TSケモミミコミュ障が振りまわされる話。 (ケモノ好き)
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TSケモミミコミュ障が振りまわされる話。

 特に、何かやりたいことがあるわけではなかった。

 

 小学校では100点が当たり前だった。小テストも満点が当たり前で、できて当然だと思ってた。

 中学校ではこんなもんだと思うようになった。小学校みたいに行かなくて、受験なんていうイベントにひーこら言ってた。

 高校ではこれでいいかと思った。親に入れと言われた高校に入って、大学に行きなさいと言われたから大学を目指して、そこそこ友達と遊んでた。

 大学じゃあ現実を知って。ついにイベントもなくなって、ただ漠然と単位を取ることだけを考えていた。

 

 そんなこんなで大学三年生の夏頃。俺はただ就職するんだなーって思いながら、漠然と日々を浪費する生活を送っていた。

 何もやりたいこともなく、何をしたいこともなく、夢もなく。

 ああ卒論やらなきゃな。ああ内定貰わなきゃな、なんてことを考えながら、ありがちな不安を抱えて毎日を過ごしていた。

 

 そんなある日。世界で奇妙な病気が流行り出した。

 

 

 ──獣化症候群(アニマリアシンドローム)

 

 

 身体に動物の耳や尻尾が現れる病、だそうだ。

 原因不明。正体不明の病に、世界はそれはそれは沸いていた。まあ、日本だけはリアルケモミミに興奮してたけど。

 

 世界中が大騒ぎする中、そんな病気もあるんだなぁ、と考えて俺は特に気にもしなかった。自分のことで手一杯で。

 

 ただ流されていけば、幸せになれると思ってた。必要なことだけ考えていれば、それなりにいい人生をおくれると思ってた。

 

 

 俺の髪が、()()()()()()()()()

 

 

 

「────────は?」

 

 

 

 その日、獣化症候群(アニマリアシンドローム)・日本第一号、()()()()が確認された。

 

 

 春一番が吹き込む、二月の頃だった。

 

 

 

 


 

 

 

 

「──ミナちゃん、ミナちゃーん」

 

 誰かが呼ぶ声がする。シャァーという音と共に、俺の顔に日光が差した。

 どうやら、朝が来たらしい。だけどまだ寝たい。せっかく暖かい毛布に包まれているのに起きなければならないのか。

 

「ほーら、ミナちゃん。起きて! 朝ごはん持ってきたよ〜」

 

「ん、ぅ……まだ、寝させて」

 

「ダメです。ご飯を食べるのも仕事なんですから! ってそんな可愛い仕草してもダメです!」

 

 ぐぅ、仕事と言われれば断りづらい。だけど、眠くて眠くてしょうがない。しかし微睡みも捨てがたく……

 

「ひにゃっ!?」

 

「ミナちゃん、起きました?」

 

「起きましたっ、起きてますっ!」

 

「今日は起きる日ですから、予定も詰まってるんですからね」

 

「わかりましたごめんなさい起きましただから手を放してくださいっ」

 

 彼女の手には()()()()()握られていた。尻尾を握られると力が抜けるから無遠慮に触るのはやめてほしい。……この場合、起きなかった俺が悪いのだけれど。

 

「じゃあ、ご飯持ってくるから待っててね」

 

「…………むぁい」

 

 そうして運ばれてくる朝食。ご飯に魚に味噌汁という、いかにも平凡な朝食だった。

 

「ミナちゃん、今日の予定は……」

 

「ハヅキさん、ミナちゃんやめてくださいって。むずむずします」

 

「かわいいじゃない?」

 

「撫でながら言われるとペットみたいな気分になるんです!」

 

 だから耳をくにくに撫でるのはやめろ。尻尾を右に左にしたんしたんしながら睨みつけてみる。

 だがあまり効果はないようで、「かわいい〜」と一蹴されてしまう。こりゃダメだ。そう判断して、魚を口に運ぶ。うん、美味しい。

 

「それで、今日の予定なんだけど……」

 

「むぐ。バイタルチェックと運動能力ですよね」

 

「そうそう、あとそれと血液検査もあるから」

 

「そうなんですか。わかりました」

 

 極めて事務的に返して、味噌汁を啜る。

 

 

 ここに来て、はや3ヶ月。

 意外と研究対象(モルモット)な生活も悪くなく、悠々自適に暮らしている。毎日の早起きと検査が苦じゃなければ、楽で仕方がない生活だ。お給金も払われるし、就職に悩まなくてもいい。なんて楽な生活だ。まあ、自由度が低いのがたまに傷だけど。

 

「じゃ、おめかししましょっか」

 

「あの、二十歳(はたち)の元男に言うの恥ずかしくない?」

 

「今は女の子でしょ?」

 

「……まあ、そうですけど」

 

 そうしてなされるがまま、俺は部屋に備え付けられた洗面台に連行され、鏡の前に座らされる。そうして目に入るのは、今の俺の姿だ。

 

 銀と黒の中間のような灰色の長髪に、鳶色の瞳。揺れる尻尾と時折動く耳がついた、現実離れした少女がそこに立っていた。

 髪を長くしているのは、研究の一環だ。本当はばっさりと切りたいが、髪も研究材料の一つらしい。というわけで、髪を短くするのは自粛させてもらっている。長いと蒸れて面倒なのだけれど仕方がない。

 

「さて、しっかり決めますよ〜!」

 

「……ほどほどによろしく」

 

 「任せて!」とハヅキさんは言うと、さっそく櫛やらヘアゴムやらを持ち俺の髪をまとめにかかる。ハヅキさんは弟妹が多いらしく、やってあげることが多かったからか、子どもの世話は大の得意らしい。……俺は子どもではないけれど。

 

「そういてばミナちゃん。一ヶ月前、新しいアニマリアの子、増えたじゃない?」

 

「え、そうでしたっけ?」

 

 アニマリア──症候群に疾患した人たちの略称だ。それはそれとして、一ヶ月前?

 

「もう、世情に疎いわよ?」

 

「なんですその言い回し……いえ、別に。気にする必要はないと思いまして」

 

「あらそうなの? で、その子はまぁ問題児だったんだけど……動画投稿やってて、最近登録者50万人超えたらしいわよ?」

 

「…………はい!?」

 

 登録者50万人……は置いといて、動画投稿!?

 

「え、あ、あの。動画投稿、ですか!?」

 

「そうそう。あの子検査断っていろんなところ行って、遊んでたから健康診断も大変で。動画を見る限り元気そうでよかったわ」

 

 髪を梳くハヅキさんをよそに、俺はそれどころじゃなく。それ以上、ハヅキさんの話は聞く気にはなれなかった。

 

 

 

 


 

 

 

「はぁ〜、終わったぁ……」

 

 そして夕方。検査(しごと)が全て終わり、やっと安住の住処(ベッド)に帰ってこられた。ぽすんっとベッドに身体を投げ出して、枕を抱きしめた。

 そのままスマホを手に取って、ゲームを開く。それが仕事終わりの日課だった。だけど今日は指が止まる。

 

「アニマリアが動画投稿、ねぇ……」

 

 思わず、そう呟いた。ハヅキさんが言っていたことが、妙に頭にこびりついていた。好奇心もあるが、それ以上に怖くもある。だけど……

 うんうんうなって結局、その人の動画だけ見てみよう。そう思って、久しく開いていなかった動画アプリを開いた。オススメに出てくる動画を見ないように、予測変換も見ないように動画を検索する。すると、案外簡単に投稿主を見つけることができた。少しだけ躊躇って、動画を再生する。

 

 

『こんにちはー! トーリです!』

 

 

「にゃっ!?」

 

 いきなりの絶叫に、変な声が出た。久しぶりにアプリを開いたせいで、ボリュームを大きくしていたらしい。慌てて音を下げて、こほん、と息を取り直して再生する。

 

『皆さんこんにちは! 今日はですね〜……』

 

 見る限り、犬のアニマリアだろうか? どこか人懐っこい顔は、なるほど、確かに人気が出そうだ。

 こうして始まったのは質問コーナー。コメントやSNSに書き込まれていた質問に答えていく、というありふれたものだった。

 

『【耳は本物ですか?】 本物だよ〜。ふりふり…………って言っても動画だから証拠もないけどね!』

 

『【何のアニマリアなの?】 犬! らしいよ? 何で判断してるかは知らないんだけどね』

 

『【ちぃちゃんいつ来るの?】 気分だよ!』

 

『【尻尾でドミノ倒しして】 よし、完成! 行きます! …………はい! なんだこれ』

 

 ……まあ、本当にありふれたものだった。

 次々と質問に答えて、意味のわからないリクエストにも丁寧に答えていく。特に意味のわからないのは【尻尾洗うときに使う洗剤はどれくらい美味しいですか】だ。なぜそれを選んだのだろう。

 

『よし、じゃあ今日はこれまで! じゃあね〜!』

 

 そう言って、彼女の動画は終わる。

 最後まで笑顔で、ほんのちょっと前に動画投稿を始めたなんて思えないくらい、上手に。それでいて、作りものとは思えないくらい、心から本当に楽しそうに笑っていて。

 

「……自分には、無理だなぁ」

 

 頭から布団をかぶり、そう呟いた。

 

 きっと、彼女は思ったこともないのだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 脳裏に思い浮かぶのは、アニマリアになったばかりの周りの人の顔。

 

 ──その顔はどれも、遠回しに責めているようで……

 

「……っ!」

 

 モヤモヤした気分を払うように、枕に顔を押し付けた。だけど、一向に気分は晴れなくて。鬱屈した気分に、泣きたくなった。

 

 

 

 ────、

 

 ──、

 

 ……、

 

 

 

「──て、起きて!」

 

「……ん、あ?」

 

 誰かの大声で目が覚めた。薄らと開けた目を動かせば、カーテンの隙間からは日光が差し込んでいた。……って何で朝に。どうやら、寝てしまっていたらしい。ハヅキさん、起こしてくれてもよかったのに……

 

「ハヅキさぁん……何で起こしてくれなかったんですか……」

 

 慣れない寝方をしてしまったせいか痛む関節を伸ばし、恨みがましげにハヅキさんがいるであろう場所に目を向ける。夕飯だって仕事の一種だろうに、なぜ起こしてくれなかったのか。お腹が減った──

 

「かわいい〜っ!!」

 

「わぷっ!?」

 

 いきなり、ハヅキさんに抱きつかれた。なぜだ。ハヅキさんいつもそんなことしてこなかったくせに! 流石に距離が近すぎっ……

 

「な、何してるんですかっ、ハヅキさ──」

 

 ──その言葉は、続かなかった。

 

 だって、ハヅキさんだと思っていた人は、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「おはよう!」

 

 

 そう言って元気に挨拶をしたその人。

 快活そうな笑顔を引っ提げて、雰囲気にバッチリあったケモノの耳。そして嬉しそうに振られる尻尾……

 

「…………なんで?」

 

 信じられないという俺に、彼女は笑う。

 

 

「初めまして、アニマリアのトーリです! 会いにきちゃいました!」

 

 

 昨日見た、まさかの人物。

 動画で見たよりも映える、人懐っこそうに、ぺかーっと輝く笑顔を振りまく彼女。明らかに自分と違う世界の住人に、俺は──

 

 

「……とりあえず、お帰りいただいていいですか?」

 

「何で!?」

 

 

 

 

 

 

 

 




 



 コミュ障が喋りすぎだって? さてはコミュ障エアプだな? コミュ障は「こいつなら素出していい」って判断した相手ならペラペラ喋るしふざけ出すよ。

 研究棟については無知なのでふわふわに。
 性転換は百合に含めていいのか微妙ですが……
 あと、アニマリアに関してはキ○ミンずぅは関係ありません。

・ミナセ/ミナちゃん
ミナちゃん言われている元大学生。
猫。コミュ障。

・トーリ
You○uber的な珍生物。
犬。陽キャ。やりたいことは我慢しないタチ。
実は一週間前にアポ取ってた。

・ハヅキさん
ミナセの看護師的な人。普通の人間。
実は伝えてなかった。戦犯。


 布教は禁止されてないようなのでぇ……

 ケモミミが好き、百合が好きなら猫娘症候○見て……見て……
 ケモミミ(猫)と百合が合わさって最強に見えるから。完結してるけど今なら一話ずつ更新されるし(8月まで)、後書きイラストも可愛いから……
 GANM○!でチェックだ!
 ついでに作者様はスペ○ズの2ページ漫画を描いてたもよう。

 ケモノ成分が足りない?
 ならケモノギ○見てぇ……8割人外だから。しかもケモノだから。今なら全話無料。スペコンとかいいのしかない上に特に21話は人外のえっなのが一部書かれてるから。第二部連載中だよ! サイコ○でチェック!(8月20日現在、終了してました)
 作者様は蹄鉄フェチらしい。ツイッタ○にいろいろ上がってるぞ!

 え、エグさが足りない……?

 っ[メイドインアビ○]
 

 次回更新はあるかどうかわかりません。


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2話

 

 

「へー、今ってそんな事できるんだ〜」

 

「そうなんですよー! 私の行きつけのお店なんですけど、最近アニマリアにも対応してくれて、すっごく助かってるんです!」

 

「いいお店じゃない! そこ、どこにあるの?」

 

「えっとね〜……」

 

 

 ──なんだこれ。

 

 目の前で行われるハヅキさんとトーリさんの会話を、俺はもぐもぐしながらぼーっと見つめていた。ちなみに、朝ごはんは洋食である。トーストは後のせバターたっぷりでとても美味しい。

 ちなみに、今二人が話しているのはトーリさんの行きつけの美容院だ。1000円カットに通ってた俺には関係のない話だ。

 そもそも、なんでハヅキさんは普通に会話しているのか。その人、侵入者じゃないの? というか仕事しろ。俺の検査とかしなくていいのだろうか。

 

「それでね──」

 

「そうなんですよ、だから──」

 

「ああ! やっぱり──」

 

「ええー! そんな──」

 

 

 ……なんか、居心地悪い。

 

 むぐ、とパンを噛んでジト目をする。でも二人は気付きもしない。なんだこの空気。俺だけ置いてけぼりだ。別に会話に入りたくはないが、目の前で楽しそうに話されるとムズムズする。ぐぅ。

 

「それじゃあ今度行ってみるわね!」

 

「はい! ぜひぜひ!」

 

 やっと終わったらしい。これで落ち着いてご飯が食べられる……

 

「そういえばミナセちゃん! シャンプーって何使ってるんですか?」

 

「ぅぐっ!? げほっ、げほっ!」

 

「わあ!? 大丈夫!?」

 

 思わずむせてしまった……!

 何故俺に会話を振るっ、ハヅキさんと会話しているだけでいいだろうに。というか、トーリさん距離近くない!?

 水を飲みながら、息を整える。顔を上げれば、心配そうに顔を覗くトーリさん。これは、どうすれば……と、とりあえず。

 

「大丈夫、です。喉に詰まっただけですから」

 

「ホント? よかった〜」

 

 ほっと胸を撫で下ろすトーリさん。いや、大元を辿ればあなたのせいなのですが。とは言わない。

 

「え、えっと、シ、シャンプー……でしたね。えっと。あの〜……その、家で使ってたものと同じのを……」

 

「どんなの?」

 

「どんなのっ……」

 

 え、いや、そのと短い単語が出ては言葉にならず消えていく。どんなの、と言われたところでシャンプーなんて頓着してないからわかるはずもない。どうすればっ……

 

 

「確か○○○だったかしら。あれ良いわよね」

 

 

 ──! ハヅキさんっ!

 思わず目を向ければ、ウインクするハヅキさんの姿が……!

 

「ああ、あれですか! なるほど、だからこんなにサラッサラなんですか〜」

 

 そう言って俺の髪を触るトーリさん。どうやら、納得してくれたようだ。ハヅキさん、ありがとう……!

 

 ……うん?

 

 そこで、思い出した。

 

 ……なんでトーリさん、こんなところにいるんだ?

 

「あ、あの〜……」

 

「うん、何?」

 

「え、えっと、その、なんていうか。なんでトーリさんがこんなところに?」

 

「ああ!」

 

 「そうでした!」というトーリさん。え、まさかシャンプー談義で忘れてたとか? そんな俺の気持ちをよそに、トーリさんはその要件を口にする。

 

 

「ミナセちゃん! 私の動画に出てくれませんか!?」

 

 

 ────、

 

 

「お断りします」

 

「即答!?」

 

 

 いや、だって無理でしょ。

 

 

 


 

 

 

「なんでぇ〜、楽しいよ〜?」

 

「説得する気あります!? 尻尾撫でながら言われても説得力ないんですが!?」

 

 ええい、なんでこの人こんなに絡んでくるの!?

 俺が断った瞬間、トーリさんは俺に抱きついて懇願してきた。しかもちょっと泣きが入ってる。

 

「あ、あの、俺人前に出るとか無理なので、全世界に晒されるとか本当にダメなので!」

 

「あ、自分のこと俺って言うんだね。珍しいね〜」

 

「そこですか!?」

 

 どうしよう、この人。話が絶妙に噛み合わない。

 一度受けて、ドタキャンする? いや、そんなの無理。面倒なことになるのが目に見えてる。メンタル的にも。じゃあ、すっぱり断る……?

 

 ちらっと、トーリさんを見る。

 

 その目はキラキラしていて、純真無垢な子どものよう。

 ああ、ダメだ。断ったら断ったで粘着される。断ってもダメ、受けてもダメ。こんなもんどうすればいいんだ。

 

 そも、俺は二度と人の前に立ちたくないのだ。これ以上、()()()()()()()のはごめんなのだ。

 

 

「はい、そこまで。トーリちゃん、流石に詰め寄りすぎよ? 理由も話さなきゃ、了承できるもできないも無いと思うわよ?」

 

 

 ──! ハヅキさん!

