさっさとそれから視線を外してしまう。

 

 そこでふと、殺生院の視線が立香に向かった。

 庇うようにすぐさまその前に立つブーディカとフィン。

 

 目前のサーヴァントなど気にした様子もなく、小さく笑う殺生院。

 

「それにしても、ムメイ……とは」

 

 その興味、その意識が立香にあるわけではないらしい。

 つい今、殺して地獄に落とした相手。

 無銘のことを口にして、くすくすと彼女は嗤ってみせた。

 

「……何がおかしいの?」

「うふふ、いいえ。サーヴァント、英霊とは名立たる英傑の皆さまが召し上げられる高次の位階。だというのに無名だなんて、おかしな方だと思いまして」

 

 男を落とした孔。開けられた心臓への直通孔を魔神の肉で埋め立てる。

 そうして彼を救う道を断った殺生院が、床へと降り立つ。

 魔神から降り、管制室の床をその足で踏み締めて、彼女は悠然と笑みを浮かべた。

 

「ですがそれもまたひとつの答え。英傑とは善かれ悪しかれ大衆から外れた者の総称。その名を威光とともに時代に刻まれたか、忌むべき証としてその名すら歴史から削り落とされたか。

 称えられる偉業と、蔑まれる異形。違いなどただ、それだけのことに過ぎませんものね」

 

 ―――擦過音、床を削る銀色の脚が奏でる殺意の音。

 それに対し、微笑んでいた殺生院が四肢を動かす。

 

 メルトの爪先、殺生院の指先、それらがしかと激突し―――

 僅かに、殺生院が圧された。

 

「…………っ!」

「殺生院―――!!」

 

 メルトリリスの隔絶した力は健在だ。この事態、恐らくBBを凌ぐ黒幕に等しい殺生院キアラ。彼女の異常なまでの力をもってしても、今のメルトリリスとぶつかればやや不利になるほどに。

 だからこそ、あの不意打ちで潰せていればこれほど楽な話もなかったのだが。こうなってもつれ込んでしまった以上は仕方ない。

 

 圧され、床を滑る殺生院。女の顔が不満そうに頬を膨らませる。

 

 瞬間、彼女の頭を目掛け殺到する矢の大群。

 アタランテの制圧射撃。だがその程度は片手で十分。

 砲撃のような矢の雨を片手の指だけで落としつつ、彼女は構え直して。

 

 目晦ましのように広く広がる炎を前にした。

 剣閃と共に放たれた白薔薇の如く咲く炎と、蛇がのたくうように蠢く青い炎。

 華麗に息吹くドラゴンが如き火勢。管制室を舐め尽くす炎の乱舞。

 

 炎の渦に呑まれしかし、こんなそよ風など払うまでもない。

 そのままやり過ごそうとした瞬間、今度は水流が怒涛となって押し寄せた。

 床を踏み締める足に少しだけ力を入れる。それで影響はほとんどない。

 目眩ましの炎ごと押し流し、管制室に溢れる津波。開けた孔は魔神の肉で塞いだがために、水の逃げ場はここにはない。外に通じるのは管制室の入口だけだ。

 

 瞬く間に水没し、水に満ちるけして狭くはない空間。

 そんな水中で視線を管制室の出入り口に向ける。

 そこはとっくに力任せにぶち抜かれ、砕け散っていた。

 炎の目晦ましを利かせたうちに、立香を戦車に乗せ逃がしたのだろう。

 

(水に紛れてメルトリリス……いえ?)

 

 水中に没しつつも余裕はある。構えを崩さずに待機する殺生院。

 彼女が注意しなければいけないのはただひとり、メルトリリスのみ。

 

 だがそこにはメルトリリスの気配はなく、直後に―――

 

「一気に凍らせる! 行くぜ、トルナード―――ッ!!」

 

 管制室の外で奔る“輝剣(ジュワユーズ)”の剣閃。

 吹き荒れる氷雪が遡り、室内に満ちた水勢がそのまま凍り付いてくる。

 水中にいる殺生院もまた当然のように、凍結に巻き込まれていく。

 とはいえ、凍ったところで影響はない。

 その気になれば身を揺するだけで、こんな氷壁程度砕けるだろう。

 

(わざわざ凍らせた以上、メルトリリスは近づいてない? 他のサーヴァントで目を眩まし、最後に彼女に決めさせるつもりなのでしょうか)

 

 雑事、大して影響もない攻撃に対して下手に動かないのは警戒のため。

 メルトリリスだけは危険だ、と仕方なく認めているからこそのもの。

 それを利用して他のサーヴァントたちの攻勢が続く。

 

「お願い、エリザベート!」

「分かってるわよ! 何がどうなってるか分かってないけど!」

 

 勢いよく吸い、吐き出す呼吸。エリザベートが速射のための音波を絞る。

 咽喉の奥を震わせて生み出されるソニックボイス。

 放たれるのは収束させた竜の息吹、“竜鳴雷声(キレンツ・サカーニィ)”。

 

「Laaaaaaaa――――――!!」

「その慟哭を刻みましょう、この“痛哭の幻奏(フェイルノート)”で―――」

 

 迸る息吹。その直線的な軌道を音の鏃が引き裂き、四散させた。

 ソニックブレスとフェイルノートの織り成す刃。

 その二つの風圧が管制室の壁を削ぎ落とし、氷塊のみを表出させる。

 

 崩れ、剥がれ落ちていく建築物。その中で凍結させ成型された氷の塊。

 氷壁に鎖された殺生院の姿のみが表出させられる。

 

「この剣は大陽の現し身、あらゆる不浄を清める焔の陽炎―――!」

(かしこ)み、(かしこみ)み―――強火で一気に、しかして焦げつかぬように炒めすぎず、鍋を回すことによって両立させるのが中華の奥義というやつだ。この時に鍋が描く半円の動き、これが即ち陰陽の体現と言われているのは確定的に明らかな歴史的事実!

 酒池肉林に溺れる女ではあるまい、むしろ完全に主催側と見た! 溺れぬならばその陰気、燦々たる陽の気によって、アスファルトで灼かれ干からびたミミズが如く渇くがいい!

 行くぞ、キャット呪術“呪層(じゅそう)猫日照(ねこひでり)”―――!」

 

 削り出した氷山の前で、二つの大陽が顕現した。

 ガウェインは無手。しかして彼の頭上には球を描いて大陽を現す聖剣。

 キャットは爪を剥き出しに、呪力によって大陽の神威を結い上げる。

 

 両者の動きはキャットのそれが先んじた。

 頭上に発生させた大陽球。それを乱雑にさえ見える動作でボールのように投げつける。

 

 彼女が行った投擲に続くガウェインの踏み込み。

 眼前に降りてきた大陽の中から聖剣の柄を掴み取り、床を粉砕するが如く力に満ちた踏み込みを一度。揺るがさずしかし撓らせる腕を、彼は上半身ごとそのまま一気呵成に振り抜いた。

 

「“転輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラティーン)”―――――ッ!!」

 

 激しく巻き起こるのは聖剣が顕す大陽の威光、威風。

 それらは熱量が極まり極光となり、先んじて飛んでいた大陽球と交わった。

 二重の大陽が融合する。

 互いに増幅して熱を増し、氷壁を蒸発させながら殺生院へと殺到する一撃。

 

(前もって管制室の壁を削り落としたのはこれを余さず通すため? 少々期待外れの顛末、というところですか。どちらにせよメルトリリスまでの繋ぎでしかないとはいえ、この程度のものが直撃したところで―――)

 

 サーヴァント、あるいは魔神ですら。

 その一撃を受ければ消し飛ぶだろう圧倒的な熱量の波。

 そんなものを前に口を尖らせ、やや残念そうな様子さえ見せる女。

 

 しかし、そんな彼女の耳を立香の声が叩く。

 

「―――リップ! お願い!」

「はい―――潰して、潰して……! 潰し、ます!」

 

 立香の声。応えるのはパッションリップ。

 

 氷壁の中で微かに息を呑む。ああ、そっちもいたか、と。

 彼女の視界を通すために邪魔な壁を削ぎ落としていたのだ。

 これにより、自分は氷壁ごとリップの視界の中に入ってしまった。

 

 先程までの威力を抑えた精細なコントロールが必要な作業じゃない。

 ただ目の前の全てをぐしゃぐしゃに潰して、トラッシュにしてしまえばいいだけのこと。

 ならば負担、準備時間は最低限で十分だ。

 

 氷壁を蒸発させ、殺生院を呑み込む大陽。

 爆発的な熱量がそこに直撃した瞬間に、リップは両腕の黄金の十指に力を込めた。

 それにより行使される最凶最悪のid_es(イデス)

 

 空間ごと圧縮される殺生院。

 彼女だけでなく、その場で発生していた大陽の熱にもまた圧力がかかる。

 大陽の熱と質量を押し潰し、重力の底に沈める超圧空間。

 

 リップの能力の結果、発生するのは一つのキューブ。数センチ四方にまで圧縮されていく疑似太陽。それがかけられた圧力の結果、重力崩壊を起こして周囲の情報を崩壊させる疑似的なブラックホールにまで到達する。

 自身と同位置にそんなものを発生させられ、流石の殺生院も眉を顰めた。

 

(パッションリップがかける圧力だけならば問題ないでしょう。そも、今の私は圧縮されるまでもなく常識外の密度で構成された情報体。潰されても何の影響もない)

 

 元より今の殺生院は聖杯戦争を繰り返して得たリソースを使い、魔神という資源を常識外の圧力で押し固めた化け物である。

 問答無用の圧縮機、パッションリップ。如何に彼女が殺生院を潰そうとしようとしたとして、それに合わせて殺生院側が魔神の密度を緩めて、膨れ上がればいいだけ。

 パッションリップは殺生院を数十倍の密度にまで圧縮できるが、殺生院もまた自身の情報密度など数十、数百倍に固めるも緩めるも自由自在。だからどう足掻こうと、リップでは殺生院を機能停止するほど潰すことなど不可能だ。

 

 だからリップは殺生院にただ圧力をかけるのみならず、その場に発生した大陽を潰して重力場を巻き起こし、彼女の足取りを僅かなりとも重くしようとした。事実、己の密度を変えながら疑似ブラックホールにまで囚われては、彼女の動きはほんの僅かに鈍くなる。

 

(では、ここで本命―――)

 

 大陽の熱を引き千切り、巻き起こされる重力の渦。

 その引力に導かれ、殺生院の直上を取っていた少女が躍る。

 銀色の刃を煌めかせる、女神の落涙のような流れ星。

 

「メルト!!」

「―――ええ、任せなさいマスター。契約は果たしてみせる。そのためにも殺生院、アナタは完全に消滅させる。その細胞の一片に至るまで、原型なんてひとかけらだって残さず、完全無欠に溶かし尽くして、ヘドロと一緒に産業廃棄物(アンタッチャブル)として処分してあげる―――!!」

 

 メルトリリスが直上から落ちてくる。

 太陽熱の圧縮情報体、疑似ブラックホールに引き寄せられるように加速しつつ。

 

 逆にその情報体の圧力が邪魔で殺生院は動きが重くなる。

 この差は決定的だ。

 ただでさえ一対一ならばメルトの優位と言えるのにこれでは。

 

 放たれたメルトリリスの一撃を、殺生院キアラは止められない。

 

「―――ああ、本当に」

 

 で、あるならば。

 もう()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「頑張るのですね、メルトリリス?」

「―――――!?」

 

 メルトに貫かれるまでの間、重い体で取れる数少ない所作。

 女はそれを攻撃を防ぐためではなく、胸元から巾着袋を出すことに消費した。

 淡い緑色の巾着。その色合い、デザイン。

 元が誰のモノかを察して、メルトリリスは歯を食いしばった。

 

 周囲を奔る熱でぷつりと紐が切れて、炎上する。

 ばら撒かれる巾着の中身。それは外見上、光球のように見えた。

 だがそれが事実何であるかなど、メルトリリスが間違えるはずもない。

 

KP(カルマ・ファージ)……!」

「ええ。今の私では駄目、となれば今の私より強くなるしかないでしょう? 体を作り直すところだなんて、本来他人にお見せするものではないのですけど―――お見苦しいところを見せますが、どうか許してくださいね?」

 

 光球がそのまま殺生院の体に突き刺さり、沈んでいく。

 

 そう難しい話ではない。

 KP(カルマ・ファージ)は殺生院が切り離した己の一部。

 だから単純にそれを取り戻せば、彼女は質量と出力を増す。

 ただそれだけの話であり―――

 

 ギャリン、と。

 酷く歪つな音を立てて、メルトの脚と殺生院の掌がぶつかる。

 直上から落ちてきた銀の流星を腕一本で止め、何ということもなく。

 

「あとひとつ、足りないですが……どうやらこれで十分」

 

 回収したKPは四つ。残るひとつ、鈴鹿御前のものがここにはない。

 が、それが無くとも既に力関係は逆転した。

 唯一抵抗できたメルトリリスさえ、もう殺生院の相手にならない。

 

 ゆるりと腕を振り抜いて、受け止めたメルトリリスを押し返す。

 着地し、床を削って減速する少女の体。

 

「っ、正気なのカズラドロップ……っ! いえ、BB!

 本気でアイツに回収したKPを返してたってワケ!?」

 

 圧縮情報、疑似ブラックホールに両の掌をかけて、ゆるりと力をかける。

 更なる加圧。重力場が上から更なる力によって引き潰された。

 太陽熱の残滓など気にもせず、女は完成に近づいた体で堂々と立ち誇る。

 

 何がくるかも分からない。何があってもおかしくない。

 立香を戦車に乗せたブーディカが、魔力を惜しまず守護を全開にし続ける。

 ただ果たして、あれに比べれば薄紙のような結界に意味があるかどうか。

 そうとは思いながら、だからといって無防備は晒せない。

 

「あれは……一体、なに? 何であればあそこまでの怪物に―――」

 

 ブーディカの口からこぼれた言葉。

 それを耳で拾い、彼女はふと気付いたように足を止めた。

 

「まあ、(わたくし)としたことが。日取りの決まった法要に追われるばかりに、皆さまを前にして名乗りを疎かにするだなんて……あまりの昂揚に浮き足立っているのでしょうね。自身の不徳、未熟に恥じ入るばかりです」

「では名乗って頂けるのかね、御婦人?」

 

 神威の水流を槍に纏い、張り詰める気迫。

 だが声ばかりは静かに問いかけるフィン・マックール。

 

 話を理解しているのが己とメルトリリス、そしてパッションリップだけ。などという今の状況のまま話を進めては、礼を失するというものであろう。

 彼女は教えを説く者。教理の説法を求められれば、口を開かないわけにはいかない。

 

「―――とはいえ、時間が押しているのも事実。求められた説法を急かねばならぬ僧の未熟、どうぞお許し下さいませ。

 というわけで端的に、貴方がたに理解しやすいようにお話はまとめさせて頂きますね?」

 

 こほん、と。彼女は咳払いをひとつ挟み。

 

「改めて、マーブル女史の体を借りていた間の邂逅は別物としましょう。

 どうぞ皆様方、初めまして。

 (わたくし)、霊基にして三番目の獣“愛欲”の片割れ、ビーストⅢ/(ラプチャー)。己で定めし名を、随喜自在第三外法快楽天―――殺生院キアラ、と申します」

 

 自分が人類悪。人類史に訪れる終焉の使者である、と自称した。

 

 疑う余地はない。納得するしかない存在規模。

 既に張り詰め切った緊張感。

 誰もが行うどこをどう切り崩すかの思考実験には、何一つ答えは出ない。

 

 その反応に対して、理解が早くて助かります、と殺生院は笑顔を綻ばせる。

 

「時間がない、とはどういうことだ。貴様の目的は知らんが、ではなぜBBに時間稼ぎなどさせていた。貴様のその姿、今ようやく成れたモノなどとは言うまい?」

「私はBBの行動について何も示し合わせてなどいませんが……」

 

 弓を引き絞りながらアタランテから放たれる問い。

 それに対し、ビーストⅢは困った風に首を傾げてみせた。

 

 であれば、KPを回収して渡したのも完全にBBの意志?

 その事実にメルトリリスが目を細める。

 如何にBBが頭のイカれたAIでも、それは幾らなんでもおかしい話―――

 

「―――ああ、それと。此度、私はちょっとした話を小耳に挟みまして。

 ()()()()()()についてですわ」

 

 まるでいま思い出した、とでも言いたげに。

 殺生院は軽くぽんと掌を拳で叩き、愉しげに笑ってみせた。

 そうして、獣の視線がメルトに向く。

 

「ねえ、メルトリリス? 事の仔細までは分かりかねますが、貴方は()()に契約していたマスターを私から守れず失った。

 そしてその()()が終わった制限時間が来る前にこの私を倒して全てを解決すれば、そのマスターを取り戻せる……と、BBに聞かされているのでしょう?」

「―――――」

 

 聞かれていた。いや、聞かされた? あの時、BBが仕掛けてきた教会での会話。

 それをこの女に聞かれ、状況を把握されてしまっていたのか。

 

 それがソウゴのことである、とサーヴァントたちも理解する。

 流れは不明。それでも、大きな秘密がそこにあったことなど自明。

 おおよその実態を把握して、戦士たちが表情を引き締めた。

 

 周囲の反応に満足気に頷いて、殺生院が虚空に言葉を投げかける。

 

「聞いているのでしょう、BB? せっかくの状況です。彼女たちの救済が叶う残り時間を教えてくださいな。その寿命を知っているのがメルトリリスだけでは、他の者たちにとって余りに無体というものでしょう?」

『そうやってわざわざ残り時間を視覚化して、必死になって助けようとする人たちを、愉しみながらぷちぷち潰して回る超外道ムーブ、流石はキアラさんと言うほかありません。

 時限超過(タイムオーバー)が先か、全員消滅(ゲームオーバー)が先か。にやにや嗤いながら蟲の巣穴を潰して回るようなその趣味の悪さ、流石のBBちゃんもドン引きでーす』

 

 パチン、と。殺生院の近くに浮かぶ少女を映す画面。

 そこでBBは溜め息も出ないと彼女のムーブをなじってみせた。

 言われてすぐに心外だ、と頬を膨らませる殺生院。

 

「そのようなことは致しません。きっちりちゃんと全員生かして、もうひとりの終わりを見送らせてさしあげます。まずは時間切れ以外の結末なんて迎えさせません。

 ―――ああ、でも。ひとりくらいであれば……そちらの方がどうなったか、という実例を見せるため、蕩かしてみせてもいいかもしれませんね?」

 

 女の視線が馬車に乗った人間に向かう。

 ただの視線、ただの戯れ、それだけでケルトの守護を持つ馬車の結界がスパークした。

 

 すぐさま手綱を引き、それから逃れようとするブーディカ。

 視界を遮るために炎を吹く清姫。

 せめて盾となるべく馬車の前に出るパッションリップ。

 

 例えどれほど力の差があろうと、迷わず武器を手に前進するサーヴァントたち。

 

 ―――全身全霊。

 たとえKPを吸収し、明確なほど能力差が発生していたとしても。

 ここで使命を、あの願いを果たさねばならない。

 己の全てを懸けて、加速するメルトリリス。

 

 開幕する、結果の分かった最終戦。

 

 そんな彼らを画面越しに見ながら、BBは軽く教鞭を振るった。

 そこに出現する、彼女の身長の半分程度の大きな砂時計。

 手を添えて押し込めばくるりと周り、砂が落ち始める。

 

 砂時計の様子がよく分かるように、周辺一帯にその映像のみを散乱させる。

 周囲のどこからでも見える砂時計の状態。

 砂の落ちる速度はとても速い。

 落ち切るまでそれほど長い時間はかからないだろう。

 

 そしてこの砂が落ち切った時こそが、常磐ソウゴが死ぬ時なのだ。

 

 焦燥はカルデア側のみに生じ。

 殺生院は喜悦によってそれに応じ。

 

 BBはただ、その時が来るのを待つだけであった。

 

 

 




 
 やめて!ビーストⅢ/Rの特殊能力で、知的生命体を溶かされてしまったら人間であるソウゴの精神は解脱しちゃう!
 お願い、死なないでソウゴ!あんたが今ここで倒れたら、立香やメルトとの約束はどうなっちゃうの?時間はまだ残ってる。ここを耐えればキアラに勝てるんだから!
 次回、「ソウゴ死す」デュエルスタンバイ!
 


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飛び立つ翼2030/A

 

 

 

 夢を見ていた。

 誰もが笑い合える世界の夢。

 

 だが現実はそう甘くない。

 違う国に生まれ、違う言葉を話し、違う教えを信じ、違う神に祈る。

 そんな者たちが集い、ただ笑顔を交わす。

 たったそれだけのことが、酷く空想的な難事でしかなかった。

 

 ―――諦めたのはいつの日か。

 

 シャルルという少年が。

 カール大帝に至る現実を見据え、その道に歩みを乗せたのは。

 

 

 

 

 

 唸りを上げ、“聖なる(カロルス)かな、今こそ(・パトリキウス)威光が地に満ちる(・アウクトリタス)”が一気に白煙を噴いた。ただ煙に包まれたのではなく、それは放った攻撃の噴射煙。背部からミサイルを多数射出したことで発生した、巨人の攻撃の余韻であった。

 

 呼び出したジカンギレードを銃に変え、装填するフォーゼウォッチ。

 コズミックエナジーに満ちた銃口を上げ、ジオウⅡは即座に引き金を引いた。

 

〈フォーゼ! スレスレシューティング!〉

 

 銃口から放たれるのは無数のミサイル。

 それは巨人の撃ち放ったミサイルに応じ、それを照準している。

 空中で激突し、爆発していくミサイルの雨。

 

 発生する爆炎のカーテン。

 それを突き破り、迎撃しきれなかった巨人のミサイルがジオウⅡに向かう。

 

 銃を下げ、上げた反対の腕に掴んでいるのはサイキョーギレード。

 既に臨界状態にあった刃を、彼は一閃振り放った。

 

〈ライダー斬り!〉

 

 剣閃に斬り捨てられるミサイル群。

 眼前で起こった爆発に、巻き起こされる炎の乱舞。

 その炎の前にジカンギレードを翳す。

 

 するとフォーゼウォッチが炎の渦を吸引していく。

 相手の火力をそのまま己の力に変え、再び引き金を引く。

 次弾、迸る熱波。それは巨人に向けて突き進み―――

 

 直撃した上で、何の意味もないとばかりに弾かれた。

 

『我が祭機の威力は我が祈りの強さ!

 余の行い、余の振る舞いという現実が、この祈念を創り上げたのだ!』

 

 巨人の瞳が爛々と輝く。その巨腕を振りあげられる。

 その動作を前に、ジオウⅡが反応した。

 サイキョーギレードを逆手に持ち替え、手首をスナップさせ真下に投げる。

 足元の床へと突き立つ剣。

 

 そうして空いた手で、ホルダーから掴み取るのはウィザードウォッチ。

 ジオウⅡはジカンギレードに装填したウォッチを即座に入れ替えた。

 同時に変形させるギレードの形状は、銃から剣へ。

 

〈ウィザード! ギリギリスラッシュ!〉

 

 ジカンギレードを床に突き立てる。

 床から立ち昇る岩山。巨人に劣らぬサイズで出現する物理的な壁。

 そんな質量の盾を前に、腕を振り上げたままに巨人は口を大きく開いた。

 

 口許で輝く一瞬の煌めき。

 それは充填のための間であり、直後に訪れるのは破壊の嵐。

 超常的な熱量を収束させ、吐き出されるのは一条の光線。

 

 巨人の頭部。その動きは横向きに素早く。

 砲口から吐き出す熱は、岩山も根本から横一線に刈り取る光の裁きである。

 

〈鎧武! ギリギリスラッシュ!〉

 

 その裁断が届く寸前。ジオウⅡは剣を引き抜き、再び振り抜いていた。

 ギレードに纏わる異界の力、それが彼の前方に護りを作る。

 輪切りにしたオレンジの果実のようなエネルギー。

 それが盾の代わりとなり、ジオウⅡの眼前へと浮かび上がった。

 

 直撃。瞬時に蒸発する果実の護り。

 果汁が熱線に蒸発させられる瞬間に発生する、僅か一瞬の停滞。

 その隙を見逃さず、閃光を潜り抜けるジオウⅡ。

 

 だが巨人はすぐさまその態勢から拳を振り抜く。

 岩山を吹き飛ばし、視界が開けているなら殴ればよい。

 圧倒的な質量、常識外の膂力、それにより繰り出される超常の威力。

 

 その単純かつ絶対的な一撃に対し。

 ジオウⅡは、ウォッチを差し替えたジカンギレードを両手で掴んだ。

 

〈ドライブ! ギリギリスラッシュ!〉

 

 火花を散らすジオウⅡのシューズ。彼の体にかかるドリフト回転。

 体勢を問わずに一気に加速する回転力。

 自身に向けて振り抜かれた拳に対し、回転に乗った刃の威力を強引に添える。

 接触の瞬間に轟く、悲鳴をあげるような金切り音。

 

 ―――方向を僅かに逸らされ、拳が空振る。

 その威力はそのまま、玉座の間の壁へと叩きつけられた。

 激震する機動聖都。

 何とか一撃を逸らしたものの、ジオウⅡもまた盛大に弾き飛ばされていた。

 

「っ、はぁ……っ!」

 

 数メートルほど床を転げて、ようやく止まる。

 彼はそんな痛む体を押して立ち上りつつ、再び巨人に向き直った。

 呼吸を立て直して歩き出し、距離を詰めていく。

 

 そして床に突き立てていたサイキョーギレードを引き抜いた。

 巨人の存在感は僅かたりとも揺るがない。

 その威容、その偉業を前にしてソウゴは問いかける。

 

「……これが、あんたの祈り?」

『そうとも。これこそが余の祈りの結晶』

 

 腕を引き戻し、巨人がその巨躯を見せつける。

 平和を望む祈り、礼拝の地は最強の兵器へと姿を変えた。

 大帝は神に次ぐ愛の深さを破壊を以て知らしめる。

 

 矛盾の結晶、幻想の余地なき現実の結論。

 平和へと至る破壊の渦。

 その最強を誇ることなどなく、ただ厳然たる事実として大帝は語る。

 

『余が果たさんとする皇帝(マグヌス)の大命。その答えこそがこの威光である―――!』

 

 巨人の背部で再びミサイルが装填されていく。

 やがて破壊が訪れる。

 普遍の平和へと直進するため、必要な通過儀礼として。

 彼は救済者たりえず、大帝であったが故に。

 

 爆音を響かせ、装填されたミサイルが放たれる。

 その弾頭、全て向かう先はジオウⅡ。

 迫りくる爆撃の雨を見上げながら、ジオウⅡは双剣を強く握り締めた。

 

〈ゴースト! ギリギリスラッシュ!〉

 

 迎撃のための剣閃は常軌を逸する精度、速度でもって行われた。

 空位の真似事。されどその卓越した剣技に嘘はない。

 全てを起爆の寸前に斬って捨てていく二振りの刃。

 直撃ならずとも爆炎はジオウⅡを包み、その装甲に熱と傷を刻んでいく。

 

 そんな中。

 その爆炎の中で、ソウゴは立ちはだかる巨人を見上げる。

 

「……それってさ、()()()()()()()?」

『―――――』

 

 祭壇の中、大帝が僅かに眉間に皺を寄せた。

 

 

 

 

 

 ―――初めてだったのだ、あの時が。

 

 己とは違う国に生まれた者たちにも、家族がいるだろう。

 己とは違う言葉を話す者たちにも、文化が築かれているだろう。

 己とは違う教えを信じる者たちにも、智慧が備わっているだろう。

 己とは違う神に祈る者たちにも、信仰が積み重なっているだろう。

 

 真に孤独な者などいない。

 この星の上に生まれたからには、自分たちと確かに共生しているのだ。

 

 自分とは異なる理に生き、争うしかない者たち。

 だが彼らもまた、自分とは違うだけでどこかの“輪”の中で生きている。

 自分が目指すのは、その“輪”をこの星いっぱいに広げること。

 全ての命がひとつの“輪”の中に入れれば、争う必要もなくなる。

 少なくとも争い以外の関わり方を生みだすことができる。

 

 それこそが共存、共栄の道の第一歩。

 普遍の平和へと繋がる夢見がちな方向性。

 

 戦って、殺して、戦って、殺して、殺して、殺して、殺して―――

 そんなやり方で進みながらも、それでもいつか、その道は叶うと信じて。

 戦って、殺して、進んで、進んで、殺して―――

 

 ―――真実、自分たちとは異なるモノを前にした時に漸く悟ったのだ。

 

 あれは酷く寒い日だった。覚えているのはそのことだけ。

 酷く曖昧な、しかし強く焼き付いた記憶。

 

 その日、共にいたのはアストルフォだったか。

 どこかへの遠征の最中、ある遺跡を見つけて彼らは意気揚々と見に行った。

 そこで見たものこそ、その後のシャルルという少年の運命を決めたもの。

 

 遺跡と称されていたのは、何かの残骸だったように思う。

 そこに関してはあまり多くを覚えていない。

 それ自体がどうでもよくなるものを、見つけてしまったからだろう。

 

 その場に実在していたわけではなかったのだと思う。

 恐らくはその残骸―――異星の鍵(モノリス)を通じ、垣間見ただけ。

 

 褐色の肌、銀色の髪、白いドレスで、手にした剣は軍神の剣。

 そして体に刻まれているのは、遊星の紋章。

 

 一見して彼女の全てが分かったわけではない。

 実際どういうものかなど、その時は一分たりとも分かっていなかっただろう。

 けれど本能的に理解できたことがあった。

 

 いま、自分は―――本当に、この地上で唯一孤独なヒトを見ている。

 

 どの“輪”にも入らない。

 どんな生物にも属さない。

 

 異なる国に住まう人間も。

 異なる言語を話す人間も。

 異なる教義に学ぶ人間も。

 異なる信仰を抱く人間も。

 

 少なくとも、()()()()()()()、ということは共通していた。

 たったそれだけの事実が確かな救い。

 絶対的な繋がりであったのだと、よくよく思い知った。

 

『―――――』

 

 視線が合った、いや合わなかったかもしれない。

 前後の状況が曖昧に解けていくような、それほど大きな驚愕。

 自分の中に確かに残った事実、理解はたったひとつ。

 

 ―――あの時、理解してしまったのだ。

 

 たとえこの星の生命全てを救っても、あのヒトは救えない。

 だってそこにカウントされていないのだ。

 この星の生命としてではなく、あくまで来訪者。

 

 覇王として駆けた事実があってなお、彼女というヒトは星の外の存在だった。

 たとえこの地球を救える勇士、幻想の勇者であっても、彼女は救えない。

 人非ざるモノは救えない。

 

 非実在の勇者に人は救えず、人非ざる彼女のことは救世主でさえ救えない。

 信ずる自然(かみ)でさえも、彼女を敵として認識する。

 

 あの時、シャルルという少年は夢を置いた。

 どう足掻いても救えないモノを前にして、折り合いをつけることを是とした。

 彼女の存在が、彼女との邂逅が。

 全てを救うことはできない、という証明を少年の中に打ち立てた。

 

 であれば、後は現実を前に突き進むだけだ。

 戦って、殺して、戦って、殺して、戦って、殺して―――

 救いたいという祈りを動力に、彼はひたすらに突き進み。

 

 そうして、彼は大帝(マーニュ)となった。

 

 

 

 

 

 祭壇の中でカール大帝が首を横に向ける。

 それに応じ、巨人もまた同じように。

 その視線の先にあるのは、少女たちが防戦一方に足掻く姿。

 

『…………』

「俺は―――」

 

 少年の声に引かれ、顔の向きが引き戻される。

 見下ろした戦士の姿が剣を振り、炎を払う。

 平和への祈り、広く深き愛、脅威の躯体を敢然と見上げた少年が声を上げる。

 

「この世界を全部良くしたい……だから、そうするためには王様になるくらいしかないと思った! その想いは今も変わらない! 俺は、最高最善の魔王になる―――!」

 

 少年が叫び、二振りの剣に一つが合わせた。

 双剣を一つの大剣と変え振り上げるままに、大帝を問い詰める叫び。

 

「教えてよ。あんたが何で、王様になりたいと思ったのか!」

 

 確信を衝いた問いかけ。

 その答えこそが彼の足を止めさせ、この状況を生み出した。

 

 だが当人からすれば問われるまでもない。

 その答えはあの時から今に至るまで、自分の中に常にあった。

 

 夢を置き、現実だけに向き合うことにしたあの瞬間。

 皇帝(マグヌス)という平和維持機構。

 カール大帝(シャルルマーニュ)という、いと愛深き絶対的な支配者。

 その心の奥底に秘めたものは、いつだって失われていない。

 

 ―――だが、口にはできない。

 少なくとも今は、言葉にしていいものではない。

 

『―――否、否! 否! 否! 私の願いを、私の夢を、シャルルマーニュである余が余人を前に口にすることなどあるものか! それこそが大帝(マーニュ)であることを選んだ余の使命!

 私が私の願いを口にし、叶える時! それは余が皇帝(マグヌス)としての大命、この星に普遍の平和をもたらした後にこそ許される! 大帝(マーニュ)を名乗るとは、そういうことだ―――ッ!!』

 

 それは個人の願いだ。王としては余分な望みだ。

 大帝として使命を果たした暁に、ようやく口にすることが許されるもの。

 シャルルという少年の始まりにして、カールという大帝の終わり。

 

 この願い、この夢こそがシャルルにカール大帝としての道を選ばせた。

 様々な要因はあれど、彼女の存在こそが最後の一押しとなって踏み出した。

 最後には、その夢へと到達するために。

 

 ―――自然(かみ)さえ愛さぬならば自分が愛そう。

 己が自然(かみ)と同化し、星と同化し、その来訪者を愛そう。

 その時、初めて彼女は孤独から解放される。

 この星で共に生きた者となれる。

 

 世を救おう。人を救おう。

 全ての人と同化することで、全てを自然(かみ)と聖霊の御許へ導こう。

 それこそが大帝の使命。“天声同化(オラクル)”を授かった意味。

 永劫の平和へと至るための旅路。

 

 そして最後に。それを成し遂げた先に、人非ざるモノも救おう。

 自然(かみ)さえも救わぬ彼女を、全てと同化することで己が救おう。

 己と同化したならば、彼女はもう“この星の全て”という枠組みに入ったということ。

 あの寒空で垣間見た絶対の孤独。

 それを打ち払おうとした普遍の愛こそ、シャルルという少年がカール大帝へ至る始まり。

 

 苛烈なる大帝の雄叫び。

 呼応して激動する“聖なる(カロルス)かな、今こそ(・パトリキウス)威光が地に満ちる(・アウクトリタス)”。

 その出力が彼の祈りの強さに応え、天井知らずに上がっていく。

 

 巨人の背部、背負った武装が青白くスパークした。

 注ぎ込まれた魔力をそのまま威力に変え、放たれるのは複数の光線。

 空中で自在に方向を変える光の散弾。

 威光の投射は破壊の雨となり、ジオウⅡを呑み込むように降り注ぎ―――

 

「―――じゃあ負けられないよね。自分の夢を言葉にすることさえ、我慢しなきゃいけない……そんな王様にはさ!」

 

 大剣が圧倒的な力を纏い、その一閃で以て天を切り裂く。

 破滅の雨、光の天蓋が剣撃によって散らされる。

 そのまま両腕でしかと剣を握り、構え直すジオウⅡ。

 

 ジカンギレード、そしてサイキョーギレード。

 双剣を合体させたジオウⅡ最強の剣、サイキョージカンギレード。

 破壊力に満ちた大剣を向けられ、巨人は両の拳を強く握った。

 

『―――よい。来るがいい、夢見る者よ。余の大望は力を以て打ち崩すより他にない。それは他ならぬ私の“祈り”(アウクトリタス)の存在が証明しているのだから!』

 

 巨人、アウクトリタスが上半身をスイングした。

 単純に圧倒的な質量、重量。ただそれだけでその拳は何をも凌ぐ兵器である。

 その破壊力に応じるため、ジオウⅡは構えた剣を振り上げた。

 

 激突し、噴き出す火花。

 アウクトリタスの拳、その外装が僅かに削れる。

 相手に傷を刻みつつ、反動に軋むサイキョージカンギレード。

 

 互いに一歩退き合うような衝撃。

 その最中で共に彼らは更に一歩踏み出して、再び相手を打倒すべく一撃を繰り出した。

 

 

 

 

 

「……ッ!」

 

 滑る、滑る、そもそも打ち合えないのでは話にならない。

 最低最悪の相性とはこのようなものか。

 

 シャドウアストルフォの動きはさほど見栄えのするものではない。

 槍を武器とし、槍を盾とし、メルトリリスとつかず離れず。

 逃れられず、しかし一気に決め切れない距離。

 

 下手に打ち合えばその時点でまた無様に床を転がることになる。

 メルトリリス単体での勝ち筋は―――無い。

 

 戦局の運び方を思考している内に、激震する玉座の間。

 暴れているのは、こちらの幻想の十二勇士とは隔絶した最強の兵器。

 アウクトリタスとジオウⅡの一騎打ちが始まっている。

 

 馬鹿みたいで、情けないことこの上ない。

 メルトリリスがカール大帝に対処し、SE.RA.PHの問題を解決すると。

 そういう契約だったのにこの有様、こんなの笑えもしない。

 

(どうする……いえ、考えるまでもなく一択! リップと相手を交換する!)

 

 彼女たちが制圧されているのは相性の問題だ。

 素のスペックだけで比較するならば、シャドウサーヴァントなど相手にならない。

 だからそれを解決してくれる方法こそ相手のトレード。

 

 だがそんな分かり切ったこと、相手だって考慮している。

 シャドウが考えたのか、大帝がそう厳命しているのか。

 そこまでは分からないが、アストルフォは常にメルトとリップを遮るように立つ。

 

 ブラダマンテはリップの移動を制していないが、彼女の機動力じゃ変わりない。

 メルトリリスの方からリップへと到達するしかないだろう。

 

 それをリップも分かっているのだろう。

 幾度かメルトの方を確認する様子は見せるが、動けない。

 

(私が腕を飛ばして―――ううん、ダメ。そうしている間はid_esが使えなくなるし、そうなったら相手が私を足止めだけで済ませてる理由がなくなる。押し込まれたら止められない……!)

 

 ブラダマンテの動きは消極的。“トラッシュ&クラッシュ”を盾で封じ、その上で乱雑に振り回される腕を槍で受け流す。それのみだ。

 だがリップが腕をアストルフォに向け飛ばしてしまえば、もしもの能力行使を想定しなくてよくなる。拳を一つでも切り離してしまったら、瞬く間に押し倒され、床に縫い留められてもおかしくない。

 

 ―――だったら、それよりも速く。

 

「リップ! 私を撃ちなさい!」

 

 断言する。メルトリリスの強い、必死さを感じる言葉。

 告げられた言葉の強さに、リップは唇を噛み締めて逡巡を呑み込んだ。

 

 撃った後のことを考えないまま、片腕をメルトに向ける。

 切り離される黄金の拳。炎を噴いて加速する破壊の鉄槌。

 片腕を自切したリップの攻撃力はこれで半減。いや、それ以下まで落ちる。

 

 アストルフォは背後から来るその威力に当然気付く。

 躱すのは簡単。ただし、その回避が生む隙はあるだろう。

 とはいえその隙にメルトの攻撃があったとして、槍で受け止める程度の余裕はある。

 そうしてしまえばまた彼女は脚を失い、転倒する羽目になる。

 

 であるならば、迷いなく行動は決定される。

 影はメルトから視線を切らずに横に跳び―――そこで、想定していなかったものを見た。

 

「……お生憎様ね、脚狩りの騎士様。これが私の(つばさ)なんだもの。誰かにもがれて石ころみたいに転がるくらいなら、私は自分から千切り捨てでも飛んでみせるわ―――!」

 

 メルトリリスが全身を強く捻る。ぐるりと円を描き、回る肢体。

 その場で行う全身全霊の蹴撃。虚空を切り裂く銀色の流星。

 彼女に向け直進する黄金の拳の軌道はそのまま。

 

 当然の如く、黄金の鉄槌と銀色の流星は衝突する。

 

「―――――ッ!!」

 

 ぐしゃりと潰れる銀色の踵。

 鋭く研ぎ澄まされていた爪先が鈍く滑稽な形に引き潰されていく。

 衝撃は彼女の膝、銀色の脚甲を無惨な有様へと変えた。

 

 ―――その代わりに。

 黄金の塊の軌道が変わる。蹴り飛ばされて、まったく逆の方向へ。

 つまり、回避してメルトの突撃に備えていたアストルフォへ。

 

 メルトの迎撃を考えていたアストルフォにそれは想定外のこと。

 下半身に込めた力の具合は、回避のためではなく防御のためのものだ。

 今更回避に移れない以上、彼の行動はひとつしかない。

 黄金の槍をもって、黄金の鉄槌を受け止める。

 

 当たり前の話、飛んできた拳だけに足があろうはずもない。

 相手を転倒させる宝具の効果に意味はない。

 発生するのはただ、シンプルなまでの力勝負である。

 

 止め切れず、押し戻され、遂には背中から床に倒れ込む影の体。

 そこで勢いを失った黄金の拳もまた床に落下。

 

 そんなものたちを飛び越えて、片足が潰れ切った少女が舞う。

 片足なりの速度。両脚揃っていた時の見る影もない鈍さ。

 それでも確かに、彼女は前に向かって疾走していた。

 

「メルト……っ!」

 

 片腕を切り離し、戦力が半減したリップ。

 彼女の腕のスイングを一度潜ってしまえば、後はもう無防備。

 如何に破壊力に秀でていようと、それでは何の脅威でもない。

 

 更にブラダマンテは、振り抜かれた片腕の肘に盾を突き出していた。

 差し込まれた盾に、完全に腕の動きを封じられるリップ。

 そうして完全に相手を制した状態で槍を握り―――

 

「選手交代よ、リップ……っ!」

 

 全速力で滑り込んできた少女の膝。

 毒の蜜に満ちた棘が、横合いからブラダマンテの胴体を撃ち抜いていた。

 肉体が立てるとも思えない、バキバキという破砕音。

 影が剥がれて、人形に戻ってから硝子のように崩れていく勇士の末路。

 

 メルトリリスがそこで止まり、硝子人形と共に倒れ込んだ。

 片翼を失い飛べなくなった白鳥が床に沈んでいく。

 

「うん、任せて……っ!」

 

 そんな彼女の疾走に応えるべく、黄金の刃に力が満ちる。

 己を制する盾は消えた。片腕は切り離したままだが、制約は消えた。

 倒れたメルトを背後に庇いつつ、リップが片腕を上げ前に出る。

 

 押し倒された体を跳ねさせ、アストルフォが復帰した。

 リップの片腕は彼の近くに転がったまま。両腕で押し潰すid_esは発動しない。そうともなれば、まともにやれば一撃必殺ということはまずありえないだろう。

 

 つまりアストルフォが取るべき行動は、片腕を回収させないこと。

 彼は転がった拳の前に出て、彼女なりに全力で走るリップの道を遮った。

 前に出られても少女の突進は止まらない。

 

 神剣の五指を開き、突き出される黄金の掌底。

 id_esに関係なく、破壊の権化のような一撃。

 それに対して応じるのは、相手を転ばす黄金のランス。

 

 どれほどの突進であっても。威力に満ちた突進であればあるほど。

 相手を転ばせる、というその槍の威力は発揮される。

 その一撃の破壊力に構わず、この槍と打ち合った時点で無力化されるのだ。

 

「……っ、ちょっと、恥ずかしい、けど!」

 

 突き出される掌。突き返される槍。

 激突の瞬間にリップの脚が強制的に霊体化し、転倒させられる。

 ふわりと浮く少女の体。

 

 ―――そして、決死の表情をしたリップはそのまま槍の穂先を掴み取った。

 

 如何なる宝具だろうと、神剣の指に掴めぬはずがない。

 そして彼女が持つその刃が噛み合わせる握力。

 それに掴まれた物を力任せに引き抜ける者など、そうはいないだろう。

 

 であるならば当然の如く。アストルフォは、脚が消えて今にも床に叩きつけられるという、自分の武器を掴んだリップから離れられない。

 そして鈍足だろうと彼女が全力疾走していたことには変わりない。

 

 全力疾走の勢いのまま、アストルフォがパッションリップに()()()()()()

 ただの少女に押し倒されるだけなら何があろうというものか。

 すぐに跳ね除けてしまえばいいだけ。

 だが、パッションリップはただの少女ではない。

 

 ただただ単純に―――()()のだ。

 

 少女の体重は総重量にして1t。その大要因である腕を片方切り離しているとはいえ、単純計算で残り半分以上。その重量が、相応の速度のまま突っ込んでくる。しかも突然足を奪われた結果、空中に放り出されるような形で、全重量がアストルフォに圧し掛かるのだ。

 

 掴まれたランスは引き抜けない。手放す? 手放してどうする? この兇器のような腕に無手で一体何ができるのか。そもそも今このシャドウアストルフォの起点は、ジュワユーズが姿を変えたこの槍。槍を起点にして騎士を人形に投影しているだけだ。手放していいはずもない。

 

 迷う間にも人形の四肢が過負荷に悲鳴を上げる。

 槍を支える肘、肩。体勢を保つ腰、膝。全てが同時に奏でる断末魔。

 ほんの数秒保たず、支えきれずに背中から倒れ込む騎士。

 黄金の拳ごしに少女に圧し掛かられるアストルフォ。

 

 その重量に潰れていく人形。迫り来る強度限界。

 だがそんな終わり方をする前に、槍を掴んでいた指がゆっくりと開かれていく。

 騎士の体を刻みながら、強引に開かれていく五本の指。

 そうして開いた巨大な掌が、今度は槍のみならず人形の五体をも握り潰す。

 あらゆるものを切断する、神剣の裁断機(シュレッダー)

 

 バキン、と響き渡る騎士を纏った器が上げる致命的な音。

 床ごと割断された残骸がその場に残り、槍は光となって消えていく。

 

 揃って地に伏せた姉妹が、その体勢のまま視線を交わす。

 

「なんとか、終わったね……」

「終わってはないわよ、まだ……!」

 

 歪んだ足を引きずり、メルトリリスは上半身を起こす。

 その視線の先で、二つの巨大な力が衝突していた。

 

 

 

 

 

 アウクトリタスが拳を振るう。

 その一撃に合わせ、光の刃が振り上げられる。

 

「オォオオオオ―――ッ!」

 

 気合一閃。その威力をもって拳ごと、アウクトリタスの巨体を押し返す。

 押し返される巨体がその勢いを利用し、腰を回転させた。

 人の身では叶わない、上半身をまるまる180°回すという行動。

 弾かれた勢いをそのまま攻撃の予備動作に変換し、次なる一撃の威力に転化した。

 上半身が高速で大回転し、その勢いのまま拳を再び振るってくる。

 

〈〈ライダーフィニッシュタイム!!〉〉

 

 それに抗するため、ジオウⅡは片腕を剣から手放しドライバーに添えた。

 ドライバーに引き出され、励起するジオウⅡのパワー。

 そのエネルギーを拳に収束させ、彼は振り抜かれる拳撃に拳撃で応じた。

 

〈〈トゥワイスタイムブレーク!!〉〉

 

「グ……ゥッ!」

 

 激突する両者の拳。圧倒的なサイズ、膂力の差。

 その激突を制するのはカール大帝。

 それでもジオウⅡの一撃は相手の攻撃の威力を相殺し、体を弾かれるのみに留めた。

 

 吹き飛ばされ、宙に舞うジオウⅡ。

 ソウゴは痛んだ手を強引に立て直すように一度振り、剣に添える。

 

 腕を振り抜いた姿勢から、そのままアウクトリタスが上半身を倒す。

 開いた距離を詰めるための行動。

 腕を前肢のように扱い、四足歩行を行う姿勢に入る巨人。

 まるで獣の如く疾走してジオウⅡを追いつつ、アウクトリタスは口部を展開する。

 

 臨界した魔力炉心から迸る砲撃の前兆。

 それに狙われたジオウⅡが剣の柄。サイキョージカンギレードのメーンユニット、ギレードキャリバーに手を滑らせた。解き放たれるジオウⅡ最強の武装の全能力。目前に発生している砲撃の予兆に匹敵する光の収束。

 

〈ジオウサイキョー!!〉

 

 形成される最強無敵の光の刃。正しく文字通り“ジオウサイキョウ”。

 空中で吹き飛びながらも、その切っ先はアウクトリタスからぶれない。

 互いに必殺の一撃の構えを突き付けあい、大帝が口角を上げる。

 

『面白い、余の威光と正面から競うか―――!!」

 

〈キング!! ギリギリスラッシュ!!〉

 

 アウクトリタスより放たれる閃光。ジオウⅡの突き出す最強の剣閃。

 撃ち放たれる必殺の砲撃が光剣に衝突して、光線が千々に乱れて弾け飛ぶ。

 

 その衝撃の中、体勢を整えてジオウⅡが床に足を着いた。

 両の腕で剣の柄を強く握り、アウクトリタスの砲口を目がけて押し込んでいく。

 巨人もまた足を止め、完全に剣と砲での競り合いに移行する。

 

 ぶつかり合う強大な二つの力。

 弾け合うエネルギーが玉座の間を蹂躙していく。

 

『阻めるか、余の愛を!!』

「阻む気なんかないけど、負けられないよね……! 大帝としてのあんたにならともかく、そうやって回り道しようと思ってる限り、人間としてのあんたには―――!!」

 

 衝突は互角。であれば、状況の継続はジオウⅡに味方しない。

 有限の体力を振り絞るソウゴと、無尽蔵に近い魔力を汲み上げるアウクトリタス。

 その差はほんの数秒後に結果として表れる。

 

 であるならば、その制限時間に至る前にやらねばならない。

 剣を握る腕に死力を注ぎ、片腕で支えている内にドライバーに手をかける。

 連続で力を極限まで引き出されるジオウⅡウォッチがスパークした。

 

〈〈ライダーフィニッシュタイム!!〉〉

〈〈トゥワイスタイムブレーク!!〉〉

 

 ジオウⅡ、その装備が持ち得る全エネルギー。

 それをこの一撃、一閃に込めて再び両手で剣を握り締める。

 

 アウクトリタスの威光投射を切り裂き、突き進む全てを懸けた剣閃。

 文字通りジオウ最強の一撃。

 激しく膨れ上がるエネルギーの奔流が、遂に“聖なる(カロルス)かな、今こそ(・パトリキウス)威光が地に満ちる(・アウクトリタス)”にまで届いた。

 

『ぬぅ……!』

 

 咄嗟に大帝が巨人に身を捩らせる。

 砲撃を切り裂き、砲口である口元の魔力炉心へと突き刺さる光剣。

 それは炉心を両断し、そのまま巨人の体を突き抜けた。

 

 咄嗟の回避運動がなければ、正しく一刀両断だったろう。だが一直線に放たれた剣閃は口元から入り、しかし巨体を捩る巨人の左半身へと逸れた。

 顔面を突き抜け、左肩に突き刺さり、脇へと抜けていく刃。

 

 切断された巨人の左腕が宙に舞う。

 炉心を一基失い、腕を一本切断され、そのまま床に叩き付けられる巨体。

 

「は、ぁ―――っ」

 

 ジオウⅡの膝が落ちる。剣から放出されていた光が消えていく。

 ライドウォッチの力まで全てを振り絞った一撃。

 力に満ちていたジオウⅡは、この戦果を得る代わりに全ての力を尽くした。

 床に突き立てた剣を杖の代わりに、彼はなんとか倒れず体を支える。

 

 直後、転倒していたアウクトリタスの胸部が弾ける。

 内側から爆破されたような勢いで、歪んだ装甲が剥離した。

 そこから間を置かず飛び出すのは黄金の鎧。

 聖剣を手にしたカール大帝の姿。

 

 波打つ刃(フランベルジュ)の聖剣、ジュワユーズ。

 彼はそれを手に握りしめ、真っ直ぐにジオウⅡを見据え床に降り立った。

 

「よくぞ我が威光を打ち破った。しかしまだだ! まだ余はこうして立っている! 膝を屈してはおらぬ! さあどうする、余の前で屈している少年よ!

 そのまま地に伏せ、余には負けぬと口にした言葉を翻すか! あるいは諦めず、その地に落とした膝を死力を尽くし持ち上げるか! 答えはふたつにひとつ、さあ返答は如何に!!」

「決まってる、でしょ……!」

 

 剣を両手で握り、ジオウⅡが膝を上げる。

 限界はとっくに超えている。

 連続した必殺技の解放にエネルギーは底を突き、変身を維持するだけで精一杯。

 このままの戦闘を続行すれば、いつ変身が解除されたっておかしくない。

 

 だがその程度の理由で屈したままではいられない。

 灼熱した装甲から白煙を上げながら、重い動作ながらもジオウⅡは立ち上がる。

 

 それに笑みをもって応え、カール大帝はジュワユーズを振るう。

 すぐさま応じて、サイキョージカンギレードを振り上げた。

 激突する刃が火花を散らし、ジオウⅡの方が押しやられて蹈鞴を踏んだ。

 

 剣の重みに耐え切れないほどに腕が重い。

 その事実を認識して、ジオウⅡは握った大剣の先端を切り離した。

 脱落して、床に転がるサイキョーギレード。

 ジカンギレードのみを手に、ジュワユーズを手にした大帝に向き直る。

 

 互いに尽くす技巧もなく、両手で握った剣を叩き付け合う。

 そんなあまりにも単純なやり取り。

 それが行えなくなるまで繰り返すだけ、というシンプルな決戦。

 

 ―――その、最中に。

 

 玉座の間に通じる扉が瓦解する。

 破壊される、というよりまるで溶けていくように。

 

 同時に、アウクトリタスが砕いた壁面から内部へと飛び込んでくる二つの影。

 二つの影は二人のアルターエゴが倒れている近くに着地した。

 

 登場した息を切らした二人のサーヴァント。

 それはマハーバーラタの英雄。アルジュナ、そしてカルナ。

 二騎の大英雄が苦虫を噛み潰したような顔で、その場で何とか体を起こす。

 

「アナタたち……!?」

「よもやこれほどとは……あの才覚、現世の人界に収まるものか?」

 

 アルジュナはアルターエゴの二人を一瞥し、すぐに視線を戻す。

 

 英雄二人、どちらの傷も消耗も深い。浅く呼吸するカルナに対し、アルジュナは一瞬だけ酷く奇妙な表情を浮かべ、すぐに消した。

 他のサーヴァントは既に壊滅し、相手に取り込まれてしまった。損傷を与えられなかったわけではない。だがカール大帝からの援護射撃無しでは、あの魔神の集合体であり、かつそれを超越した怪物を消滅させきれなかったのだ。

 仮にアルジュナやカルナの宝具を使っても同じことだろう。既にそれだけの怪物に成っている。

 

 彼らが玉座の間の入り口に視線を向けるや、腐肉が雪崩れ込んでくる。

 それを体とする女も共に。

 

 位置が近いのは斬り合いをしていた二人だ。

 斬り合いの最中、酷く不快げな表情を浮かべ大帝が女を睨む。

 

「我らの戦いに水を差すか、毒婦めが―――!!」

「―――うふふ、男らしい……いいえ。子供のような癇癪はお止めくださいな、大帝陛下。夢に燃える子供の熱意に油を差してより燃やすだなんて、“天声同化(オラクル)”を授かった誰より信仰に生きた貴方らしくもない。

 男性の過ぎた行いには、水を差して諫めるのが女の務めというものでしょう? ふふ、水と油では残念ながら(わたくし)と貴方では混じり合うことは叶いませんね。もっとも混じらぬなら混じらぬでそれもまた一興。ただ押し流して呑み込んで、水底に沈めてしまうのも嫌いではありませんよ」

 

 白い装束の魔性、双角の魔羅を備えた女。

 殺生院キアラがそう言って、背後に魔神を蔓延らせた。

 扉から広がっていく殺生院の浸食。

 

 それは真っ先にジオウⅡとカール大帝の許へと伸びていき―――

 

「こ、の……!?」

 

 対応しようとして、ジオウⅡがくずおれた。

 四肢から力が抜けて、まともに立つことも叶わない。

 大帝との戦いに全てを懸け、もはや力の一滴さえ残っていない。

 いきなり出てきた他の物に向けられる余裕など、何も無かったのだ。

 

 それを見て、メルトリリスが叫んだ。

 

「―――リップ! 私を殺生院に撃ち出しなさい!!」

「なっ……、でもメルト、今の状態じゃ!」

 

 試さなくても分かる。砕かれるのはメルトリリスの方だ。

 リップとメルトの状態を考慮せずとも、今の殺生院相手は無謀だ。

 それに彼女たちの“槍”を使うには、id_esは必須。

 となれば、まずはリップの拳の回収から始めなくてはいけない。

 

 そんなことをしている時間的余裕などどこにもなく。

 それを理解した瞬間、片足の潰れたメルトリリスは走り出していた。

 加速なんて器用な動作はもうできない。

 片足だけで初速を生み、その速度だけで目標にまで跳んでいくしか無い。

 

「殺生院―――!!」

「メルト―――!?」

 

 アルジュナが小さく眉を上げる。カルナが目を細める。

 狙われた殺生院に焦りも危機感もない。ただ鬱陶しげに眉を潜めるだけ

 

 ―――そして、余裕があれば瞑目していただろう。

 だがそんな余裕がない故にカール大帝は小さく微笑んで。

 殺生院に向け跳んだ少女の進路を遮るように、体をずらしてみせた。

 

 初速だけで無事な足、爪先を向けた突撃をしていたメルトの動きが止まる。

 背中からカール大帝の胸を突き破り、その突進力は全て消費された。

 

「アナタ、なにを……!?」

 

 分かっていたのだ。自分の夢は、始め方を間違えていた。

 

 だってそうだろう?

 確かに彼女はひとりぼっちだった。他に何もありはしなかった。

 それでも、星と丸々同化する以外に救う方法はきっとあったのだ。

 ただの人間が、彼女の心に寄り添うだけで救えたかもしれなかった。

 

 設計を真似たワルキューレや、その流れを汲むアルターエゴがこれなのだ。

 なおさら今更ながらにそう思うというものだろう。

 けれど、あの時の自分にはそう思えなかった。

 

 殺して、殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して―――

 そうやって世界と向き合い続けていた自分には。

 彼女にそんな当たり前の救済があることすら、信じることができなかった。

 

 胸から突き出した銀色の棘を掴み、押し戻す。

 そうして背後で落ちた少女を振り向きざまに掴み、思い切り来た方向に投げ返した。

 カルナの腕が投げ捨てられたメルトを抱き留める。

 

 振り向き直し、膝を落とした少年を見る。

 大帝としての勝負は水入りで中断。

 だが―――少年として夢をぶつけあうという勝負は、負けということにしておこう。

 

「あんた……」

 

 胸を蹴り破られた大帝の姿を見上げるジオウⅡ。

 ただ蹴られて傷を負っただけではない。

 もうそこに霊基(しんぞう)がないのだ。メルトリリスが喰らったのではない。

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 それを見取ったのだろう、殺生院が表情を変える。

 

「まあ? 済度の日取りを告げる前にこの始末。悟りに導く説法さえも行えずこの有様だなんて、如何に結果は変わらずとも、手際の悪さを反省しませんといけませんね。

 ……けれど少し落胆いたしました。私に蕩かされ取り込まれることを恐れ、そうして自分を逃がすとは―――」

 

 女の失望するような声。

 瞬間、カール大帝の背後で残骸が超動を始めた。

 

「―――この大帝(マーニュ)を侮るな下郎! 貴様なぞに示されるまでもなく、余という生命は貴様の言う悟りなどというものには到達している!

 仰ぎ見よ、我が“聖なる(カロルス)かな、今こそ(・パトリキウス)威光が地に満ちる(・アウクトリタス)”を! これぞ我が祈りの結晶! 我が人生にして、我が歩みの象徴である! この余に! このシャルルマーニュに! 我が生涯において到達できる悟り(こたえ)があるというのなら! 余が出した答えより正しき、人間の答えがあるというのなら! 魅せられるというならば見せてみよ!!」

 

 鋼の歪む音を響かせながら、真っ二つになった巨人の顔が持ち上がる。

 残った顔半分、罅割れた隻眼に紅い光を灯し、殺生院を見下ろした。

 

 頭部の炉心は破砕されたが、腰にも一基残っている。そこで生み出したエネルギーを、アウクトリタスは壊れた口部に集中させた。

 魔力砲として収束させる機能が働くはずも無い。送り出したエネルギーはすぐに漏れ出し、散弾となって無秩序に吐き散らかされる。それによって床に広がっていく腐肉を吹き飛ばしつつ、残った右腕を振るってジオウⅡの周囲に伸びた腐肉の壁を薙ぎ払う。

 

 更に炉心が生み出す魔力を逆流させ、心臓を失った大帝の肉体に流し込む。

 魔力だけでは霊基を失った肉体は維持できない。だが“皇帝特権”―――否。

 “大帝特権”により、彼は己の望むスキルを体現する。

 例え死んでも死なぬ。その意思さえあれば、彼は此処に君臨し続ける。

 

「―――如何に私が成体に至らぬ獣とはいえ、こうまで抗ってみせるとは。流石は我欲より機構(マグヌス)としての命に生きた大帝陛下。貴方は容易には溶かせないでしょう。

 ですが、貴方が我欲を焚き付けていた少年は一体どうなるでしょうか?」

 

 くすくすと嗤い、必死の抵抗を見守る殺生院。

 ビーストⅢ/R、殺生院キアラ。彼女の獣としての権能こそ、"ロゴスイーター”。欲望を有する知性体を問答無用で溶かす、知的生命体に対する特効能力。

 

 己の欲望ではなく、己を一つの機構として生きてきた者。故に通りは悪いが、それでも徐々にカール大帝は溶かされていく。

 彼が溶かされきるか、あるいはジオウⅡを庇いきれなくなる方が先か。どちらにせよもはや時間の問題。

 

 そちらに意識を割きつつも、殺生院はメルトリリスを見た。

 大帝の霊核を同化させられた者。

 だが大帝が殺生院さえ手玉に取れぬ者であったのは、それが大帝であったからだ。

 霊核を同化して強化された程度のメルトリリスなど驚異でもない。

 

 そうして彼女がそちらにも魔神の津波を流そうとして―――

 

「そっか。この時のため、だったんだ」

 

 ぽつりと、そう呟いて。

 顔面の文字を輝かせたジオウⅡが、ほんの数秒の休息で得た体力。

 その全てを再び振り絞り、手にした剣にウォッチを装填。

 自分を囲う腐肉の波に向けて、思い切り投げつけた。

 

〈ダブル! ギリギリスラッシュ!〉

 

 腐肉に突き刺さり、解き放たれる圧倒的な風圧。

 それが一時的に周囲の肉壁を吹き飛ばした。

 直後にアウクトリタスの一撃も重なり、ある程度の道が開ける。

 そうして開けた道を使い、ソウゴはメルトリリスへと体を向けた。

 

「早く逃げなさい―――!」

「メルトリリス」

 

 カルナを振り払う力も無く、そのまま叫ぶメルトリリス。

 そんな彼女の名前を呼びながら、ソウゴはウォッチを放り投げていた。

 少女の手元に飛び込むライドウォッチ。

 掴むことができない彼女は、両腕をくっつけてそれを何とか抱き留める。

 

 咄嗟に受け取ったが、意味が分からない。

 一体何をしているのか、と。

 そういった意味の顔を向けたメルトの前で、ジオウⅡが震える腕を上げた。

 

 今の投擲でできる行動は本当に最後だ。もうどこにも力が入らない。

 だからそうやって腕を―――手の甲を彼女に向けること。

 それは、力がなくてもできる最後の行動を行うため。

 

「悪いけど……()()立香のこと、お願いね?」

「―――――」

 

 次。次なんて、と。

 そこで―――ああ、と。10日に満たない付き合いだけれど。

 彼女はマスターから与えられた、最後の指示を理解した。

 

 この電脳空間において、時間は不可逆なものではない。

 時間さえあくまでも情報のひとつでしかないのだ。

 それもあって彼女たちはSE.RA.PHの浮上を解決手段として見ていたのだし。

 

 だから、それはそういうことだ。

 彼は言っている。彼女だけで行け、と。

 次のスタート地点まで彼女だけで戻り、今度こそこの戦いを解決しろ、と。

 

 ―――令呪の魔力が流れ込んでくる。

 

 そこでようやく、やっと飲み込めた。

 これがマスター・常磐ソウゴから与えられた、最初で最後の機会。

 お願いね、と。彼は初めてメルトリリス(サーヴァント)()()()

 

 歪んで潰れていた足が溢れる魔力で修復されていく。

 カルナを振り解き、二本の足で地に立つ。

 

「―――……ごめんね、リップ。お願いがあるの」

「大丈夫だよ。私だってちゃんと、やれるから」

 

 体を起こすリップ。彼女は自分の片腕へと顔を向ける。

 そこで、黄金の塊を掴んで引きずってくる男の姿に気づいた。

 彼はそれをリップの眼前に放ると溜め息ひとつ。

 

「……そういうことか。ではカルナ、()()()()()()()()()()()()、ということだな?」

「そういうことになる。お前頼りだ、アルジュナ」

 

 今なお抵抗を続ける大帝。そしてアウクトリタス。

 その暴威を受けながら、しかしこちらにも力を向けている殺生院。

 今は口を開く体力も惜しいとばかりにカルナが迎撃しているが。

 

 しかし行動を起こせばこちらへの攻めもより苛烈になるだろう。

 目的を果たすための時間稼ぎにすら、死力が必要となろう。

 故にアルジュナは少女の拳を返還した後、弓ではなくゆるりと掌を天に掲げた。

 

「貴様に頼られるまでもない。私は一応大帝の配下としてここにいる。貴様と違って察しの悪いらしい私は、ここに至ってようやくカール大帝の行動に納得がいった。ならば、誰に言われるまでもなくその使命は成し遂げる」

 

 宝具解放の予兆。

 それを掌の上で渦巻かせつつ、アルジュナは少女たちを横目で見る。

 

 立ち上がり、接続した両腕でid_esを行使するパッションリップ。

 視界の範囲全てを押し潰す“トラッシュ&クラッシュ”。

 黄金の腕が空間だけを圧縮しながら、大弓(バリスタ)のように引き絞られていく。

 

 今にも魔神に呑まれそうなマスターに背を向けて。

 メルトリリスは今までにないくらい、美しく跳んだ。

 銀の槍が、黄金の大弓に装填される。

 

 その様子を見て顔を顰め、攻勢を強める殺生院。

 そんな一撃で自分を砕けるとは思えない。

 が、大帝の同化を受けたことを考えると、もしやという程度には注意を払う。

 

 何より今なお陰らぬ苛烈な反撃を行うカール大帝を前に、隙を作りたくはない。

 サーヴァントは大概取り込んだが、SE.RA.PHの支配権は未だに大帝にある。

 彼を蕩かして取り込むまでは、メルトリリス如きに構っている暇は無いのだ。

 

「最後の抵抗ですか。マスターも守れないサーヴァントらしい虚しい足掻き、見逃してあげてもいいのですけれど……マスターが消える前に蕩かしてあげるのも、慈悲というものでしょう」

「正しく大きなお世話、という奴でしょう。その無慈悲、神の怒りによってねじ伏せさせてもらう」

 

 宝具の反動、もはや限界だったアルジュナが砕けていく。

 そうして消える前に彼は掌に生じた光球を解き放った。放り出されたそれは、津波のように押し寄せる魔神の腐肉へと飛び込んで、その絶対的な威力を発揮する。

 

「“破壊神の手翳(パーシュパタ)”―――!!」

 

 全力で解放できるわけではない。

 そんなことをしたら玉座の間にいる全てが対象になってしまう。

 できる限り広範囲の魔神のみを対象にした、限定解放。

 大半の魔神はそれで昇華され、消し飛んでいく。

 

 だが範囲から逃れ、僅かに向かってくる魔神たち。

 それを迎撃するカルナを見ながら、アルジュナは口惜しげに消滅した。

 

 ―――そうして。

 稼いでもらった時間で準備を終え、大弓は作動する。

 殺生院ではなく、直上へと向けて。

 

 “その愛楽は流星のように(ヴァージンレイザー・パラディオン)”。

 パッションリップの空間圧縮を射出装置(カタパルト)として、流体変化し全身宝具と化したメルトリリスを撃ち出す、パラディオンの勝利の槍。超遠距離狙撃型合体宝具。

 

 これによって少女は光の速度を超え、時間を遡る。

 この電脳空間においては、時間はただの情報である。

 同じく情報でしかない深度。位置情報と連動したものである。

 

 だから、この海の天蓋を突き破るように飛翔すれば、辿り着ける。

 SE.RA.PHがその位置にあった頃。

 彼女たちが契約を結び、戦いを始めた時間へ。

 

 恐らく彼女と契約したマスターはもういない。

 けれど、彼女と契約したマスターが最後に下した命令を果たすための時間へ―――!

 

 

 



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交わる時空2017/B

 

 

 

 衛士(センチネル)である彼女に与えられたエリア。

 SE.RA.PHの裏側に設けられた居城と、デートスポットの数々。

 彼女の趣味で組み替えられた城下の光景。

 無駄なほどに装飾された明るい街並み。

 

 天守で手すりに腰掛けて、その光景を見下ろしていた鈴鹿御前。

 そんな彼女が、ふと何かに気付いて顔を上げる。

 

 自分の意志ではない。勝手に黄金に染まり、輝く瞳。

 その事実をもって、彼女は絶句した。

 何もかもが馬鹿らしくなってきて、軽く喉を引き攣らせる。

 

「―――ああ、そう」

 

 体育座りで、額を膝に押し付けて、渇いた笑いを数秒。

 そうしてからゆっくりと顔を上げた彼女は、凄絶に笑っていた。

 

「そっか、そっかぁ……じゃあ、このままじゃいられないわよね」

 

 小通連を手にして、残る二刀を神通力で浮かべる。

 最後にやるべきことを果たすために。

 

 立ち上り―――跳ぶ前に。

 彼女はふと、空いた手で自分の頬に触れた。

 

 硬く、楽しむことなど忘れた、殺意だけに溢れた貌。

 口を閉ざして、目を瞑って、数秒だけ待って。

 

 次に目を開けた時、彼女はニヤリと不敵に笑い、ただ楽しげに言葉を紡いだ。

 

「さ! 今回は最初から最後まで最悪の召喚だと思ってたけど、この顛末なら実際のとこ悪くないじゃん? わざわざ譲ってもらったからには、ここでお役目果たしにいかなきゃ女が廃るってもんでしょ! せっかくだから特等席で、あのクソ女の最期を指差して笑ってやるし!」

 

 城を蹴り、鈴鹿御前が跳び上がる。

 彼女はKP(カルマ・ファージ)を与えられた衛士。

 SE.RA.PHの移動は自由が利く。

 

 行こうと思えばすぐにだって、行くべき場所に行けるのだ。

 

 

 

 

 

 銀の刃が床を滑る。圧倒的な速度で繰り出される連続の蹴撃。

 それに対し、殺生院は胎の前で合掌したまま不動。

 

 ただ彼女は背中より魔神を織り上げた新たな腕を作り出す。

 そんなことをする必要はない。ただのお遊びのようなものだ。

 お遊びで、彼女は阿修羅の如き様相に変わる。

 

「く、ぁ……っ!?」

 

 物理的に新たな四本の腕を得て、彼女は至極あっさりとメルトを叩き落とした。

 続くシャルル、ガウェイン、フィン。

 それらの三騎士もまた、残る三本の腕でそれぞれ打ち払われる。

 

 絶望的な戦況、結果の決まりきった状況推移。

 テーブルに腰掛けながら、それを画面越しに眺めるBB。

 彼女の横に映った砂時計からは着々と砂が落ちていく。

 

『―――そういえばキアラさんが先程、()()と言いましたけど、厳密にはそれは違います。メルトリリスが例え一度こことは違う時間を体験し、逆行して再挑戦していたとしても、それは前回とは呼べません。この電脳世界において時間とはあくまでも情報のひとつ。

 現実とは違い不可逆のものではないのです。霊子記録固定帯(クォンタムタイムロック)……いわゆる人理定礎によって“正しい歴史”が固定されるまでの時系列は、酷く曖昧で移ろうことも多々ある可変的なもの、というわけですね』

 

 誰かに話しかけているのか、あるいは独り言か。

 ただ単にAIとしてその辺りを誤解されたままなのが気にかかっただけか。

 

 トリスタンの音の矢を平手で払い。

 アタランテの斉射を全て指で挟み。

 エリザベートの怪音波を拍手の響きで相殺する。

 

 その拍手が起こした空気の振動が、ついでのように周囲を蹂躙した。

 ただ手を叩くだけの動作がまるで宝具のようだ。

 彼女を中心に発生した不可視の衝撃波。

 それに耐えきれず、吹き飛ばされていくサーヴァントたち。

 

()()を経験したメルトリリスの存在があるので、前回ありきの今回。ソウゴさんの戦いが一週目で、センパイの戦いが二週目になっている、と思いがちですけれど実際はそうじゃありません。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()自体も特異なだけで情報のひとつ。イレギュラーはイレギュラーですけれど、この時間流において彼女の存在が一週目という時間の存在を保障することもなければ、この二つの時流が連続した時間である、という関係になるわけでもありません。

 ここと向こうはあくまでまったく別の時空。同一の時間帯に存在する別の可能性というだけで、本来交わることのない別の時流(せかい)というわけです』

 

 衝撃波を何とか堪えたパッションリップ。

 彼女がよろめきながらも両手を組み、拳二つを同時に撃ち出した。

 

 リップの背後にいたことで守られた者たちがそれに続く。

 ブーディカが剣を振るい、光弾を飛ばす。

 ネロが剣を振るい、白い炎の剣閃を飛ばす。

 清姫が限界まで深く呼吸し、青い炎弾を飛ばす。

 

 だが殺生院は真っ先に届いた黄金の鉄槌を無造作に掴んでみせた。

 破壊力も重量も何も気にせず、ただ乱雑に片腕で。

 そうして掴んだそれを、辿ってきたのと全く同じ軌道で投げ返す。

 

 光も炎も投げ返された黄金の拳に引き潰されて四散。

 後続の追撃は何一つ殺生院にまで届かない。

 

「―――ぁっ!?」

 

 戻ってくる自分の腕。

 それを受け止めようとしたリップが、激突に耐え切れず拳と共に吹き飛んだ。

 ネロたちも巻き込んで、吹き飛ばされてくるサーヴァント。

 

 立香を乗せた戦車を御していたブーディカが手綱を引く。

 が、遅い。リップたちが戦車に激突し、そのまま戦車は横転した。

 激突した連中と纏めて床をバウンドして、破砕音を立てつつ転げていく。

 

 咄嗟にブーディカに掴まれ、投げ出される立香。

 その彼女を即座に跳んだタマモキャットが拾い上げた。

 確保すると同時、キャットは立香を自分の後ろに放り、殺生院からの視線を切る。

 

『なので、向こうを前回とか一週目とか呼ぶのは、ちょっと意味合いが違ってしまうわけですね。まあ、呼び分けのために分かりやすい名付けが必要、というのはその通りだと思いますので、分かりやすくソウゴさんの経験した時流をAルート、ここでこうしてセンパイが経験している時流をBルート、としておくのが無難でしょうか』

 

 言いながらBBが眺めている砂時計。

 もうすぐ落ち切るだろう砂の量。

 それを改めて確認した殺生院は、キャットに庇われている少女に向かう。

 

「させま、せん―――!」

 

 彼女が歩き出した瞬間、鎧が砕かれた姿のガウェインが奔る。

 迸る太陽の炎熱を纏った聖剣による一撃。

 それを二本の指で挟んで止めて、女は触れるような掌底を彼の腹に添えた。

 

「ご、ァ……ッ!?」

 

 血を吐き、突撃してきた速度以上で跳ね返される巨体。

 そうして跳ね返ってきた彼を飛び越え、頭上を取る。

 直上から脳天目掛けて放たれる、極彩色の一刀両断。

 

「“王勇を示せ、遍く(ジュワユーズ)……―――ッ!!」

 

 王に続く十二の輝剣。

 だがそれらが放たれる前に、頭上に向け手刀が突き出されていた。

 それは魔神を織り上げただけの腕のようなもの。

 少し弄れば伸ばすことなど幾らでもできる。

 

 咄嗟に防御姿勢に入った聖剣と手刀が激突。

 当然のように手刀が押し勝ち、少年はいとも簡単に打ち返された。

 ボールのように弾かれて、高速で落ちていくシャルルマーニュ。

 弓を構えようとしていたトリスタンにその体がぶつかり、纏めて薙ぎ倒される。

 

 そこで一瞬の静寂。

 

 直後に発生する怒涛の水流と共に、メルトリリスが押し寄せる。

 フィン・マックールが死力を振り絞った宝具と併せた絶大な水量。

 その津波を己と同化させた少女という波濤を前に、殺生院は眉を顰めた。

 

「殺生院……ッ!」

「……今更大した問題にもなりません。が、ここまで異常な性能の向上となれば少々気にかかるのも事実。一体何を取り込んでこうなったかに興味はありますが―――全て終わった後、貴方を私に取り込み直せば済む話ですか」

「“弁財天五弦琵琶(サラスヴァティー・メルトアウト)”―――――!!」

 

 津波が一つの槍となり、その威力の全てを殺生院に向ける。

 清流にして濁流、あらゆるものを押し流し粉砕し溶解させる必殺。

 id_es、“オールドレイン”の最大出力。

 全身全霊の一撃を前にして、僅かばかり表情を変えて防御姿勢を取る殺生院。

 

(―――どうにも分かりかねますが、“オールドレイン”……強制同化が何かと絡み合い、より強力になっていると見えます。(わたくし)自身はともかく、油断すれば私のリソースの一部は強奪されかねない程度には強い溶解力。もっとも今の私から情報を奪いすぎれば、彼女の自我の方が塗り潰されるでしょうけれど……)

 

 圧倒的な水流。変生した殺生院にさえ届くかもしれない、そんな少女の全身全霊。

 少々業腹ではあるが、それを無防備で受けるような真似はせず防御する。

 

 ―――仕方なしに殺生院が取ったその行動。

 ただそれだけで、メルトリリスとフィンの全霊は傷一つ与えられずに消費された。

 成果と呼べることはただひとつ。

 防御に集中せざるを得なかった結果、殺生院の位置が押し流され距離が開いたことくらい。

 

 たったそれだけの結果のために全てを尽くしたメルト。

 彼女は床にぶち撒けられた大量の水の上で、疲労のままに息を荒くした。

 その状況でそこらに浮かんでいる画面、砂時計を確認する。

 

 残りの砂はあと僅か。あと何分? あと何十秒?

 

 気にしている場合ではない。

 そんなことより果たさねばならない契約がある。

 分かっているが、気にしてしまう自分に腹が立つ。

 

 濡れた体から水を滴らせつつ、殺生院は微笑みかける。

 

「急がなくてよいのですか、メルトリリス? そろそろ時間も―――」

 

 言って、彼女も砂時計に目を向ける。

 と、そこで何かに気付いたかのように、僅かに目を細めた。

 先程までそこにいたはずのBBがいない。

 

 だが探すまでもなかった。

 見失った少女の声が、直後に空から響いたのだ。

 

「皆さんお忙しそうなところですが、失礼しまーす。そろそろ決着がついてしまいそうなので、動くなら今かと思いまして! 漁夫の利を狙っているBBちゃん的には、この辺りが潮時かなーっというわけで。空気を読まずに乱入させて頂きますね?

 さあ覚悟してください、キアラさん! ラスボス系小悪魔風後輩型スーパーAIとして、一番目立つそのポジション、しっかりと取り返させて頂きますので!」

 

 ふざけたような言葉と共に、びしりと伸ばした腕で殺生院を指差すBB。

 天空に浮かぶ少女の目は真紅に染まり、全てを睥睨していた。

 その視線に見下ろされながらも、呆れた風に肩を竦める殺生院。

 

 聖杯戦争の進行役として彼女をサルベージしたのは殺生院だ。

 だが別に味方だと思っていたわけもない。

 放置すれば何かしらをしでかそうとすることなど分かりきっていた。

 ただそれも一興、と思っていただけである。

 

「こんなタイミングで、ですか。BB、今の貴方に私が倒せるとでも?」

「倒せませんよ? ムーンセルが万全にわたしをバックアップしてくれている、とかならともかく、どう足掻いたところでわたしはアナタにまったくもって勝てません」

 

 手の中で教鞭、支配の錫杖(ドミナ・コロナム)を遊ばせながらそう口にする。

 その錫杖が手に有ったところで、ムーンセルから引き出せる力には限度がある。

 そしてビーストⅢ、殺生院キアラはその閾値の範囲でどうにかできる存在じゃない。

 では一体何をしにきたのか、と。

 

 ―――そう眉を顰めた殺生院の足元が、唐突に割れた。

 

「な―――」

「ありがとうございます、メルトリリス。最終的にSE.RA.PHを手に入れるためには、どうにかキアラさんを天体室から引き離さなければいけなかった。あそこまで巻き込んで破壊してしまっては、セラフィックスの電脳化自体が解除されてしまいますから」

 

 くすくすと嗤い、息を荒げるメルトを見下ろすBB。

 確かに先程の戦いは管制室を発端にし、その周辺で行われていた。

 それを全力の一撃で押し込み、引き離したのはメルトリリスだ。

 

「BB、アナタ何を……!」

 

 バキン、と音を立てて殺生院の足元から巨大な腕が二本現れる。

 一目で分かる。キングプロテア、アナザーディケイドのもの。

 次元の壁を乗り越え現れた腕に対し、殺生院は即座に対処しようとして―――

 

「――――!」

「残念。如何に欲有る知性に対して絶対の権能を持つ、知的生命体キラーであるキアラさんとはいえ、虚数……そこにあるかどうか分からないものまでは蕩かせない。虚数空間にいる限り、アナタの蜜はプロテアには届かないのです」

 

 故に単純な力勝負。だがそれだけでもビーストⅢの力は圧倒的だ。

 

 サクラファイブの中でもパワー最強。

 パッションリップの“トラッシュ&クラッシュ”さえも力負けする怪物。

 幾らアナザーディケイドと化したプロテアとはいえ、力押しで勝てるわけもなく。

 

 そこでゆるり、と。

 微笑みながらBBが支配の錫杖(ドミナ・コロナム)を掲げた。

 

「確かにアナタはあらゆる知性体を法悦させる快楽の獣。ですが、知性が意味を為さない虚数の海で、それにいったいどれほどの価値があるでしょう?」

 

 起動する十の王冠。引き出されるのは、許された分だけの月の輝き。

 その力をBBは、全てプロテアの腕へと注ぎ込む。

 赤黒く燃え上がり、周囲に黒々しい影を纏い出すアナザーディケイド。

 

 包み込まれたビーストⅢよりなお禍々しい、悪魔のような巨大な腕。

 巨腕とその影が徐々に殺生院の姿を押し潰していく。

 ―――否、別の場所へと呑み込んでいく。

 

「ええ。わたしがアナタを倒せるほどムーンセルのバックアップは厚くない。けれどそれならそれで、別の手段を用意したまでです。

 世界の壁を砕き、渡る。キングプロテアが宿したアナザーディケイドの力と、今のわたしが扱えるだけの“十の支配の王冠(ドミナ・コロナム)”の力。

 これによってアナタを虚数空間に落としてしまえば、それでおしまい。足りない部分を違うもので埋め合わせた、発想の転換によって再現されたわたしの宝具―――」

 

 影の動きが加速する。

 更に展開される銀色の幕と、まるで布のように広がっていく黒い影。

 それらが脈動しながら、一気に殺生院を包み込んでいく。

 

 段階が進むごとに重くなっていく圧力に、初めて殺生院の表情に焦りが浮かんだ。

 

「く、ぅ……ッ! まさか、これほど―――!? BB……ッ!」

「霊核同期、百獣母胎(コード・チャタル・ヒュユク)。さあ、プロテア。わたしと一緒に、()()を磨り潰しますよ。

 ―――そう。今度はアナタが、わたしに追い落とされる番です。さあ、どうぞ悦んでください? アナタを粉々になるまで砕いて、この宇宙のどこでもない虚数の海にバラ撒いてあげる」

 

 加速する。加速する、加速する、加速、加速、加速―――影と銀幕が折り重なって、内側に取り込んだ殺生院を包み込んでしまった。そして姿も見えなくなった彼女を潰すように、球体にまでなった黒と銀の包装が一気に収縮し、この時空から完全に消滅していく。

 

 包み込んだ次元ごと虚数へ投棄するワールド・パージ。

 ビーストであろうと二度と帰還できない、永劫の旅への放逐。

 

「オペレーション、“(カースド・)(カッティング・)(クレーター:):Re(リ・イマジネーション)”。

 ―――声は静かに。私の影は、世界を覆う」

 

 SE.RA.PHの一角ごと丸ごと消滅させる次元隔離。

 それにより作業を終えたプロテアの腕が、ゆっくりとそこから離れていく。

 

 アナザーディケイドの腕がブレる。エネルギーを使い果たしたのだ。

 恐らくこのままでは変身が解除されるだろう。

 

「一度堕天の檻(クライン・キューブ)に帰還なさい、キングプロテア。虚数空間で元に戻ったらアナタも座標を見失って戻れなくなりますよ」

 

 BBの指示に従い、プロテアの腕が沈んでいく。

 アナザーディケイドの力を使い果たした以上、自由に動けないということだろう。

 であれば少なくとも、この事件の解決までもう彼女を見ることはないのか。

 

 ―――そして殺生院の反応はない。あるはずもない。

 

 彼女はバラバラに引き裂かれ、虚数空間へと捨てられた。

 例え再生できたとしても、虚数からこちらに帰還する術がない。

 

 プロテアを帰還させてから、数秒待ち。

 くすりと小さく口許に笑みを浮かべ、BBはメルトリリスたちを見下ろした。

 

「さて、SE.RA.PHの頭脳体であったキアラさんは消え去りました。頭脳を失いここに残されたのは、もはやただの電脳構造体でしかないSE.RA.PH。

 ―――というわけで。これからわたしがこのSE.RA.PHの頭脳体に昇格し、地上の人間を支配するため、ここから真の最終決戦といきましょう! イエーイ!」

 

 大して悪びれた様子もなく、当たり前のように敵対宣言。

 元より敵であったが、この状況でまでこれとは。

 まさかの殺生院退場に唖然としていたメルトが、しかしすぐに力を入れ直す。

 

 頭脳体の席が空いたなら、今にも天体室に飛び込み支配すればいい。

 そうしてここを浮上させれば、やっと―――

 

「―――流石に。少し、驚きました」

 

 メルトリリスの感慨など知ったことではないと、罅割れる次元の壁。

 空間を粉砕し、姿を現す魔性菩薩。

 快楽の獣が、当たり前のようにこの決戦場へと帰還する。

 

 分かり切っていたことだとばかりに吐き出される、BBの深い溜め息。

 

 BBとプロテアが行使したワールド・パージの威力は絶大だった。

 殺生院ですら囚われ、確かに虚数へと放逐されたはずだった。

 だというのに、何ともなさそうに女は笑う。

 

「うふふ……五体をバラバラに引き裂かれ、何もできず、自分がどうなっているかすら分からない。そんな状態で、まともな知覚すら得られない異界にバラ撒かれるというのも、得難いとても貴重な体験でした。本当に感謝しないといけませんね、魔神……ええと。魔神、ゼ……?

 ―――とにかく、私の肉体を魔神へと変えて良かった、と。こんな体験、人間であったらできないに決まっています」

 

 本当に。本当に嬉しそうに女は嗤う。

 地獄に落とされてなお、泳いで渡ってきた化け物が愉しそうに。

 

「良い体験を得て、こうしてめでたく帰還することも叶いました。なのでまずはBB、貴重な経験をさせて下さった貴方にもお礼を言わせて頂きます」

「うわぁ、うわぁ……流石のこれにはBBちゃんもドン引きです。バラバラにされて、虚数空間に捨てられて、そんな状態で帰ってきた挙句、普通に悦んでますこの人。

 まあそもそもキアラさんの行動に関して、ドン引きしないことの方が少ないですけど……」

 

 宙に浮く怪物、BB。床に足を下ろした怪物、殺生院。

 まるで世間話をするように怪物どもが言葉を交わす。

 とにかくさっきまでの思考は放棄せねばならない。

 まずは殺生院を取り除かなければ、SE.RA.PHは取り戻せない。

 

 気にする意味の無い砂時計に視線が向かう。

 今までの減り方から言って、もう一分程度だろうという事が察せた。

 

「やはり分かっていましたね、BB。私は帰還できる、と」

「鈴鹿さんのKPがまだこっちにあるので目印にして戻ってくるだろう、とは思ってました。それにしたって早過ぎだとは思いますけど」

 

 虚数に放り込まれても、実界に残った自分の一部は感じ取れた。

 故に彼女はただ、そこを目指して虚数を掻き分けてきたのだ。

 獣として“単独顕現”を持つ、全能に近い彼女だからこそできた荒業。

 

「私が目印にできるものを予め潰せればよかったのでしょうけれど……五つのKPを全て私に返していれば、そもそも異界送りも叶わなかった、と」

「ええ。ビーストⅢ、キアラさんにKP欠如に不完全態という瑕疵がなければ、そもそもわたしとプロテアの一撃は決まらなかった。なので返すわけにはいかなかったわけです」

 

 困った困った、と。

 指を頬に添えて首を横に倒してかわい子ぶるBB。

 そんな彼女を探るような視線で見上げる殺生院。

 

「でしたら最初から返さず、メルトリリスに壊させておけばよかったでしょうに」

「…………」

 

 KPを破壊せず、わざわざ守り、キアラに返還する。

 そんなことをしていなければ、彼女が詰んでいた場面は多かろう。

 だというのに何故そんなことを、と。

 そう問いかけた殺生院に対し、BBは口を噤んでみせた。

 

 確かにカルデアと殺生院の戦いで漁夫の利を得る、という目的であったのなら、強すぎるメルトリリスに対してパワーバランスを取るため、殺生院の力を守ることもあるだろう。

 だが結局行き過ぎた殺生院の強化によってこの有様。

 

 BBとプロテア、彼女たちの全力ならばまだ通じる目もある。だがプロテアが戦線離脱した以上、もう彼女を害する手段は残っていない。

 こうなることをBBが予測していなかった、というのは流石にありえない。ではこうなった上で、何かまだ目的があるのだと考えられるが―――

 

「まだまだ何か目論みはありそうなところですが……正直なところ、それをちゃんと見届けて、味わい、踏み躙りたいという気持ちもないではありませんけれど。

 流石にバラバラにされた肉体を再構築し、虚無の海から己の欠片を目指して泳いで帰ってくるのは疲れました。時間も差し迫ってきたようですし、残念ながらもう終わらせましょう」

 

 前言を翻すようだが、致し方ない。どう考えてもBBの目的は時間稼ぎ。今更ではあるが、あの砂時計が本当にタイムリミットかどうかも怪しいものだ。砂が落ち切る前にわざわざBBの乱入があったということは、むしろあれが落ち切るのを待っているのかもしれない。

 今まで乗ってきておいて何だが、ここで終わりにするのがいいだろう。

 

 砂時計が落ち切るまでは残り20秒といったところか。

 その時間がやってくる前に―――とりあえず、メルトリリスとそのマスターくらいは消しておくとしよう。BBにとって利用価値があるとして、まあその二人くらいだろう。

 ついでに少々体力を消耗した今メルトリリスは厄介なことだし。といっても、二人まとめて消すのに五秒もかからないだろう。やる気になれば、それであっさりと終わる話

 

 殺生院が一歩踏み出す。

 

 その動きから続く殺生院の行動を理解して、メルトは全身を震わせた。

 間に合わない。そして、果たせない。前のマスターも救えず、そして最後の命令も果たせず今のマスターも守れない。そんな末路など、けして認められるものか。

 

 BBとプロテアの攻撃で殺生院にダメージがあったのは事実。

 いま彼女という存在に可能な限りの損傷が与えられているのは真実。

 であるならば、ここに全てを懸けるより他にない。

 

 放つのは最大最期の一撃。

 放った直後に自分が砕け散るくらいに、全てを注いだ必殺。

 後先なんて考えていてどうにかなる相手ではない。

 

 メルトと殺生院の視線が交差する。

 獣はただ、やってみればいい、という態度のまま歩みを進めようとしている。

 四秒後には今はキャットが呪術で護っている立香は蕩かされるだろう。

 彼女の護りでさえ、そんな薄布程度の効果しか期待できない。

 

 であれば。

 ―――で、あれば。

 

 ギャリ、と銀色の爪先が床を抉った。

 

 

 

 

 

「―――――」

 

 何故、何故、何故、何故―――

 

 圧倒的な力を前にして、立香にできることは驚くほど何もない。

 だからこそ、考える。考えて、何かを見つけ出さねばならない。

 

 メルトリリスが突撃してしまったら終わりだ。

 なんとなくそんな気がする。いや、間違いなくそうなるだろう。

 だってそうなったら彼女は死ぬ。

 どんな結末であれ、メルトリリスが死んで終わるに違いない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

(できないよね―――!)

 

 じゃあ何故。何故、ソウゴは彼女にライドウォッチを託した?

 オーズウォッチ、そこに何の意味があるのだ。

 そのウォッチについて自分が知っていること、いったい何がある?

 考えて思いつくことができることなのか。

 いいや、分かるか分からないか考えたって意味は無い。

 

 何かがあると確信して、考え抜くより他にないのだから。

 

(何故、何で……最初の()()は、私とソウゴが別の時間に到着していたこと。

 BBが言うには、あくまで別の時流(せかい)であって、ソウゴの後に私の番っていうような連続した時間の流れではないらしいけど……)

 

 ふと、そこも引っかかる。

 BBは何故、先程ああも解説するかのような真似をしたのか。

 

 ここと向こうは同じ連続した世界ではない。

 同じ時間、同じ場所にいるのに、違う流れ、違う空間にいる。

 電脳であるが故に、そんな時空のすれ違いがあり得ると―――

 

「――――」

 

 ()()()、か? だからBBはこうまで時間稼ぎに終始していたのか?

 条件が分からないけれど、状況は違うけれど。

 それでもきっと、ありえないことはない。

 

 けれど、あの砂時計が落ちきったらソウゴは死ぬとBBは明言していて―――

 

「―――――あ」

 

 BBの言葉が脳内で蘇る。

 彼女は全部、こちらに伝えきっていたのだ。

 

 何故こんな真似が必要だったのか。

 そもそも立香が思いついた事象が可能なことなのかは分からない。

 だが立香が思考した上で、()()()()()()と思えたのが事実。

 

 理由は分からない。

 だがやらなければいけないことだけは、伝えられていた。

 ソウゴがメルトリリスにオーズウォッチを託すことで。

 BBがこうしてここで行っていることを見て。

 

 藤丸立香は、自分がここで()()()()()()を確信した。

 だったらもう、自分の思考を疑っても仕方ない。

 

「キャット! 前に出るね!」

「なんと!? いや―――その目……庭で七輪にかけられよく焼けたサンマを見る野良猫の如き決意に満ちた野性の瞳……! ヨシ、安請け合いは任せておけ! 死んでも守ってみせよう!」

 

 一切迷いなく、キャットは立香の話に乗った。殺生院相手から時間を稼ぐなど、1秒とて永遠に等しい難行に違いない。

 だがやらねばならぬ、と足を前に出そうとする立香の覚悟。それにお魚を銜えに行くドラ猫のソウルを感じた彼女は、散歩の時間になったのでご主人に纏わりつく犬のように猛ってみせた。

 

 泥船とて溶けて水底に沈めば海を僅かに浅くする。

 タマモキャットはその僅かな泥になることを躊躇うような軽い女ではなかった。

 

 速度を調節し、走り出すタマモキャット。

 ただ人間では近付くだけで蕩けてしまいそうな怪物、ビーストⅢ。そんな獣からの影響を最小限まで低減する呪力の盾となり、キャットは尻尾を毛羽立たせた。

 

 盾となってくれている彼女に続き走り出して、立香は叫ぶ。

 

「止まって、メルトリリス!!」

 

 走り出す直前、少女の耳にマスターの声が届く。

 だが迷って足を止めて、加速を鈍らせて威力を落とすわけにはいかない。

 彼女にはもう、一縷の望みにかけて殺生院を仕留めにいくしかない。

 

「今のあなたのマスターは誰!?」

 

 続けて届く言葉。それでも止まれない。

 止まってしまっては、今までの全てが水泡に帰す。

 だから―――

 

「私を護って、勝たせなさい!!」

 

 自爆などしてないで、勝利をもたらせとマスターが命じた。

 藤丸立香が想定する完全なる勝利を寄越せ、と。

 それができれば何とよいことか。

 だけどそんなもの、今さら不可能だから彼女はこの脚を動かすのであり―――

 

 しかし何故だろう。

 そこで彼女の脚が、止まっていた。

 

 何となく今までのことで分かっていたけれど。

 あの自分によく似た王様も、だから彼女を信じているのだろうと思えたから。

 他の何でもない、()()()()()という命令。

 それならば、ひとりぼっちのプリマでさえ、脚を止めてもいいと思ってしまえたから

 

「―――――」

 

 突撃が行われなかったことに眉を軽く上げる殺生院。

 まあそれならそれでいい。結果は何も変わらない。

 相手から来ないなら、こちらから潰しにいくだけのことだ。

 

 攻撃に備えていただけの時間を無駄にして、残り15秒。

 

 魔神を織り上げ、背中から生やした腕を伸ばす。

 無数に展開されたそれは、シルエットだけならばまるで千手観音。

 それらの指先、全てをメルトとキャット越しの立香に向けて。

 

「では、これにて―――」

 

 ―――初動で放った二十の手。

 その全てに完璧なタイミングで黄金の刀が激突し、僅かに狙いを逸らした。

 

 弾け飛んでいくその刀を見て、眉根を寄せる殺生院。

 圧倒的な力の差がありながら確かに狙いを逸らさせてみせた計算尽くの配置。

 見上げてみれば、空に輝く黄金の刀が二百三十。

 既に撃ち放たれた二十と合わせ、二百五十の“天鬼雨(てんきあめ)”。

 

()()()()。最終幕、開演ってわけじゃん?

 ―――その傲り、天魔の姫が斬り捨てにきてやったわよ。快楽天」

 

 既に銀の刀を手にした彼女は、朱色の鞘からすらりと最後の剣を抜く。

 それこそは顕明連。

 鈴鹿御前が持つ、水界の蛇の尾より取りし愛剣。

 そして彼女が有する最後にして最大の宝具―――

 

「我が眼が視通すは顕明連が刃に映せし“三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)”。

 新たな神を嘯く獣の末路、しかと見届けてあげるわ」

 

 ―――この期に及び、彼女は女子高生の制服を脱ぎ捨てる。

 代わりに纏うは天魔の姫としての装束。

 朱色の着物に天魔の羽衣を装いて、彼女の変生は完了した。

 

 黄金の瞳を開き、全てを観通すサーヴァントを超越した天魔の姫。

 それこそが今の鈴鹿御前。サーヴァントの枠に収まらないその姿は、発揮した時点で鈴鹿御前というサーヴァントの霊基を崩壊させていく。それに至った時点で、彼女の消滅は決定的。

 だがそれでいい。そんなことで目的が果たせるなら、何の迷いもない。

 

 殺生院が拡げる手を、全て完璧な軌道によって放たれる大通連で逸らす。

 真っ当なサーヴァントではできない奇跡の偉業。

 

 だが、所詮はそこどまり。

 一切瑕疵なく完璧に扱われる“天鬼雨”。それは数秒、確かに殺生院を止めた。

 しかしたかが刀の二百五十で一体どれだけ止められるのか。

 

 あっという間に降らせる剣を使い尽くし、彼女は殺生院に対抗する術を失った。

 大言の割にはいとも容易い、と。殺生院は笑う。

 

 天魔の姫が腕を振るえば、黄金の剣が一振りに戻り彼女の手元に引き戻されようとする。

 再びの“天鬼雨”でも降らせようというのか。

 それは余りにも、馬鹿らしくなるほどに間抜けさに満ち溢れた行動。

 

 地に墜ちている剣が神通力で引き戻される前に、魔神の腕で掴み取る。

 そうして剣を奪われたことにも無表情。

 ただ彼女は奪われた剣をひたすらに引き戻そうと、神通力をかけ続けていた。

 自分の手の中でカタカタと震える黄金の剣。

 

「……ふふ。取り戻したいのですね、この剣を。折角のお話です、お互いに自分のものを預け合った身ですもの。是非とも、交換してさしあげましょう」

 

 ふ、と。剣を掴んだ殺生院の手がブレる。

 それは一息に鈴鹿御前にまで届き―――大通連が、彼女の胸を貫いた。

 

「――――ッ」

 

 刹那の間に僅かに体を逸らすことで致命傷は避けた鈴鹿。

 そんな彼女の刀が突き刺さった傷に触れる指先。

 それが傷にずぶりと沈み込み、内側から光の結晶を抉り出した。

 

 投げ捨てられて、刀を突き立てられたまま床を滑っていく少女の肢体。

 

 ―――抉り出した光こそ、最後のKP(カルマ・ファージ)

 彼女に欠けていた最後の欠片が、指先から溶け込んでいく。

 

 正しく全能。正しく全知。

 今まで抵抗が成立していたのは、彼女の方が欠けていたからだ。

 それも埋まった今、新しき(かみ)随喜自在第三外法快楽天(ずいきじざいだいさんがいほうかいらくてん)の名に偽り無し。

 完璧に至った彼女には、如何なる小細工すら届くまい。

 

 鈴鹿への対処で時間を無駄にしたが、自分がこの位階に至ったならまあ良しとしよう。

 BBが何を企んでいようが、既にその小細工が意味を為す段階ではなくなった。

 

 視線を砂時計に向ければ、最後の1秒。

 最後の1粒がいままさに落ち切るところであった。

 

 ここに至るまでにあのマスターは蕩かせなかったが、まあいい。

 メルトリリスの絶望を見るために振り向きつつ、口を開く。

 

「さあ、どんな気分ですメルトリリス? 大帝陛下にわざわざ救われ、あの少年を救うためにやってきたというのに。またもこの私に阻まれ、飛べもせず、地に伏せ嘆くこの始末―――?」

 

 ―――大帝陛下? あの少年?

