TS龍娘ダクファン世界転生 (てんぞー)
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1章 王国幼少期編
目覚め


 初めに知覚したのは声だった。優しく、穏やかな、慈しむ声。

 

 ―――どうか、貴女の旅路が希望で溢れたものでありますように。

 

 声が聞こえたのは一瞬。春の名残が一瞬で消えて行くような、そんな儚い声だった。だけどずっと胸の中に残る暖かさでもあった。それを一瞬感じてから、声は消え、自分の意識が徐々に覚醒して行くのを自覚する。

 

 そして、目覚めた。

 

 意識の覚醒は緩やかで、微睡の中から少しずつ引き起こされる様な感覚だった。ずっと深い眠りの中にいた様な感覚が乱され、崩され、そして起こされた。体の感覚はぐちゃぐちゃで、上手く立ち上がる事も出来ない。覚束ない感覚で体を持ち上げようとすれば、自分の肉体がまるで自分の物ではないような感覚がした。だというのに耳には未知の言語が聞こえて来た。

 

『マジか……龍だ。亜竜でも雑竜でもない、マジもんの龍だ。まさかまだ生きている個体がいるなんてな』

 

 不思議と未知の言語だって解るのに、言葉は同時に脳内で通訳されているように日本語で聞こえて来た。ちょっとした気持ち悪さを感じる翻訳だった。だが、そう、自分の耳には日本語でも英語でもない言語が届いていた。

 

『龍族が絶滅してから既に数百年が経過した今、最後の龍が現れるか。この調子じゃ他にもまだ生き残ってるかもしれないぞ……気を付けろ、相手も起きた様だ』

 

『みたいだな。子龍でも龍だ、細心の注意を払って処理するぞ』

 

『おう』

 

 龍……龍? 覚醒した意識の中で瞼を開く。言葉はどうやら自分へと向けられているらしい。僅かな眩しさに目が眩みそうになるものの、何とか正面を見る事が出来た。そこにいたのは2人の男の姿だ。片方は人の頭があるべきはずの場所に狼の頭を持ち、もう片方の男は背丈ほどの大きな剣を構えていた。その姿はファンタジー小説にも出てきそうな戦士の恰好をしている。明らかに夢の中でありそうな景色に思わず気が抜けてしまう。なんだ、まだ夢を見ているのか、と。

 

 だけど狼男は爪を構えると油断なく視線を此方へと向けている。それに今、面白い言葉を聞いた気がした。

 

 ―――今、アイツら俺の事を龍って言った?

 

 ドラゴゥォーン?

 

 レジェンダリーな生き物? マジで? 何それウケる。

 

 自分に向けられた発言に意識がよりシャープになる。そして同時に殺意とでもいうべきものは肌に、いや、鱗に突き刺さる感覚を得た。直ぐに敵じゃない、と口に出そうとして

 

「きゅぉ―――」

 

 喉から出てくるのは鳴き声だけで人の声じゃない。だがそれを受けて男達は寧ろより警戒する様な姿を見せ、狼男の姿が消えた。

 

『オラっ!』

 

「きゅっ」

 

 爪で襲われた。一瞬で接近した狼男の姿が目前に出現すると、薙ぎ払うように振るわれた爪が顔面に衝突する。その結果、まだ寝起きで意識がふらふらとしている体を全力で吹き飛ばす。痛みを感じながら大地を転がると狼男がクソ、と息を吐いた。

 

『何て鱗だ、亜竜共とは比較にならねえ! 鱗に傷1つねぇぞ! レッサー共でさえ切り裂ける自慢の爪なのによ!』

 

『文句言ってないで本格的に動き出す前に仕留めるぞ! エンチャントがあるとはいえ、相手は未知数だ、油断するなよ!』

 

『おう!』

 

 狼男は体に力を滾らせ、大剣を構えた男は力を剣に込める。先ほどまで転がっていた割れた宝卵の様なものから引き離されて転がった大地からふらふらと起き上がる。どうにか、どうにかしないといけない。

 

 じゃないと殺される。

 

 根源的な死への恐怖が相手を傷つけるという異常に対する忌避感を奪った。それと同時に取るのは種族的な本能に刻まれた防衛行動。この体が龍の体であるというのなら、その身を守る為に放つのは当然一つの動作。

 

 龍の息吹。

 

 即ち、ブレス攻撃だった。

 

 状況が何も解らないままいきなり殺されそうな事態に口からブレスが吐き出された。一瞬で接近してきた狼男を運よく巻き込みながらその背後で二の撃に備えていた大剣使いをも飲み込み、口から吐き出された白と黒のブレスは2人の男達を一瞬で焼き殺した。悲鳴をあげる暇もなくブレスに飲み込まれた男たちは死体となって大地に転がる。その体には鎧を引き裂くような多数の裂傷と、分解されたかの様に焼けた肉体のみが残された。

 

「きゅるるるぅ……」

 

 なんだ、これ。

 

 そう言葉にしようとしても人の言葉が出て来ない。出てくるのは可愛らしい龍としての声だ。人を今目の前で殺したこと、そして自分の姿がいきなり龍という生物になってしまった事。それが最初にあった余裕なんてものを一瞬で脳内から吹き飛ばした。

 

『うぅっ……嘘、だろ……』

 

『ぐっ……クソ……子龍で、これかよ……』

 

「っ!」

 

 生きていた。殺していなかった事に心の中で安堵を覚えつつも、何時までもここに居たら絶対にまた命を狙われる。ここがどこであるかなんて一切解りはしないが、それでもここにいる訳には行かない。自分の命を狙っているような連中がいる場所だ、当然まともな場所ではない。

 

 自分が生まれて来たらしい宝卵を飛び越え、そして入口付近で転がっている男たちを飛び越えて外へと向かう。小さな前足と少し大きな後ろ脚、それに尻尾と翼。飛ぶ事は出来ず、人の様に歩く事も出来ない。アンバランスな体がまともに歩く事さえも阻害して焦りを生む。だが逃げ出して漸くここがどういう場所か見えてきた。

 

 森の遺跡だ。

 

 木々が生い茂る中に崩壊した遺跡が混じっている。風化した石柱、崩れた壁、ツタの生い茂る足元―――それが迷路のように絡み合いながら道を生み出していた。当然こんなところ見たことがない。さっきまでは確かに日本の―――日本のどこにいたんだっけ? 一瞬思い出そうとして思考が空白になるも、

 

『おい! 龍がいたらしいぞ!』

 

『こっちか!』

 

 怒声が入り組んだ通路のどこから聞こえてくる。それに先ほど殴られた事、そして吐き出してしまったブレスの事を思い出させる。殺されるのも、殺すのも嫌だ。その想いだけを胸に再び慣れない体で入り組んだ森の迷路を走り出す。複雑に曲がりくねりながら絶妙に壁を越えていけないように配置された迷路は目印もなく入り込めば一瞬で迷ってしまいそうなつくりをしている。

 

 天蓋が木の葉によって遮られる迷路内は薄暗く、転びそうなつくりをしている。だが壁や床には淡く発光する鉱石や結晶があり、それが光源となって導いてくれる。それに不思議と全力疾走しているのに一度も突き当りに到達する事もなく、迷路を駆け抜けていた。

 

 まるでこの森の遺跡そのものが逃がしてくれているような、そんな不思議な感覚を覚えた。だから全力疾走できた。足元や壁をツタが生えていて移動を阻害するが、まるで道そのものが導いているかのように転ぶ事はない。このままいけば逃げ切れるかもしれない。そう思うも、幸運は続かない。

 

『見つけたぞ……本物の龍だ』

 

『奥に行った2人を退けたんだ、間違いなく強敵だぞ。気を付けろ』

 

『クソ、仲間を殺しやがって。龍共め』

 

「くるぅぅ……」

 

 迷路を抜けた、そう思った瞬間に道を阻む様に男が今度は3人現れた。俺が一体何をしたって言うんだ。だけどそんな問いかけすら出来ない。自分が出来る事は逃げる事か……応戦する事だけだった。そして後ろから迫ってくる怒声を前に、逃げ出せる方向は正面のみだった。前に陣取る男たちは盾を持つ味方を前に、槍を持つ男とライフルを構える男が控えた。

 

 選択肢はない。

 

 大きく息を吸い込んで、吐き出した。

 

『ブレスだ、俺の後ろへ!』

 

 迷う事無く盾を持つ味方の背面へと2人が潜り込み、対応に慣れたような動きを見せる。タンクがブレスを受けてから飛び出す―――そんな意図を見せた動きは一瞬で決壊する。

 

 タンクのブレスを受けた盾が、崩壊したからだ。

 

『なっ―――』

 

 構えた男の驚愕の表情が目に映った。だがブレスは盾に触れると黒い結晶を纏って崩壊し始める。そのまま白と黒が交じり合った吐息が逃げ場のない3人の体に的中する。一瞬で飲み込まれる人影たちは退避も防御する余裕もなく体中を焼かれ、宝卵の前にいた者達の様にぼろぼろの体にされて倒れる。

 

「……くぅ」

 

 ごめんなさい。謝りたくても謝れない。でも生きる為なのだから、仕方がない。自分にそう言い訳しながら3人の姿を避けて奥へと逃げ出した。

 

 地面や壁から生えている不思議な結晶が光源となっていた迷路内とは違い、遺跡を抜け切ると広大な青空とどこまでも続く森の姿が目に入る。まだ点在する遺跡の跡、これに隠れながら逃げればどこかへと行けるのだろうか? 少なくとも襲われない様な場所へと向かわないとならない。何かを考えるのはそれからだ。

 

 だから逃げ出そうとする。両足に力を込めて前へと向かって蹴り出そうとして―――正面、音を立てて剣が突き刺さった。飛び出す寸前に何とかブレーキを踏んで足を止め、つんのめりながら驚きの声を零して後ろへと身を引いて数歩下がる。

 

『どこに行くんだ?』

 

 声は剣の背後からやって来た。森の奥から歩いてやって来た姿はこれまでのどこか粗暴さを感じられた男達とは違い、一目で上質だと解るコートを来た金髪の男だった。ゆっくりと歩きながら近づいてくる姿は威圧感を大量に含み、一瞬で先ほどまでの男達とは別格である事を理解させられる。

 

 逃げる為にはブレスを―――と考え、頭を横に振って考えを否定した。

 

「きゅぅ……」

 

 やっぱり、こんなものを人に向けちゃ駄目だ。逃げなきゃ。

 

『逃げるのか? まあ、それも良いだろう』

 

 横へと向かって全力で走り出す。それを男は追撃もせず、歩いて追ってくる。小さな体は決して走る事に向いていない。だけど翼の使い方も何も解ったもんじゃない。出来るのは人殺しのブレスを吐くのか、逃げる事だけ。

 

 どうして。

 

 どうしてこんなことになっているんだ?

 

 どうして、俺はこんな目にあっているんだ? 答えは出ないし解らない。だけど今するべき事は逃げる事だけで、それ以外は何もない。死んでしまったら何もないのだから。

 

 だから逃げた。必死に逃げた。まだ小さい脚は蔦に引っかかりそうで、転びそうになるのを牙を食いしばりながら何とか乗り越えて必死に走って走って走って、少しでも助けになるように翼をパタパタさせながら走り続けて、

 

 そしてついに、行き止まりにたどり着いた。

 

 激流の川、視線をそれに沿って動かせばその先には滝へと繋がっているのが見えた。余裕さえあればそこから見れる森の広大な景色は絶景だと笑って思えただろう。だけど今はそんな余裕もなく、そして逃げ場がない場所へと逃げて来てしまったという絶望を理解するのに時間は必要なかった。川を遡って逃げようと思えば先にぶつかるのは遺跡の壁だ……乗り越えられない。逆の道は崖と滝で、川をこの体で泳いで渡れるとは思えなかった。

 

 それに滝自体も下が見えない程高く、落ちたら絶対に死ぬだろうと確信できる高さだった。

 

 詰んでいた。

 

 最初から。

 

 目を覚ましたその時から、この瞬間まで。

 

 元々逃げ場なんてなかったのだ。

 

『そうだ、お前に逃げ場なんてない』

 

「きゅぅっ」

 

 体に何かが衝突する。痛みを感じながら僅かに弾かれて川の方へと押し出される。ギリギリで踏ん張って川に落ちないように振り返れば、先ほどの剣士と一緒に数人の男たちが集まっていた。中には杖を持ち、中空に火の玉や氷の槍を浮かべる奴までいる。明らかに現実とは思えない幻想の法則を駆使するそれは、魔法としか言えない。

 

『ウィルバーたちはどうだ?』

 

 剣士が魔導士の1人に聞く。それに魔導士は頭を横に振って答えた。

 

『大怪我ですが……治療さえすればどうとでもなりましょう。エリクサーも一応持たされていましたし。判断としては正解でした。まさか対亜竜用エンチャントが一切役に立たないとは思いもしませんでしたが』

 

 魔導士の言葉に剣士が頷いた。

 

『亜竜と龍族では決定的な格差がある。存在の格が違う。亜竜程度の備えで狩れると思っているのなら自殺も良い所だが……』

 

 剣士はこっちへと視線を向けて頭を横へと否定するように振った。

 

『産まれたばかりとはいえ、龍は龍だ。殺せるだけの力があるはずだ。それを成さなかったのは……つまりこの子は殺さなかった訳だ』

 

『龍はそういう生き物ですよ、龍殺し様』

 

 全身を鎧に身を包んだ騎士の様な男が背後から現れ、剣士の横に立ちこっちに蔑む様な視線を送り、否定する様な言葉を吐く。

 

『傲慢で、劣悪で、我らを見下している。邪悪で暴力的、それがドラゴンという種の性質です。奴らは悪です、疑いようもなく。我ら人と、そしてそれに連なる種族がこの世界で覇権を守る為には駆逐せねばならない種族です。彼らは、悪の存在なのです』

 

『心の底からそう思うか?』

 

『さあ? ですが人の覇権には間違いなく邪魔な生き物です―――だから悪で良いのです。だからこそ龍殺し様も狩られているのでしょう?』

 

『果たしてどうだろうな……それでお前は?』

 

 龍殺し。そう呼ばれた男は剣を握ったまま此方を見た。殺すつもりなのだろう。自分を守らなきゃいけない。守らなきゃ殺されてしまう。何もかも解らないのに死にたくはない! そう思って息を吸い込んでブレスを吐き出そうとして―――動きを止めた。脳裏に思い浮かぶのはブレスで焼いてしまった5人の男たちの姿で、

 

 彼らの様な姿を増やすのは、嫌だった。

 

 そう思ったら、自然とブレスを止めていた。

 

『そうか……お前はそうするのか』

 

 剣士はそう言って頭を横に振り―――目にも止まらぬ速さで剣を振るった。

 

「きゅ―――」

 

 今までにない痛みを受けて狼男が割れなかった鱗が割れて、引き裂かれた。体から血を流す裂傷に痛みを感じながら吹き飛ばされて―――川に落ちる。激流と痛みに飲まれて意識は一瞬で滅茶苦茶に揉まれながら流され、

 

 そして浮遊感。

 

 激流から滝へと真っ逆さま。底の見えない滝つぼへと落下して行き―――意識を失う。

 

 

 

 

「龍殺し様、一撃で龍を討つとは見事です」

 

「世辞は良い」

 

 それに殺せはしていない、と龍殺しは最後の言葉を飲み込んだ。それを口にするのはあまりにも無粋だと感じたからだ。手加減をしたつもりはなく、手を抜いたつもりもない。間違いなく子龍には重傷を負わせただけの自負があった。だがそれで仕留めたと思える程楽観している訳でもなかった。龍、という種は強靭な生命力を持つ生き物だ。本来の龍種から外れた亜竜でさえも心臓を潰された程度では死なないのに、重傷1つで本当に最後の龍の子が死ぬのか?

 

 ありえないだろう。それでもあの重傷のまま滝つぼに落下すれば……とは判断していた。

 

 だがそれも運次第だろう。

 

 運が良ければ生きるだろう。

 

 運が悪ければ死ぬだろう。

 

 どちらにせよ、それで良いと龍殺しは判断した。

 

「エリクサーを惜しみなく使ってウィルバーたちを治療しろ。龍相手の負傷だ、人理教会も文句は言わないだろう」

 

「はい、ありがとうございます。龍殺し様もお疲れ様でした」

 

 付けられた監視と雇われた冒険者たちに撤収と治療を命じながら龍殺しは滝壺の方へと視線を向けていた。運が良ければ生きるであろう子龍の存在へと馳せて。

 

「きっと、お前が龍の去ったこの時代に現れた事には意味があるのだろう」

 

 龍殺しは目を閉じ、龍の子への想いを数秒程馳せ、それから振り払うように目を開けた。

 

「お前が悪龍へと育つようであれば……その時は改めて俺がお前を屠る事にしよう。それまでは自由に生き、自由にこの世を謳歌するが良い。己の生まれた意味、そして今の世に現れた意味を求め……誰よりも自由に生きると良い、運命の子よ」

 

 不思議とまた何時か会える事を確信し、龍殺しは龍の子が落ちた滝へと背を向けて仲間の下へと帰って行く。

 

 そしてもはや、その地には誰も残されなかった。

 

 初めからそうであったように静寂が戻った地には古くなった遺跡だけが残され、そこで眠り続けていた最後の龍の子が解き放たれたという事実だけが生まれた。

 

 運命の歯車が、最後の龍を中心に世界を巻き込んで―――今、動き出す。




 龍に転生してダクファンする話、始めました。


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目覚め Ⅱ

 漆黒。

 

 暗転した意識。

 

 落ちて、落ちて、落ちて行く。ひたすら漆黒の中へと沈んで行く感覚―――だがそれは途切れる。誰かに、何かに腕を引っ張られるように引き上げられるような温かみを感じた。誰かに救われたような気がした。

 

 知覚出来たものはない。

 

 今、この瞬間までは。

 

「けほ、けほ」

 

 咳き込む勢いで意識が覚醒した。

 

 飛び起きるように体を持ち上げるも、全身に軽い痛みを感じる。僅かに熱を帯びた体はまるで風邪を引いた後の様な感覚だった。だが生きて、無事だというのが解った。起き上がったのと同時に体から落ちるベッドシーツで自分の体が人の形をしているのが解った。人の姿をしている、という事は夢だったんだろうか? あれは。

 

「いや、違う……」

 

 喉から上がってくる自分の物とは思えない声。これは現実だ。あの逃走劇は間違いなく存在していた事で、自分はあの滝から投げだされて何とか生き残ったのだ―――マジで? 人間、割と何とかなるもんなんだあ……俺、人間じゃないっぽいけど。

 

「そうだ、人間。俺、人間じゃなかった筈だけど」

 

 目覚めて早々、自分のボディチェックに入る。両手を見れば自分が人間だって解るし、首に触れても人間の肌の感触が―――あ、違う。首の横、筋の辺りを触れてみる。そこには鱗がくっついていた。すべすべとした感触は触れてみるとくすぐったさと心地よさがある。どうやら完全に人間になった訳じゃなく、龍人とでもいうべきものになっているようだった。状況が状況なら両手を万歳しながら喜んだり楽しむようなシチュエーションなのだが、

 

 今は素直にそうやって喜ぶ事も出来なかった。

 

 ただただ、純粋に恐ろしい。

 

 自分が何なのか、何を見たのか、何でここにいるのか、どうして助けられたのか。何も解らなかった。ただ解るのは自分が日本とは全く違う、魔法やドラゴンのいるファンタジー世界へと連れ出されてしまった事だ。自分の姿も、記憶にある姿とはまるで違う。

 

 目の前に視界を遮るようにかかる長い髪は白く見えるのに、ハイライトがかかるように右の髪の一部は黒く染まっている。吐き出したあのブレスの様に白と黒で髪の色は染められている。こんなファンタジーな色合い、絶対に現実では無理だ。それに鱗の生えている人間なんて存在しないし、頭を触ってみれば角だって生えている。

 

 こんな人間がいてたまるか。

 

 それに、

 

「俺、女になってる」

 

 出てくる声が明らかに男のそれじゃなくて、少女のそれだ。それも年のころは8とか、9とか、それぐらいの。手も小さく、子供の手になっている。記憶の中にあった育った男の手とはまるで違う。若返った事を喜ぶべきか、それとも男じゃなくなったことを嘆くべきか。それとも怪物として転生してしまった事実に絶望するべきか。何もかも飲み込めずにいて決断を下す事が出来ずにいた。ただ今、柔らかく清潔なベッドの上にいて、着ている物も新品のパジャマの様に思える。つまり誰かが助けてくれた、という事なのだろう。

 

「やっぱり女の子だ……」

 

 パジャマの胸元を持ち上げて軽く浮かせて中を確認し、それから下の方も軽く引っ張って確認する。やっぱりあるべきものがない。完全に女になっている……とはいえ、体の構造は鱗と角がある事以外はどうやら普通に人間と同じらしい。あの龍の体だった時と同じような翼や、尻尾は見えない。それがない事だけは救いだろうか。

 

「どうしたら、良いんだろうなあ……」

 

 ベッドの上で膝を抱えるように蹲る。異世界転生とか異世界チートとか、そういう事で盛り上がる様な段階は既に通り過ぎていた。あるのは異世界という現実の厳しさと恐怖だった。今はまだ助けられたようだから良い。だけどこれが何時反転するかは解らないのだ。思い出すのは悪だと断じて殺しにかかってくるドラゴンスレイヤーたちの姿と、無慈悲な死の宣告。

 

 もう、2度とあんな目にはあいたくない。

 

 でも自分もここもなんなのかが全く分からない。そんな混乱と失意の中、ベッドの上で膝を抱えていると、扉が開いた。

 

『あ……』

 

「あ」

 

 扉を開けたのは幼い、銀髪の少女だった。長くウェーブのかかった銀髪にリボンを付けた、令嬢の様に見える少女は扉を開けて此方を見ると、大きく目を開いてから勢いよく飛び出した。

 

『お父様ー! お母さまー! アンー! 起きたー! あの子起きたー! 起きたー!!』

 

 どたどたと足音を立てて走って行く少女の姿に一気に毒気が抜かれた。少なくともあんな子がいる家が酷い事をするとは思えない。ふぅ、と息を吐いた。とりあえず……命だけは助かったのだろうと思う。これから自分がどうなるかは解らないが、それでも一安心出来たのかもしれない。

 

 そう思ってしばらく、誰かが来るのを待っているととんとん、と扉にノックがあった。

 

『失礼するよ』

 

 男の声に体を強張らせる。扉を開けて入ってくるのは黒髪のメイドを連れた男だった。娘と同じ銀髪をローポニーで纏め、眼鏡を付けた細身の男。どことなく優しそうな雰囲気を持った男の足元をよく見れば、その後ろに隠れるようにさっきの娘がいた。

 

『君、3日間も寝ていたんだけど……大丈夫かな?』

 

 男は部屋に入って数歩という所で足を止めた。ベッドの上で体を強張らせたのを見たからかもしれない。まあ確かに、あんなことの後じゃちょっと男は怖い部分もある。どうしても斬られた痛みを思い出してしまい、首元へと手を伸ばしてしまう。

 

『あぁ、うん。君には近づかないし、乱暴もしない……だから安心して欲しいんだ。その、僕が言っている事解るかな?』

 

 その言葉に頷きを返した。

 

「解り……ます」

 

『言葉は通じるけど言語が違うか、参ったな……でも、話が通じるならなんとかなるか』

 

『本当に? お父様?』

 

『本当だともリア。まあ、ここはパパに任せてごらん―――まあ、僕は近づけないから世話はアン任せなんだけどね!』

 

『旦那様、情けない事を堂々と言うのはどうかと思います』

 

『無理な事は無理という、出来る事は出来る人間に任せる! 我が家はそうしてるのさ! 領地もない弱小貴族だしね、見栄を張る必要なんてないんだ』

 

 えっへん、と胸を張る姿は情けないが……幸せそうだった。普通に幸せそうな人。それがその人に抱いた初めての印象だった。だからだろうか、自分が少し前まで経験してきた事とは違う人の姿にくすり、と笑いを零してしまったのは。

 

『あ、笑った。笑った! やっぱり笑う姿の方が遥かに良いわ!』

 

 父の足元に隠れていた少女は飛び出してくると、一気にベッドまで近づいてくる。両手をついて目を輝かせながら視線を合わせてくる。その姿と父親の姿を見比べ、呆然とするが、

 

「この親子こんなキャラなの……?」

 

『何を仰っているかは解りませんが……えぇ、我が主たる方々はまあ、この様な感じかと』

 

『ま、ウチは緩くやってるんだ……君も、早く元気になって馴染んでくれると良いな』

 

「お、おう……?」

 

 そう言うと家の主と娘が退室し、メイドだけが残された。どうやら、自分の世話を見てくれるらしい。黒髪、というのは日本でも見慣れている髪色なだけに中々安心の出来る髪色の持ち主なのだが……顔立ちがヨーロッパ系だったりするとやや違和感が強い。

 

 やっぱり、異世界なんだなあ……と、どこか納得してしまう。部屋から親子が去ってからメイドの……確かアン、だったか。なんかの略だとは思うのだが、そのメイドが近づいてくると失礼します、とベッドの前で一度止まって手を伸ばしてくる。

 

 それに体が一度、びくりと震えた。

 

 そこでアンの腕が止まる。

 

『申し訳ありませんでした……ですが、お加減を確かめたいので、宜しいでしょうか?』

 

「あ、う、うん」

 

『ありがとうございます』

 

 此方が抵抗の意思を見せないと、アンは手を伸ばしてパジャマを脱がしてきた―――今更ながら、見知らぬ少女の体で服を脱がされ触診されているという状況に頭がおかしくなりそうだったが、アンは手を伸ばして鱗の状態や肌の状態を確認する。首から撫でるように胸元まで指を滑らせるのは、そこに剣で斬られたような傷痕があるからだ。あの龍殺しにつけられた傷だ。くっきりと痕になっている。

 

『斬撃ですね……それも相当な手練れの。深い筈でしたがもう既に閉じ切っている……痕は残りそうですね。それ以外の傷は見当たらない……3日目を覚まさなかったにしては活力の満ち具合や状態は良好ですね。これだけの生命力があるとなると有角魔族辺りでしょうか? ふむ……』

 

 アンはそう言って脱がしたパジャマを着せてくれると、軽く一礼をしながら下がった。

 

『ありがとうございました。これなら今にも動けそうですが……まずは落ちた体力を戻す為に何か食べられるものをお持ちしましょう。それでは』

 

 アンも去った。1人きりになった部屋で再びベッドに倒れ込む。

 

「なんなんだよ……」

 

 はあ、と溜息を吐きながら悪態をつく。

 

「異世界転生ってもっとイージーなもんじゃないのか? 神様に慈悲って奴はないのか……それともこれがそう、って事か?」

 

 真面目に泣きそうだ。

 

 片腕で顔を覆うように隠しながら頭を動かそうとするが、頭から生える角が枕に刺さりそうだったり、壁に当たって頭が動かせなかったりしてちょっと不快。角が生えてるのって結構不便だな。

 

「……」

 

 数秒間、横になったまま無言で過ごして、秒で飽きた。起き上がると胡坐を組む様にベッドの上に座り直し、両足の裏を合わせてからそれを両手で掴んでふぅ、と息を吐く。とりあえずリラックスできるポーズに自分の姿勢を整えた事でなんとか自分の頭を落ち着かせて、

 

「とりあえず今の所何が起きているのかを整理しよっか」

 

 そうでもしないと永遠に状況が頭に入ってこない気がする。

 

「まず、俺は元日本人男性だった。今喋っている言語も日本語だから日本人だったのは間違いがない」

 

 まずここは大前提だ。俺のアイデンティティーが揺らぐともう精神崩壊するしかないしな。もう半ばしてるような気もするけど。とりあえず俺には日本での記憶がある。大学にも行ったし、ネット小説も読んでいる。だから異世界転生のお約束とかテンプレートもちゃんと把握している。

 

 だからもっとまともな状況だったらテンプレじゃんとでも笑っていただろう。

 

 転生直後で特効持ちエネミーガン揃いでリスキルスタートでもされない限りは。改めて思うとババを引かされた感じが凄まじい。とはいえ、運任せで何とか生き残れたのも事実だ。ただあの龍殺し達は色々と重要な情報を零していた気がする。

 

 まず、龍。俺の事だ。俺を見て龍だと言っていた。それ以外にも亜竜というのが存在するけど、最後の龍と名指ししていた以上は、純粋な龍には何らかの価値があるのだろう。そしてその価値は恐らく、宜しい方向にではない。悪、そう呼ばれていた。龍は悪であり、生かしてはおけないと。身勝手な理屈を展開し、龍は絶滅したとも言っていた。

 

 駆逐されたと。駆逐されるべきだ、と。

 

 つまり種族的名声がプラスではなくマイナスに突入している種族。それが真実であるかどうかはまた議論の余地があるが、龍……つまりはドラゴンであるとバレれば即座に狩られる様な立場に自分はあると概ね認識しておけば良いだろう。

 

 幸い、ここの人たちは俺が龍ではなく、魔族とかいう種族だと思っているらしいし、しばらくは安全かもしれない……或いは龍が人の姿になれるという事は知られてないのかも。俺だって何時の間にか人の姿になっていて驚いているのだから。

 

「はあ……」

 

 今はまだここがどこかとも、何故いるのかも解らない。ただ善良な屋敷の人たちは拾った俺を態々治療してくれているらしいし、今はその優しさに甘えておこう……ただし、完全に信じ切ってしまうとあの龍殺し達を呼ばれる可能性もある。

 

 解らない事が多すぎてどう判断すれば良いのか、それが解らないのが一番辛い。

 

「どうしたもんかなあ」

 

 予定は空っぽ、頭の中も空っぽ。何も予定はなく、そして何をしたいという気持ちもない。転生した、というべきなのだろうか? その直後は死にたくないという気持ちで溢れていたから即座にアクションに移れた。だが今は命の危機もなく、とりあえずは安全かもしれない場所にいる。そのせいで何をすれば良いかというのが解らない。

 

「何がしたいんだろうなあ、俺は……」

 

 腕を組んだままごろり、と転がった。地味に角に気を遣わなきゃいけないのが鬱陶しい。

 

 とはいえ、人生に目標のないまま生きて行くというのは難しい。とりあえずは何かをする、という指針がないと人という生き物は簡単に迷ってしまう。何になりたい、何をしたいという考えから大学や科目の選択を行って就職先を決めるのだ。

 

 そういう指針がない人生というのは実に危ない。

 

 とはいえ今は特にやる事もないからなあ、と思ってしまう。

 

「うーん……とりあえず、様子見しかないかあ」

 

 再びはあ、と溜息を吐く。幸せを逃がしてしまいそうだが、それでも今の自分に出来る事はこれぐらいだった。

 

 ともあれそうやって、改めて俺の異世界生活が―――始まった。



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目覚め Ⅲ

 ―――グランヴィル家。

 

 それが俺を助けてくれた家の名前だ。

 

 領地を持たず……というより街を抱えられる程の大きな土地がない。土地自体は持っているのだが、そこから税金を取れる程ではないらしい。その代わりに過去、王家に対する貢献があって税を免除されている。その為、細々としたビジネスを通して生活をしているのがこのグランヴィル家らしく俺はそこでお世話になっていた。何故こんな事が解るのか、と言われるととても簡単な事で、

 

 あのグローリアお嬢様が父親か母親を連れてあれ以来良く顔を見に来るからだ。何を気に入られたのかは解らないが、起きてからは頻繁に顔を見せては絵本を片手にこの異世界のアルファベットを教えようとしてくる。その傍らで自慢するように自分の家の事を話すもんだから、質問しなくても勝手に覚えてしまう。どうやらそれぐらい同年代の友人に飢えている所があるらしい。俺としてもその好意を否定する理由はないから、コミュニケーションが取れるように努力する為にもグローリアの話し相手は続ける事にした。

 

 そして、そう、グランヴィル家だ。

 

 グランヴィル家の住人は少ない。当主であるエドワード、その妻エリシア、そして娘であるグローリアがグランヴィル家の住人だ。それ以外にこの家にいるのはメイドであるアン、そして老執事のスチュワート。この5人がこの家にいる全員であり、この家と小さな土地を守っている人々になる。貴族とは言うが大きくはなく、そして別に富んでいる訳でもない。日々を幸せに、それとなく楽しんでいる人々だった。

 

 それ以外の話は今はまだ、調べられる訳でもないので解らない。だがグローリアとやってくるエドワードは自分の生き方に困っているような様子を見せず、幸せそうにしている人物だというのが解る……本当に善良で、根っからのお人好しだ。そして質素な生活でも困る事はない、そういう一家の人たちだった。貴族、と呼ぶにはイメージから少々離れている部分はあるものの、助けられたのは事実だった。だから何かをするべきだと考えた。

 

 好意に甘えっぱなしは、大人……いや、今は幼龍だが、それはそれとして人として恥ずかしいものだと思ったからだ。

 

 

 

 

 4日目の朝、アンからもう自由にしても良いという許可が出た。漸くパジャマ以外の服装を着れるようになった俺はグローリアの服を渡されていた―――と言ってもパジャマも元はグローリアの物だったし、今更感はある。手渡されたのはシンプルな白のブラウスに濃緑のロングスカート。グローリアと俺の間には合計で十センチぐらいの身長差がある。それが如実に俺とグローリアの間にある年齢差を表しているのだが、俺の為だけに体に合った服を用意してくれというのは恥知らずすぎるだろうし、文句は何もなかった。

 

 ただこうやって少女用の服と下着を用意されると絶句する部分はある。

 

「此方をどうぞ……どうされましたか?」

 

「う、うー」

 

 着替えを用意してくれたアンの前で完全にフリーズする。完全にゲスト扱いなのか着替えを手伝おうとする意志まで感じられる。ただやはり、そんな経験はないし、自分の裸にだって未だに慣れてはいない。診断の為に定期的に服を脱がされてはいたが、それでもこれから本格的に女の子用の服に着替えるんだなあ……と思うとちょっと躊躇する。というか困る。

 

「わ、かった。着替え、る」

 

「はい、お手伝いしますね。それにしてもこの数日で言葉を学ばれるとは凄いですね」

 

 言語に関しては理解するチートがあるから実はそこまで難しくはなかった。後は言葉を反復して、その音と翻訳した場合の意味を比べる。そうすれば簡単に言葉を学習する事が出来たのだ。まあ、とはいえ日本人が口にする英語の様なちょっと訛った感じになっている。まだ流暢に喋るのは難しい。

 

 それはそれとして、着替えさせられるのだ。恥ずかしい。

 

「ヴー」

 

 低い声で唸りながらパジャマを脱いで着替える。この歳ではまだブラジャーを付けないのか、付ける下着は下のだけだ。ただ履いてみると意外と生地の肌触りが良い様に感じられた。中世ファンタジーだったらもっと肌触りがごわごわしている物だと思ったのだ。だから意外と簡単に下衣を着用してから、ブラウスを着る。此方はボタンをアンが素早く留めて行く。慣れた手つきを見る限りグローリアの着替えを何度も手伝っているのが解る。そしてそこからロングスカートを履く。ズボンとは違ってスカートの下は風通しが良い。その為、パンツが外に出ているような感覚があって……ちょっと、というかかなり心もとない。

 

 世の女性は可愛さの為に良くこんなもん履けるな、と尊敬を覚えてしまった。

 

 ただそうやって思考にふけっている間に着付けをアンが一瞬で終わらせてしまい、数歩下がった所から観察してくる。

 

「良くお似合いですよ。ですが、やはりグローリアお嬢様と比べると身長が高い事もあってやや短く感じられますね」

 

「俺、歳、が上。たぶ、ん」

 

「えぇ、そうなのでしょう。体に合ったものは作り直さないと駄目でしょうね、これは」

 

 そこまでする必要はないよ、と頭を横に振るがアンの方はやる気だった。どうやら一から服を縫う所までやる気のあるメイドさんらしい。地味に凄い技能持ちだなあ、なんて想ったりもするのだが……個人的にはちょっと服のクオリティ、というか着心地に驚いていた。デザインの方もシンプルではあるが中世で見る様なレベルの物ではないよな? と思っている。

 

 思い出すのは俺を殺しに来た龍殺し達の装備品。

 

 鎧や剣盾という武器を装着している連中もいたが、銃らしき武装を構えた奴もいた。明らかにマスケットとかフリントロックとかではなく、近代式の銃に近い造形をしていたのを見ると……意外とこの世界、科学力とか技術力が発達しているのかもしれない。少なくとも今着ているブラウスとスカートは結構心地よい素材と、比較的近代感のあるデザインだと思う。

 

 意外と、進んでいる世界なのかもしれない?

 

 部屋の中、着替え終わったので軽く体を回してみる。動きに合わせてスカートが広がるのはちょっと楽しい。それにブラウスが長袖な事もあって体の鱗の大半は隠せている。唯一隠しきれてないのは首筋の鱗だけだろう。これに関してはタートルネックでも着ない限りは隠せないだろうし、考慮するのはおかしい。それにしても白いブラウスって透けやすいもんだと思っていたが、不思議な力が働いているのか全く透けて見えないぞ。この下はノーブラなのでちょっと不安だったが問題なさそうだ。

 

「宜しい様ですね。それでは旦那様のもとへと案内します」

 

「うん」

 

 こくこくと頷いて漸く部屋を出る事が出来た。窓から既に察していたが、部屋を出て広がるのは中庭の姿であり、満天に青が広がって見えている。白い雲が浮かび、その下で咲き誇る花々の庭園はちゃんと世話をされている物だと解る。中庭を囲む様に広がるこの邸宅、エドワードを求めて執務室の方へとアンが案内してくれる。

 

「綺麗」

 

「ありがとうございます、世話をしているスチュワートも喜ぶでしょう」

 

 執事の爺さんが世話をしているのか。あの歳で世話をしているというのは中々凄いなあ、と思う。

 

 そんな風に中庭の外周をぐるりと回って反対側へと行くと扉の前で足を止めた。こんこん、と二度ノックするとアンが声を出す。

 

「旦那様、ゲストをお連れしました」

 

「あぁ、待っていたよ。さあ、入って入って」

 

 扉を開けるとアンが此方に入るように促してくる。それに従い中に入ると、貴族としての仕事を処理する為の執務室、そのデスクの裏で大きな椅子に座るエドワードの姿を見た。エドワードは待っていたよ、と柔和な笑みを浮かべながら付けていた眼鏡の位置を正す。

 

「さ、座って。立っているのも辛いだろう? アン、何か飲み物を持ってきてくれないかな」

 

「はい、少々お待ちを」

 

 頭を下げてアンが去り、残された俺はデスクの前にエドワードが引っ張ってきた椅子に座る。まだ背が低いせいか、デスクがやや高く感じる。

 

「すまないね。本当なら手の空いた時に話をしたかったんだけど、お隣さんとちょっとこの時期は忙しくてね。まあ、うちは税を免除されていると言っても貴族の義務まで免除されている訳じゃないからね。少ない土地と人員でどうにか回していかなきゃならないから大変なんだ」

 

 頭を横に振る。

 

「い、え。当然、だ、と……思い、ます」

 

「ははは、本当に君は賢い子なんだね? 子供にそう言われるのは初めてだよ」

 

 だけど、さて、とエドワードが言葉を置いた。

 

「君も元気になったようだし、言葉も話せるみたいだ。本当ならもうちょっと時間を置こうかとおもったんだけど……どうやら僕が思っている以上に君は賢い子みたいだからね。少し、込み入った話をしようかと思うんだけど大丈夫かな?」

 

 その言葉に頷く。当然、避けては通れない道だろう。俺も話をする事に異論はない。それを答えとしてエドワードはありがとうと答えた。

 

「さて、まずは君の事が知りたいんだ。ここ数日、とても不便だったし、そろそろ名前を知りたいんだけど……いいかな?」

 

 名前。

 

 前世の名前は存在している。だが果たしてそれが俺の名前か? と言われたらちょっと怪しい。だから頭を横に振ってこたえた。

 

「えっと、駄目って事かな?」

 

「違う。ない」

 

「ない?」

 

「名前、ない」

 

「あー……」

 

「今、考えてる」

 

「あー……成程ぉ……」

 

 エドワードが両手で頭を抱えてしまった。まあ、嘘はついてないんだ、嘘は。俺に名前がない事は本当なのだから。日本人としての名前はある。だが龍娘としての名前はないのだから。だから今の自分に名前という概念はない。だけどそれを聞いたエドワードは困った表情を浮かべている。

 

「いや、その、ごめんね?」

 

 無言でサムズアップを向ける。まあ、傷を負った少女が川で流れついて名前もないんだ。

 

 そりゃあ頭も抱えるだろうよ!!

 

 俺だってそんな展開になったら頭を抱えてるわ。

 

「あっ、うーん、どうしよ……出身とか聞きたかったけどこれ、聞かないほうが良い奴だよねぇ……」

 

「あまり、覚えて、ない。襲われた、覚えてる、ます」

 

「あ、うん、大丈夫だよ。もう聞く事ないからね、うん……どこぞの純人主義者の所で生まれたのかなあ? 鱗と角を持つとなると混血からどこぞの亜流魔族だとは思うけど。こっから夜の国も遠いしなあ……うーん、言語の方で出身も解らなかったし君も大概謎な子だねー」

 

 そう申されても……。

 

 俺だって滝壺ダイブしたら貴族に拾われているなんてラノベ展開されていて良く解らねぇんだわ!

 

 ただ解るのは今の俺にどこかへと行くような当てがなく、ここでこの人の優しさに助けられなかったら死んでいたという事実だろう。今までラッキーの連続でどうにか命を繋いでいる状態だ。出来る事なら安定した生活を送りたいのが事実だ。そして自分の事を調べる。それが今の自分には必要な事だった。

 

 と、そこでアンが飲み物を持ってきた。

 

 グラスに入ったアイスティーを両手で受け取る。冷たく、そしてシロップの入った飲み物は脳の幸せ中枢を刺激してくれる。

 

 うまー。

 

「参ったな、余裕があれば元居た場所へと返してあげるべきかと思ったけど……」

 

「傷の具合を見ている限り、恐らくあまり良い場所ではなかったのでしょう。或いはもう」

 

「そうだね……戻ろうとする意志も感じないし」

 

 うーん、と唸りながら頭を掻くエドワードの姿を見て、思いついた。ここが言うべきタイミングなのだろう、と。行く場所もなく、やる事の当てもない。だったらなるべくここに住みつくのが正解だろうと思う。

 

「エド、ワードさま」

 

「ん? どうしたんだい?」

 

「ここ、で、働かせて、ください」

 

「え? あー……」

 

「俺、良く、働きます」

 

 拳を握ってぎゅっとポーズを取る。それを見てエドワードがあー、と更に声を漏らして頭を片手で抱えた。

 

「あー、うん……そうだよねぇ。流石に異種族の子を誰かに預ける事とかは出来ないし、保護した以上ウチで面倒を見るのが筋だしね……」

 

「エドワード様、保護した時から覚悟しておいでだと思いましたが」

 

「まあ、それはそうなんだけどね。流石に見つけて元気になって大丈夫そうならさようなら、というのはちょっと人情味に欠けているしね。ただ思ってたよりもちょっと事情が重そうかなあ、とは思っているかな」

 

 もしかして、俺、不審すぎ……?

 

 いや、考えてみたら怪しすぎるじゃん俺。異なる種族! 怪我をしている幼女! 角がある! 言葉を直ぐに覚える! 帰りたがらない!!

 

 あ、怪しい……! 滅茶苦茶怪しい奴だよこれ!

 

 俺だったらまず何かを疑う所だろう。

 

「アン、どうだい? 彼女の事は」

 

 エドワードの言葉にはい、とアンが答える。

 

「かなり賢い子です。仕事を教えればすぐに覚えるでしょうし、種族を考えれば肉体と魔導面でも非常に優秀に育つでしょう。スチュワートも後何年も働けるわけではありません。そう考えると今のうちに仕事の引継ぎ先を育てる事には大変意義があると思います。本人のやる気次第ですが、私の方としては人員の増加に異議はありません」

 

「それにリアの遊び相手も丁度欲しかった所だしね」

 

 エドワードはそう言うとそれで、と言葉を此方へと向けてくる。

 

「どうだい? 頼めるかな?」

 

 その言葉に、当然俺は頷いた。

 

「はい!!」

 

 幼龍生活4日目。

 

 就職に成功しました。えへん。




 TS偽装龍娘従者生活の始まり。


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グランヴィル家の日常

 姿見を覗き込む。

 

 そこには完璧にどこからどう見ても美少女と呼べる少女の姿が映し出されていた。

 

 こうやって姿見を使う事で自分、という少女の容姿が良く見える。触るだけでは良く解らなかった後ろへと向かって流れる黒い角、そしてそれとコントラストするように真っ白な長髪。どうやら右横髪だけ左側よりも少し長い様だ……龍殺しに斬られた鱗の辺り、こういう感じで反映されたんだろうか? 右側の横髪だけ伸ばすのもちょっと面白そうなので考えておこう。それ以外に髪で特徴的なのは黒いハイライトが入っている事だろう。モノクロ色の髪色はその二色がまるで重要であると主張しているようなファンタジーな髪色だ。ただバランス自体は不自然ではない感じで、見た目は良い。毛ツヤも滅茶苦茶良い。こんなことを気にする日が来るとはまるで思いもしなかったが。

 

 目の色は……赤みの強い琥珀色だろうか? 綺麗な色をしているがまだ、現実には存在しそうな色だ。やっぱり髪の毛の方が圧倒的にファンタスティックだ。とりあえず髪の毛を纏めようかと思ったが、良く考えたらヘアゴム無しで髪を纏める方法なんてまるで解らなかったからそのままにしておく。服装は依然、グローリアのブラウスとスカートを借りているがこれ以外の服はまだないのでしょうがないだろう。

 

 だが鱗は首元の奴以外は隠せている。個人的にこの鱗、見えているといやらしい感じがするんだよなあ……青少年の性癖破壊しそうな感じがする。

 

 だがこれで良し。目ヤニもなければ目の隈もない、綺麗で健康的な白い肌だ。

 

 どこに出ても恥ずかしくない美少女! ……って言うと、やっぱり割とショックなのでそっと自分のアイデンティティを維持しておく。それでも見た目が可愛いのはそれはそれで楽しいんだよな。世の女性がなんで美容に気を遣うのかは解る。

 

 とはいえ、それでも女性用下着を着用する瞬間は背徳感と興奮と後ろめたさが同時に襲ってくるので物凄い変な気分になるのはどうしたらいいんだろうか。この上で化粧も覚えなきゃ駄目なの? その前にブラジャーかも……。

 

 ともあれ、これで準備は完了。部屋に置かれた姿見から視線を外して部屋の外を目指す。

 

 ―――今日からグランヴィル家でのお仕事だ。

 

 

 

 

「それじゃ、勉強、です、グロリア様」

 

 自室の勉強机の前に座らされているグローリアは不服そうな表情を浮かべ、頬を膨らませている。

 

「リアで良いってば()()()

 

 エデン、そう俺をグローリアは呼んでくる。名前がなかったから俺が適当に思いついて名付けた。特に深い意味はない。ただ単純に音の響きの良さを選んだだけだ。とはいえ、こうやって別の名前で呼ばれるというのは未だに慣れず、ちょっとしたむず痒さがある。

 

「グロリア様」

 

「グローリア!」

 

「グローリア」

 

「そう! じゃ、はい、リア!」

 

「グロリア」

 

「なんでぇ!?」

 

 目の間で狼狽えるお嬢様の姿にけらけらと笑うと胸をぽかぽかと叩かれる。そのまま座っていた椅子から立ち上がって此方に向かって来ようとするグローリアを両手で掴んで、持ち上げて、そして椅子まで運んで座らせる。これはお嬢様の相手をしていて解った事なのだが、このロリボディはどうやら成人並みの身体能力が備わっているらしい。いや、正確に言えば鍛えられた成人並みの身体能力だが。

 

 幼龍としてのスペックがダウンサイズされているものの、この人の体には積み込まれているのだ。年下とはいえ既に少女であるグローリアを持ち上げる程度のパワーがこの肉体にはあった。俺は驚くが、どうやら異種族でも上位種族の間ではそう珍しい身体能力でもないそうだ。

 

「むー。むーむー」

 

「勉強、が、終わったらリアと、遊ぶ。オーケイ?」

 

「必ずよ? 必ずだからね?」

 

 無言でサムズアップを見せるとぱあ、とグローリアが表情を輝かせる。それを後方から見守っていた白髪をオールバックで纏める老執事、スチュワートがほっほっほ、と笑って眺めていた。

 

「いやあ、エデン嬢はお嬢様の扱いが上手ですなあ」

 

「同じ、ジャンル、故」

 

「それが言える時点で同じジャンルかどうかは怪しいのですがなあ……ですが、お嬢様がやる気になったというのであれば爺も喜ばしい事です。もう、お嬢様を追いかけるのには少々辛い歳ですからな、ほっほっほ」

 

「爺! 早く早く! 今日の勉強を進めましょうよ、爺!」

 

「焦らず焦らず、勉強が終わっても遊ぶ時間はたっぷりとありますから」

 

「では、今日も、宜しくお願い、します」

 

「宜しくお願いします!」

 

「えぇ」

 

 椅子を引っ張ってそれをグローリアの横に置き、座る。スチュワートの授業はこの世界に関する事が多い。つまり基本知識だ。俺に今最も欠けている事の一つであり、同時に知らなくてはならない事でもある。その為、グローリアの相手をしながらこうやって授業に参加させて貰っている。

 

 こうやって一緒に授業に出す事で連帯感を生み出して、アンは最終的に俺をグローリアの専属従者にしたい、みたいな感じはあった。

 

 まあ、それはともあれ、

 

「本日は我らがエスデル王国の話をしましょうか」

 

 スチュワートが勉強机に地図を広げる。

 

「王国」

 

「私達の国よ、エデン。私達グランヴィル家はこのエスデル王国の端の方にいるの」

 

「えぇ、そうですな。そのエスデル王国はアデルバード大陸西部に属する国家群の一つです。このアデルバード大陸の中でも有数の大国の一つであるエスデルは北方にデルフィオ王国を、東方にセルダール王国と二国に隣接している形になります」

 

 とはいえ、とスチュワートは説明を続ける。

 

「国力はエスデルが大きく上回っております故、此方から仕掛けない限りは何かある、という事はないでしょう。現状の大陸情勢も落ち着いておりますからなあ」

 

 そこで仕掛ける、という話が出てくる辺り発想が既に20世紀とは違うよな……。近代史における戦争はどれだけ相手の領土を焼き尽くすか、という話になってくる。核兵器が出現してからはどれだけ戦争を起こさないか、という方向へ思考がシフトしている。まあ、当然だろう。戦争開始で焦土化待ったなしの戦争なんてどの国だってやりたくない。戦争ってのは手段じゃなくて結果じゃなきゃならないんだから。

 

 だけどこの時代、この環境、戦争は手段になるのだ。

 

 こわー。

 

「王国、ばかり、ですね」

 

「あ、それは私も思いました。爺、何故王国ばかりなのですか?」

 

「国家形態としてそれが一番基本的ですからね。中央国家を挟んだ反対側になれば皇帝が治める帝国がありますし、海を挟めば教皇猊下が治める聖国が存在しますが……この大陸では君主制が一番メジャーでありますなあ」

 

 まあ、民主主義とか共和国制とかねぇ……? ぶっちゃけああいうのって国民全体の学力が高くないとまるで意味がないんだよなぁ。つまり有能なトップを選出する為の民衆が愚かだと愚かなトップしか生まれてこない、という訳だ。だからサラブレッド化で血筋を濃くしつつ有能な遺伝子を継承する王国制度はまあ、トップが有能である限りは割とありな手段ではある。いや、まあ、でも封建社会や君主社会ってトップが吹っ飛ぶと簡単に吹っ飛ぶからな……。

 

 そこら辺マジで一長一短といった所だろう。現状国がまともに機能しているなら民主主義って発想はいらないんだよなあ。時代のフロー的に考えると次は封建社会が成立する頃だと思うんだけどファンタジー世界だしちょっと先が読めないなあ、ってのはある。

 

「エデン嬢は博識ですなあ」

 

「俺、天才、故。きらりーん」

 

「えっへん」

 

「そこでお嬢様まで胸を張る必要はないかと思われますが……まあ、それでは授業の方に戻りましょうか」

 

「はーい」

 

 グローリアと声を合わせてはーい、と答える。授業は大事だし、この世界の事を学ぶ機会を失ってはならない。知っている事はなるべく多い方が良いのだ。そうやって語られるのはこの国の特色に関する事だ。このアデルバード大陸の中でもエスデルという国家は特に変わった気風を持っておりそれが、

 

「知を集積する事に最大の意味と意義を見出している事でしょう」

 

「知識を集める事! 過去を絶やさない事! 振り返り反省する事! エスデルの教え」

 

「えぇ、お嬢様その通りです。人は振り返り、そして己の身を見直す事で間違いを知ります。故に国父エスデル様は己の国にあらゆる知を集積し、管理する為の世界最大規模の図書館の建造と維持を命じました。それ以来エスデルでは常に過去の発掘と記録、それと同時にあらゆる学問の研究を続けています。“勉学と賢人の国”とさえ呼ばれる程にエスデルは魔導と学問に秀でております」

 

「ほほー」

 

 知識の集積所か、それは中々面白いなぁ、と思う。現代で言えばパソコンとWIKIさえあれば大体なんでも解ってしまうが、この時代だと当然そんなものは存在しない。そうなると図書館とかでデータベースを作成しないと知識の記録と保存が行えないのだ。それを国家の業務として管理している、というのは中々面白い設定だと思う。

 

 設定って言っちゃった。

 

 まあ、異世界って設定って感じするしな……。

 

「学術に秀でている為、無論教育にも力を入れています。中央学院や魔導学園、冒険者の養成校や普通の学園まで結構ありますね。お嬢様も大きくなれば他の貴族との繋がりを作る為に中央の学園に通う事になるでしょう。無論、その時はエデン嬢も一緒でしょうが」

 

「任せる」

 

 サムズアップで任せろ、とアピールすると楽しみにしているのが解る笑みをグローリアが浮かべる。しかし解っているのだろうか? この辺境から学校に通うって事は100%住み込みになるのだから、寮生活になるのだ。つまり親元を離れた生活になるのだが……この甘えん坊が素直に親離れできるのか?

 

 いや、まあ、その頃にはもう思春期か。子供の成長って割と早いし案外親離れは早いかもしれない。

 

「ほっほっほ、頼もしい事です。それではエスデルの国家業務である知識の集積ですがこれはあまり快く思われていない場合もありまして―――」

 

 それからつらつらとスチュワートがエスデルの国家としての話をする。なるべく退屈にならないように政治や商業の話を抜きにして、国家としての命題や活動に関してを話してくれている。とはいえ、やっぱりグローリアには退屈な話なのだろう。途中から瞳がとろん、として眠りそうになっているのが見える。なのでスチュワートが喋っている横で、こっそりとグローリアに耳打ちする。

 

「寝たら、なし、だぜ」

 

「!!!」

 

 囁いた瞬間、一瞬でグローリアの背筋がぴっしりと伸びた。それを見ていたスチュワートがくすり、と小さく見えなかったかのように笑う。

 

「そうですね……ではお嬢様、エスデル王族家が国家運営を行う事で常に気を付けている事は何か、言えますかな?」

 

「え? え、あー、あ、う、うー」

 

 ちらちらとグローリアが此方へと視線を向けてくるが、ここは心を鬼にして見知らぬふりをして見捨てる。雨の中で捨てられているチワワみたいな視線が向けられている気もするが、それを無視してスチュワートの方へと視線を向けている。

 

「え、エデンの裏切り者!」

 

「俺、寝てない。グロリア、寝てた。雑魚」

 

「わ、私が雑魚……!」

 

「どうしてお嬢様に煽りを今入れました?」

 

 本能的なもんなんです。

 

 でもそれで首を傾げたグローリアは必死に考える様な表情を見せ、しばらくするとスチュワートの方を見ながら答えを口にしてみる。

 

「えっと……確か、失われないようにする……事?」

 

「えぇ、正解です。知識を、人を、想いを失わせない事。それが王族としての導のようです。とはいえ、政治とは清濁併せ呑むもの。常に最善を選べる訳ではなく、そして綺麗に進められるものでもありません。失わない、失わせないとはどういう選択なのか。これは王族の方々だけではなく我々も考えながら生きていかねばならないものでしょう」

 

「うーん……?」

 

「中々、哲学的」

 

「ですねぇ、明確な答えのある問いでもありません。永遠に悩まされる事でしょう」

 

 恐らく時代や場所、状況や環境で答えの変わる問いだ。1つの答えに意味なんてないのだろう。寧ろ意味があるとすればそれを考え付くまでに至った思考、ロジックの構築能力。何故そう思えたのか、という部分。

 

 難しい話だ。

 

 グローリアがうんうん唸りながら頭を捻っている姿が中々可愛い。とはいえ、俺でさえ答えの出ないような問題だ。一生かけて考えてく事だ。答えが簡単に出る筈もなく、

 

「では次の部分へと話を進めましょうか」

 

 一旦そこでエスデルの思想の話を切り上げ、再び授業の再開に入った。

 

 こうやって俺はグローリアお嬢様と一緒に毎日、少しずつ世界の事を学び、少しずつこの世界の事を知っていく。

 

 少しずつ、大人へと近づいて行くように。

 

 俺達は学び始めた。




 どれだけ偉い事を言っても滅びる時は滅びるもの。


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グランヴィル家の日常 Ⅱ

「―――さて、エデン。君はかなり頭の良い子だから既に察していると思うけど、実はうちはそこまで裕福じゃないし、余裕もある訳じゃないんだ」

 

「かなしみ」

 

「うん、悲しいけどね」

 

 中庭、動きやすい服に着替えてエドワードと対面している。動きやすい服といっても結局はグローリアの着替えを俺用に手直ししたもので、現在アンが絶賛量産中らしい。つまりこういう事をしないといけない財政力という事なのだ。他の貴族様だったら普通に新しくお買い物してるんだろうなあ……グランヴィルにそんな余裕はないのです。まあ、それでもアンが超絶カリスマメイドで服飾まで出来てしまうのでパパっとサイズ合わせの手直ししてしまうあたりほんとヤバイ。この人でこの家は回ってる感じある。

 

「だから僕としては君にリアの事を任せたいと思ってるんだ。学院の話は既にスチュワートから聞いてるかな? リアを中央に送る時は従者を付けなきゃいけないからね、見栄として。だからアンかスチュワートを送らなきゃいけないんだけど、スチュワートは歳だから長旅は難しいし、アンが抜けられると我が家の管理がね……」

 

「あ、はい」

 

「そういう意味でも君が来てくれたのは本当に助かっているし、ありがたい事なんだ。アンに聞いてるけど既に簡単な雑用から手伝い始めてるんだって?」

 

 エドワードの言葉に頷く。洗濯や掃除、整理ぐらいだったら俺でも出来る。料理は日本でやっていたし、洗濯だって素手でやるにしてもこのどらごんぼでーは実にパワフルなので、体力が必要な力仕事であってもそう簡単にダウンしたりはしない。スケジューリングとタスク管理は学生時代に死ぬほどやって来た事なのでまるで苦労する事もない。現状エドワードの言う通り簡単な仕事を手伝っているだけだが、それでも仕事はさせてもらえるようになっている。

 

「正直な話、僕は君を見た目通りの年齢だとは思ってないよ。多分外見上の変化が緩やかな種族かな……なんて考えてるんだけど、どうかな? 見た目に加えて5~8歳ぐらい加齢しているとみるんだけど? ……あぁ、これはちょっと意地悪な質問だったかな。ごめんごめん」

 

 ぞっとしないんですが?

 

 曖昧な笑みを浮かべて受け流すしかない日本人の気質を許してくれ旦那様。エドワード本人も本当に冗談で口にしただけの様で、深く追求するつもりはないらしい。しかし年齢誤差5~8歳か……まあ、確かに脳味噌割とあっぱらぱーにしてグローリアと遊んだり、女の子のアレコレにドギマギして挙動不審になってるし。最近のお辛いさんはグローリアが一緒に体を洗おうとしてくる事だろうか。アンは奉仕の一貫として覚えるべきだと言ってくるけどいやー、キツイです。

 

 成長したら更にキツイと思います。だったら今のうちに慣れるべきなんだろうけどね? うん……自分の裸を見る事でさえ未だに恥ずかしいんだから察して欲しい。

 

 男だった時は全裸でヘッドスピンとかしてたのになー。

 

「まあ、そんな訳で君をリアの傍におけるだけの人材に育てようって僕とエリシアとは相談して決めててね。君が良いのなら僕らはそういう方針で進めるつもりでいるんだけど―――うん、その目を見れば意欲的だって解るよ。ありがとう、君のおかげで将来的な不安が解消されそうなんだ」

 

 エリシア、とはエドワードの奥さん、つまりこのグランヴィル家の奥方だ。元は国の方でやってた女騎士だったらしいのだが、女騎士なんて生き物ガチで実在したのか? って個人的にはおったまげた。ちなみに俺が知る限り現在は滅茶苦茶優しくて甘いグローリアのママさんなので、元は騎士だと言われても信じられないぐらいには穏やかな人だ。

 

「此方、こそ。拾って、くださり、ありが、とう、ございます」

 

 手を振って大きくジェスチャーを取る。それを見いたエドワードが微笑ましそうにする。

 

「良し、君もやる気があるならとことん教えてあげよう! という訳で今日からはリアを守る為の術を教えて行こうかと思う」

 

「おー! おー……?」

 

 護衛の術、と言われてもちょっと困る。具体的には何を教えてくれるのだろうか? その、エドワードは余り強いようには見えないのだ。なんというか、ちょっと不安になってくる。本当に大丈夫? という疑いの視線を向けるとエドワードが笑った。

 

「ははは、そうだね。見た感じ僕は強そうに見えないけど……こう見えても元宮廷魔術師なんだよ? まあ、だからこんな辺境の土地を貰ってスローライフを楽しんでいられるんだけど」

 

「魔術師」

 

「そう、魔力を使い、魔導を紡ぎ、その法則を以って魔の力を振るう者だよ……気になるでしょ?」

 

 全力で頷く。

 

「良し、良い返事だ。エデンの中にはかなりの魔力が眠っているからね。正直それをそのままにしておくのは勿体ないと思っていたんだ。エデン程の格のある種ならたぶん先天術式の1つか2つはあるだろうし、魔導の道を叩き込むのはちょっとだけ楽しみにしてたんだよねぇ」

 

 ほら、娘にこういう趣味を押し付けるのは余り良くないし、とエドワードは続ける。

 

「でもリアの護衛の為という名目なら好きなだけ教えられるしね!」

 

「必要、です?」

 

「うーん、そうだねぇ」

 

 質問にエドワードは腕を組みながら僅かに考える。

 

「中央は色々とごたごたしててねぇ。今では治安も良いけど昔は顔をきかせてた留学生とかがオラついていた時期もあるからね。それだけじゃなくて学院内って割とクローズドコミュニティ化されてるだろう? だから虐めとかも結構陰湿であったりするんだよねぇ。リアはそういうのを受けるタイプじゃないとは思うけど、それでも親としては腕に覚えのある護衛が近くにいてくれるとね?」

 

 その言葉に頷く。エドワードの気持ちは解らなくもなかった。従者と護衛を同時にこなせるのならそれだけでも得難い人材であろう。そういう意味では俺を育てる事は合理的な判断だろう。それに俺も俺自身、自分を鍛える必要性はどことなく感じていた。何せ、あの龍殺し達は実在する存在なのだ。またのほほんと何もせずに生きていた時、エンカウントしたら即死ルート一直線の場合もあるだろう。

 

 そういう事を考えれば鍛える事はまず間違いなく益になるだろう。

 

 まあ、それ以上にこのファンタジー世界の法則を学べるというのは滅茶苦茶楽しそうで興奮するんだが。だって魔法だぜ? 魔法! 地球には存在しない法則を自在に操るのなんて絶対に楽しいに決まっているじゃないか。それはそれとして良く解らん単語増えたな。

 

「それじゃあまず基礎の基礎の話から始めようか」

 

「うっす!」

 

「まず魔法、魔術、魔導。言い方は自由、名前が微妙に異なるのは個人の趣味や趣向、或いは時代や派閥、形式による違いだね。結局のところ全部ロジックが一緒だと思えば良いよ。名前が違うだけで一緒! 良い?」

 

「うっす」

 

「そしてこれを発動させる為に必要なリソースが魔力」

 

 エドワードの体が淡く青色に光る……目に見えるオーラを纏っているように見える。

 

「これが魔力だ。目に見えるように今纏っている奴だね。基本的には見えない状態にあるし、触れられない状態にある。そして自然の状態で存在している訳じゃない。大気にはエーテルって元素が混ぜられていて」

 

 エドワードが深呼吸して肺に空気を送り込む。

 

「呼吸や食事を通してエーテルを大気から体内へと吸収する。これを体内で個人で使用する為の形へと変換したのが魔力(マナ)だ」

 

「個人、個人、違い?」

 

「お、やっぱり賢いねエデン。そう、魔力は体内で変換されて生み出されるものだから個人個人で微妙に違ってくるんだ。これが放出した際に現れる色の違いだったりするね」

 

 成程。エーテルを体内で個人が魔法転用できる形へと変化したのが魔力。これが魔法のリソースである。

 

「そしてこの魔力だけど、質と量がある。細かい話をすると変換効率もあるね。質が良ければ良い程魔法に対する魔力の使用効率は上がるし、容量が大きければ大きい程大量の魔力を体内で抱える事が出来る。そして変換効率が高ければ高い程ー?」

 

「早く、作る」

 

「はい、正解。これが魔力に関する基礎知識だ。最も基本的だけど、重要な事でもあるから気を付けるんだよ?」

 

 滅茶苦茶メモりたいけど、まだ簡単な範囲なので素直に諦めておく。それはそれとして魔力とかいう単語を口に出されると滅茶苦茶盛り上がるな。漸く異世界転生って感じがしてきた。なお、魔法初体験は喰らう方である。

 

「さて、魔法は大まかにジャンル分け出来て全部で3種類に分けられるんだけど……この話は何時でも出来るし、それよりも先に魔力そのものを感じられるようになった方が楽しいでしょ? だからまずは魔力を感じられるようになる訓練から始めようか」

 

「おぉー」

 

 いきなり実践に入るのはちょっと怖いが、それでも魔法を使える可能性がある事を考えると興奮してくる。近づいてくるエドワードはいいかい、と言葉を置く。

 

「魔力を自覚して引き出すという行いは結構な時間のかかる修行なんだけど……僕の様に術に精通した魔術師がいるなら、魔力を引き出して貰ってその感覚を掴むという方が遥かに安全で早いんだよね」

 

「安全?」

 

「うん。自分で瞑想したりする場合はまず自分の中にある魔力を知覚する事から始めなきゃいけないんだけど……正直、これがかなりハードル高い。一度感覚を掴めばそう難しい事でもないんだけどね、その初回のハードルが高いんだ。それに初めて魔力の栓を開ける時、それで暴走する子も世の中にはいてね」

 

 エドワードが苦笑する。

 

「伝統も悪くはないけど、やっぱり安全性を考慮して師に引き出してもらうのが一番安全だよ。だからエデンの魔力もそうやって知覚させようと思うんだ……いいかな?」

 

「お願い、します」

 

「良し、任された。それじゃあ手を貸して」

 

 頷きながら手を前に差し出すと、エドワードが片膝をつきながら視線を合わせ、手を取ってくれる。そしてエドワードが行くよ、と声をかけると何かが体を駆け巡るのを感じた。最初に感じたのは静電気が手に刺さる様な感覚だった。だがそれは指先から掌に広がると、手首を通って神経を通じるように全身を駆け巡った。これまで稼働してこなかった、機能してなかったシステムの電源を入れる様な感覚。

 

 それからじんわりと、自分の体の底から何かが溢れだしてくるのを感じる。

 

「ほら、出て来た」

 

 白いオーラが淡く体から立ち上る。目に見えるようにゆらりと光るこれが魔力。体内の奥底から暖かさと一緒に湧き上がってくるのが解る。湧き上がってくるその色は髪と一緒で白と黒が入り混じっている……どうやらこの龍の身にとっては、白と黒という相反する色は重要な要素なのかもしれない。

 

「さて、手を離すよ? ……さて、どうだい」

 

「おぉ……」

 

 エドワードが手を離す。だが魔力を体から出すという感覚には掴めて来た。この、五感とも違う第六の感覚とでも表現すべきものを感じ取っていた。これが魔法を掴むという感覚、これが魔力をコントロールするという感覚。エドワードによって補佐された事もあってスムーズに自分の魔力をコントロールする事が出来た。一旦放出している魔力を弱めたり、それを少し強めたりしてコントロールしてみる。

 

 それを見てエドワードが手を叩く。

 

「うん、上手上手。魔法のコントロールとは魔力のコントロールだ。魔法を使いたいのなら魔力をコントロールできるようにならないと。それも精密に、繊細に。魔術師としての優秀さはどれだけ魔法を精密にコントロールできるか、という所で見れると僕は思っている。だから僕が君に教えるのは魔法の便利な使い方、魔力のコントロール方法、そして自分なりの魔法の使い方の開発になる。それ以外にも学院で教える様な魔法の事はバンバン教えて行くよ」

 

「はい!」

 

 魔法を使えるとなるとかなりテンション上がってくるなあ、と思って魔力のコントロールをちょっと実験してみる。俺の魔力には白と黒、二色の部分がある。それをぞれ集中させてみたらなんか違う効果が出て来ないだろうか?

 

 ……って、良く考えたら俺が吐いたブレスも白と黒の二色だったな。

 

 あの時は黒い結晶が凝固して装備品とかを砕いていた。となると黒い部分には結晶化する様な力があるのだろうか?

 

 ちょっと、試してみようか。

 

 そう思って黒い部分だけを集中して圧縮してみようとするが―――駄目だ。まだ良く解らない。どうやれば魔力の中の一部分だけに意識を集中させるとか、効果を発揮させる方法とか。そういうスキルツリーがまだ自分の中で開拓されていないのだ。

 

 今あるのは魔法スキルツリーの中でも一番最初の魔力解放という項目だけなのだろう。

 

 俺は今、魔法の道の入口に立ったのだ!

 

 とはいえ、これも将来的にはグローリアの従者として中央の学院へと行く為だ。

 

 なんか、将来の形が見えて来たなあ、と思った。




 当然最強種なのでスペックが元から強い。才能も素質も肉体依存である部分は最強種としてのデザインがあるので魔法関係もまあ、滅茶苦茶強い。少なくとも純人類よりは。

 それはそれとして、皆さんの評価のおかげで日刊4位にランクイン出来てました、ありがとうございます。


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グランヴィル家の日常 Ⅲ

 金髪をハイポニーで纏める女性が刀を構えた。

 

「えいっ」

 

 そう言ってエリシアは鞘から一瞬で刃を抜刀、目にもとまらぬ速さで木人をすり抜けながら背後に姿を見せた。その瞬間には縦に構えた刃を納刀していた。完全な残心と共に木人はエリシアの背後で真っ二つになった。

 

「どうかしら、私も前線から離れてそれなり、って感じだけどまだまだ現役だと思うのよねー」

 

「……うっす」

 

 庭の一角に転がるエドワードの姿を見て、絶対にこの人だけは怒らせないようにしよう、と誓った瞬間でもあった。

 

 今日は先日に続き護衛術講義の日。動きやすいシャツに短パンという格好で中庭に来るとどうやら今日は何を教えるかで争った夫婦の残骸だけが残されていた。居合縮地みたいな感じの芸当が出来る辺り、夫婦喧嘩が始まっても一瞬で終るんだろうなあ……なんて真実を転がっているエドワードを見て確信してしまった。このグランヴィル家でのヒエラルキートップは間違いなくエリシアだった。絶対に逆らってはならない。

 

 まあ、それはそれとしてグローリア用護衛術の為に中庭に出てみれば本日は武芸の方を学ぶこととなったようだった。エドワードは魔法の才能があるといって魔法を教える事に物凄い意欲的だったが、どうやら意欲的なのはエリシアもそうだったらしい。なので刀をアンに渡す所を見ながら首を傾げる。

 

「旦那様、奥方様、意欲的?」

 

「えぇ、そうね。私達政治とか策謀とか関わるのが面倒だからねー。そういうのから離れて暮らそうとなるとこういう辺境での暮らしになってしまうのよね。お蔭で政治とかに関わる事はもうほぼないんだけど……リアが中央に一度は通う必要があるでしょ? 政治から切り離したと言ってもそれは私たちの都合で、一度はリアに中央を見て進む道を決めて欲しいのよね」

 

 だけどまあ、とエリシアは言葉を置く。

 

「リアには私やエドの様な術を持たずに済むような人生を送って欲しいけど、持っているとそれはそれで持て余すのよね。だから素質があって余さず教えられそうな子が来るのはちょっと私としてもわくわくする事なのよね。勿論、リアにも教えられる事は教えたいけど……ね?」

 

 頷く。

 

「リア、大事。傷ついて欲しくない、解る。修行、辛い。勉強よりも、辛いから。無理強い、させたくない。俺も、リア好き。だから、良く解る」

 

「本当に良い子ね、エデンちゃんは」

 

 頭を笑顔で撫でられる。

 

「あの子が自分から教えて欲しい、興味があるって言いだしたら教えるつもりではいるんだけど駄目ね、結局私の技は人を効率的に殺す為の物だから教えたくない部分もあるのよね」

 

 そこは俺にどーんと来い、と胸を叩く。俺の目標はあの龍殺し達に襲われても無傷で殴り返せるぐらいの実力を付ける事だ。今の所、その目標は遥か遠い先にあるように思えるのだ。だからどんなものであれ、素人である俺は色々と教わりたいと思う。それになんだかんだで色々と新しい事を学ぶのは楽しいのだ。という訳で人生初であり、龍生初の戦闘の授業が始まる。

 

 アンがエドワードを撤去する中で、エリシアが俺の背丈ほどある剣を手渡してくる。

 

「はい、これちょっと持ってみて。片手で持ち上げられるかしら?」

 

「よゆー」

 

 ロングソード? バスタードソード? 結構大きくて重い剣なのだろうが、幼龍スペックでは余裕で持ち上げられる範囲だ。片手で柄を握ると持ち上げられる事をアピールする。それを見たエリシアが頷いた。

 

「やっぱり身体能力は既に鍛えられた男性並みの物を持っているみたいね。まだ成長期に入る前の段階でこれって考えると少し重めの鍛錬を課しても直ぐに順応しそうな気もするのよねー」

 

「パワー、ストレングス、マッスル!」

 

「どこでそんな言葉を覚えたのかしら……」

 

 だが割と余裕で剣をぶんぶん振るう事は出来る。そして振るっていて特に疲れるという事もない……感じはする。少なくとも今片腕でこのバスタードソードを振るっていて素振り10回を超えているが、疲れというものを感じてはいない。それを見ていてエリシアがうーん、と唸る。

 

「本当に謎のスペックね……本当にどの種族なのかしら? 種族としての特徴がもっとはっきりすれば体に合わせたプランも作れるんだけど。まあ、それは良いわね。とりあえずこれは返して貰って……こっちはどうかしら?」

 

 バスタードソードよりも大きくて長い、ハルバードを手渡しされた。確かに前よりも重く感じるが、これも片手でぎりぎり持ち上げられる範囲だ。振るう事もちょっと辛くなったが問題はない。それを見てエリシアがうーんと唸る。

 

「これも出来る、と。バトルアクス辺りはちょっと辛そうだから今はパスするとして……そうね、この感じなら重量級の武器を使わせるのが一番かしら?」

 

「……?」

 

「うーん、そうね、解りづらいわよね。簡単に言ってしまうと、エデンちゃんは身体能力が物凄く高いわ。そして成長する前の段階でこうなのだから、育てばもっと凄まじいスペックの身体能力を発揮出来るという話よ。それだけのフィジカルギフテッドなら、下手に細かい技を教える事よりも、戦い方の技量を叩き込んで強さを押し出す方が強いって話よ」

 

「成程ー」

 

 まあ、そういう専門分野の話をされると俺は何も言えなくなるので困る。実際プロフェッショナルの意見がそうなのならそうなのだろう。だから、とエリシアはバスタードソードを再び渡してくる。それを握らせると彼女の指導が始まった。

 

「剣の正しい握り方を知ってる? うん、そうそう、両手でちょっと間を空けて握るのよ。体が剣を振りやすいようにデザインされている型だけど基本中の基本なのよね。個人の体格や体質、癖に合わせてこれは調整できるし……私的にはエデンが大剣とかの重量武器を片手で振るうイメージが出来上がってるのよねー」

 

「かっこいい」

 

「そうね、かっこいいわね。そういう感想や感情は上達する上では凄く重要よ」

 

 大剣を片手で振るって戦う自分をイメージすると、結構興奮してくる。だって大剣だぜ? 日本でそんなもん使う機会全くないじゃん! いや、存在していたら逆に怖いんだけど。秋葉原にある武器屋を学生時代に覗いてきゃーきゃーわーわー言ってたのが滅茶苦茶懐かしい。でも今、自分の手の中にあるのは本物の武器で、これで他の生き物を殺傷出来ると思うと随分と凄いもんを握ってるんだな、と思わせられる。

 

「それじゃ軽く素振りを始めるわよー。まず全ての鍛錬は素振りから始まるしね。動きをそこから少しずつ修正して、エデンちゃんの体に合った動きを構築するの。まあ、最初は難しい事を抜きにして素振りだけを始めましょうか」

 

「うっす」

 

 難しい話は座学の時に、と話を切り上げてバスタードソードを振るう。ずしり、と来る重みはまだ体力的にも余裕を感じさせるものがある。本当にこの体は凄いなあ、と思いながら剣を振るう。

 

 

 

 

 それから数時間後、俺は庭に倒れていた。素振りで疲れた。ずっと素振りを続けていると流石に疲れてくるが、休みもなくノンストップでやらされると腕から段々と感覚がなくなり、最後は余裕もなくなる。終わりを言い渡されると流石にもう無理だ、と庭に転がるしか俺に出来る事はなかった。そして勉強を終わらせたグローリアも合流し、庭に転がる俺を椅子の代わりにして座っている。このお嬢様、もう完全に俺に慣れ切って容赦がなくなっている。

 

「エデンちゃんお疲れ様。これから毎日素振りをしてもらうからその気でいてね?」

 

「待って! 僕の講義も挟みたいんだけど!?」

 

「え、後回し」

 

「え」

 

「私もエデンと遊びたいからお父様は後回しね」

 

「僕の講義……」

 

 エドワード、相変わらず家の中での立場が弱い。とはいえ、こうやってグランヴィル一家が揃っているのを見るとちょっとほっこりしてしまう。少しだけ体力が回復してきたのを感じて乗っかっているグローリアを持ち上げる感覚で立ち上がると、そのまま我がお嬢様を肩車してしまう。頭上できゃー、と楽しそうな悲鳴を上げるグローリアが足を引っ掻けないように注意しつつ、両手で角を掴む。そこ、ちょっと敏感だからあんまり強く握らないで欲しいの。

 

 敏感という言い方は語弊があるかも。

 

 それ、頭蓋骨の一部なんやで? 強い衝撃を受けると脳にまで響いて目が回るからマジで気を付けて。この前、壁に角をぶつけたらマジで目が回って何も出来なくなってしまったから。角をドラゴンの武器と思うのマジで止めような。弱点だからな、これ! 頭蓋骨の一部だって事の意味をよく考えろよな!

 

 これ絶対生物のコンセプトとして間違えてるでしょ。

 

 まあ、それはともかくグローリアを肩車すると疲労感も良い感じなのでちょっとグラつくが、そこまで倒れそうな程ではない。そのスリルを楽しんでいる様にさえウチのお嬢様は感じられる。

 

「んっ」

 

 と、結構運動をして体が温まったのか、或いは運動でちょっと感覚が敏感になっているのか胸の擦れる感覚があった。それが思っていたよりもちょっと、痛いかもしれない。体を軽くよじって服に胸が当たらないようにするが、不快感がちょっと残るので、眉をひそめてしまう。それを見ていたエリシアがエドワードとの話し合いから離れ、首を傾げた。

 

「あら、エデンちゃん……大丈夫?」

 

「ちょっと、擦れ? 痛いかも」

 

「あー……そういう時期なのね。リアの方はまだ大丈夫だったから油断してたけどそうね、エデンちゃんの方が年上っぽいものね……」

 

「うーん、そっか。エデンもそういう歳なのか。リアのも含めて購入した方が良いんじゃないかな? 流石に作る事は出来ないし」

 

「それはそうだけど……男が口にするのはちょっとデリカシーがないわよ?」

 

「あー……」

 

 それもそうだなあ、と呟きながらエドワードが背を向けて頭を掻く。エドワードがくるりと背を向けて離れたところでエリシアがしゃがんでそのね、と言葉を置く。

 

「えーと……エデンちゃんの体も成長していてね、胸の所が大きくなっている所なの」

 

 ゆっさゆっさとエリシアが胸を揺らした。それを見て首を傾げた。

 

「胸が成長する時期って結構敏感になって痛くなる事があるの。だからブラを付けるんだけど……リアのがまだ先だと思ってて用意してなかったのよね」

 

「ブラ」

 

「そう、ブラジャー」

 

 脳裏に衝撃、走る。ブラジャー! この時代に実在したのか!?

 

 いや、服飾関係がかなり充実していたから存在する事自体はそうおかしくはないだろう。おかしくないのか?? いや、この際それはどうでもいいとしよう。問題はブラジャーという存在を俺が着用するという事だ。今まではまだ下着だけだから感覚的にはセーフだ。パンツを履くのは男と何も変わりはないだろう。だがブラジャーは違う。確実に女性だけが着用するものだ。それを俺が付ける必要がある?

 

 胸が成長するから? というか胸が成長すると胸が擦れて痛くなるのだって初耳だぞ。

 

 完全なる未知との遭遇に脳内は宇宙ネコ状態だった。いや、宇宙(スペース)ドラゴン状態だというべきだろう。俺のおっぱいが……成長する……?

 

 再び宇宙ドラゴン状態に突入する。

 

 いや、だって胸が成長するなんて経験流石に皆無だ。今はまだ平坦な子供の胸だ。男にも女にも違いはない。だけどこの胸が成長するの? マジで? 本当に女の子の身体になっていくんだな、という妙な実感と恐怖と期待感がごちゃ混ぜになって宇宙ドラゴン状態を継続してしまう。ただそれを見て違う事を思ったのか、エリシアはふふ、と笑った。

 

「大丈夫よ、これは誰もが通る道だから。リアもエデンちゃんも、きっと素敵な女性になれるわ」

 

「うぅぅ……」

 

 そういう問題じゃないんですよ、奥方様……。

 

 どうしようもない問題に唸ってしまう。これは女性という体に生まれてしまった以上、絶対に回避できない問題だ。ブラジャーの装着、そして体が女として成長するという事。このままだともしかして、生理だって俺に来るのかもしれない。既に風呂とトイレだけでもかなり四苦八苦しているのに、ここでそんなものが来てみろ、絶対脳味噌がパンクするに決まっているだろう。

 

「でもそうね、エデンちゃんの服も欲しいし……街の方に買い物に行こうかしら?」

 

「え! 行きたい行きたい!」

 

「ふふ、勿論皆で、よ。何時までもリアのお古を直して着せる訳にも行かないしねえ」

 

「あの、それは、とても申し訳なく……」

 

「良いのよ……私達が拾ってしまった以上、健やかに育てるのが私たちの義務よ。たとえ貴女をリアの従者として育てても、実の娘の様に私もエドも、愛情を込めるから」

 

「ぎゅー」

 

「ぎゅー!」

 

 エリシアとグローリアからぎゅーっとされて嬉しいのは嬉しいんだが、

 

 そうじゃない。

 

 そうじゃねぇんだよ。

 

 そう思う宇宙ドラゴンであった。




 居合抜きを使える一般主婦。

 そう、幼女スタートという事は体の成長とも付き合って行くという事なのである……! 胸、尻、身長、味覚、いろんなものが成長して行く。


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グランヴィル家の日常 Ⅳ

 グランヴィル邸から街まではちょっと距離がある。

 

 その為、街に行くときは馬を使わなければならない。そしてグランヴィル家には馬が二頭、馬車と共にある。これは定期的に買い出しに出る為の馬車であり、基本的に自分とグローリア以外は皆、乗り回せるようになっている。今回、買い物の為に街へと行くにあたって、自分とグローリアとエドワード、そしてエリシアが向かう事になった。アンとスチュワートは警備の為にお留守番という事である。初めてグランヴィル邸を出て街へと向かう事にドキドキしつつも、

 

 数時間、馬車に揺られながら街へと向かわないといけない事に、地球では感じない不便さを感じていた。電車か車を使えば十数分で行ける距離なんだろうなあ、というのを馬車の御者台にエドワードと並んで座りながら思っていた。

 

 周りにはのどかな風景が広がっている。どこまでも続いてゆく道と地平線。風は優しく頬を撫でて心地の良い春の風が運ばれてくる―――そして偶に飛び出してくる異形の姿が一瞬で殲滅される。

 

 そう、この世界には幻想生物がいる。ドラゴンがいるなら当然他の怪物だっている。今出現したのは2メートルほどの巨体を持つ蛇だった。だが出現する寸前に放たれた岩の槍によって瞬殺され、骸を晒すだけで終了した。まるで見せしめの様に飾られた蛇の姿に、近くにあった気配は遠のいて行く。

 

「強い……」

 

「魔法の高速起動だね。僕は常に魔法を使えるように生成された魔力を使用可能な状態で待機させてるから、ペーパーなら即時発動できるよ……ってそうだそうだ、この講義はまだしてなかったね」

 

 はっはっは、と笑いながらエドワードが前を向いている。馬車の手綱を握りつつ、それではと言う。

 

「今から魔法の授業、講義の続きをしようかと思うけどどうかな? 道中の良い暇つぶしになると思うんだけど」

 

「お願い、します。楽しみ」

 

「そうかそうか、楽しみなんて言ってくれちゃうか。君みたいに勤勉な子は中々珍しいだけに嬉しいなあ」

 

 まあ、授業となると確かに逃げ出したくなったり眠ったりする奴もいるだろう。俺だって日本の歴史やアメリカの歴史を授業で勉強させられても暇でしょうがないだろうし興味もないだろう。だけどココは異世界だ。俺の知らない歴史と物事が巡っている世界だ。そりゃあ何だって知りたくもなるだろう? 聞く事、知る事、感じる事全てが新鮮なのだ。毎日が楽しくてしょうがないに決まっている。

 

「良し、じゃあ前回は魔力を感じる所だったよね?」

 

「はい」

 

「じゃあその流れで話の続きだ。魔力の総量、つまり上限保有量は決まっていて、そこまで鍛えて伸ばす事は出来るけどそれ以上は伸びなくなる。つまり無限に鍛えるという事は出来ないんだ。魔力の質、量、変換効率。これは明確に才能が出てくる所だ」

 

 あぁ、やっぱりここら辺は才能がものを言うジャンルなんだ。なんか納得する。やっぱ地球でも異世界でも才能がものを言うのは変わりはしないのだろう。

 

「だから上限に行きつくまでは基本的な魔力トレーニング、終わったら精密訓練を続ける事が重要なんだね」

 

 成程成程。じゃあ、やっぱり継続的なトレーニングが重要なのは魔法も武術も勉強も変わりはない、と。じゃあ次は魔法の種類の話が聞きたいので、こっちから話を振ってみる。

 

「魔法、種類ある、言ってた」

 

「あぁ、あるとも! そうだね、こっちの話をしようか」

 

 魔法にはまず3種類ある、とエドワードは言う。

 

「これは前に言った事だね。じゃあ具体的にどういうシステムなのかって話をしようか。まずは最も簡単なタイプ」

 

 そう言ってエドワードは片手で自分の腰を指さす。腰のベルトにはストラップが垂れ下がっており、それは一冊のブックバインダーを装着している。それは所謂魔導書という奴であるのは、既にこの日常で覚えた事だ。ただ一般的な魔導書イメージとはかけ離れた、ルーズリーフを装着する様なブックバインダーである事を上げればファンタジー世界としては異形のジャンルに入ると思う。

 

「まずは紙式、或いはペーパータイプ、魔導書型といわれる魔法だね」

 

 頷く。

 

「最もシンプルでこれは()()()()()()()魔法タイプだ。その結果、無駄をなるべくそぎ落として発動のしやすさと扱いやすさに特化したタイプの魔法だと言っても良い。その代わりに使える魔法の数が制限されている……というよりは実用段階まで開発出来た魔法の数が少なすぎるというべきなのかなあ。それでも一番使用しやすい事から一番利用されてるよ」

 

「うーん?」

 

「そうだね、それだけじゃ解りづらいか。例えばこれ」

 

 氷の槍を空中に生み出す。

 

「これを形成する魔法式は全部で10ページになる。空気中の水分の凝固、その編成、温度の低下、強度の指定、射出速度の指定、加速の付与……これを一つ形成するだけでも色々と式として書き込まないとならない」

 

「そんなに」

 

「こんなに」

 

 魔法って術式を用意すれば後は放つだけのもんだと思っていたが、そういうもんではなかったらしい。これはあれだ、プログラミングの様なものだと思う。魔術という言語を使ったプログラミングなのだろう。細かい所まで設定しないとたぶん、望んだ結果が発揮されないのだろう。

 

「だけど逆に言えば1つ1つが何で構築されているのか理解されている、という事でもある。辞書を用意して1つ1つの式が何を意味するのかを理解してれば、それを維持したり組み替えたりする事で簡単にカスタマイズも出来るって事だ」

 

 そう言って氷の槍は氷の剣へと変形し、それから氷の盾へと変化する。

 

「だから特化魔術師は3~4種類の魔法を変化しやすいように代入する式を描いたページをバインダーにセットして、状況や環境に合わせて魔法式を組み替えながら戦うものさ。面倒に思えるけど、1度現物さえ用意してしまえば魔力を通して術式通りの結果を生んでくれるんだ。どれだけ魔力の質や量が低くてもね」

 

「量産型」

 

「そう、量産型だ。いやあ、難しい事が解るねえ、エデンは」

 

 氷の魔法を解除しながらエドワードに頭を撫でられる。子供扱いされるのは見た目上は仕方がないが、中々恥ずかしいものがある。

 

「これは量産して誰もが使用できる形へと落とし込んだ人の魔法だ。こう言ってしまえば魔法は元々人の物ではないって事が解るかな? そうだ、つまり魔法ってのは元々我々の使っている物ではなく、神々が与えてくださる奇跡だったんだ。それを僕たちが自分で使えるように、使いやすいように開発と解析を行ったんだ」

 

 神々の実在証明―――この世界では行われているのだ。魔法、そして奇跡という形で本当に神々は存在するのだと理解されている。だからこそ神々への信仰心は本物だ。実在すると解る超越存在に対する祈りなのだから。

 

「ただ、まあ、現状人類が開発した段階の魔法って対人特化だったり、生活向けの軽いものだったり、あんまり難しい事は出来ないんだよね。さっき言った通り、今の魔法だけでも10ページ必要なんだ。それを色んなバリエーションで細かく彩ろうとするとページが嵩むからねえー」

 

 難しい所だよね、と笑う。

 

「で、今の話で出て来た神の奇跡……信仰魔法が第二の魔法種類だ」

 

 エドワードが指を突き立てた。

 

「我々の世界には神様がいる。我々を見守ってくださっている。我々を導いてくださっている」

 

 マジでいるんだな、と思ってしまうのは元が日本人だからだろう。首を傾げながらうーん、とどうしても唸ってしまう。だけど魔法ってのは元々神から来ているのか、と納得する事にはしている。

 

「まあ、僕はそこまで敬虔でもないんだけどそれでも叡智の神を信仰しているから、それに即した魔法を使用する事が出来る」

 

「それは、どういう、意味、ですか?」

 

「僕たちは信仰し、仕える神の魔法を使う事が出来るようになるんだ。その神の為に日々努力し、そして供物を捧げ、努力をした対価として神が魔法を借りる事を許可してくれるんだ。例えば僕なんかは叡智の神を信仰しているからね、思考速度を加速させる魔法なんて使えたりするよ。叡智の神は他にも数秒先の未来を予知する魔法とかを使わせてくれたりするねー。まあ、これは高位魔法だけど」

 

「すご」

 

 思考加速や未来予知なんて完全に先ほどまでの魔法とは格が違う。

 

「うん、解る。格が違うんだ。それでも信仰と引き換えに神々はこういう魔法を我々にお与えくださるんだ。その中でも最もシンプルなものを解析して転用したのが僕たちが作ったものなんだ。紛いものだと断言できるし、不格好だとも言える。それに神々の魔法は信仰と該当する魔法の許可さえ取れていれば道具もなく使用する事が可能なんだ……まあ、大半は詠唱動作を必要とするけど。そこが紙式との最大の違いかもしれないね」

 

 人が作った魔法は余り強くなく道具を必要とするが、詠唱を必要としない。

 

 神が与える魔法は強力無比ではあるものの、詠唱を必要とする。

 

「ちなみに詠唱というのはこれから魔法を利用しますって神に対する借用の祝詞でもあってね、これをカットするというのは無理なんだ」

 

「神様、ケチ」

 

「はははは、かもしれないねぇ」

 

「教会で絶対にそう言っちゃ駄目よエデンちゃん? 神官たちはそこら辺割と厳しいから」

 

「はーい」

 

 馬車の方からそっとたしなめる様な声が飛んでくる。そっか、信仰がガチな世界観だから日本のファッション信仰とか宗教ごちゃ混ぜ感は割とアウトなのか。そこら辺は意識しておかないと失言がありそうだ。

 

「エデンも魔法を学ぶ上でどの神を信仰するのか、考えておくべきかもしれないね。僕自身は叡智の神を推すけどね。低位で使用できる思考加速や閃きの補助は戦闘・生活どちらでも大変便利な魔法だからね。それに叡智の神様も結構いい加減だから変に干渉する様な事をしてこないのも好意的だよ」

 

「干渉、する?」

 

 うーん、とエドワードが首を傾げた。

 

「割と神々はそこら辺あんまり干渉してこないんだよね。敬虔な信徒の言葉に応えてアドバイスを送ったり、自らの教義に不義を働いた者に神罰を落としたりはするんだけど。基本的に神々は下界の物事には干渉してこないよ」

 

 あぁ、でもあれだけは違ったな……と言葉がエドワードから出た。

 

「龍」

 

 びくりい。

 

「龍を絶やせ。それが人と理の神から来た神託だったね」

 

「龍を絶やせ」

 

 エドワードがその言葉に頷く。その視線は真っすぐ、道路の先を見据えている。

 

「龍を討て。邪悪にして傲慢なる種族をこの地上から絶やせ。彼らが成した悪逆を赦すな。この地は人の物であると証明せよ。人よ、我が子らよ、我が愛しき者達よ、龍を絶やせ。この世から一匹残らず絶やせ、それが人の生きる術である……ってね」

 

 エドワードの言葉を聞いて、ゾッとした。背筋に冷や水をぶち込まれたかのような感覚だった。エドワードの語った言葉はまるでそれが義務であるように感じられた。そうであるように、そうする必要があるように、と。エドワード自身の感情ではなく、その言葉からは神自身の意思を強く感じられた。絶対に殺さねばならぬという殺意を。その言葉を聞いて、増々自分が龍であると絶対に明かしてはならないように感じた。

 

 いや、感じたのではない。確信したのだ。

 

 俺は、生まれた存在がパブリックエネミーだ。

 

「ま、大本営発表だけどね。でも託宣を下した人理教会は今では聖国を持つし、人の生存権と未来を獲得する為の活動と言えば間違いなく成果も出ている。その言葉がどこまで本当かは他の神々が黙して語らないから解らないけど―――少なくとも、それは正しい行いだと思われていたね。まあ、僕はこういう怖いのあまり好きじゃないんだけどね」

 

「なんか、ちょっと、恐ろしいです」

 

「そうだね。神程の力と影響力のある存在が絶やせと言ってきたんだ。それはもはや命令でもあるからね……人と神は寄り添い生きて行くものだと思ってたけど、こと人理の神に限っては別かもしれないねぇ。あのお方は積極的に人が優位に立つ為の言葉を送ってくれるからね。だから人気なんだけど、っと。結構話し込んでたからもう街が見えて来たね」

 

 エドワードの言う通り、相当話し込んでいたみたいで、気づけば街の姿が遠くに見えて来た。神々が……いや、何故人理の神がそこまでして龍を憎んだのだろうか? それはきっと、神自身に聞かない限りは答えが出て来ないのだろうとは思うが、背筋に感じた恐怖を一生忘れないようにしようと思えた。

 

「さて、第三の魔法である先天魔法、或いは先天術式はまた帰り道にでも話そうかな」

 

「旦那様、旦那様」

 

「うん? どうしたんだい?」

 

「神様、名前、ある?」

 

「あるよ、勿論。あぁ、そう言えば名前の方を語ってなかったね。叡智の神の名はエメロアで」

 

 そして、

 

「人理の神の名はソフィーヤだよ」

 

「ソフィーヤ……」

 

 きっと恐ろしい女神であるに違いない。その名を忘れないようにしながら街へ、俺のブラジャーを買いに行く。

 

 あぁ、そうだ。

 

 俺のブラジャーとか買いに来たんじゃん……。




 当然ファンタジー世界なので神様はいるし、実在する超越存在なので信仰心もガチという奴。日本と同じ感覚で茶化すと唐突に腹切りを強要させられる。怖いね。

 Sionさんから支援絵でエデンちゃんの姿をいただきました!
 
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 とてもキュート! ありがとうございます。


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グランヴィル家の日常 Ⅴ

「おぉ……」

 

「街だー!」

 

 御者台に出て聞いたグローリアと一緒に街に到着した事に軽く声を上げた。目の前にはファンタジー風の街の様子があった。特にそれが城壁みたいな壁に囲まれているような事はないが、道路が街に近づくと道路はちゃんと丁寧に舗装されているようになり、街に入る道には街の兵士がハルバードを片手に警備しているのが見れた。新宿とか渋谷とかと比べるとド田舎の限界集落だと思えてしまうけど、それでもファンタジーの街だと考えると中々凄いものがある。

 

 街の外側からは街の大体の感じしか見れないが、レンガの屋根が広がってオレンジ色に街が染まっているように見える。まるでスペインとかに来たような気分になる。あっちのお国も確か街の風景がこんな感じだったはずだ。異世界にやって来たという気持ちに改めてさせられるものだ。

 

「こらこら、危ないわよ」

 

「街、魔法、で作る?」

 

「うん、正解。紙式だね。レンガとかの簡単なものだったらこっちで量産するのが簡単だからね。建築とかは割と楽だよ」

 

「ほえー」

 

 やっぱ魔法を使って簡単な素材とかは量産してるんだ……。そう考えると工業化とかってこの世界、滅茶苦茶遅い……或いはそもそも発生しない可能性すらあるのかもしれない。考えてみれば人類の発展というのは生活をより豊かに、より楽にする為に行われるものだ。だけど魔法という反則臭い法則がこの世界には存在するのだ、大量生産の為の魔法を開発すれば工場を建築して量産体制を整える必要なんてないんだ。そう考えると工業化という概念はやってこないのかもしれない……。

 

 だが逆に考えると生活を豊かにする=魔法開発という図式が成り立つ。

 

 この世界において、工業化とは魔法開発と運用の効率化なのかも? そう思うとこの世界は将来的に地球とは違う方向性で発展するのかもしれないと思えた。或いは建築に関しては地球と同じ方向性を辿るかもしれない。だって根本的な構造や効率って答えは変わらないしなあ……という部分がある。

 

「これは、エドワード卿。ご家族と遊びに来ましたか?」

 

「やあ、家族と買い物に来たよ」

 

「偶には領主さまへ顔を出しに行ってやってください。この間久しぶりに狩りにでも行きたいって広場でボヤいてましたよ」

 

「サンクデルが? じゃあ今度遊びに行こうかな」

 

 特に名簿があるとかそういう事もなく、軽く門番とやり取りをするとそのまま馬車が街中へと入って行く。そう言えばエドワードは領地をもたない貴族だった筈だ。つまり住んでいる土地だけエドワードで、残りは別の領主の土地のなのだろう。やっぱりこのグランヴィル家の生態というか状態、中々面白いものがある。

 

「贔屓にしている宿があるから、まずはそこに馬車を預けてこようか」

 

 馬車が街中に入って行く所からずっと街を眺めている。街の作り、行きかう人々、その生活。何もかもが新鮮で新しい。角はこの際しょうがないが、鱗は見えないようにちょっとだけ服の裾とかを注意しつつ街中の様子を観察する。やっぱりというか、普通に人々は生活している。CGとかアクターとか特殊メイクではなく、本当に存在する異種族とかと暮らして生活しているんだ。

 

 前生まれた森で見かけたような半人半獣の種族や、二足歩行で歩く蟲の種族なんて者もいる。見れば見る程驚きで溢れている。今、あそこで露店を広げているのはもしかして魚人なのではないか? なんかシャチっぽいフォルムをしている気がする。

 

「ほわー……」

 

 あそこに武器を抱えて歩いているのはもしかして冒険者とかという連中なのでは? あ、魔法使いっぽいのもいる。やっぱり杖ローブ装備が魔法使いのスタンダードなんだなあ……なんで杖ローブなんだろう? 紙式で無詠唱戦するなら軽装と動きやすさを優先した方が強そうな気もするが。なんか信仰関係か装備の性能で色々とあるのかもしれない。とはいえ、

 

 流石異世界。

 

 見ているだけで楽しい。

 

「異種族、いっぱい」

 

「エスデルは世界有数の多種族国家よ。その影響で中央から辺境まで様々な種族を見かけるわねぇ。その影響で全体として教会の影響力とかが弱いのよねー」

 

「教会……というより信仰は種族で固まっている所があるからね。やっぱ人だけ、獣人だけ、となると信仰も偏ってくるんだよね。そうなるとまあ、政治に宗教が関わる関わるで面倒な事になってくる、と。エスデルは思想的に1つの宗教に傾倒するのは危険だからって色んな種族を呼び込む形を取ったんだけど……まあ、見てみれば解るけど面白い方向に成長したよね」

 

 頷く。

 

「凄く不思議」

 

「だねぇ。特に辺境は中央と比べると腕前に自信のある種族がやってくるからね。もっと雑多な感じが強いと思うよ」

 

「腕前?」

 

「中央はやっぱり騎士団とかの関係でね、モンスターの処理とか討伐が早いんだ。定期処理も行っているから中央周りはやっぱり育ち辛く、余り強いのが出て来ないんだ。その代わりに辺境は手が伸ばしづらいから生き残ったモンスターが育ちやすいんだね。その関係で強めのモンスターが辺境は多いんだ。だから、まあ、結構辺境領主ってのは武力回りの規制が緩めだったりするんだよね」

 

 エドワードの言葉で解った。

 

「旦那様も、領主さまの、戦力扱い?」

 

「正解。だからサンクデルとは仲良くやっているし、色々と融通して貰っているんだよね」

 

 この辺境で政治に関わらず、少人数で生活出来ているのはそれが種だったのか。得心がいった、と頷いていると馬車が宿の前で停止し、ドアマン……という概念は流石にないか? 宿の者が馬車の横にやってくる。

 

「これはグランヴィル様」

 

「それじゃ、何時も通りお願い」

 

「えぇ、お預かりします」

 

 馬車から降りて手綱を渡し、ここからは徒歩で街中を移動する事になるらしい。エリシアははぐれない様に片手をグローリアと結んでいるものの、もう片手は常にフリーハンドを維持している。あれは鍛錬の時に見た事がある。常に懐や腰へと手を伸ばしやすいように手の位置を調整してある奴だ。つまり、即座に荒事に対応できるスタンスだ。

 

 この人妻こっわ。

 

 良く考えればエドワードも詠唱無しで魔法を即座に稼働させられる上に、大蛇ぐらいなら即死させられる火力を持っているんだ―――この夫婦、実は恐ろしくハイランクなのでは? 異世界の街中、どんなトラブルが発生するにせよ、この二人と一緒ならとりあえずは安心だと思えた。

 

「さて、まずは仕立屋に行こうかな」

 

「そうねぇ、エデンちゃんとリアの分の服を見ないとね。作り置きがあると助かるんだけど」

 

「腕は良いし今から仕立てて貰っても大丈夫そうだけどね。こっちだよ」

 

 あぁ……俺がブラジャーを付けるまでの時間が刻々と迫っている。先ほどまでは街中が輝いて見えたのに、今ではなんかちょっと灰色に見えるよ。俺の背中、ちょっと煤けてない? そう思いつつも異世界文化に触れる事への興奮と感動は未だに醒めない。ついつい周りを見渡す様に歩くとエドワードに手を取られてしまう。

 

「危ないよ」

 

「ごめん、なさい」

 

「いや、怒ってはいないけど……そんなに楽しいかい?」

 

「とても、素敵。凄く、楽しい、思います。キラキラ、沢山がいっぱい、見たことないものいっぱい、見てるだけ、楽しい、です」

 

「中々綺麗な目で世界を見るなあ」

 

 ぽんぽん、と頭を撫でられる。周りにある街並みも、人混みも、全てが俺にとっては未知なのだから当然面白く映る。そして今も、見ているものは楽しい。直ぐ前では移動式の屋台で何かを売っているみたいだが……見たことのない料理だ。当然、どういう味かどういう作りなのかも気になる。そんなものが目の前にあって多すぎるのだ、どうしても目移りしてしまう。

 

「初めて、見ました」

 

「私は何度か来たわ! だから私がエデンに案内してあげるわ!」

 

「ちゃんとできるー?」

 

「そこで何で疑うのよー!」

 

 グローリアちゃんは可愛いなあ。虐めると良い反応をする。これも愛ってやつだ。たぶん。

 

 とりあえず仕立屋へと向かう事になった。街中で色々と見たいものもあるが、それは一旦後回しとなる。この時代にしては良く綺麗に舗装された道路も魔法によってされているのだと考えれば妙に納得する辺境の街、沢山の異種族が日々を楽しそうに過ごしている。だがその中で武器を所持している比率は比較的に多く感じられる。

 

「やっぱり、武器、多い?」

 

「護身用に武器か魔導書の所持は割と重要だからね。中央よりも辺境の方がモンスターが強いって話はしたよね? 逆に言うと街から街への移動の安全が確保されていないって事でもあるからね。だから誰もが自分で自分の身を守る為の手段を確保しなきゃいけないんだ」

 

 やっぱり、辺境での生活って危険なんだなぁ、と改めて思う。モンスターが中央よりも多くて、それでも人が来るというのはやはり、何か旨味があるのだろう。やっぱりこういう場合、開拓する土地がある事とか、中央では取れない素材とかがあったりするのだろうか? まあ、そこら辺は追々聞き出すとしよう。どうせ時間なんてものは有り余っているのだし、焦る必要はない。

 

「やっぱり武器とか気になる?」

 

「かっこいい……!」

 

「そうよね、そうよねー? やっぱり武器ってかっこいいものねー?」

 

「あぁ、君もエリシア寄りかぁ……」

 

「わ、私は魔法の方が可能性に満ちてて素敵だと思うわ!」

 

「リアー!」

 

 すかさずフォローに入る娘の姿にエドワードはおろろーん、なんて声を零しながら娘に抱き着く。本当に仲の良い親子の様子を苦笑しながら眺めていると、何時の間にか街にある仕立屋の下に到着していた。余り大きくはない、二階建ての一軒家。他の家とかと同じくレンガの屋根をこさえた、ちょっとおしゃれに感じるデザインの店構え―――いや、日本の現代風建築様式と比べると古臭いのだが、そこがまたファンタジー感があって素敵なのだ。

 

 ただ、まあ、窓はあるが看板がつり下がっているだけで具体的にどういう服を作っているのか、売っているのか、というのは入らない限り解らない。現代日本で見る様な展示用ウィンドウが店先にはないからだ。

 

 エドワードやエリシアは先に店の中に入って行く。そこに二の足を踏んでいると、グローリアが首を傾げながら振り返った。

 

「エデンー? 行こー?」

 

「うん」

 

 グローリアに呼ばれて踏み出す―――そうやって扉のベルを耳にしながら入った先には普通の店内が広がっていた。

 

 普通、といっても日本基準ではなくて、窓から陽の光が差し込む明るく、そしてマネキンに様々な服を飾っている、そんな仕立屋だった。

 

 はて、仕立屋と言うからにはレディメイドは置いてないと思ったものだが、どうやらそういう事ではないらしい。ドレス、普段着、作業着、様々な服がマネキンに飾られている。どれも良く作られているものであり、クオリティは現代で見るものとあまり変わりがないように見える。ただ違うのはやはりデザインや素材だろう。

 

「それは魔法で編んでいる服なんだ。凄く良くできているだろう?」

 

「っ!」

 

 いきなり近くで声がするものだから驚いて数歩下がってしまった。声の方へと視線を向ければ、茶髪の線の細い男が苦笑しながら頭を下げてた。

 

「ごめんごめん、君を驚かすつもりはなかったんだ。私が店主のタイラーだよ、宜しくね」

 

「よ、宜しく、お願いします」

 

 差し出してくる手を握り返すと、笑みを浮かべてタイラーが下がる。

 

「エド、こんな面白い子がいるなんてずるいじゃないか」

 

「だから連れて来ただろう? 君ならあらゆる種族の服を編めるし」

 

「まあね、この街で最も高位のダルターカ信者だとは思うよ」

 

 ダルターカ、と首を傾げていると、グローリアが横から説明を入れてくれる。

 

「職人と技術の神様よ。物を作ったりする職人の神様で腕を磨き、新しい発想や珍しい物を作る事への挑戦を応援してくださる神様なの」

 

「ほえー」

 

 そんな神様もいるんだ、本当にバリエーション豊かで面白い。

 

 タイラーは両手でフレームを作るように此方の姿を捉えている。

 

「今日はこの魔族のお嬢さんの服を仕立てれば良いのかな?」

 

「えぇ、ウチで新しく預かる事になったエデンちゃんって言うんだけど……来たばかりで余り服がなくてねー。リアの従者に育てるつもりだからそれ回りの服と、後はジュニアブラをね。もう成長し始めてるみたいなの」

 

 エリシアの言葉にタイラーが頷く。それで大体察したらしい。

 

「成程、年頃となってくると確かにそこら辺は大変だね。一応ストックがあるから即座に渡せる分はあるけど……細かい調整もあるし、一旦サイズを確認しないといけないかな。エリシアさんも良いかな?」

 

 タイラーの言葉にエリシアが頷くと、エドワードはグローリアを連れて店内の服を見て回りに歩き出した。その間、俺が何をするのかと言えば、

 

「じゃ、エデンちゃん。後ろの更衣室まで来てくれるかな? ちょっとサイズの確認をしたいんだ」

 

 ん? これってもしかして俺、見知らぬ男の前で脱ぐ流れ?

 

 マジで?




 Talor→テイラー→タイラーというシンプルな名前。

 この世界は異種族結構豊富ですが、人理神の信者が多い現状は純人族が繁殖力の高さと神の加護込みで世界覇者として君臨してる。その為エスデル程異種族が多く、差別も偏見もない土地は非常に珍しい。


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グランヴィル家の日常 Ⅵ

 更衣室に案内されるとタイラーがメジャーを取り出した。カーテンを閉めて他の人から見えない様にすると、タイラーがそれじゃあと声を出した。

 

「恥ずかしいかもしれないけど、上を脱いで貰って良いかな?」

 

「ヴ……」

 

 そう言われて思わず変な声が漏れてしまう。そう、別に他意はないんだ、他意は。ただ単純に仕立屋としてサイズのチェックを行わないとならないというだけだ―――これ、成人女性が相手だったら採寸どうしてるんだろ? やはり女性店員が別にいるのか、自分で測ってるのか、それとも普通にやってるのだろうか?

 

 どちらにせよ、TS龍娘転生して女性以外に上半身とはいえ裸を見られるのは初めての経験で、変に意識してしまう。男の時は全く気にならなかったのに。これが体の違いからくる意識の仕方の違いだろうか? 割と真面目に恥ずかしいけど……ブラジャーはこれからも必要なものだし、さっさと採寸を終わらせた方が良いだろう。

 

 首元に手を伸ばし、ブラウスのボタンを一つ一つ解いて行く。それをタイラーが視線を逸らしてみない様にしてくれる。この人、結構紳士的だわ。そう思っている間にブラウスのボタンを外し終わって脱いだ。それを軽く畳んで足元に置き、

 

「脱ぎ、ました」

 

「はい、じゃあ採寸するよ。両手を広げてくれるかな? はい、ありがとう」

 

 そう言うとタイラーがメジャーを手放した。なんで? と思うと浮かび上がったメジャーが複数同時に展開し、勝手に動き始める。背面に立っているタイラーはどうやら此方の正面を見たりしない様だ。魔法でメジャーをコントロールしているおかげか直接肌に触れる様な事はなく、裸と言っても背中しか見ないらしい。それでもメジャーはちゃんと動いて採寸を行っている。確かにこれなら背中しか見られないし少し安心する。

 

「中々綺麗な鱗を生やしているんだね」

 

「うぅ……」

 

 と思ってたら、そんな事を言われて赤面してしまう。そう言えば腰の裏とか首筋に鱗があるんだった……普段はブラウスの首元をちょっと伸ばしてなるべく隠しているのだが、こうやって服を脱ぐと丸見えになってしまう。指摘されてしまうと中々に恥ずかしいものがあり、思わず俯いてしまう。それにタイラーが慌てる。

 

「あぁ、ごめんごめん。別に辱めるつもりはなかったんだ! ただ単純に、私が見て来た鱗の中でもかなり色艶の良いものだから驚いてしまってね……蜥蜴人(リザードマン)魚人(マーマン)でもこんな輝きは出せないしね……この混じり気のない雪の様な白はかなり珍しいね」

 

「そう、なの、ですか?」

 

「うん……角の事を含めて少なくとも何かしらの魔族かとは思うよね。少なくとも角持ちの蜥蜴人や魚人はいないだろうし。魔族は種族としてかなり雑多で区分が大変だって聞くし。君の様な特徴の子は初めてだよ」

 

「魔族?」

 

「うん? 魔族の事を知らないのかい? まあ、そうだね。あまりエスデルの方では有名じゃないかもしれないかな……連中は夜の国から出てくる事が稀だしね」

 

 夜の国、前に聞いた場所だ。ただその詳細はまだ良く習ってはいないから知らない。そう思っている間に採寸は進んで行く。

 

「夜の国は魔族―――魔界と呼ばれる異世界の住人だよ。なんでもエーテルが非常に濃い世界で、魔族たちからすると此方の世界では非常に活動し辛いものがあるらしいんだ。だから直接のゲートが置いてある“夜の国”と呼ばれる彼らの此方側での拠点以外からはあまり離れてこないんだ。君だって息苦しい場所で長居したくはないだろう?」

 

 その言葉に頷く。

 

「まあ、そういう事だね。現状人理協会が目の敵にしていてこの世界から排除しようと頑張っているんだけどねー」

 

 タイラーが苦笑した。

 

「魔族という連中は非常にスペックが高くてね、人間との戦いだとまず負ける事がないんだ。だからお隣の大陸では年がら年中特に侵略も害するつもりもない夜の国と人理協会の聖国との戦争が続いているよ。魔族側は特に支配する気も滅ぼす気もない観光気分でこっちに来ているらしいからね……」

 

「えぇ……」

 

「うん、まあ、完全なるエンジョイ勢なんだ。でも純人族至上主義者からすれば絶対に追い出したい存在ではあるから争いは絶えないんだよね―――はい、採寸終わり。そのまま少し待っててね、君に合うサイズのがあった筈だから」

 

「はい」

 

 そう言うとタイラーはメジャーを戻して更衣室を出て行く。しかし異世界―――異世界に来ているのに異世界と繋がっているというのはまたおかしな話だ。それも魔界とかいう世界と繋がっているという話は面白い。だけど、魔族か。魔族であれば龍もまだ生きているか残っているのだろうか?

 

 というか完全なるエンジョイ勢が国を作って統治しているというのもおかしな話だな……。

 

 エドワードやアンが魔族だから、と俺を見てスペックに納得する理由に何となく納得がいった。それはそれとして、俺が龍ではなく魔族のフリをすれば多少は問題なさそうだなあ、なんて事も考え始めた。これはもうちょっと、魔界や魔族の事を調べておいた方が良いのかもしれない。

 

「お待たせ、エデンちゃん。ジュニアブラ持ってきたわよー」

 

「奥様」

 

「付け方解らないでしょ? 教えてあげる。と言ってもこれは特に複雑でもないけどねー」

 

 そう言ってエリシアが更衣室の中に入って来た。その手の中にあるのはジュニアブラと呼ばれる、子供用のブラジャーだ。詳しい事は解らないが、成長に伴って発生する敏感な胸をサポートしたりガードしたり、そして胸の成長を助ける為のものらしい。エリシアの手の中にある奴を見てみると、一般的に見るランジェリー型のブラジャーとは形状が大きく違う。

 

 こう、言い方は悪いかもしれないが、丈の短いタンクトップという説明が一番しっくりくるかもしれない。

 

「ふふ、普通のブラとは違ってちょっと驚いてる? 最初はこれなのよ。でもね、成長するにつれて胸が横に膨らみ始めるからそれに合わせてまた新しいのを用意しなきゃいけないのよ。今回はその分も用意しちゃうけどね」

 

「申し訳、ありません」

 

「良いの良いの! 可愛い娘がもう一人増えたみたいなものだから!」

 

 可愛い娘に殺人術を教える元女騎士ってなんだろうなあ……って思う事もあるが、それはそれとして善意と好意は素直に嬉しいから受け取る。というより現状、受け取る事以外のナニカが出来るという事でもない。俺1人では絶対に生きて行けないというのが解っているのだから。少なくともこの世界、良くあるご都合主義ファンタジーみたいな幸運によって生きていける要素が限りなく薄い気がする。

 

 レベルアップもなければステータスもない。

 

 スキルの確認なんて数値で出来る事もない。

 

 現実と何も変わらないファンタジー。ただそれだけなのだから。

 

 しかも真実は悪役種族! バレたら死刑!

 

 うーん、人生ULTRAハードモードだ……!

 

 死にとうない、死にとうない、我死にとうない!

 

 だから龍である事は絶対にバレてはならない。黙っているしかないし、秘密にするしかない。龍の姿に変身なんて絶対にしてやらないからな。でもちょっと変身には興味ある。龍の姿、また1度ぐらいは―――いや、駄目だ駄目だ。やったら最後絶対バレるでしょ。

 

 そんな考えを頭の中で巡らせている間にジュニアブラを装着した。胸の下辺りが地味にキツく感じるが、肌触り自体はソフトで心地よい。今までは胸の先端辺りに神経が通っているような感覚があって擦れて痛かったりする事もあったが、ブラを装着してみるとそれを考慮してるのか包み込むような感じで保護してくれている。装着した状態で体を捻ったりして動かしてみるが、擦れる様な感覚はない。

 

「おぉ……」

 

「うん、それなら問題なさそうね」

 

 エリシアの言葉に振り返りながら頷き、ブラウスを着用しなおす―――ブラの上から服を着るという試みは人生初の感覚だが、インナーを着て服を着ている感覚に似ているかもしれない……その範囲が限定的だが。ただ、夏とかもずっと着用しなきゃいけないって事を考えると意外と大変だろうとは思う。夏場では実質的に二枚服を着ているという感覚になるんだろうか?

 

 今は春だからあまり暑く感じないのが救いか。いや、長袖のブラウス愛用してるのに暑さを感じないのおかしくない? もしかして体質的に暑さとか寒さに強いのかこれ?

 

 ドラゴン! って言うとマグマに突っ込んでも平気って感じのイメージあるしな……。

 

 まあ、それはそれ。これはこれ。とりあえず考えてもしょうがない事は今は忘れておこう。とりあえずジュニアブラというアイテムを手に入れた事でこれまでは不快感の残る行動が一気に快適になった。更衣室から出たところで軽くターンを決めて、体の可動域を確かめるが不快感はない。

 

 両手でダブルサムズアップをタイラーへと向ける。

 

「ご希望に添えて良かった。それでエド?」

 

「うん、他にもエデンの服を頼むよ。下着の替えも欲しいし。ついでに言えばこの際リアの服も新調したいんだよね」

 

「久々に大仕事になりそうだなぁ……エデンちゃんの服、どうするの?」

 

「本人が鱗の露出を嫌がってるからなるべく長袖で。後は外出用にタートルネックを」

 

「私はアレ、見せた方が絶対に栄えるから良いと思うんだけどなあ……勿体ない」

 

「角だけならまだ種族も誤魔化せるし混血でも行けるからね。国内ならまだいいけど、国外で魔族というのはあまり、ね」

 

「まあ、それもあるか。なら解ったよ。とりあえず数時間中に数着は作るから帰る前に取りにおいで。残りは後日此方から届けさせて貰うって事で」

 

「うん、宜しく頼むよ。それじゃあリア、今度はリアの採寸だよ」

 

「はーい!」

 

 元気良く更衣室に突撃するグローリアを見ているとちょっとほんわかしてしまう。俺とは違ってまだ羞恥心の芽生えが薄いんだろうな……まあ、貴族という環境は使用人に着替えさせて貰ったりする部分があるから、他よりも人に見られる事に慣れているのかもしれない。かくいう俺もグローリアの着替えとかは手伝っているのだが。一度剥いてから服を着せる作業、相手が女児だからまだ平気な部分がある。

 

 思春期に入った辺りから俺の意識がやばそうなんだよな……。

 

「それでは少々お待ちを」

 

「はいはい。エデン、他に何か欲しいものとかあるかい? あまり何度も街へは足を運びたくないからこの際買えるものは全部買っちゃうけど」

 

 首を傾げてから頭を横に振る。欲しいものはそりゃあ現代日本と比べれば腐る程あるだろうけど、それを求める程愚かではないし、今も十分満たされているのにこれ以上を求める程恥知らずでもないのだ。節制する生活には慣れているし、今の生活でも十分幸せで満たされている。だからこれ以上求める様なものは特にないのだ。

 

「そうかい? それじゃあ昼を食べたらエデンの興味のありそうな所を回ろうか」

 

「あらあら、入れ込んでるわねぇ、エド」

 

「まあ、新しい娘が出来たような気分だからね。かといってリアをおろそかにしているつもりはないぞー!」

 

「構いすぎて逆に逃げられる時あるものね」

 

「ぐふっ」

 

 エドワードが胸元を押さえ、エリシアがそれを見てくすくすと笑っている。仲の良い夫婦の様子にほっこりしつつ、俺の様な異物が果たしてこんな幸せな場所にいて良いのだろうか、と悩んでしまった。俺は見た目だけなら少女だが、実際の中身は違うし、体に至っては人間に擬態している龍なのだから。

 

 パブリックエネミー。

 

 それが俺の立ち位置。

 

 全人類の敵だと言われ、認識され、そう歴史に記されている。その真実がなんのかは知らないが、俺が龍であるとバレた時は恐らく優しい展開にはならないだろうなあ……とは思っている。こんな温かく、優しい人たちも龍だと知ったら排斥しに来るのだろうか?

 

 俺が龍だと知ったら殺しに来るのだろうか?

 

 その日……の事を考えると恐ろしい。だから黙るしかない。何も言えない。今ある全てで満足している。

 

「大丈夫、私は、拾われて、幸せですから」

 

 拳を握って力説すると夫婦が顔を合わせ、笑みを零した。伸ばされた手が此方の頭を優しく撫でる。

 

「そうか、ならこの後は興味のある所でも見学に行こうか。きっと君の知らない面白い場所があるさ」

 

「そう言えばさっき歩いている時、興味深そうに冒険者を見てたわよね」

 

「僕はギルドの見学に行くのは反対だなあ! 可愛い娘たちをあんな場所に連れて行きたくないなあ!」

 

「相変わらずね……でも登録しておくだけ得なのよね」

 

「それはそうなんだけどさあ」

 

 冒険者にギルド、やはり異世界ファンタジーの定番は存在していた! それを聞くとテンションが上がってきてしまうのもしょうがないだろう。エドワードにちょっと見てみたいなあ、という気持ちを込めて視線を送れば、僅かに体が揺らぐのが見えた。

 

「ちょ、ちょっとだけだよ……?」

 

「勝った」

 

 勝利宣言をしながら俺もくすりと笑う。女の子になってこういう仕草が一々絵になるよなあ……なんて思いながら仕立屋での楽しい時間を過ごした。




 魔界、魔王と呼ばれる様な連中や魔神と呼ばれる連中がいる世界。此方の世界の神々は基本的に姿を現さず、人への物理的な干渉もほぼ行わないのに対して魔界の神々は串焼きを食って歩くレベルで目撃される。。


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グランヴィル家の日常 Ⅶ

 きぃ、と音を立てながら木製の扉が開いた。その奥に広がっているのは飲食の出来るスペースと、カウンターだ。飲食スペースでは昼間から酒を飲んでいる人の姿もあれば、暇つぶしにカードで遊んでいる姿もある。イメージ通りの冒険者ギルドという場所に見た瞬間妙な満足感を感じてしまった。そうだよ、これだよこれ。やっぱ異世界ファンタジーと言えばこれが基本でしょ! そんな気持ちで自分の胸が溢れる。

 

 ギルド内部は特に薄暗いとかはなく、観葉植物とかも飾ってあって雰囲気は悪くない。排他的な気配もなく、色んな種族が装備を確認したり、売店でアイテムの補充を行っているのが見える。その景色の全てがキラキラしているように見えて、テンションが上がってくる。

 

「ふぉぉ……!」

 

「これが冒険者さん達の仕事場?」

 

「いやあ、目を輝かせちゃってねぇ」

 

 エドワードの言葉には苦笑が混じっていた。それを理解しながらもやっぱり浪漫は捨てられず、楽し気に周りを見渡してしまう。するとカウンターの向こう側からおぉ、という声がした。視線をそちらへと向ければモノクルを装着した初老の男がカウンターの向こう側にいるのが見えた。

 

「これはエドワード卿」

 

「やあ、ギルドマスター。元気にやってるかい?」

 

「ははは、相も変わらず問題だらけで大忙しの毎日ですよ。ですがそれは充実しているとも言えます。中央と比べると刺激に満ちた毎日で楽しく過ごさせて貰ってますよ」

 

「獲物にも仕事にも尽きないのが辺境生活だからね」

 

「それでエドワード卿、本日はどのようなご用事でしょうか? 何かの依頼でも?」

 

「あぁ、いや、娘達がちょっと冒険者たちに興味があると言っててね。変な夢を持たない様にちゃんと説明してあげた方が良いかなって」

 

 その言葉に成程、とギルドマスターは頷きながら此方とグローリアを見た。俺もグローリアも滅多に見ない色んな種族や装備をした人々を前に、滅茶苦茶興奮気味であるのは事実だ。実際、今もグローリアが袖を引っ張ってあっちあっち、と指さした蟲人という種族だったか? の戦士の姿を教えてくれている。まるで二足歩行のバッタの様な男……なのだろうか? は此方の視線に気づくと片腕でサムズアップを向けてくる。サービスショットしてくれるイケメンだ。

 

 やっぱこんなの見てるときゃっきゃするに決まってんじゃん!!!

 

 あ、マッスルポーズ取ってる冒険者がいる。グローリアの肩を叩いて教えると、グローリアもその人を見て軽く笑ってしまった。

 

「無頼漢だらけの所を楽しめるのは才能が有りますね」

 

「まあ、私達の娘だからねー?」

 

「エデンは……素質かな」

 

 おう、エド公。それはどういう意味よ。

 

 エドワードの言葉にじー、っと視線を向けていると軽くギルドマスターが笑い、俺達へと視線を戻してきた。

 

「それでは冒険者ギルドの役割と出来る事を説明しても良いかな、お嬢さんたち」

 

「はい!」

 

「お願い、します」

 

 うむ、と言ってギルドマスターが軽く顎髭を掻いた。

 

「さて、我々ギルドでは実に雑多な仕事を引き受けては斡旋している。言い換えれば何でも屋であり便利屋、中央や栄えた都市なんかではアマチュアの集まり、なんて言われ方もする。まあ、これは一種の事実なんだけどね。実際冒険者は食い詰めが最低限の収入を得る為に手を出す場合が多いんだ」

 

 あぁ、世知辛いファンタジーの方の冒険者だったんですねここ……。

 

 と、そこまで言った所でギルドマスターは笑う。

 

「だけど、これはあくまでも中央での扱いだね。地方や辺境での危険度の話は聞いているかな?」

 

「はい! 辺境の方がモンスターが強く、生活も大変だって聞いてます!」

 

「うん、良く勉強しているみたいだね」

 

 その子、この前の授業寝てましたよ。指摘するのは流石に可哀そうだから止めておくか。

 

「知っていると思うけど、辺境ってのは開拓が進められるけど軍や騎士団というのは派遣し辛いんだ。軍や騎士団は国境の防衛や中央の治安維持などの使い道が多い。だから纏まった数を送るのが難しく、地方領主にある程度の武力を許可する事で自衛させるぐらいしか国側では対応する方法がない。国力が上がって戦力に余裕が出れば話は変わってくるんだがね」

 

「……?」

 

 宇宙グローリア顔に、横から囁く。

 

「皆に、お菓子、分けられない。足りない分、自分で作ろう」

 

「成程ね」

 

 例えにギルドマスターは感心するように頷いた。

 

「うむ、まさにその通り。派遣が難しいなら自分で用意しなくてはならない。だったら自分達で力のあるものを育て、募集し、定着させようという動きが出来てくる。その動きに加わっているのが冒険者ギルドだ」

 

 簡単な話、国に戦力の余裕がないからギルドの方に応援を要請しているって事だろう。

 

「中央では食い詰め者が多くとも、辺境でそんな連中が出てみろ、モンスターの強さも相まって即座に狩られるだけだ。だから辺境の冒険者の質は実の所、中央都市とかよりも高い。ま、ここは危険度や難易度から来る違いだな」

 

 中央は騎士団を含めた主戦力が安全確保している他、それぞれの産業や職業のプロフェッショナルが集まっている。それが理由で恐らく冒険者が育たないのだろう。逆に言えば辺境や地方では人が慢性的に足りず、やるべき事も多い。その為自由に使える人間が必要とされて冒険者の需要が高い。結果、レベルの高い人材が育つ……という感じか。

 

 まあ、正規雇用か日雇いか。どっちを求めるか、って話になったら正規雇用だよな。

 

 冒険者になるなら道具屋さんに就職する方が100倍楽で安定するだろう。中央はそういう傾向が強く、辺境は成り上がる為の武者修行の人達がやってくる。

 

 成程、大体解った。

 

「辺境、冒険者、強い」

 

「うむ、辺境の冒険者はだから強く育つ。逆に言えば強いのしか残らない。そしてそれぞれの専門分野に特化して行く傾向が強い」

 

「専門分野?」

 

 グローリアの首を傾げる姿にギルドマスターがあぁ、と頷いた。

 

「万能な技能を持つ人間が求められるのは当然の事なんだけどね、結局のところ日雇いよりも皆正規雇用を求めるからね……冒険者として仕事を受けて技能訓練を行い、そっからそれぞれの特化分野に進んでから就職先を見つけるって奴が多いんだよ」

 

「はえー、大変そう」

 

「大変だよー。長く冒険者を続ける奴ってのは冒険者をする事自体が楽しいのか、或いは色んな土地を巡る事を楽しんでいる奴だからね。副業として冒険者をする奴は癖の多い奴が多いし……有能だと思ったらどこかへと旅立ってしまう。慢性的に仕事を処理してくれる人間には不足しているんだ。お嬢さんたちも大きくなってお小遣いが欲しくなったらウチにおいで、大事にするからね」

 

「その前にサンクデルに仕事を紹介して貰うわ」

 

「だよなあ……」

 

 エリシアの無慈悲な言葉にギルドマスターが項垂れる。聞いている感じ中央よりも需要が強く、そして人材も優秀なのは多いが、その代わりに皆分野に特化したらそのままその方面の職業に就職すると言いう感じが強いらしい……アルバイトで経験を積んで正社員になる流れじゃんこれ。

 

 異世界のハローワークかここ??

 

「ま、そういう訳だ。ウチはサンクデル、つまり領主から直接仕事を請け負うから冒険者に頼る必要はないんだよね」

 

「でも」

 

 その理屈は解るんだが、

 

「色んな事が出来て、人の助けが出来て、旅をして、色んなもの見る人たち。とても、カッコいい、と、思います」

 

 現実はちょっと厳しいが、それでも冒険者という職業には浪漫がある。俺はそういう所、好きだと思う。だって現実的な事ばかり語っていると、まるでそこには夢が何もない様じゃないか。だから夢とか浪漫は必要なものだと思う。まあ、それはそれとして俺も冒険者はご利用になる事はあんまりないんだろうな……とは思うが。

 

「そう言われると私もここの長として嬉しいものだ。何かあったら、何時でも引き受けるから遠慮なく来るんだよ? もしライセンスだけでも取りに来るならその時は私が面倒を見てあげるから」

 

「その時は、是非」

 

 その言葉にエリシアがうーん、と言葉を出した。

 

「でも私はエデンだけならバリバリ利用させるつもりあるわよ?」

 

「え?」

 

 エドワードがマジで? という感じに視線をエリシアへと向けた。俺もちょっと驚きながら視線をエリシアへと向けると、エリシアがだってと言葉を続けた。

 

「戦闘経験を積みながらスカウトとレンジャー技能の勉強が出来て、収入も出来るし、社会勉強になるから私も騎士時代はこっそりと登録して活躍してたものよ?」

 

「あの、僕はね? エデンをもっとこう、リアのお目付け役としてアンみたいな瀟洒な従者にだね?」

 

「強くなければ生きて行けない世の中なのよ、エド」

 

「君は一体何を想定してるんだ……?」

 

 夫婦の教育方針の食い違いにどうしたもんかなぁ、と腕を組んで首を傾げていると、グローリアが此方の袖を引っ張ってきた。

 

「安心してエデン、何があっても私は貴女を絶対に見捨てないわ」

 

「リアの、出来ない事は、任せろ」

 

 主に物理方面の運用ですね、解ります。まあ、このドラゴンスペックをフル活用するとなるとやっぱり物理メインで魔法サブ運用の方がビルドとして安定するんじゃねぇかなあ、とは思う。魔法剣士タイプってのはゲームだと基本的に器用貧乏扱いされるし、どっちかをメインにして突き抜けた方が強いとは思うんだが……まあ、そこは本職である夫妻に判断を任せる。

 

 それから俺とグローリアはもうちょっと冒険者ギルドの事を勉強した。

 

 例えば専門型の冒険者は専門によって呼び名が変わるとか。対モンスター専門のハンターとか、対人専門のスレイヤーとか、採取専門のギャザラーとか、調査専門のエクスプローラーとか。中央では全く意味のない区分ではあるものの、この辺境では手配されるレベルで凶悪なモンスターや、騎士団や軍の監視がない事で暴れる賊の存在とかがあるのでこういう専門型の冒険者の需要は高いらしい。

 

 この辺りは大幅に調査が進んでいるとは言え、まだまだ安定しているとは言い難い。殲滅作業を行う事も出来ない事から定期的な調査と間引きを冒険者へと領主が依頼しているのも含めて、冒険者という職業システムは辺境では大きな意味があるらしい。

 

 これもまた、ファンタジーならではの中央と辺境での違いと問題なのだろう。

 

 こういわれると“中央”ってのは結構力のある場所なんだな、と思う。それとは反面に、辺境はまだ完全に開拓が終わっていない感じが強い。貧乏くじにも思える辺境開拓だが、今はまだ手つかずの財源で溢れているようにも。きっと、冒険者たちはそういう所に名声を稼ぐチャンスを見出してきているのかもしれない。

 

 何にせよ、我が家のトップはエリシアだ。彼女が修行の為に依頼処理をさせるというのなら実現するだろうなあ、と思うので将来的にお世話になるであろうギルドマスターに頭を下げてみた。

 

「……本当にこんな子をここに通わせるのか? なんというか、その……もっと温室で育てた方が良いんじゃないか?」

 

「その子、既にバスタードソードなら片手で数時間振り回せるのよ」

 

「流石魔族だなぁ、人族とは体の作りが違うなあ……それなら、まあ」

 

 ムキムキポーズを取ってみるが、これ、女の子がやったらどう足掻いても可愛いだけの奴じゃん。もうちょっと威厳のあるポーズとかないか軽く模索し始めると、横でグローリアも乗ってきてポージングし始める。お互いに向き合いならこれだ! と思うポーズを作ってみるが中々ハマるものがない。それを周辺の大人たちは生暖かい視線を向けて見守っていた。

 

 もう心も女児にしないと生きて行けねぇんだわ!

 

 嘘、男としての感覚が延々と抜けないから我に返ると恥ずかしいわ。

 

「とりあえずこれで冒険者ギルドって場所が解ったかな?」

 

「時間を、割いて、くださり、ありがとう、ございます」

 

 エドワードは微笑みながら頭を横に振る。

 

「これぐらい良いさ。楽しめたみたいだしね」

 

 頷く。滅茶苦茶楽しかったのは事実だ。成り上がりの浪漫はちゃんと異世界に存在したんだ。それが解っただけでも価値はあった。

 

「じゃ、そろそろ昼食にしようか?」

 

「お肉たべたーい!」

 

「たべたーい!」

 

「もう、2人ともったら」

 

 エドワードの言葉に2人そろって肉が食べたいと反応する。そりゃあ松坂牛とか神戸牛とかは存在しないけど、モンスターの中には高級食材が存在するのだ、マジで。そしてそういうのを狩猟出来るレベルの強さが我が家の夫妻にはあるのだ。だからここら辺の高級食材の値段、驚きのゼロ!

 

 ただし、チップは命でというのが辺境のルールだが。仕方がないなあ、と言いつつ肉を食べる気満々の一家の様子にほっこりとしていると、エドワードとエリシアがその後の予定を話あっていた。そして思わず、その会話内容に動きを停止した。

 

「それが終わったら、無色の神殿でエデンの種族や出身を鑑定して貰おうか? 叡智の神へのオラクルが通ればたぶんエデンの解らない事も答えてくださるとはもうんだよネ」

 

「そうね、それで何かエデンちゃんの過去が解るかも」

 

 おっと、いきなりラスダン行くのはマナー違反ですよ? 止めない?

 

 完全なる善意からだから無理?

 

 そっかー。

 

 詰みです。




 冒険者の需要ってやっぱり都市部と辺境では絶対に価値そのものさえ違うし、間引きが行われている環境とそうではない環境でモンスターの成長度合いが違うと思うんだよね。

 ゲーム的に考えればあとに行く場所の方が強いのは当然だけど、育つ環境がある場所程やっぱり強くなると思うので、辺境周りの環境はこんな感じ。そして冒険者は最終的に冒険者止めるのが多数。

 誰だってバイトよりも正社員になりたい。


 碑文つかさ君より挿絵をいただきました!!
 
【挿絵表示】


 表紙風の絵だ! 何時もありがとうございます!


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グランヴィル家の日常 Ⅷ

 脳内ではベートーヴェンの“運命”が流れ出していた。アレってなんか絶望的なときに流れる感じのイメージあるよな。衝撃を受けた時とか。どうしようもねぇ時とか。

 

 まあ、つまりは今の話だ。

 

 というか昼食自体は滅茶苦茶美味しかった。

 

 という訳で食文化の話をしよう。

 

 実は結構進んでいる。煮る、焼く、蒸すなどは基本として調味料を使った複雑な味を求める料理なんてものもちゃんと存在している。これは中世レベルの話となると結構おかしな話だ。何故なら地球における中世と言えば胡椒で戦争を起こすレベルの料理だったのだから。アジアとかはまだマシだったのだが……それでも料理の、美味しさというものの探求と追及というのは10年や20年で進化するものではない。じゃあ何か、何がこの世界の料理レベルを上げたのか?

 

 信仰。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 この世界の人間にとって神の為に働く事は普通で、そして疑う様な事ではない。オラクルを通して神の声を聴く事だって出来る。神に捧げる為に技術を磨き、神の声を聴いて改良する。そうやって技術は飛躍的に進化している……のかもしれない。少なくとも現代では見る様な香辛料の類もこの世界は割と手に入るものらしいし、そういう所で影響が出ている部分もある。少なくとも料理の味とかはかなり高いものを感じた。

 

 だから大満足だった。豚とも牛とも言えない肉……の煮込み料理はマジで美味しかったのだ。色々とハーブが入ってて味が付いてて。たぶんトマト系の野菜で煮込んでいたんだと思うけど。それにパンを浸して噛みちぎって食べていた。これがマジでやべーんだわ。

 

 そしてそれで美味しさに脳味噌を持っていかれたのがダメだった。

 

 気が付いたら無色の神殿前だった。

 

 自分のあまりの馬鹿さ加減に流石に今回は嫌になった。脳味噌まで幼女になったか? でも今体が幼女だわ……あんま反論できねえ……。

 

 そんな訳で楽しかったランチタイムは爆速で過ぎて行き、処刑台に向かう囚人の気分で街中を歩いていた。向かう場所は教会へ、だ。名称は神殿らしいが。

 

 しかしこうやって神殿前までやってくるとその圧倒的な造形美、とでもいうべきものが伝わってくる。

 

 ただただ美しく、流麗だ。流れるような円形をメインにしたつくりをしているのは中東の宗教建築に近いようで、ギリシャやヨーロッパで見る教会や神殿の建築様式にも見える。ここら辺、見ているだけでも割と飽きの来ない部類なのだが流石に異世界の建築技術までは解らない。地球だったら歴史の授業と世界史で割と習っていて覚えてはいたのだが、この世界の宗教施設も略奪と上書きの繰り返しで色んな技術が混ざったのだろうか?

 

 何にせよ、無色の神殿とは外観からして中々面白い施設だった。それを外側から眺めていると、横から声がした。

 

「こういう辺境の街では神別に教会を用意する事は出来ないだろう? だから複合型の神殿を一つ用意するんだ。そしてそれぞれの神を祭る場所を神殿内部に用意するんだ。これが無色、と言われる所だね。僕たちにとって神を身近に感じられる事はとても重要な事なんだ」

 

「おー」

 

 もうそうとしか声が出なかった。他になんて言えば良いんだ?

 

「大丈夫さ、悪い事にはならないよ」

 

 なるんだよなあ……。神殿へと続く階段を上りながら表情には一切見せないようにする。グローリアは楽しいのか手を繋いできて揺らしている。まあ、俺もこんな状況じゃなければ神殿観光を満喫できただろう。意外と人の出入りは多く、どうやら祈りに来ている人がいる様だった。基本的に彼らの姿は穏やかで、満たされている様に見える。

 

 振り返りながら街を眺めた。そして思う。やはり信じられるものがあると心持が違うのだろうか? 死後の安寧があるとないとじゃ考え方が、死への恐怖が薄れるのだろうか? どちらにせよ、神という超越存在のある世界では彼らは神の実在を疑わなくてもいいのだ……それだけで地球で続く宗教戦争と無縁だと考えれば、羨ましいのかもしれない。

 

 悪い事には、ならないか。

 

 俺も神様を信じてみるかー。

 

 ちょっとだけ、信心深い人達の事を信じてみる事にした。

 

 エドワードとエリシアに連れられて入った神殿内部は静謐な空気が保たれていた。神様別に祭壇が用意されているという訳じゃなくて、作り自体はカトリックの教会と似たような感じがする。祭壇の前で祈りを捧げる人たちはどことなく満ち足りた表情を浮かべている……神の声か、或いは気配を感じているのだろうか? きょろきょろと視線を辺りに巡らせていると、ローブ姿の神官がエドワードを見かけて近づいてきているのが見えた。短い金髪の老神官は笑みを浮かべながらゆったりと、音を立てないように近づきながらエドワードと握手を交わす。

 

「お久しぶり、チャールズ司祭」

 

「これはグランヴィル卿。神殿へ来るのは珍しいですね。叡智の神も、戦女神もどちらもあまり祈りを必要としない神だった覚えでしたが」

 

 戦女神とは、エリシアの信仰している神だろうか? 今でも滅茶苦茶物騒な神様信仰してるじゃんこの人妻……。

 

「今日はオラクルの方に挑戦したくて。ウチの簡易祭壇だと格が足りないので」

 

「おや、神の声をお求めですか。ですが応えるかどうかは神々次第です。失敗してもあまり気落ちなさらぬように」

 

「えぇ、解っている。けど不思議と今日は成功する気がしてね」

 

 そう言えばエドワードって基本的に丁寧だけど敬語で話す姿を見ないよなあ……根本的に自分が上位者というか、上位の階級の人間である事を意識して他の人と喋っているのかなあ、なんて事を唐突に考えた。いや、こういう事を考えるのが現実逃避であるのは良く解っているんだが。ただやっぱり純粋に心配しているエドワードやエリシアの姿を見ていると、何も言えなくなる。この人たちは本当に俺がドラゴンだって知ったら殺しに来るのだろうか? 龍が悪の生き物だというのが世間一般のイメージである事以上は、色々と恐ろしくて聞けていない。

 

 だけど、もしかして信じて良いのかもしれない。

 

 この善き人達を。

 

 ……俺も覚悟を決めよう。駄目ならその時はその時考えよう。そう思って近くのベンチまで移動して座るエドワードの横に並ぶ。

 

「オラクルというのが神の声を聴く行いなんだけど、特別な手法とか手段は別にないんだ」

 

「ない、ですか?」

 

 うん、と頷かれた。

 

「神に近い場所―――つまり神殿や教会で祈りを捧げる事で神との交信を行う事が出来る。それを通して神々の声を聴くのがオラクルなんだけど、別にどこでも良いって訳じゃなくてね。やはり場所の相性とか神聖さとか制限があるんだ。だからこういう大きな神殿とか教会でやる方が成功率は高いんだよね」

 

 だからね、

 

「祈るんだ。心の底から。伝えたい想いを神々へと―――かの方々は常に我らを見ている、見守っている。それこそ神の目から逃れる術でもない限りは常に我らを見てくださっている。だから祈りは、届くんだ」

 

「……うん」

 

 エドワードにそう言われ、ベンチに軽く尻の位置を調整するように座り直しつつあると、横にグローリアが座り、その横にエリシアが座る。4人で並んで座りながら、両手を合わせて祈るように拳を作り、目を閉じる。日本にいた頃は宗教なんて特に信じた事はなかった。

 

 神様の存在も信じたことはなかった。

 

 だから、今でも少し疑っている部分はある。本当に神は実在するのか? 本当に俺を見ているのだろうか?

 

 その事実は今、ここで確かめられる。

 

 ふぅ、と軽く息を吐いて祈る事にした。神様、神様、と心の中で語りかける。

 

 ―――果たして俺は、生まれてはいけなかった存在なのでしょうか?

 

 なら何故、俺は生まれてきたのでしょうか。

 

 どうして、俺はここにいるのでしょうか。

 

 どうやって、助かったのでしょうか……。

 

 神様、神様―――どうか、教えてください。

 

 自分が抱えた疑問を、恐怖を、答えを求めて目を閉じて祈る。何も見えない暗闇の中、光が見えた。反射的に目を開こうとするが、目は開かない―――いや、自分は暗闇の中に漂っていた。意識がまるで肉体から剥離し、意識だけが別の場所へと導かれたような、夢を見ているような、そんな不思議な感覚だった。目の前には光が一筋、差し込んでいる。

 

 そこに、人影が現れた。

 

 美しい、女性の姿をしている。僅かに浮かび、その背に四つの白い翼を生やす事から人ではないのが容易に見て取れた。長く伸びる金髪は浮かんでもなお下へと向かって伸び、闇の床に触れる程伸びている。シンプルな白いチュニックに身を包んだ女性は―――いや、女神は舞い降りるように現れた。その美しすぎる姿はとてもではないが現実ではなく、想像上の存在であると言われても納得が出来る程に。

 

 伏せていた目を開いた女性―――いや、女神はゆっくりと目を開き、此方の存在を視界にとらえ、そして微笑んだ。

 

エデン……私の、可愛い……エデン

 

 慈しむような、心の底から愛する様な、そんな声がした。

 

大丈夫よ……私は、貴女を赦します、愛します、認めます……恐れないで……この世界を、人を

 

 この言い方、恐らくこの人が、

 

「人理の神、ソフィーヤ……?」

 

 口が動いた。動かせた。ここがどこだかは解らないが、それでも神へと声を放つ事が出来た。祈りに応えるように現れた女神は微笑み、そして頷いた。不思議と、心を穏やかにさせる声が先ほどまであった胸の中の苦しみ、痛みを和らげるようだった。この人を見て確信出来るのは、龍に対する憎しみと言うべきものが存在しない事だ。

 

「どうして? なら、どうして」

 

 どうして、俺は殺されかけた。どうして俺は死にかけたんだ? 何故そんな目に遭わなきゃいけなかったんだ。その感情を胸に女神へと問えば、女神は悲しそうな表情を浮かべた。

 

私の、過ちでした……そして人の、過ちでもあります。もはや、覆しようのない。だから、エデン……私の可愛い、エデン……どうか、自由に生を。私は貴女の生を愛し、祝福します

 

「待って! それ答えになってない! 待ってくれよ! じゃあ、何で龍は狩られたんだ!」

 

 手を伸ばして女神へと言葉を求める。だが女神の姿は徐々に薄れ、消えて行く。

 

龍達は―――自らの意思で―――

 

 それだけ伝えるとソフィーヤ神は、申し訳なさそうに頭を横に振った。その姿はさらに透けて消えて行く。

 

「自らの意思で、って! ソフィーヤ! ソフィーヤ神!! 行かないで! お願い、教えて欲しいんだ! たくさんあるんだ、聞きたい事が! なあ! 頼むよ……」

 

 言葉を放つが、女神の姿は消え、意識が覚醒した。目を開けば自分の姿は教会の中にあって、祈りのポーズのまま、微動だにせず体は停止していた。ただありえない現象を前に、不思議と心の穏やかさと激情と損耗が入り混じったような、言葉に出来ない状態を感じていた。

 

「……夢?」

 

 いや、手の中に凄い汗が溜まっている。祈る為に組んでいた手を解けば凄い力で手を握っていたのが解る。先ほどまで女神と話していたのは決して夢ではない……恐らくは現実だ。アレがオラクルなのかもしれない。圧倒的なまでの存在感、出会った瞬間に自分の全てが包まれ、何をしても小指の上から逃れられない全能を相手にした感覚……生命とは到底思えない、そんな次元違いの圧倒感だった。

 

 アレが神。

 

 成程、アレが神か。

 

 勝つとか負けるとか、そういうステージにはない存在。しかも話し合う事さえも出来る世界。そりゃあ誰だって神の存在を信じて受け入れるに決まっているだろう。俺だって今、神の事を信じて敬う気持ちが生まれている事に驚くぐらいだ。だけどそれぐらい人という生き物とは違ったんだ、神という存在は。

 

 茶化したり、ツッコミを入れたり、ボケたり……そういう行動が、自然と全て不敬に感じられた。出会った瞬間に強制的に背筋を伸ばされる様な存在感。

 

 アレが、この世界の神なんだ。

 

「……」

 

 オラクルを終えた疲労感の中、片手で顔を押さえながら息を吐く。未だに祈りの最中らしきグランヴィル家の面々を置いて、思考は目まぐるしく駆け抜けていた。

 

 あぁ、なんだろう。

 

 龍は悪で、人は善。

 

 何か、物事はそれだけで終わらない……もっと難解で複雑な問題が隠されているような、そんな気がしていた。

 

 俺にはきっと、知らなければならない事がある。

 

 たぶん、俺の命にも、ソフィーヤの言葉にも、

 

 見つけなければいけない意味があるのだ、と。




 なお、世間一般における龍=悪の認知は何も変化していないものとする。


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グランヴィル家の日常 Ⅸ

 ゆらりゆらり馬車に揺られながら来た道を帰って行く。

 

 また御者台の上で景色をぼーっと眺めながら帰り道を進む。来るときは街の事でわくわくしていたが、今は神々と龍の関係についてずっと頭を悩ませていた。神殿で降りたオラクル、その内容を考えている。ソフィーヤの言葉がずっと頭の中に残って消えなかった。ソフィーヤは愛していると言った。人理の神が、だ。そして俺に生きていて欲しいと願った。そんな願いがなくても俺は生きるつもりだった。だけど神様にそう言われるのは……何か、おかしい。

 

 龍族とは、一体なんなのか?

 

 それが俺には解らなかった。

 

「……」

 

 謎が増えたと思う。ソフィーヤと龍の関係、そして彼女が向けた俺への慕情。そこに関係性が今はまだ、見いだせなかった。だから困惑しているし、自分の身の振り方を考えられなかった。とりあえずはここで、グランヴィル家の従者として生きて行く事に俺は一切の疑問を持っていない。正直ここで生きて行けるのは幸運だし、これ以上ない幸せな環境だと思っている。だからそれに否はない。

 

 だけど本当にそれだけでいいのだろうか?

 

 他に、やるべき事があるんじゃないだろうか?

 

 そういう疑問がずっと頭の中でぐるぐると巡っていた。神が俺を敵視しないおかげで、俺が自分から龍だってばらさない限りは見つかる事もないだろうというのは良く解った。だから恐ろしいのは龍殺し達と聖国の人達だけだ。だから俺の命はそこまで脅かされていないものだって解る。だけど……だけどそれだけ良いのだろうか?

 

 そんな事を考えていると、

 

「第三の魔法の話をしようか」

 

「……?」

 

「まあ、聞いていてよエデン」

 

 御者台、横からエドワードが言葉を挟み込んできた。

 

「第三の魔法、それは先天術式、或いは先天魔法。地域や場所によって加護や祝福なんて呼ばれ方もするね。これは生まれた時点で最初から保有している術式で、君の体を巡る遺伝子、或いは魂に術式が保存されている術式なんだ。だから事前の準備は必要ないし、コストか道具が必要な場合は道具さえあればそれだけで成立する、ある意味紙式よりも便利で発動が楽な魔法になるよ」

 

 いきなりどうした。そう思ったが、講義内容は有意義なので耳を傾ける。

 

「いいかい? この先天術式ってのはまずは模倣がほぼ不可能なんだ。遺伝子や魂に刻まれた魔法をどうやってコピーするんだい? そこまで見通す目があれば話は別だが……それにしても書き出すとなれば数万というページを必要とするだろうね。人間にそれだけの規模の術式を処理する脳味噌はないんだ。だから先天術式のコピーは不可能で、これは遺伝するんだ」

 

 コピー不可能の魔法というのは汎用性がないという事だ。誰もが使えないのなら魔法としての価値は個人にしかなく、強さ以上の価値がないからだ。

 

「そうなんだ、先天性の術式は親から子へと遺伝されやすく、強く、珍しく、そして特徴的な物ほど希少な血族とかによって保存されて行く。そして受け継がれて行くんだ。解るかな、エデン? 君にも先天性の術式が刻まれている事を」

 

 エドワードの言葉に頷く。そこはなんとなく理解していた。

 

「強力な術式程重ねられてきた年月の違いが出るんだ。そしてそれは一目見れば解る。エデン、君の魔力、それ自体が1つの古い歴史のある魔法なんだよ。君が纏う魔力は……そう、とてもとても古い、それも古代から続く息吹のようなものを感じられるのさ。歴史に詳しく、そして叡智を求める僕ら叡智の神の信徒か、魔導を極めんとする魔導の神の信徒にしか解らない事だろうけどね」

 

 受け継がれてきたものがこの体には流れている。それはきっと龍という種族が残した最後の宝物なのかもしれない。既にこの世を去った龍という一族、種族、その最終である自分にだけ残された彼らの足跡。それがこの体の内に流れる術式なのではないだろうか?

 

「君の体に流れる術式はきっとその一つじゃないだろうね。とてもとても強力で、比較できない程に古い。だけどそれは、意図をもって受け継がせて来たという事でもあるんだ。そして先天性の術式というのはね、歪みやすいんだ」

 

「歪みやすい?」

 

 うん、と言葉が来る。

 

「ストレス……負の感情とかで魂が歪むとね、それに合わせて術式そのものが変質するんだ。世代を経て適応するようにね。だけどエデン、君の魔力を見てみなよ」

 

 エドワードに促され、片手を持ち上げて魔力を放出してみる。まだまだ魔力の修練は始めたばかりだ。だが体から湧き上がる魔力を何とか手だけに意識を集中させれば、掌から白と黒の魔力が沸き上がってくるのが見える。それを受けてエドワードはそう、それだ、と言う。

 

「とても澄んだ色の魔力だ―――それ自体が1つの神秘なのに、まるで歪んでいる様子も。ねじ曲がっている様子もない。僕は思うよ」

 

 間違いなく、

 

「君はちゃんと望まれた子だったんだ。愛されて生まれて来た子だと思っている」

 

「……俺が、望まれて、生まれてきた」

 

 ソフィーヤの愛している、生きての言葉を思い出す。森の遺跡の宝卵と、守るように広がっていた遺跡を思い出す。この体に巡る魔力そのものが龍族から受け継がれた一つの贈り物であるという事を自覚する。猶更、解らない事だらけだ。だけど解らない事なりに……俺という存在は意外と愛されて、望まれているんだという事だけは理解出来た。そしてエドワードが不器用なやり方で俺にそれを教えようとしている事も良く理解できる。

 

「うん、だから君が悩んでいる事は口に出してくれないと解らないんだ。君はきっと、僕が思っている以上に特別で、複雑な事情がある子だと思っている。エメロア様は何もおっしゃってくれなかったけど……きっとそれ自体が1つの答えなんじゃないかと思っているんだ」

 

 庇われているのを自覚する。人理の神だけではなく、叡智の神も俺の事を庇ってくれている。どうして、俺はまだ何も分かっていないのにそうやって庇ってくれているのか。神と龍の間では一体何が起こったのだろうか? 絶対に、何かあったのだろう。だがそれを知る術が今は存在しないのだから、俺には何も解らない。だけど段々と自分の中で、知りたいという気持ちが溢れてくる。自分に受け継がれたもの、その意味を知りたいという気持ちが。

 

「エデン」

 

「はい」

 

「君は……実は自分が何であるのか、解ってるでしょ?」

 

「……はい」

 

 その答えにエドワードは苦笑した。

 

「だけどね、僕は別にそれを責めたりはしないよ。誰だって道に挑むときは恐怖を感じるものだ。灯りのない道を進む事をためらうのは誰にだってある事なんだよ……そして君は今、灯りのない道を進んでいるんだと思う。先が見えず、どこにいるのかも見えず、敵が誰で味方が誰なのかも分からない……そんな道に迷い込んでいるんだろうね」

 

 それを、エドワードは責めない。

 

「だから、全部落ち着いて、信じられるようになったら教えて欲しいかな……それまでは、待っているから」

 

 そう言って頭を静かに撫でてくれるエドワードに、目を瞑って受け入れた。俺が思っている以上にこの人は俺の事に関して、勘づいているのかもしれない。単純に俺が隠すのが下手なのかもしれない。だけど俺には現状、この幸運と優しさに甘える事以外にできる事がなかった。だから感謝する、心の底から。グランヴィルと言う優しい人々と出会えたことを。この善き人達の為にも、俺はこの世界で出来る事をやらなくちゃいけないと、改めてそう思い始める。

 

 だから、ちょっとだけ勇気を出して、

 

「エドワード、様」

 

「なにかな、エデン」

 

「俺、龍の事、もっと、知りたい。いっぱい、知りたい」

 

 その言葉にエドワードは少し目を大きくすると、笑い声を零した。

 

「ははは、勿論だとも。良いよ、全然。何も問題はないよ。龍族の事を語るとなると創世記から語り出さないとならないからなあ! 学説によって色々と役割とかも変わってくるし、幅広く研究されている処だよ。いやあ、語り出すとなると論文とかを取り寄せないとなあ……中央図書館に久しぶりに手紙を送ろうかな!」

 

「エドー。テンション上がりすぎよー」

 

「おぉっといけない、いけない」

 

 ……実はオタク気質なのかもしれない、この人。

 

 でもテンション爆上がりしているのを見るとやっぱりエスデルという国の気風がそのまま反映されたような人だと思える。

 

 御者台からだらりと降ろした足をぶらんぶらんと振るいながら遠く、グランヴィル邸まで続く道をぼーっと眺める。結局、答えは一切出なかったが、それでも多少心の内は楽になった。龍は悪であるという認知が一般的だが、誰もがそう思っている訳ではない……というのは少なくとも俺の心に救いをもたらした。ただ誰もかれも信じて良いという訳ではない事実に変わりはない。それでも、グランヴィル家は……この身が龍である事を説明しても大丈夫そうに感じられた。

 

 何時か、俺が勇気を持てたら。

 

 その時は俺から自分の事情を話そうと思う。ただそれまではもう少しだけ、こうやってぼかした形でいたいと思う。

 

「じゃあこのままエデンの先天魔法に関する講義の続きをしようか! 実は実験したい事や確かめたい事があってねー。最近はエリシアの押しが強くて僕の方の時間を奪われている形だけど、君も先天魔法の強さを知れば絶対に魔法修練の方に興味を持つから。というか強い先天魔法があるなら下手に他のジャンルに手を伸ばすよりはこれ一本伸ばすほうが相当強くなるよ」

 

「駄目よ、エド。エデンは天性の肉体を持っているのだから立派な戦士に育て上げるのよ」

 

「お父様もお母さまもエデンが従者になる事忘れてる……」

 

「根本的、に、貴族という、立場が、苦手な、人達……!」

 

 うん、まあ、それは、

 

「そうだね」

 

「そうねー」

 

 エドワードとエリシアがうんうん、と頷きながら肯定する。

 

「いやあ、だって領地をもって開拓地の運営とか……面倒じゃないか? お金があればその分確かに人生が豊かになるのは事実だよ? だけど他人の為に国の為に人生を楽しくもない方法で消費するのってこう……虚無じゃないか?」

 

「自分の人生だからなるべく自分が楽しいと思う事の為に使いたいわよねー?」

 

「貴族適性、ゼロ」

 

「だからこんな辺境で好き勝手やっているんだよね」

 

「知ってる? 誇りじゃ人生は豊かにならないのよ」

 

 も、元騎士が言って良い言葉じゃねぇ……!

 

 でも、まあ、辺境で楽しくやっているグランヴィル家の姿を見ているとそういう風に枠に縛られず生きて行く事の楽しさと素晴らしさは解る。その代わりに生活が決して豊かであるという訳ではないが、それでもこの家では笑顔が常に絶えないのは事実だった。

 

 野菜は自分で育てるし、肉は狩猟に行けば集める事だってできる。生活必需品は街で購入し、襲い掛かるモンスターは自衛で何とかする。楽な生活ではないが……それでも、中央での生活を捨てた自由さがこの辺境での生活にはある。そんな人達だからきっと俺の事情も受け入れられるんだと思う。

 

 だから俺も、この人たちを見習うべきなのだろう。

 

 足をぶらぶらと降ろしたまま、晴天を見上げる。天空に座す神々の思惑は一切解らない。俺が一体なぜ生まれ、そして求められるのかは解らない。だけどきっと、俺は龍たちには望まれた命だという事だけは理解できた。悪龍だとさげすまれ、憎まれ、狙われても、それで良いじゃないか。元々ある価値観だって結局のところはそれを自分が受け入れるか否かの話だ。

 

 元宮廷魔術師と元騎士が中央での全てを捨てた、自由気ままな辺境生活を選んだように、

 

 俺だって悪のレッテルを張られても、それ以外の生き方を選ぶ事が出来るだろう。

 

 振り返り、グローリアを見て、此方へと向けられる笑みを見た。きっと彼女に俺の考えている事や、ここで語られている内容の全てを理解する能力はないが、それでもこの2人に育てられている愛娘なのだから。きっと、2人の様に自由な娘に育つだろうと思う。

 

 それで良いんじゃないかな。

 

 折角、異世界にいるんだ。

 

 テンプレとか、評判とか、王道とか。

 

 そういう事に一切縛られずに生きる方法だってあるんだ。

 

 だったらそれでいーんじゃないだろうか。

 

 肩から力が抜けた事を自覚しながら、この世界で生きて行く事に今日一日で、前よりも前向きになった。そして思う、知りたい事が出来たのだ。だからその目的を叶える為にも、

 

 もっと、頑張ろうと―――自分が楽しく、頑張ろうと。

 

 きっとそれが正解なんだろうと。




 グランヴィル家は価値観が特殊過ぎるパターン。エドワード、エリシア共に高度教育を受けて自分で考える能力が身についている為、与えられた情報だけを鵜呑みにしない能力が付いているし、それをベースに教育しているのでグローリアも自分で判断する能力を持っている。

 エスデル全体として教育水準の高い国の為、疑う、考える、調べるという能力が国民についている。問題はエスデルが教育レベルが高いだけで世界全体としてはそうではないという事。

 教育レベルを上げると搾取する構造が構築し辛いので、一般レベルでの教育を抑えておこうという動きは各国で少なからず存在する。とはいえ、抑え込みすぎると発展しない問題もある。


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エデン頑張る

 改めて確認を行うが、

 

 この世界にステータスとか、レベルとか、そういう便利なシステムはない。

 

 これがゲームをベースにした異世界とかだったら、レベルとか経験値とか滅茶苦茶解りやすい強さの基準というものがあったのだろう。だけど此処はそういう解りやすい異世界ファンタジーではない。古き良きと言えるタイプのファンタジー世界だ。レベルはないし、能力は数値化されないし、スキルや習得魔法のリストなんて用意されていない。あるのはこれまでに先人が積み重ねてきた知識と知恵、そしてそれを確かめる感触だけだ。

 

 つまり何を言いたいかとなると、成長は目には見えないという話だ。

 

 行儀作法、言語、文法。ここら辺は凄い楽だった。英語を勉強するように日本語とそれぞれの言葉を結び付けて覚えて行けば簡単に覚える事が出来る。少なくともマナーなんてものは一度見れば大体はメモって反復して直ぐに覚えられるもんだから、苦労はしない。数週間は苦労していたスピーキングも練習を続ければ段々と慣れてくる。

 

 簡単に言ってしまえばここら辺の分野は経験があるからだ。

 

 日本語の勉強、英語の勉強。ここら辺は誰だって学生としての時間を過ごしたことがあるのであれば、問題なく経験する事の一つだろう。つまり学校という経験を経てどうやって学習すれば良いのか、という経験が既に自分にあるという事だ。だから後はその応用だ。言語学習周りは非常に重要な事だからまずは一か月かけて簡単な会話がスムーズに出来るようにし、徹底して読みと書きを叩き込んだ。

 

 こうやって本が読めるようになると、教科書を読めるようになる。そして教科書が読めるようになると、魔力修練が本格化する。

 

 つまり街へのおでかけから1か月経過して少し、漸く魔力という未知の領域に突っ込むトレーニングが出来るようになったのだ。この頃には俺も言葉に詰まる事はなく、普通に喋る事が出来るようになった為、違和感のないコミュニケーションをエドワードと取る事が出来るようになったからだ。

 

 魔力の修練とは恐ろしく地味だが、エドワードとの応答は必要なものだ。だから本格的な修練は言語が流暢になるまで待たれていたが、その縛りもなくなった。さあ、実行しよう!

 

 とはなったが、まあ、そう上手くは行かない。

 

 これが存外、というか滅茶苦茶難しい。魔力を感じる所から始めた魔力修練はまずは自分の魔力を引き出し、コントロールする所から始まる。これが最も基本的な事であり、一番楽な事。だがこれが出来ないともう魔法や魔力に頼る行動は何も出来ないのだ。だからこれが一番最初にやる事。

 

 この次に覚える事は魔力の放出。つまり自分の中から引き出した魔力を任意の物や方向に向かって体から放出するという行いだ。

 

 当然のようにこれが難航した。

 

 同じ時期に魔力修練を始めたグローリアはこれがあっさりとクリア出来た。なんならエドワードから魔力を引き出された後には手から魔力を放って簡単に放出までクリアしている。これをグローリアは息をする様にあっさりとクリアしていたが、俺にはこれがどうしても無理だった。

 

 ―――そもそも魔力を放つってなんだよ!!!

 

 ひたすらこれに尽きた。

 

 魔力は俺達地球人からすれば架空の元素だ。存在しない未知の粒子だ。未知のエネルギーだ。それを体から引き出す感覚はエドワードが教えてくれたからまあ、良いぞ? 体の奥底からぐわーってやる感覚なのだから。じゃあそれを放出するってなんだよ。白と黒のオーラを纏った状態がてっきり放出状態だと思ったが、アレは単純に引き出された魔力が視覚化されているだけらしいのだ。じゃあこれで放出じゃないってなら放出ってなんなんだよ!!

 

 これにはエドワードも頭を悩ませた。

 

 何故ならこれは基礎中の基礎で根本的に困る様な所じゃないからだ。

 

 異世界人―――この世界の住人からすればそもそも引き出し、放出し、込める。これは全ての魔法と魔力運用における三大基本コマンドであり、これが出来れば大抵のマジックアイテムと紙式魔法を使用する事が出来るのだ。生まれた時点で魔力を持って生まれ、使う事を前提にして育つ。そういう事からこの世界の住人は本能的に魔力の使い方というものが魂に刻まれているのだ。だけど俺は違う。俺は本質的には日本人だ。まだまだ、日本で生まれ育った時間の方が十数倍も長いだろう。だから感覚的に、そして思考的に日本人であるままだ。つまり考え方の根本がファンタジーのない世界ベースであるという事だ。

 

 魔力を感じる、まだ解る。

 

 魔力に神経通す、解らない。

 

 魔力に神経を通すって何?? 魔力って神経通るの? マジで? 比喩表現? そう……。

 

 ファンタジー要素マジで訳わからねぇ……。アニメやラノベで一瞬で魔法を使いこなす主人公とか、アレ絶対に嘘だろう。俺は絶対にそんな才能とか信じないぞ。突然尻尾や翼が生えても使い方なんて解る訳ないだろ。そういう物凄い単純な理由で、俺は魔法修練の進捗をグローリアにぶち抜かれていた。心の中では自分をグローリアの姉ポジションに置いていただけに、数日でグローリアに進捗を抜かれた際は物凄いショックを受けて軽く倒れてしまった。

 

 だからというか、その分武芸に集中してしまった。此方の方は物凄い楽だった。というか武芸修練というものは9割反復だからだ。武器を握って決められた通りの動きを疲れてへとへとになるまで無限に繰り返す。これをひたすら毎日繰り返し続ける。

 

 逆にグローリアはこっちの方が、武芸全般が苦手だった。魔法の方面は色濃くエドワードの血を継いだが、筋力や体格面ではあまり恵まれなかったのが影響しているのかもしれない。その代わりにガンガンエドワードから魔法方面に才能を伸ばす様に育てられていた。その分開くエリシアとグローリアの時間は俺の武芸の時間へとあてられ、武器を振るう時間が伸びる。

 

 魔法は不思議と未知の塊であるのは確かなのだが、一切進捗がないとなると、やっぱりキツいもんがある。そういう意味でも武芸の時間が増えるのは楽しかった。実際の所、このドラゴンボディで武器を振るうというのは体が即座に反応するのと想像する動きに体がついてくる楽しいのは事実だ。だからというか没頭した。武器を振るう事に。それこそ魔法を忘れるぐらいに。

 

 だというのにもう武芸だけでいいんじゃねと思いつつある時に、ついにそれは成功してしまった。深く考えずに武器を振るっている中で、

 

 武器に魔力を込める事に成功した。それは放出という段階の次に来るはずの事であり、まだまだ俺の未熟な腕で絶対に成功させられるはずのない事だった。

 

 なのになんか気合入れたら出来た。

 

 なんで?

 

 

 

 

「じゃあ、エデン。見せて貰っても良いかな?」

 

「はーい」

 

 握っているバスタードソードに魔力を込める。感覚は完璧に掴んだ。ここまで来るのに数か月かかったが、それでも完璧に出来るようになった。自分の中にある魔力を自覚するのが第一段階になる。それが出来たら今度は、自分の中にある魔力を誘導するラインを作る。底から引っ張り上げるイメージを構築する。魔力を引き出す感覚をそのまま流すんだ。それを手から武器へと集中すれば、

 

 物凄いあっさりと武器への魔力の付与が完了する。白と黒の魔力を纏ったバスタードソードが出来上がる。だが魔力を込めた武器は、その姿が一気に変貌して行く。その変貌は二種類だ。

 

 まず最初の変化は黒い魔力に晒された箇所だ。黒い結晶が覆い始め、黒い結晶に蝕まれながら金属が砕けて行く。

 

 次に見せる変化は白い魔力に晒されている場所だ。こっちは触れるとまるで剥離するように金属が削れ、徐々に消滅して行く。

 

 どちらも見たことのある現象だ。黒と白、それぞれが違う力を持っていて、混ざり合いながらその効果を同時に発揮している。それをエリシアとエドワードが観察しながらメモを取っている。今、目の間でバスタードソードが丸々1つ駄目になってしまったが、それは2人にとってはあまり重要な事ではなかったらしい。それよりも魔力によって引き起こされた現象の方が興味深く、重要な様子だった。何せ、食い入るように駄目になったバスタードソードを見ているのだから。

 

 先天魔法、個人個人で保有する専用の魔法。誰もが持っている物ではなく、貴種であればある程強力だったり珍しい術式が刻まれている。武芸と魔法の教育を担当するグランヴィル夫妻からすれば即戦力間違いなしの先天術式を解析するのは俺という人物を育てる上ではかなり重要な事だった。

 

 だが2人のテンションは割と当人である俺を置いて行くレベルで異様に高かった。

 

「見てくれこの結晶を。見たことのない物質だ……宝石なのか、鉱物なのかさえ判別はつかない。だけどバスタードソードの表面を見ればこの黒い結晶がバスタードソードの金属を喰らいながら成長しているのが解る。この黒い結晶は物質を侵食、或いは同化する性質を兼ね備えているみたいだ……そしてこっちの白い方」

 

 逆側を示す。それは先ほどまで白い魔力が纏われていた箇所だ。

 

「こっちの現象はシンプルだね。浄化属性だ」

 

「浄化属性?」

 

 オウムの様に聞き返すとそうね、とエリシアが補足する。

 

「物質、属性における要素を漂白、希釈する事によって極限まで特性や存在をゼロに近づける事の出来る属性よ」

 

 よくわからん。

 

「……?」

 

「つまり極限まで触れたものを薄める属性だよ」

 

「おー」

 

 何かそう言われると凄そうだなあ、と思うが、大人二人はわくわくした表情とどうしたもんか、という表情が入り混じっているのが解る。何やら扱いあぐねているというのが本音だろうか? 俺も実際の所魔力付与による武器強化は基本技能だと言われ、それを目指してきたのだがその結果がこれだ。武器に魔力を込めると二種類の魔力によって武器そのものが崩壊するという現象に見舞われている。まだ黒い結晶の方は良いが、白い方は武器を破壊してしまう。これじゃあ武器を握る事が出来ない。

 

 とはいえ、この体、マジで強いのだ。

 

 間違って包丁を指に落とした時、傷どころか痛みすらなかったレベルでこの体は頑丈だ。エリシア曰く、相当技量のある戦士が斬る事を意識しないと斬撃でのダメージは通らないという説明だった。根本的な生物としてのスペックが違うというのがこれで良く解るだろう。だから別に武器なんかいらないと言えばいらないのだ。並の武器よりも硬い拳という男のファイナルウェポンがここにはあるのだから。

 

「これは魔法を教えずこの魔力の使い方一本に絞った方が良いね」

 

「完全な形で使いこなせるようになれば他には真似できない強さになるわね」

 

 この夫婦、会話が戦闘力ベースになってない? なんというか、明らかに強くなれるだけなるという感じの思考が根幹にあるというか。強さが必須みたいな考えがある気がする。

 

「怖いなぁ」

 

「怖いねー」

 

 グローリアと横に並んで首を傾げながらねー、と声を揃える。そんなこんなで俺の魔力―――というよりは先天術式に漸く名称が付けられた。

 

 白と黒で能力がまるで反転しながらも存在する事から“二律背反”というシンプルなネーミングが付与された。エドワードもエリシアもこの魔力には物凄い期待を寄せているようで、将来的に使いこなせるようになれば間違いなく世界クラスの達人になれるとか言い出している。正直、そこまで強くなってどうするんだ? って気持ちはなくもない。そもそも魔力修練自体が苦手であまり成果も出ない部分がある。

 

 魔法……魔法ってなんだ……? と首を傾げる事も割とある。武芸というか戦闘訓練が滅茶苦茶楽しくて体を動かすのが楽だから逆に魔法必要ないんじゃね? と思いたくもなる。とはいえ、教えてくれる以上はその期待に応えるのもまた役目。

 

 そういう訳で、魔力修練は魔力の付与が行えるようになってからは更に本格化し始める。エドワード曰く、

 

「君の魔力はかなり特異なものだ。それこそそれが魔法ってレベルのね。魔力そのものが物質化するケースは多々あるけど、それを行うには専用の道具や施設、装置が必要になってくる。自然環境で取れるエーテル結晶はそれこそ魔力の結晶ともまるで違うものだしね。そういう意味では君の魔力はかなりおかしなものなんだ。そしてそれが物質化する以上、それは性質の一つだと捉えても良いだろう」

 

 つまり、物質化は仕様であり、本領ではない。

 

「だからそれをコントロールしよう。目指すのは結晶化、具現化の自由コントロール。形状まで含めて自由に形成する事が出来るようになれば、君はもう自前で武器を用意できるから別の武器を持つ必要が無くなるんだ」

 

 二律背反・黒のコントロール。それを行えば好きな形状、好きな種類の武器を生み出す事が出来る。そうすればこれまでみたいに武器に魔力を込めようとして武器を破壊する事もない。経済的にも、利便性的にも非常に解りやすい目標だった。それに黒曜石の様な、アメジストの様な、或いはオブシディアンにも見える様な結晶鉱石で生み出した武器は映える。滅茶苦茶()()って奴だ。それこそ某SNSに投稿できれば万単位で評価される奴。

 

「君の黒は触れる事で相手を浸食する武装になる。武器を形成して戦う事が出来れば、君とマッチングするだけで相手の武器を無力化、破壊する事が出来る。相手が野生生物やモンスターの類なら体の堅牢さで受けようとする存在を浸食して食い荒らす事だってできる。それだけじゃないよ? 形状を変えて罠として活用すれば君が一切触れる事なく相手を自滅に追い込む事だってできる、可能性の塊だよ」

 

「それに白の方だって凄いのよ? これを武器に纏えば相手の防御や付与効果を無効化して直接攻撃を叩き込む事が出来るのよ? どんな加護があろうとも、無敵の肉体でも浄化によって力を漂白させれば一切の関係もなく攻撃を通す事が出来るのよ」

 

「その後に黒の追加効果付きでね」

 

「防御無視からの浸食破壊……えぐっ」

 

 攻撃という面でみれば完成された組み合わせだろう。絶対に防御を許さないセットでも良い。これを同時にブレスとして吐き出せるんだからそりゃあ龍って強いわって思う。俺だけが特殊なのかもしれないが、少なくとも似たような能力を持ったやつが親世代にはいたんだろう、って話にもなる。そういう連中で溢れてたんなら地上の覇権だって易々と握れただろうに。

 

 なんで消えたんだろうか?

 

 ソフィーヤは自ら、とだけ告げて消えてしまったし。

 

「それに浄化による武器の損耗、黒を見ている限り無力化している様に見えるわ」

 

「恐らく元が同じ魔力だから食い合わずに同居が成立しているんだろうね。ただそれ抜きでも使い方次第では凄い強さを発揮できるよ。悔しいけどエデンの魔法習得は諦めて、この魔力のコントロールと習熟だけに集中した方が良いね」

 

「その分私の方で鍛え上げるわ。礼儀作法の方は全く手間がかからないってアンが嘆いていたし、その内もっと時間が増やせそうね、楽しみだわ」

 

 ナチュラルに修行する時間を増やせないか考慮する夫婦にちょっとだけ呆れの溜息を吐きながら頭を振る。

 

「旦那様も、奥様も発想が物騒すぎやしませんか」

 

「だって必要だろう? 保険としても、立場としても、最終手段としても」

 

 そう言ってエドワードはウィンクしてくる。俺が龍だから、自衛の為にも力が必要だと言っているのだろうか? 直接的な言及を避けてくれているのはエドワードなりの配慮と優しさなのだろう。だが実際の所、エドワード自身はほぼ俺が龍だと確信しているだろう。

 

 もう、ここまで聞いたらこの人たちの期待に応える為にも自分が龍の出身だってバラした方がストレスが無いのかもしれない。実際の所、この人達優しいけどちょっと割とかなり頭おかしい所あるから龍だと言った所で全く動じなさそうなんだよな。というか動じるイメージがない。

 

 この数か月ですっかりとこの家に馴染んでしまった……と思いつつ嬉しく思うのは、やっぱり幸せだから、だろうか?

 

 何にせよ、俺が力を必要とするのは事実だ。なら言われた通りに鍛錬と勉強を頑張る事にしよう。今すぐ自分の正体をバラすのはちょっと怖いし……数日ぐらい、覚悟する為に時間を取って、それからお話をしよう。

 

 悪い事にはならないだろうなあ、と思っている。

 

 少なくとも、そう信じられるものがこの家にはある。




 グランヴィル夫妻、ともに育成ゲーに意欲的。才能と未知の塊を見つけると育成が楽しくなってくる。そう、新しいキャラをガチャで引いてしまった時の様に……!

 セイウンスカイ来ないなあ……。

※6/18加筆


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エデン頑張る Ⅱ

 異世界生活開始から大体半年目。詳細な日時はあまり良く覚えてないので大体半年。だがそれでも半年だ。その大部分はグランヴィル家に世話になっている形だが、俺も大体の常識や作法などを頭に叩き込む事が出来たと自負している。

 

 リスニング、スピーキング、どちらも完璧だ。今では読み書きの勉強もしている。此方は流石に既存言語と言語法則が違うからソコソコ苦戦しているものの、少しずつ成長している。私生活もだいぶ充実してきているんじゃないかなぁ、って思っている。

 

 それに漸く、グランヴィル家に自分の出自を告白出来た。

 

 自分が実は龍だ! って告白したものの、反応は薄い。返ってきたリアクションはたいてい知ってたか、或いはどうでもいいという反応だった。これが他の家や場所だったらまるっきり対応は違ってくるらしいが、エドワードとアンは体の特徴とかから大体察していたらしい。お前ら先にそれを言えよ。

 

 まあ、そんな訳で生活は割と適当にやっているが、習い事に関しては真面目に取り込んでいる。当然ながら俺にサボりや手抜きと言う考えはない。好意に甘えて家に置いて貰っている身だし、今ではグローリアの従者と言う身分に対して疑問も思わない。エドワードに身分を保証される事によってこの国の住人として振舞う事が出来ているのだから、そこは当然だろう。

 

 龍だってことを打ち明けた事で悩みはなくなった。あえて言うなら色々と謎があってそれに頭を悩ませている事だが、頭を捻った程度で答えの出てくる謎でもない。だからそれを抜きにすると俺の悩みは自分の勉強回りの話になり、今一番の悩みはこれ、

 

 ―――信仰に悩んでるという事だ。

 

 というか俺、何を信仰すべきなんだ?

 

 この世界において神を信仰するというのはかなり大きな意味を占める。この世界にやってきてから半年、特に宗派を決める訳でもなく勉強と鍛錬を続けてきたが、そろそろ神様を選ぶべきなんじゃないかと思い始めた。というのもとりあえず神を信仰すればそれだけで魔法を扱えるようになるのだ。それでとりあえず魔法を使うという感覚に慣れてみたらどうだろうか? という話だ。うん、まぁ、なんだ。こんな話が出てくるのは半年たっても何も進歩がないからだ。

 

 もはや自覚している事だが、俺は絶望的に魔法のセンスがないらしい。だから現在の状態からできる事を発展させたいのなら、ひたすら出来る事を繰り返して牛歩の歩みで物事を進めるしかないのだ。それぐらいのレベルで魔法関連は才能がないという評価を押されてしまった。体にある魔法を利用する資質自体はかなり高い。それこそエドワードやグローリアよりも。単純に俺という中身がその素質を台無しにしていたのだ。

 

 魔法を扱うには才能がいる。悲しいが現実だ。

 

 だけど神の魔法は違う。

 

 術も発動も全て詠唱のみで行える。後は魔力を勝手に消費するだけだ。それで魔法が発動できるなら、発動の感覚を体に馴染ませてステップアップできるのでは? という素敵な作戦だった。実際、既にグローリアは信仰を決めて魔法を使っていた。紙式魔法までちゃんと使えるようになっているし、魔法使いとしては完全に先輩になっているグローリア、俺が頭を下げるべきなのでは??

 

 そんな戯言を展開しながらも本日はインナーにホットパンツ姿でグランヴィル家の祭壇部屋までやってきていた。こういう祭壇付きのお部屋、貴族なら部屋単位だが神棚みたいに設置するタイプはどの家庭でも割とあるらしいが……当然、グランヴィル家は貴族で辺境は土地が有り余っている。それを利用しているのでグランヴィル邸は結構広く、祭壇部屋がある。日差しも良く、毎日掃除とお供えが施されている管理の行き届いた部屋だ。

 

 こういう簡易祭壇で祈りを捧げる事でこの世界の人たちは信仰心を満たしているのだ。グランヴィル家の人々も当然、この祭壇を最低1日1回は利用する。

 

 ―――さてはともあれ、

 

「信仰はどうしようかな」

 

 実はお勧めの信仰、お勧めの神様というものはリスト化されている。意外とこの世界の神様は多様性に溢れていて、色々と信仰が選べる。生まれから何かに縛られるというのは特にないのだ。そこら辺の宗教の自由、地球よりも100倍凄いと思う。それでもまあ、宗教やってる人間の愚かしさは一切変わらないんだが。あの聖国って所マジで滅んでくれないかなあ。

 

「えーと、お勧めは、っと」

 

 祭壇の前でポケットからメモを取り出す。とりあえず神様が優しく、そして比較的に教義に従いやすい神様はまず、叡智の神エメロアだ。エドワードのおすすめ。知識を求めよ、知識を活用せよ、真実を見る目を養い人よ賢くあれ。シンプルに知識人向けの信仰だ。自分で考える頭をもって、ちゃんと考えて生きて行けと言う教え。恐ろしいぐらいにまともな神様だ。勉強が好き、技能を身に着けるのが好き、そういう人向けの神だ。

 

「とりあえず神様に面接してみるか……」

 

 面接? 面接概念ってあるのか? とりあえずクーリングオフって可能ですかって質問するぐらいなら別に良いよな? 心に余裕が出来ると思考もだいぶ愉快になる。それを今現在進行形で実感している。まあ、これガチモンの不敬罪になりかねない事で、信仰心厚い信者に見られたら殺されかねない所業なのだが、まあ、

 

 なんとなくだが、神本人は全く気にしない感じはする。その程度の些事で心を乱さないというか……良くも悪くも寛容? そんな気がする。あくまでも自分の直感的な判断で、聞いた話ではないのだが。それでもまあ、行けるだろという謎の自信があった。

 

 故にオラクルを試す為にも、祭壇の前で祈るように両手を握り、目を瞑る。

 

 叡智の神へのオラクルを行い目を閉じてその先に広がる暗闇に、光が満ちた。

 

 そして光の中から見たことのある女神の姿が出現した。

 

エデン、愛しいエデン……信仰先を、求めていると聞きました

 

「お、押しが強いなぁ」

 

 迷う事無く目を開けてオラクルを中断する。手汗が酷い。

 

「い、いやぁ、横入はダメでしょ……駄目ですよ神様??」

 

 祭壇へと向かって腕を組んだまま言い聞かせるように言葉を放ってから再びオラクルを行う為に両手を結んで祈るポーズを取るが、目を閉じた向こう側に再びソフィーヤの姿が見えた瞬間にオラクルを中断した。駄目だ、何がどう足掻いてもあの女神が出張ってくるイメージしか湧かない。愛してるじゃねーよ、束縛すると嫌われるパターン知らないんか?

 

 ふぅ、と息を吐きながら天井を見上げる。

 

「やっぱ宗教ってクソなのでは?」

 

 こんな事クソデカボイスで言えるの、恐らくこの世で俺1人だけだろう。信仰ばっちオーケースタンバイしている女神様とか俺知らないぞ? いや、アレはもしかして幻覚だったのかもしれない。でも俺、確かにエメロア神の方にオラクルを試みたよね? おっかしいなあ……。

 

「おーい、エデンー。そろそろオラクルの調子はどうだいー?」

 

 と、そこでソフィーヤ神の事に頭を悩ませていると、エドワードが契約状況の確認にやって来た。これは丁度良い、と手をぽん、と叩きながら説明する事にした。何度もオラクルしても毎回ソフィーヤがインターセプトしてくる事実をエドワードに伝えると、エドワードがうーん、と困った様子で腕を組み始めたのが解った。

 

「普通はオラクル1つでさえ相当難しい事なんだけどねえ。だけどソフィーヤ神がそうやって何度も君の前に現れるって事は相当強い縁が結ばれているのか、或いはどの神からしてもソフィーヤ神が君を優先すべき理由が存在する、という事なんだろうね」

 

「優先すべき理由……?」

 

 エドワードの言葉に首を傾げる。それが今一解らなかった。だからエドワードはそうだね、と言葉を続ける。

 

「ソフィーヤ神は比較的に神としては新しい方なんだよね。何故なら我々人族の神であり、人が作る理の神なんだから。人が生まれた時に生まれた神なんだ。人と共に生まれ、人と共に育った。それがソフィーヤ神なのさ」

 

「そう言えば地上は元々龍族のものだったって話でしたね?」

 

「そう、そうなんだ。君が知っての通り、元々この世界に先に住人として生み出されたのは龍族だったんだよ。我々人類はその後追いでしかないんだよ。面白い事に我々純人種よりも遥かに優秀で強かった、神に最も近いと言われた種族である龍はその後人類によって駆逐されている……そう、君を除いてね。或いは君みたいにまだどこかに生き残りがいるかもしれない」

 

 生き残り……はないだろう。俺が最後の龍の子と言われていたし。アレ、あれは龍殺しの発言だっけ? ちょっと記憶が曖昧だが俺が最後の1人だというのは事実である筈だ。少なくともソフィーヤのリアクションはそういうものだった。

 

 ともあれ、俺が最後かどうかは今は重要ではない。

 

「重要なのは龍族の駆逐を主導したのはソフィーヤ神だと言われている事だ。実際、かの女神から与えられた神託によって人類は覇権を得るに至ったとされている。龍との戦い方、倒し方、その鱗を裂く方法……事実、それらの知識が与えられなかったら人類は龍を相手にする事なんて出来なかっただろうね」

 

 だから、と断言する。

 

「ソフィーヤ神が龍を倒す為の啓示を与えたのは事実だ」

 

「うーん、だったら今の俺が見るソフィーヤとは全くキャラが違うというか……なんというか、そんな憎しみとか全く感じませんよ? 別に威厳がないとかは言いませんけど。それでもやっぱり龍を憎んでいると言われると首を傾げるレベルですよ……?」

 

 少なくともソフィーヤは憎しみなんてものを抱いていないのは事実だ。寧ろ全力で俺の事を案じている様にさえ感じる。独占欲とかそういうものではなく、純然たる善意しかソフィーヤの行動にはなかった。……その結果行動がなんかズレている辺り、天然と言うかなんというか。やっぱ人と人間では感覚がズレているのか。

 

「そうだね、君がそう言うなら間違いなくそうなんだろうけど……」

 

 エドワードは腕を組みながら指を顎に添え、考えるように頭を傾けた。

 

「いや、これが人間であれば過去を悔いた結果、とか言えるんだけど……神々の精神性は人に似ているようで、全く違う構造をしているとも言える。実際、どういう風な精神的構造をしているかは不明なんだ。だから神々がどうして、という事に対しての答えは難しいんだ。ただ確実に言える事は龍殺し、ドラゴンハンターたちにソフィーヤ神が告げているようであれば、既にどうにもならないレベルの人たちが此処を襲っているよ」

 

「そんなに」

 

 そうだねぇ、とエドワードは思い出す様に目を瞑る。

 

「僕が知っているドラゴンハンターは、ナイフで亜龍の鱗を魚の鱗落としみたいに剥ぐし、別の奴は噛みつかれた状態で亜龍の首を引きちぎってたよ―――宗教戦士って怖いね」

 

 滅茶苦茶強く頷く。俺が知っている龍殺しも、俺の鱗を切り裂いて痕になるレベルの斬撃を残しているのだから、今更ながらアイツらやばいんだなあ、と思う。何せこの家にある武器を叩きつける程度じゃ傷さえ出来ないのに、傷が残るレベルの攻撃を行えてるんだから。人類の上限付近の方だったのかなあ、アレ……。

 

「それじゃあ話をソフィーヤと龍の関係へと戻そうか。僕はね、君に対するソフィーヤ神の態度が過去にあった龍の絶滅と人類の台頭に対する答えになると思っているんだよね……とはいえ、ここらへんは本当に資料が少ないんだけどね」

 

 ただ発覚している事実はあると言う。

 

「まず龍が悪であると断定された事。龍を倒す為の術が与えられたこと。そして人よりも優れている種であるはずの龍がそのまま駆逐された事だね」

 

「なんで龍を絶滅させられたんでしょう? なんというか……俺の勝手な考えですけど」

 

 魔力を身に纏う。

 

「こういう力があって、空からブレスを吐けば人類、簡単に勝てません? いや、簡単とはいかないでしょうけども。それでも人類の殲滅の方が早くないですか?」

 

「それなんだよねえ。君のスペックを肌で感じた辺り、間違いなく成長すれば人類にそこまで手間取るとは思えないんだよね……それが大きな謎なんだよ。どうやって、人類は龍に勝利した? 何故勝利できたか、って事だよね」

 

 龍の悪評は凄い。神からのバッシングを受けたのだから。だがそれは偽りの様にも、真実の様にも感じられる。物凄く真実が解りづらい所にある。ただ事実として、かつて龍は人を襲い、喰らい、そしてこの大地を荒らしていたという歴史が人々の記憶に残されている。それが真実であるかどうかは重要ではない。人々が龍を恐怖と荒厄の象徴として認識している事が問題なのだ。

 

 結局のところ、ソフィーヤと龍の関係性を探るのは難しい。

 

「でも実際どうなんでしょ。ソフィーヤ、龍を絶滅させたことを後悔してるのかな」

 

「僕にはそこは解らないかな、流石に。神の心を測る事は人の身ではあまりにも畏れ多いんだよ、エデン。君は、特殊だからね。きっと君だけはたとえ神の心を測ろうとも、神罰を受ける事はないんじゃないかな」

 

 どうだろうなあ、と呟く。でもソフィーヤを見て以来、どうして俺は殺されるかもしれない未来に怯えているのだろうか、という事を悩む時間が少し増えた。神と人の関係、そして神と龍の関係。その事に答えは出ない。頭を悩ませるように首を傾げると、エドワードはま、と言葉を置いた。

 

「考えていてもしょうがない事はしょうがない事さ。それよりも時間もちょっと経ったし、そろそろソフィーヤ神以外にもオラクルが届く事を確かめてみたらどうだいエデン?」

 

「あ、そうですね。やってみます」

 

 そろそろソフィーヤもブロッキング止めてるだろう……。そんな考えを確かめる為にもう両手を使うのもめんどくさくなったので、目を瞑って静かにソフィーヤ、まだいるか? と祈りっぽい感じの感情を捧げてみる。

 

エデン……私はいつでも待っています……

 

「あ、ソフィーヤ様」

 

待っています……

 

 エコーを残して消えるのちょっと芸術点高いな……。だがオラクルは再びソフィーヤに接続された。いや、だが今回はソフィーヤの方から姿を消したのだ。今度こそ別の神に繋がるかもしれない。なんか神様ガチャを回しているようで物凄い申し訳ない気分になってきたけど。

 

「またソフィーヤ様でしたけど、今回はなんか帰っていきました」

 

「う、うーん? 本当に解らないなあ、これ……」

 

 ここまでぞんざいに扱われても一切怒らない神の懐の広さにも個人的には割とびっくりなのだが……マジで神罰落ちない? セーフなの?

 

 だけど、そうか。

 

 神は確かに人とは違うんだ。

 

 彼らは悠久の時を不変のまま生き続けている。教え、導く相手がそのあと天寿を全うする姿も、最悪な死を迎える結末も何度も見ているのだ。そんな人生を永劫生き続けているのだ……精神構造が人と同じでは耐えられないだろう。

 

 だからと言って、それが答えになるという訳でもないが。

 

「エデンはソフィーヤ神じゃダメなのかい? ここまで熱烈にアピールされるのは中々ない事だし、ソフィーヤ神の魔導はどれも使いやすいものばかりだよ?」

 

 人の理を司るソフィーヤ神の魔法は結界による領域の保護や、味方を強化する魔法等汎用性の高いもので構築されている。実際の所、選択肢としては無しという訳じゃないのだろうが、俺はエドワードの言葉に頭を横に振る。

 

「他に選択肢がないから、流されて、とかで物事を選ぶとろくなものにならないって思ってるので……こう」

 

 手をぶんぶんと動かす。

 

「自分がする選択肢に対して真摯でありたいなぁ、って」

 

 だから便利だから、とかで神様を選びたくない。

 

「心の底から賛同して、教えに従える神様が良いって思ってます。うん」

 

 その言葉にエドワードが目を細め、笑みを浮かべて頷く。

 

「うん、それは良い考えだと思うよ……君が、納得行くまで考えてみると良いさ」

 

 まあ、

 

「……それを神々が考慮してくれるかどうかは別だけど」

 

「それ」

 

 それなんだよなあ……。




 信仰選びと神と龍。

 てんぞーの脳内ではエデン応援団扇を両手に装備したソフィーヤ神がエデンを推してる姿がなぜか見えた。

 ※6/19修正しました。


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エデン頑張る Ⅲ

「私、絶対にエデンはこういうの似合うと思うの!」

 

 段々と冬の寒さが近づいてくる秋の終わりごろ。仕事を求めてアンを探しに廊下を歩いていると、俺を探していたらしいグローリアが出会い頭に素っ頓狂な事を言いだした。

 

 辺境での冬の生活は恐ろしく大変だと聞かされている。道が雪に閉ざされ、植物も育たなければ狩りをする為の獲物もいない。中央と違って商店で買い物をするには雪に埋まった道を通って街へと行かなければならないが、冬の間は馬車を動かす事でさえ難しい。最終手段としてエドワードが道を魔法で焼きながら進むという手段があるが、それも最終手段なのは魔力が持たないからだ。だから秋は色々と買い込んで備蓄したりと忙しい時期だったりする。

 

 ただそれだけではなく、秋には収穫と豊穣を祝った収穫祭もある。街の方で盛大に祝う予定らしいので、冬によって道が閉ざされる前に俺達も参加する事になっている。

 

 その収穫祭の前に色々とやらなくちゃいけない事は多いのだが、今回からは俺もその仕事に盛り込まれている。ぶっちゃけた話、もう既に筋力だけなら俺の方がアンよりは上なのだ。無論、体力の方も俺の方が上だ。龍という種族はもうそれだけで人間のスペックを上回っている。スチュアートが年配である事を含め、これから肉体労働は基本的に俺が担当する事が期待されていた。その為、俺は基本的に動きやすいラフな格好を好んで着ている。

 

 大体の場合でジーンズとハーフスリーブのシャツという格好で邸内を過ごしている。鱗を隠さなくて良いから半袖とかで生活しやすいのだ、今は。龍という事をばらしてからはストレスフリーに生活できているし、気楽に楽しく日常を過ごさせて貰っている。

 

 とはいえそれで別に仕事が楽になるという訳ではない。

 

 冬に向けて俺に与えられた仕事は薪の準備や備蓄の整理等体力と筋力を必要とする男の仕事だ。でも丸太の調達や薪割りは鍛錬ついでにできるし、備蓄の整理もそんな難しくはない。正直に言えば邸内を掃除しているアンの方が大変なんじゃないか? とは良く思っている。そんな理由もあり秋というのは忙しい。朝から夜まで常に忙しいという訳じゃないが、冬になったらできない事はたくさんある。その事を含めて秋の内に終わらせたい事は腐る程あるのだが、

 

 そんな中で、このお嬢様が素っ頓狂な事を言いだした。

 

 グローリアの手の中にあるのはメイド服だ。

 

 ちなみにメイド服という文化は滅茶苦茶謎だ。何故なら元々メイド服と言う服装が中世には存在しなかったからだ。比較的近代に入り、女中と主人を見分ける為に何かしらの目印となる恰好をさせる為という名目でメイド服が生み出されたのだ。だから1500年頃に多少の科学をブレンドしたこの世界に於いて、メイド服の着用義務という概念は存在しない。ただし、メイド服自体は存在する。そしてこれをアンは着たり着ていなかったりする。というのもエドワードもエリシアも、特にアンにメイド服の着用を求めないし、メイド服よりも普段着で仕事をしている方が遥かに作業効率が良いからだ。

 

 だからアンもゲストを前にする時か、出かける時にしかメイド服を着用しない。俺もそういう経緯からこれまでメイド服の着用をした事はなかった。するつもりもない。だが明らかに俺のサイズのメイド服を手にしてグローリアはそれを見せつけていた。

 

「リア……それ、どこで手に入れた?」

 

「アンに頼んでこっそり作って貰ったのよ。私、絶対にエデンはこういうタイプの服が似合うと思うのよね……だから着よう!」

 

「えー」

 

 露骨に嫌だなあ、って顔を浮かべる。グローリアが握って見せているメイド服というのはロングスカートタイプのメイド服だ。詳しい種類に関しては流石に知識がないので解らないが、時折フリルをあしらった可愛いタイプで、袖も俺の事を考慮してから長くしてある。これなら手首まで隠す事が出来るだろう。

 

「首元はインナーで隠すとかすれば外でも着れるわよ!」

 

「着ないが?」

 

 ちなみに外出用に俺はインナーを持っている。白と黒の二種のインナーで、手首と首までを保護するタイプのインナーだ。用途は勿論、鱗を隠す事だ。注意しなければ隠れている鱗を見つけるのは難しいが、それでも街に行った時に見られるかもしれないというリスクを減らすのは良い事だ。いや、ぶっちゃけ鱗を見たところで龍……? ってなる人はかなり少ないが。鱗と角があるから龍だ! ってなるよりも、蜥蜴人のハーフか? って思うケースの方が遥かに多そうだ。それでも一応気を使って外に出たり客が来たりするときはインナー着用をしている。

 

 地味にブラと同じ素材でブラと同じ効果を持ったインナーなのだが、それを作成するあのタイラーって仕立屋は地味に凄いと思う。

 

 それはともあれ、グローリアはそんな俺の為にメイド服を用意してきたのだが。

 

「ふりふりとかひらひらとか俺の趣味じゃないんだけど」

 

「そんな事ないわ! 絶対にエデンに似合うから着よう! そしてこれで一日過ごして! 絶対に可愛いから!」

 

「今日のリアは押しが強いなぁ」

 

 その情熱はどこから来てるんだ?

 

「ほら! エデンこっちこっち!」

 

「あ、ちょっと、リア! あ、アンさん! 仕事をください!」

 

「行ってらっしゃいエデン。お嬢様のお世話が貴女の仕事ですよ」

 

「ガッデムシット」

 

 助けを求めて廊下に出て来たアンに助けを求めるが、秒で見捨てられた。おのれソフィーヤ! お前の陰謀か? 絶対に許さないぞ! という言いがかりを全力を投げつけているとグローリアに彼女の部屋へと連れ込まれた。無論、筋力は俺のが上だ。だから俺が拒否すればグローリアは俺を引っ張り込む事なんて絶対にできないだろうが、笑顔でなついてくるこの少女の事を俺は無下にできなかった。ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべ、快活に動き回り、そして俺を助けてくれた少女に対する恩と純粋な好意を裏切れない。

 

「あーあーあー」

 

 だから声を零しながらグローリアに部屋へと連れ込まれ、服を掴まれた。

 

「インナーは今回は良いから、着替えよ?」

 

「あぁ、もう、解ったよ。解ったってば」

 

 はあ、と溜息を吐く。こっちに来て八か月程度の時間が経過しているが、それでもまだに未だに自分の女体というものには慣れない。服を脱ぐとき、裸を見る時はちょっとしたドキドキを感じてしまう。自分の体なんだからいい加減に慣れておけよ、というのはド正論なのだが。それでも未成熟なこの体の肌を晒すのは背徳感がヤバイ。未だに現代日本人の感覚が抜けきれない身からすると悪い事をしている気分になるのだ。

 

 そもそもこれ、本当に俺の体か? と言われると割と首を傾げるし。

 

 俺と言う男の魂が宿らなければ実は別の魂が、本来の龍の子の人格があったんじゃないか? と思えるし。そう思うと誰か別人の体を好き勝手剥いているようで、背筋をぞくぞくとした感覚が走るものがある。

 

 もしかしてイケない性癖の扉を開いている可能性もある……?

 

「はーやーく! はーやーく!」

 

「押さない押さない。もー」

 

 仕方ないなあ、と零しながら長袖のシャツをまずは脱ぐ―――どうやら龍って生き物は熱さにも寒さにも結構強いらしく、普通であれば上からセーターとか着ないといけない時期であっても普通に薄着で活動が出来る。逆に言えば季節にとらわれずファッションを楽しめるという事なのだが、女性って寒くてもファッションの為にスカート履くってマジ? 命かけてるっしょ……。

 

 なんて事を思いながらシャツを脱いだらジーンズのベルトに手をかけて、ジーンズを脱ぐ。それをわくわくと言った様子でグローリアが見つめてくるから変な気分になる。止めろ、そんな純粋な目で俺を見ないでくれ。お兄さんの心は割と穢れてるんだわ。

 

「はい、どうぞ」

 

 そう言ってメイド服の本体部分を渡してくる。メイド服の構造はシンプルにワンピース部分と、エプロン部分で二重構造になっている。黒いベースのワンピースを着用したらその上からエプロンを装着するというのがワンピースタイプのメイド服の基本だ。一番構造が簡単で着用しやすい奴でもある。

 

 メイド服の背中を確認するとホックがあるので、そこからワンピースの背の部分を開けて行く。そこからワンピースを着用し、袖に両腕を通す。終わったら手を後ろに回そうとするが、先にグローリアが回り込んでくる。

 

「手伝うね」

 

「立場逆じゃないこれ?」

 

「いいのいいの。私、別にエデンに従者らしい従者でいて欲しいとは思わないから」

 

 どっちかと言うと姉妹みたいな関係に俺達はあるだろうなあ、とグローリアの言葉を聞いて思う。従者と主、その関係を公の場でさえしっかりしてくれれば特に普段の接し方や言葉遣い、態度というものは一切気にしないとエドワードとエリシアも言っている辺り、娘が対等に接する事の出来る相手が欲しかったのかもしれない。

 

 実際、グローリアには友達らしい友達がいない。此処から街へと行くには時間がかかるし、そうやって迄一緒に遊べる相手がいない。必然的にこれまでのグローリアは同世代の友人と言うものに欠落していた中で俺が現れたのだ……変にかしこまる方が困るだろう。

 

 という訳でグローリアの助けを得てワンピース部分の装着完了、カフスのボタンも閉め終わったらエプロンを受け取り、被ってから正面を整えている間にグローリアがエプロンの帯を締めて行く。完全にこの子ノリノリだなあ……なんて事を苦笑しつつ考えている間にメイド服の着用が完了した。終わった所でグローリアが正面へと回り込んでくる。

 

「わぁ……やっぱりエデンにはこういう服も凄い似合うよ! ほら、こっちこっち!」

 

「あぁ、もう」

 

 興奮した様子で手を引くグローリアが姿見の前まで俺の姿を引っ張ってくる。正直、スカートは足元がスースーするというかスカートの中があまり守られてない感じがしていて履いていると落ち着かないのだ。だからあんまりスカート姿は嫌なんだよなあ、と思いながら姿見の前に立たされた。

 

 そうやって確認する姿見には見事な美少女が立っている。

 

 白髪、黒いライン、黒い角、赤みが強く混じった琥珀の様な、夕焼けの様な色の瞳。肌の色も美しい白さをしていて、単純に顔のパーツだけを見ても絶世の美少女と言える要素が揃っている。少々目つきが鋭く見えるのは俺がメイド服をそこまで好んで着ていないからだろうか? 右前髪、左右とはアンバランスに伸びているこれも大分伸びて来た。左右で揃えるならこっちも切るべきなのだろうが非対称なこのアンバランスさが気に入って、切らずに伸ばしている。実はこれ、個人的なチャームポイントだと思っている。

 

 全体が白髪、というか肌の白さを含めて白と言う色が強い為、目の色と角と混じった黒の色が良く目立つ。だがここで黒がベースとなるメイド服を着用する事でより白さが目立つようになる。服装1つで印象が反転するのだからファッションというのは面白い。

 

「うーん、黙ってれば美少女!」

 

「黙ってなくてもエデンは綺麗だし可愛いと思うわ! だからもうちょっとおしゃれしない?」

 

 後ろから覗き込んでくるグローリアがヘアゴムを使って俺の髪を弄ってくる。後ろ髪はリクエストに従って実は伸ばしている。髪の毛が長い方が色々とヘアスタイルが試せて楽しいという要望に従った結果なのだが、俺としても長髪というのは男の時にはできなかった事だから挑戦するだけ挑戦している。長髪は代表的なフェミニズムの象徴でもあるから、女の子としては伸ばすのは正解なんじゃないかなあ、とは思っているが。

 

 姿見の自分の姿を見る限り、考えは正解だ。

 

 伸ばしている右横前髪と同じように今度はサイドテールをグローリアが作ってみるが、

 

「うーん、駄目ね。これだと前髪と横髪に干渉しちゃうわ……やっぱりサイド系は諦めた方が良いわね」

 

 サイドテールを諦めると今度は後ろ髪を弄り始めた。今度はハイポニーを試す様に髪を纏め、姿見に移る俺の姿を確認する。俺もちょっとだけサービス精神を込めてにこり、と柔らかな笑みを浮かべてみるが……これが中々破壊力が高い。

 

「やっぱりエデンは可愛くするのが似合うわよ!」

 

「そうかぁ? 俺カッコいい系のが好きだなぁ」

 

「えー、絶対可愛い系の方が良いわよ。だってカッコいい系ってエデンの色と合わせてみるとどことなく冷たく見えるもの。本当はこんなに優しくてあったかい人なのに」

 

「そうかぁ?」

 

 そんな風に見えるかなあ、とは思ったけどグローリアが見るとそんな風に映るのか。もうちょっと自分が与える印象を考えた方が良いんだろうか? とはいえ、こんなふりふりとひらひらの服を着るのはかなり屈辱的だ。いや、見た目はマジで良いんだけど。それはそれとして男としての心がズボンを求めるのだ。ジーンズ履いているのが前世も今生も一番楽なんだわ。

 

「じゃあエデンは今日一日この恰好ね!」

 

「え」

 

 そう言うとグローリアは俺の脱いだ服を素早く奪い、そのまま部屋から逃亡する。数秒程苦笑しながらリードを与えるのを待って、

 

「待てこら―――!」

 

 笑いながら逃げ出したグローリアを追いかける。秋のクソ忙しい時期に何をやっているんだと思うが、

 

 これもまた、グランヴィル家では大事な大事なお仕事なのだ。




 エデン頑張るⅠ&Ⅱの加筆修正を行いました。もうちょっと諸々を解りやすく、情報の追加も行いました。

 エデンちゃんの仕事で一番重要なのはグローリアと一緒に居る事、グローリアと仲良くしている事にあったりする。


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エデン頑張る Ⅳ

 収穫祭という事で街へとやって来た。初めて街に訪れてからは補充の関係上何度か街へと足を運んでいるが、今日は収穫祭と言う事で普段以上に賑わいを街全体が見せていた。グランヴィル一家のオマケとしてついてきている身分としてはあまり、迷惑をかけないようにしたいなあ……なんて事を考えていたのだが、街へと到着した直後グローリアに手を掴まれた瞬間にそんな考えは吹っ飛んだ。

 

「行こうエデン!」

 

「あ、待って待って、待って旦那様と奥様が―――」

 

「疲れたら宿においでー。こっちはゆっくり回ってるから」

 

「お小遣いを使い切っちゃ駄目よー」

 

「あぁ、うん。そう言うと思いました」

 

 まあ、俺の精神年齢が高いと完全に理解している夫婦はグローリアの面倒を俺に丸投げする気満々だ。実際の所、日常的な部分では俺がグローリアに付き合いっぱなしだ。鍛錬と勉強と関係のない所は割と我らべったりなのは、まあ、当然だったりするのだが。それでも俺でサポートは十分という考えだろうか? 一応武装としてはナイフを二本、装備してきている。これを街中で抜く必要は恐らく絶対に来ないが。

 

 収穫祭である事も含めて、今日は街の警備が非常に厳戒だ。街中で鎧をまとった警備が酒に酔って暴れ出す者達がいないか、後は街を襲撃してくるようなモンスターが出て来ないのか常に目を凝らしている。だから暴漢に襲われるというパターンはまずないだろう。

 

「エデン、回りたい所いっぱいあるんだけどどうしよう?」

 

「とりあえず落ち着いて、リア。時間はいっぱいあるんだし、お小遣いだってソコソコ貰ってるんだから。収穫祭は逃げないから、とりあえずは歩いて見て回ろうよ」

 

「うん、そうね!」

 

 そう言うとニコニコ笑みを浮かべたグローリアが俺の手を繋いだまま、道路を歩く。来るときはどうして可愛い洋服を着てくれないの? と、むすーっとした表情をしていたのにこうやって現地に到着した瞬間笑顔になる。やっぱりまだまだ全然子供だなあ、とその姿を見て思う。いや、これが普通なんだろうけど。俺は明らかに落ち着きが出てる影響で態度だけ見るならまあ、子供には見えないよな……。

 

 そういう所で多分エドワードは察してるんだろうけど。

 

 賢い大人は相手し辛いなあ―――!

 

 ともあれ、お嬢様は大変ご不満というタートルネックのセーターにジーンズという俺のラフな格好はやや浮いているとも言えた。秋も終わりごろに来るとだいぶ寒さが風に乗ってくる。既に半袖でいる者は少なく、少し着込む様子を見せる人も出てくるレベルだ。都会と比べると開けているという事もあって風が通りやすい環境は直ぐに冷え込む。それに日本みたいなヒーターがある訳でもなく、地球みたいな温暖化で暖かくなっている訳でもない。此方の世界の秋から冬は大変冷え込むらしい。

 

 それでも俺がセーターだけというのはドラゴンボディがこの程度の環境物ともしないからだ。ぶっちゃけ、鱗の事がなければ長袖のシャツでも良かったぐらいだ。そんな俺と比べるとお嬢様は外出用の動けるタイプのドレス姿で、今日は気合十分という様子を見せていた。遠巻きに様子を伺っている警備兵たちは恐らくグローリアがどこ出身で、誰の令嬢かを理解している為、常に誰かが視線を向けている。

 

 それに向かって軽く頭を下げるように会釈すると、笑みと共に手を振られた。

 

 お仕事、お疲れ様です。

 

「凄い盛り上がってるね」

 

「そうだなぁ、今までにない活気だな」

 

 耳にかけるように横髪をかき上げながら街の様子を眺める。楽しそうに右へ、左へと視線を巡らせるグローリアの様子に注意しつつも、収穫祭を観察する。

 

 この祭りは秋の収穫を祝う、豊穣と大地の神アステルシアを祀るものだ。なんでもこの祭りに参加するのは宗派とかは全く関係なく、誰もが祝うものらしい。現代人の感覚に当てはめると神道や仏教の人がクリスマスを祝っている感じかもしれない。ただ神々が実在する事を考え、豊穣を司る神がいるのを考えると割と宗派関係なく豊穣の神に祈りを捧げる祭りを実行するのは正しい気もする。

 

「確か神殿の方で奉納を行っているんだっけ」

 

「うん。毎年いっぱい穫れましたよ、ありがとうございますって気持ちを捧げてるのよ」

 

「へぇ」

 

 栄養とか土の成分とかそういう事を一切考えない時代の農耕……いや、魔法と加護が実在するからマジでファンタジーな感じで済ませられるのかもしれない。

 

 深く考える事でもないのでさっさと農耕の事は忘れる。それよりも見ていて面白いのは街の様子だ。流石収穫祭だけあって普段は無いような屋台が道路にずらりと並んでいる。美味しそうな匂いが空気に充満し、収穫祭を祝う飾り付けが街の各所で見られる。誰もが食べ物を片手にこの時間を楽しんでいるように見える。

 

「や、焼きリンゴ……ねね、エデン」

 

「焼きリンゴって結構大きいぞ? もっと小さくて二人で分けられるものにしようよ」

 

「食べたーい!」

 

「晩御飯入らなくなっても知らないぞー」

 

 食べたいと駄々をこねる前に屋台のおじさんから焼きリンゴを購入する。季節の果物だけあって中に凄まじい蜜が詰まっている。だがそれだけではなく、中央をくりぬいてどうやらシナモンやバターを詰め込んであるらしい。流石に砂糖までは入っていないが、蜜で溢れているリンゴだ。砂糖なんてもんはそもそもいらないのかもしれない。

 

「ほい、木皿だ。仲良く二人で割って食べるんだぞー」

 

「ありがとうございます!」

 

「サンキュおっさん……ふんっ」

 

「おぉ、おぉ!?」

 

 指に纏った魔力でさくっとリンゴを真っ二つに割った……良かった、成功した。これ、大体成功率20%ぐらいなんだよね。ともあれ、真っ二つに割れたリンゴを手づかみで2人で分け合って食べる。口の中いっぱいに溢れるリンゴの甘さとシナモンの香り、そしてバターによって彩られた圧倒的なまでのカロリー!

 

 暴力、まさに暴力! これこそ味覚の秋! 食欲の秋!

 

「うーん、幸せ」

 

「んふふふふ」

 

 2人で満面の笑みを浮かべながらぺろりと焼きリンゴを食べ終える。空になった木皿を屋台に返すと、手を洗う為の水の入った樽がある為、それでべとべとになった手を洗ってから次の屋台へと向かう。この体になってから甘いもんに対して目がなくなった気がする。やっぱり女の子とはスイーツを求めるものなのか? 男だった時よりも美味しく感じられる気がする。

 

「あ、マロングラッセ!」

 

「はい、駄目。それ高級品だからダメダメ」

 

「食べたい食べたい!」

 

「駄目どす」

 

 行商人が売っているマロングラッセの値段は軽く先ほどの焼きリンゴが10個食えるだけの値段だ。地球程ハードルは高くはないが、それでも砂糖は中々の希少品だ。それを使いまくったマロングラッセなんて菓子、貴族の誕生日でもなければ手を出す事さえも出来ないだろう。日本では割と普通に食えたのにな。

 

「たーべーたーいー」

 

「だーめーどーす」

 

 グローリアを片手で持ち上げるとそのまま俵担ぎで運ぶ。持ち上げられると借りて来た猫の如く静かになってぷらーん、と足を揺らしている。マロングラッセを販売している行商人はそれを見て商品を持ち上げて揺らして誘惑してきているのが地味に邪悪だと思う。地獄に落ちろお前、それは犯罪行為だぞ。

 

「おーい、そこの嬢ちゃんたち。安くて甘いお菓子あるよー」

 

「マジで!?」

 

「お菓子!?」

 

「ああ! あ、衛兵さん、違うんです。これは普通の商売なんです。えぇ、やましい事はなにもないんです。いえ、本当に……!」

 

「そうか? そうか……」

 

 社会の厳しさを目の当たりにしつつ呼び込んできた所の屋台へと向かえば、そこで売られているのは果物の蜂蜜漬けだった。まるでキャンディみたいに固められた蜂蜜の中にカットされたフルーツが入っているのだが、これがまた光を受けて綺麗に輝いている。思わずおぉ、と声を漏らす程度には甘そうな品だった。

 

「葡萄2個と桃2個ください!」

 

「はーいよっ」

 

 迷う事無く2種類2個ずつ受け取ったらそれを一つずつ口の中へと放り込んで行く。此方は先ほどの焼きリンゴと比べるとまさしく甘さの暴力という感じがする。ひたすら甘く、とろけるような蜂蜜の甘味が口の中いっぱいに広がり、徐々に蜂蜜のキャンディが溶けてくると中で待っているのはいまだにみずみずしい果物だ。それを噛むと果汁が溢れだしてきてまた口内の味が変わってくるのだ。

 

 その瞬間、俺はグローリアと並んで半分蕩ける様な顔を浮かべて幸せを堪能していた。

 

「はぁ、やっぱり甘いもんを食べると幸せだなあ……」

 

「そうだねー……きゃっ」

 

 はあ、と溜息を吐きながら甘味を食べた事の感慨に浸っていると、グローリアが急によろけた。おっと、危ない、と倒れる前に素早く手を差し込んでその体を支えると、

 

「おい、そんな所に突っ立ってると邪魔だぞ」

 

「あぁ?」

 

 半ギレになりながら振り返れば数名の子供がそこにいた。その表情はどことなくやってやったぞ、という感じの表情を浮かべている。表情を見ている限り、どうやら故意にグローリアにぶつかってきたらしい。衛兵の方をチラ見すると、介入するかどうか悩んでる節が見られる。まあ、子供同士だと手を出しづらいのは解る。

 

「えっと、ごめんなさい? 邪魔だったかな」

 

「そうだよ、邪魔だよ」

 

 一切悪びれる事無くリーダー格少年はそう言い、にやにやしながらだけどさあ、と言う。

 

「お前さ、貴族なんだろ? 申し訳ないって思うならさそこの蜂蜜飴奢ってくれよ」

 

「あー」

 

 制限されたお小遣いの中でどうやって収穫祭を楽しもうかと思ったらこんな結論に行きついたのか……。完全に悪ガキの素質ありじゃん。

 

 個人的には割と微笑ましく見えるものだが、やっている事は犯罪に近い。見守っていた警備もやれやれと言いながら近づいてくるのが見えるが、それを片手を出して制す。リーダー格を筆頭とした数人の少年に正面からグローリアが詰め寄られている。グローリア本人は物凄い居心地悪そうだが、

 

「だ、駄目よ。このお小遣いはお父様とお母様に貰った大事なものなの」

 

「はー、そんな事を言わずに少しぐらい奢ってくれよ。どうせお金余ってるんだろ?」

 

「駄目。これは大事なお金だから」

 

 うん、ちゃんと言い返せたな。言葉に迷いはないし、レスポンスも早かった。箱入りだとは思っていたが、別に対人能力がないという訳じゃない。ウチのお嬢様はちゃんとやれるじゃんか。

 

 じゃあもうええな!

 

 グローリアに詰め寄る少年に近づくと無言でその姿を掴む。

 

「あ、お前」

 

「ふん!」

 

「あああ!?」

 

 その姿を上に投げる。そのまま跳躍、少年をキャッチしながら―――、

 

「アルゼンチン・バックブリーカー……!」

 

 アルゼンチン・バックブリーカー、通称人間マフラーをダメージが入らない程度の手加減で実行する。着地の衝撃と背骨へとの衝撃が少年に貫通し、少年の口から悲鳴が響く。一瞬で技を完遂させた所で少年を地面に転がして解放し、首に手を当ててこきこきと鳴らす。

 

「今日から、俺がお前らのボスだ。オーケー?」

 

「うっす、姉御!」

 

「今日から俺ら全員姉御の舎弟っす!」

 

 迷う事無くリーダーの少年から此方に鞍替えするキッズ共見て腕を組み良し、と頷く。

 

 今日からこの俺がキッズの支配者だ―――!

 

「はーっはっはっは! リアをどうにかしたいのであればまずは俺を超えなければなあ……?」

 

「エデン、テンション高いね」

 

 魂がね、男の子なの。やっぱりこういうシチュエーションや展開はテンション上がるというのはどうしようもなく仕方のない事だ。とはいえ、この少年たちも折角の収穫祭なのだ。何も楽しめずに終わってしまうのも可哀そうだろう。こうなったら単価が安いけど大きなお菓子か食べ物を買って、それを分割するのが一番角が立たないかなあ……なんて考えていると、ちょんちょんと肩を叩かれた。視線を叩かれた肩の方へと向ければ、ちょっとだけ困った様子の警備兵がいて、

 

「一応、お説教ね。解るけど」

 

 申し訳なさそうな姿を見て、道路に転がる少年の姿を見て、

 

「うす……」

 

 見事なオチが付きましたとさ。




 どの文化にも豊穣を願い、祈り、感謝する文化がある事を見るとやっぱり食事に関連する祭りってどこでも必死で同じだったんだなあ、と言うのが良く解る。文化は違っていても根本にある願いはそう変わらない。


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エデン頑張る Ⅴ

 冬!

 

 雪!

 

 以上!

 

 もう、そうとしか言えないレベルで雪が積もってる。もう、やばいね。軽く降っただけで10㎝積もってる。実はここ雪国だった? と勘違いするレベルで雪が積もっている。この時期になると魔法による結界を構築し、それを利用する事で邸内に雪が落ちてこない様に調整する。それによって降雪で屋敷が埋もれない様にする。その上で定期的に炎の魔法を使って屋敷の周りの雪を溶かす事で安全も確保している。そうしないとこの辺境では暮らしていけないのだ。

 

 そういう訳で備蓄しまくった秋が終わり、冬がやって来た。もうすぐ1年が終わる頃になって雪を見る毎日が始まった。

 

 とはいえこんな状況で大人しく毎日を過ごしているかと言えば違う。冬になったから勉学は抑えられる? そんな事はない。冬になってもやる事は変わらない。

 

 

 

 

「―――さ、足元は普段よりも不安定よ」

 

 だから冬になった所で雪に囲まれる中、クレイモアを片手で握りながらエリシアと対峙する日々に変化はないのだ。身長が少し伸びた事でまた筋力が上がった。だから武器もバスタードソードから両手剣であるクレイモアへと移行していった。これまではまだロングソードの一種として認識されるバスタードソードを運用していたが、身体のスペックに合わせて武器ももっと重量のある物に切り替えられた。

 

「そう、不安定な所では上半身が定まらないわ。もう理解していると思うけど、力と言うのは上半身のみで生む訳じゃないのよ」

 

 実際、俺もバスタードソードではそろそろ軽いかなあ、なんて思っている所だった。ただクレイモアも武器としては重量級に入るのだが、これも片手で持ち上げ、振るう事が出来る程度には自分には軽く感じられた。とはいえ、一般的に用意できる重量級の両手剣はこれが上限だ。後は俺が魔法を磨いて自分で武器を生み出せるようにならないと話にならない。

 

 なので武芸修練はもっぱら、クレイモアを片手と両手のスイッチ式で扱う事になっていた。

 

「貴女は天性の肉体を持っているわ。だけどそれもちゃんと力を込められるようにしなければ無駄に空回るだけだわ。という訳で行くわよー」

 

 邸内は雪が入らない様になっているので、比較的に雪が浅い屋敷周辺の大地の上で、クレイモアを手に、同じくクレイモアを手にしたエリシアを相手にする。魔法による筋力の強化でクレイモアを片手持ちに調節したエリシアは手本の様に動いてくれる為、それを参考に自分の動きをアップデートしなくてはならない。

 

 お手本を見せるように、エリシアが飛び込んだ。パウダースノーの大地は踏み込む事で崩れ、そして足を取られやすい。だというのに軽やかに足元の雪を蹴ってエリシアは飛び出した。クレイモアを片手に背負うように接近しながら素早く振り下ろしてくる。

 

 ここで防御に入ると詰む、と言うのは良く理解している。防御と言う行動はその後の行動が存在して初めて成立する行動なのだ。エリシアの様に圧倒的に技量が上の相手に対する防御と言うのは防御に特化しているのか、或いはそこから巻き返す能力がなくては詰みだ。自分とエリシアの間には隔絶した経験と技量差がある。もう既に何度かやっていて経験から解るのだが、ここで防御と言う手を取るとそのまま押し込まれて封殺されるのが何時ものパターンだ。

 

 ならどう挽回する?

 

 一番無駄がないのが攻撃を重ねる事か、回避する事だ。カウンター狙いで回避するか、それとも相手の攻撃を潰す感覚で攻撃を被せるか。それが正解だ……と、思う。だが今の状況、回避が万全にできるとは思えない。なら正面から迎撃するのが一番だろう。というかそれしか選択肢がない。そう、選択肢がないのだ。

 

 戦いとは仕掛ける側の方が選択肢が多いのだ。守備側に入る時点で不利だ。

 

「っ」

 

 踏み込んで迎撃する為にクレイモアを片手で振るう。正面から来るクレイモアに対して自分のクレイモアをぶつけて弾く。

 

 が、踏み込みの強さに違いがあるのが一瞬で解る。筋力は100回が100回、比べれば俺が勝つだろう。だがクレイモアの弾き合いで腕が大きく弾かれるのは此方の方だ。同時に押し込まれるように足が後ろへと半歩下がり、エリシアのクレイモアの戻しの動作が小さい。素早く切り返す動きは一瞬で刃を首元へと運んだ。

 

「これで解ったと思うけど、足元が不安定だと力の練りが違うわ。戦いにおいてどれだけ自分の姿勢や体勢を安定させられるかが力の発揮に影響するわ」

 

 頷く。滑りやすい足場だとまるで力が入らなかった。当たり前の話だが、重量級の武器を持っていると更に実感できる事だ。足元のグリップが利かないのが原因で武器を弾かれた時に、クレイモアに体の動きを持っていかれたのだ。こればかりは筋力が超人とかはまるで関係ない感触だった気がする。足元が滑ればその分体を支えられない。

 

 これまでは雪や砂等のない環境で鍛錬しただけに、雪の上で剣を振るう感触はこれまでとは全然違った。

 

「これは一見足場選びに失敗した時点で詰みに見える事だけど……実際の所、装備1つや技術によって簡単に覆せる劣勢なのよ? ほら、私も普通のブーツでしょ?」

 

 そう言ってエリシアが履いているブーツを見せてくれるが、スパイク付きだという訳でもない。

 

「良い? 生き残る上では装備にお金をかける事、そしてどんな環境でもパフォーマンスを落とさない技術が必要なの。だけどその上で重要なのは基礎能力よ」

 

「基礎、技術、経験、装備。エリシア様の言う戦闘する上で必要なものですよね」

 

「えぇ、そうよ。この場合エデンちゃんが足りないのは全部になるわ」

 

「全部」

 

 まあ、全部だよなあ、と言うのは解る。基礎は今磨いている最中だけど鍛錬に終わりはないから永劫積み上げ続ける事になるだろう。技術はそんなもの今は皆無の状態だ。10年20年と続けて漸く身に着いたのを実感できるもんだ。経験なんてものは勿論存在しないし、装備だって今は市販のクレイモア一本だ。

 

「でも基礎能力における半分、身体能力はエデンちゃんはもうそれだけでクリアできてるのよ。それだけを見ると本当に資質的には恵まれているの。それに装備だって硬い体があるから防具は必要としないし、武器だって結晶武器を形成できるようになれば問題が解決するわ」

 

「アレはエドワード様がオタク特有の早口で言ってる事ですから」

 

「夫のオタク特有の早口は良く理解しているわ。だけど彼は出来る事しか口にしないわ。少なくとも似たようなケースを知っているのでしょうね。彼、昔は天想図書館の禁書庫に出入りしてたし」

 

 天想図書館とはエスデル中央にある世界最高最大の図書館の事だ。その禁書庫となると相当権限のある人間ではないと入る事さえできないだろう―――なんでそんな人間が田舎のスローライフなんてもんを満喫してるんだろう? 普通人生ずっと忙しいもんだろそういう立場の人って。いや、まあ、そのおかげで助かったんですけど。

 

「さ、雪の上での戦い方を今日は徹底して叩き込むわよー。雪上戦闘なんて冬の間にしかできないしねー。覚えるまで何百回でも繰り返すわよー」

 

「今年の冬の間に覚えられれば良いんですけどね……」

 

「多分無理よ」

 

「ですよね」

 

 うわーん、と泣き出しそうなのを我慢する。いや、嘘だ。実際の所は滅茶苦茶楽しい。もう既に前世の俺以上に体を動かす事が出来るのだ。これが楽しくないわけないだろ。しかも両手剣を片手でぶんぶん振り回す事が出来るのって明らかに男のロマンじゃん? 男の子ならこういうシチュエーションや戦闘技術、絶対に習得する事を一度は夢見た筈だ。魔法に関しては少々残念な部分もあるが、それは時間をかけて改善しよう。

 

 ともあれ、再びエリシアが距離を開けて相対してくれるので、今度は此方から踏み込む事にする。その為にまず基本的な構えを取る。エリシア曰く、俺は天性のフィジカルギフテッド、身体能力の怪物だ。だから流派や構えというものは本来必要としない。俺にとっての構えや型は補助輪である、というのがその道のプロであるエリシア奥様のお言葉だ。

 

 最初は基本的な動きを覚えるのに使う。

 

 だけど慣れてきたら発展させるのに邪魔だから外す。

 

 武芸や流派というのは、より少ない力で大きな成果を出す為の技術だ。普通の筋力で鎧を叩き割れる奴が鎧貫の技術を必要とするか? 当然、必要とはしないだろう。習得したところで普通に叩き割れば良いのだから。そういう意味で突き抜けた身体能力を持つ人物が細かい技術を持つ事に意味はない。逆にそれを運用する事に囚われて全体の動きが死んでしまう他、身体能力を活かせなくなる事が多い。その為、今俺が構えを取るのはまだまだ体のスペックをフルに活用できていないという事実があって、補助輪無しではまともな剣の戦いが出来ないという事の証でもある。

 

 だから左半身を前に。

 

 切っ先を前に向け、水平に構える。足はやや開けておく。踏み込みやすいように前足に体重を乗せ、飛び出しやすい形を取る。だけど構えて解った。これ、足が滑って踏み込みの力がまともに乗らない奴だよなあ、と。

 

 ならどうすべきなんだろうか?

 

 数秒考えて答えは出ない。だが試行錯誤はすべきなのだろう。

 

 なら普段、滑りやすい所ではどう動いているか、という所から考える。歩幅を小さくして、体のバランスを取りながら小刻みに動くよな……でもこれは、戦闘向けではない。小刻みなステップって無駄な動きだし絶対に疲れる。

 

 ならバランスだ。滑らない様にバランスを取る―――いや、違う。滑ってもいいようなバランスのとり方をする。

 

「良しッ!」

 

 解ったぞ! 見えた! これがこの世の真理だ!! 俺は今全能の領域にある!

 

 うお―――!!

 

 自分の体のバランスを意識し、踏み込みと同時に滑っても良いように重心移動を意識する。だが構えたクレイモアの動きによってバランスが一瞬で崩れ、顔面から雪の中へとダイブする。そのまま数秒間、雪の中に埋まったまま動きを止めた。

 

「……滑りやすい所で武器を振るうのって難しいですね」

 

「そうねぇ。私も訓練生時代は良く同じような姿を見せていたわね」

 

 ずぼっ、と音を立てながらエリシアが俺を雪の中から引き抜いた。ぱっぱと体についた雪を落としながらエリシアに感謝しつつ、首を傾げる。足元は別に氷が張っている訳じゃないのだ。まだ雪だけなのだ。だけど踏み込めばクッションの様に足が沈み、そして強く踏み込めば圧縮された雪が固まって滑りやすくなる。これほどまでに雪中が面倒な環境だとは思いもしなかった。

 

「難しい……」

 

「そうね。だけどバランス感覚が良く鍛えられるから良いのよ。足元、体のバランス、武器の重量。その全てを意識して体を動かす事を覚える訓練、とでも言うのかしら。後はもう海沿いの砂浜でしか似たような訓練は出来ないのよ」

 

「成程ー」

 

 でも考えてみれば武器を振るう速度、振った場所、体の形、動きで重量のある位置は変わってくるのだ。武器を振るった時に力を使って気張るとそれだけ体力と時間を持っていかれる。自分の動きとエリシアの動きを比べると、明らかに無駄と労力の少なさが違う。最適化……というのではなく、正しい動きを知っているという感じだ。これが俺の覚えるべき技術という奴なのだろう。

 

 横斬り、縦斬り、突き、袈裟斬り。モーションはシンプルだが全部細かく見て行くと全然違うんだ。

 

 やっぱり剣の道は奥が深い。

 

「良し、もう一度お願いします!」

 

「うんうん、城の若い子達にもこの姿勢を見せてあげたいわねー」

 

 そんなに若手にはやる気がないの……? いや、まあ、別にいいけどさ……。

 

「……ん?」

 

「どうしたのエデンちゃん」

 

「……?」

 

 なんかぴくぴくと自分の直感に引っかかる感覚があった。辺りを見渡しながら感じた違和感を求めてきょろきょろと周囲を確認する。何か、違和感を感じていたのだが、言葉にできる様な感覚ではなく、首を傾げてしまう。

 

「エデンちゃん?」

 

「あ、ごめんなさい。何か、違和感があるというか……」

 

 うーん、と唸りながら腕組んで考える。言語化が難しい。言ってしまえばこれは不快感だ。何かが土足で自分の部屋に上がってきているような感覚だ。あぁ、そっか。そう考えると違和感が解った。これ、

 

「誰かが縄張りに入ってきている時の不快感だ」

 

「侵入者? この時期に、ね」

 

 そう言ってエリシアは街の方へと続く、今は雪に包まれた道へと視線を向けた。同じように街の方へと視線を向ければ、道を辿るように雪の中、歩いてくる人影が見えた。

 

 どことなく、その姿に嫌な予感を俺は覚えた。




 ダクファン「お、出番か?」


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エデン頑張る Ⅵ

 此方へと向かって歩いてくる姿を確認しつつエリシアが口を開いた。

 

「他にいると思う?」

 

「いる」

 

 断言出来た。少なくとも自分の縄張りと言えるエリア―――まあ、実際は俺のじゃなくてグランヴィル家のなんだが―――そこに踏み込んできている不快感は多数ある。正面のとは別に、その側面から横に回り込む様に来ている……気がする。少なくとも絶対にモンスターではない。偶にモンスターが屋敷の近くまでやってくる事はあるのだが、連中は基本的に龍の気配を恐れて近づいてこない。俺が来る前はそこそこモンスターの駆除に出たりする必要があったらしいが、俺が来てからは全くと言っていい程モンスターが出現しなくなったらしい。だからこれはモンスターのものではないのだろう。

 

 きっと人間だ。

 

 クレイモアを握る手が強くなる。今日もタートルネックを着ているから肌の鱗は見えない筈だ。少しだけ、隠れるようにエリシアの後ろへと回ってしまった。

 

「どこにいるか、何人か解るかしら?」

 

「横に回り込んでくるように左右にいる。左に2,右に1」

 

「成程ね……大体見えたわ。エデンちゃん、私に大体任せても大丈夫よ」

 

「……うん」

 

 頭をぽんぽん、と撫でられた。ちょっと警戒しすぎかもしれないが、知覚に引っかかった感覚は不快感だ。そして不快感とは嫌な思いからやってくる。今感じている不快感は目覚めた時に感じたようなもの……あの龍殺しの荒くれ共から感じたものに似ている。殺意とか、そういう類のものだ。まさか俺がそんなファンタジーな要素を感じ取れるとは! なーんて、余裕はなかった。あの時の事を思い出すと、やっぱり死の恐怖を思い出して体が固まる。

 

 そんな事をしている間に正面からマントを被った男がやって来た。マントの下から見える男の姿は昆虫の体をしている。男だとすぐに分かったのは体格の良さからだ。流石に昆虫人でも男女で体格の違いは大きくある。一部を除いて男性の方が体が大きい。だから男性、成人の昆虫人だ。それがマントで雪から身を守るようにしている。

 

 エドワードを、呼んだほうが良いんじゃないか、と上を見上げるが、エリシアはクレイモアを雪の大地に突き刺したまま動かない。

 

「失―――」

 

「当家へと、何用かしら」

 

 言葉を発そうとした昆虫人に被せるようにエリシアが言葉を放つ。会話の切っ先を崩された事にちょっとだけ相手は無言を作るが、

 

「この様な時分に失礼。私は旅の者だ。この雪の中長く旅をしてきたが、食料を失いつつある。此処から街へと行く為に多少のお恵みを申し訳ないが、頼めないだろうか」

 

「嘘ね。こっちは主要街道から外れた道よ。街から真っすぐ目指さない限りは迷い込む事もないわ。嘘をつくならもう少しマシな嘘を用意してくれないかしら」

 

 それに私、と断言したしね。そう小さな声でこっちにだけ聞こえるように言った。つまり目の前の昆虫人は仲間を隠しているという事だ。明らかに何か、良からぬ事を企んでいるという事で。それをエリシアは的確に見抜いていたし、昆虫人も上手くは隠せていなかった。旅人ではない事がバレた昆虫人は頭を軽く掻いた。

 

「食い詰め、である事は事実なんだ。食べ物を、分けて貰いたい。お願いします」

 

 そう言って昆虫人は頭を下げた。それを前にエリシアは態度を変えない。

 

「帰りなさい、貴方がいた場所へ。私達に施す様な義務も義理もないわ」

 

 一瞬で、迷う事もなくエリシアはそれを切り捨てた。だが縋るように昆虫人は顔を上げた。

 

「頼む、まともな飯が食えてないんだ! もうここ数日は木の根を齧って生きてるんだ。まともな野菜でも食べられないと本当に死んでしまう!」

 

「それは貴方が冬になる前に十分な貯蓄を行わなかった事が悪いわ。それとももしかして教えてくれる人がいなかったの? 辺境の冬は辛い、って。此方では常識よ。こっちで生活をするのなら教えてくれる仲間を作るべきだったわ」

 

 鋭い言葉に昆虫人は僅かによろめくが、しかし顔を赤くしながら声を張る。

 

「少しぐらい良いだろう! お前たちは貴族で余裕があるんだから! 俺達は明日の食事があるかどうかさえ解らないんだ!」

 

 みっともないとしか表現できない逆切れにエリシアは無言で頭を横に振る。

 

「エデン、見ておきなさい。アレが努力を怠った者の末路、食い詰め達よ」

 

「食い詰め……」

 

「冒険者たちで言う”捨て犬”らしいわね。未来が見えず、先を考えず、その日をどうやって生きて行くかだけしか考えない……その結果、最後はこうやって誰かか何かに縋って塵を漁るようになる捨てられた犬」

 

「こっちはソッチと違って何もないんだぞ!」

 

「でもなれる職業はたくさんあるわ」

 

 即座に否定された。エリシアは一切の同情を見せる事もなく昆虫人の言葉を最初からずっと否定し続けている。いや、否定ではなく拒絶しているのだ、これは。既に最初からそういう風にすると決めている様に。

 

「知っているはずよ、辺境では常に人員が不足していてどこでも働き手を求めているって。街で仕事を探せばそれこそ冬の間でも寝床を提供してくれるような場所だってあるはずだわ。肉体労働だったり、地味で目立たない仕事だったりするけど。それでもちゃんとやって行けばお金だって貯まるし、冬の間だって問題なく生活出来た筈よ。何もなくても体力さえあればどうにかなる事さえできなかったの?」

 

 違うでしょ? とエリシアが続ける。

 

「夢を見るのは自由よ。だけどその失敗を掲げて自分は可哀そうだなんて振舞わないで。私達には関係ないから」

 

 それに、とエリシアが頭を横に振る。

 

「うちだって別に余裕がある訳じゃないわ。エデンちゃんが増えた分食費が増えたし、洋服代だって増えた。その分収入を増やさなければいけないから仕事だって増えたわ。でもエデンちゃんはその分の仕事をちゃんとしてくれているわ。役に立っているし、成長する意欲だって見せてくれているわ。だけど貴方はどう? 食べ物を受け取ったらそれだけ?」

 

「……」

 

 昆虫人は動かない。エリシアの言葉に固まり、無言のままマントを被っている。その視線はエリシアから、その後ろに半身を隠している俺へと向けられる。

 

「それとも……恩を仇で返すつもり?」

 

「動くな」

 

「動けばそこの娘を殺すぞ」

 

 ばっ、と音を立てて少し離れた距離の雪が吹き飛んだ。雪の中に隠れるように進んでいた者共が出現する。弓を構えた虎人、槍を持った純人、そして剣を持った昆虫人。マントを被っていた昆虫人もフードを脱ぐと懐から一冊のスペルバインダーを取り出した。前衛2に後衛2という形はバランスの良い組み合わせだ。明らかに最初から戦闘をする事前提の組み合わせと動きだった。

 

 先ほどまでは顔を赤くしていた昆虫人も、一転して冷静になっている。いや、最初から演技だったのかもしれない。

 

「困ったわねぇ」

 

「時間稼ぎご苦労ゴ・ダ」

 

「あぁ、さっさと始末して中のもんを貰おう。外は寒い」

 

 武器を向けたまま、エリシアのクレイモアに警戒するように視線を向けながら威圧するような言葉が周囲から来る……だが動きはない。言葉で威圧しつつリアクションを引き出そうとしている。だが明らかな敵意と殺意は一切衰えない。こいつら、最初からこのつもりでここに来ている。

 

「エデンちゃん」

 

「は、はい」

 

「ウチはね、こんな辺境で少人数で暮らしているからね? たまーにこういう勘違いしたお客様がやってきて困っちゃうの。住みづらい所でごめんね?」

 

「あ、い、いえ。俺としても、その、拾われて世話をされて教えられて凄い助かってますし。リアと一緒にいるのも凄い好きですから。その、大丈夫です」

 

「ん、良い子」

 

 常に片手をクレイモアに置き、視線を昆虫人スペルキャスターから外す事無く、空いた手でエリシアが俺の頭を撫でて来た。こんな状況でも一切揺らがないその姿には、改めて尊敬の念を覚えるが―――彼女の言葉が正しければ、これは初めての事ではないのだろう。何度か同じように財産を求められて襲撃されているのだろう。考えてみれば僅か数人で暮らしている、街でも有名な辺境でスローライフを営む貴族だ。

 

 たとえ護衛がいても数人という数しかいないのであれば、俺達でもどうにかなるのでは? と思って襲い掛かる食い詰め……いや、捨て犬が現れてもおかしくはないのか。とはいえ、

 

 たったそれだけで、人を殺しに来るのか、この人たちは……?