 

「むぅ、はぁい……」

 

 トーリさんはその言葉を聞くなり俺の上から退いた。

 

 ああ、ありがとう。ハヅキさん……! 一度ならず二度までも、本当にありがとう……!

 

 ハヅキさんに感謝を捧げる俺に、トーリさんはこほんと息を一つ。そして、その真意を口にする──

 

「えーっと、こほん。ミナセちゃんに動画に出てほしいって思ったのはね。仲良くなりたいなーって思ったからなの」

 

「……はい?」

 

 ──仲良く、なりたい?

 

「一緒のことやれば、仲良くなれるかなぁって」

 

「あの、それ別に動画に出ることじゃなくてもいいんじゃ……」

 

「かわいいから、動画に出たら映えるなぁーと思ったから」

 

 そう言って、トーリさんは俺の瞳を真っ直ぐに見つめる。その瞳はあの動画で見たように、心からそう思っているようで……

 

 

 ──だけど、無理だ。

 

 

「──無理、ですよ。かわいいなんて言ってますけど、俺、男ですから」

 

 こういう類なのは、早めに切った方がいい。そう判断して、そう言った。

 これでいい、はずだ。そうすれば、勝手に人は離れていく。気持ち悪がられるのも、遠巻きにされるのももう慣れてる。今更、一人増えたくらいでどうってことはない。

 彼女もそう思うはずだ。男のくせに女になったって、気持ち悪いって、そう……

 

「うん? 男の娘ってこと?」

 

 ──へ?

 

「え、でも胸は……あるよね?」

 

「……? ってどこ触ってるんですか!」

 

 驚いている隙に、トーリさんは俺の胸に手を置いていた。反射的に手を払い除け、ベッドの上に飛び乗った。

 ついでに、警戒を込めて睨む。だから「猫みた〜い」って言うんじゃない。猫だけど。

 

「えっと、どういうこと?」

 

「……性別が変わったんですよ。俺の性別は元々男です。発症と同時に女になったんです。日本で特殊症例が出たってニュースやってたでしょう? 多分」

 

「あー、そうなんだ〜。それで、なんでそれが()()()()()()()()()()()()?」

 

「何でって……気持ち悪いでしょう。いきなり男が女になったなんて」

 

「そんなことをないと思うよ?」

 

「え……」

 

 さも当然、というように、彼女はきょとん、とした顔で続ける。

 

「別に、そんなこと思わないよ。初対面だし……何も知らないから。ミナセちゃんを知らないのに、そんなこと言えないよ」

 

 それは、俺にとって初めて聞いた言葉で。

 

「それに、こんなかわいいのに、嫌うなんて無理だよ〜」

 

 俺を否定しない、という言葉だった。

 少なくとも、何も知らないから嫌わない。俺のことを知らないから嫌えない。そう、いうことだ。

 変わってしまうかもしれないのに。俺を知られて、嫌いになってしまうかもしれないのに。

 

「……あり、がとう」

 

 思わず、そんな言葉が口から滑り落ちた。初めてだった。そんなことを真正面から言われたのは。なぜか無性に嬉しくて。恥ずかしくて。思わず顔を俯いてしまう。

 

 

 

「じゃ、そろそろ準備しましょうか」

 

 

 

「──はい?」

 

「やったー! それじゃあ待ってるね!」

 

 そんな感情は、ハヅキさんの言葉でかきけされた。その言葉を聞くなり爆速で出て行ったトーリさんを引き止める間も無く、俺はハヅキさんに肩を掴まれていた。その顔は、笑顔を浮かべてはいるものの、逃しはしないという圧力があって……

 

 

「え、あの、ちょ……」

 

「はーい。じゃ、ミナセちゃん。久しぶりの外出よ。ちゃんとお化粧しましょっか!」

 

「話聞いてます!? え、ちょ──」

 

 

 必死の抵抗も虚しく、結局俺は爪から何まで綺麗にされて、出ることになってしまった。

 

 ──三ヶ月前から、出ていない外に。

 

 

 




 感想をいただいて舞い上がってしまった……
 感想をいただけると読んでいただけるという感覚がして単純にめちゃくちゃうれしいです。書いていただけると勝手にテンション上がってます。
 

 多分、コミュ障が肯定されるとこうなるなぁ。

 (あと、ケモミミ百合なら伊○○○先生と言う方がいらっしゃってぇ……)

 次回更新は……うん、未定です。


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3話

 
 ※5月を6月に修正しました。
 


 かんかん照りの空。

 

 心地よく肌を撫でる風。

 

 ほどよく日を遮る雲。

 

 6月の空をほどよく彩る街々。

 

 

 ──そして……

 

 

「うんっ、良い天気だね!」

 

「そ、そうですねー……」

 

 

 ──突き刺さる視線ッ……!

 

 周りの人間は、犬のミミと尻尾が生えた人間──トーリさんに視線を向けている。どこからか、「アニマリアだー」とか「トーリさんだー」とかそういう声が聞こえて来る。そうなると当然、隣にいる俺にも視線が来るわけでっ……!

 何で、こうなったのだろう。俺は必死に思考を巡らせ、この状況をどうにかしようと打開策を考える……ダメだ、何も思いつかないっ。

 

「でしょ! ミナセちゃん!」

 

「え、あ、はい。そう、ですね……」

 

 空気に気付いて、視線に気付いてっ……! 切実に視線で訴えるも、トーリさんは気にした様子もない。だけど俺にとっては死活問題だ。

 周囲を見渡せば、やはりその視線は俺たちに向いていて……うん、すごい落ち着かない。

 

「そういえばミナセちゃん、男だって言ってたのに自分から()()()()()()()()()!」

 

「あ、それはそのっ……」

 

 言及されて思わず、俺はスカートを押さえた。そう、俺は今、スカートを履かされている。いや、自分で履いたは履いたんだけど……

 

「尻尾隠すには、スカートしかなかったんです……すごく落ち着かないし」

 

「えー! かわいいのに!」

 

「かわいいって言えば何でもいいと思ってません!?」

 

 だから「残念」じゃない。俺は見られるのが嫌なのだ。そも、外に出るのも久しぶりすぎてドキドキしてるのに、アニマリアってバレてジロジロされるのも嫌なのだ。

 というか、なぜ研究棟にサイズぴったりの服があんなにあるんだ。帽子があったのはありがたかったけど。

 初めて履いたスカートにドギマギしながら、俺はトーリさんの後を追う。帽子を落とさないように、必死に押さえながら。帽子をかぶると音が聞こえづらいが、耳がいいからあまり問題はなさそうでよかった。と、内心安堵する。

 

「……ん?」

 

 ふわりと、何かいい匂いがする。果物や砂糖が混ざったような、甘い香り。思わず、匂いの元を探し──それは、そこにあった。

 

 それは、クレープ屋だった。

 幸い、まだ行列にはなっていないようで、人はちらほらといる程度だった。

 

 ……食べたいなぁ。

 

 俺は甘党だった。アニマリアになる前は、スイーツをよく買って食べていたけど……研究棟の中は、正直なところそんな甘いものなんて用意されてなかった。許可を貰えば外に出てはよかったが、外に出たくなかった俺は、誰かに頼むしかなく。だけどお願いするにも恥ずかしくて、当分スイーツなんて食べてなかった。

 

「いい匂いするね!」

 

「っ、はい、そうですね……」

 

 クレープの匂いにぼーっとしていると、突然トーリさんに話しかけられて、特に考えずに返してしまう。

 

「あのクレープかなー?」

 

「そう、みたいですね……」

 

 そう言いながら、足を進めていくトーリさん。そうなれば、当然クレープ屋は通り過ぎることになるわけで。

 ……名残惜しいが、今この状況で買いに行く余裕はない。今回は素通りさせてもらおう。後ろ髪を引かれる思いだけど……

 

「食べたいの?」

 

「……へっ!? な、何をですか!?」

 

「クレープ」

 

「そ、そんなことは、無い、ですけど!?」

 

「さっきからちらちら見てるし、それにほら……」

 

 そう言って、トーリさんは俺を指さした。いや、これは俺の後ろ……? その指に従うまま、俺は視線をやると……

 

 

 スカートが、静かに動いていた。

 

 まるで、何か生き物がいるように、規則的に横に揺れるそれは──

 

 

 

「さっきからスカートの中で()()が暴れてるから、気になってるのかなーって」

 

「こ、これは──!」

 

 尻尾の動きを見られたこと。クレープを食べたがっているのがバレたこと。それを察せられたことが恥ずかしくて、顔に熱が集まる。

 

「ち、違くて、その、これは! 視線が集まって落ち着かなくて」

 

「うん、そうなの?」

 

「そうです!」

 

「でもクレープちらちら見てたよ?」

 

「うっ、ぐぅっ……」

 

 ダメだ、言い逃れできないっ。

 顔に血液が集まっていくのを感じる。もう、自分の顔は見てわかるほどに真っ赤だろう。穴があったら入りたいくらいだ。

 顔を真っ赤にして俯きだした俺を見て、トーリさんはいきなり、俺の手を掴んだ。

 

「仕方ないなぁ〜」

 

「え? ちょっ」

 

 そう言って、トーリさんは俺の手を引き始めた。いきなり引かれた手に、体勢が傾く。思わず帽子が落ちそうになって、空いた手で慌てて押さえた。

 

「お姉さん! クレープくださいな〜!」

 

「はーい! ……ってえ!?」

 

 いきなり突っ込んでいったトーリさんに、クレープ屋の店員さんは驚いた声を上げた。だがトーリさんの上から下まで見た後、すぐさま笑顔に戻る。プロだ。

 

「ミナセちゃん、何がいい?」

 

「いや、あの……」

 

「ここまで来て尻込みしないの! お金はあるから」

 

「それぐらい持ってます!」

 

 ええい、腹を括ろう。

 そう決めて、無難なものを注文する。トーリさんは「じゃあバナナチョコイチゴカスタードチョコチップメロンプリンで!」という謎の注文をしていた。

 

「お待たせしました〜!」

 

「ありがと!」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 そう言って渡されるクレープ。俺のはチョコバナナだ。久しぶりのクレープすぎて、結局こんなものしか選べなかった。

 

「……っ!」

 

 ごくりと喉が鳴る。本当にスイーツなんて久しぶりすぎて、よだれが溢れた。さて食べようか、としたその時だった。

 

「って、わっ!」

 

 帽子がズレたのだ。慌てて帽子を押さえ、帽子をあげないように調整する。だけどミミが動くせいでぐらぐらする。

 

「ミナセちゃんミナセちゃん」

 

「は、はい。何ですか?」

 

「帽子、外したら? せっかく出来立てなのに。それに……」

 

「それに?」

 

「尻尾動いてて、今更だから」

 

 そう言って、トーリさんは笑う。その瞳はなんというか、生ぬるくて。感じたことのない視線に、俺はなんだかこそばゆさを感じて帽子を深くかぶって視線から逃げた。

 逃げた先にはクレープがあって。たしかに、帽子を押さえたままだと食べにくい。この身体になってだいぶ経つけど、こういうところはなかなかうまく制御できないのが玉に瑕だ。

 

 視線を落とせば、出来立てクレープ。

 時間が経てば、生クリームも溶けて生地も冷めてしまうだろう。

 目立つのは嫌だ。だけど、久しぶりのクレープ。隠れる場所はない。ここで決めねばならない。

 

 ……仕方がない。

 

 覚悟を決めて、帽子を掴んで持ち上げた。いきなり耳の詰まりが取れた感じがして、押さえつけられていた感触がなくなった。

 少し解放された感覚で、クレープにかぶりついた。途端に広がる、数ヶ月感じなかった甘み。

 チョコもバナナも、中で食べたことはあった。だけど、一緒に食べるなんて久しぶりだ。

 チョコは普通のソースと違ってほろ苦く、バナナは反するように甘い。生クリームは甘さ控えめで、なるほど、バナナを甘いものを選んでるなら、これくらい甘い方が俺は好きだ。皮ももちもちしてて食べ応えがあって、とても美味しい。久しぶりのクレープに、思わず夢中になって咀嚼してしまう。

 そのまま最後まで食べ切ろうとした、その時だった。

 

「ママ〜、あれ、なにー?」

 

「……っ!」

 

 続きを食べようとしたところに響いた子どもの声に、手が止まった。

 背に氷を入れられたような感覚がして、顔を上げる。そこには、大勢の人間が俺を見つめていて。

 

 ──やらかした。

 

 久しぶりのクレープに、浮かれすぎていた。周りは俺を凝視して、その歩を止めていて、そこから動こうとはしなかった。

 そんな光景に、後悔の念が湧き上がる。周りがどう思うかはわかりきっていた。クレープなんて食べたいと思わなければ。こんな気分にならなくて済んだのに。

 身体を縮めて、聞こえるであろう言葉に耳を塞ぐように、この場から立ち去ろうと頭を下げた。

 

「す、すいませ──」

 

「お姉さん、私もクレープもらっていいかしら?」

 

「は、は〜い!」

 

 ……あれ?

 

 覚悟していた言葉が、聞こえなかった。それどころか、周りの人たちの視線は今やクレープ屋に向いていて……

 

「美味しかったんだね、ミナセちゃん!」

 

「わっ、トーリさん!?」

 

 理解が追いつかない事態に呆然としていると、トーリさんにいきなり声をかけられた。クレープは完食していて、何故か尻尾が忙しなく動いていた。

 

「あの、どういう状況……」

 

「え、う〜ん……」

 

 俺の言葉にトーリさんは、少し迷うような素振りを見せた。少しだけ、ソワソワとしていて……突然、「あっ」と、何か閃いたような顔をした。そして、いい笑顔と共に親指を立てる。

 

「かわいいって、いいよね!」

 

「どういう意味ですか!?」

 

 いや、本当にどういう意味。帽子を被り直しながらトーリさんに聞くも、何故かはぐらかされて答えてくれない。本当に、いったい何が起こったのだろうか。……怖いんだけど。

 結局、何も教えてもらえず、モヤモヤしたままになってしまった。……まあ、クレープは美味しかったから、よしとしよう、かな。

 

「それじゃあ、行こっか!」

 

「え、どこにですか?」

 

「何って……動画撮影!」

 

 

 ────、

 

 

 忘れてたァーーっ!

 




 
 ミナセ、女装する? テンプレを挟んでみました。
 尻尾を縛ったりしないのは、まともに動けなくなるからです。三半規管が微妙に狂ったりするみたいです。
 目立ちたくない<甘いものにするクレープってすごいね……

☆裏話
 アニマリアがタマネギ、チョコとかを食べて問題ないことは実は証明されてたりします。けれど、大事が起こってはダメだからいろいろと規則、みたいなものは決められてたりします。
 もちろん、ミナセが食べたいと言えば可能な限り買ってもらえたけれど……ハヅキさんがいじります。コミュ障なミナセはすごすご引き下がります。あわれ。

 これだけだと少ないので、二人の好きな食べ物置いてきます。

・ミナセ
好きな食べ物:甘いもの、■■
苦手な食べ物:熱いもの、酸っぱいもの
・トーリ
好きな食べ物:珍しいもの、ご飯に合うもの
苦手な食べ物:臭うもの



 次回は……


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4話

 

 

 俺は、何をしてるんだろう。

 

 

「こんにちはー! トーリだよ! 今日はゲストに来てもらってまーす!」

 

 

 知らないうちに始まる、動画撮影。

 トーリさんはもう慣れているようで、お決まりの口上と、企画の内容を明るく、そして楽しげに話し始めた。

 

「なんと、今日は日本最初のアニマリア、ミナセちゃんに来てもらってま〜す! いや〜、許可もらうの大変だったんだよ〜? えっと、最初会ったとき、すっごくかわいくてね〜」

 

 やめて、やめて……プレッシャーかけないで……

 

 動画撮影はまだ始まったばかりだというに、俺はもう瀕死だ。あのカメラの中に生気が吸われてるのではないだろうか。

 心なしかげっそりした気分で、動画の成り行きを見守る。そして、その時が来る。

 

「じゃあ、ミナセちゃん、どうぞ!」

 

 

 ──来た。

 

 覚悟を決めねばならない。今日だけで何度覚悟を決めたかわからないが、もうここまで来たらやるしかないのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!

 

 そして、力を抜いて画角に飛び入った──

 

 

 

 ──俺の尻尾()()

 

 

 

「はい! ゲストのミナセちゃんの()()です! さあ、やっていきましょう!」

 

 

 ああ、どうしてこうなったんだっけ。

 

 画角には入らないところで頭を抱えた。そんな俺を無視してトーリさんは淡々と撮影を続けていく。

 

 ふと、カメラを見た。そこには、だらりと力なく垂れる俺の尻尾が映っていて。

 あまりにもシュールな光景に、俺は力なくうなだれた。

 

 

 

 


 

 

 

 

「ここが私の家なんだ〜」

 

 

 結局、あれから逃げることもできず、トーリさんの家に来ることになってしまった。クレープに夢中にさえなっていなければ、まだ引き返せたかもしれないのに。

 

「いや、それにしても……」

 

 大きいな、とひとりごちた。

 見上げれば、立派な一軒家。俺の住んでいた家よりもはるかにでかい。そんな邸宅の鍵を開けて、俺を誘うトーリさん。こんな家なのに、まさか一人暮らしなのだろうか?