 自分がいま口にした言葉の意味を理解できず、殺生院が声を詰まらせた。

 

 いや、意味は分かる。

 カール大帝に、メルトリリスのマスターだったあの変身していた少年。

 つい今まで見ていたように、姿も声も鮮明に思い浮かぶ。

 

 だが同時に溢れ出す全知全能の感覚に、その違和感が曖昧になる。

 自分の中に地球の全てが入ってくる感覚だ。

 まだ核には到達していないはずだが、一気にこの星の知識が雪崩れこんでくる。

 

「……もう地球の核に到達するのも近いようですね。近づいただけでこの感覚、完全に融合に至ればいったいどれほどの―――」

「あれれ、キアラさん? 何か勘違いしていませんか?」

 

 BBの声に彼女を見上げる。確かに困惑がある。

 自分の中に入り込んでくるのは、確かに地球の全てだ。

 

 これを求めていた。地球と一体になり、この星の全てを以て有頂天に達し、その悦楽の果てに自分は真に地球の性感帯、真なる快楽天へと昇華される。

 つもりだった、はずなのだが。

 

「勘違い、とは?」

「またまたぁ、今のキアラさんには地球の情報全てが雪崩れ込んでいるはずでしょう? ですが今アナタが感じている感覚は、地球の核との融合とはまったくの別件。

 でもどちらも地球との融合、といって差し支えないので、いわゆる感度倍増というやつです! このまま行けば、最終的にはキアラさんが想定していた2倍の快感が得られるでしょう!」

 

 ニコニコと微笑むBB。

 いったい何を、と。そう口にする前にSE.RA.PHが酷く震動し始めた。

 自分の体だというのに、何が発生しているのかが分からない。

 

 そんな最中にバタン、と。酷く盛大に本を開くような音がする。

 何事かとそちらに視線を向ければ、そこには初めて見る男。メルトリリスやそのマスターの前に立つその男は、その場で開いた本を手にしながら不敵に微笑んでいた。

 

「黒ウォズ……?」

 

 立香の声に顔を向け、そのまま彼は顎をしゃくってメルトリリスを示す。

 そこでメルトに視線を向ければ、彼女の袖の中で何かが発光していた。

 確認するまでもない。オーズのウォッチだろう。

 

「―――やっぱり、違う時間を」

「君が想定したのとは違う方法だが、概ね正解と言っていいだろう」

 

 言葉少なに立香の思考を肯定し、肩を竦める黒ウォズ。

 かつて第五特異点アメリカにおいて、オーズウォッチの回収時に起こした事象。

 英雄ラーマとその妻シータの、時空を隔てた邂逅。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その場に同席したわけではないが、そういうことがあったとは知っている。

 

 だからこうする必要があったのだろう。

 違う時空の中に、メルトリリスがオーズウォッチを持ち込む必要があった。

 二つの時空を交わらせるために。

 

 そして先程のBBの言葉を考えると―――

 

「この時空交差はオーズの力単体で起こされたものじゃない。彼女の言葉を借りるなら、AルートとBルート……双方に存在する二つのウォッチが引き合うことで起こされた、というわけだ。

 我が魔王がそこのメルトリリスに持たせたオーズ。そして、Aルートの戦いの最中にあの殺生院キアラに取り込まれたダブルのウォッチによって」

 

 自分の中に溢れる情報に困惑しながら、己の記憶を探る殺生院。

 突然入ってきた情報が膨大すぎて混乱している。

 だが確かに、Aルートで殺生院キアラが経験した事態が自分の中にある。

 彼女の困惑を見て取って、BBが口を開いた。

 

「AとB。本来は交わらない二つの時空が重なった時、ベースとなったのは見ての通りBルート。そうなったのは単純に情報の質量による問題です。その事象が発生した瞬間、Aルートに既にカール大帝は亡く、メルトが持ち込んだ彼の霊基の分だけBルートのSE.RA.PHの方が()()()()。そう考えて頂ければいいでしょう。

 そして時空交差が発生した瞬間、二つの時空においてあらゆる情報は編纂されました。双方に存在していた人物は情報が統合され、片方にしかいなかった人物はそのまま継続する。AルートとBルートが融合して、どちらでもないCルートという新ルートが発生したわけです」

「……なるほど。これが貴方たちの目論見だった、というわけですか」

 

 頭痛を堪えるように顔を顰めつつ、殺生院がBBを睨む。

 

「ですがそれに一体何の意味が? (わたくし)が既に羽化を目前としたビーストⅢとして完成していることに変わりはなく、Aルートで大帝陛下もあの少年も私に蕩かされている以上、時空を統合したところで帰ってくることはない……いいえ、カール大帝の霊基はメルトリリスの中でしたか」

「果たしてそうでしょうか? ね、センパイ?」

 

 BBが立香に視線を向ける。

 彼女を見返して、立香は己の思考の結果を述べる。

 

「砂が落ち切った時ソウゴが死ぬ、っていう砂時計が落ち切った瞬間、時空が統合されたこと。BBが必死になって今の今まで時間を引き延ばそうとしてくれてたこと。

 ―――あの人……殺生院キアラが、知的生命体では勝てないビーストであること」

 

 わざわざBBが情報としてくれた事実。

 ビーストⅢ、殺生院キアラの性質。

 

 ソウゴが死ぬ、という話も嘘じゃないはずだ。

 この時空が統合された瞬間に。否、彼が死んだ瞬間に時空が統合されたのだ。

 事実として殺生院は彼を蕩かした、と言っている。

 如何にソウゴが強かろうと、人間である以上は知的生命体に変わりはない。

 彼女が有する権能に対して対抗することはできなかった。

 

 そうだ。

 

「だからこそ、今までの全部があったのなら。きっとそういうことなんだ。

 ―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 轟音と共にSE.RA.PHが揺らめく。

 電脳化したセラフィックスは、海底を突き抜けて地球の中心を目指して沈んでいく。

 戦場が地球の核へと移り変わろうとしている。

 

 そんな中で、メルトリリスの持つオーズウォッチ。

 そして殺生院が戦いの最中に意図せずジカンギレードごと取り込んだダブルウォッチ。

 それらが同時に強く光を発した。

 

「……っ! 何が……!」

 

 己の中から溢れ出す光に、殺生院が当惑する。

 ただでさえ流れ込んでくる情報が多すぎて頭痛がするというのに。

 

 最後の戦いの中。カール大帝は遂に倒れ、ジオウⅡは彼女に蕩かされた。あの砂時計が告げた時間こそがその瞬間。間違いなく、常磐ソウゴという人間が死を迎えた瞬間だ。

 その瞬間に刻まれたソウゴの死という情報はなくならない。二つの時空を統合したCルートにまで保存され、紛れもない事実として引き継がれる。常磐ソウゴの死は、Cルートの成り立ち故に回避できない真実となる。

 

 ビーストⅢ/R、随喜自在第三外法快楽天。

 魔性菩薩・殺生院キアラ。

 知的生命体を例外なく蕩かして昇華する“ロゴスイーター”の手で、常磐ソウゴは死んだ。

 

 これが彼が経た、Aルートにおけるソウゴの顛末。

 この情報は消えない。消せない。

 

 ―――故に、それが覆るとすればより正しく成立した道理のみ。

 

 この情報が発生したその瞬間に時空が交差し、Cルートとして統合された。

 原因は二つの時空。ダブルウォッチがあるAルートと、オーズウォッチがあるBルート。

 この二つの世界が地球の(コア)へと到達するまでの一定深度を越えたため。

 

 二つの時空が交わって、Cルートへと変わったことにより情報は再編された。

 常磐ソウゴの死という確定情報は変わらない。

 ただその過程と、意味だけが少しずれる。

 

「あ―――」

 

 メルトリリスが小さく声を漏らす。

 

 管制室だった場所、違う世界では機動聖都があった場所に嵐が起こる。

 その中に、無事なところなどない罅割れた銀色の装甲が見えた。

 今にも倒れそうな状態で、ただライドウォッチを手にして立っている彼。

 

 ―――ジオウⅡ、常磐ソウゴがそのウォッチを強く握った。

 

〈スカル!〉

 

 ジオウⅡが纏っている力は骸骨の記憶。

 動く骸骨。血流も、神経も、あらゆる感覚が死者同然に失われるライダーの力。

 変身すること即ち死者となること。

 仮面ライダースカルの力により、常磐ソウゴは確かにいま死者となっていた。

 

 五感亡き死者が相手では魔性の色香は届かない。

 知性が得る快楽というものを死体が感じることはない。

 快楽を感じない死体を“ロゴスイーター”が蕩かすことはできない。

 

 以上の情報によって、Cルートにおける彼の顛末は決定された。

 常磐ソウゴは仮面ライダースカルの力を得て死亡。

 死体である彼をビーストⅢが蕩かすことはできず、今に至る。

 

「でも、これ以上死んでるわけにはいかないよね」

 

 ウォッチを握っていた腕を下ろし、ジオウⅡが殺生院に顔を向ける。

 そうして対面して、彼女は強く眉根を寄せた。

 

 感覚で―――否、知識で理解できる。

 地球に刻まれた骸骨の記憶。

 死者と変わるその力によって、ソウゴは己の力から逃れおおせたのだと。

 

「……まさかあそこから逃れているとは思いもしませんでした。ですが所詮は一度きりの大道芸、生き返った以上は私に蕩かされる末路を回避できないでしょう?」

 

 ジオウⅡのダメージは深刻だ。そもそもカール大帝との戦闘の直後、という事実は変わっていないのだから。“蕩かされて死んだ”という事実を、“死んだことで蕩かされなかった”に変えたところで、ビーストⅢが放っていた魔神の力という攻撃の余波によって受けたダメージが、全て丸々0になるわけでもない。

 彼は確かに生き返ったが、もう戦える状態じゃないのは明白だ。もう一度同じように殺生院が力を行使すれば、今度はあっさりと消え去るだろう。

 

 それをさして強く否定するわけでもなく、少年はただ泰然と笑い返した。

 

「そうかな? まあ俺一人じゃそうかもね。でもさ、独りきりの魔神(かみさま)と違って俺は魔王だから―――色んなことができる臣下がつきものなんだよね」

 

 ビーストⅢの権能に陰りはない。

 KP(カルマ・ファージ)を全て取り戻し、彼女は完全なる存在に王手をかけた。

 後は地球の核へと辿り着き、羽化の時を迎えるだけ。

 

 それを止められる存在など此処には―――

 否、どこにもいないにも関わらず、ソウゴは勝ち誇るように笑ってみせた。

 

 

 




 
 死んだことをスカルウォッチを使用した、という事実に差し替えることで死んだことをなかったことにする。

 グリフォンライダーをサーチしてドラコバックを捨てることで勇者に装備してバウンスしつつ万能無効を構えるみたいなインチキくさい動き。お世話になってます。
 


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"C"rossover "C"elestial/"C"ORE2010

 

 

 

 己を貫いていた大通連を引き抜く。

 手にしていた顕明連と合わせ、からん、と。床に落ちた刃が音を立てた。

 KP(カルマ・ファージ)を抉り出された傷も中々に深い。

 限界などとっくに越えているが、しかし無理矢理生かされている。

 

 酷く不快ではあるが、まあここは我慢のしどころだ。

 ようやくあの女の無様な負け姿を観れるのだから。

 消滅していく悪寒と、強引に維持される痛み。

 

 それに耐えながら顔を上げた彼女の前に、一人の男が舞い降りる。

 

「確認しようがなかったが、無事なようで何よりだ」

「アンタにはこれが無事な姿に見えるワケ?」

「少なくとも、オレがお前に請われ鎧を渡した時よりは」

 

 降り立つ男は太陽の子、施しの英雄カルナ。

 彼の傷も深いが、彼としてもまだ退場するわけにはいかない。

 ()を託した少女より先には消えられない。

 

 ―――殺生院に霊核を砕かれた後、彼女はカルナに延命を願った。

 その鎧が持つ規格外の性能で自分を無理矢理生かしてくれ、と。

 

 無論、カルナは快諾した。

 願われたのであれば応えるのがこの男。

 

 宝具、“日輪よ、具足となれ(カヴァーチャ&クンダーラ)”。

 カルナが太陽神スーリヤから与えられた光そのものである黄金の耳輪と鎧。

 彼は鈴鹿に願われて、当然のようにその鎧を彼女に譲渡した。

 

 その鎧が纏った者に与える絶大な防御力と超常の治癒力。

 それによって鈴鹿御前は、あの戦いを聖都の外で生き延びた。

 死にながらも消えなかった、程度の話だが。

 だがそれで十分だった。

 

 彼女は光の鎧に護られ、死を超越する再生力で無理矢理生き延びながら、先程のように天魔の姫としての眼を開いたのだ。あらゆる世界を観測できるムーンセルに匹敵する視界。

 そして見つけ出したのが、()()()()()()()()()

 

 観測する、ということは実在を証明するということ。ただの情報の積算でしかないこの電脳の中で、彼女だけは実態の世界を観ていた。常磐ソウゴが視つけた別の時空を、鈴鹿御前が観続けることで実在を証明し続けた。Bルートというこの最後の局面に至るための始まり。その成立のための立香とメルトリリスの着地をずらさず合わせられたのは、彼女の観測によるところだ。

 そして最終的には、Aルートの鈴鹿からBルートの鈴鹿を観測することで気付かせ、Bルートの鈴鹿からAルートの鈴鹿を観測させ返させることで理解させた。

 

 ―――殺生院は怨敵である。

 その眼を開いて最後までの道のりを観測して、自分の役目を果たしに行け、と。

 

 結果として、彼女は最後のKP(カルマ・ファージ)を囮とした時間稼ぎを行った。そのまま死ぬところだったが、直後に発生した時空編纂によって、Aルートの鈴鹿が持っていたカルナの鎧は彼女に引き継がれ、こうして何とか死に損なっているというわけだ。

 

 彼女の観測が原因でメルトリリスがまた別の事態も引き起こしたが―――

 それはまた別の話だろう。

 

「もう返せ、って言うなら、返すケド……」

「お前が未だその鎧を必要としているならば構わん」

 

 ありがたい。本当に。

 この鎧のインチキ染みた性能がなければ、今にも弾けて消えそうなのだ。

 Aルートの鈴鹿とは違い、Bルートの鈴鹿御前は未だに霊核を残していた。

 だがどちらも結局は第三宝具を開帳し、自己崩壊が始まっている。

 

 これがなければ、あの女の末路を見届けられない。

 

 そう思いながら頭を何とか上げて、殺生院を見据える。

 確かに彼女は全知全能に等しい位階にまで至った。

 このSE.RA.PHにおいて、最強無敵の獣として君臨しているのだ。

 

 ―――だから、こうなる羽目になる。

 

 

 

 

 

 頭痛が酷い。流れ込んでくる情報が多すぎる。

 地球の記憶が彼女という器に止め処なく流入し続ける。

 けれどこれも最果てに至るための前戯と思えば辛くはない。

 これのせいで少々手荒くなるだろうが、それも自業自得。

 

 死の淵から這い上がってきたジオウⅡ。

 何とか今まで生き延びてきたにすぎないメルトリリスたち。

 彼らは、魔性菩薩の掌で泡のように消え果てる―――

 

「そ――――れ――――で――――は――――」

 

 ―――声が遅い。声帯が震えない。

 どうしてこうも体が重いのか。

 全知全能たる彼女の身に、一体何が起きているというのか。

 

 疑問すら口に出せない。

 思考と乖離した体の動きに、声が続かないのだ。

 

「なに、が?」

 

 明らかにおかしい殺生院の様子。

 それを疑問に思ったメルトリリスの声。

 

 そんなこと、こっちが訊きたい。

 何故完全なる獣の幼体、後は生まれいずるのを待つばかりのこの身が。

 ビーストⅢ、殺生院キアラが一体なぜ。

 こうして赤子よりも不自由な身になるというのか―――

 

 ぱちん、と支配の錫杖で手を鳴らしたBBが微笑む。

 

「決まってるじゃないですか。()()()()です」

「処理、落ち?」

 

 立香の声に頷いて、彼女が軽く教鞭を振る。

 すると周囲に残されていた画面に映されたままだった砂時計が回り出す。

 90°ごとにカクリ、カクリ、と回る砂時計。

 ビジー状態を示すポインターの動作そのままの表現。

 

「オリジナルのSE.RA.PH(ムーンセル)なら問題なかったでしょう。あそこであれば、演算能力が不足する、なんて事態はありえません。ですがここはセラフィックス、ムーンセルを模して形成した疑似SE.RA.PH。当然の話ですけど、オリジナルほどの演算能力はないのです」

 

 カール大帝ですらオリジナルのムーンセルでは同化は六割が限度。

 だが彼はセラフィックスを容易に完全同化していた。

 それだけでも二つのSE.RA.PHの性能の違いが明確に分かるというもの。

 

 ごくごく当然の話だ。

 片や、たかだか地球の海に浮かぶ海洋油田基地を電脳化しただけの、オリジナルの構造を真似てカタチだけをそれらしく整えたSE.RA.PHのコピー。

 片や、全長3000㎞に及ぶフォトニック純結晶体であり、地球誕生からその全てを記録する超遺物(アーティファクト)。“七天の聖杯(セブンスヘブン・アートグラフ)”、ムーンセル・オートマトン。

 

 それらの演算性能が同等であるはずもない。

 

「今のキアラさんは獣の幼体としてパーフェクトモード。その上、地球の記憶という情報の全てを読み込み中、という状態。

 アナタという完全な電脳獣を支えるだけでも、このSE.RA.PHが持つ処理能力の半分以上が使われているはずです。なのに追加で地球の情報をアナタの中に全部どーん! してしまったので、今SE.RA.PHはその読み込みだけでいっぱいいっぱいなわけですよ」

 

 彼女は()()()()()()()()

 KP(カルマ・ファージ)を全て回収し、一切の瑕疵がない獣へと変貌した。

 その上で地球の持つ記憶情報を全て、その身に読み込んでしまったのだ。

 まともな状態ならば地球の全てなんて情報が入り切ることはない。

 

 だがビーストⅢは全知全能に等しい位階に至ることで、それだけの情報を読み込める頭脳体として()()()()()()()()。それこそ地球の全てを記録するムーンセルの頭脳体としてさえ、見劣りすることがない性能だと断言できるほどに。

 今の彼女を構成する情報量は、一個の惑星に匹敵する規模になりつつある。幼体にしてこれなのだ。最終的に成体に至った暁には、もはや何者にも阻めぬ究極の快楽天になるに違いない。

 才覚、資質、精神性、一体どれほどのものを備えていれば此処にまで至れるのか。どうあれ、彼女は文字通りの全知全能の(かみ)へと昇華している最中。その規模は人類の規格(スケール)では計り知れない天文学的な容量(サイズ)なのだ。

 

 ―――そう。こんな小さな体(セラフィックス)では、耐え切れないほどに。

 

 宇宙規模の快楽天に至った頭脳体(ソフト)

 それに見合わない、あまりにも小さすぎる構造体(ハード)

 当然の如く、その齟齬は致命的なエラーに繋がる。

 

「キアラさんという頭脳体は情報を受け入れようとする。けれどSE.RA.PHという構造体はもうとっくに容量限界、アナタの処理能力についていけず、オーバーフロー中です。脳は活動していますが、神経信号が全て渋滞を起こしていて、指一本動かせないのが今のアナタ。

 ―――当然の話ですが、電脳の獣であるアナタが持つあらゆる権能もまた、SE.RA.PHという電脳構造体によって実行、処理されるシステム。つまりSE.RA.PHの演算能力に余裕が生まれない限り、アナタはアナタが持つあらゆる機能を使えない」

 

 相手の五感全てに作用し色香に酔わせる獣としての“万色悠滞”。

 そして知性体に対して無敵の権能、“ロゴスイーター”。

 それらは発動すれば問答無用であらゆる知的生命体を天上解脱させる。

 

 だがそれらは全て、彼女という電脳の獣が正しく機能しているのが前提だ。

 彼女の体であり、権能の演算装置であるSE.RA.PH。

 それがシステムダウンしているいま、彼女の持つあらゆる権能は機能しない。

 

 もはやビーストⅢの規模を考えれば、SE.RA.PHの機能に余裕ができることはありえない。彼女が今後まともに体を動かせる機会があるとすれば、それは地球の核に到達した時。

 セラフィックスという自分が収まりきらない矮小な体を捨て、地球という巨大な構造体を自分の体にできた時だけだ。

 

「な、―――――ん、て……!」

「と、いうわけです。手間暇かけてKP(カルマ・ファージ)をぜーんぶ無事に返してあげた理由、お分かり頂けました?」

 

 喋るだけは何とかしようとしてみせる殺生院。

 だがどう足掻こうとできることはそんな程度でしかない。

 SE.RA.PHに負担をかける行動は何ひとつ取れない。

 

 それが分かり切っていて、ああ疲れた疲れた、とニヤニヤしながら肩を回すBB。

 それは殺生院に言っているのか、あるいはメルトリリスに言っているのか。

 酷く腹立たしそうに顔を顰めるメルト。

 

 ギリ、と唇を噛み締める。

 そのまま必死に、鉛のように重い咽喉を震わせるビーストⅢ。

 

「おか、しい……! そ、ん、なの―――おかし、いでしょ……うっ! あなた、たちが、どこに、立って、いると、思って、いるのです……ッ!? SE.RA.PH、の―――わた、くしの、からだ、の、うえ、の、はずです―――っ! わ、たくしが、うごけ、ない、のに……! あな、たたち、が、うごけ、るのは……おか、しい、でしょうっ!」

 

 ―――SE.RA.PH上で発生する全ては、SE.RA.PHの演算によって物理現象となる。SE.RA.PHにおいて、あらゆる情報に変化が発生するのは、SE.RA.PHという環境が正しく機能しているからだ。

 ビーストⅢの成長、肥大化によってSE.RA.PH自体が異常をきたしてしまったというのなら、この空間に存在する全てが影響を受けていなければならない。当然ながら、彼女の体の上に這う虫たちも、動けなくなるのが道理だろうに。

 

 だというのにどういうことか。動けないのは彼女ばかりで、BBも、メルトリリスも、ジオウⅡも、藤丸立香も、何の障害もなく動けているではないか。

 そう叫ぶ殺生院に対し、唇の端を吊り上げるBB。そんな彼女の反応と同時に、別の場所から渇いた笑い声が上がった。

 

「はは、―――そういうことか。だからあれが必要だった、ってわけか……いや、渡しといてよかった、本気(マジ)で。こんなとんでもない相手への切り札になるなんて、考えてもいなかったからな」

 

 倒れたままそう言って、笑っているのはシャルルマーニュ。

 満身創痍の彼は、何とか上半身だけを起こしてBBを見上げた。

 

「……そもそもアナタが原因とも言えるんですけどね」

 

 今度は本当に疲れたように、ぽつりと呟くBB。

 

 そもそも何故こんな酷く遠回りな手段が必要だったのか。

 もはやBBが想定したスタートがぶち壊され、ああなった以上推測しかできない。

 だがもう理由は分かり切っている。

 

 BBの想定では足りなかった。二つ分の世界の攻略は必須だった。

 その手間を必要とした原因はただひとつ。

 

 ―――カール大帝だ。

 殺生院を最大限敵視しつつ、カルデアからも一歩も退かない頑固親父。

 

 彼がカルデアと協力して殺生院をぶっ飛ばし、後顧の憂いを断った後に最終決戦するような柔軟な対応をしてくれればこんな必要はなかったのだ。

 ソウゴにも、メルトリリスにも、パッションリップにも、まったくもって駄々甘な対応をしていた癖に、そういうところでは無駄に容赦をしないあの頑固さが、こちらにこの結論以外を出させなかった。だから大帝と殺生院、二人の攻略はそれぞれ別の時空で、なんていう羽目になってしまったのだ。

 

 見上げてくるシャルルを見下ろし、肩を竦めるBB。

 自分でやれ、というジェスチャー。

 それに目を白黒させて、仕方なしに彼は痛む体を押して、聖剣を杖代わりに立ち上がる。

 

「ま、カール大帝(アイツ)のに比べちゃ随分と小さい宝具でさ。機動聖都(カロルス・パトリキウス)を見てきただろうアンタにとっちゃ、あんま驚けるもんじゃないだろうが。

 それでもこの局面、ちょっとは驚いてくれてもいいぜ……これぞ俺の、小さな夢」

 

 世界全てを同化しようとしたした大帝に比べ酷く小さなもの。都市とも呼べないような小さな前線基地。仲間と一緒に笑いあい、馬鹿しあい―――ただこんな幸福が、ずっといつまでもあればいい、少しでもこんな世界が広がればいい、と願っていた小さく儚き夢の跡。

 

 SE.RA.PHの外。そこに見える景色は既に暗い。

 地殻を突き抜け、マントルにまで到達した光景は既に水中のものではない。

 電脳化した昏い大地の中、その光景の中に出現するはひとつの要塞。

 

「宝具、“我が儚き栄光よ(シャルル・パトリキウス)”―――!!」

 

 ―――カール大帝ならぬシャルルマーニュの宝具。

 聖都に比べれば矮小な移動型空中要塞。

 要塞といってもベースキャンプ程度にしかならないサイズの移動基地だ。

 

 その姿がSE.RA.PHの外に現れたのを見て、殺生院が当惑した。

 

「あ、……んな、もの、が……い、ったい―――!」

「見ての通りですけど? SE.RA.PH外に位置する、SE.RA.PHに存在を依存しない、最低限の演算機能は備えた拠点です。SE.RA.PHとの時間合わせのため、落下の相対速度合わせには苦労したんですから。そしてもちろん、既にわたしのスタジオもあちらにお引越し済みです。スタジオのヴァイオレットちゃーん、聞こえますかー?」

 

 BBが呼びかければ、今まで砂時計を映していた画面が全て切り替わる。

 見た事のある、BBチャンネルの際に使用していたスタジオ。

 

 そこに立ち、虚空に浮かべたディスプレイを叩き続けてる長身の女性。

 アルターエゴ、ヴァイオレット。

 そしてその近くには暇そうにそっぽを向いているカズラドロップ。

 

 彼女たちの後ろに見えるのは、床に座り込み壁に背を預けたロビンフッド。

 酷く疲労困憊の様子に見える。

 今までのことから考えて恐らくは、引っ越し、とやらに酷使されたのだろう。

 

 そんな状況が画面に浮かべられて、困惑を深くする殺生院。

 

『シャルル・パトリキウス、稼働状態良好です。

 殺生院キアラを除く全員の生命活動、霊基グラフ、観測に問題ありません』

 

 俯いたままの作業が多く、僅かにずれた眼鏡の位置。

 それを掌で軽く上げて直しつつ、静かに告げるヴァイオレット。

 その言葉こそが、殺生院の疑問に対する答えだった。

 システムダウンしたSE.RA.PHで、SE.RA.PHに存在する情報体は誰も動けない。

 

 だから、()()()()()()のだ。いまBBたちはSE.RA.PH上に存在する情報体ではなく、シャルル・パトリキウスから命綱を繋げて降下してきた探査隊。

 沈没船の中で呼吸もできずもがいているキアラとは違い、ちゃんと水底で活動できるように準備して沈没船まで降りてきた他所からの来訪者だ。

 

「……これがシャルルの秘密?」

「あー、黙ってることはもう一個あるけど……ま、これが一番大きいヤツだ!」

 

 立香に問いかけられて、シャルルは苦笑を返す。

 

 彼はSE.RA.PHに降り立ち、真っ先にBBに接触された。

 その時に彼の素性、能力を聞いたBBから要求されたのが宝具の譲渡。

 この“我が儚き栄光よ(シャルル・パトリキウス)”の存在だった。

 

 流石にちょっと考えたものだが、まあいいかと思って渡しておいてよかった。

 そう言って痛みを交えた顔で微笑むシャルル。

 彼の様子を見て、満足げなBBを見て、僅かに首を傾げる立香。

 

(……BルートのBBは、いったいどのタイミングでAルートの事情と状況を知ったんだろう。Cルートになった今は両方の情報があるだろうけど、その前にメルトリリスから聞けない情報まで手に入れられる方法って……ううん、今はそれより)

 

 もう最悪、どうせ黒ウォズに聞いたんだろうで決着がつくどうでもいい疑問だ。

 既にこの事件は終わったもの、とばかりに緩く立っている黒ウォズ。

 彼がいる以上、考えてもあんまり意味はない。

 

 考えるにしても、それは全てを終わらせてからやるべきことだ。

 

「では、こほん。あー、あー……」

 

 BBが咳払いし、声の調子を整える。本来ならこれをやってからカメラを入れるところだが、今回は現場要員なので仕方ない。声を整え、気分を整え、浮かべた笑顔は100点満点。

 そうして口を開いた彼女は、大仰な動作で華々しく、くるりくるりと美麗に回った。

 

「BBぃ~~~チャンネル~~~~~っ!! スペシャルサプライズバージョンっ!

 さあ、やっと始められました! BBチャンネル出張特別スタジオ版! わたしがスタジオではなく現地にいる辺り、酷く急ごしらえの企画に見えてしまいますが、そこはそれ。スタジオの司会から現場リポーターまでマルチにこなすスーパーAI、BBちゃんの面目躍如ということでここはひとつ! そんなハイパー可愛い人気マルチAIとして、小悪魔から邪神まで幅広い悪だくみ(かつやく)に定評のあるわたしが、今回取材させて頂くのはこの人っ!」

 

 見下ろされた殺生院が顔を顰める。

 そんな動作しかできない彼女に、より笑みを深めるBB。

 

「自分の快楽を追い求める余りビーストⅢにまで駆け上がった脅威のスターダム! ドレスコードなんて知ったことかと着の身着のまま城に乗り込んで、勢いのままに国を滅ぼす灰かぶり(シンデレラ)。殺した狼から剥ぎ取った皮を被り、お婆さんまで自分が食い散らかす血濡れ(あか)頭巾。

 ―――さあ、どうぞ? 快楽天という新しい神様気分でいられたアナタ。魔性菩薩・殺生院キアラさん。地獄の底に帰る前に、今の気分を述べておく余裕はありますか?」

 

 問いかけに対して数秒、無言。

 だがしかし魔性菩薩はすぐに淑やかな笑みを浮かべ、彼女を見返した。

 

「―――ええ。うごけ、ない……ところ、を、英雄、英傑の、皆様方に、蹂躙、される。それもまた、一興……と、思っては、おりますけれど。ふふ、どうぞ、お気をつけ、くださいませ……?

 下手に、わた、くしの、情報を、削れば……私が、軽く、なって、しまうやも―――?」

「―――――」

 

 既に権能は機能しない。まともに動くことすらできない。

 殺生院キアラというビーストⅢの頭脳体は、完全に無防備な存在だ。

 だが、()()。あまりにも()()()()()だ。

 簡単に破壊し切れるような質量ではない。

 故に下手な攻撃を行えば、彼女という存在を中途半端に破壊することになる。

 

 そして、()()()()()()()()()()()()S()E().()R()A().()P()H()()()()()()()()()

 重すぎる彼女を支えられなかった体が、彼女が軽くなることで復活するのだ。

 そうなってしまえば、ビーストⅢは完全ならずとも権能を取り戻す。

 欠けることで性能が低下することは、今の彼女にとっては望むところ。

 

 未完成の状態にあっても彼女は絶対的な知性体キラー。

 動けるようになれば、ここからの逆転も至極容易なことである。

 そして地球の核に到達すればもうこんな煩わしい小さな体に悩むこともない。

 

 だから。ここに至ってなお、BBたちは追い詰められる。

 残り数分だろう時間制限の中で。

 ここに至るまで戦力を使い果たした満身創痍の自分たちが。

 ビーストⅢという大質量に対して、中途半端な傷を与えず。

 ただの一撃で完全に彼女を打倒する必要がある。

 

 宝具を発動できる戦えるサーヴァントなど残っていない。仮に解放できたとて、威力が足りないだろう。恐らくいま一番可能性があるカルナでさえ、ビーストⅢクラスの質量が相手では、その神槍が彼女にまともな傷を与える前に自分が消えるだろう。

 

 ジオウⅡはもう立ってさえいられない。彼は疲労に片膝をつき、マスクの下で息荒く喘いでいる。その上、ジカンギレードはここに至るため殺生院の胎の中。最大威力の必殺剣は、どう足掻いても発動できないのだ。

 

 時間は回復を待ってはくれない。

 地球の核に到達すれば、今は雁字搦めのビーストⅢは羽化に至る。

 こんな状況は些事とばかりに、当たり前のように覆されるだろう。

 

 では一体、誰がこの状況をどうにかできるというのか―――

 

 マスター二人が顔を上げる。

 此処に至り、託せるのは一人だけ。

 最後の最後に、彼と彼女が恃むのは二人にとってのサーヴァント。

 

「―――メルトリリス!」

 

 二つの声が重なって、少女の耳を叩く。

 認めたくないが、確かなこととしてその事実によって昂揚する体。

 

 黒衣を翻し、アルターエゴが爪先を立てる。

 床を削り、火花を散らす銀色の刃。

 最後の最後に訪れた、彼女が飛翔するための瞬間。

 

 それを見て、殺生院が眉根を寄せた。

 メルトリリスならば自分を削った側から吸収し、取り込める。

 id_es(イデス)“オールドレイン”の面目躍如。

 

 殺生院が傷つくと同時にメルトリリスという刃は肥大化する。

 傷つければ傷つけただけ威力を増す槍なら、威力が足りなくなることはない。

 

 ビーストⅢが動けるようになるのが先か。

 権能を取り戻す前に殺生院の(しんぞう)をアルターエゴが穿つか。

 全てを懸けた勝負は、快楽の獣と、快楽のアルターエゴに委ねられる。

 

「無駄、です……! 貴方の、器では、わたく、しを、受け止め、られない……!

 私を、取り込んだ、端から……貴方が、私に、染められて、いくだけです――――っ!」

「―――――」

 

 そんな言葉なんてどうでもいいくらい、脚が軽い。

 二人のマスターからの熱が届き、自分の中の何かを燃え上がらせる。

 そうして全霊の姿勢を取る少女の後ろに、もう一人。

 いや、もう四人か。

 

「おも、いくらなんでも重すぎる、でしょう……っ! だいえっと推奨、ですっ!」

「それは今ばかりは言わぬが花だ……! 嘘ではなく、余だってそのくらいの配慮はするぞっ! であるが確かに重いっ、重すぎる……っ!」

「言ってるじゃないか……! 気にせず頑張って……!」

 

 黄金の爪を床に引き摺り、押し戻されてくる愛憎のアルターエゴ。

 被虐の少女、パッションリップ。

 彼女は羞恥に顔を赤く染め、胸を震わせながら、我慢ならないとばかりに叫ぶ。

 

「う、腕ですから! わたしが重いのは、主に腕が原因ですから! 体重がそんな、たるんだ体のせいというわけじゃないですから!」

 

 清姫、ネロ、ブーディカと。女の細腕で強引に押し出されてくる少女。

 そんな間抜けな光景に小さく微笑み、メルトリリスは更に深く沈んだ。

 

 射出装置(カタパルト)は準備完了。

 後はただ、今度は逃げるためではなく―――完全勝利するために。

 マスターたちに、完全勝利をくれてやるために、羽搏いてみせればいいだけだ。

 

 ふと、彼女が殺生院に対して口を開く。

 

「―――アナタがついでのように始末したサーヴァント、そのひとりからの言葉。私に向けられたものだったけれど……せっかくだから、アナタにあげるわ」

「なに、を……?」

 

 いつぞや邂逅を思い出す。人を愛する者を思い出す。

 怪物的でありながら、深く他人を愛していた者。

 怪物そのものである自分や、殺生院などとは相容れない愛のカタチ。

 

「アナタのその過食(あい)は破綻している。それを哀しいことだと思えるのは、ヒトがヒトであるが故のこと……だから、怪物は赦しを得るための煉獄に落ちることさえ許されず、ただその咎を抱えて地獄に落ちるが定めである―――ってね」

 

 自分たちの行先は地獄にしかない。

 怪物に変生した時点で、天上解脱など夢のまた夢。

 菩薩などという誇大広告を掲げていないで、怪物は怪物らしくするのがいい。

 顔を顰めた最低最悪の女に対し、最後に投げるのはキラーワード。

 殺す前に叩きつけてやるに相応しい、殺し文句という奴だ。

 

「怪物になったアナタにだから愛を捧ぐ偏屈家なんてここにはいない。大人しく、寂しいままに、ひとりぼっちで、無間の地獄に落ちなさい、殺生院―――――ッ!!」

 

 メルトリリスが床を蹴る。カタパルトが作動する。

 空間が圧縮されて、その反動によって光速にまで加速する水の槍。

 回避などできはしない。防御などできはしない。反応すらできやしない。

 その一撃の威力、速度とは別の話で。

 魔性菩薩は身動ぎ一つできないまま、その槍の直撃を受けるしかないのだから。

 

「“その愛楽は流星のように(ヴァージンレイザー・パラディオン)”――――――ッ!!!」

 

 光を超え加速した銀の流星。その一撃が獣の胴体に直撃する。

 肌を切り裂き、肉を貫き、しかしそこで止まる魔剣ジゼル。

 まともな相手であれば、この直撃だけで塵一つ残さず蒸発しているだろうに。

 当然、まともでもなければ真っ当でもないビーストⅢはそうはならない。

 

 メルトを受け止めた殺生院。

 彼女の足が床を削りながら、徐々に押し込まれていく。

 そのように勢いがほぼ殺されるほどに、今の彼女は重いのだ。

 

 反動で罅割れていくメルトの脚。

 それを埋め立てるべく、彼女の“オールドレイン”が殺生院を栄養に変えていく。

 湖に灼熱のマグマを流し込むような自傷行為だ。

 だがそれでもやらないわけにはいかない。やることを戸惑う理由もない。

 

 蒸発していく白鳥の湖。

 その水が枯れ切る前に、この魔人の命脈を断ち切ってみせるだけ。

 

(―――不可能ですよ、メルトリリス。貴方と今の私では質量が桁違い。貴方如きのドレインでは、私が動けるようになるまで質量を減らすことはできないでしょう。

 ですが同時に、貴方が私の命を断てる刃に至ることもできない。その前に、貴方という意識は私という存在に塗り潰され―――っ!?)

 

 メルトリリスの膨張が速い。力の増大が速過ぎる。

 明らかに殺生院がドレインされた分以上に、彼女という刃が鋭くなっていく。

 その上、メルトリリスという存在が薄まらない。

 

(何故、いえ分かり切っている……! カール大帝―――ッ!!)

 

 メルトリリスの内部、彼女が取り込んだカール大帝の霊基。それが未だに機能し続けている。溶かされていないのだ、ずっと。取り込まれたその時から。

 彼はメルトリリスの中でカール大帝としての霊基を保ったまま、その能力を行使し続けている。即ち“天声同化(オラクル)”。彼女は常にその後押しを受け続けてきていた。それが彼女の常軌を逸した強さの理由。彼女は自分がやりたいこと、望んだことに向けて羽搏き続ける限り、カール大帝という聖なる王の加護をその身に受け続けてきた。

 メルトリリスが殺生院をドレインした分だけ強くなる、ではとても目標まで届かない。だがメルトリリスという(せかい)が広がった分だけ、支配地域の拡大によるカール大帝の“天声同化(オラクル)”による追加の性能向上がかかるのならば―――

 

(っ、いえ、これは……! 届いてしまう……! 私が権能を取り戻す前に、メルトリリスの力が私の命を溶かせる領域に―――!)

 

 だがその前に消えるはずだ。性能の向上速度が限界を超えたところで、そのために殺生院を自分に溶かしこまなければいけない事には変わりない。そんなことをすれば、メルトリリスが自我を薄められて消えるという事実も変わらない。そうでなければいけないのに―――!

 

 自我の溶解、という結末を大帝が許すか?

 自分らしく生きることを何より夢見た男の力の全てが、自我の塗替えを許すのか?

 

 ―――いいや、許さない。

 メルトリリスに限らず、そんな結末を許すような男ではなかった。

 

「そん、な、まさか―――! ここまで、で……わた、くし、が……!?」

 

 溶かされて、吸収される。

 その分だけメルトリリスが力を増す。

 取り込んだ分、それ以上に“天声同化”が力を増幅する。

 

 駄目だ、どう足掻いても間に合わない。

 自分の機能復旧より、メルトリリスの拡大の方が遥かに速い―――

 

「カール、大帝……! っ、メルト、リリス―――――ッ!!」

 

 徐々に押し込まれる速度が加速していく。

 殺生院が軽くなっていく証明であり、メルトリリスが重くなっていく証明。

 力関係が逆転することは流石にありえない。

 ただ指一本動かせない全知全能の心臓に、限界以上に研ぎ澄ました針で穴を開けるだけ。

 

 押し込むメルト、押し込まれていく殺生院。

 二人の姿が、膝を落としているジオウⅡの横を過ぎていく。

 視線を交わすことはなく、言葉を交わすこともなく。

 

 しかしその瞬間に彼女は小さく笑い、更に脚に力を込めた。

 

「これ、でぇ―――ッ!!」

「――――――ッ!?」

 

 パキン、と。致命的な音がする。

 何の守りもない魔人の核に、逆襲の刃が届く音。

 

 動かなかったはずの体から力が抜けていく。

 剥離していく全知。崩壊していく全能感。

 取りあげられるSE.RA.PHという構造体。

 電子の海の支配者が、ただそこに漂う物体の一つに成り下がる。

 

 と、その瞬間に殺生院が体勢を崩した。

 重みを失った彼女には、メルトの勢いを支えきれない。

 二人の決着の地は管制室跡地。

 かつて彼女が敗北し、今一度のために飛び立った場所。

 

 ―――背中から倒れ込む殺生院は、ちょうど穴の開いた場所に倒れる。

 パッションリップが開いた、天体室にまで開通した孔。

 そこを埋め立てていた魔神の塊は残っていなかった。

 殺生院がSE.RA.PHから切り離された以上、あんな膨大な魔神は維持できない。

 

 その勢いのままどころか更に加速しつつ、天体室へと落ちていく二人。

 二人纏めて相当の距離を落ち、床面に叩きつけられる。

 瞬間、勢い余って殺生院の胎を突き破り剣が飛び出していった。

 

 カラカラと床を滑り、転がっていく剣。

 ダブルウォッチの装備されたジカンギレード。

 そんなことを気にする余裕もなく、力無く床に横たわる殺生院。

 だが死に体なのは殺生院だけではない。

 

 落下した瞬間に、殺生院に突き刺さったメルトの脚が膝から折れる。

 砕け散り、硝子片のようにぶち撒けられる銀色の脚の残骸。

 脚を失った少女が木の葉のように吹き飛んで、床に落ちて転がった。

 

 勝者はメルトリリス。だが彼女も限界を超えていた。

 カール大帝の“天声同化”が覆しただけで、無理に無理を重ねた結果だ。

 少女は意識を喪失し、完全に沈黙している。

 

 敗者であるビーストⅢはその構造体を失い、頭脳体の核を砕かれた。

 消滅するのも今や時間の問題と言っていいだろう。

 だが、しかし。だがしかし―――

 

「ふ、うふふ、ふ――――」

 

 女の体が動き出す。

 もはや立ち上がる力もなく、這う事でしか動けないような状態で。

 角の折られた頭を上げ、彼女は目の前に倒れるメルトリリスを見据えた。

 

「まだ、です……まだ……!」

 

 ずるり、ずるり。

 震える腕で体と白衣を引きずって、女は徐々にメルトに迫る。

 

「魔神で造った……わたくしのからだは、もはや、これまで……ですが、元はわたくしからサルベージした存在である、あなたがここに、いる……!

 幸い、ここは天体室……あなたの体を奪い、あなたのウィルスを、わたくしのものとすれば、天体室を同化し、SE.RA.PHは再び手に入れられる……!

 そればかりか、あなたの中のカール大帝の霊基を得れば、あなたたちの観測を維持をしている、あのカール大帝の宝具……あの空中要塞も、わたくしが乗っ取ることができ―――!」

「呆れ果てるな。曲がりなりにも菩薩の位階に至った女、それがこうまで生き汚いとは」

 

 ガチャリ、と。わざとらしく鳴らされる鉄の音。

 弾丸が装填される、そんな音を鳴らすサーヴァントは多くない。

 そして何よりこの声。

 聞き覚えのある皮肉げな声。この声の持ち主となれば、ただ一人。

 

「アー……チャー……っ!?」

 

 愕然としながら振り返れば、そこには満身創痍の男の姿。全身に孔を開けられたあの時の姿のまま―――否、傷口の内側から刃金が生じ、傷を埋め立てている。それで血を止めているのか。どちらにせよ死体のようなものには変わるまい。その状態で生き延びていた、とでもいうのか。

 

 ありえるはずがない。放り捨てた後も生きていたのはいい。

 だが彼女が全能を封じられる前は、この空間は魔神の巣窟だったのだ。

 あんな体のまま、生き永らえていることなどありえない。

 

 そうして驚愕を露わにした彼女の視界に入る、彼の更に奥にいる影。

 この雰囲気に合わない可愛らしい着ぐるみを被ったナニカ。

 そんな姿を見つけて、殺生院はなおさらに愕然とした。

 

「トラ、パイン……!? いえ、神霊サーヴァント……! 何故、ここに」

 

 いいや、ここにいたっていい。時空統合の後になら、どこにいようが知ったことではない。だが今ここに居合わせているなんて、まるで彼女がアーチャーを救ったようではないか。

 だがそれはありえない。彼女、トラパインに降りた神霊はAルートのみの存在のはず。Bルートにはあんなものは存在していなかった。だから時空統合よりずっと前、Bルートでここに放り捨てられたアーチャーを救うなど、彼女には不可能なはずだ。

 

 ガチン、と。またもわざとらしく音を立て、撃鉄が起こされる。

 

 ―――それまでしていた思考を止める。

 もはやどうでもよいことだ、と。

 目を瞑り、小さく嗤い、そうして彼女は現実へと回帰した。

 

 無駄な思考を捨てた彼女は、再び目を開いてアーチャーを見上げた。

 

「……珍しいこと。今度は(わたくし)の許に間に合ったのですね、貴方は」

 

 男が酷く顔を顰める。

 今の彼女はこの男に詳しくないが、まあどういうものかくらいは分かる。

 自分と、この男の活動時期。重ね合わせれば、まあそういうこともあるだろう、と。

 図星なのだろう、分かり易い男だ。

 

「間に合った? つい数秒前の自分のことさえ忘れたのか、お前は。そちらが勝手に死んでるオレの前に落ちてきただけだろうに。

 まったく、よく落ちる女だ。よほど意識を(ソラ)に飛ばしたいと見える」

 

 男が酷く落ち着いた声で、女に銃を突き付ける。

 ビースト相手ならば玩具のようなものだろう。

 だが瀕死の女にトドメを刺すだけならば、十分以上の威力がある。

 

「仮にも菩薩。糸を垂らすに留めておけばいいものを、わざわざ踏み躙ろうと足を持ち上げるから、こうして掬われる無様を晒す羽目になる。挙句の果てには、地獄から這い上がってきた怪物に引きずり降ろされ、最下層まで一緒にランデブーときた。実にお前らしい顛末だよ。

 快楽天とやらにはなり損じたようだが、笑いの神は引き込んだらしい」

「ふふふ……笑ってしまうといえば、確かに。奇縁とはこういうものかと笑えてきますわ」

 

 適当なサーバーを足場に、しゃがんでこちらを眺めている着ぐるみ。その顔と同じ名前を借りたことも、いつかあったか。

 彼女はそういう存在だ。ムーンセルが選んだ、聖杯戦争の参加者を一時管理させるに相応しい立場と人格の人間だ。であれば、やはりそういうこと。奇縁に奇縁、これだけ重ねれば必定か。

 

 メルトリリスさえ置き去りに、真っ先に殺生院の名を殺しにきたのだ。恐らくは自分と彼の成り立ちは余程、関係が深いのだろう。ご愁傷様、と火に油を注ぐのも悪くはないが。

 しかしまあ。()()であればまあ、納得してもいいだろう。

 

「……私を殺すのがメルトリリスの我儘だなんて、あまりにも我慢がなりません。ですがそれを為すのが人間(あなた)兇弾(しゅうねん)であればまだ、まだ報われるというもの」

 

 銃爪(トリガー)が軋む。殺生院の最期が目前まで迫る。

 ここは地獄の底の底、もうこれ以下に落ちぶれるところはどこにもない。

 彼が弾丸を放てば、間違いなく標的にまで届くだろう。

 

 ―――最期の瞬間、女がにこりと妖しく微笑んだ。

 

「おめでとうございます。やっと届きましたね、エミヤシロウ」

 

 銃声。ただ1発、轟く炸薬の破裂音。

 ヒトを殺すのに十分だが、化け物を殺すには物足りないモノ。

 

 ただそれだけで、虫の息すら消えていた。

 偽装しようもなく、女はその場で完全に死んでいた。

 地球の核を目指していた怪物だったもの。

 それは全知全能に手をかけた神に等しい女だったとは思えぬほど、あっさりと消え失せた。

 

 ……死に体なのは男も同じ。

 串刺しにされた時点で死んでいて、そのまま魔神に溶かされるだけだった。

 それを横からあの珍生物に捕まって、今までずっと闇の中に隠されていたのだ。

 

 振り向けば、着ぐるみはしかと頷いてみせる。

 

「うむ。このジャガー、確かにこの決着を見届けた! 私の中に燻るタイガーなソウルもそうだそうだと言っている! 気がする!

 というわけで。何となくの目的も果たしたことだし、ジャガーマンはクールに去るゼッ!」

 

 両手を突き出しサムズアップ。

 空気の読めない訳の分からん神霊は、そのままにっこり笑顔で消滅していった。

 恐らく借り受けていた肉体は元の場所、通信室に返還されたのだろう。

 本当に訳が分からない。だがまあ、神霊とはそういうものだと思えばいいだけか。

 

 それを見なかったことにして、男は力の抜けた手から拳銃を取り落とす。

 そうして、自分を嗤うよう鼻を鳴らして。

 彼もまた積み重なった砂が崩れるように、光の粒子となって消滅していく。

 

「……ハ、知らん()だな。それに言ったはずだぞ。オレが届いたのではなく、貴様が無様にも地の底まで堕ちてきただけなのだ、と。

 ―――邪道に堕ちた魔性菩薩には似合いの結末だろう。蟲の巣穴に垂らされた蜜のように、この星が終わるまで地獄の信者(もうじゃ)に集られていろ。殺生院祈荒(キアラ)

 

 ―――その場で動いていた者たち、全てが消え失せる。

 

 天体室に訪れる、先程までの死闘が嘘のような静寂。

 残されたものはたったひとつ。

 飛ぶことに疲れて湖畔で翼を休める鳥のように、静かに眠るメルトリリスだけだった。

 

 

 




 
 次回エピローグ。
 こいついつも事前に宣言した話数で終わってねえな。

 この瞬間、SE.RA.PHから除外されている「シャルル・パトリキウス」の効果発動!
 フィールド魔法ゾーンにある「BBチャンネルスタジオ」を除外することで、このターン自分フィールド上のエクストラリンク状態にあるサーヴァントは、相手のカード効果を受けない!
 これこそがハワイの崇高なる力……底知れぬキラウェアの火口へ、沈め!
 


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一件落着2017

 

 

 

 ぼんやりと滲む視界。

 失われていた自分の意識が浮上してくる感覚。

 ゆっくりと、メルトリリスはそこに帰還する。

 

 ―――そして開眼一番、目にしたのは最悪の顔。

 

 面倒そうに彼女を見下ろし、手を伸ばしている童女。

 カズラドロップの顔に他ならなかった。

 

「カズ、ラ……アナタ、何を……!」

「ビーストⅢの構成要素をたっっっぷりと同化した、カール大帝の霊核を貴方から抜いて上げてるんですよ。感謝はされても文句を言われる筋合いはありません」

 

 そんな放射性廃棄物(きけんぶつ)の取り扱い中だから黙ってろ、と。視線でメルトを黙らせるカズラドロップ。なんて正当な主張。

 自分とカズラドロップとの関係は最悪だ。しかしそう言われてしまっては文句のつけようもない。治療、と言える行為を施されているのは自分の方だ。

 

 不満げに、しかし大人しく体を横たえたままにするメルトリリス。

 

「アイツ、は」

「消えました。残っているのは、それこそ貴方がドレインした部分だけです」

 

 本来ならばそれと一緒にメルトも消えることだったろう。

 だが彼女の中の大帝は最後まで彼女を守った。

 

 不必要な部分、ビーストの残滓を全部自身に同化し、取り込んだのだ。

 これであればカール大帝の霊核を抜き出すだけで、メルトリリスは元に戻る。

 その事実を理解し、しかし納得できないと顔を顰める。

 

 上にいた者たちは全員天体室に降りてきたらしい。

 周囲のコフィン、人体実験の痕跡も確認したのだろう。

 あまりいい雰囲気ではないが、まあ仕方ないことだ。

 メルトには関係ないことでもあるし。

 

 目を瞑り、顔を逸らしたメルトの耳にガウェインの声が届く。

 

「……つまり、あの声はこのコフィンに収められたマスターのものだった、と?」

 

 そう言えばそんな話もしていたっけか。

 自分の聞いた声がここのマスターが発した断末魔だなんて納得できない、と。

 

「……私は納得がいきましたが、ガウェイン卿はそうではないと?」

 

 トリスタンはその事実に疑問はない、とする。

 彼が周囲を見渡して、他のサーヴァントを確認してみせた。

 

 タマモキャットも微妙に沈鬱そうに尻尾を下げている。

 彼女は確かに悲鳴を聞いた、ということだろう。

 

 よく覚えてないとばかりに首を傾げるエリザベート。

 彼女のことはこっちも忘れよう。

 

 カルナは無言で肯首を返し、トリスタンに同意を示す。

 未だに横になっている鈴鹿御前も衛士(センチネル)となった経緯から疑う余地はない。

 しかし何故か、軽く揶揄うような笑み。

 

 ネロも、フィンも、アタランテも、清姫も、ブーディカも。皆が揃ってその答えに何か違う、というような表情。

 そんなサーヴァントたちを見て、立香は寝転んでいるソウゴの隣に座り、天体室の掌握に取り掛かっているBBの背中を見た。

 

「ねえ、BBはいつAルートのこと知ったの?」

「―――――」

 

 ちらりと振り返り、少し悩むような様子。

 彼女が視線を向けたのは、どうやらメルトリリスらしい。

 見られた当人はそっぽを向いていて気付いていないが。

 

「メルトリリスから聞いたんですよ」

「BBが立てた作戦に必要な情報、全部メルトリリスから?」

「そういうことなら、シャルルマーニュさんからも聞きましたよ?」

 

 良い聞き方してきますね、と笑顔を浮かべるBB。

 話を振られたシャルルはいやいや、と少し口許を歪めた。

 続けざまに立香から質問が飛ぶ。

 

()()()()?」

「―――センパイの思い描いたとおり、だと思いますよ?」

「やるじゃん、アンタ。その反応、もう分かってます、って宣言してるようなもんだし? かーわいそー……じゃなかった、かーわいー」

 

 辛そうに、しかしけらけらと咽喉を鳴らす鈴鹿御前。

 彼女の反応に訝しげな反応を見せるサーヴァントたち。

 

 同じように、それよりいやらしげにクスクスと笑うカズラドロップ。

 童女はメルトリリスを見下ろしながら、愉しげに彼女に声をかける。

 

「ですって、褒められていますよ。良かったですね、メルトリリス」

「はぁ?」

「―――それはそうとアンタが私の話に乗ってきてんじゃないっての。ぶっ殺すわよ」

 

 唐突に放たれる鈴鹿御前の殺意、それに肩を竦めるカズラ。

 この二人の不仲は自分にもよく分かる。

 機会があればスズカと手を組み、首を捕りに行ってもいいくらいには。

 

 それはそれとして一体何の話をしているというのか。

 一連のやり取りを見て、鷹揚に頷くタマモキャット。

 彼女の視線はついとメルトリリスへ向かう。

 

「ふむ……つまりは、そういうことか」

「何よ、何か分かったとでも言いたげね。なら教えなさいよ」

 

 正直どういう話題かも理解していないのだが、エリザは言う。

 発狂度合が高かったが故に、聞いたマスターの声も憶えていないのだ。

 ならば違いなど気にかけようもないだろう。

 

「いやー。先輩の気性を考えるに、黙っておいてあげた方が……」

「つまり汝はその点はBBには話したが、我らには分かっていて黙っていた、と」

「あー……っと」

 

 アタランテの追求に答えを迷い、言葉を詰まらせるシャルル。

 彼の様子を見て顎に手をあてがい、したり顔でフィンが微笑んだ。

 

「なるほど、おおよその流れは掴めた。BBの言うシャルルマーニュとはつまり、カール大帝というわけだ。それほどの天声(こえ)()()()()とは……シャルルマーニュも相当の騎士だが、大帝としての彼は凄まじいの一言に尽きるな」

 

 BBがシャルルマーニュに聞いた、というのは嘘ではない。だがそれだけでイコール今この場にいるシャルルに聞いた、ということにはならないのだ。シャルルとカール大帝が同一存在である以上、カール大帝の発言をシャルルの発言だと言い張ることは嘘にはならない。

 

「ふむ! ……つまりはどういうことだ?」

「さあ……」

 

 ネロとブーディカが揃って首を傾げる。

 何やら分かったように話を進めているが、何を納得したというのか。

 

「私が推察するに、まず大前提として我らが聞いた声は、この天体室で眠ったマスターたちが発したものではない。そもそも別の場所から届けられたもの、ということになる」

「……と、言いますと?」

 

 清姫から促されたフィンは、しかし言葉を止めて立香に目配せする。

 彼女の口から話した方がいい、ということだろうか。

 確かに、鈴鹿御前に対して言及する必要もある。

 鈴鹿から酷く嫌われているフィンよりは、立香からの方がいいか。

 

「……BBは言ったよね、ここではあくまで時間も情報のひとつだって」

「言いましたねぇ」

「じゃあ、ここから()()()()()()()を観た場合はどうなるのかな?」

 

 その物言いにサーヴァントたちが眉を顰める。

 直後に視線を集める鈴鹿御前。

 天魔の姫としての彼女の視界は、サーヴァントどころではない。

 あらゆる並行世界を観測するムーンセルに匹敵する広さ。

 

 殺生院がゼパルを通じて手に入れたかつての戦いの舞台。

 魔神とサーヴァントが入り乱れる最終決戦。

 それを記録している者がいたことで、彼女の視界はそこにも伸ばせた。

 

「―――時間神殿か」

 

 額に手を当て、アタランテが呟く。

 

 人理焼却最終局面、時間と空間から隔離された終局特異点。

 流石に普通ではそこまで眼が届かないだろう。

 だが、ゼパルがいた。ゼパルだった殺生院がいた。

 彼女に心の中に潜まれていた鈴鹿には、その情報の残滓があったのだ。

 

 位置情報が明確ならば後はそこまで視界を広げるだけ。

 故に彼女ならば、その光景を観ることができた。

 

「そこが真実、時間にも空間にも囚われず存在している場所なら、観測することで()()()()()()()()、ということもありえるかもですね」

 

 軽い口調でそう言うBB。

 

 時間神殿の存在時間は紀元前1000年から2016年。

 この時間にはもはや存在しないところだが、時間から外れた電脳空間ならば。

 どちらも真っ当な時間から切り離された空間同士、多少の干渉はありえる。

 

 ほう、と息を吐いて清姫が頬に手を当てた。

 

「……つまり、(わたくし)たちに確かな記憶があるのは、時間神殿で消滅した瞬間、ここに連続的に召喚されていたから……私とますたぁは如何なる手段をもってしても引き裂けず、結ばれる。そのような運命が示されていた、というわけですね?」

 

 きりりとした表情で強く頷いてみせる少女。

 どうしたものかとブーディカがアタランテを見る。

 知らん、とアタランテがそっぽを向く。

 

 だったらカルデアでの記憶があるのも分かる。

 カルデアの英霊召喚システム、フェイト。

 あそこに登録された霊基も参照せず、記憶を持ち越せるわけがなかったのだから。

 そのルールを覆したのが、時間神殿との干渉だ。

 

 時間にも空間にも囚われず、あらゆるサーヴァントが集った決戦場。

 そこに存在していた霊基を参照しての召喚。

 

「清姫さんの運命は知りませんが、その通りでしょう。鈴鹿さんが時間神殿を観測した状態で、Bルートにおける最後の128騎のサーヴァント召喚が実行された。その結果として、時間神殿から連続性を保ったサーヴァントが何騎か召喚されてしまった、と」

「そりゃあ運が良かった! じゃなきゃこの大逆転も上手くいってなかったろうしな!」

 

 うんうんと頷き、笑って言い放つシャルルマーニュ。

 実際こうならなければ上手いこといったかどうかは分からない話。

 ではあるが、よく言う、と言いたげなBBの視線を受ける少年王。

 

「それって順番が逆転してない? 鈴鹿御前が時間神殿を観測できたのはAルートの最後、同じくBルートでも二つが交わるちょっと前でしょ? アタシたちに繋がる原因になるのはいいとして、召喚される時に使える情報じゃなかったんじゃないの?」

 

 ブーディカがそれも把握していそうな立香に顔を向ける。

 さっきから誤魔化そうとしているシャルルからして、彼も理解しているのだろう。

 だが直接訊いたところで答えてくれそうにはない。

 であれば、自然と彼女に問いかけることになる。

 

 少しだけ戸惑うように声を詰まらせ、しかし立香は答えた。

 

「だから、()()()()()()()()()()にしか、この召喚はできなかったんだよ」

「―――なるほど。だから我らが聞いた声の印象が違った……ガウェイン卿たちがここにいるマスターとは別の声を聞いて召喚に応じた、とはそういうことですか」

 

 納得するトリスタン。彼の視線が横になっているメルトに向かう。

 その視線でエリザベート以外が理解した。

 言っちゃった、と珍妙な表情をみせるシャルルマーニュ。

 

 Aルートを飛び立ち、光の速さを越えて、時空の狭間を越えて、世界線の移動を成し遂げ、Bルートに着陸した。そんなことをやったのはただひとり。

 つまりAルートで観測された時間神殿まで声を届けながら、Bルートにまで召喚のための縁を繋げる者なんて最初からひとりしかいなかった。

 

「……そう。メルトリリスがBルートに着地したと同時に天体室によって行われた最後の召喚。これにより時間神殿から皆さん方が召喚されることになりました」

 

 鈴鹿が観測していた時間、空間共に完璧だったのだろう。

 ちょうど天体室のコフィン、マスターたちの棺が起動する瞬間に彼女はやってきた。

 結果として、召喚枠にカルデアのサーヴァントが割り込んだのだ。

 

 そこまで大人しく聞いていたメルトが頭を持ち上げ、嫌そうに言葉を挟む。

 

「……ちょっと。さっきからなに意味の分からないことを私に押し付けてるのよ。私はそんなことしていませんけど?」

「まあ、先輩の方にやった気がないのはそうだろうけどなぁ」

 

 言われてしまったからには仕方ない、と。

 シャルルマーニュは肩を竦めながら腕を組んで、首を軽く横に振った。

 

「―――“天声同化(オラクル)”ですよ。アナタの中にあるカール大帝の霊基が持つ、アナタというアルターエゴを最大級に保護し、支援していた超違法(チート)級のスキル。

 これはアナタが己の意志・信念に従う行動をとり続ける限り、絶対的なバックアップを行っていました。そしてそれだけではなく、メルトリリスの意志を天声(こえ)として発信したんです」

 

 カズラドロップの腕がメルトリリスから引き抜かれる。

 彼女の中にあった異物を抜き出す指先。

 データの結晶と化したそれを見せつけるようにしつつ、愉しげに笑う童女。

 その嫌らしい笑みを見て、メルトが酷く表情を顰めた。

 

「世界の壁を渡る時、“あの人を助けたい、サーヴァントとしての使命を果たしたい”。本心でそう思っていたのでしょう? だから、それが光速を超えたアナタから光情報(こえ)として発生してしまった。アナタの強い意志に反応し、“天声同化(オラクル)”が自動的に発動。願いを共にできる相手を同化しようとしたのですよ。

 ―――結果的に。状況も味方し、その情報は時間神殿に届いた。そういうことです」

「――――――――」

 

 本来は観測しただけでは大きな干渉など起きないだろう時空。時間神殿に対し、光速を超越したメルトリリスから発信される情報として“天声(こえ)”が放たれた。

 “己のマスターとして時間を共にした、彼を助けたい”。その目的を果たすため、想いを共有できる―――同化できる力を呼び込むために。

 そういう意味で時間神殿にいたカルデアのサーヴァントならば、呼び込めない筈もなかった。メルトリリスが目的としたことは、彼らにとっても同意するに迷いなきことだったのだから。

 

 その話を聞いて、なるほどとガウェインが鷹揚に頷いた。

 

「なるほど、疑問が氷解しました。つまり我らの聞いたあの救いを求める切なる乙女の声は、レディ・メルトリリスが発したものであった、と」

「―――は?」

 

 そういう手合いの声だと思っていたのだ。

 悲鳴だ、断末魔だとばかり言われていたが、彼にはまったく納得できなかった。

 あれは紛れもなく、救いを求める乙女の声であったと思う。

 

 ようやく納得がいったと晴れ晴れしい顔を浮かべる太陽の騎士。

 

「まあそういうことで、わたしの情報源もそこからですよ。その子から逆流してきた同化情報を、シャルル・パトリキウスの作戦室で、わたし自身をヴァイオレットに解析させることで算出しました。あの宝具自体のおかげでカール大帝の霊基情報はある程度得られたので、そこはそう難しいものでもなかったですね。

 そしてその情報を元に今回の作戦を立案。教会でメルトリリスに接触し、わざとキアラさんにも情報を流して、あのような行動を起こすように誘導した、というわけです」

 

 そこで問題になったのが立香側の戦力だ。メルトリリス本人は言わずもがな、カルデアのサーヴァントまでメルトリリスによって追加されていたのだ。

 メルト相手に時間を稼ぐならば、リップだけでどうにかなるはず。などという甘い目論見は一瞬で砕け散った。結局、時間稼ぎの手段にどこからともなく潜り込んできた黒ウォズの協力を得て、プロテアをああして運用する羽目になったのだ。

 

 その過程でBルートのBB/GO―――つまりムーンセルの派遣したBBとは違う、キアラがサルベージしたBB。彼女とシャルル・パトリキウスでの一大決戦があったのだがそこはそれ。

 今となってはどうでもいい話だろう。緑茶バリアーの存在が勝敗を分けたギリギリの戦いだった、とでもしておこう。キアラの目を誤魔化すためとはいえ、二人でリソースの分配などしている余裕がなかったのだ。

 

「ちなみにシャルルは……」

「―――俺はまあ……召喚されたこと自体、厳密にはアイツが意図したことかどうかも分からないからな。俺個人として予想するなら、多分無意識だったと思うぜ?」

 

 カズラが手にした霊基の結晶を見ながら、少年はそう言う。

 カール大帝が意図してシャルルを配置したか、と言われるとそうではないと思う。

 シャルル・パトリキウスは役に立ったが、それを意識していたかというと微妙だ。

 

 ただあの男のことである。ただ、自分のことである。

 

 誰かを救うために立ち上がった少女の、ひとりぼっちの旅立ち。

 怪物のままに人間と折り合いをつけた女の子の頑張り。

 ただ自分の夢に重ね合わせて、入れ込んでしまうには十分な価値がある。

 そう。自分はあの時、自分の夢の先に、あの光景が欲しかったのだ。

 

 ―――ああ、そうだ。自分はただそうであって欲しかった。

 そんな風にヒトの中に手を引いて、同じ場所に入れてあげたかっただけ。

 

 だからその光景を守るのは、そこから先を守るのは、カール大帝(げんじつ)じゃない。

 いつか夢に見た皆救える聖なる騎士、物語に謳われる勇士たちの王。

 欲しかった理想(ユメ)の景色を守るのは、シャルルマーニュ(おとぎばなし)の担当だ。

 

 ただ二人のシャルル(カール)の中で、それが一番しっくりくるやり方だっただけ。

 

 結果として、少年王は送りだされた。

 ()()()()()()、と言った方がいいか。

 気合の入ったことに、メルトに与えた霊基とは別口として。

 

 居城にいたとはいえ、霊基を失った状態でここまでやるのだから恐れ入る。

 しかし、どうしてそこまで気合が入ったかはよく分かる。

 

 そりゃあそうだろうとも。

 悪鬼に追い詰められた少女を救うだなんて、そりゃあもう。

 騎士に用意された、一番カッコいいシチュエーションなのだから。

 

「……ま、そっちはもうどうでもいいことさ。アイツは意外でもなく結構ひねくれてた、ってだけの話だからな。

 それより悪い、メルト先輩。一応黙っておこうとは思ってたけど、普通にバレた」

「な、―――――」

 

 彼には初見からメルトの中のカール大帝が見えていた。彼女がカール大帝を通じ“声”を出していた、ということも知っていた。

 ひとりでやりたがるだろう彼女が、それをバラされるのは嫌だろう。そう思って黙ってはいたが、もう隠しておける状況ではない。

 

 いやはや、と首を横に振るシャルルマーニュ。

 彼を見上げながら、メルトリリスがカタカタと震え出す。

 

「まあおかしい、そんなに震えてしまって。どうしたのですかメルトリリス? ええ、何を隠すことがあるのですかメルトリリス? いいことだと思いますよ、頑張ったんですものね? マスターのために。完璧なサーヴァントであろうと一生懸命だったんですよね?

 アナタがAIとして完璧だとは微塵も思いませんが、サーヴァントとして完璧であろうとした意志を私はもちろん尊敬しますよ……ふふ」

 

 くすくすくすくす、袖で口許を隠して厭らしく笑うカズラドロップ。

 殺したい。

 

 一度言葉を詰まらせて、しかし彼女はすぐに息を整えて吹き返した。

 

「ええ、その通り! どうあれサーヴァントになった以上、サーヴァントとして完璧な仕事をする。それが当然の話なので、きっとその意気込みが出ただけ!

 言っておきますけど、本気で切実に誰かのために助けを呼ぶとか、そんな間抜けなことなんてした覚えはありませんから―――!」

 

 誰に言っているのか。

 少なくとも彼女の視線は寝転がっているソウゴに向いている。

 それをソウゴの近くで座り、聞いていた立香とリップ。

 彼女たちがきょとんとしつつ顔を合わせ、転がっているソウゴを見る。

 そうして何とも言えない顔で、メルトに向き直った。

 

「ねえ、メルト……」

「ソウゴ寝てるよ?」

「……―――ああそうですかっ!」

 

 疲労困憊、満身創痍、物理的に死亡までしていたのだ。

 とっくに体は限界を超えて、睡眠に入っている。

 そんな事実を前にして、メルトリリスが余計に声を荒げて顔を背けた。

 

 カズラドロップはその光景を最高に面白い、と。

 馬鹿を見る顔でそれをにやにやしながら見てきている。

 殺したい。殺そう。

 

 掠れた声でからから笑う鈴鹿御前。

 そこでどしんと床が揺れ、彼女はその笑い声を止めた。

 

「地球の核まで迫ってます。着弾まで後3分、と言ったところですか。そろそろ限界でしょうし、さっさとSE.RA.PHを浮上させますね。

 カズラドロップ、アナタは帰還してヴァイオレットの補佐を」

「ええ、分かりました。ではメルトリリス、ご機嫌よう?」

 

 彼女は抜き出した霊核を手に立ち上がる。

 

 すぐ傍に生えてくる巨大な腕。アナザーディケイドになったキングプロテアの腕だ。どうやらまた変身できるようになったらしい。カズラを掌に載せて、虚数に沈んでいく腕。ヴァイオレットの補佐、ということは恐らくはシャルル・パトリキウスに向かったのだろう。

 

 アナザーライダーってほっといていいのかな、と。立香が思っても、ソウゴが完全にダウンしているんじゃ考えても仕方ない。

 

「……電脳化したセラフィックスの沈降ルート。SE.RA.PHが通過したことで電脳化した海溝を遡ることによって、ここで起こった事象は可能性のひとつにまで確度が落ち、電脳化以前の段階までセラフィックスの状態が回帰します。ただこの手法で戻せるのはSE.RA.PHが誕生する時点まで。

 それ以前にセラフィックスで発生していた問題。ゼパルさんの暗躍、キアラさんの変貌、職員の暴徒化等々、その事実は消えません」

「…………」

 

 SE.RA.PH化によって加速する以前から、セラフィックスには暴力が蔓延った。

 ゼパルがキアラを隠れ蓑に行っていたらしいこと。

 あのベックマンもその加害者であり、被害者のひとりだ。

 

 どういう表情をすればいいのか。

 そう顔を曇らせる立香に対し、BBは軽く肩を竦めた。

 

「センパイがどんな考えであれ、わたしの目的は月の聖杯(ムーンセル)を発端として成立する電脳獣、知性体の終末とでも言うべきビーストⅢの完全なる後始末です。なので、『どんな悪い結果であろうとも無くしちゃいけない』、とかそういう系の反論があったとしても、キアラさんの変貌が含まれるその事象は丸ごと抹消させて頂きます。

 具体的にはメルトと鈴鹿さんが繋いでくれた時間神殿までの時空の繋がりを通じ、人類史が燃え尽きて空白になっていた2016年にセラフィックスの解体予定、という事象をねじ込みます。2016年に解体準備が進められていたことにして、人類史が取り戻された2017年初頭に解体してしまうわけですね。これによりセラフィックスで起きた問題の全てが、()()()()()()()になる」

 

 セラフィックスがそもそも運営されていなければ、ゼパルは潜みようがない。

 無論、そこの職員だったキアラを暴走させようもない。

 人理焼却を逆に利用し、そういう状況を作り出す、と彼女は言った。

 

「ふむ、魔神はどうなるのかな?」

「ご覧になった通り、()()()()()()()は既に押さえてあります。然るべき処置をして、魔神ゼパルは魔神ゼパルに回帰することなく完全に消滅させる、とだけ言っておきましょう」

 

 フィンからの質問に答えるBB。それに納得したのか、フィンは一度頷いた。

 魔神だったもの。魔神から変生したもの。

 つまりはビーストⅢの残滓、殺生院キアラの構成要素を同化したカール大帝の霊基だろう。

 どうするかは知らないが、それから魔神に戻ることなくゼパルは消滅する。

 

 最後に手の中でくるりと教鞭を回し、モニターをとんと叩く。

 それによって彼女が予定した残務処理は開始された。

 

「というわけで、伝えるべきことは以上です。後は気付いた時には全てが終わっている……いいえ、始まる前に戻っているでしょう。お疲れさまでした」

 

 言われて、少し力が抜ける。

 自分もソウゴのように寝てしまおうか、と思うが。

 ふと、拗ねたようにそっぽを向くメルトリリスを見る。

 

「……ありがとう、メルト。あなたたちのおかげで何とかなったみたい」

「―――当然です。サーヴァントとして契約した以上、それが私の務めなのですから」

「うん、最高の結果を出してくれたんだと思うよ。

 私にとってのサーヴァントとしても、ソウゴにとってのサーヴァントとしても」

 

 少し息を詰まらせてから溜め息ひとつ。

 まるで自分に呆れるような、強がりを諦めるような声を出すメルト。

 

「―――――そうね、私も最高の結果を得た気分よ。マスターっていう関係の相手も、サーヴァントになるという経験も、悪いものではなかったわ。

 私のひとりで躍るのが一番美しいものになるとは思うけれど、たまには美しさ以外を求めるような、こういった趣向の舞台もありでしょう」

 

 そんな少女を見て、シャルルマーニュが軽く笑う。

 その声に反応して睨まれるが、我慢できないものはしょうがない。

 だってこの光景を前にしたらそうもない。

 人間と怪物でも、このくらいには距離が詰められるのだ。

 

 ここは、この星はずっと、自分が生きたあの時から。

 ただ自分がそうとは思えなくなってしまっただけで、変わらず。

 そんな希望に満ちた世界だったのだ。

 

 

 ―――意識が溶けていく。

 時間流を遡り、問題は残らず回帰して、ありえなかったことになっていく。

 確定された問題を避けるため、少し位相をずらしながら。

 

 

 

 

 

「―――輩? 先輩?」

 

 ゆさゆさと肩を揺さぶられる。

 久しぶりに聞く声な気がするが、そんなはずもない。

 毎日だって聞いている声なのだから。

 

「うぅん……マシュ?」

「はいっ、マシュ・キリエライトです」

「フォウフォフォーウ?」

 

 どうやら机に突っ伏して眠っていたらしい。

 起き上がった立香を見て、どこか安心したような様子のマシュ。

 彼女の頭をの上で、フォウが小さく尾を傾げていた。

 

 寝惚け眼で周りを見回せば、反対ではソウゴも同じ状況。

 

「二人揃っていきなり寝ちゃうんだから。そんなに疲れてたの?」

「どうせ夜にしっかりと寝ていなかったんだろう。睡眠に問題があると感じるなら、それこそドクター・ロマニにでもさっさと相談すればいいものを」

 

 お茶を飲みながらちらりとツクヨミは横のゲイツを見た。

 彼はやれやれと首を横に振りながら教科書を見て、次の授業に使う内容を纏めている。

 手際よくテキストを整備していく彼を見ながら、カップを置くツクヨミ。

 

「ねえゲイツ、それって怒ってるの? それとも心配してるの?」

「自己管理もできていない奴らに呆れているんだ。まったく……眠れないなら部屋にラベンダーでも置いておけばいいだろう」

「なるほど。ラベンダーの香りでリラックスして、快眠効果が期待できそうです。ではお二人の部屋に必要と思われる量のラベンダーを準備しておきましょう!」

 

 すぐさま立ち上がり、ラベンダーの準備に向かうマシュ。

 今日部屋に戻ったら部屋がラベンダーでいっぱいになっていそうだ。

 ただカルデアにラベンダーは在庫があるんだろうか。

 

 走り出したマシュの背中を見送って、ツクヨミが改めてこちらに向き直る。

 

「それで二人とも、何か様子が変だけど……どうかしたの?」

「んー……」

「えーと……」

 

 揃って顔を合わせて、首を傾げる。

 そうして数秒。

 ふと何か思いついた様子の立香が、ツクヨミに問いかける。

 

「そういえば所長は?」

「? 所長さんはまだ戻ってきてないけど」

「確かこの年の初めに手放した海洋油田基地の後始末、だったか?」

 

 ゲイツが教科書から視線を外し、小さく呟く。

 前々から予定されていた北海に浮かぶ海洋油田基地セラフィックスの解体。

 人理焼却事件によって予定は狂いに狂い、手が入ったのは今年の初め。

 

 人理焼却によって起こったあれこれ。カルデアとして国連とやりとりするそれとは別に、アニムスフィア家当主として、オルガマリーは最近あっちにこっちに忙しそうだ。

 

 それを聞いて立香は顎に手を当て、ソウゴは腕を組み。

 ―――またも二人揃って顔を見合わせて、同時に首を傾げさせた。

 

「ソウゴは?」

「立香も?」

 

 あー、と。二人揃って変に納得するような声を出す。

 そんな珍妙なやり取りを眺めて、ツクヨミは胡乱げに眉を顰めた。

 

「……ホントにどうしたの、二人とも」

「……勉強しすぎで頭が茹だっているのかもな」

 

 ゲイツがノートを手元に引き寄せる。

 彼はそこにメモされていた今日の分の授業範囲を少し減らして、明日分に回した。

 

 

 

 

 

 今はセラフィックスの件で所長のオルガマリーが外出中。

 よってここの最高責任者は、ロマニ・アーキマンということになる。

 そしてダ・ヴィンチちゃんは基本的に自分の研究室。

 つまりかなり自由な彼は、中央管制室に詰めつつマギ☆マリを愉しむ余裕があった。

 

 いつ表面化するか分からない魔神の問題はあるが、緊急事態もここ最近はない。彼は他の職員との交代の時間までたっぷりとマギ☆マリを愉しんだ後、自室……医務室へ向かう帰路についた。

 

 そうして管制室を出て、歩き出して。ふと足を止める。

 いったい何だろうか、この胸騒ぎは。

 自分には特別な能力とかもう微塵もないが、直感的な何か。

 

 ふと視線が引き寄せられる、奥まった通路。

 管制室の裏手に通じる道。

 倉庫区画の―――カルデアで唯一、天窓のある部屋。

 月明かりの広間(ムーンライト)。通称、ロストルームに繋がる道だ。

 

「……まさかね」

 

 直感を小さく笑い飛ばす。まあ確かに、隠し事のひとつである。

 でも今更関係ないし、もうあそこには誰もいない。

 残っているのはちょっとした怪談話だけ。

 午前0時にあそこに入ると、いつか失われた者、あるいはいずれ失う者を見る、なんて。

 ちょうど今、そんな時間だが、まあそんなのただの噂話。

 

 確かにあの部屋は位置的にカルデアスの磁場の影響を強く受ける。

 何らかの異常現象が起きてもおかしくない場所だ。

 だからといって、そうそう何度も何かが起きるはずもないし―――

 

「―――――」

 

 まさかね、なんて言った癖に、ついつい足がそちらに向く。

 使用されていないから通路の電灯は落とされている。

 とはいえ通路は広いし、歩く場所として慣れたものだ。

 手にしたタブレット端末のバックライトだけで光源には十分すぎる。

 

 真っ暗い通路を自然な足取りで踏破して、目的地に辿り着く。

 

 ロストルーム、入るのはいつぶりだろうか。

 入ったところで誰がいるわけでも、何があるわけでもないのだが。

 

 シュー、と。音を立てて開いていく自動ドア。

 その先に広がるのは、邪魔な荷物をいくらか放り込まれた何もない部屋―――

 

 ではなかった。

 

「え?」

「む、ロマニではないか」

 

 帰ってくるのは聞き覚えのある女性の声。

 声の方を見上げれば白い花嫁装束。

 

 なんて見覚えのある姿。

 そんな彼女がいることもそうだが、何もない部屋、のはずが。

 そこに広がっていたのは、何故か屋外のような場所だった。

 

 まるでちょっとした観光地のようだ。

 門の先には噴水のある広場があり、その中央広場を囲うように幾つかの建造物。

 その建物もいやにしっかりとした造りの豪奢な屋敷。

 

 ロマニに声をかけてきた花嫁姿の女性。

 それは、建物を見て唸っているネロ・クラウディウスに他ならなかった。

 

「あ、え……え!?」

「ちょうどよい、そなたも余に賛同するがよい。あの屋敷であるが、こう……金色が足りぬと思わぬか? 宮殿たるもの、もそっと派手であるべきであろう?」

 

 ネロはそう言って建物を指差す。

 確かに落ち着いたシックな色合いの普通の建物だ。

 金色に塗ったらさぞ目が痛くなるだろう。

 

「おーい、ネロ先輩。流石に金ぴかはないって、落ち着かない。もちろん真紅もさ」

「うむ、少し待て。いまはそうでもないうだつの上がらぬ男だが、かつては貴様に劣らず聖王の名に負けぬ身であった者。元ソロモン王を味方につけ、貴様を論破してやろう!」

「ソロモン王って……マジ? お、その人がロマニ・アーキマン? おおー!」

「ちょっと待って、どういう状況だいこれ!?」

 

 ネロと言葉をを交わすのは少年。

 彼もまたサーヴァントである、というのは想像に難くない。

 

 ロストルームだった場所、カルデアと外界の境界を見て視線が右往左往。

 ロマニは困惑のままに、更に現れた初見のサーヴァントを見る。

 彼に続いて見たことある人ない人、更にぞろぞろと出てくるではないか。

 

「まさか本当にカルデアに繋いでしまうとは……」

「ホントにいいのかな、これ……」

 

 呆れの色が強いガウェインとブーディカの声。

 その二人の視線を受けるのは、またも初見の少女。

 黒コートに菫色の髪の少女はにこりと笑い、手にした教鞭を軽く振った。

 

「こちらの空間、どうにもカルデアスの磁場の影響でかなり時空が揺らいでいる様子でしたので、勢いでシャルル・パトリキウスを連結させてみました。

 ビーストⅢ、つまり魔神ゼパルの構成要素を多量に含んだカール大帝の霊基をエネルギーとして、安全に()()するにはちょうどいい距離でしたね」

 

 セラフィックスは浮上し、問題が起こる前へと時空は回帰した。あの油田基地は2017年の海上へと帰還し、そして2016年に予定されていたことになった解体が実行されて機能を停止した。

 

 月の聖杯戦争を発端に、地球に根を下ろそうとしたビーストの存在。その処理に関してはムーンセルからの最大のバックアップがあるのだ。失敗するはずもなく、残務処理は滞りなく行われた。

 だがそれに相対速度を合わせていたシャルル・パトリキウスは別だ。実在の建造物を無理矢理電脳化させたものと違い、元より英霊の宝具。電脳化した海溝を遡ったところでいきなり消滅するわけでもない。

 

 ムーンセルもビーストを処理できたのであれば、BB含め後はどうでもいいという判断。現場に任せる、という投げやりっぷり。ならばとパトリキウス側で回収していたビーストⅢの残滓。ビーストの顕現より前の時間においては、それを誘発した魔神ゼパルという存在。それを安全に消費しつつ、この空中要塞を進軍させてやれとやってやったのがこの行為。

 セラフィックスと位置を同期したシャルル・パトリキウスは2017年に到着。カール大帝の霊基が同化したゼパルを燃料に電脳化された状態で存在を維持。

 流石にそのままカルデアまで飛んでくるわけにもいかない―――ので、キングプロテア(アナザーディケイド)による虚数潜航を実行。カルデアスの磁場により時空が不安定になっているロストルームを見つけるや、全速力で突っ込んできて無理矢理ドッキングさせた、というわけだ。

 

「!?!? え、つまり……なに!? いったいどういうことなんだい!?」

「これで後始末も全て完了。BBちゃんはムーンセルから与えられた使命を果たし、晴れて自由の身。でもこのまま退去するだけなんて勿体無い!

 ―――というわけで、ちょうどいいのでカルデアに乗り込んでやったのでしたー!」

 

 何がどうなっているのか分からない、と。そうして目を白黒させるロマニ。

 彼の前で、カルデアの一部を勝手に電脳空間に呑み込んだ少女は高らかに宣言する。

 

 月の女王(ムーンキャンサー)、BB。

 泡のように消えさったひとつの―――ふたつの大きな戦いで得た戦果として。

 なんと彼女は移動型空中要塞ごとカルデアに乗り上げてみせたのだ。

 

 

 




 
 Aルートのジャガーマンはオラクルの影響化に入ったトラパインにノリと勢いで飛び込んできた存在。

 Bルートにも実はジャガーマンはいて、時間神殿から退去する際に声を聞いた気がして乱入。救援要請を送った直後のトラパインに融合した存在。宝具によって闇に隠れつつ野性の勘に従いフラフラしてたら、どこをどう通ったのか天体室に到着。
 「あらまぁ、種族のために地球への生贄とかそういうのアタシ嫌いじゃない。けどこういう魂だけミキサーして叫びだけお供えとか、勿体無いお化けが出ない?血も肉もちゃんと使ってこその生贄だとアタシは思うのニャー」と、ぞんざいな生贄スタイルに苦言を呈しつつふらふらしている内に、魔神は出てくるわアーチャーは落ちてくるわで盛り上がってきたな!とアーチャーを確保しつつ様子見。
 何となくあの光景を見て満足したので帰りました。野性とは自由。

 剣豪に入る前になんかふわっと始めてふわっと終わる、ちょっとした現状を説明するどうでもいい話を挟みたいところ。

 七大スペース水着剣豪キラウェア火山大決戦とか?
 最後にはキラウェア火山が噴火して中から岩石大首領が出てきます。
 無いですね。

 福袋がモレーだったのでハロウィン系でもよいかも。
 


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亜種特異点Ⅲ:屍山血河偲月 下総国1639
再演・アンサンブル2017


 
 覚醒(ウェイクアップ)! 運命(さだめ)の鎖を解き放て!!
 


 

 

 

 何も見えない無音の暗黒。

 完全なる闇を静かに、白く塗り潰しながら拡大していく光。

 黒が白に染められ切ったその直後、そこに響くのは踵を鳴らす音。

 

「普通の高校生、常磐ソウゴ。彼には時空を超え過去と未来をしろしめす最低最悪の魔王、オーマジオウとなる未来が待っていた」

 

 光の中に浮かぶ一点の闇。そこから放たれるのは銀色の光。

 白い空間にぽつりと現れたのは、仮面ライダージオウⅡ。

 その銀の煌めきがやがて黄金に染まり、黄昏れるように姿を変えていく。

 

 顕れるのは黄金の王。

 最低最悪の魔王、オーマジオウ。

 

 彼の登場に合わせ、白く染まっていた世界が煤けていく。

 徐々に黒ずんでいく白の世界。

 そこに足音も高らかに踏み込んでくるのは、白い服装のウォズ。

 

「だがそうして魔王に支配されるこの世界を救うべく、我らの前に彼が現れた」

 

 脇に未来ノートを抱えた彼が空いた手を上げ、煤を払うように軽く振るう。

 そうしてから立てた人差し指で示すのは黄昏に染まる世界の一角。

 白ウォズが指差した先にあったのは、青く明滅する光。

 

 よく見ればそれは、翼を持つ戦士のシルエット。

 戦士の姿がその場から一瞬で消え去り、直後に別の場所に現れた。

 黄昏を引き裂くような鋭さの軌道を描き、彼はオーマジオウに立ちはだかる。

 

 向かい合う両者を見て、小さく口角を上げる白ウォズ。

 彼は二人に背中を向け、大仰に手を振り上げた。

 

「巨悪を駆逐し、この世界を新たなる未来へ導く者―――ゲイツリバイブ。

 私が望む未来の分岐点までもう少し……」

 

 オーマジオウがゆっくりと腕を上げた。それと同時に彼の背後に浮かび上がる新たなるレジェンドの姿。

 封印の銀(トライシルバニア)によって作られたプレートと(カテナ)によって鎧を縛りつけ、制御された絶大なる力。溢れ出す魔皇力によって真紅へと染まった鎧の戦士の名こそ、仮面ライダーキバ。

 

 対するようにゲイツリバイブが手にした爪のような武装を構える。

 同じように彼の背後に出現するのは、紫色の影。

 腰まで流したマフラーを風に靡かせながら直立し、両腕で印を結んでみせているのは、手裏剣を思わせる造形のマスクの戦士。

 

 そうして現れた二つの影を見て満足げに、白ウォズがゆったりと腕を下ろす。

 

「次の戦いは寛永十六年、日本。西暦1639年、下総国が舞台。

 常磐ソウゴが魔王へと一歩近づき、そして明光院ゲイツもまた救世主へと歩を進める。来たるべき決戦に備えるため、必要な通過儀礼のひとつと言えるでしょう。

 ―――さて。私もまた、私の目指す時代のために動くとしよう」

 

 そっと頭の上に手を置いて、帽子を押さえて深くかぶり直す。

 顔を隠すような状態のまま踵を返す白ウォズ。

 

 両陣営が向かい合う光景の間を縫うように、彼はまっすぐ歩き出す。

 光の中へと進み、やがて白んで消えていく男の姿。

 

 彼が消えると同時に、その光景は全てが白一色に塗り潰された。

 

 

 

 

 

「やあ、王様! ひっさしぶりー! あれ? 王様ってこっちの王様のままサーヴァントになれたんだっけ? うーん……まあいいや。やっほー王様、元気してた?」

 

 驚愕し、疑問を抱き、ぽいと投げ捨て、ぶんぶん腕を振って挨拶。

 その一連の流れに要した時間は約3秒。

 流石は騎士アストルフォだ、と言わんばかりに笑顔を返すシャルル。

 

「お、アストルフォか。マスターに聞いてた通り相変わらずアストルフォだな! おう、まあ()が元気すぎて俺が出てくるような事態になったんだけど、元気っちゃ元気さ」

 

 シャルル・パトリキウスで噴水の縁に腰掛けているシャルルマーニュ。

 彼は軽やかに立ち上がると、入室してきた者たちを軽く見回した。

 

 特に目を付けるのは、酷く胡乱げな顔で立っている黒き騎士王。

 

「アンタがアーサー王か! 円卓の騎士に会いに来たんだろ? ガウェイン卿とトリスタン卿なら何かあっちの隅っこで、世界の終わりみたいな顔しながら待ってるぜ」

「……ほう、それはなかなか面白い趣向だ。折角だ、まとめて蹴り倒してくるか」

 

 少々複雑に面相を変え、最終的には面倒そうに。

 アルトリアはふらりとシャルルが示した方向に歩き出した。

 

 彼女の背を見送りつつ、シャルルが不思議そうな顔を見せる。

 不機嫌は不機嫌だが、どうにも円卓とは関係なさそうな不機嫌さと見えたのだ。

 まあとりわけ気にするべきことではないだろうが。

 

 それを見送っていると、シャルルの側にちょこちょこと忍び寄ってくる少女がひとり。

 

「ねえねえ、ちょっといい?」

「いいぜ、何だい?」

 

 少女の声にそう返し、振り返る。

 と、そこにいたのは褐色の肌の少女。

 

「無銘、って名乗ってたらしいサーヴァントのことなんだけど」

 

 カルデアに流した情報はBBの裁量。

 どこまで教えたのかシャルルには分からない事だが、彼のことも含まれたのだろう。

 少女―――クロエ・フォン・アインツベルンはそんなことを聞いてきた。

 

 答えられることなら答えるが、生憎とシャルルも彼には詳しくない。

 

「あー、悪い。俺もアイツについては詳しくない。話した限り生真面目すぎる正義に生きた英雄、ってことくらいは分かるけどさ。どういう結末だったのかも把握してないから、BBに訊いてもらうのが一番なんだが……」

 

 視線を向けた先には何故かパラソルとビーチチェア。

 噴水の近くにそれを置き、優雅に寝転がるBBその人の姿があった。

 

 そして彼女に詰め寄らんばかりの勢いで叫ぶのは白薔薇の皇帝。

 

「―――なんと!? 余たちがレイシフトできぬとはどういうことだ!?」

 

 ショックを体で表現し、ネロが声を張り上げる。

 そうして己の体でつくる姿勢もまた芸術だとばかりに大仰かつ劇的に。

 

 彼女に説明していたダ・ヴィンチちゃんがどう言ったものかと片目を瞑った。

 

「んー……できない、っていうのは語弊があるね。君たちは半電脳化したこの空間と紐付いているから、カルデアのマスターと現状では接点がない。だから、カルデアのサーヴァントとしてレイシフトすることはできない、ということさ」

「つまりマスターを通してのカルデアからの魔力供給が得られない、という前提ならばできなくはないと」

 

 噴水の縁に腰掛け、水に手をひたして涼むフィン。

 彼の言葉に解説の方向性を少し迷い、ダ・ヴィンチちゃんはしかし一応頷いた。

 

「じゃあ契約を移せばいいじゃない。子イヌなり子ジカなりがマスターになれば問題ない、ってことでしょ?」

 

 ばちゃばちゃとエリザベートの尻尾が水辺で遊ぶ。

 特に意味なく始めた行動が何か楽しくなってきた、とばかりの動作。

 彼女は至極簡単なことだとばかりにそう言った。

 

 そこで口を挟むのは、彼女たちを眺めながら壁に背を預けていた男。

 施しの英雄、カルナ。

 

「そう簡単に行く話ではないからダ・ヴィンチも無理だ、と口にしているのだろう」

 

 本当に無理でなければ彼女はそんなことを言わない。

 無理目でも可能性があるならどうにかするのがこの天才なのだ。

 無理と口にしたからには通る目が一切ない、ということ。

 仰る通り、とダ・ヴィンチちゃんは不服そうに唇を尖らせてみせる。

 

「ぬ、ぬ、ぬ……! そこのとこ、どうなのだBB!」

 

 ネロからびしりと指を差されるBB。

 彼女はパラソルの下、チェアの上で軽く身を捩り頭を上げた。

 

「その通りですけど? 皆さんはあくまでシャルル・パトリキウスと紐付いた付属品。そういう設定でここまで運ばれてきたんですから、この基地から観測できる範囲でしか活動できません。部屋から出てカルデア内に遊びに行くくらいはできますけどね。

 特定のマスターを持つサーヴァントというわけではなく、マスターを持たない()()()というわけでもなく、いうなれば召喚系宝具の効果によって現界しているような状態、と考えて頂ければいいかと。当然、契約の移譲も不可能。宝具の一部なんだからまあ仕方ないですよね」

 

 チェアの上でごろりと転がり、BBはそんな風に軽く言い放つ。

 転がってうつ伏せになった彼女は、そのまま眠りそうな態度を見せる。

 

「ええい、そこをどうにかできるのが貴様なのではないのか!?」

「できませーん。いくら超絶万能美少女AIであるわたしとはいえ、何をするにも先立つものが必要なのは世の摂理。けれどエネルギータンクであるところのゼパルさんは完全に消費してしまったので、もうリソースはさっぱりありませんから。

 ぶっちゃけこの場所の維持もカルデアからちょろまかした電力に頼っているのが実情。電気泥棒を止められたら、もはやロビンさんを自家発電用の自転車に乗せ、無限に漕ぎ続けてもらわなければ立ち行かなくなってしまうのです」

 

 電力のことはまあいい、と。軽く肩を竦めるダ・ヴィンチちゃん。

 そんな彼女の様子を確認してから、BBは話を続けた。

 

「まあわたしとヴァイオレット、二人でシャルル・パトリキウス(ここ)から管制すれば、皆さんをカルデアのマスターたちに同期させたレイシフトができるのは否定しません。わたしたちというAIには、その程度の現行科学とは隔絶した演算能力が備わっているのは事実。

 ですが同時にその状況では皆さんはカルデアからの補給は一切受けられず、こちらからも戦闘に堪えるほどの魔力は供給できません。なので、やる意味がないとは言っておきましょう」

 

 最初から最後までリソースの問題だ。そこをクリアできればまあある程度は、とは言えるが、それをクリアできるなら、カルデアの召喚式で改めてサーヴァントを召喚した方が早いし()()

 シャルル・パトリキウスの存在は、カルデアの戦力として大して役には立たないだろう。外付けのハードディスクドライブくらいに思っておくのが丁度いい。

 

「そもそもこの状況、わたしの仕事終わりのバカンスが目的であって、カルデアを助けにきたわけじゃないので、そんなこと言われてもやる気がでません。

 まあ? わたし好みの面白そうな話を持ってきて頂けたならば? そこは積極的に協力するのも吝かではないですけれど?」

 

 何だかんだで嫌というほど働いたのだ。そして殺生院もゼパルもちゃんと処理できた。

 ならここで休息したってバチは当たるまい。

 

 ごろりとチェアの上で転がりつつ、パチンと指を鳴らすBB。

 音に反応したのは、空間が歪んで異次元から突き出してくる悪魔の腕。

 その手の中にあるのは、ドリンクを乗せた白いテーブル。

 ゆっくり、慎重に、アナザーディケイドの腕がBBの隣にそれを置く。

 

 目的を果たし、引っ込んでいく悪魔の腕。

 

 実際見るとなんとまあ、と。ウルクで見たほど怪物的な覇気は収まっているが、確かにあの時と同じ怪物の姿だ。いや、あの時は更に竜に近しい外見に歪んでいたか。

 消えていった怪物の腕を見上げながら、ダ・ヴィンチちゃんが問いかける。

 

「あの彼女はどの程度自由に動けるんだい?」

「自由度、というならどこまでも自由には動けます。ですが、本拠地からは一切離れられません。()()()()()()だ、というのはそちらの方がよくご存知でしょう?」

 

 グラスを取り、ストローを咥え、ニヤリを笑うBB。

 そこでずるりと虚数から顔を出す悪魔か竜か、という怪獣の頭部。

 

「なんとなくここにずっといたい、と思ってしまうというか……少しでも離れると急に寂しくなって、お母さまたちがいるここに戻ってきてしまうんです。子供っぽい、でしょうか?」

 

 少し恥じ入るように、しかし照れるように、そう口にするキングプロテア。

 頭部の両側面から大角が生えた巨大な悪魔竜が、可愛らしく小首を傾げてみせる。

 その怪物中の怪物、とでもいうような異形を前に、クロエが小さく戦慄いた。

 

 ティアマト神をベースに覚醒させた力だ。

 自身の居場所に固執したあの神格が中心にある以上、そうなるのが自然だろう。

 アナザーディケイドであっても際限なく世界を巡れるわけではなさそうだ。

 いや、アナザーディケイドだからこそ巡れない、というべきか。

 

 意気消沈しているネロをちらりと見て、顎に手を添えるダ・ヴィンチちゃん。

 彼女はそのまま数秒思考して。

 

「ねえ、シャルルマーニュ。君―――もう一人の君がやったらしいことなんだけれど」

「ん? カール大帝が? いやぁ、アイツにはやれても俺にはできないことって結構あるぜ?」

「シャドウサーヴァントの生成についてだ。こちらが貰った情報によると、カール大帝は十二勇士の宝具を起点として、アストルフォとブラダマンテのシャドウサーヴァントを生成したとか」

 

 その発言を聞いて真っ先にきょとんとした顔を見せるアストルフォ。

 

「あっちの王様がこっちのボクを? 珍しいこともあるもんだねぇ」

「珍しい、で済む話でもないようだが」

 

 いつの間にかカルナの隣にいたアストルフォが感心の溜め息を吐く。

 そして今まで彼に肩をぱんぱん叩かれていたカルナ。

 彼はシャルルへと視線だけを向けて、その様子に僅かばかり目を細めた。

 

「……そんなことまでしてたのか、アイツ。自分の聖剣はまだしも十二勇士の武具まで引っ張ってくるなんて、尋常な覚悟じゃやらないって行為だ」

 

 何とも言えない顔で髪を掻き上げ、ぐしゃぐしゃに乱すシャルルの手。

 それは己の従えた勇士に幻想の介在する余地を認める行為に他ならない。

 現実に寄ったカール大帝であれば、普通はまずやらない。いや、やれない。

 

 その事実を引っ繰り返してまでも、彼はメルトリリスとパッションリップ用に騎士を用意した。自分でも身内に甘いという自覚はあるが、姉さん(アルテラ)を通じてよほど入れ込んだのだろう。

 

「よっぽど先輩たちに入れ込んでたんだろう。いやまあ、それは分かり切ってたけどな。

 ……けど、そいつは幾らなんでも俺には無理な話だ。俺が呼び出せるのは十二勇士の武具まで、一時的にであれ、影としてであれ、曲りなりにもサーヴァントとして成立させる、なんてできるはずがない。大帝の奴だって機動聖都(カロルス・パトリキウス)の外じゃできないんじゃないか?」

「うん。君の独力では無理だろうというのは分かる。だが君たちの宝具、二つのパトリキウスは規模は違えど性質としては同じものであるはず。なら、不足分を補えば同等の機能を発揮することは出来るだろう?」

「まあ、そうだな。理屈の上では」

 

 シャルルからの返答を受け、ダ・ヴィンチちゃんは思案顔。

 彼女の質問の意図に気付いたのか、フィンは鷹揚に頷いてみせた。

 わざわざ指を水から引き上げるまでもなく、彼は観察だけで納得する。

 

「ほう、今回はそういう()()を目指している、ということか」

「まあね。ただ修理しても、現状の亜種特異点については()()()()が使えない。なら、新しい試みをと思っていたところなんだけど……」

 

 揃って首を傾げるネロとエリザ。

 ぽん、と手を叩いて理解を示すのはクロエ。

 

「それってリツカの礼装の話?」

 

 少女の問いかけに首を縦に振るダ・ヴィンチちゃん。

 藤丸立香が今まで使用していた戦闘用の礼装。

 新宿の最終局面において焼損した、ダ・ヴィンチちゃん渾身の一作。

 

 その要であるオーダーチェンジの性能は、契約中のサーヴァントの位置置換。

 更にレイシフト中のサーヴァントとカルデアで待機中のサーヴァントによる存在置換だ。

 彼女は十二分にこれを使用していたが、再度これと同じ物を仕上げても、というと。

 

 亜種特異点という状況においては、いわゆる()()()()が設けられている。オーダーチェンジによる置換ではこの制約を無視することはできない。

 特異点の状況を確かめてから召喚するサーヴァントを選定している現状、この事実によって、後者の能力を使える機会は今後ほぼないと想定される。

 

 前者の能力については未だに使用可能だったが、元々がシールダーであるマシュ・キリエライトが同行していることを前提とした機能。特例的に三騎を連れている立香が、ほぼ常にマシュを傍に配置している、という状況を想定している機能だったのだ。

 今でも十分使用に堪えるだろうが、そもそもマシュの参戦がなくなり頭数が減った以上、人理焼却の時ほど頼れる機能ではなくなったと言えるだろう。

 

 この状況で礼装をそのままの機能で修理して終わり、とはいかない。

 何よりレオナルド・ダ・ヴィンチの美意識の問題もある。

 

「んー、つまりマスターの礼装で俺の宝具……シャトル・パトリキウスにカルデア経由でアクセスして、ここに登録されてるサーヴァントを特異点で投射する、ってことか? 本体……サーヴァントの本体、ってのもおかしな話だけど、ここから“影”だけを飛ばすなら……どうなんだ?」

 

 実際できるかどうか分からん、と。シャルルはBBに視線を投げる。自分の宝具であるが、そんな運用は一切考慮したことはない。前線基地としての性質を持つ宝具故、サーヴァントを現地に送り込む、という機能ならばそれなりに発揮できるはずではあるが。

 

 BBは視線を受け取って少し難しげな顔をした後、何とも言えない表情を見せた。

 

「まあ調整次第ですけど、必要な魔力は令呪で補うとすれば、一画につき一騎、ごく短時間のシャドウサーヴァントの召喚くらいならできるんじゃないですか? レイシフトするわけではなく、センパイを基点として行う電影投射ですから、入場制限には引っかからないでしょうし」

「だろう? というわけで君にも調整を手伝って欲しいんだけれど」

 

 そう言って寝転んだBBを指で誘うダ・ヴィンチちゃん。

 数秒間面倒そうな顔を浮かべつつ、しかし彼女は仕方なさそうに立ち上がる。

 

「ま、仕方ありません。何も与えず放置していたらその内死んでしまいそうなセンパイのためにも、ここは電気代がわりに労力を支払っておくことにしましょうか」

 

 声自体に面倒くささはそれほど感じない。

 むしろ楽しげにBBは立ち上がり、悠然と歩き始めた。

 

 ダ・ヴィンチちゃんとBB、揃って出て行ってしまう二人。

 立香のための重要な案件だというのは分かるので、止めることもできない。

 質問はまた今度か、と。クロエは仕方なさげに腰に手を当てた。

 

「―――なるほど、つまりアレだな? 新たな礼装次第ということだな? では余にも任せよ。機能のあれこれはさっぱりだが、造形には口を出す。それはもうエトナ火山の噴火の如し、どこまででもどっぱどっぱと口を出す。絢爛豪華なデザインならば余に任せておくがよい!」

「あら面白いじゃない。ならアタシも口を出すわ、それどころか歌に乗せるわ。どちらがより良いメロディに乗せ、歌詞でデザインを歌い上げるか。これってばもう決戦みたいなものでしょう? なら覚悟しなさい、ネロ。アタシのデザインが完全無欠にアナタを負かしてあげる!」

 

 何故かぞろぞろと続いていくネロとエリザ。

 わざわざ着いていかずとも結果は分かる。多分すぐに追い出されるだろう。

 デザインとか、少なくともダ・ヴィンチちゃんが譲るわけがない。

 

 一度振り返り、にっこり笑ってカルナに手招きするダ・ヴィンチちゃん。

 英霊カルナが立ちはだかろうものならば、通れるものは多くない。

 彼は引き籠もりを完遂せんとするニートさえムーンセルから守り抜くほどに城塞な男。

 

 要望は受理した、と壁から背を離して歩き出すカルナ。

 残念ながら―――いや、幸いなことに。

 この件について、ネロとエリザがダ・ヴィンチちゃんの工房に踏み込むことはないだろう。

 

 とにかく慌ただしく移動していく連中。

 

 それを見送りつつ、クロエは質問はまたの機会かと溜め息ひとつ。

 パトリキウスの隅へと視線を向けた。

 

 ぐるりと見回せばそこで突っ伏す騎士が二人。

 それと彼らの前に仁王立ちする黒い騎士王。

 一瞬逡巡し、見なかったことにしようとスルーを選択。

 

 視線を更に巡らせ一周。

 シャルル・パトリキウスを見回して、少女はシャルルに声をかけた。

 

「ねね、お城の中って見回っていい?」

「おう、好きなだけ見ていってくれ。カルデアの方に私室があるだろうから必要ないかもだが、部屋は余ってるから使いたきゃ好きにしてくれていいぞ。もう埋まってる部屋にはプレートがかかってるから、それ以外でな」

 

 アストルフォがシャルルの言葉を聞いて、唐突にやる気を出す。

 彼はそのまま全身を揺らし、一気に走り出した。

 

「じゃあボクも部屋もーらおっと! いい部屋は早いもの勝ちね!」

「ちょ、いきなり何よそれ!」

 

 走り出すアストルフォ。すぐさま反応し、惜しげもなく転移を使用するクロエ。

 その競争を見送りつつ、シャルルは苦笑してみせた。

 

「……全部屋同じ間取りだけどな?」

 

 

 

 

 

 疲労感の余り息荒く、テーブルにべちゃりと突っ伏す少女。

 そんな少女を微笑ましげに見つつ、アタランテの腕が小さな体を抱き起こす。

 

「こら、行儀が悪いぞ。いくら疲れているといっても皆で使う食卓なのだからな」

「ふぁーい……」

 

 疲れ切った少女を起こしつつ、隣に座った自分の膝に体を預けさせる。

 疲れていて眠りたい、というなら膝くらい幾らでも貸そう。

 少女の銀色の髪を梳きながら、狩人はこの状況に至った経緯を思い返す。

 

 これはいわば走ることを得意とした少女の下剋上。とりあえず打倒美遊を掲げ、速度に磨きをかけようとした向上心だ。倒れ込むほどにイリヤスフィールが疲労した理由は、アタランテとの徒競走に他ならない。

 最初怯えられていたのは己に負けた者を射抜く逸話のせいか。無論、純粋に足の速さを高める特訓を求める少女と、にじり寄ってくる男どもを同じ扱いにするはずもない。

 

 少女から特訓してください、と頼まれたのは正しく僥倖であった。

 

「事案よ、事案。完全に犯罪者の絵面」

 

 離れたところで笑う変な黒い奴の言葉も気にならない。

 それほどには至福の時である。

 

 そのまますうすうと寝息を立て始めるイリヤ。サーヴァントに肉体的疲労の感覚は薄いはずだが、それほどに精神的疲労があったのか。それほど全力で美遊に勝ちたかったのか。

 そんな事実に厨房の中で神妙な表情を浮かべる美遊。

 

 隣の少女の様子に苦笑しつつ、ブーディカはアタランテに小さく問いかける。

 

「頼まれていたパイは後回しかな?」

「ああ、この子が起きてからだな」

「ふむ。しかしこの時のために焼いておいたパイだ、これから味が落ちていくのはネコが水を嫌うことより明らか。素直に食べてしまい、新たに焼き直すが得策といえる」

 

 メイドスタイルで厨房にいるタマモキャットはそう告げて、包丁代わりの爪を研ぐ。

 なにせ作れば作っただけそれなりに出ていく職場だ。

 別に温存せずとも、新たに作ればそれで十分だろうと。

 

 それもそうか、とアタランテが別のテーブルへと視線を向ける。

 ふと見つけた集まりは、いつも通りのマスター組たち。

 

「―――俺思うんだけどさ」

 

 沈痛な面持ちでそう切り出すソウゴ。

 彼の様子を横目にしつつ、デオンがコーヒーへと口をつける。

 他の者たちもそんな彼に視線を集めて、そうして出てくる言葉がひとつ。

 

「シャルルマーニュはアストルフォに王様って呼ばれるし、アルトリアはガウェインとトリスタンに我が王って呼ばれてる。やっぱ王様って臣下に王様って呼ばれるもんなんじゃない?」

 

 死ぬほどどうでもいい、という表情のゲイツ。

 特に反応を示さないツクヨミ。

 どう答えるべきか迷ってみせるマシュ。

 

 そして何故か何かを考え込む様子を見せる立香。

 そんな彼女がふとデオンに視線を向けた。

 向けられた視線に応えるように優雅にカップから口を離し、一言。

 

「すまない。私はマスターに忠誠を捧げているが、同時にフランス王家に忠誠を誓った身だからね。私にとっての我が王とは、フランス王家なんだ」

「そっかぁ」

 

 少しだけ残念そうな声を上げるソウゴ。

 彼と立香が一度視線を合わせて、揃って顔を向ける先にはテーブルに腰掛けた少女。

 足を組み、長大なヒールを床に置いたメルトリリス。

 

「…………何よ」

「王様って呼び方、よくない?」

 

 何がいいのかさっぱりだ。

 

 そもそもあの戦い、この自分、それはあそこで終わり、という意識でずっと進んできたのだ。だというのにこのロスタイム。一体どういう顔で過ごせばいいのか。

 それも消えてなくなる筈の戦いだったというのに、二人揃ってちゃんとあの戦いを覚えているときた。なんだそれは、あの土壇場だからこそ見せてしまった顔もあるというのに。一体どういう理屈だ。本当にどうなっているのだ。

 

 そんなに言うなら引き籠っていれば、というのもあちらはあちらで鬱陶しい。シャルル・パトリキウスを出ない、という選択肢は完全に無しだ。他のサクラファイブはともかく、カズラドロップとずっと一緒など絶対にありえない。

 あっちが一切外に出る気がない以上、自分が出るしかない。消去法である。メルトリリスとて別に出てきたくて出てきているわけじゃないのだ、本当に。

 

 溜め息ひとつ、そんなアホみたいな問いに返そうとして。

 

「一理あると思います。やり取りひとつで関係性を対外的に知らしめる、というのはとても効率的だと思いますし、何より特別な呼び方をされるのは恋人や妻としては嬉しいもの……というわけで、ますたぁも(わたくし)のことは是非とも『我が愛しき者』とか、もっとすとれぇとに『私の清姫』とか、そう呼んでくださっても―――」