 

 その思考が、全く理解できなかった。

 

「所でエデンちゃん、聞いて良いかしら?」

 

「はい?」

 

 エリシアが、敵から目を離した。その瞬間敵が動くが、気にすることなくエリシアはウィンクと共に言葉を続けた。

 

「―――あの程度のもので貴女の鱗って傷つかないわよね」

 

「えっ」

 

 エリシアの言葉と共に矢が頭に着弾した。迷う事無く生まれた隙に入り込む様に差し込まれた一矢。殺意を乗せた一撃は間違いなく人間であれば必殺するだけの威力を持っている。

 

「殺った」

 

 確信を持った虎人の表情と言葉は次の瞬間、硬質な音を立てながら弾かれる矢の姿と、半泣きになっている俺の表情で一瞬で崩壊した。

 

「痛ったぁ―――!!」

 

「!?」

 

 矢の衝撃でクレイモアを手放しながら雪の中を吹っ飛ぶが、頭に衝突しても実質的なダメージはゼロだった。矢じりが間違いなく角を避けて頭に当たったのに。だというのに矢が弾かれ、髪は切られる事さえもなかった。それがスローモーションで流れてく様に見えた。なんだ、ギャグ展開かこれ? なんて考えが一瞬挟まる程度には頭が混乱していた。だが事実だった。

 

 腕の太さが俺の頭ほどの虎人が放った矢でも、俺の肌―――いや、鱗を傷つける事さえできないのだ。というか戦場の空気が完全に停止していた。

 

「え、嘘だろ? なにあ」

 

「奥様ひど」

 

「―――」

 

 言葉を呆然と放つ、その間に血が舞った。ギャグとかそんな概念はエリシアには通じなかった。矢を弾くレベルの頑強さを証明する瞬間に俺が落としたクレイモアを回収、二本同時に別々に投擲する事で昆虫人スペルキャスターと弓兵虎人を一瞬で殺害した。

 

「えっ」

 

 それを見て零した声がそれだった。それしか言えなかった。あまりにもあっさりと、自分の視界の中で人が死んだのだ。

 

 吸い込まれるように一本目のクレイモアは昆虫人の首に突き刺さり、そのまま貫通して頭を切断する形で抜けて行った。もう一本は虎人の顔面を貫通するように突き刺さって即死させる。何がどう見ても即死させていた。人が自分の目の前で死んでいる。その景色に言葉の全てを失う。

 

 だがエリシアは動きを止めない。クレイモアを投擲した時点で既に次のターゲットとして槍を持つ純人へと向かう。一切迷いのない殺人からの接近に純人は怯えるように見えたが―――一瞬で迎撃する為に槍をエリシアへと向けた。

 

 正面、疾走するエリシアと純人が相対する。一瞬で、最小のモーションから繰り出す男の突きは槍という武器をそれなりに愛用してきて使い込んでいる事を証明する動きでもあったが、真正面から向き合ったエリシアは一瞬で体をずらし、穂先の横に腰を滑らせるように足元の雪を使って接近してくる。両腕の隙間を背後に槍を通し、ゼロ距離に接近した所で槍を捻るように叩き奪う。

 

「ごっ」

 

 顎に一撃、足を踏み、丹田に二撃目。そこまで目撃したところで衝撃を受けた。首に腕が回り、刃が首に付きつけられるのを感じた。

 

「おい動くな!」

 

 視線を上へと向ければ昆虫人が剣を此方の首へと向けているのが解った。だがエリシアへと視線を戻せば奪った槍で純人の男の心臓を貫いている所だった。攻撃するのを止める様子はなく、槍を振るって血を掃うと槍を一回転させてからゆっくりと近づいてくる。怯える様な表情を浮かべる昆虫人は俺を引きずるように下がり始める。

 

「クソ、クソ! こんな話聞いてないぞ!」

 

「誰から聞いたのかしら? それともここなら簡単なターゲットだとでも思ったの? そしてごめんなさい、エデン。貴女の頑強さなら確実に無傷だと思ったから利用しちゃったわ」

 

 そう言うと溜息を吐きながら頬に手を当てた。

 

「駄目ね。前線から離れて結構経つのに昔の悪癖ばかり出てきちゃうわ……ねっ」

 

 足を止めたエリシアは近くにあったスペルキャスターの心臓を貫いた。僅かにぴくぴくと動いていた昆虫人の体の動きが停止する。確か、昆虫人は頭を失っても数分の間であれば死なないんだっけ。そんな事を現実逃避気味に考えていた。

 

「動くな、動くなッ!!」

 

「無理よ。貴方じゃその子を傷つけられないわ」

 

「ッ、な、なんだよ! なんだよこれ!! 化け物共め!」

 

 首に剣が叩きつけられるが、刃が肌に沈まない。押し込んでも引っ張っても切ろうとしてもまるで意味をなさない。その事に恐怖を覚えた昆虫人が剣を手放しながら背中を見せて逃げ出し、

 

 その頭を投擲された槍が貫通した。

 

 次に回収されたクレイモアが心臓を貫いた。

 

 そうやって、その場にいた賊は全員、死んだ。

 

 雪の中に残された死体をただ見て、吐き気を感じる事もなく、ショックを受けていた。近寄ってきたエリシアは返り血を浴びる事もない状態で戦闘の処理を終えていた。そしてまた、頭を撫でてくれる。

 

「ごめんなさいね、エデン。貴女を利用する形になってしまって」

 

「いえ、俺は別に無傷だし。でも、人の、命が……」

 

 俺は、別に良い。ぶっちゃけ剣を向けられる事も、弓を向けられる事も怖くはなかったし喰らわないって解ってたから心に余裕はあった。本当に怖かったのはあの龍殺しの剣だけだ。アレは向けられたら死ぬってのが解るからだ。あの恐怖だけが絶対に駄目なのだ。だから今回は良かった。

 

 人が死ぬまでは。

 

 俺の言葉にエリシアは頭を横に振った。

 

「解り合えないなら殺すしかない。それが絶対の法則なのよ」

 

「殺すしかない……」

 

 本当に? 本当に殺すしかなかったのか? だけどエリシアの言っている事は全部真実だ。分けられるような食料はないし、別に豪勢に暮らしている訳でもない。お金だって生活する分に少し余裕を持たせる程度しかない。だから本当に分けられるようなものはなかったんだ。だからそれで無理だと答えて武力を向けられたら、此方も応戦するしかなかった。

 

 それしか選択肢がないのはそう、なのだが。

 

「適度に痛めつけて追い返せなかったか、って思ってるでしょ」

 

「……はい」

 

「でもその方が残酷よ」

 

 エリシアが街道へと続く道を見る。

 

「体に傷を負ったまま、街へとは絶対にたどり着けないからぼろぼろになったまま凍死するでしょうね」

 

「それは……そう、ですね……」

 

「ごめんなさいね……こういう所、見せちゃって」

 

 そう言われて申し訳なさそうな表情を向けられる。それを見て思った。

 

 今まではなんだかんだで平和だっただけだ。優しい人たちと、優しい場所に居られたおかげで平和だったんだ。だけどこの世界の本質的な部分はずっと、あの生まれた直後の所から変わっちゃいないんだ。この世界は地球よりも遥かに残酷で、そして余裕がないんだ。

 

 生きる為に誰かを殺して奪おうとする事が別に珍しくはないぐらいには。

 

 それを見て、知って、教えられて。

 

 もっと、力がいる。生きて行くためには力が必要なんだ、と。どれだけ納得がいかず不満であったとしても。それでも最終的に力のないものは選択肢すら与えられない。殺すか、生かすも。

 

 それを教えられる冬だった。




 人妻vsダクファン、人妻の勝ち。


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エデン頑張る Ⅶ

 この世界は俺が思っている以上に厳しい。

 

 賊―――いや、この場合この世界での言葉を借りて”捨て犬”と呼ぼう。連中が来るのも襲い掛かってくるのも別に初めての事じゃないらしい。グランヴィル家は貴族家でありながら政治に関わらず、無駄な装飾をする事もなく生きている。理想的な田舎のスローライフを送っているグランヴィル家はそれこそ余裕があると対外的には思われがちだ。だが実際のところはそこまで大きな余裕がある訳ではなく、ある程度自給自足しつつ狩猟なんかもして食事を賄っているし、それでは足りないからエドワードやエリシアが領主に仕事を貰いに行っている。

 

 俺は目撃してしまったから改めて教えられたのだが、この仕事の内容は主に危険生物の駆除や賊の退治などが含まれているらしい。エドワードとエリシアの戦闘力は中央から見てもかなり高く、その戦力を遊ばせているような余裕が辺境にはない。だから義務を全て捨て去ったスローライフを営んでいる夫婦を仕事、依頼という形で利用しているのだ。

 

 だから実際の所、こういう風にグランヴィル家のありもしない富を求めて、そして生活の為にグランヴィル夫妻は人を殺していた。

 

 俺とグローリアの生活というものはそういう連中の犠牲の上で成り立っているものだった。

 

 それを自覚すると自分がどれだけ恵まれていたのか、という事を自覚する。

 

 エリシアも、エドワードも、俺を拾った所で保護する義務なんて無かった。だというのに拾って、飯を与え、衣服を与え、治療して、そして育ててくれている。ただの食い詰めと同じ扱いでもこの世界の基準からすれば問題なかったのだ。それを知ってしまうと、今までの様にただただ漠然と生きてい行く事は不誠実の様に思えた。俺もまた、もっと良くこの世界を知って、もっと何が出来るのかを考えた方が良いんじゃないだろうか? なんて事を考え始めた。

 

 地球人としてではなく、この世界の住人であるエデンとして俺が出来る事は何か。

 

 それをもうちょっと良く考えよう。そう思わせられる冬だった。だけどこの体はまだ子供だ。剣は握れるけどまともに人へと向けられるとは思えないし、モンスターへと向けて振るうのだってまだ躊躇するだろう。だからとりあえず今準備が出来る事は家の中のお手伝いと、

 

 もう少しだけ、この世界に関して真面目に考えてみる事だった。だから捨て犬を処理してから数日後、

 

 俺はエドワードの許可を得て書斎で本を漁ってた。

 

 

 

 

 冬は何時も大体タートルネックセーターにジーンズという格好をしている。そんな恰好で書斎の床に座り込みながら幾つかの本を重ねるように並べ、持ち込んだクッションの上に座りながら色んな本のタイトルを漁っていた。冬になると外で遊べなくなったり、鍛錬する時間が必然的に減る為、1回1回の授業の密度が上がって行くのだ。その結果、読みと書きに関しては割と良く出来るようになったと思っている。一番は座学担当のスチュワートに色々と教えてもらう事なのだが、冬の間は老骨を無理矢理働かせるのは可哀そうだという理由で俺はなるべく頼らない様にしていた。

 

 ともあれ、まずは基本的な世界構造や知識、どうしてこういう文化や文明が成り立ったのか。そういう事から自分の知識を補完するのが、世界や生き方を知る上では重要なんじゃないか、と思った。まあ、此処には多分に俺の趣味が入っている事も否めない。それでも宗教と神学は歴史と文化の発展を知る上では最も重要なジャンルだと思っている。

 

 人は未知を恐れ、そして解明できない事をオカルティズムに繋げる。

 

 超自然的な法則と現象が未知と結びついているのだと口にする事で、理解できる範疇に物事を落とそうとするのだ。そうする事で恐怖を和らげ、いずれ制圧できるものとして扱うのだ。だがこの世界は神々が存在する世界だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()という事だ。

 

 オカルティズムが世界的真実、そんな世界になりえるのがこの世界なのだから、歴史を調べるとは神話を調べるという事でもある。だから歴史書と、神学の参考書を並べてその内容を確認していた。ちなみに最初はグローリアも一緒に見るとか言っていたが、秒で飽きて逃亡した。歴史とか調べるの俺は面白いと思うんだけどなあ……。だって皆、日本の戦国時代とか武将は大好きだし、海外で言えばスペインの建築文化が南北からの侵略によって文化が入り混じった結果だとか見てるだけでも面白くない? 解らないかなぁ、これ……。

 

「うーん、創世神話か……やっぱり普通にあるな」

 

 当然ながら神々が実在する世界なのだ。創世神話も神々が伝えた結果残されているのだろう。歴史書と比べても内容は同じだ。

 

 そしてその内容はこうだ。

 

 かつて虚無の海があった。

 

 時は流れる事もなく、何も存在しない無に満たされた海より名もなき創世の大神はその身を持ち上げた。虚無に浮かぶ大神はその両手で虚無の底を掬い上げ、原初の泥を持ち上げた。そして原初の泥を通して大神に仕える神々を生み出した。大神はこれにより最も古き神々を生み出し、古き神々に命じた。

 

 満ちよ、満ちよ、満ちよ。この寂しき世界を満たせ。

 

 大神は古き神々にそう命令を下すと己の身を横たえ、虚無に浮かぶ島となり、そしてその姿を広大な大地へと変えた。大神は生物の生きる事の出来る星へと己の姿を変貌させた。これにより虚無の海は大神の大地によって満たされた。そして古き神々は大神の言葉に従い、大神の体に住まう命を生み出した。

 

 それが原初の住人達であり、生物たちだった。木々を、魚を、獣をこの大地に生み出した。そして最後に、大神の大地にそこで繁栄する為の住人たちが生み出された。

 

 旧神達に生み出された世界の覇者、それが龍族である。

 

「これが龍の起源かぁ」

 

 呟きながら自分の角を軽く掻いて、続きを確認する。

 

 龍という種族は一番最初の住人として、この世界を統べる存在として生み出された。龍は強く、雄々しく、そして強力無比だった。あらゆる面に於いて生物として優れている龍たちは支配者という概念に相応しい力を持っていた。最も神に近い種族、それが龍という種族であった。大神の大地に生み出された龍たちは瞬く間に世界を掌握し、そして穏やかに生み出された世界を生きる事となった。

 

 だが大神は旧神達の仕事に満足する事無く、新たな神々を生み出した。新しき神々、今の時代を生きる神々達の事である。

 

 大神は新たな神々に命じた、多様性を生み出せ、と。この世界をもっと満たせと。

 

 そうして新たな神々は龍と共に生きて行けるような生物をこの世界に新たに生み出した。

 

 まず最初に生み出されたのが純人であった。そこから多様性を生み出す為に獣人が、昆虫人が、海を満たす為に魚人が生み出され多様な種族が大地を満たし始めた。大神が望んだ通りに虚無しか存在しなかった海には大地が生まれ、そしてその大地は様々な種族と命によって満たされ始めていた。始まりの虚無にあった静寂は人の営みと暖かさで満ち、これに大神は大いに満たされた。

 

「龍が先に生まれ、後から人が生まれた、と。というか今の神々と古い神々が別々に区別されているって事は……」

 

 なんとなーく、この先の展開に予想がつくなー、なんて想いながら本を読み続ける。

 

 だが大神の言葉に旧神達は嫉妬した。誰よりも何よりも世界を開き、そして満たすための礎を生み出した創作物達はお褒めの言葉を貰えなかった。その事実に旧神達は憤慨し、そして嫉妬したのだ。旧神達はこれにより新しき神々との対立の道を選び、旧神達は龍を己の兵として神々との戦いに使用した。

 

 ……そこからは大体知っている通りの流れだった。

 

 龍はそれによって悪に認定され、新しき神々―――つまりソフィーヤ神やエメロア神等の現在信仰を集めている神々が古き神々との戦争に勝利したのだ。その結果龍族は絶滅し、古き神々は死滅するか封印されたらしい。現在は新しき神々が勝利したことで覇権を握り、人類の時代がやってきている……という事だ。

 

「成程なあ、これがこの世界の歴史って事か」

 

 歴史書、神話を確認しても若干言葉遣いが変わるだけで書いてある内容はどちらも共通だ。大神の名前を語る事は不敬であり、それをどの本も書いていない事が非常に気になるが……それはそれとして大体納得の行く理由だった。

 

 旧神達の兵として運用された龍たちは相当暴れまわったらしい。そしてそれが生み出した混沌や破壊をソフィーヤ神達が抑え、人類に討伐方法を教え、そして討滅したのだ。その後で人類が再興する為に環境を再生し、必要な技術を伝え、今も見守っているんだ。

 

 そりゃあ龍族が悪役になるわ。

 

 最後の1匹まで駆逐してやる……! とか思う様な龍殺しが出来るし、ドラゴンスレイヤーなんて職業まで生まれてくる訳だ。現代の地球人的価値観で言えば、龍はテロリストに近いだろう。それもフル武装で街1つふっ飛ばすだけの火力を持つ。そしてかつて多くの国と大地を焼いてきたのだ。そりゃあどの国だって敵認定するし、ぶっ殺そうと躍起になるだろう。この認識を世界規模で改めるのなんてもはや不可能だろう。

 

 なにせ、神話とは歴史で、イコール真実だ。神が証人として歴史を語っている以上はこれを塗り替える方法がないのだ。その中で無条件で俺を信じて育ててくれている、保護しているグランヴィル家はマジでなんなんだって話になるのだが。その好意はマジでありがたいのだが。それはそれとして不安を覚えなくもない。

 

 とはいえ、

 

「龍が何故邪悪扱いされるのかはこれでよーく解った。俺絶対にこれを人に伝えない様にしなきゃな……」

 

 少なくとも龍に対して初見で良い印象を持っている人類なんていないだろこれ。いやあ、冗談きついっすわ……。

 

 まあ、でも良い所は龍の人化が一切語られていない事だろう。龍は龍の姿のままらしく、人の姿になる様な話は調べている限りはなかった。つまり誰も龍が人の姿をしている、とは思わないのだろう。つまり俺もある程度鱗を隠さなくてもよさそうという感じはするが……まあ、やっぱり安全を取って鱗は隠したほうが良いだろう。

 

 少なくとも角を持つ種族というのはそこそこいるから珍しくはない様だ。

 

 有角族なんて角だけを生やした種族があれば、獣人の中でも牛ベースの獣人は角と尻尾を生やしているし。探せば角を生やしている種族はそれなりにいるらしい。もっとカオスな特徴を持っている種族を探せばやっぱり魔族に行きつくのだが。この連中は魔界と呼ばれる異世界出身の種族らしいが。

 

「あぁ、そうだ。魔界に関しても調べるか……」

 

 魔族、魔界という話は聞くが具体的にどういう場所なのかは知らないんだよな。そう思いつつ魔界に関する資料を書斎で探る、あっさりと見つける。

 

 魔界。大神の世界とはまた別の異世界。次元の壁を隔てて存在している完全なる別世界。世界を支配するのは魔神と呼ばれる神々であり、大神の世界よりも遥かに濃いエーテルが大気に満ちている影響で魔族たちは魔力、身体能力共に非常に高い能力を持っている。またそのエーテル密度の影響で肉体が若干変容している。その為、身体的特徴にバラつきが多く、此方の世界の住人が魔界へと赴くとエーテルの濃さに溺れる。

 

 魔法効果が密度によって増幅されやすく、魔法制御が更に困難になる。その為、属性が増幅されて簡単に自然災害が発生する。何もない陸地で津波が発生するケースさえも存在し、魔界の大地は未開拓地が多い。その為最上級のエクスプローラーは魔界へと未知を求めて旅立つ事も少なくはない。

 

 魔神たちは我々の世界の神々とは違って統治にも支配にも信仰にも興味はなく、気づけば街中を歩いている姿さえも目撃できる。此方の世界と繋がったのも原因は魔神にあるらしく、その時の言動はこうと記録されている。

 

「おいすー。遊びに来たよー」

 

「もう読むの止めようこれ! うん!」

 

 神様ならもっと神様らしくやってくれねぇかなぁ……。ソフィーヤ神がどれだけ神様っぽかったのかを嫌な所で再確認してしまった。というか言動の記録取られてるじゃんこいつ……。というかマジでおいすーとか言ったのか? 言ってしまったのか? マジかこいつ……。

 

 しかしこれで侵略する気ゼロ、余っている土地に国を作って観光しに来ていると言われると魔界と大神の世界での大きな違いを感じる。なんというか……魔界さん、実は凄い文明進んでない? って感じがする。まあ、それでも聖国に喧嘩を売られて年中ドンパチしているらしいが。良くもまあ、飽きないもんだ。

 

「ふぅー。ちょっと疲れたな」

 

 本を下ろして両手を後ろに回して寄りかかりつつ、軽く先ほどまで調べた事を思い返す。

 

 根本的な部分で龍は悪として認知されている。神話を読む限りはそれは仕方のない事に思える。だけどソフィーヤ神の対応と姿を見ている限り、この神話は完全には正しくはないように思えた。少なくとも大神が新しい神々を産む所までは間違いなく正しいのだろうとは思う。

 

 だが戦争を始めた理由……そこら辺から事実が異なりそうだと思える。

 

「……ん? 異世界?」

 

 そこまで考えた所でふと、頭にノイズが混じる。先ほどまで魔界の事を読んでいたせいかもしれない。

 

 虚無から何か生まれるなんて到底思えないし……実は大神、異世界産だったりしない? 魔界とはまた別の所での。

 

 そして異世界って概念があるなら、地球ももしかして異世界として存在しない……?

 

「う―――ん……」

 

 悩ましい。色々と考えが上がっては証拠がない、確証がない、妄想だろうと否定する。結局のところこの狭い書斎の中での情報だけだと把握できる物事の上限がある。こうなるとやっぱり、もっと詳細な情報が欲しくなる。それが把握できるのは中央の天想図書館になるのだろう。

 

 ……或いはエドワードが柔軟に俺を受け入れてくれたのも、図書館で何か俺の知らない事を知ってたからか?

 

「なんか無駄に考えこんじゃうな」

 

 悪い癖だとは解ってるんだけどなー。

 

 とはいえ、知れる事を増やすのは決して悪い事ではない。そう思いながらこの冬はもうちょっと勉学に集中しようと思った。

 

 真面目に、真摯に。自分の出来る事に向き合おう。




 魔神「旅行に来ました」

 帰ってくれ魔界案件。なお、当然ながら此方の神々は滅茶苦茶困惑してた模様。


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命の値段

 冬が終わって新たな春がやってくる。

 

 冬ってマジで辛いんだなぁ……ってのを思い知らされる冬だった。減って行く食料を眺めるのは中々心が苦しくなる光景だった。ファンタジー世界の冬を舐めていたと言えばそうなのだが、未だにコンビニとスーパーで簡単に調達出来る日本人の感覚が抜けきって無かったのかもしれない。ともあれ、そんな辛かった冬も終わりを告げて雪が溶けて来た。こうなると漸く引きこもり生活はおさらば、街で新しく食料を買い込みながら軽く春の到来を祝う。

 

 そんな雪解けの季節にエドワードが俺とグローリアを執務室に集めてある事を告げた。

 

「今年はいよいよリアをサンクデルの所へと連れて挨拶に行こうと思うんだ。無論、リアの従者としてエデンもつれて行く予定だから準備しておいてね」

 

「挨拶?」

 

 エドワードの言葉に首を傾げるグローリア。そう言えばサンクデルという領主がこの辺境領の主だったという話は聞いている。グランヴィル家は領主サンクデルの土地に住まわせて貰っている形になっているんだろうか? 腕を組んで頭の中で軽く情報の整理を行っていると、エドワードが話を続けた。

 

「僕はあまりリアを表に出すつもりはない……というか政治とかのごたごたに付き合わせるつもりはないんだよね。だけどサンクデルの所にはリアと同年代の娘がいるからね。お披露目然り、社交界デビュー然り、その前に同年代の子に合わせて社交性を磨きたいって話は分かるんだよね。まあ、リアの友達にもなれるかもしれないし」

 

「友達……!」

 

 俺はどっちかというと家族ポジションだからなあ、と心の中で呟く。まあ、それでも現状は唯一のグローリアの遊び相手で友達とも言えるポジションだ。ちゃんとした友達を俺以外にも作るというのには大いに賛成だ。ここで領主への挨拶のついでに領主の娘にコネクションを作るのは悪くないんじゃないだろうか。それ以上にグローリアの交友関係が広がるのが良いのだが。

 

 とりあえず、

 

「確かサンクデル様は辺境伯でしたよね?」

 

「うん。辺境の守りを担当しているから武力と土地も多く貰っているんだよね。大変な立場にいる人だけど、僕の友人でもあるんだ。サンクデル・ヴェイラン。僕はちょくちょく会いに行ったりするんだけどね。君たちを連れて行くのは初めてになるかな」

 

 我が家の財源でもある。

 

 辺境伯とは辺境、および国境の守りを任せられたために伯爵の中でも特に力と権力を多く与えられた存在で、実質的な立場としては侯爵に近い人物、だったか? 力をそれだけ与えられるという事は国王からの覚えもめでたく信用されている人物である事の証だ。辺境伯の娘ともなれば確実に中央の学園へと向かうだろうし、入学の時期は恐らくグローリアと一緒だろう。

 

 辺境の統治を見ていれば散発的に発生する捨て犬共を抜きにすれば成功していると言えるだろう……統治者としては賢人かも。

 

 いや、やっぱ判別つかないわ。政治良く解んない。俺の生活は良いもんだけど一般では満たされてるのかどうかは話が別だ。

 

「でもエドワード様。俺、連れてっても大丈夫なの?」

 

「あぁ、問題ないよ。これからもリアを支えて貰うからね。何時も君らしくリアを支えてあげて欲しいな」

 

「うっす」

 

 エドワードの言葉に頷くと、わくわくと楽しそうな表情を浮かべたグローリアが俺の手を掴んで引っ張り出す。抵抗するのはたやすいが、自他共に認めるようにグローリアには甘い。だから楽しそうに発進するグローリアの事を止める術なんて俺には存在しない。だからそのままずるずるとグローリアに引きずられる。

 

「さ、何を着て行くか相談しましょエデン! 新しい友達になれるかもしれない人なんだから、精一杯おめかししなきゃ!」

 

「おーい、まだ来月辺りの話だからねー? 今すぐ行くって訳じゃないからねー?」

 

「解ってまーす!」

 

 楽しそうに答えながら引っ張られる中で、エドワードへと視線を向けると宜しくね、と目線を送られた。もしかして俺の事、同年代の大人として見てないか? いや、まあ、中身は間違いなく大人だからその判断は正しいんですけどね。

 

 そのままずるずると引きずるのが辛そうに見えてきたので普通に立ち上がるとグローリアを持ち上げ、そのまま肩車する。おっと、俺の角はハンドルじゃないからあまり強く握らないでくれよ? 何と言ったって頭蓋骨と直結してるからな!

 

 まあ、クレイモアで叩かれても脳震盪にならないレベルで硬いんだが。

 

 それはともあれ操縦者に任せてグローリアの部屋へと向かうと、肩から飛び降りたグローリアが一直線にクローゼットの方へと向かうので、俺はグローリアのベッドの上に座る。女の子らしくぬいぐるみが置いてあるグローリアの部屋は俺のまだ比較的に殺風景な部屋とは違って、彼女のらしさが出ている可愛らしい部屋だ。ぬいぐるみ、1人でいる時間が多かったから昔は集めていたらしい。

 

 今じゃその代わりに俺がいるからあまりぬいぐるみを集める様な事はしない……とは、アンからグローリアの世話を引き継ぐときに教えてもらった事だ。

 

「うーん、やっぱりドレスが良いかしら……」

 

「最初からキメッキメで行くと逆に引かれるよリア」

 

「そう? でも相手は辺境伯の子よ? 名前はえーと……」

 

「ローゼリア、ローゼリア・ヴェイラン。お父さん同様燃えるような赤毛が特徴的な子だって話だね。まあ、それ以上は良く知らないんだけど」

 

 ただ辺境伯の娘というのならそれなりの立場の娘だ。変にプライドの高い娘だった場合もある。そういう娘だった場合、グローリアとの相性は悪いだろう。グローリアは良くも悪くも立場や階級というものに縛られない考えや態度をする。そこら辺の影響はエドワードやエリシアからの物が強いのだろう。そのおかげで俺も敬語とかなしのタメでグローリアと話せている。だけどグローリアはかしこまった態度が必要な相手とはまだ接したことがない。見ている限り、エドワードはそういう切り替えはちゃんとできるタイプの人だ。

 

 だが果たしてグローリアはどうだろうか? 出来るか? このぽわぽわ娘が?

 

 無理だろ……。

 

 まあ、その為の俺という事なんだが。今度街に行ってローゼリアの噂でも調べてくるべきだろうか? いや、直接エドワードに聞いた方が早い気もする。それはそれとしてクローゼットに頭を突っ込んで楽しそうに服選びをしているグローリアの様子を見てどうするべきか、と考える。ファッションセンス云々はぶっちゃけ、自信がない。元男からすると可愛い女の子って何を着ても大体なんでも似合ってるからコメントに困るんだよな……って感じがある。

 

 エドワードもエリシアも楽な格好の方が好きなタイプであまりファッションには拘らないし、アンも動きやすさを重視している。唯一スチュワートだけが執事服で仕事をしているのだが……まあ、ここもファッションとは違うだろう。こういうのはプロフェッショナルに相談するのが一番良さそうなんだよなあ……。

 

「……」

 

 一瞬神様にオラクルして聞き出すのが一番楽なのでは? と考えてしまったが流石にそれは禁じ手だろう……という事でそっと自分の心の中に封印しておく。まあ、それはさておき考えるべきなのはファッションか。まあ、流行がこの辺境ではあまり届かないからそこまで心配する必要もない気はするんだが。とりあえずまあ、どんなにセンスがなくても押さえておくべきポイントはいくつかある。

 

「相当奇抜かフォーマルすぎる格好しなければ大丈夫だと思うよ」

 

「そう? 着飾らないと不敬にならない?」

 

「木っ端の兵士じゃ俺を傷つけられないしへーきへーき」

 

「そういう問題……?」

 

 古強者クラスにでもならないと武器ではまともにダメージが入らないとか断言されちゃったからな、俺。技量が一定以上あって防御を抜く手段がない限りノーダメージらしいので盾としては最高の性能してるんだよな、俺。これ、その為の仕様じゃないと思うんですけど? まあ、また話がズレるから本題に戻るとするか。

 

「じゃあ割と真面目な話をしよう」

 

「珍しい……!」

 

「今本気で珍しいって思いやがったなこいつ……。いや、まあ、人の不快感って基本的に凄い簡単な所から来るんだよリア。とりあえず俺を見てどう思う?」

 

 ベッドから立ち上がり、くるりと一回転。暖かくなってきた事で俺もタートルネックセーターからは卒業。何時も通り動きやすいジーンズと半袖シャツ、後ろはローポニーで纏めようと頑張っているが……髪の毛が湿気を軽く吸っているからか纏めたさきからぼわっと広がっている。右前髪だけ長いのはもはやチャームポイントとして伸ばしているが、簡単に自分の姿を纏めてある。

 

「綺麗で可愛いと思う。もっと可愛いお洋服を着るべきだと思います!」

 

「うん、後半はともかく……綺麗ってどこから来る?」

 

 その言葉にグローリアは首を傾げ、

 

「清潔にしてる?」

 

「はい、正解」

 

 イエース、と指を鉄砲の形にしてちきちきと指さす。物凄い簡単な話、

 

「人の第一印象は清潔感から来るんだ。綺麗、って感想はどれだけ整えられているか、って所から来るんだね。装飾をほどこせば輝きに埋もれるのも事実なんだけど。だけど人ってのは相手がどれだけ清潔にしているか、汚くないかって事にまず好悪を感じる生き物なんだよね。だから大事なのは清潔感。まずは見た目を綺麗にしましょう、って話なんだけど……これは単純にちゃんと体を洗おうって事じゃないぞ?」

 

「……?」

 

 清潔ってのは爪顔体匂いに気を遣うのとはまた別に、

 

「服はよれてない? 派手過ぎる色で目を刺激しないか? 場所に相応しい姿か? 髪の毛はちゃんと整えてある? そういう身綺麗にしてあるところが評価加点になるんだよね。そして今回は訪問だけど挨拶であってパーティーとかをする訳じゃないからね。あまりにもフォーマルな格好をすると逆に相手に悪い印象を与える」

 

 綺麗にしすぎた、って奴。

 

「ピカピカしすぎると目に悪いって奴だね」

 

「はえー」

 

 俺の呆け方を真似しているのを見ると間違いなく俺の悪影響を受けてるんだよな、グローリア。ちょっと俺、教育に悪いしもうちょっと身の事を気にして欲しいなあ……とは思わなくもない。まあ、アンがそこら辺の行儀に関しては厳しいし、なんとかなるとは思う。だけどあほ面浮かべて呆けてるのは女子としてあんまりよくないぞ。俺は男だから良いんだけど。俺は男だから。魂だけは。

 

 いや、ここ一年で胸が膨らんできたんですよ……。

 

 胸の先端がちょっと出て来たなあ、と思ったら次は周りがちょっと膨らむ。そこから少しずつ膨らんで丸みを帯びると女性的な胸に育つらしい。俺はその成長が早いのか遅いのか良く解らないが、大体15辺りにはもう女性的な胸というのは形が出来上がるらしい。男だった時はそんな仕様も事情も知らないから自分の胸が少しずつ育ってゆく様子にはぶっちゃけ驚かされたり新発見で面白さもあったりするんだが、ブラジャーを新調しなくてはならない事実とかがあるのは中々精神的にヘヴィだ。

 

 しかも事あるごとにグローリアはもっと可愛い下着をお勧めしてくる。やだよ。俺カッコいい系路線で行くと決めてるんだ。目指せおっぱいのあるイケメン。

 

 まあ、それはそれとして、

 

「とりあえず今回は外出用のドレスで大丈夫だと思うよ。無難で間違いのない選択だと思うし。後はそこでなんかワンポイント流行を取り入れるのが良いと思う」

 

 腕を組んでうんうんと唸るグローリアは俺を見ると、

 

「流行! なんか凄くそれっぽい事言ってる!」

 

「リア俺に対して辛辣すぎない??」

 

「とりあえず愛だって言っておけば許されるってお父様が言ってた!」

 

「そっかぁ……」

 

 まあ、許しちゃうんですけどね。やっぱり年下の女の子のじゃれついてくる感じは楽しい。俺もやや精神年齢低下しているのが原因だとは思うんだが。まあ、だから、と言葉を付け加える。

 

「センスの良さってのは場に合わせた格好、相手が好意的に見る恰好ってのを組み合わせた上で良い、って思わせる事が必要だから難しいんだな。だけど不快感を与えないってだけなら清潔にして場に合わせるだけで良いんだなー。ぶっちゃけた話、エドワード様の恰好を見て”あぁ、これぐらいのグレードでいいんだ……”ってのを感覚的に覚えれば良いよ。解る人の模倣をするのが一番楽」

 

「じー」

 

「そこで俺を見るな!! 俺は楽な格好がしたいだけ!」

 

 この娘ったら本当にボケとツッコミのやり取りが板に付いて来て……本当に将来まともな貴族になれるのか? エドワードとエリシアは選択の自由を与える為に中央に一度は行かせるとか言ってるけど、

 

 これ、卒業後は絶対に辺境に逆戻りする奴だろ……。




 未だに毎日評価がコツコツ増えてるようで本当にありがてぇです……。ここまで連日評価が安定して増えてるのは本当に珍しいのでジャンルとしてのパワーを感じている。

 リアから見るエデンは面白いお姉ちゃん。
 エデンから見るリアは可愛い妹。


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命の値段 Ⅱ

 馬車に揺られている間、グローリアははしゃぎっぱなしだった。これで到着した時は疲れてなきゃいいんだけどなー。

 

 そう思いながら俺は御者台で御者の真似事をしていた。当然ながら車やバイクの運転が出来てもそんなもの存在―――ああ、いや、帝国や魔界に行けば魔導バイクは存在するらしい。最近拡大中の機工ギルドへ行けば結構高いけどレンタルや購入も可能という噂だが、まあ、こんな辺境にそんなものはない。だから俺達の移動手段は当然ながら馬だ。馬、普通に異世界でも存在するんだよなあ……なんて事を今更考えたりもするが普通の馬だ。

 

 だから乗馬技能は必須技能だ。馬に乗る事が出来なければ1人で遠出する事も、馬車の運転を行う事だって出来ない。だから馬をどうこうする技術はこの世界において必須技能だと言えるだろう。だから俺も当然ながら乗馬技能を教わったし、御者として働けるように軽く教わった。そうすれば街に行くとき俺が代わりにアレコレとやる事が出来るからだ。それでまあ、その結果、

 

 俺は今、フリーハンドで御者台に座っていた。

 

 なんか馬が勝手に指示通り動いてくれる。

 

 それをエドワードは少しだけズレた眼鏡の向こう側から唸りながら眺めている。馬車の中、グローリアと一緒に座りながらもどうしてこんなドライビングテクニックが成立しているんだ? という様子で首を傾げている。成程、エドワードの言いたい事は良く解る。だが俺にも良く解らねぇ。馬が特別利口だって訳でもないんだ。良く人に馴らされているし、戦闘を経験しても逃げ出さないように訓練もされている。だけどそれだけだ。それ以上は特別な要素は特にない馬だ。だけどその馬が今、俺の言葉に従って完全にコントロールされている。

 

 ああ!

 

 どうして?

 

 解らん!

 

 解らんけど、馬には龍には従わなくてはならない動物的本能があるのかもしれない。モンスターが俺がいるとあまり寄ってこないとのと同じような理由なのかもしれない。誰だって全身にミサイルランチャーを装着した人間が街中を歩いていて“やあ、ちょっと道を教えてくれない?”って聞かれたら必死に言われた事やるよね。

 

 もしかしてそういう事??

 

 まあ、そんな訳で乗馬というか命令技能を見事マスターしてしまったリトルドラゴン・俺であった。俺も特に御者で疲れるという事もなく、そもそも疲れる事もない体をしているので気楽にサンクデル辺境伯への道を進んでいた。流石領主の館へと続く道だけあって道路が整備され、モンスターの気配もいつも以上にしない。

 

 もう、モンスターの気配とか語ってる以上一般人には戻れんなこれ……。

 

「アレが領主さまの館」

 

「冬の間は顔を見れなかったけどサンクデル、元気かなぁ」

 

 遠目にだが段々と領主の屋敷が見えて来た。一言で表現すると―――アメリカンだろう。

 

 まあ、アメリカンは言い過ぎか。連中は余っている土地でなるべく大きな家とプールを用意したがるんだが、まあそういう感じの館だと思えば良い。

 

 とにかく土地を使っている。広大な土地を囲む様に壁と大きなゲート。その向こう側にはまた道が続き、きっと屋敷にまで続いているのだろう。今は門が見えて来た段階でまだ屋敷の全体図が見えてこない。ウチと違ってお金があると良いどすなぁ……? という京都ソウルが一瞬宿るも、地球へとお帰りと直ぐにリリースする。まあ、金はあるだけ良いんだが別に沢山あったって心が豊かになる訳じゃないし。

 

 特にこの時代、遺産相続とかで暗殺祭りしてた頃だし。

 

 まあ、そんなウチとは関係ない事は忘れてしまおう。

 

 ともあれ我が家と違ってちゃんと門の前に衛兵がいる様で、馬に減速の指示を出しながら門の前で停止させる。鎧に槍を装着した衛兵たちは一目で鍛えられていると解る―――そう言えば門番って基本的にエリートが任せられるもんだってどっかで聞いた気がする。重要な所程入口の守りが肝心だから強い奴を配置するって。この人たちはどうなんだろうなあ、と思いながらよっこらしょ、っと御者台の上から衛兵を眺める。

 

「此方グランヴィル家です。本日はヴェイラン辺境伯へとエドワード様と息女のグローリア様が挨拶に参りました」

 

「いや、うん、それは良いが……貴殿今馬をどうやって指示を出していた?」

 

「えっ。なんか……こう。ちょっと二本足で立ってみて」

 

「ぶるぅぅ」

 

 命令すると馬が後ろ足二本で立ち上がる。数秒間必死な表情で立ち上がり続けると此方をちらちらと見出すので、もういいよと指示を出してあげる。やっとか……みたいな空気を出しながら馬が再び四足歩行に戻る。それを見て衛兵が腕を組みながら首を傾げる。

 

「曲芸師か??」

 

「サーカスでも働けそうとは思いました。それよりもグローリア様が遠足気分でウキウキルンルンなので確認お願いします」

 

「してないっ!!」

 

 後ろからクソデカグローリアボイスが飛んでくるのを無視して、衛兵に確認を任せる。2人いる門番の内もう1人、確認に回らなかった方は首を傾げながら馬の顔を覗き込んでいる。やっぱ不思議? 俺もそう思うわ。

 

「良し、確認取れたぞ。今門を開ける」

 

「ありがとうございます……進めー」

 

「進むのか……」

 

 俺は御者台で腕を組んでふんぞり返っているだけだが、声を受けて馬車が確かに動き出す。それを衛兵たちは不思議そうな表情で眺めている。このファンタジー世界でも相当不思議な光景なんだろうなあ、と思いながら門を抜けた。

 

 そうやって前庭にやってくると流石手入れが行き届いているだけあって見事な前庭が広がっているもんだと思う。具体的にどう、と表現を求められると表現のしように困るのが感性の貧相さを物語ってしまうが、一切不快感のない、自然な庭園が美しく彩られているように見える。馬を屋敷へと向かってとことこと歩かせて、窓からグローリアが庭園を眺められるように軽く時間を作る。

 

 それが終わればさっさと屋敷前に到着する。

 

「グランヴィル様でございますね、馬車をお預かりいたします」

 

「宜しくね」

 

 既に慣れ切った様子でヴェイラン家の者がエドワードに挨拶し、そして俺の代わりに馬車に乗って運んで行く。ちゃんと手綱握っているのを見ると馬ってやっぱフリーハンドで指示を出す生き物じゃなかったんだな……と思う。そんな風に運ばれる馬車をグランヴィル家三人で眺める。

 

「……勝手に行かないね」

 

「行かないね」

 

「行かないねぇ」

 

「あ、あの、当家の者が何か失礼でも……?」

 

「あぁ、うん。何でもないよ。それよりもサンクデルを待たせるのも悪いし案内お願いね」

 

「了承しました」

 

 優雅に一礼する執事らしき人物の姿を見ながらグローリアが手を繋いでくる。どうやらグローリア自身、結構緊張している所があるようだ。俺もグローリアの手を握り返しながら自分の恰好に不備がないかを確認する―――俺は使用人と主を区別する為に別にメイド服でも今回限りは良かったんだが、そういう事を気にする人物ではないという事で普段着を着用してきている。普段着と言っても外出用に用意されたブラウスとロングスカートという基本に戻ったコーデだ。この世界で一番最初に馴染んだコーデなだけあって、これが外出用の女性服としては一番気楽なのだ。

 

 執事が開けて入る屋敷の中は流石領主だけあってロビーの時点でもう広い。ただ使用人としての視線で見せて貰うとこれ、掃除が大変そうだなあ……なんて事を想ってしまう。慣れた様子で先を歩いて行く執事とエドワードを俺とグローリアも追いかける。しかし屋敷は広く、調度品も多く、

 

「お金、ありそうだね」

 

「俺が思っても言わなかった事を……!」

 

「だってウチ、こんなに飾れてないよ?」

 

「リアー? それは地味にボクへのダメージ大きいからねー?」

 

「わーい」

 

「わーいじゃねぇんだよ」

 

「むえむえ」

 

 グローリアの頬を掴んで引っ張ると抗議の声が上がってくるが、日々段々とフリーダムさが増してくるこの娘の事だ。この口を何とかしておかないとその内失言マシンガン化しそうで俺はとてもとても恐ろしい。やっぱトークセンスみたいなもんをちょくちょく仕込む必要あるのかなあ……俺何時の間にか保護者目線になってるじゃんこれ。

 

 グローリアのほっぺをもちもちしつつ進んでいると、応接室にまで案内される。どうやら先方は既に応接室内にいるらしく、室内からは気配がする。

 

 ノック、応答確認、礼儀に則った行動を取りながら扉を開けば、応接室に屋敷の主とその娘の姿があった。

 

「サンクデル」

 

「おぉ、エドワード元気そうじゃないか。また痩せたんじゃないか? ん? 今夜はたっぷりと食って行けよ」

 

「ははは、僕が痩せたんじゃなくて君がまた太ったんだろうに」

 

 エドワードが太った、というだけあって領主サンクデルは巨漢―――いや、言葉を濁すのは止めよう。端的に言うとサンクデルはデブだった。でっぷりと肥えた体をしているが、相手へと悪印象を与えないように気を使って軽くムスクを使っている他、清潔感に気を使って髪や爪は整えられている。ニキビの様なものも特に見えないし、健康的なデブとでも言えば良いのだろうか? デブに健康もクソもねぇと言われたらそれはそれまでなのだが。

 

 まあ、見た感じ悪い人には見えないデブだった。

 

 デブの時点で人間、大体20点ぐらい減点されるという事さえ忘れれば。

 

「ふーん……」

 

 そんなサンクデルは座っていたソファから立ち上がり、歓迎するようにエドワードと握手を交わす。その次に俺とグローリアへと視線を向けて、握手しようと手を伸ばしてくる。その時同時に聞こえて来た声に少しだけ視線を取られる。サンクデルが座っていた横にはサンクデル同様燃え上がる様な赤い髪をもった少女が座っていた。彼女は此方を値踏みする様な視線を向けているが、

 

「やあ、初めましてだね。この子がグローリアちゃんで、この角の子が君が拾った従者のエデンちゃんだね? エドワードから手紙で色々と話を聞いているよ」

 

「始めましてサンクデル様、グローリア・グランヴィルと申します」

 

「お初目にかかります、領主サンクデル様。自分はグランヴィル家にお仕えするエデンと申します。名前を憶えていただき、ありがとうございます」

 

「ほほう、これはこれは利発そうな子じゃないか。グローリアちゃんもエリシアに良く似て……似て……なあ、エドワード。性格的な部分はエリシアに似てないよね?」

 

「年々似てきてるよ。僕はもう制御はエデンに任せた」

 

 サムズアップと共に敗北宣言をしたエドワードの姿にサンクデルは笑顔のままフリーズし、ゆっくりと此方へと視線を戻すと両手で肩を掴んだ。

 

「大役、任せたよ……!」

 

「え? あ、は、はい」

 

「任せた」

 

 何も理解してない顔でグローリアがそんな事を言う。いや、そうじゃねぇよ。お前が言うんじゃねぇよ。というかエリシア様、昔そんな暴君だったの? 伝説とか残してるタイプなの? 良く結婚できましたね……。いや、でも今のハウスワイフっぷり見ると割と落ち着いて―――いない。全然落ち着いてないじゃん。

 

 拾った子供に殺人術教えて自分で賊を皆殺しにしてるじゃんあの人。何一つ落ち着いてないじゃん。

 

 そっか、アレで落ち着いたのなら全盛期時代は相当やばかったんだろうな……。

 

 それが解るとなると俺も将来的に相当苦労しそうだなあ、とは思う。とはいえ、グローリアと一緒の日常はまるで飽きる様子がないのでそれはそれで振り回されるのが楽しいのかもしれない。

 

「さて、では此方の自己紹介も行おうか。私は領主サンクデル・ヴェイラン。そして此方が……挨拶なさい」

 

「はい、お父様」

 

 それまでは無言を保っていた娘がサンクデルの背後から出てきて、綺麗な挨拶を見せる。緩やかなウェーブのかかったロングヘアーにカジュアルさを重視した頭髪同様赤いドレスはまるで彼女の性格を表す様な恰好だった。一目見れば、彼女がどういう人物か良く解るそんな恰好。

 

「ローゼリア・ヴェイランです。宜しくお願いしますわ」

 

 宜しく、という割にローゼリアの瞳の中に見えるのは闘争心だった。闘争心、競争心、対抗意識、或いは敵意。表面だけは完全に取り繕っているつもりだろうが、幼さゆえに大人たち、無論俺を含めてだが、には隠しきれていない。そのせいか、俺も、エドワードも、サンクデルもどことなく微笑ましい気持ちになっていた。

 

 同年代の友人にして、将来的な学友にローゼリアは最初から対抗心を芽生えさせていたのだ。

 

 これは面白い事になるぞぉ、と何も理解していないグローリアを置き、その場を理解していた全員が思った。

 

 そんな形で、領主への挨拶と屋敷での一晩の滞在が始まった。




 ひえ、物凄い評価が増えてる。皆さん評価本当に毎度毎度ありがとうございます。更新するモチベにもなってるので本当にありがたいです。

 この世界のドラゴンという生き物は大まかに分けて2種類。
 龍と亜竜。龍は神に近い生物で生態系の頂点だった最強種。亜竜はその龍から生まれた眷属に近い生物で、勝手に繁殖した結果野生化して広く広まった。現在龍殺し達がメインで狩っているのが此方で、亜竜=龍という認識が強い。その為、龍の強さは近年では軽んじられる所がある。何故なら亜竜は凶悪だけど人揃えて対策すればどうにかできる範囲ではある。


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命の値段 Ⅲ

「それじゃあ僕らは仕事の話をするから。リアを頼んだよエデン」

 

「あぁ、ローズ。君は彼女達と一緒に遊んでなさい」

 

「はい、お父様」

 

「うっす」

 

 ローズが従者の癖に主に対する軽すぎる対応に一瞬目を剥いたが、エドワードは一切気にする様な様子を見せない。まあ、グランヴィル家はそこら辺緩くやっているし客人相手には物凄く真面目にやっているのでハウスルールは許してくれ。これ、ハウスルールで正しいのか? まあ、何でもええやろ。とりあえず大人が真面目な話をするので、その邪魔にならない様に部屋から外に出る。

 

 さて困った。相手は特に良く知りもしない領主のお嬢様。どうやって対応すべきか。若干頭を悩ます話題でもある。何せ、年頃の娘の接し方なんて俺には全くノウハウがないのだから。俺自身今は小娘の体をしているが、中身は完全に大人なのだ。女の子の接し方は何時だって知りたい。

 

「ローゼリアさん、ずっと同年代の友達が欲しかったんです。私、ローゼリアさんとは良い友達になれたらなあ、と思っているんだけどローゼリアさんはどうかな?」

 

 言った―――! かなりストレートに言った―――!!

 

 火の玉ストレートで友達になろうと言えた我が家のお姫様のコミュニケーション能力に戦慄する。でもこれ、ちょっと敬語で接するべきかどうか悩んでる感じはあるな、と見た。実際同年代の相手は俺が初めてだが、俺は立場上は使用人だ。俺が相手であればグローリアは自由な振る舞いが許されるが、この少女は領主の娘だ。一応は領民というカテゴリーに入る以上、接し方を考えなくてはならない。

 

 とはいえ、エドワードとサンクデルを見ている限り普通の子煩悩パパって感じだから仲良くしてほしい……って意図は感じる。親が仲良いと子供も普通は仲良くなるもんだしなぁ。

 

 さて、とローゼリアのリアクションを見ると、軽く髪を後ろへと流しながらそうね、と言葉を置いた。やはりその瞳には焔が見える。どことない敵対心か対抗心か、そんなものが映っている。或いは同世代の少女に負けたくないという気持ちがあるのか。

 

「良いわよ、楽な喋り方で。私もあなたの事はグローリアと呼ばせていただきます、良いかしら?」

 

「えぇ、勿論よローゼリア。私、今日という日を楽しみにしていたの」

 

「それは勿論、私も楽しみにしてました」

 

 ローゼリアの視界にはグローリアしか映っていない。俺は使用人だからターゲットから外れたかなぁ、と考える。まあ、少女たちの青春を横で眺めるのも使用人のお仕事だろうと自分を納得させる。

 

「所で、グローリアはなんでも……父であるエドワード様から魔導の手ほどきを手厚く受けている、とか」

 

 ほほーん?

 

 探る様なローゼリアの言葉にグローリアは頷いて答えた。

 

「うん、お父様は私に才能があるからって魔法の勉強を教えてくれるよ。歳の割には魔法に関しては抜きんでているって話だよね、エデン?」

 

「俺は相対的にそっちの才能皆無だったけどな。リアは魔法関係、基本は抑えて紙式も制御可能になってるし、身内贔屓の評価かもしれないけど才能あるんじゃないかな? スポンジの如く教えられたことを吸収してすぐに実践できてるし羨ましいよ」

 

 まあ、俺が才能なさすぎという問題なのだが。その分俺はフィジカル方面に初代暴君から色々と仕込まれているので立場的にはトントンという感じだ。二代目暴君はマジカル方面かぁ……というのが現在の俺とエドワードの認識なのかもしれない。いや、二代目暴君就任とかされても嫌なんだけど。

 

「でも私、エデンの体が凄い所羨ましいよ」

 

「その言い方語弊があるから止めない??」

 

「貴女……従者の癖に馴れ馴れしいわね」

 

 やや睨むような視線に礼を取る。

 

「これは失礼しましたローゼリア様。立場と態度をわきまえましょう」

 

 それを受けて少しだけ睨んでいたローゼリアが頭を横に振った。

 

「いえ、良いわ。グランヴィル家の使用人なのでしょう? 私が口出しする様な事でもないし……本人がそれで良いのならそれが正解なのでしょう。申し訳ありませんわね」

 

「いえ、此方こそお気遣い頂いたようで申し訳ありません。ですが、その……当家、貴族というのも名ばかりなので振舞いとか義務とかは特に求められなくて……」

 

「あぁ、うん……」

 

「うーん?」

 

 貴族ではあるけど名前ばかりでぶっちゃけ貴族らしさは皆無ですよ、と言外に告げるとローゼリアは察してくれたのか納得する様な同情する様な視線を送ってくる。理解していないグローリアは首を傾げて人の角を掴んでくるが、それをハンドルの様に扱うのは止めろと言っただろ。いや、まあ、この貴族フリースタイル100年! みたいなグランヴィル家のノリ、俺は嫌いじゃないんだが。滅茶苦茶快適だし。エドワードもエリシアも、別にそこまで言動キチンとしてなくても良いんだよ? って普通に言ってくるし。自分の子供が1人増えているような感覚なんだろうな、あの2人からすると。そこはもう、本当に感謝しかない。

 

「と、とにかく」

 

 ローゼリアが咳払いしつつ仕切る。

 

「私、貴女の話をお父様から聞いてからしたい事があるのよ。付き合って貰えるかしら?」

 

 挑戦的な気配を隠そうともせずに告げるローゼリアにグローリアは気づく事もなく首を傾げる。

 

「え、なになに?」

 

 何を、と聞き返してくるグローリアに対してローゼリアが言い放つ。

 

「無論、魔法の比べ合いよ」

 

 

 

 

 つまり、このローゼリアというお嬢様はずっとグローリアをライバル視してきたという事だ。同年代の少女で、父の友人。そしてエドワードは昔は中央ではそりゃ大層有名な宮廷魔術師だったらしい。今の生活を見ていると全くそういう風には見えないが、当時はバリバリに活躍していたらしく人望も実力もある人物だった。そんな人が辺境にいて、自分と同年代の娘を持っているのだ。ローゼリアは話を聞いた時から恐らくライバル視していたのだろう。

 

 見ている感じ、貴族としての、或いは領主の娘としてのプライドが非常に強い娘だ。だから代表される身として、負けてはいられないという気持ちで溢れている……というのが俺の見立てだった。

 

 中庭に移動するとローゼリアは使用人に頼んで木人をターゲットとして用意して貰った。それをターゲットとしてタイルの上に設置すると、その前でローゼリアとグローリアが向き合っていた。所で君たち名前を略すと2人ともリアになるんだな、って今更ながらどうでもいい事実に気づいた。

 

「私も魔導はお父様や先生から習っていて自信があるわ。でもあのエドワード様に直接教わっていると言われるグランヴィル家令嬢グローリア、実力の程が非常に気になるの。だから私貴女がどれだけ出来るのか見たいし、比べたいの」

 

「エデンとだと勝負にすらならないし良いよ。私も自分がどれだけ出来るか知りたかったし」

 

「そこで俺を引き合いに出すの止めない? このジャンルだと糞雑魚だってのは認めるから」

 

 両手をだらりと下げてコミカルに脱力していると、ローゼリアが腕を組みながら顎に手を当て、考えるように首を傾げた。

 

「エドワード様から貴女も教わっているのよね?」

 

「当の本人から才能がないって評価貰ってるんですよ」

 

 やれやれのポーズを取る。

 

「魔力を引き出すのと込めるのは良いんですけど、どーしても放出やコントロールが駄目なんですよね。イメージが掴めないというか、コントロールする感覚やコツが掴めないというか。なのでこの一年間、まるで成長進捗がないんですよ」

 

「珍しい事もあるのね。あのエドワード様でさえ解決できないなんて……」

 

 あの、とか言われるレベルで凄い人だったというのはなんとなく察しているのだが、俺の状態ってそこまで深刻だったのか? いや、でもこの世界の住人にとって引き出す、放出、込めるの三動作が基本にして基礎って話なんだからそれが出来ない俺は相当ヤバイのか。まあ、当たり前の事が出来ない人間というのはどうしても奇異に映るか。

 

「まあ、その代わりに先天で使える魔法があるのでそれで……いや、それが邪魔しているとも言えるんですけど」

 

 うーん、と唸る。説明が難しいし、説明には時間がかかる。

 

「まあ、俺の事は放置で。本題ではないので」

 

 その言葉にローゼリアは軽く考えるように噛んでいた指を離して頷いた。

 

「気になるけどそうね。私も魔法を勉強して修練を重ねてきた自負があるわ。だから私と貴女、どちらが魔導の腕は上なのか是非とも比べてみたいのよ」

 

「私は全然かまわないよ。で、罰ゲームはどうする?」

 

「どうしてそこで自然と罰ゲームって発想が出たのかしら??」

 

「初対面の相手に罰ゲーム提案するのかこいつ……」

 

 何かおかしなことを言った? という感じに首を傾げる時点でもう既に手遅れ感はある。物凄い自然な形で罰ゲームを挟み込んでくる辺り我がリトルタイクーンの将来像が恐ろしくなってくるが、ローゼリアは直ぐに納得した様子だった。

 

「良いわ! 勝負ごとに勝ち負けは常、負ける事を恐れては勝負も出来ないわ! 勝敗判定はそこの従者に任せるとして罰ゲームはどうするかしら」

 

「じゃあエデンに技を一発かけて貰うって事で」

 

「いいわ!」

 

「いきなり地獄みたいな罰ゲーム入ったが本当に良いの? 良いんだな!? やっちゃうぞ俺!?」

 

「うん!」

 

「えぇ!」

 

 もうどうなってもしらんぞ。視線を待機している使用人の方へと向ければ、付き合ってください的な視線が向けられてくるが……本当に止めなくて良いんだな? 俺は街中でアルゼンチン・バックブリーカーを披露する女だぞ? えぇ、ゴーサイン出ているじゃん……まあ、合意なら不敬ポイントにならないしいっか。

 

「んじゃ勝負内容を決めましょっか」

 

「ならここは伝統的なスタイルを取るわ」

 

「伝統的なスタイル?」

 

「えぇ」

 

 解っていないグローリアに得意げにローゼリアが答える。

 

「魔術師は古来より互いの実力を比べ合ってきたわ。その一番の方法は決闘―――待って、無言で構えるの止めなさい。そんな野蛮な方法を取る訳ないでしょ!? なんで微妙に決闘する事に乗り気なのよ」

 

 無言で構えだしたグローリアの殺意の高さにローゼリアは驚きつつも、こほん、と咳払いして話を続ける。

 

「良い? 決闘なんかしないからね? ……魔術師は古来は決闘という形で優劣を付けていたわ。だけどその結果怪我をしたり、死人が出たりして問題もあったわ。その為、魔術師は単純に魔術の実力を測るのであれば、実戦形式ではなく互いの基礎能力を測れば良いという事に気が付いたわ」

 

「死人が出るまで気づかなかったの相当愚かでは」

 

「それは思う」

 

「何で気づかなかったんだろう?」

 

 まあ、昔の人って命よりも名誉みたいなタイプ多かったし……。力比べした結果死んでも良し! ってタイプが多かったんじゃないかと思う。まあ、間違いなく頭おかしいとは思うが。そういう時代じゃないんだなあ、今は。

 

「だから現代ではもっと平和的に基礎能力を比べ合う方法があるわ。というのも単純に互いに一定距離を開けて」

 

 ローゼリアがここに立って、と指示を出すのでそれに従ってグローリアが動く。俺も邪魔にならない様に距離を開け、2人の立ち位置を確認する。そうするとローゼリアとグローリアが木人を挟む様に立った。互いに木人からの距離は1メートル程だ。

 

「そうそう、そんな感じ。使えるものは己の両手のみ、移動は禁止。自分の立ち位置から動いては駄目よ。後は両手からの魔力の放出だけで木人を相手側に倒したほうが勝者というシンプルなルールだわ」

 

「あ、成程。魔力の運用、変換、放出と付与以外の技能を比べ合うんだこれ」

 

「そうよ。シンプルだけど基礎能力を測るには十分な遊びよ。ちなみに相手への直接的な妨害は禁止よ」

 

「あくまでも木人だけを狙えば良いのね、解ったわ」

 

「ならエデン、木人に細工がされてないか確認してくれるかしら?」

 

「多分必要ないと思いますけどなー」

 

 見てる感じ、ローゼリアというお嬢様の性分は真っすぐで負けず嫌いなタイプだ。漫画とかで見る王道タイプのお嬢様、たぶん仲良くなると気持ちの良い性格をしているから遊びやすく、一緒に居るのが楽しいタイプだろう。だから木人に特に細工が施されているとは思わないが、一応頼まれたのでチェックしてみる。近づいて木人に触れてみるが、何か魔法がかかっているとかそういう事は特にない。重さも普通だ。俺の筋力で片手で倒せる程度の重みでもある。これは結構魔力を使う事になりそうだ。

 

 確認を終えた所で後ろへと下がる。

 

「大丈夫っぽい……ついでに開始の合図も出します?」

 

「お願いするわ」

 

「ちょっとドキドキしてきた」

 

 ライバル心をぎらぎらと燃やしているローゼリアに対して、グローリアは新しい遊びに挑む感覚に近いのか、ちょっと興奮しているように見える。まあ、やらかさなきゃいいけどなあ……と思いながらポケットから硬貨を取り出す。

 

「ではこれを空中に放つので、これが地面に落ちたら開始という事で」

 

「問題ないわ」

 

「こっちも大丈夫だよ」

 

「ではでは」

 

 ローゼリアが両手を前に突き出すように構え、グローリアが同じように両手を前に出して構える。まだまだ幼い少女たちの青春が今、ここで繰り広げられている。異世界に行っても青春とかは全く変わらないんだ。そんな妙な心境になりつつコインを指で弾いた。

 

 くるくる回転しながら落ちて行くコインを少女たちが目の端で追う。

 

 ローゼリア、グローリア、共に集中するように視線を前に向けたまま構え―――コインが足元に落下した。

 

 瞬間、ローゼリアが魔力を放った。

 

「勝―――」

 

 瞬間、ローゼリアの表情には勝利を確信したものがあった。発動、放出、規模、全てが俺とは比べ物にならないレベルで優秀だった。ローゼリアが魔術に自信をもってグローリアに勝負を挑んだのも良く解る姿だった。コインが下に落ちた瞬間と言えるレベルの速さで放たれた魔力の壁は一瞬でグローリアとの間に勝敗を付けようとして、

 

「むんっ」

 

 グローリアから木人もローゼリアも飲み込む魔力の極太ビームが敗北する寸前に放たれた。

 

「はっ?」

 

 そんな疑問の声だけを残して、

 

 グローリアの魔力が一瞬で二つの姿を光に飲み込んだ。

 

 うーん、罰ゲーム決定ッ!!




 評価、本当にありがとうございます。完結した時並の勢いで増えてる……!

 実はかなり前から会う事にそわそわしていたお嬢様。エドワードはその道では有名人である。

 なおビームに飲まれる。


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命の値段 Ⅳ

「おーい、大丈夫かー」

 

「ローゼリアさん大丈夫?」

 

「……なんとか無事ですわ」

 

 そう言って中庭の大地に髪の毛を広げたまま転がっているのはビームに飲まれたローゼリアだった。放心しているのかローゼリアは倒れたまま、起き上がらない。その様子を見ていた使用人が走って近づいてくるが、

 

「大丈夫、大丈夫よ……ただ単純にちょっとショックを受けてるだけだから」

 

 ローゼリアは無事を証明するように倒れたまま手を上げて使用人を下がらせた。どうやら木人が良い感じに盾になったのと、ローゼリア自身の魔力で凌いだらしい。その結果このざまだが。

 

「対戦相手を木人諸共消し飛ばすルールがあっただなんて……?」

 

「そんなルールないわよ! というか真面目に死を覚悟したわよ!」

 

 炭化して屑となった木人を確認しながらグローリアが視線をあげた。

 

「あれ、木人消えちゃった……この場合もう1回かな?」

 

「もしや、私を殺すまでやるつもりで??」

 

 怒涛のツッコミと反応にどうしても才能を感じてしまう。この娘、ウチに欲しいと素直に思う。ボケ続けでも間違いなく突っ込み続けてくれる逸材だ。ウチに来てツッコミ役に就職してくれねぇかなぁ……と思うが、ローゼリアは領主の娘なので無理だろう。もっと高い地位のツッコミ役に就職するだろうから。

 

 ともあれ、慌てふためく使用人をローゼリアは追い払いつつ立ち上がった。髪の毛がちょっと乱れているので持ち歩いている櫛を使って軽く髪を整える―――ここら辺の技能はみっちりとアンに仕込まれて合格を貰っているので、割と自信がある。

 

「すまないわね」

 

「いや、9割がたウチのお嬢が原因なので……まあ……」

 

 そう言ってから数秒程ローゼリアは黙るが、

 

「何時もあんな感じなの?」

 

 どう返答したもんか……と考えるが、まあ、隠す必要もないだろうと正直に答える。

 

「まぁ、最近は特に」

 

「……そう。苦労してるのね」

 

 心の底から同情される様な声にどうしたもんか、と苦笑してしまう。俺個人はこのパワフルさが嫌いじゃないんだけど、人から見たら相当苦労しているようにも見えるか。まあ、グローリアのこの暴君っぷりも徐々にギアが上がってきた結果というか、俺が来たばかりの頃はもうちょっと控えめだったのは確かだ。俺が起爆剤になって今のグローリアに育ちつつあるのは間違いないので、改めてエリシアやアンとはこの小さな怪物の将来に関して相談しなければならないだろう。もうちょっと淑女らしくなってくれないだろうか。

 

「勝敗つかなかったしやり直さない?」

 

「そこまでして私を消し炭にしたいのかしらこの子は? それとも単純に人に向けて撃ちたいだけ?」

 

「そんな危ない事する訳ないでしょ。ローゼリアさんは酷い事を言うなあ」

 

 何を言ってるんだこいつ? と言わんばかりの表情で溜息を吐きながらローゼリアに言い放つグローリアはナチュラルな煽りスキルを磨いていた。

 

「んんんんんんんッ……!」

 

 形容しがたい表情を浮かべてローゼリアは唸っているが、すんでの所で発狂を抑える。そこで乱れた髪の毛を整え終わったので櫛をしまって離れつつぱんぱん、と手を叩く。

 

「まあまあ、第三者から見た感じ立ち上がりから放出までは圧倒的にローゼリア様で、良く基本技能を練習、復習している感じはしました。とはいえ、最終的な勝利はリアが力技で全部消し飛ばしたって感じでしたが」

 

「アレは反則よ、反則。これ、質量で勝利する様なゲームじゃないから」

 

「じゃあやり直す?」

 

「どれだけビームを放ちたいの、この子……? グランヴィル家の家訓には“汝隣人にビームを放ちたまえ”とでもあるの?」

 

 ピースピースとブイサインを浮かべるグローリアに戦慄しているローゼリアの姿は肩の力が抜けているのが見えた。さっきまでは開いた対抗心とかいうものが抜け落ちている。別に折れた訳じゃなくて、グローリアがそういう対抗心とかを向けるだけ無駄なタイプの少女だって理解したのだろう。肩の力を抜いたローゼリアは両手を腰に置くとふぅ、と息を吐いた。

 

「エデンも、グローリアも。これから長い付き合いになりそうだし私相手なら好きな態度で良いわよ。なんか……肩肘張ってるのもバカバカしくなってきたわ。これからはお互いもっと気楽にやりましょ」

 

 完全に砕け切った口調。その姿と品のある所作さえ抜けば年相応の娘の姿にローゼリアは変わり、それをグローリアは笑顔で受け入れた。

 

「グローリア・グランヴィル、改めて宜しくねロゼちゃん」

 

「ろ、ロゼちゃん……ぐいぐい来るわねこの子」

 

 手を素早く取って大きく握手してくるグローリアの様子に大分ローゼリアは押されている。

 

「同年代の相手が俺1人だから距離感掴みかねてるんだと思うんだけど……良いの?」

 

 俺、使用人だけど。直接言葉にしないが賢い彼女には意図が伝わる。

 

「長い付き合いになるだろうし良いわよ。公の場ではちゃんとオンオフ出来るタイプみたいだし。私だって一日中格好付けてたら疲れてしまうわ。どうせ辺境伯だから政治中枢にかかわる様な人生もないだろうし。力を抜ける所は力を抜けばいいのよ」

 

「なんか不貞腐れているようにも聞こえるなぁ」

 

「そう聞こえるならそうなんじゃないかしら」

 

 ファーストコンタクト、どうなるかと思ったが案外悪くない形に落ち着いたな、とは思う。ローゼリアとグローリア、このまま良い友人関係に発展してくれれば良いなあ、とは思うが相性的にはどうなんだろうな。

 

 この際、いい加減俺も心の中で距離感を縮めてって2人の名前も略そう―――ロゼとリア、この辺境では非常に珍しい同年代であり同じ貴族なのだ。両親からすれば仲良くなっておいて欲しいという意思があったのだろう。ロゼはややリアに押されている形だが、ロゼ自身環境的に同年代の友人は皆無なのだろう。ぐいぐい押し込んでくるリアの勢いには押されているがロゼ自身、それを悪いと思っているようには思えなかった。少なくとも今、魔法に関して談笑し始めた少女たちの間に険悪な空気はなく、俺も使用人も胸をなでおろしていた。

 

 俺としても辺境で生活する以上、必然的にずっと顔を合わせるであろう隣人なので仲良くしていきたいのが本音だ。

 

「じゃ、勝敗は決したしそろそろロゼちゃんの罰ゲームに入ろっか!」

 

「この子血も涙もないの? というか今のどう見ても勝者は私でしょ!?」

 

 ロゼは勢いよくリアに食ってかかる。

 

「確かに最終的に木人をじゅっ……って感じの音で消し飛ばしたのは貴女よ? でも始動から叩き込みまで早かったのはこっちよ。魔導比べの目的を考えると技術としての総合力は私の方が上だって証明されたはずよ!」

 

「でも最終的に勝ったのは私だよ? 私が最後はロゼちゃん諸共木人をゴールさせたし。だったらこの場合、最終的な結果を考慮して私の勝利って事にならないかな?」

 

「それは暴論よ!」

 

「いいえ、これは民意よね、エデン! 勿論私の味方してくれるよね!」

 

「短い時間だけどエデンは公正な人物だと思ったわ、きっと正しい判断をしてくれるわ……ね?」

 

「……」

 

 向けられる二つの視線に冷や汗をかきながらどうしたもんか、と考える。ロゼの言う事も、リアの言う事も良く解る。技能比べという点で見るなら間違いなくロゼの圧勝だっただろう。だけど結果を見るなら圧倒的な魔力でふっ飛ばしたリアの勝利だろう。だけどリアの勝利を認めるという事は結果さえよければ過程は無視できるという事であり、ロゼを認める事は結果を出しても報われないという事なのだ。

 

 割と根の深いタイプの問題なんだよな、こういうシチュエーションって。下手に勝敗を付けると拗れる奴。めんどくさいシチュエーションに巻き込まれたな。そう思って頭を抱える。一瞬、使用人の方へと視線をむけるが、全員目を逸らしやがった。そうかそうか、子供には付き合いたくないか。じゃあ解ったわ、俺が法って事で!

 

「過程はロゼの勝ち、結果はリアの勝ち。なので判定はイーブン、両者罰ゲームで」

 

 瞬間、運命を悟ったリアがなるべく可愛く見えるように首を傾げてしなを作る。

 

「そこは引き分けでなしにならない?」

 

「ならなぁーい!!」

 

 逃げ出そうとするリアを一瞬で掴んで捕獲し問答無用の、

 

「アルゼンチン・バックブリーカー!!」

 

「ぎゃっ」

 

 短い悲鳴を上げ、一瞬でリアがダウンする。リアだった物体を地面に転がして解放しつつ、腕をぐるんぐるん回してロゼへと視線を向け、真っすぐと怯える姿を指さす。

 

「次は貴様だ」

 

「は、犯行予告……!」

 

 怯えるロゼが数歩後ろへと下がり、周囲へと視線を向けた。

 

「……はっ! あ、貴方達! 私を助けなさい!」

 

「んっん―――! 良い天気だなぁ―――!」

 

「おっと、目に塵が入ってしまったな……」

 

「すやすや……」

 

「薄情者ォ!!!」

 

「敗者には罰ゲームだ!!」

 

「私負けてませんけど!?」

 

 それだけ叫んで背中を向けて逃げ出そうとするロゼを一瞬で捕獲する。暴れようとする姿を掴んでは持ち上げ、両足を地面から離すように持ち上げる。じたばたとする姿を無視してその姿を軽く空へと向けて投げ上げ、逆さまになった所を空中で掴む様にホールドする。ロゼの頭を首にかけるように、両足を逆さまの状態で掴んでロックする。

 

 そう―――エデンバスターである!!

 

 完全オリジナルの殺人技、エデンバスターである!

 

「むんっ」

 

「ごっ」

 

 落下の衝撃を軽く手加減する為に和らげながら脊髄に叩き込み、少女らしからぬ鈍い声が口から漏れた所で解放してリアと一緒に大地に転がす。2人の美少女に見事な技をかけ終わった所で真の勝者が決まった。

 

 そう、この俺だ。

 

「勝利とは常に戦う前から決まっているもんだ……空しいなぁ……」

 

「こ、おごっ……このっ……!」

 

「……」

 

 転がる少女二人の前でポーズを決めた。

 

「格付け完了だな!」

 

 マジかこいつ? という視線を他の使用人連中から向けられているが俺がチャンピオンだ。

 

 

 

 

「亜竜被害、か。また面倒なときに来たもんだねぇ」

 

 エドワードの心底面倒がる様に言葉を吐いた。亜竜被害。それは龍の眷属とされる龍の下位種、亜竜達が何らかの被害を起こしているという事だ。

 

「亜竜自体そこまで珍しいものでもないが……今は時期が悪い」

 

 そう言って領主サンクデルは頭を掻いた。

 

 雪解けの季節、初春は漸く長い冬の終わりに経済と商業の活性化が始まる時期だ。その上で次の冬を越す為の準備を細々と始める時期でもある。その為、畑の面倒や生活面で苦労が色々とある。他にも旅人達はこの場を出立し、新天地を求める季節でもある。新しい流入があれば、古い別れもある。出会いと別れの季節である春は多くの人々にとって忙しい時期になる。

 

 それはサンクデルの抱える兵達もそうだ。サンクデルは豊かな財源と土地を抱えている。それが許されるからこそ辺境伯という立場でいられる。そしてその財源は彼の土地で産出される資源等から来ている。そしてそれを守るための戦力だって保有している。だがこの季節、初春という季節は他国が軍事行動を起こすのであればある程度の動きを見せる時期でもある。冬の前に兵站を整え、雪が溶けたら即座に奇襲をかけるという事もままある。その為、サンクデルの私兵や、国の兵士達は国境付近や冬の間の被害を確認する為に出している。

 

 その為、冬が明けた直後の季節は少々、動かしづらい。

 

 無論、それは不可能ではないのだろう。だからこそこうやって可能な手段の一つである、領内で契約している傭兵戦力を当てにしている。

 

 この場合、サンクデルはエドワードという元宮廷魔術師の存在を大いに当てにしていた。ローゼリアが密かに憧れ、そして尊敬するだけの実績と実力がエドワードにはある。そしてその実力を何度かサンクデルの依頼を通して達成してきている。それ故に春の始まり、亜竜の被害が出た所でサンクデルは丁度良いとエドワードに仕事を依頼するつもりであった。

 

 それをエドワードもしっかりと理解していた。応接室のソファでサンクデルと向かい合うように座りつつも両手を合わせ、指先を軽く遊ばせながら頷いた。

 

「うん、事情は解るさ。そしてそれを断るつもりもないよ。亜竜となると1体相手でも最低でシルバー級ハンターを1パーティー雇う必要になるしね。安全性を考慮するとなると2パーティーだけど」

 

「あぁ、ギルドへの依頼として要請するのも決して悪くはないが、亜竜被害は放置すると広がるからな……特に今回出没した場所が鉱石財源のある山でなぁ……ほんと、そういう所では出て欲しくないんだけどなぁ」

 

「あー」

 

 レアメタルやレアアースが金になるのは世界や時代が違っても一切変わりはしない。サンクデルというよりも、辺境を支える財源に亜竜が出没し、そのせいで金の流れが滞れば全体的な死が待っている。それを理解したエドワードはうん、と言葉を口にして頷いた。

 

「明日にはここを発つよ。僕なら余程ヤバイのが出て来ない限りは1人でも行けるし……そこまでヤバイ奴じゃないよね?」

 

「確認してきた特徴を合わせるとレッサー種の比較的に成長した個体だったそうだ」

 

「レッサー種ならまあ、そこまで強い個体もないし問題ないかな。念のためにバインダー幾つか借りてくけど良いよね?」

 

「ここで拒否する様な愚か者にはなりたくないなあ」

 

 サンクデルの言葉にエドワードが軽い笑い声を漏らすと、あ、という声が零れた。そのエドワードの反応にサンクデルが不安を覚えた。

 

「え、どうした? なんか問題あった? 実は下痢気味とか!?」

 

「いや、コンディションは問題ないんだけど……ちょっと思った事があってね」

 

 話をしてみて、色よい返事があれば彼女を、

 

 エデンを、亜竜に会わせてみるのがきっと良いのかもしれない、と。




 引き続き評価、ありがとうございます! またなんかランキング上がってました!

 放出力:リア>ロゼ>エデン
 魔力質:エデン>リア>ロゼ
 技術力:ロゼ>リア>エデン
 魔力量:エデン>リア>ロゼ
 
 質・量共にエデンがトップではあるが、根本的な部分で魔力が紙式での運用不可というデメリットがあるせいで比較する意味がなくなるというバグがある。そして魔術比べは大抵紙式がメインなのでこいつは本当に才能がない。


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命の値段 Ⅴ

 ちゃぷーん、という小さな音を立てて湯舟に沈む。

 

 そう、湯舟だ。つまりここには風呂がある、あるのだ!

 

 なんとヴェイラン家の屋敷には風呂があるのだ!

 

 もうこれだけで心の中のTier表の0にヴェイラン家が上がる。ご存じの通り、風呂とはかなりレアな設備だ。維持に金がかかるし、準備も恐ろしく面倒で時間がかかる。その上で場所を取るから限られた人物たち―――つまりは金持ちにしか堪能の出来ない娯楽なのだ。何せ、体を清めるだけならバケツに水を汲んでお湯にしたり、川で体を洗えばいいのだから別に風呂なんて施設必要ないのだ。いや、現代人として思う事は当然ある。とはいえ、この世界の人間はそういう認識が強いのだ。だから風呂は娯楽の面が強い。

 

 だがヴェイラン家には大きな浴場があった。完全に領主サンクデルの趣味だろう。だがそのおかげでヴェイラン家にお泊りするというイベントを経験している俺は、その恩恵を授かっていた。お風呂最高、お風呂素敵、お風呂万歳! 心の中でそう叫びながら湯舟の中に体を沈めていた。

 

「本当に久しぶりの風呂だなあ……」

 

 ちゃぷん、と音を立てながら手を湯の中から伸ばし、掲げる。白い肌を伝い水滴が落ちてくる。その様子を静かに眺めながら肌から生える鱗を見て、軽く触れる。硬質な感触は肌とは全く違うが、リアリティが強い。もうこの1年間で完全に慣れてしまったものだ。最初は異物感が強くても、一緒に過ごしていくうちに馴染んで行くという奴だろうか? そういう意味じゃこの体そのものにも大分慣れて来た感じはする。

 

 少なくとも今では裸の自分の体を見て恥ずかしがるという事はない。髪の毛は上で纏めてタオルを巻いてあるから見えないとして、それ以外の特徴的な女の子の体が良く見える。俺も偉く可愛い姿になっちまったもんだぜ、と心の中で自嘲する。何時の間にかブラジャーや女性用パンティを履く事にも慣れているんだ、人間の適応力というのは中々凄いもんだ。

 

「……」

 

 ただそういう事を考えると、どうしても元の体と自分の今の体を比べてしまう。そうやって比べる度に違和感を感じるのはまだ魂とでも呼ぶべきものが体に馴染み切っていないからだろうからか? 僅かに膨らみ始めた胸、盛り上がりのない陰部、綺麗な肌と細い手足は間違いなく自分の物ではないように思える程華奢で可愛らしい作りをしている。

 

 どうして俺、こっちにいるんだろうなあ……。

 

 湯を顔にかけて溜息を吐く。結局のところ、そこがずっと不鮮明になっているのは事実だ。考えた事もあったが、深く考えた事はなかった。結局のところ、後回しにしているのが事実だ。とはいえ、深く考えたところで何か答えが出てくるものでもない。ただこうやってゆっくり湯を浴びながら考える時間があると、思う。

 

「俺ってなんだろうな……」

 

 膨らみ始めた小さな胸を押さえながら足を閉じるよう身を寄せてみる。こんな風にポーズを取ってみると、どこからどう見ても少女でしかない。だけどそれは見た目だけの話だ。実際は俺は龍という種で、絶滅しかかっている存在だ。なのに中身は男で、そして姿は美少女だ。角だって生えているし、鱗だってある。そう考えると本当に滅茶苦茶だ。何が本物で何が偽物なのか、それが良く解らなくなってくる。

 

「……ふぅー」

 

 自分を、見失わないようにしないとなあ……と思う反面、自分が今できる事なんてグランヴィル家の為に働く事ぐらいだろう。あんまり気合を入れた所でどうしようもねぇなと思って脱力する。まあ、適当に、程々にやっていこうか。

 

 そう思った瞬間風呂場に扉が勢いよく開いた。

 

「エデン! 一緒に入ろう!」

 

「リアァ!!」

 

 扉の前にはすっぽんぽんのリアが体を隠す気ゼロで登場していた。寧ろ胸を張りながら突入していた。何よりもそのまま風呂へと突入してきそうな気配がしていた為、素早く風呂から飛び出て飛び込んで来ようとする姿を掴んだ。

 

「体を洗うまで! 入浴! 禁止!」

 

「えー。早く入りたーい」

 

「湯が汚れるからだぁーめ」

 

「ぷえー」

 

 キャッチしたリアをそのままシャワーの前まで運ぶと床に座らせる―――今更ながら全裸のリアと接するのにもだいぶ慣れたな……そう思いながらリアの面倒を見始める。髪、肌、手足、指、顔。女の子が必要とする体のケアというのは男の頃では考えられない程に面倒で多い。これでも現代環境から化粧品を大幅に抜いた状態での話なのだ。それなのにケア関係は面倒を極めていた。これまではアンが全てやっていたのだが、俺だけが中央へとリアについて行く為俺が全部覚える必要があった。

 

 その為、俺がリアのこういう面倒を今では見ている。このきらきらと煌めくような銀髪のケア、俺が任されているんだなあ、と思うとちょっと気が重い。

 

「エデン」

 

「ん-? どうした。痒い所でもあった?」

 

「ううん、そこは大丈夫だよ。何時も丁寧で優しくやってくれるし、私はエデンにやって貰うの好きだよ」

 

「そっか」

 

 そう言われるとやっている身としては結構嬉しいものがある。ふふ、と軽く笑い声を零しながらリアの髪を洗う事に集中しようとすると、再びリアが話しかけてきた。

 

「ねね、エデン」

 

「ん?」

 

「楽しいね」

 

「うん、そうだな」

 

 毎日が本当に、楽しいよ。このままで良いのか悩んでしまうぐらい。

 

 

 

 

 まあ、元々はお泊りなんて予定はなかったのだが、エドワードが急遽予定の変更があるという話で1泊お泊りする事になったのだ。そういう理由からお風呂を使わせて貰う事になり、パジャマなどを借りる事になった。当然俺とリアはロゼのパジャマを借りる事になるのだがリアはともかく、俺にとってはロゼのパジャマは一回り小さく感じる部分がある。そしてパジャマを借りると必然的に鱗が見えてしまう為、来るときに着ていたインナーをそのまま装着する事で鱗を隠す事にした。

 

 そこまで必死に鱗を隠す必要はぶっちゃけ、もうない。

 

 エドワードだけではなく他の所でも確認したが、龍が人に変化するという話を聞いた者はいないらしい。だから別に、鱗を晒した所で問題はなかったんだ。とはいえ、鱗を隠す事に慣れてしまったのも事実だ。なるべく鱗を晒さずにいたいという気持ちの下、インナーを着用するようにしているのだ。そんな風にロゼのパジャマを借りた風呂上り、暗くなってきた夜は時間的にも段々と就寝時間に近くなっている。とはいえ寝る前に枕投げをしようとハイテンションなリアもいる為、このまま普通に眠る事にはならないだろうなあ、という予感がひしひしとしていた。

 

 そんな夜。

 

 風呂場からお泊り先であるロゼの部屋へと戻る途中、エドワードと遭遇した。どうやらこっちを待っていたような素振りがあって、此方に気づくと笑顔で手を振ってきた。リアもエドワードを見かけるとまだ完全に乾いていない髪を揺らしながらエドワードへと突進する。

 

「リア、お風呂はどうだった?」

 

「凄く心地良かったよ。ウチにも欲しい」

 

「うーん、ココのは魔道具を使って再現しているもので中央で見る奴よりも高価だから、ウチはちょっと辛いかなぁ」

 

 あはは、と苦笑を零しながら受け止めたリアの頭をエドワードが撫でた。

 

「リア、エデンを少し借りるけど良いかな?」

 

「良いけど……絶対に返してよね? エデン、私ロゼの所で遊んでるから」

 

「あいあい。怪我するなよ」

 

「うん」

 

 それだけ言うとリアは走ってロゼの部屋へと向かっていった―――今夜はゲストルームから引っ張ってきたベッドを繋げて作った大きなベッドに、3人で並んで眠る予定なのだ。歳に対してちょっと行動幼くない? とは思ってしまうかもしれないが、初めての対等な友人に2人とも相当舞い上がっているのだろう。それはそれとして、エドワードへと視線を向けた。

 

「何か御用でしょうか、エドワード様」

 

「うん、実はサンクデルに明日討伐の仕事を頼まれてね。それにエデンが付いて来たいのかどうかを聞こうと思って待っていたんだ」

 

「仕事、ですか?」

 

 エドワードは時折パーティー規模のモンスター狩りを依頼される事がある。それは強制されている訳でもなく、エドワードにとっては難題であるという訳でもなく、仕事の1つとして捉えている。時折持ち帰ってくるエドワードの戦闘話は結構面白いもので、この世界にはどんなモンスターがいるのかを教えてくれる。最近聞いた話の中で面白かったのはエドワードの対バジリスク戦だろうか。簡易の風の魔法を使った目つぶしと閃光魔法を組み合わせる事で石化攻撃を抑制しつつ死角を作り、トラップと置き魔法でひたすら射程外から削り殺した話はひたすらプロフェッショナルを感じさせる戦い方だった。

 

「うん、どうやらサンクデル所有の鉱山にレッサードラゴンが出現したみたいなんだ。今は動かせる人間の限られているから僕に処理を頼みたい、って話でね」

 

「レッサードラゴン……」

 

「うん……興味あるでしょ、亜竜という生き物が」

 

「それは……」

 

 勿論、興味があるに決まっている。亜竜とはつまり、龍の眷属とも言える生物たちだ。ワイバーン種やレッサー種等様々な種類が存在し野生化して生きている。その特徴は非常に強靭で賢く、しかし人間に対しては敵対的であるという事だろうか。基本的に亜竜と人類が接触した時、殺し合うという選択肢しか残されない。だが彼らは古い種族でもある。世界の始まりから続く系譜の一つだ。つまり、龍という種族に関して知っているかもしれないのだ。

 

 たとえそれが若い個体であろうと、俺という龍が接触する事で新たな事実が判明するかもしれない。その事実に気づいた所でうん? と首を傾げる。数秒程腕を組んで俯いて考え、今度は天井を見上げながら考える。そしてエドワードへとジト目を向ける。

 

「エドワード様……実は単純に反応とか見たいだけなんじゃないですか??」

 

「そ、そそ、そんな事ないよー?」

 

「声が震えてらっしゃる」

 

 視線を泳がすエドワードの姿を見て、くすりと笑い声を零した。夜中である事も考えてあまり大きな声を出さないように口元を抑えながら笑い声を零し、すみませんとエドワードに一度謝る。

 

「少しふざけてしまいました。ですが、ありがとうございますエドワード様。邪魔にならなければ俺も一緒に行きたいと思います……良い機会だと思いますし。何もなければそれはそれで平和という事でもありますし」

 

 誰かが聞いているかもしれないという事を考えてあえて主語を外す。だがそれでも十分に意図は伝わる。エドワードは解った、と頷く。

 

「それじゃあリアには明日もここで遊んでいて貰って、その間に僕たちは仕事の方へと向かおうか。ありがとう、エデン」

 

「いえ、此方こそありがとうございます。亜竜なんて中々見れませんしね」

 

「そうだね」

 

 龍の方なら毎日会えてるんだけどね!

 

 それで会話を切り上げておやすみを伝え、ベッドルームへと向かう。もう既にリアが向かっている筈だが暴れてないと良いなあ、なんて希望的観測を胸にちょっと早歩きで向かう。

 

 しかしロゼの部屋から聞こえてくるのは喧騒。あ、やっぱり。そう思いながら迷う事無くロゼの部屋へと繋がる扉を開けた。

 

「リア、ロゼ何をやって―――ぶ」

 

 扉を開けた瞬間、顔面に何かが叩きつけられた。ゆっくりと落ちて行くそれに合わせて視線を下へと向ければ、枕が1つ、足元にあった。そこから視線を正面へと向ければベッドを二つを中心にした部屋、その左右にロゼとリアが枕を複数手に髪を乱れさせながら向かい合っていた。どうやらもう既に枕投げを始めていたらしい。

 

「所で今のはぶっ」

 

 顔面に枕が叩きつけられた。

 

「今のはリアだぶっ」

 

 喋っている途中で再び枕が顔面に叩きつけられた。

 

「今度はロゼだなっ!」

 

「な、私の魔球が受け止められた!」

 

「組むよロゼちゃん! エデンが敵に回ったら一人では勝てないよ!」

 

 素早くロゼ側へと走って枕を盾の様に構えるリアの姿を見て、うんと頷く。足元に落ちている枕を三つとも持ち上げ、構える。

 

「枕ブレード三刀流」

 

「いけないわリア、アイツガチ勢よ!!」

 

「逃げろー!」

 

「残念、大魔王からは逃げられない」

 

 がおー、という声と共に一気にベッドを飛び越えて二人に接近する。きゃー、という声で二人が逃げ出す。だが完全に逃げ切る前に二人を枕で叩いてベッド方面へとふっ飛ばす。ベッドに倒れ込んだ二人を確認したらそのままベッドの上の格闘戦へと持ち込む。

 

「枕投げ1級の俺に勝てるものか!」

 

 ベッドの上で枕を駄目にしながら、その晩、疲れて眠るまで俺達は遊び続けた。

 

 まるで普通の少女の様に。




 引き続き評価感想、ありがとうございます。

 エデンの中で女になって面倒だ……って思った事1位。立ちションが出来なくなったこと。


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命の値段 Ⅵ

 翌日朝、一時的にリアをヴェイラン家に預けてエドワードと共に出立する。

 

 エドワードは物凄い軽いノリで討伐の話を出したが、ぶっちゃけ目的地へと向かうだけでもかなり苦労する。

 

 ご存じの通り、この世界はファンタジーであり未開拓な世界だ。だから高速道路なんて物は存在しないし、人通りの多い道しか舗装されていない。幸い今回の行き先である山は財源である為、資源を運ぶための道が存在しているからまだマシだが、それでも徒歩で3日はかかる距離だ。この距離感というのが割と曲者で、人によって移動速度にはばらつきがある。だがこれを解りやすい数値にしてみると、1日人間が徒歩で歩く大体の距離が25㎞から30㎞ぐらいになるだろう。

 

 まあ、この世界の人間は魔力と魔法がある関係でもうちょっと強靭だ。1日35㎞までは歩けるとしよう。3日での移動距離は合計で100㎞を確実に超えるだろう。これは相当な距離だ。kmで表現しても良く解らない場合があるが、3日間という時間がどれだけ大変かを教えてくれる。

 

 そして馬ならこの2倍の早さは行ける。いや、本来であれば馬と徒歩の1日で進める距離はそう変わらないらしい。速さが違うのにそこまでの差がないのは、馬を休めなければならないという理由があるからだ。だがこれを無視して、馬を使い潰すやり方で走らせれば徒歩の2倍の距離を1日で稼ぐ事が出来る。反面、2倍近い距離を稼いだ時点で馬が死ぬというデメリットがある。つまり帰り道を想定していない走り方なのだ、これ。だから最終的に稼げる時間や距離は徒歩と変わらないという話になるのだが、

 

 この世界には裏技がある。地球では絶対に使えない手段だ。問題は馬が疲れて死ぬ事なのだ。だったら最初から疲れ知らずの馬を使えば良いという話になる。

 

 そこで出てくるのがアンデッド系の馬だ。死なないし、疲れないから永劫に走っていられる。食費は生気を多少吸わせるだけ。それで存在が維持できるのだからコスパはかなり良い。問題はデュラハンとかモンスターから馬だけを強奪しなきゃならないという事実だ。だがそういう事も金さえあればどうにかなる。そして辺境では、というよりヴェイラン家は場合によって緊急の使いを出す必要もある為、アンデッドホースの1頭ぐらいは当然備えていたりする。この1頭も野生のデュラハンを大人数で囲んで虐めて馬だけを強奪したものであり、完全にデュラハン可哀そう案件の末に捕獲調教されたものだ。

 

 それに騎乗していた。1頭しか使えない為、前の方に俺が座って後ろからエドワードが支える形だ。アンデッドホースであれば60㎞の距離を死ぬ事なく走り抜け、更に夜間も走れるので1日で70㎞の距離を踏破出来る。

 

 無論、アンデッドホースは無事でも俺とエドワードが休みを必要とする。その為移動する時間というのには限度がある。それでも休憩を挟みつつ移動する事で1日目は予定通り60㎞の踏破を完了する。

 

 2日目に現場に到着し、仕事を処理したら3日目には領主館で夜を過ごすというスケジュールだ。

 

 当然ながら、飛行機や新幹線なんて存在しない時代、電車であれば数時間で行ける100㎞という距離もこの時代では数日かけて移動する距離になる。その為、テントや食料を積み込む必要だってある。

 

 旅は、決して楽ではない。長く座っていると尻が痛くなってくる事だってある。

 

 だけどそれ以上に、旅は楽しいんだ。

 

 

 

 

「明日には予定通り到着できそうだ」

 

 エドワードの言う鉱山へと続く道、その横にキャンプを設置した。と言ってもテントを立てるのと焚火を焚くだけのキャンプだ。後は寝袋にくるまって寝るだけという簡単なもので、現代のレジャーの様な要素は一切ない。夜を越す為のキャンプだ。そしてモンスターがキャンプ周辺に出没する可能性もある為、その対策を行う必要もある……普通は。

 

 俺がいる場合、俺という存在そのものを忌避しているのか恐れているのかモンスターはよって来辛くなる。相手の縄張りに踏み込んだ場合はまた反応が別なのだが、こうやってキャンプする場所の安全を確保してから大人しくしている分には絶対に来るような事はない。だから普段存在するモンスター相手の見張りや警戒みたいなものは必要ない。

 

 だからエドワードと二人、小さな丸太を椅子代わりに焚火を挟んで座っていた。直ぐ近くの木には手綱を使って繋がれた全身に肉がなく、骨だけで構築されたアンデッドホースの姿がある。唯一、その目を覗き込むと蒼い炎が燃えているように見える。ちなみに普通の馬同様、命令するとしっかりと従ってくれる。

 

 エドワードと二人、焚火を使ってシチューを煮込みながら俺達は最初の夜を過ごしていた。

 

「初めての馬での旅は結構疲れるもんなんだけどねー。エデンはそこまで疲れた様子を見せないね」

 

「まあ、流石にちょっとお尻が辛いのはありますけど、思ったほど疲れてはいないですね」

 

「うーん、流石龍。体が強靭で羨ましいね」

 

 そう言いながら軽くシチューの味を確かめながら香草をエドワードが増やした。

 

「エドワード様が料理する、って結構意外なイメージですよね」

 

「そうかな? まあ、家にいる間はアンかエリシアに任せてるからね。こう見えて学生時代とかは僕の方がエリシアに作ってたんだよ?」

 

「えぇ、本当ですかぁ?」

 

「本当だよ、本当。その頃のエリシアは武芸一辺倒だったからね。家事も何もかも駄目だったんだ、本当に。だから僕がお弁当とか作って差し入れに行ったりしてたんだけどね」

 

 エドワードが懐かしむ様に目を閉じるのに、ふと思った。

 

「エドワード様とエリシア様、どうやって結婚なされたんですか? 過去の話を聞く限り、絶対結婚できそうにない組みあわせの様に思えたんですけど」

 

「うーん、これはまた長い話になるからもうちょっと落ち着いた所でしたいかなぁ。でもそうだね、実は僕の方からエリシアにアタックした結果なんだよね」

 

 そう言って恥ずかしそうに頬を掻いたのに、俺は結構驚いていた。昔のエリシアは話を聞く限り、相当の難物だった筈だ。それをエドワード側のアタックから陥落させたって、

 

「相当の英雄的な行いだったのでは……?」

 

「うん。当時の僕のあだ名は勇者だったよ」

 

「はわー」

 

 意外と、というかなんというか凄い事してたんだな、この人。でも今のエリシアを見ている限り、その後でかなり落ち着いたんだろうけど。いや、落ち着いてはいないんだけど。少なくとも見た目と表面上は大人しいママになっている。世の中の大人しいママはクレイモアを投げて人を殺すのか?? ねぇわ。

 

「ま、まあ、この話はまた今度。何時か、ね。こほん。それよりも亜竜の話をしようかと思うんだけど」

 

 滅茶苦茶解りやすく話題を切り替えようとするエドワードの姿に今度はリアと一緒に迫ってやろうと心の中で計画しつつ、足を軽く組んで手をその上に乗せる。恰好はこれまたヴェイラン家で借りて来た動きやすさを重視したチュニックとジーパンだ。流石にこれから亜竜退治に向かうのに外出用のちょっと着飾った服装のままというのは気が引けたからだ。

 

 とはいえ、やはりちょっと小さいかも。ロゼの服、借りっぱなしだし帰ったら感謝しとこ。

 

「じゃあ誤魔化されてあげますから、亜竜に関してお願いします」

 

「良し、それじゃ亜竜という存在について軽く語ろうか」

 

 エドワードは魔力を使って空中に”亜竜”と”龍”とこの世界の文字を描く。

 

「僕らは龍という存在を無意識的に特別視している。だから亜竜を亜と付ける事で龍ではないと区別するし、竜という別の文字を使う事で龍とは違う事を強調する。それだけ僕たちにとって龍という存在は大きいんだ」

 

「気になってたんですけど、結構龍に対する認知や意識って大きいですよね」

 

「そうだね……神話で最初に出てくる生き物であり、同時に現在人類の敵……って考えがどうしても強く残っているのかもしれないね。だから龍と亜竜はまずは区別されるんだ。これらは違う生き物だ、と。そして実際の所龍と亜竜はとんでもなく違う。それはエデン、君の存在そのものが証明してくれている」

 

 エドワードの言葉に頷く。

 

「伝承や調査によると亜竜は実質的な龍たちの眷属、その子孫みたいな存在だ。龍が消えた事で自由になった亜竜達は自由に繁殖し、その強靭な生命力と能力で環境に適応しながら現代にまで数多く増えて行った。そして同時に、彼らは人に対して強い敵愾心を抱いている。中には群れ規模で活動し積極的に人を襲うタイプまでいるね」

 

「あ、それは初めて聞きました」

 

「結構地方での話だからね。人口密集している大陸や国だとこの手の敵対種は基本的に根絶やしにする事で生活圏を確保するから、この手の被害が大陸中央とかで見る事はないんだ。……よし、そろそろシチューも良い感じかな」

 

 エドワードにシチューをボウルに移して貰い、パンを頂く。これが今夜の晩御飯だ。昨晩と比べると大分質素なものになったが、空を見上げれば満点の星空がそこには広がっている。存在する光源はこの焚火と空の星々と近くの木で食事欲しいアピールをしているアンデッドホースの炎だけ。自然に囲まれた環境はまた普段のダイニングで食べる食事とは全く違う感触がした。

 

 エドワードが作ったシチューもしっかり味が付いていて美味しい。道中移動する間に採取していた香草の類がこういう使い方をされるとは思いもしなかったが……そう言えば、エドワードはちょくちょく仕事で家を出てはこうやって1人で旅をして討伐をするのだろう。その度に1人で料理をしているのだと思うと、納得できる技術なのかもしれない。

 

 硬いパンを手でちぎってシチューに浸し、軽く柔らかくなった所を食べる。

 

「亜竜は人を憎んでるんですね」

 

「大半は積極的に関わろうとはしないけどね。1度竜王クラスが動いて国が1つ消えた事があったね。それ対策でドラゴンハンターやら龍殺しやらが亜竜を定期的にハンティングするようになったかな……まあ、本当に大半は縄張りの防衛に努めてるだけ、だけどね」

 

 ずずず、とシチューをエドワードが飲む。

 

「それだけに今回、これまで無事だった山に亜竜が湧いて人を追い出すというのは結構珍しいケースなんだよね。どこから逃げて来たのか。或いは山そのものに何かあるのか。どちらにせよ興味深い事ではあるよね」

 

「鉱山なんですよね?」

 

「うん。辺境の財源の一つだね」

 

 なら、まあ、と呟く。

 

「……鉱山の奥に何かあって、それが掘り起こされそうだから守りに来たとか?」

 

「着眼点は中々面白い。だけどその場合はたった1頭でやって来た事が説明できない。守る程重要な物だったら1頭ではこないでしょ?」

 

「あ、成程。それは確かに」

 

 亜竜……龍の眷属。立場からすると俺の部下の子孫みたいなもんなのか? いや、ちょっと表現に困る関係だ。とはいえ、俺が龍だと気づけるのだろうか? 何にせよ、龍と亜竜の邂逅が何らかの真実や事実へと繋がれば良いなあ、とは思うが……結局、これは討伐依頼だ。最終的には追い出すか殺すかをしないとならない。

 

「ちなみに亜竜って強さはどれぐらいなんですか?」

 

「強さかい? 基本的に弱い亜竜でもシルバー級のハンターパーティー……うーん、大体中堅クラスの実力を要するんだけどこれじゃあちょっと解りづらいかな?」

 

 頷く。ちょっと階級での強さの基準値はまだ見えてこないレベルだ。

 

「シルバー級ハンターは巨大生物、突発的な事象、奇襲対応が出来るクラスだね。8時間を超える連続探索を遂行可能、人型モンスターとの戦闘可能……まあ、言ってしまえば実力に対してギルド側からでも信用が置けるってレベルだね」

 

 エドワードが言葉を探すようにうーん、と唸っている。

 

「この基準、解る人には一瞬で解る基準だけど、関わってない人にはピンとこないからなあ……そうだね、数値にしてみれば解りやすいか。上限の数値を10として、駆け出しのリーフ級冒険者の強さが1だとしたら、シルバー級は4ぐらいかな。亜竜は弱いものでも単体で6はあるよ」

 

 それ、説明が正しければ亜竜側が相当強い事になる。いや、実際に強いからそれだけ困っているのか。しかしシルバー級、思ってたよりもなんか……弱くない?

 

「だからシルバー級のパーティー単位、って話なんですね」

 

「そういう事。シルバー級への昇級には年間100を超える依頼達成数が必要なのと、ギルドからの推薦状が必要なんだよね。そして推薦状の取得には人格や協調性をテストする部分があるから、超強いけど協調性皆無……ってタイプの人は絶対に昇級出来ないようになってるんだよね。だからパーティー単位で連携して動けるレベルの人材の証明でもあるんだよね」

 

 地雷率がググっと減る、とエドワードは説明する。ギルド側も、結構質の維持とかに頑張ってるんだな……なんて事を想いながら、ふぅーと息を吐いてシチューを食べる。満天の星の下でエドワードの話を聞きながら食べる夕食は、これまでにない経験を満たす物で非常に楽しい。

 

 これまで見たことのない世界、聞いたことのない世界、それを知りながら一歩ずつ未知の世界を踏破している感触が、どうしようもなく楽しかった。

 

 或いはこういう旅人生活、実は俺に合っているのかもしれない……。

 

 そんな事を考えながら初日の夜は更けて行った。




 感想と評価、ありがとうございます。

 デュラハン「か、返して」

 ただし馬は特に忠誠心がある訳でもないので、飯が豊富な人間の方に割と懐柔される。人襲って飯を手に入れるよりも毎日何もせず餌をもらえる方がいいもんな。


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命の値段 Ⅶ

 2日目。

 

 アンデッドホースに乗って更に山へと向けて走る事数時間。既に山の姿を視界にとらえる事が出来ている。道も資源を運び出す為に何度も馬車と馬によって均された形跡があり、大分走りやすくなってきた。そのお蔭で馬の揺れも収まり、移動速度が上がる。忘れちゃならないが、この馬という移動手段はこの世界において最もメジャーな手段なのだ。これが出来なきゃどこにも行けないと認識した方が良いレベルで。だから馬の上で酔う様な事がなくて良かったと正直、思っている。酔うタイプは相当ひどく酔うらしいし。

 

 そんな事を考えながら進む道の途中、手綱を握っているエドワードが少しずつアンデッドホースを減速させ始める。まだ山までは数キロ程の距離がある場所で立ち止まる事に首を傾げる。

 

「あれ、エドワード様? 山はまだですよ」

 

「少し待ってて」

 

 そう言うとエドワードが馬から降りて、しゃがんで道を確かめ始める。何度も何度も車輪の通った後が残された、そんな道だが……俺とは違うものがエドワードには見えたらしい。軽く地面を触ってから立ち上がり、腕を組んだ。

 

「この感じだと1,2時間ぐらい前かな? まだ間に合うかな……」

 

「エドワード様?」

 

「あぁ、ごめんごめん。ちょっと轍の跡が新しくてね……たぶん今朝、僕たちが来る前に誰か馬車を使ってこっちに来てるよ」

 

 そう言ってエドワードは馬の上へと戻ってくる。だがエドワードの言う事に俺は首を傾げてしまった。確か領主はエドワードに討伐を依頼したし、あの太った領主が欲を掻いて亜竜のいる鉱山に作業員を送り込むとも思えない。となると、必然的にこのタイミングでやってくるのは、

 

「盗みですか?」

 

「かな? どちらにしても戦闘準備は忘れずにね。こういう連中は平気な顔をして殺しをするから」

 

「……はい」

 

 人が死ぬのを見るのはエリシアが捨て犬共を皆殺しにしてからは一度もない。だが今回もまた、領主が手を付けられない時に来た捨て犬共なのだろうか? それにしてはタイミングが良すぎる様にも感じられる。エドワードもきっと、そこら辺は疑問を覚えているのだろうが、確証を得ていないから口にできてない。俺も胸に妙な胸騒ぎとでもいうべきものを感じながら大人しく馬に掴まっている事しかできない。

 

 今度は、エドワードが人を殺すのか……?

 

 そんな事を考えながらもアンデッドホースは脚を緩めることなく走り続けた。

 

 どんどんと近づいてくる山の姿、そして整備されてくる道路。看板などがついには見えるようになり、目的地が大分近い事を示してくる。

 

 

 

 

 そして山の麓に到着すると、馬車が一台停めてあるのが見えた。その横にアンデッドホースを付け、降りながら馬車を確認する。同じように降りたエドワードも馬車を確認する。確認したところ、ウチで保有している馬車よりも大きく、そして荷台部分は大きな荷物が載せられるようになっている。後は荷台が隠せるようになっている事か。何かを運び出す気満々という感じだ。

 

「これは黒ですね……」

 

「うーん、そうだけどなんだろう、これ……」

 

 エドワードが馬車を少し離れた場所から確認するように眺めている。

 

「エドワード様、何か疑問が?」

 

「いや、ほら、見てよ」

 

 エドワードが馬車の正面を示す―――そこには存在する筈の馬がいない。

 

「馬車なのに馬がいないんだ。おかしいだろう?」

 

「あ、ほんとだ」

 

「という事は馬以外の労働力を利用しているという事なんだろうけど、透明な生物を使っている訳でもないって事は何か別の生き物を使っている筈なんだけど……さっき、道にはちゃんと蹄の跡があったしなあ。おかしいな、何だろうこの違和感は」

 

 腕を組みながら考え込む様にエドワードが目を閉じた。ただ、それを長く続けているだけの時間はない。

 

「エドワード様、早くしないと捨て犬たちが盗掘しちゃいますよ」

 

「あぁ、そうだったね。確かに今はそっちのが大事か。それじゃあ足跡でも探して―――」

 

 そこから捨て犬たちを追おう。そう口にしようとしたエドワードの言葉は次の瞬間、山の内側から響く咆哮によって掻き消された。俺にとっては心地よくさえ感じる空気が震える様な感触。それはどことない懐かしさを感じさせるもので、自然と視界はこの先、山の方へ正面―――内側へと続く坑道へと向けられた。

 

「急ごうか」

 

「はい」

 

 短く返答して走り出す。

 

 一般的に魔術師、魔法使いは貧弱というイメージが強いが、エドワードはそんな事はなく、ちゃんと体を鍛えてある所謂細マッチョタイプだ。その為、普通に走る事も出来るし、体力だってある。その為、並走出来るかどうかを一切心配する必要もなく坑道へと飛び込む事が出来た。

 

 坑道に飛び込んでまずは外からの光が遮断され、広くくり抜かれた広場へと入る。恐らくはエーテルを燃料として光り続けるランプなのだろう、それを壁に設置する事で坑道内部に光を与えていた。奥へと向かう道は複数。トロッコのレールが続く道を順番にエドワードが見極め、

 

「こっちに魔力の残滓が続いているね」

 

「解るんですか?」

 

「訓練する必要はあるけどね。エデンにはちょっと難しいかなぁ……」

 

「でも、俺にちょっと難しいって言う時って大抵絶望的なときだって察してますよ」

 

「じゃあストレートに才能がないって言っておくね」

 

「うん……」

 

 察してた。やっぱ才能ないねんな……。その分フィジカルを鍛えるからええわ!

 

 そこら辺はもう開き直っているところが強い。だから気にしてない―――気にしてなんかいない。

 

 そう自分に言い聞かせながらエドワードの後を追いかけるように前へと向かって進む。坑道は外と比べると薄暗いが、それでも魔光のランプのおかげで視界の確保が出来ている。そして選んだ道を進んで行けば、自分の感覚でも人と獣の気配を感じられた。これで道はあっている、そう判断して更に走るペースを上げれば、

 

 坑道が広がった。中継点の様な場所へと出る。

 

 そこには大小、複数のローブ姿の者どもがいた。エドワードと共に坑道に飛び出すと、ローブの者達が振り返り、此方に気づく。

 

「ち……侵入者か。領主め、聞いていた話よりも対応が早いな」

 

「おぉっと、不法侵入である事を隠そうともしないか」

 

「やるだけ時間の無駄だろうからな」

 

 リーダー格の男がそう言うと、その背後、坑道の奥からもう一度亜竜の咆哮が轟いた。どうやらこの男達、坑道の奥の方で亜竜とやり合っているらしい。なら別に止める必要もないのか? と一瞬だけ考え、その考えを否定する。犯罪は犯罪だ。戒めるものを戒めないと人はどんどん堕落して道を踏み外してしまう。こういう連中はそこに際限がないのだ、止めなきゃならない。

 

「……所でエドワード様、実は飛び出さず隠れて奇襲した方が良かったのでは」

 

「うん、でもエデン飛び出しちゃったし」

 

 横から突き刺さるジト目にやや俯きながら答える。

 

「……ご、ごめんなさい」

 

「次回からは気を付けようね」

 

 あ、焦り過ぎた。そう心の中で密かに反省しつつ、心は前よりも軽く、明るくなっていた。亜竜の咆哮を聞いたからだろうか? 懐かしさとは別にどことなく勇気が心の内に芽生えるのを感じていた。とはいえ、それに振り回されてはならない。自分の気持ちを抑え、拳を握って構える。相手は全部で4人。咆哮からすると更に奥にもっといるように感じる。少なくとも自分の知覚にはこの倍近い数が奥にいるように感じられる。

 

 故に俺とエドワードの2人でまずはこの4人を相手にしなくてはならないのだが、エドワードがあのエリシア並みの実力だと考えれば、難しくなさそうだと考えた所で、

 

「お前らが、ここで引き返すってなら地獄を見ずに済むが?」

 

「君たちこそ、ここへの不法侵入は死罪だよ。まだ何もしてないなら助かる道もあると思うけど?」

 

 警告を送る男に対してエドワードが警告を返し、ローブのリーダーが頭を横に振った。

 

「愚か者共め……予定にない戦闘だが、消すぞ」

 

 男がその言葉と共にローブを脱いだ。そこにあったのは男の体で―――ぼこり、と音を立ててグロテスクな変形が始まった。

 

「―――は?」

 

 思わず目の前で繰り広げられる光景にそんな声が漏れた。何せ目の前では人間がぼこぼこと音を立てながら形を変えて行くのだから、当然だ。2メートルにも満たなかった男の体は音を立てて赤く皮膚が変色し、服を突き破りながら巨大化して2メートル半ほどの巨体にまで成長する。角を二本頭から生やし、丸太の様に太い両腕、そして口から覗く牙は明らかに人のそれではない。

 

 だが変化は男1人ではなく、その背後でリーダーの合図を待っていた他の連中にも発生していた。リーダー同様にぼこぼこと肉体が音を立てながらグロテスクな変形を見せる。その異様過ぎる光景に俺だけではなく、エドワードさえも言葉を失って眺める事しかできなかった。

 

 1人が全身から毛を生やし、背骨が曲がるようにやや前傾姿勢になりながら顔は犬の物へと変貌し、全身から蒼い毛を生やし始める。手は鋭い爪を生やし、足は獣のそれになった。残りの2人は両腕を地面につけ、骨格そのものが人ではなく犬の様なものへと変化し、気づけば全身から毛を生やして黒い狼へと姿を変貌させている。

 

 そうだ、全員変形、或いは変態していた。

 

 人からそれ以外の生物に。明らかに摂理を無視した様な、そんな冒涜的な変化が目の前で発生した。エドワードはその景色を前に、頭を横に振った。

 

「オーガ、コボルド、ハンターウルフ……ありえない、まさか理性を残したままなのか」

 

 エドワードが口にするのはどれもモンスターの名前だ。確認するように1人1人確認し、理性がある表情と動きをしているのを見て否定するように頭を横にもう一度振った。だがにんまり、とオーガの男が笑みを浮かべた。

 

「博識だな? だが深く考える必要はない、どうせここで死ぬのだからな」

 

 そう言ってオーガがローブの中から到底隠し切れない筈の大きさはある―――それこそ俺よりも大きな半月斧を引き抜いた。同じように格納空間でも設置されているのだろうか、自分の落ちているローブから盾とメイスをコボルドが引き抜く。それを合図に、俺はエドワードの数歩前へと移動し、エリシアにならったように半身を前にする様に構えた。

 

「エドワード様、どうします?」

 

「……いや、すまない。少し動揺してしまった。だけどもう大丈―――」

 

 視線をエドワードへと向けた瞬間、横から斧が顔面に衝突して体がふっ飛ばされた。

 

 戦いに開始のゴングなんてものはない。戦う、そうきめた瞬間がスタートである事をすっかり忘れていた。会話を待つ筈もなく、オーガは容赦なく半月斧を俺に叩き込んできた。弾丸のように吹き飛ばされた体が坑道の壁に衝突し、肺から息を叩き出されながら深呼吸をした。

 

「痛いぞ此畜生……!」

 

「……死なない?」

 

 斧を振り抜いた状態のオーガが驚いたような表情を浮かべるが、振り抜いた状態で停止したままだったのが悪かった。足元の地面が隆起し、それが天井へと伸びてオーガを天井と床で挟み込んで圧殺する。そうやって隆起した大地を迂回するようにハンターウルフが飛び込んでくる。その動きをカットする為に吹き飛ばされた壁から一気に加速して接近し、噛みつかんとする姿に両腕を差し出し、

 

 噛ませる。

 

 鋭く尖った人を噛み千切る牙が服の下に隠れた両腕に食い込―――まない。肌に牙が僅かに沈んでも、押したら沈む程度の進みでしかない。それ以降はまるで鋼鉄に噛みついているような感覚と共にハンターウルフの牙が完全停止する。

 

 その姿を吹き飛ばすように全身に魔力を漲らせ、シンプルに拳に込める。察知したウルフ共が即座に腕を離して距離をあけ、盾を構えたコボルドの背面へと一瞬で避難する。

 

 ウルフを追撃する筈だった風の刃はコボルドに防がれ、隆起した大地が内側から粉砕される。内側から多少汚れてはいるものの、傷の浅いオーガの姿が出現する。首を二度、回すようにこきこきと音を鳴らすと残された大地を裏拳で粉砕してくる。

 

 その姿を確認しつつエドワードと共に数歩後ろへと下がる。もう相手から視線を外す様な事はしない。相手を殺す殺さないとか、そういう事を考える余裕もない。此方が殺す気でやらなければその瞬間に殺してくるような相手だ。

 

「エドワード様?」

 

「コンビネーションプランAで行くよエデン」

 

「了解です」

 

 だが俺達だって馬鹿じゃない―――ちゃんと、一緒に戦う事前提の戦術だって考えてきている。故に、正面を見据え、武器を構え直し、隊列を組んでくる相手の姿を確認し、もう一度拳を構えた。これが初の実戦になる。想定とは全く違うシチュエーションだが、

 

 ……少しだけ、興奮してた。




 感想と評価、ありがとうございます。

 当然ながらモンスターのスペックは人間よりも上である。だが知性は割と低い生物が多い。だったら人の理性と知性を備えたモンスターは……?

 武装出来て、作戦連携が取れるだけで危険度は跳ね上がる。


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命の値段 Ⅷ

 ―――良い、エデンちゃん? 戦いとはイニシアチブの奪い合いよ。有利を奪い合う。そして先に有効打を差し込んだ方が勝ち。国を焼く魔法も、全てを切り裂く剣も、敵を殺すのに強すぎるわ。必要なのはジャストで殺せる火力。十分な火力と致死性。それを見極めて差し込むの。それで戦いには勝利出来るわ。

 

 今更ながら、そんなエリシアの言葉を思い出した。

 

 戦闘とはどれだけイニシアチブを奪えるかというのに肝がある、と。素早く動いて先手を取る。相手の苦手な距離を維持する事。自分の強みを押し付ける事。それら全てがイニシアチブの取得動作―――つまり有利を得て行くという戦い方だ。自分にとっては有利な事、相手にとっては不利な事。これを押し付ける事で自分の方へと勝利の天秤を傾かせ、最終的に致命の攻撃を相手に差し込む事が戦い方の定石である、と。

 

 だから戦いはまず最初にどういう流れで勝利するのか、というのを構築する所から始まる。これに関しては既に対亜竜用に事前相談してある。今回はそれを対モンスター用に運用するだけという話だ。

 

 先ほどのやり取りで俺の肉体が異様に堅い事を理解したモンスターたちは陣形を取る。先頭でコボルドが盾を構え、後続への攻撃をガードする姿勢を見せる。その背後にオーガが控え、左右にハンターウルフが構える。攻撃に対してコボルドが対処しつつ中央突破する陣形だろう。恐らくは俺という邪魔ものを押しのけて接近する為の陣形だ。実際、厄介なのはエドワードの方で認識は正しい。

 

 とはいえ、此方もやる事は既に決定している為、動きは素早く作る。

 

 魔力を込めた拳を全力で掲げてから―――地面に向かって叩き下ろす。全力の拳が岩盤を破壊し、破壊された大地を巻き上げながら魔力の付与が行われる。即ち白と黒、二律背反の魔力が暴れるように巻き上げた土砂の浸食を開始する。それを事前に発生すると解っていたエドワードが風の魔法を素早く数種類発動させる。

 

 エドワードは魔導の天才だ。魔力のコントロール、制御、そして融合までやってのける。複数の紙式魔法を同時にコントロールしたり、既に発動させた魔法に別の魔法を組み込んだり合流させる事で魔法の規模や破壊力、種類をその場で変更するという異形の技術を備えている。

 

 だから当然、俺の魔力を巻き込んで魔法発動なんて事も出来る。

 

「合体魔法!」

 

「クリスタルガスト!」

 

「エドワード様これ言う必要ありました!?」

 

「カッコいいでしょ?」

 

 そんなやり取りをしながら結晶風がモンスターたちを襲う。コボルドが盾で防ぐが、風の勢いそのものは殺せない。モンスターたちの全身を軽く刻むも致命傷はない。だがそれで良い。既に目的は果たした。後は時間を稼ぐのみ。

 

 コボルドを筆頭にモンスターたちが三方から同時に攻め込んでくる。対処する為に前へと飛び出す。

 

「コボルドを宜しく」

 

「拝承しましたっ!」

 

 拳に魔力を込めて正面からコボルドへと殴りかかる。人外としか表現できない膂力から放たれる一撃は人体を容易く破壊するだけの威力がある。だがそれを正面から受ける様な愚をコボルドは犯さない。盾で攻撃を受ける瞬間にずらし、そのままカウンターで勢いを乗せてメイスを首に叩き込んでくる。ごーん、と響く衝撃に軽く頭が揺れるのを感じるが今度は殴られることを覚悟していただけに体を浮かされる様な事はない。

 

「ふんっ!」

 

「何だこいつは……」

 

 下がらない。コボルドだけを押し込む様に拳を連続で放つ。一撃、二撃、とコボルドが拳を盾でカバーし、その間に横をオーガが駆け抜けて行った。その姿が抜ける前に肘を軽く叩きこむが、当然のようにダメージはなく、その隙を突いてコボルドのメイスが顔面に叩き込まれる。

 

「ごぶっ……ぺっぺっ! ちょっと口に入っちゃった」

 

 顔面にメイスを喰らって大きくよろめきながらも口の中に入った鉄の感触を吐き出す。それをメイスを振るったコボルドが驚愕の表情で見ていた。一歩下がって拳を構え直しながらコボルドの盾への浸透率を頭の中で計算しながらコボルドを確認する。相手は警戒するように盾を前に出した。既に後ろの連携してエドワードを崩そうとする連中とは合流する気をなくしていた様だ。

 

「お前は……お前は何だ? 一見魔族の様に見えるが、その存在強度は異質だ。まるで次元の違う存在を殴っているような感覚だ」

 

「さあ、なんだろうなっ!」

 

 話の途中で殴りかかる。それをコボルドは盾で受け止めようとして、

 

「なっ―――」

 

 ―――盾が砕け散る。

 

 盾の強度を考えれば砕ける様な事はまずありえないだろう。だが数度拳を逸らした事によって魔力が蓄積し、それに浸食されて強度と材質が変質していた。それによって衝撃を受けた盾は容易く砕け散ってしまう。それによってフリーになった拳をストレートにコボルドへと叩き込む。盾を構えていた腕へと一撃叩き込み、その破壊力で腕を弾く。破壊、折る程の結果を生み出さないのは俺が傷つけることを躊躇っているのか、或いは想像以上にモンスターという存在の強度が高いのか。

 

 どちらにせよ、攻撃手段は殴る、魔力を込める。それだけだ。

 

 だから厄介な敵をエドワードへと通さない事だけを意識して拳を振るう。

 

「チッ!」

 

 露骨に舌打ちしながらメイスと片手でコボルドがこっちの連撃を全て捌き切る。そこからは明確に訓練された軍人の様な技量が見えた。エリシアの様に何度も何度も繰り返し体に馴染ませた動き。効率化を重ねて最短で最大の結果を出すように計算された動きはまだ1年しか戦闘訓練を受けていない俺では絶対に届く事の出来ない高みだ。

 

 事実、コボルドの防御に対して一切の隙を見いだせていない。それどころか防御の合間にコボルドのカウンターが飛んでくる。此方が付き出す拳を最低限の動作で回避しながら片手で弾き、脳震盪を狙うように顎や頭にメイスが飛んでくる。それを回避しようとすればコボルドの脚が動いて此方の脚を引き、体勢を崩してくる。

 

 落下する所にメイスが振り下ろされ、地面とメイスのサンドイッチを叩き込まれる。

 

 だがダメージはない。脳も揺れない。生物としての構造がまるで違う。その程度では鱗一枚傷つける事が出来ない。ぼろぼろになって行くのはロゼに借りた服装だけで、それ以外はまるでダメージを喰らう様子もなく、地面に倒されて追撃を喰らった所で素早く転がって、地面をたたいて飛び起きる事で復帰するも、起き上がった此方を見るコボルドの視線に迷いはない。

 

 完全に俺を抑え込む算段だった。実際、その判断は正しいかもしれない。

 

 結局のところ、エドワードも人間だ―――体力には限度がある。

 

 三対一という構図はエドワードが高速で複数の魔法を展開して敵を抑え込めても、体力を大いに消耗する行動だ。そのまま戦闘を続行すれば遠くない未来に潰されるだろう。それを解っているからこそコボルドは焦りはしない。

 

 ゆっくりと着実に、確実に潰せるように手を打とうとして踏み出し、

 

 ぴきり、と音が鳴った。

 

「なんだ、これは」

 

 コボルドの動きが停止した。その視線は己の腕とメイスへと向けられ、その表皮に黒い結晶が生えているのが見えていた。黒い結晶はパキパキと音を立てながら少しずつコボルドの腕を侵食して行く。それが見えた瞬間が勝機だと判断し、一気に飛び出す。言葉もなく加速し手を前に伸ばす。それが即死手段であると悟ったコボルドが大きく飛びのき、下がった。

 

 それを見て足を止め、振り返った。

 

 これで何をするのか、コボルドは一瞬で理解した。

 

「その小娘から離れろォ―――!!」

 

「もう遅い」

 

 背面から聞こえてくるパキパキ、ぴきり、という音を無視してエドワードを襲撃する三頭へと向かった。両面に展開したハンターウルフが居場所を入れ替えながらエドワードを牽制し、その影を利用しながらオーガが斧を本命打としてエドワードに叩き込もうとする動きは体力と精神、その二つを削りながら追い詰めて行く戦い方だ。それをエドワードは純粋な格闘能力と高速で発動させた妨害用の魔法、足元を転ばせる段差の生成や風のクッション、木の根による妨害を組み合わせる事で相手の進路をふさぎ、行動を中断させ、そして魔法の合間に掌によるカウンターを叩き込む事で体力を温存しつつ時間を稼いでいる。

 

 そう、時間を稼いでいる。

 

 俺達に本命を叩き込む必要はない。

 

 最初に魔法を放った時点で勝利は確定している。後は時間を稼ぐだけだ。

 

 そしてコボルドが声を放ってももう遅い。オーガがギリギリ振り返るが、それよりも早い、身体能力任せの跳躍突進でオーガの背面から頭を両手で掴んだ。

 

「お前ッ」

 

「これで処女喪失かぁ……酷いもんだ」

 

 そんな言葉を吐きながら魔力をオーガの頭に込めた。放出は出来ないから出来るのは魔力の付与だけ。だけど俺の魔力は特別性だ。浄化と蝕みの二種類。コントロールも出来ないから注ぎ込んだ瞬間からその効力が発揮される。既にオーガはその種を最初の風に乗せて受けていた。本人が気づかない間に死の種は体内で成長を続けている。

 

 それを頭に流し込む魔力をトリガーにして一気に連鎖発動させる。

 

 魔力を流し込んだ直後、肘を叩き込まれて引きはがされ、体が落下する前に回し蹴りを喰らって吹き飛ばされた体が岩盤に叩きつけられる。だがその直後からオーガの体が震える。

 

「お、ぉ、ぉ、ぉぉ……」

 

 苦しむ様に声を放ち、体を震わせながら動きが硬直し始める。

 

 腹から黒い結晶が生える。

 

 それが全身を覆い始め、肉体や内臓、骨という部位を全部結晶へと変換して行く。最後まで声を震わせながらオーガの肉体全てが結晶化し、最後には砕け散って塵になる。

 

「クソ、なんて奴だ……ぐっ、お前ら、逃げ……報告をっ……」

 

 オーガに続いて、戦闘中に何度も接触していたコボルドが全身結晶化した。

 

 それをエドワードの両面に展開した狼共が言葉を失うように眺め、素早く距離をあけるように離れた。

 

「ふぅ、さて、僕はあんまり戦ったり殺したりするのに積極的じゃないからね……君たちが何者で、何故ここにいるのか。それを話してくれるなら君たちに既に付与されているエデンの魔力、解除してあげても良いけど?」

 

「冗談を言うな。吐かせた後で領主に突き出すつもりだろう。結局は死ぬ時期が違うだけだ」

 

「なら他に選択肢はないな」

 

 狼たちが警戒を解かずに視線を俺とエドワードへと向ける。絶対に突破するという殺意を感じさせる迷いのない視線だ。それを受けてエドワードは頭を横に振った。

 

「逃げる算段を付けるか……しょうがないなぁ」

 

 エドワードの魔法が発動し、この坑道へと通じる入口が風の壁によって封鎖された。それは一瞬でモンスターたちの逃亡を塞ぐものであり、それを理解していた狼たちは一瞬で接近してくる。

 

 俺へと向かって。

 

 既に連中の牙は俺には通じないと判明している筈だ。なのに狼たちはエドワードではなく迷う事無く俺に食らいついてくる。早すぎる狼の動きに対応する事が出来ずに首と腕に噛みつかれるも、その状態から魔力を一気に流し込む。口先から黒く変色して行く肉体を狼たちは眺めながらも、身じろぎせず―――そのまま、結晶化するのを認めるように動きなく、最後に砕け散った。

 

 ぱりん、と音を立ててモンスターたちの残骸が坑道の床に転がる。それを見て、エドワードが頭を横に振った。

 

「情報を漏らさない事を優先して死ぬ事を選んだか……動き込みで間違いなくどこぞのプロフェッショナルだったとしか思えないなあ、これ」

 

「滅茶苦茶、怖かったですね」

 

 かなり必死だったから細かい事までは考えられなかった。だがオーガもコボルドもハンターウルフも、モンスターとは思えない気迫と知性の高さを見せた。コボルドは動きの一つ一つが確実に詰めて殺すという堅実なスタイルだったし、オーガも味方を信じて戦っていた。ハンターウルフも逃げ道も助かる道もないと解った瞬間自殺する事を選んだ。あまりにも強く、そして早い判断だ。

 

 と、そこで暖かい感触を頬に感じた。埋没していた意識を引き戻すと、正面には膝を折って視線を合わせてくれるエドワードの姿があった。両手で頬を包み込み、人肌の暖かさを教えてくれる。

 

「大丈夫かい、エデン? 生き物を殺すのはこれが初めてだろう」

 

 殺した。人だったものを。それをあまり意識していなかった。必死だったのもあったが、必要な事でもあった。でも俺が頑張らなきゃエドワードが死ぬ可能性だってあったのだ。その事を考えたら怖い、なんて言ってはいられない。

 

「思ってたよりも衝撃は、薄かったですよ。恨み事とかなかったし、なんか人の姿していなかったですし……」

 

 人じゃなくてモンスター、そう思えば罪悪感は少し薄れた。

 

「本当にキツかったら僕に言うんだよ? 僕だけで何とかできるし」

 

 きっとそれは嘘だ。亜竜だけだったらどうにかできたかもしれない。だけどそこに人の知性と理性を持ち、連携を取る人よりも優れた身体能力を持つモンスター達が襲い掛かってきたら……流石のエドワードでも、対応しきれないだろう。他の誰でもない、俺がエドワードを守らないとならないんだ。この人をちゃんと家に帰してあげないとならない。

 

 それが今の自分の役割だ。だから大丈夫だと頭を横に振る。

 

「行きましょう、やりましょう。俺は強いので」

 

 えっへん、とコミカルに胸を張ると、エドワードが頭を撫でて来た。

 

「そっか……じゃあ、頼らせて貰うよ」

 

「どうぞどうぞ、最強なので人類程度には負けませんから」

 

 エドワードの様な優しい人は絶対に無事に家に帰さなきゃならない。だから怖くない。辛くない。大丈夫、俺はやれる。

 

 でも……夢には見そうな気がした。




 感想評価、ありがとうございます。

 強敵と戦って解る、プロローグで出て来た龍殺しの強さと頭のおかしさ。

 エドワードとエデンのプランAとはエデンの魔力をリソースに全体攻撃、致死性デバフを付与したら時間を稼いで致命傷にするという暗黒デバフコンボの事である。知識がないと100%成功するデバフなので初見殺し確定のコンボである。問題はこのコンボ、エドワード程器用な人物じゃないと出来ないという事。


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命の値段 Ⅸ

 立ち塞がった敵を倒したら再びエドワードと共に奥へと向かって移動を再開する。時折坑道内部に響く亜竜の咆哮を頼りにすればどっちへ進めば良いのかというのは簡単に解る。故に亜竜の咆哮と遠くから聞こえてくる戦闘音を伝って坑道内部を進んでいくと、段々と坑道の気配が変わり始める。それまでは魔法等を使った採掘の痕跡があった普通の坑道であったが、整えられた土壁などが急に消え、細く続くくり抜かれたような穴へと道は変貌する。

 

 坑道が細くなる前で、足を止めてエドワードが壁に触れる。

 

「これは……うーん、ワーム系統……かな?」

 

「ワーム……巨大なミミズですか?」

 

「そういう認識で良いよ。地中を掘り進んでいるモンスターなんだけど、肉食ではないから地上に出てくる事もないんだよね。ただそれが坑道とぶつかるのは珍しいね。基本的に人工物の類は忌避するし」

 

 確認を終えたエドワードはま、と言葉を置く。

 

「考察は後にしたほうが良さそうだね。行こうか」

 

「はーい」

 

 地中を掘り進んで天然の迷宮を生み出すモンスター……そんなのもいるんだなあ、なんて思いながら進んで行く。道中、罠や他のモンスターが出現するなどという事はなく、咆哮と衝撃が時折トンネル内部に響いてくる。頭上からパラパラと降り注ぐ土ぼこりが実はこれ、崩れるのかもしれないなんて恐怖を煽ってくる。流石の俺でも生き埋めになったらどうしようもないだろう。その事実がちょっとだけ怖い。

 

 だがそれを乗り越えながら我慢強く進めば、再び変化の境目にまでやってくる。

 

 ワームが掘ったであろうトンネルは何らかの構造物に衝突したのだ。

 

 故にトンネルの先は、遺跡らしき場所へと通じていた。トンネルからゆっくりとエドワードと共に出てきながら辺りを見渡す。新鮮な破壊の痕跡を見ればどっちにモンスター人間と亜竜がいるのかが解るが、それよりもこの山の内部には遺跡があったという事実の方が驚きだった。

 

「遺跡……ですよね?」

 

「うん、それも相当古いのだよ。驚いたなぁ……神代の頃の遺跡かな、これは? 材質は普通だけど魔法保護されている? もしかして老朽化しないようにされている? なんて魔法を使ってるんだ」

 

 呆然と、魅了されるようにエドワードが遺跡の壁に見入る。俺からしても繋がった遺跡には不思議なものを感じられた。青白い光を僅かに放つ壁は岩の様にも見えるが、触ってみると滑らかさに心地よい感じがする。どこから動力を調達しているのかは不明だが、時折白い線が壁の中を走り、奥へと向かっては戻ってくる。或いは動力はこの奥にあるのかもしれない。

 

「……もしや、亜竜はこの遺跡の守護者だったのかな?」

 

 その言葉に視線をエドワードへと向けた。

 

「あるんですか、そういう事?」

 

「あるよ。特に龍関連の遺跡となると群れが存在してたりするよ」

 

 だったら……俺が居た遺跡にも、守ってくれる亜竜とかは居たのだろうか? その事を少しだけ考えてから頭を横に振る。考えていてもしょうがない事は事実である。それよりも今は段々と規模が大きくなってきたこの事件、その真相を追う事の方が遥かに重要だ。視線を遺跡から外し、奥の方へと向ける。僅かにほの暗くなっている遺跡の通路は奥へと、どこかへと続いているのが見える。ただその闇の奥から、引き寄せられるような感覚がする。

 

 ……呼ばれているような気がする。

 

「エデン?」

 

「いえ……何でもありません。それよりも早く進まないと」

 

「あぁ、うん、そうだね。どうしても目移りしちゃうなあ……先にやるべき事を終わらせてから観光しよっか」

 

「そこ観光って言っちゃうんですか!?」

 

「ごめん、調査だね!」

 

 テンションが露骨に高くなったエドワードの様子に呆れつつも、侵入者たちを追う為に遺跡の奥へと向かって踏み入る。破壊の痕跡だけではなく呼び込まれているような感覚に、迷う事はなかった。トラップや野生のモンスターの類はトンネルの中同様存在せず、どうやら相手は残してきた味方を信頼していた様だと思える。

 

 ……実際、俺やエドワードの様な反則的な能力持ちでなければ、大半の人間があのモンスター人間に殺されるだろう。それほどまでにあのモンスター達はチームとしての動きが完成されていた。願わくば野生のモンスターがあんな連携をとってきませんように。あんな動きを野生でやってくるならこの世は地獄だ。

 

 こつこつこつ、と靴の音が反響する遺跡の中を進んで行く。時折残された破壊の痕跡が正しい道である事を証明するが、奥へと進めば進むほど胸がざわめく感触がする。奥で何かが待っているという確かな感触を胸に特に複雑な構造もしていない遺跡を進んで行く。

 

 道中存在する扉の類は全て破壊され、そして壁にも戦闘の痕跡として燃えた形跡がある。それでも遺跡が崩壊する様な様子は見られず、構造体として頑丈な事を示していた。

 

「……」

 

「エデン、本当に大丈夫かい? 顔色が優れないよ」

 

「大丈夫ですよ、本当に。ただ……」

 

「ただ?」

 

 奥を眺めながら言う。

 

「呼ばれている気がして……いえ、気のせいでしょう。すいません」

 

 その言葉をエドワードは否定する。

 

「いや、君は僕と違って龍なんだ。ここが神代の遺跡か……或いは龍の遺跡だとすれば。もしかすると、君に関係があるのかもしれない。十分注意を払っておこう」

 

「ありがとうございます」

 

「気にしなくて良いよ」

 

 そうは言ったが、結局、目的地へと到着するまで特に何かが起きる様な事はなかった。

 

 

 

 

 多数の通路を抜けて到着する遺跡の奥、その通路壁に隠れるように身を寄せながら、通路の先から聞こえてくる破壊音に視線を向けた。最初の戦闘は俺がいきなり飛び出したのが原因で盛大に失敗したため、今度はちゃんと隠れることを覚えた。エドワードと共に通路の左右に展開しながら覗き込んだ先で見たのは激戦の様子だった。

 

 まず、通路の先には広い空間が広がっていた。円形の部屋には多数の石柱と共に四角形の岩が多数、白い線を表面に走らせながら浮かんでいた。その中には亜竜が3頭存在し、また床には2頭の既に死んで動かない亜竜の姿もある。

 

 それ以外にあったのは、モンスター達の姿だ。

 

 先ほどにも見たオーガ、大きな盾で武装したのが1体、ハルバードで武装したのがもう1体。それとは別にキメラの様な姿をした、人よりも巨大なモンスターが1体存在している。それがそれぞれ散開しつつ亜竜への攻撃と防御のメインアタッカーとして役割を果たしている。その後ろに控えるのは弓や杖を持つモンスター達の存在であり、俺の知らない、見たことのない種が魔法を発動させたり、矢を放って亜竜達に牽制と状況のコントロールを行っている。最後に一体、上半身を鎧に包んだケンタウロスが存在するが……こいつは後方で腕を組みながら状況を俯瞰している。どうやら指揮官らしい。

 

 聞こえない距離をキープしつつも、エドワードが魔法を使う。

 

「……良し、これでこっちの声は洩れない筈だ。魔法痕跡も周りがエーテルで満ちているおかげで隠しやすいし見られない限りはバレないよ」

 

 壁に張り付いたままエドワードがそう言ってくるので、視線をまだしばらくは戦線が大丈夫そうな戦闘から外してエドワードへと向けた。

 

「さっきみたいに突入すれば今度は確実に死にますよね?」

 

「うん。流石にこの数の処理は無理かな……。ちょっと無謀というか、装備が整いすぎてる。動きも統制が取れていて無駄がない。ドラゴンハンターたち並に対竜戦術が出来ている辺り、見た目はアレでも中身はどっかの国の軍人だろうね」

 

「やっぱり、そう思いますか? ごろつきにしては動きが綺麗ですもんね」

 

「問題はどの国か、って所の特定が無理な事なんだけどね。自殺までしてくるとなると捕まえるのも至難の業だし、証拠だけ取ってサンクデルに伝えるぐらいが限界かな……とはいえ、ここで勝てなきゃ意味がないんだけど」

 

 亜竜の咆哮が部屋を震わせる。レッサー種の亜竜はつまり、二足歩行で前足が小さいタイプの亜竜の事だ。背中から翼を生やして二足でも四足でも移動できるタイプの亜竜。残された3頭は今、2頭が壁を足場に走る事で攻撃を回避、撹乱しながら動き回り最後の1頭がブレスによる牽制を行う事で集団を近づけさせないように遅延戦闘を仕掛けている。だがその合間を縫うように剛弓と魔法が放たれ、少しずつ亜竜に対してダメージが入る。オーガとキメラが的確に牽制と妨害を行い続けているのが戦闘の肝だろう。

 

 連中には一切状況を焦る様な様子を見せない。着実に、淡々と戦闘を進めている。それこそまさしく、処理するという言葉でも使うように。アレを崩すのは相当難しい事になるだろう。倒すとなると一気に全部巻き込んで呑み込むぐらいの破壊力が必要となってくる。そう、一気に殺しきるだけの火力が必要だ。

 

 相手を全部殺すだけの……。

 

 忘れる。

 

 今は考えない。

 

「クリスタルガストで行きますか?」

 

「そうだね……たぶん僕たちで現状、彼らを即死に追い込める手段はそれだけだと思うけど、問題は一気に結晶化を進行させられない事だよね……出来ない?」

 

 エドワードの言葉に首を傾げる。

 

「魔力を継続的に放射すればまあ、何とか出来ますけど……その場合、絶対気づかれますよ? 初手で気づくとは思いますし」

 

「魔力密度を上昇させて、濃度を上げる。その上でガストで一気に結晶進行させるのが僕たちの勝ち筋かな。問題は連中を処理した後の亜竜達の動きが見えない事だけかな」

 

「亜竜……」

 

 翼ある竜たちが必死に吠えながら戦闘を行っている。そのフィールドは主にこの奥、反対側だ―――そして決して、反対側から此方へと向かおうとはしない。まるで敵の視線を遠ざけているようにさえ感じられる。いや、流石にそれは考え過ぎだろう。そこまで亜竜達が考えているようには思えない。ただやっぱ、亜竜を見ていると妙な気分になる。

 

 どことなく安心する様な、そんな気持ちだ。同族意識でもあるのだろうか? それとも知っている人を見て安心する気分なのだろうか? どっちにしろ俺の心や記憶ではなく、体にある感情の様で……ちょっと、制御が付かない。だから軽く深呼吸をして、気持ちを抑える。自分がなんであろうと、根幹は決して変わらない。

 

「たぶん、大丈夫です」

 

「根拠は?」

 

 エドワードの言葉に笑みを浮かべて答える。

 

「勘です」

 

「―――君のその勘を信じよう」

 

 迷う事無く信じてくれた。エドワードのその信頼に感謝しつつ、ゆっくりと深呼吸をする。やる事は先ほどのクリスタルガストと一緒だ。俺の魔力をリソースに魔法を発動させる。そうする事によって魔法そのものに蝕みの効果を乗せるのだ。そうする事によって先制攻撃で相手に対して致命傷を与える事が出来る。そうなればひたすらイニシアチブを取得する事だけを考えて戦えば良い。こちらがずっと有利対面を取るように動けば勝手に自滅してくれる。

 

 だがその時間が一番怖い。だから今回は一気に押し通す形になる。少なくともこれは完全なる奇襲になる筈だ。初手で封殺する事が出来れば良し、出来なければ―――相当辛い事になるだろう。

 

「魔法で相手をばばーっとやったらやっぱり俺がこの入口に立ちます?」

 

「それを頼むのは正直物凄い申し訳ないんだけどね。現状、君が入口を封鎖してくれるのが一番場持ちが良いんだよね……頼んでも良いかな?」

 

「お任せを。正直、連中の攻撃は何も怖くないですから」

 

 見てる限り、あの龍殺しに匹敵する様な怖さを感じる様な事はない。少なくとも俺の鱗を貫けるような装備を持っている奴はいないように感じる。対龍装備と対竜装備はまた別ジャンルなのかもしれないと、振るっている武器を見て思う。あぁ、だけどそうか。そういう武器さえも装備できるのか、モンスター人間は。そう考えると相当厄介だ。

 

 見る。

 

 これから殺すであろう人達を。姿かたちは人の姿をしていなくても、これから殺すだろう者たちを。その行動は完全なるエゴイズムから来るものだ。仕事だから、領主の為にとか、生き延びなきゃいけないからとか……そういう風に逃げちゃ駄目だ。

 

 手を汚す事、それを忘れないように。

 

 拳を強く握って、魔力を込めた。

 

 作戦、開始だ。




 感想評価、ありがとうございます。

 今回の話が終われば幼少期が終わり、思春期編に入ります。1話からの流れで幼少期編は文字数が大体ラノベ1冊ぐらいになりましたなー。丁度良い文量なのかなー。


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命の値段 Ⅹ

 他人の魔力を借りて魔法を放つ、というのはかなりのハイレベル技能だ。エドワードだからこそ出来る事でもある。つまりこの作戦は俺とエドワード、2人が存在して初めて成立する。だから俺も深呼吸をした。独学だが―――深呼吸は、龍にとって非常に重要な動作だと思っている。息を吸い込む事で大量のエーテルを体内に取り込み、それを一気に圧縮させて魔力へと変換し、それを身に纏う。そうする事で利用可能な魔力リソースを生み出す事が出来る。或いは圧縮させた魔力をそのままブレスとして吐き出す事も出来るだろう。

 

 問題は人間の体ではブレスが吐けないという事だろう。根本的な身体構造の違いから来る問題だ。

 

 だから出来るのはエドワード用に魔力リソースを捻出する事で、大量の魔力を一気に捻出すると、流石に桁違いの魔力の反応にモンスター達は気づく。

 

「なっ、上の奴らはやられたのか!?」

 

 驚愕の声と同時に魔法がリアクションとして放たれてくる。判断が恐ろしく早い。エリシアが殺した捨て犬共とはまるで違う。戸惑い、考える時間がほぼ存在せず、経験から自分が取るべき行動を素早く判断出来ている。だが魔力を纏った時点で俺の仕事はほぼ完了している。その為、盾になるように前に出て魔法を俺の身そのもので迎え撃つ。

 

 放たれる炎槍を拳で打ち砕く。敵の接近も同時に始まっている。ぼうっとしている時間などない。

 

「ふっ!」

 

 魔力を、渾身の力を込めるようにエドワードが放った。俺の背中越しに放たれる魔力は俺を回避しながら魔力の暴風となって結晶を混ぜながら吹き荒れる。完全なる奇襲となった先制攻撃を避ける術もなく、モンスター達が全身を暴風に打ちのめされる。結晶によって体を浅く刻まれながら、それが付着する。亜竜達は丁度反対側にいる為、暴風の影響は限りなく薄い。同時にオーガも2体ほど影響が薄い場所にいる。逆にキメラの方は此方の感知と共に後衛のカバーに入った影響でモロに暴風を受けている。

 

 来る。

 

「エデン、魔力をそのまま高めておいて。君の魔力を使って戦闘継続するから。相手の結晶化を加速させるよ」

 

「拝承です」

 

 深呼吸を忘れない。周りのエーテルを取り込んで自分の魔力へと変換しながら唯一の入り口をふさぐ。此方へと容赦のない矢と魔法の連弾が襲い掛かってくるのを、ただ拳を握って振るい、耐える。衝突する魔法も矢もこの体を傷つける様な事は出来ない。対龍装備か、極まった技量が存在しない限りは龍の鱗を裂く事は出来ない。だから恐れるものはなにもない。怖いのは自分の未熟でエドワードを傷つけてしまう事だ。だから覚悟を決めている。

 

 拳を振るう。まだ未熟な技量では完全に迎撃する事なんて出来ない体、体で受け止める。その度にロゼに借りた服がぼろぼろになって行く。それだけが心苦しい。というかそうか、帰りは俺がこのぼろぼろの姿で帰らなきゃいけないの控えめに言って地獄だな?

 

 どっかで服を調達したい……。

 

 そんな事を考えながら連続で魔法をエドワードが放ってゆく。その速度は本来エドワードが自分のリソースを使って使用する時に比べて遅いのはしょうがない話だ。だが複数の風の刃を展開するエドワードは広範囲に敵を押し返す事よりも、ピンポイントで魔法を放つ事で敵の動きのコントロールと狙撃に入る。風の刃と槍が入り乱れるように正面に展開され、真正面のみから敵の攻撃が通るようになる。

 

 必然的に、俺が出て来たキメラのターゲットとなる。ライオンの頭とヤギの頭、胴体はライオンのままで尾は蛇がになっている怪物。それが一瞬で蝙蝠の翼を広げて目の前まで飛び込んでくる。動きが早いが、俺が追い付ける範囲だ。

 

「邪魔だ」

 

「ふんっ」

 

 前足を振るうキメラの攻撃を片腕でガードする。魔力を込めた腕は衝撃を通すが、ダメージを一切通さない。片腕で踏ん張って堪えつつ魔力撃を開いているもう片手で放つ。目指すはキメラのライオン頭。解っていたようにライオンが大口をあけて噛みついてくる。ヤギの頭も頭を振るって角を突き刺しに、そして蛇の頭も毒の滴る牙を食い込ませに来る。

 

 だがキメラの攻撃はどれも体に刺さらない。毒は肌に触れても弾く。生物として見た目だけならキメラの方が上に見えるだろう。だけどこっちは龍だ。生物としての本質が違う。どれだけ見た目が怖くても中身の次元が違う。だからキメラの攻撃は一切の影響を与えず、こいつは自ら最悪な選択肢を取ってきた。

 

「噛み付いたな!? じゃあ死ねぇえええええ―――!!!」

 

「ぐ、お」

 

 噛まれた腕をそのままライオンの喉の中に突っ込んで舌を掴み、爪を突き立てるように指先を突っ込んで固定し、もう片手でヤギの頭の角を掴む。そのまま魔力を全身にみなぎらせ、周辺のエーテル全てを喰らうように深呼吸をし―――一気に魔力を流し込む。

 

 ぱきり、ぱきり。音を立てながらキメラが顔から結晶化する。驚愕の表情を浮かべるが、もはやどうしようもない。言葉を放とうとして口を開き、逃げようと足掻くが、全力での膂力でキメラの暴れる体を抑え込み、頭から尻尾まで全てを結晶化させ―――砕く。

 

 前線を抑えていたキメラが目の前で砕け散った。

 

 それを残されたモンスター達は呆然と眺めていた。

 

「なんだそっ―――!?」

 

 だが亜竜達は当然と言わんばかりに既に動いていた。二頭がオーガの注意が逸れた瞬間に部屋を挟み込む様に移動し、吐息を一気に吐き出した。炎の吐息が両側からモンスター達全体を燃やしにかかり、一瞬でモンスター体が阿鼻叫喚の地獄絵図へと叩き込まれる。オーガ達はともかく、後衛たちはそこまで頑丈な作りをしていなかったらしい。全身が燃えるのと同時に火消の為に魔法を使おうとして、

 

「―――チェック」

 

 その瞬間を見抜いたエドワードが魔法で狙撃した。風の刃が指揮官である筈のケンタウロスの首を刎ね飛ばし、結晶化が全身に回る前に即死させる。魔法の同時操作で同タイミングで3人を始末し、一気にモンスター側の均衡が崩壊する。だがこのわずかな時間の間にショックから回復しつつオーガも態勢を整えなおしている。味方の死を計算に入れ、全身を炎で焼かれながらも盾持ちが正面に立った。

 

「撤退するぞ!」

 

 足掻くのでもなく、何らかの成果を最低限取得する事も放棄し、撤退を選んだ。恐ろしく判断が早い相手だった。

 

「ぐるぅぅ……!」

 

 此方へと向けて撤退するように一列に並んで突貫してくる。それを先に亜竜が1頭、俺の正面に回るように―――まるで一切、襲われる事を心配しないような姿で立ちふさがり、オーガ達の突進に立ち向かう。突き進むように接近してくるオーガに対して姿勢を低くした亜竜が床を蹴って加速する。同時に左右に展開していた亜竜も後方斜めから襲い掛かるように突貫する。槍持ちオーガが盾の動きに合わせて正面の亜竜の処理に入ろうとして、

 

「だが駄目だ」

 

 スネア、足元を転ばせる魔法を発動させた。突貫する盾持ちのバランスを踏み込みの瞬間に崩す事で後続の動きを妨害し、浸食率を向上させる。盾持ちの両足が結晶化し転びながら動きが永遠に封じられる事になり、槍持ちが盾もなく身をさらされる。

 

 刺突、迷いのない一撃が盾持ちの屍を越えて放たれる。亜竜が僅かに身を逸らすとその鱗を削りながら槍が受け流される。そのまま接近する亜竜は正面からオーガの首筋にその強靭な顎で食らいつき、前足で両腕を抑え込んで食い千切った。

 

 鮮血が舞う。残された後衛が追いついた亜竜によって喰いつかれた。

 

 そこからはもはや蹂躙と呼べる光景だった。

 

 キメラを失った時点で戦闘の天秤は崩れた。絶妙なバランスで構築されていたモンスター側の戦闘は連携を前提とした動きであり、前衛の3体は作戦の肝だったのだろう。その一角であるキメラが一時抜けるならまだしも、死亡した事によって完全に抜けた事はもはや取り返しようのない損失だった。それを理解したオーガの判断は撤退であり逃亡だったが、それを効率的に行う為の指揮官も即死した。

 

 ブレインも、抑え役もいない。そして亜竜はいまだに健在。

 

 結晶化が全身に回る前に血飛沫が舞い、モンスター達が惨殺された。強靭な肉体と堅硬な鱗を持つ亜竜はこの龍の身程ではなくても、恐ろしく硬く生半可な攻撃ではダメージを与える事が出来ない。故に最大戦力を失った時点で勝敗は決した。

 

 残された全てのモンスター人間が始末され、死体だけが空間に残された。

 

 俺達と、亜竜の勝利だった。

 

「さて……気を抜いちゃ駄目だよエデン」

 

「うす、解ってます」

 

 ふぅ、と息を吐きながら正面を見る。

 

 広間中央でモンスター達を皆殺しにした3頭の亜竜がその場には残されている。もし、アレが普通の亜竜同様人類に対して敵対的であれば……今から、俺達はアレと戦わなくてはならない。結晶化と俺が気合で壁をやって即死させる以外に勝ち目は存在しないように見えるが、あの筋力が相手だと俺でも押し負けるかもしれない。いや、今の段階だと負けるだろうな……という感じはする。だからなるべく、戦わない事を祈っている。

 

「……っ」

 

 ごくり、と生唾を飲み込みながら数歩前に出る。それを認識する亜竜達は中央で此方へと視線を向ける。その動作はゆっくりとしたもので、警戒する様な様子は見せない。

 

 数歩、前に出る。亜竜達は此方を窺い、エドワードを窺い、そして俺を見た。亜竜達はそうやって俺を確認するとゆっくりと近づいてくるような姿を見せ、

 

 俺から数歩離れた場所で、

 

 その頭を、俺へと向けて下げた。敬うように、待ち望んでいたかのように、ぼろぼろの体を引きずるように俺の前で静かに頭を下げていた。その姿に亜竜達には闘争心がない事を証明していた。そんな亜竜達の姿を見て、視線を後ろのエドワードへと向けた。

 

「あ、あの、エドワード様」

 

「うん……どうしよっか、これ」

 

 流石のエドワードも予想外だったのか、或いは解っていても目の前の光景を信じられないのか酷く驚いている。だがエドワードが動くのを見て亜竜達が起き上がりそうになったのをわああー、と声を放って両手で抑えた。

 

「ストップ! ストップ! 止まって! エドワード様は俺を拾って育っててくれた人! 襲っちゃ駄目!」

 

「ぐるぅぅ……」

 

「くぅ……」

 

「ぅー」

 

 慌てて放った声に亜竜達は動きを止め、エドワードへと視線を向けてから俺へと視線を戻し、頭を頷く様に下げた。あぁ、良かった……言葉は通じるようだった。恐る恐る、手を前に伸ばしてみれば、亜竜はそれに抵抗しない。戦闘のせいか軽く熱の籠っている体はすべすべとしている。撫でるように亜竜の頭に軽く触れてから、放す。そのまま振り返り、エドワードを見る。

 

「なんか、凄い事になっちゃいましたね」

 

「うん、そうだね……僕も割と驚いているし、どうしよっかって悩んでるよ」

 

 腕を組み、悩まし気に俯くエドワードの表情はそこそこ珍しいものだ。エドワードが考え込むような事は多いが、本当に悩むような姿勢を見せる事はあまりない。判断力も高く、教養のある人物なので何時も選択と判断は素早く行っている人だ。それだけに目の前の状況は常識外すぎてエドワードでも判別がつかないのだろう。そう思ってエドワードを見ていると、横からちょこん、とせっつくような感触があった。

 

 視線を横に向ければ軽く頭で手を押してきた亜竜の姿があり、中央にいた亜竜が何やってんだてめぇ? と言わんばかりの睨みをそいつに向けていた。可哀そうなのでそいつの頭を軽く撫でてやると、目を細めながら犬か猫みたいに喉を鳴らし始めた。それを見ていた最後の1頭も近寄ってくるので開いている手で撫でてやる。

 

「おぉ……なんか、可愛いですねこいつら」

 

「僕としては長年の常識がここで崩れるのを感じている所なんだけどね……いやあ、人類の敵対種とはなんだったのか」

 

 諦めるような、頭痛を訴える様なそんな様子をエドワードは見せている。だけど今、目の前にいる亜竜達は決して俺に対して敵対する様な意思を見せない。というよりもペットみたいな可愛い感覚で接されるので、俺としては非常に困惑している。本当にこんな可愛い連中が人類とバチバチにやり合っているのか?

 

 うーん、でもさっきはモンスターとやり合ってたしな……。

 

 戦っている姿はどことなく恐ろしかったが、今はただ可愛いだけだな。そう思いながらどうしたもんか、と思っているとぼろぼろの服をくいくい、と引っ張られる感触がした。最初に撫でた子が服を軽く噛んで引っ張り、注意を得たら後ろへと数歩下がった。

 

「くるぅぅ」

 

 広間の奥、更に奥へと続く通路の前にそのまま下がって行き、そこで動きを止めた。

 

「ついて来い、って事なんでしょうか?」

 

「たぶん、そうなんだろうね。君が……龍が見ないといけない物があるんだろうね」

 

 故郷の遺跡の姿を思い出し、もしかしてここにも卵があるのかもしれない? なんて事を考える。きっと、俺以外にも生き残りがいるのかもしれない。そう思うと今度は俺が完全なるお姉ちゃんになる。グランヴィル家の食費も上がりそうで申し訳ないなぁ……。

 

「さ、行こうエデン。僕はちょっとどころかかなりわくわくしてるからね、今。早くこの奥にあるものを見たいんだ」

 

「欲望に素直ですね! いや、まあ、俺も気になってはいますけども!」

 

 はあ、と溜息を吐きながら歩き出せば先導するように亜竜達が前を歩き出す。一緒に歩き出しながら広間を出る前に、一度振り返る。

 

 残された大量の血と肉と死体。それを見て胸の中に感じる気持ち悪さとねばりつくような感情。それを静かに飲み込んで、目を閉じる。

 

「ごめんなさい」

 

 それを一度だけ告げてから視線を外し、早歩きで広間を出た。




 感想評価、ありがとうございます。

 亜竜、龍に対してはもはや犬とか猫とかそういうペットカテゴリーに入るレベルで懐く。見た目は違っていても本能的に誰が主だと解っている。


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命の値段 Ⅺ

 亜竜の先導に従い進んで行く。ここに来るまではそこそこ分岐があったりしたのだが、ここに来るとどうやら分岐の類は無しで真っすぐ奥へと向かって進むだけの様だ。通路はなだらかなスロープを見せており、どんどん地下へと向かって進んで行く。距離的には既に山の中心に入っている筈だ。そのまま山の中心奥深く、地下へと沈んでいる形だ。

 

 ただRPGをよく遊んだプレイヤーとしては、こういう分岐のある遺跡って行き止まりに宝箱があってマッピングしたくなるもんなんだよな。全部終わったら探索する時間ないかな? 遺跡そのものを見るのも割と楽しいと思うんだよな。

 

 まあ……今はそんな余裕はないが。少なくともリアが帰りを待っているのだ。無事な姿を何とか見せてあげないとならない。だから亜竜の先導に大人しく従い、進む。エドワードは辺りを楽しそうにきょろきょろと眺めているが、言葉はない。流石に亜竜を刺激しないように気を付けているのか。とはいえ、亜竜から悪意と言えるものは実際のところ、何も感じない。だから俺自身、心配の様なものは一切ない。

 

 そうやって数十分ひたすら地下へと向かって進んでいると、漸く通路の終わりへとやってくる。亜竜が3頭横並びになっても余裕のある広い通路はまるでもっと大きな生物を通す為の様にさえ感じられた……所々、人間に配慮した様な形をしている気がした。そもそもを言えば神々の姿が人の姿をしているという所もある。人間という形には、意味があった? 或いは特別な何かがあったのだろうか? そんな事を考えつつ到達した通路の終わり、亜竜達は左右に分かれる。その先に見えるのは一つの巨大な扉だった。

 

「……」

 

 何かを訴えるように視線を送ってくる亜竜達に首を傾げる。

 

「開けろ……って事ですかね?」

 

「みたいだね?」

 

 恐る恐る、という様子でエドワードが前に出ると亜竜達は横へと退いた。完全に俺に従っているように見える。扉に触れ、軽くノックし、調べるようにそのまま手を扉に滑らせるが、エドワードは後ろへと直ぐに下がった。

 

「駄目だね。材質も不明だし、特殊なロックがかかってる。多分これ、設定された魔力以外を弾くプロテクトがかかってるよ。古代文明の技術の中には認証魔力以外を通さないプロテクトが存在するんだけど……多分それだね」

 

「となるとこの子達でもここは開けられないんですかね?」

 

「となるかなー?」

 

 亜竜へと視線を向ければ、申し訳なさそうに頭を下げた。べ、別に責めてる訳じゃないんだぜ……? いや、本当に。ただそれはそれとして、この奥に俺に見せるべきものがあるというのがこの亜竜達の考えなのだろう。恐らくは俺にしか開けられない扉。となると龍にしか開けられない扉という事になるのだろう。それを意識してエドワードと入れ替わるように扉の前に立ち、軽く胸を押さえて深呼吸をする。

 

 それからゆっくりと扉に手を触れ―――魔力を込めた。

 

 本来であれば浄化と蝕みという二種の結果を発揮する魔力だが、この扉に対してはその影響を見せる事はなかった。その代わりに白と黒の魔力を吸い上げた扉は幾何学模様を描く。扉全体を文様が埋め尽くすと、僅かに壁や床へと模様が広がり、そのまま遺跡の中を巡るように広がって行く。

 

 後ろへと数歩下がりながら変化を眺めれば、扉がゆっくりと開き始めるのが見えた。中から吹いてくる風を感じて軽く顔を手で守る。それから数秒間、舞いあげられた埃を手で掃っていると風がその全てを外へと流し去った。エドワードが魔法によって埃を掃ってくれたらしい。感謝しようと振り返ろうとしたが、その前に視界に入ったもので動きと言葉を失った。

 

 それは美しいものだった。

 

 人の数倍―――十倍近い大きさをしている。

 

 その全ては透き通るような青い色をしている。巨大な骨格という形状を取り、穏やかに永劫の長い時を過ごしてきたように鎮座している。ただ1つ、巨大な部屋の中央に身を丸め、眠り続けるように姿を見せている。呆然と見上げながらも胸に到来するのは郷愁と寂しさ、そして喜び。言葉には出来ない切なさが見た瞬間自分を襲う。

 

 一歩、二歩、近づく様に踏み出し、眠り続ける姿を見上げた。

 

「そっか……俺がこの地に流れ着いたのは君のおかげだったのかな」

 

 そして目の前に広がるのは、巨大な龍の骨だった。

 

 悠久を生き、そして眠りについた存在。その姿は骨となり、そして骨は高密度の魔力によって結晶化されていた。龍殺し達に見つかる事もなく、殺される事もなく、自分から眠りについた偉大な先人、同胞の姿がそこにはあった。龍―――龍だ。一目見ればそれが亜竜ではないと解る。言葉を失うほどの存在感、そして心に満ちる同胞への想い。それはこの世の誰と出会った時とも違う不思議な理解だった。

 

「驚いた……資料では見た事があったけど、これは龍の墓か」

 

「龍の、墓?」

 

 振り返り視線をエドワードへと向けると、エドワードはうん、と言葉を置いて頷いた。

 

「かつて龍殺し達と壮絶な殺し合いを果たしたという龍達……今となってはその信憑性も怪しいけど、その龍たちも何もかもが龍殺し達に殺された訳じゃないんだ。今、目の前で見る龍の様に……どこかで静かに、墓の奥底で眠り続けるように死んでいる、そういう姿も良く見つかったそうなんだよ」

 

 エドワードはそこまで口にすると腕を組んで軽く足で床を叩いた。

 

「超高密度で質の非常に高い魔力は容易く結晶化するんだ。これは学説的に証明されている事でね。高等触媒として利用される高級品なんだ。だけど龍そのものが超高密度魔力を生成する生き物でしょ? だから龍の死後、残された魔力は皮や肉から圧縮されて骨の中へと移り……死後、圧縮された魔力が骨そのものを結晶化させるって話なんだけど……」

 

 今、目の前にある龍の死体はまさにその学説を証明するものだった。恐らくはこの龍の魔力なのだろう。それが骨と結合して結晶化させている。色は違うが、起きている事は俺の結晶化と似たような結果だ。

 

 数歩、更に近づく様に踏み出して見上げる。

 

 この龍は……数えきれない年月をずっとここで過ごしてきたのだろうか? だとしたら、どれだけの孤独を過ごして来たのだろうか。ただ、漸く会えた同胞、同族がこうやって既に死んでいるのを見ると、

 

「やっぱり、絶滅しちゃったのかな……」

 

「……」

 

 そんな呟きをエドワードは聞いていても、何も言えずにいた。卑怯な事を口にしてしまった。そう思った途端、

 

おぉ……懐かしき……気配よ……。同胞の……気配よ……

 

「っ!」

 

「え!?」

 

 突如、部屋に轟くような声が脳内に響いた。それは間違いなく声量で部屋を震わせているのに、脳内に直接、不快感もなく聞こえてくる老人の声だった。そしてその声の主は朽ちているはずの龍の死体から来るものだった。視線を龍の死体へと向けても動きはない。だが結晶化しているその骨は、魂が宿っているかのように僅かに煌めいている。

 

「も、もしかして……お爺ちゃん、生きている?」

 

は、は、は……否、否……この身は……朽ちし……もの。されど、長き……長き眠りに……あった。……惑う……同胞……何時か、巡り……会える……その時を……待って

 

 笑う様な龍の言葉には優しさがあった。優しく、見守り、愛でる、そんな感情を込めた声だった。

 

「じゃあ、やっぱり皆は」

 

我ら……龍は……滅ぶ事を……自ら、選んだ

 

 龍の放った言葉、それはソフィーヤが語ろうとしなかった言葉、その続きだった。それに反応したのはエドワードだった。

 

「待ってください! 偉大なる先達、大いなる自然の支配者よ! その言葉はつまり、龍の絶滅は自らの意思で行われたという事ですか!」

 

 エドワードの言葉に龍は嫌悪感を見せず、子を見守る親の様な声色で答える。

 

然り。我らは己の意思で、滅びを……選んだ。故に、決して神々を……怨んでは、ならぬ。多くの……同胞は……怨む事を、望まない。我らは……我らの意思で、滅びを……選んだ。ならば……どうして、怨めようか

 

「―――」

 

 語られる歴史、その全てを完全否定する様な言葉にエドワードは絶句するも、自分の知らぬ真実がある事に同時に興奮しているようにも思える。だけど龍の言葉はソフィーヤの言葉を肯定し、同時にその態度を肯定するものだった。龍が自分から滅びを選んだのであれば、ソフィーヤはきっとそれに対して何か……申し訳なさの様な、そんな感情を抱いているのだろう。今まで進行を後回しにして何も考えてこなかったが……もうちょっと向き合ってみるべきなのかもしれない。

 

 片手をぎゅっと、胸を抑えるように固める。

 

「なら、なら! 教えてくれよ! 俺は、俺は何のために起きたんだ! 何のために起こされたんだ! 何のために起きた直後に殺されかけたんだ! 教えてくれよ! ソフィーヤは何も答えてくれないんだ……」

 

「エデン……」

 

 この1年で溜め込んだ疑問を吐き出す。

 

最も新しき……幼き……最後の同胞よ……

 

 それに老龍は優しく応えてくれる。

 

正しい答えなど……ないのだ……答えは……己で見出せねば……ならぬ

 

「どうして」

 

神々にも、事情が……あるのだ、幼子よ

 

 もはや動く事のないただの結晶だ。だがその声の色は優しく慰める様で、

 

我も……全てを語るには……時間が足りぬ。だが、恐れるな。まだ……道は残されている……。探すが良い……求めるが良い……まだ、暴かれぬ墓は多い……多くの道標が……幼子の為に……残されていよう

 

「―――龍も神々も最初からこの状況を見据えていた? エデンの為に墓や遺物を残しているのか……?」

 

 思考に埋没する様なエドワードの呟き。しかしそれを肯定する様な気配が龍には存在していた。

 最初からこうなる事が解っていて、俺が訪れる事を前提として多くを残しているなら……最初から、俺が求められていた?

 

 だけど、何で? どうして? 疑問は多く残る。

 

 だというのに、老龍の輝きは段々と失われつつあった。

 

「待って、行かないで」

 

案ずるな幼子よ……同胞を知る者はまだ……いる

 

 落ち着かせるように、安心させるような声が部屋に響く。

 

古より我らを奉ずる一族がまだ……世のどこかにある。我らの足跡を、求めよ……。その小さな翼……大きく広げ、何時か……飛び立つと良い……

 

 徐々に弱まる老龍の光、それが最後に強く輝く。

 

世界をまだ知らぬ幼子よ……最後に力の使い方を、教えてやろう……!

 

 温もりを求めるように手を前に伸ばす。最後に強く輝く老龍の身が溶けて行く。だが純粋な光となった老龍の姿はイメージとなり、伸ばした手の先から体に流れ込んでくる。それまでは自分の中ではバラバラだった力の使い方が―――魔力の使い方、その正しいコントロール方法が直接語られるように自分の中へと流れ込んでくる。それと同時に遺跡の構造や情報も流れ込んでくる。最後に心配する老龍が形見分けする様に、龍によって残されたものが受け継がれた。

 

 手を伸ばし続けて数秒後、部屋の中に存在していた老龍の遺骨は消え去り、安置されていた部屋にはもう、何も残されていなかった。

 

 老龍が消え去ってからも数秒間、虚空に手を伸ばしたまま動きを止めていると、後ろからエドワードがやって来た。そのまま言葉を放つわけでもなく後ろから頭を撫でて、抱きしめてくる。

 

「君が、どういう孤独を感じているかはきっと僕には理解できないだろう。だけど忘れないで欲しい。僕も、エリシアも君をもう一人の娘の様に思っているし、リアだって君の事をお姉ちゃんの様に思っているって。グランヴィル家は君を家族の様に思っている、って事を」

 

「……はい」

 

 嬉しくて、悲しくて、切ない気持ちだった。

 

 老龍の出会いと別れ……その時間は恐ろしく短いけど濃密なものだった。その時俺が感じたのはどうしようもない喜びと、最後に残されてしまったという悲しみだった。俺が最後である事が本当に解ってしまったし、龍の滅亡には何らかの裏事情があるのも理解出来た。だけど俺は残されるばかり、絶対に同じ時間を生きる事は出来ないんだ……そういう悲しみが常に存在した。

 

 それがどうしようもなく悲しくて……俺の家族はグランヴィル家だけなんだな、と解った。

 

 それでも、老龍の、同胞の優しさという物は強く感じられた。

 

 あの老龍は死んでからずっと……俺の事を待っていてくれたんだ。ずっとずっとずっと、この日が来るまでずっと。何百年、何千年かは解らない。だけど少しでも語り合う為だけにずっと孤独の時間をここで過ごしてきたんだ。

 

 だから改めてもはや何もない部屋に対して敬意を払うように目を閉じた。

 

 俺が思っていたよりも、古い同胞は―――悠久の王は、偉大だったのだ。




 感想評価、ありがとうございます。

 人の命の値段、悪党の命の値段、龍の命の値段。死ねば全部一緒だけど敬意や扱いは変わってくる。立場や行いで命の値段なんてころころと変わる世界。当然と言えば当然だけども……。

 えでんは まりょくの つかいかたを じっじから けいしょうした!


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エピローグ

「これが……龍の遺産かぁ」

 

「うーん、マジックアイテムの宝庫だ。僕の様な学者肌には宝の山だよ、これは」

 

 そう言いながら俺とエドワードで扉の向こう側に広がっている空間を見た。そこには棚や台座に整理された道具や武器の数々が展示されていた。数はそう多くはない。だがどれもが古く、そして価値のある物の様に見えた。その大半は俺には使い方が解らないが……それでもその全てが、俺の為に残されたものだと思うと少し、複雑な気分になる。

 

 老龍から継承したのは決して力―――俺が苦手としていた、魔力の使い方だけではない。この遺跡の構造、役割、使い方、そしてここにあるもの、残された物に関する軽度の知識だった。老龍は遠い未来、何時か再び龍がこの世に出現する場合何も残されていない同胞が可哀そうだと思い、その遺産の一部を墓に一緒に埋葬した。だからこれは宝物庫である様で、同時に埋葬品でもあり、倉庫でもあった。あの老龍が俺の為に、俺がこれから生きて行く為に少しでも力になるように残した遺品の数々だった。

 

 不思議な力を込められた物品が多く、その大半が人のサイズで扱うものだ。不思議だ、龍はあんなに大きいのに道具の数々は人のサイズの物ばかりだ。或いは、古代の龍たちは俺の様に人の姿に変化出来たのかもしれない。龍の姿、生きるのに滅茶苦茶不便そうだし。

 

 ただ、倉庫にずらりと並べられている物を見ると少し困った。

 

「これ、持ち出すのに相当苦労しそうですね」

 

「うーん、その心配はいらなそうだよ」

 

 どうやって持ち出そうかと頭を悩ませようとしたところ、即座にエドワードが言葉を否定して、ショルダーバッグを持ってきてくれた。シンプルなデザインのショルダーバッグは背負いやすくできているが、その中にエドワードがおもむろに近くにあった高そうな剣を突っ込んだ。

 

「うおっ、て全部入っちゃった」

 

「ディメンションバッグだね。それも遺跡とかから出土する相当レアなタイプ」

 

「ディメンションバッグ……? ニュアンスはなんとなく伝わりますけど」

 

「まあ、見れば解るけど見た目以上に物が入る携帯倉庫だよ。これは、最高ランクの物だね。流石龍の遺産という奴だ」

 

 つまり解りやすく言えばインベントリとかアイテムバッグとかそういうジャンルの奴だ。良くゲームにある鞄とかそういうコマンドの奴。無限に入る訳じゃないが、最高ランクというには恐ろしいぐらいものが入るのだろう。エドワードはこの倉庫にあるものだったら全部入れて持って帰れると言うが、

 

「これ、取り出す時はどうするんですか?」

 

「これを使うんだよ」

 

 そう言ってバッグに引っかかっていた指輪を此方に渡してくる。それを人差し指に装着しながら掲げてデザインを確認してみる……デザインはただのシルバーリングの様にしか見えないが……細かく見てみれば、文様が表面に刻まれているのが解る。

 

「その指輪はバッグと連動していてね、その指輪を付けている時に中に入れたものを想像すれば手元にアポートする事が出来るよ」

 

「ほえー……あ、本当だ」

 

 先ほどエドワードが入れた剣を思い浮かべると手元にそれが現れた。成程、確かにこれは便利だ。

 

「ディメンションバッグは構造も技術も解析されてるから実は廉価品が既に出回ってるんだけどね、遺跡から出てくるタイプはコピー不可能な超高性能品なんだよ。まあ、その分お値段も物凄い事になってるんだけど……最上位の冒険者とかにとっては必需品なんだよねぇ」

 

「そこまでインフレするとちょっと訳が分からなくなりますね……」

 

 まあ、解るのは倉庫内の物を持ち帰る事に苦労する事はない、という事だろう。ただそれはそれとして、倉庫内にある物品はかなり雑多で何がどういう効果を及ぼすのかが知識込みでも解りづらい。何せ、その数がそれなりにあるのだ、時間をかけて見聞しないとどれがどれかは解らないだろう。ただ、ざっと確認する限り高価に見える宝石の類も置いてあるのだ。

 

「これ、売ったらグランヴィル家の財政……」

 

「断言するけど、出所を聞かれるし盗掘扱いされるよ。大人しくエデンが有効活用すると良いよ」

 

「はーい……」

 

 売れそうなものは売ってグランヴィル家のお金にすれば少しは生活が豊かになるんじゃないかと思ったが……そんな事はなかった。そうだ、そりゃそうだ。ここはサンクデルの土地なのだから、ここから出土した遺跡も宝もサンクデルから持ち帰る許可が出ない限りはサンクデルに所有権が存在している。

 

「……アレ、これって盗掘なんじゃ」

 

「そうだよー?」

 

 さも当然のように肯定するエドワードの発言にぎょっとするが、エドワードは苦笑しながら話を続けた。

 

「いやはや……流石にこの状況で盗品になるから持ち帰っちゃ駄目だよ……なんて言うのはちょっと正気じゃないと思うな。少なくとも僕は先ほどの老龍と君の間に交わされた話を聞いて、この所有権は正しく君にあるし、君が受け継ぐべきだと思った。法律上は確かにサンクデルに所有権があるだろうけど……それ以上に、これは君の為に用意された宝なんだ。誰よりも君が持ち帰るべきだと思うよ」

 

 エドワードの言葉に深く、頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

「君の正当なる財産だ。感謝する必要もないだろう。それよりもほら、まだやる事はあるんだからさっさとしまっちゃおう」

 

「あ、そうでしたね」

 

 バッグの口を大きく開けてエドワードが構えた。それに向けて俺が倉庫内の遺産を片っ端から投げ込んで行く。走って集めて投げ込む。多分これが一番早いと思います。

 

 実際十分もすればバッグの中へと全てをしまう事が出来た。これでとりあえず遺産の回収は完了した。その鑑定と詳細なチェックは後日、暇なときにエドワードとゆっくりやるとして、今度はサンクデルの依頼の部分を完了させなきゃならない。つまりはあの亜竜達をこの鉱山から追い出す事だ。

 

 倉庫の外を見れば、3頭の亜竜達が入口付近でぎゅうぎゅう詰めになりながらお仕事ないー? という感じに眺めてきている。あの可愛らしい生き物を殺して処理する、というのはもう今の俺には不可能に近いだろう。殺すだけなら可能だが……それを願う事は俺にはもう無理だ。だが幸い、その代替案は存在した。

 

 既にモンスター人間が亜竜を2体殺している。だからその角を証拠として持ち帰るのだ。そして残された3頭にはこの地を去って貰う。それしか解決策が自分には見つからなかった。だから倉庫を出たところで亜竜の前に出た。3頭とも、仕事はなにかある? と目で訴えてきている所があるから、軽く手を伸ばして3頭の頭を順番に撫でた。

 

「俺の言う事、聞いてくれる?」

 

「くるぅぁぅ」

 

「くるるぅぅ」

 

「くぅ」

 

 小さく鳴いて頭を頷かせる。賢く、そして本来は穏やかな性質を持っているのだろう。だから良いか、と言葉を置く。

 

「俺も、爺さんも、人を恨んじゃいない。解るよな?」

 

 頷きが返ってくる。だから言葉を続ける。

 

「だからお前らが人と戦う必要はないんだ。俺も、穏やかで優しい日々の方が大好きだ。だからお前たちも、人に関わらず、恨む必要なく穏やかに……静かに暮らして良いんだ。君たちを墓守の任から解放する……うわ、うぉっととと、ははは」

 

 人を傷つけないで、それは悪い事だから。そう伝えると亜竜達は感謝と、そして幸運を祈るように軽く頭突きし、頭を寄せて擦りつけてくる。人懐っこい犬たちの様で、可愛らしいその姿を存分に撫でて愛でてから……解放する。この遺跡には亜竜達の為の外へ繋がる通路が山中に隠されている。そこを通して亜竜達は山を去るだろう。去って行く亜竜達は名残惜しそうに何度も振り返るが、それを見送って―――別れを告げる。

 

 これで遺跡にあったものは全て去った。これで残されたのは侵入者のローブとその死体ぐらいだが……正直、服は上が相当ぼろぼろになっているので、服の代わりに此方を着させてもらう。一応倉庫の中には服っぽいものもあったのだが、効果も解らないものを使うのは正直色々と怖い。なのでローブを着用してぼろぼろの服を隠して、終わり。

 

 山を去る時が来た。

 

 

 

 

「お、馬車は無事だったみたいですね」

 

「僕たちの馬も無事だね」

 

 空へと視線を見上げれば山の上を旋回する亜竜達が別れるように飛翔して行く。また何時か、どこかへと旅に出た時会えればいいな、と思いながら視線を地上へと戻す。馬の様子を確認したエドワードが手綱を木から外すと、今度は馬を馬車へと繋げる。

 

「帰りは余裕をもって帰れそうだねぇ」

 

「先に知らせを送る方法はあるんですか?」

 

「ないよ。帰りは遅れるって解ってるし、まあ半日ぐらい遅れたって大丈夫さ」

 

 アンデッドホースはちょっと生気を欲しそうな顔をしているので、有り余っている俺の生気を分けてやる事にする。アンデッドホースの前に回って軽く手を差し出すと、そっからライフドレインで体力を吸い取ってくるが正直、俺はそれで疲れというものを感じないし、数秒程で満腹で幸せという表情を見せてくる。こいつ、本当にちゃんと食ってるのか? と心配になるぐらいには食が細い。或いは俺の生気の密度が濃いのかもしれないが。

 

「帰り道も安全に頼むぞウマ公」

 

「……」

 

 カタカタと体の骨を揺らしてアンデッドホースが応える。まあ、この様子なら大丈夫だろう。馬を放置して馬車の荷台へと転がり込む……元々はあのモンスター人間たちが遺跡で探していた何かを持ち帰る為の馬車だからか、非常に広く作られており、数人寝転がっても余裕がある程のスペースがあった。これ、サンクデルに証拠提出で渡さなきゃいけないんだろうけどウチに欲しいなあ……。いや、何時だって資産に飢えているのは事実なのだ。だってグランヴィル家貧乏だし。

 

「あ、少し待っててねエデン。今罠とかないか確認しておくから」

 

「あるんですか、そんなの?」

 

「盗難対策にね。あぁ、やっぱりあった。何個かあるからサクッと解除するからそのままでいいよ」

 

 馬車から降りようとしたらそう言ってエドワードが止めてくるので、言葉に甘える事にする。ふぅ、と息を吐きながら馬車の荷台、その床に座り込む。広いスペースを今占領するのは俺1人で、他には何もない。本来であれば今日、ここに訪れたモンスター人間達が帰るのに使ったのだろうが……今は誰一人として生き残ってはいない。だから、今は俺とエドワードしかいない。

 

 ふと、手を見る。人と同じ形をしているが、その本質は違う。老龍から継承した知恵を得た事でそれが増々良く解るようになった。

 

 そして残る、殺した感触。

 

 結晶化する人の恐怖。憎悪。絶望。僅かな希望が潰える感覚。その全てが結晶を通して感じ取れた。結晶化によって殺すのはどっちかというと捕食に近い感触だったかもしれない。アレは……俺の魔力なのだ、俺の一部だ。だから良くモンスター達の恐怖を感じられた。それがどうしようもなく気持ち悪くて、苦しくて、そして怖かった。何時か平気な顔をして喰い殺せるようになってしまうのだろうか? 何も感じずに淡々と人を殺すようになってしまうのだろうか?

 

 殺す事に何も思わず、葛藤もせずに戦うようになるのだろうか?

 

 そんなの嫌だ……。

 

 そんな俺になりたくない。

 

 だけど、世界はそう優しくはない。自分の命を守るためには他人の命を奪う必要がある。今日みたいに、殺す事を強要してくる状況だって何度もやってくるかもしれない。だから本当は迷っててはいけないのだろう。だけど……殺す事に、慣れたいとは思えなかった。

 

 どうしてアイツらはここに来たのだろう。来なければ殺す事もなかったのに。

 

「―――うん?」

 

 何か、何かが思考に引っかかった。何か今思考の隅に引っかかった感じがした。今考えてたのはなぜ、モンスター人間たちがここに来たか、という話だ。その理由は不明だ。連中は遺跡の奥へと入り込み、亜竜達と戦っていた。あの亜竜達は墓守でありこの遺跡の守護を担っていた。故に侵入者であるモンスター人間と戦うのは必然だ。逆に言えば侵入しなければ戦う事もなかった。

 

「……エドワード様ー」

 

「うん? どうした?」

 

「ここの遺跡って領主さまは知らないんですよね?」

 

「そうだねぇ。知ってたら鉱山を封鎖して中央から学者がいっぱいやってくるしね」

 

「成程……成程?」

 

 となると増々不思議な話になってくるぞ、と気が付いた。

 

 これ、因果関係滅茶苦茶になってない?

 

 亜竜は遺跡に近づき、侵入しない限りは人を襲わない。それが彼らの役割だったからだ。だから鉱山の亜竜出没は遺跡への侵入者が発生したのが原因だと見て良い。もしこれが遺跡発見に伴う亜竜の出現だったら、エドワードの言う通り中央から学者やら確実性を求めて討伐のプロフェッショナルを招致していただろう。だがそうしなかったという事は、単純な亜竜被害だと思っていたという事になる。つまり亜竜が鉱山に出たのはモンスター人間が侵入したからだろう。

 

 だが考えてみたら鉱山と遺跡はワームの削ったトンネルによって直結していた。つまり鉱山から遺跡へと入るルートは俺とエドワードが到着している時点では存在していた。だけどサンクデルは遺跡の存在を知らず、そして亜竜被害にあっただけだ。エドワードが信頼している人物が嘘をつくような事をするとは到底思えない。つまりサンクデル側の主張、亜竜被害としか見ていないという点は真実になるだろうと思う。

 

 だったらモンスター人間が最初の被害の時点で侵入したのか? だとすれば遺跡が無事な時点でおかしい。もしその時点で侵入者がいたとすれば死体なり、侵入者の痕跡なり、何らかの跡があるはずだ。だというのに俺達はその一切を見ていない。確認できているのは今回のモンスター人間だけだ。そしてそいつらと亜竜は死ぬまで殺し合っていた。つまり亜竜に殺されるか、逃げ切るかでしか結果は出ないのだ。

 

 ―――話を簡単に纏めよう。

 

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 それが今、認識出来てしまった。全く知らない、解らない、理解できない。謎の人物が今回の事件、その盤面に登場したのだ。

 

 そしてそいつが恐らく最初の亜竜被害の時には存在せず、そして今は存在するワームのトンネルを掘ったやつだろうと思う。少なくともサンクデルが報告を受けた時には存在しなかったこのトンネルは、空白期間の間に用意された。

 

 何か、見えない所で動き出す感覚に俺は少し……背筋にゾッとした悪寒を感じた。




 感想評価、ありがとうございます。

 そりゃあ財宝の主権は管理者であるサンクデルのものだし、国が調査に入れば財宝は全部国の宝物庫に入るんだけど、正当なる所有者はエデンなのでエドワードはそこら辺を法よりも重視してる。

 何よりも龍時代の遺物を研究できるからやっぱ独占したい。それを売るなんてとんでもない!

 Sionさんから今度はグローリアの立ち絵を頂きました! うーん、これはロゼ抹殺まで1秒前の景色……!


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エピローグ Ⅱ

 ―――首を掴まれた。

 

「忘れるな。お前だ」

 

 そいつは体の右半身が黒い結晶に覆われていた。見覚えがある。俺が殺した男の1人だった。そしてそれを自覚したからそれが夢だと即座に解ってしまった。気づけば浅く張った血の水たまりの中に裸足で立っていた。白いワンピースを着用し、歩くたびに血が跳ねてワンピースが赤く染まって行く。その中を這って近づいてくる姿がある。

 

 俺が殺した奴だ。生き残るために殺した奴の姿だ。それが血を掻き分けながら進んでくる。俺へと向かって手を伸ばして。

 

「お前が、殺した」

 

「あぁ、そうだな。殺したんだ……俺が」

 

 生きる為に、相手を殺す。その罪悪感が今目の前にあった。追いついてきた男は血だらけの手を伸ばして首を絞めてくる。だけどそこに息苦しさはない。俺が強すぎて、俺の体が特別過ぎて、そういう苦しみを感じられなかった。ただ伸ばされた手から滴る血が俺の体を赤く染めて行く。白い肌も、白い髪も、白いワンピースも。全部赤く染めて行く。

 

「忘れるな」

 

 足元から声がする。狼だ、狼のモンスターがいる。這うように結晶化した半身を引きずって両足に噛みついてくる。痛みも何も感じない行動だが、それでも的確に心だけは抉って行く。あぁ、そうだ……これはきっと悪夢だ。悪い夢だ……俺が夢で見る心の中だ。俺の罪悪感なのだろう。きっと殺せば殺すだけ忘れられない悪夢の住人が増えて行くのだろう。俺の白い体も返り血でもっと赤く染まって行くのだろう。

 

 物理的な苦しみは一切感じなかった。だから体をなすがまま、貪られるように攻められる。だけど痛みも何も感じず―――心だけが痛みを訴えた。現代日本で育て上げた心が、人を殺してはいけないという当然でしかない考え方が……この世界では通じないから。だから苦しい。気持ち悪い。心が痛い。体は全く何も感じられないのに。嬲られても何をされてもきっと、影響すらないだろうに。

 

 だからひたすら、心に杭を突き刺される。永劫抜けない杭を。きっと、これからも増え続ける杭を。この世界は優しいようで、残酷だ。現代にある様な殺してはいけないという考えが働かないから。生きる為に殺す事は当然という法則で生きているから。

 

 生かす為、生きる為にこれからも殺し続けるであろうから―――きっと、ここはもっと、賑やかになる。

 

「―――あぁ、気持ち悪い」

 

 言葉を吐き出すのと同時に現実に目覚めた。目を開けば領主の屋敷、そのベッドの上に横たわっている。何か普通と違う事があるとすれば、両側をロゼとリアに抑えられている事だろうか。悪夢を見たのはこの2人にがっちりホールドされた寝苦しさが原因の一旦なのかもしれない。しかし、彼女達も戻ってきた俺が服装がもはやぼろきれという状態だったのを見て気が気ではなかったのだ。折角の友達、そして姉替わりがぼろぼろの状態で帰ってきたのだ。そりゃあ心配にもなるだろうという話だ。

 

 だってまだ、2人は少女だもんな……と思うと、慣れた様子のエドワードとは全く違うものを感じる。今回の件で解ったけどあのご主人、実は物凄く鉄火場慣れしている。それこそ昔どっかに従軍していたとか言われても納得できるレベルで。

 

 ……まあ、考える必要のない事だ。ふぅ、と息を吐き出して目を瞑る。2人の少女に囲まれて眠るのは割と心地が良かった。傷ついた心を癒す力を人肌は持っている。だからこうやって寄り添える相手がすぐ近くにいる事に感謝し、また眠る。

 

 今度は悪夢を見ない事を祈って。

 

 おやすみなさい―――。

 

 

 

 

「―――それで、成果の方はどうだった?」

 

 スーツ姿の男が紫煙を吐き出しながら問うた。スーツという整った格好はこの世界において一部の国家ではそう珍しくもない恰好だ―――魔界による技術流入で服飾や生活周りの技術はごちゃごちゃになっており、近代的なファッションとハイファンタジー風のファッションがごっちゃ混ぜになった不思議な文化が構築されている。故にこの男は偶々近代的なスタイルを好んでいるというだけに過ぎない。恰好にはそれ以上もそれ以下の理由もない。中年の男は歳のわりに活力を見せる様な覇気に満ちている。短く切りそろえられた髭、オールバックの髪と合わせてどこぞのマフィアか、或いは敏腕実業家か。どちらにしろ、それ相応の地位にいる事を示すだけの風格と風貌をしていた。

 

 スーツの男の執務室、男は両足を机の上に乗せながら屋外へと視線を向けていた。中央・天想図書館。どこまでも高く伸び、そして陽炎の様に先端が消える不思議な建造物。エスデルの建国王が全ての叡智をここに収めようと決めた場所。だが果たして、建国王ごときがあのような建造物を生み出せるだろうか? 男はその由来を知っている。故にその建造物を眺めながら過去の真実に思いを馳せ、作戦の結果を聞いた。

 

「申し訳ありません、失敗しました」

 

 男のデスクの前では傅く若い騎士の姿があった。感情を一切消し去った能面のような表情を伏せ、スーツの男の言葉を待つ。だがスーツの男は何かを口にする訳でもなくしばらく葉巻を口に咥え、その煙を吸い込み、しばし味わった。それからしばらく、

 

「ふぅ―――それで、解った事は?」

 

「送った部隊は全滅、場所は恐らくバレました」

 

「最悪のコースか……まあ、1か所ぐらいは別に良いな。龍の遺産は所詮サブプランでしかない……あろうがなかろうが大して変わりはしない。それよりも辺境に送り込んだ部隊が全滅したというのが問題だな」

 

 男は怒らない。怒りを見せず、静かに思考に耽る。自分の手の者が全滅した―――それはあらかじめ考慮している可能性だから別にどうだって良い。問題はゴールド級のパーティーでさえ殲滅出来る程の練度と装備のある私兵が全滅した事だ。男は亜竜の実力の程を己の身で良く理解していた。それ故に安定策さえ取れば亜竜相手であろうと勝利できるだろうと勝率の計算も行っていたが、だが結果として残されたのは作戦の失敗だった。

 

 ゴールド級と言えばギルドでも看板冒険者として売り出せるレベルの実力者だ。年単位で冒険者として活動し、名声を高め、そして実力を経験で裏付けている。故に信用できるレベルの戦力を。それを倒せるだけの存在が辺境に存在するという事になる。

 

「ふん……サンクデルの狸め、どうせ貴様の手だろう」

 

 男はヴェイラン辺境伯を甘く見ていなかった。辺境に送られた貴族を中央の貴族はどことなく軽く見る所がある。王族や、高位の貴族はそういった馬鹿な考えを持たないが、それも下級貴族は何時自分が蹴落とされるかも解からない。ならなるべく、他人を攻撃する材料を欲しがり―――結果、現実と妄想の区別もつかなくなる。

 

 愚かではある。

 

 だが利用価値のある愚かさだ。そういうものが金になるのだと男は良く理解していた。そして金とは力だ。人の意思も運命も、その大半は金によって買う事が出来る。ただ唯一、それに勝てないのは力だけだ。

 

「……全滅した、と言ったな」

 

「生体反応の途絶を確認しました」

 

「もういい、下がれ」

 

「はい」

 

 騎士を下がらせた男は目を瞑り、再び静かに思考に拭ける。

 

 男にとって失敗は恐ろしい事ではなかった。龍の遺産、眉唾物ではあるものの情報源は疑うべくもないものだ。故に問題があったとすれば守護者か、或いはイレギュラーの要素だろう。この手の問題は“悪い事”をしようとすると定期的に発生する。まるで目に見えない物語の書き手がシナリオに修正を入れているような、そんな感覚さえある。まるで最悪を回避する事を求めているような。

 

「杞憂か。いや、それよりも問題は遺跡をサンクデルに確保された事か」

 

 辺境伯の中央への影響は薄い。だが国王からの信頼は厚い。それが辺境を任されるという事の意味だからだ。そして辺境を抑える貴族に対して王国は常に譲歩と誠意を見せないとならない。何故なら国防という国の平和の大きな部分を担っているのは事実なのだから。目立たずとも、サンクデルは着実に、確実に仕事を成すタイプだ。男はその手腕を評価し、可能なら味方にしたいと思っていた。だが同時に無理だろうとも理解していた。

 

 サンクデルの根底にあるのは善性だ。穏やかさを求め、善き心を尊ぶ。

 

 だが男の根底にあるのは悪性だ。波乱を求め、そして退廃を尊ぶ。

 

 平和で穏やかな世の中は確かに意味がある―――だがそれは己が納得できる場所にいる場合に限る話だ。男は到底、自分の居場所には納得していなかった。そして止まるつもりもなかった。求めるのは頂点、それのみ。その思想は死ぬその瞬間まで変わりはしない。

 

「辺境にアレをどうにかできる戦力があるというのなら話が変わってくるな」

 

 足を降ろし、頬杖を突く様に肘を立て、思案に耽る。

 

「辺境には強者が集まりやすいがあの時期で動かせる奴は限られる……あそこらへんで勇名があるとすればグランヴィルか? だがアレは前線から長く離れている……いや、あの狸の事だ、定期的に腕を磨かせていそうだな。だがそれ以外にも確か狸には子飼いの“宝石級”がいたな。そっちか?」

 

 それ以上は考えるだけ無駄か、と吐いた。男の頭の中で可能性がいくつか浮かび、そして消える。その全てを考慮する事も可能だが、それをやるのは愚か者の行いだ。重要なのは不要な情報をカットし、必要な情報のみを抽出する事だ。つまり辺境には自分の動きを察知し、妨害した何かが存在し、自分の手勢をどうにかできるだけの戦力があったという事だ。

 

 面倒だ、と判断する。可能性と考慮するのと実際にやられるのとでは話が違う。結果を考慮して、もう少し慎重に動くべきなのだろうと男は判断する。

 

「少なくとも水面下で動かしてきた事を察知できる怪物がいる……それが誰か、という事だ」

 

 こういう小さな失敗は何かの予兆でもあると男は考える。故に絶対に失敗して終わった、という事だけで終わらせてはならない。そこはビジネスと何も変わりはしない。失敗したことから学び、反省し、そして修正する。戦略の基礎にして真髄とはそういうものだ。故に焦らず、修正し、追い込む。少しずつ手札を切って徹底して敵をあぶり出す。そうやって一歩一歩、自分の勝利へと近づいて行く。

 

「とはいえ頭を悩ませる者は他にもあるからな……」

 

 エスデル王国は単純に大きく、そして強い。その上で周辺諸国にその価値観を示している為、攻められ辛いという点がある。汚点や欠点を求めて諜報合戦が行われているのは当然の事だが、その点でも強さを見せている。国として拡大する事に対する意欲があまりない事を除けば、欠点らしい欠点が存在しない国だ。逆に言えば身を焦がす様な野心が存在しないのが欠点だとも言える。それが男からすればつまらなく思えた。

 

 火をつけるならそこだろう―――穏やかで平和を望む気質に火をつける。競り合い、食らい合い、そして潰し合う獣の本性を引き出す。それが国を潰して喰らう為の一歩になるだろう。

 

 だがその為には面倒な司書や賢人、今代の宮廷魔術師等の相手をする必要がある。目下、男の目標はそっちへと向けられていた。とはいえ、見通しは出来ている。

 

「上手く運べば20年以内にはどうにかなるな」

 

 20年―――全てが男の理想通り、目的通りに進んだとして計画を完遂するには20年かかる。或いは外的要因で加速する可能性もある。だがそういうラックには期待しない。仕事は、計画は、極限まで運の要素を省いた上で成り立つものだからだ。

 

「聖国の腐敗まで後200年、帝国は見通しが立たず、となると足掛かりとしてはまずここからだろうしな……ふん、無能共め」

 

 そこにはいない誰かを罵り、煙を吐き出した。

 

 誰にも届かない呟きを。誰にも聞こえない呟きを。誰かに届く事もない言葉を。

 

 

 

 

 ―――そして、月日は流れて行く。

 

 穏やかな日々は進んで行く。幼少期は瞬く間に過ぎ去る。

 

 狭かった世界は成長と共に広がって行く。

 

 そして始まる。

 

 思春期の春が。




 感想評価、ありがとうございます。

 悪夢を見るエデン、そして王国辺におけるシナリオボスでございます。ただすぐそばに気遣い、癒そうとしてくれる存在がある事だけが救いになるのかな、と。


 それでは、これにてエデンの幼少期編が終了し、次回から思春期・青年期編になります。


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2章 青年期学費金策編
貧乏零細貴族


 ―――貨幣の話をしよう。

 

 大神の創造したこの世界では貨幣がとある理由から統一されている為、地方や大陸によって異なる貨幣を両替するなどの手間は存在しない。これはある童話、神話、伝承―――というかオラクルで確認したところ事実だって発覚してしまった大昔の出来事に由来する。つまりそれは人類が貨幣という概念を得る前の話、物々交換から次のステップへ、金銭取引の概念を編み出そうとした頃の話だ。人類は新たなシステムとして銅貨、銀貨、金貨を紹介した。

 

 こんな感じに。

 

「かみさまー。これみてー」

 

 商業の神様、ヘレネはこう答えた。

 

「あかん」

 

 そうだよね。銅貨とか銀貨とか、金貨もそうだが偽装しまくりの問題ありまくりだよな。将来的に色んなタイプの金貨や銀貨が出回って経済崩壊するのが見えていたヘレネ神は焦った。そりゃあもう焦ったらしい。焦った結果貨幣制度の導入を教え、そして作り方を伝え、実際に神自身が最初の貨幣を生み落としたらしい。そういう事情があってこの世界では統一貨幣であり、神の名を頂いたヘレネが貨幣として利用されている。地球でも統一貨幣には成功してないんだけどなぁ……。というか電子マネーの登場によって更に貨幣の多様性とレートのあれこれは混沌を極めているので、安定と統一された貨幣という環境だけを見るならこっちの世界のが進んでいるのではないのだろうか?

 

 まあ、何故、この話を持ってくるかと言うと、

 

「―――はい、当グランヴィル家にはリアを学園へ送るお金がありませぇぇええ―――ん!!」

 

 こういう話になってくるわけだ。

 

 グランヴィル家、俺の部屋に俺を除いた二人の姿がある。

 

 1人はグランヴィル家の令嬢であり、俺の主に当たるグローリア―――リアだ。俺よりもおおよそ2,3歳年下の彼女は漸く女としての成長期を迎え始め、体つきがもっと解りやすくしなやかに、くびれが少しずつ出来てくる年頃になってきた。残念ながらその胸は母親の様に育つ気配を見せないが、当の本人はそんな事を気にしない愛らしさが表情に見える銀髪の少女だ。

 

 もう1人はロゼ、長く伸びるウェーブのかかった赤い髪が特徴の領主の娘。勝気な性格がその表情に見える様で、実のところは心を許した相手には優しい少女だ。立場上は敬うべき相手だが、ロゼはそういう立場抜きでいる事を望んでいる。それはリアも同じである為、俺達3人娘は基本的に互いを対等な友人として、姉妹として、家族として扱っている。

 

 なお、ロゼの方は胸が育ちつつあるので、俺達の中で大きく育つ様子を見せないのはリアだけだ。

 

 さて、グランヴィル家の財政状況を口にした所でリアとロゼは揃って首を傾げた。

 

「え、そんなにヤバかった? そんな話聞いた覚えがないんですけど?」

 

「私も、特にお父様とお母さまが資金繰りで苦労してるって話は聞いてないけど……?」

 

「オーケイ、ガールズ。ここで俺の話を聞いてくれ。君ら今何歳?」

 

 2人が顔を見合わせてから口を開く。

 

「12ね」

 

「12だよ」

 

「そうだな、後3年もすれば15になる。そうすればエスデル中央へと向かって学園への入学もするだろう歳になるだろうね。じゃあ、お前らそれいくらぐらいかかるか解る?」

 

 その言葉にリアとロゼは無言になった。やはり、具体的な学費周りは全く把握していなかったらしい。まあ、それもしょうがないだろう。俺だって学生時代に学費のあれこれとか考えた事は全くなかった。そういうのを考え始めたのは正直、大学に行く頃になってからだからあんまり気にする必要もなかった。とはいえ、ここでは俺が管理側に回っている。

 

 昨年、スチュワートがついに退職してしまった。理由は勿論お歳がそろそろ辛い所になってきたからだ。俺もその代わりに働けるレベルにはなったので仕事を引き継いだ形での引退だ。特に問題もなく退職金も出て円満退職だ。そこは何も問題ない。だけど引き継いだ管理業務の中にはそう、グランヴィル家の帳簿管理もあったのだ。そこに学費の積立金ねぇなあ……と思った時にマジで嫌な予感がしたんだわ。

 

 ちなみに街でランチをするなら1食60ヘレネぐらいはする。つまり価値的に10ヘレネで100円するとざっと計算すりゃあ良いのだろう。物価の問題もあるのでこのレートが常に成立する訳じゃないんだが、それでも解りやすいレートは大体こんなもんだろう。

 

「3年間通うのに必要な学費はまず120万ヘレネだ。これは入学金と毎年進級する時に支払う金額込みでの値段な? だけどこれとは別に寮での部屋代、食事代、服や教科書、雑貨、交友費とかも入ってくると年単位通しで考えれば万単位で金額上がってくな?」

 

「まあ、確かに中央の学院となればそれぐらいにはなるわね」

 

 無論、ここでエドワードとエリシアが娘を送る場所に妥協するつもりはないだろう。1番高い所を軽く見積もっているが、目的はロゼと一緒だ。ロゼは金額を確認して高いけど払えない額ではないと判断する。まあ、辺境伯って相当金があるしこれぐらいは払えて当然だろう。

 

 だがリアの顔が一瞬で青くなった。そうだろう、そうだろう。そうだよなぁ。

 

「ウチに学費を支払える能力なんてありませぇぇぇぇん!!!」

 

「うわあああ―――!!」

 

「そんな大げさな……」

 

 ロゼがはあ、と頬杖を突きながら溜息を吐いた。

 

「どうせ借金するんでしょ? どこの家も良くやっている事よ。確かにグランヴィル家程小さい家となると何らかの担保無しでは借金できないでしょうけど、ウチがそれぐらいなら面倒見れるわよ」

 

「俺も最初はロゼにたかろうと思ったんだよ」

 

「おい」

 

「だけど聞いたんだよ、積み立ててないのにお金、どうするんだって。エドワード様に。返事、何だったと思う?」

 

 ご本人の言葉はこうだ。

 

『え? 家宝とかを質に入れれば……まあ、なんとか。別に』

 

「俺は思ったね。今世紀最大のホラーだって」

 

 その言葉に俺は頭を抱えた。いや、判断としては正しいのかもしれない。だけど家宝を売らないといけないという事はつまり、それだけ生活に困窮しているという事だ。家宝を売らなきゃ学園に送れないのなら、そういう生活が悪いに決まっている。いや、別に田舎のスローライフを責めている訳じゃないのだ。だが実際問題リアに好きにさせる為に一度は中央の学園へと向かわせる……その為に家宝を売るというのは、ちょっとおかしくない? もっと前からお金を溜めようよ!

 

 まあ、家宝とか宝石とかそういうのにあんまり興味とか所有欲のない一家だってのは解ってるけど、それでもポンと売るのは違うだろ。

 

「少なくともまだ入学には3年ある―――それまでにリアの学費を稼ぐ方法だってある筈だ。家宝みたいなもん、絶対に大事だし取っておくべきだと思うし。だからリアの学費を稼ぐべきだと思うんだ」

 

 その言葉にリアは強く頷く。

 

「私も賛成。お父様とお母様がそうやって学費を出してくれるのは嬉しいけど……そうやって物を手放してまで通いたいとは思えないもの。今からならまだ稼いで何とかなるかもしれないし、私は頑張ってみたい」

 

「2人揃ってまた無謀な事を言いだしちゃってまあ……」

 

 俺達の言葉にロゼは呆れた雰囲気を纏いながらも放っておけないなあ、という気配をありありと見せていた。口では文句を言う癖に行動は人一倍素直な所が可愛いんだ、こいつ。猫を相手にしているみたいな感じはある。

 

「という訳でリアの学費と生活費を稼ごう! 目指せ120万! うわ、言葉にした瞬間無理に思えて来たわこれ」

 

「これ、税収とかあるから私は比較的に見知った数字だけど平民からすると夢のまた夢の様な金額なのよね……」

 

「正直頭がくらくらする額だよね。何か月分の生活費になるんだろ?」

 

「ウチ基準で言うなら年単位で遊んで暮らせるだけの値段だよ」

 

 まあ、ウチは月辺りの生活費大体1~2万だしね。街で購入するものと言ったら消耗品程度だし、それ以外の野菜や果物は育てたり採取してきた、肉も俺とアンで狩猟してくるし。必要なものがあれば作るか直すかで再利用すれば良い。貴族とは程遠い生活を送っている気がするが、これが割と最近のグランヴィル家のスタンダードだ。ちなみに野生動物の調教も出来たので最近は割と生活が楽な部分もある。

 

 だが1か月1~2万で過ごせるという事は、大体60か月分―――この金で5年以上は生活出来るという事だ。

 

 相当ヤバイ数字だな? 地球の両親よ、未だに健在かは解らないが学費の件は本当にお世話になりました。

 

 まあ、それはさておき。これは相当大きな数字で簡単に稼げる額ではない。ぶっちゃけ俺が体を売った所でアレ、そんな金にならないから到底学費を稼げる金額に届く訳じゃないんだよなぁ……と思うと金を稼ぐというのは存外難しい。まあ、元から体を売るつもりは欠片もないのだが。いや、生え変わった鱗を売るのはアリかもしれない。タイラーに素材として渡してみたら滅茶苦茶喜んでいたし。そういや俺は龍だから体が物凄い価値のある素材なのかもしれない。別の意味で体売っちゃうか? いや、それは滅茶苦茶怒られるパターンだな。

 

 主にソフィーヤに。

 

 あの神、多分やる気になれば夢にぐらいは出てくるだろう。

 

 さて、思考をそろそろ戻そう。

 

「この金額をどうやって稼ぐか……って話になるけど……俺は一応ちょっとした案を考えてるけど、2人はなんかアイデアない?」

 

「私はちょっと直ぐには思いつかないかなぁ……お金を稼ぐ、っていきなり言われても何がお金になるんだろうって疑問もあるからな」

 

 リアは駄目だなぁ、と溜息を吐く。まあ、グランヴィル家はお金とは縁遠い生活を送っている所だ、こういう考えに疎くても仕方はないだろう。なら本命のロゼはどうかと言うと、うーんと唸りながら腕を組んでいる。

 

「そうねぇ……。お金を稼ぐ、というだけなら複数手段を思いつくわ。作業員を募集している現場は結構あるし、手伝いや人材を求めている職場だって知っているし。ただこういうタイプの仕事って結局は長期で働いてコツコツお金を貯める生活の為の職だからあんまり払いが大きいとは言えないのよね」

 

「まあな。手に職付けるって結局は安定を求める為の動きだしな」

 

「そうね」

 

 安定を求めて就職―――正規雇用。まあ、このルートはまず外れる。大金を扱う事がまずないからだ。逆に言えば安定性を欠いた所にこそハイリターンが待っている。それを成してこそ大金は得られる。だから安定を捨てる事から考えなきゃいけない。米転がしなんて事、現実で早々できる事でもないし、やれる事でもないだろう。この世界、ガチの取引は商業の神に誓って行われるらしいし。

 

「商会とかを立てて経済に食い込むって手段もあるけど売り込むものもないのよねぇ」

 

「文化テロは大体魔界連中がやってるしな」

 

「楽しそうだよね、魔族の人たち」

 

 3人揃って知っている魔族を思い浮かべる。街でギターを片手にストリートで演奏している売れないミュージシャン。何が面白いって使ってるの魔導式のアンプとエレキギターで完全に文化も文明も無視してロックを鳴らしている事だ。まだブルースもジャズも生まれていない世界にいきなりロックを持ち込むんじゃないよ馬鹿。

 

 ちなみに人気はそこそこ。

 

 こういう事を平気にやってくる連中なのでマヨネーズとか、そういうおなじみで良く見られるとりあえず開発してみる系の異世界あるあるは全滅している。

 

 全滅している。

 

 製本技術が普通に流出して世界を回っているので、文化汚染の具合は実はかなり深刻だったりする。考えれば考える程深みに落ちて行く文化と文明の関係性、それを破壊しつくしたのは異世界からの訪問者!

 

 完全に全方位テロなんだよなぁ。武力を一切行使しないだけマシなんだが。でも俺が最強チート成り上がりする隙間が潰されたんだが? まあ、元からやる気一切ないが。

 

 ともあれ、商会立ち上げ案は無理なのでなし。

 

「まあ、小遣い稼ぎ程度にはなるけど3年もやればそれなりの金額になるだろうし、リアにはウチで働いてもらうって手もあるけど……それとは別にエデンには案があるんでしょ? そろそろ聞かせてくれないかしら? ……まあ、大体予測はつくけど」

 

「え、ほんと? 全く解らないんだけど……」

 

 リアの言葉にロゼが複雑そうな表情を浮かべる。

 

「まあ……うん、エデンにしかできないというか。エデンだからこそ可能というか……ココが辺境だからまあ、可能というか……あんまり考えたくないんだけど……」

 

 ロゼのすぐれない表情に向かってデデン、と満面の笑みで応える。

 

「はい! 俺、エデンはこの度、冒険者に成ろうかと思っていまぁす!!」

 

 目指せ! 成り上がり冒険者!

 

 ―――目標まで後120万ヘレネ……!




 感想評価、ありがとうございます。

 思春期学費稼ぎ編開始で御座います。幼年期と比べて成長したので見える世界も、移動できる範囲も増えて、エデンの活動範囲が前よりも大きく広がった世界で学費を稼げ!

 なお間に合わなくてもエドワードが普通に家宝を売って学生編に入るだけなので実質的なデメリットはなし。

 でもこういうくだらない事に奔走するのが思春期の青春という奴では?


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貧乏零細貴族 Ⅱ

 この辺境は常にモンスター被害で悩まされている。

 

 改めて辺境と言う環境、土地の話をするとなるとまずは()()と言う話を出さなきゃならない。広く、未開拓で、手つかずの土地が多い。それが辺境と言う環境になる。その上で山、森、巨大な湖に岩場の荒れ地という不思議な環境がこの広い土地には存在している。この土地の多様性はとあるファンタジー的な事情を由来として発生しており、ソコソコ珍しい現象でもあるのだが……そこは割愛しよう。重要なのは辺境という土地は誰から見ても豊富な資源の宝庫だと思えば良いだろう。

 

 そして辺境伯であるサンクデルはこの土地の開発と守護を主導している。国境の警備と土地開発、この二つを行う権限を持っているのが辺境伯という役目であり、サンクデルはその為に軍事力と大規模な資金力を保有している。数年前の鉱山での事件を思い出せばわかるが、サンクデルはああいう事件に対処する能力を持っている。グランヴィル―――つまりエドワードへと依頼して直接対処させるのも立派にサンクデルの対処能力の一つだ。こういう手札をサンクデル辺境伯は複数保有している。有事の際に即座に動かせる単独の高戦力ユニット、辺境という土地で育ったモンスターを討伐するにはどうしてもエースが必要なのだ。

 

 だがその全てに常に対処できる訳ではないし、サンクデルのみで対処できる程人間は有能にはなれない。ならどうするのか?

 

 サンクデルはそこを外注する事で解決する策を見出した。

 

 つまり冒険者ギルドと連携する事だ。

 

 辺境という土地が保有するポテンシャルはまさにビッグビジネスを生む。それは当然開発を進めるサンクデルだけではなく、辺境に用事を持つ人々にとってもだ。そしてこれに食い込むのがギルド活動だ。冒険者という何でも屋を運用するギルドが辺境へと来ることには大きな意味がある。

 

 何せ、冒険者の質は基本的に辺境へと行けば行くほど増すからだ。より強いモンスターで溢れ、仕事が増える辺境ではより優秀な人材が求められる。それに比べ中央では冒険者は不要とされ、大規模なクランや継続して仕事を取ってこれるコネを持つ冒険者でもない限り、本当にベビーシッターみたいな仕事やドブ掃除みたいな仕事しか見つけられないからだ。

 

 だから基本的に冒険者という生き物は仕事を求めて辺境へと移動してくる。ギルドの昇級試験やその内容をクリアする上で実のところ、都会よりも辺境の方が達成しやすいというのが事実だからだ。その為、上昇志向のある冒険者や、理解のある頭が良い奴は基本的に辺境へと仕事を求めてやってくる。

 

 サンクデルはこの性質を利用してギルドで自らの持つ問題の幾つかを解決させる事を選んだ。特にモンスターの間引きや“指名手配モンスター”の討伐はギルドに期待される一番大きな仕事だ。サンクデルはこれをギルド側に依頼として常に提示しておく事で自分の軍が本来であればしなければならないモンスターの間引きをギルド側へと外注する事が出来た。ギルド側も領主から報酬を常に得られ、領主との太いパイプを維持する事が出来る。冒険者側もとりあえずは間引き依頼で食いつなぐ事も出来る。

 

 誰にとっても美味しい関係の出来上がりという事だ。

 

 個人的にも良く出来ていると思うこの関係性だが、それでも辺境の開拓が素早く展開されない事には色々と理由がある。

 

 その最たる理由が“手配書モンスター”の存在だ。

 

 辺境が中央と最も違うのは、中央では軍が定期的に周辺地域のモンスターを殲滅している。これは主要街道などの安全性を確保するものであり、その為に出動する軍隊や騎士団で治安の維持も出来るからだ。中央はそこそこ広いが貴族や有力者も多く存在している。その為、中央付近の安全は確保されている。これが主に冒険者の仕事の質が低くなる理由でもある。つまり力さえあれば何とか食いつなげるという仕事が中央では存在しないのだ。

 

 当然、盗賊退治なんかも軍の管轄だ。見つけ次第中央の精鋭たちが抹殺に向かうのだから、冒険者やフリーランスが盗賊や山賊等の賊を相手にするというケースは非常に稀だ。辺境でさえサンクデルがこの手の賊を真っ先に抹殺しに行くのだから、本当に冒険者にこの手の仕事は回ってこない。あるとすれば村が襲われて数時間以内、領主へと報告が届く前にギルドへと依頼として持ち込まれた場合だろう。この時、領主への報告と自分で解決するスピードを天秤にかけたギルド側が緊急依頼として殲滅し処理する。

 

 ともあれ、辺境開拓最大の障害とも言えるこの“手配書モンスター”とは、辺境の特殊な環境ですくすく育ってしまったモンスターの事だ。中央と違ってモンスターを殲滅しきる事が出来ないこの辺境では、モンスター達が殺し合い、食らい合い、自然の中でたくましく成長して行く。その結果、1つの環境の支配者や群れのボス、或いは変異によって特殊な個体などが生み出される事がある。中央と違ってモンスターが生き延びてしまうからこそ発生する問題だ。

 

 この手配書モンスターというのは、恐ろしく強い。即死攻撃や特殊耐性を持つ個体も居るため領主といえど簡単に手を出す事の出来るモンスターじゃない。その為、情報収集を兼ねて領主がギルド側に懸賞金を設定して手配書を出し、冒険者側でそれを処理できる人間を探して挑む。そして一定期間処理する事が出来なければ、領主側は集めた情報を固め、直接処理出来る人間に依頼する事で排除し、土地の安定化を図る。それからすぐに土地の開拓が行えるわけではないが、それでも手配書クラスのモンスターを討伐する事でその土地が更に魔境化する事は抑えられる。

 

 そしてサンクデルが一度に開拓できる土地の範囲は決まっている。現状、手配書モンスターの出現は仕方がないという部分もある。人員や人材が増えればまた話は変わってくるのだが、そういうものは簡単に増えるものでもないだろう。

 

 だから俺はここに目を付けた。

 

 ギルド側で処理しきれなかった手配書モンスター、その処理を行っているのがエドワードだ。それがグランヴィル家の収入の一部となっている。そのほかにもなんか細々とした討伐依頼を任されているらしいが、俺はこれが俺の稼げる道だと思った。

 

「冒険者になって手配書の処理を俺で行う。そしてその金を貯金に回す! これが俺のプランだ!」

 

「うーん……なんかエデン1人に仕事と危険を押し付ける形でなんか私は嫌だな」

 

 俺のプラン、それを説明した所でリアが難色を示した。だがロゼは違った。

 

「でもエデン、ここ数年はエドワード様と一緒にお父様の討伐依頼を処理しているのよね? 毎回無傷で戻ってくるし、実力的にも処理するには十分すぎる能力があるとは思うわ。まあ、リアの言う事は私も解るけどね」

 

「というか俺らが稼げる方法が少なすぎるんだわ! 商売とかなんとかは俺の管轄外だぞ!」

 

「まあ、うん」

 

「正直そこら辺の頭を捻った所エデンには期待できないわよね」

 

「あぁ!? 俺が馬鹿だって言いたいのか!? まあ事実だわ……」

 

「キレるな」

 

 一瞬スンッ……としながら他に色々と考えてみたが、正直どうすれば稼げるかというアイデアが全く浮かんでこなかったのが悪い。結局のところ、物事は一番シンプルに落ち着けるのが良いと思っている。最悪、俺が持っているジッジの遺産から売却用の宝石や宝玉があるからそれを探索地で拾ったと偽って売れば何とかなるだろう。いや、そう言えば出所を確認されるからそういうのは無理か。

 

 5年前、龍の遺跡の事件後の話だ。あの遺跡はもぬけの殻となったが当然領主へと報告され、そしてテンションが天元突破した学者たちが護衛を連れてこの地にやって来た。そのおかげで一時、この辺境はドラゴンフィーバーしてた時期がある。世間一般では龍は悪者扱いされるのが事実なんだが、それでも信長がフリー素材に使われるように龍も割とフリー素材扱いされている。ドラゴン饅頭とかで商売を始める連中、嫌いじゃないよ。

 

 龍の歴史が埋もれる土地! とか売り出しているのも正直頭悪いと思う。お蔭でドラゴンハンターが何人か来てるじゃんここ。まあ、それが人の姿になるなんて全く思わないから連中、街中で俺を見かけても何もしないんだが。

 

 まあ、話を戻そう。

 

「だから俺は近々冒険者の資格を取得して、そのまま探索地での手配討伐を行って懸賞金を集めようかと思う。実は事前にターゲットになりそうな奴を確認してきてるんだ」

 

「手回しが良いわね」

 

 事前に用意していた手配書を近くの棚から回収し、テーブルの上に広げる。広げる手配書は三つだ。

 

「一つ目はアルヴァの岩場に出現するタイタンバジリスク。もう一つはトール街道のワータイガー。最後のがセオ樹海ブラッドマントラップ。ターゲットはこの3体だ」

 

 どれも単体で強く、そして対処法が非常にめんどくさいモンスターの代表格だ。テーブルに並べた手配書をリアとロゼが覗き込み、ロゼが口に手を当てながら呟く。

 

「まあ、よくもこんな極悪な連中の手配書ばかりピックしましたわね……。どれも金属上位相当じゃない」

 

 金属級、とは冒険者ランクにおけるシルバーやゴールド級等を示す階級の事だ。つまりベテランによるパーティー推奨、それも上位となると個人での高戦闘力を望まれるタイプだ。こういう風に金属級上位相当、下位相当でどういう方向性かは見えてくる。金属上位となると既に人への被害は出てるレベルだろう。

 

「タイタンバジリスク、懸賞金8万。ワータイガー、懸賞金10万。ブラッドマントラップは7万……流石にこのクラスの懸賞金はどれもヤバイわね」

 

「でもこれだけの値段がついてて未討伐って事はそれ相応の強さと被害があるって事なんでしょう? やっぱりエデン、これ止めない? 私はこういうのちょっと怖いんだけど」

 

「でーじょーぶ、でーじょーぶ。ぶっちゃけこいつらじゃ俺の(はだ)を傷つける事は出来ないし、タイラーさんから俺の鱗を素材にしたインナー作って貰ったから昔みたいに上半身裸になるって事もなくなったから」

 

 タイラーさん、与えられた素材をどうやら謎の技術というか神の魔法を使って性質を残したまま繊維化して糸にしたり布へと紡ぐ事が出来るらしい。なので俺の生え変わった鱗を提供してみたら絶対に破れないインナーが出来上がったりした。軽い気持ちで提供してみただけに恐ろしい結果になったのは正直怖い。だけどあのおかげで鱗に価値あるんだなー、って思えたりもした。まあ、重要なのはこれで俺が昔みたいに戦闘する度に服をぼろぼろにしてほぼ裸で帰ってくる事を心配しなくていい事だろう。

 

「そういう問題じゃないよ、エデン」

 

 でも俺が提示した根拠にリアが頭を横に振る。

 

「私は単純にエデンが辛い思いをしないかどうかを心配しているの。そりゃあエデンは大丈夫かもしれないよ? だけど私の事でエデンに苦労させてないか、無理をさせてないか、余計な荷物を押し付けてないか……って考えると心が苦しいよ」

 

「うーん」

 

 リアのその言葉に頭を掻く。

 

「いや、まあ、そりゃあ確かにちょっとは痛い目を見るかもしれないし大変かもしれないけど……別にそれが苦しいとかは思ってないぜ? 楽しくて、好きでやっている事だし。リアに心置きなく学生生活をエンジョイして貰いたいと思っているし。だからそう重くとらえる必要はないって」

 

 ぽんぽん、とリアの頭を撫でると本当に? と首を傾げて覗き込んでくるのでもうちょっと頭を撫でる事にする。目を細めて撫でるのを受け入れてるのでこれで誤魔化せる気がする。

 

「まあ、それで良いなら私としてもそれで良いけど……倒せるの?」

 

「俺は即死攻撃持ちやぞ」

 

「愚問だったわね……」

 

 防御力と即死攻撃で無理矢理ダメージを押し通してダメージレースに勝てばいいんだ。少なくとも龍殺しが出て来ない限りは俺、誰が相手だろうと即死させる自信はある。まあ、そこら辺戦術をきっちり理解しているエリシアは最近の鍛錬、手合わせする度に防御を抜いてくる上にヒット&アウェイで絶対に能力の干渉範囲に入らないように立ち回ってくるので一向に勝てないのだが。

 

 あの人妻もしかして俺と鍛錬するようになってから増々強くなってない???

 

 一介の人妻に許される戦闘力じゃないだろアレ。最近素の技量のみで鱗を突破し始めてるのマジで怖いんだぞ。

 

「しかし手配書を目的とするとやっぱりランクとかは無視する方向性?」

 

「まあ、3年の間にブロンズまで目指せるなら目指すけどメインは手配書狩りかなぁ。一番実入りが良いし。狩れそうな獲物がない時は間引きに回りつつ金策方法を探す感じで」

 

 とはいえ手配書モンスターは年中出現している訳ではない。この3体を纏めて狩れば合計で25万ヘレネ、1年の学費が40万だと考えるとたった3体で半年分の学費を稼げることになる。だけどそれだけの値段が付けられるという事はそれだけの危険性があるという意味でもあるし、これだけの値段がつくには相応の被害が出る必要がある。

 

 そう簡単に出てくるような連中ではないのだ。

 

 たとえばワータイガー。人肉の味を覚えた虎人に良く似たモンスター。その姿から虎人に姿を誤解され、其方へ風評被害が流れている。街道に出没しては旅人等を襲撃し、人を喰らう。その怒りを買って虎人達が連名で依頼している。街道に出没し、少数の人間の時しか出現しないという悪知恵を働かせている事から集団で討伐する事は不可能なのが非常に厄介だ。中々足跡を掴ませない知性を持った相手であるのと、街道に出没するという危険性によって高額が付けられている。虎人達からは完全無欠にぶち殺してくれというラブコールが向けられている。まあ、姿似てるししゃーないわな……。

 

 こんな風にそれ相応の被害や危険度の確認がされて初めて手配される。

 

 こういう指名手配がかかったモンスターを専門に討伐依頼を進める冒険者を“バウンティーハンター”と呼ぶらしいが、俺が目指すのはそれだ。

 

「今一不安を感じるけど……短期で一気に収入を得るという意味ではある意味理にかなった話ではあるのよね。……本当に大丈夫かしら?」

 

「大丈夫大丈夫、俺を信じろって」

 

 そう言って胸を張ってから数秒、沈黙してみてからぼそっと口に出す。

 

「……なんかこれ発言と根拠のなさがそのまま行方不明になって苗床にされる初心者冒険者のそれだよな……」

 

「エデン―――!!」

 

「うわっ!」

 

「きゃっ、ちょっと! エデンも余計な事を言わないでよ!!」

 

 テーブルを超えて抱き着いてきたリアをよしよし、としながら宥める。今のは俺の発言が悪かったが。とはいえこれぐらいごり押ししないと3年間で120万稼ぐのは相当難しい。

 

 だからやるぞ。

 

 俺はやるぞ!




 感想評価、ありがとうございます。

 あまり深く考えていないけど勢い9割のエデン。
 身内に対して駄々甘で簡単に押し切られるリア。
 頭は良いし時間を与えれば解決できそうだけど身内の押しには弱いロゼ。

 経験も知恵も足りない三人娘でこの章は提供されます。


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バウンティーハンターエデン

 何をするか決定したら即行動。リアとロゼはバウンティー関係には一切かかわれないのでリアとロゼも別方面でどうにかできないか考えてみると言っていた。

 

 とりあえず外出許可を得ているし、数日休んでも大丈夫なように仕事は諸々終わらせてある―――というかグランヴィル家、掃除を終わらせさえすれば日常的な部分はだいぶ暇だ。貴族としての仕事がないし、畑の面倒はエリシアとエドワードが趣味でやっている。料理はアンとエリシアがやっているし、そうなると後は掃除ぐらいしかやる事はない。近頃はリアも自発的に色々と勉強する影響もあって手間もかからない。だからグランヴィル家での日常とは割とゆっくりしていて、暇でもある。だから自由時間が欲しい時は楽に取れる。

 

 そういう訳で一旦外出の準備を整える為に部屋に戻る。

 

 着替える為に服を脱いで姿見の前に下着姿で立つ。そこに映るのはどこからどう見ても美少女と言える姿の少女だ。背丈はリアやロゼと比べると一回り高い感じはある。胸も大きく育ってきてブラジャーもジュニアではなく、通常のブラジャーを装着するようになった。髪も俺は面倒だから切りたいのだが、エリシアとリアとロゼたっての抗議で長く伸ばしている。伸ばせば伸ばすほどケアが面倒になってくるので切っちゃうのが楽なのだが、綺麗な髪を切るのは勿体ないとか言われると流石に切れないのだ。

 

 だからメッシュの入った前横髪は増々伸びていて、後ろ髪は大体の場合では首元で纏めるようにしている。気分によってはハイポニーだったり、ローツインテールだったり、髪の先で軽く結ぶような形にしたりする。だが基本的にはローポニーが楽なので纏めている。手も足も鍛えても鍛えても太くはならず細く、傷のない素肌を見せ―――変わらず、鱗が各所各所で生えている。

 

 龍殺しに付けられた首の傷は未だに消えない。

 

 だがそれを除けば誰かに傷つけられたことのない、綺麗な女の体。もう付き合って5年、だいぶ慣れて来た所があった。胸も大きく育ってまさに女の体、と言えるものになっている。それが自分の物だと思うとちょっと複雑だが……顔はどことなく、幼さをまだ残している。

 

 これが後数年もすれば抜けるかなぁ、と思っている。

 

 顔立ちはまだ幼さが残っている事から可愛い・綺麗系なのだが、角や顔立ちから段々綺麗・カッコいい系に変わりつつあるのが解る。可愛いとカッコいいの中間ぐらいだろうか? マジマジと女の成長過程を見た事がないからこういう風に成長するんだな、と年々変わって行く自分の体を観察するのはちょっと面白い。

 

 まあ、幸い体が特殊なのか種族柄なのか、生理が一切やってこない事には助かってるが。

 

 女性用ブラジャーも、女性用下着も着るのに慣れてしまった事にちょっとしたもの悲しさを感じつつもさーて、と服装に手を伸ばす。

 

 前までは外出する際には絶対にタートルネックを着用して鱗を隠そうと意識していた部分があった。それは俺が龍だってバレないようにする為の対策だったのだが、ここ数年で鱗を見られたところで疑われるという事はないって完全に理解したため、そこら辺のガードを降ろした。お蔭で服装の自由が増えた。

 

 いや、主に龍だってバレない事の原因は魔界ギタリストが俺の事を勝手に同郷だと思って騒がしくしている事が原因なのだが。

 

 後アレだ。

 

 なんでもかんでも擬人化してエッチな目で見るのは日本人の特殊な性癖だって話だ。

 

 中世ファンタジー世界になんでもかんでも擬人化する様な発想はないんだわ。

 

 ともあれ、そういう事もあり今はもうちょいファッションの自由がある。なのでまずはノースリーブのカラーシャツを着用する。タイラーが俺の鱗を布に変える事で編んだこのシャツは俺の鱗と同じ強度のあるシャツだ。これと、もう1つのインナーを着用する限り俺が戦闘の影響で服がぼろぼろになってしまうという事を気にする必要はないだろう。ちなみにノースリーブなのは単純に趣味と性癖の問題だったりする。この時、首元のボタンは開けて置き、胸元も一段だけ開けておく。

 

 こうすると谷間が蒸れない。谷間が蒸れると滅茶苦茶心地悪いのでこれは大事な事だ。ノースリーブだと横から風が入る。谷間の所をあけてると前からも風が入ってくる。これが賢い女の服の選び方。

 

 さあ、ここまでくると問題は下に何を履くか、という事だ。個人的には動きやすさを重視するからロングスカートがまず却下される。ならズボンか、それともスカートかという話になってくる。ここで圧倒的にズボン派なのが俺だ。だって動きやすいし、履きなれている。それに派手に動いた所でまったく影響はない。

 

 だけど此処で猛然とスカートをプッシュしてくるのがリアとロゼだ。まるで女の子らしい事をしないんだから少しぐらいは女の子らしい恰好をしてみろとの事だ。言いたい事は解るので否定し辛いのが非常に辛い奴だ。スカートはやはり長い方が女性らしさがあると言われているが、動きづらいので却下する。

 

 ここは自分の意見と連中の意見の折衷案を取って、ミニのフレアスカートを選ぶ事にする。やや短いのが気になる所だし、スカートで派手に動くと中が見える事以上に風が当たってすーすーする所が個人的にはいかんともしがたい。とはいえ、これが一番動きやすいのも事実だ。ベルト装着タイプのフレアミニスカートを履いて、足元はソックスとブーツ。

 

 さあ、これで外出準備完了! と行きたいところだが、これで出かけると今度は露出多すぎと俺がキレられる。スカートとノースリーブで露出が多すぎるという意見である。なのでこの上からジャケットを羽織る必要がある。折角のノースリーブの魅力がこれで削られていないか? とは思ってしまうが、露出が多いと痴女だと思われるらしいので渋々ジャケットを着るしかない。ここはパーカー型のジャケットを着る。

 

 何と言ったってパーカー部分に髪を押し込めるから振り回さずに済む。便利だ。

 

 これで外へと出かける準備は概ね完了する。最後に腰に巻く事が出来るように形状変化したディメンションバッグをまるでウェストポーチの様に装着し、ドレッサーからアクセサリを取り出す。1つはディメンションバッグと連動する指輪を、そして最後がお悩みポイント。

 

 リボン、もしくは角用イヤリング。

 

 ここで赤いリボンを推してくるのがリアだ。というかプレゼントされた。絶対に角に飾るならリボンだと猛プッシュしてくる。これに対抗して青い宝石のハマったイヤリングを1個、角から吊り下げられるように改造された奴を渡してきたのはロゼだ。角はチャームポイントなので是非とも何らかのアクセサリーで飾るべきだという淑女たちの主張である。

 

 そう、俺のファッション感は現在9割お嬢様方の主張によって出来ている。

 

 昔はリアが俺の方に聞いてくる側だったのに、何時の間にかロゼと結託するようになった逞しさには喜ぶべきなのか、それとも嘆くべきなのか。

 

 それともこうやって服装に一喜一憂して、アクセサリーに悩む女らしさが芽生えている自分自身を楽しむべきなのか。

 

 まあ、今日はイヤリングにしちゃおう。それともホーンリングとでも呼ぶべきなのか? 角娘専用のアクセサリー文化が存在する辺り、ここが地球とは違う異世界なんだな……と言うのを地味に感じさせる。

 

 お着換えが完了し、自分の姿を軽く姿見で確認する。軽くターンを決めて前も後ろも確認し、おかしい所がないのが解ればオーケイ。これでどこに出しても恥ずかしくないドラゴンガールの出来上がりだ。俺の見てくれが悪いとその悪評がグランヴィル家の悪評そのものへと通じる。だから俺が外に出る時はびしっと、姿を決めて行かないとならない。そこはちゃんと迷惑をかけないようにするのが大人の配慮という奴だ。

 

「―――良し、俺様可愛い。自分で言うもんじゃねぇけどな」

 

 まあ、客観的に見て美少女なのは間違いがないのだ。それで良いのかもしれない。そう思いながら姿見から視線を外して部屋の外へと出れば、出た所でアンの姿を見かけ、軽く手を振る。

 

「アンさーん、前々から言ってた事を実行しまーす!」

 

 手を振りながら外出の件を伝えると、呆れた表情を浮かべながらも溜息を吐き、

 

「全く……自分の身には気を付けてくださいエデン。貴女は貴女が思っている以上に我々に愛されているのですから」

 

「解ってます解ってますってば! 俺がいない間は色々とお願いしまーす!」

 

 手を振りながら別れを告げればやっぱり軽い笑い声が聞こえた。アンは俺が何をやろうとしているのかはっきりと理解しているからこそあんな態度なんだろう。エドワードやエリシアが知ったらどうなんだろう? まあ、あの人たちの事だからなんだかんだで背中を押してくれそうな気もする。ともあれこれで安心してギルドに行って来れる。

 

 まずは軽く走ってグランヴィル家を出て、街へと続く道を数百メートル程進む。そこまで進んだ所で足を止める。無論、最近では俺が走った方が馬よりも早く街へとたどり着ける感じがあるし、俺が馬車を引っ張った方が実はコスパが良いのでは? と思っている部分もある。だが実際のところそんな距離を走って行くのはメンドクサさの極みだ。

 

 だから馬を使えば良いという話だが、アレはグランヴィル家の所有物だ。俺のじゃない。緊急時はサンクデルの所へと向かうのにも使う馬なのだから、俺が使う訳にもいかない。

 

 だから俺は考えた。

 

 そこら辺の野生動物使えば良いじゃん。

 

「暇な奴でてこぉ―――い!!」

 

 大声で叫んでみる。これで声が届く範囲に野生動物がいるなら声に反応して寄ってきてくれるのだが、

 

「お、来た来た。今日は何が来るかなー」

 

 土煙を上げながら此方へと向かって全力疾走してくる野生動物の姿が見えて来た。

 

 此方へと向かって全力疾走しているのは―――熊だ。それも全長3メートルぐらいある奴。直ぐ横を野生の馬が走っているが、それを走りながら横キックで蹴り飛ばして一番最初にゴールしてきた、凄い熊だ。

 

「ヴォー」

 

「よしよしよし、声に応えたのは良いけどキックは良くなかったと思うぞぉ」

 

 やって来た熊の頭と顎を撫でてやると目を細めながら喜んでくれるが、蹴り飛ばされた馬の方は何バウンドしてから跳ね上がるように立ち上がり、アイツ……! みたいな恨みの視線を熊へと向けている。野生動物の社会も色々あるのかなー? なんて思いながらも大して気になる事でもないので、さっさと忘れてしまう事にする。

 

「よーし、街に行くぞー。行けるなー?」

 

「ヴォ」

 

 熊の返答に頷きつつ四足になって体を下げてくれる熊の背に乗る。

 

 まるで馬に見せつけるようにその横を走り去る熊。そしてそれを半ギレの表情で見る野生の馬。

 

 野生動物にも個性が求められる時代を俺はひしひしと感じ取っていた。

 

 

 

 

「熊に乗って街にやってくるのは恐らく歴史上でも君ぐらいでしょうね」

 

「えー」

 

 街道を熊で駆け抜け、街の前で降りたらそれを野生に返す。ばいばーい、と軽く手を振って別れを告げてから街の入り口を固める衛兵にそんな事を言われた。何時も通りの制服姿は変わらず、武器も携帯している。だが体は自然体で油断も慢心もない。実力を付けたからこそ解るが、街の入口を担当している衛兵というものはかなり強い人が担当しているようだ。

 

 考えてみれば賊の襲撃やモンスターの襲撃がある場合、一番最初に反応して対応できるのがこの位置なのだ。そりゃあ強い人を回すわ。たぶんこの衛兵、純粋な技量だけなら完全に俺を上回っているだろう。

 

「熊乗れるなら乗るでしょ」

 

「普通は乗れないからね? ほら、入った入った」

 

「ういーっす。お仕事お疲れ様です」

 

「ありがとう」

 

 手を衛兵に振って街に入る。春になると人が街中に増えて動きやすくなるのが良いよな、と思いながら手を空へと向かって伸ばし、背筋を軽く捻る。体の調子は悪くはない。このままギルドへと向かうか。そう思ったところで煩い電子音が街中に響くのを聞いた。

 

「おぉ、今日も演奏なさってる」

 

 ぎゅんぎゅんぎゅいーん、というエレキ音を響かせるのは前世で聞きなれたエレキギターの音だ。あの魔族ロッカーが今日も街中で無料ライブを開催しているようだ。ドラマーとベーシストは確保できたのだろうか? いや、ロックの概念が早すぎて見つかる訳もないだろう。世界の辺境でバンドメンバーを探しているロックな魔族の姿を思い出し軽く笑いを零し、今度こそギルドへと向かう。

 

 この作戦はまず俺が冒険者として登録しなければ何も始まらないのだ。

 

 だからまずはギルドへ。




 感想評価、ありがとうございます。ついに評価数300です、本当にありがとうございます。

 クマに乗る女エデン。実はこの女ちょくちょく街へ買い出しとかで顔を出しているので町民からの覚えからも良かったりする。

 それはそれとして今回の話5000文字中大体3000文字はTS娘が着替えてるだけで終わってる。


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バウンティーハンターエデン Ⅱ

 扉を開けてギルドへと入る―――相変わらずギルドは薄暗いとか汚いとか、そういうイメージからは程遠い場所になっている。清潔に、綺麗に保たれているギルド内部は誰が来ても良い印象を与えるように明るめの色を選択して塗装されている。観葉植物なんかも置いてあって緑もあり、ココが血なまぐさい仕事を探している人間の巣だとは思いづらいだろう。だが実際のところ、少し奥の方へと視線をむければ休憩用のテーブルでは昼間から酒を飲んでいる姿や、少々物騒な商品を取り扱う商人の姿もある。

 

 そんなギルドの中へと踏み込んだ所でカウンターの方からお、という声がかかった。声に従って奥の方へ視線を向ければ、カウンターの向こう側から眼鏡をかけた青年が片手を振っていた。その耳は人のよりも少しだけ尖っており、よく見れば緑色の髪からは花が生えているのが見える。木々の特徴を備えた種族、森人だ。人よりも遥かに長く生き、そしてゆっくりと成長する賢人の種族。エスデルはそのお国柄、森人の里が複数存在しており、こうやって街中に溶け込んで暮らしているのが比較的よくみられる。これ、実は他国だと相当珍しいらしい。

 

「やあ、エデンちゃん。その様子を見る限りはついに冒険者になる事にしたのかな?」

 

「おっすおっす。とりあえず金策する必要あるからね。ウィローなら解ってると思うけどハンターとバウンティー稼ぎ方面で進めて行こうかなって」

 

 なお森人は習慣的に草花や木々の名前を己に付けるらしい。中々面白い文化をしている。良く考えると種族や地域によって命名法則の違いもあるんだよな。調べてみたら意外と面白いかもしれない。

 

「そうだね……君のその圧縮された生命力と次元違いの肉体の存在強度。それがあれば辺境の生物と言えど、大体どうにかなるだろうしね。私は大歓迎するよ……とはいえ、マスターが話したそうにしているから、話してあげてくれるかな?」

 

 サムズアップでウィローに応えると、カウンターの奥から初老の男性が出てくる。ギルドマスターは軽くウィンクと共に挨拶してくる。

 

「良く来たね、エデン。私としても君の登録を非常に楽しみにしてたよ。領主様からも非常によく働いてくれていると評判を耳にしているからね」

 

 評判とはつまりエドワードと一緒に出ている仕事の事だ。結局のところ、昔あった鉱山亜竜事件の様な討伐依頼を俺は毎度、エドワードと出かけてやるようになったというだけの話で、それをサンクデルもちゃんと把握しているという事だ。まあ、毎回ちゃんと報告しているのだから当然と言えば当然なのだが……その話がギルドマスターに届いていたのはちょっと意外だった。

 

「そんな話ご存じだったんですね」

 

「うむ。強くて将来有望な新人は何時だってどの業界だって欲しいものさ―――特に他の職に流れず土地に根付いて定期的に仕事を処理してくれそうな子はね……!」

 

「最後に本音出たな」

 

 強く拳を握りながら力説するギルドマスターの姿に、呆れの空気が漂う。とはいえ、冒険者は状況や仕事次第では1つの地域に留まらないのが基本だ。その中で俺はグランヴィル家に仕える立場だ。つまり一生をこのヴェイラン辺境領で過ごす事になるだろう。つまり冒険者として登録すればここで定期的に小遣い稼ぎとしてやってくる見通しが出来る。副業として、本業程ではなくても定期的に辺境の凶悪なモンスターを相手にしてくれる人が増えるのはギルドマスターとしては喜ばしい……という事なのだろう。

 

 割と必死なんだなー。なんて事を思ったりする。まあ、今はどうでもいい事だ。いや、関係はあるんだが俺が深く考える様な事ではない。だからギルド側の事情はとりあえず忘れておく。俺にとって今重要なのは冒険者の資格を取得し、そして報奨金や手配書の懸賞金を受け取る事が出来るようになる事だ。

 

「とりあえず、冒険者の登録をお願いします」

 

「うむ、任された―――ウィロー君が」

 

「そこで投げますか? いえ、まあ、仕事だからやりますけど」

 

 ちなみに青年にしか見えないウィローの方がギルドマスターの2倍は生きているらしい。こう見ると初老と青年という関係が一瞬で逆転するのだから、異世界種族問題は面白い。まあ、なにはともあれ、ギルドマスターは挨拶しに来ただけみたいでそのまま後ろへと戻って行く。ギルドマスターが下がった所でカウンター前へと改めて移動し、それではと軽く片手をあげて頼む。

 

「それじゃあ既に何度か足を運んで話は聞いてますけど、また1から説明お願いしますわ」

 

「そういう所は結構マメというか真面目だよね、君」

 

 元日本人としての気質かなぁ……。

 

 しかしウィローの方も準備だけはしていたのか、数枚の紙と羽ペンを取り出した。

 

「それじゃあこのヴェイラン辺境領でのギルド登録には軽い試験を行わせて貰っているよ。中央ではこういう事をせずに登録料を取っているけど、辺境ではそういう事をやっていると屍が積みあがるからね。命、無駄にしてはいけないし。無駄に死人が出ないように能力があるか確認させて貰っているんだ」

 

「逆に言えば中央ではそこまで人命を重視してない、と」

 

「うん」

 

「断言した……」

 

「いや、だって、うん……ほら、あっちって人が多くて仕事が取り合いになるし、その分暗闘とかスラムでのあれこれとかあるからね?」

 

「ふえぇぇ……」

 

 中央怖いよぉ。でも中央はモンスターとか殲滅されていて辺境と比べるといないって話じゃなかった? 後は賊の類も存在しないとか。となると別方面で命を消費する事があるのか。こういう話、改めて調べておくのが将来的に大事なんだろうなぁ……と思いつつ、ウィローから用紙と羽ペンを受け取り、近くのテーブルに移動する。

 

「テストって訳じゃないけど適性とか見る為のものだから、気軽に書いてね。終わったら教えてね」

 

「はーい」

 

 受け取った用紙をテーブルに置いてからディメンションバッグに手を突っ込んで、そこからファッショングラスを装着してちょっとインテリっぽくなってみる。そのままインク壺に羽ペンを差し込んで書いてある内容を確認してみる。

 

「ほーん……読み書きできるか試して基本的な知識が備わっているか確認する感じか……」

 

 名前、年齢、所属等の簡単な情報の他にはこの土地の名前書ける? 解る? みたいな本当に簡単な事を要求されている。その下にはギルドに所属している場合のリスクの事や義務も書かれている。冒険者として働く場合年間でランクに合わせた一定の額を支払う必要があり、支払えない場合はライセンスを凍結される。支払う額を落とす為にわざと低ランクを維持している奴はギルド側から事情聴取と場合によっては仕事が回されなくなる、と。

 

 意外としっかりと書面で釘を刺してくるんだなぁ、とさらさらっと記入してしまう。確認してみるが特におかしい所があるようには思えないし大丈夫だろう。小さく何か文字が書かれているクソみたいな契約書でもないし。とりあえず読み書きはほぼ完璧に出来ているから、この手のペーパーワークで困る様な事はない。何せ、将来的にリアを支える為にこの手の技能を磨いているのだ。今更間違える事もないだろう。

 

 数枚、全部読み通して記入事項を終えたら纏めて羽ペンと一緒にカウンターのウィローへ渡す。

 

「はい、終わりました」

 

「うん、確かに受け取った。読み書きもしっかり出来ていて偉いね」

 

「しっかりと教えられたからなぁ。まあ、これぐらいなら特に問題は」

 

「エスデルは読み書きができる人間が全体から見て比較的に多い方だけど、それでも読み書きのできない人ってのは結構多いからね。教育そのものはお金かかるし、それが出来ないから暴力を頼りに冒険者になろうって手合いも決して少なくはないんだ」

 

「俺とかそういうタイプだったぜー」

 

 別の方のテーブルから声がする。振り返ると冒険者の一党、その内の1人である斧を横に置いた戦士が手を振っていた。

 

「俺は読みも書きも出来なかったしな。代理で読んでもらって、代筆も頼んだからな。それで終わって冒険者になれたと思ったら読みと書きの必要な事のまた多い事多い事。あの時期程読めない事と文字を書けない事が不便だと思った時はなかったな」

 

 まあ、今は死ぬほど練習してどっちも出来るが、と話を締めくくった。それにウィローは頷いた。

 

「彼みたいなタイプは珍しくないんだ。だからギルドでは最低限の読みと書きが出来るようになるための講習会を行っていてね。冒険者限定だし、参加料金も多少は取るけど……ほら、報酬からその分差っ引けばどうにかなるでしょ? それで他の人から騙されないように自分で読み解く力を身に着けて貰ってるんだよね」

 

「ぼろい商売だなぁ」

 

「人聞きが悪いなぁ……事実だけど」

 

 文字を読めない、書けないという事は誰かに代筆を頼んでもらったり、口頭説明を必要とするという事だ。書面で書いてある事を理解できないから嘘を信じさせられ、不当な契約を結んでしまうなんて事だってある。それを防ぐにはやはり文字の読み書きを覚えるのが一番だ。だが当然のように教育とは金のかかる事だ。実際今、リアの年間40万の学費を稼ぐ所なのだ。これは国家最高クラスの学園に通う為の金額だが、それでも平民から見ても普通の学校や教育というのはかなりの金食い虫だ。それをある程度簡易化し、払えるレベルにまで下げているギルドの努力は中々のものかもしれない。

 

 まあ、俺はしっかりとそこら辺は叩き込まれているのでどうでも良いだろう。

 

「さ、これが終わったら次は実力テストかな……正直やる必要はないと思うけど形式的にね」

 

「うっすうっす。よろしくお願いしやっす」

 

 苦笑するウィローが席から立ち上がるとカウンターの向こう側から此方へとやってきて、ギルドの横の扉を示す。

 

「あっちからギルド裏手の訓練場へと行けるからそっちでちょっとした実力テストをするよ」

 

「うっす」

 

 ウィローに追従するようにギルドの裏手へと向かって移動する。ギルドのロビー以外には行った事がないので、実は訓練施設を利用するのはこれが初めてだったりする。まあ、この街もそうだが辺境は土地が有り余っているのだ。ギルドの裏手に訓練施設を用意するぐらいは何て事はないのだろう。ギルド横の扉を抜けて通路に入り、そのまま裏手へと回るように訓練場へと出ると―――後ろからぞろぞろと先輩方が付いてくるのが見えた。

 

 足を止めて振り返りつつ、

 

「あのさあ」

 

「いや、だって気になるじゃん……」

 

「見たくない? 俺は見たい」

 

「新人ちゃんの良い所見てみたいなあ!!」

 

「出来る事ならパンチラしてくれないかなあ、って」

 

「ふんっ」

 

 迂闊な発言をした結果、約一名女性陣からリンチを喰らい始めたが俺の知る事ではないのでとりあえず無視する。その間にもウィローは先に進んでいた。

 

 ギルドの訓練場は石壁に囲まれた広いスペースだった。足元は踏みやすく、力の入りやすい土になっており、練習台や目標としての役割を果たす為の木人が並べられているスペースなどがある。その中央へと移動したウィローは魔力を練り上げると手を軽く地面へと向かってかざし、魔法を行使した。

 

 次の瞬間、大地を突き破って木が生えた。ただし真っすぐではなくうねる様に、からみあうように形を形成する木は2メートルほどの高さまで成長し、その形を人に似た形へと作り替わった。巨大な腕と両足、そして太い胴。頭らしき部分からは大きな花を生やしたウッドゴーレムの誕生だった。

 

 ウッドゴーレムから数歩離れると、手に絡みつく様に生やした蔦をウッドゴーレムへと繋げ、その操作を行う。両足を大地から引き抜く様に持ち上げ、両腕を素早く振るうように動かし、そして軽くジャンプする。軽快な動きを見せるウッドゴーレムの姿は重量を持ちながらも従来のゴーレムが持つ鈍重なイメージを払拭する軽さを見せている。

 

「良し、こんなもんかな。この子は”金属”の下位相当はあるから簡単にはやられないと思うよ」

 

 そう言うとウッドゴーレムが腕を持ち上げて枝の指を握りしめるように拳を作ってファイティングポーズを取る。パンクラチオンを思わせる様な構えで素早く何度かシャドーを行い、此方の参戦を促す。

 

「無論、君ならこれぐらいは一切障害として見ないとは思うけどね」

 

「言うなぁ」

 

 とはいえ、期待されるとそれを超えたくなるのが俺という生き物。

 

 冒険者加入テスト……という名の軽い茶番(パフォーマンス)をこなす為に、俺も戦闘準備に入る事にした。




 感想評価、ありがとうございます。

 実は謎の料理人がグランヴィル家に存在したことを感想で指摘されて初めて思い出しましたが、修正しようと話を遡ったら悲しいぐらい出番がないというか最初にぽろって言って以来存在が忘れられていたので存在が抹消されました。キャラの出し過ぎには皆、注意しよう。

 次回、エデンちゃんの戦闘スタイル。


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バウンティーハンターエデン Ⅲ

 視界の中、軽く見られている事を意識して緊張している少女の姿を冒険者の男は見た。彼女の名はエデン―――良くも悪くも有名なグランヴィル家の新しい従者。()()グランヴィル家の従者なのだ、それだけで彼女の動きを見るべき価値があると冒険者の男は、そして周囲の者達は考えていた。今はまだ少女の名前に価値はない。だがいずれ価値が出てくるだろうとある程度の当たりはつけられる。

 

「お前はどう思う?」

 

 パーティを組むテンガロンハットにポンチョのガンマンに男が意見を聞く。その言葉にテンガロンハットを軽く調節しながら相方は答える。

 

「さて、な。探りを入れる限りは中々()()らしいが、この目で見た訳じゃないしな。だがあのグランヴィルのご令嬢の護衛に育てられてる嬢ちゃんだ。間違いなく普通じゃないだろうな。体は鍛えられていないように見えるが……種族柄、見た目そのままは通らないってのは良く解ってるしな」

 

 概ね同意できる内容に男は頷いた。魔族と言う種族は見た目がひたすらぐちゃぐちゃだ。固有の種族がいれば統一された種がある。個人個人で姿が違えば変異だと言い出す奴もいる。それほどまでに魔族という種は分類する意味がない。だが共通してこの世界の者よりも優れた肉体を有している、という特徴がある。その中でもあのエデンという少女の情報が本当であれば、最上級の部類に入るだろう。

 

 何せ、あのグランヴィルだ。元近衛騎士、元宮廷魔術師という組み合わせの夫婦の秘蔵だ、気にならないと言えばウソになる。夫婦が特殊であれば環境も特殊、領主の切り札と言われるあの一家が育てて信頼している従者だ―――到底まともではないだろう。

 

 少なくとも同業者として名を上げてくる場合は対策を考えなくてはならない。それを確認する意味でもエデンという少女の評価を行う必要があった。男が観察する限り、周囲には同じようにエデンの評価を行い、そして勧誘を考える姿も見える。問題はその手に彼女が乗りそうにないという事だろうか。客観的に見てグランヴィル家への忠誠心は高い。それを外して所属して貰おうというのは相当難しいだろう。

 

 となると、問題は彼女がギルドへと所属する事でどれだけ自分達の仕事へと影響を与えるかだろう、と男は考える。

 

 冒険者とはつまり、パイの奪い合いだ。有能な新人が増えるという事はそれだけ仕事がそっちに流れるという事でもある。全体で見れば貢献しているだろうが、個人で見た場合は貢献どころか妨害になっている。

 

 何故なら依頼とは上限が存在するからだ。この辺境はまだそういう意味じゃマシな方だ。常に討伐依頼の類が存在し、今日もどこかで新たな手配クラスのモンスターが産声を上げているだろう。だが中央なんかじゃ討伐、殲滅などの花形とも言える依頼の類は騎士団が処理してしまう。その為、残されるのは探索や護衛等拘束期間が長かったり、純粋に面倒だと思えるタイプの仕事ばかりだ。だがそれでさえ常に存在している訳じゃない。だから中央の冒険者は仕事を得る為に多少危険な仕事に挑むし、そして依頼者もそれを理解してダンジョンアタック等を依頼する。

 

 中央には天想図書館の大魔宮もあるし、ソッチがある意味主戦場だろう。その分死者数も増えるが。その為、中央のギルドは一々試験なんてやって確かめている暇はない。人の命、その価値は安全な中央の方が遥かに安いとは皮肉極まる。

 

 とはいえ、男は思う。

 

 有能な新人が増える事は何もデメリットだけではない、と。グランヴィル家の出なら間違いなく実力はあるだろう。それが探索地に出ればそれだけ探索地での安全が増え、そして全体としての活動範囲が広がるであろうという事実もある。冒険者は何も仕事をするだけでくいつないでいるのではない。

 

 探索地にある素材やモンスターの素材、今現在需要のあるものを目利きして選別し、環境に配慮して取り過ぎない事を意識しつつ流通に乗せる―――つまり素材の売却等で収入を得ているのも多い。荒事がない時はこっちでギルドに対して貢献度を稼ぐケースの方が多いぐらいだ。強さを持った者が大ボスとも言える賞金首を討伐する事で環境が安定するから、採取で食いつないでいる連中はそういう探索がしやすくなるのだ。

 

 故に、彼女がどれだけできるのか、と言うのはここからの活動でどういう風に適応すべきなのかというのを測る為には重要な事でもある。

 

「始めるみたいだぞ」

 

 横からの声に男が思考から引き戻される。

 

 そして視界の中で、彼女―――エデンは手に魔力を集めた。

 

 黒い、魔力だ。

 

 

 

 

 ―――うーん、値踏みされてる。

 

 昔、プレゼンテーションとかやってた時に向けられた視線と同じだ。こいつ、どれだけ出来る? どういう価値がある? そういうのをじっくりと観察するタイプの視線だ。辺境の冒険者はかなりハードだと聞いている。選択肢にある程度の自由がある代わりに、一つ間違えると即死ルートへと直行する。その為ニワカとでもいうべき連中が恐ろしく少ない、というか死ぬと。舐めた奴か死んでいくのは辺境も中央も変わらないが、中央と違ってモンスターパラダイスになっている辺境では歩いてたら唐突にモンスターに囲まれて死! というパターンがあるらしい。怖いなぁー。

 

 だから結局、強い奴か頭の良い奴しか残らない。ここに見に来た連中はそういう奴らだろう。

 

 命が塵の中央と、事故死できる辺境。果たしてどっちがマシなのやら。

 

 まあ、何にせよ、これは立派な茶番だ。

 

 そう、茶番。ウィローは領主経由で俺の実力を大方把握できているだろうとは思う。それでもこんなパフォーマンス染みた戦闘を要求してくるのは他の冒険者に対するアピールだろう。

 

 前々から冒険者ギルドには興味を持って、仕事の合間や暇なときに顔を出して情報を聞きに来ていた。なので他の冒険者の顔は知っているし、話した事もある。だけど俺に関する具体的な実力や能力と言うものは噂話でしか認知されていないだろう。5年もいればそれなりに親しくもなるが、それが仕事に通じるかどうかは話は別だ。

 

 皆の前でペーパーワークをする事で“こいつは教養があるぞ”というのを示せる。

 

 皆の前で戦闘能力を見せる事で“こいつは戦うだけの力があるぞ”という事を証明できる。

 

 軽口で応対する事、ちゃんと目上の者に対する礼節を示す事で“こいつはちゃんとした対人能力があるぞ”というのを見せる。

 

 つまりこの試験の本質はそういう部分にあるんだ、と思っている。或いはこれも俺の深読みなのかもしれない。とはいえ、物事は可能性を考慮して動く分には損失がない。俺もグランヴィル家の従者として、立派な行動を心がけないとならない。

 

 ともあれ、心の整理を終わらせたらウッドゴーレムを目標にセットして、やってやりますかと聞こえないように呟く。

 

 呼吸で肺に空気を―――そこに含まれるエーテルを送り込んで、魔力へと変換する。

 

 老龍からの継承によって俺は魔力の制御方法、使い方を覚えた。それまでは魔力Lv0だったのが魔力Lv1になったようなイメージだ。それまで駄目だった理由はとてもシンプルだ。俺もエドワードも、俺の見た目が人間と同じ形状をしているから勘違いしたのだが、実際は人間とは体の構造が違う。生理がやってこないのも、生理周期が人のそれとは違うからだ。

 

 人間は体内に魔力の専用生成内臓がある。肺から送り込まれたエーテルはこの内臓へと移され、そこで魔力へと変換される。それが体内で保存され、魔法等の行使の為に引き出される。それが人間の魔力生成ロジックだ。

 

 龍は違う。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 無論、それは俺も例外ではない。龍は人間と違って肺から取り込んだ酸素をエーテル諸共心臓へと送り込み、鼓動と共にエーテルを魔力へと変換、血流に乗せて全身に巡らせている。これが龍の身体構造だ。常に全身を魔力で漲らせている生き物。それ故に低魔力環境においては著しく能力が低下するという縛りを持つも、高濃度と質の高い魔力を身体に常に巡らせる事でありえない身体能力と強度を実現する生物だ。

 

 人間がこれと同じような事をしようとすると、全身が魔力の負荷に耐えきれずに爆散する。龍という規格外の身体強度を保有する生物だからこそ許された構造であり、魔界の生物や魔族は構造的に此方に近い。だから基礎スペックが此方の世界の人間と段違いなのだ。

 

 故に俺も、魔力を練り、使用する上でのイメージが根本から間違っていた。だから魔力を上手く使う事が出来なかったのだ。存在しない内臓を求めて魔力を使おうとしていたのだから当然だ。だが今はその違いが判る。老龍から継承した知恵によって力の使い方が解るし、その上で鍛錬を重ねてきた。

 

 その結果―――二律背反の魔力を分けて運用する事が出来た。

 

 純粋な黒のみが手の中に出現する。白が混じれば浄化の力によって形状が崩壊したであろう魔力は黒の性質によって容易く固形化する。出来る事は解っているし、何度も練習してきた。視線を受けて僅かに緊張するが間違える事はない。手の中の黒い魔力を更に強く結合させ、

 

「凝固しろ」

 

 命ずる。手の中の魔力を結晶化させ、凝固させる。小さな結晶は次第に大きく、俺の意思に従った形状へと成長するように変形する。握れば柄が生まれ、その先へと大きく、鋭く、厚くその形状を変化させる。

 

 左手をパーカーのポケットに突っ込んで、右手で握るのは結晶大剣だ。背丈に近い大きさの結晶のみで形成された大剣。それが魔力から生み出された。それを肩に担ぐ様に構える。これだ、これが俺の構えだ。所在なさげに剣を降ろしていても良い。武器を相手に向けて構えるなんてみっともない事はしない。

 

 流派や型なんて物は存在しない完全なるフリースタイル。だがそれで良い。俺は龍だ。俺は人間じゃない。流派や型、小手先の技術なんて人間が足りない力を補うために使うものだ。今はそれに負けるだろう。だが俺が技量を高めて行けば、純粋な暴力だけで相手の技を上回れるようになる。そしてそれだけで良い。

 

 小手先の技術や技は折角の暴君とさえ呼べるような力を削ぐ。

 

 だから俺が覚えるのは力を100%使い切れるだけの技量。

 

 この体に満ちる暴力的な全てを完全コントロールして使いこなす技術。

 

 俺が求めるべきはそれだけなのだ。

 

 それだけで十分だ。

 

「いつでもどうぞー」

 

 ウィローに向けて開始を促す。

 

「おや、先手を譲ろうと思ったんだけど」

 

 先手、取らなくて良いのか? という極真っ当な疑問がウィローから戻ってくる。だがそれに対して俺は頭を横に振る。まあ、どうせ一撃で粉砕するし。だったら軽いパフォーマンス混じりで動いた方がウケが良いだろう。

 

「軽く慣らしから入りたいんで」

 

「では遠慮なく」

 

 言葉と共にノーモーションでウッドゴーレムが迫った。一瞬で肉薄する動きは普通の人間なんかよりもずっと速く、そして軽やか。だが踏み込みのモーションで地面がえぐれているのを見れば決してゴーレム自体が軽いという訳ではなく、体の動かし方によって重量を流しているのだというのが解る。“金属”の下位というとギルドのランクにおけるアイアン、スチール、ブロンズ辺りを示す言葉だ。金属下位レベルのモンスターともなれば賞金首の最低レベルともなり、同時に何らかの即死手段を持つモンスターが出没するランクでもある。

 

 ウッドゴーレムも良く見てみればその拳には種子が付着している。たぶん攻撃を安易にガードしたり、受けたりすると種子付着からの発芽で寄生ルートだろうか。見事なタンク殺しタイプのビルドだろう。

 

 とはいえ人体では捉えられない速度の拳だろうと、俺の目には見え、そして見てから反応出来る速度だ。拳に合わせて構えを解く事もなく後ろへと向かってスウェー。体をゆらりと揺らす事で目の前で繰り出された拳を回避する。

 

「お、いいね」

 

「でしょ」

 

 そんな言葉を吐きながらもウッドゴーレムは動きを止めない。フック、ジャブ、フック、フリッカー、ストレート。素早いステップと踏み込みから繰り出される殺人的な速度の拳は巨体から放たれる事もあって威圧感が凄まじく、触れればアウトという要素も相まって金属下位と納得も出来る凶悪さを持っている。ウィロー自身は蔦で遠隔操作を行っているだけの為、全く疲れないというあたりも凄まじく面倒だろう。

 

 だが避けられる。

 

 右へ左へ体を揺らして楽々と回避する。木々である事を生かして腕が伸びたりもするが、それも些末な事だ。回避途中で体を更にずらしたり、動きを加速させればそれだけで余裕で回避できる。金属下位となるとソコソコ強い相手が出てくるランクだろうが、根本的な部分でエリシアに及ばないと判断できる。

 

 動き1つ1つに追い込んでくるような恐ろしさがない。これが下位相当か、そう判断して攻撃を回避した所で攻勢に出る事にする。

 

「お」

 

 声が聞こえた瞬間には衝撃を叩き込む様に斬撃を縦に叩き込む。拳に合わせて放った斬撃は黒い結晶の刀身に白い魔力を纏っている―――即ち浄化属性の魔力、背反の白だ。黒い刀身に白が纏われる。刃は削れず、剥がれず、二律背反が崩れる事無く存在する。振るわれた結晶大剣は白く軌跡を描きながら黒い残像を残して行く。

 

 それはまるで大きく開いた黒い顎の中に白い歯が浮かぶようで。

 

 龍がそうするかのように―――斬撃でウッドゴーレムの腕を食い千切った。

 

 接触と同時に寄生に来る種子を接触による蝕みで逆に浸食し、結晶化によって無力化する。白による防御力の無効化。黒による侵食効果。

 

 それがウッドゴーレムの恐らくは強固だった躯体も、接触で発動する筈だった種子も、そしてゴーレムだからこそ可能となる再生能力も、全てを殺していた。食い千切られた腕の断面は既に結晶によって薄く覆われている。再生を阻害するのみで、そこまで強い侵食能力はない―――だがゴーレムの厄介さを殺すには十分すぎる成果だ。

 

 腕が食い千切られたゴーレムの動きによろめきはない。素早く使い物にならない腕を盾にしようするので、返しで横切りを放って根本から腕を両断する。押し込まれるように下がる姿に刃の切っ先を見せるように突きを放つ。一撃。防御の上から残された腕を粉砕しつつ胴体に穴をあける。

 

 二撃目、横薙ぎを放つ。がら空きの胴体に叩き込む食い千切りが上半身と下半身を分断するように薙いだ。

 

 たったそれだけでウッドゴーレムは機能不全に陥る。だがパフォーマンスを込めて後ろへと吹き飛んで行くウッドゴーレムへと前傾姿勢になるように一歩だけ踏み込んで、黒い残像と白い軌跡を生む結晶大剣を腕を下から振り回すように上へと向かって切り上げる。

 

 足元から喰らう食い千切りの斬撃が足を、残された胴体を、頭を喰らうように両断しながらウッドゴーレムの姿を無残な物へと作り変える。

 

 踏み込んだ脚を戻し残像も消え失せた中で刃を再び肩に担げば、唯一残された最後の腕が地面に落ち、それすら断面から蝕まれて黒い結晶に覆われ―――砕け散った。

 

 後には何も残さない。苦笑気味のウィローの姿を見て、首を傾げる。

 

「これで十分かな」

 

「十分すぎる程にね」

 

 にわかにざわめく周辺の声に心地よさをどことなく感じる。やっぱり人間、承認欲求が満たされると非常に心地よい訳で。意味もなく担ぎ直した剣をそのまま、胸を張ってしまう。

 

 それ、見たか。これが超大型最強新人の姿だぞ。




 感想評価、ありがとうございます。

 ダンジョンありまぁす!