 

「ひ、一人暮らしなんですね。こんな立派なのに……」

 

「あ、ううん! お父さんが遠くで働いてるだけだよ! まあ、実際一人暮らしみたいなもんなんだけどね〜」

 

 「だから自由に撮影できたりするんだけどね!」と楽しげに笑うトーリさん。それ、関係あるのかなと思うも、口には出さないでおく。

 

「お、お邪魔します……」

 

「はーい、いらっしゃ〜い!」

 

 案内されるがままに、俺は屋敷に一歩踏み入れた。

 

「こっちこっち!」

 

 誘われるがまま、家の奥へと進む。トーリさんの尻尾はぶんぶんと振られていて、嬉しくてたまらないという様子だ。なんというか、人の気も知らないで……という気分にさせられる。

 

「で、ここが私のスタジオだよ〜」

 

 そう言って、トーリさんは一つの部屋を開けた。そこには、いかにも撮影部屋、という品々が置かれていた。

 カメラにソファ、パソコンに机、といった必要最低限のものだけ置かれ、あとは見栄えを良くするためのアイテムが並べられていた。

 

「どう、ここ!」

 

「あ、い、いいんじゃないですか?」

 

 俺に聞かないで。たしかに動画はよく見てたけど、正直、撮影のイロハなんてものは全く知らないのだ。そんなことを聞かれても困ってしまうわけで。十人並みの言葉しか返せないのだ。

 

「よーし、じゃ、準備始めよっか!」

 

「ちょ、ま、待ってください! 俺、別に動画に出るとは……」

 

「え〜!」

 

 俺がそう言うとぶー垂れ出すトーリさん。ついでに縋り付いてきた。それを手で押しのけて、俺はなんとか距離をとる。ほんの数センチだけだけど。

 

「やろうよ〜! ね? ここまで来たんだし!」

 

「何でそこまで誘おうとするのかはわかりません、けど……」

 

 確かにここまで来て、これまでしてもらって断るのも、よくはないのだろう。だけど、それでも。()()()()

 

 

「俺は……」

 

 

 ──聞こえてくるのは、喧騒ばかりで。

 

 

「俺はもう」

 

 

 ──五月蝿すぎて、眠れない夜も。

 

 

「嫌なんです」

 

 

 ──誰からも、認められないのも。

 

 

「……見せ物にされるのは、嫌なんです」

 

 

 ──もう、あんな思いはごめんだ。

 

 

 そんな気持ちを込めて、トーリさんを押しのけた。頑固で、面倒くさくて、嫌な思いをさせたかもしれないが、俺だって、嫌なものは嫌なのだ。

 

「……そっか!」

 

 トーリさんは、それだけ言って部屋を後にした。諦めたのだろうか。それ、だと……嬉しい、のだけど。

 

 ……嫌われたかもしれない。

 

 何を言っているのか。拒絶したのは、自分のくせに。嫌な気分がぐるぐるして、少しだけ泣きそうになった。

 

「……帰ろう」

 

 そう呟いて、部屋の出口に向かう。せめて、最後にトーリさんに断りを入れておくべきだろう。

 

 そう考えた、時だった。

 

 扉が、勢いよく開かれた。

 

 

「なら! これなら出てくれるよね!」

 

 

 扉をバンッと開けて現れたトーリさん。その手には、クッションと椅子が担がれていて。

 

「これなら身バレしないし、出られるよね!」

 

 そう心底ワクワクした様子で語りかけてくるトーリさんに、とりあえず俺は言うことにする。

 

 

「……とりあえず、勢いよく開くのはやめてください」

 

「わぁ!? ご、ごめん!」

 

 

 扉の勢いでひっくり返ったまま、そうこぼした。

 

 

 


 

 

 

 そうして今に至るわけである。

 

 “出たくない”を“身バレしたくない”と解釈したトーリさんとの折衷案。それが、尻尾だけ登場する、というものだった。わけがわからない。

 なんというか、これ以上意地を張るのもアホらしくなって……というか、無理だと悟ってこれを呑んだわけだが、一体全体、何故こうなったのか……!

 

「それでは早速……『ミナセちゃん質問コーナー』! というわけで今から質問を募集します! ハッシュタグで……」

 

 

 ──って聞いてないよおい!?

 

 

 ああ、やばい。どうやって止めればいい。何でよりにもよって質問コーナー。声をたくさんださなければならない企画をっ……というか初対面で何故、質問コーナーなんて距離感バグった企画をするんだ。そしてそれを楽しそうな笑顔で提案するな、否定しづらくなる。

 下手に声を出せば動画に入ってしまう。動くなんてもってのほかだ。ど、どうすれば……

 

 その時だった。

 

 去年のカレンダーとシャープペンを見つけたのは。

 

 こ、これなら……!

 

 

 トーリさんはもうSNSで質問募集を始めてしまっている。これから止めるには遅いだろう。ならば。

 

 

「はーい、早速質問を……ってあれ?」

 

 

 ぱすんっ、と軽い音を立てて、トーリさんの前に落ちたもの。それは、俺の折った紙ヒコーキだった。

 

「開けってこと?」

 

 うん、その通り。

 

 トーリさんは俺を見る。それに俺は首肯で答えた。すると、「おっけー!」という返事と共に、紙ヒコーキが開かれていく。すると、見えるわけだ。

 

 俺の書いた、メッセージが……!

 

 

 

「【五つまでです】……はぁい」

 

 

 

 質問に答えるのは五つまで、というメッセージだった。

 

 ごめん、無理だ。あんな楽しそうにしてるトーリさんに企画変えろなんて言えるわけがない。そも、面白い企画なんて思いつくわけでもない。受け入れた時点で負けが決していた。

 

「おっ、早速来たね! えーと、【何のアニマリアですか】だって!」

 

 答えを書いて、紙ヒコーキにして投げる。

 

「えっ、そういう返答方法にするの? えーと……【猫】。簡潔っ」

 

 うっさい。俺にユーモアを求めないでくれ。エンターテイナーなら、なんとかうまく扱ってほしい。

 

「次は……【スリーサイズは】……ダメだって、尻尾が言ってるね!」

 

 尻尾を背もたれに叩きつけて返答。恥ずかしくてろくに測ったこともないのに、誰が答えるか。

 

「【お互いの第一印象は?】かわいい! あのね〜、アニマリアって感情わかりやすくってさ〜、ここにくる時、クレープ見つけて……あいた!」

 

 そんなこと言わんでいいっ。

 

 そんな思いをこめて丸めてぽいしたカレンダーはトーリさんの頭にクリーンヒット。なんとかそれ以上喋ることは阻止。

 

「でも顔真っ赤にしてるから、結構恥ずかしかったり……次行こう!」

 

 さすがに、尻尾の動きで不機嫌なのがバレたらしい。トーリさんはし切り直して次の質問を読み出した。

 

 

 


 

 

 

「は〜、お疲れ様〜!」

 

「お疲れ様、でした……」

 

 結局、なんだかんだで質問を五個以上答えさせられてしまった。

 変なことを言おうとするたびにカレンダーを丸めて投げて、紙ヒコーキでなんとか意地を伝えていた。最終的に紙が足りなくなって、千切った玉を撃ってばっかりだった。

 

「楽しかったよ、ありがとね!」

 

「は、はあ。それならよかったです」

 

「でも、何で紙ヒコーキだったの?」

 

「だって……撮影中だったじゃないですか。入らないようにするには、ああするしかないと思って……」

 

「別に編集するから、入ってきてもよかったのに〜」

 

「……あ゛っ」

 

 そうだ。これ配信とかじゃないから、別に入り込んでも良かったんだ!

 

「もしかして、気づいてなかったの?」

 

「うっ……」

 

 テンパりすぎて気づかなかった、とは言えず。とりあえず目を逸らしておく。なんだか、申し訳ない気持ちになってきた。

 

「あの、ごめんなさい。紙投げつけたりして。こんな素人が動画に関わっても、面白くなんてないですよね……」

 

「そんなことないよ!」

 

「え……」

 

「紙ヒコーキで会話するのも楽しかったし、尻尾で感情表現してくれるから、動画的にもよかったと思う! それに……」

 

 そう言ってトーリさんは、朗らかに笑っていた。そして、一層笑みを深めて続ける。

 

「──ミナセちゃんと、仲良くなれたみたいでよかった!」

 

 ──え。

 

「だってミナセちゃん、途中で紙の玉投げつけてきてくれたし、あんなわかりやすい尻尾も見せてくれたし、ああ、仲良くなれたんだな〜って」

 

「そんな、一日も経ってないのに」

 

「仲良くなるのに時間は関係ない、でしょ?」

 

 ま、眩しすぎる……!

 

 思わず目を細めて、一歩下がってしまう。仲良くなるのに時間は関係ないってリアルで初めて聞いた……

 困惑する俺に、トーリさんはいきなり抱きついてきた。

 

「わっ、トーリさん!?」

 

 いきなりすぎる出来事に、思わず身体が硬直する。そんな俺を置き去りに、トーリさんは優しい声音で言った。

 

 

「……ありがとう。動画に出てくれて。おがげでとっても楽しかった」

 

「──ぁ」

 

 その言葉は、とても優しかった。

 抱きしめられた体温と、身体をくすぐる尻尾に、顔が熱くなっていく。

 

 ──言わなきゃ、ならない。

 

 自然と、そう思っていた。

 誘ってくれたこと。クレープに付き合ってくれたこと。言うことを聞いてもらったこと。それと……

 想いが湧いては溜まっていく。噴き出た想いが多すぎて、爆発してしまいそうだ。だから、言わなきゃ。

 

 

「──えっと、こちらこそ、ありがとう……ございます。その、あのぉ……楽しかった、です」

 

 

 顔が熱い。本当に火が出そうだ。

 

 こうして正面から誰かにお礼を言うのは、久しぶりかもしれない。

 どれだけ拙い言葉が出たのだろう。トーリさんは抱きしめたまま動かない。少しばかり不安が過ぎる。

 だが、そんな想いも、俺を抱きしめる腕に力がこもることで中断される。

 

「ミナセちゃん、また一緒に遊ぼうね!」

 

 その問いに答えるのは、気恥ずかしくかった。なんだか、顔が上げられない。本当に、恥ずかしい。

 

 でも、今日は本当に──

 

 

「じゃあ、また一緒に動画撮ろう!」

 

 

 ────、

 

 

「動画は嫌です」

 

「即答!?」

 

 

 これさえ、なければなぁ。

 

 素直に、言えるのに。

 

 

 




 
 コミュ障は多少強引にしないと心を開かない生き物です。
 このお話は、ちょっと強引な犬ミミ美少女に釣られて、一歩歩むまでのお話、みたいなものです。だ、大丈夫かな……?
 求めていたのと違ったらごめんね。ちょっと強引だったかも。あとストーリーとちょっとのシリアスがいるものなので……
 質問コーナーは某社長の動画を参考にさせていただきました。
 というか、コミュ障を一日足らずで落とすトーリすごいなー……

 感想:たくさん
 お気に入り:たくさん
 評価:色付き
 ……Σ(; 0×0)
 まさか、寝て起きたら倍以上に感想もお気に入りも増えているとは思わなかった……感想返しが大変という初めての体験をしました……! 夢かと思って小説情報を見るたびにお気に入りが10件ずつ増えてるって……
 TS猫ミミ娘がクレープに夢中になってるだけでこんなにかわいい言ってもらえるとは……
 本当に感謝、感激です……!



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5話

※三話を5月から6月に修正してます。


 

「ミナちゃん、お昼ご飯の時間ですよー」

 

「……はぁい」

 

 

 トーリさんと動画を撮ってから、一週間が経った。俺が出た(尻尾だけ)動画は、そこそこ見られたらしい。コメントは『尻尾だけは草』とか『生殺しやんけ』というコメントが大半だったらしい。

 なぜ“らしい”なのかというと、トーリさんとハヅキさんからの情報しか聞いていないからだ。

 だって、恥ずかしい。コメントを見ないにしても、尻尾しか出ていないとはいえ、自分がでている動画なんてどう見ればいいのだ。

 というか、こんな情報を得られているのも、いつのまにか入れられていたSNSアプリのせいだ。帰ってきてゲームをしていると、いきなりトーリさんから連絡が来て飛び上がってしまった。

 それからまあ、それなりに連絡はとっている。なぜか、スイーツの写真ばっかり送られてきて、羨まし──うっとおしいと思うけど。一体、いつ入れたんだろう……

 

「それにしても、よく動画に出たわね。ミナちゃん、あんなに嫌がってたのに。なにか心変わりでもしたの?」

 

「いや、なし崩し的に……」

 

「そうなの? それにしては楽しそうにしてたじゃない。紙の玉投げて。もしかして、ノリノリだった──痛い!?」

 

 うっさい。余計なことを言うハヅキさんには、尻尾で叩いておく。

 

 ノリノリだなんて、あるわけもない。

 俺はいかにして動画に映らないかだけを考えて行動していたのだ。そんなことを考えている余裕なんてなかった。

 あるとすれば……トーリさんに、乗せられただけだ。それしか、考え、られない……

 

 

『……ありがとう。動画に出てくれて。おがげでとっても楽しかった』

 

「……っ!」

 

 昼ご飯のカレーをかき込んで、水を流し込んだ。

 

「ミナちゃん?」

 

「は、はい!? 何ですか!?」

 

「大丈夫? 尻尾がめちゃくちゃだよ?」

 

「大丈夫です!」

 

 ああもう、変なことを考えてしまった。トーリさんが来てから、調子が狂うばかりだ。

 別に変なことはじゃない。ただ、お礼を言われただけだ。それがただ、なぜか妙に恥ずかしかっただけだ。何故かわからないけど!

 

「……ごちそうさまでした。ハヅキさん、今日ってあと何かありましっけ」

 

「うん、ないよ? ……あ」

 

「へ、何かあるんですか? なら早くしないと……」

 

 

 そう言った、時だった。

 

 

「ミナセちゃん! 来たよ〜っ!」

 

 

 聞いたことのある声。他でもない、そんな言葉とともに現れたのは、他でもない、トーリさんだった。

 

「な、なんでトーリさんが!?」

 

「迎えに来たよ〜、じゃ、行こっか!」

 

「どこにですか!?」

 

 いきなり現れてなんだこの人! ええい、説明もなしにどこかへ連れて行こうとしないで!

 

「そうそう、トーリちゃんが来るって伝えるの忘れてたのよ」

 

「今言いますか!?」

 

「じゃ、早速着替えてきましょうか。トーリちゃん、ちょっと待っててね!」

 

「はーい!」

 

「俺の意見無視ですか!?」

 

 

 なんかデジャヴ!

 

 結局、徹底的に囲いにかかる二人に敵うはずもなく……また俺は綺麗に磨かれてトーリさんに投げ渡されることになった。

 アニマリアの研究はいいのだろうか。たしかに、暇だったけれども……!

 

 

 


 

 

 

「それで、なんで俺を連れ出したんですか」

 

 

 俺とトーリさんは今、またあの道を歩いていた。今日は平日だからか、人の姿はまばらだ。その分、多少歩きやすくて助かった。

 

「また遊ぼうって言ったでしょ?」

 

「言ってましたけど……」

 

 何か、社交辞令的なものだと……

 

 まさか本当にまた遊ぶ……遊ぶ? ことになるとは思わなかった。なんだか、また振り回されることになる気がするけど。

 

「そういえば、私の動画見てくれた?」

 

「いえ、まったく……」

 

「えー、ミナセちゃんの動画とか評判良かったんだけどなー」

 

「そ、そうなんですか……」

 

 そう答えたきり、無言で歩き続ける俺とトーリさん……

 

 か、会話が続かないっ……!

 

 二人で歩いているのに会話が続かないのはいただけないのでは? ど、どうすれば……

 

「そ、そういえばトーリさん」

 

「うん、どうしたの?」

 

「なんで、トーリさんは動画投稿を始めたんですか?」

 

 とりあえず、何も不思議じゃない程度に会話をしてみようと、前から気になってたことを聞いてみる。

 一体、何を思って動画なんて始めたのか。それだけは、ちょっとだけ、聞いてみたかった。

 

「うーん、そうだなぁ」

 

 俺の問いを聞いたトーリさんは、考える素振りを見せて、「うん」と頷いた。

 

「やってみたかったからかな!」

 

「えっ……」

 

 “やってみたかった。だからやった”といつ極めてシンプルな、予想してなかった答えに思わず声が漏れる。

 

「ほら、今流行ってるじゃない? そういうの。レビューとかバーチャルとか、だからいつかやってみたいなーって思ってて。アニマリアになったから、ちょうどいいって思ったんだ〜!」

 

「え、あの……それ以外の理由って」

 

「無いね!」

 

 おう、ばっさり。

 

 なんというか、すごいな。

 

 そう楽しそうに語るトーリさんを見つめながら、思う。

 

 怖くは、なかったんだろうか。

 

 まだアニマリアが現れて、一年も経っていない。前例はあったとしても、まだアニマリアへの偏見は根強い。それなのに、何でただ“やりたい”だけで、こんなに行動できるんだろう。

 

「なんでそんな簡単に、やろうって思えるんですか?」

 

 思えば、口から勝手に、そんな言葉が出ていた。

 

 すると、トーリさんはきょとんとした顔を浮かべて、足を止める。

 

 まずい、地雷に触れた……!?

 

「ご、ごめんなさい。無遠慮な質問してすいません!」

 

 思いもしなかったトーリさんの反応に、反射的に謝罪する。ああ、失敗した……!