 

 にゅるりとテーブルの間から生えてくる清姫。

 はいはい、と。

 近くにきた清姫の頭に手を置いて、軽く撫でまわす。

 彼女は機嫌良さそうにそのまま立香の隣にくっついた。

 

 と、同時。厨房から響く甲高い破砕音。

 悲鳴と同時に更なる破壊が連続した。

 

「ご、ごめんなさい……っ!」

「はいストップ。大丈夫だから、まず落ち着いて」

「うむ、焦りは禁物。厨房では自分を見失ったものから死んでいく……それが女将のヘルズキッチンで学ぶ最初の教え。料理人が食材に手を加える時、食材もまた料理人の精神を試しているのだ。先に自分を見失えば、待っているのは食材に自分を喰われるという末路なのだな」

 

 焦燥で更なる破壊と混沌を齎さんとするパッションリップ。

 彼女の動きを止めさせて、手早く処理していく二人の調理人。

 

 練習中であったリップが腕が邪魔にならないようにしゅんと肩を竦めさせる。

 縮こまる彼女を見守っていた鈴鹿がキャットの言葉にからから笑った。

 

「いや、失敗したって食材には食われないっしょ」

「―――――――――」

 

 無言。何故か無言。常に騒がしいキャットが無言。

 その無言が凄惨な世界の真実を語る。

 しんと静まった食堂で、壊れた食器を片付けるかちゃかちゃという音だけが響く。

 

「いやなにこの空気!?」

「ねえブーディカは? 女王ブーディカって呼ばれるのってどう?」

「どうって……円卓の子たちとか、シャルルマーニュとか、そう呼んでくれるけど何とも。あたし自身があまり誇れたものじゃないと思ってるから、あたしの気持ちは参考にならないんじゃないかな……」

「そんでそっちの話続けるわけ!? 面白いじゃん、この空気! すぐモノにしてみせるし!」

 

 片付けには近寄らないように、とブーディカに遠ざけられてしまった美遊。

 なので彼女は、新しいパイの材料を揃えながら、リップを厨房内で誘導する。

 そうしつつ、不思議そうに疑問を口にした。

 

「でもソウゴさんには我が魔王、って呼ぶ人がひとりいますよね?」

「うん。でもアルトリアとかシャルルマーニュみたらそう呼ぶ人がいっぱいいるんだよなぁ、って思って」

 

 円卓の騎士、シャルルマーニュ十二勇士、全員がそうかは分からない。

 だが王を王と呼び仕える者たちがそれだけいる、と。

 それを見て、少々羨ましく思ったのだ。

 

「それはそれは。臣下が私だけでは不満かい、我が魔王?」

 

 いつの間にか現れて、隣のテーブル席に座っている黒ウォズ。

 驚いて見せたのは鈴鹿とリップだけで、他の者たちはもう慣れたもの。

 

 ついでに特に慣れてはいないが気にしていないキャット。

 彼女の爪がアップルパイを彼も含めた人数分に綺麗にカットしていく。

 

「ふーん、黒ウォズは俺が臣下がひとりしかいないような裸の王様で満足なんだ?」

「おっと」

 

 さらりと返され、苦笑する黒ウォズ。

 

「ま、心配する必要はないさ。君が真に魔王として覚醒すれば、すぐに全人類が君に傅くことになるのだからね」

 

 いつの間にかナプキンと紅茶を勝手に用意している黒ウォズ。

 すぐ消えることに定評がある割に、パイを食べていく姿勢を隠さない。

 

「ふん……そんなことになるようならば先にジオウが地を舐めることになるがな……!」

 

 ゲイツが黒ウォズとソウゴを睨み、そう言いつつお茶を一気に呷った。

 そのタイミングでゲイツの隣にどかりと腰を下ろしてくる少女。いきなりの乱入にゲイツが吹き出しそうになり、しかしギリギリで堪えて茶を飲み干す。

 

 こっちに来ていた鈴鹿御前がソウゴを指差し、茶化すように笑う。

 

「そうそう魔王とかろくなもんじゃないし、やめといた方がいいっしょ。特にアンタの魔王としての()()()とかチョー面倒くさいタイプってか、視えすぎて頭が痛くなってくる系なわけじゃん? 経験談として語ったげるけどさ-、魔王やるよりJKの方が人生面白いってば」

「えー、そう?」

「絶対そう! 賭けてもいいけど、絶対楽しいのは今この時間。そう、王様になりたいなら魔王より高校生の王になっとけばいいんじゃない?」

 

 不満げなソウゴに笑う鈴鹿御前。

 彼女を恨めしげに見たゲイツが鼻を鳴らして口を挟む。

 

「ジオウの場合、まず入学から危ういがな」

「いえ。ソウゴさんもゲイツさんやモリアーティ教授のおかげで、大分学力が向上していますから大丈夫かと……」

「フォウ、フォフォウ」

 

 苦笑気味にフォローするマシュ。

 

 そして関係ないとばかりに彼女の肩の上でパイを心待ちにしているフォウ。

 彼は尻尾をぶんぶん振り回し、厨房から顔を外さない。

 そんな彼を落ち着かせようと手を伸ばし―――

 

「フォウさん? どうかしましたか」

 

 つい一瞬前まで甘味を求める荒ぶる野性だった白い獣。

 彼が完全に厨房から目を離し、入り口の方へと向き直っていた。

 本能か、僅かに逆立つ白い体毛。

 

「フォゥウウウ……!」

「フォウさん……?」

「どうかしたの?」

 

 ツクヨミからの問いかけに、原因不明のフォウの威嚇を口にしようとして。

 その前に、どこか懐かしい声が彼女たちの耳に飛び込んできた。

 

「―――ああ、また何か増えてる。ということはアレよね、アレはメールが全文書き換わるバグが発生したとかじゃなく、ちゃんと事実なわけね」

 

 溜め息ひとつ、ふたつ、みっつ。

 そのくらい疲れた顔で、オルガマリーは食堂を覗いたままふらりと揺れた。

 

「あ、所長だ」

「もしかしてさ、所長を所長って呼ぶのって王様を王様って呼ぶのと似てない?」

「もうその話題いいでしょ。呼ばないわよ、王様だなんて」

 

 ざっくりとツクヨミに切り捨てられる意見。

 残念そうに眉尻を下げるソウゴを無視し、彼女はオルガマリーに視線を戻した。

 

「お疲れ様でした。みんな集めて紹介しましょうか?」

「いいわ。まだわたしは話のさわりしか報告を聞いてないもの。まず詳細を―――ダ・ヴィンチから聞いて、後はそれ次第よ。あんたたちは首を洗って待ってなさい」

 

 立香とソウゴを指でしっかり示し、そう宣言する所長。

 当事者なので当たり前なのだが、なんだか他意を感じる。

 

「大体なによ。セラフィックスが実は魔神に支配されていて、それをどうにかするために空白の時間を利用して無かったことにした、って。それをセラフィックスにいる時に聞かされたわたしは、自分がいま何をやってるかさえ分かんなくなったわよ」

 

 ぶつぶつと文句を並べるオルガマリー。だが文句を言いつつもそれだけ。

 あくまで起きた事象として受け入れて、処理をしようとしている。

 慣れって怖いわね、と。ジャンヌ・オルタがカップを手にして口をつけた。

 

 そこでふと、オルガマリーがアタランテを発見する。

 彼女の膝で眠るイリヤスフィールも。

 

「アーチャー、その子医務室まで連れて行くつもりはない?」

「うん? ……まあ、そうしてベッドに寝かせた方がいいだろうな」

 

 残念そうに答えるアタランテ。

 そんな断腸の答えに対し、さっさと要求を口にするオルガマリー。

 

「悪いけど、ひとり一緒に医務室に連れて行ってほしいのよ」

「お客さん?」

「そんなわけないでしょ。セラフィックスに所属していた魔術師以外の職員のほぼ全員には、次の仕事なりを斡旋できたんだけれどね。ひとりだけもうどこにも行けないから、続けて雇ってくれないか、っていう奴がいたから」

 

 魔術師側の連中はむしろ向こうから離れていった。セラフィックスさえ手放さねばならなくなったアニムスフィアの凋落に付き合ってはいられない、ということだろう。

 もう今更そんな奴ら知ったことじゃない。話が早くて何よりだ。それより表側の職員である一般人の方がよっぽど面倒だったのだから。

 

 いまここまで連れてきた女性のことだってそうだ。

 

「就職希望……?」

「ええ。開業医としてやっていけるだけの資格……と知識はあるみたいだし、医療部門にはロマニ以外に人員がいないことだしで、もういっそ雇うことにしたのよ」

 

 軽く調べてみた結果、彼女は金銭を取らない医療行為を続け、既得権益を侵犯された既存の医療団体に追いやられてしまった、という行動に考えの足りなかったいわゆる闇医者だった。

 医療行為は続けたいが、表の世界ではそれは続けられない。だからセラフィックスという陸と離れた閉鎖空間で続けていたのだがこの結果。

 彼女からは、だったらもうそのカルデアとやらで医療をやらせてくれ、人を救わせてくれ、という要望がオルガマリーへと向けられた。

 まあ医療部門がいつまでもロマニひとりではアレだろう、と。これから先のことを考えて頭痛を堪えながら、彼女は割と雑にその女性の採用を決定してしまった。

 

「――――――ちょっと、アナタ……それって」

「ほら、あそこの緑髪の部下に案内させるから。とりあえず医務室に行って、上司になるロマニ・アーキマンって男に大まかなところは聞いてちょうだい。

 悪いけど、わたしはこれから忙しくなるから。本当に、ね」

 

 唖然、愕然。メルトリリスが口元を引き攣らせた。

 そんな経歴(ステータス)、セラフィックスにはひとりしかいない。いや、医療というジャンルの既得権益に無策無謀で殴りかかり、しかもまだ懲りずに闇医者をやってる馬鹿なんか、ひとりしかいない。

 

 オルガマリーに促され、扉の影からしずしずと歩み出てくる一人の女性。

 いつかの戦いの中で見覚えのある顔。

 違いはちゃんとしっかりとした服装と、魔性を象徴する頭部の魔羅がないこと。

 

 メルトと鈴鹿が顔を引き攣らせ、ソウゴと立香が顔を見合わせる中。

 歩み出てきた女性は、淑やかに頭を下げて挨拶をした。

 

「はじめまして、皆さま。ただいま所長様より紹介に預かりました通り、本日よりこちらの医療部門にてお世話になることになりました。

 (わたくし)、殺生院祈荒(キアラ)と申します。これからどうぞ、よろしくお願い致します―――」

 

 

 




 
 モンハンしながらネタ考えてましたが特に面白くできそうなのが思いつかなかったのでモンハンを続けながら剣豪にいきます。
 プーリンも来たしせっかくならプーサー出したいからどっかでプーサー主役のイベント来ねえかな。

 後ついでのように出てきてうちのヴァレットを完全封殺するのやめろプロートス。


◯参戦サーヴァント
【藤丸立香】
 ・イリヤスフィール・フォン・アインツベルン(キャスター)〔ルビー〕
 ・ジェームズ・モリアーティ(アーチャー)

【常磐ソウゴ】
 ・クロエ・フォン・アインツベルン(アーチャー)
 ・シュヴァリエ・デオン(セイバー)

【ツクヨミ】
 ・美遊・エーデルフェルト(キャスター)〔サファイア〕
 ・アルトリア・ペンドラゴン(セイバー)

【オルガマリー・アニムスフィア】
 ・ジャンヌ・ダルク〔オルタ〕(アヴェンジャー)
 ・アストルフォ(ライダー)

【明光院ゲイツ】

【シャルル・パトリキウス】
 ・シャルルマーニュ(セイバー)
 ・鈴鹿御前(セイバー)
 ・ガウェイン(セイバー)
 ・ネロ・クラウディウス〔ブライド〕(セイバー)
 ・アタランテ(アーチャー)
 ・トリスタン(アーチャー)
 ・ロビンフッド(アーチャー)
 ・カルナ(ランサー)
 ・フィン・マックール(ランサー)
 ・エリザベート=バートリー(ランサー)
 ・ブーディカ(ライダー)
 ・清姫(バーサーカー)
 ・タマモキャット(バーサーカー)

 ・BB(ムーンキャンサー)
 ・メルトリリス(アルターエゴ)
 ・パッションリップ(アルターエゴ)
 ・キングプロテア(アルターエゴ)〔アナザーディケイド〕
 ・ヴァイオレット(アルターエゴ)
 ・カズラドロップ(アルターエゴ)
 
 


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譚詩曲・フォールスリープ2017

 

 

 

「フム。というと、我々の預かり知らぬ内に魔神の脅威は取り払われ、残りは一柱になったと」

「時間神殿から逃れた魔神は四柱、という教授の言葉を信じるなら、だがね」

 

 驚くような出来事があったばかりである。

 だが管制室には最低限だけ人を残し、多くは置かれていなかった。

 

 そんな管制室の椅子に座り、背もたれに体を預ける二人の男。

 シャーロック・ホームズ。そしてジェームズ・モリアーティ。

 彼らはここでBBから提供された情報を検めていた。

 

 ホームズの視線と言葉を受け、モリアーティは心外そうに目を瞬かせる。

 彼はやれやれと首を横に振って、溜め息混じりに言葉を返した。

 

「傷つくな、我が好敵手(ホームズ)。君は私を信じていないのかネ?」

「貴方……バアルが把握していたのが自身含め四柱だった、という発言が事実なのは疑っていないが、バアルの預かり知らないところで離脱した魔神がいた可能性は高い、と思っているだけだよ」

「奇遇だネ。私もなんだヨ」

 

 ハハハハハ。

 顔を合わせて男が二人、朗らかに笑う。

 

 他所でやってくれねえかなぁ。

 管制室に詰めている男性職員は、背筋に走る悪寒に口許をひくつかせた。

 

 そこでぱたりと二人同時に笑いを止め、お互いに視線を外す。

 

「まあ残る魔神が一柱だろうと六十九柱だろうとこちらにできることは変わりない。準備を整え、対策は講じつつ、問題が発生したら対応する。それしかないのが実情だろう」

「事件が起きてから腰を上げて動き出す探偵らしい結論だ。私もその感覚よくわかるよ、痛くて辛くて腰を椅子から上げたくない時、あるよネ」

「なるほど。裏で糸を引き他人を動かすばかりで、自分は椅子に座って待ちぼうけ。そんな教授のやり方は腰痛が原因だったと」

 

 ハハハハハ、顔を合わせないまま二人が笑う。

 

「他所でやってくれねえかなぁ!」

 

 我慢できず男性職員、ジングル・アベル・ムニエルが二人に叫んだ。どちらか片方ならともかく、この二人に同時に居座られると邪魔で邪魔で仕方ない。喧嘩なら他所でやってほしい。そしてできることなら代わりにアストルフォやデオンにここにいてほしい。癒されたい。

 

 そんな不純な男の叫びは華麗にスルーされ、笑いを引っ込めた二人は会話を続行する。

 

「さておき、あの空中要塞はどうなんだネ」

 

 魔術的な案件はどうにも、と肩を竦めるモリアーティ。

 

 ホームズはそれに反応を返さず、カルデアのマップをじいと見据える。

 管制室から観測する限りでは、裏手の休憩室は休憩室のまま。

 要塞ひとつがまるまる入っている、なんて状態は観測できない。

 

「……カルデアスの磁場で歪んだ空間に入り込んだ異物か。さて」

 

 顔の前で手を組み、僅かに目を細める名探偵。

 彼は自分の頭の中で何かを手繰るように思考を重ね始めた。

 

 

 

 

 

「―――本当に大丈夫なの、アレ?」

「オレからしたらオタクも相当ヤバい奴、って認識のままなんですがねぇ。ま、大丈夫なんじゃないか? それこそアンタがここで当たり前にこうしてるくらい変な場所だろ、ここ」

 

 苛立たしげに踵で床を叩いていたメルトリリス。彼女は居ても立っても居られないとばかりに、食堂にふらりと立ち寄ったロビンフッドを問い詰めた。

 

 返ってくるのはオタクがオレにそれ訊くのかよ、とばかりの呆れ顔。ヤバイのばっかり集まってるからちょっとやそっとじゃ特に感じることはない、的な態度だ。

 毒の名手たる無貌の王が一度は毒で溶かされたのだ。文句のひとつも言いたくなる。

 

 そんなBBがとっくに無かったことにした来歴は知らない、と。

 メルトは鼻を鳴らして顔を顰めた。

 

「ウムウム」

 

 何故かキャットが厨房の中で深々と頷く。

 

 殺生院祈荒は挨拶もそこそこに、そのままアタランテたちに医務室へと案内されていった。

 ついでにマシュと立香もついていったのでそれはもう。

 これから医務室という広くはない空間に、ロマニ(ソロモン)、フォウ、キアラと。

 トリプルビースト関係者が一堂に会するわけである。

 

 これはもはや歴史的邂逅なのでは?

 などと思ったが、キャットは黙っておくことにした。

 

 ロビンの物言いに顔を顰めていたメルトリリス。

 流石に殺生院と同列扱いはあれだが、自分も人類の脅威であることは確か。

 言われてみればそうなのだけれど、という表情で彼女は視線を彷徨わせる。

 

 カップをソーサーに置きつつ息を落とし、デオンが口を開く。

 

「―――あの女性が至ったという人類悪。彼女に素質があったことは否定できないが、必ず成るというわけではなく、そうなるに至った原因はそもそもが魔神の仕業、ということなんだろう?

 なら普通に接するのが一番なんじゃないかな。何の罪もない今の彼女を指差し、取り立てて騒ぐようなことではないだろう」

「あら、優しいじゃない。相当な危険人物だっていうのに」

 

 カウンターに頬杖をついて、ニヤニヤと笑う黒い奴。

 うっすらと口の端を吊り上げて、デオンは目を細めた。

 

「……確かに甘いかもしれないね。そんな甘さが出てしまうくらい、自分の意志とは関係なしに人理に敵対させられてしまう、という体験がショックだったんだろうね」

 

 にこやかに笑い合い、そうしたやり取りをする二人。

 因縁ありのジャンヌ・オルタとシュヴァリエ・デオン。

 

 うふふ、あはは。

 バチバチと火花を散らすような、しかし表面的には朗らかな空気感。

 

 猫がじゃれ合うようなもの、と。

 小競り合いなら慣れたもので、周囲は気にせずいつも通り。

 

 おっかなびっくりと黄金の爪が林檎を切り裂き、割断する。

 その結果にほうと息を吐きつつ、パッションリップは口を開いた。

 

「いくら彼女でも何の準備も無しに魔人……ビーストに変生するようなことはできないはずです。今回ビーストの幼体に至ったのも、SE.RA.PH(セラフ)で128騎を競わせる聖杯戦争で呼び出したサーヴァントを栄養として取り込む、という行為を無数に繰り返した結果。

 私がまた別に知るところで魔人に至った時も、私やメルト、BBを取り込んで、その上で……の話ですから。人間のままで相手を蕩かし、取り込み、怪物に至る―――というのは、まず有り得ないと思います」

 

 まずもって彼女の変生は電脳空間だからできたこと。地上ではまったく別の話となる。

 彼女の精神性が極まった時、人を誑かし一大宗教を築くことはあるだろうが、電脳に依らない世界であるこの地上では、五停心観や万色悠滞による無法は働けない。

 地上においてあれだけの()()を摂取することは並大抵に行えることではないだろう。今カルデアにある全てを喰らったとして、あそこまでは届かないだろう、というレベルなのだから。

 

 そして少なくとも、あの彼女はゼパルが切っ掛けでそうなっただけ。

 ゼパルが殺生院を隠れ蓑にしながら状況を混沌とさせていく。その方針が彼女の才覚と最悪に噛み合った結果、あそこまで昇り詰めてしまっただけなのだ。

 

 如何に殺生院キアラが獣の才能を持ち合わせているとしても、この状況でゼロから獣という果てまで至ることなどありえない。

 少なくともパッションリップが持ち得る情報で確認する限りは、だが。

 

「―――ま、あんなのにポンポン出てこられたら人理も何もあったもんじゃないし」

「あっ」

 

 鈴鹿御前がパッションリップの手元からバラされた林檎を掠め取る。

 恨めしや、というリップの視線を物ともせず、そのまま口に運んでしまう鈴鹿。

 

 ―――鈴鹿御前、彼女の視点で知り得る限りの話。

 殺生院キアラという女は、よほどの状況に味方されない限り、意外にもあっさり死ぬ世界線も多い。その上でそれ自体に恨み辛みも重ねるような真似はしない。殺生院キアラという魔性の女は、どうあれ菩薩という位階に指をかけた才女。道中で潰えたとして、そうなれば自分はそこまでだったということ、と基本的に諸行無常の結末を受け入れる性格ではあるのだ。

 魔人や獣に至ってよほど浮き足立っている時はともかく、本来ならばそれなりに身の振り方を知っている。今回邂逅したアレがいやに悪食だったのはゼパルの精神干渉の結果で、そうでなければもう少しは真っ当な人格を持っている筈である。多分、恐らく。

 

 それは分かっているがそれはそれとして、と鈴鹿が笑う。

 

「心配しすぎっしょ。変なことしそうになったら私が即、首刎ねたげるから!」

 

 敵意、殺意、諸々ぐつぐつと渦巻く地獄変。

 違う相手と理解しているからその程度なだけで、彼女は相当煮えくり返っている。

 経緯は知らないが殺生院との間によほどの軋轢があるのだろう。

 

 同じ空間内にいる者たちの間でも時折バリバリに火花が散る。

 カルデアとかいう組織は本当にこれで大丈夫なのだろうか、と。

 

 何とも言えない表情で、ゲイツが居心地悪そうに深く座り直す。

 そんな彼の反応を横目に見て、ツクヨミが彼に聞こえるよう小さく呟いた。

 

「ゲイツもソウゴには喧嘩腰だし似たようなものじゃない?」

「…………そうかもな」

 

 沈黙数秒、至極真っ当な指摘に対してゲイツは眉間の皺を深くした。

 

 もしかしたらカルデアというのは実は常に殺伐した空間なのかもしれない。

 反省するか。いや、ジオウ相手の敵意が崩れるはずもない。

 だがまあ、内心の敵意はともかく表に出すのは少々控えるべきなのかもしれない。

 

「そうか……そうだな……」

 

 ぼやけた声でそう繰り返すゲイツ。

 もっとも、ゲイツの態度はじゃれあいみたいでそこまで殺伐ともしてないけれど。

 

 ツクヨミが苦悩してうんうん唸るゲイツの様子を見て、どうしたものかと首を傾ぐ。

 まあでもいちいち言わない方がいいかしら、と。

 彼女は言葉を止めて、唇を湿らせるためにカップに口をつけた。

 

「ところで黒ウォズさ、今日はどうしたの?」

 

 主従揃ってアップルパイを齧りつつ、主の方が問いかける。

 従者は頬張ったものを丁寧に咀嚼し、嚥下してから答えてみせた。

 

「……特に用があるわけではない、と言いたいが。どうやら白ウォズが何か動き出したようなのでね。一応こっちのことも確かめにきたのさ。

 というわけでどうだい、ゲイツくん。白ウォズから何か接触があったりしたかな?」

「ふん、あったとしてお前にいちいち教えるか」

 

 悩んでいたのが嘘のようにツンと声を張り、そっぽを向いて返答するゲイツ。

 

 黒ウォズは肩を竦めながらもう一口。

 そんな彼を見ながらデオンが問いかける。

 

「仮にその白いキミが動き出したとして、何があるんだい? 推測くらいはしているんだろう?」

「さて、悪いが正確なところは分からない。ただ彼はどうやら無謀にも、ゲイツくんを我が魔王に匹敵する存在に押し上げようとしているようだ。

 そしてそんな彼が特に積極的に自分で動こうとする、という状況には幾らか前例があってね」

 

 まるで焦らすようにそこで言葉を切る。ただ実際のところ焦らしとかそういう空気作りでもなく、彼は更にパイを自分の口に運んだだけだった。

 たっぷり味わい、飲み込み、お茶を口にして、やっと話が次に行く。

 

「我が魔王の継承とは関係ない別の仮面ライダー。そのウォッチの回収を目的に暗躍している、と考えるのが自然だろう。キカイ、ギンガ……ギンガはスウォルツに持っていかれてしまったようだが。あれらのライダーのウォッチを使い、ゲイツくんを強化しようというのだろうね」

 

 確かにキャメロットの戦いや、天空寺にいた時は普段よりも積極的だったか。

 ただ自分と関係あるライダーとないライダーの違いもよく分からない。

 が、そこを隔てる何かの条件があったりするのだろう。

 

「キカイにギンガ、かぁ」

 

 思い返すいつかの戦い。宇宙から襲来し、破壊の限りを尽くした来訪者(フォーリナー)。今はスウォルツの手の中にある力、仮面ライダーギンガ。

 確かにあのウォッチがあれば、ソウゴ―――ジオウⅡを凌駕する、というのも夢物語ではない。太陽エネルギーを動力にしているアレは、戦場の環境にこそ左右されるが、ジオウⅡを一騎打ちで打ち倒すことがありえない、と言い切れるような存在ではない。

 あのような存在がまたも現れる、というなら警戒は最大にしなければならないだろう。

 

 そしてもう一人はキャメロットでの戦いの最中、唐突に現れた仮面ライダーキカイだ。

 彼はメガヘクスが製造した戦極凌馬(ハカイダー)と相打ちし、機能を停止。

 そこで白ウォズがウォッチで能力を吸収すると、何もなかったように消えてしまった。

 

 しかしキカイのウォッチはむしろこれまでの戦いでとても役立っている。

 巨獣ハンター、バングレイとの決戦であったり。

 何よりビーストⅡ・ティアマト(アナザーディケイド)激情態との決戦は彼の能力ありきだった。

 

 そう考えると難しい話だ。

 今後も考えるとただ白ウォズの邪魔をすればいい、というわけでもないのではないか。

 というかよくよく考えると、そもそも別に邪魔する必要がないのではないか。

 

 ゲイツが強くなるならそれはいいことだし、ゲイツがしっかりと自分のことを見た上で、力で止めなければならない魔王だと思われたならそれは仕方ない。

 だからそれはいいとして、問題はむしろ白ウォズが狙う新しいライダーの方だろう。

 

 キカイのようにこちらに味方してくれる存在なら共闘できる。白ウォズがその力を無理に奪おうとするなら、彼を止めなくてはならない。

 ギンガのような敵対者だったのなら、白ウォズに関係なく戦う必要がある。力を奪われないように注意しつつ、状況を見定める必要にかられるだろう。

 

 更に状況次第ではスウォルツと加古川飛流も踏み込んでくるかもしれない。

 どうなるかはさっぱりだが、考えなければならないことが多い気がする。

 

 椅子の背もたれに体重をかけて、うーんと唸ってみるソウゴ。

 そこでふと思い出す、あの時の言葉。

 

(そういえばあの時、キカイが俺に何か言ってたっけ。確か、WILL BE THE……びー、えふえふ? どっかで聞いたような、聞いてないような)

 

 どっかで聞いたような。しかしどこで聞いたのか。

 いや、そもそもなんかちょっと違うような。

 

 そうして首を傾げていてるソウゴと横で、食事を終えた黒ウォズが立ち上がる。

 

「とりあえず現時点では白ウォズが動きを見せている、ということは伝えたことだ。私はまだ色々と探るためにお暇させてもらうとするが……」

 

 その視線がゲイツに向かう。睨み返すゲイツの眼光。

 二人はひとしきり視線をぶつけあった後、黒ウォズはさほど気にせず肩を竦めた。

 

「ま、問題はないだろうが一応気を付けるといい。ではね、我が魔王」

 

 ひらりとストールを翻し、消え失せる姿。

 人が一人いきなり消えても慣れたもの。食堂はいつも通りの雰囲気のままだ。

 それを見たロビンフッドが顎を撫でながら何とも言えない表情。

 

 まあ神代から近未来の電脳世界まで時間が交差する場所だ。

 何があってもおかしくない、という心持ちでいるのが一番楽なのだろうが。

 

「英霊だろうがなんだろうが、環境にはこうやって馴染んでくもんなんだろうなぁ。朱に交われば赤くなる、っつーの? そこんとこアンタはどうだい、アルターエゴ」

「……そういうのって自分では分からないものじゃない?」

 

 殺生院相手にぶつくさ文句を言うだけで、別に実力行使をする様子は見せない。

 本当に本気で彼女を排斥したいなら襲撃するだけでいいのに。

 カルデアのルール……否、カルデアの雰囲気に自分を合わせているのだろう。

 

 ()()()()()()()

 なんとも、アルターエゴ・メルトリリスに何より似合わない態度じゃないか。

 それをよく理解して、ロビンはニヤリを口端を上げて。

 

「へえ、オレの見立てじゃ結構自覚がありそうな……」

「そうかしら? じゃあ逆に質問。例えばこそこそするのだけが取り柄の森ネズミがたまさか堂々とした騎士を見かけた時、感化されて騎士道精神にかぶれるなんてことがあるのかしら? そういう話よね、これ? ねえロビンフッド、アナタは一体どうなると思う?」

「……オーケー、そりゃあどう思ってようがネズミはネズミだ。賢く立ち回る森ネズミは自分から窮鼠にはなりにいかない」

 

 大人しく黙ることにする。逆上されて刺されたら堪らない。

 

 拗ねるようにそっぽを向く少女に、厨房の中からは生暖かい視線が届く。視線の主はパッションリップだ。それはそれで、なかなかどうしてと感心が表情に浮かぶ光景である。態度ではおどおどしている癖に、口を開けば開き直りばかりの子供も変わったものである。

 

 

 

 

 

「さてと、とりあえずはこんなものだろう。後はおいおい、必要に応じてかな」

 

 医務室内の配置をおおよそ説明したところで、ロマニはそう言って笑った。

 

 ベッドにはイリヤが放り込まれている。それ以外のメンバーの分の椅子を引っ張り出そうとしたマシュに、アタランテが自分には要らぬと手で示す。ならばとマシュと立香が揃って椅子を持ち出し、自分たちとキアラの分の椅子を用意した。

 

 その間にも人数分のコーヒーを淹れているロマニ。

 差し出された椅子に座り、コーヒーを受け取り、祈荒(キアラ)はほうと一息ついた。

 

「今までおひとりでここを?」

「大した話じゃないさ。運び込まれてくる人間もほぼいない状況だったからね」

 

 祈荒の疑問に苦笑で返すロマニ。

 

 人理焼却の間、意外なことだがカルデアの人員に対する健康管理はさほど難しいものではなかった。事件直後はともかく、ある程度の時期を過ぎたら大体安定してしまったのだ。だって一番精神的に参っていたのは他の誰でもないオルガマリーであって、トップが一番混乱していたおかげかそれ以外のスタッフは逆に何となく安定してしまったのだ。

 

 そして肉体的に一番参っていたのは、他の誰もでもないロマニ・アーキマン本人。彼が倒れてしまったら誰も面倒を見れない、と。ここはもう仕方ない部分として、その負担をダ・ヴィンチちゃんが力尽くで埋め合わせることで、問題を乗り越えてきた。

 

「言われてみるとダ・ヴィンチちゃんの次に仕事がすっごい多いんだね、ロマニって」

 

 医務室だけでなく管制室での仕事もあるのだ。

 サーヴァントであるダ・ヴィンチちゃんはともかく、人間には辛い量ではなかろうか。

 いま正に彼の管制室の仕事を補助しているマシュも強く頷いている。

 

「まあそれこそ、本当に必要な時はレオナルドが補助してくれるからね。実際にレイシフトしているキミたちに比べたらさほど緊張感もないさ。

 ……あと途中からは、過労でも何でも倒れようものなら、あのダビデ王に看病されかねないから、本気で倒れられなくなったけれど」

 

 小さな声でダビデ王に対する文句を呟く。

 

 本当になんて人だ、と思う。

 今になってみれば時々の揶揄いは、今の自分の結果を見越してのものだったのだろう。

 王の、装置としての責務を果たすことを邪魔する人じゃない。

 億が一にでもソロモンの存在が露見しかねないような真似など普通ならしない人だ。

 

 だというのにわざわざ自分とソロモンの関係に気付いている、という風に匂わせる行動を取ったのは、そうしても問題ないから。自分を“王としての残務を果たして消えるモノ”ではなく、“これからを人間として生きるソロモンだった者”と理解したからに他ならない。

 

 彼は第三特異点においてソウゴや立香を見た時にアタリをつけ、第四特異点のゲーティアの気配を察した時にこの結末を見通していたのだろう。

 だから見せたちょっとした悪戯心。ほんの僅かな関わり、王ではないダビデと、人間になったソロモンという少しズレた、しかし本来の彼らには持ち得ない他愛無い時間だった。

 

 その程度の距離感で済ませ、きっぱり終わらせる辺りもあの王らしい。

 

「………………」

 

 何とも言えない表情を浮かべるロマニをじいと見る祈荒。そんな彼女の背後の壁に寄り掛かり背中越しに観察しつつ、渡されたコーヒーに口をつけるアタランテ。

 

(問題はなさそうに見えるが、さて)

 

 この警戒もどうなのだろうな、と肩を竦める。

 仮にこの女にあの怪物を連想させる部分があったとして、どうなのか。

 果たしてカルデアの連中は即座に排除だ、と騒ぐだろうか?

 

 また問題が起こったらその時はその時で、となるだけな気がする。

 何よりそっちの方が()()()だろう。

 

(あまり気にするものではない、で決着だろうな)

 

「―――フォー、フォウ」

 

 何故か祈荒の隣に座るマシュから離れ、アタランテの頭に乗っているフォウ。

 本能なのか何なのか、随分と猛っているように見える。

 

「……ところで祈荒さん」

「はい、なんでしょう?」

 

 立香が声を掛ければにこやかに振舞う殺生院祈荒。

 

 つい先日の記憶、あの淫靡で蠱惑的な魔人とはまるで別人。

 顔や体が同じでも、身に纏う雰囲気でこうも変わるものかと感心する。

 そんな感心する様子に、不思議そうに首を傾げるマシュと祈荒。

 

 咳払いして、立香は訊きたかったことを口にする。

 

「ちょっと訊きたいんだけど、セラフィックスの職員に、マッキントッシュっていう人とベックマンっていう人っていたかな? その人たちの次の職場がどんなところかって分かる?」

「マッキントッシュとベックマン、ですか。ええ、いましたよ? 副所長付きのミスター・ベックマンとはあまり関わりがありませんでしたが、マーブルさんとお話することはよくありました。

 ただ申し訳ございませんが、私以外の方たちが詳しくどこへ異動したかは存じません。彼女たちの所在を知る必要がおありでしたら、オルガマリー所長さんに直接訊いていただいた方がよろしいかと存じます。

 ……立香さんは彼女たちとお知り合いなのですか?」

「ええと。はい、まあ一応……一方的にですけど」

 

 その態度で計り知れない事情があるのだろう、と納得する祈荒。

 カルデアに来るに今まで知らなかった様々な世界の事情を知らされた。彼女は至極当然のようにそういうこともあるのだろうと受け入れ、いまここにいる。

 

 ならば立香からの要領を得ない問いかけも、そのどこか曇った態度も。

 自分の与り知らないところで何かがあったのだ、と飲み込むだけだ。

 

「―――私は魔術やそういった事情に精通してはいませんが、だからこそ話しやすいこともあるでしょう。立香さんであれば、男性のロマニさんより同性の私の方が相談しやすい悩みというのもありましょう。

 あちらではセラピストとしての活動が主でしたので、聴く事にはそれなりに長けていると思います。何かありましたら是非、私を訊ねて下さいませ。いいえ、そうでなくともせっかく同じ施設にいるのです。時間が余っているようでしたら、何でもないお話でもしに来て頂けたら幸いです」

「えっと……はい、そのうちに」

 

 困惑している立香にくすくす笑い、祈荒は優しげに微笑んでみせる。

 

「はは、別に医務室に籠るのが仕事ってわけじゃないからね。必要な事態が起きていなければ基本的に医務室にはボクが詰めているし。

 ガールズトークをするなら、普通に食堂や娯楽室でのんびりやってくれてもいいんだよ?」

「では先輩、まずは祈荒さんにカルデア内の各施設を見て頂きましょうか」

「そうだね。祈荒さんはこういう部屋があったら知りたい、みたいなのある?」

 

 カルデアはそれなりに広く、娯楽室を始め趣味的な部屋も少なくない。

 そちらを使えばいくらでも話は弾ませられるだろう。

 

 マシュと立香の言葉に僅かに表情を呆けさせた祈荒。

 彼女は数秒だけ口を閉じ、視線を外して少し恥じらいながら言葉を紡ぐ。

 

「……では、本がある部屋など。データベースとしてではなく、紙の本が閲覧できる部屋はありますでしょうか? よろしければ蔵書を検めさせて頂ければ……」

「本? 結構あるよね、ここ」

「はい。昨今はジャンヌ・オルタさんがプライベートスペースと化している感がありますが、わたしもよく利用しています。前所長の意向で蔵書は専門書から児童書までかなりのもの、と思っています」

 

 それを聞いた祈荒が視線を彷徨わせ、しかし嬉しそうな様子を見せた。

 あまり予想しなかった反応に立香とマシュは軽く目を見合わせる。

 が、すぐさま調子を取り戻して彼女に声をかけるマシュ。

 

「祈荒さんはどのような本がご趣味なのですか? よければ今から一緒に探すのをお手伝いします」

「ええと、その……『人魚姫』、などが特に。幼い頃からの愛書でして、恥ずかしながら今でもたまに目を通したくなってしまうのです」

「『人魚姫』! (ハンス)(クリスチャン)・アンデルセン氏の書いた作品ですね! わたしも彼の童話はとても好きで……人理焼却中の特異点で出会ったアンデルセンさんの性格は、少々イメージと違いましたが……!」

 

 嬉しげに、しかし何とも言い難いと。

 本と著者を両方思い浮かべ、絶妙に奇妙な表情と声色になるマシュ。

 器用なのか不器用なのか分からないそんな珍妙さ。

 

 だがそれも気にかからないと、祈荒は驚きと憧れのような感情を顔に浮かべていた。

 

「著者本人に? サーヴァント、というものに関してはある程度説明を受けましたが、なるほど。そういうこともありえるのですね……その、よろしければ作者様の人となりがどうであったか、伺ってもよろしいでしょうか?」

「いえ、その……はい。聞きたいとおっしゃるならば、この不肖マシュ・キリエライト。どうにか祈荒さんの中のアンデルセンさんの評価が落ちないよう、ギリギリまで取り繕ったお話をさせて頂きます!」

「まあ、そんなに覚悟が必要なお話なのですね……」

 

 そうして盛り上がりかかるアンデルセンという男の話。

 そんな光景を我関せずと後ろで見ているアタランテ。

 彼女が小さく耳を揺らし、医務室のドアの方へと視線を向けた。

 

 数秒後、駆動音を立てて開く横開きの自動ドア。

 来訪者はそこで足を止めて、開いたドアを軽く指でノックしてみせる。

 

「失礼します」

 

 姿を現したのは長身と、それに匹敵する菫色の長髪を持つ女性。

 扉を叩いた手を戻し、その指で軽く眼鏡の蔓を撫でる所作。

 流れるようにしなやかな動作なのに、どこか堅く軋んで見える。

 

(―――近いのは清姫? なんとなく、蛇みたいな)

 

 その力は知っている。

 何度かSE.RA.PHにて交戦し、魔眼(id_es)“クラックアイス”に阻まれてきた。

 戦闘はほぼ見れていなかったから、今ようやく気付いたのだが。

 どこか見知った動き―――雰囲気を持つ女性であった。

 

 彼女の名はヴァイオレット。

 純潔のアルターエゴ、サクラファイブのひとり。

 

「藤丸立香、BBとダ・ヴィンチがアナタを呼んでいます。礼装の調整に関する話なので本人の試着が必要、とのことです。申し訳ありませんがダ・ヴィンチの工房へ足を運んでください」

「あ、うん。ヴァイオレット、でいいんだよね? これからよろしくね」

 

 挨拶されたことに奇妙な顔。

 だがその表情をすぐさま引っ込め、彼女は軽く会釈をしてみせた。

 

「ええ、こちらこそ。私とカズラドロップはほぼ常にシャルル・パトリキウスの制御に回っていますので、あまり顔を合わせることもないでしょうが」

 

 そこでふと、ヴァイオレットが視線を下げてベッドを見る。

 寝込んだイリヤ―――と、何故か寝ている少女を映像で録画している魔法のステッキ。

 

 祈荒相手などより即座の戦闘態勢を見せるのはアタランテ。

 別に少女を見たわけじゃない、とヴァイオレットは肩を竦めて視線を外す。

 そうして軽く眼鏡の位置を直しつつ、アタランテに顔を向けた。

 

「彼女の持つクラスカードというものに目を引かれただけですのでどうぞお気になさらず。

 ハイ・サーヴァントである私には、三柱の女神の神核が組み込まれています。その中の一柱が怪物に至る以前の女神メドゥーサ。彼女の持つライダーのカードに秘められた霊基と同じものでしたので、少々興味を惹かれただけです」

 

 言うだけ言って、ヴァイオレットはそのまま退室していった。

 妙に言い訳染みていたと思うが、嘘というわけでもないのだろう。

 

 そして彼女の告白が事実ならば、あの“クラックアイス”はメドゥーサの石化の魔眼が派生したスキルなのだろう。今更ながらにそんなことを知って、感心する立香。

 と、そんなことより言われたことを思い出し、立香は立ち上がる。

 

「ごめん、マシュ。私はダ・ヴィンチちゃんのとこに行ってくるから、祈荒さんのカルデア案内はお願いね。アタランテも」

「はい、先輩。祈荒さんへのカルデア・プレゼンテーション。このマシュ・キリエライト、確かに受令しました!」

 

 気合を入れるマシュ。それを微笑ましげに見つめる祈荒と、苦笑するロマニ。

 後ろで呆れた風に肩を竦めるアタランテ。

 

 そんな彼女たちに手を振って、立香はダ・ヴィンチちゃんの工房へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 そうして辿り着いた先で、立香は工房の入口で立ち尽くすカルナを見た。

 ゆるりと立つその姿から覇気は感じない。

 が、見る人が見れば恐らく一切隙の無い姿勢だったりするのだろう。

 

「カルナ、そこでなにやってるの?」

「門番だ。が、既に決着はついているので気に掛ける必要はない」

 

 問いかける立香に対し、涼やかにそう答える男。

 一体何があって、何の決着がついたのか。

 不思議そうに首を傾げる立香に対し、彼は肩を竦めた。

 

 と、僅かに目を細めてカルナは立香の顔を見る。

 

「随分と神経を張りつめているようだな」

「……そう見える?」

「ああ」

 

 そっか、と。煮え切らない声で相槌を打つ立香。

 

 彼女の態度を見て、ぼんやりと視線を天井まで持ち上げ顎に手を添える男。

 どうにも何かに悩むような所作。

 首を傾げる立香に対して、彼は至極真面目に自身の悩みを告白した。

 

「……いや、オレが口に出すべきことかどうか悩んでいただけだ。お前が調子を崩した原因など考えるまでもないが、指摘するにしても他に適任がいるだろうとな」

「私が調子を崩した、原因?」

 

 情けない、とは思うが果たして調子を崩していたのか。

 

 自分は他のマスターと違って自衛すら危うい。サーヴァントに引けを取らない仮面ライダーは別としても、サーヴァントどころかちょっとした魔獣相手にさえ逃げしか打てないのは彼女だけ。

 そういうものだと理解しているが、彼にはそれが自分の悩みに見えたのだろうか。それほどのことじゃない、と口にしようとして。

 

「他のマスターと違い戦う力が無いという事実など些末なことだ。お前はいま、自分がどうして立っているのかが分からないだけだろう」

「どうして、立ってるのか……?」

 

 自分が考えていたことと違うことに対し、言及された。

 カルナはそこで口を閉ざし、黙り込む。

 気にせず工房に入ればいいとでも言いたげな態度だが、立香は完全に足を止めた。

 このまま気にせず横を通る、なんてできやしない。

 その返答を確かめてから、カルナは素直に話の続きを始めた。

 

「……お前たちの戦い、一通りの情報は閲覧させてもらった。オレのお前に対する理解はその程度であり、かつあくまで私見でしかない考察だ。それでもいいと言うなら口にしよう。

 ―――お前の旅の始まりにはマシュ・キリエライト、常磐ソウゴの両名が隣にいた。その中でお前が自分自身に課した進むべきだという意志の根幹は、マシュ・キリエライトに護られること。そして、常磐ソウゴの隣に同道することだった。違うか?」

 

 きっと、最初は三人揃って弱かったのだ。強い部分はあったかもしれないが、なんだかんだ支え合わなきゃ崩れてしまいそうな弱さがあった。でも、今は違う。

 

「戦いの末、その二人はこれから生きるに辺りお前たちの始まりから()()()()を踏み出した。お前は自分だけそれができていないのではないか、と考えているのだろう」

 

 自分の考えに埋没する暇も与えず、淡々とカルナが語る。

 マシュは変わった。ソウゴも変わった。

 

 でも、立香は変わってない。

 どんな時でもマシュたちのために変わらない自分で在り続けよう、と。

 そう思ってそう律してきた彼女は、そもそも変化を求めなかった。

 

 マシュの成長を、ソウゴの王道を。

 思うままに歩む者たちを見届けよう、と選択した彼女は変わる必要がない。

 あるいは、視点が狂わないように変わってはいけない。

 

「―――それって」

 

 どうやったら解決するのだろう、と口には出さなかった。

 問われないのであれば、カルナは答えを返さない。

 

 そもそも別に問題があるわけじゃない。

 人は必ずしも大きく変わらなければいけないわけじゃない。

 当たり前のことをただ当たり前として生きて、死ぬ。

 そこに一体何の問題があるというのか。

 

 特殊な環境で育ったわけでもない。大それた夢を抱くわけでもない。

 それはけして悪い事ではないのだから。

 

 足を止め、僅かに視線を下に向ける少女。

 その様子を前にして、カルナは答えではないことを口にした。

 

「……自分で言うのも恥じ入るべきことではあるが……オレの口から出る言葉では、お前のためになる金言としての価値は期待できん。

 お前が自分自身の裡に正しく響く答えを得ようとし、何某かに助言求めるのであれば……恐らくは、あの尼僧に打ち明けた方がよほど巧みな解決が見込めるだろう。一度獣として敵対した相手を頼ることを心理的に許容できるのであれば、だが」

 

 まあそこは問題ないだろう、と瞑目するカルナ。

 獣であった者でも今大丈夫ならば、それを頼れてしまうのが藤丸立香である。

 その精神性こそが横に並ぶ()()とのズレを引き起こすのだが。

 

「祈荒さんに……か。うん、ありがとう。ちょっと考えてみるね」

「礼には及ばん。いや、むしろこちらが謝罪するべきか。要するにオレはわざわざお前の悩みに言及しておきながら、それを晴らす言葉を持たないと白状しただけなのだからな。

 ―――さて、ダ・ヴィンチはともかくそろそろBBが痺れを切らすだろう。今の話はとりあえず忘れて、中に入るといい」

「うん」

 

 促されるままにダ・ヴィンチちゃんの工房に入る。

 カルナは中を覗くこともなく、廊下に立ち続けていた。

 扉が閉まれば見えなくなる彼の姿。

 

 中に入ったら真っ先に目に入ってくるのは吊るされた服。

 それを取り囲むように無数のロボットアームがうぃんうぃんと動いていた。

 おおよそ服飾関係に関する相談の場とは思えない。

 

 立香の入室を見て、ダ・ヴィンチちゃんが手を止める。

 その手がガチャガチャと動かしていたレバーは一体何なのだろう。

 同時に服を見つめていたBBもこちらを向いていた。

 

「やあ、わざわざ来てもらって悪いね!」

「もう遅いじゃないですかセンパイ。てっきりキアラさんに食べられちゃったのかと」

「確かに祈荒さんたちと医務室でお菓子食べてたけど」

 

 その返しに宣戦布告を感じたのか、BBがムムムと表情を顰める。

 

 そんな彼女から視線を外し、謎の改造を受けている礼装を見る。新宿の戦いまで使用していた、オレンジを基調とした戦闘用ボディスーツだ。

 今までは防御力も鑑み、これを着て、その上から通常の制服である礼装を重ね着していたものだが。新宿の決戦において負荷限界を突破し、使い物にならなくなってしまった。

 

「この礼装を直して……改造するの?」

「いや、新造だよ。そっちの方が結果的に安上がりだしね」

 

 じゃあ何でこんな光景に、と。

 そんなことを思った立香に対し、BBが呆れながら注釈をくれる。

 

「これを着たセンパイが動く時、礼装のどの箇所にどの程度の負荷をかけてきたか、というデータの吸い出し中です。量産品ではなくオーダーメイドなんですから、とことんセンパイ用に突き詰めたいのが人情というものでしょう?」

「わあ、時間かかりそう……」

 

 ほう、と息を吐く立香。

 自分のための装備なのだから勿論とことん付き合うけれど。

 

「まあね、流石にすぐには出来ないさ。新しい試みが色々とあるから、その辺りに慣れてもらうことも含めて、これから数日はデータ取りに協力してもらうことになるよ」

「うん、大丈夫だよ」

「というわけで、とりあえずセンパイはこちらにお着替えしてくださいね」

 

 ひょいと振るわれる教鞭。

 BBのその動作の直後、立香の頭の上から降ってくる一着の服装。

 ふぁさりと頭に被さってくる布に目を瞬かせつつ、彼女はそれを手に取り広げた。

 

「……セーラー服?」

 

 渡されたのは紺色のセーラー服。振れた感触は普通の服であるが、これも礼装だろう。しかしそれがなぜセーラー服なのか。まあ、奇抜なのよりよほどいいが。

 それはさておき、触れていると感じること。この礼装は今着ているものに比べると、どうにも完成度で劣っていそうだった。ある種の経験則か、無理をさせたらすぐに焼け付いてしまいそうだと思う。

 

「……まああくまでデータを取るために使う試作品だからね。デザインにこだわる時間は極力減らすつもりだったから……」

 

 立香の無言の感想に反応し、ダ・ヴィンチちゃんはそう言った。

 酷く悔しそうなのは強度ではなくデザインの話だろう。

 デザインは気にしない、ではなくかける時間は極力減らすなのが彼女らしいというか。

 多少の妥協なら許そうとする辺り、むしろ彼女らしくないと思うのが正しいのか。

 

「いいじゃないですか、セーラー服。月の海攻略に相応しい報酬だとBBちゃんからの太鼓判です。あ、それとも布面積をギリギリまで攻めた危ない水着の方がよかったですか? だとしたらすぐに手直ししてさしあげますけど」

「ちょっと待った。水着に変える、というなら私も全力で口を出すからね?」

 

 セーラー服のデザインは既存のものを流用。BBがどこかから持ってきた、出来合いのデータそのままを使用したのだ。それはセーラー服だからこそ奇抜な改変など必要ない、と認めたからと言える。

 だがそもそものデザインを水着に切り替えるならば、もうデザインをするところから始め直すのが自明の理。セーラー服と同じ理由でスクール水着でも選ばれない限り、ダ・ヴィンチちゃんは戦争してでもそこを譲る気が一切なかった。

 

「ところで水着にしたとして、それって防御力とか大丈夫なの?」

 

 デザインはまあさておき、と至極真面目に問いかける立香。

 露出する肌面積は少ない方がいい、羞恥とかそういう話ではなく防御面での話だ。彼女がセーラー服を手に取ってまず初めに感じたことは、普段の制服にはあるタイツがセーラー服の方にはないことによる脚が守られるかどうかの不安である。

 

 と、そこでいいことを思いついたとばかりにハッとする。

 立香はそのままBBへと視線を向けた。

 

「そう、そうだよ。むしろ新しい礼装は水着なり下着なりにしてもらって、この礼装の下に着た方が便利じゃない?」

「わたし、せっかく揶揄ってやろうと仕掛けてる会話を、真面目な方向にスピンドリフトさせようとするそういうセンパイの発想力嫌いでーす」

 

 実際戦闘スーツはそうして重ね着していた。

 流石にあの格好で現代日本の日常生活を送るのは無理があったし。

 変に新しくするより、そっちの方が安心感があるのでは?

 

「それはそれで非効率なのさ、できないとは言わないけれどね。わざわざ二着に分割するより、きっちりと一着に詰め込んだ方が効率的だ。差し迫った緊急時でもないことだし、完全新作をお披露目するよ。

 強度に関しても心配しなくてもいいさ。デザイン上は肌を露出しているように見えても、ちゃんとそこを保護するための結界は作動するようになるからね!」

「―――それで、その一着のみで運用する衣装のデザインですけど。水着か下着で肌色マシマシ露出強、ということでよろしいですか、セ・ン・パ・イ?」

 

 にやにやと見つめてくるBB。

 そんな服装で活動するなんて恥ずかしい真似ができるのか、と言いたげな。

 それに言葉を返す前に、立香は少し驚いてじいとBBを見つめてしまう。

 

「……なんですか、急に無言でわたしを見つめだして。その、は、反省したのならもういいですけど? ご心配なく、しょうがなく、ちゃんと普段使いに堪えるデザイン性は保証してあげますけど……」

 

(下着を見せることが恥ずかしいことだって思ってたんだ、BB)

 

 立香の様子にどもるBB。彼女を眺めつつ、立香が何とも言えない表情を見せた。

 

 BB自身の服装は、短すぎるスカートで下着が常に見えている。

 だというのに、それを恥ずかしいことだと思う羞恥心を持っていたとは。

 もちろん人の趣味はそれぞれなので、言及はしないが。

 

 今でこそウェディングドレスだが、ネロも最初こういう系の服装だった。前方がシースルーになっているスカートで丸見えだったのだ。彼女の場合は99%の自信とほんの少しの恥じらいで自分の美がより引き立つ、くらい言ってのける皇帝だったので、そういうものかという感じだったが。いやはや何とも。

 

 そういうのが趣味の人もいるだろう。そういうのに羞恥を抱く人もいるだろう。

 羞恥を覚えながらもそんなお洒落をしてしまう人もいるだろう。

 お洒落とそこに抱く感情は人それぞれ。

 それを検めて認識して、立香は特に彼女を追求せず流すことにした。

 

(そういえばメルトリリスとかもっと凄い格好だもんね。もしかしたら、BBの服のセンスとか一番強く引き継いだのがメルトリリスなのかも)

 

 やっぱり親子みたいなものなのだなと微笑み、立香はセーラー服を軽く広げた。

 

「じゃあとりあえず着替えちゃうね」

「うん、よろしくね」

「……ちょっと待ってください、なんか今の顔すごく腹が立つんですけど?」

 

 BBをスルーしつつ、着替えるために工房の奥のスペースを借りる。

 この空間には女性しかいないが、そこはそれ。

 マナーとして引っ込んでから着替えるべきで―――

 

「……?」

 

 ふらりとくる。着ていた礼装を脱ぎ、セーラー服に袖を通して。

 そうしてやはり、今までに比べて頼りないかも? なんて。

 そんな考えをしている内に、視界が揺れ動き出す。

 

 二、三日徹夜した後に何もやることがなくなってぼうっとし始めた瞬間みたい。

 堅牢だった意識を保つための防波堤が、ビスケットのように砕け散る。

 そうなれば当然、意識を暗闇に押し流すために一気に雪崩れ込んでくる睡魔。

 

「お母様!! なんか、なんか変です!! ぐわーってします!!」

 

 意識の外で唐突に巨人が顔を出し、放つ爆発するように轟く声。それほどの現象が棚のひとつふたつ隔てて放たれているというのに、ただただ耳から遠い。

 こんな異常、絶対にただ疲れが出て眠くなったとかじゃない。

 

 いったい、なんなのだろう、これは。

 すごく、まずい気がする。

 

 ダ・ヴィンチちゃんとBBに向け声を出そうとする。

 即座に無理だと理解し、へなへなと足元から崩れ落ちて。

 横倒しになりそうになった体が、壁に寄り掛かった。

 

 寄り掛かったのは何もない壁のはず。

 なのに、体重をかけた壁が扉が軋むようにキィと啼く。

 僅かにずれて見えるようになった、そこから先。

 

 腕が動かない、脚が動かない、頭が回らない。

 何かを認識する余裕などどこにもない。

 ただ眠りに落ちていく意識が最後に、向こうから響く何者かの声を聞いた気がした。

 

 ―――フフフ、ンフフフ……!

 

 

 




 
 一体どこのキャスター・誰ンボ。美しき肉食獣こと異星の使徒、誰屋道満の仕業なんだ…

誰デルセン「ハ!この状況で誰が二度と呼ばれてやるものか!」
 


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輪唱・パラレルドリフト2008

 

 

 

 廊下を歩く二人。

 そうして主の背を見ていた黒ウォズは、軽く眉を上げつつ問いかける。

 

「それで、どうするつもりだい我が魔王?」

「とりあえず前みたいにウィザードの力で……」

「チャレンジするのは止めないが、それは無理だ。

 前回のは幽閉、今回の件は誘拐。そもそもの状況が違う。ウィザードの力では潜れないだろう」

 

 肩を竦める黒ウォズ。彼の言葉に反応し、足を止めて振り返るソウゴ。

 

「じゃあ黒ウォズに連れて行ってもらう?」

「それも無理だ。私も藤丸立香の位置は把握していない」

 

 きっぱりと断言する従者。

 それおかしくない、と言おうとして。しかし彼の表情を見て、ソウゴは口を噤んだ。

 その反応に深々と頷いて、黒ウォズは続けた。

 

「まあ普通なら見失わないし、見つけようと思えば見つけられる。ほぼね」

「……少しくらいなら見失う可能性がある?」

 

 言葉ではなく表情で肯定する黒ウォズ。

 そこまで言われれば分かる。

 可能性があるなら引き込める者ならば、その隠匿を成立させられる。

 

「―――白ウォズ……」

「だろうね」

 

 幾つもの勢力と思惑が絡んでいるのだろう。

 その中に、確かに白ウォズの影も含まれている。

 彼の未来ノートならば、黒ウォズの視点を誤魔化せるのだから。

 

 それを理解して、表情を厳しくするソウゴ。

 そんな王の様子を見て、目を細くする黒ウォズ。

 

(ギンガはともかく、キカイは明らかに我が魔王を起点として出現した……ならば、他の未知のライダーも同じように出現させようと考えるのは普通か。だとすれば今回の白ウォズの動き……)

 

 SE.RA.PHの攻略のためにソウゴが無意識に行使した時の王者としての力。

 彼は現状に()()()()()()()()

 自分の手が届かない救いたいものが在る場合、彼の王としての力は発現する。

 

(藤丸立香を我が魔王がどうにも干渉できない場で追い詰めることで、状況を覆すために彼女を救うための()()を時空を歪めてその場に呼び込ませる。恐らくはそれが白ウォズの狙い)

 

 数秒瞑目し、ソウゴは踵を返して歩いて行く。

 自分だけでは干渉できないとしても、準備は整えなくてはならない。

 今カルデアが総力をもって立香を救う手段を模索している。

 ならば彼はその時に備え、完璧な状態でレイシフトの瞬間を待つ。

 

 歩いて行く王の背中を見送り、黒ウォズは脇に抱えた『逢魔降臨暦』を軽く指で叩いた。

 

 

 

 

 

 着々と進んでいく立香のための支度。医務室に置かれた人員はロマニと祈荒、単純に手が増えたことにより、それは今までより手早く行われる。 

 最後に立香に頑として纏わりつく清姫を添えて、観測、調査、生命維持、全てが恙無く実行できる状況は完成した。

 

「ムムムムム……!」

「ど、どうなのルビー?」

 

 そんな中、医務室を飛び回りつつ、頭頂部からアンテナを生やし、みょんみょんと怪電波を発する魔法のステッキ。この奇行は言うまでも無くルビー以外にあり得ず、そんな相棒を気にしつつ、イリヤスフィールはベッドに寝かされた立香を見た。

 

 サファイアも同じような状態で、立香の側でアンテナを生やしている。

 そんな彼女たちが、一頻り作業を終えたのか顔を見合わせるようにした。

 

「―――この魔力の残滓。恐らく立香様は単純な特異点へのレイシフトしたのではなく、並行世界へと引き込まれたものと思われます」

 

 平坦な口調ながら驚愕の声。

 サファイアの言葉に反応して、美遊は苦虫を噛み潰したような表情を見せた。

 

「いくら精神のみとはいえ、そんな簡単に並行世界へなんて……」

 

 だが発言者はよりにもよって魔法のステッキ。

 第二の魔法使い。並行世界の運営を行う“万華鏡(カレイドスコープ)”、キシュア・ゼルレッチの秘宝たる魔術礼装がそう言っているのだ。これでは疑う余地がないだろう。

 

「ですがちょーっと、おかしなことになっていますね」

「おかしいって何が……?」

「うーん、どう説明したものやら。並行世界には違いないですが、現時点で並行世界と呼ぶには相応しくない感じがするというか」

 

 ぐにゃぐにゃと持ち手をうねらせるルビー。

 彼女のセリフに同意なのか、サファイアもどこか様子がおかしいように見える。

 

「―――少なくとも私たちが逆探知した結果、辿り着いたのは既に()()()()()()()でした」

「滅びてる……って! それってリツカさんが!」

「ていっ!」

 

 よく分からないが、そんな場所に引き込まれたなら立香も無事では済まないのでは。その心配で顔を青くするイリヤに、ルビーは落ち着かせるためにチョップを打ち込んだ。突然の強襲に被弾した頭を押さえ、涙目で蹲るイリヤ。

 危険なのは考えるまでもないが、肉体が無事である以上まだ無事だ。まだ、だが。

 

「滅びている、というのは比喩になりますが……いわゆる剪定事象。未来が無いと判断され、宇宙から観測を打ち切られた並行世界だったもののひとつ、ということです。

 つまり立香様の精神が連れていかれたのは、今この時代と同じ時間軸まで運営を行えず、無かったことになった世界となるわけです」

「宇宙のルールについてはさておき、とにかく問題は()()です。誘拐先が並行世界なのは分かりました。本来ならそこで詰みです。が、カルデア単体では無理でも、私たちとBBさんの協力があれば並行世界へのレイシフトは一応可能でしょう。そこで、どの時代へ? ということになるわけです」

 

 説明を受け、美遊が酷く苦々しい顔をしてサファイアを見つめた。

 

「時代は……分からないの?」

「残念ながら……恐らくは何らかの結界で、こちらに情報を悟らせないようにしていると思われます」

「む、向こうからはこっちに何かしてきて、リツカさんを誘拐できたのに!?」

 

 それは幾らなんでも不公平だろうと、敢然と立ち上がるイリヤ。

 同意の意志を見せ、ルビーが羽飾りを腕組みするように絡ませた。

 

「ええ、まったくです。どうやって繋げたかがまったく分からない。剪定事象の世界から干渉されたのはまだしも、既に観測されなくなった実在しない時間からの接触。不可解極まります」

「そこには恐らく呪術が絡もう。思い出深いような、そうでもないような、狼気分で毛繕いするカラスのような……しかしどうあれ、本来であればこの業では届くまい。()()()()()()()()()()()()()()()()が。道を作ったのは別物だろうとアタシは考える」

 

 グッモーニン、ベッドメイクはメイドの嗜み。寝かせるご主人兼患者には最高の寝心地を。作業はてきぱきと淀みなく。真っ白なシーツで快眠環境を整え、タマモキャットは立香を寝床へと導いた。

 そうする中で清姫を邪魔そうに退けつつ、立香の容態を見て口にするタマモキャット。

 

「…………」

 

 それを壁際で聞きつつ無言のBB。トラブル敏感体質のセンパイが間を置かず問題に巻き込まれたのはいいとしよう。だが今回、相手が手を差し込んだ()は彼女の着替えだった。単純に、より性能の高いカルデア礼装から、間に合わせの月海原制服礼装へ着替えた瞬間を狙われたのだ。

 礼装の出力から言って、着替えを行わなければその時点で呪術は弾けた可能性もある。これはもう、あれだ。よりにもよってBB謹製の思い出深い制服に対してこれは、もはやBBに対する直接的なテロリズムである。

 

 そんな沸々と滾るBBをちらりと見つつ。

 呪術に造詣の深いケモノの評を聞き、モリアーティが虚空を見上げた。

 そこで彼はそのままBBへと問いかける。

 

「―――BB。キングプロテアが事態の直前に反応を示した、というのは?」

「確かに突然騒ぎ出しましたね。ちょっと遅かったですけれど」

 

 キングプロテアは再び虚数空間。先程感じた違和感はもう感じていない。

 彼女はアルターエゴであり、アナザーディケイド。並行世界へ渡るだけの能力を持つ、が。そうなるために同時に引き出されたティアマトの性質から、()()()()()()から離れることができない。

 キングプロテアの進行方向、彼女のコンパスは常に自分のいるべき場所を目指す。BBたちがよほど上手く誘導できれば別だが、残念ながら先の会話の通り誘導するべき時代が分からない。

 そしてもしそれが最初から分かっているならば、そもそもプロテアを送り込むなんて不確かな行為より、素直にレイシフトを実行した方が確実だ。

 

 普段はやけにハイテンションだというのに、今回ばかりは声色が静か。立香を持っていかれたこと、出し抜かれたこと、何よりあの制服を()と扱われたこと。主に最後のそれに感情を刺激されて、万能小悪魔AIは苛立ちらしきものを隠すために調子を抑え込む。

 

 そんな機械的な反応に対し、鷹揚に頷いてモリアーティは結論にまで至る。

 そうして魔法のステッキの方へと向き直った。

 

「―――ちなみにだが」

 

 顎に手を当てていたモリアーティがルビーへと問いかける。

 質問を待つ彼女に対して、彼の質問は簡潔で明確だった。

 

「それは存在しない西暦2008年からの干渉?」

「―――その通りです。何かご存知なのですか?」

 

 答えたのはサファイアで、彼女は何か知っていそうな男に詰め寄らんとする。

 その意気に応えるが如く、ルビーはルビーで自白剤の準備を開始した。

 

 カルデアへの干渉は現存しない並行世界の西暦2008年。その時代を迎えるより遥か前に剪定されたはずの、存在しない世界。

 こちらに干渉してきた並行世界は確かに発見できた。なのに、逆探知してみればもう現存していないのである。遥か前に存在していたのは事実だが、過去に剪定されていたという事実のみを魔法の杖は拾い上げた。では一体、結局どこからの攻撃だったというのか。

 

 別にそんなことしなくてもちゃんと言う、ホームズじゃあるまいし。

 そんな表情でモリアーティは眉間に指を移し、口を開いた。

 

「では道を作ったのはアナザーライダーだろう、今回の敵はアナザーキバでほぼ確定だネ。呪術師とやらの正体は分からないが、そのつもりで話を進めようか」

 

 断言する。あまりにもあっさりと。

 そんな彼に対して、美遊は酷く不審げな顔を見せた。

 

「どうしてそう言い切れるんですか」

「順番だヨ。私の持つ仮面ライダーの知識は大したものではないが、順番くらいはもちろん把握している。そして()()()()()()()()()()()。数多の並行世界を旅する仮面ライダーであるディケイドだが、その旅の始まりは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ」

「……なるほど、アナザーキバのいる世界とアナザーディケイドのいる世界で、ホットラインを繋いだわけですね。プロテアさんの存在を逆手に取られた、と」

 

 ディケイドの始まりは、キバとの邂逅。九つの並行世界が融合し、全てが消滅しようとしている状況だった。仮面ライダーディケイド、門矢士はそこで仮面ライダーキバである者と言葉を交わし、己の使命を認識し、世界を救うために世界を破壊する旅に踏み出した。

 

 だから、()()()()()()()。本来交わらない並行世界であるが、それぞれの世界にキバとディケイドが存在することで世界を越えて旅立つための道ができてしまった。

 そこを通じ、立香は何者かに引き込まれてしまった、というわけだろう。

 

「その理屈であれば、逆にこちらから道を作れるのでは?」

「こんな理屈無しでも、アナザーディケイドならば道は作れるだろう。キングプロテアがその力を使いこなせるのであれば、だがネ」

 

 医務室の壁近くに怪物の頭が生えてきて、しゅんとした。

 その威容を見て祈荒がまあ、と驚くように口に手を当て―――しかし、すぐに気を取り直し、彼女は落ち込んだ怪物を慰めるようにその顔を軽く撫でてみせる。

 

 あらゆる地母神の神性を有するハイ・サーヴァントであるキングプロテアは、ティアマト神の神性も有するが故にティアマト神へと通じ、アナザーディケイドと化した。だからこそ、アナザーディケイドである限り、キングプロテアは自分の中のティアマトの声を無視できない。

 

 彼女は渇愛のアルターエゴ、キングプロテア。

 引き出した性質は回帰の人類悪、原初の女神ティアマト。

 

 だがディケイドは旅人。自分のいる場所が自分の居場所の、どこまでいっても旅立つ者。故に彼女とアナザーディケイドは相性が噛み合わず、旅人ならぬ怪獣としての力のみが奮われる。

 

 こちらにはアナザーディケイドがいる。あちらにはアナザーキバがいる。

 だから繋げることができた。先など無い筈の剪定事象の中、2008年というキバの存在した時代を逆説的に保証するアナザーキバを経由し、アナザーディケイドが存在するカルデアにまでアクセスしてきたのだ。

 

 その事態に納得ができたのか、美遊が小さく唇を噛んだ。

 

「―――理解を得られたようで何よりだ。そしてこの前提となる条件付けによって、我々には判断しようがなかった更なるヒントが得られるわけだ」

 

 頭の上に?マークを飛ばすイリヤ。

 彼女は早々に思考をカットし、美遊の方へと振り返る。

 

「……彼の言う通りなら、キバとディケイドが接触したのは()()()()()()()()。だとすれば、この干渉を成功させるため、アナザーキバは特定の時代にいなきゃいけないことになる。

 サファイアたちが観測した既に剪定された世界。その世界が剪定される直前の時期、()()()()()()()()()。立香さんを引き込むために、アナザーキバはそこにいなければいけない」

 

 世界の終わりがディケイドの始まりであり、キバとの邂逅。であるからこそ、キバとディケイドの交錯を利用したこれは、世界の終わりでなければ機能しない。

 行先が既に終わった世界だったというなら、後は簡単だ。その世界が終わる直前こそが、目的とするべき時代になるのだから。

 

「あの世界が剪定された時代、ですか。何を原因として剪定されたかも分からない以上、とにかく時代を遡って調査していくしかないですけれど……」

「―――調査はシャルル・パトリキウスからしましょう。ルビーさんとサファイアさんで剪定された並行世界を観測しつつ、その並行世界の時間軸を遡る形でシバを走らせて、カルデアスによる文明の灯りの探査を行います。演算はわたしとヴァイオレット主体でやりますので、お構いなく」

「ちょっと待った。シバを使うなら、管制室からの方が……!」

 

 声を上げたロマニを手で遮り、BBはなおさら平坦な声で続けた。

 

「そっちはそっちでレイシフトの準備を進めてください。現状で連れていけるサーヴァントは恐らく魔法少女チームだけですよ。しかも彼女たち……ルビーさんたちをあちらに送ってしまったら負担は爆増。わたしたちはレイシフトのルートと存在証明維持で手一杯になります。

 こちらは手早くセンパイを捜索しますので、そちらも早急に連れていけそうなサーヴァントを検索して召喚するなり、最速の救出プランでも立ててください」

「サーヴァントの選別は並行世界だから、というのもあるが呪術による障壁もあると考えられる。もし無防備にレイシフト中にそこを突っ切ることになれば、弾かれるどころか爆発四散という事態もありえなくもない。

 特に相手からすれば、一人を攫って焦燥させていると理解しての仕掛けだ。馬の前にニンジンをぶら下げれば一も二も無く全速前進、軌道を読み易い全力疾走を予想できるが故、なおさら気を付けねばなるまい」

「えっと、ちなみにキャットさんが着いて来てくれたりは……?」

 

 イリヤから問われ、キャットは酷く渋い顔をした。

 確かに恐らくいるだろう呪術師に対し、専門家がいた方がいいのは間違いない。

 が、シャルル・パトリキウス所属の彼女にはそれはできない。

 まして、呪術の専門家だからこそ通れないように障壁を施されている可能性も高いだろう。

 実際に参陣するのは酷く難しいことに思えた。

 

 だがキャットの勘は言っている。犬も歩けば棒に当たる、と。

 

「……うむ、アタシがどうなるかは調査次第。下拵えを疎かにすれば、その手抜きは当然のこと結果に響こう」

「下拵え……?」

 

 やっぱり何を言っているかさっぱりわからない。

 しかしそう言って満足し、眠った立香の世話に戻ってしまうタマモキャット。

 

 状況の把握が進み、一気に動き出す医務室。その中にいて何もせず首を傾げているわけにもいかず、イリヤもまたわたわたと動き出した。

 

 

 

 

 

 誰の目も届かぬ洞穴。深く、長い、岩の通路。

 そんな静謐なはずの空間に、唸り声と共に鎖が軋む音が響く。

 洞穴の奥深くから聞こえてくる亡者のような雄叫び。

 

 それを満足げに聞きつつ、洞穴内の開けた場所にいる男は喉を鳴らした。

 

「ンンンン―――はてさて、残念ながら今はこれが精一杯といったところ。少々物足りなくはありますが、けして悪い成果ではなかったかと」

 

 妖しげに笑う男の姿はあまりに怪しかった。

 呪術師然としつつも、2mほどの巨躯。着崩した山葵色の着物から覗くは隆々とした筋肉。左右で黒と白に分かれた長髪に、ところどころ結ばれた鈴。

 正しく異様、としか言い表しようのない風格。

 

 そんな男に対し、手頃な岩に寝転んでいた者が声をかける。

 

「一応訊いときたいんだがな。カルデアをわざわざ連れてくることに何の意味があるんだ? お前の仕事にとって」

 

 岩のベッドでごろりと転がる赤いスーツ。

 全身赤色のその造形の中でより目立つのは、一部だけに使われたターコイズブルーの輝き。

 頭部を覆うバイザーと、胸にしかと刻印されたコブラを思わせるエンブレム。

 仮面ライダーのそれと類似した、しかしけして違う何者か。

 

 呪術師はその問いに驚くような表情を返し、軽く笑った。

 

「フフフ……何を仰るかと思えば。拙僧にここで与えられた仕事と言えば、この今にも失われんとする歴史に()の代替であるところの()()()が、正しく根付くか否かを確かめること。

 であれば、であれば。確かめねばならぬことはもうひとつあるでしょう? ええ、あるでしょうとも。恐らく対立するであろう()()()の存在を無視し、ただここで根付いたのは確認できたからヨシとしよう―――それでは正しく三流の仕事。拙僧、一流を志しておりますなれば……きっちりと、確認すべきことは事前に確認しておくのです」

「……そうかい。で、あのお嬢ちゃんはどうするんだ?」

 

 コブラ男に問いかけられれば、どうでもよさげな顔を見せる呪術師。

 召喚した立香は洞窟外のそこらに放り出されただろう。

 だが別にそれはそれでどうでもいいのだ。

 

 カルデアにこちらを観測させた時点で、最弱のマスターなどどうでもよろしい。

 

「そちらで必要ならば、どうぞお好きに」

「そりゃ太っ腹だが、生憎だが使い道がねえ……聞いた感じ、毒への耐性のせいでハザードレベルも上がらなそうだしな。それさえなきゃ、試しにこの世界の人間のハザードレベルがどこまで上がるか、実験のために使ってもいいんだが……」

 

 コブラ男が退屈そうにバイザーを指でこつこつと叩く。

 ハザードレベルは激減、当然本来のドライバーもトリガーも無い。やれることと言ったら、そこらで見繕った一般人を体にして、こうしてトランスチームガンを使った下っ端仕事。やれやれ悲しいね、なんて彼は大仰に掌で顔面を覆う動作をしてみせた。

 

 どちらにせよ立香に手を出す気はない。彼にとっても、スウォルツにとっても、あれに手を出すとしたら最後だ。中途半端に常磐ソウゴ(オーマジオウ)の怒りを買えば、揃って目的が遠のくだけだろう。

 

 彼らにとってカルデアやらこの世界の人理など元よりどうでもいい話。

 ただ利用できるから、ここにこうしているだけなのだから。

 なので再びごろりと岩の上で転がって、手をひらひらと振り回す。

 

「ま、ナシだな。オレはここでのんびりさせてもらうぜ」

「―――では、アレの見張りをお願い致しましょう。拙僧は他にやるべきこと山の如しですので」

「あいよー」

 

 肩を竦めながら、呪術師が影に沈んで消えていく。

 

 静かになった洞穴に響くのは、唸るような重低音。

 この洞穴に隠された、それこそ呪術師の最後の一手になる予定の備え。

 

「■■■■■■■■■■■■―――――――ッ!!!」

 

 ―――そんな道具が、唐突に吼えた。

 岩壁を震撼させる音圧。

 同時に迸る、()()()()()()()()()()

 

「おっと……?」

 

 ごろごろしていた毒蛇が世界に奔る波動を認識し、驚いた様子を見せる。

 彼は一瞬その原因を考えて。

 そして何かに気付いたように洞窟の天井を見上げた。

 

「こりゃ酷い話だ、もうゲームオーバーか?」

 

 わざわざ狩りに行く気もないが、助けに行く道理もない。

 とはいえ、流石に早すぎると興醒めな気もする。

 

 逃がしてやらなきゃいけないかね、と。

 至極どうでもよさそうに、彼は手の中でトランスチームガンをくるりと一回転させた。

 

 

 

 

 

 視界が明ける。真っ先に感じるのは草の匂い。

 緊急事態だろう、という意識が脳に浸透するまでかけた時間は五秒。

 目を覚まして、状況を検めるために、藤丸立香は行動を開始しようとした。

 

(なんか最近、連続して放り出されてるね)

 

 ビーストが関わっていたほどであるSE.RA.PHとこちらと、どちらがマシか。

 立ち上りながら、彼女は現実逃避気味に思考を回す。

 

 周囲には木々に満ちていた。

 密度はさほどではなく、枝葉の間から十分に日光は感じられる。

 空気感、というか湿度というか。風の肌触りか。

 どこか懐かしく感じるのは、ここが日本か、あるいはそれに酷似した環境なのか。

 

(日本だったらいいけど。ただ日本だったとしても、どうなってるか分からないか)

 

 どのような時代、どのような特異点かも分からない。

 果たしてセーラー服が通じる時代だろうか。

 起き上がってスカートを叩き、土埃を払いながら小さく溜め息。

 

 とにかく森の中でじっとしていても始まらない。

 どの方向が人里に通じるかすら分からないが、とにかく歩いて―――

 

 ザワリ、と。彼女が一歩踏み出した瞬間に世界が変わる。

 何かが響き、染み渡っていくように。

 瞬く間に世界の色がつい一秒前とは違うものへと変えられていく。

 

 太陽の高さから言って、真昼間だった筈の今。

 それが一瞬の内に、夜に塗り替えられていた。

 

「夜に……!?」

 

 まずい、と思った。昼が夜に変わったことがじゃない。その現象が広がっていく過程を直に感じて、明らかに()()()()()()()()()()()()()()()

 この辺りのどこかから、この昼夜逆転現象が周囲に広がっていったと感じられたことがまずい。自分はまったくの無防備のままに、何らかの真相の近くに落ちていたのだ。

 

 選択肢は二つ、逃げると隠れる。森の中だ、人が一人潜む場所など掃いて捨てるほどあるだろう。が、身を隠す魔術でも覚えているならまだしも、隠れてやり過ごせる余裕があるとも思えない。

 逃げ一択。だがどこへ、自分は地理すら把握していないのに。

 

 ―――と。

 懐に感じた感覚に従い、それを引っ張り出して投げる。

 

〈サーチホーク! 探しタカ! タカ!〉

 

 変形し、飛翔していくタカウォッチロイド。夜闇を切り裂き、舞い上がっていく赤い姿。上空から進むべき方向を見定めるにはうってつけだ。

 着替えたところまでは覚えていたが、果たして元の服から持ち替えていたっけな、と。曖昧な意識に悩みつつ、とにかく助かっているんだから今はどうでもいいと切り捨てる。

 とにかく開けた場所へと通じる方向を確かめて―――

 

 瞬間、空高く夜の闇に咲く火花。

 舞い上がった鳥が、それを追い跳躍した獣に捉えられていた。

 

「―――――!」

 

 月光を浴びる青い体。紅く眼を輝かせた人型の狼。

 それは空中でタカウォッチに噛み付き、軋らせた牙で大量の火花を散らす。

 

 余りにも対応が速いことに一瞬呆ける立香。

 もはや最初から自分を狙っていたものかと思うような速さ。なら先程まで気絶していた自分が生きていたのは何だと言うのか。もしやタカウォッチを放つという選択は、未だにバレていなかった自分の位置を相手に周知させる悪手であったのか。

 

 立香の中で響く動揺。

 そんな彼女の目を覚ますように、少女の肩へと駆け上がりコダマスイカが跳んだ。

 

〈コダマビックバン!〉

 

 目の前に発生する巨大エネルギーボール。

 果実の如きそれは、砕かれてなお飛散し果肉と果汁で目を晦ます時間稼ぎ。

 

「ありがと……!」

 

 コダマに一声かけると同時、動揺を内心で捻じ伏せる。

 そのまま即座に逃走のための姿勢。

 

 空へと跳んだ狼からは離れなくてはならない。

 その上でどの方向へと逃れるべきか、という思考。

 それは一秒と待たず、またも保つべき余裕ごと別の事象に吹き飛ばされた。

 

 巨大なスイカ。エネルギーでできた球体の壁。

 それが瞬く間に瑞々しさを失い渇き、砕ける前に蒸発していく。

 雷光に撃たれた果実は、目晦ましになる間すらもなく消滅した。

 

 その雷源、稲妻を放出するのは紫の人型。

 豪腕を振り上げ、鉄拳を握り締め、重い足取りで前進する怪物だ。

 

「ふたり、め……!?」

 

 青い人狼が着地し、口からタカウォッチを吐き捨てて蹴り飛ばす。

 紫の怪物が地面を転がっていたコダマを殴り、弾き飛ばす。

 

 顔を顰めるには十分な状況。

 しかしそれを理由に足を止めれば、死ぬのは自分だ。

 

(考えて、考えても―――なにも、できない……!)

 

 何せ今着ている新礼装で何ができるかも知らない。これからデータ取りだ、と言われてそのまま着ただけなくらいだ。逆転の秘策足り得る何かが込められていたとしても意味がない。知っていてもサーヴァントがいなければ何も意味がないかもしれないが。

 とにかく、自分の手札さえ把握していない彼女は、本当に何もできなかった。

 

 だから足は止めない。

 彼女を逃がすため、真っ先に飛び出した二機を裏切らない。

 とにかく逃げて―――

 

 ずぷり、と足が泥に沈む。さっきまで燦燦と日が照っていた山の中、水気などありえなかった山道で。あまりにも唐突に、一歩先から全ての道が、土砂降りを食らったような泥の海へと沈没した。

 

「うそ……!?」

 

 足を取られる。次の一歩を踏み出せず、足がその場で止まる。

 

 沈んだ足が泥の重さで抜けず、次いで置いた足もまたそこで沈む。

 歩く事さえ封じる水没の罠。

 踏み抜いてしまった致命の失態に、立香が唇を噛み締めた。

 

「―――――!?」

 

 そして、その瞬間に気付く。

 いつの間にか、動きが止まった彼女の側にいる何者かがいることに。

 

 夜の泥海に不気味に漂うのは緑の半魚人。

 その怪物はこの悪路など何でもないように水面に立ち、ゆらりと揺れる。

 

 だがそこまで。

 ふと思いつきの行動であっさりと立香を殺せそうな状況。

 そこまで来ておいて、しかし半魚人は退屈そうに体を揺らすだけだった。

 

 同意するように紫の巨躯が体表で電光を弾けさせる。

 二人の態度に呆れるように青い狼が咽喉を鳴らす。

 

(なに……? 攻撃する気がない? じゃあ何で―――)

 

 困惑する立香。

 こうまで疾風が如く仕掛けてきておいて、やる気が見えないなんて。

 どういう状況、どういう心持ちで彼らは動いていたというのか。

 

 動けない以上考える以外にできることがない。

 彼らの素性は。彼らの目的は。彼らは一体、次に何を仕掛けてくるのか。

 

 ―――その答えは彼ら自身ではなく、更に現れたもう一人の怪人によって判明した。

 

 闇夜を泰然と歩むのは紅の王。

 その容貌はまるで、ステンドグラスで模った蝙蝠のようだ。

 肩から広げられているのは、血塗られた蝙蝠の翼。

 

 右翼には黄金の文字で“KIVA”。そして左翼には“2008”と刻まれている。

 その事実をもって、立香は怪物の正体を看破した。

 

「アナザー、ライダー……!?」

 

 恐らくはアナザーキバ、でいいのか。とにかくあの個体の真実の名は、今の段階で気にするようなことではない。この攻勢がアナザーライダーによるものだ、という事実を認識したことこそが大きい。

 

 三体の怪物は王の登場に複雑そうな感情を顕わにし―――しかし、その場で傅いた。

 平伏する怪物たち。だがアナザーキバがそれに反応を返すことはない。

 

 あの怪人。足取りは確かながら、まるで夢遊病を患い彷徨っているかのようだ。アナザーキバは外界へと発するべきもの。敵意なり興味なり、一切の感情を有していないように見える。元からそうであるのか、何者かに操られてそうなっているのか、それは分からないが。

 ただ、何者かに操られているから家臣である怪物たちも消極的、と考えると辻褄はあうだろう。であれば、スウォルツか加古川飛流こそがあのアナザーライダーを操っているのか、と。

 

 怪物が揃った合間に、どうにか復帰してくる二つのウォッチ。

 浮き輪の代わりになろうとするコダマと、立香を押し上げようと背を押すタカ。

 小細工なれども少しずつ、彼女は逃走のために力を尽くしてくれる。

 

(とにかく、一度逃げて―――)

 

 思考の途中に挟まる、ザクリという酷く鋭い音。

 

 耳からではなくもっと直接的に。

 彼女の脇腹で発生して、骨と神経を伝って脳まで駆け上がってきた激しい感覚。

 認識する。その致命的な音と痛みが、自分の頭に響いたものだと。

 

「―――……ぁ」

 

 びっくりするほど力が抜ける。足のみならず、上半身が泥の中に向かって倒れていく。倒れる際に視界を掠めるのは、爪を血に濡らしたアナザーキバの腕。

 距離は詰められていない。相手は未だに手の届く範囲にいない。だというのに、何故その爪にそうして血が滴っているのか。あるいは切り裂くことで血に濡れたのではなく、血に浸った爪を振るうことで血刃を飛来させたということか。

 

 そんな今更無駄なことを考えながら、ずるずると浮き輪替わりのコダマスイカのエネルギーボールを滑っていく。そうして泥の沈む頃にはもう泥は真っ赤に染まっていた。自分の血なのか、スイカの果汁なのか、判別はつかないけれど、多分大半は自分の血なのだろう。

 

 魔術礼装が最低限、彼女の生命維持のための機能を発揮する。ただ防御のために発動していたことで既にズタズタだ。当たり前のように貫通されただけで、確かに立香の身を守る防御術式は発動していた。

 それでも、この有様だったというだけで。

 

 一応は新調したと言っていい礼装も、もう機能停止寸前。

 だがこの守備力、この延命効果が無かったらもう死んでいたのだろう。

 

 状況を脱する行動に繋がらない、余計なことばかり考えている気がするけれど、それ以外にできることがないからだろうか。あるいは走馬灯、的な。

 コダマとタカが必死に彼女を引きずり出そうとするが、焼け石に水。一切の力が抜けた立香はゆっくりと泥の底目掛けて沈んでいく。逆転のしようがない。諦めたくはないけれど、これは、もう。

 

「ゥウ―――――」

 

 窒息死か失血死か、どちらにせよ放置でそのまま死なせる気はないのだろう。

 赤く染まった視線の先、アナザーキバが周囲に何かを浮かべた。

 

 虚空に発生するのは、うっすらと見える何かの輪郭。

 あれは牙、だろうか。無色透明の、人の半身ほどのサイズはあろう巨大な牙。

 それを見て、アナザーキバのしもべたちが酷く厭そうな様子を見せた。

 

(あれを、使って……ほしく、ない……?)

 

 泥の海に溶け込むように薄くなっていく意識。急速に終わりが近づいてくるという自覚の中、不思議とまだ相手を窺うことが止まらない。

 三怪人は主人の行為を本気で厭いつつ、だが止めるようなこともしない。青い狼など一際苛立たしそうで、今にもアナザーキバに逆らいそうな様子なのに。

 彼らの意識は自由だが、けして邪魔はできないし、むしろ手伝わなければならないよう強制されている、という状況なのだろうか。

 

 アナザーキバがこちらに手を向ける。その動作に応じ、立香に剥く無色の牙。

 それはまるでミサイルのように目標を目掛け射出されて―――

 

(―――これで、死)

 

 ―――瞬間。

 夜天の闇を切り裂いて、銀色の閃光が地上へ奔る。泥を弾いて渦巻く突風。

 その現象はまるで立香を守るように彼女だけを避けて、殺到する牙を斬り裂いた。

 泡沫となって消え失せていく命を啜るための無色の牙。

 

 自身の放った牙を砕かれ、しかしそれに何の反応も示さないアナザーキバ。

 むしろどこか安心した雰囲気すら感じさせる三体の魔物。

 

 降ってきた何者かは、立香の前に立ち、アナザーキバを遮る。

 それは自分で起こした風で首元になびかせた長大なマフラーを渦巻かせる影。

 彼は眼前で印を結びつつ、逆手に握った剣を構えて腰を落とす。

 

〈誰じゃ? 俺じゃ? 忍者!〉

 

 響く声は影が腰につけたデバイスから。

 そこより迸るパワーを身に纏いし者こそ免許皆伝。

 影より姫を守るべく力と使命を授かった忍の者。

 

 そのまま声色低く、彼は己が戦士としての名前を宣言した。

 

「忍と書いて、刃の心―――仮面ライダーシノビ!!」

 

〈シノビ見参!〉

 

 月光の如き黄金の眼光が輝き、幽鬼のようなアナザーキバを見据える。

 だがその乱入にさえ心動かすこともない。

 アナザーキバはただ何の変化もなく、現れた新たな敵を見るだけだった。

 

 

 




 
 お前のことが好きだったんだよ!(ヴァレルエンドドラゴン)
 


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伴奏・スノウフレーズ1639

 

 

 

 ビシリ、と。

 唐突に走った、あるいは鈍間にもやっと気づいた激しい痛み。

 その痛みのせいで跳び起きることもできず、彼女は呻きながら目を開けた。

 

 窓から差し込む太陽の灯りで、どうやら今が昼だと分かる。

 闇が晴れたらしい世界で、自分はどうやらどこかの家屋の中にいるようで。

 

 ぼんやりとした意識の中、とにかく状況を把握せねばと頭を上げて―――

 

「ああ、いけません。まだ寝ていなければ」

 

 立香が起きる気配を感じたのか、襖を開けて白い着物の女性が入ってきた。

 彼女はぱたぱたと寄ってきて、腰を下ろして肩を押し留める。

 そこでほっと一息、彼女は立香ににこりと微笑んだ。

 

「あな、たは……?」

「私ですか? ―――そうですね。どうぞ、おつる、とでもお呼びください」

 

 一瞬の迷いは何なのか。

 わざわざ偽名を考えた、という雰囲気でもなかったように思うが。

 

 彼女は脇に抱えていた水の張った桶を置いた。

 それに浸した布で軽く拭われる立香の顔。

 水の冷たさで頭を冷やして、動かない体に力を入れるのを止める。

 

 硬い枕に頭を落とし、ぼんやりとしたまま口を開く。

 

「えっと……ここは……」

「私が間借りさせて頂いているお宅です。ですので申し訳ないのですが、私の口から自宅と思っておくつろぎ下さい、とは言えませんね」

 

 軽い冗談を交えて、せっせと体の動かない立香の世話をするおつる。

 彼女に身を任せながら、今の言葉に質問を返す。

 

「じゃあ、大家さんにも、挨拶しなくちゃだね」

「―――どうぞお気になさらず」

 

 おつるが発した硬い声。

 それで、既に立香が挨拶を、と口にした人物はもういないものと分かった。

 もしやと思い、おつるの様子を窺いつつ訊ねる。

 

「もしかして、あの化け物に……?」

「どの化け物かは存じませんが、はい。この下総国の妖気に中てられ亡くなったそうです」

 

(下総国……って、千葉県? 日本なんだ。でも時代は……まだ分からない、かな?)

 

 おつるも着物であるし、日本でよいだろう。

 時代ばかりは未だに分からないが。

 情報が下総国があった時期、だけでは相当の期間があるだろう。

 時代は他の情報がなければどうにも絞り込めそうにない。

 

 自分の現在地を確かめつつ、途中で気付く。

 当たり前のことかもしれないが、着替えさせられていた。

 いまの自分の装備は魔術礼装ではなくただの寝間着。

 無防備中の無防備、という状況だったらしい。

 

 もっとも、アナザーキバの爪に引き裂かれた血塗れのセーラー服のまま寝かされていた、というよりは全然マシだろう。そもそもほぼ破損して機能停止同然だったろうし。

 とはいえ、一応所在を確認しておかなければ―――

 

「あの、おつるさん。私が着ていた、その」

「ええ、あの強い情念の籠ったセーラー服ですね? 複雑怪奇な感情の糸を憧れと言う名の一本の針で紡ぎあげたが如きあの一着。ええ、ええ、見た瞬間分かりましたとも。あれを感じずにファン活動などやっていられません。

 “あ、これは、超絶激烈最重量級推し活、その人に向かってペンライトを振る事に人生を懸けた、本命オブ本命である貴き綺羅星(スーパースター)に贈らんがためにデザインし、生成した一品だな?” と。

 シンプルなデザインでありながらも、微に入れ込み細まで入り組んだあの出来栄え。素材となる糸の繊維一筋に至るまで、『これがあの人の体を包むんだ……』という乙女回路から発する呪詛(ラブコール)と共に紡ぎ上げなくては、あの呪術(げいじゅつ)的な代物は出てこない、と断言しましょう!

 どうやら貴方に向けられた感情ではなさそうなので、そうでもなかったと思いますが、あれはホントもうヤバいです。見る人が見れば『うわっ……うわぁ……!』となる事請け合いの特級品。私も見た瞬間ちょっと顔が引き攣りました。できることならば、あれを製作した方とは、ちょっと距離を取った方がいいかもしれませんね」

 

 よほど服に関して一家言あるのだろう。

 おつるは捲し立てるようにあのセーラー服について語り出す。

 そして出るわ出るわ、想定していた時期には無さそうなワードの数々。

 

 頬を紅潮させてまで語る彼女をじっと見て、立香はふと問いかける。

 

「ところでおつるさんってサーヴァント?」

「―――あ、はい」

 

 隠そうとしていたのかいなかったのか、問いかけられたらハッとして。

 そこから数秒固まってから、意気消沈気味に首を縦に振る。

 

 少なくともつい数秒前までそういう雰囲気は出していなかったのだが、服に関して早口で語り始めたと思えば、この時代には有り得ない言語が飛び交う。となれば恐らくはサーヴァントか何かなのだろう、という推測はあっさりと肯定された。

 

 多分隠そうとはしていたのだろう。

 

「まあ、うん。よく分からないけど、BBのその呪いの服のおかげで私は命拾いした、んだよね?」

「ええ、そこは。絶対に何が何でも生き延びさせてやる、みたいな。そういう意思はより強く籠っていたようですので、間違いなく性能以上に貴方の生存に貢献したと思いますよ」

 

 BBは匂わす程度であまり直接的には言及しない。けれど、その服に彼女が傾けていたものこそ、彼女の根幹に根差す精神の支柱なのだろう。

 今も痛みはあれど意識がはっきりしているのは、彼女の執念のおかげなのか。

 

「そっか。それは後でBBにお礼を言うとして、私がいまここにいるのはどうして? おつるさんが助けてくれたの?」

 

 目を覚ます前の自分の状況を思い出す。

 迫るアナザーキバと、姿を現した仮面ライダーシノビ。

 

 あの戦いがどうなったのか。

 その結果、どうしたら自分がここで寝ているということになるのか。

 

「私はこの家から動き回ったりしていません。あなたがここにいるのは、いまこの国で名を轟かすヒーローに助けられ、ここに連れてこられたからですね」

「……仮面ライダーシノビ?」

「そう名乗っておられますね」

 

 歯切れの悪い返答。首を傾げつつ、更に質問を重ねる。

 

「おつるさんはシノビが誰かって知ってるの?」

「その正体を誰にも告げないでくれ、と頼まれています。ですので、申し訳ありませんが」

「そっか……うん、分かった」

 

 ギリギリと体が軋む。立ち上がろうとした体が上げる悲鳴。

 中身はともかく、表面的にはほぼ治癒が終わっている。

 それこそBBの執念、あの礼装が最後まで機能させた生命維持機能のおかげなのだろう。

 

 ありがたい。

 これならまだ、十分に動ける。

 

「まさか、何かするつもりですか? いけません、せめて傷が完治するまでは……」

「でもそれじゃ何日動けなくなるか分からないし。何とかこうなった原因とか、出来る限り探してみようかなって」

 

 止めようとするおつるに対し、首を横に振ってみせる。

 唖然としたような、呆れたような顔。

 

 ただその前にシノビ探しだろうか。

 今のままでは再び怪物に襲われたら、あっさりと死ぬことになる。

 シノビを探して、協力を申し出るのが先決だろう。

 

 頑張って立ち上り、頑張って歩き出す。

 とりあえず周囲に仮面ライダーシノビのことを訊いて回ってみよう。

 おつるの口振りだと、みんなが知ってるヒーローとして通っているようだし。

 

 そうして動きだした、まったく意見を翻す気のなさそう立香。

 彼女の背中を見ておつるが溜め息をひとつ。

 

「……寝間着のまま外へ出るおつもりですか?」

 

 おっと、と。足を止める立香。

 行動に考えが足りないのは血が足りてないからだと思いたい。

 血圧さえ戻ればもっと明瞭な思考が取り戻されるはず。

 そうだといいな、なんて。

 

「あっ、えっと……私の服は」

「もう使い物になりません。魔術礼装としても、あなたの服としても。

 ―――少し待っていてください。適当に見繕ってきますので」

 

 溜め息混じりにそう言って、おつるが立ち上がる。

 彼女はこの部屋の他の物に目もくれず、家の奥の方へと向かっていく。

 

 この部屋にも箪笥はある。が、彼女が向かったのは家の奥。

 そちらに倉庫でもあって、そこから引っ張りだしてくるのだろうか。

 

 けれど彼女の口振りから言って、それも考えにくいと思う。

 主を失った誰かの家。そこのものを勝手に拝借するつもりは無いだろう。

 それを言ってしまえば結局箪笥にも手を付けられないか。

 

 少し待っていれば、おつるがしずしずとした足取りで帰ってくる。

 両手で抱えているのは、浅葱色の見事な着物が一着。

 古着どころかどう見ても新品。よく見ずとも卸したてではなかろうか。

 

「それって……」

「私が織ったものです。もし必要であればお譲りしましょう。ただこれはライブのチケ代、グッズ等々買う時のために……こほん、旅の路銀を稼ぐため用意していたもの。ただでお譲りするだけ、というのはあらゆる意味で、少々気が引けます。

 ―――ですので、もしこれをお求めになるというのであれば、代金としてあなたが今まで着ていた魔術礼装を頂きます」

 

 チケ代? と首を傾げるとおつるは少し大きめに咳払い。

 彼女は直前の失言を張っ倒すかのように、いっそう真面目な顔をして話を続けた。

 

「この一着が着物として良い物だ、という自負はあります。ですが機能を停止しているとはいえ、これほどの魔術礼装(いっぴん)と比較してとなると、当然吊り合いは取れません。

 取引としてはあなたの損が遥かに大きいでしょう。いわゆるシャークトレード、というものになります。それでもと言うのであれば、いかがでしょうか?」

 

 一も二もなく頷いて、彼女を見据える。

 

 当然のような返答におつるは再び深々と溜め息を吐いた。

 だが頷かれたからには反故にするつもりもないのか。

 おつるは立香に近付いて寝間着を脱がせ、その着物を着付けていく。

 

「言うまでもありませんが、一応念をおしておきます。この着物はただの着物、あなたの命を守るための術などは、当然何一つ備わっていません。

 ですので街からはけして出ないように。街の中であれば、何かが起こっても()が間に合うでしょうから」

 

 手際よく着付けられていく立香。

 ついでのように髪も纏められ、簪で飾られる。

 

 そっちより重要なのはこっちだ、とばかりに溜め息混じりの忠告。

 心底から彼女を慮った言葉。

 

 当然の話だろう。

 魔術礼装があっても簡単に死にかけたのに、それが無いのでは話にならない。次に窮地がやってきたら、彼女は簡単に死ぬことだろう。

 だが心配させて申し訳ないが彼女も止まっていられない。何が原因なのか、何が起こったのか、何をすればいいのか。何一つ分からないままただ寝ているだけ、なんて。

 

「うん、わかってる。ありがとう、おつるさん」

 

 もちろん死にに行くつもりもない。

 恐らくは彼女の語る“彼”こそが、仮面ライダーシノビなのだろう。

 

 とにもかくにも、彼と接触することから始めよう―――!

 

 

 

 

 

 全身にまだ痛みが走っているだろう。

 それを堪えながら歩き出し、家を後にする少女の姿を見送る。

 

 そこで深々とまた溜め息。

 溜め息と共に幸福が逃げるというなら、今日一日でもう何度逃がしただろう。

 幸福の大逃走劇だ。逃げすぎて難民にでもなっていそうだ。

 

 ―――まあ、そんなことはいいとして。

 人間と違う彼女にとって、幸福とは甘受するものではなく運ぶもの。

 その白い翼に乗せて、誰かのために織り上げるものだ。

 

「……これは、急がなくてはいけませんね」

 

 すぐさま踵を返し、床の間を通り抜けて辿り着く借り受けた部屋。進入禁止、覗くべからず、などと適当に書いた布を張り付けた襖がある。

 この現界で集めた様々なアイドルのファングッズを部屋に飾れてない以上、ぶっちゃけ覗かれても隠すものなんてないのだが、気分の問題である。

 

 そこを開いて入って見れば、あるのはごく僅かな物品だけ。

 機織り機と、立香から譲られた礼装。

 

 膝を折って床に座り、ズタズタにされた紺色のセーラー服に指を這わす。

 彼女は解れた糸に白魚のような指を通して、流していく。

 その指に絡められ、はらはらと形を崩していくセーラー服だったもの。

 

「―――主として織り込まれた機能は影の投影。接続先はカルデアのムーンライト……と紐付いたどこか。あそこに何か……より月に近い別の施設が設けられているのですね。

 ということはあそこ、様変わりしてしまっているのでしょうか。それは少し、寂しいような」

 

 ロストルーム……否、ムーンライト。

 せっかく夢のような舞踏会にも使えそうな空間だったというのに。

 そんないつか見た夢の跡を振り払い、すぐに意識を戻す。

 

「……なるほど。礼装を纏った彼女自身を月に見立てているのですね。ムーンライトはカルデアでもっとも月が近く観える場所。立香さん(つき)とカルデアの距離が近い、という魔術的効果を与えることで精度と効果を高め、安定性を確保するための仕組み。

 その仕組みで行おうとしたのが……これですか。月を見上げればうさぎの影が浮かんで見えるが如く、ムーンライトから彼女(つき)を観測した際に、そこに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 女の手が丁寧に服だったものをバラしていく。完全に駄目になっている部分も多いが、まだ糸として使える部分はあろう。そうして解していく中で、おつるが僅かに顔を歪めた。

 彼女にそうさせたのは、指にかかった糸一本。そこから強く感じ入るものに、驚愕とも困惑とも言える複雑怪奇な表情がくっきりと浮かぶ。

 

「この感触は……より強度を高めるための月の兎の説話部分、でしょうか? 老爺に身をやつした帝釈天のため、己が身を捧げんと火へと身を投げた兎。その慈悲に感じ入り帝釈天は兎を月へ召し上げた、という月の兎の御話。

 月と見立てた立香さんへ、兎の影としたサーヴァントを送り出す。そのための術式に用いる補強としては確かにこれ以上は無い……でしょうけれど。そのために付与された帝釈天の属性が妙に強いような? どうにも、まるで本物から抽出したような……いえ流石にそれはまさかでしょう」

 

 どちらにせよ再利用できそうで何よりだ。

 彼女は兎ではなく鶴だが、出自は同類のようなもの。

 ありがたく使わせて貰うとしよう。

 

 流麗な手つきで彼女は魔術礼装だったものを、可能な限り糸に戻す。服に宿せる程度ではあるが、帝釈天(インドラ)の神威などそう出会うこともないだろう。素材としては一級品。だが量が当たり前のように足りない。これだけで一着を仕上げるなど、物理的に到底不可能である。

 

 だからこそ、その糸とは別に他の糸も用意してから織り機へと向き直り。

 

「最後の別れは月に向かって飛び立ち、夜の闇に消えるが鶴の定め。ですが、恩も返さぬまま飛び立てようはずもなく……久しく、場所は違えど同じ(ひと)を見上げる暇を得たのです。ですから、これはきっと良い機会を得たということなのでしょうね。

 貴方の見上げた月光(アイドル)に、私からとびきりの衣装を贈りましょう」

 

 であれば、方法はひとつ。

 足りないものは別のところから持ってくる。そんな当たり前の話。

 ぽつりぽつりと感慨深げに彼女は言葉を紡ぎつつ、織り機を動かしだす。

 

 ―――とん、とん、しゃー。

 彼女はゆったりと白い翼を広げながら、作業を開始した。

 

 

 

 

 

「あらまあ、あんた昨日シノビ様に助けられてこられた子だろう? 綺麗な着物だねぇ」

「あら本当に。昨日着ていた変な着物は襤褸みたいになっていたけれど」

「確かおつるちゃんが使ってる家に寝かせていたんだろう?」

「あの家がそんな綺麗な反物を買えるほど儲かってたとは知らなんだねぇ」

 

 家を踏み出し、少し歩けばおばちゃんたちにエンカウント。

 しずしずと頭を下げて挨拶しておく。

 

(おつるさんの着物が超目立つ……)

 

 地味ではなく、派手すぎず、しかし確かに感じられる煌びやかな雰囲気。

 そんな一流の着物で、城下町とはいえ通りを歩けばまあ目立つ目立つ。

 集団の中で一人だけ高級品を見せびらかしているような感覚。

 割かし恥ずかしくて、軽く顔が赤くなりそうだ。

 

 現代日本で武装状態で歩かされたマシュの苦労を今更偲ぶことになろうとは。

 

 わいわいがやがや。

 情報収集のために少しうろちょろしてみれば、井戸端会議に参入させられる。

 あっという間に集団に呑み込まれてしまった。なんというパワー。

 それにしても突然夜が来て怪物が現れる、という状況の割に平和そうだ。

 

 とにかく巻き込まれたものはしょうがない。

 何より情報が拾えるなら願ったりなのだから、積極的に活用していかなくては。

 

「これはおつるさんが織られたものだそうですよ。着れるものが無い私に譲ってくださったんです。もちろん、その分の支払いはしなくてはいけませんが」

 

 何となく清姫も意識したセリフ回しが癖になっているな、と自分で思う。

 両者の間で契約は済み、停止した魔術礼装一着でもう払いは済んでいる。

 だがあの襤褸になった服と引き換えに頂戴した、とは言えないだろう。

 

「おつるちゃんが?」

「まあ、ならあの子ってもしかして名のある機屋だったのかしら?」

「突然ここに来たもんだから、ただあの化け物に村を追われた一人だとばかり思っていたけど……」

「やめなさいな。わざわざ名乗りでないってことは、きっと実家ごと……」

「そうよね……きっと逃げ出す時に今後のため何とかかき集めてきたのでしょうね」

「土気の城下はシノビ様が守ってくださっているから安心だけど、今の下総国はどこに何が出るか分からない魔境だもの」

 

 まあまあと話し続けるご婦人方。

 土気の城。あまり馴染みがない名前だが、下総の城ならやはり千葉の城なのだろう。

 とにかく、ここが下総国で、土気城という城の城下町で。

 ここを中心に仮面ライダーシノビが活動しているようだ、というのは分かった。

 

「そのシノビ様、という方はどこに行けば会えるのですか? 昨日助けて頂いた後、ずっと気を失ってしまっていて……お礼の言葉すら言えていないのです」

 

 一流の着物を着ると言葉遣いも引き締まるのだろうか。

 まあ浮かない程度に何となくそれっぽく話してみる。

 が、似合わない口調をしているなという気分になってくるので心苦しい。

 最近似合わない喋りをせざるを得ない機会が多い。

 もういっそ定期的にあると想定して、誰かから習うべきだろうか?