 これがこのお話におけるエデンちゃんの基本スタイルにして根本。結晶大剣をナイフとか拳とかと変わらない速度で振るう事が出来るので、圧倒的速度とパワーで正面から攻撃とかち合う、弾く事なくそのままぶち殺すというパワーは力だスタイル。見栄えの良さ、格好良さ、派手さはつまり見る相手に対して恐怖を与えるという事。

 龍の戦いとは畏怖を与えるものでなくてはならない。そんな考えから生まれた戦い方。


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バウンティーハンターエデン Ⅳ

「はい、それじゃこれが所属を証明する冒険者カードだよ」

 

「ほほーう」

 

 受け取ったのはシンプルな金属製のプレートだった。軽く見た感じ、偽装防止用の魔法がかかっているような事はないみたいだ。白い金属製のプレートには名前と登録ギルド、そして現在のランクとそれに付随するエンブレムが描かれている。本当にシンプルで特に何か、特殊な装飾が施されているとか、特殊な加工を受けているような様子はない。まあ、何個も作成してたくさんいる冒険者に配るんだから当然か。

 

「じゃ、軽く注意事項行くよ」

 

「うっす」

 

 ウィローから受け取ったカードを目の前に置きつつ、カウンターの向こう側へと戻ったウィローへ視線を向けた。

 

「まずそれは冒険者としての証であると同時に、簡易的な身分証明書にもなる。一応最寄りのギルドへと持っていく事で現在の所属を変更できて、それを身分の照会先として登録しておけば一部の公共施設を利用する際にサービスして貰ったりできるから」

 

「あ、それは初耳」

 

「まあ、君の身分はグランヴィル家が保証してくれているからね。貴族の従者というのはかなり強い身分だからその事は心配しなくて良いんじゃないかな? そんな訳でギルドと提携している酒場や宿屋、店舗では割引して買い物が出来るようになっているよ。ちなみに、簡単に身分の照会が出来るようになっているから偽装するだけ無駄だよ」

 

 システム的に偽装する意味がないシステムを構築している。だから偽装防止を行う必要はない。カードを見せて冒険者である事を示しても、それを照会して確認されるまでは信用されないのか……これはこれで上手く出来てるな、と思う。俺には全く関係のない話だが。

 

「ちなみに再発行に必要な金額は500ヘレナだからね」

 

「絶妙に辛い値段だなぁ」

 

「でしょう? だからなるべくなくさないようにね」

 

「うーっす」

 

 ディメンションバッグの中にカードを突っ込んでおけばとりあえずなくすことはないだろう。基本的にはそっちに突っ込んでおくことを覚えておけば良い。ともあれ、これで仕事を受ける事が出来るようになった。

 

「これで賞金狩り出来るようになったよね?」

 

「うん。個人的には信用を得る為にもランクを多少上げる方が良いとは思うけどね」

 

「ランクか……今は確かリーフだっけ」

 

「うん、文字通り”木っ端”だね」

 

 ギルド所属冒険者のランクは結構たくさんある。一々覚えるのも面倒……というかこれまで関わってくる事もなかった要素なので細かい所は覚えていない。ウィローはそれを察しているようなので、解りやすく絵と文字で描かれているランク表を取り出してきた。それをカウンターに置き、説明してくれる。

 

「誰もが最初はリーフから始まり、ウッド、ペーパー、ストーンとランクを上げて行く。ここは通称“資源”級だね」

 

「腐る程あって替えが効く、って事かな」

 

「正解。捨て犬たちもここら辺が一番多いね。馴染めなかった、仕事が上手く出来ない、上を目指す為の苦労をしない。何でも簡単に済ませようとした結果失敗する。そういう連中の吹き溜まりだね。だから“資源”である間は特に信用とかはないよ。仕事だってもし任されても、良い所迷子のペット探しぐらいだろうね」

 

「うへぇ、そんなに」

 

「うん、そんなに。なるだけなら簡単だからね。それで次はレザー、メタルでここは“加工物”級になるね」

 

「“資源”から選別されたクラス」

 

「正解」

 

 ゲームや小説だとギルドランクというものは大体アルファベットで表記されてるもんだが……このギルドのシステムを考えた奴は相当性格が悪かったらしい。人間を、冒険者という人材を消費する事前提で考えている。だからこそこういうネーミングが付いてくる。正直カッコいいと思うしセンスのある考え方だが、ロクでもない奴だろうこれ。

 

 ウィローの説明は続く。

 

「続いてスチール、ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナ、ミスリルの“金属”級」

 

「精錬され、使用に耐える素材。やっぱこれ考えた奴の性格最悪だよ」

 

 その言葉にウィローは苦笑して頷くが、それ以上同意する様な言葉は言えない。立場的にそれ以上言う事は出来ないのだろう。だから、とランクの話を続ける。

 

「“金属”の範囲は広い。一般的に言うとスチールが1回目の壁、シルバーが2度目の壁だって認識されている。だからそこら辺が境目になっていてスチール・ブロンズで金属下位、シルバー・ゴールドで中位、プラチナ・ミスリルで金属上位って認識されてるよ。ちなみにスチールを超えた冒険者は徒党を組んだりして結構金属下位までは行くんだよね。中位は本当に難しいから才能や専業を考える時期になるかなぁ」

 

 まあ、俺がソロでやるとしても目指すのは“加工物”ぐらいだろう。ブロンズまではギリ行けるかなぁ? とは思わなくもないが、別に無理して“金属”を目指す必要はないだろう。そしてギルドランクはこれで終わらない。

 

「さ、次がいよいよ冒険者の華、()()()()()()()()()()()である“宝石”級だ」

 

 “宝石”、それは冒険者ランクの最高位を示すもの。俺でさえ噂や伝説は聞いている。あの龍殺しも恐らくは“宝石”級だと思う。この世で最も自由な者達とは本当に良く言った。集団で戦争を行えるほどの規模を誇っていたり、単体で伝説と呼ばれる生物を殺傷するだけの力を備えていたり、或いは国家間で調停者として動ける単体。ギルドに所属しておきながらギルドには縛られない。強すぎるが故に縛る事が出来ないような存在達。ギルドは連中を規則で縛っているのではなく、利益を与える事で協力して貰っているだけだ。そういう連中が“宝石”認定される。

 

「その顔を見るとあまり詳しい説明は必要なさそうだね?」

 

「流石に“宝石”は知ってるんで……とはいえ認定が大変そう」

 

「そこは本部が頭を悩ませる所だからねぇ。私が頭を悩ませるような事じゃないのさ。そして“宝石”と“金属”の間には天と地ほどの差があるのさ。その壁を超えられる者達だけが“宝石”として神々の見る世の物語を彩る事が出来るんだ」

 

「まあ、俺には関係のない所かなぁ。そこまでやるつもりはないし」

 

「どうだろう……案外君は何時かそこまで行けそうだと思うけどね。まあ、何百年か先かもしれないけど」

 

「そんな先の事は解らん!」

 

「それで良いと思うよ」

 

 苦笑してウィローは他にも冒険者カードの失効について話してくれる。冒険者としての資格を保有し続ける為には定期的な更新が必要であり、場合によっては料金も発生する。これはただの身分証明書として冒険者登録してきた人対策らしい。その時、仕事をしているのかどうかというのもしっかりとチェックする辺りがそれらしいというか……。

 

 その後も細かい諸々を説明して貰い、とりあえずは説明会が終わる。カードをちゃんとバッグの中に入れ保存する。そこで一旦話が終わった所で振り返り、

 

「という訳で高額バウンティーメインで活動するからその辺宜しく先輩方」

 

 軽く手を振りながらアピールする。その姿勢に溜息や安堵の息を感じる―――やはり、どことなく仕事を奪われないかどうかを心配しているのが一定数存在するのだろう。だが俺は立場上パーティを組むことが出来ないし、長期間の仕事も難しい。となると現場へとサクッと急行してぶっ殺して帰ってくるスローターかバウンティーハントぐらいしかやれる事がないのだ。それを暗にウィローとの会話を通して伝えてみれば、空気は何時ものギルドの様子へと戻る。

 

「というか皆俺の事警戒しすぎでしょ」

 

「そりゃあそうだろう。あのグランヴィルの秘蔵だぞ? 警戒しない方がおかしいだろ」

 

「領主直々に指名されて討滅依頼をこなしているんだからなぁ? こっちは飯のタネがかかってるんだからそりゃあ様子見するわ」

 

「そんなもんかなぁ」

 

 腕を組んで首を傾げながら同業者の悲哀というものを考えてみたが、考えたところでしょうがない話だろう。悩むのを止めて掲示板の所へと向かおうとするとずずずい、っと一気に接近してきた冒険者の姿が二つあった。1人はエルフのアーチャーで、もう一人は純人種のスカウトだった。2人とも女性という冒険者では珍しい人達だ。挟み込む様に近づいてくると両腕を組む様に捕獲される。

 

「え、あの?」

 

「まあ、まあ、まあ」

 

「まーまーまー」

 

「えぇっとぉ……?」

 

「こっちおいでおいでおいで」

 

「行くわよー」

 

「ぬわー」

 

 両側を挟まれるように掴みあげられた俺はまさしく連行されるエイリアン。女性陣2人に持ち上げられてそのまま連行されるのはギルドの端の方のテーブルであり、もう一人の女性である虎人の女性が座って待っていた。

 

「来たわね」

 

「連れて来たわ」

 

「隠せ隠せ」

 

 椅子に座らせられるとあれよあれよという間に四人でテーブルを囲む事になり、そしてエルフが魔法で草のカーテンを天井から生やす。それをウィローは苦笑しながらも見送り、周りの男性陣からは舌打ちや嘆きの溜息が聞こえて来た。え、なにこれ? そう思いながら女子会らしきエリアへと連れ込まれた俺は全力で頭の上にはてなを浮かべていたが、

 

「……良し、遮音結界発動完了! これでこっちの音は外に漏れないわ」

 

「良くやったわカティ」

 

 カティ、そう呼ばれたエルフがサムズアップを送り虎人の女性が頷いた。そして純人の女性が此方へと視線を向け、顔を寄せてからがっちりと両腕で肩を掴んだ。その迫力に気圧されながらもなんとか口を開く。

「え、えーと、俺、なにかした……?」

 

 その言葉に純人の女性は頭を横に振り、

 

「逆よ……そう―――」

 

 軽く息を吸い込んでから、彼女は声を放った。

 

ガード! 緩すぎッッ!!

 

 その言葉に他の女性陣が腕を組みながらうんうん、と頷く。その様子に俺はえー、と声を零す。

 

「そんなに俺の動き駄目だった……?」

 

「いや、そうじゃないわよ! 肌よ、肌! 肌の露出!」

 

 言い切った後で彼女は溜息を吐き、顔に手を当てた。物凄い重みのある溜息の恐ろしい程にビビってしまったが、自分の恰好を見て首を傾げる。

 

「そんなにガード緩いか、俺……?」

 

「き、危機意識が足りなさすぎる」

 

「セルマの言う通りよ。エデンちゃん?」

 

「あ、ちゃん付けでも大丈夫だよ」

 

「じゃあエデンちゃん」

 

 エルフの女性、カティが話を続ける。

 

「今まで、ギルドに来るときはもっと肌を隠した感じの服装だったりしたけど、今日はどうしてこう……露出の多い感じの恰好なのかしら?」

 

 立ち上がり自分の恰好を見る……おかしなところがあるだろうか? まあ、そりゃあミニスカートってのはちょっと目立つかもしれないけどソコソコいい感じにファッションが出来ていると思ったのだが。これがどうやら女性陣には不評だったらしい。

 

「そりゃあ家の名代として仕事する為に街に出たりするんでなるべく迷惑にならない恰好を選んでたけど……今日はほら、冒険者デビューだし? いっちょビシっとキメておかないと。これなら動きやすいし、見栄えも良いし、耐久力も織り込み済みだし。何も問題ないかなあ、って」

 

「問題大ありよ。まあ、私は種族的な特徴のおかげで大分楽させて貰ってるけど」

 

 そういう虎人の女性はノースリーブのチュニックと長ズボンと言う格好だ。種族の特徴として強靭な肉体を持つが、顔を含めた全身が毛に覆われており、純人等と比べるとやや顔がケモいとでも言うべきだろう。1が人間で5を虎だとすれば大体2~3辺りのケモ度だ。それが虎人という種族だ。女性であろうと怪力の持ち主が多く、人間の頭を掴んで握りつぶすぐらいの事は出来る種族だ。

 

「それでも露出が多いのは駄目よ。特に貴女の服装、どっからどう見ても初デートに出かける少女みたいな恰好じゃない……足、ガン見されてたの気づいてる?」

 

「えっ」

 

「スカートの下、割と狙われてたわよ」

 

「えぇ……嘘でしょ」

 

 反射的にスカートを抑えながら椅子に座り込んでしまう。え、そこまで露骨にガン見されてたの? テストの内容が割と楽しいし服装も結構気合入れていたので気にならなかったのだが、女性陣が3人揃って静かに頷いているので、どうやらマジだったらしい。そこまでおかしな恰好をしたつもりはなかったんだけどなぁ……。

 

「これで意識せずに見せつけてるならサキュバス認定してる所よ」

 

「それは酷くない!?」

 

「それだけ無警戒だったのよ。解る? この業界結構荒くれものが多いし、同業者を襲うなんて事割とあるわよ。同意を迫って一夜の関係を持ったり。泊りがけの依頼だと良いストレス解消になるから一緒になったりとか。だから割とあけすけよ。守るべき世間体がないから」

 

「最悪じゃん……」

 

「だから意識しろって今言ってるの。解る?」

 

 心配して言ってくれているのはマジらしいので、ここは素直に頷いておく。それを見て安心したセルマが教えてくれる。

 

「良いからなるべく長ズボンを履きなさい。環境次第じゃ毒虫や毒草が普通に群生している場所に突っ込むし、それが死因になる事も結構あるから。肌は守れるだけ守るのが大事よ」

 

「あ、その手のダメージ通じないんで」

 

 頭を抱えられた。虎人が試すように爪先で軽く此方の手の甲の鱗を叩くが、恐ろしいものを見る様な目で見返してきた。

 

「……私でも突破できそうにないわねこの鱗」

 

「我が全身がこの鱗と同じ強度」

 

 えっへん、と胸を張ると頭を抱えられた。

 

「駄目だ、この子やっぱり何も理解してない」

 

「私が男だったらこんなの直ぐに連れ込むわよ」

 

「はは、好き放題言いなさる」

 

「それが解ってないって言ってるのよ―――!」

 

 えー、心配しすぎじゃない? エリシアが何も言ってないって事は大丈夫って事でしょ。ただ目の前の女性陣は俺よりも女性度が高いのだ。俺は元男性でそこら辺の危機意識が足りないというのも実に真理だと思う。

 

「だからここは3人の話を聞き入れて俺も改善しよう―――ホットパンツで良い?」

 

「解ってないなこいつ……!!」

 

「短パンはまだ解るけどなんでそこでホットパンツという選択肢が出てくるかが解らない」

 

「えー」

 

 結局のところ動きやすさを重視してファッションを選んでいるところがあるし、鱗を晒しても平気、肌を晒しても平気……となったら別に肌面積多いファッションで良くない? 寧ろ布面積増やすと破れた場合の補修費が嵩むからソッチのが嫌なんだよね……。

 

 女性陣は徹底して危機意識を叩き込んでやらないと、という凄い気合を見せる中で外から音が聞こえてくる。遮音結界と言っても外からの音は聞こえるようになっているらしい。また冒険者でも来たのかな、なんて考えながら服装の話を続けようとすれば、

 

 少女の声がギルド内に響いた。

 

「あ、あの、すみません! 仕事を頼みたいんですけど……だ、駄目でしょうか……?」

 

 どことなく弱弱しく、段々と小さくなって行く声。

 

 だがそこには明確に困っているから助けて欲しい、そんな色が見て取れた。

 

 その声に、なんとなく興味が向いた。




 感想評価、ありがとうございます。

 TS娘特有のガードの低さ。室内全裸だったり外にいてもちらっと肌を見せたりする事に何の躊躇もない男がTSすればそらそうよ。見てる女性陣の方が気が気ではない模様。


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バウンティーハンターエデン Ⅴ

「あぁ、勿論だよ。依頼をしたいのかな? こっちで手続きが出来るよ」

 

「し、失礼します」

 

 ウィローの呼びかけに緊張した様子で少女が駆け足でカウンターへと向かうのがカーテンの合間から見えた。少女にはどことなく焦っているような、そんな様子が見られる。その為か視線が静かに少女へと向かって集まる。当然ながら新鮮な仕事となると誰もが興味を持ち、喰いつく所となる。仕事は基本的に適性のある人間が優先され、同じ適性なら純粋な仕事の取り合いになる。その為仕事が来たところで軽い牽制が始まっていた。それを俺は見て、密かにこわ……と呟いていた。

 

「さて、依頼をしたいとの事だけど……ご要望は?」

 

「え、あ、は、はい。その、えっと」

 

「落ち着いて、私達は逃げないから」

 

 ウィローが何か魔法を使った―――龍の目を使って魔力や魔法を物理的に視覚化し、魔法を確認する。見えるのは……空気の流れ? 植物の匂い? 恐らくはアロマ系の精神鎮静魔法だろうか。その影響もあって少女の言動は焦っているものから少し落ち着いたものへと変わる。深呼吸で空気を入れ替えた少女がはい、と声を零す。

 

「村が、賊に襲われて……まだ誰も襲われてはいないんですけど占拠されている状態でして。お父さんが連中を騙して、時間を稼いでて、でももう……!」

 

「解った。ただちに冒険者を派遣しよう……村は?」

 

「アルナザです」

 

「うん、解ったありがとう」

 

 一瞬でギルド内の空気が殺気立ったものに変わる。金の気配と外道をぶち殺せるという事実に誰もがやる気に溢れている。それを制するようにウィローが落ち着いた声で宥め、殺気を抑える。少女は報酬と言って金をとり出そうとしているが、それをウィローが制す。

 

「料金は必要ないよ。これは領主様の管轄だからね。円滑に処理が終了した所で改めて領主様に代金は請求するから。カインズ! 領主さんに伝令をお願い! 届く頃には状況終了してるだろうけど派遣の要請を頼む! オスカー、君のパーティーは今暇だったね? 出て貰うよ」

 

「任せな」

 

 ウィローの言葉に従ってオスカーと呼ばれた男が立ち上がった。仲間を連れてギルドを出る。

 

「セルマ、カティ、クーリ。君たちも女子会を切り上げて行って貰うよ。女性被害があった場合ケアに出て貰う必要があるからね」

 

「了解」

 

「領主は払いが良いから素敵よね」

 

「この季節に馬鹿をやる連中もいたものねー。皆殺しだー」

 

「いえーい!」

 

 バイバイ、と女子冒険者たちが此方へと向かって手を振り、席を去って行く。それにしてもあのアマゾネス共、物凄い気楽さで皆殺しとか口にするの怖いな。アレが殺す事に慣れてしまった修羅マインドという奴なのか? 俺には縁遠そうな領域だろう。そして女性が去って行ってもウィローはどんどんギルド内で指示を出す。時折少女から情報を聞き出しながら素早く指示を出し、良く見ればその後ろでギルドマスターが物事を見守るように眺めている。自分の権限が必要か、ミスをしていないかをチェックしているのか?

 

 何にせよ、一気に十数人の冒険者をギルドは動かした。領主から報奨金が出る事が確定している仕事なので、それを含めて人材を出し惜しみする必要がないという事なのだろう。先ほどまでは屯っていた冒険者たちがほぼ全員いなくなってしまった。一瞬の事で少女は完全に置いて行かれていた。残された少女は右往左往するように周りを見ていたが、

 

「お疲れ様。君の勇気ある活躍のお蔭で君の村は直ぐに救われる事になるよ。それは心配しなくても良い」

 

「本当、ですか? ありがとうございます……!」

 

「あぁ、いや。感謝するのは皆が帰ってきてからにして欲しい。その労いは彼らにこそかけて貰いたいものだからね。心配する必要はないさ。彼らの中にはゴールドも混じってるしね」

 

「マジで?」

 

「オスカーはゴールド級冒険者だよエデン」

 

「マジかぁ」

 

 見た目はさえないおっさんなんだけどなぁ。ゴールドとなるとほぼベテランであり、1ギルドにおけるエース的な存在だと言えるレベルだ。ただの山賊や盗賊が相手だったらオーバーキルレベルの実力だろう。投入戦力的に考えて一切の逃亡者を許す事なく完全に殲滅する心づもりだろう、こういう時ガチの戦闘力を持った集団の恐ろしさを知る。

 

 これがプロか。モンスターも、人も選ばない殺しに慣れた連中。

 

 一瞬でファジーな部分が取れて剥き出しの殺意を見てしまった気がする。今からワータイガーの退治へと向かおうかと思ったが、今から行ってもそのテンションになれそうにはない。日を改めて……後はスパッツかタイツでも購入する事を検討するか。

 

 ズボンを履け、とは解るんだけどそうするとリアが拗ねるんだよなぁ……。

 

「え、えっと、私はどうすれば」

 

「飲み物を今持ってくるから、そっちのテーブルでゆっくり待っていると良いよ」

 

 そう言ってウィローは俺が座っている、もう既にカーテンの掃われたテーブルを示した。俺の方を見て軽くウィンクをしたのは相手をしてやってくれ、という事なのだろう。まあ、ギルドが賊の対処で忙しい中俺だけ仕事がないという事態は避けられたらしい。いや、最初から俺に仕事を割り振らなかったのはこの為か。

 

 まあ、何でも良いや。

 

「ヘイヘイへーイ! カモンカモン! アッハーン!」

 

「威嚇しない」

 

「うっす……と言う事でこっちでだらだらしようぜ」

 

「え、えーと、でも私―――」

 

 何か文句を言いたそうな表情をしていたので、一瞬で踏み込んで捕獲し、そのまま横にだっこしてステップで戻り、秒速で椅子に降ろして自分も元の椅子に座り直す。超スピードで自分の場所が変わっている事実に少女はぱちくり、と瞬きすると先ほどまで自分がいた場所と、今自分が座っている状況を見て頭の上にはてなを浮かべている。

 

「まあまあ、そう焦らず焦らず。ここを出た人たちは皆俺の先輩で人生経験も豊富で、それだけ成功している人たちなんだ。君が焦った所で何かが解決する訳じゃないし、心配したところで神々がなんかしてくれる訳でもない。人事尽くして天命を待つ。後は行動に移った人たちを信じるだけ」

 

「それは……そうですけど、やっぱり心配で」

 

「良し、じゃあその不安を解消できる事をしよう―――誰かナイフ借りて良い?」

 

「これでいいか?」

 

 横のテーブルから食器用のナイフが飛んでくるのを指で掴んで止める。それを軽く指の中でくるくると回し、目の前の少女の前で止める。そのまま軽くつんつん、とナイフでテーブルを叩けばコツコツとした音が反響してくる。これでテーブルもナイフの硬さも証明された。

 

「じゃあ見てて」

 

「え、うん……うん!?」

 

 少女の前の間で()()()()()()()()()()。周りで俺の脚を見ていた男連中は一瞬でなぜか内またでひゅっとした顔を浮かべている。なんでだろうね。不思議だね。気持ちは解らんでもないけど。

 

「え、えぇ……?」

 

 べりべりばきばきナイフを食い千切って咀嚼する。口の中で更に細かく砕いてごっくん。

 

「ふぅ……こんな事が出来る俺が今日登録したばかりのリーフ級冒険者で、さっき出て行った人たちはゴールド級なんだぜ? ―――つまり俺の数倍凄い化け物だって事だ」

 

「ぼ、冒険者さん達って人類卒業しないとなれないんですね……!」

 

「誤解を招く言い方は止めろ!!」

 

「冒険者を誤解させるな! 俺達はもっとちゃんとした人類だぞ! 俺は乳牛と結婚してるだけだ!」

 

「じ、人外魔境」

 

 そこはあまり否定できない。だがその代わりに良い感じに少女から力が抜けて来た。何時までも緊張感を保ったままじゃ無理だろうと解ってきたのだろう。それに合わせてウィローが木のコップの中に入ったジュースを二人分、持ってきてくれた。それを軽く頭を下げて受け取りつつ口を付ける―――お、クランベリージュースだ。俺こういう甘くて酸っぱいの好きなんだよね。偶に茂みに生えているベリー系、それをつまんで口に放り込むの最高の文化だと思う。

 

「俺、エデン。君は?」

 

「あ、アイラです」

 

「ア・アイラね」

 

「アイラ、です!」

 

「知ってる」

 

 滅茶苦茶睨まれたのでけらけらと笑う。それを見てアイラは此方を改めて見た。俺も余裕をもって彼女を見る。村娘らしいチュニックにロングスカート、その上からポンチョを被る事で外出用の恰好にしているのだろう。どこにでもいる様な茶髪を軽く編んだ、大人しい印象の少女だ。ロゼやリアとは全然違うタイプだ。ザ・村娘というタイプ。

 

「エデンさんは……冒険者なんですよね?」

 

「あぁ、そうだよ。今日なったばかりのペーペーだけど」

 

 その言葉にアイラは質問してくる。

 

「エデンさんも、戦えるんですか?」

 

「まあ、人並には?」

 

「嘘言うな」

 

「立派な怪物だぞ」

 

「煩いぞ外野ー」

 

 仕事を貰えなかった、或いは適性を持たぬ故に仕事を与えられなかった連中が野次を飛ばしてくるのを睨んで返す。そのやり取りに少しだけびくびくしているのはまるで外界を知らなかったひな鳥が少しずつ殻の外の世界を知ろうとしているかのようで……どことなく、俺に引っ付いて色々と覚えようとしていたリアの姿を思い出す。だから片肘で頬杖をついて、にこりと笑みを零してしまう。それを見たアイラは多少恥ずかしそうにし、視線を逸らす。

 

「もっと俺とお話しようぜアイラちゃーん」

 

「え、と、その、私……あまり話が得意な方じゃなくて」

 

「じゃあ俺が一方的に話すよ。色々と話のストックはあるぞぉ。最近の出来事で一番面白いのは家宝を売り飛ばそうとするエドワード様の話かなぁー」

 

「それは私も初耳なんだけど」

 

 カウンター向こうからウィローがそんな事を言ってくるが、当然だ。本邦初公開ですから。

 

 にこり、と笑みをアイラへと向ける。それを受けてアイラが少しだけたじろぐような姿を見せ、ちょっと顔を赤くし、それから静かに頷いた。

 

「では、お願いします」

 

「おしおし。それじゃあこの間の話だけど―――」

 

 

 

 

 それから1時間ほど喋っている間にクランベリージュースがなくなり、補充のフリをしてホットワインを差し入れた。何も疑わず、躊躇する事なくホットワインを飲んでしまったアイラはアルコール自体が初めてだったのか、あまりにもあっさりと意識を手放してしまった。元々疲れていた事もあったのだろう、ワインのアルコールが後押しとなって一瞬で意識を落とした。目の前で倒れたアイラにタオルケットをかけてあげると、ウィローが労ってくれる。

 

「お疲れ様エデン、大変だっただろう」

 

「いや、そんなには。俺喋るのはそんなに嫌いじゃないしね。それよりもアイラちゃん眠っちゃったけど……村の方は大丈夫?」

 

「まだ続報はないね。距離的に考えて続報が入るのは流石にまだ早いかな」

 

「そっか」

 

 頬杖を突きながら眠っているアイラを見た。善良で、そして誰でもない普通の村娘だ。特に飛びぬけて可愛いという訳でも、何か特別な力がある訳でもない。どこにでもいる少女だった。だが必死にギルドにやってきて助けを求める姿は、どうしても印象に残る。

 

「こういう事、あるんだなぁ」

 

「珍しいけどね。大抵の場合は領主軍が対処してるし、それで間に合っているからね。今回みたいに直接持ち込まれるまで発覚しないというのは本当にないんだ。それだけに今回、賊がどこから現れたのか、それを調べるのはかなり重要な事なんだよね」

 

「その為にあの人数を」

 

「うん、誰一人として残さない為にもね」

 

 迷いなくウィローは全員を殺す為だと言った。それを聞いて俺は少し怖くなった。俺以外の人たちはまるで当然のように人を殺す事に躊躇がない。相手が悪であれば殺して良いのだと考えている。俺にはそれが良く理解出来ず、怖く感じた。だって相手も人間だ。生きているのだ。命があって失われたら戻ってこないのだ。なのに何で皆、そんなに躊躇なく殺す事を考えられるんだろうか?

 

 今でも毎晩、悪夢を俺は見ているのに。

 

 殺した感触も声も覚えている。

 

 皆はそれを覚えていないのだろうか? 俺はそこまで考えて、無理だなぁ、と思った。精々モンスターを狩るので限界だ。そしてそれ以上は考えたくはない。

 

 そんな俺を見てか、ウィローは微笑んだ。

 

「君は多分、とても才能がある。誰よりも強くなれる程の才能が」

 

 だけど、と付け加える。

 

「きっと誰よりも絶望的に適性がない。違う道を選んだほうが良いよ」

 

 ウィローの此方を気遣う言葉に俺は何も言い返せないまま溜息を吐いた。実際、ウィローの言葉は正しかった。俺の龍という能力は、出自は、才能は、俺の中身とは関係なく絶大な力と叡智を授けてくれるだろう。これからも俺は成長を続け、もっと強くなるかもしれない。

 

 だけどきっと、それだけ誰かと衝突するだろう。

 

 その度に俺はその感触を忘れはしないだろう。

 

 永遠に。

 

 だから曖昧に笑って、

 

「アイラちゃんが起きたら村まで送って今日は帰るかなー」

 

「おや、送ってくれるのかい? 助かるよ」

 

「結局今日は何も出来なかったしなあ」

 

 そうやって話題を切り替える事で誤魔化す程度の事しかできなかった。

 

 

 

 

 それから更に数時間後、村人に多少の怪我人は出たけど後遺症や死人もなく無事に制圧は完了したという話がやって来た。

 

 この事件を生き残った賊はいない。

 

 誰一人として。

 

 もう二度と事件が起きないように、その場で全員殺された。

 

 それでこの事件はあまりにもあっさりと終わった。




 感想評価、ありがとうございます。

 最初のお仕事は少女の話し相手。なおちゃんと報酬は出た。

 エデンは未だに悪夢を見るし、最初に殺した時の感触を今でも思い出せる。そしてとても賢いので永劫に忘れない。生きている限り積み上げる屍を一つ一つ忘れられない。それが龍という生き物。


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ワータイガー

 翌日。

 

 前日はギルドで色々と忙しかったりして全くワータイガーの問題に取り掛かる事が出来なかった。まあ、それも事件が平和に解決したから良かったと言えるのだが。村の事件はさておき、俺がリアの学費を稼がないと物凄い申し訳ない気持ちになって中央に行く事は事実なので、さっさと金を稼ぐ必要があった。その為、朝からワータイガーの出現地域へ、つまりはトール街道へと向かう事にした。

 

 今日は先日のアドバイスを聞き入れる事にしてホットパンツで出る事にした―――スカートじゃない、とリアが滅茶苦茶憤るのは正直どうにかして欲しい。添い寝するとそれで機嫌を直すのもどうかと思うが。ともあれ、今日こそはトール街道へ。そう思って廊下に出ると、

 

「エデン、賞金稼ぎは良いけどあまり無理しちゃ駄目だよ」

 

「ウィローの奴秒で報告しやがったな」

 

 廊下で出待ちしていたエドワードにそんな小言を貰ってしまう。なので逆にエドワードに指を突き返した。

 

「ま、待っててくださいよ! リアの学費は俺が稼ぎますからね! マジで!」

 

「はっはっは、楽しみに待ってるよ」

 

「あー! それは絶対無理だって思ってる顔! 言いましたからね! 言いましたからねっ!!」

 

 指をぶんぶんと振ってからふんっ、と声を放って屋敷を出る。今日も乗り物を召喚する為に遠くへと良く響く指笛を放てば、地平線の向こうからアニマルズが走ってくる。本日も馬と熊とでデッドヒートが繰り広げられたが、決め手は熊の妨害キックを完全に見切った馬が紙一重で回避しながらカウンターを決めた事だろう。

 

 そんな馬に騎乗してトール街道へと向かう。

 

 トール街道は中央へと繋がる街道の一つだ。そもそも辺境がかなり大きく広い土地なので複数の街道が存在しているのは当然の話だ。そしてトール街道はその内、主流の街道の一つになる。この周辺から中央へと向かう為には森を突っ切るか、迂回するしかない。だが森を迂回するルートを取ろうとすると旅程が数日延びてしまうだろう。だから森を切り拓き、その中央に通したのがトール街道だ。

 

 トールという人物が主導で作った道なのでトール街道―――地球の神話にもそんな名前の神が出てくるが、それとはまったく関係がないのが地味に面白い。

 

 ともあれ、そういう事で両脇を森に面した真っすぐな街道がトール街道という場所だ。ここら周辺の流通を担っている重要な街道であり、中央への経路である。その為ワータイガーというモンスターの出現はかなり迷惑な話になる。だからこその高額賞金首であり、素早い討伐が望まれている。

 

 

 

 

 騎乗してから二時間ほどで漸く街道の入口にまでやって来れた。街から繋がる街道を北へと向かって移動して行くのでそこまで手間ではないが、重要度的に何時討伐されてもおかしくはない状況なのだ。早めに現地に到着して相手を探したい所だった。入口に到着した所で見えてくるのは両脇に広がる鬱蒼と茂る森の様子であり、その中央を突っ切る街道の姿だ。

 

 魔導式の外灯が森の間を通る所だけ設置されており、ここを通るものは夜であっても外灯の灯りによって守られる為、浅い範囲であれば森の暗闇からの完全なる奇襲を防ぐ事が出来るようになっている。そして今手配モンスターが出現している事もあって入り口には領主から派遣されている衛兵の姿が数名あった。どれも見たことのない顔だ。たぶん別の街から派遣されている衛兵たちなんだろう。

 

 俺が衛兵たちを見つけるように、向こうも俺を見つける。なので手を上げながら馬から降りて近づいて行く。

 

「ども」

 

 声を上げて挨拶すると、笑みでの頷きが帰ってきた。

 

「やあ……君、1人かい? 流石にこの先は1人で行くのは危ない。用事があるなら迂回するかキャラバンで移動した方が良い。ここは今危険なモンスターが出没しているからね」

 

 見た目だけなら少女。それも美少女。筋肉だってついているようには見えない。そりゃあ見かけたら忠告するのは当然か、と思いながら事前に用意していた言葉を浮かべる。

 

「あ、俺ギルドからワータイガーの討伐に来たもんなんで。見た目はこれですけど魔族なんで大丈夫ですよ」

 

「魔族か。それなら見た目にはよらないか」

 

「はい、これ懸賞金受け取れるように作ったばかりの奴ですけど」

 

 バッグからカードを取り出して冒険者の身分を証明すると、不承不承という様子で衛兵が頭を頷かせた。そうすると数歩下がりながら他の仲間たちと軽く相談するように視線を合わせ、此方へと視線を戻してくる。その手の中には何か、玉の様な物が握られている。

 

「一応、だけどこれを君に渡しておくよ。これは信号用煙幕、それが街道内で上がれば一番近くの仲間が君を即座に助けに行くから」

 

「あざっす、貰っておきます」

 

 煙幕を受け取り、それをバッグに突っ込む。まあ、心配はされているけど俺の鱗を突破できる程の強さはないと思うんだよな。根本的にこの鱗を突破するのに“金属”では不十分というか、生物としての格が足りない。だからワータイガーを相手に心配する様な事はない。これはたぶん、一方的な狩りになるだろうな、と思っている。

 

「良いかい? ワータイガーの奴は狡猾だ。奴は行動パターンを絶対に絞らせて来ないんだ」

 

「パターンを絞らせない? ギルドで確認した時は少数の時に出現するって事でしたけど」

 

「それは少し前までの話だね。最近はキャラバンで移動してても被害が出るようになったよ」

 

「マジっすか。ちょっと話、聞いても良いですか」

 

 その言葉に衛兵は頷いた。話をしていない他の衛兵たちは街道の入り口をハルバードや剣、盾を手に警戒している様子だった。常にだれかしらがガードに入らないと駄目な状況になりつつあるのだろうか? 衛兵は此方に視線を合わせると話を続けてくる。

 

「あのワータイガーは異様に頭が良いんだ。最初ははぐれている人や少数の旅人を襲っていたんだ。だけど奴は段々と人を殺し、食うたびに知恵を付けて行った。そして最近ではキャラバンや集団の中で弱そうな奴を選別して殺すようになってきたんだ」

 

 そう言うと衛兵は振り返り、森を指さす。

 

「ほら、あの森って木が大きく、葉も多いだろう? だから昼でもかなり中は暗いんだ。その為に外灯があるんだけど……ワータイガーの奴はその範囲外から潜んで獲物を狙い、視認できる範囲外から一気に奇襲してくるんだ。実は仲間が既に数人やられている」

 

「聞いてた話よりも面倒になってますね」

 

「だろう?」

 

 振り返った衛兵は肩を振る。

 

「森のどこかに巣があるんだろうけど正直な話、大規模な討伐隊を組みでもしない限り見つかりそうもなくてね。あの森自体がモンスターの巣でもあるから探索しに踏み込むのも中々難しくて」

 

 外灯がある範囲と街道だけなら安全確保は楽だ。だが森の中はモンスターの国だと言える様な環境になっているのだ、流石にそこで隠れる事を覚えた狡猾な賞金首を探すのは骨が折れるだろう。やるとしたら森を焼くか、大規模な討伐隊を編成して徹底してやるか……段々と冒険者で処理出来る範囲から逸脱してきている感じはする。

 

「ともかく、被害が出る度に少しずつ奴も成長しているみたいだ。君もそれが解ったら危ないから挑戦するのは止めた方が良い」

 

「と、言われましてもねー」

 

 やれやれポーズを取ってしまう。お金は必要なのだ。そして俺は奴に勝てるだけの自信はある。少なくともエリシア以下ならまあ、何とかなるだろうと思う。未だに自分の中で最強ランキング最上位は龍殺しがランクインしているが、未だにアレに匹敵する威圧感とか気配を感じたことはない。そんなものを森からは感じないし、まあ、行けるだろの精神は構えている。それに俺が一人でほっつき歩いていれば確実に襲ってくるだろうなあ、とは思っているし。

 

 俺、見た目だけならか弱いからな!

 

 とはいえ、衛兵が物凄い真面目に此方を心配してくるのは、ちょっとこそばゆい。この人も職務に真面目に取り組んでいるんだろうなあ、と真剣に俺を説得する事を考えている姿を見て、

 

 ―――迷わず鎧を掴んで引っ張った。

 

「おぁ!?」

 

 間抜けな声が衛兵の口から漏れるのと同時に、ほんのコンマ5秒前まで頭があった空間を、鋭い爪が振り抜いて行った。それはまさしく衛兵が説得しようと考えた瞬間、俺へと意識を集中させた瞬間、周りへの気配を察知できない意識の隙間に滑り込まれた一撃だった。狩猟者の一撃。神速とも言える一撃は赤い体毛に覆われた、巨木を思わせる様な剛腕から放たれたものだった。

 

 だがこれで終わりじゃないな、というのは超直感的に捉えていた。だから衛兵を引っ張ったアクションをそのまま後ろへと向かって流す。衛兵を一回転させるように後ろへと放りながら目の前で発生する追撃を拳で迎撃する。呼吸する間もなく、魔力を練り込む時間がない。

 

 だが純粋な筋力だけで剛腕ともやり合える。右手は衛兵を逃がす為に押し出して、だから左半身を前に出すように左手を上げ、防御するように左腕を盾にした。剛腕の衝撃を逃がす為に足元を固定し、体を破壊力が突き抜けて行く。

 

 その衝撃に足元が砕け、パーカーのフードと裾が後ろへと向かってなびいて行く。だがその一撃、硬直を発生させるものによって漸く襲撃者の姿が視認出来た。

 

 それは赤い、血の様に赤い色の毛皮を全身に纏った虎人間だった。虎人がケモ度2~3に対してこいつは4~5といった所だろう。虎人の様に服を着る事もなく、全身を惜しげもなく晒し、そして防具を必要としない強固な毛皮によって肉体を守られている。その瞳はぎろり、と視線だけで人を殺せそうな程に強く、鋭い。

 

 だが攻撃は受け止めた。衛兵も守れた。均衡は一瞬。

 

 深呼吸を差し込んだ。

 

 取り込んだエーテルを魔力へと変換しながら踏み込む。左腕を押し込む様にワータイガーを押し出そうとし、その姿が後ろへと向かって跳躍した。右手の中に結晶大剣を生み出しながら追撃する為に此方も追う。

 

「ぐるるる……」

 

 ワータイガーは奇襲が失敗すると察知するや否や、警戒しながらも反応する事に失敗した衛兵たちに一歩踏み込んだ。一瞬でターゲットを殺せる方へと向けたワータイガーの悪辣さに舌打ちしながら飛び込む様に衛兵の方へと向かって大地を蹴り、次の瞬間には自分の行動の失敗を悟った。

 

 ()()()()()()()()()()だ。

 

 踏み込みは重く見せかけた軽いもので、その体は一瞬でバネが跳ね跳ぶように森へと向かって地面を滑った。失敗を悟った瞬間には滑空するように衛兵たちの前へと向かって飛び込むのをキャンセルする為に大剣を地面に突き刺して体を急静止させ、

 

 その姿勢のまま二律背反・白を大量に結晶に纏わせた。

 

 その時ワータイガーが大地へと一度着地し、その腕を大地に突っ込んで岩盤を引き抜く様にひっくり返した。壁が存在しないのであれば生み出せば良いと言わんばかりに生み出された大地のプレートを前に、

 

「大斬撃・白」

 

 体はブレーキをかける為に浮いたまま、大地に大剣を突き刺した状態で体を回転するように捻って斬撃を放つ。

 

 二律背反・白を利用した必殺斬撃。対多数用のリーチと範囲を広げた2()()()()()()()()()1()()。白を刀身に纏い、斬撃そのものを延長させるように空間を薙ぎ払い、浄化に特化した白の魔力で浄化、分解斬撃を放つ。魔力の性質上、斬撃と浄化の特性そのままに相手の防御力を無視するので物質が受けた時点で分解、切断される。その軌跡はさながら光る雪の粒子の様にさえ見えるだろう。

 

 だが角度が悪い。

 

 体を無理矢理止める為に地面に突き刺した動きが始動だった事、そしてワータイガーがご丁寧に遮蔽物を用意してくれた事実。それが必殺の瞬間を奪い去った。遮蔽物であるプレートを真っ二つに粉砕しながら着地するが、手ごたえが無さすぎる。完全に着地した状態で放てば殺せるだけの自信はあったのだが、プレートを両断した先に見えるのは森の奥へと去って行く赤い残像だけだった。

 

「ありゃあ警戒されたかな、俺……」

 

 軽く舌打ちする。いきなりで会えたのはラッキーだったが、こんな風に逃げられるのはちょっと嫌な感じがするな。あのワータイガーが効率的な狩猟を学習する程賢い個体だというのなら今、俺が危険だと覚えた奴は絶対に俺の前には出てこようとしないだろう。

 

 つまり今を逃せば限りなく狩り辛くなる。今なら森の中へと突っ込めば焦って逃げるワータイガーの足跡や痕跡を探して追跡できるだろうし、俺の感覚を頼りに追跡する事だって可能だ。このタイミングを逃せば恐らく次回なんてやってこない。

 

 となると選択肢は一つしかない。

 

 ワータイガー追跡戦、開始だ。




 感想評価、ありがとうございます。

 喰らえ! これはSionさんから頂いた3人娘の理性担当!
 
【挿絵表示】

 まだ幼い3人娘がこれで揃いましたね。全員分描いて貰って本当にSionさんには頭が上がらない。改めて感謝を。

 ダクファン君、インターセプトされて中々活躍できなくて可哀そう。


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ワータイガー Ⅱ

 迷わずワータイガーを追う。その為にスプリントをかけようとして、

 

「花畑だ! 花畑は地雷原だ! 近づいちゃ駄目だ!」

 

「―――サンキュ!」

 

 背に声を受けて、それを追い風代わりに疾走する。生成した大剣を後ろへと向かって流すように、左手をパーカーのポケットに突っ込んで前傾姿勢になる。何時でも大剣を振り回せるようにしながらも突撃する為の姿勢。それで一気に大地を蹴って森の中へと突っ込む。軽く踏み込んだだけでも光が届かず暗くなるが、更に奥へと踏み込めば踏み込むほど暗く、視界が悪くなってくる。鬱蒼と茂る木々の影響で酸素が濃く、空気が重く感じる。それでも酸素に溺れる程じゃないし、この程度の変化に影響を受ける体でもない。

 

「ちっ、結構距離を稼がれたな」

 

 初動が遅れたのが痛いな、と思いながらも駆ける。木々が邪魔になって移動し辛いし、足元には木の根と蔦が張り巡らされている。だが周囲を威圧するように魔力を纏っていれば、それだけで危機感に敏感なモンスターは俺を回避する。誰だって龍の逆鱗を踏み抜きたくはない、当然の理屈だ。だからあらゆる生命は俺から離れ、逃れようとする。だがその中にワータイガーの痕跡を見つける。

 

 折れた枝、削れた幹、跳躍で抉れた大地。ワータイガーが焦って俺から逃亡している事を証明する足跡だ。森の歩き方、走り方、判断の仕方等のスカウトレンジャー技能をエドワードは仕事のついでに俺に仕込んでくれた。そのおかげで森の中であれ、平地と変わらぬスペックで移動する事が出来る。多少足が蔦に引っかかろうが、それはちぎって進めば良いのだ。何も気にする必要はない。

 

 真っすぐ、ワータイガーを追跡する。距離はそれなりにある。だが龍としての知覚と感覚がしっかりとその存在を捉えている。

 

「逃げても無駄だ」

 

 既にどこに向かっているかは知覚出来ている。走るだけ無駄だと威圧し、ワータイガーの咆哮が森に響く。鼓膜を揺らす様な声は威圧感と共に森をざわめかせ、その中で眠っていた者達を無理矢理活性化させる。静かにワータイガーのやった事に対して舌打ちをしながら、自分とワータイガーの進路、

 

 その正面に虫型のモンスターが立ちふさがるように出現するのが見えた。

 

「邪魔」

 

 足を止めない。すれ違いざまに一撃で叩きつぶした。減速する事もなく滅す。だが襲い掛かってくるのは一匹だけじゃない。無数に周囲から耳障りな羽音を響かせながら虫たちがやってくる。一体何がどうしてかは解らないが、ワータイガーとの間に共生関係か、或いは支配が成立しているのだろう。ワータイガーへの進路を妨害するように様々な昆虫たちが湧き上がってくる。

 

 だが所詮は虫だ。

 

 龍の相手じゃない。

 

 飛翔するものは一撃で滅する。

 

 地に伏すものは踏みつぶす。

 

 正面に立つものはそのまま弾きつぶした。

 

 毒なんてものは通じない。粘着の糸で止まる肉体じゃない。汚物? 浄化して結晶化すれば意味がない。この体は攻撃が通じない相手に対しては滅法強く、反則的といえるレベルで無敵に近い。故に昆虫程度が現れても、それは鬱陶しい以外の感情を生み出さず、結果を得る事がない。出没する雑魚どもでは時間稼ぎする事すらできない。

 

 故に虫の包囲網を正面から粉砕して突破し、ワータイガーの背中を捉えた。

 

「龍の時間だ」

 

 地面を蹴って跳躍し、木を足場にして更に加速するように跳躍する。三次元的な動きもこなせる事がこの身体能力の高い体の利点だ。決して地面だけに俺の脚を囚われる必要はないだろう。自由に動けるなら自由に動いた方が100倍効率が良い。だからシンプルにそうする。それだけの能力があるから。

 

 ワータイガーの背面に向かって突撃し斬撃を繰り出す。それを察知していたワータイガーは跳躍しながら枝に逆さまに張り付き、そのしなりを使って戻ってくる。合わせて振るう斬撃を素早く戻して対応する。大剣の斬撃とワータイガーの蹴撃が衝突し、ワータイガーの姿を弾く。その足は今の一撃で浄化を僅かに受けて煙を上げているが致命傷には程遠い。一回転しながら着地するワータイガーは姿勢を低く構えながら四肢を大地に付け、低い声で睨みながら唸っている。

 

「流石に即死攻撃は抵抗(レジスト)されるか」

 

 接触から即座に即死させられるルートは無理そうだ。生物としての位階が高くなると干渉系能力や魔法に対する抵抗値が上がる。つまり俺の魔力も、俺自身が未熟であるという理由で抵抗もされているだろうが、ワータイガー自身が己の魔力を使って俺の魔力浸透を阻止している。これが出来ない相手なら即死させられるが今回はそうじゃない。

 

 面倒だ。

 

 ぶった斬って始末する。そっちのがこいつは早い。

 

 迷う事無く正面から切り込む。此方も前傾姿勢の突撃姿勢で踏み込みと同時に斬撃を放つ。黒と白の入り混じった顎の残像を生み出しながらワータイガーの肌を裂く為に行動する。素早く致命傷を判断するワータイガーは決してそれを受けようとせず、腕を使って斬撃を受け流そうとし、

 

 その毛皮を裂いた。

 

 血の線を描きながらワータイガーの姿が後退する。斬れたのは薄皮一枚程度の肌だ。だが毛皮が熱したナイフでバターを裂く様に切れた。それを瞬時に感じ取ったワータイガーが致命傷を避けるために受けては流すという形で斬撃を滑らせた。

 

 上手い。

 

 だがエリシア程ではない。

 

 あの人なら薄肌も切らせる事無く斬撃を滑らせられる技量がある―――つまりそれと比較し、相手が自分の経験よりも劣る相手であると認定して、圧倒する。踏み込み、斬撃、乱撃。攻撃の圧力を踏み込みながら放ち続ける。一撃、二撃、三撃。攻撃を繰り出すたびにワータイガーが逃げるように下がり、その毛皮に切り傷が増えて行く。

 

 それでもワータイガーは死なない。その脳と体のリソース全てを回避し、生存する事へと今は全部集中させているからだ。絶対に死なない、死にたくない。その意思がワータイガーからありありと溢れだしている。

 

 だから問答無用で追撃する。斬撃から刺突、そして大剣で殴り飛ばす。素早く攻撃の質を切り替える事で対応をし辛くし、攻撃パターンを外して相手の対応のミスを誘う。回避動作に入っていたワータイガーの反応を上回って胴体に打撃を叩き込んで吹き飛ばす。木々を数本破砕しながら吹き飛んだワータイガーは一回大地にバウンドしてから体を起き上がらせ、一目散に逃亡する。

 

「逃がすか」

 

 走り出すワータイガーの後を地を蹴って追う。その背中姿を即座に捉えて結晶剣に白を纏う。そのままワータイガーを両断するべく構えた技は直後、横から飛んできた一撃を回避しながら放ったため、見当違いの所へと飛んで行く。森の木々をなぎ倒す斬撃を放ちながら大地に転がり、視線を横へと向ける。

 

 視界の中で、枝がゆっくりとしなるように力を込めるのが見えた。

 

「成程……成程?」

 

 限界までしなった枝が加速を得て射出された。それこそ剣の様な鋭さを持つ、人体を両断出来るレベルの斬撃の枝。それが一直線に此方へと向かって放たれる。それを回避や防御する訳でもなく、此方も斬撃によってマッチングする―――そう、俺に防御や回避なんてものは必要がない。他の生物全てを凌駕する能力があるのだ。正面から打ち合った方が遥かに強い。

 

 だから袈裟斬りで枝を両断しつつ、その奥にあった本体―――即ち巨木の姿も両断する。苦悶に満ちた震えと怨嗟の音を響かせながら裂かれた巨木の幹から血の代わりの蜜が溢れ出す。

 

 それに呼び寄せられるように周辺の木々が動き出す。

 

 周囲を見渡せば木、木、木。全てが木々で、顔に見える様な模様や傷跡があったりなかったりする。ただ共通するのはどの木も己の意思で動き出している事であり、そして縄張りの侵入者に対して実力差関係なく敵意を抱いているという事だった。己を脅かす存在を群れで戦い、追い払う。その意思が見えた。花畑じゃなくても地雷だったんじゃん、と溜息を吐く。いや、そもそも普通の人じゃ木々をなぎ倒しながら戦闘なんてしないか。

 

「トレントの巣窟かあー」

 

 そりゃあ魔境だわ。誰だってこんな所へワータイガー探しに来ないわ。はあ、と溜息をもう一度吐き捨てながら大剣を肩に担ぐ。くんくんと空気を軽く嗅いでみる。腐臭と甘ったるい蜜の香り、その中にワータイガーの血の匂いが確かに混じっている。斬撃を与えた事で傷口に黒を付着させているからそれもマーキング代わりになっている。

 

 どこへ逃げようとも、自分の魔力の反応を追えば追い詰められる。恐らくは流れからして俺にモンスターを押し付けて巣に戻る形だろう―――えげつねぇ。

 

 俺以外が相手だったら詰みだろう。俺の場合? まあ、服をぼろぼろにしないようにする事が一番かな。

 

 と、足元を這っていたトレントの木の根が足に絡みついてくる。そのまま体を這い上がろうとする木の根を蹴り飛ばして粉砕し、触手プレイを断固拒否する。そのまま木の根の主のトレントを大剣の殴打でウッドチップに加工し処理する。だが今ので一体処理しただけだ。周りを見れば無限にいるんじゃないか? と言わんばかりに気配を感じる。或いはトレントの蜜の匂いに誘われて虫型モンスターがやって来たか。

 

 何にしろ、全部破壊すれば結果は一緒だ。

 

 正面に突貫するようにトレントに突進し、その勢いで粉砕しながら蹴り飛ばして貫通、反対側のトレントを斬撃処理、振り返りながら背面を取ろうとしていた連中を纏めて大斬撃・白で薙ぎ倒す。少なくとも相当高濃度の魔力を持っている存在でなければ触れた瞬間で即死が確定する斬撃だ。勢いも生命力もあるが、特別でもなんでもないモンスターで耐えられる事はない。

 

 足元から迫ってくる蔦や木の根、触手を踏みつぶして処理、手身近なトレントを斬撃で解体し、そのまま刺突を繰り出して破片を散弾の様に細かい雑魚に叩きつける。それで足が止まった所を薙ぎ払って追撃。足を止める事無く加速して突進する。ピンボールの様にトレントからトレントへと連続で移動を繰り返し、斬撃を繰り出して処理しながらワータイガーの方へ移動を再開する。

 

 こいつらの相手をしていればしているだけキリがない。

 

 だというのにトレントを振り切ってワータイガーの気配と匂いを追跡して疾走した先―――出現したのは広い花畑の存在だった。

 

 点々と続く血の跡はワータイガーが受けた傷を証明し、追跡ルートが正しい事を証明する。

 

「マジで賢いんだな、流石人食いトラ」

 

 ここまで連続でトラップゾーンに引き込まれると笑うしかなかった。ギルドでの賞金首の討伐、それがパーティ単位で推奨されてソロが自殺宣言だと言われる理由が良く解った。人間がやる様な苦行じゃねぇもんこれ。明らかに殺人的難易度の高さだし、それぞれの専門分野を複数用意した上で行う挑戦だわ。

 

 スカウトレンジャーで追跡と森の歩き方を、回復と解毒の出来る薬師とヒーラーを、戦闘用の人員に……と考えると必要な人数は増えるし、その分報酬も頭割りで安くなる。

 

 そう考えるとワータイガーの懸賞金も実はかなり安い類なのかもしれない。

 

 まあ、俺は最強なのでソロでやるが?

 

「どんとこい魔境!」

 

 口にしながら駆けこむ様に一気に花畑に踏み込む。次の瞬間感じたのは脳を揺さぶりにかかる濃い甘い匂いだ。龍としての肉体が一瞬の時間も与えずに影響をシャットアウトするが、普通の人間が吸い込めばどうなるか解ったもんじゃない―――恐らく匂いからすると催淫か催眠の類だとは思う。細かい判別はつかないが恐らくはそのあたりだろう。

 

 そしてそれが通じないと発覚するや否や、花畑の大地が轟いた。

 

 花畑から花を纏った怪物が、花そのものが動き出し、花に寄生されたモンスターの姿が溢れ出す。そう、溢れ出すという表現しか当てはまらないだろう。地雷原という言葉も正しいだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

 毒、麻痺、催淫、睡眠、入り混じったガスが花畑を満たす。神経だけではなく脳味噌さえも狂わせる地雷原たる所以、それが一斉にモンスターの動きと共に襲い掛かってくる。

 

 知るか、死ね。

 

 その意思を剣に乗せて斬撃を薙ぎ払った。正面を白い斬撃が二閃、三閃、四閃、広域斬撃として重ねるように放たれる。本来であれば呼吸もままならない環境、魔力を豪快に使用する事は出来ない筈。だがその理屈は通じず、魔力を圧縮して放つ必殺技の片割れが花畑の怪物どもを薙ぎ払い、

 

 醜悪な悲鳴と共に花弁を散らす。

 

 点々と続く筈のワータイガーの血の痕跡はもう見えない。

 

 だがまだ、龍の感覚は逃亡者の存在を完全に捉えていた。奴は確かにこの花畑を抜けた。或いはルールがあったのかもしれない。興味はない。

 

 龍には龍らしい戦い方が、振舞い方がある。人前では決して出来ないそれを、今は、一切の躊躇なく、全開で披露する。

 

 今は龍の時間なのだから。




 感想評価、ありがとうございます。

 Q.どうして森の探索しないんですか?
 A.コスパ最悪だから。

 辺境の手の付けていない環境、あまり触れられない環境はこんな風に魔境化しているので開拓する時は大規模な開発を集中的に行ってこういうモンスターの大量処理を行う。トール街道横の森街道にまでモンスターが出て来ないから後回しにされてたけどワータイガー君登場で大いに荒れた。

 恐らくワータイガー君、討伐の為に森へ入り込むと森とその環境対策、ガイド出来る人を雇うお金、そしてその準備で赤字になる。


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ワータイガー Ⅲ

 斬る。

 

 突く。

 

 叩く。

 

 武芸の奥義はここに集約されるとエリシアは教えてくれた。攻撃を行う時、その種類は三種類に分けられる。つまり斬撃、打撃、刺突だ。全ての動きはここに集約されるから極めるならこの三種類の攻撃動作を極めれば良い、と。本当に強い達人と呼ばれる連中は大魔法が使えるとか、凄まじい攻撃技を備えているとか、そういう事じゃない。連中は人より早く反応し、人よりも鋭い攻撃を行い、確実に殺せる攻撃を確実に通す。繊細で完全にコントロールされた力と技術を持っているのだと言う。

 

 果たして核爆弾が1つの鎧を粉砕するのに必要か? 答えは簡単で否、となるだろう。核爆弾なんて無駄な火力を必要としない。達人であれば斬鉄の奥義を習得すればそれで十分すぎる。山を砕く力も、都市を亡ぼす火力も、全ては無用だ。たった一振りの斬撃で結果が出せるのならそれで十分すぎるのだから。

 

 だからエリシアは俺にそれを求めた。斬撃、打撃、刺突。その三動作をひたすら練習させる。それを唯一の武器でひたすら習熟させる。それ以外には遠距離と集団に対する攻撃手段と、強力な相手を確実に屠る為の技、それだけを求めた。

 

 何故かと言われればとてもシンプルな理由で―――俺に、細かい技は必要ないからだ。

 

 たとえば今、この花畑。

 

 俺の正面には鎧の姿がある。穴という穴から花が生え、触手の様な根が鎧の全身を這う。その中には骨が入っており、生前が誰だったかは判別が出来ない。その代わりにアンデッド化した鎧とスケルトンが更に花形モンスターに寄生された事で融合した様な生物に変化している。鎧に本体を守られているから簡単に焼く事は出来ないし、根を除去しようにも鎧を纏っているから鎧を処理しないとどうしようもない。単体で出現したとしても相当厄介な部類だと解るだろう。

 

 こいつを処理する方法を考えようとすれば、範囲の広い炎魔法で中を満たすように燃やすか、あるいは風の乱気流を生み出して呑み込む、達人であれば鉄を裂く奥義で鎧諸共中身を処理すれば良いだろう。だがどれでもそれなりのリソースと手間が必要だ。体力の消費だってするだろう。相手をする上で環境と合わせて面倒な相手だと言える。

 

 じゃあ俺は? そこまでの手間は必要か?

 

 剣を振り下ろす―――斬撃。

 

 大層な奥義も技もなく、刃筋がちゃんと立つようにコントロールして振り下ろす。それだけで刃が鎧に食い込み、ティッシュを引き裂く様に鎧を両断する。接触断面から結晶剣の蝕みが付与され、根が一瞬で侵食される。両断した鎧の間を駆け抜けるように前へと進めば、背後で結晶化したモンスターが砕け散って終わりを迎える。

 

 そう、俺にはいらない。

 

 黒で勝手に死体処理が出来る。剣に纏っている白で防御は割れる。後は超人的な身体能力で攻撃のエネルギーが空回らないようにしっかりと攻撃を叩き込む。それだけで処理は完了するからだ。細かい技術を身に着けるという事は繊細なコントロールを要求するという事だ。そしてそれは少なからず、100%の力では行えない。わざわざ力を落として技を放つぐらいであれば、俺は常に100%の力を発揮できる戦い方をすべきだ。それが最も効率的だ、最も強い戦い方。身体スペックというこの世界の誰もが手に入れられない頂点、それを有しているのだ。

 

 それを存分に振り回してこその龍の戦い方だ。

 

 だから俺が戦闘中に取る動作は斬る、叩く、突く、薙ぐ、破壊、そして突破。自分の攻撃コマンドは極限までシンプルに、頭を悩ませる必要のない範囲に狭める。状況と敵に対してどの攻撃手段を取れば良いのかを事前に頭にインプットする。後は状況を管理する脳味噌と、それに反応する体と、確実に攻撃を通すだけの技量を永遠に鍛えれば良い。

 

 それで俺は最強にたどり着ける。

 

 だから花畑が地雷原で、大量の花型寄生モンスターで溢れようと関係はない。やる事は変わらず、正面突破だけだ。種族値の暴力とでも言いたくなるスペックとエリシアとエドワードに培われた戦闘経験、俺が決して無敵ではないという意識、そしてここまで積み上げてきた経験と技量。それを備えて花畑を一気に突破する為に加速する。

 

 加速する。

 

 加速し続ける。

 

 まともに相手をする必要はない。結晶大剣を消して両手をポケットに突っ込み、余裕すら見せながら前傾姿勢で一気に加速する。ウェイトを消した事で更に加速しながら花畑、その足元を吹き飛ばす様な脚力と加速力で一気に前へと飛び出す。更に荒れる足元に怒り狂う花畑の住人共が後ろから続々と出現する。

 

「モンスターハウスだってここまで酷くないぞ……バランス調整狂ってないかこれ?」

 

 触手、蔦、根、ガス、飛ばされる種子―――触れてしまえば対策なしだと即座に詰みへと持っていくような攻撃の数々が此方へと向けられてくる。そもそも空間に充満しているガスでさえ致命傷を引き起こす様なものだ。それをガスマスクもゴーグルもなしに疾走している時点でおかしいのかもしれない。だがその攻撃の全ては俺の加速力の前には空を切る。放たれても既に前へと飛び出している。後ろへと向かって空ぶるだけで絶対に届く事はない。速度に任せたスプリントに集中すればそもそも俺に追いつけすらしない。

 

 それでも行く手を塞ごうと正面にモンスターが出現する。

 

 そいつらは手を出す事もなく、白を纏って突進すれば消し飛ぶ。

 

 加速―――或いは過剰速度とさえ言える速度は完全にモンスター達の理外の領域へ突入している。足元に出現する食虫植物にも似た形状にモンスターは大きく開けて待ち構えていた口を閉じようとして、閉じ始める前に踏み抜いて、通り過ぎてから死が追い付く。

 

「おぉっと悪い、何か踏んだか? 来世ではもうちょっと環境にやさしい生まれ方をしてくれ」

 

 軽いジョークを挟むだけの余裕さえもある。人にとっての過酷すぎる環境は、俺にとってはそこまで過酷でもない。普通に踏破出来る道でしかなかった。とはいえ、これを地雷原と評価する人間も解る。そう考えながら加速した突進で正面の敵を全て薙ぎ払い、一気に花畑を抜けた。再び花の大地から腐葉土で溢れる土の大地に踏み込んでも花畑の怒りは収まらず、此方へと向かって蔦や胞子が飛んでくる。

 

「いいから諦めておけ」

 

 振り返りながら手の中に再び結晶大剣を生み出し、薙ぎ払うように大斬撃・白を放つ。ただし今度は斬撃ではなく、汚く放つ事で攻撃の線をわざと崩す―――つまり斬撃ではなく打撃として攻撃を繰り出した。この方が攻撃時の面制圧力が上がる。斬撃では発生しない風圧も発生する為、集団を制圧するならこっちのが突破力が薄くても便利な部分がある。

 

 故に打撃化した白い薙ぎを放ち、空間を殴打して追いついてくる花を処理し、空間を生み出す。

 

「この世で一番絶対にピクニックに来たくない場所だったわ。じゃあな」

 

 薙ぎ払って出来た空白に流れ込んでくる姿を無視してワータイガーの痕跡を探し、自分が付着させた結晶と魔力の気配が森の奥へと続いているのを把握する。もう二度とあの花畑は通らないぞ、と自分の中で決めながらワータイガーへと追いつくために駆け出す。

 

 花畑を超えた所で環境は再び普通の森……の様に見える空間で落ち着いた。ある程度進めば花畑のモンスター達も俺の姿を見失ったのか追いかけてくる事はなくなった。漸く落ち着けると、軽く足を止めながらくんくんと自分のパーカーや服を嗅いでみる。

 

「げ、匂いが移ってる……これで良し」

 

 浄化の魔力を服に纏わせ浸透させ、臭気等のデバフを解除する。エドワードに言われて初めて気づいたことだが、俺が始めて魔力を使った時、本当にコントロールできてないのなら服さえも結晶化と浄化でぼろぼろになっていた筈なのだ。そうしていないって事はあの時点でコントロールが無意識的に出来ていたという話だ。言われてみればそうなんだよなあ……ってなる話だ。お蔭で今はこうやって便利に使えるんだが。

 

「さーて、人食いトラはどっこっかっな」

 

 ワータイガーの痕跡はまだ続いている。薄暗い森の足元を確認してみれば血の跡が点々と続いている。やはりダメージからはそう簡単に回復出来ないらしい。焦る必要もなくなったので歩きながら森の中を進む。モンスター達の気配は割と周囲からするが、花畑を突破した俺の存在に恐れているのか近づいてくるような様子はない。面倒が省けて助かりはするんだが、ちょっと納得が行かない。

 

「……ん? 水の音?」

 

 ワータイガーを追っていると段々と水の音がしてくる。追跡方向と一致する為、水の音へと向かって歩けばほどなくして森の中がまた開ける。木々が生えずに空からの光が差し込んでくるため、きらきらと水面が光る川の姿が見えた。

 

「おぉ、綺麗じゃん」

 

 薄暗い森の中を抜ける光る川。周りが薄暗いだけに余計に明るく見える川はまるで光の道の様にさえ見える。ここまでくると滅多な事で人が入って来れる環境ではないだろう。あの花畑がどういう形で広がっているかは解らないが、あの花畑を超えて来なくちゃいけないのであればほぼ人の手が入らない領域だろう。水面は透き通っていて、水は濁りががない。その中では魚たちが悠々と泳いでいるのが見える。どこかで見覚えのある魚は前に晩御飯として食卓に出た奴だろうか? 何尾か確保しておけば今夜の夕飯を豪華にする事が出来そうだ。

 

「結晶化してバッグに突っ込めば良いな」

 

 結晶化している間は腐らないし。素早く川の中を泳ぐ魚を何尾か素手で捕まえると結晶でその姿を覆い、即死させる。肉体を結晶化させないように気を付けつつコーティングを終わらせたらディメンションバッグの中へと突っ込む。生きている生物は無理だが、こうやって死んでいる状態ならバッグの中に詰め込む事も出来る。とりあえず5尾程捕まえておけば良いだろう。

 

 たぶん川の横に生えるあの草も割と特徴的だから何らかの薬草か力のある植物なのだろうが……そこまで勉強している訳でもないので、効能が良く解らない。とりあえず金になるかもしれないと、軽く採取してバッグに突っ込んでおく。

 

 これぐらいで良いだろう。

 

 森から続いているワータイガーの血の跡は川に入っている。そのまま反対側へと抜けず、川の中を泳いで進んだらしく血の跡はここで途切れている。

 

 だが水底を確認すれば、折れた木の枝や、足跡の形に乱された砂利が見える。流石に追跡の隠蔽手段までは持ち合わせていない様だ。とはいえ、水の中に入って匂いと血を消す事が出来るというのはそれだけでも驚異的だが。確かにここまで賢いのなら中々捕まえられないのも解る。

 

「ま、無駄だけどな」

 

 俺が追っているのはワータイガーに付着している俺の魔力だ。つまり俺の魔力を落とさない限りは絶対に追跡が出来る。水に入った程度では落ちる筈もない。だからワータイガーが川の中に入り移動したのはちゃんと把握できている。

 

 バッグの中からコンパスを取り出し、川の流れる方角を確認する。

 

「逃げたのは東の方か……結構奥の方に巣を張ってるのかアイツ?」

 

 流石に川の中を歩くのは嫌なので川沿いに歩く。

 

 両手をポケットに突っ込んで歩けばここら辺にはモンスターが寄り付かないのを感じる。川に何かあるのか? 水場というのは何かと生き物が集まりやすい場所だと思っていたが、ここだけ森の全体と比べるとえらく静かに感じる。

 

 そんな事を考えながら川沿いに歩き続ける。あまりにも時間がかかるようであれば今夜は野宿になってしまうが―――そこまでの心配は必要ではなかったらしい。

 

 1時間ほど川沿いに東進し続けると、やがて川が1回滝壺という形で途切れるのが見えた。円形に広がる滝壺の頂上がそれなりに高い崖になっており、その向こう側にはまだ森が広がっている。だがワータイガーの反応はその頂上ではなく、滝の裏へと続いている。滝壺を回避するように裏へと回り込めば、滝の裏側に洞窟が広がっているのが見える。

 

「ビンゴ、ここが巣だな」

 

 結晶大剣を肩に担ぎ、ふぅ、と息を吐く。洞窟の入口に立ち、軽く目を閉じて神経を洞窟の奥へと向ける。その中に隠れている気配を察知する為に意識を巡らす。感じ取れるのはワータイガーの気配の他に……小さな気配が複数。蝙蝠か鼠でもいるのか、と考えたがワータイガーの巣だとすれば違うだろう。というか巣なのだから考えてみれば当然だ。

 

「子供か……」

 

 人食いトラの子供、それが巣の中で育っているのだ。

 

 放置していればその内、その子供達も人の肉を求めて街へと飛び出すかもしれない。親同様、始末しないとならない。そう判断して洞窟へと踏み出す。

 

 もう、ワータイガーに逃げ場はない。




 感想評価、ありがとうございます。

 当然繁殖で増えるモンスターなので放置してれば子供を作ってそれもまた人の血を覚えて育てられるから将来、人食いトラになる。こうやって環境は崩壊するんだなぁ、って。


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ワータイガー Ⅳ

 剣を肩に担ぎながら洞窟に踏み込む―――感じるのは血と獣の匂いだ。

 

 縄張りとしての主張か、或いはここに住んでいるか。臭気がだいぶ籠っているようにさえ感じられた。強烈な臭いというのはそれだけで精神と脳を疲弊させるものだ。あまり長居したくはない場所だと思いながらも暗闇に支配されていない滝裏の洞窟に踏み入る。

 

 光を放つ苔らしきものが洞窟の壁面や足元には生えており、それが光源としてほのかに洞窟を照らしていた。少なくとも完全な闇が支配しているという事はなさそうだ。こつこつこつ、響く足音が俺の到来を奥へと告げ、その反響音洞窟がどのくらいの深さかを知らせてくれる。

 

 洞窟自体はそう大きくないようだ。入口から入ると道が続き、その先が広間へと繋がっている。

 

 そこで待ち受けるように赤いワータイガーの姿があった。もはや逃げ場はない。広間の奥へと続く通路の前に陣取るように立つワータイガーは異様な気炎を纏っていた。或いは不退転の覚悟、そうとも呼べる覚悟と気力の全てを今、ここで自分の体から引き出している。その理由は考える必要もないだろう。この先にあるものを守る為、ワータイガーは全力を超える力を出そうとしていた。それに対して俺がやる事は何も変わらず、広間の反対側で左手をポケットに突っ込んだまま、右手で刃を肩に担いだまま相手を見る。

 

「よお、年貢の納め時だぜ……まあ、そんな言葉こっちの世界にはないけどな」

 

「ぐるるるるぅ……!」

 

 此方の言葉に反応するようにワータイガーは低く唸る。その姿勢は此方を狙う為にやや前傾に体を倒し、全力でスプリントする為に膝を折って左半身を前に出している。それは、まるで武人が構えを取る様な姿勢を見せていた。恐らくはここまで重ねて来た戦闘、それに対して自分の動きを最適化してきているのだろう。やはりこいつは異様に賢い。放置していればそれだけ被害が増えるだろう。だから絶対に、ここで殺さなきゃならない。

 

 対するワータイガーも、俺が異常とも言えるレベルの強さを持ち、同時に凄まじく次元違いの存在である事を把握しているのだろう。その表情にはどことない苦悶が見て取れた。だが同時にその目は一切ブレることなく勝利へと向けて俺を睨んでいた。迷いはない様子で、逃げようとする気配もない。こいつはこれから命の全てを燃やし尽くして俺を殺しに来るだろう。

 

 或いは、それでこそ漸く俺の鱗を裂くだけの力が出るのかもしれない。

 

 俺も油断はしない。慢心もしない。俺の方が強いのは単純な純然たる事実だ。だがそれを理解した上で持てる力を発揮し、完全に殺す事だけを意識して動く。相手が全力を超えてくるのであればそれを踏みつぶす。そう、こいつにも守るものはあるんだろう。だが俺の目の前で人間を、人を襲ったのだ。衛兵を、俺を純粋に心配して止めようとしてくれた善き人を、だ。それだけで俺が戦うには十分すぎる。

 

「虎如きが……お前は逆鱗に触れたんだよ。触れちゃならない逆鱗に。虎如きが龍に勝てる道理があると思うか? ……祈れ。祈る間があるうちにな」

 

 言い回しが少々詩的だったかもしれない。だが言葉は通じた。挑発交じりの宣告に対してワータイガーが命を燃やすように魔力を引き出した。凄まじいまでの魔力の圧縮を一気に血管へと流し込み、心臓が止まる様な魔力の負荷をワータイガーは無理矢理抑え込んだ。疑似的に龍と同じだけの身体構造を再現し、全身が破裂しそうな姿が見えた。

 

 それにひるむはずもなく踏み出した。洞窟の地を蹴って一気に前へと飛び出す。同時に飛び出すワータイガーと正面からマッチする。振るう突きとワータイガーの爪の刺突、その先端がかみ合うように衝突し、ワータイガーの腕が大きく弾かれた。

 

 その機を逃さず、素早く大剣を踏み込みと合わせて突き込む―――黒い残像に混じる白い軌跡が龍の顎を模す。一直線に食い殺しにかかる顎が刺突に弾かれたワータイガーへと向けられ、その肉体へと届く前に後ろへと下がら―――ない。

 

 逆だ、ワータイガーが踏み込んだ。受ければダメージは必至。そうだと解っていながらも後ろへと絶対に進ませない。その意思だけで正面から刺突をワータイガーは受けた。そのまま脇腹からごっそりと肉が消し飛ぶように抉れ、内臓と肋骨が露出する。だがそれに構う事無くワータイガーの逆の手が此方の首へと向けて振るわれる。肉を切って骨を断つ、自分の命そのものと引き換えにした戦術。それが一撃だけワータイガーの一撃が首へと届く事を許そうとしていた。

 

 が、俺も馬鹿じゃない。体が頑丈だから、と受けてやる義理はどこにもない。

 

 突き出した剣をそのまま戻さず、斜め上へと斬り上げるように振るい、ワータイガーの攻撃が届く前に体の間に刃を残された腕に合わせて滑り込ませ、胴体を裂きながら腕を切り飛ばす。ワータイガーの渾身の一撃が不発に終わり、よろめく姿に追撃を入れる。

 

 横薙ぎの打撃を叩き入れれば腹から腸を零しながらワータイガーが吹き飛び、洞窟の壁へと叩きつけられる。腹から腸を、脇から肺を、片腕を欠損したワータイガーはそれでも体を震わせながら立ち上がろうとする。状況が状況なら感動的なお話として楽しめたかもしれないのだが、

 

 こいつは、

 

 害獣だ。

 

 大剣を掲げた。

 

「避ける必要はねぇよ、どこにいても当たるからな」

 

 ゆっくり振り下ろす動作に合わせてワータイガーが気力を振り絞って横に跳躍して逃げた。だが刃の振り下ろしと共に()()()()()()()()()()

 

 当然、ワータイガーは既に回避動作を成功させていた。横にズレ、斬撃の射線から外れている。それでも振り下ろされた刃は、空を切っているようで黒い線が―――蝕みの結晶が斬撃として刻まれるようにワータイガーの頭に突き刺さっていた。

 

 それは腕を振り下ろす動作に合わせてワータイガーを頭上から両断するように生えて行き、

 

「もう会う事もないだろうよ」

 

 振り抜いた。

 

「―――」

 

 言葉も、その死を認知する事もなく真っ二つになってワータイガーが絶命した。真っ二つに割れたワータイガーの体はその断面が結晶化しているだけで、心臓も脳も潰れている。何をどう足掻いても死亡している。その体はもう、二度と動く事もないだろう。奥へと進む前にワータイガーの死体へと近づき、脈と生命反応を一応チェックを入れて、完全な死亡を確認した。

 

「良し、これで討滅完了だな」

 

 漸く初めてのバウンティーハントが完了して、力を抜く為に深く息を吐き出した。しかし結果からすれば詰みまで4手、合計20秒に満たない時間だ。楽勝だったと言えば楽勝だったが、ワータイガーの気配はそれこそ一瞬の隙があればそこから逆転するだけの勢いはあった。とはいえ、結果は結果だ、これは絶対に変わらない事実でもある。ワータイガーは俺に一矢報いる事さえできない。それが全てだ。そしてこの戦いはそれで終わりだ。

 

「これで良し、と」

 

 ワータイガーの死体もディメンションバッグに収納できた。これで討伐の証拠は十分だろう。

 

 これで残されたタスクは、

 

「アレかぁ」

 

 頭を掻きながら洞窟の奥、ワータイガーが必死に守っていた場所の奥を見た。僅かに狭まる入口からは奥の空間へと通じている。ワータイガーが自分の命さえも捨てて守ろうとしたものがそこにあるのだろう。戦闘の処理を終わらせた所で、大剣を肩に担ぎ直してそのまま奥へと向かって進んだ。もはや邪魔するものは何もない。

 

 何の障害もなく、奥の空間までやって来れた。

 

 そこは、一目見て解る巣だった。大量に落ち葉と草、そして枝を使って柔らかく整えられた巣を中心とした空間であり、そこに小さな虎の子達が眠っていた。誰もが親の様に赤い毛皮をしており、静かに寝息を立てていた。今、自分の親が直ぐ外で死んだことすら知らずに。それだけを見れば平和な空間だっただろうが、

 

 その周囲には何個も人の死体が置いてあり、洞窟の床を赤く染めていた事が気持ち悪かった。臭いさえも血に酔いそうになる程濃い。そして人の死体も限界までまるで離乳食の様に限界までミンチにされ、潰され、ペースト状にされたものばかりだ。あまりにもグロテスクな光景に今までにないショックを受ける。覚えそうな吐き気をなんとか堪えつつ、周囲を見渡す。

 

「なんだ……なんだこれ」

 

 無造作に積み上げられた死体と虎の子達の離乳食、だがその大半は手が付けられていない。虎の子達も良く見れば体ががりがりで弱っているように見える。これまで人の死を食わされてきた子供達のようには見えない。あのワータイガーがあんな行動を取っていた事には恐らく理由があるのだろう。

 

 その原因を解明する必要がある。

 

 臭いと景色に顔を顰めながら巣に踏み込み、見渡す。見えるものは死体ばかりで何か特別に見えるものは―――あった。

 

 死体だ。

 

 だが人の死体ではない。半分ミイラ化しているワータイガーの死体が、巣の一角に草と花のクッションに大事そうに座らされていた。ミイラの虎に近づき、膝を折って軽く見分する。触れてみれば水分が体から抜けきっていて、死んでからそれなりの時間が経っている事を証明する。雄か雌かを判断するのは少し難しいが、恐らくは雌。

 

「アイツの番か」

 

 子供がいるのなら当然母親もいる。単一生殖型の生物じゃないのだから当然だろう。だがここで母親が死んでいるという事はつまり、離乳食以前にちゃんとした乳を与えられていないという事だろうか? いや、ワータイガーの子育てがそういう風なのかどうかは解らないが、

 

「番が何らかの理由で死んだから、乳の代わりに人の血を飲ませてたのか、こいつ……?」

 

 悍ましい想像に頭を抱える。だけど現状、他の理由が見つからない。死んだ母親の代わりにあのワータイガーは必死に子供達を育てようとしてあんなに暴れ、殺し、喰らい、そして無理をし続けていた。その結果、些細なミスで俺という地雷に触れてしまったという形だろうか。こいつ、恐らく死ぬのは遅かれ早かれ確定していたんじゃないだろうか。

 

 ただそれだけじゃ何故森のモンスター達に襲われず、指示を出せていたのかが解らない。

 

「とはいえ、そこまでは流石に俺の頭じゃ無理か」

 

 ふぅ、溜息をついた。

 

 疲れた。

 

 肉体的にではなく、精神的に。

 

 とはいえ、やる事はまだ残っている。

 

 視線を巣の方へと向ければ、微睡から起きた子虎たちが可愛らしい声で鳴きながら何かを求めるように前足を振るっている。どうやらその目は何も見えていないらしく、虚空に向かって助けを求めるように前足を振るっているようだった。ただ言葉は解らなくても、その意味は良く解る。

 

 お腹空いた。

 

 助けて。

 

 お父さん。

 

 そう言っているようにしか、今の俺には感じられなかった。

 

「……」

 

 可哀そうだと言えば可哀そうだろう。だけどこいつらは人の血を啜って育てられた。見た所、放置していても勝手に死ぬだろう。だが場合によってはあのワータイガーみたいな変異を見せて生き延びるかもしれない。そのかもしれない、でまた人が犠牲になる可能性がある。そうなってしまった場合、とてもじゃないが俺にはその死の責任を背負う事は出来ない。

 

 だからどれだけ可哀そうでも、この子供たちはここで殺さなきゃならない。

 

 だから巣を踏みつぶすように刃を手に近づく。足音に父親の帰還かと、そう思った子供達の鳴き声が響く。口を大きく開けて食べ物を、何か飲めるものを求めるようにぱくぱくと開いては閉じてを繰り返す姿を見つめ、思った。この向き合い方、そしてシチュエーション。それはどうしても、自分の始まりを想起させる。

 

 ―――今の俺と、ドラゴンハンターたちと一体何の違いがあるんだ?

 

 足元、カリカリとブーツを掻いて噛みつく虎の子達は口に入るのであればなんでも口にするだろう。甘噛みにしか感じられないそれは今は力がないからそうでしかない。大きくなれば人の脚を食い千切って美味しそうに食べるだろう。これはそういう風に育てられ、そういう性根を備えているからだ。

 

 だが龍だって、亜竜だって、そういう風に認識されている。だからドラゴンハンターたちは必死になって殺そうとしてくる。俺が今やっている事はまさにそれだろう。金、名誉、それはエゴイズムの象徴でしかない。生きる為に狩りに来たのではなく、富が欲しくて殺しに来たのだから俺はある意味では彼ら以下なのかもしれない。

 

「みぃ……みぃ……」

 

 鳴いてくる虎を見て、大剣を振り上げた。

 

「それでも処理しなきゃ行けないのは……俺がワータイガーを狩った責任だな」

 

 振り下ろした。

 

 殺した。

 

 次も殺した。

 

 その次も殺して。

 

 最後も殺す。

 

 全部殺して動かなくなった。

 

「……」

 

 動く生き物が消え去った洞窟の中で、勝った筈なのに感じる虚しさと苦しみに、溜息を吐き出した。

 

「あー……軽く遺品でも回収してギルドに持ち帰って……あぁ、親子の死骸も持ち帰るべきなのか? もうちょっとちゃんと話を聞いてから来れば……いや、そうしたらあの人は死んでたしこれで良いのか。……良いのか?」

 

 解らん。ただ殺すのは凄い簡単だという事だけは解った。だから溜息を吐き、認めた。

 

「俺、冒険者に向いてないな」

 

 悪夢に、また住人が増えそうだ。




 感想評価、ありがとうございます。

 ワータイガーを真っ二つにした必殺技、大斬撃・黒は結晶投影斬撃という技。相手に付与した結晶や、空間にエデンの魔力が多めに満ちている場合に発動可能。自分の攻撃による斬撃をそのまま相手の肉体へと結晶として投影する。性質上必中攻撃なので避けても無駄。

 白と黒はどっちも見せ札。白は防御不可、黒は回避不可。接近すれば黒を防げるけど白を受ける。遠距離に持ち込めば白は見れるけど黒が避けられない。

 知らぬ相手には初見殺しの塊。知っている相手からは距離のマッチコントロールが地獄なのにフィジカル最強で突撃してくる嫌すぎる相手。グランヴィル夫妻が立派に育てた。


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ワータイガー Ⅴ

 帰りは川に沿って帰る事にした。不思議とモンスター達が川に近寄る事はなかった。或いは、陽の光から逃れるように生態系を構築しているのかもしれない。薄暗く、そして静かな闇の森の中でのみ、あの地獄の様な環境は維持されているのだろう。だから川を歩いている間、一切襲われる様な事はなかった。それとも、俺がワータイガーを殺し、その住処を焼き払った事が既に森へと響いているのだろうか。

 

 それとも悟られたのか。

 

 この怪物には絶対に勝てないから逃げろ、と。

 

 だがおかげで森を突っ切る川を通してトール街道へと戻ってくる事が出来た。

 

「ふぅー……疲れたな。泥のように眠りたい」

 

 全身にのしかかってくる疲労感は間違いなく肉体的な物ではなく、精神的なものだ。それでもちゃんとこのワータイガーの討伐を報告して金を貰わないと、何のために殺したのかさえ解らなくなってしまう。だから街道を出た所で指笛で適当な動物を召喚する。数十秒待つと、何時の間にか入り口で乗り捨てて来た馬が近くにまで寄ってきていた。熊の登場よりも早かった辺り、最初からスタンバイしてたのかもしれない。

 

「もしかして待っててくれたのか? よしよし、良い子だ」

 

「ぶるるぅぅ……」

 

 軽く頬を撫でてからその背に跨る。腹を蹴って競歩程度の速度で前へと進ませる。もう焦る必要もないのだが、空を見上げれば相当長い時間を外で過ごしていたのが解る。森に入った頃は高かった筈の日が今では少しずつ夕日の色へと染まりつつあった。早めに街へと辿り着かないと夜までに家に帰れないかもしれない。そう思うと少しだけ馬を急かし、街道を一気に南下して行く。方角的にはこれで正しい筈だ。走る速度は当然ながら俺の脚の方が遥かに早いが、今は自分の脚で歩くのも流石に面倒な気分だった。

 

 あぁ、そうだ。

 

 気分は当然最悪だ。

 

 そんな中、漸く街道を抜けた、と思うと突入する時に会った衛兵達の姿が変わらず―――いや、前よりも人を数人増やしてそこにいた。馬の蹄が街道を蹴る音で気づいた衛兵たちは此方へと視線を向けると、驚きの声と共に喜びの表情を見せた。

 

「君は……無事だったのか! 帰ってくるのがあまりにも遅いから心配してたんだ」

 

「どもども、見ての通り無傷です」

 

 片手で軽く挨拶をすると、おぉ、という声が衛兵たちの間から零れる。それで、と衛兵が声を零す。

 

「あの、ワータイガーは……?」

 

「あ、討伐しました。これからギルドに報告と証拠の提出に向かう所です」

 

「本当か!? いや、確かに君はあのワータイガーさえも薙ぎ払えるだけの実力を見せていた。となると本当か! 本当なんだな……あぁ、神よ、ありがとうございます……」

 

 そう言うと衛兵は祈るように両手を合わせ、頭を下げてくる。それに合わせるように他の衛兵たちも歓声を飛ばし、祝うように声を張る。衛兵達のその様子にちょっとだけ驚いてしまい、言葉を失ってしまう。それを見てすまない、と衛兵が声を零した。

 

「奴は友人や知り合いを狩ってたからな。自分達に出来る事はこうやって新たな犠牲者が出ないように見張るぐらいだった……それでも犠牲者は出てしまう。悔しくて悔しくて奴の事が憎かったんだが……君のおかげで彼らの死を漸く悼めそうだ」

 

「あ、あぁ……そうでしたか。その、お疲れさまでした」

 

「ああ! 君もだ! 本当にありがとう!」

 

「ありがとう、これで私も無事に妻の所へと帰れそうだよ」

 

「君のおかげでもうここの警備で怯えなくて済むよ」

 

「ありがとう、ありがとう……」

 

「いえ、その、俺も報酬が欲しかったからなんで……じゃ!」

 

 逃げるようにその場を去った。馬を街へと向けて走らせながらも心の中は辛さでいっぱいになっていた。彼らは俺が強いから問答無用でその言葉を信じた。結果と成果を見せなくても言葉だけで信じる事にした。それだけの強さが俺にはあったからだ。なら、強さが全てなのか? 強いから許されてしまうのか? 弱肉強食と言えば聞こえも良いだろう。だけどあのワータイガーは子供の為に必死に栄養のある食べ物を探していた。人食いしか知らない虎だから必死に人肉を集めて食わせようとしていたんだ。

 

 ああ、人を殺すのは悪だ。それはとても悪い事だ。絶対に許されない事なんだ。

 

 じゃあ、誰かを守るために人を殺す事はどうなんだ……?

 

 俺がエドワードを守るためにモンスター人間を殺す事と、子供の命を救う為に人を狩る虎と、そこにどれだけの違いがあったんだ? それは人間が最も優れた種で、今の世の覇権を握っているから違うのか? 人には法律があって、人には考える頭があるから話が違うのだろうか? だけどあのワータイガーも子供を想う心は本物だった筈だ。獣畜生だったとしても子供を愛する心は本物で、その為に内臓が零れても立ち上がろうとしていた。それは絶対に代わる事のない真実だというのに……結果は奴が悪だったという事だけが残る。

 

 じゃあ善ってなんだ。悪ってなんだ。殺してでも守る事が善になるのか? だが視点を変えれば善が悪になる事なんて良くある事だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 誰かを傷つけられる人は、絶対に善ではないから。なら俺は……なったのか? 悪龍に? いや、それは飛躍しすぎなのだろう。だけどそう言えるぐらい俺の心は揺さぶられ、荒れ狂っていた。子供の為に戦うモンスターの姿は、あまりにもリアル過ぎた。普段、グランヴィル家で食事の為に行う狩りとは全然違う。どこまでも現実的で愛のある人間性……モンスター人間にはなかったものがあの純粋なモンスターには存在した。

 

 それが、どこまでも、人を殺したような、感触がして、

 

 ずっと、ずっと、気持ち悪い。

 

「教えてくれソフィーヤ……俺、どうしたら良いんだ」

 

 きっと求めれば応えてくれる神に、口に出してそう聞いてみた。オラクルはせずに。声は届かないだろうと知っていて。それでも口に出さずにはいられなかった。胸中は痛みで満ちていた。だけどきっと、これはエゴイズムの痛みだ。俺が自分で殺して糧を得るという事を選んだ結果の結末なのだから、受け入れなくてはいけないのだ。それがどんなに苦しくても、受け入れる。

 

 それが選択をするという事であるのは、中身が大人である身としては良く理解していた。だから自分の選択からは逃げてはいけないのだろう。

 

 

 

 

 なんとか暮れる前に街に到着した。門の入り口を守っている衛兵は俺を見ると、少し驚いたような様子を見せて、

 

「馬に乗ってる……?」

 

「なんでそこで疑問に思うのぉ? 俺だって運が良ければ馬に乗るよ!」

 

「運が良いなら、って時点で答えは出ている気はするんですよね。さ、通って良いですよ」

 

「あざーっす」

 

 慣れた軽いやり取りをしながら馬から降りて野生へと帰す―――まあ、帰りにまた確保するつもりだというのを理解しているのか、馬は街から少し離れたところまで行くと、そこで待っていた熊と睨み合って頭突きを叩き込み始めていた。あの馬と熊ほんとなんだろうね。シリアスが3秒も持たねぇわ。

 

 程良く肩の力が抜けたのを感じつつ、段々と暗くなり始める街中を進んでギルドへと向かう。街の人たちも俺の姿には良い意味で慣れているので、此方へと視線を向けたら軽く手を振って挨拶してくれる。此方もそれに笑顔で返しつつ、少し疲れたなんて事をもう一度考えた。本当に、疲れた。今日はもう真っすぐ家に帰って寝たい。

 

 その欲求を抑え込みながらギルドの扉を開けて、中に入った。段々と暗くなり始める頃、人は自分の家へと帰り出す時間帯になるが、ここに限ってはたまり場としての意味もあるから、夜になろうが酒を持ち込んで帰る気配のない駄目な大人連中で溢れている。寧ろ夜の方が盛り上がっているまである。そんな盛り上がる時間帯近くにやってくると、ひゅー、という口笛と共に此方へと視線が飛んでくる。

 

「今夜は目の保養のサービス付きか! 良い心得だぜ新人―――ぶっ」

 

 顔面に形成した小型の結晶ハンマーを投げて無言でノックアウトする。その姿に数人が群がって財布を回収すると、それで新たな酒を買いに走ってった。ギルドはそんなやり取りを見て見ぬフリし、視線を正面へと向ければカウンターの奥でウィローが待っているのが見えた。

 

「やあ、エデン。今日は中々遅いご到着だけどもしかしてどこかで狩猟でもしてたのかな?」

 

 ウィローのその言葉に頷きながら無言でカウンターへと近づき、ディメンションバッグからワータイガーの死体、結晶で覆って保存してあるそれを取り出して上に乗せた。ずしん、という凄まじい重みと共にこれまで人々の頭を悩ませ続けていた賞金首の死体が上がり、一瞬でギルド内部の空気が死んだ。

 

「ワータイガー、討伐してきた。巣も見つけた。中に遺品もあって、回収できるだけしてきた。後は色々ある。報告、どうしたら良い?」

 

 ウィローが絶句した。他の冒険者たちも全員が黙り込んだ。十数秒、誰もが目の前の光景を疑うように黙り込み、しかし視線を俺とワータイガーへと集中させていた。その中、冒険者の1人が口を開いた。

 

「傷を負っていないけど……?」

 

「傷を受ける前に始末したし」

 

「巣、って言ったよな?」

 

「森にあったよ。追跡して追い込んで始末して来た」

 

「マジかぁー」

 

 その言葉が嫌に強く、ギルド内部に響いた。だが次の瞬間には歓声と笑い声へと変わった。その反応はあの衛兵たちと凄く良く似たもので、ワータイガーの討伐とそれまで討たれた同業者たちの無念が晴らせた事を祝う声だった。もっと睨まれたりする事をちょっとは覚悟していたのだが、全然違うリアクションが今、自分の周囲で飛び交っている事に少なからず俺は驚いていた。

 

「ははは……”宝石”の原石だとは思っていたけど、既にその輝きの片鱗は見せていたね。いやはや、私も目が曇ったかな。近いうちに討伐するとは思ったけど昨日の今日でもう実行するなんて……と、ちょっと待っててね」

 

 そう言うとウィローは振り向き、ギルドの職員の方へと声を飛ばすと、後ろの方で慌ただしくギルドの職員たちが動き始めた。それを確認してからウィローは此方へと向き直った。

 

「ごめんね、まさか本当にこうも来るとは思いもしなかったからこっちも準備してなかったんだ。えーと、確かにワータイガーの討伐を確認させて貰ったよ。この死体は結晶が取れるんだよね? うん、ありがとう。だったら解体費用を頂くけど素材別に解体する事も出来るけど―――」

 

「それ、売れる?」

 

「勿論。特にギルドでは研究用に丸ごと欲しいぐらいだよ。だから売却の意思があるなら死体を丸ごと買い取るよ。もう半分あるんだよね?」

 

「あるよ。じゃあギルドで買い取り、お願いしやっす。なるべく高く買い取ってね」

 

 ディメンションバッグから残りの半分のワータイガーを取り出す。その姿を見る度に殺した瞬間と巣での出来事を思い出し、顔を顰めてしまう。ただそれも後ろからやって来たギルドの人間が素早く回収してしまう為、視界から消えてしまう。

 

「他にも巣からワータイガーの子供の死体とか、番の死体とかも回収してきた。これは―――」

 

「当然、全部売ってくれるのなら買い取るよ。後持っている情報があるなら全部提供できるかな? 遺品回収、生態調査、討伐依頼の三種類として処理するから色々と上乗せできるよ」

 

「お願いします」

 

 値段交渉をしよう、という気持ちは一切なかった。ただただ早くこれを金に換えて手放したかった。死を冒涜しているような気分で常に最悪をマークしていた。だから後からやって来たギルド員達に他の死体を渡し、そして回収してきた遺品も渡した。これで回収してきたものは全て渡し終えた。その間も回りでは街道が再び使えるようになったことから陽気になった冒険者たちが酒を更に飲み始めていた―――人の気も知らずに。

 

 ただ目の前、そこにいるウィローだけが俺の気持ちを顔色を見て理解しているようで、溜息を吐きながら頭を横に振った。

 

「だから君は冒険者に向いてないって言ったんだ」

 

「自覚してる」

 

「……言われて止まらないんじゃ私にはどうしようもないかな。もう暗くなるし、今日は一度帰った方が良いよ。明日には話を聞く準備と支払いの用意をしておくから……君も、疲れて今は休みたいでしょ」

 

「……うっす、あざっす」

 

 ウィローの言葉に素直に従う事にする。早速背を向けてギルドを出ようとすると、冒険者たちから背に向けて混ざらないかと誘われるが、それを断る。たぶん、連中は単純に理由は何でもいいから暴れ、そして楽しみたいのだろう。

 

 冒険者の命は安い。

 

 命を張って稼いでもそう沢山儲けられる訳じゃない。

 

 だから全力で飲んで、騒いで、そして暴れているのだろう。

 

 その無神経さが俺にはどうしようもなく羨ましかった。




 感想評価、ありがとうございます。

 冒険者は明日生きているか解らない。だから全力で飲み、食べ、騒ぎ、遊ぶ。命を奪う以上は常に奪われる覚悟をして生きる。だから常に全力でふざけながら全力で生きている。命が資源として利用されているからこそ、最も命の輝きが強い職業。

 森「もう二度とこないでくれ」


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ワータイガー Ⅵ

 帰ってくる頃にはもう既に暗くなっていた。

 

「ただいま」

 

「おかえりエデン!」

 

 馬から降りて屋敷に近づくと、俺の帰りを直感的に察したリアが走って飛び込んでくる。両手を広げてリアを受け入れると、そのまま抱きついて一回転するようにリアを回した。笑い声を零しながら腕の中に小さく、柔らかく、そして軽い命の感触を感じて安堵する。ああ、生きている……そしてこの世で一番守りたい命でもある事を理解させられる。だがそれは同時に逃げだと思う。

 

 誰かの為に殺す事を正当化する―――それは単純に逃げだ。相手を言い訳にする事だ。

 

 だからリアを降ろして、笑顔で頭を撫でた。降ろされたリアはそんな俺の様子を見て、両手で頬を挟んできた。

 

「エデン、大丈夫? 顔色が悪いよ?」

 

 一瞬で自分の状態の悪さをリアは一目見ただけで察した。それほどに隠すの下手かなあ、と思いながら軽く苦笑を零した。俺が変な事に悩んでいる姿を、リアだけには絶対に知られたくはなかった。だからリアの頭をもう一度撫でたらその姿を持ち上げ、肩車する。角をハンドル代わりに握ってくる事にはいまだにモノ申したいが、まあ今は寛大な心で許そう。ちょっとだけふらふらしながら歩くと肩車しているリアが喜ぶんだが、これまだあと数年はやりそうだ。

 

 流石に15になったら卒業……してくれるよな? リアは年齢と比べてやや情緒が発達していない、というか幼い所がある。純粋培養な所があるのが原因だと思うが、それでもそれは家族に愛されて育ってきた事の証だ。あまり、世間の毒に濡れて穢れて欲しくはない部分だ。

 

 そんな事を考えながら屋敷中庭までやってくると、エドワードとエリシアが帰りを迎えてくれた。

 

「お帰りエデン」

 

「今日は初討伐だったでしょ? お疲れ様」

 

「もう全員にバレてるじゃないですかやだぁー!」

 

「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶ」

 

 激しく体を揺らすと妙な声が上の方から聞こえてくるものの、それを見てエドワードとエリシアは笑っていた。はあ、と溜息を吐きながらサムズアップをびしり、と浮かべた。結果は上々だ。その詳細を語る必要はないが、ちゃんと結果は出してきた。

 

「ちゃんと討伐してきましたよ―――ワータイガー。色々と処理や手続きがあるから賞金の受け取りは明日になっちゃいますけど。それでもちゃんと仕事は完了出来ました」

 

「おぉ、凄い。アレは後二週間もすればサンクデルが専任の討伐隊を編成する事を考えてた奴だよ。アレがソロで討伐できるなら“金属”は名乗れるレベルの実力だ」

 

 “金属”といってもピンキリなのだろうが、それでも“金属”クラスでアレと張り合えるのだと考えるとやっぱり“宝石”は別格なんだろうな、と思う。それこそ“宝石”クラン規模だと戦争を起こしたり単体で都市を落としたりするようなレベルになってくるらしい。“宝石”の中でも最上位の部類は単独で国を落とした事さえもあるらしいので、“金属”級の実力があるから一概に上位戦力に入れたとは言えないだろう。まあ、ここら辺は油断せずに自分の腕前を磨きたい。実際、強くなるための鍛錬や体を動かす事自体は好きで、楽しい。そこは才能に恵まれている。

 

「さ、晩御飯の準備はもうできてるからエデンちゃんもお腹空いてるでしょ? 早く食べに行きましょ」

 

「私もお腹ペコペコ」

 

 リアを肩から降ろすとリアが駆け足でダイニングの方へと向かって行く。エリシアは苦笑しながらリアの後を追うように歩き、そして俺とエドワードが取り残された。俺も、ゆっくりと歩いてダイニングへと向かおうと思ったが、エドワードがちょっといいかい、と声をかけてくる。

 

「食事の後、ちょっと話したいんだ。良いかな?」

 

 エドワードの言葉に頷いた。やはり勝手にリアの学費を稼ごうと思った事、怒っているのかな……。ちょっとだけエドワードと話す内容に戦々恐々としつつも、俺も今日一日は相当エネルギーを消費した事実がある。エリシアとアンの作る料理を学ばせて貰っているが、未だにその実力に追いつける気は一切しないレベルで美味しいんだ。今夜の献立は何かな、と楽しみにしつつ俺もエドワードと一緒にダイニングへと向かった。

 

 

 

 

 それから食事を終えて軽く落ち着いてから、エドワードに呼び出された。もう既に夜は更け始めており、リアは食事を終えた事でウトウトしだしていた。彼女を寝かしつける為にエリシアが離れた所で、エドワードに呼び出されて中庭のベンチに向かった。

 

 中庭のベンチにエドワードに並んで座り、空を見上げた。

 

 排気ガスも、工業化によるスモッグもない空―――そんな夜空は一切の穢れも曇りもなく澄んでいる。夜空には美しい星々が浮かび、俺の知らない星座を描いている。幾つかの星は方角を知るために学んでいる。コンパスという便利な道具があるのは事実だが、それはそれとしてコンパスの通じない地域もある。その為、基本的なレンジャー技能として星を見て自分の位置や方角を知るすべを学んでいた。それは現代の日本の生活では全くに役に立たない事であり、この世界では非常に重要な知識でもあった。

 

 日本では便利だったのにここでは一切使えない知識、ここでは重要だけど日本では全く使えない知識。結構増えたな、なんて事を夜空の星々を見上げながら思う。世の中に占星術なんてものがあって、天に浮かぶ星々から力を借りて行使する術まである。きっと、この夜空の様に綺麗に輝くんだろうな……なんて事を考える。

 

「あー、エデン」

 

「はい」

 

 エドワードがしばらく保っていた沈黙を破るように名前を呼んだ。それに対して俺もちょっと、恐れるように応えると、参ったなあと呟かれた。

 

「うーん、僕は別に君を叱るつもりなんてないんだ。だけどリアにこういう風に喋った事はないからね……ちょっとどういう風に話を切り出せば良いのか困ってるんだよね」

 

 苦笑するように言ったエドワードも、まだ親としては未熟なところがあるという事だろうか。考えてみればリアはかなり優しく、良い子だ。はしゃいで困らせる様な事はするが、悪い事は一切しない、そんな純粋な少女なのだ。そう考えるとリアでは中々叱ったり注意する経験が不足してしまうのかもしれないなあ……なんて、考えた。

 

「まあ、リアは良い子ですから」

 

「そうだね、リアはかなりの良い子。こう見えても僕は中央じゃ陰険眼鏡って呼ばれてたし、エリシアも剣鬼なんて呼ばれてたりしたんだけどね。僕たちの血を継いでよくもまあ、あんなに優しい子が生まれて来たなあ……なんて今更思っているよ。まあ、エデンを拾ってきた時点でやっぱり僕らの血を引いてるなあとは思ったけど」

 

「それ、どういう意味ですか??」

 

「ははは」

 

 昔の2人の話を聞いている限り、相当のトラブルメイカーだったことには間違いがないのだろう……本当に過去、何があったのか気になる。聞けば聞くほど相当破天荒な生活を送っていたようだし、地位も権力もそれなりにあったらしい。それを全て投げ捨ててこの辺境で零細貧乏貴族をやっているのだから人の軌跡というものは不思議だ。何時か、細かい話まで聞きたい所だ。

 

「さて、エデン」

 

「はい」

 

 エドワードは少し、困った様に頭を掻いてから再び口を開いた。

 

「―――冒険者、辞めないかい?」

 

「……」

 

 核心に近い言葉をいきなり突き刺してきたエドワードの言葉に、横に座って星空を見上げたまま固まった。なんて、言葉を口にしようか数秒程考えてから捻りだす。

 

「その、やっぱり迷惑に……?」

 

「いいや、そういう意味じゃないよ。解っているでしょ、エデン。冒険者みたいな荒っぽい職業、君には決して似合わないって」

 

 その言葉に口を閉ざした。エドワードの言っている事は事実だ。冒険者という職業に幻想を抱いていた部分はあるが、その内容も理解出来たし、予想していた。だが実際、自分のエゴイズムで命を奪ってみた感触は―――違った。殺す、命を奪う、可能性を閉ざす。そのダイレクトな感触が強く両手に伝わってきた。かっこつけていても事実は変わらない。生きようとした命、それを奪ったんだ。その重みが自分の想像以上に苦しかった。だからエドワードの言葉が正しい。冒険者は俺に合っていない。

 

「……そんなに顔に出てました?」

 

「表情は変わってないよ。それでも解るぐらいには君と接していたさ。だからもう一度言うよ。冒険者を辞めなさいエデン。君がこれ以上1人で出て行っても良い事は起きないだろう」

 

「……」

 

「意地悪とか、そういう意図は決してないんだ。僕は純粋に君を気にして言ってるんだ。学費の事だって気にする必要はないし、君の生活費が僕達から出ている事も気にする様な事じゃない。確かに、君は賢い。他の同世代の子達よりも多く考えて、多く見えている。だから君が金勘定の事を考えてしまうのもしょうがない話だと思う」

 

 だけどね、とエドワードは言葉を続ける。

 

「君は優しすぎるんだ。誰かを、何かを傷つけるには」

 

 優しすぎるのではない。俺が根本的にこの世界にとっては異邦人だからだ。俺は日本で育った。現代の日本人。武器を握る必要もなく、誰かを殺す必要もなく、動物の解体だって業者等で行うから命を奪う感触を一生味わう必要のない場所、環境で育ってきたから。だから俺に、命を奪うという事は全く馴染まない。それを理解しているし、基本的人権という言葉と概念が常に脳内に張り付いている。だから馴染めないのだ、この世界の根本的な法則に。

 

「本当は武器を持たない方が良いんだろう。だけど君には才能があって……君がそれを振るうには性根が優しすぎると知る頃には、教え過ぎた。才能もあった。だから辞め時を失ってずるずると君に強くなる方法を教え過ぎてしまった。完全に僕と彼女の失敗だった。君は、もっと普通の女の子としてリアと一緒にいるべきだったんだろうと思う」

 

「それは、違います」

 

 視線を地面へと落とし、ぽつりと呟く。

 

「鍛えるのは楽しいんです。強くなる実感も楽しいんです。少しずつ、前できなかった事を達成して行く事、自分がもっと上を目指せるという実感が本当に楽しかったんです。だからそこは本当に感謝しているんです」

 

 ―――でも。

 

「でも?」

 

「解らないんです。今日、ワータイガーを討伐してきました」

 

「うん」

 

「だけどワータイガーは子供たちの父親でした。巣まで追跡したら巣には死にかけの子供と、死んでいる母親の姿がありました。ワータイガーがアレほど人に執着していたのは栄養のある餌を求めての事だったんだって、見れば解ったんです」

 

「……」

 

「凄く、人間らしかったです。子供たちの為に内臓を零しながらも立ち上がったんですよ、アイツ。その上で死ぬって解ってて子供を守るために俺に立ち向かったんです。俺は傷1つもなくて、アイツは傷1つ付ける事出来なくて。どう足掻いても負けて死ぬって解ってるのに、子供を守るために必死に罠を張って、その上で正面から戦いを挑んで死んだんですよ」

 

 それを見てたら、解らなくなった。

 

「殺す、覚悟はしてるつもりでした。悪い奴でした。殺す事はいけない事だから……人を傷つけてはいけないから。人を、傷つける事は悪い事だから。だからあのワータイガーは間違いなく悪だったんです。邪悪だったんです。アイツは放置してりゃその内もっとたくさん被害を出していたに違いない、そういう奴だったんです」

 

 人を殺しちゃいけない。

 

 その考えが俺がブレスを吐くのを止め、龍殺しが……たぶん、俺を見過ごした理由なんだろう。あの時、今になって解る。あの龍殺しなら俺を真っ二つにできた。なのに跡が残る程度で斬り捨てたのは俺が誰も殺さず、殺そうとしなかったから。だからあの龍殺しは俺を見逃してくれたんだ。だからあのワータイガーは殺さなきゃいけなかったんだ。

 

「だけど悪だと思っていたワータイガーは子供を、家族を守るために必死なだけだったんです。その姿に人間とどれほどの違いがあるんですか? 人と獣の愛に差があるんですか? 家族を守ろうとするのは悪い事なんですか? 人も人を傷つけるし、獣は人を食らうし、獣も守るために人を殺す。なら……アレほどリアルな人間性を見せつけて来たワータイガーは、本当に悪だったんでしょうか? アイツは死ななきゃいけなかった。だけど殺した時の事を考えると―――」

 

 言葉が見つからない。

 

 覚悟とは往々にして薄っぺらいものだと理解出来てしまった。だけど本当に、殺して全部終わり! お金ゲット! それだけにしか思ってなかった。だけど見せつけられたものはなんだったんだ? アレがモンスター? 本当に? 第一俺みたいなやつがいるんだ、中身が人間のモンスターだっているかもしれないじゃないか。

 

「俺は―――俺は、何をしたんでしょう」

 

「……」

 

 エドワードは答えない。その代わりに、ゆっくりと頭を腕に抱くと、それを膝の上に降ろしてくる。そのままゆっくりと角を避けるように頭を撫でてくれる。それに目を瞑って受け入れる。昔、まだ子供だった頃。父親に頭を撫でられた事を思い出す。思えば、この人は家ではずっと父親として俺にも振舞っているような気がする。

 

「そうだね……難しい、問題だね」

 

 エドワードが呟く。

 

「命の奪い合いは……究極のエゴイズムだと言っても良い。奪う必要があるから奪う。それで究極的に結論が出来てしまう。僕もエリシアも、結局は優先順位を作ってそれに合わせて物事を処理しているんだ。だからとても簡単に命を奪えてしまう」

 

「優先順位……」

 

「うん……僕にとって一番重要なのは家族の安全と平和だ。だからその為であれば外敵に対して一切躊躇するつもりはない。エリシアもそうだ、だから僕も彼女も一切敵に慈悲をかけることも、情けをかける事もしない。僕たちはそういう意味ではかなり簡単に敵を殺せてしまう。きっと、相手にも相手なりの事情や背景があるんだろうけどね」

 

 だけど、と言葉を区切る。

 

「全ての物事はそれはそれ、これはこれ……そうとしか片付けるしかないんだ」

 

「……」

 

「結局のところ、辛いなら武器を置くしかないんだ。そしてエデン、君は僕が知る限り特にそういう適性を持たない子だよ。リア並に、ね。戦う才能だけなら見たことがない程あるだろうに、賢く、適性を持たないから誰よりも苦しむ。きっと君は武器を握らずに生きて行く方が似合っていると思うよ。だから僕が君に言える事は剣を置いて、学費の事は忘れなさい、ってだけなんだ。別に家宝を売った所でそこまで困る様な事じゃないんだ。君が気にする様な事じゃないさ」

 

 だが120万―――日本円換算で1200万円相当の家宝を売り払うというのは相当貴重なものを売るという事だ。

 

 それをポンと売り払う用意が出来ているのはきっと、前々からそういう風に計画していたって事なんだろう。だけどきっとそれはグランヴィルにとって、とても大事なものだろうと思う。思い出はいずれ色褪せて行くだろう。だが物は消えずに永遠に残っていく。それを失わせてはいけない、と思うのだ。だけどそれもまた俺のエゴイズムだ。

 

 果たして、そのエゴイズムは命を奪う程重いものなのか―――?

 

「さ、今夜は全部忘れてゆっくり眠りなさい。きっと疲れているだろう……ゆっくり眠って、ゆっくり考えて、ゆっくり結論を出すと良いよ。今は何も見えなくても君なら何時かは答えが出せるさ」

 

 エドワードの言葉を……今は受け入れる事にした。体に蓄積された疲れを取る為に、今はただ、休むことが必要だった。




 感想評価、ありがとうございます。

 幸せを知るから奪う事が怖い。責任を感じるから道から外れられない。苦しいけど言い出したことだから止まれない。解るから苦しんでしまうという地獄は割り切らない限りは永劫に苦しみ続ける鎖みたいなもの。

 幸せに育ったからこそ味わえる苦しみ。考え続ける限り終わらないもの。


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ワータイガー Ⅶ

 それから、寝る支度を整えたらベッドに転がった。エドワードとした話が頭の中を反復している。それと今日の出来事が頭の中をゴロゴロと転がっていてどうしようもない。眠った所でどうせ見るのは悪夢だ。本当に、どうしたらいいんだろうか。

 

 光は消した。

 

 窓から月光が差し込む。

 

 静かな夜、屋敷の人たちも既に自分の寝室へと向かった―――俺ももう寝る時間だ。だけど新しい悪夢を見るのが怖くて、眠る事が出来ない。だからばっちり目が冴えていた。パジャマ姿、腹がちょっと捲れて腹部の鱗が見える様な恰好で頭に片手を当てて天井を見上げている。何もしていない。ただベッドに寝転がっているだけで、何も出来ずにいる。自分の心のいい加減さとメンドクササには辟易としている。だけど……そう簡単に培われた価値観を変える事は出来ない。

 

 なら、もう止めちゃうのか? そう言われると黙ってしまう。

 

 エドワードは止めた方が良いと言ってくれた。優しく、諭してくれるように。きっと本当に、家宝を売ることに躊躇はないのだろうし、俺が頑張る必要のない事なのだろうとは思う。だったら俺が努力する事に意味はないのか?

 

 いや、そんな事はない。俺が言い出したことなんだ。だったら最後までやらなきゃただの迷惑でしかない。俺が言い出したことを俺が完結させようとしないで、一体どうしろって話なんだ。ここで止めると投げ出してしまえば結局は捨て犬共と一緒だ。無理だから、適性がないから。それを言い訳にして目を背けているだけだ。

 

 結局はこの長い人生の中で、何度も向き合わなきゃいけない事なんだろう。俺は、捨て犬なんかにならない。ちゃんと向き合う、自分の痛みと苦しみに。これが一生の付き合いだとしたら……俺はこれからも一生、この世界の価値観に痛みと苦しみを覚えながら生きて行くしかないのだろう。

 

 あぁ、痛みよ、我が痛みよ。我が愛しき隣人痛みよ。どうしてお前はそうも残酷なのだろうか。この程度の出来事、本当にありふれた悲劇でもないのに……ただのどうしようもない現実で、どこでもある様な事でしかないのに。何故お前はそうも苦しみで満ちているのだろうか。

 

 単純に世界がそうできているからか? 或いは世界そのものが人にやさしさを伝えられるステージではないからだろうか。どちらにしろ、これは不可避なのだ。俺が今逃げたところで何時かまた、違う形で味わう事になる苦痛なのだ。

 

 エドワードはそれから目を背けて生きれば良いと言った。

 

 だけど、俺はそう思わない。苦しみながら達成する必要があると思った。だからずっと葛藤しているのかもしれない。ワータイガーの死に、その死に納得できずに。何かが出来た筈はない。アレが間違いなく最善だった。他に道なんてものは存在しない。アイツは死ぬ運命だったし、そう遠くないうちに処理される筈だった。その役回りが早めに俺に回ってきただけという話だ。

 

 これはそれで終わる。それだけの話だ。

 

 痛みと苦しみだけを俺に教えて。

 

 結論するならそれだけの話になる。

 

 ―――かちゃり。

 

 そこまで思考した所で扉の開く音がした。視線を部屋の入口へと向けると、枕を持ったパジャマ姿のリアが見えた。何か言おうと口を開くと、しーっと口に指をあてた。そのまま音を殺すように近付くと枕を俺の横に置いて、そのままベッドに乗っかってきた。お互い、向き合うように横になって視線を合わせると、リアがにひひひ、と笑った。

 

「お泊りに来ちゃった」

 

「リア……全く」

 

 こつん、と額を合わせるように近づく。それにリアが応えるように手を―――指を絡めるように握ってきた。

 

「実はね、今日ちょっとエデンの顔色が悪かったから寝るのに苦労してないかなあ……なんて思っちゃって。私も今日は全然エデンといられなかったし一緒に眠ろうと思ったの」

 

「ありがとう、リア」

 

「良いよ」

 

 額を合わせ、視線を合わせ、互いに小さく笑みを零しながら枕を並べて眠る為に身を整える。俺は角が枕に刺さらないようにちょっとだけ気を付ける必要があるが……まあ、ここら辺は生活している上で気を付け方を学んだ奴だ。首の動きと頭の置き方にちょっとしたコツがあるんだ。リアが添い寝する為に忍び込んできたのも初めてではない。最初は少女が直ぐ横で眠る事にドギマギしていた事もあった。だけど今ではその人肌が恋しい。

 

 正面、リアが視線を合わせてくる。

 

「あのね、エデン」

 

「おう」

 

「私ね、奨学金制度を利用しようと思ったの」

 

「……勉強嫌いのリアが?」

 

 その言葉にリアは苦笑を零した。だけど事実なのだ、リアは勉強が嫌いで苦手だ。それこそスチュワートの授業は寝てしまうレベルで勉強に対する適性がないと言って良いだろう。それがいきなり奨学金制度を目指すと言っているのだから驚いてしまう。

 

「というかそんなものあったのか?」

 

「うん。ロゼと調べててね、国立エスデル学園……私が入学を予定している処にも奨学金制度とその枠が毎年10枠だけあるみたいなんだよね。学園の理念として優秀な者、勤勉な者、入学を志すものでその能力があった場合はたとえ金がなくとも入学出来るように……って制度らしいんだけどね」

 

 果たして、その制度に正直どれだけの意味があるかは怪しいと思うが。勉強ってのは当然だが金がかかる。教科書1つとってもかなり値が張るだろう。それを元に勉強するとなるとそれなりのコストがかかるし、平民で奨学金を手にするレベルで勉強用の資料を集められるとは思えない。中小貴族で頭は良いけど金のない所が入学する為の救済手段の様に思える。

 

「リアには無理だろう」

 

「うん、最初はそう思った。ロゼと一緒に見つけた時はあ、無理だな……って思ったの」

 

 でもね、とリアは言う。開いている手で此方へと手を伸ばすと、頬に触れてくる。

 

「今日、エデンを見て解ったんだ―――お金を稼ぐのって凄い難しく、辛いんだって」

 

「それは……」

 

「きっと私達は限られた手段からなるべく稼げる方法を探してるんだと思うんだ。お父様とお母さまならきっともっとスマートな方法を見つけるかもしれない。だけど私達ってそういう手段が解らなくて、選べる範囲から選ぶしかないでしょ? でもきっとそれって私が思ってた以上に過酷で大変なんだな……ってのが解ったの」

 

 俺にも、最終手段として龍の遺産を売る事を考えた。だがこれは、実質的に不可能だ。まずその大金を用意するだけの人間がこの辺境には領主しか存在しない。だからエドワードは家宝を領主に売却する予定なのだ。そして俺が龍の遺産を売ろうとすれば、必然的にその出所を聞かれるだろう。そして領主であればその経歴を遡る事だって可能だ。冒険者の遺品として処理しようとしても、それをギルドが調査するだろう。

 

 つまり、アレを売る事は出来ない。金には出来ないのだ。

 

 だから俺も、何らかの労働でしか金を稼ぐ事が出来ない。だが短期的に、集中的に金銭を得られる方法は本当に限られる。子供の身というのは社会的信用が存在しないから、まずはこいつは信用できる、仕事を任せられると思わせる必要があるのだ。だけどそれが俺達にはない。だから前提となる条件を満たせない。その中で俺が思いつけるのはこの強さを担保としたヤクザな職業、

 

 冒険者だ。

 

 冒険者は能力さえあれば稼げるシステムだ。名声と信頼を稼ぐ事だって出来る。

 

 ―――そのせいで今、苦しんでいるが。

 

「だからね、エデンを見て思ったの。私は恵まれているな、って。きっと頼めばエデンは凄い頑張ってくれると思う。けどね、私はそれが不公平だと思うの。どうしてエデンが苦しんでいるとか、どうしてエデンが辛そうとか……そういうの、きっと私は聞かない方が良いと思うの」

 

 だから、とリアは更に身を寄せて、頬をすり合わせるように密着する。

 

「私も、試してみるよ。自分がどこまでやれるのか。エデンが頑張っちゃう分、私もたくさん頑張るから」

 

 だから、

 

「―――エデンは、自分がやりたいままにやってね」

 

「俺の、やりたいままに?」

 

「うん。頑張って、とは絶対に言わないよ。きっと言ったら貴女は限界を超えて頑張れちゃうから。だから貴女が貴女のまま、出来る範囲で出来る事をやろう。私も自分の出来る事に挑戦するから……これで、私達対等かな?」

 

 リアの言葉に小さく笑い声を零す―――まだ小さく、幼いと思っていたが……知らない間に育っていたらしい。それが正解かどうかだなんて俺には解らないが、止めた方がいいって言われるよりは遥かに楽で、力が抜けそうだった。だから俺もリアを抱きしめ返すように腕を腰に回して目を瞑った。

 

「おやすみ、リア」

 

「おやすみ、エデン」

 

 身を寄せ合ったまま目を閉じる。寝苦しさはない。寝つきはきっと、心地の良いものになるだろう。彼女の好意とその甘えに俺は感謝して眠りにつく。

 

 だがもし、ここに一つだけ残念なものがあるとすればそれは、

 

 ―――悪夢は絶対に見る事だろう。

 

 

 

 

「エデン―――」

 

 その様子を見ていた。ずっと眺めていた。心を焦がす情動を必死に抑え込みながらずっと見ていた。健やかであれ、平和であれ、そう願いを込めて眺め続けている女神がいた。女神ソフィーヤはただ、雲上の庭園で夜風に晒されながら自分の心を占める少女の姿を見て、その平穏を祈り続けていた。それだけが彼女が彼女自身に許したことだった。超越存在―――神々は文字通りその存在が次元が違う。故に成そうとする事は成せる。

 

 それが神だ。

 

 故に()()()()()()()()()

 

 その果てにこの世が存在している。それ故にソフィーヤは多重にルールを敷き、それで自らを縛る事を決意した。そしてそれを破る事もなく守り続けている。だからソフィーヤの地上への干渉は極々僅かなものとなっている。たとえ地上で彼女の信仰が捻じ曲げられようとも、将来的に人が直面するであろう破滅が進行しつつあろうとも、それを理解していてもソフィーヤは口にする事はない。それが龍が滅びた時にソフィーヤが悟った己の過ちであり、反省であり、そして贖罪であった。

 

「エデン……私の可愛いエデン……どうか、どうか健やかに……お願い、平穏に生きて―――」

 

「―――相変わらず無駄な事を祈るのねソフィーヤ」

 

 ソフィーヤの庭園に、新たな姿が現れる。光を纏って庭園に侵入するのはソフィーヤ同様、神威を纏った存在。それが人の前に姿を現せば、その存在感のみで人の魂が圧死する様な、そういう領域にある神性存在。ソフィーヤと同格である神格。それがソフィーヤの言葉を否定するように登場した。しかし、ソフィーヤ自身放っている言葉は無駄であると理解している。先の事程度、既に見えている。だから祈るだけ―――神が祈るというのも、またおかしな話ではあるが。

 

「アルマサティア。無駄ではありましょう。ですが無意味ではありません」

 

「そうね、無意味ではないわ。それでも無駄よ。祈るなら貴女自身がその子を救えば良いのに」

 

 祈るように目を閉じて、両手を合わせていた手を降ろした。振り返り、光の神威へと視線を向けた。光の中で揺れる黄金の髪はまるでその精神性を表すものであり、人ならざる美しさを内包している。人にその輝きを模すのは不可能だろう。人がその美しさを真似るのは不可能だろう。その輝きは内側から溢れ出すもの、例え姿を完全に真似した所で天地程の差が出る、神々の神秘とはそういうものであり、人の身では永劫届かないものでもある。

 

 故に、咎人はどうしようもなくその輝きに焦がれる。

 

「私は、自ら動く事はもうありません」

 

「ルールで己を縛った愚かな神……そう言われているわよ」

 

「それで良いのです。信仰の時代は遠い未来には終わるでしょう。私の零落と終わりが皆と比べ多少早い程度の話です―――黄昏時は何時か絶対にやってくる。それは不可避であると誰もが理解している筈」

 

「そう? 回避しようと動く連中もいるわよ?」

 

「ですが私には関係ありません。私は愚かな女神ですから。ルールの範囲で求められれば応えますが―――それだけです」

 

「そう、龍の子の為に他を全て捨てる、と」

 

「言葉遊びですか」

 

「そうかもしれないわね」

 

 二柱はしばらく無言で睨み合うが、それも長く続かず、ソフィーヤは背をアルマサティアへと向けた。それをつまらなそうにアルマサティアは見届けた。

 

「貴女……本当に零落するわよ。地上の動きが解っているのでしょう?」

 

「把握しています。ですが、それだけです。私が迎えるべき破滅です」

 

「そう……なら私はもう何も言わないわ」

 

 言葉を残すと光の神が消え、再び静寂が庭園に戻る。消え去った虚空へと向かって小さくソフィーヤが感謝の言葉を告げる―――それも直ぐに風の音に掻き消される。

 

 祈りを捧げるように再び、下界へとソフィーヤが視線を戻す。

 

「エデン……ごめんなさい、私は貴女に償いたい。だけど……それは私が私を許せる範囲を超えていますから……」

 

 だから女神は祈り続ける。平穏と無事を、心のままに生きられる生を。

 

 それが絶対叶うはずがないと解っているのに。

 

 それでもソフィーヤは祈った。

 

 神たる身で祈る先もなく―――。




 感想評価、ありがとうございます。

 それでも答えは出ない。

 姉妹で、親友で、主従みたいな関係のリアとエデン。ならソ様とエデンの関係は何? って言われると一番的確なのは育児放棄した親子かな……。


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硬貨の重み

「―――おや、今朝はなんか調子が良さそうだね」

 

「そう見えますか? まあ、体は昨日よりも軽いです」

 

 朝起きて顔を洗って歯を磨いて―――そんな朝の支度を終わらせてから朝の仕事をする為に色々と駆け回っていると、エドワードと会った。エドワードは俺の働いているそんな様子を見て、顔色は大丈夫そうだと言ってくる。俺も不思議と気持ちよく眠れたからか体の調子は良かった。何よりも家で働いている時間が一番好きなのかもしれない。だからそうですね、と答えた。

 

「気持ちよく眠れたのと一回眠ってすっきり出来たのも良かったのかもしれません」

 

 不思議と昨晩は悪夢を見なかった。リアの温もりが俺を悪夢から守ってくれたのかもしれない。罪悪感は消えないけど、それでも気持ちをある程度持ち直すには十分な時間だった。少なくとも昨日みたいにぐるぐると悪い事ばかり考える事はない。今は少しだけ前向きに仕事に向き合えている状態だ。これでまた地獄を経験すれば話は別だろうが、あんな事が早々起こるとは思えないし、心配する必要はないだろう。

 

「それで……どうするか決めた?」

 

 エドワードの言葉にそうですね、と一旦区切り、

 

 冒険者を止めるか否かをエドワードを聞いてくる。それに対する答えは一晩経過した今、ある程度固めていた。だから俺はエドワードの問いに対して、軽くうなずいて返答した。

 

「もうちょっとだけ……頑張ってみようかと思います」

 

 その返答を予想していたように腕を組んだエドワードは此方を軽く見つめてくる。

 

「それは、何故だい?」

 

「逃げたくないからです」

 

 答えは以外にもあっさりと自分の口から出て来た。昨日は苦しんで、そしてリアに慰められて、それで考えた結果自分の中で出た結論がこれだった。逃げたくはないから……それが俺が俺に対して求める事だったのかもしれない。

 

「正直に言うと命を奪うというのは凄く辛いです。思ってたよりも、ずっとずっと辛いです。たぶん、俺が命を奪う事に納得する日が来るとは思えません。獣の命を奪うのはまだ耐えられるけど……昨日みたいに、子を守ろうとする親の姿を見てまた心を傷つけないか、って言われたらやっぱりまた凄い傷つくと思います。それでもきっとこれは逃げちゃいけない現実なんだと思うんです」

 

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 現実に対して贈る言葉はこうなるだろう。100%納得できる結末なんて存在しないし、誰もが幸せになれる物語でもない。俺が完全なる答えを出す事が出来ないし、結局のところ何をしても、何を考えても、絶対に満足できる現実なんてものは到底到達できるようなもんでもないのだ。だから辛い現実にぶつかるたびに嫌だ、辛い、苦しい、逃げたい―――だから目を背ける。

 

「きっとそうやって辛かった現実から目を背けていたら一生、辛い事から目をそらして逃げ続ける事になるんだと思うんです」

 

 昨晩よりは頭がクリアに考えられる―――昨日感じたショックが時間と共にある程度抜けてくれたおかげなんだろうな、と思う。だけど結局はそういう話でもある。感じられた苦しみも痛みも、時間と共に薄れて忘れて行く。その痛みが完全に抜けきるまで人が選べるのは痛みを忘れるか、それとも痛くないフリをする事か。

 

「きっと俺の反応が世間一般からすると過剰なんでしょうけど……それでも自分が奪った命、自分が殺したという事実、自分がエゴイズムを押し通してしまったという事をきっと覚えていないといけないんです」

 

 モンスターはモンスターで、人は人。それはそれ、これはこれ。それで物事を分けられたら物凄い楽なんだろう。だけどきっと、人の姿や人に近い行動を取るモンスターを見る度に、俺は人とモンスターの違いに苦しむと思うだろう。だからその度にそれはそれ、これはこれと自分に言い聞かせないとならない。

 

「それでも、事実と現実からは逃げちゃいけない……そう思いますから。頑張ってみようかと思います」

 

 リアは俺が苦しんでいる姿を見て、応援してるとか、頑張ってとかは絶対に言わなかった。ただ寄り添って、その上で自分が自分の為に出来る事を探した。俺はリアのその姿に思ってたよりも救われていた。あの娘は俺が思ってた以上に心が成長していた。他人を想える娘に成長していた。無責任な言葉を口にしないように、気を使える子になっていた。まだ若いのに、他人の痛みに寄り添おうとする子になれた。彼女のそんな姿が嬉しかったんだ。そして苦手な事に正面から向かおうとする姿に、俺も決して負けられないと思った。

 

 妹分には負けられない。姉として。それが俺の結論なのかもしれない。

 

 せめて、彼女にはカッコいい姉の背中を見せていたい。

 

 それを聞いてエドワードは腕を組んだまま、ふぅ、と深い溜息を吐いた。その上で手を伸ばして優しく俺の頭を撫でて来た―――思えば、この人は結構良く俺の頭を撫でてくる。親愛を込めるように、それを伝えるように。

 

「君は―――少し、背伸びしすぎていると僕は思う」

 

 エドワードは、寂しそうにそう言った。

 

「背伸びをしている子供の様で……まるで積み上げられた経験を元に言っているようにも感じる所がある。どことなく、言葉に実感があるとも思える。だけどね、僕たちからすれば君はまだまだ未来ある若い娘で、もう一人の娘みたいなものなんだ。最初は拾いものだと思った部分もあったけど……今では君も、立派なグランヴィル家の一員だ」

 

 だから、

 

「君がそうやって痛みと向き合おうとする姿、誇らしくも寂しく、そして悲しく思う。そういう事は本来、まだ君が知るべき事ではないし、向き合うべき事でもないんだ。君は少し、大人びているから僕もどこか君に頼ってしまっている部分があったのかもしれない……とはいえ、苦しいなら逃げて良いんだ。痛いのなら泣いても良いんだ。君はまだ子供なんだ。それがまだまだ許される年頃だから存分に逃げて欲しかったんだけど……」

 

 頭を横に振った。

 

「恰好悪い所は、リアに見せられません」

 

「なら僕が言える事は、好きにやっておいでってだけだ。我慢はしなくて良い。辛く感じたら逃げれば良い。ここは君の働く場所であるのと同時に、帰るべき場所だ。辛く感じたら何時だって逃げてきて良いんだ。それを、決して忘れないでね」

 

 苦しみと別離が出来た訳じゃない。死に対して答えが出た訳じゃない。殺すのは悪い事で、その事実から目を背ける事は出来ないんだろう。だけどまだ折れない以上はまだ進む事が出来る。何時かは向き合わなきゃいけない現実なら、覚悟をもって向き合える時に向き合わないとならない。

 

 それがこの、決して優しくはない世界で生きる方法なのだろう。俺はそれを漸く理解した。

 

 苦しみは、抱えて行くものだと。

 

 

 

 

 冒険者を続ける事にした俺は早朝の仕事をさっさと終わらせた。もう5年間やってきている事なので仕事の内容は暗記しているし、難しい事もない。片付け終わったら熊と馬を呼び出して街へと向かった―――最近熊と馬の間ではどうやら移動のバリエーションを増やす為に新入りを勧誘する動きがあるらしいが、お前ら何かおかしくない? とはよく思う。とはいえ便利な移動手段があるのは事実だし、そこら辺は不問にしておく。これからもこの龍王の旅を快適にしろよお前ら。え? 次は飛行系を仲間にする? そう……。

 

 野生生物のルールや生態は良く解らん。こいつらワータイガー以上に意味わからん。

 

 入口の衛兵と一緒に野生動物の概念を疑う時間を終えてから街中に入り、そこから迷わず寄り道する事もなくギルドへと向かう。昼も夜も金と仕事に飢えた者共が集うギルド内へと向かうと、何時も通りの冒険者や飲んだくれの姿の中に、素朴な格好―――つまり、ギルド内ではまず見る事のない村娘の姿がギルドで見られた。

 

「……アイラちゃん?」

 

「あ……エデンさん!」

 

 声をかけてみればやはり、アイラだった。先日村が賊に襲われたもののギルドによって救出されたという所の娘だ。やっぱり見れば見る程特徴の薄い娘だなあ、と思いながら歩いてカウンター前まで近づく。その向こう側では少し困った様子のウィローの姿があった。此方を見つけると少しだけ元気を取り戻す姿を見て、思わず苦笑を零してしまう。

 

「昨日の話と報酬の受け取りに来たけど……どうしたん?」

 

「私、その、是非ともギルドで働かせてほしい……と思いましてっ!」

 

 ぐ、っと拳を握りながらアイラがそう言う。その様子にあー、と声を零した。ギルドの冒険者に救われたから憧れてしまった、と。なんだが既知感のあるパターンだと思った。とはいえ、アイラが目指しているのは冒険者ではなく、ギルドのスタッフの方の様で、

 

「雑用でも何でもします……なので、どうか、働かせてください……!」

 

「と、いう様子が今朝から続いていてね。まあ、忙しい訳じゃないから別に邪魔になってはいないんだけど……解るよね?」

 

 周囲へと視線を向けてからウィローが同意を求める様な視線を俺へと向ける。俺は特殊ケースなのでこの荒くれ共は平気なので両手を持ち上げてさあ? というポーズを取る。

 

「俺はただの冒険者だしなぁ。そこら辺の人事権がギルドマスターにあるとして、ウィローはマスターにここら辺放り投げちゃえばいいんじゃないかな」

 

「その本人が今外出中だからね、判断を下せないんだよ」

 

「……と、いう訳だアイラちゃん。ギルドマスターが戻ってくるまでは大人しく待っていた方が良いよ」

 

「そう、なんですか? その、迷惑かけてしまってごめんなさい」

 

「いやいや、此方も職員が増える事には仕事が楽になるし文句はないよ。女性職員が増えるだけでも華やかになるだろうしね……さて、エデン。君の方は昨日の報告と受け取りかな? うん、一晩経過して顔色は良くなったみたいだね」

 

「その節はどーも。とりあえず受け取らない事には話は進まないので、宜しくお願いしやっす」

 

「うん。それじゃあとりあえず昨夜の報告、受けようか」

 

 ウィローの言葉に頷く。すると此方へと向かって床を滑って椅子がやって来た。視線をテーブルの方へと向ければサムズアップを向けてくる冒険者の姿が見えたので、軽く感謝するように手を振って椅子に座った。注意深く観察してみれば、周囲では聞き耳を立てている冒険者たちの姿が見える……どうやら昨日のワータイガーに関するアレコレを誰もが気にしているらしい。こういうの、別に個室でやる訳じゃないんだなぁ……なんて事を思いながら昨日の経験を説明し始めた。

 

 まずは昨日、街道の衛兵達とあった事、そこにワータイガーが襲撃を仕掛けて来たこと。

 

 そこから俺が追撃して森の中へと飛び込んで行った所。そしてそこまで話した所でストップをかけられた。

 

「昨日はさらっと流したけど……君、あの森に飛び込んだのかい? その格好と装備で?」

 

「そうだけど?」

 

「えぇ……」

 

 ウィローどころかギルド全体が引くような姿を見せたので、振り返りながら両手を広げた。

 

「おい! 美少女相手にその態度はないだろお前ら!」

 

「外見が美少女でも生態が怪物なら誰だって引くわ!」

 

「あそこ、奥に進めば進むほど毒虫と毒草の宝庫だぞ? そん中を突っ切ってきたんだろ? 何をどう足掻いても引くわ」

 

「頼まれても絶対に行きたくないぞ。絶対に赤字になるわ」

 

「えぇ……酷い……」

 

 まあ、確かに人間には割と辛い環境かなあ……なんて思ったりはしたが。それはそれとしてそこまで引かれるのはちょっと納得がいかない。俺だって立派に仕事を果たしたじゃん! なのに引く事はないだろ! 引く事は! まあ、俺もアイツら側だったらドン引きしてるだろうけど。

 

 とりあえずリアクションが収まったら話の続きをする。花畑の突破や、トレント集団突破の話をすると見ている側が頬を引き攣らせてくるのが見ていて面白かった。やっぱ人類には無茶なやり方だっただろうし、それを誘導してくるワータイガーも相当な難敵だったのだろう。やっぱアレ、値段に対して強すぎると思う。

 

 そこからは後は追いついて、戦って、後処理をして、帰ってきた話になる。そこも全部ウィローに話し終えると、その手元は話していた内容を報告書として纏めあげている最中だったのが見えている。話し終えた所でしばらく書き込み続けるとふぅ、という息と共にウィローが書き終えた。

 

「お疲れ様エデン。聞いている話、相当な難敵だったみたいだね。たぶん君以外が行くとなると相当面倒な準備と、ワータイガーを逃がさずに処理する事を考えなくちゃいけなかっただろうね……でもその場合は巣へと戻す事もなかっただろうし、巣にいる子供の処理も出来なかったかもしれない。そういう意味では今回の件、間違いなく大活躍だったよ。本当にお疲れ様」

 

「うっす」

 

 そこまで褒められるのもなんというか、複雑なものを感じるが。だがここでは命を奪って褒められる場所なのだから当然と言えば当然か。

 

 胸に軽いもやもやとした物を抱えながらも、とりあえず報告は終わっているし、提出も終わっている。

 

 残すは、

 

「さて、それじゃあ報酬の話をしようか」




 感想評価、ありがとうございます。

 冒険者基準からしてもエデンの突破力と耐性は異常of異常なので、当然ながら話を聞いているとドン引きする。

 ちなみにギルドか領主主導でワータイガー狩りが発生した場合、囮を使って呼び出した上で十数人で囲んで、多重デバフをかけながら動きを封じて反撃を許さず一方的に嬲って処理してました。移動阻害、攻撃阻害、呼吸阻害等を重ねて処分したら巣がないかを確認する為の調査隊を編成していた。

 この場合、巣の発見は数か月単位で遅れて他の子どもを食べて生き残った子が新たな変異個体として覚醒成長してました。


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硬貨の重み Ⅱ

「金額が金額なだけに小切手で渡すね。こっちはその内容。ちゃんと確認してね」

 

「うす」

 

 ウィローからやや手を震わせつつ受け取った小切手をバッグに詰め込んで即座に保存、受け取った金額の内容をすぐにチェックする。すかさず見ようと群がってくる連中を足で蹴り遠ざけつつ確認する値段は驚きの―――28万。見たことも聞いたこともない超大金が一気に懐に入ってきた。一瞬、白目を剥いて卒倒しそうになるのを堪えつつ確認を続ける。

 

 ワータイガーが12万、ワータイガーの素材で13万、2万が子供とミイラ化していた番、そして1万がワータイガーの関連依頼による報酬。遺品回収とか、調査とかの報酬って実はかなり安いんじゃないかとこの内容を見て思うが、実際のところ1万も稼げれば3か月ぐらいは安定だろう。グランヴィル家が1か月1万の生活費がかかっているのは単純に人数が多いのと、俺とアンの給金が発生しているからだ。俺は別にもう、お給料もらわなくても良いと思っているのだがそうもいかないらしい。

 

 とはいえ、28万……驚きの値段になった訳だ。

 

「これ、素材の方が値段高くなってるけど?」

 

「死ぬ事しか価値のない相手より使い道が多いからね」

 

「凄い納得した」

 

「ぶっちゃけると皮は使い道が多数ある。観賞用にも防具にもね。爪牙骨は武器に、内臓は食性の調査に、血肉も調査にかけたり……まあ、色々と使い道があるんだよ。特にあのワータイガーは人肉を集中的に喰らって、効率的に人肉からエネルギーを摂取するように進化していた個体だったしね。どうしてそうなったのか、何が原因だったのか。それを死体から調べるのは再発を防止する意味でも重要な事なんだ。そういう意味でも今回、君が死体をかなり綺麗な状態で持ち帰った事は喜ばしい事だよ」

 

「綺麗な状態かあ……?」

 

 内臓ぼろりしたり腕を砕いた記憶があるんだが。後は体も真っ二つにもした。それであってもまだ状態は綺麗な方だとウィローは説明する。

 

「基本的に賞金首を狩る時は手段を選ばないケースがほとんどだからね。徹底して嬲って体力を削って、一切の勝機を奪って封殺するパターンが最も安全だ。だけどその過程で素材に使えそうな部位の多くがダメージを受けちゃうからね。君みたいに圧倒的な暴力で瞬殺できる殺し方は珍しい方だよ……そうだね、“金属”でも上位の方に行かなきゃ見れないんじゃないかな」

 

「ほえー」

 

 となると、俺の戦闘力は大体“金属”の上位だと思えば良いのだろうか? あくまでもスペックによるごり押しがメインだからまともに評価できるとは思っていないのだが……それでも自分がどれだけできるのか、その基準が把握できるのは悪くはない。じゃあ俺に未だに勝ち続けてるエリシアって一体なんなのアレ? もしかして“宝石”級あるのか、あの人……?

 

 ともあれ、これでまあお金の回収は出来た。かなりびっくりしたしこれで10分の1どころか5分の1以上の金額を回収する事が出来た事は予想外の幸運だった。これはちゃんと、全額リアの学費と俺の中央での滞在費の為にプールさせて貰おう。大きい金が入ったからといって少しだけ手を付けるのは悪い金の使い方だ。そういう事やってるとお金は直ぐに消えて行くんだというのは、日本にいる時に良く理解して覚えた。バイト代、何時の間にか課金に消えてくんだよな……。

 

「エデンみたいに特殊装備もなし、消耗品使用なしで突破して帰ってくるケースは本当に異常でしかないから、その金額が絶対に普通だとは思わないでくれよ。本当ならそこから人件費、修理費、補充、休息、生活費が入る上に装備の更新とかまで来るし、賞金首の素材の状態では全く素材報酬も入らないからね」

 

「あー、そっか。そういう出費もあるんだなあ」

 

 しかし手数料諸々差っ引かれてこれなんだから凄い。こっちの28万だから日本円で280万だ。そりゃあ夢もある訳だわ。この感じ、最初の目標の3体だけで1年目の学費は何とか稼げそうな感じはする。とはいえ、ワータイガークラスの奴がほいほい出て来た所で困るのも事実だ。あんな怪物が頻繁に出てくるようならこの辺境もおしまいだ。このレベルで稼げるのは数年に1度ぐらいだと思った方が良いのかもしれない。

 

「それで、今後はどうするんだい?」

 

「タイタンバジリスクかなぁ、次は」

 

 正直メンタル以外は全くの健康なので連戦したところで一切の問題がないと言えば問題がないのだ。とはいえ、ウィローは数日空けた方が良いと進めてくる。療養と準備を取って数日から数週間準備するのが冒険者の通例という奴らしい。だとしたら俺も休むべきなのかなぁと考えるが、休んだ所でやる事は特にないのだ。だったら普通にそのままタイタンバジリスクまで討伐すれば良くない? ってなる。

 

 やるか?

 

 やろう。

 

 やることにした。

 

「もう行くんだ……じゃあ先にやっておくかな。カード出してくれる?」

 

 ウィローの言葉に首を傾げ、カードと言えば冒険者カードの事だからそれを取り出すと、受け取ったウィローはそれに軽く加工を行う。返して貰ったカードを確認するとランクがリーフからウッドへとランクアップしていたのが見えた。

 

「おぉ……昇級してる」

 

「リーフからウッドへの昇級は一番簡単なもので、3種類の異なる依頼を達成する事だよ。討伐、調査、調達回収依頼の3種達成で昇級だよ。まあ、扱いとしては最底辺で変わりはないから。脱却したいなら早めに依頼件数をこなす事だね。ウッドからペーパーに上がるには最低で依頼を50件達成、ペーパーからレザーに上がるには50件を更に達成した上でギルドの指定依頼を5件達成する事だよ」

 

「まあ、そこら辺はゆっくりやるわ」

 

 返して貰ったカードもバッグに突っ込むと、ウィローが確認してくる。

 

「それで……本当にタイタンバジリスクの討伐に行くんだね?」

 

「まあ、メンタル的に疲れた事を抜けば無傷だから。服を汚す事さえできなかったしなあ。別に連戦でも体力的には問題ない感じ。石化とか毒とか呪いとか、全部効かないしなぁ」

 

「エデンちゃん、そこら辺軽く人類じゃねぇよな」

 

 サムズアップで横から飛んできた声に応えるが、良い線行ってるじゃんかお前! 人類じゃないぜ俺! 人類の姿してる半神的存在だぜ俺! 実質的にそれって忍者なのでは? と一瞬だけ考えて忍者エデンとかを想像した。そういや全く考えもしなかったが東方とか極東みたいな場所がこの世界にも存在しているらしいし、そっち方面に行けば忍者とか侍もいるのかもしれない。

 

「まあ、俺ばっかり稼いでも悪いし、バジリスク狩れたら3000ぐらいで皆になんか奢るよ。ここら辺がイケメンがイケメンである秘訣」

 

 口にした瞬間回りから歓声が上がってくる。

 

「楽しみにしてるわ」

 

「頑張ってこーい」

 

「今日中に終わるのに1000」

 

「明日帰ってくるのに1200」

 

「人で賭けるなお前ら」

 

 それでも帰ってくる事を前提に話をする辺り、誰も俺がバジリスクの餌食になるとは思っていない。そこら辺、ちゃんと戦力の計算が出来ている辺境冒険者の優秀っぷりを証明している。まあ、これだけの実力を示した上でフロックだとか言われたら俺もどう反応すればいいのか解らないのだが。どうせ装備だって大層なもんはないし、ディメンションバッグさえあればどこにでも行けるのだ。このまま馬か熊かで縄張りまで突撃してしまうかと考え、所在なさげにしているアイラの姿を見て、微笑んで手を振りつつ出口を目指した。

 

「夢、叶うと良いね」

 

「は、はい!」

 

「じゃ、こっちはこっちで銀行への連絡と解体業者の手配しておくかな―――あ、バジリスクの血液は貴重な素材だから全部流さない方が高く売れるよ」

 

 サムズアップを背後に見せながらギルドを出て行く。俺も、少しは連中のノリに慣れて来ただろうか……? そんな事を考えながらギルドを出ると、ギルドの前でエレキギターを片手に待機している金髪長髪のヴィジュアル系の兄ちゃんが出待ちしていた。普通の人間との違いと言えば21世紀にありがちなV系バンドの黒い衣装に背中から黒い翼を片翼だけ生やしている事だろう。ビジュアルも何もかもこの中世近世が入り混じったファンタジー世界では早すぎると表現できるルックスをしている兄ちゃんこそが魔界の住人、魔族。

 

 その名前もルシファー。

 

 絶対ロクでもない奴だというのが名前だけで解ってしまう、今地上で最もロックな奴だ。

 

「るっしーじゃん」

 

「Yo、マイフレンドエデン……地上に残された最後の楽園よ」

 

 そう言うとビシ、とポーズを決めるルシファーを見て、こいつ地上生活をエンジョイしているよなあ、と思う。

 

「前々から思っていたんだけどエレキギターって時代先取りしすぎてない? ジャズとかブルースから音楽文化発展させないと人々があのサウンドについてこれないでしょ」

 

「それは滅茶苦茶ある」

 

「あるんだ……」

 

 エレキギターを膝で叩き割って粉砕すると、それをポイ捨てする―――が、それが何かに触れる前に静かに音もなく消え去る。シャキーン、という音が出そうなポーズを軽く決めてからルシファーはしばらくそのままたたずみ、

 

「ジャズ……流行らせてみるか……!」

 

「ジャズ、アレちょっと洒落たバーなんかで演奏されていると気分アガるよね」

 

「超解る」

 

 魔界、実は地球疑惑がこいつと会話する度に上がってくる問題をどうにかして欲しい。

 

「まあ、それはそれとしてお前今日は俺の事出待ちなんかしていて一体どうしたんだよ」

 

「あぁ、そうだった。これこれ」

 

 そう言うとルシファーが虚空から一枚の名刺を取り出した。それを受け取り確認してみれば、魔界商会“ジュデッカ”なるものの名刺であった。聞いたことのない商会だし、そもそも魔界商会とはなんぞやという話でもある。一応受け取った名刺をバッグの中に収納するが、それはそれとして扱いに困る。

 

「なに、これ」

 

「今度マイペンフレンドがこっちの世界で商会を始めるとかいう話をしていてね。取引相手を探しているんだ。魔界では手に入るけど、こっちでは中々手に入らない物とか色々あるだろう? そういう物をメインに流通させてみようって感じの動きがあってね。フレンドはこれから先が長いだろうし商売相手としては良いんじゃないかと思ってね―――ほら、人の命って短いだろう?」

 

「うーん……まあ、ありがとう。貰っておくよ」

 

 あまり、俺の寿命が長いとか……そういうのは正直、あまり考えていないし考えたくもない。まあ、なんとなく察している案件ではあるのだが。それでも今ある人達がこんなにも必死に、楽しく生きているのが別れなきゃいけないとか、そういう事を考え始めたらたぶん、俺、一生部屋から出られなくなってしまうかもしれない。ちょっと耐えられそうにない現実だし、今はまだ見ない事にする。未来の俺が何時か解決してくれる問題だと思っておこう。

 

「フレンド」

 

「うん?」

 

「長生きの秘訣はその時その時を全力で生きる事だぜ」

 

 そう言ってサムズアップしてくるV系魔族の言葉に軽く笑い声を零し、ありがとうと告げて別れる。別れ際にサックスを取り出している姿を見てアイツ、早速ロッカー止めるのか……なんて事を考えながらさっさとバジリスク狩りへと向かう為に街の出口へと向かう。

 

「お、もういるのか。感心感心」

 

 街の外を見れば滅茶苦茶警戒している衛兵と共に、乗り物として利用している動物たちの姿があった。駆け足で街の外に到着すると、凄い勢いで衛兵がこっちを睨んでくる。もしかして街の入り口塞いでた? と思って動物たちの姿を見た。

 

 そこには綺麗に座って待機する熊、馬、そしてロック鳥の姿があった。

 

「―――うん?」

 

 もう一度良く動物たちを見ると、そこには人よりも大きな鳥の姿があった。前、モンスター図鑑で見た事がある奴だ。確かロック鳥と呼ばれる大型の鳥モンスターで、気性が荒く人を襲う事で有名な奴だ。現に今、俺が視線を向けるとロック鳥が威嚇しようと口を大きく開き、

 

 横から飛んできた熊のパンチと馬のキックで一瞬で黙らされ、ヒエラルキーが証明されていた。

 

「えぇ……お前ら何やってんの……」

 

「ヒヒィン」

 

「グォ」

 

「ぴぃ……」

 

「鳥の声が一番弱々しい」

 

「危険モンスターの筈なんだけどなあ……?」

 

 衛兵もどう対処したらいいのか解らず武器を構えては首を傾げまくっている。いや、その気持ちは俺にも良く解る。でも馬と熊の方はドヤ顔を浮かべている。どうですかこいつ、便利ですよ!? みたいなオーラを全身から放っている。うん、言いたい事は解るが……なんというか、おかしくない?

 

 君ら本当に馬と熊なの??




 感想評価、ありがとうございます。

 新たな足の確保、ヴィジュアル系魔族(?)の登場、アイラちゃんのレギュラー化。登場人物はますます増えて行く。幼少期は狭い範囲の世界だったけど、大人になるにつれて行動範囲が増えるという事は出会う人も増えるという事。

 ちなみに馬と熊は生物学上は完全に馬と熊です。

 それはそれとしてSionさんがまたまた描いてくれました!
 
【挿絵表示】


 これで超高速で突進して全攻撃弾きながら叩き切ってくる装甲戦車みたいな女らしいですよ。ガードの緩さからのギャップが酷い女だ。ありがとうございます。


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硬貨の重み Ⅲ

「ははー、これが飛行手段を得るって事か。最高に気持ちいいな」

 

 ゲームで言えば後半に入らないと手に入らない筈の飛行手段だが、考えてみればそういう常識にとらわれる必要もない。移動する上で最も早く、便利なのは飛行だ。地形を無視し、そして気流に乗る事で地上の数倍の速度を出す事ができる。この世界においても飛空艇は数少なく、その為に最高級の移動手段となっている。それこそ保有できるのは大規模な商会か、或いは王族ぐらいだろうか。だがそれは大量の人や物資を輸送するという前提での話だ。個人を飛ばすだけなら飛行可能な生物の背を借りれば良い。

 

 今の様に。

 

 馬と熊が上下関係を解らせたロック鳥は巨大な鳥だ。伝承では象すら食らうほどの巨体を持つと言われるロック鳥の体毛は白と茶が入り混じっており、人を3人程度だったら楽々と背に乗せて飛べるほどの力強さを持っている。その生命力の高さと速度は地上のあらゆる生物を振り切って千里をかける―――飛行可能な生き物とはそれだけで強く、他の生物の上位に立つ。

 

 現代における戦術で航空爆撃が有効なのはもはや有名だ。届かない高度からの攻撃に対処できる生物は少ない。そしてロック鳥はそれが可能な生き物だ。地上の生物では到底敵うはずがないのだが……何故かこいつは熊と馬に負けていた。

 

 どうして?

 

「……まあ、いっか。お前も良く付き合ってくれるな」

 

「……」

 

 ロック鳥が顔を僅かにずらして視線をこっちへと送ってくる。その視線はしっかりと上下関係を叩き込まれた若造のもので、“あの連中どうにかなりません? ねえ?”みたいな感じの視線をしている。まあ、俺もあの謎生物共はどういう生態をしているのか良く解っていない。そもそも乗り物募集したら勝手に野生から生えてきた生き物なのでどこから来たのかさえも把握していない。いや、そこら辺マジで謎なんだわ。しかも大体どこにいても呼び出せばやってくるし。

 

 お前らマジでなんなんだ? まあ、それを考えた所で解る訳もないので別にいっか、って感じはするが。

 

 そんなどうでも良い事を考えながら空を行く。

 

 地形を無視できるというのはそれだけで大きなアドバンテージだ。お蔭で地上の危険や障害物を無視して真っすぐ目的地まで飛ぶ事が出来る。その影響もあって本来であればもっとかかるであろう移動時間も、大幅に短縮する事が出来る。荷物そのものはディメンションバッグに詰め込んでしまえば良いという事もあって俺とは非常に相性の良い騎乗生物だった。荷物はバッグの中だから乗せる人の事しか考えなくて良いのだから。

 

 そんなこんなで俺がタイタンバジリスク討伐の為に目指しているのは辺境北西部、アルヴァの岩場と呼ばれる場所だ。細かい話をすると北西から更に西へと向かった辺りなのだが、ここら辺の細かい話はしていた所でしょうもない。街からはそれなりの距離のある場所で、行くとなると一部の探索地を経由する必要が出てくる。

 

 そう、辺境での移動とはそれだけで大変なのだ。探索地へと繋がる道は明確に道ではなく、安全も確保されていないから場合によっては追いはぎだって出てくるし、モンスターだって街道に顔を出す事もある。探索地にも明確な道がないから事前に地図を入手した上で自分で安全確保しなきゃならないし、探索地に到着した後は帰り道を進まなきゃいけない。これから行くアルヴァの岩場は良質な石材を確保するための領主がある程度道を造成して整備してある場所だから、行くだけはそれほど難しくはないものの、草原地帯を抜けなくてはならないからソコソコ到着に時間がかかる。

 

 だが地上のモンスターなどを無視できる空路であれば、そういう面倒な部分は全部カットできる。ロック鳥様様である。

 

 そういう事で飛行して1時間、あらゆる地形を無視して目的地近くまでやってきていた。エーテルと自然に溢れる辺境という土地は環境というものを激変させる。トール街道とその横に広がる森林を見れば解るが、濃いエーテルというのは環境やその生物に対して影響を与えやすい。解りやすく言えば変容や進化、変異の類を引き起こしやすく、動植物に対する成長促進効果があると言えば良い。その為、辺境では人も動物も植物もモンスターも、強く育ちやすい。

 

 当然環境そのものへの作用もあるから、草原がいきなり森へと切り替わり、それが荒れ地へと変貌するというのも良くあることだ。原因が何かといってしまえば土地や環境特有の属性がエーテルと結合した結果がなんやかんや、というのが学説らしいものの、それを知った所で賢くなる以外のメリットは特にないので割愛する。

 

 故にこの岩場も特殊なエーテル環境によって唐突に生まれた場所の一つであり、そこに適応したモンスターが多く生息している。それでも利用されるのは、良質な石材は建材として重用されており、人口の拡大や生活領域の拡大に伴って石材の需要は増えて行くからだ。特に辺境の様に開拓最前線の土地となるとその需要はかなり高くなってくる。つまりそれだけ件のバジリスクは厄介な事になっている、という事だ。

 

 そんな岩場の付近に到着すると、岩場の全容が見えてくる。草の大地がごつごつとした荒野と荒地へと変わって行く境目へと視線を向ければ、そこには数台の馬車が置いてあるのが見えた。もしかして石切り場の利用者だろうか? そう思うものの、見えてくるのは武装した集団だ。その姿にあちゃあ、と声を零す。ロック鳥の首を軽く叩いて降下準備に入らせる。

 

「先を越されたかなあ、これ」

 

 当然ながら同業者は他にもいるのだ。クラン規模で狩りに来ている連中かもしれない。そう思って確認の為にロック鳥を降下させながら背の上から軽く手を振る。一瞬、襲撃かと身構えていた者達は背に少女が乗っているのを見て武器を握る手を緩めずとも、警戒した様子のまま即座に攻撃に移らないようにした。

 

「すいませーん、タイタンバジリスクもう狩られちゃいました?」

 

 ロック鳥の背から降りながら地面に足を付け、近くにいた男へと質問を投げかける。装備の様子からすると戦闘に特化したタイプで、金属の軽鎧を装着し、左手には大盾を握っている。ロック鳥から降りて話しかけてきた此方に驚くような姿を見せるも、

 

「お、おぉ……いや、これから狩りに行く予定なんだが? アンタはなんだ……?」

 

 俺を見て首を傾げている辺り、辺境の新参だろう。少なくともグランヴィル家に仕えている俺の事を知らない人間はここら近辺にはいない。俺とロック鳥を何度も交互に確認する男の様子に、片手をあげて挨拶をしつつ、

 

「じゃあ俺が今から狩りに行っても問題ないよな?」

 

「あ、いや、それは……」

 

 目の前の男はロック鳥を見ながらどう返答したらいいものかを悩んでいる。周辺からの視線もロック鳥に集中しており、あの巨大な怪鳥を刺激したくはないという意思が見て取れる。大丈夫だよ、こいつ馬と熊に負ける程度だから。まあ、人間ぐらい丸のみにできそうだけど。見てくれよこの顔を、滅茶苦茶威厳を保とうとして可愛いだろう?

 

「すまない、タイタンバジリスクの討伐であれば此方が先約だ。手を出すのなら此方の後にして貰えないだろうか」

 

 そう言って男の背後から出てきたのは金髪をハイポニーに纏めた女の姿だった。動きやすさを重視した鎧姿はハードポイントだけを採用し、残りは革鎧で補っている。腰には長剣を装着した女性は背筋も真っすぐ伸ばした綺麗な女性だった。俺とは違ってちゃんと肌を全部防具やタイツ、長袖で隠している辺りちゃんとした人だと解る。

 

「“放狼の団”の団長を務めるイルザだ、宜しく頼む」

 

「エデン、宜しく」

 

 手袋に包まれた手でお互いに握手を交わす。

 

「見ての通りタイタンバジリスクは我々で狩る予定だ。これから手を出す予定だと言うのなら手を出さないでいて貰いたい。見ての通り此方は狩るのに相当準備を整えさせて貰った」

 

 周辺を見れば大盾を持った団員たちが多くみられる……恐らくそれが石化対策の装備なのだろう。馬車を5台保有しているのを見る限りソコソコの規模がある団だし、準備を整えて来たというのも嘘ではないのだろう。しかしギルドで姿を見かけなかった辺り別のところから流れて来た連中か、俺が出払っている間に情報を得た者だろう。参ったな、バジリスクの賞金も割とあてにしていただけに取られるのは痛い。

 

 とはいえ、ここで知るか馬鹿! 俺の獲物だ! とか言って突撃するのはマナーが無さすぎる。

 

「ならせめて見学させて貰っても良いか?」

 

「邪魔をしないのなら此方としては構わない」

 

 イルザは軽く頷いてから快い返事をくれる。良かった、対応は硬いが悪い人ではなさそうだ。

 

「ありがとよ」

 

 返答に感謝を伝えると回りから野次が飛んできた。

 

「どうせ嬢ちゃんの出番はないんだから、馬車の中で俺と休まないか?」

 

「別に終わった後でも良いぜ」

 

 男所帯というか、周りを見渡すと男の数が多い。女性の傭兵だろうか? はこの団長を含めて数人程度だ。まあ、職業的に女性が少ないのはしょうがないが、無遠慮に下品な視線を向けられるのは正直イラっと来る。なので足元にあった拳サイズの石を軽く蹴り上げ、それを手に掴んだまま圧縮して握りつぶす。

 

 握力で手の中のそれを砂に変え、手の隙間からさらさらと零して行くのを見せつければ周囲の男共が一瞬で黙った。その様子にロック鳥が首を傾げながらこいつら正気か? みたいな視線で周囲を見ている辺り、周りの雑魚よりもこのロック鳥のが賢いのである。でも、まあ、根無し草のモラリティと知能なんて大体こんなもんか、と納得する。

 

「ウチの団員が不愉快な気持ちにさせたようだな、すまない―――貴様らも目の前の相手の実力を測る能力を付けろ! ……全く、規模が大きくなるのも考え物だな」

 

 そう零すとイルザは戦闘準備の為に別の馬車へと向かって行く。それを見届けてからまだ、自分に視線が集中しているのを察してロック鳥の首筋を撫でる。ロック鳥は首を傾げながらやりますか? やっちゃいますか? という感じの視線を送ってきている。

 

「そういう血の気はいらない。血を見るのは嫌いなんだ」

 

「くぇ」

 

 うっす、と頭を下げてくるロック鳥の頭を軽く撫でてから一団から離れるように馬車群の外に出て、連中が準備を整えている姿を遠目に眺める。

 

「なんというか……モラルが低いなあ」

 

「くぇ」

 

「それともこれが普通なのか? いや、たぶんこれが普通なのかなあ」

 

「くぇぇー」

 

 冒険者のクラン、ってよりはどちらかというと傭兵団に姿が近いように見える。種族の混成は薄く、装備はより戦闘向けで練度があるように見える。馬車が複数あるって事はそれだけ儲けているという事でもある。とはいえ、見かけたことのない集団って事はウチのギルドではなく別のギルドか中央辺りからやって来た連中って事になる。辺境の冒険者の質が高い事はよく理解しているだけに、こういう見たことのない連中がどこまで出来るのかというのは解らないし、興味はある。

 

 中央の冒険者の質とは果たして、どんなもんなのだろうか?

 

「だけど、そうか……こっちでは競合しなくても他所では競合する可能性もあるんだな」

 

 高額賞金首のソロ討伐。素材も賞金も俺1人で独占できるし、ここには“宝石”がいないから俺一人で美味しい所総取り出来ると思っていたが、こういうケースもあるんだな、と呆然と眺める。少なくともちゃんと準備が整えられて挑戦しているのであれば普通にタイタンバジリスクは狩られるだろう。リアの学費の当てにしていただけに結構がっくりと来る。

 

「……」

 

「くぇ?」

 

「いや、何でもないよ」

 

 脅したのにまだこっちに好色な視線を向ける奴がいる……。

 

 というか横にロック鳥がいるのにそういう風に視線を見れる奴、性欲やばない? どういう脳味噌してるんだ。だがこれでギルドで注意された内容が良く解った。足回りの露出、ちょっと改善するべきかなぁ、と流石にこういう視線を向けられると考えてしまう。俺の格好に関するリアの趣味に関しては諦めて貰おう。流石にこんな視線がずっと刺さっているのはちょっと気持ちが悪い。

 

 人間、実害がないと学習しないんだなぁ……。

 

 まあ、上は1枚羽織っているしこれでいいけど……ズボンはどうするか。ホットパンツやミニスカートはこうなると論外だし、ロングスカートは動きづらいので絶対に嫌だ。というかひらひらしすぎて俺のイメージじゃないわあんなの。やっぱりズボンだズボン。ここは安直にジーンズでも良いと思うが、ちょっとカッコつけてダメージジーンズなんても良いかもしれない。

 

 タイラーでダメージジーンズ、扱っていないかこの後で調べてみよう。

 

 そう考えながらタイタンバジリスク討伐の為に動く放狼の団を関わる事無く、眺めていた。




 感想評価、ありがとうございます。

 それではエデン以外が大物を狩る時はどういう戦術を取るのか見て行こう。


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硬貨の重み Ⅳ

「―――準備は良いな狼共! 相手は強敵だ! 一瞬の油断が友を殺す事だと心得て行くぞ!」

 

「おぉぉ―――!」

 

 岩場に響くような声に咆哮が返答する。遠巻きに戦闘グループを眺めつつ、タイタンバジリスク討伐の為に動き出す戦隊を見た。完全に高みの見物を決め込む事にした俺は後学の為にも集団における効率戦闘を勉強させて貰おうと思っていた。だからバッグから自家製のドライフルーツを取り出すと、それを口の中に放り込んでむちゃむっちゃと食べながらロック鳥の口の中にも1個放り込んでやる。それをロック鳥もむっちゃむっちゃと食べる。

 

 イルザの視線が此方へと向いてくるので、軽く手を振って心配は無用とサインを送ればイルザの視線は正面へと向き、戦隊の指示へと戻る。馬車から降りている放狼の団の団員たちが動く。奥へと向かって、盾を持っているグループと魔導書を持っているグループ、パイクなどの長い武器を持っているグループと役割を分担させるように動きを作っているのが見えた。

 

 それを眺めつつ岩場へと進む姿を歩いて追う。まあ、サービスぐらいはしておこうか、という精神から軽く周辺に向けて威圧だけを送っておく。ロック鳥が少しだけ視線を此方へと向けるが首を撫でて宥め、他の野生のモンスターが近寄ってこないようにする。

 

 タイタンバジリスクが登場するまでに下手な雑魚と戦って消耗されてもつまらないし。

 

 俺って慈悲に溢れてるなあ。

 

「おーい」

 

 そうやって動き出す戦士たちの姿を眺めながら歩き出す姿を追っていると、戦隊の後方から此方に手を振って近づいてくる姿が見えた。他の連中と比べれば軽装―――布系の防具を装着して身軽さを優先しているほかに、様々なツールを腰から下げている姿は典型的なスカウト、レンジャーの恰好だ。耳を僅かに尖らせているのはエルフであるのを証明する。森の民であるエルフはレンジャーへの適性が非常に高く、野外環境を歩き回る為のエキスパートだったりする。

 

 そんなエルフのレンジャーは、街の方で見たことのある冒険者だ。

 

「お、クロム」

 

「よ、エデンちゃん」

 

 手を上げて挨拶しつつハイタッチ。冒険者ギルドの知り合いがいるのに驚いたが、

 

「もしかしてガイド?」

 

「あぁ、ここ数日はずっとココと一緒に行動してたんだ。ほら、大所帯だろう? だから馬車が通れてモンスターの襲撃が少ないルートの案内とかで忙しくてな。さっきは紹介に混ざれなくてごめんよ。アイツらも相当命知らずだよな」

 

「俺、見た目だけならこれだしな」

 

「自覚があったのか……!」

 

 驚くな。肌面積が多いのは自覚してるんだよ!

 

 とはいえ、数日前から出払っているならある意味納得だ。彼は俺が冒険者になったというのを知らなかったのだろう、俺がこんな所に来るとは思いもしなかったはずだ。ここに知っている顔がいる事にちょっとだけ安心し、軽く自分の状況を共有する事にした。つまりワータイガーを討伐し、次の賞金を求めてタイタンバジリスクの討伐に来たという事実を。

 

 それを受けてクロムは驚いたような表情を浮かべ、しかし納得するように頷いた。

 

「成程……確かにエデンちゃんなら割と簡単にあのタイタンバジリスクといえど倒せるだろうな。恐らく奴の石化もその体には一切通じないだろうし」

 

 見て俺の実力が解る辺り、このエルフも優秀だ。というか“金属”下位クラスまでくるとそこら辺の見て判断する能力を磨く必要があるらしい。だから俺も胸を張りつつ応える。

 

「全門耐性搭載のハイパー美少女だぞ。崇めろ」

 

「比喩でもなんでもないんだよなぁ」

 

 ロック鳥を引きつれ、クロムと並びながら戦隊を追う。岩場はそこそこ広いが、俺が威圧している関係でモンスターは近づいてこない為全体の動きは非常にスムーズに進んでいる。動きに淀みもなく、軽い軽口が周囲から聞こえてくる。雰囲気は悪くない様だ、良い意味で緊張感がないと言える。どことなく討伐する事に慣れているとも言える。

 

「それで……この連中はどういう連中なの?」

 

「賞金狩りや傭兵をメインにしているクランだよ。対人が主にメインだけどクラン規模拡大に伴ってターゲットを広げたタイプだな。良くある奴だ、食わせる人数が増えればその分収入を増やす必要がある。そうなると細かい依頼をこなしているだけじゃダメだからな。この手の大物討伐は賞金以上に名声を稼げることがメリットだからな」

 

「名声?」

 

 おう、とクロムが答える。

 

「やっぱり近隣に迷惑をかけてる大物を討伐するのは数字にはならない名声が稼げるんだよ。アイツは俺達の場所を助けてくれた、って感謝の気持ちとしてな。それは金にならないし、数字で確認する事も出来ない。だけど救われた奴ってのはそれをどこまでも覚えてるもんさ。エデンちゃんはワータイガー狩ったんだろう? ならあの街道の利用者と近隣住民、そして管理者や職業についている奴らは相当感謝している筈だぜ。そうやって名前を覚えられると信用されて名指しで利率の良い仕事が回されるようになるんだわ」

 

「ははぁん、そういう話か」

 

 この傭兵団も恐らくは賞金以上に団の名を売る為に討伐に挑んでいるのだろう。規模が大きくなればなるほどランニングコストが増える、そしてそれを維持するにはそれ相応の仕事が必要だ。そういう仕事は基本的に金のある所に所属するのが一番で、そうする為には名を売る必要がある。辺境での賞金首討伐はそういう名声を稼ぐ為にはちょうど良い相手なのだろう。

 

 まあ、それでも獲物は早い者勝ちだ。俺が他の連中が名声を稼ぐチャンスを奪ってしまった事に関しては一切反省する気はない。

 

「エデンちゃんはワータイガー討伐して次はタイタンバジリスクか……この次はブラッドマントラップ予定?」

 

「うん、高額賞金首を全部やってく予定だった」

 

「そりゃあ残念。確かに高額賞金首は初動が遅いけど、そりゃあどこも情報収集と準備を重ねてるからな。はり出されてから2~3ヵ月経過したら基本的に誰かしら狩りに行くと考えた方がいいぞ」

 

「みたいだなぁ。今回は失敗したなあ……と言っちゃうのは違うか」

 

 まあ、何にせよ目の前の連中はガイド雇って事前に準備をする程度にはガチなんだ。これは狩られたと考えても良いだろう。これでリアの学費を溜めるあてが1つ潰れてしまった。俺ももっと良い依頼を求めて名声を稼いで地道に依頼処理をする必要があるのかなあ、なんて思いつつもタイタンバジリスクの情報を頭の中で流す。

 

 タイタンバジリスクはその名に恥じぬほどの巨体を持ったバジリスク種だ。それこそ俺を背中に乗せて飛べるロック鳥よりも大きく、そしてこの手の生物に関しては珍しく温厚な性格をしているらしい。その代わり自分の縄張りに入った生物に対しては一切の容赦がない。強い石化能力を有しており、体液と吐息が石化を引き起こす効果を持っている他、その視線も石化の魔眼で視界に入れた存在を魔力侵食で石化させる。

 

 ちなみにどれもバジリスクの持つ毒性や呪性による侵食で引き起こされる現象だ。つまりバジリスクの持つ魔力が毒属性と石化属性という色を帯びているのが原因になる。その為、魔力を使って抵抗する事で石化の浸食を防ぐ事が出来るのだが、その為には常に魔力を自分の中に溜め込み続け、消費せずに抵抗用に確保しておく必要がある。こうなると戦闘用に魔力を使用する事が出来なくなるだろう。そして魔力運用出来ない人類ってのは単純なスペックではこの手の生物に敗北している。その為、抵抗に集中するとあっさりとすりつぶされる。

 

 その為タイタンバジリスクとの戦いはそのスペック差と、即死攻撃である石化にどれだけ対処できるかという所に焦点がある。

 

 まあ、俺は何もしないでも抵抗できるからそのまま突っ込んで頭殴って殺すんだが。

 

 これが圧倒的なスペック差から行われる理不尽な戦い方という奴だ。だが今回、それを経験するのは人間側だ。圧倒的なスペックによる理不尽をどうやって対処するか。それがこういう大型モンスターに対する戦闘で最も重要な部分なのだろう。そういう意味ではどういう対処法を持ち出してくるのかは気になっている。

 

 見ている限り、フルアーマー装備に大盾を装備した前衛勢が非常に多く、軽装に槍装備の戦士団がその次に多い。前衛で防御を完全に固めて、隙間から攻撃するというスタイルが見えてる。それがどれだけ通じるかが問題だ。

 

「全隊―――止まれ!」

 

 イルザの声が響く。クロムが横で頷いた。

 

「奴のテリトリー付近だな。あっち側の高台から全体が見下ろせる筈だ。ソッチへと回ろう。俺ももう案内を終わらせて仕事は完了したしな」

 

「オーケイ」

 

 クロムの言葉に頷いて全体が見下ろせる場所へと回り込む様に移動する。石切り場によって中央が沈む様に切り出された盆型の大地の外側、ひときわ高く聳える岩の高台がある。その腹を軽く蹴る事で上へと上がる。飛び上がるロック鳥がそれに追随し、クロムも軽快な動きで上ってくる。まあ、これぐらいは出来るよなと思いつつ上へと到着した所で放狼の団の先の光景を見た。

 

 石切り場の中央には巨大なトカゲの姿があった。バジリスクと言えば作品によって姿が変わってくるモンスターの代表格だが、この世界におけるバジリスクは四足歩行のトカゲ型のモンスターで、強い石化能力を持つ個体の事を示す。亜竜ジャンルに分類されるかもしれない話もあったが、翼がない事、そして何より俺が同族や同胞に感じる様なシンパシーを持たない事からバジリスクが決して竜種ではない事が解る。

 

 件のタイタンバジリスクはその中でもタイタンの名を冠するように巨大であり、軽く見ただけでも10メートル級の巨体を保有していた。全身を灰色に染めたバジリスクは全身を鱗と岩の様な甲殻に覆われ、近くの石の塊に噛みついては咀嚼している。のんびりしているように見えるが、その視線はぎりぎり縄張りの外側にいる戦隊へと向けられている。

 

「見えるか、アレ? バジリスクの石化毒は人体には通じるが衣類等の無生物に対しては無効なんだ。だからバジリスクに石化された連中は全員服や装備はそのまま、肉体だけ石化するんだわ」

 

 タイタンバジリスクの周辺へと視線を向ければ服や防具を装着した石像がいくつもあるのが見える。それを爪でバジリスクが砕くと、周辺の石と一緒に噛みついて、口の中で咀嚼して呑み込む―――まるでポテトチップスを食っているデブの様な動き方がちょっと可愛く思えた。が、やっている事は石化した人間をゆっくりと時間をかけて食い殺しているという事実に変わりは無い。

 

「逆に言うと完全に密封された装備の中に居れば石化はしない、と」

 

「魔眼に抵抗する必要はあるけどな。その魔眼も射程は精々30メートルだ。そんな長距離にまで及ばない」

 

「成程な」

 

 フルアーマーと大盾の騎士装備の様なフロントガードは恐らく、バジリスクの石化攻撃を受け止める為の盾だ。

 

「第一戦隊を前に、第二戦隊中段へ! 第三戦隊は展開しつつ魔眼の射程外で待機! 常に動けるように意識を集中させろ! 作戦行動に入るぞ!」

 

「おぉ、動きがきびきびしてる。流石プロだな」

 

「アレでもシルバー相当の団らしいからな。そりゃあちゃんとしてるだろう。少なくとも中核メンバーは全員個人でシルバーを獲得できてる筈だ。問題があるとすれば最近の拡張に伴って新人が増えた事だが……ま、お手並み拝見だな」

 

 クロムの話を横で聞いているとロック鳥はどうやら戦闘に興味はないらしく、肩を突いてドライフルーツを催促してくる。あの謎生物2頭よりは可愛げあるよなこいつ……連れ帰ってペットにしてやろうかと悩みつつドライフルーツを渡し、クロムと自分の分も出す。

 

「どぞ」

 

「サンキュ。帰ったらギルドで煽ろ」

 

 それだけで煽れるのぉ??

 

 クロムの発言に首を傾げているとイルザの号令の下、全体が動き出した。アーマーが戦列を組んで前に出る―――縄張りに踏み込んだ瞬間それまでは穏やかに石像を貪っていたタイタンバジリスクが起き上がり、岩場に反響する様な声量で咆哮した。至近距離で聞いてしまえばそれこそ鼓膜が吹っ飛びそうな声量を前に、一切怯む事なく第一戦隊が前に出た。最初はゆっくりと、少しだけスピードを上げ、

 

 盾を前に、縄張りに踏み込んで数歩―――加速した。

 

「おぉぉぉぉぉ…!」

 

 石化の王の言葉に応える様に戦隊から咆哮が返った。全身を隠す様な大盾を前に、盾と盾の間に隙間を作らない様に列を作った第一戦隊は盾の壁を形成して真正面、起き上がって動き出したバジリスクの正面へ、

 

 速度を乗せて衝突した。

 

 轟音、そして衝撃。

 

 石切り場に金属の反響音が響く。だが戦列は崩れず、バジリスクも後退しない。戦隊がバジリスクと衝突し、向けられる視線に耐えながらその動きを正面から封じる。無言、高台から俺はそれを眺めている。

 

 ―――放狼の団によるタイタンバジリスク討滅戦が開始された。




 感想評価、ありがとうございます。

 シルバー級、金属中位ともなると装備にも金がかかって専用対策や対策装備が用意できるレベルになってくる。ゴールド辺りから貴族のお抱え所属とかに慣れるので、この団はその一歩手前って所。名声を稼いでお抱えになれば正規雇用なので食うのに困らなくなるというメリットがある。

 その為名声目的で賞金首を狩ろうとして、賞金額に貢献してしまう冒険者ってのは割と多い。


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硬貨の重み Ⅴ

 第一戦隊がタイタンバジリスクの動きを止め、抑え込む。その役割は見て解る。フルアーマーで相手の攻撃を受けて止める役割だ。10メートル級の巨体を足止めするのは生半可な事ではないだろう。だが第一戦隊は最前線を抑えるように連携し、バジリスクの攻撃を数人で割って受け止めるように勢いを削ぐ。そうする事で1人1人が受ける負担を軽減し、ダメージを減らしているようだった。

 

「賢いなあ」

 

「賢い……ってかここら辺は普通に良くやる手段だよ。1人で受けきれない攻撃は複数人で衝撃を割って受ける。そういう技術や技法は大型の敵を相手する時は必須の技術だ。人間、体はそんなに強くはないからな。生き延びるなら知恵を凝らさなきゃならない」

 

「ほーん」

 

 正面衝突とぶつかった戦隊の姿を見て思った。

 

「アレなら押し勝てるな」

 

 そう言っている間にもバジリスクの動きを抑え込んだ戦列の後ろから槍やハルバードを持った戦士たちが回り込んで動く。そのままバジリスクの巨体が抑え込まれている間に巨体に近づかない様に、範囲ギリギリから攻撃を鱗や甲殻へと重ねて削るように動きを作って行く。あまりにもちまちました動きにちょっと驚いてしまう。

 

「……攻撃の仕方可愛すぎない?」

 

「アレで良いんだよ。一気に攻撃をして暴れられたら寧ろ困る。少しずつダメージを蓄積、体力を奪い、失血させて徹底して力を削ぐ事を考えるんだよ。大ダメージを叩き込むとか、いきなり殺すとか考えちゃならない……というかエデンちゃんならどうする?」

 

「ん? 俺? 頭に飛びついて脳天に一発で即死かな。死ななきゃそのまま首を落とす」

 

 その言葉にクロムはこっちを見るが、納得したように頷いて視線を正面の戦闘を目を戻す。ぶっちゃけ、このレベルであれば俺は苦戦する事もないだろう。タイタンバジリスクは能力が防御型、デバフ型になっている。だが俺に硬さなんて概念は通じない。どれだけ硬かろうが一撃で両断する事が出来る。石化なんて魔力の質で圧倒しているのだから通じる筈もない。つまりこのバジリスクに俺に対する対抗手段が存在しないのだ。何をしようと結局俺が先手取って即死させて終わりだ。

 

 だが彼らにはそれが出来ない。だから彼らには彼らなりの戦い方がある。それは練習に練習を重ね、そしてリサーチを重ねる事で組み上げて来た最適な戦い方というものだ。それを実践する為にも地味で、しかし掛け違うと崩壊する様な戦術を続ける。盾を持った仲間で攻撃を分散しつつ受け止め、止まった所を素早く回り込んだ仲間たちで攻撃する。魔法や矢を使って攻撃しないのは……恐らく、返り血対策だろう。バジリスクの血は石化の猛毒だ。矢傷などで上から血が降り注いだ場合、回避は困難だろうからなるべく避けたいのだろう。

 

「お、来るぞ」

 

「おー?」

 

 言葉に視界を敵に合わせれば、バジリスクが大きく息を吸い込む。魔力を生成してブレスを吐き出す為の予備動作だ。それを理解したからこそタンク達は正面、密集するように盾を壁の様に構え、後ろへと、そして隙間からブレスを通さないように構える。同時にそれまでは沈黙を守ってきた魔術師達が魔導の発動準備に入った。勢いよく吐き出されるブレスは石化の吐息だ。バジリスクの魔力の浸食を受けた生物は全て問答無用で石化する。その為、タンク達は吐き出されるブレスに合わせて今の今まで温存していた魔力を高める。それでブレスに耐えながら後方から魔術師達が放つ風の気流でブレスをバジリスクの方へと押し返す。タンク達にかかったブレスは最小限だ、

 

「交代しろ! 魔力と体力を回復しつつ次の出番まで待機! 良し、狼たち前に出ろ! 貴様らの活躍が戦局を左右する事を肝に命じろ! 狼共! 食らいつく間を待て……待て……行くぞ!! 食らいつけ狼共!」

 

「左翼俺に続けェ!」

 

 イルザの響くような声と共に、反対側からも男の声が響いた―――ひときわ強い気配を持つから恐らくはイルザの右腕か、副長ポジションだろうか? どちらにしろ、バジリスクのブレスを無効化してからのタンクスイッチ、そしてそこから入る魔術師による拘束支援と素早い左翼右翼の挟撃は見事としか言えないものだった。一部、練度が足りずにイルザ達の動きに遅れているものが出てきているのは事実だが、それを抜きにすれば全体としてちゃんと動きが機能し、バジリスクに何の行動もさせずにその動きを崩壊させていた。

 

 ハンマーや槍、ハルバード等の武器がバジリスクの手足を集中的に潰し、その機動力と突進能力を奪って行く。魔術によって運ばれたねっとりとした液体がバジリスクの目を塞ぎ、その魔眼の効果を奪って行く。正面からバジリスクの動きを抑えるタンクは暴れようとする姿を理解しながらも絶対に攻撃を一人で受けず、常に数人で攻撃を受け流しながら分散させる。一番練度の高い戦士たちが揃えられているのは作戦の肝でもあるこのタンク達だろう。一番危険ではあるが、作戦行動の中で一番安定しているのも事実だ。

 

「流石“金属”のクランともなると動きの安定感が違うなあ……まだ下っ端の連中が付いてこれてないけど、それも時間があれば練度が上がるだろう。ちゃんと装備を整えて、調べて戦える組織はどこであれ強いもんだ」

 

「成程なぁ……これが集団での戦い方か」

 

 これが人間が人間らしく戦うという事で。全ての種族で最も数が多く、最も替えが利く種族。だから数を増やし、ノウハウを確立し、そしてそれを継承する事で次へと託すことの出来る種族。故にこの星で最も栄えている種族でもある。確かにこうやって極限まで効率化された戦い方を見ていると、ある種の美しさを感じる。個人としては突出していなくても、集団としての機能を果たせるのであれば決して突出した個人が必要という訳でもない。それを目の前の集団が見せてくれていた。非常に勉強になる姿だった。とはいえ、俺にはこういう戦い方は絶対に無理だろう。

 

 周りに合わせるには俺は強すぎる。周りが合わせるか、少数で乱戦に持ち込んで戦う事で恐らくは限界だ。大人数で役割を分担しながら戦うというのは俺の種族としての機能と一切マッチングしないだろう。そもそも本気で戦おうとすれば魔力を抑えずに戦うのだ、周りが結晶化したり浄化で消滅するだろう。

 

 俺は恐らく永遠にソロだろう……。

 

 パーティーで戦えるの、ちょっと羨ましいなあ……と、放狼の団が少しずつバジリスクを追い込んで行く戦いを見ながら思っていると、知覚の隅に引っかかるものを感じて視線を持ち上げた。俺の反応にクロムが視線を向けてくる。

 

「どうしたエデンちゃん」

 

「……んー? なんかいる? いや、来てる? 向かってる? 来てるな」

 

 完全に観戦モードだった所から意識が戦闘モードに一瞬で切り替わる。この戦域へと向けて素早く何かが接近してきている。視線を戦域で指揮を執っているイルザへと向けるが、接近に対して気づくような様子は見せない。その視線と集中力は偶に周囲へと向けられつつ基本的に正面のタイタンバジリスクへと向けられていた。ただ俺の話を聞いてクロムはマジか、と声を零す。

 

「何か解るか?」

 

「ん-……タイタンバジリスクに近い気配だな……。もしかして同種か亜種が接近してきてるかも」

 

「おいおい、そんな話聞いてないし報告になかったぞ。勘弁してくれよ」

 

 感覚的にそんな感じかなあ、というのはする。移動は地上ではなく地下で発生している感じもあり、何か異様なものを感じる。ただこれで俺が動いて良いのかどうかは、ちょっと判断に難しい。

 

「……これ、俺が動いても良いんだよな?」

 

「動いても動かなくてもいちゃもんつけられる時はつけられる」

 

「真理だなぁ……イルザ、変異型バジリスクが追加で2体ぐらい来るぞぉ!」

 

「なっ!? 戦隊下がれ! 拘束魔法を倍がけしろ! 総員防御姿勢!」

 

 此方の言葉にイルザは疑う事もなく判断し、従った。即座に反応した戦士たちは防御を固め、奇襲に備えた。だがそれに反応できなかった者達は次の瞬間には即死した。その理由は単純明快だ―――地中からの攻撃に耐えられなかった。それだけだ。

 

 タイタンバジリスクの左右に登場したのは赤と青の2体。煌めく鉱石の様な鱗と甲殻を纏ったバジリスクに近い気配のモンスターだった。地中を叩き割るように出現した乱入者は登場と同時に逃げ遅れた団員たちを口で掴み、ゼロ距離からブレスを吐き出しながら石化による被害を増やす。

 

 そうやって生まれた石像をむしゃり、むしゃりと咀嚼する。まるで見せつける様に。その姿にイルザは苦々しい表情を浮かべるものの、即座に穴の開いた戦線を埋めるように指示を飛ばす。流石“金属”ともなると奇襲に対応するだけの能力と経験があるという事か。とはいえ、大きさこそタイタンバジリスクの半分ほどしかないが、能力は迫るものを有しているらしきモンスターの登場は恐らくキツイだろう。

 

「クロム!」

 

「俺だってこんな話ギルドから聞いてない! 恐らく今まで未発見だっただけだ! こんな奴らがいるなら俺だってこんなところ来るわけないだろ!」

 

「チッ……それもそうか」

 

 聞こえるように舌打ちをしながら戦線の再編成を行い、放狼の団は再び戦う為の準備を整える。だが今度は賞金首クラスのモンスターが合計で3体だ。だいぶ無力化させたとはいえ、タイタンバジリスクはまだ沈黙している訳ではない。まだ生存し、なりふり構わなければ大暴れする事もできるだろう。そして状況的にタイタンバジリスクをあの赤と青のバジリスクは守りに来たのだろう。となると間違いなく守るように戦ってくるし、長引いてタイタンバジリスクが復活してくると厄介だ。

 

「アレ、知ってるやつか?」

 

「いいや……図鑑でも見たことがない奴だ。恐らく新種か変異種か……とはいえ、それも妙だがな」

 

「ふむ」

 

 確かに、ワータイガーに続いて変異した凶悪なモンスターがこうも立て続けに出てくる事にはちょっとした違和感を覚える。まるで狙って現れたような、被害を生み出す為にピンポイントで厄介な所に配置されているような、そんな意図さえ感じる。とはいえ、変異モンスターを人為的に生み出す手段なんて聞いたことがないし、そもそもそれを辺境に配置する意味も解らないし。陰謀論の考えすぎだろうと判断する。それに重要な事はそういう陰謀の事を考える事ではなく、目の前の状況をどうにかする事だろう。イルザ達では恐らく1体を相手にするのが限度だろう。

 

 ならば、と、声を張った。

 

「あの二体の素材を譲ってくれるなら俺が相手しても良いーぜー」

 

 イルザに聞こえるように声を張ると、イルザが少し悩み、副長らしき男と視線を合わせる。男は頭を横に振るがイルザは再び全体を見渡し、そして此方へと視線を向ける事無く返答した。

 

「頼む!」

 

「よっしゃ。じゃあ、この後面倒ごとがあったら交渉とか説得とか頼むね、クロム。バイト代は出すから」

 

「仕方がねーなー。報酬素材の1割で良いぞ」

 

「結構ぼったくるな……」

 

 苦笑しながら両手をジャケットのポケットに突っ込んで高台から飛び降りた。両足で軽く着地しつつ前傾姿勢になるように体を前へと倒し、イルザの横を抜けるように瞬発―――一気に戦隊の合間を抜けて前へと飛び出す。

 

「じゃあ引きはがしてから貰うな」

 

 突進。

 

 正面から青いバジリスクへと衝突する。顔面へと頭から突撃して5メートルほどの巨体を後ろへと向かって押し出す。石切り場に響く轟音と衝撃を無視しながら右手だけポケットから引き抜き、結晶大剣を生成する。一瞬で最大の脅威と恐怖が誰なのかを理解した赤いバジリスクが仲間を助ける事無く逃亡を選ぶ。即座に背を向けると命を求めて全力で大地を掻き、潜る為に必死に穴を掘ろうとする。

 

 だがそれよりも俺の方が早い。

 

 だからタイタンの体を飛び越え、逃亡しようとする赤いバジリスクの背中に飛び乗り、そのまま背を駆け上がりながら頭へ到達し、頭蓋骨に白を纏った大剣を突き刺す。頭を、頭蓋を、脳味噌を結晶剣が貫通し、そのまま蝕む。

 

 脳が完全に結晶化して即死完了。剣を頭から引き抜きつつ傷を結晶で塞いで血の流れを止める。その間に多少返り血を浴びてしまうが、全身に纏っている魔力が血が体に触れた途端からそれを蒸発させる。

 

 それはまるで白と黒の蒸気を身に纏っているようで。

 

 赤いバジリスクの死骸から、吹き飛ばされて頭を振るい、一瞬で形勢がひっくり返ったのを認識してしまった青いバジリスクを見た。

 

「ここからは龍の時間だ―――まあ、もう終わりそうだけど」

 

 お前も学費になれ。




 感想評価、ありがとうございます。

 ちなみに乱入なければ一切の問題もミスもなしに普通にタイタン討伐できる程度には優秀ですね。”金属”って事は新参がいたとしてもそれが問題なく出来る組織って事なんで。

 龍の時間(5秒)


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硬貨の重み Ⅵ

 赤いバジリスクを背後に、足を青へと向かって一歩進めた。大剣を肩に担ぎ前に進めば青が後ろへと一歩下がる。その表情にあるのは明確な恐怖だ。捕食者と被捕食者の関係は明白だ。既に青いバジリスクは絶対に敵わない存在の前にいるという事を自覚させられている。ならどうだ? お前はどうなんだ? 相方は死んだぞ? ワータイガーは家族の為に死ぬまで戦う事を選んだぞ? あのタイタンバジリスクはお前が助けようとしたんだぞ? お前は―――どうするんだ?

 

 大剣を担いだまま青を睨み、そして視界を固定する。

 

「それがお前の選択か?」

 

 青は俺をしばし見てから背を向け、全力で逃げ出そうとした。だがその行動をとるには遅すぎる。既に最初の突進で魔力をたっぷりと顔面に叩き込んだ。だから追いかける必要もない。担いでいた大剣を持ち上げ、頭上に掲げたら振り降ろす。

 

「お前は悪夢に見る事はなさそうだなぁ」

 

 その動作だけでバジリスクの顔面が結晶に割れた。それ以上の追撃は必要ない。

 

 即死だ。大剣を振り抜いてから一度横に振るい、それから消し去る。そのままバジリスクの死骸に近づき、椅子代わりに座る。見るのは当然タイタンバジリスクと放狼の団の戦いの続きであり、集団戦の肝とでも言うべきものを見せて貰うつもりだったが、戦場の全体は静寂に満ちていた。視線が俺に集中し、瀕死だったタイタンバジリスクに関してはもはや生きる事を諦めたような気配さえある。圧倒しすぎたかもしれないとは感じる。だが結局のところ、ここで圧倒して殺さなければ死ぬのは他の連中だ。

 

 俺に選択肢はない。

 

 見捨てて、見過ごして、死ぬのを待つなんてのは絶対に出来ない。

 

 だからその結果、こうやって畏怖の視線を送られようとも仕方がない。

 

 ……まあ、ちょっとこういう視線を向けられるのは辛い所があるが。やはり強すぎるというのは結果として周りから人を遠ざけるものなのだろうと思う。そう考えながらタイタンバジリスクを眺めているが、件の巨体のバジリスクはもう、生きる事を完全に諦めてぐったりとしていた。抵抗する気配もなく、大人しくなったバジリスクを放狼の団が狩り始める。バジリスクが無抵抗で殺される姿はなんか可哀そうだけど見ていて面白い。

 

「まな板の鯉……だっけ? そんな感じのシチュだな」

 

 もう語る様な事はない。動かないバジリスクを一方的に殺害して戦闘は終了する。戦闘が終了した所で戦隊が休息に入り、所々力を抜いて座る様な姿を見せている。ただ俺が殺したバジリスクをどうするべきかを困った様子で遠目に眺めているのと、俺に対してどう声をかければ良いのか解らず右往左往している姿が見られる。その中で、クロムがロック鳥の足を掴みながら上から降下してきた。

 

「よ、流石上位種族だな。スペックが違いすぎて嫉妬すら起きないわ」

 

「まあ、経験が浅いから達人みたいのにぶつかるとまだまだなんだけどな。この程度なら鱗1つ傷つかないよ」

 

「これで、この程度かあ……というか、やっぱ石化とか通じないんだなエデンちゃん」

 

「はっはっは―――ボス耐性だからな!」

 

「お前の様なボスがいてたまるか」

 

 致死性デバフ持ちの防御無視必中攻撃全門耐性持ちボスはお嫌いですか? 俺ならコントローラ窓から投げ捨てる自信がある。デバフも状態異常も通じない上に即死攻撃を連打してくる超高速突進型要塞ボスとか絶対に戦いたくない生物の筆頭じゃん。これが種族単位でこの惑星に住み着いていたんだからまあ、そりゃあ人類からしたら絶滅させてやりたくもなるわな……。明らかに生物のスペックバランス調整出来てないんだわ。

 

 それとも神側の存在に近いからそれで良かったのか? どっちにしろ、事の真相は俺がソフィーヤにオラクルをしない限りは聞き出す事も出来ないが、俺はソフィーヤに問いただすつもりはない。だから真相は闇の中だし、そしてそのままでも良いだろう。真実というものは穏やかに暮らすつもりであれば別段、知る必要もない情報なのだから。

 

「それはそれとして……それ、持ち帰れるのか?」

 

「試してみる」

 

 クロムが指さすのは俺の椅子代わりになっている青バジリスクの死骸だ。立ち上がって横に退きつつディメンションバッグを開き、明らかに入り切らないサイズをしまう事が出来るかどうかを確かめる為に入口を直接バジリスクに被せてみたら、なんかバジリスクをバキュームの様に圧縮しながら吸い込んで中に収めてしまった。へえ、自分のサイズを超えるもんだとそういう風に仕舞えちゃうんだ。数年間使ってて初めて知ったわ。

 

「お、おぉ……やたら高性能なバッグ持ちだったんだな」

 

「これを手に入れる為にはエデン様の大冒険第1巻を語る必要があるんだが聞く覚悟はあるか?」

 

「脳が破壊されそうな話の気配するから止めておくわ」

 

「お前……!」

 

 俺の語り技能がそんなにないと言いたいのか! とクロムを問い詰めつつ赤いバジリスクの方もしまってしまおうと思えば、戦闘後の指示を出し終えたイルザが駆け足で此方へと向かってきた。そして俺の前に立ち次第、直ぐに頭を下げた。

 

「ありがとう、貴女のお蔭で多くの仲間の命が助かった。事前情報ではタイタンバジリスクしかいない筈だったんだが……まさか、こんな変種が2体も出現するとは思いもしなかったんだ。いや、これは言い訳でしかないな……本当にありがとう。お蔭で最小限の被害で獲物を狩る事が出来た」

 

「それに関しては俺も謝っておく。1週間前の調査じゃ間違いなくアイツ1体しかいなかった筈なんだがなぁ……」

 

 そう言ってクロムは頭を申し訳なさそうに掻いていた。だがクロムの話が本当なら、たった1週間で新たな変種バジリスクが2体出現したという話になる。それは明らかにおかしい。いくらエーテルの濃度が高い辺境という環境でも、こうも密集した地形の中で複数の変異モンスターが同時出現するのは何かがおかしいとしか言いようがない。そもそも変異という現象自体、変異の条件を整えたから一瞬で体が変化するという訳ではなく、ミューテーションとでも呼べる現象で成長と共に体が既存の種とは別の方向性に成長したという方が正しいのだ。

 

 つまり変異には時間経過が必要であり、早急に行える事ではない。明らかに1週間という時間では無理だし、元からいたにしては人間に攻撃的だったのにこれまで未発見だったことが意味不明すぎる。この赤と青のバジリスク、恐らくは新種か変異種なのだろうが、由来が何なのかが一切解らない不気味さを持っていた。

 

「なんか釈然としないな……不気味というか気持ち悪いというか。まあ、倒しちゃった今はもう関係がないかもしれないけど」

 

 とはいえ、初動が遅れたのが原因で数人死んでしまった。俺が返事を待たずに突っ込んで出現する所をぶち殺していればその犠牲もなかっただろう事を考えれば、その部分でもちょっと後悔が残る。流石に犠牲になった人間全員の責任は取れないが、それでも俺が動けばどうにかなっていた範囲で死人が出てしまうのはちょっと気が重い。とはいえ、俺の責任ではないのだ。そこまで重くとらえる必要はない。

 

「今回の件はギルドへの報告が必要そうだな……エデン、貴女はどうする?」

 

「取り分とかで揉めると思ったけどそういう事もなさそうだし、赤青を回収して先にギルド戻って報告かなぁ。目当ての賞金が手に入れられない分、こっちの素材でどれだけ稼げるか調べないといけないしな……」

 

 まあ、新種か変種だったらイイ感じの学費になってくれるだろう。というかなれよ。お前と次にブラッドマントラップがいい値段すれば40万いけるかもしれないのだ。40万という事は1年分の学費だぞ? つまり400万円相当だ。かなりゲロ重い値段だよなあ、と思う。ただ俺1人でやる分にはほぼノーリスクなので美味しい。

 

 俺が、やる分には。

 

 だがイルザは違う。本来であれば人員のロスもなく討伐できる筈だったタイタンバジリスク戦に乱入が発生したのが理由で数名の犠牲者が出てしまった。俺は無傷で賞金を総取りだが、放狼の団は見たところ、20人を超えるクランだ。それが賞金を山分けして獲得するのだ。犠牲者の出た分を補填する程の価値がこの仕事にはあったのだろうか?

 

 俺にはその判断が……ちょっと、難しい。口で言って良い事じゃないが、それだけの価値があるようには思えない。

 

「そうか……確かロック鳥に乗ってきたんだったな。なら帰りは送ってやろうかと思ったが助けは必要なさそうだな」

 

「その好意にはありがとう、だけど大丈夫って言っておくよ。それよりも忙しいのはソッチだろうしな?」

 

「まあ……そうだな。すまない。私は仕事に戻らせて貰う」

 

「ばいばーい……じゃ、俺も帰るわ」

 

「おー、じゃあまたな、エデン」

 

 クロムとイルザに手を振って見送りつつ、自分へと向けられるひときわ強い視線を感じる。視線の方へと顔を向ければ、其方には戦闘中に見た、団の副長らしき人物がいた。じっとりと、値踏みする様な視線が自分を貫くのを感じる。あまり心地の良い視線ではない為、さっさとこっちから視線を外して赤いバジリスクの回収へと向かう。それもバッグの中へと格納すれば終わる話なので、一瞬で仕事が終わってしまう。

 

 まあ、別段仕事が早く終わった所で問題は一切ないのだが。寧ろ早く終わらせられるだけ良い方か。ともあれ、やるべき事は終えたのだし、このままさっさとギルドへと戻って報告してしまおう。そう思ってロック鳥の首を撫でる。

 

「帰りも頼んだぞロッくん」

 

「くぇー」

 

 任せろと言っている様に感じる声をロック鳥は翼を広げてアピールする。その背に飛び乗り、ロック鳥へと飛び上がる許可を出す前に石切り場を眺める。それからロック鳥の首を軽くタップして指示を出した。

 

 もう、用はない。帰ろう。

 

 

 

 

 そしてバジリスクは処理され、石切り場に平穏が戻ってくる。放狼の団も事後処理を終えて引き上げた後石切り場、少し前まではバジリスクの縄張りとなっていた空間に黒い線が生まれる。それがぱっくりと空間を開く様に闇の扉へと変われば、その内側から黒づくめの姿が出現する。やれやれと言わんばかりの気配を醸し出しながら両手をあげ、お手上げのポーズをわざとらしく見せ、

 

「誰だよ辺境は広くてのびのびとしているから研究しやすい環境だって言った馬鹿はよぉ……ワータイガーもバジリスクも狩られてるじゃんかよ!? いや、クランでの討伐隊はまだ解るぜ? だけどアレは明らかにおかしいだろ! サンクデルの“宝石”は諜報タイプでこの手の任務には不向きだった筈だぜ? んもおー」

 

 やりきれないと言った様子を見せた黒づくめの男は露骨に溜息を吐いて肩を落とす。

 

「しっかし……マジでなんだ? あんな力見た事がないぜ? クッソぉ、諜報部の連中クソみたいな仕事しやがってよぉ……」

 

 怒りをぶつけるように何度も大地を踏みつけてから男は溜息を吐き、それからバジリスクの死体があった場所へと向かい、大地に軽く触れる。そこには僅かに砕けた結晶の破片が残されており、それを指にとって確かめている。

 

「マジでなんだこりゃ? 見たことのねぇ材質に性質……魔力が結晶化したもんがマジで物質化してるのか? あーん、もうわかんねーなー」

 

 頭を勢いよく掻いてから結晶片を握りつぶして破壊し、手を払う。それから再び空間に闇を生み出し、この場を去る為のポータルをあけた。

 

「まあ、良いや。まだ仕込みはあるしぃー? 他にも遊べそうな手札はあるしぃー? 趣味の範疇でやってる事だしぃー? 多少気に入ってた子達が負けた所で悔しいだけですしぃ? あー! やっぱ悔しい! もうちょっと今度は制御できない奴作ろうっかなぁー!」

 

 ポーズを決めるように1人、虚空に呟いてい居た男ははっとした表情で手を口に当てた。

 

「はわわわ―――お、俺の頭の中……どうやってあの角娘ちゃんに負けないペットを作るかでいっぱいになってる……? もしかしてこれって―――恋!? 恋なのか? 恋って事にしておくかー!」

 

 奇声を上げながら勢いよく飛び上がった男はそのままの勢いでポータルへと飛び込む。

 

「こうしちゃいられねぇ! 創作意欲とモチベーションデラアガって来たわー、超アガって来たわー。新作発表会やるか? やっちまうか? いいや駄目だな! これはとっておきの奴を丁寧に丁寧に作って旦那の祭りに出すしかないでしょ! うおー! 絶対にすっげぇのを間に合わせてやるから待ってろよマブい角娘ちゃーん―――! ラブリ―――! 絶対に暇させないぜぇー! ふっふー!」

 

 そして狂人が言葉だけを石切り場に残して、消えた。




感想評価、ありがとうございます。

 学園編に追加されるシナリオボスのサイコ変態モンスターフェチのクレイジーサイコストーカー野郎です。よろしくお願いします。


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硬貨の重み Ⅶ

 ロック鳥で街へと戻るには時間はそうかからない。やはり地形を無視できるのは時間を短縮する上ではかなり有用だ。あの団は馬車を使って移動しているから確かに足は速いが、それでも集団での移動と疲労、そして地形の都合があるからガイドがいたとしても帰還できるのは恐らく明日ごろになるだろう。ともあれ、早めに事情を報告するのは決して悪い事ではない。さっさと街へと戻った俺はギルドへと向かった。そしてそこでギルドの隅の方で他の職員から色々と話を聞いているアイラの姿を見た。

 

「お、早い帰りだったねエデン。もう帰ってこれるとは思わなかったけど……今度は空を飛ぶ方法でも見つけたのかい?」

 

「ロック鳥を足代わりに使ってるから移動は早いんだよ」

 

「そっかー」

 

 投げやりなウィローの返答を見つつ、アイラの方をチラ見する。手の空いている職員からどうやらギルドでの仕事に関して色々と教えて貰っているらしい。

 

「アイラちゃんは……?」

 

「いや、マスターはまだ戻ってないよ。ただ仕事を教えて欲しいって丁寧で熱心に聞いてくるからね。一部が折れて仕事を教え始めたんだよ。変な幻想を抱いているかもしれないけど……それでも新人が増えて仕事が楽になるのは別に悪い事じゃないしね」

 

「ほーん」

 

 ギルドは大体受け入れる方向性で決めて来たのか。ただそういう話になると気になる事がある。

 

「ギルドって慢性的な人員不足でもあるのか?」

 

「うーん……」

 

 その言葉にウィローが頬杖を突きながらどういう風に答えたもんか、と少しだけ悩むような表情をする。その表情がギルドとしての現状を物語っている様な気もするが、ウィローは少しだけ悩んでから話を続ける。

 

「そうだねぇ……私達ギルド職員って分類的には正規雇用に入るんだよね。デスクワークがメインだし、一時的な雇用じゃなくて基本的に終身雇用だし。だからね……ぶっちゃけると部類としては冒険者よりも雇用条件が上なんだよね。だから冒険者からギルド職員へと就職を狙おうとするコースもそう珍しくはないんだよね。実は中央とかだと割と倍率が高かったりするんだよ、これ」

 

「へえ」

 

「事務能力が求められるから読み書きが最低限出来る事が必須条件、その上で人として信用できる相手かどうかが重要なんだよね。解っているとは思うけどギルドの仕事は信用で食っているようなものだから、信用、信頼されていなきゃギルドに仕事を委託しようとは思わないだろう? だから色々とぼかすけど()()()をしている職員にひっそりと消えて貰うような事を担当とする部署もあるにはあるんだよね」

 

 自浄作用……というには少々物騒に感じる。とはいえ、他人から請け負った責任を果たすのがギルドの仕事だと考えれば、中抜きとか贔屓で仕事を回す職員とかは評価を落とす原因でもあるのだろう。特に辺境の様なハードな環境で働くとなるとより一層の信用と信頼、そしてまともに仕事をしてくれる人が必要なのだろう。そう考えてみるとギルドの業界への食い込みって意外と厳しいな? 基本的にプロフェッショナルへと依頼すれば良い筈の所をアマチュアへと依頼するように誘導しているのだから。金無し、職無し、信用無しの根無し草に仕事を任せても達成出来るよ……と説得して仕事を回させるのがギルドの主な役割だ。そりゃあまともな職員がいなきゃ仕事が回らないわ。

 

「あー、そういう意味じゃ純粋無垢な少女を信用できる職員に育てるというのは大いにありなのか」

 

「そういう事。言っちゃ悪いけど素質はあるんだよね。後は読み書きが出来て夢が終わっても仕事が出来るか……って所だけど。幸いウチはかなり環境が良いしね。仕事も多い。モラルも高いから変なちょっかいをかける奴もいない。そういう意味じゃ新人を育成するには割と良い場所なんだよ……マスターなしでは許可を出せないけど悪い話ではないんだよね」

 

「と、絆されつつ言い訳すると」

 

「うん」

 

 認めやがった……とは思うものの、必死に夢に向かって頑張る少女という姿は誰だって弱いものだ。事実、ギルド内の冒険者でそれを冷かそうとする姿はいない。夢を追いかけるのは現実が見えないとも言える事だ。だがその夢をあえて否定する必要がないと解っている大人たちがここに居る。何せ、冒険者なんて夢を見てなきゃやっていられないのだ。それが解っているから何も言わない連中ばかりなのだろう。俺はそういうの、決して嫌いじゃない。個人的にはアイラを応援できる。

 

「おっと、話が大きく逸脱しちゃったね。それでモンスターを従える野生界の新星は何か御用かな」

 

「オイラはモンスターじゃねぇ。ってそうだ、えーとな」

 

 ウィローにアルヴァの岩場での出来事を説明する。放狼の団との合流、バジリスクの変異種、そして討伐結果の内容を語る。証人はその内帰ってくるであろうエルフが担当してくれるだろう。それを聞いてウィローは成程、と頷いた。

 

「他の支部と連絡を取って情報の裏取りはしておくとして……バジリスクの変異種が同時に二体か。確かにそれは妙だね」

 

 ウィローはそう言うと少しだけ唸るように首を傾げ、考え込む。変異種が一か所にああも固まっていると、誰かが意図的に配置したのではと思ってしまう。だが果たしてそれが可能なのか? 変異種を意図的に生み出す事が本当に? ちょっと技術的に無理に思える部分があると俺には感じられる。とはいえ、世の中には人をモンスターにする技術があるんだ。それを考えると決して不可能ではない様にも思える。ウィローもそこら辺を考えているんだろう、情報に頭を悩ませている。

 

「……とりあえず変異種は此方で買い取るよ。ここまでくると調査の必要性もありそうだしね。裏手で二体とも出してくれれば此方で処理しておくよ」

 

「お買い上げありがとうございまーす。査定が楽しみデース」

 

「はあ、ギルドの財布が軽くなるなあ」

 

 ダブルピースで収入を祝福していると、ウィローはだけどと声を続けた。

 

「エデンには直接仕事を指名するかもしれない……かな」

 

「おおーん? たとえば?」

 

「調査依頼かな。君の言う変異種がそんな風に集まっているなら別の場所、環境で変なのがまた生まれているかもしれないしね。ワータイガーの件もあるし、場合によっては酷く有害かもしれない。その事を考えたら付近の探索地を全部調査する必要がある。となると素早く動けて、単体で高い戦闘力を保有するエデンみたいな冒険者を派遣するのが有効なんだよね」

 

「残念だけど俺は屋敷での仕事あるから時間拘束が酷いタイプは受けられないよ。あくまでもグランヴィル家での仕事が優先だから」

 

「そうなんだよなあ……」

 

「いーじゃねぇか。エデンばっかり活躍すると俺達の仕事がなくなるんだから。バランスとしては丁度いいだろ」

 

「そうだそうだ。俺達にも先輩としての威厳を示させろー」

 

「後輩は後輩らしく可愛くしてろー!」

 

「お前らの発言おかしくない……?」

 

 ギルド内での発言がおかしいというか……お前らもうちょっと考えて発言してみない? って感じはする。だけどまともな脳味噌で喋り始めたこいつらってこいつらって感じがしないんだよなあ。やっぱり適度に脳味噌を溶かした発言してくれていると助かるわ。なんというか、こいつらは荒くれである事は間違いがないんだが、その中でもユーモアが解る連中なんだ。適度にゆるふわってしててくれると怖くないんだ。

 

「まあ、飛んでいける範囲だったら新しい足が手に入ったしそれで見てくるよ。お金になるんだったら否定するだけの理由もないしね」

 

「うん、それだけでも十分だよ。それで今日はそれだけかい?」

 

「おう。それじゃあ裏……ってか訓練場に死体放棄したら今日は帰るわ」

 

「また後日」

 

 ウィローに別れを告げてからギルド裏手の訓練所へと向かい、そこで待っていたギルド職員の目の前でカラフルな二体のバジリスクを取り出す。そのボリュームと質感、そして死体の状態の良さに驚かれはするものの、これなら良い査定が下るだろうという評価に俺の心はるんるん気分だった。それからギルドを去って街に出た所でさっさと屋敷に帰ろうかと思い、その前に足を止めた。

 

「服、買って帰るか」

 

 流石にホットパンツのままだと視線がヤバかったし。その手の視線を自分の身に受けて漸くその危険性が解ってくる辺り、俺も女としての意識は全くないよな……と思う。ぶっちゃけ、女子としての私生活は割と慣れて来た部分がある。髪のケアとか肌のケアとかぶっちゃけやらなくても最高の状態を維持できるからエリシアとアンからそこら辺で滅茶苦茶睨まれた事があるんだが、リアのケアをするのが俺の仕事なのでそこら辺は全部頭に叩き込んでいる。面倒な体のあれこれだってこの数年で全部覚えている。

 

 それでもどうしても男としての意識を持って育った影響で、自分の脳味噌のスイッチが男のままで常にキープされている感じがある。だから服の選び方とか仕草とか考え方とか、体が女子として引っ張られる部分を除けば意識部分は全部男のままだと言える。今回、それが完全に悪い方向へと転がっている感じがあった。

 

「舐められない恰好かぁ……今はまだ地元だから良いけど、将来的に中央に行くようになったら自分の恰好の事も考えなきゃならんか」

 

 地元を出た場合グランヴィルの名前を知らん奴だって出てくるだろうし、その時は絶対に舐められない様にキマった恰好をする必要があるだろう。とはいえ、俺にとってのそういう格好って結局スーツとかそういうタイプの格好だしな……もうちょっとファッション雑誌とか見ておけば良かった。いや、今でも遅くはないのか?

 

 空を見上げればまだ日は暮れていない。ロック鳥による移動が速い影響もあって今日は時間にたっぷり余裕がある。だったら帰る前に多少の寄り道をした所で問題はないだろう。素直に帰るよりも、ここは必要経費だと割り切って新しい服を購入する事を決める。

 

 その為、ギルドを出て向かうのは普段から世話になっている服屋のタイラーの所だった。本日も特に何かがある訳ではなく、緩く営業しているようだった。ドアのベルを鳴らしながら店舗内に入ると、カウンターで何らかの作業をしていたタイラーが視線を向け、にっこりと柔らかい笑みを浮かべた。

 

「いらっしゃいエデンちゃん。今日はなんかの依頼かな? また鱗を繊維化させて仕立て上げるなら少しだけ待っててくれないかな? エリクシル剤を発注しないと体がもたないんだ」

 

「あ、いや、そうじゃないんで今回は」

 

「そう? まあ、依頼したいのなら何時でも頼んで欲しいかな。死ぬほど疲労するけど君の鱗を糸と布にする作業ってのはこう……今までにない神秘の素材に触れている感じがあって凄い勉強になるんだよね。神の力を借りる必要があるけど自分の実力がめきめきと伸びるのも感じられるし。まあ、それはともあれ何かお探しかな?」

 

 その素材、恐らく現世では遺失している龍の素材なんですよ……そんな辛い仕事だと知らなくてごめん……。

 

「あ、えーと、今日はダメージジーンズを探しに来ていて」

 

「ダメージジーンズ? 普通のジーンズならあるんだけど」

 

「あー、成程。ダメージジーンズというのは、こう……」

 

 具体的にダメージジーンズがどういう物なのかをタイラーへと説明する。ダメージジーンズ、アレほどカッコいいもんも中々ないと思うんだよね。履き古したジーンズには味があるというか。それを聞いてタイラーはうーん、と首を傾げる。

 

「中々難しい注文だね。普通のジーンズ自体なら魔界経由で仕入れてるけどダメージ、の概念はちょっと聞いたことがなかったなあ。そんなファッションもあったんだ……」

 

「あ、いや。これ結構特殊な魔界ファッションなんで。ほら、ジーンズが穴あきで肌が見えててもどうにかなるのは俺らぐらいなんで」

 

「まあ、確かにそうだね。ただ、穴が開いている服を着るってのはちょっと外観が良くないけど大丈夫かい?」

 

「グランヴィルが貧乏なのは今に始まった事じゃないんで」

 

「あ、うん。何も否定出来る要素がないなあ」

 

 せやろ。流石にそこまで困窮している訳じゃないんだけどね。それでも、まあ、ウチが貧乏なのは事実だ。今回のは俺のポケットマネーだし、それ以前にダメージジーンズも9割俺の趣味が混ざっているし。どっちかというとカッコいい系でいたいんだよな、俺。正直スカートもそれはそれで楽しいって部分もあるんだが。やっぱりズボン系のが動きやすいのは事実だ。

 

 寧ろスカートで滅茶苦茶動けているあの人妻がおかしい。

 

 となると……ダメージジーンズが置いてあるのはやはり魔界系の商人だけだろうか? 幸い、今の自分にはコネが、というよりは名刺がある。貰ったのは今朝の事だが……これは一つ、冷やかしついでに確かめてみるのも悪くはないかもしれない。




 感想評価、ありがとうございます。

 ギルドは信用で食ってるみたいな部分あるので、汚職してるやつを見つけ出してひっそりとこの世からさようならさせてる部署がある。悪い事してるのがいけないからしょうがないね。


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硬貨の重み Ⅷ

「やべーなこの名刺」

 

 名刺を頼りにジュデッカ商会へと向かおうとしたら、その名刺に具体的なルートが現在位置と共に表示された。つまりこの名刺、裏側がナビになっているのだ。これがある限り商会へと向かうのに迷う事はないだろうし、どうやら商会の店舗がある場所であれば、どの街でも利用できるらしい。これをぽんと渡してくる魔界連中にヤバさを感じるが……とりあえず、一度利用しないことにはどういう場所かは解らない。時間もある事だし、案内通りに行く事にする。

 

 そういう事で名刺のナビゲーションに従って街の表通りから離れた区画までやってくると、隠れるように存在するジュデッカ商会の店舗があった。外観は―――あまり、良くない。人の気配もなく、どことなく寂れている様にさえ見える。だが扉に視線を向ければ魔力と魔法の気配を感じる。これは恐らく中と外でどこか別の所へと通じているタイプの魔法……ポータル系の魔法だろう。この手のテレポーテーション系の罠は致死性が多いからと術式を頭にエドワードによって叩き込まれている。

 

 とはいえ、今更あの魔族ロッカーが俺を騙すとも思えないし、一切の躊躇なく扉を開けて中に入った。

 

 その先に広がっていたのはシックな装いのバーだった。

 

 全体を落ち着いた黒をベースとして、落ち着きとゆとりを演出した空間―――バーカウンターの向こう側には頭があるべき場所にホログラムの様な三角形を浮かべたバーテンダーがグラスを磨いている。更に奥には小さなステージがあり、そこで見覚えのあるロッカーがサックスを演奏していた。アイツ、もう既にジャズに鞍替えしてるの早すぎるだろ……。

 

「―――ようこそ。ようこそ、エデン様。貴女をお待ちしておりました。此方へどうぞ」

 

 声がする方へと視線を向ければ店の一角、テーブルを挟む様に配置されたソファに座りながら声をかけてくる存在がいた。スーツ姿、黒の長髪に赤いラインが入った、片目を前髪で隠す特徴的な髪の女性はソファに座ったまま、歓迎するように此方へと呼び掛けてくる。決して立ち上がって迎えようとするようなことはなく、此方へと来るのを促すような声だ。これがプライドの高い商人だったら速攻で帰るんだろうなあ、なんて事を考えながら俺は対面側に座った。

 

「えーと、アンタが……?」

 

「ジュデッカ商会の会長、名前はルインを名乗らせて頂いています、エデン様」

 

「もう知られているみたいだけどエデンだ」

 

 軽く握手をかわそうかと思ったが、そういう文化が魔界にあるのかどうか解らなかった。が、ルイン側が握手を求めて来た所で魔界にもそういう文化あるんだな、と納得して握手を交わした。それにしても後ろで演奏しているルシファーの野郎、サックスが絶妙に上手でムカつくな……。

 

「あー、そこのサックス奏者から名刺を貰ったんだけど」

 

「えぇ、存じております。我々魔族の中でも上位の者はそれこそ数百年どころか数千年単位で生き続けます。それゆえ、生きる時間の全てが娯楽で楽しみを求める様なものなのです。魔界は歩き回ってとうに飽いている。故に新たな世界へ―――という事で魔界はこの世界へと繋げる事にしました」

 

「しました、じゃねぇんだよなあ……」

 

 どこまで環境と文化破壊すれば気が済むんだこいつら。

 

「ですので私達魔族は娯楽に飢えています。唯一無二の経験と体験に飢えているのです。私達は壮大で盛大な劇を最前列で眺め続ける生が欲しいのです。その為に我々魔族は様々な派閥を形成し、日夜好き勝手生きています。私の様に商業から異世界に食い込もうとするもの。或いは“イベント”を計画する事で世界を盛り上げようとするもの、はしゃぐ連中をしばく者……まあ、各々好き勝手やっています」

 

 2人そろってサックス奏者を見る。視線を戻す。

 

「好き勝手やっています」

 

「せやな」

 

「その中でも私が商売という形を選んだのは、それが最も面白い瞬間をつまみ食い感覚で鑑賞し、立ち会える形だと思ったからです。さて、前置きは長くなりましたが当商会では魔界からの品をこの世界で適正な価格で販売しております―――無論、この適正な価格とはこの世界のヘレネ神によって定められた値段ですので、ぼったくりの類はご心配なさらずに」

 

 あぁ、値段の監視までしてるのか神様……本当にお疲れ様です。異世界からの物の流入はストップさせなくても、市場の破壊はしない様に監視しているのか。となると魔界の商人、実は色々と制約を背負いつつやっているんじゃないか? と思えてしまうのだがどうだろうか? やっぱり干渉は結構ある感じ? まあ、あえて聞く内容でもないか。

 

「とりあえず欲しいもんがあったら売ってくれる、と」

 

「魔界産限定ですが。この世界の物を転がすのは禁じられていて、破ると神罰が落ちて来るので……」

 

「ヘレネ様本当にお疲れ様です」

 

 ガチ守護神じゃん。経済界のマジもんの神様じゃん。見えないところで滅茶苦茶働いている神様も世の中にはいるんだなぁ、と知れた所でそれじゃあと話題を切り出す。

 

「ダメージジーンズ探してるんだけど」

 

「勿論ありますよ! 1万ヘレネです」

 

「さ、帰るか」

 

 迷う事無く席から立ち上がると凄まじい速度で腕を掴まれた。

 

「まあまあまあ、まあ、お待ちください。待ちましょう、ねえ? 魔界産となると転移輸送になるのでどうしてもコストが跳ねあがってしまう上に魔界税がつくのでどうしても高くなってしまうんです。技術とか魔界由来の製品が地上で溢れない様にする対策らしいんですけどこれ以上は安く出来なくて」

 

 マジで文化汚染とか経済破壊されないように頑張っている神様の定めたルール、こういう所で感じるとは思いもしなかった。だが流石にダメージジーンズに1万とかいう値段はぼったくりにも程がある。だってこれ、日本円で言うと10万だぞ? 流石に服に10万を出す事は出来ない。いや、ヴィンテージだったらそれぐらいはするか。

 

「……ヴィンテージ?」

 

「新品ですが」

 

「解散ッッ!!」

 

「あー! 待ってください待ってください! お待ちくださいお客様―――!」

 

 ソファから素早く立ち上がるとルインが腰に抱き着いてきた。黙ってればキリっとした美人の癖に、何故こうもダメ人間臭がするのだろうか。腰に縋り居ついている駄目な魔族から視線をルシファーへと向けると、サックスの演奏を止めたルシファーが満足気な表情で浮かべた。

 

「―――ほら、放っておくと干からびそうだろう?」

 

「世話役として紹介してるんじゃねぇぞお前」

 

 このまま外まで逃げるのも簡単だが、このまま見捨てるのはどことなく良心が痛む。ゆっくりとソファへと戻るとおずおずとルインが反対側へと戻り、

 

「では購入、と」

 

「全て破壊してやる」

 

「あー! 冗談です! 本当に冗談ですからなんか怒りでパワーアップしないでください! 店内整えるのに借金したんですから私! こっちで店の準備したり店内整えるのって物凄いお金がかかるんですよ!?」

 

「断言するけどお前商才ないから火傷する前に止めた方が良いぞ」

 

「が、ガチ声ですね」

 

「とりあえずとか、プランもなしに高額商品を売りつけようとする感じがまず才能ない。需要のある所に供給を与えるから商売ってのは成立するのに、金策に奔走している人に高額のヴィンテージでもないジーンズを売りつけようとするのは愚かの極み」

 

「……はい」

 

 言葉にしょんぼりとするルインを見て、俺、一体何をしにここに来たんだろう……? なんて事を考え始める。確か最初はジーンズでも買おうかなあ、なんて思っていたんだが……この感じだと普通のをタイラーの所で購入して、それを履き続けた方が良さそうな感じがして来た。まあ、帰りにスキニージーンズでも買って帰るか。それはともあれ、目の前でしょぼくれている人を俺はどうすれば良いんだろうか。視線をルシファーの方へと向けると、此方の視線に構う事無くサックス演奏に戻っている。本当に好き勝手やりやがるなこいつ。

 

 ……まあ、折角来たんだし。このまま何もせずに帰るというのもアレだ。

 

「その、ルインさん? はなんで商売を始めようと思ったんだ?」

 

「私ですか? 私も他の魔族同様娯楽を求めて……って所でしょうか。ですが魔族が地上で活動する上では色々と制限があるんです。これは私達から見て異世界で活動するから強制的に縛られるルールとも言えるものなので、しょうがないのですが……あまり派手に活動せず、異世界の空気や生活に触れられて外貨を稼げるものとなりますとやっぱり商売するのが一番なので」

 

「特にこだわりがある訳じゃないけど一番稼げそうだから?」

 

「はい」

 

「さ、才能がねぇ……」

 

 その言葉にルインが突っ伏した。

 

「というか魔族の間では大体何が人気なんだ?」

 

 視線をサックス奏者へと向けて聞けば、演奏を止めてそうだな、と声を零す。

 

「あまり派手に干渉すると神々の怒りを受けるからな。だから基本的に文化や生活に馴染む方向性でアプローチをかけている。とはいえ我々から見ての外貨を稼がなくてはならないからな。魔界から持ち込んできたノウハウを利用して第二の人生をウハウハで過ごそうという者は多い。強くて人生ニューゲームだな」

 

「魔族お前らほんとによぉ……」

 

 うむ、とルシファーは頷く。

 

「だから基本的に商業方面に進む。魔界から品を輸入すれば珍しがる富豪や貴族から稼げる。まあ、俺の様にそれが面白くない一部の魔族は身一つで突撃して好き勝手やっているが。ああ、この大神の大地にロックの魂を根付かさないといけないという崇高な使命が俺にはあるからな……!」

 

「まあ、今はガチガチのクラシック・オペラ系メインだしね。ストリート行けば面白い演奏とか聞けるけどそれでもまだそこまで音楽文化発達している訳じゃないしなぁ」

 

 発達というか多様性だよなぁ、と思う。異なる文化で生まれた音が混じり合う事で音には多様性が生まれる。それがジャズやブルースというものをアメリカに根付かせ、そっからロックが、ヘビメタが、デスメタルが生まれ、更に技術の発展によってテクノ等も生まれたのだ。今のこの世界は基本的な楽器がクラシック向けのものばかりが主流として出回っている。が、おかしな魔族の布教の結果かストリートでは偶に軽快なバイオリンを使った演奏が聴けたりする。タップダンスの様なステップを演奏に組み込んだバイオリン演奏、それはクラシックの潮流から外れるもので俺は嫌いじゃなかった。

 

 まあ、クラシック自体そこまで好きって訳じゃないけど。

 

「というかいっそのこと、るっしーとルインさん組んでさ、富裕層向けに商売するんじゃなくてこのバーをそのまま利用して中層向けの音楽バーでも作れば良いじゃん」

 

「ふむ、その発想は面白いな」

 

 ルインが突っ伏しているテーブルの上でピクリ、と反応した。お前の在庫が不良在庫化してる事実には何の変化もないんやで。

 

「ぶっちゃけ富裕層に持ち込むよりも中流階級というか平民に口コミで広めてもらう方が文化の発展と流行速度では早いでしょ。魔界から輸入するから高くなるんであって、輸入せずにこっちで調達した材料使って魔界風の酒や料理をこっちで出せるようにしつつ展開すればイケない?」

 

「どうだろうな……フレンドの発想は悪くはないが詳細を詰めようとすると神々と魔界の間での規約を読み返したりチェックする必要があるだろうし―――」

 

「やりましょう」

 

 死んでいたルインが拳を握りながら復活した。

 

「やりましょう! 私達3人でここから始めましょう」

 

 ガッツポーズ取って気合入れてる所悪いが、

 

「勝手に巻き込まれてるんだが?」

 

「経営者、私! 顧問、エデンさん! 出資、ルシファー!」

 

「勝手に出資者にされてるんだが?」

 

「完全に俺らを使い倒そうって腹積もりじゃねぇかこいつ」

 

 でもなぁー。ルシファーの言っている事はなんとなくわかる。このルインとかいう女、見た目は物凄いクール系なんだ。だけど実際のところ、中身はポンコツの塊でしかない。さらっとはぶられているバーテンダー君はそろそろ怒っても良いんじゃない? と思ったりしても、なんとなく見捨てられない哀れさがあった。なんというか……目を離した隙に連帯保証人になってそうな空気がこいつにはあった。

 

「これが本場の魔族かぁ」

 

「魔族ロールプレイするならちゃんと学んでおくんだぞ」

 

「学びたくねぇ手本だ」

 

「ルシファーの出資さえあればこの不良在庫もさばける筈……!」

 

「それはもう諦めろ」

 

 なんだかなぁ……思ってたのとは違う方向に進んでいる気がする。とはいえ、どうせ魔族も寿命が気の遠くなる程長い存在だ。長い付き合いになる相手は仲良くした所で悪くはないだろう。はあ、と溜息を吐いて頬杖をついた。

 

 人間も、龍も、魔族も。

 

 1ヘレネ硬貨稼ぐのに死ぬほど苦労しているな……。




感想評価、ありがとうございます。

 出資者ルシファー! 金を出すのが仕事!
 顧問エデン! アイデアを出したり位修正するのが仕事!
 経営者ルイン! 2人を見てるのが仕事!