 

「──後悔したくないから」

 

「……へ?」

 

「後悔したくないから、だよ」

 

 そう言うトーリさんは、先ほどまでの顔をくるりと変えて、ニヤッとした笑顔を浮かべて、続けた。

 

「やりたいことをやらないなら、“後悔”しか残らないからね! だからやりたいことは我慢しないようにしてるの」

 

 さも当然のように語るトーリさんは、すごく眩しくて。まるで純粋な子どものように笑うトーリさんを、直視できなかった。

 

「だから、ミナセちゃんを誘ったわけだしね!」

 

「え、そこからどうしてそこにつながるんですか」

 

「あ、着いた着いた! いらっしゃ〜い!」

 

「話聞いてます!? って……」

 

 いつのまにか、トーリさんの家に着いていた。まさかとは思ったが、もう一度この家に来ることになるとは思っていなかった。

 

「ただいま〜!」

 

 そう言って家に入っていくトーリさんをみて、思う。

 

「すごいなぁ……」

 

 俺には、無理だ。

 やりたいからやる。それは、きっと言葉にするより難しいことで。それをしようと思えるだけ、きっとすごいことなんだろうな、と思う。少しだけ、羨ましいかもしれない。

 

「ミナセちゃん、早く〜!」

 

「は、はい! お邪魔します!」

 

 トーリさんに呼ばれたから、急いで家の門を潜る。それにしても、ここで一体何をするつもりなんだろう。動画撮影だったら逃げ……られる気がしない。

 家に入った俺は、すぐさまリビングに通された。トーリさんは奥からお茶とコップを持って、俺に渡してくれた。

 

「いらっしゃい、ミナセちゃん」

 

「は、はい。どうも……それで、今日はなんで連れてきたんですか?」

 

「あれ、さっき遊ぼうって言ってなかったっけ?」

 

「……へ?」

 

「一緒に遊ぼうと思って、いろいろ用意したんだ〜」

 

「……あの、動画の撮影、とかではなく?」

 

「へ、撮りたいの?」

 

「ち、違います!」

 

 まさか、本当に遊ぶだけとは。

 

 内心でほっと一息。また動画に参加させられるかと思った。俺なんて参加しても、ろくなことにならなさそうだし、今日に至ってはただ遊びたいというのなら、まあよかった。

 

「じゃあ、ちょっと持ってくるね!」

 

「え、何をですか!?」

 

「秘密〜」

 

 えへへ、と笑ってその場を後にするトーリさん。それも、なぜか尻尾を振って。とんっ、とんっと軽い足取りでどこかへ向かっていく。

 

 なんだか、嫌な予感がする。

 

 今まで見たこともないトーリさんに、俺のナニカがそう告げていた。だけど、何をするかも想像がつかない。冷や汗を流しつつ、トーリさんを待つしかなかった。

 

 

 


 

 

 

「……さすがに、遅くない?」

 

 ──あれから、十分経ってもトーリさんは戻ってこなかった。

 

 一体、何があったのだろう。ミミをすましてみても、ゴソゴソという音がするくらいで、ほとんど物音がしない。それに、何か歩いている、という感じでもない。

 

 ……まさか、何があったのだろうか。

 

 ちょっとだけ、心配になってきた。

 下敷きになってもがいてるとかじゃないよね……?

 

 探しに、行こうか。

 

 人様の家を勝手に散策するのは気がひけるが、何か大ごとになるよりはマシかもしれない。でも、やっぱり人の家を勝手に……

 

「……ん?」

 

 そう思っていた時、足音が聞こえてきた。どうやら、杞憂だったらしい。何事もなかったようでよかった。少しだけ安心した気持ちでお茶を口に含む。

 

 トタ、トタっ、という音は、規則正しくリビングに向かっていた。そしてそれが、不意に止まって、リビングの扉が開かれた。なんの気無しに、トーリさんに目を向ける──が、止まる。

 

「……はい?」

 

 そんな声が、自分の口から漏れた。いや、だって仕方がない。

 

 だって、入ってきた人は()()()()()()()()()()()()()。むしろ、見たこともない、知らない人で。いうなれば、()()()()()で……!

 

 そんな彼女は、薄い黄色の尻尾を揺らし、同じ色のミミをピンっと立たせ、驚いたように震わせていて──

 

 

「…………誰?」

 

 

 やっと口を開いた彼女は、ここにいて当然、というように話しかけてきた。

 

 

「……そっちこそ、誰ですか!?」

 

 

 あまりにも不審者すぎる不審者に、俺も思わずそう叫んでいた。

 

 

 




 
 
 新アニマリア登場! 実は名前だけ出してたりします。彼女は誰なのか……? と。
 
 コミュ障は、二人で歩いていると話したくはなくとも、何か話さなければ失礼なのでは……? という観念に囚われたりする生き物です。
 

 感想とお気に入りを多くいただいて、戦々恐々しながら投稿しております。TSケモミミ百合ってすごいなぁと。鈍足ですが、お読みいただきありがとうございます……!



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6話

 

 

「ということで! ミナセちゃんに紹介しようと思って、ちぃちゃんを──痛ぁ!?」

 

 

 あれからすぐ。トーリさんが後ろから現れ、紹介したいなどと言い出した。まさか、ずっと仕込んでいたのだろうか。というかどこから入ったんだろう。

 

「ちぃちゃん、痛いっ!」

 

「痛いじゃないわ。あんたまた変なことやって、こんないかにも気弱そうな子にドッキリ染みた事しかけるもんじゃないわよ」

 

「き、気弱……」

 

 初対面の人にもそう言われるのか……

 

 当たってはいるものの、なんとなくショックだ。そんな俺を無視して、トーリさんと知らない人は会話を続ける。

 

「どうせ、あんたのことだから無理言って連れてきたんでしょうけど。もうちょっと、自重しなさいよ」

 

「あ、あの!」

 

「何かしら」

 

「えーっと、とりあえず、どちらさまで……」

 

「ああ、そうね」

 

 こほん、と息を一つ。彼女は尻尾をふるりと動かした。その姿はなんというか、不思議な魅力を持ってて、というか、圧力を持ってて……

 

「私はチシャ。まあ、見ての通り狐のアニマリア。それで、あんたは?」

 

「はい! 俺はミナセです! 見ての通り猫ですっ、よろしくお願いしますっ!」

 

 

 な、なんか思わず警戒したまま返事をしてしまった……! まずい、変に思われてないだろうか?

 

 恐る恐る顔を上げる。

 そこには、口元に手を当てて、こちらを見つめるチシャさんの姿があった。あれ……? 一体、どうしたんだろうか。

 

「…………なるほど。トーリがかわいい、かわいいって言ってた意味がわかるわ」

 

「でしょ〜?」

 

「へっ!?」

 

 いつのまにそんな会話が!? なんで人の情報を簡単に言うの、トーリさん!

 

 そんな俺を置いて、チシャさんは俺をじーっと見つめていたと思うと、いきなり俺のミミを揉み始めた。突然すぎて、尻尾がぶわりと膨らんだ気がする。

 

「な、ななな何を!?」

 

「あんた、本当に男の子だったの? なんか弱々しすぎて、そう思えないんだけど……あら?」

 

「なんで知ってるんですか!? とりあえず放しっ……トーリさん!」

 

 この人も距離感が近いっ。

 ミミを揉まれながら、俺はどうすることもできなかった。トーリさんを呼んでも微笑んでるし、心臓はバクバクしっぱなしで、落ち着く暇もない。

 

「……まあいいわ。それで、トーリ。私とこの子呼んで、何しようとしてるの? また動画?」

 

「あ、違うよ……よいしょっと」

 

 ようやく、ミミを放してくれたチシャさんの言葉に、トーリさんは紙袋を取り出した。それをどんっと勢いよく机に置くと、その中から箱のようなものを取り出して、満面の笑みで言った。

 

 

「カラオケ、やろう!」

 

 

 ──カラオケ。

 

 それは、仲のいい友だち同士で行ったり、恋人同士で行って、全力でふざけたり、ラブソングを歌ったりするもので──

 

 

「ごめんなさい、無理ですっ……」

 

「即答っ!? しかもそんな悲痛に!?」

 

 

 打ち上げの時、ずっと人の歌を聴きながら、ジュースを飲んでいた俺には無理だ……! そもそもなんでカラオケに……!

 

「ミナセ、落ち着いて。そもそもなんでカラオケなのよ。別に、お店に行けばいいじゃない」

 

「あはは、実はカラオケセットずっと持ってたんだけど、使い道がなくて。折角だからちょうどいいな〜って思ったんだ。ミナセちゃんとちぃちゃんを会わせたかったし」

 

「でも、なんでカラオケを……あれ」

 

 

 そこで、違和感に気づいた。

 

 なんで、カラオケセットを紙袋から出したんだろう、と。

 持っていたにしては、紙袋が綺麗すぎるし、それにホコリもかぶっていない。それも、未開封の証である箱の爪の部分もテープで閉じられていて、まったくの新品であると察せられた。

 だったら、なんでわざわざ? なんで買ってきてまで、家でカラオケなんて……

 

 

「ほら、ミナセちゃん、外苦手だから。ちょうどいいなって」

 

 

 ──あ。

 

 たしかに、俺は外が苦手だ。それはトーリさんには今までの言動でバレているだろう。なら──

 

 ──もしかして、()()()()()()()()()()()()

 

 そんな疑問が芽生える。それなら、あれが新品であることも納得できる。……いや、まさか。そんなことがあるはずがない。

 まだ会ってそんなに経っていない。そんなほぼ初対面の人に、そんな気を回す必要もないはずだ。本当にただ、綺麗な状態で保存していただけだろう。自意識過剰にも程がある。そう、決めつけた。

 

 

「じゃ、繋いだから、早速歌っていこ〜!」

 

 

 

 


 

 

 

「────、」

 

 リビングに、美しい歌声が響き渡る。

 歌詞をなぞるだけではない、確かな。(ことば)の一つ一つに感情を込めて歌われるそれは、まさに歌手のようで。

 歌に感情を込めるその人は、ミミと尻尾を音色に乗せて、指揮者のように空をなぞっていた。

 

「────♪」

 

 そうして、彼女の歌は終わる。

 歌を見事に表現し切った彼女は、どこか満足げだった。

 

 ──そして。

 

「やった! 96点だって! 久しぶりのカラオケで!」

 

 賑やかな音とともに採点が終わり、歌手──トーリさんは、尻尾をブンブンと振り回しながら高得点がとれた喜びを全身で表していた。なんというか、台無しである。

 

 当然、俺はタンバリンである。

 無理です。歌うなんて。まともに歌ったことなんて、合唱コンクールくらい。しかも、まともに声を出したことなんてない。

 そんな俺は、次々歌う二人についていけず……なんというか、ものすごい疎外感に包まれていた。そもそも、タンバリンすらどのタイミングでやればいいのかわからないのに。本格的に俺がいる意味がわからなくなってきた……

 

「おめでとう、というかさっきからアニソンばかりじゃない。流行りの曲とか歌わないの?」

 

「カラオケって好きな曲を歌いたいからね〜。そう言うちぃちゃんも流行り曲ばっかりじゃん!」

 

 疎外感を感じる俺を置き去りに、トーリさんとチシャさんは会話をしている。なんだか、悲しくなってきた。こんな時、どうすれば……

 

「じゃ、はい!」

 

「へ?」

 

 そんな俺の手に、いきなり何かが渡される。視線を落とせば、スイッチが入った状態のマイク。

 

「次はミナセちゃんの番ね!」

 

「え、お、俺ですか!?」

 

 いきなりバトン(マイク)を渡され困惑する俺に、トーリさんは「大丈夫大丈夫!」とサムズアップ。何も大丈夫じゃない!

 

「いや、俺歌なんて上手くないですし、歌ったことなんてもう3年くらいしてないし、そもそも俺の歌なんて聞いても得しないですから、おミミを汚すだけですから!」

 

「私が聞きたいの!」

 

「そんなこと言われてもっ!」

 

 あまりにも押してくるトーリさん。本当にどうすれば……

 

 

「……歌いなさいよ。ミナセ」

 

 

 口を開いたのは、チシャさんだった。

 思わず顔を見れば、縦に割れたその瞳は俺をまっすぐ見つめていた。あまりにもまっすぐすぎるその瞳に、体が強張ってしまう。

 

「歌ったほうがいいわよ、ミナセ。トーリは決めたら梃子でも動かないから」

 

「ちぃちゃん!? 人を頑固ものみたいに!」

 

「事実でしょう」

 

 そこには同意する。

 まあ、トーリさんがいなければ、今ここにいないわけではあるけど。

 

 

「…………大丈夫、()()()()()()()

 

「え……」

 

 その言葉は、その瞳と同じようにまっすぐで。心の奥底まで見通すような目に、身体が跳ねた。だけど不思議と、そんなに気にさせられてしまう。……がんばって、みようか。

 

「──歌ってみます」

 

 選ぶのは、よく聞いたことのあるアーティストの曲。テンポは遅めで、比較的歌いやすかったはず。

 久しぶりの歌で、正直どう歌っていいかなんてわからない。だけど、誰も、笑わないなら……

 

 

「────♪」

 

 

 歌い始めは、ゆっくりに。声量はできるだけ抑えて、伸ばすように歌いあげる。サビの部分は少しだけテンポは上がるから、息継ぎはしっかりとして。

 

「────!」

 

 最後のサビは力強くして、勢いよく歌い上ていく。

 

 不思議だ。さっきまで緊張してたのに、歌えば歌うほど、緊張が緩んでくる。ああ、歌うって、こんな感じだったなぁ。

 

 

「────っ!」

 

 

 ──最後まで、歌い切った。

 

 久しぶりすぎて、声がひどかった印象しかない。一体、どう──

 

「すごかったよ、ミナセちゃんっ!」

 

「わわっ!?」

 

 そんな余韻に浸る暇もなく、トーリさんに抱きつかれた。抱きついた時のいい匂いに、自然と顔が暑くなっていく。

 

「と、トーリさん……」

 

「歌上手だったんだ! びっくりした〜。見てよ、得点!」

 

 得点?

 

 そう思って、画面を横目に見る。そこには、『97点』と表示された採点画面が映っていた。

 

 ……あれ、自分で出したのだろうか?

 

 自分の思っていた現実と違いすぎて、思わず呆けてしまった。

 

「ねっ、ちぃちゃん!」

 

「……ええ、そうね。少なからず、トーリよりは」

 

「ちぃちゃん!?」

 

「ち、チシャさ……」

 

「上手だったわ。ちょっとだけびっくりした」

 

 ……褒められて、いるのだろうか?

 

 チシャさんの言葉は、どこかそっけない。だけど、どこか自分が誉められてるようで……なんだか、すごくムズムズする。身体中を羽で撫でられてるみたいだ。

 歌を褒められるとか、初めてすぎて。俺の感情を、どう表せばいいのかわからない。う、うん。むず痒い。というか、すっごく恥ずかしい。

 

 

「え、えと……ありが、とう」

 

 

 辛うじてそう言って、身体を引き剥がすように、マイクをトーリさんに押し付けた。押し付けられたトーリさんは、不思議な笑顔を浮かべていた。その視線がまたむず痒くて、思わず顔を背けてしまう。

 俺の顔は今、どうなっているのだろう。せめて、真っ赤になっていなければいいのに。

 

 そう願う俺に、トーリさんは「よし!」と掛け声を一つして、マイクを構えていた。

 

 

「じゃあ、どんどん歌っていこうか──」

 

 

 そう言って、曲が流れ始めた時だった。

 

 

 ──トーリさんが、倒れたのは。

 

 

「トーリさん!?」

 

「トーリっ!」

 

 声を荒げて、トーリさんに駆け寄った。いきなりすぎて何が起こったかわからないが、頭を打っては一大事だ。

 俺より近かったチシャさんは、早速トーリさんの容態を確認していた。こういうのは手慣れているのだろうか。そして、トーリさんを一通り確認すると口を開く。

 一体、何があったのか。緊張する俺に、チシャさんは言った。

 

「……ミナセ」

 

「は、はい」

 

「あの、信じられないかもしれないけど…………()()()()

 

「はい! …………はい?」

 

「寝てるわ」

 

 

 ────、

 

 

 えっ!? 今!?

 

 

 くー、と寝息を立てるトーリさんを置き去りに、俺はそう思った。不思議なことに、チシャさんと思っていることは同じ……な気がした。

 

 

 




 というわけで、新アニマリア『チシャ』です! 狐の割と落ち着いたキャラです。
 あと、トーリとミナセの好きなものは書いたので、情報を置いておきます。
・チシャ
好きな食べ物:お肉、果物
苦手な食べ物:こってりしたもの
カラオケ:とりあえず流行り曲歌うタイプ。

トーリ:本当に好きな曲を歌うタイプ
ミナセ:基本歌わないけど、ノリノリに囲まれて申し訳なくなって知ってる曲歌うタイプ。

☆裏話「チシャが入ってこれた理由」
狐「まったく、こんな日に呼び出して、トーリったら……あら、窓が開いてる……?」
犬「やっほー、ちぃちゃ〜ん。こっちこっち」(ウィスパー)
狐「何やってるのあんた」

 ということがありました。

 
 



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7話

 

 

「完全に寝てるわね……」

 

「えぇ〜……」

 

 ぐー、という寝息を立てながらトーリさんに、俺とチシャさんはなんだかなんとも言えない表情を浮かべていた。

 

「そういえば徹夜って言ってたわ。体力をこの瞬間に使い切ったのね、多分」

 

「えぇ、そんな子どもみたいな……」

 

「実際、寝てるもの」

 

 いや、そうなんだけど。

 微妙な気分で、寝ているトーリさんを見る。その顔は、本当にすやすやと眠っていて。なんというか、起こすのも憚られる。

 

「それで、どうする? 家主は寝ちゃったけど、これから」

 

「へっ?」

 

「帰るの? 予定があるんだったらそうすればいいと思うし、トーリが起きるまで私がここにいるわ」

 

 ああ、そういうことか。

 ……どうしようか。正直、一人で帰るのはまだ怖い。だからもうちょっと、ここにいさせてもらいたい、というのが本音だ。

 ……だけど、“帰るの?”というのがさっさと帰れって意味なのだろうか。だったら……さっさと、帰った方がいいのかもしれない。

 

「言っておくけど、とっとと帰れって意味じゃないからね」

 

「は、はい! すいません!」

 

 読まれてたっ……!