 

「シノビ様がどこにいらっしゃるかだなんて誰も知らないわよ。あの方は夜が来るとすぐさま現れて、暴れ出す怪物をばったばったと薙ぎ倒し、全て追い払って下さるの」

「城から怪物の討伐隊も出されているという話だけれどね、でも押し留めるのでせいいっぱい。それなのにシノビ様は夜の間中ずっと町を駆け巡り、城下に一切の被害を出させないのよ」

「少しだけ窓を開けてお見掛けしたけれど、それはもう凄かったわ。空中を自在に駆け巡り、空を飛ぶ蜥蜴みたいな怪物を一瞬で何匹も始末してしまって!」

「ええ。私なんて突然の夜の訪れに困惑していたら、『外にいては危ない。夜が明けるまでけして家から出ないように』なんて声をかけて頂いたこともあるんだから」

 

 シノビの話題となると話す声も黄色くなる。

 どうやらシノビ様というのは、おばさま方には大人気らしい。

 そんな話題の中にも気になる点がひとつ。

 

(空飛ぶ蜥蜴……ワイバーン? 夜に出るのはアナザーライダーだけじゃない、のかな)

 

「そうなのですか。私が襲われたのは、人と同じような体型をした蝙蝠みたいな姿の怪物でしたけど……あの怪物たちもきっと、シノビ様が退治して下さったのでしょうね」

 

 恐らくは倒せていないだろう、と思いつつもそうしておく。

 実力の差異は分からないが、アナザーライダーである以上撃破は不可能だろう。

 ソウゴにこちらに来てもらうしかない。

 どうすればここに来てもらえるかが問題だが―――そこはカルデアの探査力を信じよう。

 

「人のような蝙蝠? (あか)の夜には見た事がないけれど、金の夜にはそんな怪物が出るのね」

「まあ、あなたその口振り。夜ごとに出てくる怪物の違いを知っているなんて、まさかシノビ様を見ようと夜が来るたびに外を探ってるのかしら?」

「あらまあ、うふふ。まさかそんな」

 

 随分と軽いとは思うが、それがシノビのおかげということだろう。

 彼が一切の被害を出さず町を守る影の者を遂行することで、ここには安心がある。

 彼が来る前に出た被害もあるようだが、ほぼほぼ落ち着いているのだ。

 

 町の外、村の方までは手を伸ばしようがないようだが、とにかく城下に関してはかなり落ち着いている、ということになる。恐慌状態での生活を余儀なくさせられるよりは悪い事ではないだろう。思うところはあれど、とりあえず隅に置いておく。

 そして今の言葉の中から気になった単語を拾い問いかけた。

 

「紅の夜に、金の夜ですか? 夜に何が違いがあるのですか?」

「あら、知らない? その名の通り()()()()()()()()(あか)の夜にはまるで血に染まったかのような満月が、金の夜には普段よりいっそうくっきりと黄金に輝く満月が浮かんでいるの。

 違いなんてそれだけだと思っていたけれど、あなたの話を聞く限り出てくる怪物にも違いがあるのかもしれないわね」

「普通の人は夜が来たらすぐに家の中に飛び込むもの、月なんて見てる暇はないわよ。シノビ様を知らない村の人ならなおさらだわ」

「どちらにせよシノビ様にかかれば怪物のちょっとした違いなんて大したことないものね!」

 

 二色の月。あの時の満月は、確かに黄金だったか。

 真紅の月が出る場合もあるらしい。

 立香の話を聞くまで違いを知らなかった、ということはワイバーンはどっちにも出るのか。

 他に出る魔獣のことも訊こうとして、しかし止めておく。

 

 怪物に殺されかけたばかりの女が、興味津々に怪物のことを訊くものでもないだろう。

 訊くべきことはシノビ、自分をお救い下さった麗しのシノビ様の事だけでいい。

 彼と協力関係を持てれば、状況は彼から聞けるのだ。急ぐ必要はない。

 

(と言っても、どこに行けば会えるかなんて誰も知らなさそうだし……)

 

 一度また夜が来るのを待ち、彼の登場を待つしかないのだろうか。

 と、ふと思いついて問いかける。

 

「私やおつるさんのような身の上の方、やはり最近は多いのでしょうか」

「……そうねぇ。あなたたちみたく一夜に一人だけ、っていうのは無くはないけど珍しいわよ? もちろん誰も逃げられず滅ぼされた村に関しては、正確なところは知りようもないけれど……大抵は全滅するか、十数人以上が助かるか、どっちからしいもの」

 

 それはまた、随分と両極端な話だ。

 不思議そうな顔をしていると見られたか、他の女性が説明をくれる。

 

「同じ村から集団でこの町まで逃げ果せた、って人たちを知ってるけど……その人たちは口を揃えて、鬼が人を殺すのに途中で飽きて酒盛りを始めてた、って言ってるわ」

「そういう時はいつも紅の夜なのよねぇ、確か」

 

 そんな気紛れな怪物が相手でなければ村は全滅している、ということか。

 鬼、と。あくまでそう見た誰かがそう呼んだだけだろうが。

 立香が知る鬼で言うと茨木童子など、か。

 

(でも茨木童子がもしその立場だったら全員きっちりちゃんと殺す、と思う)

 

 そもそも考えにくいが、もしそうなったとして。

 彼女はそういう途中放棄とは無縁の性根をしているだろうから。

 

 他にも純正の鬼ではないが、鬼種の血をが流れる英霊と言えば―――と。

 それはとりあえず置いておこう。今はシノビについてだ。

 

 ただ一人だけ助かった、というケースもまったくないわけではないらしい。その人のことについて訊こうとしたら、先に彼女たちはそのことを語り出していた。

 

「一人で逃げてきた人って言えば……あの彼、最近になって大工仕事の見習いを始めたらしいわよ。凄い身軽でひょいひょい屋根に上れるんだって。ただ高いところに立つとぼーっとする癖があってよく怒鳴られてるとか」

「ああ……ここに来たばかりの時凄い錯乱してた男の人。2022年だとか、平成何年だとか、よく分からないこと言ってた人ね」

「怪物に襲われて命からがら逃げだしたばかりなんだもの……そうもなるわよ。空を見てぼうっとするなんて……やっぱり空飛ぶ蜥蜴に襲われたのかしらね」

 

 ああ、もう―――見つけてしまった、仮面ライダーシノビ。

 やったね。

 

 多分屋根の上でぼーっとするのは地形把握のためだろう。後は街の外を見ている、ということもあるかもしれない。そういう彼の日々の努力のおかげで自分は救われたのだろう。

 

「―――私たちのような身分の方が他にいて、少しだけほっとしたような、なんだかそう考えるのも失礼なような……もしよろしければ、その方とお話できるように紹介して頂けませんか?

 なんだかこのどうしようもない気分を落ち着かせるのには、同じ境遇の方と言葉を交わすのが一番効くように思うのです……」

 

 よよよ、とか弱い乙女のようなムーブが炸裂する。

 どうだ? 自分では似合わないと思う。

 

 乙女っぽい所作って習うとしたら誰になるだろう。

 やっぱりデオンだろうか?

 他に乙女っぽいことできそうな人いたっけ。逆転の発想でタマモキャット?

 

 心配し、納得し、任せなさいという表情を見せるおばさま方。

 

「ちょうどいいわね。あなたのこともそうだけど、ずっと家の中のおつるちゃんもどうにか縁が作れないかと思っていたのよ」

 

 そう言って、女性は立香の着ている素晴らしい着物へと顔を向けた。

 おっと? などと思っても顔には出さず嬉しげに微笑む。

 やっぱりこの事件がどうにかなったらデオンに弟子入りしようかな。

 

 

 

 

 

 帰宅の気配を感じ取り、鶴は機織りの手を止めて立ち上がる。

 部屋から出て襖を閉じれば、ちょうど立香が上がってきたところだった。

 

「どうでしたか? 何か進捗が?」

「―――うん、その、ゴメンなんだけど」

 

 何故か謝り、珍妙な顔を見せる立香。

 首を傾げるおつるに対して、彼女はまず辿り着いた情報を口にする。

 

「シノビっぽい人の情報はあった。紹介してくれそうな人も見つけた……んだけど」

 

 なんと、もうそこまで。隠す約束ではあったが、こうもあっさり辿り着くとは。

 そもそも彼自身、隠し事に向いてないのではなかろうか。シノビなのに。

 そう思い、感嘆混じりの息を吐くおつる。

 

 しかしそれは彼女にとっていいことだろうに、どうも様子がおかしいのは何故か。

 

「それで……私にそのシノビっぽい人を紹介するついでに、是非おつるさんに来てほしいって機屋さんからのスカウトがあって」

「はい?」

 

 何故自分がそこに絡むのか。

 そういう疑問を察したのだろう、答えはすぐに。

 

「……私が着てるこの着物を見たおばさんがね。これだけの着物を織れるならこの町でも仕事にできるでしょう、ってことで。自分の家の三軒隣に住んでる友達の斜向かいに店を構えてる大工をやってる人の奥さんの親戚が機屋を営んでいるから、まずはそこで手伝いをさせてみましょう、って話になって……おつるさんってまったく外に出ないから、なんか周りから気に懸けられてたみたいだよ?」

「はい?」

 

 確かに傍から見ればニートなのだが。

 見逃されてたのは怪物に襲われ村を追われた悲劇の女だからなのだが。

 まさかここにきて、ここで生きるための職を紹介されるとは。

 

 ―――本命のために余分な時間は割きたくないが、仕方ない。

 変に話題を大きくするよりは、素直に好意を受けるしかないだろう。

 とりあえず立香はシノビと合流してくれそうだし、多少遅れるのもやむなしだ。

 本命の一着は元から夜に織るものだし、と自分を納得させる。

 

「……まあ、仕方ありませんね。では、とりあえずその紹介を受けるとして」

「うん。私が着てる奴、なんか凄い注目されてたし、頑張ってね……雑用くらいなら手伝えるから」

「そんなに働かされるのでしょうか、私……」

 

 せめてビビッとくるアイドルがこないかな、と遠い目をするおつる。

 

 少々申し訳ないと思いつつ、立香は軽く拳を握る。

 シノビまでの繋ぎは成功した。まず一歩。

 このまま自分は自分にできるだけ、問題へと立ち向かっていこう。

 そう考えて、痛む体を誤魔化すように力を入れた。

 

 

 




 
おつる…一体ミス・誰ーンなんだ…
 


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奏上・剣の層写1639

 

 

 

「現状、カルデアが召喚に使えるリソースは二度ほど。どちらかというとシャルル・パトリキウスの方に稼働率を高めてもらわないとだから、そこは仕方ない」

「それで、これが今回のカルデアが記録した霊基相性度、と」

 

 ロマニの言葉にオルガマリーが手元が紙をぱたつかせつつ、目を細める。

 

 召喚できるサーヴァントの選択肢が少ない。というより、もはや選択の余地が無いと言っても過言ではない。今回のレイシフトに同行させられるサーヴァントは、現状で確認した限り古代ウルクで記録した風魔小太郎、茨木童子くらいなものだ。

 

「そして天草四郎、巴御前などは数値に異常が見られた。これはアガルタの時と同じケースだと思われる。何らかの形で既に特異点……ではなく剪定事象が確定した並行世界か。

 ふむ。まったく別物となるとこれは何と称するべきかな?」

「並行剪定事象特異点世界?」

「お前は黙っていろ」

 

 ホームズの言葉に対し適当に名前をくっつけるソウゴ。

 彼に対して視線を向け、黙らせるゲイツ。

 

 それを受けて、ホームズはふぅむと腕を組んで何かを考え出す。

 

「―――剪定事象である並行世界の特異点、か。

 さて。そのままでありつつ、ある種の真理をついていそうな名付けではあるが……」

「名前は後でいいから続けて」

 

 オルガマリーの指示に肩を竦めるホームズ。

 

「これは失礼、では続きを。天草四郎、巴御前の両名は並行剪定事象特異点世界と既に何らかの関わりを持っていると思われる。

 現状BBたちによって特定されている情報は、並行剪定事象特異点世界は日本であること。時期はまだ完全な特定に至っていないが、ここ500年以内の時期だということだ」

「小太郎と茨木童子だけって、牛若丸なんかがレイシフトできないのはなんで?」

「不明だ。今のところ、状況証拠として日本の鬼種と縁がある者ならば通れる、という可能性は考えられる。とはいえ、その想定であれば坂田金時にも可能性があっていい筈だが……」

 

 ソウゴの質問に片目を瞑って返答するホームズ。

 

 雷神たる赤龍の要素が強いが、坂田金時の母は鬼女。だからこそ可能性があってもおかしくはない、と探偵は語る。

 しかしツクヨミが彼の言葉を聞いて資料を見てみれば、金時が今回レイシフトできる可能性は皆無。単純に何かの法則がある、というわけではないということだろう。

 

「タマモキャットさんが言うには、呪術師と呼ぶべき人物の存在が濃厚ということです。その呪術師が魔神と共謀し、カルデアに接触。先輩へと何らかの攻撃を仕掛けた上で、こちらの戦力を限定するための結界を張っている、というのが一番考えられるかと」

 

 落ち着かない様子でそう口にするマシュ。

 彼女の頭の上には、その様子に反応してか尻尾を忙しなく動かすフォウがいる。

 

「つまり……そういう呪術師とか、魔物とか、そういうのを相手にするのが得意な英霊は弾けるようにしてる?」

「それが一番納得がいく話ではある」

 

 元々並行世界、まして剪定事象として切り落とされる寸前の世界なのだ。サーヴァントのレイシフト程度、わざわざ弾く理由が世界側にはない。世界の観測さえリソースは有限であり、可能性が潰えた世界に対しそれを割くことを無意味とする。故に詰んだ世界は剪定されるのだ。

 観測を打ち切る寸前の時間に、それほど強固な世界の修正力が働いているとは思いづらい。であればサーヴァントがこうも参入できないことには、何か別の理由がなければならない。

 

「……どちらにせよ選択肢は増えない、どうするかに話を戻すわ。

 まずは風魔小太郎を召喚する。それはいいとして―――()()()()()()()()()()()()

 

 風魔小太郎はいい。何の問題もない。

 立香の捜索、というレイシフト後まず発生するミッションにも適している。

 彼が選択肢に残っていたのは不幸中の幸いとさえ言えるだろう。

 

 だがもう一人。茨木童子はどうするか、と。

 別に彼女の人格、気性が悪いという話じゃない。

 

 ただ純粋に彼女は鬼という生物で、カルデアは人の組織であるということだ。

 人理焼却という世界の状況。ラフム、ティアマトという共通の大敵。

 人と鬼の関係、という彼女が持つ理によって最終的には共闘できたウルクとは違う。

 

 いきなり襲ってくることはないだろうが、共闘してくれるかは微妙なところだろう。

 召喚はされたが協力は拒否し、食堂で甘味を貪るだけの生き物になる可能性は高い。

 

「召喚するとしたらゲイツ?」

 

 ソウゴに視線を向けられ、ゲイツは目を眇めつつ強く鼻を鳴らした。

 

「言っておくが俺はサーヴァントとかいう連中の召喚なんてやらんぞ。俺はジオウを見定めるためにここにいるのであって、お前たちの仲間になったわけでもなんでもないからな」

 

 フン、と顔を逸らす男。

 そんなゲイツの横顔を、ツクヨミが何とも言えないという顔で眺める。

 それを気にせず、ソウゴがならばと問いかける。

 

「じゃあ所長とツクヨミ?」

 

 戦力的にソウゴのサーヴァント拡充は後回しでいい、というのはまあ共通認識か。

 現状でイリヤ、クロエ、美遊。そして小太郎。

 となると、小太郎はオルガマリーが召喚することは確定だ。

 

 ではツクヨミが呼ぶか。

 あるいはオルガマリーに2騎つけるか。

 

(召喚して協力してもらうのは多分、無理じゃないけど……)

 

 顎に指を添えて、思考するように視線を上げるツクヨミ。

 

 話が拗れる可能性を否定できない。茨木童子は素直な鬼であり、鬼種としての義理堅さを備えている。そうした、きっちりと人間とは種を異にする“鬼”である。

 鬼種が深く関係する、かもしれないレイシフト先の状況。その状況において、彼女がただ味方であってくれるとは言い切れない。普段ならそれもよしで済ませてしまえたかもしれないが……

 

(今は立香の救出が最優先。問題が起こる可能性を抱えない、っていう意味では召喚しない方がいいわよね……)

 

 ツクヨミがオルガマリーを見る。同じタイミングで見返される。

 

 二人の視線は同じ結論を出した、と双方理解したようだ。

 揃って頷いて、彼女たちは風魔小太郎のみの召喚を行うことにした。

 

 

 

 

 

『年代の測定も完了、西暦1639年。日本は上総国周辺だと思われます。

 ちょうどそこの風魔小太郎さんが処刑されてからちょっと、くらいの時期ですね』

「はぁ……」

 

 管制室に繋がれた通信。BBスタジオの中心で微笑むBB。当初はだいぶトサカを立ててバーサークしていたようだが、少しは調子を取り戻した様子である。

 それを証明するように召喚されたばかりの小太郎に対し、さっそくの余計な一言。言われた当人。赤毛の少年忍者は、目が隠れるほど長い前髪で表情が見えない。が、特に気にしてはいないように見えた。

 

「年代で言うと、天草四郎くんと関係深い島原の乱も直近であった頃だね」

「ジャンヌが処刑された直後のフランス、みたいな?」

 

 ロマニの注釈でふと思いついたような顔をするソウゴ。

 彼はそのまま管制室の開いた席に座っているジャンヌ・オルタを見上げる。

 彼女は椅子に体重をかけつつ、どうでもよさそうに返答した。

 

「そーね、じゃあ黒幕は天草オルタとかなんじゃない?」

「あの件の黒幕と言うべき人物はジル・ド・レェだろう。復讐者になった天草四郎、というような隠れ蓑を使い、呪術師とやらが暗躍しているケースなのではないかな」

 

 黒幕面してニヤリと笑っているオルタにそう言うデオン。

 彼女は主犯であるが首謀者ではない。

 そう言われて、ふいと顔を背けるジャンヌ・オルタ。

 

「確かに、どこか懐かしさすら感じる配置というか……」

 

 聖人の感性を持つ、ルーラーに至るような人間の死の直後。その当人が恐らくサーヴァントとして召喚された特異……並行剪定事象特異点世界。

 確かに何か思わせぶりというか、不思議な符合を感じるところだ。

 

 モニターと向き合い、レイシフトの準備を進めるマシュ。

 そうしながら、いつか出会い、話をした天草のことを回想する。

 

(けれど、天草四郎さんは多分……アヴェンジャーにはなり得ない)

 

 だって彼はもうとっくにアヴェンジャーよりもっと狂気的なものに身を委ねている。彼は己という人の心を秤にし、人の在り様に確かな答えを導き出した。天草四郎という英霊の中で既に結論は出ている。彼はもうそこに向かってしか進まない。その道のりを縮めるためにだけ、聖杯という奇跡を願う存在だ。

 

 彼にとっては復讐なんて無駄な寄り道にすぎない。

 そんなもののために使う時間も魔力も持ってはいないだろう。

 

(本人の精神性故にアヴェンジャー足り得ない、他人から見ればアヴェンジャーの資格を持つ英霊。これも偶然の符合、なんでしょうか)

 

 少し考えて、しかし首を横に振って考えを打ち切る。

 そもそも天草四郎がどのような状況で現地に関わっているかも分からないのだ。

 今から考えても答えなど出るわけが無い。

 

「とりあえず……レイシフトしたら、わたしとのレイラインをルビーが辿ってリツカさんを探す、でいいんですよね?」

「ええ。ただしアサシンはまず別行動。ざっとでいいから周辺の捜索をしてもらって、時代的に明らかにおかしいものがないかの確認をお願い。もちろん、藤丸の残した痕跡らしきものがあれば最優先で連絡を」

「了解しました、主殿」

 

 少々時間は経っている。が、生前の活動時期に近いということは、現地の不自然を見取りやすいということだ。BBは彼に対し煽るように口にしたが、小太郎本人からすれば役立つ情報が最初からあって助かるとさえ言えるだろう。

 

(上総国……か)

 

 咽喉にまでせりあがる僅かな感慨らしきもの。

 それををすぐに飲み干して、少年は顔を上げる。

 

「こんな事態にも関わらずこちらで待ちぼうけだなんて、なんて殺生な。魔法少女ですか? (わたくし)も魔法少女になれば無理矢理参加できたりしませんか?」

「ひゃあああぁ――――っ!?」

 

 すると何やらカルデアの行動にとって重要な人物(コンパス)であるイリヤスフィールが、清姫から蛇に巻き付かれるが如く絡まれていた。マスターを案ずるが故の行動だろう。

 引き剥がそうとする美遊の手を掻い潜る動きはいっそ素晴らしい。風魔から見ても、どこへでも忍び込めそうな良い動きをしていると言える。

 

 明らかに悲鳴に聞こえるが、しかし女児同士の交流を邪魔することもあるまい。

 小太郎は生前に得た地理を思い起こしつつ、そのまま待機を続けた。

 

 そんな中で声を張り上げるのは、蛇に絡まれるイリヤと感覚を共有しているクロエ。彼女が酷く身震いしつつ、オルガマリーに向かって叫ぶように言い放つ。

 

「と、とにかく早く行ってリツカのこと探すんでしょ! 早く! レイシフト! ハリー! ハリー!」

「……まあ、そうね。とにかく行ってみなければ始まらないし」

『ルビーさんとサファイアさんはコフィン中でもこちらとの同期を切らないようにお願いしますねー』

 

 ここで考えを重ねても仕方ない。まずは特攻し、立香を確保してから考える。

 そうせざるを得ない状況なのだから。

 

 仕方なさげにジャンヌ・オルタとデオンが清姫を確保しにいく。

 しかしやはり清姫も大した動きだ。この二人を相手に潜り抜けるような動作を繰り返し、まったく捕まらない。地味ながらその卓越した動きに、技巧派であるという自負があるデオンが唖然とした様子を見せた。

 

「ああ……ますたぁの危機だというのにこの清姫、ただただ心を砕いてこの場で待つことしかできないなんて……!」

「これを暴力で黙らせてた白い奴がいかに効率的だったか、今更だけど身に染みて分かるわね……!」

 

 関係ないところで黒いのに評価される白いの。

 

 そうして喧々囂々、騒いでいる中に涼やかに響く美しい音色。その音の直後、清姫がぴたりと動きを止め、静止した。

 気付けば一切の動きが止まっている清姫。その手足の先で照明を照り返し、僅かに輝くのは細い物。少女を傷つけないように丁寧に配置された弦の結界であった。

 

 弦に縛られた清姫が酷く不満そうに管制室の入口を見やる。

 

「マスターの危機に馳せ参じたい、という気持ちに一定の理解は示します。が、それで助け舟が遅れては意味がない。カルデアが掲げる帆を白から黒に変えさせるような真似はやめておくべきでしょう」

「女の扱いで白を黒に変えさせた貴公から生前の反省を活かす助言が出るとは何よりだ。人の心が分からぬ王などとは違うと私も鼻が高い。そのまま蛇娘を抑えておくがいいぞ、トリスタン」

「は……」

 

 ぽろろろろん、清姫を抑えつつも哀しみのメロディー。

 知ったことではないと踏み込んでくるアルトリア・オルタ。

 彼女は管制室をざっと見回すと、画面に大写しになったBBを見上げた。

 

「そこの蛇娘や村娘以外にここで問題を起こす奴がいるとも思わんが、早々に始めるがいい」

『それは願ったりですけど。ちなみにアルトリアさん、アナタがわざわざ自分が参加しない出立に顔を出すくらいには何か感じ入るものがある、ということでしょうか?』

 

 無体な言葉、そこで村娘呼ばわりされた黒いのが暴れようとする。

 それと同時に彼女の腕がデオンに捕まり、背中に回された。

 力のかからない、しかし容易には振り解けない拘束技。

 

 そう。この動きは中々のものである、という自負があったのだ。

 だというのに清姫、なんという機動力か。

 

 不思議そうな顔を装ったBBからの問いかけ。

 アルトリアはそれに僅かに目を眇め、小さく視線を彷徨わせ―――

 

「さて、な。だが新宿や地底とは明らかに別の何かがある。ついこの前に()()()らしい電脳の実態を私は知らんが、これまで以上に見過ごしてはならない何かがこの一件にはあるだろう。

 あえて重ねて言おう。今回の一件は私が感じる限り、()()()()()()()()()()()()()()()だ。その辺りを肝に命じて行くがいい」

 

 言いたい事を言い終えたのか、アルトリアはひとつ頷いて踵を返す。

 トリスタンは管制室の入口で待機し、清姫の抑えを続けるようだ。

 

 蛇娘から出る文句は完全シャットアウト。

 嘆きの騎士は騎士王の指令を完璧に守り、管制室を騒がすものへの対処に専念する。

 

「―――直感とはいえ、そうまで言われる一件なわけね」

 

 溜め息をつき、すぐに顔をロマニとマシュに向けるオルガマリー。

 二人は揃って頷いて、レイシフトの最終調整を開始。

 彼女たちもさっさとコフィンに入るとしよう。

 

 そう言った意味合いの視線で周囲を見渡せば、皆が頷いて行動を開始。

 続々とクラインコフィン内に入っていく人員。

 

 今回はあの中でルビーとサファイアも作業する事になる。

 故にイリヤと美遊の分のコフィンには特別調整が必須。そのために降りてきていたダ・ヴィンチちゃんが立ち上がり、魔法少女にウィンクを飛ばした。準備OK、ということだろう。

 

 総員の搭乗を確認した後に、オルガマリー自身もコフィンへと身を預けた。

 

 まああれだ。アルトリアの忠告も、また現場でどでかい問題が出てくるというだけの話だろう。とはいえ、そのくらい慣れたものだ。機械惑星とか巨大ロボットとか宇宙の彼方から来た異星人とか、そういうのくらいまでならもう許容範囲なのだぞ、多分。

 

 

 

 

 

『アンサモンプログラム スタ―――ガ、ピ』

『こほん。ではでは、アンサモンプログラム、スタート! クライン・コフィン起動、内部の霊子(りょうし)変換を実行します。同時に、マジカルルビー及びマジカルサファイアとの同期開始。

 観測レンズ・シバの観測領域、拡大。特定平行世界まで範囲を延ばし、目的地までの進路を確定。最終的な細かい調整はマジカルステッキのお二方にお任せです。

 パラレル・レイシフト準備完了、安全度については……んー、ギリギリ早まるな止めろ(イエロー)! よってパラレル・レイシフトを実行するまであと3、2、1―――全行程、だいたい完了(クリア)!』

「ちょっと待った! さっきからだいぶアウトなこと言ってないかい、キミ!?」

 

 などとロマニが言ったところで、今さら止められない。

 電子戦でBBに匹敵できる環境がカルデアにあるはずもない。

 彼女が実行すると言ったら、それを止められるものはいなかった。

 

『パラレル・ロストワールド・オーダー、量子回収作業(グレイン・コレクション)強行します!

 いえーい! ごーごー!』

 

 そのように、止める間も無く実行される強行軍。泡を食って通常作業に戻り、存在証明の確立を行いに入るロマニたち。これは前例の無い、突拍子も無い、とんでもレイシフトだ。

 開始したからには数日は管制室も忙しないことになるだろう。

 

 そんな様子をデスクではなくコフィン近く。喧噪から離れた位置で見上げながら、ダ・ヴィンチちゃんが口許に手を当てて、カルデアスを見上げた。

 

 

 

 

 

「―――――」

 

 到着と同時に、真っ先に動いたのは風魔小太郎。

 彼はマスターであるオルガマリーの肩に手をかけ、己の背後に押しやっていた。

 それに逆らわず押し飛ばされつつ、指揮官たる女は周囲を見回す。

 

 暗い、こちらは夜だったのか。

 木々の隙間から擦り抜けてくるのは、真紅の灯り。

 気にかかって咄嗟に空を見上げてみれば、空には満月が浮かんでいた。

 

「紅い、月……!?」

「そやねぇ、紅い綺麗なお月はん。でもなぁ、綺麗すぎてアレ見てると、もう少し昏くて紅いモノが見たくなってしまうさかい……酒の肴にはならへんなぁ」

 

 ごう、と。まるで疾風のように来たる剣閃。

 振るわれたのは、柄に青い瓢箪がついた大太刀。

 その刃を振るった者は、頭部に角を生やした少女の外見。

 

「鬼―――!?」

 

 迫りくる脅威を前に、小太郎がその正体を看破する。

 麗しい少女の容姿も、手折れそうな華奢な肢体も、何の秤にもならない。

 外見などでは計り知れない超越種。

 

 オルガマリーを背後に回した以上、回避は取れない。

 守りに入ろうとする小太郎に対し、鬼の少女は笑みを深くし―――

 

 瞬間、少女に対して赤い弾丸が連続で直撃した。

 体勢を崩すほどでもない横入り。

 それに対し鬱陶しげに、少女は視線だけをそちらへと向けて。

 

「ゲイツ!」

「変身―――!」

 

 赤い装甲に包まれながら疾駆する、一人の戦士を認識した。

 

〈仮面ライダーゲイツ!〉

 

 “らいだー”と。今の彼の状態を示すインジケーションバタフライが、ライダーゲイツの頭部へと合体。それをもって変身シーケンスを完了し、ゲイツは少女への突撃を慣行した。

 

 少女が足を止め、勢い余って背負った青い瓢箪が揺れる。

 それと同時に即座に大剣を切り返し、向ける先はライダーゲイツ。

 

「なんや、小僧が好きそうなのがまた出てきはったなぁ」

「おぉおおお―――ッ!」

 

 ゲイツの拳と鬼の剣が衝突する。

 互いに技も駆け引きもなく、正面から力をぶつけ合う姿勢。

 刃と打ち合う度に大量に火花を散らすゲイツの腕。

 

 その隙に小太郎がオルガマリーを抱え、その場から離れる。

 

「イリヤとミユは護衛! 私とソウゴで攻撃! で、いいでしょ!?」

 

 小太郎が連れてきたオルガマリー、そしてツクヨミ。

 クロエの言葉に頷いて、二人の護衛につく形になるイリヤと美遊。

 だがソウゴは変身の準備を整えた状態で、ウォッチを手に一瞬固まった。

 

「―――その前にひとつ、やらなきゃいけないことがあるみたい」

 

 ソウゴが目を細め、その場で変身のための動作を止めた。

 クロエが眉を顰めるが、ソウゴの視線は周囲の森を見渡している。

 伏兵の存在を感知したのか。

 ならば確かにあの鬼だけに掛かり切るわけにはいかないが。

 

「ツクヨミ! ゲイツに電話渡して!」

「え? ええ!」

 

 アナザーファイズとの戦いでそれの有用性は認識している。

 自身の武装としているファイズフォンⅩを手放す判断を即座にして、ツクヨミが受け渡しのタイミングを計る。そう遠くもなくやってきたその瞬間は、鬼の剣を受けてライダーゲイツが押し返され、膝をついたタイミング。

 

「ゲイツ、受け取って!」

「―――――」

 

 投げ渡されるファイズフォンⅩ。

 放物線を描き飛んでくるそれの意味をしかと理解して、ゲイツは即座にホルダーからウォッチをひとつ外し、起動する。

 

〈ファイズ!〉

 

 起動したウォッチを装填し、ドライバーのロックを解除。カクリと傾いたドライバーの両側へ、腕を交差させながら手をかける。

 きょとんとしている鬼を前に、ゲイツは両腕を一気に引いて独楽のようにドライバーを回転させた。

 

〈アーマータイム!〉

〈コンプリート! ファイズ!〉

 

 一回転するジクウドライバー。

 その動きに合わせ、ジクウマトリクスが装填されたウォッチの歴史を虚空に描く。

 ウォッチに秘められたレジェンドの力が現出し、ゲイツの身に鎧っていく。

 現れいずるのは仮面ライダーファイズの力。

 

「……これまた、小僧が好きそうなヤツやわぁ」

 

 くすくすと何か、誰かを思い起こしながら大剣を構え直す鬼。

 ファイズアーマーへと換装したゲイツが、地面に転がったファイズフォンⅩを拾い上げる。そのまま必殺のためのコードを入力し、武装を直接手の中へと呼び出す。

 

〈レディ! ショット・オン!〉

 

 右拳を装着されるパンチングユニット、ショット555。

 その感触を確かめるように指に力をかけつつ、ゲイツが腰を落とす。

 

「行くぞ―――!」

 

 地面を炸裂させる踏み込み。突き出される銀色のナックル。

 それに応じるのは鬼の剣。

 お互いに放った一撃の衝撃で弾け、揃って後退る。

 

「へえ……」

「フ―――ッ!」

 

 その感触、その勢いに少女の表情が艶やかに蕩けた。

 剣撃を伴い愉し気に跳ねる鬼を追い、銀色の拳撃は間を置かず攻め立てる。

 闇夜に散る火花と共に、幾度となく交差する二つの影。

 

 それを見守りつつ、ツクヨミがソウゴを方を見た。

 

「何だか知らないけど、まだなの……!?」

「―――――」

 

 ウォッチを握りつつ目を閉じ、集中して何かを感じ取ろうとしているソウゴ。

 

 何がどうなっているのか、という少女たちの視線。

 それを受けつつ、彼は不動でそのまま数秒待機して―――

 

「―――ん……ほんま、いけずやわぁ」

 

 ゲイツを相手取りつつ、鬼の少女の声が軽く響く。声の軽さに反し、酷く不快そうな様子で。

 次の瞬間、更に威力を増した大剣が拳と強く打ち合わされる。つい一瞬前までやっていた、舞うような小競り合いとはまるで違う。単純明快に鬼の膂力を全開にした力押し。

 それを理解したライダーゲイツは即座に己も突き出した拳に全霊を込め、更には空いた手をドライバーへと伸ばしていた。

 

〈フィニッシュタイム! ファイズ!〉

〈エクシード! タイムバースト!〉

 

 ゲイツと鬼の少女。二人が必殺の意気で互いに一撃を放つ、その瞬間。

 

〈ジオウⅡ!!〉

 

 ―――ソウゴが目を開き、手にしたジオウⅡウォッチを両手で割った。

 ドライバーの両サイドに装填される金と銀のライドウォッチ。

 ソウゴは至極慣れた動作で変身シーケンスを進め、滞りなく完了する。

 

「変身!」

 

〈〈ライダータイム!!〉〉

〈仮面ライダー!〉〈ライダー!〉

 

 装着されていくスーツに、銀色の仮面。

 今の常磐ソウゴが発揮できる、仮面ライダージオウ最強の力。

 

〈ジオウ!〉〈ジオウ!〉

〈〈ジオウⅡ!!〉〉

 

 ジカンギレードを手にしたジオウⅡが、その場に降臨する。

 彼はそこで留まることなくホルダーからウォッチを外し、ジカンギレードへ装填。光を放ち出す剣を手に、鬱蒼とした森の一角にマゼンタに輝く眼光を向けた。

 

「小太郎はゲイツを引っ張って連れ戻して! クロは()()()()()!」

「……アサシン! どうにかあの敵に隙を作って明光院を引き戻しなさい!」

 

 ソウゴはクロエに撃ち返せ、と命じた。

 つまりは何か、狙撃のような攻撃を予知したということだろう。

 であるならばとりあえず固まって迎撃に入る、というならそれでいい。

 

「御意!」

 

 主であるオルガマリーに従い、忍が影に消える。

 

 続いてよく分かっていないがとにかく弓を投影し、準備に入るクロ。

 呆れるというほどではないにしろ、少女は肩を竦めてみせる。

 それに続けてイリヤの手の中で、ルビーも羽飾りをやれやれと動かした。

 

「自分だけが分かってることを使った指示が下手よね、ソウゴは!」

「立香さんがいたら翻訳が入るんですけどねー」

「そう? じゃあ立香にはこのまま俺の国の宰相にでもなってもらわないとね!」

 

 数度の軽口、それを挟んだ直後。

 森が一息に炎上し、瞬く間に灰になっていく。周囲を囲っていた木々が、一気に燃え尽きるほどの圧倒的な火力。それを成すのは鬼種の放つ炎。燃え盛る女の情念。

 誤解を恐れずに直接的に、一切を正しく表現するならば、“愛の炎”と称するべき怨恨の呪詛。いつかの戦いにおいて、その気配に覚えがある。事前情報でも推察できたことだ。

 

 ジオウⅡが僅かに剣を握った腕の肘を曲げ、ツクヨミが魔法少女たちに庇われつつ目を細める。オルガマリーが苦虫を噛み潰したような顔で、確定した敵の名前を呼ぶ。

 

「アーチャー……! 巴御前――――ッ!」

 

 直後に彼方で爆発が巻き起こる。

 発生するのは、矢が放たれた、という所作が起こしたとは思えぬ炎の渦。

 

 “滾る私の想いの一矢(ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン)”。

 紛れもなくアーチャー・巴御前の宝具。

 

 既にその炎の矢は放たれた。

 周囲を蒸発させながら迫りくる、狙ったモノを消滅まで導く一矢。

 鬼種としての力。その呪炎は明らかにかつてウルクで見たものより強い。

 あれがこちらに着弾すれば周辺諸共一瞬で灰になろう。

 カルデアチームどころか、こちらで斬り合っている鬼の少女諸共だ。

 

 放たれた後にそれの気配を察し、ゲイツが微かに動揺する。だが彼と競り合う鬼の少女は退屈そうで、自分も纏めて吹き飛ばす一撃に対してさえ、気に掛ける様子もない。

 

 動揺に重ね、その事実に対する困惑が混じる。

 そうしてやる気の薄くなった鬼と、当惑するゲイツ。

 二人が激突している最中に、無数の玉が放り込まれた。

 

 双方反応するより前に、玉は一斉に破裂する。

 そこから拡がっていくのは、両名を覆い隠すような濃密な白煙。

 

「なんやのこれ、もう……」

「ゲイツ殿、こちらへ」

 

 視界を覆い尽くすしたのは忍の扱う煙玉。

 状況は退屈極まるものだ、と鬼の口調は冷めきっていた。

 

 それを利用して小太郎はゲイツへ退避ルートを指示。

 二人は周囲を見回す鬼の少女から距離を離す。

 

 そうしている間にも、カルデアが集まっている位置に迫りくる呪怨の矢。

 その一撃の前に立ちはだかるのは仮面ライダージオウⅡ。彼は装填したウォッチの力を臨界にしたギレードを握り、迫る劫火に向け一歩を踏み出した。

 

〈フィニッシュタイム!〉

 

 カルデアが鬼の少女への対応している隙を突き、森ごと滅却するような狙撃にして砲撃。明らかにこちらが此処に来ることに備えた布陣。前もってこの世界を歪めているものが準備していなければ、こうはなるまい。

 

 だが、

 

「それは、俺が見た未来だ――――!」

 

〈フォーゼ! ギリギリスラッシュ!〉

 

 殺到するのは、まるで怨念を推進剤として飛翔するロケット弾。

 光と熱、そして呪いを周囲に振り撒きながら突き進む一撃だ。

 その矢に対して、完璧なタイミングでジオウⅡは手にした剣の刃を立てる。

 

 激突する矢と刃。赤黒く燃える炎と、蒼く煌めくコズミックエナジー。だがその衝突が威力勝負に縺れ込むようなことはない。

 接触した瞬間にフォーゼウォッチが赤く輝き、周囲で燃え盛る呪怨の炎を吸収し始めたのだ。炎を取り込み、己が力に変えるフォーゼの力。容量には限度がある。この一矢、全ての火力を取り込めるわけではない。だがどこまで吸収し切れるか、ジオウⅡは既に見極めている。

 

 光と熱がフォーゼウォッチの中に収まっていく。周辺一帯を根こそぎ消し飛ばす筈だった爆撃の威力が、ある程度の範囲を吹き飛ばすまでに下落する。

 

「―――――!」

 

 薄れた赤い光の先。木々が纏めて炭化した灼熱地獄の中心に、額から双角を生やした鎧武者。動揺を見せる白髪鬼、巴御前の姿が認められた。

 無論、その動揺はカルデアを認識したが故ではなく、渾身の一射を凌がれた事実に対してのもの。だが彼女はすぐさま再び矢筒に手をかけ、新たな矢を弓に番えて―――

 

「森をまるっと焼いてくれてどうもありがと―――おかげで、あなたの姿がよく視える」

 

 既に剣を矢と成し、番えている少女が弦をきしりと鳴らす。

 もはや相手を隠す自然のカーテンは存在しない。

 巴御前自身の一射によって、全てが炭化して崩れ落ちた。

 初撃を放ったスナイパーは直後に隠形が鉄則。

 しかし身を潜める場所全てを自分で焼き払った彼女にそれは叶わない。

 

 そしてそこに視える以上、彼女の矢は外れない。

 

 フォーゼウォッチの熱量吸収限界を察し、ジオウⅡが腕を傾けた。

 威力を大きく殺されたその一撃は、十分に弾ける状態。

 それに対し目的を果たすべく、ジオウⅡが空いた手でドライバーに手をかけた。

 

「“赤原猟犬(フルンディング)”――――!!」

「ハァアア――――!!」

 

 クロエの指が矢を放す。放たれるのは赤光と化した矢の一撃。

 相手の虚を突いた反撃の一射。しかし白髪鬼の反応はけして遅くない。彼女はすぐさま射の間に合わぬ弓を手放し、代わりに薙刀を手にしていた。彼女の呪炎は矢にだけ乗るものではない。薙刀の刀身もまた同じく怨念に燃え、矢と変わらぬ火力を発揮する。

 

「フ――――!」

 

 薙刀の一閃が赤光を捉える。炎上する刃と交錯し、いとも容易く弾かれる矢の一撃。耳を劈く擦過音を響かせ、赤光の矢は軌道を逸らされ彼方へ飛んだ。

 

 巴御前が先に放った一射とは比べ物にならないような軽い矢だ。そもそもクロエが如何に全力を振り絞ったとて、巴御前の一撃には遠く及ぶまい。彼女の有する最大最強である聖剣(エクスカリバー)を矢にしたところで、撃ち負けるとおおよそ分かり切っている。

 

 それでも彼女は、既に二射目の体勢に入っていた。

 此度、番える()は螺旋剣。

 弦に指を掛けたまま引けば、そこに投影され現れる螺旋を描く光の矢。

 

 彼女にとって。あるいは彼女の力の源泉たる英霊にとって。

 もっとも撃ち慣れた、射に入るまでの速度と威力に最も信がおけるもの。

 

 ―――だがそんな少女の最速程度、真実弓の英霊である巴御前は上回る。

 薙刀を地面に突き立て、弓を取り、矢を引き抜いて、番えて燃やす。

 

 少女は攻め手に回り、あらゆる工程を投影で省略して射の体勢。

 白髪鬼は守勢に余儀なくされた挙句、あらゆる工程を確かにこなして射の体勢。

 

 その差があって、なお放つ直前に工程が並んだ。

 後は互いに放つのみ。同時に放てば、粉砕されるのはクロエの矢だ。

 1秒後に訪れる分かり切った結末。

 そうであろうとも、もはや止まりようがない。

 

 そんな状況で少女は、狙い通りとばかりにニヤリと笑う。

 

 先の一撃、赤光の矢。“赤原猟犬(フルンディング)”は必中の矢、たとえ弾かれようと己で軌道を変え、狙った相手を追い立てる猟犬そのものである。

 この状況。互いに弓を向け合った姿勢で、白髪鬼の頭上より降り注ぐ猟犬の追撃。相手はどうあってもこれを回避、迎撃せざるを得ない。この状況をもって体勢を崩させ、少女の方が先に射抜く。

 

 空から地に向け、天を割るように墜ちる赤い流星。

 それは巴御前の脳天を目掛け、ひたすらに加速しながら墜ちてきて。

 

「―――――」

 

 中る直前、白髪鬼が射の体勢を崩さぬままに後ろに跳んだ。目前を過ぎ去る赤光の矢。

 回避は見事、だがそれだけで猟犬は止まらない。その矢は地を抉りながら切り返し、再び彼女に向かって殺到する―――

 

 前に、白髪鬼が地に足を着くと同時に跳んだ。

 爆発的な加速をしながら、むしろ自分から目の前の矢に向かう鎧武者。

 直滑降してきた赤い矢は今、巴御前に鏃ではなく腹を見せている。

 その状況を正しく認識している彼女は、そこで思い切り膝を突き出した。

 

 ―――激突。結果として、“赤原猟犬(フルンディング)”は真横から膝蹴りを喰らったことで叩き折られた。残骸も残さず砂のように崩れ、消えていく投影宝具。

 互いに弓を向け合ったままの攻防の中、クロエが唖然とした顔を見せる。少女の認識が甘かった。それが英雄であれ人ならいざ知らず、女は紛れもなく鬼。鬼種の四肢、膂力はそれこそ宝具と変わらない。クロエが張った仕込みは、超常の生物によってあっけなく踏み潰された。

 

 両者共に弓に番えた矢以外、手を残っていない。

 では残した撃ち合いを清算しよう。

 互いに一射放ち、どちらかが打ち砕かれるという結果を見よう。

 

 無論、その結末がどうなるか。

 分かり切ってはいるところだが―――

 

〈〈ライダーフィニッシュタイム!!〉〉

〈〈トゥワイスタイムブレーク!!〉〉

 

 故に、ジオウⅡが剣を振り切る。ジオウⅡ自身のパワーも乗せた剣閃。

 それは威力の減じた巴御前の最初の矢を弾き、あらぬ方向へと吹き飛ばした。

 粉砕するでもなく、撃ち落とすでもなく、弾き飛ばす。

 その選択肢を選んだのはこの瞬間のためだ。

 

 弾かれた矢が白煙の中に飛び込んでいく。

 超速で狙い澄ました位置へと正確に撃ち込まれる逆撃。

 

 それが、煙幕に取り残された少女の脚に直撃した。

 

「ああ、こら……えげつないこと考えはるわぁ」

 

 煙幕を吹き散らしながら飛来した炎の矢。

 鬼にも通じる特性の煙幕だったのだろう、ギリギリまで勘が利かなかった。

 そして、ギリギリの察知では間に合わなかった。

 

 膝下から弾け飛ぶ鬼の右足。

 鬼の少女は大剣の重量も含め片足で器用にバランスを保つ。

 が、矢はそこで止まらず地面にまで到達し、突き立った。

 

 ―――瞬間、溢れ出す爆発的な熱量。

 ジオウⅡが吸収しきれなかった炎が全て、そこを爆心地として解放される。周辺を更地に変えるほどの火力はないが、戦場を爆発で混沌させる程度の威力はそこにある。

 至近にいた鬼の少女は当然中心で巻き込まれ、それに留まらず吹き荒れる爆風が戦場を乱した。

 

 無論。多少離れていれば踏み止まれる程度の衝撃に収まるだろう。

 マスターたちはイリヤと美遊の物理障壁で何ともないはずだ。

 クロエとて地に足を置いているのだ。踏ん張れば、何とか射の体勢を崩さずにいられる。

 

 しかし、果たして。猟犬を蹴り殺すために宙に舞っていた白髪鬼はどうか。

 元は己の一撃だったものが起こした爆風に体が持っていかれる。

 地に片足で着いていればどうとでもなっただろう。

 だが完全に空中にいては、どう足掻いても己が思い描いた通りには動けない。

 

「な、く―――っ!?」

 

 弓の英霊、いや白髪鬼は弓を向ける先を決める自由さえ奪われた。であれば、先んじてその弦にかけた指を放す権利は、地に足を置いた少女にこそ譲られる。

 しかと大地を踏み締めて、空中でもんどり打つ標的を見据え、少女は螺旋の矢を解き放った。

 

「“偽・偽・螺旋剣(カラドボルグⅢ)”―――――ッ!!」

 

 もはや抵抗の余地はない。白髪鬼が姿勢を直す前に、その一矢は届く。

 空間ごと削り取る螺旋の矢が、女の胴体を撃ち抜きながら天へと昇って行った。

 

 

 

 




 
あっさり二人倒したことだしきっとすぐ終わるんやろなぁ
 


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呪縛・不死身のマーチ1604

 

 

 

 弾かれた矢は剣で逸らしたとは思えぬほど、正確無比に彼女の片足を持って行った。片足を抉り飛ばされたことでバランスを崩す鬼。彼女はそれでも倒れずふらりと揺れるに留める。

 そうしつつもどうにも気が乗らぬとゆらゆら揺れている内に、少女の目前には赤い光が疾走してきていた。殺到するゲイツに対し、鬼の少女は目を細める。

 

 パンチングユニット、ショット555を強く握り込んだ拳。

 銀色の必殺機構が纏う赤光には、まだ強い力がある。

 

 それを受ければ一体どうなるだろうか、と。

 少女は考え―――途中で止めて、軽く肩を竦めてみせた。

 

「ハァアアアア―――ッ!」

 

 疾走は止まることなく、その勢いのまま胴体に叩き込まれる拳の一撃。

 溢れ出す赤い閃光、虚空に刻まれるΦの紋章。

 炸裂する威力が少女の体の内側から蹂躙し、青い炎を迸らせた。

 体内に蔓延る熱量、それにより全身が端から灰になっていく感覚。

 破壊は止まらない。この期に及んでは防ぎようもない。

 

「こらまたけったいな術やねえ」

 

 まさか全身を灰にされるとは、と。

 ボロボロに崩れていく四肢を見て、彼女は今更目をぱちくりさせた。

 

 崩れた手から剣が落ち、地面をからから滑っていく。

 続けて彼女が腰に提げていた青い瓢箪も地に落ちた。ころころと転がっていくそれが石ころひとつに躓いて、その衝撃によって中で酒の一滴がぽちゃりと跳ねる。勢い、瓢箪の口から飛び出した一滴がぽたりと零れて、じわりと地面を僅かに濡らした。

 

「―――ああ、もったいな」

 

 地面を濡らした酒一滴。

 それを見てくすりと微笑み、そんな言葉を最期に吐く。

 そうしている内に、鬼の全身は灰になっていた。

 

 カタチを失い崩れて、地面に散った灰の山。

 その有様を見届けてから、ひとつ深く息を吐くゲイツ。

 彼はそのままもうひとつの局面である巴御前の方へ視線を向けた。

 

「―――こふっ」

 

 どこからどう見ても、一見しただけで確信できる致命傷。

 胴体を螺旋の矢に撃ち抜かれた彼女は、矢の仕業と思えぬ大穴を胴に空けていた。上半身と下半身が繋がりを保っているのが奇跡のような状態。風が吹いただけでぶつりと千切れて二つに分かれそうな惨状こそが、今の彼女の状況であった。

 

 腹から、口から、溢れ出す血が池となって広がっていく。

 そしてそれは彼女が全身に燻ぶらせる熱に焦がされ黒煙となり昇っていく。

 人間一人で描くには十分すぎる地獄絵図。

 

 撃ち抜いたクロエ自身もその惨状には顔を顰めるほど。

 そんな中、ぐしゃりと倒れ伏した白髪鬼がぼそりと呟く。

 

「…………此処は、まるで―――地獄、のよう」

 

 恨み言か、と弓を下ろしつつ神妙な表情で聞くクロエ。

 

 血の池は広がっていく。それを熱が焦がして黒煙と変えていく。

 ぶすぶすと音を立て、己の体で焦熱地獄の様相を描き出す白髪鬼。

 今わの際、末後の言葉。

 彼女が怨念と共に回す舌の根は、地獄の中でもなお渇かない。

 

「なぜ、続いているのです。なぜ、滅びていないのです。世を乱すモノを殺し、世を正した者を殺し、殺して、殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して、そうして殺し続けるモノたちが、なぜ、まだ続いているのです―――?」

「巴御前……?」

 

 熱が増す。それが既に終わった生命が持つものだと思えぬほどに。

 冷ややかな口調とは裏腹に、熱量は天井知らずに上がっていく。

 あれはもはや骸と言って差し支えない女の体だ。

 

 しかし、だというのに未だ大熱量は留まることなく迸る。

 血を燃やし、肉を燃やし、骨を燃やし、髪を燃やし。

 女の体を薪として、地獄の劫火が噴き上がる。

 

 それは己を焼くための自決の炎―――などであるはずがない。

 

 燃え盛る炎の中で骸が、骸であったはずのものが動き出す。

 灰になるどころか炎より出ずる、再びの白髪鬼。

 腹に空いた大穴など、痕跡すら残さず消えていた。

 

 血よりなお紅い真紅に染まった眼で鬼が笑う。

 

「あの方を討ち滅ぼした源氏が築きし世、あろうことか今なお続く地獄変。治める者が代わろうと、他の何が変わろうと、許せぬ、許せぬ、けして許せぬ。あの裏切りの先にこの世が継続していることが私は許せぬ。

 そう、我こそはこの時代に生きとし生ける者その尽くを焼却せねば消えぬ怨霊―――我が忌名(いみな)、アーチャー・インフェルノ。“一切焼却(いっさいしょうきゃく)”の宿業を以て我が身を薪とし、この地獄全てを灰に帰すまで消えぬ呪いの鬼火」

 

 巴御前が腕を伸ばし、地面に突き立っていた薙刀を抜く。

 その構えに一切の乱れはない。ダメージと思しきものなど皆無。

 数秒前の攻防など何もなかったかのように、彼女はそこに立っていた。

 

「―――ッ! ゲイツ殿、下がって!」

 

 小太郎が叫ぶ。理屈も道理も分からない。

 ただ致命傷だった巴御前が復活した、という結果が確かにそこにある。

 風魔小太郎の知る巴御前にそんな能力ありはしない。

 まして彼女が己が鬼火なのだと嬉々として語るような真似もありえない。

 

 であるならば。今の彼女は単純に戦力として人格を無視し操られている、などという簡単な話ではないだろう。そしてそれが確かであるならば、先程の少女の方もまた同じはず。

 

「そんなん名乗りがええの? ほなうちも合わせんとなあ」

「なに……ッ!?」

 

 小太郎の叫びは遅い。

 

 とうに少女だったものの灰に落ちた酒の一滴は染み渡っていた。

 直後、ただの一滴だったはずの酒が爆発的に水量を増大した。

 突然に発生し、地上にて渦巻く大瀑布。

 

 竜巻のような勢力を有するそれに、ゲイツは瞬く間に取り込まれた。

 

「うちはその子とちごて、わざわざそうしたい理由もあらへんのやけど……せっかくのお祭り気分、ぜぇんぶ蕩けて、溶かして、呑み干すんも悪ないわぁ」

 

 装甲の上で弾ける酒精。それが徐々にゲイツの装甲を蝕んでいく。

 溶ける、というより腐食していく。

 それを認識してゲイツが大きく舌打ちし、ドライバーに手をかけた。

 装甲が保つ間に強引に突き破るしかない。

 

 ―――と、彼がそう判断した直後。

 

「こちら側を吹き散らす! この声が聞こえているならこちらへ駆け込め!」

「ゲイツ! 言う通りにして!」

「―――――!」

 

 聞いたことのない声。それに続いてツクヨミの声。

 であるならば信用してよいのだろうか。

 ドライバーに手をかけながらも、ゲイツはその声の方向へ顔のみを向け。

 

 パァン、と。酒の竜巻がまるで風船のように弾ける様を目撃した。

 咄嗟に疾走を開始してそちらへと飛び込む。

 酒の流壁が戻る直前ギリギリに飛び込み、脱出を成功させるゲイツ。

 

 僅かに掠めた酒精の飛沫だけでも装甲が白煙を上げ続けている。

 強引な突破では成功しても、戦闘不能になっていたやもしれない。

 その事実に深く息を吐きつつ、救い主に視線を向けた。

 

 見れば、それは十字の槍を手にした男。丸めた頭に僧衣という格好からして坊主、僧兵の類なのか。

 だがしかしライダーゲイツの装甲さえ腐食させる酒。彼が手にした槍は特別なものとは思えない。ただの槍で一時とはいえ毒の滝が如き酒を吹き散らすとは一体どういうことか。

 

 ゲイツの無事を横目で確認すると満足そうに笑い、男は酒の竜巻に視線を戻した。

 

 ちらりと後ろのツクヨミに確認を意図した視線を送る。そうして見てみた彼女の表情は曖昧だ、突然の乱入者が完全に味方か否か。多分大丈夫だと思う、くらいの感触であるように見える。

 周囲を警戒していた風魔小太郎も止めはしないということは大丈夫なのか。あるいは警戒態勢を一段深くしたが故にマスターたちから離れられないのか。

 

(―――敵であったとして、ツクヨミたちの近くにいるよりは俺かジオウの側にいた方が対処できる分まだマシか)

 

 男と隣り合うことに一応の納得をして、ショット555を放り拳を握り直す。

 

 やがて竜巻が勢いを失い、地面へと雪崩落ちていく。

 酒の匂いが充満するその場から顔を出すのは、灰となった筈の少女。

 

 彼女は手にした盃に口をつけ唇を濡らすと、口が三日月に裂けたかのように口端を歪めた。

 そこからクスクスと零れ落ちる邪悪な笑み。

 

「んー……うちは人の世に言いたいこと、なぁんもあらへんなあ。

 仕方あらへんから名乗りだけ。我が忌名(いみな)、バーサーカー・衆合地獄(しゅごうじごく)。“一切熔融(いっさいようゆう)”の宿業通りぜぇんぶ溶かして、蕩かして、うちの腹の中でひとつにしたるさかい、あんじょうよろしゅう」

 

 鬼―――衆合地獄が剣を拾い上げる。そうしておきながら盃は手にしたまま。

 だが酒がああも溶解液染みているなら、あれも武器と見るべきか。

 構え直すゲイツと十文字槍の僧兵。

 

 その僧兵の方を見ると、衆合地獄はインフェルノへと声を向けた。

 

「なあなあインフェルノ。わざわざプルガトリオが顔出してくれはったけど、これどうするん? リンボに確認取らんで殺してええの? うちは望むとこやけど」

「――――それは、いえ」

「せやねぇ……うちもあんたはんもいくら考えたって分かるわけないわあ、なら殺してええってことでよろしおすなぁ。“一切鏖殺(いっさいおうさつ)”の宿業埋め込んどいて、状況次第で殺すか殺さないか臨機応変に対応しろー、なんて筋が通らへんもんなぁ? 見かけたからには殺してええに決まっとるわ、ほな殺そか?」

 

 インフェルノの微かな逡巡、それも衆合地獄の理屈でもって焼け落ちる。

 殺し尽くすのが彼女たち目的だ。それ以外の余分など一切合切必要ない。

 殺して殺して殺して殺して殺して、自分が死ぬまでそれだけだ。

 

 今この世に、あの裏切りから先の時代に生きているというだけで罪深い。

 全てを燃やし、灰にするのがインフェルノの使命だ。

 

「ええ、そうですね。殺しましょう」

 

 手にした薙刀を強く握ればそこに呪力が滾り、それを燃料に炎が燃え上がった。

 

「クロは下がって皆の前にいて」

「……りょーかい」

 

 すぐさまそちらにジオウⅡが回る。

 矢の撃ち合いならまだしも、あれとクロエが打ち合うのは不可能に近い。

 鬼種の膂力、現世への怨恨を糧に燃える呪力。

 クロエどころか真っ当なサーヴァントではまともな打ち合いは叶うまい。

 

「……おい、お前も敵の一人なのか」

「うむ、いや、ううむ……拙僧にもよく分からん!」

「おい……!」

 

 本気でさっぱりなにも分からん、と言い切る男。なんかいつの間にか召喚されていて、夜ごとに悪鬼蔓延る地獄の様相。これも縁、悪鬼の類が相手であれば遠慮も要らぬと、手当たり次第に妖魔を斬り捨てることを目的としていただけ。

 物の怪どもは夜ごと各所に溢れ出す。どこを狙い、どこに向かうかなど把握しきれぬ。彼がこの場に居合わせたのは紛う事なき偶然である。

 

 その態度に対し、衆合地獄へ備えつつゲイツが声を荒げた。

 と、そこで僧兵は静かながら確固たる事実を言葉にする。

 

「だが少なくとも今の俺に言えることがある。我が名はぷるがとりおなどという胡乱なものではなく、宝蔵院胤舜である、ということだ」

 

 振るわれる槍の穂先は十文字、その刃に迷いが如き曇りはない。

 ただ敢然と目前の怪物を討ち果たすことのみに集中している。

 ゲイツとて、彼の抱くその確かな感情は感じ取れる。

 

 ただしそれには問題がひとつ。自分が『この相手は信用できる』、と感じた事。それを抱くに至った己の人を見る目。その点において、ゲイツは正直自分自身でも何とも自分の認識に懐疑的だ。

 少なくともこの相手がウォズやコロンブスよりは真っ当な人種であって欲しいのだが。そうでもなければいい加減人間不信だろう。いや、そんなことにはならないが自分の見る目がなさ過ぎて情けなくなる。

 

 ―――とにかくこの状況、疑念は残るが致し方ない。

 

「ちっ……!」

 

 相手は不死身と思われる二騎。

 しかも呪炎と魔酒、共に広範囲を一気に滅ぼせる手段を持った相手。

 あの酒の攻撃を迎撃できるらしい男の協力は有難い。

 

(相手は不死身、理屈は不明。けど恐らくは呪術師が原因というのは想像に難くない。それがさっき衆合地獄が口にしたリンボ……?)

 

 守りのため、魔法少女組はマスターたちから離さない方がいいだろう。

 ソウゴの指示を受けたクロが下がり、彼女たちの前に着地した。

 手には弓を握ったまま、どちらにも援護射撃を飛ばせる姿勢。

 もしもの時は彼女が盾の宝具を投影する、という防衛を強化する手段もある。

 相手の全容が見えないとはいえ、堅固な布陣であると言っていいはずだ。

 

 少し口惜しげにツクヨミが唇を噛む。ファイズフォンⅩを手放した以上、ツクヨミも前には出れない。もっとも今敵対しているあの二騎は範囲攻撃も凶悪な威力だ。武器があったとしても前に出るべきではない相手だろうが。

 

「アサシン、警戒を!」

「―――御意」

 

 この二騎以外の乱入による戦場の更なる混沌化を小太郎に警戒させる。胤舜のような突然の増援なら望むところだが、敵に増えられては堪らない。

 彼の宝具は風魔忍軍という集団の疑似召喚。時間稼ぎ、分断にはもってこいのものだ。突然の増援があっても小太郎ならば間違いなく、状況を整えるための時間を稼げるだろう。

 

 現状では鬼の少女相手の盤面はどうなるか分からないが、巴御前側の戦況は心配していない。相手が不死であろうとも、ジオウⅡならばまず通すことはないだろう。

 

 鬼火を纏い炎上する薙刀を大上段に構える巴御前。そうして放つ一撃の火力はもはや爆撃同然。それに対しジオウⅡはジカンギレードを両手で握り、微かに腰を落として迎撃の構えを取る。異常な破壊力、再生力に対してごく当たり前のような姿勢のみで対峙する。

 しかし殺意に塗り潰された本能で動く白髪鬼が、その蒸発した理性でなお手をこまねく。全身全霊で覚える感覚は、どう攻めても先回りされ斬り捨てられるような悪寒。

 

「―――――」

「―――――」

 

 ―――膠着する。

 攻められない巴御前。下手に仕掛け爆撃の余波を背後に通したくないジオウⅡ。

 揃って無言のままに制止する両者が対峙する空間。

 

巴御前(インフェルノ)は言うまでもなく、あの衆合地獄もこの国の鬼種。プルガトリオと呼ばれたあの男、武装からしてランサーの宝蔵院胤舜もこの国の英霊。槍の技量が神域にある、とその名を轟かせた仏僧だったかしら)

 

 あの男が英霊だというのは分かるが、認識は曖昧だ。一応名前だけは把握していたが、それは槍術家としての技量のみが語られていたというもの。英霊としての格がどれほどかというと悩ましい。

 

 ―――と思っていれば。彼は槍の技量ひとつで鬼が放った圧倒的な妖気を伴う酒気を引き裂いてみせた。技量のみであれほどの事ができる存在がどれほどいるかと考えれば、宝蔵院胤舜が語られる通りに槍の技量そのものが宝具級の一流サーヴァントであることは疑いない。

 

 ゲイツがジカンザックスを手の中に呼び出す。手品の如き武装召喚に胤舜がおお! と声を上げた。が、サーヴァントなんだからお前も似たようなことできるだろ、と思っていれば、自分でそれに改めて気づいた様子で胤舜はからからと笑う。この状況で何が楽しいというのか。

 

 衆合地獄が笑みを浮かべたまま剣を傾け制止する。どれほど気を抜いた様子を見せても、胤舜に隙は生まれない。その状況こそを確固たる情報として、オルガマリーは改めて宝蔵院胤舜というサーヴァントの性能が相当なものであると理解した。

 

 ―――膠着する。

 

 じりじりとひりつく空気。比喩ならず、熱気と酒気で空気が確かに焼け付いていく。

 戦闘態勢にあるもの全員が、どんな手を打ってもこの戦場には進展がないと理解する。不死身の悪鬼。不死身であっても圧倒できぬ無双。両軍が共に攻めあぐねる形の静止。

 

 そしてそんな状況こそ彼女たちが力を尽くせる時間に他ならない。

 思考を続けるオルガマリー。

 

地獄(インフェルノ)、衆合地獄、煉獄(プルガトリオ)に……辺獄(リンボ)。方向性は何となく―――)

 

 宗教的である、と考えたところでオルガマリーの眉が酷く歪んだ。

 

(呼ばれたサーヴァントは日本の英霊に固まってる。宗教に関する名を与えるにしても、衆合地獄のように仏教から取ればいいものを、何でわざわざインフェルノ……はまだしも、プルガトリオやリンボなんて、カトリックの言葉を……)

 

 出立直前の冗談混じりの会話。この平行以下略世界は、復讐者となった天草四郎による犯行。あれがここにきて冗談ではなくなってきたことを感じる。

 こうもぽんぽんとキリスト教を思わせるフレーズが出てくればそうもなろう。

 

(―――島原の乱で何かがあった平行世界? 下手をすれば、それをもって剪定事象に至るほどの何かが)

 

 日本の一揆ひとつで剪定事象に、とは考えにくい話である。だが天草四郎という男もまた、奇跡を齎すものとして稀有な魔術回路を持ち合わせた男。何か噛み合ってはいけない歯車同士が噛み合い、ろくでもない事になったという可能性は考えられないわけではない。

 

「なんやこうして見つめ合うだけいうんは退屈で、醒めてきてもうたなぁ?」

 

 膠着の末、動きだす。真っ先に動こうとしたのは衆合地獄であった。

 彼女には何か考えがあったわけでもない。

 ただ膠着に飽きたから、という理由で状況を気に懸けずに動き出す。

 

(不死身の絡繰が分からない以上、最終的には撤退するしかない。ただ巴御前―――アーチャー・インフェルノはともかく、衆合地獄は口が軽い。戦いを引き延ばせばまだ情報が入るかも……!)

 

『――――そこまでです。アーチャー・インフェルノ、バーサーカー・衆合地獄』

 

 声と同時、突然に空中に黒い人型が浮かび上がった。

 影に見えているだけではない。実際何やらと()()人型なのだ。

 ただのこちらに声を届けるための術か何かか。

 

 彼の指示を聞き、衆合地獄の動きがぴたりと止まった。

 不服そうに目を細めつつ、しかし逆らう様子はない。

 

「ほんまいけずやわぁ。獲物を前にわざわざ殺すななんて釘刺しにくるやなんて、“一切鏖殺”はどこへ行きはったんいう話にならへん? リンボ」

『ですがせっかくの賓客、異界より来たれり怨敵。殺すより先に持て成さねば我らが主、妖術師殿の沽券に関わるというもの。故に我が主の右腕としてこの私がこうして皆様方にまずはご挨拶をと思った次第でありますれば―――』

「式神で声だけ届ける腑抜けがよう言いはるわ」

 

 リンボの影が腕らしき部分を動かした。描かれるのは五芒星。

 虚空に引かれた線が繋がり、術式が結実し、血色の光が眩く灯る。

 舌打ちを堪えつつ、オルガマリーがクロエに声を飛ばした。

 

「防御を―――!」

『ンフフ―――ご安心召されるが宜しい、異界からお越し下さった皆様方。これは此処で貴方たちと戦うつもりはない、と行動で示しているだけのこと。そら、我らが同胞を見れば一目瞭然でしょう』

 

 リンボが示したインフェルノ、衆合地獄。

 両名が先の五芒星と同じ色の光に包まれ、その姿を消していく。

 転移魔術だった、ということだろう。

 その光により数秒後、二人はそのままあっさりとこの場から消え去った。

 

 警戒は解かぬまでも構えは解き、それぞれがリンボを見上げる。

 対して彼が真っ先に注目したのは胤舜であった。

 

『ランサー・プルガトリオ……いえ、宝蔵院胤舜殿。まずは妖術師殿に召喚された七騎の英霊剣豪の一人として敢えて告げましょう。こちらに帰還なさい、貴方も私や彼女たちのように“一切鏖殺”の業を宿し、この世界に生きとし生ける者を殺戮するという使命があるのですから』

「―――ほう、拙僧が現世に召喚されたのはそんな理由からだったか。それは正しく初耳で、頭の痛くなるような話だが……いや、そうして勿体付けるような話でもないな」

 

 胤舜が厭わしげに槍を払い、石突きを地に立てる。

 

「リンボとか言ったな」

『如何にも我が忌名(いみな)、キャスター・リンボ。現世に蘇りし七騎の英霊剣豪のひとりにございますれば……我らを召喚せしは、この地に阿鼻叫喚を望む地獄の淵より復活せり妖術師殿。その御力にて召喚されし我らの使命はひとつ。この下総国を滅ぼす“一切鏖殺”。

 ……貴方も、私も、やるべきことはひとつと心得なさいませ』

 

(下総……?)

 

 レイシフト先は上総国、という話だったはずだ。

 近隣ではあるはずだが何故そんなズレが起きているのか。

 その考えが纏まる前に、胤舜がリンボへと吐き捨てた。

 

「経緯は知らぬ。目的もとんと分からぬ。拙僧が貴様たちに呼ばれた、という話も嘘ではないのだろう。そして貴様たちがそうした理由は、()に無辜の民を突き殺して回らせるため、と理解したが」

『ええ、ええ。それはもう間違いなく。一切誤解なく伝わったようで何より。では―――』

「うむ。では―――」

 

 胤舜は一切迷わずに突っ込んだ。

 大地を蹴り飛ばし、空に浮く影を切り裂かんとする跳躍。

 

 インフェルノ、衆合地獄。

 共に一癖も二癖もある者であったのだろうが、それとは別格。

 

 悪鬼の如き、という形容では足りぬ悪辣さ。

 ()()は野放しにしておいてはならぬ。

 その認識を確信するまで、ほんの僅かに交わした言葉で十分だった

 

「事情も知らぬまま槍を振るうのはここまでだ! これでも仏道に生きた身、ただ人を守るための槍ならばまだしも、対峙した敵を怒りのまま討ち滅ぼすために振るう槍など持ち合わせていなかったが……しかし貴様ら外道を斬り捨てるために必要とあらば迷いは無い!」

 

 輪郭さえもはっきりしない人型の影。

 表情など見て取れるはずもないそれが、ニヤリと嗤うように歪んだ気がした。

 

 跳躍した胤舜に向け、リンボの手元で光が爆ぜる。並々ならぬ速度の呪術行使。下で見上げていた魔術師が息を呑む。魔力が術式として結実するに至るまでが速過ぎる。もはやその速度は神代の魔術師のそれと変わらぬ、というほどに。

 

 術師ならば、そして所詮は術師の式なれば。己の槍をもってすれば、対応されるより先に斬り捨てられると踏んだのだろう。だがしかし、キャスター・リンボはそれほど甘くはない。

 

「覚悟の程、確かに。その意志の通り、存分に仏門に背を向けて頂きましょう。しかし貴方の槍が穿つは我ら悪鬼外道の徒に非ず―――! 貴方がその十文字の槍にしかと浴びせるものは、無辜の民とやらにぶち撒けさせた臓物(はらわた)と返り血となりましょうがねェ―――ッ!!」

 

 リンボが術を行使する速度に緩みはない。

 そして繰り返し使われた言葉、“一切鏖殺”の宿業。

 それなる術だと思われる五芒星は、いとも容易く完成した。

 

 空中では回避も儘なるまい。

 故にリンボは最速でそれを胤舜へと撃ち放とうとし―――

 

〈フィニッシュタイム! キワキワシュート!〉

 

 その前に、地上から黄金の一矢がリンボの影に迫っていた。だが問題ない。この式が打ち砕かれたところで大した事にはならないのだ。呪力の逆流によるバックファイアも対策済みであるし、式神が砕かれたところでもはや“一切鏖殺”の呪は止まらない。

 リンボが砕かれた衝撃で弾き出される呪力が、空中で躍り出ている胤舜に宿業として刻み込まれ、ランサー・プルガトリオへと変転させる。

 

 プルガトリオもまた不死の存在。カルデアを襲い、何度返り討ちにあっても無尽に復活し戦い続けるだろう。後は適当なところで再びリンボが回収しにくればいいだけであり―――

 

 そこで破裂音、直後にリンボが操る式の全身が硬直した。

 砕かれていない、無事だ。だが呪も放てない。

 胤舜に撃ち込むはずだった呪いも、式神と共に空中で静止してしまった。

 

『なんと……ッ!』

 

 影が己の身を検め、その影の向こうで術者こそが驚きを声にした。

 

 黒い影を覆うのは黄金の拘束。

 それを成したのはライダーゲイツ、彼が放った矢に他ならない。

 仮面ライダーカイザのウォッチを装填したジカンザックスによる一撃だ。

 

 それを振り解けるほど強度のある式神ではない。

 こうなった以上、リンボにできることは何もない。

 槍を振り上げながら迫る胤舜に干渉などできるはずもない。

 

 完全に動かなくなった影に果たせる役割は、もはやスピーカーくらいなもの。

 リンボが影越しにこちらへただ吐き出すしかない言葉。声を荒げた負け惜しみ。

 

『おのれカルデア、儂の術を阻むか! だが何をどう足掻こうと妖術師殿の計画は止められぬ! 無論、儂の与える宿業からもだ、宝蔵院胤舜よ! 恐れ戦くがよい、この世はあの方が味わった地獄以上の地獄と変わるのだからな―――ッ!!』

「―――――」

 

 完成すれども標的である胤舜に定着させられなかった呪術。

 それ諸共に、宙に浮く影を無言で十文字槍が両断する。

 流麗なる一閃にて黒いものは五芒星と共に真っ二つになり、完全に四散した。

 宙に残されたのは、術の基点となっていたのだろう裂かれた呪符のみ。

 

 胤舜がひらりと危うげ無く着陸するとほぼ同時。

 空から闇と月が取り除かれ、暁の空が浮かび上がってきた。

 

「なんか夜から夕方になったんだけど」

「うむ、そういう日もあろうさ」

 

 ジオウⅡが周囲をきょろきょろ見回し、空を指差し異常を示す。

 それに対し胤舜は地に落ちた紙をじいと見つつ、適当な返し。

 どうしますか、というツクヨミからの視線を背に受けて、オルガマリーは軽く息を吐きつつ前に出た。

 

「ランサーのサーヴァント、宝蔵院胤舜……でよかったかしら。あなたさえよければ、わたしたちの素性と、この異常な世界の現状についての話をしたいのだけれど?」

 

 彼女の言葉を聞いて、胤舜は片目を瞑りふむと唸る。

 

「如何にも拙僧は宝蔵院胤舜。こちらの素性は先ほど聞いた通り、何やら大規模な破壊を目論む妖術師とやらに、ランサー・プルガトリオなるものとするため呼ばれたそうだ」

「……つまりあなたから目を離せばいつ敵の手に落ちるか分からないということ」

 

 胤舜が言外に語った事実を美遊が改めて言葉にする。

 リンボが最後に放ったあの唐突な負け惜しみ。

 別に悪党が幾ら悔しがってくれても問題ないが、あの反応は微妙だ。

 

 そもただ式神を斬り捨てただけ。

 わざわざ情報を乗せて断末魔など放つ意味もない。

 術者はあれをさぞ嬉々として放ったのだろう。

 

 あの言葉を聞いたからには、胤舜は一人で動きづらくなった。

 そしてもうひとつ。

 

「易々と負けるつもりはないが、さて……あの不死の鬼に囲まれ追い詰められ、そこにリンボが居合わせればどうなるかというと、という話になるなぁ」

「胤舜はいつからここにいるの? 今までは何もなかったの?」

 

 追加で問いかけてくるジオウⅡ。

 彼の質問に答えようとして、しかし胤舜は太陽の傾き具合を見て首を横に振った。

 

「そろそろ本物の夜だ、先に拠点に帰っておきたい。事情の把握具合は拙僧と大差ないが、同じくこの問題に対処している異邦人(なかま)もそこにいる。

 長い話になるだろう? 話はそちらで聞くということでどうか」

 

 数秒言葉を詰まらせて、結局何も口にすることはせずジオウⅡがオルガマリーにその顔を向けた。小さく溜め息を吐きつつ、オルガマリーがイリヤに視線を寄せる。正確には、彼女の頭上で回っているステッキに。みょんみょんと怪電波を出しているようにしか見えないが、イリヤスフィールとのレイラインを通じて立香の捜索中だ。

 

 一分と待たずに出てきた結論は、一応安心できそうな内容だった。

 

「あ、いましたね。私たちの現在地と合わせてこの距離だと……土気城跡近く、でしょうか?」

「うん? 他にはぐれた連れがいたのか。だがまあ土気の城下にいるなら心配いらんだろう。あそこはシノビ様、とやらが走り回っているからな。

 それにこの状況、化生の夜が明けた直後の夜に城下に入ろうとすれば、気を張り詰めた警備に止められるだろう。素直に夜が明けてから迎えにいってやるといい」

「忍……忍の手のものがいるのですか? いえ、それ以前に土気城に城下……?」

 

 地方、時代から言ってここに忍がいるのなら、それこそ風魔と関わりのある者だろう。それに反応して、この時代には既に命がない風魔の頭領が声をあげる。

 

 が、それ以上に気になるのは胤舜の土気城に対する物言いだ。あそこが城下を抱えるほどの城だった覚えもなければ、そもそもこの時代には既に廃城となっている筈。あるいはレイシフトする筈だった時代がズレているのか。

 先程はリンボからおかしな言葉も出た。下総国を滅ぼす、と。土気城は上総の城であり、つまりこの一帯は上総の筈である。近隣とはいえ下総の名が出ること自体どういうことか、という話である。

 

(……剪定事象に至る歴史。こちらの常識で考えるのはほどほどにしておくべき、か)

 

 だったらなおさらに情報の共有はしたい。

 この坊主が安全だというのなら、立香のいる場所は間違いなく安全なのだろう。

 

 であるならば、この時代の歴史を知る者から真っ先に聞き取るべき情報はひとつ。

 

 島原の乱のことである。

 リンボが妖術師を語る際の言葉の端々や、最後に言い残していったこと。

 やはりどうにも天草四郎の存在が垣間見える。

 

「所長さん」

 

 同行するべきだ、というツクヨミの声かけ。

 それに小さく頷いて、オルガマリーは今後の方針を決定した。

 

 

 

 

 

 パチパチパチ、手を打ち合わせる渇いた音。

 それを聞きながら、呪詛返しの身代わりとなり手元で燃え上がる呪符を握り潰す男。彼は泰然とした様子のまま振り向いて、余裕を保った笑顔を手を打つ相手に向けてみせた。

 

 そうして視線を向けられた赤いコブラは拍手を止めて、称賛を改めて言葉にして送る。

 

「名演だったよ、見物だった」

「それはそれは。満足して頂けたなら拙僧も喜ばしい」

 

 ―――キャスター・リンボ。

 彼こそが式を通して戦場に語り掛けていた者。

 その彼が洞穴の中で赤い男と和やかに言葉を交わす。

 

「それで、あのプルガトリオとかいう奴はどうするんだ?」

「どちらでも。我が手に落ちるというなら使うまでですが、それを警戒して戦力を割きづらくなればそれでよろしい」

 

 プルガトリオとして胤舜を従えられるに越したことはない。

 が、リンボが胤舜を狙っているという情報で相手の編成を制限できれば十分だ。

 その醒めた物言いにやたら残念そうな声を上げるコブラ。

 

「オイオイ、英霊剣豪とやらは全部で七騎じゃなかったのか? 六騎じゃ片手落ちだろ」

「ンフフ……元より英霊剣豪など飾りのようなもの、鏖殺を効率的に成し遂げるための手段にすぎませぬ。最終的にこの下総国が怨念で満たされればそれでよろしい。

 カルデアの動きを制限する、という意味で正しくその名が役に立っているならば、設けた価値はあるというものです。無論、拙僧は妖術師殿に口八丁で言い訳せねばならなくなりますが」

「効率的にねぇ」

 

 コブラは胡乱げにリンボを見据える。

 城下周辺にはシノビ。近隣の村々には胤舜のみならず戦える人間が対応に出ている。まあ当然手は足らず徐々に殺戮は進んでいるが、効率的などとはとても言えたものではない。これからはカルデアが対応に参加するとなれば、更に作業は遅れることが約束されたようなもの。

 

 カルデアが来る前に胤舜を襲い、プルガトリオを得るか。あるいは今回のようにカルデアに胤舜を意識させ、戦力分散をしづらくさせるか。その二択に関してはまあ、どちらが正解ということもないだろう。

 

「ええ、効率的に―――着々と、拙僧の計画は進んでおりますとも」

 

 リンボがそう言って口端を歪めると同時。

 

 洞穴の最奥から、獣が悲鳴を噛み殺したような唸り声がした。

 岩壁にぶつかり洞窟内に酷く反響する呻き声。

 声は続くこと数分、やがて落ち着いたようにその声が止まった。

 

 それからすぐ後に奥から現れるのはアナザーキバ。

 怪物はリンボたちの横を通っても反応しない。

 ただ幽鬼のように歩を進めて、この洞窟を出て行くだけ。

 

 そんな怪物の背を視線だけで追って、赤い怪人は肩を竦める。

 

「……ま、小さな村から逃げ出した人間は城下にわざわざ集うんだ。妨害を躱しつつある程度村の数を削ったら最後の最後に本丸で鏖殺、ってのは分かりやすくて派手だろうな」

 

 まあ生き物全部を一ヵ所に集めて大逆転、ってのはカルデアが一回やってるけどな? それを口にすることはせず、怪人は意見を述べておく。必ずしも白ウォズの協力が得られるわけではないだろうし、確実に行える手段ではないだろう。

 が、シノビの力を狙う彼がどこかに潜んでいることを考えれば、城下に集めた人間が全員ヒューマノイズ化して殺せない、なんて顛末もありえるわけである。シノビの力を得るまでカルデアと積極的に敵対するとも思えないところであるし、かなりありえる線ではある。

 

「確かに。ではそれも妖術師殿用に拙僧が使わせて頂きましょう」

(人理焼却の戦いは知らねえのか、知ってて知らんぷりか……ま、どっちでもいいがな)

 

 改めてアナザーキバが出て行った出口に視線を向ける。

 妖術師の計画、リンボの計画、白ウォズの介入。

 

 さてどうなるか、と。

 彼は愉しげに手を顎へと当て、軽く撫でた。

 

 

 




 
 プルガトリオ登場せず。
 英霊剣豪、実は六人しかいなかった!?
 


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プロローグ・心の調律2015

 

 

 

 やっとそこそこ、最低限には慣れ始めた着物での足取り。

 そんな覚束ない動きで、紹介された場所を訪ねる。

 

 辿り着いたそこには十人近くの大工がいて、声をかけあい作業しているようだった。民家で一部崩れた屋根の修繕作業だろうか。基本的に慣れたものなのだろう、素人目にも動きに淀みはなく、手早く進めているようだ。

 

 歩幅小さく、彼らに歩み寄っていく立香。

 そうしている内に、棟梁らしき壮年の男が声を上げるのが聞こえた。

 

「おら、蓮太郎! またどこ見てやがる、しっかり働け!」

「はい、すみません!」

 

 怒鳴られて屋根の上の男が一人ひょいひょいと跳ねる。

 何ともすばしっこい、とにかく軽い動作だ。

 サーヴァントならまだしも、普通の人間が見せるには突き抜けている。

 

 安定しない足場であれほどの動きとは凄まじい。

 あれが神蔵蓮太郎、という青年に間違いないだろう。

 

「すみません、少しよろしいでしょうか」

「あん? ……ああ、そのとんでもなく目立つ着物。話は聞いてらぁ、蓮太郎に用事がある嬢ちゃんってのはあんたかい。おい蓮太郎! 降りてこい、お前に客人だよ!」

「へい? へい!」

 

 神蔵蓮太郎の動きも速かったが、棟梁は棟梁で話が速い。一言声をかけただけで状況が進行してしまった。そしてやはり応じた蓮太郎の動きも速い。

 彼は当たり前のように掛けてある梯子を使わずぽーんと飛び降りて、一切の音もなく着地を決めた。まるで彼には重量などというものが備わっていないようだった。生身でこれほどの動きを見せるとは、仮面ライダーだと知っていなければサーヴァントかと疑うところだ。というか仮面ライダーだからと言って生身でも必ずしも強いわけでは―――

 

(でも生身だと神様とか幽霊の仮面ライダーもいるんだし、忍者だっているよね)

 

 過去の経験を元に納得し、まあ忍者くらいならとさらりと流す。

 その間にもパパっと降りてきてこちらに駆け寄ってくる青年。

 

「俺に客って、君? 何か用が?」

「はい。仮面ライダーシノビ、様ですよね? この前はありが―――」

「ほわぁあああああ――――っ!!」

「うるせえぞ蓮太郎! 一体何だってんだ!」

 

 ストレートにお礼を言おうとして、奇声を上げられる。

 奇声を上げた蓮太郎はすぐさま怒鳴られた。

 

「いやぁ、あれ、ほらシノビの話で! 全然ね、違うって!」

「はぁ? シノビが何だってんだ。ああ、もしかしてお前がシノビだって?」

 

 棟梁は立香の方を向き、半笑いで問いかける。

 蓮太郎の様子から頷くのも憚られ、曖昧に微笑んでおく。

 彼はあまりにも慌てた様子で手を左右に振り回した。

 

「違う違う違う違う! シノビ違う! シノビならない!」

「はは、お前みたいな間の抜けた奴がシノビだったらこの城はとっくに怪物に落とされてらぁ」

 

 棟梁の言葉に聞いていた他の大工たちも笑う。

 それに同意するように引き攣った顔で笑い、髪を掻き回す蓮太郎。

 そうしながら彼はやけに安堵して、溜め息と共に言葉を吐いた。

 

「ああ、セーフ……バレてない」

「あん? バレてない? 何がだよ」

 

 小さな声だったが、よほど耳が良いのか棟梁がすぐにそれを拾った。

 噴き出すようにして再びの言い訳を考えだすシノビその人。

 身振り手振りで何を示そうというのか、蓮太郎の動きがダンス染みてくる。

 

「バレ、バレて……バーレーテナイ! バーレーテー! バー、パー……! そう、そう! パーリナイ! パァアアアリナイ! ですよ! シノビ殿の活躍はシノビなれどもパーリナイなんで!」

 

 何が何やら、しかしそれこそ黄金の閃きを得たとばかりに蓮太郎は繰り返す。

 

 彼こそは仮面ライダーシノビ。

 その正体を忍ばせるどころか、錯綜した情報を暴れさせることで隠す男なり。

 だがパーリナイなどという言葉が棟梁に通じるはずもなく。

 

「さっぱり分からねえ、何が言いたいんだお前は」

「パーリナイはあの、バレてん、違うバレ、伴天連(ばてれん)の使う言葉らしくて、何だかおめでたいことを祝う意味があるとかないとか……!」

「……おめえ、このご時世に伴天連の言葉なんか大声で使うんじゃねえよ。島原で大戦が終わったばっかだってのに」

「はい、すみませんでした!」

 

 溜め息を落とす棟梁。

 それを聞いてもはやこれまで、と。大きく頭を下げて、すぐに上げて。

 蓮太郎は立香の背中を押しながらその場から逃げる事を選んだ。

 

(島原……島原の乱)

 

 天草四郎終焉の戦。日本国史上、最大規模の一揆。

 どういった状況かもう少し聞きたかったが、押されていては仕方ない。

 

 押しやられて連れ去られる立香。

 とんでもない速度で走らされるが、体勢は妙に崩れない。

 何とも器用な搬送っぷりであった。

 

 

 

 

 

「……それで君、なんで俺の正体を?」

「他の仮面ライダーの知り合いがいまして。雰囲気で」

「他の、仮面ライダー……」

 

 茶屋の端の席を取り、並んで座って言葉を交わす。

 どうにも考えが及ばない、という様子だ。

 彼は自分以外の仮面ライダーを知らないのだろうか。

 

「知り合いに他の仮面ライダーはいないのですか? ……いないの?」

「いたような、いないような……」

 

 丁寧に訊いた後、わざわざ言葉を崩して問いかける。

 何とも奇妙な立香の態度に眉を顰める蓮太郎。

 だがまあそれはいいか、と。頭をがしがし掻き回し、彼は空を仰いだ。

 

「……正直、俺もここに来るまで自分が今まで何をしていたのか曖昧なんだ。この時代にいるのがおかしいのは分かってるし、間違いなく平成の世に生きてたはず。

 けどどうにも……シノビとしてどう活動していたのか、それがピンとこない。ろくでもない連中と戦っていたのは覚えてる。けどそれが何を、何か、誰かを守るためだったとは思うんだけど……」

「記憶が薄れてる……?」

 

 それもまた何者かの妖術か、と。

 そう考えて表情を引き締める立香に対し、青年は首を横に振ってみせた。

 

「いやそういう記憶喪失みたいな感じじゃなくて、自分の中で自分が()()()()()っていうのかな。まるで夢の中にいるみたいに、足元と記憶がふわふわしているというか……そう、ちょっとおかしな物言いになるんだが、覚えてないっていうより()()()()()()、みたいな?

 確かああだった筈なんだけど……どうだったかなぁ~っ! という風になるというか」

 

 そう言われると確かによく分からない。

 今まで自分がどう生きてきたかを、まだ知らない、だなんて。

 妙な話であるとは思うが、しかしそれをいくら考えたところで答えは出ない。

 

 理解を得られないのは分かり切っていたのだろう。

 蓮太郎は胡乱な表情を浮かべた立香にさしたる反応も見せはしなかった。

 彼はそこまで語ってから、パンと軽く自分の頬を張る。

 

「―――まあとにかく、この状況なら俺がやるべきことはひとつなんだ。怪物たちに襲われている人たちを守る。自分のことが分からないのが不安といえば不安だけど、シノビの力の意味は忘れていない。

 この力は、力の使い道を誤った者たちから力無き人々を守るためのもの。とりあえずは、それさえ分かっていれば俺にとって十分なんだ」

 

 団子を取り、口にしながらそう言って。

 神蔵蓮太郎は何度かうんうんと頷き、己のやっていることを改めて再認した。

 自己が曖昧になってなお、授かった力の使い道は失っていない。

 ならば今の自分を疑うことはない、と。彼はそう確信しているようだった。

 

 ふと思い出したように、団子を頬張りつつの問いかけがくる。

 

「ちなみに君の知ってる仮面ライダーって?」

「えーと、色々いるけど。主に仮面ライダージオウ?」

「ジオウ、ジオウ……聞いたことがあるような、ないような」

 

 立香も団子に手を付け、お茶を啜る。

 

「思った以上にふわふわしてるね、記憶」

「だろ? ただ俺の言ってることは嘘やハッタリじゃない……ハッタリ、ハッタリ……? そんなライダーもいたような、そうでもないような……」

「私は聞いたことないなぁ」

「そうか、じゃあ……いないのかもしれないな」

 

 いないのかも、と口にした彼の言葉はどこか重かった。

 彼自身にさえなぜそうした声色が出たのか分からない、そんな重さ。

 

 そこで一度会話を切って、団子とお茶に集中する。

 並んで無言のまま過ごす数分の時間。

 お互い団子を口にして、やがて注文していたものが全て二人の胃袋に入った。

 

「さって、と。この前のお礼をちゃんと受け取ったよ。

 ただ俺がシノビの正体だってことは皆には秘密でお願いな」

 

 懐から巾着を取り出し、代金を皿の隣に置きながらそういう蓮太郎。

 慌てて立香も出そうとするが、ぱたぱたと手を振って止められた。

 一応はお礼に来たのに奢られてしまった。

 

 仕方なしと、ただ彼のその態度に対して立香は首を傾げた。

 

「なんで隠す必要があるの?」

「んー……無いといえば無いんだろうけど。()()()()()気がするから、かな」

 

 仮面ライダーシノビとはそういう影の存在だった、気がする。

 それだけが彼が正体を隠す理由。

 信念以外の自己が曖昧になってしまった彼が、手元に残したこだわりだ。

 

「おつるさんが知ってるのは?」

「俺が着てる服で未来の人間だって一発で見抜かれて、サーヴァントって奴なのかって訊かれて、なんかまあよく分かってない俺が色々白状してああなった」

 

 蓮太郎が立ち上がり、続くように立香も立ち上がる。

 仕事に帰るつもりだった彼は、そんな彼女の様子に不思議そうにした。

 

「お礼を言いに来てそこで頼み事をするのもどうかと思うのですけれど、ひとついいでしょうか……ひとついいかな?」

「いいけど……何その変な喋り方?」

 

 わざわざ丁寧に言った後に崩してもう一度言う。

 逆ならまだ分かるが、一体どういう心境で使ってるのか。

 問われた少女は割かし神妙に告白する。

 

「……着物じゃない服を着た本当の自分を忘れないために?」

「……そりゃ他人事じゃないな。じゃあしょうがない」

 

 足元ふわふわコンビが揃って唸る。

 二人ともにひとしきり自分の状態に思いを馳せ、十秒あまり。

 それで頼みとは、という視線を向けられて立香は息を整えた。

 

 カルデア、人理焼却、逃れた魔神、今回の異常、自分を引き込んだ何者か。

 彼の仕事場に向け歩きつつ、それらを出来るだけコンパクトに纏めて話す。

 理解の及ばない点もあるだろうが、蓮太郎は素直に聞きに徹してくれた。

 

「まあ大勢の部分は置いといて。つまり、君の仲間も解決に乗り出す筈で、先に来てしまった君は俺と協力して問題の解決に臨みたい、ということでいいのかな」

 

 今必要なのはこの世界に関する話。これからの行動だ。

 世界消滅の危機だったとかそういうのは、とりあえず置いておくことにする。

 

「うん」

「こっちも頷いて返したいけど少し難しい。俺……シノビは城下をできるだけ離れたくない。この状況で流石に長時間ここを空けるわけにはいかないだろ?」

「……でも他の村が襲われてたりもするよね?」

 

 そっちは完全に切り捨ててるのだろうか。そんな筈はあるまい。

 だとしたら城下の外で死にかけていた立香は、そのまま死んでいるはずである。

 彼だって可能ならばそっちも助けに行くつもりの筈だ。

 

「それも分かってる。とはいえ、一番広くて人が多いここを足の速い俺が離れるわけにはいかないんだ。点在する村の方は……いくらかの侍たちが守ってくれてる、そっちを信じるしかない」

 

 大量の怪物が湧く満月の夜。城下を一人でカバーできるのはシノビだけだ。

 戦闘力ではなく、単純に移動速度の問題として。

 恐らく周辺の村を回っている侍たちではそれができない。噂程度の情報でもシノビにはできて、自分たちにはできない。それを理解しているが故に、村々を守っている者たちはそちらに掛かり切り、城下に近付きもしないのだろう。

 

「侍? ここのお城の?」

「いや、侍とは言ったけどこことか別の国の侍ってわけじゃなくて、多分どこかの村を拠点にして個人レベルで動いてる人たちが二人か三人か……」

「怪物をものともせず戦える人たちが、二人か三人」

 

 それはもしやサーヴァントでは? 接触を試みれば何か手掛かりがあるかもしれない。

 そう考えていた立香に対し、蓮太郎はじっとりとした視線を向けてきた。

 

「……一人でその侍たちを探そうなんて思ってないだろうね、君。あの時は服が特別製だったから何とか助かっただけ、っておつるさんから聞いてるぞ俺は。一人で城下を出たりしないでくれよ?」

「―――――」

 

 釘を刺されてしまった。

 やる気だったかどうか、と訊かれると……まあ、やる気だったろう。

 

「君の仲間たちがここにくる筈だっていうなら、今の君の役目はここで大人しくしてることだ。城下から離れられない代わりに、城下は必ず俺が守る。だからここは大人しくしてなさい。

 まったく、お転婆なお姫様ってのは世話が焼ける―――」

 

 一瞬、足を止めて固まる蓮太郎。

 どうかしたのかと並んで横顔を見上げれば、しかし彼はもう調子を戻していた。

 その瞬間、彼がどういった表情だったのかは分からなかった。

 

「―――以上! 俺は仕事に戻るから、君はおつるさんの手伝いでもしてるといい」

「そうです……だね。うん、ありがとう」

 

 蓮太郎はそうやって会話を打ち切ると、軽い足取りで仕事場へと走り去っていく。

 シノビが動けない、と断言した以上確かに立香にできることはない。戦闘力に優れるようには見えないが、サーヴァントであるおつるさんといるのが無難だろう。

 

 ―――それでも、可能であれば侍探しをするべきではないだろうか。

 流石に考え無しに突っ込むのは危険だ、それは重々承知している。だがタカウォッチロイドの快復を待って、空からアタリをつけて朝から動けば……そうすればもしかしたら、今の自分にもできることがあるかも。

 

 そんなことをつらつら考えながら歩いている内に、借家へと帰り着く。

 

 おつるは結局こちらに愛用の織り機があるから、と。職場に行くのではなく、頼まれた品をこちらで織り、それを納品するという立ち位置を維持したようだ。それが許されるような見事な腕前だった、というのもあるのだろうか。

 

 借家の前にはちょうど彼女が立っていて、織った呉服を取りに来た小間使いらしき人物と軽く会話していた。だがどうやら会話はさっさと終了して、おつると話していた人物は目的の物品を届けるために早足でその場を去っていく。

 

 それを見送った後に、立香はおつるの方へと歩み寄って声をかける。

 

「おつるさんの着物、人気出てそう?」

「さあ、どうでしょうね。私が織った着物は、ひとつの家が食うに困らない程度に売れた実績が一応ありはしますが」

 

 旧い記憶に想いを馳せるように、どこか遠い目ををしてそう述べる。

 彼女のそんな様子に、自分が着ているものを検める立香。

 食うに困らないどころか、お貴族様とかが着ててもおかしくなさそうなものだが。

 まあ自分の審美眼なんて大したものではないので、そう見えるだけかもしれない。

 

 何やら深く思慮しているおつるに声をかけることはせず、少しの間そこで待つ。

 

「―――もし、そこな二人。少しよろしいか」

 

 と、そうしていたら誰かに声をかけられた。

 そうすればおつるも正気に戻り、二人で揃って顔を向ける。

 

 そこにいたのは長い髪の一人の男だった。服装からして農民だろうか。一応やけに長い長刀を背負っているが、少なくとも一見して武士に連なる階級には見えない。憚らずに言ってしまえば、薄汚れた衣装の、浪人らしき男であった。

 とはいえ、この時勢だ。怪物に襲われれば一介の武士ではどうしよもない、ということもあろう。剣を握り、住処を追われながらも必死に生き延びただけかもしれないのだ。

 

 とにかく話があるなら聞こうとする立香。

 だがその男を見た瞬間、おつるは稲妻に撃たれた鶴のように硬直していた。

 

「先程のやり取り、ここは呉服屋というものであろうか」

「ええっと、一応? けれどここで織った着物は別の大店に卸しているので直接は―――」

 

 どういう契約なのか知らないので、確認するようにおつるを見る。すると何故か彼女は、鳩がコダマシンガンを撃ち込まれたような顔で停止していた。

 何か嫌な予感がするし、いっそ本当に撃ち込んで起こした方がいいのでは? と立香の帯の中でコダマスイカがもぞもぞ動く。駄目だよ、と軽く帯を叩いて黙らせるが、なかなかおつるは元に戻らない。

 

「む、そうであったか。そういうものなのだな。世間知らずで相すまぬ。山に籠って日がな鍬か棒を振るだけで生きてきた男でな、町人が持つべき常識というものを持ち合わせぬのだ。

 ところで、この薄汚い装束でその大店とやらには入れるものだろうか?」

「えー、と……」

 

 からからと笑う男。本人も何となく駄目そうだと感じている様子だ

 立香にだって分かるわけがないので、もう一度おつるを見る。

 どうなんだろうか、そもそも彼はこの身形で代金を払えるのだろうか。

 

 いい加減再起動してくれないと、本当にコダマシンガンを撃ち込むしかなくなる。

 

「ふ―――」

「あ、」

 

 おつるから何か声のようなものが漏れる。

 

 立香からはようやく動いてくれた、と安堵の声。

 だがそれは即座に、困惑と驚愕の感情に塗り潰され停止することになった。

 

「ふ、ふひぃいいいいいいいい――――――っ!!」

 

 だばだばばったんがたがたぎこぎこ、しゃーしゃーしゃー!

 がんがんごんごんきんきんがんがん、しゃっしゃっしゃっ!

 

 おつるが奇声を上げたかと思えば、家に駆け込み玄関扉を叩きつけるように閉める。その直後に響く機織り機なのかどうか分からない音。家の中には琴もギターもバイオリンもないので、こんな異音を出す物体は恐らく機織り機のはずではあるが……

 軽妙に口を回していた男も、流石にその様子には困惑を顕わにした。

 

「……はて、私は何か彼女を狂乱させる何かをしてしまっただろうか」

「どうなんでしょう……」

 

 音がするということは、何か作業をしているということだろう。

 

 ならば待てば少し待ってみるか、と考えたのか。

 とりあえず男はただじいと待つことにしたようだ。

 割と酔狂な判断だと思うが、同居人としては立香も待つしかない。

 

 十数分、織物を仕上げるには短すぎる時間。流石にまさかと思えば、しかし確かにたったそれほどの時間でばったんと扉は開かれた。

 顔を出すのは狂乱のおつる。そして彼女の背後には飾られた一着の衣装。

 一体どんなお着物なのか。おつる越しにそれを見る。

 

 金糸に飾られた紺色のジャケット。そして煌びやかな白いパンツ。

 恐らく男が着ればぴたりとサイズも合うのだろう。

 

(洋服だ……)

「名付けて! プリンス・オブ・スレイヤー!!」

(完全に洋服だ……!)

 

 洋服だった。

 しかもアイドルがステージ衣装で着てそうなヤツ。

 

「その輝き、その閃き、フランスの空を自由に飛ぶドラゴンを落とす勢い! 磨き抜かれた技と体は刃の如き鋭さをもって!

 あふぅ……衣装がアイドルの輝きを引き立てるのではなく、衣装を鞘とし、アイドルこそ研ぎ澄まされた刃となるスラッシュ&スタイリッシュ。その輝きこそ正しく秘めたる魅力の懐刀。ほんの一瞬、僅かに覗いたその煌めきを垣間見てしまったが最後、あらゆる女性のハートは一刀両断。一度でもその太刀筋に心奪われたらもう引き返せないチラリズムゥ……目に焼き付いたその輝きから目を逸らすことは、誰にもできないこと請け合いでしょう……ふひぃ、ふひぃ」

 

 目を見開いて語るおつる、おつるさん。

 彼女は感極まって喋り倒した後、息を切らしながらも笑顔を浮かべている。

 どうしてしまったのだろう。どうにかしてしまったのだろう。

 せめてどうにかなってしまったせいでこうなっただけであってほしい。

 

 ここにきて、どうにも心に余裕を持たせていた男さえ少々顔を引き攣らせていた。

 何でも受け流す柳のような男かと思えば、なんと気圧されているのだ。

 

「ああ、うん、うむ? そういうのが、城下では流行りなのだろうか? ここまで歩いてきてそういった面妖……特徴的な服装は一度も見たことがないが……」

「えっと、この国ではあまり認知されていない異国の服、ですかね。一応」

「ほう、それはそれは」

 

 立香の説明に納得し、頷く男。

 おつるの暴走を見なかったことにして、彼は調子を取り戻していた。素早い。

 そうして、自分の状況を口にする

 

「故あって私はとある男の用心棒を請け負っているのだが、その雇い主がどうにも今から身分の高いものと顔を合わせるというのだ。隅で控えているにしても、最低限の装いは必要となろう?」

「偉い人……土気のお城の、でしょうか?」

 

 格好こそ見すぼらしいが、用心棒など請け負っているらしい。この怪異に溢れる時勢でそれができるとは、もしかしたら凄腕なのかも。彼が空いていればそれこそ城下の外の探索の護衛を頼めたかもしれないが……今まさに仕事の装いを求めているのだ、そうもいかないだろう。

 

「それは分からん。そも私からすれば武家でも大名でも将軍でも、雲上人であることには変わらんのでな。私に叶う限りを整えて出向くしかあるまいよ。

 して、そのぷりんすおぶすれいやあ? とやらは仮に将軍の前でも礼を失さぬ格好なのだろうか」

「絶対やめた方がいいですね」

「であろうなぁ……物を知らぬ私でも流石に無理があると感じるのだから」

 

 きっぱりと断言する立香に苦笑を返す男。

 ちょっと名残惜しそうなのは気のせいだろうか。

 

 そろそろ正気に戻っただろうか、とおつるを見る。

 すると彼女は涎を拭い、何とか持ち直している最中だった。

 彼女が実は想像の100倍奇人だったことについては、後で悩もう。

 

「ふひぃ、ふぃ……ふぅ……ええ、ええ、そういうお話でしたらもう。少々歯止めが利かず、御迷惑をおかけしたお詫びです。こちらで一着仕立てさせて頂きましょう」

「いや、代金は当然払う。というか一応それのために雇い主殿に金は持たされているのだ。無論、学がないのでどれほどの価値があるかはさっぱりだが」

 

 そう言って男は懐から太った巾着を取り出し、そのままおつるに渡した。

 重量だけで分かる、かなりの金額だ。一着に使う金額ではない。

 その事実に顔を顰めて、せめて適正な額だけ抜いて返そうとするおつる。

 

 だが彼女のそれを男は止めるように声をかけた。

 

「本来は大店とやらに卸し、その上で売るモノなのだろう。直接押し掛けた迷惑料も込みで受け取ってくれればよい。私が持っていても価値も分からぬただの重しであるしな。

 雇い主殿もこんな私にそんな金額を持たせるほどにやり口が雑な男。アレの手に戻るよりは、理屈が通るならば使い道を心得たものに払い渡した方がマシであろうさ」

 

 雇い主に返せばいい、という話もそこで打ち切る。

 適正金額以外はあくまで迷惑料。そこに内訳もなければ適正も何もない。

 無理な仕事を頼んだ故の心づけである。

 

 そう言い切って男は返却を断固辞退した。

 管理が面倒だから受け取りたくない、という心は見え隠れするが……

 

「―――そこまでおっしゃるのでしたら、仕立てる一着分以外は預からせて頂きます。もし他に何か入用なものがありましたら、いつでもおっしゃって下さい。残る金額分まで、確かな仕事をさせて頂きます。

 大急ぎで仕立てますので、家の中でお待ちくださいな」

「うむ、ではそういうことで」

 

 今回は特例で、元より男は服装に頓着する性分でもなければ、そこに金を注ぎ込める身分でもない。

 恐らくはこの一度きりの利用になる、というのはどちらも分かっている話。だがそういう落としどころにしておけば、もし男の主が金を取りに来ても問題にはならないだろう。

 

 そして普通、依頼を受けて即仕立てるなんて話はないが、まあ今更だろう。もう既に彼にはプリンス・オブ・スレイヤーが超特急で完成しているところを見せている。一体何なんだろう、プリンス・オブ・スレイヤー。フランスのドラゴンがどうとか言っていたが……特異点でもなければフランスにドラゴンなんていないだろう。

 

 作業に向かうおつるに代わり、男を案内してお茶を淹れに行く。

 流石におつるもプリンス・オブ・スレイヤーみたいに十数分では完成させまい。機織り機も若干常識的な音を立て、あの重機が複数全力稼働してる工事現場みたいな意味不明な音はしない。

 

 客人にお茶を出しつつ、向かいに座って声をかける。

 

「もしよろしければ新しい服に袖を通す前に、体を拭く湯と布を用意しましょうか?」

「ほう、そのようなことまで。かたじけない、よろしく頼む」

 

 茶の湯に口をつける男。

 そういえば名前も聞いていなかったな、と今更思う。

 

「私、ここでお手伝いをさせて頂いている立香と申します。よろしければ、あなた様のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

 相応の身分の者の用心棒などやっているらしいのだ。何とも分かりづらい立ち位置の人で、呼び方を考えるのも難しい。ただ本人は上流階級の人でもなさそうなので、名前を聞いても大丈夫だろう、多分。

 

 言われた男は湯飲みを置き、悩むように顎に手を当てる。

 

「うーむ、それがな。拙者、己の名も持ち合わせておらぬのだ。山奥で生まれ、畑を耕して生きて、山を眺めて棒を振っていたら、いつの間にやらこうなっていたという有様であってな」

「ええ……」

 

 わざわざ一人称を拙者にしたのは笑い話だと誇張するためか。

 

「だがまあ困ったことはない。町で腰を下ろして生きるのであれば困るのであろうが、見ての通り私はそう言った生き方ができぬ浮浪人。神仏もまた私の生涯に名など要らぬと、わざわざ与えることをしなかったのであろうさ」

 

 では一体何と呼べばいいのか。

 ずっとあなた様、は流石にちょっと。お客様、だろうか。

 あるいは用心棒様? なんか違う気がする。

 

 その悩みを見て取ったのか、男はにやりと愉快げに口許を上げた。

 

「名乗るのであれば、ぷりんすおぶすれいやあ、などどうか」

「……実際に意味するところは違いますが、単語の意味としては異国の言葉で将軍家を名乗るような真似なので、控えた方がよろしいかと……」

「なんと、それは物騒な名前だな。ではやはりあれは着れぬか……」

 

 残念そうにする男。プリンス・オブ・スレイヤー、気に入っていたのだろうか。しかし単純に礼節の問題ではなく、プリンスの意味によって着れなくなるとはどういうことか。

 あるいは雇い主が将軍家を嫌っている、とか? 彼本人を飛び越して彼の雇い主まで行くとなると、あまり込み入った事情を聞くわけにもいくまい。

 となればもう、さっきの拙者名乗りに合わせて行こうと舵を切る。身分の高いものの従者をしている、というならもうお侍様、でいいだろう。きっと。

 

「ええと……お侍様は山で生活なさっていたと仰っていましたが、またどのような理由でその雇い主様と出会われたのです?」

「うん? ああ、私のいた山は常陸国なる場所にある山だったそうなのだがな。その近く、国が人が集まる村落が纏めて最近出没するらしい怪異によって焼け落ちたそうでな」

(―――国がひとつ、滅びてた? ひたちの、くに……茨城の方……?)