 解散。


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不協和音

 ルインをどうするかあーだこーだとルシファーと相談したあと帰ってから翌日。

 

 今日はバジリスクの素材報酬を回収する為に街へと向かおうとした所、朝にエドワード共々ゲストの相手をすることになった。

 

 サンクデルの使者がウチを訪ねて来たのだ。領主軍の兵に扮した使者を、俺とエドワードで出迎える。サンクデルからの使者が来る場合、それは大抵の場合で領主からの依頼を携えている。何せ、ロゼからの連絡や遊びの誘いは手紙を送ってくるか、いきなり本人が来るからだ。朝から来た使者に忙しい事になりそうだと思いつつ屋敷の前から応接室へと案内しようとしたが、使者は片手でやんわりと拒否した。

 

「ありがとうございます。ですがサンクデル様からの連絡を伝えに来ただけですので私も直ぐに戻ります故」

 

「少しぐらい休んでも罰は当たらないと思うけどね……それでサンクデルはなんて?」

 

 エドワードの言葉に背筋を伸ばした使者はサンクデルの言葉を伝えてくる。

 

「―――頼みたい仕事がある、なるべく早く参られよ、と」

 

「サンクデルの言葉、拝承した。僕たちも身支度を整え次第向かうと告げて欲しい」

 

「拝承しました。それでは」

 

「あ、ちょっと待って」

 

 敬礼してから去る使者の姿を止める。此方の声に使者は脚を止めて振り返り、

 

「どうされました?」

 

「いや……帰りは馬でしょ? どうせなら一緒に領主様のところに行こうよ。馬より早い移動手段を確保してるから」

 

「馬より……ですか?」

 

 その言葉で何かを察したエドワードが視線を露骨に使者から逸らし、俺は口笛を空へと向かって響かせる。完全にペットとして育てる事に決めたロック鳥が厩舎の方からのそのそと歩いて来て、翼を大きく広げながら存在感をアピールする―――その羽の一部は昨晩の馬と熊による襲撃でダメージにならない程度に乱れており、ロック鳥のカーストがあの三匹の中では一番低いという事実を証明していた。

 

 ちなみに馬と熊はロック鳥が便利だからお払い箱という事はなく、並の動物や人よりもなぜか賢い事もあって付近の治安維持を頼んでいる。最近は俺は街で金策、リアは教材とにらめっこする日常が続いている為、その平穏を守る為にも俺が出来なくなったここら辺の治安維持を頼んでいるのだ。でもアイツら野生動物なんだよなぁ……なんか間違った使い方してる気がする。そこまで問題という訳でもないからスルーで良いんだけどね? なんか仕事を与えてないと可哀そうな感じがして……。

 

 それはともかく、ロック鳥を見た使者はやや引き気味だった。とはいえ俺が近づいて撫でる様子を見るとこれに乗るんですか、マジで? みたいな視線を向けてくる。

 

「乗れますよ。ここ数日はこいつに乗って街に出てましたし」

 

「流石の僕もモンスターの背に乗って空を飛ぶなんて経験は初めてだからね。実は結構楽しみにしてるんだ」

 

「成程、これが“宝石”の資質ですか……」

 

 そう言う使者の声は滅茶苦茶震えてた。

 

 

 

 

「―――お前たちついにモンスターに乗って飛んでくるようになったらしいな」

 

「エデンがね、野生のロック鳥を乗りこなすようになったんだ」

 

「アレは野生の馬と熊が勝手に調教して連れて来たので、実質的に俺は何もしてませんよ。勝手にペットになりました」

 

「????」

 

 ロック鳥で屋敷の正面に乗り付けたら軽く騒ぎになったが、その背に乗っているのが俺達だとわかり次第、なんだグランヴィルか……みたいな空気であっさり流されてしまった。現在、応接室でサンクデルと向き合っている間、ロック鳥は中庭の方でロゼの遊び相手をして貰っている。ロック鳥の奇妙な調教手段を聞いたサンクデルは眉間を指で揉みながら頭が痛そうにしている。

 

「ああいう飛行生物を調教して特産化出来たらウチの強みになるかと思ったが……参考にならなそうだなぁ」

 

「まあ、エデンは特別な子だからね。多分この子にしかできない事だからノウハウとか聞き出すだけ無駄だと思うよ」

 

 エドワードの言葉に頷いたサンクデルは眉間をもんでいた指を離し、両手を組んだ。

 

「みたいだな。まあ、それは素直に諦めておこう。いや、とはいえ移動手段が高速化されるのはありがたい話だ。急ぎで仕事を頼みたい所だったからな。恐らくエデンちゃんならもう既に解っていることだろうな」

 

 そう言われて思い浮かべるのは最近の出来事になる。

 

「もしかして変異種の事ですか?」

 

 俺の予測にサンクデルは頷いた。

 

「ギルドの方から報告が上がっていたが……何やら最近変異種や変異モンスターがそこそこおかしな頻度で見かけられるらしいな? 自然現象として何かが発生している場合もあるが、何者かが人為的に物事を進めている可能性もある。ならば早期に調査しておきたい。無論、他にも調査隊は編成する。だが現状、私の手元で自由に動かせ、少人数で調査を行える人員は少ない。私の“宝石”もこの件に関しては動かしている。手遅れになる前に調査し辛い地域を回っておきたい件でな」

 

 やっぱり、その件だった。昨日の今日の話だったのに話を聞くのと判断するのが早い。ファンタジー小説とかだとこの手の判断から実行まで割と時間がかかるんだけどなあ……なんて思ったりもするのだが、良く考えればサンクデル辺境領は国境があるのだ。戦時となれば最前線に出て指揮を執る都合上、常に素早い判断が求められるのだからこの手の判断は早いのかもしれない。

 

 しかし、“宝石”か。確かサンクデルは“宝石”を1つ有しているという話だったか。未だに本物と出会った事はないが、辺境領主クラスとなると1人ぐらい保有できるものなのか? それとも単純にこの人の政治的手腕が凄いのか。そこら辺の細かい判断は俺にはちょっとつかないが……“宝石”の実力に関しては大いに興味がある。果たして今の俺なら“宝石”相手にどこまで食い下がれるのだろうか?

 

「成程……僕もエデンに話だけは聞いてたけどやっぱりサンクデルの目から見ても状況は異常か」

 

「うむ、詳しい事は当事者である其方の娘の方が知っているだろうが―――」

 

 視線が此方へと向けられ、俺は頷く。

 

「昨日は放狼の団のタイタンバジリスク討伐の様子を眺める形になっちゃいましたけど、タイタンが明らかに劣勢になった瞬間乱入する形で青と赤の図鑑で見たことのないバジリスクが出現しましたね。無論、団の方には油断も慢心もありませんでしたよ。確実に勝てる手を取って少しずつ追い詰めていました。だけどそれを超える隠密性で変異種たちは奇襲を仕掛けてきました。まるでタイタンを守るというよりは……」

 

「というよりは……?」

 

 言葉を捻りだす為に首を傾げて考えてみる。なんというか、食欲でも縄張りを守る為でもなく、

 

「……人を襲う為に襲った? そんな感じでしたね。タイタンは縄張りに人が入ってくるまでは完全に無反応でしたからね。アレは純粋に習性とかに従って動いていました。ですが赤青コンビはタイタンがピンチになったら縄張りの外側から飛び込んできましたから、明らかに通常のバジリスクとは違う動きをしていたんですよね。なんというか……タイタンバジリスクよりも賢い感じでした」

 

 まあ、どっちも俺がワンパンで始末したが。デカい硬いは、ぶっちゃけ防御無視して斬撃通せる俺からしたらカモでしかない。大きいから適当に薙ぎ払っても攻撃が当たるし、デバフ系統は龍特有の全門耐性で無効化できるし。だからああいうタイプの生物は正直困る事が何もない。とはいえ、一般的な人類からしたら脅威である事に違いはない。そしてそれが本来の生物におけるセオリーとも言える行動を外れて行動する事もあまり、面白くはない。

 

「ワータイガー、そしてバジリスクの討伐本当に感謝するエデン。君がそうやって討伐を進めるおかげで本来犠牲になる筈の人が犠牲にならず、そして安全が確保できるようになる。その事に関しては言葉を尽くしても伝え足りないだろう。だが辺境領主として君に感謝している事は忘れないで欲しい。そしてその上で、その力を借りたいと思っている。良いかな?」

 

「お任せください、領主様。俺の力であればいかようにも」

 

「リアの学費を稼がないといけないしね?」

 

「エドワード様っ!!」

 

 エドワードの横からの茶々に大人が2人、揃って笑い声を出している。どうやら俺達三人で必死に学費を稼いだり奨学金を狙って勉強している事は大人の間では周知の事実らしく、生暖かい視線が向けられている。居心地の悪さに思わず視線を逸らしてしまうと、サンクデルがもう一度小さく笑い声を零していた。

 

「いやいや、すまない。ロゼやリアちゃん、エデンも見てない間に育ってきていると思ってな……まさか自分の学費の事を考え始めたりするとはな」

 

「そこはね、僕も驚いたよ。家の負担は絶対に嫌だってリアが言うようになってね、僕もエリシアもリアの成長には驚かされたし、そういう事を考えられる娘になったんだと思うとちょっと泣きそうになったよ」

 

「私のところのロゼもどうやって日々の金銭を得て、どうやって稼いでいるのか。金と経済の重みを真剣に考えるようになってな……無邪気に大人を目指す一歩を踏み出しているようでふと寂しさを覚えるよ」

 

「あの、すいません? この話題俺が居た堪れないので話題、元に戻しませんか? 元に戻しましょうよ。ほら、今大事な話の途中だったじゃないですか。ね? ね?」

 

 事の発端が俺の発言だっただけに二人にこういうリアクションをされると俺も困ってしまう。だから必死に2人に視線で訴えると、こほんという咳払いと共にサンクデルが大きく頷いた。

 

「それもそうだな……それでエドワード、エデン両名共に個別で仕事を与えるから、調査に乗り出して欲しい。無論、拘束される時間分の報酬は出すし、エデンにはこれをギルド経由で依頼として処理しておく事を約束しよう」

 

「俺は構いませんけど……その、支払いの方をそうやって分割しちゃって大丈夫なんですか……?」

 

 俺の言葉にサンクデルが小さく笑った。

 

「学費、稼ぐのだろう?」

 

「エデンが名状し難い表情をしているなぁ」

 

 そうやって態々個別に報酬を用意してくれる領主様、滅茶苦茶優しくて好きだけどそれはそれとして背伸びしている子供にお小遣いをくれる大人を見ているような気分になるのでやや胸がもにょもにょする。いや、実際此方の考え方を物凄く尊重して手伝ってくれているのは事実なんだが。そこまで頑張っているなあ……って感じに見られて手を差し出されると言葉に出来ない恥ずかしさがあるんだ。

 

「お、お任せください。このエデン、体の頑丈さと全てを破壊する力に関しては何者にも負けないものを持っております。学費の為とあれば秘境の1つや2つ、滅ぼしてみせましょう!」

 

「滅ぼさない滅ぼさない」

 

「いやはや、頼りになる娘が増えたものだね、エドワード」

 

 ああ! 何を言っても温かい目を向けられる! 駄目だ、メンタル的に無敵だこのおっさん共!

 

 応接室の椅子の上で体育座りになって体を丸めていると、大人共からまあまあ、と窘められる。

 

「それで仕事の話に戻るがエドワードとエデンにはそれぞれ調査を担当して貰いたい。エドワードがネディング湖と周辺湖畔地帯を、エデンにはタウロ山を頼みたい。特にタウロ山、その頂上付近は専用装備がないと人が入り込む事の出来ない環境だ。そういう場所こそ我々の目が届かなくなる……しっかりと調査を頼みたいんだが良いか?」

 

 領主の言葉に肯定の頷きを返した。

 

「ネディング湖かぁ……あそこは結構厄介なモンスターが多いんだよね。僕も一度帰って準備を整える必要があるかな」

 

 ネディング湖は一種の辺境の秘境の一つであり、濃いエーテルによって通常とは違う植生が成立している探索地の1つだ。貴重な素材が取れる為に高ランク冒険者からはありがたがられる反面、その環境に適応したモンスター達の巣でもある。特に湖が広く、底が見えない程深くなっているという話だ。湖の周りも薄く水が張った緑地が広がっており。その浅い水の中を魚が泳いでたりする面白い地形になっている。まだ行った事はない場所故、その内行ってみたいなあー、なんて思ってたりする。

 

 それと比べるとタウロ山はかなり変わった環境をしている。人が入り込むのに苦労する環境である為、あまり進んで行こうとする人はいない。良質な鉱石が取得できるというメリットが一応の所存在するのだが、それ込みでもタウロ山に向かおうと思う奴が少ないのにはそれなりの理由がある。ちなみに探索地としての推奨難易度は“金属”の中級から上級だったりする。此方は住み着く生物よりも純粋に環境上の問題だ。

 

 ギルドからバジリスクの代金を受け取るのは後日かなぁ、と最優先のタスクを領主の依頼へとシフトする。領主の事だから支払いをケチるという事もないだろうし、そこは安心している。

 

 なので領主の依頼を受け、それを遂行するための準備に入る事にした。

 

 お仕事の時間だ。




 感想評価、ありがとうございます。

 大人からすると子供が背伸びしたがっている様に見える。それそれとして仕事内容を見ている結果、サンクデルからすると半歩大人に踏み込んでいるのがエデンなので、対応もそれ相応になっている。恐らく一番大人としてエデンを見ているのはこの人。グランヴィル家は甘々だし、ギルドはなんか異空間から生えてきたモンスターとして認識している。


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不協和音 Ⅱ

 ―――環境とエーテルの関係をおさらいしよう。

 

 モンスターの成長と進化に密接に関わっているのは地域におけるエーテル濃度であり、エーテルが濃い場所程強く、そして多様なモンスターが生まれやすくなる。元々はただの動物であったモンスター達はエーテルによる変異を引き起こされた結果人に害をなす生物になって、それが種として定着したのが今のモンスター達だ。つまりエーテルが怪物の姿になったとかそういう事実ではなく、純然たる営みを行う生物であるのだ。じゃあ根本的な話としてエーテルとはなんだ? という話になってくる訳だが、細かい事はまだ判明しておらず、エーテルが何であるかという疑問に神々は答えようとはしない。

 

 故に一つの答えとして人が掲げるのが、エーテルとは星―――大神の呼吸なんじゃないか、という説だ。それを我々は取り込む事で魔力へと変換し、方程式を以って魔法を行使する。それは即ちエーテルとは変化する物質であり、万能の素でもあると。故にこれを喰らう事で人もモンスターも進化、変異する事が出来る。事実としてエーテルの濃い空間の方が強く育ちやすいと良く言われているし、実例もある。

 

 そして人の多い密集地程エーテルは薄く、そして秘境や辺境等の人の少ない環境程エーテルは濃い。その為、人がいない辺境はモンスターの処理に常に追われている―――今かかっている話だ。だがこれにも極々細かい例外があり、エーテルがその濃度をどの場所であっても減らして行く環境があるのだ。

 

 それが空だ。

 

 つまり地上から離れれば離れる程、エーテル濃度が下がって行く。こういう事からエーテルとは空気よりも重い物質だと言えるのかもしれない。ただそういう性質がある為、標高の高い山の山頂付近になればなる程エーテルを必要とする生物は少なくなり、低酸素と低エーテル環境から逃げた生物が山の麓には集まりやすい。そう言う事から高高度の方が安全というケースもある。

 

 ただこのタウロ山はそのセオリーから外れる場所であり、辺境特有の高濃度エーテル環境が山頂まで続いているという不思議な場所になっている。環境属性と結びついた結果発生する純エーテル生物や、環境に適応したモンスター、そして高山を住処とする珍しい生き物たちで溢れるタウロ山は、まともな道が少ない事を含めてかなりの魔境だと言えるだろう。その上このタウロ山では年中雪が降っている。その影響で足元も心もとなく、なれない人間はあっさりとこの山に呑まれて死んでしまうだろう。

 

 その為、調査をするだけでも一苦労だ。専門の調査チームが年中タウロ山の観測と調査を行っているが、それだって比較的に浅い層だけだ。深い所や高い所となると、専用の装備と人員が必要になり、非常に金がかかる話になってくる。

 

 そう、少なくとも普通の人間にとっては。

 

 ―――まあ、俺には関係のない話だ。

 

 片道数日かかる道もロック鳥なら数時間の距離だ。街道を、探索地を超え、圧倒的な速さで現地へと到着し、その景色を目にする。

 

「ほほー、遠巻きには見えていたけどやっぱり雪山ってのは真っ白なもんなんだなぁ」

 

 ロック鳥の背の上からタウロ山の麓をぐるっと回るように観察していた。麓はまだ木々が生い茂っており、山へと近づけば近づく程やせ細っていく。やがてそれが雪の範囲に入る事で植生が変化して、種類の違う木々や形の違う草が生え始める。急激な環境と植生の変化はこの辺境では度々見られる光景だ。空から見るとその変化が綺麗に見える。やっぱり現実とは思えない環境の変化の仕方をしている。

 

「えーと、確か観測所が麓にあるはずなんだっけか……あったあった」

 

 タウロ山南方にロック鳥で回り込みつつ地上の様子を窺っていると、望遠鏡を屋上に設置した3階建ての建造物を発見する。恐らくあれが観測所だろう。少しだけ距離をあけてロック鳥を着陸させるのは、相手を驚かせないための配慮だ。流石に普段から会っている冗談が通じる人達とは違い、俺の事を知らない人達相手には少し配慮した方が良いだろう。だから少し距離をあけて着地して、歩いて観測所の前まで進む。

 

 扉を三度ノックし、

 

「おーい! 誰かいるかー? サンクデル辺境伯に頼まれてタウロ山の調査に来たもんだ」

 

 ややどたばたとした音が観測所内部から聞こえてくると、勢いよく扉が開いた。眼鏡を装着し、茶髪があっちこっち跳ねているコート姿の研究員が姿を見せた。

 

「サンクデル様の使者だって!? お待たせして申し訳ない。中へどうぞ外は寒いでしょう」

 

「邪魔するぜ」

 

 観測所に入る前に振り返り、バッグから干し肉を取り出すとロック鳥の方へと投げる。それを嘴で掴んだロック鳥は目を細めながら前足を使って器用に噛み千切りながらちょっとずつ食べて行く。その姿を背にしながら観測所に入る。中でも大きな魔導型ストーブが部屋全体を温めていた。中に戻った観測員はコートを脱ぐとラックにかける。観測所はどうやら地下もあるらしく、下へと向かう階段も見えるが……今はそれを無視し、案内される部屋の中央、そのテーブル前の椅子に座る。

 

「街からここまで遠かったでしょう? 珈琲か紅茶どちらか飲みますか?」

 

「あぁ、いや……断るのも悪いしそれじゃあ紅茶で」

 

「はい、少々お待ちを」

 

 ケトルに雪を詰め込んで溶かすやり方、汚染とか環境の汚さとかを一切考慮しない世界だからこそ出来るやり方なんだろうなあ……なんて事を紅茶を用意している間に見てて思った。視線を紅茶を準備している観測員からテーブルの方へと移すと、テーブルの上にはタウロ山の地図が貼ってあるのが見えた。足を組みつつ地図を確認してみるが、結構詳細にマッピングされているらしく、道やランドマークが描かれてある。

 

「中腹にも観測所があるのか。とはいえ麓だけでも結構広いな……」

 

 麓をぐるっと回るだけでも1日はかかるだろう。俺がロック鳥に騎乗して回ったらかなり時間は短縮されるだろうが、その場合は見落とすものが出てくるだろうし避けた方が良いだろう。ともなるとエリアの移動とかでしかロック鳥の出番はなさそうだ。それでもいるだけ便利なのだが。

 

「お待たせしました。ここら辺は良質なシロップが取れまして、それを結晶化させることで砂糖に似たものを作る事が出来るんです。お蔭で紅茶に砂糖モドキを沢山入れられる事がこの職場での特権でして」

 

「ほほう、それはそれは」

 

 ありがとう、と告げながら受け取るカップは温かい。龍の体は暑さにも強ければ寒さにも強い。その影響で別に雪の中で半ズボンだろうと別に平気なんだが、ビジュアル的に心配されるのは解っていたので、今日は購入したばかりのスキニージーンズを履いて来ているし、露出対策は完璧だ。これにはあの冒険者ガールズも文句は言えないだろう。え、中が寒そう? そう……ジャケットで隠れてるから問題ないでしょ。

 

 紅茶は観測員の言う通り砂糖が入ったような甘さをしている。ちょっと癖のある甘さだが、気になる程ではない。感謝して口を付けつつそれで、と話を切り出す。

 

「辺境伯は最近、辺境の各所で見られる変異型モンスターを気にしている。俺はその調査と存在した場合の討伐を任されてここに来ている。もし何か解る事があるなら教えて欲しい」

 

「変異型モンスターの調査と討伐ですか……? いえ、この様な地に単身で来られるのでしょう、“宝石”の方々は姿や形にとらわれないという話ですからきっと私の心配する様な事ではないのでしょう」

 

 “宝石”と勘違いされているみたいだが、訂正しない方が話も早いし、口をカップに付けて黙っておく。観測員も納得した様子で頷きつつ腕を組み、考え込む。

 

「調査ですか……おーい、エレン。山の方で何か妙な事あったか?」

 

「あの山で妙な事なんてないでしょー。カールはー?」

 

「麓付近での濃度はフラット、おかしなこともないぞー」

 

 上の方から男と女の声がしてくる。他にも当然ながら観測員がいるらしい。まあ、当然の事だろうけどよくもまあ、こんな場所で仕事してられるよな……という感じはする。とりあえず、紅茶の味を楽しみつつふぅ、と息を吐く。

 

「麓付近では特に不審なモンスターや痕跡は見つからない、と」

 

「えぇ、麓付近は私達が一番調査出来る場所でもありますから他の皆がそう言う限りは間違いなく麓付近に異常はないと思います。ここから登った浅層付近に最後調査を行ったのが半月前なので、あまり変化はないと思います」

 

 そう言って観測員が地図の上のポイントを示して行く。

 

「タウロ山は大きく分けて麓・浅層・中層・上層と山頂で別れています。このうち麓、浅層は比較的に調査がしやすく何度も足を運んでいる他、今表に出ている者達もいます。ですので調査する上でここは飛ばしても良いと思います」

 

「他にもいるんだ?」

 

「はい、ここは合計で8人の所員が勤めています。現在は5人がフィールドワークに出ています。内、1名は現在中層の第三観測所の方に居ます。私たちの中で一番の腕利き、フィールドワークを得意としている者です。話を聞くのなら彼が一番でしょう。ここに第二観測所が……ここに第三観測所があります」

 

 地図の位置を示して行く。バッグから紙を取り出すと軽く地図をスケッチしようとするが、手で制される。

 

「地図のコピーを渡すのでお持ちください。ただ出来たら帰りに返却をお願いします」

 

「ありがとう」

 

「いえ、山の調査となりますと此方も無視できる事ではないので。特にサンクデル様の依頼となりますと此方も全力を出さないといけませんからね。それに……」

 

「それに?」

 

 聞き返すと観測員が笑った。

 

「サンクデル様の肝煎りの方となれば普段私達が見れない所まで行けるでしょうから、ついでに観測を頼めるかと思いまして」

 

 観測員の言葉に軽く笑い声を零してしまうが、その逞しさは嫌いじゃないかった。だから素直に観測員から地図のコピーを受け取り、確認しつつディメンションバッグに入れ、他にも観測用の小道具を幾つか受け取る。そこから地図に書いてある一部のポイントや、地形の話に入る。

 

「浅層および中層は実はそこまで環境が複雑ではありません。私達でも準備さえすれば踏み込める範囲のエリアです。その為、第二観測所が浅層に、そして第三観測所が中層にあります。ここら辺が最も生態が多様、生物にとって資源が豊富なエリアになる為、野生動物やモンスターの類が比較的に多いですので、注意してください」

 

 指は中層の第三観測所から上層へと滑る。

 

「ここにも一応、第四観測所があります。ですがこちらは基本的にあまり使われず、行けるのも1年に1度あるかないかぐらいになります」

 

「それほどまでに行くのが厳しい、と」

 

 観測員が無言で頷いた。

 

「中層までは比較的に行きやすいというのは上層と比べた場合の話です。中層でも吹雪はありますし、低温による凍死の危険性もあり、そして足元が雪で埋もれていて滑ったり足がハマったりする危険性もあります。ですがタウロ山における環境の過酷さは上層に入ってからが本番になります。この上層からは特殊なエーテルが環境を構築していて、その為凍るんです」

 

 凍る? と首を傾げながら聞き返すと観測員が肯定する。

 

「はい、()()()()()()()()。冷属性方面に偏ったエーテルが環境を支配している影響で、エーテルに触れる全てが低温化します。その為、厚着をしていても物質の温度が直接下げられるから意味を成しません。対抗する為にはエーテルという物質そのものに対する抵抗力を必要とします。無論、これは魔力抵抗力という形で応用できますので、魔力や魔法に対する抵抗能力で身体機能の凍結を阻止出来ます」

 

「成程、確かにこれは魔境って言われる訳だ」

 

「体内魔力の凍結による氷結晶化も発生するので、体内の魔力に気を付けていないと体内で氷の魔力結晶が生まれ、それが内臓等を傷つける場合があります。その対策として常に魔力を消費しながら新たに生成するか、或いは自分に対する干渉そのものを遮断する必要があります。そういう理由から上層部の探索は非常に困難を極め、長時間の探索も不向きなエリアです。しかもこれは頂上へと近づけば近づく程強まります」

 

 上層部のマッピングはおおざっぱにだけ行われているようで、中層や下層等と比べると書き込まれている情報が少ない。それでも観測所を設置したのは意地なのかもしれない。

 

「ここ」

 

 上層と頂上、その中間点にある雲の部分を指す。

 

「ここでは雪ではなく雹が降る事もあり、その影響で落雷が発生している事があります。もし頂上まで行けるのであれば、この雲のところはなるべく早く抜けた方が良いでしょう。とはいえ、雲から頂上までの観測なんてもう数年単位で行えていませんから現状、どういう状況になっているかは解りませんが……」

 

「いや、情報助かった。サンクデル様には5日ぐらいかけてしっかり調査してきて欲しいって頼まれてるから何かあったらその都度観測結果と一緒に戻ってくるよ」

 

 流石領主、お金はたんまりあるから払いも良いしこれだったら5日ぐらい調査依頼に消費したって何の問題もない。観測員もその言葉に大きく頷いて喜びの表情を見せる。

 

「ありがとうございます。取り掛かる所を決めていないのなら、フィールドワークに出ている同僚たちを探す事を勧めます。今外に出ているので一番新鮮な情報を握っている事でしょうし」

 

「あぁ、ありがとう。紅茶も美味しかったよ」

 

「いえいえ、此方こそ仕事を手伝わせてしまったようで申し訳ありません」

 

 その言葉に手を振って終わらせながら観測所から出る。外で待っていたロック鳥の首筋を軽く撫でてから振り返り、切っ先が雲に埋もれて見えないタウロ山を見上げた。

 

「お給料分、しっかりと働くぞロック」

 

「くぇー」

 

 ギルドや放狼の団、あの後のバジリスクの買い取りとかもちょっと気になるけど緊急性はこっちのが高い。今は一度それを忘れ、集中する事にする。

 

 雪山探索の開始だ。




 感想評価、ありがとうございます!

 未知の世界を走り回る事にファンタジー世界の楽しさがあると思うんです。きっと冒険の一つ一つが忘れられない記憶になる。

 なおサブタイトル。


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不協和音 Ⅲ

「―――俺は近いうちにブラッドマントラップも俺達で片付けるべきだと思う」

 

 放狼の団、副長ガルムはそう団長イルザに切り出した。

 

 街の宿、その一室でガルムとイルザはテーブルを挟んで向かい合っていた。幼い頃から付き合いのある二人は互いの考えと性格をよく把握している。苦楽を共にし、そして何年という月日を経て漸く自分達の団を“金属”のそれも中位にまで成長させる事が出来た。これが出来るクランというものは多くはない。ガルムとイルザ、その才覚あっての事だ。しかし、2人はここからの伸び方を見いだせずに悩んでいた。それ故にガルムとイルザ、2人は顔を突き合わせながら団の方針を話し合っていた。その中でガルムが提案したのはブラッドマントラップの討伐だった。

 

 セオ樹海はヴェイラン辺境領西南部に存在する樹海だ。辺境らしい変化に富んだ環境の中で、様々な動植物が狂ったような成長を遂げており、樹海そのものが1つの罠だと言えるレベルで面倒な探索地になっている。だがこういう変化している環境でこそ珍しい素材は手に入る。その為、素材を求めてセオ樹海に挑み、跡を絶つ冒険者は多い。結局のところ、冒険者や探索者のビジネスとは自己責任で行う事なのだから、誰も彼らの行進を止めようがないのだ。

 

 そしてここにもまた1人、セオ樹海に挑まんとする意思を見せるものがいた。

 

 それをイルザは腕を組んで唸りつつ悩んでいた。

 

「いいか、イルザ。お前の懸念する事は解っている。俺達にそれだけの力があるのか、俺達にそれだけをこなせるだけの組織力があるかどうかって所だろう」

 

「……あぁ、そうだ」

 

 ブラッドマントラップの情報は既に入手していた。この辺境へと放狼の団がやって来た目的はシンプルに、名声稼ぎだ。ギルドに対する特典と、団としての名声を稼ぐために賞金首を狩るのは決して珍しい事ではない。点数を稼ぐという意味では前々から取られている手だし、大きくなってきた組織が一旦辺境へと出てこの手の依頼を処理するのも良くあることだ。放狼の団もそのセオリーに従って行動している。エスデルという国を選び、ヴェイラン辺境領を選んだ理由も治安がよく、国の質が高く、欲しいものが金さえあれば調達できるからだ。

 

 別種族への偏見が薄く、そして国民の民度の高いエスデルという国家は完成度が高く、人気だ。老後を穏やかに過ごすのであればエスデルへと移住し学問に取り組むというのも割とある考えだ。人が増えればその分問題も増える為、そういう所を狙って依頼処理に来る者もまたいる。

 

 ただ放狼の団は最終的に“宝石”を目指すタイプの団ではなく、貴族に召し抱えられる事で正規軍としてのポジションを獲得する事を目的としている傭兵団に近い。だから重要なのは成果と名声だ。この二つを稼ぐ必要があるとイルザは考えている。

 

 誰だって根無し草よりは正規雇用の方が良い。

 

 帰る家がある。恋人を作る余裕がある。それだけで傭兵と軍人には天と地ほどの差が出来る。傭兵になるというのはつまり()()()()()()()()()()()()者達の末路でもある。だからイルザもガルムも、本質的には安寧を求めている。だからこそ正規軍として召し上げられるためになるべく良い条件を作ろうとしている。

 

 それが名声だ。

 

 サンクデル・ヴェイランの耳に放狼の団が強く、そして辺境の治安維持に大きく貢献しているという事が入れば、放狼の団の事を気に掛けるだろう。その状態で活躍し、成功すれば有用な人材として登用されるかもしれない。特にヴェイラン辺境領は国境付近を任されている為、国軍とは別に個人で保有する戦力に余裕なんてものはない。それが解っているからこそ、ある程度大きくなった傭兵団やクランは辺境へと移動する。

 

 そうやって中央から辺境へ人が流れる。冒険者とはそういう風にシステムが出来ている。中央から辺境へ、上を目指そうとするものほど外側へと移動するようになっているのだ。そしてガルムとイルザは典型的な上を目指すタイプだった。

 

 故に求める、勝利を。

 

「お前の……言いたい事は……解る」

 

「なら迷う様な事ではない筈だイルザ。解るだろう? 俺達が思っていた以上に辺境冒険者の質は高い―――極めつけはアレだ。あの女だ。アレはヤバイぞ。原石だ。“宝石”の原石だぞ。今回は偶々此方が早かっただけだ。だが放置していればアレは間違いなく成長するし、此方の獲物を狩って行くだろう」

 

 別れた後発覚する少女の正体。エデン、グランヴィル家の従者の少女。まだギルドに登録して数日だが目覚ましい成果を上げ、元から領主に対する覚えも良い。このまま放置していれば将来的に“宝石”にまで駆け上るであろうことは()()グランヴィルに仕えている事から解るだろう。それだけの資質があの怪物の中にはあったとガルムは断言する。100回中100回、戦ってもあの少女には絶対に勝てないだろうとも確信する。それだけライバルは厄介だった。

 

「俺達で先に狩らないと、以降の賞金首は全て奴に狩られるだろうよ」

 

「あぁ、だろうな。何やら金が入用だったみたいだしな。これからも恐らくは間引き系統の仕事でバッティングする事は間違いがないだろうし、あのでたらめな強さだ。きっと1人で何もかも解決出来てしまうだろう」

 

 ガルムとイルザにとっては頭の痛い話だ。名声を稼ぎに来たのに、その元となるものには競争相手がいた。それも恐らくは絶対にしくじる事のない相手だ。エデンが一度狩りに行けば、絶対に獲物は始末されるだろう。タイタンバジリスクを助けに来た者共の死に様を思い出し、ガルムは軽く身を震わせた。冗談じゃないとさえ思う。これでは飯の種も、名声も奪われてしまう。

 

 こうなってしまうと放狼の団に出来る事は二つしかない。

 

 1つ、辛抱強く根付く事。それは今回の討伐を諦め、細かい依頼を処理しながら地域に根付き、そして少しずつ名声を稼ぐ道だった。だがこれは長期的に構える必要があり、また同時に団員達のモチベーション維持も難しい話だった。これまでの放狼の団の活動は討伐と傭兵メインの活動が多く、それで実績を重ねて来た。根付いて地道な作業というものは団の方向性に合っていない為、多数の団員が―――特に新人たちが抜ける可能性が出てくる。

 

 どこでもそうだが、マンパワーとはそのまま組織としての力なのだ。人が多い程強く、そして傭兵団を鍛える手段とはやはり戦闘なのだ。実戦と訓練、この繰り返しが放狼の団を強くしてきた。無論、先日の様に犠牲が出る事もあるだろう。だがそれは夢を追って人を殺し続ける道の上では絶対に起きる事だ。それを嘆いた所でしょうがない。

 

 2つ、最低限のリターンを得て移動する事。即ちブラッドマントラップを討伐し、収入と名声を得た所で別の地域へと移動する。この地域は自分達なしで非常に安定している。だから最低限回収できる物だけを回収してもっと活躍できる場所へと行くというプランだ。正直、もうちょっと安定していない国の方が稼げるのは確かだ。だがその場合、仕事周りのリスクが上がる。エスデルの内、国境付近の辺境を選んでいるのは国境付近が一番不安定な場所になるからだ。だがここまで安定しているとなると、場所を変えた方が良いだろうから、ブラッドマントラップだけを討伐しこの場を離れる。

 

 それがイルザの中にある2つのプランだった。ガルムは後者を推す。その気持ちはイルザも解っている。上を目指すのであれば地道な活動が正しいのだろうが、それは戦う者にとっては苦痛だ。特にこの辺境の戦闘力は高く、安定している。調べるだけでも領主の采配が優秀で、特に問題らしい問題にまで被害が発展しない、させない。その事を考えればさっさとこの地を離れる方が正しいのだろう。

 

「……だがブラッドマントラップの相手をする必要はあるか?」

 

「最低限の箔は欲しいだろう。このままじゃ逃げ帰ったのに等しい。それにタイタンバジリスクもだ。奴は最終的にあの女に怯えてた……アレを倒したところで勝利とは言えない」

 

 ガルムの中にあるのは純然たる怒りだ。

 

 まるで少女の様に戦いをエスコートされた。そんな怒りだ。

 

()()()()()()()()()だろうが」

 

「……」

 

 ガルムの言う言葉をイルザは理解する。言葉ではエデンに感謝していたが、彼女自身の矜持が傷ついていないと言えばウソになる。年月を経て鍛え上げた筈の技は一瞬の暴力によって蹂躙されてしまい、重ねて来た準備はたったの3撃によって叩きつぶされた。それだけでバジリスクは生きる事を完全に放棄してしまった。その気持ちはわからなくもないが、結果から言えば勝利を譲られた形だった。1つの団の団長として、あまりにも情けない形の勝利だ。その事に、確かに不満を覚えている。

 

 命よりも名を惜しめ。

 

 エデンであれば狂っていると言うであろう思想は、だがこの世界からすれば当然の考え方だった。言ってしまえば命の単価が非常に安いのだ。簡単に死んでしまえる世界の中では命を惜しむよりも、どうやって自分という存在を残して行くのか。どうすれば自分という存在が忘れられなくなるのか。そこに焦点が当たってしまう。だから別に死ぬ事は大きな問題ではないのだ。本当に恐ろしいのは何も出来ず、何も残せず、ただ死んでしまう事だけ。

 

 それは大半の傭兵や冒険者に共通する考え方だった。無論、イルザとガルムにも当てはまる。

 

 だが命とはリソースだ。切り時を間違えると命を浪費する形になってしまう。それだけはいけない。だからイルザの頭の中では適切な命の消費の仕方を考えていた。言ってしまえば死んでしまう事自体が部下たちの仕事でもある。それをガルムは、ここで名の為にある程度消費すべきだと主張していたのだ。

 

 ガルムは思考する、このままでは舐められると。

 

 舐められたら終わりだ。この業界、名で売るのだから舐められたら全てが終わる。そして今回の話が出回れば、助けがないと勝てない、程度の低い“金属”だと思われるだろう。だからこそ多少の犠牲を許容しても成し遂げる必要がある。新たな討伐対象の排除を。

 

 それを理解するからこそイルザは考え、悩み、そして結論を出す。

 

「……解った。ブラッドマントラップの討伐をしよう」

 

「イルザ」

 

「いや、解っている。だが昨日まで一緒に飯を食っていた事を考えると消費する事に少々憂鬱になってな」

 

「それを背負うのもまた団長の役割だ。無理そうなら俺とその立場を代われば良い」

 

「そして責任をお前に押し付けろ、と? 冗談じゃないさ。これは私の選択で、私の責任だ。お前が心配する様な事じゃない」

 

「……そうか」

 

「そうだ」

 

 それで二人の会話が終わり、沈黙が訪れる。しばし無言を守るように腕を組んでいたガルムは席から立ち上がる。

 

「俺の話はそれだけだ」

 

「うむ、解った。お前も今夜は休んでいてくれ」

 

「ああ」

 

 そう言って部屋をガルムは後にした。タイタンバジリスクとの戦いの後という事もあり、団員の多くは昂って娼館へと向かってしまった。だがガルム本人にはそれを発散させるような気持ちも湧かず、萎えていた。その理由は本人からすれば実に明確だった。

 

 獲物を譲られた。

 

 それがずっと心残りになっていた。だからそのまま宿を出て、段々と暗くなって行く逢魔が時に街へと出た。空を見上げてから己の手へと視線を降ろす。

 

「上は遥か彼方、か……」

 

 生まれ、才能、素質、資質。その差を見せつけられたような気がした。それがどうしようもなく腹立たしく、悔しい。たとえ十数年己を鍛えたとしても、あの滅茶苦茶な力を手にする事は不可能だろう。

 

 肉体強化施術……それも最高クラスのそれを施さない限りは無理だろう。だがその手の手術は金が恐ろしい程にかかる。それこそ今の放狼の団の全財産を入れても1人分確保できるかどうか、というレベルで。

 

 いっそ、諦めてしまえれば楽なのに。

 

 だがあのバジリスクを蹴散らした姿が―――あの強さが脳裏に刻まれている。

 

 羨ましい。妬ましい。憧れる。憎い。複雑な感情がガルムの胸中の中では静かに渦巻いていた。それを決して表情に出さないようにしつつも、ガルムは自制していた。己と団にとって最適な選択肢の為に。

 

 ―――なのに。

 

「おや、おやおやおやおやぁ? これはこれはぁ? ほっほーう?」

 

 人の姿をした不吉がやって来た。ガルムの認知の外側から、一切その不吉さを感じさせる事無く、破滅が足音を立ててやって来た。

 

「ラブか? 恋か? 恋敵だっ! 街中へ残り香を求めてやって来て大! 正! 解! イエスッ! 悩み、焦燥、それはつまり青春で成長へのステップアップ!」

 

 軽いステップを踏む様に青年がガルムへと知覚外からやって来た。纏っていた狂気を全て霧散させ、人の良い青年を演じるように、軽くガルムの肩を叩いて。それに反応したガルムは自分の至近距離に入られている事に違和感を抱く事もなく、嫌悪感よりも寧ろ見たことのない筈の青年に友人の様な好感を抱いた。

 

「いきなり申し訳ない……けど私には君がどこか、悩みを抱えている様に見えてしまって―――」

 

 人の良さそうな笑みを浮かべる青年にガルムは疑う事無く心を開き、そして毒を流し込まれて行く。少しずつ、少しずつ―――意識を誘導し、侵食するように。本人の自覚さえなく壊して行く。全てを悪い方向へと進める為に。それがまるで本人の為のように思わせて。

 

 こうして、狼は狂い始めた。




 感想評価、ありがとうございます。

 放置しているとボスを増やすクソエネミーの鏡。これで今回のチャプターボス、皆は解ったかな。


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不協和音 Ⅳ

 ―――1日目。

 

 1日目は麓周辺の探索とフィールドワークに出てた所員にいろいろとデータを分けてもらう事で終ってしまった。これが結構やる人達で、ある程度のモンスター相手であれば自衛出来るぐらいの戦闘力を持っている事が地味に面白かった。麓周辺の植生のチェック、モンスターの分布チェック、何か異常な痕跡がないかの確認。これを一定期間ごとに細かくチェックしているらしい。

 

 こういう環境のチェックと記録は、エーテルが環境やモンスターに及ぼす影響を調べる事が出来る為、学問として非常に重要な所だと言われている。特に辺境や秘境での調査活動はかなり重要なデータが取得できるため人気なのだが、金と技能が必要となる割合がかなり重く、送れる人員は少ない。その為、あの観測所に籠っている人達は1人1人がエリートであるという話だった。

 

 彼らに調査内容を聞いたり、探しているだけで1日目は終えた。夜も観測所の空いているベッドを貸して貰えて快適に眠る事が出来た為、比較的に楽しい一日だった。

 

 

 

 

 ―――2日目。

 

 麓から下層へと空路で突入した。途中までロック鳥で近づき、ある程度地面が近づいたところで飛び降りる。ここからはフィールドワークをするにしてもそれなりに準備してからじゃないと辛い領域になってくると言われているが、

 

「まあ、俺には平気かな……ロック! お前は適当に麓で遊んでて良いよ! 必要になったら呼ぶよ!」

 

「きゅぇ―――!」

 

 勢いよく鳴くとロック鳥が麓の方へと去って行く。それを見送りながら麓とはがらっと雰囲気の変わった世界を眺めた。麓はまだ地面が見え、葉を残した木々の姿も見れた。だが下層に入った瞬間足元は薄く積もった雪によって覆われており、山の緩やかな坂道が延々と続いている。木々もここになると枯れたり新たな木が生えるようになる、足元の植物もがらりと変わる。まるで違う場所へと踏み込んだような景色と環境の変化が始まった。

 

「うーん、流石ファンタジー世界。とはいえこれぐらいならまだ余裕だな」

 

 寒くはあるが寒くない。つまり気温としての寒さを認識するが、俺の体にとっては寒くないという事だ。この程度であったら何時も通りの行動がとれるだろう。特に対策らしい対策も必要がない。それを自覚して雪山の下層を歩き出す。とりあえず観測所で貰った地図で幾つかのランドマークを確認してあるから、それを順番に回って行くのが一番だろう。

 

「えーと……洞窟と森があるのか」

 

 どっちも回る必要があるとはいえ、徒歩で回るのは中々面倒だな……と思うのはロック鳥での移動になれてしまったからだろうか? まあ、折角秘境とも言える探索地にやってくる事が出来たのだ。ここはサボる事なくしっかりと仕事をこなそう。エドワードもエドワードで今頃、めんどくさい場所の調査を行っているのだから俺が頑張らないわけがない。

 

「はあ―――息が白くなるの、ブレス吐いているみたいで面白いんだよな」

 

 まあ、人間の体は龍体とは違う構造をしているので、ブレスを吐けないんだが。ブレスを吐くには龍の姿になる必要があるのだが、現状そのなり方が解らない―――というか元への戻り方を忘れてしまった形だ。なれたらなれたでどうしようもねーんだが。それでもちょっと、種族としてのアイデンティティを忘れつつあるところはあるし、変身できた方が良い気がするんだよなあ。まあ、出来ない事はしょうがないで済ませてしまうが。

 

「お、よう。寒いのに良くこんなところで暮らせてるな」

 

 雪原を歩いていると、どこからともなくやって来た小鳥が肩の上に乗ってくる。落ち着いたような様子を見せて肩の上でくつろぐ小鳥の様子にふと笑みを零してしまう。こうなると気づくのだが、どうやら俺―――というか龍は性質的に動物に好かれやすいらしい。その為狩りで困った事はないし、なんか野生動物とは勝手に友好的なエンカウントが取れるし、変な馬と熊は勝手にテイミングされるしで結構便利な生活してる。

 

「あ! しまった、熊を連れて来れば良かった!」

 

 山ってまんま熊のフィールドじゃん。アイツ連れて来れば良かったわと今更後悔する。流石にアイツを今から呼ぶ事は不可能だし失敗したなあ、と額を軽く叩く。ここでなんで野生の熊の力を借りようとしてるんだ? と軽く疑問に思ってしまうと正気に戻ってしまうから、軽く忘れておく。

 

 まあ、それはそれとして。

 

「マジで平和だなおい」

 

 麓にいる時もそうだが、下層から麓に出現するモンスターは多く、そして多い程弱い。数が多いというのは弱さをカバーする為の特徴だ。だから最も餌が豊富で多様性のあるこの下層に出現するモンスター達は弱く、そしてほぼ全てが俺の強さにビビって逃げている。それに恐れず逆に近づいてくるのが野生動物たちの方だ。先ほどまでは小鳥だけだったのに、何時の間にか親鳥の方までやってきて小鳥の隣に止まっている。俺の肩は止まり木じゃないんだけどなあ、と思いつつロック鳥がいなくなった分寂しさはあるので、そのままにしてある。

 

 度々コンパスで方角を確認し、地図と照らし合わせて現在位置を確認する。それでも場所を把握できない場合は軽く跳躍して木の上まで移動し、そこから辺りを見渡す事で自分の場所を確認する。

 

 広大で延々と広がる雪山の地形、歩いていると無限に時間を食われる上に似たような景色が続く。その為時々自分の場所をチェックしない限りはあっさりと遭難してしまう……環境と合わせて考えると本当にこれだけでも過酷な地形だ。

 

 しかもこれだけならファンタジーでもなんでもなく、普通に地球にもある環境なんだから恐ろしい。

 

 アルピニストという連中は、マジですごいわ。俺はこの体じゃなかったら雪山へと行こうなんて発想、絶対出て来ないわ。

 

「洞窟こっちであってるんかなぁ……お前はどう思う? 解らん?」

 

 ちちちち、と鳴き声を零す鳥たちは俺の言葉に応える様に肩から飛び立ち、そのまま前方へと案内するように先導し始めた。ありがたいなあ、と思いつつ異様な動物たちの協力的姿勢には驚かされる部分もある。やっぱり、龍という生物は世界とか自然側の存在なんだなあ、とこういう風に寄ってくる動物たちの事を見ると思ってしまう。今も、鳥に先導されながら歩いていると、山の斜面の方から狼が此方を見ていた。こんな環境で狼にでも遭遇しようなら間違いなく襲われる様な状況なのだろうが、遠巻きに眺めてくる狼たちは襲い掛かってくるような様子を見せず、此方を刺激しないように配慮して遠巻きに眺めるのに留めていた。

 

 ……森の中で昼寝したら、何時の間にか動物たちが群がってそうだなあ。

 

 今度、暇なときにでもやってみるか。

 

 そう思いながら鳥を追いかけつつしばらく歩く―――時間の感覚はこの雪山では薄く、何時間とか何十分とか特に気にしない。だからそれなりに歩いていると、山の斜面に大穴が開いているのが見える。入口は魔導式のたいまつが設置されており、燃料を注げば灯りが灯るようになっている事から既に観測員たちが調査してマーキングしてある場所だと解る。ただそれでも俺にとっては初めて来る場所だ。

 

 正直、ずっとわくわくしている。

 

 小説やゲームで見た未知の秘境を歩き回っているような感覚。これが楽しくなければ、何が楽しいという話なんだ。パソコンも、スマホも、ゲーム機もない。だけどこの世界は未知と浪漫で溢れている。それだけでも冒険する楽しさは格別なのだから。

 

「案内ありがとう」

 

 案内を終えた鳥は心なしか自慢げに胸を張っているような気がする。肩の上に戻ったのを軽く首筋を掻いて労いつつ、そのまま洞窟の中に入って行く。ディメンションバッグの中からランタンを取り出すのももちろん忘れない―――魔導式の道具は、俺とは相性が悪いのだ。魔力を込めるとどうしても浄化か、侵食のどちらかを発生させてしまう。だから人間用の魔道具という奴を俺は使えない。

 

 だから使うのは、魔導式ではない通常のランタンだ。

 

 ランタンの中に火を付けて保護し、それを左手で持ち手を握り、光源とする。魔力を込めれば本来洞窟内部が良く見えるようになるのだろうが、そもそも俺の目は暗視も出来る。だからあまり強い光源は必要ではない。とはいえ、肩に止まっている鳥たちが光源無しでは辛かろうという配慮でランタンを抜いてしまった。無駄な事をしているなあ、と思いつつも洞窟の中へと踏み込む。

 

「えーと……確か奥の方が鏡面張りみたいな空間になっている面白洞窟なんだっけ?」

 

 呟いてみるが当然返答はない。だから答えを求める代わりに奥へと進む。入口から奥までそんなに距離のある洞窟ではなく、複数に分岐する通路も足元が木の板によって補強されている。そうやって整えられた洞窟の奥へと行けば、入口の様に大きく広がった空間へと出る。ただしこちらはそこで行き止まりとなっており、もう奥がない事を証明している。

 

「おぉー……」

 

 それでもその空間にあった景色は、圧巻の言葉に尽きるものだった。

 

 ランタンの光を吸い込んで反射するのは鏡のように綺麗に磨かれた氷の空間だ。左右天井、足元を除いた空間が氷が傷一つなく張られている。その一つ一つが澄んでいるようで、視線を向ければ鏡のように映した景色を見せている。或いはそれは氷の反対側に眠っている銀色の鉱石と合わせて発生している不思議な空間なのかもしれないが、周りを見渡すと反射されて映る俺の姿がどこからでも見れた。

 

 ランタンの僅かな灯りだろうと吸い込んで反射し、それが部屋全体を明るく照らしていた。

 

 天然のミラーハウスの様な景色だが、美しさが違う。自然によって生み出されたその姿は人工物にはない美が備わっている。自然の気まぐれによってのみ成立する景色、それはそこまで踏み込む事の出来る者にしか見る事の出来ない不思議な光景でもあるのだ。そう、ここはまだ準備を整えれば誰でも来れる場所なのだ。

 

 じゃあ人が入って来れない場所はどうなんだろう?

 

 頂上は一体どういう景色が待っているのだろうか?

 

 そうやってまだ見ぬ未知を、そして冒険の事を思うと自分がわくわくしているのが解ってしまう。人間の頃にはなかったことだと思う。女の子の―――龍の体になってから様々なものに対する反応が変わってきた。例えば甘いものが前よりも好きになったとか、食欲が前よりあるとか、可愛い服を着る事にあまり抵抗感が無かったりとか。その中でも最も違うのは自然や環境に対する感じ方なのかもしれない。

 

 こうやって自然の中を歩いている事に心地よさと開放感を覚える。

 

 まるでこの雄大で自由な場所こそが自分の居場所の様な、そんな感覚だ。

 

 とはいえ、俺は人として生きているのだからそれは不可能なのだが。生きている以上はどうしても社会に適合しなくちゃいけない。とはいえ、俺の一生はなるべくこの優しく楽しい、辺境での生活が一番だと思っているが。

 

「……そういや観測員の人に良いもん預かってたな」

 

 ディメンションバッグから機械を取り出す。観測員から預かった機械はなんとカメラだ。ただし、当然性能は地球の奴よりも数段下がるし、写真にするにはそこそこ苦労するらしい。それでも魔界産のカメラを帝国が買い取り、研究、そして廉価版として生み出したのがこのカメラだ。廉価といってもソコソコ値の張る高級品らしいが、俺が普段は行けない所まで行くからという事で貸してくれたものだ。

 

 フィルムも値の張るものなので無駄に写真は取りたくはないが……少し離れて入口から鏡面洞窟を撮る。

 

「これで良し! ここにも異常はなさそうだし、次は森の方へと向かってみるか」

 

 ここはまだエーテル濃度がそこまで濃くない範囲だ。その為、育っている植物も北国で見る様なタイプの、そこそこ多い種類の奴ばかりだ。中層まで行けば不思議な形状の植物も増えて来るらしいが、ここはまだ見慣れた景色になっている。

 

 洞窟をでて、まだ自分の足跡が雪の中に残っているのを見て小さく笑い声を零す。こうやって白銀の世界、誰もいないところに自分だけの足跡を残して冒険するのがたまらなく楽しい。

 

「今度来るときはリアを……あ、いや、リアはこういうの体力的に無理だな」

 

 エデンー! おんぶー! とか言って背中にしがみつく未来が見える。今も頑張って勉強しているであろう主にして妹分の存在を思って微笑み、気合を入れた。彼女が頑張っているのだから絶対に負けてられない。

 

「うっし、次だ次。今日で下層を終えて明日から中層に行くぞー」

 

 目標を口にして気合を入れつつ歩き出す。

 

 白い世界に足跡を残して、今は誰もいない道を進む。




 感想評価、ありがとうございます。

 狼が毒を盛られたのが1日目。そしてタウロ山の調査が5日予定。いやあ、5日後が楽しみですね……。エデンちゃんも調査を楽しそうにしてるのが可愛いですね……楽しい5日間を過ごしてくれよ。

 HITSUJIさんが支援絵を描いてくれました!
 
【挿絵表示】

 ロック鳥の背に乗って広大な辺境の地の空を自由に行くエデンちゃん!
 
【挿絵表示】

 ファンタジー感の強い服装で冒険者なエデンちゃんをありがとうございます! やっぱその露出はやばいと思う!


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不協和音 Ⅴ

 ―――3日目。

 

 2日目の夜は麓の観測所へと戻って回収したデータを提供、それから三日目はロック鳥で中層まで乗りつけてそこからは徒歩で移動する事にしたが、

 

「いきなりのご挨拶だなあ、おい」

 

 毛皮に覆われた人型の巨体―――目を輝かせながら読み込んだモンスター図鑑にはイエティと登録されているモンスターが中層に入って直ぐ、歓迎するように襲い掛かってきた。その片手に握られているのはなんと丸太だ。人の胴体程の太さの丸太を軽々と片手で持ち上げイエティは振り回してくる。足首から顔までの全てを白い毛皮に覆われたイエティと呼ばれるモンスターは地球上では伝説の生物扱いだったが、この大神世界においては降雪地帯や寒冷地帯で良く見るモンスターらしい。この雪山を下れば一切見なくなるこのモンスターはある意味、珍しいとも言えるのかもしれないが。

 

 それでも襲い掛かってきた以上は敵だ。

 

 口を大きく開けて威嚇するように咆哮するイエティの先制奇襲は突き出た岩場から飛び降りながら丸太を叩きつけてくるというもので、それに対する選択肢は逃げる事でも防ぐ事でもない。そもそも俺の感知範囲に入った時点で俺の知覚を誤魔化せない限りは即座に存在を把握できる。その為飛び降りてくるイエティの姿を視認しつつ大剣を一瞬で生成、飛び降りと同時に丸太と攻撃をマッチングさせ、

 

 そのまま丸太諸共イエティを両断した。

 

 断面を結晶でコーティングし、血を流さないように即死させつつ肉体を結晶で浸食して行く。この雪の大地に血が流れる事は一切ないだろう。こういう自然、野生環境に於いて血が流れるというのは肉食性の生物を大量に引き付ける行いだから、戦闘は血の匂いを拡散させないようにしなければならない。

 

「攻撃的な生物が一気に中層からは増えるんだな……空から乗りつけたのは失敗だったかなぁ」

 

 空から降りてくるのって目立つしなあ、と思いながら挟み込む様に林から飛び出してくるイエティ達の突撃を飛びのいて回避する。降り立った場所がもしかして悪かったのかもしれない。観測員が把握していないだけでモンスターの生息域や縄張りが変動している場合もある。これは後でメモっておかなければなあ、と思いつつ襲い掛かってくる3体のイエティを見た。

 

「うーん、強さ的には“加工物”ぐらいかな……」

 

 あまり強くはない。殺そうと思えば一瞬で殺せるだろう。先ほど斬り殺したイエティも既に全身が結晶化、その結晶も砕け散って大地へと還っている。白で薙ぎ払えば3体纏めて即死させる事も容易いだろうが、それを態々やる必要もない。イエティが丸太を振り上げて踏み込み、それから振り下ろしてくる瞬間が離脱のチャンスだ。連続で振り下ろされてくる丸太の動きを回避しながら大きく飛びのき、イエティ達から離脱する。

 

 林の方へと視線を向ければ更に5体ほどのイエティが控えているのが見える。手の中にあるのは岩の塊で、それを投擲する準備に入っていた。

 

「おぉ、怖い怖い」

 

 飛んでくる岩石を切り払って無効化しつつ、素早くイエティのテリトリーから離れた。

 

 イエティ達が見えなくなるまで距離をあけてから一息をつく。観測所で受け取った地図を広げながらペンを取り出し、先ほどまでいた場所をマーキングする。

 

「ここはイエティの林、っと……前にはなかった事らしいから縄張り争いでイエティ達がぶんどったのか? まあ、何にせよここはもうランディングポイントとして使えないな」

 

 ついでに言えば観測員からすれば安全な移動ルートの一つとしても認識されていた所だ。このまま行くと連中がイエティの群れに襲われる事になる。これは下山した時にちゃんと教えてやらないとならないだろう。マーキングと遠巻きにイエティの林を軽く撮って観測は終わり。ディメンションバッグの中に道具を戻し、大剣を担いだまま林から離れて事前に決めていた順路に沿って移動する。

 

 下層と違って中層はモンスターがもっと攻撃的かつ強力になる。ここを安全に探索するには“加工物”の中でも上位の実力か、或いは“金属”でもないと辛いだろうと判断する。その原因は間違いなく下層よりもいっそう冷え込むこの環境と、下層よりも深くなった雪、そしてモンスター達の強さになるだろう。エーテル濃度が濃ければ濃い程モンスター達はその影響を受けて変異しやすく、そして強くなる。エーテルに影響を受けている生物は言ってしまえば()()()()()()()()()()()()なのだ。

 

 だからエーテルが濃い程活発になり、エーテルが薄い程能力が下がる。

 

 そう言う意味では龍や魔族も生態としてはモンスター寄りなのかもしれない。俺達はエーテルの濃度によって調子の上下がある生物なのだから。そういう理由で俺の体の調子も、寧ろタウロ山に入ってからの方が良い。元々辺境は中央とかと比べればエーテルの濃い神秘の強い土地だが、こういう秘境は更に濃いから体が軽く感じ、呼吸も寒い筈なのに何時もよりも快適に感じられる。

 

 或いはエーテルの影響を受けて更に濃くなった魔境程強くなるのが俺達という生き物なのかもしれない。

 

「きゅっ」

 

「おっと、今日のゲストは君かな? おいで」

 

 イエティ達から逃走した所で今日は狐と出会った。中層でも活動している動物はいるんだなあ、なんて思いつつ手を差し出すと狐は雪の大地を蹴って一気に手に飛び乗り、そのまま腕を駆け上がって肩の上に乗っかってきた。首に巻きつく様に落ち着く姿に首元の暖かさを感じて撫でながら再び、中層の探索と調査に乗り出す。

 

 今のところ、麓、下層での変異モンスターの出現は無い。変異によって発生したモンスターはどうやら生態系へのダメージも大きいらしく、ワータイガーやバジリスクの事を思い出せば周辺環境が大きく変わっていたのを思い出せる。こうやって動物たちがのほほんと自分に接してきているのを見る感じ、動物たちは自分たちに対する脅威みたいなものを感じていない。そうなると今のところは何も起きていない様に感じられる。

 

「まあ、それでも調査しなきゃならないんだけどね」

 

 中層は下層よりも更に山の斜面を登った先にある大地だ。面積で言えば下層よりも狭いから探索範囲も小さくなっている。その代わりにモンスターの縄張り等の危険地帯が増えている。俺にとってはそこまでの問題ではなくとも、他の観測員にとっては問題だろう。連中の為にもしっかりと調査するとしよう。

 

 それはそれとして、

 

「リア……大丈夫かなあ」

 

 勉強用の資料とか結構残してきたし、アンがいるから大丈夫だとは思うが。それでもあの子、根本的に勉強が苦手というか嫌いだし。俺やエドワードがいない状況でちゃんと勉強しているのかどうか、不安になってくる。

 

「ちゃんと、勉強出来てるかなあ……」

 

 

 

 

「因数分解って何? 何で分解するの? 分解する必要ってあるの? 何で分解しちゃったの? 因数合体でも良いじゃない!」

 

「リア様……そういうものですよ。とはいえエデンが残したこの資料、少々レベルが高いと思われます」

 

「だよね、だよね!? 分解する必要ないよね!?」

 

「では諦めますか? 帰ったエデンがしょぼくれると思いますが」

 

「もおおお―――!!」

 

 

 

 

「……なんか、悲鳴上げてる気がする」

 

 逢いたいなあ、と思う。3日も離れていると流石に恋しくなってくる。そう思ってしまうあたり俺もだいぶ甘いというか甘えている部分がある。普通に妹の様にリアの事を可愛がっている影響もあるんだろうけど、数日単位で1人で活動するのはそう言えば初めてだったかもしれない。今まで遠出する時は大抵エドワードと一緒だった。今回は初めて1人で数日間外泊しているのだと思うと、そりゃあ寂しいかもしれない。

 

「元気付けてくれるのか? ありがとうよ」

 

 鼻先を首筋にこすり付けて慰める様な狐の姿に癒されつつさーて、と声を零して歩くペースを上げる。

 

 中層の寒さは純粋な冷気から来るものだが、その中に異物が混ざっている。冷化エーテルの存在だ。上層から漏れた僅かな特異エーテルが風に運ばれて中層にまでやってきているらしい。その影響か、中層を探索していて初めて目撃する存在が現れた。

 

 それは薄く輝く白い雪の結晶の形をしたエーテルだった。ふよふよと浮かび、意思らしい意思を持たずに空間を漂っている。生きている雪の結晶とも言える姿をしている存在、それはエレメントと呼ばれる純粋な属性の生物化エーテルだ。生物化、というのは少々おかしいかもしれない。何せエレメントに命はなく、属性とエーテルが強く結びついた結果現象として結合して発生するモンスターの一種なのだから。

 

「えーと、エドワード様が言うには意思みたいなものはなく、与えられた行動に対する純粋なリアクションのみを返すんだっけ……?」

 

 別の属性を与えるとそれと結合した反応を返し、物理的な衝撃を受けると弾けながら周りに強化された属性を放つ。それなりにレアな存在であり、錬金術等で使われる素材である事からそこそこの高値で取引される物の1つだったはずだ。

 

「臨時収入、臨時収入」

 

 これは儲けだぜ、と結晶の檻を生み出してスノー・エレメントを閉じ込め、外部からの干渉を受けないように保護する。そうやって取得したエレメントをバッグの中へと保存する。これで下山したら報酬とは別に臨時収入を獲得できる。

 

 確かこれ1個で3000ぐらいだっけ? 流通価格がそれぐらいなので素材として大量消費する部類だと考えると結構高価だ。これがMMOだったら大量採取してマーケットで売りさばくんだけどなあ。WIKI見て、採取ルート構築して、戦闘エリアを駆け抜けながら採取ツアー開催! マーケットで職人プレイヤーに売りさばいて収入ゲット!

 

 ……って、やっているのだろうがここはリアルだ。そう都合よくリスポーンする訳でもない。エレメントはエーテルと属性の結びつきによって発生する現象だから見つけたら確保しても問題ないのだが、他の自然素材はそうもいかない。根こそぎ奪って行くとその内絶滅してしまう。その為、探索地における採取は必ず最低限繁殖のための数を残してゆくのがマナーだったりする。

 

 まあ、環境壊して最終的に困るのは自分だしな。

 

「さーて、次はどこへ行くかな。中層のランドマークは……牙の岩、洞窟、んで氷結した湖か。山の中に湖があるってのもまたおかしな話だけどな」

 

 この特殊な環境と形状だから成立しているのだろうか? まあ、たった3か所なら走って向かえば今日中にはケリがつくな。そう思って地図を再びバッグの中に戻した所で、

 

 ―――視線が自分へと向けられるのを感じた。

 

 反射的に視線を上層へと向け、大剣を握る手に力を込めた。ワータイガーやバジリスクよりも強い敵意の視線が俺へと今、上層の方から向けられたのを確かに感じた。何かが俺を窺った。そしてそれは俺を排除しようと考えている。それだけが今の一瞬で感じ取れた。首に巻き付いている狐も今のを感じてしまったのか、体を僅かに震わせている。それを宥める様に軽く撫でてから視線を上層へと向けたままにする。

 

「ん-……下層中層は問題なさげで上の方になんかいる?」

 

 上層は観測員たちではあまり踏み込む事の出来ない領域だという話だ。もしかしてあっちに何かいるのかもしれない。エーテルの濃度が上層の方が上だと思えばありえなくもない話だろうが―――さて、中層と上層、どっちを優先すべきか。

 

 今ならまだ上層から向けられる視線を追って追撃する事も出来るかもしれないが、中層の調査を終えている訳じゃない。だが中層自体はそこまで重要度が高くなく、観測員たちでも準備をちゃんと整えれば調査出来る範囲だ。だけどさっきのイエティの群れみたいに生息地が変わっているケースもある。その場合、俺の怠慢が彼らを危機に陥らせる場合があるのだろう。

 

 そう考えるとちょっと判断に悩む。

 

「……いや、山から逃げられはしないんだ。この山からは。だったら今は上層を後回しにしたほうが良いな。先に中を終えてから明日、改めて上層の調査に向かうか」

 

 ついでに上層に何らかの異常があるかもしれないと麓で報告して来よう。幸い、俺のフットワークは軽いので中層から下層までほとんど滑りながら行く事も出来るし、夜を雪山で過ごす必要はないのだ。第二観測所や第三観測所を利用する必要はない。

 

 そうと決めてしまえば行動は早い。首に震えながら抱き着く狐を軽く掻いて落ち着かせながら雪の中を歩き出す。上層の方から向けられる視線は俺が恐らく感知範囲内に入った瞬間から常に向けられ、少し距離をあけてもずっと向けられてくる。まるで本能的に何を恐れるべきか一番理解しているかのような視線だ。

 

 別にこの景色を見て歩く事を見る事が暇だとは言わないが―――それでも、張り合いが出てきたな、と密かに思いつつ中層の探索を再開した。




 感想評価、ありがとうございます。

 触れられない、変えられない、どうしようもないからこそ絶望は絶望と言うと思っています。つまり武力でも人脈でも運でも抗えないものだけが絶望と呼べるんだなあ、という意見です。

 そんな三日目。


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不協和音 Ⅵ

 身体能力の高さは天性のモノ故に、後天的に覆す方法は限られる。

 

 こればかりはもはや才能と呼べる領域がある。どれだけ後天的に鍛えようが肉体由来の限度というものが存在し、それを覆す事は非常に難しい。限界まで体を鍛えた所で種族による差、生まれの差というものが付きまとってくる。故にこの世には肉体の限界を超える、或いはその限界を伸ばして強くなるための手段がいくつか存在する。レベルや経験値なんて概念が存在しない世界故に発達した技術でもある。

 

 そしてその中で最もメジャーと認知されているのが強化施術になる。

 

 体を鍛える、道具で補う。それが出来ないのなら当然肉体を改造するしかない。そう、つまりは手術や或いは特殊な技術による肉体のスペック底上げ。それが強化施術と言われるものだ。複雑かつ金のかかるもので言えば手術系統になってくる。骨や筋肉を根本から弄り、優秀な人間の配分や構成に肉体を強化する事で根本的な生まれた才能を克服するというやり方。無論、この手段はリスクがある上に金もかかる。

 

 故に最も普及している手段が入れ墨だ。

 

 入れ墨は芸術であり同時に装備でもある。特殊なインクを使って入れ墨を彫る者達は呪術師とも呼ばれ、プロフェッショナルはそれこそ高値で依頼を任せられる。特殊なインクに一定の法則で刻まれた紋様は肉体に対して特別な恩恵を与え、身体能力の向上や肉体強度の補強、エーテルに対する親和性向上など様々な恩恵を与える事が出来る。冒険者のみならず、この世界に於いて旅をし、戦う者にとっては入れ墨は少々値が張るものの、手が届く範囲で付け替えられる装備だ。その為、腕の良い職人の確保は重要な事だったりする。

 

「―――お、副長イカした入れ墨っすね」

 

「解るか?」

 

 その日のガルムは誰が見ても上機嫌だった。その原因が装備の合間、露出した肌、首筋から目元まで届く入れ墨にあるものだというのは見るものが見ればすぐに解る事だった。それまでとは違う入れ墨を彫ってあったガルムにはこれまでにない覇気の様なものが感じられた。ブラッドマントラップ討伐の為に団員たちが集まる中で普段とは違う様子をガルムは見せつける様な姿勢を見せていた。だがそれを不快に思う様な者達はいない。少なくとも副長であるガルムは団員たちに慕われている。

 

 慕われないトップのいる団というのは当然ながら簡単に瓦解する。そういうトップに付いたところで長続きはしないし、損耗も酷くなる。団員のメンタルケアと関係の構築は管理者の仕事でもある。故にガルムは副長として団員とは良好な関係を築けており、ガルムの変化に気づける程度には団員達もガルムを理解していた。故にガルムの上機嫌と、その元を理解する。

 

 ガルムは僅かに服を引っ張ってその下に彫られている入れ墨を見せた―――それは腹部を始点とし、首と足元まで伸びる様に描かれた幾何学模様の入れ墨だ。入れ墨は大きければ大きい程効果が強いという訳ではない。それでも力のある入れ墨というものは見てしまえば解る。ガルムがこの日、ブラッドマントラップ討伐に向けて新しく彫り込んだ入れ墨は強力なものだと一目見て解るものであり、団員たちはそれを羨望の視線で見ていた。

 

「実は少し前に仲良くなった呪術師がいてな。少し値は張ったが払えない額じゃなかったし、手持ちの金でどうにかなるから試してみたんだが……これがイイ感じだ」

 

 体に力が滾るのを証明するようにガルムは拳を握り、団員たちは二の腕を軽く触ったりして笑い合っている。

 

「はは、副長がその調子なら討伐は楽にできそうっすね!」

 

「おう……って言いたいけど楽は出来ると思うなよ。サボるんじゃねぇぞー」

 

「うえー」

 

「楽出来ると思ったのになあ」

 

「何時も通りの副長じゃん!」

 

 笑い合う様子はこれから死ぬかもしれない戦いに挑むようには決して見えない。死ぬ事はリスクではあるが恐れる事ではない。冒険者や傭兵に良くある考え方であるが故、死に対する忌避感が彼らには薄い。あるのはこれからの戦いを通して名誉を得られるかどうか。そして強敵であるブラッドマントラップを相手に挑む事は、自分達の武名を轟かせるために必要な事だ。そこに文句もなければ恐れすらない。その様子を遠巻きに眺めていたイルザは腕を組みつつふ、と笑みを零した。

 

 多少入れ墨の出所が気になる部分はあるものの、もぐりの呪術師はそう珍しい者ではない。一般的に出回っていないだけで研究気質なものや、多少危険な部類まで世の中には当然存在くらいしているが、それをちゃんと見極める目をガルムは経験上備えている事をイルザは知っていた。だから特に心配する事はなく、その日覇気で満ちるガルムを見て安心感さえ覚えていた。

 

「これなら先陣をガルムに任せて良さそうだな……」

 

 ブラッドマントラップ―――その出現はワータイガーやバジリスクと同時だったとイルザは調べ上げていた。もしこの出現や狂暴性に共通点があるとすれば、ブラッドマントラップの存在自体が一種の罠になるのだろうとイルザは考えていた。恐らくはマントラップ以外の変異モンスターとの抱き合わせが待っているだろう。偵察を行った所であの赤と青のバジリスクは発見されなかった。つまりは姿を隠している可能性が高いため、調べるだけ無駄だろう。

 

 そうなると出た所勝負になる。被害は間違いなく出る。だが勝てれば名声が残る。

 

 その為に戦うのが今の世だ。

 

「まあ、討伐が終わったらお前らにも紹介してやるよ。どれぐらい効果があるかは……これから確認しろって事だ」

 

「期待してるぜ副長」

 

「今回は勝てるかどうか解らないラインだしな」

 

 故に強い誰かが団から出てくる事には歓迎している。だがそれが上手く運ぶかどうかは解らない。だから出来る事は各々が最善を尽くし、そして結果を出す事に全力で尽力する事だけだ。出来る事はあまりにも少ない。だが上を目指し、成功すればもっと良い入れ墨や施術を受けられる。そうすればいずれは“宝石”の団やクランがそうであるように、“宝石”級の強化施術を受けられるかもしれない。

 

 夢。それだけが彼らを駆り立て、

 

「―――行くぞ、出発だ」

 

 底なしの泥沼へと沈んで行く。

 

 既に毒が回り切っているという事実にさえ気づかず。

 

 

 

 

 ―――4日目。

 

 上層の環境を一言で説明するならクソの一言に尽きるだろう。

 

 まず超低温化によって温度は人体に耐えられない領域に入る。高所による低温化とエーテルの干渉による二重の極寒化環境は雪を氷に変え、一部地域で足の滑りやすさを促進させる。その上で日差しが常に遮られており、光が薄くなるという事が視界の悪さに繋がる。僅かな雲の切れ間から差し込んでくる光が光源となっており、そのせいで常に警戒しておかないとこの環境に適応した生物達の餌食となる。

 

 ここまでくるとロック鳥では近づけない環境になった。ロック鳥の力ではエーテル干渉を防ぎきれないからだ。だから侵入は中層からに限られ、徒歩で行くしかなくなる。これを普通の人間にやらせるって方が相当難しいだろう、と上層へと踏み込みながら思う。少なくとも普通の人間がここに来るには相当な準備と覚悟が必要になる。それも死を覚悟するレベルのものだ。俺に限って言えばエーテル干渉も特に意識する事なく弾く事が出来ている。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 吐く息は常に白く染まり、そして軽く唾を吐き出せば大地に落ちる前に凍り付く。そんな異常な環境が上層という場所だった。ここに観測所を設置した人間は本当に命懸けでやったんだろうなあ、というのが踏み込めば解ってしまう。そこに俺は単身、特別な装備もなしに踏み込んでいった。もはやここまでくると野生動物の気配も消えて、残されるのは環境に適応した凶悪なモンスターだけだ。

 

 それも中層の様にむやみやたら襲いかかってくる連中じゃない。考え、潜伏し、観察し、そして必ず殺せる瞬間を狙ってくる。

 

 狡猾に、そしてより悪辣に進化しているのが踏み込んでから感じられる視線を通じて解る。面倒だと思う反面、次に自分へと向けられた敵意ある視線が特に変異モンスターのそれではなく、自分達のテリトリーに入ろうとする外敵に対するデフォルト的な反応だと判明したのが相当厄介だと思えた。少しでも油断した姿を見せれば喰いついてくるだろう。

 

 上層はランドマークらしいランドマークが少ない。ここまでくるともはや頂上までの道と言った方が正しいのかもしれない。とはいえ、上層でこれとなると頂上までの道のりは相当厳しいものを感じさせる。本当に頂上に今の状態で登って良いのか……そのチャレンジを自分に問う必要がある。

 

「ま、とりあえず挑戦して出来そうならやるって感じで良いだろ」

 

 深く考える事でもないと判断して上層を調査する為に歩き出すが、これが歩きづらいのなんの。足は深い雪に沈むし、周りからはモンスターの視線が常に向けられている。勝てないと本能的に察知されているが、いつでも奇襲と迎撃が出来るように監視だけはしておくという知性の高さはこの酷い環境で生き抜くための知恵なのだろう。

 

 それを素直にめんどくせぇと思う。

 

 正面から突撃してくれれば全部ぶった切って終わりじゃん! と思っているのに、それをさせてくれないのは結構なストレスだ。調査地を確認する為に歩き回っている間も常に感じるのは視線と敵意、なのにそっちへと視線を向けても反応はなく、近づこうとすれば遠ざかる。知恵を得た獣が天敵を理解しているような動きだ。

 

「めんどくせぇなあ」

 

 だがその反応で相手は変異モンスターではない事が解る。アレはもっと狂暴で凶悪なものだ。それこそ敵意を発すれば襲い掛かり、それでいて相手の実力を測る事が出来ないみたいな矛盾を備えている。

 

 言い換えてしまえば()()()()()()()()調()()()()()()()()みたいな感じだ。

 

 それを連想した所で足を止めて首を傾げてしまう。

 

「んー? 今なんか核心に触れた感じがしたな」

 

 腕を組みつつ上層の冷気に晒される。だが考えは環境に影響を受ける事がなく冴えていた。或いは高密度のエーテル環境であるが故の好調が頭にも影響を及ぼしているのかもしれない。だから近くの奇妙に曲がりくねった木に背中を預ける様に寄りかかりつつ腕を組んで考える。

 

「ワータイガーも、赤青バジリスクも基本的な事においての力量を測る能力がなかったんだよな……?」

 

 そうだ、そうだった。ワータイガーは()()()()()()()()()()()()()()()のだ。この上層の敵意と視線同様、力を測るだけの賢さがあれば俺がいる所で衛兵に襲い掛かるなんて事はしなかっただろう。だけどワータイガーは攻撃してきた。それは餌の確保を行わなければならないという必死さから来るものだったかもしれない。だが結果から言えばワータイガーは俺の実力を理解する事が出来ずに襲い掛かり、地雷を踏んで殺された。

 

 そのケースが赤と青のバジリスクにも通じる。

 

 連中はまるでタイタンバジリスクの護衛の様に出現した。それは恐らくは放狼の団を見て勝てると判断したからだろうが、連中を感知出来て俺が感知できない筈がない。少なくとも中層から上層のモンスター達は俺の事を感知しているのだ。そう考えれば変異モンスターが俺の事を察知できないのはおかしいだろう。少なくとも俺は気配を隠すみたいな技術、あまり得意じゃないのだから、このドラゴンオーラは垂れ流しだ。それを察して上層のモンスター達は襲い掛かってこない。

 

「つまりワータイガーと赤青バジリスクにはそれを察知するだけの技術がなかったって事だ」

 

 これが生まれつき備わっている技術か、或いは育ちによって備わる技術だと考えると、上層のモンスターが出来るのに同じランクだと思われるワータイガーやバジリスクが出来ていないのは明らかにおかしい。危機的意識の欠落―――それは本能の欠落だと言っても良いだろう。この俺でさえ明らかに格上の相手を前にすれば本能的にそれを察する事が出来る。今でもあの龍殺しの存在が恐ろしいし、届かないと解る。

 

 変異モンスターとは生まれの時点で何かがおかしいモンスターの事を示す。後天的に変異が起こる場合でもそれ相応の格というものを身に着けてくるものらしいが、自分が見たワータイガーとバジリスクは……そう、小物だ。

 

 力を付けてしまった小物。そう言うイメージが強い。偶然銃を手に入れて自分の力に酔っているチンピラ。そう例えると分かりやすいかもしれない。少なくとも連中の死因はそれだ。

 

「そう言う意味じゃ俺も自分の身の振り方にはちょっと気を付けないといけないなあ」

 

 龍というスペックにかまけて油断している部分はある。自分の意思を引き締められる所でもっと引き締めておかなければと思う自覚もある。

 

「しっかし、後天的にモンスターを変異させて凶悪にさせるのって可能なんか? いや、モンスター人間がいるなら不可能じゃなさそうだが」

 

 或いは、モンスター人間と人造変異モンスターの出所が一緒だったりして―――と思うのは、陰謀論が過ぎるかもしれない。

 

 どちらにしろ妄想で戯言だ。証拠もないのに盛り上がってしまうのは悪い癖だ。

 

「時間を無駄にしたしそろそろ探索再開するか―――」

 

 今日中に上層の調査終わればいいなあ、なんて思いながら探索に戻ろうとした所、僅かな衝撃と揺れを感じて足を止める。地震……だろうか? こっちの世界に来てから地震なんて物を経験したことがないから久しぶりかと思ったが、地震にしては短すぎた。

 

 だが山での揺れというものを自覚し、一瞬で顔が青ざめた。

 

「いや、まさかおい」

 

 上へと視線を向ければ、山の斜面を白い波が全てを呑み込む勢いで迫ってきている。先ほどまで考えている間に感じて来た敵意なんてものは既になく、あるのは轟くような音と破滅的な勢いだけだ。

 

「嘘でしょ」

 

 もしかしてこれ、上層一同から俺へのプレゼント? 過激すぎるでしょ……。




 感想評価、ありがとうございます。

 物理的に勝てない? じゃあ発想を変えるんだ!

 生物では勝てないものをぶつければ良いんだ。じゃあ雪崩起こすね! 中層でのエデンの強さを確認した上層のモンスター達が出した結論がこれ。こういう賢さが“金属”級のモンスターにはある。


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不協和音 Ⅶ

 迫ってくる壁の様な雪崩を前に、頭は焦る事無く冷静に加速した。

 

 罠にハメられ、危機に陥った時こそ何故、どうやってを考えろ―――エリシアの教えだった。戦略、戦術には常に答えがある。自分が失敗したことには理由がある。その事を冷静に考えれば自然と答えは出てくる。考えを止めないところに勝機があり、それを止めたものから淘汰されて行くのが戦いというものだと教わった。そんな教えがあるからこそ雪崩を前にして思考を止める事がなかった。だからまずは考える。

 

 何故、自分の前で雪崩が起きているのか。

 

 それは上層のモンスターの仕業だろう。この状況で人間が意図的に俺に雪崩を向ける理由が解らないし、そんな人間がいるとは思えない。そもそも上層は人間にもモンスターにも辛い環境だ、なのに態々俺を待ち伏せて雪崩を起こす理由がない。となると犯人は自然とモンスターにのみ絞られる。動物たちが俺の傍だと安心感を覚えて集うのと同じように、モンスターは俺に危機感を覚えるらしい。その為“資源”級は逃亡し、“加工物”からは積極的に襲い掛かってくる。じゃあ“金属”級はどうなのか? その答えがこれなのかもしれない。協力的な排除。昨日感じた視線は恐らく俺の脅威度を測っていたのかもしれない。

 

 生物は上位になればなるほど強く、そして賢くなる。上層という環境で生き抜くには単純に適応するだけではなく獲物を喰らう為の知恵が必要になってくる。生態として馴染む以上に環境を味方に付ける賢さが育っているのかもしれない。観測所では上層のモンスターの情報はあまり手に入らないが、つまりはこういう事が可能な生物が控えているという事だろう。

 

 もはやここまでくるとなんでもありだ。“どうやって”を検証する必要すらないだろう。理由は単純明快。

 

 ―――勝てない相手を自然災害で葬る為だ。

 

 人為的に雪崩を起こす手段なんてこの世界じゃありふれている。魔法で雪を集めれば良い。或いは氷結系のブレスで雪を生み出すのも良いだろう。風を操って雪を誘導するのも良い。積もった所を破砕するのも良いだろう。この世界では手段を考慮する事に意味はない。地球では密室トリックと言われたものも、魔法を使えばあっさりと解決出来てしまうのだから考えるだけ無駄だ。

 

 重要なのは雪崩が迫る事実、それをモンスターが引き起こしたであろう事、そして()()()()()()()()()()事だ。

 

 この山はエーテル濃度が高く、環境適応したモンスターが多い。逆に言えば過酷な環境に適応するための種で非常に安定しているという事だ。俺が見たワータイガーみたいな変異モンスターが出没する為の遊びがこの山にはないのだ。違う方向へと進化を、変異を遂げようとするとこの環境から排除される―――つまり、この環境で生きていけなくなるのだ。

 

 確信した。ここに変異モンスターはいない。いるのは山ほどの殺気立った“金属”の化け物共だ。“金属”でも最上位の怪物となればそれこそ残像を残さない速度で動く事が出来るのは人間・モンスター共通の要素だ。それだけの能力を備えている連中にこの程度が出来ない筈もない。

 

「うっし、すっきりした!」

 

 冷静になって考えた結果特に状況が改善された訳じゃないが、頭の中は整理されてすっきりした。これで目の前の脅威にさほど呑まれる事無く対処できる。目の前に白い壁が迫っているという状況は物凄く絶望的で絵面が酷く見えるものの、まだ自分の身体能力を駆使すれば対処できるかもしれないという感覚が染みついている。これは盲目的な信頼だ。自分の肉体にする絶対の自信だ。だけど俺がここから信じられる自分の持ち物なんてこれぐらいしかないのだから、

 

 それで全力を出すしかない。

 

 腹が決まれば行動は早い。大剣を形成、深呼吸で濃密なエーテルを吸い込み、刃を前方へと突き出す様に向けた。そうやって構え、心を落ち着けてから一呼吸入れ、剣を上へと向ける。

 

「大斬撃・白」

 

 両手持ちへの切り替え、全力の振り下ろし。延長拡大された白い食い千切りが正面から白い津波と衝突し、食い破った。雪崩の中央に隙間を生み出し、左右へと流れる勢いを生み出して―――そのまま、数秒後には生み出された隙間が塗り潰される。普段出している白の斬撃はもっと細く素早くスマートにしたもので、これは雪崩に対処する為に更に拡大したバージョンだ。だがそれでさえ雪崩の圧倒的な質量を前にはあっさりと呑み込まれてしまう。

 

「まあ、そうだよ……なっ!」

 

 二発目―――三発目―――四発目。

 

 連続で食い千切りを放つ。圧倒的な量を前に出来るのはどこまでも特化された質を叩き込む事だけだ。白に白をぶつける事で僅かな隙間を形成し、少しでも雪崩に呑まれるまでの時間を遅らせる。それでもただの延命措置だ。根本的な解決にはならない。だがそれでも僅かに自分の態勢を整え、気合を入れる程度の時間は稼げる。

 

 故に五発目、六発目を連続で叩き込み、

 

 前へと向かって跳躍した。既に待機させておいた魔力を足元に形成、食い破った個所、浄化の魔力が残留する影響で勢いが削がれた所を足場にする。そこを蹴る事で体を上へと飛ばし高く、更に高く跳躍する。

 

 そのまま雪崩の上を取った。

 

「―――やっぱ広がり過ぎててどうしようもねぇな」

 

 雪崩を飛び越えて解るのはその範囲。超広範囲、山の斜面を雪崩が津波となって流れている。上層から始まる流れは後方、中層、そして下層へと向けて全てを巻き込みながら下って行く。これを左右へと飛び越えるのは非現実的だろう。理想的なのは飛行して回避する事だが俺にそれが出来るとは思えない。そして上層から中層へと徒歩で移動する場合は丸1日以上かかるし、中層から下層までは更に時間がかかる。俺がロック鳥とか言うずるを駆使しなければそもそもこの山自体登るのに数日かかるというめんどくさい場所なのだ。

 

 相当派手にやりやがった。或いは俺の事がそこまで怖かったか。

 

 そんな事を考えながら黒を結晶化させ、ボード状にし、足元に形成する。

 

 凄まじい勢いで流れる雪崩の上にボードを着地させ、両足でバランスを取るように体を左右へと揺らし、安定させた。凄まじい勢いで流れる雪崩の上、サーフボードの様に形成させた結晶の上でふぅ、と一息付く。

 

「足元は結構グラつくけどこれでなんとかなるな」

 

 いやあ、昔サーフィンやってた経験が活きたわ。これをサーフィンと言い張るには多少の無理があるかもしれないが。それでもこの超人的なスペックを持つ体なら無理矢理姿勢を安定させて雪崩を乗りこなす事が出来る。

 

「がははは! 俺の勝ちだな間抜けめ! ……とか言ってるとフラグ立つんだよなあ……ほら」

 

 結晶ボードでサーフしながら振り返ると雪崩の中を何かが泳いで来ているのが見えた。特徴的な尾びれだけが雪の中を突き出て上層から此方へと向かって泳いで来ている―――雪崩の中を泳ぐという異常極まりない事をやってのけている姿は一つではなく、複数存在している。そしてそれは此方から百メートル程離れた距離で雪崩から飛び出す様に跳ねた。

 

 そう、そいつは雪の中を泳ぐB級映画の王者。

 

 鮫だった。

 

「す、スノーシャーク……成程、そんな生き物もいるんだな」

 

 トルネードとかスカイとかいるんだろうかこの世界? そんな事を一瞬だけ考えてしまった馬鹿な自分を叱咤しつつボードを足でコントロールして勢い良く横へと逸らす。後ろから追いつく様に加速してきた殺意の塊が先ほどまで俺がいた場所目掛けて飛んできてまた雪崩の中へと飛び込んだ。間違いない、俺が雪崩を回避したのを見て引きずり込みに来たのだろう。そこまでの殺意の高さが上層のモンスターにあるのに驚きだ。そこまでして俺を殺す必要があるのか? そこまで俺を恐れているのか? それとも別の意図があるのか?

 

 何にせよ、目の前の出来事は現実だ。

 

 そしてこの雪の上では到底回避できそうにないのも現実だ。

 

「オチが見えてきたなあ」

 

 右手で握る大剣で迫ってきたスノーシャークを両断する。それと同時に足元にスノーシャークが突進してくる。ボードを勢いよく横へとずらす事で回避するが、元々雪崩の上という状況で無理な事をやっているのだ。大きく姿勢が崩される。それを整える為に両足に力を入れた途端、

 

 四方、雪崩の中から鮫の姿が飛び出してきた。片手に握る大剣を咄嗟に振るって二体纏めて両断するが足元が不自由過ぎて回避も対処も出来ない。

 

 不味い。

 

「負けたわこれ」

 

 次の瞬間、スノーシャークが体に食らいついた。体をボードの上から引きはがすとそのまま雪崩の中へと飛び込む様に引きずり込まれる。肩口を喰いつくシャークの頭に大剣を無理矢理突き刺して即死させるが肩に食いつかれたまま引きはがせない。それどころか雪の中を泳ぐ鮫共が更に集まってくる。確実に殺す為に、更に深みへと引きずり込む為に新たな鮫共が体に食いつくと反撃で殺せる事を気にする事もなく深みに引きずり込まれる。

 

 息が出来ない。

 

 雪崩の勢いと厚みが全身に圧しかかってくる。

 

 それでも死なない。口が開けない。目がまともに開けられない。

 

 雪崩の勢いと食らいついてくる鮫の重みに体がどんどん勢いと深みに呑まれて行く。ヤバいとは思うがもはやここまでくると抗えない。確実に俺が死ぬのを確認するまでは絶対に放す気のない鮫共にこいつらだけは確実に殺してやると、殺意に対して殺意で返礼するように黒の魔力を纏う。だが直後、それが失敗だと気づいた。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 新鮮なエーテルが補充出来ない。

 

 つまり魔力を使えばそれだけ減って行くだけだ。状況を打開するだけの魔力をねん出する事が出来ない。それに気づいて魔力の使用をカットするが遅い。唯一状況を改善できそうな手立ては今、自分が使ってしまった。その事実に呆然としながら沈む。

 

 沈んで行く。

 

 更に深みへ。

 

 雪崩のままに。

 

 どこかも解らぬ闇へ。

 

 

 

 

「うげえ―――パンツまでびしょびしょじゃん。はあ……」

 

 髪の毛を軽く纏めてねじってぎゅ、と絞って溶けた雪で濡れた髪を絞る。気分は最悪だった。どれだけ雪崩に呑み込まれていたのかさえ解らない。だが結論から言えば雪崩から抜け出す事は出来た。ただし雪崩から抜け落ちる、という方法で。

 

 視線を持ち上げれば完全な暗闇が支配する空間にいた。

 

 雪崩が導いた、というよりは鮫共に沈められた先はどこぞの洞窟だった。雪崩に呑み込まれながら引きずり込まれた影響で今現在の自分の位置が良く解らないのが問題だ。しかも外からの光が一切届かない闇の中にいる影響で、その洞窟がどこが入口でどこが出口かというのも解らない。自分が入ってきた入口は頭上、かなり高い所にある。手を伸ばそうとしても届かないが、魔力や魔法を駆使すれば何とか届くだろう。

 

 ……ただし、雪崩によって塞がれているが。

 

 蓋をしている雪の重みをふっ飛ばせば外に出れるかもしれないが、それでまた雪崩が起こるのも面倒だ。一体どこまで流されたのかは定かではないが、上層特有の寒冷化エーテルの存在は感じられない。そうなると自分の今の居場所は下層か中層に限られるだろう。ただそれでも相当流されたという事になる。

 

「洞窟なんて多すぎてどれか解らんしなあ」

 

 細かい洞窟を上げればキリがない。チェックしてきた所はどれも大きな所だし。今自分がいる空洞もかなり大きく、奥には通路らしきものが見える。ただし自分がここ数日中にチェックしてきた洞窟ではない為、未発見の洞窟である可能性が高い。

 

 幸い、デフォルトで暗視が付いているのがこの体だ。光が存在しなくても特に不便する様な事はないだろう。とはいえ、完全な暗闇に包まれた空間を一人で歩きまわるというのはどうしようもなく不安を覚えさせるものでもある。とっととここから脱出して麓の観測所で紅茶でもごちそうになりたいものだ。

 

「あー、やっぱりパンツびしょびしょだと気持ち悪い……これで良し、と」

 

 魔力を衣服に通す事で水分などを浄化させる。それによってぐっしょりと濡れていた服装も何時も通りの状態に戻った―――と言いたいところだが、やっぱり雪崩に巻き込まれた影響で所々ぼろぼろになっている。途中でディメンションバッグを守る事に意識を割いていたから道具や装備をなくすような事はなかったが、流石に鮫に噛みつかれて服やジーンズはぼろぼろだ。これが終わったら一度服を新調しないとならないだろう。

 

「うーん、でもマジでなんなんだあの反応は……」

 

 上層からの雪崩攻撃。あんなもんが飛んでくるとはマジで思わなかった。雪崩自体はあり得たが、それでもそれを俺へと向けてくる事なんて誰が考慮出来るというんだ。そこまで俺が恐ろしかったのか? それとも何かに入れ知恵された?

 

 考えた所で答えの出ない議論程無駄な物はないが、それでもここまで熱烈な歓迎を受けると考え込んでしまう。

 

「ま、何にせよこっから脱出しなきゃどうにもならない話かぁ」

 

 体の調子がおかしくないかを軽くチェックしてから空洞の奥、どこかへと続く通路を見た。とりあえずこの場所を自分の結晶でマーキングし、出口が無かったらこの場へと戻って最終手段として天井の雪崩の跡をふっ飛ばすという事を考える。

 

 とりあえず、出口を求めて歩き出した。




 感想評価、ありがとうございます。

 環境が過酷化すればする程単体で生きるのは難しく、共生関係の生物が増えてくるのでそういう意味ではモンスター側にも団結するだけの下地はあったりする。そして強ければ強い程、環境が特殊であれば特殊であれば生物は環境を利用し、味方に付ける。似たようなケースは森の花畑。アレも徹底して環境と生物を利用したタイプになります。

 ここら辺の特殊環境における侵入者に対するモンスターの敵対心、エデンのみならず割とデフォルトだったりします。エデン相手には更に必死になりますけど。


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不協和音 Ⅷ

「―――行け、狼共、喰らいつけっ……!」

 

 イルザの号令の下、放狼の団が戦闘を続行する。ブラッドマントラップとは即ち人食い花のモンスターである。かつてエデンが花畑で相手をしたモンスター、その巨大化、広範囲版でもある。植物型モンスターの恐ろしい点は成長する事でその領域が広まる事、人体に有害な環境を生み出せる事、そしてその繁殖能力の高さ。言い換えれば寄生能力とも言える。その為、マントラップ系統のモンスターと戦う時は常に奇襲、花粉、そして寄生に気を付けなければならない。

 

 故にこの手のモンスターとの戦いにおける装備は限定される。

 

 吸い込まない様にマスク。

 

 目に入らない様にゴーグル。

 

 触れないように手袋。

 

 場合によっては全身を覆う防護服タイプの防具さえも必要になってくる―――故に割に合わない。この手のモンスターの討伐は基本的に大損前提であり、赤字に繋がる。だからこそ率先して戦うものに尊敬が集まり、名声も高まる。だがそれは裏を返せば面倒で凶悪な相手である事を証明する。何よりも討伐対象であるブラッドマントラップは対人を学習したモンスターだ。人を殺すのに慣れ、人の味を覚えたモンスター。

 

 人を殺すのに直接致命傷を狙う必要はない。

 

 マスク、ゴーグル、防護服。それのどれかを破壊すればいずれ死に至ると覚えた。故に討伐難易度はワータイガー、バジリスクを含めて一番高い物となっていた。大量の根とダミーとなる花、そして本体は本来マントラップを護衛する筈だった変異モンスターに寄生する事で強化されている。

 

 元々は巨大なサソリ型モンスターだったものはブラッドマントラップの本体が寄生する事でその体に鋏と尾以外にも触手を生やし、本来のマントラップには存在しない機敏な動きを手に入れた。その上で株分けで生まれた分体が周辺に麻痺性の花粉をばら撒いている。狙っているのはマスクで、それさえ破壊してしまえばほぼ無力化も達成する。効率的に人間を狩る事を学習した個体はその難易度が本来のそれよりも激増する。

 

 放狼の団が相手しているのはそう言う相手であり、

 

 ―――戦線を支えていたのはガルムだった。

 

 右手にブロードソード、左手に先ほどまで生きていた戦友の剣を。それを両方とも逆手に構えながらサソリに寄生したマントラップを相手に渡り合っていた。凶悪とも呼べる鋏の殴りに剣で弾く事で対応し、尾と触手の追撃をステップで回避しながらカウンターを入れる隙を窺い、出来た間に味方を通す。シンプルな動きは元々ガルムの出来るものでもあったが、その動きの完成度は段違いだった。

 

 ……動くっ! 体がイメージ通りに―――!

 

 ガルムの体の中を力が漲る。その理由は語るまでもなく、身に新しく刻んだ入れ墨が原因となっていた。それがガルムの力を更に引き出し、今まで以上の身体能力を発揮させていた。それこそ本来の経験と才能を合わせ、“金属”の中でも最上位と呼べる部類に踏み入っていた。

 

 そしてそれに奮起するように狼たちが食らいつく。栄光へと向かって。勝利へと向かって。

 

 盲目的に。

 

 その背中を信じて。

 

 

 

 

 ―――?日目。

 

「あーっはっはっはっは! 迷ったわ! 何時間うろついてんだこれ!」

 

 げらげら笑ってから冷静になって頭を抱えて蹲った。暗視があるから良いものの、完全な闇の中を1人で歩き回っているのは明らかに正気の行いじゃない。しかも時計なんて便利なものは当然持ち歩いていないから今の時間が解る訳がない。1時間か? それとも10時間か? 或いは丸1日歩いていたかもしれない。時間感覚があいまいな上に下へと移動したか、それとも上へと移動したのかさえも良く解らない。少なくとも最初にマーキングした地点からは少し下がっているようには思えるが、距離も離れているようには思えない。

 

 この入り込んだ空洞から伸びる洞窟が、上へと向かったり下へと沈んだり複数に分岐して複雑な道筋を見せているのがそもそも悪い。しかもこれ、地図に記されていない洞窟らしく今のところ出口らしき場所が見つかっていない。無理に壁を粉砕すれば山雪崩をもう一度起こす可能性もあるので、素直に出口を探して歩き回っているのが現状だった。

 

 幸い、龍に窒息死とか餓死の概念は通じない。エーテル食ってればまあ、平気という感じなので特に焦燥するとか疲れるという事もなく歩き続けられている。だが完全な闇の中、道標となるものが何もないのは精神的にキツイ。時間の感覚が完全に薄れて行く中で自分が出来るのは頭の中で妄想を膨らませて暇を潰すか、或いは歩きながら魔力の鍛錬でも行う事ぐらいか。

 

 こんな場所があると解ってて引きずり込んだのであれば本当にあの上層のモンスター共はえげつない。まあ、多分ここら辺は偶然だと思うが。そこまで賢くはないと思う……流石に。

 

 とはいえ、キツイ。反射的に暴れて壁を突き破ろうかと考える程度には。自分がどれだけ進んでいるのか、どれだけの時間を過ごしているのかも解らない。時間が経とうが平気な体をしているから危機意識というものが芽生えにくいのも厄介だ。場合によっては本当に丸1日彷徨っている可能性すらもある。

 

「ふぅー……酸素はあるし、エーテルはかなり濃い。死なないのが唯一の救いだな」

 

 とりあえず、行ける範囲まで進めてから出口がなければ戻る事を考慮しよう。少なくとも入ってきた道はマーキングしてあるから、戻る事だけなら出来る。問題はそれがどれだけの時間がかかるか、という事だろう。ぶっちゃけ、時間を測る道具がない事がここまで不便になるとは思いもしなかった。それにタウロ山にこんな大空洞がある事も。誤算だらけだが……こうなってしまったのは自分の詰めが甘かったからだろうか?

 

「いや、雪崩なんて誰が予想できるんだよ」

 

 アレはしゃーない所だったかもしれない。次回はちゃんと対策を取っておこうと決めた。

 

 

 

 

 何時間歩いたのかは数えていない。1時間ぐらい数えた所で意味がないという事に理解を得てしまったからだ。ただ解るのは洞窟に終わりが見えないという事と、洞窟が徐々に上へ、上へと向かっている事だろう。途中真上へと昇る必要のあった坑道もあり、かなり道が複雑かつ面倒な事になりつつあった。そして中央から上層の狭間まで上がってきているのか、エーテルが寒冷化を始めていた。未だに出口は見つからず、入ってきた場所も遠くに感じるようになってきた。このまま距離をあければ戻るのが難しくなりそうだが……果たして、進むべきか戻るべきか。それが悩ましくなってきた。

 

「上へ行けば行くほど横の面積が減って行くから壁に近くなるのは事実だし、ある程度の厚さだったら砕いて通れるだろう」

 

 少なくとも岩の斜面とかに出る様な所だったり、天然の出口が用意されている確率は上がる程増えるだろう。この坑道や洞窟は恐らく山に巣食うワームが原因だと思っている。あんな連中でも息継ぎの為に地上に出る必要はある筈だ。どこかに息継ぎ穴がある……と良いなあ……とちょっと希望的観測込みで思っている。だから上へと行けば行くほど脱出できる可能性は大きくなってくるが別に確実という訳じゃない。

 

「だけど入口を見失う前に戻って脱出ってのもアリなんだよな」

 

 俺が入ってきた入口は雪崩の下だ。かなり高い位置に穴があり、そこから落ちて来た。つまり天井までなんとか昇って戻らなきゃならない事が第一にある。次に穴を塞いでいる雪と氷をなんとか排除しなきゃならないのが第二にあって、第三に上のを退かした勢いで雪崩が再発しない様にしなきゃならない。上層から凄い勢いで滑ったから恐らく下層まで一直線に呑み込まれているだろうし、ここで下手に積もった雪をふっ飛ばして脱出したらそのまま麓まで止まった雪の流れが再び滑り始めるかもしれない。

 

「丁寧にどかせる気がしないんだよなあ……」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だがそうすれば間違いなく雪崩を再発させるだろう。その被害を考えたくはない。もう既に被害が出ているのもかなり頭の痛い話だし、観測所の人たちも滅茶苦茶忙しくなるだろう。

 

 悩ましい……とはいえ、無事に家に帰らないとリアに泣かれる。それだけは避けたい。もう既に服がぼろぼろだから新調確定という所も中々辛い。これは費用を領主に請求する事が出来るだろうか? 出来ると良いなあ……俺の動きについてこれるレベルの服、中々高いし頼める相手少ないんだよね。

 

 またタイラーさん過労死するかなあ……。

 

 考えが逸れた。

 

 で、進むか戻るか。戻るならそろそろ戻る事を考えなきゃいけないが―――折角ここまで来たんだ。行ける所まで行ってみるか。

 

 即決即断。同じ道を通らない様に魔力でマーキングを行いつつ前へと向かって進む。

 

 出口はまだ見えない。

 

 

 

 

 たぶん、というか確実に日付が変わっている。だがその証拠となるものが何もないから確認のしようがない。歩くペースを早めているが、あまり衝撃を与えたくないから走ってはいない。山を走る時は全力ダッシュや跳躍が出来るから割と時間の短縮が出来るが、こういう洞窟内部だと嫌でも慎重になるから速度が殺される。

 

 お蔭で暇な時間に嫌な事を色々と考えてしまう。

 

 どうして俺がこの世界に転生したのか、とか。

 

 どうして雌龍として俺が生まれたのか、とか。

 

 同族たちは何故自分の意思で死を選んだのか……とか。

 

 やっぱり雌龍で生まれてきたのって同胞を産めよ増やせよって意味なのだろうか? それとも俺が偶然転生した肉体が単純にこれなだけだった? そもそもなんで転生したのか、死因諸々含めて完全に謎で自分にその意識がない。何故こうやって異世界転生を果たしているのかが良く解らない。ソフィーヤは勧誘.bot化しているので役に立たないし。或いは信徒にならないと助けられないってルールでもあるのかもしれないが、それにしたって日本人的感覚として信仰に全てを捧げるのは抵抗感がある。

 

 特に神が実在するなら。

 

「さっむっ」

 

 進めば進むほど上がって行く洞窟。温度はどんどん冷え込み、そして山の中心、或いは高層の芯とも呼べる場所へと近づく程この寒さは増している様に感じている。或いはこの冷気を生み出す様な何かがこの山の中、中心にあって洞窟から繋がっているのかもしれない。何にせよ、今の俺には関係のない事なのだが。重要なのは出口だ。

 

 出口。出口。出口。出口。出口。出口。出口。出口。出口。出口。出口。出口!!

 

 頭がおかしくなりそうだ。

 

 ごめん、嘘。精神耐性万全なので狂えません。

 

「だけどこうも殺風景でやる事もねぇと確かに暇で暇でしょうがないんだよなあ。クッソ……剣ぶん回して解決する事ばかりじゃないって証明されちまったなあ」

 

 これは反省すべき点だろう。明確に自分のミスだ。反省した。反省したからそろそろ出口見えても良いんだぜ? なあ! ソフィーヤ! 見てるならちょっと出口教えてくれないか! 出口ラップ歌うからさ!

 

「デッデッデッデ出口! デッデッデッデ出口! クソみたいな歌詞しか浮かんでこないな。クソが」

 

 あー! 帰ってリア抱きしめて頬擦りしたい。この空間ひたすらストレスが溜まり続ける。そもそもなんで俺が申し訳なく思わなくちゃいけないんだ? 上層モンスターがカスなのが悪いんじゃないか? アイツらがランドスライドとかいうクソ技使って場外乱闘してくるのが悪いじゃん? そうじゃん! 全部上層のモンスターが悪いじゃん!

 

 へへへへ。

 

「……ん!? 風の気配ッ!!」

 

 僅かな空気の流れを感知した瞬間、一瞬でダッシュして風の流れへと向かって突貫した。長く続いた洞窟の終わりに到着しつつ、自分の目指した終わりが岩によって塞がれていると把握した瞬間、

 

 それに正面から大剣を構えて突進した。

 

 当然、岩が砕け散った。なんか後ろで轟音聞こえてるが知らん知らん。考えたくない。岩を粉砕して飛び出した先に広がる薄暗い雪の大地。極寒と上空で渦巻く暗雲。

 

 俺は漸く、あの暗くクソつまんない空間から解放されたのだ。余りの喜びに大剣を手にしたまま両手を大きく空へと投げ出し、

 

「やったー! 脱出したぞー! ありがとうー! 世界の全てよ! 命の全てよ! ありがとう! そして上層のクソモンスター共―――!」

 

 一息呼吸を入れて、雪山に響く様に大声を放つ。

 

「テメェらに対する殺していいか、なんて葛藤はねぇ! 今日! この日! お前らが絶滅すると俺が決めた! 今夜はフカヒレだああ―――!!」

 

 おこだよ。凄いおこだよ。激おこだよ。

 

 お前らマジで見てろ。今から絶滅させっからよ……。




 感想評価、ありがとうございます。

 だがそれがエデンの逆鱗に触れた。


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不協和音 Ⅸ

 凄い真面目な話をすると、

 

 “殺す”というのは莫大なストレスがかかる行いなのだ。

 

 人は闘争本能を備えているが死を忌避する。だから闘争は心を満たすが死は心を疲弊させるのだと言う。人は根本的に死に耐えられるように出来ていない。だから傭兵や戦士はまず戦場に感覚を慣らして感覚を麻痺させるのだと言う。一般的に、修羅と呼ばれる人種はひたすら戦いを求める人々の事を指すが、それは間違っている。本当の修羅と呼ばれる者達は戦場に出て一切心が揺らぐ事も高揚する事もない者達の事を示すのだ。連中は戦う事が日常になっている。それが普通である状態に堕ちてしまった。だから死に動揺する事も、ストレスを感じる事もない。異常だ。異常者共だ。

 

 俺は目の前の鮫を雪の中から蹴り出しながら思う。

 

 こいつらを相手にするのに葛藤は感じない。良心の呵責を感じる事もない。こいつらは明確な敵で、そして生存競争の為に俺に襲い掛かってきたんだ。それが雪崩という極限まで環境を利用した戦い方であり、連中からすれば生き残るための戦術だったのだろう。それを決して責める事は出来ないだろうが、だけど同時に申し訳なく思う事もない。害と悪は違うのだと、ワータイガーから学べたからだ。命を脅かしてくる獣畜生を相手に心を痛めていたらキリがない。こいつらは俺を殺しに来た。だから俺には反撃する理由と動機がある。

 

 そこに一切の遠慮はいらない。

 

 悩みに悩んだ事だったが、こうやって戦闘に入る辺り、一切体が止まる事はなかった。ワータイガーで負った心の傷が疼く事はない。

 

 ―――何も問題なく戦える。

 

 だから雪の中から鮫を蹴り上げて大剣で頭を両断する。その勢いのまま次に飛び出してきた鮫を蹴り飛ばして体を捻じ曲げ、蹴り込んだ衝撃で心臓を粉砕する。同時に飛び掛かってくる姿に白い斬撃を薙ぎ払って纏めて2枚下ろしにしつつ死体を雪に落とす。濃密な血の匂いが嫌でも風に乗って運ばれ、モンスター達が恐怖と興奮の混ざった気配を溢れ出させる。それでも生きるには全力で逃げ続けるか、全力で立ち向かう事しかないのは理解している。山の反対側まで逃げるモンスターが現れる中で、立ち向かうべく勇気あるモンスター達が俺の前に姿を現す。

 

 全身が氷結した岩で構成されるゴーレムの様な魔導生物。

 

 青く輝ける炎の様な冷気を全身に纏うライオン型のモンスター。

 

 首が4つある大蛇。

 

 尻尾が氷結した剣となった傷の多いティラノサウルスの様なモンスター。

 

 それが全て決死の覚悟で立ち向かってくる。本来であれば肩を並べるはずもない別の種族のモンスターが圧倒的脅威へと立ち向かう為に団結している姿は恐らく自然界では絶対に見られる事のない景色だ。だが俺はこうやって対面する事で理解する。こいつらは賢い。人が思っているよりもずっと賢い。

 

 エーテルは変異と同時に進化も促しているのだ。この大地が本当に大神の肉体より作られているのであれば―――エーテルとは大神の息吹の様なものなのかもしれない。それが人の、動物の、モンスターの成長を促進させるようなものであるのなら、それが知性の成長をも促している事に俺は納得できる。

 

 まあ、そこら辺の細かい話は学者さんに任せよう。

 

(りゅう)が怖いか」

 

 ギロリ、と目を本来の形―――有鱗目のものへと戻せば、モンスター達が恐れる様な気配を見せる事が解った。動物たちは逆にこれに安心感を覚えるが、モンスター達はまるで天敵か怨敵を見る様な視線でこれを見る。不思議で、面白い話で、そして同時に、賢ければ賢い程モンスターと俺、人類は絶対に相いれないなというのを確信させる反応でもある。

 

「まあ、良いや。悟空みたいに山に閉じ込められた鬱憤と恨み! ちょっとした素材になって貰う事で晴らさせて貰うぞ」

 

 大剣を肩に担いで一歩前へ出るとモンスター達の怯える気配を感じる。近くのサメの死体を蹴り上げて背びれを引きちぎって食い千切ってみる。

 

 不味い。ぺっぺっと吐き出す。

 

「まっずっ! やっぱちゃんと処理しないと食えたもんじゃないんだな……ふかひれ……」

 

 はあ、と溜息を吐いて俯いた瞬間、ライオンが飛び掛かってきた。左腕を前にすればそれにライオンが喰いつき―――食い千切れず、動きが停止する。そのまま喰いついたライオンを雪の大地に叩き落として大剣を持ち上げるとそれを助ける様にゴーレムと大蛇が襲い掛かってくる。ティラノサウルスも迂回するように剣尾を構えながら突進し同時攻撃を行ってくるが、

 

 それに反応せず、攻撃を肉体で受け止めながら大剣をライオンに突き刺した。顔面に一度、心臓に二度。死亡を確認した所で死体を投げ捨てて無駄な攻撃を叩き込んできたモンスター共を白と黒の食い千切りで纏めて薙ぎ払う。体の調子はこの数日間、迷いに迷ってまともな休息を挟んでいなくても問題なく動き続けられる。戦う事に躊躇はない。周りに積みあがる屍の山は俺のスペック、どれだけ強いかというのを証明するトロフィーだ。

 

 剣を振るえば振るう程怯えるモンスターの屍が積み上がり、それがこの後で金へと変わって行く。本来であれば命を覚悟して挑むべき環境。誰かを犠牲にし続けて漸く手にできる栄光。だが俺にはそれが簡単すぎた。誰かが命を賭けるべき環境で俺は無双とも言えるだけの戦闘力を発揮し、本来であれば金策には不可能と呼ばれる事さえも可能としていた。完全に弱い者いじめになっている。モンスター達は生き残るために必死になって希望を探す。

 

 そうやって生き延びようとする姿は、果たして人間や動物のそれと一体何が違うのだろうか?

 

「思考がループしてる」

 

 溜息を吐き出しながら援軍に来た屈強だった筈のモンスターを全て始末し、周囲に散乱する死体の山を見てもう一度溜息を吐いた。

 

「換金する為に死体回収して帰るか……」

 

 あれほど感じていた怒りも何時の間にか霧散して虚しさへと変わっている。強すぎると何事も全部虐めのようになってしまう。龍が生物として地上でほぼ最強なのは解ったが……俺がこれだけの力を持つ意味って正直あるのだろうか? きっとこうやって地上に俺が生まれた事に対する意味はあるんだと思うんだけど―――その答えが神から来る事はない。神々も神々で、一体地上をどう思っているのかも良く解らない。

 

 ただ解るのは、

 

 俺が修羅になるのは無理で、戦う度に心が疲弊して行くという事実だった。

 

 

 

 

 死体回収が完了して下山開始、中層までやってくると俺の事を待っていたらしいロック鳥に突撃されてめちゃくちゃ頭をガジガジされてしまった。どうやら俺の事を酷く心配してたらしい。そんな訳で頭をロック鳥にがじがじされてからロック鳥に乗って下山した。それから成果物を提出する為にも観測所へと寄った。そこで扉を開けて中に入れば、入口で厚着の眼鏡姿が見えた。

 

「おいーっす、エデン様ご帰還で―――あ、エドワード様」

 

「エデンっ!」

 

 扉を開けた俺の姿を見るなり凄い速さで近づいてきたエドワードは両手でがっしりと抱き着いてきた。いきなりの事に驚き、硬直してしまった。

 

「良かった無事で……君を害せる者はいないと思っていたけど期日を過ぎても姿を見せないから本当に心配してたんだ……」

 

 本当の自分の子を心配する様なエドワードの態度に驚かされつつも、心配させてしまった事実に今理解が至り、あ、と声が漏れる。

 

「え、そ、その……ごめんなさい」

 

「いや、無事で良かった……本当に」

 

 そう言うとエドワードは体を少し放し、体の様子を確かめてくる。

 

「えっと、その、本当に心配させたようでごめんなさい。上層に向かった時にモンスターに勝てないと思われたのか雪崩を叩き込まれて……」

 

「雪崩!? 雪崩をモンスターが!?」

 

 奥の方、観測員が驚愕の声を漏らすもんで、ソッチへと向かって頷きを返した。

 

「あぁ、うん。アレは間違いなく俺を狙ったもんだったよ。逃げる事も出来ないし避ける事も出来ないし。雪崩の上を滑って逃げようと思ったんだけど、雪崩の中に上層のモンスターが混じっててそれに喰いつかれて雪崩に呑み込まれて……それから地図に乗ってない洞窟の中に引きずり込まれて落とされて、ほぼずっと出口探して彷徨ってた」

 

「な、雪崩を受けても無事……」

 

 観測員が驚愕した様な様子を見せているが、まあ、あれぐらいの物量だったら埋まった所で何とかなるだろう。問題は洞窟の方に終わりが見えない事だった。アレはマジで頭おかしくなるかと思った。エドワードがこっちにいるという事はエドワードの調査が終わってこっちへと来るだけの余裕があったという事だろう。そう考えると最低で調査の5日、移動に1日、そっから更にこっちへ来るのに1日が経過している様に感じられる。

 

 つまり最低2日オーバー。

 

「……ちなみに、今日何日目ですか?」

 

「8日目だよ」

 

「本当に、本当に心配をおかけしまして申し訳ありませんでした」

 

 たぶんラスト1日俺が上層で暴れてた分だわ!

 

 

 

 

 それから少し、休憩と説明に時間が必要だった。甘い紅茶を頂きながら椅子に座って、改めてこれまでを説明する事にした。

 

 どうして俺が雪崩に呑み込まれたのか、そっからどうやって脱出したのか。俺が何を見たのか。それが観測所からすると重要な話でもあり、そしてエドワードからしてもモンスターの俺に対する必死なリアクションを知るという事でも重要な事だったりする。俺が雪崩を喰らった話、そこからシャークアタックで引きずり込まれた話、それから光のない洞窟を歩き続けた話。最後に八つ当たりで上層の生態系を破壊してきた話。それらを上で狩ってきたモンスターの素材と共に証拠を提出すると観測員が頭を抱えた。全ての話を終えた頃には反応は様々だったが、横に座っているエドワードは終始心配したり頭を撫でてくれていた。こう見るとこの人は本当に俺の事を娘の様に思ってくれているのだろう。

 

 ちょっと、というかかなり嬉しいが恥ずかしい。

 

「しかしそうなると、この山にはまだ我々の知らない謎が隠されていそうですね」

 

 全てを話し終え、俺が洞窟内部で感じ取った事を口にすると観測員がそう言った。

 

「過去の観測からこの山には寒冷化エーテルを引き起こす何かがあると把握していました。ですがその具体的な理由は発覚していませんでした。今回の調査のおかげで変異モンスターもおらず、そして寒冷化現象の原因は山の中枢にあると知れました。ありがとうございます」

 

「いや、此方も仕事だったんで……それに上層荒らして来たし。頂上は行けなかったし」

 

「いえ、それでも我々には成せない事を成したんです。それだけで誇るべき成果なんです。エデンさん、貴女は凄い。出来る事、そして成した事に誇りを持ってください。そして出来たら安く素材を提供してください」

 

「サンクデル様経由で売りますね」

 

「ですよねー」

 

 上層のモンスターはレアな素材だ。もう二度とあんな所に素材ハンティングにはいきたくないので、きっちりかっちりサンクデルに買い取ってもらってこれをリアの学費の資金にあてさせてもらう。本来であれば赤字覚悟で行くような場所なのだ、相当良い値段になるんじゃないかと思っている。後は放狼の団が討伐する前にマントラップの討伐へと向かう事だろうか? 流石に俺じゃないんだし昨日の今日で討伐に向かったりする事はないんじゃないかなあ……とは思っているが。

 

 まあ、とりあえずはこれで調査依頼は果たす事が出来た。とんだ雪山探索となってしまったが、色々と考えさせられる事も含めて悪い体験ではなかったと思う。モンスターを攻撃する事に対して躊躇はないという事も解ったし、これからはワータイガーみたいな手合いが出たところで俺も手を緩める様な事はしないだろう。

 

「あー……こうやって一息つくとどっと疲れが出てくる……」

 

「お疲れ様エデン。こうやって1人でフィールドワークをするのは確か今回が初めてだったね。いささかトラブルはあったし心配もさせられたけど無事に終わったようで何よりだよ」

 

「うっす」

 

 心配させた手前、そうとしか言えない。ただまあ、これで学費の件はぐっと楽になる筈だ。これでリアが勉強を止めるかどうかで、リアの本気度合いが見れるかもしれない。

 

 しかし学費―――学園、中央への移動。

 

 あの娘に親元から離れて勉強するという概念は大丈夫なのだろうか? なんというか今から既に旅立ちの日にびーびー泣いているイメージしか湧かないんだよなあ……。

 

 そんな事を考えつつあの地獄の様な雪山から帰還した事実にホッとした。

 

 これで漸く、日常へと戻れる。




 感想評価、ありがとうございます。

 金策編もちょくちょく終わりが見えて来た所ですね。

 この小説は時間経過と成長に伴った視野の変化に合わせて入ってくる世界観と情報、考えへの広がりを意識してるので次章から漸く本格的な話に入れると書いてる人は喜んでいたり。

 そも王国編そのものがプロローグみたいなもんです。


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不協和音 Ⅹ

 それから一度、領主の所まで行くことになった。

 

 サンクデルに報告しなくちゃいけない義務があった。それにエドワードが言うには俺程の奴が何の連絡もなし唐突に足取りを途絶えさせるのも不安の種になるので、しっかりと生存報告を行ってサンクデルに諸々の説明を行ってほしいという事だった。そう言う訳で観測所で軽く休息を入れてから陸路、馬を使ってサンクデルの所まで戻る事となった。無論、俺はロック鳥を使えばすぐに帰る事も出来るが、こっちに来るのにエドワードは馬を使っているし、エドワードをロック鳥に乗せるとなると乗ってきた馬を置いて行く事になる。

 

 なら観測所の人に馬を連れてきてもらうか? というのも筋違いだ。普通に俺がエドワードと一緒にゆっくりとサンクデルの所まで戻れば良いので、丸1日かけて大変だったタウロ山から辺境伯の領主館まで戻る事となった。実際、エドワードには凄い心配をかけてしまった様でしきりに調子や容態を聞かれる。そうやって心配されてしまうと今度からはもう少し気を遣おう……となってしまうので、効果的と言えば効果的だ。

 

 そうやって丸一日の移動を終えてサンクデルの所に到着する。

 

 仕事の度に行くので見慣れた道路を進んで行けば門が見え、そして門の前に立つ門番の姿が見える。エドワードの姿に軽く敬礼を送り、その後ろに座る俺の姿を見て門番が頷いた。

 

「お帰りなさいグランヴィル様。どうやら探し人は見つけられたようですね」

 

「あぁ、探そうと思った時に丁度帰ってくるものだからね、猫みたいな子だよ」

 

 猫じゃなくて龍だが? とエドワードの背で胸を張っていると、門番がで、と言葉を続けてくる。

 

「帰りが遅れた理由は伺っても……?」

 

「雪崩に巻き込まれたそうだよ」

 

「雪崩程度じゃダメージにはならんのですわ」

 

 サムズアップを向けると門番がなんだこいつ……? という感じの視線を向けてくるものの、そういう種族なんだからしゃーないの精神で乗り切る。ただやっぱ、普通の人間からするとどう足掻いても化け物なんだよな、というのを自覚してしまう。そんな風に門を抜けると漸く帰ってきたという感じの実感を得られる。流石に今日はここに泊まってから家に帰りたいな……なんて事を思う。

 

「やっぱり疲れちゃったかい?」

 

「まあ、はい。肉体的にはまだ全然動きますけど。やっぱり1人でずっと暗い所にいるのって精神的に辛いですね」

 

「人は孤独に耐えられるように出来ていないからね。孤独が平気だと思っている人も結局は何かを支えにして孤独に耐えているだけなんだ」

 

「孤独……」

 

 孤独―――何時か来る別れ。俺が本当に龍だとして、この人生が人の生を超えるものだとして―――その時、皆が死んだときに、俺の横にいる存在はいるのだろうか? グランヴィル家が死んでしまった時に残されるものは一体なんなんだろう? 考えたくはない。だけど何時かは考えなくてはならない事なのだろう……何時かは。でも今ではないと思いたい。少なくともその考えは、まだ怖すぎる。

 

「まあ、なるべくリアと一緒にいれば大丈夫だと思います。リアも引っ付いて離れないでしょうし」

 

「じゃあ有言実行しなきゃね」

 

「え?」

 

 エドワードがあっちあっち、と指さした先、そこにはリアの姿があった。彼女の姿自体はそう驚くほどの事ではない。勉強のためにこっちに来る事もあるだろう。問題はふくれっ面のリアが見覚えのある熊の上に乗っている事だろう。いや、乗っているというか両足で立ち上がって腕を組んでいるんだが。そして下の熊もリアと同じように腕を組んで立っている。いや、お前俺の熊じゃん……信じて送り出した俺の熊がリアに調教されてるんだが?

 

 だがこうやって俺がボディーガードに付けていた熊が完全に飼いならされている姿を見たら認めるしかないだろう。ふっ、と軽く声を零してからエドワードの後ろから降りて、両手を広げる。

 

「全ての非を認めよう!! 俺の負けだッ! 来いッッ!」

 

「その意気や良し! 成敗ッ!」

 

「リアー? そんな言葉どこで覚えたかなー?」

 

 エドワードの素朴な疑問を無視して熊の上からリアが跳躍し―――そのまま勢いを付けて俺へと向かって抱き着いてくる。その勢いを殺す様に抱き着かれるままに体を軽くスイングして一回転し、その足を地面につかせる。そうやって捉えた所で正面から向き合い、

 

「心配させた?」

 

 言葉に、リアは頭を横に振った。

 

「ううん。私のエデンは最強だから心配しない。だけど、今まで一番長かった分寂しかったよ」

 

「時間かけちゃってごめん」

 

「茶番に付き合ってくれたから許してあげる」

 

 我が家のお姫様は慈悲に溢れておられる。そしてどうやら本当に心配なんてしていないらしく、一切傷とかを探す様な様子を見せず驚かされる。ここまで信じられているとこそばゆいというか、恥ずかしいというか……リアの前で、格好の悪い事は出来ないなあ、なんて事を考えてしまう。俺も相当この娘の事大好きだと思っている。大事にしたいし、絶対守らなければならない。とはいえ、今は特に危機があるという訳でもないのだが。とりあえずリアと手を結べば機嫌が一気に良くなるのだが、これから領主の所へと報告と挨拶に向かわなければならない。名残惜しいが手を解きつつ、

 

「それじゃあまた後でね」

 

「うん、後でいっぱい遊ぼうね」

 

「勉強終わったらな」

 

「むえー」

 

 可愛らしい嘆き声を放ちながらしょんぼりとするリアを見送り、エドワードの下へと戻った。既に馬の方は使用人に預けられており、館に入る準備は出来ているようだった。お待たせして申し訳ない……と言うのは、ちょっと違うかもしれない。少しだけ考えてから言葉をエドワードに向けた。

 

「リア、最高ですね」

 

「そう思うだろう? 僕もそう思う。きっと将来は女神に育つに違いない」

 

「間違いない」

 

 エドワードの言葉にうんうんと頷いて同意する。俺達はリアに関してはこの世に現れた女神という事で同意しているのだ。可愛い、綺麗、優しい。これはもう女神なのでは? 信仰するっきゃないね! そんな話をしながらもそろそろ領主のところに顔を出さないと怒られそうなので駆け足で応接室まで向かえば、既にサンクデルの姿がそこにはあった。入室と共に軽く頭を下げるとサンクデルは俺の姿を見て少しだけ驚いたような様子を浮かべ、そして安心した表情を見せる。

 

「おぉ、無事だったかエデン。いや、本当に良かった……君が死んでるかもしれないと思うと本当に怖くてね」

 

「ご心配、ありがとうございますサンクデル様。ですが雪崩では俺に傷をつける事は出来ませんでした」

 

「成程、雪崩じゃ無理と。ん? 雪崩?」

 

「エデンエデン、どうしてそうなったかの説明が全部抜けてるからサンクデルが混乱してるよ」

 

「失礼しました」

 

 だけど雪崩ですらダメージを負わない女、エデンというのはかなり強いイメージあるし良いのでは!? と思う部分はあるんだ。でもその後は迷子になったからやっぱかっこ悪いわ。もうちょっとカッコいいエピソード頑張って今度作ってみよう。リアに胸を張って自慢出来るエピソードが良いなぁ。出来たらそのままロゼを煽れるタイプの奴。

 

「えっと、では1日目からの調査報告を行いましょうか?」

 

「あぁ……ゆっくり頼むよ。あ、いや、今戻った所だろう? 休んだ後でも良いんだぞ?」

 

「いえ、向こうにいる間結局無傷でしたし、精神的に疲弊はしましたけど肉体的には全く」

 

「成程。では今茶を持ってこさせよう。それを飲みつつゆっくり聞かせて貰うとしよう」

 

「ありがとうございます」

 

 ―――それからサンクデルが使用人に頼んで紅茶を持ってこさせる。エルボナ産のセカンドフラッシュ。無論、この世界にダージリンやアールグレイなんて紅茶の銘柄は存在しない。同じ地名が存在しないのだから当然だ。だけどセカンドフラッシュやファーストフラッシュという概念が存在するのはまた面白い事実でもある。地名は違うし、産地の環境は違うのだろう。だけど口にした紅茶の味は地球で飲んだ事のあるそれに酷似している。異世界だというのに、故郷で飲みなれたあの味がここでも味わえるのはある種の郷愁を感じさせながらも不思議に思うものもある。

 

 それは共通点だ。

 

 この世界、異世界・魔界、そして元の世界・地球。味覚の概念、食文化、人としての思想等。こういう所でどうしようもない類似点を見つけてしまう。そも異世界だと本当に言うのなら、根本からして世界が違うべきなんじゃないのか? そんな事を偶に、考えてしまう事がある。或いは―――あの魔界がここと繋がっている様に、

 

 実は地球も魔界とつながっているんじゃないか? なんて事を考えてしまう事がある。

 

 味わった事のある紅茶の味。だけどその名前も産地も違う。そういう物を味わうと意味もない事を考えてしまう。考えても答えの出ない事だ。だから紅茶と一緒に下らない事を全部飲んで流してしまい、タウロ山での調査をサンクデルに語る事にした。

 

 この1週間と数日の1人での探索経験は非常に貴重なものだった。

 

 初めての1人でのフィールドワーク、普段利用してるロック鳥等の騎乗動物がどれだけ便利なのかというのを自覚させられた。モンスターの強さ別で俺に対するアプローチの変化もまた面白い要素だったと思う。弱いモンスター程俺を恐れて逃げるが、中途半端に力を持つモンスターは逃げるか戦うかの判断を間違えやすく、力のあるモンスターは逆に俺に立ち向かってくる。勝てないと解っていても襲い掛かるのはプライドだろうか? それとも力の差を理解していて絶対に倒さなければならないと思うからだろうか? どっちにしろ、モンスターのより上位の生物に対する反応は面白かった。

 

 そして当然、話のメインは雪崩となるだろう。

 

 モンスター達が自然災害を意図的に引き起こし俺を殺しに来るなんて思いもしなかった。アレ、どうやって引き起こしたのかは割と知りたかったのだが、状況的にそれも不可能だというのは寂しい話だった。

 

 ともあれ、統括すると重用なのはタウロ山という環境は変異を起こす余地のない環境だという事だろう。

 

「少なくとも俺が見た限り、他に新しい方向性へと進化したり変異したりする様な余裕はないですね。上へと行けば行くほど生物に要求される身体と機能のメモリみたいなものが生き残る事に振り分けられる事を強要させられるというか……あの環境にいる生物全てがあの寒冷化するエーテルへと適応した変異モンスターの縄張りみたいなものだと思ってます。ざっくりと色々と狩ってきましたので提出も出来ます」

 

「ではそれは後でウチで引き取ろう」

 

 サンクデルが暗に買い取ってくれると宣言した事実に、心の中で小さくガッツポーズを取る。少なくとも“金属”上位クラスのモンスターで、中々調査に行く事も出来ない環境だ。レアな素材である事を考えれば安くなるという事はないだろう。この手の素材をどういう風に使うか、というのは俺にはちょっと良く解らないが良い値段が付くのはまず間違いがない。最初はリアの学費、どうやって稼ごうかと考えていたものだが……実は結構、暴力メインで行けるのでは? という希望が見えて来た。

 

 まあ、何にせよまずは120万目標だ。そっから中央で遊ぶためのお金や生活費を求めて稼ぐ必要がある。今のうちに貯蓄出来るだけするのが最も賢い選択でもある。俺も初の大仕事を終える事に成功し、紅茶のカップを手にほっと息を吐く。それを横で見ていたエドワードが苦笑した。

 

「お疲れ様エデン。今回は良く頑張ったね……いや、本当に」

 

「まさか雪崩に巻き込まれるとは思いもしなかったな……他の誰かを送っていたら、と思うとぞっとする」

 

「割と白い壁が迫ってくるビジュアルは絶望的でしたね。呑まれた瞬間はあ、終わった。って一瞬思ったんですけど呑み込まれてみたら意外と平気でした」

 

 その言葉にサンクデルがエドワードを見た。

 

「しっかりと手綱を握るんだぞ?」

 

「彼女の手綱はリアとローゼリアちゃんに渡してあるから」

 

「ロゼに手綱を握るように頼むかあ……」

 

 人の事ぼろくそ言うじゃん。領主って意外と俺に対して辛辣だよね。信頼されているのか、それともネタにされているのかまだちょっと判別がつかないが、それでも悪感情がない事は確かだ。その為、割と空気は和やかだ。

 

 俺も一仕事を終え、漸く休める。今夜はここで泊まってリアやロゼと一緒に夜を過ごそう。

 

 そう思っていると、こんこんと焦るように応接室の扉が叩かれた。

 

「サンクデル様、失礼します!」

 

 ノックから返事を待たずに扉が開けられ、酷く焦った様子の使用人が入ってきた。その無作法に一瞬サンクデルは顔を顰めるも、使用人の尋常ではない様子に表情を変えた。

 

「……どうした、申せ」

 

「申し上げます」

 

 使用人は唾を飲み込み、

 

「街が―――」

 

 言葉を喉の奥から引っ張り上げるように、

 

「街が―――燃えています」

 

 その言葉を吐き出した。

 




 感想評価、ありがとうございます。

 いつの間にか総合1万になってました、ありがとうございます。このまま総合2万目指したいですね……。

 という事で、いよいよ金策編のクライマックスフェイズに突入です。


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狼たちの賛歌

 ―――貴族の三男坊に受け継ぐものなんてほとんどない。

 

 長男が家を継ぎ、次男が婚姻に出され、三男は余る。三男は言ってしまえば長男か次男のスペアでしかないのだ。だが貴族社会においてスペアの重要性は高い。家が断絶する事、それが貴族にとっては最も恐ろしい。だからこそ貴族は基本的に三男ぐらいまでは用意する。そして長男から三男まで子供の出来を見て、増やすかどうかを選ぶ。そして長男で成功すれば残りは政治の道具に使ってしまえば良い。そうすれば家に対するメリットが生まれる。だがそれすら出来ない弱小貴族家はどうなる? 財産と家を継がせた先で何が出来る?

 

 腐るだけだ。腐らせるだけ。小さな家に婚姻を結ぶだけのコネも無ければ余る様な財産もなく、腐らせるだけでしかない。長男で成功してしまえば次男と三男は用済みになる。だから継承する財産のない、家にもいられない三男坊というのは将来が悲惨に尽きる。早いうちにそれを見極め、自分で未来をどうするかというのを見出さない限りは。

 

 俺はそんな三男坊だった。

 

 家に居場所はなく、行く場所もない。生まれて早々そんな運命を定められ、育てられながら聞かされる。ひねくれた性格に育つのもしょうがない話だった。あぁ、自覚している。俺はそんな良い男じゃないと。それでも必死だった。これから自分がどう生きてゆくのか、それを決める必要があったから。だから俺は自分の未来を必死に考え、そしてその事実に絶望していた。教育は受けた、だがそれで何かが特に出来るようになるという訳ではなかった。教育はあくまでも教育だ。そこに明確なビジョンが存在しなければただの虚無だ。中身のない情報を詰め込んでも風船を膨らませるだけでしかない。

 

 だから俺は若い身で世界に対してある種の絶望を抱いていた。何故長男が大丈夫だと判断した時点で俺を産んだんだ? 長男が利発だと判断してから俺を仕込むまで余裕があった筈だ。なのになぜ俺を産んだ? もしかして関係ないのか? 遊んでただけなのか? どうして俺にこんな苦痛を与えるんだ。こんなに悩み苦しむなら生まれなければよかった。そう思い、呪ったことさえもある。だが結論から言えば俺の呪いも苦痛も、ある日を境に全て吹き飛ばされた。

 

 彼女に―――イルザに出会ったからだ。

 

 彼女は俺と違った。彼女は平民だった。平民の女は更に人生における選択肢が少ない。最終的には結婚して誰かの夫として家を支える事は宿命だ。それこそ職業選択の自由なんてものはエスデルや帝国を抜きにすればこの世にはほとんど存在しない。アレほど先進的で思想が自由な国はこの世でも珍しい。そんな自由思想とは縁遠い国に生まれた俺達は何をするにも不自由で、未来さえも不自由だった。

 

 だが彼女は平民という泥の中で生まれた宝石の原石だった。

 

 彼女は輝いて見えた。何時も全力で他者を想い、助け合い、そして背筋を伸ばして必死に自分の出来る事をやっていく。そんな彼女の姿を見るのが好きで、彼女がそのまま世間の常識というものに轢き潰されて行くのが我慢できなかった。言葉には出来ない魅力が、カリスマが彼女にはあった。毎日を必死に生きて行く姿、それは未来への希望を失った人間が決して持たないものだったのだ。だから俺はどうしようもなくイルザに惹かれた。

 

 きっとそれは一目惚れだったのかもしれない。

 

 ああ、きっとそうなのだろう。だから思った―――このままではいられない、と。

 

 冒険者として立身する事を選んだのはそれからで、俺がイルザを誘ったのはその時だった。周囲からは猛反発された。冒険者も傭兵も、まともな人間がなるもんじゃない。貴族から見ても家の者が冒険者や傭兵になるのは何をどう見ても()()()()()とでも表現できるものだから。定期的な収入はなく、家もなく、財産も特にない。あるのは何でもやるという事と、そして人を殺す業。誰が好き好んでそんな身分に落とそうと思う? 家族が傭兵になったというのは、家族が進んで人殺しの道を選んだという事でもあった。

 

 だがイルザは俺の手を取った。俺も家とは絶縁して傭兵の道を選んだ。それは俺達が求めた何よりもの自由だった。未来があるかどうかすら解らない自由の身……だがそれは元々同じものだったのだろう。俺達は最初から自由のない身分で、未来なんて存在しなかった。だけど今度からは自由の身分で未来が存在しないのだ。生きるのも死ぬのも己の意思次第。それは社会のシステムに組み込まれた形で死んでゆくよりは100倍マシだと思えた。

 

 あの時、何故イルザが俺の手を取ったのかは解らなかった。だけど彼女は俺のつたない誘いに笑顔で応え、手を取ってくれた。

 

 俺は彼女が宝石の原石だと信じている。何時かは誰にも負けない宝石の輝きを見せるのだと。それを信じ、狼となる事を選んだ。そう、狼だ。群れど孤高、気高く、美しく、そして強い。自然の中であっても力強く生きて行く獣。俺は狼になりたかった。放浪する狼になりたかった。家はない。だが家族はここにある。誰よりも美しく、そして力強く、旅をしながら生きて行く。

 

 それが俺達にとっての何よりの自由だったから。

 

 だから上を目指す。目指せる所を限界まで求めて。名声を稼ぎ、見下して来た連中を見返す。そしていつか俺達が積み重ねてきた道が―――俺達という原石を磨き上げて宝石の輝きを引き出すのだと信じて。

 

 信じた。

 

 信じている。

 

 積み重ね、信じた先に俺達が辿り着くべき場所がある筈だと。だとすれば―――これは一体なんなんだ? 俺は何をしている? 何故押さえつけて組み伏して、俺の下で彼女はただの女として消費されているんだ? 俺は、何故こんな事を始めたんだ? 何故こうも今、悲鳴と怨嗟と笑い声と怒号で―――こうも、怒りと悲しみで溢れているんだ?

 

 あの日目指した輝きは、一体どこへ消えたんだ―――?

 

 何故、狼たちは狂ったのだ。

 

 どこで、俺は―――狂ったんだ―――。

 

 

 

 

 数時間前に()()()()()()()()()()()()()()()()。モンスターは凶悪かつ強力であり、冒険者や衛兵団が協力して防衛線を構築、住人を避難させながら防衛戦を行っている。それが数時間前の出来事であり、それから急いで伝令を送って領主館まで報告と援軍を求めた為にそれ以降の状況は不明。ただし、ある情報がそこに付け加えられた。

 

「出現したモンスターは恐らくプラチナ以上はあるかと」

 

「何? “金属”の中でも上位や最上位に入る部類だぞ? それが唐突にルミネラに出現したのか?」

 

「はい」

 

「はい、じゃないぞっ! 原因は解らないのか!?」

 

「も、申し訳ありません。ですが伝令の時点では何とも……」

 

 使用人はサンクデルの剣幕に圧され気味だが、サンクデルも片手で頭を抱えながら少し冷静になった。俺とエドワードは唐突の報告に口を挟めずにサンクデルの決断を待つが―――正直、俺の心中は穏やかじゃなかった。冒険者ギルドにはそれこそ強い人が何人もいるという事は解っている。俺が来る前からずっと冒険して来た人達だ。俺より経験があり、そして生き残るすべを知っているだろう。だがあの街には知り合いが多くいる。

 

 仕立屋のタイラー。ギルド受付のウィロー。夢を見たばかりのアイラ。他にも街で世話になった人々は多くいる。辺境ではそういう助け合いで生きて行くのだ。魔族連中はどうせギャグ補正かなんかで死ぬ事がないだろうから一切心配する事はないが、それでも他の街の人々が無事かどうかは凄く心配になる。俺の様に何を受けても無敵ってタイプの人間は少ないんだ。あの街がこういう風に燃える、なんて考えもしなかった。

 

「どこの馬鹿がこんなことをやらかしたのは……街中に出現するなんて誰かが持ち込みでもしない限りはありえないぞ」

 

「或いは、モンスターが人間に扮していれば話は別かな」

 

「―――!」

 

 エドワードの言葉にサンクデルは顔を上げ、エドワードの方へと視線を向けた。エドワードの言葉で思い出されるのは数年前の鉱山での出来事だ。未知の技術によってモンスターに変身する能力を得た人間達が存在した事実は関わった人間すべてにとって驚きだった。だが考えてみればそうだ、衛兵がいる環境でそう簡単にモンスターが街中に侵入できるとは思えない。あり得るとすれば同じようにモンスターに変身できる人間がいるか、或いはモンスターを直接街中に召喚出来る様な奴がいるか。どちらにしろまともな手段ではないのは確かな事だろう。

 

「あり得ると思うかエドワード?」

 

「どうだろうね……僕はあり得なくもないと思うよ。ただもし、この方法でのテロが成立するならこの世に安全な都市はなくなるね。何らかの手段で人とモンスターを探知する手段を生み出さない限りは」

 

「クソ……何でこうも頭を悩ませる事が立て続けに起こるんだ。変異モンスターの出現だけでもかなり頭が痛いのにな……軍を動かす。直ぐに準備させろ」

 

「はい、直ちに」

 

 サンクデルの指示を受けて使用人は素早く軍の準備をする様に隊長へと連絡しに行ったのだろう。退室するのを見て、サンクデルが視線を上げた。

 

「すまない、エドワード」

 

「気にしないでくれサンクデル。あそこには普段から世話になっている人たちが多くいるんだ、僕も行くよ」

 

「ありがとう、エドワード。エデン、君も可能なら……」

 

 エドワードに軽く頷きで感謝を示すと、今度は此方へと向いた。言いたい事は解るし、その答えは既に用意してある。

 

「いえ、俺からもお願いします。あの街には友人がいるんです。それを見捨てて待つというのは俺にはできません。いえ、寧ろ行かせてください。俺ならロック鳥に乗って数倍の速度で先行出来ます」

 

「あー……アレかぁ……」

 

 ロック鳥の事を聞いているのだろう、サンクデルはロック鳥での移動を考えて表情を顰めると、悩む様に視線をエドワードへと向ける。サンクデルの視線を受けるエドワードは頭を縦に振る。

 

「僕はエデンの強さに自信をもって頷けるよ。救援に先行させるだけでも大きな効果はあると思う。僕個人はあまり賛同しないけどね」

 

「それは何故だ?」

 

「辛いものを見るかもしれないから」

 

「ふむ……」

 

 エドワードの言わんとするところは理解出来た。だがそれはそれとして、俺自身ここでのほほんと待っている事は苦痛に近い事だった。出来たら街へ―――みんなが戦っている戦場へと向かいたかった。自慢ではないが、俺は強い。強さだけを基準とした相手であれば何であろうと勝利するだけの自信がある。

 

「お願いします。軍を動かすには準備と移動時間がかかりますけど、俺1人なら速度が出せます……今なら間に合う人が助けられるかもしれないんです。サンクデル様、お願いします」

 

 力があるのに何もしないという事は出来ない。それは見捨てているのと同じことでしかないのだから。だからお願いします、と頭を下げる。それにしばし無言が生まれ、サンクデルから声がする。

 

「……解った。許可しよう。ただし、助けられる人よりも自分の事を大事にするんだ……解ったかな?」

 

「はい、ありがとうございます。それでは早速行ってきます」

 

 サンクデルの許可を得られた瞬間俺は部屋を飛び出す。中庭へと向かえばロゼとリアの姿があり、俺を見かけると手を振ってくるが直ぐに俺の表情に首を傾げる。

 

「久しぶりねエデン……ってどうしたの、焦った表情をして」

 

「街がモンスターに襲われてるって。ごめん、助けに行くから遊べない」

 

「じゃあ頑張って助けないとね」

 

 リアは残念がる事もなく、迷う素振りさえ見せずそう答えてくれた。それに俺は申し訳なさを感じてしまう。本当なら今日から一緒に遊べたのに。こっちの都合で約束を破ってしまう。どうやって謝ろうかと思うも、リアは両手を伸ばして頬を包み込んでくる。

 

「大丈夫。少し寂しいけど、エデンの帰る所は私のいる所だって解ってるから。何があってもエデンは帰ってくる。そうでしょ?」

 

 その言葉に頷きを返した。グランヴィル家が俺の家で、俺の守るべき場所、帰るべき居場所だ。そしてリアは俺のお姫様。

 

 だから絶対に帰る。その意思を込めた頷きを見せた。それにリアは満足げな表情を見せた。

 

「なら良し! いっぱい人を助けておいで!」

 

「おう」

 

「……時々貴方達の関係が主従なのか、姉妹なのか、恋人なのか解らなくなってくるときがあるわね。それぐらいの関係が丁度いいのかもしれないけど。頑張ってらっしゃいエデン」

 

「ロゼもリアの面倒サンキューな」

 

 その言葉にウィンクを返してくるロゼもどことない姉御気質を備えていて助かる―――彼女も俺達との出会いや交流を経て、だいぶ解りやすく、そして優しくなったと思う。時間があれば人は存分に変わる事が出来るのだ。それも良い方向へ。だから決して失われて良い命なんてあるはずがない。

 

「ロック!」

 

 空へと向かって声を発せば、空からロック鳥の嘶きが返ってくる。旋回しながら降りて来る姿を捉えて跳躍し、降りきる前にその背中へと飛び乗る。地上にいる2人へと軽く手を振ってからロック鳥の首を撫で、

 

「街へ。お願い、急いで」

 

 祈るように頼む。

 

 どうか―――どうか皆、無事でいてくれるように、と。




 感想評価、ありがとうございます。

 これさえ乗り切れば金策編も終わりなのでいやあ、王国編メインの学園編まで60話以上かかってるのほんと長かったなあ、って……。


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狼たちの賛歌 Ⅱ

 ―――遠くに見える街は燃えていた。

 

 赤く燃える炎、立ち上る黒煙。それが遠くからも見えた。それがどれだけの勢いで炎が舞っているのかを教えてくれる様で、心がざわついた。既にロック鳥は俺に配慮して出せる最大のスピードを出してくれている。全身で受ける風はそれこそ普通の人であればロック鳥の背から剥がされそうなものだ。だが俺は特別だ。その程度の風圧で引きはがされるようなことはない。だからロック鳥に速度を出して貰いつつ進んで行き―――景色が近づけば近づく程焦りは募る。

 

 そして漸く、街の入口が見えた。

 

 街から抜け出して逃げて来た人たちがバリケードで構築する防衛線、そしてそこに襲い掛かる異形の姿。それを目撃した瞬間にはロック鳥の背を飛び降りていた。

 

「ありがとうロック、お蔭で助かったよ。しっかり休んでおいてくれ」

 

 言葉だけをロック鳥に残して結晶大剣を生成する。そのまま自由落下に任せて体を加速させながら一気に大地を粉砕するように降り立つ。何時も通り左手をポケットに突っ込んだ状態、右手で大剣を肩に担ぐようなポーズで体を前傾姿勢に倒し―――瞬発する。

 

 人が集まり身を守るために街の入口を封鎖するバリケードまで、一瞬で到達する。逃げる様に、隠れる様に集まっている人々の間を抜ける様に一気に前へと進み、恐らくは魔法による土や木材で組み上げられたバリケードの背面に到達する。

 

 だがそこで足を止めない。

 

 バリケード、その後方を飛び越える様に一気に跳躍し街側へと乗り込む。一度バリケードの頂点を足場にし、加速するように体を正面の道路へと射出する。それから片手と膝をつく様に体を斜めに着地し、バリケードに相対する生物の姿を見た。

 

 一言で言えばそれは人狼だった。全身に毛を生やし、頭が人ではなく狼のそれ。それだけなら獣人にも似たような種族がある。だがそれらと決定的に違うのは異様に裂けた口、それぞれが3メートルを超える身長を持っている事、そして禍々しいとしか表現できない黒いオーラを身に纏っている事だろう。まるで食が足りずにやせ細った姿は顔だけを残して全身がガリガリとでも表現できる姿をしている。

 

 なのにその姿から感じられる威圧感ややばさは、それこそタウロ山の上層に匹敵するものだった。ゆっくりと立ち上がりながら大剣を肩に担ぐと人狼たちは振り返りながら頬を裂く程の長い口を開いた。赤く血に濡れた牙を見せつける様に大きく口をあけた人狼から洩れるのは、

 

「HAHAHAHAHA―――」

 

 人を食ったような笑い声だった。

 

「1匹……2匹……3匹だけか? 良いぜ、笑ってても。もう笑えなくなるからな」

 

 笑い声を響かせながら人狼が加速した。一瞬でトップスピードに乗り正面から1匹。それに合わせる様に側面からもう1匹。最後の1匹は遊撃するように他の2匹に隠れる様に動いた。肩に大剣を担いだまま迎え撃つべく一番近い正面の人狼へと向かう。人食いの笑い声が狂ったように響く中で人狼の異様に痩せ細った腕が爪と共に伸びてくる。

 

 それに大剣を合わせた。白を纏った斬撃が人狼の爪先に触れ、その指を両断しながら腕に食い込む。それにわずかのひるみもなく腕を犠牲にしながら人狼が大口を開けて迫る。だがそれよりも早く腕から首へと向けて刃を跳ね上げて首を切断する事で即死させる。首を刎ね飛ばされながらも人狼の嘲笑が地面から聞こえてくる。

 

 気持ち悪い。大して強くない癖に、ひたすら斬る感触が気持ち悪い。だからか、1匹殺した所で腕が止まってしまう。

 

 気づいた時には直ぐ横に爪が迫っていた。

 

「戦闘中にぼさっとするな!」

 

「悪い」

 

 飛来した矢が爪を弾く。刺さらずとも衝撃によって逸らされた爪を回避しつつ、そのまま刃を引き戻して横に薙ぎ払う。人狼の胴体を輪切りにして体を横へと動かし、続く3匹目の死角からの攻撃に正面から向き合って対応する。人のリーチ外から振るわれる異様に長い腕と爪、通常であれば凶悪だろうが、俺に取っては対応できる範囲でしかない。

 

 爪が届くよりも早く大剣を振り上げた状態で懐へと踏み込み、その脳天に大剣を突き刺す。

 

「……」

 

 そのまま頭から股を抜く様に両断した。真っ赤な返り血を浴びながら大剣をもう一度振るって死体を転がす。

 

「HA……HA……HAHA……」

 

「HAHあ……は……ひゃ……」

 

「……死んでも笑ってるのかよ」

 

 なんだこいつ。強さだけなら上層クラスの怪物だろう、この人狼は。だが気持ち悪さと得体の知れなさはこれまで感じたことのないレベルにあった。斬っている時の妙な感触、そして野生のモンスターには見ない気味の悪さ。それらを含めて自分が今まで対峙してきたモンスターの中でも、最悪の部類に思えた。いや、実際に最悪なのは事実だろう。そうじゃなければ街が燃える事もないだろうし。

 

「おーい、エデンー! 無事かー!」

 

「こっちは無傷だ。そっちは?」

 

 呼ばれてバリケードの方へと視線を向ければ、5メートル程の高さはある土と木材で作られたバリケードの上から手を振る衛兵の姿が見えた。此方も白の魔力で体に付着した返り血を蒸発させつつ手を振り返す。それを見て衛兵は安堵の息を吐いている。その手の中にある弓を見れば、戦闘中に援護射撃してくれたのが彼だというのが解った。

 

「良かった……いや、援護なんて必要なかったかもしれないが。気を付けてくれ。連中は酷く強く、そして凶悪だ。賢さもあって人の声を真似て誘い出してくる事もある。何よりも……」

 

「何よりも?」

 

「噛まれると増える。お蔭で数が減らない」

 

 ―――止めろ。今は考えるな。結論に思考を飛ばすな。

 

 頭を横に振る。

 

「大丈夫だよ、たぶん俺なら一瞬で免疫が出来て弾く」

 

「こういう時はグランヴィル家のとんでもなさが頼りになるなあ」

 

 衛兵の声にそれよりも、と声を返す。

 

「それじゃあ俺は事態解決に乗り出すよ。安心してくれ、俺は領主様に頼まれて先行してきたから本隊が後から来る事になってる」

 

「ありがとう、助かる。悪いが出来たら他の所を見て回ってくれると助かる。住民も衛兵団も散り散りになっちまってどうなってるのか全く分からないんだ……ただ事態の元凶はどうやら街の中央広場で発生したらしい。何かがあるとすればそこだろう」

 

「ありがとう。身を守る事だけ考えて領主軍を待っててくれ」

 

「あぁ、そうさせて貰うよ……幸運を祈ってる」

 

 背を向けて軽く手を振りながらバリケードを離れる。正面にあるのは未だに燃え続ける街の様子で、少しずつ家屋が灰になって行く。少し前までは何時も通りの街の姿だったのに、もうここにはあの面影が存在しない。そこにいるはずの街の住民も今では―――。

 

「考えるな」

 

 考えるな。

 

 行け。

 

 前に進む。左手はポケットの中、大剣を担ぐ何時も通りのスタイル。何事もないかのように、俺の背中を見ている人たちが不安に思わないよう何もないような様子で―――歩く。炎の中へと、燃え盛る街へと向かって進む。バリケードが後ろへと徐々に遠のいて行くのに気にせず歩いて進めば、やはりすぐに人狼と出会ってしまう。今度出会った人狼は先ほどの裸の奴とは違い、まるで人の様にチュニックを着ていた。ただし内側から破ける様にぼろぼろとなっていて、着るというよりは引っかかっているとでも言う方が正しいだろう。こいつはバリケードの方へと向かうな。そう思うと自然と足は人狼の方へと向かって進められる。

 

 嘲笑する様な、もはや笑うしかないような。そんな笑い声が人狼から聞こえてくる。その服装をもう一度見て、目を瞑りながら進む速度を上げる。

 

「……せめて安らかに」

 

 目を開き一気に加速する。顎を振り下ろして一気に上半身を刃で食い千切った。顎の残像だけを空間に残して人狼を即死させ、残された死体を結晶化させる。それに振り返る事無く進もうとすれば、横の家の影から、屋根の上を飛び越え、後ろの道路から回り込む様に。囲む様に人狼たちが現れてくる。その数は5匹ほど。どいつもこいつも千切れた服装を纏っていたり、或いは松明を、武器を片手に握っている。

 

 目は瞑らない。

 

「神よ……ソフィーヤ……何故っ……どうして……!」

 

 ただ怨嗟の声だけを零して大剣を振るい、血を弾いた。包囲を狭めて明確に俺に対して敵意を―――或いは願いを抱いて迫る人狼たちを見た。

 

 突貫。

 

 反応するよりも早く正面に現れた人狼に接近し、素早く袈裟斬りに振り抜いて即死させる。その勢いのまま人狼の体を弾き、その衝撃で速度を得て加速する。そのまま2体目の人狼へと接近し、反応するよりも早く縦に断ち割る。白と黒の顎の軌跡を生み出しながら舞う血を弾き、後ろへと向かって斬撃を振るう。反応出来た人狼は1匹だけ。残り2匹は無言で放たれた白い延長斬撃に呑まれて上半身と下半身が食い千切られる。

 

 そのまま、大剣を掲げて振り下ろす。

 

 黒い大斬撃が唯一回避に成功し、反撃に入ろうとする姿を呑み込んで結晶化させた。

 

「……これで、いい。犠牲者がこの分増えない」

 

 自分にそう言い聞かせて炎の中へと向かって行く。先ほどの斬撃を受けて家が倒壊する。炎がそれで舞い、更に視界が悪くなる。それでも何度も何度も買い物や遊びに訪れた街だったんだ。だからここがどういう道で、どう行けば中央広場へと行けるかなんて良く知っている。良く知っている筈なのに―――今はその見知った光景が完全に消え去っていた。胸中に訪れる痛みと苦しみは常にどうして、という疑問に満ちている。どうしてこんな悲劇が起きているのだろうか? それだけの理由があったのか? 必要があったのか? どうして穏やかで静かな日々だけではいけないのだろうか……?

 

 胸にそんな疑問を抱いても、答えは人狼の声だった。槍持ち、剣持ち、松明持ち。知性ある獣らしく武器や防具を手にしながら気色の悪い笑い声を響かせて人狼たちは進む道を邪魔するように出現する。明らかに俺を狙って行動している様にさえ感じられる集まり方に出てくる言葉は軽い笑い声だった。

 

「あぁ、寧ろそっちのが楽だ。その方が守れる」

 

 そんな建前がなければとっくに逃げ出してる。ここに来たことを心底後悔している。だが同時に逃げてはならない事だった。何時かは向き合う事実でもある―――殺すという事実には。それでもこうやって人狼が誰だったのかを、それを考える度に担ぐ大剣を握る手が震える。それで剣先がぶれる事も、歪む事もない。それでも手は軽く震えていた。

 

「……助かりたいとか、そういうのはないのか?」

 

 質問してみても帰ってくるのは笑い声だけ。まるで壊れた蓄音機みたいだ。入力された音をひたすらリピートしているだけ。元々の残滓を残して、それ以外を存在全てで凌辱している。気持ちが悪く、そして吐き気のする悪意だ。感染し、増える辺りも救いがない。

 

 あぁ、それでも戦わないといけない。俺がやらないで誰がやるんだ。

 

 肺の中の空気を入れ替えて―――踏み込んだ。振り上げる。振り下ろす。突き刺す。薙ぎ払う。シンプルな攻撃動作は最も対処が解りやすく、そして極めれば全てが必殺となる動作だ。つまり全撃必殺が目指すべき領域であり、俺のスタイル。それはモンスターに対して効果的である事を証明していたし、今も人狼相手にこれ以上ない強さを発揮していた。どれだけ腕が長く伸びようが、相手がどれだけ早かろうが、

 

 俺の方が速い。俺の方が力が上だ。だから攻撃をカチ合わせればそのまま俺が押し切って食い千切れる。だというのに俺の振るう刃は未だかつてないレベルで重く感じられた。まるで見えない重しを乗せられているかのような重み―――肉体ではなく精神にかかる負荷。その原因が何であるかを言う必要はないし、考える必要もない。理解はあった。

 

 それでも考えたくなかった。

 

 俺が■■■だなんて。

 

 ―――ひとを、ころすのは、わるいことだ。

 

「人じゃない。狼だ。糞ったれの狼だ」

 

 自分に言い聞かせて次の人狼を求めて街中、中央へと続く大通りを進もうとする。だが大通りは馬車やら家屋が倒壊した影響で封鎖されている。大通りをそのまま抜けるなら障害物を飛び越えれば良いだけの話だが、脇道に誰かがまだ逃げ隠れているかもしれない。それを考えてそのまま直進せず、火が舞う横道へと入り込む事にした。

 

「タイラーさん、ウィロー、アイラちゃん……ギルドの皆……頼む、無事でいてくれ……お願いだ」

 

 俺が出来る事は事態の解決と、彼らの無事を祈る事だけだった。それ以外の手段が俺には解らなかった。だから俺は無事を祈り、誰かが逃げているかもしれないと周りを見渡しながら、

 

 元凶を探るために街を進んだ。

 

 見慣れていた筈の街を。




 感想評価、ありがとうございます。

 軋む心、振るわれる刃、積み重なる屍の山。試練の時開始。


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狼たちの賛歌 Ⅲ

 ―――人の叫び声が聞こえる。

 

 龍の体は人の姿を取っていても、全てを圧倒するだけの力とスペックを備えている。感覚は人の数倍優れ、視覚も彼方まで見渡し、そして聴覚は小さな音も拾い上げる。故にぱちぱちと炎が爆ぜる中で、人の悲鳴を捉えた。入り込んだ横道の先、その更に曲がった先で誰かが襲われている。それを察した瞬間に全力で駆け出した。足元で道路が砕け散るのを靴の底を通して感じつつも加速し、最高速度に乗って一気に角まで到達する。

 

 そこで人を背に、そしてその更に後ろには壁を。そうやってぎりぎり迄追い詰められても人を守ろうとする衛兵の姿があり、その前には3匹の人狼の姿があった。人狼にぎりぎりに追い詰められていた衛兵は槍を口枷代わりに迫る人狼の口を押さえつけている―――だが根本的な筋力で負けている。火事場の馬鹿力で拮抗している様に見えて抑え込まれている。

 

 猶予はもうない。視認した瞬間には接近していた。まずは安全を確保する為に襲い掛かっている人狼の首を掴み、それを力まかせに引きはがして後ろへと向かって投げ捨てる。そのまま振り返りながら大剣で薙ぎ払う様に斬撃を放つ。回避できる速度にまで落とした斬撃を人狼たちはバックステップで回避し、距離をあけながら様子を窺うように動きを停止する。これで距離は空いた―――空気感染は恐らくしないだろうが、噛まれて感染するなら血液を媒体に感染するかもしれない。

 

 始末する前に距離をあけた方がいいという判断だった。

 

「き、君はグランヴィル家の」

 

 後ろの衛兵からほっとした声がする。

 

「領主の要請で助けに来た。ここから南の入口までは片付けながら来たから逃げるならそっちへ。……今、ここも逃げられるようにするから」

 

 正面、3匹の人狼は男が着る様なチュニックに身を包んだ姿をしており、そのベースが恐らくは■■だというのが解りやすく見える。その事実を視認しない様に頭から忘却しつつ、大剣を再び構える様に肩に乗せて―――人狼が指さした。

 

「ば」

 

 笑い声以外の音を、口から。

 

「ばぁっく、ぶりぃーかぁ」

 

「―――」

 

「あるぜんちん」

 

「―――」

 

 続く嘲笑の声。誰のモノか、それが発された言葉によって解ってしまった。嫌でも解る。記憶にある言動だ。俺が言った言葉だ。そしてそれを誰が聞いていたのかをよく知っている。あの場にいる人達は少なかった。そしてアレを聞いていて口にできる奴なんて、それこそ実際に受けて覚えている奴ぐらいだろう。それぐらいだろうな。あぁ、それぐらいだろうさ。

 

「あぁ、クソが。本当にクソが。お前かよ、お前なのか、クソ……クソっ!」

 

 覚えている。忘れる訳でもない。特に深い交流があった訳でもない。でも、ただの善良な悪ガキの事を、記憶にある思い出の一つを忘れるはずがない。その人狼が元々どんな姿をしていたのかを思い出してしまった。思い出す必要もなかったのに。だから記憶を振り払うように担いでいた大剣を降ろして一気に踏み込んだ。言葉が出てくる前に一瞬で接近してからすれ違いざまに一閃。絶対に言葉を発せない様に上あごと下あごを切り離して即死させる。通り抜けた所で今度は一切の加減無く食い千切りを放った。纏めて頭を消し飛ばして即死させ、傷口を結晶化して覆う。それで人狼の処理は完了した。

 

「早く、次のが近くにいないとも限らないから」

 

「あ、あぁ……本当にすまない。そしてありがとう。さ、皆! 出口まではグランヴィルの方が確保してくれた! 直ぐそこまで頑張るぞ!」

 

「ありがとう、エデンさん」

 

「助かったよ、もう駄目だと思ってた……」

 

「グランヴィル家と領主様に感謝を」

 

 衛兵に守られながら住民たちが駆け足でバリケードへと向かって走って行く。その姿が去って行く前に、衛兵が足を止めて振り返る。

 

「君のおかげで助かったんだ―――助けられなかった者より、助けられた人の事を考えるんだ」

 

「それがコツ?」

 

「あぁ、衛兵の心得だ。辺境や地方でこの職業、犠牲は絶対に出るものだからね……改めてありがとう。それではまた会おう!」

 

 そう簡単に割り切れる訳ねぇだろ。その言葉をすんでの所で呑み込む。それを口にしてしまったら格好が悪い……ただの八つ当たりだというのが解る。ここへ来たのは俺の選択肢なのだから、俺がちゃんと責任をもって最後までやり遂げないとならない。それにこの状況……あの人狼があまりにも強すぎる。自然発生したとは到底考えられないレベルで。ただの衛兵では対処が難しいだろうし、俺みたいな腕利きが誰かを助けに出ないと助かるはずの人も助けられないだろう。

 

 それにやっぱり……知り合いが心配だ。出来るなら確実に助けたい。だから逃げられない。逃げちゃいけない。これはきっと良くある悲劇なんだ。そう自分に言い聞かせて再び歩き出す。

 

 誰かを探して。誰かがいないか。助けを誰かが求めているかもしれない。なのに聞こえてくるのは悲鳴と怒号、そして戦闘音。耳を限界まで済ませば聞こえてくるのはどこかで誰かが必死になって生きようとしている音と、人狼の嘲笑ばかり。平和で穏やかだったはずの街の様子は完全に死んでいた。

 

 それでも探す、まだ無事かもしれないと思って。

 

 中央へと向かって人を探すように蛇行しながら進もうとすれば、屋根の上を走る人狼達の姿が目に入る。どこかへと―――或いは人を狩ろうとする為に走る姿を見て、即座に始末する為に道路からステージを燃え盛る屋根の海へと変える。本来であれば視界いっぱいに広がるはずのレンガ色の景色は今は炎と倒壊した建物に寄って遮られ、遠くを見渡す事さえ出来なくなっていた。何時の間にか高く立ち上る程までに燃え盛るようになった炎はまるで怨嗟と悲鳴を食って育っているようでさえあった。

 

 そんな屋根の上を走る人狼たちの前へと飛び出し、大剣を担いだ。

 

「ここからは通行止めだ」

 

 人狼たちの脚が止まる。武器を持った人狼たち、その中央に立つのは法衣姿の人狼―――つまり聖職者、元は神官だった者の恰好だ。その腰から下げているメダルには覚えがある。笑みの優しい司祭が信仰を証明する為に装着している、特別性のメダルだ。俺が初めて教会へ行った時に会った人で、時折街に行って出会うと何時も挨拶する人でもあった。愛される司祭で、優しく他人を諭す事の出来る人格者だった。

 

「チャールズ司祭?」

 

「HAHAHAHAHAHA―――」

 

 その装飾品以外に、もう面影はない。大剣を握る手が震える。人狼の姿に本人の姿が思い浮かぶ。それでも大剣を上へと掲げ、

 

「さようなら」

 

 結晶斬撃を放って即死させた。斬撃を振り下ろすと同時に言葉もなく、意識が到達する事もなく死亡した人狼を放置し、残りの人狼が群がるように飛び掛かってくる。武器を手に襲い掛かってくる姿に対応する為に斬撃を引き戻しながら振り上げようとして―――それよりも早く、横から素早く飛んできた杭が人狼たちに突き刺さった。中空で杭の突き刺さった人狼たちは一瞬だけその動きが浮かび上がるように停止、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「エデン!」

 

 声に違う屋根へと視線を向ければ、そこには冒険者ギルドで受付をしているウィローの姿があった。知り合いの無事を確認できた事に安堵しつつ、まだ死亡していない人狼に追撃の斬撃を浴びせて体を抉り殺す。傷口を結晶で塞いで血液の流出を阻害しつつ左手で屋根を飛び移ってくるウィローを歓迎する。

 

「ウィロー! 無事だったか!」

 

「君こそここ数日は領主様の所で仕事にかかり切りだったはずじゃないのかい!?」

 

「俺は帰ってすぐに街がヤバイ事になってるって聞いて派遣されてきたんだ。俺は先に来たから軍が来るのはまだ少し時間がかかる」

 

「となると、移動をどれだけ急いでも最低で3時間か4時間はかかるかな……それまでに何とか安全を確保し続けるのは難しいかもしれない……」

 

 両腕を袖から露出しているウィローはその腕が樹木へと変貌していた。どうやら本気で戦う事になると体の一部を木に変化させるのがウィローの種族としての戦い方なのかもしれない。こんな状況なのだ、ウィローも全力で戦わざるを得ないと思うと相当酷い状況になっているというのが伝わってくる。

 

「ウィロー……一体どうなってるんだ? 皆は?」

 

 ウィローは一瞬、人狼チャールズの死体へと視線を向け、目を伏せる様に俯き、しかし顔を持ち上げて横に振る。

 

「詳しい事は解らない。だけど原因は放狼の団だ」

 

「放狼の団?」

 

「うん。ブラッドマントラップの討伐から帰還して1日後、急に団員たちが一斉にあの人狼に変貌したんだ。それからは見ての通りだよ。噛んでは増えて、好き勝手暴れながら徘徊している。変に知性があるくせに街を出ようとしない。まるで自分の縄張りを徘徊しているような―――」

 

 ウィローの言葉の途中で、人狼が屋根を破って上がって来た。迷う事無く顔面を消し飛ばしながら処理する。淀みなく元は人だった存在を殺せてしまう程に打ち込んだ鍛錬が、今では最悪の武器となっていた。きっと、そういう意味でもエリシアは俺に反射の領域になるまで俺に動きを叩き込んだのだろう。頭と心が乖離しても、戦闘が必要な状況に対応できるように。だから流れる様に人狼の処理に成功し、そのままウィローと向き合ってしまった。

 

「エデン、君は」

 

「解ってる。解ってるんだ。それでもやらなきゃいけないんだ。それだけの力を持っている人間としての責任があるんだ」

 

「そんなものはない。そんなものはないんだよ、エデン。力に義務なんてものはないんだ。それはどこまでも自由で、そして好きに振るわれるべきなんだ。君は何かに縛られる必要はない。君は君の想うままに生きるべきなんだ。戦場(ここ)は、君の居場所じゃないんだ」

 

「それでも、俺だけが今、ここをどうにかするだけの力があるんだ……力があるのに、見過ごす事なんて出来るわけないだろっ!!」

 

「それで苦しんでいるようじゃもっと意味がないんだよエデン!!」

 

 咆哮、人狼が襲い掛かってくる。ウィローの手が分化し、伸びる。それが襲い掛かってくる人狼の口に挟まり、人狼の感染を阻止する。ウィローの動きはどうやら木の腕であれば噛まれた所で感染しない事を理解している動きだった。

 

 だから俺も、そうやってウィローが動きを止めた所でたたん、と屋根を叩く様に踏んで1回転。

 

 全方位に食い千切りを放った。

 

 囲んでいた人狼を一撃で全滅させ、死体に変えた。

 

「ここで言い争うのは得策じゃなさそうだな。俺は元凶を潰しに行くよ」

 

 中央広場にいるという話の元凶を―――放狼の団を。それが災禍の始まりだというのなら、それをぶち殺して全てを終わらせる。その意思を視線と言葉でウィローへと伝えると、露骨にウィローが顔を顰め、

 

「中央へと行けば行くほど人狼の圧が増えるよ」

 

「この程度なら傷1つつかない」

 

「でも倒す度に君の心は傷つくでしょう?」

 

「それは今、考慮するべき場所じゃないだろう?」

 

 ウィローから視線を外し、中央へと移動する為のルートを脳内で構築する。道路も屋根も、どっちも似たような状況だ。道から屋根へと移動を繰り返して中央へと向かった方が案外早いかもしれない。いや、俺なら障害物を粉砕―――それで副次的な被害がまだ逃げきれていない人に向かうかもしれない。やっぱり破壊しながら進むのは止めよう。それで誰かを巻き込んだら一生後悔するだろうし。

 

 とりあえず前へ。前へ進んで、これを終わらせなければ。こんな酷い悪夢、存在する事そのものが間違いだ。

 

「……ここまで言って止まらないのならもう止めやしないよ。ただエデン、ギルドの皆は今、最初の混乱の時に散り散りになっている。余裕があったら探してほしい。特にアイラちゃんはどこにいるのか解らなくてずっと探しているんだ」

 

 ―――もしかしてもう既に人狼になっているかもしれないけど。

 

 そんな言葉をお互いに口にせずに呑み込んだ。最悪は常に想定しておく事だ。だがこの場でそれを口にする事はとてもじゃないが、お互いにできなかった。ギルドの職員に夢を見るだけだったはずの少女が、夢をこんな形で蹂躙されるなんてとてもじゃないが耐えられないだろう。いや、そもそもこの状況自体もはや耐えられるものじゃない。

 

 俺じゃなくてもいいから。

 

 頼むから誰か、終わらせてくれ。

 

「じゃあな。無事で」

 

「君もね」

 

 背中を向け合い屋根から同時に跳躍する。向かう場所は違うが願う事は一つ。

 

 1秒でも早く、この状況が終わる事を。




 感想評価、ありがとうございます。

 御覧の通り、エデンちゃんは最強種なので噛まれても一瞬で免疫が出来るので狼相手にはダメージも受けなければ感染もしない。そう、エデンちゃんはこいつらには無敵なのだ。

 エデンちゃんだけは。


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狼たちの賛歌 Ⅳ

 声が聞こえる。

 

「助けて」

 

「助ける」

 

 懇願する声がする。

 

「殺さないでくれ」

 

「絶対助ける」

 

 彷徨う人がいる。

 

「誰か」

 

「ここにいる」

 

 中央広場へと向かいたいだけなのにまるで邪魔をする様に人が取り残されている。そして人狼が邪魔をしに来る。その度に死体が増える。また人狼が―――街の誰かが死んでいる。そして殺している。殺して殺して殺し続けて、それでも殺す事を止めずに前へ進む。それ以外の行動が今は俺には出来ないから。だから積み上げた死体の山を振り返る事無く、俺だけの特権として与えられたこの肉体で、全てを圧倒して死体をまた積み上げて行く。その度に感謝の言葉と、殺した実感が体を駆け巡る。そうやって俺は進んだ。中央広場までの道を。どれだけ殺したのかを覚える事もなく、そして殺した事実を忘れる事もなく。ただ殺して進んで、誰かを助けてまた殺して。

 

 それでも1度も傷つけられる事はなく。赤い血が体を濡らしても白く漂白され穢れは残らず。ただ1度として歩みを止められる事はなく―――辿り着いた。

 

 中央広場には集められた昏睡している多くの人たちと人狼共がいた。先ほどまで街の中で聞こえていた狂った笑い声は無く、武器と防具をセットで装着したそれこそエリートに見える様な人狼共がここには揃っていた。まるで食料か人質の様に用意されている人間。そしてその広場中央、大きく空いた空間、その中央にいるのはイルザの姿だった。

 

 ただし()()され、衣服もなく裸で転がされている状態の。

 

 犯人は放狼の団、と言われた。ただ目の前のイルザを見ていると彼女が犯人であるようには見えない。少なくとも同じ女子として目の前の姿は見過ごせない。

 

 イルザを助け、事情を聴き出す為に踏み出そうとすれば即座に武装した人狼共が反応する。踏み込み一気に振り切ってイルザの下へと向かおうとするが、人狼共の動きがこれまでとは違い、良い。まるで訓練された軍人の様な動きで先回り、防衛、攻撃、迎撃の動作を連携させてくる。即ち正面に展開、その後方に槍を展開、イルザを守るように、遠ざける様に布陣してきた。その布陣を前に一旦足を止める。

 

「元凶なのか? お前らが」

 

 問う。この人狼には他の人狼共と違って理性の色が強い。特に動きが統制されている様に見えるのは驚異的だ。或いは……こいつらは自らの意思で動いているのかもしれない。そんな考えから問うた。人狼共はその言葉に対して、

 

「―――肉を食べよう」

 

 返答は、

 

「肉を食べよう」

 

「仲間を増やそう」

 

「群れをもっと大きくしよう」

 

「肉がいる」

 

「強くなろう」

 

「肉がいる」

 

「狩りだ」

 

「狩りが必要だ」

 

「群れを大きくしよう」

 

「あぁ、もう、いいよ。喋るな。喋らないでくれ。頼む、黙っててくれ……見るに堪えない」

 

 本当に、本当に最悪だった。意識や言葉があるように見えるのは表面的な部分だけだ。もう、人狼になってしまえば完全にそれでしかない。人としての意識なんてもうないのだ。あるのはリフレインの様に繰り返される言葉だけで、そこに意思は介在しないのだ。本当に、本当に最悪だった。この人狼たちでさえただの被害者でしかない。この事件は、そして破壊は、その発端以外は何もかもが被害者でしかなかった。目の前の人狼たちも、もはや意味のない言葉を口にしているだけだ。その意味を考えるだけ無駄だろう。

 

 周囲には昏睡している人達が……まだ狼に堕ちてないなら、助けられる。ただし、それは目の前の脅威を皆殺しにした場合の話だが。そして俺はそれを躊躇してはならないのだ。だから左手で顔を抑え、小さく息を吐く。吐き出しそうな気持ちをこらえながらなんとかこれは必要な事だからと言い聞かせる。そうやって自己暗示をする事数秒、心は整わなくても実行する準備に入る。いうべき言葉は決まっている。

 

「……さようなら」

 

 一気に踏み込んだ。同時に正面に壁の様に展開された盾が構えられる。迷う事無く振るわれる白を纏った大剣が盾と衝突し、()()()()()()()()()()()()()()()()()。それは人狼側がここに来て初めて、技量とでも言うべきものを見せた対応だった。これまでの人狼は攻撃に反応も出来ずに即死していた。だがこの人狼は明確に初撃を見て、防御し、反応していた。それだけでこれまで相手してきたモンスターとは格が違う事を証明していた。

 

 だが防がれたのは初撃。逸らされながらも手首のスナップで刃を返し薙ぎ払う。今度は防ぎきれない様に斬撃を大きく広げて。乗せる魔力を増やし、食い千切りの残像と軌跡をもっと大きく、太く描き、そして実際にその軌跡でなぞった個所を抉り喰らう。それが俺の剣の特性であり、無慈悲理不尽な所。触れれば食い千切り殺す顎の軌跡を生む魔剣。

 

 当然のように振るわれる薙ぎは防御を盾諸共人狼の腕と胴体を喰らった。一瞬で存在していた肉体を喪失しながらも最後まで役割に徹するように人狼は防御の位置を守る―――そう、死んでいても肉体が残ればそれだけで動きを、視界を阻害出来る。それを理解している熟練した戦士の動き。それが次の仲間へと動きを連携し続ける。つまりは攻撃。此方が振るって生み出した技後硬直に乗せる様に槍と槌が迫ってくる。

 

「―――」

 

 反応する。無言のまま、広げた薙ぎを素早く戻して攻撃に対して自分の攻撃をマッチさせる。振り下ろしで手首諸共武器を呑み込んで、そのまま再び横薙ぎで接近しながら上半身を喰らう。そしてその残像の向こう側から大口を開けて人狼が飛び掛かってくる。邪魔だ、そう思いながらそのまま正面から対応するように突撃する。単純な突進を白を纏って放つ。それだけで人狼の歯が体に食い込む事無く、触れた瞬間から浄化され消滅しだす。そうやって繰り出される決死の反撃を無視しながら再び振り下ろす。空間を喰らう斬撃が次の列を消滅させ、イルザまでの道を開ける。

 

 次の踏み込みでイルザまで届く。そう思考した瞬間、知覚内で音速を超えた動きを察知した。

 

 反射的にイルザへの踏み込みを留め、そこから斬撃を横へと向かってずらした。瞬間的に発生するのは三度の斬撃音であり、音速で接近した残像が此方の防御に合わせて三度攻撃を重ねたという事実でもあった。これで防御しても攻撃に反応出来なければ、そのまま首を断たれていただろう。それだけの力と殺意が乗っている斬撃。

 

 だがその速度で動く存在を、俺の目は捉えていた。

 

「放狼の団の―――」

 

「う、ぐっ、ウゥゥゥゥゥ」

 

 低く、獣の様に唸る放狼の団の男―――恐らくは副長だった男が左側に斬撃を放った後の姿勢で存在していた。

 

「てめ―――」

 

「うぐ、アアアアアアッ!!」

 

 その姿は人のままだ。だが上半身は裸で、その体には隙間が見えない程に入れ墨に覆われている。二本の剣を両手に、それを逆手に構えながら体勢を低く―――そう、獣のように低姿勢にして此方へと一瞬で踏み込んでくる。その速度を見て自分の中での最大の脅威が一瞬でこいつへと書き換えられた。人狼共の事を後回しにし、大剣を振るって副長の斬撃に対応する。

 

 地面スレスレから放たれる低姿勢、低空斬撃はそれだけで対応がし辛い。自分が同じ高さで戦う事を余儀なくされるからだ。上から押し潰される事に対して弱いとも言える戦い方はしかし、速度を伸ばせば捉えられなくなり、純粋に隙が消える形でレベルの高い戦い方へと昇華される。

 

 受けたくないな、これ。

 

 直感的にそう思った。普段通り、攻撃のマッチングを優先して大剣を片腕で振るいながら続く連続低空斬撃を弾く。下から掬い上げるように放つ斬撃に結晶化を重ねる事で複数の攻撃を同時に捌く。それで反対側へと抜ける副長の姿を片目で追いつつ、視界の中で残された人狼がその隙をカバーする様に集団戦術を展開するのが見えた。

 

「チッ」

 

 素直な面倒さに舌打ちが出る。人狼が追加された事で動きに複雑さが加わる。人狼という森に副長という狩人が混じった。本来の人では見切れないレベルの速度をその肉体に宿し、理性を失いながらもその動きは基本に忠実だった。そしてそれは人狼たちも同じだった。死を恐れず、仲間を信じ、そして武具を駆使して此方を妨害して動く。その主役は地を這う放狼―――そう、彼らは一つの群れとして行動していた。

 

 或いは放狼の団の時と同じように。何十、何百、何千と繰り返されてきた鍛錬。それが反射神経を通り越して本能に染みついている。だから理性を失って出てくるのは本能の動き。

 

 団としての動きだった。

 

 その事実が悲しくて苦しくて気持ち悪くて怒りで頭がどうにかなりそうだった。ただその事実が受け入れづらくて出来る事と言えば、

 

 本気で戦う事だけだった。

 

 人狼が壁を作る。薙ぐ様に大剣を振るいながらそのまま死角を踏みつぶして前に出る。生み出される死骸と血の舞―――血風に紛れて狼の副長が迫ってくる。俺の視力だからこそ視認出来る速度で動く姿は真っすぐではなくジグザグに動く事で撹乱し、その合間を人狼が体を膨らませる様に腕と装備を広げて埋める。完全に感覚と視界の一部を副長へとロックオンさせながら姿勢を低く、突貫する姿勢に切り替えて一気に正面―――イルザへと詰める。

 

 凌辱された女の前に到達し、それを確保する為に片手を伸ばそうとすれば剣が首元まで迫る。やはりイルザは守られている―――いや、確保されている。露骨な妨害に顔を顰めながら体を横へと捻って首への斬撃を回避、そのまま食い千切りを振るう事で剣を砕く。

 

 割れた破片―――それが指で弾かれて迫る。

 

 反射的に首を動かして回避する動きに釣られたと瞬間的に思考する。左手で大地を叩いて体を持ち上げた瞬間に斬撃が走る。鋭く切り付けられた手首は()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。理論は龍殺しやエリシアと一緒。筋力や武器の質ではなく、技量によって傷を刻むやり方だ。これまでの肉体では不可能だったものが、狂い堕ちる事で得た人外の能力を合わせる事で可能としている。

 

 悲しすぎる事実だ。

 

 人外に落ちたからこそ“宝石”に届く輝きを得たのだから。

 

「どうして、そうなったんだ……っ!」

 

 つっかかったのはあった。あまりいい視線を向けられもしなかった。それでも悪人ではなかった。こういう事になる必要も理由もない筈だ。ただただ、意思に関係なく狂う人の姿が哀れでどうしようもなく、

 

 そして救う事も出来ずにいて、

 

 頭がおかしくなりそうだった。

 

 だから素早く態勢を立て直す。白い大斬撃で纏めて10人薙ぎ払って即死させる。舞う血風に紛れて一気に副長が迫ってくる。その姿に前傾姿勢になるように正面から相対する。薙ぎ、振り上げ、振り下ろし、再び薙ぎから突き。一瞬も足を止める事無く舞う血が地面に落ちるよりも早く居場所を入れ替え突き出しながら連続で攻撃を重ね、弾き合った所を人狼が四方から飛び掛かってくる。振り抜くよりも回避する方が効率的だと判断し手短な人狼の腕を踏み、砕きながら足場にして後ろへと向かって跳躍した。

 

「ち」

 

 魔力が副長へと浸透していない―――定期的に武器を交換している。本体へとヒットが成功していないのも響いている。お蔭で副長本人へのダメージが一切なく、そして人狼の群れがひたすら行動を遅延させているのが面倒だ。

 

 そして、人質だ。周囲には昏睡状態の人々が置かれている。その数はざっと確認して60程いる。それに対してアクションを起こさせないために常時思考のリソースを割きながら範囲を薙ぎ払いすぎないように気を遣うのは、相当難しい事だった。

 

 何よりも相手の動きだ。

 

 洗練されている。

 

 無意識だからこそこれまでの経験と蓄積がノータイムで引き出されている。言ってしまえば俺よりも戦い方が上手い。俺が一番苦手とするタイプの相手だ。ある程度対応できるレベルの身体能力を持つ相手であれば経験差で俺の行動を制限できる。それがこの堕ちた放狼達ではギリギリ可能になる範囲だった。

 

 だから今一、押しきれない。

 

 やろうと思えば被弾を無視して突っ切る事も可能だろう。だがその後先考えない動きを取った場合、相手も同じように後先考えない動きを取る可能性が出てくるだろう。その場合、人質たちに何が起きるのかが解らなくなる。

 

 だから出来るのは、丁寧に、丁寧に1匹ずつ削ぎ殺す事だった。

 

 斬撃を振るえばそれだけで狼が死ぬ。だがそれによって舞う血風の中に狼は隠れ潜み、襲い掛かってくる。少しずつ、少しずつ数は減らせるだろう。

 

 だが時間を消費する戦い方はまるでタイムリミットを消耗しているような感覚があった。何か、急がなくてはならない。そんな漠然とした焦燥感が胸を焦がす。だがそれに従った場合のリスクが恐ろしく、それを背負ってでも全てを解決できる程隔絶した実力がある訳でもない。ここで誰か、味方が1人でもいれば好転出来たかもしれないが―――俺は1人だ。

 

 誰も俺にはついてこれない。

 

 俺は唯一にして無二。

 

 即ち孤独。

 

 1人でここを乗り切るしかない。故に振り下ろし、狼を両断して血を舞わせる。殺すたびに血を被って加速する副長の姿に素早く対応する為に床を蹴り、

 

「―――が、るむ……」

 

 呻くようなイルザの声が、戦場に届いた。




 感想評価、ありがとうござます。
 地獄の最中、ついに400評価達成しました! 本当にありがとうございます!

 見てみて、放狼の団が凄く強くなったよ。夢だったんでしょ? 皆で上を目指すの。まあ、もう意識も夢も見れないけど。


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狼たちの賛歌 Ⅴ

「正気、に、戻れ、ガルム……」

 

 呻くような、しかし意思の強い声が戦場に響いた。声はか細く、力がない。だけどそこに込められた声は凌辱されようとも―――いや、凌辱されたからこそ反逆の意思を備えて更に強く輝いていたのだ。イルザは凌辱され、乱暴され、剥かれ、倒れ伏し、それでも仲間の事を想っていた。聞こえる筈はない。届くはずのない声。現実は無情で、そして残酷だ。

 

 だからこそそれは奇跡だった、

 

「お、オオオオオオオオオ―――!!」

 

 耳を穿つような咆哮が響く。まるで見えない鎖を引きちぎるように上半身を逸らして体を振り払う副長―――イルザにガルムと呼ばれた男が両の双剣を逆手に握ったまま、それを自分の体へと突き刺した。肉を抉る刃の音が嫌に耳へ響く。傷口から血が溢れだして、口からも吐血する。だがそうやって自分を刺し貫いたガルムと言う男の表情は、険しく、晴れやかだった。

 

「あー……漸く、霞が晴れた気分だ……」

 

「……」

 

 そう言うガルムの自傷行為は致命傷だった。全ての人狼がガルムの動きに停止し、嘲笑を止めている。ただその中、ガルムだけが生きている様にゆらり、と死の確定した体を動かした。イルザへと向かって、体を引きずるように少しずつ姿勢が下がって行くのを無視しながらゆっくりと進んで行く。変わり果てたイルザの様子を捉えつつ、ガルムがゆっくり―――ゆっくりと近づき、イルザの前で体を倒した。大量の血を流しながら倒れ込み、イルザへと向かって手を伸ばす姿を俺は黙ってみている事しかできなかった。

 

「あぁ……イルザ……すまない……俺が、愚かだっただけに……」

 

「気にするな……私達は家族だ……そうだろう……?」

 

 震える手をガルムはイルザへと伸ばし、イルザも残された体力を捻りだす様にガルムへと手を伸ばす。だがそれがイルザへと届く前に、ガルムは死亡した。手は決してイルザへと届く事無く地に落ちた。そしてそれをイルザが必死に震える手で掴んだ。

 

「あぁ、そうだ……狼とは、誇り高い生き物だ……この様な畜生ではない……筈なんだが……な……あぁ……」

 

 ガルムの手を握ったまま、呻く様にイルザは呟き、視線をガルムから、此方へと向けてくる。

 

「すまない、エデン、だったか……君には、申し訳ない事を……した」

 

「……いや、俺は」

 

 頭を横に振って次の言葉を探そうとするが、続く言葉が見つからない。周りの人狼共は恐らく発端であるガルムが死亡した事で一斉に動きを停止させた。これで、戦いが終わる。もうこれ以上犠牲者が出ない事を想うと安心の息が零れる。だけど結局は被害者であったイルザとガルムに対して、俺はどんな表情、どんな言葉を向ければ良いのかが解らなかった。だからと言うべきか、イルザは伏したまま頭を横に振った。

 

「気を……つけろ」

 

「……?」

 

「ガルムの、変容は……人為的な、ものだ。これは、計画された―――」

 

 そこまで口にした所でイルザが咳き込む。その体を助けようと近づこうとすれば、ごぽり、という音がガルムの死体から響いた。視線をガルムの死体へと向ければその死体が変形しつつあった。人だった面影を失うように体から毛皮が生え、肉体が膨張し始める。そしてそれはまるで皮のように手を繋いでいるイルザへと接続し、融合する。

 

「イルザ!」

 

「手遅れだ」

 

 そう言っている間にも毛皮となったガルムはイルザと混ざり、肉体が端から融合して行く。足を、胴体を、腕を、首を覆って行くように肉体が融合し始めると、その肉体からガルムとイルザだった面影が消失して行く。べき、ぼき、ぐき、と音が砕けて新しく再生する様な音が何度も繰り返され、激痛に涙がイルザの表情に浮かび、

 

「―――すまない」

 

 その言葉を残してイルザの頭が呑まれた。異常すぎる光景に気づけば数歩後ろへと下がっていた。人狼の群れから距離をあけるように更に後ろへと下がる。その中で融合したイルザとガルムの肉体はごぽり、ぐきる、ぼこ、と異音を立てながら変形して行く。男女だったものは徐々に2つから1つの姿へと変わって行く。見たことのある男女の姿から見たことのない人狼の姿へ。徐々に立ち上がるように両足を、それから肋骨が体を突き抜けた胴体を、細長く鋭い爪を備えた両腕を、そこから眼孔から黒い炎を漏らす人狼の頭を。時間にしてたっぷり十数秒。その間にそれは完成されてしまった。

 

 ガルムとイルザ、それを融合させる事で完成された全長3メートル程の雌雄融合型人狼。

 

 他の人狼、その全てを隔絶する“宝石”級の怪物。

 

 その異容に思わず数歩下がり、頭を左手で抱えた。

 

「死後の尊厳すら許せないのかッ!! たった1つの! 尊厳すら残す事を許さないのかッ!! 凌辱された絶望の中に僅かながらの救いさえもないのかッ! ふざけるなッッ!! ふざけるなよッ!! ふざけんなッ……!」

 

 狂ってる。これを仕掛けた奴は狂ってる。一体何がどうしてここまで人の命を何とも思わないんだ!? どうしてこんな事が出来るんだ!? 一体なんなんだ、どういう事なんだこれは!? まるで何も解らない! まるで何も解りたくない!

 

 こんなの……こんなのおかしいだろ!

 

 いいじゃないか、さっきの状態で終わって。イルザとガルムに、蹂躙されたけど最後は小さな奇跡を起こして終わりで。どうしてこんなことをするんだ? その奇跡さえも全部台無しにしてしまうのか? どうしてそんな事が出来るんだ。

 

「あ、ァ、ア、A―――」

 

 生まれた新たな人狼―――元はイルザとガルムだったものは確かめるように曇る夜空を見上げながら声を発する。男だった面影も、女だった面影もない。そこにあるのは濁り歪んだ“宝石”の輝きを発する怪物だけだった。まるで生誕を祝うように両腕を広げ、楽しそうに口を裂きながら声の音を確かめる―――それはイルザとガルム、その両方の声が同時に声帯から発されている様に聞こえた。その声を聴いた人狼共が夜空に向かって吠える。街中から人狼共の遠吠えが反響するように響き、そのオーケストラを指揮するようにボス人狼は両腕を動かした。

 

 歌うように人狼共の声が響く。タクトを振るうように指揮者の腕が動き、人狼共の耳障りな音が響く。大地が揺れ、空が音に汚染され、そして悲鳴と怒号が上書きされる。

 

「コンサートを始めよう」

 

 流暢な人の言語が人狼の声から出た。別格だ。これまでの人狼共とは全くの別格。知性も、そして反応も、強さも。その一言で全てを理解出来てしまった。イルザとガルムの声で喋るこの人狼は、人に匹敵する知性のある生物となってしまったのだ、と。こいつはここで絶対に殺す必要がある。ここで殺さないとこの街が地図から消える。今、この場で、こいつを始末出来るだけの力を持つのはこの俺1人だ。

 

 ―――“人狼のオーケストラ”とでもこいつらを呼称しよう。

 

 吠える、吠える、吠える。夜空を覆う曇天を吹き飛ばそうとする勢いで指揮者に従って人狼共が吠える。

 

「見せつけよう、輝きを」

 

 吠える、吠える、吠える。咆哮を合わせ、リズムを合わせ、音程を狂わせて。不快な合唱が響き渡る。

 

()達はどこへでも行けるんだと証明しよう。私達家族の絆と力を世界に証明してあげよう」

 

「行けねぇよ」

 

 大剣を担ぎ、指揮者の言葉を叩き切った。笑みを浮かべた指揮者が広げていた腕を降ろしながら軽く振るった。燃え盛る炎と鉄が魔力と交じり合って剣に変形する。燃え盛る双剣をタクトの様に振るい、指揮者が構える。その姿を前に左手をポケットの中へと戻し、右手で大剣を握る指に力が入る。

 

「どこにも行けないよ。お前は。コンサートはここで終わりだ」

 

「これから開会式なんだ」

 

「今から始まるのは解散式だよ」

 

 心を怒りが満たしていた。たった1つの救いも希望も残さないやり方に。そして同時に冷たい感覚が心を満たしていた。今、目の前にあるのは明確に人だった存在だ。目の前で変異するのを見てしまった。もう、現実逃避なんて出来ない。俺は今から人だったものを斬るのだ。その現実がついに追いついてきた。だが逃げられない。逃げてはならない。逃げればこの街が地図から消えるだろう―――いや、相手の強さを考えればそれで終わる所じゃないだろう。地図から街が消えた上で人狼共がこの辺境に溢れだす。

 

 そうすれば間違いなくこの連中はグランヴィル邸まで手を伸ばすだろう。

 

 リア、俺のお姫様。リア、俺の宝。リア、俺の最も大事な娘。何時の間にか俺の心は彼女の笑顔で占められている。或いはそれにこそ俺はこの異郷の地で救われていたのかもしれない。だからこそ彼女は、頼まれた頼まれないとかではなく自分の意思で絶対に守りたいと想い続けるものだった。だからごめんなさい、貴方達の命を比べます。何がもっと大事なのか、と比べます。俺にとってはもっと大事な者がいるから。だから今から、お前たちを殺すんだ。

 

 そう、必要なのは覚悟だ。

 

 屍を積み上げるという覚悟。こいつらは人狼―――だけど同時に人間でもあるんだ。それをまざまざと見せつけられた。材料が人間、その命を消費して作られた怪物。その事実から目を逸らす事はもう出来ない。気づいてしまったのなら、見せつけられたのならもうそれを直視するしかない。イルザとガルムは悪い人じゃなかったんだ。だけど人殺しは悪い事で、人を殺す奴は疑う事無く悪い奴だ。だから俺は、

 

 悪い人になる。

 

 人を殺すのは悪い事だ―――それでも殺さなきゃ生きて行けないのなら、殺すしかない。

 

 ここに至って激情がスッと胸の中に落ちて行く。怒り、絶望、虚無、苦しみ。全ての感情が自分の中で渦巻いているが、それを表情にも体にも表す事無く完全に収まるように押さえつけられるようになった。言ってしまえば覚悟が出来た。いや、これでさえ本当の覚悟だとは言えないかもしれない。だが大剣を握る手はついに止まってしまった。感情の制御は出来なくても、その抑え込みに成功してしまったからだ。痛みを、苦しみを想う事は止められない。それでもその感情を握りつぶして生きて行く事は出来る。

 

 そう、この世は痛みで溢れているんだ。どうしようもなく残酷で、どうしようもなく無慈悲で、僅かな救いでさえ存在しないと言わんばかりに蹂躙してくるんだ。それに対抗するにはやっぱり、殺すしかない。此方から、傷つけてくる相手を何だろうと関係なく殺すしかない。

 

 殺して、殺して、殺して屍を積み上げて。何もかも解らなくなるまで殺し続けるしかないのだろう。この出来事には間違いなく悪意がある。自然発生の出来事ではないからだ。誰かが明確な悪意と殺意でこの悲劇を彩った。それを許せるか? 当然、許す事は出来ないだろう。痛みで溢れたこの出来事を忘れるなんて出来ないし、それを許す事なんて到底出来ない。

 

 漸く解ったんだ。ここは日本でもなければ地球でもないんだって。

 

 そうだろう、ソフィーヤ? 俺はずっと日本人の心のままで生きていた。まだ自分の周りは巻き込まれる筈がない……そんな甘い幻想を抱いていた。だからきっと、お前はずっと俺の事を心配していたのかもしれない。龍に対する負い目があるから。俺が最後の龍だから。だから助けようとずっと見守ってくれている。果たしてその心をどうして恨む事が出来ようか。運命の前では龍も、神も無力なのかもしれない。

 

 だが立ち向かう事は出来る。

 

 殺す事も出来る。そう、大半の問題は殺す覚悟を抱く事で解決できる―――それだけの話だ。

 

 人狼が振るう溶剣(タクト)に合わせて人狼たちが布陣を展開する。どうやら指揮者が出現した事でその能力は高まっているらしく、これまでよりも強いプレッシャーを感じられる。まあ、それでも所詮は雑魚だ。一撃で殺しきれるだろう。問題は“宝石”相当の指揮者とそれによって整えられた軍団という点だろう。

 

 恐らく龍殺しを抜けば、今まで相手してきた敵の中で一番強い。俺を傷つけうる可能性を内包している……いや、間違いなく鱗を突破してくるだろう。そう思って動いた方が良いだろう。だがそれら全てを考慮しても、

 

 俺が勝つ。

 

「皆、吠えよう。空に響く様に、大地に刻まれるように、海が震えるように。()達の輝きが永遠のものだって世界に教えてあげよう。そして増やそう、家族を、群れを」

 

 高揚に満ちる人狼共を一瞥し、視線を指揮者へと戻し宣告する。

 

「―――犬が。所詮は地を這い吠えるしか脳のない畜生の分際で、どうして神威に敵うと思ったのか」

 

 どうしようもない。もう、どうしようもないんだ。

 

 お前らが人間だった事も、お前らを殺さなきゃいけない事も。

 

 もうどうしようもないし、仕方ないんだ。

 

 だから、

 

「ここからは龍の時間だ」

 

 さようなら、悪くない人々。善かったかもしれない人々。

 

 全員俺の悪夢に墜ちろ。




 感想評価、ありがとうございます。

 次回、人狼のオーケストラ開演。龍の時間、開幕。


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狼たちの賛歌 Ⅵ

 苦痛よ。

 

 どうしてお前はこうも俺から縋りついて消えないのだ。

 

 苦痛よ。

 

 お前はどうしても消えないというのなら、俺はお前を愛する他ないのだろう。

 

 

 

 

 地を割って前に出る。シンプルに大剣を突きに構え、イルザとガルムの融合体人狼―――イルムとでも呼ぶべき人狼へと向かって音の壁を貫通する刺突を放った。音速、超膂力、全てを粉々に粉砕する突きは本気で殺す為の先制の一撃。通常の生物であれば反応すらできずに滅殺される一撃を前にイルムは普通に反応する。握った溶剣をこっちに合わせ、切り払いと刺突が衝突する。

 

 拮抗するのは一瞬―――押し貫くのは此方。イルムの斬撃をはじき出すようにそのまま刺突を押し込み、二撃、三撃。全力の刺突をその巨大な体へと叩き込む。これが他の生物であれば体に三つ、抉り取られたような穴が開いて即死している所だろう。だが繰り出した刺突はイルムの体を貫通するも、致命傷や大穴を開けるには至らない。肉体の構造が根本的に他の生物とは違って頑強になっている―――これが“宝石”級のデフォルトの生命力、身体能力。

 

 何時も通りでは殺しきれない。

 

 だからその間合いを更に踏み込んで接近を試みる。だがそれよりも早く身を立て直したイルムが溶剣を振るう。反射的に体を横へとずらす事で回避し、直ぐ横を溶剣が抜ける。僅かにガードするように掲げた左腕が焼けた。ダメージが通るという事実と、久しく感じることがなかった痛みに歯を食いしばり、そのまま斬撃を振り下ろす。食い千切る残影を生み出しながら振り下ろされた大剣はイルムの姿に切り傷と流血を生み出す―――だが傷が深くならない。

 

「ち―――」

 

「プレリュード」

 

 X字の交差斬撃。当然のように此方も斬撃を重ねる事で迎撃し攻撃をはじき出す。だがそれと同時に横から槍が投擲され、体に叩きつけられる。イルムの指揮によって強化された人狼の投擲でも貫通される事はないが、それでも通常の人体であれば肉体をミンチにする程度の破壊力は乗っていた。横殴りにされた時点で体は衝撃に足を大地から剥がされ、僅かに浮かび上がるように吹き飛ばされる。

 

「クソ」

 

 その先で待ち構えているのは事前に用意されていた盾の戦列だ。此方が吹っ飛んでくるのを迎えるように、抑え込む様に盾とその合間から槍が覗いている。吹き飛ばされた先で抑え込みながら刺し殺すというセット運用―――明確な戦術を構築した、人の戦い方だ。それが単純なスペックの暴力と組み合わさる事で凶悪な力を証明する。

 

 だからそれを上回る暴力で対処する。大斬撃・白を吹き飛ばされる最中に体を回転させながら横へと一周、ぐるりと放つ。着地点とその背後にいた人狼共を全員一撃で両断しながら死体を足場に着地、踏みつぶしながら血を跳ね上げる。そのまま連続で白い延長斬撃を放つ。二閃、三閃、薙ぎと袈裟に放つ斬撃が大地を裂きながらイルムの姿を追う。

 

 それをイルムは溶剣で迎撃しながら歌うように吠える。転調により音の質が変化するも、それが人にとっては不協和音である事実に変わりはない。だがイルムは更に加速する。それを迎えるように振り抜いた状態で死体を踏みつぶして加速する。お互い、一切速度を緩める事のない加速、それは衝突という当然の結果へと行きつく。

 

 突きと交差斬撃、初撃は互いに弾き合い―――斬撃の応酬に入る。斬り、払い、振り上げ、下ろし、薙ぎ、戻し、突き。連続で動作を途切れさせる事無く連続で繰り出し、溶解する鉄と炎を結晶と共にまき散らしながら連撃で弾き合う。

 

 ……手堅い!

 

 見た目とは裏腹に、剣筋は経験と技量をベースとした防御よりの剣術。守り、前に出て、追撃を誘導する為の戦い方だ。その本質は放狼の団だった時と何の変わりもない。故に斬撃を散らした所で横から槍がリーチの外側から狙いを定めて迫ってくる。目の前の溶剣と横からの槍、どっちが厄介かと言えば確実に溶剣の方だろうが、溶剣が目の前にあると解っていても迫る槍は対応を要求してくる。

 

 槍を回避する。そのままカウンターとして斬撃を薙ぎ払うように延長させ、纏めて10匹程抉り喰らう。素早く大剣を戻しながら来る追撃に対応しようとするが、やはり誘導された動きだ。大剣を戻す動きが間に合わない。

 

「ヴィヴァーチェ!」

 

「ぐっ」

 

 左腕を盾にした所に溶剣が叩き込まれてくる。炎と鉄が皮膚を焼く感触を感じ取りながらも鉄が肌に食い込むのを自覚する。生物としての格か? 或いは筋力か? それともエーテルの作用か? 何にせよ“宝石”へと至った存在は技量でなくとも龍の鱗を裂けるだけの格を得るらしい。それが今、自分の身で確かめられ―――吹っ飛ぶ。

 

 大地にワンバウンドするように叩きつけられてから態勢を整えられる前に追撃が来る。それに大剣でのガードが入るも、体は更に加速するように吹き飛びそのまま中央広場の外側にある店舗に衝突する。壁を、テーブルを、椅子を、キッチンを、そして更に壁を突き破った所で大剣を床に突き刺して動きを止め、そのまま振り上げる事でそこまでの道をふっ飛ばしてクリアリングする。

 

「アレグロ!」

 

 響くような不協和音。空に響く人狼のオーケストラ。見上げればそこには人狼の雨が待ち構えていた。槍を、メイスを、剣を握った人狼共が指揮に合わせて飛び掛かるように一斉に空に舞っている。数秒もすれば空から大量の強化された人狼共が落ちてくる。その前に数秒息を整える。

 

「全部壊してやる」

 

 大斬撃・白。白い食い千切りを放つ。空を落ちて来る人狼共を纏めて血の雨へと替え、それを浴びながら開いた空間を突貫する。

 

 魔法を創造する。原初の神々、そして神威である龍達こそが魔法の始祖である。故に創造する。使用する術式は()()()()。俺の経験、その中でも最も感情が色濃く残る物を術式にする。そうして最も強く、濃く痛みが刻まれた思い出は、

 

 ワータイガーの物だ。

 

 唯一にして無二の魔法が完成する。

 

「“人食い(マンハント)”」

 

 殺した人狼の命、その生命力を纏う事で自分の力として纏う。赤い雨が一瞬で俺への供物へと変化する。降り注ぐ血が力を活性させる事で地を蹴る速度が更に強くなる。更に加速するように音を引き裂いてイルムへと到達する。正面、その顔面に視線を固定しながら大剣を走り抜ける様に振るう。斬撃に付与された黒と白が同時に巨体に叩き込まれ、その姿が浮き上がって吹き飛ぶ。後ろへと向かって回転するように吹っ飛んだ姿が血を流しながら家か店に衝突する。

 

 それにそのまま追撃する。

 

 イルムを追う様にそのまま更地に変えるように店舗に突撃する。家財が吹っ飛ぶのを気にせず着弾したイルムへと追撃を行おうとし、溶剣が巨大化して迫ってきていた。弾ききれない。そう判断した瞬間には防御に回り、左手を大剣の腹に添える事で大溶撃をガードし―――横に押し流される。壁を粉砕するように叩き出されながら隣の家に衝突する。追撃するように吠えるイルムが迫ってくる。屋根を突き破って人狼が降りて来る。

 

「素晴らしい音だ」

 

「吠えてろ。直にどんな音も発せなくなる」

 

 上から落ちて来た人狼を回避し、溶剣をガードしながら後ろから迫ってくる姿を回転蹴りで頭を吹き飛ばし血を浴びる。ワータイガーを思わせる様に赤く服が濡れ、染まれば染まる程力が増して行く。思い出を術式に構築できる魔法は現状はこれ1つだけだ。

 

 だが、

 

()()()()

 

 真っ赤に染まった体は重さを感じない。迫ってくる人狼を一切無視してイルムに突貫、突きを叩き込んでふっ飛ばす。3軒更地に変えながら吹っ飛んだイルムを追撃するように跳躍、空から大斬撃・白を放って追撃する。食い千切りが大地に到着する前にイルムが瓦礫を吹き飛ばして回避、中空の俺の身へと人狼が殺到する。

 

「邪魔だ」

 

 接近した1体の顔面を掴んで握り潰し、その死体を弾丸代わりに蹴り出して人狼の壁に穴を叩き込みながら着地する。周囲を払うように斬撃を払ってクリアリングしつつ血が空に舞う。そうして周囲を薙ぎ払ったら再び大剣を肩に担いで中央広場へと足を向ける。そこで両腕を溶解し炎上する金属に染めたイルムの姿があり、同じように―――こちらは全身を溶解する鉄に浸された人狼共が焼ける音と臭いに咆哮を織り交ぜながら合唱している。見た目は地獄そのものだ。燃える鉄を被った怪物どもが炎上しながらも楽しそうに笑っているのだから。

 

 ……あぁ、見た目だけなら俺も相当な怪物か。

 

 危険なウィルスで満ちた人狼の血を頭から被っているのに、それを供物として更に自分の力に変えている。どっちも見た目も本質も怪物だ。誰が見ても忌避したくなる生き物だ。ただ、違いがあるとすれば、

 

 俺の方が強いという事だ。

 

 大剣を突きつける。

 

「全員纏めて冥府に送ってやる。覚悟しろ」

 

 返答に楽しそうに笑みを浮かべたイルムは応える様に歌い、燃え滾る人狼共が地を這うように突撃してくる。それに対して一切恐れる事無く正面から迎え撃つように接近する。後ろへと自然と流されて行く大剣を引く様に構え、刺突を接触と同時に繰り出し頭に大剣を突き刺した。間違いのない即死攻撃。通常の人狼には当然耐えられる筈もなく死に、瞬間、その体が肥大化し、

 

 爆裂した。

 

 炎と、溶けた鉄ごとはじけ飛び、至近からそれを叩きつけてくる。顔にかかる鉄の感触が皮膚を焼き、火傷を鱗に刻んでくる。それが1匹で終る筈もなく、10、20を超える元住人達の自爆型人狼が炎上しながら武器を手に突っ込んでくる。めんどくささの極みに達しやがって、そう思うものの相手の戦術はシンプルで同時に補充が効く。正面、そして周囲から突っ込んでくる自爆型人狼をすれ違いざまに切り裂き、その爆風を使って加速させるように体を跳ねる。

 

 視線は人質の山へと向けられている。イルムも其方へと生贄の補充を行う為に向かおうとしているが、それよりも此方の加速力の方が上だ。大地に更に低く踏み込み、先ほど見たガルムの動き、それを完全に真似て一気に速度を増して人質の所まで滑り込み、体を回転させるようにブレーキをかけつつ白い斬撃を振り抜いた。大地を抉り、人狼を引きはがし、イルムを後退させて間を作る。そのまま追撃するように迫ってくる人狼共へと対処するように大剣を下へと突きさし、結晶の壁を生み出す。突撃してくる人狼共が壁に衝突し、連続で爆炎が響く。

 

 ふぅ、と額に汗が走るのを感じつつ息を吐いた。これで背後に人質を持ってこれた―――だがそれはつまりこれからはこの荷物を抱えながら戦わなきゃいけないという事でもある。たった1人で戦っているのに守勢に回るという事はそれだけ劣勢に状況が傾くという事でもある。

 

 何よりもこれまで、この人質があったからこそ問答無用の大斬撃を振るう方向と距離、威力を制限せざるを得なかったのだ。どうにかしてこの人たちを戦場から退避させなきゃいけない。そう思い結晶壁を維持しながら後ろを一瞥した。

 

「うぅ……」

 

 呻き声と共に誰かが動き出すのが見えた。無造作に放置されるように置かれていた人々、その中から起き上がってくる姿は見覚えのあるものだ。

 

「タイラーさん!? こんな所にいたのか」

 

「え、エデンちゃん……」

 

 憔悴しているようだがまだ無事だった。視線を正面へと戻しながら安堵の息を吐き出す。あぁ、本当に良かった……これでまた1人無事を確認できた。この暴力で誰かを守る事が出来る。それが体に活力を漲らせ、力を引き出す。結晶壁の解除タイミングを窺い、そこから大斬撃で突破口を生み出す事を考え、

 

 肩に軽い感触を得た。

 

「えっ」

 

 次の瞬間、感じたのは鋭い歯が首に食いつく感触と、それが皮膚を破れない程度の力だった事だ。視線を壁を維持したまま戻せば、そこにはタイラーが俺の首へと噛みついている姿があり、その両目からは涙が流れている。

 

「すま、ない……逃げて……逃げてくれ……すまない、もう、みんな、ておくれ……だ」

 

 噛みついたまま嗚咽を漏らしながら涙を流すタイラーの姿が段々と人狼へと変貌して行く。噛みついていた歯が抜け、解放された事で数歩、タイラーだった存在から離れる。徐々に人狼へと変貌して行く姿は彼だけではなく、先ほどまで昏睡していた人々の姿も人から狼へと姿を変えて行く。

 

 手遅れだった。

 

 全員、既に致命傷で、仕込まれていた。

 

 こうやって、俺が守りに入った瞬間の為に。一瞬の意識の空白。状況を拒否する脳味噌への対応。だがそれを待ち望んでいたのは人狼の指揮官。

 

 砕け散る障壁を抜けて溶剣が迫る。

 

 迫った。

 

 眼前に。

 

 全てを焼き切るように。

 

 そして届いた。




 感想評価、ありがとうございます。

 人食い、使用する事で敵を殺せば殺すだけ自己強化する(上限あり)。

 消費するのは相手の命と殺すたびに削れるエデンの精神力だけで最強のコスパを誇る。最もエデンらしくないけど、最も相性の良い魔法。


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狼たちの賛歌 Ⅶ

 頭の中が完全に真っ白になっていた。

 

 絶望感。それが体の中に満ちる。見える所で、目の前で、知り合いが、親しかった人が狼に変貌するその姿を見てしまった。体を切り裂く溶剣の痛みがどこかへと消える。体を切り裂きながら焼き溶かす剣は俺の鱗を貫通して血を引き出す。傷は決して浅くはない。それでも痛みの向こう側へと意識は流れていた。

 

 人狼になった? タイラーが? あの優しくて、裁縫の上手な仕立屋の店主が? もう戻らない? 嘘だ。そんな筈はない―――それこそありえない。理性が現実を肯定している。タイラーは人狼となった。背後で俺に襲い掛かろうとしている―――のを涙を流しながら消えゆく理性で抑えていた。だがその涙も長くは続かない。何時かは嘲笑と合唱へと変わるだろう。それが人狼ウィルスの末路。噛まれて、体に取り込んで、即座に免疫と抗体が生まれ、克服して。体内に取り込まれた情報を理解する。これは肉体と脳を変質させるウィルスだ。

 

 体が変形させられている。人体改造に近い事を無理矢理行っている。人狼になった時点で寿命がほとんど消費される。そして脳と肉体の変質は不可逆なのだ。だから感染した時点で致命傷。もはやどうにもならない。助からない。絶対に。もし救いがあるとすれば……それは死だけだろう。死の安らぎだけが人狼の狂騒から魂を解き放つ。

 

 そう、死だ。死のみが救いだ。

 

 死ねば冥府の神ル=モイラに抱かれ、魂は川へと流される。冥府の川へと流された魂はそこで浄罪され、新たな命へと宿り、古き縁を断ち切った新たな生を歩む。

 

 鉄と炎が肺を焼く。口の中が熱い。だがそれ以上に魂が熱く燃えている。怒りで、絶望で、信念に、傍観に、苦しみに、それらが熱を持って体を満たす。それでも、と俺は思う。肺に溶剣が達して、抜けて、鉄と炎が肺を満たしても。それでも強靭過ぎる体はその程度では死ねなかった。激痛が走っても死ぬほどの痛みじゃなかった。痛みは辛いし、苦しいけど……それよりももっと恐ろしいものがあるから。或いはそれが、龍としての生理耐性なのかもしれない。ただ解る事はシンプルに、

 

 エデンという龍乙女は、未だに大剣を手放してないって事だ。

 

 それが答えの全てだろう。

 

 痛みよ、苦しみよ、絶望よ―――俺はお前を受け入れよう。そして純然たる怒りで己を満たそう。きっと俺の心は弱く、お前に常に傷つけられるだろう。だけど俺は折れる事はないだろう。絶対に、それだけはないだろう。その悪辣さは吐き気を催すが同時に俺に必要な憎しみでもあったのかもしれない。この汚さこそが力への、生きる事への渇望だというのであれば。

 

 俺は、漸く生きているのだ。

 

「全部」

 

 焼かれ、切り裂かれながらも最初にする事はイルムへの反撃―――ではなく、大剣を後ろへと伸ばして、そのまま振るう事。一番最初に反応し、取った行動は後ろにいる人狼タイラーの即殺だった。果たして俺が振り返る事無く放った刃は間に合ったのか、まだ人としての心が残っている内に殺せたのか。それは解らなかった。だが喉をせりあがってくる炎の感触は懐かしささえ覚える感触で、は、と声を吐くのと一緒に炎が口から漏れる。

 

「全部」

 

 溶剣が体を抜けきった所で倒れそうだった体のバランスを取る。流れる大剣を引き戻しながらこれまでにない力強さで握り、一瞬で態勢を整え直す。恐らく凶報を聞いてから初めて、笑みがこの表情に浮かんだ。握った大剣の柄が砕けそうな程強く握りしめ、口から燃え盛る炎を息として吸い込んで、エーテルを魔力に変換する。魔力を血管に通して全身に巡らせながら活性化させる。

 

「全部……」

 

 遠慮はいらない。人質はもういない。全て無駄だった。全部クソだった。最初から助けるべき存在がこの広場にはいなかった。だから、あぁ、せめて他の人たちの無事は祈ろう。もはや救われない者には救いの祈りを送る事しかできない。だがそれはこの両手を使うものではない。この心だけは静かに黙祷を捧げよう。そして天空の神々へ、我が声を聴いているであろうソフィーヤへと願う。どうか彼らの魂をル=モイラの所へと導いて欲しい。死の安息を守ってほしい。安らかなる眠りを妨げないようにしてほしい。

 

 だから、

 

 もう、どれだけ苦しくても……迷う事も、手を緩めない事も誓おう。

 

 故に、戦いを当然の物として完結させる。

 

「全部、全部、全部、全部、全部! 全部ッ! ぶっ殺してやるッ! 覚悟しろ狼共! お前らは朝日を拝む事もなく滅ぶ! 今夜! ここで! この場所が! 貴様らの最期だ―――!」

 

 最初に宣告した通りに、殺す。殺しつくす。もはや枷は何一つとしてない。最後の憂いは消え去った。もはやこの身を縛る制約は存在しない。なら後は心のままに全てを殺しつくすだけだ。だから宣言したように食い千切りを振り回した。一瞬で周辺が薙ぎ払われ死滅し、バラバラになった人狼のパーツが転がり、嘲笑と悲鳴と肉の消失する音のコーラスが響く。それをイルムは恍惚とした表情で受け入れた。

 

「何て、綺麗な、音」

 

 言葉は返さない。周囲が開けた瞬間には既にイルムへと突貫している。迎撃するように振るわれる溶剣を正面から大剣で受け止め、そのまま押し返す様に斬撃を一度、二度、三度と叩き込む。連撃が一瞬で片腕を使い物にならなくする。衝撃のまま吹き飛ぶイルムを救う様に人狼が割り込み、迫る。

 

「弱い」

 

 左手をポケットに差し込んだままの突進で即死する。トラックに撥ね飛ばされる子犬の様に吹き飛び、体がバラバラになる人狼。燃え盛る身が衝突しようがもはや気にする事もない。それで体が多少焼けようがなんだ、それが心を掻き毟る痛みに届く事は永劫ない。肉体的な苦しみが精神的なそれを上回る事は永遠にない。

 

 永遠にない。

 

 だから死滅しろ。出会いは一瞬、別れは永劫、喪失の苦しみに終わりはない。

 

 大斬撃・白。振るい、重ねて振るい、振るわれ、また振るう。人質がいるからという理由で封じていた連続で大斬撃を振るい、振るい続けるという行いをついに解禁する。横に、袈裟に、再び横に、連続で乱舞するように疾走しながら放つ。食い千切る様な白い軌跡が空間に描かれ人狼が片っ端から食い尽くされる。一太刀振るう度に十数が食われる。それを四度振るえば40が。

 

 十度振るえば100近い人狼が死滅する。

 

 生み出す被害は周辺の家屋を完全に倒壊させ、広場の大地を抉って到底利用できない状態へと追込み、人狼の血と贓物で溢れた空間を生み出す。

 

 情け容赦のない殺戮が解禁された事で人狼はそれで大半が死滅した。流れた血と臓物が足元を赤く染めるも、それも降り出す雨によって体に纏わりついた血諸共流れて行く。残されたのは僅かばかりにイルムを守る人狼と、その主だけだ。大剣を担ぎ直し、残されたオーケストラの姿へと視線を向けた。

 

「生きる事には頓着しないんだな、お前ら」

 

「何故? 何故そんな事を気にしなければいけない? いけないんですか? 漠然と生きる事が重要なのですか? ただただ生きる事にどんな意味がある? 生きている事だけにどんな価値がある? ないでしょう、そんなものは。命は、人は、我々は輝いていなければいけない。輝かなければ存在する価値すらない。限界を超え、死線を乗り越え、死の運命に向き合い崩れ去る音を響かせて! あぁ、そんな地獄の中でこそ至上の輝きが生まれる……!」

 

「悍ましいな」

 

 悍ましいが、こいつの言葉は極端ながらもある意味真理を突いている。漠然と生きる事は確かに平和で、静かだが……それ自体は生きているだけであって、そこまでの意味はない。ゆえに、生に意味を求めることは悪くない。ただそこに一つ、許せない事があるとすれば、こいつは誰かをそこに巻き込んだ事だろう。

 

「人に自分の価値観を押し付けるべきじゃなかったな」

 

「本当に? 本当にそう思うか? 思いますか? 誰もが盲目な羊として野を歩いている。自分が断崖絶壁へと向かって緩やかに進んでいる事を知らないまま。目を開けばそこが地獄の入り口だと解らず、遠くに聞こえる音に怯えて縮こまる……誰もが啓蒙を求めている。言葉にせず、行動に見せず、それでも誰もが教えてくれる日を待っている。人の本質は怠惰で臆病なもの。だから教えてあげないといけない」

 

「何をだ?」

 

「世界は、こんなにも素晴らしい音で満ちているのだ、と」

 

 人狼たちの嘲笑。合唱。鼓膜を震わせる不協和音は恐らく、人が聴けばそれだけで精神に異常を来たすものなのだろうと思う。その音を耳にしつつ、精神は一切揺るがない。もはや結末は解り切っているのだから、後は結末へと進むだけだ。もはやこいつとは話すだけ無駄―――意味のない時間を過ごしたとそう判断し、左手を取り出した。

 

 掌を目の前に広げる。乱撃で魔力は浸透しきった。もはや詰みに入り、逃げ場なんて物はない。

 

「ではフィナーレを」

 

 イルムが溶剣を最大まで拡張させて巨大な大剣へと変貌させた。一振りだけで10メートル範囲を薙ぎ払えそうな大剣に、残された人狼共が活気づく。だがその前に掌には黒い魔力を集中させ、それを空間に滞留している俺の消費魔力とリンクさせる。それによって空間のエーテルが活性化されて魔力の作用が浸透する。つまり、黒による一撃が確定した状態に入る。

 

「ぶっ壊れろ」

 

 掌の魔力を握りつぶす。それと同時にイルムを囲む人狼たちが結晶となって弾けた。残された人狼全てがその一撃で抹消され、残されたのはイルムのみ。一瞬で家族が全滅した事にイルムは動きを止めるも、最後の決戦へと踏み出す。大地を粉砕する脚力で接近し、大剣を振り下ろしてくる。それに合わせて此方も下から大剣を振るい―――火花を散らしながらイルムの大剣を大きくカチ上げた。

 

 そのまま大剣を頭上に掲げる。左手は再びもうポケットの中へと戻してある。これから放つのは必殺の一撃。その前に抵抗は無意味。防御も無意味。

 

「避けれるものなら避けてみろ―――どこにいても当たるけどな」

 

「お゛っ゛」

 

 大剣を振り下ろす。イルムが避ける様に後ろへと下がり、頭から結晶が割れる。大剣を振り下ろすごとに侵食するように結晶が額、鼻、口、首を真っ二つに割って行く。結晶斬撃はそのまま体からはえるように胸を両断し、大剣の動きに合わせて下がって行く。その表情は恍惚とも言えるものに染まっており、

 

「き、綺麗な、お、音―――」

 

 言葉を終わらせる前に体を両断した。

 

 真っ二つにしたイルムの体をそのまま結晶化で呑み込んで封印する。再生する事も蘇る事ももう二度とない。もし、特効薬か予防薬が作れるとすればこの封印された死体から作り出す事も出来るだろう。ただやはり、

 

「さようならイルザとガルム……もう二度と会わない事を祈るよ」

 

 戦闘が終わった後の静寂は、欠片も高揚感がなく、虚無感を心に満たすだけだった。失われたものが多すぎるのに、得られたものは何一つとしてなかった。失うばかりで無意味な戦い―――それがこれだ。自分自身が刻んだ結末に疲れ、大剣を地面に突き刺すとそれを背もたれに座り込む。見上げる夜空は雨雲が浮かんでいて星も月も見えない。その代わりに降り注ぐ雨が煙も炎も血も全部洗い流してくれる。

 

 見上げれば空から降り注ぐ雨粒が顔を濡らし、頬を伝って下へと流れて行く。涙ではない。涙は―――流れない。慣れてしまったのか、それともどうとも思わないのか。それとも脳が未だに混乱しているのか。ただやはり、心に痛みと苦しみは残っている。新しく体と心に刻まれた傷跡、この痛みは永劫消えないだろう。

 

 親しかった人を殺して。

 

 悪くない筈の人を殺して。

 

 それが見知らぬ誰かを助けるためだから、って。それがきっと正義だから、って。そう自分に言い聞かせて皆殺しにした。そうして残されたものは果たしてなんだったのだろうか? 名誉? 領主からの報酬? それとも自分の強さの再確認か?