 

「……あんた、わかりやすすぎるのよ」

 

「そ、そんなにわかりやすいですかね?」

 

「ええ。ちらっと見ればわかるくらいに」

 

「す、すいません……」

 

「なんで謝るのよ」

 

 自分がそんなにわかりやすいとは思っておらず、チシャさんの指摘にものすごく申し訳ない気分にさせられる。

 そんな俺に、チシャさんは呆れたように笑っていた。なんだか、その視線がすごく生ぬるくて。思わず、顔を逸らしてしまった。なんで俺を見る人は、だいたい温かい目をするんだ。

 

「まったく、聞いてた通りね」

 

「へ、聞いてたって……ああ、トーリさんから……」

 

「そ。トーリから今日ここに呼ばれた時に、ミナセのことを聞いてたの。元男の子だけど、すっごくかわいい子って」

 

「へ、へー……」

 

 かわいい子って。元が着くが男であった俺にはなんだかすごく、複雑な気分だ。

 

「実際見てみたら、気弱そうだし恥ずかしがり屋って、たしかに、変な愛らしさはあるかもね」

 

 褒められて、いるのだろうか?

 チシャさんの言葉は妙にまっすぐくる分、言葉の裏がわかりにくい。元男としては、愛らしいとか言われても、どんな反応をすればいいか困ってしまうのだけれど。

 

「また困ったって感じね」

 

「うぐっ……」

 

「それで、どうする?」

 

「……せめて、起きるまで待ってます。寝ているうちに帰るのは失礼な気がして」

 

「ふふ、そう」

 

 チシャさんは口元に手をあてて笑うと、自分と俺のコップにお茶を注いで、渡してくれた。

 

「じゃあ、待ってましょうか」

 

「は、はい!」

 

 

 


 

 

 

 とは言ったものの……

 

 チシャさんは、さっきからスマホをのぞいている。さっきから操作はしていないから、多分動画でも見ているんだろう。

 対する俺は、真っ暗な画面を触っているふりをしながら、周囲を伺っていた。まあ、とどのつまり。

 

 空気が、重いっ……!

 

 まさか、たった一人寝ただけでこれほど空気が重い感じになるとは思わなかった……! チシャさんは、時たまトーリさんを見るだけで、俺には目を合わせようとはしていない。それは気を使われているのか、それとも面倒くさいだけか……なんだか、今日は悩んでばかりな気がする。お茶を飲んで、ため息を吐いた。

 

「……あのさ」

 

「っ!? は、はいっ!」

 

「ミナセ、わかりやすすぎ。さっきからミミと尻尾が動きっぱなしよ?」

 

「す、すいませっ」

 

「謝らないの、別に叱ろうってわけじゃないんだから」

 

 そう言うなりチシャさんは、スマホを置いて、俺の顔をいきなりつかんで覗き込まれる。

 チシャさんの縦割れした瞳に、どこか居心地が悪くて目を逸らしてしまう。そんな俺に構わず、チシャさんは続ける。

 

「本当にバレバレよ。あんた」

 

「そ、それでなんで俺の顔をつかむんですか……?」

 

「ああ、気にしないで。かわいくてつい」

 

「かわいいって言えばいいと思ってたりします!?」

 

 なんだか、前にも同じことを叫んだ気がする。と、そこでチシャさんに、ある疑問が浮かんだ。

 

「あ、あのー」

 

「何かしら」

 

「えっと……チシャさんって、動画に出てたんですよね」

 

 視線を外しながら、そう聞いてみる。

 そう、たしかそうだったはずだ。俺が見た動画……たった一本だけだけど、“ちぃちゃん”と呼ばれていた人がいた。トーリさんがチシャさんをちぃちゃんと呼んでいたから、多分、そうなんだろうとは思うけど」

 

「うん、出たわよ。何回か」

 

「だったら……どうやって、トーリさんに出会ったんですか?」

 

 それが、気になっていた。

 トーリさんはどこからか情報を見つけて、俺の居場所を見つけてきた。俺は研究棟に入った、ということはニュースで見られただろう。

 でも、チシャさんは普通に暮らしているはずだ。研究棟の中でも見たことがないし。まあ、俺が外に出なかったことが原因だろうけど。

 

「ああ、そうね……私、アニマリアになったのって、二ヶ月くらい前なの」

 

「二ヶ月前……」

 

 ということは、俺が研究棟に入ってから、一ヶ月後くらい、か。

 

「まあ、アニマリアになっても生活が変わるわけでもないし……検査とかいろいろ受けた後で、また学校に通ってたの」

 

「は、はぁ」

 

「でね、学校の帰り道に、トーリがいきなり現れて、『私、トーリって言います! 会いにきましたっ!』って言われたの。本当、やりたいことに関する嗅覚はすごいわ、トーリは」

 

「は、は…………はぁ?」

 

 えっ、何それ。俺とほとんど同じだ。

 というかトーリさん、会ってすぐそれは不審者すぎるのでは……

 そもそもどうやってチシャさんを突き止めたんだ。あの人の嗅覚、どうなってるんだろう。

 

「それで動画に誘われて、最初は断ったんだけど……まあ、いろいろあって動画に出ることになったのよ」

 

「……ちなみに、いろいろって何ですか?」

 

「“いろいろ”よ。私にだって、葛藤はあるもの」

 

 そう言って、自分の尻尾を撫でるチシャさん。その顔はなんていうか、少し恥じらっているようだった。

 なんというか、意外だ。チシャさんは見た感じだと、悩みとかほとんど無さそうだったのに。

 

「今、悩みとか無さそうって思ったでしょ」

 

「えっ!? は、はい……すいません……」

 

「……ふふっ」

 

 バレて慌てる俺を、愉快そうに笑うチシャさん。なんというか、バカにされてる気がする。

 そんな俺の心を察せられたようで、「ごめんごめん」と謝るチシャさん。

 

「とにかく、私もトーリに誘われた口よ。結局、楽しんじゃってるしね」

 

 そう言うと、おもむろにトーリさんの額に指を添え、パチンっという音を鳴らした。

 何してんの!? と思ったものの、うめき声を漏らしただけで全然起きる気配もない。

 

「ところで、ミナセはなんで動画でたの? 出たがる性格でもないでしょうに」

 

「え、あ、それは……トーリさんに、半ば無理やり」

 

「へ〜……半ば、ね」

 

 なんだろう、墓穴掘った気がする。

 なぜか瞳をキラリと、雰囲気の変わったチシャさんに悪寒を感じて身体が強張った。

 

 

「ミナセ、あんたトーリのこと好きなの?」

 

「──は」

 

 

 ────、

 

「はぁ!? な、なんっ!?」

 

「はいはい、落ち着いて。こぼれるから」

 

 握り込んでいたコップを落としかけ、慌てて持ち直す。

 こぼれるからって、驚かしたのはあなたでしょうに。そんな思いを込めて視線を送れば、チシャさんは「ごめんごめん」と反省していないかのように笑っていた。

 

「だって、“半ば”なんでしょう?」

 

「そ、それは言葉の綾で! これ以上断っても無駄だなって思っただけです!」

 

「別に元男の子なら、それでも不思議じゃないと思うけど」

 

「なんでそんな前提なんですか! そもそも、会ってまだ一週間ですよ!? そんなすぐに……ああもう、ともかく違いますよ!」

 

 “そう思うわけない”という言葉は飲み込んだ。なんだか、そう言ったとしても一目惚れと片付けられる気がして。

 

「ふーん、そう? でも、嫌いじゃないんでしょう?」

 

「それは──」

 

 ──どう、なんだろうか。

 

 嫌い……では、ないんだと思う。でもまた別かと言われると正直、微妙だ。

 友だち、ではないと思う。まだ会って短いし、トーリさんのことを全く知らない。そう思い込めば傷つくのは自分だ。だから違う……そう、思う。

 というか、トーリさんと会ってから調子を狂わされてばかりだ。もう出たくないと思っていたのに、こんなすぐ連れ出されて。やりたくないって思ってもさせられて。振り回されてばかりいる。

 

 でも、どこかそれが少しだけ。本当に、ちょっとだけ。

 

 

「──楽しかった、とは……思ってます」

 

 

 頭がぐるぐるして、恥ずかしい思いをして、調子が狂わされてばかり。だけど、どこか楽しい……と、そう、思っているのは事実だ。本当にちょっとだけだけど!

 

 

「……そう」

 

 

 俺の言葉に、チシャさんはふわりと笑った。それはどこか、安心したような……なんというか、穏やかな笑顔だった。

 そんな目を向けられる理由がわからず、困惑してしまう。こんな時、どうすればいいのかわからなくて、水を飲んで誤魔化した……その時だった。

 

「じゃ、そろそろね」

 

「へっ?」

 

 そんな一言ともに、チシャさんは容赦なく、トーリさんの額に手刀を決めた。そんな一撃を決められたトーリさんは、「きゃうんっ!?」という悲鳴をあげて飛び起きた。

 

「おはよう、トーリ」

 

「おはようちぃちゃん……じゃないよ! けほっ、なんでそんな乱暴に起こすの〜!」

 

「30分くらい寝たんだもの、そろそろ起きなきゃ健康に悪いわ」

 

「真っ当な理由つけてチョップを正当化しないでっ」

 

 

 寝ぼけ眼で抗議するトーリさん。それをさらっといなすチシャさん。なんだか、トーリさんが起きただけで、こんなにも空気が変わるとは思っていなくて。

 

「……ははっ」

 

 そんな変わり果てた空気に、思わず笑ってしまった。抗議し続けるトーリさんがうるさくて、笑い声は聞こえなかったと思う。それが、俺を無視されているみたいで。だからちょっと腹いせに。

 

 

 ──今日も、ちょっとだけ楽しかった。

 

 

 そんな気持ちは、言わないことにした。

 

 

 




 
 感想でもある程度返信しましたが、アニマリアになると瞳、耳とか変わるプラスたまに習性とかも出たりします。私が忘れてなければ……

 更新途絶えてて申し訳ない……! 忙しかったのと、期待が……ってなってました。あとケモノギ○の作者様が療養に入られて連載終了してダウンしてました。なぜ、なぜ終了なの……?
 私の百合のバイブルが猫娘症候○なので、ところどころ似てしまう展開があると思います。鈍足ですが、なにとぞ……!

 


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8話

 
 申し訳ない……! 急いで書き上げたので、後から改稿するかもしれません。


 

 

「ミナちゃ〜ん、準備できてる〜?」

 

「はーい、もう少しでーす!」

 

 早朝。

 気の抜けたハヅキさんの言葉に返しながら、検査服に腕を通した。今日は検査の日だ。とは言っても、やることは普段と変わらないのだけれど。

 ほぼ毎日受けてはいるものの……いや、最近トーリさんに振り回されて……それは置いておくとして。なんというか、検査するときは微妙に緊張して、未だに慣れない感じがする、というのが本音だ。

 

「できました〜……あれ、ハヅキさん?」

 

 着替えるなり、洗面所を出る。しかし、そこにはハヅキさんはいなかった。

 多分、ドアを開ける音が聞こえてたから外に出ていたんだろう。……できたと聞いておきながら、なんでいないんだろう。まあ、いいか。

 別に先に検査室に行ってもよかったけれど、ハヅキさんと入れ違いになってもなーと、部屋で待つことにして、ベッドに倒れ込んだ。

 起きたばかりでまだ暖かいベッドは、着替えたばかりなのに、不思議と眠くなる感じがした。

 なんだか、こんなにのびのびするのは久しぶりな気がする。

 

 ……最近は特に。という思いは飲み込んで、寝転んだままぐぐっと身体を伸ばす。

 トーリさんに振り回されるようになって。ついでにチシャさんとも出会って、なんだかとても忙しかった気がする。

 

「……ん?」

 

 その時、扉の外から足音が聞こえてきた。どうやら、ハヅキさんが帰ってきたらしい。起き上がるのもなんだか億劫で。……ハヅキさんだったら、寝てるとこも見られてるから、いっか。

 そう思って、完全にだらけきったまま。ハヅキさんを待つ。そうしてその足音は部屋の前で止まって、扉が開かれる──

 

 

「おはよー! 来たよー!」

 

 

 ……現れたのは、ハヅキさんではなかった。

 

 扉を開いてニッコニコなその人は、明らかにトーリさんで。ミミをぴこぴこ。尻尾をパタパタ。朝から元気な姿を見せつけるトーリさんの視線は、俺に向いていて──

 

 

「……お邪魔だった?」

 

「──っ!?」

 

 

 驚愕、羞恥心。いろんな感情がごちゃ混ぜになって、声なき悲鳴をあげて勢いよく飛び上がった。

 

「な、なんでトーリさんがっ……!」

 

 なんとか取り繕えないだろうか。

 そう思ってベッドに座り直し、落ち着いて言葉を出そうとするも、口からは慌てた言葉が滑り出てしまう。当然、そんなんじゃ誤魔化せるはずもなく。

 

「……な、何も見てないよ?」

 

「そんな気を使って嘘つかないでくださいっ!」

 

 当然、しっかりと見られていたからバレているわけで。下手な嘘をつかれたせいで、より恥ずかしい想いをしただけだった。

 

「そ、それよりも、なんでトーリさんがここに?」

 

 恥ずかしさを紛らわすように、トーリさんに聞いてみる。どうせなら、考えてる間にいろいろ隠せないか、とも思って。

 たしかここは、ある程度許可がなければ来られなかったはずだ。……そんなほいほいと、俺に会いにくるわけもないし。

 

「……うん?」

 

 しかし、トーリさんはまるで理解できていないような、そんな声をあげた。

 

「え、えっと、どうしたんですか?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「…………へっ?」

 

 予想していなかったまさかの言葉に、間抜けな声をあげてしまう。まさか、俺が呼ぶなんてあるわけがない。俺にトーリさんを呼ぶ度胸なんてあるわけないし……

 

「どういうこと……」

 

 思わずそう呟いた時、部屋の扉が開く音がした。

 

 

「おはよう、トーリちゃん」

 

 

 現れたのは、ハヅキさんだった。

 

 だけど、なぜかその声は妙な威圧感を持っていて。謎の迫力に、さっきまで考えていたことがどうでもよくなっていく気がした。

 

「お、おはようございます?」

 

 それはトーリさんも感じ取っているようで、珍しくも萎縮したように返すトーリさん。

 

「ええ、おはよう。じゃあ、トーリちゃんも準備しよっか」

 

「え、な、なんの……」

 

「何って…………()()()()

 

 瞬間、トーリさんの動きは早かった。

 目の前から姿が消えたかと思うと、俺の背中に衝撃が。見れば、トーリさんは俺を盾に身体を小さくさせていた。

 

「ちょ、トーリさん!?」

 

「ミナセちゃん、私って健康だよね!?」

 

「いきなりどうしたんですか! 何、が……」

 

 そこで、気づく。トーリさんが、怯えている……?

 ミミは後ろに倒れ、尻尾は垂れ下がって、どこか体が震えていて……本当に、この人はトーリさんなのだろうか。さっきまでの元気さなどかけらもない。

 

「トーリちゃん、検査しなきゃ健康とかわからないでしょう?」

 

「私は健康ですっ、ミナセちゃんもお願いっ!」

 

「え、えぇと……」

 

 トーリさんにそうお願いされるものの、俺はそれどころではない。距離が近いせいで、柔らかいトーリさんの身体と触れ合って緊張しっぱなしだし、いつもと違う様子に変な気分になるし、何より……

 

 

「私は健康だからぁ……」

 

 

 トーリさんが涙目ですがってくるせいで、全然落ち着けないし……!

 

「仕方ないわね。じゃあ、こうするわ」

 

「へっ……?」

 

 困惑して固まっている俺を置いて、ハヅキさんは扉を開けて誰かに合図する。すると、担架をもってどこからか現れる白衣の人たち。

 まるでいじめられたこいぬのように震えるトーリさんをなんのこともなく担架に乗せてしまった。ご丁寧に、逃げられないよう囲って。

 

「た、たすけてぇ……」

 

 伸ばされた手は空を切って、そのまま運ばれていくトーリさん。あげられたままの手が哀愁を誘う。

 

 そうして、部屋には静寂が残された。

 

「じゃあ、ミナセちゃんも行こっか」

 

「は、はい……」

 

 なんというか、別に。検査は嫌ではない、のだけれど……

 

 怯えきったこいぬのような鳴き声をあげていたトーリさんを思い出して、なんとなく。

 

 今日、大丈夫かな……?

 

 そう、思わずにはいられなかった。

 

 

 


 

 

 

「くすん、くすん……」

 

「あのー、トーリさん。大丈夫ですか?」

 

 

 あれからもうお昼。一通り検査を終えて、休憩の時間。俺は何事もなく終わったけれど、トーリさんはもうひどいことになっていた。

 検査着に着替えたはいいものの、ミミは倒れっぱなし、尻尾はへたれっぱなし。検査中もずっとうめき声みたいなものが聞こえてきて、今はすすり泣いてしまっている。朝の元気さなんて見る影もない。

 

「それにしてもトーリさん、病院苦手だったんですね」

 

「うっ……」

 

 図星だったようだ。ミミをピンっと立てたあと、すぐにへんにょりしてしまった。なんというか、本当に意外だ。

 

「病院は嫌なの〜」

 

 そう言ってふてくされてるトーリさんは、いつも俺を連れ回す人と同一人物とはとても思えない。

 そもそも、なんで病院が嫌いなのだろう。検査なんてそうそう苦手になるものなんて……

 と、そこで思う。いや、まさか……

 

「……もしかして、注射が嫌だったりします?」

 

「っ!? そ、それはっ!」

 

 俺の言葉に、トーリさんがガバッと起き上がった。だけど続きの言葉は出てこず、口をパクパクと、どう言えばいいかわからないように固まっていて。その顔は、今まで見たことないくらい真っ赤で……

 

「ほ、本当に注射嫌いなんですか?」

 

「う、くぅ……」

 

 それはまた、なんともまぁ。

 そんな病院嫌いな子どもみたいなことをトーリさんが言うとは。

 

「注射のどこが怖いんですか。別にずっと刺してるわけじゃないでしょう?」

 

「針でしょ!? そんなの身体に刺すっておかしいよっ」

 

 ……筋金入りだなぁ。

 

 散々検査されて心が折れているらしい。これはもう、落ち着くまで待った方がいいかな。

 そんな時、扉が開く音がして、お茶やお菓子を台車に乗せたハヅキさんが入ってきた。

 

「は〜い、お疲れさま! お菓子持ってきたよ〜」

 

 朗らかなハヅキさんの言葉と同時に、トーリさんの身体が強張った。警戒しすぎではないだろうか。

 

「トーリちゃん、別にそこまでカチカチにならなくても……」

 

「だ、だってぇ……」

 

「注射はもうないから、力抜こうね〜」

 

 はいはい、と肩をぽんぽんとされるトーリさん。なんか、思いっきり子ども扱いされてない?

