総合魔法格闘技ストーカー ~ある卓球ストーカーに敬意を込めて~ (原田孝之)
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第一話:私が周りを無能だと思っていたころ
本作はI氏とは縁もゆかりもない人間が書いております。作中人物の内心はすべて妄想ですので、そのあたりはどうぞよろしくお願いいたします。
私は周りの人間すべて、無能だと思っていた。
生まれたときから、なぜ努力をしないのだと疑問に思っていた。なぜわからないことを、そのままにしておくのだと。
三年も生きていれば結論は出た。無能はできないことを「理解」できないのだ。
自らが無能であることすら理解できないのだ。
「見なさい、T。あれが優勝候補の
苦味の混じる渋面の男――岩永重工の社長であり、私の父親でもあるそいつは、どこか申し訳なさげな笑顔で闘技場の一角を指さした。
ここが
だが、所詮入学抽選失敗のお詫び――私立六天王寺小学校では筆記試験合格者百三十名の内、十名が抽選によって不合格となる――として連れてこられた私には、まったく興味のない話である。
スポーツなど大して金にならない。所詮選手など身体を資本とする下等労働者に過ぎないことを、私はよく知っていた。それも、
取り繕ったような会話をするぐらいなら、観客席でキャッキャと騒ぐ、顔以外にはなんの取り柄のない一つ下の弟を諌めろというものだ。
だがまあ、私も来月から小学生。円滑な家庭を築くためにも、笑顔の一つくらいは見せてやるべきだろう。夜に読むつもりのホメーロスやヘーシオドスについて考えを巡らせながら、置物のように黙りこくっている母親――弁護士の癖に会話が致命的につまらない――に倣い、笑顔で試合を見物してやった。
早く終われ。それが本心である。
そんな心は、試合が始まれば消し飛んでいった。
今、私の目は、大きく見開かれているだろう。
試合開始の合図と共に、松山選手の腕に装着されている腕輪型
同時に相手の松山選手が空を舞う。魔法補助材によって構成される円形闘技場では、身体跳躍魔法の効果が著しく向上している。競技人口増加のため派手にしようと協会が考案したらしいが、それを聞いた当時の私は設備の高騰による新規参入者の減少を招くだろうと、協会の無能を論ったものだ。
しかし、今の私にはそんな余裕すらない。
視線は、戦いに釘付けとなる。
水谷選手は自身にも移動魔法を掛けると空中に飛び上がり、縦横無尽に駆け回る。選手識別のために仕掛けられた剣杖型デバイスから、青と赤の燐光が衝突する。
テレビ放送で何度か見た、けれども所詮スポーツと関心の「か」の字すら抱かなかったはずのそれに、私は呼吸する余裕すら失っていた。
そして――
「勝ちました。優勝、優勝です。
波濤となって歓声がひろがってゆく。
自然と観客席から立ち上がり、拍手をするでもなく、感嘆を漏らすでもなくただ茫然と立ち尽くしていた。
大企業の息子として生まれ、その会社を引き継ぐためだけに存在する。そんな詰まらぬレールを走ってきた私にとって、はじめて心を激しく掴んだ。
きっとそれこそ、私の人生を決定づける瞬間だったのだろう。
大観衆の中、御伽噺の産物のように、炎と氷の渦の中で猛々しく剣戟を繰り広げるその光景に。
――私は、激しく魅了されたのだ。
§ § §
ここで、魔法について説明しよう。
発祥は、第二次世界大戦直後に遡る。
第二次世界大戦を勝利で飾った枢軸国の帝政ドヴィツは、後の独ソ戦においても合衆国アべメカの介入を防ぐため即座に和平を締結。連合国側科学者であるチューリングらを引き抜いた結果、人的資源不足だったソヴィエルや大恐慌によって足踏みを続けていたアベリカに先じて核兵器開発に成功する。
が、そのあまりの破壊力に恐れを為した首脳部の失策により、設計図が流出するという事件が発生。世界は消極的ながらも、核という抑止力によって平和が築かれていた。