 

 そんなもの、求めてなんかない。

 

 最初からほしかったものは決まっている。平穏だ、自分と自分の周りの人たちの平穏が欲しかったんだ。それを人狼イルムは無価値だと言ったけど、それはきっと正しいんだけど、それが何よりも尊く重要な物だと思ってたんだ。

 

 だからそれがこうやって焼き尽くされると、あぁ、って思う。

 

 ―――何もかも、薄氷の上で成り立っているんだ、この世界は。

 

 安全は力で。

 

 平穏は敵を殺して。

 

 未来は奪い取って。

 

 それでしかきっと、得られない日常があるのかもしれない……。そう思いながら見上げた雨の空、癒え始める体の様子を確かめながらはあ、と息を吐いた。クソみたいな気分の中思う。

 

 酒を飲んで何もかも忘れられれば良いのに、って。




 感想評価、ありがとうございます。

 人狼のオーケストラ、閉演。


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エピローグ

「―――それでは今回の件、君の率直な感想を聞かせて貰おうか」

 

「いや、もう、静かに感動しましたわ。見ていて泣きましたね」

 

 薄暗さが満たす空間の中、テーブルに頬杖を突く男が、狂人に問いかけた。それに狂人は拳を握りながら力説するように答える。その胸中に満ちた感情はまさに感動の一言に尽きた、と。そのまま両手を広げ、楽しくその時の事を語り出す。

 

「いやいやいや、もう美しいのなんの。見ていてほんと見惚れるってああいうことを言うんすね! 見ているだけでもう見入っちゃって、見入っちゃって……あぁ、だからこそちょっと後悔したんすよ。人狼、マジで失敗作だったなあ、って……」

 

 はあ、と溜息を吐きながら狂人が頭を抱える。

 

「だってマジ失敗作っすよ。制御不能だし、勝手に変な思想を構築するし。やっぱ人間ベースって思考が変な方向へとねじれるから嫌なんですよねー。いや、でも、まあ、アレだけの強さを発揮できたのはやっぱり元の素材が良かった所為なんすよね。結局屑素材を採用した所で完成品も屑でしかないんですよ。“宝石”の資質があったからアレだけ良い感じの戦闘力が発揮できたわけで……あぁ、でもやっぱり美しくないなあ……群体型は」

 

「そうなのか?」

 

「そりゃあそうっすよ! だって考えてみてくださいよー! 群れるってつまり単一では欠陥があるからこそ、という事の証明っすよ陛下!? 完璧な生物は―――完璧なモンスターは単一で成立してるんすよ! 生殖も、繁殖も必要ない! 数を増やす必要もない! その存在が単体で完成されているから増える必要がそもそも存在しない! その完全で完璧なモンスターが俺の目指すべき理想、夢!」

 

 興奮した様子の狂人はテーブルを叩き、しかし拳を握りしめながら笑みを零す。

 

「でも彼女を―――彼女をちゃんと最初から最後まで見たら認めるしかない……」

 

 ゆっくりと拳を解き、両手を合わせ、祈る様な姿勢で狂人は告げた。

 

()()()()()()()()()()()()()。あの姿は恋をするしかない。素敵だ。完璧だ。アレで未完成なんてずるいずるいずるいずるいずるい! ずる過ぎる! あぁ、美しく、感動的で、そして完成されている……!」

 

 狂人はエデンという存在そのものに恋をした。人狼のオーケストラに立ち向かう姿を、戦う姿を、あらゆる害と悪意を鱗で弾いて戦う姿を。彼は彼女をモンスターと表現した。だがあの戦い方を見て誰が狂人の言葉を否定出来るだろうか? 事実、エデンの生体、或いは肉体は人間よりもモンスターの方に構成が近い。故にエデンがモンスターと言えば確かにそうだと言えるだろう。

 

 ただしそれは神々が生み出した、至上にして至高の芸術品と言える傑作ではあるが。

 

 つまり、この狂人はエデンの構成を、構築を、その在り方を見て彼女が1つの芸術品である事を察した。その感性を通してその存在の全てに、恋と信仰、崇拝に近い感情を抱いていた。エデンは1つの完成品だ。しかもまだ成長を続け、未完成の大器だ。ここからまだ先がある。成長し続ける作品。その可能性、そして求めた夢と理想の形。それを変異モンスターを生み出す狂人は見てしまった。辿り着くべき場所を。それが故にエデンという存在そのものに感動していた。

 

 それだけに人狼のオーケストラという作品、その駄作っぷりに嫌気が差していた。エデンという存在の完成度と比べれば塵の様なものだった。創作家としての感性を刺激されながらも、エデンを生み出した存在に対するライバル心を新たにする狂人は既に溢れる様なアイデアが脳内に満ちていた。だがそれを超えるのは彼女に対する恋心だった。圧倒的なアートピース、心を揺らし、震わせる物に対して出会った芸術家のそれを今、狂人は人生で初めて抱いていた。

 

 そしてそれは制作者への一種の敬意にもなっていた。

 

「あぁ、彼女こそ俺の女神っすよ! 女神! まさしく地上の女神だ……他の連中は絶対に解らない。あの芸術的なまでの美しさを……おぉ、この世にその素晴らしさを知らしめたい……! だけど、だけど……」

 

「だけど?」

 

「俺、推しには自由に生きていて欲しいんすよねえ」

 

 狂人は作品の自主性を認めていた。ワータイガーも、バジリスクも、マントラップも全ての変異モンスターは狂人の作品でありながら完全に彼がコントロールを手放した産物でもあった。そもそもモンスターに制御なんてものは必要がないと思っているのが彼の思想だった。全ての存在はあるべき姿のままが良い。モンスター達はモンスターとして自由に生きるべきでもある、と。その結果が辺境に放逐された変異モンスター達であり、そしてそれによる被害だ。

 

 究極的に狂人は完成品に対して興味はなかった。

 

 これまでは。ここまで激しく後悔した事はなかった。せめて、あの美しい破壊者に……モンスターとぶつかると解るのであれば、もっと手の込んだ改良を施していた。もっとちゃんとした傑作として仕上げていただろう。いや、だがあの美しい怪物が人狼とぶつかったからこそ見れたものだったんだ、と狂人は無理矢理自分を納得させる事にした。それでも人狼と怪物を比べ、狂人はへこんだ。

 

「あーあーあーあー……ほんとしくったなあ……即興で新作なんて作るんじゃなかったぁ……テンションとその場の思い付きで新しく始めるから失敗するんだ……マジでいつもこのループなんだよなあ。はあ……あ、すいません陛下」

 

「気にはしていない。何よりも今の発言には納得するものがあるからな」

 

 狂人に対面する男は苦笑を零しながらも、狂人に聞く。

 

「―――それでだ、ヴァーシー」

 

「うっす、なんでしょか陛下」

 

 男は狂人の名を呼び、その注意を引いた。その上で数秒程間を開け、

 

「もしも、だ」

 

「うす」

 

「―――彼女を本当の女神に押し上げる事が出来るのなら、やる気はあるか?」

 

 男の言葉に狂人ヴァーシーはテーブルを叩いて立ち上がった。

 

「やります! 超やりますわ! メッチャやりますわ! 超やりたい! いくら出せば良いんすか!? ここが推しを推せる場所!? マジで!?」

 

 男はまあ、落ち着けと手を動かし、ヴァーシーを座らせた。それで数秒程深呼吸をしてからヴァーシーは考える様に首を捻り、男へと言葉を返した。

 

「もしかして彼女を次の管理者にしちゃう予定なんすか?」

 

「違うな、現状地上で一番その座に近く、正当な継承者は彼女のみだ。魔界はもう終わりが近い事、解っているだろう?」

 

 ヴァーシーは理解している、これは魔族や一部の高位の者にしか知られていない事実ではあるが、魔界はもう寿命が近い。もう数百年もすれば魔界という世界そのものが消滅する。それ故に魔族も、魔王も、全ては新天地を目指して徐々に存在を、概念を、そして世界をすり合わせて侵食している。ギャグにしか見えない魔族たちの行動も結局のところは神々が用意したフィルターに対して適応し、緩和させ、馴染むための準備だ。既に魔族とその文化の流入は世界に進んでいる。

 

 後は決壊の点を超えるだけ―――それを知った所で特にヴァーシーは興味を持っていなかった。彼の興味は全て、最強のモンスターを生み出す事。その一点にのみ集中していた。だが始めてここで、これまでの知識が意味を持ってくる。魔界は滅びの淵にあり、魔族の流入は実質的な侵略行為だ。この世界は現在大神が大地となっている為に管理者が不在の状態で、神々がその代理として働いている。

 

 だが神々でさえ黄昏時を迎える。

 

 魔界の神々がそうであるように。

 

 その時、天が完全に空白となった時、新たな管理者が必要となる。その座を魔族や魔王が握れば世界は実質的な第二の魔界となるだろう。だがこの男は、

 

 ―――ルシファーは、その座にエデンを就けようとヴァーシーに誘いかけていた。

 

「彼女を天の座に据える為の準備がいる。ギュスターヴを騙しながらやれるな?」

 

「勿論っすよ! あの女神を本物の女神にするんすよね!? やりますやります! 俺の手で彼女をもっと完璧な存在にしたいっすわ! あぁ、その時はきっと、本当に至高が人の手から生まれる瞬間が見れるかもしれない……!」

 

 ヴァーシーの言葉にルシファーは頷く。その胸中は語られず、世界は悲劇の裏で着々と進んで行く。物語に主人公が欠けていても、タイマーを止める存在が世にはいない。故に安寧と悲劇の裏で事態は進んで行く。

 

 まだ、世界の摩擦が見えてくる前の段階。

 

 各勢力が己の目的の為に世界の行く末を考えている中で、

 

 ここでもまた、物事は進められてゆく。




 感想評価、ありがとうございいます。

 これでラスボスマイフレンドが出てくるたびに「こいつ、どの面下げて……!」って気持ちになれるね。やったね。

 魔界のあれこれがちょっと明るみになりつつ金策編はここまで。次章からはエデン18歳の学園編開始になります。なお次回は人物纏めと軽いこれまでの纏めです。


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人物纏め ※ここまで

主要人物

 

名前:エデン(自称)

種族:龍・雌(人型)

年齢:

 10~11(保護時)

 15~16(オーケストラ戦)

 18~19(学園編開始時)

人物纏め:

 イメージカラーは白、黒、灰。

 

 “大神の世界”に生まれた最後の龍に転生した転生者。地球人としての記憶を持ち、自分の死因を知らない。生まれた直後に龍殺しと討伐隊に命を狙われるも龍殺しの慈悲によって生き延び、グランヴィル家に拾われる。恩を返すためと生きる為にグランヴィル家息女のグローリアに仕える事となった。グローリアの学園への入学に向けて学費を稼ぐ事を決意しグランヴィル家の外へと一人で踏み出した結果、自分がどれだけ優しく甘い世界の中にいたのかを知る。人狼のオーケストラとの戦いを通じて精神的な成長をし、漸く世界の住人になったと言えるレベルに立った。

 

 性格は楽天的で甘い、どこにでもいる様な日本人だった。地球における“普通”とはこの世界においては最上層に恵まれているという事でもある。その為元々のエデンの龍としての恵まれたスペックを持って生まれながらもそれを持て余し気味だった。生物の死、人の死、そして世界の残酷さに向き合う事で漸く甘さが抜けて殺す覚悟と決意が備わる。ただし、根が素直で優しい人柄である事に変わりはない。その為、人を殺すたびに心が傷つき、殺した相手を生きている間ずっと忘れられないという罰を背負い続ける。心の底からグランヴィル家を、特にリアを愛しておりその為に動く事を躊躇しない。

 

 唯一にして無二の龍の遺産であり遺児。その為この地上に唯一残された神威でもある。この世界の正当なる継承者であり、その為彼女を龍だと看破する存在は彼女が世界の管理者を巡る戦いにおいて中心、或いはワイルドカードとして成立する存在として認識されている。世界の創造主は既に眠りについて久しい。神々でさえ黄昏を迎える世の中、目覚めた最後の神威が世界の未来を左右する。

 

 エデンのキャラクター構築の上で参考にされたキャラクターは多数。以下、ネタバレ及びイメージ汚染の可能性がある為に白文字記載赤い霧(LoR)、黒い沈黙(LoR)、レン(魔女兵器)、リュウ(BoF)、多数の古龍(MH)、バハムート(グラブル)、タルラ(アークナイツ)、スカジ(アークナイツ)、セリカ(戦女神)、ラインハルト(Dies)等。

 

 余談、エデンの性別意識はこうなっている。

 男性6割:発想、言動、思考

 龍3割:本能

 女性1割:生理反応

 

 

 

名前:グローリア・グランヴィル

種族:純人種・女

年齢:

 5~6(エデン保護時)

 10~11(金策編)

 15~16(学園編開始時)

人物纏め:

 イメージカラーは銀、白、青。

 

 エデンの第一発見者であり彼女を連れ帰ると駄々をこねた張本人。グローリアが主張し、見つけたからこそエデンの命は助かった。即ち彼女こそがエデンの命の恩人であり、出会った時から不思議な感覚をエデンに覚えている。甘えん坊で、年のわりに少々幼い所があり、グランヴィル夫妻から箱入り娘の様に大事に育てられてきた事が示されている。エデンとの出会いを通して外を知るようになり、ローゼリアという友人を得る事で更に少女として成長する。エデンという人物を彼女が彼女である、という理由だけで完全なる信頼と信用を置く不思議な少女。学費の話を聞いて自分も何かをしなくては、そう判断した結果自分の苦手な事にも向き合う事を考えた。

 

 愛されている少女で、王国編におけるメインヒロイン。エデンにとっては一番大事な宝物であり、何に変えても絶対に守らなくてはならない存在。根本的に優しくて甘い人物ではあるものの、エデンの様に戦う訳でもなければ貴族の社交界にデビューする予定も皆無。その為、甘さを許されて成長してきたが優しい子に育った奇跡の様な精神性を見せている。辺境と言う環境が生み出した一種の奇跡の精神性を持っている。

 

 

 

名前:ローゼリア・ヴェイラン

種族:純人種・女

年齢:

 5~6(登場時)

 10~11(金策編)

 15~16(学園編開始時)

人物纏め:

 イメージカラーは赤、黒、金。

 

 辺境を支配するヴェイラン家息女にして跡取り。サンクデル・ヴェイランが子供を作ろうとしないため将来的に領地は彼女が継ぐ事が確定している。その為、日頃から高い意識をもって勉学に励んでいた。自分の知識と実力にプライドを持ち、サンクデルが褒めて楽しそうに話すグランヴィル家に対する少なくないライバル心を抱いていた。だがエデンとグローリアのとんでもなさと滅茶苦茶さに全てが馬鹿らしくなった結果、2人の親友に収まった幼馴染の少女。3人の中で一番常識的かつ理知的であるため、“辺境トリオの理性”と称される。ただし、エデンとグローリアがそうであるように、ローゼリアもまた2人が大好きなのは事実である為、非常にちょろい。

 

 自分に厳しく、他人に厳しく。3人娘の中で一番未来を考えている娘であり、それを踏まえて未来への投資を考える人物でもある。ヴェイラン家が辺境の領主である事を彼女は幼い頃から良く理解している為、その為の努力を欠かさない。好きな人は努力できる人で、嫌いな人は努力を面倒がる人。その為、互いの為に全力を尽くすエデンとグローリアの事が非常に気に入っている。武では圧倒的な立場にいるエデン、魔法に天賦の才を持つグローリア。そんな2人と対等な関係でいる為にローゼリアは努力を怠らない。

 

 

 

名前:エドワード・グランヴィル

種族:純人種・男

年齢:20代後半~30代前半

人物纏め:

 グローリアの優しい父親。マンチファイター。情報さえ与えれば封殺する事前提で戦略を練る鬼畜眼鏡。

 

 元宮廷魔術師。エスデルの中央で働き、王に仕えていた。だがエリシアとの結婚を機に引退し、貴族のしがらみや面倒から逃れる様に同期だったサンクデルを頼って辺境で貴族社会を完全放棄した生活を送っている。元は眼光の鋭い鬼畜眼鏡タイプだったが、娘が生まれると判明してからはイメチェンを図って今の姿になった。近代魔法近接戦術の創始者でもあり、多数の伝説を残しているがエデンとグローリアからすれば優しい父親でしかない。最近、エデンの結晶を粉にしたものを武器として持ち歩く様になって即死攻撃手段が増えた。グローリア同様、エデンを実の娘の様に想っている。

 

 

 

名前:エリシア・グランヴィル

種族:純人種・女

年齢:20代後半~30代前半

人物纏め:

 グローリアの優しい母親。現役修羅。抜刀妻。戦闘エリート。現場引退してなお鍛錬を続け龍の鱗を突破できる女。

 

 元近衛隊出身の元騎士。エスデル中央にエドワード同様王に仕えて働いていたが、エドワードに口説き落とされた事を機に引退して辺境へと一緒に移住した。貴族社会やルールを全部面倒に思った結果近衛に入ったという脳筋エリートだったが、エドワードとの結婚以降は色々と勉強し直して今の形に落ち着いた。グローリアにとっては善き母であり、エデンに武芸を仕込んだ人物でもある。前線を離れても狩猟や鍛錬で腕を錆びさせる事は一切なく、エデンの鍛錬を通して地味にまだ成長を続けている。エデンの事を本当の娘の様に想って接しているが、グローリアには武芸を教えられないからちょっと楽しんでいる。

 

 

 

名前:サンクデル・ヴェイラン

種族:純人種・男

年齢:20代後半~30代前半

人物纏め:

 元鬼畜眼鏡と抜刀妻が貴族社会放棄して頼ってきたので面倒を見るハメになった可哀そうな人。

 

 ローゼリアの父親で辺境伯、グランヴィル家の面倒を見る凄く偉い人。その合間にちゃんとローゼリアの父親もこなしているマルチタスクの人。辺境領は国防の役割もある為に実はかなり重要な地位にある人で、貴族社会を放棄してきたとはいえ戦力として“宝石”の領域にある2人を引き込めた幸運な人物。善性の人物であり、エスデルの人間らしい理知的な人。そしてエデンの身近な人物の中で恐らく一番正しい評価をエデンに行っている人物でもある。

 

 サンクデルが現状保有している“宝石”は1つ、それも辺境全体をカバーする為の情報特化型の人物。その為看板となる様な戦闘力のある“宝石”が欲しかったため、人狼のオーケストラの件を機にもっとエデンとは親密な関係を構築する事で辺境の最大戦力としての名声を作ろうと考えている。

 

 

名前:ウィロー

種族:森人種・男

年齢:160歳以上

人物纏め:

 ギルドの受付を行っている人物。

 

 エデンの戦闘力の高さと異質な魔力、そして種族として見たことのない特徴に首を捻りつつも長年生きて来た経験から彼女が冒険者の世界に向いていない事を察し、忠告と注意を向けている人物。長く生きて来ただけに経験豊富で知識も多いが、強さとしての壁は既に迎えていて“金属”の最上位で足を止めてしまったためにギルドで働く事にした。今もこれからも、気に入ったこの辺境の地に根付いて人々を見守ろうと考えている。

 

 

 

名前:ヴァーシー

種族:不明

年齢:不明

人物纏め:

 モンスターの強さに魅せられた狂人。

 

 人狼のオーケストラの製作者。モンスターを生み出す事をいきがいとし、それを芸術的な作品だと認知している。完成された作品にそこまでの興味は持たないが、それはそれとして作品は自由であるべきだと考えている。その自由さ、奔放さ、囚われない心こそが作品を作品として完成させるものだとも。その為、完成された作品は良く手放されている。作品の多くも衝動的なものがあり、クライアントによって依頼されたもの以外は各地で変異モンスターや複合モンスターとして環境や人を荒らしている。

 

 夢は最強の単一生物を生み出す事。だがその理想をエデンに見てしまい、その輝きに目と心を焼かれた。良く言えば一目惚れ、悪く言えばなにも考慮しない狂信者へと成り果てる。エデンを女神にする為にルシファーの話に乗る事にした。

 

 

 

名前:ルシファー

種族:魔族・魔王種(性別可変)

年齢:不明

人物纏め:

 元魔王にして元ロッカー、現在はサックス奏者と友人のビジネスの出資者。

 

 滅びの運命にある魔界を出て新天地として“大神の世界”に到達する。魔族が新たな世界を故郷とする為文化、土地と合わせた密かな侵食を繰り返す中で世界から管理者が魔界同様喪失している事に気づく。地上に残された最後の神威がエデンである事にも気づき、彼女を管理者に据える事で世界の管理権限を手中に収める事を思いつく。

 

 それはそれとしてロックを流行らせる事は本気で考えている。世界を掌握する事、そしてロックを流行らせる事はルシファーの中で同列の優先度となっている。その為、サックス奏者としての練習と宣伝に本気になっている。人生完全エンジョイ系ラスボス。

 

 

 

名前:ルイン

種族:魔族・魔王種(性別可変)

年齢:不明

人物纏め:

 商才ゼロポンコツ経営者。

 

 魔界が滅ぶから此方側へと移住してきた数多くいる魔族の1人。魔王種の多くが文化、土地、歴史などの侵食を通して静かに影響力を伸ばす事で生活圏と世界そのものに対する侵略を考えている中で、彼女は多くの一般魔族と同じように特に深い事を考えずに生きている。友人であるルシファーの動きも理解しているが、それよりもなんで自分のビジネスが成功しないかに首を捻って悩んでいる。黒幕側ではあるが黒幕に貢献するどころか無限に金を引き出させて疲弊させてるルシファー最大のデバフ。他の魔王が義務と責務を果たそうとする中、そんな場合じゃねえと叫んでる人物。

 

 エデンが経営顧問についてから初めて赤字が出なくなって存在的デバフ度が下がった。最近は店の飾りとして皆から認識されてる。特技は早着替え。

 

 

 

名前:ソフィーヤ

種族:第2世代女神

年齢:不明

人物纏め:

 龍に贖罪する人理の女神。

 

 かつて人に龍の殺し方を与えた事で龍絶滅の発端を生み出してしまった女神。その為自分を何重にもルールで縛る事で不用意な行動を起こす事を禁じつつ、下界への干渉を最低限へと抑えている。龍最後の子であるエデンに対して心の底から愛と罪の意識を向けており、その生が健やかなものである事を祈っている。作者の脳内で応援団扇と鉢巻付けてエデンを応援してるソ様。

 

 人類に対する貢献から最大宗派として世界に根付いてるものの、彼女をたたえる聖国や聖王都では彼女の教えが年々少しずつ歪められている。ドラゴンハンターたちはその最たる例でもあり、もはやソフィーヤの手を離れた存在として勝手に動きまわっている。その為、ソフィーヤへの信仰は徐々に彼女へと届かなくなりつつあり、彼女が神の座から零落して地上へと落とされる時は着々と進んでいる。その事をソフィーヤ自身は良し、としてる。

 

 何時かエデンと直接会って、断罪される日を願ってる。




 感想評価、ありがとうございます。

 こうやって纏めてみると解りやすいですが、中央に行くと辺境所属キャラは出番がなくなるんですよね。現状、中央に行って出番があるのは3人娘と魔界組ぐらいなんですよ。それでは次回から学園編、始めます。


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3章 王国学園・1年生編
学園へ


 ―――俺は転生者だ。

 

 地球からファンタジーな異世界に、それもまさかの龍へと転生した。あまつさえ女の子の姿に変わろうとは思わなかったが、俺は幸運にも優しい貴族の一家に、グランヴィル家に拾われる事で色々と経験した。楽しい毎日だったし、苦しい事も何度かあった。それでも頑張ろうと思える程度には楽しい日々であって、俺はそれに満足している。

 

 龍は悪の存在と世間に認知されているが、誰も龍が人の姿を取れるとは知らない。だから自分から龍の姿をさらしでもしない限りは、決して疑われる事もない。そんなこんなで拾われた辺境のヴェイラン領でグランヴィル家の使用人として働き続けて8年。

 

 俺はついに18歳になり、仕えているグローリアお嬢様……俺がリアと呼ぶ彼女も15、16になった。これまでほとんど姉妹同然に接し育てられてきた俺達は、主従とは言うもののその意識は薄い。だが改めて俺達が主従という関係をとらねばならない環境がこの歳になると迫りつつあった。いや、正確に言えばもう目前にまで来ている。

 

 辺境での8年間の生活は、今、一旦終わりを告げた。

 

 そして今。

 

 ―――俺は街道を進む馬車の御者をしていた。

 

 馬車を引く馬は二頭いる。片方は前々から知っている、俺に何かと懐いた馬だ。もう片方はその馬の子だ。何時の間にか番を見つけた件の馬は子供を作り、そして一家総出でグランヴィル家、というよりは俺に仕えてくれている。その事もあり、辺境から中央へと続く長い旅路はこの野生と表現するには首を傾げる二頭の馬によって先導されていた。恐ろしいほどに賢く、そして配慮の出来る二頭はきっちり俺や他の乗客たちの事も考えて、馬車を揺らさない様に意識しながらゆっくりと進んでいる。

 

 そう、俺は辺境を出たのだ。

 

 俺の歳は18歳。

 

 リアの歳は15歳。

 

 それはこの世界の貴族として学校に通い、学友を作って世界を広げる年齢でもあるのだ。子が一定の年齢に達した貴族は、同世代の貴族との連帯感やコネクションの構築のために学園へと通わせる。貴族社会における学園とは繋がりを作るための場所であり、この先の未来に対する財産を構築する為の場所でもある。ただし、このエスデルにおいては毛色が少々違う。

 

 学術大国エスデルは知を尊ぶ。

 

 故に建前だけではなく、学業に力を入れるエスデルにおいて学園とは知を学び、研鑽する場所でもある。授業のレベルは高く、そして更なる知恵を求める若き才能で席は満たされている。上昇志向が強く、それでいて真の貴族と呼ばれる者を目指す人々がエスデルの学園には集いやすい。

 

 15歳、リア入学の時。

 

 かねてからリアは入学のため、そして奨学金を獲得する為に必死に勉強してきた。その発端は俺にあった。だがそれを自分なりに考えた結果、苦手だった勉強にリアは向き合う事にした。そしてその結果、この春の入学において見事奨学金を獲得し、特待生としての立場を得た。これから3年間、リアが特待生として相応しい成績を示す限り、彼女の学費は全額学園側が負担してくれる事になっている。

 

 それは貧乏なグランヴィル家としては非常に助かる事であり、元々が勉強が苦手で授業中に居眠りをしていた彼女からすれば大変な苦行とも言える事だっただろう。だが、それでも、リアは勉強し、頑張って、誰もが出来る訳ではない事を成し遂げた。

 

 グランヴィル家当主エドワードも、その妻エリシアも、リア本人も出立の日には死ぬほど泣いていたが、それでも俺達は辺境の地を出た。この8年間は本当に濃密な日々だった。こうやって辺境を離れた地にやってきたのを見ると、感慨深くもなるだろう。

 

「お」

 

 そうやって過去を振り返っていると、やがて遠くに街道の終わりが見えてきた。視線の遠い先、俺の視界だけで捉えられるのは都市を覆う城壁と、その外側に展開されている建築物の数々だ。城壁の外にも広がっている様子というのは中々面白いと思う。城壁が正式な都市としての敷地なら、その外に展開しているのは許されていない、違法な家や店の数々だからだ。街道や中央道は避ける様に広がっているようだが、それでも城壁の外側に大きく都市が広がっている様に見える。それは辺境に在ったどの街よりも広大で、そして先進的なのだろう。

 

「エデン、何か見えたのかしら?」

 

「お嬢様、体を乗り出すのははしたないですよ!」

 

「良いじゃない別に、これぐらい」

 

 そう言って御者台に繋がる窓から身を乗り出す様に覗き込んでくるのは赤髪が特徴的なローゼリア、身内でロゼと呼び合っている辺境領の領主サンクデル・ヴェイランの一人娘だ。そんな彼女を窘めているのが中央へとロゼの付き添いの為に来ている侍女のクレア。俺とは違い、由緒正しきロングスカートタイプのメイド服を着用する事で使用人の身分を証明している女性だ。

 

「え、何か見えたの?」

 

 そう言ってロゼを押しのけようとして出てくるリアの銀髪が見えて苦笑が零れる。本来は俺もリアの従者として、使用人の身分を解りやすく証明する為にメイド服を着用するべきなのだろうが、俺の趣味ではないし、リアも俺にそういう服を使用人だから、と着せるのは嫌がっている。その為、今の俺の恰好は冒険者として動きやすさを重視したスラックスにシャツ、そしてコートと言う格好だった。所々謎のヒモみたいなものがついているが、全体的に見れば男性寄りのファッションセンスだろうと納得している。

 

 まあ、胸元だけ開けてあるのは息苦しいからで、しょうがない。昔、龍殺しに刻まれた痕には少し威圧感があるかもしれないが、それはそれだ。

 

「城壁とその外側に広がる街が見えて来た」

 

「え? あぁ、まだエデンの目でしか見れないのね……」

 

「なんだぁ……」

 

「露骨にがっかりするなぁ、おい」

 

 馬車の中へとすごすごと下がって行く幼馴染たちの姿に苦笑を零す。クレアはうーん、と小さく唸ってから言葉を続けて来た。

 

「恐らくその城壁が我々の目指す“学園都市エメロード”でしょう。話に聞くには相当大きな学園を中心として栄えた学園都市だそうですが、そこに群がる者達によって都市外部には不許可無許可の街が広がり一種のスラム街化しているらしいです。強制執行しようにもスラムの住人たちの猛反発などもあって中々解決しないとか」

 

「エメロード側の治安はどうなんだよ、それ」

 

「都市内部の治安は良いですよ。学生に向けた都市で完全に学園によって運営されていますからね。ですが栄え過ぎた結果スラムが生まれた、とも言えます。光が強くなればなるほどそれに群がろうとする虫も増えるというのが世の道理ですから」

 

「成程、確かに道理だ」

 

 教養のあるメイドであるクレアは話していて割かし楽しい。教養に富んでいるから話を合わせられるし、メイドとして今回同道できるレベルで家事なども出来て、なおかつロゼの覚えも良い。何でも話を聞くに昔からロゼの世話役として側で仕事をしてきたという話だ。サンクデルもまた、エドワード達がそうしたように将来の事を考えて娘に付ける従者を選抜していたという事なのだろう。本来であればここに追加で護衛が付いてくる筈だったが、

 

 サンクデルが用意できるどの護衛よりも俺の方が単純に強い。その為、リアだけではなくロゼの護衛も俺は兼ねる事となっていた。

 

 そうして俺達4人は辺境を出て、エスデル中央部へと向かう旅をしていた。辺境からここまで来るのに馬車を使ってさえ1週間という時間がかかった。だがその1週間という時間は俺達を新しい世界へと進める為の時間でもあった。俺が城壁を目視してから更に数時間後、

 

 漸く、普通の人の目に見える範囲にまでスラム街と城壁の姿が見えて来た。馬車の窓から頭を突き出そうとするロゼとリアをクレアが馬車の中へと引きずり込んだ。落ち着きのない様子は15歳になったとはいえ、まだまだ年頃の元気な少女らしさが見える。いや、或いは今、この年齢こそが少女らしさのピークなのかもしれない。俺も割とテンション次第でよく暴れるが、子供らしさみたいなものは二度目の人生である事を含めて失ってしまっているため、苦笑が零れてしまう。

 

「一応スラムだからな」

 

「治安がそこまで悪いという話は聞きませんが……それでも学園都市の周辺に展開するスラムというのもまた妙な話ですね」

 

「それな。なーんで潰さないんだか」

 

 その気になれば軍隊を動かすなりなんなり手段はあると思うんだけどね、とは思うが……逆に軍隊が動かないという事はそれだけの理由があるという事だろうか? ただ、学園都市そのものへと通じる道は綺麗に整備されており、スラム街からは切り離されている様に見える。街が見える範囲から実際にスラム街までやってくると、衛兵が巡回しているのが見える。

 

 少なくとも表、目立つ所でなら治安を心配する必要はなさそうだ。馬車の上から巡回している衛兵に軽く会釈を送れば、背筋を伸ばした敬礼が返ってくる。訓練もちゃんとされているのが今の動きでも見えてくる……あまり、心配する必要はなさそうだ。

 

 とはいえ、ぎらついた視線を奥の方から感じられる事実に変わりはないだろう。もうちょっときらきらした所をイメージしてたんだけどなあ? と心の中で呟きながら馬車を進めれば、やがて馬車が道の終わり、城壁に空いた門の前へと到着した。ソコソコ長い行列が出来ており、どうやら入るのに検査を受けている様子だった。流石大都市、城壁のない辺境の街等とは違ってここら辺のセキュリティ意識が違うらしい。

 

「これは時間かかりそうだな」

 

「貴族列とかありませんか?」

 

「いや、なさそうだ。今、前の方でどこぞのお貴族様が行儀よく並ばされた所が見えた」

 

「それは残念」

 

「暇だから降りて良い?」

 

「駄目」

 

「エデン! 私良い事を思いついたわ!」

 

「却下ですお嬢様」

 

 リアとロゼは未知の世界を前にテンションがかなり上がっている―――ナイーブになるとか、ホームシックになるとか、そういう世界とはまるで無縁の様に振舞っている。あれほど家を出る時は泣いていた癖に、今じゃ顔を期待と好奇心で輝かせている。本当にしょうがない娘達だなあ、と苦笑しながら御者台の上で、足を組んで時間を潰す姿勢に入る。

 

 女になって楽になった、と思うのは脚を組むときだ。男の時だったら股間のマイサンを挟まない様にしなきゃいけなくてポジションを調整しなくちゃいけなかったが、女になるとここら辺すっ……と足を組む事が出来る。地味だけど凄い楽になった事だと思う。

 

 逆に似たような問題で女になって大変だなあ、と思ったのはブラジャーの位置ずれ直しだ。ブラジャーというかパイポジと言うのか。体を結構を動かすタイプなので胸が揺れたりするとどうしても位置がずれて気持ち悪さがある。それを軽く手を突っ込んだりして位置を修正するのが地味に面倒だ。何よりも俺がパイポジ直しているのを見ると目からハイライトが消えるリアが一番めんどくさい。

 

 俺が一番大きく、ロゼは普通に大きめに育って、リアが虚無。そう、我らの中で唯一胸が育たなかったのがリアだったのだ。

 

 悲しいなあ、リア。お前の胸に未来はねぇんだ。いや、ほんと悪いな。

 

 ディメンションバッグからドライフルーツを取り出してもちゃもちゃと口の中で転がしつつ、馬車を引いてくれている馬たちにも軽く投げて与える。後ろからコートを引っ張る感覚に、振り返りながらドライフルーツを渡せば、直接餌付けされるようにリアが口で摘まんだ。

 

「行儀悪いですよ……エデンさんも、そこはちゃんと注意しませんと」

 

「この行儀の悪さが男除けになる。リアは俺が連れ帰って結婚するから行儀が悪くて良いの。というか俺が一生面倒を見る」

 

「どうしようもない……」

 

「でも良物件よ、エデン」

 

 ロゼが続ける。

 

「家事完璧、金も稼げる。お父様からの覚えはめでたくて、辺境の英雄って呼び声もある。最近はランクも上げてるから社会的な地位も得つつある。考えようによってはスーパーダーリンじゃないかしら? 性別間違えているだけで」

 

 ロゼの言葉に両手を上げてストロングスタイルのガッツポーズを取ると、リアが後ろから声を上げてくる。

 

「エデン、私ずっと食っちゃねして生きてたいの! 結婚しよ!」

 

「ええぞ!」

 

「類を見ないレベルの酷い告白を見た」

 

「エデンさんも脊髄反射で答えないでください」

 

「はぁ!? 考えてるがー? 考えた結果この世の男子共にリアをくれてやるのは勿体ないと判断している……そう、リアと結婚したいなら俺とエドワード様とエリシア様を同時に相手して勝てるぐらいじゃないとな……」

 

「武神と結婚でもさせるつもりかしら???」

 

「ロゼお嬢様はあの二方を反面教師にしましょうね」

 

「相当酷い事言うな、お前」

 

 笑い声を零しながら徐々に門へと近づいて行く。

 

 ―――俺達の、新しい生活がもう、直ぐ傍までやってきていた。




 感想評価、ありがとうございます。新章開始しました。

 エデン・クレア18歳、リア・ロゼ15歳。中央における辺境チームはこの4人が中心になって展開します。細かい事が色々と気になるかもしれませんが、追々回想や振り返りみたいな形で語っていきますのでお待ちを。

 めりっとさんから顔の良い男の絵を頂きました!
 
【挿絵表示】


 素敵な絵をありがとうございます!


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学園へ Ⅱ

「やーっと終わったな、検問」

 

「流石にチェックが長かったわね……まあ、場所を考えれば当然なのかもしれないけど」

 

 漸く検問が終わり、門を通る事が出来た。相手が貴族であっても一切の容赦がない検問は、賄賂に屈するとかそう言う事もなしに、真面目に行われていた。それだけでこの都市の衛兵団の質の良さが理解できる。そもそも、大量の貴族の子を預かる様な都市なのだからセキュリティ関係は相当厳しくなっている―――いや、だからこそ入れない人間が周囲に集まってスラム街が形成されたのだろうか? そこら辺はリアやロゼの警護の問題上、後々調べて回る必要があるかもしれない。

 

 そんな事を想いつつ巨大な門を抜けて都市内部へと入る。一度入ってしまえば出入りは比較的に楽になる。ここであった検問は初回と言う事もあったからこその長さだった。そしてそのストレスフルな時間が終われば、晴れて学園都市入りだ。

 

 整えられた道路から広がるのは光を呼び込む様に煌めく都市の姿、多くの学生が都市を歩き回り、そしてそれを相手に商売を行う活気ある商店の姿だ。奥へと続く道が見えるが―――その先はさらに遠くへ、そしてその先に巨大な学園の姿も見える。まだここから学園の入り口までキロ単位で距離があるように見える。それだけこの都市が、そして学園の敷地が広大なのだ。流石エスデル最大の学園にして都市だ。

 

 学園都市エメロード、エメはエメロアから来る知を意味する言葉。ロードとは道、即ち知への道を意味する都市だ。

 

 それはそれとしてこの世界の言語と英語混ざってない? いや、言語のぐちゃぐちゃ具合に関しては今更か、なんて思う部分もある。ドラゴン翻訳って結構適当に仕事してる感じあるしな……。

 

 そんな事を想いつつ、バッグから取り出した地図で現在位置を確認しつつ馬どもに指示を出す。足を組んで手綱を手放しながら地図を見て馬に移動の指示を出す姿は異様すぎて、周りの人達から視線が集まる。だが俺達辺境組からすれば何時も通りの操縦方法なのでまるで気にしない。地図を確認しつつ馬を走らせ、後ろの連中と会話を続ける。

 

「それで最初の向かう先はお父様の用意した家だったかしら?」

 

「えぇ、サンクデル様が私達が暮らせるように手配してくださった住居が用意されてます。鍵は既に受領してあるので後は現地で確認するだけですね……でしたね、エデンさん?」

 

「あぁ、別段俺とリアは寮暮らしでも良かったんだけどな」

 

「でもやっぱり皆一緒が一番楽しいよ」

 

「そうね。どうせなら見慣れた顔で一緒に居られるのが一番よ」

 

 遠く辺境から離れた地、この学園都市エメロードでは生徒たちには寮での生活を提供しているのだが―――それをどうしても気に食わないから家を建てるぜ! って実際にやってしまった馬鹿が過去にはいるらしい。そしてそれが恐らく学園から学園都市への変化の始まりだろう。最初は家が欲しい馬鹿が家を建て、その周囲に別の家が用意され、そしてそこにビジネスをかぎ取った連中が商店を開いた。

 

 そういう事で今では寮生活とは別に住居が都市の方で用意されており、そこで生活する事が出来る。とはいえ、この学園都市で永住するというのは相当難しい話ではあると聞いた。既に入口の検問でかなり時間を食われているからどれだけセキュリティを意識しているのかは理解しているが、その上で各国の貴人が勉学の為に留学する可能性もあるレベルの学園なのだ。ここで働く連中は全員身元のチェックが行われたり、不法に卒業後も居残って生活していないか等の厳しい検査も行われているとか。

 

 まあ、そのチェックを俺達は抜けたので今、こうやって都市内部に居られる。紹介状やら合格通知を見せないと入る事が出来ないというのは相当面倒だ。後は後々役所の方で出入りのためのパス発行を頼まないとならないし、入居手続きもしなくちゃならない。まあ、それに関しては家を確認してからでも遅くはないだろう。というかソッチに関してはクレアがやってくれる事になっている。俺は家の方で模様替えやら持ち込んだ手荷物の整理やらで体力と筋力を使う事の方を担当する事になっている。

 

 だから馬車を目的地へと向けて進める。

 

 賑わいを見せる都市の様子は学園都市と呼ぶわりには普通の都市と変わりないように感じられるものの、これを辺境で自分の知る唯一の都市と比べてしまうと、自分がどれだけ田舎にいたのかを理解させられる。ロゼとリアなんかはずっと窓に張り付いてきゃーきゃー言っているのが解る。そしてそれをクレアが窘めようとしているものの、彼女もちょっと興奮しているのが感じられる。総じて田舎のお上りさん感が抜けきっていないのはしょうがないか。

 

 俺はそう、新宿のラッシュアワー経験してるから……。あの足の踏み場もなく、人でごった返してぎゅうぎゅう詰めになった道路。満員電車で乗り込もうとしてタックルをかますクソおっさん。今思うと物凄い懐かしい記憶ばかりだ。今の日本と言うか地球、どうなっているんだろうか? あの頃連載していた漫画とかアニメの続き、ちょっと気になる所があるが、まあ、ぶっちゃけ漫画やアニメよりも今の生活の方がファンタジーだ。お蔭でこっちの生活のが楽しいからあまり気にならない。

 

 ふと、昔を思い出した時だけだ。気になるのは。

 

 それ以上に両親とか友人とか、ソッチが気になるが。

 

 まあ、心配したところでマジでどうしようもないので心配するだけ無駄だと理解してるのだが。

 

「しかし賑やかだな……確か冒険者ギルドもあった筈だしな」

 

「1つの都市で学園に必要な供給を満たそうとした結果出来上がったという話ですからね。主要な利用者が貴族や貴人なので金も良く落とします。その結果発展や投資が凄い勢いで進んでいるのでしょう。そういう意味ではここで店舗を構える許可を得られた人たちは幸運ですね」

 

「そうじゃないのが外に、と」

 

「たぶん。それでも強制退去や撤去されてない理由が良く解りませんが」

 

 やっぱ政治的アレコレとかあるんかなあ、とは思う。政治の話とか経済の話、理解はできるが面倒だからあんまり好きじゃない部類だ。そういうのは楽しいと思っている連中にぶん投げれば良いんだし。

 

 それはそれとして、入口から商業区を抜けて居住区へとやってきた。そして辿り着いたこれから数年間、我が家として活躍するであろう邸宅であった。そう、邸宅。流石辺境伯閣下、お金を大量に持っておいでである。邸宅としか表現できないであろう大きさの家は4人で暮らす前提込みでギリギリサイズを落としたと言えるサイズだった。というよりグランヴィル家邸宅に近いサイズだ。前庭、裏庭も込みで立派な門までついている。それを見た瞬間、恐らく俺とクレアは同じことを考えただろう。

 

 ―――そ、掃除が大変そう。

 

 その内捕まえた動物に掃除でも仕込むか。そんな事を心の中で決意しつつ馬車を一旦門の前で止める。門を確認すればやはり鍵が付いている。

 

「クレア?」

 

「少々お待ちを」

 

 馬車から先に降りたクレアが門へと向かおうとし―――一緒にロゼとリアが降りて来る。実のところ、全員着替えなどの荷物は俺のディメンションバッグに限界まで詰め込まれているので、このお嬢様方は完全にフリーハンドで移動できるのだ。俺、便利に使われてるなあ、なんて思いながら門を開けた瞬間前庭へと飛び込んで行く2人の姿を見た。しばらくクレアと一緒に邸宅の入り口まで走って行く2人を見て、

 

「庭の手入れ大変そうだな」

 

「これは流石に業者を呼ばないと厳しそうですね……エデンさん、分身とか出来ません?」

 

「流石に無理かなあ……」

 

 熊はグランヴィル家の庭の手入れを教えたら出来るようになってたし多分仕込めば行けると思うんだよな……。だが流石に学園都市にロック鳥一家や熊一家を連れ込むのはちょっとヤバイかなあ、と思って自重したのだ。考えてみれば当然の事だよな。

 

 クレアがお嬢様方を追って邸宅の入口へと向かう中、門を抜けて中に入った俺の方はと言えば、馬車をどっかに留めないとならない。軽く周辺を見渡せば、邸宅の横へと繋がる道が見える。あっちかなあ、と馬を進ませてみればすぐに厩舎などの姿が見えてくる。流石辺境伯様、ここまで全部用意してくれるのね。ロゼの為だと思えばきっと本人としては安いのだろうが……これ、全部メンテとかで面倒を見るの俺とクレアなんだと思うとちょっと嫌気が差してくる。

 

 まあ、学費自体はリアが頑張っている間は無料だ。後は生活費回り、家賃とかはロゼと共同生活をするから無料だし、食費は折半だ。サンクデルのお蔭で此方での生活が色々と楽になっている分、持っている金と仕送りで賢くやりくりしてくれ、という事なのだろう。俺もリアの為にと頑張って稼いだ貯金がある。これを使っていけばここでの生活もだいぶ楽になるだろうとは思っている……あの時した苦労は決して無駄ではなかったと思っている。

 

「おら、お前ら今日からここがお前らの住処だぞー」

 

「ひーん」

 

「ぶるるっ」

 

 ジーク1世とジーク2世とこいつらは適当に名付けておこう。1世と2世を厩舎に入れつつ、馬車を置ける場所を確認する。本来であれば馬を使って細かく調整する所なんだろうが、そもそも俺が馬車を持ち上げられるので細かい車庫入れするのに馬が必要じゃない。馬車から連中が外れたところで馬車を両手で持ち上げ、それを置く形で車庫入れ完了する。その様子をずっと見ていた1世と2世はパネェっす姉御! と嘶いている気がする。

 

 まあ、ドラゴンだしね? これぐらいはね?

 

 とりあえずこの邸宅にも車庫と厩舎があるのを覚えておき、前の方に戻ってから扉へと向かえば、既にリアとロゼが突撃した後らしく、扉は開けっ放しになっていた。

 

「おー、調度品の類は既に置いてあるか」

 

「サンクデル様が家具もある程度は既に運び込んでおいたそうです。少なくとも部屋の寂しさを考えなければこのまま暮らせますね」

 

「まあ、誰かを呼んだ時に品位を疑われるからある程度は飾らないとな。そこら辺のセンス、頼んでも?」

 

「えぇ、そこは私が担当しましょう。それでは私は役所へと向かってきます。地図とか借りますね」

 

「あいよ」

 

 バッグから役所で必要になる諸々や地図を手渡し、代わりに鍵をクレアから受け取る。クレアが役所へと向かうのを見送りながらふぅ、と軽く息を吐き出す。邸内の気配を軽く探ればリアとロゼがばらばらに走り回っているのを感じられる。こういう時の連中は本当に活きが良いというか……やっぱりまだ少女なんだなあ、と思わせられる。とりあえずディメンションバッグから荷造りして纏めた荷物をロビーに出しつつ、息を吸い込んで軽く声を張る。

 

「おーい! どの部屋が良いかは決めたかー? 荷物を出すぞー!」

 

「あー! 待って待って待って! 私この部屋が良い! エデンは隣の部屋ね!」

 

「私はこっちよこっち! 私はこっちの部屋ね!」

 

 そうやって騒いでいる少女たちの様子に苦笑を零す。この様子ならホームシックとかの心配は必要なさそうだ。とりあえず数日は荷ほどきや部屋の整理、後は調度品の購入とか必要となるだろう。新学期開始まではまだ1か月近くあるから余裕をもって準備を整えられるだろう。

 

 と、そうだった。学園の方へと入学のための挨拶に行かないといけなかった筈だ。特にリアは今年度の特待生の1人で、待遇が他の生徒とは違うのだからそこにも気を使わないとならない。

 

「後はリアとロゼの制服、教科書はカリキュラムに合わせてだっけ? 授業選択は初日の1週間前までは受け付けているから一応気を付けて、と……」

 

 これまでの生活、グランヴィル家での仕事は確かに家事とかがメインだった。そして割と暇な時間に自分のやりたい事をやる感じだったが、ここに来て一気に貴族の使用人、或いは従者と言う立場に求められる事が広がった気がする。こういう細かい事を細々と処理するの、俺のタイプじゃないと思うんだけどなー、なんて思っちゃったりもする。

 

「エデン! こっちこっち!」

 

 そう言って階段を降りて来たリアは俺の手を掴むと上へと向かおうと手を引っ張ってくる。それに釣られる様に上へと、カーペットの敷かれた階段を上がり2階の私室がある廊下へと向かう。既にロゼも其方の方で部屋の物色をしており、満面の笑みで自分の縄張りを主張していた。

 

 そうやって笑い合う少女たちの姿を見て、2人の姿を一気に抱き寄せて肩に担ぎ、1階へと連れ去る。

 

「オラ! さっさと荷ほどきやるぞ馬鹿!」

 

「もうちょっと探索させてよー!」

 

「みたーい!」

 

「駄目だ駄目だ! いっぱいあるんだから早めに始めないと終わらないぞ! さっさと部屋を決めて終わらせるぞ!」

 

 ぷえー、と気の抜けた反対の声を無視しながら2人をロビーで降ろす。

 

 中々愉快な日常が始まりそうな、そんな予感でこの地は溢れていた。




 感想評価、ありがとうございます。

 一種のシェアハウスだけど家元地位もヴェイラン家のものでござい。護衛戦力? 騎士団付けるよりもエデンがいる方が遥かに安全なので。エデンがロゼの近くで活躍すればするほど名声はヴェイラン家にも入るので実はこの采配、サンクデル閣下は全面的ににっこり。


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学園へ Ⅲ

 数日かけて役所での手続きを終わらせれば、次に待っているのは学園での入学受付だ。既に手紙を通しての入学の確認は行われているが、それとは別に本人のサインなども必要だ―――ここら辺の面倒さはどうしても日本を思い出してしまう。とはいえ折角ここまで来たのに蹴り出されたくないのは事実だ。その為役所での仕事を終わらせた所で、俺とリアとロゼで学園へと向かう事になった。

 

 我らの邸宅の前、門まで見送りに来たクレアの横に並んでいるのは数匹の犬だ。

 

「そんじゃお前ら、クレアの事ちゃんと手伝うんだぞ? ちゃんと帰った時にちゃんと手伝ってたのが分かれば後で遊んでやるからな」

 

「わふっ!」

 

「知らないうちになんか飼いならしたわね、エデン」

 

 ロゼの言葉にサムズアップを送る。そこら辺で暇そうな犬を見つけたら軽く話しかけて仲良くなっただけだ。辺境の自然界では猛威を振るったこの動物に好かれる体質、どうやら都会でも一切の問題なく効力を発揮するらしい。そのせいで散歩しているだけで犬やら猫やらが街中に出てくるのだ。お蔭でこのように動物の労働力を我が家は手にする事が出来た。クレアはやる気満々の犬共を見て、

 

「本当に大丈夫ですか? ちゃんと働きますか……?」

 

「大丈夫、大丈夫。基本的に野生もそうでない動物も全部俺のいう事を聞いてくれるしな。クレアは気にせず働いたり指示を出すと良いよ。こいつら働かせる分には金はあまりかからないし。今度、鳥を見つけたらガーデニング仕込んでやろうかな……」

 

「あまり都会の中に魔境を作らないでね? 異次元ルール展開するのはグランヴィル家だけにしておいて」

 

 失礼な。ロック鳥が裏庭で繁殖していて熊がガーデニングしているだけの普通の貴族だぞ。やっぱ普通って言うのはちょっと無理だわこれ。俺も便利だから調子に乗って色々と仕込んでやったけど他所では絶対にやってなさそうだなこんな事……まあ、便利だし別に良いか! そんな気持ちで邸宅を出る。ふんわりとしたリアのコーデに対してシャープな印象を受けるロゼのコーデ、対照的な2人に対して俺はどっちかと言うと男性的な格好をする。

 

 そんな三人で住宅街から商業区へと歩道を歩いて進んで行く。

 

 学校のシーズン開始が近い影響もあって、人通りはそこそこ多い。昔は良く見た日本の歩道程ではないが、それでも今も馬車などが通りを進んでいき、忙しそうに走る姿や、制服姿の学生が学園へと向かっている姿を見ると、辺境からまた別の異世界に迷い込んだような気分になる。

 

「しかし本当に人通りが多いわね」

 

「ま、都会と田舎の違いだな。人の集まる理由のある環境と、人の集まる理由の薄い地域の差かな。サンクデル様も結構頑張っている方だけど、やっぱり目玉となる要素がないと人は集まりづらいというか」

 

「やっぱりそこなのよね……将来的にはウチの領地にもウチでしかできない事業や目玉が欲しいのよね。発展させるなら間違いなく何らかの産業に手を出す必要があるんだろうけどねぇ……」

 

「ロゼは難しい事を考えるなあ。私は未来の事とかあんまり考えられないかなあ」

 

「ま、リアはそうだろうな」

 

「リアは恵まれてるからねえ」

 

「かなあ? お父様も、お母様も、好きな事やって良いんだよって言ってくれるんだけどねー。そう言われるとじゃあ何がしたいんだろってなってくるんだよね」

 

 良くある話だと思う。特に普通の学生とか、エスカレーター式に学校に通う子とかにはある話だと思う。半端に才能があってやれることが多いとなるもんでもある。やれることがあるけど本気になる訳でもない。選択肢が多いだけに目的を絞る事が出来ない。貴族には色々と義務が付属しているが、リアはそのほとんどを排除されている。必要なのは将来的にお金を稼ぐ事ぐらいだろうか? まあ、俺が養っても全然問題ないけど、それはそれでリア本人の為にもならない。結局のところ、何が出来て何がしたいかはリア本人が決めなくちゃならないのだ。

 

「学園生活で見つかると良いな?」

 

「うん」

 

 はにかみながら微笑むリアの様子を見て、俺も軽く微笑み返す。街も治安が良いからそこまで警戒しながら歩く必要もない。一部、貴族が従者や護衛を連れて歩く姿を見るが連中もそこまで周囲を警戒しているような様子は見せず、全体的に雰囲気は和やかだ。それだけに、やはり都市の外に広がっているスラム街の姿に違和感を覚える。やはり、今度自由な時間に外を調べてくる必要があるんじゃないかなあ、と思う。

 

 ともあれ、今は他にやる事がある。

 

 リアとロゼを伴い、商業区を抜けて中央道から真っすぐ、学園へと続く道を進む。都市の中心点、広大な土地に囲まれるように存在する学園はもうそれ自体が1つの街だと言いたくなるような建造物の大きさと多さを見せている。学園と言う街を、学園都市が包んでいる……ここ、エメロードとはそういう形状の都市なのだ。

 

 ここまで構築するのに馬鹿みたいに時間と金がかかったんだろうな、というのは歩いているだけで解ってしまう。

 

「うーん、ソコソコ歩くな。馬車で来た方が良かったか?」

 

「自分の脚を使わないと筋肉が衰えちゃうわよ」

 

「私、歩くの嫌いじゃないし」

 

「我らのお姫様方はなんとも逞しい事で」

 

 俺達が学園へと向かっている間にも馬や馬車が学園へと向かって走って行く姿が見える。そんな姿をゆっくりと歩きながら眺めつつも、俺達はついにそこへと到着した。

 

 エメロード学園へと。

 

 エスデル最大最高の学園、それこそ王侯貴族さえも通うほどの格式のある学園だ。よくあるコネクションを得るための場所ではなく、知識を求め、正しい成長を目指す若人の為の学園―――と、表向きには言われている。だがさて、その言葉が一体どこまで真実なのかはまだ、調べていないので判りもしない。リアとロゼの警護の事も考えるとやっぱりどっかで自由行動がいるだろう。

 

 近いうちに夜の酒場へと顔を出したほうがいいかもしれない。

 

 ウィローから紹介状も持たされているし、こっちのギルドに顔を出すのも良いかもしれない。

 

 何にせよ、新しい場所に来たら地理と現地のホットニュースを調べるのが基本だ。ここ数日は役所仕事で忙しかったり、或いは荷ほどきや部屋の整理。リアやロゼがベッドをあっちに、タンスはあっちにとか色々と煩いったらありゃしない。まあ、ハウジングはハマると永劫に抜け出せない沼だというのは良く解るが。

 

 何にせよ、どっかで色々と調べよう。その必要はある。

 

 そう思いながら道はやがて学園の敷地までやってくる。エントランスから続く広大な敷地、複数の学舎、それは今まで知っているこの世界のどの景色とも違う、学園と言う特殊な場所の姿だった。エントランスから三人揃ってその広大な姿を眺め、感嘆の声を漏らす。日本の学校や大学の様子は通っていたから知っている。大きな大学はそれこそ複数の校舎が存在し、その敷地を結構歩いたりして移動してたのだが……目の前に広がるエメロード学園の姿は、記憶にあるどの学園や大学よりも大きかった。

 

「お、おぉ……凄いわね。遠目に見て大きいわねぇ、と思ってたけど近づくとなおさら凄く感じるわね」

 

「うん……本当に校舎全部使ってるのかな? とか考えちゃった」

 

「学費は結構お高めだけどそれでも毎年入学希望は後を絶たないらしいぜ。学歴がどの国でも通じるステータスである事実に変わりはないからな。後一部校舎に見える奴は寮かなあ」

 

 此方へと来る前に、入学に関する書類等と一緒に届いたパンフレットを取り出して3人で囲んで確認する。上から見下ろした図が乗っているパンフレットには学園のおおざっぱな姿が描かれている。その中にどこに事務所があるのか書かれているのが割と助かる。だけどそれ以外に実験棟、運動棟、湖なんて物まで存在するんだから相当金がかかっている。しかも学園の施設はこの場に限らない。

 

 街を出てしばらく移動した所には実習用のモンスターを住まわせている森なんてものまである。人工的に再現された魔境の類は将来の騎士希望が腕を磨くための施設でもあるらしい他、自然環境でしか栽培出来ない素材や触媒を確保、保護する為でもあるとか。

 

 ふぁ、ファンタジー学園ー! って感じは滅茶苦茶してる。俺はこれに結構目を輝かせている。

 

 まあ、俺は護衛に来ているんであって入学はしないんだが。ちょっと残念。

 

 時折此方へと向けられる視線は温かみのあるもので、基本的に新入生を歓迎する様なほんわかした空気があるようだ。思ったほどガチガチの空気じゃなくてちょっと安心した。パンフレットの内容を確認するに、まず最初には受付まで行かないといけないらしい。その受付があるのが……どうやら中央正面の棟らしい。そこまでは迷う様な事もないので、真っすぐに広い敷地を跨ぐ様に中央棟へと向かう。

 

「しっかし本当に広いわね……流石に迷子になりそうな感じよね、この広さは」

 

「うん、全部覚えるまではちょっと時間がかかりそう」

 

「まあ、そこはしゃーないな。移動の時間に多少の余裕を取っておく事ぐらいしか対策はないだろうしな。それでも家を離れて暮らす学生としての生活ってのは一生に一度の経験だし、精一杯楽しんでおくべきだわ」

 

 その言葉にリアが此方へと視線を向けて、ジト目で俺を見てくる。

 

「なんか、エデンって時折経験したことがあるように色々言うよね」

 

「実はル=モイラ様に二度目の人生を与えられた特別な人間でね。俺には前世があるんだ。そこでは雲を突き抜ける高い塔が乱立しててだな」

 

「はいはい、与太はそこまでよ。もうつくわよ」

 

 先へと進むリアとロゼの背中姿を眺め、コミカルに息を吐く。軽くネタっぽく言ってみたが、まあ、前世や転生なんてほとんど信じられるような内容じゃないよな。なんとなくでこれまで前世の事を隠してきたが、良く考えてみると特に隠しておく様な事でもないのかもしれない。少なくともソフィーヤは俺が転生している事を把握しているし、なんなら冥府の神が実在するこの世界では俺の転生に冥府の神が絡んでいる可能性すらあるのだ。

 

 中央棟の中に入ると直ぐ入口近くの受付へと向かい、リアたちが案内を受けている。それを少し離れて眺めながらふと、考える。

 

 ―――もしかして、地球も異世界として存在してる?

 

 ふとそんな事を考えた。転生、死の川、命と転生を管理する神。人の命と理を見守る女神。異世界からの接触、魔界という世界の壁を超える存在。本当にちょっとしたことだが、これを組み合わせて考えてみるとまあ、地球も異世界として存在出来ているのかもしれない……なんて事を考える事が出来る。

 

 たとえば死後の世界は異世界で共通だったり、或いは繋がってたりして。

 

「流石に妄想のし過ぎか」

 

「エデーン! 選択授業色々とあるよー。どれが良いか解らない!!」

 

「事前に決めておけって話はしただろ……」

 

「だってどれが良いか解らないんだもん」

 

「もん、じゃねぇよ。もん、じゃ……ロゼは既に決めてあるんだろ?」

 

 頭を掻きながら受付に近づくと勿論、とロゼは胸を張りながら答える。

 

 

「政治、経済は領主を志すのなら必須だからまずはそれね。それとは別に基本教養が必修ね。学問をメインに進めるなら後は歴史とか割とお勧めなんだけどね……?」

 

「歴史は多分寝ちゃうかなあ」

 

「俺が代わりに覚えるべき所全部覚えてやったからな」

 

「私が言うのもアレだけどそれで本当に良く特待枠取れたわね……」

 

 リアに必死に勉強を教えていた時期を思い出し、俺もロゼも目頭を押さえる。滅茶苦茶大変だったし、卒業までは今の教育水準をキープしなくちゃならないので別になんも楽になってないんだよな。まあ、リアは流石エドワードの血を引いているだけあってかなり頭が良い、というか覚えた事を絶対に忘れないタイプの娘なので忘れる事は心配していない。それよりも覚えさせるためのモチベーションを維持する方が難しいタイプだ。

 

 言ってしまえば勉強が嫌いなんじゃなくて、単純に興味がないタイプだ。

 

 だから俺とロゼが勉強を教える上で一番重視したのはリアのモチベーションを維持する方法であり、勉強を楽しくさせる為の工夫だった。俺自身も日本で入学のために勉強を必死に頑張った記憶があるのでまあ、リアの気持ちは良く解る。とはいえ、ここで調子落として怠けたらキレ……いや、勉強って結局は個人の未来への投資だしなあ。

 

 勉強にやる気がないって事は結局未来はどうでも良いって事だし……。

 

 まあ、そこら辺リアがやる気出す様になったから元からあるポテンシャルが発揮されて、と言うのが今回の結果だ。今ではあの苦労も懐かしいものだ。

 

「ま、単位さえ取れるなら結局はどの授業を選択しても良いんだ。最初の1か月は授業の見学も許可しているみたいだし。興味のある奴を選んで、替えたくなったら事務で変更手続きを取れば良いだろ」

 

 ここら辺のシステム、中学や高校よりは大学寄りのシステムだよなあ、なんて花を咲かす様な雰囲気であーでもないこーでもないと言い合う2人を見た。

 

 学園生活、俺のそれはもうずっと前に終わってしまったものだが、その記憶は一生のものだ。

 

 彼女達にも一生続く楽しい思い出が増えれば良い事だ。




 感想評価、ありがとうございます。

 ファンタジーの学園もの、実はずっと昔から書きたかったジャンルの一つなんですよね。個人的にこの概念に触れたのはマナケミアが初めで、そっから割とジャンル自体が好きなんですわ。

 単位! 教授からの呼び出し! 追加される課題! 講義中に襲い掛かる睡魔!

 全部良い思い出ですね(震え声


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学園へ Ⅳ

 騒がしい昼間が終わり、静かな夜がやってくる。

 

 邸宅のエントランスで出かける為にコートラックからコートを取っていると、クレアがやってきた。

 

「情報収集ですか?」

 

「あぁ、そろそろ色々と調べてこようかと思ってね。ギルドにも顔出ししておきたいし」

 

 入学の準備を終えて、夜中は邸宅内で大人しくしているから俺が付き添う必要もない。昼間は俺が傍にいた方がまだ安心できるが、ここはそんなに警戒している必要もなさそうだ、というのが本音だ。まあ、王族や貴族が多いこの都市で治安が悪かったら国の評価が落ちるだろうし当然と言えば当然の治安の良さなんだろうが。コートに袖を通しつつ出る前に一度、クレアへと視線を向ける。

 

「俺がいない時に―――」

 

「解ってるので大丈夫です。其方こそお気を付けて、必要はないと思いますが」

 

「解ってるなら良し。確認するまでもないと思ったけど」

 

 まあ、クレアもクレアで最低限の戦闘は可能だから俺がいなくても相手が腕利きでもなければ大丈夫だとは思うが、それはそれ。一応保険の類は用意してある。じゃないと俺一人で護衛なんか任されないし。それはともあれ、情報収集のために邸宅を出る。

 

 邸宅を出て見上げる夜空は黒く、星々を浮かべ澄んでいる。日本では失われた夜空の美しさ―――辺境で見慣れた夜の空だ。俺の方がもしかしてホームシックなのかもしれないなあ、としきりに辺境と東京の事を思い出しつつ考えた。その考えに苦笑を零しながらゲートを抜けると二股の黒猫が小さく鳴きながら足元にすり寄ってきた。

 

「お前は散歩かい? 一緒に来るか?」

 

 肯定するように小さく鳴いた黒猫は足の周りに体を擦り付ける様にぐるりと一周すると横に並んだ。どうやら今夜は可愛らしいゲスト同伴らしい。1人じゃないというのはどれだけ強くても心強いものだ。特に夜の闇というのは嫌な事ばかりを思い出してしまうから、同伴してくれるゲストがいるだけで足取りが軽くなる気がする。

 

「ま、とりあえずはギルドか」

 

 バッグから地図を取り出して自分の位置とギルドの位置を確認する。そこそこ歩く必要があるみたいだが、まあ、夜風を浴びながら散歩するとでも考えればそう悪くもないだろう。地図を畳んでバッグの中に戻しながら二股の黒猫を連れて歩く。

 

 夜の学園都市は昼間の騒がしさが嘘のように静かで、あまり人が歩いていない。巡回している衛兵の姿は変わらず存在している所、真面目に仕事をしている事に変わりはないらしい。バッグから常備しているドライフルーツを取り出し、それに噛みつきながら人のいなくなった通りを歩く。

 

 うん、悪くない気分だ。

 

「これでウォークマンでもあればなあ」

 

 いや、流石にウォークマンは古すぎるか。MP3プレイヤーも相当古い遺物扱いだしな……。最近はもっぱらスマホで聞いてるか? まあ、こういう夜中、歩いている時はやっぱり一曲でも聴きながら歩きたいものだ。その手の科学技術が一切存在していないからしゃーない、と言っちゃえばしゃーないのだが。

 

「こういう事を言ってるとるっしーの音楽文化を流行らせるって気持ちも解るけどな」

 

 夜中があまりにも静かで、寂しいのだ。

 

 まあ、考えてみればこの世界、夜の光源はランプだがそのランプは基本的に燃料を必要とするのだ。燃料や蝋燭はお金がかかるし、魔力ランプは実はそこそこ値が張る代物だ。お金に余裕があるのか、夜間でも営業しているタイプの店舗でもないと夜は必然的に静かになる。

 

 地球でも夜の活動が活発になったのは電球が発明されてからだっけ? なんかそんな覚えだった気がする。あー、駄目だ。記憶が彼方にある。流石に地理で勉強した雑学と歴史関係はもうあんまり思い出せないわ。必死に詰め込んで勉強した範囲ばかり思い出せてしまう。そう考えると、ちょっともったいない人生送ってきたなあ、なんて思っちゃう。まあ、でもその時必死に覚えた経済や算術、政治関連のあれこれがリアの勉強の糧になってるんだから、

 

「世の中本当にどうなるのか解ったもんじゃないな……」

 

 みゃあ、と足元から鳴き声がする。黒猫の姿に軽く笑みを零しながら自分の今の位置を確認する。向かおうとしているギルドは中央通り、解りやすい所にある。住宅街を抜けたら商業区に入り、その中に中央通りがある。

 

 そして中央通りは住宅街よりは比較的に活気に満ちている所だった。

 

 夜でもオープンになっている酒場には仕事に疲れた大人たちが集まっている。考えてみれば学生と言える子供達がメインの都市だが、運営しているのは大人たちなのだからそういう人たちにも憩いの場は必要か。俺やクレアみたいな使用人や護衛、ここで暮らしている人たちの為の場所もあるのだろう。

 

「おーい、そこの姉ちゃんこっちで飲まねぇかあ」

 

 酒場の近くを通りがかると、中から混ざらないかとお呼びがかかる。それに軽く手を振って払いつつ通り過ぎて行く。陽気だなあ、と苦笑しながら更にしばらく歩き、漸く冒険者ギルドエメロード支部が見えた。

 

 辺境にあったギルドより大きな建造物で、合計4階建てとなっているのは純粋に驚いた。建物の大きさはそれだけ需要を示すものでもある。この学園都市ではそれなりにギルドの需要があるらしい? まあ、戦闘方面ではないのは解り切った事実なのだが。

 

「人混みは大丈夫かお前?」

 

 同伴しているゲストに問うと、鳴き声で返答が返ってきた。どうやら黒猫は大丈夫らしい。なら気遣う必要はないか、とそのままギルドの入口を抜けて中に入る。

 

 その先に広がっているのは見慣れた光景だった。

 

 ギルドの商業スペース、飲食スペース、そして奥のカウンター。その基本構造はどうやら地域が変わっても一緒らしい。入口を抜けた所で自分に軽く視線が集まるのを感じる。それらを無視しながらカウンターへと向かえば、此方は若い女性の受付が担当しているようだった。茶髪の合間から生えている鹿角を見るからに、辺境では見たことのないタイプの獣人だろうか。受付嬢は俺の姿を確認すると笑顔で挨拶してくる。

 

「こんばんわ、夜遅くまでお疲れ様です。ようこそ冒険者ギルド、エメロード支部へ。何か御用でしょうか?」

 

「先日こっちに来たばかりでな。ちっと挨拶に」

 

 バッグからウィローの紹介状と冒険者カードを取り出す。失礼します、と言いながら受け取った受付嬢はカードの方から確認する。

 

「なんと、ブロンズの方でしたか。ソロでブロンズにまで上がれているのは凄いですね……」

 

 感嘆の声と共に周囲からの注目度が上がった気がする。そこそこ世渡りしているような奴であれば見てどれぐらいの年齢かは察せるだろう。そして現在、見た目だけなら俺は大体18歳ぐらいだ。やや歳が解りづらい種族の特徴があるので推察できる年齢は前後するかもしれないが、20に届いていないのは解るだろう。その上でブロンズに到達しているというのは相当実力とコネがあるという事だ。

 

 特に壁とさえ言われるスチール級冒険者を超えてブロンズに上がるには年間達成数と依頼達成率を参照される為、そう簡単にはいかない。依頼は常に取り合いになるし、依頼の取り置きなんてものは中々成立しない。だからこそ達成数が大きくなるスチール、そしてシルバーはランクを上げる上での壁だと認知されている。

 

 だがこれも、攻略するための小技や裏技が存在する。

 

 一つ目がパーティーとして活動する事だ。複数人で複数のクエストを受ける事で効率的に処理し、尚且つ達成報告を共有する事が出来る。こうする事で一気に増える達成数をクリアする事が出来る。

 

 二つ目がコネを利用して定期的に依頼を用意してもらう方法。これが俺のランクをこの3年間で上げられた理由だ。サンクデルが俺を広告塔、というかもう1人の“宝石”として手元に置く為にギルドに俺用の依頼を出して、俺がそれを処理する事で安定した依頼供給と達成を可能にしたのだ。

 

 ちなみにギルド側も馬鹿じゃない。こういうやり方をやっているとギルド側から当然調査が入る。素行調査、戦闘力調査、何か黒い所があるんじゃないか? そういうチェックをする為の専門の人だっている。俺の場合ここら辺のチェックが人狼のオーケストラ討伐や人食いワータイガーの討伐で証明されていた上、バックとして領主とグランヴィル家という辺境で力と人望を集める二つの貴族家があったのが幸いしているので何も文句は出なかった。

 

 まあ、ギルド側としても実力良し、人格良し、経歴良し、見た目良しな人材はさっさとランクを上げて広告に利用できるようになってくれた方がありがたいのだろう。

 

 そう言う事で3年で俺のランクはブロンズまで上げられていた。サンクデルのバックアップがあったとはいえ、人狼のオーケストラ討伐の功績が無かったら無理だったかなあ、というラインだ。一部の街の人たちからすると辺境の英雄みたいな扱いだったしな……。

 

 正直な話、知り合いも斬り殺して終わらせた身からするとそういう扱いは解っていても、居心地の悪いものだった。

 

 ま、そんな話はさておき、ギルド内で俺がブロンズである事が告げられたことで俺に向けられる視線は見た目の良い女から、見た目の良い実力のある女へと変化した。そこら辺の視線の向け方、変わり方は女になってから敏感になった。特に胸とか尻に向けられる視線って意外と解りやすいんだよな……今も向けられているし。

 

 まあ、胸元を軽く開けているのが悪いかもしれないが、ここ開けてる方が楽なんだよね。

 

 谷間、蒸れるし。

 

 ちなみにこの話をリアにすると暴君化する。

 

「紹介状の方を確認させて貰います」

 

「どーぞどーぞ」

 

 受付嬢はウィローの紹介状を確認するように開くと、数秒内容を眺めてから振り返る。

 

「すいません、マスター! マスターあての紹介状っぽいです」

 

「んー? どれどれ」

 

 そう言って受付嬢に呼び出されたのは長い緑髪から花を咲かせる女性の森人だった。どうやら彼女がこのギルドのマスターらしい。受付嬢から紹介状を受け取ると、その内容を確認しながらくすり、と笑い声を零す。

 

「ヴェイラン支部の肝入り、ね。どうやら相当アイツに気に入られているようね。どう、元気だったアイツ?」

 

 具体的な名前を出さずに話しかけてくる森人の姿に軽く首を傾げ、

 

「アイツ、ってのはウィローの事? まあ、元気にやってるよ。普段から何かと煩い所あるけど。辺境でのんびりやってるし、長生きしてるから次のマスター候補だとか」

 

「やっぱりまだ口煩いんだアイツ。昔から無駄に優しくて無駄に親切なのよ。そこが良い所でもあるんだけど、同時に欠点でもあるのよね」

 

「元カノかなんか?」

 

「元夫婦ね。ジャスミンよ、宜しく」

 

「エデンだ、宜しく」

 

 ウィローの奴バツイチだったのか、まあ、良い人だけどお節介が過ぎて離婚しそうな感じはあるよな、なんてクソやかましい事を考える。それを察してかジャスミンも苦笑を零す。

 

「ウチのお嬢様方の護衛でこっちに来てるから、これから良く顔を出すと思う」

 

「そうね、私達としても有能な冒険者が居てくれる事は大歓迎よ。ここでの主な仕事の説明、必要?」

 

「頼む」

 

「それじゃあエミリー、頼むわね」

 

「え、私ですか? そこはマスターのやる所じゃ」

 

「めんどくさいもの」

 

 ジャスミンの一切悪びれない様子に苦笑を零しつつ去って行く姿を見送る。そんな性格だったからウィローとは長続きしなかったんだろうなあ……というのが見えている。まあ、実際のところ任せられる人間がいるのならそっちに任せた方が良いのは正しい。エミリーへと視線を向けると頷きを返してくる。

 

「あははは……それではこのエメロードにおける冒険者ギルドの立ち位置を説明します。……と言っても、別にそう複雑なものでもありません。他の所でもそうですが、人の集まる所では専門職が集まりやすいです。その為、冒険者に回ってくるのは雑用ばかりになります。お使いとか、代理で調達の依頼とか、店番の手伝いとか」

 

「俺がいた辺境じゃ間引きと討伐依頼で溢れてたけど、こっちはそういうのが全くないのか」

 

「はい。此方には国から派遣されている騎士団や軍人が駐留していますからね。治安維持も、モンスターの間引きも基本的に国の方で行っています。稀に調査でヘルプを頼まれるぐらいですが……それにしたって腕に信用が置ける“金属”でもないと見つかりませんね。それに……」

 

「それに?」

 

「学園側でも似たようなシステムがあるので、がっつり競合しているんですよね……。学園で管理している秘境とかでの素材調達とか、がっつり学園側で管理されてるんで招待がない限りこっちからは触れられないので」

 

「それでも支部がある辺りそこそこ需要はあるのか」

 

「はい、と言ってもやるのは本当に雑用みたいな感じですが」

 

 後はそうですね、とエミリーが言葉を続ける。

 

「スラム街。アレに関連する依頼も基本的に私達で処理してますので、メインは其方でしょうか」

 

「スラム街」

 

 エメロードの周囲に展開する貧困層の居場所。それが一番気になる所でもあったのだ。冒険者ギルドがスラム街に関わっているというのなら、いい機会だし話を聞かせて貰おう。

 

 この街の、一番特異な所を。




 感想評価、ありがとうございます。

 学園が社会経験を積ませる目的で似たようなシステムを採用した結果、冒険者の仕事が凄い勢いで失われたという話。供給が生まれれば、当然質の良い方に人は流れる!

 悲しいけど、冒険者はプロフェッショナルには勝てないのだ。

 そのプロフェッショナル化のラインが“金属”からなんですねー。


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学園へ Ⅴ

「―――スラムか、確かにそれは気になってたんだよな」

 

 城壁の外に展開されるスラム街。普通に考えれば取り壊される様な場所だ。それが取り壊されずに残されている事がおかしい。それを問う様な視線を向ければ、エミリーは頷いた。

 

「そうですね、では前提としての話ですが……このエメロードは学園が最初にあり、そこを中心として街が作られました。そしてそこから発展したというのは解りますか? えぇ、なので最初は城壁なんてものはなかったんです。街としての形が整ってきた辺りで防備のために追加されて、そこから街が大きくなるのに合わせて取り壊しと拡張が繰り返されてきたんです」

 

「……読めて来たぞ。街の拡張に合わせて自分も街の内側に入れて貰おうって奴だな?」

 

「正解です。ですが実際のところ、土地の不法占拠なので法的には完全なブラックです。彼らはあそこに留まる事は出来ず、そしてあそこにある建造物も全て取り壊される筈なんですが……」

 

 が、と言葉をエミリーは置き、一拍間を作ってから話を続けた。

 

「ここから厄介な話でして、あのスラム街には武装したマフィアが住み着いていまして」

 

「マフィア」

 

「その、あまり大っぴらな話には出来ないんですが、貴族との繋がりがあったりするんです。非合法なものとかを頼みたいときには便利ですし。取り締まりたいのは事実なんですが、対応する動きを取ろうとするとどうやらストップがどこかでかかるらしく」

 

「うーん、この」

 

 腕を組みながらエミリーの話に耳を傾け、国がどこかしらで腐っているのはまあ、どの時代どの国でもある事なんだな……というのを解らされた。しかしそうか、犯罪組織か。存在していると解っていても力のある貴族と繋がりがあるからどうにも出来ないというタイプの奴か。そりゃあ確かに使い捨て出来る人材でもないと調査とか頼めないわけだ。

 

「面倒そうだなぁ」

 

「実際に面倒です。ですけどそれが飯のタネになるので文句は言えません。エデンさんも、出来たらマフィア関連の仕事受けてくださいね―――定期的に失踪者が出るので」

 

「考えとく」

 

 今の俺の立場はグランヴィル家従者だ―――つまり俺の行動がグランヴィル家の評判と品位に繋がるのだろう。こういう依頼、ほぼ間違いなく俺が受けたら戦う事になるだろうし、その場合絶対に周辺を更地に変えてしまうだろうという確信がある。マフィアのバックに本当に貴族がいるのだとすれば、あまり関わりたくはないなあ……というのが本音だ。

 

 こりゃあこっちにいる間は冒険者活動は封印かなあ、なんて事を考える。

 

 少なくともこっちで冒険者として活動する事に対する旨味はない。後はマフィアの勢力や目的を調べて、ウチのお嬢様方の安全を確認しておくぐらいだろうか? もうちょっと詳しい情報が欲しいけど今はこれぐらいで良いだろう。

 

「話、助かった。定期的に顔を出しに来るよ」

 

「此方こそ改めて宜しくお願いします」

 

 エミリーと最後に握手を交わしてからギルドを後にする。話している間は大人しくしていた黒猫も俺がギルドを離れるのに合わせて一緒にギルドを出て行く。中々礼儀正しい黒猫だ……気品を感じるけどどこかの飼い猫なのだろうか? しゃがんで首元を確認するが、首輪を付けている様子はない。野良だとしたらなんかの変種だろうか?

 

「ま、気にする事でもないか」

 

 応える様に鳴く黒猫を連れて再び夜の街を行く。流石治安が維持されているだけあって平和な夜だ。

 

「このまま戻るのもちょっとつまらないな……どっかで一杯引っかけるかー?」

 

 無論、酒の話だ。18歳になってお酒解禁……という法律は別にこの世界にはない。そもそも貴族は酒を嗜むのが基本だ。リアは飲めない、というか完全に下戸でワインが飲めないという問題があったりする。それでもエドワードやエリシアの晩酌に付き合ったりするのでそこそこお酒は飲んでいる方だったりする。まあ、当然龍の体なのだ。アルコールで酔う様な事はなく、今まで一度も酔っ払った経験がない。だから酒を飲むというのは純粋に味を楽しむ行為。

 

 結果、酔う為に飲む安酒というものが飲めない。

 

 そういう意味では大衆酒場はまず最初に除外される。基本的に大衆酒場で出される酒はエールやワインがメインだが、此方は安いかわりにそこまで美味しくは出来ていない。冷えてないエールを出す所だって多い。ああいう酒は簡単に酔っぱらえるからその為に飲むようなもんだ。俺が飲んだ所であまり意味のない奴。

 

 だから酒を飲むときはそこそこ値の張る店に行かないとならない。

 

 商業区を徘徊するように歩きながら何かいい店がないか、と歩き回る。

 

「まあ、財布に余裕はあるし収入源もあるから正直ちょっとお高めの酒でも問題はないんだよな……」

 

 黒猫が鳴きながら首を傾げてくる。黒猫の解っていない様子に苦笑を零す。

 

 奨学金獲得によってリアの学費の為に溜め込んだ俺の金は一部、奉公という形でグランヴィル家に入れようとした―――まあ、その直後怒られながら突き返されたのだが。なので俺の手元にはどうしたら良いか解らない大金が残ってしまった。装備を購入する必要がないから、金なんて娯楽と飯ぐらいにしか使う事が出来ない。生活費だってシェアハウスの関係上ヴェイラン家持ちでもあるのだ。だからほんと、自由に使う事の出来るお金ばかり残ってしまった。

 

 ワータイガーや人狼、それから数々の依頼で稼いだ金はそれなりに溜まっている。基本的には生活費やリアの為に使おうと思っているのだが、ちょっとぐらい贅沢なお酒を飲むのに使った所で文句は言われないだろう。

 

「とはいえ、基本的に貴族って外では飲まないからな……」

 

 商業区をうろうろと店を探して歩き回るが、これ! と言えるところが見つからない。基本的に貴族連中が飲むときは家で飲むし、酒は商会で購入して持ってこさせる。だから高級酒を店で飲むという文化は馴染みが薄い。基本的に外で飲むと言えば大衆用の酒場で飲むのがメインになってしまう。加えてここは貴族や学生の多い都市だ、その関係で更に外飲みできる場所は少ないのかもしれない。

 

「どーっかに静かに美味しく飲める所はないかなあ……るっしーの所があればなあ」

 

 今考えるとバーの構想って丁度そこら辺の隙間を埋める上手い発想だよなあ、って思う。まあ、今の飲み方の主流から外れるからそこまで売れるって訳じゃないんだが。それでも俺とるっしーが口だしした影響でルインの経営状況は赤字から黒字へとシフトした。何をやろうとも行動全てが赤字へと直結する女ルイン、マジで凄い。あそこまで才能がないのは初めて見た。この世で一番やばいのは働き者の無能って言葉を聞いたことがあるが、商売に関してはルインはそういう部類に入る。

 

 まあ、連中は辺境だ。ここにいる訳がない。

 

「の、飲みませんか……ぴ、ぴょん!」

 

「―――」

 

 とか思ってたらバニースーツ姿のルインが看板を片手に客引きをしていた。あまりの光景に思わず言葉を失うほどドン引きしてしまった。普段はスーツ姿で隠されているだけにバニースーツになった今、そのスタイルの良さはいかんなく発揮されているのだが……なんというか、こう、

 

 滅茶苦茶居た堪れない。

 

 ルイン本人も看板を片手に顔を滅茶苦茶赤くしながらぴょんと跳ねてアピールしているのがあまりにも哀れだ。

 

「ぴ、ぴょん」

 

 何がとは言わないが、揺れてる。だがそれでさえ哀れさを助長している。両手で顔を覆うと、真似するように足元で猫ちゃんが顔を前足に隠した。

 

「いや、お前、お前……!」

 

「う、売り上げに欠片も貢献出来ないなら少しは貢献できる事でもしろって客引きに出されたんです……1人でも店内に案内出来たら解放されるんです! エデンさん! お願いします! 飲みに来ませんか!? ぴょん!!」

 

「跳ねるな……跳ねるな! 行くから! 行ーくーかーら!」

 

「ありがとうございます、ありがとうございます……!」

 

 なんかもう悲しいよ俺。どうしてそんな事になってんだよお前……。解るけど解りたくないよ……。

 

 そんな事を考えながらルインに手を引かれてミュージックバー“ジュデッカ”エメロード支店へと連れ込まれてしまった。辺境支店で見慣れた内装にデザイン統一してるのか、それとも転移系の魔法か技術で同じ場所に来ているのかどっちなんだろうなあ……なんて事を考えながら入れば、ルシファーがバーテンダー服でカウンターの向こう側に、もう1人見たことのない青年と共に立っていた。

 

 ルインが俺を店の中に連れ込むと、胸を張ってドヤ顔を浮かべるが、

 

「経営者を連れ込んでも利益が本人に還元されるだけだぞ? 客カウントされないぞ……?」

 

「……あっ」

 

 一瞬で自分の過ちを理解したルインが両肩を落としながら看板を担ぎ、再び店の外へと向かってとぼとぼと歩いて行く。その姿を見送ってからカウンターでバーテンダーのまねごとをしているルシファーへと視線を向けた。

 

「今日はサックス鳴らさんのか?」

 

「客がいないからな、布教が出来ないのだ、マイフレンドよ」

 

「出店する場所絶対間違えてるって……」

 

「ふっ……」

 

 ルシファーはそう言われると少しだけ笑いを零し、迫真の表情を浮かべた。

 

「お前がエメロードに行くからエメロード支店作ると断言して実行したのはあの女だ。需要とか何も考えてないぞ」

 

「嘘でしょ」

 

 これには猫も宇宙猫顔。にゃーん、と何も考えていないルインの行動に思考を放棄してしまう。いや、うん、なんというか……うん……言葉が見つからない。なんか、もう、あの女本当に誰かが見てないと駄目じゃないかなぁ。というかこれまでの黒字、これだけで全部吹っ飛んでる気がするんだけどもしかして気のせい? 気のせいであってくれ。アイツの口座もう凍結した方がいいいんじゃねぇかなあ……。

 

 まあ、それはそれとして、

 

「るっしーの横にいるの新人?」

 

 俺がその言葉を向けるとルシファーの横で目に解るぐらい挙動不審という段階を超えたレベルで体を震わせている青年の姿があった。ざっくり切られた青髪をオールバックに流している青年はこっちの視線を受けると滅茶苦茶体を震わせながら、

 

「あ、あ、あの、あの、その、ぼ、僕」

 

「あぁ、こいつは店舗が増えた関係で新しく雇ったバイトだ。辺境にいたんだけどやる気があるからこっちに連れて来た」

 

「ヴぁ、ヴぁヴぁヴぁ、ヴァーシーです! 僕! エデンさんの大ファンなんです!!! あの、何時も応援してます! 格好良い所が好き!! あっ、ご、ごめんなさい! 迷惑でしたよね!? 気持ち悪かったですよね!? 死にます!!!」

 

「死ぬな」

 

 唐突にナイフを持って自殺を試みるバイトを止める様にルシファーが横から手を出してガードする。必死に自殺しようとするヴァーシーの姿を見て、またすげぇ濃い奴が増えたなと思う。唐突に自殺を試みるバイトなんて見たことないぞ。

 

「まあ、特に何かしたって訳でもないけど……その、応援ありがとう」

 

「あ、ぃぇ、ぅっす……」

 

 顔を両手で隠したヴァーシーがそのままその場で蹲ってカウンターの下に隠れてしまう。そんな風に姿を消してしまった限界オタクの姿を見て、腕を組みつつ首を傾げる。

 

「大丈夫かこの店」

 

「大丈夫に見えるなら眼科をお勧めする……この世界にはないがな」

 

「行けないんじゃな。いや、まあ、欠片も大丈夫そうには見えないけど」

 

 そう言うとルシファーはだろうな、と頷き、此方へと向かって見事なサムズアップを向けてくる。

 

「そういう訳で当店の売り上げはフレンドがどれだけここを宣伝できるかで決まる。ふふ、マージンが欲しいか? 盛大に宣伝してくれ。俺も早くステージに戻りたい」

 

「もうさあ、何をしても地獄なんだよなあ、この店」

 

 溜息を吐きながらカウンター席についたら指で軽くカウンターをタップする。それに笑みを零したルシファーがカクテルを用意し始める。その姿を頬杖を突きながら眺める。

 

「器用だなあ、お前」

 

「長く生きていればそれだけ暇な時間が増えるのさ、マイフレンド。そして退屈とは毒薬の様なものだ。浴びれば浴びる程体にしみわたって末端から腐らせて行く。抗うには何かに打ち込むのが一番さ。それこそ下手な物ほど良い……上達するのに時間がかかるからな」

 

「その努力家思考には脱帽だわ」

 

「長く生きていればその分忍耐強くもなる。その内解るさ」

 

「その内、ねぇ」

 

 みゃあ、と鳴き声を零しながら横の椅子に上がった猫の前にミルクが、そして俺の前に透き通った赤い色のカクテルが置かれた。軽く手に取って匂いを嗅ぎ、カクテルの中に混じった僅かなフルーツの匂いを感じ取ってから口を付ける。度数は高くなく、甘い。飲みやすくさらっと喉を通る感覚は悪くない。

 

 まあ、こうやって静かに飲める場所が無くなるのは嫌だし……似たような趣味を持つ人を見つけたら宣伝しておくかなあ。

 

 そんな事を考えながらエメロードでの夜が更けて行く。




 感想評価、ありがとうございます。

 黒幕! 加害者! デバフ! 顔が割れていないので当然のように出現します。


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新入生

 朝、両手を広げるリアの前に立ち、或いは横に立ち、服や髪をささっと調整する。もうこれは手慣れたものだ。何年間もやっているだけあってリアの着替えも手入れも全部出来てしまっている。こういう所だけを見れば貴族とその従者なんだけどなあ、なんて思いつつ短い時間できっかりと何時も通りのリアを仕上げる。

 

 そうやって出来上がるのは黒の制服姿のリアだ。黒い服に銀髪が良く栄える。まあ、黒のみというのは中々どうかと思うが、制服としては結構スタンダードな形ではある。形状は―――まあ、特に語る事もないスタンダードなブラウスとスカートのタイプだ。乳袋なんてものは存在しない。そんなもん元々リアには無理だが。

 

「制服、似合ってるぞ」

 

「ありがとう。エデンも一緒に通えたらよかったんだけど……」

 

「年齢も違うし、学費も馬鹿にならないんだから無理」

 

「でもサンクデル様は一緒に通わせても良いって言ってたよ?」

 

「あのおっさんは食えない所あるから頼り過ぎちゃ駄目」

 

 まあ、俺を“宝石”にして自分の切り札の一つとして手において置こうって魂胆は読めているんだが、その気になったらマジで囲い込んだり養子縁組しそうな気配はあるんだよな。現状、俺って家といえる後ろ盾がないからサンクデルの様に金で経歴を作れる人なら俺がどこの生まれとか偽造する事出来るし。まあ、頼るには頼ってるんだが、それでもそれには限度があるよなって話である。何事もバランスが大事だ、バランスが。

 

「それよりも良いか、リア。良く聴くんだぞ」

 

 両手でリアの頬を挟み、視線を合わせる。リアは俺の言葉に真剣な視線を向ける。

 

「これからお前が通う学園には大量の同年代の学生たちがいる。その中でも最上位の立場にお前はいる。だってお前はそれを純粋な努力で勝ち取ったんだからな。だから多くの奴はお前を羨むし、そしてやっかみもする。だけどそこで得られる経験は、一生の内に今しか得られないものだ……俺は助けられないから、存分に楽しむんだぞ?」

 

「うん」

 

「なら良し! 昼食代はちゃんと持ったな? ハンカチもあるな? ディメンションバッグに全部入れてあるな?」

 

「大丈夫だよ」

 

 リアには俺が普段使っているディメンションバッグを渡してある。普段は俺が便利に使っているんだが、まあ別段持っていなくてもどうにかなるという事でもある。なのでリアにも使える様に調整を施した上で今はリアに貸してある。教科書やらなにやらと持ち歩かなきゃいけないものは多いし、金のある貴族は安物であれディメンションバッグを持ち歩くのが基本だ。だがウチにそんな金がない以上、俺の物を使わせるのが最善だ。

 

 なんか……凄い貧乏みたいで悲しいな。

 

「楽しんでおいで」

 

「今日は半日だけだし、直ぐ帰ってくるよ。ロゼも一緒に居るし大丈夫!」

 

「なら良いんだけどなぁ」

 

 通学の準備を終えたリアが部屋から出ると駆け足で部屋から出てエントランスへと向かう。その様子を廊下で転がっていた黒猫があくびを漏らしながら眺めると、俺の姿を見て立ち上がって近づいてくる。しゃがんで二股の黒猫の腹を撫でつつ、階の上からエントランスではしゃいでいる2人の少女の姿を眺めた。見送りをする為に下にクレアが行くと、ロゼが上に視線を向けてくる。

 

「早く来ないと置いて行くわよー」

 

「どうせ追いつくから心配しなさんな。それよりもお前らは早くいかないと遅れるぞー」

 

「あ、そうだった」

 

「なら急ぎましょうか。行ってくるわねクレア」

 

「行ってきますクレアさん」

 

「行ってらっしゃいませ、お嬢様方」

 

 クレアの一礼と共にリアとロゼが邸宅を出た。その姿を扉が開いて、そしてその向こう側へと消えて行くところまでじっと眺めた。彼女達が学園へと向かってからも数秒間その様子を眺めていると、下の方からクレアの声がしてくる。

 

「仕事、ちゃんとしてくださいね?」

 

「わーってるわーってる。それにここ、昼も夜も警備相当がしっかりしてるから街中で警戒する様な事は何もないよ、マジで。“金属”級の警備が割とそこら中にいるんだわ。それにリアもロゼもマーキングを付けてあるから変な事があるようなら一瞬で解る」

 

 腹を撫でていた猫は手の中から抜け出すと日向を求めて移動を開始する。昨晩出会った二股の黒猫だが、妙に気にいられたらしく結局邸宅の方までついてこられてしまった。家猫として飼うなら首輪を用意しなきゃいけないが、この黒猫は首輪を付けられるようなタイプじゃないと思うんだよなぁ……。

 

「それになあ」

 

「それに?」

 

「見送る側をやってみたかったんだ」

 

「……?」

 

 クレアはその言葉に首を傾げる。まあ、解りづらいだろうなとは思う。でもさ、俺は昔学生だったんだ。今更、違う生き物になったからと言ってまたあの能天気な世界に混ざろうとは思わない。たぶんもう、気持ち的に、立場的にも無理だろうと思っているし。だけどさ、俺も一緒にはしゃいで学生やっていた時期があったんだ。将来何になりたいとか考えて、宿題が面倒とか嘆いて、一緒に課題を終わらせようとか話したり……後は帰りにどっか寄って遊ぼうとか誘ったり。そういう時代が確かにあったんだ。

 

 だけど俺がそれを見送る側になる事はなかった。

 

「無念かなー」

 

 そこまで生きる事が出来なかった事に対する。それを今、第二の生を通して経験している事は……とても不思議で、奇跡的な事だ。特別なチャンスを与えられているんだとも言える。それが何で俺なのか、という事に答えは出ないのだが。それでも昔出来なかった事が今、こうやって別の形で出来るようになるのは素敵な事だと思う。だから一度、見送る側に立ってみたかった。結婚相手も、子供もいなかったけど……こうやって見送る側に立つのも、悪くはなかったって事が知れた。

 

 まあ、これから何度もやる事なんだろうけど。この初めての1回は、とても重要な事だ。

 

「ま、それはそれとして俺も本業の為にそろそろ後を追うかなあ。クレアも家の事を宜しく」

 

「其方が私の本業ですから。貴女も本業の方を頑張ってくださいね」

 

「おうよ、それじゃあまた後でな。呼べば近くの動物たちは反応してくれる筈だから」

 

「何時からここは動物園に」

 

 さあ? まあ、便利だしそのままで良いでしょ。そう思いながら出かける為に窓枠に足をかけると、日向ぼっこをしていた黒猫が顔を上げ、此方を見るとあくびを漏らして再び日向で眠る事を選んだ。どうやら今日の陽気には勝てなかった様だ。可愛らしい姿に小さく笑みを零し、一気に窓枠を蹴って外へと向かって跳躍する。そのまま屋根を一度蹴り、柵を越えて道路に着地する。服装は何時も通り動きやすさを重視してスラックスとシャツにコートという色気が欠片もない恰好。仕事着でもあるこれに幾つかバリエーションや替えがあるのは、タイラーが亡くなった今、俺の動きに耐えられる服を作れる職人が辺境にいないからだ。

 

 あの後も新しく開拓してそこそこ腕の良い職人は見つかったのだが、タイラークラスのマイスターが辺境に来るというのは滅多にない事で、彼は替えの利かない人材だったのだ。お蔭で激しく動きすぎると服を新調するハメになっていた。まあ、純粋に動きに装備が付いてこれないのって悲しいよね。

 

 でも考えてみればこっちは都会だ―――或いはそういうマイスタークラスの仕立屋がこの学園都市にはいるのかもしれない。

 

 金、そこそこあるし本気の動きに耐えられるレベルの戦闘用装備を一つ発注した方が良いのかもしれない。

 

 そんな事を考えながら着地したところからリアたちの気配を追って一気に増える人混みを避けつつ進む。流石に通学通勤時間になると一気に道路に人が増える。車道へと視線を向ければ通学する馬車の姿がいくつも見える―――金のある貴族の子息は都市の方で家を購入し、そこで生活を送るのが基本らしい。よくあるファンタジーの寮生活みたいなものは貧乏人向けのプランだと言われてしまうとまあ、納得出来てしまう。

 

 そんな風に考えながら素早く歩いているとリアとロゼに追いつく。2人の間に割って入るように首に腕を回し、抱きしめる。

 

「よお! 待たせたな。俺がいなくて寂しかったか?」

 

「たった数分でしょうに」

 

「おそーい」

 

「悪い悪い。それよりも今日はオリエンテーションが朝にあって、その後授業が2個だっけ?」

 

 2人を解放しながら一歩後ろへと下がるようにガード出来る距離を維持しながら話題を投げるとそうね、とロゼが肯定してくる。

 

「まずは最初に新入生向けにオリエンテーションをして、その後に今日の授業に出席するんだけど……今日、私が受けるのが政治と魔法なのよね」

 

「ちなみに私は歴史と魔法だね」

 

 歴史、無難だけどチョイスとしてはちょっと微妙な所だと思う。まあ、この手の選択授業は割と単位を稼ぎやすい。授業でやった範囲をマークしたら後は参考書を睨むだけで終わるし。ただリアはそういうタイプの人間じゃないから歴史の授業を選んだ以上は絶対にそれに準ずる理由があるとは思う。とはいえ、今更ながら聞くような話でもない。どの授業をなんで選んだかという話は正直、個人の価値観に関わるものだ。

 

 俺だって学生時代は結構悩みに悩んで授業を選んだ。一度は経済とか取った事もあるけど、アレはマジで営業とか経営とかそっち方面に進む人じゃないとまるで無価値な情報ばかりなんだよなぁ……。結局、将来何をしたいのかってのを考えて取得しないと単位が取れたってそこでおしまい、という話で覚えた事に何の価値もないのだ。

 

 ここら辺、選択式の授業・講義ってシステムがシビアに出来てるよな、と思う。でも義務教育の範囲を既に出ているし、そういう意味じゃ当然のシビアさ、とも思う。結局学校に通うのって自分の未来への投資って部分が一番だし。

 

「どうしたのよ、急に難しそうな表情をしちゃって」

 

「いやさ、結局学校で学ぶのって将来への投資だろう? 3年後卒業して……その時リアもロゼも何を目指してるのかなあ、と思って。俺はどうせ辺境に帰ってグランヴィル家に仕えて辺境のモンスターと悪い奴ら相手にバシバシやってるんだろうけど……なあ?」

 

「まあ、確かに想像し辛いわね」

 

「お父様もお母様も、別に家を継がなくても良いし継いでも良いよって言われちゃったからなあ……」

 

 リアのふわっとした悩みと立ち位置に、苦笑を零してしまう。でも俺個人は別にそれでもいいとは思う。結局、学生が誰しも最初は明確な目標を持っている訳じゃないのだから。得意な事、不得意な事、そこから出来る事を見出してやれる事を仕事とするケースは割と多いのだから。俺もどっちかというとそういうケースだったしなあ……。

 

「まあ、エデンだけは滅茶苦茶解りやすいわよね。というか既に就職しているようなもんだし。そのまま一生ウチの為に働いててね。いや、マジで。私が大きくなっても働いててよ。それだけでどれだけ助かるか解ってる??」

 

「解ってるってば。というか俺のお給料の大半って元をたどればほぼヴェイラン家から出てるからな……」

 

「お父様の収入源ってサンクデル様からだしなあー」

 

 こう考えてみれば囲い込まれるも糞もねぇなって思う。元から領主に生活依存してるじゃん。いや、でも、まあ、サンクデルとエドワード同期の友人っぽいし、そこら辺あんま意識してなさそうだなあの2人。

 

「将来かあー。あんまり深く考えた事ないんだよね」

 

「まあ、リアはそうでしょうね。私は次期領主が決まっているから特に悩む事もなかったけど」

 

「ま、3年あれば適当に見つかるだろ」

 

 そう心配する事でもないだろう、とか思っていると、

 

「―――おーっほっほっほっほっほ―――」

 

 奇怪な笑い声が聞こえて来た。その声に3人同時に振り返ると、

 

 なんかチャリオットが公道を走ってた。

 

 チャリオットとはアレだ。古代の戦車のアレ。馬とか象とか牛に引っ張らせてたやつ。それが公道を走ってた。なんか走ってた。というか今目の前で学園へと向かって走ってるってマジ? 目の錯覚じゃなくて? この話の流れでこんなもんだすの? 現実狂ってるだろこれ……。

 

 そう思っている間にもチャリオットはおほほ声と共に学園へと向かって爆走して行く。よく見ると頭の両脇にドリル型のカールを搭載したいかにもお嬢様なヘアスタイルの女性が片手でおーほほ笑いながらチャリオットの手綱を握ってる。

 

 やっぱ現実狂ってるでしょこれ。

 

「私、急にやっていける自信なくなっちゃった」

 

「奇遇ね、私もよ」

 

「俺も流石に恐怖を感じた」

 

 怪奇、チャリオットお嬢様。恐らくは新入生か在校生。その可能性を考慮するだけで恐怖を感じた。

 

 嘘だろ、こんな生物が普通に通ってる魔境なのここ……?




 感想評価、ありがとうございます。

 タイラーさんの抜けた穴は埋まらない。


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新入生 Ⅱ

 学園の入口まで来ると明確に大量の学生が集まり、登校している風景が見られた。その数は優に数百を超えているだろう。マンモス校という概念は見なくなって久しいが、この景色を見れば前世で見た学園や大学のキャンパスの景色を思い出す。そうそう、こういう景色をしてたよな、大きな大学って。

 

 まあ、日本の大学ではチャリオットと魔導バイクが並走する様な事はないんだが。

 

 なんで並走してるのぉ?? まあ、いっか……。深く考えたらいけない事だと大体察したので素直に忘れる事にしておく。良く考えたら各国の貴人じゃなくて奇人がやってきている可能性すらもあるのだから。そう思うと急にリアとロゼの事が不安になってくるな。

 

 そんな事を考えながらも何時の間にか正面玄関前まで到着していた。ここから先は校舎内で、俺が付いていても良いが……そこまでべったりくっついている意味もないだろうとは思う。

 

「確か最初にオリエンテーションだろ?」

 

「うん、多目的ホールでやるって。従者や護衛は基本参加禁止、待機は問題なしって」

 

「その後で1限だろ? んじゃ俺は1限が終わるまでは適当にそこら辺ブラついて時間潰してるよ。何かあったら呼んでくれれば直ぐに行くから」

 

「ま、そんな必要はないと思うけどねー」

 

 ロゼの言葉に頷く。少なくとも護衛を必要とする事は起きないだろうと踏んでいる。

 

「じゃ、行ってきまーす」

 

「ういうい」

 

 手を振るリアに手を振り返しながら見送る……ちょっとだけ情緒が幼い所のある妹分が、少し位は大人になってくれるかなあ……なんて事を祈りながら。でもリア、偶にびっくりするぐらい大人っぽい表情を見せる所がある。そこら辺のアンバランスさが偶に気になるのだ。普段は幼い少女の様な快活さで、だけど理解を求められる時は淑女の様で。なんか、歪な成長をしているような気がする。まあ、それも学園生活を通して色んな人や思想に触れる事で変わって行くだろう。

 

 何せ、学園生活とは共同体での社会活動だ。

 

 ごく狭い家庭というグループから出て、自分以外の価値観、文化に触れる事で他者という存在が大きく自分の世界に入り込んでくるのがこの学園生活だ。今までは父親と母親の庇護があった世界も、絶対に触れなければならない理解の出来ない価値観まで出てくるのだ。そりゃあ今までと比べると非常にストレスの多い世界になる。だがそれが成長と、大人になるって事でもあるのだ。人は何か、耐える事を覚える事で大人になる様な部分があると、俺は思っている。

 

 ま、言っちまえば色々と経験する事で大人になるって話だ。

 

「ま、しばらくは余裕か」

 

 ディメンションバッグはリアに預けてある。だから必要な道具は全部ポケットなどに入れてある。この不便さは久しぶりだと感じる。ポケットから取り出すのはルインがプレゼントとしてくれた、帝国製の懐中時計だ。腕時計やスマートフォンが存在しないこの世の中で、時間を確かめる事が出来る手段は少ない。金のない平民であれば陽の高さで大体察する必要があり、貴族たちはこういう道具を使って時間を管理する。

 

 まあ、それでも《帝国製》は地上世界における一つの最高ブランドだ、特に機工類に関しては。積極的に大金を支払って魔界産の技術を取り入れる事で世界で一番進んだ技術を獲得し、その廉価版を販売する。それでなんか滅茶苦茶儲けているらしい。帝国製の懐中時計ともなれば正確な時間を刻む精密機器になるだろう。それも高級品だ。ルインがそんなもん支払えるか? 無論、無理だ。

 

 日頃の感謝にルシファーの金で買ったらしい。

 

 そろそろお尻ぺんぺんの一発でも叩き込んだ方が良いんじゃないかアイツ。

 

 まあ、大事な商売道具の一つと今ではなっている。これを見ればオリエンテーションの終わりが正確に解る。こういう時に技術の便利さを感じるもんだ。

 

「ま、結構余裕あるか」

 

 邪魔にならない様にエントランスから離れつつさて、と軽く体を解す。ぶっちゃけこの暇な時間の間に出来る事はそこそこある。なんなら街に一度戻ってルシファーの所で一杯飲んでくるのもありだ。少なくともオリエンテーションは1時間かかるし、その後で1限目の講義にリアとロゼは出るが、ソッチはそっちで更に1時間ぐらいかかるだろう。そうなると合計で2時間ほど時間が出来てしまう。その間は完全にフリーで、暇だ。

 

 休むぐらいの事は出来るが、何か仕事をするには短すぎる時間だ。ぶっちゃけここのセキュリティに関しては心配する必要もない。何故なら軽く自分が気配を探るだけでも、“宝石”級の気配が2、或いは3程感じられるからだ。一部俺に対して気配を向けて誘って来ているのが解るが、俺としてはそんなもん相手したくないし特段興味もない。それよりもこの時間をどうやって潰すかを考える方が遥かに有意義だ。

 

「運動場が開放されているしそっちで軽く体でも動かしてくるかー?」

 

 学園の一部施設は一般向けに開放されている。例えば運動場は複数存在し、一部は学生専用だが一般用に開放されている運動場もある、無論、マナーが悪いと出禁判定を喰らう事もあるらしいが、マナー良く使えているのであれば問題はないらしい。なら俺もこっちに来てからあまり運動できてないし、軽く体を動かしておくべきかと考える。

 

 いくかー。

 

 なんか、暇な間にやれる事を増やしておくか、と考えておく。

 

 

 

 

 ―――多目的ホールには既に結構な数の学生の姿があった。

 

「既に結構席がとられてるね」

 

「そうね、2人で座れる所を探しましょ」

 

 広いホールに敷き詰められた大量の椅子、そしてそこに座る同じ制服姿の学生たち。どことなく制服を改造している人もいれば、ぴちっと着こなしている人もいる。そこに個性が見られてちょっと面白いなぁ、なんて事を考えてしまう。エデンはどことなくこういう人が多い所を見慣れている部分があるみたいだから驚かないだろうが、私自身はこういう経験はあまりない。だからここまで同年代の人がたくさんいる空間というのは不思議で、ちょっと怖くも感じられた。

 

「ん-、ここら辺で良いわよね」

 

「真ん中ぐらいでちょうどいいしね」

 

 何故か埋まる前と後ろの方。真ん中の方だけぽっかりと穴が開く様に場所が開いている。失礼、と声をかけながら椅子の合間を通って真ん中あたりまで進み、ロゼと並ぶように椅子に座る。時間は……ちょっと解らないけど予定よりも早めに動く事を意識しているし、問題はなさそうだと思う。だけどこうやって私達がこんな集団の中にいるというのは、ちょっと不思議でもある。

 

 本当に故郷を出てこんなところに来るなんて、昔は思ってもいなかった。でも勉強に本気を出した事、本気になれた事、今更後悔なんてものはない。

 

 そう考えている間も人は増えて行く。色んな肌の色、人種、関係なくこのホールに集まっている。オリエンテーションの為に集まっているとなると全員が新入生なのだろう。こんなにたくさんの学生が一度に入学できるなんて相当大きな学園なんだなあ……というのは流石に見れば解っちゃうけど。それでも未だに自分が、この多くの学生の中でも最上位に位置する学力を持っているというのが信じられない。

 

「私、本当に学年2位なのかなあ」

 

「確か特待枠は3枠までだったかしら?」

 

 ロゼの言葉に頷く。

 

「学園1位の人は普通に支払って入学したから、特待枠で一番成績が上だったのは私だね。だから特待生トップは私! 一番賢い」

 

「偉い偉い」

 

「むえー」

 

 頭をロゼに撫でられる。エデンは年上だから私を妹の様に扱ってくるけど、ロゼまで私の事を妹扱いしていない? 一応誕生日の順番だと私の方が年上なんだけどなあ……。でも学年として本当に最上位の成績を取れている事に、個人的には驚きが隠せないのは事実だ。今、自分の前にはいろんな人種の人々が集まっている。全員がより良い教育と、そしてもっと上を目指す為にここに集まっている。本気で勉強しようって考えている人達なんだと思っている。その人たちを差し置いて自分が最上に並んでいるというのはちょっと違和感がある。

 

 私、そんな頭良かったっけなあ、って。まあ、実際に良かったんだけど。それでもこの人たちよりも良い成績で入学できたんだから、そのプライドを胸に頑張って行く必要はあると思う。少なくとも私は妥協する為にこっちに来た訳じゃないんだから。

 

「この後の授業、なんか不安になるなあ」

 

「リアはずっとエドワード様とかに勉強教えて貰っていたものね。私も家庭教師から教わっていたし、ここにいるほとんどの人たちもそうじゃないかしら? 基本的に学校、学園という一緒に学ぶ環境にくる子が初めてなのが大半だと思うわよ。だから心配する必要は特にないと思う」

 

「そう? その割にはロゼは割と落ち着きあるけど」

 

「まあ、私はそこら辺人前に立つ練習とかしてるからね。ほら、私は領地を継がなきゃいけないし。領主としての心得とか、色々勉強してるのよ。何故かエデンがスピーチの授業受け持ったりしたのには驚いたけど……」

 

 本当にエデンの知識の深さは意味不明だ。全く常識を知らないと思えば、学問に関しては色々と深く進んだ知識があったりする。ただ彼女が本当は龍であると考えれば、そこら辺も納得が行くところなのかもしれない? 何せ伝説の生き物なのだ。だったらなんか色々出来たとしても不思議ではない。

 

 なんて思っていると、

 

「お―――っほっほっほ!」

 

「あ、チャリ女」

 

「朝見た人だ……」

 

 高笑いしながら今朝チャリオット通学していた人がホールに入ってきた。アレで本当に新入生なのはちょっと自分の常識を疑―――今、頭の横のロール回転しなかった? 高速回転してなかった? した? そう……見なかった事にしよう。当然のように最前列の席に座りながら足を組む姿は、物凄く特徴的でホールの視線を一身に集めていた。

 

「失礼、横に座らせて頂いても良いかな?」

 

「え?」

 

 そんな風に正面からなんとか視線を逸らそうと頑張っている時、横から声がかかった。視線を向ければ制服姿の男子生徒―――金髪の短い、爽やかな王子様の様な容貌の人が此方に微笑を浮かべながら尋ねてきていた。

 

「女性の隣というのは少々畏れ多いんだけど、ここからが一番前が見えそうなんだ」

 

「あ、私は良いですよ」

 

「ありがとう」

 

 エデンのが顔が良いかなぁ。なんて失礼極まりない事を想いながら横に座る許可を出し、視線を再び正面に戻す。なんか今度は中年のおっさんを椅子代わりに座っている女子生徒が増えてない……? 気のせい? ドリルと中年椅子が並んで最前列に座ってない? 気のせいにして良い?

 

「やっぱり私不安を覚えて来た」

 

「奇遇ね、リア。私もよ。心の平静さを保てなさそう……あ、流石に注意を受けてる」

 

 警備員がやってくると椅子になっていた中年がホールの外へと連行される。椅子を失った女子生徒はどうやら普通の椅子に座る様だ。どうして最初からそれが出来なかったんだろう。何か強いこだわりでもあったのだろうか?

 

 そんな拘り嫌だな……。

 

 良く周囲を見渡すと割とアクの強い奴はいる。制服の上から白衣を着ている人とか、そもそも上半身裸の人とか。本当に君たち貴族なの? って言いたくなるような連中ばかりだ。

 

「もしかして中央って怖い場所なのかなぁ……帰りたくなってきた」

 

「あ、あははは……いやいや、彼ら、彼女らはたぶん特別個性的なだけだと思うよ」

 

「え? あ、ありがとうございます」

 

「いやいや……君の言いたい事は解るからね……」

 

「そうね……」

 

 私たちの学園生活、本当に大丈夫―――? そんな気持ちでオリエンテーションが始まるのを私達は、待っていた。




 感想評価、ありがとうございます。

 エデンちゃんには自分の周囲の成長、可能性を拡張し促進させる能力みたいなのがあるので、動物たちや身近な人たちが妙に賢くなったり強くなっているのはそういう理由がある。

 エリシア様がなぜか未だに成長続けてエデンより強いのは単純にあの人妻がおかしいだけです。


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新入生 Ⅲ

 それから少しして、ホールに今度は大人が―――或いは老人とでも言うべき人物がやってきた。青い数段重ねの様なデザインのローブ姿の老人は肩ほどまで伸びる緑色の髪を緩く束ねる人物だった。頭からは一本の枯れ枝が生えている事から通常の種族ではなく、森人である事を証明している。自分はあまり馴染みのない種族だが、確かエデンの友人に1人森人がいた気がする。老人を見て声を零したのは横に座っている男子だった。

 

「セージ・“ワイズマン”卿だ……」

 

「ワイズマン卿?」

 

「うん? あぁ、すまない。声に出ていたかな。森人は木々や花の名前を己に付けるんだがワイズマン氏は知恵を示すセージを名乗っているんだ。年齢も非常に高齢で既に600年は生きている。国内で最も高齢で、しかし未だに聡明さを失わないエメロードの学園長……森人である事を準えて《賢樹》ワイズマンとも呼ばれているよ」

 

「へえー」

 

「とても詳しいのね?」

 

「まあ、これぐらいはね。私個人としてもワイズマン氏の出した数々の論文や本を参考にさせて貰っている。どれもこれも非常に面白いものだ。特に歴史に関しては世界有数のエキスパートだと良いっても良いだろう。何せ、生ける歴史の観測者だからね。その中でも特に面白いものが―――おっと」

 

 そこまで言った所で男の子は顔を少し赤くし、咳ばらいをした。

 

「すまない、初対面の相手にいきなりする様な話じゃなかったね」

 

「ううん、私は別に構わないよ。知らない事を知るのって楽しい事だから」

 

「そ、そうか。うん、そう言われると助かる、かな」

 

「まあ、私は多少こいつ馴れ馴れしくない? って思うけどね」

 

「え? あ、いや、本当にすまない」

 

「冗談よ、冗談。そんな排他的ではないわよ私達は」

 

 ロゼの言葉に一瞬男の子が焦るも、ロゼが苦笑しながら困った表情を浮かべた男子生徒を宥め、会話を区切らせる。とんとん、という音を正面、ホール一番前の教卓からワイズマンが鳴らした。あまり強くない、弱い音ではあった。だが自然と騒がしかったホールは静けさを以てワイズマンを迎えた。それは強制的に黙らせたとかではなく、ワイズマンが放つ雰囲気、或いはカリスマとでも呼べるものが自然とこの場を支配し、集まっていた新入生を統率していたからだ。そして静かになったホールを見渡し、ワイズマンは笑みを浮かべ頷いた。

 

「―――新入生諸君、ようこそエメロード学園へ。私が学園長であるワイズマンだ。ここで君たちが過ごす数年間を預かる責任者でもある」

 

 穏やかで、渋みのある声はどことなく古い大樹を思わせる威厳のある声だった。その場にいる誰もが魅入られる様にワイズマンへと意識を集中せざるを得なかった。ゆっくりと、しかしはっきりと響かせる声は前、エデンに教えられたスピーチの極意とか言っていた物を思い出させる。

 

「ここに入学する時点で既に解っているかもしれないが―――学問とは、勉学とは、決して楽なものでもなければ安いものでもない。ここへと入学する為に少なくない金がかかっているだろう。だがそれは同時に、私が、当校が提供できる質と環境を保障する金額でもあるのだ。そしてそれは同時に君たちに向けられた投資であり、期待でもある」

 

 エデンは常々勉強とは未来への投資だと言っていた。かけられた金額、そして時間、努力それが全て未来の自分へとリターンとして返ってくるのだと。だからこそ勉強に金をかける事は重要であり、この時期の過ごし方によってこれからの一生、どれぐらい稼げるのか、或いはどれだけ良い人生が送れるのかが決まるとも言っていた。だからこそ、勉学に妥協をしてはならないとも言っていた。ワイズマンの言う事は、それと一緒だった。

 

「誰もが知を求められるわけではない。知を磨けるのはそれを求める者であり、その価値を知る者に限られる。ここに多額の学費を支払って立った君たちは、その期待と重みを良く理解している。だから改めて言おう、その重みを忘れるなかれ、と。君たちが何故ここに来たのか、何故ここを選んだのかを、決して忘れるなかれ、と」

 

 ワイズマンはそこまで言ってから頷く。

 

「だが私は決して常に勉学だけに励みなさいとは言わない。そう、過ぎ去った時間は決して戻らないのだ。子供達よ、ここで悔いのない時間を過ごすと良い。ここで過ごす時は今、この瞬間しか味わえない。君の得られた刹那は以降、永劫の宝となるだろう。勉学に励み、友情を築くと良い、そして身を崩さない程度に遊べ。その全てが君がここでしか得られない体験になるだろう」

 

 ワイズマンはそこで一旦言葉を区切り、

 

「私からはそれだけだ―――諸君、楽しい日々を願っている」

 

 そう告げると最後にワイズマンは軽く辺りを見渡し、まるでこの場にいる全ての人を覚える様に顔を見渡してからホールを出た。それと入れ替わるように別の職員が出て来るのを見ながら呟く。

 

「凄そうな人だったね」

 

「その感想が一番凄いと思うわ」

 

「一応、あの方は現代を生きる偉人なんだけどね……最高学府の設立から教育水準の大幅向上と功績は尽きない方なんだ」

 

 彼の言葉にふーん、と声を零す。相当偉大な人物らしいが……まあ、あんまり実感はわかない。まあ、これから勉強すれば解ってくる事なのかもしれないが。ともあれ、オリエンテーションは学園長の挨拶によって始まった。そこからは始まる諸々の説明の数々に耳を傾ける。オリエンテーションの内容は学園の基本方針などの説明がメインになる。

 

 あらかじめパンフレットを読んでいれば解る事が大半だが、それを解りやすく説明してくれている。

 

 ただ知っている内容がほとんどなので、残りの時間は暇になりそうだなあ……なんて思う。

 

 

 

 

 それから時間が経過してオリエンテーションが終わると、1限の時間になる。オリエンテーションのあったホールから出るとロゼ、そしてそこそこ話した男子生徒と別れる。2人はどうやら経済の方へと向かうらしいが、私は1人で歴史の講義に出なくちゃならない。

 

 そして歴史の講義を取った事には実は、意味がある。エデンには教えられないし、教えるつもりもないのだが―――私は、龍という種族の事が知りたかった。エデンの本当の種族、彼女の家族たちの事。歴史上、そして多くの人の認知として龍は邪悪で、恐ろしい生物となっている。だけどそれは正しくはない。だって私はエデンを知っているから。

 

 何よりも、誰よりも優しくて、そして戦う事に苦しみを覚える人。私の大事な家族で、私の自慢の姉。血の繋がらない事に何かを想ったことはない。それだけ私達は一緒だったし、共に育ってきた。本当の姉の様に思っているし、従者の様な振る舞いとかは止めてくれたらいいなあ、と思っている。だからエデンがメイド服みたいな従者用の服装を着ようとするのはちょっと嫌だ。ちょっと、というか結構嫌かも。彼女にはなるべく自分と同じ扱いで自由であってほしい。それが難しいのは解るけど、きっと彼女には自由が一番似合うと思えるから。

 

 だから龍の事を知りたいと思った。エデンがどこから来たのか、どうして龍は恐れられているのか……そしてなぜ神様はずっとその間違いを正してくれないのか。なんで皆、エデンの種族を悪い者として扱い続けているのか。それが知りたかった。そして出来るなら正したい。それが無理な願いだというのは解っているけど。だけど、私の中で一番やりたい事があるとすれば―――きっとそれだろう、と思っていた。

 

 だからここに来た。この国で一番頭の良い人が集まる場所。世界で一番知が集まる場所へ。ここでならきっと、偏見の入らない情報が入るんじゃないかと思って。だから歴史という講義を自分の選択に入れたのだ。辺境では手に入る情報が、あまりにも少ない。

 

 だから他の皆と別れ、歴史の講義を行う教室へやってきた。そこは先ほどのホールと比べればそこまで広いものではなく、そしてやってくる生徒もそう多いものではなかった。新入生の中で歴史の講義を取ったのは10人程度―――総勢100名を超える新入生がいたのに、その1割しか選択しなかった科目だった。お蔭で教室のテーブルは一人で一つ占拠できるなんて状態だった。

 

 周りにいる人は誰もが知らない人ばかり。話し合っている様子もなく、鞄等からノートなどを取り出し、誰かに関わる事もなく自分の事だけを見ている―――そうやって誰かに関わろうともせずに勉強だけを考えているとまるで異世界に迷い込んだような気分になる。そう言えばロゼもエデンもいない、本当に一人だけで外にいるのはもしかすると初めてかもしれない。ちょっとだけ、心細さを感じる。だけどそれを忘れながら授業の開始を待つ。

 

 そうして始まりを告げる鐘が学園に響き、教室の扉が開く。

 

 そこから講義に出てきたのは―――この講義の担当教諭である、ワイズマンだった。

 

 教室に集まった行儀の良い姿にワイズマンは辺りを見渡しつつ頷く。

 

「今年は例年よりも多いな……いや、決して悪い事ではないのだが」

 

 ホールで見せた威厳のある姿ではなく、親しみやすそうな老人の様な気配を纏ってワイズマンが現れた。そう、歴史の講義はワイズマンが担当しているのだ。名前だけは知っていたが、説明されるまではそんな凄い人だとは思わなかった。それでも歴史の講義は不人気の一言に尽きる。その理由はとても簡単だ。

 

 歴史の知識は活かし辛いからだ。

 

 教卓の後ろにまで移動したワイズマンは木で椅子を作り出すと、それに腰かけた。

 

「さて、新入生諸君。オリエンテーションぶりかな? 君たちが私の講義か、或いは純粋に歴史という講義に惹かれて来たのかは解らないが……先に言っておくべき事がある」

 

 ワイズマンは断言する。

 

「歴史に興味を持たないのなら直ぐにこの講義をキャンセルし、別の講義をとったほうが良い。単位が簡単に取れるのは魅力だが、興味のない者にとっては単純に苦痛だろうからね」

 

「それ、言っちゃって良いんですか?」

 

 首を傾げながらワイズマンに問うと、ワイズマンは笑いながら頷いた。

 

「無論だとも。歴史の勉強は辛いし、歴史家になるのはもっと辛いぞ。基本的に歴史の勉強は全部暗記で資料と何時間も睨み合うものだ。その上で誰かの書き記した情報なんて大半がバイアス混じりで信じていいかどうか解らないものばかりだ。何が真実で、何が空想か、それをしっかりと調べる聡明さを持ち合わせる者のみが歴史の真実へと辿り着く……だがそれが人生の助けになるか? という話をすると私は笑ってごまかすしかならないだろうな!」

 

 教室内の空気が笑っているワイズマンを前に、大丈夫かこの講義という空気に一瞬で呑まれた。だがそれを理解しながらもワイズマンはパイプを取り出し、それを一人の生徒へと向けた。

 

「さて君、エリーゼ・ウェスティンドル」

 

「え? あ、はい! 私です! え、でも名前を……」

 

「学生の名前はすべて覚えているとも。これまで私が経験してきた事同様な。さて、君はなぜこの講義を選択したかな?」

 

 エリーゼは一瞬躊躇してから、

 

「そ、その、私は建国王のファンでして……」

 

「成程! 奴のファンか。アイツは今じゃかなり美化されているが当時は相当ヤンチャな奴だったぞ―――うむ、アイツの事は私が直々に会って、知って、話をしている。良く知っている相手だ。間違った事を教える事はないだろう」

 

 エリーゼがその言葉に絶句し、次の生徒をワイズマンがパイプで指した。

 

「では君はロスマン・アーシャン君? 何故この講義を選択したのかね?」

 

「えっと、僕は自分のルーツが知りたくて……」

 

「成程? 中々難しい話だな。だが君は見たところ北方領土の出身だな? となるとあそこら辺は300年ほど前に旅をした事があるな。正確な場所は把握していないが、君が自分のルーツを知る上で過去の出来事を調べたいのなら、私を頼ると良い。なんとか思い出してみよう」

 

 ロスマンはワイズマンの言葉に無言で頷いた―――頷くしかなかった。それほどワイズマンの存在感は圧倒的で、そして魅力的だった。部屋の空気が変わったのを察してか、ワイズマンはパイプを口に軽くつけてからにんまりと笑う。

 

「そう、歴史の講義とは往々にして退屈なものだ。資料と睨み合い、昔の事を調べるというのは地味で目立たない作業だ。その上でこれが金になるかと言えば難しいだろう。ここで学んだことが人生で役立つ事も少ないだろう。或いは私程突き抜ければ話は別だが……全ての人にこんな残酷な退屈さを押し付ける事は出来ないだろう?」

 

 だが、とワイズマンは言う。

 

「私の講義はそう簡単に眠れるものにならないと約束しよう。諸君らが求める歴史の謎、浪漫。それを紐解く探求の手伝いを私が担おう。歴史がある、それはつまり真実が存在するという意味でもあるのだ。たとえ降り積もる雪の下に隠されていようとも、真実は必ず眠っている。そして私達が春を呼ぶのを待っている」

 

 ワイズマンは思う、

 

「その未知にこそ私達が求める浪漫があるのだと。覚悟すると良い―――この年が終わる頃には、君たちの誰もがこの講義の虜となっているだろう」

 

 そのワイズマンの殺し文句と共に、私の最初の講義が始まった。




 感想評価、ありがとうございます。

 歴史の授業はほんと興味ないと退屈なんで睡魔との戦いがメインだった時代があった。好きな歴史とかに入った瞬間滅茶苦茶楽しくなるんだけどなあ……。


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新入生 Ⅳ

「滅茶苦茶面白かった」

 

「あら、歴史の授業そんなにウケが良かったのね?」

 

 1限目が終わって2限目の魔法の講義へと向かう為に一旦合流したロゼ相手に頷きを返した。歴史の講義、私はエデンの過去を、種族を追う為に取る事を決意した講義だったが……それを抜きにしても相当面白い講義だと思った。まずワイズマン教授が物凄く面白い人だった。知識豊富で、話が面白く、引き込む様に話しながらも話題の中心をブレさせない。今日は初回という事もあってシラバス―――つまり学期中のスケジュールを説明する程度に留めていたが、若い頃は世界中を旅して知恵をため込んだという賢人の語る経験に裏付けられた歴史の真実は、物凄く魅力的に思えた。

 

 少なくとも、あの教授には人に歴史を()()()才能があった。

 

「―――という事で、凄く面白かったよ」

 

「へえ、私もそれはちょっと興味あるけど、時間的に取るのは難しいのよね」

 

「まあ、ロゼは入れる余裕ないでしょ」

 

 ロゼの選択科目は政治、経済、魔法、雑学だ。今期取れる選択科目の上限が4つである以上、これがロゼが今取れる上限でもある。政治、経済はロゼが将来領主をやる上で必要になる科目だから彼女はそれを迷う事無く選んだ。魔法はロゼ自身の趣味で、雑学は必修科目だ。こう見るとあまり選択肢に自由はないんだよなあ、なんて思ったりもしちゃうが……本来、戦う必要のない立場であるロゼが魔法を科目として選ぶのが面白いか。

 

 まあ、ロゼの目標は打倒エデンだったりするので、面白いと言えば面白い選択かもしれない。

 

「来期も結構選択科目の方はぎっちぎちなのよねぇ……学徒としての本懐を果たしていると言えばそうなんだけど。でもリアの方で面白い講義を引いたのならそっちにも興味があるわね……」

 

「時間が合うなら見学に来る? ワイズマン教授は見学に興味のある人は歓迎するって言ってたよ」

 

「そうなの? うーん、空いている時間と被ったら見に行こうかしら……リアは経済も政治も興味ないわよね? まあ、ないわよね……」

 

「うん、ソッチは私とは相性悪いかなあ、って思ってる」

 

 やりたい事もあるし、とは口にしない。きっと龍の歴史を探る事、龍という存在を知ろうとする事は()()()()()()()()()()()()()()()のだ。例えそれが悪であり、忌避するものだとしても、人は知る為に歴史を勉強する。だけどないのだ。なじみのある街の書店に。

 

 龍に関する歴史の書籍が、一つもない。

 

 まるで意図的に避けている様に存在しない。父でさえ龍に関する本は中央へと態々頼まない限り手に入らないし、それでも手に入るのは数冊程度だ。それだけしか手に入らないのだ。無意識的な部分で龍という存在を考える事を回避している。そう考えられる部分がある。本当はワイズマン教授に相談しようかと思ってたけど―――止めた。自分の力でまずは探そうと思った。

 

「ま、政治も経済もやろうってタイプじゃないわよね。最悪エデンに聞けば全部代わりに答えてくれそうな気配あるし。アレ、私たちの歳の頃には既に学ぶ範囲全部覚えてるみたいな気配あるわよね……」

 

「まあ、エデンだし」

 

 姉の事が誇らしく、胸を張るがロゼに背中を叩かれて軽く咽る。酷いなあ、と非難の視線を向けると笑われた。私もくすりと笑って許す事にする。エデンは色々と秘密を持っているみたいだけど―――まあ、特に気にするほどのものでもない、と思っている。たぶんお父様とお母さまなら知っている事だろうし。そしてそれを言わないという事は、言う必要がないという事だ。だから特に気にする様な事はない。ただ便利だなあ、程度に思う事だ。

 

「って話していると次の講義始まっちゃうわよ」

 

「確か次って魔法・Ⅰでしょ? 別の棟だったよね」

 

 魔法・Ⅰ、という名称なのは魔法の講義は人気で、複数の時間帯での受講が可能だからだ。1学期目の魔法関連の講義は全てこれに圧縮されており、2学期目からはここから細分化したジャンルの受講が可能となっている。そしてそういうシステムである為、魔法の講義はⅠ、Ⅱ、そしてⅢにまで分かれている。私とロゼが受講する事を決めたのは一番時間が早い魔法・Ⅰの講義だ。以降の魔法系講義を取得するにはまずこの基礎部分を終えないといけない。

 

 ……考えてみると基本だけど、面倒なシステムだよね。

 

 と、考え事は後にしよう。流石に遅刻するのは洒落にならない。さっさと隣の棟へと移動しようとすれば、

 

「―――もし」

 

 声をかけられた。控えめな、女性の声。その声に振り返ると、凛とした佇まいの黒髪の女学生が立っていた。その顔立ちから解るのは彼女がエスデル人ではなく―――極東、海の向こうの大陸、その更に東からやってきた留学生である事だ。

 

「申し訳ありません、話を盗み聞きしてしまいましたが次は魔法・Ⅰを受講するのだとか。私も同じ講義を取得しているのですが、未だに地理に疎く場所が良く解らず……ご一緒しても宜しいでしょうか?」

 

 一瞬視線をロゼへと向けるが、ロゼは一切構わない様に頷いた。

 

「私は構わないわ」

 

「私も構わないよ」

 

「ありがとうございます、緋皇宮十歌です、宜しくお願いします」

 

 そのまま綺麗なお辞儀を見せられ、相当育ちの良い人なんだなあ、と少しだけ別世界の人の様に感じてしまった。流石に講義に向かわないといけないので少し早めに歩き出しながら十歌の言葉に応える様に頷きつつ、

 

「私はグローリア・グランヴィルで」

 

「私はローゼリア・ヴェイランよ。宜しくね、緋皇宮?」

 

「十歌、十歌で結構ですローゼリア様。極東の名前は此方の方々には馴染みが薄く、難しいものでしょう。ですので私は十歌だけで結構です。無論、敬称もなくて結構です」

 

「ならそうさせて貰うわ十歌。私達も同じように結構よ」

 

「様付けされるとなんかくすぐったいもんね」

 

「それは貴女だけよ」

 

「むえー」

 

 鳴いても無視される。確かに、明確にお嬢様として扱われているのはロゼばかりだろう。私はそういう扱いとかは家にいても全く受けない。いや、アンが私をお嬢様として扱ってくれるが……結局のところ、使用人はアンとエデンだけで、エデンは色々としてくれるけど妹として扱ってくる。だからあまりお嬢様になったという気分にはならない。しいて言うならヴェイラン邸に遊びに行った時ぐらいだろうか? あっちの使用人は私をお嬢様扱いしてくるがまあ、それぐらいだ。それ以外ではあまりそういう扱いは受けない。

 

「仲が宜しいのですね」

 

「私たちの付き合いは長いからね。幼馴染よ。親友でもあるから」

 

 ロゼがそう言ってくれる事に軽くにやけているとロゼに蹴りを喰らわされるが、それをひょいっと回避しつつ軽いスキップ混じりに棟から棟を移動する。繋がるようにブリッジになっている所を渡ればすぐ隣の棟に到着する。そこからは教室の番号をチェックして、そこへと向かうだけだ。記憶力には自信があるので()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。単純な暗記作業なのでそう難しくもない。さっくりと移動したらそのまま教室まで移動する。中を見てみれば結構イイ感じの数が揃っていたが、まだ空きはあるし、教授も来ていない。

 

 セーフ!

 

「ありがとうございます、グローリア、ローゼリア。お蔭でこうやって講義に間に合いました」

 

「良いわよこれぐらい別に。それに、折角だし一緒に座らないかしら?」

 

「是非」

 

 両手を合わせて嬉しそうに微笑む十歌の姿に此方も笑みを返し、一緒に座る為に適当な席を取る。場所はまだ余裕があった為、特に困る事もなく座れた。3人で並ぶように座りながら視線は十歌へとやっぱり向いてしまう。

 

「十歌さんって極東出身なんだよね? 確か極東って相当遠い場所だけど……」

 

「えぇ、合っています。ここからですと……南部の港から東への船に乗って2週間ほどで辿りつく東部大陸、そこから更に東の果てへと行った所でしょうか? ここからですと相当遠い場所になりますね……来るのには相当苦労させられましたが、それに見合ったものをここでは得られると思っています」

 

「はぁ……凄いわねぇ……」

 

「極東って服装も食べるものも何もかも文化が違うって聞いてるから前々から興味あったんだよね」

 

 特にエデンが極東産の醤油と味噌を市場で探しているのが印象的だった。輸入しようとなると瓶1つで10万吹っ飛ぶと聞いて諦めていたが、アレは絶対に諦めていない表情だった。何時か絶対に10万出して瓶一本分購入しては後悔するタイプの顔だった。長年エデンを見ている私が言うんだから絶対に間違いない。

 

「しかしそんな遠くから良く来れたよね? 大変じゃなかった?」

 

「そうですね……無論、長旅でしたし大変でした。ですが……私はその必要があったと思います。極東文化は思想そのものが根本からして此方の他の大陸とは違いますし、独自の神話や伝承も持っています。ですが文明的に進んでいるのはやはりこの中央大陸や西方大陸になってしまいます。私も故郷の味や文化は好きですが、伝統や文化だけを見ていては極東は衰退するばかりです」

 

「知見を得る為にそんな遠くから来たのね。凄いじゃない」

 

「いえ、凄いのはその判断を認めてくださり、快く送り出してくださったお父様です。極東は他国に対して排他的な部分がありますから、私を送り出す際にはかなり反対されました……ですので、お父様の助けなくしては私の留学は成立しませんでした。お父様の期待に応える為にも、多くを学び持ち帰りたく思ってます」

 

 うわぁ、立派な考えを持ってる人だなあ……と思う反面、羨ましいぐらいにきらきらした人だな、と思った。夢、目標、そういう物を持ってここに来ている人達がいる中、明確に将来のビジョンが見えてこないのが私だった。果たしてこの人たちみたいなきらきらを得られるのだろうか?

 

 エデンはそう焦る必要はないとは言う。だけど周りの人たちが明確に将来何をしたいのか、何になりたいのか。それが解っているのを見ていると……実は私、場違いじゃない? なんて思わなくもない。

 

 考えに耽っているとロゼにほっぺを突かれた。

 

「ぼーっとしてどうしたの?」

 

「ううん、ちょっと色々と考えてただけ。やっぱ極東も一度は見てみたいなあ、とか。今日のお昼はどうしよっかな、とか」

 

「確かこの学園には大型の学食がありましたね? 様々な料理を無料で学生には提供しているとか」

 

「ここ、調べたけど一流のシェフがスタッフにいるみたいなのよねぇ! こっちに来てからレストラン行ったりしたけど、美味しいのなんの……都会の料理ってここまで進んでたのね! って感じよね。いや、決して故郷の料理が不味いって訳じゃないんだけど」

 

「ついつい食べ過ぎで太っちゃいそうだよね……」

 

「私にはこの国の料理は何と言いますか……ちょっと味が濃く感じて食べ辛さが来ますね……」

 

「極東はそんな感じなんだ」

 

「こっちの味が濃いとは思った事ないけど……こっちで生まれ育ってるし解りづらいかぁ」

 

「機会があれば是非振舞ってみたいですが、極東の調味料の数々は此方で希少で手に入りづらいんです」

 

 当然だけど香辛料とかが違うから国や地域で料理の味が変わってくる。そしてどうやら極東は全体的に薄味らしい。でもエデンが極東料理凄い探し回ってたし、興味はあるんだよね……。

 

 そう思っているとぱんぱん、と空気の破裂する音が教室に響いた。

 

「―――諸君、雑談はそこまでだ。これより講義を開始する。総員静粛に、そして注目」

 

 そう言って渋い声を発しながら注目を集める姿は()()()()()()()。教卓の上、威風堂々と立つ姿は見事なオーダーメイド製のスーツ姿をしており、着慣れているのかどこかびしっとした印象を受け取る。良く響く声は恐らく声を魔法で拡張させたものであり、先ほど注意を引くのに使ったのも恐らくは魔法だろう。だがそんな事実よりも、

 

「さて、それでは挨拶をしよう」

 

 教卓の上、人の言葉を発しているのがリスという事実が衝撃的だろう。その場にいる全ての生徒が動きを停止し、流暢に喋るリスを見ていた。

 

「私が今学期、君たちに魔導の神髄、そして深淵。その入り口たるや何かを教える講義を担当する者だ。ミスター・ノレッジとも、プロフェッサー・ノレッジとも、ノレッジ教授とも好きに呼びなさい。私の事をリスと呼ばない限りは気にしないとも」

 

 ―――その見た目でリスとは呼ばないでって相当無理があるのでは……?

 

 そんな疑問が教室内全体に流れたところで、リアクションを解っていたかのようにリスの教授が笑い声を零した。

 

「うむ、毎年その顔を見ないと始まったという感じがしないな」

 

 悪戯小僧の様な笑い声を零しながら、リスの教授による魔法の講義が始まった。




 感想評価、ありがとうございます。

 リス「私を見ながらチタタプチタタプと言う奴は全員殺す事にしている」


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新入生 Ⅴ

「―――事前に言っておくがね、魔導の道に極みなんてものは存在しない。我々は今、発展途中の技術を、そして学問を扱っているのだ。この技術と学問の積み重ねはそれこそ数百年、数千年も先に続くだろう。明日の発明が100年後には幼年学校で学ぶ常識になるかもしれない。それが技術というものだよ」

 

 リスの姿をした教授、ノレッジ教授は知恵の名を冠する名前を持っていた―――ワイズマンもそういう名前だし、流行ってるのかなあ……なんて一瞬考えてしまった。だけどノレッジ教授の言う事は凄く真っ当で、聞き覚えのある内容だった。お父様が自分とロゼに魔法の教練をする時に言っていた事とそっくりだ。

 

「そう、極みという概念はそもそも存在しないのだ。極めた、そう思った瞬間が()()()だよ。それは自分で自分の限界を設定してしまう行いだ。我々はまだ未知で溢れている概念に触れ、それを開拓している最中なのだ……だというのになぜ、極めたという言葉が使えるのだろうか? 君たちも気を付けるが良い。誰よりも強い魔法を扱える事、誰よりも魔法をよく知る事。そんな事は数百年後には何人にでも覆されるものであり、そして未来の基準というのはあがり続けるものなのだからね」

 

 ノレッジ教授は教卓の上に置かれた自分専用の……ミニチュアフィギュアの様な椅子に座り込み、器用に足を組みながら小さく作られたマグカップを手にさて、と声を零す。

 

「こうやって私は講義を始めてしまったが、別段君たちを脅そうとしている訳でも、やる気を削ごうとしている訳でもないんだ、すまないね。ただ魔法の修練、勉学というものは君達が考える数倍地味で目立たないものだ。余りにも大きな夢を魔法に抱いてこの講義の扉を叩いたのであれば、現実を教えるのが私の役目でもあるからね。幸い、私が担当するのは1学期目の君たちの基礎学習部分だ。ここで退屈だと思えば間違いなく素質はないだろう。別の講義を受講する事をお勧めするよ」

 

「まあ、私達ここら辺は死ぬほど理解させられましたわね」

 

「うん……お父様との練習、ずっと地味だったもんね」

 

「そういうものなのでしょうか?」

 

 十歌の言葉に頷く。魔法の練習とは物凄く地味なのだ。

 

「良いかな? 魔導の鍛錬とはひたすら繰り返して魔力を練り、魔導言語の理解を深めて行く事だ。魔法の反復練習? まあ、確かに多少は必要だろう。だがそれも多少程度でしかない。本格的に戦闘方面に進むのであれば話は別だろうが、基本的に魔法の練度、そして強さを上げる方法は魔力のコントロールを上げる事と、それを運用する為の魔法に対する理解を深める事だ。そしてこれが奥義であり秘奥でもある」

 

 解るかな? とノレッジ教授は言う。

 

「魔法の基礎とはそれだけなんだ。そしてそれ以上もない。恐ろしく地味であり、騎士団にでも行かない限り、それ以上の事も必要はないだろう。もし魔法関係の研究職を将来的に目指すのであれば、これから君たちは永遠に魔力の操作練習と勉強を繰り返す」

 

 ノレッジ教授の言葉に一部の生徒の顔色が悪くなってくる。それにノレッジが笑い声を零す。

 

「そうだろうそうだろう、思っていたよりも地味だろう? そもそも君たちが夢見る様な広域魔法の類は基本軍用だ。それもスペルバインダーを丸々一つの呪文の為に構築しないとならない上に要求される魔力も馬鹿にできない。そんな物だったら神聖魔法を頼った方が早いのさ。だから夢は見ない方が良い。だがそれでも……魔導、その発展を求めるというのであれば。君はまさしく正しい道を選ぼうとしている」

 

 さ、とノレッジ教授が言葉を切り上げる。

 

「ここまで来て、何か質問はあるかな?」

 

 静かに手を上げると、ノレッジ教授が此方を見て頷く。

 

「そこの君、何かな」

 

「教授はドライフルーツとくるみ、どっちが好きですか」

 

「甲乙つけがたいが……やっぱりくるみかなぁ」

 

 次回の講義までに用意しとこ。

 

 

 

 

 講義が終わって教室を出ると、既にエデンが待っていてくれた。久しぶりに見た気がするエデンの姿に駆け足になって突撃すると、私の体をエデンは軽く受け止めてくれた。結構勢い付けてるつもりでも、エデンは見た目以上に強いから、軽々と受け止めてしまう。そもそも馬車を素手で持ち上げる程の怪力なんだから当然と言えば当然なんだけどね。だけどエデンの力強さにはどことない安心感があって、好きだった。

 

「エーデーン!」

 

「お疲れ様リア。ロゼも講義お疲れ様。初めての学校はどうだった?」

 

「中々面白かったわね」

 

「いっぱいの人で集まって一つの事を学ぶのは不思議な感じがした。でも楽しいよ」

 

「そーかそーか。なら良いわ」

 

 エデンが私達を迎えてくれている様に、直ぐ横では十歌の事を彼女の従者らしき人物が迎えていた。此方は……非常に珍しい恰好をしている。長いスカートみたいな服を着ているし、上の服装もなんというか、説明のし辛い恰好をしている。男なのか、女なのか、ちょっと解りづらい中性的な顔立ちと相まって不思議な人物に見える。そんな私を理解してか、エデンが説明してくれた。

 

「あれは袴っていう服装だよ。極東で武士……まあ、こっちで言う騎士みたいな連中が着る服装なんだわ」

 

「詳しいわね……ってエデンは確か極東が好きなんだったわね」

 

「まあな。その道のマニアだと思ってくれ」

 

 エデンの言った武士は十歌の無事を確認すると軽く頷きながら静かに十歌の後ろへと、静かに護衛の出来る位置に移動している。足運び一つ一つに音がなく、そして意識し辛い所がある。ただこっちが視線を向けているのを理解すると、軽く頭を下げられたのでこちらも頭を下げてしまった。それを見ていた十歌がくすり、と口元を隠しながら上品に笑う。

 

「此方、私の従者と護衛を担当している者で楓と申します」

 

「拙者、楓と申す武士に御座る。お見知りおきを」

 

「では私からもエデンを紹介するね。私の従者で護衛で姉のような人」

 

「うちの娘がお世話になってます」

 

「いえいえ、異邦の身なれど、親切にして頂き此方こそ感謝しております」

 

 辺りを見渡すと護衛が迎えに来ているところもあったが、基本的にそうやって迎えに来る護衛というのは少なく、そのまま別の場所へと向かう学生の姿が多く見える。学園に来るときはそこそこ護衛の数が見られたが、どうやら学内にはあまり留まらないように感じられる。事前にエデンが何度か調査をしている限りでは、セキュリティは特に心配する要素もないという話をしていた。それこそ護衛なんて連れて来なくても全然大丈夫というレベルで。

 

 或いはそれも、完全に学生という本分を果たさせるためなのかもしれない。立場や護衛の存在を忘れてただの学生として振舞う―――、まあ、昔からそんな感じにしか振舞っていなかった気がするけど。ただやっぱり、お父様もお母様もいない環境でたくさんの人に囲まれて勉強するというのは……ちょっと、不思議な気分だった。

 

「それじゃあ学食に向かわない? 私、密かにここの食事を楽しみにしてたのよね。十歌も良いわよね?」

 

「えぇ、私も此方での食事を楽しみにしてました」

 

「では学食へレッツゴー」

 

 勢いよく音頭を取るとそのまま人の流れと共に学食へと向かう。今日は初日という事もあって半日しかなく、人の流れはまばらだ。これ以降は講義もないので自分の家へと帰る者、寮へと向かう者、或いは同じように学食へと向かう者など様々だ。だが共通しているのは誰もが学生服姿である事だろうか。何百という学生が廊下や校舎の中を歩き、そしてグラウンドへと視線を向ければ動きやすい運動着に着替えた学生たちが何か、クラブ活動に手を出そうとしているのが見えた。

 

 クラブ活動……そう言えばクラブ活動もここでは推奨しているんだっけなあ、と思い出す。何か自分もやろうかな、と一瞬だけ考えるけど特に入りたい所が思いつかない。ならいいや、と視線を窓から外す。

 

 そのまま、特に何かある訳でもなく3人で談笑しつつ食堂へと向かう。エデンと楓は後ろで数歩下がって話し合いながら追従してきて、会話に混ざろうとする姿は見せない。でも後ろの2人は2人で、中々楽しそうに話しているようには見えた。

 

 そうやって歩きながらやってくるのは巨大な食堂の姿だ。

 

 エデンが“フードコート式”と呼ぶのが大きな食堂の姿だ。複数のカウンターが用意されており、そこで国に合わせた料理をメニューからオーダーできるようになっているらしい。既に一部テーブルは学生によって占領されている他、大きくスペースを取られている空間もある。まだまばらに空いているスペースはあるが、ちょっと遠く感じる―――そう思った瞬間後ろからエデンと楓が消えた。まるで先ほどまで立っていたのが残像だったかと思うほどの速度で一瞬にして空いているテーブルの前に出現し、2人で席を確保していた。

 

「席確保してくれたみたいだし、先に何か頼んじゃいましょ……と言っても結構バリエーション豊かで何を頼むか困るわね」

 

「あ、見てください。極東料理まで置いてますよここ。この異邦の地でまさかお目にかかれるとは思いもしませんでした! あ、でも西方大陸まで来たのに故郷の料理を食すというのは少々風情に欠けているかもしれませんね」

 

「気にする程の事かしら? それにほら、リアはもう貰いに行ったし」

 

「すいませーん! お魚定食? 2人前お願いしまーす!」

 

「はいよー」

 

 エデンも極東のご飯が食べたいって言ってたし、エデンの分も持って来れば良いだろう。頼んでから厨房の方へと視線を向ければ、そこからは言葉にできない未知の匂いが溢れてくる―――少し焦げているけど香ばしく食欲をそそる匂い。これがエデンが食べたがっていたものなのだろうか? 匂いは良いし結構興味あるかなー! なんて思っていると十歌もやってきた。

 

「グローリアは……躊躇なさらないのですね」

 

「躊躇する必要があったかなぁ。誰にも迷惑のかからない範囲だったら欲望に素直になっても良いと思うよ」

 

「そういうものでしょうか?」

 

「そういうものだと思う」

 

 結局頑張って無理をしても、それが自分の嫌な事だったら長続きはしない。やりたいことに素直になるのが何事も楽しく生きて行く為のコツだと思っている。無論、常に自分の好きな事ばかりやっていける訳ではないのだろう。それでもなるべく自分の好きな事に対しては素直でいる方が、遥かに良いと思う。だから私は、そういう所はあまり我慢しないようにしている。きっと、私では難しい事はエデンが助けてくれるだろうし。

 

「はい、お魚定食」

 

「ありがとー。それじゃあ私は先に席に行ってるね」

 

「えぇ、直ぐに向かいます」

 

 定食の乗ったトレーを二つとも持ち上げて、人混みを回避しつつエデン達が確保したテーブルまで向かう。適当にトレーをテーブルに置くとエデンがいやあ、と声を零した。

 

「俺の分まで持ってきてもらって悪いね」

 

「良いよ別に、大した苦労でもないし。それよりもエデンも一緒に座って食べよ」

 

「これは驚きに御座るなあ……エデン殿とグローリア様は主従の立場と聞いていましたが、振舞いはまるでそのあたりを感じさせないに御座るなぁ」

 

「私達姉妹として育てられたしねー?」

 

「まあ、うちはそこら辺緩かったからな」

 

 特に気にする事でもないのだが、他所からするとやはり驚くような事らしい。まあ、うちはうち、他所は他所という話だ。特に気にする事でもないので普通にエデンを席に誘う。エデンも拒否する理由は特に無いらしく一緒に並んで座る。エデンは両手を祈るように合わせながらどことなく、目の前の食事に感動しているような気配を見せている。

 

「あぁ、夢にまで見た味噌と醤油……まさかこんな所で食べられるなんてなあ」

 

 どことなく感動した様な様子を見せるエデンはフォークとスプーンではなく、細長い棒を二つ使った食器を器用に使いこなしながら魚を食べようとしている。その指の動きを見て楓は感心したような表情を浮かべ、主を見つけるとすぐに姿を消した。どうやら十歌がトレーを運ぼうとしているのを察して駆けつけたらしい。

 

 昔はエデンもそういう細かい事までやろうとしていたが、今ではめっきりやらなくなった。

 

 ちょっと寂しいかなあ、なんてフォークに軽く齧りつきながら考えている時だった。

 

 がしゃん、という音が食堂に響いたのは。

 

 誰かトレーを落としたのかなあ、なんて思いながらが視線を音源へと向ければ、そこに見えたのはトレーの上にあった料理を丸被りした令嬢の姿と、その前で凍り付くもう一人の姿。そしてそれを凍り付いたまま目前で見ていたホールで横に座っていた男子の姿だ。

 

 食堂にいる者の注目を一身に集める光景、沈黙の中、

 

「―――お、修羅場か? やれー、刺せー」

 

 エデンの茶化す声が食堂に良く響いた。




 感想評価、ありがとうございます。

 ダクファンだ! 青春だ! 悪役令嬢だ! 王子さまだ! 田舎娘だ! パブリック・エネミーだ! どの面ラスボスマイフレンドだ! でこの章は構築されてます。

 なんか構成要素がおかしいな……。


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新入生 Ⅵ

 エデンが迷わず茶化したのが原因か、空気が一気に軟化した。見た目は深刻で注目を浴びたが、一番早くリアクションを用意する事で場の空気をコントロールしたのだ。こういう時、一番最初に場のイニシアチブを握った人が全体のコントロールを行える。だから直後にエデンが修羅場か、と言葉を発したのは妙手だったのかもしれない。そのおかげで軽く笑い声に代わり、周囲の学生たちが視線を外し始めていた。それを感謝するように男子生徒も軽く僅かに頭を下げていた。それだけ確認するとエデンは視線を外し、昼食へと視線を戻す。

 

「まあ、服のクリーニングまで手を出すと干渉のし過ぎだしこれぐらいならええじゃろ」

 

「貴女、そういう所の判断早いわよね」

 

「伊達におねーさんではないのだよ、俺は」

 

 そう言うエデンは胸を軽く張ってから再び魚を食べ始める。そこに十歌と護衛の楓がやってくる。戻ってきた十歌はお待たせしました、と言いながら座る。十歌が持ってきたのは見た事のない極東料理だった。エデンと違って楓の方は一緒に食べるつもりはなく、座る十歌の背後に控えている。その姿を見ていると、やっぱり護衛として一緒に生活したり遊んだり食べたりするエデンがおかしいんだなあ、というのが解る。まあ、私もロゼも完全にこれで慣れちゃってるんだけど。

 

「今話を聞いてきたのですが、どうやら此方では東方の調味料を原材料から再現して作っているらしいですね。お蔭で高い輸送費を払わずにいられるとか。料理研究会と農業研究会の方々が合同で他国や地方の食材や調味料の再現を行っていて、その成果らしいです」

 

「へぇ、流石エメロードね。学生レベルでそういう研究とかやってるのね」

 

「まあ、やる所はやるだろうな」

 

 骨を口に咥えたエデンが話を続ける。

 

「一般的な学園は貴族向けのコネクションを作るためだけだが、エメロードはそういう所を取っ払った純粋に勉学の為の機関だからな。そこら辺、普通の学園や学院とは違う―――ではそこで質問です。そういう意識の高い人々がなるべく良い学校へと通おうとする理由は?」

 

「キャリアの為、でしょ?」

 

 

 

 

「はい、ロゼ正解」

 

 花丸を与えよう、そう言って結晶で花を作り、それをロゼへと渡した。結晶花をロゼに渡しつつ話を続ける事にする。というかここら辺の考え方、別に地球だろうが異世界だろうが考え方として共通なんで普通に通じるんだよな……。まあ、それはともあれキャリアの話だ。

 

「基本的に学歴ってのはキャリアになるんだわ。良い学校に通ったってのはそれだけで目に見えるプラスになってくれる。採用する側の人間はそれを見てこいつはどの程度の学力があって、どれだけの能力があるのかを察知できるって訳だ。だから上を目指す人間ってのは基本的にキャリアを積もうとする。そしてなるべく良い学校に通う事でそれを経歴に残そうとする。そうすれば自分の能力が解りやすく示せるからな」

 

 だけど此処で問題が出てくる。

 

「じゃあ、騎士団が魔法使いを募集しているとして、同じエメロード学園から魔法使いを採用しようとする。ここで2人とも学歴が全く同じだったとして……君が騎士団の採用担当ならどっちを採用したい?」

 

 視線を十歌へと向けると、十歌は少しだけ考えてから、

 

「それは……やはり、実戦経験がある方でしょう」

 

 その言葉に俺は頷く。

 

「十歌ちゃん正解。つまり目に見えるキャリアの中には“経験”も含まれているって話だね。同じ優秀な人材を採用するならより経験のある方を採用したいのは当然の事だろう? だから学生の間にキャリアをワンランク上の物にする為の努力をする。単純に勉強して詰め込む努力ってのは履歴書からすると割と解りづらい部分なんだわ。だけど何らかの研究か、或いは実働で成果を上げている場合はそれが履歴書に乗る」

 

 良い所の大学やらでプロジェクトを立ち上げるのはこういう所に理由があるんだなぁ、って。まあ、他にも色々と理由があったり、或いは教授が発狂して推し進めてたりとか色々あるんだが。まあ、ここは解りやすい例を出しておこう。

 

「で、こうやって明確な実績を重ねるとスカウトされるときにそれが可視化される訳だ。だから学生時代に研究とかに手を出しておくのは割と普通なんだよな。なんならエメロードではその手の研究にちゃんとした根拠を示せるなら援助金出すらしいしね。それに成績と研究で成果を示せば卒業してからここに残って研究を続けられるらしいし。そう言う意味じゃ努力するだけ報われる可能性のある場所でもある……まあ、将来の事を考えたら何かしらやっておくのが安パイかな」

 

 その言葉に少女たちが黙り込んだ。楓も腕を組みながら納得するように頷いた。まあ、この十歌という娘はともかく、ロゼもリアもぶっちゃけ立場としてはそんな凄いキャリアは必要とはしないんだよね……というのが本音だ。研究とか始めるとガチ目に時間がとられるし、休日も拘束される事が多々ある。そういう事を考えると別に手を出さなくても良いんじゃねぇかなあ……とは思う。というかやるだけのメリットを感じない。

 

 だから、まあ、ロゼもリアも自分のペースで何事も進めれば良いんじゃないかと思う。少なくとも急ぐような理由はないんだから。それにリアは特にやりたい事が決まっている訳じゃない。その時点で何かプロジェクトを立ち上げる、研究をするというのは選択肢に入らない。

 

 まあ、どうせたった3年間の留学なのだ。気楽にこの3年間を過ごすとしよう。この学園、セキュリティ関連がマジでがっちりしてて護衛が来る必要がないのが事実だし。

 

 しかし、俺の視界内では明確に何かを考えるそぶりを見せているリアの姿があった。今日という1日、初めて学園に通って集団で勉強するという経験を受けて何かを考え始めているのが解る。きっとそれは俺に伝わらない成長なんだろうなあ……なんて思ってしまう事にちょっとした寂しさを感じてしまう。

 

 まあ、それはそれとして冷える前にお魚定食を食べてしまう。まさか日本食―――いや、極東食までこの食堂が備えているとは思ってもいなかったが。

 

 ただまあ、ここまで自分の見知った大学のシステムが構築されているのを見ていると、思ってしまう事がある。

 

 ―――これ、確実にどっからか地球の概念やシステム流入してない?

 

 明らかに地球人っぽさのあるシステムや考え方みたいなものが生活している中でちらほらと見えているのだ。魔界による文化汚染だけではなく、他のルートもありそうだなあ、なんて昼食を食べるリアたちの姿を見ながら思う。結局のところ異世界が魔界以外に存在するのかどうかもまだ調べられていないし、近いうちにどっかで調べに行きたいと思う。いや、リアを置いて行くのはちょっと難しいか。

 

 それでも1度は、1度は地球に戻ってみたいかもしれない。

 

「……エデン?」

 

「ん? あぁ、いや。リアたちはクラブ活動どうするのかなあ、って。アレ、内申点に繋がるぞ」

 

「マジで」

 

「マジに御座います。勉強以外の事をしてるのは割と評価されやすいのだ!」

 

「本当に、お詳しいのですね」

 

 まあ、昔学生やってましたから。

 

 

 

 

 それから昼食を終わらせるとロゼがクラブの確認に行きたいと言い出した。リアの方はあまりクラブ活動には意欲的ではない様子だったが、ロゼの方はこの際評価を上げられるだけ上げてから故郷に帰る気満々らしく、何らかのクラブで活躍したいと考えていた。リアと、新しく友人となった十歌は何をすればいいのかという時点で詰まっているらしく、ロゼに付き合う形でクラブの確認をする事となった。

 

 まあ、実際のところ入学初日という事で凄まじい勧誘合戦がそこらかしこで始まっていた。当然ながらクラブ活動は青春の華だ。共に頑張り、汗を流し、そして一生の思い出を作る事もまた一つの道だろう。

 

 まあ、俺の青春にそんなもんはなかったがな?

 

 ただ凄まじい勧誘合戦を見ている限り、エメロードではクラブ活動の方でも相当力が入っているのが解る。グラウンドの方で行われている勧誘合戦の熱気と、帰ろうとしている新入生に割り込んでまで勧誘している姿勢にはちょっとした親近感と尊敬を覚える。そんなグラウンドの様子を眺めつつクラブのリストを貰う為に事務所へと向かおうとした所、グラウンドから聴こえてしまった。

 

「おーっほっほっほっほっほ!!」

 

 その声を。

 

 聞いてしまったからには足を止めてしまう不思議な魔力を持った声だ―――いや、綺麗な言い方は止そう。面白過ぎる笑い方にどうしても視線が向いてしまう。グラウンドを横切って事務所のある棟へと向かおうとしたのに、視線は真っすぐ正門前に陣取るツインドリルドライブ搭載型お嬢様へと向けられてしまった。お嬢様奇行種とでも言うべき生物が奇怪な鳴き声で正門前に陣取っていたのだ。

 

 その前に立つのはあの食堂で飯をぶちまけられた女生徒の姿だ。あの時は頭からスープとスパゲティを被っていて良く解らなかったが、俺に似た白く長い髪の毛に人形の様な美しさを持った、どことなく冷たい印象のある女生徒は中々人気の出そうなビジュアルをしていた。ただ今日は食堂の一件と今奇行種に絡まれて居る時点で人生最悪の入学を経験している事だろう。それに関しては俺は心の底から同情する。哀れ。

 

「待っていましたわ! シェリル・フランヴェイユ!」

 

 シェリル、そう呼ばれた少女は明らかに嫌そうな表情を浮かべていた。

 

「何用かしら、ティーナ」

 

「ふっ―――」

 

 ティーナと名を呼ばれた奇行種は名前を呼ばれて小さく微笑むと、たっぷりと数秒かけてポーズを取る。完全にグラウンドの視線を独占しながら、ドヤ顔で仁王立ちをしていた。その姿を見て数秒かけて溜息を吐いたシェリルは、

 

「何が、したいのティーナ」

 

「そんなの当然ですわ! ……いえ、お待ちになって。もしかして調子絶不調かしら貴女?」

 

「……見て解らないの?」

 

「そう……じゃあ帰っても良いわよ。明日までにちゃんと調子を戻しておくのよ? おーっほっほっほっほ!」

 

 それだけ告げるとお嬢様奇行種・ティーナは去って行った。グラウンドにいる全ての存在の注目と、そしてその時間を奪って行き、残された被害者に対する同情だけを残して。残された被害者は両手を顔に寄せて覆った。

 

「どうしてこんな目にあうの今日は。私、何かしたかしら……」

 

 見てるだけで可愛そうになってくるシェリルはそのままとぼとぼとした足取りで学園を出て行く。その姿を全員で眺めてから、視線を戻す。

 

「なんだ、アレ」

 

 思わず出た言葉がそれだった。朝からちょくちょく人の視界に入っては出て行く面白生物。正直面白すぎて逆に気になってくるレベルなんだが、何だろうあの生き物? 俺ちょっと気に入ったぞアイツ。ほぼ全員が首を傾げる中で、ロゼだけがあー、と声を零す。

 

「あの回転式破壊兵器を装着している方は解らないけど、被害者の方なら解るわ。事前にお父様にこれだけは覚えておきなさい、って言われて覚えた人のリストに入ってたし」

 

「それは……?」

 

「フランヴェイユ公爵家の娘よ。確か上に兄がいた筈ね。噂では王子様の婚約者だとか。家としての格を見るならうちよりは間違いなく上よ。武力では間違いなく負けないけど」

 

「そこ張り合う必要あった?」

 

 辺境伯に武力で勝てる貴族がいたら滅茶苦茶怖いじゃん……。辺境伯って国境の守護や辺境の開拓を任せられる代わりに武力を多く保持する事が許されているのに、それを超える武力を持つ家が王族以外に中央にいたとしたらシステムが崩壊してるよ。あぁ、いや、でも王家の信頼厚い所なら別段、ありえなくもない話なのかもしれない? まあ、何にせよ結構雲の上の人物という事になるだろう。流石に此方での生活で関わってくるような人物じゃない筈だ。

 

 しかし、これがゲーム系の世界だとしたらあのシェリルが悪役令嬢のポジションになるんだろうなあ、なんて事を考える。彼女に料理をぶちまけた子が乙女ゲーの主人公で、それを直ぐ傍で立ち尽くして見ていたのが王子様―――まあ、配役的にはこんな感じだろう。実は田舎娘には凄い才能があって、それが王子様を寝取っている間に開花して行く感じの奴。

 

 ところで悪役令嬢から王子様奪うのってアレ、寝取りジャンルに入るのだろうか?

 

 断罪込みとはいえアレ、確実に寝取りジャンルに入るよな……と毎回思っている。心は別として、婚約関係にあるのを破棄して奪ってるんだから寝取り成立しているんじゃないか?

 

「エデンー、馬鹿面してないで事務所行くわよー」

 

「置いてっちゃうよー」

 

「お、お二人とも流石にその言い方は……いえ、中々味のある表情でしたよ?」

 

「十歌様! オブラートに包み込めてないで御座る!」

 

「全員揃ってぼろくそ言ってくれるじゃん」

 

 苦笑しながら先に歩き出した皆を追いかける様に駆け足で近づく。他人の事を考えている暇があるのであれば、まずは自分の事からだ。




 感想評価、ありがとうございます。

 ランダムエンカウント率が高すぎる上に勝手に去って行く事に定評のあるお嬢様奇行種。


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新入生 Ⅶ

 学生の日常というものは一度動き始めてしまえば直ぐに慣れるし、慌ただしくも進んで行くものだ。

 

 初日は俺が付き添って校内まで護衛したが、実際の所このエメロード内部ではその必要がない。安全性は何重にもチェックされているこの都市内部ではそれこそ突発的なテロでもない限りは危険が及ばないし、そのレベルの危険だった場合は護衛がいたところでどうにかなるというレベルでもない。これは過去の名言だが、“テロを完全に防ぐ事は不可能”という言葉がある。その言葉の意味は護衛という役割に集中する事で初めて理解する事が出来た。

 

 最初はどことなく警戒心をあらわにしていたロゼとリアも、1週間もする頃には交友関係を広めて学内で馴染む事に成功していた。元々社交的で人にも優しく、思いやりのある子達だ。自分から踏み出して誰かと話したりする事が出来ればすぐに交友の輪は広げられる事は解っていた。邸宅に戻るとべったりなリアだが、学園にいる間は友達に囲まれて楽しくやっているようで、俺が面倒を見る必要は一切なかった。ちょっとだけ姉離れが始まったような事実に半分は嬉しさを、半分は寂しさを感じていた。

 

 とはいえ、子は何時か巣立つもの。リアの世界が広がり友達との時間が増えて俺から離れるのは当然の話で、別に嘆くような事ではない。誰もが経験する様な悲しみの一つだ。だから俺はそれでいいとして、問題はそれによって増える俺の時間の方だった。

 

 ぶっちゃけてしまえば暇だった。

 

 1人の時間が増えたら冒険者としての仕事をこなす予定だったが、冒険者としてできる仕事はそう多くはないし手取りもいまいちだ。定期的にサンクデルの方から送られてくる仕送りの中に混じっている雇用費の方が遥かにお高いのだ。その上、時間拘束が長すぎると我らのお嬢様を迎えに行く時間と被ってしまう問題もある。辺境に居た頃であればそこら辺の秘境や魔境の一つを単身で攻略して自分の経験値を稼ぐ事も出来ただろう。だけどそういう場所は近場にはないし、基本的には学園で管理されている私有地なので入る事も出来ない。

 

 おかげでそれなりに暇だった。

 

 なら邸宅のあれこれをやってろという話だが、ぶっちゃけクレアが有能だった。流石専門職だけあって彼女1人であの大きな邸宅を完全に管理できてしまっていた。そのせいで俺は見事お役御免、戦闘しか能のない女は学問が支配する街の中で仕事を失っていた。今更リアやロゼについて回るのもなんか違うなあと思う俺は、同様に周囲の安全が確保できて仕事がないと発覚し、例に漏れず無用の長物となってしまった楓と一緒に、せめて腐らない様にしようと考えていた。

 

 そう、暴力担当同士、俺達は仲良くなったのだ。年齢が近いのと同じ職だったのが幸いした。俺は大剣、楓は刀と扱う得物に違いはあるものの、根本的な技術通の交流や新しい武器の試用というものは何時でも我ら暴力担当の心を躍らせる。実際、刀なんて武器レアすぎて触る機会はほぼなかった。楓の持っている業物を借りる事は出来ないが、それっぽく結晶武器としてコピーする事は出来る。それを使ってお互いに手慣れていない武器を持って遊んだり、ちょっとガチったりする程度には仲良くなっていた。

 

 ただ、まあ、それをずっと続けられるという訳でもないので、

 

 空いた時間、何をするか……という話になる。

 

 なので俺は考えて。

 

 時間空いているなら龍の事、調べても良いんじゃね?

 

 

 

 

 そう言う訳で俺は図書館へとやって来ていた。学生、或いはその関係者であれば自由に利用する事の出来るエメロード大図書館は棟が丸々1つ図書館となっている巨大な施設となっており、高さは5階まで、地下は3階まで続いている施設になっている。日本にいた頃は確かに勉強とかで図書館を利用したりもしたが、それでもここまで大きな図書館は見た事がなかった。或いは地球にもこの規模の図書館があったのかもしれないが、俺は知らない。

 

 そしてこれだけ大きな図書館でありながら、中央の天想図書館よりは小さいというのだから、凄まじい。中央に存在する天想図書館はそれ自体が1つのダンジョンらしく、雲を突き抜けて伸びる塔の様な形状になっている。求める本によって人それぞれに道を示して形状を変化させる、異界型ダンジョンになっていて、図書館が出す試練を乗り越える事で求めた本を手に入れる事が出来るというシステムになっているらしい。噂ではかつての王がこの図書館を生み出したという話だが―――まあ、明らかに神話的オブジェクトだよなあ、というのは俺の素直な感想だ。

 

 なお、現在最高踏破層は帝国の“宝石”攻略チームで249層らしい。求めた本はなんでも“神話の真実”だったらしい。それでもまだゴールにはたどり着けずに引き上げたとの事。中々ヤバイダンジョンである。だがそこまで複雑なものを求めなければソコソコ便利な施設でもあるとか。

 

 まあ、そんなものはここにはないので一旦忘れよう。

 

 このエメロード図書館は基本的に学生がレポートや研究の資料を求めて徘徊しているのが良く見られる。テーブルの方へと視線を向ければ本の山の前で課題があ、期日があ、と唸っているゾンビの様な姿の連中だって目撃する事が出来る。物凄い懐かしい気持ちになる光景だ。まあ、レポートは期日内に頑張ってくれ、と心で祈っておく。コツはクラス全体で提出を遅らせる事だ。

 

 何せ、教授が半ギレで提出期限を延ばしてくれるからな!

 

 慈悲のない所はマジでそのままクラス全部撫で斬りにするけど。

 

 図書館の入り口にリアの護衛である事を証明するIDカードと、自分の冒険者カードを一緒に提出する―――これを一緒にやるやらないで割と待遇とか視線が変わってくるのだ。ブロンズ級の冒険者でソロってのは結構修羅の道になる。達成できているって時点で有望株である事が証明される。だからこれで怪しい人ではないですよー、と軽くアピールしてから館内に入る。

 

 さあ、問題はここからだ。

 

 上に5階、下に3階。そして館内の壁にずらっと並べられた本の数々。その中から俺の目的に沿う本を見つけ出さないとならない。これが日本だったら図書館に置いてあるPCで書籍を検索する事が出来るのだが、生憎とそんな便利な機械が存在する筈もない。今更此方に来て数年経過しているが、PCに対する寂しさや懐かしさは日々の楽しさで完全に吹っ飛んでしまっている。あれほどソシャゲとオンゲに注ぎ込んでいたのに全く考える事もなくなってしまった。

 

「お困りでしょうか?」

 

 図書館に直ぐ入った所で腕を組みつつどうやって探そうか、と考えていた所通りすがりの司書に話しかけられる。制服の上から司書である事を証明する腕章を装着している。眼鏡におさげの少女は清らかに笑みを浮かべている。

 

「あー、悪い。資料を探しているんだけどどこから手を付ければ良いか解らなくてな」

 

「あぁ、成程。確かに当館はかなり広いですからね。本を検索する場合は此方をどうぞお使いください。魔力を込める事で検索機構を稼働させる事が出来ます」

 

 そう言って司書が示すのは直ぐ近くの台の上に置いてある本だった。鎖によって台へと繋げられている本はそれなりに大きく、両手で抱える様なサイズのものだ。司書に言われた通り本を開き、魔力を込める―――のに、ちょっと気を遣う。エドワードとの特訓である程度少ない魔力だったら浄化と蝕みを暴発させないが、大容量の魔力を使うとなるとどうしても魔力の性質が発揮されてしまうと分かった。念を入れて本に送り込む魔力を最小限にすると、無事に本が魔道具として稼働した。

 

「後はここに求めている本や資料のキーワードを魔力で本の中に直接描いてください。それを元にこれが現在収められている書籍から存在するものをリストアップしますので」

 

「ありがとう、助かったよ」

 

「いえいえ、それではごゆっくり」

 

 小さく手を振って感謝を告げつつ、本へと向き合う。まさかPCに似たような機能を持つ本があるとは、思いもしなかった。だけど考えてみれば科学技術が未発達なだけで、普通に魔導技術は発達しているんだ。人間、行きつく発想が一緒なら生み出すものも割と似たようなものになるのかもしれない……。

 

「とりあえずはジャブで、っと」

 

 本命である龍の前にまずは亜竜から検索しよう。指先に魔力を留めて亜竜、と共通大陸言語で本に書き込むと、本にびっしりと文字が出現してから不要なものをカットし、様々な本や資料、レポートの纏め等を表示させる。

 

「ほほう、ほとんどPCみたいな感覚で使えるな。こりゃあ良い」

 

 ただPCと違って色んな目的で使う事は出来ない。本を検索するという機能に特化させるなら確かにこれで十分だろうか。

 

「亜竜だけじゃ情報が広すぎるか」

 

 更に情報を絞る。亜竜・上位種・生態・姿・挿絵。情報を絞ってみると一気に書籍が減る。それでもまだ100冊以上存在してるのを見ると、亜竜も相当研究されているジャンルなんだなあ、と思える。実際のところ、人類の歴史が亜竜との戦いの歴史だと考えると割と妥当な所でもあるだろう。事実、これまでの亜竜は人類に対して非常に敵対的だったらしいし。それが龍に対する人類からの攻撃が原因だったとしたら……まあ、子孫代々まで良くもまあ、亜竜達は恨みを伝えて来たよね……って感じになる。

 

 俺個人はそんな事しなくても良いと思ってるし、老龍(じぃじ)も人類に対して何の恨みも抱いてなかったみたいだし、亜竜の人類に対する恨みは割と見当はずれみたいな部分がある。だから辺境にいる間、遺跡以外でも亜竜とエンカウントする事は一度あったんだが、その時も人間を襲うのを止める様に伝えてしまった。

 

 その話が亜竜全体に伝われば良いんだけどなあ。まあ、流石にそれは高望みか。亜竜には明確に上位の個体と、指揮する個体などが存在するらしい。そういう上位の個体に接触する事が出来れば或いは……って感じだが、今のところ俺がエスデルを出て亜竜の住処へと行くような事はない。出来るとしたら相当先の未来、俺の仕事がなくなり暇になってからだろう。

 

 まあ、それはさておき亜竜で結構反応が出たのは事実だ。

 

 ここからは本命の方を調べるとしよう。

 

「龍、っと。後は神話か」

 

 龍・神話、と大陸共通言語で書き込む。それでかなりの数の書籍が出てくる。まあ、道徳の本で龍は悪い存在だよ、って描かれるぐらいだからこれぐらいは当然か。じゃあ学生レベルで龍に関するレポートは存在するかどうか?

 

「結果なし、と」

 

 学生レベルでの龍に関するレポートはない。じゃあ次は研究レベルでの龍に関する資料を探してみよう。キーワードを本に描いて検索を実行させる。

 

 そして出てくるレポートの数は僅か3。これだけ大きな図書館なのに、龍に関する研究レベルの資料はそれだけらしい。流石にちょっと少なすぎないか? 本の前で腕を組みながら考える。それとも龍に触れる事そのものがタブーなのか? 俺自身、身バレを警戒して龍に関する話題を人前で上げた事はないし、誰かの口から龍の話を聞いたような事はない……考えてみれば最大悪として認知されている存在を積極的に調べようとするような事はないか。

 

 それに神話が事実なら既に絶滅している種族なのだから、調べるもクソもないか。

 

 あぁ、いや、でも神話好きとかなら調べるか?

 

「いや、そもそもの話……パブリックエネミーとなった話の始まりがどこなんだ?」

 

 そういう細かい事、これまで気にした事はなかった。そもそも気にする必要もなかったし、知ろうともしなかった。だけど考えてみれば俺の種族の名誉が奈落の底へと落ちている状況、神々は間違っていると解っているのにノーアクションだし、人類は勝手に俺を憎んで悪者扱いにしているの、被害全部俺が受けてないか?

 

 俺にだけ異様にハードな概念押し付けてないか?

 

 いや、これ身バレする? って聞かれたら間違いなくしませんが……って感じだが。

 

 それでもなあ、あの龍殺しと再びエンカウントされたら秒で見抜かれて、今の実力でも10秒持たない気がするんだよなあ……。多分3合までなら剣をあわせられるけど、4合目で即死させられるかなあ。間違いなく“宝石”の中でも最強格だとは思う。強くなった自覚はあるけど、それでどうにかなる訳じゃない相手だ。なるべくはバレたくない……。

 

「うーん、神話方面から攻めてみるか」

 

 龍・神話・聖国。

 

 確かソフィーヤの神託によって人が龍を殺す力を得たという話だった筈だ。つまり龍が悪である、龍が人を襲ったという話を広めたのはソフィーヤの神託を受けた連中の筈だ。人理教会……今では確か聖国だったか? あの連中が広めたのだとしたら、龍が悪認定されている事に関する理由や始まりはそこら辺を調べれば出てきそうだと思う。

 

 とりあえず、そこら辺の本を集中的にピックアップする事にした。




 感想評価、ありがとうございます。

 そろそろパブリックエネミーである事の意味を調べよう。それはそれとして、まだ学園編の新キャラ紹介はまだまだ終わってませんの。大体の主要キャラは出たけどね。


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新入生 Ⅷ

 ―――調べ始めて数時間、ちょっと見えて来たことがある。

 

 龍の事を聞かせる教科書みたいなものは凄く、凄く少ない。レポートや纏めというものも少なく、龍という生き物そのものを主題とした資料、レポート、そういう学術的ジャンルの書籍が全くと言って良いレベルで存在しない。というか0だ。1つも龍をまともに調べた本というものが存在しなかった。

 

 じゃあ龍という概念は? 生物は? 一体どこからパブリックエネミーという認知を得られるんだ?

 

 その答えはシンプルに、童話だった。

 

 ()()()()、その一環に龍に対する嫌悪感、そして認知が刷り込まれている。この世界で聞かされる童話や英雄譚に龍は必ず悪いものとして出現し、改心する事もなく打ち倒される悪者として描かれる。それを確認する為に十数という童話を、英雄譚を、そして他にも物語を重ねて並べる。それをざざっと速読して確認する限り、龍が救われるという話は存在しなかった。龍も可愛そうな被害者として描かれたものも一切なかった。まるで子供に龍は悪であると、そう刷り込むために描かれたような本ばかり確認できたのだ。もちろん龍と関わりの無い童話もたくさんあるのだが、龍が出てくるものには必ず龍が同情も出来ない完全な悪として描かれていた。

 

 じゃあそれだけ? かというとそうでもない。歴史の教科書で神話の解説が入る時に龍が描かれるのだが、そこでも必ず戦争を始めた存在、その手先、そして完全なる破壊者として描かれる。逆に龍殺し連中はそれを狩った英雄ばかりとして残されている。それが真実ではないと知っている身からすると、ちょっとこの扱いには不満が残る。いや、嘘だ。滅茶苦茶不満に思う。

 

 こうやって情操教育で情報を刷り込む事によって龍は敵だ、というのを基本的な認識として人の脳に刻んでいるようだった。何か方法があれば龍のイメージ回復を行おうと思ったが、

 

「これは無理でしょ」

 

 根本的な部分でどうしようもない。人の認知や教育そのものを改善しない限りこれは、どうする事も出来ないだろう。悪意のある奴が大昔から人の認知を上書きする為に少しずつ努力を重ねていった感じがする。これをどうにかするには、国の教育に携わる地位に割り込んで、根本的に使う教科書や資料を自分で手直しするしかないだろう。その上で正しい事実を知るインテリ層を増やす事だろうか?

 

 いや、これが惑星規模での認知だとしたら相当無理くさいだろう。少なくとも西方大陸は既にこの認知で染まっている。

 

 その発端は―――当然のように、聖国。

 

「人理の神ソフィーヤを祀る聖なる国……人類の繁栄を目指した国、か」

 

 ソ様が聞いて呆れるわ。

 

 あの女神、龍に関する事だけは絶対に何も答えようとはしない。オラクルしようと思えば何時でも繋がる事の出来る女神だが、そもそも神様に頼むという発想がなんとなくだが気に入らない。まあ、こんな体と才能を与えられて今更……って話かもしれないが、神様に頭を下げてその都度困ったことを解決して貰ったり教えて貰うのはあまりにも他力本願というか、主義じゃない。

 

 まあ、そもそも頼まれた所で神々が助けてくれるとは思えないが。連中、君臨すれど統治はせずみたいなスタンスが基本らしいし。全体的に頼りになるかどうかが怪しい連中ではある。いや、信仰に対する対価として魔法を授けている時点で助けにはなっているんだが。ただ、まあ、そういう話じゃねぇよなあ……ってのはある。

 

「そもそも文明の発展と科学技術の発達によって信仰は廃れるもんだからな……」

 

 じゃあ魔界、魔族の技術ベースの侵略戦争ってのはこれ、高度な()()()()()()()()()()()()()

 

 科学の発展に伴って利便性の高い機構へと人の視線が向かえば、それだけ神への感謝と関心は薄れて行く。君臨しても統治しない、恩恵の面倒な神々よりも金と電力で賄える機械の方へと信仰が移って行くのは当然の流れだ。或いは本当に神が実在する世界では信仰は薄れないのかもしれない。それでも神への信仰を逸らし、減退させる戦略があるとすれば立派に神を殺す手段になりえるのではないだろうか……?

 

「まあ、考えすぎか」

 

 目頭を軽く揉む。ちょっと変な方向へと思考が飛んでいたかもしれない。今は神々の事ではなく(おれ)の話だ。思ってたよりも根が深く、そしてどうしようもない話だと思えた。というか手記や冒険記の中に龍の遺跡を発掘する話や、探検する話が全くない。もしかして紙面に残すのがタブーみたいな風潮があるのか? いや、ここまで育ってきていて俺が聞いていないんだ。そんな特殊ルールがあるとは思えない。

 

 或いは龍に関する資料は聖国の方で管理されているのか……? だとしたらドラゴンハンターや龍殺しがあっち出身ばかりなのは解る話だ。まあ、あの国はどっちかと言えば人外全部敵って感じの流れだが。それに食らいつく夜の国もよーやるわ。

 

「……いや、でもおかしくないか? ここまでやる必要、あるか?」

 

 ここまで徹底して情報の隔離と意識の刷り込みするか普通? ここで誰かが龍に関する事実のまとめを作ろうとしても、たぶん“妄想乙”と言われるだけで終わるぐらいのレベルで常識として龍=悪という図式が出来上がっている。これをどうにかしろってのは正直無理な話だろう。そしてこれが原因で亜竜が狩られているなら……人類が亜竜を狩り続けるのもまあ、納得だ。

 

 根本的に悪い事やってるって意識がねーんだもん、人間。そりゃあ殺し合うわ。

 

「全ての発端は6000年前、か」

 

 龍殺しが行われたのは6000年前の話になる。その当時、ただの司祭であった人物はソフィーヤ神から神託を受ける事によって龍殺しの法を授かった。それを授かった司祭は龍殺しの法を用いて悪龍を討滅した。人理教会の法王にまで昇り詰めた男は以降、授かった言葉と法を残した。龍を討て、悪を討て、人に仇なす獣を狩れ。龍は神聖に非ず、人の敵殺すべし。一切残さず塵殺すべし。

 

 その言葉を残した者こそが教皇アルシエル。

 

黒い太陽(アルシエル)、か」

 

 龍種特有の言語の自動翻訳で変換された名前の意味が返ってきた。まさか言語翻訳でこんな風に名前が変わるとは思わなかったが……龍の特性として名前がこんな風に認識できたという事は、血そのものがアルシエルに思う事があるという事か……? それともそもそもそう言う意味の名前なのか? そもそも俺、自分の種族特性を把握しきれてないんだよなあ。場合によっちゃこの魔力でさえデフォルト機能になりえるし。俺、もしかして龍全体からみると劣等生かもしれないし。

 

「ここら辺は深く考えたところで答えは出ないし考えるだけ無駄、だな。なら次に考えるべきなのは―――」

 

「失礼します、少し良いかな?」

 

 アルシエルと龍周りの事をもっと調べようと思った所で、声をかけられた。勉強用に装着していたファッショングラスを外しながら振り返ると、知らない金髪のイケメンが此方を見ていた。いや、完全に知らないという訳じゃないな。先日食堂の修羅場の中心にいた奴だ。あの後特にエンカウントする事もないので軽く忘れていた―――まあ、見た事は決して忘れない頭だから嘘なんだが。

 

「えーと、食堂のだよな?」

 

 わざとらしく思い出す様に言葉を口にすれば、イケメンは頷いた。

 

「はい。あの時は空気を茶化してくれてありがとう。貴女がああしてくれたお蔭であの場が妙に白熱せずにすんだ。心からの感謝を」

 

「良いよ良いよ、飯時に嫌な空気を吸いたくなかったしな。お前もそんな事の為に感謝しに来るとは酔狂だなぁ」

 

「いえ、恩は返さないと人としてどうかという話になるので」

 

 今見た感じ、俺が黙っててもこの少年の器量ならあの状況のリカバリーは出来たと思うが。それでもあの時咄嗟に反応してしまったんだからしゃーない。まあ、飯時を悪い空気にはしたくなかったしな。感謝の言葉も頂いた事だし、ファッショングラスをかけ直して再び集めた資料の山へと視線を戻す。まだまだ確認したい事は多くある。特にこのアルシエルという男に関する事、そして神話回りの龍に関する伝承とかはもっと調べれば出てくる筈の内容だと思う。

 

「……龍に関する資料?」

 

「ん? あぁ……気になる事があってな」

 

 少年はどうやらまだ去るつもりはないらしく、此方が資料を持ち上げて睨んでいると直ぐに並べられた本や資料のタイトルから関係性を見出したらしい。直ぐに見つけ出す辺り、結構優秀な脳味噌してるなあ、と思う。普通はそう簡単には解らんもんだが。

 

「もしかして龍に興味を?」

 

「俺が? まあ、興味が無きゃこんな事はしないからな。ただ、やっぱ参考になる資料の少なさにちょっと驚くな。ありえん程まともな資料が少ないんだが」

 

「それは……そうでしょう」

 

 少年の言葉に俺は振り返り、視線を蒼玉の瞳へと向けた。

 

「龍は一般的には絶滅した生物であり、場合によっては架空の生物だとさえも思われている。点在する龍の遺跡は人用の作りをしていて、明確に龍の存在が確認されてもいない。最後に龍が確認されたのも数千年前の話……既に存在自体が眉唾もので、龍は実は亜竜の一種なのではないか? なんて話も出ているぐらいなんだ。まともに調べようとするのはもう、ドラゴンハンターぐらいじゃないかな」

 

「そこら辺の知識はどこで?」

 

「家庭教師からだけど……確かに一般的な話じゃないかな。ただまあ、存在しない脅威よりは存在する脅威の方が大事だし龍よりも亜竜の方が注目を浴びているのは事実かな」

 

「ふーん、成程成程」

 

 合点がいった。日本にいた頃と同じ考え方してたのが悪いんだな。良くも悪くも龍に関する知識や学問ってのは無用なんだ。そりゃあ現代クラスで平和になって知識が広まれば趣味で神話を追いかける奴とか出てくるけど、この世界でそこまでの余裕や趣味に人生を懸けられる人間ってのは非常に少ないんだ。だから絶滅した龍という生物を調べ、纏め、研究する必要性が存在しないのがこの資料の少なさの原因の一つなのかもしれない。

 

 それとも……聖国で情報を独占してるとかー?

 

 正解が解らない。正しく解るのは龍に対する認知の改善は根本的に不可能に近い、という事だろうか。これは絶対に龍変身なんてやれねぇなあ、と思いながら睨んでいた資料から目を離す事にした。もうちょい龍に関する情報が欲しかったが、このままでは成果もあまりなさそうだ。これなら龍に関する情報収集は打ち切って、もっと亜竜に関する情報を調べた方が良いかもしれない。

 

 或いは最も長く生きている部類の亜竜であれば龍の事をまだ覚えているかもしれない。知っているかもしれない。探しに行く時間はどっかの長期休暇と被せる必要がありそうだが、ロック鳥を辺境から連れ出せば移動時間の問題も大幅に解決できる。

 

「龍に興味が?」

 

 一旦切り上げるかと考えた所で、後ろから少年の声がした。どうやらまだ去っていなかったらしい。何か俺に対して興味でもあるのか?

 

 それとも……さては、俺に惚れたか??? いやあ、若い子惑わしちゃうかー! 流石俺ー! でも男はノーセンキューな!

 

 という冗談はさておき。

 

「誰だって一度は最強には憧れるだろう?」

 

「それが龍、だと」

 

「ま、絶滅しちまったけどな。もしかして龍殺しの方が強いのかもしれないし、或いは人をたくさん食った亜竜の方が強いのかもしれない。それでも強さの上限ってのには何時だって誰だって憧れるもんだ、上を目指しているなら当然の話だろう」

 

「成程? 納得できるような、出来ないような……」

 

「納得しとけ。感性の話だから言葉ではどうせ理解出来ないわ」

 

 そう言って少年の質問をうやむやにする。まあ、俺が龍だしな! なんて返答が出来る筈もないし当然だろう。言ったところで絶対に信じられそうにもないが。

 

 それはそれとして、資料に目を通している間にそこそこ良い感じの時間が経っていた。結局読むのに集中しちゃって昼食を逃しちゃったし、いい加減何かを食べに行くとしようか。学食には極東食もあって割と悪くないのだが、今日は思いっきりジャンキーなものを食べたい気分だ。良し、ルシファーの所でランチタイムにしよう。あそこならツケられるし。

 

 良し、そうと決まったら引っ張って来た資料や本を元に棚に戻すとして、視線を少年へ向けた。

 

「お前、この後暇?」

 

「え、講義があるけど」

 

「じゃあサボれ。飯に行くぞ!」

 

「えっ」

 

 そういう事になった。そういう事にした。




 感想評価、ありがとうございます。

 私はまどTASを遊んでて執筆を忘れてました! いや、10年越しに完成とか言われたらやるしかなくて……。


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新入生 Ⅸ

 ―――龍という種族は不思議な生物だ。

 

 カテゴリーで言えば神々に最も近い神聖な生物になる。神々を補佐し、世界を管理する為に生み出された生物である為に、非常に強靭で多機能を備えている。戦闘力なんて所詮は機能のうちの一つでしかない。言語翻訳だって龍に備えられた機能の一つでしかない。何が言いたいかというと、俺にはそれ以外にも多数の機能があり、その一つには嘘を察する事が出来るというものがある。龍はそもそも目が特殊であり、暗視が備わっているから夜は便利に使わせて貰っていたが、それは目に備えられた最低限の機能で、本来は見えない筈のものをも見る事ができる目となっているのだ。

 

 感情を目視する、真偽を目視する。その能力は正直、日常ではほぼ使う事もなく、活躍する事もないだろう。だがこういう時、知らない誰かに話しかけられた時には大いに役立つ。つまり相手が騙しに来ているのかどうかを判断するのが簡単になるという話だ。たとえばルシファーやヴァーシー、あの連中は解りやすく喜びや楽の感情で溢れていて一切嘘をつかない、勢いだけの生き物だ。そこに更に勢いを三乗に重ねるとルインになる。あの連中は本当に人生エンジョイしているのが見ているだけで解る。

 

 じゃあこの少年はどうだ? って話になる。

 

 言動に嘘はない。だが全てを語っている訳でもない。態々貴族でもない一般人に貴族が話しかけてきているのだ、用事があるのは解り切った事だ。だったら場所を変えて話せる所へと向かえば自然と話を聞けるだろうという判断で、少年を連れ出す事にした。

 

 俵担ぎで。

 

「あのぉ、逃げないから降ろしてほしいんだけど……」

 

「嘘は駄目だぞお。あそこで見守りつつも笑顔で送り出す気満々の騎士の所へ逃げるつもりだろ?」

 

「ハリア……!」

 

 図書館を出て少し離れた場所、木の陰に気配を消しながら隠れている騎士らしき男性は良い笑顔を浮かべた状態で敬礼している。そしてそのまま木陰で涼む様に目を瞑る。うむ、見どころのあるサボタージュ姿だ。名のある騎士に違いない。秒で売られた事実にショックを隠せない少年はあー、と声を零す。

 

「えーと、せめて普通に歩かせてくれないかな? こんな姿知り合いに―――」

 

「アルド、様……?」

 

 言った側から図書館へと向かおうとする女子生徒―――先日、食堂で飯をぶっかけられ、そして追撃のツインドリルを喰らった白髪の公爵令嬢シェリルの姿があった。白髪という点では俺と共通点を持っているが、あちらは編みこみつつもストレートで髪を降ろしている辺りが俺との違いだろう。俺は龍殺しに斬り落とされた不揃いな前髪、割と気に入っているから後ろをなるべく纏めるか前髪をチャームポイントにしているんだよね。

 

 それはまあ、ともあれ、

 

「や、やあ、シェリル。元気そうだね……?」

 

「え、あ、はい。はい……?」

 

 首を傾げるシェリルの姿と、ぶらーんとぶら下がる少年・アルドの姿を見た。そう言えばこいつの名前、聞いてなかったなあー、なんて事を思いつつ視線をアルドへと向けた。

 

「ご関係は?」

 

「え、私の婚約者だけど……」

 

「成程、運命共同体。それはつまり共に運命を共にする人。サボタージュするなら一緒にだよね!」

 

「ん??」

 

 とっとことシェリルに近づいてその腰に手を回し、一気に持ち上げて俵担ぎする。これでダブル担ぎだ。右肩に美少年、左肩に美少女。うーん、ドラゴン的に考えて美しいものとか財宝には弱いからこれは良いぞぉ。白髪美少女と金髪少年のセットだ! これは中々希少価値がある。所で15歳って少女とか少年って言える年齢なのだろうか? まあ、ギリ少年少女か。流石に17歳ぐらいになったら俺の中では青年カウントに入るかなあ。

 

 そんなどうでも良い考えをよそに、シェリルも捕獲に成功したので両肩に2人を担いでゆっさゆっさと揺らしつつ学園の入口へと向かって歩き出す。完全に捕獲された猫のように伸びる二人は困惑している様子を見せるものの、抵抗するだけ無駄であるというのをどうやら悟っているらしく大人しく連行される。この様子を見ている限り、どうやら俺レベルの理不尽な存在に絡まれる経験はそこそこあるらしい。なんて不憫な。そんな考えを流しながら“ジュデッカ”へと連れ去る。

 

 

 

 

「流石にシェリルを捕まえた時には肝が冷えたよ」

 

「流石に無関係の奴を連れて行くのはどうかと思ってな。リリースしてやったけど……お前のしたい話って婚約者には言えない事なのか?」

 

 学園を離れて少し、ジュデッカへの道を進みながらもアルドと並んで歩く。シェリルは校門を出たあたりで解放してきた。流石にノリでずっと付き合わせるのはまずいと思うし。それを言っちゃ講義をサボタージュさせてるのも割とアレなのだが、それはそれ。俺をそもそも誘ってきたのはこっちの少年なんだから俺は悪くない。あんな風に俺に話しかけて去らないのだから、当然何らかの誘いがあると見るのは当然だろう。

 

 まあ、その結果アルドとジュデッカへと向かっている最中なのだが。学園を出て人通りが増えた所で、アルドは少し素直になった。人が完全に制限される個室でもない限りは、人気の少ない場所よりも人通りの多い場所の方が密談には向いてたりする。だから改めて聞く。

 

「で、俺に何の用事? ただ感謝する為に図書館で話しかけて来た訳じゃないんだろ?」

 

「解るかい?」

 

(わか)らいでか」

 

 そこそこ人生経験と対人経験あるから、腹芸はちょっとぐらい出来るぞ。まあ、本格的な政治闘争とかはマジ無理というかジャンル外なので勘弁だが。それはそれとしてリアの代わりにあらゆる分野で補佐する為に色々と技能は伸ばしてある。前世からの技能や技術もそのまま受け継いでいる結果、ある種の万能人間である自負はある。だから15の少年の腹芸程度であれば見抜けるのも当然の話だろう。こっちはその2倍以上生きてるし。

 

 ポケットに両手を突っ込んだ状態で先導するように歩く。一歩だけ前に出る形。一応50歩程離れた場所から護衛が追跡してるのを感知している。あの時は笑顔で見送った癖にその実は護衛しているんだから油断できねーわ。気配の消し方が騎士じゃなくて暗殺者のそれなのが更に質が悪い。ただ俺が何度か意識を向けている辺り、自分の隠形が破られているという自覚があちらにはあるだろう。すまないが、こっちはそこら辺の知覚能力が地上生物超越してるんだわ。がっはっはっはっは!

 

「で、お名前は?」

 

「アルドバート・ランディル・エスデル、この国第5王子だよ」

 

「マジか、拝んで良い? ムーンウォークしながらやるから」

 

「ちょっと見てみたい気もするけどうーん、止めて欲しいかなぁ」

 

 記憶にあるスターを真似してちょっとその場でムーンウォークしてみるとアルドが小さく笑い声を零す。

 

「そのまま拝まれたくないかなぁ……うん、そこまで普通のリアクション? を返されるとは思わなかったけど」

 

「所作の気品と護衛の質、後は勘で大体解るかな。ただ、まあ、平民の大半は王族の概念を理解していても感謝もクソも難しい話だと思うけどね」

 

「そうなのかい?」

 

「世界が違いすぎるからな」

 

 そもそも一体どれぐらいの平民が王族の顔を知っているのだろうか? 恐らくそんなには居ないはずだ。基本的に政治の中枢は国の中心に集中しているが、多くの人は中央に行く機会もなく一生を終えるだろう。そして王族も、態々平民の為に国の隅々まで顔を見せる為に巡幸する訳じゃない。つまり王族の統治に感謝しつつもその顔を知る事無く一生を終える奴ってのは意外と多いって話だ。

 

 それが世界が違いすぎる、或いは遠すぎると言う意味。写真や本の発達に伴い顔写真が出回る事で漸く認知が上がるだろうか? 地方でちゃんと王族の顔を認識してるの役人ぐらいじゃないかなあ……あぁ、でもこの世界の技術的にもうちょい認知度高いかもしれない。

 

「まあ……アルドさまにおかれましては、もし私めの態度が不敬だと仰せであれば、すぐにも改めますが―――」

 

「いや、止めて欲しい。私も私で肩書に縛られない生活には憧れていたんだ。折角私を雑に扱ってくれそうな人に出会えたんだ、この雑さをなるべく噛みしめたい」

 

 そう言われると本当に王子様の相手をしているようで面白い。学園に通う王子様、実在したんだなぁ……という妙な感慨が胸に湧いてきた。まあ、エンカウントできたからどうだって話なんだが。

 

 と、話している間にジュデッカに到着してしまった。意外と早かったな、と思ってしまうのはこのインテリとの話し合いが結構楽しかったからかもしれない。教養のある人間はレスポンスが早く、話し合うと楽しいのが困る。ジュデッカの前で足を止めて親指でここ、と示すとアルドが店の看板へと視線を向けた。

 

「ミュージックバー・ジュデッカ? 聞かない名前だね」

 

「演奏とお酒と軽食を提供する知り合いの店だよ。本当なら未成年はお断りだけど……今日は王子様にルールを破る楽しさを覚えて貰おうか」

 

 がおー、と茶化す様に脅かすと、口元を軽く隠す様な上品さでアルドが笑う。

 

「それはそれは中々魅力的な話だ。これでは私が(りゅう)の道に進んでしまいそうだ」

 

 うーん、この返し方。好き。

 

 ベルの鳴る扉を開けて店内に入ると、見慣れた薄暗さと閑古鳥が鳴く店内が視界いっぱいに広がる。僅かに効いている冷房のおかげで店内は外よりも涼しく過ごしやすく、そして何時も通りの3人組の姿が見える。一番最初に反応するのがカウンターにいるヴァーシー君であり、俺を見ると。

 

「え、え、えで、エデンさんが俺を見ている……! うっ」

 

 そのまま胸を押さえてカウンターに頭を叩きつけてから床に倒れた。その姿を素早くルインが追う様にカウンター内部へと飛び込んでヴァーシーを抱え、

 

「し、心不全! 心不全ですよこれ! 待って! 店内で死者が出たら営業禁止になっちゃうから! 残されるの私からルシファーへの借金だけですから!」

 

「お前にそれ以外のものがあったのか……あぁ、いらっしゃいマイフレンド今日は」

 

 残されたルシファーが俺が連れて来た人物を見たので、その姿に頷きを返す。

 

「客を連れて来たからなんか良い感じの曲とジャンクフード宜しく」

 

 俺のその言葉に、店内の連中が劇的に反応した。ルシファーはこれまで見た事がないレベルで目を輝かせ、ルインはヴァーシーに飯を作らせようと心臓を殴打し始める。そしてヴァーシーは拳を喰らうたびにびくんびくんと跳ね始める。アレ、トドメじゃねぇかなあ……という疑問を静かに呑み込んで視線をアルドへと向けた。

 

「まあ、貸し切りみたいなもんだから好きな席を選んでよ」

 

「中々頭のおか―――ユニークな友人関係だね?」

 

「言葉を誤魔化しきれてないんだなあ、これが。ヴァーシー君ー、ピザたべたーい。シカゴピザ作れるー?」

 

「何かは知らないけど作る! 作れます! 作るぞおお―――!! 愛と! 悲しみと! 希望と絶望を込めて俺、ピザに命を注ぎます……!」

 

 俺の声に反応して蘇ったヴァーシーがモンスターも料理も一緒だ! とか叫びながら厨房へと突っ込んでいった。心配そうについて行くルインが厨房から蹴り出される。ルシファーはその間にもステージへと上がり、分身していた。サックス担当、ドラム担当、ピアノ担当、ベース担当、ギター担当……そんな風に楽器別に分身する事で1人でバンドを成立させていた。

 

 その様子を見てアルドが一言。

 

「これが魔界かぁ。私が王に就任したら国交を閉ざそうかなぁ」

 

 そうもなるかあ、と思いながら苦笑する。とはいえルシファーの方は本気で演奏をする気満々だ。良い笑顔で演奏道具のチューニングを終わらせると軽く慣らしに入り、そこから演奏を始める。と言っても騒々しいタイプの音楽ではなく、ベースの音を引き出す様な静かで、骨に響くようなビートだ。

 

 滅茶苦茶調子良さそうだなアイツ……人生最高の輝きを見せてる気がする。こんなところで良いのかお前……?

 

 まあ、ええか。

 

 アルドがまだ遠慮しているようなので近くのクッション席まで姿を引っ張って押し込み、その対面側に足を組む様に座る。コートも脱いじゃってそれを横に置いて、リラックス出来る状態に自分を置く。

 

「アルド君はお酒大丈夫?」

 

「昼間からは遠慮したいかな」

 

「そうかそうか……まあ、流石にここじゃ自重するか。ピザなら……まあ、あるもんだとアップルサイダーが一番か。じゃあアップルサイダー2本宜しくルイン」

 

「はーい、少々お待ちくださーい」

 

 オーナー自ら働いている姿見ると泣けてくるな。肉体労働以外に適性ないけどアイツ。

 

 サイダーが運ばれるのを待ちながら向き合い、俺達は漸くまともな話が出来そうだった。




 感想評価、ありがとうございます。

 学園ものに身分を隠した王族がいるのは基本基本。だけどシェリルちゃんのラック値は大体D-です。婚約者になれた事で人生の運を使い切った疑惑ある。


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新入生 Ⅹ

「解らないなら発想を変えれば良い。聞けばいいんだ! 神に!! という訳でお持ちしましたぁ! ふっふー! シカゴピザでぇす!」

 

 マジで持ってきやがった。最悪普通のピザになると思ってたのに。所でその神様ソ様じゃなかった? 余計な入れ知恵はするんだけど大事な知識はマジで授けてくれねぇなあの女神。そんな事を思いながら運ばれてきたシカゴピザの圧力にアルドは圧倒されていた。魔法を使っているから地球の様にチーズが冷えて固まる様な事はないのが、見えているファンタジー世界らしいアレンジと気遣いだ。チーズは冷えると固まって美味しくないから、魔法で保温してあるこのアレンジは個人的に花丸を与えよう。ヴァーシー君に軽くウィンクを送るとまた心停止した。

 

 アツアツのピザは形状だけ見るとタルトの様に見えるだろうが、その中には大量のチーズが詰まっている―――俺の好みど真ん中なタイプだ。やっぱりソ様普段から俺の事見て把握してるんだなあ、と思いながらアルドと自分の皿を用意し、ナイフで切り込みを入れる。当然のように切った所からチーズが溢れだすので、それを何とか掬いつつ皿の上に2人分並べて配膳する。その圧力を前にアルドはちょっと気圧されていた。

 

「これは……食べると夕食が辛そうだなぁ」

 

「良いんだよ偶には。カロリーも結構やばめだけど。人生、体に良いもんばっかり食ってるとつまんねーぞ? 偶には思いっきり体に悪いジャンクフードを食べて、ジャンクのオイルを体に摂取させるんだ。この明らかにカロリーと油の爆弾としか思えないものを久しぶりに摂取した時の快感は病みつきになるぞぉ。ほれ、どうせ講義はサボらせてんだから食べちゃえ食べちゃえ」

 

「いや、食べるけどね? まさかこんな事になるなんて思わなくて」

 

 そう言っている間に大量のチーズが乗ったピザを手で掴んで口へと運ぶ。そうそう、これだこれ、この味の濃さと強さだ。過剰なチーズと申し訳程度の野菜、それに肉。これでこそアメリカンジャンクって感じだ。別に好きって訳じゃないんだけど、しばらく食べていないと妙に食べたくなる魅力がジャンクフードにはある。解るだろうか? 解らないかな? でもアルドは恐る恐るという様子で俺の真似をし、手でピザを持ち上げる―――その持ち上げ方が非常に慣れてない辺りフォークとナイフで上品に食べる事に慣れているのが見える。

 

 零れそうになっているチーズを零さない様に悪戦苦闘しつつ掬い上げるように、なるべく上品に食べようとして―――口の中にぱくり、とピザに噛みついた。その表情は一気に明るくなる。もぐもぐと口の中にある物が空になるまでちゃんと咀嚼して飲み込んで、

 

「これは……なんというか、非常に冒涜的な味がするね。言葉にはできないけど食べてはいけないけど手が出てしまう、そんな魔性の魅力を持っている」

 

「解る。その魅力が解るなら今日からお前は同志だ。そしてピザを食べて乾いた喉をアップルサイダーで流し込む! 健康には間違いなく悪いしデブの元だけど、このコンボは最強だぞぉ!」

 

 本当ならコーラが欲しいんだけど、やっぱないしな。コーラとピザはデブの神器だ。これを食ってカロリーの消費を怠ると太るんだわ。まあ、この体、黄金比みたいなのを絶対に崩さないからどれだけ食ったところで何の問題もないのだが。とはいえ、あまり不健康な生活を送っているとリアが真似してしまう。彼女が真似しない様に、かっこよく頼れる姉である為にも俺は健康な生活をなるべく心掛けている。

 

 まあ、それはそれとしてピザとサイダーという組み合わせを気に入ったらしいアルドはどことない上品さを所作に見せつつもピザを食べ進める。俺も一緒にシカゴピザの攻略を進める。片手でピザのスライスを持ち上げつつ、話を切り出す。

 

「それで第5王子様が俺に一体何の用なんだ?」

 

「……んむっ。えーと、そうだね。何て言ってしまおうか」

 

 マナーを気にすることなく片肘をテーブルに突き、胸をテーブルに乗せて休ませながらアルドの方へと視線を向けている。俺も何時の間にかこんな事が出来る人間になったな……。

 

「恐らく、君は迂遠な言い方は好まないだろうから、単刀直入に言ってしまおうかな。この学園にいる3年間だけで良いから私に雇われないかな?」

 

「ふーん?」

 

 頬杖を立てたままアルドの言葉に適当な相槌を打つ。今更俺がどういう立場で、誰の従者をやっているのかを説明する必要はないだろう。そもそも俺はある程度目立っている。あの食堂の一件から少し時間が経過しているのだ、その間にリアの事もロゼの事も調べられただろうし、その時に俺の事を調べる事も出来ただろう。そうすれば自然とサンクデルの事にだって行きつく筈だ。辺境伯の娘の護衛としてやってきた人物を引き抜こうとする意味を解らない筈がないだろう。

 

 もぐり、とピザを噛み千切りながら話の続きを促す。

 

「無論、引き抜こうと思っている訳じゃない。こう見えて色々と制限のある身でね。王子といっても第5じゃ第1王子や第2、第3ぐらいまでの有力候補と比べると、与えられる力も財産も、そして権力というのも少ないものなんだ。その中でやりたい事をやろうと思ったら、なるべく自分の力で物事を進めようとしなければならない」

 

「成程、で?」

 

 続きを促す。此方の短い言葉にアルドが多少のやりづらさを感じているようだが、それを一切表情に見せない様にしている。そこら辺のポーカーフェイスはちゃんと教育されている、という事なのだろうか。リアはこういう事が苦手なんだよなぁ。そういう所がまた可愛いんだけど。あの子の表情の素直さとかがやっぱり好きなんだよね。

 

「私の敵対派閥がこの都市にはいてね」

 

「第5王子相手に?」

 

「上にいる人間ほど下からの突き上げが恐ろしいものさ。私は正直な話、玉座にそこまでの興味はない。上の兄たちはどれも傑物だ。誰が玉座に座ってもエスデルの未来は悪くないものだと思っている。だから私は正直、シェリルと結婚して適当な領地を貰ってそこで暮らせれば良い……程度の認識なんだけどね」

 

「こわーいこわーいお兄さんたちはそうじゃない、と」

 

「そういう事になるね。相手としては私を失脚させるか悪評を作る事で王子としての価値を無くしたいんだろうね。自分で言うのもアレだけど、そこそこ優秀な自負がある。政治、経済、武芸、魔導、どのジャンルでもいい成績を出せる自信があるし、大体どこでもやっていけるつもりだ」

 

「だけど若くて才能のある人間がそれなりに良くやっていると上は怖い、と」

 

「そういう事になる」

 

 アルドは苦笑する。

 

「本当に玉座には興味はないんだ。だけど才能がある、能力があるというのはそれだけで恐れられるものになる。困った事に兄上たちは優秀だからそれなりに才能のある人間だって理解されているんだよね。敵にはならないかもしれない。()()()()()()()()()()()()()って考えられている」

 

「日和ったと見せかけて裏で誰かと結託している場合もあるし、盤上から弾き出したほうがそら楽だわな」

 

「うん、だから私が個人で動かせる自由な駒が欲しい。あのヴェイラン辺境伯の懐刀でグランヴィル卿が大事に育て上げ、既に実績として辺境の防衛に活躍している“白い顎”のエデンには是非とも力を貸して貰いたいと思っている」

 

 アルドの言葉に思わず表情を顰めてしまった。完全に俺の辺境での立ち回りが耳に入っている。いや、そりゃあサンクデルの所で滅茶苦茶働いているし、サンクデルも俺に実績を与える為に仕事を回してくれている。その分俺も辺境の方では名声を稼いでいる。主に蛮族の対処やモンスターの討伐、指名手配登録される前の大物の抹殺という形で働いたが、知ってるやつは知っているという認識だった。

 

 人狼のオーケストラ以来大きな事件を担当したという事はないが、それでもブロンズへの昇格に文句とかが上がる事は一切ないレベルで名声は稼げていた。だからそれが調べれば中央の人間の耳に届くのは……まあ、不思議ではない。とはいえこうやって把握されているのは、ちょっと居心地が悪い。特に“白い顎”というのは俺の殺し方によってつけられた通り名だからだ。

 

 振るう大剣の残像、軌跡がまるで大きく開かれた顎であり、それを振るう俺の髪色が白い事から白い顎、という名前が取られている。

 

 正直、滅茶苦茶恥ずかしい。ただ言っている側も、名付けている側もこれは割と真面目なのである。そこら辺は時代とか世界観のセンスの違いかなあ……って話になるんだが。

 

 ただ、まあ、と思う。

 

「受けるメリットがない。俺はリアの面倒見るので忙しい。ヴェイラン様にロゼの面倒も見てくれって頼まれている。ここは安全だって解ってるけど、それでも護衛としての本分を疎かにしてまでお前の話を受ける理由がない」

 

 その言葉にアルドは頷いた。

 

「確かに、君の言う通りだ。貴女には貴女の職務の本分があるだろう。だから決して全ての時間を拘束するつもりはないし、本来の護衛業を優先して貰っても構わない。空いている時間で此方を手伝える場合に、この都市で起きる問題に対処して貰いたいんだ」

 

「ほーん?」

 

 この都市での問題、とは面白い仄めかし方をする。アルドは自分の問題とは言わずに、都市の問題と口にした。それはつまりアルドだけではなく、彼の周囲や周辺、ひいては都市にまで影響するかもしれない問題を意味しているのだろう。だがそれこそ俺の管轄外だ。

 

「そういう問題は学園長にでも助けを呼んで貰えば?」

 

「―――その学園長が君をお勧めしたと言ったら?」

 

「……んー?」

 

 一瞬黙ってしまったのを声を零す事で誤魔化したが、リアクションを見抜かれてしまったかもしれない。学園長、学園長……確かワイズマン。数百年を生きる森人だったか? ギルドでのウィローやジャスミン等、森人とは何かと縁がある。そういえば自然寄りの化身種族だし、そういう意味では相性の良い種族なのかもしれない。適当な事を考えると頭の中に余裕が出来る。良し、と思考を流しつつ時間を取らずにリアクションを返す。

 

「俺は会った事すらないんだけどなあ」

 

「本当かい? だがワイズマンはこの学園で助けを求めるなら君が一番適任だと評価していたよ。だからこうやって君と会う事にしたんだ」

 

 こんにゃろ、ワイズマンに言われなきゃ俺に感謝しに会う事もなかったな。まあ、態々感謝されに来てもそれで? ってなるのは当然っちゃ当然なので別に良いんだが……それはそれとして、ワイズマンがなぜ俺の名を上げたかというのはちょっと気になる話でもある。長生きだし龍の事を知ってる? 理解されてる? いや、それにしては若すぎるか。いや、そういう意味じゃ龍殺しの野郎も見た目だけはだいぶ若かった。

 

 んー、駄目だ。

 

 情報が足りない。

 

「魅力を感じないなあ」

 

 結論、魅力を感じない。別に受ける必要性は感じない。お金には今困ってないし、仕事だって別に今進めなくても辺境に戻れば数年でランクは上がって行くだろう。今ここでこの第5王子の話に乗る必要性が俺には感じられなかった。ただやはり、ワイズマンがなんで俺の名前を出したか、というのは気になる。

 

「その場合はこれを出せば頷くだろうと言われているけど―――どうかな」

 

 そう言ってアルドは小型のディメンションバッグから一冊の古い本を取り出した。あまり興味もなくその本へと視線を向けたが、そのタイトルを見た瞬間凍り付く。

 

 《龍と大地》、それが本のタイトルだった。

 

 図書館には存在しない本だった。

 

 そうか、ここでか。このタイミングでか。俺が図書館で龍に関する書籍を探したこのタイミングでそんなもんを取り出してくるのか。俺が図書館へと行くタイミングを解っていた? それは予知能力か? それとも俺が龍だと解っていて用意したものなのか? 何にしろ、この反応はそのワイズマンという男が俺の正体に感づいているという事を示すのだろう。

 

「こほん……その、出来たら威圧感を抑えて欲しいかな。その瞳孔も戻して貰えると助かる」

 

「ん? あぁ、悪い」

 

 本に手を伸ばそうとするとそれをアルドが下げた。

 

「悪いけどこれはワイズマンから預かっているだけのものなんだ。だが取引に応じるなら他の書籍と一緒に渡しても良いと言われている。私にその価値は測れないけど、貴女にはどうやら、凄く価値のある物らしいからね」

 

「綺麗な顔をして厭らしい事をするじゃんかよー」

 

 でも綺麗事ばかりを抜かして助けを求めるよりは俺、ずっと好きだよ。人間らしくて逆に信じられる。綺麗な事ばかり言っているタイプはやっぱり人間感が薄くて好きになれない―――まあ、この場合リアは完全に別枠で語っているのだが。

 

「まあ、私も守りたいものがあるからね。吊り下げられる餌があるなら吊り下げるさ」

 

「へぇ、ほーん、ふーん」

 

 見た目だけは綺麗な王子様。こうやって話していると印象はだいぶ変わってくる。彼の話を聞いてさて、と胸の中で呟く。

 

 受けるか、受けないか。

 

 俺の判断は―――。




 感想評価、ありがとうございます。

 ソ様「あー、じれったい! 私神託でレシピ伝えてきます!」


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犯罪

 ―――取引?

 

 んなもん当然蹴った。

 

 俺は龍、誇り高きグランヴィル家の守護龍。餌を吊り下げて走らせようとする奴が気に入らないのだ。だから王子様には特に悪いとは思っていないが話を蹴らせて貰った。それを口にした時の少年の顔と言ったらもう、最高に楽しいもんだった。それでも感情やリアクションを表情に出さずに淡々と話を進めようとする姿は流石王族とは思った。とはいえ、気に入らないと言っちゃえば気に入らないんだ。だからこの話はこれで終わらせて、ピザを食べる午後を楽しんで解散した。

 

 まあ、本は惜しいが……タイトルさえ判っちまえばこっちのもんだ。ワイズマンの事も後々調査しなくちゃならないだろうが、それは後回し。

 

 それから数日。

 

 リアとロゼを学園に送り届けてから俺は街の外へと出ていた。

 

 背後には巨大なエメロードの門。直ぐ横にはその入り口を守る衛兵がいる。今俺は学園都市の都市部とスラム街の境目に来ていた。横で警備を続ける衛兵は警告する様に低い声を発してくる。

 

「我々が見回りをしている主要道路は良いが、横道に入った瞬間に治安は悪くなる。見えなければ何をしても良いって連中は多い。後暗くなったら門を閉めてしまうから、戻るならそれまでにな」

 

「あいあい、ご忠告感謝。数時間ぶらついたら戻る予定さ」

 

「そうか……なら良いが。武器があるなら見える所に下げておく方が良いぞ、とは経験上伝えておく。それでも襲い掛かってくる連中はいるが。そういう場合は躊躇せずに殺害して良い。その身なりを見る限り心配する必要はなさそうだがな」

 

 うへえ、どんな世紀末だ。そう思いながらも結晶大剣を生成し、それを肩に担いだ。そう、俺の目的はスラムにあった。これまでは行く必要がない、とスルーしていた所でもあった。

 

「ふーん……ま、適当に進むか。戻るだけなら跳べばいいし」

 

 軽い気持ちで大通りを外れる―――外れた途端に石畳はひび割れ、ぼろぼろになる。スラム街の建造物はどこか壊れているところがある。ここでどうやって生活しているのかはわからないが、街中にあったような綺麗さや整えられた道路というものは無く、どことなく臭く感じられる臭いが風に漂って運ばれ顔を顰める。道路に視線を下げれば当然のように塵が積もっている。

 

 誰も汚れを気にしない。誰も不浄を気にしない。

 

 ここはエメロード・スラムタウン、都市を穢す連中の住処。犯罪の温床だ。俺はそこへと躊躇する事もなく踏み込んでいた。大通りから外れて進めば進むほど複雑に、不規則に、無秩序に建てられた安物の建造物が乱立している。その中には人の気配があったりなかったりする。本来であれば来る必要もない場所だろうが、今はちょっとだけ事情が違う。

 

「さて……軽く見て回るか」

 

 スラムの中を進む。本当であれば嫌な気配と悪意が目に見えるレベルで濃いから来たくなかった。俺の様に特殊な感覚を持つ奴からすると地獄みたいな場所だ。あっちこっちから悪意の視線や好色の視線が向けられていてチクチクと鱗に刺さる。今もそう、建物の影から新しく踏み込んできた俺へと向けられる視線が突き刺さる。痛くはないし、俺を害する事の出来る視線ではない。ひたすらに不快なだけだった。出来るなら来たくはなかった場所だが、来るだけの理由がある。

 

 アルドだ。あの王子の存在だ。確か敵対勢力がある事を彼は仄めかした。それはここにはおらず、都市内部にいるのかもしれない。だけどリアの近くで、リアに対して害意を抱く事の出来るかもしれない存在がある事はIFであっても神経に障るものがある。言ってしまえば保険だった。ありえないとは思っていても、自分で行動する事でその不安は解消する事が出来る。つまり俺はアルドを通して得た、敵がいるかもしれないという不安を解消したかったのだ。

 

 その為にスラムにまでやってきた。

 

 不安というものは解消しなければ消えない―――ここ最近、あまり仕事らしい仕事が自分にはない。戦う事はなく、時間のほとんどは訓練に充てている。それで辺境にいた頃よりは充実しているか? と聞かれると答えに窮する。だって成長とかそういうものはあんまり感じられないんだもの。だから欲しかったのだ、充足感を。自分が何かをしているという感覚が。それを満たすのは成果と働きだろう。

 

 だから態々ここに来た。取るに足らない雑魚ばかりだろうという安心感を得る為に。

 

「しっかし、腐ってるなあ」

 

 視線が、空気が淀んでいる。スラム街に踏み込んで思う事はそれだ。これが壁の内側に入るなんてとんでもない。もうちょっと悪辣で、それでいてアウトローな雰囲気を予想していたが……これでは完全に別物だ。これが叡智を尊ぶエメロードの一部だなんて信じる事は出来ない。

 

 がん細胞だ。

 

 これはがん細胞でしかない。

 

 拡張のためにこれを街の中に入れたら街が腐ってしまうだろう。エメロードという都市を広げたかったらこの都市をどうにかしないとならないだろうに、これの排除を邪魔している連中がいるらしい。これがある限りエメロードは都市を大きくする事が出来ないだろう―――俺には全く関係のない事だが、それでもここが犯罪の温床となっている事は想像するに容易いだろう。

 

「マフィア、ね」

 

 地球では話に聞いていても実際は見る事なかった連中がこのスラムを根城にしているらしい。そう言うストリートギャング系が盛んだとか。エメロードはあれほど整理されていて綺麗な都市なのに、一歩外に出た瞬間地獄が広がっているのはほんと、良く解らない理屈だ。一体どうすればここまで複雑怪奇な格差を見せる都市が生まれるのだろうか? ここまで酷い貧富の差が出てくる都市というのを俺は見た事がない。

 

 と、思っていると。

 

 肥大化する殺意を感じ取った。上へと視線を向ければ屋根の上から大剣を手にした捨て犬―――いや、捨て犬ですらない。捨てられてすらいないのだ。塵溜めで育った鼠とでも呼ぶべきか。それが上から何の警告も躊躇もなしに殺しに来ていた。言葉もなく、音も発さず、ただ殺す為だけに殺す為の動きは俺が女であるとか、見た目が魅力的とか、そういうのを一切排除しての動きだ。そのストレートな殺意に驚くのは一瞬。

 

 一瞬だけだ。

 

 落ちて来る姿に剣を振るって真っ二つに食い千切って、さようなら。奇襲は殺気が見えれば容易く対処できる。見せている時点で未熟の証明だ。エリシア辺りのレベルになると殺気も初動もなしに奇襲を打ち込んでくるようになるので、“宝石”の技量は深淵に届くものがある。

 

 真っ二つに割った死体が左右に転がり、結晶剣を振るって血を落とす。体にかかるものは全部魔力で弾くから返り血を浴びる事は一切ない。周囲にあった視線が死体へと集中するのを見て、少しだけ興味を持って死体を処理せずにその場を離れる。角を曲がり、足を止めて気配を殺す。それで少しだけ時間を経つのを待ってから振り返り、角の向こう側から死体を観察する。

 

 それに数人のスラムの住人が群がっているのが見えた。

 

「糞ッ、汚く殺しやがって……大半の臓器が使えないじゃんかよ。もうちょっと綺麗に殺せないのか……」

 

「あ、でも心臓は無事だな。これは使えそうだ」

 

「よっしよっし、これなら良い値段で売れるぞ。剣はダメだが他が良いな。生地は再利用できるし剥げ剥げ。丸裸にして摘出して剥ぐぞ」

 

 思わず吐き気を覚えそうな光景に視線を逸らし、背を向けた。そんな方法じゃないと金が稼げないのか、ここは? そこまでしてここにしがみつかないといけないのか? それほどに価値のある場所なのだろうか、ここは? そんな疑問が俺の脳内を駆け巡る。だけど答えは出ない。俺はここをよく知らないし、訪れたばかりだ。だがここの空気は最悪だ。濁っていて、淀んでいて、どこまでも人を苦しめる様な空気で満ちている。

 

 こんな場所が都市の直ぐ外に広がっている、その認識が漸く危機感として俺の脳内に入り込んできた。今更ながら、ここに来てよかった。関係ないからと無視していたら、この異様さを知る事さえもなかっただろう。そう思いながら更にスラムを進んで行く。聞いた話では大通りから少し先に進んだエリアにスラムの商業区があるという話だった。

 

 そこに行くまでもう一度命を狙われるんだなあ、という認識が何か、頭をバグらせそうだ。

 

 背後にハイエナどもを放置して進めば少しだけ、開けたエリアへとやってくる。見てみれば電飾や看板が飾られている。驚く事にちゃんと商業がこのスラムでは機能しているようだった。こんな無法地帯でも商売は成立するのか……そう思っていると店先やその入り口に武装した人が立っているのが見える。当然ながら用心棒がいるらしい。その視線や意識の一部は、当然のように俺へと警戒するように向けられている。此方の方々はどうやら実力が解るらしい。俺を警戒する者の額に汗が浮かんでいるのが見える。

 

 それ以外の奴らは―――普通に客引きをしていたり、或いは無視していたりする。

 

「可愛い娘、揃えているよ! 初潮前のも当然揃えているぞ! 同性、SM、プレイもなんでもあれ! うちの店で遊んで行かないかい」

 

「クスリ! 新しいものがあるよ!」

 

「新鮮な臓器買い取るよ」

 

「……聞くに堪えないな」

 

 衝動的にここにいる全員殺してやろうかと、この俺でさえ思えてしまう程ここは酷かった。だが逞しさは認める他なかった。ここにいる人間は恐らくどこよりも逞しく生きているのだろう。純粋に生きるという目的だけの為に。その純粋さだけは都市の人間に勝るとも劣らないだろうと思える。……それが決して良い事だとは、言えないが。しかしこのスラムで開かれている商店は、どれもご禁制の物を扱っているという話だ。

 

「摘発されないもんなのか」

 

「されないよ」

 

「あん?」

 

 視線を下へと向ければ、ぼろを纏った少年が両腕を頭の後ろに回しながら生意気そうな表情を浮かべている。

 

「摘発なんてされないよ。だってやるだけ無駄だし。一つ潰した所で別の奴がその後を引き継いで稼ぐもん。潰した所で減らないんだ。全部燃やす事なんて連中にはできないし。だから無駄。摘発なんてしないよ」

 

「成程ね」

 

 病巣はそれそのものを切除しなきゃ意味がない、か。足元にいる少年が何かを欲しそうにしている。無論、それが何であるかは解っているから金を出そうかと思ったが―――これたぶん金をだしたらカモだと思われるだろうな。だから金じゃなくてドライフルーツを取り出して少年に投げ渡した。それを受け取りつつ少年は顔を顰めた。

 

「しけてやんの」

 

「カモる相手はちゃんと選べ」

 

 おら行け、と蹴りを空ぶると少年は走って逃げだす。その姿を見送ってから武器を担いだまま、商業区を歩く。よく見ればどいつもこいつも常に武器を手元から直ぐ使える所に置いてある。誰もが安心せずに周囲を警戒し、それが日常として成立している姿を見せてる。心休まらない事が普通となっているのだ、ここでは。

 

「お、そこの美人さん! こっちでは良い男娼もいるよ!」

 

 中指を突き立てる。行く訳ねぇだろ、と口に出す事無く思いながら歩き出そうとして―――どこぞの違法娼館から、まだ若さの見える少年の姿が出てくるのが見えた。軽く変装し護衛を連れているのを見ればわかる。

 

 エメロード学園の学生だ。

 

 学生までこんな所に来ているのか……世も末だな。ちゃんとした娼館は都市部にもあった筈なのにここまで来て利用するものなのか? いや、知りたくもないわ。だがこういう連中がいる限りは需要が消えないって事なのだろう。それだけは良ーく解った。まあ、俺がどうにかできる話でもないだろう。重要な事は別にある。だから娼館から出て来た少年と護衛の事は忘れておく。それよりも店舗だ。ちゃんと営業しているのは解るが、置いてあるのは何もクスリばかりではない。

 

「銃……ライフルか」

 

 用心棒が立っている横のショーウィンドウを覗けば、銃が売りに出されているのが解る。辺境ではほぼ見る事のなかった、武器の中でもかなり値の張る品物の一つだ。それこそ“金属”級でもなければ手にする事はなく、軍隊でさえ導入するにはメンテナンスの難しさと、弾丸の確保でハードルが高いから手が出せない。それにある程度の使い手であれば弾丸を見てから防御したり、弾く事が出来る。この世界、弾丸への対抗手段はそこそこあるのだ。強くなればなるほど弾丸は通じ辛い武器になる。

 

 それでも筋力任せに戦うよりも遥かに成果が出るのはある。人数を揃えて銃で武装した集団はそれこそ格上を狩るだけの暴力を持ち得る場合がある。

 

 だが銃は恐ろしく高価で、手に入りづらいものだ。それがこうもぽん、と売られているのは違和感がある。盗品か、或いは密輸されたのか……どっちにしろ、まともな物じゃないだろう。ショーウィンドウから視線を外すと横の用心棒から安堵の息が聞こえてくる。数歩、距離をあけながら頭を掻く。

 

 思ってたよりも、混沌として殺伐としている。

 

 もっとちゃんと、見た方が良いかもしれない。




 感想評価、ありがとうございます。

 エデンが誰かに協力するのは正義を感じる以上に、気に入るかどうかが基準なので、この手の交渉に持ち込むタイプが一番めんどくさいって嫌うタイプだったりする。


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犯罪 Ⅱ

 銃、クスリ、春、火薬。

 

 このスラム街は悪徳とされる法で運営されている。そしてここの人々は自然とその法則を受け入れて生きている。その事実が何よりも頭をおかしくしそうだった。どうしてこんな危険が目の前にあると解っているのに手が出せないのだろうか? いや、理由は解っている。どこぞの貴族が手を回して手出しを止めているからだろう。実際、スラムの打ちこわしとなると建造物の破壊と住人の追い出しで相当金のかかる行いだし、その時に発生する反発を考えると面倒なのは事実だ。

 

 此方へとスリの為に近づいてきた奴を面倒だから回避しつつ、剣を消してスラム商店街の適当な壁に背を預ける。考える事は色々とあった。リアとロゼの護衛という立場の都合上、他の連中よりは周辺に対する意識を向けている。そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。あの都市の中で他人に暴力を加える行いは点在する護衛、そして元から存在する警備の質から難しいだろう。仮に何かがあるとすれば学生同士のいさかいの結果だろうし、後は回避不能なテロによるものだろう。自爆テロだけはどう足掻いても回避する手段が存在しないから警戒するしかやれる事はないのだ。

 

 まあ、都市部に入れる時点でそういう事をやる奴は全員弾かれているだろうが。正直、入口のチェックは身分照会を含めてかなりチェックが厳重だ。その事を考えるとそれなりの身分と背景を持った人物がある日唐突にテロがしたいという気持ちに目覚めて実行するぐらいしか方法がないだろうとは思うし、そういう精神鑑定は難しくはない。

 

「……」

 

 第5王子を失脚させたい上の王子たちと、スラム街を支援している貴族……ここだけ話を切り出すとどこかで繋がっていそうな気配もあるが、正直貴族関連にはあまり興味がなくてそういう事が出来そうなやつというのが全く解らない。貴族に興味なしのグランヴィルの特徴が今更仇になるとは思わなかった。時勢とかマジで読まなくてもどうでも良かったからな……。

 

 調べる必要……ある?

 

 この光景を見ていると少し危機感を覚える。都市を一歩出たらこれだけの脅威が見えるというのは少し、怖い。ここ最近、魔境が点在する辺境を離れて警備が厳重な都市を謳歌していただけに、ちょっと危機感が欠如していたかもしれない。安全な内側ではなく、寧ろこの雑で荒廃した危険の中でこそ自分の仕事があるんじゃないだろうか? 少なくともここを根城にしているマフィア連中は調べておくべきだろうと思う。

 

 なら一度戻るか。情報ならギルドにいる情報屋辺りから購入する方が楽で早いだろう。多少金はかかっても、プロフェッショナルに任せる方が仕事というのはスマートに解決するものだ。そうと決まれば一旦出よう。そう思ったところで道の先、小綺麗に整えられたスーツを着崩して歩く数人の集団が見えた。統一された姿に武装している……身なりからして、こいつらがマフィアなのだろうか? 注目を集めない様に顔を向けず、視線だけを隠す様に向ける。

 

 店の中に入るとどうやら、金を回収している様に見えた。どうやら集金作業中らしい。ショバ代を支払うシステムは異世界でも有効かあ、とは思う反面、この土地はエメロードのものだからこれ違法行為では? なんて思ってしまう所もある。どちらにしろ、入れ墨を見る限りソコソコの強化が施されている連中の様に見えた。と言っても、気配は良い所“加工物”程度か。間違いなく下っ端の雑魚。俺が軽く撫でたら死ぬ程度の連中だ。

 

 それが店に入り、集金し、そして次の店へと向かう。その動きに淀みはなく、特に文句が出る様な事もない……どうやら反抗しているような奴はいないらしい。先ほどの路地裏では地獄みたいな民度と景色が繰り広げられていたが、この商店街? とでも呼ぶべき商業エリアは比較的に平和らしい―――いや、クスリや春を売っているような所を平和だと言って良いかどうかは疑問が尽きないが。どちらにしろ、悪法は悪法で運営されているという事なのだろう。こういうアウトローな世界観、ちょっとだけ憧れるよ。絶対に住みたいとは思わないけど。

 

「おい、テメェ。何だ、テメェ? 何を見てやがる」

 

「……」

 

 こっちへと集金中だったマフィアの下っ端が視線を向けてきている。めんどくせぇ、と視線を逸らすがもう遅い、此方へと大股で近寄ってきているのが見えた。やだなあ、と思っていると禿頭のマフィアが睨む様に前に立った。

 

「見ない顔だな、テメェ。んだよ、気に入らねえ目をしやがって」

 

「……」

 

 溜息を吐きたい気分だった。どうしてこんなチンピラに絡まれなきゃならないんだ、という気持ちだった。だが相手はこっちを見逃すつもりはなく、ガンを飛ばしてくる。それについてくる連中は禿げ頭の肩を掴んだ。

 

「おい、止めなよ。俺達まで品位を疑われる。余計な争いを起こして怒られるのはお前だけじゃないんだぞ? ボスの耳に問題を起こしたって聞かれたらどうするんだ」

 

「大人しくしてろよ」

 

「チッ……こいつの目が気に入らねぇんだよ」

 

 禿頭は舌打ちしながら後ろへと下がる。

 

「目が希望で溢れてきらきらしてやがる癖にこっちを下等生物として見下してやがる。角女が……見下しやがって。そんな目を向けるなら最初からここに来るんじゃねぇよ」

 

 そう告げると禿頭は仲間を連れて次の店へと集金へと向かう。良かった―――殺さずに済んだわ。そう思いながら手の中で僅かに生成していた結晶を消し去って放棄した。以降はちゃんと残りの店舗へと集金に行く姿を眺めながらふぅ、と息を吐く。

 

 俺もだいぶ、剣を振るうのに躊躇しなくなったものだ。必要なら殺すという事に対する躊躇が消え去っている。人狼のオーケストラのくそったれに感謝だ。

 

 マフィア連中が完全に去った所で、商店街の用心棒の1人が、ふぅと息を吐いた。

 

「はあ……生きた心地がしなかったよ。ここでおっぱじめるかと思って緊張したぞ」

 

「悪いな」

 

 その寸前まで踏み込みそうだった自覚はあるので素直に謝っておくと、用心棒が頭を横に振った。

 

「何の用事でこっちに来たのかは解らないが、お前の様に日の当たる世界にいる側の奴が来るような所じゃないぞ、ここは。自分とは違うという妬みや恨みだけで武器を持ち出す様な連中がいる様な場所だからな。お前みたいな綺麗な奴がうろついているとそれだけで苛立つ連中というのはいるもんさ。これは忠告だが、こっちに来るならもう少し汚れてこい。そうでなければ馴染めない」

 

「ご忠告ありがと」

 

 それは単なる見映えではなく、もっと心を汚せという事なのだろう。冗談じゃない。そっちの道に進んだらリアと一緒に居る事に耐えきれなくなってしまうだろう。アウトローの憧れもなにも、全部今の自分があっての話だ。俺からこっちの世界に墜ちるつもりなんて一切ない。

 

 去ろう。ここは俺のいるべき場所じゃない。1時間もいないのに、もう剣を何度か抜きそうになっている。それだけでここがどれだけ酷いのかを理解させられているのだから。一体何をすればこんな酷い場所が出来上がるのか……そしてどうしてそれを見て見ぬフリが出来るのか。

 

 ここは俺の居場所じゃない。そう自分に呟きながらスラム街を出る事にした。収穫はあったが、好ましい収穫じゃなかった。

 

 

 

 

 スラムを出て都市部へと戻ってくると安心感を覚える。綺麗に整えられた街並みが俺を歓迎してくれ、そして特に刃物を持った人間が待ち構えている訳でもない。スラム街と都市部の格差はすさまじいものだった。都市に戻って感じるのはまず別世界であるかのような感覚だ。ここには血も鉄も必要のない場所なのだろうか。

 

「ふぅー……なんか異様に疲れる場所だったな」

 

 心のエネルギーを消費するというか、メンタルへと直接攻撃を仕掛けてくるような場所だった。可能であればなるべく行きたい場所ではない―――が、あそこじゃないと生きていけない人も世の中にはいるのだろう。その問題をこの国は、そして都市はどうやって解決するのだろうか?

 

「情報を集める前にどっかで休もうか―――って、お」

 

「これはこれはエデン殿」

 

 黒髪のポニーテール、袴にマフラー。女か男か定かではない中性的な容貌の武士、十歌の護衛である楓が都市の大通りを歩いていた。俺同様学園に主がいる間は暇な者として俺達の仲は結構良い。少なくとも一緒に鍛錬や暇な時間を潰す程度には遊んでいる仲だ。それが目の前を歩いていたので、軽く挨拶をする様に手を上げる。

 

「よ、楓。散歩?」

 

「うむ、十歌様が勉学に励んでいる間は拙者も暇で御座る。極東を出る時は常に目を光らせねばならぬと気を張っていたが、実際こっちに来てみると驚きの警備体制で御座った。これでは拙者らの仕事がないというものよ」

 

「まあ、気持ちはわからんでもない」

 

 楓の言葉に苦笑する。ここの厳重な警備体制は或いは、スラム街を警戒したものなのかもしれない。それを恐らくはサンクデルも知っていた―――だから護衛は俺1人なんだろう。ちなみに十歌は楓以外にも護衛が数人付いている。その内彼女が常に連れまわすのは楓1人らしいが。やっぱりそう考えるとこいつ、女なのかなあ……でも男っぽさもあるしなぁ。そういう所接しやすくて俺は助かるんだが。

 

 と、考えていると楓がふむ、と指を顎にあてて首を傾げた。

 

「何やらエデン殿はお疲れの様子……あまり良くない空気を纏っておられる」

 

「解る?」

 

「解るとも。普段のエデン殿はそうで御座るなぁ……蒼天を思わせる風や、広大な緑の大地を思わせる気配を纏っているので御座る。我々の様に自然を愛し、生きる者からすればこれ以上なく好ましい気配であるが、今はそれに鉄と血の気配が混じって御座る。自然の化身に見えるエデン殿が濁っていればそれは解りやすいので御座るよ」

 

「御座るかぁ」

 

「御座る」

 

 たぶんこの御座る口調、キャラ作ってるんだよなこいつ……そう思いながらも頭を掻く。表面上は取り繕えるんだが、こういう観察が鋭いタイプ相手には隠しきれない。いや、この場合は楓の技能が特殊なのかもしれないが。何にせよ、スラム街に行って勝手に摩耗している事はバレてしまっているから、ここは素直にスラム街で経験した事を口にする。それを楓はなるほど、と腕を組みながら聴きに徹し、終わった所で口を開いた。

 

「甘味処へと行こう」

 

「糖分摂取」

 

「然り。こういう時は何をしても疲れるもので御座る。適当に息抜きをするのが最善に御座るよ。ここで拙者贔屓のあんみつをご紹介! ……と、行きたい所ではあるも、ここは極東ではなく西の端に御座る。拙者が親しんだ甘味処は遥か星の裏側。申し訳ないが案内は難しゅう御座るなぁ!」

 

「ははは、あんみつかあ。何時かは食べてみたいもんだ」

 

「極東へと来る機会があればいつでも当家で歓迎するので御座る。友に閉ざす様な門は御座らん故」

 

 良い奴だなあ、と思いながら楓と一緒に適当なところで糖分摂取を行う為に甘味を探す―――砂糖が貴重品だったのは少し前の時代の話だったらしく、中央付近では砂糖を使った菓子が増え始めている。俺が辺境のお祭りにリアと行ってた頃は砂糖菓子は珍しいものだったが、砂糖の量産がどこぞの国で始まったらしく、エスデルの農業地帯でも砂糖の原料となる植物の栽培を開始したらしい。

 

 その影響でエスデルの少なくとも中央付近、このエメロードを含む地域では砂糖はそこまで珍しいものではなくなってきている。探そうと思えば近くのお店でちょっとだけ値段が高いけど手が届く範囲で砂糖の使われたお菓子が手に入る。そしてその程度の値段であれば貴族の子弟にとってはお小遣いでどうにかなる範囲なのだ。

 

 歴史を見るとこれが菓子文化の発展に繋がる所だろう。時代が今、動いているのを目の前で見ているような気もする。

 

 ともあれ、まずはスラム街探索で荒れた心を癒す為にも、楓共々適当なところでおやつタイムに入る事にした。




 感想評価、ありがとうございます。

 拙者御座る系中性武士。さあ、性別はどっち!


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犯罪 Ⅲ

 この体になってからというもの、甘いものに目がない。

 

 男だった頃も別に甘いものが嫌いだった訳じゃない。そりゃあ甘いものは好きだったさ。だけどかつて以上に甘いものに対して目がなくなった様な気がする。これは体の変更に伴う生理的反応の変化、趣向の変化―――つまり体に合わせた変化だと言えるだろう。体が女性的になったから、生理的欲求や反応も女性的になるのはまあ、ままある事だと思う。だってここら辺の変化や趣向というのは結局のところ、脳による影響を受ける所だ。

 

 脳の構造が女性の物だから女性的な反応が出る、そういう話だ。だから今の俺は甘いお菓子とかに割と目がない。だがそれは生理的反応から来る所だ。趣味、趣向というのは個人の反応と考え方から来るものだ。だから直接的肉体のリアクションが出る所では女性として、だけど個人の考え方が出る所では男性的な反応を見せるのが俺だ。これが性転換による奇妙な俺の考え方や趣向になるという所だろう。

 

 甘いものは好きだし、可愛い服は苦手だ。だけど女性服を着る事には違和感や抵抗感は覚えない。だけど着るならなるべく男物の方が好ましい。これだけなら凄いシンプルだったんだろうが、困った事に俺の肉体は女であると同時に龍なのだ。そしてこれは肉体の構成、そして根本的な部分に繋がる話でもある。その為、俺の反応がバグるのだ。これは俺が自覚している事でもあり、そして克服しようのない部分なのだ。つまり脳の構造が女/龍という形になっているのだ。生理的反応、本能的反応に龍としてのリアクションが混じってしまうのだ。

 

 つまり俺の本能的思考の部分は龍としての構造に占領されているのだ。怒り、悲しみ、喜び、痛み、情動と物理的な反応がここに集約されている。俺が受ける感情的な行動は大部分がここに支配されていると言っても良い。自覚はあり、しかし自分の一部であると明確に認知できる所だ。だから他人の好悪、あれが好きこれが嫌いというのもだいぶここから来ている。グランヴィルは優しくて清らかだから好き。アルドは利用しようと考えて接触してきたから嫌い。そういう感覚がここら辺に由来している。

 

 その全てを統括しているのが、男としての俺だと言っていい。じゃあ俺のアイデンティティはどうなっているのか? 男なの? 女なの? 龍なの?

 

 答えは良く解らん。

 

 未だに答えは出ない。だが解る事はある。

 

 ―――別に答えが解らなくても甘いものは美味しいという事だ。

 

 お互い甘味が好きだという事もあり、どっかで甘いものを食べる事に異論はなかった。問題はここ、エメロードは貴族向け、つまりは富裕層向けの都市であるという事でそこそこお高めの店が多い事と、店自体が多いという事にある。貴族の子女に向けたカフェやレストランなんて腐るほどある。その中からどこへ行こうかというのを話し合おうとなると、相当悩む話になる。こういう場合、お互いに何を食べたいのかを話し合ってから決めるという形になる。俺も楓も、腕前込みで結構良い値段支払われているし、貯金もある。正直少し高い程度では財布は痛まないのだ。

 

「拙者の口は既に極東甘味を求めているので御座るがなぁ」

 

「輸入しているお店を探すとなると相当高い所になるから諦めろ。でもその系列で行くなら創作系、再現系の所に行くのが良いよな」

 

「そうで御座るなぁ……ここは甘味マップを確認するのが宜しかろう」

 

 俺も一流の龍娘、美味しい店はちゃんとマーキングしてある。エメロード都市部の地図をポケットから取り出し、そこにマーキングしてある店を確認する。評判の良い所、そして気になる所は時間が有り余っているので発掘ついでにちょくちょくマークしている。今回探すのは極東っぽい菓子を扱っている所だ。完全なる極東甘味の再現となると輸入前提になるので相当お高い所になってしまう。或いは、学園の学生と契約してあっちの材料を再現している所があるのかもしれない。そういう所は安く扱えるから結果的に俺達の財布にも優しくなるのだが……ふむ、とマップを見ながら考える。

 

「学園と契約してる創作系を軽く見て回るか?」

 

「あったら良し、無ければ挑戦で御座るな」

 

 それはそれでまた面白そうだな、と頷く。当たるも八卦当たらぬも八卦、そういう日もある。いや、寧ろそういうスリルがちょっとだけその日を楽しくさせてくれるのかもしれない。そういう考えから地図にマークしておいた、まだ行った事のない店へと行くことにした。大学と契約しているかどうかは店先にそれを証明するマークが飾られているので、一目瞭然だ。そんな訳で手近な所をまずは確認しようと思って近づいたところ、

 

 俺達は見た。

 

「……」

 

 半口を開けてショーウィンドウから展示品をガン見している少女の姿を。エメロード学園の制服姿、ややくすんだ色のブロンドのツインテールの少女だ。黒い帽子をかぶった少女は見いる様にショーウィンドウに飾られているスイーツを眺めており、目を輝かせているが一歩も店内に入ろうとする素振りを見せない。その様子に店内にいる店員も追い返す事が出来ずにいた。なんというか、貧乏根性丸出しの光景だった。

 

 しかし、その少女は同時に見覚えのある少女でもあった。

 

 少し前、食堂でシェリルに飯をぶちまけてしまった少女だ。あの時は突然のハプニングに狂乱寸前まで陥っていた様子を見せていたが、今はいいなあ、と呟きながら展示品を眺めていた。そのあんまりで哀れ過ぎる姿に俺も楓も、一歩も店内へと進む事が出来ずに道路からショーウィンドウに張り付く少女の姿を眺める事しかできなかった。

 

「……アレを前に美味しく食べるで御座るかぁ」

 

「止めろ、止めてくれ。全く同じことを考えていたんだからよ」

 

 あのきらきらしているけどお金ないなぁ、でも食べたいなぁ……無理だなぁ……とか呟いている少女の横を抜けて店の中に入れ? 無理でしょ。スラム街の連中だったら無視できるのに、こうやって裕福な連中ばかりの都市でこういうのを見かけると良心が痛むの、正直どうかと思うが……俺達が気持ちよくスナックタイムを過ごす為だ。

 

 楓と視線を合わせると、楓から頷きが返ってくる。それを受けて互いに素早くショーウィンドウの前に立つ少女を挟み込むと。

 

「良し! 行くぞプリティーガール!」

 

「いざ行かん、夢の世界へ!」

 

「え? え? ええ?」

 

 貧乏少女に腕を絡める様に両側から挟み込み、そのまま楓と一緒に引きずるように店内へと進む。

 

「3名で宜しく」

 

 

 

 

「いやあ! 都会の人間は狭量で恐ろしく高飛車で人の心を持たない悪魔ばかりかと思いましたけど違いましたね! うーん、甘い! 美味しい! 都会最高!」

 

 そう言ってフルーツパフェからアイスを掬った少女は口へとそれを運び、一口でスプーンの上の物を食べると幸せそうな表情を浮かべていた。一切の遠慮なく食べ進めている豪胆さに俺も楓ももはや見事という言葉を与えるしかなかった。他人の金でここまで遠慮なく食えるのは中々の才能だと思う。何よりも不快感を与えない雰囲気を持っている辺りが恵まれている。俺も楓も呆れてはいるが、目の前でこうも美味しいそうに食べられると何も文句が言えなくなってしまう。

 

 俺もパイ生地をミルフィーユみたいに重ねたパイ型のケーキにベリーソースをかけたものを食べるし、楓も抹茶パフェを食べる。この場にいる全員が各々の食べるものに大満足だった。これがアニメーションだったら全員から花のエフェクトが飛び散っている所だろう。それぐらいに女子という生き物は甘いものに弱く、刺さる。

 

 これぞまさに至福の時。食べ始めてから少しだけ無言になって食べていると、目の前の少女がはっとした顔になった。

 

「あ、あああ、ああの! すみません! 本当にすみません! こんなお高い所を奢っていただき本当にありがとうございます! いや、食べてみたいなあ、美味しそうだなあ、いいなあ、とか思ってたけどこんな風に奢って貰えるなんてほんと思ってなかったんですありがとうございます! ありがとうございます!」

 

「あぁ、うん……」

 

「拙者らはそこまで気にしておらぬ故、其方もそこまで気にする必要はなかろうよ」

 

 まあ、あれを見ていられなかっただけだしな……うん……。俺達の間ではそんな感じの反省の空気が漂っている。本当はこういう事、あまりやっちゃいけないんだけど捨てられた子犬みたいな気配を全開にして店先に立たれると……こう、雨の中の捨て犬を見捨てる気分になってしまうのだ。それが決して悪だとは言わないが。それでも今回に限っては甘えた選択肢を取ってしまったなあ、という気分だった。

 

「不肖、このソフィア・ローズゲート。人に貰った恩と恨みだけは忘れないようにしています! 今度絶対にお礼をするので覚悟してくださいね―――あ、すいません、同じ金額を返すというのは、その、ちょっと経済的に難しいかなあ、って感じなのでお金で返して? って言われるとその、私としても結構厳しいかなあ、なんて話になるんでほんと勘弁してください」

 

「お、おう」

 

「ま、まあ、拙者らは別に守銭奴という訳でもない故気にされる必要はないで御座るよ」

 

「え、ほんと? ヤッター! ただ食いだー! いやあ、もう、ほんと助かりますよ。学食は学生には無料なんですけど最近なんか意地悪する連中が良く学食で張り込んでくるから使いづらいんですよね。あそこで食べようとするとねちねち嫌味を言われて邪魔されますし、席を座れない様にしたり地味な嫌がらせばかりですし。ああいうの性根が腐ってると思いません!? 思いますよね! だってお二方は見ず知らずの美少女にパフェ奢れる程素敵な人達ですもんね! えへへへ、美少女って言っちゃった」

 

 テンション高いなぁ……。元気はつらつ田舎の乙女というタイプだろうか? 無邪気というよりは元気系、今まで周りには中々いなかったタイプだが、

 

「話を聞くに虐めにでもあっているで御座るか?」

 

「あー、どうなんでしょう? なんかねちっこいなあ、とかめんどくさいなあ……とかは思うんですけど。まあ、別に実害はないし? 直接暴力を振るわれる訳でもないですから別にそこまで気にはしてないんですよね。でもあーだこーだ結構煩いのはありますね」

 

「ふーん」

 

 目の前の少女、ソフィア……どこぞの女神を思わせる名前をした少女は、どうやら虐められているらしい。まあ、考えてみればあのシェリルという少女は公爵令嬢で、第5王子の婚約者だ。そんな彼女に取り入ろうとする連中は多いだろうし、何か粗相を働いた人間を虐めておけば印象でも上がる……って考えだろうか? 正直あのシェリルって娘を見ていると虐める為に手を回すというのは考えるタイプには見えない。というかやるだけのメリットが存在しないだろう。

 

 まあ、世の中些細な事でキレて殺しに来る奴だって存在するから何もかも絶対という訳ではないのだが。それでも俺が見ている限り、シェリルがこの娘に理不尽を働く事はないだろうと思うし、一部の学生の独断だろうか。虐め、実在するんだなあ……という気持ちだった。ニュースとかでは聞くものの、俺はとんとそういう事には無関係だった。

 

「まあ、でも気にするほどの事じゃないですよ。学校はそれなりに楽しいですし。それに何より、覚えたいと思えたものを覚える機会が与えられるのは本当に素晴らしいです! あの滅茶苦茶広い図書館だって自由に利用できるんですよ!? 特待枠取れて本当に良かったぁ……」

 

「特待生なんだ?」

 

「はい! 王国の北部出身です。あっちは冬になると滅茶苦茶冷え込むから薪代が馬鹿にならなかったんですよね。だから私、なるべく良い所で働けるようになりたいんです。家に帰れば弟妹達もいますし。ここで私がなるべく良い条件で就職する道を見つけて、お金を稼げばぐっと生活が楽になる筈なんです」

 

 そこまで言ってからスプーンを噛んだまま、

 

「まあ、入学は出来たんですけど今度は生活費の方で苦しんでいるんですけどね……。いや、生活費で苦しんでいる事実はずっと変わらないから変化なしかな? そう考えたら何時も通りだぞぅ……? やったねソフィア!」

 

 うちみたいな零細貴族か、或いは庶民なのか。その判別はつかないがどこであろうとも貧乏が人を苦しめる事実に変わりはない様子だった。

 

「ふと、気になったので御座るが……生活費はどのように?」

 

「あ、バイトです。こっちで学生向けのバイトとか、学生課で依頼を受けて仕事とかできるようになってるんです。治験みたいなのもあれば、近くの秘境から素材を調達してきたとかまであるんですよね。まあ、流石皆お坊ちゃんお嬢様って感じで結構金銭感覚がガバなのでそれなりに貰えます」

 

 そこまで言ったところであ、ソフィアが声を零す。

 

「お二方今度一緒にどうです? 今度一緒にバイトしてみるの。こう見えてバイト先の評価は結構良いんですからね、私。私1人なら秘境とかあんまり行きたくないなあ、ってなるけど2人と一緒ならもうちょっと高額なバイト受けられると思うんですよね!」

 

 ぐいぐいと来る少女の言動に苦笑を零しつつ、俺達は時間や行動に先約があるから常に誰かと関われるわけではないが、

 

「まあ、予定が空いてれば」

 

「そうで御座るな、予定が空いてれば拙者も問題は無いで御座ろう」

 

 都会で雑草のように強く生きる少女の姿に、どことなく感嘆を覚えつつその日を過ごした。

 

 この都会、色んな奴がいるもんだ。




 感想評価、ありがとうございます。

 そろそろ日刊更新からペース落とすべきかどうかを悩む時期。なろう辺りでマルチ投稿も考えたいけど、流石に100話越えた辺りからかなあ……。


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犯罪 Ⅳ

 スイーツを食べて糖分を補給するとやはり我ら女子、体に満ちるエネルギーというものは違ってくる。奢られたソフィアも笑顔になって別れた所で、改めて目的を果たす為にギルドへと向かう事にする。

 

「楓はどうする?」

 

「拙者はもう少々散策して回る事にするで御座る」

 

「そっか、それじゃあな」

 

「うむ、またで御座る」

 

 楓とスイーツと田舎娘のおかげで心は軽くなった。こんな事で一々メンタルにダメージを受ける俺の繊細さがそもそもの問題でもあるのだろうが、それはそれとして元々一般人だった身なんだから、何年経過しようとも性根というものは根本的にどうしようもないという事を理解している為、半ばあきらめている部分がある。

 

 それはさておき、

 

「行くか」

 

 他の2人と別れたところで俺もギルドへと向かう。とりあえず自分の中にある心残りを解消しておくのは重要な事だからだ。

 

 そうやって到着するギルドの中は、前来た時からほとんど姿が変わっていない。相変わらず人はそんなに多くはなく、昼間から仕事を求めて屯っている連中の姿がある。そしてその質は、決して高いとは言い切れない。やはり護衛や専門職が多く来ている分、冒険者は需要を奪われている感じがある。ただそれでも完全にギルドがなくなっていない辺り、僅かながら需要を……パイをキープしている感じがある。

 

 そしてギルドに入ると、カウンターの向こう側からあっ、という声がした。

 

「エデンさん、来てくれたんですね」

 

 軽く手を上げて受付嬢のエミリーに挨拶をしながら受付へと近づく。笑顔で此方を迎えてくれるエミリーは流石、受付嬢だけあって自分をどうやって可愛く見せるか、というのを理解している様に感じられる。ただ、まあ、同性なだけにどうしようもない。片手をポケットに突っ込んだ何時ものスタイルで受付まで近づくと、

 

「それでどうしました? もしかして仕事を探してます?」

 

「いや、仕事の方は適度に充実してるよ。それよりも知りたい事があって、それを探しに来た」

 

「はいはい! 調査の依頼ですか? それとも質問ですね? ギルドの資料室は空いているので調べたいものはご自由にどうぞ! ……ところで何に関してでしょうか?」

 

「マフィア」

 

「あー」

 

 そのシンプルな返答にエミリーは納得、という表情を見せて指で資料室への入り口を示してくれた。どうやらマフィア関連の情報は資料室の方に纏められているらしい。感謝するように軽く手を振ってから資料室の方へと向かう。特に鍵がかかっているという事もなく、扉を開ければその向こう側には地下へと続く階段があり、それを下がって行く先に新たな扉があった。

 

 

 そしてその先に広がっているのが資料室―――おいてあるのは棚、棚、棚、そして棚。どうやらこの支部は結構マメに資料を作成しては整頓して保存しているらしい。そうやって綺麗に資料を整えているスタンスは、正直好ましく思える。さて、と思いながら入口周辺を見渡せば小さなデスクと、その上に目録が置いてあった―――流石にエメロード学園の図書館の様な便利な魔導式ではないが、それでも手書きによって丁寧に作成されている目録なのは手に取ってみれば解る事だ。

 

「マフィア……マフィア……あった。複数の棚を取ってるのか」

 

 これは調べようと思うと結構時間を取りそうだなぁ、なんて事を考えながら目録をデスクの上へと戻し、棚へと向かう。数字によって細かく分類されている棚の内、複数の棚を取るマフィア用の資料棚はそれだけ事件や黒い噂、そして報告が絶えないという事の証拠でもあるのだろう。棚の前に到着したところでさて、と軽く声を零して棚を眺める。

 

「どこから手を出すかな……」

 

 軽く視線を巡らせてみれば、幾つかの資料―――報告書やファイルには付箋の様なカードが差し込まれているのが見える。その一つを取り出して確認してみれば、“基礎知識”等と書かれて区別されている。どうやら俺の悩みはこの資料室の先人によってありがたくも解決されていたらしい。学園の様な高級感はなくても、調べる人が使いやすいように意識されて整理されている事に感謝を心の中で告げながら基礎知識用の資料から手に取る。

 

 結晶で椅子を生成し、そこに足を組む様に座りながら資料を広げる。

 

「さーて、どんなもんかな」

 

 内容を全部読み込もうとすると相当時間がかかるだろうから、まずは軽く流し読みで済ませる。まずはマフィアの名前はギュスターヴ・ファミリーと呼ばれるらしく、その所属は現在エスデルを根城にしている大商人ギュスターヴがファミリーのボスとなっているらしい。表の顔は大商人として貴族や生活に取り入り、その裏では少しずつ影響力を国内に広げている、という事。

 

「ギュスターヴ……聞いたことのある名前だな」

 

 確か辺境の方でも支店が開かれる話があった気がする。その後の話がどうなったかは覚えていない……というか知らないが、少なくとも中央を根城に、そして辺境にまで支店を出せる大商会の主なのだろう。その説明だけで相当めんどくさい奴があのスラム街に関わっているんだな、というのが解ってしまった。

 

「金とコネがある人間がなんであんなもんをねぇ……」

 

 ぺらり、と頁をめくる。

 

 ギュスターヴの目的は不明。しかし大貴族数名と繋がりがある事が確認されている。本人がスラム街に訪れた形跡はなし。だがボスと呼ばれる存在を非常に恐れている姿は確認されている。或いはギュスターヴ商会のトップとは別に黒幕がいるのかもしれないが……その調査結果はまた別の報告書で語られる様だ。

 

「ふむ」

 

 マフィアの目的は不明だが、勢力拡大と資金の確保に関しては非常に勤勉と言える姿勢を見せている。エスデルのアンダーグラウンド組織における最大派閥とも言える。それでも解体されないのは明確にギュスターヴ商会が黒であるという証拠を掴めない、掴ませないからだと言われている。もし本当に黒であれば国によって殲滅されている所だろう。だがそれが成されていないのが答えだ。

 

「うーん……? 良く解らんな。とりあえず読み進めるか」

 

 エメロード周辺のスラム街は元々はスラム街ではなかった。エメロードには度重なる拡張計画が存在し、現在スラム街として展開している場所はそもそも整備区画として次回の拡張時に取り込む計画があった場所でもある。その土地を高値で抑えられた結果が今のスラム街の始まりだと言われている。

 

「つまり土地の売買に絡める人間が関わっている、と」

 

 そういう話となるとやはり、領主クラスかなぁ。あまり考えたくないけどここら近辺の土地を抑えている領主とマフィアがグルだった場合、あのスラム問題はもはやどうしようもない領域にある。俺が出来る事と言えばスラム側からの干渉に対して警戒する事だろうか? いや、もっと上の地位の人間がいる所で態々うちのお姫様を狙う様な理由はないだろう。狙うとしたら公爵令嬢や第5王子とかいう大物の方が……あぁ、いや、獲物が大きすぎると報復が怖いか。

 

「そんで土地が売却されてから拡張計画が白紙化、と。城壁周りの購入された土地に店舗や住居は出来ても拡張計画がなくなったから土地の利益を受けられなくなり次第に荒廃、スラム化が進んだっと」

 

 となると都市の拡張計画を握っている人物と、周辺の土地を握っている人物は別の人物という訳だ。そして恐らく派閥として敵対しているのだろう。エメロードに対する影響力が欲しくて土地を抑えたが、それに対抗するように拡張を拒否されてエメロードの一部として取り込まれる事を阻止された。その結果邪魔になった土地と建造物だけが残されてスラム化したと。政治闘争の気配をひしひしと感じる。

 

「この後に続くのは基本構成員や犯罪の記録か……まあ、それはいいな」

 

 正直犯罪の記録を見たところでしょうがないだろうし、そこは俺の調査する所ではない。クスリとかの犯罪は基本的に俺が気を張っておけばどうとでもなる問題だし、最悪使ったとしてもここには便利な浄化の魔力とか言うもんがある。体に悪いもんは消し飛ばせば全て解決するのだ。だからここは良い。それよりも重要なのは誰がこのマフィアとバチバチにやり合っているのか、そして誰がここら一体の領主であるかという話だ。そこら辺の話は政治から離れている俺としては完全に考慮の外というか、意識していなかったところの話だ。

 

 だからマフィアの調査記録を一旦置き、今度はここエメロードの周辺の事を調べる事にする。此方も当然のように資料が作成されており、手に取りやすく置いてあった。そもそもここらの領主なんて基本知識中の基本知識だろうし、調べようと思えばそう難しい事ではないだろう。そう思って調べれば、あっさりとこの周辺地域の領主の名を発見する。

 

 フランヴェイユ公爵だ。

 

「―――ん? 聞いたことがある名前だな、これ……」

 

 聞いたことがあるというかモロ知っている人物というか、シェリルの家名がフランヴェイユじゃなかったか? あの第5王子と婚約を結んでいる人物、その両親がここら一帯の領主だが……この都市、エメロードだけは管理人が違っている。そしてそれも調べれば簡単に解る。別に隠されているような事でもないのだから。

 

 都市の管理人、管理者、市長―――その名はワイズマン。エメロード学園の学園長にして、この都市の管理者は同じ人物だった。ただ、まあ、考えてみれば学園の一番偉い人物がこの都市を開いたんだから同じように都市の計画を構築したのも彼なのだろう。そう考えたらまあ、違和感はないだろう。それはそれとして、ワイズマンとフランヴェイユの名前が出た所で頭の上にはてなが浮かんでくる。

 

 確かアルド第5王子はシェリル・フランヴェイユと婚約していて―――そしてアルド王子の後援者はワイズマンだった気がする。少なくともそうじゃなきゃ助けの手を出したりしないだろう。だがそうやってアルドとワイズマンの関係性を考えると、マフィアを拒んだ側とマフィアを支援している側、その支援先と子供が政略結婚を結んでいるという形なのか?