 

「はい、ミナちゃん」

 

「ありがとうございます……」

 

「トーリちゃんも」

 

「これ、薬とかじゃ……」

 

「普通のお茶よ、お菓子と一緒に薬出すわけないでしょう」

 

 ……本当に、トーリさん?

 

 なんだか、さっきからミミも尻尾も元気ないし……調子が狂ってしまう。でも、怖いといっているから、仕方がないのかもしれない。むむ……

 

「ほら、トーリちゃんがそんなんだから、ミナちゃん困惑してるじゃない」

 

「そんなこと言ったってぇ……」

 

「ほら、まだ午後の検査があるんだから、今のうちに食べちゃいなさい」

 

「まだあるのっ!?」

 

「んぐっ!?」

 

 トーリさんの反応に、思わずむせてしまった。あのトーリさんが、検査一つでここまでぼろぼろになるとは思わず……

 

「けほっ、えほっ……ご、ごめんなさっ」

 

 お茶が変なところに入ってしまった。さすがに、変に思われて……

 

 そう考えて、顔を上げると……なぜか、ハヅキさんが微笑ましいものを見るように笑っていた。

 

「な、なんですかハヅキさん……」

 

「いや〜、何も〜?」

 

 聞いても、ハヅキさんは煙に巻くようにはぐらかされてしまった。そんなハヅキさんにどこか、身体がむず痒い感覚がして……ええい、なんでそんな顔をするんだ。

 

「あの、本当に……」

 

「じゃ、トーリちゃん。先に終わらせちゃおっか」

 

「え」

 

「ハヅキさん!? ま、待ってぇぇーっ!」

 

 俺の疑問に答えることなく、ハヅキさんはトーリさんを引っ掴んでその場から消えてしまった。一人残された俺は、ただその後ろ姿を眺めるしかできず……

 

 ことの顛末を語れば、帰ってきたトーリさんはずっと涙目だったと言っておく。

 

 それにしても……なんで、あんな顔をされたんだろうか?

 

 

 

 

 




 
 『速報』トーリ、実は病院嫌い。

☆裏話
トーリが検診受けてない理由はただの病院嫌いでした。昔遊びに行くよーと親に言われて楽しみにしてたら病院に連れてかれてブスリされたトラウマがあったりするらしい。

 ちょっち息抜きの検査回?を。

 7月にせめて二話投稿しようと思ってたのに……
 


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9話

 
 感想、誤字報告、お気に入りに評価、本当にありがとうございます……!


 

 

 

「……ふ、ぁ」

 

 晴れの日。緩く流れる雲を見ながら、気の抜けたあくびが漏れ出ていった。朝からの仕事も終わって、ちょうど暇な時間。ベッドの魔力に加えて、陽の強さもほどよく、不思議と眠くなってしまう。

 とどのつまり、俺はいわゆる……日向ぼっこをしていた。アニマリアになってから、なんとなく日向にいると落ち着くような感じがして、こうしていることが増えた気がする。

 

 ……このまま、寝てしまおうか。

 

 そんな想いがよぎって、身体の力を抜いて……

 

 

「なんでまだ、検査しないといけないのー!?」

 

 

 ……泣きついてきたトーリさんに、受け止められた。

 背をどつかれて、さっきまでの微妙な眠気はどこへやら。椅子に座ったまま器用に泣きつき、腕をくすぐる尻尾の感覚を覚えながら、とりあえず慰めておこうと口を開く。

 

「……トーリさん、仕方ないと思いますよ。どれだけ検査行ってなかったんですか」

 

「だってぇ……」

 

 そう弱々しく言うトーリさんに、もう見慣れたものか、と割り切って話す。

 トーリさんがまた来ている理由……というのも、ただ単純にサボりすぎただけである。本来なら最初に数日に分けて受ける検査を1日目ですっぽかしてそれから行ってなかったら……それはまあ、一気に終わらせるしかないだろう。幸い、最近はちゃんと来てくれるようになったらしいけれど。

 

「あとは視力とか測るだけなんですし、そこまで怯える必要もないでしょう?」

 

「…………がんばる」

 

 ……覚悟まで時間かかったな。ということは言わないでおくことにする。嫌なことは、慣れるまで時間がかかるもの。簡単に強制していいものでも……

 

「……? どうしたの、ミナセちゃん」

 

「──、」

 

 いるな、強制してくるヒト。

 

「……いえ、トーリさんだなぁって思って」

 

「どういう意味っ!? ……きゃっ!」

 

「……にゃっ!?」

 

 その瞬間、俺の視界が塞がれた。

 叫んだトーリさんが、いきなり身を起こした結果、トーリさんのミミが目を塞いだと気づいて、反射的にのけぞった。多少勢いよく動いたせいで、俺の身体が傾いてしまった。そうなれば、椅子に座ったまま俺に体重をかけていたトーリさんも、バランスを崩すわけで──

 

 

 ──俺にトーリさんが覆い被さる形で、倒れてしまった。

 

「〜〜っ!?」

 

「ご、ごめんっ!」

 

 トーリさんの言葉を聞いている余裕などなかった。薄い検査着のせいでほぼダイレクトに感じる柔らかさ。さっきまで本気で嫌がっていたのか、少しだけ潤んだ瞳に身体が硬直する。

 

「と、トーリさ……!」

 

「あ、足が椅子に絡まって……」

 

「どんな倒れ方したんですかっ」

 

 椅子をどうにかしようともぞもぞと動くせいで、より感触が伝わってくるせいで、さらに頭がぐちゃぐちゃになる。一体、どうすれば──

 

 

「──失礼します。こちらで……ん?」

 

 

「──え」

 

 そう響いたのは、誰の声だったのだろう。

 ガラリと扉を開け、不意に現れた人物。トーリさんの検査、というなら。休憩に入ったばかりだからそれはない、はず。

 入ってきた人物は、アニマリア専用の検査着を身につけ、稲穂のようなミミと尻尾を携えた──

 

 

「ち、チシャさん……」

 

 

 紛うことなき、チシャさんだった。

 チシャさんは、俺とトーリさんをじっと見つめたまま固まっていた。それから、何かを思いついたように頷いて……

 

 

「ごめん、間違えた」

 

 

 そう言って、扉を閉め──ちょっ!?

 

「チシャさんっ! 一体何を間違えたんですかっ、ちょっと待って……!」

 

「ミナセちゃん! 足がまだ……」

 

「まだ絡まってるんですか!? あ、あぁっ!」

 

 

 

 

 

 


 

 

 

「あんた、ここに住んでたのね」

 

「は、はい……」

 

 あれから数分、やっと元の体勢に戻れてチシャさんを呼びに……止めに行けた。なんというか、とても疲れた気がする。

 

「というかチシャさんは、なんでここに?」

 

「私も検査よ。休憩ってなって、ミナセとトーリも居るって言われてここにきたら……まあ、まずいタイミングで入っちゃったなってこと」

 

「そ、そうですか。ちなみに、案内した人って……」

 

「えーっと、確か……ハヅキって書かれてたわね」

 

 ──ハヅキさんっ! せめて説明して!

 

 内心で絶叫してしまった。多分、顔は引き攣ってると思う。というか、なんでここに案内するんですか!

 

「それにしても、よく作ったわね。こんなところに全部完備の部屋なんて」

 

「ま、まあ。特別に用意してもらってますし──」

 

「ミナセちゃん! ちぃちゃん! ゲームやらない!?」

 

 突然、トーリさんの声が聞こえて、話は中断されてしまった。何事かと思って顔を向ければ、そこには紙袋を片手にキラキラした笑顔で、尻尾を振ったトーリさんが立っていて──

 

「立ち直りはや……」

 

 そんなボソッとつぶやいたチシャさんの声が聞こえて、こっそり同意した。

 トーリさんは、先ほど今日の検査を終えたばかり。それまでずっと尻尾もたらりとミミもしなびていた姿など見る影もなく、この前の元気さを取り戻したトーリさんは、全力で遊ぼうとしていた。

 

 ……なんというか、安心するなぁ。

 

「ゲームって、何するのよ」

 

「ゲーム機、持って来てるよ〜。テレビあるのは聞いてたからね」

 

「なんで、こんな時ばかり準備がいいのかしら……」

 

 ゲーム機を片手に笑うトーリさんに、呆れたような顔をするチシャさん。なんだか、二人の関係が見える気がする。

 

「ミナセちゃん、テレビ借りていい……って、どこにあるの?」

 

「あ、ああ。今出します」

 

 ……まあ、別に隠すものでもないし。それになんだか、楽しそうにしてるトーリさんの邪魔をするのも悪いし。ということで、俺はテレビのカバーを外……リモコン、どこにあるんだっけ。

 

「えっと、すいません。繋いだことないので、あとはお願いします」

 

「は〜い!」

 

 俺がそう言うと、トーリさんはてきぱきとゲーム機を接続しはじめた。ここのテレビは初めて使うから、勝手がわからないけど、トーリさんに任せておけば安心だろう。

 そう思ってベッドに座っていると、チシャさんが物珍しそうな目でトーリさんを見つめていた。

 

「……チシャさん、どうしたんですか?」

 

「いや、トーリがあんなにはしゃいでるのは、珍しいなと思って」

 

 

 ────、

 

 

「……いつも、あんな感じでは?」

 

「ふふっ、確かにね。私、トーリと付き合い短いけど、あんなはしゃいでるのは見たことないわよ?」

 

「そう……なんですか?」

 

「ええ。あんたほどじゃないけど、トーリもわかりやすいのよ。本当、──」

 

 最後の言葉は言葉になっていなくて、聞こえなかった。聞かせるつもりもなかったらしいチシャさんは、俺の横で尻尾を撫で始めていた。

 

 ──チシャさんの目には、どう見えたのだろう。

 

 ほんのちょっとだけ、気になったけど。でもそれが、悪い意味ではない。そう思えたから、気にしていないふりをした。

 

 

「ってなんで俺の尻尾を触ってるんですか!」

 

「ちょうど良かったから、つい。他人(ヒト)の尻尾ってなかなか触る機会ないのよねぇ」

 

 ま、マイペースな……

 

「二人とも、できたよ〜」

 

 そうしているうちに、接続が終わったらしい。とっくにゲームが起動されていて、レースゲームの画面が映し出されていた。

 

「早くやろ!」

 

 そう笑って、コントローラーを渡してくるトーリさん。それを受け取り、チシャさんに渡しておく。

 あのゲーム機についていたコントローラーは二人分だったはずだ。なら、俺なんかよりもチシャさんとやってもらった方がいいだろう。そう思った。俺は、二人のゲームを見せてもらうだけに──

 

 

「はい、ミナセちゃん!」

 

「──へ?」

 

 

 そんな声と共に渡されたのは、二つめのコントローラーだった。一瞬、渡されたことに気づかず、思考が停止してしまった。ちょ──!

 

「と、トーリさん。俺は……」

 

「一緒にやろ! 余分に持ってきてたんだ〜!」

 

 トーリさんの手には、三つめのコントローラーがあって。笑顔で渡されたそれに、俺は返す言葉に困って……

 

「……じゃあ、やります」

 

 そう、無愛想に返すしかできなかった。もう少し言葉を選べた気がするけど、そう返すのが精一杯だった。

 

「操作わかるよね?」

 

「さ、さすがにわかりますって。俺のことなんだと思ってるんですか」

 

「これ、触るの初めてなのよね。今までのと同じでいいのよね?」

 

「チシャちゃん!?」

 

 そんな軽く話しながら、懐かしい音と共にゲームが始まる。久しぶりだけど……せっかくだから、楽しむことにしようか。

 

 

 

 

 

 

「──やった〜! また一位!」

 

 あれから30分ほど。何度かゲームをしたけれど、トーリさんがめちゃくちゃ強かった。さすが動画投稿者。意外とハイスペックなんだなぁ、と実感させられた。

 俺は二位か三位くらいは取れたものの、だいたいトーリさんに一位をかっさらわれてしまった。

 意外だったのはチシャさんだ。操作はできていたものの、なぜか落下に落下を重ねて……なんというか、最下位あたりをうろうろしていた。

 ……なんだか、個人的に悔しい感じがする。

 

「トーリさん、どれだけやり込んだんですか……ねえ、チシャさん」

 

「────、」

 

「……? チシャさん?」

 

 ちょっとだけ悔しい気分を晴らそうと、チシャさんに話しかける。だけど、言葉が返ってこなくて──そう思ったその時だった。

 

「チシャちゃ〜ん、検査再開するよ〜」

 

「ああ、ハヅキさん……」

 

「こんにちは、ミナちゃん。楽しかった?」

 

 どうやら、チシャさんの休憩が終わったらしい。ガラリと扉を開け、ハヅキさんが現れた。まあ、チシャさんのことだし、トーリさんのように時間はかからないだろう。

 

 

「──まだ」

 

「どうしたんですか、チシャさ──」

 

「まだやる」

 

「──へっ!?」

 

 チシャさんから出たまさかの一言に、変な声が出てしまった。というか、ハヅキさんが迎えに来てるんですけど!?

 

「次は勝つ。トーリ、早く次のレース」

 

「え、えぇ〜。ちぃちゃん、ハヅキさん来てるよ。行ってきた方が……」

 

「このまま終われない。もう一回」

 

「あ、あらぁ〜……」

 

 

 まさかの負けず嫌い!?

 

 予期していなかったチシャさんの一面に、少しばかり驚いてしまう。というかそんな子どもっぽいチシャさんを見れるとは……

 

「チシャちゃん、検査はすぐ終わるから、検査が終わってからでも……」

 

「そ、そうだよちぃちゃん。いつでもできるから……」

 

「やらせてほしい」

 

 むすっとしたまま続けようとするチシャさんに、二人で止めにかかって、それをすげなく断られる。なんというか、検査をしに来たはずなのに、ゲームが本命になってしまったチシャさんに、少しだけ微笑ましく思ってしまった。

 

 ……俺が加わっても、止められるだろうか。

 

 何故だか、いくらやっても止められなさそうなチシャさんの様子をみて。とりあえず、心の中で合掌しておいた。

 

 

 

 

 

 

 




 
☆裏話
トーリはハヅキさんからテレビのことを聞きました。なんだかノリノリで教えにきたらしい。

☆補足
ミナセの部屋はとある病院の研究棟……だけれど、バストイレキッチン付でテレビもついてます。基本的に料理もしなければテレビも見てませんでしたが。

☆補足2
チシャは割と負けず嫌い……だけど割とゲーム下手。レースゲームを例として出せば、ドリフトを使わず、wi*版だとリモコンと一緒に身体を傾けるタイプ。


 皆様、本当にありがとうございます! 拙い文ですが、お付き合いくださって感謝です……! 本当に鈍足ですが、頑張ります!


(猫娘症候○、8月いっぱいまでGANM○!様で最終話まで読めます……! 百合好き、ケモミミ好きなら是非今の機会に! 本当は前回の投稿で言いたかったけど!)



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10話

 

「よし、こんなもんかな」

 

 一日の仕事も終わり、時間を持て余していた頃。俺はモップを片手に息を吐いた。まあ、ただ掃除をしていただけなのだけれど。

 俺の使っている部屋は普段も掃除してるし、私物も少なかったからあまり汚れてはいない。だけど、最近トーリさんが来るようになったから、とりあえずやっておかなければどう思われるかわからない……ということで、改めて綺麗にしておくことにしたわけで。

 

「ミナちゃん、終わった?」

 

「ああ、ハヅキさん。はい、終わりましたよ。何か変なところとかあります?」

 

「ううん、ないよ〜」

 

 モップを片付けていると、ハヅキさんがやってきた。掃除をし始めたのも、ハヅキさんが言ったからである。それにしても……

 

「ハヅキさん、どこに行ってたんですか?」

 

 ハヅキさんは、俺に「掃除しよう!」と言ったきり、嵐のようにどこかへ行ってしまった。自分が使っている部屋だから俺がやるのは当然として、普段から掃除してるのに、わざわざ指示されたうえ、出かけてしまったのだろう。

 

「ああ、そうそう……じゃんっ!」

 

 そう言って、少しばかり勿体ぶって、両腕を上げる。その両腕には、大きく膨らんだレジ袋がぶら下がっていて……

 

 

「お菓子作り、しよっか!」

 

 

 

 


 

 

 

 

「なんでこうなったんですか……?」

 

 目の前に広がるのは、生クリーム、小麦粉、砂糖といったお菓子作りに欠かせない材料たちが広げられたキッチン。正直、これからお菓子を作るというイベントに、ちょっとだけ嬉しい感じはするものの、困惑が大きいというのが本音だ。

 

「せっかくキッチン付けてるもの、使わなきゃね。ちゃんと掃除もしておいたから、すぐに使えるわよ」

 

「一体いつのまに……」

 

「ミナちゃんが寝てる間に、ちょちょいと。ミナちゃんって、意外と起きるの遅いもの」

 

「うぐっ……」

 

 確かに、スマホゲームとかで夜更かしして寝るのは遅くて、眠いんだけどさぁ……

 

「そ、そうじゃなくて! なんでお菓子作りなんですかっ」

 

「ミナちゃん、お菓子好きでしょ?」

 

「──ぇ」

 

「たまーにケーキとか出してあげると、目に見えて瞳がキラキラしてるし、尻尾とミミも忙しないから」

 

「なっ……!? 〜〜っ!」

 

 そんなハヅキさんの言葉に、言葉にならない叫びをこぼしながら、顔が真っ赤になってしまう。まさか、気づかれて……っ!

