薫さんは生産職 (紅 卍)
しおりを挟む

花山、異世界に行く

 新宿を、車が走っている。

 宮本武蔵と闘ったばかりの花山薫を乗せた、救急車だ。

 予定では、十分も経たずに、鎬紅葉の待機する病院へと到着するはずだった。

 

(楽しかったな……)

 

 車内のベッドに横たわる花山が思い出しているのは、高校に通っていた頃のことだ。

 何故いまこの時、学生時代の記憶を蘇らせるのか。

 それは、宮本武蔵との闘いが、絶望的に困難なものだったからだった。

 高校も、同じだった。

 都立倉鷲高等学校で、花山は一介の学生として過ごした。

 あの三年間の記憶は、花山にとって楽しく懐かしいものであったのだが、しかし同時に彼の無意識は、それを非常な困難の記憶――宮本武蔵と対峙するのと等しいレベルの――と位置付けていたのだった。

 だから宮本武蔵と闘った直後のこの時、思い出していたのだ。

 

(みんなに、世話になっちまったなあ……)

 

 算数の九九すらおぼつかぬ花山にとって、進級も卒業も、絶望的なまでに高いハードルだった。

 それをなんとか卒業までこぎつけさせたのは、同級生たちの協力だ。 

 井森洸一や竹林巌、一緒に「やぐら」に行った小柄な彼といった面々を中心に、同級生たちが本人以上に必死になって、花山に勉強を教えたのである。

 

(そういえば、刃牙はどうだろう……)

 

 次に思い出したのは、親友の顔だ。

 

(あいつも頭は良いんだろうが……勉強は出来なさそうだ。いや、しかしあいつはアメリカの刑務所に入っていた。てことは、英語が話せる……てことは…………勉強が出来る!?)

 

 範馬刃牙は、勉強が出来る。

 その可能性に、花山は戦慄した。

 その時だった。

 

 突然、背中の感触が無くなった。

 

 ベッドの底が抜けたように背中を支えるものが無くなり。

 瞼越しに見てた、救急車内の灯りも失せ。

 代わって、どろりとした温い粘体に全身を包まれる。

 そして、落ち始めた。

 花山が通った後には、泡とも砕けたゼリーみたいな断片ともつかない煌めきが跡となり、それらのひとつひとつに、花山の人生に起こったあれやこれやが映し出されていた。

 目を細め、それを見ながら。

 ゆっくりと。

 花山は、暗くきらきらとした粘体の中を落ちていく。

 

(死んだか……)

 

 三途の川みたいな処に、自分はいるのだ。

 そう認識しはしても、花山に焦る気持ちはなかった。

 恐れも、生に執着する気持ちも花山には無かった。

 それよりもだ。

 

(……母さん?)

 

 気付くと、少し離れた場所に母がいた。

 病死した花山の母が、まだ健康だった頃の姿で佇んでいたのである。

 それに驚くこともなく、花山は訊いた。

 

「母さん……俺は、立派にやれたかい?」

 

 それに対する母の返事は。

 

「はぁああああああ~~~~~?」 

 

 だった。

 母は言った。

 呆れと怒りの混じったような顔で。

 

「何いってんだい!? 立派も何も、まだこれからだろ?」

 

「?」

 

「大仕事だよ――がんばんな。薫」

 

 言って笑って、母は消えた。

 同時に、落下も終わった。

 目に映る、景色も変わる。

 

 青空だった。

 

「……ん」

 

 背中の感触、それと匂いから察すると、どうやら下は土らしい。

 成人の儀で籠もった山を思い出しながら身を起こし、尻もちをついたような姿勢から、花山は立ち上がった。

 身体は、いつの間に着てたのかコートに包まれている。

 宮本武蔵との闘いに向かう際、着ていたコートだ。

 ポケットから煙草とライターを取り出し、火を着けた。

 一気に三分の二くらいまで灰にして。

 

「……空気がいい……」

 

 呟く花山。

 その左側から――

 

「な」

「何者!」

「き、貴様、何者だ!?」

 

――震える声で、怒鳴る男たちがいた。

 

 男たちは五人で、みな動きやすそうな鎧を着けている。

 鎧のデザインは五人とも同じで、構えている剣も同じだ。

 兵士――官憲に通じる匂いを感じ、花山はそう判断する。

 

 そして右側からは――

 

「ぶしゅるるるるるるる……」

 

――獣の唸り声。

 

 大きい。

 身長一九〇センチを超える花山を、なお見下ろす。

 全身を強い毛に包んだ、獣人が一体。

 鬼人(オーガ)――頭部が豚でも犬でもない点から、花山はそう判断する。

 

 そして――

 

(来ちまったか……異世界)

 

 現代世界ではまずありえない状況から、花山はそう判断したのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で鬼人を殴る

 異世界。

 

 その言葉は、花山にとって、決して馴染みの無いものではなかった。

 

 花山に勉強を教えた同級生たちが、国語力の基礎作りとしてライトノベルを読ませたのだ。薦められたのは、ライトノベルの中でも特にリーダビリティの高い、いわゆる「なろう系」の異世界ジャンルの作品群で、これを花山は二週間に一冊のペースで読破した。一般的には遅いかもしれないが、花山にとっては驚異的に速いペースだった。そしてそこに若頭の木崎がビジネスの匂いを嗅ぎつけ、結果として現在、花山組は複数のネット小説サイトの大株主となり、最近では企業舎弟に立ち上げさせたレーベルからアニメ化作品も出始めている。

 

(異世界転生……いや、これは転移か)

 

 同級生の指導により、そこの違いだけはしっかりさせる花山だった。

 

(しかし…………弱った)

 

 どうやら自分は、鬼人(オーガ)と兵士が闘っている場面に転移してしまったらしい。

 そう認識した――そこまではいい。

 問題は、次だ。

 

(どっちに……味方したもんか)

 

 闘いの場に出くわし、おまけにこんなに注目を浴びてしまったら、素通りは出来ないだろう。

 では兵士と鬼人、どちらに加勢するべきか。

 人間である兵士に味方するのが無難なのだろうが、しかし実は兵士の方が悪者で、むしろ鬼人の方が迫害される被害者、正当防衛で闘ってるというパターンの話も読んだことがあった。

 

(両方とも……ぶん殴っちまうか)

 

 そんな考えも浮かんだが。

 

(悪目立ちは……上手くねえ)

 

 そういう理由で却下された。

 

(弱った……弱った) 

 

 そんな感じで、困る花山だったが。

 

 実は困っているのは、彼だけではなかった。

 花山を挟んで対峙する、兵士と鬼人。

 彼らもまた、困っていたのである。

 

 突然現れた、馬鹿でかい、正体不明の男。

 

 兵士からすれば、花山は一見人間のように見えるが、その巨体から鬼人の変種である可能性も捨てきれず。

 鬼人にしても、花山の纏う禍々しさは明らかに自分たちの同類で、しかしその肌の色艶は人間のものでしかなく。

 

 敵か、味方か。

 

 兵士も鬼人も逡巡し、だが行動はすでに始めていた。

 兵士たちは剣を。

 鬼人は拳を。

 花山に向ける動きを、身体の裡で始めていた。

 

 不幸だったのは鬼人だ。

 

 兵士たちより早く、それを表に出してしまったのである。

 それとは攻撃の意志であり、具体的には叫びとともに拳を振り上げる行為。

 

「ふしゅらぁあああああっっっ!!」

 

 どちらを敵にするか迷っていた花山にとっては、好都合すぎた。

 鬼人の拳が届くより早く。

 

「ん……」

 

 花山の手の甲が、鬼人の頬にぶち当てられていた。 

 

「ぼしぇええええええっっっ!!」

 

 鬼人が吹っ飛ばされる。

 

 もしこの場に範馬刃牙がいたなら、こう呟いていたことだろう。

『花山さんの、裏拳かあ~~~』

 と。

 

「鬼人が……一発で?」

 

 どよめく兵士たち。

 

「うあう……うぁう……うぁう」

 

 十数メートルも転がった先で痙攣する鬼人を、ちらりと見て花山は歩きだす。

 

 鬼人の拳を受けることなく、力を溜めることもなく裏拳であっさり片付けたのは、花山らしくもない。だが決して、鬼人の腕力を恐れたからではない。なんとなくだが、手短に済ませたい――そんな気持ちが、理由にあってのことだった。

 

 花山が転移したのは、丘を下ったところに開けた、広い場所だったらしい。

 鬼人一体に兵士が四、五人。

 そんな組み合わせの闘いの輪が、ざっと二十組以上は見て取れた。

 花山が割って入ったのも、そのうちの一つだったというわけだ。

 歩く花山に、従うように後を追い、兵士たちも歩いた。

 花山的には、すっ……と静かに。

 だが兵士たちから見れば、ずかずかと。

 一番近い闘いの輪に近付くと。

 

「ん……」

「ぽぎぇらぁっ」

 

 鬼人を殴り倒し、花山は次の輪へ。

 兵士たちも、数を加えて後に続く。

 そうして一つ、二つ、三つ、四つ。

 花山が鬼人を殴り、闘いの輪を終わらせる。

 兵士たちも兵士たちで花山を追うだけでなく、苦戦してる仲間に加勢し数の有利を作って鬼人を斃し。

 花山を起点として人間側が鬼人を圧倒するかに思えたが……

 

「底堅ぇ……」

 

 花山が呟く通り、戦局は拮抗していた。

 自らの周辺から発する圧が、どこかで押し返されているのを、花山は感じていた。

 どこか――「あそこだ!」と声がした。 

 

 闘いを続けるうちに、兵士たちの中でも特に若くて気安そうな一人が「次は、あそこにしましょう!」「あっちが押されてますよ!」と花山に話しかけるようになっていたのだが――そいつが言った。

 

「あいつです! あいつにヤられちまってるんですよ!」

 

 花山の活躍にもかかわらず、何故に戦局が拮抗しているのか?

 簡単なことだった。

 鬼人の側にも、花山と同じことをしてるやつがいたのだった。

 

 手近な闘いに割って入ると。

「ゔぉぐらぁっ!」

 人の背丈ほどもある棍棒で兵士たちをなぎ倒し、次の闘いを探して視線を巡らす。

 

 右へ。

 左へ。

 また右へ――止まった。

 

 鬼人版の花山とでも呼ぶべき、そいつの視線が、花山を捉えていた。

 それを受け止め花山も、そいつを見る。

 

 花山は大きい。

 周囲にいる兵士たちよりも、頭ひとつ抜けて大きい。

 だが鬼人たちは、その花山を見下ろす程に大きい。

 そして鬼人版の花山は、他の鬼人たちより、更に頭ひとつ抜けて大きかったのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界でタイマンする

 若い兵士が、解説してくれた。

 

「あいつは鬼人将軍(オーガジェネラル)ですよ! ただの鬼人より三割増しで大きくて、強さは百割増しだって言われてます! 鬼人の強さが兵士五人分なら、鬼人将軍は百人分――いや、百人いたって敵いません。まずは魔術師の遠距離攻撃で削ってから地形効果の高い場所に誘い出し、それから足の早いチームで波状攻撃っていうのが定石で、その段取りを踏まなきゃどうにもならんのですよ!」

 

 まくしたてる声を、花山は不快に思わなかった。

 若い兵士の名は、サリオ。

 兵士たちの中で一番早く花山に話しかけ、いつの間にやら花山の眼鏡やコートも彼が預かっている。

 サリオが言った。

 

「やるんですね!! 旦那っ!!」

「ん……」

 

 ぐにゃり、と。

 

 空気を、歪ませ。

 視線が、引き合うように。

 花山と、鬼人将軍が歩み寄る。

 

 考えるまでもなく、決まっていた。

 いつものように、思い切り力を込めて、ぶん殴る。

 花山がするのは、それだけだ。

 

 対峙する相手からは、花山の背中しか見えない。

 それくらいまでに、身体を捻じ曲げ。

 重く硬い拳を、ぶん投げるようにぶん殴る。

 

 いつも通り。

 花山は、いつも通りにするつもりだったのだが……

 

 この闘いを目撃した、ザツーナ王国貴族、マワリ=デ=ミテッタ男爵は、こう語る。

 

『鬼人将軍とハナヤマ殿がだな、こう向かい合ったわけだよ。いまの君と私より、もうちょっと近い距離でだな、向かい合ったわけだよ。ハナヤマ殿も大きいが、鬼人将軍はもっと大きい。殺されるな、と思ったさ……鬼人将軍がな。鬼人将軍が、ハナヤマ殿に殺される。向かい合う両者を見た、その一瞬で私は確信したのだよ。ハナヤマ殿のことは、もちろんその時点では私は何も知らなかった。だがな……説得力? 信頼感? とでも言うべきなのだろうな――この男は勝利するだろうという、いや、勝ち負けなどは越えた、もっと深い場所での信頼に値する、そういう何かを彼は発しているのだよ――ああ、そうだ。鬼人将軍とハナヤマ殿が向かい合ってだな。まずは鬼人将軍が棍棒を振り上げた。するとだ――』

 

 いつも通りに、花山はするつもりだったのだが。

 

「ゔぃぇらぁっ」

 

 鬼人将軍が棍棒を振り上げた、その瞬間。

 花山は、動揺した。

 鬼人将軍が、棍棒を振り上げ、花山の頭頂に叩き降ろそうとする。

 その動きが。

 軌跡を描く棍棒が。

 あまりに、遅すぎたからだ。

 そればかりか――

 

「「!?」」

 

――花山は、鬼人将軍の持つ棍棒を、掴んでいた。

 

 鬼人将軍の顔が、驚愕に彩られる。

 花山も、そうだった。

 この瞬間(とき)の花山の表情を、ミテッタ男爵はこう語る。

 

『まるで、ちょっと高い場所にある物に手を伸ばすようにな、すっとハナヤマ殿が手を上げた。音はしなかったな――うん、しなかった。ハナヤマ殿が手を上げると、まるで最初からそこに収まってたが如く、鬼人将軍(オーガジェネラル)の棍棒が、ハナヤマ殿の手に握られ、止められていたのだよ。あの瞬間(とき)のハナヤマ殿の表情(かお)は、まさしく――まさしく『やっちまった』って表情(かお)であったな』

 

 その瞬間――

 

「「「「………」」」」

 

――鬼人将軍も、兵士たちも、鬼人たちも、そして花山も無言になった。

 

『あの表情(かお)を見て、私は悟ったのだよ。ハナヤマ殿が、彼の生きてきた場所でどのような存在であったのかを――どのように闘ってきたのかを。生まれついての強者であり、強者である責を自らに任じて生きている――こいつはそういう男だと、私は悟ったのだよ。おそらく彼は、最初に相手の攻撃を受けてやってそれから自分が攻撃する、そういう闘い方をしてきたのだろう。だから鬼人将軍に対しても、そうするつもりだったに違いない――しかしだ。鬼人将軍の棍棒を見て思わず、意図せず、勝手に、身体が反応して、まるで目の前のハエをはらうかの如く、気軽に、容易く(たやすく)、自らのポリシー(禁忌)に諮る間もなく――棍棒を、掴んでしまった。つまり、ハナヤマ殿がそう思わずともハナヤマ殿の本能が『マトモに闘うに値せず』と断じてしまうほど、ハナヤマ殿と鬼人将軍の間には――』

 

 絶望的なまでの、実力差があった。

 

 そして誰より深刻にそれを理解したのは、鬼人将軍だった。

 

 なんなんだこの人間は。

 なんなんだこの雄は。

 

 容易く棍棒を止められた、事実。

 そして一瞬だけ間近で見た、花山の目。

 怯えも驕りも無く、殺意や勝ち気といったものすら見えない、ただただ殺し合いをこちらに強いてくるような、目。

 

 理解(わか)るには、それで十分だった。 

 

 勝てない。

 こいつには、勝てない。

 絶対。

 こいつには、絶対、勝てない。

 

 気付いて、自ら棍棒を手放し――

 

「ゔぉばっ!」

 

――鬼人将軍が、跳び退った。

 

 それに対し、花山は。

 

(けえ)すぜ」

 

 鬼人将軍の足元に、放って返した。

 鬼人将軍の、棍棒を。

 それで、殴りかかりでもすればいいものを。

 返した。

 せっかく奪った、棍棒を返した。

 

「…………っっっ!」

 

 それを、好機と喜ばず。

 侮辱と感じる。

 屈辱に、思う。

 鬼人たちを束ねる鬼人将軍には、そういう悟性があった。

 だが屈辱を晴らすには、闘わなければならない。

 目の前の、この恐ろしい花山(なにか)と。

 

「っっっっっっっっ!」

 

 どうやったら、花山(こいつ)に勝てる?