 

「……うわあ」

 

 この関係性を知っている人間がいるとしたら滅茶苦茶悲鳴を上げてそう。というか俺も今、相当めんどくさい関係に気づいてしまった。本能的というか直感的判断だったが、アルド王子の勧誘を蹴って正解だったと思う。この関係に正気のまま割り込むというのは俺にはちょっと無理だ。政治にしろ、策謀にしろ、元が一般成人男性だった俺にとっては違う世界すぎる。グランヴィル家の政治とは関わらずにやっていくぞスタイルもこれは解っちゃう。

 

 誘ってくる裏で何を考えてるかアイツらマジでわかんねーもん!

 

 こえーわ!!

 

 決めた! グランヴィル家の末代まで俺辺境で過ごすわ! リアとリアの子孫の面倒を見つつ滅んだら適当に庶民として暮らすわ! 絶対にこんな栄光とか名誉とか考えているめんどくさい種族と一緒になりたくねーんだわ! ロゼは頑張って! 仕事の分は頑張るから!

 

「……はあ、これ以上は読む気が失せたな」

 

 マフィアも学園の事情も、王族の事情も、貴族の事情も。どれも俺には関係のない話だとバッサリ斬り捨てる事にした。真面目な話、俺はリアとロゼの護衛に来ているからそれ以外の事は考えなくて良いのだ。単純に目の前で何かが起こっているから興味を持って突っ込んでしまっただけで、そこから下がれば関わらずに済む。

 

 そしてそれがたぶん、一番正しいんだろうなあ……というのを今、実感した。

 

 俺は特に主人公でもなければ、英雄でもないんだ。パブリック・エネミーではあるがそれがバレている訳でもない。ワイズマンが俺の正体を知っていてアクションを起こしているのであれば、既にドラゴンハンターか未だに俺の中で輝く人類最強ランキング1位の龍殺しさん辺りが来ているだろうと思う。それがないって事は俺に対する悪感情はないのか、或いはまだ疑っているのか、それとも別の考えがあるのか。

 

 まあ、何にせよ関わらない事が一番だ。こんなめんどくさい生き物とは永劫関わっていたくはないのだから。そうと決まればこんな埃臭い場所にいる理由ももうないだろう。読んでいた資料を丁寧に棚に戻し、先人たちの苦労に軽く感謝してから資料室を出た。階段を上がってギルドの受付前にまで戻ってくると、エミリーが軽く手を振ってくる。

 

「エデンさん、資料室はどうでした?」

 

「情報の積み重ね、ちゃんとやってきてここの支部の人たちすごい偉いなあ、って思えたよ。それはそれとして絶対にここで仕事したくないなあ、って」

 

「そうですよね。そうなりますよね。それでもエデンさんみたいな有能な方が来るの、待っていますから……!」

 

 やだよぉ。マフィアとか関わりたくないよぉ。そんな気持ちを笑顔に込めて手を振ってギルドを出る。

 

 良し! この問題全部忘れよう!

 

 多分それが一番だ。




 感想評価、ありがとうございます。

 エデンちゃん、根本的にめんどくさい問題には絶対関わりたくない派閥。ほぼ間違いなくグランヴィル家の方針の影響を立派に受けている。


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犯罪 Ⅴ

「あ、お帰りなさい。お嬢様達とは一緒じゃないのですね」

 

「おー、どうせ俺は必要ないだろうしな。都市部じゃ何も心配する必要ねぇって改めて解ったし、俺はゆっくりさせて貰うわ」

 

 邸宅へ帰宅すると、前庭を箒でクレアが掃き掃除している最中だった。その周囲では猫や犬たちが口に塵取り等を咥えて彼女の掃除を助けていた―――まあ、そういう風に仕込んだのは俺なのだが。このワイルドアニマルズの異様な賢さに最初はクレアも驚いていたが、危険も無ければ頼りになると理解してからはこうやって便利に使っている。暇なときに軽く遊んだりブラッシングしたり餌を与えれば十分満足して働いてくれるお金のかからない労働力なので、人が少ない我が家では非常に重宝している戦力だったりする。

 

 ゲートを飛び越えて帰宅した所、何時も通り俺の登場にテンションを上げた動物たちは一斉に俺に群がってくる。勢いよく飛びついてくる犬の姿をキャッチして頭を撫でて、足元に身を擦り付けてくる猫の首を撫で、飛んできた鳥が休めるように肩を貸してあげる。近づいてきた動物たちを軽く労ってやると、二股の黒猫がやって来て他の動物達を追い払って俺を独占する。相変わらずこいつが街の動物たちのボスらしい。その優雅な姿に軽く笑みを零してからクレアに手を上げ、そのまま玄関を抜ける。

 

「どうしたんですか、少々やる気を失っているかのように見えますが」

 

「この都市の仕組みが思っていたよりも面倒な事に嫌気が差しているだけだよ」

 

 けっ、と声を零しながら玄関を突っ切ったら、そのままリビングへと向かう、転がるようにソファに横になる。そうやって転がったソファの上の、俺の腹に黒猫が乗っかって、体を丸めてしまった。二股の尻尾が不規則に揺れながら俺の体を這っている―――特に悪い感覚ではないのでそのままにしておく。こうやって動物と絡んでいると俺の中にある感情も落ち着いて行くような気がする。或いは、そもそも(おれ)という生き物が人間社会に適していないのだろう。都会とかではなく、辺境レベルの文明ぐらいがちょうどいい塩梅なのかもしれない。というより自然が近くないと駄目なのかも。

 

「はあ、やっぱ貴族ってカスだわ」

 

「主の仕事を完全否定ですね」

 

 掃き掃除をしていたクレアがリビングにやって来ていた。ソファの対面側にある椅子に座ると、此方を眺めてくる。その格好は何時も通りのメイド服だ。見慣れた服装なだけに特に目新しさは感じないのが悲しい話だ。珍しかったメイド服も、見慣れるともう普通の服装でしかない。俺もたまには着てみようかなあ、なんて事は思うが結局のところ、何時ものコート姿が一番動きやすい事もあって結局メイド服を着るに至らない。

 

「それで、どうしたんですか?」

 

「特にどうしたもこうしたもないよ。都市とスラムの関係を調べて、護衛業に問題が起きないかどうかを確認しただけだよ。調査の結果特に首を突っ込まなければ問題はないって話だけど―――」

 

「だけど?」

 

「貴族ってどいつもこいつも二枚舌であーいやだいやだって感じ」

 

「あぁ、エデンさんもグランヴィルの人間ですからね」

 

 クレアはそう言って苦笑する。グランヴィル家の政治嫌いが相当なものであるのは、既に辺境では知れわたっている。クレアも辺境の逞しい女だ、グランヴィル家の実態をよく理解しているだろう。グランヴィル家の当主エドワードは元宮廷魔術師で、妻のエリシアは元近衛隊出身。双方ともにこの国における最高クラスの人材だった。どの派閥、界隈からしても貴重な人員だったが、政治嫌いの結果貴族としての権利のほぼ全てを放棄し、同期だったサンクデル・ヴェイランに頼って辺境で隠居生活を送っている。その血を継ぐのが我が姫であるグローリア・グランヴィルであり、そして俺はそのグランヴィル家の影響を非常によく受けていた。

 

 いや、というか元々役所仕事とか俺はクッソ嫌いだった。ハンコとか一々めんどくさいんだよ、って役所の人間にキレながら叩きつけたくなる事も何度もあった。だがこれは必要な事だ、必要な事だからしゃーない。そう言い聞かせて我慢してきた。そしてそのストレスから解放された今、利用価値あるから利用させて? って感じに近づいてきた奴がいたらどうなる?

 

 めんどくさい。めんどくささの極みだ。俺は絶対にそういう政治とかに関わりたくはない。

 

「グレートゲームの参加者はグレートゲームの参加者同士で遊んでてくれ」

 

「グレートゲーム?」

 

「マネーゲームの事」

 

「あぁ……ですけど、貴族には責務や守るべき権益や領民がありますからね。その為に政治的に利用するしないが発生するのはしょうがない事ですよ。相手は事情を考慮してくれませんからね」

 

「頼むから考慮してくれ。はあ、まあ、関わらなければいいだけの話なんだけどな、これ」

 

「ふふ……何があったかは解りませんけど、お疲れ様です。しっかりお嬢様方の事を気に揉んでいるんですね」

 

 

「そりゃあな」

 

 そりゃあ、そうさ。ロゼは親友だし、リアは俺の宝だ。俺が一番大事にしているものだって言っても良いだろう。それが苦労しない、苦しまない、嫌な目を見ない様にするのが俺の仕事で義務なのだろうと思ってる。そして単純に義務とかだけではなく、自分の意思でリアをなるべく幸せにしていたいと思っている。そんな彼女に経済戦争や政治闘争は不可能だと思う。いや、()()()()()()()()()()()と解っているのだ。ただ性格的に全く向いていないと言えるだろう。だからリアはこの手の話題に関わらない事がベストだと思っている。

 

 ロゼに関しては次期領主という事もあり、政治から逃げる事は出来ないだろうと諦めている。実際、ロゼはここで自分の事を磨きながらも他の貴族たちとのコネクションの構築に勤しんでいるらしい。もう既にお茶会に誘われているという話は聞いている―――まあ、その場合の護衛はこの俺だ。龍殺しでも来ない限りは何があろうとも大丈夫だ。

 

 龍殺しが来ない限りは。

 

 辺境を出て都会に登ると、人が多いからドラゴンハンターや龍殺しとのエンカウント率が上がる事が実は微妙に恐ろしいかもしれない。

 

 はあ、と溜息を吐く。そのまま目を瞑る。

 

「寝る」

 

「暇なら掃除とか、手伝ってくれても良いんじゃないですか?」

 

「今日は無理」

 

 手をしっしっ、と振ると溜息を吐かれてクレアが去って行く。ちょっとだけ申し訳ない事をしたなあ、なんて事を思いながら寝る為にそのまま意識を落ち着かせてゆく。今日はスラム街を見て回ってからこうやって学園長やこの地の関係などを知る事が出来たが、彼らの完全な意図や意思というものは完全に理外のものだった。というか解りたくすらない。だが俺の予測が正しければ、態々コンタクトしてくれるレベルで俺に話を通したかったのだろう。たったの1度でアプローチを終わらせるとは思えない。きっと、再び俺の前に姿を現すだろう。

 

 その時が来たら……俺も多少は向き合わないとならないのかもしいれない。相手がなんで、俺とのコンタクトを取ろうとしているのかを。ただやっぱり、めんどくささの方が先立つ。こういう連中とは一生付き合いたくないなあ、と思うのが俺の本音だった。

 

 

 

 

「んむ」

 

 体の上に感じる重みで目を覚ましてしまった。その感覚からして結構長く寝ていたようだった。感じる感触は柔らかく、人の温かさを持っている事から大体誰がこんな事をしているのかと理解していた。だから目を開けて真っ先に見えたのがリアの顔だった事に一切の違和感を覚える事はなかった。すぐ前にまで来ているリアの顔は体ごと俺の上にのしかかる形で直ぐ傍にあった。ソファという狭いスペースの上で俺に乗っかっているんだから、当然かなり窮屈になっているが、リアはそういうのを全く気にしない。寧ろ身内相手ならこういう密着を好むタイプだ。目を開いてリアを見ると、リアが密着したまま抱きしめて来た。

 

「ただいま、エデン」

 

「お帰りリア……どうかした?」

 

「ううん、なんかエデンが今日は私成分を必要としてそうだなあ、って」

 

「ありがてぇ、丁度不足してたんだ」

 

 リアを抱き返しながらぎゅー、っとお互いを抱きしめて元気を一気に補充する。寝る前は憂鬱で、寝ている間は悪夢を見て最悪だった気分がこれで一気に晴れる。やはりリア、リアこそが最強。リアは健康に良い。俺の栄養素はリアから摂取されている。

 

 まあ、そんな冗談はともあれ、このまま寝転がっているのもあれだと思いリアを持ち上げてソファに座り直すと、制服姿から私服姿へと戻ったロゼの姿がリビングにやって来ていた。その姿を見てアレ、と声を零す。

 

「俺、そんなに寝てた?」

 

「結構ぐーすか寝てたわよ。何時も通り夢見は良さそうだったけど」

 

 部屋着のラフな格好のロゼがそんな事を言うもんだから、流石に失敗したなあ、と頭を掻く。本当なら迎えに行くべき立場なのだから、こうやって既に家で寛いでいる時に起きるのは大失敗だ。だというのに、すっぽりと俺の股の間に収まるように座り込んだリアはくすりと笑う。

 

「偶には良いんじゃないかな? エデンだって別に完璧じゃないって事なんだし」

 

「ま、失敗とかしてる方が可愛げがあるのは事実よね。だからクレアも起こさなかったみたいだし」

 

「面目ねぇ。次からは寝すぎないようにするわ」

 

 俺もちょっと今のはどうかと思ったし反省しよう。そう思ってむむむ、と唸っているとリアがそれよりも、と声を作った。

 

「実は私達、ピクニックに誘われたの。街の外になるんだけどピクニックに丁度いい丘があるんだって。多少モンスターが出る場所だから護衛は必要なんだけど、晴れた日にはエメロードが一望できる事もあって良い景色なんだって」

 

「というわけで1週間後ぐらいになるけど、エデンには私達と一緒にピクニックに行ってもらうわよ。十歌も一緒だからたぶん楓も来るわよ」

 

「オーケー、オーケー。って事は昼食も用意しなきゃならんって事か」

 

「うん、でもそっちはクレアに頼んであるから大丈夫よ。クレアは本職の料理人をそろそろ雇いたいとか言ってるけど私達は割とクレアの料理好きなんだよね」

 

「そうそう、家庭的なタイプというか……馴染みのある味が一番よね」

 

 ルシファーかルイン辺り、頼んだら出張してくれねぇかなあ……流石に無理か。俺のコネで誰か引っ張ろうとすると天上にいるソ様か、この世の地獄みたいなバーで地獄の化身やってるフレンドに頼るしかない。そしてアイツらは絶対に一般受けするジャンルではないのだ。そりゃあ俺だってグランヴィルの人々にあの魔界人共を見せる訳ないだろ。

 

 少しずつ意識が覚醒してきた。股の間に収まっているリアを後ろから抱きしめながらうーむ、と唸る。

 

「ピクニックか。他の護衛との兼ね合いがめんどくさそう」

 

「仕事でしょ、頑張って。でも、まあ、正直エデン1人いればなんとかなりそうって気はするわね」

 

「俺がいるとモンスター近寄らんしな」

 

「辺境とは違ってモンスターが出現しないから驚いたよね」

 

 中央では騎士団や軍による定期的なモンスターの殲滅作戦が遂行されている。辺境では冒険者たちの仕事だったが、この中央では人手が足りている。その為殲滅や討伐系の仕事は基本的に冒険者には存在せず、人員が有り余っている中央の軍人たちが処理している。そのおかげで中央では商人たちが安全に街道を行き来する事が出来るし、モンスター達も変異や成長の可能性を見せる間もなく死亡するのだ。

 

 そして僅かに残り、或いは再発するモンスター達は―――弱い。

 

 競い合う敵や環境が存在せず、エーテルの濃度も薄い。だから強いモンスターが発生しない。だから中央にいるモンスターは何をどう足掻いても弱いものばかりであり、俺の気配を感じ取った瞬間大半のモンスターは逃げ出し、隠れてしまう。

 

 残りは存在に耐えきれなくて気絶する。割とマジで。生物としての次元の違いというのはマジであるものだ。

 

「まあ、ピクニックな。解った解った。忘れずに準備しておくよ。後でメモっておくかぁー」

 

 欠伸を漏らしながら背筋を伸ばし、リアを片腕で抱えながら立ち上がる。まだ軽く頭の中に眠気が残っている感じがする。リアをソファの上へと投げ捨てるともう一度背筋をしっかりと伸ばしてからコートを脱ぎ捨てながらシャツに手をかけて脱ぎ始め、リビングの外へと向かう。

 

「眠気覚ましに湯を浴びてくる」

 

「はいはい。でも歩きながら脱ぐのは正直どうかと思うわよ」

 

 まあ、お前らなら何度も見られてるしな……という話になるので特に気にする事はない。もう一度欠伸を噛み殺し、目じりに溜まった涙をぬぐいながら脱衣所へと向かう。こういう時は一度湯を浴びて頭をさっぱりさせるのが一番だ。




 感想評価、ありがとうございます。

 この後エデンちゃんのサービスタイムが始まるけど全年齢なのでダメです。


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犯罪 Ⅵ

 一週間後にピクニックがあると聞かされてその日までウキウキらんらんして過ごす? んな訳ないに決まっている。

 

 俺達護衛ってのは意外と仕事がある。主が遠出をするというのなら事前にルートの確認や安全性の確認、出現するモンスターの種類や数、弱点、治安、直近の事件とかを確認する必要がある。まあ、ここまでやる必要はないのかもしれないが、少なくともこの都市に来てからはだいぶ暇だったので俺はやる事にした。そして同じように十歌の護衛でもある楓も一緒にその作業を手伝ってくれた。

 

 そう言う訳で俺と楓はピクニックに備えて現地へと下見に向う。当然だがそこら辺も俺達の仕事であるのだ。そして現地の安全を確認したら漸く馬車等の手配に入る。今回に限ってはピクニックの提案側から用意するという話があったらしいので特に準備する必要はなく、俺と楓は下見を終わらせてしまえば後はもう時を待つばかり。

 

 そして1週間という時間は、あっという間に過ぎ去って行き、時はピクニック当日。

 

 集合場所となったのは都市部の商業区、馬車の大型停留所だ。歩いていると面倒な広さを誇るこの都市には現代日本でいうバスの様に馬車が運行されている。これに乗る事で都市内部を自由に移動できるのだが、今回はこれをレンタルしてピクニック先へと向かう事になっていた。その為、都市部で一番大きな停留所、その端に邪魔しない様に集合する事になっていた。

 

 比較的に朝に強くて行動が早い俺達のグループがどうやら一番乗りらしく、待ち合わせ場所に行くとまだ誰もいない状態だった。何台かの馬車が今日という日の為に待機しており、或いは朝から仕事の為に馬に繋げられ、動き出していた。

 

 自由になっている馬は俺のところに集まると、挨拶をする様に軽く頭を下げたり頭を撫でられるために近づけていたりする。それを馬の主や御者が驚いた様子で眺めている。

 

「いいやあ……普通はここまで初見の人に懐くもんじゃないんだけどなぁ……姉ちゃん、ずいぶん動物に懐かれているな」

 

 今日はついてくる気満々の二股の黒猫―――我が家ではミス・アンジェラと名付けたこの黒猫も一緒にいる。というか足元から馬たちにあまり馴れ馴れしくするな、と指示を出している様にさえ見える。お前は俺のマネージャーか? 辺境に帰る時にはお前を連れて行きたくなったわ。

 

「エデンは昔からそうよね。どんな動物にも好かれる体質をしているわよね」

 

「そうだね、どんな動物でもエデンを前にしちゃうと大人しくなっちゃうし、素直に言う事聞くんだよね。前、エデンの狩りに一緒に行かせて貰ったら、ウサギが自分から前に出てきて狩られるのを待つようにお腹を見せて転がるのを見て驚いちゃった」

 

「なんか、もう、才能とかそういう領域超えてるね、それは……」

 

 御者の人が笑いながら馬車へと戻って行く。俺は解せぬと呟きながら頭を掻いていると、道の方から十歌と楓のコンビがやってくるのが見えた。片手を上げながら挨拶するといえーい、と声を上げて楓とハイタッチし、それを見ていたリアが閃いたような表情を浮かべ、両手を持ち上げた。

 

「十歌! いえーい!」

 

「い、いえーい」

 

 どことなく困惑しながらもリアに促されハイタッチを決める。ちょっとだけ困惑しているが、しかし表情はどことなく楽しそうだ。誰でも楽しくさせる事が出来るのが、リアの才能だと俺は思っている。というかクラスのカーストにおいては、誰からも愛される“不思議ちゃん”ポジを獲得しているらしい。講義の様子はあまり良く解らないが、現状問題はなく、仲良くやれているようで良かった。

 

「おはようで御座るエデン殿。絶好の行楽日和で御座るなあ」

 

「そうだな。これで何か問題さえ起きなければ最高なんだが」

 

「それは天にしか解らぬ事に御座れば、我々には祈るしか出来ぬで御座るよ」

 

「そうだな……祈っておくか」

 

 両手を合わせて我らがソ様に。どうか今日は問題が起きませんように。

 

『それは……私の力を超えています……』

 

 答えんなや。解り切った答えを出すんじゃねぇよ。期待はしてなかったけどよぉ!! それでも明確な答えを出すんじゃないよ! 今日は何かトラブルでも発生するのだろうか? いや、ソ様のこの反応なら何かしらの事件が起きてもおかしくはなさそうだ。心の中の警戒レベルを上げておく事にする。既に前途多難だなあ、なんて思いながら雑談していると次々と合流場所に生徒の姿がやってくる。今日は休日という事もあって、皆が思い思いの私服姿でやって来ている。

 

 次にやってきたのは三人組だった。白髪、金髪ツインドライブ、そしてイケメン。見たくないハッピーセットが揃っている姿に、目撃した瞬間に舌打ちが出てしまった。

 

「おはよう皆、これでも早く来たつもりだったんだけど」

 

「私達は基本早起きだからねー。おはよう、皆」

 

「おーっほっほっほ! おはようございますわ。どうやら皆さん元気なご様子で結構結構」

 

「朝からティーナが騒々しくてごめんなさい、見た通り今日の事を結構楽しみにしていたみたいなの」

 

 まあ、そんな奇天烈なキャラしてれば友達が少なそうだしな。そう思いながら俺達従者グループは主グループからちょっと距離をあけ、離れた所へと移動する。全員がそれぞれ、従者を1人連れてきている。ロゼとリアが俺を、十歌が楓を、そして今来た3人も3人の従者を連れてきている。

 

 ティーナが連れてきたのは執事服の同年代ぐらいで、栗色の髪の毛に苦労してそうな表情が特徴の少年だった。なんというか、いかにも振り回されてそうというイメージが強く印象に残る姿だ。朝から既に疲れた表情をしているのがもう全てを察せる。チャリ通学するお嬢様の従者だしなあ……。

 

 アルドが連れてきたのは先日アルドを連れ出す時に見た、アルドの騎士だ。名前は確かハリアだった筈だ。此方も金髪だが短髪、騎士が着そうな鎧姿ではなくどことなく戦闘用にカスタマイズされた騎士服の様な物を纏っており、腰には二本の剣を吊るしてある。こいつを見て反射的に考える事が勝てるな、というのが戦闘に身を置くものとしての悲しい性だろうか。そこら辺の戦闘意識とか、エリシアに叩き込まれてしまった。悲しいなあ、もう戦闘しない人間のメンタルには戻れそうにないわ。

 

 最後に、シェリルが連れてきたのは恐らく40代ぐらいの筋骨隆々な執事服姿の男だ。短い灰髪をオールバックに流した、渋みのある男性だ。この中で恐らくは一番経験豊富であり、俺と同等の戦闘能力があるのを気配だけで察せる。流石公爵令嬢、連れてくる護衛の質が非常に高いと言わざるを得ない。それに比べるとアルドの連れて来た騎士はちょっと弱いと感じる。いや、雑魚って訳じゃないんだが。それでもこの男と比べると見劣りする。

 

 シェリルの連れて来た従者も、俺を見ると少し驚いた表情を浮かべる。

 

「ほう、まさかグランヴィル等という辺境の弱小貴族がここまでの怪物を飼い慣らしているとはな、驚かされた。ダン・ウィーザーだ。娘、貴様の名は」

 

「エデン、家名なんて豪勢なもんはねーよオッサン」

 

「ふむ? 品があるからどこぞの家の出かと思ったが違うか……」

 

 手を広げてさあ? のポーズを取る。まあ、俺が受けていた教育はあくまでも義務教育と大学の範囲だけだ。それがこの世界における専門教育に対してどこまで匹敵するかは解らないが、そこそこ社会経験はある。それで通用する範囲であれば楽なのだが、ここは時代が違う。求められる教養やマナーだって全く違ってくるのだからそれで全てが通じるとは思わないが……それでもある程度はったりとして通じるなら良かった。

 

「これで今日は全員か?」

 

「いや、後1人来る筈っす。あ、其方のお二方初めまして! クルツ・カーデンです。うちのお嬢様の奇行にはしばらく慣れないと思いますけど、宜しくお願いしまっす!」

 

 頭を下げて挨拶してくる少年に苦笑しながら握手を返すと、楓もサクッと挨拶した。

 

「それでは後は私だけですね。ハリア、アルド様の護衛という大役を任される騎士なのですが……まさか同期にこれほどまでの実力者が揃うとは思ってもいませんでした。若手の中ではそこそこやれる方だと思っていたんですが、こうも格上を見ると聊か自信を無くしてしまいますね」

 

「俺は体も能力も特殊なんで比べない方が良いぞ」

 

「拙者も特殊な出自故、考慮に値しないで御座る」

 

「実際、その年でそれだけの実力を付けているのであれば十分だろう。貴様は良くやっている方だ。寧ろこの2人が異常なだけだ」

 

 ダンはどうやら俺と楓の実力を完全に見抜けているようだ。俺もここら辺の人間の大体の実力は見抜けている。戦闘を職務とする連中は一定以上の強さが身につけば、相手の力を把握するための嗅覚みたいなものが発達する。生き延びる為に必要な能力の一つなので、ここら辺の強さを解りやすく数値化してみるとしよう。

 

 まずは一般人の壁。このクルツ少年がそこにいるだろう。戦闘力皆無か、ちょっと覚えがある程度。強さをレベル表記すれば大体レベル5とかそれぐらいだろう。

 

 次、鍛えられた人間の壁。シェリル、アルド、ロゼ、リアがここら辺。シェリルが15、アルドが20、ロゼとリアが大体60ぐらい。この強さの違いはどれだけ鍛錬する時間があるか、そして環境の違いだろう。リアとロゼはそもそもエーテルの濃い辺境の出身だ、中央の人間よりは強くなりやすい。その上で二人とも才能があるのが良い。シェリルとアルドはまあ、立場を考えればそこまで強くなるために鍛えていないから当然と言えば当然か。寧ろ強すぎるお嬢様がおかしい。

 

 次、プロフェッショナルの壁。ここにティーナが入る。数値化してみると100ぐらい。お前の戦闘力お嬢様としてはおかしいよ。なんだよ、やっぱそのドリル戦闘用なんじゃん……。明らかにクルツ君と逆転すべき数値なので、クルツ君はもうちょっと頑張ってほしい。5って数字は一生を戦闘に関わらない人間の数値だぞ。ちなみに“金属”級がここら辺から入り始めると思っている。頭打ちが多いのもここら辺。

 

 そして才能の壁。ハリアがここに入る。強さを数値化してみると大体160ぐらいだろうか? 才能があり、その上で鍛錬を積み重ね、強くなる手段を模索して限界を超える意思がある奴がここに入ってくる。ここまでくると単純に筋トレとか、武芸とかだけでは限界が出てくる領域だろう。場合によっては残像を残す速度で動いたり、反応速度や無意識を超えた速度を肉体で出してくる連中が出現し始める。どこかしら体を弄っていないと無理な段階でもある。ハリアは布面積の多い服装を着ているから解りづらいが、入れ墨を彫っているのを気配から察している。というかエーテルの動きが龍の目には見えてるので、把握している。単純な鍛錬だけではたどり着けない領域だからこそ、ハリアが相当頑張っているのは解る。

 

 最後に怪物の壁。ここから上は分類するのがバカバカしいという戦闘力。俺、楓、オッサンが見事ランクイン。実力的にはオッサン=俺>楓かなあ、とは思うがそこまで差はなさそうだ。俺達が割と同格で横並びしているからおおざっぱなランク付けが出来ない。ただここがいわゆる“宝石”の世界だ。体が弄られているか天然かは把握されていないが、限界を超えた努力だけではどうにもならない世界だ。才能か、或いは多額の金をかけた強化か、何にせよ突き抜けるだけの材料がないと無理だ。最低ラインが200ぐらいだとして、俺ら3人は大体250ぐらいはあるかな。

 

 こうやって比べると、俺らがどれだけぶっ飛んだ戦闘力の世界にいるのかがわかる。一般人と戦闘を専門として戦う者の差の開きは凄い。科学技術、信仰、伝承、伝説、神話、そして魔法。この世界では強くなるための手段が大量に存在する。それらを組み合わせ、利用する事で人はどこまでも強くなる事が出来るだろう。

 

 例えばこのダンのオッサン。感じられる特殊な資質みたいなものはない。恐らくは身体を施術とかで強化して強くなった上で経験を重ねたベテランタイプの人だ。つまり特殊な才能や資質がなくても金と時間をかけて成功すればここまで上がって来れるという事の証明だ。

 

 俺はそもそも肉体が最初からこの領域にあったタイプで、楓は―――良く解らない。ジャンルで言うなら恐らくは俺と同じようなタイプの人間だと思う。生まれが特殊で改造されてないタイプだろうとは思う。まあ、そこら辺は別段踏み込むような所でもないだろう。

 

「―――ま、これだけ揃ってるならそれこそ禁忌の魔物でも出現しない限りはどうとでもなるだろ」

 

「そもそも危険地帯に行くわけでもないしな」

 

「自分はお嬢様がまた奇行に走らないかどうかで心配なんすけどね……」

 

 それは俺らではどうしようもねぇんだわ、という空気が流れる。ここにいる従者全員、クルツに対しては非常に同情的だった。いや、だって、そうだろ? あんなお嬢様奇行種誰だって相手したくないじゃん。当然の事だと思うわ。

 

 と、しばらく和んでいると、

 

「あー! ごめんなさいすみません遅れましたごめんなさあ―――!!」

 

 聞き覚えのある田舎娘の声がした。視線を入口の方へと向ければ、従者もなしに全力疾走する田舎娘の姿があった。ソ様と似たような名前を持つという罰ゲームを生まれに背負った少女、ソフィアが慌てる様に走り―――転び―――馬車に激突してから軽く転がり、起き上がった。

 

 鼻血を垂らしながら。

 

「お待たせしました!」

 

 自信満々で手を上げて挨拶をする姿に、軽く指を向けて白を使った浄化抹消で鼻血とその跡を消す。それを見てからアルドがうん、と頷いた。

 

「これで全員揃ったみたいだし楽しいピクニックへと向かおうか」

 

 女子ばかり集めたのってお前? やるじゃん。良い趣味してると思うよ。

 

 それはそれとして帰って良いですか?




 感想評価、ありがとうございます。

 従者無しだったらアルド君ハーレムパーティーでしたよこのむっつり王子め。


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犯罪 Ⅶ

「それではよろしくお願いしまっす、エデンさん」

 

「おう、こっちも宜しくなクルツ」

 

 馬車は2台必要だった。当然ながら従者込みで人数はかなり多くなるからだ。貴族が7人、従者は5人、合計12人の大パーティーだ。これで移動するとなると馬車1台では足りなくなってしまう。だからここはそれぞれあまり交流のない相手と一緒に馬車に乗り、交流を図ろうという話になった。その結果、従者は主と同じ馬車に乗る事前提で、割合はこういう風に別れた。

 

 1台目に十歌、アルド、ロゼ、シェリル2台目にリア、ソフィア、ティーナ。何でもこの集まりを開く事にしたのはアルドらしく、そしてこのメンツも政治講義に集まるメンバーらしい。本当であればもっと大きな集まりにしたかったが予定や派閥といった問題もあって集まれたのはこれだけという話になる―――まあ、実質的にアルドが避けられているという話でもある。集まったのは知り合いか、興味がある人か、或いは何も考えてない奴か。どちらにしろアルドの集まりでこれしか集まらなかったのだ、彼の人望の少なさ……いや、或いは王族の継承レースの現状というものが良く見えてくる。

 

 ちなみに上の学年には第4王子もいるらしいので、それが拍車をかけているのかもしれない。何にせよ、そういう政治的な事にはなるべく関わらないのがベストだ。今回に関してはリアは純粋なピクニックとしか考えておらず、ロゼはコネを作るためのいい機会だとみている。取り入るならもっと上の王子じゃないかと思うけどなあ、なんてのは俺の考えだが、ロゼと俺の考えは違うから別の物が見えているのかもしれない。そもそも俺の政治知識は地球由来だ、この世界とは微妙にマッチしない。まあ、口を挟む事じゃない。

 

 リアに粉かけようとした瞬間殺すが?

 

「あ、事前に言っておきますね―――お嬢様がご迷惑をおかけしまして」

 

「もう言うのかぁ……」

 

「いえ、その、何と言いまっすか……ウチのお嬢様は、ティーナさまはその大変エネルギッシュで、エキセントリックで、表現をぼかすとユニークな方でっすのでね? 思い込んだら一直線とも言えるタイプなので、その、割とフィーリングだけで行動するきらいがあるんす」

 

「猪突猛進で非常に気分屋、と」

 

「オブラートッッ!!」

 

 クルツが声を張り上げてから声を落とし、振り返りながら馬車の中を確認する。当然ながら御者は俺とクルツだ。俺が手綱を握っているのは単純に俺の方が体力があって、動物のコントロールに自信があるからだ。貧弱一般人のクルツと比べれば当然、此方の方が体力面では能力が上だからこういう体力を使うもんは俺が担当すれば良いだろう。正面の馬車、1台目の方でどうやら現在御者をやっているのはあの巨漢の執事、ダンらしい。見た目とは裏腹にちゃんと従者としての技能を備えている辺りは流石公爵令嬢に仕えるだけはあるか。

 

 俺の場合、動物に命令して動かしているので、正確に言うと操縦技術ではなかったりする。

 

「まあ、そこら辺は心配してないかなあ、俺は。リアは人と仲良くなる才能がずば抜けているからな」

 

「グランヴィル家の令嬢が、ですか? うーん、確かになんというか……どことなく庇護欲を誘うタイプの方っすよね。なんというか、優しそうな雰囲気を持った方で」

 

「うんうん。惚れたら殺すからな?」

 

「か、過保護」

 

 いや、だが、まあ、リアのこの才能はマジで馬鹿に出来ないのだ。何せ、これまでにリアに対して悪心、敵対心を抱いた奴ってのは見た事がないのだ。これはもう一種の才能って言えるレベルだと思っている。実際、俺とかここまでリアを大事に、執着するとは思わなかったし。誰かを心の底からここまで愛せる様になるというのは中々不思議な感覚でもあるのだ。だからリアがクラスでは不思議ちゃんポジションに落ち着いて見守られている事には割と納得がいっている。

 

 視界を正面に戻して微笑む。

 

 馬車は門を抜け街道に沿って並ぶスラム街を出た。相変わらず景観を乱す酷い景色だとは思うが、抜けてしまえばもう気にしなくてもよくなる。微妙に古びた建造物を背後に街道を進み、ピクニックの目的地である丘を目指す事になる。馬車を引く二頭の馬もかなり穏やかで良い子達だ。これなら特に何か、問題を起こす事もなく到着出来るだろう。都会を離れて自然の中へと向かう……と言うには少々自然が薄いが、人混みから離れるというのは必然的に俺の心を軽くする事だった。

 

 やっぱり大量の人に囲まれるというのは、どうにも駄目だ。こればかりは本能的な忌避感なのかもしれない。前世、完全な人間だった頃はそんな苦手意識が存在しなかったが、今ではちょっとした都会アレルギーみたいなものがある。そこまで深刻なものでもないのだが、それでも集団行動や生活には適さないな……と自分で思えてしまう。

 

「グランヴィル家は辺境出身の家って話っすけど、エデンさんもそうなんすよね?」

 

「あぁ、そうだぜ。辺境は良いぞ。ここみたいになんでも揃ってる訳じゃないし、探し物も中々見つかる訳じゃないし。少し移動すればモンスターだって出てくるし、生活するのだって大変だ。だけどあそこは良い場所だぞ」

 

「聞いてる限りはそこまで良い場所には聞こえないんっすよね……。ですけどエデンさんの顔見てれば中々楽しそうな場所だってのは伝わるっすわ。しかしよく辺境からこんな所まで来ようと思ったっすね。相当遠いっしょ、道中も危険ですし」

 

「道中はそんなに危険でもなかったな。俺がいりゃあ大抵のモンスターは逃げるし。ただ長距離移動ってのは結構疲れるもんだったな。たまーに自分がどっちを進んでるのか解らなくなるのが困ったもんだわ」

 

「あー、あるあるっすね。初めて行く地域とか地図を見てないとわからない奴。ウチのお嬢様がその場合良く適当な方へと突っ走るんで困るんすわ」

 

「そりゃあ困るわな」

 

 それでもそのお嬢様に付き合っている感じ、相当この従者と奇行種の付き合いは長いのだろうと思う。この手の同年代の従者は幼い頃から突き合わせて慣れさせるのが基本だっけ? 一緒に育つ事で忠誠心を刷り込ませる手法があるってどっかで聞いた気がする。何にせよ、ここまで付き合ってくれる従者がいるならあのお嬢様も中々幸せだろう。あそこまで立派に奇行を実行できるのはそういう背景があるのかもしれない。

 

「辺境はいいぞ。一度は行った方が良いぞぉ。中央から来た夢見る若手冒険者の死体がシーズン中は割とみられるぞぉ」

 

「魔境じゃないっすか。ぜってーやだ」

 

 笑いごとじゃないんだが、笑うしかない。まあ、辺境なんて場所相当な理由でもない限り来る必要もないし、出る必要もないだろう。来る人間は来るというだけの話だ。ここでの生活が終わればまた辺境生活に戻る。俺はあの自然が恋しいと思っているが、クルツ少年は違うらしい。

 

「でも不便じゃないっすか?」

 

「不便だよ。そこが良いんだわ」

 

「うーん、解らない……」

 

「解らないだろうなぁ。その不便さが楽しいんだよ」

 

 首を傾げるクルツの姿に笑う。俺は完全なる自然派なので、寧ろこういう都会生活の方がストレスが溜まりやすい気がする。森の中とか、原っぱで動物たちに囲まれながら昼寝をする時が最高に生きてるって感じがして好きなんだよね。問題はそういう環境がこっちにない所で。ここから飛行して辺境に帰るにしてもロック鳥がいないし、飛行しても片道数日という距離だし。

 

 実に遠い場所へと来てしまったと思う。それもまあ、数年の我慢だ。俺の長い命からすれば僅かな時間でしかない。

 

「クルツとティーナ様はどこ出身なんだ?」

 

「自分達っすか? 西方っすよ。海に面した領地を持ってるんで漁業と貿易が盛んで、お隣の大陸とも交易してるんすよね。お蔭でウチは金があって豊かっすよー」

 

「へえ、それは色々と珍しいものがあって楽しそうだな」

 

「お隣さんからやってくる特産品とか、読めない文字の本とか、異種族とかほんと良く集まるっすね。まあ、見慣れちゃえば何時も通りって感じなんすけど。その分商人も集めるからうちは商業が発達してるんすよ。いや、まあ、その分脱税したがる馬鹿も多いんすけど」

 

 何時の時代も商人連中がやろうとする事に変わりはないなあ、と呟き苦笑する。

 

「ウチの所は旦那様が昔気質というか、派手に暴れたがるタイプなんすよ。奥様がそれを何時も窘めてコントロールしている形で、お嬢様は旦那様の気質が完全に遺伝してて瓜二つって言われてるんすよね」

 

「チャリ通学するパパなのか」

 

「通学はしないっすけどチャリで領地見回るタイプの人っすね」

 

 やべぇ、滅茶苦茶見たい。親子2代でチャリオット乗り回してるのか……。もう、そういう一族なんだな……ってので納得してしまう。だけどそう言うアクションを取って見せてくれる領主ってのは領民からすると親しみやすく、そして安心感のある領主だ。ウチの所の領主、サンクデルはそれとは真逆のタイプだ。自分が動きを見せない代わりに、使える人間を最適解で動かす事を目標とするタイプだ。だからサンクデル自身の動きは見えなくても、サンクデルの指示を受けた人間があの広い領地を隅から隅まで管理している。

 

 このティーナ嬢の父親ってのは逆に自分の目と耳で確認しない限り納得出来ず、行動していないと満足できないタイプなのだろう。サンクデルとは絶対にそりが合わなそうだと思った。どっちが有能なのか? という話になると結果が出ている以上はどっちもどっちで有能で優劣はない……としか言葉を濁す事が出来ないだろう。どっちのタイプのが優秀てのはマジで結果でしか見えないのが問題で、どっちも結果を出してるなら優劣はつけられないのだ。

 

「ただ、まあ、最近は物騒っすね」

 

「何かあるのか? 街が丸ごと1個変異モンスターによって感染殺戮起きるとか」

 

「そんな事が起きるわけないでしょ!」

 

 起きたんだなあ、これが。人狼のオーケストラの時の記憶は、良い悪夢になった。お蔭で俺の脳裏に焼き付いて消えない、新たな術式になっている。悲劇を経験すればするほど凶悪で醜悪な術式が増えて行くのはまるで罪人が、咎人が背負うカルマが重みそのままに力へと変わって行くのに良く似ていると思う。

 

「マフィアっすよ、マフィア! 連中商会のバックがあるんで当然のように進出してくるんすよ」

 

「あー、ソッチにもマフィアは出るのか」

 

「お、辺境にもいるんすか?」

 

「いや、その手の連中は辺境来れないから。悪い事すると割とマジで村八分だぜ。世界が狭いから大体全員が顔見知りだし、悪い事してると一瞬で発覚するし。俺達、隣人の変化に対しては敏感だから悪い事してみろ。狭いコミュニティだから一瞬で殺しに行くぞ」

 

「ひえっ」

 

 これはガチ。辺境は環境ハードなんで、悪い事して少しでも足を引っ張ろうとする奴がいると全員で袋叩きにする。だからクスリとかが全く出回らないのだ。これで何か問題があったら村がキレるし、街でやってもキレるし、領主もキレる。環境が割とハードだから協調しないと生きて行けないという部分が強いのだ。よそ者には辛い環境なんだよなあ、辺境。そういう意味じゃあんまりお勧めできる所でもないんだが。

 

「ってそうじゃねぇ、こっちだこっち。スラム街とかの方」

 

「あー。そういやこっちでも流行ってるって話っすね。依存性が低い代わりに馬鹿みたいに飛ぶって話なんで、結構人気なんすよ、クスリ。ただ旦那様は割とそう言うの嫌いなんで、発覚した日にはバックに使ってる商会に突撃して在庫を粉砕したとか……」

 

「うわぁ」

 

 それ、絶対に本社の方から睨まれる奴じゃん。いや、でも証拠抑えたならセーフなのか? 強行突破で問題を解決する領主ってマジでいるんだな、というのは知見になった。それはそれとして、ウチの領地では絶対に真似のできない奴だろう。

 

「あー、話を戻すっすね。なんか最近こっちでマフィアが薬を学生向けに売ってるらしいんすよ」

 

「マジで? 犯罪じゃん。こっわ」

 

「うっわ、似合わね」

 

「は?」

 

「は、反射的に言っただけだから許してくださいよぉ」

 

 別に怒ってないよ、と笑い声を零しながら手を振った。だけどスラム街で見た薬の売人、アイツら学生相手にも商売していたのか。いや、考えてみれば当然の話だったのかもしれない。金のある連中に売りつけたいんだから、当然金のある貴族の子弟が対象に入るだろう。

 

「前々からある問題なのかこれ?」

 

「みたいっすね。スラム街を根城にしている都合上、なかなか手が出しづらいらしいっすよ。支援者の中には高位貴族もあるって話で手が出しづらいとか」

 

 クルツの言葉と共に視線は正面の馬車に乗っているフランヴェイユ公爵令嬢へと向けられる。まあ、恐らくは彼女ではなくその親が支援者なのであろうが、基本的に貴族の罪とは連帯だ。彼女の親が悪ければ彼女自身も悪として見られるだろう。悲しいがそれが現実という奴だ。実際のところ、聞いてみない限りはどういう事かは解らないが、

 

「そっか、学園内でも麻薬が売られてるのか」

 

「そこまではちょっと良く解らないっすね。流石に調べないと解らないっすけど、それでも学生の間でもクスリの話は割と有名になって来てるっすね」

 

「マジかぁ。学園の方はあんまりよらないからそうなってるのは知らなかったな……スラムに行ったら違法娼館を利用してるやつなら見かけたけど」

 

「それはそれで相当な地獄っすよ」

 

 最近の若者は性癖がねじ曲がってるなあ、と呟く。実際の所、クスリの誘惑というもんが俺には良く解らなかった。クスリを使えば気持ちが良い、楽しい気分になれるってのはなんというか……そこまでして使う程のもんなのか? って思わせられる。だけどこういうもんって使わざるを得ない、或いは同調圧力から来るもんだって話をどっかで聞いたことがある気がする。

 

 そうなると、クスリを流行らせている人間がどこかにいるという話になるのだ。

 

 はー、と声を漏らしながら周りの風景に目を通わす。モンスターの気配は―――ない。俺の察知出来る範囲内に入ってきた瞬間、小型のモンスターは命を惜しむ様に全力で逃げ出すからだ。これが辺境だったら一部、俺へと立ち向かってくる勇者がいるのだがこの都会にそういうモンスターはいないらしい。お蔭で整えられた道を馬車は進み、そこから徐々に丘へと向かって整備された道路から整備されていない道路へと移動する。

 

 最初は舗装されていた道も、今では草が生えず、押しつぶされて平坦になった大地と言える形の道に変わっていた。流石に中央とはいえ、どこもかしこも整備されているという訳ではないのだろう。それでもしっかりと雑魚モンスターしかいない辺り、騎士団の殲滅作業はちゃんと行われている。俺とダン、そして楓が常に索敵するように気配を巡らせていても賊の類が引っかからないし、ここら辺は本当に安全なのだろう。

 

 エメロードから離れた所で周りの風景もファンタジーに見る様な道と地平と、緑と青い空―――そんな景色が延々と続いている。

 

 俺はきっと、この景色が好きなんだろうなあ、と思う。都会で豪華な飯を食っている時や、柔らかいベッドで眠る時よりも。こんな景色の中で風を感じながら眠る時がたぶん、満たされる。

 

 ただ、そうやって安寧を感じられる世の中だったらどれだけ良かった事か。

 

「物騒な世の中だなぁ」

 

「そうっすねぇ。悪い事をする人がいなくなればいいんすけどねー」

 

「そうだな」

 

 本当にそうだ。どうして皆、他人にやさしくなる事が出来ないのだろうか。どうして他人を不幸にしようとする奴が出てくるのだろうか。解らない、解らないが……結局、完全なる理想の体現というのは往々にして不可能だと証明されてきている。

 

 だから今ある幸せで妥協するしかないのだろう。

 

「ふわぁ……眠くなってきたな」

 

「あ、じゃあ御者交代しますわ」

 

「頼む。風が気持ち良いんだわ」

 

 手綱をクルツに渡すと両足を組んで、背中を後ろに預けつつポケットからドライフルーツを口に咥える。後ろからはお嬢様方の楽しそうな笑い声も聞こえる……どうやらリアに新しいお友達が出来たらしい。本当に誰とでも仲良く出来る才能の持ち主だと思いつつ空を見上げる。

 

 今日も空の青さは、地球も異世界も変わらない。




 感想評価、ありがとうございます。

 更新頻度を下げて1話辺りの文字数や内容をもうちょっと詰める事にしました。これからの更新頻度は2~3日に1話ぐらいになりますが、これまで同様エデンの旅と龍生を応援してくださると嬉しいです。


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犯罪 Ⅷ

「―――おー、良い場所っすね」

 

 都市から離れてやってきた丘は、大きく回り込む事でその麓へと向かう事が出来るようになっているが、特に整備された場所でもないので、到着したら馬車を適当なところに停めたりする必要がある。ここまでくると都会の喧騒から離れる事も出来るし、モンスター達も命の危機を感じて遠ざかって残されるのは俺達と馬車と動物たちだけだから、大分静かになる。

 

 とはいえ、ここで感じるエーテルの濃度は辺境と比べると圧倒的に薄く、気持ち的には酸素の薄い場所にいる感じだった。都会の人間からすれば都市の中よりもエーテルの濃い場所に来ているから多少過ごしやすく感じるだろうが、俺からすると少し呼吸がマシになる程度の場所でしかなかった。やはり、エーテルの薄い環境は少し息苦しさを感じる―――そこら辺、あのミュージックバー“ジュデッカ”は魔族向けにエーテルの濃い場所になっているので実は過ごしやすかったりする。

 

 まあ、それでも一般的には良い場所に入るんだろう。少なくとも風は心地が良い。

 

 丘の入り口へと繋がる道が途切れると馬車の旅も終わりだ。直ぐ近くには木があり、そして森も見える。だが其方には近づかず、停めた馬車の手綱を木に括り付けて逃走防止とする。まあ、これでも盗賊とかに狙われた時にはまるで意味がないのだが。だからこの手のイベントの時、誰かが馬車の見張りに残るのが基本だったりするのだ。

 

 馬車が停止した所で貴族の皆様が馬車から降りてきて、従者は従者で集まる。手綱は一応最寄りの木に繋いである。

 

「さて、馬車の見張りを決めなくてはならないが他に立候補がいなければ俺が務めよう。シェリルお嬢様の面倒であればハリアが見る」

 

「いえ、実際何度かやっているから良いですけど……出来たら同性に頼んでいただきたいのですが」

 

「あぁ、見張りとかそう言うのは必要ないから安心していいぞ」

 

「ふむ?」

 

 此方に視線が集まる。それを無視して指笛を吹けば、空から数匹の鷹が降りて来る。手を差し出すと一羽が腕に、数羽が近くの木の枝に降り立つ。それをダンたちは驚きの様子で見た。首筋を撫でてあげながらその目を見る。

 

「ほう、鷹を調教してあるのか」

 

「いんや、こいつらは野生だよ。今、初めて会った……よしよし、良い子だ。少しだけここにお邪魔するけど、その間見張りを頼みたいんだ。良いか? 狩りの途中だった? そうか、じゃあこれで手を打ってくれるか? ありがとう」

 

 手持ちの干し肉数枚と交換で鷹たちが仕事を請け負ってくれた。投げた干し肉を嬉しそうに嘴や爪で受け取ると、それを啄みながら馬車の周囲に待機する。

 

「これで何かあったら直ぐに知らせてくれる―――ってなんだよ、その表情」

 

「いや、どう見ても飼いならしたペットのようにしか見えないんすけど」

 

「誠に不思議で御座るよなぁ、エデン殿のその特技は。拙者にしても自然と動物に愛されているとしか表現できないで御座る。街中で動物がエデン殿を見かけると問答無用で近づいて来ては挨拶するものだから、一緒に散策していると中々楽しい光景になるで御座るよ」

 

「ほう、だが便利な体質だ。言葉が解るのか?」

 

「いんや? こいつらだって明確な言語で喋ってる訳じゃないよ」

 

 そりゃあ人間ほど強い理性のある生物じゃないんだから、言語と言えるほどの物はないのだろう。だけどこいつらには意思があるし、魂だってある。

 

「言葉で解り合うんじゃないよ。こいつらの言いたい事、伝えたい事、その意思を指先で触れて感じ取るんだ。そうすれば言葉なんてものが無くても言いたい事、伝えたい事は伝わる。感覚とセンスの話だからまずはこいつらの意思を感じ取る所から始めなきゃならないけど」

 

「それはちょっと難しそうな話ですね……ですけど、任せられるというのならそれで良いでしょう。彼らなら私達よりも遠くを見て、鳴き声で伝えられるでしょうし」

 

 うむ、とハリアの言葉に頷く。頭を軽く撫でてから腕から解放すると、一度大きく飛び上がってから空を数度旋回し、馬車の上に止まって小さく鳴いた。それを見て全員がどことなく驚いたような様子を見せている。唯一慣れているリアとロゼだけは普通―――というかリアはどことなく誇らしげだった。

 

「エデンは凄いのよ。実家に帰ると大量に動物に迎えられるし、狩りに出かけると獲物が目の前に出てくるし、そこら辺で昼寝しようとすると勝手に周囲の動物たちが集まって一緒に眠るのよ」

 

 えっへんと存在しない胸を張るリアの姿にティーナが腕を組んで首を傾げる。

 

「それもう、教祖と信者じゃないかしら」

 

「人がずっと言わなかった事を……!」

 

「いや、まあ、俺もなんかそんな感じしてたけどさ。人が言えない事をズバッと言うな」

 

「おーっほっほっほ! 私、隠し事をするのは苦手でしてよ!」

 

 俺、割と君のキャラ好きだよ。いや、マジで。奇行にはちょっと引く部分もあるけど、それはそれ。このお嬢様、どことなく自分の行動がおかしいという事に自覚はあるっぽい。それでも止めないって事は自分の行動に対して芯を持っているという奴だ。だとしたら中々見られるタイプの人じゃないだろうし、そういうの嫌いじゃないんだわ。ただオブラートに包む事は覚えて。

 

「ま、という訳で心配はしなくて良いぜ」

 

 俺の言葉を肯定するように鷹たちが鳴いた。その様子に少しだけ驚きを見せるも、俺の言動を信じるようで丘を登る道へと進む事になった。ここからは道と言うほどのものは存在しないが、何度も人が歩いてきたルートはある。見た目には草で埋まっているが、一種の名所でもあるから周知はされているらしい。俺と楓も事前に下見のためにここまで来て、場所の確認はしている。なだらかな坂がここからずっと続き、その先が丘の頂上となっている。目的地はそこだ。目印となるのはその頂点にある大きな木であり、その根元の木陰で涼みながら一望できる景色を楽しむのがここでのお勧めらしい。

 

 ここから頂上までのルートには特に隠れられるような遮蔽物も存在せず、解りやすい一本道だ。迷う事もなければここで襲撃を受ける心配もない為、必要以上に気を張る必要もない。実のところ、そこまで気を張って護衛する必要のないエリアでの活動だったりする。そもそもからして、ここはエメロード騎士団の哨戒区域でもあるのだ。定期的に巡回しに来る騎士たちのおかげで治安のレベルは高い。だからこそ名所なんて言われているのだろうが。

 

 ともあれ、ここまで来たのだから歩みに迷いはなく、貴族たちは先に丘の木へと向かって進んでいる。何かあれば即座にカバーや要請に応えられる距離は保ちつつも、邪魔にならない様に俺達は距離をあける。それをリアは少し寂しそうにしているが、貴族とはそういうもんだ。身内のみならまだしも、本物と呼べる貴族たちのいる場所では相応の振る舞いが求められる事を彼女自身が良く理解している。だから引っ張ってくるような事はしない。

 

 そこにちょっとした寂しさと成長を感じる。

 

「しかし、貴様が“白い顎”か」

 

 と、歩いていると横からダンの声がした。何時の間にか横を音もなく歩いていた巨漢の姿に、ちょっとしたやり辛さを感じる。いや、そりゃあ別に自分が最強だとは思わないぜ? でもそれなりに強いとは思っていた。実際、人狼のオーケストラなんてもんを倒せるんだし、それ相応の実力はあると思っている。だがこうやって都会に出てきてぽんぽんと自分に匹敵する実力者が出てくるとちょっと、へこむ。それともここが特殊なだけだろうか。まあ、何にせよ。

 

「俺の事をご存じで」

 

「貴様は良くも悪くも有名だ。いや、正確に言えばヴェイラン辺境伯の方か。あの方は中央の魔境でもやり合えるだけの政治的手腕を持ち合わせている人物だ。そんな人物が新しく重宝している者がいればそれなりに注目が集まるというものだ。それもどことなく意図的に名を売っている部分があれば猶更だ。能のある者であれば貴様と貴様のバックに関してはある程度調べているだろうな」

 

「それもそうか」

 

 まあ、サンクデルは明確に俺を重宝、重用してくれている。俺はこれからも辺境でリアの面倒を見ながら生きて行くつもりだし、その上ではサンクデルの依頼を受けて生活する必要があるだろう。そういう意味では必要な事なんだろうとは思っている。全く無名の者が護衛に居ても舐められるのだから。自分の娘に付ける護衛はなるべく名声があり、実力のある者が良い。

 

 だったら実力のある俺に名声を与えれば良い。

 

 ……という話かな? まあ、サンクデルに聞けば色々と教えてくれるのだろうが、そういうのを考えるのを面倒と感じる辺り俺に適性はない。

 政治はめんどいったらめんどい。以上。

 

「噂には聞いていたが実際に見て実力には納得した。その年で良く鍛えたものだな」

 

「俺としちゃ種族の暴力で割と成り上がってる所を並んでくるオッサンに結構驚いてるけどね。こう見えて俺、上位種族よ? まあ、師にエリシア様がいるって影響もあるんだけど。それでもオッサン、相当体弄ってるでしょ」

 

「こう見えて昔は“宝石”のクランに所属していたからな。いや、それでも下っ端だったが。それでも適切な強化施術などを受ければ俺ぐらいまでは来れるだろう。そこからは完全に才能の領域に入る分、門は狭まるだろうが」

 

「オッサンクラスは珍しくないのか……」

 

 その言葉にふむ、とダンが声を零す。だがハリアは苦笑を漏らし、言葉を添える。

 

「ダンさんの言葉は本当であり、同時に嘘です。“宝石”の域に入ると確かに強さは結構ばらけてきます。“宝石”以上の分別がないのはこれ以上部類を分ける意味がないという意味でもありますからね。ですがダンさんの仰る通り、ダンさんのラインはそうですね……“宝石”の中規模クランの幹部クラスでしょうか? 強化施術には相当お金がかかっていますね」

 

「中規模かぁ……そこら辺は辺境でやってた身としちゃあ良く解らん例えだな」

 

「言ってしまえばまだ代わりが無数にいるラインと言う訳だ。珍しくはあるが、完全に替えが利かない訳でもない。ただ人の範疇としては破格の部類に入る。必然的に貴様もそうだ」

 

「“宝石”規模のクランは基本的に上から下まで全員最高級の強化を受けているのが前提ですからね。その中で実力を左右するのは経験、才能、資質素質、そして純粋な鍛錬で積みあげた力です。ダンさんはその辺りかなり自分に厳しい部類でしょうかね」

 

「俺はそうだな。だからこそ改めて上位種族の能力の暴力というものを目の当たりにして驚かされている―――貴様のその体、強化施術の様な物は一切受けていないだろう」

 

「うむ、一度もメスの入れられた事のない綺麗な体だぜ」

 

「いじげんのはなししてるぅー」

 

 クルツが違う次元の住人を見る様な視線を向け、乾いた笑いを浮かべている。それを見て楓が疑問を覚えたのか、会話に入って来る。

 

「クルツ殿は施術を受けないので御座るか? 此方の大陸ではそうでなくても入れ墨等で身体を強化するのが主流という話を聞くで御座るが」

 

「俺っすか? 無理無理っすよ。戦うのは怖いし、お嬢様が勝手にドリル発射するから無理っす。お嬢様もなんか従者は従者らしく面倒を見る為に仕えろって言ってくるんすよね」

 

「愛されてるなあ」

 

「愛されてますねえ」

 

「愛されてるな」

 

「愛されてるで御座るなあ」

 

「そ、そそそ、そんな事ないっすよ!!」

 

 顔を真っ赤にして頭を横にぶんぶんと振るクルツの様子がなんか新鮮で初々しく、残りの4人でクルツを見てどうしてもにやにやとしてしまう。なんとなくだがあのお嬢様、クルツの事は自分で守るとか考えてんだろうなあ。それが可愛くて面白い。チャリパパはこのことどう思ってるんだろうか。ちょっと推せるぜ、これは。そう思っているとクルツが顔を赤くしながらあー、と声を零す。

 

「それよりもカエデさんっすよ、カエデさん! カエデさんは極東出身っすよね? そんでそこの2人ぐらい強いって事は当然何かやってるんすか!?」

 

「会話の逸らし方が下手で可愛いなあ」

 

「まあまあ、ここは慈悲を見せて話に乗るで御座るが……拙者、体の方はそこそこ特別製で御座ってな」

 

 うむ、と楓は両腕を腰に当てて胸を張る。

 

「拙者、その手の施術は1度も受けた事はない!」

 

 わっはっはと笑う楓の姿にハリアは片手で頭を支えながらふぅ、と軽く息を吐き出す。

 

「世の中ほんと理不尽ですね」

 

「あ、ハリアが闇堕ちしかけてる」

 

「それも仕方がないだろう。天然の“宝石”が2人も目の前にいるんだからな。世界中を探しても生まれから肉体が“宝石”の域にある者―――原石と呼ぶべき者は稀だ。まあ、それでも各国から人が集まるエメロードだ。そういう者も必然的に集まるのだろう。ハリアはもっと金を出して体を弄れ。努力と才能だけでどうにかなる程世の中は優しくない」

 

「高いんですよ、そのランクは……」

 

 溜息を吐いているハリアの姿にまあ、と楓は呟く。

 

「拙者も拙者で大陸の様な方法ではないが、生まれる前よりも準備あって用意された体故、そこそこ中身が違うもので御座る。それ故、比べるのは少々酷というものであろう。まあ、それでもエデン殿の肉体がぶっ飛んで凶悪なのは事実で御座るが」

 

「天然どすえ」

 

 ピースを浮かべると苦笑と笑い声と呆れの声が混じる。まあ、そもそも俺の肉体は神造だからね、人間が用意できるもんじゃない。どこまで頑張っても人間が再現できるスペックと機能じゃないんだから、当然どれだけ強化施術をしようとも無駄だ。俺の肉体は完成されているが、同時に成長途中でもあるのだから。

 

 

 生物として完成されていながら成長途中って、設定として相当欲張りだよな……なんて思うが、生物として創造されたのだからある意味当然の機能なのかもしれない。まあ、深く考えたところでソ様は答えてくれないので考えるだけ無駄だ。

 

「というか極東にもその手の技術あるんだなぁ。やっぱ大陸とは違うん?」

 

「結構違うで御座るよ。大陸と共通なのは入れ墨による効果付与ぐらいで御座るな。後はまあ、祖霊を降ろしたりとか八百万の神々を降ろしたり、聖遺物を体に埋めたり色々とあるで御座るな」

 

「文化が違うなあ」

 

 強くなる事一つをとっても地域で色々と変わってくる。結局、楓は体が特別製という話だったが、具体的にどうという風には触れる事はなかった。まあ、別にそこまで追求する内容でもない。だからそこで話は切り上げ、正面へと顔を向ければ何時の間にか丘の頂上は目前にまで迫っていた。貴族グループの方も楽しそうに木の方へと向かっており、その木陰に、隠れる様に一団がいるのが見えてしまった。

 

「あちゃあ、先客がいたか」

 

「まあ、名所だからな。被りがあるのは仕方がない話だ」

 

 丘の上にある大きな木、その木陰に隠れる様に一団が眠るように倒れていた。此方はランチタイムに合わせて集まっていたが、朝から居たのだろうか? 大人しく木陰で眠るような姿を見せるのは学生の一団だ。眠っているなら特に問題もなさそうかなと思い―――。

 

「楓」

 

「拙者は護衛に回ろう」

 

「俺も行こう」

 

「では私は残ります」

 

「え? あ、うん。残っておきます」

 

 ハリア、楓とオマケでクルツが貴族組に素早く接近し、その間に異変を察知した俺とダンが壁を超えた者特有の速度で一瞬で地を蹴り木の根元に到達する。足元には眠るように転がる男女数名の姿。まだ若く、年頃は15,16程に見える。整った服装から貴族であるのが解る。それが数名、俺とダンが接近しても気づく事無く眠り続けている。

 

 いや、眠っている様に見えるだけだ。

 

 近づいた所で女性の1人に膝を折って手を伸ばし、首筋に手を当てる。同じようにダンが男性の首に手を当て、口を開く。

 

「脈がない」

 

「此方もだ―――死んでいる」

 

 他の女性の脈も俺が確認し、ダンが残りの男性を確認する。だが結果は同じだ。死んでいる。眠っているのではなく死んでいる。全員、眠るようにここで死んでいた。それを確認しながら立ち上がり、頭を横に振る。

 

「ピクニックは中止だ」




 感想評価、ありがとうございます。

 更新が1日1回だと義務感がありますけど、更新が数日に一度だと適度に息抜き出来て楽なんですよね。


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犯罪 Ⅸ

 男性3人女性5人。それがこのグループの内訳であり、ダンと2人で全員の脈を確認した。だが結果は変わらず、全員が眠るように死んでいた。流石にその光景を見せる訳にも行かず、主たちにはいったん、木の反対側で待機してもらう事になった。その間にこの手の事に覚えのある俺、ダン、楓が調査を進め、ハリアに護衛、クルツに細かいサポートや世話を任せる事にした。死体を男女別で並べた所で一歩離れ、腕を組みながら3人で死体を眺めた。

 

「―――何をどう確認しても死んでいる。脈拍なし、体は冷えている。死亡してからそこそこ時間が経過しているって事の証拠でもある。そしてパッと見た感じ、争った形跡も血の臭いもしない。外傷は見える範囲には見当たらない」

 

「顔に覚えはないが恐らくはエメロードに通っている学生だろうな。見る限りは1年か2年生辺りだろうが……外傷が見えないって辺りが臭いな」

 

「恐らくは毒で御座ろう。問題はなぜ、という話になってしまうが」

 

 楓の言葉に同意するように頷きつつ膝を折り、死体の一つ、女性のものを見分する。まだ世の中に絶望するには早すぎる年齢だし、首筋や顔を見る限りは暴力を受けたような形跡はない。指を握って確認してみれば指先は綺麗で、職人の指の様には見えない。汚れていなければ、ダメージもなく、苦労していない人間の指であるのが解る。掌にもたこがないから武器を握るタイプの人間でもない。靴も少し動きづらいヒールというのがおしゃれした感じがある。流石に見える範囲だとこれぐらいか、と呟き、そのまま見分を進める為に服の中に手を突っ込んだ。

 

「おい」

 

 いきなり服の中に手を突っ込んだ俺に対してダンが声を出すが、

 

「流石に見える範囲だけで何か解る訳でもないし、確認しなきゃならんだろ。何らかの呪術か魔法の痕跡でもあるかもしれないし」

 

「少しは躊躇しろ」

 

 そう言いながらダンも男性の死体のボディチェックに入る。楓はその間周囲の警戒を継続している。実力の近い人間が一緒にいると非常に作業が捗るなあ、と思いながら首、体、胸、背中、腹、腰、陰部、太もも、足と体を上から下まで服を軽く剥きつつ確かめて行く。なるべく死体を傷つけないように、汚さないよう、服を破らない様に気を使わないといけないのが地味に面倒なのかもしれない。何せ、このあと死体を遺族へと引き渡さないといけないのだから。

 

 ともあれ、ボディチェックを素早く済ませたが体に外傷の様な物はやはり、見当たらなかった。その代わりにこの人たちが外傷もなく、穏やかに死んでいるという異様な事実だけが残された。明らかに何かがおかしいのだが、もうちょっと調べないと答えも出てこないのだろう。今度はポケットの中を確認したり、近くにある鞄の中身を確認する。

 

 と、そこでダンが声を上げる。

 

「これを見ろ」

 

 そう言ってダンが引っ張り出したのは白い粉の入った袋だった。

 

「クスリで御座るか」

 

「まあ、このパターンだと毒かクスリってなるけどクスリかあー」

 

 溜息を吐いて頭を抱える。ここでクスリが出てくるなんて考えもしなかった。だが更に荷物を調べてみれば、他には身だしなみを整える様なもんしか出てこない。じゃあなんだ、こいつらここでカクテルパーティーでも開催したかったのか? もうちょっとクローズドな環境でそう言う事しません? 何がとは言わんが、ちょっとこういう場所でおっぱじめるの正気じゃないと思うよ。いや、性癖は人それぞれだとは思うけどさ。それでもやっぱり開いている場所でドラッグ使ったお遊びは絶対に止めた方が良いと思う。

 

「事件性があるかどうかはまだ解らんが……ついにヤクで死人が出たか」

 

「今までは死人が出なかったのか?」

 

「いや、そういう訳ではないが。学生相手にこの手のクスリが売られるという事がほぼなかったというだけだ。だからこそあまりいい顔をされなくても放置されていた筈だ」

 

「実害が出れば話は変わる、か」

 

 今までスラムでのみ蔓延していた薬がついに都市部、それも学生をターゲットにし始めた―――それは明確な都市への侵略と害だ。これを理解すれば流石に騎士団や、犠牲になった貴族たちの遺族が黙ってないだろう。スラムに対する何らかの行動か、或いはペナルティが見られる筈だ。このスラムを守っているのがシェリルの父親だとしたら……フランヴェイユ家にも何らかの被害が及ぶだろう。それともそれ込みでの進出か? いや、エメロードをヤク漬けにした所で得をする様な連中なんてそれこそ売ってる連中だけだ。

 

 基本的にクスリで身を持ち崩して得られるメリットなんてメリットとは言わないんだ。だからこそクスリってのは悪なんだ。

 

「うーん、解らん」

 

「ま、細かい事は拙者らの考える事では御座らん。餅は餅屋に任せるのが世の常、素直に騎士団へとこの案件を引き渡すのが宜しかろう」

 

「だな。素直に主とその警護の事だけを考えれば良いだろう。騎士団を召喚して、引き継がせたら都市へと帰ろう。残念だがしばらくは都市外へのピクニックは禁止になるだろうがな」

 

「ま、しゃーないわな」

 

 溜息を吐く。久しぶりに開けた場所で昼寝でもするチャンスが生まれると思ったのに、まさかの展開によって台無しである。個人的にもちょっと楽しみな部分はあったのでこういう結末を迎えてしまうのは非常に不本意だが安全を考えるとなると仕方のない事でもある。外傷もなし、クスリは見えてる。だから間違いなく死因はそれなんだが、

 

 改めて眠るように死んでいる男女の姿を見て、違和感を覚える。

 

 ……本当にそれだけか? いや、まあ、クスリが原因で心停止となるパターンというのは解る話なんだが、寝ている連中の姿があまりにも綺麗すぎないか? この後お楽しみタイム予定だったとしても身綺麗すぎるというか―――衣服の乱れが薄すぎる。その上で何の痕跡もなく死んでいるのは違和感が強い。とはいえ、状況証拠的にクスリで死んでいるのは間違いないだろう。これ以上調べるには遺族の許可を貰って胃の中を調べるしかないだろうが、恐らくそれは無理だろう。だからこの話はここで終りだ。

 

 これ以上自分の身分で出来る様な事はないし、する必要もない。だからこの事件はここで終わり。

 

 

 

 

 ―――と、そういう風に物事は終わらなかった。

 

「アルド殿下。貴方には殺人、また麻薬をエメロード学園内部で販売した疑いがあります。同行お願いします」

 

 エメロードに帰還し、都市部に入った瞬間待ち構えられた騎士団によって止められた馬車が受けた言葉がそれだった。騎士団がそうやってアルドの前に立ちはだかった瞬間、馬車に乗っていたアルドが顔を顰めた様な気配を見せる。

 

「成程、兄上の仕業だったか……解った、同行しよう。ただし他の方々は通してほしい。私の派閥の人ではないからね」

 

「申し訳ありませんが、他の方々も殿下の疑いを晴らす為にも同行が求められています」

 

 その言葉に、アルドは苦虫をかみつぶしたような溜息を吐くのが聞こえた。それはタイミング的に完璧だった。ピクニックを中断して都市へと戻って来た所、騎士団へと貴族たちの死体発見を報告する前、魔法によって現場の保全を保った程度で離れて戻って来て直ぐの事だった。無論まだ騎士団に事件の事を話せていない状態だ。この状態でアルドを捕まえた場合、まるでアルドが犯人の様に見えるだろう。その上で一緒に居る人間を纏めて捕まえようとするのは不利な証言を封じる為か。

 

 やべぇ、詰むわこれ。

 

 留められているのは先頭のアルドが乗っている馬車で、騎士団の視線や集中は其方へと向いている。此方へも多少の騎士団が向けられ、逃亡を封じているが甘い。俺やダンレベルであれば当然のように逃亡出来る程度の包囲だ。そしてここで誰かが突破しなければたぶん、このまま詰むか? リアとロゼを連れて逃げる程度だったら当然出来るが、その場合間違いなく悪評が付きまとうだろう。

 

 めんどくさい政治のゲームに自分がまきこまれた事を自覚する。これだから王族なんてブービートラップに絶対に触れたくなかったんだ。関わるだけ人生のロスに繋がっている。入学早々、こんなトラブル経験したい訳じゃないのだから。

 

「―――解った、同行しよう。私のへ疑いが誤りである事はワイズマン卿が明かしてくれるだろう。天に誓い私の発言に偽りがない事を確約しよう」

 

 良く聞こえる声で宣告すると騎士団の担当者が馬車の御者を交代するように指示してくる。それに伴い近くで待機していた騎士団の者が近づいてくる。

 

「申し訳ありませんが、大人しく従ってください……お願いします」

 

 ぎろり、と一度睨んでから御者の座を降りる。それを見た騎士が胸を押さえて息を吐き、手綱を握った。その間に俺は馬車の中へと移動し、リアの隣へと向かうと足を組んで座った。

 

「犯人見つけたら絶対に皆殺しにしてやるからな」

 

「うわ、エデンさん物騒っすね。っすけど、騎士団への暴力は駄目っすよ。どこの子飼いが担当してるのかは解らないっすけど、基本的に騎士団ってのは国家権力っすから。騎士団のどの部署への攻撃も国への反逆罪が適応されちゃうっすからね」

 

「それにアルド様のバックに居られるのはワイズマン卿ですわ。心配しなくてもこのエメロードにおける政治的手腕は最高のものですから、直ぐに疑いを晴らしてくださるでしょう。気にせずにおくのが一番ですわ」

 

「あぁ、やっぱりあの学園長がバックにいるのか」

 

 はあ、とため息を吐くとリアに頭を撫でられ、馬車が騎士団預かりとなって動き出す。向かう先は恐らくエメロード内にある騎士団の拠点だろう。リアに頭を撫でられながら暴力で解決できない出来事が起きてしまうのはどうしてだろうなあ、と溜息を吐いてしまう。

 

「ですがこれは明確な殿下への攻撃ですわね。タイミング的に見ても間違いなく殿下の行動を把握した上での差し金……恐らく学園内に殿下への敵対派閥か間者がいて、それを利用した形ですわね」

 

 ドリルお嬢様がそんな真面目に考察を口にすると違和感すげぇな、と思いながら頷く。だがソフィアは首を傾げる。

 

「えーと、ティーナさん、ティーナさん。アルド殿下は確か第5王子で、玉座からは遠いんでしょ? ならなんでこんな事をするんですかね。ほら、なんというか、アルド殿下の足を引っ張ったり失脚させる事に特に意味があるなんて思えないんですけど?」

 

「それは違いますわ」

 

 ティーナが否定する。

 

「玉座を欲する者からすれば可能性の芽は出来るだけ潰しておきたいのですわ。エスデルは伝統的にそこまで過激ではありませんが、他国で玉座レースともなれば暗殺は基本のデスレースですわよ。失脚程度で済ませるエスデルは本当に平和で、甘いとさえも言われていますわね。まあ、エスデルの王族は昔から善性の強い人物ばかり輩出しているので、処刑や排除までせずとも大人しくしてくれているという部分がありますが」

 

「えぇ……王族こっわ」

 

「というか貴族としては割と普通だと思いますわよ。エスデルはやっぱり教養がある分素直に殺すよりも失脚とかの方を好みますからね。こんな風に罠に嵌められ嵌め返すのが日常だとか。アルド様は……まあ、程々に玉座に近く、程々に才能があって、程々に脅威になるから“まあ、とりあえず弱点作っておくのが丸くない?”みたいなノリで嵌められてる可能性がありますわね」

 

「ふっわふわですね王族ゥ!! それで本当にいいんですか!?」

 

「いや、でも割と敵対しそうだし、脅威になりそうだからゲーム盤から除外するというのは結構アリな手段ですわよ? 私の父上もとりあえず悪人を見たら轢いとけって言ってますし」

 

「チャリ所持前提での話止めません? 誰もがチャリを持ってると思うなよ!」

 

「あ、こら! そこ引っ張るの止めなさい! ドリルが……私のドリルが第二段階へと変形してしまうでしょ!」

 

「え、なにそれこわい」

 

 ティーナのドリルを引っ張っていたソフィアが一瞬で馬車の反対側へと逃亡し、俺の背後に隠れた。そのドリルに第二形態があるとか別に知りたくなかったなあ……なんて思いながらため息を吐く。ティーナの言う事が本当なら、たぶんアルドに対する攻撃は周辺にいる自分達にも及ぶのだろう。アルドに協力するものはこうなるぞ、という軽い見せしめにするつもりなのかもしれない。それに巻き込まれる側はたまったもんじゃない。

 

 はあ、と溜息を吐いて馬車の外へと視線を巡らせる。騎士団の監視の下詰所へと向かうが……ここからは尋問が始まるんだなあ、と思うと憂鬱だ。巻き込まれたリアとロゼをどうやって助けるか、リカバリーを図るのか。その事を考えないといけないと思うとひたすら頭が痛くなりそうだ。

 

「エデン、大丈夫? 私は別にそこまで気にしてないよ? 別に変な疑いをかけられた所で実家に帰るだけだし」

 

「私には致命傷なんですのよねぇ」

 

「はいはーい! 私のキャリアが死ぬと実家で待ってる家族が飢えまーす! はーい! はーいい!」

 

「まあ、旦那様はそこまで気にしないでしょうけど……いや、あの方の事だから王城まで殴り込みに行きそうだな普通に……」

 

「やべーなこのドリル一族」

 

 もしや相当レベルの高い狂人なのでは? そう思い首を傾げてから笑い声をリアに聞かせ、笑みを見せる。何にせよ露骨に滅入っている姿をこの娘に見せたら心配されてしまう。そこに気を遣わなければならないだろう。

 

 ……とりあえず、この後どういう対応が来るかでここでの動きが変わってくる。

 

 最悪、抜け出して辺境に援軍を呼ぶ。サンクデルなら恐らくこの問題に対処するだけのパワーがあるだろう。

 

 今はとりあえず見る事に徹する以外の選択肢が俺達にはなかった。

 

 嵌められた時点で既に後手に回っていたからだ。

 

 政治の世界、その魔物は関わりがある、それだけを理由に理不尽に喰らいに来ている。どれだけの武力があろうとも、この分野で求められる力とは違う―――そういうものを理解させられた。

 

 憂鬱を振り払うように何とか何時も通りを演じていると、馬車はやがて目的地である騎士団の本部までやってくる。ここからめんどくさい尋問が始まるんだろうなあ、と思っていると、

 

「―――さて、諸君。君たちは一体誰の許可を得てこんな事をしているのかな? ん? まさか、騎士団であるからと言って問答無用で拘束する権限があるとでも思うのかね?」

 

 声が馬車の外に響いた。驚くような表情を貴族たちが浮かべる。俺の知らない声だが、強い神秘の籠った気配は感じられた。馬車の窓、その外へと視線を向け、正面、馬車の進路をふさぐ様に立つ存在を見た。

 

 それはローブを纏った1人の老いた森人の姿であり、その場の騎士団の誰よりも強い気配を持つ人物。

 

 即ちこの都市の長ワイズマン、アルドの後援者である学園長その人だった。

 

「さて、私の可愛い生徒たちを解放して貰おうか―――ああ、言いたい事があるなら無論、受け付けるとも。数百年積み重ねて来た私の弁論に勝てると思うのならね」

 

 一番会いたくない人物が、最も頼りになるタイミングで出て来た。そう、いっそ美しい程のタイミングで。

 

 それを俺はどうしようもなく嫌だなあ、と思ってしまった。




 感想評価、ありがとうございます。

 当然だけどアルド、シェリル、そしてドリルも政治的な判断が出来るように育てられてます。なので政治的判断が出来る筈です。穴があるのは単純に作者のミスだよ。

 政治はね、複雑だからなるべく書きたくない上に描写すると無限に沼になるんだ。出来るだけ政治パートとかはぱっぱと済ませたいね……。


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犯罪 Ⅹ

 ワイズマンが登場したからと即座に釈放されるという訳ではなく、一度は騎士団の詰所まで連れていかれた。騎士団としても体面はあるという話であり、この話において騎士団もまた一種の犠牲者であったという話なのだろう。だから形だけ詰所に連れていかれたら、そこからは爆速釈放という運びになった。エメロードの学園長の力によって俺達は自由を得た。これにてこの件はめでたくおしまい。

 

 ―――という事にはならない。

 

 騎士団詰め所を出た俺達はそれからエメロード学園へと向かい、全員揃って学園長室へと案内された。執務机の向こう側、大きなアームチェアに座るワイズマンに対して学生たちは来客用のソファに座り、俺達はその周辺に立って待機していた。人数が多い事もあって室内が少々手狭に感じる部分もあるが、内緒話をするという前提で物事を進めるとなるとこれも仕方のない事だった。

 

 俺は集団からやや距離を空け、壁に背を預ける様に寄りかかりながら物事の推移を眺める事にしていた。このワイズマンと言う男と、そして支援されているアルドを信用していなかったからだ。アルドの誘い、龍と言う単語を口にした事、そしてワイズマンがタイミングよく現れた事実。俺はなんならこれそのものがワイズマンとアルドによる共謀だったと言われても驚かないだろう。政治家って奴はそういう事をする。俺はそれを良く知っている。そしてそれに関わってしまった者の末路が悲惨である事も理解している。だから警戒心を絶対に崩す事無くワイズマンから距離を取っていた。

 

 場合によっちゃこいつらは敵だろう、と内心で認識していた。

 

 この地でリアとロゼを守り切れるのは俺だけだ―――その認識が俺の警戒心を上げていた。

 

 そして現在、ワイズマンは安堵しながらもどこか頭を抱える様な様子を見せていた。

 

「君たちが無事で良かった……まさか私の生徒が死んで、殺人の罪を着せられるとはな。正直ここまで強硬手段で来るとは思いもしなかった、というのが私の本音だ。そして君たちにも申し訳ない事をしてしまった、私の監督が甘かったせいでこの様な事態に巻き込んでしまった」

 

 本当に困った、という姿を演技でもなくワイズマンは見せている……そこに偽りはない。少なくとも演技だったらどれだけリアルであっても、騙りの気配を龍の目を通して認知する事が出来るだろう。それが見えないという事はワイズマンの言動に嘘はないという事だ。

 

 そんな事あり得るかあ? なんて事を考えながら部屋の隅で会話に耳を傾ける。

 

「いえ……ワイズマン卿が来なければそもそも私達は拘束されたままでしたし」

 

 シェリルが労るように言葉を口にし、それにソフィアが頷いた。

 

「そうですよ学園長。学園長が来なければ多分拷問とかされてたんですよ! こういう時はアレだって聞いてますし! なんでしたっけ……そうそう、エロエロ騎士団! こう……えっちな拷問されちゃう展開だったはずですよ!」

 

「この国の騎士団のモラルは高いからそういう事はないと思うよ……」

 

 拳を作って力説するソフィアに対するアルドのツッコミが入り、空気が少し緩む。死体を見てからどことなく緊張していた学生たちの空気が解れる。それで完全に安心した訳ではないだろうが、それでも少しは気が楽になったのだろう……そういう会話が出来る場所に来たのだ、と。それを見てワイズマンも頷いた。

 

「私がいる間はそのような事は絶対にさせないし、冤罪で生徒を逮捕させる事なんて絶対にはさせないから安心すると良い」

 

「……でしたら、どうしてあれほど早く反応出来たのか、教えてくださっても宜しいでしょうか?」

 

 ワイズマンの反応と言葉に切り込んだのは十歌だった。その十歌の言葉にロゼが同意するように頷いた。

 

「そうね……別に疑う訳ではないんですけれど、ワイズマン学園長の出てくるタイミングは良すぎました」

 

 それこそ元々こうなる事を知っていて行動したかのように、とは続けない。だが言いたい事は解るわよね? という視線はある。確認するように俺へと目配せする辺り、考えている事は大体俺と一緒である様だ。実際の話、これがアルドとワイズマンの共謀だった場合、巻き込んだリアたちをなし崩しで自分の派閥の人間だと周囲に思わせる事が出来るし、今回の件でワイズマンに借りを作る事にもなるだろう。ワイズマンの行動は、言ってしまえば都合が良かった。言葉を変えてみれば一連の流れが綺麗すぎた。それを十歌とロゼは言外に指摘していた。

 

「ちょっと、学園長に失礼ではなくて!」

 

「アルド様へ対するそのような疑い、許しませんよヴェイラン」

 

 即座に睨むシェリルとティーナ、心情的にも立場的にもアルド・学園長側だというのがそれで解る。ここにある集まりの、力関係というか立ち位置的な物がちょっと見えて来た所で、あ、とアルドが声を零しながら腕を組み、うーんと唸る。それを見てワイズマンが髭を軽く撫でる様に目を細めながらうーん、と唸る。それを見て俺達の間に何か、妙な空気が流れ始める。

 

 なんだろう、何かが空回っているような、そんな感じがする。

 

「いや、まあ、うん。派閥だね、うん。一応あるにはあるんだけど……ねえ、学園長?」

 

「まあ、うむ」

 

「そこら辺はっきりしてくださりません? 見てくださいよリアを。政治の話になるからお眠になっちゃったでしょ」

 

 視線がソファに座っているリアへと向けられる。先ほどからずっと続く何か探ったりする会話の中で、完全に考える事を放棄して眠そうにしている。というかロゼの肩を借りて眠ろうとしていた。その姿を見て俺はうんうん、と頷く。

 

「流石はグランヴィル……駆け引きや政治に欠片も興味を示さない。しかし、これで家の方は大丈夫なのか」

 

「まあ、そこは俺が暴力で解決したり、ヴェイランに守って貰ったり。暴力で解決出来る事は俺とエドワード様で全部轢き潰すから」

 

「確かにそれはどうとでもなりそうだな……」

 

 直ぐ近くのダンとひそひそ話をしていると、そうだね、とアルドが言う。

 

「―――では、私の話をしようか。ちょっと恥ずかしくも面倒な話を」

 

 

 

 

 ―――第5王子アルド。

 

 上から見ると中途半端で、下から見ても中途半端な序列。王を目指すには上が厚く、そして諦めるには高すぎる。程々のポジションで生まれたアルドの人生は期待と諦め、その両方が乗っかる形で始まった。つまり優秀であれば継承レースに名乗りを上げる権利を取得する事が出来るだろうが、そうでなければ自然と名前が消え去るだろう。そういう微妙なラインに生まれて来たアルドの人生は本人をして、面倒だったと言えた。だがこの時点でアルドは王の座を諦めていた。

 

 何故ならアルドの兄たち3人は非常に優秀だったからだ。

 

 非常に知恵に富み、首席でエメロード学園の法学部を卒業した第1王子のアルベル。

 

 武芸に長け、騎士団や軍部に人気のある第2皇子のイーゼル。

 

 そして商業に力を入れ、国力の発展を目指す第3皇子のコクロス。

 

 それぞれ、分野は違えど非常に優秀であり、またエスデル人らしく温和で優しく、家族を大事にする人達だった。3人全員が王座を目指すものの、互いに恨みや憎しみの様な物は存在せず、王の座を目指す上ではライバルでありながらも、決して貶す様な事はしない―――敗北すればそれを認め、次代の王を支える事を誓い合った兄弟達だった。その姿にアルドは自分の居場所は存在しないと早々に悟り、第5王子として国にどうやって貢献できるのか、どうすれば自分にしか出来ない事が出来るのか、という事を模索し始めた。

 

 既に第4王子も継承レースを放棄し、国外の姫と婚姻を結ぶ事を考え行動していた。アルド自身も何らかの才能をエメロードで見出す事で国に貢献しようと考えていた。それほどまでに3人の王子達は優秀であり、次代は約束されている。

 

 ……と、思われていた。そう、この話はここで終わらない。物事はここから面倒になってくる。

 

 つまり3人の王子が豹変したという話に変わるのだから。優しく、聡明で、強い王子達。彼らは変貌する―――まるで権力に取りつかれたように、数多くの国家と歴史が見せるかのように権力への欲望を見せた。即ち、継承権争いの激化。まるでそれまでの仲の良さが嘘のように策謀、謀略を巡らせ互いに追い落とし始めた。

 

 継承権争いとは無縁に思えたアルドもこの激化に巻き込まれた。それまではほぼ無関係だった場所にいたアルドも、3人の誰かが落ちれば代理に、或いは敵になる可能性のあるポジションに落ち着いてしまう。その結果、アルドは3人の中では優先順位は低くとも潜在的な敵として認識された。

 

 その頃、継承権争いの激化を察した側室であるアルドの母は旧知であるエメロード学園長、ワイズマンに息子を守る事を頼んだ。そもそも継承レースに参加するつもりもなかったアルドは派閥らしい派閥を持っておらず、最初は期待していた者達もアルドがレースに興味を示さない事を知ってからは離れていた。その為、暗躍する王子達に対する防備がなかったのだ。その為、権力と力のある知り合いとしてワイズマンが呼ばれ、快諾された。

 

 ワイズマンは自身の体を構成する枝の一部をアクセサリーとして加工し、それをアルドへ持たせる事でアルドの動向を常に監視する事が出来た。これを通してワイズマンはアルドの護衛をハリアとは別に行っていた。今回ワイズマンが即座に今回の件を察知出来たのはそれが理由でもあった。しかしこの手の干渉は初めてのものではなく、暗闘はしばらく前からずっと続いている。アルドが継承権を放棄すればすぐに終わる問題ではあるものの、アルドの下には弟や妹たちが存在する。アルドが継承権を放棄した場合、兄たちの矛先が下の弟妹たちに及ばないとは言い切れない。

 

 だからアルドは自分が矢面に立つ事を決めた。玉座を求めれば人材と資本の差で一瞬で圧殺されるだろう。だが継承権を放棄せず、デコイとして弟妹の前に立つ事は出来る。それがアルドが王子として選んだ道だった。このことを知っているのはアルドの母とワイズマン以外はハリア、そしてシェリルと彼に協力する数名だけだ。圧倒的な出遅れの為にアルドに味方してくれる人材が全く存在しなかった。

 

「―――と、いう訳で……恥ずかしい話だけど今回の、彼らの死はたぶん最初でしかなくて、最後にはならないと思うんだ」

 

 アルドは申し訳なさそうに言う。

 

「兄上たちの豹変の理由は解らない。だけどこの玉座を巡る戦いは後数年は続くだろう。そしてその数年が終われば誰かが玉座につく。そうすれば兄上たちも落ち付く筈なんだ。少なくとも、私はそう信じたい……昔見た兄上達が、玉座についたからと家族を処刑するなんて、とても思えないんだ」

 

「……」

 

 アルドの話を聞き終わって、俺は正直な話、ちょっとコメントと反応に困っていた―――こんな話を聞かされてどうしろ、って事だ。とはいえ、それはアルドなりの巻き込んでしまった事に対する誠意という奴だったのかもしれない。確かに、説明しない限りはアルドが何らかの謀略を働かせたように見えるだろう。

 

 実際のところ彼は被害者で、ずっと味方を探して頑張っていたという形になるが。

 

 ……となると、俺に話しかけてきたのも必死に味方を求めての事だったのかもしれない。

 

「成程、話は分かりました」

 

 アルドの話を聞き終わり、十歌は頷いた。

 

「事情は把握しました―――ですが根本的な問題は解決されてません。私達を犯人に仕立て上げた人物がいます。私達の汚名、それをどのようにして挽回するおつもりなのでしょうか?」

 

「無論、私の方で真犯人を探すつもりだ。犯行内容を見る限り、犯人はエメロード内部にいる。学生に接触できる人間は限られている。まずは時間はかかるかもしれないが、それでも確実に名誉を守ろう」

 

 ワイズマンの理知的な言葉に十歌は成程、と頷き頭をそれから横に振った。

 

「ですがそれでは遅すぎます」

 

「遅すぎる?」

 

「はい。時間がかかっては逃げられるかもしれませんし、これが誰の犯行かは解りませんが相手は武士の顔に泥を塗ったのです。主犯、黒幕が誰かは存じ上げませんが―――生かしておけません。殺さなくてはいけません」

 

 満面の笑みで言い切る十歌の言動に、室内が凍り付いた。それに唯一笑い声を零すのは楓だけだ。

 

「はっはっは、流石十歌様で御座います。武士たるもの、無礼(なめ)られたら終わりに御座る。無礼た奴は殺さないとならんで御座るなぁ。でないと名誉が守れませんからな!」

 

「えぇ、確実に殺し、血で泥を濯ぎませんと」

 

 楓の言葉に頷く十歌は一切、冗談を言っているつもりはなかったらしい。つまりそれが極東のスタンダード、普通の考え方。お嬢様っぽい十歌でさえこうなのだ。この世界の極東の武士はこんな考えで行動するらしい。

 

「極東こわ……」

 

 クルツの呟きが室内の意見を代表していた。

 

 だけど、まあ、十歌の言っている事は間違いじゃない。時間がかかればかかるほど相手が勢いづくし、何よりも貼られたレッテルが剥がれ辛くなる。特に俺にとっての問題は、何もしていない我がぽやぽや姫の名誉が血塗られる事だ。この娘にそういうタイトルは似合わないのだから。だから俺がすべきなのは即座にその汚名を返上する事。名誉をどうにかして挽回する……恐らく数日でアルドと一緒に居た皆の名が殺人犯として出回るだろう。

 

 その前に真犯人を、悪い奴を見つけなければならない。

 

「心苦しいが、そう簡単には―――」

 

「ですが、敵は―――」

 

「待ってください、元はと言えば―――」

 

 段々と室内の話がヒートアップしているのを肌で感じる。事情は分かった。だけどお互いの立ち位置が不明。これからどうなるのかが良く解っていない。リアは寝ている。言葉にした不安としていない不安がこの部屋で渦巻いており、それを宥めようとする前にヒートアップしているのを感じる。

 

 どうしたもんか、何が出来るのか。

 

 悪い奴をぶっ飛ばすだけで終われば世の中楽なのになあ、と思って。

 

「あ」

 

 と、唐突に思いついた。横で様子を伺っていたダンが此方に視線を向けて来た。

 

「どうした白い顎」

 

「いいや、思ったんだけどさ」

 

「ああ」

 

「結局真犯人がだれであれ―――麻薬を販売している大本がマフィアなら……連中が一番怪しくて悪いんだし、アイツらを真犯人にすれば良いのでは?」

 

 ダンは数秒考え込む様に上を眺めてから視線を降ろした。

 

「貴様、賢いな」

 

「でしょ」

 

「ほほう、つまりマフィアの親玉を責任の追及先として襲撃すれば良いんで御座るな??」

 

 戦国ルール全開の楓の発言に俺とダンは腕を組んだままもう一度天井を見上げ、そして数秒後に視線を戻した。

 

「それでいこう」

 

「これなら今夜中に解決できるな」

 

 白熱している主達を放置し、俺達3人は会話に混ざれないクルツとハリアを掴むと、部屋から引きずり出して脱出する。何が起きているのか解っていないクルツとハリアを丸め込みながら脱出すると俺達はスラムへと向かう事にした。

 

 そう、俺達に政治は良く解らない。

 

 だけど悪い事は悪い事をやっている奴のせいにすればいいと思います。

 

 だからそうする事にした。




 感想評価、ありがとうございます。

 滅茶苦茶難産だったし、描き終わった今でも正しい事書けたかなあ? と首意を傾げている。それだけ政治がらみのフェイズは面倒なのでもう二度と書きたくないです……。

 このダクファンは、問題の解決手段が9割暴力です。

 つまり暴力の時間だ。


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デスペナルティ

 騎士団は邪魔しない。邪魔出来ない。ワイズマンの介入が行われる都市内部では騎士団には拘束する権限が存在しない。それだけ都市内部ではワイズマンの力が強いという事を証明するのだが、それがなくても恐らく今の俺達に立ち向かおうという覚悟のある奴はいないだろう。何せ“宝石”級の戦闘屋が3人も揃って武装しているのだ―――それこそ同じレベルの戦闘屋を呼ばない限りどうしようもない。エメロードの騎士団の権限がどうなっているのかは解らない。だが俺達3人を止めようとするならそれこそ団員全員で命を懸ける必要さえあるだろう。

 

 だから俺達は街中を安心して歩けるし、話せる。

 

 少しずつ暮れて行く都市の道路、外灯の下に5人で集まりながら、確認する。

 

「一応確認しとく―――ぶっちゃけ、政治方面とかでの解決が困難で時間がかかりそうだから、俺はこの件をマフィアをスケープゴートにして乗り切っちゃえば良いと思ってる。だからこれからマフィア連中を襲撃して責任を被せられる奴を捕まえようと思う」

 

「相手がやった手を此方でやり返すんだ、これ以上ない皮肉な返しになるだろうな」

 

 ダンの言葉に頷く。敵がとった手はシンプルに仕立て上げた犯罪を押し付けるというものだ。だから此方も犯人を可能な人間に押し付けるというやり方でやり返す―――それも恐らくは手駒であるマフィアに投げつける事で相手の戦力も削れる。実に美味しい話だ、出来ればという前提が付くが。普通に考えるなら“加工物”であろうとも群れて武装した人間の集団というのは相当恐ろしいものだ。対応するのが中々難しい事であるのは間違いない。俺が“宝石”級の自力があるから軽視しがちだが、“加工物”級もあれば十分生物としては恐ろしいレベルに入るのだ。その大量集団を相手にする話をしているのだから、基準が狂った会話だと言えよう。

 

 だがこの件、マフィアをスケープゴートにするのは我ながら妙手だと思っている。連中はクスリの売りも、殺人も、強姦も、脅迫も何だってやる。あくまでもそれらがエメロードで行われないのはデメリットを見越しての事だろう。だが十分実行出来る脅威性というものが存在している。だからマフィアが貴族を殺した所で“ああ、連中ならやりかねない”と思うだろう。今回はそれを利用して汚名を押し付ける事にするのだ。

 

 その為には生贄が必要だ。俺達の代わりに罪を引き受ける奴が。誰でも良い、という訳じゃない。今回の件、そこら辺の末端を生贄にしてもインパクトが弱いだろう。

 

「ま、何にせよ生贄には責任を取れるレベル、現実味のあるレベルの奴が欲しいな」

 

「となるとエメロードスラム街のマフィアを取り仕切っているヴィンセントが良いだろう。奴がここのマフィアのトップだ」

 

 ダンが即座に補足してくる。そう言えばこいつはフランヴェイユ家に仕える使用人だからそこら辺の情報がある程度わかっているのだろうか? 探る様な視線を向ければ、ダンが目を閉じた。

 

「……シェリルお嬢様は、現在父と兄とは敵対関係にある。端的に言えば学園へ来たのは将来の為であり、お嬢様の動きを封じる為でもある。お嬢様は家での動きを理解していながらも対処できない立場にある」

 

「まあ、信用できるならそこらへんの立場はあまり興味御座らん。重要なのは此度の行動において有益な情報がどれだけ出せるかという事で御座る」

 

「なら心配する必要はない。連中の本拠は既に調べてある。我々の脅威となりうる戦力は存在しない―――行けば蹂躙だ」

 

「おぉ……自信満々っすね……。こう、戦力にならない自分は出来たらここから去りたいんすけど……」

 

「やったね、クルツ君! 何もせずにお嬢様が助かるね!」

 

「あああー! それ! それ言っちゃうんすか!? そう言っちゃうんすか!? でも自分、ぶっちゃけ足手まといなんすよね―――!」

 

「まあまあ、クルツ君。この3人がインフレし過ぎなので別段戦えても、状況的にあんまり変わらないです。強すぎて」

 

「そっかぁ」

 

 普通、“宝石”級の戦力を持つ者なんて早々会えない筈だ。この都市に数人いるというのは相当レアなケースであり、まず見かけない部類の事なのだ。そもそも大都に行った所で“宝石”がいる訳でもない。エスデルは人が集まりやすく、そして権威を示す為に最高戦力を連れてくる人間がいるという事で“宝石”が比較的に集まりやすいが、それでも同時に3人が相手になるという事態はかなりのレアケースだろう。

 

 それこそクラン規模の出動でもなければ。

 

 防衛や守護を生業とする者達、大都市におけるメインとも呼べるレベル帯は大体“金属”辺りだろう。そこから“宝石”の領域にまで伸ばすのは相当な苦労を必要とし、”宝石”級の戦力を保有するのはそれこそ大国家レベルの財力が必要となる。だから改めて、ここに3人揃って襲撃準備を完全に整えている状況はもう、テロとしか言えないものだった。

 

 なんというか、完全に交通事故とかそういう類の奴。まあ、喧嘩を売ってきたのはあちらだ。此方はそれを最大レベルで買って殴り返しに行くというだけの話だ。まあ、ここは素直に喧嘩を売った相手を間違えた事を嘆きながら成仏してほしい。

 

 成仏させる。物理的に。

 

 それはそれとして、必要だった情報はどうやらダンが抑えていたらしいので、下調べする必要も適当にそこら辺のスラムの住人から聞き出す必要もなくなった。拳を掌にパン、と音を響かせるように叩きつける。

 

「じゃ、時間をかける必要もないし今夜中に終わらせちゃおっか」

 

「そうで御座るなぁ、あまり帰りが遅いと心配されるで御座るからな」

 

「それ以前に怒られそうな気配もするがまあ、気にする事ではないな」

 

 ハリアとクルツは曖昧に笑って受け流している―――まあ、普通はこんな行動取ったりしないよね。だけど仕方がないじゃん。俺達強いんだし、それだけの力があるんだし、出来ちゃうんだし。だったらやるしかないじゃん。

 

 この世界は、結局のところ強い奴だけが報われる世界なんだから。

 

 リアの様な弱者を守る為には、

 

 悪い奴は、全員殺していかないと。

 

 じゃないとまた、どこから人狼が湧いてくるか解らないから。

 

 徹底的に殺さなきゃ。

 

 

 

 

 ダンが示した場所はスラム街東地区のとある場所だった。門へと続く大通りから外れて廃墟が作る影に潜む路地の先、土地が一段低くなる区画。そこに周囲の建物や廃墟に隠れる様にしてマフィアたちの本拠とでも呼ぶべき建造物があった。この立地は元からあった物じゃないな、と地形を見て判断する。魔法によって綺麗に断面が整えられて土地が下がっている。これはつまり、この場を作る為に魔法で土地を弄った証拠だ。だが道路や周辺から軽く見まわした程度では発見する事の出来ないこの場所は、知らなきゃ近づく事は出来ないだろう。

 

 そして同時に周辺を犬型のモンスターが徘徊している。ジャーマンシェパードやゴールデンレトリバーを思い出させるような巨体の上、非常に獰猛で鋭利な牙を生やしており、人間に食らいつけば一瞬で血肉を食い千切る事が出来るだろう。よく調教されている事もあって態々人間を監視に配備するよりも優秀で、凶悪だ。調教されて戦力として運用されるモンスターは、ある程度は見るものでもある。だがそれをマフィアが備えているというのは相当異常な戦力であり、防備としては十分すぎるものだろう。

 

 ―――俺がいなければ。

 

「くぅーん」

 

「はっはっはっは」

 

「わふーん」

 

「うわっ、すごっ……全部腹を見せて服従してる」

 

 クルツが呆れる様に、目の前で腹を見せて転がる番犬たちの姿を見た。この犬型モンスター共は全員、俺を察知した瞬間服従を判断し、目撃した瞬間頭を下げて近づいて、何もしませんと腹を見せてアピールしてきた。つまりどんなに調教されたモンスターであろうと、動物ジャンルに程近い生き物であれば俺に対しては無害であるという事だ。

 

「便利で御座るなぁ、エデン殿の体質は」

 

「だがこれで接近を察知される事もなく、警戒される事もなく接近できるな」

 

 態々犬を皆殺しにする必要もなくなった事実に俺もちょっとだけほっとしていた。まるで子犬に戻ったかのように腹を見せる猛獣の腹を撫でてやると、嬉しそうに鳴いてちょっとだけ道の上で転がる。そこがまた可愛いんだが、周囲からはちょっとドン引きされている様な気配を感じている。いや、だって、動物って基本的に俺に無害だし……。

 

 まあ、そんな訳でマフィアの本拠を守る番犬の無力化は秒で終わった。番犬たちは敵対しない様に言い含めて解放しつつ、敵の様子をうかがえる廃墟の高所から敵の姿を観察―――なんて事はしない。

 

 番犬たちを解放した瞬間ダン、俺、楓を先頭として躊躇なくマフィア達が本拠とする豪邸、その門の前に立った。塀と金属製の門によって閉ざされたその入り口の前には銃で武装した黒スーツ姿のマフィアが2人門番として立っており、その横には番犬となるモンスター達が大人しく座っている。その視線が俺達を捉えてから尻尾をぶんぶんと振りながら大人しく頭を下げたままにしている。とても偉いぞ。

 

「テメェら、ここがどこだか解ってて」

 

「うむ、無論で御座る」

 

 門番たちが言葉を終える前に楓が言葉を遮って刀を振るった。1人目の首が一瞬で切断され、門番の片割れが目を見開いた。

 

「なっ―――」

 

「黙れ」

 

 残り1人もダンが問答無用の拳を顔面に叩き込み、次の瞬間には頭を粉々に消し飛ばした。空を切る二つの音だけを残して静寂を取り戻したスラムの闇の中で、楓が切り落とした首を蹴り上げて手に掴んだ。そこに魔力が込められるのを見る。楓が俺、ダン、そして背後でハリアに隠れ守られるクルツ達を見た。

 

「では極東式の挨拶で宜しいか?」

 

「もう嫌な予感しかしないけど」

 

「やってみろ、今後の参考にさせて貰う」

 

「うむ、では!」

 

 楓が勢いよくマフィアの頭を振り上げ―――それを門へと向かって全力投球した。

 

「これが極東式の挨拶で御座る」

 

 込められた魔力と加速力によって頭が弾けながら門を粉砕し、脳味噌を飛び散らせながらその向こう側へと消えて行った。前庭、そこで何をしているのかはわからないが待機していたマフィア達は今、自分達の目の前で起きた事を一切理解する事が出来ずに動きを停止していた。だからその姿を見てうんうん、と楓は頷いた。

 

「失礼、主にかけられた泥を拭う故、紙の調達に参った」

 

「な、あ、え、あ……?」

 

 楓の言葉に誰もが混乱し、状況が混沌とする。だがその間に番犬たちは絶対に邪魔にならない様にさっさと逃げ出し、残されるのはマフィア達だけだ。銃で武装した彼らは目の前で門が破壊され、その向こう側に首を失った二つの死体を見て漸く自分たちが攻め込まれているのだと理解し、

 

「て、敵!? 嘘だろどこの命知らずがここに来るって―――」

 

 言葉を終わらせずに掌を握りしめた。

 

 黒い魔力の籠っていた掌は圧縮と同時に魔力を圧壊拡散、ターゲットされていた者に瞬時に同じような握りつぶす影響を与えた。白、ではなく黒。空間に対して放たれた固有魔法の応用にしてバリエーションの一つ、《にぎりつぶす》は空間を魔力で握りつぶした。結果として前庭にあった空間は瞬時に黒く塗りつぶされ、人も大地も装飾も、その全てが黒い結晶に染まった。

 

 黒、黒、黒、黒い結晶。有機物も無機物も関係なく侵食されて結晶化する。悲鳴を口にする事もなく、それが死である事を理解する前に目の前の光景が黒く染められて一瞬で終わる。結晶化によって空間のエーテルリソース、その占有率が一瞬で此方へと回ってくる。

 

 魔法戦とは空間リソースの奪い合いだとエドワードは言っていた。

 

 空間に対する使用済みの魔力とエーテル占有率が、魔法使いの戦いの勝敗へと繋がるのだ、と。

 

 巧い魔術師、魔法使い、魔導士は空間のエーテルを専有する。空間のエーテルを支配する事で相手に対して不利な属性を押し付ける事が可能となる他、相手の運用可能なリソースを元々保有していた魔力のみに制限する事が出来る―――つまり魔力の回復と、魔法行使を同時に妨害出来るようになる。

 

 結晶化によるフィールドの上書きは、これを効率的に行える手段でもある。即ち、魔法殺し。

 

 暴れれば暴れる程、魔法が使いづらく、俺が有利になる。

 

 そしてこの一手によってこの豪邸周辺の空間のエーテルを支配する事に成功した。これで相手の魔法を使った逃亡等を封じる事が出来る。後は隠し通路の類がないかどうかを警戒するぐらいだろう。

 

 まあ、それも気配で追える。

 

「そう言えばここのファミリーネームってなんだっけ?」

 

「あー、そう言えば何組か聞いていなかったで御座るな」

 

「知る必要はあるか? どうせ今日消えるんだ。覚える必要もないだろう」

 

 そうだな、と互いに呟いて頷き、軽く後ろを確認する。流石護衛に慣れているだけあって防戦に入るならハリアの心配は必要なさそうだ―――そもそも後ろへと通る攻撃なんてなさそうだが。

 

 無駄に見える事かもしれないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 だからこの場には5人の従者全員が揃っている。ソフィアには従者がいないから彼女だけはちょっと申し訳なく思うし、良い方向に話が流れるのを祈っておくとして、

 

 左手をポケットに突っ込んで、大剣を生成し、肩に担いだ。

 

「久々の戦場、腕が鳴るで御座るな」

 

「状況開始……懐かしい血の香りか」

 

「それでは、ここからは(あく)の時間だ」

 

 今日、この日、この場所で。

 

 エメロードを悩ませるマフィア問題が終了する事を約束しよう。




 感想評価、ありがとうございます。

 基本的に街、都市の主力は金属級です。ここが就職・雇用ラインの戦力だと。大規模な都市が上級~最上級で、マフィア事態は良い所中級。だけど銃で武装しているので実質的に上級ぐらいの戦闘力がある。

 エメロード側からすると中級~上級は主力を使って攻略しなくてはならない相手なので、実はスラムから武力行使でマフィアを排除するとなると相当労力がかかるという話でした。

 でした(過去形)。


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デスペナルティ Ⅱ

「じゃ、俺は2階からやるかな」

 

「なら正面から押し通す」

 

「では拙者は地下の逃げ道を封じよう」

 

 言葉を告げると楓は鞘から斬撃を走らせる。一瞬で大地を斬り抜く様に地下の天井を抜いた。それで開いた侵入口へと迷う事無く飛び込んだ楓を見送り、俺も上からの制圧を始める為に一回の跳躍で二階、その壁へと突っ込んだ。

 

 当然ながら存在する壁や窓、ベランダなんてものは粉砕しながら、だ。

 

 人と建造物が衝突したら弾かれる? そりゃあ人間の理屈だ。これは“宝石”の理屈なんだ、耐えられないのは壁の方だし、そもそも俺はドラゴンであり、龍であり、この世界における最強種だ。たとえまだ種族全体からすれば尻に殻のついた存在であっても、かつて世界を支配していた最強の種族である事に変わりはない。生まれたその瞬間から最強と言う名を背負って生まれてきた生き物なのだから、当然のようにこの身はこの世で最高の宝石の原石たる資質を備えている。

 

 だから壁を粉砕し、2階の適当な部屋に着地する。その先にあったのはどうやら休憩室か遊戯室か―――数人の黒服たちが煙草を口に咥えながらカードで遊んでいる。だがその姿は俺を感知して、或いは既に入口の騒ぎを少しだけ聞いて何かを察知して武器を手にしていた。全員が全員、銃を手にしている。ハンドガン、マシンガン、ショットガン―――どれも近代的で殺人的な武器だ。それこそ“宝石”であれ、まともに頭に鉛弾を叩き込まれれば即死するだろう。そういう意味では銃で武装するというのはとてもクレバーだ。

 

 連中が音速で動けて、見てから弾丸を回避したり、素手でも弾けるという現実を無視さえすれば。

 

 上に行けば上に行くほど、銃弾を回避、無力化する手段なんて増えてくるのだから、銃は一定のレベルまでの相手にしか通じない武器だ。それでも大量の人間を銃で武装させるのは、例えば騎士団等を相手にするのであれば明確なアドバンテージとして機能するだろう。そう、これは同格との戦いであれば非常に高い殺傷力を誇る武器だ。少なくともこのレベルのマフィアが同格と殺し合うのであれば、この質と数なら一方的なアドバンテージとなるだろう。

 

 無論、それは相手が人類の範疇に入っていれば、という話が前提となる。

 

「よお、マフィア諸君」

 

 部屋に侵入、砕けた壁の縁を左手で掴みながら首を突っ込む様に体を前に出す。結晶剣は担いだまま、一歩踏み出す。踏んだ足元が、足跡の形に結晶化する。だがそれを最後までマフィア達は見届けない。既に武器は構えられており、侵入者相手に対する対応というものは決められている。

 

「殺せ―――!」

 

 必死にも聴こえる咆哮、それが誰かの口から出る。途端、一斉に引かれるトリガーによるマズルフラッシュ、視界が炸裂する火花と閃光に覆われ、銃弾が舞う。一瞬で最高速へと達した銃弾の動きが見える。目で捉えられる。真っすぐと飛翔する弾丸は目へと向かって直進し、眼球の前まで来て、

 

 ―――俺の眼球に衝突する。

 

 眼球に衝突した弾丸が潰れ、弾かれ、あらぬ方へと飛んで行く。それをマフィア達は見届けない。引いたトリガーから指を外す事はない。響く銃声、それが聞こえるのはここだけではなく館全体。どこも怒号と悲鳴と銃声によって満たされる。もはや嵐という言葉でしか表現できない銃弾の数は人を1人殺すには十分すぎる質量へと至っている。

 

 だがそれが俺の体を傷つける事はない。

 

 放たれた銃弾はコートを、服を貫通して、(うろこ)に衝突して弾かれる。何の防御力もない服は銃弾を受ける度にぼろぼろになって行く。それを気にも留めず体で弾丸を受け続け、周囲の家具や壁が崩されて行く。それでも俺の体に傷が付くような事はない。痛みへと至る様な傷にもならない。銃弾には神秘が決定的に足りない―――それが魔弾と評される類のものであれば話は別だっただろう。

 

 だがただの弾丸ではこの肌を抜く事は出来ない。撃つだけ無駄だ。

 

「日々の悪行、実にお疲れ様」

 

 弾丸が続く中、1人1人確認するように顔を見る。その顔を覚える。名前が解らず、覚えられない以上は悪夢に登場させられるようにしっかりと顔を覚えなくてはならない。己の恐怖と罪悪感を味わう様に顔を見渡し、誰かの銃弾が切れて、次の人の銃弾が切れて、弾丸を完全に切らすまで待ってから左手をポケットに戻した。

 

「もう、その手を汚さなくても良いぞ」

 

 右手で大剣を薙いだ。振るわれるのは黒と白の噛み千切り。何年間も積み重ねて来た斬撃は正しい意味で噛み千切りへと進化した―――即ち振るうと相手の体に食らいつき、斬るのではなく食い千切りの刃へと変貌した。故に剣を振るい終わって発生するのは室内にいた5人のマフィア達の死体、その上半身の喪失した姿だ。

 

 だがその胴体の断面は決して綺麗ではない。大剣で食い千切られた以上、本物の獣がその上半身を呑み込んで食い千切ったような、そういう断面図が描かれている。

 

 数百の弾丸に対してたった一振り。それがこの状況の絶望的なまでの真実を見せている。進む足跡は冷え切る心と頭の様に凍り付く結晶の跡を残す。それがマフィア達の死体を呑み込んで、砕く。残された跡は返り血だけだ。

 

 服も特別製だ―――コートが1着40万と凄まじい値段をしているが、魔力再生素材を利用したコートの為、弾丸でぼろぼろにされた所で直ぐに再生している、されている、した。

 

 着ているシャツとジーンズが銃弾で多少ぼろくなったが、許容範囲内だ。未だに暴力と死の臭いで溢れる部屋から出て、更に濃密になった死の臭いへと向かって踏み出す。

 

 まるで解っていたと言わんばかりに部屋を出て廊下に出た瞬間銃撃が行われた。弾丸が脳天に命中、或いは角に命中して弾かれた。だが当然のように効かない。だから大剣を再び、相手へと向かって薙ぎ払う。壁に阻まれるなんて気にする必要はない。どうせこの建造物自体、俺1人で跡形もなく握り潰す事が出来るのだ。そもそも障害物なんてあってないようなものだ。

 

 だから薙ぐ。薙ぎ払って噛み千切る。それで人が死ぬ。殺すたびに血が舞う。それを浴びて人食いの魔法が輝く。さらに体が強化される。必要のない強化だ。だが己の本分が何であるかを忘れない、良い魔法だと思う。だから踏み出す。足跡に結晶を残して。

 

「クソ! もっと火力のある武器を持って来い!」

 

「犬共を放て!」

 

「駄目だ、犬共が逃げて行く! あ、こ、こっちに―――」

 

 怯えるマフィアを前に微笑みかけ、左手で顔面を掴んだ。

 

「がおー」

 

「ひぐっあぎゃ」

 

 そのまま脳に魔力を叩き込み、体を内側から結晶化させて散らす。残骸となった結晶を手放してポケットに手を戻しつつ、肩に担いでいる大剣を一度、二度と振るって様子を確かめ―――床を踏み抜く勢いで蹴り抜いた。一気に加速しながら突進し、体からマフィアの集団へと衝突する。当然のように相手の肉体を破裂させるように貫通させ、廊下に出ている分を全て始末したら今度は壁を粉砕して部屋の中に入る。

 

 女をまわしている最中の部屋だったらしい。群がる男を全員一撃で食い千切って隣の部屋へと壁を蹴り壊して侵入する。蹴り飛ばした壁の破片が、瓦礫がショットガンの弾丸のように向こう側の者達に衝突し肉を抉るが、それをお構いなしに更に剣を振るって中の人間を全滅させる。

 

「逃げろ! 全員逃げろ!」

 

「残念。逃げるにはちょっと遅い」

 

 大剣を握り直し、白を強く剣身に纏わせる。そのまま薙ぐ。

 

 ()()()()

 

 横へと全てを薙ぎ払い、進路上にある全ての命を薙いで喰らう。あらゆる抵抗を無力化する白い大斬撃が2階の全てを薙ぎ払って消し去る。偶然床に転がっているか、俺がわざと外しでもない限りは助かる命は存在しない。そして助かった命は今横の床で痙攣している、先程まで襲われていた女だけだ。

 

 だがそんな女も、重度のヤク漬けでまともな思考力を見せていない。目は白目を剥き、口はだらしなく開いて舌を突き出し、汚れた体のまま大の字になって転がっている。とてもだが、助かりそうには見えない。

 

 或いは、

 

「死んだ方がマシか」

 

 床に転がる姿を見て、光が消え去ったまま笑っている姿を見て―――痛みがないように結晶化して殺した。

 

「2……4……7。そこそこ生き残ったな」

 

 薙いだことで天井が崩れ始めている。だが別に、天井が落ちた所で俺が死ぬわけじゃないし、ダンも楓もこの程度なら余裕で耐えるだろう。だからこの建物そのものが崩壊する事を考えずに横にもう1度薙ぐ―――今度は潜む様に2階に隠れている気配、それを纏めて殺す様に。そのまま大斬撃を薙ぎから跳ね上げさせる。完全に壁が崩壊したところで落ちてくる天井をふっ飛ばし、風通りの良いリフォームを実現する。

 

「これで2階にいたのは全員か? そんな多くはなかったな」

 

 軽く息を吐いて再び大剣を担ぐ。天井がなくなった事で上から光が差し込む様になって見える邸内の姿は凄惨の一言に尽きる。死と血の臭いで溢れかえる現場はマフィアからすればありえないとしか言えない光景だ。視線を中央の吹き抜けから1階の方へと向ければ、両手を赤く染めたダンが手に付いた血を振り落としているのが見えた。2階から下にいるダンへと向かって手を振る。

 

「ん? あぁ、そっちも終わったか……服はぼろぼろだが大丈夫か?」

 

「傷は一つもないから大丈夫よ。そもそもこの体、心臓を抜かれた程度じゃ死なないしな」

 

「聞きしに勝る怪物っぷりだな。いや、だからこそヴェイラン卿も厚遇するのか」

 

 さあ、ととぼける様に手を広げる。実際のところサンクデル・ヴェイランからどういう評価を受けているかは解らないが、厚遇されているのは間違いはない。滅茶苦茶身近な人だから距離感が軽く狂っているかもしれないが、あのサンクデルとは辺境伯であり、国防、国境線の要とも言える人物なのだ。

 

 辺境と言えば田舎のイメージが付きそうだが、戦時ともなれば最前線に変貌する地でもあるのだ。生活区間や街近くではあまり見かけないが、国境線近くに移動すれば軍事基地があったりするのだ、あの辺境は。何度か厄介させて貰っているが、皆良い人たちばかりだったと追記しておく。

 

 まあ、それはさておき。

 

 生存者のいない2階から1階へと飛び降りて着地し、ダンの横に並び立つ。それから周囲を見渡し、まだ楓が戻っていないのを確認する。とはいえ、楓の気配は残っているし、健在なのも良く解る。つまり彼/彼女がアタリだったというだけの話だろう。

 

「下かぁ」

 

「真っ先に逃げたか? まあ、どちらにせよ逃げられなかっただろうな」

 

「せやろな」

 

 残像すら残さず動く事の出来る“宝石”級から逃げるのは、同じ位階の人間でもなければ相当難しいだろう。この程度の連中に楓が負けるとは思えないし、たっぷり余裕をもって地下へと向かう。

 

 と言っても、正規の入り口を見つけるなんて面倒な事はしない。楓が非常口を開けてくれたのだからありがたくそれを利用させて貰う。

 

 と、外に出ると数名のマフィアが地面に倒れて転がっていた。どうやらハリアが処理したらしい。いえーい、と言いながらちきちきとハリアを指さすと、ハリアとクルツは此方の様子にドン引きしてた。

 

「え、なんですかそれ」

 

「え、なにって……皆殺しにしただけだが?」

 

「え、えぇ……」

 

「言っただろう、今夜マフィアがこのスラムから消えると」

 

「ま、そう言う訳だから。もうちょい警戒しつつ待ってて。こっちはサクッと終わらせるから」

 

 ハリア達に手を振って別れを告げ、楓が切り裂いた穴へと飛び込む。僅かな浮遊感と共に即座に大地の感触が足元に戻ってくる。魔導ランプによって照らされる地下通路は片方から強烈な血の臭いが漂っている。どちらへと進めば良いのか、というのが解りやすい。血とバラバラになった元人間だった肉塊が転がる通路を抜けて開けた部屋に出れば、真っ赤な血に染められた部屋、大量の死体、そしてその中で無傷の楓と壁際に追い詰められた男の姿が見えた。

 

 俺達の登場にお、と楓が声を零す。

 

「そちらも終わった所で御座るか。此方もそれっぽい偉そうな者を見つけたが故、確保しておいたで御座るが……」

 

 壁には数本の短刀によって壁と床に縫い付けられた男が見える。長い茶髪をくくっている男だ。見ようによってはまあ、見た目は良いのかもしれない。明らかに他の黒服たちよりも覇気と力で満ちているのは何らかの手段で他の連中よりも体を弄っているからだろうか? それにしても楓には傷1つ付けられなかった様だが。ただそいつを見て、ダンは頷く。

 

「あぁ、そいつがここらのトップのヴィンセントだ」

 

「クソ、解っていてやったのか気狂い共!? テメェ、誰を敵に回したのか解ってるのか!?」

 

「そこら辺悩むのはワイズジジイの仕事だから」

 

「拙者らの関与する所では御座らんので」

 

「まあ、最悪お嬢様からビンタ貰う程度だと思っている」

 

「―――」

 

 俺達の言動にヴィンセントが絶句した。だけどこいつにそんな時間はない。そんな事よりもこいつは今から自分がどうなるのかを心配した方が良い。だから俺達は軽く笑い声を零しながらヴィンセントを囲んだ。

 

「さて―――俺達がアルド王子の関係者だって言えば、解る?」

 

「……! ……っ、……」

 

 驚きつつもヴィンセントが黙った。即座に自殺しないのは死を恐れているからだろうか? どちらにせよ、その行動が言外に自分が事件に関与しているという事を証明していた。目の前の男の態度が関与している事を証明するなら、こいつを犯人に仕立て上げるのは簡単だ。

 

 ただ、まあ、こいつを突き出すだけではダメだろう。こいつに、俺達にとって都合の良い受け答えをして貰わないと困る。だからヴィンセントの髪を掴んで顔を引き上げる。

 

「ぐっ……」

 

「よお、ヴィンセントちゃん。俺達の為に、ちょっくら真実って奴を面前で語ってくれないかなあ?」

 

「無論、その場合は今すぐここで殺すのを止める事を誓おう」

 

「人としての最期の矜持、守りたくはないで御座るか?」

 

「かっ―――ペッ。殺すなら殺せ」

 

 痰を吐き出してきたが付着する前に魔力で消し去り、成程と呟く。ヴィンセントから離れると3人で集まる。

 

「どうする? 単純な暴力や尋問じゃ無理そうだぞこれ」

 

「手足のどれかを落とせば態度も変わろう。それでダメなら親類を引きずり出すほかあるまい」

 

「いいや、それは駄目だ。時間が足りなくなる。何か妙案はないか?」

 

「うーん……」

 

 痛みに強そうで、それなりに覚悟のある人間を従わせる方法何かないかなあ、と思いながら血まみれの室内を見渡す。何かヒントはないものだろうか、とテーブルの上に置いてある麻薬の入った袋を見つけた。それを見て、ちょっとしたアイデアが脳に浮かんだ。麻薬を見て、そしてヴィンセントを見る―――まだ舌を噛み切っていない所を見ると、自殺する気はないらしい。ならば良し、お前に俺が最大級の試練を与えよう。

 

「こうなったらアナルデスアクメ作戦だ」

 

「アナルデスアクメ作戦」

 

「??????」

 

「今、なんて?」

 

 この地下室、この場にいる俺以外の全員が同じ疑問を抱いた。ヴィンセントでさえ俺の言葉を聞き返していたので、良いか、と言葉を置く。

 

「俺は凄く賢いからな」

 

「もう既に言動が賢くなさそうだが」

 

「俺は凄く賢い! これ、前提な。だから直腸における直接の吸収率が凄く高い事を知っているんだ。だからケツから直接アルコールをブチこんで急性アルコール中毒で死んだ奴がいる事だって知っている」

 

「知りたくもない情報だったがなんか賢そうな事を言っているぞ」

 

「ああ!」

 

 ちなみにこれ、真実かどうかはマジで忘れているので解らない。ただなんとなくぼんやりと、そんな記憶があるだけだ。だからそれを説明した上で良いか、と再び言葉を置く。指をまず麻薬の方へと向け、大剣を消して細い棒を生み出す。

 

「これはマフィア解らせ棒だ」

 

「マフィア解らせ棒」

 

「こいつはマフィアを解らせる為の究極幻想(アルティメットウェポン)だ」

 

「そんな幻想いやだが」

 

「良いか? 直腸からの吸収率が高い―――つまりケツに麻薬を差し込んで棒でぎゅっぎゅってしてあげればこの上なく滅茶苦茶麻薬を体に注入してやれるって事だ」

 

「賢いなあ」

 

「天才の発想で御座るなあ!」

 

「え、嘘でしょ」

 

 俺達の言動にドン引きのヴィンセントが楓とダンを見るが、俺が何をしたいのかを察して2人は笑顔で頷いた。良し、喋らないならしょうがないよな! 人間、一体どこまで尊厳を凌辱出来るのかここら辺でチェックしないとな!

 

「と言う訳で、喋らないならアナルデスアクメするしかないよね。なぁに、大丈夫だ。麻薬をケツの穴にぶち込んで解らせ棒で押し込んで掻き混ぜて、ひたすら良い気持ちになり続けるだけだから。ほら! メスイキって男にしか出来ないから最も男らしいって言うし! これは男らしさを磨くチャンスだな!」

 

「?????」

 

 麻薬を取りに行く俺の姿、体を抑えに来るダン、そしてズボンを降ろそうとする楓の姿に、ヴィンセントは俺達の行動が一切の偽りのないガチの行動である事を察した。

 

「嘘だろ!? 本当にやるのか!? 正気か貴様ら!?」

 

「さあ、脱ぎ脱ぎするで御座るよー」

 

「なに、痛いのは最初だけだと話には聞いている―――直ぐに何も考えられなくなる」

 

「それは頭が吹っ飛んだだけだろうッッ!! まて! 正気を取り戻せ! 俺のアへ顔なんてお前らみたい訳じゃないだろう!?」

 

 麻薬を回収しながら振り返り、大丈夫だと告げる。

 

「ここでお前の尊厳を一度破壊したら、お前をその姿のまま都市の中に連れ込んで、中央通りでヴィンセントアナルデスアクメ祭り開催するからな。皆が見ている所で盛大に人生崩壊しろよ。お前の顔と名前は一生エメロードの歴史に残してやるからな」

 

 ででん! という感じに手を動かす。

 

「ギュスターヴ商会及びマフィアのヴィンセント君、エメロード中央通りで盛大にメスイキしながらデスアクメを迎える―――」

 

「お、お前の精神状態おかしいだろ……」

 

 正気ですが? だけど、まあ、ゲロらないなら復讐しないとね……。

 

 そんな気持ちで麻薬の袋を開けようとしたところでヴィンセントが絶叫した。

 

「解った! 従う! 全面的に従う! だから人として、人としての死を許してくれ……! せめて、人間として死なせてくれ……」

 

 祈るように、両手で拳を作って頭を下げて来た。その姿を見て3人で盛大に舌打ちする。その様子を見てヴィンセントがもう一度恐怖の視線を向けてくる。

 

 いえ、まあ、

 

 ガチでやる気でしたが?

 

 

 

 

 そういう事で俺達は証人を確保して都市へと帰還する。だがこいつを騎士団に突き出すのか? といわれたらノーだ。こいつを騎士団に渡した所で結局のところ、始末されて黙殺されるだけだろう。俺達はこいつの存在と、こいつが真犯人であるという俺達にとって都合の良い事実を世間に噂が広がるよりも早く公表しなくてはならない。まあ、騎士団も馬鹿じゃないだろうから絶対に俺達をこんな不審者を連れた状態で入場させてはくれないだろう。

 

 だったら俺達は祭りを始めるしかない。

 

 オールナイト・エスデルだ。

 

 俺達がフィーバーしてこの事実を都市中に響く様に、気づかせる義務があるのだ。

 

 正直なところ、かなり悪ノリしている部分はある。だが悪ノリというのは出来る時にやっておかないと、永遠にチャンスを逃すものだ。そして今回の件、目立てば目立つ程俺達のクレイジーさと世間の注目度が上がる。

 

 だから俺達は即席の十字架を作成し、それにヴィンセントを縛り付けた。そう、まるで聖者の様にヴィンセントを十字架に縛り付けて持ち上げた。

 

 そしてそれを、都市の大門前まで運んだ。

 

 そしてやる事は簡単。

 

「オラ! ここでのお前の必死さがお前の運命を決めるんだよ! 魂から声を絞り出せ!」

 

 大門前で完全にフリーズする門番の騎士たちを前に、ヴィンセントが必死の形相で口を開いた。

 

「俺が学生共を殺したぞ―――!!」

 

 中央通りでのアナルデスアクメパレードは嫌だ。そんな意思を感じる必死な叫び声がヴィンセントの魂の奥底から噴出した。十字架を掲げ持ち上げる俺がげらげらと笑う中、ヴィンセントが必死に叫ぶ。

 

「ヤクを売ったのも俺だ! 今日死んだガキどもを殺したのも俺だ! 全て俺がやった!」

 

「声が張ってねぇぞ!」

 

「もっと声を出してほら、真実を訴えるで御座るよ」

 

 ぺしぺしとヴィンセントのケツを楓が握る解らせ棒が叩く。それにヴィンセントがひぎぃという声を零しながら必死に声を張る。

 

「俺達マフィアはぁ!! ギュスターヴ商会の下ォ! 日々勢力を拡大していますッ!!」

 

 必死に叫ぶヴィンセント。

 

 げらげら笑う俺達。

 

 当然ながらこの乱痴気騒ぎを止めようと奔走する騎士たち。それから俺達は当然のように逃げた。逃げてヴィンセントの声を門の向こう側から人を集める様に響かせた。これから流れるであろうアルド達の悪い噂を超える程の醜態を晒す様に。

 

 夜のエメロードの空に、ヴィンセントの声と姿を響かせた。




 感想評価、ありがとうございます。

 デスアナルアクメパレードでついに100話目を迎えました。これからも宜しくお願いします。それで良いのか……?


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デスペナルティ Ⅲ

 ワイズマンの迎えが来るまで騒いでいたのだから当然目立つし、都市中に見事俺達はヴィンセントの声を響かせる事が出来た。そしてそれが成立してしまえばもう遅い。スラムにいるマフィアが全滅したという事実は後日確実に流れるし、その証拠であるヴィンセントはワイズマンによって確保という名目で保護されている。後は彼が犠牲となった貴族の遺族に受け渡されれば、それで今回アルドとその周辺に向けられた策略を攻略する事が出来るだろう。ヴィンセントも無事に処女を失う事はなくなった事実を泣くほど喜んだ。

 

 ―――そして場所は再び戻って学園長室、俺達はメタクソに怒られた。

 

「バッカじゃないの!?」

 

 ロゼが両腕を組んだ状態で魔力を全身から放出しながらそう声を響かせた。そんな俺達は全員、ロゼの前で正座させられていた。唯一正座していないのは楓ぐらいで、良くやったと十歌に褒められていた。あの極東ルールで生きている生き物たちに関しては議論するだけ無駄らしいので、俺達だけで怒られる事になっている。ちゃんと正座している所が俺達の反省を表していると思う。

 

「なんで自分達まで巻き込まれてるんすかね……」

 

「止められなかったからじゃないかなぁ」

 

「そこ! 私語禁止ッ!」

 

「うす」

 

「はい」

 

 ロゼの視線がクルツとハリアに向けられている内に窓からやって来た猫からワインボトルを受け取り、それを手刀で斬ってあけたらワイングラスを結晶で生成し、中身を注いでダンに渡す。無論、ロゼに速攻でバレる。

 

「そこ!! 勝利を祝って飲まない!! こら! こういう時のエデンに従わない!」

 

「にゃー」

 

 二股の黒猫がロゼに怒られてそそくさと窓から逃亡する。その全てをアルドは頭を抱えて見ていた。シェリルもシェリルで呆然とした表情を浮かべ、ソフィアはリアと並んでソファで眠ってた。ティーナだけはちょっとがっかりした様な表情を浮かべている。アレは私も行きたかったですわね……って感じの表情だ。その血の気の多さはお嬢様としては致命的だと俺は思うぞ。

 

「解ってる!? 危険は―――いや、どうせ銃程度じゃ無傷よね貴女……」

 

「うん、撃たれてみたけど無傷だった」

 

「そう言う所だぞ」

 

 がー、と吠えたロゼが此方を掴んできてサブミッションに持ち込んでくる。ダメージがない事にはないが、それで平気な顔をしているのもちょっと申し訳ないので、少しだけ苦しんでいる様に吠え返すのがコツだ。ちなみにワインボトルは手放さない。サブミッションを喰らいながらワインボトルから直で飲む。

 

 はあ、勝利の美酒って美味しいなあ。ワインボトルを片手に味を楽しんでいるとロゼから蹴りが飛んでくる。それを当然のように正座したまま体を横にスライドして回避し、連続で放たれる蹴りをそのまま左右へと体をずらして回避する。ムキになってロゼが連続で蹴りを繰り出し続けるのを回避し続けていると、頭を抱えた状態のアルドが少し待ってくれ、と声を置く。

 

「つまりなんだ―――君たちは単純に全てが面倒になった結果、マフィアを殲滅して犯人に仕立て上げるのが一番手っ取り早いと思って実行した、という事だよね」

 

「ああ!」

 

「雑魚ばかりだったしな」

 

「皆殺しにしたで御座るよ。明日は残党狩りである。しっかり末端まで処理しておかないと遺恨が残るで御座るからなあ!」

 

「まあ、銃弾なんて受けても傷1つつかないしな!!」

 

 俺達3人の返答にそれぞれロゼからのチョップが入り、アルドは頭を抱えた。派閥からの攻撃があったと思って、それで対処に動こうとする前に勝手に従者たちが動き出して解決してくるのだから、そりゃあ頭を抱えるだろう。主としての立場から言えば叱るしかないのだが、結果としてみるとマフィアの壊滅と大幹部の確保と事件の解決で一気に問題を片付けられたのだから、文句もおいそれとは言えないのだろう。その中で、ちゃんと悪い事をしたから叱る、という事を出来ているロゼの精神性がしっかりしすぎているのだ。

 

「クルツッ! 何故私もあの時誘わなかったんですの!? それでも私の従者ですの!?」

 

「無茶を言わんで欲しいっすわ。いや、マジで。アレ、お嬢がいてもいなくてもどっちにしろ何も変わらんかったと思うっすわ」

 

「ふんっ」

 

「あぁん」

 

 ドリルビンタでクルツがひっぱたかれた。いや、違う。一瞬だけ伸ばす事でハリセンモードとなってクルツへの衝撃を和らげたのだ。もしかしてあのドリル、形態変更に対して複数のバリエーションを用意している? まだ複数の形態を残しているのか? 胡乱な神の胡乱な加護でも受けて生きてるのかこいつ? というかなんで態々髪でビンタした? もしかしてそういうプレイ?

 

 俺はティーナとクルツの関係を静かに応援する事にした。

 

「ダン、貴方がそこまで軽率だったとは思わなかったのだけれど」

 

「お嬢様、議論は永久に尽きません。納得できる解決法等この世には存在せず、時間は限りなく無限に有限なのです。故に、こういう事態では常に即断即決が求められます。失礼ながら、アルド様には決断力が欠けています。あの場でまず最初に話を聞き、そして何をするか決断を下すべきでした」

 

「……それが出来なかったから、勝手に行動したと?」

 

「私はエデンの閃きを妙手だと思いました。そして事実、そうでした。私は常に、最善の選択を取れるとは思っていません。ですが納得できる判断に対しては常に迅速に、そして確実な成果を出せる様に行動する事を心がけています―――あのまま議論が続いたとしても、全員が納得するには相当な時間が必要だったでしょう。違いますか?」

 

 おー、ダンが真面目な口調でシェリルとアルドを押している。従者の立場なのに言動がちょっと強いなあ、とは思うもののアルドとシェリルは何も言い返せず口を閉ざしてしまった。実際のところ、俺達が成果を出してしまった以上彼らが向ける怒りは無視された事以上の何ものでもないのだ。まあ、時代的にこれだけでも死刑へと持っていけるのがこの時代や世界がダークファンタジーの部類に入る所以なのだが。

 

 そして視線が此方へと向けられるので反射的に中指を突き立てる。両手で浮かべた中指をそのまま挑発するように躍らせていると、ロゼが神速で中指を掴んで全体重をかけてへし折りに来る。それに俺も対抗して中指でロゼを持ち上げて遊ぶ。割とキレてるのか持ち上げてる状態で顔面に蹴りを入れてくる辺り、ロゼも相当普通じゃないよな、って思う。十歌は別として、他のお貴族様方は割と引いてらっしゃる。

 

 まあ、辺境で生きるにはこれぐらいのバイタリティがいる。

 

 と、ぱんぱん、と手を叩く音が響いた。

 

「さて、そこまでだ。尽くすべき議論があるのは明白だが、時間も遅くなってきた。君たちはそろそろ一旦家に帰り、頭を冷やすべき頃だろう。私も今回の件、ギュスターヴ商会から殴られない様にする為、裏から色々と手を回す必要がある。君たちも今日は色々とあって疲れただろう? 一旦帰り、頭を冷やして考えてみると良い……幸いな事に時間が生まれたからね」

 

 その言葉に一瞬室内に沈黙が満ちてから同意の声がアルドから上がった。

 

「そうだね……今日は色々あって疲れたし、この話の続きはまた今度にしようか」

 

 それに同意するように一組、また一組と部屋を去って行く。そして残されるのはロゼと、俺と、リアと、そして一緒に眠っているソフィアだ。ソフィアだけ従者が存在しない為、俺が学生寮まで連れ帰る事になった。

 

 

 

 

 ―――が、当然この夜はこれだけでは終わらない。

 

 ロゼとリアを送り出してソフィアを寮に叩き込んだら、迷う事無く学園長室へと戻った。

 

 やはり、というか当然というべきか。鍵は開けられており、扉を開けて入ればワイズマンがデスクの向こう側で待っていた。両腕を組んだ状態で待ち構える様なポーズを見て成程、と頷きつつ入室する。

 

「待たせた?」

 

「あぁ。凡そ数百年はこの時を待たされた。ずっとこの時、この瞬間を心待ちにしていたとも」

 

「ふーん」

 

 適当にワイズマンの言動を流しつつ来客用のソファに座る―――貴族用にあつらえているだけあって、硬さと柔らかさが丁度良い塩梅になっている。いや、まあ、でも、ぶっちゃけ芝生に座り込んでいる方が個人的に好きなのは、完全に種族特性なのかもしれない。それでもたっぷり余裕を見せる様にソファに座り、足を組んでリラックスする様なポーズを取る。貴族でもない身分でこれだけの態度を取ると普通は無礼打ちだ。普通は、という話だが。このエメロードは変人奇人がそれなりに多いのでそれが通じなかったりする。

 

 そしてそれはこのワイズマンにも当てはまるだろう。ワイズマンはワイングラスを二つ取り出すが、それを片手で制する。

 

「さっき飲んだからいいわ」

 

「そうなのか? そうか……」

 

 どことなく寂しそうな表情をワイズマンは浮かべると自分の為にワインを注ぎ、グラスを手にしてさて、と呟く。

 

「何を話したものか。私には語りたい事、語り合いたい事が多くある。だがどれもこれも酷く時間のかかる事だ。今夜という時間を無駄に過ごさない為にも、なるべく言葉と質問は圧縮せねばならないだろう」

 

「つまり?」

 

「私の講義と同じスタイルで行こう―――質問したまえ、それに私が答えよう」

 

「それに偽りや誘導がないという保証は」

 

 その言葉にワイズマンはデスクの下からスクロールを取り出し、此方へと投げて来た。それを広げて確認するのは―――それが、神器と呼ばれる神造のアーティファクトであったことだ。他の物品や人の手では再現する事の出来ない未知と神秘の領域のある品。それが神の作ったアーティファクトだ。伝説や伝承クラスとは比べ物にならない、まさに神話クラスの品。

 

 そこにはワイズマンのサインと、ワイズマンが一切の嘘偽り、そして思考を誘導する様な真似を契約対象に行わない事を約束する文章だった。……一応小さく、目でとらえられない程に小さく何か追加で書かれていないかを確認するが、そういう事はないらしい。そして俺の嘘センサーにもそういう発覚はない。つまりこれは本物だ。

 

「契約の神が作った神器だ。そこに書かれた契約内容は絶対に遵守される」

 

「絶対に?」

 

「うむ、一生喋る事が出来ないと契約すればその通り、絶対に契約は神の力によって履行されるだろう。新たな肉体、新たな声帯、代理の者を立てる、道具を使う。喋るという事に対する異なるアプローチによって再現を試みようがその全てが不可能となる―――神によって契約の履行が絶対に保証される、そういう契約書だ。それに君の名前を記入すれば、私は今後一切君に対して嘘をつく事も騙す事も出来なくなるだろう」

 

「……ソ様に確認……しなくても良いか。アンタの言動が本物だって感じられるぜ」

 

 迷う事無く契約書にサインすれば、次の瞬間には契約書が自動で折りたたまれ、虚空から現れる光る手が契約書を回収して虚空へと持ち去った。契約が履行される。契約の神の手によってそれは絶対として保障される。

 

「童貞捨てたの何時?」

 

「28の時だ、ううっ」

 

「これが神製の契約書の力かぁ」

 

 早速悪用された契約書の内容にワイズマンは片手で顔を抑えて呻いた。どことない達成感と勝利を感じてガッツポーズを取りつつ笑い、契約書のパワーを感じ取った。これならまあ、安心して質問できるかなあ、と考える。恐ろしいのはなぜ彼がここまでして俺に応えようとするか、という所なのだが。それも今から質問をすれば答えが解るだろう。

 

 それじゃあ、

 

「問1、俺が何であるかを知っているか」

 

「ふぅ……その答えはシンプルに勿論、と応えよう。最後の龍、或いは切望されし龍姫。この世で最も尊い血、もしくは星の子―――ドラゴン。エデン・ドラゴン。それが君である事を、私は実によく知っている」

 

「成程……やっぱりアルドにあの本を渡したのは俺の興味を引く為か」

 

「然り、それを通して私にコンタクトしてくれるのを待っていた。ちなみに殿下は君が―――いや、言い直そう。貴女がそうである事を知らない。無論、他に伝えるつもりもない。私はこの秘密を貴女が許さない限りは墓の下まで持って行くつもりだ」

 

「成程?」

 

 ワイズマンの偽りのない言葉に首を傾げる。ちょっと解らなくなった。この爺さん、権力に対する欲望や、憎しみや恨みと言った感情を感じられないのだ。俺はそういう人の感情や嘘偽りに対してかなり感覚が鋭い。だからこの人物が、今、明確に興奮を覚えながら俺と接しているのが解る。その証拠に先ほど用意したワインに一度も口を付けていないのだから。つまりあの老木は今、酒を飲む事さえ忘れてこの対談に集中しているという事だ。

 

 そうなると、猶更なんで俺に会おうとしたのか、或いは知っていたのかが解らない。

 

「次の質問をどうぞ、私は貴女の質問であればなんでも答え―――いや、待て、もう童貞とかそういう話は止めて欲しい。この枯れ木の恥ずかしい過去をほじくり返すのはなるべく止してほしい。私にも一応、学園の長として残したい威厳があるからね」

 

「ちょっと心惹かれるけど、ここは一旦その誘惑を断っておく事にしておこう。じゃあ問2、いい?」

 

「どうぞ」

 

 ワイングラスを思い出したかのように手に取るワイズマン。その姿を見て、俺にとって重要な疑問を口にする。

 

「俺の事を、どこで知った」

 

 一番重要な事だ。この答え次第ではワイズマンも、その背後に誰かが背後にいるのであれば―――そいつも殺す必要が出てくる。残念だが俺の安全と平穏は薄氷の上にある事は認知済みでもある。そしてそれを守り続けるには敵を殺し続けるしかないのだ。俺がどれだけ苦しんで、嫌がっても、それでも敵は殺さなければならない。そうしなければ平穏は守れない。人狼との戦いで俺が覚えた一つの真理だ。躊躇してはならない、迷ってはならない、臆病になってはならない。殺す必要があればすぐに殺せ。

 

「あぁ、瞳をそんな物騒な形に変えないで欲しい。無論、貴女に私は偽る事は出来ない為、満足納得できる所まで話そう」

 

 自分の瞳が龍本来の爬虫類の様な瞳孔へと戻っていたのを瞬きをして戻しつつ、ワイズマンの言葉に耳を傾ける。

 

「話は数百年前に遡る、私がまだ60過ぎの頃の話だ」

 

 改めてそうやって老木の年齢の話を聞くと、相当昔から生きている事が解る。確かリアがこの老木は建国王と友好があったという話をしてたか? 建国そのものに関わっている事を考えると、或いは現代で生きている最古の部類なのかもしれない。

 

「私がまだ若く、愚かだった頃の話だ。今でさえまだ己の事を愚かだとは思うが―――まあ、話は長くすればするだけ嫌われよう。結論に至ろう」

 

 私は、とワイズマンは告げる。

 

「―――龍に会った。彼の者は貴女への遺言を残し、何時か目覚め私に会うであろう貴女の存在を予言し、その身を大地へ返した。その日、その時、あの場所で私と会う為だけに生きていたこの世で最も偉大な存在に私は触れたのだ」

 

 ワイズマンは告げる。

 

「私はメッセンジャーだよ。貴女へと同胞の言葉を伝える為の。その為にこの数百年を過ごしてきた」

 

 続ける。

 

「貴女には知らなければならない事がある。私の仕事は―――貴女に、龍としての事を伝え、教える事だ。私が貴女を知っているのはそれが理由だ」




 感想評価、ありがとうございます。

 ワイズマンの偉さを表現するのは難しい。ただし彼の保有する地は基本的に不可侵とされているのは、単純に彼の政治的手腕以上に彼が建国から生き続けている事に対する敬意みたいな部分が大きい。

 それだけ生きているし、それだけやってきたし、それだけ尊敬されている。ワイズマンとはそういう人物。


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デスペナルティ Ⅳ

「私は昔から知というものに魅入られていた、もっと知りたい。より多くを見たい。一か所に留まる事が基本である森人の中で、私はまさしく異端児と呼べる存在であった。私は故郷である森を20のときに飛び出し、それから100年以上もの時を放狼するのに費やした。エスデルの建国に立ちあったのもその時に経験した事の一つだった」

 

 ワイズマンは己の過去を語り出す。それは古い、古いワイズマンの記録。大樹の年輪に刻まれるように残されたワイズマンと言う人物の人生だ。

 

「叡智、知恵、知識、私は多くの事を知りたかった。より多くを学びたかった。知識に対する欲が誰よりも抜きん出ていた。だから私は幼い頃に書物を読み漁り、そして未知を求めて自分の世界を飛び出す事を決めた」

 

「そしてドラゴンに会った」

 

「然り」

 

 ワイズマンは頷き、肯定する。

 

「既にその時代であれ、龍が目撃されなくなって数百年、或いは千年以上もの時間が経過していた。それでも地上に残された亜竜達の存在とそれが生み出す被害は無視できず、龍たちの邪悪さを肯定するものと捉えられていた。……私も昔は多くの人々の例に漏れず、愚かであった。龍は邪悪であり、そして狩られるべき存在だと信じていた……それこそ龍の遺跡を見つけ、その中で真実を知るまでは」

 

 遺跡、他にもあったんだな……というのをワイズマンの言葉を聞いて理解し、まあ、当然かとも思う。あれは一種の墓だ。龍が穏やかに、ゆっくりに、その骸を封じるための墓所だ。その為に存在する墓の様な物をきっと、ワイズマンは偶然見つけてしまったのだろう―――或いは、ワイズマンにだけは見つかるように全てが動いたのか。何にせよ、ワイズマンという若い旅人は龍の遺跡を見つけてしまい、そしてその奥で俺の様に出会ったのだろう。

 

 偉大過ぎる姿に。

 

「最初、私は出会った龍に対して無謀にも戦いをしかけた。武器を使い、魔法を駆使し、そして道具に頼った。だが何をしても一切の成果を上げる事が出来ず、傷を一つつける事すら出来なかった。いやはや、今思えば相当無茶な事をしたものだ。だが私の攻撃に対して龍は全て黙って受け入れてくれた。その上で穏やかな声で私に語り掛けて来た」

 

「俺の同族って聖人の集まりみたいなもんだからな……」

 

「私も振り返って思う。本当に滅ぶべきだったのは人類だったのではないか、と。だが結果はこれだ。龍は滅びる事を選ぶ。絶対に人へその牙も爪も向ける事はなかった。当然、私を傷つける事もなかった。私が必死に攻撃を重ねて疲れ果てるまで龍は、何もしなかった。力を使い果たして疲労困憊だった私にあの方は話しかけたのだ」

 

「なんて?」

 

 その言葉にワイズマンは小さく笑い声を零した。

 

「―――今流行りの娯楽小説はないか、とな」

 

 予想外の言葉に一瞬だけぽかん、としてしまうがワイズマンはそうそう、と頷く。

 

「私もそんな顔を浮かべたよ。まさか、天下の邪竜がまさかそんな、大衆向けの娯楽小説を求めるなんて。だけどそれは同時にクリティカルな言動だった。私の興味は一瞬でその巨躯へと向けられてしまった。龍に対する恐怖も、龍殺し達に知らせるために逃げようと考えていた事も、全部吹き飛んでしまった。聞けばこの墓所でゆっくりと朽ちる中、それまで聞いてきた物語や体験を思い出しながら時間を過ごしてきたが、いよいよ飽きて来たという話だ」

 

「飽きた」

 

「あぁ、だから新しく物語を欲していた。その姿がなんとも私自身と重なってしまって、龍である事を忘れて持ち歩いていた本を取り出して長々と語り合ってしまった」

 

 過ぎ去りし時を愛しむ様にワイズマンは目を閉じ微笑む。

 

「そう、私が出会った龍は実に賢かった。知恵者だった。まさしく賢者と言う言葉に相応しい存在だった。昼も夜も忘れて語り合った時は私にとっては何よりも楽しく、永劫に塗り替える事の出来ない宝でもあった。話せば話すほどその見識の広さと深さに驚かされた。私は生涯の師を見出した気持ちだったとも」

 

 尤もそれは長く続かなかったが、と続けた。

 

「彼の者も大地へと還る途中だった。その姿がまだ地上に形を残していたのは何時か来るべき日の為に―――即ち、私という、将来貴女に出会える人物を待ち続ける為だった」

 

 その言葉にストップをかける。

 

「それじゃあまるでその同族が未来が見えていた、って事になるが?」

 

「あぁ、彼の者には未来が見えていたそうだ。特殊な力ではあるが、だが別段そこまで難しい事でもなかったと聞く。その龍にとって未来を見るというのは少し首を伸ばして覗き込む程度の事だったらしい。だからこそ私の到来と、将来貴女がここへ来ることを予期していた……まあ、その仔細までは語られなかったが」

 

 話が長くなったと謝られる。時間は腐るほどあるし、面白い話なので時間がかかる事は特に気にしてない。だから続きを促す。

 

「それで?」

 

「あぁ、ここからが本題と言うべきか。私は死を前にしたあの偉大なる龍から、貴女へのメッセージを受け取っている。貴女が継承すべき言葉、受け取るべき遺言。この世に残された最後の龍にのみ向けられたものだ」

 

「遺言、か……」

 

 その言葉を聞いて思う―――俺の誕生、存在は既に予期されているものだった。俺が生まれるという事は龍たちが計画していた事なのかもしれない、と。そうなると本当に何故同胞達が死ぬ事を選んだのかが解らなかった。何故、彼らは滅びなくてはならなかったのだろうか? こんなにも人より優れ、そして偉大であれば素直に死ぬ事なく隠れて潜み、生き続ける事だって出来る筈だろう。なのに俺の同胞たちは死ぬことを選んだ。まるでそれが一番正しいと言わんばかりに。その事実をどれだけ質問してもソフィーヤ神は答えてくれないから、俺は半ば諦めている部分もあった。だがこうやって目の前に答えに繋がるものが出てくると、知りたくなる。

 

 どうして、俺を1人にしたんだって。

 

「それで、遺言の内容は?」

 

「うむ」

 

 こほん、とワイズマンが咳ばらいをし、

 

尋ねよ、我らが後継者。求めよ、我らが足跡を。我らは待っている、会えるその時を待ち続けている……と、いうものだ」

 

「……」

 

 答えにはなっていない―――だがその言葉からは色々と伝わってくるものがあった。忘れられていない、知っていた、待っている。俺に伝えようとしている事がたぶん、存在するのだろう。きっと、俺以上に俺の事を理解しているのだろう。短い言葉ながら、そこから読み取れる事を全て読み取った所で、数秒間、心を落ち着ける様に目を閉じた。たっぷりと過去に思いを馳せ、それから同胞の事を考え、そして自分の事を考える。

 

 ―――俺は一体、なんなんだろう、と。

 

 男か? 女か? それとも龍なのか? 俺は俺でしかない……なんて言うのは結局のところ、深く考えずに出した結論なんだろうと思う。本当に何をすべきなのか、それを考えるのであれば俺はもっと、自分の事を知るべきなんだろうと思う。

 

 意外とこの手の問題は忘れるのが簡単だ。ただふとした時思い出して、頭を悩ませるというだけで。俺のアイデンティティーが宙ぶらりんなのは昔からだ。男言葉で態度も男っぽい。だけど体は女で、生理的反応もそれに準ずる。だけど俺の本能や反応は龍種に準ずる……人間にだいぶ毒された傲慢な考え方でもあると思う。

 

 このごちゃごちゃ感がずっと、俺が誰であるかというのを纏めさせてくれない。

 

 そもそもこれはなんだ、転生か? 憑依か?

 

 なら俺は本来生まれて来るべき龍姫の魂の居場所を奪ったのか?

 

 それとも俺がそうなのか? 答えはきっと、神々と龍族にしか解らない事なのだろう。俺がそれを知りたいと思ったら、彼らの足跡を追う以外に選択肢はないのだろう。

 

 俺に罪があるとすれば、それはもしかして―――生まれて来た事実、そのものかもしれない。

 

「さて……私が会った龍はそれを遺言として私に託した。確実に貴女へとこのことを伝える様に、と。そして私とあの龍が出会った墓所を伝える様に、と」

 

 老木はそう言って立ち上がり、壁まで歩いた。そして手で触れるのはこの大陸の地図だ。部屋に飾られている地図、それに触れて手を滑らせる。それは西からこのエスデルを超える様に東の方へと流れて行き、そして帝国領内で手の動きを止めた。帝国領内南東部、この大陸の丁度反対側と言える位置にそれはあった。

 

「帝国南東部ガルナ州……海に近いこの場所に龍の墓所はある」

 

 帝国―――それは高い技術力、或いは科学力を保有する国家。魔界との積極的な交易をおこなっており、その影響で魔界産の技術をこの世界で最も早く、そして多く取り入れている国でもあるとされている。魔界からの品物は神々が技術力や環境の大幅な変化を懸念し、多くの制限を設けている。それを把握した上で帝国は輸入し、自分たちの技術力へと変えている。この大陸でもっとも栄えている国だと評価しても良いだろう。

 

「墓所自体は海の底にあるが、このガルナには墓所へと移動できる祭壇が存在する。ここを通る事で私が会った龍に会う事が出来る―――もはや死した姿ではあるものの、死という法則は貴女の種族には関係がない。そうだろう?」

 

 ワイズマンの言葉に頷き、腕と足を組んで静かに考える。

 

 帝国。それは俺が行かなくてはならない場所だろう。俺が自分のルーツを探る為には、俺が俺と言う人物を見出す為には必ず向かわなくてはならない。だが現状、俺の立場的に考えてそれが可能かどうかって話になると……ちょっと困る部分がある。何せ、俺はリアとロゼの護衛としてここに来ているのだ。俺がいなくなれば色んな所で問題が発生するだろう。だから近日中に向かうという事はまず不可能だろう。そもそも今年中に達成出来るかどうかさえ不明だろう。

 

 時間に余裕が出来るのは恐らくここを卒業してからになるだろう。それまではお預けかなぁ……。

 

「まあ、焦る必要はないか」

 

「帝国へと向かう時が来たら気軽に声をかけて欲しい。フィールドワークは得意なんだな、これが」

 

「付いてくる気満々じゃん爺さん」

 

「当然だろう?」

 

 ワイズマンの態度に苦笑を軽く零し、背筋を軽く伸ばしてからソファから起き上がる。

 

「んじゃ、今夜はここまでにすっか」

 

「おや、私は別に朝まで講義を続けても良いのだが」

 

 手をひらひらと振りながら背を向ける。

 

「考えを整理する時間が欲しい」

 

「そうか。私は何時でも貴女の事を待っている。聞きたい事、知りたい事、欲しいもの、他に希望があれば何でも言って貰いたい。可能な範囲で手配しよう」

 

 手をもう一度だけひらひらと振って扉から出た。出た所で軽く扉に背を預けて息を吐き、再び外へと向けて歩き出す。ちょっとだけだが自分の事、龍の事が解った。それだけでも前進だったが……余計、訳が分からなくなってきた。

 

 それでも解るのは、俺を待ち望んでいた龍達がいたという事だ。

 

 俺が生まれると知って、俺を待ち続ける者達がいた。まるで俺の誕生を切望するように。

 

 だとしたら―――この命にもきっと、何か意味と理由があるのだろう。そう考えると今すぐにでも行きたい気持ちが湧き上がってくる。だけどそれは駄目だ。自分の事以上に、リアたちの事が大事なのだから。それに今夜、マフィアを壊滅させた事によってギュスターヴ商会から何らかの報復があるかもしれない。

 

 これから数週間、夜は眠らずに警護に当たらなくちゃならない。あそこまで帝国製の銃を揃えるだけのコネクションと力があるのだ、暗殺者を市内に仕込むぐらいはしてくるかもしれない。その事を考えるとしばらくはリアの傍からは離れられないだろう。とはいえ、これでマフィア被害を気にしなくて良いとなるとまあ……悪くはないのかもしれない?

 

 いや、考える事が違うな……。

 

 歩き出し、学園を去って都市へと出ながら思う。

 

 答えを知っている神々も龍も、何故こうも回りくどくて、素直に教えてくれないのだろうか。

 

 そんな事を考える様に夜の闇に紛れ帰路へ着いた。なにがどうあれ、俺には帰るべき場所がある。今はそれで十分だろう、と。

 

 

 

 

 龍姫が去った部屋の中、1人残されたワイズマンは漸く思い出したかのようにワインを手に取り、口を付けた―――それは数百年前に今日という日の為に用意された、最高級品だった。途方もない時間で熟成された最上級の味は王族ですら稀にしか口を付ける事のない代物であった。長年の夢、そしてその達成感が胸を満たし、ワインの味を引き立てる。ワイズマンは長年自分に課してきた使命を、そして与えられた役割を果たす事が出来た。それが何よりもワインを美味しく熟成させていた。

 

 今もなお生命力に溢れる老木の姿は枯れ木等という表現は決して似合わず、

 

『―――気分が良さそうだなセージ』

 

「この様な日は誰もが気分を良くする。そういうものではないか?」

 

 虚空からの声にワイズマンが返答する。それに反応するように空間が割れる。その向こう側から一人の男がゆっくりと歩いて侵入する。それをワイズマンは咎めない。寧ろ待っていたと言わんばかりに空いているグラスを渡そうとする。

 

「飲むかな?」

 

「遠慮しておこう。喉が焼けると音が悪くなる」

 

「別に酒で喉が焼けはしないだろう、お前は」

 

「あぁ、だが心の問題だ」

 

 解るか? と闇夜の客人は続ける。

 

「―――ロッカーは、喉を大事にするんだ」

 

「そ、そうか……」

 

 当然と言わんばかりの表情を客人―――ルシファーは浮かべた。




 感想評価、ありがとうございます。

 Q.どうしてエメロード都市内に店が開けたの?
 A.一番偉い人が同志だから。


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デスペナルティ Ⅴ

 アレから2週間が経過した。

 

 ギュスターヴ商会からの報復を恐れる所もあり、この2週間は不眠でリアとロゼの護衛に回った。普段であれば学園にいる間の適当に暇を潰していた時間帯にも、リアたちが感知できない様に気配と姿を消して護衛についた。流石龍の体というべきか、2週間不眠であろうとも特に眠気が襲ってくるような事もない。それこそ丸1か月眠らずともどうもならないだろう。

 

 そして恐れた報復の様な事はなく、ワイズマンからギュスターヴとの手打ちが完了したという報告があって漸く胸をなでおろす事が出来た。

 

 

 

 

「―――で、マジでなんもなかった?」

 

 2週間が経過し、ワイズマンから手打ちが完了したという報告を得てもなお、首を傾げる所があって俺達―――即ち従者組は集まっていた。真面目な話、ギュスターヴ商会がマフィアの元締だったとすれば、顔を完全にぶっ潰した事になるのだ。俺が連中だったら確実に何らかの報復行動を取るだろう。学園の一角、学生が運営するカフェ―――学園内で育てた作物を利用したり実験する為、後は社会経験を積む為等の為に学生が経営するカフェが学園内にはある。

 

 俺達はそこでちょっとしたティータイムを過ごしながら近況の報告をしていた。クルツ、ハリア、楓、ダン、そして俺。あの時あの場にいた従者は全員揃っている。唯一、ソフィアだけ従者が存在しないので、彼女の関係者だけがここにいない。従者さえいない赤貧貴族という立場は、想像以上に辛そうだなあ、なんて事をそれで思っているが、さて。他の人も俺と大体同様の状況らしく、

 

「此方は特に何もなかったで御座るなぁ。念のため色々と気も張っていたが、それでも特に監視されるとかそういう事もなかったで御座る」

 

「あ、自分は旦那様からよくやったって滅茶苦茶褒められたっすね。やっぱ狂ってるよあの方達。次はお嬢様を絶対に連れて行けって念を押されたっすわ」

 

「お前の家はおかしい」

 

「そうで御座るかぁ……? 普通の事では御座らんか? 勝ち戦なら経験を積ませるのが定石」

 

「黙ってろ外国人。特殊ルールで生きている人間は意見を出すな」

 

 その言葉に楓がしょぼーん、としてしまうが、それを無視してハリアがえぇ、と頷いた。

 

「此方も動きがなかったです。交代の要員を手配して24時間警護の体制を整えていましたが……それでも何らかの行動は見えませんでしたね。それどころか中央からの干渉も特にありませんでした。本当に驚く事ですが、今回の件はワイズマン卿が完全にギュスターヴの干渉を弾き出す事に成功したようです……ダン、貴方はどうでした?」

 

 ハリアから視線がダンへと移り変わり、ダンは溜息を吐いた。

 

「シェリルお嬢様が旦那様からお叱りを受けた。とはいえ、具体的なペナルティの様なものはなかったが……現在、アルド殿下とワイズマン卿の庇護下にある様な状態だ。何らかのペナルティを与えたくても立場上難しいのだろうな」

 

「お叱り程度かあ……あんま心配する程ではなさそうだな」

 

「ま、そうなるな……それで貴様の方はどうだ?」

 

 視線が此方へと向けられるので、手を広げる。

 

「そもそもうちは1週間2週間じゃ手紙のやりとりが可能な範囲じゃないよ。今頃ここで暴れた事が漸く伝わってるぐらいじゃないかなあ。まあ、不眠でこの2週間都市内をずっと張ってたけど、俺のところには異常らしい異常はなんもなかったぜ」

 

 広げている手の上に小鳥たちが一斉に集まって止まる。手を降ろしたい所なので腕を前へと持ってくると、そのまま小鳥たちが頭や肩、角の上へと移動してくる。両手は自由になったが、俺自身は一切自由になってねぇんだよなぁ……。まあ、特に気にする程の事でもないから別に気にしないんだが。ただやっぱこいつらちょっと調子乗ってない? 改めて上下関係叩き込むか? 俺も眷属の作成で亜竜を作成できればなー、とか思ったけどやったら一発アウトだわ。

 

「うーむ……エデン殿がそう言うのであればそうなので御座ろうな」

 

「動物たちを使役して情報を集められるエデンさんはこの都市1の警戒網を持っていますからね……普通、ここまでコケにされたら報復の一つや二つされても何らおかしくはないのですが。寧ろワイズマン卿がどうやってここまで平和裏に話を整えたのか、其方の方が気になる所ですね」

 

「政治の話は魔窟」

 

 うーむむ、と口元を抑えながら唸る。実際のところ、どういう政治的手腕があればあれほどコケにされたギュスターヴの報復を抑え込めるかというのはちょっと解らない。今のところ解っているのはギュスターヴ商会が継承レースの激化に一枚噛んでいて、その上でエスデル国内での影響力をかなり高めているという事だろうか? そんな相手にどうやって足を止めさせたんだろうか。直接的なコネを持っているとか? 或いは本人の弱みを握っているとか? 何にせよ、まともな手段ではないのは確かだ……そう考えるとあの老木の事がちょっと恐ろしくなるな。

 

「現状私たちで出来る事は引き続き警戒する事ぐらい、ですか」

 

「まあ、そうなるだろうな。とはいえ流石に2週間も経過して今から何か行動に移すとは思えないがな……。距離的に考えてここから王都まで話が届くのに早馬で2日だ。1週間もあれば何かしらの動きはあった筈だろう。それがないと考えると本当に何もアクションを取らないつもりなのかもしれないな」

 

「ふーむ」

 

 悩ましい話だ。起こるべき事が起きてないのだから、そりゃあ何もかも怪しく見えてくるだろう。とはいえ、現状権力のない俺達で出来る事と言えば警戒する事だけだ。

 

「となるとこの集まりも一旦解散かな」

 

「っすかねー。結局はどうしようもない話っすし」

 

「そんじゃ解散解散。それぞれの職務に戻って連絡を取り合う形で」

 

 ぱんぱん、と手を叩いて体に止まっていた鳥たちを空へと戻す。それに合わせて解散しようと集まっていたカフェから離れようとした所、ダンから少し待て、と声が響く。懐へと手を伸ばしながら数枚のカードをダンが引き抜く。そしてそれをそれぞれ、俺達へと渡してくる。触り心地から中々良い質の紙が使われているのが解る。紙面を確認すれば見慣れない名前が書いてあった。

 

「これは?」

 

「招待状だ―――ヴィンセントの処刑へのな」

 

 ダンがそのまま言葉を続ける。

 

「悪趣味だとは思うが、それでも子を殺された事に対する怒りを少しでも発散する為に公開式でリンチと処刑を執り行うらしい。それに捕まえた者達も是非、と」

 

「興味ないで御座る」

 

 楓は一瞬で招待状を破って捨てた。それをダンが苦笑して去る姿を見送った。

 

「無論、強制ではない。そしてお勧めはしない。主に伝える必要もない。悪趣味な催しに付き合わされるだけだ」

 

 その言葉にハリアとクルツも招待状を破り捨てた。

 

「お嬢、こういうの嫌いなんで」

 

「殿下には無駄な苦労は必要ないでしょう」

 

 その言葉と共にクルツとハリアも去って行く。その姿をダンと共に見送りつつ、手元の手紙へと視線を向ける。その中身を素早く確認してからけっ、と声を零して魔力を流し込む。白い魔力の効力によって紙は一瞬で浄化されて存在が希薄化し、消滅する。

 

「趣味じゃない」

 

「ま、だろうな。俺の方から断りを入れておくさ」

 

「おう、そんじゃ」

 

 ダンへと向かって手をひらひらと振って俺もカフェを後にする。

 

 

 

 

 ごろり、市内の公園の芝生の上に寝転がる。木の根元には影が差していて日を遮ってくれるお蔭で過ごしやすい。頭の中を満たすのはヴィンセントの処刑の事だった―――当然と言えば当然の話だ。罪を擦り付けた先なのだから、ヴィンセントがその罪を清算するのは決まり切った事だ。そしてそれが貴族の命を奪ったという罪ならば、その分苦しめられるのも当たり前な話だ。そもそもこの世界、この時代、貴族による私刑は割と普通な事だったりする。

 

 法整備や倫理観の発達が他国よりも早いエスデルだからこそ比較的現代に近い考え方でも生きて行けるのだが、そもそものベースが人権とかの考えが未発達の世界なのだ。

 

 盗めば腕を切り落とす。

 

 詐欺なら舌を切り落とす。

 

 殺人に対しては死を与える。

 

 犯人にも人権があるとか、罪に対して非道すぎるとか、そういう考え方は基本的にはない。悪い奴は悪い奴で、悪事に対する償いが死や苦痛を伴う事は当然でしかない。ヴィンセントがやった事はマフィアの運営、麻薬の密売、銃器の密売、そして貴族の子弟達をクスリに沈めたり殺したりしたという事。その一部が例え、俺達が押し付けた冤罪だったとして、それ以外にもヴィンセントが殺人を行っているのはほぼ確実だろう。だからこれはヴィンセントが受けるべき、当然の報いでしかないのだ。人を殺したのだから、人を苦しめたのだから、ヴィンセントが苦しむのも死ぬのも必然の話でしかない、

 

 と―――そう割り切れるんだったら、どれだけ楽だったのだろうか。

 

 割り切れるはずがない。そんな簡単な話じゃない。人を殺す事を覚悟しても、人を殺せるようになっても、人を殺したほうがいいと判断しても、それでも人を殺す事は決して良い事ではない。殺す感触は気持ち悪いし、人の断末魔は聞きたくないし、殺せばその分憎しみが空気に紛れて浮かんでいるのが見えている。魂が抜けて行く所を見た事があるか? 俺はある。良くある。殺すたびに見ている。どれだけ苦しんでいるのか、どれだけ苦しんだのかが見えているし。

 

 気持ち悪い。

 

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 

 何よりそれを受け入れようとしている自分が一番気持ち悪い。吐き気がする。この時代に自分の思考を適用しようとするとまるで自分の心を捻じ曲げる様な感覚に陥る。だが解っているのだ。異常なのは周りじゃない、俺なんだって。正義と悪という概念は既に倫理観の中で培われているのだ、ここの人々の中で。だからそれに俺個人でおかしいと主張したところで何の意味もない。

 

 それこそ俺はこれからも死体を積み上げなきゃいけないんだ。リアもロゼも戦う力は俺からすれば最低限のものしかないのだから。

 

 もう既に数百を超える屍を積み上げているのに、今更辛いとか苦しいとか言える筈もない。

 

 そう、殺したのならその死を背負わなければならないのだ。

 

 ならヴィンセントを死へと導いた俺の責任はなんだ?

 

 死ぬことをちゃんと見てやる事だろう?

 

「ま、そっか。そうなるか」

 

 招待状の中身は確認した。確認したのは一瞬だけだが内容を覚えるには十分すぎる時間だった。ここから1日程の距離の別の街でどうやらヴィンセントの処刑は行われるらしい。最初は公開リンチ、そのあとに首を吊るす……と書いてあったか。趣味は悪いし、到底理解の出来ない事だ。だけどその憎しみは解る。

 

 奪われたら何かに憎悪をぶつけないと、人の心というものは簡単に壊れてしまう。不幸を誰かの、何かのせいにしなくてはならない。そうしなければ心の平穏は守れないのだ。そして今回の件は何の同情も出来ない程にマフィア側が悪いのだ。

 

 それでも、命を奪って当然だと思う世界には吐き気がする。

 

 そうだ、俺は嫌いなのだ。殺すという考えが、平気で命を奪う世の中が。そしてそれを実行している自分自身に。それでも見て見ぬフリをしないのは、単純な矜持の問題なのだろう。

 

 もっと楽天的で考えない性格であれば良かったのだろう。だけど幸か不幸か、賢い種族に生まれてしまった。納得のいかない答えにずっと別の答えを探し続ける人生は疲れる。

 

 いっそのこと、記憶喪失にでもなってしまえば楽だろうに。

 

「ふぁーあ……眠っ」

 

 もっと自然のある場所で眠りたい。都会という環境はめんどい。人が多すぎる。自然が少なすぎる。空気中のエーテルが少なくて体が辺境にいた頃程自由に動かない。酸素を必死に奪い合っている様な気分にさせられる。

 

 どうしてこんな所に来ちゃったのか……今更ちょっとした後悔が胸にある。

 

 ずっと辺境に閉じこもって生きている方が遥かに楽だっただろうに。

 

 だけど、リアの可能性を潰すのは嫌だ。実際のところ、元々が賢い娘だったのだ。勉強が嫌いなのは単純に楽しくないから。今、学園と言う環境で多数の友人を作って遊べているリアは勉強も遊びもこれ以上なく楽しくしている。

 

 その姿がちょっとだけ、俺には寂しかった。

 

 リアが少し大人になる様な……離れて行くような、そんな感じがして。

 

 でも結局100年後には今の時代を生きる人間は誰も生きていないんだ。そしてその頃には俺はまだ龍の雛のままなんだろう。これから途方もない時間を数えきれない別れを繰り返しながら生きて行く。

 

 その事を考えると、ヴィンセントの処刑と死は、始まりでしかない。

 

 俺はきっともっと慣れるべきなんだろう。

 

 死と苦痛に。

 

 隣人の様に愛して抱擁すべきなのだろう、この理不尽を。

 

 だから俺は見に行くことにした。

 

 こっそりと、誰にも悟られない様に。

 

 罪と罰という言葉の意味が現代ではどういう形を持つのか。




 感想評価、ありがとうございます。

 ちょくちょくランキングに上がったり、もうすぐ評価数500が見えてたりで普段から応援ありがとうございます。エデンちゃんはお風呂に入る時頭から洗うタイプです。

 次回、死刑執行。


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デスペナルティ Ⅵ

 ―――俺は思う。

 

 この世界は思ってたよりも憎しみに満ちているのかもしれない、と。

 

 

 

 

「良し良し、俺の声に応えてくれてありがとうロック」

 

「くるるるぅ……」

 

 久しぶりに会えたロックの首を撫でてやる。辺境へと渡り鳥を使って連絡を取れば直ぐにロックがこっちにまでやって来てくれた。本当に助かる事だし、忠誠心に厚い奴だ。労う様に首筋を撫でつつ、悪いと零しながら振り返る。エメロードの門を抜けたところでは完全にテイムされているロック鳥の姿に驚きの様子を見せている門番たちと、そしてルシファーの姿があり、ルシファーは気にするな、と手をポケットに突っ込んでいた。

 

「1日だけ護衛を代われば良いのだろう? まあ、お前にも自由な日ぐらいあっても良いという事だ」

 

「出来たら俺も分身出来れば良かったんだけどなぁ。流石に真似できなかった」

 

「何、お前だって練習と鍛錬を重ねれば質量のある残像ぐらいは出せるようになるさ―――100年後ぐらいには」

 

 100年後かあ。長いなあ、と思うし短いなあ、とも思う。永劫を生きる身からすれば100年なんてそれこそ刹那の出来事なのかもしれない。だけど今、ここで、この場所で感じている日々は唯一無二でずっと続くような緩やかさで時が過ぎ去って行く。そう考えると100年という時間は遠い未来の話でもある。まあ、今は出来ない事だし考える事でもない。それこそグランヴィルの血が絶えて俺がフリーになった時に考えれば良い事だ。

 

「そんじゃ行ってくる」

 

「あぁ、行ってらっしゃいマイフレンド。自由な日を満喫してこい」

 

 ルシファーにサムズアップを向けてロックの背中に跨ると、軽く脇腹を蹴って空へと飛びあがらせる。門番連中からマジかよ、なんて言葉が聞こえてくるのが少し面白い。やっぱりロック鳥を騎乗用の動物として飼っているのは完全に常識外れの行動なんだなあ、と思う。なんかウチの裏庭で繁殖しているのも含めて環境としておかしいのか。うん、冷静に考えたらおかしいな。

 

 ま、どうでも良い話だ。空へと飛びあがりながら安定したロックの背の上で軽く体を落ち着かせながら飛翔する。

 

「それでロック……最近はどうだ?」

 

「くぇ!」

 

 ロックが飛翔しながら最近どうだったか、というのを語ってくる。気が付けば動物とコミュニケーションを取るのも割と当然のようにしているなあ、と思う。

 

「へえ、雛に変異種が生まれたんだ。仲良くしてる? ほうほう、懐いてると。へー」

 

 ロックの一家はどうやらグランヴィル家の移動のお手伝いや仕事をしたり、最近辺境での郵便のアルバイトまで開始したらしい。確かに戦闘力のある飛行できる生物が郵便物を運べるなら、完全にその手の商売でトップに立てるよなあ、って思うが―――いや、待て、アルバイトをするって発想どこから来たんだ? え、まさか金取ってるの? でも辺境の都市の人たちはマジでロックの存在に慣れ切ってるし、普通にお買い物とか許しちゃう?

 

 そう言えば前、お使い頼んだら普通に買って帰って来てたな……まあ、ええか……。

 

 俺達がいなくなってグランヴィル家は少し広くなって、寂しくなった。だけどこの動物たちが一緒に暮らしているならきっと、それなりに騒がしく寂しさを感じさせる事もないだろうと思う。そう言う意味では本当に良くやってくれていると思う。この手の話は常に心を温かく、明るくしてくれる。

 

 だがそれは同時に現実逃避でもある。

 

 しっかり現実を見よう。

 

 俺は近くの都市へ―――ヴィンセントの処刑を見届ける為に移動していた。

 

 聞いた話、元々はエメロードでヴィンセントの処刑を行いたかったらしい。だがこれに当然NOの声を出したのがエメロード学園長にして市長、セージ・ワイズマンだ。理由はとてもシンプルで分かりやすく、悪趣味であり、都市への悪影響があるから。これに遺族達は怒るも拒否されたので仕方がなくエメロードから一番近い都市でこの処刑を実行する事を決めた。この近隣の主であるフランヴェイユの声を無視して。

 

 なんかもう、憎しみだけで動いているような感じがする。

 

 泥沼の殺し合いの気配が少しだけした。果たして本当に許可を得たのか、或いは強引に行おうとしているのか。細かい事を把握している訳ではない。だが重要なのはヴィンセントの処刑が執り行われる予定であり、そしてリンチは既に行われているという事だ。聞いた話では既に都市の中央でヴィンセントの姿は死なない様に最低限の治療を受けながら石を投げつけられたりしているらしい。

 

 犯罪に対しては非常に厳しい時代であり、世界だというのは理解していた―――だがその度合いを俺は、ちゃんと認識してなかったのかもしれない。それを知る必要がある。自分が正義だと認識して実行した行いがどういう結果を生むのかを知る必要がある。だって、俺はこれからもたくさんの人を殺していくのだろう。それがどういう結果に繋がるのか、ちゃんと理解しなきゃならないだろう。

 

 少なくとも、それが責任という奴なんじゃないかと思う。

 

 だからロックの背に乗って数時間飛翔する。

 

 見えてくるのはエメロードよりも小さな都市。都市を囲む城壁の外側に畑や放牧地が広がっており、エメロードとは違い家畜や作物が育てられているのが見えた。そしてその影響で都市の壁を崩して更に広げるのが難しいと解る。だがエメロードと比べれば、此方の方がオーソドックスな中世ファンタジーらしい都市の形なのかもしれない。都市の形態として考えるとやはりエメロードが異常という他ないので、比べるのがおかしいのかもしれない。そう考えながら都市に近づくに連れて軽くロックに旋回させてから1km程離れた場所でロックから飛び降りて街道に着地する。

 

 流石に初見の相手にロックで門の前まで迫る勇気は俺にはない。

 

 今日はパーカー付きのジャケットを着てきている。都市に入ったらこれを被って顔を隠そうなんて事を考えてたりするも、流石に都市に入る時に顔を隠すつもりはなかった。街道を歩き門の前まで進んで行く。街道の通りはエメロードの時と比べると少なく感じられるが、別段活気がないという訳ではない。エメロードが特別活気で溢れているだけだ。門の前の警備も……あちら程物々しくはないように感じる。

 

 これが大都市と都市の規模としての違いなのかもしれない。エメロードと言う大都市が近くにある恩恵を受けつつも、それほど成長する事が出来ない都市の現状。それが悪いという訳じゃないが、大都市に慣れている人からすれば物足りなさを感じるだろう。俺個人の意見を言わせれば、どっちも人も人工物も多すぎる。もっと自然豊かな場所の方が好ましい。

 

 ともあれ、そんな事を考えていると門の前にまでやってくる。ブーツの裏に感じる石畳の感触を踏みしめながら門番へと視線を向けると、此方を確認するように目線が頭から足元へと向かう。

 

「お前、用事は?」

 

「冒険者。警備やら何やらで仕事がありそうな気配がしてるからな」

 

「成程。カードはあるか? ……良し、通って良いぞ」

 

 冒険者カードを提示すればあっさりと身分を信じ、通してくれる。カードをポケットの中へと突っ込んで都市に入り、パーカーを被る。どうしようもない後ろ暗さが、顔を隠してしまう。あまり周りに見られたくない、覚えられたくない―――そんな気持ちで顔を隠してしまった。実際、こんな悪趣味な集まりに参加しているとは思われたくはなかった。

 

 とはいえ、ここまで来ているのだ……言い逃れは出来ないだろう。

 

 視線を真っすぐ門から中央へと向ければ、中央広場の姿が遠目に見えてくる。円状に開かれた広場は今、中央に処刑台が設置され、その前に犯罪者を吊るしているのだろう。自分のいる今の場所からでは処刑台が邪魔でヴィンセントの姿が見えない。近づいて場所を変えない限りは視認できないだろう。

 

「……行くか」

 

 他にどこかへと寄る事もなく一直線に中央を目指す。前へと踏み出す足は鉛を縛り付けたような重さを感じる。今更になって深く考えすぎじゃないかと思う。ヴィンセントの行いは自業自得だ―――そもそも最初から悪い事なんてしなければこうはならなかったんじゃないか? 悪い事は悪いから、罰せられるのだ。それを覚悟して悪事を働いていたのであればその末路が悲惨になるのは当然の話なんじゃないか?

 

 それともこれは今更になって見たくないからとしている言い訳か?

 

 何にせよ、歩みは止まらないし、止めない。悩んでいても結論は出ているから足は進むのだ。だから俺は広場に到着し、その正面へと、ヴィンセントの姿を確認する為に回り込んで、

 

 言葉を失った。

 

 首を吊る為の処刑台の前にはヴィンセントを飾る為のスペースがあった。そこに両手足を鎖でつながれたヴィンセントの両目は瞼諸共抉り抜かれていた。指は全て折れて、捻じれ、或いは抜けている。爪は全て剥がされ、右足は膝から下を喪失している。周りには血の付着した石が転がっており、足元には血溜まりが出来ている。死なない様に観察している兵士が周囲には存在し、治療のために待機している者もいる。傷つけ、死にかけ、そして死の淵から呼び戻す。その為だけの人員だ。

 

 その体に無事な所なんて何一つもない。衣服は全てはぎとられ、裸体を晒している。体はどこも傷ついて、千切れて、切られて、打撲されている。頭を見れば頭蓋骨が見える。髪を引っこ抜こうとして頭皮まで剥がしたらしい。

 

 悪意だ。憎しみ以上の悪意がここには渦巻いていた。耐えきれないほどの憎しみと悪意だけがあった。一息に殺せばここまで苦しむ事もなかっただろう。だが苦しんでいる。それがこれまでの罪の清算になるから。

 

 ―――本当に? 罪を犯したとしても、これほど苦しむ必要があるのか? 誰かに?

 

「おらっ!」

 

「糞マフィアめ! 娘を返せ!」

 

 罵倒と憎しみの声が広場に響く今も数人、石を拾い上げてはそれを投げつけ、笑ったり泣いたりしている。傷口に当てれば10点とスコアを口にする奴だっている。

 

 悪事は悪事だ―――それが誰かを苦しめて、誰かを傷つけた事実に変化はない。不可逆の行いだ、誰かが苦しんで死んだり破滅したらそれはもう、どうしようもない事だろう。その行いこそが罪という概念なのだろう。

 

 それは許されるのか? そのあとの行いが善き事だとして罪は許されるのか? その行いが極々少数の身内コミュニティの為の、誰かを救うための行いであれば罪は許されるのか? 誰かを傷つける行いは許される事なのだろうか? 当然、駄目だろう。罪は罪で、悪は悪だ。許されてはいけないし、正当化される事でもない。結局悪い事をしてはいけない、というのはその行いが何時か必ず法を通して巡ってくるからという話なのだ。

 

 だから人を殺してはいけない。

 

 人を傷つけてはいけない。

 

 それは悪い事なんだ。

 

 それは極々普通で当然で、当たり前の事だ。

 

 だったら―――これは、なんだ。

 

 人が人を傷つけている。悪人を善人が石を投げて傷つけている。これは……正しいのか? 奪われたから、或いは相手が悪いから殺しても平気なのか? そうやって泣きながら返せと叫んで石を投げた所で、奪われたものは決して戻ってこないだろう。じゃあその感情は? 行き場のない感情を呑み込まなきゃいけないのか? それも……違うだろう。誰だって感情を吐き出す場所を欲しがっている筈だ。

 

「……なんて醜悪なんだ」

 

 剥き出しのエゴイズム、嫌悪感と殺意と憎しみと悪意と悲しみが混ざり合いながら溢れている。歯を全て引き抜かれたヴィンセントはまともに言葉を発する事さえも出来ずに口をパクパクとさせながら痛みと諦観の中で死を待つしかできない。或いはもう、その心は受けた拷問によって死んでしまったのかもしれない。或いは本当にあの時冗談と脅迫の為に言った奴でもやってた方がまだ救いがあったのかもしれない。

 

 これが選択の結果か?

 

 だが他にどうしろってんだ―――ほかに俺にどんな選択肢があったと言うんだ。

 

 敵はそこら辺にいて、守らなきゃいけないもんがあって。その中で誰もが傷つかない選択肢を選べというのか? 無理だ、そんな選択肢は存在しないんだ。犯人が存在する時点で誰かが傷つけ、傷つけられたという事実が存在するのだ。それを躊躇しない誰かがいる時点で平和的に全てを収めるという事は不可能なのだ。

 

 だから俺はこれからも己のエゴイズムの為に人を殺すしかない。リアを、ロゼを守るために敵がいるのならその全てを鏖殺する事を考えなければならない。ナイーヴな考えを捨てて、ただ殺戮する事に何も考えない様にならないといけない。

 

 ―――本当に?

 

同胞(かぞく)が泣きそうな話だ」

 

 今度、古き世界の支配者たちに会えたら聞きたい。

 

 本当に良かったのか? こんなのが大半な種族が世界を支配して。世界の覇権をこんな連中に渡してしまって本当に良かったのか? 人類の大半は今でも殺し合っているんだぞ? だというのに覇権を渡してしまって良かったのだろうか。いや、それは俺の考える事じゃないか。もう既に時代は人のものだし、俺も俺で何様のつもりって話だ。

 

「責任は取る」

 

 拳を作り、指の骨をぱきり、と鳴らして手を開く。処刑台に背を向けて歩き出す。“宝石”の気配はない。俺が暴れればこの都市は1時間もせずに陥落するだろう。なら大丈夫だろう。そう判断して空間エーテルを静かに掌握する。自分の意思と空間のエーテルをリンクさせる事で即座に利用可能なリソースとして支配し、

 

 処刑台から門へと向けて、ゆっくりと歩く。魔力を偽装し、誰かがやったか解らない様に掌に魔力を集めて処刑台付近と繋げ、

 

「《にぎりつぶす》」

 

 拳を作り、ヴィンセントを処刑台諸共握りつぶした。

 

 破壊から消滅まで1秒もかからない。クレーターを生み出す様に処刑台を含めた地面が抉れ消えた。悲鳴と怒号が都市に響く。目の前の消滅事件に恐怖を感じて一斉に逃げ出す人々が出てくる。その混乱に乗じて都市の外へ、流れる様に逃げる。

 

「じゃあな。せめて魂が冥府の川へと辿り着く様に冥神様には声を届けておくよ」

 

 見るべきものは見た。

 

 果たすべき責任は果たした。

 

 ()()()()()()()()()()()()()なのだ、俺は。

 

 それが今日、良く解った。

 

 それだけ。

 

 ただ、それだけ。

 

 これからも、悪夢を積み上げて行くという話だった。




 感想評価、ありがとうございます。

 ついに500評価を超えました! これまでの最高評価数に近づいているのを毎日わくわくしながら眺めてますね……w

 やるべき事はやる、ただしそれが本当に最善だったか、必要だったのか、それを真面目に考えて責任を考えてしまう。そんな事考えなくても悩まなくても良いのに。だから苦しむ人。


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デスペナルティ Ⅶ

 ―――いっそ、力なんて無ければ楽だと思った。

 

 だけど考えれば考える程力がない方が恐ろしいと気づく。

 

 結局のところ、強い奴が正義な世界では、力を持たない事こそが悪なのだ。法であれなんであれ、それを超える暴力が存在するなら、力がなければ何も守れないのだ。だから力があっても、力がなくても。苦しむであろう事実に何も変わりはないのだ。だから俺達は苦しみながら生きて行く事を強いられる。

 

 苦しみを隣人として抱擁して生きるしかないのだろう、と、俺は人狼の頃からずっと思っていた。人は求めていなくても苦痛のある方向へと進んで行く。人は他人の痛みに対しては鈍感だ。人は己の為であれば他人の命を貪る事を良しとする。人は―――人は、その本質は愚者である。それはもはや疑いようのない事実であり、他者を傷つける事を止めようとしない。だから生きる事とは傷つき、傷つけあう事である。

 

 苦痛に終わりはない。生きている間は。

 

 そしてそれを認めたくなくて……ずっと、別の答えを探してる。

 

「―――あーあ、酷い天気だ」

 

 処刑台を潰して、ヴィンセントを消して、その魂がル=モイラへと届く様に軽く祈りを捧げた。冥府の神は魂を冥府の川に流し、その罪と穢れを洗い流す事で魂に次の生を与える神である。最も穢れており、最も神聖な神でもあると言われている。死という概念そのものであるが故に多くの人々は恐れ、そして畏れている。だが言ってしまえば延々と魂の洗濯をするという罰ゲームを引かされた神様でもある。そのメンドクサさと責務の重さを考えると俺は尊敬するしかない。だって、ほら、俺だって転生した命だし。

 

 宗教的観念で転生の話をされるとまあ、あったら良いよなって話になるだろう。

 

 だが実際に経験してみれば話は感謝へと変わるだろう。実際に経験してしまって実在するって解っているからこその感謝だ。だから俺はル=モイラという神を尊敬している。そりゃあ勿論、どこぞのソ様よりは。

 

 もっとも神々に身近な身だからこそ解るのだ―――あの方々は何時も見ていて、見守ってくれている。

 

 だけど彼ら、彼女らが目を留めるに相応しい行いを己は出来ているのだろうか? 楽しく、笑って過ごしてくれればそれだけで良いとソフィーヤ神は言った。だけど本当にそれだけで良いのか? 生きる為に命を奪う事を一体どう思っているのだろうか? 俺は、一体何を期待されているのだろうか。

 

 思考は一度の負の連鎖に組み込まれるとひたすらダウナーに追い込まれるように気分が沈没して行く。負の感情は深海の底で沈殿し、積層して行く様に心の中で重みを増して行く。

 

 それに拍車をかける様に空は曇天模様。舌に感じる空気の湿り気は直ぐに雨が降りそうな事を示している。後1時間もしないうちに雨が降り出すだろう。そうなったら帰りは濡れながら帰る必要があるだ―――あぁ、いや、そもそも濡れずに済むな。魔力を纏えばそれで解決する話だ。

 

 都市を飛び出した人たちは恐怖におびえながら振り返り、門番や衛兵たちは必死に恐慌状態の人たちを抑えようとしている。都市のど真ん中でテロがあったのだから当然と言えば当然だろう。被害者は犯罪者ただ一人だが、それに向けられた凶刃が何時自分へと向けられるか解らないという恐怖が人を惑わせる。これが現代であればスマートフォンを使って写真を取ったり、SNSで拡散したりと面白がる行動をとる人も出てくるのかもしれない。

 

 だがこの時代、この世界では死は誰にとっても身近なのだ。

 

 発達していない医療、まだ残される迷信、原因不明の病、モンスターによる殺傷事件。死の概念が日々の中に付き纏う中で誰もが自己保身を前提にして行動する。危険に対する嗅覚が優れていると言っても良い。処刑台とヴィンセントを消し去った魔法に対して、絶対に勝てない恐怖を察知した。だからこそ都市内部が危険だと覚り、外へと逃げようとしているのだろう。

 

 ―――まあ、その犯人も一緒に外に出ちゃったのだが。

 

「……なんか、帰りたくないな。悪いロック。しばらく歩くわ」

 

 空を旋回するロックの姿を見上げて声を送れば、ロック鳥がいつでも呼んでね、と軽く鳴き声で返答しながら飛び去って行く。本当に良い奴……奴? 良い鳥? だよなあ、と優雅に空を飛び去るロック鳥の姿を見送り、

 

 街道を歩く。

 

 エメロードへと向けて。無論、その道の全てを歩いて帰るつもりはない。だけど今はちょっと、直ぐに帰ろうと思えなかった。この胸の中にある疑問と黒い感情、これを一定まで消化できるまでは帰ろうとは思えなかった。だからパーカーのフードを脱いで外気に髪と角を晒し、肌で感じられるようになった湿気に身を任せる様に歩いた。

 

 少しずつ重くなって行く雲は今にも落ちて来そうな気配をしている。雨の気配に街道脇の雑草が風に嬉しそうに揺れる。天から降り注ぐ恵みを今か今かと待ちわびているのを感じる。ここ最近、雨が降っていなかっただけに今日の雨は重くなりそうだ。

 

 そう思いながら歩く。遠巻きに都市を眺める人たちはおかなびっくりと言う様子で都市を眺め、それ以上離れる事も近づく事もしない。都市の周囲に広がる畑で働く農家たちは漸く都市で何か異常があったのだと気づいて視線を向け、首を傾げる様に仕事へと戻る。

 

 人が1人死んだ―――それでも自分の人生に関わるものでもなければそんなもんだろう。

 

 誰かが死んだ。だけどそれを最後まで気にする事は稀だ。命なんてのは結局、その程度のもんでしかない。他者の痛みに対して鈍感なのだ。他人の痛みに対して鋭敏になるのは余裕が必要で、この世界には現状その余裕が欠けているのだろう。

 

 衣食住、その全てが揃うだけで人は満たされるのか? 否、否だ。

 

 人の欲望は際限がない。満足する事無く上を、もっと上を目指し続ける。それが他の種族を超える人間の繁殖力、そして成長力の正体だ。

 

 言葉を変えれば、人類こそが星を最も蝕む害虫だとも言えるだろう。

 

「ま、俺も寄生虫みたいなもんだけどな……」

 

 俺は、なんなのだろうか。この肉体の主と俺は、本来は別人なんじゃないか? もしかして俺は間借りしているだけなんじゃないのか? 時折、自分の事を考えるとそんな考えが浮かんでくる。果たして俺は本当に生まれてきて良かったのだろうか。

 

 人を殺すたびに思う。俺に他人を殺すだけの価値があるのかどうかを。

 

 ぽつり、ぽつり、雨が降り出す。

 

 最初は小雨だった雨も少しして本降りへと変わる。ざあ、ざあ、と音を立てながら降り注ぐ雨は容赦なく体に打ち付けてくる。魔力を纏えば俺はそれで水滴を弾けるが―――そんな気になる事もなく、雨を受けとめる様に道を歩く。

 

 頭の中でぐるぐると巡るのは悪い考えばかり。答えのない質問ばかり。どうして、どうして、どうして―――そればかりをどうしても考えてしまう。本降りになり始めた雨は他の音を全てのみ込んで洗い流す。景色も水滴で濡れ、そして雨と霧に滲んで行く。季節は春、まだまだ暖かい頃。だが雨に濡れて行くと少しずつ水の冷たさが体に浸透していく。それがヒートアップした脳を冷やしてくれているようでありがたかった。

 

 あぁ、解っている、解っているんだ。こんな事自問していても答えなんて出ないって。

 

 だけど、じゃあ、どうしろって話なんだ。何年も前からずっと考えている。考える事を止めずにずっと考えながら戦っている。それでもまた人を殺している。戦って戦って、戦い続けて……生きている限り人と殺し合うのか? それ以外の種族とも殺し合うのか? これからもずっと? 龍は悪評を背負っている。俺が人間の姿をしているから誰も俺を龍だとは思わないだけで、俺が龍だと分かれば掌を返して殺しに来る連中は多いだろう。

 

 少なくとも俺が龍だと解って接触している人間が異常者なだけだ。本来であればパブリックエネミーとして真っ先に処断されているだろう。そしてその名がある限り、俺は常に命を狙われ続けるのだろうと思う。

 

 だってほら。

 

 正面を見た。

 

 雨風が降り注ぐ中、傘もなく、姿を隠す事もなく、吹き荒ぶ雨の中に晒される姿がある。それは俺と同じようにこの雨という恵みを受け取る1人の姿だった。彼は金髪をしていた。見た事のある上質なコートに、腰から一本の剣を下げている。名前すらも知らない男だ。だが彼の事を俺は良く知らずとも知っている。匂いを、気配を、そしてその恐ろしさを。

 

 傷が疼く。

 

 今も体に刻まれたままの傷跡が痛む。これまでそんな主張はしてこなかったのに、今の精神状態を表すかのように急に痛みだした。薄情にも程があるだろう、こいつ。痛みだすならもう少し前にしてくれたらまだ良かったのに。

 

 あぁ、そうだ。アイツだ。アイツが目の前にまで来ていた。本当に龍にとっての死神なんだろう、こいつは。まさか姿を変えて名前さえも解らないのにここまでやってくるなんて。本当に、本当に甘かった。或いは、助かったのかもしれない。

 

「なあ」

 

「……」

 

「本当に俺達は……絶滅する必要があったのか? 人類にそれだけの価値はあったのか?」

 

 その言葉に龍殺しは答えない。剣に手をかけない。雨の中、穏やかな様子のまま立っている。まるで俺の事を待っているかのように。だから前に進んで、男の前に立った。剣を抜かれたら逃げられない、避けられない距離へと。男が殺そうと思った瞬間には殺せる距離に。

 

「同胞の死に意味はあったのか? 俺がお前に生かされた事自体意味があったのか? なあ、なんで世の中がこんな……こんなにも救いがないんだったら俺を生かしたんだ? こんなにも酷い世の中なのになんで俺の事を殺しきらなかったんだよ」

 

「……」

 

 雨の中、金髪を濡らすその顔は前髪が垂れて見えない。男から答えはない。或いは、男さえも答えが見つからないのかもしれない。

 

「生きる事は辛いか」

 

「いいや、そうじゃないんだ」

 

 はあ、と息を吐き出す。

 

「そりゃあ世の中悪い事ばかりじゃないさ。エドワード様もエリシア様も教育方針は割とスパルタだけど優しく、とても良い人達だ。きっと人の悪い所をいっぱい見て、それが嫌になって都会とか、中央とか、政治とか全部捨てたんだと思う。こうやって政治が見えてくる場所にいると良く解るよ。人間って醜くなろうと思えばどこまでも醜くなれるんだって。そこに際限はない。落ちる所まで落ちる事なんてないんだ。落ちられる場所はどこまでも存在するから」

 

 だけど世の中はそれだけじゃない。

 

「サンクデル様はとても賢くて慈愛に溢れた領主で……辺境の人たちは逞しく生きている。タイラーさんはなんで死ななきゃいけなかったんだろうって思うぐらい凄かったし。ロゼだって人の汚れた部分を見ながらもそれでも、って思いながら良くしようと頑張っているし……リアは……」

 

 守りたい。好き。愛している。あらゆる汚濁から守ってあげたい。彼女の世界を広げてあげたいけど、彼女にこの政治と貴族の世界は似合わない。俺が防波堤となって彼女を守らないと、あっさりと利用されて使い捨てられてしまうだろう。

 

 そうだ、

 

「世の中汚い事ばかりじゃないんだ―――だけど世の中の大半が汚れてる。それが人の世で、人が回している世だ」

 

 ()()()()()()()()()

 

 それが根本的な社会の考え方だ。人をどう使い、どう潰すか。そしてどうやって労働力を補充するか。それを考えた上で支配階級が常に搾取する側に回っている。それが悪いのか? って言われたら答えに窮する。だってそれが社会の基本構造であり、能力のある奴が上に行くのは当然の事だろう。

 

 問題はそれを悪用し、血肉を啜る吸血鬼みたいな連中がたくさんいるって事で、

 

 それが別に珍しいって訳でもないって事だ。

 

「生きるのって疲れるよ、龍殺し。悪い奴を殺してさあ、おしまい……って童話みたいにはいかないんだ」

 

 殺したら殺した分のカルマを背負う。その重みを常に感じている。そしていつかその重みに殺されるんだ。目の前の龍殺しが途方もないカルマを背負っているのが見える。これまで殺してきた龍、それに対する罪の意識が常にこの男を押し潰している。

 

「―――死を、求めるか?」

 

「死にたくない。やりたい事はいっぱいある。今更死にたくなんてないよ」

 

 だけど、解らなくなってくる。

 

「今ある人たちだって100年後にはもういない。愛する人も時と共に風化して行く。これからも俺はずっと(あく)として生きて行くのに、何もしてなくてもずっと命を狙われる。死にたくないから誰かを殺す。向けられた悪意と殺意を乗り越えて行くには俺も殺さないといけない。そのカルマをずっと背負って生きて行くしかないんだろう? それが解っていて俺を生かしたんだろう?」

 

 なあ、

 

 あの時どうして殺してくれなかったんだ? その方が何も知らずに終わって楽だっただろうに。

 

 今更……死にたくないって思うほど好きな人達がいる時に出てきて。こんな時に出てくるのは、本当にずるいよ。

 

 龍である以上、絶対に向き合わなければいけないのだ。俺の正体に辿り着いた相手と戦う、殺し合うという事実に。生きている以上、他人の命を貪るのは当然だ。

 

 その法則から俺は絶対に抜け出せない。

 

 だからヴィンセントを殺した。守る為に、生き続ける為に。誰かの死を、殺すという事を正当化するのは恐らくこの世で最も悍ましい行いだと思う。だけど心が壊れそうになって行く感触を前に自分の行いを正当化しないのは不可能なんだ。

 

 だからこの龍殺しも、俺が生きようとする上では絶対に殺さないとならない相手だ。だというのに、俺はこいつに勝てる気がしなかった。絶対に。たとえ一撃だって叩き込むのは不可能だろう。それぐらいの実力の差が存在していた。強くなったからこそ絶望的な実力差のスケールが測れてしまうのだ。

 

 あぁ、本当に惜しい。

 

「あーあ……今日が命日か」

 

 逃げられない。追いつかれてしまったのならそれは、もう、運命だろう。

 

 今日までたくさん殺してきたんだ。だったら殺される事もあるだろう。

 

 呆然とそう思いながら龍殺しの姿を見た。敵意もなく、戦意を見せずとも、そこにいるだけで龍に対する絶望的な死因となりうる存在を。そこに存在するだけで生きるという事を諦める程の猛者を。

 

 そうやって、

 

 俺は人を殺した(悪を成した)帰りに、死神と再会した。




 感想評価、ありがとうございます。

 第1話ぶりの龍殺しさん。距離を開けて対峙したとしても龍殺しさんが先手とってワンパンでエデンちゃん即死させる程度の実力差があったりします。

 これにて入学・1学期編は終わり。次回から数話ほど幕間挟んで夏休み編に入りますわよ。


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幕間 闇夜の攻防

 ―――闇を駆け抜ける姿がある。

 

 隠密性を選び騎乗用の生物を使用せず、両足のみで大地を踏破して行く姿はまさしく疾風という表現に尽きる。実際、黒い姿達を後押しするようにその背後には魔術によって生み出された追い風が発生していた。極小規模、小範囲。しかし移動を助ける様に発生する追い風は僅かとは言え速度を上げるという点で見ればコスパに非常に優れた魔術の一つでもあった。そうやって黒い影は闇の中を駆け抜けて行く。都合6体、闇に紛れる姿は迷う事無くエメロードへの道なき道を進んでいた、己の仕事を果たす為に。

 

 ―――何故、ギュスターヴは報復行動を行わなかったのか。

 

 黒い影たちは黒染めの装束で己の姿を隠しながら進んでいる。見つかれば目撃者を排除するなんて甘い事はしない。殺人は証拠だ。殺せばそれだけ痕跡が残る。プロフェッショナルは不要な事を何も起こしはしない。パーフェクトを目指す事が主の目的であり意思ならば、そうあれかし。それはそうなるだろう。

 

 だから黒い影たちは一切の痕跡を大地に残さない様に疾駆している。その力量は肉体に施された施術を含めて“宝石”と呼ばれる領域にある事は確実だった。完璧を求める。故に完璧な仕事をこなせる人材を運用する。その一手は間違いなく油断も慢心もない、殺しの一手。相手を殺す事を目的として“宝石”級の暗殺者を送り出す事はオーバーキルとも取られるかもしれない。だがそのオーバーキルであれ、職務が完全に遂行されるなら()()()()()()()()()()

 

 故に影達は職務を遂行する。その為にエメロードへと向かう。

 

 主をコケにした者達を皆殺しにする為に。

 

 ―――そう、ギュスターヴは報復をしなかったのではない。

 

 報告を受けたのと同時に、報復を行っていた。

 

 エメロード近辺のマフィアが壊滅したと報告を受けたのは実際に壊滅した翌日、スラム街に潜ませている監視の者からの報告だ。それを受け取った時には既に判断は済まされている。暗殺者たちは音も、痕跡も、そして相手の命を残す事さえも許さずその役割を果たすだろう。“宝石”が6という数字は明らかにオーバーキルだ。

 

 それは無論、龍姫や侍、無頼の存在を含めてのカウントだ。

 

 果たして守るべき存在を人質に取られてどれだけ抗えるだろうか? 複数に不意を打たれて生存出来るのはどれだけか? たとえそれが最強の生物であろうと、同格、或いは格上を相手にもっと上の相手を想定した訓練を行い、数を増して囲まれたならば勝てる見込みなど存在しない。数と質の暴力というのは一つ増えるだけでも戦力のバランスを容易く崩す。

 

 それ故、これは一切、龍姫が気づく事がなく発生した最大のピンチであり、危機だった。

 

 到達してしまえば最後、死が約束される。軽率な行いに対する罰と言ってしまえばそれはそうだろう。殺したのだから殺される。恨んだから恨まれる。当然の報いだ。悪行には必ずカルマが存在する。それが善き事の為であれ、エゴイズムを通す為であれ、絶対にカルマは発生する。

 

 その積層が運命となって命を蝕む。

 

 龍姫にはそれが物理的に見え、感じられている―――。

 

 運命視。魔眼。或いは龍眼。生命として超越しているが故に感覚が超越している。その悩みや苦しみは単純に心のものではない。生命として超越しているからこそ本能が運命を察知している。引き寄せるべきではないものを引き寄せてしまう。龍という存在全てで分散させるべき業の一切が、圧縮されているとも言える。だからこそデッドエンドを引きやすい。デッドエンドを招きやすい。運命の変動が激しい。

 

 良縁と巡り合いやすければ、悪縁も引き寄せる。ダイスの出目が極端にブレる。それこそ穏やかで何もない辺境に閉じこもってでもいない限り、振るサイコロはファンブルとクリティカルしか示さないだろう。

 

 そしてこれは大凶の中の大凶、死へと通じる因縁を一発で引き当てた。だから死ぬしかない。龍姫は人知れず報復のために始末される。その運命が街道を回避し、道なき道を進み、川を越える為に橋を大きく回避して水面を歩行し、その向こう側にある森の中へと入り込み―――。

 

「―――はいはーい、そこまでそこまでー! ストップストップ! ヘイ! 止まろうぜ! なあ、おい!」

 

 運命に、待ったをかけた。軽薄そうな青年がパーカージャケットのポケットに手を突っ込んでいる。カーゴパンツと合わせた姿は多少見た目が良い事を除けば特徴と言える特徴のない、普通の青年だ―――今、暗殺者を出迎える様に立っているという点さえ除けば。

 

 闇を駆ける暗殺者たちはその足を止めた。足元の草地に初めて足跡を残すのはそこに込める力からだろうか。視線は隠しながらも真っすぐに青年を射抜いていた。

 

「Dr.ヴァーシー・モンスター」

 

「ヘイヘイヘイ、旦那(ギュスターヴ)は元気にやってる? 俺が勝手に抜けて困ってない? やあ、それにしてもキミらの施術イカしてるねぇ! 神経系に筋肉、骨密度も相当弄ってるなあ! 俺が残したデータをベースにもしかしてもうアップデート入れたの? 魔界の連中やっぱすげえなあ、魔族ってこの手の改造とか施術必要ないから技術体系全く違うのに直ぐに理解してくっからなー! ずるいなあー! 俺も魔族が良かったなあ!」

 

 げらげらと笑う青年の姿に暗殺者は動じず、静かに戦意を沈めた。それは決して戦意を隠した、という意味ではない。静かに、静かに武器を隠す様に。確実に殺す為にその攻撃の予兆を消し去ったという事でしかない。

 

 この時点で暗殺者は目の前の青年が―――元ギュスターヴの雇われ狂人が敵対していると悟った。そしてその強さよりも恐ろしい狂い具合を理解していた。率先して人体をモンスターにし、モンスターを更に変異させるような怪物を相手に会話が成立しない事なんてそもそも最初から理解していた筈だった。

 

 なら、何故、足を止めた―――?

 

 6の内5が散開する。牽制するように正面へライフルを引き抜き構えた―――魔力改造の施されたアサルトライフルは引き金を引くのと同時に無数の弾丸をばら撒き夜の闇に閃光が走る。迷いのない殺意がヴァーシーの姿を襲う。

 

「はははは、まあ、そうなるよね」

 

 笑いながらヴァーシーが回避する。銃弾を見てから回避するだけの身体能力は当然、自分自身の体を弄ったことに起因する。それでもその動きが洗練された暗殺者の動きと比べて明らかに不格好なのはヴァーシーが根本の部分で戦う者ではない事を証明している。だからヴァーシーは必死に回避する。その程度の能力しか彼自身には存在せず、戦おうとすれば十数秒で追い込まれるだろうから。

 

「あぁ、もお、酷いなあ! 元同僚に対してその態度はなくないか!? いいや、まあ、俺も勝手に辞めたのは悪いと思うけど……サ!」

 

 ぱりん、ヴァーシーの手から瓶が零れて割れる。それとほぼ同時に四方から囲む様にアサルトライフルが火を噴く。高低差を付けた十字砲火は純粋に攻撃が通じる相手であれば逃げ場も防ぎようもない攻撃手段として有効だ。実際、ヴァーシーであればこの攻撃を避ける事は出来ない。

 

 龍姫であれば単純な肉体強度で耐えるだろう。

 

 侍であれば弾丸を切り裂き、切り裂いた弾丸をぶつける事で空白を作れるだろう。

 

 だがその手の技能も能力もヴァーシーには存在しない。高いレベルで存在する身体能力は単純に保険であり、生活を快適にする為のツールでしかない。だからそれを駆使した状況の打開なんてヴァーシーには出来ない。

 

 彼は元からそういう風であると己を割り切っている。だから打つ手は簡単だ。

 

 対応できる生き物を創造すれば良い。

 

 摂理に反する行い。道徳を冒涜する行い。モラルの一切を理解しながら考慮しない行い。生命が生命を冒涜し、創造し、そして使い捨てるという異常性。それをヴァーシーは躊躇する事無く行使する―――そもそも、ヴァーシーという狂人はそれにのみ特化した存在だからだ。

 

 だからその反応は素早い。ヴァーシーの手から零れた瓶から出現するのは流体金属。リキッドメタルスライム。殺到する弾丸に対する剛性を見せる事でヴァーシーの身を弾丸の十字砲火から守護し、弾く。放たれる全ての弾丸が希少鉱石をベースに作成されたスライムの肉体に弾かれる。

 

「ひゅー! 容赦ねぇ! だけど、まあ、しょうがないよな! だってさ、俺らもう敵だもんな! いや、俺は別に敵だと思っている訳じゃないんだけどだけどだけどぉ……まあ、しょうがないというか必然というか俺の女神様に手を出すってんなら皆殺しにされてもしょうがねぇよなぁ―――! いやあ―――! 俺、かっこいい―――! 人知れず愛の為に戦う俺、超! 超! 超! かっこいい―――!」

 

 馬鹿の様な事を狂ったように叫ぶ。だが状況はその間にも動く。銃が通じないと判断すれば攻撃手段は一瞬で切り替わる。魔法によって空気が一瞬で燃焼し、ヴァーシーの肺とその中の酸素を焼く炎が発生する。リキッドメタルスライムでは対処できない炎。

 

 ぱりん。

 

 氷原の蝶が試験管の中から出現した。発生する炎を分子振動の制御によって停止させる。ヴァーシーの肺を焼こうとした炎はその口へと届く前に一瞬で鎮火された。その陰で用意されていた剣が首筋を狙い、リキッドメタルスライムによって逸らされた。

 

 だが斬撃が速く、重い。硬度は伴っていても、技量も質量も薄い液体金属では鍛え上げられた暗殺者の刃を防ぎきれない。斬撃が入り、それに続く様に打撃武器を構える暗殺者たちの動きは徹底している。

 

 対応だ。

 

 対応力だ。

 

 ヴァーシーの恐ろしさは一つ一つの状況、状態、耐性に対して適切なモンスターを運用する事で対応できるという事だ―――だがその判断を下すのはヴァーシー本人だ。複数の武器、複数の道具、複数の手段。そこから最適解を選びだすのはヴァーシーの判断でしかない。故にその判断を上回る数の暴力を繰り出す事で処理落ちを狙う。

 

 単純にして明解、ヴァーシーを殺しうる唯一無二の冴えたやり方。

 

 それはある意味、準備されていた裏切りに対するマニュアルでもあった。

 

 だがその程度、当然ヴァーシーも把握している。

 

「はは! こわー! こわー!」

 

 地面からゴーレムの腕が生える。それが剣を弾く。羊型のモンスターが鈍器の衝撃を吸収する。雪原の蝶が空間の温度を一気に落として暗殺者を凍死へと追い込もうとし、純粋な速度を伴った投擲が蝶を散らした。

 

 触手の怪物が迎撃のために出現する。走る斬撃がゴーレムを両断し触手がヴァーシーの体を守った。虚空に浮かぶマリオネットの腕がヴァーシーの体を操作し回避の動作を作る。羊が焼け落ちてその中から人狼が産まれた。

 

 咆哮、熱狂、斬撃、打撃、砲撃、重撃。

 

 連弾、連弾、連弾、連弾。

 

 狂ったようにピアノの鍵盤を叩く様に音が夜に響く。対応を迫れば加速するようにモンスターが増える。試験管が砕け、足元をタップすればそこから出現し、多種多様の異形がまるで湯水の如く湧き上がってくるのを暗殺者たちは淡々と最適な殺害手段を選ぶ事で圧殺する。

 

 そう、圧殺する。

 

 この場において、状況のコントロールを得ているのはヴァーシーではなく、暗殺者たちだった。

 

 ヴァーシーが作る者に対して、暗殺者たちは典型的な戦う者達だ。

 

 確かにヴァーシーの創造物達はどれも極悪と言う言葉が似あうだろう―――だが所詮はそれだけだ。恐ろしく、致命的ではある。だが絶望的ではない。生物の範疇を超えない。生命という範疇を超えないのであれば冷静に対処すれば良い。

 

 見た目は確かに奇抜だ。

 

 だがそれだけだ。

 

 生命であれば、殺せる―――。

 

 その摂理だけが暗殺者たちを突き動かす。殺せるのであれば勝てるという当然の原理。斬撃、打撃、焼却、妨害、俯瞰、重撃。それぞれがそれぞれの役割を担当しながら素早く攻撃手段を切り替える事でヴァーシーの手札に対して対応を迫る。

 

 それは冷酷無慈悲な殺す為の動き、詰みへと導く為の動き、ヴァーシー単体であれば絶対にどうしようもならない状態。

 

「は―――」

 

 だがそんな状況で、頬を刃が掠めるのを感じながらも笑った。肌が焦がされながらも笑った。狂人の笑みではない。勝利を確信しているが故の笑み。そもそもそうだ、待ち構えていたのはヴァーシーの方だ。それを暗殺者たちは理解している。追い詰めるペースを、手札を切らせるペースを上げていても結局はこれは罠だ。

 

 最後の手札が切られる前に圧殺する、それ以外に勝機がないデスレース。

 

 解り切った話、これはどちらが先に死ぬかを競うレース。能力を比べてより優秀だった方が生き残る原初の闘争。

 

 その軍配は、

 

 あまりにもあっさりと、傾いた。

 

 黒、黒、黒、黒黒黒黒黒黒―――黒。

 

 闇よりも濃い黒が這い出る。まるで最初から存在していたかのように、だがまるでこれまでの騒乱を気にする事がなかったかのように、ゆっくりと闇より濃い黒がヴァーシーの足元から這い出る。根源的恐怖を思わせる黒は影の形をしていた。いや、それは最初からずっとヴァーシーの影の形をして同化していたのだろう、この時、この瞬間まで。

 

 その黒がやる気を出す瞬間まで。

 

 平面たる黒が立体へと切り替わる。判断は鋭く早い。鉈を握った暗殺者が上段から両断するように斬撃を放つ。黒、金属、そしてヴァーシー。その全てを同時に両断するように放たれた斬撃はしかし、黒に沈み込む様に呑まれ、抜けた。

 

 それは間違いなく平面だった。平面でありながら立体だった。影という奥行きの存在しない無限の平面が立体という形状で再現されるが故、質量が存在する無限に奥行きの存在する平面という形で存在している。

 

 黒い、影の底なし沼。それが三次元世界へと侵食する。振るわれる鉈はただ影を通り、振り抜いて何も切らない。その向こう側へと斬撃を通そうとしても斬撃は平面の中を泳ぐだけで反対側へと抜けない。物理法則を逸脱した現象はそれこそ特異能力保有者が形成する異界そのものだと言えるだろう。そう、その平面は底なし沼の影と言う一つの異界だった。

 

「なぁーお」

 

 気の抜ける欠伸を零す鳴き声。平面の底、ヴァーシーの足元から影の主が出没する。

 

「さあ、さあ、さあ、我が最高傑作をご覧ください。これは魔界に君臨したかつての魔王、その遺骸を惜しみなく注いで作成した異端の中の異端、両世界の究極のコラボレーションの奇跡! ナインテイルズ“グリマルキン”! さあ、皆に挨拶をどうぞ!」

 

「……」

 

 ヴァーシーの足元から出現するのは黒猫の姿。二股の黒猫の姿。どことなく煩わしそうな視線をヴァーシーへと向け、そして仕方がないと言わんばかりの気配を纏っている。或いはこの場にいる事も、この男といる事も、こんな時間を過ごす事さえも不満でしかないのだろう。

 

 だが影の王はその暴威を見せる。見せざるを得ない。故に現実を侵略する。面倒そうに四足で立つ二股の黒猫―――その足元、影は尻の部分から七つの尾が伸びている。実体の尾が二本、影の尾が七本。合計九本の尾を靡かせながら一歩踏み出す。

 

 その姿に大剣が叩き込まれる。

 

 闇を、影を避ける様に空間の合間を縫ってグリマルキンを狙って斬撃が落ちる。

 

 重量、速度を乗せた斬撃はもはや一撃が大砲に匹敵するだけの破壊力を有している。たとえそれが身体を強化された存在であろうと、まともに受けてしまえば体が砕けるだけのダメージを受けるのは必然だ。空を裂く切断力はそれが重量物であるからこそ加速する。殺す、その一点において武器というものは設計され、技巧によって完成されている。

 

「……!」

 

 それをグリマルキンは回避する。実体の尾を1本使ってヴァーシーを確保し、影尾を2本使って大剣を沈める。跳躍する姿は人よりも軽やかで、力強い。小型であると侮るなかれ、そのつくりは地上のあらゆる生物を想像して超える程密度の濃いものとなっている。

 

 故に死は黒猫に届かない。斬撃は底なし沼を抜けて振り抜かれる。だが当然それは本命などではない。1撃目、最初の攻撃が沼に沈んだ時点で暗殺者たちは対応策を導き出した。言葉はなく、ハンドサインと足音による暗号会話。態々言葉を口にする必要なんてない。

 

 そう、彼らはプロフェッショナル。

 

 怪物の一つや二つ、当然のように殺し慣れている―――。

 

「なぁおん」

 

 緩い鳴き声。だがそれに反して反応は鋭く、重い。影尾による迎撃。炎と氷、そしてオートボウガンによる毒矢の連射。素早い連撃が間隔をずらしながら集中砲火される。対応を迫る砲火は一瞬でグリマルキンの影尾を4つ占領する。交差、掲げ、伸ばし、自由自在に形を変える尾が攻撃を飲み込んで消化する。底なしの胃袋が永遠の虚として放たれた攻撃を呑み込み、その合間を縫ってハルバードが2本振るわれる。

 

 影尾による防御で3本使用される。長い武器はリーチだけではなくその円心運動から来る加速と遠当てが厄介だと理解するグリマルキンが保険に防御を回す。そしてその予想を当然と暗殺者が満たす。加速からの斬撃を放ち大地を抉り走る。

 

 大地を走る斬撃を放ちながら周囲から40を超える魔法攻撃が迫る。360度全ての方角から集中砲火し、前衛に張った暗殺者をサポートする攻撃が一気に降り注ぐ。

 

「……」

 

 だがその間も冷静にグリマルキンが対処する。影尾の質量が増大する。周りの闇を吸い上げる様にその大きさが変動する。それまでは尻尾の形をしていた7本の影が肉食獣の頭部へとその形を変化させる―――そう、さながら七頭の龍だ。形だけであれば龍を模した影尾が伸びて攻撃へと喰らいつく。

 

 そして食い千切った。物理的に存在しない筈の尾は明確に物理現象に対して干渉する。概念干渉、原理侵食、現実屈折。単純にグリマルキンという1匹の猫が保有する概念の総量が現実よりも重量を持っているというだけの事でしかない。

 

 それが解っていた暗殺者たちは絶対に安易な行動を取ろうとしない。グリマルキンは既にヴァーシーというハンデを背負っている。絶対に庇いながら行動しなければならないという制約がその戦闘力を大きく制限していた。

 

 その上で戦闘慣れ、殺し慣れたスキルが明確に有象無象の“宝石”クランの下級戦闘員とは明確に違う。効率的な訓練の上に繰り返されてきた実績、それはもはや単純に暗殺者の存在を物語のモブとして処理するのには不可能なレベルの実力者である事を証明する。

 

「はーっはっはっは! やるやるぅー! いやあ、皆さんほんとお強いですねもうちょっと手加減しても良いんですよぉぅぁ―――!」

 

 余計な事を喋ろうとするヴァーシーを引きずりまわす様にグリマルキンが引っ張る。戦闘速度が2倍に上昇する。単純なスペックだけであればかなり高いヴァーシーの意識が戦闘速度について行けてないのは、戦う者と戦わない者の差から来るものだ。

 

 そして弾ける閃光。

 

 闇には光を。

 

 影を消すには光の質量を。

 

 グリマルキンを消し飛ばすのであればその足元の影を。シンプルな結論から導き出された解答に閃光が影を焼く。影尾を少しでも削れれば問題無しと判断された故の一手、弾幕の中に混ぜられた閃光はどうしようもなく、眩く影を焼いて、その脆弱性を浮き彫りにする。

 

 一瞬の空白。影尾が焼かれる。光に消え―――焼かれた影が濃くなる。

 

 照らされた影は消える。成程、道理だろう。

 

 だが同時に強すぎる光は闇を更に濃くする。

 

 グリマルキンとヴァーシーに殺到する攻撃は焼かれた直後、一掃された。光に焼かれる事で更に強化された闇は、影尾はその強靭さと質量を増大させた。最初はグリマルキン自身の大きさしか存在しなかった影は周囲の闇を食って増大し、そして炎や閃光によって炙られる事で強化された。

 

 確かに夜と言う領域は影、闇を操る存在にとって最も有利なフィールドなのかもしれない。だが、こと、この二股の黒猫にとっては逆だ。日中こそ真のフィールドになる。光に焼かれ続ける日中でこそ無限にその影は濃さを増して行く。夜というフィールドは殲滅力を無限に供給される闇によって補う狩り場だ。そして今、光を供給されたグリマルキンの力は増大した。

 

 イミテーション・ドラゴンテイル。龍頭を模した影尾は質量と力の増大に伴い防御ではなく攻勢へと一瞬で転換する。まるで生きているかのように大口を開けた絶対悪の象徴が喰らいつく。放たれる魔法や矢弾なんて気にする必要はない。そんなもの触れた端から全て沈んで行く。

 

「っ……!」

 

 1人目。

 

 最も近くにいた暗殺者を龍頭が呑み込んだ。終わりのない闇。出口のない沼。沈み続ける漆黒に1人消える。それによって暗殺者たちの連携の幅が狭まる。1人が消えた所でそれで壊滅するほど弱くはない。だが今の一瞬で劣勢である事が理解できる。これは殺しきれない悪夢だ。戦う事を放棄すべきだ。

 

 判断は早い。

 

 1人呑み込まれた時点で、最低限の仕事を果たす為に2人が都市の方へ向かい走り出す。残された3人が決死で足止めをすべく近接戦へと持ち込むための武装を召喚する。

 

「おぉう、判断早いなぁ。いや、ほんと、マジで悪くないよ。でもウチのお猫さま相手だとちょっと意味がないかなあ、なんて!」

 

 無論、ヴァーシーは通す気なんてない。そもそも森が罠だなんて、気づいて然るべきものだったのだ。それが単純にヴァーシーが網を張っていた場所だと、それまでのモーションが存在しなかったから勘違いしている。

 

 暗殺者の逃亡に反応するように茨と華が咲き乱れる―――どこぞの森の花園を思い出させるような極彩色の花園が遮る壁の様に生まれた。暗殺者たちの逃亡を阻止するように発情、麻痺、睡眠、毒、あらゆる害意を備えた花と茨が森に咲き乱れた。最初からここはキルゾーンだ。命を生み出し、冒涜するヴァーシーにとってこれぐらいの芸当は手品レベルの遊びでしかない、指向性を与えて命を咲かせる。元々はヴァーシーの仕込みだったのだろうが、

 

 強化を完了したグリマルキンに、そんな足止めはそも不要だ。

 

 壁、それが覆う。

 

 漆黒の壁とも見えるそれは影の津波だ。逃げる暗殺者を追い込む様に、残された暗殺者を吸い込む様に―――一瞬で周辺の影を徴収した影の王は息をつく間もなく一瞬で津波を放った。大地を一掃する様に解き放たれた濁流は一切の破壊を生み出さない。音だって存在しない。当然だ、それは平面にしか存在しない影なのだから。三次元的な干渉を行える方がおかしいのだ。

 

 だが触れた暗殺者たちは一瞬で呑まれた。

 

 最初からそんなものはなかった。そう言わんばかりに森の中にあった暗殺者とその痕跡を全て呑み込んで終わらせた。

 

「……」

 

 戦闘を終えたグリマルキンは前足を突き出して体を伸ばす様に体を解し、影を元のサイズにまで収めると軽く欠伸を漏らしながら尻尾で絡め取っていたヴァーシーの姿を大地に投げ捨てた。

 

「いやはや実に実にお見事。だけどそれはそれとしてこのお父様に対する態度もうちょっと改善出来ない!?」

 

 何を言ってるんだこいつ、と言わんばかりの視線をグリマルキンはヴァーシーへと向けた。

 

「なんだよその目はよぉ……! 俺はお前を作った―――あ、ごめん! 許して! その目は止めて! でも推しの家に入り浸っている事実は俺死ぬほど怒っても良いと思うの!! ねえ! ずるくない!? あ、でも同じ空間にいるだけで限界になりそうだしなあ、俺……はあ、マイ女神……なんて美しいんだ……」

 

 ふぅ、と溜息を吐きながら心を落ちつかせたヴァーシーはジャケットのポケットに手を入れ、そこから試験管を複数取り出し、その中身をグリマルキンの影に注いだ。

 

「感度3000倍乳首ねぶりスライムを暗殺者共の所に流し込んでやろ。えいえい、俺の女神を殺そうとしやがって。ギュスターヴの旦那の所に送り返されるまでこれでも喰らってろ」

 

 物凄い嫌そうな表情を浮かべるグリマルキンを無視して復讐を遂げたヴァーシーは満足げな表情を浮かべる。

 

「よーし! これで俺の仕事はおーわーりー! 後は旦那の仕事だし今日は終わりだ! よし帰ろうぜグリマル―――あっ!? 俺を置いて先に帰りやがったこいつ!」

 

 ずぶずぶと影に沈んで先に都市へと帰って行くグリマルキンを必死に追う様にヴァーシーが移動用の影の中へと飛び込んで行く。

 

 そしてそこから、全ての姿が消失した。

 

 まるで最初から誰もいなかったかのように。異常な姿をした森は数分後には生命の法則を逸脱した報いを受ける様に急速に枯れ、証拠を残さない様に戦いの跡を呑み込んで散った。

 

 まるで最初からそこには、何もなかったかのように。




 感想評価、ありがとうございます。

 エデンちゃんは酷い事を口にしても実行しないタイプ。
 ヴァーシー君は口に出して考える前に実行するタイプ。

 めりっと氏から支援絵を頂きました!
 
【挿絵表示】


 前話のエデンと龍殺しの対峙シーンのもの、空気と雰囲気の重苦しさ、圧し掛かる心の不安が見えてとても素敵です。ありがとうございます!