というわけで、ドヴィツのロケット工学の研究者ヴェルナーは、唐突に終わってしまった第二次世界大戦の影響で、心血を注いできた宇宙開発用ロケットの開発を諦めざるを得なくなる。
この頃は冷戦ということもあり、優秀な科学者は狙われる時代だ。ヨーロッパに居ては危険と、ある国に亡命することとなる。
国家として成長期にあるアジア方面。そこで大東亜共栄圏の盟主として君臨する日本は、突如として戦争が集結し枢軸国からのレンドリースを失ったこともあり、仕方なく経済競争、宇宙開発競争に身を乗り出していた。
資源は乏しいが、金はある。
アベリカとの交渉の末、中華清国への橋頭堡である万衆国などは返還させられていたが、朝千統一紛争に大量の兵器提供をしていたことを知ったヴェルナーは、身の安全、そして幼い頃から夢みる宇宙開発のため、齢五十にして日本に旅立つことを決意する。
それでも結局、ヴェルナーは存命中に宇宙へ旅立つことはなかった。流行病だった。だが、数多くの弟子を育て、ある一人の人間を宇宙に送り出した。
その名は富樫。
ヴェルナー没後、宇宙という何もない世界に飛び出た彼は、自分の中に眠る力を自覚したそうだ。
「人は革新しなければならない」
魔法という概念が世間で日の目を見たのは、彼が地球に再び降りたってから、二年後のことだったという。
あの運命の出会いの後、私はすぐに行動を開始した。
部活に期待して入学、などすぐ可燃ゴミに出した私は、欲しいものがあるのならば自分で行動するしかないことを十分に理解していた。
この魔法技術は、不可思議なことに殺傷性が非常に低く、安全なことが広く知られている。が、裏を返せば役に立たないということを示していた。
原子力発電が実用化している現代、エネルギーにもならない。個人の資質に大きく左右され、非殺傷性こそ謳われるものの、実際には威力不十分で気絶させることもできない。そのくせ、魔法援助装備《マジック・アシスタンス・デバイス》は目が飛び出るほど高価というのだから、競技にするか、富豪のおもちゃにするしかない。
発表された当時は兎も角、魔法とは未知の産物ではなく、産廃の代名詞であった。
当然、私立なら兎も角、抽選の末回された公立小学校に
私は都内の小学生にも開放しているクラブを探させ、あの松山選手を輩出し、名門山森青田高校総合
「あちゃあ、申し訳ない。今年は入会希望が多くてね。希望者でジャンケンしてくれるかい?」
非殺傷とはいえ、一時は兵器利用も考えられたのが魔法である。幼少期の使用には、クラブ側に厳しい監督責任が求められる。結果、先生側の都合もあり、十人に一人の割合で入会できないこととなっていた。
この頃の私は、まだ愚かであった。
金の力を使うのが汚いと思っていたのである。札束を積めばどうにでもなるのに、小さなプライドが邪魔をした。
「ゴメンね、T君。本当にごめん。もしよかったら来年も受けてね」
簡単な検査の後、私以外が口裏を合わせたようにパーを出した。私はグー。一瞬で入会の権利を失った形である。
だが、私の決意は微塵も揺るがなかった。一度、点いた種火はいついかなるときも燻り続ける。そして、決して止められない大炎へと変わるのだ。
その日以来、私は世俗の事象に最低限の関心しか持てなくなった。すべてを無視したのだ。
だが、察するべきだったのかもしれない。運命が、私を助けようとしているのだと。無意味なことは止めるべきだと。
いや、本当は気づいていたのだ。
もしかしたら起こる、その残酷な現実に。
だが、私はあの光景を見た瞬間から、
§ § §
紆余曲折あり、小学校に入学してから数日後、結局私は近所のコンパス倶楽部に入部することとなった。
ここは、伝説の守備型選手松下の叔父が経営する倶楽部だ。だが、私から見れば才能をすべて甥に奪われたかのような無能である。
「そうだ!