 

「ゔぃっ、ゔぃっ、ゔぃっ………っ!」

 

 答えの無い問いと花山への怯懦に、落涙失禁脱糞しながら。

 それでも鬼人将軍に叫びをあげさせたのは、プライドだった。

 勝負は、一瞬で終わった。

 

「ゔぃぇらぁああああああっっっ!!!!」

 

 両手を大きく広げ、鬼人将軍が花山にのしかかる。

 ぐにゃり、と。

 花山の身体が、潰れたように曲がった。

 鬼人将軍の巨体に覆われ、花山の姿が見えなくなる。

 すると――音がした。

 ぼこん、と。

 鬼人将軍の背中が爆ぜた。

 ぽぉん、と。

 血しぶきと一緒に、何かが空へと飛び出していった。

 

 誰もが、それを見た。

 それを、目で追った。

 それは、白く円柱(まる)かった。

 

 ミテッタ男爵は語る。

 

『高く高く上がって、一瞬で小さくなった。そして大きくなるのも一瞬でな――分かるだろ? 避けられるわけなんてないのだよ。ほら見たまえ――これがその時の傷だ』

 

 空高くへ上がり、ミテッタ男爵の頭を掠って地面に落ちた。

 大きさは、人間の頭くらい。

 

 背骨だった。

 

 それは、花山の(パンチ)によって鬼人将軍の体内から弾き出された、鬼人将軍の背骨の一節だった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で魔法に触れる

 ぼとん、と。

 地面を凹ませ転がった、白くて円柱(まる)く、決して小さくは無い、それ(・・)

 それ――花山の(パンチ)によって弾き出された、鬼人将軍(オーガジェネラル)の背骨の一節。

 鬼人将軍には、絶叫を声にする余裕すら無かった。

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!」

 

 背骨を破壊されて、正常でいられる生物はいない。

 身体の中心を支える柱であると同時に、脳から発した指令を全身に伝える器官でもあるのだ。

 そこに損害が生じれば、身体は制御を失い、時には生命の維持すら危うくなる。

 

「っっっっっ!!!!!っっっっっ!!!!!っっっっっ!!!!!っっっっっ!!!!!」

 

 鬼人将軍も、そうだった。

 制御を失った手足をばたばた痙攣させ、その勢いは、人間が巻き込まれれば即死に違いないほどだった。

 口から噴き出す泡も一種の毒物で、空気に触れるそばから炎を上げている。

 

 しかし、5秒……10秒………15秒。

 最期に、びくりと全身を捻じ曲げるように跳ねて。

 

 それも止んだ。

 

 力を失った鬼人将軍の亡骸が、そっと横たわらせるように降ろされ。

 その下から。

 血まみれで、しかし傷ひとつ無い(・・・・・・)花山の姿が立ち上がった。

 

 叫びが上がった。

 

「djさlfさjlkfdsjfldsjfkdsljfldsっk!!!!!!」

 

 戦場にいる全ての兵士が、絶叫しながら駆け出した。

 花山に向かって。

 そして、花山を囲むように何重もの円を作ると、また叫んだ。

 

「lkjflsfjdslkfj!!dslkfjdsfjd!!sklfl!!kdsjflds!!」

 

 円を作る兵士たちは、みな、花山に背を向けている。

 だから当然、彼らの構える剣は、鬼人将軍敗北のショックで立ち尽くす鬼人たちに向けられている。

 

「sklfl!!sklfl!!sklfl!!sklfl!!」

 

 こうすることで、兵士たちは示したのだ。

 

 兵士たち(われわれ)は、花山(あなた)の味方であると――花山に対して。

 兵士たち(われわれ)の背後には、花山(こいつ)がいるぞと――鬼人たちに対して。

 

 そこから後は、あっけないものだった。

 

 まだ襲ってくる鬼人も、逃げようとする鬼人も、どうしたら良いか分からずウロウロするだけの鬼人も、みな討ち取られた。

 締めくくりのこの掃討戦に限っていえば、兵士側の存在はほぼ無かったに等しい。

 勝どきがあがり戦闘が終わったのは、花山が異世界に転移して、ちょうど2時間後のことだった。

 

「さて……どうしたもんか」

 

 呟く花山だったが、今後のことについては何も考えつかなかった。

 とりあえず煙草を吸うことにした。

 若い兵士――サリオに預けたコートからパーラメントを取り出し、咥える。

 火をつけようとしたところで――「?」

 

「へへ……お粗末ですが」

 

 煙草の先端にサリオが指を近づけ。

 すると次の瞬間、煙草に火が点いていた。

 

「魔法か……」

「へい。この程度でも、なかなか重宝します」

「ボソッ 異世界か………」

 

 微かな声で発せられた花山の呟きに、サリオが目を細めた。

 相槌をうつことも、聞き返すことも無く。

 しかしそんなことには気付かず、コートを羽織り、花山は紫煙をくゆらす。

 

 滅多に無い快勝から、辺りは陽性の興奮で満たされていた。

 戦闘後で昂ぶる兵士たちの、表情も概ね明るい。

 冗談ですら無いような戯言を言い合いながら、布やそこら辺に生えている草で傷を手当しあっている。

 

 そんな兵士たちを見ながら、花山が思い出してたのは、宮本武蔵戦のことだった。

 正確には、その最中に刃牙と交わした会話だ。

 

 宮本武蔵に斬られた腹に花山はサラシを重ね巻き、そこへ刃牙が酒を吹きかけた。

 

 その時――

『ぶっかけるより飲みたかった』

 そう言った花山に、刃牙が、

『それは後』と。

――そんな会話をしたのだった。

 

 そんな会話を思い出しながら、

「酒か……」

花山がコートのポケットに手を入れると、

「……酒?」

酒の瓶が、入っていた。

 

 取り出して確かめると、やはりそうだった。

 

 ワイルドターキーの12年。

 

 花山がポケットに手を入れたのは、煙草を取り出すためだ。

 酒を取り出すつもりはなかったし、ポケットにそんなものを入れた憶えもなかった。

 しかし入れた憶えがないといえば、煙草だってそうだ。

 しかし……まあ、いいか。

 というわけで、花山はワイルドターキーの瓶の首を折り、呑み始めた。

 

●●●●

 

 ところで花山が兵士たちを見ていたように、兵士たちも花山を見てた。

 勝利の立役者なのだから、当然だ。

 本当なら、みんなで囲んで彼の武勇を讃えたいところなのだが……

 しかし、声をかけるのは気が引ける、というか恐ろしい。

 デカイし、裸だし、共通の話題とか無さそうだし。

 

 おまけに……

 

 というわけで、兵士たちとしては、偉いさんの誰かが花山に声をかけて皆に紹介してくれるのを待ってる状態なのだった。

 

●●●●

 

 サリオが訊いた。 

「旦那……それって酒ですよね?」

「ん……」

「まだ何本か、持ってたりしますか?」

「どうだかな……」

 やはり何も考えず、花山がポケットに手を入れると……

「ありましたねえ」

「ん……」

 ポケットから、またもワイルドターキーの瓶が出てきた。

 コートのポケットに、酒瓶が2本も入るような大きさはない。

 そもそも、1本入るかどうかすら怪しい。

 

 サリオが言った。

 

「旦那……もし旦那にお困りのことがあるんなら、その酒で、とりあえずの解決ってやつが出来るかと思うんですが……どうでしょう?」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で説明を省かれる

 サリオが言った。

 

「旦那……もし旦那にお困りのことがあるんなら、その酒で、とりあえずの解決ってやつが出来るかと思うんですが……どうでしょう? 失礼があったら許して欲しいんですが――察するに、旦那はこの国のお人じゃない。そして来年来月来週は判らないが、今日明日どうするかについては、まるであて(・・)が無い」

 

 そう言って、サリオは花山の目を見る。

 そして、頭の中で用意した説明の大半を捨てることにした。

 花山相手には意味が無いと判断され、省かれることとなった説明とは、次のようなものだった。

 

●●●●

 

『ここはザツーナ王国といいまして、ご存知かもしれませんが、南東側で『大森林』と接しています。

 今回は『大森林』から鬼人が溢れてきたってことで、討伐隊が組まれましてね。

 いくつかに分かれて鬼人を迎え撃った、この戦場(ここ)もその1つってわけです。

 

 今日勝てたのは、旦那のおかげ。

 少なくとも、旦那がいなければこんな大勝は出来なかったでしょう。

 大殊勲もいいところだ。

 褒美が与えられて然るべきなんでしょうが……

 

 しかし、誰も、旦那のことを知らない。

 

 この戦場(ここ)にいる中で一番えらいのは、ほら、あそこで空を見てらっしゃる方です。

 ミルカラ=ニ=ムーノ伯爵。

 ここにいる兵の殆どが――二百人以上があの方の領地から来ています。

 

 そして実際に兵を指揮してるのが、あの方だ。

 マワリ=デ=ミテッタ男爵。

 あそこで怪我を手当されてる、あの方です。 

 あの方の領地から来てるのは、三十人ちょっとってところですかね。

 

 本当なら、まずはミテッタ男爵のお付きの方から声がかけられて、男爵に挨拶して。

 それからムーノ伯爵にも紹介されてってなるはずなんですが――

 

 しかし、ミテッタ男爵は治療中(見ての通り)だ。

 それでも、お付きの人に呼ばれて

治療が終わるまで(しばらく)待ってろ』

 ってなってていいようなもんなんですが……

 

 これは、ミテッタ男爵が止めてるのかもしれませんね。

 おそらくは、ミテッタ男爵ご自身が――

  

●●●●

 

 以上の説明を省き、サリオは続けた。

 

「ほら、ごらんなさい旦那。あそこでこっちを見てる御仁がいるでしょう?

 ミテッタ男爵っていって、今日の指揮を執ってた方です。

 旦那に声をかけたいんですよ。

 お付きの人に声をかけさせても良いんだが、出来ればご自身で声をかけたい。

 でも見ての通り、怪我の治療中だ。

 だから、旦那のことをじぃっと見てるんです」

 

 サリオの言ったとおり、談笑する兵士の輪をいくつか越えた向こうから、花山を見てる男がいた。

 がっしりした体つきの、中年男だ。

 気が強い、というよりは意志の強そうな顔に口髭を生やしている。

 

 頭髪は豊かだが、今は、その三分の一近くが失われていた。

 理由は――男爵は、白くて円柱(まる)い何かを抱えている。

 

 何か――鬼人将軍の背骨だ。

 

 花山のパンチによって鬼人将軍の体内から弾き出された背骨の一節が、天高く打ち上げられたあと落下し、ミテッタ男爵の頭の左側を掠って地面に落ちたのだった。幸い頭皮が抉られた以外の外傷はなく、軽い脳震盪になったが部下に抱き起こされてすぐ回復した――頭皮と、そこに生えてた毛髪は失われたが。それを治療すべく、床机に座ったミテッタ男爵の両側から、魔導師が回復魔法をかけている。

 

「「アンゴラエンベラメンヘラデンデラ、アンゴラエンベラメンヘラデンデラ、アンゴラエンベラメンヘラデンデラ……」」 

 

 繰り返される呪文は古代エルフ語によるもので、一般的な魔導師は意味を知らない。

 ただ、これを唱えて魔力を込めれば治癒魔法が発動すると教えられてるだけだ。

 この世界の魔法は、ほとんどがそういう形で伝承されている。

 

「「アンゴラエンベラメンヘラデンデラ、アンゴラエンベラメンヘラデンデラ、アンゴラエンベラメンヘラデンデラ……」」 

 

 もちろん効果はちゃんと出ていて、うっすら膜がはったように、失われた頭皮が再生し始めている。

 しかし魔導師もミテッタ男爵も、後々で何らかの障害が出るのを覚悟していた。

 

 怪我をした後、男爵は頭に布を巻いて闘っていた。

 そしてその後、患部を水で洗ってから治療を始めた。

 井戸から汲んで煮沸して、それから一日以上経った水だ。

 魔導師は教養から。ミテッタ男爵は経験から、この水が危ないと感じていた。

 しかも、怪我をしたのが頭だ。

 

 何もしないよりはマシだが――この世界にはまだ無い言葉だが――何らかの感染症にかかる可能性、そして重篤な症状に陥り回復後も障害が残る可能性は否めなかった。

 

 そんな状態で、ミテッタ男爵は花山を見つめ。

 そんな状態のミテッタ男爵に、サリオと花山が近付いていく。

 

「旦那。ワイルドターキー(この酒)を、俺に使わせてください。当面の衣食住(くらし)を都合つけて見せますから」

「ん……」

「旦那は、俺が何を言っても後ろで頷いてくれてるだけでいいですから」

「ん……」

「ところで旦那、お名前は?」

「……薫」

 

 花山がフルネームで答えなかったのは『名字があるということは、異国の貴族!?』という展開が予想できたからだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で酒をふるまう

出来がいまいちだったので書き直しました。



「勝利! 勝利! 勝利! へへ……討伐成功おめでとうございます、男爵様。勝利! 勝利! 勝利! オセワの小隊におります、サリオと申します。へへへへ……」

 

 へらへらへこへことした様子で、男爵に近付くサリオ。

 それを見て、周囲の者が前に出ようとするのを、

 

「…………!」

 

 ミテッタ男爵が、無言で制した。

 

 咎められるべきことだった。

 一兵卒が指揮官に――それ以前に平民が貴族に直接話しかけるなど、許されるべきことではなかった。

 

「………」

 

 しかし、男爵は咎めず。

 鼻を鳴らすと、サリオが言った。

 

「ここにおります御仁なんですが、名を『カオル』というそうで、お察しかと思いますが異国の人間でございます。聞けば仲間の商人と旅をしていたところ、盗賊に襲われ、これを退けたは良いが、今度は森に迷い込んで魔物の群れに襲われた。爪やら牙やら毒液やらを浴びせられ、それでもなんとかこいつも追っ払って、宿場町も近い街道へと仲間を逃した――とこまでは良かったんですが、このカオルさん本人は崖から落ちて川を流され、滝から落ちたと思ったらまた川を流され、裸同然のこんな服装(なり)になりながら、襲ってきた鮭海竜(もどりシーサーペント)で腹を膨らし、なんとか陸地に上がって道なき道を彷徨った後! 偶然! 今日のこの鬼人討伐の現場に出くわしたって次第――でしたよね? カオルさん」

 

 こちらを振り向きもせず同意を求めるサリオの、表情は花山から見えない。

 それでも約束通り、花山は頷く。

 

「ん……」

 

 サリオが続けた。

 

「恐ろしい鬼人の群れに異国の軍――あっしには関わりねえことでござんすと素通りか、それとも闘いが終わるまで隠れて様子を見るか。どちらか選ぶのが利口というものでしょうが、どちらも選ばないのがこのカオルという男です。魔物と人間が闘ってる。しかし、異国の軍隊だ。助太刀してやる義理はない。しかしそれでは義に悖る。というわけで、一番近い鬼人(オーガ)に飛びかかり、それから後の大活躍は、ヘヘへへ……男爵様もご存知かと。へへへへへへへ」

 

 と、軽薄に笑うサリオに。

 どこか苦いものを飲み込んだ様な表情で、

 

「……うむ」

 

 と、ミテッタ男爵が頷いた。

 それを見て、サリオが仕上げに入った――そういう、声の調子で言った。

 

「ところでこれは、是非是非、男爵様にと――」

「これは……酒か?」

 

 差し出されたワイルドターキーの瓶を、ミテッタ男爵がそう理解できたのは奇跡に近かった。

 この世界に透明なグラスなど無く、普段飲んでいる酒がどんな色をしているか、正確に知る者すら少ない。

 ぺきり。

 新たに取り出した瓶の首を折って、花山が言った。

 

「そいつで……傷を洗うといい」

「酒で? 傷を?」

「ん……」

 

 アルコールの殺菌作用についても、やはりこの世界の人間には知識が無かった。

 

「そこそこ強い酒だ……バイ菌も死ぬだろう」

「バイ菌? 死ぬ? ぬぬぬぬぬ……?」

 

 困惑する男爵に囁いたのは、彼を治療する魔導師だった。

 青白い顔を、男爵の耳元に近付けて。

 

「最近、東方のイガーイ国で、酒の酒精を強くする技術が発見されたと聞きます。強い酒精には病を遠ざける効果があるのだそうで……」

「確かに酒――ワインは水より傷みにくいが? それと同じか」

「酒精を強くすることによって、その効果も高まったのでしょう」

「そして病を遠ざけるに至ったと。なるほど……なるほどな」

 

 うなずき合う男爵と魔導師。

 そこへ――

 

「じゃあ、やっちゃいますか? 傷口、洗っちゃいますか?」

 

――サリオが言いながら、瓶を傾ける手付きをしてみせた。

 

「お、おお――そうで……そうだな」

「はい。『そうだな』いただきました~。ではカオルさん、お願いします!」

「ん……」

 

 花山が、男爵の患部にワイルドターキーをかけながら言った。

 気遣うような、心配するような声で。

 

「……染みるぜ?」

 

 男爵が応えた。

 

「構わん!」

 

 酒で傷口の汚れを洗い流し、それをサリオがどこからか取り出した清潔そうな布で拭い、また酒で洗って布で拭う。

 

「まだかけるかい(やるかい)?」

「もっとだ!」

「まだかけるかい(やるかい)?」

「もっともっとだ!」

「まだかけるかい(やるかい)?」

「もっともっともっとだ!」

 

 それを繰り返すうち……

 

「酔って……る? 酒……飲んでないのに……わし……酔って…………りゅ?」

 

……傷口からのアルコール摂取で、男爵が酔いつぶれた。

 