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幕間 揺るぎないもの

 ―――風に揺れる黄金の麦畑を見た瞬間にそれが夢だと男は気づいた。

 

 さりとて即座に目覚める様な事はしない。夢は所詮夢―――だがそれが奥底の願望から湧き上がる過去の残滓である事は良く理解していた。故にその瞬間を男は大事にした。何時までも夢は見ていられない。現実に生きるという事は夢を忘れる事でもある。最善、最高の選択を選び続けても夢は到達できるものではない。寧ろ逆だ。現実を知れば知る程夢は遠く、去って行く。そしていつかは夢を見る事もなく忙しさに埋没して行く。

 

 そう、大人になると夢は見なくなる。そんな暇がないからだ。だから男は自分が夢を見ている事を自覚し、珍しいと思った。日々、スケジュールに追われる身として夢なんか見る事は諦めていたのだ。なのに久方ぶりに夢を見るのは……或いは、吉兆か凶兆の類いなのかもしれないと考えた。だがそこまで考えた所で男はただ、刹那の夢に溺れる様に目を瞑り、自分を呼ぶ声に振り返った。

 

 振り返れば娘を連れた妻の姿がある。長らく見ていない妻の姿に男は安堵の息を零し、懐かしさを覚えた。そう、懐かしさだ―――懐かしさを覚える程妻とも娘とも会ってはいない。男はその事に僅かながら寂しさを覚えるも、夢の中で再び会えたのならそれで良いと結論を出す。

 

 そして全てを闇に呑み込ませた。夢はもう必要ない。

 

 男はリアリストだった。現実を見るのが仕事であり、現実を作るのが仕事だった。

 

 故に―――目覚めは一瞬で訪れた。

 

「……雷雨か」

 

 目が覚めた時には執務室にいた。椅子に座りながら眠っていた事を自覚した男は自身のスーツがよれていないかを確認し、それから視線を部屋の窓へと向けた。その向こう側では暗雲が王都を包み、豪雨と共に雷が鳴っているのを知覚した。酷い天気だとは思うものの、“毒虫”を放つのであれば丁度良い天気でもあるとは思う。

 

 視線を窓から机の上へと向ければ、そこには報告書等が広げられている。男の計画は順調だった。順調にエスデルという国を侵食している。内側から毒を流し込んでいる。既に玉座に誰を就けるかを選べる段階にまで手が届きそうになっている。後数年……後数年という時間があればこの国のトップを挿げ替え、実権を得られるだろう。

 

 そうすれば、国は男の物だ。

 

 男―――ギュスターヴはその事に対する確かなプランの構築を行えていた。問題はそう多くはない。世界の文明水準は低い。人々の考え方や意識のレベルは低い。高い教育水準を誇っていた魔界の文明からすれば相当昔の時代へと迷い込んだような錯覚に陥るだろう―――実際、世界の形態としては近いのだ。早めに世界を渡ってきた魔族の中では一種の転生ともトリップとも感じて遊び感覚がある。

 

 生物的に魔族の方が上位だ。身体的にも、知識的にも、そして立場的にも。人類の中でも上位の実力者を用意しない限りは魔族の相手をまともにする事は難しいだろう―――それぐらいの差が二つの世界の住人の間にはある。

 

 だからこそ遊び、ふざけ、真面目にやらない者は多い。

 

 その中でギュスターヴは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その視線は間違いなく自分の目的を、果たすべき責務を見据えている。そしてそれもいよいよ大詰めを迎えている。それ故にギュスターヴは視線を再び、窓の外へと戻した。その頭の中は常に次はどう動くべきか、そのあとへとどう繋げるべきなのかを思考していた。だがその中に不安を感じるのも事実であった。

 

「精密機器に砂粒を流し込まれる様な……そんな感覚がするな」

 

 歯車はまだ狂わない。だが少しずつ、誤作動を起こす、そんな前兆をギュスターヴは感じていた。彼は目標を達成するのに必要な要素を歯車として認知していた。人材、情報、コスト、作戦……それらすべてがかみ合う事で一つの結果を生み出すと、そうやって物事に必要な構築を行っていた。それは確かに、一つの巨大な精密機器として認識できるだろう。だがその中にギュスターヴは僅かな違和感を覚える。

 

「まだ狂ってはいない。だが狂いは出そうだ……何が問題だ?」

 

 都市を覆う暗雲、打ち付ける雨風。それを窓越しに眺めながらギュスターヴは思考する。多くの問題を彼は未だに残していた。成功者の代表とも取れる大商会の主にして犯罪組織の王は決して油断や慢心の様な事はしない。取れる手、勝てる手を着実に打つ事でエスデルという国家における実権を獲得してきた。だがそれに狂いが生じつつあるのを感じ取るのは、長年の経験から来る直感でもあった。

 

 ―――嫌な予感がするな。

 

 ギュスターヴはそう思考し、自分にとっての失敗を思い返す。無論、どれだけ優れた人間であろうと絶対に成功し続けるというのは不可能だ。どれだけ想定を重ねた所で想定の範疇を超える出来事は発生する。ギュスターヴにとって真に恐ろしいのはそういう、想定外からやってくる怪物的な奇襲だった。同胞の裏切り、唐突に生えた英雄、或いは自分の見落とし。そういうものをギュスターヴは想定し、しかし自分の落ち度が完全に存在せず失敗するケースを考える。

 

「そうなると……やはり今回のケースか」

 

 エメロードのマフィア、壊滅の報。ギュスターヴにとっては完全に予想外の出来事だった。何故ならそんな行動をとる人間が出て来るとは思わなかったからだ。事実、ギュスターヴ商会の力は強く、そしてマフィアの武力も高めた。何がバックにあるのか、それを意図的に匂わせる事で抑止力として機能させている。この状況でマフィアへの攻撃を行おうとする者は自殺志願者以外の何者でもないだろう。

 

 だが現実に現れた。予想外の出来事だった。ただ、それは良いと判断していた。何故ならこれはまだ対処出来る範疇だからだ。だが良くない。違和感を感じる。何かを見過ごしているという感覚。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 考えれば考える程それがこびり付く。対処は行った。だがそれに満足していない。

 

 長い時を生きた魔族の直感とは馬鹿に出来ない事を男は知っている。直感とは即ち思考を伴わない経験則からの判断だ。経験を通して似たような状況、似たような問題に対する最適解を導き出すシステムでもある。多くの事を見た目以上に経験した男は、その直感が引っかかるという点を以って思考を止めずに続けていた。

 

 この手の判断は後々見返すと大事に繋がっていた事が多々あり。対処は適切に行わなければならない。

 

 ―――はて、以前に何か似たようなケースがあった気がする。

 

 ギュスターヴはそこまで思考し、考えを切り替えた。溜息を吐きながら口を開き、

 

「全く、アポイントメントの一つ入れる事ぐらいしろ」

 

 虚空に向かって放った様にさえ感じられる言動はしかし音もなく部屋に侵入し、来客用の椅子にいつの間にか座り込んでいた男へと向けられていた。ギュスターヴは振り返る事無くその気配を察知し、その気配のみで誰かを理解していた。故に顔も向けず、どことなくこの国にいる人間では聞いたこともない気安さで言葉を続けた。

 

「それとも蛮族生活が長くて作法すら忘れたか?」

 

「単純にその手の作法が面倒で無視しているだけだ。第一、ロッカーという生き物はその手のルールを無視するものだろう?」

 

「シャヘル、全く貴様は魔界の頃から変わらんな……」

 

「魔族も魔王も魔神も、早々変わるものではない、そうだろう?」

 

 ギュスターヴの視線が室内へと向けられれば、そこには黒いコートを羽織った金髪の魔王―――ルシファーの姿があった。大事そうにサックスを片手に抱える姿を見てギュスターヴは片手で頭を抱えた。

 

「今度はサックスか。前はエレキギターを持ち歩いていなかったか」

 

「ロックはまだ世界には早すぎる……まずはブルースとジャズを流行らせる所からだ」

 

「ならお前に必要なのはロッカーの魂ではないだろう」

 

「それはそれ、これはこれ」

 

 魔界にいた頃から一切変わらぬ友人の姿にギュスターヴは息を吐く―――しかし溜息ではなく、安堵の息だ。これが商会の人間であれば天変地異を疑うだろう、それほどまでにギュスターヴという男のイメージは鋼鉄、そして氷というもので固められていた。だがそれが今はどうか、ルシファーの前ではただの友人としての表情が見えていた。それも懐かしむような、長年の友人を迎える様な表情だ。

 

「全く……久しぶりに顔を出してみれば何年ぶりだ? 既に何百年かは顔を合わせていない気がするぞ」

 

「ま、あっちこっちに放浪しては文献を漁ったり、探し物を求めたりしてな。気づけば数百年という時間は一瞬で過ぎ去っていたとも。大体魔族なんてそういう生き物ではないかな? 長い命があるからこそ無駄な時間を過ごす。我々の文明はそうやって無駄に発展した」

 

「あぁ、そうして当然の破局を迎えた。だから現在がある」

 

 で、とギュスターヴが声を続けた。

 

「久しぶりに顔を出して何用だシャヘル。お前は無駄を好む馬鹿だが、その無駄にはそれなりの意味があった。何もなく顔を出す事もないだろう」

 

「あぁ、その話だったな」

 

 ルシファーは何でもない様に、椅子に座ったままギュスターヴに告げた。

 

「龍を見つけた。本来の姿に戻れず、人の姿で生活してるぞ」

 

「ばっ―――」

 

 ルシファーが放った爆弾にギュスターヴが叫び声を呑み込む。冗談にしてはあまりにも性質が悪かった。ギュスターヴが驚くのを見て、ルシファーは当然だと言わんばかりに自慢げな表情を浮かべていた。その姿を見て冷静さを取り戻したギュスターヴは片手で顔を押さえながら軽く深呼吸をし、軽くルシファーを睨んだ。

 

「馬鹿な、あれは人理教会の愚か者共が絶滅させた筈だ」

 

「近年まで卵を隠されていたらしい。恐らく未来視を駆使してせめて、最後の希望を残そうとしたのだろうな」

 

「なんという事だ」

 

 呻く様に呟く様にギュスターヴはゆっくりと座っていた椅子に深く、座り込んだ。

 

「保護せねばならない。絶対にだ」

 

 突然の事実にギュスターヴは脳が揺さぶられる感覚を覚えながらも、それだけは絶対に成し遂げなければならないと断言した。そのほかのタスクを全て捨て去ってでも龍を保護する意味は絶大だった。その存在を守る事が出来れば、将来的に抱える問題の多くが解決するのもまた事実だからだ。ギュスターヴはこのろくでもない友人が決して嘘をつかない人物である事を理解していた。その為、ルシファーの言動に違和感や疑いを持つ事はなかった。

 

「あぁ、だが彼女だぞ。エメロードのマフィアを壊滅させたのは」

 

 その言葉に今度こそ、ギュスターヴは崩れ落ちようとして―――背筋を伸ばした。

 

「放った“毒虫”を戻さねばならん」

 

「それは此方で対処した。知らせた場合彼女を害する事はお前の本意じゃないだろうからな」

 

「あー……良かった、今ほどお前と友人であった事を感謝した事はないぞ」

 

 はあ、と深い息を吐きながらギュスターヴが椅子に背を預ける。その顔は今の会話でかなり老け込んだような疲れを見せていた。が、それも数秒だけの事だ。直ぐに己を律すると表情を戻し、思考を巡らせた。

 

「彼女、と言ったな。知り合いか?」

 

「まあな。危険な事にならない様にある程度裏から見守っている。今は貴族の使用人の様な、養子の様な立場で毎日を楽しく過ごしているようだからな。過度に干渉する必要はない」

 

「そうか……だが、そうか……」

 

 ふぅ、と心を落ち着ける様に原初の種がまだ残されていた奇跡にギュスターヴは感謝しながら言葉を整える。何をすべきか、何と言うべきか。考えが凄まじい勢いで流れて行く―――当然、それをルシファーは面白がっていた。魔界の友人が非常に生真面目な性格である事は理解しているし、同時に友人が必死に王国を作ろうと努力しているのも知っている。

 

 それを理解している上でルシファーはここに来ていた。

 

 龍がいると―――エデンの存在を伝えればどうなるか、という事を理解しながら。

 

 何をすべきか、どう動くべきか。その考えの間で苦悩するギュスターヴの姿を見て小さく笑みを浮かべた。

 

「どうする……あぁ、今はギュスターヴだったか? 此方はあまり彼女の幸せや平穏を崩そうとは思わず見守る程度に収めているが」

 

「無論、守る。保護する。それが第一条件だ! またあの気狂い聖職者共に聞かれてみろ、軍隊を派遣するぞ連中は! 一体何を殺しているのか、それが世界そのものを破滅へと進めているという事さえも理解せずにな」

 

「原初の種。星の化身。環境ユニット。神々の代理―――この星唯一の正当なる後継者だ。龍と言う種が彼女しか残されていない以上、将来的にこの星の管理を行えるようになるのは彼女だけだ」

 

 ―――龍、果たして龍とは何か。

 

 それをギュスターヴもルシファーも、正確に理解していた。それこそ今地上にいるほとんどの人類よりも、ずっと良く理解しているだろう。魔界伝来の知識であるとはいえ、結局のところ世界というのはどことなく似るものである。故に自分たちの世界には欠け、そしてこの世界では奇跡の上の奇跡でのみ存在が許された龍という存在が残されているのを、決して見過ごせるわけがなかった。

 

 魔界はそれを失ったが故に滅びへの道を歩んだのだから。

 

「……確か、なんだな? エメロードにいるんだな?」

 

「あぁ、勿論だとも。優しく、美しく、そして世の醜さに心を痛めるぐらい善良な娘だ」

 

「は」

 

 それは、それはなんとも幸福な娘だろうか、とギュスターヴは思った。まるで穢れを知らぬ娘のようだと。だがそれはそれで正しいのだろう。それが死因にもなった種族である事を考えると、馬鹿に出来る事でもない。大事なのは人理教会の抹殺者や龍殺し、ドラゴンハンターにその存在を気取られない事だろう。

 

「……見に行かなくてはならないか」

 

「お前自身がか?」

 

「あぁ……現状がどうであれ、最終目標を考えると一度は会わないと話になりはしないだろう」

 

「そうか」

 

 ギュスターヴの言葉にルシファーは満足げに笑みを浮かべると立ち上がり、言葉を残しながら姿を消し去って行く。

 

「なら心の赴くままに進むと良い―――魔王ベリアルよ。汝、己の欲するがままに務めを果たせ」

 

 光の中へと消え去る友人の姿を見送り、ギュスターヴは視線を窓へと戻す。

 

「無論だ、友よ。たとえ貴様が私を謀に組み込もうとも……私は同胞達が新しくこの世界で生きて行くための王国を用意する」

 

 果たして許される悪行とは存在するのか。

 

 100を救う為に1を切り捨てる事は正しいのだろうか。

 

 その答えを―――ギュスターヴ=ベリアルはとっくの昔に出していた。

 

 たとえ長年の友人が己を何らかの形で騙していたとしても、それを理解してもなお、突き進む。

 

 それのみが、彼が彼自身に許した事だった。




 感想評価、ありがとうございます。

 後日どの面マイフレンドから乳首ねぶりスライムの張り付いた毒虫さん達を届けられて頭を抱えたギュスターヴさんであった。

 幕間ラッシュが終わったらこれまでの情報纏めをします。次章に入る前に事情とか状況とか解りやすく解説しますね。


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幕間 ガールズサイド

 まあ、なんだかんだで俺も女子歴8年ぐらいになった。

 

 当初は女の子の体!? ドラゴンだったはずなのに!? 擬人化要素!? 俺娘で!? 属性力高くない!? ……なんて事も思ってたりもした。だがグランヴィルの人々がとても優しくて、丁寧で、そして慈悲深くて。女子の体や生活なんて絶対に無理でしょ、と、思っていたのも何年も前の話だ。この手の事は習慣にしてしまえばそれで解決してしまうというのは、この数年間の人生でよーく理解した。化粧も下着も服も、やってればその内慣れるもんなんだ。これまでやらなかっただけで。たったそれだけの話なんだ。だから手を染めちゃえば慣れる事も難しくない。

 

 今じゃ女物の服を着る事だって違和感を覚えないし、下着だってちょっと可愛いものを選んだりする事を考える。或いはそれは根本的な考え方が男だった時から変わったのが原因なのかもしれない。あの頃は自然と男らしい恰好、自分らしい恰好を選んでいた。だが今の俺は見た目が女の子なのだ。だからその姿に合わせた格好を選ぶのは当然の事だ。だからまあ、体に馴染むという話をするとなるとブラジャーを付ける事も、女性用下着を付ける事も、スカート姿になるのも別段違和感はない。

 

 ただ、まあ、この体になって困った事は増えた。

 

 それは、

 

「―――好きです! 俺と付き合ってください!」

 

「男は無理」

 

 このようなトラブルに巻き込まれがちな事、だろうか。

 

 エメロード学園校舎、グラウンドの一角。目の前には花束を手にした男子生徒がいる。どこぞの貴族なのだろうが、こうやって強引ではない手段を取ってアプローチしてくるのは悪くはない。だが根本的に男を恋愛対象として見るのは無理なので、希望を持たせる事もなく一瞬で斬り捨てた。それを遠巻きに眺めていた連中が拍手しながら喝采している。中々に外道な連中ばかりだが、まあ、学生なんて大抵そんなもんだ。何度目の出来事だろうか、そう思いながらその場から離れる。慰める気持ち以上に面白がろうとする連中が群がっているのを見るとちょっと可哀そうに感じてしまうが、好き嫌い以前の話だ。

 

 やれやれ、とポーズを取りながら振り返った先にはリアとロゼの姿があり、話し終えたのを見て近づいてきた。リアはともかく、ロゼの方は面白がっているのが表情に見えた。近づいてくると手を出してくるので、それに合わせて手を出せばぱん―――と手を叩いてきた。

 

「相変わらず人気あるわね、この魔性の女め」

 

「勘弁してくれよ……俺は男にマジで興味ないの。好意を向けられた所で困るんだよ、一切興味ないしそういう目で見られないから」

 

「今月入ってもう2回目だよ、エデン。先月は先月で3回告白されてたし」

 

「脳味噌が砂糖菓子の連中ばかりだよここ」

 

 溜息を吐きながらグラウンドを護衛対象の2人と共に去って行く、春から夏へと変わって行くなんでもない日。そんな俺を悩ませているのはそう―――恋愛問題だった。

 

 本当にクッソ面倒な話だが、俺はなぜかモテていた。モテ期の到来を疑うほどの超モテ時代。これで相手が女の子だったら文句なしだったのだが。残念な事にお誘いの言葉をかけてくるのは決まって男子生徒ばかりだった。悲しいなあ、今の俺はどこからどう見ても美少女であって、イケメンではないのだ。なるべくイケメン方面でいたいとは思うのだが、性別的にそれは無理があるってもんだ。

 

 俺だってな―――! 女の子にモテたかったんだけどな―――!

 

 まあ、無理を言っても仕方がないだろう。俺、美女だし。

 

 やれやれと呟きながら軽く肩にかかった髪を後ろへと流しながらリアとロゼと共に学園を出る。二人の少し前を歩きながらくるりとターンを決めて振り返りつつ、

 

「さーて、このまま素直に帰る? それともどこかで寄り道すっか? ま、俺はどっちでもいいぜ」

 

「うーん、そうね。このまま帰るのも嫌だしどっか軽く寄っていく?」

 

「エデンを着せ替えしたい気分」

 

「決定ね」

 

「ハロー、俺の意思。今どこ? 今すぐ帰ってきてほしい所なんだけど」

 

「リゾートへバカンスに行ったわ」

 

「成程、そりゃあ帰ってこないわ」

 

 はあ、と溜息を吐きながら気分よさげに進むお嬢様達と歩く。まあ、決して悪い気分ではない。着せ替えをするとは言うものの、俺自身それに対してそこまで忌避感があるという訳でもないし。女の身になって良かったと思える事の一つは、ファッションの幅が広がった事だろうか。未だに最適なファッションというものを理解しているとは言い難いが、それでも自分の見た目が良いだけに色んな服装が似合っているというのは良く理解している。

 

 そしてそういう服装に着替えるのは、まあ、そんなに悪くはないんだ。

 

 これは明確な価値観の変化だろう。体が変わったら楽しめる範囲が広がった、と言える事だろうか? かつては楽しめなかった事が楽しめ、そして見えなかった事が見えてくる。視野が広がったというよりは今の自分に適したものが変わったと言えるだろうか。まあ、それでも基本的には男っぽいファッションのが好きなのだが。当然、馴染み深い方が好ましい。

 

 それでも別にチューブトップとかホットパンツとかミニスカートとか、嫌いって訳じゃない。

 

 あれはあれでいいもんだと思う。

 

「しっかし俺になんで告白するっかねー。もっと良い物件はあるだろうに」

 

「違うわよ、エデン。回りが貴族だらけだから貴女みたいな所に目が行くのよ」

 

「んー?」

 

 歩きながらぼやくと、ロゼから返答が来る。彼女は解らないかしら、と視線を向けるまでもなく言葉を続けてくる。

 

「エメロードの学舎にいる人間は大半が貴族よ。それは厳格なルールで縛られた生活を送る人々で、このエメロードの学舎にいる間はそのルールから少しは抜け出せているのよ。でも、それでも根幹と言えるルール……将来や婚約結婚といった事は意識しなければいけないわ。だから貴族の子女は身持ちが固いのが基本よ。エデンだってそこら辺意識してガードしてくれてるでしょ?」

 

「当然」

 

 リアとロゼは辺境出身であり非常に能力が高く、そして見た目も良い。そういう事で割と男子の視線を受ける所がある。それを嫌がる時それとなくガードしたり、強引なお誘いをお帰り頂くのは俺の仕事だったりする。最初の月は牽制やら探りやらで接触してくる男子も少なかったが、流石に2か月も経過するとお近づきになりたい奴が出てくる。辺境最大の権力者であるヴェイラン辺境伯と懇意になりたい奴なんて沢山いるんだから。

 

「逆に言うと私みたいな人はガードが入るって事よ。まあ、それでもやらかす娘は毎年出てくるらしいけどね。流石に処女かどうかを実家に帰った時に検査するのは酷いと思うけどね。だけどごもっともでもあるわ」

 

 だけど、とロゼが続ける。

 

「エデン、貴女は使用人よ」

 

「家族」

 

 リアの強い言葉が横からロゼに叩きつけられ、ロゼが数秒程黙る。

 

「……エデン、貴女はグランヴィルの一員よ! 貴族ではない!」

 

 言い直した。

 

「貴女は私やリアとは違ってフリーよ、フリー。しかも顔も良いし、肌も髪も特にケアもしてないのに艶々だし……いや、ほんとなんでそんなに艶々なの……なんか一緒に生活してるだけで私も特に頑張らなくても調子が良くなるの微妙に怖いんだけど」

 

「俺、最強生物ですから」

 

 たぶん俺の体からマイナスイオンとか出てるんだよ。そういう事にしておけ。むん、とポーズを取りつつ茶化してそっかー、と呟く。

 

「俺、安い女に見られてんのか」

 

「後はエデンって他人に対して距離近いよね。良くアルド君と肩組んだり、クルツ君にエデンバスターをかけるけど」

 

「バスターは許してあげなさい……だけどそうね、普通に距離感が近い辺りが割と感覚を狂わせるわよね、貴女。それに校内でもそこそこ活動してるでしょ?」

 

「まあ」

 

 ぼりぼりと頭を掻く。

 

 最近ではソフィアが学生課でバイトを、学生依頼を小遣いの為に受けている。言っちゃえばギルドでやっている事と似たようなシステムだ。ただし学園内での仕事専門みたいな。ソフィアが貧乏なのは知っていたが、お小遣いの類はこうやって学生の仕事を処理する事でなんとか稼いでいるらしい。ちなみに依頼主は貴族なので、割と収入は良いとか。ただあの娘、他に頼れる人がいないからとよく泣きついてくる。

 

 なので何時の間にか、学園内でソフィアと一緒に西へ東へ学生の問題解決や依頼解決に走らされる時がちょくちょくある。まあ、どうせリアとロゼが勉強している時は暇だからと手伝ってしまったが、お陰でイイ感じに校内では顔が売れている。

 

「それが悪いんか……?」

 

「知っていて、顔が良くて、性格も悪くなくて、それでいて貴族でもないのよ? 平民相手なら“お手付き”だって普通って考える様な奴がいる社会にいるんだから、そりゃあ当然ワンチャンあるなら挑戦するって事よ。それにエデンって他人との距離感が近いから多分、誤解されやすいし」

 

「そうかぁ? そうかなー? そうかも……」

 

 良く解らん話だなあ、とは思う。とはいえ自分の行動を男として見てみれば解るか。美女が肩を組んできて笑ったり、一緒に遊んでくれる上に名前を呼んでくれる。あぁ、そりゃあ女性付き合いの薄い人ならもしかして気があるんじゃね? ぐらいには思ってしまう事もあるか。となるとこれ、俺が悪いのか?

 

 えぇ、と零しながら頭をがくり、と下げる。それにくすり、とリアが笑う。

 

「でも私、エデンはそのままで良いと思うよ。変に気を遣ったりするの、エデンらしくないと思う」

 

「もしかしてあまり良く考えずに動くのが俺らしいと思ってない??」

 

「違うの?」

 

「違わない」

 

「そこ、馬鹿やってないの。着いたわよ」

 

 そう言っている間にブティックに到着した。そう、ブティックだ。辺境では仕立屋だったが、此方ではちゃんとしたブティックが何店もあるのだ。流石貴族たちが自由に暮らす都市だと思える。入る場所は適当でも、どの店も貴族を相手に商売する為にそれなりのクオリティで商品を用意してくるのだから。店内に入ると、店員が笑顔で近づいてくるが、それを片手で制して好き勝手やりたいとサインを送る。

 

 ウチのお姫様たちは接待とかされるの、あまり好きじゃないんだ。

 

「それにしてもほんと、エデンってその手の話がないけど―――」

 

「無理無理、男は無理。嫌いって訳じゃないけど、恋愛感情として好きになる要素がない。俺、どっちかってっとレズビアン。女の子と恋愛したい」

 

「親友からカミングアウトされる身になって?」

 

「今更だろ」

 

「いや、まあ、うん」

 

 何故だか解らないが納得したロゼが売り場を見て回るのを横目に、俺の方はと言えば……ちょっと考える様に腕を組んでいた。

 

 ―――この場合、レズビアン趣味になるのかなぁ?

 

 体は女で、女を好きになればそれは同性愛者だ。この世界であっても珍しいし、あまりオープンな概念でもない。場所によっては普通に迫害されるもんでもある。そういう考え方は世界が変わろうがあまり変化のない話でもある。問題は俺が女ではあるものの、俺の心の大半の部分はまだ男性的であるという事だろうか。

 

 女性としての生活、問題ない。化粧も洋服だって楽しむし、そこには疑問を覚えない。だけどそれと女性的な意識とはまた別の話だ。女性的な感覚を身に着けてはいるが、考えの根っこが男なのだから、好悪の判断はそっちの基準で行われるのだ。だから俺は女の子が好き。同じ男を恋愛対象として見る事は出来ない。そりゃあ抱き着かれてドキドキするって事はもう慣れ切ったから早々ない話だが、それでもふとした時に中身が男である俺が女の事一緒に風呂に入ったりして良いのか、とか思う時はある。

 

 難しいし、未だに中々煮え切らない話だ。

 

 まあ、こっちは深く考えずに楽しめる分だけ楽しんでしまえば良いや! って結論が出てるのが良い事だけど。

 

「エデンエデン、夏も近くなってきたしサマーワンピースとかも着てみない? エデンはやっぱりこういう服が似合うと思うんだ」

 

「ワンピースかあ……ワンピース似合うかぁ?」

 

「大丈夫大丈夫、黙っててつば広帽子を被せればどこの令嬢かって思えるぐらいきっちりキマるから!」

 

「ロゼ???」

 

 お前の俺に対する意見が大体解った。

 

「というか夏までまだ数か月はあるだろ……」

 

「遅い遅い! トレンドを掴むなら今からやらなきゃ駄目よ」

 

「流行というのはシーズンが始まった時にはもう既にノってるもんだよ!」

 

「お、おう」

 

 真の女性陣はそこら辺の意識が強い。こういう所を見ると俺は女になり切れてないんだなあ、というのを強く感じさせられる。まあ、別に完全に女でも、完全に男じゃなくても別に良いんだが。どっちつかずであっても特に困る様な事は現状ない。

 

 まあ、それはそれとしてわくわくとした表情でリアが見てきている以上、逃げる選択肢はない。リアの手からワンピースを取り、つば広帽子をロゼから受け取り、試着室へと向かう。こうやって買い物や着せ替えに付き合うのも初めてじゃない。

 

 それに俺だって自分をもっと良く見せる様にするのは、楽しい。

 

 まあ、見た目が美女だって事もあるからだろう。

 

 試着室で着替えを手にして鏡に映る俺の姿は美少女から美女の間の年齢を丁度成長している最中の女の姿だ。普段は勝気な表情を浮かべがちだが―――手にしたワンピースに着替えて帽子を被り、ちょっと表情を落ち着けて見せれば、まるで深窓の令嬢みたいになる。

 

 人間、体が変われば考え方ややる事も変わってくるもんだ。

 

 軽くこほん、と咳ばらいをしてから勢いよく試着室のカーテンを開き、ポーズを取る。

 

「どうかしら?」

 

 言葉遣いもちょっと改めてロゼとリアの前に出た所で、

 

「うーん、素材が良すぎて服が負けてる。60点」

 

「エデンらしくないからやっぱり40点」

 

「採点厳しいなぁ!」

 

 辛口の評価にけらけらと笑って試着室の中へと戻る。

 

 時は春。

 

 少しずつ季節は夏へと向かって進んで行く。俺達は学生時代という一生に1度しかない経験を過ごして行く。少しずつ変わって行く自分自身と他人の関係の中、あの春以来大きな事件もなく、穏やかな日々が続いて行く。

 

 新たな服を受け取り、試着室の中で着替えながら思う。

 

 こういう平和な日々が、何時までも続けばいいのに、って。




 感想評価、ありがとうございます。

 ふ、ふーん……アイツ絶対俺の事好きだ……って感じの距離感に普通に近づいて話かけてくるがばがば距離感のエデンちゃん。男友達と接する感覚が完全に染みついているので割とスキンシップを取るし良い匂いもするしで男の子には悪い影響しかない。

 男である事、そして女である事。それを意識して楽しめるのがTS娘の良い所。

 碑文つかさ氏に描いて頂きました!
 
【挿絵表示】


 男性的な格好の中に感じる腰のえっちなライン! こんな格好して歩いてるならそりゃあ男の子惑わせるわ!!! ありがとうございます!


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幕間 龍と大地

 ―――即ち、龍と大地の関係とは管理者と被管理物だと言えるだろう。

 

 この世で最も偉大なる種族であると言える彼或いは彼女ら―――無論、それはもし性別と言う概念が存在するのであればという話だが―――は神々からこの星の管理を委任されていると言えるだろう。龍族はそれぞれがある種の概念を象徴しており、土地管理を分業している。

 

 龍族の能力は直接神々から与えられ、付与されたものであり、まさしく奇跡そのものだと言えるだろう。エーテルが星の吐息、呼吸と呼べるものであるのは周知の事実だ。我々人類―――ヒト種はこれを取り入れる事で魔力へと体内で変換し、魔導や燃料として運用する。このエーテルが星の呼吸である以上、世界とそこに住まう生物はエーテルを消費して生きる事が不可欠である。

 

 だが龍族は土地のエーテルを活性化する能力を保有している。即ち、その場にいるだけで土地を豊かに、そして再生力を向上させる。龍という種はこの星を長期に存続させる為には必要な生物であり、また神々が地上を離れても星が枯れないよう維持する為の機構でもある。故に彼、彼女らは非常に優秀な土地管理者であると言えるだろう。

 

 故に龍族の保有する権限は一種の神権だと言えるだろう。それこそ神々の承認が必要になるが、彼、彼女らは神権を用いたテラフォーミング能力まで保有する。神々の代行者として星の再生とケア、その管理を行う事を考えれば当然の機能だと言えるだろう。存在するだけで土地を豊かにし、そして神々の代行者として地上で穏やかにある姿、その様子はまさしく星という庭園の庭師だと呼べるだろう。

 

 我々人類はこのことを自覚し、支え合いながら生きて行かなければならない。これからの我々の未来はこの偉大なる種族とどうやって生きて行くかで変わって行く―――。

 

「……ふぅ、漸く読み終わった」

 

 読み終わった《龍と大地》を閉じて、ベッドに寝転がったまま片手で掲げるように頭の上まで持ち上げた。エメロード・ヴェイラン邸、即ち現在生活している我が家の自室、今日は講義も何もない日だからかねてよりワイズマンから借りていた本をゆっくりと読み進めていた。それを漸く読み終えた。非常に古い本で、書かれている言語も相当古い文字だった。だが龍にそういう地域や時代による文字の差は意味がなく、そこに込められている思いや意味を捉えている為、文字が解らなくても読む事が出来た。

 

 とはいえそれにもそれ相応の集中力が求められるのも事実であり、読むのに時間がかかってしまった。とりあえずはワイズマンが敵ではないと知れたからレンタルされた本だが……これが相当古い時代に書かれたものであるのは、読んでいる内に理解した。少なくともこの本の作者は龍族と人族が手を取り合って生きていた時代の人だったようだ。それは何年前の話だろうか?

 

 千年? 万年? どれぐらい過去の出来事だったのだろうか……そんな風に龍が憎まれる事もない時代だったのだ。きっと凄く穏やかな時代だったのだろうと思う。

 

「しっかし地上管理者、神々の代行者ねぇ……そんな大層なもんだとは思えないけど」

 

 はあ、と溜息を吐いて本を降ろすと部屋のテーブルの上へと投げ捨てた。とりあえず何か見落としがないか、もう一度読み直す必要はある。だが《龍と大地》の内容は大体頭の中に叩き込んだ。だからこそ謎が増えたという感じにベッドに転がっているのだが。

 

 枕の横に置いてある白いクジラの人形を手に取って、抱き枕みたいに両手足で抱き着きながらベッドの上を軽く唸りつつ転がる―――人形は聊か少女趣味かもしれないが、可愛いと感じるもんは可愛いんだ。それは男も女もあんまり変わりはないと思う。まあ、それ以外にもダーツボードが部屋にあったり、趣味で購入した武器を壁に飾ったり、男と女の趣味が入り混じったような不思議なインテリアになってしまったが。それはそれ、男と女の感性を両方併せ持つ俺らしい部屋だと思っている。

 

「龍は地上管理者であり神々の代行者……って話だけど、良く解らないな」

 

 何故、神々はそんな事をする必要があったのだろうか? いや、龍を星の管理の為に生み出したとしたらそもそも神々もそこまで万能で全能ではないという事だろうか? 少なくとも龍が滅びてからまた管理代行者を生み出していないのは、もうそれだけの力が残されていないのかもしれない……。

 

「うーん……なんだろうなあ、このもやもや感。俺が本当に星を再生する為に生み出されたとして……本当にそれが出来るんか? って感じだしな……」

 

 口元を人形に埋めながらごろんごろんと転がる。うーん、むむむと唸りながら考える。考える事が多すぎて、複雑すぎて、答えが出てない感じがある。それでも考える事が出来るだけまだ良いだろうとは思う。少なくとも自分が、龍という生物がどういう存在で、何のために存在するのかは解っただけ良いとは思う。

 

 これはネグレクト系マザーであるソ神様が絶対に教えてくれなかった事だ。彼女は依然、どうでも良い事では口だしする癖に大事な事だけは絶対に口を割らない。

 

 まるで余計な事を知ってほしくない、過保護な母のようだと思う。

 

 だけどこうやって調べてその意味も少しずつ解ってくるかもしれない。知るという事はつまり、その知識に縛られるという事でもあるのだから。知ってしまえば無知だった頃には戻れない。人は己が知る事に縛られ、そして役割という形にはめ込まれる。もし、俺がソ様に俺の役割がそうであると言われたら、きっとそれを意識していただろう。《龍と大地》を通して、俺は自らの役割を知った。

 

 だが未だに首を傾げる。

 

 俺は本当に、そんな大層なもんなのか……?

 

 少なくともそれだけ偉大な種だったのであれば、何故人間の手によって俺1人という所まで追い込まれ、絶滅の危機に瀕しているのだろうか? 龍と人に関する歴史、その重要な部分がごりっと抜けているのは確かな事実だ。この書籍が書かれた後で龍と人の間に確かな亀裂が生まれたのだろうが……その中身が不明なのだ。

 

 間違いなくあの聖国、その建国や過去に関わっているのだろうが、それに関する情報は存在しない。書籍としても、情報としても完全に管理されている。或いは聖国に行けばあるのかもしれないだろうが、あそこまで旅行するのは間違いなく自殺志願だろう。

 

 少なくとも俺が龍だとバレていないのは俺が静かにやっているからだ。派手に動く様になればその分間違いなく察知されるだろう。そもそも龍を探して殺しに行ってた連中なんだ、何らかの察知する方法は存在すると思った方が良いだろう。だからこそ俺もなるべく人間らしい行動と生活を心がけているのだ。

 

「管理代行者、ねー……テラフォーミング機能とか本当にあるのかぁ?」

 

 少なくとも自分にそんな力を感じた事は1度もなかった。いや、まあ、龍変身ぐらいは出来るけどそれも1度も使ってないし。機能として自分の中にあるのを自覚している程度だ。だがそのテラフォーミング機能というのは自覚出来ないのだから、多分自分の中にないんじゃないか? とは思わなくもない。或いはまだ若すぎて備わっていない、とか。

 

 数千年とかざらに生きる種族からしたら、俺なんてまだ卵の殻を被った幼龍でしかないだろうし。とはいえこんな機能が存在した所で俺にどうしろって話でもある。

 

「でもなあ―――俺が今という時代に起きた事、それ自体には意味があると思うんだよなー」

 

 少なくとも、俺が周囲を活性化させるという事に関しては自覚はあった。俺の周囲では動物たちも、人も皆どこか普段以上のパフォーマンスや成長力を見せている。そしてこの世界において、エーテルの濃度が高い場所は人や環境の進化を促す。つまり俺がそこにいるだけで肌の調子が良いリア達とか、変な進化を起こしている動物たちとか。そういうのは俺が近くにいる事が原因になっている。

 

 俺がいるから環境エーテルの活性化が行われ、良い方向へと成長する。少なくともエーテルという資源は星の呼吸だ。オイルなどと同等の自然燃料だと考えればそれは消費文明が進めば何時かは尽きる資源でもある。

 

 それを再生する為に龍という地上管理者を生み出し、エーテルの活性化と再生を任せるのは理に適っている話ではある。

 

 問題は地上にはもう俺しか残されていない事だが。そして俺だけだと、未熟すぎて国一つどころか都市一つを活性化させるのでさえ無理だ。可能なのは同じ施設にいる生物、土地ぐらいだろうか? 本を読み解く事で自分が成長促進と環境活性の力がある事も解ったし、使い方もなんとなくは理解出来た。

 

 だが謎は深まるばかりだった。

 

「ま、悩んでてもしょうがないのは事実だしな」

 

 ごろん、とベッドから転がり起きて鯨の人形をベッドの隅へと放り投げる。起き上がって背筋を伸ばす様に体を捻り、軽く体を解したら窓の外へと視線を向ける。どこまでも青く染まった空は春からもっと鮮やかな夏へとその色を変化させて行っていた。

 

 空気も少しずつ春から夏の匂いが入り混じるようになってきた。このまま何事もなく進めば季節は夏になるだろう―――まあ、何らかのイベントを期待している、という訳でもないのだが。それでも夏は初の長期休暇になるだろう。問題はここから辺境へと帰る場合、馬車を使ってまた時間をかけて帰る必要がある。往復で考えなければならないから、長く辺境に留まる事も出来ないだろう。

 

 その苦労を考えて、辺境の方々からは戻ってくる必要はない、と言われている。

 

 まあ、俺単身であればロックの背に乗って数日で往復する事も可能だし、その事を考えての話でもある。今でもロックを使った連絡や手紙を送っている。それにあちらはだいぶ満足や納得しているご様子だった。

 

「夏休み、か……」

 

 夏休み。知り合いは皆、色々とやる事があるらしくて忙しそうにしていた。実家が近い連中は一旦帰省する予定があったり、遠くから来ている連中はエスデルの中央観光に行く予定を立てていたりする。その中で、リアやロゼはまだ特に予定らしい予定を決めていないし、俺も特に何かをしようという予定は立てていなかった。

 

「……」

 

 コンビニのベンチでアイスキャンディーを食べる。海で泳いで海の家でバカ高い焼きそばを食べる。花火大会へと花火を見に行って……夜店でまたバカ騒ぎする。

 

 この季節になると日本で過ごしていた夏の記憶を、どうしてか思い出してしまう。もしかして俺の魂は、未だにあの地球に囚われたままなのかもしれない。ここに来て8年ではまだ地球に対する未練や気持ちを切り捨てられていないのかもしれない。それともこっちで始まった生活に、ホームシックを感じているのだろうか? まあ、地球の事が忘れられないと言えば忘れられないのは事実だ。そこら辺の精神の平凡さは、俺自身が平凡だからどうしようもない。

 

「龍の役割か……俺に求められるものがあるのか?」

 

 土地の再生、活性、テラフォーミング、管理、代行―――考える事が多すぎる。俺に求めているんだとしたら見当違いだとしか言えない。

 

 今の世の中で龍がその存在意義を果たすのは無理だ。起こすんだったらそこら辺の問題を解決してからにしてほしい。じゃないと起き上がってから即座に殺されてしまう。というか殺される直前だった。あの恐怖は未だに心の奥底に残っている。原初の恐怖―――死への忌避感。

 

 あれが消える様な事はない。

 

 ま、それはそれとして俺もやる事を考えなくちゃならない。

 

 夏休みの間、俺達は相当暇で、そして自由になる。学園が閉鎖されるという事はないし、クラブや研究会も普通に活動している。だがその間に講義は行われないから、学園に通う必要もないだろう。リアもロゼも何らかのクラブ活動をせずにいるから学園に拘束される事もない。

 

 だから帰省するのも一つの手だったのだが、距離的に難しい所がある。やはり近場で夏を過ごさなければならないだろう。

 

「夏……どうすっかなあ」

 

 海とか近くにないし、行ける距離にあるのは湖か。あそこは学園管理の探索地だが、学生であるリアとロゼがいるなら利用できる場所だ。

 

 あー、でも湖で遊ぶなら水着調達しなきゃならないのか。

 

「水着……水着かぁ。流石に水着は恥ずかしいなあ」

 

 下着姿で部屋の中をうろついたりする事は出来るし、リアと一緒に風呂に入る事だってするが、それと水着になる事はなんというか……感覚が違う。水着を着るという行為そのものが恥ずかしさを伴うのはやっぱりジェンダーの違いから来るものだろうか。

 

 ちょっとだけ自分の水着姿を想像し、頬を赤らめる。あまりえっちなのは嫌だな、うん。

 

 まあ、何にせよ夏だ、夏。龍の事が少しばかり解った程度で自分の問題が解決する訳でもない。ただ、この本は天想図書館から獲得したもんだと、借りる時にワイズマンは言っていた。

 

 なら龍の事をもっと知りたいなら―――王都近辺にある、天想図書館に俺自身が挑む必要があるだろう。

 

「ま、丁度長期休みだしな。護衛の代役をるっしー辺りに頭下げてお願いするとして……その間に天想図書館に挑戦するのもアリかもな」

 

 知れば知る程深まる謎は結局のところ、解明しない限りは喉に刺さる小骨の様にひたすら苛み続けるだろう。何も語らぬ神がいるのだ、自分の脚で歩いて真相を探るしかない。ただ、今は、

 

 そんな事よりもリア達が学生として味わえる3度限りの夏がやってくるのだ。

 

 一生の中に永遠に残り続ける思い出。この時間がどれだけ大事で尊いのかは、学生と言う身分を卒業して初めて実感できるものだ。

 

 だから俺も、彼女達が笑顔で振り返れる様な夏の為に、頑張ろうと思えた。




 感想評価、ありがとうございます。

 龍に関する情報のアップデートが行われた所で幕間はここまで。次回は軽い情報整理とまとめを行い、その次からは夏休み編開始になります。

 エデンの部屋は意外とぬいぐるみが置いてあったりする。本人は少女趣味だと思ってるけど割と気に入ってる。


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これまでのあらすじ 情報整理

 あらすじ、用語集、エデンの保有技能纏めなので読み飛ばして問題ありません。


・これまでの解りやすいあらすじ。

 

1章

 転生者エデンは目覚めたら幼龍となっていた。起きた直後に悪だと断じられ命を狙われたエデンは命からがらなんとか逃げ出そうとするも、龍殺しと遭遇する。絶対の死を確信する中でエデンは龍殺しの慈悲によってなんとか命を繋ぎながらも滝壺フォーリング。どうやら転生先の龍という異種族は悪の生き物として周知されているらしかった。凄い怖かったね。

 

 次に目覚めた時、エデンはエスデル王国、グランヴィル家に拾われていた。言葉もなにもかも不自由ではあったし、そもそも記憶が正しければ男だったはずのエデンは女の姿に変貌していた事に驚いた。それでも異世界で生きて行く為に、自分を助けてくれたグランヴィルへの恩返しをかねて使用人として仕える事になった。とても偉い。

 

 優秀な肉体にサポートされエデンは直ぐに環境や言語に適応して行く。エスデルの辺境に居を構えるグランヴィル家はそこまで裕福ではない。生活には知恵が必要だし、使用人だって数が少ない。お金はなんとかして稼がないといけないが、そんな生活もグランヴィル家の1人娘、グローリアを相手しながら過ごして行く。尊い。

 

 だがある日、エデンが辺境領の領主であるサンクデルに会い、そしてその娘であるローゼリアと仲良くなった日の夜、鉱山で亜竜被害が出たからその討伐にグランヴィル家当主エドワードと共に向かう事になった。龍であるエデンが初めて眷属である亜竜と出会う事になる事件だった。だが現場に向かって見つかったのは鉱山に潜む怪しい影。どこの所属とも解らぬ怪しい者達は何とモンスターへの変身能力を備えており、エデンは初めて人殺しを経験してしまう。ぴえん。

 

 初めての殺人、殺害は異形の姿をしている。それを上手く呑み込めず感じ取れない中で、鉱山の奥はなんと龍の墓所へと繋がっていた。その先で墓所を守る亜竜達と戦うモンスター人を見つけ、エデンたちは亜竜に加勢する形で墓所への侵入者たちを排除する。そしてそこで長い時を朽ちても待ち続けた、偉大過ぎる老龍と出会った。言葉と知恵、最後に遺産を残して老龍はエデンの姿を見てこの世を去った。とても悲しい。

 

2章

 辺境での生活も慣れて来たエデンは将来的にグローリアが学園に通う事なる話を聞き、そしてグランヴィル家にはそれを支払うだけのお金がないから家宝を売るという話を聞いてしまった。それをさせる訳にいかないと奮起するエデンはグローリア、そして親友のローゼリアを巻き込んで学費を稼ぐ事にした。やっぱり偉い。

 

 勉強嫌いのグローリアが奨学金を狙う中、エデンは高額賞金首モンスターを討伐する事で一気に稼ぐことを考えた。冒険者として立志する事を決めたエデンは愉快な動物たちを足代わりに街へと向かい、何度か訪れた冒険者ギルドで冒険者登録を行った。強い。

 

 エデンが最初に狙った獲物は人食い虎。ワータイガーと呼ばれるモンスターの変異種、人を襲って喰らう凶悪なモンスターだった。既に多数の被害者が出ているモンスターが相手である為躊躇する必要はないとエデンはまずは人食い虎に挑む事にした。巣があるとされている森にまでやってくると、なんとか人食い虎が人を襲う瞬間に介入し、人の命を救う事に成功した。凄い。

 

 無論、襲撃に失敗した人食い虎は逃亡し、エデンはそれを追いかける。魔境としか言いようのない環境を巧みに逃亡する人食い虎を暴力としか表現できない耐性と能力で強引に突破するエデン。その果てに人食い虎をその巣まで追い詰める事に成功する。巣で人食い虎と対峙したエデンは見事それを撃破し、そしてその奥で死んでいる番の虎と、今にも餓死しそうな子虎たちを見つける。人食い虎は純粋に子供を育て、生かす為に全力で血と肉を集めていた。子も親も殺したエデンは果たしてその行いに正義があるのか、生きようとする意志を踏みにじる事が正しいのかどうかを悩み始める。悩ましい。

 

 精神的に日本人が強いエデンにとって生存競争は馴染みのない概念だった。どれだけ悩んでいても強い肉体のせいで負ける事はない。だから悩みを振り切れないエデンはそのまま、翌日に次の賞金首を狙う。だが到着した現地でブッキングが発生、先に討伐の為に来ているクランがいた。エデンは獲物を其方へと譲るものの、それを守るように出現した変異型モンスターを一瞬で殲滅する。悩んでても強い。

 

 変異モンスターの代金を回収したエデンは次のターゲットへと取り掛かる前に領主から調査の依頼を受ける事になって雪山へと向かう。多少のアクシデントを経験しながら数日を雪山で過ごして帰還する。そしてその間に悲劇のカウントダウンは進められていた。エデンの強さと存在そのものに魅せられた熱狂的な信奉者がエデンの輝きを見たいという理由だけで変異モンスターの討伐に出ていたクランを改造、モンスターへと変異させたのだ。そして人狼へと変貌したクランは他の人を襲う事で感染させて数を増やし、100を超える数の人狼が街中へと解き放たれた。とても辛い。

 

 変異した人を救う方法はない。無情なルールに従いエデンは現れる人狼を、元人間を片っ端から殺して行く。心が砕けそうな痛みを覚えながらも殺して行くエデンは街の中心に座す人狼のリーダーと出会った。元は人間だった事、その尊厳が徹底して凌辱される景色を逃げる事も出来ずに見せつけられたエデンは災厄を終わらせる為にも戦う。傷つき、潰し、そして親しかった友人さえもその手で殺した果てに人狼事件は終わりを告げた。何時も苦しめられてて可哀そう。

 

3章

 拾われてから8年、恐らく18歳ぐらいのエデンはグローリア、ローゼリアと共にエスデル中央にあるエメロード学園へと向かった。2人の護衛という立場としてヴェイラン家からついてきた身の回りの世話を担当する使用人クレアと共にやってきた。城壁に囲まれた都市の周りにはスラム街が広がっているが、その内側は治安が高いレベルで維持された学生貴族の為の都市、都市が丸ごと一つ学園として機能する場所だった。そこにこれから3年間を過ごす。これまで育ってきた辺境を離れる事に不安はあったが、都会に出てくるという事は新しい世界に向かう様なものであり心を躍らせるものだった。わくわく。

 

 エメロードにはエスデル中から様々な癖のある人間が集まっていた。エスデルのみならず大陸における最高の学術都市、最高の環境である故に向上心や良い経歴を得ようとする貴族たちが集まっていた。その中で新たな出会いを迎えつつもエデンは自分を龍だと知り、理解する1人の老人を知る事になる。それはこのエメロードの学園長であり、市長でもあるワイズマン・セージであった。とても怪しい。

 

 もしかして中央は魔境なのかもしれない。そんな事を考えた矢先にエデンと新たな友人達は事件に巻き込まれてしまう。貴族の殺人容疑を被らされたエデンたちはその身の潔白を証明しなくてはならなくなってしまった。主たる貴族たちがあーでもないこーでもないと議論する中で、エデンたち使用人は全てはスラムに巣食うマフィア達が悪いのだから、罪はマフィアに被せてしまおうと考え付く。とても酷い。

 

 マフィアとの戦力差は歴然、エメロードマフィアを仕切っている幹部を残して構成員を殲滅するとエデンたちは幹部を脅迫し、事件の犯人は自分であると主張させる事によって罪をマフィアへと被せた。その後で犯人となったマフィア幹部は事件の遺族へと引き渡され、それから公開リンチと処刑にかけられる事になった。それを目撃したエデンはたとえ自分達の為、ここまで残酷な事が許されるのだろうか、という疑問を抱いて正義と罪のあり方を考え始める。ここまで。

 

 

・用語集

 

“大神”の世界

 創造神たる大神によって創世された世界の事を示し、現在の物語の舞台を示す。地球とは違ったエーテルと呼ばれる架空元素が大気に満ちている影響から科学技術ではなく魔法技術が発展した影響で、長い年月科学や生活が発展する事なく世界が続いている。豊かな自然と多くの生物で満ちた世界。テンプレート的なファンタジー異世界。この世界、星は大神の肉体より生み出されたと言われている。

 

神々

 あらゆる分野、概念を象徴し人々に信仰される超越的存在。概念として実在するのではなく不滅の肉体を持ち、地上の生命を見守っている世界の管理者。人々から受ける信仰を対価に恩恵や恩寵を与え、生命に安寧と安定を与える。地上には存在せず、下界を見渡せる天界、或いは神界と呼ばれる領域に存在する。世界の維持者。

 

エーテル

 魔法技術の源であり星の吐息。人が酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すように、星はエーテルを吐き出して大気に満たす。人や生物がこれを体内に取り入れる事で魔力へと変換する事が出来る。エーテルの段階ではエネルギーとして利用不可の状態であり、魔力へと精製する事で初めてリソースとして運用出来るようになる。

 

エーテル濃度

 あらゆる生物は呼吸するのに酸素が必要なように、エーテルを少なからず消費して生きている。これはエーテルが存在する世界に生まれたが故の生物の進化であり、エーテルの枯渇は生物の大幅な衰弱からの死を意味する。それを改善、修復、解決する為の手段が龍によるエーテル活性だった。だがそれが失われた今、星は全ての地域で一定のエーテルしか生み出さず、都会では濃度が薄く、人の少ない辺境では濃度が高くなる。これは生物の中で人が一番エーテルを無駄に消費するからである。

 

魔法

 また魔術、魔導とも。名前は変わっても本質に変化はなく、個人の好みや地方によって呼び名が変わる。魔力を利用して発動する特殊技術全般の事を示す。魔法には3形式存在し、神々が信仰に対する恩寵として使用を許可する神聖魔法。生まれつきDNAに刻まれた魔法式によって個人が発現する固有魔法。そして最後に複雑な術式を紙などの魔術媒体に纏め刻み発動させる紙式魔法が存在する。現在の技術では複雑な魔法や大規模な魔法を紙式で発動させる事は不可能とされている。

 

Important

 神々が世界管理と再生の為に用意した種族。世界原初の住人であり、星の支配者であった。強靭な肉体と高いエーテルへの適性、穏やかな心を持ったほぼ完璧と呼べる種族であり時が経つにつれて損耗する星を再生し、維持する為の星の管理者として期待されていた種族。存在するだけで土地を活性化させて豊かにし、また神々の承認を得る事でテラフォーミングする為の機能を有する。ただ大昔に龍の真実は歪められ、龍は人類に仇なす破壊者であるという認識が広められた。その結果、数多くの英雄達によって龍は狩られ、エデンを残し絶滅した。その始まりは、人理の神ソフィーヤが人々を安心させる為に龍狩りの方法を伝えたからだとされている。

 

 亜竜とも真竜とも呼ばれる。元々は環境管理の補助に龍族が生み出した眷属で、長い年月を経て野生化しつつも龍への恩と使命を忘れずに繁殖した種。龍を殺した人族を恨みつつも、増えすぎる人類が星を蝕むものだと理解して人類の間引きを積極的に行っている。繁殖して増えた3世代以降を亜竜と、龍が直々に生み出したものを真竜と呼ぶ。

 

人類

 現在の地上覇者。最も多様性に溢れた種族であり、頂点に立つヒト種から様々な亜種へと派生している。獣人、蟲人、魚人等と環境によって異なる進化を長年の間に見せ、完全なる別種として多くの種族へと生まれ変わった。純人種が最も地上に数を見せ、数多くの国家を樹立し現在は地上の覇権を争っている。

 

魔界 Important

 別次元の世界。或いは異世界。大気にエーテルを満たし、魔法法則が存在する。管理する神々は魔神と呼ばれ、“大神”の世界と同じように魔法技術を発展させた世界。ある意味では“大神”の世界の遠い未来とも言える姿。極限まで進んだ魔法技術はエーテルの乱用を招き、多量消費によって枯渇させた。星が賄える以上のエーテル消費は星を死の淵に至らしめた。

 

魔族・魔王

 元はヒト種ベースの種族。ただし極限までエーテル消費文明を進めた結果、環境や地域のエーテル濃度に個人個人で適応する事となり、住処で姿形が異なる非常にカオスな事となった。エーテルの溢れる環境に適応した種族が魔族となる。その為、エーテルの薄い環境では十全な力が発揮出来ない。魔王はこの魔族の中にある支配者階級であり、領地を持って魔族を支配、守護、繁栄させる役割を持った王達である。

 

魔神

 魔界における神々。魔の文明、技術を優先して発展させた世界の神々である為、いつからか魔神と呼ばれるようになった。魔界がエーテル大量消費の方向へと進む事を止めようとしたが、既に世界は彼らの手を離れて成長していた。彼らの子が自ら滅びの道を進むのであればそれに従い星と共に滅ぶのもまた運命と、星と共に滅びる事を選んだ神々。

 

魔界移民計画 Important

 魔界のエーテル消費文明が最盛を極めた事により、魔界は死の世界となった。ゆっくりと滅び行く世界から民を救う為に魔王達が考案した計画。命脈が尽きた魔界を捨て、彼らの民をまだ健康で発展途中の世界へと連れて行く事でやり直そうという目論見。作中における“夜の国”とはこの移民先第一号になる。またギュスターヴ=ベリアルはエスデルを移民先として国盗り事を計画しており、ギュスターヴ商会やマフィアはその為の手足となっている。

 

白夜戦争

 聖国と夜の国の間で繰り広げられる戦争の呼称。夜の国ができて以来常に続いており、この世界で最も長い戦争の記録を更新し続けている。白夜戦争において劣勢にあるのは聖国の方であり、戦争の行方は基本的に攻め込んだ聖国が撤退する事で一時的な休戦状態に入る事が多い。

 

聖国ソフィアテス

 数多くある国家の中でも信仰色がかなり強い宗教国家であり、現在世界で最も根強く信仰を受けている人理神ソフィーヤを信奉する国家。人の為の世を実現する為に努力を惜しまないと言えば聴こえは良いが、その実態は純人種至上主義国家へと成り果てつつある。もはやこの国にソフィーヤの声は届かない。間違った信仰心を抱いた国はどこまでも暴走し続ける。本国では純人種以外を見下す傾向があり、特に異世界人である魔族に対しては憎悪に近い感情を抱いている。その為、夜の国を必ず亡ぼすと誓っている。

 

夜の国ファー・ホーム

 遠き故郷。魔族たちが最初に生み出した地上での新たな故郷ではあったが、何の因果か聖国の近くに国家を作ってしまうという大失敗を犯した。本来であればこのような行い、即座に聖国に叩き潰されるのが結末なのだろうが、そもそもからして魔族及び魔界技術は既に数世代先んじている。魔族1人1人のスペックは地上人類よりも遥かに高く、そして装備の差も技術力によって隔絶していると言える。その為、魔族側からすれば赤子の相手をしているようなものに見えている。とはいえ、世界侵略に近い事も反省し、積極的に戦う事はせず、防衛しながらおちょくる事に徹している為、白夜戦争に終わりが来なくなった。彼らの役割は領土を保持しつつその裏で活動する魔王達が真に故郷と呼べる土地を、国を用意して大規模移民を行えるようにするのを待つ事だ。

 

人理の神ソフィーヤ

 人とその理を象徴する女神。それは決して純人だけを示す事ではなく、ヒトという種そのもの、あらゆる亜種や命を含めての事を示している。ヒトの世をよりよいものへと導き、その安寧と幸福を祈る女神だった。だが大昔に龍に関する事で己の失敗を悟り、自戒を経た結果信仰も祈りも全て歪められて声が地上へと届かなくなった。いつか零落し、神の座から落ちる事が約束された最も信仰されていた女神。エデンを心の底から愛し見守る事しか出来ない輝ける大戦犯。

 

 

・エデンの保有技能

 

アルディエム式戦理術 2/5

 エスデル近衛騎士団において採用されている武芸。エーテルや魔力を駆使した特殊剣技等よりも根本的な武器の取り回し、連携、戦い運び方、細かい技術の一つ一つに意識を向ける事に主眼を置いた武芸。どうやって敵の動きをコントロールするか、どうやって武器を効率的に扱うかというのを徹底して技術に落とし込み運用する事で戦闘行為そのものに対する理解力を上げる。エリシア・グランヴィルがかつて学んだものをエデンに教えた。この段階ではまだ半人前としか評価できない。

 

グランヴィル式魔導論 2/5

 最も近代的な魔法戦闘論。魔法をどう運用し、魔法をどうやって応用するか。その考え方とコントロール技術。近接戦に主眼を置いたグランヴィル式魔導論はそれまでの遠距離型戦術論を一新させるだけの衝撃を業界に巻き起こした。既に存在していた近接魔法論を明確に学術として纏め、マニュアルを通して習得出来る形にしたのはエドワード・グランヴィルの功績であり、偉業である。この段階ではまだ半人前としか呼べない領域にある。

 

■■■式屠竜技 0/5

 龍殺しの振るうエーテルを裂き、あらゆる生物を効率的に解体する為の技術。幻想の王さえも惨殺する為の唯一無二の戦技。この段階ではまだ触りに触れたのみとしか言えない。

 

二律背反

 黒と白の二つに分類される固有魔法。同化侵食効果のある結晶化性質の“黒”、浄化による抹消と希釈化を行える“白”によって構築されている。元はテラフォーミング用に用意された能力。浄化と侵食によって土地の再生とリサイクルを行う龍種としての機能、それが現代に合わせた調整と適応によって変異したもの。エデンの遺伝子に刻まれた唯一にして無二の能力。

>《にぎりつぶす》 黒、もしくは白を付与した広範囲圧壊攻撃。

>《かみちぎる》 黒と白を組み合わせた残像。触れると攻撃の残影に文字通り噛み千切られる。

>《大斬撃》 黒、もしくは白を付与した必中/防御無視の必殺斬撃攻撃。

>《生成》 結晶化による武器作成能力。

 

天性の肉体(龍)

 超自然の化身であり、最も優秀な生物としての肉体。環境に恩寵を与え、豊かにする為にあらゆる自然生物に愛される。また、エーテルによって狂った進化を辿った生物、モンスターからは憎しみを向けられる。あらゆる面で生物を凌駕しており、どのような環境でも適応して生存が可能となる。また、寿命の概念を持たず肉体は最盛期で成長を停止する。本来、龍に性別の概念は適応されないので、雌雄の概念を保有するのはエデンのみ。

 

オラクル 5/5

 神々と意思疎通する為の技能。鍛える事で伸ばす事は出来ない純然たる才能。この領域に至ると神々のみならず言語の壁や生物種別の壁を超えて意思疎通を取る事が出来る。龍という生物は神々より地上管理の委任を受けていたため、そもそも神々と自由にコンタクトを取れる機能が必要だった為にデフォルトで備わっている。

 

龍変身

 現代に適応し象徴する龍であるエデンにのみ備わった機能。人に変じる他、役割と環境に合わせて様々な形態への変身を可能とする。現在、幼龍であるエデンは最も基本的で幼い龍の姿にしか変身できない。

 

魔法創造

 新たな体系、種別、形式としての魔法を創造する。複雑かつ奇怪であるが故、簡単に作れるわけではない。だが人類が手にした魔法陣等に頼る事なく構築、発動可能とする魔法を生みせる。エデンの場合未熟と知識不足が祟り、現状一定以上の感情値を上回った経験、記憶そのものを魔法として昇華する事を可能とする。また、創造者を信奉するのであればその対価として創造された魔法が使用可能となる。

>《人食い》 返り血を浴びる度に身体能力が向上する。浴びた血が渇くか一定期間新しい血を浴びなかった場合強化値がリセットされる。この血は他人の血でないとならない。人食い虎を殺した記憶から生まれた魔法。

>《夢へ逃亡》 一定時間ごとに身体能力が向上する。この強化は肉体の限界を無視して発動する。人狼楽団を殲滅した記憶から生まれた魔法。

>《生贄》 傷つき、血を流す程生理耐性と肉体耐久度が上昇する。マフィアを身代わりとした記憶から生まれた魔法。




 感想評価、ありがとうございます。

 XINN氏よりカスタムキャストでエデンちゃんを作成してくれました。ありがとうございます!
 
【挿絵表示】


 次回から夏休み編開始になります。学園で過ごす3年間最初の夏休み、知り合いたちと少しずつ仲良くなる夏の始まり。


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3章 2節 夏休みx魔王x図書館編
サマー・バケーション


 大剣を肩に乗せ、空いている片手で棒付きキャンディーを口に咥える。視線を向けた先には5メートル級の鋼の巨人が―――前世であればロボットと表現出来る物体が鎮座している。実際のところ、科学的技術の多くはその鋼に採用されていない。本来必要とされるコンピューター等の技術はまだ存在せず、素材も高価すぎるからだ。だから足りない部分は魔導技術によって補われた。つまり、こいつは鋼を材料に作成された機械的なゴーレムだった。ちょっと車を思わせる様な上半身のデザイン、肩に装着されたバルカン、それらはどこからどうみてもロボットなのだが―――種別で言えばメタルゴーレムとでも言うべき存在だった。

 

 その周囲にはゴーレムを制御する魔術師の姿と、そしてそのメンテナンスを行う技術班が数名作業中だった。装備、そしてゴーレム自身の最終チェックを行っており、これから行われる模擬戦に対する準備が行われている。まだ少し時間かかりそうだな、と開かれているハッチの内部をチェックしている様子を見て振りかえる。そこでは杖を片手に、もう片方に薬品の詰まった瓶を握ったくすんだブロンドをツインテールにした少女の姿がある。

 

「そっちの準備は大丈夫かソフィ?」

 

 ソフィア、エメロード学園に通う貴族子女の1人だ。とはいえ、下級貴族と呼ばれる層に入る彼女の生活はかなりギリギリの所があり、下手すると平民よりも困窮した生活を送っているのが実態という少女だ。

 

「私は大丈夫ですよ! それにゴキ研も報酬はかなり色を付けてくれましたからね! ご機嫌ですよ! ご機嫌っ! 超ご機嫌ですよ! だから今日は頼みましたよエデン! 今日の報酬は貴女にかかっているんですから!」

 

「あいあい」

 

 テンションの高いソフィアの姿に苦笑する。実家も貧乏なら、こっちでの生活も困窮している。だからソフィアは積極的に学生課に張り出されているアルバイトに手を出している。エメロード学生課のアルバイトは基本的に同じ学園の学生たち、それも貴族が張り出しているものだ。だから内容の割に支払いの良いバイトがそこそこある。生活苦の学生はそういう依頼を優先的に引き受けて処理し、なんとか小遣いを手にしている。そしてソフィアはそうやって依頼を処理する側に回っていた。

 

 まあ、それで稼いだ金の大半を仕送りとして実家に送っているのが、彼女が困窮している理由の一つでもあるだろう。

 

 俺はそれに、安値で雇われて付き合っている身だった。というのも、元はロハで付き合う予定だったのだが、ソフィアがそれでは割に合わないと言い出したから最低限の対価を貰うようになった。まあ、そんな事もあり今は学園でも名物となっているゴキ研―――つまりゴーレムキング研究会を相手にしている所だった。

 

「いよーし! 最終チェック完了! 魔導サーキット良し!」

 

「マギアルゴリズムドライブオッケー!」

 

「魔力注入するわよー!」

 

「ゴーゴーゴー!」

 

 ぶおん、と音を鳴らしながら鋼のゴーレムが起き上がる。その身に魔力が充填されて行き、サーキットを通って魔力が電力に変換されて行く。魔導と科学技術の融合によって生み出された鋼の戦士は今、その力を証明する為に立ったのだ。その横でゴキ研の部長が拳を力強く作った。その視線はゴーレムから此方へと向けられ、

 

「それでは宜しく頼んだぞ! くれぐれも! なるべく破壊しないように頼むぞ!? 細かい部品とか滅茶苦茶高いんだからね!?」

 

「解った解った。……スクラップならリサイクル出来たよな?」

 

「不安になる事言うの止めて―――!」

 

 反対側から上がってくる声をげらげらと笑いながら流すとゴーレムが一歩踏み出してきた。それを見て後ろからソフィアが声を飛ばしてくる。

 

「エデン! 防御メインでお願いしますね! 攻撃しちゃだめですからね! ね!」

 

「解ってる、解ってるってば! 俺、そんな破壊的に見えるか!?」

 

「Mk55を消し飛ばしたのはお前だろうがあ―――! 行けMk61ィ―――!」

 

 そう言えばそういう事もありましたね? 思い返しながら正面、足に追加されたローラーが唸りを上げる音を聞いた。ローラーによって加速された鋼の肉体が一気に加速して接近してくる。その片腕はパイルバンカーを装着しており、拳を作って射出する準備を整えながら突撃してくる。

 

 それでも速度自体は楓やダン程ではない。良いとこ、“加工物”の最上位ぐらいだろうか? そう判断しながら肩に担いだ大剣をそのまま、正面から突っ込んでくる姿をバックステップで回避し、続く拳と腕に装着されたブレードによる連撃をステップを踏んで回避する。射線をソフィアから外せば肩のバルカンが稼働する。

 

「俺に向けて容赦なく撃ってきやがったなこいつ」

 

「いや、だって効かないし……」

 

 飛んできた弾丸を一発指で掴んで投げ捨てつつステップを加速させて回避する。素早く側面に回り込もうとすれば、ゴーレムが足元のローラーを駆使して綺麗なターンを見せる。その姿は少なくとも着実な成長が見て取れる進歩だった。おぉ、と声を零しながら振るわれるブレードを大剣で弾き、続いて放たれるパイルバンカーを大剣の腹を見せて受け止める。

 

「おっ」

 

 体が浮かび上がって吹っ飛ぶ。流石にパイルバンカーの衝撃を殺しきる事が出来ずに体が大きく後ろへと浮かび上がるように吹っ飛んだ。とはいえそのダメージが肉体へと通るには、火力が足りない。

 

「そいや!」

 

 と、入れ替わるように魔法が放たれた。氷の槍がソフィアから放たれ、ゴーレムの装甲に衝突し、弾かれる。普段見慣れている自分や楓とかの火力と比べるとなんとも可愛らしいものだ。それでもまあ、別段それが専門でもない者が放ったものだと思えば、悪くはないだろう。とはいえ、装甲に対して傷1つもないとこを見るにゴーレム自体が中々良い性能をしているようだが。

 

 流石Mk61、これまでにスクラップにされてきた怨念を背負いまくっている。ソフィアが錬金術で生み出したアイテムや魔法を使ってゴーレムの装甲テストを行っているのを見て、良し、と大剣を掲げる。

 

「俺もちょっと力込めちゃうぞー!」

 

「止めろ!! 止めろよ!!! 絶対にやめろよお前!!!! ふざけんな!! あああああ―――!!!」

 

 

 

 

「いやあ、発狂する部長の姿は見ていて面白かったなあ」

 

「外道ですか」

 

 アルバイトが終わったら早速手に入ったバイト代で学生カフェを堪能する。俺はそもそも1食分の報酬しか貰わない様にしているので、早速貰ったもんを全部使いきる形になっている。そもそも俺はブロンズ級の冒険者だ。正規の値段で雇用しようとすると軽くソフィアの予算をオーバーする事になる。だから俺はこの仕事の後の一食分を報酬に働いている。それだけで俺には十分だったからだ。こうやって働いて、適当に時間を潰せるものが欲しかった。

 

 俺はベリーパイをフォークでサクッと音を立てながら割って切る。正面に座るソフィアはモンブランをちょっとずつフォークで掬う様に食べる。学園の料理研究会が運営するカフェの一つだが、ここは偶に出す創作の特大地雷を引かない限りは中々スイーツが美味しい。なお、この前、特大地雷を引いてたまらず近くの植木に口の中の物を全部吐き出した事件は未だ記憶に新しい。

 

「でもほら、実際には砕かなかったし」

 

「表現が砕くって時点でもう尋常じゃないんですよね……いえ、まあ、確かに剣を持ち上げる度に発狂してダンスしだす部長の姿は見てて面白かったですけども」

 

 奇声を上げながら踊り出す部長の姿は本当に面白かった―――まあ、ゴキ研のゴーレムキングMk61は性能試験を経てMk62へとその内生まれ変わるだろう。科学と魔導という両方のアプローチでゴーレムを作成するプロジェクトはまだ立ち上がったばっかりだし。予算もそこそこもらえているのか、割といい値段のバイトになっているらしい。まあ、それで恩恵を得るのはソフィアなのだが。

 

「そう言えば部長さん、帝都中央工房の内定貰ってるらしいですよ」

 

「帝都中央工房って大陸の最先端じゃん」

 

「うん。ゴーレムキングプロジェクトはその手土産として完成させたいんだって」

 

「志が高いなあ」

 

 帝都中央工房、略してICW。現在の大陸で最先端技術を扱う工房であり、また魔界由来の技術の解析を行う場所でもある。ICWでは日夜魔界技術の解析とその応用、俺達の世界でどうすれば使える様になるかというのを研究している。銃や魔導機の作成の大半を帝国が行っていると言えばどれだけ帝国がこの手の技術者研究者にとって夢の職場になるだろうかは解るだろう。

 

 まあ、魔界由来の技術を使っているから聖国からは死ぬほど睨まれているらしいが。帝国の皇帝陛下は中々先進的な考えの持ち主らしく、常識や既存のやりかたのまま良しとはしない人物らしい。まあ、帝国に向かう予定はまだないから細かい事を気にする必要はないだろう。

 

「ソフィアは進路考えてる?」

 

「私ですか? まあ、卒業したら実家に帰ってどっか良い所に嫁げたらなあ……って感じでしょうか。現実的に考えてあまり選べる選択肢がないと言いますか……養わなきゃいけない家族がいますし、やっぱ結婚が安泰なんですよねー」

 

「へえ、やっぱ貴族女子ってそんな感じの将来なんだなあ」

 

「まあ、大体はそんな感じですね。女子として生まれた以上、未来は9割方決まっているも同然ですよ。どれだけ頭が良くても、子供を産めるのは私達だけですから、家の血を残すという仕事がありますし。そういう意味ではエデンみたいに身分に囚われない立場が一番自由が利きますよ」

 

「俺は……どうだろうなー? まあ、リアやロゼが老衰で死ぬまではグランヴィルに仕えようとは思うけど。子孫見守ったりするのも悪くなさそうだ」

 

「うーん、長命種特有のがばがば感覚」

 

 まあ……俺の場合龍という名前、運命がどこまでもついてくるのだから。それと向き合わなければならないという話もある。先の未来の話になるというのは事実なのだが、それはそれとして俺も将来の人生設計……いや、龍生設計というものをしなくてはならないのは事実だ。何度か考えてみた事ではあるものの、真面目に考える事はそこまではなかった。まあ、時期的に考えるには早すぎる内容ではあるのも事実なのだが。

 

「エデンはどうするんですか? 夏休みの間。確かヴェイラン領出身でしたよね。あそこまでここから行くとなると1週間ぐらいかかった覚えがあるんですけど」

 

「冬季の長期休みは1度戻る予定かなあ。雪の影響でそうでもないと戻る機会もないだろうし。だけどそれまではこっちにいる予定だな。まあ……こっちにいるしかないってのが本音だけど」

 

「まあ、遠いですもんね」

 

「うむ」

 

 ぶっちゃけ、辺境に戻るだけで一苦労なんだわ。もうちょっとアクセシビリティがマシならいう事ないが、ロックを使って飛んだところで時間がかかるという時点でマメな帰省は実行できないのだ。だからまあ、帰るのは諦めるしかない。そうなるとここら辺で過ごすしかなくなってくるが、帰省だったりなんだりで離れる連中も多い。ここに残る組としてはそこら辺、非常に不満だ。何せ、やる事が減るからだ。

 

 まあ、それでも仕事とか探せばあるだろう。

 

 エメロード周辺のマフィアが壊滅した後、ついにスラム街の取り壊しが決定されたのだ。その為にエメロードを囲んでいたスラム街は徐々にだが取り壊されて行っている。住民の反発なんてものも発生しているが、元々は不法占拠だったり違法行為の巣となっているのだ。それを騎士団で摘発すると当然ながら黙る事しか出来ず、武力行為でしか対応する方法が無くなってくる。すると、当然ながら騎士団とぶつかる事になる。

 

 そしてマフィアがいない今、スラム街には対抗するだけの戦力も装備もない。元々マフィアが保有していた銃器の類は俺がこっそりと拝借させて貰った分以外は騎士団に証拠として差し押さえられている事もあって、使う事が出来ない。

 

 それでもスラム街でしか生きる事の出来ない貧困層というのは存在する。

 

 ……まあ、そういう連中がそもそもエメロードという貴族、富裕層向けの環境に居ついている事自体が間違いなのだから、擁護のしようはないのだが。だからというか、この環境を手放したくない連中は暴力を使って居場所を守ろうとし、騎士団と衝突し、スラム街の取り壊しを行おうとする連中を襲撃しているらしい。

 

 お蔭で今はそれを補佐、護衛する仕事もギルドに入っている。確かに襲撃を受けるかもしれないというリスクは存在するのだが、それはそれとして支払いは良い。その影響で冒険者連中はこの話に飛びついているのが現状だった。俺もみんながこの夏の間エメロードを離れるのであればいっそのこと参加してしまってもいいかな……となっている。

 

 無論、参加するのは建造物取り壊しの方だ。人と戦うよりも重機として活躍する方が遥かに良いだろう。元々龍はその手の能力が得意な生き物だったらしいし。いや、能力の無駄遣いと言われたら確かにそれまでなんだが。それでも折角持っている力を使わない理由にはならないだろう。

 

 それも他にやる事がなければ、という話になるが。

 

「ま、互いに有意義な夏休みを過ごしたいもんだ」

 

「私は今回の件でボーナスが貰えましたから実家でちょっと贅沢に過ごす予定です」

 

 むふー、と息を吐くソフィアの姿にちょっと悲しくなる。やっぱ貧乏って大変だよなあ……と、実家が貧乏な身としては良く解る。今は支払いの大半をヴェイラン家が持ってくれるおかげで生活は楽だし、俺もブロンズまでランクを上げている影響で仕事には困らないからお小遣い自体に困る様な事はない。それでも家自体が貧乏だから、それなりに清貧にやっている。だから貧乏故に物が色々と足りない気持ちというのは解る。

 

 パイの最後の一切れを口に運び、飲み込む。

 

 見上げる空は完全に鮮やかな夏空の色に染まっていた。この世界に来て、一体何度目の夏になるのだろうか? そして俺はこの夏空を一体何度見るのだろうか? この夏の空を見る度にこれまでの事を思い出す事は出来るのだろうか? 長い人生―――そう、これから長い人生を歩むのだ。たった100年生きる人間でさえ結局、幼い頃の記憶は残らないのだ。だったらそれを超越して生きる俺はどうなんだろう?

 

 先日までの出来事のようにガルムやイルザの慟哭を思い出せる。ワータイガーの子供を守ろうとした姿も今でも毛の一本一本の揺れ方さえ思い出せる。だが何時しかこれも、懐かしさの中に埋もれて忘れちゃうのだろうか?

 

 1000年後の俺は、リアの事を忘れずにいられるのだろうか?

 

「夏だなぁ」

 

「夏ですねぇ」

 

 エメロード1年目の夏がやって来た。

 

 

 

 

 ソフィアとおやつを堪能してから邸宅に戻る。リアとロゼは今日は休みだった事もあり、夏休みの間にやる事や来季の選択科目を選んだりで出かける事無く忙しくしていた。まあ、夏休みが終わる前にこの手のペーパーワークをやるのは優秀な人間の証だ。前世の俺とか、夏休み最終日に全部纏めて処理してたしな。

 

「ただいまー。俺がいない間なにかあったかー?」

 

「お帰りー」

 

 奥の方からリアやロゼの声がしてくる。まだ色々と悩んでいる最中かなあ、と思っていると足元に二股の黒猫がやってきて、体を擦り付けて来た。軽く膝を折って黒猫の姿を撫でていると、キッチンの方からメイド―――この邸宅の管理と雑事を任されているヴェイラン家の使用人、クレアがやってきた。

 

「お帰りなさい、エデンさん。郵便受けにエデンさん宛てに手紙が来てましたよ」

 

「俺宛てに? ロックを通さず?」

 

「はい。珍しいですよね」

 

 クレアが手紙を手渡ししてくるのを受け取りつつ、首を傾げる。辺境からの便りの類は全てロック鳥であるロックを通して俺に送られてくる。数か月が経過した今ではエメロードの守衛も中型モンスターが何故か郵便屋さんをやっている事に慣れているし、都市の郵便局はロックに対して妙なライバル心を見出して日々エクストリーム郵便を改良して行っている。この都市、ちょくちょく変人が湧くよな……なんて思いながら手紙の差出人を確認する。

 

「えーて、なになに? 差出人は……ベリアル? 誰だろこれ……」

 

「間違いか悪戯でしょうか? 私もエデンさんにそんな知り合いがいた覚えはないんですが」

 

「うーん……あー、るっしーの関係者かな」

 

「ルシファーさんの?」

 

「うむ」

 

 そういやルシファー、職業が放浪魔王と言うかロッカー魔王というかそんな感じのキワモノジョブだった筈だ。ベリアルと言えば魔神の名前だ。だがルシファーの例を見るに、魔界という世界においては魔王を示す名前なのかもしれない。魔王ベリアル……うん、なんかそれっぽいな。手紙を開けて内容を確認する。

 

 そして見た。

 

 ―――エデン=ドラゴンへ、と書かれてある文章を。素早く文章を読み取り、溜息を吐く。そんな俺の様子にクレアが首を傾げる。

 

「どうしました?」

 

「いや、ベリアルさんからお茶会のお誘いだったよ。中央で宿泊先を用意するか、こっちで過ごしてみないか、って」

 

 頭を掻きながら手紙を折りたたんでポケットに突っ込む。

 

 実に困った、ドラゴンって言葉を使われたら絶対に無視できない。誰であれ、俺が龍であるという事を知っている人物なのだ。無視する事は出来ない。今のところ、理解ある人物としかエンカウントしていなかったが、それも常に続くという訳じゃないのだ。この手紙はお誘いでありながら、実質的には脅迫だ。

 

 だから頭を掻きながら溜息を吐き、

 

 この夏、やるべき事が決まったなあ……とぼやいた。




 感想評価、ありがとうございます。

 前話のまとめでエデンの技能が1個抜けてたので加筆だけしました。

 そう言う訳で、夏は王国編ラスボスと過ごそう!


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サマー・バケーション Ⅱ

 ―――エデン=ドラゴンへ。

 

 そう書かれてある手紙を開き、何度も確認した。エスデル中央、王都。そこにベリアルという名の魔族がいるらしく、俺との茶会を是非ともと所望している。ドラゴンと言う名称は実はそこまでメジャーではなく、ドラゴンという言葉自体広まっていないのだ。主に龍や亜竜、真竜等と言う言葉を使うのはドラゴンハンターたちぐらいなもので、一般的にドラゴンと言う呼称は使用しない。つまりそれを俺の名前に使ってくる辺り、この人物は相当博識であり、俺の正体も察しているという事でもあるのだろう。

 

 その上でまだ何の行動にも出ていない事を見れば、俺に対する害意が存在しない事は察せる。だがそれ以上にどこで俺の正体と、名前が流出したのか。それが非常に恐ろしい所だった。割とこう見えて、自分が龍である事を悟られない様に気を使っている所はある。普段から魔族であると自分の種族を主張するように言葉遣いや文化に気を使っているし。まあ、そういう細かい話は抜きにしよう。

 

 俺は俺が龍であるという主張はしていない。

 

 そもそも龍は人の姿をしていないし、人の姿をしたという記録も存在しない。だから俺が龍、ドラゴンであるという事を見て理解する事は単純に不可能なのだ。この大前提を覆す事が出来る存在があるとすれば……それは無論、千里眼を持つ存在だろう。例えば神、ソフィーヤ神。我が家の無敵ソ様。信仰心最近薄くないっすか? ……まあ、ソ様みたいな神様は下界を広く見渡す事の出来る千里眼を保有しているから、俺が龍だと知っているし、見ているし、監視もしているだろう。

 

 人理の神ソフィーヤを筆頭に武神、騎神、豊穣神とかは割と俺を良く見ているという話はそういや、前ソ様とフリートークしていた時に聞いている。神々の間でも俺の存在は割と話題になっているらしく、エデンチャンネルを見ている神は多いのだとか。俺が話題性抜群なのは、まあ……立場上は仕方がないって奴だろう。ちょっとだけプライバシーが不安だが、俺が1人になりたい時はそれとなくおめめを閉じてくれてるだろう。

 

 第二に昔の情報を知っていて見ぬく力のある人。これはあの某人類最強龍殺しさんや、なんとなく察しているがるっしーマイフレンド辺りが該当する。龍殺しに至っては産まれたての俺に一度エンカウントしていたから、姿が変わった所で見りゃあ解るって感じだろう。るっしーはマジで解らん。気が付いたら魔族のフリを看破されてたが、まあ、アイツ魔王だしなぁー、で大体納得出来る。だってるっしーなんだぜ?

 

 まあ、魔界の強さとか特異性とか、そういう諸々は謎の部分が多いが、俺が龍だと解るのは俺経由でなければこの二つぐらいだ。ワイズマン? あれは特殊ケースすぎる。

 

 だけど今回、ベリアルとかいう人物は恐らくワイズマンと同じケースか、或いは2番目か……そのどちらかとだと思っている。少なくとも千里眼を使って俺を把握できている人類が存在しているとはあんまり思いたくない。というか嫌だよ、そんな人類。俺の逃げ場ないじゃん。

 

 まあ、結論から言っちゃうと考察出来ても答えは解らないよな! って話になってしまう。

 

 だから自分で確かめるしかない。

 

「ま、そりゃそうか」

 

 手紙をベッドの上へと放り投げる。これは後々招待状として使うだろうから丁寧に保管しておかなきゃなあ、と考えつつも頭の中ではどうやって魔王クラスの相手と戦おうか、という事を冷静に思考していた。ここはやはり、エリシアの教育のおかげだろうか。素早く戦力計算を行う能力が自分に備わっている。自分が知る魔王クラスの馬鹿と言えばそりゃあるっしーだ。

 

 俺が250レベぐらいだとすれば、あの糞とぼけたフレンドはレベルが1600ぐらいある。しかも通常状態でだ。伊達に別世界の王の称号を得ている訳じゃない。戦いとなったら俺がまず瞬殺されるだろう。とてもじゃないが龍変身だけでどうにかなる戦力差ではない。だからまず、戦うという事を頭から放りださないとならない。そもそも、殺す気なら既に俺は死んでるだろう。つまり俺が龍だと知りながら、そのままであってほしいと考えている人物なのだろうと予測できる。

 

「怖いなぁー」

 

 やっぱ、俺、一生を辺境で過ごしたいな……。不必要に人と会わず、グランヴィル家の面倒を見て、その子孫を守っていく人生を送るんじゃだめなのか? いや、でも俺が原因でエーテルが活性化するとなると辺境が増々魔境化しそうだな。俺の能力がそういう領域まで伸びるまで何百年かかるかは知らんが。

 

「出たとこ勝負かぁー」

 

 まあ、世の中そんなもんか。最悪ソ様に泣きついたらどうにかならんか?

 

『一生、こっちで暮らしますか?』

 

「こっわ。話しかけんとこ」

 

 ソ様からの電波が届いて丁度良く脳味噌が解れた所で、だだだだ、と廊下を走ってくる音がした。あ、これは来るなと判断してベッドに放り投げた手紙をサイドテーブルへと移し、ベッドの上へと移動するように腰かける。すると勢い良く見なれた銀髪ロング、胸の控えめな少女―――俺にとってこの世で最も大事で愛しい娘、仕えるべき主君でありながら妹の様な存在、グローリア・グランヴィルの姿が現れた。

 

「エデン! 疲れた! 癒して!」

 

「はいはい」

 

 部屋に突撃したと思えば今度はこっちに飛び掛かってくる。腕を広げて妹の様な少女の存在を抱き留めると、その頭を撫でる。胸を顔を埋めるリアの姿を見ながら、胸のクッションってこういう事が出来るのマジなんだなあ……なんて事を思った。

 

「はあ……疲れた。離れたくない……ふにゃあ」

 

 人の胸の中で蕩けきっている娘の姿に苦笑を零しながら頭を撫で続ける。

 

「どうしたんだ、ここしばらく割と楽しくやってたじゃんかよ」

 

「うん、学校は楽しいよ。友達もいっぱい出来たし、講義も楽しいしね」

 

 でも、とリアが付け加える。

 

「ちょっと、疲れるかな。楽しいんだけど……こう、皆明確にやりたい事、なりたいものが見えてるんだよね。だから私もやりたい事を考えて、目標に向かって頑張ってるんだけど……何時の間にかそれが義務感になってないかなあ、って」

 

 リアの言葉に俺は苦笑するしかなかった。リアの言っている事は多くの学生が体験するものだと思っているからだ。少なくとも、現代において義務教育が発生する世の中、勉学とは選択性ではなく義務だった。その中で漠然と毎日を過ごして勉強をし、特に将来の夢も何も持っていない学生がこのままでいいのか、なんて悩むのは良くある話だ。義務感で授業を受けてて良いの? という考え、

 

 答えはメッチャ簡単。それでええんや。

 

 学校に通う金はただやないんやぞ。

 

 中学生時代の俺自身に言ってやりたい言葉だった。後もうちょっと真面目に授業受けとけ俺、それが将来的に滅茶苦茶助かるから。卒業してからじゃもう遅いんだわ。

 

 ……と、口で言うのは簡単だ。だがこれは実感しない限りは意味がない。リアは言ってしまえば、恵まれすぎているのだ。恐らく数多くの貴族の中でも、その義務と責務を背負わずに自由に生きて良いと言われながら育った事のある女子なんて彼女ぐらいだろう。普通の貴族子女は教育を受ける様な事も薄く、結婚の道具として運用される。権威ある家であれば教育を施して婚姻を通したコントロールとかも考えたりするのだが、エスデルが割とそういう教育関連では先進的でここまでの高度教育を行うのは一般的ではないのだ。

 

 だから環境でも境遇でもリアは断然に恵まれている。

 

「さあ? 義務ならそれはそれでいいんじゃないかなあ。エデン君、学生だからそこら辺良く解らなーい!」

 

「ずるーい!」

 

 リアがそう言いながらベッドに俺を押し倒してくるので、わーきゃー良いながらベッドの上でもみくちゃになる。それでも基本は抱き着きながらなので、そこそこストレス溜まってるな、ってのを感じる。元々グローリア・グランヴィルという少女は狭い世界の住人だった。友人も俺とロゼだけで、そう多くはなかった。それが今、大人数のコミュニティで人気のある少女をしているのだから、対応だけでも疲れる所があるのだろう。

 

 ベッドの上で体の上にリアを乗せたままで、と声を置く。

 

「帰りたくなった?」

 

「ううん……少し寂しいけど、楽しいのは本当だし。エデンがいてくれるから全然大丈夫だよ。ただ、ここを卒業したらどうしよう……って考える事は増えて来たかな。ほら、選択科目もあるし」

 

「ふむふむ。まあ、講義って基本的に将来何をやりたいかってのを基準に置いて取るもんだからね。単位を取得するだけなら楽だけど、将来的に何をしたいのかを念頭に置いて選ぶとなると難しいねぇ」

 

「うん」

 

 そういやあ、リアが将来何をしたいのかを聞いてなかった。

 

「で、リアは何をしたいんだ?」

 

「え? 龍の事をもっと知って、正しい知識広めたい」

 

「聖国に消されるから止めようよぉ……」

 

 リアがあまりにも畏れ多い事をやろうとしていて震えた。ちょっと待て、もしかしてこれ、完全に後押ししているのあの学園長だろ? 滅茶苦茶良い笑顔で手伝っている姿が思い浮かぶんだけど。まあ、エメロード内にいるかぎりはあの爺の庇護があるから大丈夫だとは思うけど、ドラゴンハンターとかが絶対にこんにちは! 死ね! しに来る奴じゃんこれ……。

 

 俺の不安を知ってか知らずか、リアは胸の上に頭を横に倒した状態でにへら、と笑った。

 

「大丈夫だよ。まずは龍に関する伝承とか伝説とか、そういう物を集めて纏めた本を作るの。と言っても発表するんじゃなくてそれを図書館に保存するの。調べたんだけど、龍に関する記録や本って童話を除くとほぼ存在しなくて、記録の類は聖国でしか保管されてないんだって。この状態だと興味を持った時調べる事さえ出来ないから、とりあえずどういうものかを知る為の本を作って図書館に記録しようと思ってるの」

 

「おぉ、意外と真面目に考えてる……」

 

 ちょっとした成長を感じて感動する。とはいえ、それ、始まりが俺が家族として一緒に育ったという事実に起因しているようで恥ずかしい。いや、龍に関連する事なんて俺の事以外ありえないんだけどね。ただぶー、と息を吐き出すとリアが顔を胸に突っ伏した。

 

「でも龍関連の資料って本当に少なくて、ワイズマン教授でもほとんど持ってないんだよね。1冊持ってるだけでそれを資料として使うのも……って感じなの。後は龍が敵役として出てくる童話は集めるは集めるけど、それはそれでバイアスかかり過ぎてて資料として使えないしー!」

 

 この娘が難しい事で悩み始めるの、本当に時の移り変わりを感じさせる。少し前までは小さかったんだけどなあ。

 

「あーあ、天想図書館に潜れればなあ……」

 

 天想図書館。

 

 エスデル最大のダンジョン。

 

 建国王の遺産と言われる施設。

 

 その実体は()()()()()()()()()だ。

 

 所説は色々とある。建国王が数多くの魔本等を収集して集合知として運用する図書館だったのがダンジョンに変質した、とか。神代から続く伝説の施設である、とか。或いはこれがアカシックレコードへとアクセスする為の施設である……とか。何にせよ、天想図書館はいわゆる特殊ルールによって運営される図書館であり、ダンジョンである。その性質は“求めた本を入手する事の出来る図書館”である。

 

 ワイズマンが保有する本、龍と大地は天想図書館127階で偶然発掘に成功した本であり、それが聖国へと渡る前に入手したものらしい。

 

 ―――まあ、“先生”に話を聞ければ或いは歴史ぐらい語ってくれるだろうけども。

 

 と、そこで思い出した。

 

「じゃあ、行くか? 天想図書館」

 

「え」

 

 リアが顔を上げて目を輝かせる。それに合わせ視線をテーブルの上に放り投げた手紙へと向ける。

 

「実は王都に遊びに来ないかって誘いがあるんだわ。それに便乗して天想図書館潜りに行くか? ぶっちゃけ、龍の事を調べるなら俺ももっと自分の事を知りたいし」

 

 聞いた話、天想図書館の入場には国が付けた制限や条件があり、冒険者の場合はランクに依存する。それが無ければ紹介状が必要だが、俺のブロンズと言うランクはソロの活動の他に誰かを連れて入る事を許可するレベルのものだ。忘れちゃならないのは“金属”級は冒険者の中でも上澄みであり、それにソロで到達できるというのは相当な実力者だという証明になる。つまり俺の身分、実力はギルドによって保障されている。

 

 だからリアを連れて天想図書館に入る事ぐらいはそう難しくない。

 

 それに手紙を確認する限り、宿泊先や王都での滞在中の世話は見てくれるらしいし、利用出来るなら利用するのが良いだろう。

 

「行く!」

 

「じゃあクレアとロゼにスケジュールとか休みの間どうするかって話をしないとな」

 

「早速聞いてくる!」

 

 そう言うと上から飛び退いたリアが部屋の外へと走り去って行く。その姿を軽く眺めてからはあ、と溜息を吐いて片腕で顔を隠す。

 

「……あのスキンシップだけはどうにかして改めないとなあ」

 

 そろそろそう言うのが致命傷になる年齢だと教えてやらんとなあ。俺が男の体じゃなくて良かったと思う。




 感想評価、ありがとうございます。

 姉妹揃ってスキンシップには無頓着。


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サマー・バケーション Ⅲ

「―――え、王都に行きたいの? いいわね、それ。私も一度は見に行きたかったし」

 

 燃える様な赤毛を持つ幼馴染にして辺境領主の一人娘、ローゼリア・ヴェイランはあっさりとそう答えた。

 

「となると一時的にここを空ける必要が出てきますね。準備してきます」

 

 ロゼのあっさりとした言葉に我が家の雑用を一手に担っているメイド、クレアが頷く。そう言えばロゼも辺境の出身者だ、王都というこの国の中心に対してはそれなりに期待や夢みたいなものがあるのかもしれない。しばらくの間この館を空ける為の準備をし始めるクレアの仕事を眺めつつ、俺達はこの夏、王都というこの国最大の都市で過ごす事が決まった。ロゼの素早い返答にリアが目をきらきらと輝かせながらテンションを上げるのが見える。

 

「王都のブティックとか見て回りたかったのよね!」

 

「有名店巡り!」

 

「行列の出来るレストラン!」

 

「いえーい」

 

 リアとロゼがハイタッチを決めるのを見て溜息を吐くと、クレアが此方へ、と手招きしているのが見えるので王都のどこへと向かうか、という話で盛り上がる2人を置いて離れる。近づいた所でクレアがそれで、と言葉を作る。

 

「ここをしばらく空けますが、いない間は誰か別の者に管理を任せようかと思うんですが……正直、任せても大丈夫だと思いますか?」

 

「うん? 動物たちに? 大丈夫じゃないかな……任せても良い?」

 

 足元からやってくるにゃあ、という鳴き声はいつの間にかそこにいた黒猫から返って来たものだ。軽く膝を折って顎を撫でてやると喉をごろごろと鳴らし、それからキリっとした表情を見せてくる。その表情には無論、大丈夫だという意志を強く感じさせるものがある。

 

「こいつ、ここら辺の縄張りのボスだし任せてれば大丈夫だと思うよ。賢いし。今は番犬もいるし」

 

 戻の外を見ると元はマフィアで運用されていた魔犬達が番犬として配置されている。あれでも結構な戦力になるのだが―――まあ、何故か黒猫には頭が上がらないから、黒猫に任せてれば大体なんとかなる不思議がある。

 

「賢さとかは別に疑っている訳ではないんですが……いえ、普段から頼っていますし、今回も頼らせて貰いましょう」

 

 折れたようにクレアが黒猫を頼る事にした。黒猫の為にちょっと良い餌を買ってくるかなあ、なんて事を俺も考える。いや、留守番を動物たちに任せて良いのか? って疑問には割と普段から連中に頼ってるし……って事でしか答えられない。そもそもこの館の維持はサンクデル・ヴェイラン伯爵から出ている予算の範囲内でやってくれと言われている。そしてこれはたぶん、ロゼに社会勉強をさせる為のもんでもある。

 

 こっちに来たばかりの当時はこの少人数での維持は大変だなあ、と思ったし実際そうだろう。だから貰った予算の範囲内で人を雇ったりする事を覚える事を期待したのだろう。だがそれはそれ。俺達は動物に作業を任せるという反則を駆使する事で人件費を抹消する事に成功した。いいや、こんな手段で人件費削減できたよ、って手紙で報告したらサンクデルから確認のお手紙貰ったんだがね?

 

 まあ、普段から掃除、洗濯、そしてついにはガーデニングにまで手を出す様になる動物たちだ。ホームセキュリティぐらい任せても大丈夫だろう。寧ろ家主がいない間街の動物を集めてホームパーティーでも開催しないかどうかの方が不安だ。一応、楓辺りに偶に様子を見に来るように頼んでみるか。

 

「しかし慣れていいのか、悪いのか……辺境に戻ったら動物が働いてない事に違和感を抱きそうなのがなんと言うかもう、怖いですね」

 

「安心して。グランヴィル家では現役だから」

 

「辺境のスタンダードになったら嫌ですね……」

 

 ロック郵便始まってるしたぶん辺境の生活も変わってきてるよ。ロック鳥の一家が育ってきたら真面目に高戦闘力の飛行生物が複数空を飛んで高速で郵便物配達するんだから、地上を移動する人間は廃業せざるを得なくなるんじゃないかな。

 

 まあ、何にせよ俺達の王都行きは決まった―――このベリアル閣下が一体誰なのかは解らないが、それはそれとして花の王都へと向かうのだ。興奮しない理由は存在しないだろう。

 

 

 

 

 それから諸々の準備を重ねる。手紙を貰ったら返事を。メールに返答するのは社会人の基本である……無論、スパムメール以外に限るが。なのでまずはベリアルに誘いを受けるという旨を丁寧に返答すると、此方が指定する日に迎えの馬車と宿泊先を用意すると伝えてきた。王都に特にコネらしいコネがある訳でもないので、これはありがたく利用させて貰う事にした。手紙の文面から相手が生真面目で慎重な性格であるのは見て取れたので、罠を張る様な人物ではない事は信用していた。

 

 手配の心配がなくなると今度はちょっとした挨拶回りになる。簡単に言えばしばらくここを空けますよ、という報告である。市長であるワイズマンの他には帰省せずに学園に残った知り合い連中に話を通して、後はジュデッカの連中にも声をかけておく。そうすればいない間に探されるという事もない。後は向こうで過ごす為の荷物を纏めれば準備は完了する。

 

 手紙を貰った日から約10日という期間を経て、こうやって俺達は数か月慣れ親しんだエメロードを一時的に出る事にした。

 

 そして約束の日俺達は馬車の停留所で迎えを待つ事になった。

 

「しかしエデンがどこぞの貴人である可能性が出てくるって、世も末よね」

 

 馬車が来るのを待つ間、ロゼがそんな事を言う。手紙の件、俺をどうしてもお茶会に招きたいという話に関して、幼馴染であるロゼは俺が龍である事を知らない。その為、同郷である魔族が俺の生まれを知っているかもしれないという形で話を通す事にしたのだ。実際のところ、俺の生まれを知る事はつまり、俺がドラゴンである事を知るという事でもあるのだ。あながち、嘘でもない。そして俺に対して向けられた待遇を見れば貴人だと思われてもしょうがないだろう。

 

 俺が龍である事を知るリアは寧ろそうかなあ、と首を傾げた。

 

「エデンは昔から博識だったし、どことなく良い生まれのヒトって感じはしてたよ」

 

「うーん、言いたい事は解るわよ? エデンって足運びに音を立てなかったり、昔から所作に品があるのよね。食べる時とか凄い綺麗だし。そういう所を見ているとやっぱりどっかの貴人なのかもしれないってのは思えるんだけど……」

 

「だけどー?」

 

「でもエデンよー?」

 

「あー。解る」

 

「それで納得するの止めんか?? お前らは俺を何だと思ってるの? 攻撃は物理的なもののみにしてくれ」

 

 所作や動作がどうしても教育された物のそれ―――というのは基本的な常識やマナーを何年間も日本で学び、育った人間の証だ。誇る様な事でもないが、長年培ったそれはもはや体にしみ込んだ癖でしかない。教育が一般的ではないこの世界において、高度な教育を受けた人間の動き方や話し方というのは非常に解りやすい。そういう意味で俺の所作は目立つらしい。ただそういうのを抜きにして好き勝手してるからなあ……まあ、貴人になんて見えないだろう。

 

 格好も男物がベースだし。

 

 ふりふりの可愛い系とかゴスロリ系とか、嫌いじゃないんだけどやっぱり機能性を取って男物の様なデザインばかりを選んでしまう。角に付けるアクセも基本メタル系ばかりだし。やっぱ可愛いとか綺麗よりもカッコいい系のが馴染みが深いからそっちのが好ましい。いや、でもスカートを手渡されてそれを1日中履けるのはもう相当幼馴染の趣味に毒されてる気がする。

 

「ですが、それも今回で漸くお披露目という事ですね。私個人としましても、同僚が一体どこの未開拓地出身なのかは気になっていましたので」

 

「お散歩してたら川で見つけて拾ってきたからなあ、エデンの事」

 

「散歩してたら道に聖剣が刺さってたレベルの珍事よね」

 

「くそぅ、くそぅ、ぼろくそ言いやがってこいつらくそぅ……って来た来た」

 

 何時も通りふざけていると馬車が停留所の方にやってくるのが見える。それが一目でこの都市で運営されている組合のものではないとわかるのは、単純にその馬車が他とは違うからだ。サイズは変わらずとも乗り心地を意識したサスペンションに馬車そのものに彫られた装飾、引いている馬でさえ見た事のない特殊な種の様だった。明らかに普段見ている、そしてこれまで見た事のある馬車とは似ても似つかないレベルの高級車だった。車で言うならロールスロイスとか、そういうレベルの馬車がやってきたのだ。その威容に4人揃って黙ってしまった。

 

 黙り込んでいる間にも馬車は俺達を確認するとゆっくりと迎える様に進み、そして目の前で止まる。御者台には金の短髪をオールバックに流した上で帽子を被った、或いは軍人にも近い気配の御者がいた。だが彼がただの御者ではないのはその見た目と、そして何よりも強い魔力の気配を感じれば解ってしまう。彼は決して、人間等という弱い種族ではない。

 

 彼は、魔族だ。

 

「お待たせしました、お嬢様方」

 

 魔族の青年はそう言うと帽子を取りながら御者台から降りて礼を執る。

 

「我が王ベリアル様の使い、コランと申します。お嬢様方―――そしてエデン様を丁重に持て成す様に申し付かっております」

 

 感心する程綺麗に礼を執る姿にえー、ととぼけた顔を浮かべてしまうが、横からクレアの肘が脇腹に刺さる事で漸く彼、コランの意識が此方へと向けられている事に察した。あ、そういえば俺が主賓なんだっけ? マジで? 俺何時も添え物の方だったじゃん? 待遇違くない?

 

「いえ、人違いです……」

 

「え?」

 

「こら! 日和るな!」

 

「気持ちは察しますけど、そこで話をややこしくしないください」

 

 ロゼとクレアから背中を叩かれ、助けを求めてリアへと視線を向ける。だが助けを求めた先でリアはくすりと笑って助けてくれなかった。なので素直に両手を上げて降参のポーズをとる。

 

「はい、エデンですー。俺の事ですー。ちょっと日和りましたぁー!」

 

「緊張させてしまった様で、申し訳ありません」

 

「あ、いや、うん。こっちがネタに逃げたのが悪いから……あー、それよりも馬車、乗って良いのか?」

 

「えぇ、どうぞ。お手をどうぞ」

 

「お、おう」

 

 え、なにこれ。なにこれ? 手をどうぞ、と差し出してくるコランを見てから残りの3人へと視線を向けるとにやりと笑っているのが見えた。くそぉ、こういう時だけ敵に回りやがって……でもここで手を出してくれる好意を無視するのもどうかと思うしなあ、なんて考えがある辺り、俺もはっちゃける側には振り切れない。

 

 イケメンに手を貸して貰って馬車に上がる……とはいえ、それを欠片も嬉しくも面白くも思わない辺りが自分の精神性がどういうもんかを証明していた。

 

 ただそれも、馬車に入ると考えが吹っ飛ぶ。

 

 馬車の中に待っていたのは部屋だ。室内。つまり馬車の客室ではなく、家にある様な部屋だ。それだけ広い空間が馬車の中に用意されており、驚きと共にその奥にまで進んでしまった。ソファやベッド、小型冷蔵庫まで置いてある。いや、待って、小型冷蔵庫は流石に世界観的にあかんくないか? そうは思ってしまうものの、ついつい冷蔵庫を開けて中身を確かめてしまう。なんか魔界産っぽい清涼飲料が並んでいるのが見えた……一応、見慣れたコーラみたいなものはなかった。

 

「うっわ、広ッ!」

 

「なにこれー! これもしかして館の部屋よりも快適になってない……?」

 

「このレベルのものは初めて見ました。王室でさえこの様なものはあるかどうか……」

 

 後からやって来たリア達も馬車に乗り込むと驚きの声を隠せなかった。明らかに馬車の中身は空間拡張によって広げられ、まるでホテルの一室を再現したかのようなしつらえをしていたのだから。この馬車に乗っている間、俺達は実質的に移動するホテルを利用しているようなものだから。流石におったまげた以外の言葉もないだろう。だがこれを実現するだけの技術力と余裕が魔族側にあるんだ。そう思うと魔界が文明としてどれだけ優れていたのかが解る。

 

「それではお嬢様方。ここから王都まではこの馬車で約2日程の旅となります。どうぞ、ごゆっくりとお過ごしください」

 

「お願いします」

 

 外から確認してくるコランに軽く頷いて頼むと、笑みで返答されて御者台に戻って行く。

 

 改めて、このベリアルなる人物が俺に対して向けている感情やら待遇を鑑みると……言葉には出来ない恐ろしさがあった。

 

 王都についたら、俺、どうなっちゃうの……。

 

 そこはかとない不安を感じつつ、夏休み、王都への旅が始まった。




 感想評価、ありがとうございます。

 ギュスターヴ=ベリアルだけどこの事実を彼女たちは知らない。

 ひつじ氏に絵を描いて頂きました!
 
【挿絵表示】


 幼馴染3人でお買い物! 何気にエデンちゃんはレアな可愛い恰好してますねぇ! これからも可愛い恰好をいっぱいして欲しい。ありがとうございいます!


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サマー・バケーション Ⅳ

 めちゃ糞快適だわ。

 

 王都までの旅はそれに尽きた。

 

 まずは馬車が揺れない。多少は技術的な問題で揺れを感じる筈の場所が一切揺れる事なく、旅の間はどこを進もうが非常に快適だった。本当にホテルの一室にいるんじゃないか? なんて考えそうなぐらい凝った内装と揺れを感じさせない客室……最初に移動するホテルと表現したのに一切の間違いはなかった。その上で小型冷蔵庫には飲み物が完備、置いてある棚にはお菓子等も用意されていて小腹が空いたときの備えも完璧。

 

 馬車内部で暇? だったらボードゲームだって用意されている。見た事のないボードゲームだが、どうやら魔界産らしく駒がプレイヤーの指示に従って自動で動いたりと、これまた地球のボードゲームに慣れていたとしても新鮮に感じるシステムの数々が用意されていた。これに軽く熱中するだけで数時間は吹っ飛ぶ。

 

 その上で飯が美味い。予め調理されていたものを保存しておいたものを食べるのだが、出てくる料理の内容が明らかに馬車旅で食べられるレベル、クオリティを超えているのだ。これは旅をする人間や長距離移動する人間にとっては基本的な話なのだが……馬車旅での料理というものは、どこぞの宿に行かない限りはそこまで期待できるものではないのだ。だから馬車に数日単位で移動する時は基本的に自分の好みの食べ物や、或いは自分で料理する準備を整えて乗るもんとなっている。だがその常識を覆すレベル―――即ちフルコース料理がなんと馬車の中で味わえたのだ。

 

 なんというか、もう、言葉もない。魔族の技術と資本凄い。御者であるコランも極力邪魔にならない様に配慮し、常に紳士的な態度を心がけていて、まるで不快感のない旅を過ごせた。エメロードから王都までは距離で言えば数日の距離だ。それでも馬、馬車の性能込みで普通の馬車よりもやや早いペースで王都までやって来てしまった。

 

 本と詩の王都アルルティア。その場所はそう言われている。

 

 都市は天想図書館と呼ばれる雲を抜けて伸び続ける塔型の図書館を中心に広がっている。都市は拡大し続ける為に定期的に城壁解体と拡張が行われており、アルルティアにはエスデル王族の居住地である王城が存在しない。良く異世界ファンタジーや中世ファンタジーで見かける都市と王城が一体タイプの形をしておらず、王城は都市から少しだけ離れた所にある。と言っても距離にしては1時間程度でしかなく、このまま王都が拡張を続ければ何時かは届くかもしれない。

 

 ただ今は中央に聳える天想図書館こそがこの王都の象徴にして、最も見るべきものだろうと思う。

 

 窓の外に広がるそんな景色を馬車の中から眺めておぉ、と声を零す。

 

「流石王都、エメロードよりもやっぱり大きいんだなー」

 

「広さだけなら大陸有数だったはずよね。大陸最大の都市は帝国領の帝都だし」

 

「エメロードは古さだけならアルルティアと同等ですが、政治的な理由の数々で拡張計画が大幅に遅れている事実がありますからね。ここアルルティアがこの大陸で最も古くからある大都市だと言えます。いえ……正確に言えば一番古いのは中央の天想図書館になりますが」

 

 クレアの補足する様な言葉にほお、と声を零す。リアとロゼと3人でぎゅうぎゅう詰めになるように窓に喰らいついて外を眺める。初めてみる王都の景色、今見える段階でも既にわっくわっくなのは言うまでもない事実だ。なんだかんだで旅行とか探検とか、そういう要素が好きなのが我ら辺境育ちシスターズだ。俺も元々、地球生まれの地球育ちだったんだ。生まれ育った日本とは全く違う姿の都市や文化、文明を見るというのは何時までも飽きないものだと思っている。

 

 今は移動範囲が限られているが、いつかは自由に世界を見て回りたい気持ちもある。

 

 きっと、この世界には想像も出来ないような都市や秘境が存在するのだろう……そういうものも、何時かは見てみたいものだ。

 

 辺境から、大分遠くに来たなぁ……。

 

 窓から入り込んでくる風に髪が乱れる。それを片手で整える様に抑えながら馬車の中のベッドへと下がるように腰かける。これならもうそろそろ王都の門前にまで到着するだろう。そこから今度は身分の検査で多少時間は取られるだろうが、それが終われば晴れて高級ホテルへ……という所だろうか?

 

 そんな事を考えている間にも馬車は徐々に歩みをゆっくりとした物へと落として行く。これまでは中々早い速度で移動していたが、王都の前に来て前方で王都に入ろうと並んでいる列に合わせて此方の馬車も列に加わる―――流石王都というべきか、ちらりと窓の隙間から盗み見る限り、どの列も並んでいる状態だ。こうなると平民も貴族も関係がないだろう。昔見た高速道路でどこも詰まっている状態が異世界でも通じるというのは中々面白い景色だ。

 

「お嬢様方、後1時間ほどでアルルティアに入れると思われます」

 

「ありがとうコランさん」

 

「いえ、それでは残り僅かな時間ですがどうぞ楽にお過ごしください。既にホテルの部屋は手配しておりますので、降りたら直ぐに部屋に入れるようになっています」

 

「王都のホテル……正直期待してないと言ったら嘘よねー」

 

「ねー! エデンのおかげで良い体験が出来そうだね」

 

「お前ら本当に楽しそうだなぁ」

 

 俺は―――どうなんだろうか? むすり、と肘を膝に立てて顔を支えた。むんずりという擬音が出そうなポーズでふと憂鬱な自分に気づく。いいや、憂鬱というよりはややナイーブなのか? 自分の事を知ると言う相手からの呼び出しだ。これで恐れるものが何もないと言えば嘘になるだろう。とはいえ、人生最大の恐怖を生む存在である先―――。

 

「っと」

 

 考えない。

 

 世の中には()()()()()()()()()()なんて異能染みた直感と感知能力を持った連中がいる。そういう事の対策に思考するなと言われていた事を思い出す。思考に耽るとつらつらと余計な事まで考えてしまうのが俺の悪い癖だ。自覚がある悪癖だからなんとかしたいなあ、なんて思っていると、

 

「―――今、エスデルは危機にあります!」

 

 そんな大声が響いた。

 

 外から聞こえてくる声に視線を窓の方へと戻すと、窓に張り付いていたロゼとリアが窓から離れるのが見えた。リアの方はちょっとだけ嫌そうな表情を浮かべている辺り、なんとなくだが俺にとっても決して愉快な存在ではない予感はした。だけど窓の外を見て確信した。

 

 道路の横、王都に続く門の前に並ぶ馬車の数々を前に説法をしていたのは一人の僧侶と、数人の騎士たちだった。僧侶の纏う法衣には見おぼえのある紋章が刻まれている―――人理教会を示す紋章だ。ソフィーヤの信徒を示す紋章であり、既にソフィーヤの意志から乖離して暴走している宗教でもある。この世で最も大きく広がり、そして人類繁栄に貢献している教会だ。アレが俺の同胞を殲滅した……と思ってみると、少し妙な気分になる。

 

「どうかそのまま、お聞きください! 現在エスデルのみならず、この大陸は危機にあります! 亜竜被害の減少は決して楽観して良い事ではありません! これまで何百年、何千年も続いた人と龍種の戦争は、何年か前に最後の龍が狩られる事によって終息したように思われました……ですが、亜竜はまだこの世にあり、今もなお人にその牙を剥いている!」

 

 いや、まあ、うん……生きてるんですけどね、俺……。というか亜竜被害が減ったのは俺が口添えした経緯があるからまあ……。

 

 まあ、真実知らなきゃ警戒するよね。

 

「こんな所で説法するより街中でやった方が効果がありそうだけど……」

 

「アルルティアでは広場や道路での勧誘が禁止されているからですよ」

 

 馬車の前、御者台のコランが返答を挟んだ。

 

「そうなの?」

 

「はい―――と言うよりエスデル王家が国家が宗教色に染まる事を警戒しているので、指定された曜日以外での王都内での勧誘を禁止しているんです。宗教が権威を手にした結果、国がどうなるのかは聖国が証明していますから。それをエスデルは恐れて代々宗教勢力の強まりを封じている風潮がありますね。結果、この様な形で説法を始めるのですが……」

 

「成程。あんがとコランさん」

 

「いえ、お力になれれば―――人理教会も滑稽ですし」

 

 ふと零した言葉に、軽い怒りが乗っているのを感じられる辺り、人理教会と魔族の間の溝は相当なものだと感じられる―――まあ、人類至上主義の連中にとって魔族は侵略者なのだからさもありなんという感じだろうか。俺もなるべく関わり合いにはなりたくない連中だ。とはいえ、嫌でも連中の声は響いて聞こえてくる。

 

「あの深海魔竜、そして溶炎魔竜でさえ姿を見せなくなった! それはこれまでになかった事です! 今、あの魔竜達は失われた主の仇を取る為の大規模攻勢の準備に入っています……!」

 

 教団の言う魔竜―――とは即ち真竜の事だ。真竜とは龍が直接生み出した眷属の事を示す。つまり原初の時より生き続けている龍の真なる眷属たちの事だ。亜竜はそこから生まれた子世代の竜たちの事を大抵の場合で示している。つまり、今この世に溢れている大半の亜竜達は自然繁殖で増えた個体なのだ。そうではない、龍に生み出された個体はもう僅か―――人類が踏み込む事の出来ない領域に身を潜め、そして人類を攻撃する時に姿を見せる事で龍殺し達の追撃を逃れているらしい。

 

 まあ、実際はどうなのかは知らないが。会ってみない限りは。会おうとすれば会えるんかあれ?

 

 ぷにぷにと横から頬をリアに突かれている事実を軽く無視しながらそのままどぼん、とベッドに倒れ込むとリアがお腹の上に倒れ込んできた。それを横で見ているクレアが溜息を吐いて注意してくる。

 

「皺になるからあまりそういう風に転がらないで欲しいのですけど」

 

「うす」

 

「はーい」

 

 しゃーねーなあ、と起き上がってはー、と溜息を吐く。まあ、別に人理教会が完全なる悪とは言えないだろう。連中のおかげで人類が繁栄出来たのも事実なのだから。だけどそうやって狩られている側からすると……やっぱり、武力を伴った集団が命を狙っているという事に恐怖を覚える。

 

 

 とはいえ、窓の外を見て、思う。

 

 あれならまだ勝てるな。

 

 

 

 

 コランの言う通り1時間ほどで渋滞を抜けて王都へと入る事が出来た。王都へと入ればやはり目に入る天想図書館は何よりも高く伸びており、嫌でも視界に入ってくる。あんなに大きいと都市そのものが日時計みたいなもんだな、なんて考えてしまう。

 

 一番目立つのは確かに天想図書館だが、それ以外にも見るべきものがある。

 

 活気だ。

 

 エメロードも大都市だったがこっちはその上を行く活気だ。建造物、店舗、住居も2階だけではなく3階や4階のあるものが見える。遠巻きにはホテルらしきもっと大きな建築までも見える。多くの人々が街を歩き、様々な格好の人々が何時も通りの日々を過ごしている。だがその密度と規模が凄い。流石に現代と比較するのは間違っているが、いや、それでも、

 

 あの頃を思い出させるだけの活気と凄まじさがあった。通りも凄い数の馬車が走っている。

 

 それを俺達4人―――ここに至っては従者であるクレアでさえも呆然と窓の外の景色を眺めるしかなかったのだ。この姿が田舎者丸出しなのは解っていても、異次元とも言えるこの賑わいと都市の姿には抗えなかった。そこには自分が知る限り、最も近代的なファンタジー都市が広がっているのだから、そりゃあ見入るだろう。

 

 ここまで来ると、ファッションも偉く近代的なモデルが見えてくる。エメロードは学生服ばかりで、住人も貴族がメインだからどちらかと言うと見栄え重視の服装が多い。辺境はファッション周りにそこまで意識を回す余裕がなく、生活が厳しい事もあって機能性重視という面が大きかった。だが王都の服装は機能性と見た目を両方兼ね備えたデザインを目指している様に見えた。シンプル、しかし見た目が良い。ポケットの多い服装とか、或いはコートに付随しているマフラーの様なパーツとか。一見無駄に見えるけどどこかで機能する様な恰好をしている者が多い。それになんと、スーツ姿の人まで見られるのだ。アレはたぶん魔族かなあ、と思うが。それでも辺境ともエメロードとも違う賑わいに、目を輝かせるしかなかった。

 

 中央道路、真っすぐ天想図書館へと向かう道には冒険者らしき武装した人たちの流れも見える。本来であれば外へと向かう筈の冒険者の流れも、この都市では仕事が見つからないからと一か所に集中する。

 

 そういう所を含めて、この王都はかなり特殊な環境だと言えるのかもしれない。

 

 また同時に、ここはギュスターヴ商会の本拠地でもある。ワイズマン曰く、手打ちをしたしもう手を出してくる事はないから心配しなくても良い……という話だったが、不安は残る。

 

 そんな期待と不安を胸に、俺達はこの日初めてこの国の中央へとやって来たのだった。




 感想評価、ありがとうございます。

 王様「政治に介入できるレベルまで宗教を放置しておくとろくなことにならないから適当な理由つけて力削っておこうね」

 深海真竜くん。龍殺しが来れない深海に身を隠して津波や塩水を陸地にぶちまけて土地を殺しに来る真竜くん。海から出て来ようとしないし、深海に基本引きこもって海流を操るので人類では討伐出来ない奴。戦術がとても賢い。そら魔竜扱いもされるわ。


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サマー・バケーション Ⅴ

「―――此方がエデン様方のお部屋となります」

 

 王都、中央から少し離れたエリア。利便性よりも周囲の景観を意識して建てられたホテルは、この王都の中でもそれなりに高く8階建てだった。これは現代基準で言えばそう高くはないだろう。だがこの時代、宿屋であっても2階や3階が普通な中、ここまでの高さを誇る建築物と言うのはそれこそ砦や城でもなければ中々ない。周囲の土地をごっそりと買い取って建設したのか、或いは中央へと遊びに来た貴族がしばし休息を得る為に利用する場所なのか……商業区からも、中央区からもそれとなく利用しやすい距離にあるであろうホテルの最上階、つまり8階はフロア丸ごとがスイートとなっていた。他のフロアとは一線を画す気合の入れよう、それこそVIP中のVIPでもないと利用できないロイヤルスイートへと俺達は魔導式のエレベーターを利用して案内されていた。

 

 エレベーターが開けばもう部屋へと繋がっている。驚きの声を零しながら3人でエレベーターから駆け出して部屋へと突撃する。後ろから歩いてくるクレアからも少しだけ緊張しているような雰囲気を感じながら、俺は一直線に部屋を横断して反対側、ベランダへと通じる窓を開けた。

 

「す、凄っ……これ、家具だけでうちの全財産超えそう」

 

「この部屋だけでたぶんエメロードの屋敷よりも金かかってるわよね……」

 

「あまり悲しい話をするなよ。グランヴィル家全員が泣くぞ」

 

 まあ、家財を売らないと学園に通えないレベルで貧乏だしな……とグランヴィル家の財政状況を思い出す。まあ、俺もある程度稼げるようになったから多少はマシになっただろうとは思う。まあ、それでも生活で使うお金の大半はヴェイラン家頼り―――いや、そういう形だからこそ今の生活が許されているのかもしれない。

 

 まあ、政治の事は忘れちゃおう。それよりも開け放った窓を通して入り込んでくる風が気持ちいいのだ。カーテンが風の動きに揺れ、その向こう側を抜けてベランダに立つ。幾つか置いてあるプランターには花が植えられており、ベランダの姿を多少華やかにしてくれる。そしてこの8階という高さはホテルの敷地を、そしてその向こう側にある王都の様子を見せてくれる。このホテル程背の高い建造物がほぼ存在しないのもあり、ここからは天想図書館の姿が邪魔される事もなく良く見えた。

 

 曰く、建国王の遺産。

 

 曰く、神々の残した本棚。

 

 曰く、曰く、曰く―――天想図書館とはダンジョンである。その始まりがどういうものなのか、誰が生み出したのか、どうして存在しているのか。その詳細な記録は残されていない。この国もまだ若く数百年しか存在しておらず、天想図書館の記録が残されているのもその頃からである。そもそも今の様に真面目に記録を取るようになったのが比較的近代の出来事である、というのが悲しい話なのかもしれない。

 

 まあ、若干数百年の国の発展と考えれば成長が早い方なのか?

 

「ソファがふっかふか! 凄いこれ! 凄い沈むよ!」

 

「何かしらこれ……あ、魔導コンロ? え、これって帝国製の高級品じゃなかったかしら? いえ、他に置いてあるのも高級品ばかりね」

 

「これは侍女としての腕が試されますね」

 

 振り返るとクレアがどことなくやる気を見せ、そして幼馴染たちが目を輝かせながら部屋の中を駆け足で確認して回っていた。そんな風に興奮している幼馴染たちの姿に笑い声を軽く零し、ベランダに背を預けるように寄りかかった。ここは中々風が心地よく、気に入った。都会であってもこの時代では汚染や排気ガスなんてものは存在しないのだ。感じられる風はややエーテルが薄く感じるが、新鮮で綺麗なものだ。辺境の自然はあれはあれで良いものだが、こういう高級ホテルの感じも全然悪くはない。

 

 高級ホテルも良いけど、安いぼろホテルも良いぞお、とは個人的に言っておく。部屋の鍵は壊れているし、シャワーは浴びれないし。ベッドの上に寝袋を敷いて寝るの。この世の地獄だがアレはアレで味があるんだ。もう二度と経験したいとは思わないが。

 

 と、他の連中がはしゃいでいる間に荷物を出しておくべきか。荷物をバッグに入れたままなのを思い出し、ベランダから身を離してエレベーターの前で待機しているコランの元へと向かう。

 

「お部屋の方は此方で大丈夫でしょうか?」

 

「いや、もう、文句なしっすわ。これで文句が出てくるのどこの豪邸に住んでたの? ってレベルになるし。寧ろ高級すぎて緊張して眠れないかも」

 

「ふふ、それは困りましたね。もし、本当に何らかの不備があれば是非ご連絡を。フロント方から直ぐに連絡が付くようにしておりますから。それと、明日からは別の者を……同性の方を付けますので。明日、朝に改めて伺います」

 

「うっす。何から何までありがとう」

 

「本当に、ありがとうございます」

 

「此方も、何かお返しが出来れば良いのですが」

 

 コランに感謝を告げているとリア達が集まり、軽く礼を取りながら感謝の言葉を告げた。だがコランは笑みを浮かべたまま頭を横に振った。

 

「いいえ、いいえ。私どもにとってエデン様は非常に重要な身分のお方にあります。本来であればもっと贅を尽くし、丁重におもてなししたい所だったのですが……エデン様はそういう趣向はお好みにならないと聞いていましたので」

 

「あぁ、うん」

 

 正直このレベルのホテルでも相当緊張するにはするんだが。それでも、しばらく利用してれば馴染むだろう。俺が龍だからと厚遇してコンタクトを取ろうとする人物、ベリアル。こうやって凄い金を出して歓待してくれているの見ると悪い人の様には思えないんだよな。まあ、警戒しなきゃならないのは事実だ。それでも警戒レベルが1段階下がっているのは仕方がないだろう。

 

 しかし、こうも手厚く歓迎されると俺……本当に偉い種族だったんだなあ、という感慨がわいてくる。

 

「それでは後はごゆっくりとお寛ぎください」

 

 コランを見送ってエレベーターが閉じる。どうやらエレベーターも此方の許可がないとここまで上がってくる事が出来ない仕様になっているらしい。本当に技術というかなんというか、世界観にそぐわないというかオーパーツ染みているというか……やっぱり魔族関連の技術、異端すぎるよなぁ。

 

「工場の大量建設と資源の大量消費への始まりだった……量産の安定は生活の質を向上させて人口の爆発的増加へと繋がった、か」

 

「なにそれ?」

 

「産業革命」

 

 中世から近世へと時代が以降する上で人類が迎えるフェーズの一つだ。大量生産こそが人類という種を次のステップへと導いたのだ。大量生産を通して生活が向上して人が死に辛くなった……だったか? まあ、この産業革命によって大量消費と環境汚染が一気に深刻化するんだが。この世界がもし、地球と同じように環境汚染とかの道を進むというのなら。

 

 ……それはそれで嫌だなぁ。

 

 でもたぶん、そうやって朽ちる星を救ったり、綺麗にするのが俺の役割という事なのだろうか? ソフィーヤママンは俺に何を期待してるんだろうなぁ。まあ、聞いた所で絶対に答えてくれないだろうから、自分で考えるしかないけど。

 

 それでも、なるべく戦わない様なもんがいいわな。

 

「しかしこれ、値段を知るのが恐ろしいわね」

 

「一晩1万とか2万じゃすまないだろうなあ」

 

「値段の話は止めよう! 考え出したら吐いちゃうよ」

 

「もう、しっかりしてくださいよお嬢様方。ここでしばらく生活するのですから。ではエデンさん、荷物を」

 

「あー、はいはい。そうだったわ」

 

 普段の学生生活の間はリアに貸しているバッグも、今は俺の手元にある。それを使ってリビングの空いているところに荷物を取り出すと、クレアが素早くそれを仕分けて行く。ロゼとリアも仕事を全て使用人に任せる様な娘ではない為、仕分けられた荷物の内持ち運びやすいのを何個か手に取ると、既に見初めた自分の部屋へと向かって荷物を運んで行く。もう自分の部屋を二人とも決めているらしい。

 

「落ち着きがありませんねー」

 

「まあ、王都なんて早々来れるもんでもないしね」

 

「そう言う割にはエデンさんは落ち着いているようですが?」

 

「俺は年長者だからな……クレアは?」

 

「私は侍女ですので」

 

 成程、侍女としてのプライドがあるという事か。はー、と溜息を吐きながら適当なソファに腰を下ろす。このフロアは全体的に白をベースにしながら木製の家具を基準に、落ち着きのある雰囲気を演出している。ホテルというよりは質の良い別荘みたいな雰囲気がある。ああ、季節も夏だ。窓の外から見える空は蒼く、そして風は心地良い。暑さと風の涼しさの絶妙の組み合わせがリゾートで寛いでいるような気分にさせる。

 

「しかし魔族の貴人ですか―――エデンさんの身分が判明したらどうしましょうか?」

 

「どうにもならねーよ。俺は今の生活を変えるつもりはないよ……少なくとも最低100年間はグランヴィル家に奉公する予定よ」

 

「成程」

 

 とはいえ、と思う。俺の龍としての価値を知る人物は知れば知る程なんで俺がこんな生活をしているのか……と悩むかもしれない。俺自身はぶっちゃけ、長期的な目標とも言えるものが存在しない。あるとすれば同胞達の足跡を追う事ぐらいだろうが、それだって限度がある。100年、200年……グランヴィル家とその子孫の面倒を見たり仕えたりすれば良いだろう。だけどその先はどうなんだ? 数百年先の未来に向けてやる事はあるのだろうか?

 

 ない。そんなビジョン、今のところ俺には存在しないのだ。だから俺は俺のやりたい事を優先する。

 

 つまり、好き勝手平和に生きるという事だ。グランヴィル家と辺境でゆっくりとスローライフを楽しむ……それさえ続けば良いと思っている。まあ、世の中そんな風にシンプルにいかないからこそ困っているのだが。なんで、皆俺をもっと放っておいてくれないのかねぇ。

 

「さーて、余ったお部屋でも貰おうかな」

 

「どうぞどうぞ。今回はエデンさんが主賓みたいですし……私も実は亡国の姫だったとかないかなあ」

 

 まあ、夢を見るだけなら誰だって自由だ。クレアの良いなあ、なんて声を苦笑しながら自分の分の荷物を持ち上げ、リアとロゼが選ばなかった部屋の扉を開ける。正直、どの部屋も少し形が違うだけで基本的には全て一緒だ。個人的な趣味の範疇での違いでしかない。正直、俺から見ればどれも最上級でしかないのだから、どれだって良いだろう。

 

 部屋に持ち込んだ荷物を投げ込み、トランクケースを蹴り開けて放置する。

 

 着ていた上着を脱いで床に放り投げるとベッドに背中から飛び込む。軋むスプリングの音に柔らかいベッドシーツの感触、少しだけ香る柔軟剤の匂いに包み込むようなベッドの感触。

 

「あー、極楽。あの馬車も馬車で相当やばかったけど、マジもんのホテルはその上を行くな……」

 

 ラグジュアリーロイヤルスイートとか、そういう感じの名前の部屋だろう、これ。日本でさえこういう部屋に泊まろうとすれば一晩で数十万は溶けるに違いない。流石に俺だってここまでのホテルに泊まった事はない……ファンタジーとは別の未知の感覚を覚える。

 

「日本、どうなってんだろうなあ……」

 

 ふと、ここまで現代に近い環境にあると日本の事を考えてしまう。普段は忙しいから忘れている……というよりは、特に思い出す必要もないから忘れているというのが基本だ。だって一々日本と比べていた所で不満しか見つからないだろうし。折角異世界にいるのだから、その世界にある美しさを楽しんだ方が1000倍マシだろう。何より、俺自身この世界の事が割と好きなのだ。

 

 ぶっちゃけ、何歳で死んだとかどうして死んだとか記憶にない。

 

 年々、こっちでの生活が長引けば長引く程どうでも良い記憶から底に埋没して行く。そして何時かは思い出すこともなくなるのだろうか? 此方での出来事は絶対に忘れないのに、日本での事はそうでもない。それが脳ではなく魂に付随する記憶だからだろうか?

 

 なんともまあ、難しい話だ。ル=モイラ辺りにオラクルで聞けば答えが来るかもしれない。

 

 でも、まあ、そんなアポなし突撃したら迷惑そうだしなあ……。

 

「エデンー! 外に行こうかと思うんだけどー!」

 

「貴女がいないと私達出られないのよー」

 

「はいはい。あんなに長く馬車に揺られてたのに元気だなあ」

 

 ベッドから起き上がって投げ捨ててた上着を手に取る。肌の露出は抑えておかないと目立つから、という理由で上着は羽織っている。暑くないか、という話は龍の体にこの程度の寒暖差は意味がないという答えになる。

 

「折角だしもうちょいゆっくりしたかったんだけどなぁ……」

 

「えー、私は元気が有り余ってるよ」

 

「それに王都に来たのに何もしないってありえないでしょ」

 

「元気なお嬢様方だなぁ……クレアはどうする?」

 

「私は此方に残っておきましょう。1人残しておいた方が何かと便利でしょうし」

 

 サンキュー、と言える前に両脇をリアとロゼに腕を組む様に掴まれ、そのままエレベーターまで引きずられる。あー、鍵ー、と思ったがクレアが残る事だし別にいっか。くすり、と笑って引きずられるままにエレベーターへと乗り込んだ。

 

 ―――こうやって俺達の王都での夏休みが始まった。




 感想評価、ありがとうございます。

 ソ様、ママと呼ばれ興奮のあまり同僚を殴る。

 溶炎真竜君。その昔、火山を大地に咲かせる事で辺りを炎と溶岩に沈めて深海真竜くんとどっちが人類殺せるかレースをしていた。だがそれが龍殺し達の怒りに触れた。溶岩の海は超えられんやろ! と余裕ぶっこいていたら超上空から射出された龍殺し達が一気に本願まで飛び込みダイナミックエントリーしてきた。結果、両手足尻尾角と心臓2個潰された溶炎くんは人類に対する多大なトラウマを抱えてマントルに逃げた。

 衝撃の虐殺現場を見てた深海くんも以降、深海に引きこもるようになった。


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王都遊覧

 夏の日差しの下、俺達はホテルの外へと出た。らんらんと輝く太陽は容赦なくお嬢様達の体力を奪って行く―――まあ、俺達3人は少なくとも辺境での生活に慣れている分、あまりこういう日差しの強さとかは気にしない所があった。辺境の方がエーテルが濃い影響で、あちらの方が環境は強いのだ。夏は暑く、そして冬は寒い。そういう環境が辺境にあって俺達はそういう場所で育ったのだから、これぐらいの暑さはまだ許容範囲内だった。

 

 ホテルから出た所で両手を腰にやって、はあ、と息を吐いた。

 

「そんで……まずはどうする?」

 

「どうするー?」

 

「まあ、適当に店を見て回りたいけどまず王都の地理が頭に入ってないのよね」

 

「正直未だにエメロードで迷子になる時あるよね」

 

「あるある」

 

 まあ、辺境という糞田舎にいたから大きな都市に出てきて迷子になるのは解る。実際、俺もエメロードの細かい所までは道を把握出来てはいないのだ。これでいて既にエメロードに来て数か月が経過しているという話なのだから、とことん都市と言う場所と俺は相性が悪いらしい。あの辺境のそこそこなサイズの街、アレで俺には十分なんだなあ、というのを改めて感じていた。まあ、それはさておき王都観光を実行する事となったが。

 

 当然ながら地理も解らなければ土地勘もない。軽くリサーチはしたが、ホテルから出たばかりで右も左も良く解っていない状況だ。ここから王都を見て回りたいという話になると相当無茶になるのだから、やる事は決まっている。

 

「ガイドを雇いましょ」

 

 両手を叩いて宣言するロゼに俺達は頷いた。

 

「さんせー」

 

「それしかないなぁ」

 

 ガイド、即ち観光ガイド。この手の大都市、とりわけ王都や首都クラスの大都市はとてもではないが1日で回れるような広さをしていない。その為、街の中には道案内をしてくれる兵士や、案内や紹介を専門としたガイドが存在している。この手の街での移動を専門とするフリーランス……つまり冒険者もいて、業界用語でパスファインダーと呼ばれていたりする。そういう連中を見つけ、案内してもらうように頼めば問題なく王都での観光も出来るだろう。

 

 となるとホテルのレセプションで雇うのが良いだろう。この手のビジネスはホテル側でも用意しているのだから。一旦ホテルを出てしまったがそのままUターンでホテルの中へと戻り、レセプションへ。ホテルのレセプションにいた受付嬢は俺達の話を聞いて頷いた。ホテルでもその手のプロフェッショナルは抱えており、話を聞いたら直ぐに手配してくれるとの事だった。

 

「冒険者の方ですが、当ホテルで提供できる最も信頼できる人物です」

 

 受付嬢の言葉を信じ、俺達はホテルの言うガイドを頼る事にした。それまでの時間を潰す為に部屋へ戻るなんて面倒な事はせずに、ロビーのソファに座り込んで、ガイドを待つ事にした。

 

 

 

 

 それから三十分後、その人物はやって来た。

 

「うーっす。俺が案内を任されたってのはお前らの事で良いんだよな?」

 

 軽い様子でホテルのエントランスからやってきたのはローポニーに髪を纏める、少しよれたコートを羽織る30代ほどの男だった。目の下に見える僅かな隈や恰好を含めて、高級ホテルに呼び出される様な身分の人物には到底見えはしなかった。だがその格好とは裏腹に、男からはエネルギーとでも言うべきものを感じられた。やや背を丸くしているが、足腰がしっかりとしている事は隠せず、或いは陰鬱さを少々前に押し出す様に演出しているようにさえ感じられる所があった。少なくとも、見た目通りの人物ではない事だけは自分には伝わったので、片手をあげて挨拶を返す。

 

「せやぞ。お金はあるから媚びて良いんだぞ。媚びて来たら気持ち悪いって思うけど」

 

「めんどくせぇ嬢ちゃんだなあ!」

 

 そのやり取りだけでそこまで肩肘張った関係は必要ないだろう、というのが双方に伝わった。立ち上がりながら手を出して最初に男と握手を交わす―――一応、護衛と言う身分は忘れてはいない。こういう知らない人物とのファーストコンタクトは主に俺の仕事だ。ごつごつとした男の手の感触は明確に鍛えられた、戦う者の硬い手である事を認識して満足する。

 

「宜しくおっさん。俺はエデン、美少女1号だ。そして美少女扱いされるとキレる」

 

「ローゼリアよ。美少女2号よ。私は美少女扱いされると喜ぶわよ」

 

「グローリア! 美少女3号!」

 

「おーおー、元気な嬢ちゃんたちだなぁ。今どきこんなひねてない娘も珍しいもんだ」

 

 けらけらと笑いながら男は背筋を軽く伸ばし、ロゼとリアとも握手を交わした。

 

「俺はグレゴール、ロバート・アンゼル・グレゴール。気軽にグレゴールとでもおっさんとでも好きに呼んでくれ」

 

「おっさんさん」

 

「“さん”が余計かなぁ」

 

「おっ」

 

「削り過ぎだわ」

 

 苦笑する男、グレゴールの反応の良さにちょっと楽しくなってくる。見た目に一瞬だけ不安を覚えたのは事実だが、それはそれとして他人と話す事、レスポンスを取る事、そしてリアクションを見せる事に凄い慣れている感じがある。此方が出す言葉、動きに対して退屈させない姿を見せるのが上手とでも言うべきか。リアが割と軽く接しているのを見て、悪い人ではないのは理解出来た。俺としても、センサーに悪人反応はないので割と安心できている。

 

 ともあれ、観光だ観光。折角王都に来たのだから、色々と見て回らないと。

 

「そんじゃ、一応基本的な王都ツアーみたいなもんはあるけど嬢ちゃん達は特別見て回りたい場所とかあるか? この王都自体メタクソに広いから軽く見て回るだけでも1日は終わるぞ」

 

 グレゴールのその言葉に視線を合わせる。色んな所に興味があるのは事実だが、王都という街を良く知らないのもまた事実だ。この夏の間は恐らく過ごすであろうこの王都を良く知っておきたいという気持ちもある。ちょっと待って、とグレゴールに片手を出して待ってもらいながら背を向けて軽く3人で意見を交わし合う……と言っても、結論がでるのにそう時間はかからなかった。結局の所、今すぐここに行きたい! という場所がある訳でもないのだ。

 

「じゃあ王都の基本観光コースで宜しくね」

 

「あいよ。おじさん的に一番楽なのが来たな。そこそこ満足して貰っておじさんもそこそこお金がもらえる。誰にとっても嬉しいコースだ」

 

「言い切ったなこいつ」

 

 それにけらけらと笑いながら4人でホテルを出て、王都の街へと繰り出した。

 

 

 

 

 ―――王都、アルルティア。エスデル王国の中心にして最も栄える都市。それは最も整備され、そして活気のある都市でもある。グレゴールというガイドを得た俺達はホテルを出て道を進み、そこから王都の中央道路までやって来た。なるべく真っすぐ、曲がる回数が少ない道を歩いて行くのは俺達がホテルを出る時道を間違えない様に、忘れないようにする配慮の為だろう。当初は馬車を用意しようとしたグレゴールではあったものの、歩きに全然問題がないと知るとこういう風に配慮して道を通るようにした。

 

 アルルティアの中央通りは東西南北からそれぞれ中央へと向かって伸びており、そして都市の中心にある天想図書館、それを囲む図書館大広場へと繋がっている。門を抜けて王都に入った所で見える天想図書館はこの街の象徴でもあり、そして物理的な意味でも中心に立っている。南中央通りにまで出て来た俺達を前にグレゴールは天想図書館を指さす。

 

「見ての通り、アルルティアの発展と成長は常にあのバカでかい図書館と共にあった。建国王が持ち込んだ魔本が作用した結果迷宮となった、最初からアレは迷宮でそこに知を集積した。王が持ち込んだ賢者の石であれを迷宮にした……なんて諸説がある。実際のところあの天想図書館の建造物自体はエスデル建国前から存在していたらしいな」

 

「ワイズマン教授はそこら辺、語ってくれなかったんだよね。建国周りの話とかちょこちょこ教えてくれるけど、肝心な所は自分で探れって言ってくるの」

 

「ワイズマン・セージ卿? あぁ、エメロードの学生さんか。まあ、あの爺さんは秘密主義な所があるから尊敬されていても嫌われてたりするらしいんだよなぁ。あの爺さん、建国周りの話で王の事とか建国の経緯とかは口にしても図書館関連の事はあまり口にしないからな」

 

 ま、とグレゴールは言葉を付けたす。

 

「お蔭で学者先生たちは浪漫が残されたって言うけどな」

 

「追うべき事実、見えない真実、推測できる事から何が正しいのかを論議する」

 

「そういうのが好きな奴は多いからな。ま、天想図書館の細かい話は実際に入って見て確かめてくれ。中に入った所のエントランスとロビーには司書がいるからな。図書館の話をするなら連中から話を聞くのが一番だ」

 

「ほほー」

 

 司書、つまり図書館を管理する存在がいるという事だ。それはそれで気になるが、今の本題ではない。天想図書館を大通りから長め、軽くそれに関する解説を聞いたら大通りを歩きつつグレゴールに王都のざっとした説明を受ける。

 

 天想図書館を中心としたこの都市は政治と経済の中心としてエスデルを動かしている。言ってしまえば、国としての心臓であると言える。その発展の中心にあるのが天想図書館―――ではなく、それはタダのオマケでしかなかった。過去のエスデルの王族は非常に賢く、ダンジョンなんてものに頼った経済を構築した場合、それはダンジョンの崩壊と共に国の崩壊をもたらすものであるとした。

 

「だからエスデル王族は別の方法で国を富ませる事を考えたんだな」

 

 それが学問だった。

 

 幸い、国家基盤として優秀な学者等がエスデル建国時には既にいた。王そのものは相当なレベルのアホだったらしい……というのはリア経由のワイズマン情報だったが、アホはアホらしく難しい事は全部それが出来る人間、賢い人間へとぶん投げていたらしい。ワイズマンが国家の中心部で最も重要な学問を司る都市を運営しているのも、過去に王がそれ関連の権利や問題を全部ワイズマンへとぶん投げたからだ。

 

 そこら辺の能力が王は高かった。出来る事、出来ない事、それを見極めてぶん投げられるものをぶん投げるのを見極める才能があった。そして本人にはカリスマもあった。その影響でエスデルは才人を抱え、国は成長した。知を尊ぶあり方は丁寧に、そしてしっかりと国家の下地を作り上げて国民のレベルを上げる事に成功した。そうやってエスデルという国家はこの大陸でも有数の国家へと成長したのであった。

 

「アイス!」

 

「食べる!」

 

「あ、俺のもなんか適当に宜しく―――えーと、それでおっさん」

 

「ん? なんだ」

 

 大通りを南から東へ、商業区を目指して移動している間に見つけたアイスの屋台にリアとロゼが突撃するのを見てから話を続ける。

 

「エスデルが学問を根幹に置いた国家ってのは理解できるけど、ぶっちゃけそれだけで稼げる程国家運営って楽じゃないじゃん? どうやってこの国、金稼いでるの? 前々からそこら辺割と気になってたんだけど」

 

「あぁ、魔導品とか、魔石とかの輸出だなそりゃ」

 

「ほーん」

 

「特に帝国が得意客だよ、ウチの国は。帝国が魔導機器の大量生産を求める分、滅茶苦茶魔石やら魔導触媒とかを求めるのをエスデルが生産したり触媒の原料となるもんを掘りだしてくるんで、昔からそれで潤ってるな。ウチは魔導触媒の原材料に関しては相当恵まれてるからな」

 

 あぁ、と声を零しながら思い出す。そういやヴェイラン家所有の領地にも鉱山とかがそこそこあったな、と。あそこで鉄とかを掘り出しているのかと思ったが、魔法に使う触媒やら特殊な鉱石を掘り出していたのか。今も昔も、結局金になるのは資源なんだなー、という辺り前の事にちょっと納得しちゃう。

 

「まあ、国家レベルで潤すとなると技術や学問だけでは無理があるしな」

 

「まあな。最終的に何で金を稼ぐかって話になるとやっぱ資源の切り売りが一番だからな。小国なら武力やら観光資源でどうにかなるかもしれないけど、エスデル程大きいとやっぱそこら辺の資源は必須だからな」

 

 グレゴールの教養のある言葉に頷きながら、この男がここまで深い話が出来る事にちょっと驚く。

 

「おっさん、本当に見た目どうにかした方が良いと思うよ。中身と外面でちぐはぐすぎでしょ」

 

「こっちのが気楽なんだからほっとけ」

 

 しおれたローポニーを揺らしながらグレゴールが視線を逸らすのに、軽く笑い声を漏らした。俺の名を呼ぶ声に振り返ればトリプルのアイスを両手に持ったリアが此方へと小走りに戻ってくるのが見える。笑顔で俺の分のアイスを受け取りながら舐めて―――顔を顰める。

 

「なに、この味」

 

「え? チョモモメロントッポロ味」

 

 今、なんて? 聞いたことのない言葉がリアの口から出て来るのに首を傾げ、

 

「なにそれ」

 

「見た事のない味だから買ってみたけどどうだった?」

 

 その言葉に俯き、空を見上げ、もう一度舐めてから頷く。

 

「チョモモメロントッポロみたいな味かな……」

 

 こう、旅行先で微妙な味のグルメ品を発掘してしまったみたいな妙な気持ちになれた。こういう事故を含めて旅行の楽しみだよなあ……なんて事を考えてしまった。




 感想評価、ありがとうございます。

 ちなみにソ様が一番リアクション豊富ですけど、大体の神は仕事を委託してるので暇だから下界ウォッチングは一番メジャーな趣味だったりします。


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王都遊覧 Ⅱ

 煌びやかな店舗の数々。道路を歩いている人たちの姿も心なしか着飾っている様に見える。そんな景色を見る俺達は今、王都アルルティアの有名な通りの一つにいた。ガイドのグレゴールは片手をポケットに突っ込んだまま、メモ帳を取り出している。

 

「ここ、ヴォールストリートはアルルティアでも最も古い商店街なんだな、これが。最も歴史と伝統のある商店がこの通りにある……って言いたかったけど、ぶっちゃけこの通りは土地の値段がヤバイくらい高くてな。この都市でも有数の商店しか店を出す事が出来ないんだわ」

 

「一瞬で歴史と伝統が死んだな」

 

「まあ、土地の奪い合いって大体そんなもんだからな。古くからある格式ある通り、ここで店を出す事が店主の夢とも言える場所だ。ここで店を持つ事がこの国における成功者の証ってな。だからこの通りにある店舗ってのは基本的にどれも高級店ばかりだ。貴族の嬢ちゃんたちなら問題なく利用できるだろうけどな」

 

「へぇ」

 

 グレゴールの言葉を受けながらヴォールストリートと呼ばれるこの通りに並ぶ店舗を見る―――確かに、歩いてる人を見ればいわゆる労働者層と呼ばれる人達はあまりいないようだ。その代わりに上等な服装に身を包んだ貴族やらその従者の姿が多く見られる。こういう姿はエメロードでも良く見る景色だな、なんて思う。まあ、それはともかくやはり周囲にある店舗はどれも高級店に見える。

 

 服飾、レストラン、ジュエリー、基本的に生活とは関係のない商店がメインとなっている。近くのブティックによってショウウィンドウから店内を覗き込めば、上質な生地を使用したパーティドレスやカジュアルドレスの類が並んでいる。ただそれに付随するプライスタグは凄まじい額を見せている。正直な話、俺がこっちに来る前辺境で稼いだ貯金を崩せば買えない額ではないだろう。だがあの貯金を崩さないとならない額だと言えばその凄まじさも伝わるだろう。俺の貯金は元々3年の学園生活を乗り切る為のものなのだが、その貯金の何割かが吹っ飛ぶレベルの値段だ。

 

 相当ヤバイ。

 

「これ、相当格式のある夜会用のドレスね。王族とかが出る奴の」

 

「ま、そうだな。そのほかにもドレスコードが必要な店も結構あるぞ。ここは客を選ぶ側の通りなんだわな」

 

 レストランの大半はそうだろうなあ、と通りを歩きながら確認する。良くある勧誘や呼び込みみたいなものがここにはない。それでも客は当然来るだろうし、そしてそれで得た金で当然潤えるみたいな顔をしている。実際のところ、観光や療養、或いは逗留している貴族たちだけで普通に懐は潤っているのだろう。この通りで店を出すというのはその程度が出来なくてはならない、という奴か。

 

「俺はあんまりそういう格式あるのめんどくさくて嫌いだな。もっとがやがやしてる方が良いわ」

 

「うーん、そうね。なんというか雰囲気があり過ぎて苦手ね、ここは」

 

「仲良く食べる事が出来なそうな感じがめんどくさいよね」

 

「ありゃ、これは珍しいお嬢様方だ。大体は目をキラキラさせながら張り付くもんだがねぇ」

 

 グレゴールは当てが外れたと言わんばかりに頭の裏を掻いている。が、その表情はどことなく楽し気なものだった。実際、俺達辺境三人娘はこういう権威や格式みたいなものからは縁遠い生活を送っていた。いや、縁遠いというよりは気にしなくても良いと言った方が正しいか。ぶっちゃけ、周辺で付き合いのある貴族って俺達3人だけだったからそういうの一切意識してない部分あったんだよな。

 

 エデンバックブリーカーとか、シャイニングロゼウィザードとか、ゼロ式リアマウントとか。俺達はそういうもんで育った。ぶっちゃけ野人だ、中央の貴族からすれば蛮族とか野人とかそういうカテゴリーに見られるレベルで俺達の日常は格式から程遠かった。

 

「見てる分にはまあ、楽しいわね。ただここで買い物しようって気は失せるわね。物価が高すぎて手が出し辛いし、このレベルのドレスとかを使うとなると相応のパーティーに出席するものだけど、今のところそんな予定もないからクローゼットの肥やしになりそうだし……」

 

「ぶっちゃけ、お金がもったいないよね。これ1着で数年分の生活出来そうだし」

 

「嬢ちゃん達、下手な大人よりも経済観念がしっかりしてるなあ……」

 

 そう言うとグレゴールはカンペをポケットの中へと戻しこっちだ、と手を振る。

 

「なら基本コースからはちょい外れるけどおっさんのオススメの所を紹介すっか。もっと庶民向けの所だから買い物しやすいぜぇ」

 

 そう言うグレゴールについてヴォールストリートを離れる―――その前に、一瞬だけ足を止めて振り返る事にした。そうやって視線を向ける先はこのヴォールストリートに構える、一軒の商会、その本館であった。本来であれば商会の本館等まるで用事もない場所なのだろうが、この商会に限ってはちょっとした感情を向ける先があった。その商会、商館にはシンプルな名が刻まれている。

 

「ギュスターヴ商会、か」

 

 魔族や客が活発に出入りしているのを見ると悪い噂以上に稼げているらしい。しかし、アレがマフィアの元締めで俺の敵かもしれないと考えると少々複雑な気持ちになる。あの中でマフィアに加担してるのは一体何人ぐらいだろう? あの人理教会がある中で、魔族の安定した雇用先を用意するというのは中々至難の筈なのに、ギュスターヴ商会では多くが魔族らしい。だが単純に魔族のみではなく、主流から外れた亜種や亜人、純人種以外の採用が多いらしい。

 

「エデーン! 置いてっちゃうよー!」

 

「今行くー」

 

 商会へと向けていた視線を切って、先に行く皆に、小走りで追いつく。

 

 

 

 

「ここだここ」

 

 そう言ってグレゴールに連れられて来たのはヴォールストリートから少し離れた通りだ。あそこが煌びやかで貴族向けの通りだとすれば、此方は主流から少々外れた通りであり、明確に道を知っている人間でもなければあまり来ない場所だと言えるだろう。アルルティアは区画整備が行われているとはいえ、開発が進めば目立たない区画というのは出てくる。商業区にもそういう店舗があるのだろうが、それでも潰れていないのは単純に住んでいる人の数、王都の広さとそれに伴う需要がメインストリートにある店舗だけでは追いつかないからなのだろう。

 

 そんな所で俺達が連れてこられたのはブティックの様だった。ヴォールストリートにある様な煌びやかさはない。だけど俺達にはそれが丁度良かった。率先して店の中に入って行くグレゴールの後を追って中に入れば、マネキンに飾られたカジュアルな服装やドレス、小物やアクセサリーが飾られる店内が迎えてくれる。そしてその奥、カウンターでは1人の人物が驚いたような声で歓迎してくる。

 

「あらぁ、グレゴリーちゃんじゃなーい」

 

「よお、ジェシー。客を連れて来たぞ」

 

 くねくねと歓迎する様に挨拶してくるのは蟲人だった。男……の様な声をする蟲人は女性的な言葉遣いをしながら、まるで自分が雌であるように振舞っていた。人のオカマならまだしも、異種族のオカマというのは中々珍しいものだった。見た事のない存在に俺の好奇心は店内の様子以上に刺激されていた。

 

「えーと、アンタは蟲人……だよな?」

 

「えぇ、それも雄のよ。私がこういう風に振舞うのは不思議かしら?」

 

「いや、そこは個人の趣味嗜好だしそういう道を選ぶ奴もいるなあ……って話だけど。異種族にも普通にいるんだなぁ……って驚いただけ」

 

 言っちまえば俺も現状、オカマみたいなもんだしな。いや、体が女で心が男だからまた違う話になるのか? どっちにしろこの手のセクシュアルマイノリティって奴は割と敏感な話題だ。目の前の蟲人―――ジェシーはその6本腕を大げさに広げてあら、と声を出しながら俺を見る。

 

「成程ねぇ、貴女も似たようなものなのね」

 

「まあ、俺の場合はまるっきり逆なんだが」

 

「それでも気持ちは解らなくもないわ。自分らしさを表現する事に躊躇は必要はないと思うわよ。結局、自分がどういう風にありたいかは心のあり方で変わってくるのだもの。私も、貴女もありたい形であれば良いのよ。そこに他人の目や言葉を気にする必要はないわ」

 

「それはそうだ」

 

 ジェシーの言葉に頷きながら振りかえると、ロゼとリアは早速飾られている服装に張り付いていた。2人が見ているのはカジュアル寄りのドレスだった。二重構造となっていてスカート部分と体の部分で2パーツ化されており、カジュアルさの中に洗練された静謐さを感じるゴシック調のドレスだ。可愛らしさよりも格好良さと綺麗さが先立つタイプ、ロゼなら似合うなあ、と思っていると思いっきり俺の方を見て確認してる。

 

「俺で楽しんでないで自分のを見ろ」

 

「そう言ってエデン何時も男ものっぽいのを買うじゃない」

 

「そーよそーよ、もっと可愛いものを着てよ」

 

「パンツスタイルのが気楽で良いの」

 

 グレゴールの方へと視線を向けると、両手を上げて降参サインを示す中年が擁護にも援護にも入らない事を主張していた。だというのに後ろから肩にジェシーが手を乗せてくる。

 

「あら、私も似合うと思うわよ? ちょっと試着してみないかしら?」

 

「さっきまでの話は??」

 

「似合うものを着るかどうかとはまた別の話じゃない?」

 

 そりゃそうだ。まあ、別に抵抗感がある訳じゃないんだが。そう思いながら試着室へと持っていく為にカジュアルゴシックドレスに手を出そうとし、周囲を見る。カジュアル用の服装も結構置いてある感じからして庶民用の店である事に納得はあるのだが、デザインがかなり近代的な所は気になるんだよなあ。

 

「こういう服のデザインって、やっぱり魔界産?」

 

「魔界産のものをこっちのデザイナーが勉強して作り出したものね。そのままのデザインを流用する事は神々が許さず、一旦自分の中で噛み砕いて消化しなさいって言われるのよね。ちなみに女性向けのファッションとなると今の主流は二つに分かれるわよ」

 

「へぇ、どんなのかしら?」

 

 マネキンから獲ったドレスを片手に、カウンターの向こう側にいるジェシーへと視線が集まる。さりげなくグレゴールは邪魔にならない様に店の端に移動している辺り、気配りの出来る男ではあるんだな、というのを思わせられる。

 

「元々の主流がコルセットを使って腰を細く見せるタイプのドレスで、民間でも流れてくるのはそれをベースとした腰を細く、下を広げて肌を隠すタイプのドレスね」

 

「アレ、きっついから嫌いなのよね」

 

「まあ、美しさの基準が細い事前提だったからねぇ。どれだけ細く腰を絞れるかで勝負していた部分もあったけど、中には内臓がつぶれる死者なんて出ていたしねぇ。まあ、そこからとあるデザイナーが女性向けファッションでこの主流から脱出する為の流れを掴んだのよ」

 

 そう言ってジェシーは店の一角を指さした。そこに飾られているのはコルセットを必要としないドレスだった。

 

「社交界、夫人向けのドレスで緩やか、逆に言えばデブだと言われかねない余裕のあるドレス。これをファッションショーに持ち込んだのよね。無論、男性からは女性の魅力が全く見えないって総スカンだったわ。でもコルセットに苦しんでいた女性からするとこれこそ天啓って奴だったらしいわよ」

 

「まあ、あの苦しみは男には伝わらないわよね」

 

「ぐえー、ってなっておえーってなるからね」

 

「アレはなあ……」

 

 俺も1回着せられたことがあるが、もう二度と着ようとは思わない。俺は普通に腹筋の方が強いからコルセットを粉砕してしまうのだが、それを抜きにすると相当締め付けられて苦しいのは解る。しかもそれをずっと我慢して表情に出せないのだ。あれが美の基準の為に必要だと言われる人たちはまあ、新しいデザインが流行るなら大歓迎だろう。

 

「だけどそれに対抗したデザインが同時に生まれたわ。ゆったりとしたデザインとは別に、体のラインを見せるドレスが。スカートを広げ、腕にもパフを付けて広げる事で体のラインを隠していたスタイルから脱却して締めあげないけど体の美しさを見せるタイプの服装が出来たのよ」

 

「ま、世の中それを下品だって言う連中は多いけどな。おっさんからするとこっちの方が見てて楽しいから大歓迎だな!」

 

 体のラインが出るタイプのドレスは確かに下品だと言えるだろう。体の維持に気を使って、その自信を表す格好でもあるのだから。着れる奴と着れない奴の間で明確な争いに発展しかねないファッションだろう。だけどもっと自分らしさを、自分の美しさを見せたいって人にはこれが一番だろう。どっちも、コルセットという苦しみから逃れる為に発展したんだと思うと中々に面白い話だ。

 

「そして最後にカジュアルファッション。寧ろ市井用のファッションってブランド化とかされてなくて全く未開拓の市場だったのよね。庶民向けはあまり金にならないから人気じゃなかったというか……そこに産業として明確に切り込んできたのが帝国のデザイナーで、魔界産のデザインを此方向けに調整して売り出してきたのが庶民にも貴族にもウケた、って感じね」

 

「エデンが大体何時も着てるタイプの奴よね」

 

「正直、どう見られるかってよりも何を着てて快適かって感じのチョイスなんだよな」

 

 スカートって割とひらひらしてて動きづらい所あるのに、ミニで激しく動くとパンツ見えるんだよね。見られても別に問題はないんだけど、それで評価が落ちて迷惑を被るのはロゼやリアになる。その事を考えるとまあ、普段から動き回って問題のない恰好するのが一番だよね……ってなる。

 

 それはそれとして、偶にはスカートも悪くはないとは思うが。

 

「あ、これも良い」

 

「これもついでに持っていきなさい。あ、私はこれ着てみようかしら」

 

「何時もの見慣れた光景になってきたな」

 

 やってる事、エメロードにいる時とあんまり変わらない感じがするな、なんて思いながら抱えたドレスを手に試着室へと向かう。

 

 結局、エメロードもアルルティアも俺達からすれば都会であり異国旅行みたいな感じなんだ。

 

 やる事、あんまり変わらないのかもしれない。




 感想評価、ありがとうございます。

 凄い個人的な話ですけど、私は目の前で客(私)を取り合う為に観光ガイドが目の前で殴り合いを開始した事があるので、観光する時はちゃんとした人を呼ぼうって誓った事件があります。

 ちなみにそのときは第3のガイドが現れたんでそっちに案内頼んだ。


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王都遊覧 Ⅲ

 当初に不安がなかったと言えば嘘になるだろう。

 

 だがグレゴールは優秀なガイドだった。的確に見たいもの、知りたいものへと俺達を誘導してくれ、楽しませる事の出来るおっさんだった。実際のところ、この業界に入ってそれなりに長いのだろう、客が何を求めているのかを文脈から察する能力があった。それに加えてこの王都に関しては博識で、此方の疑問に対して答える能力があるのも良かった。

 

 お蔭でブティックの後の散策も非常に楽しめるものになった。ブティックで俺の服や、アクセサリーを漁った後は軽くオススメされた店で午後のおやつを堪能する事になった。流石王都のスイーツというだけあって、使われる素材の質も量もエメロードと比べると上がってくる。口いっぱいに溢れる甘味は辺境の生活では果物や蜂蜜以外では中々摂取出来ないものだった。この中央へと来て一番満たされているのはもしかして食欲なんじゃないかなあ、という事を考えたりもした。

 

 そしてそれが終われば一旦ツアーは終わる。なにせ、ディナーはホテルの方で用意されているのだからいったん戻らないとならないのだ。ともあれ、これで一旦ツアーを終えてホテルに戻り、ホテルに戻ってディナーを楽しむ事になる。

 

 ホテルで用意されていたディナーはバイキング式のディナーだった。これは文化として実は結構珍しく、基本的にコース料理などがメインの文化なので好きに取る事の出来るバイキング式は中々見る事がないのだ。そもそも見栄を張る貴族の食文化なのだから、見栄えが良く、そして豪華である事が基本だ。その中でバイキングという形式は言ってしまえば見栄えは圧倒的ではあるが少々意地汚いとも言えてしまう。だがこれにあえて手を出し、そしてホテルは成功させていた。ホテルのレストランでは飾られた料理がずらりと並び、その一つ一つが職人の手によって用意された最高のクオリティを約束されたものだった。基本的に自分が取るバイキング形式に対して、指示を出したらそれを取ってきてくれる人員も置いて、手を煩わせない様にするという動くのを面倒に思う人への配慮もある。

 

 まあ、言ってしまえば対策を施した上で富裕層に向けたバイキング形式だった、という話だ。

 

 そもそも普段からそれなりに良く食べる俺には大好評。色々と食べ比べる事が出来るロゼとリアも少々食べ過ぎなぐらい食べてしまう程度には美味しかった。カロリー計算するのが怖いなあ、なんて事を口にしながらその日の王都遊覧は大好評のうちに終わった。

 

 

 

 

 ―――と、ロゼとリアだけならこれで終わりだ。だが俺の王都遊覧にはまだ続きがある。

 

 普段よく着用しているジャケットやシャツ、ジーンズを脱いで脚を通すのは背中の大きく空いた黒いドレスだ。つくりは余り凝らずにシンプルなデザインにしているのは、俺自身の素材が良いという事を良く自覚しているからだ。本人の素材が良い場合、余り凝ったデザインの服装を着ると逆に忙しい印象になるという話をどっかで聞いた影響だろう。今更ながらこんなざっくりと背中の空いたドレスを着る事に抵抗感はないか、と言われるとない。

 

 寧ろ自分を美しく着飾る事にちょっとした快感を覚える―――まあ、これだけ面倒なのは早々したくはないが。ちょっとだけ化粧をして、角にイヤリング代わりのジュエルアクセサリを付ける。靴だって何時ものブーツじゃなくてハイヒールだ。手にだって長手袋を装着している。

 

 ドレスコードが求められる場所においての最高のドレスコード。金だってそれなりにかかっている格好、夜、食事を終えて疲れ切ったロゼとリアが眠ってしまった10時過ぎ、俺はそんな恰好で同じくドレスコードを整えたグレゴールによって夜の王都の街を案内されてある場所へと到着していた。

 

「しっかし、お嬢ちゃんも悪い遊びを知ってるもんなんだなぁ」

 

「実は王都にこれがあるって聞いた時、ちょっと勝負してみたかったんだよなぁ。ドレスコードには困りものだけど、まあ、元々リアやロゼと一緒に夜会に参加できるようにその手の服は持ってたしな。ついでに言えば今日の買い物で更に充実したし」

 

「主役を食っちまいかねないとは思うけどねぇ」

 

 グレゴールの軽口に笑い声を零しながらその建物の前に立った。夜の中でひときわ明るく輝く場所―――そう、それは国営カジノだった。

 

 ギャンブル! 酒! 女! 人間が身を崩す違法ではない三つの要素! 酒と女……になるのは既に経験しているから後はギャンブルで3大ダメ人間要素をコンプだ! 辺境にも、エメロードにもこの手の施設は存在していなかった。だが流石王都というべきか、駄目な人間の為にこの手の施設が用意されているのは凄いと思う。まあ、単純に貴族向けの娯楽施設だろうが。

 

 娼館もカジノもこの都市にはある。エメロードは学業の都市だから娼館しか置いてないが、此方は多くの貴族、それも大人が来る。その中には単純な娯楽では暇をする連中も出てくる。そういうのに向けてこの手の施設は存在する。なにせ、天運にでも愛されていない限りギャンブルでは安定して勝つ事も出来ないのだ。それなりのスリルを味わえるこの手の施設は退屈を殺すには丁度良いだろう。

 

 まあ、そんな訳で俺はグレゴールに案内されてカジノまで来ていた。流石にリアとロゼをこんなダメ人間の見本市に連れてくるのは憚られるので、こうやって深夜に出てくる事となったのだが。

 

 カジノの入り口には警備として虎人が立っている。スーツに着替えた虎の男たちは整えられた見た目とは裏腹に、凄まじい力を秘めた戦士たちだ。まあ、俺の方が強いが? と心の中でマウントを取るのを忘れずにカジノの前までやってくると視線が向けられてくる。ゆっくりと此方を観察すると邪魔する事無く頭を下げる。

 

「どうぞ、ごゆるりと」

 

 手をひらひらと振る事で返答とし、そのままカジノへと入った。

 

 そして臭ってくる欲望の臭い。

 

 金! スリル! 堕落! 酒! 煙草! 吐き気がする様だ。この入り混じった臭いはカジノと言う空間だからこそ形成出来るもんだろう。煌びやかなロビーを抜けた先にはスロットマシンやルーレット、現代でも見る様な様々なギャンブルが用意されている。現代であっても余り馴染みのないものばかりだが、海外旅行した時にどこだっけか……ラスベガス、そう、ラスベガスだ。あのあたりで遊んだ以来だ。相当昔の話なのでまるで記憶にない。その分、新鮮な気持ちになって遊べるだろう。

 

「相変わらず御盛況なもんだ」

 

「来た事があるのか?」

 

「高級娼館とカジノの案内はちょくちょく頼まれる定番だよ。昼間のお嬢ちゃんと廻ったコースのが寧ろ珍しいかもな。こういうストレートな遊びの方が人間、やっぱ好まれるぜ」

 

「せやろなあ」

 

 まあ、不健全な遊びな方が人に好まれるのは何時だってそうだろう。世の中、ガチャでキャラを出す事じゃなくて回す事そのものに快感を感じる様な変態だって存在するんだし。まあ、それはともあれ、近くのカウンターまで向かったら予め用意しておいた金をチップへと変換する。換金する金額はざっと50万程。これでも日本円換算で大体500万になるのだ、相当な金額をチップに変えたと言っても良いだろう。

 

 そのチップをトレーに乗せて、グレゴールに渡す。

 

「荷物持ち宜しく」

 

「いや、別に構わないけどよお」

 

「そっから5万持ってって良いから」

 

「お、話が解る嬢ちゃんじゃねーか」

 

 まあ、元々学費用に溜めた金なんだ。生活費で細々と使っているが、消費しきる予定もないしこれぐらい使うのは別に問題はないだろう。チップへの変換を終えた所でん-、と声を零しながらカジノ内を見渡す。通りすがりのバニーが運んでいる酒のグラスを手に取って、軽く口を付けながら悩む。

 

「どこからいこっかなー」

 

「バカラ、ブラックジャック辺りが手堅くてオススメだぜ。というか俺も混ざって遊びたい所なんだけど」

 

「他人の金で賭けられるって解った瞬間元気になりやがったなこいつ。いや、だけどそこら辺は却下で。手堅すぎてあんま楽しくないんだよなぁ」

 

「お、ギャンブルで破滅する奴の言動じゃねぇか」

 

「うるせぇ」

 

 グレゴールの言葉にそっぽを向いてから頭を悩ませる。ぶっちゃけ、俺の運命力というか、運の強さを確かめるのも目的の一つなんだよね。動体視力である程度ずるが出来るスロットはまだしも、バカラとブラックジャックはある程度頭の良さも使えるしなあ。となると、やっぱりルーレットか? アレはイカサマがない限りは完全に運になるし。

 

「ちなみにここのカジノは神様との契約によってイカサマが不可になってるし、不正は軽い神罰によって処罰されるから物理的に実行不可能だぜ。へんな事を考えているなら止めた方が良いと思うぞ」

 

「あぁ、うん。それは考えてなかったから大丈夫。個人が持つ運命力、天運のみで勝負なんだろう? 一番得意なフィールドだわ」

 

「ほんとかよ……」

 

「まあ、見てなってば」

 

 疑いの目を剥けてくるグレゴールの視線を受け流しつつ向かう先はルーレットのテーブルがあるコーナーだ。ぶっちゃけよう、ある程度の運気の流れであれば俺だって見極める事が出来る。だから我がドラゴン・アイを使えばイカサマではなく、普通に運の流れが乗ってる所で勝負が出来るかもしれないのだ!!

 

『それは不公平なので禁止なのだ』

 

 嘘だろ神様!? 生態技能じゃん!!

 

『駄目ですの。許可したら生態技能使い放題になるからね』

 

 運命の女神からノーを貰ってしまった。がーんだな。出足を挫かれた。というか見ちゃ駄目なのか。

 

『駄目です。運気弄るのもアウトなので駄目です。ソフィーヤが許可しても私がしません』

 

 はい。

 

「そこまで念入りに言われたら素直に天運に賭けるか……」

 

「おーい、ぶつぶつと何言ってんだ?」

 

「あ、いや、ちょっと考え事してただけ」

 

 あははは、と苦笑いを零してグレゴールから逃げながら適当なルーレットのテーブルを選ぶ。テーブルについているディーラーはどうやらそこそこ歳のいったベテランの様に見える。まだ誰もいないテーブルらしく、近づくと笑みを浮かべる。

 

「これはこれは美しいお嬢様、勝負等いかがでしょうか」

 

「無論。カジノに来て勝負もしないなんてありえないしな。ルールは基本ので?」

 

「えぇ」

 

 ディーラーの言葉にほーん、と呟いてグラスの中身を一気に飲み干す。やって来たバニーガールにグラスを渡し、テーブル前の椅子に足を組んで座る。そんな俺の横にグレゴールが立ったまま覗き込んでくる。

 

「ま、基本は赤か黒で賭けて調子と流れを見極める感じだよな……初手は5枚ぐらいが良いんじゃないか?」

 

 チップ1枚1万、合計で手元には50枚―――グレゴールに奢る分を考えると45枚ある。

 

 ルーレットで手堅く賭けて行くなら赤か黒、50%のラインで少しずつ資産を増やしてゆくのが賢いだろう。ただ、まあ、それは面白くないんだよなあ。だからグレゴールが持っているトレーの上からチップを20枚ほど取って、

 

「ど・れ・に・し・よ・う・か・な―――」

 

『赤の48!』

 

『いいや、黒の48だ』

 

『今日は赤の流れだと思う』

 

『いや、黒でしょ。エデンちゃんも黒。これは間違いなく黒の流れ』

 

『一理ありますね』

 

 天の保護者共が煩い。ノイズを脳内から排除するように連中を無視し、適当な番号の上に乗せる。あまり良く確認しなかったが、色は赤で、数字は38。完全に天の声を無視した采配となってちょっとだけにっこりとしてしまった。オラクルを通して変えろって声も聞こえてくるがガン無視。ギャンブルで遊びたいのならお前ら降りて来い。

 

「宜しいのですね? 豪快な賭け方、私は嫌いではありませんよ」

 

「良いよ良いよ。後グレゴールは煩い」

 

「いや! だってよ!! それはないだろ! やるなら6だよ6!」

 

 グレゴールの悲鳴がルーレットの稼働と共に漏れる。ディーラーの手から放たれたボールがルーレット台を滑り、回転しながらポケットの周囲を旋回する。神々によって見張られた純粋な運のゲーム、自分が一体どれくらいツイているのか、見るにはちょうど良い物だと思う。

 

 ルーレットは回る。

 

 回り、回って、ボールが転がる。

 

 徐々に勢いをなくすボールはポケットへと向かって落ちて行き、何度か跳ねながら転がって―――最後に、赤の38のポケットに落ちた。

 

「お、勝った」

 

 的中ど真ん中。グレゴールも、ディーラーも奇跡としか思えない的中に黙り込んでしまったが、ディーラーはすぐさま表情を作り、祝福してくる。

 

「おめでとうございます、インサイドベット1点賭け……倍率36倍での払い戻しとなります」

 

「お、いーじゃんいーじゃん。俺の運も結構捨てたもんじゃないな」

 

 まあ、初手でグランヴィル家に拾われる様な運だ。俺は自分の天運が割と強い方だとは思っていたし、これぐらいならまあ、負けないか。徐々に額を上げてどこで崩壊するか試すのも楽しそうだな。

 

 普段とは違う焼け付くようなスリルににやり、と笑みがこぼれ、

 

「俺に全賭けしてもいいんだぜおっさん?」

 

 グレゴールに悪い笑みを向けた。

 

 いやあ―――楽しい夜になりそうですね、神々の皆さん。




 感想評価、ありがとうございます。

 神々は割ともっとフランクに人類に接したい。ただし威厳と宗教と仕事のはざまで割と悩む。唯一フランクに接する事が出来る相手がエデンちゃんでもあったりする。


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王都遊覧 Ⅳ

「く、黒の22です、おめでとうございます」

 

「おー、当たった当たった。案外稼げるもんだなあ、ギャンブルって」

 

 そう言う俺はちょっとにやけているが、ディーラーの方は顔面蒼白だった。グレゴールは興奮したように大量のチップを抱え、そしてテーブルの周りにはカジノに集まっている客たちが熱狂と共に俺のベットに便乗してくる。俺がツキまくっているのを見てここぞとばかりに便乗してくる連中は大口のベットを乗せてくる。いやあ、人の欲望って醜いもんだと改めて思わされる。

 

 だが優雅にテーブルに肘を突きながら、頬杖を突く様にベットしている俺も中々に悪い。これで既に500万は稼げている。このまま続ければ良い感じに資産を増やす事も出来るだろう。だがディーラーの顔色が悪いのと、そしてカジノに黒服が出てきて此方を観察してきている手前、余りカジノ側の機嫌は良くなさそうだなあ、なんて事を考える。

 

 まあ、潮時だろうな、と心の中で呟く。横のグレゴールが完全に金の亡者になっているのを見て溜息を吐くと、その瞳に理性が戻った。

 

「お嬢……あ、いや、なんでもねぇ」

 

「ん? そうか……じゃあ最後にちょっと悪戯だけして終わらせるか」

 

 稼ぎ過ぎると恨みを買いそうだしな、という言葉は口にせずルーレット台の上の数字を見る。この夜、ルーレット台で無作為にベッティングをした結果、自分の勝率は大体75%ぐらいであるのを察していた。つまり4回に1回は負けるという事だ。これはかなり高い確率だし、何も考えずに無作為にベットしているのとしては破格の勝率だと言っても良いだろう。或いは生物として元々良い方向に物事を転がしやすい性質があるのかもしれない。

 

 そこんところどうなんだろ。

 

『次は黒だ、黒』

 

『騎神はそう言ってさっき外してただろ』

 

『黙れ武神、喋るなラック0』

 

『は? ラック1億あるが……』

 

『運気操作するな』

 

『赤赤赤赤』

 

 オラクルが電波ばっかり受信してるんだけど、アンテナが壊れたんだろうか? ちょっとだけ角をさすっておく。まあ、それはともあれ俺のラックは大分悪くはない。今も中々良い人生を送っているし、なんなら今かなり幸せだし。それだけの運を持ち得ているという事なのだろう。だけどそれに頼りきりの奴は痛い目を見る、というのは古今東西語り継がれている事だ。つまりここで勝ちまくってもどうせ後でロクな事にはならない。

 

 連勝数はカウントしている。これで3連勝中だ。4連勝が出来ないというルールが健在であるなら、次で負けるだろう。だったらそろそろベットする時だろう。自分が勝利したチップを見て、その大半を適当な数字の上に乗っける。これで俺の予測が正しければ、次のベットでは敗北するだろう。ただ、俺のその強気なムーヴに周りの客やディーラーの反応は面白い程に変わってくる。

 

「見ろ、あの強気な態度を。相当自信があるみたいだぞ」

 

「お、俺も全部賭けるか……!」

 

「黒の2、で宜しいのですね?」

 

 滅茶苦茶顔色が悪いが、俺は特に答える事もせずににっこりと笑みを浮かべた。その様子に周囲が色めき立ち、そしてグレゴールはしばし無言を作ってからチップ、その半分ほどを別の場所へと賭けた。どうやら俺のせんとする事を理解したらしい。なるべく周りに気づかれない様にスタンスはそのまま、ディーラーが誠実に勝負を開始する瞬間を見届ける。

 

「それでは―――」

 

 ボールが放たれる。回転するルーレットの上を走る。テーブルの周りに集まった人たちが固唾を飲んでその行方を見守る。興奮した様な気配に強く握られる拳。誰もが転がるボールの行方を熱狂しながら見つめている。

 

『赤! 赤! 赤!』

 

『いいや、黒だね』

 

 上の方々はマジで何でこういう時だけ自己主張してくるん? 必要な時だけマジで黙ってるの悪意すら感じかねないんだが? いや、まあ、真面目な話ルールがあるんだろうな……って話なんだろうけど。神々が人の世に干渉して良い事があった試しなんてないしな。

 

「な、ソ様……」

 

 周りの人に聞こえない様に呟いたが、何か物凄いダメージを約一柱に与えた気がする。そんなくだらない考えを消化している間にもルーレットの速度は徐々に落ち、そして走っていたボールは弾かれ、踊りながら色と数字のポケットへと落ちて行く。

 

 そして止まる。赤の2に。選択したのは黒の2だから丁度色違いでの外れだった。

 

 一瞬の静寂。その後、一気に大気が震えるほどの声が響いた。俺に便乗して賭けていた馬鹿達はそれで大金を一気に失った。俺も今日、勝った分のほとんどを今の1回で失ったが、それでも全体からみると手持ちが2倍程度に増えるプラスだ。これぐらいで良いだろう、と判断する。傍から見れば大損だが、俺としては数年間かかる金額を一晩で貯める事が出来た大勝利なのだ。これ以上粘った方がバチが当たるという奴だ。

 

 チップをトレーの上に乗せて、それをグレゴールに押し付ける。

 

「うーっし、遊んだし今夜はここらで解散しとくかー」

 

「お前さん、悪趣味だなぁ……」

 

 グレゴールの言葉に笑い声を零しながらディーラーへとウィンクを送り、さようならと手を振ってルーレット台を後にする。後ろから聞こえてくる悲鳴はもしかして全財産すった馬鹿がいるからだろうか。まあ、煽ってもいないのに便乗してきて破滅したもんなら俺にはどうしようもないって奴だ。トレーに乗せたチップを入口で換金し、金に変わったやつを懐に収めてカジノから出る。

 

 そこそこ過ごしていたのかどうか、あの空間内では時間が曖昧になるからよく解らない。だがあの熱気から離れると夏とはいえ夜の風の涼しさがドレスの隙間から体に沁み込むようだった―――いや、まあ、別に寒さも暑さも平気な体なんですけどね。それでもあの欲望にギラギラした空間から出られたことには開放感があった。

 

「いやあ、儲かった儲かった」

 

「もうちょい粘っても良かったんじゃねぇか?」

 

「お店側から睨まれたくないしなあ……それに俺、儲ける事じゃなくて遊ぶのが目的だったし」

 

 まあ、最終的に稼ぎは悪くなかった。その上で楽しめたんだから上々という奴だろう。そもそもカジノで儲けようと考える事がダメなんだ。ギャンブルは楽しむものであって縋るもんじゃない。ギャンブルを生活に組み込んだが最後、選択肢の中に賭け事が何時までも残ってしまう。そうなると土壇場で破滅への道を選んでしまう。俺はそういう人間、嫌だなあ、と思う。それをグレゴールに伝えると、頭を掻きながら神妙な様子で頷く。

 

「案外、真面目なんだな。一番遊んでそうなのに」

 

「一番遊んでそうってなんだよ!! なりはこんなだけど、俺は悪い遊びはしないぞ!」

 

 ふん、と息を吐きながら腕を組み、視線を逸らすと少しだけ焦ったような様子でグレゴールが謝り始める。それを見て軽く笑い声を零し、夜風を浴びながらカジノからホテルへの帰り路を歩き出す事にした。こうやって悪い遊びをすると、ちょっとだけ悪い人になった気分になる。まあ、別段そんな悪い遊びでもないのだが。それでも楽しかったな。

 

「なあなあ、見てたかよ周りの連中。絶対に勝てると思って便乗したのに最後の最後で大敗北してるのさ」

 

「アレはマジで性格悪いと思ったわ」

 

「俺は悪くねぇーもん! 勝手に便乗してくる連中が悪いんだわ!」

 

 けらけらと笑ってはあ、と息を吐く。ギャンブルが楽しいのは勝てたからだ。これで負けていたら滅茶苦茶気分が悪くなっていただろう……いや、まあ、そうなっていた場合をあんまり考えたくはないな。やっぱギャンブルは悪い遊びだ。これからはちょっと控える事も考えよう。

 

 とはいえ、酒が入ったような高揚感に満ちている。端的に言えば気分が良い。臨時収入もあった事だし、もうちょっとリアの為にお金を贅沢に使う事も出来るだろう。そうなったらこの王都滞在ももっと楽しくなるだろう。

 

 はは、と笑いながら振り返る。そのまま後ろ向きに歩く。

 

「そう言えばこの街って他にどういう遊び場があるんだ?」

 

「おいおい、夜とはいえ人通りがあるんだから前見てないと危ないぜ……って言う必要はねぇか。あー、そうだな。他にも王侯貴族向けの娯楽施設もあるぜ、ここには。劇場とかな」

 

「へえ! 王立劇場って奴?」

 

「そうそう。毎日って訳じゃないけど、それなりの頻度で上演もあるし、そういう教養があるなら見に行くのも悪くはないぜ」

 

 俺を含めて辺境トリオにこういうタイプの劇場を訪れた経験はない。当然ながらその手の施設が辺境にはないからだ。だから、まあ、大きな楽しみと言えば劇団が巡業でやってくるときとか、或いはサーカスが披露にやってきた事ぐらいだろうか? アレでも近くの街を巻き込んで相当盛り上がったのを思い出す。劇場といえばやはりオーケストラとかそういうイメージが強いが、演劇もあった筈だ。何にせよ、此方の世界ではどういう演目が流行っているのかを見るのも相当な楽しみになるだろう。

 

「成程成程。そりゃあ楽しみだなあ」

 

 人生2回目、多くの事を1回目で経験している。それでもそれが全てと言う訳ではない。こうやって2度目の人生を送ってみれば色々と楽しめる事で溢れているのを知る。生きるのを退屈に感じるには、まだ知らぬ事が多すぎる。楽しい事が多すぎる。悲観する様な出来事はそれなりに多いが、それでもすべてに絶望する程でもない。ベリアル某を良くは知らないが、それでも感謝しておかないとならないだろう。少なくともこの旅行は楽しくなっていた。明確に楽しませようとする意図も感じられる。

 

 会う事にはちょっとした不安を感じなくもないが、それでも悪い人じゃないだろうな、というのは感じていた。

 

 と、そこでとん、という衝撃を感じた。

 

「おっと、失礼」

 

 物凄く軽く、何事もないようにそんな事を言われた。誰かぶつかっちゃったんだろうか、と、思わず反応して苦笑を零そうとして胸から刃が生えているのが見えた。

 

「いや、前を見て……あぁ?」

 

 一瞬、自分が何をされているのかを理解できなかった。だが次の瞬間には不意打ちで心臓を潰されたと言うのを理解した。それでも頭の中にあるのはやべえ、ドレスが汚れるという考えだった。刺突は一瞬、背中から心臓を抜く様に胸を通して前へ。突き抜けた鋼の塊はドレスを傷つける事はなかったが、胸から出る血がドレスを汚す。

 

 良かった、黒いから血が目立たない。それに破れていないのならまだ誤魔化せるだろう。そう判断するが心臓を潰されたのは痛かった。咄嗟の事で体が強張っている。それでも胸を貫く刃が一瞬、力を込めてひねられるのを知覚した。これは()()の動作だ。剣を人体に突き刺した時、抜きやすくする為に周りの肉を捻って緩める。ここから斬撃を縦や横へと滑り出しやすくするのだ。

 

 それを理解し、瞬間的にやばいと判断して片手で刃を掴んだ。捻ってから横へと切り抜けようとした剣は片肺を潰して動きを止め、そのまま体から突き出ている分が折れ、半ばで折れた状態の剣が肺から体を横へと突き抜けた。喉をせりあがってくる血の感触に喉が埋まる。

 

「おや」

 

 反応を返そうと振り返ろうとし、引き抜かれた刃がそのまま首へと向けて振るわれる―――のを素早く投げ込まれた短剣がガードした。首との間に投げ込まれた刃が鎧代わりになって剣の到達を阻む。

 

 その間に全力で蹴り上げる。

 

「ら、ぁっ!」

 

 振り返り、襲撃者の存在を目視しながら全力の蹴り―――家屋程度一瞬で瓦礫に変える様な脚力で振るった。道路のタイルを引きはがし、道路そのものが土砂となって吹き上がる様な蹴りを前に襲撃者は軽い跳躍で後ろへと下がり、悠々とした動作で屋根の上へと退避した。

 

「うーむ、これは亜竜だか真竜だかの血をヤってるのか……どちらにせよ暗殺は失敗ですかね」

 

 小声、本来であれば誰にも聞こえないレベルの声だったのだろうが、死の気配を前に鋭敏になった聴覚はしっかりとその音を拾えていた。追おうと踏み出そうとして、胸と背中、胸から肺を潰す様に伸びる切断痕が呼吸と動きを阻害する。かひゅ、と声を零して治療に集中する為に一歩踏み出し、蹲るように傷口を抑える。

 

「糞がっ!」

 

 ナイフが数本、闇夜に隠れる様に投擲された。闇夜に紛れる視認性が最悪とも言える黒いナイフによる投擲をしかし、襲撃者は折れた剣で軽く弾いてからその向こう側へと消える様に飛び越えて行った。

 

 はあ、はあ、と荒い息を吐き出す。流れる血を止める様に意識を傷口に集中させるが、何かが回復を阻害するような感触があった。それを浄化と侵食で除去しながら傷口をゆっくり、ゆっくりと塞いで止血する。そうすれば多少マシになるであろう事は、人狼事件の時に学んだ。

 

 真夜中。

 

 騒ぎを聞いて駆けつけてくる鎧の足音がする。駆けつけてくるグレゴールが直ぐにふらつく体を支える。

 

 安全だったはずの王都の休暇は、一瞬で危険な物へと様変わりした。




 感想評価、ありがとうございます。

 ベリアル氏、報告を聞いて倒れるまで残り5分。


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王都遊覧 Ⅴ

 ドレス用の下着選びって実は結構面倒なんだよね。

 

 特にオフショルダー系や背中が大きく見えるタイプのドレス。これに合う様な下着を選ぶとき、当然だがブラ紐が見える様なタイプの下着は選べない。だって下着が見えるなんてとてもはしたないし、恰好悪いだろう? まあ、それ以上に下着の見える女って凄いどうかと思うって案件なのだが。少なくとも公的な場所で下着を晒しながら歩く女って完全にアレな話になる。だからドレスに合わせた下着選びってのは割と重要なのだが、バストサイズが増えればそれだけ選べる下着の種類やバリエーションが減って行くのは胸が大きな者が持つ共有の苦しみでもある。

 

 だから、背中や肩を開けたタイプのドレスで胸の大きな人は常に下着をどうするか、どうすれば綺麗に見えるのかという問題を抱えていたりするのだが……実はこれ、結構簡単に解決する問題だったりする。半端なブラジャーだったりすると胸が垂れたり踊ったりで胸へのダメージが大きいもんだが、この世界の人間はこの世界らしい方法でこの問題に解決する手段を持ち込んだ。

 

 

 そう、魔法だ。

 

 ブラジャーなんて使わず、直接ドレスに胸を支える為の魔法を編み込めば良いのだ。賢いなぁ? いやノーブラってマジかよ! 異世界すげぇな! 正気か? って言いたくなるぐらいには俺も女としての感性が馴染んできている。正直な話、ノーブラってのは凄い胸が揺れるし動くし、服の中で胸が擦れるから痛いのだ。それが気持ちがいいとか言ってる奴はえっちな本の読み過ぎだ。女性としては割と深刻な問題になるのだ。その上でブラを付けていないと胸の形崩れがあるとか……シャレにならないダメージがある話だ。

 

 だから細かい問題を魔法で解決した。他人にダメージを与える様な大規模な魔法であればそれこそバインダーで纏めないといけない魔導書クラスになるだろう。だが小さくまとめられた魔法用の紋様や文章であれば裏地に書き込めばどうとでもなる。マイスター級の職人であればそれこそ糸一本一本に書き込む事で服などに魔法効果を与える事が出来るらしい。なんともまあ、凄い技術を編み出したものだ。

 

 そういう事で俺の着ているドレスも魔法込みの品だったりする。身内にその手の魔法が詳しい奴がいるのなら頼んで刻んでもらえば良いという話なのだ。だからドレスの下はブラなしだが、胸が垂れず、揺れず、見えないエアバッグでブラジャーの様に保護されていると思えば良い。それでいて見えない様にしっかりとガードされている。この世界の女性の美とファッションに対する意識が良く見える魔法や機能だと思う。ちら見えとかそういうのは気にしなくても良いのだから、便利なものだ。

 

「―――驚いたわ……本当に傷跡も残っていないのね」

 

「まあ、頑丈さがウリの体なんで」

 

 そんな俺はドレスの肩紐を降ろして、上半身を露出した状態で椅子に座っていた。場所はアルルティアに駐留している騎士団の本部。そこで騎士団の女性騎士の護衛の下、街の医師の診察を受けていた。当然ながら剣が心臓を貫通してぶっ刺していて、それが街中で起きているのだ。騎士団としちゃ治安に関わる問題だろうし、死人が出たら当然大事件にもなる。町民を、国民を守る義務がある騎士団としては街中で堂々と発生した事件を解決しなくてはならない。

 

 俺がチェックを受けるのは当然の事と言えるだろう。

 

 上半身を露出した状態で女医は俺の肌や心臓の辺りに触れる事で傷がふさがっているのを確認し、そこに見えないダメージが残っていないかどうかを触診と魔法を使った探知で確認して行く。風邪をひかなければ滅多な事では怪我すらしない俺からすれば医者の世話になるというのは中々ない事だ。そもそもからして医者という職業そのものがちゃんと成立している事実も面白いのだが。

 

「これが上位種族の体ね……体の構造は同じだけど、目に見えない所で構造がまるで別というか……説明し辛いわね、これ。構造は人と変わらない筈なのに別の物を見ているような気がするわ」

 

 女医は手で軽く胸の付近を触りながら体の中身を見透かす様な視線を向け、溜息を吐く。それを受けて女騎士はそれでは、と言葉を呟く。

 

「先生、それでは彼女は?」

 

「えぇ、健康体よ。骨密度も筋繊維も信じられない密度だけど。今見ている間にも体の中にあった傷が塞がって行くのよ? 私じゃどうしようもないわ。さぞや医者に迷惑をかけない人生を送って来たでしょうね。傷口はともかく、内臓まで治療もなく再生するのは完全に医者いらずよ。ここで私が出来る仕事はなにもないわ」

 

「そうか、診察ありがとう先生。それで……」

 

「え? あぁ、危惧してる事は大丈夫よ。竜血は検出されなかったから。まあ、見た目が近いだけの魔族よね」

 

「そうか、助かった」

 

「こっちも仕事だからね。それじゃあ安静……にする必要があるかどうかは解らないけど、失った分の血肉をちゃんと食べて補填してね」

 

「うっす、あざっした」

 

 女医に軽く頭を下げてから部屋から出て行くのを見送り、それで視線を女騎士へと向ける。

 

「えーと、それで俺はどうしたら」

 

「今、貴女の保護者への連絡を送っている。迎えが来るそうだからそれまでは此方で安静にして欲しい。事件の直後また襲われないとも限らないしな。貴女の連れが今連絡を取っているそうだ」

 

 となるとこれはベリアル氏に話が届くのかなあ、なんて事を考える。とんだ王都観光になってしまった。もっと平和的なものになるかと思ったが、まさかこんな襲撃を受けるとは。俺が一体どんな悪い事を……と思ったが、ギャンブルしたり人を殺したり、自分が悪い事をやっている自覚は少しだけあるので文句を言うのはお門違いだろうか。何にせよ、ベリアル氏が俺を態々招いたのにこんな事になったのだ、氏は気が気ではないだろう。

 

 ドレスの肩ひもを引っ張り上げて着直しつつ髪に手を通して再び後ろへと流れる様に押し戻す。軽く位置を指で弄って満足しながら自分の体の中へと感覚を巡らせる。最初は異物感や違和感もあったが、恐らくは毒か何かの類だったのだろう。残念ながら免疫機能が人類を超越している上に、強力な毒だろうと浄化能力で解毒出来てしまう俺にその手のもんは通じない。もう既に浄化による抹消が行われている為に心臓の傷も再生済みだ。

 

 俺の肌にはもう傷跡さえ残っていない―――龍殺し超先生の付けた傷は未だに残ってるが。

 

 ただそれでも、警戒していなかったとはいえ俺に気づかれずに接近して心臓に一撃を叩き込んできた暗殺者というのは相当な手練れだ。一体何が目的だったのだろうか、と首を傾げる部分はある。その疑問を解消する為にも、静かに警護に回る女騎士へと質問する事にした。

 

「あー、質問良いか?」

 

「無論、貴女にはその権利がある。答えられる範囲であれば答えよう」

 

「じゃあ質問。この手の殺人事件、殺人未遂は王都では珍しくないのか?」

 

 その質問に女騎士は少し、複雑な表情を浮かべた。

 

「少し難しい話だが……殺人はなくても、未遂というのは偶に見る」

 

「マジか」

 

「異種族間の衝突というのは最近……具体的に言うとこの5年近くはそこまで珍しくないものになって来た。この国に魔族が増えて来た、というのは理由にはならない。あまり大声では言えない話だが、王家の求心力が下がってきたことに伴う治安の低下だろうな……」

 

「それ、言っても大丈夫なのか?」

 

「普通は駄目だ。だが貴女は被害者だ。ならばちゃんと知る権利がある。特に命を狙われた、と付くならな」

 

 女騎士の言葉になるほど、と頷く。こんな所で王子様の話の続きを聞く事になるとは思わなかった。確か第1王子から第3王子までが乱心していて玉座レースによる暗殺とかが横行している状況だったか? そんなことしてれば治安が低下するのも必然……思ってたよりもこの国、状況的にやばかったのかもしれない。俺には全く関係のない事だと思ってたのに。

 

「あまり表ざたにできない話だが、人理教会は力を強める事でこの国に増え始めた魔族勢力を排斥したがっている。お蔭で近年は人理教会の関係者が国内に増えている」

 

「……俺の殺人未遂もそういう連中がやった、と」

 

「竜血と口にしたのだろう? そういう事を口にして殺しに来る連中は大半が人理教会の狂信者かドラゴンハンターの連中だ。無論、それが人理教会へと罪を擦り付けるカモフラージュという線もあるがな。言っておけば実に“らしい”という話になる。実際のところ、ある程度は現実味のある話になってくる。お蔭で犯人の特定が難しくなっている」

 

 ふむ、と呟きながら次の疑問が頭に浮かぶ。

 

「えーと、竜血ってのを良く知らないんだけど」

 

 俺の言葉に女騎士は頷く。

 

「まあ、そこまで有名でもないからな。竜血はそのまま、亜竜の血の事を示す。人や多くの生物よりも遥かに優れた生物である亜竜はその血でさえ劇物だ。毒にも薬にもなる竜の血は高値で取引されるが、中にはそれを人体へと投与する事で自らを竜へと近づけようとする者達がいる。無論、これは違法に当たる行為だ。何せ、人体に対する安全性が一切保証されない上に竜の血なんかを体に投与するんだからな、自ら人の道から外れようとする行いだ」

 

「だけどそれを行う連中がいる、と」

 

 女騎士は頷いた。

 

「竜信者の連中だな」

 

「竜信者」

 

 女騎士は頷き、説明してくれる。

 

「そうだな、関わらないのであれば一生関わる事もない連中だが……竜を信仰して生きる者達の事だ。あぁ、なんでも亜竜や真竜たちこそが世界側の、自然的な存在であり敬うべきだと、そんな考えの持ち主だ」

 

 微妙に正解を掠っている辺りたちが悪いな……。

 

「言ってしまえば自然派テロリスト集団だ、それも竜や龍を崇めるな。連中が言うには今在る世界に対して、人類は増えすぎたからもっとその数を減らすべきだ……という主張らしいな。尤も何を言おうがテロリストである事実に変わりはないから見つけ次第殺すのが基本的な対応だ」

 

「まあ、テロリストだしね。というか俺、そんなもんに間違えられたのか……」

 

「かもしれないし、そうではないかもしれない。犯人が捕まらない以上判断は難しい。その角と鱗を見て竜信者を殺しに来たとも見えるし、或いは魔族だからと殺しに来たのかもしれない。詳しい事はこれからの調査でしか解らない。だが確かなのは……」

 

「確かなのは?」

 

「外を歩くなら、しっかりと護衛を付けて欲しいという事だ」

 

「肝に命じておきます」

 

 女騎士の言葉に頷く。今回の件、グレゴールがいてくれたから即死ルートへとコンボが繋げられなかっただけだ。いや、或いは首への一撃は経験した事がないだけで、斬撃半ばで刃を止めるか、それとも即死しなかったかもしれない。ただ、今の王都は俺が1人歩きするには少々危険かもしれないというのは事実だった。悔しいけど、ベリアル氏に護衛を派遣して貰った方が良いのかもしれない。

 

 ……頭を悩ませるのがリアとロゼの護衛ではなく俺の護衛というのもまたおかしな話だ。

 

 これ以降はもう少し警戒心を上げて外を歩く事を考えた方が良いのかもしれない。

 

 しかし、竜信者とはまたおかしな連中もいたもんだ。

 

「連中、都市部にしかでないんですか?」

 

「いや、こっちの大陸だと帝国が主な活動域になっている。エスデルは自然が多く、人口密集度もそう高くはないからターゲットにされていないらしい。進んだ科学力のある国や、人口の厚い所、後は人理教会の影響力が強い所がターゲットになっているそうだ」

 

「成程なあ」

 

 じゃあ辺境にいる限りはほぼ関わらない連中って事か。何にせよ、人類にも魔族にも殴りかかっている時点で何時か滅ぶんだろうなあ……って感じが強い。とはいえ、俺が龍だとバレた時点でなんか恐ろしい事になりそうな気配もあるし是非ともバレずにやっていきたいところだ。というか俺の知らない所で滅んでいてくれ。

 

 だけど、まあ、今回、気になる話があった。

 

 竜血が俺から確認できなかったという話―――俺、龍なんだが、肉体組成は完全にこの二つの種族で別ものなんだろうか? 俺が人に変身しているとしたら、少なくとも血とかまでは変わらないとは思うのだが。

 

「うーん、何にせよ色々と気を付けるかぁ」

 

「そうしてくれ。その方が騎士団としても安心できる。ただでさえ上がごたごたしているからな……」

 

「あぁ、本当にお疲れ様ですわ、それは」

 

 俺の言葉に女騎士は神妙に頷く。どうやら気を抜くという事はしないらしい……本当に真面目な人だ。そう思っているとこんこん、と扉が叩かれた。その向こう側から聞こえてくるのは男の声で、

 

「迎えの方が来ました。其方は大丈夫ですか?」

 

「あぁ、此方は問題ない」

 

 扉が開かれ、その向こうから騎士が出て来た。エスデルの統一騎士礼装に身を包んだ男は此方を見て、少し目を奪われるが女騎士に脛への蹴りを喰らって表情を歪めながら背筋を正した。

 

「おっほん、失礼しました。迎えの馬車が表に来ています」

 

「解った。それでも貴女も早く帰ると良い……健やかにな」

 

「騎士さんもお元気で」

 

 軽く手を振り部屋を出る。そのまま騎士の案内を受けて外へと向かえば、言われた通りに馬車が用意されてあった。そこには連絡のために動いたグレゴールの姿と、王都へとやってくるのに使った見覚えのある馬車、そしてコランの姿があった。俺が騎士団から無事な姿で出てくるのを見ると、コランは安心したように息を吐いた。素早く寄ってくると着ているコートを脱いで、それを肩にかける様に庇ってくる。

 

「エデン様、よくぞご無事で。街中で襲われたと聞いて非常に心配しました」

 

「いやあ、おっさんがいなかったらヤバかったかも。おっさんに感謝しといて、マジで」

 

 コランの視線がグレゴールへと向けられ、グレゴールは止めてくれよ、と手を振った。

 

「おじさんは自分の仕事をしただけだからよ、マジで。通常通りの支払いがあればそれでいいんだわ。んで、おじさんのお給料はホテルからちゃんと貰っている、って訳だ。だから特別に何かとか考えないでくれよ、困っちゃうから」

 

「いえ、それでも改めて感謝を。もし、何か問題があるようでしたら是非、此方へ」

 

 そう言って懐から名刺を取り出したコランはそれをグレゴールへと渡しており、グレゴールは少し気圧されながらもそれを受け取っていた。それが終わった所でコランは俺を馬車へとエスコートしてくる。

 

「それではエデン様、今宵はホテルまでお送りします。明日、改めてお迎えに上がりますがどうか、それまで外出は控えて頂けると……」

 

「あぁ、うん流石に俺も昨日の今日で出かけるのはちょっと怖いし、大人しく従っておくよ」

 

 馬車の縁に足をかけ、振り返って軽くグレゴールに手を振ると、グレゴールも手を振り返してくる。

 

「じゃあな、お嬢さん。また賭けに出るなら連れてってくれよ」

 

「おっさんも今夜はありがとうな。また行くような事があったら運を分けてあげるよ」

 

「はは、そりゃあ良い」

 

 グレゴールも軽く手をふると、そのまま夜の街へと歩いて去って行く。それで俺の用もなくなり、馬車へと乗り込み、椅子を見つけてそこに座り込む。

 

 どっと疲れが押し寄せてくるのを感じながら息を吐いた。

 

 あぁ……これはこの王都で一波乱が来るんだろうな……そんな予感を確かに感じている。このまま何事もなく終わる、そんな平和的な解決はないだろう。それだけは確かだった。




 感想評価、ありがとうございます。

 最近はなろう版での更新多かったですけど、それ以上にこの1週間は暁月のフィナーレで光と闇の戦いに決着を付けにいってましたね。

 おのれ吉田P。
 ありがとう吉田P。

 そんな気持ちでいっぱいです。

 なろう版の方ですが、小説大賞応募用に投げ始めた者なので、出来たらブクマと評価をなろうの方でももらえれば非常に嬉しいです。無論、こちらでも引き続き更新予定ですぞ。


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炎魔王ベリアル

「―――で、昨晩はどこに行ってたの?」

 

 お口をばってんにしながら朝、リアの尋問を受ける事になった。ネグリジェ姿のお姫様はどうやら俺がベッドの中にいなかった事が不満だったらしく、頬をむくれさせながらご機嫌斜めである事を主張していた。どうやら昨晩、俺が外出中である間に添い寝をしようと部屋に忍び込んできたものの、俺の姿が見つからなかった事が気に食わないらしかった。

 

「て、言ってもなあ……カジノにリアもロゼも連れて行けないしな」

 

「あら、稼げたの?」

 

「勝ちすぎない程度には」

 

 テラスで朝のティータイムを楽しんでいるロゼへと向かって応えると、そう、とロゼの方は言葉を終わらせる。だが不服であるリアは未だにぷりぷりと怒りの表情を見せる。それを見てロゼが朝の風を浴びながらため息を吐く。

 

「リア? エデンは私達よりも年上だし、自分だけの時間ぐらい欲しいでしょ。あまり拘束するのは良くないわよ」

 

「むぅ」

 

「それにカジノは若い子禁止だよ。そうじゃない意味でもリアは出禁だけど」

 

「それはそう」

 

 ロゼが俺の言葉に頷き、リアが首を傾げる。何を言っているのか良く解っていないリアに教える為に、魔力を固形化して生み出す侵食結晶を生成し、それをダイスの形に加工する。ちゃんとした6面ダイスだ。細かいディテールを彫り込むというのは中々細かい魔力操作技術が要求されて難しいのだが、この結晶で模型を作れたりしたら滅茶苦茶売れない? なんて発想から暇つぶしにちょくちょく練習している技術だ。

 

 まあ、それはともあれ、イカサマも無し、普通の6面ダイスを5個用意する。首を傾げながらそれを転がすリア。

 

 そして出てくる数字はオール6。

 

 10回ほど繰り返しても出てくる数字は6のみ。まるで当然と言わんばかりに結果に疑問を抱かないリア、そして知っていた結果に溜息を吐く俺とロゼ。流石の俺でもこんだけダイスを振れば外すだろうが、リアはこの手の運試しであれば基本的に無敗だ。運と言う要素においては自分が知る限り、ほぼ最強の人類だと思っている。

 

 自分の生活を彩る者を招き寄せる運。

 

 災厄が自分に降りかからない運。

 

 生活が苦にならない運。

 

 目的へと邁進する機会を得られる運。

 

 こうした、天賦の運というものにリアは恵まれている。俺に出会えたり、生活は苦しくても絶対に破綻しない所とか、運を求められる所では外した事が無い。苦しい事があっても最終的にはなぜか全部丸く収まる。そういう風に自分の周りの物事が説明もつかずに良い結果に至る。それをご都合主義と言えばそうなのかもしれない。だがリアはそういう天運を持って生まれてきている。だからこそ、彼女をカジノなんて場所に近づけてはならない。

 

 たぶんその日のうちにカジノが破産してしまう。そんなラックモンスターを連れ出すわけにもいかんだろう。まあ、年齢的にそもそも入れないんだろうが。

 

「だから2人が眠った後にこっそり出たんだけどなぁ」

 

「私はエデンと寝たかったの」

 

「その甘え癖をどうにかしないと将来的に困るぞ。いや、本当に」

 

 首を傾げるが、お前の将来的な結婚相手の話をしてるんだ、結婚相手の。将来的にどこの馬の骨と結婚するかは解らないが、このままの甘えん坊だったら結婚相手も相当苦労するだろう。まあ、見送るのは死ぬほど嫌だけど。グランヴィルという家を残す事を考えるとなると、何時かは見送らなきゃいけないんだよなあ……。まあ、その日の事はその日の事だ。今はこのお姫様の悪癖をどうにかしないとならないという話だ。現状、俺が徐々に距離を空ける以外の解決手段が見いだせない。

 

 というのに。

 

「おい」

 

「むーん」

 

「駄目ね、完全に駄々っ子になっちゃったわね」

 

「笑ってないで助けてくれよ……」

 

「嫌よ。姉妹なんでしょ? 仲良くすればいいじゃない」

 

 けらけらと笑うロゼには、俺にコアラの様に抱き着いているリアの姿が見えるのだろう。完全に顔に抱き着いてぶら下がっている辺り、確信犯なんだろうが。両手を脇の下に差し込んで持ち上げると、猫のようにだらーんと体を伸ばしてくる。

 

「リアー?」

 

「なんか、エデンがまた余計な事考えていたみたいなんだもの。私、そういうのなんとなく解るよ」

 

「この娘ったらもー」

 

 持ち上げたリアをぶんぶんと振り回すと楽しそうな悲鳴が聞こえてくる。リアが俺から離れて暮らせるようになるのは果たして、何時頃だろうか。これでも辺境にいた頃のべっとり具合からはかなりマシになった方なのだが。まあ、20になる頃には自立できるかなあ、とは予想している。20になってもべっとりだったら少々やばいから荒療治必須になるんだろうけども。

 

 まあ、今は限りある時間を楽しもう。悲しい事だが時間とは無限に有限なのだ。俺にとっては無限でも、人にとっては有限のリソースなのだから。だけどここでしゃーないなー、と言って甘やかしてしまう俺にも問題があるのはちょっと自覚した方が良いのかもしれない。

 

 まあ、それはそれとして―――今日はベリアルに会いに行く日だ。

 

 昨日のアレで今日はこれ。胃が痛くなるなあ、と思っていると。

 

「エデン」

 

「ん?」

 

 リアの声に視線を持ち上げた。

 

「―――今日は、無事に帰ってくるよね」

 

 傷は残っていない、血の臭いも跡も残していない。俺が昨日刺されたという証、証拠、それは一切残っていない。だけどまるで見透かしている様な言葉でリアはそれを聞いてくる。だから俺は笑みを浮かべ、答える。

 

「俺を誰だと思ってるんだ」

 

 誤魔化す様にリアの体を振り回して、無理矢理言葉を区切らせた。

 

 いや、まあ、なんというか。

 

 正直な話、解らないかなぁ……無事でいられるかどうかは。

 

 

 

 

 駄々っ子を引きはがして朝食を終える頃には俺もベリアルの所へと向かう為の準備に入る。

 

 と言っても、やる事と言えば着替える程度の事でしかない。相手は態々俺達をこんなサービスと大金をかけて歓待してくれている人物なんだ。それに見合った格好をしなくてはならない。なら昨晩着たパーティ用のドレスはどうなんだ、となるがまず駄目だ。あれはあくまでもカジノとかそういう場所へと着て行く為のドレスであり、露出が多すぎる。

 

 こういうフォーマルさが求められる場所では露出を控えた方が良いので、もっとフォーマルなドレスを着る事になる。そしてそれに関しては既にエメロードのブティックで購入済みだったりする。此方はよくアニメや漫画で見る様な貴族の令嬢が着るタイプのフォーマルドレスだ。フリルやら何やらが付いた、貴族らしい着飾ったタイプだが、それでも外出用に煌びやかさを落としたもの。正直貴族でもない俺がこういう服装を着る意味がどこまであるかは解らないが。それでも見た目、服装というのは一番誠意を見せられる場所だ。

 

 髪だってめんどくさくてストレートにしているが、今日ばかりはちょっとだけウェーブをかけてみたりする。普段とはちょっと違う装いというのは気合が入っている証でもあるのだ。まあ、これで多少は女性らしく見えもするだろう。何時も通りのカジュアルな格好で出向いたらどれだけの失礼をやらかすか解らない。だから見せられる範囲では失礼がないようにする。

 

 そうやって精一杯おめかしをしたら出かける準備は完了する。

 

「私も行く―――!」

 

「駄目よ。流石にエデンの身分とかに関連する事なんだから、信じて待ちましょう」

 

「やだ―――!」

 

 駄々をこねるリアを見てロゼが溜息を吐き、数秒程、落ち着く様に呼吸を整えた。次の瞬間には低空タックルで一気にリアに組み付いていた。

 

「ヴェイランプリンセスフォール!!」

 

「ぐわ―――!」

 

 地面に薙ぎ倒す様に関節技でリアを封じ込めてくれるロゼに感謝しつつ素早く部屋から脱走してロビーへと向かう。

 

 事前にコランが教えてくれたように、今度やってきたのは女性だった。エメラルド色の髪を短く切った軍人風の女性、見た事のない軍服を着ている辺り、所属はこの国ではなく魔界なのだろう―――何よりも背から生える同じ色の翼が人ならざる種族である事を証明しているのだから。

 

 ちなみに、この世界にも有翼族は存在する。高地に生息する種族なのだが、連中と魔界人の見分け方は少々難しい。まあ、でも簡単に見抜く方法があるとすれば社会性だろうか。

 

 より野蛮なのがウチの世界ので、洗練されてるのが魔界人。

 

 悲しいなぁ……文明レベルもうちょい……いや、今でも急成長してるしなぁ。

 

 そんなこんなで迎えに来た魔族の軍人は俺の前まで来ると綺麗な一礼を取ってくる。

 

「お迎えに上がりましたエデン様。本日の護衛を担当させて貰うプランシーです、宜しくお願いします」

 

「宜しくプランシーさん。今日は世話になるね」

 

「いえ、私も貴女の様な美しい人をエスコートできる栄誉を得ているので」

 

 男装の麗人、とまでは行かないがそれでも格好良いタイプの女性だ。そういう紳士的なポーズはどことなく絵になるモノがあった。とはいえ、それでときめくような感性を持つ俺ではないので、手をひらひらと振る事で対応する。

 

「本当に頼むぜ。昨晩は何で襲われたのか解らなかったし」

 

「それに関してはご安心ください。昨晩以降は影より常に護衛した上で犯人の捜索を行っているので。もう貴女が傷つくような事はないでしょう」

 

「お、おう。そっすか」

 

 目の色からして言っている事は本当なのだろう。おぉ、怖い……とは思う反面、この人たちの俺に対する好感度の高さは割と怖い部分がある。一体俺に何を見ているのだろうか? 利用価値か? まあ、確かに利用価値を見出しでもしない限りはここまでの対応はしないだろうとは思う。

 

 ともあれ。

 

 迎えに来たプランシーにエスコートされてホテルを出る。そのまま表で待っている馬車に騎乗し、王都アルルティアを行く。今日は護衛であるプランシーが一緒に客室に、そして専用の御者がいる形になっていた。此方の御者もどうやら女性の異種族のようだ。というより、俺の周りの人間を女性で固めてくれているらしい。なんともまあ、行き届いた配慮だ。

 

 ―――それこそ神経質にさえ感じられる程に。

 

 そこまで気にする事でもないのになぁ、なんて事を考えつつ馬車に乗り、窓際の席へと移動して座る。そのまま視線は窓の外へと。護衛として馬車にいるプランシーとは正直、どんな事を話せば良いのか解らなかった。それ以上にこれから逢いに行くベリアルなる人物がどういう人なのか、何の目的があるのか……そういう事が心配で不安で、気になっていてあまり余裕がないのも事実ではあった。

 

 結局の所、龍がなんなのか。他人から見てどういう価値があるのか。それがはっきりしないのが悪いのだろう。自分に一体どういう価値があるのか、どういう風に扱おうと考えられているのか。それを知らなくてはならないのだ。だってそうだろう? 俺に価値があると思っているからこそこんな厳重な警戒と警備を行っているのだ。

 

 俺自身、ここまで普通の少女のように育てられてきた。

 

 グランヴィル家の人々は優しく、俺を普通のヒトとして扱ってくれた。お蔭で俺も変に擦れる事もなく育ったと思っている。だがそれは、逆に言えば自分がどう特別であるのかというのも良く解らないという事だ。

 

 俺が環境を良くする、と言っても今一ピンとこない。

 

「エデン様、憂いているご様子ですが」

 

「ん? あぁ……」

 

 どうしたもんかなぁ、と考えているとプランシーから声がかかった。視線を其方へと向けることなく、窓の外へと向けたまま馬車の外の景色を見て言葉を返す。

 

「ベリアル氏が何者とか、ちょっと不安で」

 

「成程、確かにベリアル様の事は何も伝えていませんでしたね」

 

 そう言うプランシーは数秒、言葉を選ぶように目を閉じる。悩ましい、そんな感情がちょっと感じられたので視線を向ける。目を開けたプランシーはそうですね、と呟いた。

 

「ベリアル様は……とても誠実で、しかし容赦のない方ですが、同時にとても情の深い方です」

 

「うーん?」

 

 誠実で、容赦はなく、情が深い―――身内には優しく、敵には厳しいという事だろうか? そういう風に並べたらまあ、そこまで珍しい特徴ではないように感じられる。だがプランシーは少し違いますね、と否定する。

 

「ベリアル様をこれ、と表現する言葉がちょっと見つからないですね。しいて言うなら……真面目、でしょうか?」

 

「真面目……」

 

 頭の中で眼鏡を装着したイケメンがイメージされる。流石に真面目という印象で眼鏡を装着しだすのは安直か。いや、だが俺に対する対応を考えると真面目って言葉はある意味正しいかもしれない。

 

 いや、でもなあ……。

 

「詳しい話はベリアル様からなされるでしょうから、私からは何も」

 

 ただ、とプランシーは付け加える。

 

「あの方をお嫌いにならないでください。ベリアル様は自分の為、そしてみんなの為に出来る最善を取っています。それをどうか……」

 

「おう」

 

 リアクションにも返答にも困る。だがプランシーは心からベリアルを案じている様に見える―――少なくともコランやプランシーの様な人間を心酔させられる人物である事は解った。

 

 成程、解らん。

 

 やはり会わなきゃ何も解らないわ。それを理解したところで馬車は徐々に速度を落とし、とある建造物の前で止まった。

 

 それはこの王都を散策している時に目撃した建物の一つ―――ギュスターヴ商会の商館だった。商館の前で到着した馬車を見て、プランシーを見て、商館を指さした。

 

「マ?」

 

「マ、です」

 

 マジかぁ。

 

 もしや今日、死ぬのでは。




 感想評価、ありがとうございます。

 まあ、完全にこれ罠にしか見えないよね、って。


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炎魔王ベリアル Ⅱ

 ―――ギュスターヴ商会。

 

 それは俺が調べられる限りではこのエスデルで最も黒い商会だと言って良いだろう。

 

 商会そのものは特別黒い商売をしている訳ではなく、商品の品質は普通に良いし、阿漕に高く売りつける様な事もしていない。だがその裏では麻薬などの違法なビジネスに手を染め、マフィアと言う暴力を背景にしてエスデル国内の様々な地域に触手を伸ばしている。今やその影響力はエスデルの大貴族に匹敵する程だと言う。

 

 事情を知る者の間ではギュスターヴ商会がマフィアの主である事はもはや常識だ。それでもギュスターヴ商会が捕まらないのは、裏と表が繋がる様な証拠が一切残されないという点と、ギュスターヴが既に王族に対する影響力を獲得しているという点があるのだろう。影響力、という部分に関しては憶測混じりになってしまうのだが。それでもギュスターヴが一商人としては破格の力を持っている事実に変わりはない。

 

 その伏魔殿というか、魔王城というか……なんか、そんな場所に来てしまった。これまでの対応から悪い事は何もされないというのは解っていても、エメロードにあったマフィアの支部は潰したし、その前に冤罪もかけられた。ギュスターヴ商会とは既に1回バチバチにやり合っている。その後でいきなり相手から矛先を降ろされたのが物凄い不思議だったのだが……俺が龍である事に起因するのであれば、今回の態度を含めて納得の行く事なのかもしれない。

 

 あ、いや、でもやっぱり怖いわ。

 

 そんな恐怖心にここまで来たら引き下がれないというやけっぱちさで乗り切る。そうやって乗り込んだギュスターヴ商会は―――なんというか、割と普通だった。

 

 普通というかなんというか、入った商会の建物は普通に商会をしていた。いや、この言葉ではうまく表現できていない。商館の中は活気で満ちている。商人たちが商品の買い付けを行い、純粋に買い物に来た客が対応を待っており、職員たちが忙しく走り回ったりしている。そして見えるのはこの世界では見ない様な種族、特徴を備えた魔族たち。それが此方の世界の人たちと普通に交流し、商売を行っている。

 

 そう、まるで普通の商館の様に。入口前で感じていたちょっとした恐怖は、踏み込んでから感じる活気によって掻き消された。

 

「当然ながら、表の商売は真っ当に、誠実にやっています。真っ当にやって出来る事ならそれで済ませるのが何よりもクレバーであるとの事ですので」

 

「それでもマフィアは飼っている癖に」

 

「それは必要な力ですから」

 

 さもありなんとすぐさまに返答したプランシーの言葉に、俺は何も言い返さない。或いは、言い返せないのかもしれない。此方の世界では魔族たちは余り良い目で見られない。無論、民間レベルではその手の感情は存在しない。だが国家と言う枠組みになると自分よりも技術や知識が上でフリーの存在は、国の文化や考えを汚染してくる侵略者でしかないのだ。エスデルの様に融和するか、聖国の様に排斥するか、帝国の様に取り入れるか……存在そのものが劇薬である彼らに対しては自衛力が求められる。

 

 何故なら彼らは魔界の者。この世界にいる間、その本質は流浪の者だからだ。彼らを守る司法制度が存在しない。自分で自分を守らないとならない―――まあ、彼らにはそれだけの力があるのだが。

 

 そんな事情を頭の中に浮かべてもまあ、ここは普通の商館のようにしか見えなかった。

 

「それでは応接室へと案内します。ベリアル様は既にお待ちです」

 

「ま、待たせてるのかぁ」

 

 怖いなぁ、と口にはせず呟く。ベリアル=ギュスターヴと言う図式が成立する今、このベリアルと言う男が魔王であるのは間違いがないだろう、何せ魔族でここまで力があるのだから。いや、或いは一般魔族が大成功したというパターンもあるのだろうが、部下の心酔っぷりを見ている限りそれ相応の実力はあるように見える。それが俺に対して、ここまで譲歩しているのだ。そりゃあ怖いという感想しか出ないだろ。

 

 だが、ここまで来てしまった……来てしまった以上は引く事も出来ないだろう。胸の中にある不安はそのまま、プランシーの先導に従って商会の通路を抜けて奥へと向かう……途中、驚くような、探る様な、そんな視線が周囲から向けられるのがちょっとだけ、不思議か。でも考えてみれば俺みたいな娘が大商会のオーナーに案内されるなんてそうそうない事だ。そりゃあ探ろうともするか。

 

 そうやって思考を巡らせている間はあまり現実の事を考えなくてもいいから助かるのだが、実際のところ、向き合わなければならない現実は目の前まで来ていた。商会の通路を抜けた先では扉があり、その横にプランシーは身をずらしていた。

 

「どうぞ、ベリアル様がお待ちです」

 

「……」

 

 プランシーの姿を見て、扉を見て、自分で開けなきゃいけないのかという気の重さを表情に出さないようにしながら―――手を伸ばし、扉を開けた。

 

 しっかりと手入れのされている扉は抵抗もなく開く。開けた後でノックするの忘れたなあ、なんて事を考えて、何て言おうかと言葉に詰まる。だが習慣か、自然とお邪魔しますなんて言葉が口から出てくる。

 

 そんな頭の中が軽いパニック状態の中、応接室には向かい合う様にテーブルを挟んでソファが置かれており、奥の方のソファにはスーツ姿の男が座っていた。一目見てその明らかな格の違い、次元の違う強さを感じ取る。髪をオールバックに流した中年程に見える男は扉を開けて入って来た俺の姿を見て、座っていたソファから立ち上がりながら近づいてきた。

 

「これはエデン=ドラゴン、この度はこの様な事態に巻き込んでしまい、まことに申し訳ない」

 

 そう言ってベリアルは謝るが、頭は下げない。或いは上に立つ者として頭を下げる事が許されないのか。どちらにしろ、俺の返答は決まっていた。さあ、頑張れ俺。ここが頑張り時だぞ。心の中でそう告げながらなんとか笑みを浮かべて対応する。手を前に、握手を交わす為に近づく。

 

「寧ろここまで歓待されている身としては申し訳なさすら感じます」

 

「止めて欲しい、今回の件は事前に警備を配置していなかった私の落ち度なのだから。さ、ソファへどうぞ」

 

 握手を交わしてからエスコートされるように反対側のソファへ。テーブルを挟む様にベリアルと対面すると、すかさず紅茶とケーキが目の前に置かれた。気配も何もなかった気がしたが、どうやら待機していたらしい……いやあ、本当に恐ろしい。そう思いながらも自分の姿勢、どういう風に見られているのかを意識して座る。昔は足を広げて座る事もあったが、今ではこの通り綺麗に女の子らしく座れる。

 

 対面するベリアルはいきなり謝罪で会話を始めたが、自分の落ち度であるというスタンスを崩すつもりは一切なかった。席についてからも、

 

「改めて謝罪を。私は、決して貴女を傷つける意図もなければ害するつもりもない。エメロードの件も不幸な行き違いとして私は処理しようと考えている」

 

「それは……一方的に私にとってありがたい話なのですが、ベリアル氏としてはそれで宜しいのでしょうか?」

 

 俺の言葉にベリアルは迷わず頷いた。

 

「貴女の身と比べれば」

 

 その言葉に俺は複雑な表情を浮かべてしまう―――それもそうだ。人がたくさん死んだ所で、俺と比べたら安い命だと断言しているのだから。この男は簡単に命に対する価値を、値段を付けられる人物なのだ。いや、それがこの世界の大半だと言えるんだが、それはそれとして俺にとっては怖い考え方だ。未だに人を殺す事に恐怖を覚える身としては、こういう人間とは仲良くなれない気がする。

 

 ベリアルが俺の事を怒っていないのは解った。いや、だからこそ解らない。だから俺は少しだけ言葉を閉ざし、考える様に目を閉じ、それからお菓子や紅茶に手を付ける事無く言葉を放った。

 

「私にこうも良くしてくれるのは……龍だから、ですか」

 

「然り」

 

 ベリアルは俺の言葉に頷いた。

 

「龍―――私が知る中で最も古く、そして尊い種族だ。この星の、という言葉が付くが。私からすればこれほどまでに事実が捻じ曲げられ、そして蹂躙されている事実には驚きと嘆きが隠せない。恐らくだがこの様に事実を捻じ曲げた人物はそう―――」

 

「そう?」

 

 ベリアルが一拍を置き、言葉を続けた。

 

「……この星を、命を相当憎んでいたに違いないと思っている」

 

「命を……」

 

 そう言われてもピンとは来ない。だがそれは恐らくベリアルが俺よりも多くの事実を理解しているという点にあるのだろう。

 

「だが安心してもらいたい。先日の事を反省し、見える所ではプランシーを、見えない部分でも護衛を配置している。もう通りがかりに刺される様な事はない。魔王ベリアルの名においてこの王都滞在の間の平穏を約束しよう」

 

「……ありがとうございます」

 

「そう言う割には顔色が優れないが?」

 

「えぇ、まあ、それは……」

 

 ベリアルの言葉に言いよどむと、ベリアルはふと、小さく笑みを零した。

 

「どうやら貴女は本質的には真面目な人物の様だ」

 

 首を傾げるが、ベリアルは気にすることなく言葉を続ける。

 

「いや、人となりは聞いていたのだ。だがそれはそれとして、どういう人物であるかは見るまでは解らないものだからな……どこまでも真面目にふざけているような奴さえ世の中にはいる。あぁ、一人だけ、友人にそういう奴がいる。お蔭で酷い目にもあった事がある」

 

「それは……ご愁傷様、としか」

 

「……」

 

 言葉が、選び辛い。話し辛い。このベリアルと言う男が良く解らない。その背景とでも言うべきものが見えてこないのだ。そのせいでどういう風に対応すべきか、という所が見えてこないのだ。おかげで会話のイニシアチブが今一取れない。

 

 だけどこのままなあなあで当たり障りのない会話を続けるのはもっと駄目だろうと思った。それじゃあなんでここに来たのか解らないし……これからもずっと、この男の影に怯える事になるだろう。だから一度、深呼吸をする様に肺の中の空気を入れ替える。

 

 ―――良し、見守っててくれよソ様。

 

 たぶん、こんな事を考えてなくてもずっと見てるだろうけど。

 

「ベリアル氏」

 

「なんだろうか」

 

 ふぅ、と軽く息を吐く。このベリアルと言う人物は、俺に対する庇護とは別に俺の事を軽く面白がっている部分があるように見える。だからこそ自分から話を詰める様な事をしていない。ちょっと意地悪かな、と思ってしまう。だけどたぶん、相手はそれを意図してやっている。何か考えがあるのか、それとも単純にふざけているのか。

 

 どちらにしろ、切り込まないと話が続かない。だから話を切り出す事にした。

 

「どうして、そこまで私の事を大事にするんですか。正直なところ、自分がそこまで重要だと言われる事にピンと来ません。そこまでする必要はあるんですか?」

 

「―――ふむ」

 

 その言葉にベリアルは腕を組み、脚を組んで深くソファに背を預けた。数秒間、考える様に仕草を見せてから顔を上げる。

 

「私は寧ろ、何故貴女が己の価値を見出せず、そこまで卑下するのかが良く解らない」

 

 そう言ってベリアルは体を前に出した。組んでいた足を降ろし、腕を解いて手を組みなおした。

 

「貴女は、この星唯一の龍だ。正当なる後継者であり、管理者だ。この星の行く末は貴女のその存在そのものにかかっていると言っても過言ではない。そんな存在を庇護せず、保護せず、野ざらしにして放置しておく事程考えられない事はない。本来であれば貴女は世界そのものが守るべき存在の一つなのだ」

 

 やはり、ピンとこない。そこまで大層な存在なのだろうか? 自分の事だから自覚が薄いのかもしれない。だが俺のその反応を見てベリアルは解ったと頷いた。

 

「では私が貴女に一つ、自覚を促す為に魔界の話をしようと思う」

 

「魔界の話、ですか」

 

 ベリアルの言葉にふむ? と首を傾げた。実際のところ、魔界の話ってあまり良く知らないんだよな……と思考する。るっしー・マイフレンドから偶に魔界の事情を聞いたりしたが、なんでも魔界は滅びの危機にあるらしいという話は知っている。だがそれ以上の詳しい事情に関しては良く知らない。だからベリアルの方へと視線を向け直した。

 

「魔界の事、実はあまり良く知らないので……」

 

「実際それを語ろうとする者は多くはないだろう。語ったところで恥の多い話だ。広がれば広がる程魔族に対する悪印象が広がるだけの話だ」

 

 しかし、と付け加える。

 

「我々にとって、そして貴女にとってもとても重要な話でもある。だからこそ魔界と、その歴史を語る必要がある」

 

 そう言ってベリアル氏は懇切丁寧に俺に魔界の事を語り始める。

 

 ギュスターヴ商会の始まりを、どうしてこうなったのか。何故こうする必要があったのか。

 

 そして俺と言う存在が―――どうして、こうも貴重で大切なのか、という事を。




 感想評価、ありがとうございます。

 なろう版も良い感じに評価やブクマもらえているので本当にありがとうございます。ちまちま日刊に上がったりしていて私はとても幸せです。


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炎魔王ベリアル Ⅲ

「―――全ての始まりはとある魔神が次元の壁を越えこの宇宙に来た事だ」

 

「いきなりスケールが凄い事になった」

 

「……まあ、神話というものだからな。往々にしてスケールは大きいものだ」

 

 思わず口から漏れた呟きだったが、ベリアルはそれにしっかりと反応していた。やってしまったと口元を隠すが、ベリアルは気にした姿を見せずに話を続けてくれた。正直、失言だったのでそうやって進めてくれるととても助かる。

 

「魔神は魔導の神であった。想像により創造を成す事さえも出来る原初の神であった。故に何も無き宇宙の空に星を浮かべ、そして命を芽生えさせた―――そこを魔神は遊び場とした。何百、何千、何万、何億と言う命を生み出しては破壊し、宇宙を星のおもちゃ箱として扱い続けた」

 

 背筋の凍る話だった。超越するだけの力を持った存在にとって、自分以下の存在は結局のところ玩具……或いはNPCでしかない。原初の魔神にとって、自分が生み出したものにそこまで深い意味はなかったのだろうと思う。だが人間もそういう所がある。自分の作ったものに対して無関心な所とか。

 

「だがある日原初の魔神はこう言った―――」

 

『飽きた』

 

 ベリアルの言葉になんとリアクションを取れば良いのか解らないが、ただぞっとした悪寒だけは感じられた。この理屈が、人の理解が及ばない感じはまさしく生命外の領域にある存在らしいとも言える。或いは人が遊びこんだゲームを見捨てる様な、そんな感情を感じる言葉だった。だがベリアルは肯定するように頷いた。

 

「そうだ、悍ましい。その言葉には悍ましさしかなかった。原初の魔神は我々の理解を超える力と考えの持ち主だった。どんな文明、力、文化。その極みに達そうとただ飽きた、その一言で宇宙の全てをリセットして砂場を崩したのだから。そうやって原初の魔神は宇宙にある程度の形を与え、その宇宙を去る事にした」

 

「去ったんですか?」

 

「あぁ……私達は過去を見る能力を使って既に神話の実在を確認している……その過程で何人発狂したかまでは解らないが」

 

「……」

 

 べリアルは話を続ける。

 

「さて、この原初の魔神に人らしい心があったのかどうかは別として……少なくとも慈悲があったのは事実だった。魔神の魔法より編まれた世界はエーテルを源とし、エーテルにより万物が産まれる様に作られていた。私の体も、星も、そして恵みも。その全てがエーテルを基準とした世界で構築されていた。魔神はこの世界を構築した上でエーテルが枯渇しない様に、その維持と増幅を行う奉仕種族も残した……それは我らの世界を滅ぼさないためのシステムだった」

 

 だが魔族たちは魔界を離れ、此方に渡っている。つまりシステムは崩壊しているという事だ。

 

「あぁ……初めの頃は上手くやっていた。人々は恵みを受け入れ、ある物に感謝し、そしてその中で生きていた」

 

「だけど科学力と文明の発達に伴いそうじゃなくなるんですよ……ね?」

 

 ベリアルが頷いた。

 

「そうだ。文明の進化に伴い新しい技術が広まる。産業革命が始まれば安定した量産体制に伴いコストの低下と出生率の向上が始まる。そうすれば人口の爆発に伴い消費が一気に増える。食料、医療、住居、土地―――そしてエーテルだ」

 

 そうだ、とベリアルは言う。

 

「爆発的な人口増加とそれに伴う工場の稼働と大量生産はついに想定されていたエーテルの循環を超える消費を生み出した。消費に対して供給が追い付かない程に魔界の文明は成長してきたのだ。それでも文明が崩壊しなかったのは原初の魔神が残した奉仕種族が星の維持を行っていたからだ。彼らが星のエーテルの流れを淀まない様に管理し、そしてその流れを維持してくれなければ星はもっと早い段階から腐り始めていたのだろう」

 

「それが俺と同じ位置にある種族である、と」

 

「そうだ。彼ら、彼女達は星の為に良く働いてくれた。あらゆる時を星の延命のために尽くしてくれた。だがその価値を凡人は知る事がなかった。そうだろう、当然の話だ。ずっと昔から存在する当然に疑問を覚えるもの等いないのだから」

 

 そして話は変わる。

 

「流行り病があった。屈強な肉体と生命力を持つ魔族でさえ死ぬほど凶悪な病だ。当時、まだ特効薬が生まれる前の話だ。たとえ迷信であろうと生きる為にすがろうとする魔族が多く存在した。その中に存在したのだよ」

 

「……」

 

 ベリアルが何を言おうとしたのか、解った。だから黙ってベリアルの言葉の続きを待った。たっぷり数秒、ベリアルは思い出す様に目を瞑り、それから視線を戻した。

 

「―――奉仕種族を、彼らを食えば治ると。そんな話が生まれた」

 

「……」

 

「無論でたらめだ。だが人の恐怖とは、信じようとする心は、例えそれがどんなでたらめであろうが、信じてしまえば動くのに十分な理由となってしまう。奉仕種族は抗う事なんてしなかった。彼らからすれば魔族もまた星の一部でしかなかったからだ。だから殺しに来た魔族に抵抗する事もなく殺された」

 

 リョコウバトと言う生き物がいた。

 

 これは有名な話であり、既に地球に於いて絶滅した生物の一つでもある。20世紀ごろに存在したこのハトは実に美味しいものだと言われていた。俺はその時代に生きていた訳じゃないし、食べた事もない。だから真実がどうというのかは全く知らない。だがリョコウバトは美味しい。その考えは多くの人の間で有名で、そして狩られた。

 

「……奉仕種族とは言うけど、その人たちはどんな姿をしてたんですか?」

 

「ヒトだ―――私達と何も変わらない姿をしていた。ただもっと純朴で、原始的な生活を好んでいただけだ」

 

「それを殺した」

 

「あぁ。殺して食った。血塗られた歴史だ」

 

「……」

 

 リョコウバトは絶滅した。美味しいから。数が減って行く中で、保護すべきではという声もあったらしい。だがそれにも関わらず絶滅した―――単純に人の業が、欲がそれを抑えきれなかっただけだ。見つかった筈の最後のグループでさえ人間は容赦なく密猟し、狩猟し、そして片っ端から喰らって当然のように絶滅した。そうして地上からリョコウバトという種は消え去ったのだ。

 

 その愚かさは人も魔族も変わらなかったのだろう。

 

 或いは、根本的な部分で世界を超えて、ヒトという種は愚かであるようにデザインされているのかもしれない。

 

「そうやって星を維持する者達は狩られた。迷信だったという事実を信じられずにな。そして当然のように、効果はなかった。そして後々特効薬が生まれた。それで多くの命は救われた。少なくとも、その時だけは」

 

 悍ましさすら感じる出来事の裏で、それでも魔界は続いたとベリアルは言う。それに俺は首を傾げた。

 

「疑問を覚えたり、守ろうとした人はいなかったんですか?」

 

「無論、いたとも。だがパンデミックのハザードは容易く人の心を壊し、狂わせた……その狂気を貴女は正しく理解していない」

 

 人はどこまでもエゴイズムの為に醜悪になれる。

 

「他者の命? 人権? 権利等……所詮は全て己の命があってのものだ。死の恐怖の前ではどの生物だってエゴイズムを押し出すのは当然の事だ。それがただ魔族で起きたというだけの話だ。そこに相手の姿、形なんてものは関係ない―――そもそも我ら魔族は、種族による姿の差が大きい生物だ。故に同族という意識は、この世界の者程強くはない」

 

「肯定、するんですか」

 

「肯定はしない。だが起きた事だ。否定は出来ない。それだけの話だ」

 

 言っている事の意味は解る。だが納得できるかどうかは別の話だ。ベリアルの中では既に終わってしまった過去の出来事なのだろう。俺からすれば到底信じたくはない、醜い話だ。無論、全ての魔族がそうではないのだろうが……魔族という種がそういう行動に出る事の出来る存在であると解ってしまったのは純粋に見方が変わってしまう。だがベリアルは誠意を見せている。本来であれば語る必要のない事を口にしている。

 

 だから最後までベリアルの話は聞く。それが俺にとって大事な事だから。その為にここに来たとも言える。

 

 恐らくこの王都滞在で今一番重要な時間を過ごしている。

 

「さて……これで奉仕種族は完全に地上から死滅し、病も特効薬で根絶された。終わった後の人々は白々しくその過ちを悲しみ、嘆き、しかし何時も通りの生活へと戻って行く。そうだ、種族が1つ消えたところで自分の人生に関わらないのだ。一体誰がそんな過ちをずっと引っ張って行くのだ? あぁ、本当にそれを後悔し、恐れていたのはそれがもたらす恐ろしさを知っていたごくわずかな存在だけだ。彼らは既にその後の為の行動を始めていた。だが神々はこの時点で既に星の命運は決したと理解し、その職務を放棄した」

 

 ベリアルはそこでたっぷり、数秒黙り込む。それがベリアルの心を整理する為に必要な時間であると理解して俺は黙った。それによって静かな時間が流れて行く。居心地の悪い、落ち着かないようで落ち着くような時間。手元のティーカップの中身が何時の間にか冷えている事を自覚する。ただ俺にはそれを再加熱する様な力はないので、せめてもったいない事をしない様に口を付けて飲み干す。

 

 ……温ければ、もうちょっと美味しかったかもしれない。その細かい味が解らないのが、少し残念だ。

 

「あぁ……」

 

 ベリアルは呻く様に、過去に引きずられる声を零した。

 

「そして始まるのだ」

 

「……何が、ですか」

 

「終末だ」

 

 ベリアルが片手を持ち上げた。その手の中には見た事のない金属製のデバイスが存在していた。そこから空中にディスプレイが表示される―――架空技術として存在する空中投射ディスプレイ。それが目の前に存在していた。そこに映し出されるのは美しい星の数々の景色だった。

 

 黄金の稲穂の海。虹のかかる秘境の滝。無限に続く雲海とそこを飛翔する渡り鳥たちの姿。そんな美しい姿がディスプレイには表示されていた。それはここではない、異世界の景色なのだろう。ベリアルたちの故郷、魔界の景色。見た事のない生物、知らない場所……まさしく未知の世界。そこに存在する選び抜かれた美しい景色、或いはどこにでもある様な美しい風景。それをベリアルは表示していた。

 

「その始まりに気づけたものは少ない。何故なら変化は微小で極小だったからだ―――作物の、収穫量が減った。当然の事ながら大地の恵みも、そしてあらゆる物質はエーテルを基礎に構築されているのが魔界と言う世界なのだ。濃密なエーテルとその循環によって生き続けている魔法。それが私たちの世界だ。だが、我らの故郷からその循環が滞り、エーテルの総量が減ればどうなる?」

 

「……少しずつ、世界が薄くなって行く?」

 

 俺の答えにベリアルは頷いた。

 

「短く生き、そして直ぐに消費される命……つまり作物などの植物や昆虫に最初の影響は現れた。最初は育つ数が減り、そして段々とその範囲が広がって行く。私達の……魔界の文明はエーテルを基準として成立する魔導文明だ。エネルギーは電力ではなくエーテルを消費する。故に文明社会が成長すればするほど、エーテルの絶対消費量は増えて行く。そしてこれは生活に利便性を求めれば求める程増えて行く。新たな代替エネルギーを探すにはもはや遅すぎる、終末が確かに始まっていたのだ」

 

 ディスプレイの中、黄金の海が枯れて行く……腐って行く―――そして荒れ地が残された。

 

「原因は何だ? 人為的なものか? 自然現象か? どちらでもある。既に魔神は無駄だと見放し、諦め、そして終末を個人として生きる様になっていた。優秀な学者たちが直ぐに原因を解明し、特定した。だがそれは同時にこれまで築いてきた文明を放棄しなければどうにもならないものでもあった。消費文明を一旦リセットし、自然的なサイクル以下の消費量に星全体で抑えない限りは再生が始まらない」

 

 進んで、進んで、進んだ。進み続けた先は1回の愚かしさによって終わりを齎す結果となった。たった1度の魔族全体でのミス。それが滅びを現実にした。

 

「だけど、それは不可能な筈」

 

「そうだ、不可能だ。これまで築き上げた文明を放棄しろ? 今の生活を捨てろ? 明日をまた原始的な生活に戻して生きろ? そんなもの不可能に決まっている。星は枯れて、生活は苦しくなって行く。だが堕落を覚えた魔族は遠い昔の不便で苦しい生活に戻る事を拒否する。例えそれが星に終末を齎す物だとしてもだ。そのエゴイズムが星を、自分を苦しめているというのに……それを理解してもなお、魔族は変わる事が出来ずにいた」

 

 ベリアルは軽く息を止め、吐く。

 

「故に誰かが口にした」

 

 重い言葉で。

 

「―――減った分のエーテルを補填すれば良い、と」

 

 完全なる終末の引き金を。

 

「そう、()()()()()()()()()()()()()()()。不要な命を星に返せば良いと」

 

 そして始まった。魔界の完全なる終末が。魔族が何故異世界に逃げ出す必要があったのか、一体どういう愚かしさをもってこの結末へと辿り着いたのか。

 

「そして戦争が始まった」




 感想評価、ありがとうございます。

 魔界が崩壊し、異世界へと逃げ延びる事の経緯は自業自得度100%だったりします。


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炎魔王ベリアル Ⅳ

 ―――黄金色の畑が燃えている。

 

 かつてベリアルはその美しい景色を妻と並んで眺めた。数年後には幼い娘を連れて同じ景色を見た。ベリアルは己の領地に誇りを持っていた。善き人々、善き民、善き領地であった。多くを望むようなことはしなかった。必要以上にモノを求める事は自らを亡ぼすと男は知っていたからだ。身の丈以上を求める者達は何時だって破滅していた。だからベリアルは常に自分に出来る事しかせず、出来ない事は友人や部下に任せていた。

 

 男は真面目だった。生真面目すぎる程に。

 

 汚職をせず、真面目に職務と向き合い、領民と向き合い、そして自分の領地を富ませた。彼は領民に愛されていた。真面目すぎる所が玉に瑕だ、と。だが真面目だったからこそ栄え、愛された。ベリアルと言う男は元来、そういう男だった。領民を愛し、領地を愛し、

 

 そしてそれが今、燃えていた。

 

 何度も足を運んでは成長を見守り、そして収穫祭を楽しみにしていた畑も、村も、街も、都市も、その全てが燃えていた。

 

「馬鹿な、なぜ―――」

 

 手が怒りに震える。肌で感じる狂気に怖気が走る。稲穂の海が燃えるように、彼が治める街も燃えていた。人々は恐怖に逃げ惑い、我先にと安全な場所を求めて走っている。その後を追うのはまた、人の姿だ。だがその瞳に映るのは狂気でしかない。体を青と白のローブで覆った集団は逃げ惑う人々に追いつけば。

 

「さあ、星に帰ろう……」

 

「私達の命を星に捧げて星を再生するんだ」

 

「一緒に星を救おう……!」

 

 領民に追いついた襲撃者たちは祈りを捧げる様に人々に触れ、そしてその姿を分解した。生きていた筈の彼らは一瞬でエーテルへと変換され、そのまま星へと還って行く。その非道を一瞬だけ呆然と眺めてから、直ぐにベリアルは怒りにその感情を支配された。

 

「き、さ、ま、ら……!」

 

 震わせる喉からはそれ以上の言葉が出ない。単純に存在が許せない。もう、誰も傷つけさせない。領民を守る事は―――愛する民を守る事は領主の、魔王の役目である。ベリアルがその暴威を振るう事にもはや理由は必要なかった。次の瞬間には踏み込み、領民を襲う10を超える襲撃者たちを1秒とかからず全て燃やした。頭からつま先まで全てを炎で包み、一瞬で炭化させる。

 

 だが燃え盛るその瞬間にでさえ、幸福な表情を浮かべる。

 

「あぁ、これで星に還れる」

 

「これで星が救われる」

 

「私達の命、どうか星に……」

 

「なんだ、なんなんだ貴様らは」

 

 困惑。それしかベリアルの中にはなかった。それは間違いなく狂っていた。死ぬ事でさえ救いだと、それが星を救うのだと信じていた。そんな狂人たちだった。だがベリアルはこの狂人たちがこれが最後ではなく、まだ存在するというのを知覚していた。救わねばならない領民たちがまだいる。その為にも困惑し、足を止めている時間などない。炎をバーニアの様に燃やして一瞬で加速するベリアルは次なる者を救う為に走りだした。

 

 

 

 

「カルト、教団」

 

「あぁ、星が枯れ行く中で狂った思想の連中が現れた」

 

 自分の経験した事をベリアルは語った。

 

「星が枯れる絶望を前に心が折れる者達と、折れない者達がいた……その中でも特別危険だったのは、情報が足りないまま何が出来るのかという事を蛮勇のまま実行した連中だった。“星教”と名乗る連中は上も下もないカルト教団だった。今ある命をエーテルに変えて星に還す……それが星の延命に繋がると信じている異常者だった」

 

「そんな、事が」

 

「信じられないか?」

 

 ベリアルの言葉に俺は答える事も出来ずに口を閉ざした。だがそれを見てベリアルは静かに頭を横に振った。

 

「それで良い……それだけ此方は平和だという事だ。本当に終末を前にすると、人は狂うのだ。……あるいは崩れたエーテルバランスが原因で人の精神もまた壊れ始めたという話もあった。真実は解らない。だが事実、星を再生する為に人を殺そうとするカルト教団まで現れたのだ」

 

 本当に星が滅び始めていた。星を補佐、維持する為の種族が絶滅しただけで。信じがたい、というよりは信じたくはない。だが語るベリアルの言葉の色に偽りはなかった。そうだ、俺には嘘か誠かが解る。そしてベリアルは一切嘘をついていなかった。だから俺にはこれが全て真実であると理解出来てしまっていた。

 

「我々の未来はまさしく絶望的だった。新天地を目指して宇宙を目指す事もあった。だが星外にエーテルを生み出すものはなかった。原初の魔神は我々の母星のみを生きられる特別な場所として用意したのだ。元々、最初からあるリソースを尽きさせない様に生きて行く様に世界は設計されていた所を、無視して成長したのだ。辿り着いた結末は当然とも言えるものだったのかもしれない」

 

「でも、それに納得しなかったんですよね」

 

「当然だ。私は魔王だ。守るべき民と、彼らの明日がある。例え明日が終末の日であろうと、生きる事を諦める理由にはならない。私には彼らの明日を保証する義務がある。それが私の魔王としての使命だ」

 

 だが、とベリアルは続ける。

 

「本当に、希望なんてものはなかった。星脈……星を巡るエーテルの脈は少しずつ弱っていく。人が少しずつテロやカルト教団によって減らされても、そもそもの文明による消費が大きすぎるからだ。穴の開いたバケツはその中身を垂れ流す様になってしまう。星とエーテルの関係はそうなっていた。使う人を減らした所で応急処置にすらならない。今ある文明と人、その全てを滅ぼさなければもう元には戻れない。だがそれですら不確かな未来だったのだ」

 

 ベリアルがテーブルの上に乗せたデバイスが様々な枯れる星の光景を映し出している。荒れた畑。水の枯れた滝。腐った植物の森。廃墟へと変わって行く都市。魔導の極みへと至ったと言われる魔界の文明は、その極みへと達した事によって滅んでいった。

 

「我々はこの地獄を前にいよいよ星脈へと干渉する手段を得た。これによって漸く、滅びた奉仕種族が行っていた事の真似事が出来るようになったのだ。だが既に手遅れだった。星脈の流れは淀んでいた。その淀みを取り除く技術や、減ったエーテルを増やす技術までは間に合わなかったからだ。私達にできるのは星脈から力を吸い上げる事だけで……それこそまさしく、文明を象徴する様な技術だった」

 

 結局のところ。

 

「私達は消費する、という文明の形からこの期に及んで抜け出すことはできなかった……もう、星を救う手立ては存在しなかったのだ」

 

 この人はどれだけ自分の世界を愛していたのだろうか。どれだけ頑張ってきたのだろうか。語る言葉一つ一つから感情を排そうとしていて、だからこそどれだけ感情が込められているのかが解ってしまう。このベリアルという男は、救いがない程に自分の職務に対して真っ直ぐだった。それこそ悲しい事に、何もなければ好感を持ててしまうほどに。

 

「議論に議論を尽くした。どうすれば星を救える? どうすればこの星を再生できる? だが数年が経過し、更に十数年が経過して星が枯れて行く中でこの星は救えないという逃げられぬ現実に直面して……議論はついに、どうやって生き延びるかという話になった」

 

「それで、選んだんですね。異世界への移民を」

 

「あぁ……もはやそれ以外に道はなかった。長く住み慣れた故郷を、世界を捨てて移住する。だけどもはやそれしか生き延びる術はなかった。そして私達は此方へと魔神を頼り、やって来た。それが私達のこれまでであり、何故私が貴女を、ここまで重要視するかだ」

 

「……」

 

 頭がくらくらする。詰め込まれた情報量に脳味噌が追い付かない。振り回された頭を抱え、ソファに背中から沈む。ベリアルはそんな俺を、反対側から気遣う。

 

「大丈夫か……と聞くのは少々おかしいか」

 

「あ、いや、うーん……ごめんなさい、ちょっと整理が追い付かないです」

 

「解った」

 

 ベリアルが手を振るうと新しい茶が用意される。テーブルの上で湯気を上げながら美味しそうな匂いを発するティーカップを手に取って、ソファに身を沈めたまま考える。自分の頭を殴りつける情報の暴力は中々のもので、咀嚼するのに時間がかかっている。だからここはまず、一つ一つ噛み砕いて行こう。

 

 始まりは一柱の神、原初の魔神と呼ばれる存在が魔界の宇宙に、星を生み出したことだ。良し、なんかもう既にスケールがやばいぞ。しかも実際に観測し、確認した事実だというのだからヤバイ。あちらの世界のインフレ最上位は戯れに世界を生み出せるレベルだというのだから。いや、これは考慮しなくて良い情報だ。解っておかないといけないのはこの魔神が星を生み出した時に、星を維持する為のシステムを生み出した事だ。

 

 星を維持する為の奉仕種族―――つまり此方における俺、龍。魔界における正式名称は知らないし、知る必要もないだろう。きっと知れば知る程苦しむだろうから。余計な情報は省くのに限るだろう。だからどういう生活をしてたとか、どういう人達だったとか……そういう事は気にしない。その代わりに、俺が担っている役割を果たしていた存在がいた事を認知する。

 

 そして彼らは過ちによって絶滅した。

 

 その結果、星が腐り始めた。消費がエーテルの循環を上回って星がそれに耐えきれなかったのだ。全ての命がエーテルから生まれる性質上、エーテルが減れば星を覆う植物、命、全ての元素が減って行く。その絶望感に狂う事で星は終末に覆われて、助かる為の未知を求めて異世界へと逃げ延びた。

 

 いや、だけどそれって、

 

 ―――完全にこっちの世界がとばっちりじゃん。

 

 何も悪くないじゃん。なんでこっちはお前らが持ち込んだ問題で苦しまなきゃいけないんだ?