 

 息を整える今までだって滅ぼされた土地は幾つも見てきたはずだ。

 自国だと余計にショックが大きいのか。

 だったらなおさら気を入れ直し、これ以上被害が出ないように努力すればいい。

 ぐらついた思考をすぐに立て直して、侍の言葉に耳を傾ける。

 

「余程の恨みであったのか、怪異によって国ごと鏖だったそうだ。もうあそこには何も残っていない。そんなことさえ露知らずいつも通り棒振りしていた私だったが、雇い主殿に見つかり用心棒として連れてこられたという寸法よ」

 

 果たして、何故か。普通に考えたらおかしくない。

 山籠もりして生活していたとはいえ、近隣の諸国が滅びたのだ。

 泡を食って他国に移ろうとするのは何もおかしな話じゃない。

 

 だが、この飄々とした男がそんな理由でわざわざ山を下りるだろうか。

 怪異や亡国など関係なく、ただ山を下りる理由がその接触で生まれただけなのでは。

 

「……普段から一人でいたお侍様がわざわざ用心棒に、ですか?」

「うむ」

 

 茶に口をつけ、しみじみと頷く侍。

 引っかかる。何かが引っかかるが、ただ人間が危険な山から比較的安全な町に下りてきただけのこと。それの一体何を警戒すればいいというのか。

 

 自分の警戒心に困惑している立香に向け、男の視線が向かう。

 

「……ふむ、立香だったか」

「あ、はい」

「そなたの目の前に、山頂に雲がかかり天辺がどこか分からぬ山があったとする。そこで何を思う?」

 

 心理テストみたいな問いかけ。いきなりの話。

 何を、と返すには男の目は真剣すぎた。

 

 別にそこに山があるだけだ。高さが分からないからといって山は山。

 登らなければいけないわけでもないのなら―――

 

「―――危ない、と思います。登ろうとする人もいるだろうし、崩れてくるかもしれないとも思うし……もしかしたら見えない一番上には、何か放っておいてはいけないモノがあるかもしれない。

 そう考えたら、とにかく危ない……と私は感じます」

「……いやはや参った。関わる必要のない苦慮も抱え込む苦労人なのだろうな、そなたは。浮浪人からでさえあまりに賢い生き方には見えぬほどに」

 

 これは……もしや罵倒されているのだろうか?

 溜め息混じりの物言いにムッとすると、男はからかうように微笑んだ。

 

「残念ながら私は仏僧ではない。他人の生き死にに口を出せるほど高尚な経験を得たこともなければ、大層な功徳などを積んだことがあるわけもない」

「えっと……」

「知らぬ場所に行ってみよう、見たことのないものを見てみよう。私が山を下りた理由など―――あるいは最初に山に足を踏み入れた理由など、結局ただそれだけのことよ。

 そなたにとっては考慮するのが当たり前なのだろうが、その行為が危険かどうかなどということは、私にとってはさほど重要なことでもなかったのだ」

 

 そう言って男は開かれた障子戸の先に見える空を見上げた。

 

 ―――その言葉に、何かが引っかかる。

 最近の自分が感じている違和感。自分という存在、行動理念にかかる停滞感。

 まるで男はそれを一見して見抜いたようだった。

 そうでなければ、唐突にこうした言葉を交わしてみようとは思うまい。

 

 男は山で独りだった割りに、誰かと言葉を交わすのは好んでいると見える。

 そんな彼が茶飲みを片手にただ空を仰いでいるのは立香に合わせてか。

 彼女の思考を邪魔する気はない、と。

 

(私が山に……危険が見えない場所に踏み込んだ、最初の理由……)

 

 それを探す追憶は長い戦いが始まる前にまで遡り―――

 記憶の中で、炎の熱と血の臭いが掠め意識を掠めていった。

 

 彼女の、藤丸立香の戦いの始まりは。

 その道を選ぶべきだと心に刻まれたのは、きっとあの時だったろう。

 

 

 




 
 謎の侍プリンスオブスレイヤー…一体何木小次郎なんだ…


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ロードカルデアス・旅路のカルテ2017

 

 

 

 シャルル・パトリキウス内。シャルルマーニュがサーヴァントたちに好きに使ってくれていい、と開放している部屋。

 

 そこの一室を自室と定めているメルトリリスは、溜め息混じりにベッドの上で転がった。動作ひとつでシーツをズタズタにしかねない脚のおかげで気を遣うが、もうとっくに慣れたもの。あらゆる所作は正しく水が流れるが如く、詰まるような不自然さはどこにも覗かせない。

 

 彼女もまたカルデアの方に自室を設けようと思っていたのだ。カルデア内ならば自由に動けるのだから、その程度はどうとでもなる。が、それを止めた結果のこの一室。

 苦渋の決断だったと言っていい。だってこっちにはBBもいるし、カズラドロップまでいる。他の要素は置いておいて、もうただそれだけでカルデア側一択、となるだろう普通。

 

 だが、しかし。カズラドロップの方がまだマシか、と思わせるだけの闖入者があったのだ。

 カルデア側に行く利点。パトリキウスに残る精神的苦痛。それを加味して、なお。

 

 ―――殺生院キアラと同じ空間はない、絶対ない。

 

 真正悪魔としての経験も、電脳の獣としての経験も、彼女は持っていない。

 ただのセラピスト、ただの人間である殺生院祈荒だとしても。

 アレと一緒は、ない。

 

 そう考えて、ついでにもうレイシフトが始まってあちらにマスターたちはいない。

 そうとなればメルトリリスがわざわざ室外へと出る理由もなく、彼女はベッドに伏したまま部屋を見回して、無言で厳しい顔を浮かべていた。

 

「あそこ……いえ、あっち? それとも……」

 

 ころりと体が半回転。その動きに合わせて視線が室内を巡る。そんな体勢を取りながらぶつぶつと何事か呟いて、あーでもないこーでもない。そうした謎の挙動を取っていたメルトが、室外に微かな気配を感じた事に目を細めた。

 

 直後に響く、ドアを叩く音。

 

「入りますよ、メルトリリス」

「ヴァイオ? いいわよ、何か用?」

 

 別に阻む理由もないので、寝転がったまま相手の入室を許す。扉が開けば見えるヴァイオレットの姿。彼女はそこから踏み込まず、メルトリリスの前で無言のまま首を横に振ってみせた。用があるわけではない、ということか。では用件も無しに何故来たのだという視線を投げる。

 すると彼女は僅かに横にずれ、合図をするように軽く首をしゃくった。

 

 ―――メルトリリスが即座に跳ね、ベッドから立ち上がる。戦闘態勢というほどでもないが、紛れもなく警戒態勢。口を結んでいるが、開けばシャーとでも威嚇そうな顔をしている。

 まるで猫のようだなどと思いつつヴァイオレットは、メルトの動作が起こした衝撃でずれた眼鏡の位置を、指で軽く触れて正した。

 

「失礼します、メルトリリス様」

「失礼するなら、いいえ。失礼しなくても入らないで。私、アナタのこと大嫌いなの」

 

 直球で言い放つメルトリリス。このオリジナルからは程遠いストレートさはサクラシリーズには中々備わらない気質な辺り、やはりメルトリリスは変わり種か。

 ヴァイオレットがそんなことをぼんやりと考えている間に、そのストレートを受け止めた女性、即ち殺生院祈荒はただ困ったような表情で頬に手を当てていた。

 

 理解はしているがアレと同じ場所で活動するのは無理だ。いや、()()。人間、殺生院祈荒が真っ当な生き物だと分かっていても、生理的に無理なのである。

 

 メルトの視線が祈荒から外れ、ヴァイオレットへと向かう。

 こんなことになると分かり切っていたはずだ。

 だというのに連れてきた、ということはヴァイオレットにさえ敵視は及ぶ。

 

「一体どういうつもり、ヴァイオレット。これは私への宣戦布告? 驚いた、カズラより先にアナタと殺し合いになるだなんてまったく考えてもいなかった。けれど別に拒否はしないわ。そっちがその気ならアナタのこと、凍った空間ごとシャーベットみたいに削り溶かしてあげる―――!」

「キングプロテア」

 

 苛立ちのままに加速体勢に入るメルトリリス。

 溜め息混じりのヴァイオレット。

 

 メルトが勢いを爆発させる寸前、異空間から腕が生えてきて壁になる。

 その姿は当然乙女の肌ではなく異形の腕。

 アナザーディケイドのインターセプトに舌打ちを一つ、メルトは視線を巡らせた。

 

 ただでさえ狭い空間なのだ。

 この狭さではメルトが水流となり範囲を拡大する前にクラックアイスで凍らされる。

 その前に行おうとした先手必殺の突撃はプロテアを破れない。

 

 前の戦いにおける圧倒の絡繰りは、カール大帝による“同化(オラクル)”による後押し。

 当然もうあんなパワーバランスにはならない。

 アナザーディケイドどころかキングプロテア本人だけでもメルトの手に余る。

 こうなれば一度窓を突き破り、外に出て仕切り直すしか―――

 

「少しよろしいでしょうか、メルトリリス様。

 ―――藤丸立香さんのことで、貴方にお話しがあるのです」

 

 その数秒に満たない修羅場を前にしつつ、動じない声で。

 殺生院祈荒という女は、きっぱりとそう告げてきた。

 

 

 

 

 

「あのさぁ、先輩。シャルル・パトリキウスの中で全力で暴れようとすんの止めてくれないか。今この宝具が維持されてる状況って、結構繊細なんだぜ?」

「うるさいわね、私だって爪先(やいば)を向ける状況と相手くらい選ぶわよ」

 

 噴水近くで外から攻防を見上げていたらしいシャルルマーニュの呆れた言葉。

 それをバッサリと切り捨て、メルトはフイと顔を大きく背ける。

 

 どんな状況だろうと殺生院には迎合しない。周りの状況など知ったことではなく、殺生院が相手ならば寄らば溶かす以外にない。ただそう言いながらもしかし、彼女は先程の言葉で一応落ち着いて話に乗ったようだが。

 シャルルが浮かべるのはしょうがねえなぁ、というやんちゃな子供を見る呆れた表情。それもかなり苛立つが、何より殺生院への対処は譲れない。

 

「―――まあ、とりあえずそれはいいとして。マスター……今は厳密にはマスターじゃないが、とにかくマスターの話をしたいって事だけど?」

「ええ、色々と確かめておきたいことがありまして」

 

 シャルル・パトリキウスの中庭にずらりと並べられたテーブルと椅子。そのテーブル上には様々な料理、飲み物、デザート、煮干し、猫缶。一目でタマモキャットの仕事だろうと分かる支度がしてあった。彼女自身は呪術専門家として管制室に詰めている故ここにはいないが。

 

「その話自体はよいのですが、彼女についてを話すならマシュも呼ぶべきでは?」

 

 マシュもまた管制室だが、基本的に彼女の仕事はロマニの補佐。少し抜けるくらいなら問題はないだろう。藤丸立香について重要な話があるというなら、ダ・ヴィンチちゃんに言ってでもこちらに来てもらうべきではないだろうか。

 ガウェインはそう言って不思議そうに首を傾げた。

 

「マシュは()()()()()()()だろう」

「―――――」

 

 ガウェインの疑問に答えを返すのは、既に料理に口をつけているアルトリア。

 

 王が食事に取り掛かったのを見て、トリスタンはとりあえず噴水に腰かけた。取り出すは妖弦・フェイルノート。爪弾かれるのは食事の場に合わせたメロディ。

 良き楽曲に彩られたいやに張り詰めた空気の中。何故自分までここにいるのか、そして何の見世物だこれは、という顔のロビンが皿の上を適当に突っつきつつ声を上げる。

 

「悪いが何が言いたいのかさっぱりだ。オタクらにとっちゃ歴戦のマスターかもしれないけどな、オレにとっちゃちょろっと一戦交えたくらいのただのお嬢ちゃんなもんでね」

「そもそも何か問題があるのか? 今回は敵の標的となり危険な状況に陥ったが、何か精神的にフォローが必要な状態になっている様子など記憶にないが」

 

 アタランテはそう言って殺生院を見て―――カルナを見る。

 太陽の子は口を閉ざしたまま腕を組み、椅子に座りもせず立ち尽くしていた。

 

 ふーむ、と。そんな彼の近くの椅子に座っていたモリアーティが唸る。

 わざとらしいその声に集まる注目。

 

「さて、それはまったくその通りだろう。彼女はいつも通り、いつものように、今は人理焼却ならず魔神案件に立ち向かうために戦っている。

 しかしね、フォローが必要なさそうというのは果たしてどうだろうか?」

「と言うと?」

「私ばかりがあれこれと説明して終わり、ではそれこそ問題解決に繋がらないと思うがネ?」

 

 問いかけるのはガウェイン。だがモリアーティはそう言って、自分の口許に立てた人差し指を当てウインクしてみせた。

 アルトリアがイラっとした様子を見せるが、ガウェインはなるほどと頷く。

 

 各種デザート取り揃え、と言わんばかりのスイーツコーナー。

 何故か煮干しが中心に置かれていること以外に弱点の無い完璧なテーブル。

 そこで色々手を付けていた鈴鹿御前が仕方なさそうに顔を上げる。

 

「―――じゃ、関係薄い私から言ったげるけど。逃げなすぎでしょ、あの子」

 

 鈴鹿御前がクリームのついたスプーンを咥えながら一言。

 それにムッとした様子で応じるのはメルトリリス。

 

「時間の問題だったとはいえ、アナタからは上手い事距離を取れてはいたけれど?」

「体捌きとかの問題じゃないっての。()()()()()()()()()()()()()を選ぶことを考えられてないって話。言っちゃえば、アッチでメルトリリスをさっさと信じて命を懸けてる辺り普通におかしいわけ。アンタは嬉しがってるだけかもしれないけどさー。

 てか、()()()()()()()()って思ってそうなあの追い詰められっぷり。見てる側としても辛いし何とかしたげなよ」

 

 そう言って知らない誰かを思い浮かべ、溜め息混じりの鈴鹿御前。そんな彼女が何かに気付いたようにふいに建物の方を見て―――そこに不必要に顔を見せてきたカズラドロップを見つけ、盛大に舌打ちした。

 その反応に満足したのか、怖い怖いと肩を竦めてさっさと姿を消すカズラ。

 

「……なんか同僚同士でも殺気の応酬が多くねえですかね、この職場」

 

 ロビン自身もメルトリリスやBBにはそれなりに思うところはあるが、それ以外にハードにピリついている連中が多い。今まさに鈴鹿御前のそんな姿を見たが、彼女との因縁が有るのやら無いのやら、フィン・マックールも彼女とまだ積極的に顔を突き合わせる気がないらしく、辞退を選んだようでここにはいない。

 もっとも彼は、それこそ鈴鹿御前やカルナがここに居合わせるなら、わざわざ自分が行く意味も薄いだろうと、問題の解決に積極的に口を出す必要がないと判断したのもあるだろうが。

 

 そんな事を思い返しつつ、ロビンが遠い目をしながら軽く料理をつまんだ。

 人間関係は複雑怪奇だが飯が美味いのはこの職場のいいところだ。

 

「マスターの追い詰められっぷり、か……」

 

 腕を組んで顎に手を添え思考する体勢に入るシャルル。

 

「予想はつく、というか想像はできる。ただオレは新参者で、今までのマスターがどういう感じなのかは聞いただけの話。どういう様子で特異点攻略に参加してたかを知らないから正しいかどうかは分からない。そんなとこだな。

 アンタ……えーと、殺生院、先生もそんなとこだろ? メルト先輩は?」

「な―――」

 

 祈荒は小さく頷いてみせている。

 その状況、シャルルの言葉にメルトは言葉を詰まらせ、眉根を寄せた。どう返すべきかと悩むように厳しい表情を維持して、しかし。話を振られたにも関わらず、理解ある言葉を紡げないメルト。彼女は何か分からないと負けたような気がする、とでも言いたげに臍を嚙んだ。

 

 鈴鹿御前はそんなアルターエゴの様子に呆れた様子を見せつつ、スプーンを動かす。

 

「……同じく聞いた話に過ぎない、が。戦いとは無縁だった藤丸立香という人間が戦いに臨む姿勢を決定的にした理由、それはカルデアに来てから得たモノだ」

 

 眼前の状況を気にした風もなく、カルナはメルトに教示するように呟いた。

 

「―――周囲の人間でしょう、カルデアに在籍する。その中でも特に二人……」

 

 ピン、と。甲高い弦の音。演奏曲を変えながらカルナの言葉をトリスタンが繋ぐ。

 勝手に話を進められて気に喰わない、という表情をしつつもメルトも結論へ達した。

 

「ソウゴ、と……マシュ?」

「……何か問題がある関係性か? 彼女たちが」

 

 まったく理解できない、とアタランテが悩むように獣耳を小さく傾けた。

 

 ゲイツは色々あるが、マスター同士の仲は良好なのがカルデアだ。というかゲイツを含めてもさほど悪くないというか、敵対してたことはもう本人以外は気にしていないのではないだろうか。あの雰囲気で戦い抜いてきたのがカルデアの強みだろう、とさえ思えてならない。

 だと言うのに、カルナたちはそんな者たちの関係性には何か歪みがあるかのように言う。アタランテにはまるで感じられないし、さっぱり思いつかない。

 

「……藤丸立香には自分が一番前に出る理由が存在しなかった。だが、一番前に出ようとする意志を維持する必要には駆られていた」

「ソウゴくんを前のめりにさせすぎないため。そして彼女自身が前に進むことで、彼女を守る盾であるマシュくんが強く踏み込めるように、と。まあそんなところかナ」

 

 アルトリアの言葉をモリアーティが継ぐ。

 騎士王の据わった視線を向けられても、アラフィフ紳士は飄々とした表情を崩さない。

 それでそれの何が問題だ、とアタランテは胡乱なものを見る顔。

 

「その二人を相手にする時に限らず、彼女は相手への干渉を極力そのようになるように規定しているように思えます。英霊の皆様方を相手にしても……相手に出来得る限り近づく関わり方。

 そう、マスターとしてサーヴァントに()()()()のが彼女のやり方と言えるでしょう」

「…………」

 

 祈荒の言葉にガウェインが僅かに目を細めた。彼女ではない彼女、殺生院キアラ。彼女がマダム―――レディ・マーブルの皮を被っていた時に交わした言葉が思い出される。あの時はただ普通の女性がメルトリリスへの恐怖から出した言葉と流してしまった。

 だが恐らく、あの言葉ばかりは本気で殺生院キアラが藤丸立香を案じて、あるいはその周囲の者たちの態度に呆れて吐いた言葉であったのだ。あの時の魔性菩薩であったキアラでさえ見かねて口を出すほど、立香の態度は不自然だったということか。

 

「それだけ聞くと別に悪くないように聞こえますがね。サーヴァントは道具と割り切るべきだと思わないでもないが、道具の扱い方も千差万別。何も考えず酷使するBBみたいな奴より、大事に扱われた方がマシではあるしな。サーヴァントにだって人情はあるわけですし?

 まあ当然マスターがサーヴァントに引きずられすぎるのも問題だが、あの嬢ちゃんはそういうわけじゃないだろ?」

 

 主にBBへの恨み節か。ロビンは溜め息混じりにそう呟く。

 

「いいわけないじゃん、寄り添うのは結構だけど相手は選べって話。ううん、限度は設定しておけって話か。メルトリリス相手だってそう。

 メルトリリスと組んで戦って、負けた時に一緒に死ぬ覚悟を決めるのはいい。けどメルトリリスに裏切られた時に心中する覚悟まで決めてるのは違うっしょ」

「―――――」

 

 鈴鹿御前の呆れた言葉にメルトリリスが黙り込む。

 

 祈荒は寄り添うと称したが、立香のやり方は行き過ぎだ。

 成功も失敗も、生も死も、一切ブレーキなく道連れになる姿勢。

 

「―――なるほど。だからマシュはこの席に呼ばなかった?」

 

 難しい顔でそれを聞いていたガウェインがそう呟く。

 そうだ。彼女にとってはそれが最初だったのだ。

 

「……立香さんがカルデアに訪れ、最初に訪れた危急。選ばなければならなかった生死の境」

 

 表情から色を消し、殺生院が物語る。

 この中の誰がその場面を直接見たわけでもない。

 だが、きっとそうなのだと理解してしまえる。

 

「それは、生き延びるために紅蓮の炎の中にマシュさんを見捨てて逃げるか、死ぬと分かっていて死にゆくマシュさんに寄り添うか……その二択でした。

 そして、彼女が選んだ答えは言うまでもないでしょう?」

 

 アルトリアが目を細め、ケチャップとマスタードに塗れたホットドッグを口に運ぶ。

 沈鬱な空気の中、遠慮なく響くソーセージの皮が食い破られ弾ける音。

 今食べる? というモリアーティの視線が飛んでくるが気にする筈もない。

 

「生きるための戦いを貫いた彼女は、その実最初に命を捨てる選択をしていた。自死に近しい選択ですが、しかしそれは責められるべきではないことでしょう。彼女はただ、孤独にも死に向かう少女に寄り添っただけなのですから」

 

 そこで一息吐く祈荒。

 腕を組んで彼女の話を聞いていたシャルルが言葉を継ぐ。

 

「マスターのサーヴァントに対する姿勢はそれが……もちろんそればかりじゃないが、それが大きな理由なんだろう。自分の命を守るより、これから死にゆく者と死出を共にするという選択。最初にそれを示しちまったせいで、マスターは自分の死を理由に逃げ道を作れない。

 一度でも寄り添うと決めた相手から身の危険を理由に逃げちまったら、最初に選んだマシュの手を取った自分が嘘になる―――ってな」

 

 あの時選んだ藤丸立香の答え。結局生き永らえたのは別の話。

 彼女が選ぶ道は、その先が生か死かを問題にしない。

 立香にできることは多くない。故に彼女は誰かに寄り添って進むことを選ぶ。

 その道の先がたとえ天国でも地獄でも、寄り添うことを選んだ自分を裏切れない。

 

「―――構造としては単純な話だ。藤丸立香は最初に、辛い戦いに臨む者たちに()()()()続けようと考えた。一番最初、マシュ・キリエライトに対してそうしたように。それが自分に叶う最良の選択だと考えた。

 だが相手に寄り添い歩む、というのは足並みが揃っているのが前提。そこが乱れれば自然、彼女の歩みは誰を支えるわけでもない棒立ち、徒労になる。そして足取りが乱れてしまったと自分で分かっていても、彼女は自分の歩みを正せない」

「……仲間の成長で負担が減った、というだけの話だろう?」

「それは藤丸立香にとって()()()()()()()という行為が、自分の命に匹敵する選択肢でなければの話だ」

 

 カルナの言葉がアタランテの反論を斬り捨て、彼の視線はそのままガウェインに突き立った。責める意図など微塵もないだろう。だがその視線の意味はよく分かる。

 故にガウェインもまた唇を噛み締め、顔を下げるより他にない。

 

 ()()()()()()()()だ。

 願い、罪を犯し、罰を受け、全てを果たした聖なる裏切りの騎士。

 

 始まりの時点でマシュが。旅の道程でべディヴィエールが。藤丸立香という人間の価値観に、影響を与え過ぎたのだ。

 円卓の騎士がこうも関わるのは何の因果か。ガウェインが思わずアルトリアに向けた視線を、彼女は一顧だにしなかった。

 

「藤丸立香は追い詰められた状況の中、生き足掻くことではなく死に寄り添う事を選択した。その尼僧が口にした通り、それを責めることは誰にもできない。

 だが問題はその後の話だ。人理を取り戻す旅の中、彼女は様々な経験を得たのだろう。ただ生きる事、ただそこにある人の命。そんな何気ないモノが藤丸立香という人間の中で重さを増したことは間違いない。無論、それが悪い事であるわけもない。むしろそれこそがただの人間が魔神王ゲーティアに突き付けられるもっとも正しい答えだったとさえ言える。

 避け得ない、避けてはいけない価値観の変化だった。しかしそうして藤丸立香という人間の中で命の価値が重くなればなるほどに、彼女が最初にマシュ・キリエライトに示した解答もまた、その分だけ重さを増していく。無意識に懸けていたものの価値が、無意識の内に大きく肥大化しすぎてしまったのだろう。彼女はもう、()()()()()()()()()()()()()()を裏切れない。その結果としてどうなったとしてもだ」

 

 ガウェインが苦い顔をしてカルナ、そして殺生院祈荒を見た。

 そんな彼を見かねて、トリスタンが口を挟む。

 

「そうであるならば、マシュ同様に一時でも裏方に回すべきでは? 幸いにして戦力が足りていないわけではない。彼女が心に整理をつける時間くらい幾らでも取れるでしょう」

「それで解決するならいいのだがネ。より悪化させる可能性もあるだろう?」

 

 悪化させる可能性、などと口にしたがそちらを確信している口振り。

 モリアーティはそう言うと肩を竦め、神妙な顔を見せる。

 

「今のカルデアの方針は善悪を問わずまずは相手を受け入れる、という事になっているだろう? 黒ウォズだったか、彼ほど怪しい奴と付き合っていれば慣れるというような主張も聞くが、実際のところ方針は同じでも、それで問題ないと考える理由は厳密には全員違うだろう」

 

 お前が言うのか、という視線がアルトリアからバシバシ飛んでくる。

 が、犯罪界のナポレオンは気にした風もなく胸を張って言い張ってみせた。

 

「例えばオルガマリー・アニムスフィアは惰性と妥協。必要なものは使うという魔術師的な冷静さもあるし、実際に上手く回っている以上これでいいのだ、という割と思考放棄染みた面もある。

 例えばマシュ・キリエライトは純真さでこれを行う。彼女にとって怪しい相手を信じるのも、裏切られるのも、そういった経験は世の中にはそういう人もいるのだ、という学習にすらなっているだろう」

「どの口が言う、という点以外はその通りだろうな」

 

 直接口に出されても気にしない。この程度で怯んでいては悪の枢軸など出来たものではないのだろう。モリアーティはむしろニヤリと笑みを浮かべつつ、髭を撫で上げてみせた。

 アルトリア・オルタからすれば苛立ちが頂点に達したら力で殴り倒せばいい、と思っているのである程度は受け流せる。限界まで来たら解消するために殴るだけなのだから気楽なものだ。

 

 どこか茶化しも入ったモリアーティの言葉。

 それを聞いたメルトリリスは目を細め、もう一人のマスターに考えを飛ばした。

 

「……ソウゴはどちらも受け入れるという信念がある、とでもいうのかしら。どちらであっても構わない、どちらであったとしても得るモノはあるから意味がある―――と」

 

 鈴鹿御前がどこか胡乱げに目を細めてそれを見る。

 が、彼女は面倒そうにそのまま大人しくスイーツに意識を戻した。

 

 少女の返しに肩を竦めるのはモリアーティ。

 流れとして仕方なさげに、アルトリアが残るマスターを表する言葉を口にする。

 

「マスター……ツクヨミは推移する戦場という理不尽の中においては、自身を取り巻く環境が確固たるものではないと理解している。流れを変える何かがあれば、それぞれの立場もまた流動するものであり、それを取り違えない強かさを持ってはいる、と言えばいいか。

 ゲイツは……生来の環境が戦場だった故に問題としないだけで、アレも日常から戦場に放り出されればさぞ迷いが大きかろう。しかしソウゴを睨んでいる内はさほど問題あるまい」

 

 ツクヨミもゲイツも戦場に慣れている、と言えばいいか。彼らにとっては尋常ならざる裏切り者である黒ウォズとも一定した距離感を維持できている。

 

 ゲイツは少々不安定だが、彼はオーマジオウという敵の打倒。あるいは別の決着をつける、という大目標が確りと存在している故に、揺れることはあっても崩れることはない。

 藤丸立香もまた、人理焼却の解消という大目標がある内は問題なかったが―――

 

「そんで、問題がマスターにと」

「善人が悪を見過ごすのも、悪人が善を見逃すのも、どちらも結構なストレスだからネ。必要があると理解した上だろうが、そうし続ければ心がどこか歪んでいく。

 人非人な魔術師でもなければ、全てを成長の糧にできる無垢な花でもない。大局を見据える王でもなければ、もちろん目の前の状況だけに集中する戦士でもない。普通の人間には余計な負荷が大きすぎた」

 

 まあそもそもこれまでが普通の人間がやらなければならないような偉業ではなかったがネ、と。モリアーティはそんな呆れも交えた言葉で話を締める。

 

「ああ見えて一番融通が利かなくなってるのはあの子。ソウゴたちみたいにサーヴァント相手でも自分で戦えるんなら、ある意味細かい問題だったかもしれないけどさ。そうじゃない以上、フォローはしとくべきっしょ」

「フォローっつってもねぇ。普段は全員でレイシフトするんだろ? 今回みたいに一人誘拐された場合用のプランも立てとくって話? 緊急対応的な。

 んなこと話し込むよりオレたちのやるべきことは、フォローしなくていい態勢の構築なんじゃないですかねと思わないでもないけどな」

 

 精神面、しかも当人の信条の根幹に至る話だ。おいそれと余人に触れられるような問題ではなく、サッと話してパッと解決、だなんて都合よくはいかないだろう。

 だが一分一秒を争う問題というわけではない。じっくりと時間をかけてフォローを入れ、ゆっくりと解決に向かうように働きかけるのが理想であるだろう。

 今回は―――前回も、だが。突如として立香のみが危険に晒されたが故に、祈荒がより強く問題提起の必要性を訴えてきただけ。もし立香に多少の危険なら一人で打ち払えるだけの力があるなら、多少の問題など起きても危険はなかっただろう。本人の自覚をそれとなく促し、ゆっくりと待つだけでよかった。

 だが彼女にはそれほどの力はない、問題が表面化した時に取り返しのつかない事態を招くことを考慮した場合、こちらから必要以上に働きかけるべきだとするしかなかった。

 

 そんなことよりカルデアの警備、防衛体制見直すのが現実的で堅実だろ、と。

 ロビンフッドはどうにもノリ気でない様子で首を傾いだ。

 

「そりゃもちろんそっちもどうにかしたいとこではあるよなぁ」

 

 城主であるシャルルがそれを言われると痛い、と髪を掻き乱した。なんかこう勢いでこの状況になり甘んじているわけだが、BBやダ・ヴィンチちゃん任せでなく、この状態に何かもう少し整理をつけたいところだ。が、シャルルマーニュでは難しい。

 それこそカール大帝ならばここ―――シャルル・パトリキウスならず、カロルス・パトリキウスをカルデアごと無敵の要塞に“同化(オラクル)”してしまえたのであろうが。

 

 そこで軽く咳払いを挟み、祈荒が話を元に戻す。

 

「―――これは彼女の心の問題。外から誰かが何かを働きかけるのではなく、彼女に自分自身を改めてもらわなければ何の意味もありません」

「汝だけでは力が足りないのだから危険なことは極力避けろ……という風に言って聞かせても意味はないと?」

 

 まったくその通りだろうな、と考えつつ口を出して、肩を竦めるアタランテ。

 

「はい。どうするのか、どうしたいのか。その点に関して彼女の中で整理がつくのなら、極論答えは何だってよいのです。彼女の現状、最初に選んだ答えが生む強迫観念に動かされているような今の状態でさえ、立香さん自身がそれで構わないと思うのであればそれでいい。彼女がどんな在り方を選ぶにしろ、それを他人に否定される謂れはないのです。

 ……大きな目的のために自分の重みを軽んじる。根幹に根付いてしまった指標、他者へと過剰に寄り添う在り様は、正しく生き地獄への道筋。人の足は地に根を張るためのものではなく、歩くためのものである。その自覚があるにも関わらず、状況に寄り足は動きが鈍る。彼女の理解と意識のズレはもう看過できない段階です。彼女はもう本来ならば一度引き止め、意志の確認をしなければならなかった地点を通過してしまっているでしょう。

 ―――とはいえ、いまさら無理に抑え込むことが正しいとは言えません」

「…………」

 

 アルトリアが片目を瞑り、軽く鼻を鳴らした。

 彼女のその反応から何を考えているかを察し、モリアーティが顎に手を添える。

 男が小さく吐き出すのは、どこか感心するような声。

 

「……因縁が深くなるにも理由がある、ということかナ。道を逸れた信念にさえ心を砕く、正しく聖女の所業だ。聖者であっても魔性であっても根幹は同じというなら、どんな覚悟をもって立ち向かおうと受け入れられ、ただの敵にすらなれはしない。そんな相手に抗しようと思うのであれば、相手の言葉など耳に入れぬ知性を捨てた狂人の凶弾以外ありえない。なるほどなるほど」

「?」

 

 愉しそうな男の発言に不思議そうに首を傾げる祈荒。

 だが老爺が気分を良くしていく倍の速度で機嫌を直滑降させる者もいる。

 

「そこまでにしておけ悪党。首を飛ばされなくなかったらな」

「安心なさい、飛ばした首は串刺しにして生かしたままホームズの部屋に飾ってあげる」

「こわっ」

 

 不機嫌さを隠さないアルトリア、メルトリリスの声。

 それに素直に反応し、微妙に距離を取るロビン。

 何より迷惑なのはこの男の生首と生活する羽目になるホームズだろうが。

 

 本気でやりかねない二人に流石に頬を引き攣らせ、後退るモリアーティ。

 彼は自然とギリギリで止めてくれそうなカルナへと体を寄せる。

 

「これは友人への軽口だとも。そうとも、私たちは新宿でツーカーの仲だったからネ。彼はこんなに面倒くさい仕事は中々ない、と思っていたし、私はあんなに利用し甲斐のある掃除屋は中々いない、と思っていたくらいだ。これはかなりのフレンドポイントでは?」

「そろそろ止めておけ。お前の生死が本題ではないだろう」

 

 よりにもよってカルナに忠告され、モリアーティは素直に止める。

 瀬戸際という奴だろう。

 

 ただまあ女性両名の機嫌は損ねたようだが、モリアーティ自身に彼を馬鹿にする意図はない。殺生院キアラは無銘のアーチャーを明らかに意識し、彼もまたキアラを明らかに殺すべきものとして見ていたという。

 それだけの情報を聞いて、いま祈荒の口振りを聞いていたら、まったくもっておおいに納得できましたという話。正義の味方は大変だ、と改めて身震いしたというだけのことだ。

 

「騎士王が言った通りマシュ・キリエライトは問題に近過ぎる。

 ロマニ・アーキマン、レオナルド・ダ・ヴィンチ両名も同じくだ。二人はそもそも立ち位置がマシュ側の人物、という認識があるだろう。

 自分の問題を意識させて常磐ソウゴたちの自然体を崩してはいけない。そう考えるが故に、彼女は他のマスターたちにも積極的に悩みを開示はしないだろう。

 あるいはオルガマリー・アニムスフィアならば、と言いたいが、彼女は藤丸立香から悩みを打ち明けられるほど強い存在だと思われていない」

「辛辣だが……まあ、その通りだろうな。今もまだ他人を受け止めきれないほど弱い、というわけではないが、実際に相談相手に選ばれたら空回りするのが目に見えている」

 

 カルナの言葉に反論の余地なしとアタランテが溜め息を一つ。

 けして成長していないわけではないし、弱いままなわけではない。オルガマリーという人間が自分の足で立って、力強く進めるようになったのは確かだ。だが今の彼女が他人の心の機微に触れる相談に乗れるかというと、危うい。

 関係の薄い人間相手なら幾らでも出来るだろう。だがもし部下として、仲間として、共に戦ってきて、自分の成長を促してくれたと強く信頼を置いている、立香やソウゴから自分の弱さを告白されたら……驚くかもしれない。もしかしたら泣くかもしれない。自分が信頼されてると喜ぶかもしれない。必要以上に頑張って解決しようとするだろう。

 

「……あまり解決に寄与するイメージは湧きませんね」

 

 その結果はアタランテ同様に空回るイメージしかできず、ガウェインは眉を顰めた。

 

「―――つまり、彼女と近しい人間が行えることではない。むしろ未だに距離がある者が、周囲にバレないよう少しずつ解き解していくしかない、という話でよろしいでしょうか」

「その通りです」

 

 結論を理解して、トリスタンが確認を取るために祈荒に問う。

 彼女が危機に陥らないように、カルデア等の防備の底上げは必要だろう。

 それとは別に、今の彼女に対して働きかけることも必要。

 となれば、選択肢はひとつしかないだろう。

 そして何故、わざわざこんな席を設けて無駄話をさせたのかと言えば。

 

 ―――キリ、と鋼の踵が床を削る音が響く。

 

「つまり……つまり私たちがそれとなく他の連中を誘導して、アナタと立香が周囲を気にせず話をできる環境をできる限り作れ、って言いたいわけ? ねえ、殺生院」

「そうなります」

 

 苛立ちを正面から受け止めて、祈荒はあっさりと言い返す。

 彼女はセラピストとして、それが必要だと感じたからそうしているだけ。自分を味方と思っていない命を奪う刃を持つ存在が怒りに震えても、その信念がブレることなどない。

 

 例え肉体を貫こうが、心を溶かそうが、そこは折れない。殺生院祈荒という人間の行動指針は狂わない。他の誰よりイカれた思想のくせに、その強固さも尋常のものではない。

 そう考えるとこれを変質させた魔神ゼパルとやらは、実は凄まじい偉業を達成していたのか。

 

 呼吸を整え、怒りを鎮め、メルトリリスは目を開く。

 

 目の前にいるのは殺生院祈荒。

 肉体という枷から解き放たれれば、世界を犯す獣性さえ備えた精神の怪物だ。

 たとえ肉体が人間と変わらなくても、精神ばかりは尋常ならざるもの。

 だからこそ、そんな奴と同じ領域に片足を入れてしまった立香のための言葉を吐ける。

 

 ちゃんと理解している。ちゃんと理解しているが、腹が立つ。

 こんなモノに頼らなければならないなんて。

 それでもその感情を溶かして受け入れると示すように、メルトリリスは苛立ちを飲み干した。

 

「―――ええ、いいでしょう。信じてあげようじゃない殺生院。

 今回はマスターのためにアナタのやり方に()()()()()()()()()。注意なさい? 私とアナタの行き着く先が今度こそ地獄の底にならないように、ね」

 

 強く睨みを利かせるメルトリリス。

 そんな彼女に対し、祈荒は優しく微笑み返した。

 

 

 




 
 スイッチで出たからと無印ぶりにペルソナ5Rにやったら総番の幾万の真言無双で突き進んだにも関わらずプレイ時間が100時間を超えた。とんでもねえゲームだぜ。
 じゃけんサタナエル含め理想のペルソナ軍団作るために2週目行きますねー。稼ぎ考えると結局またマルキまでいかなあかん。
 今月の予定はシャドウを轢き殺しながらボックス周回というわけだ…
 


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アナザー・偽りの旋律2008

 
オベロンが引けたので初投稿です。
 


 

 

 

 胤舜の案内を受け、夕暮れの森を歩いていく。

 目指す先は彼が世話になっているという庵である。

 道中、歩きながらも大雑把に情報の共有を済ませておく。

 

 一通りの話を終えた後、彼は大層難しげな表情を浮かべ、むんと唸った。

 

「魔神なぁ、拙僧にはそれらしい相手は思い浮かばないが……」

「実はこの状況、魔神が関係ないって話は有り得るんですか?」

 

 ツクヨミに問われ、オルガマリーは顎に手を当て小さく俯く。

 もっともそれを考察するための情報もない。

 考えたところで答えなどでるはずもないだろう。

 ただ仮に魔神の契約者がいるとしたら―――やはり天草四郎その人だろうか。

 

「……カルデアとの通信はまだ通じない?」

「まだですねー、どうも電波状態はよくないみたいです」

「―――こうして侵入してみると、恐ろしく不安定な時空間です。何が起きるかわかりませんので、細心の注意を」

 

 ルビーとサファイアがアンテナを生やしつつみょんみょん揺れる。が、ステッキ二人が力を尽くしているというのに成果は未だ上がってこない。この二振りが駄目だと言うならば、それこそキシュア・ゼルレッチ本人に御出まし頂くくらいしか解決法はないだろう。ならばもはや考えてもしょうがない話だ。

 そもそも今回のそれはレイシフトという機能の想定外だ。カレイドステッキとBB、インチキにインチキを重ねた強行軍。これによってどんな不具合が起こるかは未知数だった。ならば状況の推察よりも、素直に現地における情報集めに徹するのが吉だろう。

 

「そういえばさ、胤舜はあいつらのこと初めて見たんだよね」

「うん? ああ、そこらの怪異とは比較にならぬ強者が動いているとは分かっていたが、つい先程まで克ち合うことはなかったな」

 

 ソウゴからの問いかけ。それがアーチャー・インフェルノやアサシン・衆合地獄、キャスター・リンボと言ったような英霊剣豪を名乗る連中のことだと理解して返答しつつ、胤舜は思考を深めるように己の顎に手を添えた。

 

「……つまり英霊剣豪? とかいうあの手のサーヴァントたちにはあなたたちを抑えるより、殺戮を優先させてたってわけよね」

「そうなるな」

 

 重ねて問われるクロエの言葉に深く息を吐きつつ同意する胤舜。

 

 ランサー・プルガトリオ、胤舜に与えられる筈だったらしい忌名。それを与えるために向こうから接触してくることもなかった。胤舜たちの行っていた急場しのぎの場当たり的な対処には無反応。

 今まで胤舜たちは近場、移動できる範囲での雑魚狩りしかできなかった。どうあっても行動範囲が絞られる彼らに対応しなかった、ということは最初からそのつもりが無かったと考えるのが自然だろう。

 その上で今になってこの状況ということは、カルデアの到来したという事実を以て連中は何らかの行動を起こし始めたということだ。

 

「……妙な話だと思う」

「妙、って?」

 

 呟く美遊に反応してイリヤが首を傾げる。

 

「クラス名で呼び合ってたことからして、英霊剣豪はたぶん全員で七騎。聖杯戦争を下敷きにした何らかの呪術によって呼ばれたもの、なんだと思う」

 

 聖杯戦争はただの召喚術というわけではない。

 あくまで英霊をサーヴァントとして呼出し、燃料として利用する儀式なのだ。

 つまりサーヴァント召喚のその先、というものがあって然るべきなのである。

 

「―――聖杯戦争の目的は、サーヴァントの魂によって完成される聖杯。つまり最終的にサーヴァントが全て退場しなければ成就しないもの。多少の誤差はあれどね。

 けれどそんなサーヴァントを使ってやっていることは、英霊剣豪とやらにして狂化させ、一般人の殺戮三昧。これでは聖杯の完成なんて夢のまた夢、何の意味があるのかってことでしょう」

 

 オルガマリーが溜め息混じりにそう告げて、額に手を当てた。

 

 ただそれこそバアルとモリアーティのように、儀式の完遂とは別の尺度から“意味ある七騎”が用意されている可能性もある。それらが正しく“消費”された時、悪魔と人間の同盟は正しく勝利に手をかけた。

 だからこそ単純に考えるわけにはいかないが、英霊剣豪を揃えた意味は……いや、ランサーの枠に嵌る筈であった胤舜を放置しているのだ。そこからはまともに儀式の運行をする意識さえ見られない。そうして揃えた恐らく残りの六騎を使い、積極的にやっていることは一般人の殺戮。どうにもサーヴァントを用意しての行動としては、ちぐはぐな印象を受ける。

 

「英霊剣豪の行動が最終的に、呪術師にとって聖杯の降臨に匹敵する何かになる?」

「……まあ、恐らくはね」

 

 現状の情報。それだけで考え、正直に言ってしまえば()()()()()()

 一般人の殺戮が目的であり、英霊剣豪はそのための手駒に過ぎないように見える。

 あるいはその殺戮が別の呪術儀式を呼び起こすのか。

 

「ただ生活しているだけの村人を襲い、皆殺しにして、それで目的に近付くというわけか。

 反吐が出るような話だ」

 

 腕を組んで鼻を鳴らすゲイツ。

 同じように腕を組んで、ソウゴは悩むように空を見上げた。

 

「……つまりこの状況を作った奴にとって一番困ることは、英霊剣豪を止めること? でもたぶん、倒さない方がいいよね、英霊剣豪も」

「なに? どういうことだ」

「英霊剣豪は英霊剣豪で、倒したら相手が目的に近付いちゃうと思うってこと」

 

 眉を吊り上げ詰問するゲイツに、ソウゴはそう返す。

 一般人の殺戮が大呪術の燃料であると考えたとして、サーヴァントを退去させることは同じくその大呪術の燃料になってしまう可能性が高い。相手は積極的に村民を殺す悪鬼外道、計画を進めさせるようなことはできれば避けたい。

 英霊剣豪の殺戮は防ぎつつ、魔神と関わりがあるかどうかも不明だが、とにかく術者―――あるいは明らかに呪術師に近い立ち位置にいると思われるキャスター・リンボを押さえる。

 

 それが最適解ではなかろうか、と。

 

「―――ありえると思います。月が変わった時のあの空気、あれは格別に呪に長じた術者でなければ起こし得ない現象だと感じました。

 ましてこの悪辣さ。こちらが不死の英霊剣豪こそ呪を進める要と見て撃破する事、それこそが致命的な失着になりえるような、二段構えの罠が用意されている可能性は念頭に置いておくべきかと」

 

 ソウゴの感覚を補強するように小太郎が同意する。

 

 魔術だの呪術のことは未だとんと分からない、が理由には納得したのだろう。

 ゲイツはソウゴを睨む視線を引っ込め、眉間に皺を寄せた。

 

「捕まえる方法さえあればむしろそっちの方がいい?」

「相手は不死身みたいだし出てきたら毎回足止めし続けるでもいいけど……人数が足りれば」

 

 相手は恐らく六騎。

 一ヵ所に全員出てくれれば考えなしにそこに直行でいいが、そうもいかない。

 

「封印するような方法があれば一番、ってことですか?」

 

 イリヤがルビーを見上げる。だがその意識が向けられているのはルビー本体ではなく、彼女が管理しているサーヴァントのクラスカード。その中のライダー、メドゥーサの魔眼なら或いはと考えたのだ。

 何せ場合によっては大魔獣ゴルゴーンクラスにまで出力を上げられる。イリヤの持つカードの中でも、周囲を顧みなければ制圧力に特化した切り札だ。

 

 だが現状、少なくとも彼女たちが確認した相手は鬼種である。大魔獣の魔眼とはいえ、易々と封じられるとは思えないと美遊は小さく眉を顰めた。

 同時に少し違う理由で、ゴルゴーンの力で巴御前を石化させようという考えに、ツクヨミは何とも言えない表情を見せた。

 

 そもそも心情的に巴御前をインフェルノのまま放置するのは気が引ける。そこは少なくともウルクで顔を合わせていた全員の共通認識だろう。あの無限に噴き出す憎悪こそが、彼女が牛若丸を避けていた理由なのだと実感で理解できたほどだ。

 

 効率の良い勝利のために巴御前を石化してそのままにするくらいならば、彼女を解放するために打倒し、呪術師の呪いを完成させた上で真正面から叩き潰す方がいい。

 倒さない方がいいかも、と口にしたソウゴも言うには言ったが結局そういう考えの人間だ。

 

「……倒す倒さないはさておいて。まずは倒せる方法を探さなくてはね。先に呪術師を探し当てられるならそれ以上はないけれど」

 

 英霊剣豪にどのような呪術が仕込まれていたとして、要である呪術師を討ち取れば破綻するだろう。それが最も解決に近付く選択肢であることは疑いようもない。

 オルガマリーはそう締め括り、彼女たちは胤舜の案内についていくことに集中した。

 

 

 

 

 

 

 カコーン、と日の沈みゆく森に響く爽快な音。薪割りの音だろうか。目の前には木々の合間から煙が上がっているのも見える。どうやら胤舜がねぐらにしている庵とやらは、もう目と鼻の先らしい。

 テンポよく続く薪の割られる音は、庵に近づくにつれより大きく聞こえるようになっていく。

 

 森林を抜けて開けた場所に出た瞬間こそ、その音が一番よく耳に響いた。

 薪を割っていた赤い髪の青年はちらりと闖入者を確かめると、盛大に溜め息ひとつ。

 

「おい、おま―――」

「お、おおおおおおおおおおおお―――!? お兄ちゃん!?!?」

「あン?」

 

 青年の声を吹っ飛ばし、少女が大きな驚愕と少しの喜悦を混ぜて叫ぶ。

 

 叫んだのはイリヤスフィール。少女が起こした突然の奇行に集まる視線。そうして注目されていることにも気付かないまま、彼女はありえないものを見たという表情で戦慄いていた。

 そして声こそ出ていないが、クロエと美遊も唖然とした様子を見せている。が、そちらの二人は揃ってハッと何かに気付いた様子を見せていた。

 

 二人が連想したのは同じもの。カルデアの戦いの記録における第七特異点、古代ウルクで共闘した女神イシュタルだ。あの女神は現世に降霊するために、真体ではなく波長の合う人間の体を借り受けることで、霊格を落としたサーヴァントとして現界していた。

 

 ―――となれば、目の前の青年も。

 

「どどど、どうしてお兄ちゃんがここにいるの!? え、どうして? え、なんで!? えとえと、わたしは今カルデアってとこの人たちを手伝ってて……そう、リツカさん! リツカさんって人を探しにきたんだけど! お兄ちゃんはなんで―――」

「……少し落ち着いたらどうだ、嬢ちゃん。そんで誰だお前さんたちは、当たり前だが(オレ)には異国人の妹なンざいねえぞ」

「―――――」

 

 フリーズ、少女が電池の切れたロボットのように停止する。

 青年は切り株に斧を立てて手放すと、軽く肩を回しながら訪問者に胡乱な目を向けた。

 

「ンで? 今度は(オレ)の姉か兄か弟か?」

「いえ、別にアナタの縁者でも何でもないけれど……」

 

 フリーズしたままゆるゆるぱたんと倒れるイリヤ。

 あーあ、と肩を竦めるクロの横をすり抜け、美遊がすぐさま駆け寄った。

 糸の切れた人形のようでありつつも痙攣しているイリヤを揺する美遊。

 

「イリヤ……! イリヤ、気を確かに……! 傷が深いのは分かるけれど……とても分かるけれど……!」

「あーあー、仕方ありませんねぇ。とりあえず落ち着くように鎮静剤……いえ、むしろ失意のどん底にいるんですから、元気が出るアッパー系のおクスリでも一発ぶすっと逝っときます?」

「とりあえず休ませるのがいいかと。寝床を借りましょう」

 

 にょっきりと注射器を生やすルビー。そんな姉を瞬きの速さで繰り出す羽飾りの手刀で撃墜しつつ、サファイアは青年に向いてそう言った。

 珍妙な物体は空飛んで話してる、というだけで奇妙なものを見る目を向けるには十分。あからさまに警戒しながら、青年は胤舜の方へと視線を向けた。

 

「で、何なんだこいつらは」

「うーむ、拙僧も理解が怪しい故に詳しい説明というのは難しいが……うむ、頼りになる味方だな!」

「なんだそりゃ……」

 

 目の前で少女が倒れ伏したので、仕方なしにか。

 溜め息混じりにとりあえず話を聞くか、という姿勢を見せる青年。

 

 唐突な謎のお兄ちゃんイベントが発生して目を白黒させていたオルガマリーがハッとする。

 タイミングは外したが、とにかくカルデアの名は名乗っておくのがいいだろう。

 

「わたしたちは―――」

「ねえねえ、いま立香とか何とか聞き覚えのある名前が聞こえてきたけど、もしかして、もしかしちゃったりなんかしない? いやいや、流石にそんなわけない―――」

 

 説明をしようと前に出ようとするオルガマリー。

 しかしそこで彼女の声を遮るように、庵の中から女が一人出てきたではないか。

 

 姿を見せたのは奇抜な着物の女性。

 一度見れば記憶に焼き付く派手な装束、見覚えがある顔、聞き覚えのある声。

 腰に剣を佩いていなくとも彼女が武芸者だと分かる。

 立ち姿、風格を検めるまでもなく、その事実を知っているのだから。

 

 ―――即ち。

 あのご飯が山盛りの茶碗と箸で両手が塞がった女こそが、二天一流。

 

「そんなわけ……あった?」

 

 新免武蔵守藤原玄信、宮本武蔵は目の前の光景に目を見開いて。

 そしてとりあえず、食事をそのまま続行した。

 

 

 

 

 

 

 洞窟内に軽快な足音が響く。

 こんな楽しげにこの場所を歩く者を、ここで寝転がっている者は一人しか知らない。

 怪人は気怠そうに体を起こし、そちらへと視線を向ける。

 

「おや、これはお休みのところ申し訳ございません。少々、お手伝いして頂きたいことがありまして」

「手伝い? あっちの見張りはいいのか? ま、誰も来ないから暇な仕事だが」

 

 何も申し訳ないなどと思っていなそうなリンボの声。

 それに失笑を返しつつ、怪人は親指を立てて洞窟の奥を雑に指し示した。

 

 そちらから漏れてくる唸るような、呻くような声。

 大事な大事な計画の要だ。リンボにとっては、だが。

 恐らく何も無いだろうとはいえ、放置していいのかと問いかけている。

 

 だが問われたリンボは、何の問題もないとばかりに微笑み返した。

 

「段蔵」

「―――――」

 

 リンボが一言名を告げると、どこからか現れその場に降り立つひとつの影。

 その体を作るのは肉に非ず、絡繰によって構築された人ならざるもの。

 しかし傍目にも人と見紛うほどの人形である。

 

 姿を露わにしてしかし無言。美女と称するに相応しい造形の顔面には、表情と言うべきものはまったく浮かんでいない。その在り様は、繰られた通りに四肢が動くだけの糸人形のそれ。

 人形らしく一切の生気を感じさせない女は、ただリンボの側で跪いて控える姿勢を取っていた。

 

 それを見て怪人は首を捻る。

 

「見張りを交代か?」

「―――貴方にお願いしたい事というのは他でもありません。こちらに来たカルデアの主戦力に、黒縄地獄殿を伴って襲撃を仕掛けて頂きたいのです」

「冗談だろ?」

 

 言われた要求を軽く笑い飛ばす怪人。なにせ今の体だって大したものじゃない。何とかトランスチームガンを起動できる程度の、最低限のハザードレベルしか出ていない。その程度のハザードレベルで死なない人間をやっとのことで見つけ、今どうにかこうしているのが彼の現状なのだ。

 この状態でジオウやらウォズやらの前に立つなんて、罰ゲームにも程がある。ちょっかいを出して手酷くやられれば、同化してる人間も当然消滅するだろう。そうなったらまた新しい体を探さなくてはならない。

 

「ンン、御心配なく。戦ってくれと言っているわけではありません。ただ()になって頂ければよろしいのです。無論、協力には見返りを。

 拙僧の目的が果たされた際には、我が掌中から如何様なものでも差し上げましょうとも。貴方が望むものであれば、何であろうと用意してご覧にいれましょう」

「見返りねぇ……」

 

 この世界における呪術式が叶えば、その程度の報酬はまったく問題ないと言うように。リンボは妖しく唇を歪めて微笑んでみせる。

 その言葉の真意がどうであれ、どちらにしろ現段階でウォズやらの目の前に出たくないのは変わらない。存在自体を知らせたくないのだ。見返りとやらがどんなものでも、そう吊り合うことはないだろう。

 ―――とはいえ、だ。ここでゴロゴロしているだけというのも、退屈でしかなかったというのが現状への正直な感想である。問題は多いが、せっかくの話と思えなくもない。

 

 重そうに腰を上げて、赤い怪人は立ち上がる。

 リンボと視線を交わし、彼は酷く億劫そうに肩をゆっくりと回した。

 

「―――ま、暇潰しには悪くないか。報酬は……期待しないようにしておくがな」

「これはこれは。流石にこちらの自尊心を煽る口振りも達者でいらっしゃる、そう言われてしまえば是が非でも、度肝を抜くモノを用意して差し上げたくなるのが人情というもの。ええ、ええ。もちろん貴方のお望みを叶える物、全力で準備させて頂きますとも。お愉しみに」

 

 くつくつと笑いながらリンボの姿が薄れていく。

 段蔵と呼ばれた人形は残したまま、彼はこの場からあっさりと消え去った。

 

 勝って当たり前、という考えなのだろう。それだけの準備が整っているという自信の表れなのだろう。この洞穴の奥に座すモノを考えれば、まあ分からなくもない。

 だがそう上手く事態が動くなら苦労しないという話である。

 

 咽喉の奥で笑い声を転がす。

 彼はそうした数秒後、じっとしたままの人形を見下ろして呟いた。

 

「さてなァ……まあ払いに関して心配も期待もしちゃいない。ここで“お前の目的が果たされた時”なんて、どうせ一生こないだろうからな。なあ?」

「―――――」

 

 半分笑いながらの言葉に、当然人形はだんまり。

 それに肩を小さく竦め、怪人は再び彼女に声をかけた。

 

「とりあえず黒縄地獄とやらのとこまで案内してもらおうか。そんでもってそれからは、三人一緒に仲良くお仕事の時間だ」

「御意」

 

 かたり、かたりと絡繰人形が動き出す。

 リンボが彼をわざわざ動かしに来た理由。段蔵を置いていった意味。英霊剣豪、黒縄地獄。

 どんな仕事が求められているかは明白だ。

 どこまで通じるかは分からないが、まあやってやれば満足するだろう。

 

 

 

 

 

 

「立香は城下の方に? んー、じゃあまあ安全でしょう。凄いのがいるみたいだし。今晩はここで明かして、明日迎えに行けばいいと思うわ」

 

 こちらの状況を簡潔に伝えると、茶碗をやっと置いた武蔵がそう言って息を吐く。

 そうして言い切った女に対し、ギロリと鋭い視線が向いた。

 

「馬鹿野郎、何でお前が勝手に寝泊まりの話を纏めてやがる。それもこれも家主の(オレ)が決めることだろうが。飯まで勝手に食い始めてやがったこの阿呆が」

「それはごめんなさい。でも化け物狩りがまあ大変だったんだもの。ちょっとくらい、ね?」

 

 てへぺろ、と武蔵が青年に謝罪する。

 

 だが新免武蔵は生身の人間、走り回って剣を振るえば腹も減るのだ。ひとつの殺し合いが終わったら、次に備えて補給は怠れない。いつ発生するか、いつ終息するか分からない超常現象、怪物が現れて見境なく人々を殺戮する地獄変。それに備えようと思えばちょっとくらい、と。

 

 そこに理解は示しているのか、青年は苦い顔で彼女を睨むに留めた。

 

「でもじいちゃま、みんなでごはんたべるのはたのしいよ? ね?」

「きゃっ、きゃっ」

「おぬい、お前は口を挟むんじゃねェ。さっさと食って、田助と一緒に寝ちまえ」

 

 おぬいと呼ばれた童女が自分の食事を進めながら青年に告げる。

 彼女の隣に座っている小太郎の腕の中、抱かれた赤子が同意するようにはしゃいだ。

 その赤子の方が、田助という名なのだろう。

 

 あやすように腕を動かし続ける小太郎が、どこか困惑した様子で苦笑した。

 

「……食事はありがとうございます。この分の埋め合わせはさせて頂きますので……」

 

 食事している連中をちらりと見て、オルガマリーが息を吐く。

 いきなりこの人数で押しかけ、食事をたかることになったらまあ文句も当然。

 何故、サーヴァントがこんな生活をしているかは疑問だが。

 

 とにかくまず謝罪をと言葉を続けるオルガマリー。

 そんな彼女に対し、青年は酷く面倒そうに箸を持った手を振ってみせた。

 

「お前らに飯を食わせる義理なんざどこにもねェ。ねェンだが、この辺鄙な林の中に腹を空かせたガキどもがやってきた。そんでもってここらで唯一の民家であるこっちは、丁度夕餉の支度をしてるとこだった。

 ならそこは仕方ねェ。まして坊主の案内でとくれば、これも飯を食わせてやれとお釈迦さまが手繰った縁だったンだろうさ。だからそこに文句はねェ」

 

 そういう気質なのか、それはどうでもいいと言い捨てる青年。

 では何に怒っているのか、とオルガマリーは目を白黒とさせた。

 

 正しく案内人となっていた坊主がそこで口を挟む。

 

「その食事のこともある。彼らに振舞って備蓄も底をついただろう? 明日、城下に仲間を迎えに行くついでに、食料を買ってきてもらえばいいのではないか。それならば今晩床を貸す理由にもなるだろう?」

 

 床の間ではなく居間で雑魚寝になる人数だが、と。

 そう言ってくる胤舜を軽く睨むような青年。

 

「わ、きょうはおねえさんたちもいっしょなの? たのしそうでねむれなくなっちゃいそう!」

「駄目よ、夜はちゃんと眠らなくちゃ」

 

 箸を手に少々興奮した様子を見せるおぬい。

 その隣に来るのは、食事を終えたツクヨミ。彼女が小太郎と代わり田助を抱く。

 

 サーヴァントなので食事は要らぬ、と言いたいところではあるが。振舞われたからにはそんな事を口にする方が礼を失するだろう。まして家主もサーヴァント、そんな事分かり切った上で振舞っているのだろうから。

 手の空いた小太郎は自分の分と用意された夕餉に手を付け始めた。

 

(性質の近しい人間の肉体情報を依り代とした疑似サーヴァント……女神イシュタルのような規格外故の疑似サーヴァント、とは思えませんが)

 

 箸を手にしつつ、小太郎の視線は酷く面倒そうな顔をした青年の方へ。

 イシュタルのあれは女神であるが故に起きた措置。

 だが目の前の青年の霊格は通常のサーヴァントの域を出ないだろう。

 

 ではこの青年は一体何故。今も部屋の隅で死んだダンゴムシみたいに転がっている、イリヤスフィールの兄という人間を依り代に顕れる事になったのか。

 

 家主たちの話が行われている中、ソウゴたちは何となくひそひそと声を潜めて、武蔵へと今まで戦ってきた敵の様子を訪ねていた。

 胤舜の話では今回が初めてだった英霊剣豪。ならば別の場所で戦っていたらしい武蔵も、彼女らに会敵しているかもしれないと。

 

「英霊剣豪?」

「武蔵の方には来なかったの?」

「んー……私が斬ったのは普通にいつも通り、空飛ぶ蜥蜴とかその辺りだったけれど」

 

 だが実際、先程訪れた夕焼けの夜でそのような更なる異常はなかったという。

 英霊剣豪はこちらにしか出てこなかったのだろうか。

 後は城下に現れた可能性もあるだろうが……

 

「彼奴らはどうやら不死身らしくてな。複数と当たるような事になれば、恐らく拙僧も武蔵も無事では済まないだろう。そういう意味でもここで皆に寝泊まりするのは、村―――」

 

 宿泊させるに足る理由。怪物から身を守るための護衛としてカルデアの者たちをを同じ屋根の下に置いておくのは、間違いなく安全に寄与する選択肢だろう。

 

 ―――が、そんな事を示すために軽妙に回っていた胤舜の口が急に動きを止めた。

 そうするに値するだけの、ひりつくような空気感が満ちていく。

 坊主の顔が即座に戦に臨む者のそれに代わり、椀を置いて手を空けてみせた。

 

「……明らかに何か違う。英霊剣豪、さっそく見物できそうね」

「―――英霊剣豪、かな? これ」

 

 ただ魔獣がそこそこ出てくるような雰囲気ではない。それを今し方聞いたばかりの話、英霊剣豪のものであると武蔵は判断した。

 

 が、隣で残っていた汁物を一気に掻き込んだソウゴは眉を潜める。英霊剣豪であればこんな凍るような空気ではなく、燃えるような殺意が乱舞するような印象があったのだ。もっとも全ての英霊剣豪を知っているわけではないのだから、そんなもの既知の英霊剣豪で抱いた偏ったイメージでしかない。

 

 暗闇の中、どこかで放たれた狼の遠吠えが響いた。

 窓から覗く欠けた月が満ち、黄金の満月となって輝き出す。

 

 ―――異形の夜がやってくる。

 

「……そっちの様子は」

「見ての通り、イリヤはまだ死んでるけど?」

「どれだけショックだったのよ……」

 

 オルガマリーが確認すれば、イリヤは未だにダウンしていた。

 クロエにつつかれても起きる様子がない。

 ただ顔を引き攣らせるオルガマリーとは反対に、美遊は気持ちはよく分かると深々と頷いていた。

 

「けど、さっき明けたばかりなのにまた夜とはね。いいえ、もう夜なのは変わらないけど……ううん、夜の内に夜にこられると表現に困るわね」

 

 武蔵が床に置いていた刀を佩き、溜め息交じりの言葉を呟きながら立ち上がる。

 どこかで化け物が乱舞し、誰かが殺される地獄の時間。

 

「―――さて、しかし今回は明らかに拙僧らを狙い澄ましているようだが……いつもこうだと手間がかからんのだがな」

 

 愛槍を手の中に顕して、意識を外に向ける胤舜。

 彼の耳には外で何かが動く音、何かが引きずられるような音が届いていた。

 

 英霊剣豪にしては殺気が薄い、別の何かだろうか。

 或いは殺気の薄い英霊剣豪もいるのか。

 

「ツクヨミ、お前はそいつらと一緒に中にいろ」

「……ええ、分かった」

 

 ドライバーを手に立ち上り、ゲイツが眉間に皺を寄せながらそう言った。

 そいつら、というのはイリヤたちの事。

 顔を顰めた青年は問題ないとしても、おぬいと田助のことは守らねばならない。

 魔法少女三人の戦闘力ならば、何かあっても十分に防戦は叶うはずだ。

 

「じゃあクロは頑張ってイリヤを起こしといて」

「りょーかい」

 

 立ち上り、ドライバーを備えてそう言うソウゴ。

 マスターからの指示に、対象への干渉をつんつんからぺしぺしに切り替えるクロエ。

 これでその内目を覚ますだろう。

 

 その様子を見届けてから、ジクウドライバーを腰にあてる二人。

 備えておくように注意はした。

 が、そもそも何が来ても通すつもりなどない。

 

「アサシン、偵察を」

「御意」

 

 マスターから下る指示とほぼ同時の事。

 窓をするりと抜け、屋根の上へと躍り出る忍。

 彼は満月の下ですぐさま視線を周囲へ巡らせ―――

 

「……敵を捕捉しました。大槌のような武装を手に、徒歩でこちらに向かってきています。この歩行速度ならば、この庵の前に来るまでまだ二分はかかるかと」

『英霊剣豪? それとも別の何か? 判断できる?』

 

 オルガマリーが開いたパスを通じ、念話にて伝える情報。

 それを受けとれば即座に返ってくる問いかけ。

 一瞬の逡巡の後、風魔小太郎はマスターに対し正確に情報を伝達した。

 

「少なくとも外見は人間ではなく異形。人型の蝙蝠、というのが一番近い表現だと思います。

 手にしている武装の大槌は僕も見た事がある。ウルクにて、仮面ライダーディケイドが姿を変えた時使っていました。恐らくは同じものかと。

 ……そして翼には文字が刻んであります。K・I・V・A、と」

 

 余りにも特徴的な姿形を伝達され、確信と同時にその名を口にする。

 

『―――アナザーライダー……っ!』

 

 オルガマリーの声にソウゴとゲイツが顔を見合わせて。

 そしてゲイツはすぐさま顔を背けた。

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと歩んでいく怪人、アナザーライダーが顔を上げる。

 その視線の先には庵の屋根上に上がった少年の姿。

 ―――敵を捕捉したからか、一度そこで怪人が足を止めた。

 

「ちょうどいい距離じゃないか? まずは一発、派手にやってみせろよ」

 

 木陰に隠れたコブラの囁き。

 動きを止めていたアナザーライダーは動き出し、手にした大槌を振り上げた。

 

「―――――」

 

 振り下ろすのではなく、柄尻を地面に立てる槌による攻撃とは思えぬ姿勢。

 だがそうした瞬間、拳のような形をした槌が開き始めた。

 その動作に伴って弾ける稲妻。形成されていく力場は、無音の雄叫びの如く。

 真実の目が見据えた全てに破壊を齎す前兆。

 

 根こそぎ消し飛ばさんとする破壊の雷。

 それは忍者の少年以外、未だ誰も出てきていない庵へと向け行使され―――

 

〈仮面ライダージオウ!〉

 

「お?」

 

 庵の中から音が響く。変身を終え、正面から防ぐつもりか。

 だがそう簡単に防げるような攻撃範囲ではない。

 さてどうなるか、と愉しげに顎を撫でるコブラの目前。

 

〈アーマータイム!〉

 

 突如アナザーライダーの頭上にミサイル……否、ロケットが形成された。

 それが即座にブースターを点火し、アナザーライダーの脳天に激突していく。

 頭上から思い切り不意打ちをかまされた怪人が、大槌を手放してよろめいた。

 

 直後に飛び出したジオウに向け飛んでいくロケット。

 それがパーツごとに分離し、彼に装着された。

 

〈3! 2! 1! フォーゼ!〉

 

 だがその隙に立て直し、攻撃を続行しようとするアナザーライダー。

 怪人はすぐさま地面に立ったままの大槌に手を伸ばし、

 

「ゲイツ!!」

 

〈仮面ライダーゲイツ!〉

〈アーマータイム! プリーズ! ウィザード!〉

 

 いきなり地面から生えてきた腕に両足を掴まれ、つんのめる。

 そのまま膝下まで一気に地面の下に引き込んでくる魔法の所業。

 怪人は、当然のようにそこで動きを止めざるを得ない。

 

 仮面ライダーゲイツ・ウィザードアーマー。

 彼はすぐさま地面を飛び出し、突き立った大槌を蹴り倒してから離脱する。

 そうして残されるのは、足を沈められた怪人だけ。

 

〈フィニッシュタイム! フォーゼ!〉

〈リミット! タイムブレーク!〉

 

「宇宙ロケットきりもみキィイイ―――ック!!」

 

 仮面ライダージオウ・フォーゼアーマー。

 彼が地面を踏み切り、空中でロケットモードへと変形。

 高速回転しながら、動きを封じられた怪人目掛けて突撃した。

 

 相手はアナザーライダー、これで倒すことは出来なくともダメージは与えられる。

 これでダウンさせてからすぐさまジオウⅡで必殺の一撃を見舞う、

 そう言った目論見によって放たれた一撃は、

 

 ざぶん、と。

 怪人の体が膝下どころか全身まで一気に地面に沈んだことで空振りした。

 何もない空間を通り過ぎていくフォーゼアーマー。

 

 ただ地面に埋まったのではない。

 地面が一瞬で水場になり、溺れるように沈んだのだ。

 

「これって……!」

 

 心当たりのある力。それはいい、そういう敵だと分かっていた。

 だが今のは明らかにアナザーライダー本人が行使したタイミングではなかった。

 つまりこの水の狩場を張った、別の存在がここにいるということ。

 

 空振りした必殺エネルギー。

 破壊力に転化できず、急速旋回して庵の方へ戻ろうとするには邪魔になる突進力。

 それを急ブレーキによって殺さざるを得ないジオウ。

 無理な軌道を描くことで発生する過負荷にアーマーが軋む。

 

 そうして、空中で見せる大きな隙が分かっていたかのように。

 泥の中から緑の怪人が飛び出し、減速したジオウに掴みかかっていた。

 

「ぐっ……!?」

 

 水辺に叩き落とされるフォーゼアーマー。

 手放したブースターが水に飲まれ、波に攫われていく。

 体の動きが鈍い。持っていかれるブースターを追う事もできない。

 それはただ水のせいで動き辛い、なんてものじゃない。

 

 狩られる側として落ちて、よくよく理解する。

 ここがただの水場ではなく、水棲怪人の狩場なのであると。

 

「ジオウ!」

 

 水に踏み込むのが悪手、と理解したのだろう。

 ゲイツはジオウに向け腕を向け、エクステンドの魔法を行使した。

 伸ばした手で彼を引き摺りだす事を目的とした行動。

 

 ―――その腕を、横合いから紫の怪人が掴み取る。

 

「なにっ……!?」

 

 相手の腕を掴んだまま全身を振り抜き、ゲイツを投げ飛ばす怪人。

 壮絶な勢いで飛ばされ、木々を薙ぎ倒しながらウィザードアーマーが宙を舞う。

 紫の怪人はそれを見送った後、泥の中に腕を突っ込み、そこにいるものを引き揚げた。

 引きずり出されるアナザーライダー。

 それは泥の上へと再び足を下ろし、庵の方へと視線を向けた。

 

 即座に屋根から地面に降り立つ風魔小太郎。

 庵から飛び出す宮本武蔵、宝蔵院胤舜。

 

 だがそれに対するように、林から飛び出して月光の許に降り立つ青い姿。

 アナザーライダーの前に現れた狼の怪人は、咽喉を震わせ唸りを上げた。

 

 そんな着々と変わっていく戦場。

 それを少し離れた木の上で見下ろしながら、赤いコブラは愉しげに小さく嗤った。

 

 

 



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暗黒の残り香・怒れるウルフ1639

 
 平成とは一体なんだろう。令和5年を迎えふとそこに疑問を持った我々は、その謎を真に解き明かすべく南米の奥地に向かった。
 


 

 

 

 叩きつけられたジオウが何とか立ち上り、泥を払うように体を揺する。

 その動作によって装甲が分離するフォーゼアーマー。

 ばらけた装甲は一基のロケットへと組み上がり、宙へと打ち出されていく。

 

 そうして基本形態に戻った彼はすぐさまドライバーのウォッチを変更。

 

〈アーマータイム!〉

〈タカ! トラ! バッタ! オーズ!〉

 

 文字通り泥沼と化した戦場に三色の獣が現れる。それはすぐさまジオウへ取り付いて、オーズの鎧として彼の全身各部に装着された。完成するジオウ・オーズアーマー。その姿が瞬時に胸部のスキャニングブレスターが青く発光させ、シャチ、ウナギ、タコという文字を浮かび上がらせる。

 跳ね飛ぶ泥を手から出現させた水流の鞭で押し返しながら、ジオウは緑色の怪人に対峙した。

 

 それを水戦の構えと理解したのか。

 緑色の怪人は微かな動作ながら、両手の指を楽しげに揺らめかせる。

 

「あんたは誰? アナザーキバ……スウォルツたちの仲間?」

「んー、別に? ボクはただ呼ばれたからここにいるだけだし。そういうのは次狼に訊けばいいんじゃない?」

 

 半魚人と称するべきだろう怪人が発する声は少年のもの。

 その彼が口にした次狼、という名前は誰のものか。

 アナザーキバか、青い人狼か、紫の怪物か。

 名前の響きだけで判断するのであれば、人狼がそれらしいと思えるが。

 

 タコ足がスクリューの如く泥水を掻き分け加速。半魚人を鞭の間合いに捉えるために行動し―――しかし、水上を滑る相手との距離が詰まらない。

 半魚人の後退は風船のように膨らませた水の塊を垂れ流しながら行われる。それを撃墜するために腕を振れば、炸裂した水球が怒涛の勢いで周囲を浸す。

 

 空中で次々と破裂し、瀑布となる水風船の弾幕。

 局所的な豪雨の中、ジオウが水煙に霞む怪人へと声を張った。

 

「じゃあもしかしてあんた、仮面ライダーキバの仲間? なら何でアナザーキバの手伝いなんかしてるの!」

「手伝いなんかしないよ。ただ色々あって、あのお姉ちゃんに人間を食べさせないようにしてるだけ」

 

 お姉ちゃん、と。

 そう口にした怪人の視線が一瞬だけアナザーキバに向かう。

 契約者は女、ということだろうか。

 考え込む余裕もなく、怪人の吐き出す水球が勢いを増した。

 

「それよりあんたって呼び方好きじゃないな、ボクが君より下みたいで。ねえ、僕のことはラモンって呼んでよ、お兄ちゃん」

 

 不快さを滲ませた声。友好的なのか敵対的なのか分からない口振り。

 ジオウを押し流さんとする水流の激しさは確かなもの。

 だがそれは敵意や殺意からのものではなく、むしろ稚気―――遊び半分の行動であるような。

 

 水のカーテンを鞭で切り分け、ジオウが水面を漂うバッシャーを見据える。

 

「そう? じゃあ教えてよラモン。アナザーキバに人間を食べさせないようにするってのが目的で、どうしてこんな方法を取ってるのかとかさ!」

「いいよ。お兄ちゃんが僕に勝てたらね」

 

 顔の前で両の掌を合わせ、両手の十指に緩く力を籠めながら絡ませる。

 そうしながらも絶え間なく、水風船を膨らませるように口許で水球は構築されていく。

 少年は少しだけ愉しそうに笑い、頭を揺すった。

 

 

 

 

 

 

 アナザーキバの初動は酷く緩慢としたものだった。

 腕をゆったりと上げ、自身の頭上に何か、半透明の牙のようなものを―――

 

「■■■■■■―――――ッ!!」

 

 その行動の直後、青い人狼が雄叫びを上げる。

 同時に地を蹴る獣の脚力。

 

 それを目の当たりにすれば、皆揃って獣の突撃に備えるのが普通だ。

 が、そうして彼らに対して人狼の襲撃はやってこなかった。

 

 人狼が地を蹴ったのは前進のためでなく跳躍のためで。

 そして跳躍した人狼はどういう理屈か、人狼でなく曲刀へと姿を変えていた。

 怪人が武装に変形するという目を瞠る光景。

 

 青い曲刀が空中に舞い、無理矢理アナザーキバの手の中に納まった。

 武装を握らされた怪人が一瞬停止する。

 再び動き出した時の怪人の動きは、曲刀を逆手に構えて腰を落とすというものだった。

 

(あの牙を使わせないようにしてる……?)

 

 庵から飛び出したオルガマリーが一連の光景に目を細めた。

 どうにも動き、連携がちぐはぐに見える。

 アナザーキバとそのお供らしい怪人の目的に相違が見られるのだ。

 

「……さて、どうしたものかしら。中身はきっと英霊剣豪、噂通りの不死なんでしょう? となると、とりあえずソウゴに後付けの力の方を砕いてもらうのがいいと思うけれど」

 

 双剣を抜刀した武蔵の言に同意する。

 正体は不明だが恐らく中身は英霊剣豪。今のままでは二重に不死だ。

 まずはアナザーキバのウォッチを破壊したい。

 キバのウォッチはないが、方法がないわけではないのだから。

 

 だがしかし、ジオウと水棲怪人の戦場は怒涛の水流だ。恐らく怪人の特殊能力か、水流はある一定のエリアからは一切溢れてこない。必要以上に水域が広がらないように特別なフィールドのようなものを展開しているのだろう。

 故にこちらは何の問題もないが―――ジオウをこちらに連れてくるには、あのもはや水中と言っても過言ではないフィールドの中で、水棲怪人を足止めする別の戦力が必要になる。

 

 サーヴァントであってさえ、完全な水中戦となれば行えるのはごく限られた英霊だけだろう。

 

(カルデアから引っ張ってこれたらメルトリリスやキングプロテアが使えたんでしょうけど……)

 

 無い物強請りしていてもしょうがない。

 他に水中戦に対応できるとしたら、もう一人しかいない。

 ジオウと同等の性能、ウォッチによる能力変化に対応できるゲイツだ。

 彼が今装備しているウィザードアーマー。

 それならば水中戦も十全に行う事ができるだろう。

 

 

 

 

 

 

 無論、その状況をゲイツ自身も理解している、が―――

 

 放たれる渾身の右ストレート。

 紫の怪物の行動は至極単純で、ただただ強烈なパワーファイターだった。

 荒い息を吐きつつ、ゲイツが即座に魔法を行使する。

 全身をパンプアップするエキサイト、右腕を巨大化させるビッグ。

 

 二つの魔法を一撃に乗せ、怪物のストレートを迎え撃つ。

 激突の直後、弾き飛ばされるのはゲイツ。

 パワーは拮抗にすら届かず、明らかな勝敗をその場に齎した。

 

「ウガァアアアッ!」

「く……っ」

 

 怪物が両腕を振り上げ、雄叫びを上げる。

 追撃もなしにそうしているのは、どこかパフォーマンス染みていた。

 圧倒的なパワー、正面突破が困難な相手だ。

 だが逆にそのパワーのみがこの怪物を困難な相手たらしめる要素。

 

 あるいは胤舜のような戦巧者ならば。

 攻撃を受け流して時間を稼ぐのも容易なのでは、と思えた。

 

 ゲイツは舌打ち混じりに体勢を立て直しつつ、荒れ狂う水のフィールドを見る。

 

(この怪物は胤舜に任せ、俺がジオウと入れ替わる。そしてアナザーキバをジオウに任せる、か。それができるなら一番だろうが……!)

 

 どしどしと重々しい足音と共に、怪物がゲイツへと迫ってくる。

 それに応じるために構えつつ、もう一度意識を向けるのは仕切られた瀑布の檻。

 

(あの水の空間を広げられたらどうする。あれ以上は広げられないのか、ジオウを止めるために広げないのか……足止めしていれば広がらないなら問題ない。だがそうでなかった場合、ジオウがアナザーキバに向かえば、主人を守るためにあの空間を広げてジオウを追う可能性がある。俺たちが巻き込まれるのはともかく、あの庵には子供もいる。あそこを巻き込ませるわけにはいかん……!)

 

 あの水棲怪人だけは自由にさせてはいけない。

 だが逆に言えば、アナザーキバを擁する相手はジオウを自由にさせてはいけない。

 あの一番離れた戦場の存在によって、状況は膠着しているとも言える。

 

 キバのウォッチが手に入れば、ゲイツでもアナザーライダーを撃破できるものを。

 だが無いものは仕方がない。手に入れるためのヒントもない。

 黒い方も白い方も顔を出さない以上、ウォズは頼りになりはしない。

 もっともゲイツには彼らを頼りにする気などさらさらないが。

 

 腕を軽く振るうワンアクション。

 その動作の直後、ゲイツの手に握られているジカンザックス。

 握った斧を両手で握れるサイズへと巨大化させ、彼は紫の巨椀へと立ち向かった。

 

 

 

 

 

 

 正面に立つのは宝蔵院胤舜。

 彼の修めた武芸の粋。十文字槍による宝蔵院流槍術、裏十一本式目。

 即ち宝具、“朧裏月十一式(おぼろうらづきじゅういちしき)”。

 

 技量が昇華され、成立した類の宝具のひとつ。

 その槍神仏に達す、と称された腕前こそが胤舜が最大にして最強の武器である。

 初見、未知の相手にさえも完璧に対応する完成された武術。

 

 そうして武芸を携えて、真っ先に対応に走る男が眉間に皺を寄せていた。

 

「これは、なんとも、まぁ……」

 

 奔る剣閃は月牙の如く、三日月を描く青い曲刀。

 単純に速度だけは侮れぬ、と感じながらも胤舜の迎撃に淀みはない。

 

 ―――()()

 

 相手はそもそも自分の得物の間合いすら把握し切れていない。

 太刀筋もかなり乱雑である。

 狼の曲刀は紛れもなく業物であるが、あれでは宝の持ち腐れだろう。

 これならいっそ狼男一人で戦った方が強かったのではないか。

 

 では何故、あの狼男は自分を武器に変えたのか。

 

(拙僧の知識で魔術だ呪術だとそちらに考えを伸ばしても詮無い事だが―――)

 

 アナザーキバの乱雑な攻撃を完璧に捌く胤舜。

 

 その合間を縫って、二天一流が舞うように咲き誇った。

 瞬く間に距離を詰め、二刀は怪物の体を打ち据え火花を散らす。

 斬れない、というのは分かった上での打撃のようなものだ。

 剣への負荷を慮った牽制のような連撃。

 

 果たしてその牽制は意味を為したのか。

 すぐさま狙いを武蔵に移し、反撃を行うアナザーキバ。

 だがその隙に彼女は既に曲刀の間合いから離れていた。

 全力で空振りする青い剣閃。

 

(間合いが測れてない……ってのもそうだけど。そもそも構え自体がおかしいわよね、アレ)

 

 刀を握り直しながら、怪人の不自然さに表情を顰める武蔵。

 同じくその結論を抱きながら、小太郎が前髪に隠れた眼を細めた。

 

 曲刀を逆手持ち。あの剣ならば順手でいいだろうに。

 とはいえ、別に剣をどう握るかなど個々人の自由だけれども……

 

 ―――あれは違う。

 根本的に何か違っている。

 

 小太郎が腕を振るえば、いつの間にかその指に挟んである幾つかの苦無。

 それを一直線、アナザーキバに向かって投擲する。

 怪人は即座に剣でもって迎撃に入り、数本弾き、しかし数本の直撃を貰った。

 

 弾ける火花、噴き出す白煙。

 無論、それがダメージにはなっていないだろうが。

 

(動きが余りに不自然。噛み合っていないのか?

 何故そんな相性の悪い存在をアナザーライダーに変えたのか……)

 

 戦法が根本的に異なっている。

 そしてそれを考慮しても順応していなさすぎる。

 英霊剣豪に選ばれたのは基本的に一流の武芸者たちに違いない。

 だというのに相性が悪い、というだけでここまで酷くなるのは怪しい。

 

(中身は英霊剣豪ではない? だったら何者で、何を目的に……いや)

 

 それは後で考えればいいことだ。

 英霊剣豪ではないとすれば、それは倒しようがあるということ。

 変身を維持できないほどに高火力を浴びせ、変身解除したら首を断つ。

 相手の戦力はここが一番簡単に崩せる場所だ、と確信した。

 

「ツクヨミ殿!」

「ええ、分かってる!」

 

 小太郎の声に応えるツクヨミ。

 ジオウとゲイツは確かに怪物と膠着状態に陥っている。

 ならば此処を最速を持って攻略するだけだ。

 

 小太郎が軽く腕を振るい、その掌の中に煙玉を転がした。

 怪人、アナザーキバは想定以下の戦闘力。

 だがあれが手にした狼の牙に関しては、未だ評価を下すまでいかない。

 

(あの剣ばかりは気が抜けない、()()になるものが必要。なら―――!)

 

 投げ込まれる煙玉。

 それが地面に当たり炸裂し、土煙と混じって舞い上がった。

 周囲の視界を覆い尽くす目晦まし。

 

 その中に沈んだアナザーキバが僅かに様子を窺うため硬直。

 数秒後に、手にした曲刀を正面に構え直した。

 

 刃を前に向ければ同時に前を向く鍔にある青狼の装飾。

 正しく剣に姿を変えた怪人の頭部そのもの。

 それは眼光を赤く煌めかせて、狼の口がその中に振動を響かせた。

 

 直後、放たれる狼の咆哮(ハウリング)

 

 五感を晦ます白煙を引き裂き散らす音の刃。

 煙玉の範囲外で咄嗟に耳を庇う者たち。

 

 千切れ飛ぶ視界を覆う地上の雲。

 地上に影を落とす月光を遮るものは、狼の咆哮によって破られた。

 満月に照らされて顕わになる冷たく輝く牙。

 その牙を手にした怪人の左腕には、元の腕を覆う新たな青い装甲。

 

「グルルゥ――――ッ!!」

 

 腰を落とし、唸りを上げるアナザーキバ。

 それは果たしてアナザーキバのものか、青い人狼のものか。

 少なくとも先程までとは隔絶した淀みない動きで、怪人は刃を構えていた。

 

 物理的な破壊力を伴った音圧で次の攻め手の出鼻は挫いただろう。

 ならば逆撃。攻撃の仕手は既にこちらに回っている、と。

 闇夜の狩人がそう考え、踏み切る姿勢に入った。

 

 彼の判断に間違いはない。狼の咆哮はそれだけのものだった。聴覚という器官を備えた生物である以上、それを防ごうとする反射は避けられないものだ。

 故に、狼が放つ怒りの雄叫びを浴びてなお動きを続けられる者などいるはずもなく―――

 

 轟音、豪風と共に正面からアナザーキバに迫る者がいたとしたら。

 

「―――風王鉄槌(ストライク・エア)……ッ!!」

 

 それは、狼の咆哮(ハウリング)竜の咆哮(ストライク・エア)をぶつけ、力技でぶち抜いてきた英雄の仕業に他ならない。

 

 セイバー、アーサー王のカードを夢幻召喚(インストール)した美遊。

 暴風を音圧からの盾に進撃し、既にスピードは最高速。

 

 元々は視界を覆われ動きを止めただろう、アナザーキバへの強襲が目的。

 烈風と共に斬り込み、煙玉の目晦まし諸共に相手を斬り伏せるための行動だ。

 狩人に変貌したように思われる相手への突撃は想定外。

 だが蒼銀の剣士、蒼玉の魔法少女は推移した状況を理解しなお、その加速を維持する。

 

 暴風と咆哮がぶつかり弾けて拉ぐ開けた空間。

 そう長くない彼我の距離を魔力放出による爆進によって瞬きの間に縮め切る。

 

「はぁああ――――ッ!!」

 

 加速の勢いのまま、振り上げられる黄金の刃。その剣閃、軌道を選んだ理由はアナザーキバが握る剣を弾くため。当初の狙いは変身解除なれど、彼女は突進の最中に目的を相手の剣を奪うことに変えていた。

 数瞬前までのアナザーキバならいざ知らず、今のアナザーキバを相手に攻め一辺倒は命取りだ。相手に痛打を与えたとしても、その頑強さを利用した反撃の牙は間違いなくこちらの命を奪いに来る。

 故に美遊はその一閃を選び、

 

「グルルォオオ――――ッ!!」

 

 先程までとはまるで違う反応速度で、狼は迫りくる聖剣に対応した。

 振り下ろされる狼の牙、振り上げられる黄金の剣、打ち合わされる互いの刃。

 激突の火花は月光より眩く弾け、両者の影を大きく落とす。

 

(弾けない……!)

 

 アナザーキバは剣を手放さない。

 セイバーのカードを使用した魔力放出による全力吶喊は、美遊が放てる近接戦闘における最大威力。これ以上のものは宝具使用以外にない。だが既に相手はそれを易々と許してくれるような状態ではなくなってしまった。であるならば―――

 

「フ―――ッ!」

「っ!?」

 

 思考した一瞬。アナザーキバは鍔迫り合いを維持したまま、四肢を跳ねさせた。

 人型とは思えない躍動は、まるで四足獣が繰り出す動きだ。

 不意を突かれていなくとも防ぎ切れなかったろう神速の蹴撃が美遊を襲う。

 胴体を直撃した蹴りに弾かれ、少女の矮躯が吹き飛ばされていく。

 

 そのままアナザーキバは眼前に剣を構え、刃を正面に立てて呼吸を整え―――

 

「判断を誤ったか。技量も何もない怪物、と見透かした気になっていた拙者の節穴加減も極まった。まさか剣の意思でそうまで変わるとは」

 

 立てた刃を横に倒すように、ひらりと十文字の槍が薙ぐ。

 構えを崩された直後に奔る本能による反撃。

 狼は獣の跳躍力によって槍の間合いを潰すような前進を繰り出し―――

 

「何より情けないのはこちらが甘く見た()()を年端もいかぬ少女に払わせたことに他ならぬ。これよりは拙僧がお相手仕ろう」

 

 獣が足を回すより疾く、宝蔵院胤舜の槍が回った。

 剣の間合いに至るより速く、槍は獣が跳躍した瞬間を狙い澄まして撃墜する。

 

 ―――疾走する。

 加速のための一歩目の前に槍が地面を抉る。抉れた地面に置かれるアナザーキバの足。体重を乗せきれなかった踏み切りの中途半端さを突くように石突きが側頭部を強打した。

 

 ―――横方向に殴打された事を利用し回転。その勢いを剣に乗せつつ、踏み込む。

 アナザーキバの踏み込みと寸分違わずに身を引く胤舜。

 彼の腕が槍を回し、その穂先を振りわれる曲刀に完全に合わせてみせる。

 

 金属同士の擦過音。盛大に散る火花。

 その交錯の中、互いの武器は激突には至らず掠めて弾け合うに留まった。

 

 狼が吼えながら返す刃。

 僧兵はそれに対し、先の交錯と同じ仕業を繰り返す。

 衝突せず、掠め合って火花を散らし、狙いを逸らされ空振り続ける。

 

 五度、まったく違う軌跡によって放った剣撃が同じ結果に終わった。どこを狙った剣閃、不意を突くための奇策であっても神仏に届くと謳われた槍はこの結果を繰り返すだろう。

 苛立ち、唸る。だがしかし、そのループを脱却するのは容易でないと理解している。

 

 ……そもそもの話、これ以上付き合う義理はない。

 こうしてアナザーキバの主導権を取れた以上、さっさと退いてしまえばいい。人間同士の殺し合いに関しては、彼も、ラモンも、(リキ)も興味はないのだから。

 アナザーキバに人を喰わせる。ただその一点だけを阻止するために彼らはここにいる。

 

 この場に純粋な速度で彼を上回るものはいない。

 力を回収して下がれば、ラモンも勝手に逃げ出すだろう。

 ならば―――

 

「―――ヌ」

 

 鬩ぎ合いではなく撤退、走力に力を注ごうとしたその瞬間。

 彼の視界を煙玉以上の暗闇が一気に包んだ。

 夜闇でも確かに効く彼の視界が黒く塗り潰される。

 

(フン、目を潰されようが俺には……)

 

 彼は元より眼より鼻で判断する。

 狼―――ウルフェン族の彼にとって、外界から得る情報の大半は嗅覚からだ。

 だからそんなものは今のアナザーキバに効くはずもなく。

 

(ム、グ……ッ!?)

 

 ビリリと、凄まじい刺激が彼の嗅覚を襲った。咄嗟に顔面を手で押さえる。被害は嗅覚の麻痺、まともに状況を察知する事は不可能になった。だがそれでもそれはあくまでアナザーキバの体を通してだったからこそ。生身であれば耐えられず、のたうち回る羽目になっただろうか。それほどの刺激臭。

 

「チ、ィ……なんだ、毒か……!?」

「あら、普通に喋れるんじゃない」

 

 視覚、嗅覚を奪われ、聴覚を刺激するのは軽快な女の声。

 剣を向ける前に体表を走る刃の感触。

 その程度ならば、と歯軋りする彼に続けて浴びせられる槍による突きの嵐。

 そして、今までの攻防の中では初めて感じる性質の弾着。

 

「ウ、グォオオオオオオ―――ッ!!」

 

 アナザーキバの頑丈さに任せ、とにかく剣を振り回す。

 それによって多少は闇を連れた者たちが払われたのだろうか。

 僅かながら霞んだ視界が戻ってくる。

 

 少々離れた位置、目の前に立つのは赤毛の少年。

 影に忍ぶ兵を動かし、狼から視界を奪っていたもの。

 狼の霞んだ眼に睨まれしかし、一切表情を動かしもせず。

 風魔小太郎は己が思考で部下を動かし続ける。

 

 その少年の近くに先程とは姿を変えた魔法少女。蹴り飛ばされたダメージは相応にあるのか、肌には冷や汗が見える。

 だがそれこそが。黒く染まった肌から滲み、揮発した汗こそが彼の鼻腔を犯した毒。アサシン・静謐のハサンから生じる毒素に他ならない。

 

 正確に、その毒を彼の周囲のみに運んだのは横に浮く少女の手腕か。

 身長を超える長大な杖、風にはためく黒いローブ。魔法少女ならず魔女と言うべき装いは、神代の魔女と同じもの。キャスター・メディアとなった少女が行使したのが、魔術による病を運ぶ風である。

 

 その二種類の力を合わせ、彼女たちは狼が最も恃みとする嗅覚へと攻撃していた。

 

「……っ」

「ミユ、下がって……!」

 

 先程の一撃で表情に苦悶を浮かべる友人を心配しつつも、紅玉の魔法少女は次の動作に入っている。即ち、隙を生じたアナザーキバを変身解除へと叩き込むべく、叩きつける極大の魔力砲の準備である。

 

「チィ……!」

 

 霞む視界を頼りに狼が踏み出す初動。それに対して完璧なタイミングで重なる武人の刃。槍が腹を、剣が背を。アナザーキバの総身に響く鋼の威力。

 体に徹る衝撃波の勢いに硬直する。前のめりに倒れることもなければ、蹈鞴を踏んで後ろに下がる事もない。ただその場で動きが止まる。そんな絶妙な力加減で行われた挟み撃ち。

 

「ヌ、ォ……ッ!」

 

 衝撃に眩む視界の中、狼の眼前で虚空に描かれていく魔力の光芒。

 空中で光が規則的に動き、巨大な魔法陣を形成していく。

 光は五つ。強大な力を動かすための陣が五つ。

 まったく同時進行で完成へと漕ぎ着けて、常軌を逸した魔力を迸らせた。

 

 余剰魔力が弾けて紫電を散らす。

 スパークする魔法陣、それを連ねた()()は確かに制御されている。

 少女の手の中にある魔杖に連動して動く魔法陣。

 その感覚を確かめて。少女は力強く、しかと大杖を突き出した。

 

五門(へカティック)壊砲(グライアー)――――ッ!!」

 

 ―――極光。

 少女の叫びから間を置かず、臨界した魔法陣が加速させた魔力を吐き出した。

 剣士たちは疾うにその場から離れている。

 動きを止めたアナザーキバだけがそこに残されているのだ。

 

「―――――」

 

 完璧なタイミング。迫りくるのは破壊の嵐。

 もう逃れられない―――のは別にいい。

 

 回避ではなく防御に全力を尽くせば中身までどうにかなる、ということはないだろう。アナザーキバウォッチが停止するだけで済むはずだ。ウォッチが止まれば彼らも一度消えるが、彼らにとっては大した問題ではない。ドラゴンの腹の中で退屈するのと大差ない話だ。

 

 だが、問題は変身解除後の()の話だ。

 大人しく撤退してくれるようなら何の問題もないのだが、そうはなるまい。

 

 ―――と。

 苛立たしげにそう思考していた狼の視界の端を掠める黒い(ミスト)

 未だに完全には戻らない目でそれを認め、狼は小さく舌打ちした。

 ひりついた鼻腔でさえ感じる、彼が()()()()()()()()()()

 

 目的も何も知ったことではないが、予定通りという事か。

 酷く腹立たしいが、いま猛ったところで状況は変わりない。

 来たるべき瞬間に備え、大人しく吹き飛ばされるのが最良だ。

 

「だが、覚えておけ……!」

 

 直撃、爆発。周囲に撒き散らされる砂塵と魔力の残滓。

 そんな光の渦に呑み込まれ、アナザーキバの姿が消え失せる。

 

 その状況で息を整えるイリヤスフィールの後ろ。

 攪乱を担っていた小太郎が前髪に隠れた目を細めた。

 

(着弾の直前、何か……煙幕のようなものが)

 

 忍らしく見慣れた目晦ましの方法。アナザーキバの手によるものではなかったと思われる。となれば、周囲にまだ何者か、アナザーキバを援護する者が潜んでいるということだ。あるいはキャスター・リンボが仕込んだ呪術かもしれないが。

 ―――とはいえ、仮にあのタイミングで煙幕など張っても意味はないだろう。完全に直撃のタイミングだったのだから。

 

 ざっと周囲へ視線を走らせ状況を把握する。

 もう二つの戦場。地上で巻き起こった水中戦と、大地を揺らす激突戦。

 魔力砲の炸裂と同時にだろう、それは唐突に終わりを告げていた。

 

 もはや沼のようになった場所で全身から水を滴らせつつ、変移した状況を把握するため首を回すジオウ。激突続きで傷む体に息を切らせつつ、同じく周囲の確認を行うゲイツ。

 

 いつの間にか。いや、あの砲撃の着弾と同時だろう。

 そこにいた筈の二体の怪物はその姿を消していた。

 

(アナザーキバの変身が解除されて、その結果()()()の妖たちも消えた―――と判断するべきか)

 

 であれば、晴れつつある爆炎の中にはアナザーライダーの契約者がいる筈だ。

 英霊剣豪なのか、そうではないのか。まだ確信はないが。

 

 ふと苦無を片手に取り出して、やけに逸った跳躍で爆心地へと向かう小太郎。

 

「―――アサシン!」

 

 マスターからの叱責が飛ぶ。まったくもって正しい注意だ。

 確認ならば構えたまま砂塵が晴れるまで待つべきだろう。

 その十数秒で手の空いたジオウ、ゲイツを備えさせることだって出来るのだから。

 

(そのはず、だというのに)

 

 この戦端が開いてから、何か胸騒ぎのようなものが止まらない。

 いや、止まらないのではないか。

 先程まで感じていた胸騒ぎは止み、そして次の瞬間別の何かが胸を騒がした。

 なにか、余りにも良くないことが起きている。

 そう思えてならない。

 

 軽やかに着地し、軽く腕を振るって砂埃と残光を払う。そんな小太郎の動きに応じ、胤舜もまた槍を回して煙幕を晴らすよう行動する。

 同じような距離にいた武蔵は少し悩み、しかし彼らに倣わず警戒に徹する事にしたようだ。

 

 煙幕の中に強い気配はない。

 誰かが倒れているかもしれないが、もしや誰もいないかもしれない。

 何も無さそう、という感覚さえあるくらい今そこは凪いでいる。

 自分の心中の焦燥とはまったく真逆の雰囲気だ。

 

(誰もいない……いや)

 

 ゆっくりと晴れていく景色の中、一人。膝を落としてぐったりと俯いている、長い黒髪で随分と個性的な装束をしている女性の姿が見えた。真っ当に考えれば彼女がアナザーキバの契約者、ということになるのだろう。

 傍目から見てもその無気力感は、確かにアナザーキバのそれを彷彿とさせる。怪我などをしている様子はまったくないが―――

 

 ふぅ、と。息を吐いて武蔵が女性に歩み寄る。

 

「彼女はただ操られてただけ、ってことかしらね。実際、あの狼が主導権を握るまでは足元も定まらない、みたいな感じだったし。ま、今日は爺様の庵での雑魚寝に付き合ってもらって、明日には城下へ……」

「―――武蔵!!」

「―――武蔵殿!?」

 

 胤舜、小太郎。その両名が叫んだ。

 晴れ切っていない砂埃は、地面近くをまだ隠している。彼女の足元の景色はまだ見えない。だが小太郎はそこから感じる全身を突き刺すような畏怖から声を発していて。

 しかし胤舜はただ女性の裡に生じた殺気に反応して叫んでいた。

 

 ―――地上から空に昇る雷光が如く、白銀の刃が閃く。

 刹那ほど前に無気力、意識喪失しているものだとした判断。それがとんでもない誤信だとでも言うかように、その女性はその瞬間、既に鬼気迫る武人へと変貌していた。

 

 安易に近づいた、と言っても武蔵は剣を納めるような油断をしていたわけではない。双剣を手にしたまま、どのような不意にも対応できるようにと。

 だが突然変わったその女を前にしては、剣さえ握っていれば不意打ちに対応できると考えることが、既に思い上がりに等しい考えだったのだと身をもって理解する事になった。

 

 金属が削り合い、打ち合う擦過音。

 すぐさま続けて鋼の破砕音。

 

「……ッ!?」

 

 膝を落としていた女は振り上げた剣に合わせるよう、まるで幽鬼が如く立ち上り。歩いていた武蔵は吹き飛ばされ、地面に叩きつけられて転がり土に塗れた。

 半秒ほど遅れて半ばで折れた刀の切っ先が落ちてきて、さくりと地面に突き刺さる。

 

「―――――!」

 

 何かを口にしようとして、しかし言葉に詰まる武蔵。

 彼女はすぐさま跳ね起き、刀身が半分になった刀を鞘に叩き込む。

 代わりに残った一振りを両手で握り、視界を研ぎ澄ましていく。

 

「……臭います、鬼の気配が。不思議なこともあるものです、どうしてこのような殺戮場で私はうたた寝などしていたのでしょうか……?」

 

 本当にただただ不思議そうに女がそうぼやいた。

 彼女はゆったりと空を見上げ―――それに合わせ、黄金の月が真紅に染まっていく。

 血塗れの月が天頂にて爛々と輝く中、女はゆるりと周囲を見回して。

 嫋やかな指が刀の柄を握り直せば、その刀身に空気を灼く紫電が奔り抜けた。

 

「目覚めたからにはまずは粛々と鬼の素首を斬り落とし―――鬼とつるむ不逞の輩も打ち首にして参りましょう」

「鬼種殺し……!」

 

 小太郎が先程から内心に渦巻いていた焦燥感の原因をその刀に見る。正体、真名にまでは至らずともあの刃はさぞ高名な鬼斬りなのだと肌が訴えているのだ。

 紛れも無いだろう。あれは只人ではなく英霊、そして狂気に堕ちた英霊剣豪のひとり。

 

 状況は二転三転、三面に広がっていた戦場は一つに収束した。

 立てた推測が尽く裏切られているような混沌の坩堝。

 泥を払い、活を入れ直し、仮面ライダー二人が唯一となった戦場に舞い戻る。

 

 こちらにとっては仕切り直し。

 あちらにとってはやっと始まり。

 

 その戦いが改めて始まろうとして―――

 

 

 

 

 

 

「―――――」

 

 茶を啜っていた男が玄関を見る。

 正確には外にある、彼の仕事場―――鍛冶場の方だ。

 どいつだかが煩いくらいに哭いている。

 まあ、これほど主張してくる剣など一振り以外に心当たりがないが。

 

「振るわれたいってか……いや、斬りたいものが今此処にあるのか。馬鹿言え、お前を渡せる相手なんざ今はいねェよ」

 

 そう吐き捨ててからぐいと茶を飲み干して、湯飲みを置く。

 

 万が一その刃が槍であったなら宝蔵院胤舜が御せただろう。

 だが生憎と彼は刀匠、刀以外は打っていない。

 哭いているのは当然の如く、拵えもされていない抜き身の刃だ。

 

 新免武蔵の名を持つならいずれは、と思うが時期尚早。今の小娘では渡したところで我が身を滅ぼすだけ。血に飢えた妖刀としてろくでもない結果を出す事になる。斬れぬものを斬る太刀筋を見れるというなら彼も本望だが、その剣を握った者を破滅させるとなれば話は別。

 だって言うのにこの喧しさなのである。

 

 溜め息ひとつ。

 ―――あるいは、刀匠には感じない何かをあの刀を感じているのか。

 盛大に、溜め息ふたつめ。

 

 ごちゃごちゃと外でやっている間も無関係を貫いていた男がようやっと立ち上がる。そうして彼は壁に掛けてあった上着を手繰り肩に引っ掛けると、外へと向かって歩き出した。

 

 

 




 
 南米の奥地に辿り着いた我々を衝撃の事実が襲う。南米は日本じゃなかったので平成も令和もなかったのだ。平成はいったいどこにいってしまったのだ…?
 その謎を解き明かすべく、探検隊の戦いは続く。
 


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源氏進軍・ソードダンサー1021

 

 

 

 広くもない空間、板張りの床を悠然を歩む一人の青年。

 彼は首にかけたストールを軽く翻すと、片手に持った厳かな本を開く。

 その本の表紙に銘打たれた名は、『逢魔降臨暦』。

 

「―――この本によれば、普通の高校生、常磐ソウゴ。彼には魔王にして時の王者、オーマジオウとなる未来が待っていた。だがその物語が始まる前、事故のように巻き込まれたまったく別の戦い……」

 

 青年の名はウォズ。同じ名を持つ者が二人いるが故、黒ウォズと呼び分けられる彼は、そこで呆れるように肩を竦めて、開いた本へろくに目を通さず閉じてしまった。

 

 代わりに彼の背後に浮かぶ黄金の獣の残像。

 戦いを振り返るように移り変わっていく背景。

 

 それを一瞥すると、黒ウォズは言葉を続ける。

 

「魔神王ゲーティアが仕掛けた人理焼却。その暴挙を防ぐための戦いに身を投じ、常磐ソウゴは時の王者としての力の一端を覚醒させ、ゲーティアの野望を打ち砕くことに成功した」

 

 背景としていた景色が消え去り、静寂が戻ってくる。

 彼はそこで仕切り直すように一呼吸置くと、再び口を開く。

 

「そしてその戦いの中で常磐ソウゴが共に戦った組織、人理保障機関カルデア。そこに所属するマスターのひとり、藤丸立香。彼女が何者かに異界へと誘拐された事を発端として、また新たなる戦いがここに始まっていた。

 舞台は西暦1639年、下総国。本来の歴史とは異なる日本の地で、一体何が起ころうとしているのか……」

 

 滔々と語っていた彼はそこで話を止めて、軽く咳払いをした。

 

「―――ところで。千子村正、という刀工をご存知でしょうか?