 サリオは傷口の様子を確認すると、やはりどこからか取り出した真新しい布を男爵の頭に巻き。

 

「これ、内緒だから」

 

 そう言って、片目をつぶって見せた。

 言われた側――男爵のお付きや魔導師たちは、それに黙って頷くだけだった。

 そして、そこからどういう風に話が進んだのかは分からないのだが。

 

 花山はミテッタ男爵の領地に行き、そこで当面の生活を援助されることとなったのだった。

 

 男爵の領地までは、歩いて3日。

 人口数百人の町に到着した時、花山は――

 

 ワニ革の靴。

 紫色のシャツ。

 白いネクタイ。

 白いスーツ。

 

――いつもの、あの格好になっていた。

 

 それらの衣服を、花山がどうやって手に入れたかというと……

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界でスーツを着る

 花山が転移した戦場から、ミテッタ男爵の領地までは歩いて3日。

 人口数百人の町に到着した時、花山はいつものあの格好(・・・・)になっていた。

 

 ワニ革の靴、紫色のシャツ、白いネクタイ、白いスーツ。

 髪も、櫛で整えられている。

 

 それらの品を、花山がどうやって手に入れたかというと……

 話は、戦場から出発する直前へと戻る。

 

●●●●

 

 ミテッタ男爵への挨拶が終わった後。

 

 サリオが話をつけてくれて、花山はミテッタ男爵の領地に行くことになった。

 出発は、これからすぐだという。

 

 サリオが言った。

 

「ちょっと待っててください、カオルさん。何か着るものを持ってきます。男爵の領地まで3,4日はかかりますからね。その間、そのなり(裸にコート、おまけに裸足)で過ごさせるのは申し訳ない――せめて靴だけでも見繕ってきますから。ああ、そうそう。先にこれをお渡ししときますね。目についたものがあったら、入れておくといいです」

 

 と言って渡されたのは、大きな布袋だった。

 紐が4本付いていて、それを肩と腰に巻いて担ぐ、そういうデザインだ。

 原始的な、リュックサックともいえた。

 

 リュックサック――

 

 離れてくサリオを見ながら、花山は思い出していた。

 それほど遠くはない過去の出来事だ。

 20歳になった時、花山が参加したイベント。

 

 花山組恒例――成人の儀。

 

 成人した男子が、一週間山籠もりする。

 ライターすら持たない、超最低限の装備でだ。

 もちろん、食料は現地調達。

 花山の場合は、頭部だけでも80キロ近い大イノシシを狩って食べた。

 

 その儀式の際に花山が荷物を入れてたのが、この布袋くらいの大きさのリュックサックだった。

 若頭の木崎がナイフを始めとしたサバイバル用品を入れてくれていたのだが、しかしそれを花山は出発前夜に全て取り出し――

 

(あの時は……背広姿一式(スーツ)煙草(パーラメント)(ターキー)と……ひげ剃りに………後は………何を入れたんだったか)

 

 思い出しながら、とりあえず(ターキー)の空き瓶を袋に入れる。

 自然な環境において、花山はポイ捨てをしない。

 件の儀式でも、空き瓶はリュックに回収して帰った。

 

 と――袋に入れた手に。

 

(……?)

 

 異様な感触があった。

 それは、よく知った感触でもあった。

 だからこそ、異様だったのだ。

 

 この袋は、サリオから渡されたものだ。

 異世界の袋だ。

 その中に……

 

(どうしてこれ(・・)が――?)

 

 花山は、その感触を掴んで取り出した。

 やはり、そうだった。

 

 シャツだ。

 花山が着慣れた、紫色のワイシャツだった。

 

 また手を突っ込んで、取り出した。

 

 靴だった。

 もちろん履き慣れた、ワニ革の。

 

 また手を突っ込んで――そして。

 

「カオルさーん。アナボリっていう男も女も馬鹿でかい地方から来た奴らがいましてね。カオルさんでも着れそうな大きな服が都合できましたよ。へへへへ。もちろん、死体から剥いだりしたもんじゃないですからご安心を――って、え?」

 

 いつの間にやら花山を囲むように出来てた人垣をかき分け、サリオが戻ってくると。

 

「あの……カオルさん。その服は……どこから?」

 

 どこから出したのか、見慣れない、しかし明らかに高級そうな衣服に身を包んで煙草を吸う、花山の姿があった。

 おもむろに煙を吐き出すと、花山は言った。

 

「……(これ)に、入ってた」

「……そうですか」

 

 目を細めるだけで応じるサリオを見ながら、花山は木崎の顔を思い出していた。

 木崎ならきっと、

『そんなわけないでしょおおおお~~~~』

 と、両手をわなわなさせながら詰めてきたに違いない。

 それくらい、ありえないことのはずなのだが。

 

 ことも無げな顔で、サリオが呟く。

 

「なるほど。それでか……」

 

 元々注目を集めていたところへ、これだ。

 シャツ、上着、ズボン、靴、それからおそらくは簡略化したタイ。

 どれも、貴族――いや王族でないと手に入れられないような高級品だった。

 そしてそれらを取り出して身に着ける花山にみな目を奪われ、結果、この人垣が出来たということか。

 

 小声で、サリオが訊いた。

 

「カオルさん……実は名字、あったりします?」

 

 お前は貴族か? という問いだった。

 

 この、カオルと名乗る男。

 どこからか現れ、鬼人はおろか鬼人将軍まで斃してのけた戦闘力。

 そこに、この見慣れぬ高級そうな衣装が加わった。

 すると結論は早い。

 貴族――しかもかなりの武勲を誇る、上級貴族に違いない。

 

 いまやここにいる誰もが、そういう目で花山を見ていた。

 

 花山が答えた。

 

「……貴族じゃねえ」

「では引き続き『カオルさん』と呼ばせてもらいますが……」

「花山だ」

「ハナヤマさん……カオルさん……」

「薫でいい」

「……了解です。カオルさん」

 

 頷くと、サリオが人垣に向けていった。

 

「はい。この人は貴族じゃありません。ミテッタ男爵様に保護された、異国の職人です。いま着てるのも、自分で作った商品です。ということで解散解散!」

 

 そう言いながらサリオが手を叩いて回ると、それで人垣は解散した。

 ほとんどは、ミテッタ男爵の兵だ。

 間もなく彼らはミテッタ男爵の領地に出発するわけだが、本当ならあと数時間は後になるはずだった。

 鬼人の死体から素材を剥ぎ取るなどしつつ、休憩をとる予定だったのだ。

 

 それが早められたのは――花山が理由だった。

 

 花山を異国の貴族と考えているのは、兵士たちだけではない。

 ムーノ伯爵の側近から、ミテッタ男爵に、こういう申し入れがあったのだった。

 

『ムーノ伯爵は無能であり(アレなため)、異国の貴族かも知れない花山(あのおとこ)を遇するには能力不足(いささか多忙すぎる)何かやらかされたら大変なので(だから)、ムーノ伯爵は花山に気付かなかったということにして欲しい。そのためにも、ミテッタ男爵には出来るだけ早くこの戦場を離れて欲しい――花山を連れて』

 

 こう言われて、ミテッタ男爵に断るという選択はない。

 ムーノ伯爵の方が、貴族としてずっと高位――それは当然として。

 ムーノ伯爵の無能さが『アレ』で通じてしまうくらい、それほどに周知なことだったからだった。

 

 

●●●●

 

 

 それから3日後。

 一行は、ミテッタ男爵の領地に到着した。

 ミテッタ男爵と側近、30名ほどの兵士、サリオ、花山という顔ぶれだ。

 

 花山は、しばらく滞在することになる宿に案内された。

 費用は、花山が斃した鬼人の素材から、ミテッタ男爵が払うのだという。

 

 そして――

 

 宿に着いて十数分後。

 花山は、宿の近くの酒場に飛び込んで訊いた。

 

「冒険者ギルドは、ここかい?」

 




そろそろ花山を闘わせたい……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で青ざめる

 花山が泊まることになった宿は、この町では高級な部類なのだろうと覗えた。

 部屋に入った途端、花山は辺りの音が消え失せたように感じた。

 

 ベッドに文机、クローゼット。

 置いてある家具はそれだけで、窓にはガラスも無い。

 現代人の感覚からすれば素朴といえた。

 

 しかしここまでの道中で見た雑駁な景色と比べれば、素朴というより整然。

 この静けさこそが、金をかけて整えられたものなのだと分かる。

 

 サリオとは、夕食をとりながら今後のことを話し合う約束をしていた。

 

 夕食まではあと1時間ほどあるそうだ。

 ふと花山が振り向くと、若い女が立っていた。

 この部屋まで案内してくれた、宿の女中だ。

 まだ入り口から去らず、花山を見てる。

 

(チップか……)

 

 スーツから札入れを出そうとして、花山は気付いた。

 まだ、この世界の金を持っていない。

 では――コートのポケットに手を入れようとしたところで。

 

 違和感があった。

 

 女中は――若い娘は、花山を見てる。

 花山の顔をだ。

 

 珍しいことだった。

 

 たいていの人間は、花山の顔を直視することが出来ない。

 見たとしても、一瞬で視線を逸らす。

 そして花山の手を見て、その剣呑とした巨大さに。

 

 男なら震える。

 

 女なら更に視線を移す。

 花山の、股間へと。

 

 夜の女のトラブルが、花山組に持ち込まれることがある。トラブルを起こした風俗嬢やキャバクラ嬢が事務所に連れてこられたり、あるいは自分から訪れたりするのだが、たまたまそこに花山が現れたりすると、どんな女でも花山の股間をちらちら見ながらもじもじ落ち着かない様子になって、まるで会話不能な状態になってしまう。

 

 だから女中が花山の顔を見続けているのは、相当に珍しいことだったのだ。

 

「みんなで飲んでくれ」

 

 コートから出した酒瓶(ターキー)を、花山が渡すと。

 女中は、顔を真赤にして。 

 

「お、お食事の時間になりましたらお知らせにまいります!」

 

 ようやく去った。

 

(どこで………見たんだったか)

 

 去っていく女中の様子が、花山にはどこかで見たことがあるもののように思えた。

 それが何なのか――

 

(あの時の……メイドか)

 

――以前入った喫茶店のウェイトレスだったと思いだしたのは、スーツにブラシをかけ始めた頃だった。

 

 G・Mと呼ばれる殺し屋が、日本の裏社会を襲った際。

 ふらりと入った喫茶店で、花山はクリームソーダを頼んだ。

 あの時のメイドみたいな格好をしたウェイトレスも、花山の顔を見て、真っ赤になりながら去っていったのだった。

 

 と、答えが出て。

 

 一瞬だけ止まったブラシを、再び動かし始める。

 ブラシは、件の布袋から取り出したものだ。

 スーツや酒と同じく、やはり成人の儀の際、リュックサックに入れたものだった。

 それが何故、異世界で手に入れた布袋に入っているのか?

 

(まあ……異世界だしな)

 

 そういうことなのだと思って、ブラシを動かす。

 それがまた、止まった。

 また動かす。

 また、止まった。

 花山は、ブラシを見た。

 ブラシの、蓋の裏を。 

 

 ブラシは二つ折りで、蓋の裏側に鏡がついてるタイプだった。

 

 その鏡に、映っていた。

 花山の、顔が。

 その面肌が、青く白くなっていく。

 

 それを見ながら花山は、自分の肩を掴んだ。

 紫色のシャツの生地に傷だらけの太い指が食い込み、台風雲のような皺が捩る。

 それと同時。

 膨らんだ背中の筋肉に、シャツの背中が引き千切られた。

 

 そして露わになる入れ墨――侠客立ち(おとこだち)

 

 元和2年――現在から、およそ400年前。

 豪農である花山家が盗賊に襲われ、一家5名が惨殺された――1粒種である弥吉を残し。

 侠客立ちとは、その際に弥吉を救った旅の博徒をモチーフにした入れ墨だ。

 

 博徒は総身に盗賊の刃を受け絶命し、それでも弥吉を守り抜いたという。

 

 侠客立ち(そのすがた)は代々の花山家 家長の背中に受け継がれることとなり。

 そして、16代目の家長である花山薫。 

 侠客立ちを彫った夜、花山は敵対組織『富沢会』の事務所に暴れ込み、10分足らずで壊滅させている。

 かの博徒と同じく、総身に刃を受けながら。

 当然、背中の侠客立ちにも傷が刻まれることとなり。

 これをもって、花山は己が背の侠客立ちの完成を認めたのだった。

 

 しかし今――無かった。

  

 傷が。

 

 侠客立ちから、傷が消え失せていた。

 

 花山の顔が、背中が――全身が傷ひとつ無い状態となっていたのだった。

 

 そして鐘が鳴るがごとく、花山の脳裏に響く声。

 高校の同級生だった、竹林巌の声だ。

 放課後の教室。

 花山に勉強を教えながら、彼は言ったのだった。

 

『ほらあ。異世界転移ってぇ。車に轢かれた人なんかでも普通に健康になってるじゃない。あれって転移する時に神様が治してくれたのよねぇ。だったら、もし花山(あんた)が異世界転移したらぁ。その傷も治されちゃうかもよ? そしたら、どんな顔になるのかしらかぁ……』

 

 そう言ってうっとりする同級生の顔が脳裏から消えた頃。

 花山は立ち上がり、部屋を出た。

 階下に降りると、さっきの女中を見つけて訊いた。

 

「冒険者ギルドは、どこだい?」

 

 宿を出た。

 宿を出て右に7,8件行った先。

 そこに、冒険者ギルドはあるのだそうだ。

 

(――傷が無くなった)

(ならまた傷を、付けりゃいい)

喧嘩すれば(ゴロまけば)いい)

(ドラゴンとか、そういうの?)

(いや、もっと手っ取り早く)

(だったら、冒険者ギルドだ)

(登録しようとしたら、古株の冒険者が)

(『ちょっと指導をしてやる』って)

(喧嘩を売ってくる)

(そういうのがいなかったら)

(強そうなやつを見つけて喧嘩を売ればいい)

(強そうなやつがいなかったら)

(弱そうな奴でもいい)

(そういうのが実は)

(最強だったりする)

(絶対、そうだ)

(異世界ってのは、そういうもんだ――)

 

 なるほど、それらしい建物があった。

 堅気から少し外れたような人間が出入りしている、そういう雰囲気を放っている。

 花山は、迷わずそこに入って訊いた。

 

「冒険者ギルドは、ここかい?」

 

 そこが、冒険者ギルドの隣の酒場だとは知らず。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で酒場に行く

 どこの町でも同じなのだが。

 冒険者ギルドの隣は、たいてい酒場になっている。

 徹夜や早朝の仕事を終えた冒険者に路上でくだを巻かせないためでもあり、情報交換の場所を与えるためでもあった。

 

 いま酒場にいるのは、今日の仕事を終えた冒険者と、鬼人(オーガ)討伐から帰ったばかりの兵士達だ。

 主に話してるのは兵士達。

 話題は、あの男(・・・)についてだった。

 

「川原で休憩した時なんだが――水辺に岩があったんだ。大きさは、俺らの胸の高さくらい。それであの男はな。その岩の前まで行って、ちょっとの間つっ立ってたかと思ったら、いきなりこう……拳を振りかぶってだな。親父が悪ガキを叱るみたいに、上からドカーンとぶん殴ったんだ。すげぇ音がしたさ。そうだな、ドワーフがやるよな。ハンマーで川の石を叩いて魚を気絶させるんだ。でも俺はな……その瞬間、思ったんだ。『あれ……ここって、滝だったっけ?』って。川も、その向こうの川原や森も何も見えなくなるくらいまで高く……水が跳んで、壁みたいになってさ。『あれ……滝って下から上に落ちるモノだったっけ?』って、思ったのと同時に降ってきたんだ。水と、魚と、あと……見たこともないデカい蟹とか」

 

 町までの道中で、花山と兵士達は良好な関係を築いていた。

 

 デカくて強くて恐ろしげな得体の知れない男、という印象は出発して最初の休憩をとる頃には薄れて、夕食時には花山の振る舞った酒をみんなで回し飲みするくらいにはなっていた。

 薄い酒しか無いこの世界の人間に、花山の酒(ワイルドターキー)は強烈でたちまち酔い潰れる者が続出し――しかし不思議と宿酔いする者はおらず――そんな強い酒を水みたく飲む花山に、皆が憧れや敬意の混ざった眼差しを向けるようになっていた。

 

 兵士達の語る、そんな花山のエピソードに。

 

「なるほど……普通なら冒険者ギルドに登録ってところだが、そう単純な話でも無さそうだな」

 

 冒険者の一人が言って、皆がそれに頷く。

 

 商人が盗賊に襲われ、そこを見知らぬ男に助けられたとする。

 男は異国の商人だというが、身元を証明する物は何も持っていない。

 

 この場合、商人に出来る最良の礼は、冒険者ギルドへの橋渡しとなってやることだ。

 

 腕は立つが身元は明かせない――訳ありと考えるべきだろう。

 礼はしたいが、深入りするのは怖い。

 そんな相手に、冒険者ギルドで最低限の身分を作ってやる。

 相手が最も必要としているもの与えてやるわけで、これ以上の礼は無いだろう。

 

 しかし花山の場合、これが適用出来ない。

 

 その戦闘力が『腕が立つ』どころの話ではないからだ。

 冒険者ギルドは、国を跨って支部を展開している。

 

 花山が、どれだけ目立たぬように心がけたとして。

 話に出た通りの強者であるなら、いずれは他国の支部にも情報が伝わり、注目されることになるだろう。

 

 もし花山が追われてる身であるなら、これは上手くない。

 冒険者ギルドは、各国の役人や黒社会とも繋がりを持つ組織だからだ。

 

 では――どうするか?