 

 お前ら、俺達の世界に必要ないじゃん。

 

 ……と、簡単に答えられたらどれだけ楽だっただろうか。

 

 数秒、目を閉じて心を落ち着けるのに時間を取る。冷静に、冷静に。俺が龍で、この星の未来を左右すると言っている。その事実をまずは理解しよう。理解した上で考えよう……冷静に。片手を胸の上に置いて、ばくばくと緊張で音を鳴らす心臓を抑え込む。煩い心臓が今は煩わしかった。だから少し落ち着いてくれ、と自分の心に言いつける。

 

「ベリアル氏が関わっているのは……」

 

「主にこの国で活動している魔族だけだ。それも私の商会の従業員になる。全ての同胞を魔界から連れて来られる訳ではないのだ。此方で居場所を確保せねば、連れてくる事も出来ない……無論、安全も」

 

「……」

 

 色々と聞きたい事、言いたい事があった。だけど感情的になってしまいそうで、駄目だと自分の中で結論付けた。だから話を続ける前にカップに口を付けてまだ温かい紅茶を口に含む。それが機械的に喉を通る事を確認しながら息を吐く。

 

「……すみません、今日は一度帰って良いですか。考えたり、呑み込む時間が欲しいんです」

 

「無論、構わない。私は貴女の為であれば何時だって時間を都合するし、どんな質問でも答えるつもりだ。必要なもの、求めるものがあるのなら何時だって頼って欲しい」

 

「ありがとう、ございます」

 

 ベリアルに向かって軽く頭を下げてから帰る為に立ち上がり、部屋を去ろうとする―――だがどうしても、退室する為の一歩が踏み出せない。後ろ髪を引かれる様なわだかまりが、疑問が自分の中にあった。だから部屋を出る前に振り返ってベリアルに質問する。

 

「貴方は、俺に何を求めているんですか?」

 

「私は―――」

 

 ベリアルは数秒、答えを選ぶように沈黙を作り、そして答えた。

 

「―――ただ、認めて欲しいのだ。同胞達が生きる事を」

 

 

 

 

「エデン=ドラゴン様、お帰りになりました」

 

「そうか」

 

 部下がエデンを見送ったことを確認したベリアルは、手を軽く振るって部下を部屋から追い出した。既に執務室へと戻ったベリアルは直ぐに仕事へと戻ろうとし……その手が仕事につかないこと事を自覚していた。エデンが大量の感情ともやもやを抱えている様に、ベリアルもまたエデンに対する複雑な感情を抱えていた。それはベリアルがエデンを見て、知ってしまったからこそ感じてしまった事であり、

 

 片手で顔を抑えたベリアルは、吐き出すように言った。

 

「―――あれでは、ただの小娘ではないか」

 

 龍。この世界における最強の種族。最も貴き存在。星を維持するシステム。星の生命線。エデン=ドラゴンのみが星の歪みを正常化し、その流れを正しいものへと導く事が出来る。そういう風に彼女は設計されているし、そういう風にインプットされている。今は自覚がなくとも、彼女がその力を存分に振るう事が出来る状態まで成長すれば自らその役割を理解し、行動するだろうとベリアルは確信していた。少なくとも、魔界の奉仕種族はそうだった。

 

 だが、目の前に現れた少女はそんな威厳も、貴さも感じさせない程、美しく普通な少女だった。

 

 いっそ、儚さも相まって今にも消えそうなものにさえ思えた。確かに、あれは人を狂わせるだろうと思えた。エデンの魔性は先天性のもの。美貌はその容姿だけではなく、存在として放つオーラにもある。知れば知る程引き込まれる様な、そういう魅力ある存在だ。だがそれは善も悪も同時に引き寄せるものでしかない。コントロールの出来ない魅力はただの歩く破滅だ。それを彼女は理解していない。

 

 だというのに、彼女はただの少女だった。

 

 ただの少女として愛され、これまで育ってきた……その育ちの良さをエデンの所作、言動にベリアルは見ていた。彼女は間違いなく血の繋がらない両親から愛情を受けて育った。

 

「まさしく、奇跡に等しい……だからこそ」

 

 だからこそ、と言葉が区切られる。だからこそ悩ましい、と。エデン=ドラゴンはただの少女だった。彼女にはその力も出自の自覚もない。己が何なのかを解っているようで理解していない。自分が死ねば世界が滅ぶという事さえも自覚はなく、なのに自然と災厄を引き寄せかねないものを持っている。或いはそれは、最後の龍として積み重ねられた因果なのかもしれないと思えた。

 

 どちらにせよ。

 

 ベリアルはエデンを通して自分の娘を思い出し、見ていた。姿も似ていなければ性格も一致しない。だが年頃の娘という点だけが彼に、愛娘の存在をダブらせていた。それがベリアルの神経を苛つかせ、そして精神をカリカリと音を立てて削っていた。その程度で弱るほど軟ではない。だがそれでも、わずかながらの罪悪感……それがエデンに対するベリアルの態度を作っていた。

 

「あんな娘に種の存亡を託さねばならないのか……なんという、なんという無様」

 

 無様。ベリアルが今の魔族を、その運命を考えて評する言葉がそれだった。頭を下げ、祈り、そして頼まなければ生き延びられない。武力を行使した果てに待っているのは絶望と断絶の未来だろう。それを理解しているベリアルは行き違いでエデンを殺しかけた事実に内心、焦った思いもあった。だがそれはルシファーの手によって阻止された。ルシファーとしても現時点でエデンが死亡するのは不味かったのだろう。

 

「……」

 

 とんとんとん、と指でデスクを叩く。思考は完全に職務から外れ、エデンとそれを囲む事情へと向けられていた。

 

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 十中八九、どの人物が、何の目的のためにエデンを刺したのかを憶測出来ていた。その憶測に対する自信がベリアルにはあり、それが真実である確信もあった。だがそれ以上にベリアルを悩ませるのはエデンと言う存在そのものだった。

 

 龍は龍だ―――人の姿をする必要なんてない。

 

 そもそもエデンの人としての姿はデメリットだ。社会に溶け込めるという利点を除くのであれば、龍としての姿の方が全てにおいて勝るだろう。だから龍にそもそもの機能として人に化ける能力は存在しない。その上でエデンは人の姿をしていた。人の姿をし、龍の姿を忘れて社会に溶け込んでいる。

 

「人理の神ソフィーヤ……何を考えている?」

 

 人の姿を持たぬ者に与える事が出来る者等、それこそ人の神以外には存在しないだろう。即ち、エデンの人としての姿はソフィーヤより与えられたものだろう。ベリアルはまだ見た事はないが、或いはエデンとソフィーヤを同時に見れば、2人がどことなく似ていると解ったかもしれない。それこそ、親子の様な類似性を。

 

 エデンが人の姿を得る事がなければこれほどまでに苦しむ事はなかっただろうし、これほどまでに問題は複雑化する事もなかっただろう。恐らくは秘境、人が入ってくる事の出来ない領域で静かに暮らしていただろう。だが人の姿を得た事で人の世に出る事になった。

 

 そうして、人の美しさと醜さを見つめる事となった。

 

 或いは。

 

「それが、目的か……?」

 

 自らに問う様にベリアルは呟いた。問題は多々ある。だがその中心点にいるのはエデン=ドラゴンの存在であり、彼女が全ての問題を解くための鍵でもある。その為にまずしなくてはならない事は。

 

「―――計画を、早めるしかないか」

 

 長くて後10年近くはかかったであろう計画を短縮させる。それをベリアルは覚悟した。エデンを見て、その精神性を判断し、時間をかければかける程不利になるであろうことを理解した。心証なんていくらでも覆る。だがこのままあの少女を放置していれば、勝手に苦しんで勝手に傷ついて行く。そういうヒトを、ベリアルは知っていた。

 

 だから、宣告するように告げる。

 

「貴様に負ける気はないぞ……ルシファー」

 

 窓の外を見た。今日も王都の営みは何も変わらない様に見えた。だがその水面下では確かに、この国を覆す為の準備が進められている。それを進める張本人として、ベリアルは自らの職務へと戻った。

 

 勤勉に、どこまでも真面目に。己の仕事に対して真摯で。

 

 その仕事が悪事でさえなければ、どこまでも善人だと呼べる男だった。

 

 

 

 

「―――これで動く以外の選択肢がなくなったなぁ、ベリアル」

 

 エデンの襲撃犯の正体を隠していたローブ、それを被っていた状態のルシファーは言葉と共にフードを降ろした。天想図書館、その外壁200階付近の石像に腰かけながら王都という都市を見下ろしていた。

 

「マイフレンドの襲撃事件は王都の警戒度を上げると同時に騎士団の教会に対するヘイトを上げた」

 

 憎しみが助長される。元々騎士団と教会は上手くやれていなかった。力を伸ばしたい教会と、それに反対しエスデルの自由を守りたい騎士団では絶対に同じ意見に到達する事はない。ただでさえベリアルの手によってこの国の王族が荒れているのだ。治安はそれによってある程度下げられている。騎士団が暴走する事はないだろうが、それでも衝突は増える。

 

「魔族と教会の対立も増えるが、それでは不十分だしな」

 

 だから、とルシファーは駄目押しを続けた。

 

「教会に神の声を聞ける聖女の噂を。信者達には人の世に忍ぶ最後の龍の話を」

 

 流した。流し終わった。混沌とした王都の中で真偽が不明の噂を、流した。真実であれば喉から手が出る程欲しくなるような噂だ。普通であれば嘘だと切り捨てられるだろう。

 

 だが今は本物が王都にいる。

 

 嘘であっても中身が本物であれば、いずれ辿り着いてしまう。エデンの背負う因果とはそういうものだ。ルシファーはその背中を軽く押しているに過ぎない。だがこれで火薬庫に炎が放たれた。龍、信者、教会、魔族。エスデルと言う狭い国の中で熟成された状況はこの数年中に大爆発を起こす領域にまで膨れ上がっていたが、それが暴発を起こす手前まで今、進められた。

 

 教会が真実に辿り着いて発狂するのか。ベリアルのクーデターが早いのか。信者がエデンを囲うのが早いのか。それとも、期待してもいない王子が国の主権を手にするのが先か?

 

 ()()()()()()()()

 

「そうだ、マイフレンド。世の中にある物は決して美しいものではない。辺境の輝きは綺麗だっただろう。誰もが今日という日を全力で生きている。善でなければ生きて行けない過酷さはそれこそ魂を磨く試練そのものだ。善き人々の善き世界―――だけであればなんとも素晴らしい世界だっただろう」

 

 だが違う、そうではない。

 

 世の中は間違った事の方が遥かに多い。

 

 苦しみ、悲しみ、怒り、憎しみ。負の感情とそれを伴う出来事の方が遥かに多い。その刹那に美しさを見出す事こそが真実だ。

 

 だというのに、こんな綺麗なものばかりを見て育つのは。

 

「あまりにもフェアではないだろう?」

 

 エデンが何事もなくベリアルと接触していれば恐らくエデンは魔族を助ける事を迷わなかっただろう。それは根本でエデンが辺境の生活を通して人類に対して良い印象を覚え、そして厳しい中でなお満ち足りた日々を過ごしていた事の証である。

 

 だがそれはフェアではないとルシファーは言う。世の中はそう綺麗ではない。魔界の滅びはそれこそ醜さの塊だ。見てみろ、大半の魔族は自分の行いが世界を壊したのだと理解していないし、反省もしていない。それをそのまま救ったのであれば何も変わらずに繰り返すだけだ。

 

「もっと穢れると良い、友よ。その方がもっと良く世の中が見えてくるはずだ」

 

 そう言って王都の様子を見終わったルシファーは、王都での仕事を完全に終わらせたとばかりにその場を去った。

 

 後に残されたのは。

 

 このエスデルという国そのものを呑み込む大火の火種だけだった。




 感想評価、ありがとうございます。

 今年もお疲れさまでした。また来年もよろしくお願いします。

 教会(聖女が龍だと知らない)vs
 信者(龍が聖女だと知らない)vs
 国(王族が対立しててそれどころじゃない)vs
 ベリアル(全部理解しててげっそりしてる)vs
 ルシファー(仕事終えたのでログアウトした)vs
 エデン(景品)

 という素敵な図式が今現在エスデルでは繰り広げられているんですね。この世の地獄だぁ。


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人理教会

「すいません、ここで一度降ろしてください」

 

「護衛は継続しますが……」

 

「あ、それで構わないんで」

 

 俺は御者に頼んで馬車を止めて貰い降りた。このままホテルに戻ったら陰鬱な俺の表情をリア達に見せる事になると思ったからだ。流石にこのままの状態でホテルには戻れないと感じて、歩く事にした。と言ってもすぐに戻る様な事はせずに向かう先は王都の公園だ。ホテルへの帰り道、馬車の窓から外を眺めている時にふと目に入った場所だった。或いはここはこの都市の憩いの場として市民に活用されてるのかもしれない。

 

 馬車から降りて護衛を連れ、公園へと向かう。と言っても護衛であるプランシーは俺の今の心境を察してか姿を隠してくれる。恐らくプランシー以外にも護衛はいるのだろう。軽く振り返って感覚を巡らせてみれば隠れている気配が複数存在している。ありがたい事だ、彼らの行動からベリアルが俺を気遣っているというのが本気で伝わってくる。ベリアルの言葉に偽りはない……その事は誰よりも俺が良く理解している。

 

 嘘を吐けば、その瞬間には解るのだから。

 

「あー……」

 

 妙な唸り声を口から吐きながらとぼとぼと公園内を歩く。都心にしては緑が多く、雰囲気は落ち着きがある。やはり自然の多い環境の方が心が落ち着くものがあるのだが……暮らしていた辺境と比べるとエーテルの濃度が薄く感じられる。だけどベリアルの話を聞いた後であれば納得の出来る話でもある。

 

「人の営みがエーテルを消費してるのか……」

 

 木々に囲まれる緑の上で、林の間を抜ける風を感じる。風が頬を撫でて髪を揺らす。ふぅ、と息を吐いて心を何とか落ち着ける。だが落ち着けようとしてもベリアルに聞いた話と自分が成すべき事を考えて狂いそうになる。だって、魔族は、その世界は滅びの危機にあってそれはもう救えないという話なのだから。魔族の命、星の寿命、移民政策、バラバラな心、滅んだ種族、食われる世界。

 

「……どうしたら良いんだよ」

 

 こんな事、リアにもロゼにも相談できない。相談できるわけがない。こんな事実、分け合うには重すぎる。俺と一緒に星の命運を考えてくれなんて絶対に言う事が出来ない。

 

「ソフィーヤ……ソフィーヤ様は全部知ってたのか?」

 

 宙へと向けて言葉を放つが返答はない。あの神様は何時だって大事なことは俺に教えてくれない。何時だって重要な話だけはずっと黙っているんだ。お蔭で何を知ればいいのか、何を信じればいいのかなんて解らない。突然、こんな事を言われた所でどうしようもない。

 

「ちなみに他の神々は」

 

『知ってますが』

 

「ガッデムシット。じゃあ魔族の流入は止めなかったんですか? いずれ星がそれが原因で滅ぶかもしれなくても」

 

 空へと向かって再び語り掛ける。だが今度は返事がない。出来ないのか、それともしないのか。その答えを神々はくれないが、その言わんとする事は流石に解ってくる。もう何年間も声を聴いて付き合ってきたのだ。言葉にしなくても大体伝わる。

 

「自分で考えろって事か」

 

 俺の判断で決めろって事か? 俺が最後の龍だから? いや、そもそも何で今になって俺を起こしたって話でもあるんだが。或いは俺がいなきゃ駄目って事で起こされたのか。何にせよ、世界の命運という奴は俺が考えなきゃいけないらしい。あまりにも責任が重く、そのプレッシャーを感じている部分もあるが……それ以上に現実感がない。世界の命運というのはちょっと、スケールが大きすぎる。

 

 それでも真面目に考える。

 

 星の未来を考えたら間違いなく文明のロックと人口の制限は必要だろうと思う。現状でさえ既に都心部ではエーテルが薄くなっている。それは壊滅的というレベルに届く程ではないが、それでも人口密集地では人の営みにエーテルが割かれる。その影響でこういう王都などの都心部ではエーテルが薄いのだろう。それを更に酷くしたものが魔界という世界だったのだろう。逆に言えばあの辺境の濃度と居心地が世界本来の形だったと考えると生きる為のコストというのも相当残酷な話だろう。

 

「駄目だ。どうしても悪い事ばかり考えてしまう」

 

 元々の俺の性格かもしれないが、どうしても悪い事ばかり先に考えてしまう。だからまずは考えを頭の中から振り払った。こういう時は別の事を考えるのが良いだろう。たとえば、そう……俺の仕事とか。俺が本来環境を良くし、そしてエーテルを保持する事が役割だとすればそういう能力が備わっているはずだ。少なくとも魔界にいた同種の存在はそうだったのだ。

 

「俺も意識して実行してみれば……やれるか?」

 

 寧ろこれが一番重要な事かもしれない。ベリアルの話も俺が星を救えるという大前提の上で成り立っている。そもそも俺にその能力が扱えるのかどうかという問題があるんだ。きっとできるんだろうが、今まで意識して使った事はない。なら実際、一度使ってみた方がいいのかもしれない。

 

「星を支え、癒す力か……考えて使った事はないんだよなあ」

 

 むーん、と唸りながら意識を集中してみる……が、普段出てるマイナスイオンみたいなもんを意識して増やすってどうやるんだろ? って話だ。老龍から特に話を聞いてないのが痛いかなあ、というのが率直な感想だがさて、

 

 やれる事ならやれるだろう。ちょっと頑張ってみよう。俺の肩に魔族と人類の未来が乗っかってる事だし。

 

「やり方、教えてくれないだろうし」

 

 まあ、解るよ。

 

 だって、ソ様。俺に平穏無事に生きて欲しいみたいな感じあるし。

 

 余計なことを知る必要はない。余計なものに関わる必要はない。教えない、近づけない、語らないというのはそう言う事でもある。ソフィーヤ神が俺に対して特別な感情を向けているのは解る。それが博愛なのか、慕情なのかは解らない。だがソフィーヤ神が恐らくはその立場を超えたものを俺に向けているのはきっと間違いではないだろう。

 

 とはいえ、それから逃げて生きて行く事はもう不可能だと理解している。逃げるには既に俺は知られ過ぎているし……自分が持って生まれた責任から逃げ続ける程無責任でもない。

 

 結局のところ、俺が苦しむ理由の大半は俺自身の責任感が強すぎるという点にあるんだ。もうちょっと軽く物事を捉えられればそれで良かったんだろうが、俺にはそれが出来なかった。問題や責任に対して正面から向き合ってしまう生真面目さがある。

 

 そういう意味じゃ俺とベリアルは良く似ているのかもしれない。

 

 だから軽く息を吐いて、息を少し吸い込んで意識を集中させる……やり方は知らないが、きっと本能がそれを知っている。だからまずは心を落ち着ける。日常の良い事を思い浮かべる。辺境の事を思いだす。動物たちと家族に囲まれた生活を思い出す。学園での馬鹿をやっている日々を思い出す。それが俺の心を良い方向へと傾けてリラックスさせてくれる。

 

「ふぅ―――」

 

 感じる、星の脈動を。足元に流れる星の命を。エーテルとは星の命の流れ。星が吸い込んで生み出すモノであり、この星に生きる生物全てが必要とするもの。つまりシステムとして星はそれを生み出す事が出来るようになっている……植物が酸素を生み出すのと同じように。そして龍とは星の触覚、星の一部。自然を司り自然と共にある命。だったら俺にもできる筈だ、エーテルを生み出す環境を癒すという行いが。

 

 静かに集中するように意識を星に巡らせて―――エーテルを感じ取った。

 

「出来た」

 

 新鮮な風が王都に吹く。大地の流れを感じ、エーテルを活性化するように存在そのものを補強し、増やす。意外と簡単に出来たなと思いながら営みによって減っていたエーテルの存在を引き上げた。劇的なものではないが、それでもエーテルに敏感なものであれば気づく程度にはこの王都に満ちる空気が良くなったのを理解できるだろう。

 

 都会の空気は不味いけど田舎の空気は美味しい。そういうのが解る程度の違いだ。だけどこの積み重ねが星を救うというのであれば、俺は今星を救う為の一歩目を踏み出しているという事なのだろう。体に絡みつく様に抜けて行く風の感触に目を細め、流される髪を耳の後ろへと流しながら空を見上げた。近くで事の成り行きを見守っていた鳥たちが集まり差し出した手の上に止まる。嬉しそうに、歌う様に鳴く鳥の頭を軽く掻いて息を吐き出す。

 

「世の中、これぐらい簡単だったらいいのに……」

 

 俺がこうやって星を救う力を行使しても、その真実を信じない・辿り着けない人間がいる限り俺は正体を隠し、そして潜んで暮らさなきゃいけない。別段、人前で派手に生きるのが好きという訳じゃない。寧ろひっそりと静かに暮らしている方が好みなのは事実だ。それでも常に命を狙われている可能性がある人生は酷く疲れる。

 

「どうしたら良いんだろうな?」

 

 俺の言葉に指に止まる鳥は首を傾げる。それに微笑みながら顔の傍まで寄せて可愛らしさを堪能しようとすると、護衛の動く気配を感じた。今この瞬間まで姿を隠していたプランシーが出現すると俺の横に立つ。そしてその動きと同時に、男の声が林に響いた。

 

「―――美しい」

 

「え?」

 

 声のする方、プランシーが遮るように立つ先には1人の男性の姿があった。白をメインとした服装にパーツで装着されている鎧は気品を感じさせるものであり、同時に鎧に刻まれた聖なる紋様から男がどこに所属する者なのかを一目で理解させられる。

 

 鎧に刻まれた聖印はソフィーヤのもの、男は人理教会の騎士だ。

 

「エデン様ご注意を、人理教会の聖騎士(パラディン)です」

 

「パラディン?」

 

「剣術と魔術を組み合わせて戦う教会所属の騎士の事です。神により与えられた魔術を使う事に長けている優秀な戦士です。人理神の魔術の特徴は支え合う事、融和する事。性質上回復の奇跡が多く、優秀な聖騎士は自己回復能力を高めどれだけ傷ついても自己回復力で戦局を乗り切れる恐ろしいバーサーカーです」

 

 プランシーが宗教戦士をバーサーカーだと言い切った。

 

「まあ、宗教戦士って大体バーサーカーだもんね」

 

「はい……」

 

 しみじみと同意するように小さな声で答えたプランシーにくすりとしながらも、視線は青髪の聖騎士へと向けられた。その視線はプランシーを超え、俺へと向けられている。いつの間に林の近くまで来ていたのかは解らないが、恐らくは単純に俺が集中し過ぎていただけなのだろう。ここが公共の場だという事を忘れていたのが馬鹿だった。

 

 ―――だが、聖騎士の方が遥かに馬鹿だった。

 

 ゆっくりと近づいてくる姿にプランシーが警戒をあらわにするが、聖騎士は10歩ほどの距離まで近づくと膝を折り、そしてどこからともなく花束を取り出した。

 

「貴女に恋をしました、どうかこれを受け取って欲しい」

 

「その花束は常備されておられるので??」

 

「どうか、どうか貴女の名をお聞かせ願いたい」

 

「ひ、人の話を聞いてない……!」

 

 軽い恐怖を感じている俺の前にプランシーが立つ。護衛なんて本当に必要なのか? なんて思ってたりしてごめんなさい、今俺の前に立つ彼女の姿は物凄く頼もしく見えた。守るように視界を遮って立つプランシーは片手を剣にかけながら警戒する姿をわざとらしく見せる事で警告している。

 

「此方のお方はさる高貴の身故、易々と語る名を持たない。貴公、礼を見せるのであればまずは名を名乗ると良い」

 

 プランシーの言葉に聖騎士はおぉ、と声を零しながら立ち上がる。

 

「これは誠に失礼した。息抜きに散策へと来てみれば林の中で女神を見つけてしまい、どうも興奮を隠せずに逸ってしまった。非礼を詫びよう、まことに申し訳なく思う」

 

 優雅に一礼を取った聖騎士の所作はほぼ完璧だ。身のこなしの一つ一つが社交界等を経験した人間が持つ、相手に見せる事を意識した動きの取り方だった。俺やリアが苦手とするタイプの人間、そして動きだ。

 

「私はエルマー・アストリッド、人理教会に席を置く聖騎士のはしくれだ。あぁ、どうか怯えないで欲しい美しい君よ。私は文字通り貴女に心を奪われたのだ。例え貴女が異種族であろうとも、私は貴女を害する事だけはあり得ないだろう……私の魂と神に誓い、絶対に手を上げる事はしない」

 

 花束を抱えた聖騎士、エルマーはそう言ってくるが、どうにも信用がならない。とはいえ、彼の言動に今のところは嘘を感じ取れないのも事実だ。だとしたらこの男、純粋に俺に一目惚れしたという事なのだろうが、困る。

 

「えーと、その話は解ったんだけど。そう簡単に受け取れないというか」

 

「あぁ、申し訳ない。貴女を困らせてしまった―――」

 

 ふぅ、とエルマーは数歩下がり、困った様に手を頭に当て、数秒間考え込み、ふと、名案を思いついたように顔を上げた。腰からつるす剣に手を伸ばす姿にプランシーもまた剣の柄を握った。だが俺達の全てのアクションは次の瞬間の男の行動によって全て抜け落ちた。

 

「良し、腹を斬ろう」

 

「は???」

 

「これを私の精一杯の謝罪とさせて欲しい―――!」

 

「うわあああああ!? 誰かアイツを止めろ!!! 止めてくれ! やりやがった! マジでやりやがったアイツ!!!」

 

 良い笑顔で迷う事無く剣を自分の腹に突き刺した聖騎士の姿を見て、そんな事を叫んだ俺は何も悪くない。




 感想評価、ありがとうございます。またあけましておめでとうございます。

 その頃の真竜たち。

真竜「!!! ごすずんの気配! ごすずんの気配! 祭りだ祭りだ! ごすずんの元へ馳せ参じろー! うおー!(巣を飛び出す音」
龍殺し「えいえいむんっ」
真竜「うおー!!!!!!!!!(爆速で巣へと引きこもって行く音」

 今年もよろしくお願いします。


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人理教会 Ⅱ

「いやはや、実に申し訳ない。私としてもそこまで脅かすつもりはなかったのだ。身内では良くやっている事で忘年会では度々披露していたのだがね」

 

「身内の! ノリを! 持ち出すな!」

 

「まさしく、実に仰る通りだ女神よ」

 

 はっはっはと悪びれもせずに笑っているエルマーは大事を取って無理矢理近くのベンチに座らせた。この男に悪意も害意も存在しない事は既に俺が理解しているが、それでもプランシーは警戒を解くような様子はなく、表面上は柔らかくしていてもその下では常に警戒状態にあった。実際の所、人理教会の聖騎士というのは俺の天敵とも言える連中なのだから。過去、龍を人が狩っていた時代、最も多くの龍殺しを輩出したのは人理教会の聖騎士たちなのだから当然と言えば当然だろう。

 

 ―――まあ、《先生》は教会にも属していない野良龍殺しだったらしいが。

 

「はあ、本当にびっくりさせないでくれよ? 血とか見るのは嫌いなんだ」

 

「我が女神は争いを好まぬと。ならばさぞ、この世は生き辛い所でありましょうな」

 

 エルマーの率直な言葉に俺は苦笑いしながら頷く。

 

「とんでもなく生き辛いよ。どうしてこうも人は争うんだろう、って暴れるのを見る度に思うよ。そして傷つけなければ生きて行く事も出来ない事にも嫌気が差す。これ、見えるだろう? これが原因で仲良く出来ない人たちだっている。……まあ、アンタみたいな奇特な奴も世の中にいるんだけどさ」

 

 自分の頭の角を指し、話を続ける。

 

「でも結局、人と人が争わずにいられるか……って話をするとそれは幻想だって事になるんだよな。なんだろうな……神様、人間の作り方間違えちゃったのかな。それとも解ってて愚かに作ったのかな。どう足掻いても、絶対に争う様に出来てるよね」

 

「人は、満たされれば争わないのでありませんかな?」

 

「人間が満たされる事はないよ。絶対に」

 

 それだけは断言する。空へと向かって手を伸ばせば、そこに鳥たちが集まり、一羽の長い尾の鳥が指先に止まる。それをゆっくりと顔の近くまで運び、空いている片手で首筋を撫でてから空に放ってあげる。

 

「人の欲に終わりはない。魔族が終われば異種族の排斥が始まる。亜人や獣人、異種族の排斥が終わったら次は肌の色で争うんだ。お前は肌が黒い、お前は肌が赤い、お前の肌の色は……本当にくだらない小さなことでレッテルを貼り合ってどっちのが優れているのかって事で永遠に争い続けるんだ。何時か争う事そのものが目的になっている事に気づかず」

 

 あぁ、本当にどうしようもない。

 

「人類はそうなるよ。断言する」

 

「エデン様……」

 

 手を降ろしてプランシーへと視線を向ければ、気遣う様な視線が向けられている―――だけどお前も、その一部だって事を忘れちゃ駄目だ。お前だって俺達の世界に来て居場所を求めているんだ。死にたくない、生きたい、もっと良い暮らしが欲しい。そういうエゴイズムの塊が人間という生物だ。ある意味では誰よりも、何よりも意思に溢れた生命、それが人類という種なのだろう。

 

「止めだ止め! 悪い変な話をした。それにアンタだって、聖騎士なのに俺みたいな異種族と話していても気持ち悪いだろう。お互い、会わなかった事にしてこの場は去ろうぜ」

 

 ベリアルとの話の後で変にセンチメンタルな気分になっていたのが悪い。肩の上に止まった鳥が首を傾げながら大丈夫か、と聞いてくるのに撫でて答える。ちょっとだけ気分は滅入っているが、目の前の愉快な存在のおかげでちょっとその気持ちも晴れてしまった。そんな渦中の人物は頭を横に振った。

 

「いいえ、私の事はお気になさらずに。人理教会と言えども派閥は多く、別に全てが異種族を疎んでいる訳ではありませんからな。かくいう私も別段主流派という訳ではないので」

 

「主流派?」

 

「おや、ご存じではないのかな? まあ、確かに教会内での派閥争い等首を突っ込むだけ損というものだ。貴女のような美しい人がそれを無理に知る必要もないだろう。私個人の意見から言わせてみればなんともまあ、無残なものだとしか言いようがないものだがね」

 

「無残? 派閥争いが?」

 

 エルマーの言葉に鳥と一緒に首を傾げながら視線をプランシーへと向けた。

 

「プランシーさん、知ってる?」

 

「あまり詳しい事は……ただ人理教会はその組織としての規模が国家クラスにまで肥大しています。その影響で内部でもどう運営するかで割れるという話は聞いています」

 

「然り、然り。主流派、融和派、源典派、派閥一つとっても様々な種類と方向性がある。まあ、主流派が異種族の排斥を唱えている時点で全体等どう見たものか解り切った物だと私は思うがね。実に、実に見苦しいものだよ、それはもう」

 

 楽しそうにエルマーは自分の所属する教会の腐敗を語る。

 

「果たして真にソフィーヤ神の意思を感じ取れる聖人等どれほど残っているのだろうか? 最後に神託を受けてから果たして何年経過しているのだろうか? 我々に伝えられている神託が真実であるとは限らない。それを疑う程に教会は腐敗してきている。だが教会は、教団は何も変わりはしない、何故か解るかな?」

 

 エルマーの言葉に少しだけ目を瞑り考え……思いつく。

 

「究極的に誰も困らないから」

 

 エルマーの頷きが俺の答えを肯定した。

 

「人理教会がどういう派閥で割れようと、最終的に異種族に排他的なのが大多数なんだから、内部でごたついても全体として目的が達成されればいいんでしょ」

 

「然り、然り。そういう意味では今の人理教会は非常に強い。結束力はそれこそ過去と比べれば非常に弱くなったでしょう。だがその人員は、信徒の数は膨大である。それこそ国家という形態をとれるレベルで。末端にいる人間は己の行い、信仰に疑問さえ覚えないでしょうなぁ。そして疑問に思う事もなく言われるがままの信仰に生きるでしょう。それが宗教国家というものであるが故に」

 

 肩をすくめる。宗教国家、聖国、人理教会。

 

「龍を狩った事で地上の覇権を得た、か」

 

「えぇ……果たしてそれが正しかったのかどうかなんて今の人は考えすらしないでしょうが。それでも悪は討つべしという考えは古来からある物ゆえ、それを疑うなんてとてもとても」

 

 エルマーの物言いに首を傾げる。

 

「エルマー……さん、割と懐疑的というか人理教会全肯定するタイプじゃないんだな」

 

 聖騎士の男は俺の言葉に微笑み頷いた。

 

「我が女神よ、私はこう見えて人理教会の穏健派でしてな。別段闘争のみを融和の手段だとは思っておりませぬとも。寧ろ異種族だから、異世界の住人だからと積極的に排他的な姿勢を見せる事は非常に危ない事だと思っておりますとも。そのような事、常識で考えれば解る事でありましょう?」

 

「言い方が一々怪しいんだよアンタ……」

 

「はっはっはっは」

 

 はあ、とため息を吐く。俺が思っていた以上に人理教会という組織は複雑だったらしい。全ての信徒の意思が異種族、ドラゴンを殺す事で統一されている激ヤババーサーカー集団の様なイメージを抱いていたのだが……そう言えばこいつらの神様ってソフィーヤだもんな、と思い出す。信奉する神がアレなら本質的に正しい信者はあのアレっぽい生き物に反応や考え方が似るのかもしれない。

 

 ソフィーヤ族が増える事をあんまり考えたくない俺はそこで考えを一旦打ち切ることにした。あの過保護無言神と同じジャンルの生物が増えるなんてとんだ悪夢だ。考えを振り払う様に頭を横に振る。気分転換に公園に来たが、そこで余計な時間を食ってしまった。気分転換という意味ではこれ以上なく十分だった気もするが。

 

「ま、人理教会の事は解った。思ってた以上に知らなかったってのを理解したよ。なんというか……どこも大変なんだな」

 

「大変、とは?」

 

 聞き返してくるエルマーに対してん? と首を傾げながら答える。

 

「だってそうでしょ? 教会には教会の都合があって、エルマーさんだってそれに巻き込まれているんでしょ? 人理教会とは……まあ、個人的には仲良く出来そうにないけどソフィーヤ神自身が悪くない事は知っているし。それでも皆必死に生きているじゃないか」

 

 そう、悪意がある訳じゃないんだ。今の時代、皆生きる事に必死な結果魔族と人類の対立が見えているんだ。そこに悪意と呼べるものは一切存在しない。もし、そこに何か問題があるとすれば……どっちも必死で、そしてどっちも愚かだって事なのだろう。結局のところ魔族の愚かさも、人の愚かさも本質そのものに違いはないのだ。

 

「今日を、明日を必死に生きている命を否定出来る事なんて何もないよ。命そのものに色はないし、種族がどうとか、全部くだらないよ。人の形、肌の色、そんなので種族がどうとかこうとか、命があーだこーだ語るだけくだらないよ。命は所詮命だし、そこに違いなんてないんだ」

 

 だから思うのだ、大変だな、と。

 

「きっと俺が理解できる事じゃないけど、エルマーさんはエルマーさんで頑張っているんでしょ? そうじゃなきゃ聖騎士なんてなれないだろうし。だからまあ、俺が知らない諸々を含めてお疲れ様って事で」

 

 手をひらひらと振るとそれを驚いたような表情で見られた。はて、何か俺はおかしなことを言ったのだろうかと考え込むが……ちょっと、ぶしつけだっただろうか? いや、そもそも初対面の相手に対してちょっと失礼な行動をとってるかもしれない。ナチュラルな態度で他人と接するのが割と染みついているというか、敬語なしで話す事が割と普通になっているかもしれない。

 

 まあ、大体神々とのオラクルがカジュアルなのが悪いと思う。

 

 ……むむむ、直すべきか。

 

『私は直さなくても良いと思います。えぇ、エデンはそのままが素敵だと思います。えぇ』

 

 信徒の話の事だと全く会話に混ざらない癖に、自分とのコミュニケーションの話になった途端口を挟みこんでくるソで始まる神のスタンスに呆れながらも安心感を覚える。所詮は最大宗派と言ってもこの神よ。ソフィーヤ神がこんな調子だから俺もこんな風に育ってしまったのかもしれない。うーん、と小さく唸りながらどうしてくれようかこの神、等と考えているとエルマーが貴女は、と言葉を区切った。

 

「貴女は、人の()()を信じているのですね」

 

「人の……善さ?」

 

「善良性、人はその心底では善い存在である、と。性善説とも言える考えをお持ちの様だ」

 

「うーん……どうだろうなあ……」

 

 エルマーの言葉に俺は思考を巡らせる。果たしてどうだろうか、俺は人間が善いものであると信じられているだろうか? 人が善いものだと思っているだろうか? 俺はこれまで見て来た人間を思い出す。

 

 グランヴィルの善き人々、辺境の必死に生きている人達、我が幼馴染たち。誰もが善き人々だと言えるだろう。だけど世の中は決してそれだけではない。狼たちの様に生きるのに必死で、それが報われずに死んでしまう事もあるし、もっと良い生活が欲しいから村を襲った連中だっている。俺も、領内の盗賊や山賊たちをサンクデルの依頼を受けて殺したことがある。

 

 それだけじゃない、マフィアの様に悪いことを進んでやる奴らだっている。人が善き存在か? そう問われると俺は首を横に振るしかないだろう。 

 

 でも、そうだなあ、と声を零す。俺が思い出すのは愛しの妹分の存在だ。リア―――グローリア、俺の誰よりも愛しい妹の様な娘。心の底から愛している人。降り積もったばかりの雪の様に純粋無垢な心の娘。彼女を見ていると、信じられる気もする。

 

「悪いことをする人だっているし、世の中善い事よりも悪い事ばかりだ。人は進んで誰かを傷つけるし、そのせいで世の中乱れている。人を傷つけ、貶めた報いは常に降りかかる訳じゃない。だから誰かから奪って生きて行く方が遥かに簡単だって事も解っている。守る事よりも壊すほうがずっと楽だって事も。けど……」

 

「けど?」

 

 俺は、思うのだ。確かに苦しい事ばかりだけど、

 

「人は善いものだと、そう信じて生きて行く方が希望が見える、かなって」

 

 少し言葉が恥ずかしくて照れるようにはにかんでしまう。だけどそれに対してプランシーも、エルマーも何も言わずにしばし無言を保ってしまう。それに気恥ずかしさが先だってしまい、視線を逸らす。

 

「ごめん、やっぱり変な事を言った」

 

「いいえ、いいえ。私は素晴らしい言葉だと思いますとも。現実を知ってなおもそう言えるのであればそれはもはや、一つの信念であるとも。えぇ……全て知った上でそう言えるのであればこの上なく美しい心の持ち主なのでしょう、貴女は」

 

 笑わず、真摯に向き合う様に答えてくるエルマーを俺は直視しない。恥ずかしい事を言った自覚はあるし、自分の中にある考えが少し纏まった気もしていた。美しい心なんて言われているが、それは単に俺が甘く、他人よりも力が強くて、特別な能力があるからこそだ。

 

 本当に世の中の全てを理解しているつもりにはなっていない……それでも人は愚かだと、悪いものであるとそう思って生きて行くよりも本当は皆、心の底に光を抱えている。それが今は翳っているのだと信じた方が希望がある。

 

 だって、本当にそこに光も何もなければ……この世はもうおしまいだ。俺が頑張って救おうとする意味もないし、そんな世界でリアが生きて行けるとは思えない。人は間違いなく悪だが……それはそうなる必要があるからと思いたい。

 

「……うん、そうだね。魔族も、異種族も、何も変わらない人だもんなぁ」

 

 呟きながら遠くを見つめる。本質的に人として何も違わないのであれば、種族がああだこうだと言うのも馬鹿々々しい話だよな。

 

 ……魔族の未来とこの世界の未来の事、もうちょっと考えるべきなのかもしれない。

 

 人理教会、魔族移民問題―――そして龍の未来。

 

 それぞれの立場、問題、それをもっと知るべきなんじゃないか、不意にそう思った。俺は知らない事が多く、それぞれの視点からもっと物事を見るべきなんだと。もっとこの世界の事を知るべきなのかもしれないのだ、と。

 

 それがきっと、明日を良くしてくれる筈だ。

 

 それが俺にしか出来ない事なら―――俺がやるべきなのだろう。




 感想評価、ありがとうございます。

 もう解っている人も多いですが、エデンちゃんは根本的に性善説の論者です。人の奥底にはあるのは善性であるという事を信じています。彼女が特別苦しむのも究極的には人は最後は善い方向に進んでくれるという思いというよりは願いがあるからです。

 まあ、人にそんなもんはないが。


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人理教会 Ⅲ

「―――リア疲れたよー!」

 

「お帰り、よしよし」

 

「本当にどっちが姉役でどっちが妹役なのか解らなくなるわねこの姉妹……」

 

 ホテルに戻ってまずリアの胸元に飛び込んだ。その様子にロゼが呆れた視線を向けてきているが、それをガン無視してリアに抱き着く。なるべく衝撃がいかない様に減速して膝を折って抱き着く事を忘れず、抱き着くとリアが頭をよしよしと撫でてくれる。真っ黒で恐ろしい人間ばかりを見てきたせいか、リアの存在感だけで削れたSAN値が音を立てて回復するのを感じている。やっぱりリアのいる場所が自分の居場所なんだなあ、とリア力を吸収しながら感じる。

 

 そうやってしばし精神力を回復しているとそれで、とロゼが言葉を置いた。

 

「どうだった?」

 

「どう、って言われてもなあ」

 

 むーん、と口から声を零しながらリアを持ち上げてソファへと向かい、腰を下ろす。成すがままにされているリアはそれで良い様で、特に抵抗する事もなく俺の抱き枕としての仕事を全うする。リアを後ろから抱き寄せる様にソファに座りつつ、顎を頭の上に置いてもう一度唸る。その様子を見てクレアが首を傾げた。

 

「もしや、何か良くない事でも?」

 

「いや、別にそういう訳じゃないんだけど……説明に困るなあ」

 

 頭を軽く掻く。魔族との話には俺が誰であるか、どういう存在であるかというのが深く関わっているのだ。だから全てを説明しようとすると、俺が龍である事をロゼとクレアに明かさなくてはならない。無論、そんな事は出来る筈もないのでちょっとした面倒になるのだ。だからどうやって説明するかを悩んでいるとロゼが助け舟を出してきた。

 

「まあ、言いづらいなら別に気にする必要はないわよ。でもエデンは自分の生まれや立場みたいなものを把握してるのよね?」

 

「それは問題なく」

 

「で、私達から離れたりは?」

 

「しない、しない。俺の家はグランヴィル家だし、帰る場所はここ。他に行く場所もなければどっか行く予定もないよ」

 

「私がエデンの帰る場所です」

 

 むんっ、と表情を作るリアの様子に笑みを零し、頬を擦り付ける様に顔を寄せる。リアもくすぐったそうに眼を細めながらも此方に顔を押し付けてくる。呆れた表情を浮かべるロゼは俺達の仲の良さを見て溜息を吐きつつ、

 

「なら別に良いわ。今回の旅行だって私達は便乗してるだけだし。エデンにはエデンの事情があって、それを幼馴染だからと言ってなんでもかんでも知ろうとするのはまあ……ちょっとした独占欲よね」

 

「悪いな。でもあんまり口外したくない内容だったんだ。別段悪い事があった訳じゃない、というか頭を困らせる内容というだけで寧ろ良い部類の話だったんだけどなぁ。それとサービスは継続、王都滞在の間はずっと面倒を見てくれるってさ」

 

 内容は濁すしかない。魔界の事情、ベリアル=ギュスターヴの正体。とてもじゃないが言葉で語りつくせる事ではないのだ。だから話した内容を濁して結果だけを伝えればそう、とそっけない返事が返ってくる。まあ、ロゼとしてもそれぐらいの反応しか見せられないだろう。

 

「私達にはありがたい話ね。それで、今後の予定は?」

 

「特になし。基本的に相手方は拘束するつもりもなく自由にやって欲しいみたいだよ」

 

「実質的にエデンが接待されている、って訳ね―――結構必死なのね、そのベリアルって人は」

 

 ロゼの言葉にん-、と声を零しながら角を掻く。実際のところ、ベリアルは物凄い必死なのだろう。世界の移住を果たした所で見たのは生命線が断たれそうな現実であり、間違った方向へと進みそうな世界だ。Out of the pan, into the fireという言い回しがある。言ってしまえば一難去って一難という事なのだが、表現としてはフライパンから脱出した先は炎の中だった、という形だ。

 

 今、この状況におけるベリアルを的確に表していると思う。逃げてきた先でまた災難に見舞われている状況はまあ、同情しなくもない―――だけどベリアルの理屈は彼の同胞達の為の理屈であり、完全に同意できるのか? と言われたら中々難しいものがある。実際のところ、俺の力と意思でどこまでやるかという話に関しては悩んでいる部分が多い。ロゼのベリアルが必死という事に関してはまあ、そうだな……という話だ。

 

「まあ、接待されている間はそれで良いと思うよ、俺は。別段接待されて悪い事とかはないし」

 

 そこは嘘だ。ベリアルは悪だ。あの男は恨まれているし、敵が多い。だが全力で俺のガードに入っているからもう、危険はないだろうと思う。少なくとももう二度と入らない様に対策しているはずだ。あの男の必死な言葉を聞けば嫌でも本気だと解るのだから。ロゼとリアには純粋にこの王都観光をそのまま楽しんで貰いたい。俺も出来るならなるべく楽しむ方向性で進めるつもりではある。

 

 ……まあ、やるべきタスクが増えたのは事実だが。

 

「じゃあ、ゆっくり出来るんだね?」

 

「そうだね。ベリアル氏にはまた今度話を聞きに行きたいけど、それを抜けばほぼフリーかな」

 

「なら良し! まだまだ行きたい所がいっぱいあるから行けるね」

 

「エステとかサロンとか、王都のはちょっと行ってみたいわよね。まだ人気のお店とかも回れていないし」

 

「折角多めに予算組んできたんだからたっぷり買い物したいよね!」

 

 流石生まれも育ちも女の子の2人、ショッピングというだけで非常に楽しそうになれるのは男では中々解りづらい感覚だ。俺も洋服を増やしたりするのはそこそこ好きだが、それでも本物の女の子達と比べれば物欲というものは薄い。リアやロゼほど俺はショッピングに情熱を燃やす事は流石に出来ない……いや、別に可愛い服とか綺麗な服とかが嫌いなわけじゃないんだけど。

 

 感覚的に、人形を飾ってるような感じなんだよな。

 

「ま、とりあえず一番面倒な用事は終わったし、もう心配しなくてもいいよ。これで漸く天想図書館を見に行けるわ」

 

 部屋の窓から外を見れば王都の中央にそびえる天想図書館の姿が見える。雲を突き抜けて伸び続けると言われる塔の頂に到達した者はおらず、そしてその頂点を見た事のある者もいないと言う。だがそこには求められる限りの全ての書物が存在すると言われている。龍の事を調べるのであれば、間違いなくここしかないだろう……何せ、身近で知っている神達は誰も俺に龍の事を教えてくれないのだ。

 

 自分で調べるしかねぇ! となるのも当然の話だ。

 

「あー、そう言えばそんなものもあったわねぇ。正直物騒だし余り興味ないのよね」

 

「はい! 私ありますっ! あるよっ! 登ってみたい!」

 

「天想図書館はグローリア様はおやめになった方が宜しいですよ。あそこは毎年何人もの未帰還者を出しているダンジョンですので」

 

 ぶーたれるリアを前に俺は苦笑する他ない。安全が確保できるなら連れて行きたいところだが、一度も挑戦したことのないダンジョンに連れて行くだけの無謀さは流石に無い。ダンジョンという場所は掛け値無しに危険なのだ。ただでさえ俺を襲撃した奴がまだ発覚しておらず、この王都で野放しになっている状態なのだ。出来る事ならリアをそういう危険な目に遭わせたくはない。

 

「えーと……確か図書館は本を求めるとその本の希少性等に合わせて階層や形を変えて挑戦者に試練を与えるんだっけか?」

 

 俺の言葉にクレアが頷く。

 

「はい、そうです。図書館は求める本を与える場所ではありますが、それを手にするには図書館の与える試練を乗り越える必要があります。希少であればある程図書館の階層は増え、そして課せられる試練も苛烈なものになるそうです。それこそ希少な古書であれば優に100層を超えるのが普通だとか」

 

「その希少性ってのが今一解りづらい単位なんだよな」

 

 珍しいから難易度が上がる、って完全に図書館側の基準なんだよなぁ。一体どういう……というよりは誰の判断によって本の希少度が決定されているのかは気になる所だ。そもそも誰によって図書館が運営されているのか、という事自体まだ解明されていない。ああ、判明したらしたでまた一つの波乱が起こりそうな気もするから別段解明したいって訳でもないんだが。

 

「図書館に関しては俺がまた後日調べてくるよ。それはそれとして、今日はこの後どうする? 予定は何もないけど」

 

「流石に貴女が疲れているだろうし、どっかに出かけるってのはね? 貴女抜きで出かけて気分が悪くなるの私達だし」

 

 ロゼの労る様な言葉に苦笑を零す。別段、そこまで気にする必要はないんだが、そうやって労ってくれるのなら素直に恩恵にあずかろう。力を抜いてソファによりかかればぐりぐりとリアが頭を押し付けてくるのを片手で撫でる。満足げな息を零すリアに小さく笑い声を零しつつロゼを見て、視線を合わせて微笑んだ。

 

 まあ、考えてみればそうだ―――この旅における最大の難所は超えたと言ってもいいんだ。元々この王都滞在は中央でベリアルと会う為のものであり、この後選択に対する答えを出さないといけないという事さえ抜きにすればほぼやるべき事は終わっているのだ。それが一番憂鬱であるとも言えるかもしれないが、それを乗り越えてしまえば残すはただのサマーバケーションだ。

 

 振り返ればスケジュールや事情に追われてばかりの時間だった。だがそれももう終わりだ。これから漸く羽を伸ばして王都を楽しむ事も出来る。確かにショッピングも良いが、王都には大きめのシアターもあって演劇を楽しむ事も出来る。ここは一つ、文化の最先端らしい出し物を楽しむ事も大いにありなのかもしれない。

 

「じゃ、今日はのんびりして……明日は劇場にでもいかない?」

 

「劇場……何か演目やってたっけ?」

 

「“白騎士と黒騎士”って演目が今は人気があるって聞いたわよ。王子とその騎士が大国に攻め込まれて逃げ延びるしかなかったけれど、隣国に逃げて再起を図り、散り散りになった家臣団を集め直して国を取り戻すって話」

 

「結構壮大だな」

 

「確か3部構成だった筈よ」

 

「へぇ」

 

 文化が違うからポップコーン片手に、とは行かないだろうが映画を見るのと同じような感覚では楽しめそうだ。演劇とは言うものの、この世界の演劇と言えば魔法等を演出に使っているから地球の演劇よりも派手で、演出もCGではないリアリティのあるもんだったりする。

 

 ……噂では流血描写も魔法で治療できるからマジで斬ってるところもあるとか。演劇だけじゃないけど、自分の仕事に熱意を詰め込む人間のやる事は偶に頭がおかしく見える。

 

 そんな風にこの一日は終わりを告げて行く。

 

 ベリアル=ギュスターヴとの対面に人理教会の聖騎士との出会い、1日で経験するには中々ヘヴィな内容だったが、喉元を過ぎ去ればその熱も感じられなくなる。後はゆっくりと自分の心を落ち着けながら何をすべきか、どうしたいのかを考える時間だ。

 

 少なくともこの夏いっぱいは時間はある。ベリアルは答えを急ぐつもりもなければ、強制するような様子もなかった。魔族の未来に関わる話はこの星の未来に関わる話でもある。俺が将来どうやって生きて行くのかを考えた上でこの判断はしよう。

 

 ゆっくりとした時間をホテルで過ごしながらそんな事を考えて、翌日の事に胸を躍らせながら眠りにつき、

 

 ―――そして翌日。

 

 気持ちの良い朝、劇場へと向かおうと意気込む中で、プランシーが部屋までやって来た。その様子からもう既に嫌な予感しか感じられなかったが、その予感は見事プランシーの言葉によって証明されてしまった。

 

「申し訳ありません、出来れば今しばらく外出は待ってください……その」

 

 実に困ったような表情でプランシーは言葉を続ける。

 

「エデン様が、龍信者であるという話がどこからか出てきているようで、人理教会の者が今ホテルのロビーにまで来ています」

 

「それは新手のギャグかな」

 

 信者じゃなくてご神体なんですが。




 感想評価、ありがとうございます。

 ポケットマスター・レジェンド アーゼウスを遊んでました。トレーナーにダイレクトアタックするとポケモンがうぃぃーんがしゃん、がしょーんと変形してアーゼウスになるオープンワールドゲームは面白ですね。


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人理教会 Ⅳ

エルデの獣を倒してきたので更新再開です。


 ソフィーヤの信者と言えば神本人、或いは本神のポンコツっぷりからこう……あまり頼りにならないイメージが湧きそうだが、最大宗派という看板は決して偽りじゃないのだ。

 

 竜に対する殺意や異種族に対する排斥によるイメージの悪さは付き纏うが、そもそもこの世界自体の最大人口を担っているのが純人種なのだから、そこまでそれもマイナスという訳ではない。この世界全体で人類の覇権、安全領域を得るうえで一番活躍してきたのが人理教会であり、この宗教がどれだけ明日の平穏の為に屍を積み上げてきたかという事を考えれば、その存在の全てを責める事も難しいだろう。実際のところ、彼らの活躍が無ければ国家単位を亡ぼす様な怪物が野放しになっていたことだろう。俺が龍だからこそ余り良い印象を持っていないが、そういう総合的な人類に対する貢献度で言えばダントツだろう。

 

 ただそれで異種族へと向けられているヘイトが無くなる訳じゃない。そもそもこの人理教会自体、もうソフィーヤの声が届いていないらしいのだから本当の意味での信仰は死んでいるのかもしれない。彼女の―――あのポンコツの声が聞こえていればむやみやたらに竜狩りしてたりするはずがないのだから。

 

 だから俺の人理教会に対する感想は“頼むから近づかないでくれないか?”という言葉に尽きるのだ。近づいた所でメリットはないし、関われば関わるだけ俺の正体が露見するリスクというものが増してしまう。その事を考えると当然ながら接触というものをなるべく控えたいのだが……今回に限ってそれは無理だった。俺が異端の疑いをかけられたという事は半ば死刑宣告に近いだろう。

 

 何せ、法整備こそされていても、地球の近代国家レベルのモラリティを求めるのは難しい。

 

 嘘か本当か、その証拠なら魔法を使えばかなり自由にでっち上げられるし、証言や証人の真実性なんてどうすれば保証できるんだって問題もある。基本的人権なんて言葉、この宗教が政治に食い込みやすい世の中においては中々信頼するのは難しい概念になる。だから人理教会の俺を名指した異端の疑いがある、という宣告はつまりお前を異端にする準備はあるんだぞ、という宣告でもあるのだ。

 

 まあ、実際のところ異端どころかご神体なので疑いもクソもないんだが。

 

 頭を抱えるロゼに首を傾げるリア、そして申し訳なさそうにするプランシー。突然の宣告に対する困惑と頭痛は当然の結果でもあった。だから俺は片手で頭を抱えながらあー、と声を零した。

 

「えーと、でも人理教会は法的な力を国内では持てなかったはずだよな?」

 

「はい、そうなります。エスデル王は賢君ですね、政治と宗教が癒着した結果どうなるのかを良く理解しておられます。合理ではなく信仰で政治の舵を切ってしまえば残されるものは無法だけです。神の名の下、あらゆる行いが肯定されてしまいます。そうなればもはや何を崇めているのかさえも解らなくなってしまうでしょう」

 

「今の人理教会の事だな」

 

「……かなり危険な発言なので、出来れば外では控えてくだされば」

 

 プランシーにサムズアップを向けて解ってると伝える。少なくとも表立って批判なんてするもんじゃない―――街中で暗殺とかがあり得る世の中で、どんな発言が命取りになるとかマジで解る訳もない。それはそれとして割と頭を悩ませる状況だ。

 

「貴女……何をしたのよ」

 

「はあ? 俺が何かやった事前提? いや、割と真面目に何かやった覚えはないんだけど……あっ」

 

 プランシーの方を見ると、静かに頷かれた。そう言えば人理教会と魔族はバチバチに睨み合ってるし、そんな状況下でベリアルにVIP待遇でエスコートされて会いに行けば当然だけど睨まれるか。睨まれるにしてもいきなり異端容疑で襲い掛かってくるとは思いもしなかったが。普通、もっと段階を踏んで警告とかしてくるもんじゃないのだろうか?

 

「うーん、でもエデンは悪いことしてないし証明すれば大丈夫なんじゃないかな。異端じゃないし」

 

 龍だけど、という言葉をリアは最後に飲み込んだ。異端じゃないけど汝ドラゴンデース! とかやられたらまあ、勝ち目ないもんな。そうじゃなくても汝は異端! 罪ありき! とかやられたらガチ目にどうしようもない。冤罪アタックは魔女狩り時代から続く伝統の処刑方法……回避のしようがないんだよなあ。

 

「そこが難しいのよ。無実を証明する事は有罪を証明するよりも遥かに難しいわ。エスデルでの法を参照するなら裁判を起こす必要があるけど、無罪を主張する場合は用意された証拠に対して否定する要素を揃えて、それが1つ1つ間違いであることを証明しなくてはならないわ。この時神々の前で真実のみを語る事を約束するから基本的に嘘をつくことは出来ないんだけれど……」

 

 流石領主の娘、政治や法の事に関してはロゼが良く理解していたが、同時にその穴も理解している。

 

「法務官を身内で固めれば抜け穴を作る事は容易いですからね」

 

「でも、ここはエスデルだよ? 人理教会ってそこまで力を持っている訳じゃないよ」

 

「それでも潜在的な信者やシンパってのは割とそこらにいるのよ。聖人を信仰していなくてもその記念日は祝うでしょ? 馴染みがある分何かの呼びかけがあると反応しやすいのよ。まあ、それでもウチはそういう宗教色が薄い方だけど」

 

「証明は難しい……という事?」

 

「そうね。こういう風に仕掛けてくる時は大抵の場合でそのまま認定できる所まで用意してあるって事だろうしね。そう考えるとエデンが直接対応するのが一番の悪手じゃないかしら? 対応すればする程言質を取られたりして悪い方向へと持っていかれるわよね」

 

「実際、私達としてもエデン様にはこのままここでお過ごしいただく方が助かります。対処に関しては私達の方でしますので」

 

「うーむ」

 

 餅は餅屋という言葉もある通り、この手の事はその手のプロフェッショナルに任せるのが一番だろう。実際、ベリアル一派はアルドの言葉が正しければこの国の中枢に手を伸ばしているのだろうし、このエスデルが連中の手に落ちる未来も見えてきている事だろう。正直な話、アルドの戦力とバックを見てあの魔王に対抗できるとは思えない。数年後、或いは数十年後にこの国を掌握するであろう魔王に庇護されているという状況は平和な人生を歩む上では悪くないんじゃないかなぁ、とは思う。

 

「だけど舐められっぱなしってのはムカつくよなぁ」

 

「ステイ……ステイよエデン、ステイ。暴れちゃ駄目よ。頼むから暴れないでよね」

 

 ロゼが両手でどうどう、と俺を落ち着かせに来る。両肩を押さえられながらもまあまあ、と言葉を挟みながら俺は顎に手をやるポーズを取り、にんまりと笑みを浮かべた。

 

「俺に良い考えがある」

 

「絶対嘘よ。絶対にろくでもない事よ。私知ってるわ、こういう顔をしている時のエデンはろくでもない事しかやらかさないって」

 

「あの……エデン様? あまり荒唐無稽な事はなさらない方が宜しいのでは……」

 

 まあまあまあ、とロゼとプランシーを抑え込みながら俺は拳を作って胸を張る。

 

「なんと言ったってこのエデン、生まれてから悪い事はほぼせず、善良なエスデル国民としてずっと人生を過ごしてきた。平穏を愛し、善良である事に努め、そして日々を良くすることに尽力してきた。人格も顔も性格も良い美少女人生を過ごしてきた」

 

「急にどうした」

 

 うむ。

 

「つまり俺は何も悪いことしてないのにこのまま黙って通り過ぎるのを待つのは間違っているのでは、という至極真っ当な話を持ち出している訳だ」

 

「よっし! そろそろ大人しくしましょう! ねっ!」

 

 絶対に何かをやらかそうとしているなこいつ、という視線が突き刺さってくるのを無視する。まあ、見ているが良い凡人共。確かに大当たりを超えて突き刺さっちゃいけない所に人理教会の予測は突き刺さっているだろう。だけどお前らは根本的な事を忘れている。お前らが宣告した異端者は実はこの世で最も正しい位置に立っている存在であるという事実を。

 

 だからあえて言おう。

 

「俺に良い考えがある」

 

 

 

 

 ホテルのロビーへと降りてくる。後ろでは必死に俺を止めようとするプランシーの存在があるが、立場上俺を無理矢理止める事が出来ない彼女からすれば今の状況はひたすらに居心地の悪いものだろう。そんなプランシーに申し訳なく思いつつも、俺はロビーに集まっていた集団を見た。そこではプランシー以外のベリアルの部下たち……つまり俺の護衛がこれ以上ホテルの奥へと立ち入らせない様にガードに入っており、その前では何名かの姿が見えた。その先頭にいるのは一人の老神父の様で、その背後には数名の騎士を連れているのが見えた。聖騎士か、或いは神官戦士なのか、ぱっと見ではどういう立場なのかは判別がつかないがそういう知識は俺には不要だ。

 

 傲岸不遜に、或いは自信満々に胸を張って人理教会の者達の前に立った。自分から出て来た俺の姿に護衛の者達は驚きの視線と困惑を見せ、逆に神父たちは驚きの中に喜びの様な物を見せた。俺の姿を確認した老神父は真っ直ぐにその視線で俺の角を捉え、そして言葉を向けて来た。

 

「現れたな異端者エデン。貴殿には弁明の機会が与えられている。もし己が真に異端ではないと言うのなら、自身の潔白を証明してみせるが良い!」

 

「黙れ宗教屋。貴様らの見苦しいこじつけは見飽きた。権力争いも欲望に溺れるのも貴様らの内々で済ませていろ」

 

「黙れ魔族、異界より来た貴様らに弁明の機会があるだけ有情であると思え。本来であれば我らが神々より頂いた神聖なる地に貴様らの様な害虫を入れる事すら許しがたいのだからな……!」

 

 こらえる様に老神父は残りの言葉を己の喉の中で抑え込んで見せた。或いはこの老神父はまだマシな部類なのかもしれない。本当に狂信者と呼ばれる様な連中はそれこそ会話なんてものは通じないだろうし。こうやって会話が出来ている時点でまだ語り合える理性のある部類なのだろう……そう思うと前にエンカウントした聖騎士を含め、結構出会いの運は悪くないのかもしれない。

 

「成程、つまり爺さん……俺が自分が完全に潔白である事を証明すれば良いんだな?」

 

「無論、我らとて好んで血を浴びようとする血狂いではない。我々が裁くのは異端であり、神の理に反する愚者だけだ。異端共は理から外れ、世の均衡を崩そうとする背徳者共だ。連中は増えすぎた人を減らすことが世のために繋がる等と嘯き混沌と死を齎している……無論、今の貴様にはそれと同じ嫌疑がかかっている」

 

「成程、言いたい事は解った。だから解った、今ここで俺が潔白である事を証明しよう」

 

「何?」

 

「今言っただろう? 俺が潔白である証明が成されれば何も問題がないって」

 

 その言葉に老神父が眉を顰める。何せ、潔白の証明というのは悪魔の証明に近いのだから。何をすれば潔白、何をすれば無実と決めるには相手が完全に納得する必要があるのだ。そしてそれを納得させるという部分が最も難しい所でもある。何せ、相手は頭の上から完全否定する為にそこにあるのだ。そして俺が異端であると、頭のてっぺんからそう信じている―――こんな龍みたいな角を生やした女を見て、怪しいと思わないわけもないだろう。たぶん。

 

 だけどまあ、あるのだ。

 

 たぶん全人類は使えないけど、俺だけ使える手段が。

 

「ああ―――俺の身の潔白を女神ソフィーヤに誓おう! そしてそれが偽りだった時、ソフィーヤ神によるいかなる天罰をも受ける事をこの場で約束する!」

 

 俺の言葉にホテルのロビーが騒然とした。神への誓いは軽々しく出来るものではないし、それに神々が簡単に応じる事はない。だがそう、それは一般人に対してのみの話だ。俺はこの世で唯一無二の最高位オラクル技能持ち―――地上生物で最も神々と交信、交流を行えるドラゴンだ。他の生物であれば深い瞑想状態に入り、神殿や祭壇がある場所でなければ欠片でも声を受け取る様な事は出来ないだろう。特に、

 

「愚か者が、ソフィーヤ神様は有象無象の呼びかけには答えぬ! 本国の神殿でのみ今では声を頂けるものを……この場で立てた誓いになぞ意味はない!」

 

 憤慨する老神父を無視して、俺は目を閉じた。静かに意識をソフィーヤの方へと向ける。

 

『私は応えませんよ』

 

 意識を向けた先、当然のようにソフィーヤは絶対に干渉しないぞ、というスタンスを打ち出してきた。彼女は今までずっとそうだった様に、積極的に下界へと干渉する気は皆無の様子だった。それが彼女の過去の失敗に由来するものであるのは良く理解している。だがこうなった以上、この神様には少しだけ協力して貰おう。

 

『駄目です。神は声の一つでも力が強すぎます。たった一声……それがかつて龍を絶滅に追い込みました。貴女の苦境は解りますエデン。ですが、そこに易々と私が介入してはなりません』

 

 当然のように此方の意思を読み応えてくるソフィーヤ。だが元々彼女がこんな事を言って干渉拒否してくることは既に理解していた。だから俺はこういう時の為にソフィーヤのポンコツっぷりと俺への偏愛っぷりを理解し、最終兵器を用意していた。

 

 今こそ、この最終兵器を使う時だと信じている。

 

 静かに俺からの返答を待つソフィーヤの姿を感じ、俺はあらゆる感情を込めてその言葉をソフィーヤへと送った。

 

 ―――ママ大好き―――!

 

 瞬間、ホテルの天井をぶち抜いて祝福の光が降り注いだ。

 

 呆然とするホテルのロビーに集う魔族、神父、騎士、巻き込まれただけのホテルスタッフ。

 

 その中央で俺はドヤ顔を浮かべてソフィーヤから送られてくる祝福の光の中で輝いていた。騙す事も隠す事も出来ない神気が降り注ぐ中で水戸黄門になった気持ちになり宣言した。

 

「これが俺の潔白の証明だッッ!!」

 

 勝ったな。風呂入ってくる。




 感想評価、ありがとうございます。

 親ばかとそれを利用する娘の図。
 胃薬確定のベリアル氏、憤死確定の人理教会、笑い死ぬどの面友人殿、知り合いが実は最高位のオラクル持ちで神様に愛されていることを知って血反吐を吐く王子。

 一番苦しんでるのだーれだ。


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人理教会 Ⅴ

 その時を振り返ってロゼはこう言った。

 

「いや、まあ、うん。元々エデンが見た目も経歴も能力もコネも普通じゃない事は知ってたし。寧ろ普通なのは精神面ぐらいじゃない? って割と思ってたけど。いや、でもまあ、正直に言って神々の祝福を受けている姿を見ても“ついにやらかしたかー”ぐらいの感触だったわね。いや、絶対にやると思ってたわ。何時かはやらかすんだろうなぁ……って。だって彼女普通じゃないでしょ。私はもうそれ解ってて友達やってるけど。初見でアレはキツイんじゃないかしら」

 

 そんな、将来ロゼから宣告される容赦のないコメントを肯定するようにホテルのロビーは沈黙に包まれていた。

 

 当然ながら人理教会の者達は黙るしかなかった。信仰心を捧げているからこそ、信仰している、奉ずる神の気配だからこそ間違える筈もない。感じられる神の気、その祝福(スパチャ)。それが空間をぶち抜いてエデンへと降り注いでいるという事実はそれまでの考えを全て頭の中から吹き飛ばすほどの衝撃であった。即座に反応することは出来ない、あらゆる情報が脳内でオーバーロードしていて反応する事が出来ない、という方が正しいかもしれない。

 

 だが同時に他の誰もが同じような情報過多に脳味噌をやられていた。当然、普通に仕事をしていただけのホテルスタッフは巻き込まれただけだし、何故か自分たちの前で異端騒動が起きたと思ったら事実がひっくり返った。騒動を収めようとしていた魔族サイドも唐突な神の干渉に対して何故? どうして? どうしてやった? そんな疑問が脳内に浮かび上がるばかりで反応が出来ない。

 

 そんな中で、爆心地で胸を張りながら勝利を確信するのはただ一人―――エデン=ドラゴンだけだった。

 

 その胸に満ちる思いは一つ。

 

 ―――ふふ、この空気なんかやらかしたな俺……!

 

 

 

 

 空気冷えっ冷えじゃん。

 

 誰もが黙り込んでいる。俺もドヤ顔を浮かべたままちょっとだけ汗を掻いた。だって俺がどう足掻いても神サイドの存在だと証明すれば心が折れるもんだと思っていたのに。だというのに味方含めて全員黙り込んでしまってるのだからリアクションに困る。この後どういう感じに行動を取ればいいのか、全く考えてなかっただけにちょっとだけ考える。というかソ様が思ってたよりも圧の強いスパチャ投げてくるから俺も困ってる。

 

 スパチャって表現も相当ヤバイから止めておくか!

 

「こほんこほん、えー、あー……その……なんだ、俺、潔白だよ……?」

 

 誰も反応しない空間の中で声を放つと、それにびくりと反応する姿が見えた。一番最初に意識を戻したのはプランシーであり、物凄い焦った様子で俺に振り返り、両手で肩を掴んでくる。

 

「エデン様! その、あの、エデン様!? なんと言えばいいのでしょうか……その、エデン様!!」

 

「滅茶苦茶テンパってるじゃん。おもろ」

 

「欠片も面白くありませんが!? いえ、待ってください……エデン様……」

 

 もしかして、と声を震わせながらプランシーが俺へと向けて言葉を続けた。

 

「もしや、常に見られてらっしゃる―――?」

 

 誰が、という言葉は不要だ。プランシーの言葉を肯定するように俺はとりあえずドヤ顔を浮かべて胸を張るとプランシーの顔色は一瞬で青くなった。だがそれ以上に顔が青い連中がいた。そう、人理教会の神父たちだ。騎士を連れて俺を異端の裁きに合わせる予定だった連中だ。だが今、俺の前で連中は握るべき武器を手にせず、手を震わせながら行動を取れずにいた。これは精神崩壊まで後一押しやな……なんて事を考えながら勝利の感慨を味わっていると、

 

「ま、間違いない……これは、ソフィーヤ様の神気」

 

「馬鹿な、いや、ありえないがありえてはならない……神の御心を我らが疑ってはならない。あるべき事のみが真実であり、目の前の出来事こそが真実なのだ。即ち我らの前にある魔族は―――いや、おわすお方こそソフィーヤ様に祝福されし巫女、聖女……!」

 

「っ、ぁ……っ! っ!!」

 

 随伴の騎士から何か声が出そうになるが、出そうとする度にそれを全力で噛み殺しながら言葉を選んでいるのがうかがえた。これまで信じて来たことが、これまで積み上げて来た事実が今、目の前で裏返っている。その事実を受け入れる為に騎士は、いや、人理教会の者達は静かにあげようとする否定の言葉を噛み砕いて呑み込んでいる。

 

 神を疑うことなかれ。

 

 信じる者は救われる。

 

 そう、神々は実在する。実在の証明が成される世界において信仰と宗教の重みというものはレベルが違う。世界に対する干渉を行える超越的存在がある世界において、神話は事実でしかない。与えられた戒律は良心や道徳によって守られるべきものではなく、世界に打ち込まれた法則であるとさえ言えるだろう。即ち、神を疑う事なかれ。実在する神を疑う事は出来ない。彼らの存在は事実なのだから。そして教えを信じ、信仰すればその行いに間違いはない。

 

 じゃあ目の前の事実は何だ? 魔族の娘が神の色濃い祝福を恐らく地上の誰よりも愛されるように受けている事実は何だ?

 

 ―――それが答えで真実なのだろう。

 

 神を疑う事なかれ。

 

 即ち、これが神の意志である。その事実をこれまでの人生、全てを否定するように信者たちは呑み込んでいた。溶かされた鉄をそのまま喉の中に流し込んで行くような苦痛。煮えたぎるマグマを血管の中に差し込んで全身を燃やし尽くして行くという苦痛。これまでの人生、信仰、その全てがこの瞬間に否定されていた。それでも発狂せずに、静かに事実を受け入れようとする姿は彼らが決して悪人ではない事を証明する。

 

 そう、決して悪ではないのだ。寧ろソフィーヤの信者は善性の存在だ。単純に人を救い、人の世を救おうとして、その結果行き過ぎた主義主張が行きつくところまで行きついているというだけの話だ。果たして腐敗しているのは上か、それともその根元か。どちらにせよ人生を否定する衝撃を神父たちは受けていた。

 

 それから数秒、葛藤と苦しみの中にあったソフィーヤ信者は天を向きながら声を放った。

 

「我らは何だ」

 

「人理の使徒。明日にかける光の守護者」

 

「我らの成すべき事はなんぞ」

 

「明日を。眠れる夜を人々に」

 

「正しきとは何だ」

 

「我らが神の声。我らが神の宣告。我らが神の行い。正義は天にあり」

 

「宜しい」

 

 神父は騎士たちの返答に満足するように頷き、此方へと振り返って来た。その視線がちょっとだけ怖く、びくりと背筋を伸ばしてしまう。が、それを気にすることなく神父は深く頭を下げた。

 

「申し訳ありません、エデン様―――少々、感情と脳の整理を必要とします故、一旦下がらせて頂きます」

 

「あ、うん、はい」

 

「ありがとうございます―――行くぞッ!」

 

 振り返ると指示を出し、老神父が騎士団を連れてホテルから去って行く。その姿がロビーから消え去るのをたっぷり十数秒待ってから額に集まった汗を拭い、一息ついた。

 

「なんとかなったな!」

 

「なってませんが? なっていませんよエデン様」

 

「やっぱり?」

 

 あっはっは、と笑うがジト目が此方へと向けられてくる。その居心地の悪さに視線を逸らしながら下手な口笛を吹くがプランシーの視線はじっと俺にロックオンされたまま外れない。妙な罪悪感が胸中を満たす。指の先をつんつんと合わせて背をちょっと丸めながらちらり、とプランシーを見る。

 

「いや、まあ、俺もちょっと派手にやり過ぎたかもなあ……って思ってるけど。ところでソ様ソ様、そろそろ光、眩しいんですけど。眩しくない? あ、ありがとうございます。普段むすーって黙ってるけどなんだかんだで優しいソ様の事好きだよ。メッチャ光るじゃん」

 

「エデン様ッッ!!」

 

 ソフィーヤ神に感謝を告げた瞬間追加の祝福が飛んできた。もう必要ないんだけどなあ、と思っていると横からキレるプランシーの声に小指を耳に突っ込んで声を回避する。まあ、今のは煽った俺が悪い。ソフィーヤ神にもうそろそろ止めてねー、と心の中で手を振って光の柱を止めてもらう。これ、どれぐらい遠くから見えてたんだろうなあ……なんて事を考えながらプランシーへと向きなおるとがしり、と肩を掴まれる。

 

「何を……何をされたのか解りますか?」

 

 プランシーの真面目な言葉に頭を掻く。

 

「いや、まあ、ちょっと勢い任せにやったのは自覚があるけどさあ」

 

「なら」

 

「でもさ、結局どこまで我慢すれば良いって話になるよな、これ」

 

 まあ、一晩もあれば情報整理だけは出来る。そうやって考えた事がある。つまり、どこまで我慢すればいいか、という話だ。

 

「これで人理教会との衝突は何度目? これから後に後何回衝突するんだ? 回避する方法は? 考えてみればみる程、生きていく上で問題はたくさん出てくるんだよな。俺1人の為に一体どれだけの人が犠牲になるんだ? 無論、魔族の君たちは“同胞の将来の為であれば”だなんて言えるかもしれないけどさ……それで損なわれる命って別に君たちのモノだけじゃないよね」

 

 対立、策略、主義主張の食い違い―――特に宗教というものは面倒だ。利益ではなく信仰をベースとして考えているから、信じるものと食い違えばいくらでも殺し合えるのだから。結局の所、魔族と教会が延々と睨み合っているのはそれが理由なのだろう。そしてその事実はこの先もずっと変わる事がないだろうと思っている。

 

 そもそも俺が生まれた理由はなんだ? 生きている理由はなんだ? この時代に、態々問題で溢れている時代に生かされている理由はなんなんだ?

 

 正直な話、異端認定はそう怖くはない。俺1人逃げるだけならまあ、何とか逃げられるだろう。最悪空の上とか、海の底とか。真竜にこんにちわしにいけば囲って貰えるだろうと思う。ただそれはあくまで俺自身の身を守るというだけだ。

 

 じゃあ俺と一緒にいたリアは? ロゼは? 宗教の生み出す狂気から一体誰が彼女達を守るというのだ。無論、立場と権力というものは彼女達を守ってくれるだろう。だけど物理的に、強硬手段に出た宗教家どもを止めるだけの力が両家にはあるのか? 少なくとも今回の神父たちはまだ優しい部類だった。

 

 だけど数日前の夜の様に俺を殺しに来た暗殺者……ああいう手合いが出現した時、果たして彼女達の無事は保証されるのか? こうやってホテルに直接尋ねて来るだけの行動力はあるのだ。本当に怖いのは俺がいない所、見えない所で物事が進む場合だ。俺がいない所でリアが襲われる様なことがあれば、俺は何も出来ないしただ泣く事しか出来ないだろう。

 

 言い方は悪いが、魔族たちは俺にしか興味を持っていないだろう。リアやロゼの分も金を払って歓待してくれているのは俺が彼女達を大事に思っているからだ―――彼らの中で彼女達への重要度はそう高くはないだろう。

 

 これは良くも悪くも俺が無名だからこそ起きている事だ。俺が無名で知られていないから陰で動く事しか出来ない。事実、俺の名前が、龍としての素性が知れ渡る事はデメリットでしかない―――でしかなかった。

 

 だけど今日、今の行動で事情が変わって来た。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 無論、それを悪用しなければという話でもある。俺が悪用するようであれば……まあ、直ぐにあの人が俺を消しに来るだろう。少なくともそういう約束だ。そういう約束があるから俺も、安心して動く事が出来るだろう。俺が魔族だと思われていてもソフィーヤの祝福の前では、あの頑固そうな信徒たちですら悩み苦悩しながらその態度を改めようとした。

 

 それ程信仰と宗教というものは重い。証明された神の実在は真実の支配者であるのだから。

 

「昨日のベリアル氏の話を聞いてさ、普通に魔族が愚かだと思ったし、同時に同情もした。だけど不安も覚えた。また同じことを繰り返さないって言える? 約束出来る? ……いや、意地悪な質問だよね。プランシーはなんも悪くないし、答えられる立場でもないし」

 

「……申し訳ありません。ですが同じ過ちを起こそうとは思いません。ベリアル様に集った同胞達も同じ思いの下で動いています」

 

「うん、その気持ちは解るよ」

 

 でもさ、それでさえ誰かを食い物にした結果であるのに変わりはないのだ。ベリアルのプランは結局のところ、俺の同情を引いてその上でこの世界の住人に割を食わせるというプランだ。この国の混乱、被害、治安の低下……それはベリアルが動きやすくなるためのものだというのが今は良く解る。そしてその犠牲を強いる一因に俺が関わっている。ベリアルが勝手にやった事だと言わせるのは凄い簡単だろう。

 

 でも俺の心を惹こうと、俺の為に環境を整えようと苦心するベリアルを放置して勝手にやりましたって後から言うのはただの卑怯者ではないか。

 

「良い意味で怖かったよ、人理教会。情報があればこうやって飛びつくって解ったし」

 

 ―――あの雨の日。

 

 マフィアを殺した帰りに龍殺しと再会して。どうして世界は苦しみで満ちて、どうしてこういう事に手を染めなきゃならないのかを考えて、どうしようもない苦しみに吐き気を覚えて。それから少しずつ考えていた事があった。

 

 だけど目の前に迫る脅威を見て感じた。

 

 世界の出来事は決して他人事ではないのだ、と。マフィアを殺して、守ろうとした結果また誰かを苦しませているという話はとてもミクロな話ではあるが、世界全体で見ればありふれた出来事の一つでしかない。目の間にある悲劇に対処している間にまたどっかで別の悲劇が起きている。当然のように殺され、苦しみ、報復で憎しみが増して行く……その問題は正面から向き合わない限りはどうしようもないのだろう。

 

「だから俺、思いました。モラトリアムも終わりが近いんだろうな、って」

 

 きっと、辺境は俺にとってのゆりかごだったんだ。

 

 グランヴィル家という狭い世界で育ち、辺境というゆりかごに揺られて成長した。そしてそこから踏み出し中央にやって来た俺は漸く世界に触れる事になった。見るもの、触れるものが増えればその分感じる事も増える。良い事もあれば悪い事もある。そして当然痛みだって増えるだろう。

 

 だから思うのだ、こうやって俺個人をターゲットにした動きが現れた以上、逃げる事も隠れる事も不可能なのかもしれないと。

 

 果たして俺が龍だと隠し通せるのは後何年ぐらいだろうか? 100年か? 10年か? それとも1年か? 人の口を完全にふさぐことは出来ない。ベリアルは俺が龍である事を察していた。だったら人間の中でも、特別勘に優れた人間が何時か俺を見つけ出すかもしれない。

 

 ずっと言ってた事だが、結局逃げ切れる話じゃなかったんだこれは。

 

「という訳で俺、考えました。いい加減逃げ隠れているのも終わりにすべきなのかもしれないって」

 

「エデン様、今非常に嫌な予感を感じていますが」

 

「はーっはっはっはは」

 

 結晶で扇子を作って自分を扇ぎながら笑う。ぱきん、と音を立てて砕ける結晶の扇子を投げ捨てながら宣告する。

 

「世話になった分は恩返しすべきだと俺、思います」

 

「え、えぇ。それは良い事なのでしょうが、えっと、エデン様」

 

「だから俺思いました。ソフィーヤ神の正しい信仰を取り戻す事がきっと正しい恩返しになるであろうと」

 

「あの、エデン様??」

 

 プランシーがその先はお願いだから止めてくださいと言う懇願の表情を浮かべているが無視する。お前ら魔族の話を聞いてたらソッチサイドに引きずり込まれそうだし。こっちから振り回してやるぐらいがたぶん一番良いんだろう。

 

「だから宣言するわ! エスデル国内の人理教会を乗っ取って、ソ様の正しい信仰を取り戻す!」

 

 ででん、とサウンドエフェクトが付きそうな感じに宣言すればプランシーがな、成程と声を零す。他の護衛達は今のうちに被害を受けない様に静かに気配を殺してこの場から逃走しようとしているのが見えた。

 

「いえ、それは喜ばしい事ですがエデン様がそういう事をなさらなくても……」

 

「後ついでに第5王子アルドを次代の王として擁立するわ!!」

 

 俺の拳を掲げた宣言にプランシーが喀血した。




 感想評価ありがとうございます。

 またして何も知らないアルド王子。今頃学園で優雅な休日を過ごしているんでしょうなぁ。


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人理教会 Ⅵ

「という訳で俺は人理教会を乗っ取ることにしたんだわ」

 

「まあ、貴女なら何時かやるとは思ってた」

 

「リアクション薄い!!」

 

 改めてやる気が出た―――というよりはやらざるを得ない状況になったから、自分がこれからはもっと積極的に動くぞ、という事を報告しに来た。だが俺の言動に対するロゼのリアクションは薄く、リアに至っては全く興味のない様子だった。いや、まあ、リアに関しては俺の正体を理解している部分もあるし驚きというものは別にないのだろうが、ロゼにはそこら辺の話をしていない。だからロゼのリアクションの薄さにはちょっとだけ不満を覚える。頬を膨らませてロゼに無言の抗議の視線を向ければ、呆れた様子でロゼが言葉を返す。

 

「今更貴女が魔族じゃないだとかそういう話する? 普通じゃないって事はずっと前から解ってたわよ。異様に強いし、時折虚空に向かってぶつぶつ喋ってるし。なんか貴い気配を偶に感じられるし。ぶっちゃけ、脇が甘いのよ。本当に徹底して隠したいならもうちょっと自分がどう見られているのか気にして、きちんと隠さなきゃ駄目ね。別にオラクルが出来るって程度、私もお父様もとっくの昔に把握してるわ。何年間幼馴染やってると思うのよ」

 

「ぐうの音も出ねぇ」

 

 そこまで脇が甘いかなあ? と首を傾げるが、身内相手にガードが下がっている事には割と自覚がある。自然と、心の中でロゼに対してなら大丈夫……だなんて考えていたのかもしれない。場合によっては致命傷になりかねない事であるにも関わらず、ちょっとだけ嬉しい気持ちが自分の中にあった。この幼馴染、割と俺の事見てたんだなぁ……と思うとやっぱり嬉しい。

 

「ま―――だから別に驚きはないわ。何時かどこかでなんかやるんだろうなぁ、とは漠然と思っていたし」

 

 ただそう言ってからロゼは息を零し、良いわね? と言葉を置いた。

 

「別に貴女がなんであろうと私は構わないわ。興味もそこまでないし、なんであろうと貴女が私の幼馴染である事実に変わりはないからね。ただ無茶無理無謀だけは駄目よ? 私もリアも貴女が体を張る度に心配してるんだからね。それだけは決して忘れちゃ駄目よ」

 

 びしり、と指を此方へとさして宣告して来たロゼに俺は静かに頷いた。

 

「ありがとうロゼ、俺も別に危険な事に首を突っ込みたいって事じゃないんだから解ってるよ」

 

 ただね、と言葉を置く。

 

「逃げてばかり、目をそらしてばかりだと何時か追いつかれるんだって良く解っただけなんだ。ついて回る過去から逃げることは出来ないし、自分が何であるかの現実から目を逸らし続ける事だって出来ないんだ。これまで俺が平和に生きてこれたのは辺境の優しい人達と、神々が俺の事を静かに見守ってくれていたからなんだろう」

 

 だけど、それももう無理だろうと思う。俺が本当に静かに暮らしたいなら、人のいない地で潜んで暮らすべきだったんだ。だけど俺にはそれは無理だろう。寂しいし、辛い。誰かと関わりたい、一緒に遊びたい、愛しい人と時を過ごしたい。そういう気持ちを抑えてまで孤独の平穏を選ぶ事なんて出来ないだろう。少なくとも俺はそういう人生をこれからずっと送るのは嫌だ。これからも一緒に皆と過ごしたい。

 

 その為に戦う必要があるというのなら、戦うしかないのだろう。皆それぞれ守るべきものがあって、主義主張がぶつかるならそうするしかない。漸くその覚悟が自分の中に出来上がったとも言える。他人からすれば大した事のないイベントだったかもしれない。

 

 だけどもう、逃げ場なんてない―――いや、最初から逃げ場なんてなかったんだ。それを解ってしまった。だから俺はもう動くしかないんだ。少なくともこの国の中で起きている問題を見て見ぬフリで通す事はもうできない。

 

「エデン」

 

 名を呼ばれ、リアへと視線を向ける。リアは不安な様子を見せる事なく、微笑んだ。

 

「信じてる」

 

「おう」

 

 俺達に、それ以上の言葉は必要なかった。ロゼの心配、リアの声援は共に嬉しいものだった。ずっと黙っているクレアへと視線を向ければ少しだけむすっとしているのは解る。

 

「……お嬢様方がそうおっしゃるのであれば私からはあまり言う事はありません。それでも何か言うのなら……」

 

「言うのなら?」

 

「……早めに職務に戻ってくれると私の負担が軽減されます」

 

「ほんとごめん」

 

 この埋め合わせは近いうちになんとか、と声を震わせながらクレアの反応をおっかなびっくり窺っていると、それでという声がロゼから放たれた。意識を引き戻されるようにロゼへと向ければ彼女が言葉を続けてくる。

 

「行動する意思は解ったけど、結局何をどうする訳? 私に何かして欲しい事とかあるの?」

 

「ん、いや。基本的には俺1人でどうにかなるよ。まあ、絶対に話し合わないといけない相手がいるけど。だからロゼたちはマジで何も気にしなくて良いよ」

 

「話さなきゃいけない相手?」

 

「おう」

 

 お互い、ずっと確信的な部分に触れる事もなかったし。そろそろお互いに向き合うべき時なんじゃないかなあ、って思っている。

 

 なあ、ソ様。

 

 

 

 

 龍にとって、神々と交信するのは基本的技能でしかない。そもそも龍が誕生したのは神話の時代で、龍は神々が生み出した生物だ。それも星の維持管理、テラフォーミング用の能力を備えさせた生物だ。星をどうするのか、どうすべきなのかを連絡を取り合いながら実行する為の基本的な機能として神々と言葉を交わす能力は必要だった。だから俺にとって神々と交信するオラクルを実行する事はそう難しい事じゃない。一度そのやり方を意識すれば後はまた同じことを繰り返すだけ。だけど人類にとっては垂涎の能力らしく、彼らが神々と交信するには神殿とも呼ばれる領域で相当深い瞑想状態に入って極限状態まで追い込む必要があるらしい。

 

 それでさえ完全に会話するというのは難しく、神託等という形で一方的にお告げを受けるだけに留まる。神々と人類では、存在する生命としての次元が違うのだ。だから言葉を交わそうとしても、難しくなる。だが龍は神の血を引く生物だ。生物としての形態はどちらかと言えば神の方に近い。だからこそこれほど強力なオラクル能力を保有する事が出来ている。

 

 だから俺は集中する為にホテルの自分の部屋に戻ると、ベッドの上で両足の裏をくっつける様に座り、体から力を抜いた。その姿勢を不敬だと叫ぶ連中だっているかもしれない。だけど俺とソフィーヤの関係なんて今更の話だ。かしこまる様な事は……もうないと思う。

 

「ソ様、ソ様。いい加減そろそろ話し合おうよ」

 

 精神を集中させると言っても人間たちの様に瞑想する必要はない。心の中にある繋がりを辿ってソフィーヤへと意識を辿り着かせるだけで良い。そうやって意識をソフィーヤ神へと辿り着かせれば、自分の前にソフィーヤ神の幻体が出現する。美しく伸びる金髪に身に纏われる薄布、何度見てもその姿は一つの芸術として完成されているとしか思えない美を誇っている。恐らく地上で彼女よりも美しい人を見つけることは出来ないだろう。

 

 彼女の姿は俺に良く似ていた。

 

 いや、違う。

 

 ()()()()()()()()()()()のだ。

 

 閉ざされた目をゆっくりと開け、胸に手を置きながらソフィーヤはゆっくりと口を開けた。

 

『―――エデン』

 

「ソ様、答えてくれるんだね」

 

『これまでとは違い、貴女の中にある覚悟、或いは決意と呼べるものが何よりも強固であるように感じられました』

 

 溜息を吐く動作でさえ美しい。十人中十人全員がその仕草の一つ一つに心を奪われるだろうし、憂う彼女の仕草を見て心の底から悲しみを覚えるだろう。何故神々が地上を去ったのか、その姿を見るだけで解ってしまうだろう。彼女達は余りにも強すぎた。余りにも完成され過ぎていた。存在として次元が違うが故に、そこにあるだけで全てを汚染してしまう程に……その全てが罪深い程に美しかった。

 

『語るべきか、否か。その問いは常に私の中にありました。罪を犯した者としての罪悪感と後悔を常に抱えながらも悩みました。エデン……私は何時だってそれを貴女に伝える準備がありました。ですが貴女はそれを知るには幼過ぎた。たとえ事実が貴女にとっては重くなかろうと、知ると知らないでは世界が違って見えてきます。それはきっと貴女がどう動き、どう判断するのか……その選択肢を常に狭めてしまう事でしょう』

 

「うん、ソ様の優しさとか、気遣いとか。そういうのを俺は感じてたよ。不器用な優しさみたいなのはずっと」

 

 それが偶に変な方向へと発揮されてしまうのはちょっと面白かったけど。それでもこの女神が俺の安寧と平穏を願ってくれていることは感じていた。常々それは感じていた……きっと俺が危ない事に首を突っ込むたびにハラハラしていたんだろうなあ、と思うぐらいには。それぐらい彼女の声は愛と慈しみで満ちていた。

 

「ソ様の気持ちには感謝してるよ。見守っててくれたの。どんな時でも1人じゃないって思えるのは心強かったよ……それでも、まあ、色々と教えて欲しかったけど」

 

 理由は解っている。今教えて貰ったし、それに理解もある。それと感情的に納得できるかどうかはまた別の話になるだろうが。それでもこうやって俺の前に出てきてくれた事が今のソフィーヤ神の答えなのだろう。

 

「ソ様ソ様」

 

『はい、なんでしょうか』

 

「俺、まだ見てないところは多いけど。それでもこの世界が好きだと思うんだ」

 

『そう、ですか』

 

 ソフィーヤ神は考える様に少しだけ顔を伏せ、それから顔を上げた。

 

『エデン、私の可愛いエデン……私は純粋に人々を愛し、そして慈しみます。この世に満ちる人々は誰もが私の子の様なものです。ですから私は人々を愛します。その日々に平穏が満ちる事を祈っています。穏やかに眠れる夜が来ることを願います。欠伸を零しながら目覚める朝が来ることを喜びます。私が人々に求める事はそれだけです。それだけでした』

 

 しかし、とソフィーヤ神は続ける。

 

『人、ヒトという生き物はどうしようもなく不完全です。それは別段ヒトという種に限って話ではありません。オリジナルのデザインにエラーがあるのに何故ヒトは完全になれると思うのでしょうか。全ての存在に滅びがあるように、この世に完全という概念は存在しません。私はそれが悲しかった、苦しかった、どうにかしたかった……それをずっと考え、しかし理解しました。全てはそうであるべきだと』

 

 ソフィーヤ神の言葉に頷く。

 

「もうちょっと解りやすく」

 

『私達が完璧じゃないのに何で人間に完璧である事を期待するの? という話です』

 

「成程なぁ」

 

 解りやすく言えるじゃん……でもちょっと難しく言った方がなんかかっこよく見えるよね。気持ちは解る。

 

『エデン、この世界は多くの問題を抱えています。龍とヒトの対立なんてものはその一つでしかありません。異種族への排斥、異世界からの移民、宗教間の対立、恵みの奪い合い、変わらぬ価値観による摩擦……この世界は見えている以上に問題を抱えています。そして私達神々はその問題へと関わる事を良しとしません。それは私達が強大な力を持ち、そして簡単に運命を塗り替えるだけの力を持っているからという理由もあります』

 

 ですが、

 

『同時に、私達はこの問題が私達の子によって解決されることを望んでいます。この世は神々の世ではないのです。これはヒトの世、ヒトの手で変わるべきなのです』

 

「その為に俺が産まれてきたの?」

 

『―――』

 

 その言葉にソフィーヤ神は解りやすく黙り込んだ。その代わりというべきか、神の力が部屋に作用するのを感じた。外界との全てを隔絶するように、一切の気配や声が漏れないように、神の力を使って部屋がその他から隔離された。ゆっくりと近づいてくるソフィーヤ神は俺の隣に腰を下ろす。

 

『エデン、私は何時だって貴女の日々が幸福と幸せで満ちていることを祈っています。それ以外の特別は何も、望んでいません。そして貴女の生誕、その意味を問うのであれば私は語らなくてはなりません。遥か過去に己が成した過ちを』

 

「それは……ソ様はずっと秘密にしていた事じゃないの?」

 

『いいえ、はい。私の恥ずるべき過去ではあります。ですが隠してはならない事でもあります。これまでの貴女は騒動から背を向けてなるべく潜んで生きて行く事を考えて暮らしていました。だからそれを妨げる余計な情報を与えようとは思いませんでした。貴女は、とても優しい子ですから……きっと、誰かが泣いているようであれば手を差し伸べる事が出来る子ですから』

 

「……そうでもないよ。俺、自分の為にというか……自己満足で人を殺す事だってあったし」

 

『ですがそれは生きる上では誰もが背負う原罪です。この世で罪もなく生きていける者はありません。それはエデン、貴女もです。この世は苦しみで満ちています。不完全であるがゆえに奪わなければ生きていけない世の中です。それを嘆く事は間違ってはいません……ですが同時に間違っています』

 

 何故なら、とソフィーヤ神は口にする。

 

『私はその苦しみを前に足を止める事を選んだ側だからです』

 

 だから聞いてください、とソフィーヤ神は続ける。

 

『私の話を聞いて、それから判断してください。どうするのか、どうしたいのか―――どうするべきなのか』

 

 そしてソフィーヤ神は長らく閉ざしていたその口を開いた。神々は知り、しかし地上にある人々はもはや忘れ去ったソフィーヤの罪を。彼女が何をしてしまったのかを。何故彼女が人々に期待する事を諦めてしまったのかを。何故彼女が口を閉ざす様になり、自罰的にふるまう様になってしまったのかを。

 

 俺というただ一人のオーディエンスを前に、古い、とても古い話が始まった。




 感想評価ありがとうございます。

 次回のしくじり先生はソフィーヤ神様。どうやってしくじり、どうしてしくじったのかを放送!

 なお建て直せてないので立て直しパートはありません。


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人理教会 Ⅶ

 ―――それはかつてまだ神々が人々と暮らしていた時代の話。

 

 遠き時代ではまだ神々は地上にいた。超越種たる神々であったが、それでも地上にある生物たちと共に生きていた。生理的欲求を不要とする神々は地上でもおおらかだった。神殿を築き、その中で人々の営みを見守るように生活をしていた。神々を崇拝する人々の中に自然と宗教の概念が生まれた。だがこの頃の人類はまだ純粋であった。純粋であるがゆえにその宗教的観念は決して見返りを求めるものではなかった。

 

 この世を支配し、そしてよりよくしようとする神々への敬意、その純粋な信仰から生まれる心が神々を心身ともに満たしていた。この時代にはまだ多数の龍が存在し、龍たちは神々の僕、使徒としての側面を強く持っていた。それ故に神々の代行者としての龍たちもまた崇拝される地位にあった。龍と神々とヒト、それがこの神代におけるメインプレイヤーたちだった。創造神によって残されたもの、生み出されたもの。その想いはこの世を良くする事だけであった。

 

 この世が大きく移ろい始めるのは、とある切っ掛けがあったからだった。

 

 それは世が安定してきた頃に、とある村で生まれた。

 

 この頃の人類は良く言えば純粋無垢、悪く言えば無知だった。死の運命をそれはそういうモノだと受け入れ、そしてある物で満足する質素な生活を送っていた。決して発展がなかった訳ではないが、無闇に贅沢を求めるようなことはなかった。エーテルの濃い世界の中では命は長く、そして人々の力も強かった。それこそ現代などよりも遥かに人達は生きる気力に溢れていただろう。だから発展は緩やかで、人々は龍と神と共にその日その日を穏やかに過ごす……そんな楽園の中にその者は生まれた。

 

『彼は―――天才でした』

 

「天才? ソ様がそう断言する程の事?」

 

『はい、いいえ。そうですね、天才という言葉は正しくも間違っています。純粋な才能の上限値で言えば彼を上回る存在は多かったでしょう。ですが彼には他のモノにはない才能がありました』

 

「それは?」

 

『努力する事です』

 

 少年は、誰よりも努力する才能に溢れていた。彼は非常に珍しく、そこにあるモノだけでは満足できない人物だった。彼は言った、世の中はもっと良くなる。私達の努力次第で世界はどうとでもできるのだ、と。

 

『ですが当時、その事に賛同する者はほぼいませんでした』

 

「多分、理解出来ない概念だったんだな」

 

『そうです。彼の考え方は先進的すぎました。当時、世界は神々のモノであり、その変化は龍たちによって齎されるものでした。それが常識である世界において、彼ら人間は住人でしかなく、何かを変化させるだけの力はなかった。ならばどうして人が世界をよりよく出来ると言えたのでしょうか? 非難もなければ怒りもない、ただ彼へと向けられたのは困惑の感情ばかりでした。彼を理解する人間は、彼の周りにはいなかったのです』

 

「それは……辛いな」

 

 当人が辛いと感じていたかどうかは、不明だ。だが結果として男は納得しなかった。周りの人々は善き人々だった。たとえ男の事を理解できずとも、男が言い出す事に手を貸そうという意思はあった。悪意のない時代、男は恵まれた環境に生まれたのだ。お蔭で男は自分の考えを実行出来た。無論、それがいきなり成功する訳はなかった。だが男は努力した。努力して、努力して、努力した。最初の失敗から何が悪いのかを洗い出し、修正し、そして周囲の人々に助けを求めた。周囲の人々も良く頑張る男の姿に感銘を受けて手伝いを申し出た。

 

 そして何度もの失敗の果てに、男は魔法という力を神々の奇跡ではなく、術式というとてもシンプルな形で人がコントロールできる領域に落とし込んだ。神の奇跡が人の手によって神秘から技術へと変えられた瞬間でもあった。歴史的偉業を前に、その本質を理解する者は存在しなかった。ただ新たな進歩、進捗、そして人もまた何かを生み出す事が出来るという熱が広がった。男は己の成果を披露しながらこう言った。

 

『俺は特別な事をした訳じゃない。俺達ヒトだって誰もが可能性を秘めている。俺はその眠っている可能性を少し引き出しただけだ。こんな事、誰だって本当は出来る筈なんだ。勿体ない……そう、勿体ない。その可能性を眠らせ続けている事が俺にはどうしようもなく勿体なく思えたんだ。だから俺は挑戦したんだ、挑戦するしかなかったんだ。俺達だって何かが出来る! ただ与えられて生きるんじゃない、俺達だって神々や龍たちに新たなものを生み出して返す事が出来るんだ―――そう、諦めなければ夢は必ず叶う。俺はそれを信じているんだ』

 

 男の名はソル、太陽という名を冠する男だった。華々しい才能があった訳ではなかった。だが諦めず努力をし続けられるという一点において、世界で誰よりも突き抜けた才能を持っていた。それがソルが持つ、ソルだけがその時代に持っていた才能だった。彼は当時の人類で、最も諦めの悪い男だったのだ。

 

 ソルは人でも使える魔法の形式を生み出した後は、生活の質を向上させるために様々な事を考え出した。無論、その全てを彼一人で考え出した訳ではなかった。彼が出せたのはあくまでもアイデアとその基礎だけだった。そこから先を構築するのは彼の周りに集った才能ある人間の役割だった。集まった人たちは彼のアイデアを元に、それらを具体的な形にする為の方法を打ち出した。これによってソルを中心とした集団は少しずつ生活を豊かにし、技術力を発展させ、そして求心力を高めていった。

 

 その中心に常にいたのがソルだった。どれだけ才能のある人間が彼の周囲に集まっても、ソルのように自ら前へと踏み出そうとする人間はいなかった。当然だ、ソルが踏み出したとはいえ人々の本質まで変わった訳じゃなかったのだから。本質的にこの頃の人類は奉仕種族という側面が強かったのだ。だから人々は奉じる事以外の考えをあまり持たなかった。それを変え始めたのがソルという男であり、ソルは積極的に人の意識を変える為に踏み出していった。

 

 やがて、ソルの行いは周囲だけではなくもっと広い範囲で影響を及ぼすようになる。彼の名はそれこそ世界の中心にまで届く様になり。

 

『ついに、私のところにも彼の名が届く様になりました』

 

「ソ様も会いたいと思った?」

 

『えぇ、思いました。当時の私はまだまだ年若い神でした。経験も足りず、あまり深く考えない……思慮の浅い面があったと思います。今思えばそれもまた、当時の自分への言い訳なのでしょう。ですが私はソルの様な枠組みに囚われない人間を素晴らしいと思ったんです。ですがソルの様な人間はそもそも私達がなんらかの干渉を行わなければ現れる筈のなかった、いわばエラーに近い存在でした。当時その事に思い至る事もなかった私は単純に生きる力の溢れた人を素晴らしいと思いました』

 

「……それで、ソ様はどうしたの??」

 

『彼の様なヒトが中心にいるのであればきっと、この世はもっと良くなる。そう思って彼に私を崇める集団の―――人理教会の舵を取る事を頼みました。私の任命を受けてソルは教皇となりました。教皇となった彼の名声と求心力はもはや揺るがぬものとなり、彼を阻める人間は地上には存在しなくなりました。その力をもってソルはさらに組織を効率的に運用するように形を変え、そして新たな技術となるアイデアをいくつも打ち出してゆきました。ですが大枠で彼の行動も、周囲の反応も変わりません。それまで通りソルが中心となって指示を出し、彼に周りに集まった才能ある者達がそこから発展させるという形式でしたが……』

 

「……が?」

 

『彼は教皇に任命される際に、名を改めました』

 

 名を改めたソルは人の生存領域の拡大を目指し、生活を更に豊かにするために開拓する人材を育成し、そして自らの身を守るための戦力を鍛えだした。誰かがそこで違和感を抱くべきだったのだろう。だけど誰もソルを疑う事はなかった。彼はこれまでに人類への多大な貢献を成していたから、それで目を曇らされていた。まるで最初からそれが目的だったかのようにソルは人材を育て、そして彼への忠誠心の高いメンバーを集め出した。

 

 少しずつ、少しずつ歯車が狂いだしている。それを悟らせないようにソルはゆっくりと、十数年、百年を超える時間を使って計画を進めた。ソルは少しずつ自分の周りを固める私兵を作り出し、戦力を増強して行く。それと平行して神々や龍に頼らず生きていける環境を構築していく。ヒトが上位者の力を借りずに自立して行く姿を神々や龍は愛しく思い眺めていた。ヒトが自立して行く姿は言ってしまえば自分の力だけで立ち上がろうとしている赤子に近かったからだ。

 

 だから誰も違和感を覚えない、未来を自分の力のみで切り開こうとする姿勢に。だから最後まで気づく事もなかった。ソルという男が最初から最後まで、一体何を抱えていたかというのを。

 

『ある日、ソルが私を訪ねました。当時は私もまた神域に籠る事もなく地上の神殿で時の大半を過ごしていました。教皇だったソルは誰よりも私に近く、そして自由に謁見できる限られた者達の1人でした。だからソルの来訪は私にとって特に疑問に思う事ではありませんでした。ですがソルからすれば、それまで何百回と重ねて来た訪問、打ってきた布石を回収する最後の1回だったのでしょう』

 

 ソルはこう言った。

 

『―――ソフィーヤ神様、私は常々思っていたのです。これは余りにも卑怯ではないか、と。考えてみれば私達ヒトにはこの脆弱な体しかありません。ですが同じように神々が生み出された龍たちは強靭な肉体を持つだけではなく、世界の法則を繰り、そしてこの世を変化させる力を持っています。私もまた、この世の為に多くの奉仕をしてきました。ですが我々人間は余りにも脆弱……龍とはその根本から違い、争えば勝つ事などあり得ません』

 

『無論、私はその言葉を否定しました。ヒトはヒトで素晴らしい生き物です。弱く、儚い事は事実です。ですがその肉体に秘めた生きようとする意志はこの地上における生物で最も強いものです。その一つへと捧げる情熱、情動は他の種族には存在しない強い意思です。ヒトという種よりも優れた意思を持つ生き物はいません。私はそうソルへと伝えました』

 

 だが当然のように、或いは元から解っていたようにソルは否定した。

 

『大いなるソフィーヤ神、我らが母よ。そうではないのです。私はただ、龍はあれほど完璧な存在なのに私たちがこうも欠けているのは卑怯だと思ったのです。ただそれだけなのです。人の可能性、人の素晴らしさ……それは良く解っています。私自身、人は決して止まる事のない種だとは思います。ですがどうしても、龍と比べると見劣りする事実に胸が痛むのです。どうして私達はこうも不公平に創造されたのでしょうか?』

 

 ソフィーヤ神は答えに窮した。ヒトと龍では運用設計が根本から違う。何故、と問われてもそれ以外の答えを出す事は難しい。ソルを納得させるような言葉ではない。

 

『そこで私は過ちを犯しました―――私はソルに龍の欠陥を伝える事にしたのです』

 

「龍の欠陥? こんなナーフ必須のクソ強いバグ種族に弱点とかあるの?」

 

『エデンにはそういう部分が薄いから伝わりづらいかもしれませんが、龍という種は全体として強靭でありながらもその精神は長く生きる為に穏やかな気質である事を求められて創造されました。気性が荒ければ荒い程長い時を生きるのには向きません。ですから龍は長く生き、そして星を支える為に細かな事には拘らない穏やかな精神性を備えて創造された生物なんです』

 

 だから龍は長く生きるのに向いている―――だがそれは同時に龍は争い事を嫌い、そして疎む性質を持っているという事でもあり。自分の力を良く知る龍たちは戦えばそれが何を引き起こすのかを良く理解していた。だから龍たちは戦いを疎み、そして人を愛でていた。小さな姿で努力し、成果を生み出す姿はどれだけ眺めていても飽きる事はなかった。

 

『それで龍という種をソルは理解しました。龍という種が人に襲われた場合、決して反撃する事はないだろうという事を。既に龍の肉体がどういう構造をしており、どうすればその鱗を裂く事が出来るかを龍自身から聞き出せていたソルは、私の言葉で最後のピースを埋めてしまったのです……人であれば龍という種に勝てるという確信を』

 

 ソフィーヤ神の原罪。

 

 それは己の信徒を疑う事無く受け入れ、そして思いもしなかった事だ。

 

 まさか、だ。

 

 まさか―――自分を信仰する男が、全ての上位種を憎み嫌悪しているなんて。

 

『ソルは生まれた瞬間からこの世にある全ての神々と龍を憎んでいました』

 

 ソルは初めにこう言った。

 

『―――気持ちが悪い』

 

 男は最初から全てを嫌悪していた。

 

『―――気持ちが悪い。吐き気がする』

 

 神の実在を知って吐き気を催した。龍という絶対種がヒトと笑顔で接しているのを見て恐怖に震えた。

 

『―――気持ちが悪い。吐き気がする。なんだ、なんだ、アレは? あんな生物が存在してなるものか。なんだこいつらは。気持ちが悪い、気持ちが悪い、気持ちが悪い、気持ちが悪い! どうして誰もが平気そうにしているんだ! 信じられない……ここの人間は誰もが狂っているのか? 頭がおかしいのか? こんな、こんなものが、こんな生き物が存在していてはならない……!』

 

 ソルという男は強く、強く全ての上位種を憎んでいた。その憎しみをカリスマと好青年という仮面を深くかぶる事で隠して、自分の心さえも隠してずっと隠し通した。常に襲い掛かる不快感と嫌悪感、それを全てのみ込んで理想のリーダーを演出し、その瞬間をずっと待ち望んでいた。そして教皇と言う地位に昇り詰め、全ての情報を、ソフィーヤ神から絶対に必要だった最後のピースを聞き出す事に成功した。

 

 これによって計画は成就した。

 

 長年、嫌悪感に蝕まれながら積み上げた計画。龍を殺し地上から神々を追放する為の楽園落とし。

 

『彼は教皇へと就任した時に、名を改めました―――アルシエル、と』

 

 太陽は黒く染まった。その熱で人々を狂わせるように感染させる。バグ、エラー、ウィルス。男の存在はそうとしか表現できない邪悪さを孕んでいた。男はこの世界に絶対現れる筈のない存在だった。

 

 男は、

 

『異界の魂をその身に宿した存在―――彼は、ソル=アルシエルは、転生者でした』




 感想評価、ありがとうございます。

 ファンタジーが実現する世界、自分を支配する化け物がいるのをしって男は恐怖と共に吐き気を覚えた。こんなの、現実じゃない……と。そう、彼は日本出身ではないのでなろう耐性がなかった!!


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人理教会 Ⅷ

「―――転生者」

 

『はい、転生者です』

 

 ソフィーヤ神のその言葉に俺は少し、黙ってしまった。やはり、神々は俺が転生者だと理解している。そしてその上でそれを特に問題視していない、というのは行動から見えるスタンスとして理解していた。だが実際、こうやって口に出してその存在を肯定されると少し複雑な気持ちになる。非現実的……と呼ぶには少々色々とあり過ぎたが、それでもこうやって神の言葉で転生の存在そのものを肯定されると……なんだろう、言葉に出来ないものがある。

 

「転生者って、偶にあるもんなの?」

 

『非常に珍しい事象ですが、あります。世界の壁、その理は時折揺らぐ事があります。それは強大な存在の死であったり、或いは超越的な存在が戦った結果次元の壁が揺らいだり……或いは単純に積み重ねられたエラーによって偶発的に発生する事例だったりします。アルシエルの生誕、その転生は一番最後の部類です。何百、何千、何万、何億と積み重ねられてきた死と生の転生システム、それがちょっとしたエラーを起こしただけです』

 

 そもそも、と言葉を続ける。

 

『生と死の循環は一つの次元に留まりません』

 

「そうなの?」

 

『はい。死の世界は最も理から外れている領域です―――冥府は最も現世に近く、遠いあらざる世界です。その為この次元において最も他の次元に近い場所が冥府になります。冥府はまた別の冥府と隣接し、そして時折繋がりながら魂の循環を行っています。その大本が何時作られたかは不明ですが……これは世界の死により魂が行き場を失わない為の対策だと言われています』

 

 無論、とソフィーヤは付け加える。

 

『地球とも冥府は繋がりがあります』

 

「……」

 

 胸がきゅっ、と締め付けられる感覚に思わず胸を押さえた。だが俺は地球ではもう、死人だ。後悔や未練があるかと言われればそこまで多くはない……あえて言うなら新刊が気になる程度の事だろうか。今はそれよりも楽しい事がたくさんあるから―――と、ちょっとだけ強がりを言ってみる。

 

『話が逸れましたね。アルシエルの話に戻しましょう。彼の誕生、彼の生誕、彼の転生……それらは全てイレギュラーとして発生した事でした。時折存在する転生システムのエラー、そこから偶発的に流れ着いた魂がアルシエルでした。非常に珍しい事例ですが生前の記憶を保ったまま新たな生を授かる存在というものはありえなくはありません。ですから私達は―――いえ、私はアルシエルが異界からの転生者であると理解しながらも、特に干渉する事なく放置する事にしました』

 

 ソフィーヤはその言葉に、胸を押さえた。

 

『私は知っていました……アルシエルが転生者である事を、その生まれの時点で。彼が世の全てを疎んでいる事も。ヒトよりも優れた種全てを疎んでいる事も。ですが、私はそれでも彼を放置していました。この世は限りなく美しく、そして素晴らしいと信じていました。きっと、アルシエルも生きていくうちにこの世界を愛してくれると思っていました』

 

「だけど、そうはならなかった」

 

『―――アルシエルは常に私心を殺して生きていました。彼は怯えていたんです、世界の全てに』

 

 ソフィーヤ神の語りは続く。

 

 アルシエルは優れたリーダーシップを見せていた。周りの人間を牽引し、常に最前線で物事に当たって行く姿は、集団の中核を担うリーダーに相応しく思えた。

 

 だがそれは表面上のものでしかない。

 

 アルシエルは常に酷く怯えていた。龍に、竜に、そして神に。異世界で生まれ育ったアルシエルの生に実在する神々の力は酷く恐ろしく映った。龍がその力を行使するだけで都市一つ分の大地が拓かれる。或いはその力を行使する事で築かれた全てをリセットするように大自然へと土地を返した。現実にはあり得ない光景だった……その筈だった。だがアルシエルの前ではファンタジーと思われた事が当然のように行われていた。小説でもなく、漫画でもなく、アニメーションでもない。

 

 全てが現実。少し何かが狂うだけで全てが破滅しうる力が野放しになっている。

 

 それがアルシエルにはどうしようもなく恐ろしく映った。

 

『だからアルシエルは決断しました。この地上にヒトの世を作る事を。神話の時代を終わらせて、彼の良く知る世界を生み出す事を。神と龍を地上から駆逐して安心して眠れる世を作る事を。自分の恐怖を絶対に排除してみせる、と』

 

「……寂しい人だったんだな」

 

『どうなんでしょうか。私は終始アルシエルの事を本当の意味では理解する事が出来ませんでした。私は、私達の世が素晴らしいものだと常々考えて生きていました……ですが、アルシエルという異世界人からしてみればこの世は地獄だったそうです。それでもきっと、この素敵な世を愛してくれると、そう信じて私はアルシエルを野放しにしていました……その内心を知りながら』

 

 きっと、それが、

 

『―――私の原罪です』

 

 ソフィーヤ神はアルシエルが感じる恐怖も憎しみも全て手に取るように理解していた。限りなく全能で、限りなく全知だから。当然のように人をつかさどる神であるソフィーヤ神はアルシエルの苦悩を理解していた。

 

『だけど私は何もしなかったのです。時が彼の心を癒し、そして育んでくれると思っていました。ですが違いました。アルシエルは時が経つにつれその心を変えて行っても決して世界を認めるようにはなりませんでした……それでもきっと、きっと……そう信じて私はただ見守る事だけを選んで……全てが狂い始めて―――』

 

 あぁ、とソフィーヤ神は吐息を零した。

 

『何が正解だったのでしょうか。私は若く、愚かな神でした。ですが未だに正解が見えません。果たしてアルシエルを諭すべきだったのか。それとも世界を侵す毒として彼を殺すべきだったのか。それともヒトの世へと移行する事を良しとするべきだったのか。何を選んでもきっと正解ではなかったのでしょう。ですが私は愚かにも何もしない事を選んでしまったのです―――きっと、選択をするという事そのものを恐れてしまった』

 

 そしてアルシエルはその生涯の大事業へと乗り出した。

 

 即ち創る、人の世を。

 

 龍を殺し神を地上から追放する大偉業。アルシエルは一度も神と向き合う事なくそれを成した。そうやって地上は人の手に渡り、人の世がアルシエルの手によって創生された。その瞬間、その時代、世界は確かにアルシエルの手によって回されていたのだ。それを盤石にするために徹底した教育の根幹を構築した。神々が地上へと干渉し辛いような環境と考え方を地上に作る。

 

『アルシエルは教育の大切さを良く理解していました。まだ疑う事を知らない人の子らは教育を当てる事でどうとでも変われるというのを理解していました。まだ人類が黎明を迎える時期でしかなかった頃、アルシエルは“常識”を作る事にしました。これからずっと、人類が抱えて行く考えの根幹。それを楔として打ち込む事で人の世を崩せないものとしたのです。我々神々は地上への直接的な干渉は回避しています。何をするにしても我々では影響力が違い、それは強すぎるからです』

 

「だからソ様達はアルシエルが作った世をひっくり返せないんだ」

 

『はい』

 

 恐ろしく狡猾なやり口だった。龍は言ってしまえば神々が地上へと干渉する為のツールだ。神と言う膨大すぎる力をもっとミクロでコントロールできる龍という形にする事で地上への影響を最小限に留めている。だがアルシエルの教育と常識はそれを破壊する事で神々への地上干渉を回避する事に成功している。声一つだけでも人の人生を狂わせる事の出来る力が神々にはある。

 

 今更アルシエルの行いを間違いだと糾弾すればそれだけで地上の何もかもが混沌に陥るだろう。神々は……いや、ソフィーヤ神は決して混沌が欲しい訳じゃない。こうなって、こんな風になっても結局のところずっと安寧を願っている。安寧と平穏を、優しい夜を迎えて眠り、そして清々しい朝を迎え起きる喜びを味わってほしい。

 

 例え貶められ、苦しまされ、罪の意識に苛まれても―――ソフィーヤ神はずっと、人々の安寧を願っている。

 

 彼女は間違いなく、人の為の女神だった。

 

「ソ様は……アルシエル某の事、許せない?」

 

『私は彼を決して恨んではいませんよ……恨める筈もありません。結局、彼がこの道を選んだのは私が彼と向き合う事を拒否したからです。誰よりも苦しんでいたのは彼で、それを知っていた筈の私はそれに触れてあげるべきだったのです。それから逃げたのは私です』

 

 申し訳なさそうに、しかし疑う事無く応えるソフィーヤ神。きっとその答えは何千年も前に出ているのだろう。考える時間だけはずっとあったのだから。悠久の時の中で考え続けて出た結論―――それがソフィーヤ神の地上への極限までの不干渉と沈黙。己が見過ごしてしまった間違いへの回答だった。

 

「後悔……してる?」

 

『どうでしょう……難しい話です。長く、長く生きてきました』

 

 だけど、

 

『それでも完全な答えが出た事はありません。私も、未だに答えを探している途中なのかもしれません』

 

「そっか」

 

 そっか、と呟きながら俺は腕を組んで天井を見上げる。数秒程、目を閉じて考えを整理するように思考を巡らせ―――それから答えに至る。結局のところ、エデン=ドラゴンの取れる選択肢なんてそうなかったんだ。生まれた時点で、そして生きたいと思う時点でやるべきことは決まっているのだから。ここまでの十数年間、なんとなくで生きて来た龍生だった。だけどいい加減流されるだけの生を送るのは終わりにするべきなのだろう。

 

 俺はベッドの上から降りて立ち上がり、腕を組んだまま胸を張ってソフィーヤ神の前に立つ。

 

「ソ様」

 

『はい、エデン』

 

「俺、思うんだ。アルシエルがやった事は良い事でもあるし、悪い事でもあるんだって。でも結局過ぎ去った事実を後悔したり責めてもなんにもならないって。過去は過去、もうどうしようもないんだ。俺も、ソ様も今を生きているんだ。だったら俺達が向き合うべきなのは既に死んでどっかに消えたアルシエルの事じゃなくて……今の世、どうやって生きて行くべきかって事なんだと思うんだ」

 

 きっと、アルシエルの心を知るのは大事な事だ。だけど最も重要な事ではないのだろう。それが歴史の真実だとしても、俺が生きて行く事とは関係がないんだ。

 

 だから断言する。

 

「俺は生きたいよ、ソ様。この世界でエデンとして、何も心配する事無く生きてたい」

 

『えぇ、私はその心を肯定します。貴女のその思いに何も間違いはありません。ですので―――』

 

「だから!」

 

 ソフィーヤ神の言葉をさえぎるように、

 

「だから、ソ様、聞いて欲しいんだ」

 

『……はい』

 

「アルシエルの事がソ様の心に棘として刺さっているなら、それを俺が引っこ抜いてやるよ。やられたら倍返しだ。人の世の間違いは人の世によって正すんだ。いいか、ソ様? ソ様は何も悪くないんだ。悪い事はしてないし、間違ってもいない。人間関係なんてそもそも正解が存在しない事なんだ。勝手に世界に絶望して天を滅ぼそうとしたボケカスの事なんてそう深く考えなくていいんだ―――」

 

 そう、アルシエルの事は重要じゃない。重要なのは今であって、俺がどうするのか。

 

 答えは話を聞いて出た。

 

「俺は創る、新たな世を」

 

 魔族の問題、星の寿命問題、宗教問題、国家の問題。良いだろう、全部かかってこい。こっちとら最強種だぞ。コネと権力と暴力で全部解決してやろうじゃんか。

 

「異界の移民問題、狂った宗教の問題、隠されている歴史の真実、暴れる竜達の問題―――全部全部、誰かが解決しなきゃいけないんだ。だったら俺がやるよ、俺がソ様がサボってた事全部片付けるよ」

 

 逃げるのは終わりだ。隠れるのも終わりだ。幼年期には別れを告げよう。ここから先、世界へと道は開けていくのだからもう見て見ぬフリはダメだ。その先にあるのは破滅だけだ。そしてそれは、明確にこの国にも根付いている。魔族と宗教の摩擦、次代の王の問題。絶対に温和に解決しない物事は近々この国に血の嵐を呼び込むだろう。それをもう、一般人だからと見過ごすことはしない。ここから先、時代を作るのは俺の仕事だ。

 

「ソ様の娘として、そして地上最後の龍として―――」

 

 俺は、自分の道を決める。

 

「―――この世界を征服する」

 

 俺の発言にソフィーヤ神は困ったような、驚いたような、仕方のない娘を見る様な母の表情を浮かべた。

 

「やろう、ソ様。俺とソ様から世界征服始めようよ。今まで目をそらしていたもの、触れようとしなかったもの。その全部に手を伸ばして拾い上げながら世界を変えて行こう―――出来るさ、俺達なら」

 

 だって俺達、親子じゃん。

 

 最後の言葉を付け加えず俺はソフィーヤ神へと手を伸ばした。それにソフィーヤ神は一瞬躊躇いを覚えた。伸ばして良いのか、触れて良いのか。悩む様に伸ばした手を引っ込めようとしたから、

 

「異論は認めなーい!」

 

『あっ』

 

 ひっこめようとした手を無理矢理掴んで、そのままベッドに押し倒すようにソフィーヤ神の胸の中へと飛び込んだ。恐らく地上で、歴史上唯一神をベッドに押し倒した娘という事になるのだろう。この不敬力MAXの行いを宗教家がみたら全裸で踊り出すレベルで発狂するのだろうが、ソフィーヤ神は押し倒された状態で一瞬だけぽかん、とした表情を浮かべてから破顔した。

 

『あぁ、もう、本当に……仕方のない子ですね』

 

 愛の込められた呟きに、体を抱き返す。長らく誰かに触れず、触れられる事もなかったソフィーヤ神の手は長い時を経てようやく誰かのぬくもりを感じられる様になった。

 

 俺はそれが正しい選択かどうかは本当に解らない。だけどきっと、全部必要な事だと思っている。じゃなければきっとこの世界は何にも変わらないだろう。この国も少しずつ血と暴力に呑まれて変わっていくのかもしれない。

 

 だから立ち上がろう。きっと俺がそんな時代に生を受けたのにはそういう意味があるのだから。拾い上げられるものは拾い上げながら進んで。

 

 ここから始める。

 

 ―――俺の世界征服を。




 感想評価、ありがとうございます。ついに評価数600を超えました!

 国内勢力を見るだけで王国勢力(最大基盤)、宗教勢力(国外最大勢力)、魔族(戦闘力に最も秀でた勢力)、ふぁーさん勢力(一番認知されていない)という群雄割拠っぷりだったりする。

 と言う訳で改めて、この小説はダクファン世界を暴力(力)と暴力(権力)と暴力(コネ)で生き抜いて行く話です。始めよう、世界征服。


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人理教会 Ⅸ

「リア! ロゼ! ちょっと話が纏まったから色々と説明したいんだけどいいかな?」

 

「あら、もういいの? 案外早かったわね」

 

「お帰りー」

 

 リビングに戻ってくるとリアとロゼがティーカップを手にティータイムを楽しんでいた。テーブルを挟む様にソファに座っている姿はどことなく俺を待っている様にも感じられた。ちょっとだけ感じる申し訳なさに頭を掻きながらテーブルの横に立つように移動し腕を組む。心の中で良し、と呟く。今から盛大なネタバレを行う訳だが、今まで積み上げて来たものとかが色々とある。それが一瞬で崩れる可能性もあるから割と心細い……だが何時かはやらなきゃいけない事なのだ。永遠に、それこそリアとロゼが寿命を迎えるまで待つわけにはいかない。

 

 大人しく、幸せな寿命を彼女達が迎えられるとは限らないし。

 

「それで、なんか光ってたり色々としてた感じあるけど……で?」

 

 ロゼが話しやすいように配慮してか、此方の言葉を引き出そうとしてくる。それに心の中で感謝しつつそうだな、と言葉を置いた。

 

「まあ、凄い根本的な話をすると俺にはオラクル能力があって神々と単体で交信できるんだ」

 

「初手のジャブとして中々強いのが来たわね。気分は開幕でパイルドライバーを喰らった気分よ」

 

「ちなみに私は知ってる」

 

 リアにはほぼ何も隠さず全部語っている―――というかグランヴィル家には何も隠さずにいるので、俺が出来る事や俺の背景回りの事は大体全部知っている。知らない事と言えば龍殺しの話辺りぐらいだろう。あの人の事は話題に出すのはなるべく止めているし。というか勘づかれない為になるべく思考の外に追いやっている。

 

「ま、まあ、良いわ。エデンがちょくちょく放ってた気配とかの理解が出来たし。貴女、オラクルしてるならもうちょっと周りの目を気にした方が良いわよ? 本当に親切心だけどそういう能力って冗談抜きで希少だから。単独で神の声を聞けるなんて片手で数えるほどいるかどうかってレベルの筈よ」

 

 ロゼはそう言うと考え込む様に口元に指先を当てる。

 

「でもエデンがそんな技能を持っているとはねぇ。教会からすれば喉から手が出るほど欲しい人材でしょうね。公表すればそれだけで各教会で取り合いになってもおかしくないわ。神の声を安定して聞けるなんて信徒からすれば正しい神の思想を知るための唯一無二の手がかりだし、私達も今神々に教えられた正しい人生を送れているかなんて他に知りようが無いし」

 

「人材じゃないよ」

 

「うん?」

 

「龍材だよ」

 

「……うん?」

 

 ロゼの前で擬態を解く。人の姿をしていた身体が光に包まれ変形する。肌を鱗が覆い、角が伸びる。両手脚はもっと強靭で小さく―――部屋のサイズを考慮して体を小さい姿へと構築し直す。背中からは翼が生え、臀部からは尻尾が生える。服はそのまま取り込む様に変身し、光が収まる頃には俺の姿は慣れた人の姿から白い鱗に黒い線を刻んだ龍の姿へと変貌した。口を開いてあっあっあっ、と人語用の声帯が使える事を確認し、告げた。

 

「俺、実はドラゴンなんだわ」

 

「……うん??」

 

「―――」

 

 急なカミングアウトにロゼは首を傾げ、仕事に集中する事で全部受け流していたクレアの方も動きを完全に停止させていた。俺の本来の姿を見て完全に思考停止に陥っている間に、そしてと情報を叩き込む。

 

「実は俺のママ、ソフィーヤ神なんだ」

 

 ばたんっ、とさっきまで入っていた俺の部屋が開き、ソフィーヤ神が出てくる。

 

『貴方達からすれば始めまして、と言うべきでしょう。人類の母です』

 

「?????」

 

 スペースキャット状態に突入するロゼとクレアを前にソフィーヤ神は俺の所までくると両手で俺を抱き上げる。

 

「ちなみに今の人理教会はソ様の言う事を完全に無視して暴走しているから教義は大体間違っているぞ!」

 

『私は一度も龍を殺せとは命じていませんし、このまま龍狩りが続くと世界は緩やかに滅びます』

 

「だから俺は人理教会を乗っ取り、正しい信仰を取り戻すついでにこの世界を征服する事にした!!」

 

 

「??????????」

 

 口を開けて虚空を見つめながらスペースキャット状態のロゼとクレアの顔は完全なあほ面を晒している。脳に叩き込まれる真実と情報の数々に全く処理が追い付いていないが、叩き込まれてくる目の前の神聖な存在は真実としか理解する事が出来ず、2人は言葉を失って背景に宇宙を浮かべる事以外は出来なかった。ただリアは特に気にする事もなく俺を指さし。

 

「姉!」

 

「俺は姉」

 

 それからソフィーヤ神を指さす。

 

「ママ!」

 

『母です』

 

「良し!」

 

 満足げに頷いて納得するリアの姿に、ロゼが再起動を果たした。

 

「良しじゃないでしょうがぁぁ―――!!!!」

 

 この女、ツッコミをする為だけに再起動を果たしたの地味に凄いと思う。

 

 

 

 

 これは実はすごい悩んだ事だ。ロゼとリアに俺の真意を、状況を説明するか否かを。だけど結局のところ、俺はそれを2人に伝える事に決めた。何よりも2人は俺の大事な幼馴染で、家族だ。そして俺が動き出せば真っ先に巻き込まれるのも2人になるだろうと理解しているからだ。だから真っ先に何かを説明するなら、この2人に伝えなくてはならないと思った。巻き込んでしまう事に関しては本当に心苦しいが、それでも説明する他なかった。だから俺はゆっくりと、しかし抜けが無い様に説明する事にした。

 

 俺が龍である事、その意味、魔族がそれを知っている事、人理教会に疑いをかけられている事、そしてアルシエルの行いと歴史の真実を。途中、再び完全なスペースキャット顔に突入してしまったロゼとクレアが再起動するまでまた時間を要したが、それも仕方のない内容だろう。そもそも現行人類の常識を真っ向から否定する内容なのだ。これで頭をおかしくしない方が難しいだろう。

 

 ロゼの精神安定のために一度発狂タイムを入れて、ベランダで好きなだけ暴れてからロゼが戻って来てソファに座った。俺は龍態のままソフィーヤ神の膝の上に乗っかって撫でられている形になり、リアもロゼの横に座っている―――流石に主神格の前ではリアも何時も通りのノリのままではいられないらしい。そこら辺、ソフィーヤ神は心の底から気にしないのだろうが。

 

「なる、ほど。本当に噛み砕けているかどうかはまた別の話ですけど最低限の理解はしました」

 

「俺には敬語必要ないぜ」

 

『私もエデンと同じ扱いで結構です。何と言っても母ですから』

 

「エデンはともかくソフィーヤ神様は無理を言わないでください……!」

 

 無理と言われたソフィーヤ神が落ち込むのをガン無視しつつ、俺は話を再開する事にした。

 

「まあ、そんな訳で最近の状況を色々と考えて自分から何かするべきだと考えたんだよね。少なくとも魔族に正体がバレて、それで教会に異端容疑をかけられた以上もう隠したまま生活し続けるのは無理だと思ってんだよな。だからこっちから世界を変えてやろうって思って」

 

「そこでなんで世界を変えてやろうって考えになるのよ……!」

 

 はあ、と溜息を吐きながらロゼは額に手をやる。未だに全ての情報を呑み込めた訳ではなさそうだが、それでもある程度納得できるラインにまでは落ち着いたらしい。俺はそれを見て首を傾げた。

 

「疑わないん?」

 

「今更の話でしょ。一体何年幼馴染やってると思ってるのよ」

 

『……』

 

 ロゼの返答にソフィーヤ神は笑みを隠し切れずに物凄いにこにこしてる。まあ、俺も実際に凄いにやにやしてるのでソフィーヤ神の事は責められない。母娘揃ってのにやにや攻撃にロゼが一瞬たじろぐが。

 

「……ま、まあ、解ったわ。解りたくはないけど凡その流れは理解したわ。ソフィーヤ様もエデンを支持する……という事なのでしょうか?」

 

『私は長い事、後悔して生きてきました。人の子の世を眺め、そして少しずつそれが淀んで行く姿を。あの時、確かに出来た筈の事を恐れ、ずっと逃げ続けてきました。ですがこの子に言われ、私も己の過ちを正すべきだと考えました』

 

 とはいえ、とソフィーヤ神は付け加える。

 

『私が地上で力を明確に行使することは出来ません。私がその様な事をすれば……他の神々も同じように自重しなくなるでしょう』

 

「自重しなくなる……」

 

 脳裏に浮かび上がる笑い声をあげる神々の幻影。スパチャが欲しいか? くれてやろう! 我自らな! とかいうノリで絶対に現れるであろう一部の神々。永劫ブラック企業冥府の川に就職しているオフを永遠に貰えず他の神々を恨めしい目で見るであろう神の姿。確かにソフィーヤ神という一番地上に干渉しない神が地上に積極的な干渉を見せるようになれば、他の神々も黙ってはいないだろう。今の時代自重されている祝福とかいう名のスパチャが注がれて神代クラスの英雄とか英傑とかがぞろぞろと出てくる可能性がある。

 

 やだなぁ……。

 

『私が出来る限度は声を届ける程度でしょう』

 

「それだけでも十分だよ。ソ様の声さえ届ける事が出来ればそれで人理教会の動きは止められるし……まあ、そのほかの魔族と人類の問題は俺が解決手段を見出さないといけないんだけどね」

 

 これがまた難しい。魔族と人間の間にある意識の差、そして思想の違い。既に起こされてしまった事への償いと賠償。その全てを解決しない限りはこの世は良くならないのだから。そしてこの世と付き合って行く以上、俺はその問題に対して正面から向き合っていかなければならない。きっと、1年や2年どころではなく、10年や20年ですら解決するか解らない問題なのだ。

 

「だけど目をそらして先延ばしにする事は出来ない事だろう」

 

 結局のところ、俺の意思はそういう所で固まっていた。誰かがやらなくてはならない。だったら俺がやろう、そういう話だ。

 

「……」

 

 ロゼは俺と神の話を受けて互いに視線を合わせるとはあ、と溜息を吐いた。

 

「リアはこの話、どこまで知ってた?」

 

「私はエデンの正体回りだけかなー」

 

「つまりリアにも隠してた、って事ね」

 

 リアとロゼから向けられる視線にササッと顔を背けて虚空を見ながら口笛を吹く事で誤魔化そうとするが、視線が突き刺さってくる。それを咎めはしないが、ソフィーヤ神は頭を撫でて此方に対応を促してくる。そこにちょっとした居心地の良さと悪さを同時に感じて、ソフィーヤ神の膝から降りて横に座り人の姿へと戻る。

 

 膝を抱えるようにソファの上に座り、指先をつんつんと突き合わせる。

 

「いや、だって事情とか知ったら巻き込んじゃいそうだし」

 

「もう遅いわよ」

 

「ほんとごめん」

 

「もっと早く言ってくれればよかったのに」

 

「俺も覚悟が出来たり全部把握できたのは最近だし……」

 

 いや、まあ、うん。

 

「ごめん、迷惑をかける」

 

 やるって決めた。決めた以上はもう、俺の周囲も無関係ではいられないだろう。それが踏み出すという事の恐怖でもある。だから謝る、ごめんと。巻き込む事は確定してしまった。もはや逃れる事は出来ないだろう。この巡る因果と因縁、古代から続くそれはもはや俺を逃してはくれないだろう。だから向き合う必要がある。だからこれから巻き込んでしまう事を謝ると、リアとロゼは視線を合わせて小さく笑った。

 

「世界征服ね……始めるならまずは国内を抑える必要があるわね。ソフィーヤ様という正当性を乗せているエデンだったら多分教会を制圧するのはそう難しくはないわ。奉じる神々は別でも世界を支える神格であるソフィーヤ様の前では他の信徒も平伏するしかないでしょうし」

 

「国内を抑えるならまずはバックを用意する必要があるんじゃないかなぁ。学園長とかたぶんエデンのバックに立候補してくれる気がするんだよね。後はアルド王子の派閥が味方欲しがってたし、それを利用するのもいいかも。お父様に話してみれば昔の同僚に声をかけて貰えるかも」

 

「なら私もお父様を説得して辺境をこっちの派閥に組み込んでみようかしら……元々辺境の地は後々私が統治するんだし、今から私が動いておけば将来の予行演習にもなるだろうし丁度いいわね」

 

「え、あ、いや―――」

 

 ちょっと待って、と言おうとしてリアとロゼの表情に微笑が浮かんでいるのが見える。その表情に思わず言葉を失いそうになるが。

 

「待って待って待って、2人とも別に何かして欲しいって訳じゃなくてさ」

 

「何を言ってるのよ。巻き込まれるのが解ってるならこっちから乗るわよ」

 

「そうそう、遠慮する必要なんてないよ。私達、家族なんだから」

 

「水臭いのよ、ただ待って守られていろ、なんて。これまでずっと頑張って来たんじゃない……そんな辛い事ばかりを私の親友に押し付け続ける世界なんてこっちから願い下げだわ。いいじゃない世界征服、夢もやりがいもあって」

 

 やる気満々と言う様子のリアとロゼの様子に俺は黙って頭を掻くしかなかった。恥ずかしさと嬉しさと、そして申し訳なさに頭が上がらない。それを少し離れていた位置で眺めていたクレアが言葉を挟み込んでくる。

 

「宜しいのですか、お嬢様。問題はそう簡単なものではありませんよ」

 

「馬鹿ね、だからこそ。実利面から見てもエデンの話に乗る意味はあるわ。もし、今の混沌としている国内の現状をエデンが取りまとめるなら、エデンはこの国内で唯一無二、神をバックに持ったトップになるわ。その正当性はどの勢力であろうと絶対に覆せない強みよ。治安が乱れ、本当は何が正しいのか見えなくなってきた今だからこそ最も輝くカードになるわ……その、物凄い不敬な言い方になってしまいますが……」

 

 恐る恐ると言う様子でソフィーヤ神へと視線が向けられるが、ソフィーヤ神は微笑みながら頭を横に振る。

 

『構いません……いえ、言い方が違いますね。いい加減どうにかするべき事なのでしょう。私の名を貸す程度でどうとでもなるなら、そうするべきでしょう。少なくともエデンだけなら……私は自分の名がどう使われようとも気にする事はありません』

 

 成程、とロゼが頷く―――恐らく、ここで一番政治的な判断力と能力に優れているのはロゼだ。俺なんかよりも立派に政治関連の教育を受け、将来的にそれを戦う立場に立つための準備をしているのだ。俺よりもちゃんと判断する事が出来るだろうから、ソフィーヤ神の名を正当性を持って使う事が出来るというカードの意味を理解しているのだろう。その表情はどことなく楽しそうに見える。

 

 そんな楽しそうなロゼの表情を見てリアが頷く。

 

「うん、始めよう。世界征服」

 

「俺の世界征服」

 

「私達の、でしょう。1人じゃないんだから」

 

 幼馴染3人、顔を見合わせて微笑み、小さく笑い声を零す。計画しているのは子供がする悪戯とは比べ物にならない程恐ろしい事だ。それでも悪戯を計画する時の様な楽しさが不思議と湧き上がってくる。この世界を変えてやろうという気持ちが満ちる。そしてきっと、俺達3人ならやってやれない事もないという思いがある。

 

 ある意味で、

 

 ここが、きっと、俺の人生における物語の―――本当のスタート地点なのだろう。




 感想評価、ありがとうございます。

 幼馴染+1ゴッドで始める世界征服。

 ここがこの物語における本当のスタート地点とも言えるもんです。と言う訳で次回から王都で出来る事を、王都にいる間に。


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征服への一歩

「―――それで、貴女はどう思うクレア?」

 

 王都アルルティアの通りを歩きながらついてくるクレアへと向けてそう問う。世界征服、言葉にしてみると壮大すぎて現実味がないだろう。だが神があの場にいたという事実は否定のしようがなかった。それはもはや人類に刻まれた本能だ。人理の神ソフィーヤは人を司る神である。そうであるが故に人は、本能的に自分の主を、王を、君主を、絶対神が誰であるかを悟ってしまう。だから神の身分を偽る事は不可能だ。私は扉を開けた瞬間にあっ、本物だ……と思ってしまった事を心の底から理解できなかったし、理解もしたくなかった。だけどそれが現実だ。

 

 何が間違ってるかはよくわからないが、幼馴染の親友は実は神の子で龍だったらしい。

 

 は??????

 

 今更になってキレそう。キレる。キレた。そして冷静になった。歴史が今日だけで完全にひっくり返っている。だが重要なのはそこではないのだ。エデンがやろうとしている事、そしてそれを神が承認しているという事の意味―――これから世の中は荒れる。恐らくはエデンが思っている以上に、だ。その為には絶対に動く必要がある。だから、話題はクレアへと向けて振られる。

 

「どう、思うと仰いましても」

 

 横を歩くクレアは答える。

 

「どうしようもありません。私はただのメイドです。平民として、ヴェイラン家に仕える者として主の意向に沿うのが職務ですので」

 

「真面目な返答ねぇ」

 

 クレアの返答を聞けば真面目な従者だと思えるだろうが、それで満足できるはずもない。既に中央に来てからそれなりの時間を過ごしている中で、様々な疑問を覚えてはそれを呑み込んできた。世の中には疑問を覚えても質問しない方が良い事、質問しなくても良い事がある。エデン周りの事がその一つでもある。明らかに人ではあり得ない力、聞いた事もない能力、そして普通は出てこないアイデアを閃く頭脳は辺境の中でも特に特異な存在の一つだ。

 

 彼女の持つ固有の気配と、時折見せる高貴な気配は決して普通の身分ではない事を証明している。普段は呆けている部分の方が多いが、それでも窮地や劣勢、或いは悪意が蔓延する様な状況下における気配は背筋を凍らせるものがある。それはエデンが抱える本質的な部分だと理解している。だから正直な話、彼女が神々に関連する存在だと暴露された時はそこまでの驚きはなかった。まあ、なんとなくだがああ、やっぱりそういうタイプの人だったんだなぁ……という納得の方が強かった。

 

「この問題はこの国の国民だけではないわ、世界全ての根本に関わる事でもあるのよ」

 

「それは、将来的な話をすれば世界に関わるでしょう。ですがそうなるのは私達の死後ですよ、お嬢様。実感が薄いと言いましょうか、今一要領が掴めません」

 

 まあ、使用人として言われた事をするだけなので私は楽なのですが、とクレアは付け加えてくる。その言葉に足を止めてクレアへと視線を向ける。

 

「良い事、クレア。そういう事ではないわ。この問題は結果的に言えば神がその主権を天上から地上へと移譲させていると言う事になるわ……その意味が解るかしら?」

 

「……いえ、浅学なので私には」

 

「馬鹿なフリは止めて頂戴。貴女の正体は私、大体把握してるわよ」

 

 クレアにそう告げて再び歩き出す。王都にいる以上、自分の本領は発揮できないだろう。所有しているコネクションの大半は何と言っても辺境やエメロードを中心にしている。この王都はアウェーの地になっている為、出来る事は少ない。それでも自分の出来る事から始める必要がある。

 

「そもそもお父様がエデンを信頼しているとはいえ、雇う為の金を持たせて身の回りの世話に従者を1人しか送らないのはおかしな事なのよねぇ……余程信頼しているのか、或いは試しているのか。まあ、両方なのでしょうけど。どっちにしろ1人で大半の仕事をこなせているから違和感を覚える事はなかったのよね」

 

「……」

 

「まあ、この話は良いわ。貴女の正体を暴いて仕事を邪魔したいという訳じゃないし。お父様の過保護っぷりには少々呆れるけど。えーと、それでそうね……これからの問題等に関しての話だったかしら」

 

 クレアの反応を気にすることなく言葉を続ける。このクレアへと向けた話は自分の考えを整理する為の行いでもあるのだから、口に出して言う意味はある。今の時間帯、中央通りは人の往来が多く人の声なんて簡単に雑踏に紛れてしまう。そういう意味では静かで人のいない部屋よりも密談をするのには向いているとも言える。この状況であれば何を聞かれようが気にする人はいないし、会話を追う事も難しい。だから遠慮なく言葉を口にできる。

 

「クレア、これまでの時代、人類はどういうふうに進んで来たかしら?」

 

「それは勿論神意に従った発展です。我々は神々が用意された言葉に従って星の開拓と発展を進めてきました」

 

「そう、それよ。私達の時代、文明、文化……その根本にあるのは神意よ。人の時代とは言われているけど、私達の生活の根本にあるのは神々の意思で、それに従う事でこれまでの発展と栄華を迎えて来たのよ」

 

 だけどよ? もし、それが根本的に間違っているならどうする?

 

 私達の発展、それはどこまで正しいのだろうか?

 

「―――」

 

 私のする話に、クレアは理解が至った。そう、これはそういう事だ。ソフィーヤ神は恐らく有史以来初めて過ちを認めた神になる。何が正しく、何が間違っているのか……それを裁定する筈の全能神が過ちを犯した上でそれを人の子……いや、この場合龍の子に正すことを認めたのだ。これが大きな問題を生む。

 

 完璧だと思われた存在が間違いを犯して、その訂正を行おうとしている。それもその根本を崩すような事までして。エデンの存在、そのものが神々の過ちの証でもあるのだ。だがソフィーヤ神はエデンを決して排除しようとせず、愛し、慈しみ、そして認めた。

 

「神々ですら間違いを犯す―――神々が絶対ではない時代が来るわよ」

 

 その片鱗は既に見えている。魔族たちだ。神々を尊重するが信徒ではなく、奉じない者共だ。この世界において基本的に全ての人々が何かしらの神を奉じている所、何も信仰していない魔族と言う存在は異端になる。だがそんな世の中に、神の過ちが証明されてしまうのだ。神が絶対ではない事、それは暗闇の中の光が失われる事に等しい。人は新たな光を求め、しかし自分の足で歩き出す必要が出てくるだろう。絶対が失われる恐怖というものはある、だが信仰が全てでもない。それが明確に見えてくる時代がやってくる。

 

「成程、お嬢様はその時代に先んじると」

 

「そういう事よ。無論、私はエデンを親友だと思っているわ。あの馬鹿が何かをやるなら私がいなきゃ話にならないでしょうね。だけど同時にこれはチャンスでもあるわ。これから始まる新たな時代、その波の最先端で舵を取るチャンスよ。遅れれば遅れるだけ後から来る混沌に呑まれるしかない所、それを最前線で乗り切る機会が得られるわ」

 

 たとえ、エデンが立つことを選ばなくても、きっと結果は遅かれ早かれという所だろう。エデンの話を聞く限り、既に魔族には筒抜けになっているようだし、教会からも聖女認定されるのは時間の問題だろう。そうなれば魔族と教会の間でエデンの身柄の取り合いが始まるに違いない。そしてそうなった場合、エデンの正体が露見する事はまず間違いがないだろう。そうなってしまった場合、エデンには己の身を守るための下地が存在しない。この世の中で、龍が悪だと断じられる世の中で……果たして、どうやって身を守る事が出来るのだろうか?

 

「遅かれ早かれ、って奴よね」

 

 エデンの正体を知れば素直にそう思える。彼女が平穏に暮らす方法なんてものはないだろう。今の世の中が龍の犠牲と神によって根底が構築されたものである以上、逃げ場なんてものはない。正面から向き合い、そして戦って行く事以外に。それは吹雪へと向かって踏み出して行くような行いだ。そしてきっと、その戦いは私達が寿命を迎えた後も続くだろう。

 

 100年? 200年? それだけでは足りないだろう。エスデルを抑えるなら今の世代だけで十分かもしれない。だが安定させるには? 歴史の真実を周知させるには? 情勢を安定させるには? 他国へと働きかけるようになるには?

 

 様々な事を考えて計画を進めようとすれば数百年なんて時間では足りないだろう。エデンが選んだのはそんな永劫の時を血と共に進んで行く道だ。

 

「なら友人として、そしてこの国の辺境を支える者の後継者として、私は私が成すべき事を成すわ」

 

「……お嬢様の意思は良く解りました。であるなら、1人の使用人として私は何も申し上げません。正直、この件は私の判断には手に余りますし」

 

「でしょうね。私でも正直手に余るわ。でも王室がまともに機能していない今、私達は私達で判断して動く事を求められているわ」

 

 ま、と呟く。

 

「リアが知っているならエドワード様も知っているんだろうし、お父様もエドワード様経由でしっかりと知らされているとは思うけどね」

 

 まあ、そこまで考える必要はない。自分は自分の仕事を果たす事だけを考えれば良いだろう。

 

「さて」

 

 さて、と言葉を置いて息を吐く。

 

「アルド王子、夏の間は学園にいないって話だからたぶんこっちか王城にいると思うのよね。どうにかして捕まえないと」

 

 政治、交渉、商業、領主としての教育を受けた私の分野だ―――正直な話、エデンにもリアにもそういう事をやる能力はない。いや、素質と言うべきものは持っている。だけど本人の性格がそういう分野には向かない。ならそれを担うのは自分だと思っている。だからこっちはまず、味方と派閥を作る。父に連絡を取り、辺境の意見を固めて、そして権力者とのコネクションを作る。

 

 エデンもリアも夜までには何らかの成果を上げてくるだろうから、自分も負けてはいられない。そんな思いを胸に雑踏へとクレアを連れて紛れて行く。

 

 進む先はまだ暗いが、それでも未来へと向かった一歩目を踏み出していることを願って。

 

 

 

 

 ―――俺はギュスターヴ商会、その主であるベリアル=ギュスターヴの部屋の扉を開けた。

 

「べさん、正々堂々と宣戦布告に来たぞ!」

 

「エデン様! お待ちください! 本当に、お待ちください! 止め―――」

 

 プランシーの必死の制止を無視して執務室を開けての宣戦布告にベリアルは酷く驚いたような表情を浮かべてから、冷静さを取り戻すように軽く息を吐いた。俺の直ぐ横に立つプランシーは物凄い申し訳なさそうに頭を下げている。

 

「エデン=ドラゴン、それが貴女の本性か」

 

「猫を被っていた、というよりはベリアル氏には礼儀を尽くしたかったからね。そういう意味でなるべく丁寧に接したけど。まあ、これからはライバル同士だから対等な喋り方であろうかな、って」

 

 どん、と勢いが付きそうな気配を出しつつ胸を張る。その言葉にベリアルは頷いた。

 

「成程、人理教会の件か。その様子から見るに、本気で相対しようと」

 

「然り」

 

 俺の素早い返答にベリアルは言葉を失う様に黙った。困惑とも衝撃とも取れる様子にベリアルは言葉を選んでいる様に思えた。だから話は俺の方から続けることにした。

 

「いや、べさんには申し訳ないって気持ちはあるよ。ここまで凄く良くして貰ったし、丁寧な説明とかして貰っているし。魔族の未来を凄く思っている事も解ったよ。たぶんべさんに任せてれば俺の周りの人を含めて良い感じにして貰える気はするよ。べさん、怖いけど身内とか絶対に守らなきゃいけない相手には凄い優しそうな感じあるし」

 

「ならば、何故」

 

「他人に責任を押し付けて隠れる事なんて出来ないから。誰もが喜ぶようなハッピーエンドじゃないと満足できないから」

 

 だから、と腕を組んで胸を張る。

 

「この星が正当に俺の物だと言うのなら、この混沌とした星を征服して再び俺の物にする。そして魔族も、異種族も、神も、人も、竜も。全部笑顔でいられる様な未来を創る事にする」

 

 それこそが。

 

「このエデン=ドラゴンの夢であり、成すべき事である」

 

 だから、俺はまだショックが抜けきらないベリアルを前に堂々と宣言する。

 

「正々堂々と宣戦布告しに来たぞべさん。べさんはべさんで頑張って魔族の未来を模索してくれ。その先で俺とぶつかる事もあるだろうけど……まあ、その時はお互いに恨みっこ無しでぶつかろう。その時俺が勝ったら俺は俺で魔族の皆もハッピーでいられる結末を用意しとくからさ」

 

 これは自己満足だし、ただのケジメだ。それでも俺が行動を開始する前にしなきゃならない禊だ。

 

「ハッピーエンド目指して全力でぶつかろうぜ、べさん」

 

 にかっと笑ってサムズアップを向ける。そんな俺の姿に頭痛を感じたのかベリアルは頭を抱えてデスクに頭を打ち付けた。




 感想評価、ありがとうございます。

 と言う訳でご存じ、王国編ラスボスはべさん。ベリアルの方針とエデンの方針は魔族救済という点以外では絶対に交差しないので、この2人が別の陣営に立った時点で殺し合う未来は確定なのです。


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征服への一歩 Ⅱ

「甘い夢だ」

 

 深く息を吐いたベリアルが零した言葉だった。片手で頭痛をこらえるように頭を抱えながらも、視線は鋭く俺を睨んでいる―――その目は少しだけ動揺の色を見せていたが、それも直ぐに乗り越えている。ベリアルの人生経験は俺よりも遥かに長く、そして多い。それはつまりそれだけ多くの物事を見て、知っているという事でもある。俺がまだ数十年程度の人生しか送ってない事を考えれば、ベリアルの方がより多くを知り、そして答えを出せる事は当然だ。俺が思う事、その答えも理解しているのだろう。だからベリアルは断言する。

 

「貴女のその意思は理解した―――だがそれは所詮は子供が口にする夢物語でしかない。貴女は理解していない、この世に完全無欠のハッピーエンドなんてものは存在しない」

 

 ゆっくりと、諭すようにベリアルが話を続ける。

 

「人は決して満足する事はない貪欲な生き物だ。どのような結果を経ても更に、もっと、常に先を求める本能が存在している。そしてそれは常に承認欲求で満ちている。常に何かしらを求める生き物が果たしてどうすれば納得し調和する事等出来る? 無駄だ、人を支配し満足させる事等。ハッピーエンドというものは最初から存在していない」

 

 ベリアルはそう言うが、その言葉は強い。

 

「支配だ、圧倒的な支配。強者による統治と支配、それのみが人を律する。今の時代の人を、そして魔族を見るが良い。一体どこに互いを理解し合おうとする姿が見える? 人の愚かさは太古より何も変わらず、真実を求める事さえせずに盲目に破滅へと向かって進もうとしている」

 

「だから支配して導くべきだ、と?」

 

「そうだ。そうしなければならない。それ以外に未来はない。私はそれを良く学んだ」

 

 ベリアルの視線が窓の外、図書館へと向けられた。その視線の意味がなんなのかは理解できない。だがベリアルが崩壊して行く魔界から此方へと民を連れて逃げて来たことはよく理解している。ベリアルは己の民を救わなくてはならない。彼には彼を慕う人々と、それを導く義務がある。だから彼は魔族と言う種の中にある自分を慕う者達を救う。その義務と役割に心血を注いでいる。そしてそれにはこの手段が一番だと判断している。

 

 実際のところ、ベリアルの言っている事は正しい。

 

「まあ、常識的に考えればべさんの方が言っている事は正しいんだろうね」

 

「ならば」

 

「でも、もう我慢できないから」

 

 話はベリアルが思っているよりも単純な話だ。

 

「べさん、俺は後一体どれぐらい犠牲が出るのを見れば良いんだ? どれだけ関係のない命を殺せば良いんだ? どれだけ身にかかる火の粉を払えば良いんだ? その度に罪無き命を奪ってしまうのに、どこまでこの悲劇は続いてゆくんだ? 慣れなきゃ駄目なのか、これに? 平気で命を奪えるようになるまで俺は続ける必要があるのか……? もう嫌なんだよ、無関係な人を殺す事も俺のせいで巻き込まれる事も」

 

 ここまでそれなりに人を殺してきた。人じゃないものも殺してきた。だが何時だって命を奪う行いは俺の心を苦しめて来た。そしてそれはこれからも続くだろうと理解している。

 

「逃げる事は出来ないんだ、べさん。俺が逃げればそれだけ無関係の人が巻き込まれる」

 

「だから己が前に立つと? その考えは浅はかだ。貴女が前に立てば余計に貴女の周りが巻き込まれるだけだ。可視化された分、これまで見ていなかった者達まで貴女を見るようになるだけだ。考え直せ、今ならまだ軌道修正できる―――私なら貴女も、貴女の大事なものも守れる」

 

「でもそれでどれだけ国が荒れるんだ? 救われる人はどれぐらいなんだ?」

 

「貴女が前に立つよりは世は荒れない」

 

「かもしれない。だけどもう、隠れたまま何もしないのは出来ない」

 

「貴女は、自分の価値を見誤っている。貴女の存在は必要不可欠であり、同時に絶対に守らなければならないものだ。貴女が前に出る様な事を絶対に了承する事は出来ない。……頼む、必要なものは此方で揃えよう。貴女の周りの警護も固めよう。だから前に出る様な事は止めて欲しい」

 

 祈る様なベリアルの声を前に、頭を横に振る。

 

「結局遅かれ早かれ、って話だったんだよべさん。べさんの描く未来は魔族を優先してる。そりゃあ此方を立てているし、配慮もしているだろうけど……根本の部分で此方側の世界の住人を下にしてるんだ。たぶん、犠牲を強いるなら魔族じゃなくてこっちの世界の住民って事になるんだろうな。俺にはそれが許容できないし、誰かを犠牲にして物事を進めるってやり方には納得できない」

 

 せめてそうするなら―――俺が、その手を汚す。

 

「だから平行線だよべさん。俺は俺のやり方で世界をひっくり返す。そんでどうしてもぶつかる時が来たら本気でぶつかろうぜ」

 

 俺の宣戦布告にベリアルは再び頭を抱えるように息を吐き、深く椅子に座り込んだ。片手で顔を抑えながら説得は無理だと悟ったのだろう、感情を整理するように数秒間黙り込む。それから手を軽く払った。

 

「……良い、好きにするが良い。王都にいる間は最低限、面倒を見よう。だがここを出たら最後、我々は競争相手だ、解るな? 容赦はしない。勝てば貴女を捕らえ、世間から隔離し、浮世から離れた地で大人しく暮らして貰う」

 

「俺が勝ったら政治とか商業の事全部べさんに投げて任せるな。俺、そういうの凄く苦手だから解る人材が欲しかったんだよね」

 

「……」

 

 深い溜息を吐き出すベリアルはそれ以上、何も喋る様な様子を見せない。だから俺も軽く手を振ってからギュスターヴ商会を後にする。ベリアルの執務室に残されたプランシーが此方とベリアルを交互に見てから追いかけてくるように此方へとやってくる。ギュスターヴ商会を出た所で日の光を浴びて、背を思いっきり伸ばす。

 

「あー! 緊張した!!」

 

「エデン様、どうしてこんな事を……」

 

「俺がその必要があると感じたからかな。全部説明したところで理解されるとは思ってないよ。そもそもべさんの主張も、俺の主張もエゴイズムの極致って感じだからね。お互いに何を大事にし、何を重視するかって話だから」

 

 ベリアルが重要視するのは魔族の民の安寧。ぶっちゃけた話、細かい現地民の犠牲に関してはそこまで気にしないタイプの人物だ。いや、それが必要最低限の犠牲なのかもしれない。そうする事で魔界の民を幸せにすることは可能なのだろう。だけどそれはあくまでも魔族から見た世界だ。此方の事はあまり考えられていない。それが別に俺は許せないって程じゃないんだが、不満だ。でもきっと、そのラインをベリアルは引く事は出来ないだろう。

 

 そもそも彼の行いに正義なんてものは存在しない。彼は純然たる侵略者であり、征服者だ。これ以上の妥協は彼の民に犠牲を強いるということでもある。つまりベリアルから譲歩を引き出す場合、それは俺自身と俺の身内に関連する事でしか期待が出来ないという事でもある。

 

 全く関係のない人への負担を止めてくれというのは不可能だし、そういう事を考える事自体おかしいのかもしれない。

 

 だけど俺は、俺のせいで犠牲になる人や本来は死なずに済んだ人の事を考えると苦しいのだ。それが甘い考えだと言われるのも理解しているし、現実的ではないのも解っている。悪い事をした人間が罰されるのは当然だろうし、それが殺されるのもしょうがない事だ。

 

 だがそうやって仕方がないと受け入れていった先にあるのはなんだ? 今の世の中を見てみれば解る。間違った信仰に荒れて行く世の中、俺は存在するだけで問題となって周りを危険に巻き込んで行く。

 

 遠い、誰もいない場所へ逃げればいいのか? そんな事はない。そんな事をしても何時かは全て追いついてくるのだろう。ベリアルが俺を隠した所で、結局のところ俺は現実から逃げ続けるだけの人生を送る羽目になる。果たしてそんな生に一体どれだけの価値があるというのだろうか? 俺は、俺が産まれてきた事に意味が欲しい。意味があって欲しい。少なくとも呪われた命じゃない事を証明しなくてはならない。

 

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 あの神様を誰も救おうとはしない。

 

 誰もあの女神を救ってはくれない。

 

 この世で、唯一それが可能なのが俺なのだから。だから家族は、身内は、俺が助ける。世界も正す。その両方が出来る立場にある存在がこの地上では唯一無二、俺だけだ。

 

「だから理想を押し通すには自分の手を汚すしかないんだ。力のある存在はその手が汚れる事を厭うてはならない、ってね」

 

「エデン様、私は話を聞いた所で反対です。貴女はもっと穏やかに生きて行くべきです。そういう種だから、ではなく……貴女の生は長く、そしてこれからも多くの苦難と闇が待ち受けます。貴女の選ぶ道はこれから得られるはずだった多くの幸福と穏やかな時間を捧げる事で進む事の出来る道です」

 

 プランシーは回り込んで、目の前で足を止める。

 

「そこに、貴女の幸福はありません。貴女が―――ベリアル様が選んだ道は、そういうものです」

 

「それでも、だ。それでもこのエゴイズムを押し通さないとたぶん俺は駄目になってしまう」

 

 甘えて生きるだけの存在に成り下がってしまう。そもそも自分の住む国が荒れて行く姿を眺めるだけというのも許せない。このまま放置すれば王室は解体されてベリアルに乗っ取られるのだろう。既に彼の手によって薬も出回っているのだ、この国がどれだけ荒れるのかは見えている。それを見て見ぬふりをするのもまた難しいだろう。

 

 結局、どこかで決着をつける必要はあるのだ……俺が俺という善性を抱え続けるには。

 

 確かに、俺の行いは新しい悲劇を生むのかもしれない。だが悲観的になって何も行動しない事にどれだけの価値がある? 俺から言わせてみればクソだ。口だけ動かして体を動かさない様な連中に、俺は価値を見出さない。見ているだけなら誰だって出来る。だけどそれじゃあ何も変わりはしない。

 

 結局、真実と今を知った所で選べることは今を変える事だけだ。目と耳を閉ざして倦怠に沈んで行く事なんて、矜持が許さない。

 

 そう、矜持だ。俺だって若く、未熟だけど。それでも龍として受け継ぐ者としての矜持があるのだから。

 

黒い太陽(てんせいしゃ)の過ちは、同胞の手によって正されなければならない―――それだけの話なんだ」

 

「矜持、ですか」

 

 溜息を吐いたプランシーは横に一歩退く。その横を抜き去るように歩き出せば、プランシーがついてくる。

 

「騎士である以上、矜持は解ります。ですがベリアル様と当たるのであれば味方も、資金も、戦力も足りません」

 

「金なら大丈夫」

 

「はい?」

 

「リアにお小遣い渡してカジノに行かせた」

 

 

 

 

「アレ? 適当に押したらなんかじゃっくぽっと? とかいうの出ちゃった」

 

 

 

 

 戦力のアテはある。ベリアルに会いに行く前に連絡を送ったからたぶん一部は既に王都まで来ているだろうと思う。それとは別にコンタクトを取らなくちゃならない連中もいるだろうし、味方はここから何とか増やしていくしかない。そこら辺はロゼの仕事だ。彼女ならアルドの派閥を良い感じに取り込んでくれると信じている。まあ、最終的には俺が顔出しする必要があるだろうけど、アルドを神輿にするのは国内を平定するには必要な事だ。

 

「金も味方もどうにかなる。戦力はアテがある。それよりも今、やらなきゃいけないのは人理教会の攻略だ。一番急務になるかなぁ」

 

「一部はソフィーヤ神の威光を見せれば大人しくなりますが、中にはそれを疑う者も出て来るでしょう。全てを納得させることは難しいです」

 

「そりゃそうだろうな」

 

 あの異端審問官達が引いたのは信仰心が強い連中だったからだ。だけど全ての信徒がそうという訳ではない。神の声が届かない事、そして神が直接人への干渉をほぼ行わない事を良い事に、俺がソフィーヤ神の祝福を見せた所で信じようとしない連中も出てくるだろう。それとは別に、俺が直接出向かなければ説得できないという効率の悪さもある。聖国なんて国があるんだ、俺が本国にいる連中を味方にしようとするなら連中を説き伏せる必要があるだろうし、態々そこまで足を延ばすのは危険極まりないだろう。

 

 となると、ソフィーヤ神の名以外に武器となるモノが必要だ。決定的で動かぬ証拠。人理教会の間違いを突き付けてその前提を崩す一手が。

 

 間違いなくソフィーヤ神の神性を殺す最大の一手、その証拠がいる。一番簡単なのはソフィーヤ神の声を聴かせる事だが、それは今の人類には不可能に近い。だったら見せるのは過ちの証拠だろう。

 

 即ち、アルシエルの背信。

 

 物的証拠としてそれを引きずり出し、衆目に晒す事。それが大事だ。そしてその為に必要な物はもう解っている。

 

「知ってるかプランシー? かつて龍の虐殺を命じたアルシエルと言う男は非常にマメな男だったって。悩み、苦しみ、しかし決して考える事を諦めなかった男は常に自分の考えや出来事を手記に書き記していたって事を」

 

 天想図書館に背を向け、そして腕を組む。

 

「天想図書館からアルシエルの手記をサルベージして、公開する。それが人理教会の権威を崩す為の最初の一手だ」

 

 資金集めはリアが。人材とコネはロゼが。

 

 なら俺の役割は? リアとロゼには絶対に出来ない事はなんだ?

 

 ―――それは戦力と物証の用意。

 

 勢力を切り崩す為の武器と戦力、それを用意する事が俺の仕事で役割。俺にしか出来ないパートである。

 

 だから俺はこの天想図書館を攻略しなくてはならない。タイムリミットは王都滞在の間、ベリアル最後の慈悲が途切れるまで。それ以降はベリアルが先に確保するか、或いは邪魔をするだろう。どちらにせよ、

 

 俺の世界を相手にする戦いはこの図書館を攻略しない限り、まともに始める事も出来ない。




 感想評価、ありがとうございます。

 これによって地域制圧型SLG化します。地域を制圧! 説得! 収入を得て派閥を強化しながら王国の覇権を握ろう!

 王国編が終わったら大陸編ですね……。


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征服への一歩 Ⅲ

 天想図書館―――何時から存在しているかさえ解らない天然のダンジョンだ。

 

 ダンジョン、或いは魔境、或いは秘境、それは冒険者たちが探索する特殊な環境の事を示す。主に迷宮型、何らかの力によって侵入者を拒み、迎撃し、そして迎え入れる施設の事を示している場合もある。

 

 天想図書館はそういう意味では施設/迷宮型に近い。何らかの意思によって運用され、それでいて侵入者の歓迎と拒絶を同時に行っている不思議な施設だ。だが求めれば望んだ本が手に入るという性質は何人もの人間を魅了し、喰らってきた。

 

 そう、なんでもだ。求めればどんな本であれ提供する―――ただし図書館側が用意した試練を乗り越えたものだけがそれを手にする事が出来る。

 

 迷宮型ダンジョンにも変化するし、強敵を討伐せよという対ボスレイド型フロアにもなりうる。また、中には100階を超える超大型階層迷宮へといざなわれる場合もある。天想図書館はまさにその人の欲望に合わせて姿を変える特殊なダンジョンだ。

 

 その為、毎年何人もの死人が続出している。まあ、欲望は尽きない。一攫千金を目指して死ぬ馬鹿はどこにでもいるという話だ。

 

 その為図書館の前には衛兵が存在し、一定以下の実力の人間を強制的に追い払っている。その入場制限も俺の冒険者としてのランクであれば何の問題もなく、カードを見せるだけで突破出来る。

 

 雲を突き抜けて天にまで届くと錯覚しそうな図書館の入口、衛兵を抜けて中に入る。その先に広がっているのは図書館ロビーであり、落ち着いた瀟洒な空間に様々な冒険者や傭兵団の姿があった。木製の家具がメインとして置かれており、大量の本棚が壁を飾っている。

 

 その空間に、俺も加わっていた。

 

「ここが噂の天想図書館か。ほー」

 

「ここは入口ロビーです。ここはまだ共有空間なので、エデン様の他にも挑戦しようとしている冒険者や傭兵、或いは主の命令を受けて探索に来た騎士や従士達がいます。あちらのスペースが見えますか?」

 

 そう言ってプランシーは図書館ロビーの一角を指さす。柔らかそうなソファの周辺には統一感のない人の集まりがあり、そこでは何やら複数のグループが話し合ったり別れたりを繰り返している。

 

「あそこで臨時のメンバー募集や傭兵の雇用などを行っています。外でやるよりも中でやる方が実力がある程度保証されているので信用できるから……という話なんですけど」

 

「即興で仲間を募集して問題とか起きないの?」

 

「大物狙いをせずに小遣い稼ぎ程度の目的であれば特には……という感じでしょうか。大物を狙うのであればやはり荒れるので顔見知りで固めたり、相談に相談を重ねる必要があります。ですが価値がそう高くない本であれば日帰りでどうにかなるレベルですし金銭周りのトラブルや戦闘関連のトラブルも薄いです」

 

「へえー」

 

 というかプランシー、結局図書館までついてきてくれたな。一応はベリアルと敵対関係になったのだが、王都にいる間はずっと護衛しててくれるつもりなのだろうか? そこまでしなくても良いんだけどなあ……とは思うけど、この人ベリアル派だから最終的にはこっちの情報筒抜けなんだよね。

 

 まあ、俺の行動が筒抜けなのは正直構わないから気にする程の事でもない気はする。

 

 横にいるプランシーをちらりと見る。まるで当然と言わんばかりに俺と一緒にいる事に疑問を覚えないこの女魔族騎士、本当に大丈夫だろうかと考える。が、実力があるから俺の護衛になっているんだ。そこは心配しなくてもいいのかもしれない。

 

 そこまで考えてから悩む事を止める―――何かにつけ無駄に考えてしまうのが自分の欠点だというのは自覚しているし。

 

「意外とまともに回ってるんだな、図書館も」

 

「そうですね……既に普通にある物として近隣では受け入れられています。ここで人が挑戦し、そして死傷者が出る事も同じく普通のように認識されています。その為近年の冒険者の損耗数はそこそこあるみたいですね」

 

「図書館の攻略が活発なのかぁ」

 

「はい。ギルドでは図書館産の本の入手難易度に合わせた功績点を設定して、それ次第でのランクアップも視野に入れているとか……まあ、他国には通じない評価の仕方なので反対意見も出ているようですが」

 

「ほーん」

 

 まあ、確かに仕事における信頼と強さに対する信頼では全く違う種類の信頼だよな、とは思う。少なくともちゃんと仕事の数をこなして、達成率を証明できる奴の方がどこに行っても信用できるだろう。そういう意味じゃ新しい評価基準の追加はあんまり嬉しくないな。

 

 単純に時間がなく強い奴だったらたぶん図書館探索の功績点の方が嬉しいのだろうが。

 

 まあ、何にせよ俺は俺のやるべき事を果たすだけだ。プランシーに案内を頼むと快くプランシーが図書館の入口からその反対側までを案内してくれる。丁度反対側までやってくると上の階へと続く階段と、その横に浮かんでいる本の前までやってくる。横の台にはインクと羽ペンが置かれており、本に何かを記入する事を求めている様に見える。

 

 プランシーは浮かぶ本の横に来るとその説明を行ってくれる。

 

「天想図書館のルールは簡単です。この本に求める本の名称、性質を書き込んでそれを求める人物の名前を書き込みます。すると階段の先に専用の挑戦領域が形成されますので階段を上って挑戦するだけです」

 

「意外とシンプルなんだな」

 

「誰が作ったかは知りませんが、構造自体はシンプルです。ただし求める本によって難易度は激変しますが。例えば市販されている料理本を求めれば、1層の迷宮型ダンジョンが階段の先に形成されます。フライパンを片手に攻略できる程度の難易度で」

 

「本当に不思議な所だなぁ」

 

 中々面白い構造になってるんだな、と思いながらインク壺に刺さっている状態の羽ペンを手に取る。

 

「あー……本の内容はなるべく詳細に書くのが良いんだよな?」

 

「はい」

 

「そんじゃ……ソル=アルシエルの手記、っと」

 

 この時代では俺とソフィーヤ神しか知らない情報を書き込んで行けば良いだろう。転生者、教皇、龍殺しの大罪人……と書き込む。それを横で見ているプランシーの表情は物凄く何かを言いたそうなものになっているが、本は俺の書き込む内容を許容する。最後に俺のサインを追加すると、

 

「失礼」

 

「あ、おう」

 

 プランシーが羽ペンを俺から受け取り、自分の名前を書き込む。やっぱりこの女騎士、最後まで俺についてくる気満々らしい。書き終わった所でプランシーが羽ペンをインク壺へと戻す。

 

「これで本に挑戦に関する情報が―――おや」

 

 本に視線を向ければ書き込んだ文字列が消え去り、その代わりに本に黒いインクで文字が浮かび上がってくる。

 

「特殊層の形成完了?」

 

「特定の本や希少度が非常に高い本に限り、特殊な層を形成するという話はありますが……流石今の世の根幹を作った人の本、こうなりますか」

 

「つまり100層とか挑戦しなくて良い?」

 

「みたいですね」

 

 100層ダンジョンの攻略を要求されたら時間がやばかっただろうしそれはそれで助かった。問題はこのアルシエルの手記を求めたダンジョンがどれだけ難しいか、という事だろう。少なくとも俺もプランシーも宝石級の実力はあるだろうからそこまで恐れる事はないだろうが。

 

 何と言ったって俺、ソフィーヤ神と会えてから体の調子が非常に良い。幼龍の姿になれたのもそれが理由だ。或いは……これまで心の中で抱えていたストレス、それを吐き出せた影響なのかもしれない。

 

 なんにせよ、今なら早々後れを取る様な事はないだろう。

 

「期待して、良いんだよな?」

 

「それは勿論です―――私はベリアル様の騎士ですが、与えられた役割は何があろうとも絶対に果たします」

 

 胸を叩いてそう言うプランシーの表情には自信で満ち溢れている。どうやら誇りを大事にするタイプらしく、裏切るようにも思えない。信用して良さそうだと思いながら階段へと向かう事にする。

 

 やや後ろから向けられる視線には圧を感じなくもないが、他の冒険者の事情等今は知った事ではない。先導するようにプランシーを連れ、階段へと踏み出す。

 

 赤い絨毯の敷かれた階段は足元が柔らかく感じられ、踏み込む足が吸い込まれる様な感触があった。だがその感覚もランプで照らされる階段を進んで行く度に段々と消えて行く。十段、階段を上ると何時の間にか入口は遥か遠くに存在していた。

 

「……」

 

 妙な緊張感を覚えながら視線を先へと向ければ、階段の出口が見えてくる。差し込む光によって白く染まるように見える視界の中で、階段の外にある景色は見えてこない。だからこの先、何が出てきても問題が無い様に警戒しながら進むしかない。

 

 大剣を生成して片手に握りながら最後の段を上がって行く。後ろにつくプランシーも盗み見れば何時の間にか剣の柄に手を乗せている―――或いは常に片手を剣の柄に置いていたのかもしれない。ただ警戒していることを確認し、階段を上がり切れば一瞬の光が視界を満たし。

 

 ―――そして目の前に図書館の中とは思えない景色が広がった。

 

「……なんだ、これ」

 

 まず足元の感触は赤い絨毯から記憶にある踏みなれたアスファルトの感触へと変貌していた。上から照り付ける真夏の太陽の日差し、その暑さは図書館の外と何も変わらない。だが目の前のガードレールに、通りを進む車の姿は大神の世界では絶対に見る事の出来ない景色だ。

 

 そう、車だ。車が走っている。

 

 道路には人が一人もいない。通り過ぎる車の中を見て誰もそこには乗車していない。ドライバーも存在せず、無人の車がエンジン音を響かせながら進んでいる。背後を振り返れば階段から上がってくるプランシーの姿が、そしてビルとビルの隙間に挟まるように階段が残されている。

 

「これは……魔界を思い出す景色ですね」

 

 階段から上がって来たプランシーは剣を引き抜きながら周囲を見渡す。プランシーが上がって来ても階段が消える様な事はない。だが既に図書館のダンジョン内部には突入している。それを警戒するように互いに周囲を見渡す。

 

 近くにはポスターやチラシ、看板が見える。そこにかかれている言語にも当然見覚えがある。

 

「英語か、これ」

 

「エイゴ?」

 

「異世界・地球の言語。アルシエルは元は地球って異世界出身で、こっちに転生してきたんだってさ」

 

「異世界転生者ですか。大抵は環境に馴染む事無く死んでしまうんですが……余程環境に恵まれたのか、或いは個人として優れた能力を持っていたのでしょう」

 

 せやな。俺も周りに恵まれていて個人としての武力が突出しているから生きているパターンだし。

 

「ここは……ニューヨークがモデルなのか、な?」

 

「にゅーよーく」

 

「地球にある大国にある大きな街の事」

 

 通りから視線を外して巡らせれば、水場の向こう側に自由の女神像が見れる。アレが見えるって事は間違いなくニューヨークだろう。しかし、こんな場所でアメリカの街並みを見る事になろうとは思いもしなかった。空いている左手で頭をがしがしと掻く。

 

「これって……つまりアルシエルの記憶にある場所が再現されているって事なんだよな?」

 

「そう……なりますね。多分ですがエデン様がアルシエル卿の情報を正確に捉えていたお蔭でアルシエル卿の手記を発掘できる階層を呼び出す事には成功したんだと思います。この手の個人所有の書物を求める場合、試練やダンジョンもそれなりに内容や持ち主の影響を受ける事になるそうですし」

 

「って事はアルシエルは元アメリカ人……なのか? まあ、転生してこっちの世界の住人になっている以上元は何だったのかってのは関係がないんだろうけど」

 

 それでもここまで詳細に街並みを再現できているという事は、アルシエルの手記にはそれほどアルシエルの感情が、想いが、記憶が刻まれているという事なのだろう。そして同時に、それだけ強く故郷の事を想い続けたのだろうか。

 

 そこでふと、考えた。

 

「プランシー、このケースの場合どういう試練やダンジョンが形成されるか解る?」

 

「……それなりに定石というか、定番はあります」

 

 どこからともなく凄まじい圧力を感じる。憎しみ、絶望、怒り―――ごちゃまぜになった感情がストレートに叩きつけられる感覚がする。

 

「トラウマ。或いは人生の凶事。もしくは経験した試練。それが色濃く再現され、乗り越える事を要求されるとか―――ッ」

 

 プランシーが言葉を切って剣を構えるのと、俺が大剣を担いで構えるのは同時だった。視線を正面、車が行き交う通りの向こう側へと視線を向ければそこには小さな太陽があった。

 

「……」

 

 その太陽は黒かった。燃える黒い炎。黒い炎が人の形をしている。滑らかに、清らかに、しかし荒々しく憎悪を燃料に無限に燃え続けている。その身は憎悪が尽きない限り燃え続ける、そういう肉体をしていた。吐き気を催す程の強い感情だけでその体は作られていた。

 

 生前の姿を一切模すこともなく、黒い太陽の男は真っすぐに此方を指さしてきた。

 

「―――俺を、暴くな」

 

 その声に従う様に高層ビルから飛び降りてくる姿が二つ。

 

 それはニューヨークには似合わない全身鎧の戦士だった。見覚えのあるソフィーヤ神の聖印を鎧に刻んだ聖戦士であった。黒い太陽の左側に降り立った男は片手剣に盾を持つ聖戦士であった。黒い太陽の右に立つ男は一本の大剣をアスファルトに突き刺して降り立つ聖戦士であった。

 

 彼らは、アルシエルの記憶に刻まれた龍殺し達だった。

 

「邪龍、狩るべし」

 

「邪龍、狩るべし」

 

 黒い太陽の男の言葉を復唱するように聖戦士たちが声を放った。それと共に姿が薄れ、図書館の奥へと黒い太陽が残火を残して消え去った。

 

「難易度選択ミスったかも」

 

 もしやこれ、死地では?




 感想評価、ありがとうございます。

 更新再開されて最近評価がちょくちょく増えて日刊にも上がっていてほくほく顔です。

 天想図書館は正確に言うと“過去に存在した書籍を100%再現して復元する”施設で、過去に存在したという事実さえ存在すればHDDを粉砕して葬った筈の黒歴史チーレムSSでさえ復元してしまう場所なのです。

 その際に過去を遡ってスキャンと言うプロセスを経ている為、書籍に関連する強い感情、記憶、記録をダンジョン形成のプロセスとして取り込んでいます。つまり今回はアルシエルの手記をインポートした時、それに付随するアルシエル自身の記憶と経験を読み込んで形成されているんですね。

 なので純度100%の神代聖戦士です。


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征服への一歩 Ⅳ

 ―――死の予感が背筋を這いあがってくる。

 

 死ぬ、殺される、すり潰される。絶対的な死の予感が心臓に突き刺さる。あぁ、こいつは駄目だ。本能的に自分を殺しうる存在が目の前にいる事を悟る。冗談を挟み込む余裕すらない―――ここは死地だ。

 

「っ、ォ!」

 

 迷う事無く取ったのは時間稼ぎの為の一手、考えるだけの時間が欲しいための一手だった。全力で正面の大地を殴りつけながら力を噴射させる。それによって白い力場の壁を立ち上げて敵と自分達を分断する。

 

「エデン様! ここは撤退しましょう!」

 

「悔しいけど俺もそれには―――」

 

 賛成だ、そう言葉を紡ごうとしてそれだけの余裕はなかった。

 

 白い奔流の壁、俺が幾度となく頼ってきた浄化と消滅の力はこれまで俺の戦いを支えてきた戦術の根幹でもあった。それが今、正面から切り裂かれていた。それを知覚するのは一瞬。背後にある出口へ届くかどうかを考え、諦める。

 

 逃げようとした瞬間背中から両断されるのがオチだ、戦いながら撤退の隙を作る―――!

 

「プランシー! 屠竜技はエーテルの結合を分断する術技だ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

「っ、なんてでたらめな……!」

 

 盾と剣の聖戦士が此方へ、大剣の聖戦士がプランシーへと襲い掛かる。正面から踏み込んでくる聖戦士の斬撃を大剣で受けようとすれば、片手剣の刃が大剣に僅かに食い込む。手首を捻って片手剣を外そうとすれば盾が既に顔面に叩き込まれる寸前まで来ている。

 

 それから逃れるように横へと跳びながら大剣を投げ捨て、片手剣を道づれにする。手元に大剣を再生成すれば同じように片手剣が聖戦士の手の中に出現し追撃に入る。盾を前に構え姿勢を低く、獣のように地を這う動き。

 

 捉え辛いなあ……!

 

 だが早い、踏み込みからトップスピードまでの到達が圧倒的に早すぎる。大地を蹴り上げる事で衝撃波と破壊の波を生み出し、足元に黒い結晶の槍を生成する。這う動きで接近できないように足元を制限しながら正面からの相対を求める。

 

 だがそれを嘲笑うように聖戦士の動きは速く、そして恐ろしい。這う姿勢のまま盾を前にして障害物を粉砕、切断して突っ込んでくる。一瞬で此方の目の前に到達してみれば斬撃波が掬い上げるようにやってくる。

 

 火花が散る。

 

 片手剣と大剣がぶつかり合い、斬撃が激音を響かせながら空気を揺らす。斬撃と斬撃の衝突に盾による打撃が混じる。片手剣の技巧による大剣の迎撃にはディレイを差し込まれて盾の迎撃に間に合わない。

 

「こなくそ―――」

 

 左手に槌を創造する。柄は短く、頭も小さい、片手で扱いやすい小槌。形状だけ見るならトンカチに似ている所もあるだろうそれは、扱いやすく複雑な技巧も必要としない優秀な打撃武器になる。

 

 それを振るって盾とぶつけ合う。小槌と盾がぶつかり体への直撃を防ぐ。龍としての強靭な肉体、人という形に括られても形以上の膂力を発揮するこの体はたとえ神代の聖戦士だろうと単純スペックならそれを上回る。

 

 盾越しに小槌が衝撃を相手の腕に叩き込むのを感じ取る。ダメージ程ではない、だが微妙なスタンを盾を持つ手に与えるのを知覚する。純粋技量では負けている。

 

「くっそっ」

 

 片手剣と大剣、盾と小槌。秒間10を超える斬撃と打撃のラッシュが始まり体が大きくフロアの入り口から引きはがされる。体を聖戦士から遠ざけようとすればそれを許さない様に正面に聖戦士が張り付く。此方が取ろうとするアクションを無言のまま徹底して潰している。

 

 戦巧者―――戦い方をどこまでも理解し、経験し、突き詰める戦場の生き残り。

 

 それが目の前の相手だった。

 

「仕方がねぇなああああ―――!!」

 

 叫びながら強引に流れを変える為に力を込める。大剣と片手剣がかち合い大きく弾かれる。続く様に差し込まれる盾によるコンボを弾かず、そのまま体で受ける。

 

 1ヒット。体に叩き込まれた盾はそのまま肺から酸素を全て叩き出す。三重に重ねられた衝撃が肺を砕き、心臓を潰し、通常の人間であれば胸骨さえも粉砕していただろう。だが幸い龍であるこの身であれば心臓を止められて酸素を吐き出させられる程度で済む。

 

 それでも心臓が止められるというショックは苦しい。

 

 苦しくても動く。その為にあえて受けたのだから。

 

 盾を受けている時には既に小槌は振り上げられていた。真っすぐ、鎧兜を装着している聖戦士の顔面へと向けて、ダメージトレードをする様に全力の薙ぎが繰り出される。

 

「死ね」

 

 返しの打撃が顔面に叩き込まれた。体が一回転するように吹き飛びながら走行中の車に衝突してバウンドし、そのまま近くのビルのガラス張りのウィンドウを貫通して向こう側へと消える。止められた心臓を深呼吸で再起動しながら大きく後ろへと飛びのく。

 

 そのまま聖戦士が叩き込まれたビルへと向かって大剣を薙ぎ払う。

 

「消え、去れ」

 

 全力、極大の白い斬撃が正面を通過する。瞬間に込められる限度まで魔力を注ぎ込んで放った斬撃は、もはや砲撃をそのまま薙ぎ払っているのに近い。正面のビルは5階までが抵抗する事もなく消し飛び、その周辺のビルが薙ぎ払いによって根こそぎ消失する。

 

 そしてダルマ落としのように、残された6階以降のビルが上から落ちて来る。崩壊を始めるニューヨーク市を前に頭を掻く。

 

「まあ、これでも死なないんだろうけど……」

 

 小槌を捨てて大剣を両手で握る。直後視界の外から飛んできた盾を大剣で切り払い目前に現れた聖戦士を蹴りで迎え撃つ。

 

 やはり生きていた。鎧には多少の損壊が見えるがその五体は無事に見える―――いや、それを確認する余裕はない。思考は即座に戦う為の最適解を求めて斬撃を放つ。

 

 だがそれよりも相手の切れ味の方が鋭い。

 

 追い込まれれば追い込まれる程凶悪になるように、聖戦士の斬撃は先ほどよりも更に鋭く大剣を切り払い、刃を半ばから切り落とした。大剣の再生成よりも聖戦士の次のアクションの方が早いのはこの時点で悟っていた。備える為に体に力を込めて防御に力を回し、衝撃が来る。

 

「がっ」

 

 フリーハンドで首を掴まれる。即座に拘束を抜ける為に首を掴む手を掴み返し侵食を行おうとするが―――黒い魔力が浸透しない。完全に対策されている様に魔力が弾かれる。対龍に特化した神代最高の戦士たちだからそりゃそうか、と納得することは出来ない。

 

「ざけんなっ」

 

 聖戦士へアルシエルへ。そんな感情を込めて握った手を握り潰そうとする。だがそれよりも早く剣が戻る。大剣を斬り落とした動きそのままに、斬撃が胸に突き刺さる。心臓を確実に破壊し、引き抜きながら今度は肺に。心臓と肺を集中的に滅多刺しにする様に、機械的な正確性で連続突きが来る。激痛が胸中から全身に広がる中。

 

「地龍―――」

 

 両手で聖戦士の腕を掴み、足を首に引っかけて締め上げる。十字固めと呼ばれる形からそのまま人間の膂力では不可能な捻りを加え、無理矢理聖戦士を地面から引きはがす。両足が大地から浮かび上がり、胸に突き刺さった剣を()()()()()()()()()()()()()()

 

「原爆落としッッ!」

 

 純粋なジャーマンスープレックスとはいかないが、捻りを加えて腕を締めて潰しながら聖戦士の後頭部を捻りを付けて大地を目標にハンマーのように振り下ろす。人類を超越した力によって全身の筋肉を利用した叩き落とし。一瞬で音速を超過した人体ハンマーは轟音を立てて大地へと衝突する。

 

 舞い上がる土埃、粉砕されるアスファルト、衝撃で吹き飛ぶ車、崩れるガラス窓。

 

 その中心点、人間ハンマーにされた片手剣の聖戦士は剣を握っていた手の五指を大地に突き刺して体を支えていた。

 

「……マジか」

 

 それで大地へと叩きつける衝撃を全て大地へと流し、体へのダメージを抑えている事実に戦慄しか感じられなかった。化け物だ、俺がフィジカルの化け物だとすればこの聖戦士たちは極まった技量の化け物だ。

 

 1人1人が達人と呼ばれるクラスの技量を神代基準で備えている―――!

 

「ぐ、がっ」

 

 今度は此方の体が大地に叩きつけられる。そのまま剣の柄に添えられた手は俺を大地へと押さえ込んだまま横へ、体を半ばから横へと切り抜く様に引き抜かれた。両断された心臓と臓腑から大量の血が大地へとぶちまけられる。同時に、溢れだした魔力を爆裂させる事でリアクティブアーマー代わりに聖戦士を吹き飛ばす。

 

 いや、吹き飛ばしてはいない。回避する為に下がられた。

 

 急いで大地を叩いて体を後ろへと飛ばし、両足で立ちながら傷口を押さえる。この程度で致命傷にはならないが、痛みはある。傷口に意識を向けて再生をしながら正面、片手剣を構え直し虚空から盾を新たに取り出す聖戦士を見た。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 勝ち目が見えない。技量比べ? そんなの戦いにすらならないだろう。相手の強みは徹底した技量の追求。人間と言う生物が強さを求めるなら極論、そこを突き詰めるしかない。戦闘経験と戦闘技量、それを突き詰められるだけ突き詰めたのが龍殺しだ。

 

 そう、人類が他の怪物に勝れるところはそこだ。執念と研鑽、どこまでも思想に狂って積み上げて行く。それが他の種には存在しない絶対的な強さである。だからこそ神代、人類は龍という種を超越する事に成功し、真竜を狩ることに成功したのだ。単純なスペック差は装備で補う。

 

 その極限が目の前にいる聖戦士や、龍殺しの彼だろう。つまり、勝つには連中には存在しないもので戦う必要がある。

 

 スペックだ。

 

 純粋生命のスペック差。俺が勝てる要因があるとすればそれだけだろう。だが正直な話、スペック差でゴリ押した所で勝てるとは思っていない。押し出す事は出来ても勝ちまでは拾えないだろう。少なくとも相手には古代人特有の長寿の上に研鑽の年月がある。

 

 今の俺では絶対に届かない領域だ。

 

 その上で龍殺し達は単純に、格上殺しのプロフェッショナルでもある。龍という絶対種を討伐するのであれば雑魚には不可能だ。俺には本来の龍には備わっていない闘争心と闘争本能がある、人由来の死にたくないという気持ちが強い。それだけが過去の龍に勝っている。

 

 それ以外の全ての面において、俺は過去の龍たちに劣っていると言えるだろう。だがスペック、生物としての純粋な性能差という一点においてはまだギリギリ勝てる段階にある。重要なのは技量を発揮させずにスペックで圧殺できる状況か環境を用意する事。

 

 それが出来れば隙を作り、逃亡する事も出来るだろう。

 

 ―――そう、逃げる事が一番大事だ。

 

 これは、絶対に勝てない戦いだ。熱くなる人間の本能とは別に、体を流れる龍血は頭をどこまでも冷やして行く。冷静に、極めて冷静に物事を判断する為に体の昂りとは別に冷静さを呼び起こす。少しでも熱狂に呑まれたらその瞬間即死攻撃が飛んでくる事は想像に難くない。

 

 重要なのは逃げる暇を作る事だ。相手を一時的に行動不能、移動不可の状態にすれば良い。それ以上を求めればきっと、追い詰められた所の本気で来るに違いない。それを見たら最後、逃げる目すら失うだろう。

 

 だから冷静に―――冷静に頭を保つ。

 

 体を熱くする魂はどこまでも燃え上がるように本能を湧き立たせる。

 

 その中を流れる血が沸騰寸前の本能を諫め、冷やす。

 

 人と龍のハイブリッド―――或いは失敗作なのかもしれない。地上、歴史唯一の存在としてこの状況をどう生存するのか判断しなくてはならない。

 

「足りない」

 

 実力が、時間が、戦闘力が、自分に備わった機能の全てが。もっと自分の力を引き出す必要がある。出来るのか? いや、やらなくてはならない。

 

 産まれてこの方、本気の全力を出したことなんてなかった。本能的に、全力に耐えうる存在がいない事を察していたし、何よりも本気を出そうとすればそれだけ周囲が崩れる。この物質世界は本気を出すにはあまりにも脆い。家も、土地も、人さえも全ては触れるだけで脆く崩れ去るだろう。

 

 だがこいつは? この聖戦士は? 龍殺しはどうだ?

 

 この地上でも稀有な、俺の本気に耐えるだけではなく超えてくれる存在だろう。俺が今、本気を出した所で超える事は出来ないであろう障害、強さに絶対はないという事を証明した偉大なる先駆者。

 

 生まれと種の差、それが全てではないという偉業を成した存在達。

 

 その一点において、俺はこの龍殺し達に対する敬意を、心の底から払っている。

 

 だから正面、100メートル程の距離を開けて相対する聖戦士の姿を見た。やや前傾姿勢になって傷口を押さえる此方の姿に対して、聖戦士は気配が変わったのを察し片手剣と盾を捨て去りガントレットに包まれた拳をファイティングスタイルで構えた。

 

 相手もギアを上げてくる。此方も、これまで抑え込んでいた人としての姿の限界を超えなければ生きる目はない。

 

 そう、ここでは全力を封じていた目も縛鎖もない。

 

「ここでなら、地上を焼き払う憂いもない―――」

 

 ピンチだと解っていても笑みが浮かび上がってくる。プランシーとどうやってか合流しなくてはならない。それが解っていてもどうしても楽しんでしまう性が呼び起こされる。これがきっと戦士の病と言われる奴だろう。だけど誰だって、全力で体を使うのは楽しいんだ、楽しくなるのはしょうがない。

 

「傷口の高速再生確認、龍血活性化」

 

 じゅぅ、という傷口が焼ける様な音が傷口から響き凄まじい速度で傷口がふさがり内臓が修復される。それと入れ替わるように体内を巡る血液が活性化する―――龍という生命、そのエネルギーに溢れた超越種として抑えられていた部分が段階的に開放される。

 

 それに合わせ肉体が変性して行く。

 

 両腕が全て鱗によって覆われる。指先はもっと鋭く、凶悪な形へと変貌して行く。角が捻じれ狂う様に伸び、髪がそれに合わせて更に長く伸びる。服の背中部分を突き破り窮屈そうに収められていた翼が初めて、人の姿のまま解放される。

 

「く、あっ、ぁ、ぁ」

 

 肉体の変性に伴う激痛が体を襲う。元来龍の姿しか持たない者が人の姿をソフィーヤ神に与えられていたものを、無理矢理意識して人と龍の中間の姿に組み替えているのだから激痛が走るのも当然の行いだ。

 

 変性は更に進む。尻尾が生える。鱗が首を伝い目元まで伸びる。それ以上は体の骨格が変わり始めるから意識して抑える。人と言う形を残したまま龍の力を最大限発揮する為に、人龍の姿を構築し、固定する。内臓もごっそりと弄って龍寄りの性能へと切り替える。

 

「ふぅ―――」

 

 口から息を吐く。全ての感覚が鋭敏になる。感覚が引き延ばされて知覚できなかった事がより鮮明に理解できるようになる。それでも余計な情報を全てカットする。現状の自分では絶対に勝てないという事を更に理解させられても心は折れない。

 

 藪をつついて蛇を出したな、とは思わなくもない。そこは反省点だ。

 

 それでもここは、通過点でしかない。

 

 アルシエルの罪、それを暴く事でしか世界征服の一歩目は踏み出せないのだから。だからここは絶対に生還し、そして勝てる人物を呼び寄せた上で再び挑むしかないのだ。

 

「待たせたな」

 

 大剣を二本形成する。両手に一本ずつ握った状態で背面に大剣を浮かばせるように更に数本形成する。それを前に聖戦士は左半身を前に、左手拳を前に構えるように姿勢を整えた。殺しに来る、それを理解させる圧が放たれている。

 

「第2ラウンドだっ―――!」

 

 プランシーの現在を覚醒した知覚で認識しつつ、逃げる為の隙を作る戦いを続行した。




 感想評価、ありがとうございます。

 最近指摘された事があって、文章ウェイトが重すぎるから改行増やしてみない? って言われてるんで長くて4行、平均で2~3行に文章抑えて改行するようにしてみました。


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征服への一歩 Ⅴ

 ―――男は龍を屠った。

 

 それは原初の大罪であった。果たしてその自覚が男にはあったのだろうか? いや、恐らくはあったのだろう。神代の人間は純粋無垢だが愚かではない。自分がやっている事、その意味を決してはき違えないだけの理性はあった。

 

 なら何故、何故殺した。何故星の破滅のトリガーを引いた。

 

 龍殺しは大罪でしかない。殺せばそれだけ星が衰弱して行く。龍とは星の肺、星の内臓の一部だと言える生物だ。それを殺せば不全が起きるのは当然の事だ。内臓が腐れば体が朽ちて行く。それが解らない程の愚かさは存在しなかった。

 

 それでも男はその拳で龍の頭蓋骨を砕いた。その両手は血に染まり、そして穢れた。龍殺しという名は呪いでしかない。龍を殺せば星に呪われる、それは当然の摂理であり、男は龍を殺したその時から名を失った。

 

 龍殺しとは達成した偉業を表す称号ではない―――烙印だ。

 

 犯した罪を焼きつけた証なのだ。故に龍を殺した瞬間から星に刻まれた呪いによって龍殺しは常に星の子らに憎まれ、付け狙われる。アルシエルはその手を一切汚す事無く呪いを他のものへと押し付けた。常に亜竜や真竜に付け狙われるというデメリットを押し付けたのだ。

 

 拳で龍を屠った龍殺しはその拳が穢れたと感じた。龍の血によってではなく、しかし己の行いによって。そして龍殺しの対価を支払わせる為に、その数千を超える眷属たちとも殺し合いになった。星の地表を戦乱で満たすほどの殺し合い、戦争、絶滅のさせ合い。

 

 己の行いは間違っている、そう理解しても男は竜の血を拳に吸わせ続けた。殺して殺して殺して殺して―――屍を積み上げた。

 

 殺した竜の血が川を作り湖を作り屍が山を作りそれでも殺し続けた。龍を殺したという事実を背負って、その罪深さを背負って。

 

 それでも一度、たった一度心の底からアルシエルを信じた。その事実を貫き通す為に。聖戦士は再び拳を握った。龍の身から削りだした剣と盾、最高純度の武具だろう。龍を殺した栄誉として与えられたものを投げ捨て。

 

 男は拳を握り修羅へと戻った。

 

 目の前の少女にはそれだけの価値があると、そう判断したからだ。

 

 否―――強さは高が知れている。

 

 詰みは既に男の眼には見えていた。拳を握り、相対し、そして刹那の瞬間に思考を巡らせる。男はそうやって相手の戦力を見極める。少女の強さの高は知れている。かつて殺した龍と比べれば未熟である事は一目瞭然だろう。

 

 その力は未だ真竜には及ばない。殺し合った竜との大戦、その時の竜達と比べても見劣りする。

 

 だが輝きだ。そう、命の輝きだ。龍のふざけたようなあの穏やかな色ではない。だが狂いに狂って殺しに来ている怒りの色でもない。

 

 目の前の少女は覚悟を決めた戦士の目をしていた。果たすべき事がある。果たさなくてはならない責務がある。その為に絶対に生き抜いてやろうとするどこまでも前向きな瞳をしている。その為の全力を今、限界を超えて勝機を掴むために出そうとしている。

 

 その輝きを男は輝かしいと思った。羨ましいと思った。それは遠い昔に失われた輝きだった。男が遠い昔に捨て去ったものだった。最後まで友人を信じてついてゆくと決めた時に失ったものだったのだ。故に羨みの視線が兜の奥から少女を見据え、消える。

 

 ……己にそのようなものは不要。

 

 熱―――熱だ。聖戦士の肉体を熱が満たす。遠い過去に捨て去った熱が再び体を満たす。死に、そして歴史に刻まれ、死後に再び呼び出されて拳を握らされる。怒りではなく、戦意に高揚する熱が体を満たす。

 

 1人の戦士として拳を振るえる瞬間に……熱が灯る。

 

 きっと少女は未来があるのだろう。果たすべき事があるのだろう。その為にここにいるのだろう。きっと、これは間違っている。否、男もアルシエルも間違っているのだろう。だがそれがどうした。信じる事とはつまり信仰でもある。

 

 その信仰に、狂気に殉じる事を遠い昔に決めた―――それが戦士の選択だったのだから。

 

 故に拳を握り、構えている。少女を殺す。龍を殺す。知っている力の気配だ。だが未熟。付け入る隙が多い。経験も薄く、力もまだ成長途中。殺す為の手段は多くある。それを自覚し、最短で殺す為の流れを脳内で形成し。

 

 踏み込む。

 

 必滅の拳―――龍の頭蓋骨でさえ粉砕した必殺の一撃。真の奥義とは一撃一撃、その振るう全てが必滅の領域にあるという事。そこに絶技や秘儀等不要、そんなものに頼るのは所詮弱者でしかないのだから。

 

 だから聖戦士は戦いを終わらせるための拳を振るい―――空ぶった。

 

「―――」

 

「俺が!! 近接技能カンストしてるような化け物と!! まともに正面から戦う訳がないだろ!!」

 

 言葉にすることなく成程、と男は少女の姿を見て呟いた。

 

 空に逃げるとは、実に賢い。

 

 

 

 

「デバフ抜きでやり合ったら数手で死ぬなアレ」

 

 今までで一番強い状態にまで自分の肉体を変異させることは出来た。だがそれでもあの化け物ボクサーに勝てる様な気はしなかった。拳を構え、相手が踏み込むという意思を拳に込めた瞬間にあっ、これ死んだわ……という明確なイメージが脳内に浮かび上がった。

 

 そのイメージに従い選んだのは空への退避だ。当然、普段の人間態とは違って人龍態である今、翼ではなく性質として重力の束縛を振り切り空を飛ぶことが可能となっている。それが出来ない人から逃げるにはこれが一番だろう。

 

 とはいえ、逃げるだけでは絶対に勝てないし、逃げ切れないだろう。その気になればビルを足場に跳躍してくるだろうし、数歩ぐらいなら空気中の塵を蹴って追撃してくるだろう。絶対に連中ならやるだろう、妙な確信があった。

 

 そうじゃなくても遠距離攻撃手段が何個かあるだろう。となると空に逃げた所で長く逃げ続けられるわけではない。拳を構えたまま相手が地上にいるのは此方の出方を見る為だ。ならやる事は決まっている。

 

「頭を押さえて押しつぶす」

 

 アウトレンジから出来る事を全部ぶち込む。此方の必殺ルートが抵抗されて通らない以上、どれだけ妨害とデバフをぶち込めるかが勝負の鍵となる。限界までデバフをぶち込んだらその後プランシーと合流し、逃亡する。それが理想だろうと判断する。

 

 だからまずは空で宙返り。拳の聖戦士から距離を空ける事凡そ500メートル。考えようによってはそこまで距離は稼げていないだろが、離れすぎるとインパクトが減る。故にここが離れられる限度。

 

 加速からそのまま落下、音速を超過する速度で大地へと衝突し、土砂を持ち上げて大地のプレートを引きちぎる。図書館内部ではあるがここは一種の異世界。どれだけ破壊を巻き起こそうが現実への影響はない。

 

 だからこそ、こんな事が出来る。

 

「エデン式ランドスライド……!」

 

 吹き上げた土砂、砕かれた大地、それを強く踏み込んで一気に巻き上げる。大地が、道路が、ビルが、車が、全てがプレートごとシーソーのように持ち上げられる。巨大な大地の塊、そのものが鈍器として持ち上がる。

 

 限界を超えて直立した大地のプレートそのものが聖戦士へと向かって落ちる。大量の瓦礫を巻き込み、質量の雨となって姿が一瞬、消え去る。その直前に瞬発するのを見て自分の体を加速させる。

 

 砲弾を発射する様な轟音と共に土砂に穴が空くのを見た。

 

「空間エーテル占有率74%―――凝固しろ」

 

 そのまま、黒い結晶で聖戦士の居る空間そのものを固めて結晶化させる。死ぬか? 殺せるか? いや、ムリだろコレ。判断は迷う事もなく攻撃の続行を行う為に大剣を振り下ろす。相手を固めた所に白い大斬撃が全てを切断しながら放たれる。

 

 粉砕音、響く。

 

 凝固結晶も斬撃も拳の一撃で同時に粉砕されるのが大穴を通して見える。僅かに煙を上げる拳を前に突き出した状態で聖戦士が構えている。

 

「―――対龍断滅術式アスカロン」

 

「君は奥の手があるフレンズなんだな……?」

 

 初めて聞こえる声が絶望の宣告でしかないのは正直嫌だと思う。

 

 ネタを一瞬だけ挟み込んでなんとか精神の均衡を取り戻しながら加速する。大地を蹴り上げながら一瞬でバックすれば道路そのものを消し飛ばす破壊力のアッパーが目の前に到達し、虚空を薙ぐ。それに合わせるように空間を支配するエーテルに干渉する。

 

 大地を突き破り草花が生える。それから伸びる蔦が急成長しながら聖戦士の姿へと向かって襲い掛かる。足元の死角から襲い掛かるように伸びる蔦を認知するまでもなく踏みつぶして粉砕する―――鋼鉄さえも捻じ曲げる植物をピックアップした筈だったが、この男には無意味らしい。

 

 踏み込み。大地を足が粉砕する。一撃一撃で必殺の拳が迫る。選択肢はない。

 

 全力で強化された大剣を拳とぶつけ合うも、拮抗は一瞬。大剣が砕け散り拳が大剣を貫通して迫る。エーテル、およびマナ、その結合を分断破壊する感触にアスカロンという術式の真理を見れた。これは確かに龍を殺す為だけの術だ。拳にエンチャントされたのは強固な龍の肉体の防御力を0にする為の術だ。

 

 エーテルで構築されている万物を解いて粉砕する為の術式だ。上位の種であれば上位の種である程刺さる術式。それが必殺を込めて振るわれる。

 

「っ、ぉ―――」

 

 ギリギリ回避に成功する。一撃目が大剣とぶつかった事で僅かに動きにウェイトがかかったのが幸いした。直撃する事無く回避に成功するも、拳と言う武器の優秀なところはその圧倒的な回転率になる。

 

 当然のように素早く二撃目、即死級のジャブが放たれている。

 

 それを大剣で切り払った。

 

「―――」

 

 感心する様な気配を感じたが、此方はそんな余裕はない。ジャブを切り払うのに大剣が砕け散った。聖戦士の腕、その鎧は薄い結晶が所々生えている。それが関節の動きを僅かに制限している。アスカロンと呼ばれたあの術式に干渉し、出力を落とそうとしつつ相性の悪さ故に削れる。

 

 接近戦へと持ち込まれた事と身体のスペック、能力のスペックが限界を超えた所で漸く此方のデバフが干渉できるラインにまで入った―――だが他の生物を相手する時の様な即死ラインにまで届く事はなかった。

 

 装備と肉体による抵抗と、術式によるエーテル分解。それだけで聖戦士は此方の必殺ルートの回避に成功しているのだ。その強さはもはや反則としか言いようがない。

 

 斬撃を繰り出し、相手の打撃を迎撃する、その1回1回がなんとも重い事だ。

 

 此方が繰り返し重ねる斬撃は打撃と同時に発生するエーテルの分解、そして僅かな手首のスナップと捻りによって直線のエネルギーが無理矢理逸らされて行く。

 

 それが下手な動きであれば侵食込みで手首から先を全部食う事さえできるだろう。だが違う、この男は人とも異形とも戦う方法を心得ている。例え肉体に負荷がかかっていようとも、それをものともしないだけの経験を積み重ねて来た。

 

 下手な事をして食われるのは此方―――その認識を徹底する。

 

「81―――」

 

 斬撃、打撃、刺突、火花、衝撃、斬撃、連撃、崩撃。

 

「89―――」

 

 刺突、刺突刺突刺突刺突、大斬撃。

 

「95……」

 

 打撃打撃打撃打撃打撃打撃打撃打撃―――打撃。接近している間は攻撃の回転率が加速し続ける。少し前までは打ち合えていた筈なのに、1回の斬撃に対して2回の打撃が叩き返される。まるで戦いを重ねている間に呼吸を読まれているような違和感。

 

 その上で武器が破壊され続ける。それでも逃げ場はない。逃げようと後ろへと下がった瞬間急所への即死打撃が飛んでくる。

 

 まだ、超接近戦を挑んでいる方が即死を回避できる。

 

 ―――この瞬間までは。

 

「空間エーテル占有率100%……っ!」

 

 空間を食った。そう確信した瞬間思考速度を打撃が超えた。知覚できる上限を超えた打撃に僅かにでも反応出来たのは、単純にそれクラスの斬撃を前に見た事があるからだろう。

 

 龍殺し。かつて消えない傷を刻んだ人類上限の男。

 

 アレを見たからこそ直感的な回避に動けた。

 

 気づいた瞬間には左目が消し飛んでいた。打撃、それが左目を抉るように叩き込まれていた。後少し、後少し反応が遅ければ頭蓋骨が完全に粉砕されていた。流石に頭を破壊されてまで生きる事は不可能だ。

 

 そういう意味で全ての行動がぎりぎり間に合った。

 

「―――」

 

 拳騎士の纏っていたアスカロンの術式、エーテル占有率が100%へと至った事で空間リソースからの供給が途切れて瞬間的に発動がキャンセルされる。別のリソースから再発動をするにしても存在するラグ、それによって命を救われる。

 

 次の打撃が飛んでくる前に蹴りを聖戦士に放つ。術式再発動の為の時間を得る為に聖戦士は回避ではなく防御を選んで僅かに押し出され。

 

「環境テクスチャーに干渉……こうやるんだな?」

 

 聖戦士の下がった先、足元に地割れを生成した。吹き飛ばされる先で着地する事なく下へと落ちる瞬間、虚空を蹴って地割れを回避する。それに合わせ体を遠ざけるように翼を動かしながら腕を振るう。

 

「な、が、さ、れ、ろ―――!」

 

 薙ぎ払う腕の動きに合わせテラフォーミングの要領で大津波を発生させる。高さ30メートルの大津波が一瞬でビルを削りながら出現、そのまま聖戦士の姿を呑み込ま―――ない。

 

 拳、強く放たれたストレートが津波に穴をあけ、手刀が海を割る。

 

 これが現代のモーセなんだろうか、などという馬鹿な考えが浮かび上がる程の非現実的な光景だが、既に次の動きは出来ている。

 

「指運に重力を描く―――」

 

 指の動きに合わせ地表の重力を書き換える。横方向へと重力を再設定し、下ではなく横、自分の身から離れるように聖戦士の落下を決定する。合わせて蔦を生やし狂わせてそれを聖戦士に殺到させる。

 

 環境を書き換える。空に嵐を呼び寄せる。

 

「小賢しい」

 

 震脚。落下する体を大地に叩き込んで固定する。アスカロンが再装填される。天変地異が拳を前に砕かれる。

 

 だが距離は稼げた。彼我の距離は既に500メートルを超えた。

 

 両手を広げ、その動きに聖戦士の両側のプレートを合わせる。持ち上げられたプレートが合掌に合わせて両側から聖戦士の姿を挟み込み、それを下へと放りだせばサンドイッチされた大地が地面へと向かって陥没する。

 

 そのまま。

 

「落、ちろっ―――!!」

 

 拳を振り下ろした。専有されたエーテルを圧縮、自分の属性に染色する。黒と白に染め上げられた空間エーテルは聖戦士を呑み込んだ大地の地表を結晶化し、周辺のビルや瓦礫を巻き込む様に大輪の結晶花を咲かせる。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ……あぁ、糞、痛ぃ……」

 

 潰れて使い物にならなくなった左目を引っこ抜いて口の中に放り込んで飲み込む。流石に目は再生するまで時間がかかりそうだ。

 

「目は痛いし頭はぐわんぐわんする。でもこんだけ念入りに封印したんだ、この間に―――」

 

 疲労から龍人形態が解け始める。翼が消え去り鱗も元の人肌へと戻りつつある。一番エネルギーを使わない人の姿へと戻りつつある中で、大地に響く衝撃を足の裏から感じて背中を向けようとした動きが止まる。

 

 ビル街のど真ん中に咲き誇る結晶の封印を見て、その中に罅が走るのを見た。

 

「嘘だろ」

 

 脳が既に限界を超えてオーバーヒートしている。これ以上テラフォーミングを応用した攻撃なんて出来る筈もない。龍変身だって体力があったからこそできる事だ。ブレスを吐く余裕なんてものは存在しない。

 

 言ってしまえば今のでMPは全部吐き出したのだ。

 

 それでも勝てないとかどうしろっちゅーねん。

 

 笑みが引き攣るのを感じながら逃亡する前に咲かせた封印が更に砕ける音が響く。もう、一刻の猶予も存在しないのを自覚し、素早く背を向けるとプランシーと合流する為に走りだした。




 感想評価ありがとうございます。

 龍を殺した後に待っているのは人と竜が憎み合いながら殺し合う時代。龍の代わりに環境のコントロールを担う様に生み出された真竜達と彼らから生まれた亜竜達。

 そりゃあもう人類憎んで殺し合った時代がやってきました。


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征服への一歩 Ⅵ

 逃げる。

 

 全力でわき目も振らずに逃げる。

 

 ここまで全力で逃げようと考えたのは寝起きの時以来かもしれない。あの時の事は未だにトラウマとして刻まれているが、今日の事も新しくトラウマに刻まれそうだ。流石人類黎明期のドラゴンキリングマッスィーン共だ、殺すという事に対する心構えが違う。

 

 それがまさか図書館の守護者として出てくるとか予想外も良い所だ。

 

 だがやった、あのアスカロンとか言う術式を使う奴は封印に成功した―――それが数分しか持たないであろう事は理解している。それでもそれだけの時間があれば十分だ。後は逃げ出すのみ、こいつらを相手に戦うなんて正気の沙汰じゃない。

 

 だから逃げた。全速力でプランシーの方角へと向かって。まだ彼女が生きていることを祈って。

 

 そして見たのは、大剣の龍殺しと斬り結ぶプランシーの姿だった。

 

 斬撃に対する斬撃の連続。加速し続ける剣閃に互いが次の一手を数手先まで読み合いながら斬撃を交わし合う。その極限が目の前では繰り広げられていた。

 

 素早く切り込み捻じ曲がる斬撃を放つプランシー、その剣閃はまさしく予測不可能。振り下ろされていると思えば次の瞬間には直角に曲がりながらねじ曲がった動きを取る。魔族としての長い生を通して積み重ねられた鍛錬、その技量が斬撃を自由にコントロールしていた。

 

 それに対応する大剣の聖戦士はただ―――ただ―――ひたすらに、重かった。

 

 狂う程精密で素早い斬撃に、気が遠くなる程重い斬撃。プランシーの斬撃3に対して大剣の聖戦士の斬撃は1しか放たれない。だがその物量で2人の戦いは拮抗していた。圧倒的な手数に対して1の斬撃で複数の攻撃を潰し、そこから次へと繋げる。

 

 そうやって斬撃の比べあいは状況を膠着させていた。

 

 少なくとも表面上は。

 

 実際のところ、押されているのがプランシーであるというのは、ある程度の強さを持った者にしか見抜けない所だろう。プランシーが斬撃の回転率を上げて、技量を込めた斬撃でフェイントを織り交ぜているのはその必要があるからだ。

 

 ここまで技量をつぎ込んで漸く斬撃は拮抗する。種族という点を考慮しても、プランシーはギリギリのラインで戦闘を行っていた。その表情は苦悶を噛みしめ、そして自分が押し込まれない瀬戸際を守り続けていた。僅かなミスが戦線を崩壊させる。

 

 その心理的ストレスを、全て押し殺して斬撃の一つ一つに神経を忍ばせながら聖戦士と切り結ぶ。

 

 技術は昇華させれば一種の芸術へと至る。プランシーと聖戦士が辿り着く技量というものはその領域にある。当然、プランシーの技量は俺とは比べ物にならないレベルだ。魔族としての優れたスペックに、数百年を当然のように生きる事が出来る寿命の長さ。

 

 そこから来る経験の重みというものは才能があっても十数年やそこらで覆す事は不可能だろう。

 

 それでも、だ。

 

 聖戦士が殺し、殺され、それでも殺しつくそうとした殺意とも呼べるような技量には及ばない。

 

 プランシーと聖戦士、その勝敗を明確に分ける差は修羅場の経験なのだろう。それが攻防の合間に見える。複数の斬撃、その交差点を見極める聖戦士は一回の両断で斬撃の流れを粉砕し、加速をリセットさせる事で場をクリアにする。

 

 そこから踏み込みと切り上げ、更に斬り下ろし。全てが必殺の域にある攻撃はたとえ空ぶりであっても余波だけで破壊を巻き起こす。

 

 巻き込まれれば死は必至。それが解っていても戦いに介入する必要がある。

 

「プランシー! 撤退! 撤退しよう!! 無理!!!」

 

「拝承しましたッ!!」

 

 疾走しながら空間エーテルに干渉し、聖戦士の周りの空間へと魔力を浸透させる。直ぐに意図を察した聖戦士が後ろへと下がりながら薙ぎ払いの姿勢に入り、プランシーが漸く張り付かれていた状態から後ろへと下がれるようになった。

 

 ごう、と大剣が振るわれるのと同時に死が駆け抜けるのを感じられた。反射的に振るわれるコンマ秒前に体を道路に倒せば斬撃が上を抜けて行くのを感じる。足を止める事なく転がりながら起き上がれば横のビルが真っ二つに薙ぎ払われている。

 

 厚さ数メートル級の斬撃がビルを薙ぎ、その奥のビルを薙ぎ―――その更に果てにある自由の女神さえも薙ぎ斬っていた。

 

 その一撃を見るだけでどうしてプランシーが超接近戦を選択したのかが見えてしまった。もし少しでも距離を空けて相手に自由を与えていれば、プランシーが回避した斬撃が此方へと流れてくる可能性すらあったのだ。

 

 人類のやばさに背筋に冷や汗が滴るのを感じながらも空間への干渉は一瞬で完了する。大剣の聖戦士を捕らえるように結晶の牢獄を形成する。

 

 一瞬で構築される黒い結晶が聖戦士の全身を拘束するように生え―――しかし次の瞬間には結晶が内側から粉砕され、自由を獲得される。

 

 だがそれで1アクション挟まった。

 

「それだけあれば十分です―――」

 

 プランシーの斬撃が空間を薙いだ。放たれる斬撃は決して聖戦士には届かず、しかしその前方の空間そのものを裂いた。

 

 次元斬、空間そのものを切断する絶対切断の斬撃。プランシーの手のうちの一つが明かされ、切り裂かれた空間そのものが牢獄として聖戦士の接近を封じる。

 

 それに迷わず斬撃を叩き込んで突破を果たそうとする姿はもはや恐怖としか呼べないが、それでも1アクションを挟まれれば此方が次のアクションを挟み込める―――つまりハメだ。

 

 結晶牢獄と次元斬による阻害を交互に組み合わせて無限にディレイを叩き込み続けながら全力で逃げる。勝とうと思って近づいた瞬間死が見えるのはもう解っている。欲張ってはならない、というか欲張る余裕なんてものはない。

 

 半ば口から悲鳴出てるだろうなあ、これ。そんな考えを呆然と頭の隅で考えつつ全力で妨害しながら逃げる。

 

 プランシーと合流する形でフロアの入り口まで戻り、まだ残っているエントランスロビーへと続く階段へと飛び込む。

 

「まだ来てる!? 追ってる!?」

 

「解りません! ロビーまで! ロビーまで逃げましょう! 次元斬次元斬次元斬!!」

 

「凝固しろ固まれ凍れこっちくんな!!! 来るな!!!!」

 

 振り返る事無く階段を全力で駆け抜けながら後ろへと向かって全力で阻害攻撃を行う。振り返って確認するような余裕は肉体的にも精神的にも存在しない。やがて出口が見えて来た所で全力で階段から飛び出し、出て来た所で再び武器を抜きながらプランシーと共に構える。

 

 プランシーも良く見てみれば装備が一部破損して裂傷がいたる所にある。互いにぼろぼろ、満身創痍と言える状態で睨むように侵入口へと視線を向けて動きを止める。

 

「……来ない?」

 

「……来ませんね」

 

 そのまま数秒間、階段へと視線を向けるが反応はない。これ、逃げ切れた? 撤退出来た? もう安心していい? 武器を下ろして漸く休める。

 

 そう思った瞬間に階段の先からガンッ、と一際大きな音が響き、何かが崩壊する音と共に聖戦士たちの気配が完全に消え去った。

 

「……」

 

「……」

 

 それでも警戒を止める事無くしばらく、そのまま数分間武器を構えたまま待つ。もしかして突破してくるかもしれない。あの滅茶苦茶なスペックの暴力で突破してくるかもしれない。そんな恐怖が心にこびりついている。

 

 だが数分ほどその場で武器を構えたまま立っていてももう、反応はない。漸く、逃げ切ったのだ。その実感が湧いた瞬間に大剣を消してへなへなと床に座り込む。

 

「た、助かったぁ……」

 

「に、逃げ延びたみたいですね……」

 

 はあ、という盛大な溜息が2人揃って口から漏れだす。ついでに魂まで漏れそう。漏れてるかもしれん。ちょっと口から魂が抜けてないか手を振ってチェックしてみる。大丈夫これ? 大丈夫っぽい? 良し、生きてる!

 

 良くないが。

 

「なんだよアレぇ―――!! 反則だろクソシエル―――!!」

 

 床に転がりながら両手足をばたばたと振るう。体力も精神力も限界を迎えてもう駄々っ子モードに入るしかなかった。

 

 間違いない、あの龍殺しの戦士はセキュリティだ。

 

 アルシエルが自分の足跡を追う者を殺す為に用意した専用のセキュリティだ。方法は分らないが、たぶん連中の魂をこの図書館そのものに封印したのか登録したのか……そうやって自分の真実に近づく者を殺す為にセットしてあったんだ。

 

 転生者という自分の過去を見つけ出してしまい、更に探ろうとする奴を消す為に。

 

 ソイツは間違いなく自分の敵だ。だから一番殺傷力の高い罠を張った。

 

 それがきっと、これだろう。

 

「ずるいずるいずるいずるいずるい―――!! あんなの勝てるかクソ―――!!」

 

「……あんなの、ベリアル様をお連れしない限りはどうにもならないですよ」

 

 プランシーも声に明確な疲労が見える。普通ならこんな風に床に転がる自分を止めようとしたり窘めようとするであろう彼女は、それを指摘するだけの精神力を失っていた。実際、俺もプランシーも全力を出した上で逃亡するしかなかったのだ。

 

 そりゃあ疲れるわ。

 

「あー……お前ら、大丈夫かひっ!? い、いや、なんでもない。大丈夫なら何でもないんだ。あははは……」

 

 無言で声をかけて来た方へと振り返れば、此方の表情を見て一瞬で逃げ出す男の姿があった。怯えたような声を出してどうしたかと思ったが、プランシーを見れば怒りと不快感と申し訳なさと詰め込んだような表情を浮かべているのが見える。

 

 ……まあ、たぶん俺も似たような表情で殺気立っているんだろう。

 

 実際のところ、教会攻略の手立てを考え付いてみれば最強セコムが付いていたんだ、そりゃあキレない訳もないだろう。

 

「な、なんですかあの殺意の塊は……魔界でもあんな精神異常者はいなかったですよ」

 

「世界的にレアなんだなあ……知りたくもない情報だった……」

 

 床にごろりと倒れながらはあ、と息を吐く。アルシエルの手記を手に入れるにはあのめんどくさい守護者を突破しなければならない。だが現状、それは不可能に近い。

 

 プランシーと俺のコンビは間違いなくこの時代における高位戦闘力保有者だ。修練を積んだ真面目な魔族と、本来の姿を解放出来る龍。これだけでもう種族値の暴力は達成できている……筈なのだ。

 

 なのにそれが通じない。全く以って通じない。倒せる気配すら無い。それがあの聖戦士とかいう意味不明な生き物だ。正直作戦を用意した所で勝てるとは思えない。アレを殺しきる事の出来る人間が必要だ。

 

 そしてそれが今、味方にはいない。

 

「エデン様、申し訳ありませんがもうあそこに入るのは止めてください。他に頼れる戦力が無ければ次はもうあり得ません」

 

「戦力つってもなぁ……」

 

 溜息を吐きながら立ち上がる。前髪を少しだけ成長させる事で今は空っぽになっている片目を隠すように覆う。これで少しは目立たなくなるだろう。再生するのにそう時間は必要でもないし。

 

「動かせる戦力はまあ、べさんに話しに行く前に近くに来るように指示出しておいたよ」

 

「……いるんですか?」

 

 空と、地下と、海の方角を指さす。それで全てを察したプランシーが顔を手で覆った。

 

「いえ、確かにエデン様に絶対服従の戦力と言えばそうですが……そうですがっ! いえ、この際立場の事は忘れましょう。今の私はエデン様の護衛―――その事だけを今は考えます。その点から考えると使える戦力を手元に呼び寄せるのは正解です」

 

 何よりも、言葉が続く。

 

「私がいなくなった後はエデン様を守る者がいなくなります。明確に脅威となりうる戦力が近くにあるのは良い牽制になります」

 

「まあ? 我つよつよだからぁ? その気になったら号令一つでぇ? ちょっと星中の眷属共呼べちゃうしぃ? がおーって空へと向かって吠えれば今からアポカリプスデイというか?」

 

「絶対に止めましょうね。洒落にならないですし、大陸の生命全てが抗いますよ」

 

「分かってるってば」

 

 だから眷属共を図書館へと戦力として呼ぶことは出来ない。物理的に出現する事に制限があるからだ。少なくともアルシエルの手記の内容を公開してからじゃないと、龍と人の関係を改善する事は難しいだろう。

 

 駄目だ、考えれば考える程手持ちの戦力ではどうしようもない様に思えて来た。アルシエルの手記を手に入れない限りは教会攻略は難しいのだ、これは王都にいる間のマスト問題だ。

 

 ここら辺の人理教会だけなら自分が出向いて調略すれば良い、だが他の国や海を渡る事を考えると……権威を揺らす為の手段が必要だ。

 

 やはり、これ以外手段はないと思う。

 

「エデン様、とりあえず1回休憩を入れましょう。注目を集めていますし」

 

「あ、うん。そうだな。流石に1回休憩を入れようか……プランシーにも苦労させちゃったな」

 

「本当ですよ……」

 

 プランシーの疲れ切った声に小さな笑い声を我慢できなかった。やはり、取り繕う事も出来ない程に弱っている。手段を考えるのも1回休んだ方が良いだろう。今回は完全に失敗だ。

 

「とほほ……どうやって攻略したもんかなあ」

 

「ベリアル様を呼びましょう、ベリアル様を」

 

「それ手記を持っていかれるパターンじゃん。ダメダメ、却下」

 

 失敗したとはいえ、やる気はある。ここからどうやって巻き返したもんか。

 

 そう思いながらプランシーと共に図書館を出たところで。

 

「―――久しく、見ていない間に良い顔をする様になったな」

 

 正面から浴びせられる言葉に心臓が凍り付いた。プランシーが即座に正面に立つように守りに入るが、目の前に現れた存在を前に一瞬で言葉を失う。手は剣へと既に伸びている。だがその脳内ではどうすれば俺だけでも逃がせるか、という事を考えているだろう。

 

 無理だと理解しながら。

 

「あー……あー、お久しぶりっす。数か月ぶりっすねぇ……」

 

「……」

 

 静かに言葉を発する事もなくプランシーは汗を垂らしていた。図書館の前の空間には不自然にも人の姿はなく、ここだけ周りから隔離されたかのように気配がない。そこを占領するように1人、男が立っている。

 

 男は飾りのない簡素な旅装に、剣を一本腰に差しただけのシンプルな格好をしている。

 

 聖戦士たちの様な鎧もなければ信仰ももはやない。

 

 ただただ、業だけをその身に残して生き続ける男だった。

 

「それで―――センセイ、ご用件は」

 

 センセイ―――男、原初の龍殺し、その唯一の生き残り。図書館に出て来た者とは違いまだ生きている本物の龍殺し。俺に消えないトラウマを刻み、癒えない傷跡を残し、そして自問を残した男がそこにはいた。

 

 男、龍殺しは静かに頷いた。

 

「それは誰よりもお前が理解しているはずだ……違うか?」

 

 雨の日以来の再会。

 

 龍と太陽の気配を感じ、最後の役者が舞台に乗った。




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 龍殺しから逃げて龍殺しとエンカウントする世の中。


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龍殺し

 シンプルな旅装なんて格好の癖に、茶器を持ち上げて口に運ぶ動作の一つ一つが洗練されている―――というか流浪者とは思えないだけの気品がその所作にあった。実際のところ、今の生活になる前はそれなりに良い所の生まれだったのだろうと思う。

 

 センセイ―――龍殺しと俺は王都内の一角にあるカフェでテーブルを挟んで対峙していた。

 

 俺の横にはプランシーが座っていて、最大限の警戒をセンセイに向けている。それもそうだろう、図書館にある遺物とは違ってこれは現代を生きる本物だ。神代から続いてきた技量と業の全てを継承した完全体とも呼べるだけの強さを持つ本物の龍殺し。

 

 現在の人類最強と呼べる男だ。

 

 こんなの、勝てる相手がいる訳がない。

 

 だからプランシーは自分の命を捨ててでも俺を守ろうとするだろう。そしてこうやってカフェで紅茶を楽しんでいる間も、周辺に気配と姿を隠しながら続々と魔族が集まっているのが解る。俺の感覚に魔族たちの存在が引っかかる。

 

 それをセンセイも確実に察知しているだろう。だがそれで焦る様な事はない。少なくともこの人はその程度で狼狽える様な精神性をしていない。だから緊張と警戒を疲労の中限界まで高めているプランシーを前に、余裕を崩さない。

 

 そんなセンセイを、俺は頬杖をつきながら見ていた。目の前に置いてあるアイスティーのストローを軽く噛んでから口を放し。

 

「センセイって、普段は何をしてるの? 竜狩りでもしてる?」

 

「いや、そういう事はもうしていない。お前に刃を向けた日以来他の者に手を出すのは止めている。真竜の動向を監視しつつお前の足跡を追ったり、な」

 

「日常が退屈そう」

 

「退屈ではある。だが世を生きるとは大半の時がそういうものだ」

 

 本題とは全く関係のない会話に、プランシーが冷や汗を浮かべている。何故この状況でここまでのほほんとしていられるのだろうか、と表情に疑問が出ている。俺からすれば、まあ、本当に殺すつもりなら初手で終わってるしな……という話でしかない。

 

 少なくとも、龍殺しのセンセイは俺にとって人生の師なのだ。

 

 傲慢を戒め、そして己のあり方を考えさせる存在なのだ。だから俺にとっては恐怖というよりは……もっと、違う感じのある相手だ。

 

 そんなセンセイは俺を見て小さく息を零し。

 

「良い表情をするようになったな……あの雨の日は迷子にしか見えなかった」

 

「自分の道を見つけたよセンセイ。あの時は当たって悪かった」

 

「気にはしない。俺とお前の間にある約束はただ一点に集約している。お前が悪だと判断した時に斬る。それだけだ」

 

 そう言って先生は紅茶を軽く口に含む。余り弁の多い男ではないのは見れば解るだろう。そういう意味では今日は良く喋っている方だろう。

 

「じゃあ―――俺を斬りに来た?」

 

 話の流れで本題に直球で斬り込んだ。横でプランシーが静かに息を呑んだのが解る。周辺に待機している魔族たちも緊張しているのが空気で伝わる。直球で斬り込んだ話題に先生は直ぐに答える事をせず、紅茶を一度皿の上に戻す。

 

「お前は、動く事を決めたみたいだな」

 

 頷く。

 

「自分から動かなきゃ世の中は何も変わらないって気づいたし、俺が動かなきゃそれだけで巻き込まれる人もいるって解った」

 

「理不尽なのは世の常だ。変えたければ自ら動き出すしかないのは道理だが……お前の存在は世界にとって大きすぎる」

 

 その意味を理解しているか、とセンセイは問うてくる。その言葉に俺は頷いた。

 

「俺の存在は今の社会にとっては劇物だって解ってるよ。俺が生きているだけで不都合だって思う連中はたくさんいるし。俺がいなきゃ今の世が続かないってのも解る。そして俺にまつわる真実が世に出ればそれだけで崩れる所もあるだろうし」

 

 俺がアルシエルの真実を世に放てば、それだけで困る所は結構ある。真実か否か、それは関係ないのだ。今の世の常識、その屋台骨が揺らぐと乱れるのは社会そのものだ。その混乱の中でどれだけの犠牲が出るのだろうか? 俺に巻き込まれて失われる事になる人の数は?

 

 俺が動けばそれだけ混沌は広まるだろう。

 

 ……だからと言ってずっと慎重にやっていかなければならないのか? 我慢し続けなきゃいけないのか? 俺が割を食えばそれでいいのか?

 

「センセイ」

 

「……」

 

「俺、好きな人がいっぱいいるし、大事な人もいるよ。俺が生きているだけできっとその人たちには迷惑がかかるし、一緒にいる事のリスクもあるだろうって解るよ」

 

 だけどさ。

 

「そう言う人と一緒に生きる事まで悪い事だって言われたくないよ」

 

 もう、不可能だと解っているのだ。静かに、平和に生きて行く事は。ひっそりと誰にも関わらず生きて行く事なんて無理なんだ。例えグランヴィル家の人達と縁を切って生きようとしても、魔族たちが俺を利用するだろう。

 

 そうじゃなくてもセンセイは生まれる前の俺を特定したんだ。同じことが出来る奴が他にもいるかもしれない。存在する、それだけで教会にとって不利益である俺は、どう足掻いても常に狙われる立場に存在するのだ。

 

 そしてそれは俺の周辺にも向けられる。囲った罪、知っていても放置していた罪、ただ関わっただけの罪―――それだけで罪になるだけの認識と歪みが今の社会にはある。

 

 パブリックエネミーというレッテルは決して軽くはない。俺はそこにあるだけで周りを巻き込んでしまうのだ。そしてもう、誰にも関わらず生きていくというのは不可能なんだ。

 

「センセイはこれ……悪い事だと思う?」

 

 その問いに龍殺しは数瞬目を伏せてからそうだな、と呟く。

 

「約束を、覚えているか」

 

 頷く。悪い子になったら斬りに来る―――脅迫にも思える言葉だ。だけど俺はその言葉に寧ろ、安心感を覚える。道を間違えた時、誰もがその道を正して貰えるという訳じゃない。だけど俺には、俺よりも強い人がいる。正す事が出来るだけの力がある人がいる。

 

 それはある意味、救いでもある。

 

「雨の日の問いを、覚えているか」

 

 頷く。マフィアと戦って、リンチを見て、殺して、存在意義に悩んだ日の事だ。あの時、死にたいと思った。どうして世の中はこんなに苦しみで満ちているのかと思った。どうしてここまで苦しまなきゃいけないんだろうと思った。

 

 純粋に世界を呪って、呪いきれなかった。世界を呪うには好きなものが多すぎたし、本気で死ぬには好きな人が多すぎた。自分が中途半端だという自覚もあったが、それでも苦しみと絶望感に怒り、負の感情が抑えきれなかったのをセンセイにぶつけてしまった。

 

「答えよう」

 

 恐らく初めて明確に、龍殺しが答えてくれた瞬間だった。

 

「生きる事に意味などない。苦しむ事に意味などない。ない―――そんなものはどこにも存在しない。与えられる訳でもなく、存在する訳でもない。それぞれが勝手に見出し、そして勝手に定義するだけのものだ。求める事そのものが愚かしい」

 

 だが、と龍殺しは言葉を続ける。

 

「それを認められなかった男がかつて、存在した」

 

 誰の事だろうか、と一瞬だけ考えた。だが直ぐにその口から答えが出た。

 

「―――父、アルシエルの事だ」

 

「はぁ!?」

 

「っ、少しお待ちください……教皇アルシエルが父であった、と!?」

 

 割り込んだプランシーの問いに龍殺しが頷いた。アルシエルが生きていた時代は数百年というレベルではない程遠い過去の出来事だ。だというのに龍殺しはまだ、若い姿を残して生きているのだ、もしかして見た目以上に年を食っているのだろうか?

 

 だがそんな疑問を無視して龍殺しが話を続ける。

 

「父は愚かな男だった。己の生に絶望し、己の存在に苦しみ、己の存在を憎んだ。常々口にしていた―――何故、何故生きているのだ、と」

 

「……」

 

「恐らく、お前もその言葉の意味は理解できるのだろうな」

 

 向けられた言葉の矛先に、俺は頷いて返答した。両手を合わせながら親指をくるくると遊ぶように回す……ちょっとした居心地の悪さと不安が現れている。

 

「意味などないのだ。神々がそう言った。生きるという事はそれだけで意味がある事で、それ以上の理由等ない。自由であれば良い。奔放であって良い。それが生きる事だと、かつて神々は口にしたのだ……だがあの男はそれを認められなかった」

 

 そして、アルシエルはこう口にした。

 

「認めない」

 

「……認めない、ですか?」

 

 プランシーの言葉にそうだ、と龍殺しは口にする。

 

「認めない。死の先がある事も。生に意味がない事も。幻想が現実である事も。俺の人生はそれで良かったのに、それだけで十分だったのに、何故余計なものを与えた―――認めない、この世などというふざけたものを断じて認めない」

 

 龍殺しの言葉の端からは、アルシエルという男の狂気が見えた。明らかにまともな言動ではないのだろうが、そもそもアルシエルは死を超えた事を自覚している男だったのだ。

 

 恐らく、その際に心が壊れてしまったのだと思う。

 

「今の世はそんな男の狂言によって狂わされた世界だ。まあ、当の本人が世界を亡ぼす事を前提に動いたのだから当然と言えば当然か」

 

「聞けば聞くほど歴史的戦犯レベル上がるなぁ……」

 

「父はもう既に死んで魂も未練なく消え去っている、安心すると良い」

 

「そりゃあここまで世界をぼろぼろにしたら満足以外の何物でもないでしょ」

 

 正直、良くやったと思うよ。アルシエルは人の身で神に反逆し、絶対上位である龍種を駆逐し、その上で世界の基盤と構造を破壊しつくしたのだ。消えない傷を残し、遅効性の毒を教育に混ぜ込んで、そしてそれが継承されるシステムを構築した。

 

 悪魔だ、まさしく悪魔の所業だ。アルシエルという男が歴史的な大戦犯である事に間違いはないが、それでもたった一つの身で人も龍も神も狂わせて滅びへの道を作ったという事実は、その手腕は畏怖しなければならないものだ。

 

「思い出すと腹が立つなあいつ。満足して成仏してないで地獄に落ちろ」

 

「既に過去の事だ」

 

 うーん、あのカス教皇。しかも最後の最後にトラップまで仕込んで真実を隠そうとする徹底ぶりだ、マジでどうしようもない奴だ。ただ、まあ、それは解った。

 

「結局のところ、センセイは何をしに来たんだ? 俺を殺しに来た訳じゃないんでしょ?」

 

 龍殺しはその言葉に一度頷き、そして問うてくる。

 

「見極めに来た。あの時逃がした幼龍が、世界と向き合う覚悟を持つに至ったかどうかを」

 

 思い出すのは最初の出会い、そして雨の日の出会い。もしかして、俺が気づかないだけでこの人は最初からずっと監視していたのかもしれない。そんな事を考えて、しかし軽く息を吐いて心を整えた。

 

「それで……センセイはどう思う?」

 

「少なくとも、迷いはしていない」

 

「そっか」

 

 センセイから見て迷っていない様に見えるなら良かった。未だに自分の選択肢が本当に正しかったのかどうかは解らないが、それでもセンセイにこうやって迷ってはいないって言われるならきっと、自分の意志に対して嘘はついていないのだろうと思える。

 

 そう、自分の気持ちに対して嘘をつくのはもうやめた。

 

「センセイ」

 

 俺の言葉に龍殺しは視線を向けるが、口を開かない。言葉の続きを待つようにじっと視線だけを向けてきている。

 

「俺、この世界をひっくり返すよ」

 

「―――そうか」

 

 重い、重い感情の込められた一言だった。俺の想像を超える長い年月を死と戦乱で彩って来た人生を歩んできたのだろう。そんな男が放った一言だ、軽いわけがない。それでも男は理解したように言葉を零し、目を瞑った。

 

「それがどういう意味なのかは、理解しているのだろうか」

 

「どうだろう。理解しているつもりで完全に理解できているとは思わないよ。だってほら、俺まだ若いし。たぶん沢山失敗するよ」

 

「それで失う事は怖くないのか?」

 

「俺、未熟だから困ったら助けてくれそうな人に泣きつくし」

 

「だから、頼ると?」

 

「頼らなきゃどうしようもないからね。センセイはそういうの嫌い?」

 

 俺の言葉に龍殺しは黙った。

 

 無敵、最強、人類の頂点―――そんなイメージを抱き続けて来た相手だ。だがそんな人でさえ悩み、苦しむ。そう、結局はこの人だって自分の行いに確信を持てない人間の一人なのだ。そんな事は今、目の前の人を見れば良く解る。

 

「……いや、困っているのなら助けあえるのは人の強みだ」

 

「なら、俺の事助けてくれる?」

 

「っ……!」

 

 何をしようとしているのかを理解して、プランシーが息を呑んだ。龍と龍殺し、それは不倶戴天の敵だ。龍殺しはこれまで多くの龍を殺して、人類の世に貢献してきた。最後に残ったこの男は、その究極形とも言えるだろう。

 

 それに、助けを求めている。

 

「俺に、言っているのか」

 

「うん、貴方に言ってるんだ」

 

 しっかりと、目を見て言う。

 

「俺に傷をつけた責任、取ってよ」

 

「―――」

 

 その言葉に龍殺しは一瞬呆気に取られたような表情を浮かべ、直ぐに表情を戻した。

 

「……お前は何を求める」

 

 その問いに、迷いは必要ない。俺が今、求めているものはただ一つ。

 

「世界」

 

 堂々と、それを宣言した。




 感想評価、ありがとうございます。

 恐らく作中で最もエデンに脳破壊をされている人物、龍殺しセンセイ。

 その脳破壊っぷりはリアよりも重症とのうわさ。


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