 彼の打った刃の切れ味は凄絶無比。刀剣としての機能のみならず、村正刃と呼ばれる刃文の美しさも併せ持つ……歴史上において最も有名な刀工のひとりと言えるでしょう」

 

 唐突に何を口にし出したのかと思えば、刀工の紹介。まったく別の話題に移ったのは一体何故か。誰が聞いているわけでもない、故に疑問の反応が返ってくるわけでもない。そんな状況で黒ウォズは変えた話題を更に続けた。

 

「そして単純な武器、美術品として以外にも村正の打った刀には伝説があります。それが時の将軍、徳川家康にまつわる幾つかのエピソード。彼の身辺において村正の銘を持つ刃は、まるで家康をかけられた呪いが如く徳川にその牙を剥いた。

 ……結果として、村正の銘を持つ刀はこう呼ばれるようになったのです。()()()()、と」

 

 そこまで語り切り、目を閉じて数秒無言。

 再び目を開いた彼は、自分の語りを思い返すようにして軽く肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 

 ひょい、と。黒ウォズが持っている本が取り上げられる。

 その下手人へと視線を送れば、それは目尻を吊り上げた少女だった。

 

 クロエ・フォン・アインツベルンは、空いた手で後ろで布団に収まった少女と赤子を指差している。やっと眠ったんだから騒ぐな、と言いたいのだろう。

 

 突然の敵襲来、開戦。俄かに騒ぎ出した庵の中で、彼女は幼子ふたりを完全に寝かしつけることをやってのけていた。周囲に結界があるのか、外で今まさに起きている修羅場の音や振動は届かない。もちろん流石にそうでもなければ子供を寝かしつけるなど無理があっただろう。

 

 取り返そうと伸ばされる黒ウォズの腕。クロエが発動する短距離転移、に合わせて伸びるストール。完璧なタイミングでのインターセプトだ。

 布は無駄な動きなく少女の手に有る本にくるりと巻き付き、引き抜いていった。

 

 見事に本を取り返した彼はそれを脇に抱え、煽るように微笑みを浮かべると共に肩を竦める。

 苛立ちのままに声を荒げたいが、寝た子供を起こすわけにもいかない。クロエは歯軋りするように顔を歪めつつも、怒りで騒ぐこともできず酷く目を尖らせた。

 

「この……!」

 

 気を遣って小声で絞り出される恨み節。

 そのまま『逢魔降臨暦』を巡る戦いの火蓋が切って落とされようとした。

 

 そんな時、視界の端で茶の湯を口にしていた青年がふと立ち上がる。彼は壁に引っ掛けた羽織を掴み、迷い無く足を向けた先は土間。そのまま外に出る気なのだろう。突然どうしたのかと困惑するクロエになど構わず、彼はさっさと扉に手をかけた。

 

 黒ウォズと兄と酷似した男、その間で二度三度視線を行き来させる。そうして、黒ウォズと戯れるより優先すべきは外に行く男と判断したのだろう。クロエは決めるや否や、すぐさま後を追って走り出す。

 

 開かれる扉。外は間違いなく修羅場だが、その音も何もここには入ってこない。

 そういう結界があるからだ、というのはいいとして。つまりそれを張っただろう彼は一体どんなサーヴァントなのか。キャスター、という感じではないように思うが。

 

 一秒遅れて外に出る少女。後ろ手にスパンと扉を即座に閉めながらの着地。その瞬間、今までシャットアウトされていた、この一帯で巻き起こる戦闘の情報で五感が震えた。

 

 

 

 

 

 

 ―――轟く雷鳴を従えて、ひとりの女が剣を振るう。

 

 武蔵が一刀。その剣に応じようとすれば、女は大上段に構えた鉞を振り抜く。舌打ちひとつ、即座に対応を変える。剣と鉞、それぞれ両手で構えた渾身の連撃を、己の一刀で防ぎ切れるとは思わなかった。間合いから飛び出すように踏むバックステップ。

 そうして稲妻を纏う鉞を避けようとすれば、次いで女はその間合いを貫くために槍を突き出してきた。後ろに下がる、という方向の対応ではそのまま貫かれる。体が凍えそうな冷気を発する槍を躱すため、無理を承知で軌道を変えて横に跳ぶ。

 が、女はそれを見越していた、とばかりの態度。既に女は強弓をしかと握り締め、明らかな隙を射抜くべく弓に矢を番えていた。瞬く間に豪風を鏃とし、撃ち出される無数の矢。

 

 それは狙い過たず武蔵を針鼠に変えんとし―――ガガガガ、と。連続して響く、酷く耳障りな金属音。その音源は他でもない、武蔵の前。彼女の前に立つ、緑と銀のショルダーユニットを装備したジオウであった。

 

 風の護りに鋼の装甲。防御に寄せた構成のダブルアーマー。豪風が如き矢は渦巻く疾風を貫き、鉄鋼の鎧へと直撃。しかしそこで盛大な火花を散らすに留まり、力を失い地に落ちていく。

 

「ありがと、助かった!」

「うん、それはそうと……」

 

 散らした火花と焦げついた痕。

 白煙を上げる装甲を軽く叩きながら、ジオウは相手を見据えた。

 

 如何に強敵、無比の剣豪とは言え彼の新免武蔵がこうも防戦一方。

 それには明確な理由があった。

 女はひとりだ。それは間違いない。今だってひとりでぽつりと立っている。だが攻撃の合間、刃を交わす距離で―――彼女は()()()。突然武装が異なる同じ女が増え、連携を行ってくるのだ。

 恐らく本体、と呼ぶべき女が携えた剣と弓。それとは関係ない剣、鉞、槍、弓と、女の分身はまったく別の武装で襲ってくる。

 

 分身に、宝具級の武装が複数。

 一体あれは如何なる英傑か、と武蔵は呼吸を整えて。

 

「あれ、ゴールデン……ゴールデンだ」

 

 見た覚えはあるけど名前なんだっけ、と言うようなソウゴの呟きを耳に拾った。

 

 ゴールデン、何とかだった気がするのだ。いや勿論、坂田金時の名前はすらっと出てくる。ただあの武器はゴールデン……なんだっけ、と。

 ゴールデン何とか、という名称は幾つか聞いた気がするが、あの武器の名前が出てこない。スパーク? スパークはこう、必殺技の名前だったような。

 

「なにそのごおるでん、って」

「金時の武器の名前なんだけど、えーと……」

「―――金時、って。あの大鉞が……まさか坂田金時の武器、ってこと?」

「うん」

 

 あまりにもさっくりと告げられる情報。その情報を以て、あの怪物女の正体に辿り着く。その大鉞が坂田金時のものだとしたのならば。残るその剣、その槍、その弓、それらの正体にも自ずと辿り着き、そしてそれを自在に扱う女の正体など、たった一人しかありえないと結論する。

 

 唾を呑み、立ちはだかる女を見る。美しくも恐ろしい、神鳴りを轟かす長い黒髪の京美人。彼女が何者かに思い至り、確信した武蔵がその名を口にした。

 

「源、頼光――――!」

 

 ―――源頼光、平安の都にその名を馳せた源氏の頭領。大江山の鬼、酒呑童子をはじめとするあらゆる怪物、怪異を滅殺せしめた平安最強。そんな彼女が従えた者たちこそが、坂田金時、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光からなる頼光四天王。

 つまり先程から見せる分身の武装は、四天王の宝具ということになるのだろう。

 

「まあ、私の事をご存知でしたか。ですが今はその名で呼ばぬよう、お願いします」

 

 真名が割れたことなどどこ吹く風。彼女は何も気にした様子はなく、ただはんなりとした所作で空いた手を頬に当て―――その眼を、よりいっそう血色に染めた。

 

「―――我が忌名(いみな)、ライダー・黒縄地獄(こくじょうじごく)。“一切粛清(いっさいしゅくせい)”の宿業を以て、あらゆる生者を虫を踏み躙るが如く鏖殺する事こそ我が本懐と知りなさい」

 

 声は鋭く、その一言と共に稲妻と共に女が奔る。

 

 どう足掻いても一騎打ちにはならない攻め手。

 一人で受けようものならば、即刻四天王に囲い殺される源氏進軍。

 その個人で形成した殺戮陣形を前に、真っ先に前に立つのはひとりの僧兵。

 

「よもや、源頼光とは、な!」

 

 稲光が差し、地上に強く焼き付く影。その暗黒から滲み出るのは、槍を手にした頼光の分身。

 

 槍を持つ頼光に合わせ、胤舜もまた神仏に届くと謳われた槍腕を振るう。一秒の間に三度交わす刃。そうして穂先が交錯するたび、胤舜の体には寒気が走る。怖気のような精神的なものではなく物理的な現象、周囲の気温の下落による凍傷だ。

 四天王の槍は冷気を纏う氷結丸。それを相手に差し合い、凌ぎ合う。ただそれだけで急速に周囲の空気は冷え、決戦場は凍土へと姿を変えていく。

 

「ぬ……!」

 

 如何なる敵の如何なる技をも読み切り対応する槍の冴え、宝具“朧裏月十一式”。それは戦闘において無類の強さを誇る宝蔵院胤舜の辿り着いた極意。

 だが当然、槍があるからといって人体が適応できる環境が広がるわけではない。地上における武器の差し合いに幾ら秀でようとも、適応できる周囲の環境が広がるわけではない。

 水中で呼吸できるようになるわけではない。溶岩を泳ぎ渡ることができるようになるわけでもない。当然、凍土で万全の身体能力を発揮できなくなる事を防ぐこともできない。

 その槍によって牙を剥くのは人の技ではなく、妖の術でもない。神秘を発端とするとは言え、ただの環境、自然の脅威だと言うのなら、彼の宝具では突破口にはなり得ないのが現実だ。

 

 四肢が凍り始めれば動きは硬く、緩慢になっていく。頼光四天王ほどの相手がそんな隙を見逃す二流かと言えば、当然そんなことがあろうはずもなく。

 

「ぬ、ぐ……っ!」

 

 吐き出される白い息。槍一筋に崩される直前、立て直すために最低限の呼気を入れ直す。本来なら取り込んではいけない温度の空気で肺が痺れる。が、呼吸しないわけにもいかぬのが人というモノだ。

 それでも何とかそこで体勢を立て直し、槍を冴え渡らせていく。

 

 だが槍持ちひとりにかかずらっている内に、既に頼光本人が剣の射程距離まで詰めている。それは僧兵の頸ひとつ落とすには十分な状況。

 閃きは雷光が如く胤舜の首筋に吸い込まれ―――雷と吹雪の荒ぶ戦場に、炎の輪が広がった。

 

 胤舜の頭上にはためくのは魔法陣の描かれたマント。赤い宝石のショルダーを発光させながら、ゲイツ・ウィザードアーマーが一息に魔法を行使した。炎で出来た守護の防壁。それは周囲の凍土を解かしつつ、源氏に対する防御となり―――しかし、直後に黄金の斧によって正面から割断された。

 

「同じ顔をずらずらと……!」

 

 頼光を、槍持ちを、跳躍で飛び越して襲来する大鉞持ちの分身。彼女が振り上げた黄金の刃からは、稲光が迸っている。そこから放たれるのは単純な膂力と雷の爆発力で引き起こす最大級の破壊。

 

「ッ、オォオオオオ―――!!」

 

〈ウィザード! ザックリカッティング!〉

 

 空中で身を翻し、ゲイツはジカンザックスにドライバーからウィザードウォッチを再装填。瞬時に巨大化する手斧は“黄金喰い(ゴールデンイーター)”のサイズを凌駕した。

 圧倒的な質量差を正面からぶつけあい、互いの刃が纏った炎と雷を空中で炸裂させる。

 

 質量(サイズ)であっても推進力であってもゲイツが凌駕する。だというのに雷の爆発力、その一点のみで黄金の鉞は巨大化したジカンザックスを押し切る勢いを見せた。

 空中での交差、押し返されていくウィザードアーマー。

 

「チィ……ッ!」

「ゲイツ!」

 

 そんな状況で、声と剣が横合いから飛来する。

 声をゲイツの耳が拾うと同時、鉞の腹に直撃しているのは電撃剣。

 

〈フォーゼ! ギリギリスラッシュ!〉

 

 稲妻を纏う二つの武装の激突。視界を塗り潰すフラッシュと炸裂するアーク。100億ボルトの電圧が巻き起こしたインパクトが、雷神の鉞の軌道をギリギリ逸らしてみせていた。

 その間隙を確かに捉え、ゲイツが両の腕へと力を籠める。呼応して刃を覆う白光のエネルギーはより強く、より鋭く、金剛石が如く研ぎ澄まされていく。

 そうして力任せに振り払われるジカンザックスの一撃。刃の軌跡に奔る白い煌めきは破壊力を伴って、大鉞を強引に弾き返すのみならず、迫りくる源頼光本体さえも大きく後退させる事に成功した。

 

「ふ―――ッ!」

 

 炎と雷に焼かれ蒸発した吹雪の中で槍の穂先が二振り躍る。この熱を帯びた空気が再び凍るまで後何秒か。その時間制限の答えがどうあれ、しかし今この場は宝蔵院胤舜の槍が十全を発揮できる環境である事に変わりはない。であるならば、余計な思考など一切不要。

 

 繰り出されるのは舞い散る残火を切り裂く刺突撃。その一撃を防御させ、刹那の内に放つ二撃目によって守りを抉じ開ける。

 手数、かける時間を増やせば冷気が来る。ならば速攻以外にあるまい。空気が凍るより先に、相手の心臓を穿つのが最良だ。抉じ開けた守りにトドメの一刺しを突き込む。

 

 ただ押し切られた槍持ちの頼光の判断もまた瞬時のもの。そのまま串刺しにされるような間抜けを晒すわけもなく、彼女は押し返された本体たちを追うように大きく跳び退っていた。

 

 源氏進軍を阻み、槍を構え直す胤舜。

 その彼の後ろで浮遊状態から着地しつつゲイツが鎧に手を当てる。

 

(流石に限界か……)

 

 宝石の鎧から熱が引いていく。描かれた魔法陣が薄れていく。

 魔力が既に枯渇寸前、大技はもう撃てないだろう。

 ならばフォームチェンジを、という思考の前に彼はジオウを見た。

 

 ジオウはダブルアーマーを装着し、ジカンギレードを投げ放ったが故に無手。彼は武器を持っていない右手を肩の高さまで上げ、くねらせるように軽く振るってみせる。

 そんなジオウの状態といえば、両肩のガイアメモリショルダーの色は右が黄色に左が黒。その形態のジオウと顔を合わせ、ゲイツが小さく顎を引いた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()?」

「―――いいだろう」

 

 鎧に当てていた手を滑らせる。五指から描かれる炎の魔法陣。

 それを目前に投げ出せば、二人の前でぴたりと止まって設置された。

 絞り出す最後の魔力、行使する魔法は二つ。

 前方に設置した魔法陣、ビッグ。己の左腕にかける魔法、エクステンド。

 

 彼と隣り合うジオウが右腕を大きく振るえば、鞭が如く撓って伸びる。

 月の魔力、幻想の記憶を宿した腕は物理法則に囚われぬ自由自在。

 

「せー、のっ!」

 

 ジオウの掛け声に無言で合わせ、一気に腕を伸ばす。伸縮自在の二人の腕が正面の魔法陣を通り、理不尽なほどに巨大化する。拳を握ればそこだけで人の身より大きいほどのサイズ感。人間サイズの相手ならば、虫のように叩き落とせるだろう巨大な張り手。

 

 それが同時に腕二本分、進軍の止まった源氏に向かって張り出される。頼光たちからすれば最早、巨大かつ切断不能な壁が高速で迫ってくるも同然だ。

 

「―――――」

 

 黄金喰いは放電直後、氷結丸の低温で鈍る攻勢ではない。

 

 源頼光。彼女自身の剣で対応しても、逸らせて腕一本。

 片方を弾いた隙にもう片方に握り潰されるのが道理だろう。

 

 ―――で、あるならば。

 

 頼光の影より炎が上がる。それと同時に空中に一つの影が待っていた。

 血色の月に照らされて、夜闇に煌めく紅蓮の刃。

 膨大な炎熱を伴う刃で虚空に半月を描く、新たなる頼光の分身。

 

「―――鬼切安綱……ッ!」

 

 空を見上げた小太郎が、思考の余地なくその刃の正体を看破する。彼女が源頼光で、その分身が家臣の武具を備えるというのなら。鬼を震わすその刃、その紅蓮の太刀は無二のものである。

 

 空中で頼光の分身が上半身を大きく捻る。二本の腕に対し、繰り出されるのはただ一刀。

 大江の山にて名を馳せた鬼の頭目、茨木童子。その右腕を斬って落とした鬼殺し。頼光四天王が一人、渡辺綱の魔性斬りを再現した一太刀が今、魔的な腕へと閃いた。

 

「ぐ……ッ!?」

「な、に……ッ!?」

 

 叢原火を凌駕する紅蓮の業火が腕に弾ける。切断こそされずとも、二人の腕から噴き出す血飛沫のような火花。その上単純なダメージのみならず、焼き尽くされる魔性の業。

 月の魔力による幻想も、指輪の魔法も、その影響ごと斬り落とされた。

 

 強引に引き戻される伸ばしていた腕。限界を超え、パージされるウィザードアーマー。舌打ちしつつ、ゲイツはすぐさまファイズウォッチをホルダーから外す。

 

 そうした間隙を突くように分身の頼光は危うげなく着地。

 即座に疾走を開始し―――遠慮呵責なく降り注ぐ苦無の雨に僅か、眉を顰めて剣を振るう。爆発的な威力で刃の雨を吹き飛ばす鬼切安綱。

 

 鬼切が上へと振り上げられている間に、既に小太郎は体を地に沈めていた。腕を振るえば放たれる地を這う蛇のような軌跡を描く鎖分銅。両脚を纏めて絡め捕り、引きずり倒すための仕掛け。

 

 だがそれは、対象の足に届く前に黄金の鉞によって完全に粉砕された。

 武器を振るった勢いそのままに走り出す頼光の分身。

 

「っ!」

 

 ―――源氏進軍、再開。

 紅蓮の太刀を筆頭に、雷光の鉞、冷気の槍。

 そして稲妻と共に総大将が。

 

「こんの―――!」

 

 一刀流、宮本武蔵が前に出る。応じるのは紅蓮の太刀。

 即座に援護するため苦無を抜く小太郎。その前に立ちはだかる雷光の鉞。

 戦場を乱さんと立つ胤舜の穂先に合わされる冷気の槍。

 

 三組の交戦を悠然と睥睨し。

 後ろで刃を逸らしてそこに紫電を奔らせる源氏総大将。

 

 その光景を空中で見下ろしながら、身の丈より大きい杖を手に少女が呻く。

 

「……っ、あれまずいよルビー! とにかくあの人を……!」

「とにかくイリ……ッ、物理保護全開―――!」

 

 大魔術を行使しても少々時間をおけばルビーが魔力を補填してくれる。まだ全快まではしていないが、キャスターの火力は源頼光に向けるべきだ。

 そういった意図を伝えようとしたイリヤの言葉を、ルビーが遮った。イリヤの意識の外、ルビー側で行使される全力を傾けた防御術式。

 

「ルビ……っ!?」

 

 直後、防壁に何度となく着弾する暴風の弾丸。貫通してくる攻撃はないが、身を竦めてそちらを見ればそれは矢だ。風を纏った矢が空にいるイリヤを集中砲火している。

 四天王の武装、暴風を伴う矢を射るその弓こそ豪弓。

 

「四人目の分身!?」

「なにせ頼光四天王ですから!」

 

 イリヤも自身の意思で防御の魔力を割く。行使されているのはキャスター・メディアの魔術による護りだ。如何に頼光四天王の矢とてまず貫かれることはないだろう。

 空中でイリヤが撃ち合いに徹すればあの弓手は抑えられよう。それを理解し、少女は弓兵との戦闘に入った。

 

(でも……!)

 

 それでは最も止めねばならない総大将が止まらない。

 逡巡する少女の動き。直後、地上から声が上がった。

 

「イリヤ! その相手を抑えて!」

 

 迷いのないツクヨミからの指示。

 そんな彼女の声に喝を入れられ、少女は余分な思考を意識の外へ放り投げた。

 展開する魔法陣。疾風の矢を阻む病風(Αερο)の行使。

 

 空中で無数に交差する魔力弾と矢が作る、星より近い光の天幕。

 

〈アーマータイム!〉

〈カメンライド! ワーオ! ディケイド!〉

 

 その残光のトンネルに踏み出す、九つの影を重ねて構築される姿。

 ジオウ・ディケイドアーマー。

 彼は走りながら眼前に剣を呼び出し、乱雑に引っ掴む。

 

〈ライドヘイセイバー!〉

 

(どうやって、どうしたら止められる?)

 

 頭の中でソウゴが行う自問自答。ただ頼光の元に辿り着きたいなら、カブトの速度を使えばいい。だが敵は疑いようもなく不死身の英霊剣豪。恐らくただ倒しただけでは即座に再生してしまうだろう。

 その悩みを晴らさないままに、ヘイセイバーのハンドセレクターに指をかける。この超針回転剣ならばキバの力を使う事もできる。つまり、アナザーキバに有効打を与えられる。

 

(アナザーキバのウォッチを砕く? けど……)

 

 果たして、アナザーキバのあの不審さは何なのか。少なくとも三体の従者は、状況に納得がいっていないのは明白。どういう心持ちかは分からないが、アナザーキバを操っているだろう何者か―――スウォルツか、妖術師か、リンボか、あるいは更に別の誰かか―――の邪魔をしようとしているように見える。

 であるならば……と。

 

(とにかく、まずは)

 

 ―――そうして悩んでいたソウゴが思考を切る。

 彼はそのまま視線を戦場の一面、紅蓮の太刀と斬り合う武蔵を見た。

 

〈ヘイ! 響鬼!〉

〈響鬼! デュアルタイムブレーク!!〉

 

 戦場においてさえ涼やかに、ヘイセイバーの刀身から響く清めの音。武蔵に注視していた頼光の分身が。のみならずこの場における源氏軍、四天王を模す全ての分身らと源氏総大将・源頼光が、その音を耳にして意識をジオウへと飛ばした。

 

 魔性を殺す紅蓮の太刀、鬼切。担い手が本来の人間だったならばその乱入も何の事はない、ただの涼しげな音色と共に敵が増えた、というだけの事だったろう。

 しかしその剣を握っているのが源頼光だというなら話が違う。まして人を捨て外道に堕した英霊剣豪・黒縄地獄となれば、その音は紛れもなく女にとってこれ以上無く耳障りなもの。頼光は強く眉を顰め、ジオウに対して睨みを利かせ―――

 

()れる――――!」

 

 得物一刀なれど、その太刀筋が描く軌跡は正しく百花繚乱。意識を逸らした頼光を目掛け、武蔵が強く踏み込んだ。刹那遅れて応じる四天王の影。

 

 確かに脅威、確かに兇器、鬼切安綱は人も鬼も蒸発させる大業物。生半な腕では勝負の場に上がる前に剣気のみで殺されよう。であるが、その剣が鬼切安綱である、というだけならばそれだけだ。たったそれだけの話でおしまいだ。

 

 何故なら鬼切を鬼切たらしめる最大の要因が此処には無い。今その剣を執るのは担い手たる渡辺綱ではなく、四天王の影を映した源頼光。強さだけ見るなら何ら問題はない。あるいは十二分と言っていい。源頼光という剣士は、鬼切の()に負けぬ実力の持ち主である。

 

 ―――だがそれでも。この髭切を()()たらしめたのは一人の男の剣腕だという事実こそが、天元の剣士にとっての突破口になり得る事に変わりはない。

 

「―――――!」

 

 放たれる紅蓮の一閃。

 態勢は低く、足を開き、腰を屈めて、全身深く沈み込む。頭上を通り過ぎていく熱、残火の降り掛かる大地の上で―――武蔵は足を止めた。

 

 即座に剣を切り返す頼光と視線が交わる。分身に多くの思考能力はないのか、反応は薄い。ただ技量に嘘がないのであれば強大な脅威であることに変わりはない。

 ―――無論、本来の頼光四天王のあるべきそれとは比べ物にならない程度である、というのもまた事実。

 

 振り抜かれる第二撃。迫りくる紅蓮の太刀。その刃をしかと両眼で見据え。蛙のように、あるいは飛蝗のようにか。武蔵は大地から空に駆け上がるように、屈めた姿勢のまま引き絞っていた足を踏み切った。爆発的な加速で前進する武蔵。逃さじと太刀を握る手を繰り返す頼光。

 

 交錯する二人の女。身を擦れ違わせる二人の剣鬼。

 勝負は刹那の内に決着し、早々に結果を見せた。

 

「……っ!」

 

 ずるりと落ちる頼光の左手の肘から先。切断面には血もなければ肉もなく、落ちた腕は溶けるように影に沈み消えていく。

 だが分身に動きを止めるほどの動揺はない。両手で握っていた鬼切を片手で持ち直す、女の細指が柄を正しく握り直す。彼女は自身を斬り抜けた武蔵に逆撃を浴びせるべく振り向こうとし―――目前に迫るマゼンタのボディに、それが叶わぬと理解した。武蔵を背にしたまま前方に対応せざるを得ない。

 

 振るわれる魔性を燃やす紅蓮の大太刀、鬼切安綱。

 応じるのは魔を清める音撃刃(おんげきは)、ライドヘイセイバー。

 

 先の武蔵と頼光のようなどちらが刃を透すかの技量勝負ではない。

 単純に武器をぶつけあい、相手を押し潰さんとする力比べ。

 

 片腕を失い、更に刃の衝突の瞬間に響く音に頼光の顔が酷く歪む。腕を断たれてなお調子を崩さない分身でありながら、その音には苦悶を覚えるのか。どうあれ、その段に至って既に勝負は相性を比べるものでさえない。如何に鬼切、如何に源頼光の写し身と言えど、片手でジオウは止められない。

 

 激突の末、一秒と保たず女の腕から大太刀が弾かれた。

 

「―――武蔵!」

「ええ、これで終わり!」

 

 片腕を落とされ、刃を弾かれ、態勢を崩されて。その末、背後からの一刀でもって唐竹に割られる女の体。墨汁のように雪崩落ち、地面に染みて消える影。

 

〈ヘイ! 電王!〉

 

 影の末期を見届ける余裕も無く、ヘイセイバーに指をかけているジオウ。彼はそのまま次の戦場に向け、山なりに飛ぶよう思い切り剣を投擲した。

 

「ゲイツ!」

 

 剣の行先は雷の轟く戦場。紅蓮の太刀・鬼切安綱に劣らぬ破壊力、“黄金喰い(ゴールデンイーター)”を手にした四天王の影が暴れる位置である。

 

 

 

 

 

 

 苦無、鎖分銅、あらゆる装備を粉砕し迫る頼光の分身。坂田金時の大鉞を手にした四天王の影法師。その進撃に分かり切った結果と思いつつ、風魔小太郎は唇を噛み締めた。単純に武装の破壊力、雷神の稲妻による貫通力、併せて繰り出される突破力。あらゆる行動が並みの攻撃、拘束を粉砕する必殺。

 確かに敵は坂田金時本人では無い。だが代行するのが源頼光であるというならば、その威力はオリジナルにさえ劣らないだろう。

 

 ―――だとしても、分身程度に負けるつもりは一切ない。

 長い前髪に隠れた目を鋭く細め、頭の中で仕込みの手順を詰めていく。

 

〈アーマータイム!〉

〈コンプリート! ファイズ!〉

 

 そんな中、赤光と共に前に出てくるゲイツ。彼はツクヨミから渡されたのだろうファイズフォンⅩを手にしつつ、小太郎と並び横目に見る。その顔と視線を合わせた小太郎の目には、マスクに隠れて見えない顔から、どこか苦虫を噛み潰したような感情が滲んで見えた。そう見た彼の推察通り、口を開けばゲイツからは苦く小さい声での問いかけ。

 

「俺の攻撃に合わせて、アレを振り上げさせることはできるか?」

(……なるほど)

 

 ゲイツをこの調子にさせる人間を小太郎は一人しか知らない。

 であるならば、今の問いの意味もまたひとつだろう。

 

 早々に納得してゲイツの要求を満たすための思考を回す。目の前にいるのは源頼光の分身体。坂田金時ほどに大鉞を使いこなすわけではないが、武器を借りているだけだと切って捨てられない脅威の存在。放つ稲妻は赤龍の雷ならず牛頭天王、帝釈天の化身としてのそれ。

 

 大鉞、に限らず重量級の武装は当然の如く、下から上へと振り上げるより、上から下に振り下ろす方が特に強い。であれば、使い手は勿論その常識に準じた立ち回りを計るだろう。ゲイツという先程大技をぶつけあった敵の参陣を認識しているならば尚更のこと。

 相手は小太郎に大振りを見せようとはしない筈だ。ゲイツの攻撃に振り上げで対応させる、という要求を満たすためには風魔小太郎という存在は頼光にとって脅威度が足りないと言える。

 

(……けれどそれは)

 

 源頼光が相手ならそうだろう。坂田金時が相手ならそうだろう。彼は忍、闇を駆ける風魔の頭目。であれば平安を治めた最強の怪異狩りと正面切って戦えばそうなるだろう、という事実は何ら彼の誇りを傷つけるものではない。

 ―――が、()()()()()()()分身風情にこうまで頭に乗られては、機嫌を損ねるには十分である。

 

 長い前髪の下に隠れた眼をより鋭く眇め、小太郎は懐に手をやった。

 

「すぐに詰ませます。ご準備を」

「ああ……」

 

 返事を受け取ると同時、小太郎の指が挟んだ丸薬を投擲した。

 地面に落ちて弾ける白煙、目眩ましの煙玉。

 

 そんなものは何度も見た、と。女の対応は早かった。黄金喰い(ゴールデンイーター)が電撃を喰らいカートリッジを吐き出す。女の手により大鉞が稲妻を曳いてぐるりと回る。熱風を巻き起こす大回転。さながらゴールデンタイフーンとでも呼ぶべき現象。それ自体が大技のようでしかし、あそこからそのまま必殺の一撃に繋げることのできる牽制の一手。

 

 無論、小太郎の方こそその対応を望んでいた。目眩ましに対する攻防一体の範囲牽制、その間合いなどとっくに把握している。相手が動かずそうする、と分かっているから煙が晴れるのを待つまでも無い。

 二手目、手首をスナップさせて振り放つ鎖分銅。それは大鉞ではなく、回転動作の最中の頼光の腕へと絡みついた。自分自身の動きで余計に鎖を絡ませ、眉を潜める頼光。

 

 その鎖を握り締めながら小太郎が全霊で踏み止まる。筋力差は歴然、勝るのは当然の如く源頼光。綱引きをすれば勝つのは彼女に間違いない。思い切り引き寄せ両断する、という勝利を目指すのは難くない。だがそれは勿論、この状況で素直に綱引きに応じるならばの話だ。

 頼光の注意はゲイツに向いている。数秒とはいえ小太郎との競り合いに興じるつもりなどさらさらない。故に彼女が下した判断は、雷撃により鎖を溶断することだった。

 

 予想していたその判断を前にした瞬間、小太郎は鎖を思い切り投げ出した。

 

 ガチンと音を立てて再びカートリッジが排出される。黄金喰いがカートリッジに籠められた電光を喰らい、放電する稲妻によって腕に絡んだ鎖を容易に焼き切った。

 あっさりと自由を取り戻した頼光―――に、大量の苦無が飛来する。吹き飛ばされた煙玉の代わりに、雷の残光を目眩ましにした苦し紛れの弾幕。応じるのは大鉞、ではなく。頼光は自分の腕から弾けた鎖の残骸を片手で掴み、それを鞭のように扱う事で己に向かい来る刃を全て弾き落とした。

 

〈ポインター・オン!〉

 

 鎖と刃が絡んで弾ける中、ゲイツがファイズフォンを操作し右足にポインター555を装着する。それこそ必殺のためのキックユニット。彼はその状態で腰を落として、加速に乗るための姿勢を取った。

 目の前のそれが切り札の前兆だと理解すれば、頼光が打つ対抗手も瞬時に決定された。苦無を薙ぎ払うや鎖の残骸を放り捨てる。彼女はそのまま両手で“黄金喰い”を握り締め、最大の一撃を放つために振り被り―――

 

 ガツリ、と。異音を立てて“黄金喰い”が停止した。

 

「―――――!?」

 

 雷鳴は轟かない。カートリッジ三つを喰らわせ放つ“黄金衝撃(ゴールデンスパーク)”は発動しない。分身が思わず振り上げた鉞を引下げ、武器の状態を確認し―――カートリッジを撃ち込み稲妻を解放するための撃鉄に、一本の苦無が挟まれているという事態に漸く気付いた。

 

 煙玉の大して効果の無いと分かっている煙幕も、容易く焼き切られると分かった鎖の拘束も、全てはこの状況に繋ぐため。腕に絡んだ鎖を消し飛ばすために発動した“黄金喰い”。そのためにカートリッジを炸裂させ、空薬莢として吐き捨てられるその瞬間こそが小太郎の欲した隙。分身は見事に想定通りの行動を起こし、そして彼に正しく一手を挟む隙を見せてくれた。

 

〈フィニッシュタイム! ファイズ!〉

 

 ゲイツは既に走り出している。既に地面を踏み切って跳んでいる。

 すぐさま頼光が大鉞を一度下ろし、手動で撃鉄を強引に起こして苦無を外した。だがこれから鉞を振り上げ、更に撃鉄を下ろしているような余裕はない。ならばと、その姿勢のまま自分の手で撃鉄を下ろす。弾け飛ぶカートリッジが爆発的な放電を発生させ、彼女を稲光で包み込んだ。

 

〈エクシード! タイムバースト!〉

 

 空中で姿勢を整えたゲイツ・ファイズアーマー。装着されたポインターから赤い光の矢が放たれる。それを受けることが致命的だと即座に理解し、頼光は強引に“黄金喰い”を振り上げた。

 

「だぁあああああ――――!」

 

 激突の瞬間に赤い矢は円錐状に広がり、正面から轟雷とぶつかり合う。それを弾かんと力を籠める頼光の前、跳び蹴りの姿勢を取ったゲイツが円錐を目掛けて突撃してくる。ゲイツと赤い光が重なり合い、発生する破壊のための膨大なエネルギー。

 体勢的に不利を押し付けられたにも関わらずしかし、頼光の分身はその衝撃と互角にぶつかりあってみせた。それどころか衝突の中で腰を入れ直し、一気呵成の踏み込みを以てゲイツの一撃を凌駕する。

 

 地上から天空への稲妻落とし。その威力に押し返され、相手を拘束する筈の赤い円錐が力任せに外された。それと共に頼光を目掛けて突撃していたゲイツの体もまた、空中へと押し返される。

 そのまま落ちてくるだろう相手を今度こそ粉砕すべく、振り上げた大鉞を今度は振り下ろしで炸裂させるための構えに入る源頼光。

 

「ゲイツ!」

「ふん……!」

 

 だが、これこそ狙いだったのだと。ジオウの声を聞き取った瞬間、ゲイツが放り出された空中で左腕を伸ばした。まるで予定調和だったと言うように危うげなく掴み取ったそれこそ、電王の力を発動した状態のライドヘイセイバー。刀身から拡がる黄金のエネルギーは剣の形状ではなく、相手に合わせるかのように大鉞。その状況から繰り出すのは、小細工なく、高所より、ただ相手の脳天目掛けて刃を叩きつける力任せの一刀両断(ダイナミックチョップ)

 

 直上から降り注ぐ攻撃、その位置関係故に頼光は再び立ち位置で不利を強要される。それでも分身の対応は変わらず、“黄金衝撃(ゴールデンスパーク)”に全てを懸ける。通常使用はカートリッジ三つ分。しかし出遅れ、位置取り、それらの負債によって威力が足りないのであれば、追加で雷を注ぐだけだ。

 

 地を見下ろすゲイツと、空を見上げる頼光。

 両者の視線が交差し、互いの繰り出す黄金の刃が激突した。

 

 交わした刃が削げ火花を散らす。悲鳴のように轟く金属同士の激突音。発生した衝撃を全身で浴びながら、頼光は今まさに感じている圧力で改めて確信する。

 これまで何度か衝突し、その度に退けてきた。それこそが地力では頼光と“黄金喰い”の方が仮面ライダーゲイツを上回っている事の証左。だからこそ今までと変わらず、今回も結果は―――

 

〈ショット・オン!〉

〈フィニッシュタイム! ファイズ!〉

 

 左手のみでヘイセイバーを握っていたゲイツが、空中でファイズフォンⅩのキーを叩く。不必要になったファイズフォンを放り捨てれば、右拳に現れるパンチングユニット、ショット555。それを握った拳で、彼はドライバーと装填されたウォッチを叩き、眠れる力を再び最大解放してみせた。

 

「決めるぞ」

 

 ヘイセイバーを手放し、左腕を引く。“黄金衝撃”によって吹き飛ばされていくヘイセイバー。留め切れなかった衝撃と稲妻の熱でゲイツの片腕が焼け焦げる。だが変身解除にまで至らなければ問題ない。ただ強引に雷を突き抜けてゲイツが挑むのは、武器の間合いではなく素手の間合い。

 であれば、頼光にとってこれ以上相手を近付けるのは愚策でしかない。大鉞を振り抜いた直後、切っ先を返してもう一撃、などという対応は間に合わないタイミング。故に頼光の取った対応は全速力の後退であり、

 

「御意」

 

 その流れ、最後の駄目押しに必要な行動を理解していた少年がゲイツに応える。頼光が後ろに跳んだ瞬間、既に背後を取っていた小太郎が疾駆した。擦れ違う際に滑らせるように走らせる刃によって、大鉞を持った腕が断ち切られて投げ出される。血を噴くこともなく影へと還っていく分身の腕と、共に地面に落ちて重量故に地面に沈む黄金の大鉞。

 

 そうして無防備になった雷轟の四天王に向け、ゲイツは着地と同時に最後の踏み込みを敢行した。

 

〈エクシード! タイムバースト!〉

 

「はぁ―――ッ!!」

 

 全力の踏み込みからストレートに叩き込まれる正拳突き。無駄の無いシンプルな動きであるが故に、この状況からの悪足掻きも許さない。分身は何もできないままに直撃を受け、その瞬間に青白い炎に巻かれ、浮かび上がったΦの紋章と共に崩れ落ちていく。

 

 灰すら残さない影の残骸。

 その末路を前に握っていた拳を開いて軽く振るい、ゲイツは戦場に小さく息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 頼光の影―――牛頭天王の神使が頼光の記憶より再現せしめた四天王。その内、二騎が落ちた。しかもよりにもよって綱と金時の武器を借りたモノがだ。そのような結果が訪れたという事は、甘く見ていたつもりはないが想像以上というより他にない。

 

 氷結丸を借りたモノは宝蔵院胤舜ひとりに抑え込まれている。

 豪弓を借りたモノもまた、空を飛ぶ少女ひとりに攻めあぐねていた。

 

 ―――だが十分だ。

 鬼切安綱、黄金喰いを破るために敵軍はその戦力を分散・消費させた。源氏総大将たる源頼光の正面には、彼女の進軍を止められるだけの火力はない。アレらは彼女の前座として、確固たる鏖殺に至る道筋は整えていった。

 

 帯電した童子切に手をかけ構えに入れば、爆発的に膨れ上がる紫電。これより最後に放つは帝釈天の化身、牛頭天王の神鳴り。“牛王招雷(ごおうしょうらい)天網恢々(てんもうかいかい)”。

 

「いざ、“一切粛清”の宿業の許―――我が前に蔓延る矮小なる命どもを、塵芥と還しましょう」

「なるほど、宿業たァ難儀なモンを腹に抱えていると見える。それが英霊剣豪とやらの証ってワケか。こんなモンが現世を彷徨い歩いてるなんて知れたら、血なんぞ浴び慣れた妖刀だってそりゃ斬りたがって騒ぐのが道理だ。どうにもいけすかねェやり方じゃねェか、オイ」

 

 事前、戦闘前に確認できていた敵戦力。その中のいずれでもない者が、ただ鞘に納めた刀の一振りだけを手に目前に立っていた。赤い布で覆った左腕に刀を引っ提げ、着るわけでもない羽織を右手に提げた赤髪の青年。

 

 そうして目の前に立つ相手を認識して。源頼光が、いやライダー・黒縄地獄が、数秒前の自身の計算を改めた。そうして本能で弾き出した答えに、結論した自身さえも驚愕する。

 この青年が目前にいれば、一太刀に限り頼光の放つ神威の雷さえも防ぎかねない。それどころか悪ければ相打ちにまで持ち込まれる、と。

 ―――驚きはしたが、疑わない。そして一度相打ちしたところで何の問題もない。英霊剣豪である彼女に死はなく、ただ彼らという矮小な命の寿命が磨り潰されるまで、ほんの僅かな猶予が生まれるだけに過ぎないのだから。

 だがその研鑽、その鍛錬に称賛をと女は口を開く。

 

「……撃ち合えば貴方は死に、不死なるこの身は永らえる。故に伝えるとすれば今この時を置いて他に無い、と言う事。その腕、観る前ですが称えましょう。我ら英霊剣豪には届かぬとはいえ、振るえば折れる鋭利に過ぎるその剣腕、よくぞそこまで磨き上げたと」

 

 じゃり、と頼光の足が地面を抉る。神鳴りを放つための体勢の完成。後は剣を振るえばただそれだけで周辺一帯破壊の雷が蹂躙する。

 その破壊力を防げるのは、頼光の言葉に胡乱な表情を見せる青年ただひとり。撃ち合えば彼は砕けるだろうし、撃たねば雷に灼かれるだけ。

 

「馬鹿言え、怪異殺し(ひとごろし)。お前と違って(オレ)はただの刀鍛冶。自分で試し切りする事が無いでもねェが、今のお前なんぞと違って刀を振るう時と場合くらいは選ぶンだよ」

 

 呆れ果てた、と。青年は女に溜め息交じりの言葉を吐く。

 

 一切鏖殺。怪異殺しどころか、最早彼女自身が皆殺しの怪異。

 切っ先を向ける相手も選ばぬ凶刃。

 そんな相手に抜く剣なぞ無いと顔を顰め、手にした刀を抜く様子も見せない。

 

「―――では、粛々と散りなさい」

「テメェがな」

 

 頼光の愛刀、童子切の切っ先が動く。

 その動きに合わせるように、青年は右腕に持っていた羽織を頼光に向け投げ出した。白い衣が放電している余剰エネルギーに焼かれ、刹那の内に灰になっていく。

 

 右手を空けたということは、剣を抜く気か。頼光はその剣撃の起こりを見逃さぬよう目を細め―――そうして、焼かれ灰となり崩れていく羽織が隠していたものを見た。

 

「サファイア―――!」

「――――!」

 

 青年が引っ掛けていた羽織も、抜く気も無いのに放つ剣気も、全ては気配を断つその少女を隠すためのものであったという事。

 叫び、駆け出すのは黒い肌の少女。彼女は指に一枚のカードを挟みつつ、その手で頭につけた髑髏の面に触れながら姿を現す。髑髏の面がパチンと弾けてアサシンのカードを排出し、元の魔法のステッキへと姿を戻していた。サファイアと同じく、アサシンの衣装から元の魔法少女姿に戻る美遊。アサシンの夢幻召喚(インストール)を解除した事で、遮断していた気配を感じるようになる。が、この距離では今更か。

 次なるカードは少女の手の中に準備されている、契約者の手に戻りつつ、カードの力を取り込むマジカルサファイア。姿を変え行く相棒を握り、美遊は魔力を足元で固め、それを足場に全力で踏み切った。少女に出せる最速の突進で、迫る相手は当然の如く源頼光以外に無い。

 

「…………」

 

 余波の雷を魔力による防壁で防ぎつつ迫る少女。その相手を見て僅か、頼光の切っ先が鈍る。相手が子供だからだろう、と己の中で答えを出す。あるいはもっと弱い、普通の子供であったなら、彼女の剣は止まっていたかもしれない。だが迫りくる少女は、子供である以上に戦士としてそこにいた。

 だからそれだけ。母性は狂気を凌駕するに至らず、僅かに切っ先を鈍らせるのみに納まった。そして剣を鈍らせてなお、少女の突進などより頼光の剣の方が遥かに速い。

 

 だから―――青年の更にずっと後ろ。庵の屋根に陣取った紅衣の少女が、その瞬間に引き絞った弓を解き放っていた。少女の突進を追い越して、頼光に迫る捻じれた鏃。軌道上の空間ごとこそぎ取り殺到する必殺の一矢、“偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)”。

 狙いは頼光の肩のようだが、受ければ上半身ごと捩じ切られるだろう。

 

 だから彼女は息を一度入れ直し、剣を振り抜く軌道を僅かに変える。事前にその矢を逸らした上で、稲妻によって周囲を薙ぎ払うための動き。真っ当な技量では叶わぬ剣筋なれど、彼女であれば不可能ではない。

 弧を描く頼光の刀、童子切安綱。それが触れた全てを穿つ螺旋の矢を、危うげなく逸らしてみせる。放ったクロエが盛大に顔を引き攣らせるほどに容易く、鮮やかに。

 

 だがその絶技を挟んだが故に剣を振り抜く動作は一手遅れ、美遊・エーデルフェルトが頼光の許へと辿り着いた。今一度魔力を固めて足場を作り、最後の加速。

 同時に彼女が手にしていたステッキが、クラスカードの力で宝具へと変わっていく。

 

限定展開(インクルード)……ランサー!」

 

 現れる姿は少女の手にぴたりと合う青いステッキとは真逆。少女の手に余るほどの長物、茨の如く赤い棘を持つ呪いの魔槍。瞬く間に充填される呪力を前に、頼光が僅かに目を瞠った。

 そしてそれ以上の反応を挟む余地は与えない。高まり切った電力を解放する間を与えれば、焼き尽くされるのはこちらの方だ。であるからこそ、最高速を出している美遊はそのままの速度で槍を突き出し、その真名を口にする。

 

「“刺し穿つ(ゲイ)――――死棘の槍(ボルク)”ッ!!」

 

 狙いは一点、女の胸。発動したからには回避を許さぬ因果逆転の一撃。満ち満ちた呪力が槍を発光させ、防ぎ得ぬ軌跡を結果より導き、正しく心臓を穿つ一突きを描き出す。源氏総大将がどれほどの絶技で受け流さんと応じようと、是なるは回避・防御は一切不可能の離れ業。ただ放たれた時点で必殺の一撃は―――確かに、源頼光の霊核(しんぞう)を貫いた。

 

「く、ふ……っ!」

「―――え?」

 

 美遊がその結果に愕然とした声を漏らす。突撃の勢いのまま擦れ違い、そのまま相手の背後に突き抜けて着地し、ブレーキを掛けながら振り返る少女の顔に張り付いているのは、予想と違う結果に対する疑念と困惑。

 

 呪いの魔槍によって心臓を穿たれ、それのみならずその槍は呪いの茨となって頼光の体内を蹂躙した。心臓と神経をズタズタに引き裂かれ、彼女が溜め込んでいた雷電は制御を失って、彼女自身を爆心地とした破壊を巻き起こす。その衝撃で押しやられながら、美遊はランサーのカードを排出。サファイアで魔力防壁を張りつつ、予想外の事態に眉を顰めていた。

 

 心臓を貫けた、ということは霊核を破壊できたということ。

 けれど、それは事前情報からしてありえない結果だ。

 

「アナザーウォッチが、無い……!?」

 

 制御を失った紫電渦巻く電熱地獄。それから顔を庇いつつ、爆発を挟んで対面にいるジオウを見る。彼は既にライドヘイセイバーを回収し、美遊に合わせた連撃を行う準備を整えていた。無論、アナザーキバのウォッチを砕くために。だがそれは無駄な備えだった。源頼光の中には、アナザーウォッチなど存在しなかったのだから。

 

 自身の雷に焼かれていた女が、当然のように持ち直す。吹き飛ばした心臓も、蹂躙した神経も、雷で炭化した四肢も、数秒と掛からず全て元通りになって。

 曇り一つない刀をひらりと翻し、彼女は何も無かったように戦線に復帰する。

 

「ふ、ふふふ……まさか、技巧を超越して心の臓を抉り取る槍とは。サーヴァント、英雄豪傑の宝具とは、かくも脅威的なものなのですね。いえ、世に名を馳せた伝承に語られる武芸者の持つ宝剣宝槍ならば、それもまた当然の話ということ、でしょうか」

 

 純粋にただ感心するように。頼光が苦笑して、少女によって放たれた槍に素直に驚嘆する。英霊剣豪でなければ確実にあれで死んでいただろう。もっとも英霊剣豪であるが故に、その魔槍すら今の頼光には脅威ではない。滅んだ筈の肉体は回帰した。焼かれていたという痕跡は、僅かに漂う肉を焦がして出た黒煙くらいなもの。“一切粛清”の宿業の宿主、ライダー・黒縄地獄には既に傷一つない。

 一切鏖殺を果たすために英傑の魂を歪める呪詛、宿業がある限り英霊剣豪は不死の怪物だ。

 

 その怪物然とした女の様子を眺め、青年は小さく、深く息を吐いた。

 

「おい、武蔵!」

 

 彼は武蔵の名を呼びつつ、手にしていた剣を投げる。彼女は唐突に名を呼ばれた事に目を瞬かせ、投げ渡された剣を咄嗟に受け取った。

 

 鬼切安綱を手にした分身さえ比較にならない怪物。そんなモノをどう斬るか思案していた武蔵。彼女の腰にはまだ二刀の剣が備えられているが、抜くべきではないだろう。あの技量、そして自分と頼光の筋力差。それを考えれば、一刀に両手を添えて凌ぐように戦う方がまだ目がある。

 そう考えていた、が。渡してきた青年の素性を知っている武蔵は、これを抜くべきだと考えた。この絶対不利を覆すだけの何かが、その刀にあるだろうと確信できたからだ。

 

「ありがと、お爺ちゃん。この剣、確かに借り受け―――」

 

 武蔵は受け取った剣をそのまま器用に腰に佩き、鞘から抜刀する。

 二刀流に戻った彼女は一瞬だけ口端を上げて、

 

「、っ!?」

 

 次の瞬間には、自分が何を手にしたか理解して目を見開いた。

 それが抜刀された途端、頼光も武蔵と同じような反応を見せる。

 

 そんな二人の反応を気にせず青年は彼女への言葉を続けた。

 

「そいつがテメェと此方に在ってはならねェもんを斬りたいんだとよ。ついでにそこの源氏の大将を斬れなきゃ、ここら全部消し飛ばされて終いときた。お前にそれが斬れるかどうか試すには丁度いい機会だ、死ぬ気でやってみやがれ!」

 

 言った本人が一番納得していない言葉。()()()()()失敗作を自認している剣を誰かに預けなくてはならない、なんて刀匠の名折れだろう。だが今、あの剣は『宮本武蔵』を求めている。そいつの手の中であれば、正しく斬るべきモノを斬れる、と言っているのだ。

 

(そんなこと、言ったって……!)

 

 握った瞬間分かる。手に負えない、と。こんな妖刀、ヒトの手に負えるモノではない。抜いてしまった事を早速後悔するほどの重圧が、剣を手にした右手から全身に広がっていく。

 荒くなる呼吸、吹き出す冷や汗。そんな様子を源氏総大将が見逃す筈もない。

 

「……確かにその剣は我ら英霊剣豪を斬れるやもしれません。使いこなせれば、ですが。しかし使い手がそれでは、宝の持ち腐れもいいところ。

 ただ鉄を打ち鍛える事で、神威に等しい切れ味を刃に降ろした鍛冶の腕。もはや畏敬の念すら覚えます。ただ託す相手を間違えた―――とも言い切れませんか。そんなモノ、この現世に振るえるヒトがいるかどうかさえ定かでないのだから」

 

 頼光が神鳴りを放つのではなく疾駆した。目掛ける先は当然のように武蔵。彼女は抜いてしまった神域の刃に惑わされ、酷く動きが鈍っている。今斬り合えば三合と待たず首が飛ぶ。

 青年が大きく舌打ちしつつ頼光を追う。彼はそのまま無手だった腕を振り被り―――

 

「武蔵―――! え?」

 

 同時に武蔵の方へと走ろうとしたジオウの体が止まる。

 余りにも想定外の事態によって、だ。

 

 彼が一切手をつけていないにも関わらず、ホルダーからウォッチが舞う。

 それが勝手に起動すると、そのままドライバー……ディケイドウォッチへと飛来した。

 自動で装填され、力を発揮するレジェンドライダーの力。

 

〈ゴースト!〉

〈ファイナルフォームタイム! ゴ・ゴ・ゴ・ゴースト!〉

 

 ジオウの姿が変わる。ディケイドアーマー・ゴーストフォーム。

 望んで変わったわけではない故に困惑するジオウ。

 そんな彼の中から一着のゴーストパーカーが、尋常ならざる速度で飛び出した。

 

「あ」

 

 重い体を強引に動かし、襲来する頼光を迎え撃つ。だが考えるまでも無く、こんな状態であれほどの規格外と斬り合える筈も無い。酷く、この命が瀬戸際まで追い詰められているという事実に唇を噛み締めて。

 ―――バサリ、と。唐突に武蔵は頭から布に被さられる。そうなってみれば、鉛のように重くなっていた身体が、急に羽のように軽くなっていた。

 

「え」

「御覚悟、どうぞ」

 

 その剣撃の速度は稲妻と変わらず、武蔵を目掛けて放たれる。

 対抗されたところで数秒あれば首と銅を斬り離せるだけの実力差。

 それを埋められる可能性がある武器の有利は、今の彼女には引き出せない。

 

「そっくりそのまま返してやろう。その宿業とやら、綺麗さっぱり()()()()()()()覚悟を決めろ」

「―――!?」

 

 黒い縁取りの赤い上着。唐突にそれを被った武蔵から、彼女の声で彼女のものではない言葉が吐き出される。体勢の作り方が根本的に変わる。変化や進化などという言葉では足りない。

 唐突に、突然に、()()()()()()()()()()()()()()。そうとしか言えない現象が起きる。

 

 青年が託した刀、持ち主を食い潰す妖刀さえもその手にあるのが当然のようだ。武器の重さに耐えかねていた一秒前とはまったく違う。剣を完全に自分のものにしている。刹那の内に一体何が、という疑問を抱く。だがそんな事に思考を回すための猶予は、源頼光に与えられなかった。

 

(死――――?)

 

 脊髄が凍り付いたかのような冷たい感覚。

 ()()()()()、という確信に従い前進を止める。

 

 今度は逆に武蔵がこちらに踏み込んできた。一切鏖殺の宿業が揺らぐ。殺すことなど考えていれば、瞬く間にこちらが死ぬという確信が生まれた故に。命を惜しんでそうなるわけではない。ここで死ねばもう誰も殺せなくなる、という呪詛が実利を優先したためにそうなったというだけだ。だがそのおかげで、頼光は全霊を防御に傾ける事ができた。

 

 連続で弾ける金属音。双剣に対応しただけの二度の交錯。たったそれだけの事で、目の前の道全てが鎖された感覚に包まれる。

 

 頼光の眼は測定の未来視染みて、何をすればどういった結果になるかを完全に捉える。そしてそのために必要ならば、どのような太刀筋さえも繰り出せる剣腕を持っている。その二つの神業を以て、彼女という剣士は殺し合いを完全に己の望む通りに運べる規格外の存在である。

 少なくとも、今まではそうだった。

 

(戦運びの手腕、が……私より上っ、綱と互角……っ! いえ、恐らくはそれ以上の、差が―――!)

 

 その彼女が、軽やかに閃く二刀を相手に防戦一方。ひたすら受け流しに終始させられる。英霊剣豪故に斬られても不死、などと安易に相打ち狙いなどしてみろ。その瞬間に黒縄地獄は斬られて終わる、と。

 彼女の呪われた霊核(しんぞう)が最大級の警鐘を鳴らしている。

 

 苦し紛れに放つ稲妻。形を持たぬ雷さえ妖刀の一振りで斬り捨てられる。

 次いで襲い来る一撃は妖刀のものではないが、最早この女の太刀筋相手では関係ない。必死で凌ぐ数合の内に理解している。今の武蔵は、妖刀の力無くとも宿業を断てる。

 手首を返し、童子切の腹でその一刀を何とか逸らす。そのまま距離を取らんと後退する、ことが許されない。同じように刃を返した武蔵の追撃が、頼光の右手首をするりと徹った。握っていた剣と共にすとんと落ちる己の手首。再生、しないわけではないが余りに遅い。()()()()()()()()()()()()()()()、と頼光の方が納得しているのだ。狂気の中でも剣士として、その斬撃に心が負けているのだ。

 

「よも、や―――!」

 

 刀を取り落としてはそれが最期。左手を伸ばし、何とか愛刀の柄を捕まえる。余りにも大きな隙、それを前に武蔵は双剣でこちらの首と心臓を斬るための所作を見せ―――そこで顔を顰め、ぴたりと止まった。

 

 理由は分からずとも、これが最大唯一の好機なのは間違いない。

 彼女は大きく背後へと跳び退り、その瞬間に木々の合間から黒い霧が噴き出してくる。自身を包む黒い霧に眉を顰める。恐らくは英霊剣豪側だが、正体は分からない。とはいえ、このような事をしてくるとすればリンボくらいか。

 

「これは、さっきと同じ……!?」

 

 小太郎が先の状況を思い出し呟く。

 アナザーキバが消え、源頼光が現れた時にもこれがあった。

 

 事此処に至ってそれがただの霧などと思うはずがない。だがそれへの対策に当たる前に霧は頼光の全身を覆い、次の瞬間に綺麗さっぱり晴れていた。包まれた頼光の姿もまた消えている。無論、残っていた四天王の姿も影に消えた。

 

 数秒、十数秒を待って誰かが深く溜め息を吐く。

 唐突に終了した戦い。誰もが言葉を詰まらせる中、宮本武蔵が剣を取り落とし、自身に被さるゴーストパーカーを両手で掴んで引き千切らんばかりに思い切り引っ張り始めた。

 

「こ、んの、一反木綿……! 勝手に人の体を使ってるんじゃないわよ―――っ!」

 

 脱ぎ捨て、地面に叩きつけ、そのまま踏み躙る勢い。

 だが投げ捨てられた瞬間、ムサシのパーカーはひらりと浮遊を初めて彼女から離れていく。声は発しないが、呆れるように鼻で笑うような様子だけ見せて。そのまま彼はゴーストフォームの許に帰還し、ウォッチの中へと消えていく。

 

「おー……」

 

 ゴーストの中に還っていったムサシを見て、ドライバーを軽く叩きつつ感心したような声を漏らすソウゴ。周囲も困惑の度合いが強い、が。だが今の最後の攻防を見て、理解できたことがある。

 英霊剣豪は斬れる。その宿業を断ち切り、葬り去る手段があるという事だ。だがそれが出来るのは、宮本武蔵……“完成した宮本武蔵”だけである。

 

 そう納得する周囲の様子から視線を外し、息を荒げながら顎を引いた武蔵は、地面に落ちた自分には重すぎる妖刀を見て顔を顰めた。

 

 

 




 
 キバットーリービーアー
 妖刀村正と英霊剣豪、戦ったらどっちが強いのでしょうか?
 これってトリビアになりませんか?
 


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フェルマータ・迫る切狂言1639

 
 ねぇハドラー、キバ(コウモリ)とスターク(コブラ)がいるからせっかくならクモも欲しいなと思ってたら予想外のところからクモが飛んできたんだけどどうなってるの?
 


 

 

 

 カチン、と鍔鳴りを起こして拾い上げられた刃が鞘に納まる。

 そのまま深く溜め息を吐いた青年は、横目に息を荒げる武蔵を見た。

 

「武蔵の手に、ね。そういうワケか。どういう絡繰りかは分かりゃしないが、納得はいった」

 

 彼の言葉にむすりと不機嫌を表情に出し、落とした自分の刀を拾い上げる武蔵。彼女自身にだって納得はできる。紛れもない自分の到達点が、勝手にその技量を自分の体で発揮したのだ。自分より巧く自分を使われるあの感覚、今思い出しても気色悪さが天井知らずに上がっていく。

 

「それはどうも。お爺ちゃんの御期待に添えずごめんなさいね」

「…………まあアレだ、少しは同情してやるさ。未知の自分に自分を塗り潰されるほど気色の悪いことはない、ってな事は何やらどうにも共感できちまう。(オレ)がそんな感覚知るわけねェンだから、借り受けた体の方の記憶だろうがな」

 

 そう言って踵を返し、庵の方へと歩き出す青年。彼の発言に何か思うところがあったのか、転身を解いた美遊は酷く難解な表情でその背中を見送った。

 

 逆に庵の屋根上に陣取ったクロエが、弓を下ろしながら眉を細める。青年は庵を出て真っ先に、刀身だけの刃を抜き出した。それが今彼の手にしている危険な刀、彼が突き詰めすぎた一振りだ。

 そう、あれは数分前まで裸の刃だったのだ。装具が何も装着されていない、刀としての拵えがされていない剥き身の刃。恐らく折るに折れぬと処分に困ったが故に浮いていたのだろう。

 

 なのに何故、今は装具が拵えられているのか。

 それは彼が抜き身の刃を手に取ると同時、一節の呪文を唱えたからだ。

 

 ―――『投影(トレース)開始(オン)』と。

 

 投影魔術であった。有り得ない精度と強度、そして持続時間。今回投影されたのは刀の装具のみであったが、それ以外も出せるだろう事は彼女の眼からすれば明白。何故って、彼が行使した力と、自分が宿した力がまったく同質のものであったからに決まっている。

 

 青年を見下ろしながら自身の胸に手を当てて、そこにある筈のクラスカードのことを考える。新宿の黒い狙撃手(アーチャー)こそ、彼女のクラスカードに宿る英霊だった。同じ力を使うモノ同士として関係ないなんて事はないだろう。ではあのアーチャーが、いま彼女の兄―――衛宮士郎の体を借りている英霊なのか? いいや、それは違うだろう。彼は射手であり、あの青年は刀鍛冶であるのだから。接していてもまるで共通点を感じない。

 

 ―――だったら、クロエと青年が同質の力を使う理由はただひとつしかない。

 つまり。あの青年は宿った肉体、衛宮士郎の性質として魔術回路を用いて投影魔術を使い。クロエが宿すクラスカード・アーチャーに刻まれた英霊の正体が衛宮士郎であり。あの新宿で会敵した黒いアーチャーこそ英霊・エミヤシロウであったという事だ。

 

「…………もう。なんなのよ、それ」

 

 繋がってしまった情報に頭痛がする。ありえない、とどう誤魔化そうとしても無理がある。信じられずともそれが答えだと理解してしまった。ここで頭を掻き毟ったところで何も変わらない。

 手から弓を消しつつ、彼女は辿り着いた結論に頭を痛めつつ深い溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 高木の太い枝に腰掛けながら、相変わらずいい仕事だとトランスチームガンを軽く撫でる。ベルナージュのお陰で地球ひとつに随分と手間をかける羽目になったが、この一丁が手に入った点は少なからずプラスになった事柄だろう。真の姿ほどでもないが、ブラッドスタークとしての姿も気に入っている。

 地球人には兵器を作る才能がある。これは火星の後すぐに地球をパンドラボックスで滅ぼしていたら分からなかった、原生生物に着目しなければ判明しなかった美点だと言える。もちろんそれを知らしめてくれたベルナージュに対しての感謝の気持ちなど、一切合切湧かないが。

 

「―――ここは」

 

 ピリピリしている―――いや、雰囲気ではなく実際に周囲で雷電がビリビリしている女。スチームガンの能力で戦場から引き戻した源頼光だ。声をかけることはせず、彼は軽く顎をしゃくって下に控えている人形に指示を出した。

 

「ご無事ですか、頼光殿」

「……ええ、どうにか生き永らえたようですね」

 

 頼光に声をかけたのはリンボのしもべ、彼が自由に動かしている黒髪の絡繰人形。腰より長い京紫色の襟巻きを身に着けたくのいちが行うのは、ただ事務的な確認であった。

 

 ふと頼光の視線が巡る。頭上の男と人形、双方に目を向けて見定める殺戮者の眼光。だがここにいるのは生物の範囲に入らない人形と、この星の生命とは根本的にズレた異種生命体(インベーダー)。どちらも彼女の宿業を刺激するには至らなかったようだ。

 

 そうでなくては困る。今の男はまともに戦闘などできやしない、中身に関わらず一定の性能を発揮するのがトランスチームガンのセールスポイントであるが、戦闘した場合に中の人間が耐えられるかどうかはまた別の話。彼がある程度力を発揮すれば肉体が崩壊し、いとも簡単に変身を維持できなくなるだろう。どうにか戦闘に耐えるだけの体を確保できれば、と思うが無い物強請りしてもしょうがない。

 当初はさっさと離れて元の姿に戻りたいと思っていた石動惣一の体が恋しくなる日が来るとは、人生とは儘ならないものである。

 

「それで、妖術師殿……いえ、リンボからの指示でもあるのですか?」

 

 頼光の視線が男に向く。彼は肩を竦めてから言葉を返した。

 

「いいや、特には聞いてないな。ま、必要なら本人が言ってくるだろ。それまでは適当に宿業に従って人殺しでもしてればいいんじゃないか?」

「そうですか」

 

 彼女は左手で逆手に持った刀を鞘へと納める。未だに右手は治っていないが、宿業(しんぞう)を断たれたわけではない。それなりに時間を置けば修復に至るだろう。ならば人の匂いを辿り、そこで鏖殺を繰り返すだけだ。

 下総国より外では既に殺戮の限りを尽くし、関東一帯で生き延びた者はごく一部の者に限られる。後は中心となる下総周辺だけ。ただそうして今までは外に英霊剣豪を向けていたからこそ、下総における殺戮は全く進んでいないわけなのだが。

 

 木の上に座った蛇が足を組み直し、さも今思い出したかのように言葉を付け足す。

 

「ああ、そういやエンピレオも呼び戻されてたんだったな?」

「御意の通りにございまする」

 

 肯定する絡繰人形。その会話に頼光が小さく反応した。

 

 セイバー・至高天(エンピレオ)

 宿業に狂った英霊剣豪内においてさえ、或いはリンボ以上に狂った男。

 

 剣聖の域にあるその卓越した剣腕を思い出し、僅かに眉を顰める。自身が先程刃を交わした()()()()。アレとエンピレオがぶつかった時、一体どうなるかと。どちらも剣の技量においては源頼光より上。神威によって技巧を圧し潰し滅殺する、というならば頼光にも勝機はあるが、斬り合いとなれば恐らくどちらとも百度やって百度同じ結果を迎えるだろう。

 

 だから彼女の視点からでは天上の二人の果し合いの結果は計り知れない、が。

 

(エンピレオでさえ。少なくとも今のエンピレオでは、あれに届くとはとても……)

 

 アレは英霊の同じ領域、()()()()()()だ。宮本武蔵という剣豪の、最大最高の値を測量した記録帯。であるからこそあの武蔵は最強の剣豪であり、他を寄せ付けぬ圧倒的な強さを誇る。

 だからこそ、()()()()()()()では勝ち目がない。そう考えて―――彼女は失笑した。

 

(であったとして、エンピレオは喜びこそすれ恐怖など持たないでしょう。ただ……)

 

 ―――かつての己の浅はかな判断に、後悔をするかもしれない。

 憐れむようにそう思った彼女は無駄な思考をしたばかりに表情を消し、ゆっくりと首を横に振ってその考えを頭の中から消しさった。

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ行ってくるけど」

 

 激戦を潜り抜けた翌朝、オルガマリーが玄関口でそう言って振り返る。

 青年と幼い姉弟はもちろんだが、屋内にはまだ人が残っていた。

 

 武蔵とソウゴに加え、胤舜とクロエである。その四人は立香の捜索ではなく、こちらに残ってやる事があると城下に行かない選択を示した。昨晩の戦いを見れば武蔵と、それに付き合う事になるだろうソウゴもまだ分かる。だがクロエも、というのは一体どういうわけなのか。まあ、問題があるわけではないが。

 

「行ってらっしゃい、お姉ちゃんたち。気を付けてね?」

「だぁ」

 

 にこやかな童女と背負われた赤子に言葉をもらう。溜め息が出そうになるのを全力で噛み殺し、彼女もまたにこやかに笑って、ええ、と返した。

 

 そうして城下に向かっていった集団を見送った後。青年は家の中でどかりと座り、剥き出しの刀身へと向き合った。投影したものなどではなく、きっちりと刀に合わせた装具を拵えるための作業。

 ひりつくような空気は青年の雰囲気か、或いは刀の発する雰囲気からか。無言で仕事に取り掛かった彼を見て、おぬいは田助を背負ったまま朝食の片付けに取り掛かった。

 そして胤舜はそんな童女の姿を追い、手伝いにかかることにしたようだ。クロエも僅かに迷いを見せつつ、同じく手伝いのために二人を追った。

 

 武蔵が腰から一振り、刀を鞘ごと引き抜いた。ちらりと視線をくれた青年に対し、彼女はその剣を抜き、折れた刀身を見せながら告げる。

 

「悪いけどおじいちゃん、この子の供養もお願いできるかしら?」

「おう、そこに置いとけ」

 

 折れた剣に一瞥だけくれると、再び作業に戻る青年。

 今更ながらの話と思いつつ、二人を見ていたソウゴが声をかける。

 

「おじいちゃんってさ、ホントの名前は何て言うの? どんな英霊?」

 

 そも武蔵は当たり前のようにおじいちゃん呼びしているが、外見は立派な青年だ。呼ばれる側がそれで納得しているならば、別に呼び名などそれでいいのかもしれないが。

 厳しく細めた視線は刀から動かさないままに、青年はソウゴからの問いに答える。

 

「英霊なんつう大層な格に祀り上げられてンのは(オレ)からしたら甚だ疑問だがな。名は千子村正、見ての通りただの鍛冶屋、だったんだが。今は疑似サーヴァントって奴らしくてな、体をどこぞの誰かから借り受けてるせいで武士の真似事くらいはできる、ってくらいなもんだ」

「へぇ……」

 

 千子村正。刀への造詣が浅くとも聞いた事があるような、刀匠の中のビッグネーム。そしておじいちゃんと呼ばれている事と、外見が一致しないのは疑似サーヴァントだかららしい。つまりただ単に似ているとかではなく、本当にイリヤの兄が依り代の体になっているのだろう、多分。

 ふとソウゴが後ろを振り向くと、隣の部屋からクロエが頭を半分出してこちらを覗いていた。イリヤの兄という事は、クロエの兄でもあるという事。流石に気になるのだろう。

 

 時代や国を飛び越えても、意外と世界とは狭いものなのだろうか。

 

 感心しているソウゴの目の前で、村正が手早く拵えを済ませた剣を放る。それを咄嗟に掴み取った武蔵が強く顔を顰め、しかし意を決してその剣を腰に差した。これを使いこなせなければ源頼光、英霊剣豪に勝つ事など夢のまた夢、まして目の前であの性格悪い布切れ男にあんなものを見せられたのだ。やられたままで負けっぱなし、なんて死んでもごめんだ。

 

「ねえソウゴ。アレ、いつでも出せるのよね?」

「出せるけど、多分俺じゃタケルみたいにムサシの力を出し切る事はできないよ?」

 

 英雄眼魂を使うのはゴーストの能力だが、英雄と心を通わせその力を現出させていたのはタケルの力だ。仮面ライダージオウは仮面ライダーゴーストの力を使えるし、英雄眼魂の力を発揮させる事もできる。だがパーカーゴースト状態で出現させても、その英雄の真の力を引き出せているとは言えない。

 英雄たちを己に憑依させ、その肉体で英雄の真の力を体現する事こそ仮面ライダーゴーストの真骨頂。そのやり方を真似る事はソウゴには無理だろう。それどころか宮本武蔵の真の力となれば、もしかしたらタケルでさえ完全に再現するのは無理かもしれない。或いはそれができる者がいるとするならば、ムサシと盟友と呼べる関係にあったタケルの父親、天空寺龍ぐらいなものだろうか。

 

 先のムサシがあれほど力を出せたのは、憑依した相手が“宮本武蔵”であったからだ。だからこそ彼は完璧な状態で己の技量を発揮する事ができた。

 あの完全なる完結した“宮本武蔵”は、他の肉体で再現されることはないだろう。

 

 ―――だからなおさら腹が立つ。同じ体を使っても自分とアレにはそれだけの差がある、と如実に示されたも同然なのだから。

 今しがた腰に差したばかりの刀の柄に掌を当て、ソウゴに問う。

 

「……それでもいいわ。悪いけど付き合ってくれる?」

「いいよ」

 

 煮え滾るような問いかけと、何とも気の抜けるような返答。

 とにかく了解は貰った。

 武蔵は早速と玄関の方に歩き出し、ソウゴもまたそれに着いていく。

 

「……さて、どうなるかね」

 

 それを見ていた村正は武蔵から渡された刀から装具を外し、剥き身にする。刀身が真っ二つになった一振りの刀の成れの果て。こうまでされては打ち直すべくもない、持ち主の意向通りに供養するしかないだろう。そんな刃を手に取りながら、彼は片目を瞑らせ肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 

 ふらりと軽い足取りで、ひとりの男が魔界の扉を潜り抜けてくる。

 その空間には数人の亡者がいたが、男に視線をやったのはただひとり。

 

「……戻ったか」

「ああ、良いものを仕立てて貰った。土の臭いが染みついた世捨て人であった拙者も、これで貴人の会合に居合わせるに最低限の格好はつくようになったでござろう?」

 

 男は仕立てたばかりの服をそうして雇い主に見せ微笑んだ。わざわざ揶揄うように侍を使うその様子を無視し、雇い主の青年がこの地獄の隅で佇む男を見る。

 何を言われるのか分かり切っているのか、リンボは即座に跪いて頭を垂れた。

 

「リンボよ。英霊剣豪最後の一騎、プルガトリオはどうなっておる」

「は……未だ宿業を埋め込む事叶ねば、彼奴めはランサー・宝蔵院胤舜として存在していまする。このキャスター・リンボ一生の不覚、如何様な罰でもお受けする所存」

 

 二人のやり取りを聞き、くすくすと嗤う声。目を向けるまでもなく、この場でそんな態度を取る者は一人しかいない。即ちバーサーカー、衆合地獄である。

 そんな鬼の反応を無いものとし、妖術師は平に伏すリンボに向けて言葉をかけた。

 

「よい。その程度の些末事、我が厭離穢土成就にとっては瑕疵にもならぬ」

 

 言いながら妖術師は両手を顔の高さまで上げる。それに伴い渦巻く怨嗟の呪力。この空間こそ正しく地獄、人が理不尽によって迎える死の今わの際に抱く呪詛を凝らせた異界。

 その中心に立つ青年は、一身に呪詛を集めながら口を開く。

 

「英霊剣豪七騎。その魂をくべることで、聖杯を満たすが如く厭離穢土は成就する。怨念に満ちた魂が足りぬ分は、生者を鏖殺して埋めればよい。無論、英霊剣豪とすることが出来ずとも英霊の魂も贄となろう」

 

 厭離穢土成就の儀式のために()()()()範囲は精々が関東一帯。その使える人間たちは英霊剣豪、そしてリンボが従える絡繰の働きによって一部を除き殺戮されている。

 後は英霊剣豪をくべれば、厭離穢土招来に呪力が足りず不発、という事はまずありえないだろう。

 

「ふぅん。ならうちらは後は好きなようにやるだけやって適当に死ね、いう話? 殺せる相手がいるかどうかは別として、それならそれで愉しめそうやね」

 

 衆合地獄が愉しそうに妖術師を見た。

 

「今日、エンピレオが表の顔で入城する。奴が準備を整え次第、英霊剣豪全騎によって城下を囲い、下総の人間を鏖殺する。

 ―――そして最後に、お前たちで殺し合うがいい。それがエンピレオの望みでもある」

「ンンン、流石はセイバー・エンピレオ。自分であれば我ら英霊剣豪を宿業ごと両断することなど容易い、とそう仰っておられるわけですな。もっとも彼は妖術師殿の大望成就ではなく、己の剣を一流の剣客の血に染めることに執着しているだけでしょうが。至高天(エンピレオ)の名が聞いて呆れる、というもの」

 

 呆れるように、揶揄うように、キャスター・リンボは男を嗤う。

 そんな中で、鬼が一人声を上げた。

 即ちアーチャー・インフェルノ。

 紅蓮の激情、鬼火の太陽は今は沈下しているのか、ただ理性が見て取れる。

 

「その鏖殺、阻もうとする者もおりましょう。そちらは如何様に?」

「カルデアのみならずあのシノビもか。無論、阻むのであれば殺せ。殺せぬのであれば殺されよ、それが貴様ら英霊剣豪の役目なれば」

 

 カルデアを殺しても、英霊剣豪が殺されても、どちらにせよ彼の計画は進む。

 死と怨嗟が渦巻く終末こそが彼の望む境地。

 

 だが英霊剣豪は不死身、無敵の殺戮者だ。普通に考えれば殺されると言う結末はありえない。だが妖術師はカルデアを殺せないのであれば殺されろ、と何でも無い風に言ってのけた。まるでカルデアが英霊剣豪を破る手段を手に入れる事を疑っていないかのように。

 

「へえ、そら分かりやすくてええなぁ。殺すか殺されるか、エンピレオの試し切り相手よりずっと面白そうやし」

 

 衆合地獄がいつの間にやら手にしていた盃を傾ける。

 妖術師からの返答に納得したのか、インフェルノは顔を伏せていた。

 

「ンンン―――では、エンピレオが場を整えるまでに、拙僧も最後の準備に取り掛かりましょう。全ては妖術師殿の望まれし厭離穢土降臨のため。

 ルチフェロなりしサタンの御名の下、我ら英霊剣豪の使命を果たしましょうぞ!」

 

 声を上げるのはリンボのみ。後は無視するか、呆れるか、或いは最初から気にも留めないか。そんな扱いであったが、キャスター・リンボの顔には喜色満面の笑顔が張り付いていた。

 話の邪魔にならぬようにと隅に背を預け、目を瞑っていた男。彼がこの異様な空間の中で、何事かに気付いたように片目を開いた。

 

(―――地震。いや、()()か。学の無い私にはこのような洞穴を揺らすほど逞しい心の臓を持つ生き物など思いもつかないが、さて……? 雇い主殿も気付いておらぬ様子となれば、間違いなくリンボ殿の仕込みであろうが)

 

 ほんの僅かな振動だった。理由もなく、しかしその現象が間違いなく何かの鼓動であったと確信する。この場所の直下に何かがいるわけではないだろう。そうであれば他の剣豪とて間違いなく気付く。

 であれば妖術か何かが働いている、という事になる。そんな妖しげな術を行使できるのは、妖術師かリンボの二択となるだろう。しかし妖術師はそのような話は一切していない。

 そして、リンボによるつい数秒前の宣言だ。

 

(最後の準備、とやらの一環であろうな。それが本気で雇い主殿のための行動かどうかはさておき)

 

 何かをしている、と感じただけで何をしているか理解したわけではない。妖術師にリンボが危ういと告げたところでも意味もない。

 まあそもそもの話、畑を耕すか棒を振っていたかの男に策謀・暗躍の心得などある筈もなし、何ぞ隠して行動しているリンボを掣肘する手段などある筈ない。つまり男に出来ることは何もないというわけだ。

 

(いやはや。用心棒ならば体ひとつあればできるものかと思えば、学も無ければ務まらぬ仕事だったとは……山とは違い、世間とはまこと厳しきものよな)

 

 鼓動はいつの間にか聞こえなくなっていた。結局あれが何だったのか、聞こうとしたところではぐらかされて終わりだろう。その事実に肩を竦め、男は困った風に笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

「あーっ、見つけたーっ!」

「え?」

 

 大通りに響く少女の声。その聞き覚えのある響きに目を瞬かせ、立香は首だけで声の主に振り向いた。今更ながら、意識すれば直近に感じるマスターとサーヴァントが有する繋がり。そこにいたのは間違いなくイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。彼女と契約したサーヴァントであった。

 得意の走りで距離をあっという間に詰め、安心を表現するかのように腰に抱き着いてくる少女。一瞬よれたもののすぐに体勢を立て直し、立香はイリヤの頭に手を置いた。

 

「何か凄く元気だね、イリヤ」

「こんな状況でリツカさんが普通すぎるだけだと思う!」

「格好はあまり普通じゃなくなってますけどねぇ」

 

 ふわふわと浮くルビーが二人の周りを一周しつつ、そう言った。確かに学生服から何故か着物になっているのは普通じゃない。軽く腕を上げ、おつるより頂いた着物を検める立香。

 

「うーん、でもこの町の中なら普通じゃない? 着物」

「主に防御面の備えについて言っているんですけれど……」

 

 何の守りも無い礼装でも何でもない着物。その格好はこの特異点―――並行世界において、自殺行為も甚だしい、というのがルビーの言いたい事である。

 

「それは……」

「それは?」

 

 アナザーキバにそれはもう遠慮なくずんばらり、とされてしまったから。という事態を説明する前に、オルガマリーたちが追いついて来ていた。

 どことなくひんやりとした表情。まるで『わたし、今から怒ります』と顔に書いてあるようだ。心配をかけてしまったのでしょうがない。もちろん死にかけた事を隠すわけにもいかないだろう。

 

「とりあえず……現地協力サーヴァントのとこまで戻ってから話すね?」

 

 長くなるだろう話だ、するならば道端ではなく床の間がいい。

 おつるの事も紹介するべきだろうし。

 

 この状況で無防備に外をふらふらとしているその根性。そういう奴だと分かってはいたが、と吊り上がっていくオルガマリーの目尻。それが途中で止まり、深い溜息へと繋がる。だがまあサーヴァントの協力者を見つけているならば、最低限の自衛は考えていたということだろう、と。所長は仕方なさげに額に手を当て、重ねて溜め息を吐いた。

 

 そんな所長の様子に苦笑しつつ、こちらに集まってくる皆を見た立香が首を傾げる。

 

「あれ、ソウゴは?」

「ソウゴは武蔵と特訓してるわ。一応クロも」

「武蔵、って武蔵もここにいるの?」

 

 ツクヨミの答えに目を瞬かせる立香。

 宮本武蔵、かつての戦いで共闘した二天一流の女剣豪。前回は別れの挨拶を交わす暇もなく別れることになったが、まさかまた巡り合う事になろうとは。となると、ワンチャンひとりで外に踏み出すのも選択肢としては無しではなかった、のかもしれない。結局武蔵と出会えねば野垂れ死になので、どっちにしろあまり良い方針では無いのに変わりはないが。

 

 そんな驚きの情報を含め、彼女たちは歩きながらでも出来る話をしつつ、おつるの家へ向けて歩き出すのであった。

 

 

 




 
 仮面ライダーシノビ…!! 天草四郎…!! 加藤段蔵…!!
 果心居士…!! シドニー・マンソン…!!
 うぬら…5人か…!!

 天とは仮面ライダーからの供給!! 地とはFGOからの供給!!
 そしてマとは無論それらを見た時にこれマジ?と感じた余の気持ちの事を指す!!
 それこそが天地マ闘の構えの秘密…!!
 


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天華無元・サムライソード1645

 
メイルゥが遂に死ぬので初投稿です。
 


 

 

 

「なんでぇ、この人だかりは! こっちは仕事が詰まってるってのに、通れやしねえ!」

 

 棟梁が苛立たしげにそう言って、目の前の人だかりに舌打ちする。混雑を通り越してすし詰め状態。往来にも関わらずこんな状態など、祭りであってもそうじゃお目に掛かれない有様だ。

 付き従う大工たちも何が何やらと目を瞬かせていた。もちろん、道具を担いだ蓮太郎も含めて。

 

「今日って何かお祭りでもあるんですかね?」

「んなもんねえって。あったら俺たちだって仕事なんかしてねぇや」

 

 下総に来て浅い蓮太郎の疑問をばっさりと切り捨て、けらけらと笑ってみせる同僚。他の連中も違いない、と彼に同調して笑いだした。

 まあ確かに原因が分かっているなら棟梁だってああまで苛立つ事はないだろう。

 

「あんたら知らないのかい? 最近よくある怪異討伐のためって、江戸からお侍様たちが派遣されてきたんだってよ!」

 

 すし詰めの集団の中の女性―――恐らくは自分の知ってる情報を誰かに聞かせねば気が済まぬ性質の噂好きなのだろう。そんな女性が大工衆に向かって現状をよく教えてくれた。

 はあ、と何とも言えない反応を返す大工たち。

 

「江戸のお侍様がねぇ……まあ城下は平和だから気にならねぇが、っと。悪いな」

「ああいえ……はは、あっしとしてはお上がそうしてくれるのは嬉しい限りで……」

 

 どこぞから逃げてきたという事になっている蓮太郎に対し、軽率な事を言ったと同僚が頭を掻きながら軽く謝罪する。それを苦笑しながら流しつつ、話題の侍衆を見るために視線を大通りの方に向けた。

 

 集団が壁になってはいるが、ちょうどいま馬上の侍の姿が通りがかり始めていた。人々の壁で遮られていても、馬の丈の分背が高くなっている侍衆の姿ならば見上げる事ができる。完全武装した侍衆による統制の取れた行軍、そこから感じるのは並みの兵とは一線を画す練度。彼らは一片の乱れも無く松平氏の治める土気城へと向かっていく。

 

「ここいらはシノビ様々って感じで被害もねぇが、お上も本格的に問題を鎮めに来たって事かねぇ」

 

 江戸から来た侍衆が原因ならば、誰もこの通行止めに文句など言える筈もない。民衆はただ静かにその行列が過ぎ去るのを待つしかないのだ。

 そんな状況で蓮太郎の目に留まったのは、集団の中ほどで馬を駆る高齢の男性。馬上にある鍛え抜かれた侍衆の中でも、明らかに彼だけが別格であると感じ取ったのだ。

 

(もういい歳だろうに……とんでもないな)

 

 表情、態度に出さないようにしつつも驚嘆する。老いと言うのは肉体にとっての向かい風ではあるが、歳を重ねて洗練される強さもある。無論そんな事を分かり切った上で、その男が放つ剣気は余りにも鋭く、また活力に満ちたものであると感じた。確かにこれほどの武士であれば、今まで自分が相手にしてきた怪物など、木端のように散らしてみせるに違いない。

 

 そうして男を気にしていたからか。ふと、老爺の側に影が増えた。普通ならば注意しても気付かないだろう、霧中に張った薄氷のような気配。その気質に同業のそれを感じて、蓮太郎は僅かに目を細めた。

 

(忍者……?)

 

 馬の頭と騎乗した者たちしか見れない状況だ。老爺の近くに徒歩で侍っているだろう、その忍の姿はもちろん見えない。高所に移れば簡単に見えるだろうが、そんな事をすれば逆にあの老爺に気取られるのが必定。少なくとも大工姿でそんな事をするわけにもいかないし、忍者装束やシノビに変わってまでそんな事をする必要があるかというと、そういうわけでもない。あれだけ立派な侍衆なのだ、諜報隠密の忍者が所属していたとして何がおかしいわけでもない。

 

(けどこの気配、どこかで……?)

 

 気のせいである、と片付けてしまうのが一番正しい気がするほどに小さな、ほんの僅かな引っかかり。直視すれば真実に思い至るのか、或いは気の迷いだと笑い飛ばせるのか、それすらも曖昧な感覚。

 そうして困惑している意識に気を入れ直し、蓮太郎は即座に大工の新入りに立ち戻る。

 

 ―――仮に何かがあったのだとしても、今は深入りは禁物だ。このような人のごった返す往来で探りを入れるなど論外。探るにしても相応の準備をしてから、相応の時間を選んで。

 そこにどのような陰謀が秘められていたとしても、彼は彼の信ずる道のためにシノビとして刃を振るうのだ。

 

 

 

 

 

 

 藤丸立香の案内の下、オルガマリー・アニムスフィアを始めとするカルデアの面々はおつると名乗るサーヴァントの拠点に辿り着いた。挨拶もそこそこに彼女たちは情報を共有し、立香が一回生死の境を彷徨ったと聞いて、オルガマリーが頭痛を通り越してくらりと倒れかけたりしたものの、それほど時間もかけずにカルデアとおつるは、この地における協力関係を改めて結び直した。

 

「それでは皆様方もカルデアとは連絡が取れない状況、という事なのですか?」

「ええ、そういうことね」

 

 すっかり冷めた緑茶を今頃啜りつつ、オルガマリーが溜め息を吐く。

 その答えを聞いて、おつるは何とも言えない表情を浮かべた。

 

「おつるさん?」

「いえ、何でもありませんよ。何ともありませんとも」

 

 この何でもない会話の中、一体何が何ともないと言うのか。

 おつるは着物の裾で口許を隠しながら、立香から視線を逸らしてしまう。

 

「それにしても、まだ繋がらない?」

 

 それはルビー、そしてサファイアに向けて放たれた言葉。存在証明は行われているものの、カルデアとの通信は未だ繋がらず。並行世界の運営(第二魔法)を限定的に行使できる魔法使いのステッキ、向こう側の天才と規格外(チーター)であるダ・ヴィンチとBB、併せて呪術の専門家であるタマモキャット。彼女たちが力を尽くして駄目ならば、もう誰にもできないだろうと思ってはいるが。

 

「ダメダメですねぇ~」

「せめてこちら側にも呪術に詳しい方がいればいいのですが……」

 

 頭からアンテナを生やしたステッキ二本はそう言って、落ち込む事を表現するように羽飾りから力を抜いた。

 そんな浮遊物体から視線を外し、小太郎に問いかけるツクヨミ。

 

「呪術の専門家……小太郎は心当たりしない?」

「まったく無いとは言いませんが……流石にキャット殿に比肩するような呪術師となれば、この周辺どころかこの時代にはいないかと……」

 

 並行世界ではあるがここは風魔小太郎が生きた時代だ。活動していた地域としても近しい。その上で彼はそれほどの呪術師には心当たりはないと、申し訳なさそうに口にした。

 タマモキャットはそもそも英霊的にどういう存在なのかもまるでよく分からないが、それはそれとして超常存在、超級の呪術師なのだ。本人は仕方なく、本当に必要にかられた時にしか呪術など使おうとしないようであるが。

 そんな彼女と同等の技量を持つ存在を探そうと思えば呪術師の全盛期、この時代から更に500年から1000年ほどは遡って探さねばならないだろう。

 

「それはそれで、逆に妖術師とやらがどこから出て来たのか疑問になるがな」

 

 腕を組んで片目を瞑り、溜め息混じりにそんな事を呟くゲイツ。

 

 リンボはいいのだ。サーヴァントである以上、この時代から逸脱した呪術師であっても納得がいく。だが妖術師と呼ばれる黒幕らしき人物は、英霊剣豪というサーヴァント召喚の起点であると思われる以上、この時代の人間だと考えるのが筋である。

 仮に聖杯に匹敵する呪物があったとして、この時代の者が単独で英霊召喚ほどの大儀式に繋げられるとは流石に思えない。

 

「魔神が協力しているかもしれない……ってわけね、一応」

 

 魔神の存在はどうにも怪しい、というより特異点ならぬ並行世界に引きずり込むのは如何に魔神と言えど無茶が過ぎる。ただ魔神の関与を絶対的に否定できる材料があるわけでもない。結局のところ状況の混沌さが異常すぎて何も状況証拠として機能しない、という酷い有様なわけだ。

 

「情報を整理しようにも手元にあるのは実際直面した事象のみ、ね」

 

 さてどうしたものか、と顎に手を添えるオルガマリー。

 

 そんな主の傍に控えていた小太郎。彼はふと家の外に聞こえるざわめきに反応すると、障子戸へと近づき手をかけ、薄く横にずらして外の様子を窺う姿勢を見せた。

 彼が見せる忍の所作に首を傾げる面々。外の喧噪の原因は考えるまでもなく、此処に来る間にも聞いた江戸からの侍衆が理由だろう。それをこっそりと窺う事に何か意味があるのだろうか。

 

(……あの行列に忍が混じっているのはおかしくない。ただ、こちらの警戒線をすんでのところで踏み越えずに離れていった今の気配……)

 

 思考を掠めるのは昨夜の怪人。紅のアナザーライダー、キバ。あの怪人が姿を消した直後に現れた源頼光との交戦を経てなお正体不明。正体を探るための情報はまったく無い、と言っても過言ではない状況ではあるが、ただ一点。

 風魔小太郎という人物による、推測と称するには情報の足りていないほとんど直感染みたもの。その感覚において導き出されたアナザーキバの正体は―――

 

「……いえ、あの侍衆付きの忍がいくらか周囲にいるようでしたので」

 

 開けた時と同じように音も無く戸を閉める。

 そう、と主であるオルガマリーは納得して、他の者たちも含めて思考に戻っていく。ただそこで唯一、小太郎と同じく気配を察していただろう胤舜。彼は数秒ほど思案顔を見せたものの、しかし何かに言及する事もなく、黙秘を通してくれた。

 

(仮に、本当に僕の想像通りであるとすれば侍衆も黒か? 全員ではないにしろ、妖術師の協力者が紛れている可能性は否定できない、が。だとしても、最早あの集団の登城は止められない)

 

 この国、下総が丸ごと敵になる可能性。あの侍衆の登城がそのための下準備であるならば、相手はもう行うべき下準備を整えて、最後を見据えていると言う事なのだろう。

 阻もうとするにはもう全てが遅いのかもしれない。

 

(―――……ならば逆に、か)

 

 小太郎は状況の考察に勤しむマスターたちに視線を送る。相手の計画は止まらない、かもしれない。だがそれならば、成就した相手の暗躍の成果を真正面から食い破るのがカルデアの流儀だ。

 そんな事を口にしたら彼の主(オルガマリー)は絶対に、事実としてそれは認めるけど他人に言語化されるのは凄く嫌、みたいな顔をするのだろうけれど。

 

 相手を阻むために時間を使うのではなく、こちらが万全を期して対抗するための準備に時間を使う。元より後手がスタンダードになるカルデアでは、そちらの方が有意義なのだろう。

 

(そもそも勘ぐっているのも、それに動揺しているのも僕だけ。切り替えるべきだ)

 

「とりあえず仮面ライダーシノビに会いに行ってみない? 本人もよく分からない状態でこの時代に仮面ライダーがいる、って時点で白ウォズも怪しいし。ゲイツが行ったら顔出すかも」

「出てきたとしてどうする気だ、縛り上げでもするのか? 望むところだが」

 

 そもそも付き纏われている事実が未だに呑み込めていないゲイツの呆れた声。言ってしまえば白ウォズの目的、そのための行動が論理的なものとして解せていないのだ。ゲイツからすれば我が救世主と呼ばれても、彼の行動・言動いちいち全てに納得できない。

 ついでにウォズ、黒ウォズと瓜二つな辺り八つ当たりの相手としては満点だ。怪しいから縛り上げる、というなら全力で取り掛かる事に否やはない。

 

「縛っておいてもいつの間にか消えてそうだけど」

「……まあ捕まえられるかどうかはさておき、ゲイツが接触したらあの白いのが顔を出すかどうか、確認しておくべきかもしれないわね」

 

 ツクヨミとオルガマリーはそう言って肩を竦める。

 

「ただまだ外は大騒ぎだし大工の仕事もあるだろうし夕方くらいまで待った方がいいかも」

 

 そんな二人に対し、立香は顔合わせ済みの蓮太郎を思い浮かべつつそう言った。日中の彼は大工仕事の新入りだ。前のように仕事をしている最中に呼び出す、というのを何度も行うのは迷惑だろう。太陽が落ち切るまで仕事詰めというわけではなかろうし、大人しく仕事終わりまで待つべきだ。

 

 そうであるなら、と美遊が口を開く。

 

「先に買い物を済ませてしまうべき、でしょうか?」

「通信はルビーとサファイアに任せるしかないし、それしかやる事ないもんね……」

 

 空中で奇妙な動きをしている相方を見上げるイリヤ。本当に任せていいのか悩むところだが、残念ながら任せる以外に選択肢というものが無い。

 元々は青年一人に童女と赤子、加えて坊主と風来坊。そんな人数だった庵の密度は、カルデアの参加によってとんでもない事になってしまった。当然のように昨夜で備えは使い切られて、早急なる買い出しの必要性にかられているわけだ。それを聞いていた立香が、ふとおつるへと視線を向けた。

 

「……ねえ、おつるさん」

「どうぞお気になさらず、立香さんは皆様と合流して下さい」

 

 自分には自分の役目がある、と。おつるは微笑みの柔らかさとは真逆、頑ななまでの意思を長くない言葉から窺わせ、立香が一緒に来ないか、と続けようとした言葉を遮った。

 答えがそうなるのだろうな、とは思っていた。だが改めて声の強さからその頑固さを感じ取り、立香が困り顔を浮かべる。

 

「……そっか、そうだよね。おつるさんならそう言うと思った」

「ええ、そうですとも。まだまだ織らねばならない着物がありますので。世界の危機、人理の危機にサーヴァントとしては少々問題かもしれませんが、私に出来る事などこれくらいなものですし。

 ……あと正直、今カルデアと通じてもこう、何を話せばいいか纏まらない、みたいな。そんな心地ですので、いつ通信が繋がるかもしれない状況で長々と過ごすのは心臓に悪いというか……」

「え? なに?」

 

 後半はやたらと小声だったために聞き逃してしまった。改めて確認しても、おつるは曖昧な顔をして何でも無い、と誤魔化してくる。

 少々気にかかりはしたが、無理に追求するほどの事でもないだろう。立香は小さな声故に聞き逃してしまったが、まず間違いなく小太郎はその言葉を耳に入れたはずだ。そんな彼が特に反応を示さないという事は、明かさねばならないような重大な秘密ではないという事。なら、自分は聞き逃してしまったという時点でこの話はおしまいだ。

 

「とりあえず皆で買い物して回って、一度ここに戻ってきて荷物を置かせてもらって、時間になったらシノビに会いに行って、終わったら荷物を取りに来て帰る……って事でいいのかしら」

「あ、だったら―――」

「こんな状況とは思えん随分のんびりとした一日だな」

 

 ツクヨミが口にしたのは、まるで昨夜の交戦など無かったようなのんびりとした予定。それに対し少し遠慮がちに声を上げようとしたイリヤが、溜め息交じりに暢気さを指摘したゲイツの言葉に押し黙った。

 と、図らずも少女を黙らせたゲイツに対し、ツクヨミが遠慮無く叱責の視線を飛ばす。彼はそれを正面から受け止めると声を詰まらせ、数秒ほどすると所在なさげに顔を逸らした。

 

「どうしたの、イリヤ?」

「あ、えっと……やっぱりいいかな、って」

「いいのよ、イリヤ。ゲイツの言うことは気にしなくて」

 

 一斉に敵に回る女性陣、というかツクヨミ。

 更に美遊から敵意が飛んできている。

 つまり一組の主従がまるっと敵方に回ったということだ。

 

「……何で俺のせいになる」

 

 むっつりと眉根を寄せたゲイツの肩を胤舜の手が楽しげに叩く。女、子供の我儘に振り回されるのは男冥利に尽きるだろう、とでも言いたげな顔だ。それが坊主からの慰めとして適当かどうかはさておき、ゲイツは鬱陶しげに胤舜の手を払い落とした。

 

 考えた言葉を口にする事を些か迷っていたイリヤであったが、ツクヨミからの後押しもあって立香の方をちらりと見てから口を開いた。

 

「せっかくなら、立香さんみたいに着物で歩きたいなぁ、なんて……」

 

 出てきたのは至極女の子らしい言葉。というか、少女たちの服装はこの時代で町を歩くにはまあ目立つ。実際に動くのであれば、衣装を整えるのも必要な行動の一環であるには違いない。一応は。

 

 立香が確認するようにオルガマリーを見る。彼女はむっつりと表情を硬くしていたが、数秒も待たずに小さな溜め息と一緒に気を抜いてみせた。

 現代人の衣服やカルデアの制服ではとても目立つ。ならどうしていたかと言えば、真っ当に魔術を修めた彼女が認識阻害を用いて周囲に自分たちを()()()()()()()()として見せていた。つまり衣装を現地のそれに合わせる必要性は一切無い、わけだ。

 

 で、あるが。

 特に何かを言われるまでもなく、所長は少女の望みを聞いて勝手に折れていた。

 

 立香の着物は対価を払って入手したものである。その取引はおつる本人さえ吊り合いが取れない、と断言した礼装の残骸とのシャークトレードであったが。

 相応の対価をちゃんと用意できるなら、おつるはささっと着物を用意してくれるだろう。やろうと思えば一着が数分で仕上がるのは、この前の浪人侍の時に証明されている。

 

「おつるさ―――」

 

 声をかけようとして、言葉を詰まらせる。なにせ数秒前までおつるがいたはずの場所に、今や誰もいなかったのだから。消えた、と驚こうとしてその前に家の奥からがったんごっとん音がする。前にも覚えがある状況だ。

 立香以外が一体何ぞと目を瞬かせている間に、音が激しく、強く、加速していく。そしてスッと静まり返った次の瞬間、すぱーんと襖が開いて服を手にしたおつるが姿を現していた。

 

 彼女が手にした衣装はピンクとブルー。キラキラ輝く、否。身に着けた少女を光当たる場所へと導いてキラキラと輝かせるため、夢と希望を詰めこんだフリフリのコスチューム。サイズからいってどの年頃の少女に着せる事を目的としたものかは明白だが、それを考慮せずとも誰のために作られたかはっきりと分かるほどに分かり易く、星と月をモチーフにした事を感じさせるデザインは、言うまでもなく当然のようにイリヤと美遊を対象としたものであるように見えた。

 

(また突然アイドル衣装が……)

 

 再登場したおつるに対して視線を向ける立香。

 その視線を気にする事なく、頬を上気させ、瞳孔をかっ開いたおつるは猛る。

 

「輝くべき者が望む衣装を、望まれるままに。新たな出会いは新たな推し活の始まり、そこに望まれた輝きと相まみえようものなら、この鶴の霊感は黙っておりません。感じ入るのは新たなアイドルの気配にテンションアゲアゲで、文字通り鳥肌立ててバリバリと機を織るのがこの私。

 どうぞご覧ください。アトリエの扉を解放し、迸る熱いパトスのままに織ってみせたがこの衣服。アイドルに相応しい可愛らしいお二人に着て頂くべく、手前味噌ですが何にも恥じぬ最高の一品に仕上がりましたとも! さあ、さあ! どうぞ! どうぞ!」

「何が!?」

 

 おつるは恐らく正気を失っているのだろう。そういうことにしておこう。

 そんな彼女に語気強く迫られ、困惑するイリヤスフィール。

 

 プリンスの衣装もプリンセスの衣装も、今のところは求めていないのだ。マタドールを前にした闘牛のようなおつるをどうどうと鎮め、少女が提案していた内容へと話を戻す。求めているのはこの時代、この環境に則した着物の類である。せっかく出歩くなら、という少女の抱いた稚気なのだ。

 

(……どちらにせよ、着替えたところで面倒を避けるため、わたしたちが異国人であるという事を意識させないという暗示は続けるんだけれども)

 

 結局着替えても着替えなくても問題は無いし、問題を無くすための労苦は伴う。その辺りを口にする事もなく、オルガマリーは茶の湯と共に溜め息を呑み込んだ。まあ大した労力ではないのだから、どっちでもいいのだが。

 

 

 

 

 

 

 鋼の打ち合う火花が散り、その灯りが刀身を赤色に染める。剣の放つ鈍い輝きが眼前を過り、視界を閃光で覆ったその瞬間、女の眼に光の中を過る様々な光景が明滅して消えていく。

 未だ実態を得ていない可能性、これから像を結ぶ現実の前兆、浮かんでは消える未来という泡沫。その情報の奔流、これから有り得る無数の道筋を前にして、女の眼はたった一つの目的のために必要な最適解を瞬時に選び抜いて他の全てを斬り捨てた。

 

 天眼の輝きを以てして、剣士は執るべき太刀筋を絞り込み―――

 

()()()()()()()()()()

 

 時の王者は、女と同じものを見たとその剣筋に割り込みをかけた。

 手にした剣はジカンギレード、装填されているのはゴーストのウォッチ。

 切っ先の奔る様は、大剣豪・宮本武蔵を真似た無二のもの。

 

 剣は視た筈の未来から外れ、正面からぶつかり合って鬩ぎ合う。鎬を削るのはジカンギレードと村正が鍛えた一刀。それに全霊を傾けつつ、女―――宮本武蔵は歯噛みした。

 

(あの布男の技量だけでこうなってるわけじゃない。ソウゴ自身の眼が、私の視界を先回りしている……!)

 

 武蔵の眼は“天眼”と呼ばれる魔眼である。それは彼女の意思が『あれを断つ』、と決定したものを必ず切断するという結果に導く、目的達成に至るまでの最適解を選んだ未来を確定させる超抜の異能だ。

 

 だがそんな異能の視界に対し、ジオウⅡは頭部のプレセデンスブレードを回転させて対応する。武蔵が選んだ最適解(みらい)を閲覧し、彼女がこれより行う筈だった最適な行動が望み通り成立する事が無いように、武蔵の視界(みらい)が来る前のジオウⅡの視界(みらい)で徹底的に潰しておく。

 

 限定できない、収まらない。

 時間さえ、空間さえ、捻じ伏せ斬り裂くのが宮本武蔵の天眼なれど。

 時空の王者とその土俵でイタチごっこは、流石の彼女も分が悪い。

 

(それにしても、ホント。よくぞここまで……!)