この男は頑迷極まった典型のような人物で、何をするにしても基礎、基礎とばかり口に出し、徹底して剣術鍛錬に熱を上げた。
が、当然、私にとって必要なのは競技の経験であり、剣術の訓練ではない。そもそも、スポーツにおいて身体が資本であることは百も承知である。競技のため雇った剣術家から日夜指導を受ける私にしてみれば、わざわざ剣術に精を出すのは時間のムダでしかない。
だが、再三述べた通り、この頃の私は愚かであった。世の不条理を飲み込んで進むのが偉いと勘違いしていたのだ。
私は悪感情を飲み込み、無能に迎合した。この男は根性を好む傾向がある。半年も通えば競技に専念させてくれるだろう。私の精神は鋼鉄性だった。
だが、学校の下らぬ雑事に囚われていては競技に専念することはできない。それに私は、常に自分が上でなければ我慢ならない性質なのである。入学時の模試でずば抜けたIQを記録した私は、私立に入れなかった無能共を手始めに、不良、上級生らと遊んでやることで、円滑な日常の入手に成功した。
私は運動神経も人並外れていたし、少年赤十字活動もあって知事と握手したことがニュースになれば、学校だけでなく親の方々でも有名となった。
「いいか、T。一番以外は二番も百番もゴミだ」
無能な父が言うと笑えるが、私という胤を落とした事の次に、この名言は褒めてやるべきだろう。
言葉通り私に敵は居なかった。終えてみれば予定調和ですらあった。
中学に上がれば誰も記憶にすら残らない、通う価値すらない短い小学校だったが、たった一人だけ例外がいた。
「よう、T。お前ってめっちゃ勉強できるんだってな」
教師ですら私の顔色を伺っているが、その男だけは媚びる様子がなく、印象深くて覚えていた。目立つ男で、知性はないが人柄が好かれるタイプなのだろう。
張元和弘。
中華清国人父と日本人母を持つ二世である。
私は小学校内で唯一覚える価値のある人間だと判断していた。それが、残酷な運命の出会いであるとも知らずに。
そして半年後遂に――
「Tよ。お前は剣士として十分な心構えを手に入れた。魔法を使うことを許可しよう」
私は剣士など目指していない。そう無能な経営者に心中で反論しながらも、感極まったように免状を受け取る。
そして、親に手配しておいた初心者用デバイス――五十万はくだらない代物――を手に、私は魔法を起動した。
『発光』
誰もが最初に行使する、光を生み出すだけの魔法である。
魔法とは、御伽噺のような万能の産物とは別物である。
体内の魔素――無用だと言われていた膵臓から生成――が前頭葉を通過することにより、イメージに変換。それがデバイスという魔法援助装置によって収束することにより、現実事象を改変する。このようなプロセスを踏んだ物理現象の延長線上の産物である。
そして、発光は光学系魔法における光操作の一種で、その性質を正確に表すなら周辺光偏向魔法とするほうが正しいだろう。
だが、そんな原理を知らずとも、デバイス内の初心者発動補助演算を使えば、『発光』は問題なく使用できる。
いや、むしろ発光しか使えない補助演算機能付き初心者デバイスにおいては、私が淡々と小学校の授業を放棄して学んだ魔法理論の一部も必要としない。
重要なのは、体内保有魔素、前頭葉のイメージ変換・演算能力そして改変前現実認識能力である。
私は頭脳には自信が有ったし、改変前現実認識能力は魔法行使によって向上してゆく。根拠のない自信は愚かだが、体内保有魔素にも問題ないと考えていた。
体内保有魔素は、最大出力の絞られた競技においてはスタミナ程度の意味にしかならない。私の運動神経と頭脳があれば、多少の時間制限など苦にしないと思ったのだ。
伝説の水谷選手は、初使用の際に閃光弾ほどの光を放ったという。
そこまでは望まない。ただ、一般人程度の素養さえあればいい。
そう願いながら起動した私。その結果に対する言葉を聞いた時、私ははじめてこの男に感謝を抱いた。
私の人生二度目のターニングポイント。所詮趣味の一環として捉えていた魔法という言葉を、魂の隅々まで刻み込んだ言葉。