 

「それに今も、材料見て尻尾──」

 

「わかりましたっ! わかりましたからっ、作ります! 作りますよっ!」

 

 真っ赤になった顔を隠すように、顔を伏せた。ああもう、普通に気づかれたならあんまり気にならないのに、尻尾とミミで気づかれたっていうのが、本当に恥ずかしい。

 

「それで! 何を作るんですか!?」

 

「誤魔化したわね……痛い!」

 

「いいから何を作るんですか!」

 

 余計なことをいうハヅキさんを尻尾で叩いて、調理台を叩く。ダンっという割と大きい音に、ハヅキさんは「ごめんごめん」と笑っていた。本当にわかっているのだろうか。

 

「えっとね、ケーキ作ろうかと思って」

 

「ケーキ……ですか?」

 

「そうそう、ちょっと簡単にしたやつね。ホットケーキを重ねるだけなんだけど」

 

「へ、へぇー……」

 

 おお……なんか、少しだけ楽しみになって……はっ!

 

 ハヅキさんに気づかれる前に、慌てて手を後ろに回し、尻尾の根本を押さえておく。さすがに同じ轍は踏まないようにしなければ。……抑えられる気はしないけど。

 

「じゃあ、早速作りましょうか」

 

「は、はいっ……!」

 

 久しぶりに見る大量の甘いものたちに、ちょっとだけワクワクしながら、材料を手に取った。微笑ましそうな顔をするハヅキさんに隠すように、せめてこんな気持ちがバレませんように……なんて思った。

 

 

 

 

 

 

「うーん……」

 

 今やっているのは、生地作りだ。モトをフライパンに垂らして、つぶさないように形を整えておく。あまり見た目には頓着しない方だけど、できるなら綺麗にしておきたい。重ねるらしいし。うわっ、生地がフライ返しに……修正しないと。

 正直、焼いてる時点でいい匂いがしだしたホットケーキに、少しだけ気分が浮き立っていた。お菓子作りは簡単なものしか作ってこなかったから、手の込んだものを作るドキドキ感がある。生クリームはどうしようか、果物もたくさんあったし、配分も考えないと──

 

「──ナちゃん。ミナちゃん、どう? いい感じになってる〜?」

 

「──はいっ!?」

 

 うおう、びっくりした。

 

「ミナちゃん、聞こえてる?」

 

「は、はい! なんですか!?」

 

 どうやら、夢中になりすぎていたらしい。ハヅキさんの呼びかけが全然聞こえてなかった。

 

「お〜、いい感じに焼けてるね。あと二枚くらいやこっか」

 

「け、結構焼くんですね」

 

「まあね〜。なかなか作る機会もないだろうし、焼ききっちゃおうと思って」

 

 そう笑いながら、ハヅキさんはフルーツをカットしていた。手元を見ないでイチゴを切る姿は、本当に手慣れているようで……なんだか、負けた気がする。

 

「……手慣れてますね。やっぱり、兄弟が多いと作ったりする機会って多いんですか?」

 

「えっ、あ、うん。大変なのよ〜。量も作らないといけないしね」

 

 そう言いながら、ハヅキさんはイチゴの薄切りを完成させながら、バナナを手に取り出した。やはり家族が多いとそういうものなのだろう。あんまり苦労したことは……あ、と。俺もちゃんとやらなきゃ。

 

「そういえば」

 

「? はい」

 

「最近、どう?」

 

「……いつも──ほとんど自室(ここ)にいるのに、何故聞く必要が?」

 

「そういう意味じゃないわよ。トーリちゃんとどうって意味よ」

 

 そう呆れたように笑うハヅキさん。いや、そんな“どう?”と聞かれたって……一体、何と答えれば……

 ふむ、と。考えてみる。トーリさんとどうと言われても……別に、普通と答える他ないだろう。いや、連れ回されたり動画撮られたりはしてるけども。そうなると、“普通”では……ない、と思う。

 それに“かわいい”やら、すぐに抱きついてきたりして、わかりやすいだのなんだの……俺が元男ということは、忘れられていないだろうか? なんだかそういう経験が初めてで……緊張してしまう。いや、別に──

 

「なんだか、すごく困った顔してるわね」

 

「そ、そうですか……?」

 

 悩みすぎていたらしい。ハヅキさんに顔を覗き込まれ、反射的に顔を逸らした。いやだって、ここ一ヶ月でかなり濃いことしてるし……

 

「じゃあ、楽しかったんだね〜」

 

「何でそうなるんですかっ!」

 

「あら、違うの?」

 

 ──その言葉に、言葉が詰まった。

 

 楽しくなかったわけ……では、ない。むしろ、久しぶりにクレープを食べたり、遊んだりして、まあ、楽しかった。だけどなんだか、それをそのまま、素直に言うのもはばかられ……

 

「い、や。違……くは、ないん、ですけども……」

 

 そんな、ツギハギの言葉を並べた。

 ひどく歯切れの悪い俺の言葉に、ハヅキさんはただ、柔らかく笑っていた。その視線が、どうも落ち着かなくてホットケーキを焼くふりをして、気づいていないふりをした。

 そんな俺に何を思ったか、ハヅキさんはこんなことを言い出した。

 

 

「……そっか。いい()()()じゃない」

 

「──友だち、ですか」

 

 “友だち”。そんな()()()()()()()()に、俺の手が止まる。

 ……友だち、なのだろうか。そもそも、友だちなんてどうやったら、とか。いつから友だち、とか。()()()()()()()()なんて、そんなこともわからないのに、無責任に言えるものじゃない。

 冷えた気持ちが溜まっていって、不思議と手が動き出した。自分の心とは無関係に、まるで何かを誤魔化すように。

 

 ──それに、あれはきっと。

 

「そう見えるなら、そうなんですかね……?」

 

 ──きっと、()()()()()()()

 

 そう返した俺に、ハヅキさんは「そうよ〜」と返したきり、何も言ってこなかった。そんなドライな反応が、今の俺には嬉しかった。

 

 

 

 


 

 

 

 

「たくさん焼けたね〜!」

 

「は、はいっ……!」

 

 楽しそうなハヅキさん。かくいう俺も、なかなかにテンションが上がっていた。

 というか、大量に焼かれたホットケーキの前に、テンションが上がらないなんて無理だった。今までに見たことのないホットケーキの山に、少なからず俺も気持ちが昂っていた。これからこれをトッピングする、ということに、期待に胸が膨らんでいたのもあるのだけれど。

 

「じゃあ、早速──」

 

「こんにちは〜! ミナセちゃん!」

 

「ぎゃあ!?」

 

 早速デコレーションしようとしたその瞬間、部屋に響いた大声と共に、背中に何かがあたる。予測していなかった柔らかい衝撃に、思わず変な叫び声を上げてしまう。

 いきなり抱きついてきた張本人に、俺は驚きながらも、誰かを理解していた。

 

「な、なんで()()()()()がっ!?」

 

「あはは、来ちゃった!」

 

 いきなり現れたトーリさんに、状況が理解できず、抱きつかれたまま固まってしまう。

 

「あら〜、こんにちは。今日来たんだ〜」

 

「は〜い! こんにちは、ハヅキさん!」

 

「え、ちょっと!? 何して……っていうか何でいるんですか!?」

 

 いきなり談笑するトーリさんとハヅキさん。俺を間に挟んだまま会話する二人に、なんとも言えない感情が渦巻いた。

 何も聞いてないんですけど!? というセリフは、次のハヅキさんの言葉で封殺される。

 

「あ、ミナちゃん。今日から()()()()()の子なら予約せずに来れるようにしたの。言ってなかったっけ」

 

 このっ、確信犯!

 

 そんな恨めしい言葉は、トーリさんの感触のせいで固まった口からはでなかった。どうしようか、そう思っていると、不意にトーリさんが離された感覚がした。

 

「トーリ、いきなり抱きつかない」

 

「ち、ちぃちゃん。いきなり首掴まないでよ!」

 

「私置いて走っていって何言ってるの」

 

「チ、チシャさん!?」

 

「あら、こんにちは」

 

 振り向けば、そこにはトーリさんの首根っこを掴んでひらひらと手を振るチシャさんが立っていた。

 

「な、なんで……」

 

「トーリに連れてこられた」

 

「……なるほど」

 

「なんで納得するの!?」

 

 何故だろう、“トーリさん”。その言葉が出てくるだけで、謎の納得感が……

 

「トーリちゃん、チシャちゃん。ちょうどよかった。今からケーキのトッピングするんだけど……」

 

「本当ですか!? やります!」

 

「せっかくだし、参加させてもらおうかしら。トーリ、そのまま食べたらダメよ」

 

「なんで名指し!?」

 

 ……なんだかいきなり、騒がしくなったなぁ。

 

 わいわいと生クリームやフルーツを手に、ホットケーキをデコレーションしだすさまを見ながら、不思議と笑みが漏れた。

 

 一緒にいて楽しいなんて思えるのは、ヒトじゃないってことを忘れられるからなのかな。なんて。

 

 

 




 この後、大量のケーキに途方に暮れながら、嬉しそうに尻尾を揺らす猫がいたそうな。
 お菓子作り回でした。大量のケーキでミナセのテンションは高かったみたいです。

 一ヶ月経っていないからセーフ……? 大丈夫ではない気がする。申し訳ない……!

 本当に感想、お気に入りなどなど、ありがとうございます……!


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11話

 感想、誤字報告。本当にありがとうございますっ……!
 この場で感謝を……!
 


 

「ネタがなーいっ!」

 

 

 じんわりと暑くなってきた昼下がり。

 先日のケーキをもぐもぐしていた、3時のおやつの時間。前触れもなく唐突に、そんなトーリさんの叫びが響き渡った。

 当のトーリさんは机に突っ伏して、ぐるぐると唸りながら尻尾を振っていた。いつもは立っているミミも元気がなさそうだった。いや、本当にどうしたんだろう。

 

「……どうしたの、トーリ」

 

 見かねたらしいチシャさんが、お茶をすすりながら、ケーキに手を伸ばすついでに口を開く。

 研究棟(ここ)がアニマリアに開放されて少し。トーリさんとチシャさんは、何かとここに現れ、俺にちょっかいをかけてくるようになった。

 ちょっと前からは考えないくらい話すことが多くなったことは……まあ、嫌ではないのだけれど、ここで撮影を始めるのは遠慮してほしいのが正直なところ。いや、ある程度配慮はしてくれてるらしいみたいなのだが。

 それはそれとして、トーリさんはさっきからどうしたのだろうか。……いや、ネタ?

 

「ネタがないのっ! 動画用のネタが!」

 

 ……なるほど。

 

「…………ああ、なるほど」

 

 チシャさんも理解したらしく、紅茶を置いて呆れたような視線を向ける。

 

「アニマリアって注目されて、尻尾とかミミとか動かして人気とってたものね。そこからは面白くないと見られないもの」

 

「辛辣ッ!」

 

「えぇ……」

 

 あんまりと言えばあんまりな言葉に、トーリさんはまたもや机に撃沈した。まあ確かに、動画投稿者なんてものはネタが命なところもあるし……なかなか世知辛い部分もあるのかもしれない。詳しいことはわからないけど。

 

「だからお願い、ネタちょうだいっ……」

 

 そう手を合わせてお願いするトーリさんに、どうしようかという思いが芽生えた。

 正直、本当に困ってそうだから、手を貸してあげたいという思いはある。……そもそも本当に、猫の手も借りたい思いだろうし。

 だけど……自分は初心者だ。そもそも俺の案なんて頼りにされてないだろうし。というか、そこらのやつに人目を引くようなものをあげられるはずも……

 

「なら、あれやればいいんじゃない?」

 

「え、なになに!?」

 

 俺が迷っていると、チシャさんがフォークを挙手がわりに上げ、くるくると回して答える。トーリさんは、チシャさんの答えを心待ちに、顔をあげ──

 

「解剖」

 

「なんでですかっ!?」

 

 ──予想だにしない答えに、俺が突っ込んでしまった。

 

「そ、そうだよちぃちゃん! バイオレンスだよいきなり!」

 

「冗談よ、冗談」

 

 イタズラが成功したように笑い、ケーキを頬張るチシャさんに、トーリさんは「コンプラ的にダメだからね!」と突っこんでいた。突っこむところはそこじゃないと思う。

 

「じゃあ、持ってる服の紹介でもすればいいじゃない。そういうの、割と人気でしょ? ねえ、ミナセ」

 

「わぶっ!?」

 

 どうしてそこで俺に振るんですか、チシャさんっ!

 

 いきなり話題を振られ、飲んでたお茶を吹き出してしまった。

 

「……いや、ファッション動画なんてほとんど見たことないですよ、俺。それに…………アニマリアの服って、どう紹介するんですか?」

 

「あっ、じゃあ無理かぁ」

 

「……それもそうね」

 

 アニマリアの服は基本的には存在しない。現れてからまだ日が浅いし、数も少ないから、今までの服に切れ込みを入れたりしなければならない。

 研究棟(ここ)だと特注の検査着はあるものの、他だとそんなものはないし、オシャレなものとなると加工するのも憚られ──必然と、自分でどうにかするしかないわけで。

 

「そういえば、トーリの服って今壊滅的だったわ。物理的に」

 

「何で知ってるの!?」

 

「クローゼットの中、縫い目ガタガタの服ばかりじゃない。奇抜なファッションって思われるのでもいいなら、動画にしてみる?」

 

「恥ずかしいよっ!」

 

 ああ、なるほど。だからいつもシャツを出してるのかと、普段の服装を思い浮かべながら、自分は検査着を着まわしているという事実に、そっと目を逸らしておく。

 

「でも実際、トーリっていろいろやってるじゃない。それこそいつもと違うことやらないと。コラボとかそこそこする方だし……やってないことって、何かあるの?」

 

「うーん……わんちゃんと遊んでみたりはしたんだけどね〜。犬の言葉でもわかれば、もっと遊べるんだけどなぁ」

 

 そう構想を練る二人。その視線はなんだか入り難い雰囲気を感じさせて……うん、疎外感がすごい。

 まあどうせ、力になれるなんて思ってもいないわけだし。そのあたりはプロの二人なら、いい案が思い浮かぶだろう。

 

「──ねえ、ミナセちゃんはどう?」

 

「──ふぇ」

 

「何かいいの、なーい?」

 

 いきなり話しかけられて、思わず変な声を出してしまった。

 

「え、えーと……」

 

 ちょっと待って。何も考えてなかった。

 

 自分には縁のない世界だと思って(一回だけ出たけど)、ぼーっとしていたから何も考えていなかった。

 

 ど、どうしようか。

 

 何か、答え方がいいのだろう。それでも、何も思い浮かばないのは事実で。変なことを言ってしまわないだろうか、とか。そういう不安が脳裏をよぎった。いや──

 

 そこまで考えて、トーリさんの顔を見た。

 そこには、明らかに不安の表情を浮かべたトーリさんがいて。本当に切羽詰まってるんだろうなぁ、と察せられた。

 

 そんな表情を見て、思う。

 

 

 ──頼られてるし、頑張ろうかな。

 

 

 少なくとも、今はトーリさんに頼られている。いつもはトーリさんに頼ってばっかりだし……少しは、力になってあげよう。

 

 なんだか少しだけ、気分がいい。じゃあ、何を提案したらいいのだろうか。

 

 トーリさんのことだし、いろいろやってはいそうだ。ファッションは……さっき言ったし。それに、チシャさんが言ってたみたいにいつもと違うっていうのも考えないといけないし…………

 

 あれ、何をどう答えればいいんだ……?

 

 忘れていた。俺は動画のことなんて何も知らないしそもそも、トーリさんの動画は少ししか見ていないかった。だから、何をしてて何をしてないかもわかってない……!?

 そう思い至っても遅かった。混乱した頭ではまとまるものもまとまらず、言葉にすらなっていないものが口から溢れていく。

 

「だ、大丈夫? ミナセちゃん?」

 

「──っ! はいっ!」

 

 あまりにも返答に時間をかけすぎたのか、トーリさんに心配そうに顔を覗き込まれた。いつのまにか近くにあったその顔に身体が強張って、さらに思考がまとまらなくなっていく。

 

 アニマリア、走る、初心者、犬と話せる、自分でも言える、いつもと違う、トーリさんの意外な一面? 簡単に──!

 

 

「──け、健康診断っ……!」

 

 

「えぇっ!?」

 

「ぶふっ……!」

 

 混乱したまま放たれた一言は訳のわからないもの。自分でも何を言っているかわからないまま放ったその言葉に、トーリさんは恐怖と困惑を浮かべて、チシャさんは吹き出してしまった。

 

「それ、いいかもね。確かに人気出るかも。やってみなさいよ、トーリ……ふふっ」

 

「せめて笑わないで言ってよ! 嫌だからね! まだ一週間は余裕あるんだから!」

 

 尻尾を足の間に。ミミを横にするトーリさん。病院が本当に苦手なトーリさんにとっては、動画とはいえ健康診断をするのは嫌なのだろう。とはいえ、一週間猶予があるからといって検査を先延ばしにするのはやめた方がいいのでは……?

 

「んんっ! でもミナセ、確かにトーリの意外な一面は見せられるかもしれないけど、ハヅキさんにも許可取らないといけないし……本人、こんなよ? 面白いけど」

 

「そ、そうですよね……」

 

 まだ少し笑ったままのチシャさんに相反するように、申し訳ない気持ちが湧きあがってくる。

 

 やっぱり、無理があった。自分は初心者で、頑張ってるトーリさんの頼りになれるような存在ではないのだ。ただ一度聞かれただけで勘違いしてただけで、役立たずには変わりなかった。俺はやっぱり、何も関わらない方が──

 

「ありがとうね! ミナセちゃん!」

 

「──へ」

 

 想像していたこととは違う言葉に、意識が現実に引き戻された。

 “ありがとう”。その言葉の意味が分からず、変な声が漏れ出ていた。

 

「ミナセちゃん、動画に出てくれないから寂しかったんだけど……せめて、ネタ出しに付き合ってくれてよかった〜。一緒に動画作ってるって感じがして、嬉しいな〜って!」

 

 輝く笑顔を振りまきながら話すトーリさんに、そんなことを言われるとは思っておらず、何も言えなかった。

 トーリさんのことだから、本心……なのだろう。何の役にも立っていないのに、そんな顔をされれば、何も言えなくなるのは当たり前で。ああ、もう!