 

 いつまでも鍔迫り合いを続ける事はない。刃が弾け、火花が散る。言葉もなくお互いに愚直に剣を振り合う攻防。そうしながらも双方の視界にはまだ起こっていない、しかしいずれ必ず訪れる筈の光景が同じように映り、その情報を見据えながら対峙していた。

 未来に起こる現象を片方が確定させ、片方が崩壊させる。結果として何の変哲もない衝突だけが現在へとやってくる。戦場は二人の視界の中にしかない未来で行われ、現在において顕在化するのは既に激突した後の残像だけ。

 

 妖怪・宮本一反木綿とわざわざ剣を交わそうとしたのは、何も諸々の怒りだけが理由ではない。それが間違いなく自分の糧になるから、と嫌々ながらも認めているからだ。未完成で鈍らな自分と、完結したより鋭い刃である自分。その両者を正面からぶつけ合わせる事で研磨する。

 それほどの事でもしなければ、今手にしている村正の剣を己に馴染ませ、あの源氏の頭領などを斬る事は叶わぬという確信があったからだ。

 

 だが、今になって思えばそれは考えが足りていなかったと言わざるを得ない。

 仮面ライダーゴーストの力によって引き出される布製宮本武蔵の剣技だけじゃない。技の代行者として振るっているジオウⅡ―――常磐ソウゴの眼は、武蔵の天眼と同じ領域で視界を広げていたのだから。

 

 激突の反動で武蔵が地を滑り、彼我の距離を開ける。

 互いに呼吸を入れ直すような一瞬の静寂。そのタイミングでジカンギレード、その剣に装填されたゴーストのウォッチが、まるで女を煽るかのように何度か赤く瞬いた。あの雑巾野郎が。

 

 呼吸を止めて腹に力を入れ、両眼を見開き狙いを定める。時空を凌駕し未来を見透す権能染みた視界がジオウⅡを斬るための最善手を導き出し、その未来を果たすための軌跡を彼女の脳へと浮かべてみせた。

 直後、未来で見据えていたジオウⅡの幻像、その頭部で時計の針を模したブレードが回る。未来の中で未来を視る時の王者の行動。今まさに武蔵が得た筈の最善手への道のりは、その時間が来る前に未来の中で攻略・対策され、実行する前から凡手へと下落した。

 

(斬れる光景が視えない……! いえ、どんな手段であろうと斬りつけるところまでさえ辿り着けない……!)

 

 ジオウⅡ―――あの鎧を斬れる斬れないは別として、だ。あの装甲に斬りかかる事さえできない。その程度の可能性すら今の武蔵の眼には映らない。

 剣技では圧倒しているのだ。如何に武蔵の剣を真似ていても、やはりジオウがやるのでは再現度に難がある。仮面ライダーゴースト、天空寺タケルでさえ再現し切っていたわけではないのだ。その結果もさもありなん。だというのに、武蔵の剣はジオウの剣を凌駕できない。剣の腕ではなく、眼の扱いの差がもたらす結論の差。

 

 己への焦燥と相手への称賛、数ヵ月前とはまるで実力が違う少年に対する、筆舌にし難い感情。果たしてこの差を覆す手段があるのか、天眼が視る未来に答えはない。“斬る”事に関しては論ずる事なく絶対の結論を出す瞳を封じられれば、必然彼女自身がとにかく思考を回すより他に無い。

 斬れる可能性が零ならば、素直に逃げ出すのが彼女らしい。だが今回ばかりはそれはない。そもそも訓練であるのだし―――あの未来視()二天一流(けん)が揃った者こそ、彼女が死んでも……否、死ぬまでに越えねばならない、絶対の壁なのだから。

 

「―――ッ!」

 

 小さく喘ぐような呼吸の合間。そこから続く動作を待たず、ジオウⅡはジカンギレードの切っ先を地面に向け、軽く手首をスナップさせた。投げられ、さくりと地面に突き立つ一振りの剣。

 剣を手放し空いた手で彼は、手にしていたものの今まで一切使わずぶら下げるだけだった、もう一振りの剣のハンドルへと手をかけた。

 

〈ジオウサイキョー!!〉

 

 刀身にエネルギーを迸らせるサイキョーギレード。ギレードキャリバーのインパクトサインが切り替わり、必殺の一撃を撃つための待機状態へと移り変わる。その状態へと移行し終わった後、改めてジカンギレードを地面から抜いて構え直すジオウⅡ。

 

 そう長くも無かった武蔵の思考。彼女が理性で選んだ手段は真っ向勝負。もうそれしかない、という玉砕覚悟の乾坤一擲である。そうしてぶつかって壁の高さを身を以て思い知るまでは、何度やっても同じ負けが待っていると考えた故に。

 そうしてその結論を出した武蔵が突撃の体勢を整える前に、ジオウⅡは突撃を正面から叩き伏せる準備を完了していた。その結論は視えていた、と言わんばかりに。

 

 抜き身の双剣を鞘へと納め、苦みを感じさせる表情で唇を上げる武蔵。

 構えは無形。圧倒的な力の奔流を前に、剣気のみで立ちはだかる。

 

「生意気に育っちゃってまあ……!」

「そう? こういう所はあんま変わってないと思うけど」

 

 飄々とした声でそう返し、ジカンギレードを前に出すジオウⅡ。

 

 無手の武蔵の背後に浮かぶは巨大な仁王の姿。それこそが彼女の剣気の具現、具象化された剣圧の化身。その仁王こそは大気を押し出す闘気の渦であり、ただそこに在るだけで周囲の木々を揺らし、舞い落ちる木の葉を弾き飛ばす。

 

南無天満大自在天神(なむてんまんだいじざいてんじん)―――仁王倶利伽羅(におうくりから)小天衝(しょうてんしょう)

 

 仁王の四つの腕に握られた倶利伽羅剣。それが武蔵の意志に呼応し、ジオウⅡに向かって振り放たれる。現実に剣を振るうまでもなく、ただ指向性を与えた剣気で以て敵を打ち伏せる初の太刀。

 相手を測るために飛ばされる、一気呵成の四連斬に見えるだけの武蔵の闘志。この事象を経て辿り着く状況から、宮本武蔵は目指す結果に至るための零の太刀へと遡る。

 

〈ゴースト! ギリギリスラッシュ!〉

 

 ただ一閃、散らされる剣気。

 ジオウⅡは臨界状態のサイキョーギレードを下げたまま、ジカンギレードの一太刀で武蔵の初撃を切り裂いた。あまりにも当然のように、状況はけして武蔵の望んだようには進まない。

 

剣轟抜刀(けんごうばっとう)!」

 

 分かり切っている結果に驚く事もない。引き裂かれ威力を失い散華する剣気、薄れ消えゆく仁王の御姿。そんな中でも闘気は萎えず、彼女は納刀していた一刀を抜き放つ。

 構えは無形より八相へ。鞘から解放されるその剣は、刀匠・千子村正が拵えた本来収まるべき人界の摂理から逸脱した妖刀の一振り。

 

伊舎那(いしゃな)大天象(だいてんしょう)―――――ッ!!」

 

 放たれる斬撃はあらゆる悪縁をその因果ごと斬り伏せる空位の剣閃。武蔵一人ではまだ届かぬ零の果てに、妖刀の後押しを得て彼女は半歩踏み入った。

 彼女が足を踏み入れたるは、その斬撃の存在そのものが時空を歪め、斬れるもの、斬れぬもの、在るもの、無いもの。ひいては斬ってよいもの、斬らねばならぬもの、斬ってはならぬもの。それら全てを平等に、隔たりなく、己が意思ひとつで斬り捨てる神魔の領域であり―――

 

〈覇王斬り!!〉

 

 武蔵の放つ剣閃を予め逸らすように、後の先にて叩き潰すジオウⅡの必殺剣が唸る。

 衝撃を巻き起こす激突は一瞬の出来事。

 耳を劈く甲高い金属音と共に、武蔵の手から剣が弾かれていく。

 

 弾かれた剣は縦に回転しながら空中を舞い、落下してみれば切っ先から上手いこと地面へと突き立った。そうして落下した後、衝撃で強く撓っている鋼を前にして、その剣を鍛えた青年が片目を瞑る。さらりと状態を確かめれば、罅どころか刃毀れすら無し。ジオウⅡが完璧に近いカタチで弾いたのもあるだろうが、刀を握っていた武蔵が大した抵抗なく手放したのもあるだろう。

 

「…………」

 

 武蔵が剣を弾かれた手を見つめながら、何かを確かめるように掌を開閉している。裂帛の気勢で放った全霊の一刀は、素気無く逸らされて終わった。元よりこの結果は視えていたと言えばそれまでだが。

 

 彼女はそのままの姿勢で、考え込むように数秒ほど停止する。

 

「気になるんだ、お兄ちゃん?」

 

 揶揄うような声をかけつつ、村正を見上げる少女の姿が目に映る。お兄ちゃん、という言葉を強調して呼ばれたことで、村正は少女に遠慮なく極まった変人を見る目を向けた。その視線に一瞬口許を引き攣らせ、しかし負けじと言葉を続けるクロエ。

 

「自分の剣が負けて悔しい?」

「今の打ち合いで勝ち負けねぇ……まァ、どっちにせよ勝敗なンてもんは武士どもが競って出す結果。生憎だが持ち手の勝敗と武器の善し悪しを測る物差しは別物でな、今回ばかりは物言いは無しだ。酷ェ話だが(オレ)は儂の剣がアイツに持たせて善いか悪いかすら見定められなかったのさ。

 ―――見据えたモンを斬れるかどうかさえ試す事が出来ないとくれば、手にした刃の馴染み具合なんざ語るに及ばず。無聊に錆びついままとてんで変わりゃしねェな」

 

 呆れるように、しかしどこか口惜しそうに。否定しながらも少女の煽りがどこかに刺さったのか、村正は神妙な顔をしながら剣へと背を向けた。そうした様子を見せつつも大した未練は感じさせず、彼はそのまま庵への帰り道へと歩を進め始める。

 

 クロエはどうするか少し悩み、再び地面に刺さった剣へと目を向けた。彼女もまた戦闘の流れはほぼ見ていた。あくまで傍観者として、その流れを眺めていたのだ。彼女も()はいい。天眼ほどとは行かないまでも、望んだ結果へ進むための舵取りができるようになっているのだ。

 そもそもクロエ・フォン・アインツベルンには()()として、願いを叶えるための道筋をつける能力が備わっている。願望を結実させるために必要な下準備や理論を飛び越して、対価の支払いのみで辿り着けるのが彼女だ。無論、それを行使するためのリソースは相応に用意しなくてはならないが。

 

(それでもアレに混ざれる気はしないかな)

 

 先に飛ばした意識で行う斬り合い、或いは欲しい席の椅子(みらい)取りゲーム。勝ち負けより先に脳が焼け付きそうな高次元の戦場。

 

 ジオウの力は理解していたが、人ながらにそれと戦いを成立させる剣豪・宮本武蔵。そんな彼女でさえ命を斬れないばかりか、戦いにおいてさえ勝てると言い切れない英霊剣豪の剣士たち。

 

(……ま、劣化品じゃない通常規格のサーヴァントが相手じゃ、わたしたちが根本的に力不足なのは百も承知だったケド)

 

 そっと溜め息を吐きつつ、目の前に突き立った刀を見る。そうしていたクロエの前に武蔵の手が伸びてきて、剣の柄を握ると地面から勢いよく引き抜いた。陽光を照り返し輝く刀身に瑕疵は無く、刃に毀れなど微塵も無い。今に斬り合いを再開したとして、十全の切れ味を発揮するだろう。

 刀工村正、彼が越えてはならない閾を跨いで鍛えた一振り。

 

 ふと思い立ち、目を凝らす。オリジナル(アーチャー)ほど精緻には行かないが、剣の情報を深く読み取る事は彼女にも出来る筈だ。彼女は、クロエは理解した。宝具、特に刀剣の投影に特化したアーチャーのクラスカード、それの基底にどのような英霊がセットされているのかを。

 ―――その英霊。彼は千子村正ほどの刀鍛冶の代行体に選出される程に、魂も肉体も刀剣と言うモノへの適性が高いに違いない。であるならば、この聖剣さえも再現するこの規格外の能力にもある程度納得がいく。

 

 そんな彼を宿している、と自覚した今のクロエにならよく視える筈だ。

 目を眇め、睨むように白刃を見据える。

 

 武蔵が手にしているあの刀。如何に逸脱しようと、人が作り出した至高の一振り。

 その創造の理念を鑑定し、基本となる骨子を解明し―――そこで覗き込んではいけない場所に目を向けた代償として、バチリと眼窩に稲妻が走った。息を呑むより先に咽喉が焼け、悲鳴が溶ける。

 

 ―――瞬間、高速で飛んできてクロエの後頭部を直撃する金ダライ。

 

「うきゃっ!?」

 

 ぐわーん、と甲高い音を立てて弾ける鈍い銀色の輝き。金縛りにあっていた少女はその威力をもろに受け、顔面から地面に突っ込みスライディング。思い切り泥沼に頭から突っ込む羽目になる。

 タライの方は直撃するや、投影した者の意思で基本骨子が崩されて、現実からの圧力に耐え切れずに波に浚われた砂城の如く消え去っている。瞬く間の証拠隠滅であった。

 

「いっ……! たぁーいッ!?」

 

 何事かとこちらに注目するジオウⅡと武蔵。だが現場に残っているのは、転倒して派手に地面を滑って泥塗れになった、後頭部を押さえて痛がるクロエの姿だけ。そうなった原因、タライを飛ばしてきた下手人の姿はもう庵の前まで辿り着いていた。

 ぐぬぬと歯を食い縛りその背を視線で追うが、青年は気にも留めずに屋根の下へと去っていく。

 

「うーん……クロ、何したの?」

「なにしたのー、って何よ。そこは、どうしたの? 大丈夫? でしょ」

「村正に何かしたからどうにかされたんでしょ?」

 

 痛む頭を押さえながら泥だらけ、涙目の少女に対し、しれっとそんな決めつけを行ってくるソウゴ。この物言いは女の敵、乙女心を踏み荒らす野蛮な王だ。事実とは言え、可憐な少女に歯に衣着せぬ無遠慮な発言。そもそも内容以前に泥んこになった女の子相手に「また何か変な事してるー」くらいの反応、これを許していいものか。いや、許すまじ。

 

 転がった体を腕一本で起こして跳躍、空中で回転しながらいつもの双剣を両手に投影して、武蔵の隣へと華麗な着地を決めてみせるクロエ。

 泥塗れになった小学校の制服であった筈の彼女の姿は、いつの間にやら紅い外套の戦装束。

 

「行くわよ、武蔵。こうなったらソウゴの方こそ泥だらけにしてやるわ!」

「……まあ、それが出来たら苦労は無いわけだけどね」

 

 がるる、と野獣のように唸る少女に対して、苦笑しながらも武蔵も鍛錬を続行する意思を見せる。周囲の一部は昨日の土砂降り決戦のせいで泥沼となっている。クロエが頭を突っ込んだのもそのエリアだ。

 ジオウⅡをどうにか変身解除まで追い込みつつそこに叩き込めば、ソウゴはそれはもう酷いことになるだろう。もちろん逆も然り、自分たちも落とされる事になれば、これまた酷いことになる。

 

 軽やかに黒白の夫婦剣を手元で回し、バシリと決めるクロエ。

 

(……あの感覚、似たモノを感じた事を憶えてる。いえ、そう……どこかで途切れたような中途半端な記憶の中の話。いつか8枚目のカードである()()()()()、英雄王ギルガメッシュの別格の宝具を“視た”時と似たような()()()()()()、と頭の中にエラー表示を出された感覚。アレはつまり―――)

 

 あの英雄王の究極宝具(とっておき)、神造兵装を解析できないのは納得できる。人間の頭の構造ではそれを理解できるようになっていない、という当たり前の理由があるからだ。

 ただアーチャーのカードは、その剣に匹敵するだろう聖剣、エクスカリバーは記録しているし、模倣が可能となっている。神造兵装であっても剣であるならば、アーチャーのカードの能力の範囲内ということだろう。英雄王のアレは、形状が剣のようであっただけで全く異なるものだった、と考えればいい。

 

 だがその英雄王の宝具と同じ反応が、人間である村正の鍛造した刀から出るとはどういう事なのだ。創造の理念からして、アーチャーの眼でも理解できないというのはおかしい。クロエがオリジナルほど能力を引き出せていないと考えてなお、流石におかしさの方が勝る。千子村正は刀工であるというのに、刀ではない何かを造っているとでもいうのだろうか。

 

(気になるのはわたしの中にあるアーチャーのクラスカードのせい? それともわたしもイリヤみたいにただお兄ちゃんの事を気にしているだけ?

 ―――どっちにしろ、気になっちゃったんだからもう遅い。お兄ちゃんがあの剣を武蔵に渡す事を選んだって言うのなら、武蔵がアレを使いこなした時にこそ、この疑問も少しは晴れるはず……!)

 

 ジオウⅡの顔が確認するように武蔵に顔を向ける。

 彼女は僅かに眉を顰め、しかし手にした剣を握り直す事で応答した。

 

 村正の刀の切っ先を突き出し、ジオウⅡへと突き付ける武蔵。

 

(今の私が太刀打ち出来ないそもそもの問題は、未来を視てるソウゴじゃないし、まして完成してる二天一流の剣筋でもない。ただ単純に、この()()()()()()()の切っ先に、斬るための道筋を決める私の眼が追いつけていない。あの二人で出来た()()()()と同じ土俵に上がるには、最低限まずそこまで上がらなきゃお話にもならない。

 大壁一枚、挑んだ経験ひとつで舞い上がれるなら苦労もないけど……それしかないでしょ、少なくとも今の私には)

 

 内容は違えど揃って強い目的意識の許、双剣を構えに入る女性二人。

 その姿を前にして、ジオウⅡもまた双剣を握り直した。両方の剣先を地面に向けて垂らした無形、力を感じさせぬゆったりとした構え。その状態から、彼は頭部の時計の針に似たブレードを回す。

 

 開始される構えと同じくゆったりとした歩み。ただその姿だけ見れば隙だらけと言っていい。気の抜けた、油断しているとさえ映る様子。だというのに、それは正しく魔王然とした余裕の態度。魔王を魔王たらしめる原因は、彼は既に視た未来で現在の隙など全て塗り潰しているから。

 

「じゃあこのまま続けよっか。

 ただ悪いけど……俺が泥だらけになってる未来は、俺には視えなかったかな?」

 

 時の王者が一定の速度で歩んでくる。

 

 剣士の天眼は斬撃に至れる道筋を未だ映さない。

 聖杯は勝利に繋がる願いを成就させるための内容量不足。

 無策吶喊以外に道の無い闘いの幕開けに、二人の女傑はやけくそ気味の笑みを浮かべた。

 

 

 




 
ティンペーとローチンの基本戦術にも似たエンドサベージの構えを超融合1枚で解決される冬の時代がやっと終わる…?
ただ仮に採用減るのだとしてもさっさと準制限以上に帰って欲しい
 


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曇り鏡・ハードウォッシャー1639

 
真骨彫ファイズのファイズフォンがポロポロするのでポロリもあるよ。
 


 

 

 

「ふふふん、ふーふーふーん、ふふーんふふーんふん、ふんふふーん」

 

 鼻歌を歌いながら機嫌よく街道を歩む少女。彼女の上機嫌の理由は、思いがけず着る機会に恵まれた一級品の着物。周りの風景は現代人である彼女からすれば時代劇のそれだ。そんな状況と合わせ桜色の着物を着こなす髪を結ったイリヤスフィールは、存分に映画村気分を楽しんでいた。

 そんな無駄にテンションの高いイリヤの背後には、いつ何があっても対処できるように藍色の着物の美遊がついている。友人というよりボディガード染みているが、まあ放っておいても問題はないだろう。

 

 結局イリヤと美遊がおつるから着物を受け取り、立香と合わせて三人がそのような恰好で出歩く事になったのだ。後ろから着いていくオルガマリーはその光景に溜め息ひとつ。

 同じく溜め息を吐きつつ、ゲイツがふとツクヨミに視線を向けた。見られている事を察し、ゲイツの方へと振り返った彼女が問いかける。

 

「なに、どうしたの?」

「別に大した事じゃないが……お前は着ないのか、着物」

「? あの服だともしもの時動き辛いじゃない」

「…………そうかもな」

 

 言いながら少し歩幅を広げるツクヨミ。そんな簡単な事も着物ではそうはいかない、と言いたいのだろう。身に着ける物には機能性、特に緊急時に求められる機動性と、頑丈さこそがまず重要である。というか衣服にそれ以外を求めていない、とでも言いたげな様子だ。

 そんな戦士の感性の相手から詰られたのか、とゲイツは何となく納得いかない気分になる。

 

「買い出しならば僕だけで済ませてしまってもいいですが、どうしますか主殿」

 

 少女たちの散歩を見ていて、小太郎はオルガマリーにそんな提案をしてくる。用事はこちらで済ませるので、夕暮れまで憩いの時間として休んでくれてもいい、という趣旨の発言だろう。オルガマリーは軽く首を横に振ると、呆れるように言葉を返した。

 

「どうせ時間まで待つしかないなら、地形の把握ついでに全員で歩くのも変わらないでしょ。まあ荷物持ちはさせるけど、それで十分よ」

「御意」

 

 言葉短く了解の意を返し、気配を薄くして護衛の任に徹する小太郎。

 

 着物だったり洋服だったりしつつ、周囲を必要以上に見回しながら行進する、随分とごちゃごちゃした団体。認識阻害の魔術がかかっているが故にそうとは見られないが、傍目には中々おかしな集団なのだろうな、なんて。そんな事を考えつつ、立香は集団の真ん中辺りでのんびりと歩いていた。

 

 立香の前には撮影機能を起動した二本の魔法のステッキ。彼女たちは契約者の晴れ姿を映像に収めるというレクリエーションを実行しつつ、現状の彼女たちにおける最大の急務、カルデアとの通信復旧作業を並行して行っていた。彼女たちの中で優先度がどうなっているかはさておき。

 そんな中、ふとサファイアがぴくりと揺れた。

 

「―――? 姉さん、いま……」

「いいですよ、いいですよー。水着回に比べれば少々インパクト負け感は否めませんが、土臭い背景の時代で完全に浮いている異国人である魔法少女が、国柄に合わせて着用した着物姿が醸し出すミスマッチ感……しかしそれはただの不自然な光景に留まらず、希少性とあいまってある種の神秘性を―――」

 

 チョップ一閃、サファイアの一撃がルビーを撃墜する。

 その一撃の鋭さを目撃し、槍の宝蔵院が思わず感嘆の息を吐いた。

 

「どうしたの、サファイア?」

「カルデアとの連絡経路に一瞬、反応がありました」

 

 立香が問いかければ無駄なく状況を教えてくれた。おお、と彼女が感心している間にオルガマリーがこちらまで距離を詰めてきている。すぐさまその発言について問いただす責任者。

 

「どういうこと? 一時的に繋がって、今はまた繋がらなくなったということ?」

 

 問い詰められ、サファイアがステッキの体を小さく捩る。表情こそ無いが、その様子からしてどうにも言葉選び、説明の仕方に困っているように見えた。

 

「……いえ。現状復旧しようとしている通信網とはまったくの別経路。まるで新規の通信線が突如出現したかのような、特異な反応で―――」

「原因、アレじゃないですか?」

 

 撃墜されていたルビーがふよふよ浮いてくる。そんな彼女が羽飾りで指差すように示すのは、前を歩いていたイリヤたちだ。少女たちは何者かに呼び止められたか、足を止めて一人の女性と話していた。

 

 ―――それは青い着物の何とも美しい女性だった。なんと頭には狐の耳、臀部からは狐の尾が見える妖艶な美女である。ルビーが示したのは、厳密にはそっちの女性なのだろう。

 

「あの狐の耳と尻尾は……!」

 

 もちろん見覚えがある。当然、タマモキャットとは違う人物として。

 その発言に小首を傾げて、胤舜が顎に手を添えた。

 

「……ふうむ、サーヴァントではない。が、なるほど」

 

 両目を瞑り精神を整える胤舜。彼は数秒そうした後に眼を開き、そのような事を口にした。彼の口振りからは納得というか、無念感というか、何とも言えない感情が見え隠れする。

 どういうことかと首を傾げる立香に対し、ゲイツが胡乱げな視線を向けてきた。

 

「耳だの尻尾だの、そんなもの見えないが?」

「え?」

 

 立香にはあの女性が知己にしか見えないが、他の者たちにはそうではない、という事らしい。どうして一体そうなるのか、と考えだす前にルビーが答えを出す。

 

「流石の呪術師という事でしょう。どういうわけかこの時代まで隠遁していた狐です、サーヴァントであってもそう簡単に正体を暴くことはできないかと」

 

 つまり胤舜が見せた奇妙な様子は、知った上で探っても女怪の正体を見破れない自身の未熟を猛省していたのだろう。そしてなんと彼女は現地人らしい。正体を考えればこの時代にいる筈もない。だがここは並行世界なのだ、そういう時空、時代を辿った世界であるならばおかしくはない、のだろうか。

 

 しかし立香としては、そんな隠形の達人が素で目に映る自分は何なのだろうかと首を傾げる。魔法のステッキを除き、他の誰も見破れない正体隠匿だ。なぜ素人同然の自分だけ。

 

「……わたしたちはコフィンを使用した通常のレイシフトでここに来てるけれど、あなたは呪術と思しき手段で魂に干渉されてこの世界に引き込まれた結果、肉体は今もそのままカルデアに保管されている。

 ―――その体の面倒を見ているのは、呪術に最も造詣が深いタマモキャットよ」

 

 オルガマリーがそう言って目を凝らす。当然、彼女もイリヤと話している美女に狐の要素など感じられない。ふと周囲を見回しても反応は困惑に近いものだ。あの女性の(ほんしょう)が見えているのは、本当に藤丸立香だけなのだろう。

 何故そうなったのかという理由。更にはサファイアが言った今になって突然カルデアと自分たちを繋ぐラインが一つ増えた、という話。それを考えれば、カルデアとこの世界に特定人物が同時に存在する事によって発生した、イレギュラーな繋がりが原因なのでは、という考えに辿り着く。

 

 となれば、現状を打破する鍵は目の前の女性以外にありえない。何よりその正体が予測通りならば、彼女は人智を超越した獣の化身にして規格外の呪術師である。未だ正体の見えない敵と渡り合うのに、これ以上ない協力者となってくれるだろう。

 

 状況を改めて理解した上で気合を入れ直し、立香が前に出る。

 

「おや、あなたもおつるさんの着物を着てらっしゃる? 変だ変だ、いえ本気で頭が茹だった発言が増えたとは思っておりましたが、あの方、随分な宗旨替えをされたご様子。恩を受ける前に礼を押し売り、覗かれるまでもなくあいどるとやらを輝かせる鶴の羽織りは一夜の夢と……」

「あ、おつるさんと知り合いなんだ。玉藻の前も」

 

 女性は玉藻の前、と呼ばれた事にきょとんとした様子を見せる。その表情、所作からは彼女が妖狐である事など伺えない。いや、そもそも彼女がこの並行世界では玉藻の前などと名乗らなかった、という可能性も無くはないのか。

 

「玉藻の前……生憎とそのような名前は存じ上げませんが、あなたから見て見間違うほどに似ているのですか? であれば偶然とは重なるもの、この()()と名前と容姿がそれほど似通った者がいるとは。

 世の中には三人よく似た人間がいると申しますが、きっとそれなのでしょう―――」

『ウム、驚くべきはオリジナルによく似た狐はまだまだ居て、虎視眈々とその立ち位置を狙っているという事なのだが』

「ギャアアア――――ッ!?」

 

 いつの間にやら浮かぶ映像、立香の肩に座っているコダマスイカが投影したヴィジョン。そこに大映しとなっているのは、呆れ顔の狐耳。言うまでもなくタマモキャットその人である。

 それを見た瞬間、ころころと笑う上品な女性は消え去った。タマモキャットを見るやド級の悲鳴をあげた謎の女性は、思考をフリーズさせて口をぱくぱくさせている。

 

「ちょ……っ、どこぞの(わたくし)、何してくれてやがります!? 尻尾切り離して野放しとか!!」

『そもそも現世に降り立っておいて玉藻の前という名を知らぬとはお笑い草。その発言、へそで沸かした茶の湯を客に振舞うが如き蛮行の極致。マナー違反に嘘八百、これだけ悪行を重ねれば狐の悪戯にしても大概でちと、舌切り雀も呆れ顔で剣を抜こう』

 

 正しく分身、尻尾を分けた身であるタマモキャットは言う。何をまかり間違ったか今現在に現世を漫遊していようとも、地上に降りた太陽の化身は玉藻の前を名乗り、人に混じってその末に追い立てられるものなのである。何かおかしなことがあり、それが歪んだとしたらその後の話だろう。殺生石に至るまでは変わる筈もない。

 太陽が地上に降りるとはそういう事だ。星の運行の中心にある太陽の影響は正しく運命を運ぶ。玉藻の前と名乗る狐、彼女自身のものを含めて確実に。だというのに言うに事欠いて玉藻の前を知らぬとは、何と恥を知らぬ発言か。

 

「やーめーてーくーだーさーいー! 現世で清く正しく生きている私が何で地獄に通報されなきゃいけないというんです! そもそも私、知ってはいますが閻魔との縁なんてまだございません。数百年の間現世で活動していた私にそんな機会ありません! ええ、そうですとも! このウン百年、理想の旦那様を探しつつも独り寂しく生きてきた私が一体何をしたというのか!?」

『へぇ、この駄狐数百年もそんなさもしい生活してたワケ! マジウケるし!』

「誰ですか今の声! 声からでもそっちが恋愛弱者なの滲んでますけど!? (ひと)の事笑えるような立場じゃねえでしょうが! 表出ろコラァーっ!」

 

 突然始まった二人のタマモのやり取り、そして混ざる鈴鹿御前。オルガマリーは無言で周囲への認識阻害の範囲を広げ、他の者たちはそのやり取りを何と無しに眺める事になる。カルデアと通信が繋がった事にわざわざ言及できるような状況でもなかった。

 

『ああ、やっと繋がった。タマモキャットのおかげ、なんだろうか?』

「……まあ、半分そんな感じみたいね」

 

 ロマニがほっと一息つく声だけが聞こえる。

 ケモミミたちのやり取りはスルーの方向で、オルガマリーもとりあえず一息吐いた。

 

『良かった……ご無事ですか、先輩?』

「うーん、今は無事だよ。うん」

 

 安堵するマシュに向け、死にかけた事は伏せて現状を報告する立香。まあただでさえ騒がしいのに、マシュにまで騒がれても面倒だ。正しい報告は問題が解決してからさせればいいだろう。

 その直後に音声に一瞬ノイズが走り、BBの声が聞こえてきた。

 

『通信の安定化を確認、特定した周波数帯を固定。原因は……うーん、まさかまさかのキャス狐さんの共鳴現象。と、まあそんな事はどうでもいいです。それよりセンパイ? コスチュームチェンジは結構ですが、わたしが手を入れた渾身の一着はどこへ?』

「色々あってボロボロになったからこの服と交換しちゃったんだけど」

『そんな……! 自分で着用済みの制服をどこぞの誰かに売り捌くなんて……!? まさかセンパイにそんなブルセラ供給趣味があっただなんて驚愕です。乙女の純情(プライベート)をフリマサイトに出品するかの如き胆力、流石のBBちゃんもドン引きです……』

 

 実際問題必要と考えたとはいえ、少し申し訳ない。BBは揶揄うような言葉を向けてくるが、裏腹にどこか影を感じさせる声色。責めてくるような様子はないが、彼女の中では何かの葛藤があるのだろう。

 しかし数秒と待たずに彼女は調子を切り替えて、颯爽と話題の変更を行った。

 

『それで今がどのような状況か。お話、聞かせて頂けますか?』

 

 

 

 

 

 

「なるほど、なるほど?」

 

 夕暮れ時。そんな事が有って合流も通信もできました、と。またも顔を出した立香からそう説明された蓮太郎は一度頷いて、そのまま首を横にぱたりと傾げた。だがまあ状況が良くなったのなら良いことだ、と考えるを止め、うんうんと何度も頷いてみせる。

 

「そんな事よりお前の前に白ウォズ……白い洋服を着た妙な男が現れた事はあるか?」

「いや、多分会ったことはないな」

 

 蓮太郎の答えを聞き、目的は果たしたとばかりに腕を組んで仏頂面を浮かべ黙り込むゲイツ。自分たちを取り巻く環境は改善されたが、やはり敵方の目的は不明瞭だ。そもそも敵の勢力図すら判然としないのだから、そうして溜め息も吐きたくなる。

 

「まあ俺からは伝えるべき事は特に何も……ああ、そう言えば今日江戸から来て登城していったお侍の中に凄い剣士がいたな」

「侍? まさか英霊剣豪?」

「それはどうだろうな、俺には普通の人間に見えたが」

 

 目を細くするツクヨミにそう言って、蓮太郎は達人に対する感嘆の表情を見せる。

 別にサーヴァントでも何でもない侍ならば、何を気にしたものでもない―――とも言えないのが、宮本武蔵という例で分かっている。だが江戸から来た侍ならば、サーヴァントでも英霊剣豪でもないだろう。城下の警備が厚くなった、と素直に喜んでおけばいいだろう。

 

「……江戸からのお侍様ですか。そういえば来ていましたねぇ」

 

 流れで一時同行する事になった玉藻の前が、取り繕った口調でそう呟く。

 彼女の反応に気になるところがあったのか小太郎が問う。

 

「何か気になる事でも?」

「いいえ、気になるというほどの事ではございませんけれど。ただ尋常ならざる化け物狩りで名を馳せておられるシノビ様ほどの傾奇者が凄腕だとおっしゃるのです。今の江戸から遣わされるそれほどの腕利きとなれば、(わたくし)には最早ひとりしか心当たりが思い浮かびません」

『へぇ、なに。そっちの忍者は化け狐狩りとかしてる系?』

「いや、狐は……いなかったんじゃないか?」

 

 ケラケラと笑いながら茶化す鈴鹿御前の声と、真面目に答える蓮太郎。口許を怒りで痙攣させつつも、ぐぐっと堪える()()()

 この心の広さこそが彼女が良妻賢母(自称)たる所以であろう。

 

 そんな事よりも、とおたまに問いかけるのはツクヨミだ。

 

「それで、心当たりって?」

「……徳川家光公の兵法指南役にして江戸幕府大目付、柳生但馬守宗矩(やぎゅうたじまのかみむねのり)様ですよ」

「―――柳生但馬守、ですか」

 

 告げられた名前のビッグネームぶりに唖然とした様子で呟く小太郎。

 この時代に生きた人間が聞かされ、こうも尻込みするのだ。余程の大人物なのだろう、というのは分かるが聞き覚えがありそうでない名前に対し、イリヤが首を傾げる

 

「柳生……柳生十兵衛なら知ってるけど」

「うん? というと、イリヤ殿たちの時代では柳生宗矩の名より、柳生十兵衛の名の方が有名という事になるのかな? ううむ、両人共に大人物であるが父の名のみが廃れるとは……諸行無常とは言え筆舌にし難いものがあるな」

「あ、多分わたしが全然知らないだけでそんな事は……柳生十兵衛のお父さんなんだ」

 

 何とも言えないと、バツが悪そうな顔を浮かべる宝蔵院胤舜。

 難しい顔をした彼の前でただ自分の無知だと主張するイリヤスフィール。

 胤舜はそんな少女の反応に対し、からりと笑って表情を変える。

 

「しかし柳生宗矩殿が直々の出陣とは、家光公はこの件をよほど重要視しているのだろうな。ただその割には初動が鈍かったようにも感じるが」

「そりゃあそうでしょうとも。家光公は但馬守を選んで動かす事を決めたのではなく、今の幕府が存命を確認できている人間の中で、もう彼以外に問題に対処できる手練れがいないと判断したというだけの話なのですから」

「……ほう?」

 

 おたまの言葉に、笑っていた僧がギラリと視線を尖らせる。

 彼がそうなった理由が分からず、イリヤが戸惑うように周囲を見回す。

 彼女の疑問に答えをくれたのは、隣にいた美遊であった。

 

「……宝蔵院胤舜の生没年は1589年から1648年。西暦1639年であるこの時代の10年前には、徳川家光の御前で槍の腕を披露した経歴もある」

「ってことは、胤舜さんってこの時代で生きてる人?」

「うん、恐らくは。ただ居たとしても、江戸からも下総からも離れて宝蔵院……奈良県にいるだろうけど」

 

 そう言って美遊は顎を撫でる胤舜を見た。

 

「どうにも気にかかってはいたのだ。午前(まひる)の空に面妖な月が浮かび、怪物を跋扈する時間が訪れる。このような状況で、まがりなりとも如何にも槍の腕に自信を持つ武僧である俺は、一体何をしているのだろうか、と。

 まあ下総ばかりが襲われ、他所には知られてすらいないとなれば不思議ではないか、と考えて納得はしていたが……しかしこの現象は幕府も把握し、但馬守に出陣を願うほどに余裕が無いと言う。ましてこの時代、江戸に滞在している武芸者の中には、俺も良く知る宝蔵院の技を修めた名手も幾らか居る。流石に彼らがこの異常を放置して何もしていない、という事はあるまい。ではそやつらは一体どうしたというのか」

 

 胤舜が顔を狐に向ける。

 彼女は煮え滾る僧兵の様子に肩を竦め、何とも無さそうに回答した。

 

「私とて長年人の世を恙無く渡り歩いてきた者。その秘訣こそみこっと立てた長い耳にて常に情報を集める事を怠らない事でして。ですがそんな私の感度の高い耳でさえ、よく名を馳せていた者ほどいつからか不気味なほどその名を聞く事がなくなりましたねぇ。まあ、恐らく全員亡くなられているのでは?」

 

 あっさりと断言する玉藻の前。

 予想通りの答えに咽喉を鳴らし、苦笑に近い笑みを浮かべる胤舜。

 そうした表情を変えないまま彼は続けた。

 

「それはまた面妖な話だ。が、一先ずはそうであるとしよう。ちなみに玉藻の前殿、その狐耳が俺の名を最後に拾ったのはいつ頃だろうか」

「はてさて、随分昔の話のように思いますが」

「では死んでいるのだろうな、この時代の俺も」

 

 呵々と笑い、あっけらかんとそのような結論を出す男、宝蔵院胤舜。そんな反応でいいのか、という顔で彼の様子を一瞥しつつ、ゲイツがおたまに問いを重ねる。

 

「……そんな状態で江戸からその柳生という男を動かしていいのか?」

「はて、普通であれば考えられませんが……家光公が江戸をも襲う怪異の原因がこの下総にある、と判断したのであればそういう事もあるでしょう。いちかばちかの賭けですが、分が悪いわけではありません。何せ送りこまれたのは剣術無双、柳生宗矩。彼が負けるという結果は無いという確信があれば、後は彼が怪異を斬り捨てるまで耐え凌ぐのみ、ですので」

「なるほど……それほど強い人なのね」

 

 ツクヨミが感心したように呟く。

 

 腰を上げたからには必勝、必殺。敵が怪異であろうとそれは変わらない。

 徳川家光がそう確信している剣士こそが、柳生宗矩である。

 そしてそれはけして誤りではない、と。おたまは少々憮然とした顔で続けた。

 

「ええ、彼の剣士が怪異に敗れる心配などはいらないでしょう。江戸の事を心配するよりも、あなた方はあなた方の目的を果たすべく行動なさればよいのです」

「おたまさんは? 手伝ってくれたり……」

「しません、やりません。私は今は下総で暮らすただのいち芸者。そんな日ノ本を揺るがす陰謀や、怪物との命のやり取りに付き合うなんてとてもとても」

 

 立香の問いかけに、彼女はぴしゃりとそう言い切った。カルデアからの映像があるわけでもないというのに、玉藻の前の脳内にタマモキャットが浮かび上がってくる。タマモナインとかいう謎勢力であるらしい彼女の表情は、出荷を前にした家畜を見る目であった。

 

 その目が雄弁に語りかけてくる。『ああ何てこと。彼女の嘘に塗れた舌はすっぱり抜かれて、狐タンとして雀のお宿で提供される幻の珍味になってしまうのね……』と。

 しかし当然そんな風評被害を勝手に起こされて、宿の主は黙っているわけもない。衛生的にも霊格的にもそんな論外なもの、うちで提供するわけないでち、というのが雀のお宿の方針である。

 

 存在を知ってはいるが会ったこともない雀に、何故かどうにも責められている気分を味わう。そんな状況に何とも言えない表情を浮かべてみせる玉藻の前。

 そんな彼女に対して首を傾げる立香だが、玉藻本人以外にとって重要でもない。

 

「……とにかく情報は得た。そいつはそれ以上話す気がないならそれでいいだろ。おい、白ウォズ……全身白一色の変な男が現れたら俺たちに伝えろ」

「それはいいけど、いきなり現れても連絡が取れないし……」

 

 もういいだろうと話を打ち切り、蓮太郎に声をかけるゲイツ。だが現代ならば携帯電話で容易な事も、この時代では大きな手間だ。そのように言われて、ゲイツは少々顔を顰めた。

 まあそうであろうし仕方なし、とツクヨミが懐からファイズフォンを取り出す。

 

「これなら私たちに連絡できるから使って」

「……携帯、繋がるのか?」

 

 訝しげに眉を寄せる蓮太郎の前で、ひょひょいと軽い動作で立香の肩に上がるコダマスイカ。その頭部モニターがピカリと光ると、ツクヨミが手にしているファイズフォンXがコールを始めた。

 蓮太郎がきょとんとした顔で目を瞬かせつつ、差し出された電話を受け取り通話ボタンを押す。

 

『えーと、もしもし?』

『こっちは聞こえてるよ、そっちは聞こえますか?』

『本当に通じてる……』

 

 蓮太郎の声がコダマのスピーカーから出て、立香の声がファイズフォンから出る。過去に来て未来のガジェットに驚かされるとはどういう事なのか。未来、凄い。

 とりあえず理屈はさておき手段は出来たと納得し、受け取ったファイズフォンを懐にしまう。

 

「じゃあまあ、怪しい奴を見かけたら連絡するよ。白ウォズ? だっけ」

「ああ、頼む」

 

 更に街の状況について幾つか情報をやり取りして、彼らは解散する事にした。

 カルデアの者たちは()()()に預けた荷物を引き取り、拠点にしてるという街外れの庵へ帰還する。シノビは今日の夜を警戒しつつ、明日の大工作業に備えて休息を取る。

 

 そういう事になったのを見届けて、おたまはふらりと夕暮れの街へと歩き出す。

 

 すっかり人通りも途絶えた大通りの光景を一瞥して、どこかガッカリしたような、けれど安心したような、どちらともつかない溜め息をひとつ。

 

「―――文字通りの潮時、というワケですか。まあその予兆は感じておりましたけれど」

 

 女の勘、という奴だ。流行、世の流れに敏感な狐の耳をピコンと立ててみれば、幾らかの世情はそれなりに集まってくる。そしていつだか気付いたのだ、世の流れが如何にも滞留していると。

 そもそも彼女がこの時代に至るまで残ってしまった事が怪しかった。分岐点は恐らく今よりもっとずっと前だろう。誰が、何時、何処で、本筋とは違う道を選んでしまったのかは分からない。だがどうあれ、この世界はもう手遅れなのだ。

 

「とはいえ折角なので波に浚われて消えるまで、この人の世を楽しむとしましょうか」

 

 とはいえ、その事実にさほど興味も表さず。

 彼女は地平線に消えていく太陽の姿を見て、静かに小さく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

「……ずーいぶん、楽しんできたみたいじゃない?」

「えっ、その格好どうしたのクロ」

 

 戻ってきた彼女たちをまず出迎えたのは、泥塗れで肩をいからせたクロエの姿であった。なんとすぐ傍には同じように泥にまみれた武蔵が転がっている。

 戸惑うイリヤの視界の端に入るのは、何故かジオウⅡがジカンギレードで薪を割る姿。

 

 何故変身して薪割りを? と、ジオウⅡの方に顔を向けたイリヤに、クロエはずずいと泥だらけの顔を突き出してくる。

 

「ク、クロ?」

「へぇ、綺麗なおべべ。わたしがソウゴに泥溜まりに突き落とされてた間、イリヤとミユったらこんな綺麗な着物を買って貰ってたんだぁ。ねえねえ、わたしにもよく見せて?」

 

 正気とは思えぬ顔で手を伸ばしてくるクロエ。そのまま抱き着いてきそうな、妖しげな雰囲気の少女。勿論そんな事になれば、イリヤがせっかく貰ったおろしたての着物までもが泥んこだ。

 少女は即座にクロが泥沼に叩き込まれた原因らしいソウゴに向かって叫ぶ。

 

「な、なんでそんな事してるのー!?」

「え? 村正がご飯炊くには薪が要る、っていうからだけど」

薪割り(そっち)じゃなーい!!」

 

 そんなやり取りをしている合間に、イリヤの前方に美遊が割り込む。

 クロに対する盾の役割を果たすためか。

 

「ミ、ミユ……!」

「イリヤ、下がって。今のクロは正気じゃない!」

「服が泥で汚れるのが嫌なら変身しておけば?」

 

 ソウゴがイリヤ達にそんな事を言うと同時、カコーンと剣に断ち切られた薪が地面を転がった。もしかしてソウゴが変身したまま薪割りしてるのは、クロに泥を飛ばされても問題無いようになのか。

 そもそも何でそんな事になったのか分からないが、終わった後の憂さ晴らしすらさせないとは、何というブロック力か。内容は子供の喧嘩染みているが、王様の態度は理不尽の権化だ。

 

 オルガマリーが眉間に指を当てて、闇がかった空をゆっくりと見上げた。

 彼女のその態度に同意するようにツクヨミが深く溜め息を吐く。

 

 狂気の表情でイリヤと美遊ににじり寄っていたクロエ。そんな少女が何かに気付いたように、少し離れた位置へと魔術によって転移した。クロが何故突然そんな事をしたかと言えば、理由はただひとつ。

 一瞬前まで少女のいた位置に立っている藤丸立香の姿。彼女も着物を着ているが、クロエを抱きかかえようとしたものの逃げられ、腕を余したような体勢を取っていた。

 

 むすー、っとしているクロエに苦笑する立香。

 彼女は周囲を見回して、原因となるソウゴにぴたりと視線を合わせる。

 首を傾げるソウゴに笑いかけて、一言。

 

「こうなったらお風呂、作ろうか。私も入りたいし」

 

 そう言つつ立香は振り返り、更に我関せずの態度でいたゲイツを見つめた。

 

 

 

 

 

 

〈アーマータイム! ウィザード!〉

〈アーマータイム! ドライブ!〉

 

 装着されたアーマーの調子を確かめるように拳を開閉するジオウ・ドライブアーマー。ゲイツ・ウィザードアーマーは固定化された魔法陣のマントを軽く払い、溜め息混じりに周囲を見回した。

 泥の海。先日の戦いの最中、局所的集中豪雨に沈んだ場所だ。周辺の木々も根から掘り起こされ、横倒しになって隅に転がされている。まずはその辺りの処理からか。

 

「あれも薪に出来るよね」

 

 ジオウが肩部からタイヤを射出する。深緑のホイールはフッキングレッカー、フックのついたワイヤーが伸びて樹木に巻き付き、それを空中へと吊り上げる。運ぶ先は庵の前だ。

 続けて射出されるタイヤは紫色。回転し飛行する手裏剣状のミッドナイトシャドーが、レッカーが吊るした木を次々と適当な大きさに切り揃えて並べていく。だがこれは芯まで水に浸かり切った木だ。解体してすぐに薪にする、なんて事はできないだろう。

 ならばと次に射出されるタイヤは、灼熱に燃えるバーニングソーラー。陽光を放つホイールが薪の至近距離に設置され、一気に木材を乾かしていく。

 

「なぜ俺まで……」

 

 一体何の工事現場だと言うのか。樹木が撤去された地面を一望し、文句を呟くゲイツ。だがやらないという選択肢はないのか、両手に黄色い魔法陣を浮かべて、彼は濡れた大地を操作し始めた。

 正しく大地が割れる様に、泥の海が左右に切り裂かれていく。改めて酷い土と水の量、水を蒸発させるために炎を操る赤い魔法陣に片手を切替え、同時に地中深くから手頃な岩塊を引きずり出して下準備を進める。その際に発生する邪魔な土砂は、ジオウが召喚した黄色いホイール、ランブルダンプが除去していく。

 

「ゲイツ、ちゃんと女湯と男湯は分けてよ?」

「……わかってる!」

 

 大穴ひとつで作業を進めていたゲイツにかけられるツクヨミの声。その言葉に怒鳴り返しつつ、彼は穴の中央から巨大な岩の塔を無理矢理に突き出させた。

 その巨大な仕切りに合わせ、広面積化を余儀なくされる温泉。村正の庵よりも広くなってしまった範囲を見て、ジオウがゲイツに顔を向ける。

 

「流石にでかくしすぎじゃない?」

「うるさい、そもそもお前のせいだ」

 

 引き揚げた土砂は捨てるべき場所もない。なので更に展開したタイヤ、スピンミキサーを用いてそれを材料にコンクリートを仕立てているジオウからの言葉を一刀両断。ゲイツは乱暴に炎を打ち切って、引きずり出した岩を削るため、その手に緑の魔法陣を展開する。

 

 そんな態度に肩を竦め、ゲイツが無駄に広げただだっ広い穴へとコンクリートの流し込みを始めるジオウ。瞬く間に固まる特殊なコンクリート材が、泥の海を灰色に染め上げていく。

 

 ジオウの作業を尻目に、風の刃を走らせるゲイツ。丁度いい塩梅に切り裂かれては、コンクリートに覆われた地面に敷き詰められていくタイル状になった岩塊。

 タイミングを見てジオウはそれをローリングラビティの重力制御で均し、転圧していく。初めてから10分に満たない時間で、流れるように組み上げられていく人工の露天風呂。

 

 一通り内部の作業を終えたジオウが温泉内から出ると、ゲイツが巨大な青い魔法陣を浮かべ、一気に水を放出した。溜めるためではない、広範囲を一気に流す高圧洗浄。

 彼はそれを岩に向かって数度打ち放つと、残った水を操作して排出してから、今度は温水を浴槽へと注ぎ始めた。工期10分の突貫作業による温泉建築、施工完了である。

 

 想像以上に楽な作業に、ジオウが張り終えた温泉の水面を見て一言。

 

「香りづけに神様オレンジの果汁とか入れてみる?」

「これ以上余計な事をするな」

 

 ゲイツが鎧武ウォッチを出そうとするジオウの首根っこを掴み、後ろへと引きずっていく。そんなに本気の発言ではなかったのか、ソウゴも特に抵抗することもなく引っ張られていく。

 

 代わりに準備を整えた女性陣たちがの奥まった方の浴槽に向かって歩いていく。

 

「わあ、わあ、すごいねぇ、これが()()()()なんだって」

「だぁう、だぁ」

 

 弟を抱き、皆の後ろについていくおぬいが感嘆する。しかし田助からしたら何やら熱そうな大きな水溜まり、近づくのを嫌がっているようにも見えた。とはいえ、しっかり者の姉がどうにかするだろう。

 心無し早足の童女の後ろにつくようにオルガマリーとツクヨミが続く。

 

「風情の欠片もない工事現場まで見せられて異国情緒もあったものじゃないわね……」

「できるのが早い分にはいいじゃないですか?」

 

 こいつもこいつで外れてるな、とばかりに溜め息のオルガマリー。

 そのような反応を返されてツクヨミが首を傾げた。

 

「綺麗な着物を着て、江戸の街を見て回って、夜には露天風呂……なんかこっちに来て初めて、凄い旅行を味わってる気分!」

「江戸の街、ではないけれど……」

 

 思えば酷いものだ。チョコの海が押し寄せる閉鎖世界に、闇の街となった新宿に、男狩りが流行の地下都市群。小学生の少女が巡るにしては、あまりにもあんまりなラインナップだろう。

 別にここが良い場所だという話ではないが、旅行っぽいスケジュールを取れたのは結構嬉しい。そんなテンション高めのイリヤに聞こえない程度の小声で呟く美遊。

 

 ウキウキの少女が過ぎ去った後に続くのは、泥を落としてから一応水を被った程度の状態である武蔵。彼女はどこか神妙な顔をして、目の前に屹立する岩の塔を見上げていた。

 気を張り詰めている彼女の背後から、立香が不思議そうに問いかける。

 

「どうしたの?」

「……いえ、まだ話すべき時じゃないわ。行きましょう」

「?」

 

 キメ顔でホームズみたいな事を言って、ずんずんと女湯に向けて進む武蔵。まあ大丈夫ならそれでいい、と立香はクロエの方へと視線を向ける。

 クロエは戦闘フォームを解除し制服に戻った状態で、武蔵のように水を被り泥だけ落とした状態だ。立香とは少々距離を取りつつも歩幅を合わせていた彼女は、立香と顔を合わせて同じように首を傾げていた。

 

 そうした女性陣の行軍を見送って、変身を解除して一息つく。

 

 ソウゴとゲイツの幾ばくかの休息を挟み、彼らも月を見上げながら入浴するか、と。そんな雰囲気となった直後に、ソウゴの頭のすぐ横にあった木に一本の矢が突き刺さった。

 きょとんとしながらその矢を見れば、矢には風呂敷が括りつけられていて、木に突き刺さった衝撃で強く揺れ動いている。

 矢が飛んできた方向を見てみれば、体を岩壁に隠して顔だけこちらに出したクロエが、にんまりと笑いながら小さく手を振ってみせていた。

 

「じゃ、わたしと武蔵の服の洗濯。よろしくね、マスター?」

 

 言うだけ言って引っ込む頭。すぐにザバンと身を湯に沈める音が聞こえてくる。

 

 クロエが消えた後風呂敷を見て、数秒。

 それを指差しつつ、ソウゴは隣にいたゲイツに問いかけた。

 

「俺が洗うの?」

「自業自得だ」

 

 問いかけるソウゴに対し、けんもほろろないつも通りの態度を見せるゲイツ。

 その態度に怯むことなく質問を重ねるソウゴ。

 

「……洗剤になるフルーツって知ってる?」

「さあな。まあ、しいて言うならオレンジとかレモンなんかの柑橘類の皮じゃないか」

 

 じゃあやっぱり神様オレンジの出番だ、と鎧武ウォッチを起動しようとするジオウ。だがそのやり取りを傍から見ていた小太郎は、困ったような顔ですぐさまその行動を制止した。

 

「果物が洗濯に向くその理由について詳しくないのであれば、避けた方が良いかと。正直、また問題がひとつ増える事になる結果しか見えません」

 

 例えば武蔵の着物から色が抜けたり、クロエの制服が黄色くなったりと。

 どう考えても上手く行く未来が見えない。

 ソウゴ自身も言われた事を少し考えて、おおよそ同意せざるを得なかった。

 

 であれば普通に洗うしかないだろう。

 ちらりと他の面々の確認をする。

 

「手伝ってやりたいのは山々だが、相手の許可なく婦人の着物に手を付けるわけにもいくまい。拙僧に出来るのは、おまえが仕事を果たすまで湯につからず待っている事くらいだな」

「同じく。申し訳ありません」

 

 からからと笑う胤舜と、謝罪してくる小太郎。

 

「自業自得だ」

 

 鼻を鳴らしてまたもそう言ってくるゲイツ。ここまで言われてしまえばもう逃げ場もないだろう、溜め息をひとつ落として、ソウゴは木に刺さった矢から風呂敷を外した。

 

 

 

 

 

 

「―――いっそあの沼地を湯浴みのために改造するとは聞いたがな、限度ってモンがあるだろうよ」

 

 ひとり庵で夕餉の仕込みをしていた村正が呆れた声を出す。

 屹立する男女の境を遮る高い岩壁。コンクリートを下地にしつつ、自然の岩を切り出し配置した広大な浴場。これでもかと注がれた湯に、立ち昇る湯気。

 せいぜい30分もかけていないというのに、庵に入って出たらいきなりこんなものが新築されていたらたまらない。

 

 胤舜が見繕った枝で拵えたらしい物干し竿に、何故か武蔵とクロの服を干しているソウゴを見る。彼は村正に気付くと、嬉々として問いかけてくる。

 

「ご飯できたの?」

「お前らが湯浴みするってんで仕込みまでしか手を付けてねえ。んで勿論、せっかくだから(オレ)も今ここで湯を馳走になる。つまり飯の仕上げはその後だな」

「……じゃあ俺もお風呂入る」

 

 風呂より飯だったのか、幾分か肩を落とすソウゴ。ソウゴが反省の洗濯を終えた事で、胤舜が笑みを浮かべながらゲイツと小太郎の肩を掴んで歩き出した。

 

「おい」

「いつ月が()()()とも限りませんし、僕は遠慮して警戒していた方が……」

「ははは、湯につかっているだけで気を抜くような性格でもあるまい。せっかく男五人揃って裸の付き合いをする機会だろう。いつ月が変わってもいいよう、全員で見上げながらまったりするのも悪くなかろう」

 

 積極的に逃げるほどではない二人を引込み、胤舜が浴場へと向かっていく。ソウゴと村正もそれに続き、男が五人、服を脱いで湯につかり始めた。

 

 

 

 

 

 

「きもちいいねー……ねー、じいちゃま。この“おんせん”、まいにちはいれるのかな?」

「お前が毎日ここの水を入れ替えて湯に沸かせるってなら幾らでも入れらァ」

「ええぇ、そんなのむりだよぉ」

 

 田助を立香に預け、その広さも味わい興奮しつつ声を上げるおぬいに、村正が至極落ち着いた声で答える。何せこれだけの水場だ。きっちり世話をしなければ、さっさと溜池に早変わりだろう。

 後の事は考えていなかった、とむっつり顔を顰めるゲイツ。

 

「まァ、そこらで畑を耕すなら雨を溜めるだけで役に立つだろうが。ンな事より一回こっきりしか味わえない湯だ、次の事を気にするより今楽しんどけ」

「うん、そうする!」

 

 そう言ってぱちゃぱちゃと湯に遊ぶ童女。

 

 それを微笑ましげに見つめながら、武蔵はゆっくりと立ち上がった。

 太助を抱きつつ、のぼせないように見ていた立香が首を傾げる。

 

「あれ、武蔵はもう出るの?」

「もちろんまだよ。せっかくの温泉なんだもの、最大限楽しまないと」

 

 何やらそんな事を言って、岩場に置いてあった体を拭くために準備した大きめの手ぬぐいを取る。しかし彼女は体を拭くのではなく、何故かそのまま流れるように布を体に巻き付けたではないか。

 質も良くなければ薄手の布だ。湯に濡れればそれなりに透ける上、体にぴたりと張り付いてしまって体をちゃんと隠せてるとは言い難く、本当に裸よりはマシ、程度の状態にしかならない。だが当人は気にする様子もなく、というかそれ以上の興味がその先にあるとばかりに、静かに湯を渡り始めた。気配も無く水音も立てない、それはそれは見事な忍び足である。

 

「最大限楽しむ……?」

 

 岩に背をもたれ、湯をじっくりと味わっていたイリヤもまた首を傾げた。美遊も理解は及んでいない顔をしているが、クロエだけは何かに気づいたようにハッとした様子を見せる。

 流石は死線を同じくした盟友、と武蔵は深く頷いてみせた。

 

「この岩壁の向こうでは今、こちらにはいない皆が湯に入っているわ。全裸で」

「えっ」

「私の好み的にはあの子たちがもうちょっとだけ若かったら、と口惜しさを感じないでもないけれど……それでもソウゴやゲイツくん、小太郎くんの体は見に行くに値する、と断言できる。

 もちろんおじいちゃんや胤舜殿の鍛えられた肉体も別腹として全然いけますとも」

「えっ、ちょっ、それってつまり覗―――!?」

 

 咄嗟に叫び声をあげそうになるイリヤの口を、クロエの手が予測していたような早業で塞いでしまう。内容は遮られ、こもった悲鳴だけがその場に上がる。

 振り解こうとするイリヤに、押さえ付けようとするクロ。裸体の少女が二人、くんずほぐれつする有様を見た武蔵が静かに手を合わせた。宮本武蔵という女は悪人ではないが善人でもなく、美少年は好きだし美少女も好きで、更に他にも色々と拗らせている奇人変人の類であった。

 

「行くわ、わたしも」

 

 イリヤの頭を沈めながらクロが断言する。流石に目に余ったのか美遊の細腕がクロエの側頭部を押し退け、イリヤへの拘束を弾き飛ばした。何とか頭を水面の上に出し、荒く呼吸するや己の半身を睨み付けるイリヤスフィール。

 

「はぁ、はぁ……! だめでしょ、そんな……っ!」

 

 クロエが声を荒げるイリヤの口元に指を当てる。間に岩壁があるとはいえ、声を張り上げれば声は届く。不審な声で行動を察知されるのは避けたい、という意思の現れだろう。

 そんなの知ったことかとばかりにイリヤはクロエを押し返そうとする。だがそんな彼女の耳を掠める、悪魔のような囁き。

 

「でも今、男湯には生まれたままの姿のお兄ちゃんの体があるのよ?」

「―――――」

 

 いやでもそれはおじいちゃんでお兄ちゃんじゃなくて、でも体そのものは100%お兄ちゃんで出来ていて、それはつまり裸のお兄ちゃんがすぐ側にいる、という事なのでは? いやしかし……

 

 一瞬にして混乱の極みに至るイリヤ、そして美遊。二人のそんな状態を確認したクロエは、正しく小悪魔の笑みを浮かべてゆっくりとイリヤの口から指を離した。そしてその手をひらりと返し、岩場にあった自分の手ぬぐいを掴んで体に巻く。

 

「まぁ、でもいいわ。イリヤたちは興味無いっていうなら、わたしとムサシだけで行くから」

「ちょ、ちょ、ちょっと、まっ……!?」

 

 少女の正気が凄まじい勢いで削られていく。クロエの視線がちらりと横に振られれば、隣にいる美遊も同じく甘言に弄され正気度の喪失が始まっていた。温泉の隅で手拭いを頭(?)に乗せ状況の推移を見守っていたルビーが、その光景への笑いを堪えるように口元(?)に手代わりの羽飾りを当てている。

 同じく美遊が拐かされているものの、サファイアは無言で湯につかるのみ。

 

「……止めなくていいんですか、所長さん」

「どうでもいいわよ」

 

 その様子にツクヨミが訊ねてみれば、オルガマリーは関与する気無しとのんびり月を見上げていた。佳い月である。いつ色を変え、妖魔の時間が来た事を告げるとも知れないという事を除けば。そしてそんな月に向かって屹立する岩壁に、女がぴたりと張り付くのが見えた。音を立てず壁を上っていく様は、カエルか何かのようだ。

 武蔵が征く、クロエが続く、更に正気を失ったイリヤと美遊が追う。目を開けていれば見えてしまう酷い有様に前にして、オルガマリーはゆっくりと瞼を閉じてただ全身で湯を楽しむ事にした。

 

 如何に岩壁に高さがあろうと、何と驚くべき事に登る変人はあの宮本武蔵。彼女にかかれば安全に登りやすいルートを見極める事など朝飯前だ。彼女が登り、少女たちがなぞるように続く。あっという間に辿り着く頂上。ここからちょっと身を乗り出せば、目の前には望んだ光景がある。

 

 武蔵とクロエは頷き合い、イリヤと美遊が挙動不審に振る舞う。

 呼吸を整えるような1秒の静寂。その空白を終えるや否や、真っ先に武蔵が顔を出して少女たちも即座に続いた。だが壁の向こうにあった光景に対し、武蔵が小さく舌打ちする。

 

「ちっ、バレてたわね」

 

 眼下の光景。それは水面が見えなくなるほど溢れ出した湯気。岩山から白く染まった眼下を見下ろす情景は、まるで雲の上にでも来た気分にさせてくれる。ある種楽しめる光景だが、望んでいるのはこんなものではない。

 

「どうする?」

「決まってるでしょ、行くわよ」

 

 言葉少なに意思を交わし、身を乗り出す武蔵。そして彼女に続くクロエ。二人は体に巻いた布を強く押さえると、何ら迷いなく岩壁の向こうに跳んだ。

 イリヤと美遊の前で男湯に落ちていく二人の女の姿。

 

「ちょ、え、え、ちょっと、え!? いや、あれ!?」

「イリヤ、わたしたちも」

「ちょ、ミユ、待っ―――!?」

 

 正気を失うのはイリヤの方が早かったが、取り戻すのもイリヤの方が早かったのか。

 イリヤは目の前の事態に再度混乱している内に、未だ正気を失ったままの美遊に手を引かれて、先に落ちていった二人を追って落ちていく羽目になった。彼女に出来たことは、体に巻いた布を必死に押さえ付ける事だけだ。

 

 二人同時に、続けて二人追加で、派手に着水する。

 ざっぱーんと波を起こして男湯に乱入した不届き者たちは、すぐさま顔を出して周囲を見回す。

 

 ―――が、誰もいない。

 

「ウソ、お兄ちゃんもソウゴも、誰もいない……!? みんな上がっちゃった後!?」

「そんな筈ないわ、気配はさっきまで確かにあった……恐らく風魔の忍術!」

 

 少なくともついさっき村正はおぬいと声を交わしていた。その彼がこの短い時間の中で消えるのはおかしい。油断なく周囲の気配を探る剣豪はまず岩場を見回し、手拭いや服がある事を確認。続けて庵への道へと視線を走らせる。こちらに来る足跡はあるが、庵に帰る向きの足跡は一切無い。つまり湯から上がりここから離れたとは考えにくい。一瞬でそこまで看破する無駄な洞察力。

 

 飛び込む際に空冷で頭が冷えたのだろうか。イリヤと美遊はどう動くべきかを見失い、ただ湯から頭を半分だけ上に出し吐いた息をぶくぶくと泡に変えている。そんな彼女たちから見ても、兄らの姿は見当たらない。無論、水中になどいる筈もない。

 何でこんなところにまで来てしまったのか。水面に浮いては消える泡のように、そんな自問が浮かんでは消える。ああ、何だか頭痛がしてきた。耳鳴りもする、キィン、キィン、と―――

 

 

 

 

 

 

 ―――などと、話しているようですが……

 

 そんな風に武蔵たちの行動を事前に知らせたのは、当然のように風魔小太郎であった。如何に間に岩壁があろうと、声を潜めようと、この距離であれば忍・密偵として磨かれた彼の耳は誤魔化せない。

 事前に察知して共有された情報に対して、反応はそれぞれ違った。

 

 ならさっさと出てしまえばいい、というのがゲイツ。

 こっちが出ちまう、というのは何だか逃げるようで座りが悪い、というのが村正。

 ならば覗きなど気にせず泰然と湯を楽しめばいい、というのが胤舜。

 

 そして―――

 

「向こうはどうだ?」

「なんか武蔵とクロが暴れてる。おのれ風魔忍法だって」

 

 村正に問われ、ジオウが答える。

 騒々しさとは無縁の露天風呂を味わいながら、男五人はゆるりと月を見上げていた。

 

「この静けさも悪いものではないが、森に生きる虫や動物の気配すら感じられぬというのは、些か以上に奇妙な感覚だな」

「僕のせいになってるんですか、これ……」

 

 胤舜は面白いが気味が悪い、とこの世界を評する。

 そんなトリックを風魔のせいにされた小太郎は遠い目をして辺りを見回した。静かな世界、もう何も残っていない、自分たち以外の命を感じられない鏡面世界(ミラーワールド)

 

 ―――じゃあ、武蔵たちが来れない場所でまだ入ってようか。

 

 基点は当然、温泉の水面。水鏡を通して彼らはこちらに入ってきた。

 その世界移動を維持しているジオウを見て、呆れ顔のゲイツが問う。

 

「おまえ、それ温泉に入っている意味があるのか?」

「意外と温かさは伝わってくるよ?」

 

 そう言ってジオウ・龍騎アーマーは体を伸ばし、左右の反転した月をゆったり見上げた。

 

 

 




 
風呂回。キバならば外せない。
 


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独唱・彼女のトリロジー2017

 

 

 

 温泉で色々とすったもんだした後のこと。騒がしさはそのままに夕餉を済ませ、明日のために早々に睡眠を取る事になった。もっとも小太郎や胤舜辺りは寝入る格好をしながら、いつ月が変調を起こしてもいいように備えているのだろうけれど。

 

 何となく寝られずに起き上がり、忍び足で庵の外を目指す。それこそ小太郎たちにはバレているだろうけれど、止められないという事は少しくらいは大丈夫という事だろう。音を立てないように戸を引いて、彼女はひっそりと屋外へと踏み出した。

 

 庵の外にはまず、これでもかと割られた薪が積み上がっている。今日の使用量を見るに生活に要する量としては、一週間分くらいはあるのではないだろうか。まあ鍛冶に使う分もあるならば、あっという間に無くなってしまうのかもしれないが。

 樽の中に無造作に突っ込まれた剥き身の剣などを見つつ、そのまま歩みを進める。

 

 ぼうっとしたまま歩いて、辿り着くのは温泉の前。もう湯気が上がるほどの温度でもなく、流石にぬるま湯になっているようだった。別に二度湯するつもりで来たわけではないので問題があるわけではないが。

 軽く辺りを見回して、腰掛けるのによさそうな高さと平たさがある岩を見つける。それに歩み寄って、一息ついてからぺたんと尻を岩へと落とす。

 

「―――――」

 

 皆と合流できた。後はきっと今まで通りに突き進むだけだろう。

 今まで通りに戦って、時間に生まれた異常を正すだけ。

 しかしはて、そんな状況で自分は一体何に迷っているのだろうか。

 

 静かな水面を眺めながら自問する。

 

 どれほどの間、波紋すら立たない水面を眺めていたのか。まあせいぜい10分かそこらだろうと思う。そんな状態だった彼女の耳に、わざとらしく地面を削る足音が聞こえてきた。

 ふと反応してみれば、そこにいたのは宮本武蔵。彼女は寝間着ではなく、ソウゴに洗濯させた自分の着物で散歩するようにその場に立っていた。

 

「武蔵? どうかしたの?」

「それ、私からあなたに言うべき言葉じゃない? わざわざこんな時間に外に出て、一体どうしたの立香? ってね」

 

 からからと笑って、武蔵は立香の隣にひょいと座ってしまう。彼女が使っていた岩の腰掛けは、二人並んだ程度で身を縮めなければいけないほどに狭いわけではないが、隣に座られると距離が近いと感じるくらいの広さしかない。立香はつい何でわざわざ同じ場所に? という視線を武蔵に向けた。

 

「何か悩んでるの?」

「ん……」

 

 そんな視線は何のその、と傍若無人な立ち居振る舞いこそ天元の華。

 

 問われ、数秒黙る。武蔵は急かすような事はなかった。

 ふと思い立ち、彼女に訊き返す事にした。

 

「もしさ、雲に覆われて頂上がどこにあるか分からない山が目の前にあったとしたら、武蔵はどんな事を考える?」

「ん? うーん、何を考えるか……そうねぇ……」

 

 彼女が手を顎に添え、頭を悩ませたのは数秒。

 

「まあ登るでしょうね。野性の獣や木の実みたいな食料があるかもだし、水場があればなお良し。それに何より―――」

「何より?」

 

 聞き返した立香に対し、武蔵はにこりと微笑みそれこそ笑い話のように言い切った。

 

「雲で天辺が見えない山、って事はその山を登り切ったら雲の上に出るかもでしょ? それが一体どれほどの高さにあるものか、私としてはそこに興味を惹かれるわ」

「……そういうもの?」

「少なくとも私はそう!」

 

 武蔵からの返答を聞いて、その意味を嚥下するのに数秒要する。そうしてから立香は空を見上げ、僅かに目を細めた。立香の悩みと擦り合わせるには、宮本武蔵という剣客は危険を当たり前のものとしすぎていた。この苦悩は立香が英雄でもなんでもないからこそだ。カルナが己では不適任であると断じたように、英雄である彼女に聞いても噛み合わないのは当然の事なのだろう。

 

 そこでふと、彼からのアドバイスを思い出す。

 

祈荒(きあら)さん、か……)

 

 医者でありカウンセラー。カルナが適任であると太鼓判を押したのだから、きっと間違いないのだろう。過日、泡になって消えた戦いの記録を気にせずにいられるならば。まあ、個人的にその部分に思う所はそれほどない。

 まるで彼女の考えを汲み取ったかのように、ぬるま湯の中からぽちょんと出てくるタカウォッチロイド。彼が飛び立つと同時、コダマスイカがそのボディに掴まって一緒に岩場まで飛んできた。その登場に思わず武蔵もきょとんとした顔。

 タカウォッチから離れ、着地したコダマが立香を見上げる。必要とあらば通信を繋ぐ、という意思表示なのだろうか。一人で抱えていてもしょうがない、というのは分かっている。ならばそうするべきなのだろうか。コダマの頭部に指を添え、撫でるように動かす。

 

 そうしている内に、武蔵が何かに気付いたようで視線をこちらから逸らした。

 

「あら、珍しい。お爺ちゃん、こんな時間にどうしたの? 夜食するなら付き合うけど」

「夜食なんざわざわざするかよ。そもそもこの体じゃ腹は空かねえ。ただ何も食わねえのは味気がないし、それじゃあ生活に彩りも何もねェ。サーヴァントだろうが人のカタチで人の営みに混じる以上、必要はなくとも食事は摂るのが道理だと(オレ)の理屈でやってるだけなんだからな」

 

 呆れた声でそう言いながら、こちらに歩いてくる村正。

 彼は大きく溜め息を吐くとギロリと武蔵をねめつけた。

 

「色気づいてんだかまだのぼせてんだか知りたくもねェが、ガキどもがこっちを探ってくる気配が我慢ならねェくらいにきつい。テメェのせいだぞ、このド阿呆が」

「あらまぁ……よっ、この色男!」

「はっ倒すぞテメェ」

 

 どうやらイリヤたちから向けられる意識に我慢ならず、逃げだしてきたようだ。確かに武蔵(とクロエ)の発破で一線越えてしまった感はあるから、まあだいぶ武蔵のせいだと言えるだろう。流石に一晩置けばある程度落ち着くだろうが。

 村正は疲れの浮かぶ顔のまま岩場に立つと、軽く水場を見回すような様子を見せ始める。

 

 どうしたのか、という声をかける前にコダマスイカがピクリと動く。その頭部から放たれる光は、通信先の3D映像を映し出した。映った場所は背景からして医務室だろう。普段はDr.ロマンの城である一室だが、いまこの時間はそうではないらしい。

 その場にいるのはただひとり、殺生院祈荒(きあら)女史であった。

 

 祈荒は立香の傍に武蔵と村正がいるのを見て少し驚いた様子を見せるも、すぐに柔和な笑みを浮かべて立香に語り掛けてくる。

 

『お疲れ様です、立香さん。皆様方で何か楽しいお話をされていたのですか?』

「えっと、どうだろ。そういうわけでもないような」

 

 何も考えずに繋いでもらってしまったが、相談事ならば一人でいる時間にやるべきだったか。どうにも気が抜けているのはやはり間違いなく、出来るだけ早く修正をかけるべき事だろう。もういっそ武蔵と村正の同席はいいとして、だがしかし一体何から相談すればいいのやらという気分でもある。

 藤丸立香の精神状態は良くない。良くないと自覚しているが、原因を把握しているわけではない。どう問題を提起すればいいのかが、自分自身よく分かっていないのだ。だから先程は武蔵に対する言葉に迷い、お侍さんから問われた質問をそのまま投げるような事もしている。

 

 そうして戸惑っていると村正がひゅう、と軽く口笛を吹いた。何事かと確かめてみれば、村正は目を見開きながら祈荒を見て、佳いものを見たとばかりに楽しげに頬を緩めていた。

 武蔵は両の目を眇め、そんな爺さんに向けてひんやりとした声を出す。

 

「いくら美人さんが出てきたからって、そういう態度はどうかと思うわよお爺ちゃん」

「馬鹿言え、こんな色気の塊みたいな別嬪さんと顔を合わせたんだぞ? 真っ当な男だったらそりゃ頬は緩むのが道理。もしここが色街だったなら、財布の口まで纏めて緩めるのが男の(さが)ってもんだ。

 あと何よりお前さんだけには言われる筋合いがねェよこの大馬鹿野郎が」

「はー、そんな事言っておいて私相手にはこの態度。女として抗議よ、抗議」

「何が女だ、図々しい。お前は食い気と剣気しかねェ色気知らずの破落戸だろうが。こっちからすりゃ破格の待遇でもてなしてやってるってなもんだぜ」

 

 顔を突き合わせて睨み合う両名。美女に反応する村正と、美少年美少女に反応する武蔵。まあ、村正の方がよほど一般的だろう。何より村正はあからさまに機嫌を良くしただけで、別に異性の入ってる温泉に乱入したわけではない。彼女に毒されて(クロエは微妙かもしれない)暴走したイリヤたちから逃げてきた村正からすれば、どの口が言うんだとなるのもむべなるかな。

 

『ええと、今のそちらの状況はある程度聞かされております。そちらの方々は宮本武蔵さんと、千子村正さん……でよろしいでしょうか? (わたくし)はカルデアで医務に携わっております、殺生院祈荒(きあら)と申します』

「おう、そんで何の用だい別嬪さん。そいつに内密の話があるってなら大人しく引っ込むが」

 

 そう言いながら立香の方へと顔を向ける村正。

 祈荒は僅かに考え込むような表情を見せてから、立香に対して問いかけた。

 

『立香さんは皆様とどのような話を?』

「えっと……」

 

 立香の見せた小さな逡巡。

 彼女の様子を見た武蔵が、数秒悩んでから口を挟む。

 

「山登りの話だったかしら。目の前に危なそうな山があったらどうするか、って」

「―――山登り、ねェ……?」

 

 男は片目を瞑り、小さく溜め息をひとつ。何かに心当たりがあるように、村正は武蔵の発言に対してどうにも思わせぶりな態度を見せた。彼は背後に視線を向け、庵を見る。

 

「それこそ胤舜(ぼうず)の出番と言いたいが……どうやらそういう事らしいな」

 

 言って、村正が祈荒の方へと向き直る。視線を向けられた彼女は、しっとりと微笑んで首肯した。専門家がいるならばそれで構うまい、と手頃な岩場を見繕って乱雑に腰掛ける村正。

 

「ちなみに武蔵、お前はどうするって?」

「もちろん登るって答えたけれど。だって気になるでしょう、頂上」

「だろうよ。で、立香の方は―――いや、そもそも何でそんな問いかけを出した。誰の影響だ?」

 

 お前の裡から出てくる問いではあるまい、と呆れながら村正はそう問いかけてきた。確かにそうだし、隠す事でもないので正直に白状する。

 

「街で働いてる時に会ったお侍様から、かな。今までずっと山に籠ってて、最近下りてきたらしいけど」

 

 だから彼は山を例えに使ったのだろう、と。そういう予想をしていると告げるように情報を補足する。だがそれを聞いた村正は溜め息を吐きつつ腕を組み、むっつりと黙り込んだ。何故そのような反応なのだろうかと首を傾げていると、次は祈荒が声をかけてきた。

 

『その問いかけをわざわざ使うという事は、立香さんはその問答が自分の中の悩みを解決する切っ掛けとなるものだ、という理解をしているのでしょうか? あるいは自身の悩みを正確に言葉に変えられないが故に、ただ直近で聞いたその方の言葉を拝借しているだけ?』

「ん……どう、かな。訊かれた時、たぶん的外れな疑問じゃない、とは思ったかも」

『そうですか……』

 

 実際どうなのだろう。自分は何に思い悩んでいるのだろう。

 あの問いを切っ掛けにして、何か答えを出すことが出来るのだろうか。

 

 立香の曖昧な様子を見ながら、祈荒は頬に手を当て目を細めた。

 

「山籠もりの侍ときたか。まァ、説教で山を引き合いに出すからには斬りたがりの与太侍じゃなく、修験者かあるいは天狗の成り損ない辺り……とにかく山の中に何ぞを見出だした求道者の類だろうが、それはどうでもいいとしてだ。

 重要なのはそいつが山に準えた設問を答える事に対して、お前さんが何を恐れたかだろうよ」

「何を恐れたか?」

 

 目を眇めて月を見上げ、そう語りかけてくる村正の言葉にオウム返しする。

 彼はそのまま続けようとして、しかし。

 

『村正さん』

 

 申し訳なさそうな祈荒の声を聞くと、そこで口を動かすのを止める。そして祈荒が村正に小さく頭を下げると彼は面倒そうな顔で顔を逸らした。やはりこういった話は坊主の仕事だろう、と改めて感じたとでも言いたげな表情。

 

『立香さん。貴方の思考の中でその山に、()()()()()()()はいましたか? 考えている内にふとよぎった小さな違和感で構いません。その山に対面した自分が何をするか、という行動の原理を求めている中で、他の誰かのためにこうするべきだと自分の意思以外に理由を求めませんでしたか?

 ―――山を登る事を危険な行為と意識し、貴方が経た戦いの旅に照らし合わせ、自身の現状と重ねた上で……その山に踏み込んだ先に追いつくべき誰かがいる、という前提を無意識に作りませんでしたか?』

 

 問われ、言葉を詰まらせる。カルナに言われた通り()()()()()()()と自覚しているからこそ、そう考えたのだろうと納得もできる。

 藤丸立香はあの日、この旅の始まりの日に炎の中で選択した。では、この質問に対して彼女が出すべきだった答えは何なのか。今更の話だろう。あの日から彼女が選ぶべき道は、危険と共にしかあり得ないものになっていた、なんて事は。

 ―――決まりきった答えがある問いに、ならば自分は何を期待していたのだろう。

 

 数秒、全員が沈黙する事で場が静寂に包まれた。

 

『―――残念ながらその山は、貴方様だけの前にある苦悩です。登ろうとも下ろうとも、他の誰かに追いつく事もなければ並ぶ事もありません。今の悩みを解決するためにその問いかけに答えを求めても、けして解決には至らないでしょう』

「そ、っか」

 

 続く祈荒の言葉に小さく吐息を漏らす。

 何やら重い息を隣に感じ、武蔵が軽く明るい口調で声を上げた。

 

「ま、山がいけないというならば、違う考え方をすればいいんじゃないかしら? 平野とか、いっそ海で考えてみるとか、どう?」

「…………」

 

 武蔵をちらりと見て、村正が溜め息をひとつ。しかし彼はそれ以上の反応を見せる事なく、沈黙を貫いた。対し、そんな対応を返された武蔵が彼に絡んでいく。

 

「何よ、お爺ちゃんには妙案があるわけ?」

「――――ハァ」

 

 更に大きく溜め息追加。武蔵のムッとした表情をものともしない。

 

 村正は言った。藤丸立香という人間は、この問いかけに答える事に対し何かを恐れている、と。確かにそうかもしれない。周りに置いていかれたくないというのは、ごく自然な恐怖の感情に思えた。

 ―――でも、本当にそれだけだろうか。カルナも、祈荒も、村正も口を濁す。武蔵さえも茶化して有耶無耶にしようとしていると感じるのは、ただの被害妄想なのだろうか。

 彼ら、彼女らは望まれていないのに明け透けに言及するような事をしない、そういう良識があると言ってしまえばそれだけかもしれないけれど。

 

『……貴方には、貴方自身が既に恐怖として認識している()()()()()()()()()には立ち向かう覚悟がある。けれど、その先に()()()()()()()()()()という確信が、貴方の心を竦ませるのでしょう。

 貴方には選んだ道の恐れという壁を乗り越えた先、その先にある新たな壁が観えてしまっている。そして問題を越えた先にある問題がより大きいと知るが故に、何かを選ぶより()()()()()()を続ける事がもっとも楽なのだと知っている。悩んでいる今に留まり続ける事もまた、己を苦しめる忌むべき停滞だと誰よりも理解しながら』

 

 女が口にしたのは、カルデア内においても追求しなかった事。()()()()()()()()()に非ず、()()でしかない藤丸立香という少女が意識的にか無意識か、明確に隠避しようとしている弱さに踏み込むものであった。

 言葉を詰まらせたまま、立香が停止する。祈荒はそこで一息吐くと口を閉じ、時間を置くようにゆっくりと目を閉じた。そこから流れる時間は、立香自身に自覚を促すために設けられたもの。立香が立ち入る意志を見せなければ、誰もそこから先に踏み込む事はない。その先に至る必要性はどこにもないのだ、ただ生きるためにあらゆる心残りを消化しなくてはいけないなんて事はないのだから。

 

(ま、それはそれで只人の道としては最も間違っていない選択なのでしょうけど)

 

 そう考えつつ祈荒に視線を向ける武蔵。殺生院祈荒は選択を強要しない。彼女の言葉は立香の心を暴き立てるも導きを示すのみで、救いを望まれなければ援けになろうとしない。救いを望むか望まぬか、それを選ぶのは立香自身でなければならない。

 

 武蔵の視線が村正を向く。宮本武蔵という人間は、この手の助言に向いたモノじゃないという自覚がある。だから黙り込んでいないで何か言え、という目で難しい顔をしたお爺ちゃんを見つめるのだ。

 自身満々の顔で語るコトかよ、という視線でのみで返される呆れの意識。それから数秒ほどの時間を挟み、村正が軽く溜め息を吐いた。

 

「……(オレ)には、目指すべき頂ってもんがある。嬢ちゃんの持ってきた問いかけに答えるとするなら、(オレ)は既に目的を持って()()()()に踏み込んでいるワケだ」

 

 村正が重たげに口を開く。彼の目は武蔵を向き―――否、彼女が腰に佩いた己の鍛えた剣を向いていた。彼が目指したのは物質界に存在するものに留まらず、運命・因果・宿業、あらゆる全てを斬り捨てる神魔の刃。少なくともその一端に指がかかっているのが、今武蔵が腰に提げている剣に他ならない。担い手を選ぶ聞かん坊、鞘に納めても暴れる問題作ではあるが。

 

 村正が目を細め、睨むように立香を見た。

 

手前(てめぇ)で選んだこの終点(いただき)、どこかに近道があると思うか?」

「うん……無い、よね」

 

 問われた内容の答えなど考えるまでもない。刀匠、千子村正の生涯の望みだ。鉄を鍛造()つ事を極めた村正の振るう槌が生み出す剣。その極地の更に先など、近道以前にそんな頂が実在するかどうかさえ疑わしい。

 そう考えて口にした否定の言葉に、さっさと軽口が返ってくる。

 

「あるぞ」

「あるの?」

「そりゃあるだろ」

 

 当たり前だとばかりに言ってのける村正。果たして今のはこちらがそんな怪訝とした顔を向けられるような問いだったろうか。解せない。

 不満げな立香の顔など何のその、村正は言葉を続ける。

 

()()()()()()()()()()()(オレ)鍛造()とうとしてる剣は神様の領域のモンだ。だったら神様が使ってる神鉄でも頂いて、それの鍛造()ち方を習えればそりゃ近道になるだろうさ。最終的な目的地を考えりゃ、どこにでもいる鍛冶屋がただの鉄で目指すよりよっぽど現実的だ」

「―――へえ、お爺ちゃん。その機会があったら神様の流派に乗り換えるの?」

 

 馬鹿な事を聞く、と武蔵を鼻で笑う村正。

 

「そりゃ鍛冶の神様の腕前が見れる機会があるってンなら全財産はたいてでも拝むだろうさ、刀打ちなら誰だってそうだろうよ。だがな、自分が今さら鉄以外で刀鍛造()ってみようなんて思わなけりゃ、上等な素材の叩き方だって覚えようなんて気はさらさらねェのさ。

 (オレ)手前(てめえ)の足で天辺に辿り着けてねェ。だってのに自分の鉄の打ち方(やま)以外の他のやり方(やま)にも足を伸ばしてみよう、なんて考えられるほど頭が柔らかく出来てねェし、そもそもこの腕が(そこ)まで辿り着けるかどうか、それ自体も楽しんでやってるンだからよ」

 

 笑いながらそう言い切って、その後に彼は神妙な表情を浮かべた。

 彼の顔は真っ直ぐ立香に向けられている。

 

「その例えはこういう話だ。噂の山侍もそこの武蔵も、周りを顧みず自分の山を登る事に疑いも持たねェ人でなしだから迷わねえ。もちろん(オレ)もそっち側だ。

 それで―――仮に登るとして、だ。()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「―――――」

「もう、立香は登るなんて言ってないでしょ?」

 

 人でなしと呼ばれた女剣士が呆れた風な声を上げる。彼女にとって取り立てて否定する事でもなければ、むしろ声高に肯定してもいいような事実である。

 そう、宮本武蔵はそういう女だ。けれど藤丸立香は違うだろうと。

 

 ―――ソウゴも、あるいは村正自身はまともに顔を合わせていないマシュさえも。()()()()なのだと彼は言っている。人でなしかどうかはともかく、自分の頂を見据えて、自分の目的のために険峻に踏み込む事を迷わない人間。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。そんな理由が無ければ踏み込まない、藤丸立香とは真逆の人種だと。

 

「それは……」

『それもまた、ひとつの道』

 

 鬱屈しそうになる心に先回りするような、凛とした女の声。

 

『自覚の末に選ぶのであれば、それはどうあれ貴方の道。登るも登らぬも、向き合うも背くも、けして他の誰かに責められる謂れはありません。村正様の言う通り、それはただただ選んだ()()()()()というだけの事。

 だからこそ今の貴方はまるで、凍える風を凌ぐために傷つくと分かっていて針の筵にくるまる童女のよう。見る者が見れば、その姿はあまりにも痛々しい』

 

 そんな声をかけてくるのは殺生院祈荒その人以外にいない。彼女の声にはただ現世に生きるという不条理に振り回される少女への憐れみだけがあった。

 

「―――――」

『人として弱みに崩れる事はけして悪とは言えません。そして……己が最も正しいと、選ぶべきだと思った選択肢を己が弱さを理由に選べない事も、過ちではありません。迷いの全てに決着をつけられないままの歩みであっても、けして価値が失われる事はない。

 貴方には。いいえ、貴方に限らずあらゆる人間には、自身が進むべきだと考えた道を歩む事で負う瑕をできるだけ少なく、最小限に。あるいは全く傷つきたくないと願う権利がある。その権利は理想の道とは噛み合わずとも、確かに選択肢として常にそこにあるものです』

 

 祈荒の視線。

 彼女の琥珀色の目が、まるで蜜を煮詰めるよう色を深めていく。そこに心を溶かすような甘さはない。彼女はただ、立香の弱さに言及しているだけだ。

 

 自分でも分からない場所まで見透かされている感覚。いや、本当に自分は自分の事を分かっていないのだろうか? ただ察する事から逃げているだけなのではないか?

 自分でも分からない、と口にするのは簡単だ。けれどその後に、察した事を言葉にして教えてくれ、と続けられないのであれば、結局逃げている事に変わりはない。自分は言葉としてそれを明確にされる事から逃げている。そして、それを汲んで皆が明言する事を避けてくれている。

 

 少なくとも、この尼僧はそう言っているのだ。そして、そのように無視してもいいし、何だったら逃げたっていい。

 

 けれど―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 誤魔化さない事を、逃げない事を選んだ以上、必然選択肢は最後のひとつに絞られる。後は藤丸立香の心がそれを明確にして、選び取るだけだ。

 だからこそ彼女は諭すように、最後に告げるべき言葉を静かに語った。

 

『―――3つ、貴方の心に岐路があります。貴方が真に望むはただひとつの道。それを諦め()()()()()()で誤魔化す道がもうひとつ。そして……望みを選べぬ弱さを以て己で心を折ってしまうのもまたひとつの道と言えましょう』

 

 そのような祈荒の言葉を聞いている立香の横で、武蔵が瞑目して小さく体を揺らす。そこでかつり、と。剣の鞘が岩肌に掠ったようで小さな音を立てる。

 彼女はその音に意識を向けて、ふと何かを思いついたように剣の柄尻へと手を添えた。

 

 

 




 
戦闘中におにぎり食うのはまあいいとして投げ技の掴み食らって投げられる寸前って段階でもおにぎり食えるのは二天一流の奥義か何か?
投げモーション中にもおにぎり食えるの気付くまで逸れのバーサーカーの投げ一回十割で死にまくったゾ
 


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郷愁円舞曲(ワルツ)・織り成すクレーン2015

 
昭和99年おめでとうございます。
来年はいよいよ100年の大台ですね。
 


 

 

 

 通信を終えて椅子から立ち上がる。幾らか言葉を送ったものの、どれほど意味があるかは分かったものではない。彼女の心をどうにかできるのは、彼女自身だけなのだから。

 そうして少々の間ぼうと立ち尽くしていると、医務室のドアが解放された。首を傾げながら入ってくるのはこの部屋の真の主、カルデアの医療部門における最高責任者である人物であった。何かを考えている様子だった彼に対し、祈荒は彼の部下として挨拶をする。

 

「お疲れ様です、アーキマン室長」

「ああ、どうも……」

「何かお悩みの様子。どうかなさったのですか?」

 

 あからさまに悩みを抱えたその様子。

 問いかけてみれば、ロマニは酷く様々な感情を織り交ぜた表情を浮かべた。

 

「いえ、悩みと言えば悩みのような、そこまででもないような……別段今更になって、何か問題があるわけではないからわざわざ触れることじゃないけれど、もし所長にバレた場合また酷い査定をくらってボクの給与が危うい事になってしまいそうな……」

「まあ……」

 

 確か彼はシャルル・パトリキウスに行っていたのだったか。何の用事があったのかは知らないが、どうも解決には至らなかったらしい。口振りから察するに、本人的には気にしていないが誰かにバレた時に問題になる秘密。その問題に頭を悩ませている様子のロマニ自身には、特段陰りがあるわけではないので気に掛けるほどでもないだろう。

 

「BBに訊く……? いや、やぶ蛇だろうなぁ」

 

 ぶつぶつと何かを言いながら彼は部屋を検めて、ふと祈荒が通信を使っていた事に気付いた様子を見せた。通信、と言ってもこの部屋から出来るのはカルデア内のみのローカル通信。主に管制室や、各員の個室に対して利用する手段。当然の事ながら、医務室から直接レイシフト先に通信なんてできやしない。それはカルデアスのある管制室でのみ可能な行為だ。

 となれば、普通に考えればどこかの部屋への通信だったはずだが……どうにも今まさに名前を口にした人物、BBが小悪魔スマイルを浮かべている姿が脳裏に浮かび、消えていった。

 

「……ちなみにその通信、BBとの共謀で立香ちゃんに向けたものだったのかい?」

「ええ、はい。流石にすぐに分かってしまうものですね」

 

 管制室の通信網をハックして一部この部屋で使わせるインチキ。それが出来るのはBB含む一部のアルターエゴくらいなものだろう。そしてそうまでしてここで通信をしなければならない理由はただひとつ。藤丸立香という少女に対するカウンセリングだ。

 

「そうか、そうであるなら問題ないんだ。今後も必要なら使ってくれて構わないよ」

 

 そう言ったロマニの前で、祈荒は頬を手を当て微かに視線を彷徨わせる。そんな彼女を見て不思議そうにするロマニに対し、祈荒は数秒置いてからきっぱりと言い切った。

 

「―――いいえ、きっともうこのような席は必要ないでしょう。ただ最後……彼女が抱えたモノに区切りをつけるのに、きっと貴方の協力が不可欠になりますわ」

 

 思考が一体どういう道筋を辿ったのか、祈荒はほぼほぼ確信を得てそう口にする。当人から問題解決の兆しは感じられなかったというのに。

 立香の現状は今ロマニの知るところではないが、彼女のその物言いに何か感じ入るところがあったのだろうか。彼は僅かに眉を顰めると、その感傷に近い感覚が何であるのか確かめるように短い間を置いて、ゆっくりと苦笑した。

 

「―――確かに最後のそれは、ボクでしか代わりをこなせない役割かもだ」

 

 

 

 

 

 

 昨夜は異常な月はついぞ姿を見せぬままに夜が明けた。それはこの事態において、果たしてどんな意味を持つのであろうか。相手がこちらを襲うことも、町人を襲うこともなく終えた夜。カルデア側にとっては来たばかりであるが、まるで相手が最後の準備に入ったようだと考えるのは少々穿ちすぎか。

 

 村正の用意してくれた朝餉を皆で済ませてから、彼らは本日の予定を打ち合わせる―――というほどの時間もかからず、やはり結果は街の散策と相成った。下総国が英霊剣豪を用いた儀式の中心である事に疑いは無し、黒幕の正体や居場所はやはりこの土地の何処かと考えるのが自明なのだから。

 

 そうして予定を立てた後、出立までの間に村正の姿を探す。前夜にふと頭をよぎった思いつきを実行するためだ。一軒の周囲、けして広いとは言えない範囲の捜索などあっという間に完了する。どうやら彼の姿は庵の横でごまんと積まれた薪の裏手にあった。彼と一緒に武蔵もいるようだ。

 

「―――村正殿、少しよろしいでしょうか?」

「あン?」

 

 小太郎が声をかけると、返ってくる村正の声。その間に武蔵が何かを懐に入れたように見えたが、それが何かまでは見取れなかった。それを気にかけようとする自分に対し内心首を横に振り、意識をここに来た本題へと引き戻す。

 

「もしよろしければ短刀を一振り、譲って頂けないでしょうか」

「ンなもん欲しけりゃいくらでも持って行きゃいい。ひとやまいくらの手慰みがお前さんの手に馴染むとは思えねェがな」

 

 村正の視線が小太郎を上から下まで暗器を含め、矯めつ眇めつ眺めてみせる。その視線、ただの一見でもって各所に隠した装備のほぼ全てを正確に値踏みされたと思われる。隠し方の問題ではなく、武器がそこにある以上反応できるという事だろうか。暗器の一切が通らない、まるで忍びの天敵である。

 

「ありがとうございます。では一振りだけ」

「刃を見繕ったらまたここまで持ってこい、すぐに拵えてやるよ」

 

 ここで鍛った村正の作品は大抵の刃が打ちっ放しで樽に放り込まれている。その中から選んで持って来れば、装具も拵えてくれるという。その程度であれば小太郎の方で済ませようと思っていたが、そう言ってくれるのであれば本職に任せるのが筋だろう。

 

「かたじけない……ところで武蔵殿は何を?」

「ん? んー、そのまま押し付けておさらばする気だった預け物があったのだけれど、どうにも気が変わったので返して貰いました、みたいな?」

「なるほど?」

 

 武蔵の言葉はどうにも曖昧で、この御仁らしからぬ浮いた返答であった。そして村正は興味もないのか、小太郎の要望を叶えるための準備に入っている様子。

 頼んだ側として彼を待たせるわけにもいかないないだろう。小太郎はそこで会話を打ち切って良さげな刃を見繕いに向かう事にした。

 

 

 

 

 

 

 口火を切ったのは、溜め息混じりのオルガマリーの声だった。

 

「さて、どうしたものかしらね」

「時間はかかるけど地道に色んな場所を調べてみるしかない。街中はそれでいいとして、ただそうなると……」

 

 城下町。天下の往来の端で、ツクヨミが空を見上げるように顔を上げた。そこにあるのは土気の城、この地を治める最大の要地である。自然、黒幕たちにとって一番押さえる価値のある場所になると言えるだろう。となると、こちらもそこも調べたいわけだが―――

 

「……難しいですね」

 

 もしその捜索、隠密行動を実行するならば陣頭指揮を執る事になる小太郎が、髪に隠れた眉を難しそうに顰めた。

 

「この世界のあの城の内部に何が控えているか、その点について情報がまったく無いのはこの際どうでもいいと言っていいでしょう。その程度は些末事に思えるほどの大問題として、昨日入城した柳生但馬守という最高位の警備が配置されてしまった事が上げられます」

 

 何故か「それ! わかるわー!」とでも言いたげな表情を浮かべる宮本武蔵。剣術家として柳生但馬守に思う所でもあるのだろうか。まあ、あの剣聖を知っていて何も思わない剣士もいないだろうか。

 

 土気城本来の戦力を外から見た分には、シノビがいなければ怪物に対応し切れない程度、と考えることができる。隠し玉が無いとは限らないが、風魔小太郎が欺けないほどのモノが出てくるとは考え難い。だがその城にあの但馬守が詰めているとなれば、話が変わってくる。

 

「恐らく霊体化しても気取ってこよう。まともな方法では侵入できまいな」

 

 軽い口調で胤舜もさっさと同意してみせる。名のある武人がこうも口を揃えるのだ、事実としてそうなるという事だろう。ならばどうするか、という話に行く前にソウゴが首を傾げた。

 

「でもそれなら逆にその柳生って人が入って何も反応が無い城は、英霊剣豪とは関係ないって事にならない?」

 

 道理だ。柳生但馬守はただの剣士、魔術の素養も何もない。だが彼ほどの武人となれば、そのような邪法が城内で執り行われていれば、邪気に反応して斬り捨てている。仮に英霊剣豪を殺し切れずとも、間違いなく牙を剥いた筈だ。

 そして柳生宗矩と言えば最強の剣士であると共に稀代の兵法家。仮に自身が剣で負けるような事があろうとも、江戸に仇なす怪人たちを野放しにせぬように()()()()()、秘められた悪行がまろびだすように立ち回るであろう。

 一晩経って城に何の反応も無いとなると、やはりあの城には何も無いという事になる。

 

 そう、普通ならばそれで納得できるのだが。

 ―――どうにも、小太郎はそれを素直に飲み込めない。

 

「どちらにせよ全部調べるならどうでもいい話だ。奴はこの怪異の解決のためにわざわざ江戸から来たんだろう? それならば閉じこもったままという事もないだろう。その柳生という侍がいる時に調べられないなら、そいつが城を出た時に忍び込めばいい。それだけだ」

 

 小太郎の感覚を否定する事なく、ゲイツはその件に関する話をまとめに入った。但馬守がいつ出陣するか等の問題はまだある。だが結局調べるのだから、外から城を見ただけで現状を推察する意味は薄い。問うべきはどのように忍び込むか、その一点である。

 

「まぁ歩いて広範囲を調べるとなれば、この人数で纏まって動き回るのは些か無駄が多い。幾つかに人員を分けて回るのがいいと思うが」

「柳生のお爺ちゃんがいつ腰を上げるかも分からない以上、小太郎くんは城の見張り番かしらね」

「……そうね」

 

 カルデアから映し出される下総のマップ。細めた目でそれをじいと見つめながら、オルガマリーは悩むように唇に指を添える。

 そんな彼女の横につき、頭を垂れてみせる小太郎。彼はこそりと口を利き、マスターであるオルガマリーへと要望を伝える。

 

「……申し訳ありません、主殿。城の見張りについてですが、人員を僕に選ばせて頂けないでしょうか」

「何か必要な事? 分配に目安に出来るものも無し、別にいいけれど」

 

 いつ何が起きるか分からない。どこに何があるか分からない。これじゃあ配置を考慮する甲斐もないというものだ。誰がどう割り振ったとしても、最低限均衡の取れた分配にさえなっているのなら、文句をつける謂れもないだろう。なのでオルガマリーは素直に小太郎からの進言を聞き入れる度量を見せ、その奇妙な采配にきょとんとした顔で首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

「ごめんね、わざわざ時間かけさせて」

「いえ、こちらこそ手間を取らせてすみません。ですが、流石に……」

 

 立香と並んで歩く小太郎が言葉を濁す。彼らの役目は城の監視、なのだが立香の着物が余りにも悪目立ちしすぎる。この格好のままで張り込みは流石に人目につきすぎるのだ。

 そう判断した小太郎は、他の落ち着いた着物をおつるに用立てて貰う、という行動に思い至った。今はその道中、おつるの所へと向かう最中という事だ。

 

「私も忍者みたいに上手く隠れられればいいんだけどね」

「ではこの件が解決次第、カルデアで暇がある時に風魔の技を学んでみますか? 姿を完全に隠したりは出来ずとも、気配の消し方くらいであれば十分に体得出来ると思いますよ」

 

 気配を消す。実際重要なスキルなのであろうが、内容としては地味なものだ。けれど彼女には必要な事かもしれない。炎を出したり水を出したり、派手な忍法はやっぱり自分無理なのかな、とちょっぴりショックを受けつつも立香は笑った。

 

「忍者修行かぁ、ちょっと楽しそう」

「……ええ、まあ、もちろん。楽しくやれる範囲で修行の内容を組み立てますとも」

 

 何かが引っかかったかのように言葉を一瞬詰まらせる小太郎。だがそのほんの小さな引っかかりが生んだ隙間は、次の瞬間には何も無かったように消え去っていた。少し気になりはしたが言及はせず、立香は小太郎と共におつるの住処を目指す。

 あんまりのんびりしていて、その間に但馬守に城を出陣されてしまったら意味がない。故に早歩きでの道行きになるが、そこで改めて着物ではまともに走れないなぁという実感を味わう。清姫は裾を乱す事もなく結構素早い蛇のような移動力を持っているが、慣れれば自分でもあれができたりするのだろうか、なんてとりとめなく考え事をしながらの移動の末、彼女たちは目的地に辿り着いた。

 

 戸の前に立ち、軽く叩いて中に呼びかける。

 

「ごめんください。おつるさん、いますか?」

「はいはい、どうぞお入りくださいな」

 

 返答があったので戸を開け、家の中に入る。居間にいるおつるは何でもない日常的な様子で、朝食を済ませた後のお茶を味わっていた。彼女は二人を迎えるに辺りすぐ立ち上がると、流れるような所作で客人の分のお茶の準備に入っていた。そうした作業をこなしつつ、おつるは不思議そうに問いかけてくる。

 

「どうされました? わざわざ私の所に訪問頂いたという事は、何か服に関する事でしょうか」

「えっと……その、うん、はい……あっ、すぐ戻らなきゃいけないからお茶は遠慮したいんだけど」

 

 おや、と残念そうにもてなしの準備の手を止めるおつる。

 

 そんな彼女に対し、今の着物が豪華すぎるからもっと地味なのと取り替えてくれませんか、と言い放つのは中々に酷い願いだと思い言葉に詰まる。が、言い淀んでいても話が先に進まない。

 決死の覚悟染みて気合を入れ直し、立香はおつるにその言葉を言おうとし―――

 

「ちょうど私からも用事があったのですが、時間が無いのであればそれを先に果たしてしまってもよろしいでしょうか? もちろんその後、立香さんのご用件も伺いますので」

「用事? おつるさんが私に?」

「はい……いえ、私はただの橋渡しでしかないかもしれませんが。どうぞこちらに」

 

 軽く微笑んで、おつるは家の奥へとさっさと行ってしまう。謎の展開にきょとんとしていると、小太郎に背中を軽く叩かれ正気を取り戻す。慌てておつるの後を追ってみれば、彼女は自身の仕事場―――機織り機のある部屋の戸を大開きにして、そこで待っていた。

 おつるの仕事場、サーヴァント的に時代背景を気にした言葉選びをしなくていい状況において、彼女はその場所をアトリエと呼ぶ。そのパーソナルスペースに関してだけは基本的に閉鎖的であるおつるが、珍しい事にそこを開けっぱなしにしている。

 

「引かれた設計図からすれば消化不良、目的不全の末期。けれど成し遂げた事は確かに価値ある事で、あるいはその最初の仕事だけで、生み出された使命は果たしたと言えるのかもしれません」

 

 滔々と語るおつるの元へ歩みながら、開け放たれた戸の中を覗く。

 

「それでも私にはまだまだ自分は輝きを灯せる、と叫んでいるような気がしました。もっともそれは私が勝手に得た霊感。解れてしまった部分は余りに多く、修繕するためには新たな生地を増やさざるを得ず、機能を再構築するための造形は、まるで別物になったかのように原型からかけ離れてしまった」

 

 そこには立香が初めて見る、一着の白いドレスが掛けられていた。そう、初めて見るはずのドレスだ。だと言うのに、立香の中にそれを知っているという感覚が浮かぶ。

 であるならば、その正体はきっとひとつしかない。この地に来た時、あの場所で死に瀕した時、藤丸立香という人間の命を最大限まで守り通してくれた魔術礼装(セーラーふく)

 

 ……何を言えばいいのか分からない。喜べばいいのか、礼を言えばいいのか。確かにあの服は彼女の命を救った救世主だ。そこに疑いはない。セーラー服で修繕されてきたなら、もう少し落ち着いた反応が出来たかもしれない。でもいきなりドレスに生まれ変わられて、それを感慨深げに語るおつるを前に、自分は一体何を言えばいいのだろうか。

 

「……セーラー服が、ドレスに?」

「ええ、はい、まあ……急なデザイン変更については立香さんに着せる事を考えた時、私の霊感にビビッと走った感覚をカタチにしたわけですが」

 

 何とか絞り出した声に、いたずらっぽいおつるの声。つまりドレス化についてはおつるの趣味である、と。なおさらどう反応すればいいのか分からない。

 困惑している立香の前、おつるは微笑みながらそのドレスを取り上げ彼女に渡してきた。

 

「えっ? でもこれ」

「はい、立香さんへ着物を譲る対価として私が受け取り、それを手直しした結果織り上がった貴方のための一着です。そしてこの一着への代価は要りません―――いいえ、正確にはもう私は受け取っているのです」

 

 一瞬だけ遠い目を見せるおつる。その顔を見て、彼女は立香ではなく他の誰かから受けた恩を、立香を通してその()()に返そうとしている事を理解した。

 

「受けた恩に報いるのがこの鶴の生き方。マスターもいない()()()となって、いつ消えるも分からぬこの身。そんな鶴が抱いた心残りこそ、かつて受けた恩を返す事なく消えて忘れ去ってしまう事。

 もし貴方がこの鶴の我儘を聞いてくれるのであれば、もし貴方が勝手に他人への恩返しの受取人にされる事を納得してくれるのであれば……どうかこの一着、受け取っては頂けないでしょうか?」

「…………」

 

 鶴の視線は真剣そのものだった。彼女は恩人への礼を関係の無い他人に返し、納得するような人柄ではない。であるならば、これは立香と関係の深い誰かへの恩返しだ。いや、きっとそれ以上に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という考えの許に行動しているのだろう。

 これはただの恩返し、真意は義理を最大限にして返すという彼女の好意でしかない。その理由を問い詰めようとするのはきっと野暮な話だ。

 

「……私がそれを受け取る事で、おつるさんが納得できるの?」

「ええ、もちろん。そうしてかじりついてでも現世(うつつよ)に残らねばならなかった理由を果たせれば、残った時間は純度100%趣味に没頭できるというものです」

「今までは趣味に没頭してなかったの?」

 

 微笑むおつるからドレスに視線を移す。ドレスである。しかもかなり背中とか開いてる趣味全開のデザインに見える。

 

「今は50%といったところです。ふふ、私の本気の推し活はちょっと凄いですよ。ブレーキが無くなった今なら私、心臓が破裂するまで声援を上げ続ける覚悟があります」

「それは応援される側にだいぶ迷惑では……?」

「ご安心を。もちろんアイドルの晴れ舞台を汚すことなどありえません。その場合私は気付かれないように昇天し、空の果てから継続ライブビューイングです」

 

 にっこりと笑顔を浮かべるおつる。冗談だろうか? 流石に冗談だろう。冗談であって欲しい。冗談じゃないかもしれない、この顔は。突っ込むのはやめて本題に戻ろう。

 

「おつるさんがそれでいいなら、私は喜んで受け取りたい」

「はい言質頂きマシター! では着付けに入りましょう、さあ! さあ!」

 

 もの凄い勢いで引き込まれる立香。スパーン、と派手に閉じる襖。そして締め出される小太郎。護衛とはいえ当然着替えを覗くような事はしないので、言葉を挟む余地もない。襖越しに聞こえてくる声から顔を逸らし、彼はとりあえず一端その場を離れることにした。

 

 問題は目立つ衣装を変えに来たら、その100倍目立つ衣装にお色直しされてしまった事だが。それは後でドレスを隠すように羽織れるものを用意してもらうしかないだろう。

 

 

 

 

 

 

「どう? 目立たないかな」

 

 そう言って立香は羽織った着物の裾を摘み、軽く腕を持ち上げた。一見するだけならば彼女は今、さほど目立たない派手すぎず地味すぎないごく普通の着物姿だった。

 

「ギリギリな気がしますね……」

 

 だが揃えて着る事で礼装が完全に機能するようになる都合上、パーツの一部である手袋とブーツは隠しようもなくそのままだ。着物は落ち着いたが手元足元は逆に目立つようになってしまった。まあ、遠目には目立たないだろうから良しとするしかないだろう。それに多少の違和感を生む程度で立香の安全度が高まるなら、むしろ望むところである。

 

 そうして一応準備が整った以上、彼らの役目は城が見える位置での待機だ。いつ柳生但馬守が出立してもいいように此処で見張り、彼が城を空けた直後を狙って侵入する。

 

(問題はあの御仁がいつ出るか。民に安心感を与えるならば日中に姿を見せるものだが、此処の民の安心は仮面ライダーシノビの存在が守っている。それでも得体の知れないシノビではなく、幕臣が民の安寧を守っているという姿勢を見せようとする筈だとは思いますが……街が安定している今ならば、それは実際に但馬守が怪物を斬った実績と共に喧伝するという形でもいい。そうであるならば今日は、怪物が姿を見せるだろう夜まで出てこないという可能性も高いか……)

 

 自分だけならば三日三晩カカシに徹するのもわけないが、立香がいる以上そうもいかない。怪しまれない程度に動きつつ、定期的に彼女を茶屋かどこかで休ませる算段はつけておかなくては―――

 そうして考え事をしていると、小太郎の肩が立香の指先にちょんちょんとつつかれた。

 

「……ねえ、何か騒がしくなってきたよ?」

 

 確かに唐突に城の前がやけに騒がしくなってきた。騒ぎの質はどうにも城の者さえ制御できない何かが起きた、という風に見える。城主でさえ命令できないと言えば但馬守だろうが、彼の出立というわけではないだろう。侍衆の出陣であればもっと静かに、厳かに行われるはずだ。城の者たちが止める理由もない。

 

「姫、お待ちください姫!」

「姫が御乱心だ、城下に行こうとされている! すぐに護衛を!」

 

 距離はあるが耳を澄ませばそんな言葉が聞こえてくる。姫君が唐突に城から街に下りようとしだした、という話だ。それはまあ確かに城の者からすれば寝耳に水、どれだけ慌てふためいても足りない状況か。

 ただそれは土気の城の問題であって但馬守とは関係ない話。こちらには関係ないだろう。

 

「どうやら土気の姫君が城を出ようとしているようですが……」

「お姫様が?」

 

 巻き込まれても良くない、落ち着くまでは少し離れているべきか。

 そう考えて行先を決めようとしていた、その瞬間。

 

 聞こえてくるのは高らかに響く馬の嘶き、続いて大地を蹴る力強い足音。そして「姫ー! お待ちくだされ、姫ー!」と叫ぶ多くの人間の声。ただそれだけなら姫が逃げたのだな、で終わりの話であるが。

 その幾多の音が全て、()()()()()()()()()()()()()()()()()となれば話が変わる。

 

「―――御免!」

 

 小太郎が即座に判断を下す。目立つ目立たないなど最早些事、すぐさま立香を確保しこの場から撤退するべきだ。だからこそ彼は立香を抱えようと腕を伸ばし―――

 

 その腕を、他の誰かの腕に掴まれた。

 

「―――――!?」

 

 思考が落ちる。本来ならば振り払う、斬り払う、あるいは別の解決手段をすぐに行っただろう。だがその腕を見た瞬間に、風魔小太郎はほんの僅か完全に思考停止した。

 

 見覚えのある腕。その腕は前腕のみしか無く、二の腕より先がそこに存在しなかった。だが前腕しか無い代わりに、そこから伸びているのは鋼線(ワイヤー)。切り離した腕と本体を繋ぐ強靭な紐だ。そちらに目をやれば、鋼線を巻き取る事で切り離した腕に向かって突撃してくる腕の持ち主の姿が見えた。

 

 空中でもう片方の腕を構える女の姿。刃物を取り出す気配も無ければ、仕込み絡繰を起動する気配もない。それが分からないほど小太郎の眼は鈍っていない。あれはただ、小太郎を取り押さえるための動きだ。

 あの女が繰り出すのが完全な敵対の動きであれば、小太郎も即座に割り切れたかもしれない。だが今回の彼女の動きが相手では、逡巡の方が勝ってしまった。

 

「申し訳ございません。貴殿を名のある忍と見て先に抑えさせて頂きまする。貴殿の主に危害を加える事が目的ではありませぬので、どうかご安心を」

「段蔵、殿……!」

 

 つい口から零れる相手の名前。小太郎からその名を告げられ、黒髪のくのいちは少し驚いたような表情を見せた。その段に至り、小太郎は彼女に対する逡巡などを投げ捨てた。名を知られているという事実から生まれた隙を利用し、両腕を抑えられている状況を技巧を尽くして振り解く。元より風魔の技におけるあらゆる技量は彼女より小太郎の方が上だ。故にこそ彼が()()()()()なのだから。

 拘束を抜けられた事以上に、相手の忍が修めている体術を見てくのいちが目を見開く。

 

「風魔の技……!?」

「―――主殿!」

 

 彼はオルガマリーに従うサーヴァントであり、それは彼女に対する呼び名ではある。だが立香の名を隠すため、あえて相手の勘違いを利用しそのまま主殿と呼んでみせる。

 

 此処迄は段蔵が手綱を握っていたのだろう、減速しつつも立香に向かっていく馬。その馬に腰掛けた美しい着物に身を包んだ長髪の少女、恐らく土気の姫君か。その少女は目を爛々と輝かせながら、馬の腹をける勢いで思い切り―――跳んだ。

 

「愛、して、まーす!」

 

 空中で暴れる淡緑の長髪。見覚えのある色の突撃を前にして、逆に反応に迷った結果として動きを止める立香。目の前に迫る少女の姿は、正しく藤丸立香の既知の存在のものであった。

 

「―――え? 清姫?」

 

 激突。頭から突っ込んできた少女を受け止め、背中から倒れる。礼装に衣装替えしてなかったらだいぶキツかっただろう。そんな立香の考えをよそに、彼女に縋りついて頬ずりする清姫っぽい姫君。

 

「姫ー! 姫ー!」

「ご乱心じゃー! ご乱心じゃー!」

 

 ぞろぞろ集まってくる城の者たち。隠密とは何だったのか。

 驚愕から立ち直ったくのいちは既に、小太郎たちを逃がさぬとばかりにこちらの所作を注視する構え。この状況から立香を奪い返し、彼女から逃げ果せるのは流石に難しいだろう。

 

 激流のように押し寄せた状況の変化を前に、小太郎は唖然としながら動きを止めるしかなかった。

 

 

 




 
新礼装の外見はFGOワルツのあれ
あれなんて名前の礼装なんでしょうね
 


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ヘビーローテーション・お澄まし刃の怪2017

 

 

 

「清姫がいた? ミス藤丸の視界に映った姫君が清姫の姿に見えた、というわけではなく?」

 

 カルデア資料室で本を片手に佇んでいたシャーロック・ホームズは、マシュ・キリエライトから告げられた言葉に軽く眉を上げ、パタリと手にしていた本を閉じた。

 問われたマシュは当時の土気城を調べるための資料を探しつつ、ホームズの問いに答える。

 

「はい。ええと、小太郎さんも少なくとも外見上は間違いないと」

「ふむ……」

 

 閉じた本を棚に戻しつつ、探偵は思考を回すように顎に手を添える。マシュは資料を探しているようだが、幾らカルデアとはいえ土気城のような日本の一国一城の情報は無いのではないだろうか。まあ仮にあったところで清姫と繋がる情報があるとは思えないが。

 

 考え込んだホームズを前にしてマシュが動きを止める。何らかの推理を披露するものだと思われてしまったのかもしれない。だが残念ながら、この問題は今のホームズには答えの出せない議題である。単純に現時点では情報が足りないし、ましてこの答えを出すための情報は()()()()()()()()()という感覚がある。逆説的に通常ではない手段なら得られる情報、というわけで既にそれを得るための行動に見当はついたが。

 

 どうせ相手もそのつもりだろう、と。冷めた目で資料室の扉をチラリと見る。

 

「ミス・マシュ。残念ながら私は今その謎を解き明かす術を持たない。いや、解き明かすどころか謎が秘められた扉に触れる取っ掛かりさえ得られない状態、と言っていい」

「ホームズさんでさえも、ですか?」

 

 戦慄する少女。かの名探偵が解き明かす事も、推測する事さえもできない。これはそんな事案なのだと彼女は慄き、しかしホームズ自身はそれがさして気にかけるべき事ではないとでも言うかのように、小さく肩を竦めて呆れた風な声を出した。

 

「なのでその情報を持ち、かつこちらから接触するのが最も容易な相手に会いにいく。それが今出来る最善の行動なのだよ」

「情報を持つ相手、ですか……?」

 

 頭の上にクエスチョンマークを浮かべているマシュ。ホームズはマシュが持ち出していた、調べたところでろくな情報が出てこないだろう下総国の史料を共に片付け始める。その作業を終えてから、彼らは颯爽と資料室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 部屋を出て少しすればそれはもうあっさりとエンカウント。少なくともマシュ・キリエライトに対しては相手も情報を渡すつもりだったのだろう。ホームズ一人で探そうとしていたら、それはもう盛大に時間を無駄にするかくれんぼになったに違いない。

 当然、ホームズとそんな事になる奴などただひとり。

 

「おや? これはこれは、マシュくんとホームズとは珍し……くもない組合せだ。今どうにも混沌としている下総の情報でも集めていたのかネ?