 

 皆が黙り、酒を口にした。

 コップを置こうとして、そして気付いた。

 

 揺れていた。

 コップに残った、酒が。

 その水面が、揺れていた。

 いや。

 揺らしているのだ。

 誰が?

 自分が。

 コップを揺らしている。

 いや。

 震えているのだ。

 手が。

 自分の手が、震えている。

 

 兵士も、冒険者も。

 そこにいる、誰もが。

 

(これは……アレだな)

(そうだな)

(アレだ)

(アレだな)

(アレだ)

(アレだよ……)

 

 声には出さず、顔を見合わせ。

 視線で、そんな言葉を交わした。

 

 誰もが、理解していた。

 

 見るより早く聞くより早く。

 身体が気付いて、怯えている。

 

 強者の接近に。

 

 命が脅かされるほどの強者が、近付いている。

 勘の鋭い者もそうでない者も、関係なく。

 誰もが震え、身動ぎ出来なくなるほどの強者が。

 酒場に向けて、歩いて来る。

 

 あと10歩。

 あと5歩。

 あと3歩。

 あと1歩。

 

 酒場に入ると。

 花山は、まっすぐカウンターに向かった。

 

 その姿に。

 

 花山を知る兵士は、

 

(こいつか……)

 

 やはり、この男だったかと慄きつつ安堵し。

 

 花山を知らない兵士は、

 

(こいつだ……)

 

 さっき話に聞いた男は、こいつに違いないと確信する。

 

 カウンターに向かって歩む姿に粗暴さは窺えず、優美にすら見え。

 分厚く巨大な体躯に乗った顔貌は、いかめしくも端正と言えた。 

 

 兵士達は、思い出していた。

 町への道中での、花山の姿を。

 そして、思い知っていた。

 あれは、周囲の彼らを慮った姿だったのだと。

 彼らを、怯えさせないように。

 

 自らの放つ強凶の風を、制御し抑えてくれていたのだ。

 

 そしていま、おそらくは何の配慮もなく。

 剥き出しの彼そのものを晒して、歩く花山。

 その姿の、猛々しさ凶々しさ。

 ましてや、出くわしたのが戦場でなく平時であったなら。

 

(((((これほどまでに、恐ろしい……)))))

 

 皆に背中で注視されながら、花山はカウンターに着いた。

 そして、訊ねた。

 

「ここが、冒険者ギルドかい?」

 

「!!っ……え、う…………」

 

 店主は、答えに詰まった。

 以前はこの町最強と呼ばれた冒険者であり、3分間だけであれば、今でも最強と噂されている。

 つまり、酒場の喧嘩程度で遅れを取るなどまず有り得ない強者だ。

 

「あ、いや……あ、その」

 

 しかし、言葉が出ない。

『違う』の一言を、口から押し出せない。

 再び、花山が訊いた。

 

「冒険者ギルドは、ここかい?」

 

 答えは、カウンターの端からだった。

 

「違うよ」

 

 答えたのは、サリオだった。

 花山との夕食の前に、酒場(ここ)で時間を潰していたのだった。

 

「親父さん。薄めてないワインを」

 

 店主に言って、花山に向き直り。

 サリオが言った。

 

「カオルさん。冒険者ギルドなら隣だ――まあ、一杯」

 

 店主から受け取ったコップを、花山に渡す。

 その間に、コップの表面に水滴が現れていた。

 サリオが、魔法で冷やしたのだろう。

 一瞬のことだった。

 

 さて――冒険者ギルドが酒場の隣と分かり。

 

 酒など飲まず、そちらに向かうことも出来た。

 そうするはずだった。

 花山の中に高まった『圧』が、そうさせるはずだった。

 しかし、そうしていない。

 それを不思議に思いながら、花山はコップに口をつけた。

 

「………美味え」

 

 店主が、声を震わせて言った。

 

「あ、ありがとうございますぅ~~~~」

 

 サリオが訊いた。

 

「で、カオルさん――冒険者ギルドには、どんなご用で?」

「冒険者の……登録をする」

「冒険者になるんですか?」

「いや……違うな」

 

 花山が、空になったコップをカウンターに置く。

 それに店主が、何も言われてないのに酒を注ぐ。

 

「傷が……あったんだ」

「傷?」

「ここからこう……こう……こう……こう………」

 

 本来なら傷がある場所を、花山は指でなぞった。

 

「それから背中……身体中に………傷があったんだ」

 

 サリオが訊いた。

 

「カオルさんに……誰が傷を付けたんですか?」

「……色々だ。いろんな奴だ」

「色々って――カオルさんに傷を付けられる人が、そんなにいるんですか?」

「いる」

 

 いつの間にか出されてたナッツ(つまみ)を口に放り込み、花山は続けた。

 

その傷(それ)が……無くなっちまった」

「はあ……私らと会った時には、もう無かったですよね?」

「だから……付ける」

「傷を?」

「傷を………また………付ける」

 

 そんな花山とサリオの会話を盗み聞きしながら、兵士も冒険者も、まだ固まったままだった。

 

花山(あんなやつ)の顔に傷を付けられる奴がいる?)

(それが何人も?)

(そんな恐ろしい国があるのか?)

 

 戦々恐々とする彼らの脳内に――

 

(傷が無くなったなら、それで良いじゃないか)

 

――という言葉は、浮かんでこなかった。

 

 花山が、また傷を付けると言っている。

 ということは、(それ)は花山にとって必要なものなのだ。

 

 異を唱えることなど、出来るはずが無かった。

 そんな恐ろしいこと、考えることすら出来なかった。

 

 しかしそんな彼らですら突っ込まざるを得ないことを、花山が言う。

 

「俺が冒険者ギルドに登録しようとする………すると話しかけてくるやつがいるんだ………先輩の冒険者でな……こう言うんだ………『お前みたいなヒョロっとした若いのに、冒険者は務まらねえ。訓練場に来な。俺が冒険者の厳しさってやつを教えてやるぜ』……ってな」

 

(ヒョロっとした若いの!?)

(誰がだ!?)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界でエルフに遭う

「俺が冒険者ギルドに登録しようとする………すると話しかけてくるやつがいるんだ………先輩の冒険者でな……こう言うんだ………『お前みたいなヒョロっとした若いのに、冒険者は務まらねえ。訓練場に来な。俺が冒険者の厳しさってやつを教えてやるぜ』……ってな」

 

 花山が言うと。

 サリオが、コップを置いて言った。

 

「では、冒険者ギルドに行ってみましょうか」

「行こう」

 

 そういうことになった。

 

●●●●

 

 冒険者ギルドは、酒場の隣の建物だ。

 受付カウンターでサリオが事情を話すと――

 

「いないいないいない。そんな奴いな~い」

 

――即答したのは、冒険者ギルドのギルド長だ。

 己より頭ひとつ高い花山の顔を見上げて、彼は言った。

 

「今時そんなことやる奴がいたら、追放どころか半殺しで役人に引き渡される――盗賊に雇われてそういう新人潰しをする奴がいるんだ」

 

 盗賊が次に行く地域に人を送り、冒険者ギルドの弱体化を行うことがあるのだという。ご当地の有力パーティーに潜り込んで他のパーティーと仲違いするように仕向けたり、経理の人間を籠絡して物資の出入を混乱させたり、酒場でデマを流したり。それと並行して新人潰しが行われた結果、数カ月後に盗賊が暴れだした頃には討伐の依頼が来てもろくに対応できない状態になっていたという事例が各地であったのだそうだ。

 

この町の冒険者ギルド(うち)みたいな小さな支部がそんなことされたら、ひと月も経たずに業務が破綻する(回らなくなっちまう)。だから、そういう奴を見逃さないようにちゃんと見張ってるんだ。それに見てくれ――訓練場なんて大層なもの、ここには無い!」

 

 ギルド長の言葉を疑うべくも無く。冒険者ギルドは細長い建物で、広さは酒場の4分の1も無かった。いま花山達が向かい合ってるカウンターも、人が2人並ぶのが精一杯。カウンターの向こうには机が一つと巻物や水晶玉の並んだ棚があるだけで、棚の隣にはドアが見えるのだが、訓練場などといった広い空間に繋がってるようには思えなかった。

 

「………」

 

 ギルド長の説明に沈黙する花山。

 そこへ追い打ちするように、サリオが訊いた。

 

「そもそもですね……ねえ、ギルド長。このカオルさんに一太刀浴びせて傷を付けられるような人――そんな人って、ここのギルドにいます?」

「いないな」

 

 きっぱり答えるギルド長。

 いや――花山が追いすがった。

 

「実力不足と勘違いされてパーティーをクビになってばかりの奴が実は最強だったりってことは……」

 

 そうだな……ギルド長が顎髭――若々しく整った顔立ちが少しでも老けて見えるように生やしている――を撫でながら答えた。

 

「確かに、パーティーをクビになってばかりの奴なら1人いる。だが、実力不足ってわけじゃなくてな。酒癖と手癖が悪くて、酒に酔っては仲間の金をくすねるんでその度パーティーをクビになってるんだ」

 

 と言って、棚の隣のドアを開けると何かを取り出して持ってきた。

 ボロボロの布の塊――に見えたが違う。

 人だった。

 長い耳からすると、エルフ。

 エルフの女だ。

 

「こいつ――アルチュっていうんだが、昨夜、隣の酒場で酔ってウザ絡みしてたんで預かって物置に放り込んどいたんだよ」

 

 そう説明するギルド長の足元で。

 大の字になってエルフの女――アルチュが叫んだ。

 

「うるせー。てめ、何ミてんだこのやろう馬鹿やろう。気に食わねえのか。アタシが気に食わねえのかこの野郎。殺すのか!? 犯すのか!? 好きにしやがれ馬鹿やろう。殺せ! 犯せ! 酒よこせ! 酒! 酒! 酒! 酒よこせ! うだぁああああああ!!!!」

 

 昨夜から物置きに閉じ込められているということだったが、どう見てもまだ酒が抜けていない。

 それもそのはずで……ギルド長によると。

 

「知っての通り、エルフっていうのは空気から栄養を合成出来る――だから人間より少ない食事で生きてけるんだが、アルチュ(こいつ)の場合、栄養だけじゃなくて酒も合成できるみたいなんだ。だから、その気になれば息をしてるだけで酔っぱらっちまえるんだよ」

 

「酒~。酒よこせええええ」

 

 アルチュの醜態を見ながら、サリオが言った。

 

「それでも酒を欲しがるんですから、度し難いですよねえ……」

 

「そういうもんだ……」

 

 歌舞伎町が縄張りの花山にしてみれば、アルチュの様な酔っぱらいは見慣れたものだった。

 手癖の悪さでしくじる者も、また同じくだ。

 そういう人間を何人も見てきた花山だから、出てきた問いだったのかもしれない。

 

「こいつが強いってことは有り得ない……ってのは分かるが。しかし、アルチュ(こいつ)には何か取り柄がある――違うかい?」

 

 何らかの利用価値が無ければ、ギルド長も世話をしないだろうという考えだ。

 アルチュが全く取り柄の無い人間だったら、とっくに野垂れ死にしてるはずだった。

 パーティーをクビになってばかりの奴――ギルド長は、そう言っていた。

 しかし何度もクビになっているということは、何度も加入を許されているということでもあるのだ。

 

「その通りだ。こいつには不思議な嗅覚と運の良さがあってな。こいつが加入してるパーティーからは、まず死人が出ない。もちろん例外はあるが、例外なくこいつの言うことを無視して危険な場所に突っ込んでった結果だった。だから新人や危なそうな依頼を受けたパーティーにはこいつを加入させてるんだが……それで結果も出してくれてるんだが………」

  

「殺せ! 犯せ! 酒! 酒ぇええ!」

 

「それを帳消しにして尚余る、このザマですか……ところでカオルさんは、危険な戦いがご所望なんですよね?」

 

 サリオが言った。

 

「ん……」

 

「だったら、冒険者は止めたほうが良いですよ」

 

「…………?」

 

「冒険者ギルドっていうのは、ランクによって請けられる仕事に制限があるんです。カオルさんならあっという間に最上級のランクに行けるでしょうが、それでもカオルさんに傷を付けられるような魔物や強者との戦いっていうのは、任務として請けられない。それくらいの難敵ともなると軍隊の管轄になってしまうんですよ。でも、だったら軍隊に入れば良いかっていうと、これも上手くない。カオルさんくらいの強者だと、おそらく王宮から声がかかって近衛兵に引き立てられるでしょう。で、近衛兵が何をするかっていうと王宮の警護です。自分の都合で戦うなんてことは、まず出来ません。じゃあ、どうすればいいかっていうと――あれです」

 

 あれ……サリオが視線で示した先を見ると。

 

「ぐう……ぐぼぼ……ぐごぽ………」

 

 汚くいびきをかく、アルチュの姿があった。

 サリオが言った。

 

「あれを使って、生産職に就くんですよ」

 




読者の皆さん的に、板垣作品以外のキャラが出るのはアリでしょうか?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で生産職に就く

 生産職?

 危険察知に特化したポンコツエルフ(アルチュ)を使って?

 

 サリオの提案は、こうだった。

 

「さっき言った通り、冒険者はランクによって請けられる仕事に制限があります。そして仕事で立ち入る森やダンジョンにも、ランクによって制限がかけられています。たとえ簡単な素材採取であっても、初心者が危険な魔物のいる森に入るのは許可されない。しかし生産職であれば、そんな制限はありません。それに商人みたいな他の職業と違って、森やダンジョンに入っても悪目立ちしない――素材採取は、業務の一環なワケですから」

 

 花山は、考え込むわけでもなく黙った。

 

「………」

 

 サリオの言ってることを、自分がどれだけ理解できているかは疑問だ。

 しかし――

 

(嘘が()え……)

 

――サリオの言葉からは、こちらを陥れようと謀る匂いが感じられなかった。

 

 加えて――

 

「ああ、こりゃ確かに……上手い考えだ。冒険者ギルドも生産職ギルドも悩みが1つ減るし、商人ギルドに話を通せば――」

 

――ギルド長が唸っている。

 

(こっちも……嘘が()え)

 

 となれば……というよりだ。

 

 花山自身、いま気付いたことなのだが。

 元より、花山に(いな)は無かった。

 いつの間にか、サリオの提案に乗るのが彼の中で自明のこと(とうぜん)となっていた。

 それが、どんなものであったとしてもだ。

 

 あとは、ただ1つ確認するだけだった。

 

 薄く笑みを浮かべると、花山は訊いた。

 

「そいつは――いいのかい?」

 

 答えたのは、ギルド長だった。 

 

「こいつは……いいんじゃないかな」

 

 サリオも言った。

 

「どんな目に遭っても、このザマよりはマシでしょう」

 

 頷き合う3人の視線の先では、

 

「ぶう……ぶべべ……ぶぎぎぎ………」

 

 アルチュが、汚いいびきをかいていた。

 

 

●●●●

 

 そして、1ヶ月が経った。

 

●●●●

 

 アルチュが叫んだ。

 

「いや~~~っ!! いやいやいや!! 絶対死ぬ! 死ぬこれ絶対! 無理無理無理無理無理無理無理無理!!」

 

 彼女はいま、ほぼ全身入っている。

 袋にだ。

 首から上だけ出して、全身、袋に入っていた。

 

 袋には紐と頑丈な帯が縫い付けられていて、それでリュックサックみたいに背負われている。

 花山にだ。

 アルチュの入った袋を背負って、花山が走っている。

 

 森を。

 高ランクの冒険者も恐れる、森の奥深くを。

 

 サリオの提案通り生産職に就いたのが――生産職ギルドに登録したのが――町に着いた翌日。

 その日から、ほぼ毎日、花山は森で素材採取をしていた。

 つまり毎日、アルチュと2人で森に入っている。

 

「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ~~~~っっっ!!!!!」

 

 素材採取というのが、どんな作業かといえば。

 あくまで、これは花山の場合ではあるのだが。

 

「やめ~~~!! やめて~~~。言ってるでしょ~~~。そっちは危険なのおおおおお!!! 危険なんだよおおっっっ!!!! 少しは言うこと聞けよ~~~~っ!!! 聞いてよおお!!! 聞いてくださ~~~いっっっっ!!!!!」

 

 危険察知に優れた、アルチュ。

 その彼女が察知した『危険のある方向』へ。

 つまり、アルチュの絶叫がより大きくなる方向へと。

 

 花山は走る。

 

 枝を折り。

 蔦を千切り。

 倒木を蹴り折って。

 

 走る。

 ひたすら走る。

 