それを、私は消えそうなほど弱々しい自身の『発光』を見つめながら間遠に聞いた。
「なんだお前、無能か」
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言へり。かの有名な福沢諭吉の言葉である。
一般にこの言葉は、人々は皆平等であるという意味で認知されている。だが、この後に「実際には賢い人と愚かな人、貧しい人と富んだ人、身分の高い人と低い人がいて、雲泥の差がついている」という続きがあるのを知っているだろうか。
これこそが、福沢諭吉の意図した真の主張。「その不平等な差を埋めるため、生まないために、勉強して自分を磨くことを勧める」という意味なのだ。
しかし、世には努力で埋まらない差が確実に存在する。
身長、容姿、知能。
――そして、体内保有魔素量。
魔法において、保有魔素量が一定値に届かない者をこう呼ぶ。
無能力者。
つまり、無能。
「人は皆、平等ではない」
この世の残酷な真実である。
だが、そんなことで諦める私ではない。
どんな手を使ってでも、結果を残して見せる。私は一度も信じたことのない神にそう誓った。
――これは、無能と呼ばれた私の物語だ。
I氏の伝説。
〇有名私立小学校に合格する。その競争率は七倍。
〇しかしなぜかくじ引きで不合格。割合は百二十人に十人。
〇陸上部に入ろうとしたが、定員オーバーで卓球部に回される。
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第二話:私が自分を本物の無能だと自覚したころ
第二話:私が自分を本物の無能だと自覚したころ
保有魔素量が一般的に求められる水準を大きく下回ると知りつつも、私自身が本当に無能であると自覚するのには時間が必要であった。
なぜならば、そもそもの大前提として無能どもに敗北を喫することはなかったからである。
「うせろ、ゴミめ」
タイム・イズ・マネー。偉大なる名言を知るならば、次に取る行動はひとつしかない。
有能な私が最初にした仕事は、無能をデリートすることであった。
父親にクリスマスプレゼントと称して、コンパス倶楽部を強奪を命じると、さらに中華清国からすぐれた指導者を亡命させ、完璧なるトレーニング環境を構築した。
彼の国は国策としてマイナー競技に力を入れており、日本や他国のコピー選手なる存在を育て上げるなど、本当にそこまでやる価値があるのかと言わんばかりの強化を施している。市井に優れた指導者が溢れ帰っていることなど、猿でもわかる論理であった。
ただ、買収には多少の一悶着あった。どうしても倶楽部は手放さんというカスの意地があったのだ。
最終的には地上げ屋を動員し、また生意気に接することで体罰的指導という相手の弱点を掴み、資格剥奪によってことなきを得た。
まさにマネー・イズ・エブリシングである。
このようにして、私のためだけのトレーニング施設が完成した。
当然、私が結果を出すのも当然の話である。
「カブ(二年生以下)の部、東京地区優勝おめでとうございます、T選手。今後も頑張ってください」
有能な者は、何をやっても成果を出す。当然、私が地区大会で優勝するのも自然の摂理だ。多少保有魔素量が少なかろうと、身体能力や運動能力でカバーできる範囲内である。
しかも、私の努力量は生半可なものではない。つねに夜の十一時まで夜練に取りくみ、翌日朝五時には起床して朝練に励んだ。
むろん、小学校の授業中にやることなど睡眠かトレーニング理論のことばかりである。すでに小学校高学年までの内容など頭に入っている。再三言うが、私はまわりに比べて無能ではない。つまり、この程度の勉学などお茶の子さいさいなのである。
私に取っての懸念事項とは、どうやってこのバカ高いトレーニング施設と機材を維持するかという方向に限られた。
「なあ、T。さすがに金を掛けすぎじゃないか?」
二年生も終わろうかというころ、無能な父は私の顔色を伺いながらそう言い始めた。そろそろくるだろうなという予感はあったのだが、あまりの情けない態度に失望を感じざるは得なかった。