 寂しいじゃないか、誘ってくれれば私も協力したものを」

「あ、すみません。そこまで気が回らず……!」

 

 惚けて好々爺を演じる男。犯罪界のナポレオン、ジェームズ・モリアーティ。

 

 マシュは立香の危機にいてもたってもいられず情報を探しに来たのだろう、資料室にホームズがいなければ、誰かに相談する前にひたすら本と格闘していたに違いない。それに関して追求された事で頭を下げ始めた彼女に対し、モリアーティは微妙に居心地の悪そうな顔を浮かべている。

 

 ホームズとサシなら嫌味の言い合いが止まらないだろうが、マシュを同席させてまでやる気はないという事だ。これを元々の性格から甘くなったと取るか、ただの悪党がメリハリをつけて面倒になったと取るか、というと正直なところホームズとしては悩みどころだ。けしてまともでは無い男が、真っ当な人が持つ感情、という視点を強固にしたのだから。まあ、計算の上で予想できない感情という変数(カオス)を好かない男だ。よっぽどでない限り、それを武器にしようとはしないだろうが。

 

「いやいや、構わないとも。それで? わざわざ私を訪ねて来たんだ、何か用事かネ?」

「いちいち説明が必要ですか? ミスター」

 

 普段からホームズは肝心な事は黙ってる性悪だ、探偵の癖に口より先にバリツが出る破綻者だ、まともな社会生活を送れない薬物中毒者だ―――などと言ってくる癖に、こちらから訊ねなければ分かり切った問いに答えないなど、まさかホームズよりは分別がついていると自称している人間の行動ではないだろう。

 

 何よりそもそも情報を求めているのはホームズではなくマシュである。まさか彼女をより不安にさせるなどという事はしないはずだ。そのためにわざわざ廊下をうろうろして待っていたのだろうから。

 

 腹立つなコイツ、という視線がホームズに飛んでくる。お互い様だろう、と当然のように満面の笑みで返してやれば、モリアーティは細めた目で視線を逸らして顎に手を添えた。

 

「……ま、いいとしようか。言っておくが私の持ってる情報を合わせてもピースは足らんよ、名探偵。推論だけならばキミに頼るまでもなく、私の思考だけで十分に立つがネ」

「ほう……それで貴方が持つ情報とは?」

 

 ホームズに対して溜め息ひとつ、モリアーティはさっさと顔を逸らしてマシュを見る。

 

「マシュくん、君は突如現れたあの清姫……清姫姫? についてどう考える?」

「え? どう、と言われても……並行世界だからこその現象か、それとも」

 

 あの世界は並行世界だ。何よりそういう現象に造詣の深い魔法使いの礼装がそう言っている。男と伝わっている宮本武蔵が女であったり、本来はもっと早く討伐された妖狐が街を闊歩していたり、そんな程度の変化があっても何もおかしくない世界。

 

 しかし、いくら何でもおかしいとその事態を見た誰もが感じた。あの時代の、あの城に、唐突に清姫という人物が出てくる事を。特異点だから、並行世界だから、そんな理由があってさえも理屈が通らない、納得が出来ない現象。

 

「―――誰かが明確な意図を持って。先輩とカルデアに関係が深い清姫さんを準備した……?」

 

 いつの間にかパイプを手に、煙をくゆらせているホームズ。

 彼がマシュの後ろから声を飛ばし、モリアーティに問いかける。

 

「ちなみにこちらにいる清姫は?」

「あちらの清姫がマスターにプロポーズしたと聞いて暴走したので軟禁中だ。いやはや、魔眼というのは便利だネ。どっちも蛇だが、清姫には無くて一安心だ」

 

 その口振りから言って抑えたのはヴァイオレットだろうか。彼女が動きを止め、その内に総勢でたぶんシャルル・パトリキウスのどこかに閉じ込めたのだろう。

 ホームズは淡々と、分かり切った事を確認するように質問を続ける。

 

「あちらの清姫がサーヴァント、あるいはそれに準ずる存在の可能性は?」

「間違いなく人間だ。当然霊基など観測できないが身長体重etc(エトセトラ)、口にするのも憚られる乙女の秘密はサーヴァント清姫とほぼ一致した。多少の誤差はあるが、あちらがちゃんと肉体を持った人間だという裏付けとも言えるだろう」

「……それ以外にカルデアが得ている彼女の情報は?」

「ないネ」

 

 幾分か声を重くしたホームズの問いに、あっさりと投げ出すような声で答えるモリアーティ。分かり切っていただろう返答、それに対して敢えてかホームズは胡乱な視線を向けた。

 

「なるほど? 教授ともあろう者がその程度の情報で()()()()()()()()、などと口に出来てしまうものなのだね」

「ああ、もちろん。何故って? だってここまでする以上、()()()()()()()()()()()()()()()()()、だと考えられるからだヨ」

「人間でなければ意味が、ない?」

 

 それは一体どういう事なのだろうか。単純に清姫の姿を利用し、立香たちを罠に嵌めようとしているという話までなら想像がつく。だがそれ以上となると、マシュには推測もできない。

 

「確かにミス藤丸たちは自分たちの知る清姫像から逸脱しない同一人物らしい人間に出会った事で、どう対応するべきか苦慮せねばならなくなった結果、些か警戒を緩めてしまっているようだ。これが敵の仕掛けた罠であれば、間違いなく効果は出ていると言えるだろう」

 

 ふかす白煙。その煙ごしに変なものを見る目でホームズを見るモリアーティ。いや、どちらも分かっているのだ。この場で行っている会話は、冷静さを欠いているマシュに言い聞かせるためもの。だがそれはそれとして、モリアーティは「ウワァ、あの探偵の反応なんか気持ち悪い」と思う事を止められない。

 この事件が解決したらバリツしようと心に決め、会話を続ける。

 

「はて、マスターたちの警戒を緩める必要があるのかネ? 黒幕だろう妖術師とやらの潜伏をこちらはまったく突き止められていないというのに、これでは自分からバラしたようなものだ。

 安珍・清姫伝説に語られる清姫とまったく同じ人間が時代も場所もまったく異なる下総国……まあこちらからすれば上総国というのが正確なのだろうが。とにかくそんな場所に彼女が存在する事、それ自体が余りにも不自然だ。討伐されなかった故に諸国を漫遊していたという玉藻の前とは話が違う。

 サーヴァントでも何でも無く、その時代に存在するのが不自然な人物。正直、証拠としてはこれだけで十分な程の異常だヨ。土気城こそは妖術師どもの本拠、あらゆる企てはそこで行われており―――当然、凄腕剣士だという柳生何某とやらもそちら側の存在だという証明のネ」

 

 想像がついていても結論を出すには証拠が足りなかった。その証拠をわざわざ相手から提供してくれた、という話なのだこれは。清姫がいるのはおかしい、どう足掻いても異物でしかない人間の混入だ。そこにいてもおかしくない、という筋道が立てられない存在。ならばそこに何らかの意図、計画の為の何かが秘されていると考えるのが道理だ。

 

「―――え、待ってください。だとしたら先輩たちは今……!」

「敵の腹の中、だがまあ大丈夫だろう。小太郎くんの仕込みもある事だしネ」

「そればかりには教授に同意だ。流石は本場のニンジャ、武術だけではなく暗器の仕込みも巧みだ。とりあえず彼の仕込みが生きている内はこちらから連絡はしない方がいい。こちらが相手の罠に気付いた、と知らせるだけのものになってしまうからね」

 

 知恵者二人に無事を保障され、分からないながらもほうと一息吐くマシュ。少なくともホームズらの読みと、探偵と犯罪王に感心されている小太郎の手腕。それらが守ってくれているなら、立香の無事は間違いないと思っていいだろう。

 マシュが落ち着いたのを見届けてから、ホームズが話を続けた。

 

「さて、ではそろそろ本題に入ろう。()()()()()()()()()()()()

「傍から見れば相手の失着に見えるところだ。そもそも探偵であるキミの視点からは必要性を認識できない。だが、間違いなく意味があってそうしているだろう一手だ。条件を満たせるのが彼女だけだったとは限らず、単にあるいは最も彼女にする事が容易かった、くらいの選定理由かもしれないがネ」

 

 土気の清姫が突然に立香を見つけて城に連れ込んだ。これは黒幕たちからして計画通りであったのか、といえば二人は揃って否定するだろう。それはさておき、ホームズの冷たい視線に晒されるモリアーティ。彼はそれを気にもせず、むしろ今にも鼻歌でも歌いそうなにこやかさだ。

 

「ええと、それはどういう……」

「清姫は我々に向けて仕掛けられた罠ではない。そうなれば私たちがまずするべき考察は、何故相手は清姫を再現した人間を造り出す必要があったのか、という点だ」

「造り出す……?」

「土気の姫君、という人間は実在しただろう。もちろん清姫ではなかっただろうが。その人物を妖術師、ないしキャスター・リンボという存在が手を加え、人体を改造したと考えるのが最も自然だ。私としてはキャスター・リンボが主導したと考えているが」

 

 ジェームズ・モリアーティは妖術師に関してはもっと単純な人間だと考える。相手に対する情報は少ないが、そもそもこの並行世界の状況こそが、殺戮、虐殺、世界の崩壊こそを求めているような、破滅的かつ衝動的な人物だという証拠になる。

 対してキャスター・リンボは妖術師への協力の姿勢こそ見せているが、刹那的かつ享楽的な人物。恐らく裏では自分の快楽を満たすために暗躍しているだろう。そして必要性が生じた故に仕方がなく、という状況になった為に準備したと仮定しても尚お粗末な清姫の配置。この状況が明らかに印象上のものとは言え、リンボの人物像と合致する。

 

 少し苦しげに目を細めていたマシュが、ホームズに問いかける。

 

「その、そこまでして清姫さんにこだわる理由というのはありえるのでしょうか」

「現時点では無い。だから、わざわざ彼に会いにきたのだよ」

 

 本当に渋々なのだ、という風に溜め息を吐くホームズ。

 水を向けられたモリアーティは数秒考える風な所作を取った後、人差し指を立てた。

 

「まず相手がこだわっているのは清姫ではなく、清姫のような属性を持った人間だろう。清姫である事と人間である事、優先されるのは恐らく人間である事、だ」

「サーヴァントでは駄目、と?」

「単純に清姫という人物がサーヴァントでもいいから必要だったならば、呼ぶ手段は以前にあっただろう? 英霊剣豪七騎の内一騎を埋める事になるがネ。英霊剣豪といいつつ、少なくともキャスター・リンボを見る限り武芸に秀でていなければならないという条件はないし。妖術師の目的だろう虐殺の速度であれば清姫は申し分ない。周辺一帯を焼け野原にする、というだけなら巴御前にも劣らない火力がある。当然、英霊剣豪として召喚されたリンボには、英霊剣豪のメンバーを変えるような自由はない。恐らくは同時に召喚されている筈だからネ。この辺りも私が清姫は妖術師ではなくリンボが主導の計画の駒、と考える要素だが……」

 

 何より、と。そこでモリアーティが言葉を区切って目を細めた。

 

「この無駄としか思えない微細な条件の積み上げ方、マシュくんも覚えがないかネ」

「―――ライド、ウォッチ?」

 

 仮面ライダーの歴史を表出させるための下準備。あるいはアナザーライダーという歴史との契約者の存在。照応し、呼応する条件が近ければ近いほど力を増す歴史の暴力。言われてみれば確かにそうだ。アナザーキバがいる以上、キバウォッチを出現させる方法を相手が求めていてもおかしくは―――

 

「だがアナザーキバは既に存在し、恐らく妖術師―――いや、リンボの指示に従っている。彼らはウォッチを求める理由が薄い。むしろ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という方が納得できる」

「つまり、アナザーキバの真の契約者を作ろうとしているという事ですか?」

 

 マシュに問われるも答えはせず、パイプを銜えたまま深く息を吸うホームズ。

 彼は煙をゆっくりと吐き出してから話を続けた。

 

「私たちが確認したアナザーキバの能力。本体は恐らく吸血鬼、蝙蝠であり、従えているのが人狼、フランケンシュタインの怪物、半魚人だ。残念ながら清姫を用意する意味となる竜や蛇と関係は薄い。まあ吸血鬼(ドラキュラ)は竜と関係が深いと言ってもいいが、アナザーキバ……仮面ライダーキバは竜よりも蝙蝠の要素が強いように見える。わざわざ清姫を起用する理由にするには弱い。だから、一応訊いておくべきだと判断したわけだが……」

 

 最後は絶妙に嫌そうに。ホームズは眇めた視線をモリアーティに送った。

 そうされた老爺は軽く肩を竦めて、回答する。

 

「いるとも。恐らくアナザーキバに内包されている中に、蛇の仮面ライダーが」

 

 バアルの収集した情報はモリアーティも共有している。その中に少なくとも、仮面ライダーキバと時代を共有した蛇のライダー(サガ)は存在した。条件を満たせばウォッチ化もできるだろう。

 現時点では仮面ライダーの歴史の中心と呼ぶべき、主たる存在以外のアナザーライダーは、同一の契約者が分身したと思われるアナザー龍騎の影、アナザーリュウガ以外に確認できていないが、それはこれ以降もずっとそうなるという証拠にはならない。この並行世界での戦闘において、アナザーキバと同等のアナザーライダーが出てこない保証はないのだ。

 

 更なるアナザーライダー。清姫がそれになろうものならば、一緒にいる立香の危険度が跳ね上がる。拳を胸の前で握り、モリアーティへと詰め寄らんとするマシュ。

 

「じゃああの清姫さんはそのために?」

「まァ、まずないネ。清姫をアナザーライダーにする、というケース以前に更なるアナザーライダーを作ろうとしている、という部分の時点で可能性がまず無い」

「???」

 

 では一体モリアーティしか持っていない情報とは、ホームズが求めていた情報とは何なのか。そろそろ何も分からなくなってきたマシュが、額に手を当て目を回し始めた。

 その様子に苦笑いしつつ、モリアーティが補足する。

 

「だから最初に言ったろう? 私の持つ情報を合わせてもピースは足らない、と。そして現時点でこちらにある情報から予測できることは明確にした筈だ」

 

 そう言われて会話がどう流れてきたかを思い出す。

 本来ならばありえない異常。オリジナルの清姫とまったく同じ作られた清姫。

 まるで何かと照応させるように、属性と性質に目を向けた人間の鋳造。

 

 一呼吸置いてから、ホームズが一言告げる。

 

「あの清姫は()()()なのだよ、ミス・マシュ」

「ダユー、とは前の特異点で竜種の核にされた……」

 

 シェヘラザードの手により目的を持って準備された沈没都市の女王。彼女の末路はヒュドラにして八岐大蛇、神性にして魔獣たる毒を孕んだ洪水の化身。

 ホームズはあの並行世界にいる清姫をそのダユーと同質の存在だと定義した。

 

「求められているのは()()ではない。竜、あるいは蛇に変生するという肉体的素養を持った人間の体そのもの。ここまではいい、推測が可能だ。

 ……ただ残念ながら我々の手には、その先を確定させるための情報。奴らがその肉体をどう使うか考察するための材料が存在しないのだ」

 

 今までで一番深くパイプを吹かし、煙を散らす。

 ホームズは僅かに苦々しげに、まるで拗ねるように呟いた。

 

 

 

 

 

 

 連れ込まれた城の一室を見て藤丸立香は息を呑む。急ごしらえではあるが、けして雑ではない備え付け。立派とまでは言えないが、それがむしろ清廉さを際立たせているのか。磨かれた木で組み上げられた綺麗な一室、だがそれは江戸時代の城にけしてあるべきものではなかった。

 

「教、会……?」

「神に祈りたくば時間はくれてやろうか。花嫁が戻ってくるまでの間だけだがな」

 

 奥から聞こえた声に反応し、小太郎が立香の前に出た。

 

 ―――いつの間にか先導していた筈の清姫が段蔵と共に消えている。この城が妖術師、そしてリンボの本拠だというなら、城内を好きに転移する程度の事は容易いだろう。

 

 そしてこの声は知っている。だが同じ声帯から、かくも違うと感じさせる声を出せるものなのか。奥から歩み出てきたのは、白髪を頭の後ろで結んだ肌の灼けた陣羽織の青年。そんな相手と目を合わせて、その眼窩に積もり淀み切ってなお消えぬ憎悪の業火を見る。

 

「天草四郎―――」

 

 小太郎が青年の名を呼ぶ。

 青年は己の真名が割れている事に動じもせず、僅かに口端を上げるだけ。

 その姿はウルクで出会った天草とは、とてもではないが繋がらない。

 

「あなたが……妖術師?」

 

 早々に核心を突く―――こちらの天草四郎こそ殺意の塊だ。けれど、その有様がどうしようもなく干渉できないとまでは思わない。怒りと憎しみを爆発させ、際限なく全てを燃やすだろうこの天草四郎。彼は確かに恐ろしい存在だ。野放しにはしておけない。だが全ての人を憎むが故に自分たちも憎しみの対象であろう彼とは、会話が通じないわけではないと思えたのだ。

 そういう意味では嚇怒と憎悪、全てを呑み干して人の崖てへと昇り詰めんとしている()()()の天草の精神性の方がよほど恐ろしい。彼は彼の中で結論を出しているが故に、最早他者との問答を必要としていない。目的を前にした状況で敵として出会った場合で考えると、話が通じる可能性があるこちらの天草の方がある意味でマシとさえ言えるかもしれない。

 

「その通りだとも、カルデアのマスター。城の掌握はリンボに任せていたとはいえ、まさかこんな事故のような方法で此処に踏み込まれるとは、我も想定外だった」

 

 失笑する天草。

 彼から本拠地に踏み込まれた事への焦りのようなものは一切感じない。

 

「……意外ですね。つまりこちらが清姫殿の存在で混乱している内に、わざわざ柳生宗矩を出陣させたのは貴方という事ですか? 彼と共に我らを囲むのが上策だったでしょうに」

「……生憎だがアレに関しては、我の命令であっても大人しく従うような男ではない。奴自身が外へと足を運ぶに足る、と判断した目的があるから出て行ったのだ。我にそれを阻む手段は―――」

 

 そこまで口にして天草が不自然に口を噤んだ。流れからいけば、妖術師・天草でも柳生但馬守を止める事はできないという話か。その弱点とも言える部分を口にする事を厭った、と考えるのが妥当だろうか。だが彼の様子は恥辱や怒りではなく、何かもっと複雑な思考であるように見えた、が。その妙な間も一瞬。彼はすぐに不敵に笑み、話を再開する。

 

「ともあれ、奴は既に我の期待に存分に応えたが故に自由を許しているだけの事。ましてわざわざ奴を此処に留めておく必要も無い以上、引き止める理由などありはせぬ」

 

 天草が目を細める。その手が腰に佩いた剣の柄に触れる。剣豪と称される英傑たちと比べれば鈍い、しかし人を斬る事に十分慣れた抜刀の所作。

 

 その余波で生じた憎悪の黒炎が周囲に迸り、教会として整えられていた空間が一息に焼け落ちた。燃え盛る祭壇、そこに飾られていた真鍮製の救世主像が転げ落ちる。

 甲高い音を立てて地面を転がったそれを躊躇なく踏み潰しながら、天草四郎は悠然と歩み出した。

 

「我が本拠にただ二人で踏み入り、柳生いなくば切り抜けられると? 笑止! その増長、貴様らの魂と共に我がサタンへの供物として捧げてくれよう!」

 

 瞬間、彼を中心に破裂する黒い炎の飛礫。小太郎が即座に目の前に木の長椅子を蹴り上げ、それに対する盾にした。直撃、炎上、当然のように攻撃を阻むには足りない粗末な椅子。だが己らの前方に炎と煙が上がった瞬間、彼はそれに合わせて即座に黒煙の吹き出す煙玉を周囲に投げていた。

 

 小太郎は煙幕を張ると即座に立香を片腕で抱え、彼女に対し呟く。

 

「退きます」

「でも清姫や城の人が……!」

 

 天草は笑みを浮かべたまま動かない。そして彼が放った黒い炎の延焼は止まらない。このまま行けば炎は城を内側から舐め尽くし、そう遠くない内に燃やし尽くすだろう。

 

(天草四郎は此処を本拠と口にした。ならば潜伏がバレたとはいえ、火を放ち燃やし尽くす理由はない。わざわざ此処で姿を晒した以上、カルデアの襲撃はこの城で迎え撃つ気―――だと考える、べきだが)

 

 清姫の存在についての判断がつかない。城の人間はただ操られているだけだろう。だが彼女についてだけは、明らかに別格の存在感がある。天草の口振りを信じるのであれば、彼女が立香を此処に連れ込んだのも想定外、という事になるが。だがそれを取り上げて彼女は天草に操られていない、と判断するわけにもいかない。

 

(―――いや)

 

 操られているのだとしても、だったら助けなければ。そう考えるのがカルデアの流儀だろう。それを無視した計画を立てても、きっと立香は納得しない。無論彼女の命が脅かされるならば、その非を負ってでも逃がすのが風魔小太郎の任務であるが。

 

 小太郎の思考を遮るように、ぎぎぎ、と歪んだ扉が開かれる音が響く。その結果として風向きが変わり、煙幕が風に乗って流れ始める。直後に聞こえてくるのは、清姫が上げる悲鳴混じりの声だった。

 

「ああ、何故こんな事に!? 立香様! 立香様! ご無事でしたらどうかご返事を! 段蔵、すぐに中を調べて―――!」

「承知!」

 

(段蔵殿……! これで二対一な上に、天草と違って立香殿を抱えたままでは欺き切れない……!)

 

 段蔵が各種感知装置(センサー)を起動させればすぐに居場所はバレる。小太郎のみなら彼女の欺き方を知っているが、立香を抱えたまま実行できるほど果心居士の傑作絡繰は甘くない。

 こうなればもう考えている暇もない。段蔵が警戒状態(サーチモード)に入ったその瞬間、扉へと突っ込み段蔵を吹き飛ばし、清姫を捕まえて一度城外まで撤退する。

 

 余りにも楽観的な突撃思考だ。だが小太郎が段蔵を知り、段蔵が小太郎を知らぬ。この状況に限っていえば、不可能な事ではない。ただひとつ問題があるとすれば―――

 

「姫、ご安心めされよ! 姫の想い人は傷の一つもついてはおられぬ!」

「まあ、神父様! ご無事でしたのね!」

 

 天草の声、次いで清姫の安堵の声。

 煙ごしで何も見えない中、言葉だけで交わされるやり取り。

 そしてその次に天草の発した、この場の誰に向けたわけでもない言葉は―――

 

「その通り。今はまだ無事だ―――だが、次の一手次第で如何様にもなる。であろう、怪異の王よ」

「―――は、イ」

 

 強制的に、加藤段蔵の中で何かを切り替えた。

 女の声が切り替わる。まるで軋んだ歯車の擦過音、今から壊れる機械の断末魔。

 

〈キバァ…!〉

 

 闇の中で異音だけが届く。だが見えずとも何が起こっているかは分かる。絡繰人形が埋め込まれた異物に反応し、これまで幾度か見てきた怪物に変生しているのだ。予想はついていた。わざわざ源頼光を使って擬装していたが、あの自我の薄い怪物の動きから時折感じられる体捌きは、怪異殺しなどではなく忍のものであったのだから。

 そして最悪の場面だ。天草四郎の口にした()()()()()()なのは当然立香の事などではない。護衛のはずの段蔵が消え、代わりにアナザーキバが真横に突然現れた清姫の事。

 

(やはり―――!)

 

 小太郎の肩にあった立香の手が、強く握られた。このまま清姫を見殺しになどできない。例え清姫の存在に不自然さが残っていようと、彼女はそれを見過ごせるような人間ではない。ならば小太郎の執るべき行動は自然、ただひとつに絞られる。

 

 扉までの方向は分かり切っている。直進してそこに辿り着くまで1秒さえ必要ない。だがそこにはアナザーキバが待ち構えており、天草四郎もこの部屋に待機している。そんな状況から清姫を救出して、立香と共に逃がさねばならない。相当な難事、と言えるだろう。

 

(アナザーキバのしもべの三体の気配はない。段蔵殿……あのしもべのいないアナザーキバの動きはけして優れたものじゃない。僕一人でも抑えきれるだろう。あの天草四郎がどう動くつもりか分からないが、妖術師と名乗る所以が彼の両腕を使った魔術であり、僕の知る天草四郎から逸脱しない戦闘力ならば、アナザーキバと同時でも僕一人で十分に足止めは出来る―――)

 

 溜めた足がミシリと音を立てる程に木張りの床を歪めた。こちらの位置を知らせるようなあまりにも迂闊な動作。だが構いやしない。むしろ反応してくれるならばそれこそ重畳。この音が響いた刹那の後、もはや小太郎は行動を起こしている。扉に向け疾走し、アナザーキバを制圧するという目的のために。

 

(いざ―――!)

 

 忍びの脚力に床が弾ける。黒煙を突き破り、正しくあっという間に辿り着く目的地。目に入るのは扉の前で棒立ちしているアナザーキバと、何故か白無垢姿の清姫。この清姫、本気でこの場で祝言を挙げる気だったのだろうか。思った以上に本気の衣装に一瞬心を奪われかけて、しかしすぐに取り戻す。その姿に何か違和感が掠めたが、流石にこれ以上清姫に意識を割く余裕はない。

 

「ゥ―――ッ!」

 

 反射的にか、アナザーキバが駆動する。技も何もないただの暴力、なれどその威力ばかりは侮れない。清姫は突如現れた怪物に唖然とした様子で、何の反応もできていない。

 直後、もう一度小太郎の足が床を弾いた。木片を散らしながら無理矢理に軌道を変え、アナザーキバを擦り抜け、清姫へと向かう体捌き。立香が堪えるように唇を結ぶ。相当な加重ではあるものの、礼装を身に着けた立香ならば問題ない。問題はこのまま清姫を回収しても、ただの人間であろう彼女を同じようには連れ回せないという事だ。

 

「っ、大丈夫……!」

「―――御意!」

 

 三度、小太郎の足が床を踏み砕く。急激なブレーキと同時に立香を手放し、彼女を清姫の元へと強引に送り出しながら、彼は振り向きざまに鎖分銅をアナザーキバに投げつけた。勢いよく絡まる鎖、鬱陶しげに体を揺する怪物。大した時間稼ぎにもならないが、それでも注意を引く程度の意味はあるだろう。

 

 その隙に即座に出たばかりの室内を確認。天草の気配が一歩も動いていない事を把握する。

 

(あの天草が追ってこない―――っ、ならば!)

 

 右腕を大きく振るい、その動作で掌の内に無数の苦無を準備する。立香を向かわせた方向への天井付近へ向けて、狙いを定める間もなく一斉投射。

 

「―――んん? 拙者を感じ取った……わけではござらぬなァ。敵対しながらも未だ我ら、顔さえ合わせぬ者ばかり。単純に明かされた英霊剣豪の内訳を考えれば、妖術師殿の側に気配を消し控えた者がいると考えるのも当然の話であるか」

「アサシンの英霊剣豪―――!」

 

 天井から床へと落ちてくる軽やかな女の声。彼女が喋っている内にも、小太郎の放った苦無は天井に辿り着く前に何かに突き刺さり、黒い血肉を宙に舞わせた。その後にバタバタと床に落下してくるのは息絶えた蛇の骸。

 黒い血肉の雨に顔を顰めつつ、立香は何とか清姫へと辿り着く。勿論足は止めない、清姫を抱きかかえて出口がある筈の方向に全力でダッシュし続ける。その上で、天井の声の正体を確かめるために僅かばかり視線を斜め上に。

 

「くは、然り然り」

 

 嗤笑する声の主の姿を追えば、確かにそこに一人の女。裸体に黒い布を乱雑に巻き付けただけの、余りにも異様な姿。天井に張り付き枝垂れた彼女の長髪が揺れて、まるで蠢く大蛇のように見えた。

 巻かれた布は女の顔にも及び、その右目を隠している。左目のみの視線が地を這って、必死に逃げようとする只人の背中に照準を合わせる。

 

「我が忌み名、アサシン・パライソ。我が宿業、“一切詛呪(いっさいそじゅ)”―――」

 

 パライソと名乗った女の眼が赤く灯る。その眼窩から溢れ出してくる血の涙。それは彼女の髪を伝って床に落ち、黒い染みとなって広がり―――染みの中から這い出すように、無数の大蛇がその場に現れた。

 

「忍び……! しかも天草四郎やキャスター・リンボどころではないこの呪力……!」

 

 忍者刀を引き抜き備える小太郎の眼前で、アナザーキバが鎖を粉砕した。思考能力を封じられた怪人が小太郎へと向き直る。更に天井に潜んでいた忍びはいつでも小太郎に飛び掛かれる姿勢。それだけならばまだ凌げる。防戦一方でも立香たちを逃がす時間が稼げればいい。

 だが女の呼び出した蛇の軍勢は全て立香たちの背中に頭を向けている。あの数を漏らさず処理するのは容易ではない。

 

(宝具で視界を奪う―――いや、パライソの纏っている呪力が相手ではこちらの呪詛が弾かれる。蛇は恐らく彼女の意思通りに動く、彼女に効かないなら意味がない。それ以前に宝具発動の隙に僕がパライソに抜かれたら終わり。ならここは、僕の地力で確実に抑えるべき……!)

 

「―――――」

 

 小さくバックステップし、蛇の群れへの手前へと火薬玉を投げ込む。巻き起こる炎と爆風、その程度何するものぞと進軍を開始する蛇の行列。自分の近場を通る蛇は殺すが、この数相手では大した牽制にもならない。小太郎を抜いて、立香たちへと迫っていく女の手勢。

 

「ははは、どうしたどうした風魔の小僧、蛇が貴様の主に迫っているぞ。早くこちらに背を向け、必死に蛇を殺して回らねば取り返しがつかなくなる。それとも貴様、蛇の恐ろしさを知らぬのか? 蛇に追い回される地獄を知らぬのか? なれば仕方なし、貴様の無知が主を地獄に落とす様を見て後悔するがいい」

「……生憎、確かに僕は貴方ほどその呪詛に詳しくない。ですがそれほどの(もの)を扱う貴方という忍びの事は推察できる。魂を覆うほどに蛇と深く繋がった呪の濃密さ。それは恐らく彼の伊吹山の大明神により呪を受けたが故のモノだろう。如何か、()()()()

 

 侮蔑混じりの煽りに対し、相手の真名を解き明かすための言葉を返す。

 一瞬の静寂。直後に、女の口端がにたりと吊り上がった。

 

「ク、カ、ハハハ――――!」

 

 蛇が加速する。小太郎の背後で立香に致命的な瞬間が迫っている。だが彼はそれに反応せず、目前に立ちはだかる悪鬼二人に意識を集中させ続けた。

 ―――それは無論。これだけならば意識を向ける必要がない、という確信の許に。

 

「お願い、行って!」

 

 立香の懐からごろりと転がり落ちる緑色、頭と手足の生えた小さなスイカ。

 それがくるりと更に一段と丸まって、

 

〈スイカボーリング!〉

 

 膨れ上がるフルーツ、ぐんぐんと大きくなりながら転がり出すコダマスイカ。それは瞬く間に通路を埋め尽くすほどに巨大化。壁も天井も床も砕きながら行進し、しかし引っかかって動きを止めた。通路をそうして塞いでしまえば、蛇の軍勢も動きを止めざるをえない。小さな蛇なら隙間を擦り抜ける事も叶おうが、人を丸呑みしてもおかしくないサイズの大蛇となればその自由もない。

 

 苛立ちのままに大蛇どもがスイカにかぶりつき、シャクシャクと瑞々しい音を立てて―――呑み込んだエネルギーが体内で弾けた事でその肉体を爆発四散させる。

 弾け飛ぶ血肉が黒い雨となって降り注ぎ、スイカを黒く濡らしていく。

 

「なんと面妖な……」

 

 自分の呼び出した呪いの蛇がスイカを食べて爆発四散。

 流石にその光景は想定外だったか、唖然とした様子を見せるパライソ。

 

「―――しかしさて、これでどうして主を守ったと言えようか」

 

 床を這う黒煙を千切り、火勢の強まる室内から歩み出てくる妖術師。彼はおかしげにそう言って、血色に染まった眼を小太郎へと向けてくる。

 身構える小太郎に対し、彼は今にも笑い出しそうに口許を歪めた。

 

「城から逃がせば無事に済むと思うたか? 風魔の頭領とは思えぬ浅慮だ」

「…………」

 

 無言で忍者刀を構える小太郎。

 三対一。如何に天草四郎が戦闘に秀でていなくとも、ここまでくれば敗色濃厚だ。

 

「この城内で追い詰められていた貴様たちは気付いてなかろうが、既に我は他なる英霊剣豪どもに命を下している。外では既に血塗られた月が昇り、城下には死霊や魔獣の類が蔓延り、英霊剣豪どもによる一切鏖殺が行われているであろう。

 城下へと転び出て、此の土気城が首謀者たる我の根城だと声を張り上げたとて、貴様らの仲間は誰一人此処に駆け付ける余裕などあるまいよ。もっとも此処にいるよりは、怪異の坩堝とはいえ城下を走る方が長生きの芽はあるが故、間違った判断だと笑うような事はすまい」

「―――――」

 

 他の英霊剣豪は全て外。確かにこの城内にサーヴァントの気配はない。気配遮断を持つアサシン・パライソのみが潜んでいた、というのは自然な話だ。

 それ以外が今まさに外で暴れ始めたと言うならば、相手の計画は最終段階。天草四郎の態度からしても、彼が行う最後の一戦が今ここで始まっていた、という事になるのだろう。

 

 だからこうして宣言にきた、と考えれば想定通り。

 で、あるのならば。

 

「―――貴様を僕の知る天草四郎殿と同一視するわけではないが。僕の知る天草四郎という男は、とりわけ深い怒りのような感情を抱えていて……その腹を他人に読ませぬ御仁であった、が。己の事をけして語らないというわけではなく、箍が外れた時には何人にも譲らぬ信念が洪水の如く止まらぬ言葉として口を衝いて出る、ともすれば激情家と呼ぶべき人柄であったように思う」

「ほう?」

 

 別の世界の自分の事を語る小太郎に興味を引かれたのか、天草は小さく嗤ってその話を聞く姿勢を見せた。

 

「それで、それが何だと言う? 主を逃がす時間稼ぎにそうして我の気を引き続けてみせる気か?」

「天草四郎時貞。計画の成就寸前まで己を律していたのに目前となった今、わざわざ貴様が姿を晒して僕に状況を言って聞かせる事自体が不自然だと理解しているか」

 

 一転して詰問するような口調となり、小太郎は天草を見据えた。それに対して不快感を顕わにし、しかし嘲るように一度失笑すると、彼は逆に小太郎を挑発するような口振りを見せた。

 

「既に決した勝負に遊びを入れただけの事。()()()()の我を引き合いに出し、何をどう語り掛けてくるかと思えば、こちらの余裕を隙だと指摘するだけとは想像以上につまらぬぞ、風魔の小僧」

「随分と口数を重ねたな、と言っただけだ妖術師。信念や性根がどう歪もうが、気性は変わらないと見える。僕の知る天草殿もそうだった。普段は己を表に出さず、物腰の柔らかな御仁であったが、相手が真実自分の信念と反する許せぬものだった時、冷静さなどかなぐり捨てて()()()()()()。あの御仁が許せぬと語るモノは僕の理解を越えていたが―――お前の方は実に分かり易いな、天草四郎」

 

 明らかな挑発だ。二人の天草四郎を比較して、お前は大した事が無い方だと直接告げるような。罵倒にしても趣味の悪い言葉だろう。だが、この外道に言葉を選んでやる理由もない。

 この天草四郎はもう一人の天草四郎の事を知っている。その上でどうやら蔑んでいる。となれば、このような物言いは腹に据えかねるだろう。だからこそ、()()()()の性格ならば反応が読める。

 

「―――言いおるわ、主も守れぬ三流の忍び風情が」

 

 外から見ても心中穏やかでない、怒りの感情に煮え滾る男を見る。天草がゆっくりと手を掲げる。それを振り下ろし、やれと一声あげるだけでパライソとアナザーキバは小太郎に襲い来るだろう。そうなればそうなったで、此処で足止めの為に戦うだけだが。

 しかし天草四郎はそこで動きを止め、小太郎を嘲笑うかのように言葉を重ねた。

 

「此処でこやつらを止めれば主は逃げられると思ったか? 此処で奮起すれば己の使命を果たせると思ったか? それは余りにも都合が良い考えだとは思わなかったか、風魔の小僧。我は既に言ったはずだぞ、貴様ら二人、この城からけして逃さぬと―――」

「思わないとでも? 貴様は僕のその失態を嗤う為に此処で顔を出したのだろう? 天草殿と違い全ての人類を憎むお前は、可能な限り全ての人間に怒りをぶつけなければ気が済まない。だからお前は僕を無能と誹りながら、その証として立香殿の首を見せつけ笑うのだろうと、いとも容易く想像がついた。

 貴様は目的までの道筋が立った以上、それ以上の手は必要ないと考える。貴様が僕の前に出てきた時点で仕込みはそこまで、僕はそれ以上の凶手を想定する必要が無くなるんだ」

 

 数秒、停止する。天草四郎が目を見開いて、小太郎の事を見つめている。彼はそのまま小刻みに体を揺らし、咽喉の奥から溢れてくる笑い声を噛み潰そうとして、しかし止め切れず笑いながら、叫ぶように言葉を続けた。本当におかしくて仕方ない、と。

 そこまで読んでいたというのに、もっともやってはいけない事をした。カルデアのマスターと清姫を二人にした事だ。今更の事だ、風魔小太郎は清姫の自意識がどうあれ、あれが罠として機能するものだと確信しているだろう。だというのに、マスターと二人きりにしてしまった。

 

「フ、ハ! よもや、よもやそこまで察しておきながらこれか! ではあの女には何か打開の手段を持たせているか! だがしかし何を想定した、風魔小太郎! 精々が清姫に仕込まれた蛇か竜にまつわる何か、と言ったところであろう! なるほど、それくらいならばあの女ひとりで潜り抜けられるようにするのは、貴様であれば難しくないだろう!

 しかし生憎だったな、アレは下手な竜種などより余程始末が悪い! 貴様が考え得る想定の範囲から逸脱したものだ! 認めようとも、貴様は我の罠を読み切った。読み切ったその上で、我の戦力を甘く見た軽挙に殺されるのだ―――!」

「……ああ、そうだった。そちらの勘違いも正しておかなければ」

 

 嗤笑を深める天草に対し、小太郎は泰然とした微笑みで返す。

 そしてその瞬間、スイカの壁の向こうから爆音が轟いた。

 

 

 

 

 

 

 清姫を抱えたまま走る、走る。周囲には不自然なほどに人がいない。生きている人間どころか、死体すらただの一つも残っていない。自分が連れ込まれた城がまるで最初から空城だったかのような感覚。けれどそんな筈はない。自分たちが連れ込まれたのは正に土気城であったし、途中で何らかの術で移動させられたのあれば、小太郎が気付いているだろう。

 

 そこでふと、この特異点に来たばかりの時の光景が浮かんだ。アナザーキバに襲われ、死にかけた時の事。あの怪物は何か、半透明な牙のようなものを出していた。目の前で見た直感でしかないが、()()で皆喰われたのではないか、というような印象を抱いた。

 

(食事、魔力補給……? でもサーヴァントじゃない段蔵さんが契約者だったなら、それほど魔力が必要なわけじゃ……無い、はず)

 

 絡繰人形の動力がどれほどの効率か分からないが、単体で成立していなければ加藤段蔵の名が世に残ったりしないだろう。けれどあの牙を前にし抱いた感覚は()()()()()()()、で間違いないと思う。そして段蔵自身が必要としない補給なのであれば、その補給が必要な何かが他にあるという事だ。

 

「でも英霊剣豪の一切鏖殺と、アナザーキバの食事。どっちも目的があるにしろ、方法が噛み合ってない……」

 

 走りながら考えをつい言葉として出してしまう。殺し、血を流すのが目的だろう妖術師・天草四郎の英霊剣豪。牙を突き立て、全てを養分として吸収していると思しきアナザーキバ。だがアナザーキバである加藤段蔵は天草の指示に従っていた。

 こうして城の者を喰らっているのならば、立香の事も喰わせようとするのが道理、だと思う。そうではなく彼は一切の思考の余地なく、彼女たちを殺そうとした。どうにも、アナザーキバの捕食は天草四郎の与り知らぬところで行われているような気がしてならない。では、誰が?

 

「スウォルツ……?」

 

 実行犯がアナザーライダーである以上もっとも可能性の高い容疑者だが、多分違う。アナザーライダーがいる以上恐らく彼か、加古川飛流の接触が最初にあったのは確定的だ。だがそれなら契約者に加藤段蔵を選ばない筈だ。アナザーライダーの戦闘力は契約者によって変わる。相性が良ければ更に進化する事さえある。そんなアナザーライダーを全く相性の悪い段蔵に与える事はないだろう。

 より相性の良い契約者を生み出す為にアナザーキバに食事をさせている、という可能性は勿論あるが……だとすれば殺戮と捕食、目的のための行動が反する天草に預けたりはしないだろう。

 

 それとスウォルツ自身がこの特異点にまったく姿を見せないのも気になる。と言っても、人理焼却を終えてからの彼の行動はそう積極的なものではない。ソウゴに対抗するためにアナザーライダーを育てる、というよりアナザーライダーは回収できれば十分で、ソウゴに対抗する役目を加古川飛流に求めている節がある。後はギンガの性質上、夜が主戦場になるこの世界に来たくないだけの可能性もあるが。

 

 白ウォズ、はまあ流石にそんな事はしないだろう。彼がそこまでする事を許容する人格かどうかは置いておいて、そんな事をすれば明確にゲイツから敵視される。それは彼の望むところではないだろう。

 

 妖術師・天草に近く、段蔵を操る事が出来て、天草と目的を反する行動を取りかねない存在。

 となれば―――

 

「たぶん、キャスター・リンボ……!」

「正解!」

 

 息が止まる。ただいきなり声をかけられただけなら、その方向を見ればいい。だがその声の発生源は自分と至近距離からのものだった。もっと厳密に言えば、彼女が抱えた清姫の口から出たものだった。だがしかし、聞こえてきたのは何故か清姫の声ではない。もっと低い、明らかに男性の声。間違っても清姫のような少女の口から出てくる声では無かった。

 命の危機、それを前に脳内に響く危険信号(レッドアラート)。少女を手放す迷いを何とか振り切って、清姫の体を遠ざけるように放り出す。そのまま更に彼女から距離を取ろうとして―――

 

 その瞬間、1発の銃声を聞いた。

 

「っ!?」

 

 盛大な破砕音。それを立てたのは、彼女の懐から飛び出していたタカウォッチロイドだった。彼はその翼を砕かれて、地面に落ちて転がっていく。それが立香を庇ってのものだと考えるより先に理解して、すぐさま身構えつつ清姫の方を見る。相手が銃を持っているのであれば、背を向けて逃げ出すよりも銃口を注視していた方がまだマシだと考えたのだ。

 

 清姫らしきものは立香などより余程軽やかな足取りで着地し、途轍もなく動き辛そうに白無垢の裾に呆れるような視線を向けていた。

 

「人間って奴は不思議なもんだな。どうしてこう、わざわざ動きを狭めるような服を着るのかね」

「―――――」

 

 清姫の顔で、しかし浮かべたのは清姫ではありえない表情で、清姫ではない男の声で喋る。そんな異質な存在は白無垢という衣装にそこそこ不満を垂れた後、頭に被せた文字通りの角隠しに片手をかけた。結われた髪の事など気にせず、無理矢理引っこ抜くような動き。

 

 そこで立香が改めて気付かされる。

 

「髪の色が、白く……?」

「うん?」

 

 角隠しを外し、放り捨てる正体不明の存在。結われていた長髪も解け、重力に従い床に向かって垂れていく。そんな中で立香の言葉に反応した清姫の指が髪を一房掴むと、自分の目の前まで持っていき―――何か驚いたように軽く目を見開いた。

 

「思った以上に適合してるな。ハザードレベルも……オイオイ、万丈レベルじゃねえか。ホントに地球人かよ、こいつは」

 

 淡緑だった髪の色が抜け落ち、真っ白になるという明らかな変化。その事自体に謎の存在も驚愕しているようでしかし、どこか呆れと喜色も混じったような感情を読み切れない声。しかし声色から感じる不明瞭さ以上に、彼がわざわざ地球人などと口にしたのを聞いて立香を眉を顰めた。

 

「宇宙人……?」

「おっと、衝撃の事実で口が滑ったな。ま、隠すものでもなし教えてやるよ」

 

 清姫が失敗したとばかりにか細い指で可愛らしく自分の口を塞ぐ。だが表情は笑っていない。驚愕は既に消え、瞳に浮かぶのはこの状況に大した感慨も無さそうな冷血さだけ。

 ゆるりと清姫の腕がタカウォッチを撃った銃を構え―――懐から更に小瓶のような何かを取り出した。それが何かは分からないが、彼女はその小瓶の中身を撹拌するように幾度か振ってから、蓋を開けるように半回転させると、それがピタリと嵌る銃のスロットに装填した。

 

〈コブラ!〉

 

「仮面、ライダー……!?」

「……残念、それは不正解だ」

 

 その道具、その動作に見覚えがある。厳密には違っても、多くの戦士たちが似たような予備動作から何をするのか知っている。銃に何らかのエネルギーを蓄えたアイテムをセットし、解放する。それはきっと今から清姫の体を、常磐ソウゴたちと同じように変化させるのであろう。

 だが一瞬の間を置いてから清姫の顔が口端を上げて笑い、立香の言葉を否定した。

 

「―――()()

 

〈ミストマッチ!〉

 

 彼女の腕が銃口を下に向け、その引き金を引き絞った。瞬間、銃口から噴き出す黒い霧。それは意思を持っているかのように清姫の周囲へと纏わりつき、彼女の体を完全に隠してしまった。

 

〈コ・コ・コブラ…!〉

 

 黒い霧の中で赤い光が明滅する。漆黒の霧中で轟く光はまるで雷雲のようだ。その光に照らされ、漆黒の内に佇む何者かの姿が垣間見えた。そのままの姿であれば白無垢も、少女の髪も、シルエットからでも感じられただろう。だがそんな名残は一切残さず、霧の中で少女の体はスマートな怪人の姿に変貌していた。

 

〈ファイヤー!〉

 

 引き裂かれるように霧が晴れる。黒い蒸気と赤い光が弾け合うと火花を散らし、周囲を照らす。霧の中心にいた存在が火花に照らされ、その真紅の装甲を煌びやかに輝かせた。

 姿を現したのは赤い怪人。マスクには碧色でコブラの頭部を思わせるゴーグル、チェストアーマーには同じく碧色でコブラの全身を描いたのだろうエンブレムを持つ、その変身音に違わぬ正しくコブラを人型の化け物にしたような存在であった。

 

「正解はブラッドスターク! 今の身分は……ま、リンボの協力者ってとこか」

 

(だから、清姫を選んだ……!)

 

 清姫は自分の力だけで蛇竜へと変じた少女だ。コブラ、蛇の属性とはさぞ相性がいいだろう。最初驚いた様子を見せていたのは、その相性の良さが準備をした相手の方でさえ想定を超えるものだったからか。

 

「天草四郎の協力者ではない、って事?」

「その通り、今はこうして出張させられてるけどな。だから天草(ヤツ)が何を言ったとして、オレとしては本気でお前を殺す理由はなかったんだが……」

 

 ブラッドスタークが自分の頭に手を触れてから、何度か腕を上下に動かす。

 

「いい体だと思ったが……流石に身長(たっぱ)の低さがちょいと問題か。石動の体と同じ感覚じゃ動けないだろうな。やれやれ」

 

 自分の身長を確かめ、小さい事に悩むように溜め息を吐く。

 そんな安穏とした様子を見せた、その直後。

 

 ―――轟く銃声。それが響く前に何とか察知した立香が、横っ飛びに全力で跳んでいた。

 

 当たり前のように躱し切れず、弾丸の威力を浴びた礼装を隠すための羽織りがズタズタに千切れていく。もっともその程度で済むなら何でもない。掠める程度なら礼装の防御力が立香を守ってくれるだろう。だが仮に直撃を受けようものならば、無事では済むまい。

 

 全力で跳んだがために床に体を打ち付け、必死に転がっていく女の体。その無様な姿をスタークがつまらなそうに視線で追う。逃れた相手に再び銃口を向けようとして―――そこでふと気が付いたように、足元に転がる飛び立とうとしていたタカウォッチを蹴りつける。蹴撃をもろに受けた上に思い切り壁に叩きつけられ、今度こそ沈黙するタカウォッチロイド。

 そんな無駄な行動を挟んでも、立香はまだ必死に立ち上がろうとしている体勢。彼女に視線を戻したスタークは、立てた親指で自分の胸を叩きながら言う。

 

「お前にとっては運が悪い事に、この体が()()()た。実験する価値が十分あるくらいにはな。この女の意識はまだ生きてる。オレの中からちゃんと、今のこの光景を見てるわけだ。それだけでもオレとしちゃ結構な驚きなんだが……ま、それは置いといてだ。

 そんな状態で自分が愛してるお前を、オレに乗っ取られた自分の体が殺す、ってなった時にどれだけ強い憎しみをオレに抱くんだろうなァ? 今でも沸々とハザードレベルが上がってるんだ、本当に()()()()()かもしれねェと、オレは驚きと可笑しさで今にも笑っちまいそうだよ」

 

 言って、くつくつと咽喉を鳴らすスターク。ここから先は口にしないが、本気で今ドライバーが手元に無いのが悔やまれた。無論この体でもまだまだアレを扱うには程遠いが、扱えるレベルまで成長できる素質が間違いなくこの体にはある。どう足掻いてもビルドの時代が来ない限りあのドライバーは回収できないのが酷く残念な事だ。

 

 羽織は既にボロ雑巾、だが再誕した彼女を守護する礼装は未だに無傷。羽織の下に隠していたのだろう。立ち上がった彼女は、脇差ほどの剣を持っていた。恐らくは刀工村正の作品だろう。一流の使い手であれば、あるいはトランスチームガンの弾丸さえ斬れたかもしれないが……藤丸立香のような素人が持ったからと言って、だからどうしたという話だ。

 だが彼女は柄と鞘を強く握り、いつでも剣を抜けるような体勢を取っている。

 

「サーヴァントは呼ばないのか? リンボが言うには、そういう機能があるんだろ?」

 

 愉快そうなスタークの問いかけに彼女は無言で返す。サーヴァントの影をカルデアから投影できる、というのがこの礼装の触れ込みだ。だが、立香本人からしてそれを実際に行えるかは分からない。試験しようにも動作すれば令呪一画を使用する以上、試すのが難しい。

 というかおつるさんから偶発的に、直前に貰ったばかりなのだ。どの程度の能力か計り切れない以上、今回の戦力・戦術に組み込むのは止めておこうと小太郎とも話に決めていた。

 

 スタークが腕を曲げ、銃で肩を叩きながら首を回す。

 

「抵抗してくれた方がいい刺激になるんだがな」

 

 それは彼の中にいる清姫の精神にとって、という事だろう。動きを見せない立香を見て、深々と溜め息をひとつ。そうしてから彼は、空いた手を胸のエンブレムの上に置いた。

 

「確か毒は効かないんだったよな? じゃあコブラの毒も効かないか。オレが本調子なら()()()()()()()()も試せたが……ま、無いもの強請りしてもしょうがない」

 

 スタークの胸部から迸るエネルギー。それは人間よりも数倍大きなコブラを形作り、まるでそれが生物そのものであるかのように凝固させた。頭部は固定されたかのように動かず、獲物から逸れない視線。チロチロと動く舌も、獲物の外皮を食い破るための鋭利な牙も、飛び掛かる為に地を擦り腹を縮める動きも、正しくコブラそのもの。

 

「お前から憎しみを煽る良い悲鳴を貰うには、少しずつ削ぎ落すように喰い散らかすしかないみたいだな?」

 

 パチン、とスタークが指を鳴らす。それを合図に、コブラは解放された発条のように立香に向け飛び掛かった。まず狙いは令呪のある右手首だ。反撃の起点となり得るそこだけはさっさと喰い千切っておくべきだろう。普通ならそれだけでもショック死もありえるが、魔術礼装を身に着けている以上心配はいらないはずだ。本来はマスターを守るための生命維持装置だったろうに、今のスタークとしては少しやりすぎても死なずに拷問補助具となってくれている。救えない話だ。

 

 自分の内側で湧き上がる体の持ち主の怒り。それはハザードレベルの成長を促す餌だ。藤丸立香を苦しめるほどにこの体は怒り、ハザードレベルを上げて、スタークに貢献する。

 

「さて。まずは一噛み、どれだけ上がるか―――」

 

 口を開いたコブラが立香の許へと到達する。その視線から狙いが右手だと分かっていたのか、彼女は咄嗟に右腕を突き出していた。もちろんその動きは彼女が握り締めていた村正の剣を抜刀し、不格好な居合染みてコブラへと刀身を走らせる。

 しかし彼女では当然のようにコブラを斬ることなど出来ず、刀身を牙にぶつけてへし折られていた。刃が大小様々な破片となり、空中に舞う。

 

 コブラはそのまま口を閉じるだけで、立香の右手と剣の残骸を噛み砕く事ができる。自分に迫る脅威を見ているしかない絶望の刹那。数瞬の後に挙がるだろう少女の悲鳴に備え、ブラッドスタークがまるで指揮者のように両腕を掲げて―――

 

「試せると思ってる?」

 

〈リュ・リュ・リュ・龍騎! ファイナルアタックタイムブレーク!!〉

 

 その瞬間、蛇の口内近くにあった刃の破片の一つから焔を圧し固めて形成したかのような、灼熱の龍が現れ出でた。龍は即座にその炎の腕でコブラの上顎と下顎を押さえ付けると、ぱっくりと開かれた大口に向かって火龍のブレスを流し込んだ。毒蛇が味合わされるのは、咽喉から炎を流し込まれ、そのまま総身を内側から焼かれるという地獄の責め苦。

 響いたのはスタークの待ちわびた少女の悲鳴ではなく、コブラの怪物の断末魔だった。

 

「な、オーマジオウ……常磐ソウゴだと!?」

 

 いつのまにかジュウ形態のジカンギレードを構えた仮面ライダージオウが藤丸立香の前に立っていた。その呼ばれ方に僅かに拒否反応を示すように、ジオウが小さく顔を俯かせる。その姿がディケイドアーマー・龍騎フォームである事を考えれば、今までどこに潜んでいたかは明白だ。

 立香が剣を持っていたのは武器としてではない。彼女に渡した小太郎も当然そんな事は考えていない。あの剣に二人が求めていたのは、この時代に一般流通しているレベルの鏡などより遥かに反射率の高い、鏡に見立てるのに十分なほど磨き抜かれた刃である。

 

 口内から黒い煙を噴き上げるコブラの頭部を掴み、炎の龍が体を捻る。全身を鞭のように撓らせた尾による打撃を腹に受け、巨大コブラは宙を舞いながらスタークの許へと吹き飛ばされる。それを成したドラゴンは更に体勢を整え、口を大きく開いてそこに炎を収束させ始めた。

 

「チィッ!!」

 

〈スチームブレイク!〉

 

 ライフルモードに換装する暇などない。トランスチームガンを即座に構え、コブラフルボトルの力を注いだ銃撃の準備をする。飛んでくるコブラを盾に炎を受け、逆にこれで撃ち返す。そのつもりでいたスタークの前で、ドラゴンが一拍置くように攻撃のタイミングを遅らせた。その間に内心舌打ちする。この時間があったなら、十分ライフルモードに切り替えられた。

 スチームガンを構えたまま、空いた手を突き出して飛来するコブラに向ける。その手から怪光線が発射され、それを受けたコブラの巨体は空中に固定される。これはブラッドスタークの機能ではない。肉体のハザードレベルが高かったが故の恩恵と言えるだろう。スタークはその状態からすぐさまコブラを弾丸代わりに打ち返して、同時にスチームガンによる射撃を放つ。

 

「―――流石に驚かされたが、今のハザードレベルなら十分お前の相手もできるんだよ!」

「へえ、そう?」

 

〈フィニッシュタイム! ウィザード!〉

 

 コブラとスチームブレイクの逆撃が揃って向かってくる中、ジオウは手にしたギレードにウィザードのウォッチを装填した。そのエネルギーを得て必殺待機状態に入るジカンギレード。ディケイドウォッチと共に龍騎ウォッチ、更にはウィザードウォッチ。中々豪勢な構えだ、が。

 

「龍騎とウィザード、ドラゴンの炎を合わせ技か? だがそれじゃあこっちの攻撃と相殺止まり。如何に魔王だろうと足手纏いを庇いながら、今のオレと戦えると―――」

 

〈スレスレシューティング!〉

 

 スタークの声を無視してジオウがギレードのトリガーを引いた。発動する魔法はしかし。スタークが予測した火ではなく水の属性。ジオウの前方に水流が湧き出し渦を巻く。逆撃の手段ではなく水の盾とは。だがその程度の守りでは、今のスタークの攻撃は止め切れない。

 コブラだったモノもスチームブレイクも、ブラッドスタークが放てる高出力のエネルギーの塊だ。あの程度の水の壁など、衝突の瞬間に弾き飛ばしてしまえるだろう。

 

「なら俺からは相手にしないよ」

 

 ―――激突、とはならず。スタークの放った二つの弾丸が、渦巻く水流……水鏡の盾に触れた瞬間、そのままこの世界から消え失せた。鏡を門にして異界に干渉する。それは正しくこの場にジオウが現れた方法と相違ない。ジオウのドライバーで輝く龍騎ウォッチが、スタークの攻撃を防ぐ事なくミラーワールドへと放逐してしまった。

 強大な高圧エネルギーが二つ、何もせず消えた事にスタークが僅かに静止する。

 

「……オイオイ、やりたい放題だなお前」

「王様だからね」

「やっぱりオレと相性悪いな、王様なんてやってるような奴は……ッ!」

 

 お互いの攻撃が消え失せた。戦場で生まれた、ごく短い空白の時間。その中で攻撃の構えのまま待機していたのは、ジオウが生成した炎の龍ただ一体。龍はコブラを投げ捨てた直後から今に至るまで、ただブレスの圧力を高めながら待っていた。収束した炎は灼熱を凌駕し白く輝くにまで至っている。戦場に間隙が発生した直後、龍はそのブレスを解放した。火炎の息吹などというレベルではない。高め続けた炎はもはやプラズマ化し、白光となって標的へと直進した。

 

 飛来する光線を避ける術などなく、ブラッドスタークが胴体に直撃した光線によって吹き飛ばされる。迸る光線の威力は、スタークが立香と共に走ってきた順路を盛大に逆流させた。未だに展開されていたスイカのエナジーボールに背中から激突して粉砕。全身果汁塗れになりながらきりもみして床に落ち、彼はそのまま天草たちの元まで転がる事になった。

 

「グ、ォ……ッ!」

「―――まさか、しくじったのか?」

 

 全身から果汁を滴らせ、更に黒煙を噴き上げながら床を這うスターク。その姿を見下ろして、天草四郎は忌々しげに顔を歪めた。ただの凡夫、マスターであるという以外に特筆する事の無い人間一人を噛み殺すだけの仕事だったというのに。まさかそんな事さえ達成できない可能性など、一切考慮していなかった。

 

 この攻撃を知っていたかのように通路の端に寄っていた小太郎が、肩にコダマスイカを乗せながらそんな天草に溜め息混じりに声をかける。

 

「その怪人がしくじったのならば、お前もまた最初から見誤っていたな。お前は()()()()()を逃さないと言ったが、僕たちは此処を外から見張っていた時からずっと―――」

 

〈ライドヘイセイバー!〉

 

 ディケイドウォッチを輝かせ、ジオウの眼前に新たなる長剣が現出する。それをしかと掴み取り、両の手に剣を携えたジオウは、悠然とした歩みでその場に踏み込んできた。

 眉を顰める天草に対し、小太郎はこの状況こそ彼らが想定した正着だとばかりに言い切る。

 

()()だった」

 

 敵は天草四郎、アナザーキバ、アサシン・パライソ、そしてブラッドスターク。黒幕たる妖術師も、何らかの企みを秘めたアナザーライダーも、全員この場で確実に撃破する。外の英霊剣豪たちを危ぶむ必要はない、カルデアにはそれに対抗できるだけの戦力があるのだから。

 

 

 




 
・人造清姫。
 リンボからスタークへのプレゼント。ブラッドスタークの戦闘に耐える肉体として構築された改造人間。元々は普通の人間、松平の姫君だったがリンボにより改造され、清姫っぽい何かになってしまった。リンボによって城内の人間の記憶も全て姫は最初から清姫だった、と改竄されてしまい、彼女が彼女として生きていた証は全て消されてしまった。かわいそう。
 いいか? スタークのために改造された時点でその女はもう人間じゃないんだよ。強力な兵器なんですよ。兵器は使わなきゃ。わざわざ手間をかけて造ったのは使うためでしょう?

 リンボが設計図を引き、蛇の要素はパライソが補填した。パライソは宿業を抱えながらも外道に全てを奪われた姫の事を憐れんではいるが、それを口にすることはない。精神性や肉体強度などはオリジナルの英霊・清姫に比べれば当然劣るが、代わりに伊吹大明神の呪を与えられた事でオリジナルと遜色の無い蛇パワーを発揮できているようだ。

 最終的に完成したのはトランスチームガンの使用どころか、現時点でも完全な融合(ハザードレベル5.0)まで短期間で届くのではないか? とスタークに感じさせるほどの肉体だった。その為スタークにも欲が出たのだろう。人造清姫が愛を向ける人類、藤丸立香を目の前で凄惨に殺害する事で憎悪の感情をより強く燃やさせ、ハザードレベルを向上させようとした。
 もっともその段階に至ったとしても、彼の必要とするドライバーを現時点で回収する方法は存在しないのだが…

 その余りのハザードレベルの高さと安定感に、自力でドラゴンになるような頭のおかしい地球人は違うな…とスタークが感心したとかしなかったとか。
 そして伊吹大明神の呪は確かに体を蝕んでいるのに恋愛脳で悪影響を無効にしてるのを見て、アサシン・パライソからは何なんでござるかこの姫君、怖…と思われてるとか。
 


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悪魔(かみ)へ捧じる讃美歌・一切鏖殺地獄絵巻1639

 
ガンダムSEEDがまだ盛り上がってるので多分今は平成だと思うんですけど(名推理)
 


 

 

 

 虱潰しに敵の拠点を城下街で探す最中、その事態は唐突に訪れた。

 

 まるで過負荷で遮断器(ブレーカー)が落ちるように、バチンと脈絡なく明かりが消える。太陽は沈む瞬間を見せず、月は昇る過程を窺わせず、突然にこの地の空は真紅の月と闇に鎖された。

 

 オルガマリーは驚愕を一瞬で済ませ、すぐさまカルデアに通信を繋げる。

 

「ダ・ヴィンチ、状況は?」

『ちょっと待ってくれたまえ……土気城内部で異常な魔力の高まりがあるが、小太郎くん以外のサーヴァントの反応は無し。この状況ならアサシンの英霊剣豪がいる可能性はあるけどね。

 城内にいる立香ちゃんたちとの通信は―――ちょっと無理そうだ』

「―――魔力の高まり……?」

 

 仮に聖杯に準ずるものがあるとすれば、英霊剣豪の脱落で聖杯が満たされ、そうなる事もあるだろう。だがこうも唐突に、まるでいつでもエンジンをかけられたとでも言いたげに高まる魔力とは何が原因か。

 ともかく出来れば即座に城に駆け付けたい状況、ではあるのだが……

 

「……わたしたちの場所から一番近いのは?」

『こちらで誘導する必要はないだろう、()()()()()()()

 

 瞬間、視線の先で空気が爆発するように荒れ狂った。大気を焼く雷光に次いで鼓膜を轟かす雷鳴。熱を持った風が肌を炙るように彼女たちの間を吹き抜けていく。

 その感触を浴びて、オルガマリーのみならず彼女と共に居た宮本武蔵が息を呑む。

 

 闊歩するは稲妻の化身。天空に在るべきモノが大地を征く、摂理に反した地上に渦巻く異常気象。既に抜き放たれた愛刀を稲光で輝かせ、その雷神鬼は血風を焦がしながら光来する。

 

「源氏棟梁、源頼光―――!」

 

 武蔵の声に反応し、黒縄地獄が一介の剣士を一瞥する。それだけで奔る閃光の如き剣気を浴び、宮本武蔵は即座にその両手で剣を抜き放った。

 

「屠殺場には未完の刃がただ一振り。一息に手折った後は、一切鏖殺を果たすのみ―――です、か」

 

 女の手元で翻る愛刀、併せて唸る稲光が大気を焦がす。宮本武蔵を前にして、源頼光の冷徹な視線には落胆にも似た感情が見える。その感情を向けられた剣士が瞋目し、刀を握る手に力をかけた。

 

「あの羽織りはどうしたのです? アレさえあれば、貴方はどの英霊剣豪にも負けないでしょうに」

「あんな邪道に頼った時点で私がムサシ(わたし)に負けてるようなもの。戦場では剣以外にも使えるものは使う行儀の悪い私だけれど、勝つために誰かに体を譲るほど耄碌しちゃいない。

 アレと斬り合い、やり返したかったのならお生憎様。そんな機会を貴方に与える事はないわ」

「…………」

 

 小さく、源頼光の口許が嘲るように嗤う形を取る。

 

「別にそのような考えはありません。アレは我ら英霊とは違う形であれど死者の類。アレが扱うのは妖も魔も無き人の業にてその極地。英霊剣豪・黒縄地獄、源氏棟梁・源頼光、今の私がどちらであったとして、元より刃を向ける理由もなければ……一先ず、早々に生者である貴方の首を頂きましょう」

 

 大地が砕ける。頼光の踏み込みか、あるいは稲妻の余波か。

 雷を伴い襲来する頼光に対し、武蔵は村正より頂いた妖刀を以て応刀した。

 

 稲妻を切り裂く鈍色の刃。二天一流が刃に纏わる膨大な電力を斬った先、姿を現すのは紛れもなく童子切。そのままお互いの刃が力任せに激突すれば、弾け飛ぶのは火花と紫電。その激突から鍔迫り合いへと雪崩込み、二人の剣士は顔を至近で突き合わせた。

 

 直後、二人の顔色に明確な差が生まれる

 

「来たれぃ四天王!」

 

 一対一ならいざ知らず、実質五対一となれば武蔵に勝ち目はない。まして頼光四天王―――牛頭天王の神使を何とか斬ったとしても、頼光自身に魔力があれば再度降臨させる事も難しくないだろう。

 頼光の周囲に天から降り注ぐ四つの落雷。その内から顕れるそれぞれ違う武器を構えた源頼光の似姿。この相手とやり合うならば分かり切っていた展開ではあるが、だからと言って都合よく妙案が出てくるわけではない。とはいえ源頼光はこの街の隅で留めねば、瞬く間に街を焼き払う事だろう。

 

「ダ・ヴィンチ、動けるチームは!?」

『ひとつも無しだ。全員英霊剣豪との戦闘に入っている!』

 

 そうだろうとも。分かり切っていた返答を受け、オルガマリーが舌打ちを噛み殺す。

 

(分身を無視して本体だけを斬る……! ええい、ままよ!)

 

 分身が動き出す。刀剣、戦斧、長巻、弓矢、四天王の宝具の威力が発揮される。

 

 それぞれ頼光本人の一撃に勝るとも劣らぬ魔性滅殺の一撃。それを同時に、どころかどれか一つでも直撃しようものならば、武蔵の体など容易く消し飛ぶだろう。だがその事実を踏まえても、そちらに気をやる余裕はない。分身に対応するという事は、本体への対応を疎かにせざるを得ないという事だ。そんな余裕を見せれば、正しく雷光の如き一閃が彼女を一刀の許に両断するであろう。

 

 武蔵の眼が先を視る。どうあれ道を切り拓かねば死ぬだけだ。

 ならば悩み頭を抱えるだけ時間の無駄というもの。

 源氏進軍、何するものぞ。宮本武蔵、渾身の一刀によって斬り抜ける―――!

 

〈セイバイ忍法!〉

 

 と、歯を食い縛っていた武蔵の耳に届く声。やけに弾んだイキの良い、しかし人ならざるモノの発する音。初めて聞く声であったがその特徴故、それが何者が発したものかを武蔵は過たず理解した。

 

「ハァ―――ッ!」

 

 空中を舞うは紫の影が四つ。

 

 ひとつ目の影が炎に燃える刀剣を持つ頼光の前に着地し、腰から忍者刀シノビブレードを抜き放つ。本来の獲物である武蔵への道を阻む存在。その相手に対し遠慮呵責なく燃える剣閃が奔る。迫る兇器は鬼火に覆われた大業物。

 正しく鬼のような一振りを前に、影は右の手で握ったブレードの峰に左の手甲を添え―――その白刃を迫る炎の中へと突き込んだ。陽炎に秘された鬼切安綱の切っ先の確かな位置をしかと見据え、太刀筋を逸らすべく閃くシノビブレードの銀色の刃。膨大な火花を散らしながら擦過する互いの剣。

 その末、影の狙いは過たず鬼切の剣閃を僅かにズラし、一閃の威力を背後に見事に受け流した。

 

 ふたつ目の影は空中にあるままに黄金の戦斧を持つ頼光に右腕を伸ばす。途端、彼の前腕に巻き付いていた布が解け、ロープを投げたかのように伸びていく。

 戦斧を握った腕へと巻付き拘束するのは、超伸縮繊維によって編まれたウデスリンガー。スリンガーを巻付けられた頼光の分身は一瞬動きを止めるも、むしろ利用してみせようとその場に踏み止まり、影を引き寄せんと拘束された腕を強く引っ張り返した―――が。その瞬間に影はスリンガーを更に伸ばして頼光の力を透かすと同時、左腕のウデスリンガーも伸ばし近場にあった樹木に巻き付けていた。

 その状態で両腕のスリンガーを一気に縮めれば、バランスを崩した分身は強く抗えぬまま影と共に樹木の元にまで強引に引き寄せられていった。

 

 みっつ目の影は胸に、太腿に、両の手を翳して武器を実体化させる。胸からはスティッキーシュリケン、太腿からはスティッキークナイ。それぞれを大量に手にした彼は、一気呵成に長槍を持つ頼光へと投げ放った。

 シュリケンとクナイが雨あられと降り注ぐ。その弾幕を前に分身は仕方なしに足を止めると、長巻を掴み直して一回し。直接弾いた分のみならず、噴き出した冷気で迫りくる刃まで氷結させて地に落とした。そのままの勢いで影をも凍らせんと振るわれる長巻―――だが刃が振るわれる直前、影は膝のプロテクターを突き出し、そこから大量のスモークを噴出させた。

 狙うべき敵を見失い眉を顰め、しかし止まる事はせず刃を振り抜く頼光。スモークを散らして、大気を凍らせ霜を降らせるその一閃。だが真に凍らせてみせんとした者は、その場に既にいなかった。

 フルスイングの隙を縫い、音も無く長巻持ちの眼前に着地する紫の影が再び胸に、太腿に手を翳し、無数の刃をその手の中に現した。

 

 よっつ目の影が見据えた対象との距離は彼方。既に豪風渦巻く矢を弓に番え、攻撃の体勢に入っている分身の姿だった。シュリケン、クナイ、投げたところで纏めて撃ち抜かれる事は想像に難くない。距離を詰め切る前に撃たれる事もまた同じく。

 ならばと影は着地したその場で足を止め、肩口にかかったマフラーを掴んだ。どのような意味か計りかねる行動に対し、分身の頼光が訝しむように目を細める。だがそんな思考など無かったかのように、次の瞬間には迷いのひとつもなく、手元から戦車砲かと思われるほどの轟音を発していた。

 強弓から豪風の矢を相手の心臓目掛けて放つ一射、瑕疵の無い完璧な射撃―――刹那の間を置き、着弾する矢。だがそれは彼女が狙い澄ました影に直撃する事なく、彼の胴を掠める程度の距離を過り、そのまま地面に突き立ち暴風を解き放つという結果に終わっていた。

 会心の一射が外れた事に頼光が目を見開く。その失着を招いた理由こそ、影が矢の放たれる寸前に掴んだマフラー、認識阻害装置エリマキジャマー。

 彼はそれを胸の前に引き出して、心臓ただ一点を睨む頼光の視界から胸部アーマーを隠した。その影響を受けた状態で射線を確定させたが故に、頼光が完璧と睨んだ照準が誤ったのだ。

 そうして力を籠めた一射の外させた直後という隙を衝き、影は分身に向けて全力で疾駆を開始した。

 

 四人の頼光の前に立ちはだかる四つの影、仮面ライダーシノビ。彼に分身を抑えられた本体の頼光は僅かに顔を顰め、武蔵は逆に笑みを強くしながら剣にかける力を強めた。

 

「ありがたや、四天王はどうやらシノビの相手で手一杯。貴方の望み通りに早々に私を折って街を地獄に、なんて予定は叶わぬようね!」

「戯言を。四天王の力など無くとも、今の貴方程度を斬り捨てる事に支障ありません」

 

 刃が軋る。弾け合う互いの剣。衝撃で両者の間に雷の残滓が散る。

 煌々と輝く血戦場、宮本武蔵と源頼光は再び切り結んだ。

 

 

 

 

 

 

 燃え滾る灼熱の業火、ヒトのカタチをした鬼火。彼女の正気はとうの昔に灰燼、狂気と宿業にて歪んだ精神だけを残した骸が、けして消える事無き憎悪を動力(ねつ)として動き続ける白髪鬼。

 

 街の一角に前触れなく、火柱と共にアーチャー・インフェルノ―――巴御前が出没した。

 

「“一切鏖殺”の儀なれば、誰一人とて……このような世を生きるモノどもをのさばらせる事能わず。燃えろ、燃えろ、燃えてしまえ。今の世全てを焼却する事叶うならば迷いなし。この巴、悪鬼羅刹に堕ちる事さえ厭うものか」

 

 彼女がそこに存在する、ただそれだけで周囲が炎上する。熱を放つまでもなく気温が瞬く間に上がっていく。炎を撒かれるまでもなく、周囲の家は自然に発火を始めていく。

 町人たちもすぐに異常に気付いたのだろう。それも怪異の仕業、と理解するだけ異常に慣れていた彼らは、すぐさま貴重品と家人を伴って脱出を始めていた。

 

「うぉ、熱ぃ……ッ!?」

 

 だがそれでも彼らの認識は甘かった。今までこの土地で確認された化け物など、英霊剣豪に比べれば木端も木端。仮に町人が怪異と出会っても運が良ければ何とか逃げ果せるだろう。だが英霊剣豪を相手にするならば、ただの人間は行動を選ぶ余地すら与えられない。

 

 “一切焼却”―――アーチャー・インフェルノが人の集落に出没したならば、ただそれだけでそこのある物、そこに住む者、全てが一切合切灰となる。

 もし只人が彼女の行動範囲に僅かでも踏み込めば、熱した空気に目と肺を焼かれて呼吸すらままならず、何の理解出来ないまま数秒の後には焼死体になっているだろう。彼女が此処に現れたその瞬間、周辺一帯の生物は焼死が決定づけられていたのだ。

 

「“風王鉄槌(ストライク・エア)”―――ッ!!」

 

 ―――その灼熱ごと吹き飛ばす風が、この地獄を切り裂いていなければ。

 

 轟音を上げて迫りくる風の塊に対し、白髪鬼は不動を選んだ。確かにそれは周囲の空気を引き裂き、熱を分散させるような一撃ではあった。だがそれ故に威力を出すには密度が足りない。戦闘用に使用するならばもっと風を圧縮させた筈だ。だというのにそれは周囲の空気を巻き込む程度にしか圧力がかかっていない。いや、効果範囲を広げ周囲の熱を撹拌するため、意図的に圧力を緩めたのだろう。

 こんな微風では鉄槌などと呼べはしない。そしてそんな攻撃が直撃したところで、巴御前は不死身である事を加味せずとも切り傷にさえならないと判断した。

 

 無論、ただ待ち受けるという訳ではない。巴御前は腰の矢筒から矢を一本抜き出すと、左手に弓を現してすぐさま番えてみせた。弓の弦が、矢の鏃が、矢羽根が、構えた途端に激しく炎上する。最早彼女自身にも止められぬ嚇怒の鬼火。止め処ない怒りによって燃焼している矢は、放てば風の撹拌機(ミキサー)など容易に蒸発させ、そのまま敵をただの一矢で撃滅し得るだろう。

 

 仮に敵が何とか生き残ったとしても、余波だけで周辺の家屋も逃げようとしている人間どもも、纏めて蒸発させる。つまり今ここにいる人間たちに、生き残る術はない。

 

 ―――それもこれも自業自得。

 

「この炎、この呪い、この悪鬼を野放しにしたのは―――!」

 

 人を殺し、燃やし、踏み躙る悪意の権化。人界に許されぬ鬼種の魔。そのような悪鬼を斬り、正義を掲げる勇士は確かに人の世にいた筈だ。そのような者がまだこの世にいたならば、彼ら人間はきっとその正義に救われただろう。だが人間たちにその救いはやってこない。何故って、そうした存在を排斥して消してしまったのが人間という種だからだ。

 

 そうでなければ、そうなっていなければ、人間が人間同士でそんな争いをしていなければ、こんな悪い鬼、疾うに正義の刃で首を落とされていただろうに―――!

 

「“熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)”―――――ッ!!」

 

 矢羽根から指が離れるその直前、巴御前の目の前に転移で現れる赤い衣の少女。彼女は片腕を突き出しながら、自身の知る最硬の盾の名を呼ぶ。投影され、真名を解放され、咲き誇るのは四つの花弁。本来は一枚で城壁に匹敵する防衛力を持つ七つの花弁が展開されるべきものであるが、彼女の熟練度では四枚までしか顕れない。だがそれでも、ただの一矢を防ぐには十分だった。

 放った直後に受け止められ、その熱量を一切後ろに通さない城壁。正面からしかと矢を受け止めた花弁の一枚に罅が入る。この防御力ならば宝具であれば打ち破れたであろうが、鬼火と共に放っただけの矢では城壁一枚さえも抜けないようだ。なればと巴御前の指が矢筒から複数の矢を抜き取る。

 この程度ならば宝具ならずとも連射するだけで十分に蹂躙できる、という判断。

 

 オリジナルの盾の持ち主ならば言わずもがな、クロエが力としているアーチャーのサーヴァントであっても、もっと堅牢な盾を張れただろう。展開されているのは飛び道具に対する最硬の護り。如何に鬼火の矢であっても容易に全て防ぎ切った筈だ。そうなればインフェルノもまた矢ではない、別の手段を取らざるを得なかっただろう。

 だが少女の展開する盾はそこまで堅牢ではなく、射撃でも少し手間をかければ撃ち抜ける程度の隙があった。だからこそ悪鬼はそのまま矢を放つ事を選び―――

 

「ぶっ飛ばしなさい、イリヤ!!」

 

 罅割れた盾を投影破棄し、クロエが転移を行う。目の前から花弁の盾が消え、その後ろに控えていた少女の姿が目に映る。左目を覆う眼帯、胸と腰だけを覆う黒いワンピース、そんな装束で銀色の長髪を靡かせる少女の前に展開されているのは、血色の光で描かれた魔法陣。高まる魔力に宝具の解放を予見するが―――関係無い。

 

 彼女の射撃は街中に一矢でも着弾すれば地獄を生む。先手を取られ彼女自身が消し飛ばされようが、不死身の彼女はすぐに再生する。今回の射撃を防がれ、逆に吹き飛ばされたとして、再度矢を撃ち込むだけで一切鏖殺の儀は進行するのだ。

 弓ひとつに多数番えた矢が一斉に炎上する。その鬼火の火力が最高潮に達した瞬間、インフェルノの指が矢を放した。翔ける矢の群れ、地獄を招く一斉射。

 

 迫る鬼炎の塊を前にして、イリヤスフィールは手にしたマジカルルビーを大きく振るう。ステッキが瞬く間に光の帯へと姿を変えると同時、彼女が前にした魔法陣がその役目を果たし一頭の獣を呼び込んだ。少女を騎乗させた状態で姿を現した純白の体躯と翼は正しく天翔ける駿馬(ペガサス)

 イリヤが手にした光の帯をペガサスが食む。手綱と化した帯と天馬。そのふたつの存在が噛み合った瞬間、幻獣は高らかな嘶きと共に膨大な魔力をその身に纏った。

 

「“騎英の手綱(ベルレフォーン)”――――!!」

 

 魔力を溢れさせたまま地上スレスレを飛翔し、突進を敢行するペガサス。放たれた鬼の矢、その先にいる射手を目掛けた小細工無し、一直線に突き進む突撃(チャージ)。天馬の白い体、広げた翼にさえ矢が次々と直撃する。だが防御力ならば神獣に匹敵するペガサスを相手にすれば、着弾の余波すら纏めて鬼火の方こそが捻じ伏せられる。

 弓を操っていたインフェルノの腕が止まる。矢は効かぬ、このまま撃ち続けた所で無意味だ。対抗すべく宝具として矢を解放するには時間が足りない。ならばあの天馬の突撃に砕かれて、蘇生の後に改めて宝具にて撃墜を狙った方が良いだろう。

 

 迫りくるペガサスに無防備を晒すインフェルノ。

 回避も防御も無しに、次に訪れる攻撃の機会だけを見据えた備え。

 

『イリヤさん!』

「ブ、レーキ……ッ!」

 

 手綱からの声を受け取り、少女は必死になって天馬の勢いを抑え込む。加速を殺せば必然、突進にて相手を粉砕するこの宝具の威力も落ちる。宝具でありながら宝具の一撃と呼べないまでに威力を落とし、狙う目的はただひとつ。

 

 天馬の蹄が地面を削る。全力で大減速しながらの体当たりは、しかしそのままインフェルノへと直撃した。粉砕するにはまるで足りない、しかし押し込むだけであれば十分な、そんな曖昧な威力の加減。

 だからこそその勢いを以て、ペガサスの突進はインフェルノを城下の外へと押し出していく。意図を理解した鬼が自身を押し込む白馬に掴みかかろうとする。が、溢れる魔力に阻まれて腕も鬼火も届かない。突進力をあえて削ったところで、天馬の持つ神獣クラスの防御力に陰りは無い。

 

「―――――!!」

 

 インフェルノが弓を手放し薙刀を手に顕し、その刃を地面に突き立てる。押し込む勢いは止まらない、しかし減速は起きる。わざわざ威力を自分から半減させたペガサスの眼前、インフェルノの全身から立ち昇る鬼火。天馬には効果がなくともその火力は大気を焼く。未だ街から引き離せたと言い切れないこの距離では、立ち並ぶ家屋を全焼させるのに十分な呪力が漲っている。

 

「一気に吹き飛ばして―――!」

 

 叫びながら手綱を引くイリヤ。砕くのではなく、吹き飛ばす。その指令を正しく受け取ったペガサスは僅かに引き、前脚を地面に降ろして体を反転。後ろ脚による蹴撃を目的とし、全身を大きくスイングさせた。

 だがその予備動作はインフェルノを前にし余りにも大きな隙。彼女はすぐさま薙刀を地面から抜くと、ペガサスの背に騎乗した少女の首を見据え、刃を振るうための姿勢を整えた。無駄の無い、一振りで命を刈り取る必殺の構え。前兆と呼べるだけの間隙も無く、無感動に振り抜かれる鬼の刃。

 

 ―――その前に。最小の動作を正面から潰しにくる、蒼銀の流星が駆け抜けた。

 

「イリヤは、やらせない―――!」

 

 全力の魔力放出、用途は全て突進のための推力。天馬の横をすり抜けて、騎士王を纏った美遊が正しく全速力の突撃を敢行する。馬上のイリヤに向け振るわれる薙刀に、下から斬り上げるように聖剣の刃が叩きつけられた。力任せに上に逸らされる刃、体を縮こまらせ頭を下げながら、イリヤはその瞬間に叫んだ。

 

「いっけぇえええ――――!!」

 

 応えるようにペガサスが後ろ脚を蹴り抜いた。インフェルノの胴体へと突き刺さる天馬の蹄。彼女の体を上下に真っ二つにするだけの威力を出せるだろうそれはしかし、インフェルノを大きく吹き飛ばす一撃に留まった。

 

 城下への入口から街道へと強引に押し出されるインフェルノ。彼女は薙刀を地面に突き立て留まろうとするも、盛大に吹き飛ばされた体は簡単には止まらなかった。

 

 ようやっと止まり大きく距離を取らされた上で正面を見れば、街の入口に陣取る戦闘態勢のサーヴァントが三人。と、マスターだろう女がひとり。

 手の中から薙刀を消し、再び弓を現しながら矢筒に手をかける。

 

 すぐさま同じく弓を構えるクロエ。

 少女は後ろにいるツクヨミをチラリと見て、問いかけた。

 

「……ちなみにアレ、持ってないの」

「ごめんなさい、シノビに渡したまま」

 

 一定の有効打が期待できたファイズフォンXは、シノビの許にあるという。つまりツクヨミに攻撃手段は無いという事だ。接近して気を逸らそうにも、インフェルノを中心とした温度上昇が発生している以上、カルデア礼装の守りがあるとはいえ、ツクヨミは近づくだけで命の危機だ。

 つまりアレの相手は魔法少女三人で努めなくてはならない。

 

 轟、と。そんな短い会話を終えた瞬間、灼熱の矢が放たれること数本。クロエが行う照準はその速射に追いつかない。彼女が射で迎撃しようとしたところで間に合わない、という厳然たる事実に歯噛みする。

 

 だが蒼銀の光は殺到する炎の矢を見逃さない。一太刀にて一矢を斬り落とし、瞬く間に剣閃を放つ事六度。繰り返して奔らせた切っ先は、放たれた矢を間違いなく迎撃。砕けて飛散する矢の残骸は、燃え尽きて灰と消えていく。

 

 剣を払い熱を散らし、聖剣を正眼に構え直した美遊は深く吐息を落とした。

 

「……例え不死身であろうと、手が無いわけじゃない」

 

 言いながら少女の視線はイリヤスフィールの元へ。

 不死身を破るための技巧は、そこにある。

 

 

 

 

 

 

 何ともまあ、と。街の端に陣取りながら、女怪はつまらなさげに酒を一献傾けた。牛女は派手に神鳴り、巴御前は最早現世に焦げ付いた呪詛と化した。()()()を被った鬼はよく楽しんでいるようだが、純粋な鬼種である彼女にとっては此度のそれは余り面白いものでもない。

 “一切鏖殺”、何ともつまらない事だ。鬼からしたら人を全部殺すなど、何の利点も無いどころか害ですらある。鬼の悪戯は人ありき、全滅などしてもらっては困るのだ。

 

 まあ人であろうとして抑えきれずに鬼になったような半端モノは違うのだろうが。彼女たちは自分たちが居られなかった世界を憎悪なり何なり、そのような感情のままに壊す。

 人の振りをした鬼の破滅、見ててそれなりに痛快ではあるのだが―――

 

「……巴御前は楽しまんとただ燃やすだけ。牛女は裏を出さんとお行儀よく虐殺ごっこ、と。ほんにおかしな話やわ。人の振りした鬼よりも、鬼になるまで突き詰めた人間の方が、よっぽど自由に人殺ししとるんやから」

 

 再び盃を傾ける鬼の横を泡を食った人間たちが駆けていく。一切鏖殺こそ英霊剣豪の仕儀であるが、気分が乗らなくて見過ごす事にする。運が途轍もなく良ければ逃げ果せるだろうが、そうでもなければ逃げたところで魔獣や怪異に喰われて死ぬだろう。

 彼女からすれば森に逃げるより、街の中心に集まって恐怖に震えていた方がまだ生存の芽がありそうと感じるところだが―――それを教えてやる義理もない。自分からわざわざ死に目を目指して走る人間の背を眺め、小さく唇を歪めるだけ。

 

「面白い話もあるもんやね。うちらの時代は鬼は鬼、人間がひいこら言いながら必死に殺すべきものやったのに、時代から鬼が消えてみれば、ただの人間がただの鉄の棒振り回して辿り着くのが剣鬼やなんて」

 

 だが実際にエンピレオはそういう生き物だ。人の積み重ねた業を斬る事こそを全てとし、その行為に至上の快楽を見出す剣狂い。至高天(エンピレオ)などという呼び名は笑い話で、行き先は間違いなく地獄の底だが、落とされたなら落とされたで斬り甲斐のある悪鬼羅刹が跋扈している事に驚喜するだろう異常者。

 

 鬼は人そのものに執着する。彼らの文明、文化、営み。

 全てを愛しながら殺し、毀し、拐かす、飢えた生き物。

 

 剣鬼は人の業、積み重ねた経験、磨き上げた技量こそに執着する。

 それを自分で斬る事で確かめねば、けして満足できない渇いた生き物。

 

 ―――なるほど、アレらが鬼と呼ばれるのは道理だろう。

 

「愉快愉快。結局人は鬼を鏖殺しても、自分の中に鬼飼うてなきゃ収まらんのやね。そう考えると鬼の血ぃが流れてる程度で、人と鬼の境がどうとか振り回されとる連中が滑稽やわぁ」

 

 ころころと笑って女が跳ねる。彼女は近くの家屋の屋根に危うげなく乗ると、腰に提げていた瓢箪を掴み取り、口を真っ逆さまに傾けた。瓢箪から水が零れるように、刀身が彼女の身長ほどもある大剣が()()()()()

 

 向かいの家の屋根がかん、と音を立てた。その軽やかな着地の音の後、そこにいたのは十字槍を手にしたひとりの坊主。本来であれば英霊剣豪の同僚だった男、ランサー・宝蔵院胤舜。

 

「あんたはんもエンピレオみたく心に鬼、飼ってはるん? 気になるわぁ」

「さて……拙僧、まがりなりにも坊主でな。胸には鬼でなく仏心を宿すべきだろうなぁ」

 

 軽く一言交わした直後、胤舜が屋根に足を擦る。

 

「英霊剣豪、衆合地獄―――大江山が首魁、酒呑童子。相手にとって不足なし! 宝蔵院流槍術、いざ参る!」

「そういう面倒事はぜぇんぶ茨木に任せとったさかい、そこ物差しにされたらアカンなぁ。まあ、不足かどうかは殺し合いながら決めはったらよろしおす」

 

 衆合地獄は僅かばかり口端を上げ、一息に水平方向へと跳躍した。足場として踏み切られ、その反動に潰れて弾ける家屋。大剣は少女の見た目から繰り出されるとは思えぬ速度を以て、構えられた槍に向け突き出された。

 

 瞬きほどの猶予もなく激突する互いの武装。膂力は遥かに鬼が勝る。だがその優位を超えて絶対の壁として横たわる力量差を、胤舜の槍は技巧を以て覆した。胤舜が足場にしている家屋が揺れる、が崩れない。それこそ正面から受け止めた爆発的な威力の一切を徹す事なく受け流している、という証左だろう。

 衆合地獄が空中で体を捻る。強引に大剣を振り抜く姿勢。対して胤舜は互いの刃を噛ませたまま、指を槍の腹で小刻みに滑らせ、力の掛かり具合に対する調整を図っていく。

 

 空中の鬼。屋根上の仏僧。数秒に渡る鍔迫り合いを経て衆合地獄が、押し返されるでもなく、弾き返されるでもなく、ただ力を失ったように()()()()()()()

 その中り方に不満げな様子を隠そうともせず、鬼が地上へと足を着く―――寸前。

 

〈ゲイツ! ギワギワシュート!〉

 

 胤舜が足場にしている家の地上階。その内側から壁ごと撃ち抜く赤い矢が、着地寸前の衆合地獄の腹へと突き立った。その一矢は遺憾なく威力を発揮し、鬼の腹部を弾けさせる。

 舞い散る血と肉は魔力に還り、己の残骸が金色の粒子となって降り注ぐのを見て目を細める衆合地獄。彼女は砕かれた腹へと乱雑に手を当てると、傷に頓着する様子も無く姿を現した赤い鎧に微笑みかけた。

 

「つまらん矢やわぁ。効かんと分かってるのに仕方なく放っとるって気ぃ、隠そうともしてへんのやもの。前に()うた時の方がどうにか殺そうって必死さがあって楽しかったわぁ」

 

 衆合地獄が肉が削げ落ち血を流す己の腹を弄んでいれば、いつの間にかさっぱり元通り。そして血も肉も魔力に還るとなれば、最早痕跡さえ残さずその異常は無かった事になる。

 

「……ふん、貴様が必死になるほどの相手じゃないだけだ」

 

 ジカンザックスを弓から斧へと切り替えて、舌打ち混じりにゲイツはそう言い返した。不死身の相手を殺す方法は心得ていないが、元凶の儀式を抑えられれば相手は消滅するだろう。もっと言うならば倒すよりは時間稼ぎに徹し、儀式の方を引っ繰り返した方が安全だ。

 英霊剣豪を打倒すれば恐らくこの儀式を成り立たせている聖杯に回収され、聖杯の完成に貢献してしまう可能性が高い。つまり倒したくはないのだ。

 はっきり言ってその辺りの対策は、“元凶を特定し潰すのが最善”以外なあなあになったままこの状況が始まってしまったので、正直に言えばこれからの行動は迷いばかりになる。

 

 後の戦場は街のどこからでも見える雷光、業火。時間稼ぎなどと言って手を抜ける相手ではないと見える。ならばどうにもやる気が無い、この衆合地獄・酒呑童子こそ倒さず押し留めておくに相応しい。彼女の存在そのものがその気になれば一帯を溶かす毒酒であるが―――

 

〈ファイズ!〉

 

 ホルダーからウォッチを外し、起動する。そのままドライバーへと装填、ロックを解除して片手でドライバーを回転させた。

 

〈アーマータイム!〉

 

 空中に追加アーマーとして形成されていくレジェンドの力。それがゲイツの鎧を上から包み、新たな姿へと変身させる。顔面から一度飛び立つ“らいだー”の文字、インジケーションバタフライ。

 特に目立つ変化こそ携帯電話型の肩部装甲フォンギアショルダーと、“ふぁいず”の文字に変化して舞い戻るアルティメットファインダーインジケーションバタフライ。それらを装着した姿こそ仮面ライダーゲイツ・ファイズアーマー。

 

〈コンプリート! ファイズ!〉

 

 ファイズアーマーが持つ相手の動きを封じる事に優れた装備。それらを駆使して、衆合地獄を制圧する。それこそがゲイツが想定した、この決戦で最も有力だと思われる手段だった。

 

 

 



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