 その先にあるのは――危険。

 

 危険。

 

 危険。

 

「いやぁ~~~~~~~~っ!! げふんげふんげふん!!!」

 

 アルチュの喉が枯れ、咳き込むほどの。

 

 危険。

 

 それは。

 

 ゴブリンの群れであったり。

 

 トレントの群生地であったり。

 

 死霊賢者(エルダーリッチ)が洞窟に築いた要塞であったりと。

 

 森の深くへ行くほど、規模と凶悪さを増していく『危険』。

 

 いま花山が向かう先に待ち受ける、今日の『危険』が何かは分からない。

 

 ただ確かなのは。

 

 昨日の『危険』より、生温いものでは無いということだ。

 

 昨日までの『危険』が、生温く思えるようなものだということだ。

 

 これまで、毎日そうだった。

 

 そして今日も――

 

「待ってな」 

 

 花山が、足を止めた。

 袋を下ろすと、這い出てきたアルチュに(ワイルドターキー)の瓶を与える。

 

「うへへへ……毎度、どおもお」

 

 途端に『危険』はどうでも良くなったらしい。

 アルチュが意地汚い手付きで瓶を開けると、ラッパ飲みし始めた。

 それに背を向けて、花山は歩き出す。

 

 木々の重なる向こうに、姿が見えていた。

 

『危険』の姿が。

 

 大きさは、30センチ✕60センチ。

 口には、それくらいの大きさの歯が並んでいる。

 

 トラック1台分。

 頭部だけで、それほどの体積(ボリューム)があった。

 

 体全体の大きさを言うなら、生き物や乗り物でなく、建物で喩える必要があるだろう。

 

 それは、巨大な亀だった。

 

 だから、固く丸まった背中は、甲羅と呼ぶのが正しい。

 甲羅からは、無数の棘が生えていた。

 そして、やはり無数の―― 

 

 猪人。

 狼人。

 虎人。

 豹人。

 鬼人。

 

――棘に突き刺されぶら下がった、死体。

 

 その中には、花山と戦った鬼人将軍(オーガジェネラル)にも劣らぬ巨体もあった。

 

 一歩、また一歩と。

 近づくに連れ、血臭が濃くなっていく。

 そして、それ以上の腐臭も。

 

 ぐちゃ。

 ぐちゃ。

 ぐちゃ。

 

 ゆっさ。

 ゆっさ。

 ゆっさ。

 

 ぼとり。

 ぼとり。

 ぼとり。

 

 ぐちゃ。

 ぐちゃ。

 ぐちゃ。

 

危険(そいつ)』が身を揺らすたび、棘の根本近くの死体が、千切れて地面に落ちる。

 それを、『危険(そいつ)』が貪る。

 

 ここに、ベテランの冒険者がいたならこう呼んだだろう。

 

『地竜』と。

 

 そして、上級の魔術師がいたなら視てたに違いない。

 

『地竜』の甲羅から伸びる、巨大な魔力の羽を。

 それから『地竜』の尾部に目を遣り、こう言ったに違いない。

 

『ああ、これは駄目だ。見てごらん、尻尾が3本あるだろう? その先端(さきっぽ)に女の顔があるだろう? こいつは神竜のなり損ね。神聖を得損ねたまま限界突破の成長を果たした悪虐の皇――『祝福無き竜皇(アウント・ギラース)』だよ!!』

 

 もちろん、そんな架空の声が花山に届くわけも無い。

 

 花山は、ただ一歩。

 また一歩と近付くだけだ。

 

 その先にいるのは『祝福無き竜亀(アウント・ギラース)』ではない。

 単純に見たままの、巨大な棘付きの亀だ。

 その亀に、花山は心のなかでこんな呼び名を付けていた。

 

装甲車(ガイジン)』と。

 

 それには、過去のあるエピソードが理由にあった。

 




次回、怪獣バトルです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で竜亀を戦慄させる

 祝福無き竜亀(アウント・ギラース)

 甲羅に無数の棘を生やした巨大な亀――神竜のなり損ね。

 

 その頭部――

 

 甲羅から出た、それだけでもトラックくらいはありそうな頭部に、花山は思い出すことがあった。

 そんなに遠くない過去の、こんな出来事(エピソード)だ。

 

 G・M(グランドマスター)の日本襲撃を退けた直後。

 

 花山にとっての大親分(おやじ)――五代目藤木組長秋田太郎に、自動車(くるま)をプレゼントしようという企画が持ち上がった。

 音頭を取ったのは、三代目極紋一家総長中村寅将。

 

 自動車(くるま)といっても、ただの自動車(くるま)ではない。

 

 装甲車だ。

 

 メーカーであるD.CO.Ltd.(デマルタ)社のJ.ケレップ会長自ら『バズーカでも地雷を踏んでも大丈夫』な『絶対に壊れない』『疾駆る(はしる)要塞』と謳う『飛びっきりの装甲車』だったのだが……それはさておき。

 

 祝福無き竜亀(アウント・ギラース)の頭部を見て、花山は、その装甲車を思い出したのだった。

 

(なんて名の自動車(くるま)だったか……)

納車時(あのとき)は……J.ケレップ会長(がいじん)が来てたか)

 

 というわけで、花山の中では――

 

装甲車(ガイジン)

 

――祝福無き竜亀(アウント・ギラース)は、そう呼ばれることとなった。

 

 ところで、祝福無き竜亀(アウント・ギラース)もまた。

 

 接近する花山に気付いていた。

 そして彼も、思い出していた。

 

 こちらは、果てしなく遠い過去の出来事だ。

 

●●●●

 

 花山が異世界転移者であるように。

 祝福無き竜亀(アウント・ギラース)もまた、異世界転生者だった。

 

 しかも、花山と同じ世界からの。

 

 祝福無き竜亀(アウント・ギラース)の前世は、人間ではなかった。

 生物ですら無い。

 

 装甲車だ。

 

 メーカー工場内の、彼専用に仕切られた特別な区画で製造され。

 その後、過酷な試験に合格し発注者(おきゃく)の元へと運ばれた。

 

 日本という、遠い国へと。

 

 納車前日、彼を造った者たちの長であるJ.ケレップ会長(おとこ)が言ったものだった。

『バズーカでも地雷でもお前を止めることは出来ない。何人も敵わぬ、お前は疾駆る(はしる)要塞だ』

 彼の鋼鉄の車体を撫でながら、何度も何度も……

 

 そして納車日。

 発注者(おきゃく)からの提案による、テストが行われることになった。

 耐久テストだ。

 メーカーで行われたテストに比べると、それはあまりに容易く思えた。

 

 ある男が、装甲車(かれ)を殴る。

 それに耐えられれば、良し。

 それだけだ。

 

 容易いことだった。

 

 米国の機動強化服装着者(スーツド・バーバリアン)中国、旧ソ連(ひがしがわ)生体強化戦士(ドーピング・ウォリアー)の殴打にも耐えられるよう、装甲車(かれ)は設計されていた。

 

 しかも――やはり、容易い。

 

 しかも装甲車(かれ)を殴る男というのは、ただデカいだけの、一目見て遺伝子操作はおろか薬物や電子装置での強化すら行われてないと分る、要するにただの人間(・・・・・)だった。

 

 既にテストの合格を確信し、装甲車(かれ)は未来に思いを馳せていた。

 これから自分の主となる暴力団組長(マフィアのボス)とは、いったいどんな人物なのだろう?

 歩み寄る男を見ながら、そんなことを考えていた。

 

 しかし――容易いことだったのだ。

 

 その男にとって、装甲車(かれ)を破壊することなど。

 一発殴ればそれで終わる、その程度の、容易いことに過ぎなかったのだ。

 

 ぎゅっと身体を捻じ曲げた男が、その戻る反動を――拳を装甲車(かれ)に叩きつけた。

 装甲車(かれ)の鼻面――フロントグリルに。

 

 その瞬間――

 

 車軸が折れ、タイヤが転がり。

 フロントガラスのフレームが歪んで外れ、ガラスは粉微塵となった。

 サイドミラーが、歪んだ車体から弾丸のように弾かれ。

 ドアは付け根から捩じ切られたように脱落し。

 

『本当に……これか……?』

 

 訊いたのは、その拳で装甲車(かれ)を殴り、破壊しつくした男だった。

 

『ェ? ああ……一応…』

 

 答える声がした――その数秒後。

 

 ボンネットを跳ね上げエンジンが爆発し。

 装甲車(かれ)は、廃車となった(死を迎えた)のだった。

 

 そして――

 

 転生して地竜となり。

 長い時間が経ち。

 神竜になり損ね。

 祝福無き竜亀(アウント・ギラース)に成り果て。

 また長い時間が経ったいま。

 

(あいつだ……)

 

 目の前に、男がいた。

 

(あの時の……あいつだ)

 

 あの時の男だ。

 あの時の男が、あの時のように歩み寄ってくる。

 

(どうして……)

 

 過去の記憶と同時に蘇ったのは、恐怖であり。

 屈辱の思いだった。

 

 あの時――

 

『本当に……これか……?』

 

――そう訊いた男の声は、明らかに戸惑っていた。

 

 弱さに。

 装甲車(かれ)の、あまりの弱さに。

 

 強者として生まれた装甲車(かれ)にとって、それは屈辱でしか無い。

 

 しかし屈辱を振り払おうとすれば恐怖が視界を覆う。

 

 屈辱と恐怖。

 

 その2つを抱えて、装甲車(かれ)は異世界へと転生したのだ。

 

●●●●

 

 そしていま。

 

(殺される!)

 

 祝福無き竜亀(アウント・ギラース)は確信した。

 

(あの拳で殴られたら殺される!)

 

 怯えからではない。

 祝福無き竜亀(アウント・ギラース)は神竜に成り損ねた存在だ。

 成り損ねたとはいえ、成り損ねるところまでは上り詰めた存在なのだ。

 

(また殺される!!!!!)

 

 だから決して怯懦でなく、神に近いところまでは行った、そういう存在が持つ力――未来予知力(よげん)により、祝福無き竜亀(アウント・ギラース)は、あの男――花山に己が撲殺される未来を透視したのだった。

 

 では――どうしたらいい?

 

 ぎちぎちと、音がしそうなほどに。

 花山は、身体を捻じ曲げている。

 背中を、完全にこちらに向けて。

 

 あの背中が、正常な向きに戻った時。

 花山の身体の捻じれは解け。

 その勢いで、拳を叩きつけるのだ。

 

 祝福無き竜亀(じぶん)の鼻面に。

 

 そして、祝福無き竜亀(じぶん)は殺されるのだ。

 

 再び、この世界においても。

 

 では――どうしたらいい?

 

(これしかない)

 

 あの背中が、まだこちらを向いている間に。

 花山の拳が、祝福無き竜亀(じぶん)に放たれる前に。

 

(やるしかない)

 

 そして、祝福無き竜亀(アウント・ギラース)は――

 

 自ら、鼻面を突っ込ませたのだった。

 

 花山でなく。

 花山の立つ、地面に。

 

 そして、放り上げたのだった。

 

 花山を、彼の立つ地面ごと、空へと。

 そうすれば、数秒後には。

 

 落ちてきた花山を、待ってるはずだった。

 

 祝福無き竜亀(アウント・ギラース)の甲羅に生えた、無数の棘が。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で宙返りする

今回で決着させるつもりでしたが、長くなったので次回に持ち越します。


 周囲の地面ごと、宙に放り上げられ――

 

(あいつも……こんな気分だったかもな)

 

――花山は、ある男のことを思い出していた。

 

 男というよりは、雄と呼ぶべきか。

 

 雄とは――例えば、ピクル。

 

 白亜紀の氷の中から蘇った、原始の偉丈夫(タフガイ)

 雄の中の雄(オス・オブ・オス)――しかしだ。

 

 花山の想った『あいつ』とは、ピクルではない。

 

 そのピクルを敗北寸前まで追い込んだ、こちらも雄の中の雄――範馬刃牙だ。

 

 東京ドーム、地下闘技場。

 

 ピクルとの死闘において、刃牙はピクルに裸絞め(チョークスリーパー)を仕掛けた。

 地上の格闘技であれば極まった瞬間に勝敗が決してたであろうレベルの強さと精度で。

 

 しかしピクルは、頸動脈を圧迫されながら。

 泡を吹き、白目を剥きながら。

 

 ダン! ダン! ダン!

 

 闘技場の客席を駆け上がると、そのまま刃牙もろともに宙へと身を投げ出したのであった。

 

 20メートル――いや、30メートル?

 

(ヤバイッッ高すぎだッッ)

 

 観戦していた花山が、慄いた程の高さからの空中落下。

 

 あの時の刃牙もこんな気分だっただろうかと、花山は想ったのである。

 

 いま花山の投げ出された空中も、あの時刃牙が落ちたのと高さは変わらないだろう。

 

 しかし――

 

(まあ……見てるだけよりは気が楽だ)

 

――刃牙が落ちるのを見ていた時のような、戦慄は無かった。

 

 何故なら、落ちるのが自分自身であるなら。

 

(自分で……どうにかすりゃあいい)

 

 既に花山は、落下を始めている。

 ちょうど真下に竜亀《アウント・ギラース》の甲羅があり、棘の先端があった。

『よお』と友達に手をふるような姿勢になると。

 串刺しになる、直前。

 花山が、殴った。

 棘の先端を、あたかも横からビンタするみたいに。

 

 ばちん、と。

 

 もし誰かが計測して、平均をとったのなら。

 

 竜亀の甲羅に生える棘の――

 直径は根本で60センチ、直径で2センチ。

 長さは6メートル。

――それが、おおよその平均となるだろう。

 

 そして、花山を串刺しにするはずだった棘。

 すなわち花山がいま殴った棘は、太さも長さも平均を大きく上回っていた。

 

 しかし、その太く長い棘に。

 びし、とヒビが入る。

 

『出る力進む力が強ぇえほど、横からの力に弱ぇえ』

 

 やはり刃牙✕ピクル戦を観戦した際に、花山が放った言葉である。

 

 竜亀《アウント・ギラース》の棘を、真っ直ぐに進む強い力と考えるなら。

 花山が、それを横から殴ってヒビを入れさせたのは、彼自身の言葉を証明したと言えるだろう。

 

 さて、竜亀の棘にヒビが入り。

 殴った花山の方はといえば――

 

 くるり。

 

 棘を殴った反動で宙返りすると、串刺しを免れた。

 そしてまた落ちた先で棘を殴り。

 

 くるり。

 

 また宙返りして、また次の棘へと。

 

 くるり。

 くるり。

 くるり。

 

 パンチと宙返りの繰り返しで移動していく。

 普段は行わないが、このような器用(アクロバティック)な動きも出来るのが、花山という男だった。

 

 そして――

 

ぐわぅっ(俺を踏み台にした)!?」

 

――ついには竜亀の頭を踏んで飛び。

 

「…………」

 

 息を乱しもせず、竜亀と対峙した最初の場所へと戻ったのだった。

 

 あのまま棘と棘の間に着地し、全ての棘を叩き折ることも可能であったのだが。

 あえて、そうしなかったのは。

 

(仏さんに……無体は出来ねえ)

 

 棘に串刺しとなった、無数の死体を慮ってのことだった。

 

 一方、竜亀《アウント・ギラース》はといえば――打つ手が無くなった。

 

 甲羅から伸びる巨大な魔力の羽。

 そこから魔素の強風を花山に叩きつけても。

 

「まだ……やるってことだよな」

 

 花山には、戦意のアピール程度にしか受け取られない。

 つまり攻撃としては、まったく効いていない。

 

 人間であろうと何であろうと、異世界(このせかい)の生物は多かれ少なかれ体内に魔素を循環させている。

 だからいま竜亀が放ったレベルの魔素の強風を浴びたなら、体内の魔素を乱され運が悪ければ死に、良くても人事不省に陥るのが通常だ。

 

 それなのに、平然としている。

 花山という男(このバケモノ)

 

 もとより対峙した時点で、竜亀は己が敗北の未来を知っていた。

『未来予知』の能力で見た未来(ビジョン)によってだ。

 だからここまでの攻撃は、それを無視した上での、あがきに過ぎなかった。

 

 やはりだから、これも無駄に終わるとは分かっていたのだが。

 

 もはや竜亀には、絶望する余地すら無い。

 竜亀の目の前に、花山の背中があった。

 背中が見えるほど、花山が身体を捻じ曲げているのである。

 

 致命の攻撃(死ぬほど痛いパンチ)の予備動作。

 

 あの身体が元に戻った時、その勢いで拳がふるわれ。

 それが当たって、竜亀(じぶん)は死ぬ。

 

 装甲車であった、前世と同じように。

 

 花山という男(このバケモノ)の拳で、自分は殺される。

 

 だから。

 

 最後に竜亀がとった行動は、彼の考えに因るものでは無かった。

 

 花山の身体が、捻れの極限から戻り。

 拳を放つ。

 

 ぶおん。

 

 竜亀の鼻頭に向けて放たれた(それ)

 (それ)が、標的に届く寸前。

 

 ぱかり。

 

 竜亀が、口を開いた。

 竜亀(彼自身)の『未来予知』すらすり抜けた、全くの無意識によって。

 

 そして拳が、僅かに進んだタイミングで。

 

 ぱくり。

 

 口を閉じた。

 

 結果――花山の手首を、竜亀の歯と歯が挟む形になった。

 

 つまり。

 

 花山の手首を、竜亀が噛んだ。

 その、屋根瓦みたいに巨大な歯で。

 このまま噛みちぎるのが当然といえる力と勢いで。

 

 ああ――しかし。

 

 花山の腕を噛みちぎり勝利する未来(ビジョン)は、いまこの時点になっても、竜亀の『未来予知』に探知されていなかった。

 つまり、そんな未来は絶対に来ないということだった。




次回、「花山、異世界でスクワット世界記録を更新する」をお楽しみに!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界でスクワット世界記録を更新する

『出る力進む力が強ぇえほど、横からの力に弱ぇえ』

 

 そう言ったのは、かつての花山だ。

 

 その際に例えとしてあげたのが――ピストルから発射された弾丸が、甚だしい時には観葉植物の葉に触れただけで大きく軌道を逸らされてしまう――そんな事例だった。それに応えてまた烈海王も、ストレートをカシアス・クレイのパーリングに干渉され、しかしなおも直進しようとするパンチの推力によって肩を脱臼するに至ったソニー・リストンの逸話を語ったわけだが。

 

 しかし――別の例え、いや喩えをここにあげよう。

 

 全力疾走する、体重100キロ超のアメフト選手。

 これに、あなたが横から体当りしたとする。

 さて――アメフト選手の直進は妨げられるだろうか?