とはいえ、私の総合魔法格闘技に対する投資の量は、一社長令息であっても桁が違っていた。
専用トレーニング施設と化した元コンパス倶楽部の維持費もそうだし、お飾りとして据える必要のあった指導資格保持者、栄養学、整体師、戦術アナリストなどどこぞの前○氏かといわんばかりの専門家を集める私は、年間八桁円は軽く消費している。いつかは起こり得ることだった。
「なあ、もっと金の掛からないモノに……」
所詮私も養われる身、金を出す人間が渋れば続けられるわけもない。諦めるしかない、と考える人間もいるだろう。
だが、私は無能ではなかった。
金を集めることなど、ブルーオーシャンを開拓し、適当な誇大広告でだまくらかしてやれば、所詮無知な民衆どもがこぞって金を落としてくれる。その事実を知る私は、今ある手札で新しい事業を始めた。
その名も「マジカル・ダイエット・ジム」。魔法を無理やり使わせながら、ジムでトレーニングをするという簡単な事業である。
私は自身の経験から、素養のない人間が無理やり魔法を行使すれば、尋常ではないほどの体力を使うという事実をよく知っていた。
今までの魔法技術は基本的に省魔素量で最大火力を求める方針であったので、ムダに体力を消耗させる方向には新たな可能性が眠っている。
そのように革新はサクサク進み、特許を取得してから「なんとかマギカ」や「セなんとかムーン」というようなアニメとコラボしてやれば、人々は簡単なダイエット方法に飛びついた。
さらに重視したのが、拡散性である。
一ヶ月の会員費十万というバカ高い値段を取りながら、一人招待するごとに二万円減という顧客重視のスタンスを取ることで、あっという間に天下を取った。
クルクル回るCMに有名人を多数起用したのも良かったのだろう。実は魔法による体力消費は食欲減退効果しかなく、ダイエットの大多数はジムの運動であるということにすら民衆は気付かず、あっという間に私は一大事業を成功に収めた。
「T君ね、やパり保有魔力量ナイ、きついアルネ」
ようやく一仕事終えトレーニングに集中していたとき、無能なコーチその二がまた言い始めた。無能にありがちな話だが、大して役にも立たない事実だけを述べる連中がいかに多いか。
無能は過去を語り、有能な者は未来を語る。その名言を痛感した。
さて、話を戻そう。私はカブの部ではまったくの敵なしであり、当然カテゴリーの上がったバンビの部(三、四年生の部)でも敗北の「は」のじすら見当たらなかった。
当然だ。いうなら、河川水が上流から下流へ流れるようなものである。
理由は簡単だ。そのころの私の練習量は国体選手に迫るほどであった。
当然、学校の授業などほとんど耳に入っていない。入学当初の印象はどこへやら。いつも居眠りか内職に励む私も立派な不良少年だ。
しかし私はそつがない。かのハーヴィー・スペクターも言っていた。人間第一印象がすべてだと。中学までの内容をすべて頭に叩き込んでいる私は、教師に「家のお勉強が忙しいのね」と勘違いさせることでつまらぬ学校を乗り切った。
ふむ、どうでもいい話が長くなったな。さて、ここで私の魔法能力をすべて明かそう。
「ふぬぬぬぬっ」
会社に作らせた専用施設にて、私は全力をもって新開発の補助装置によって魔法を唱えていた。その名も『発火』。発熱系投射魔法の基礎となるモノである。
ちかちかと手のひらの上に淡い光が灯る。それを確認した私はさっと手を振ってかき消した。
「Tくんネ、才能終わってるアル」
そんなことは知っている。貴様はさっさとその改善方法でも考えろというものだ。この無能め。
結局、私の魔法技能は向上の余地を見せなかった。このような基礎魔法ですら四苦八苦するありさまで、高難易度の実用性がある魔法はほとんど不可能な段階にあった。
そもそも論、総合魔法格闘技という競技において保有魔素量とは、HP、MPどころか、攻撃、防御の値にすら直結する最重要パラメーターである。それが皆無とは、もはや両輪を外された自転車と同じ。ゴミそのものである。