 

「そ、そんなことはいいですから! 動画のネタどうするんですか!」

 

 何故か暖かく早鐘を打つ胸に無理やり気付かないふりをして、急かすように誤魔化した。ああもう、なんでこんな気分になるんだろう。

 

「うーん……どうしよっかなぁ〜」

 

 そう呟いて、お茶を一口。

 

「──ゲームしよっか!」

 

「思いっきり逃げてるじゃないですか!」

 

「切り替えはっや……」

 

 「何も思いつかないからね!」とトーリさんはゲーム機を片手にテレビのリモコンを手に取った。切り替えが早すぎではないだろうか。

 そう思っていると、もうこんな時間だからか、夕方のニュース番組が流れていた。

 

『──海岸では、毎年多くの海水浴客が訪れ、人気を博しております。今年も、多くの子どもたちが……』

 

「あ、もうそんな時期なんだ……」

 流れてきたのは、何の変哲もない海水浴のニュースだった。ここのところずっと部屋にいたから暑さなんて気になっていなかったけれど、もうそんな時期になっていたんだ、なんてふと思っていた時だった。

 

「──そっか、海!」

 

「な、何よトーリ。いきなり大声出して」

 

 いきなりの大声に、チシャさんが困惑した声を上げてトーリさんを見やった。そんなことは知ってか知らずか、トーリさんは瞳をキラキラさせて振り向いた。

 

 

「海、行こうっ!」

 

 

「──は」

 

 あまりにも唐突な、いきなりすぎる提案。しかしとても楽しそうな、嬉しそうなトーリさんを見て、俺は。

 

 ──今までの話し合いの意味は……!?

 

 とは……流石に、言えなかった。

 

 

 

 




☆補足
アニマリアの服は現在ほぼありません。
そのため、自分で作る必要があったりします。流石に研究棟だとハヅキさんが手配した尻尾を出せるものが用意されてたりしますが。
ちなみに、ミナセ的にズボンを履くと腰パン気味になるのが悩みらしい。


獣人の服を見て思うのが絶対穴から尻尾出せないよね、です。穴大きいと背中見えるし、小さいと逆立って服の中でぼわってなると思っちゃいます。prettyを見てるとジッパーで、なるほどと思ったりします。
個人的に、ポケット式が一番しっくりきます。

感想、誤字報告等、本当にありがとうございます……! がんばります!


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12話

 
 年齢を出していなかった…
 ミナセ&トーリ 21歳
 チシャ 20歳
 です。作内で出すタイミングもなく…あれ、少女、とは…?
 


 

 

「日焼け止めちゃんと塗った? ほら、そんな雑に塗らない! ちゃんと全体的に……」

 

「ちょ、ハヅキさん。そんな塗らなくても……」

 

「何言ってるの、ちゃんと対策しないと、日焼けして困るのはミナちゃんなんだから」

 

 あれから数日経って、俺は今、ハヅキさんに日焼け止めを塗りたくられている。

 結局、トーリさんを止めることもできず……なぜか俺も誘われ、トーリさん相手に断れるはずもなく、海に行くことになってしまった。

 

「でも、よかったんですか? 今日、検査とかあったんじゃないんですか?」

 

「いいのよいいのよ! アニマリアの検査は普通、一ヶ月に一回くらいなんだから」

 

 ……とまあ、そんなわけで。なぜかノリノリなハヅキさんに、日焼け止めを塗れと言われて今に至るわけで。まさか、玄関先で塗られるとは思っていなかったけど。

 

「よし、これで大丈夫ね。それで、ここからどうやっていくの?」

 

「それが……トーリさんが、ここで待っててって言われて……よく、わからないんですよね」

 

「なら、もうすぐ来るわね。ふふっ、楽しみねぇ」

 

「は、はぁ」

 

「あ、尻尾に日焼け止め塗っとく?」

 

「どうやって塗るんですか! ちょ、尻尾掴もうとしないでください!」

 

 日焼け止めを片手に尻尾に手を伸ばすハヅキさんの手を叩き落としながら、トーリさんを待つ。

 そういえば、トーリさんは海にどうやって行くつもりなのだろうか。人がいると嫌なんだけど……まあ平日だし、帽子もあるからある程度は我慢しようか。

 

 ……その、時だった。ミミがピクリと跳ねて、()()が聞こえたのは。

 

 ──ブルルルルッ!

 

 と、そんなエンジンを全開まで蒸したような、異音が聞こえてきた。それは、着実にこちらに近づいていて──え、ちょっと待って、何が起こってるの?

 そう混乱する頭をよそに、身構える暇もなく、それは姿を表した。

 

 

 ──それは、車だった。

 

 ギャルルルッ! という日常生活ではおよそ聞くことはないだろう摩擦音を立てて止まったそれは、絶妙な角度で俺の目の前に停まった。

 まるでどこぞのアクション映画のような停め方に、顔が引き攣るのが止められなかった。そしてその中から、こんな運転をした下手人が姿を表した──

 

 

「ミナセちゃん、おはよ〜!」

 

「ああ……おはようございます……」

 

 

 トーリさんだった。いや、こんな登場の仕方するなんて、トーリさん以外いないとは思ってたけどさぁ。思わず生返事を返してしまった。

 

「トーリさん、免許持ってたんですね……」

 

「うん! 海に行くから乗ってきたんだ〜」

 

「車持ってるなら、いつも車で来ればよかったのでは……」

 

「なんで? 歩いて来れるのに」

 

 ごもっとも。

 

 いやそんな納得してる場合じゃなくて。ええと、どこから突っ込めば……

 

「じゃあ、海に行くから早く乗って!」

 

「そうね! トーリちゃん、ミナちゃんお願いね!」

 

「任せてくださいっ」

 

「え、ちょっ!」

 

 考えてしまったのが運の尽き。ハヅキさんの手によって、俺は乗る方向で決まってしまったらしい。ハヅキさんに背を押され、トーリさんに手を引かれる。もう引くも戻るもできず……

 

「えぇっと、お邪魔しまーす……」

 

「どーぞー!」

 

 そんな元気なハヅキさんの声一つ。俺は後部座席に乗り込んだ。なんとなく、前は危ない気がして。

 スライド式のドアが開いて、足をかけた瞬間だった。その奥にあった()()に、思わず体が止まる。

 

「──チシャさん!?」

 

 それは、チシャさんだった。だけどその姿は、いつもの様子とは違っていた。シートベルトで辛うじて座っていられているものの、意識があるのかないのか、窓に頭を預けてピクリとも動かない。ミミもへたれて、尻尾も心なしか元気がない。そんな今までに見たことがない姿に、思わず声を上げてしまった。

 

「ちょ、大丈夫ですか!?」

 

「じゃあ、行ってきまーす!」

 

 そうしている間にも、トーリさんの元気そうな声と、「いってらっしゃ〜い」と軽い声が聞こえてきた。かくいう俺はそんな余裕もなく、見るからにグロッキーなチシャさんに戦慄していた。

 

「…………ミナセ」

 

 ピーっと、ドアが閉まる音が聞こえた。それと同時、チシャさんが口を開いた。その言葉は、疲れ切っていて──

 

「シートベルト、しときなさい」

 

 ────、

 

 俺は、どんな顔をしていたのだろう。

 

 ただその時、ガチンッというドアが閉まる音が、まるでなにかやばいものが始まった音に聞こえて──

 

「じゃあ、行っくよー!」

 

 そうして聞こえる、異様なエンジン音。

 

 ああ、やばい。

 

 無意識のうちに、締めていたシートベルトを握り込んだ。なんというか、本能的な恐怖を感じて。

 

 

 その後のことは、語るべくもなく。数秒後に、地獄を見たとだけ……言っておくことにする。

 

 

 


 

 

 

「ついたよ〜!」

 

 トーリさんの声が、いやに遠くに聞こえる。どうやら、目的地に着いたらしいと霞んだ意識で理解した。

 

「どうしたの〜、本格的に暑くなる前に行こう!」

 

「無茶、言わないで」

 

「いや、トーリさん……ちょっと、待って……」

 

 元気なトーリさんが眩しい。というか恨めしい。なんだあの運転。急加速に急ブレーキにドリフトを決めて、おかげで中にいた俺は、チシャさん共々シェイクされてしまった。なんであんな運転で事故ひとつしないんだ。と、心の中で恨み言を吐いた。

 

「ほら、すごいよ!」

 

 そう、トーリさんに急かされ、なんとか時間をかけて回復した身体を起こし、車を降りた。それと同時、差し込む陽光に思わず目を伏せてしまう。

 それも少しの間。すぐさた光に慣れた目をゆっくりと、外へ向けたそこには──

 

「ね、すごいでしょ、ここ」

 

 そこには、光り輝く地平線があった。

 どこまで遠くきたのだろう。遠くに山や木々が見え、人もいない。まだ昇りかけの太陽がいやに眩しくて、思わず目を瞬いた。

 さっきまでの車に揺り揺られた騒々しさとはかけ離れたその場所に、思わず観入ってしまった。

 

「どう、ここ?」

 

「え、あ、すごい……と思いますけど」

 

 ふふん、とドヤ顔で話しかけてくるトーリさんに、見たままの感想を一つ。語彙力が少なくて申し訳ない気がする。

 なんだか、海に来るなんてのも久しぶりな気がする。それも、こんな誰もいない秘境みたいなところで。こんな場所、一体どこで見つけたんだろう。

 

「それにしても、よく見つけたわね。こんなところ」

 

「でしょ? ちょっと遠いんだけど、人も少なくて撮影もしやすいなぁって思って。それに()()()()()()()()()()!」

 

「ちょうどよかった……?」

 

 一体、何に?

 

 そう口からこぼすと、トーリさんには苦笑気味に誤魔化されてしまった。何でそんな反応をするんだ、と聞こうとするも、トーリさんの言葉に嫌な予感がして、咄嗟にその場を離れた。

 

「それより、早く行こ! ちゃんと、水着も持ってきてるし! ねえ、ミナセちゃ……いない!?」

 

 ……やっぱり。

 

 と、そこらにあった海の家らしき場所に身を隠しながら思った。いや、水着なんて着ないから。だから俺は元男だと何度言えばっ……本当に収拾付かなくなるから!

 そんな警戒を自然に込めて、壁に隠れながらトーリさんを見やる。「一瞬でそんなところに!?」なんて聞こえるけど、そうさせたのはトーリさんだ。

 そう警戒しながら睨んでいたものの、チシャさんに引き摺り出されトーリさんの前に戻される。……なんか、若干不満そうな目で見てくるトーリさん。いや、絶対着ないから。

 

「ほら、トーリもミナセをいじめるのはやめてあげなさい。そもそも、私も泳がないからね。尻尾濡れたら面倒だもの」

 

「えぇ〜!」

 

「えぇ〜じゃない。砂とか落とすの大変なんだから」

 

 見かねたらしいチシャさんが、なんとかトーリさんを宥めてくれたらしい。ミミをぺたんとしながらも理解はしてくれたらしい。ぐるぐると唸りながら、諦めてくれたみたいだった。

 

「う〜ん、じゃあ何しよっか。せっかく海に来たし……」

 

 そう言って、トーリさんはくるりと周囲を見渡して……途端に、ミミを立てた。顔はまさに閃いたという顔で、口元は最高の笑顔で。

 

 

「じゃあ、アレしよっか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、結局こういうのに落ち着くのか……」

 

 あれから少しだけ移動して、ぽつんと一人海に釣り糸を垂らしながらそう呟いた。結局、いいのが思い浮かばず……まあ、海釣りの場所に行くことになった。のはいいものの……当のトーリさんは、

 

「みんな、こんにちは〜! 今日は──」

 

 早速、動画撮り始めてるし。チシャさんはスマホで撮影に付き合ってるし……なんだか、取り残された感がすごい。

 だから、俺はなんとなく海釣りするしかやることがなくなってしまったわけだ。

 少しばかり暑くなってきて、釣り竿を足で挟んで持ってきた水を飲み一息。アニマリアになってからというもの、汗をかきにくくなったのは幸か不幸か、ヒトだった頃よりも熱さに敏感になった気がする。

 

「……ふぅ」

 

 そんなことを考えながら、トーリさんたちを見た。網を片手にスマホを構えるチシャさんと、何かに引っかかったらしく慌てるトーリさん。撮影だというのに、なんだか楽しそうだった。

 

「……」

 

 これは、なんだろうか。

 海に連れてこられて、車でミキサーにかけられて、挙げ句の果てに放置って。まあ、自分は動画に出ないって言ってるからしょうがないところではあるのだけれど。

 もう一度、トーリさんたちを見てみる。まるで自分を忘れたようにはしゃぐトーリさんに、もやっとしたものが胸に溜まる。動画に出ないとは言ったし、撮るためにも大変なんだろうし、連れてきてまらっておいて何だけど、少しくらい()()()()()()──

 

「──え」

 

 

 ──今、何を思った?

 

 

 その時、水を差すように、釣り竿が跳ねあがった。

 

「う、わっ……!」

 

 魚がかかった──と理解したのは、一拍遅れてからだった。慌てて釣り竿を握り、持ち上げた。

 あ、やばい。と察するのは早かった。こちとら釣りなんてしたことがない素人だ。せっかく始めたんだし、釣り上げたいところだけど……いかんせん、初めての体験すぎて混乱してるのもあったからか、うまくひけなさすぎた。

 

 ちょっと待って、本当に無理っ……!

 

 そう思って、諦めかけた時だった。

 

 

「引いてるじゃんっ、手伝うよ!」

 

 

 後ろから抱きつくように、トーリさんの手が俺の手ごと釣り竿を掴んでいた。

 

「ト、トーリさん!?」

 

 撮影どうしたんですか!?

 

 なんて、聞く暇もなく。トーリさんは楽しげに釣り糸の先を見つめ、握る力をさらに強めていく。当然、そうなればトーリさんの身体が俺に当たるわけで。

 

 ち、近っ……!

 

 トーリさんが追えば追うほど、身体が押し付けられていく。手に伝わる体温と、体勢のせいでミミにかかる吐息が、どこかむず痒い。それに加えて──その、当たってる。前傾姿勢で俺に体重がかけられていって、その度にトーリさんの身体が押し付けられていく。

 柔らかい感触と、漂ってくる香りと、海の匂い。それに照りつける熱のせいで、頭がぐちゃぐちゃになってしまう。

 

 そのせいだろうか、身体から力が抜けた。

 

「わわっ!?」

 

 それがいけなかったんだと思う。身体が前屈みたいになって、トーリさんが俺の背を滑ってしまった。カランと音がして、トーリさんが横に転がった。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

「大丈夫〜」

 

 横に寝転がったまま、トーリさんは楽しそうに笑っていた。無事だったのはいいけれど……結局、逃げられてしまったらしい。だけどトーリさんは、

 

「あはは、逃げられちゃったね〜」

 

 そう、楽しそうに笑っていて。釣りをすること自体が楽しかったらしいその笑顔に、俺は何故か、目が離せなかった。

 

 これは、何だろうか。

 

 顔が熱い気がする。なぜか、胸が跳ねるような感じがして。口元がちょっとだけ、緩む感じがして──思わず手を伸ばして、水を飲んだ。

 今日は、暑い日だ。さっきから太陽が照りつけてるし、ここは光を遮る場所もない。だからきっと、そのせいだ。いやに顔が熱いのも、きっとそのせいだ。

 

「じゃあ、次も──」

 

「ねえ、トーリ」

 

「え、どうしたの? ちぃちゃん」

 

 そう思っていた頃、チシャさんは釣り竿を片手にスマホを構えていた。どうやら、トーリさんに渡されたままだったらしい。なんか、申し訳ない感じがする。

 

「引いてるわよ、多分これ」

 

「え、ほんと!?」

 

 そう言うチシャさんの視線の先には、まるでリズムを取るように規則正しく小さく動く釣り竿があって。

 

 あれ、釣りってそんな動きしたっけ。

 

 あまりにも奇妙な動きをするそれに、トーリさんは気にした様子もない。躊躇いなく釣り竿を持ち上げていく。なんだろう、特に根拠もないけれど、なんかいやな予感がする。

 

「ト、トーリさん。それ……」

 

「よいしょーっ!」

 

 俺の言葉は届かず、そんな掛け声ひとつ。トーリさんの腕は天高く振り上げられた。普通に釣れたとは言い難いほどに上げられた腕の先に、大きな影が一つ宙を舞う。

 

 ──ドサっ

 

 そんな音を立てて、()()は地面に落ちた。興奮するトーリさんをよそに、俺は目を疑った。

 

 それは、尾ひれがあった。水に濡れたひれは、力なく地面に打ち捨てられ、時折地面に叩きつけられていた。ここまでなら、別に驚くことでもない。驚くべきは……その、()

 それには、()があった。それも、人間の頭。(しろ)みがかった髪から水を滴らせ、まるで眠ったように動かなくて。

 

 人間に、尾ひれがついてる。

 

 そんな、普通にはありえない光景に。思わず口にする。

 

 

「に、人魚……?」

 

 

 絵本で見た伝説の生物。その実在を目の当たりにして思わずそう、呟いてしまった。

 




 

☆裏話
トーリは運転荒め。でもなぜか事故らない。不思議。
乗った人はグロッキーになるけど。

誤字報告等、毎度ありがとうございます……!

更新速度上げられるといいなぁと。
 


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