 

 道路を時速100キロで走るトラック。

 これに、あなたが横から体当りしたとする。

 さて――トラックの直進は妨げられるだろうか?

 

 線路を時速200キロで走る新幹線。

 これに、あなたが横から体当りしたとする。

 さて――新幹線の直進は妨げられるだろうか?

 

 そして、あなたは無事でいられるだろうか?

 

 否と、聞くまでも無いだろう。

 

『出る力進む力が強ぇえほど、横からの力に弱ぇえ』

 

 だからこの言葉には、こう付け加える必要がある。

 

『しかし「ズバ抜けて」強い力なら、そうでも無いこともある』

 

 と。

 

 花山がパンチを放ち。

 

 その手首を竜亀が噛んだ。

 

 上の歯と下の歯で、勢いよく挟み込んだのである。

 

 直進する花山のパンチに『噛み付く』という横からの力で干渉したのだ。

 

 しかし、なおも花山のパンチは直進する――「ズバ抜けて」強い力を以て。

 

 すると、そこに何が起こったか?

 

 逆転したのである。

 

 烈海王風にであれば『裏返った』とでも言うべきだろう。

 

 花山の直進する拳、そしてその根本にある全身のエネルギー。

 

「ズバ抜けて」強い力。

 

 それによって、花山は裏返らせたのである。

 

 直進する己の拳を、竜亀の歯に干渉する、横からの力に。

 それに『噛み付く』横からの力を、花山の手首の中心に向け直進する力に。

 

 こうして、2つの力はその立場を逆転させた。

 

 結果――

 

 竜亀の歯を、根本からへし折り。

 花山の拳は、更に進み。

 これによって、証明したのである。

 

『出る力進む力が強ぇえほど、横からの力に弱ぇえ』

 

 花山のこの言葉は、完全ではないと。

 証明されたのである――他ならぬ、花山自身によって。

 

 べき。

 べき。

 べき。

 べき。

 

 拳は、更に突き進み。

 それに続く花山の全身(からだ)ごと、飛び込んでいた。

 

 竜亀の、口腔(くち)の奥へと。

 花山は、思わず漏らした。

 

「……臭え」

 

 そして狭かった。

 勢いのまま飛び込んでしまったが――いくら巨大な竜亀の口中といえど、流石に奥ともなると狭く、花山もしゃがんだ姿勢にならざるをえない。

 

 とりあえず、外に出ようしたのだが――

 

「ふんももももも……」

 

 歯を折られた痛み――折れた歯の根本から伸びた細長い何かが、びちゃびちゃ音を立てて揺れているのだが、あれは神経なのだろうか?――に悶絶する竜亀。その口中ともなれば、臭くて粘ついた血、体液、唾で溢れ、分厚く巨大な舌が真っ赤な波濤のごとく暴れまわっている。その蠕動は、花山を口腔の更に奥へと押し込み喉へと送り、いまにも呑み下さんとしていた。

 

「………」

 

 花山は、無言となり。

 そして、感じ取っていた。

 

 竜亀の上顎に触れた、背中。

 下顎に触れた、靴の底。

 そこに、硬い感触があった。

 

(これなら……壊れねえ)

 

 心中の呟きの、その意図。

『壊れねえ』とは、どんな行為に対してなのか。

 どんな行為を、竜亀の口腔に対して試そうとしているのか。

 

 いま花山は、しゃがんだ姿勢になっている。

 

 膝はついていない。

 足元――竜亀の下顎に触れているのは、靴の底だけだ。

 同じく上顎に触れているのは、肩と両の手の平だけ。

 

 そして、持ち上げられていく。

 

 顎が。 

 身を屈ませたせいで膝と近い高さだった花山の顎が、少しづつ、位置を高くしていく。

 

 スクワット。

 その姿勢と動作は、まさにスクワットそのものだった。

 

 蹲踞――立ち会い直前の相撲取りにも似た姿勢でバーベルを担ぎ、立ち上がる競技だ。

 競い合うのはバーベルに着けたプレート(おもり)の重さ。

 

 現在の世界記録は、フィンランドのジョナサン・ランタネン氏によって出された、575キログラム。

 

 ばき、ばき。

 

 持ち上がっていく――花山の顎が。

 

 ばき、ばき、ばき。竜亀の上顎が。

 

 持ち上がっていく――花山の背に担がれる、竜亀の上顎も同じくまた。

 

 ばき、ばき、ばき、ばき。

 

 花山が、近付いていく。

 直立に。

 直立に、より近い姿勢へと。

 

「ぶも、ぶ、ぶももももももももももも……」

 

 竜亀の顎が、開いていく。

 限界に。

 可動域の限界に、近い角度へと。

 

 もう一度言おう。 

 

 スクワットの世界記録は、フィンランドのジョナサン・ランタネン氏の575キログラム。

 

 ばき、ぼぐ、みち、べきべき……

 

 頭部だけで自動車ほどの大きさを持つ動物の口を、その咬合力に逆らい無理矢理開かせ、あまつさえ顎の関節を砕いて外して見せる程の力。

 それは、575キログラムに収まるものだろうか?

 

 いや――

 

 測定する(はかる)までも無いだろう。

 比べるまでも無いだろう。

 

 べきべき……ぼごんっ!

 

 最後に、水に大きな石を投げ込んだような音がして、竜亀の顎関節は完全に破壊された。

 いま花山は完全に直立し、その背中に担いでいるのは、竜亀の上顎の重さだけだ。

 とはいえ、それだけでもどれ程の重量となることか。

 

 こうして――

 

 我々の世界のスクワットの最高記録は。

 いま、異世界において更新された。

 

 花山薫によって、更新されたのだった。

 




来週は、コロナワクチン注射(2回目)のためお休みするかも知れません


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で神竜の卵を手に入れる

先週は、コロナワクチンの副反応が出たためお休みしました。
その分もというわけではないですが、今回はいつもよりちょっと長いです。


 花山によって――

 

 顎関節を限界を越えた角度まで開かれ、破壊され。

 竜亀は、いま絶命の直前にあった。

 

 他に負った傷は、前歯全部と甲羅に生えた棘を何本か。

 竜亀の巨体からすれば、数パーセントの損傷に過ぎない。

 

 しかし、その数パーセントが、致命のダメージとなる場合もある。

 

 例えば、自動車であれば。

 車体やエンジン、タイヤが無事であろうとも。

 バッテリーに繋がるコードを一本切断してしまえば、走行不能になる。

 

 例えば、人間であれば。

 脳か心臓に繋がる動脈を一本塞いでしまえば、それで身体の機能の大半が失われる。

 

 つまりだ。

 竜亀にとってのコードや血管にあたるものが、花山に破壊された部位に存在していた。

 だからいま、竜亀は僅か数パーセントの損傷によって、命を終えようとしていたのだった。

 

 竜亀(かれ)は、考えていた。

 いや、悟っていた。

 

 この敗北は、当然のことだったのだと。

 己が神竜に成り損ねた理由も、同じことだったのだと。

 

 屈辱。

 

 花山薫(あの男)によって与えられた屈辱を。

 異世界(この世界)にまで引きずり抱え込んでしまった。

 凡その心の傷と同じく、無意識の奥へと隠して。

 

 それによって生じた精神の歪さが、己が神竜に成ることを自ら阻ませたのだ。

 そして、こんな形での花山薫(あの男)との再会を果たさせたのだ。

 

 と――そんな結論を得て。

 いま、ひとつの想いがあった。

 もしも、生まれ変わることがあったのなら。

 

 花山薫(この人)に勝ちたいなどとは、二度と思うまい。

 

 そして彼は、竜亀としての生命を終えた。

 

●●●●

 

 ふっ、と。

 竜亀から感じられる圧――戦闘の意思が消えた。

 

 花山は、それを喧嘩の終わりと判断する。

 重い石の間にいるような竜亀の口の中から出ると――

 

「うへぇへへ。やっつけちまいましたねえ。旦那ぁ」

 

――酒くさい息(これはいつものことなのだが)のアルチュがやって来た。

 

 彼女が来たということは、ここには既に危険がないということだ。

 花山が振り返ると竜亀の目に生命の光はなく、目を見開いたまま竜亀(かれ)は絶命していた。

 

「あややややや。こいつは大変ですよお。虐殺剣豪のムザンに陸海賊のスパーロ、片腕魔道士のメテロ、他にもグラーヴァ、ストライゲン、ミングス、ズバリコニ、センベーロ……賞金首がいっぱいだあ」

 

 アルチュが声を上げたのは、竜亀の棘に刺さされた死体にだ。

 かなり有名な面々が、竜亀の餌食になってたらしい。

 

「竜亀なんかが出るような森の奥に、これだけの有名所がいたということは……これは『政治的問題(ポリティカルインシデント)』ってやつになってしまうかもしれないですねえ……まあいいか。ヒック。旦那ぁ。これ(・・)、貰っちゃっていいですか?」

 

「……好きにしろ」

「うへへへへへ。あざ~~~っす」

 

 花山が放ってよこした酒瓶(ターキー)を受け取ると、アルチュは竜亀の甲羅に飛び乗り、賞金首の文字通り『首』をナイフで刈り始めた。

 切ってるモノがモノだが、その手際は流れるように速やかだ。

 

 それを見ながら、花山は焚き火を炊き始める。

 燃やす木の枝は、アルチュがここに来た時、既に抱えて持ってきていた。

 花山が戦ってる間に集めたものだ。

 こういった段取りで、アルチュに抜かりは無い。

 

 酒癖の問題さえ無ければ、彼女は優秀な冒険者なのだ。 

 

 いつものことだが、花山はサリオの顔を思い出す。

 アルチュと組むことになったのは、彼女の危機察知能力が理由だ。

 しかしそれ以外に、現場での彼女のソツの無さも、サリオが彼女と組むよう勧めた理由にあるのだろう。

 

 焚き火から、煙が上がっていく。

 それを見つけて、あと数時間もすれば、冒険者に護られた生産者ギルドの職員がやってくるだろう。

 これも、いつものことだった。

 

 冒険者が冒険者ギルドに所属するのと同様、生産職に就く者は生産職ギルドに所属している。

 そして皆、仕事で必要な素材をギルドから調達している。

 

 では生産職ギルドがどこから素材を仕入れてるかというと、冒険者ギルドからだ。

 それ以外の、例えば商人ギルドなどから仕入れることは、協定で禁じられている――調達依頼の孫請ひ孫請けが各ギルド間で発生した結果、複雑怪奇な経路から売価上昇の無限ループが発生したり、はたまた皆が誰かに金を払ったのに肝心の品物は誰の手にも無いといったトラブルが、過去に多々あったからだ。

 

 だから仕入れのルートとしては、まず生産職ギルドが冒険者ギルドに調達依頼をし、そこから冒険者に仕事が回ってくるわけなのだが。

 

 問題は採取依頼がいろんな意味で安い(・・)ということだった。

 報酬も安ければ、実績としての評価も安いし、仲間内の評判も安い。

 だから採取任務なんて、初心者しかやらない。

 だが初心者が入れない危険な場所でしか手に入らない素材もある。

 

 しかし、そこに行けるような高ランクの冒険者は採取依頼なんて請けてくれない――報酬ではなく、評価や評判の安さを嫌って。

 

 だが、護衛なら別だ。

 

 採取ではなく危険な森の奥への護衛依頼なら、高ランク冒険者の名誉も傷つかず報酬も満足なものとなる。

 そうして高ランク冒険者(かれら)に護られやって来た生産者ギルドの職員は、花山が暴れた現場に残された素材を査定し、必要であれば劣化遅延の魔法などをかけて、それから素材の輸送の手配に取り掛かる。

 これも冒険者に護られた荷方の列(コンボイ)が、遅くとも翌日の昼には現場に着き、全ての素材が街へと到着するのが数日後。

 

 更に数日後になって、生産者ギルドから花山に素材の代金が支払われる。

 

 本来、生産者ギルドが冒険者ギルド以外から素材を調達するのは禁じられているのだが、これには裏道がある。

 生産者ギルドには、生産者が余らせた素材をギルドで買い上げる仕組があり、花山の場合も、この仕組を使って素材を売却していた。

 

 焚き火から、煙が上がっていく。

 それを見ながら酒を飲む花山は、褌一丁の姿になっていた。

 その脇には、スーツの残骸――竜亀の口の中でスクワットした時、膨らんだ筋肉に破り裂かれてしまっていた。

 

 焚き火を挟んだ反対側では、アルチュが酒を飲んでいた。

 

 その視線は、花山の股間を注視している。

 何回か前の仕事の際、やはり褌一丁になった花山と、やはり向かい合って酒を飲みながらアルチュが訊いた。

 

『酒のつまみに、旦那がお持ちの、その立派な――長くて太くて美味しそうな――その立派な棒飴(アメちゃん)を舐めさせてはいただけませんかねえ?』

 

 応えは――怖い目で睨まれた。

 アルチュは失禁した(ちびった)

 そしてそれ以来、そのようなことは口にしていない。

 ただ、見つめるだけだ。

 じっとりねっとりした視線を花山の股間に固定し、うへうへ言いながら酒を飲むだけだ。

 

 それに対して花山は、いまのところ何の苦言も呈していない。

 

「…………」

 

 無言で、ただ酒を飲むだけだ。

 

 ところで、残骸となったスーツ。

 その上に、置かれているものがあった。

 

 丸くて、大きさはバレーボールくらい。

 竜亀の死体から、アルチュが見つけてきたものだ。

 彼女の目の前で、竜亀の尻あたりから押し出されてきたのだという。

 

 おそらくというか、ほぼ確実に竜亀の卵なのだろう。

 

 花山の股間から目を上げ、アルチュが言った。

 

「それ、大事にして下さい――後々、旦那の助けになるはずです」

 

 花山は――

 

「ん………」

 

 頷くと、新しい酒瓶(ターキー)をアルチュに渡した。

 

 花山は知らない。

 

 卵の中の生命が、ついさっき彼が屠った竜亀の生まれ変わりであることを。

 まだ形すら整ってないその生命が、花山への絶対的な服従を誓っていることを。

 この時点で、既に神竜となっていることを。

 

 花山との戦闘が、竜亀(かれ)が神竜となるための最後の課題であったことを。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で美女と会話する

長期連載にすることに決めたので、やや展開が遅くなります。


 花山が町に帰ったのは、夕方も過ぎた宵の口。

 しかし季節のせいで、まだまだ外は明るい。

 

 アルチュは当然として、素材の査定に来た生産者ギルドの職員と護衛の冒険者まで伴っての帰還だった。

 

 職員と冒険者(かれら)が花山たちの待つ場所にたどり着いたのは、竜亀との戦闘が終わって2時間も経った頃だった。実は花山が森に入った時点から後を追っていたのだが、花山の速力に着いていけず、加えて森の脅威――魔物や地形の罠――を警戒しながらというのもあっての2時間差だった。

 

 しかし、それすらも花山の突進の切り開いた道(あと)があってのことで、何も無いゼロからの状態であったら、竜亀の棲むような森の奥深くに、彼らだけで到達するのは到底不可能だっただろう。

 

 往路(いき)だけでなく復路(かえり)にも同じことがいえた。

 

 森は、町よりも早く暗くなる。

 そんな道を彼らだけで帰るなど、考えるだけで恐ろしい。朝になるのを待ち明るくなってから帰るという案もあるかもしれないが、森の奥深く(こんなところ)で野営するなど、考えすらしなくても恐ろしかった。

 

 というわけで花山を待たせ、職員が大急ぎで査定を終え、みんなで帰ることになった――花山にすれば往路(いき)より遅く、職員たちにすれば、ずっと早いペースで。

 

 途中にあった川で身体を洗い、花山はリュックから出した新しいスーツに身を包んで町に帰った。冒険者達とは町の入口(そこ)で別れ、アルチュと職員を伴い向かったのは、生産職ギルド。

 

 冒険者ギルドのそれに比べて、十倍近く大きな建物だ。

 しかし、建物に入っての印象は、せいぜい1.5倍といった程度。理由は、受付のカウンターと簡易な事務を行う机の置かれたスペース以外、すべてが壁で区切られ見えなくなっているからだった。壁の向こうにあるのは倉庫と素材の査定室で、防犯上の理由により、来訪者の視線から遮られた場所に置かれているのだった。

 

 応接室や事務所は2階にあり、働いている人数も冒険者ギルドよりずっと多い。

 だから当然、冒険者ギルドみたいにギルド長自ら受付のカウンターに立ったりすることも無い。

 

「お疲れ様でございます、カオル様」

 

 受付で花山を迎えたのは、その笑み自体が商品になりそうな美女だった。

 年齢は、30歳を少し過ぎたくらいか。 

 

「また手間をかけちまうことになるが……よろしく頼む」

 

 花山が言ったのは、竜亀の死体から取れる素材のことだ。ビルほどもある巨体の殆どが生産者ギルドに納品されるわけだが、それに伴って発生する事務作業も膨大だ。これを粛々と処理することになる生産者ギルドに、花山は挨拶を入れに来たのだった。

 

「いつもご丁寧に有難うございます」

 

 受付の女性が、会釈で応じる。その言葉は、花山が異国の貴族らしいという噂と彼女自身が花山に接しての推察から発せられたものだった。

 

 これから起こることに対して事前に連絡を行い礼を通す――商人であれば身につけていて当然の習慣だ。正確には、一端まで育った商人なら当然というべきか。生産職でこれが出来る者は滅多におらず、出来る者は例外なく工房の(おさ)や役職持ちとなっている。

 

 では、このカオルという男はどうか?