四年生のときの大会は厳しかった。手強いライバルが地区に居たのである。流石に厳しいと思った私は、新たな方策を練ることにした。
「新型デバイスを製作しろ」
マジカル・ダイエット・ジムのもたらした収入は桁が違っていた。さしもの私も民衆の欲望を見誤ったということであろう。
その有り余った金で、自分専用のオリジナルデバイスを製作した。明らかにオーバースペックなそれを協会に札束を積んで認定させ、私は辛うじて基礎的な魔法の行使が可能となった。
当然、魔法というハンデがなければ勝利するのは決まっている。私だ。
正直、そろそろ飽きてきたな。最近の私はそう思うようになっていた。
結局のところどんなハンデがあったとしても、世間が無能ばかりでは必然的に浮上するのは私だけである。
繰り返される虚しい勝利に侘しさのような感情を掘り出されるのが、むしろ億劫ですらあった。
その男が現れるまでは――
「へへぇー、勉強じゃ負けるけどMMAじゃ負けねぇぜ」
鼻の下を掻きながら、そう自慢する張元の顔を私は一生忘れない。
小学五年生になって、はじめての全国大会ホープス。同じクラスながら、他県の倶楽部に通っている張元との勝負は、たった一瞬であった。
完封負け。何もできずの敗北であった。
技術が違うとか、身体が違うとかそんなレベルの話ではない。F1カーと乗用車が勝負するようなもので、スタートで差がつくと、一生埋まることのない溝ができあがった。
瞬殺。
日本語つたない無能コーチ二はそう言っていた。
その夜、私ははじめて布団に包まって絶叫した。意味のない行為だとは思ったが、はじめて感情をおさえることができなかった。
なぜ私には才能がない。
なぜ私には能力がない。
それ以外の能力はすべて持っているのに。
生まれも、知能も、金も全部。人間として必要なものはすべて持っている、なのに。
どうして、あんな下民に負けねばならぬのだ。
この上級国民の私が。
しかし、そんなところで挫ける私ではない。有能さと忍耐力は比例する。無能ではない私の忍耐力は鋼鉄製だ。
翌日には朝練に飛び出した私は、学校すらサボりながら、さらに練習へと打ち込んだ。
気が狂ったように練習した。招いた元ダブルスのメダリストからは、ユニフォームを頂戴した。私は神にも祈るような気持ちで、それを着て毎日過ごした。才能が芽吹けと、そう願いながら。
それでも夢の全国大会には届かなかった。六年生でのぞんだ大会では、不正をしてトーナメント表を弄ったにもかかわらず準決勝で敗退した。
私は強く焦がれた。
なんとしてでも、あの全国の舞台に立ちたい。
私を敗北させた、あの張元を倒したい。
全国の猛者たちが集う、あの会場で。
それを強く願うが、私に才能がなかった。
私は「無能」だった。
「ふ、ふははははは」
無能?
そんなことなど、すでに承知の上だ。
業なかばで倒れても、そのときは目標の方角に向かい、その姿勢で倒れよ。
かの有名な坂本竜馬の残した名言である。
だが、私にとっては道半ばで息絶えることこそ無能の証である。やり遂げると決めたならば、それを貫かずしてどうするというのだ。
私は父親を言いくるめ、名門奈良学園に入学を決意した。
名目上は、より経営者として優れた能力を養うため、一人で生活した経験を持ちたいという至極まっとうなもの。
だが、その真の目的はもっとも競技者の実力の低い奈良県から、私が全国への切符を勝ち取るための進学である。
全国有数の進学校? そんなもの、小一時間勉強すれば通る難易度だ。私は総合成績三位で入学し、早々私のためだけの総合魔法格闘技部を創設した。
さあ、障害はすべて排除した。
ここから、私の全国への挑戦は始まる。
I氏の伝説。
〇練習は夜の一時まで。五時に起床して朝練。
〇授業はすべて寝た。
〇所属倶楽部へ訪れた武田選手(元日本代表)にその狂気的な練習量を気に入られ、ユニフォームをもらう。それを擦り切れるまで毎日着て眠る。
〇名門の奈良の学校に三位で入学する
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