 

 商人や生産職の修行をしていたようには見えない。その風貌風格は明らかに武人のそれであり、噂に付随する猛々しい挿話からしても歴戦の強者であることは確実。しかし肌の色艶は、まだ年若い青年――いや少年のそれだった。

 

 結果として、彼女はこう判断した。

 

 彼は異国の貴族か、そうではないとしても、幼年から高度な教育を受けられる環境にあったに違いないと。

 

 通常、そういった身分の者は仕事などしない。

 少なくとも、市井の者が仕事と言われて考えるような仕事には、就かない。

 

 受付の女性の言葉には、そんな身分の者(カオル)が生産職に就いていることへの礼も含まれていたのだった。

 

 しかし――それはそれとして。

 

 言葉と同時に、彼女は誘導していた。

 会釈する動作に含まれる、顔の角度や首から肩のラインの微妙な傾きといったパラメータを駆使することにより。

 誘導した。

 花山の、視線を。

 受付カウンターへと。

 カウンターの、端へと。

 

 そこには――瓶が並んでいた。

 

 ワイルターキーの空き瓶だ。

 花山がくれてやった(ターキー)の瓶を、アルチュが冒険者ギルドに売り。

 冒険者ギルドが生産職ギルドに売り。

 

「大変、好評ですのよ?」

 受付の女性が言う通り、かなりの高値にも関らず飛ぶように売れていた。アルチュが自分で飲んだ分は蓋まで含まれているが、アルチュは花山が飲んだ分の首が折られた瓶も持ち帰り、金に変えている。どちらも高い値がつけられている。査定では首の有無よりも、まずはガラスの透明度やラベルの印刷に高い評価が下されていた。

 

「ん………」

「ちょっとお高いのですけど、それでも、ね。うふふふ………」

 

 嫣然とした笑みで、花山を見つめる。

 彼女は、遠回しにこういうことを訴えているのだった。

 

『アルチュと冒険者ギルドという邪魔者(ルート)を省いて、花山から直に空き瓶を納品して欲しい』

 

 と。

 これに花山は――

 

「そっちのことは……あいつ(・・・)と話してくれ」

 

 そうとだけ応えた。

 アルチュを連れ、花山は生産職ギルドを出た。

 

「すまねえが、そういうことで頼む……ギルド長」

 

 生産職ギルドでは、冒険者ギルドみたいにギルド長自ら受付のカウンターに立ったりすることは無い。

 しかし、それも相手によるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で敗北を語る

 生産職ギルドから冒険者ギルドまでは歩いて5,6分。

 その途中にある店で、花山は籠を買った。

 

 藁で編まれた、取っ手付きの大きな籠だ。

 

 これにリュックから取り出した布(竜亀と戦った際に破れたスーツ)を敷き、真ん中に窪みを作ると。

 そこに――

 

 神竜の卵

 

――を置いた。

 

 そして10分後には、冒険者ギルドの酒場にいた。

 花山が町に帰ったのを見た誰かが先触れになり、酒場では既に花山のためのテーブルが空けられていた。

 席に着くと、まず花山は酒瓶(ターキー)の首を折り。

 琥珀色の液体をがぼがぼと口に流し込んで。

 

帰った(けえった)ぜ」

 

 ようやく、ぼそりと言った。

 それが合図となった。

 

「カオルさん! 今度も凄い(えれえ)のと()ったそうじゃないですか!」

「亀竜ってマジですか!?」

「聞かせてくださいよぉお。カオルさ~~~ん」

 

 酒場にいる冒険者達が、どっと花山のもとへ押し寄せた。

 みな、どこか遠慮がちに花山を見ながら、話しかける機会を窺っていたのだ。

 

「また、世話をかけちまうことになるが……よろしく頼む」

 

 生産職ギルドで言ったのと同じようなことを、ここでも花山は口にした。

 

「いや、そんなぁ」

「有り難い限りですよお」

「カオルさんのおかげで俺たち! な!?」

「そうそう! 冒険者ギルドもあんなに大きくなっちまって!」

 

 酒場は、以前よりも広くなっていた。

 冒険者ギルドのあった建物が取り壊され、その分の土地を使って建て増しされたからだ。

 では、いま冒険者ギルドがどうなっているかというと……

 

「まさか、あんな立派な建物(とこ)に引っ越すとはなあ」

 

 誰かが言った声に合わせるように、皆が視線を移した。

 酒場の、向かいの建物へと。

 3階建ての、以前は有名な商会の支店があった建物だった。

 

 この一ヶ月間――花山は森で危険に挑み、勝利してきた。

 

 オークやゴブリンといったモンスターの集落。

 エルダーリッチの要塞。

 トレントの群生地。

 

 そういった森の危険が、花山によって排除されてきた。

 つまりその度、森に安全な場所が増え。

 冒険者達による採集活動の範囲が大幅に広げられることとなった。

 

 冒険者ギルドに持ち込まれる素材は十数倍にも増加し、それを処理するために中央から人員が派遣され、広い建物に引っ越し、更に人を雇っても、それでもまだ足りない活況だ。

 

 当然、その影響は生産職ギルドや商人ギルドにも及び、いまこの町は未曾有の好景気に沸いていた。

 森の危険によって阻害されていたこの町のポテンシャルが、花開いたとも言える。

 

「ん……」

 

 周囲の声に相槌を打ちながら、花山は新たな酒瓶(ターキー)の首を折る。

 視線は、テーブルの中央に置かれた籠――神竜の卵に向けられていた。

 

「こ、これが……神竜の卵ですか?」

「ん……」

 

 花山が言ったわけではない。

 アルチュでも無いだろう。

 神竜の卵に関して、帰りの道中、アルチュは話題にしようとすらしなかった。

 こと神竜の卵(これ)に関しては、彼女は厳粛とすらいっても良い態度をとっている。

 

 ちなみにいま、アルチュは冒険者ギルドで、亀竜の背中から持ち帰った賞金首の提出手続きをしているところだ。

 花山はといえば冒険者ギルドに顔を出してすらいない。

 

 花山の所属が、生産職ギルドだからだ。

 

 生産職ギルドのメンバーが、生産職ギルドを通さず直接自分で冒険者ギルドにコンタクトを取るのは、ご法度――ギルド長の面子を潰す行為になる。

 

 もっとも、そんなのはあくまで建前に過ぎず、個々で融通を効かせて諸々回しているのが実際なのだが、花山の存在の大きさ複雑さ厄介さは、そういった建前の厳守無しには軋轢を免れない。そして誰よりもそれ弁えているのが、花山薫という男なのだった。

 

 興奮した声が訊く。

 

「亀竜を、やっちまったんですよね!?」

「ん……」

 

 頷きながら花山は、あの人もこんな気持ちだっただろうかと考えていた。

 刃牙との親子喧嘩の後、道で子供にサインを求められた範馬勇次郎も――

 

 更に興奮した声が、更に訊く。

 

「一体、どうやって?」

「口を……こう……」

 

 花山が、手を持ち上げる仕草をした。

 簡単だが、それだけで皆、察してくれたようだ。

 

「おお! 亀竜の口の中に入ってしゃがんだところから!」

「一気に立ち上がって!」

「口を裂いてやったんですね!」

「メキメキメキ~っと!!!!」

「すげえ!」

「すげえ!」

「カオルさんすげ~~~~っ!!!!!」

 

 称賛の声に謙遜も無視もせず、ましてやのって(・・・)見せることもなく。

 花山は、ただ

 

「ん……」

 

 とだけ。

 どれだけ持ち上げられようと、花山はそれだけだ。

 

 だが――

 

「カオルさんに勝てるやつなんて、どこにもいねえよ!」

「そうだそうだ!!」

 

――そんな声に、初めて。

 

「いや……」

 

 と。

 続けて、

 

「いるぜ。何人もな――何回も、負けてる」

 

 言った花山に、酒場は静まりかえった。

 

 どれくらい経っただろう?

 勇気のある一人が、声を震わせながら訊ねた。

 

「そ、それは……どんな御仁で?」

 

 ふむ……頬杖をついて、花山が答えた。

 

「一人目は――地上最強の生物って呼ばれてる男がいるんだが……」

 

「そ、その人に負けたんですか?」

 

「……その息子にだ」

 

「む、息子にですか……」

 

「その後で……本人にも負けた」

 

「本人にもですか……なるほど。それが二人目で」

 

「三人目は――これ(・・)の神様って呼ばれてる先生がいるんだが……」

 

 花山が胸の前に拳を構える。

 

「拳術ですか」

 

「その先生の……息子に負けた」

 

「また息子ですか……」

 

「四人目は――これ(・・)の世界チャンピオン……」

 

 今度は、胸の前で何かを掴むような仕草だった。

 

「組み討ち術ですね……それも、息子ですか?」

 

「……本人だ」

 

「息子には?」

 

「会って無えな……五人目は」

 

「ちょ、ちょっと待ってください! まだいるんですか!? カオルさんに勝てるような人が、まだまだいるって言うんですか!?」

 

「これが最後だ……俺の国の歴史で、最強って呼ばれてるお侍――これ(・・)にだ」

 

「剣士ですか」

 

「ああ……腹と、背中と、それから顔をこう――てことは、目玉も斬られたか。まあ、あちこち斬られてな。降参だ」

 

 再び、酒場が静まり返った。

 誰もが思っていた。

 花山の言ってることは、本当だと。

 誰もが知っていた。

 信じ難いほどの、花山の強さを。

 誰もが慄いていた。

 その花山に勝利する存在がいるという――何人もいるという、花山の故郷に。

 そんな恐ろしい場所が存在しているという、事実に。

 

「でもまだ、見えてるな」

 

 ことも無げに言う声に、応える者はいなかった。

 

 誰もが、思いを馳せていたのだった。

 目の前の強く大きく美しい青年の、しかし苛烈極まりなかったであろうこれまでの人生に。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で不動産を内見する

 敗北を、ことも無げに語った花山に。

 

 しん……

 

 と、酒場は静まり返った。

 

(((((また、盛り上がって騒ぐのも!)))))

(((((静かなままなのも!)))))

(((((絶対、間違いな気がする!!)))))

 

 酒場にいる誰もが、どうしたら良いものかと目を泳がせた。

 と、その時だ。

 

 高く澄んだ、声がした。

 

「亀竜の討伐と、この町のさらなる発展を祝って――乾杯!」

 

 あまりに空気が読めてないとも言える、その声に。

 しかし、誰もが救われた気がしていた。

 

 花山の口の端が、僅かに持ち上がったのを見た――気がしたからだった。

 

 そして、杯を掲げた。

 

「「「「「「「乾杯!!!!!!」」」」」」」

 

 こうして、酒場はいつもの賑やかさを取り戻し。

 花山も、

 

「どうぞ旦那。近くの村で作ってるワインです。なんでも『大森林』で採ったブドウを使ってるんだとかで」

「ん……」

 

 新たに注がれた酒に口をつけた。

 

 と――すっ、と。

 

 その横に、顔を近付ける人がいた。

 先程、乾杯の音頭をとった人物だ。

 彼は言った。

 

「カオルさん。お疲れ様です」

 

 サリオだった。

 

「ん……」

「後ほど、お部屋に伺います。例の件(・・・)で――」

 

 それから10分も経たず、二人は酒場を出た。

 

●●●●

 

 向かった先は、宿だ。

 

 花山は、この町に来てからずっと、同じ宿の同じ部屋に泊まっている。

 現代世界(我々の世界)でも、映画評論家の淀川長治氏やタレントのデイブ・スペクター氏など、高級ホテルの部屋を年単位で借りて住まいとする有名人の話はあるが、いまの花山もそれと同じだった。仮に花山が数カ月間留守にしても、その間部屋は維持され続け、花山の持ち物は置かれたままとなっているはずだ。

 

「カオルさん――候補の物件の、図面を集めました。どれも町の中央から程よく離れてます」

 

 しかし、いつまでもという訳にもいかない。

 

 酒場でくつろぐ花山を見る度、サリオは思うのだった。

 

 この男のあり方は、孤高ではあるが孤独ではないと。

 人に囲まれてる姿が、一番似合っている。

 

 人とは、すなわち町だ。

 

 花山(この男)には、町が似合っている。

 だから仮住まいの宿でなく、自分の家を持つべきなのだと。

 この町を、花山(じぶん)の町にするべきなのだと。

 

 そんなサリオの提案に花山は、

「ん……」

 いつもの様に頷き、そして今日、サリオは候補の物件の案内に来たというわけなのだった。

 

「見て下さい。どの図面にも矢印が書いてありますが、これは陽の動く方向です。『朝は明るく、昼は明るすぎず』っていうのが理想ですが、その観点ですと、この物件が良いですね。間取りの面でも、カオルさんの仕事(・・)に適しているでしょう――私的には、第一候補です」

 

「ん……」

 

 サリオの説明に、頷く花山だったが――

 

「………ん?」

「何かありましたか?」

「それなら……こっちも良かねえか?」

 

 花山が指した図面を見て、サリオが「ほお」という顔になる。

 花山の言う通り、その図面に描かれた建物は間取りも日当たりも、サリオの第一候補に劣っていない。

 しかし、図面が置かれているのはテーブルの端。

 どう見ても、候補としては最下位の扱いだ。

 

 サリオが言った。

 

「ああ、ここは……では明日、この物件も見に行くことにしましょう。見てもらえば、分かります」

 

 

●●●●

 

 

 翌日。

 

 花山とサリオは、まず第1候補と第2候補の物件を内見した。

 どちらの物件も、どうやら花山は気に入ったらしい。

 

 建物に施された職人の工夫に気付いて、

「ほお……?」

 と何度か声を漏らしてたのにサリオは気付いていた。

 

 その後、第3候補に向かう途中で、件の最下位候補に立ち寄ったわけだが。

 

 その建物――正確には、その建物の隣の建物を見て、花山が呟いた。

 

「なるほどな……」

 

 その声に、表情に。

 サリオは、顔を引きつらせていた。

 

(ですよね~~~。そうなりますよね~~~~)

 

 そして、確信していた。

 花山は、この物件を選ぶに違いないと。

 

 この物件のいわく(・・・)については、既に花山には話してある。

 

 元凶(もと)となったのは、王都でのある衝突(・・)だ。

 

 教会への寄進――より多くの寄進を、ある商会が断った。

 正確には、教会内部の特定の誰か(・・・・・)の懐に収まるだろう分の増額をだ。

 

『特定の誰か』は怒った。

 それに対し、商会も引くことは無かった。

 

 そしてこの衝突の影響が、この町にも影響を及ぼすこととなった。

 

 この町に、商会の支店が置かれる際。

 その隣に、教会もとある施設を置くことにした。

 誰の命によるものかは、言うまでも無いだろう。

 

 教会の置いた施設とは、孤児院だった。

 

 通常なら、貧民街に作られる施設だ。

 間違っても、商会の支店が置かれるような場所には作られない。

 逆に、孤児院の隣に商会の支店が置かれることも無い。

 

 だから、この二つが隣り合うことは、まず有り得ない。

 なんらかの、意図によるものでない限り。

 

 嫌がらせという、意図が働かない限り。

 

 結果として、商談に訪れる者も少なく。

 商会は、半年と経たずこの町の別の場所へと支店を移すこととなった。

 最初に要求された賄賂より、ずっと沢山の金を無駄にして。

 

 そしていま花山達の目の前に、二つの建物がある。

 

 いまでも商会により手入れされている、瀟洒な建物と。

 その横に経つ、僅か数年でボロボロの、屋根も剥がれかけてる様な安普請。

 

 安普請の窓から、花山達に向けられる視線があった。

 稚いものも、大人びたものもある。

 しかしそのどれもが不安気で、遡れば主はみな痩せていた。

 

 花山が言った。

 

「ここで、いいんじゃねえか?」

「了解です。では、なる早で手続きを進めますね」

 

 それに応えながら、サリオは。

 

(ですよね~~~~)

 

 内心で大苦笑する。

 しかし、同時にこうも思っていたのだった。

 

(しかし、カオルさんがこの物件を選んで――)

(それで、どんな問題があるというのか――)

(いや、むしろ――何故、この物件を候補に入れた?)

(つまり――)

 

 そして、気付いたのだった。

 

(自分は、カオルさんがこの物件を選ぶことを――心のどこかで望んでいた?)

 

 ということに。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界でスキルを判明させる

 というわけで、花山は家を買うことになった。

 

 元は商会の店舗だった建物を1ヶ月ほどかけて改築し、それから転居するという段取りだ。

 家――というよりは屋敷で働く人間も、その間に探す。

 

 采配を取るのはサリオで、自然とそういうことになったのだが、花山を含めて誰も異議を唱えることは無かった。

 

 改築のコンセプトは――

 花山のスキルを活かせる屋敷。

――だ。

 

 さてでは、花山のスキルとは?

 

 サリオは、あの時からずっと考えていた。

 突如戦場に現れ鬼人将軍(オーガジェネラル)を一蹴した、その後。

 コートのポケットから、花山が何本もの酒瓶を取り出した、あの時からだ。

 

 まずは、収納魔法ではないかという推測。

 

 否だ。

 

 収納魔法は、実際は隠蔽魔法と呼ぶのが正しい。

 収納することによって、我々の世界で喩えるならメールを暗号化するように、術者以外には取り出すことが出来ないようにするのを目的とした魔法だ。

 収納できる容量はそれほど増えるわけではなく、使用する容れ物の1.5倍程度が理論上の上限で実際は1.2倍程度といったところ。

 

 だから、花山がコートのポケットから何本もの酒瓶を取り出したのは、体積の面からしてまず有り得ない。

 同じ理由で、ポケットの中に酒瓶を転送魔法で引き寄せた(アポーツした)という可能性も消える。

 

 では――収納魔法も転送魔法でもないのなら?

 ポケットに、酒瓶が入っていたのではないのなら?

 

 答えは一つ――作ったのだ。

 

 おそらくは、ポケットから手を出す瞬間に。

 

 花山のスキルは、物質の生産。

 

――と、実はその考えまでは、すぐに辿り着くことが出来たのだが。

 問題は、そこから先だった。

 

 何を、どのようにして、どれだけ作ることの出来るスキルなのか?

 

 これまで花山がリュックやコート、スーツのポケットから取り出したのは、酒瓶(ターキー)に煙草にスーツに革靴、その他諸々の雑貨類。

 

 この事実に、何らかの法則は無いかとサリオは考えた。

 それが分かれば、もっと色々な場所から、色々なものを取り出すことが可能になるのではないか?

 

 リュックとスーツのポケットに共通する何か。

 そこから取り出された酒瓶と煙草とその他諸々に共通する何か。

 

 それが分からない。

 

 しかし、花山が現れて一週間も経った頃。

 糸口は、他愛ない事故(アクシデント)から見つかったのだった。

 

●●●●

 

 その日、サリオが宿の花山の部屋を訪ねると。

 

「失礼しまーす。カオルさん、冒険者ギルドからの……あれ?」

「!!」

 

 ガタガタと椅子を鳴らして、花山が振り返った。

 直前まで、机に向かっていたようだ。

 

「??」

 

 疑問に思うまま、サリオが机の上に目をやると。

 明らかに何かを隠すように、花山の太い腕が机に置かれていた。

 しかし、慌てていたのだろう――その何かは、全く隠しきれていなかった。

 

「花ですか……紙、ですよねこれ」

 

 花山が隠そうとしていたのは、紙で作られた花だった。

 状況からすると、作ったのは花山だろう。

 しかしその点はあえて指摘せず、更に数段階のやりとりを省いて、サリオは訊ねた。

 

「カオルさん、この花、一日にどれくらい作れますか?」

 

 自分が紙で花を作っていたことを、花山は恥ずかしがって隠そうとしているのだろう。

 

 それを察して、サリオは自分の都合の良いように会話の前提をずらして問いかけるテクニック――女性を食事に誘うとき「食事に行きませんか」とは言わず「XXと〇〇、どちらを食べに行きますか?」と訊ねるような――を使ったのだった。

 

 その効果は絶大で、サリオは超握力で固く潰された紙の花をぶつけられたりせずに済んだのだった。

 花山は答えた。

 

「……根を詰めれば、200か300は」

「それは、商売として成り立ちますね――しかし、きれいな色の紙ですねえ」

「……机から、出てきた」

 

 言いながら花山が、机の引き出しに手を突っ込んで、色紙の束を取り出す。

 

「んん? (そこ)からも、取り出せたんですか?」

「ああ……」

 

 応えて、机から更に酒瓶(ターキー)を取り出す花山を見ながら。

 サリオは考えていた。

 

 リュックとスーツのポケット――それに加えて、机の引き出し。

 だったら……

 

「だったら、あのクローゼットからは?」

 

 その問いかけに、花山は。

 

「ああいうのは……家には無かったからな」

 

 ぼそりと応えた。 

 サリオが、更に訊ねた。

 

「では、机は――あったんですか? 花山さんの家に?」

「ああ……こういう引き出しの付いた机がな」

「ということは……あれも?」

「一度……ああいうのを背負って山に行った」

「その時、中に入ってたのは……酒に、煙草に、そのスーツ(お召し物)?」

「……そんなところだ」

 

 サリオと花山――二人の視線の先にあるのは。

 この世界に来てから花山が愛用している、リュックサック。

 

 この時点で、サリオは感触を得ていた。

 花山のスキルがどういうものか、完全に把握したという感触であり確信だ。

 

 花山のスキル、それは――

 

●●●●

 

 改装された屋敷に、家具が運び込まれていく。

 様々なサイズの、クローゼットだ。

 

 例えば厨房の隅に置かれたクローゼットは、背が高くてドアがいくつも付いている。

 それに花山が手を突っ込むと、冷たい野菜や果物、肉や魚が取り出される。

 

 例えば土間に置かれたクローゼットは、人が入れそうなくらいに巨大で。

 それに花山が手を突っ込むと、大工道具や金属製の梯子らしきものが取り出される。

 

 例えば屋敷で一番風通しの良い場所に設けられた衣装部屋(兼花山の昼寝部屋)にあるクローゼットは、上半分が左右開きで下半分が引き出しになっている。

 それに花山が手を突っ込むと、何種類もの、スーツとはまた違った衣装が取り出される。

 

 クローゼットは、どれもサリオの導き出した答えに従い、作られたものだった。

 

 リュックとスーツのポケットに共通する何か――それは『花山が使ったことのある容れ物』であること。

 酒瓶と煙草とその他諸々に共通する何か――それは『その容れ物に花山が入れたことのある物、もしくは入っているのを花山が見たことがある物』であること。

 

 つまり、花山の能力とは。

 

「分かりやすく言うとですね。『カオルさんが何かを入れたことのある容れ物』に似た容れ物の中で、『その容れ物にカオルさんが入れたり、入ってるのを見たことがある物』を生成して取り出すというのが、カオルさんのスキルなんですよ!」

 

 そう説明するサリオを。

 

「………」

 

 無言で見る花山は、

 

(全然、分かりやすくねえ……)

 

 そう言いたげな顔だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で餅をまく(1)

今回のエピソードは前後編に分かれます


 異世界で、花山が得たスキル。

 

 それを花山自身は、こう捉えている。

 

『(そういやあ、こんな感じのアレにアレを()れてたな)――って考えながら手を突っ込むと、そのアレが出てくる』

 

 と、花山(かれ)があえて言葉で表現したなら、そうなるだろう。

 より深い部分では、

 

(こんなもんだろ。異世界だし)

 

 と、直感で楽観視している。

 

(慌てる必要(こと)もねえ……)

 

 と。

 そして同じ直感が、

 

「『カオルさんが何かを入れたことのある容れ物』に似た容れ物の中で、『その容れ物にカオルさんが入れたり、入ってるのを見たことがある物』を生成して取り出すというのが、カオルさんのスキルなんですよ!」

 

 というサリオの説明を、よくわからないが花山自身(じぶん)の理解と大きく変わるものではないのだろうと捉えさせていた。

 

 サリオによる花山邸のリフォームは、この認識の一致を前提として行われた。

『花山のスキルを活かせる屋敷』をコンセプトに、工事が始まって一ヶ月。

 ほぼ改築の終わった屋敷を歩く、3つの人影があった。

 

 サリオと、花山と、もうひとつ。

 

「基本的に、元の間取りを活かしています。大きく変えたのは、厨房を拡張したくらいですね」

「ん……」

 

 改築の概要は、図面で花山も確認済みだ。

 今日は、引き渡し前の確認として邸内をひと廻りしている。

 

 どの部屋にもサリオが花山から聞き取って作った『容れ物』が置かれており、間取りや内装よりも、それが目論見通り機能するか確認するのが主な目的だった。

 設計にあたって、最初サリオに浮かんだのは『花山が母国で住んでいた邸宅を再現する』という案だった――そして、瞬時に破棄された。それよりも屋敷に元からあった部屋を『容れ物』が置かれていたという『自室』や『事務所』や『教室』に寄せて改装した方が得策と考え直したのだ。

 

 前案を悪手と判断させたのは、サリオのセンスでありバランス感覚だった。

 

「元から商会の従業員の寮も兼ねた建物でしたから、居室の数は十分でした。住み込みのメイドを増やしても大丈夫ですよ、アミバさん」

 

 アミバさん――もうひとつの人影を振り向き、サリオが言った。

 人影が応えた。

 

「はひぃいいいいいい! お気遣いいただぁあきぃひいい! 有難うございますふぅううううう!!!!」

 

 大声である。

 アミバ=ド=ルオッタ。

 20代半ばの女性であり、メイド頭として花山邸で雇われることになっている。

 

 大声は常からで、これには理由があった。

 

*******

 

 貴族の令嬢だったアミバが両親を亡くしたのは、6歳のときのことだった。

 父の友人の男爵家に引き取られ、ここで彼女の運命は微妙に奇妙な方向へと変わる。

 

 引き取られた男爵家は武勇で名高く、3人の息子がいた。

 アミバの兄となる彼らもまた智勇に優れた才を示す逸材として将来を嘱望されていたのだが……

 

 問題は、彼らの才が、アミバほどでは無かったということだ。

 いや。

 アミバの才が、それほどに優れていたのだった。

 

 騎士学校を主席卒業したばかりの次男と手合わせして泣くまで叩きのめしたのが13歳の誕生日のことで、近衛兵の筆頭になるのも近いと噂される長男を木剣の一撃で昏倒させたのがその翌日。そしてアミバが手慰みに書いた内政案を、三男の手によるものと勘違いした父親が絶賛し、突然の三男(かれ)の急成長を褒め称えたのはその3日前のことだった。

 

 もっとも、こんなことは兄達(かれら)には既に慣れたことで、アミバが養女となったその日からずっと続く日常の出来事なのだった。

 

 そして更に問題だったのは兄達の性格、というより心の有り様だ。

 麒麟児と持て囃される彼らをして足元にも及ばぬアミバの才。

 

 圧倒的な彼女の才能に、兄達(かれら)は――

 

 嫉妬

 

――しなかったのである。

 

 最初に訴えたのは、三男だった。

 馬鹿なことを言うなと叱り飛ばすと、今度は次男が来て同じことを言った。

 これも叱り飛ばすと、今度は長男も加わって三人で来た。

 そして、やはり同じことを訴えたのだった。

 

「『アミバは実は男だった』ということにしませんか?」

 と。そして、

 「アミバを次代の当主にしては如何でしょう?」

 と。

 

 父――アミバにとっての義父は、ここに至ってようやく気付いた。

 異常な事態が起こっていると。

 

 父は、戦慄した。

 

(息子たちが、狂った!?) 

 

 そして同時に、その考えに違和感を抱いた。

 息子たちは、明らかに異常な状態にある。

 しかし、狂ったというのも違う気がする。

 息子たちは、捻じ曲げられたのだ。

 少しずつ、少しずつ。

 そして正気を保ったまま、異常なことを口走るまでに至ったのだ。

 

(そ・う・き・た・か~~~~~)

 

 内心で、父は少ない頭髪を掻きむしった。

 

 圧倒的なアミバ(いもうと)の才を前に。

 

 息子たちは嫉妬するのではなく。

 

 嫉妬せずに済むような心の迂回路とでも呼ぶべきものを、自らの裡に作りあげていたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花山、異世界で餅をまく(2)

オリキャラのエピソードが続きますが、どうかご容赦ください。


 息子たちが、自らアミバの才への敗北を認めた。

 そうであれば、良かった。

 

 単純にそれだけのことであったら、慰め、叱咤し、アミバにどれだけの才があろうと、彼らのこの家の長男、次男、三男としての位置、そして未来が揺らぐものではないと――そういう父としての想いを伝え、彼らに信じさせれば良かったのだ。

 

 しかし息子たち(かれら)は――

 

「『アミバは実は男だった』ということにしませんか?」

「アミバを次代の当主にしては如何でしょう?」

 

――などと言ってきた。

 

 唯一無二の、冴えた、疑いなく実現可能な案であるかのように。

 

 もちろん、無理だ。

 そんなこと、出来るわけがない。

 

 実現など絶対不可能な――異常な案なのだ。

 それを、息子たちが揃って提案してくる。

 

 つまり、これがどういうことかというと……

 

(それほどまでに……受け入れ難い、ということなのだろう)

 

 父は、そう結論付けた。

 

『アミバを、男と偽って当主にする』

 

 この案の異常さは、そのまま『アミバが兄である自分より、優れている。どれだけ努力したところで追いつけないほど遥かに』という事実が、息子たち(かれら)にとって如何に受け入れ難い現実であるか、ということを示しているのだ。

 

 そんな、異常な回路を心に抱えてしまった息子たちを前に。

 父である自分は。

 では、どうするか――

 

(頼るしかない。相談するしかない。優秀な者に――誰よりも、息子たちよりも、自分よりも優秀なあの者(・・・)に)

 

――というわけで。

 

「アミバ。夜分にすまないが、ちょっと時間を頂いてよろしかりん?」

 

 父は、アミバの部屋を訪ねたのだった。

 話し方が変なのは、緊張しているからだ。

 

 実は息子たちより先に、

アミバ(あいつ)、ワシより優秀じゃねー?)

と、誰よりも早くアミバの才への敗北を悟ったのは、この父なのだった。

 

「おお、アミバ。ちょっと話があるのだもん?」

「お父様……やはり、そういうことなのですね」

 

 ドア越しにそんな父の表情(かお)を見ただけで全てを悟ったのは、流石に優秀なアミバだった。

 

 そしてその夜から半年が経ち――アミバが14歳になる、数ヶ月前。

『大森林』に接する領地を持つ貴族家に、アミバは40歳を過ぎた当主の後妻として迎えられた。

 彼女が自ら探してきた嫁ぎ先だ。

 

 嫁ぎ先には、アミバと同年代の息子たちがいたが、彼らは、実家の兄たちとは違った。

 アミバの才を前に、どれだけ差を見せつけられても卑屈になることが無かった。

 

『大森林』は、魔物の巣窟だ。

 

 そこに接した土地に暮らす者にとって、魔物との戦闘は非日常ではなく、日常の外縁にある出来事だ。

 そんな彼らにとって、アミバの才はこの上なく頼りになる、ただただ有り難いだけのものだった。

 アミバもまた、夫である当主やその息子たちより前に出ることはなく、常に彼らの面子を立てるように振る舞っていた。しかし、戦闘と内政のどちらでも飛び抜けた彼女の活躍は、彼女が陰に回ろうとするほど逆に際立ち、彼女の存在感を、領内に濃くしていくのだった。

 

 ただ、子供が出来なかった。

 

 子作りの営み自体は行っていたのだが、アミバが懐妊することはなかった。

 アミバが18歳の秋から子作りを始めて10年近く。

 家を継ぐ息子は既にいるのだから、アミバが子を生む必要は特段に無い。

 しかし、アミバに子供を与えてやりたい。

 そういう思いが、当主にも、そして彼の息子たちにもあった。

 

――息子たちの誰かの妻として、改めてアミバを迎えてはどうか。

 

 そんな話が、男たちの間で持ち上がり始めた頃だった。

 

『大森林』から魔物が氾濫し、アミバは夫を失うことになった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




このエピソード、次回か次次回あたりで終わる予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。